衆議院

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第14号 令和4年5月26日(木曜日)

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令和四年五月二十六日(木曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   会長 森  英介君

   幹事 井上 貴博君 幹事 加藤 勝信君

   幹事 上川 陽子君 幹事 柴山 昌彦君

   幹事 新藤 義孝君 幹事 奥野総一郎君

   幹事 道下 大樹君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 北側 一雄君

      井野 俊郎君    伊藤信太郎君

      石井  拓君    石破  茂君

      稲田 朋美君    岩屋  毅君

      衛藤征士郎君    越智 隆雄君

      大串 正樹君    國場幸之助君

      下村 博文君    土田  慎君

      中西 健治君    船田  元君

      細野 豪志君    松本 剛明君

      三谷 英弘君    山下 貴司君

      山田 賢司君    山本 左近君

      山本 有二君    新垣 邦男君

      近藤 昭一君    櫻井  周君

      中川 正春君    野田 佳彦君

      太  栄志君    本庄 知史君

      谷田川 元君    吉田はるみ君

      足立 康史君    小野 泰輔君

      三木 圭恵君    國重  徹君

      中野 洋昌君    吉田 宣弘君

      玉木雄一郎君    赤嶺 政賢君

      北神 圭朗君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 神崎 一郎君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十六日

 辞任         補欠選任

  井出 庸生君     山本 左近君

  伊藤信太郎君     土田  慎君

  伊藤 達也君     三谷 英弘君

  西村 康稔君     石井  拓君

同日

 辞任         補欠選任

  石井  拓君     西村 康稔君

  土田  慎君     伊藤信太郎君

  三谷 英弘君     伊藤 達也君

  山本 左近君     井出 庸生君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題(特に、地方自治その他の論点について))


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     ――――◇―――――

森会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題、特に、地方自治その他の論点について討議を行います。

 この討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派一名ずつによる発言に入ります。

 発言時間は七分以内といたします。

 発言時間の経過につきましては、おおむね七分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の申出がありますので、順次これを許します。新藤義孝君。

新藤委員 自由民主党の新藤義孝であります。

 今国会、憲法審査会では、緊急時における憲法五十六条一項の出席概念に始まりまして、緊急事態条項、国民投票法改正、そして安全保障、九条など、様々な論点について積極的な討議を行ってまいりました。

 本日は、私たち自民党が提案しております合区解消・地方公共団体及び教育の充実について、私の意見を申し上げたいと思います。

 まず、合区解消・地方公共団体については、憲法は、十四条一項で法の下の平等、また十五条で公務員の選定、罷免権を、さらに、四十四条では両議院の議員及び選挙人資格の平等を定めております。これらの規定は、選挙権に対する様々な制約や差別が民主政治の発展に伴って取り除かれてきたという歴史の成果を反映したものです。

 しかし、近年では、これら条項における選挙権の平等は、単に一人一票といった形式的な面にとどまらず、その内容的な面における投票価値の平等、すなわち、議員定数と人口数との比率における一票の重みの平等まで保障したものと理解されるようになっています。このような考え方に基づきまして、最高裁は、各選挙区の議員定数の配分の不均衡について、度々違憲判決や違憲状態判決を出してきたところであります。

 しかし、全国各地域より国民の民意を代表する国会議員を選ぶといった観点から見たとき、このような人口数に基づいた投票価値の平等を基準とするだけで問題はないのかという声が出ています。

 現在、我が国が直面しております少子高齢化、人口減少社会による地方の過疎化の急激な進展、そして都市部への人口集中という状況は、日本国憲法が制定された七十五年前には全く想定されていなかったと思われます。投票価値の平等のみを徹底すれば、人口減少が進む地域ほど選挙区がどんどん広がり、結果として、地域の民意や実情を把握し切れない議員を選ぶ選挙となってしまうおそれが出てきます。

 参議院選挙における複数の県を一つの選挙区とする合区はこうした性格を含んでおり、しかも、人口減少が更に進むことを受け、今後、多くの選挙区が合区となる見込みとなっています。一方、人口が集中する都市部では選挙区が増えることになり、衆議院選挙においては、既に、自治体の首長や地方議員の選挙よりも小さな選挙区で国会議員を選ぶ事態が生じています。

 私は、国民の代表を選ぶ選挙区の設定は、投票価値の平等を追求するとともに、地域の民意の反映とのバランスを考慮することが必要ではないかと考えているわけです。この場合、民意を反映する地域の単位をどう設定すべきかという課題が出てきます。この課題を検討する際に関係するのが、憲法上の規定です。

 憲法における地域の概念は、第八章に地方公共団体として規定されています。ところが、憲法上の地方公共団体はそれ以上の定めがなく、千二百万人を超える東京都も数百人の村も同様の位置づけでしかありません。

 そこで、自民党のたたき台素案では、地方公共団体を、基礎的な地方公共団体とこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、明確に位置づけています。特に、参議院議員の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも一人を選挙すべきものとし、これにより合区は解消することになります。加えて、衆議院も含めて両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案する旨を記載し、選挙区の設定は人口のみに偏らないことにしているわけであります。

 この問題は、国民が不断に行使をしている選挙権に直接関わるものであり、国民の日常生活の福利や公衆衛生を支える自治体との位置づけを明確化するといった観点においても極めて重要な事柄であり、憲法改正のテーマとして、今後しっかりとした議論を深めていきたいと考えております。

 次に、教育の充実について述べます。

 憲法二十六条は、教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償化の三点を規定しています。これらは、終戦直後、国民生活が混乱を極める中で、教育こそ国家再建の基礎であり、せめて義務教育は無償化するという国家の基本政策を規定したものでした。

 なお、制定当時も、教育に関する理念を盛り込むべきという意見は帝国議会にもありましたが、結局、憲法には盛り込まれず、教育基本法などの一般法で規定されるにとどまっています。

 現在、教育をめぐる環境は大きく変わり、従来の初等、中等、高等教育といった区分けのみならず、リカレント教育と言われる学び直しや、生涯を通じて学ぶ生涯教育が普及しました。

 一方で、教育格差による社会的な格差の固定化などと指摘されるように、経済状況や収入によって教育の機会が奪われることは、あってはならないことです。全ての国民が、ひとしく、それぞれに合った教育を受けられるようにすべきです。さらに、教育のデジタル化、リモート教育は、今後ますます重要になってきます。

 にもかかわらず、現行憲法は、これら教育の理念について一切触れておりません。七十五年前の戦後の荒廃の中で、国の宝である子供たちにはせめて義務教育だけは提供するという規定のままなのです。私は、これらの教育を取り巻く環境の変化に応じた教育の理念について、今こそ憲法を改正し、規定すべきと考えています。

 私たち憲法審査会は、二〇一九年、憲法実情調査のため、欧州各国を訪問しました。ドイツ基本法はちょうど六十三回目の改正を行ったところであり、その改正テーマは、ドイツにおける学校教育のデジタル化だったのです。憲法は、時代や社会の変化に対応し、不断のアップデートが必要だということを重ねて申し上げたいと思います。

 自民党の憲法改正たたき台素案では、現行の教育に関わる二十六条の一項、二項はそのままに、新たに第三項として、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り開く上で極めて重要な役割を担うものであるとの教育の理念をうたった上で、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めるといった、国の責務を規定することとしております。

 以上、合区解消・地方公共団体、そして教育充実の二つの論点は、いずれも国の根幹を成す憲法改正に関わる重要なテーマであります。

 今後も、こうした具体的な条項について、論点を絞り、更に議論を深めてまいりたいと思います。委員各位の御理解と御協力をお願いいたしまして、私の質問とします。

 ありがとうございました。

森会長 次に、奥野総一郎君。

奥野(総)委員 立憲民主党の奥野総一郎でございます。

 私は、憲法は国家の設計図だと考えています。その設計図を考える際に、適切に効率的に意思決定が行える仕組みをつくるという視点も必要であります。いわゆる緊急事態の議論もそうした視点から捉えることができます。政府の権力行使を縛る立憲主義は、その設計図の基本的な理念、一番大事な理念の一つであります。憲法制定後七十五年がたち、その設計図が時代にそぐわなくなっていないか、立憲主義を守りながら検証して、必要があれば直していこうというのが我々の論憲の立場であります。

 今日は地方自治をテーマに取り上げましたが、地方自治の改革は、地方分権改革、そして民主党政権下での地域主権改革により進められてきましたが、現在は停滞をしています。人口減少にも歯止めがかかっておらず、地方創生という言葉も聞かれなくなりました。道州制の議論も残念ながら進んでいません。憲法の議論を通じてきちんとした政策決定が行われるよう、地方の統治機構改革を進めて、人口減少に歯止めをかけ、地方から経済を立て直していくべきだというふうに思います。

 憲法第八章地方自治は、僅か四条しかなく、規律密度がとりわけ低いと言われています。憲法九十二条では、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定されており、地方自治法がその法律に当たります。

 それでは、この地方自治の本旨とは一体何なんでしょうか。総務省のホームページを見ると、地方公共団体の団体自治及び住民自治の二つの意味における地方自治を確立すると書かれています。地方自治法はこの考え方に立ち、その一条の二で、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体に委ねることを基本として、国が地方公共団体との間で適切に役割を分担するとあり、そして、同じく同条の中で、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たっては、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されることを規定しています。

 団体自治を保障するため、リスボン条約に規定され、EUの基本原則となっている補完性、そして近接性の原則が規定されているということだと思いますが、こうした団体自治、住民自治の基本的な考え方などは、むしろ憲法に規定してもよい事項ではないかと思われます。地方分権をより進めるためにも、時に地方自治の保障が政府によって侵されるということも防ぐためにも、こうした議論が必要ではないでしょうか。

 さらに、時代に合わせた統治機構の多様化も検討が必要ではないでしょうか。

 先ほど新藤幹事もおっしゃっていましたが、人口が数百万人の都市も数百人の村も一律に、例えば二元代表制を義務づけています。また、都道府県と市町村の二層制も憲法の要請とされています。

 例えば二元代表制について、議会が行政の運営者を任命するシティーマネジャー制や議会の多数派から首長を選ぶ議院内閣制型など、地方公共団体が自ら選択できるような検討をしてはどうでしょうか。また、一定規模以上の政令市については、一層制を認める特別市、これは諸外国にもありますが、こうした制度の議論もしてはどうでしょうか。

 二層制のバリエーションあるいは三層制として、道州制の検討も考えられます。自民党の四項目改憲案では二層制を明記していると思われますが、果たして、こう縛ることが必要でしょうか。地方公共団体の規模や運営能力に応じて、多様な組織形態を認めるべきであります。統治機構については、しっかりとした議論が必要であります。

 次に、いわゆる自民党四項目の中の合区解消、選挙制度について申し上げますが、四項目案は、国政選挙について定める四十七条に、衆参両院の選挙区は人口だけでなく行政区画なども勘案して定めるとし、さらに、参院選は、三年の改選ごとに、都道府県単位の選挙区から議員を最低一人選出しなければならない趣旨の規定を追加しています。

 下院の一票の格差、衆議院ですね、下院の一票の格差を二倍以内に収めることは、アメリカやドイツなど先進国では常識であります。仮にこの自民党案が通ったとしても、最高裁は、衆議院の一票の格差二倍を超えることを合憲とはしないでしょう。細田議長が十増十減の見直しをおっしゃっておられますが、これは全くこうした憲法十四条を無視した、非常に不適切な発言であります。

 さらに、参議院ですが、最高裁が参議院の一票の格差を三倍以内程度に収めるように求めるのは、参議院が衆議院と同等の強い権限を有するからであります。

 仮にこの自民党憲法改正案が成立すると、確かに合区はなくなりますが、一票の格差を三倍以内程度に収めるという縛りは残りますから、定数を増やす憲法上の義務が生じることになります。定数を増やさずに都道府県単位の選挙区を残して合区を解消するには、これでは不十分なんですね、できないんですよ。参議院の性格を明確にした上、その権限を見直す、こういった議論が必要になってくるはずであります。

 私は、合区の解消は必要だと思いますし、そして、地方の声を積極的に国会に送るべきだと考えています。必ずしもそれは人口配分だけには限らなくてもいいと思っていますが、だからといって、憲法十四条を無視して一票の格差を無視するべきではありません。

 合区の見直しをもし本当にやろうとするのであれば、そして地方の声をどのように国会の場に届けるかという、統治機構の改革が論点になります。都道府県単位の選挙区から議員を最低一人選出しなければならないと規定するだけでは済まないということであります。例えば、イタリアの上院改革は、定数削減と上院の権限の見直しをセットで行おうとした改革がありますが、こうした議論を参考にしてはどうでありましょうか。

 そしてもう一点、教育の無償化でありますが、高等教育も含め無償化にすること自体は、私も賛成です。

 初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産、GDPに占める割合、日本は二・九%で、比較可能な三十八か国中三十七番目、下から二番目であることがOECDの直近の調査で明らかになっています。教育予算を増やすべきなんですが、しかし、これは憲法を変えなくてもできるんですよ。憲法を変えていたら時間がかかりますから、まずは教育予算を増やすべき話であります。

 自民党改革案は、国は教育環境の整備に努めなければならないと。先ほど御紹介あった条文ですが、自民党の改正案では、教育環境の整備に努めなければならないとだけなっているので、努力義務にしかすぎないんですよね。本当にこの規定で予算が増えるのか、無償化になるかということは、必ずしも明らかではありません。憲法改正ではなくて、早急に教育予算、公的支出を増やすべきであります。

 先週議論になった自衛隊を規定する案にしても、今回の合区解消案にしても、教育無償化についても、いわゆる改憲四項目はいずれも、効果、必要性が疑わしいものばかりであります。もっと、この国の形を考える骨太の憲法議論をここでしたらどうでしょうか。

 そして最後に、国民投票法については、議論すべき多くの点が残っています。毎回申し上げていますが、外国政府の干渉をどのようにストップするのか、あるいは資金の多寡が投票結果を左右しないようにするにはどうするのか、議論をきちんとした上で、国民投票法の改正をあらかじめ行うということが必要であります。

 重ねてお願いしますが、来週は、ネット規制の在り方等について、業界団体等、参考人質疑を求めます。

 以上で終わります。

森会長 次に、小野泰輔君。

小野委員 日本維新の会の小野泰輔です。

 今通常国会も終盤となり、憲法審査会の審議日程も、本日を含めてあと三回となる見込みです。是非、残りの週も開催されることを期待いたします。

 さて、このように日程に限りが見えてまいりましたので、私ども日本維新の会としては、参院選の前でもありますことから、憲法改正についての我が党の考え方を当審査会の残りの期間で申し述べておくことが必要だと思っております。これまで、足立委員から安全保障、私の方からは国民投票法におけるCM規制について、我が党の考え方や改正案について申し述べてまいりましたが、本日は、我が党が以前から掲げております統治機構と教育無償化について意見を表明させていただきます。

 まず、統治機構改革について申し上げます。

 現行憲法の統治機構に関する規定は、極めて簡素となっています。第八章地方自治は、九十二条で「地方自治の本旨に基いて、」と述べ、ほとんどを法律に委ねています。

 私ども日本維新の会は、日本の津々浦々の自治体が創意工夫をし、自律的に自治体運営を行うことが、住民が暮らしやすく、地域が発展することにつながると考えています。そのためには、長らく続いてきた中央集権体制を打破し、地域のことは地域が決めるための統治機構改革を行う必要があります。国の形を根本から変えるため、統治機構に関する憲法の規定についても改正することが重要です。

 我が党の憲法改正原案では、基礎自治体を包括する広域自治体として、道州制を憲法上明記しています。

 私どもの憲法改正原案では、地域主権を掲げ、現行憲法上記されていない、地方自治の本旨の内容として広く認知されている住民自治と団体自治も憲法に明記しております。住民自治の内容として、地域における立法及び行政が住民の意思に基づいて行われるべきことを、団体自治の内容として、国から独立した団体自らの意思と責任の下でなされるべきことを条文上も示しています。

 また、地域主権の具体的内容としては、住民自治、団体自治に加え、補完性の原則も盛り込んでおります。この補完性の原則は、国、道州及び基礎自治体の役割分担について、国は国家としての存立に関わる事務やその他の国が本来果たすべき役割を担うものとし、それ以外の事務、特に住民に身近な行政については基本的に自治体が行うというものです。

 そして、地域主権の考えに基づき、道州内における基礎自治体の種類、区域、その他の基本事項は道州条例で定めるとともに、自治体の組織及び運営に関する事項は、自治体が条例で独自に定めることとしております。

 また、自治体の議会については、憲法九十三条では議事機関と位置づけられているのに対し、私どもの改正原案では、条例制定権の拡大に伴い、これを立法機関と位置づけ、国会が国レベルでの唯一の立法機関であるとの規定に対し、自治体レベルでもパラレルに取り扱うことを明記しております。

 なお、自治体の立法権及び行政権が飛躍的に拡大することを受けて、自治体の議員や知事、首長等については、日本国籍を有する当該自治体の住民による選挙で選出するという規定も設け、自治体における参政権についても、憲法上、明確な歯止めをかけることとしております。

 私どもの憲法改正原案において地域主権の考え方が最も色濃く表れているのが、道州所管事項の優先条例規定です。すなわち、国が役割を担う事項以外について、法律で道州が所管すると特に定めた事項については、道州が定める条例が国の法律に優位する旨規定しております。

 また、地域主権を実質的に担保するため、課税自主権や財政調整制度についても憲法上明記しております。自治体が地方税の賦課徴収権を有すると定め、地方税の在り方が法律で厳格かつ詳細に定められている現状を改める趣旨を明確にしています。また、財政力の著しい不均衡を是正するための調整は、道州間は法律で、道州内の基礎自治体間は道州条例で行うものとし、国と道州の役割分担をここでもはっきりと区分しております。

 最後に、国会に道州の意見を反映するための仕組みとして、上院を地域代表の院として構成することについても、今後、検討を行ってまいります。まずは、現行制度において衆議院の機能と重複している参議院について、議員選出の在り方を見直し、道州制導入に向けて都道府県選挙区をブロック制へと変更するとともに、自治体首長と参議院議員の兼職禁止規定を廃止するなど、衆議院との機能分担を明確化した抜本改革を行うべきと考えております。

 このように、財源と権限を中央から地方へと移譲し、地方が実情に応じ、教育、福祉や町づくり、産業振興を行えるようにすることで、地方の活性化を実現することができます。東京一極集中が問題だと認識するだけでは、この状況を変えることはできません。中央集権型の統治機構を抜本的に改め、地方が生き生きと創意工夫ができる制度に大胆に改革することが、停滞した我が国経済社会をよい方向に導くために必要だと考えております。

 次に、日本維新の会の憲法改正原案における教育無償化について、その考え方を申し述べます。

 まず、現行憲法第二十六条一項が、国民の教育を受ける権利に関し、経済的理由によって教育を受ける機会を奪われない旨を明確に規定しています。社会が高度化する中、教育の質の向上により、少子化にもかかわらず教育にかかる費用が増加傾向にあり、家庭の所得により、受けられる教育に格差が出てきています。どの家庭に生まれたかで教育の機会に差が出ることは、国民の教育を受ける権利を実質的に確保する上で非常に問題があると考えています。

 その上で、現行の同条二項において義務教育の無償化が規定されているところ、私どもの憲法改正原案では、法律に定める学校教育は、全て公の性質を有し、幼児期の教育から高等教育に至るまで無償とすることとしています。

 全ての日本国民が、社会の中で役割を担い、家族や友人、職場、地域社会と良好な関係を築いて、幸福な人生を追求できるための学びを、この世に生をうけてから社会に出るまでの間、国や地域が提供することは、極めて公共性の高いことであると考えます。その教育を受ける機会の均等を確保するため、幼児教育から高等教育に至るまでの教育の無償化を憲法上明記することは極めて重要であると日本維新の会は考えております。

 その考えからは、子供の学びと福祉を所管する省庁が更に分断される結果となった今国会のこども家庭庁の設置は、組織、制度として適切さを欠くものではないかということも指摘しておきたいと思います。

 以上、統治機構改革と教育無償化についての我が党の憲法改正の考えについて申し述べました。

 今国会のあと二回の当審査会において、残る論点についても国民に明らかにし、来る参院選において憲法改正が重要な論点の一つとなるよう努めてまいることを最後に申し上げ、私の意見表明といたします。

森会長 次に、吉田宣弘君。

吉田(宣)委員 公明党の吉田宣弘です。

 本日も憲法審査会が開催され、熱心な議論が行われますことについて、開催の御調整に当たっていただいております会長始め幹事の皆様に感謝を申し上げたいと思います。

 さて、これまで憲法審査会においては、緊急事態における国会機能の維持という観点から、オンライン国会の実施について具体的な結論を得ることができたほか、同じく緊急事態における国会機能の維持を目的とした国会議員の任期延長に関する議論、国民投票法をめぐる課題であるCM規制、特にインターネット広告に関する議論、また安全保障規定の議論など、各党各会派による活発な議論が行われてきたと承知をしております。

 ところで、現行憲法は、戦後民主主義の基盤を築いた優れた憲法であると思います。憲法十三条が規定する個人の尊厳を究極の価値として保障する構造を備えています。すなわち、立法、行政、司法を独立の機関として、それぞれが均衡、抑制する統治機構としたのは、国民の自由を国家による無制約な制限から守るためであると存じます。

 そして、民主主義の採用により、治者と被治者の自同性を確保する一方で、民主主義に内在する少数者への人権制限の可能性に対しても、基本的人権を明文で規定し、裁判所による救済を可能とすることで、立憲主義を実現しています。そこには、一人の人権、すなわち個人の尊厳が最大限尊重されている、すばらしい憲法の姿を見る思いがいたします。

 しかし、憲法制定時における社会状況は、現行憲法施行七十五年を経て、全く変わってしまったと言っても過言でないと思います。憲法が保障する人権を守るためにも、現代社会の状況から人権を考え、人権に対する憲法的価値が損なわれないような議論や、それに基づく取組が、今まさにこの憲法審査会に期待されているのではないでしょうか。

 以上申し上げたような観点から、本日、私は、五月十二日、憲法審査会における我が党の中野洋昌委員が行ったCM規制についての意見表明、先週五月十九日に同じく我が党の國重徹委員が行ったデジタル社会と憲法についての意見表明を踏まえて、改めて、国民投票法をめぐる課題であるCM規制、特にインターネット広告の問題について意見を表明させていただきます。

 言うまでもなく、憲法改正における国民投票は、国民の自由な意思に基づき行われなければなりません。この点、国民の自由な意思は、思想、良心の自由や表現の自由、知る権利、平等権などの保障が前提とされます。

 しかし、情報化社会では、中野委員が指摘するエコーチェンバーやフィルターバブルなどの技術的な特性によって、意図的に流された大量のフェイクニュースの存在のみならず、AIの登場で、先ほど申し上げた国民の自由意思の前提たる人権が侵害されかねない状況が生じています。

 すなわち、國重委員の五月十九日の意見表明における識者の指摘として、一、AIは、個人そのものでなく、その個人が属しているセグメント、共通の属性を持つ集団を見てその個人を判断するところ、このようなAIによる評価のみによって人生が左右されることになると、十三条の個人の尊厳が侵害されるおそれがあること。二、AIが読み込むデータの偏りやAIのアルゴリズムのブラックボックス化によって十四条の平等権が侵害されるおそれがあること。さらに、三、AIのプロファイリングに基づいたマイクロターゲティングによって自律的な意思決定が脅かされ、十九条の思想及び良心の自由が侵害されるおそれがあることです。そして、これが政治的に利用された場合には、選挙や国民投票の公正性が脅かされ、民主主義に悪影響を及ぼすおそれがあることが指摘をされております。極めて重要な指摘であると考えます。

 このような問題は、主にネット空間に存在します。上記のような視点からは、国民投票法におけるインターネット広告には、表現の自由間の衝突や、表現の自由とほかの権利との衝突の可能性が否定できません。とすれば、憲法が保障する人権保障の観点からは、インターネット広告の在り方は絶対無制約というわけにはいかないと考えます。

 以上述べてきたように、難しい課題が存在すると言えますが、弊職において、全ての問題について解決する何かのすべを有しているわけではございません。

 ただし、四月二十八日に我が党の北側幹事から意見表明がありましたところの、国民投票法百五条とイコールフッティングの規制は重要であると考えます。そして、この課題は、表現の自由に関わることでもありますので、国民投票法百五条を削除して全て自主規制に任せるなど、あらゆる観点から検討されなければならないと考えます。加えて、そのような前提の上で、情報の信用性担保のために、インターネットの広告には、広告であること、広告主及び問合せ先の明示などが可能なのかどうかも含めて検討されるべきであると考えます。

 そして、このことの検討を深めるためにも、インターネット事業者の方に憲法審査会にお越しいただき、御意見をお聞きする機会を設けていただきたく、改めて森会長にお願いを申し上げて、私からの意見表明とさせていただきます。

森会長 吉田君からの御提案の件については、幹事会において協議をいたします。

 次に、玉木雄一郎君。

玉木委員 国民民主党の玉木雄一郎です。

 今日も、予算委員会が開かれている中でこうして開かれているのは画期的だと思います。関係の皆さんの調整に心から感謝を申し上げたいと思います。

 その上で、今日、地方自治について述べますが、また論点がだんだんだんだん分散していっているような気がします。やはり一つ一つ論点を詰めて、具体的な結論を得て次に進むという運営を改めてお願いしたいと思います。

 その上で、我が党の考え方を述べたいと思います。国民民主党は、二〇二〇年の十二月に、第八章の地方自治に関する改正案について、既に条文イメージ骨子、素案を取りまとめています。私たちの考えを三つの論点に沿って説明をしたいと思います。

 まず一つ目の論点は、地方自治の基本原則についてであります。

 地方自治の基本原則として規定されている、現行の九十二条にある「地方自治の本旨」でありますけれども、これは余りにも抽象的で不明確だと思います。第八章は、規律密度が低いと言われる日本国憲法の中で、とりわけその密度が低い章だと思います。九十二条から九十五条まで、四条しかこの八章はありませんけれども、その簡潔な条文の中に、法律に基づくなど、法律が五か所も登場し、その組織や権限の在り方など、全般にわたって法律の定めるところに広範に委任されています。

 更に言えば、その法律を縛る基準となり得るのが抽象的な地方自治の本旨の概念だけであって、この概念が住民自治と団体自治から構成されるといった最も基本的な事項ですら、解釈によって導き出されるという実態にあります。

 そこで、この地方自治の本旨から導かれる概念である、まず一つ目、地方自治が住民の意思に基づくとする住民自治と、二つ目、地方自治が地方自治体によって自主的、自立的に行われるとする団体自治とを明文で規定するとともに、住民に身近な行政はできる限り地方自治体に委ねるとする、いわゆる補完性の原則についても、地方自治の基本原則として憲法に明記することとしています。

 あわせて、名称についても、明治の地方制度の名残を引きずる地方公共団体から自立的な組織である地方自治体に改め、自治体であることを明確にします。

 二つ目の論点は、地方自治体の機関についてであります。

 現在は、地方自治体の組織の在り方について、首長と議員の双方が直接に公選される、いわゆる二元代表制が定められており、これと異なる組織原理を採用することはできないと解されています。これは九十三条二項の解釈です。しかし、巨大な国家類似の東京都から小さな村町まで、憲法上、二元代表制を一律に強制するのは硬直的に過ぎると言わざるを得ません。

 そこで、それぞれの自治体による判断に柔軟性を持たせ、二元代表制のほか、首長が議会によって選任される議会内閣制や、あるいは、議会が選んだ行政の専門家に実質的権限を委ねる、いわゆるシティーマネジャー制など、各自治体自身が多様な組織形態を採用できるようにしています。

 ただし、その場合でも、最低限の規律として、地方自治体に立法機関である議会と執行機関である首長等を設置することだけは定めております。

 三つ目の論点が、地方自治体の権限についてであります。

 地方自治体の条例制定権については、一律に法律の範囲内と九十四条で規定されておりますが、それだけではなくて、その組織、権限、住民への規制等の地方自治に密接に関する事項については、法律では緩やかな準則を定めるにとどめ、具体的な施策は、その準則の範囲内で各自治体が条例で具体的に定められるようにしています。

 また、地方自治体の自主的、自立的な運営には財政基盤の確立が不可欠でありますけれども、現行憲法では、財産を管理するということしか九十四条に規定されておらず、財政自主権の具体的な内容については全く言及されていません。

 そこで、まず、自治体が課税自主権を有することを特記した上で、地方債などの固有財源を有することも明記し、財源が乏しい中小自治体に対する最低限の財源保障のための国による財政調整制度についても明記しております。加えて、事前調整を行う、いわゆる国と地方の協議の場の設置についても、憲法上、明記することとしています。

 是非、こうした条文イメージ骨子、素案を資料として提出をいたしたいので、森会長のお取り計らいをお願いしたいと思います。

 最後に、憲法九条について、前回、日本維新の会の足立議員から九条改正案が示されましたけれども、専守防衛や必要最小限に関わる重要な論点について少し不明確だったので、改めて質問もさせていただきたいと思います。

 まず、専守防衛の定義にある必要最小限度に係る規定の見直しを掲げておられますが、他方で、自衛隊については、閣議決定による憲法解釈及び平和安全法制等の法律で規律づけする現在の枠組みを維持するともしています。また、九条は専守防衛と徹底した平和主義を体現するものであり、今後とも大切にしていくとも述べておられます。

 閣議決定による憲法解釈及び平和安全法制等の法律で規律づけする現在の枠組みを維持することに加えて、九条は専守防衛と徹底した平和主義を体現するものであり、今後とも大切にしていくのであれば、当然、専守防衛の定義にある必要最小限度に限る規定は維持するはずだと思います。しかし一方で、専守防衛の定義にある必要最小限度に限る規定の見直しを行うと言っておられるので、この点、矛盾するように感じますけれども、御説明をいただきたいと思います。

 また、新三要件は自公内閣、自公政権の内閣が示した解釈でありますから、私たち野党はその解釈に縛られていないと述べられました。しかし、閣議決定による憲法解釈を維持すると述べておられて、仮にこの閣議決定が、前回、北側幹事も発言された二〇一四年七月の新三要件を決めた閣議決定だとすれば、解釈に縛られていないとの発言とは矛盾すると思われます。

 日本維新の会としては、この二〇一四年七月の新三要件、当然、自公政権で決めた閣議決定ですが、この解釈は維持するのか、それとも、これには縛られないのか、明確にされたいと思います。質問をいたします。

 以上です。

足立委員 日本維新の会の足立康史です。

 玉木委員、御質問ありがとうございます。

 いろいろ御質問をいただきましたが、正直、質問をされる際には、まず質問者の考え、これを伺わないと、質問の意味がもう一つ、ちょっとよく分からないんですね。

 私が玉木さんに、私に質問されるに当たって、まずどうしても確認させていただきたいことは、いわゆる芦田修正に基づく戦力の考え方というのがありますね。これを今の、要は、自公政権はその考え方に立っていません。自公政権、日本が芦田修正に基づく戦力の考え方に立っていない理由、それを私は今ずっと考えているんです。なぜ政府はそういう立場に立っていないのか。それについて玉木代表はどうお考えですか。その考え方を伺ってからお答えしたいと思います。

森会長 既に発言時間が終了しておりますが、簡潔に。

玉木委員 次の自由発言のときに答えます。

森会長 それでよろしいですか。

 それでは、発言の時間が終了いたしました。

 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 私は、この間、憲法の上に日米地位協定がある下で、沖縄県民の人権がじゅうりんされ、民主主義も地方自治も踏みにじられている実態を示し、この実態こそ変えるべきだと繰り返し主張してきました。

 今日は、地方自治その他の論点についてがテーマとなっていますが、私は、九条を持つ憲法体系と矛盾する安保法体系について幾つか意見を述べたいと思います。

 まず、日本国憲法施行直後から九条に反して行われた日本の再軍備の問題です。

 アメリカは、自らの世界戦略の下で、日本を極東における反共の防波堤とするために、日本の再軍備計画を策定しました。そこでは、日本の軍隊は米国によって組織され、訓練され、監視されるべきだとしています。このアメリカの要求を受け、日本は、警察予備隊を皮切りに軍備を進め、一九五四年に自衛隊を発足させました。自衛隊は、米軍への従属の下につくられたのであります。

 同時に、アメリカは、サンフランシスコ講和条約によって沖縄を本土から切り離して米軍統治下に置き続け、その裏で秘密裏に日米安保条約を締結しました。日本への米軍駐留を継続し、米軍基地の前方展開と極東への軍事的支配権を確保するために、占領軍である米軍が駐留軍に形を変えて存在し続けることになりました。

 全土基地方式と基地の自由使用は温存され、ベトナム戦争や湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などにおいて、在日米軍基地は出撃拠点として使用されました。

 強調しておきたいのは、この日米安保体制の下で、自衛隊は米軍の軍事戦略を補完するために存在しているということです。この米軍と自衛隊の関係は、七十年がたった今、一層強まっています。

 一つは、自衛隊の海外派兵の拡大です。

 日本政府は、アメリカの要求に応じて、自衛隊の海外派兵を推し進めてきました。湾岸戦争後の機雷掃海のために自衛隊を派遣したのを皮切りに、アフガニスタン戦争では、補給艦や護衛艦を派遣して、戦闘中の米軍などへの洋上補給を行いました。イラク戦争では、武装した米兵や武器弾薬を戦場へ輸送し、イラク本土へ自衛隊を出動させました。

 さらに、安倍政権は、一片の閣議決定によって集団的自衛権の行使を容認し、安保法制を強行して、地球上のどこであれ、どのような戦争であれ、自衛隊が出動して米軍を支援できるようにしたのであります。この下で、重要影響事態や存立危機事態における日米共同作戦計画の策定が進められ、自衛隊は米軍の作戦を支援する役割を担っています。

 二つ目に、運用から政策に至るあらゆる面での米軍と自衛隊の一体化です。

 自衛隊の陸海空司令部機能は、米軍の座間、横須賀、横田基地に置かれ、今では事実上の日米統合司令部として、自衛隊全体が米軍の指揮統制の下に組み込まれています。まさに従属的な一体化にほかなりません。

 台湾有事は日本有事というのも、日本が独自の判断で行うものではありません。アメリカが台湾海峡をめぐる問題に軍事介入することが前提であり、その米軍の軍事作戦を支援するために、日本が安保法制を発動して参戦するものです。

 南西諸島で推し進めている自衛隊ミサイル部隊の配備も、アメリカがインド太平洋地域での権益を確保するための軍事戦略の一端を担うものにほかなりません。

 年末に向けて改定の議論が進められている国家安全保障戦略や防衛大綱についても、防衛大臣はアメリカの戦略と目標や優先事項を整合させると明言しており、敵基地攻撃能力保有の検討もアメリカとの調整の下で進められています。

 自衛隊が徹頭徹尾米軍の従属軍であることは明らかです。

 ウクライナ危機に乗じて九条改憲が議論されていますが、主権国家として、自衛隊を明記し、統制するなどというのは幻想にすぎません。米軍の存在を抜きに、憲法に自衛隊を明記するだけで、自衛権の範囲や防衛力の質は変わらないなどという議論は成り立ちません。

 憲法九条に真っ向から反する日米安保法体系こそ問われなければならないということを指摘して、発言を終わります。

森会長 次に、北神圭朗君。

北神委員 有志の会の北神圭朗です。

 今回は地方自治がお題目なので、憲法第八章に関する問題意識と我が会派の具体的な論点を申し述べたいと思います。

 まず、憲法上の地方自治の規定につきましては、今までも言われたように、条文が第九十二条から第九十五条まで四条分しかなく、抽象的な内容ばかりです。

 例えば、国の統治機構の国会、これは二十四条分あります。内閣十一条分、司法七条分の規定、また、国の財政の規定、これは九条分あります、に比べても条文が少なく、具体性が希薄です。このため、国が法律で規定する余地が大きく、国から独立した自治という趣旨からして問題ありと言わざるを得ません。

 具体的には、まず、第九十二条の「地方自治の本旨」から住民自治と団体自治という概念が導き出されると言われます。しかし、これはあくまで学説上の話であり、実際、法律がこれらに合致しているかどうかという判断基準としては役不足です。国と自治体の間で争いが生じたら、憲法上基準がないので当事者同士で決着ができず、大層時間がかかる司法の判断を仰がざるを得ません。住民自治と団体自治を明文化するのが望ましいと考えます。

 同時に、現在よく見られる国と自治体の間のもたれ合いの関係を整理し、それぞれの役割を憲法上明らかにすることも必要です。国は、外交、国防、マクロ経済運営、社会保障などを担当し、地方は、都市計画など、公共財を提供することを担当することなどがよく言われます。ただ、仕分をする際、その順序としては、まずは小さい自治体からできることは任せ、できないことはより大きな自治体、それでもできない仕事を国が担うという方法が地方自治の理念に沿っていると考えます。この補完性の原則は、必ずしも地方自治の本旨から直接には導かれないため、憲法に明示することが求められます。

 また、地方公共団体の機関、これを内容とする第九十三条第一項は、地方公共団体には、議事機関として議会を設置するとされています。にもかかわらず、地方自治法第九十四条では、町村は、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができるとされています。この憲法と地方自治法の一見矛盾する関係を解決するための法解釈としては、一部の町村は住民自治の観点からより望ましいとされる直接民主制ができないから、間接民主制、つまり町村総会が認められるとされていますが、果たしてこの説明で納得できるのでしょうか。九条だけではなく、ここでも解釈の魔術が漂っているように思われます。

 他方、同じ第九十三条第二項では、長、首長ですね、長と議会を選挙で選ぶとされ、いわゆる二元代表制を定めています。しかし、自治体の運営体制としては、戦前の首長の例や外国の事例を踏まえると、議院内閣制や議会の監督の下で自治体を回すシティーマネジャーを採用する方式も考えられます。これらの体制について、自治体に選択の自由を与えるかということも議論すべきだと思います。

 さらに、憲法には国の財政に関する諸規定がありますが、地方自治については皆無です。仮に自治体と国の仕事の役割を明確にするのであれば、自治体はおのずと、その役割を果たすために一定の財源を併せて保障しなければなりません。とりわけ自治の精神を踏まえれば、自ら財源を調達するための課税自主権が不可欠です。

 これは、地方自治法第二百二十三条並びに地方税法から与えられるものだという解釈がありますが、やはり、憲法の地方自治の本旨から直接導かれる権限だと理解すべきでしょう。このことをはっきりさせるためにも、憲法に自治体の課税自主権を明記すべきです。

 なお、補足ですが、独自財源といっても、大方の自治体の規模を考えると、当然、限界があります。地方自治の憲法規定を拡充したところで、国からの財源移譲が伴わなければ、絵に描いた餅に帰します。併せて国の権限と人材の移譲も実行して初めて、私の提言する改正案にふさわしい自治体の体制ができ上がるということも付言しておきます。

 いずれにせよ、憲法における地方自治の規定は、余りにも内容が希薄です。奥野委員の言葉で言えば、国の設計図としては不足をしています。これは、ひいては、国が広い裁量を持って法律で自治体を制御することができ、国が憲法の空白を埋めるための解釈権を留保しているということを意味しています。これで真の地方自治が実現できるのでしょうか。

 最近は騒がれなくなりましたが、地方分権の叫び声盛んなりし一九九〇年代頃は、明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革だという表現が飛び交っていたように記憶しますが、少なくとも憲法においては、維新どころか、依然として太平の眠りを貪っているように思います。

 国から自治体への分権を法律的に表現するならば、国と自治体のいわば契約のような性格を持つことにもなり、そうした契約にふさわしい詳細な規定が必要でしょう。そうでなければ、国と自治体で権限が対立したときに、これを裁く根拠がありません。

 自治体が真に地方自治の本旨にのっとった行動を正当化する憲法改正が必要だということを申し上げて、私の意見とします。

    ―――――――――――――

森会長 次に、委員各位による発言に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 なお、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 発言が終わりましたら、名札を戻していただくようお願いいたします。

 また、幹事会の協議に基づき、一回当たりの発言時間は五分以内といたします。質疑を行う場合は、一回当たりの発言時間は答弁時間を含めて五分程度といたします。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 発言時間の経過につきましては、おおむね五分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

下村委員 自民党の下村博文です。

 今日は、発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 まず、憲法審査会の今後の運営について御提言を申し上げます。

 先ほども出ましたが、あと二回ということであります。是非、各党言いっ放しで終わらないようにしていただきたい。これまでのそれぞれのテーマについて、委員会としての論点整理をしていただきたいというふうに思います。これは幹事懇等で整理していただいて、是非、発表をしていただきたいということをお願いいたします。緊急事態条項、国民投票、そして憲法九条、自衛隊明記等について、また、今日のテーマについてでもあります。

 そして、今日のテーマについて、私は、教育という視点から発言をさせていただきたいと思います。

 先ほど新藤幹事から、自民党の憲法改正案についての御説明がありました。二十六条については、現行どおりにしながら、新たに三項として追加で、正確には全部お話しされていなかったので、ちょっと私の方から確認で申し上げたいと思います。

 自民党は、三項の中に、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」という追加項目でございます。

 そして、憲法八十九条も一部改正案を提案しております。

 「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない」ということを変える。現行は「公の支配に属しない」を、自民党は「公の監督が及ばない」と、ここの文言だけ変えることを提案しています。「公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

 これは、憲法八十九条が、私学に対する憲法違反の疑いがある、疑義があるというふうな指摘をされる学者、専門家の方々が多い中で、「公の支配」を「監督が及ばない」というふうに八十九条を変えるというものであります。

 さて、教育は、国民一人一人にとっての人格の形成や幸福の追求を基礎づけ、国の未来を切り開く上で欠くことのできないものであり、現行憲法の下で実施された小中学校九年間の義務教育やその無償化などの教育制度は、戦後の発展に大きな原動力となったというふうに思います。

 憲法の理念を教育において具体化することが教育基本法でありますが、昭和二十二年に制定された旧教育基本法については、戦後半世紀を経た社会状況の変化を踏まえて、平成十八年に抜本的に改正し、新たな教育の目的、目標等の理念などを盛り込んでいるところであります。

 他方、憲法制定から七十年が経過する中で、現在の我が国が直面する少子高齢化などの課題を克服し、情報化、グローバル化などの急速な社会変化などに対応するためには人づくりが重要であり、国家百年の計である教育の重要性について、国の理念として国民の共通理解を図ることが必要であると考えます。

 また、憲法の人権条項には、一般的に、個人の権利を確保する旨の規定やこの背後にある理念、これを実現するための国の責務や関与の規定が見られますが、二十六条においては、国の責務や関与については義務教育の無償化があるのみで、理念に関する記述は見当たりません。

 さらに、近時、教育の格差の拡大が指摘される中で、誰もが家庭の経済状況に左右されることなく、質の高い教育を受ける機会を享受することができる社会をつくる必要性が高まっている状況も踏まえ、平成二十九年十二月には、幼児教育の無償化や真に必要な子供の高等教育の無償化を盛り込んだ新しい経済政策パッケージが閣議決定をされたところであります。

 このため、憲法においては、改正教育基本法の規定も参照しつつ、教育の重要性を国の理念として位置づけることとするとともに、国民が経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を享受できるよう、国が教育環境の整備に努めるべき旨を規定することとしたところであります。

 先ほど奥野幹事から、既に進められているのではないか、逆に憲法を改正するということは、その分遅れるのではないか的な発言がありましたが、教育投資については確実に漸進的に進められているところでありますが、まだまだスピード感を持った対応ができているとは言い難いところであります。

 OECDの調査では、日本の総教育支出の対GDP比は三十八か国中三十位で、先進国の中でも下位に位置しています。また、国の歳出も、一九九〇年と二〇二二年を比較してみると、教育費、科学技術費の占める額は五・一兆円から五・四兆円と、横ばいにとどまっております。

 つまり、日本において教育が重要であるということは誰でもが認識しているところではありますが、実際には、教育投資の拡大はそれほど進んでいない。そのため、憲法二十六条に教育の無償化を明記することで、国が人への投資を行うという意思を示す象徴的なものとなり、よりスピード感を持って改革を進めるということが重要であるということであります。

 以上、問題提起をさせていただきました。

森会長 下村君の冒頭の御発言の件については、幹事会で協議をいたします。

吉田(は)委員 立憲民主党・無所属の会の吉田はるみです。

 今憲法審査会、二度目の発言を許していただき、ありがとうございます。

 初めに、四月二十八日の憲法審査会で国民投票法改正案が本審査会に付託された際の強引なやり方に抗議させていただきます。そして、本日、予算委員会が開かれるこの同時間帯に憲法審査会が開かれることは誠に遺憾であり、強く抗議します。

 予算委員会も、憲法審査会も、国民生活に関わる非常に重要な議論です。なぜ、同時に開催するのでしょうか。政治家の都合のいいように国会審議や国会運営が行われているという不信感を増幅させています。数の力で押し切り、そして、改憲ありきの憲法審査会の姿を国民に見せています。一度しっかりと私たち国会議員自らが反省しませんか。

 今日は原稿を読もうかと思っていましたが、すごい論点が出てきましたので、アドリブで参ります。

 先ほど新藤筆頭が本日言及されました教育の無償化は、私は法律で実現できると思います。今、自民党、公明党、そして維新の会の皆様、当然私たち立憲民主党も、教育の無償化に賛成です。それなら、法律案を作って、そしてスピーディーに成立させませんか。その法律を施行して、まず運用し、その実績を見てから憲法を変えるということでもよいのではないでしょうか。なぜ憲法を変えなきゃいけないのか、私には納得ができません。

 経済事情に左右されず、質の高い教育をいち早く子供たちに届けるために、今こうしてほぼ賛成が見えている中です、法律案を作っていただきたいと思います。

 憲法は、全ての国民のものです。その国民を代表するのが国会議員というなら、この憲法審査会に籍を置く私たち立憲民主党・無所属の思いも酌み取っていただきたいと思います。仮に、民主主義とは多数決だというなら、選挙が終わった時点で多数派の思いどおりになり、少数派の思いは切り捨てられます。ゼロか一〇〇かではないはずです。

 多数派が正義とは限りません。少数派が警鐘を鳴らし、問題点を明らかにする重要な役割を担うこともあります。さきの戦争への道のりを考えれば御納得いただけるはずです。

 さて、どうしたら国民の皆様に大切な憲法を伝えられるのか、知恵を絞りましょう。

 現在の憲法の伝え方は、党のホームページ、リーフレット、マスコミ各紙へのアンケート、そして、各党御努力されて憲法集会などを行っていらっしゃいます。

 しかし、この伝達手法は、いずれもマーケティングで言うところのプル型と呼ばれるものです。情報を国民自らが取りに来てもらうという方法です。これは古いです。今の時代は、プッシュ型、こちらから国民に情報を届ける方法が有効です。憲法審査会も、時代に乗り遅れないよう、プッシュ型の情報発信に変えましょう。

 そこで、提案です。新藤筆頭にお伺いしたいと思います。

 このように、広く国民的な関心と議論を喚起するために、プッシュ型で、この憲法審査会の議論を国民の皆様に届けるため、NHKのテレビ中継をお願いできないでしょうか。新藤筆頭にお伺いいたします。

新藤委員 憲法審査会は、与野党の筆頭協議、そして幹事会の合意にのっとって運営しているわけであります。

 ですから、今、吉田委員が最初におっしゃったような、抗議をいただいたわけでありますが、私どもは、できる限りの話合いをして、協議を深めながら運営をし、そしてその結果が、毎週このように各党が同じテーブルに着いて、そしてまた、おおむねの議論の内容を、論点を整理しながら進めているわけです。それを、何かあたかも、数の力で運営するのはという、そのような言い方をされるのは、私とすれば、全く真逆の運営をしているんだ、それがゆえにこのように今国会ずっと開かれている、それが証拠になるんじゃないかなと思います。

 御主張するのは結構ですけれども、やはり、この審査会は、意見の違う中にあって、多数決でやっているわけじゃないんです。だから、そこはしっかりと御理解をいただきたいなと思います。

 また、NHKの中継云々は、これは報道機関の判断がございますので、こちらから求めるか否かということも含めて、これもまた幹事間で相談していかなきゃならないとも思いますが、それは、プッシュ型とプル型とおっしゃいますけれども、我々が議論をして、それが議事録に残り、そして衆議院のホームページでもどんどんと送られているわけでありますので、いろいろな御提案はきちんと受け止めたいと思いますが、批判のための批判のように聞こえないようにしていただきたい、このように思います。

森会長 発言時間を過ぎておりますけれども、一言どうぞ。

吉田(は)委員 会長、ありがとうございます。

 私の言葉が足りないところはおわび申し上げますが、私は、国民の皆さんの声をいただいて、ここで発言させていただいていると思っています。わきまえないこと、あるかもしれません。しかし、これも含めて、国民の皆様に議論を開くために、NHKのテレビ入りを検討するということを、是非私はお願いしたいなと思います。

 時間が過ぎているというところですけれども、先ほど、教育の無償化、多くの党が賛成でした。法案では駄目な理由、スピーディーにできるのはそちらだと思いますが、もしお時間がありましたらこの後の自由討論でお伺いしたいということを申し上げまして、私の発言を終わらせていただきます。

北側委員 公明党の北側一雄です。

 簡単に二点、お話をさせてください。

 まず第一点目は、昨日、五月二十五日、最高裁判所の大法廷が、最高裁判所裁判官の国民審査について、国民審査法が在外国民について審査権の行使を全く認めていないのは憲法に違反するとして、違憲判決を下しました。最高裁大法廷が違憲判決を下すのは戦後十一回目、極めてまれな話でございます。

 私は、国会としても、また当憲法審査会においても、最高裁から、それも全会一致だと聞いているんですけれども、違憲判決が下されたということについて、やはり受け止めないといけないというふうに思っております。

 憲法上、在外国民にも審査権を行使する機会が保障されているにもかかわらず、国会は在外審査制度の創設の立法措置を取らなかった、立法不作為を理由にして憲法違反だと最高裁は言っております。そもそも、国民審査を受ける最高裁判所裁判官自らが全会一致でこのような違憲判決を下しているわけでございまして、私は、国会としてこれを重く受け止め、速やかに立法措置を検討し実施をしていかねばならない、当然のことだというふうに思います。

 憲法の七十九条には、七十九条の二項でございますけれども、「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様」、三項で「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。」このように規定をされておりまして、かつ、最高裁も言っておるんですけれども、憲法の第十五条で、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」。

 要するに、この国民審査制度というのは、国民が司法を直接コントロールできる唯一の手段なんですね。この国民審査制度というものを、ある意味、国会である立法機関が、これは行政もそうですけれども、ないがしろにしてきたのではないかというふうに、私は厳しい批判を受けているんだというふうに思っております。

 そういう意味で、このような大法廷判決が出ましたので、是非、政府、特に総務省なんでしょうか、速やかな制度設計、どのように在外審査の方法をするのか、その検討を速やかにやってもらいたいと思いますし、また、国民投票制度というのは、我々もそう感じていたんですが、実際、国民の皆さんから御覧になって、どうやって判断したらいいのと。判断する参考になるような資料、材料というのはないわけですよね。

 それをやはりしっかりと政府が、さらには、私は、最高裁判所にも御協力をいただいて、国民審査が実効的なものになるように、国民の皆さんが判断できるように、その裁判官の経歴、また様々な判決についてのその裁判官の主張、そうしたものが国民に分かるようなことをやはり示していかないと、これは結局制度としては形骸化していくと思うんですね。

 是非そういう検討をしていただきたいと思いますし、是非、憲法審査会としても、最高裁大法廷判決で違憲判決が出たわけですから、私は、憲法審査会として何らかの意見を取りまとめて政府の側に何か申入れをするだとか、そういうことだってあってもしかるべきだというふうに思います。

 もう一点お話ししたいのは、合区解消の件でございます。

 今日、新藤議員から冒頭ありました合区解消の件でございますけれども、まず、憲法の中の統治機構「国会」の中で、国会というのがどういう位置づけをされているのかということを見たときに、まず、憲法第四十三条で、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」とございます。全国民の代表が、国会、両議院の議員なわけです。衆議院議員も参議院議員も、全国民を代表する議員でございます。

 それを踏まえた上で、日本のこの国会の規定で、衆議院と参議院というのはほぼ同一の権限が与えられています。全ての議事というのは、衆議院と参議院で、両議院で可決をして初めて成立するというのが大原則になっています。法律もそう、予算もそう、内閣総理大臣の指名もそう、さらには条約の承認もそう。さらには、憲法改正の国民投票、憲法改正の発議も、衆議院だけでできないんですね。衆議院と参議院それぞれの、両議院の議決があって初めて発議もできるということでございまして、衆議院、参議院というのは、国民の代表機関として、そしてほぼ同一の権限、権能を持って、そして国会としての重要な役割を果たしている、こういう位置づけがなされているわけです。

 とすると、選挙の際の一票の価値の問題なんですけれども、この一票の価値の問題というのは、全国民の代表と位置づけられている以上、そして、衆議院も参議院も、両議院が同じような強い権限を持っているということを前提にいたしますと、やはり一票の価値というのが平等でなければいけない。その平等というのは、最高裁が言っているように、基本的には二倍以内に一票の価値が収まるようにしていかないと、やはり全国民の代表と言えないのではないかということだと私は理解をしております。

 もちろん、おっしゃっているような地域の特性、様々な事情、それを勘案していくのは重要だと思います。ただ、それを勘案するとしても、やはり二倍以内の範囲の中で地域の様々な事情や特性等々を考慮していくというのが恐らく最高裁の考え方なのではないかというふうにこれまで理解をしておりました。

 是非、この一票の価値の問題も、国民主権、民主主義にとって非常に大事な大事なテーマでございますので、これからもしっかりと議論をさせていただきたいと思います。

 以上です。

森会長 ただいまの北側幹事の昨日の違憲判決についての御指摘は、これは立法府全体で受け止めるべき課題というふうに思いますが、憲法審査会としても果たすべき役割もあると存じますので、その点については幹事会で協議をいたしたいと思います。

北側委員 ありがとうございます。

玉木委員 まず、先ほどの芦田修正についてお答えをしたいと思います。

 私自身は、政府の解釈、通説と同じ考えであります。芦田議員自身が、後にいろいろなことを言っていますが、帝国議会での議論のときには、いわゆる前項の目的を達成するためということが、侵略戦争の放棄のための戦力不保持ということではない、ないというか、そういう説明をしていないことと、やはり、同じく修正をされた一項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということも含めて、前項の目的を達成するためと解釈されているので、もし仮に芦田修正が、前項の目的を達成するためのと、「の」が入っていれば、侵略戦争のための戦力は持たないけれどもそれ以外は大丈夫ですと読めたかもしれないんですが、「の」が入っていないので、私の考えは、通説どおり。

 それは足立委員も同じだと思うんですが、だからこそ九条の改正が必要なのではないのかということになっていくので、芦田修正がそのまま認められるのであれば、こんなややこしい改正議論をしなくて済むので、多分、我々の、この場にいる多くの人の前提は芦田修正は取らないということだから、ではどういう九条改正があり得るのかということを議論しているんだと思いますので、私も、通説、これまでの政府解釈に従うというのが私の考えです。

 その上で、改めて足立議員にお伺いしたいのは、政府の閣議決定による憲法解釈と平和安全法制等の法律で規律づけする現在の枠組みを維持する、そして、九条は専守防衛と徹底した平和主義を体現するものであり、今後とも大切にしていくとおっしゃっている上で、であれば、必要最小限というのは論理の帰結として出てくる、当然の制約だと思うんですが、一方で、四番目として、専守防衛の定義にある必要最小限に限るとの規定を見直すと言っておられるので、そこは矛盾があるのではないか。

 加えて、新三要件は自公の解釈なのでそれに縛られないとおっしゃっているんですが、ここにおっしゃる閣議決定による憲法解釈は、それは二〇一四年の七月の閣議決定とは違うものを意味しているんですか、同じなんですか、このことを改めて伺いたいと思います。

足立委員 御質問ありがとうございます。

 玉木委員が今お答えくださったので、玉木委員がまさに与党と同じ立場、自公国で同じ立場を取っていらっしゃるということは一貫しているなということを感じました。

 ただ、玉木委員が今おっしゃったことは、何かテクニカルな表現をされて、ちょっとよく理解できませんでしたが、一番大事なことは、政府・与党がどういう理由で芦田修正説に立つという立場を退けてきたかということが大事なんですね。

 前回、先々週の九条を議論したときに、玉木委員は私に、足立さんはいろいろ言うけれども、では裁判所の、最高裁の判示をどう理解するんだということをおっしゃいましたね。でも、私が今日問題提起した芦田修正と最高裁は関係ありません。あくまでも芦田修正については政府の立場であり、政府が戦後積み上げてきた解釈なわけですね。

 玉木さんが自民党、自公政権と同じような立場を取るということは分かりました。私が分からないのは、理由なんですよ。政府・与党は、蓄積があるから、急に変えられません。これは分かります。しかし、なぜ玉木さんは、野党であるのに、真面目な話、なぜ野党であるのに、与党自民党が積み上げてきた解釈の蓄積にそんなにこだわるんですか。それは、先ほどあった、「の」が入っているとか入っていないとか、そういうことですか、要は。

玉木委員 これは、与党、野党、自民党はどうじゃなくて、我々も政権を一時担いました。その政府も同じ解釈を踏襲しています。

 では、逆に伺います。芦田修正を、足立さん、日本維新の会は取るんですか。取るのなら、なぜ改正の必要があるんですか。

足立委員 私たちは、芦田修正を取るということは表明していません。取るということを表明していませんよ。議論をしているんですよ。

 私たちが前回、前々回かな、申し上げたのは、まず、今、自衛隊の明記ということについて議論がなされているので、私たちは自衛隊を明記することにも賛成であります。自衛隊を明記することには賛成だけれども、具体的な条文を示さないといけないので、自民党の案も踏まえた上で、我が党はよりシンプルな形で自衛隊の明記の案を出させていただきました。

 その際に、自衛権については、法律の解釈、法律のレベルで、今まで平和安全法制も議論してきたんだから、法律のレベルでしっかりと議論していくことが大事ですねと申し上げたのであって、芦田修正説に立つということを表明したことはありません。

 以上です。

森会長 今日のところはこの辺でちょっと終了させていただきたいと思います。(発言する者あり)会長の指名を受けてから御発言ください。

 これはすぐ結論が出る問題ではありませんので、今日のところはこれで打ち切らせていただきます。

船田委員 会長、ありがとうございます。

 自民党の船田元でございます。

 いろいろ議論はありますけれども、予算委員会開会中にもこの憲法審査会が開かれたということは、極めて私は大事なことだと思っております。以前の憲法調査会以来、私もこの会に所属をしてずっとやってまいりましたけれども、極めてこれは画期的なことであって、元会長でありました中山太郎先生が、憲法に関する議論というのは、そのときそのときの政局に左右されることなく、落ち着いて、そして淡々と議論をすべきである、こういう理念が提示をされておりましたけれども、ようやくそういう方向になってきたのかなということで、私は大変うれしく思っておる次第でございます。

 今日は地方自治が中心でありましたので、地方自治に限ってお話をしたいと思います。

 これまでも出ておりますように、地方自治を決めた憲法の条項は、九十二条から九十五条までの四条のみということであります。しかも、その中身は、非常に簡素過ぎるというか、規律密度が非常に薄いということが特徴でありますし、また、最近の、最近のというか、ずっと戦後続いているんですが、東京一極集中という弊害がいろいろと指摘をされておりまして、地方分権、あるいは地方主権、さらには地域の活性化、そういう観点もこの憲法には、もし改正をする場合には入れていくべきだというのが私の考え方であります。

 少し条項で見てみますと、九十二条の「地方自治の本旨」、これも御指摘がありましたように、非常に不明確であります。私たちは、基本は住民自治であり、それを住民がなかなか、みんなが出てきて議論するわけにいきませんので、団体自治ということで、団体に委託をする、委任をする、そういうことで地方自治というのが成り立っている、これはやはり明確に書くべきだと思います。

 それから、国と地方との関係性も、やはりここで触れておくべきだと思っております。住民へのサービスについては、やはり地方自治体がまずしっかりと第一義的に行う、そして、どうしても手に負えないものについては国が補完をする、いわゆる補完性の原則というのをやはりきちんと書くべきであると思っています。

 九十三条では、地方議会、それから首長、これを公選で選ぶということで、いわゆる二元代表制というのが基本にあると思いますが、先ほど来出ておりますように、それとは違う形態、例えばシティーマネジャー制度、それから、いわゆる国会と同じように、国の制度と同じように、議院内閣制という別の仕組み、そういったものを持つことも可能であるということで、多様性を認めることは大変重要であると思っています。

 それから、地方自治体の構造ですが、三層構造ということであります。国、都道府県、そして市町村、この三層構造である。そして、都道府県については広域自治体、市町村は基礎自治体ということで整理されるものだと思っています。

 ただ、我々は、最初に申し上げましたように、地方の権限を高めていくということも一つ大きなテーマでございますので、国から今の都道府県に権限を移譲するというのはなかなか厳しい状況があります。もう少し広域、すなわち道州制、道州に国の権限を極力移譲していくということが必要でありますので、この地方自治体の構造、三層構造は三層構造でありますが、広域自治体という中にやはり道州制というものも当然考えていくべきであるというふうに思っています。

 それから、一票の格差の問題が少し出されました。国政選挙における一票の格差、これは言うまでもなく、法の下の平等を規定した十四条から導かれるものであり、最高裁としては、衆議院では一票の格差が二倍以内でないと憲法違反の疑いがあります、あるいは憲法違反であります、こういうことで述べられております。その結果、我々はかつて、衆議院議員の選挙区、十増十減案というのを認めたわけであります。これはやはり粛々と行っていく必要があると思います。

 あるお方が、増員によって対応できるんじゃないか、こういうお話をされましたが、私は、増員をするということは今のこの世の中においてよろしくないと思っておりますので、増員ではなくて、しっかりと十増十減でやる。

 しかしながら、こういったことをやっていきますと、行政区画を無視した、あるいはそれを勝手に越えてしまう、あるいは行政区画を分割してそれで選挙をやる、このことによって政治に対する国民の信頼がなくなる、あるいは投票率が下がる、こういうことにもつながっておりますので、やはり今後、一票の格差の大本である法の下の平等の十四条とは別に、憲法改正によって、都道府県単位あるいは市町村単位、この行政区画を尊重する、こういう条項を加えることによって、一票の格差による選挙区の細切れや、あるいは行政区画を越えるということを防ぐ、その知恵が出てくるんだろうと思っておりまして、是非、憲法改正に加えていくべきだ、こう思います。

 以上でございます。

本庄委員 会長、ありがとうございます。

 立憲民主党の本庄知史です。

 私は、その他の論点ということで、前回議題となりました安全保障について発言をさせていただきます。

 まず、二〇一五年に成立した安保法制、なかんずく限定的な集団的自衛権の行使についてです。これは大きく二つの問題があり、憲法違反の可能性が高いと私は考えます。

 第一に、長年にわたり国会で議論を積み重ねて確立した憲法解釈、すなわち、憲法九条は集団的自衛権の行使を認めていないという解釈を、従来の基本的論理はそのままに、内閣が結論を百八十度転換したことです。

 本審査会において、公明党の北側幹事は、憲法九条の下でどこまで自衛の措置が可能なのかを突き詰めて議論したなどと述べておられます。しかし、それは政府・与党内の閉じたプロセスにすぎません。

 二〇一四年七月一日に解釈変更が閣議決定されるまでの間、政府は、有識者懇談会で議論している、与党内で協議していると言って、国会では説明をしませんでした。そして、与党協議が調うや否や、その日のうちに閣議決定したのです。

 第二に、限定的な集団的自衛権が、実際は限定的ではないということです。

 安保法制の法案審議の中で明らかになったことは、地球の裏側でも、経済的な理由でも、グアムに飛んでいくミサイルでも、集団的自衛権の行使は可能というのが政府の見解であり、これは限定的とはほど遠いものです。

 次に、自民党の九条改正案についてです。

 新藤幹事は、本審査会において、自民党案でも、自衛隊の法的位置づけは現在の憲法解釈と全く同じ、必要最小限度の自衛権行使という解釈は引き継ぐなどと説明をされています。しかし、同じ自民党の石破委員は、自衛隊の存在を憲法に書くだけで何も変わらないと我々は考えているわけではないと発言をされ、二人の見解は全く食い違っています。自民党の九条改正案は、一体どちらの考え方に基づいているのでしょうか。

 新藤幹事は、安全保障は本質的に相対的なもの、必要最小限度の自衛力は我が国に対する脅威の内容によって変わるとも述べ、発言は矛盾に満ちています。

 そもそも、何十年も違憲としてきた集団的自衛権の行使が、ある日突然合憲となるような政権の言うことをうのみにできないことは、子供でも分かることです。

 では、憲法を改正すれば、いわゆるフルスペックの集団的自衛権も可能となるのか。私は、そうではないと考えます。

 仮に、フルスペックの集団的自衛権を認めることになれば、憲法九条の平和主義は、単に侵略戦争をしないというだけの規定となります。しかし、それでは諸外国の憲法と何ら変わりません。ウクライナを侵略しているロシアの憲法にさえ、侵略戦争はしない旨の規定があることを、委員各位は御存じでしょうか。

 憲法九条の平和主義は、自衛の名の下に行った、悲惨で愚かなさきの大戦の教訓と反省から設けられたものです。その根幹は、専守防衛、そして海外で武力行使をしないことであり、単に侵略戦争をしないという趣旨ではありません。

 したがって、フルスペックの集団的自衛権は、憲法改正の限界を超えると私は考えます。

 最後に、いわゆる敵基地攻撃能力について申し述べます。

 かねて、政府見解では、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるとしてきました。

 しかし、我が国の防衛は、日本一国、自衛隊だけで担っているわけではありません。米軍が矛、自衛隊は盾という役割分担をどう考えるのか。その役割が変わらないとすれば、我が国自身による敵基地攻撃は、他に手段がないという要件と整合しないのではないかなど、疑問は尽きません。

 昨今、ウクライナと日本の安全保障を同列に論じるような発言が、本審査会を含め、相次いでいます。しかし、ウクライナと日本が置かれている状況は大きく異なります。

 例えば、ウクライナは、米国と同盟を結んでいません。したがって、米国は、ウクライナが侵略されても防衛する義務がありません。

 ウクライナの軍事費は年五十九億ドルで、日本の防衛費の十分の一程度にすぎません。ウクライナも日本も核兵器を保有していませんが、日本は、米国の核の傘によって核保有国に対する抑止力を維持しています。

 我が国の防衛、安全保障に対する不安や危機感が高まっていることは事実です。しかし、こういうときこそ、私たち政治家や国会は、いたずらに国民感情をあおるのではなく、事実に基づく緻密で冷静な議論を行うべきです。これは憲法改正についても同様であるということを申し上げ、私の発言を終わります。

 ありがとうございます。

足立委員 会長、ありがとうございます。

 上品にやりますので、御理解ありがとうございます。

 九条について議論が出ておりますので、私からも一言申し述べたいと思います。

 一部誤解がございますが、我が党が先々週発表しました、九条についての考え方を改めて申し上げますと、まず、自衛隊については、まさに、共産党さん等から違憲論が出ている。国会の中に議席を占めていらっしゃるわけですから、これはしっかりと自衛隊を明記することによって、そうした疑義が、私はないと思っていますが、そういう共産党さんが国会に議席を占めているということを受けて、しっかりと明記をしていく。していくのであればこういう案ではないかということを具体的な条文の形で提案をさせていただいた、それが先々週だったと思います。

 そして、では自衛権についてはどうかということについては、我が党は、党の公約としては、既に平和安全法制のときから、政府の存立危機事態という整理ではなくて、米軍等防護事態という形で、いわゆる日本を守るために活動している米軍等については、要は日本を防衛中の同盟国軍に武力攻撃が発生した際には活動ができるというような概念を整理して、平和安全法制を議論したときに公表をしている。これを今も維持しているし、参院選に向けてのマニフェストにもそういう方向で今調整をしている。それを変えるつもりはありません。

 しかし、他方、ウクライナ危機があったわけですから、ウクライナ戦争があったわけですから、タブーなく議論をしていく。あらゆる議論をしていくという中に、芦田修正説についての議論も当然に入っているわけです。それを頭から、何かそういう、今申し上げたことを私たちが発表すると、何かカメラの前で、曖昧だとかいろいろおっしゃるのであれば、是非一回、公開で対談を、ユーチューブでもいいので、公開で、玉木さんと私でしっかりこれを議論していったらいい、こう思います。

 芦田修正説については、今日、時間があれば、石破先生とそれから北側先生に本当は質問しようと思っていました。ただ、急な話で、事前通告もしておりませんので、問題意識だけ申し上げます。

 北側委員は、先日、新三要件は九条の限界だとおっしゃった。限界なのかなというところが私はまだ理解をできていませんので、その限界性について、また機会を見つけて議論をさせていただきたい、そう思っています。

 それから、石破先生は、野田政権のときに国会で芦田修正説を踏まえた御発言をされていましたので、現時点でどういうお考えかということを承知したいなということで、御質問をちょっと考えていましたが、ちょっと席を外されているので、残念でありますが、今日はそういうことで、控えておきたいと思います。

 ただ、今申し上げたように、与党の幹部の中にも、石破先生を始め、民主党政権のときには芦田修正説を国会で唱えられていたわけですから、全く議論する余地のないテーマではないと思うし、ウクライナ危機を受けて、例えばドイツなんかは抜本的な政策変更をしているわけですから、日本維新の会としては、そうした芦田修正であれ、自衛隊法のネガティブリストの問題であれ、核の拡大抑止の問題であれ、あらゆるテーマについてタブーなく議論していくことを申し上げて、発言とさせていただきます。

 ありがとうございます。

森会長 まだ御発言の御希望もあるようでございますが、予定した時間が経過いたしました。

 この討議の取扱いについては、ただいま与野党の筆頭間で協議をいたしております。今後については、これを踏まえ、幹事会等において対応をいたしたいと思います。

 これにて討議は終了いたしました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十九分散会


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