衆議院

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第7号 令和5年4月13日(木曜日)

会議録本文へ
令和五年四月十三日(木曜日)

    午前十時六分開議

 出席委員

   会長 森  英介君

   幹事 伊藤信太郎君 幹事 上川 陽子君

   幹事 柴山 昌彦君 幹事 新藤 義孝君

   幹事 山下 貴司君 幹事 階   猛君

   幹事 中川 正春君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 北側 一雄君

      青山 周平君    石破  茂君

      衛藤征士郎君    越智 隆雄君

      大塚  拓君    神田 憲次君

      熊田 裕通君    小林 鷹之君

      國場幸之助君    下村 博文君

      瀬戸 隆一君    田野瀬太道君

      辻  清人君    中西 健治君

      船田  元君    古川 禎久君

      古屋 圭司君    細野 豪志君

      松本  尚君    務台 俊介君

      山本 有二君    渡辺 孝一君

      新垣 邦男君    大島  敦君

      奥野総一郎君    城井  崇君

      近藤 昭一君    篠原  孝君

      本庄 知史君    谷田川 元君

      吉田はるみ君    岩谷 良平君

      小野 泰輔君    三木 圭恵君

      國重  徹君    浜地 雅一君

      吉田 宣弘君    玉木雄一郎君

      赤嶺 政賢君    北神 圭朗君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 神崎 一郎君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十三日

 辞任         補欠選任

  岩屋  毅君     松本  尚君

同日

 辞任         補欠選任

  松本  尚君     瀬戸 隆一君

同日

 辞任         補欠選任

  瀬戸 隆一君     岩屋  毅君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題)


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     ――――◇―――――

森会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題について討議を行います。

 この討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派一名ずつによる発言に入ります。

 発言時間は七分以内といたします。

 発言時間の経過につきましては、おおむね七分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の申出がありますので、順次これを許します。新藤義孝君。

新藤委員 自民党の新藤義孝です。

 本日は、先週の審査会で提起いたしました憲法九条に関する論点につきまして、更に意見を申し上げたいと思います。

 私たちの九条改正に関する考え方は、日本国憲法の三大原理の一つである平和主義を堅持し、九条一項、二項は変えずに、九条の二として、前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を取ることを妨げず、そのための実力組織として自衛隊を保持する、この旨の規定を設けようとするものであります。

 国民の生命と財産、領土や主権を守り抜くことは国家最大の責務であり、いずれの国もその固有の権能として自衛権を保持していることは言うまでもありません。

 日本国憲法における安全保障に関する条項は九条のみであり、この条項をもって我が国は国家の自衛権に基づく専守防衛をうたっているとされています。しかし、現行の九条をもってして国防を規定していると言えるのでしょうか。

 現行の九条は、一項で戦争放棄、二項で戦力不保持と交戦権否認を定めておりますが、これは平和主義と自衛権行使の在り方に関する規定であり、国防規定そのものではありません。本来であれば、まず、国防規定と国防の担い手である実力組織についての規定があり、その上で、現行九条一項、二項のような、平和主義と自衛権行使の在り方に関する規定を置くのが憲法として本来の姿だと思います。

 現行憲法には、平和主義の規定はあっても、主権国家が有する固有の自然権である自衛権に基づく国防に関する規定がないままとなっているわけです。これは憲法がGHQの占領下という特異な状況で制定されたからであり、安全保障に関する規定である九条には、その土台となるはずの国防規定が欠落したままとなっているわけであります。

 占領下において制定された憲法が不自然な状態であることは、当時、既にGHQの上位機関である極東委員会も認識をしていた節がございます。極東委員会はGHQを通じ、日本政府に対し、憲法施行後一年以上二年以内に改正の要否を再検討すること、すなわち、日本国憲法が日本国民の自由意思を表明したものであることを確認するための国民投票を行ってはどうかとの意思を示しているわけであります。

 結果として、これまで国民投票は実施されていませんが、日本国民の憲法に関する意思表明が必要であるという認識は、当時のGHQの担当者の証言からも明らかになっております。実際に日本国憲法の起草に携わったGHQスタッフのミルトン・エスマン氏は、日本国憲法は外国人が作ったもので、日本国民が受け入れてくれるとは思えず、占領が終わったら残らないだろうと思ったと述べています。また、リチャード・プール氏も、日本国憲法が全く修正を加えることなく五十年続いたことに驚いている、日本の皆さん、ありがとうと述べているわけであります。

 これは、一九九七年に憲法調査委員会設置推進議員連盟が憲政記念館で開催した憲法施行五十年を記念したフォーラムでの発言であり、亡き中山太郎先生とともに、私もチャーターメンバーとしてこの運営には関わっておりました。この発言を、当時、驚きとともに鮮明に覚えているわけであります。二十五年前の日本の国会においては、憲法改正の議論を行う場すらなく、憲法改正について発言することすらタブー視されるような状況だったからであります。

 このように、振り返ると、私たち自民党が提案している国防規定と自衛隊を明記する九条改正のたたき台素案は、まさしく、占領下で制定された憲法の欠落を補うものであることがお分かりいただけると思います。

 たたき台素案においては、現行法の自衛隊の法的位置づけや必要最小限度の自衛権行使の範囲について、これまでの解釈に変更を加えるものではなく、現行の九条一項、二項と新たに追加する九条の二は矛盾しない位置づけとなっており、九条の例外を設けるものではありません。

 いかなる場合においても国民の生命と財産、領土や主権を守り抜くという国家最大の任務について、国防規定として憲法に規定するとともに、この国防を担う実力組織として自衛隊を憲法に明記することは、国家の基本法である憲法を頂点とした法体系を完成させることを意味し、防衛政策の内容や性質に変更をもたらすものではないわけです。

 以上の憲法九条に関する基本的な考え方について、これまで幾つかの御意見をいただいておりますので、これに対する私たちの考え方を申し上げます。

 まず、一点目でございます。現在の九条では、激変する安全保障環境に対応することが難しいため、戦力不保持、交戦権否認を定める九条二項を削除して、我が国もフルスペックの個別的、集団的自衛権を行使できるようにすべきではないかとの御意見をいただくことがございます。

 憲法九条改正に当たっての大前提となるのは、日本国憲法の三大原理の一つである平和主義の原理を今後もしっかりと受け継いでいくことであり、二項削除論について、国民の議論は現時点では深まっているとは考えておりません。

 二点目として、現在の九条解釈から導かれる必要最小限度は曖昧ではないかとの意見もあります。

 そもそも、安全保障における必要最小限度の概念は相対的なものであって、国際情勢や侵害の内容や程度によって対応していくものであります。その具体的内容や対処については、平和安全法制や防衛三文書などの関連政策や防衛予算に関する国会論議を通じ整理されるものと考えております。

 三点目は、たたき台素案は「必要な自衛の措置をとることを妨げず、」としていますが、「妨げず、」では九条二項の例外規定と位置づけられることになり、フルスペックの個別的、集団的自衛権の行使まで可能となるのではないかという意見であります。

 私たちのたたき台素案に言う「妨げず、」は例外規定ではなく、あくまで九条二項の範囲内にあることを確認する規定であり、この表現は一般的に法令で用いられているものであります。

 最後に、たたき台素案の内容では、自衛隊が国会や内閣、裁判所と並ぶ憲法機関となり、通常の行政各部である防衛省の上位機関となるのではないかとの意見もいただいております。

 しかし、防衛省と自衛隊は現行法において表裏一体の行政組織であり、防衛省は組織の管理運営を行い、自衛隊は実力行使を担う機関と位置づけられております。自衛隊を憲法に明記するのは、国防という究極の実力行使を担うことに着目したものであって、両者が表裏一体の行政組織であるという性格に変更が加えられるものではありません。このことは、たたき台素案において、「法律の定めるところにより、」「自衛隊を保持する。」との文言からも明らかになっております。

 以上が、私たちの憲法九条改正に関するたたき台素案の内容と基本的な考え方の整理であります。今回私が触れた論点につきまして、次回以降、各会派の委員なりの御意見をお聞かせいただき、更に作業を深めていきたいと願っております。

 今朝の幹事会におきまして、来週の定例日にも審査会を開催し、議論を継続することを提案いたしました。今後も、憲法審査会が安定的に開催され、充実し、かつ深い議論が行われるよう、委員各位の御理解と御協力をお願いして、私の発言といたします。

森会長 次に、中川正春君。

中川(正)委員 立憲民主党の中川正春です。

 まず、国民投票法についてちょっと整理をしていきたいというふうに思います。

 国民投票法が制定された二〇〇七年頃は、現状のように、インターネット利用が情報環境にこれほど大きな変革をもたらすという想定はなかったと思われます。憲法改正国民投票運動は原則自由とされて、インターネットを利用した憲法改正国民投票運動を規制するための国民投票法の規定は設けられなかったと認識をしています。

 しかし、この間に憲法審査会では、情報化社会の進展とそれから諸外国の情勢を認識していく中で、二〇二一年の国民投票法の改正の際に、放送広告やインターネット広告について、附則第四条の検討条項を加えて、これを更に内容を精査しながら、この観点を組み込んでいかなければならないということにいたしました。

 附則第四条に掲げられたのは、一つ目の投票環境整備のために必要な事項と、二つ目の国民投票の公平及び公正を確保するために必要な事項、これに大別をされます。

 一つ目の投票環境整備については、二〇二二年四月に衆議院に提出された国民投票法改正案の審議が継続中であり、二つ目の公平公正の確保については、今まさにこの憲法審査会で議論して結論を出していくべきものであります。

 その例として、附則第四条では、まず一、憲法改正国民投票運動又は憲法改正案に対する賛否の意見表明のためのインターネット等を利用する方法による有料広告の制限、その二として、憲法改正国民投票に関するインターネット等の適正な利用の確保を図るための方策というのが挙げられております。

 私たち立憲民主党は、既にこの分野を含めた改正案を準備していますが、この出発点を踏まえて、ここでは特にインターネット広告についてその論点を整理し、規制の要否について、この審査会で順序立てて結論を見出していくことを改めて提案をしたいというふうに思います。

 第一には、新たな情報環境に対応するためには、放送広告とは別の観点から効果的なインターネット広告規制を設けていくことが必要だという認識を共有すること。さらに、インターネット広告規制の目的が、透明性の確保、公平公正の確保、インターネット上の情報操作対策の三つであるとすれば、この目的を達成するために、どこまで個人の表現の自由に委ね、どこから規制を設ける必要があるのか。

 これについて、最近、国立国会図書館から、非常に参考になる海外事例を整理した報告書が出てまいりました。国によって規制の在り方はそれぞれですが、特にEUについては、現在、インターネット広告規制の規則案の審議の真っただ中だと報告されておりまして、私たちも同時進行的に議論を進めれば非常に効果的だというふうに考えております。

 インターネット広告規制の入口の議論として、この国立国会図書館で海外事情を理解するために整理された論点は私たちの議論の進捗に大きく役立つと判断して、ここに示してみたいと思います。

 まず第一に、透明性の確保に係る情報のインターネット広告への表示義務、それから第二に、政治広告に係るオンラインアーカイブの設置等の義務、それから支出規制、そして外国人等に対する規制、偽情報や誤情報などの拡散規制、そしてターゲティング及び増幅の技術の使用規制、インターネットを用いた商業広告の利用の規制などであります。

 ここで改めて、国立国会図書館に審査会での報告を求めるように幹事会で取り上げていただくようにお願いを、提案をしていきたいと思います。

 それから、海外の情勢報告を見ていると、こうした論点は、今の私たちの議論の対象になっている憲法改正のための国民投票に限らず、一般の国民投票や選挙そのものを対象にした規制となっていることに、今更ながら日本国内の議論の遅れを感じざるを得ません。大阪などで実施された住民投票の場面も含めて、現状、業界によるガイドラインによる規制で運用されていると理解をしています。上記の海外事例に対して日本の業界のガイドラインがどれほどの位置づけになっているのか、こんなことも、是非、専門家を参考人招致して明らかにしていくべきだというふうに思っています。

 令和四年に提出された投票環境整備に関する国民投票法成案だけでなくて、こうした論点の整理をした上で、具体的にどのような規制をかけていくか、各党の合意をつくることが必要であります。もう少し具体的な論点を審査会で固めていった段階で、幹事会での改正案作りを承認していただいて、具体的な国民投票法改正の案のたたき台を幹事会の場で合意形成して作っていくということを提案していきたいというふうに思います。

 次に、安全保障であります。

 先週、新藤筆頭から、憲法九条への自衛隊明記が提案されました。これについての私たちの考え方を述べます。

 結論から言えば、自衛隊の明記は必要ないのではないかということであります。現状で自衛隊は合憲、また、その役割と必要性については国民に十分に理解されていると認識をしているからであります。九条で議論されるべき論点はここにあるのではないというふうに思います。

 私たちにとって現在最重要だと思われる論点は、想定される自衛隊の運用が、従来から大切にしてきた九条の憲法解釈である専守防衛、必要最小限度の自衛力、集団的自衛権の禁止という規範をなし崩し的に超えてきているという事実であります。

 私たちは、これまでの規範を大切にして、日米安保も含め、現実の安保政策をこの範疇に収めるべきだと言ってまいりました。これは国民のコンセンサスでもあると思います。私たちの推測では、政府・自民党は、安全保障の見直しに係る憲法問題では、これまでの憲法解釈を政府の安保政策の見直しに合わせる形で解釈変更していくか、又は、自民党憲法草案にあるように、憲法九条そのものを書き換えることを考えているとしか思えないのであります。私たちは、これには強く反対をしていきたいと思います。

 その上で、今進めなければならない議論があるとすれば、現実の安保三文書や日米ガイドライン、中でも敵基地攻撃能力の保持や四十三兆円の膨大な予算の積み増しなどが、憲法という枠組みの中でどのように位置づけられるのか、はっきりさせていくことであります。特に、ここでも第三者の意見を聞いていくということから始めることが大切だと思いまして、改めて、ここの分野についても参考人の招致を求めていきます。

 私の議論は以上であります。

 ありがとうございました。

森会長 次に、岩谷良平君。

岩谷委員 日本維新の会の岩谷良平です。

 本日は、憲法九条、とりわけ自衛隊の存在の合憲性に関わる憲法改正について、日本維新の会の現時点での考え方を述べます。

 その前に、先週、沖縄県宮古島付近で行方不明になった陸上自衛隊のヘリコプターに搭乗されていた十名の皆様が一刻も早く発見されますことをお祈りいたします。

 また、本日午前七時半前に北朝鮮から弾道ミサイルの可能性のあるものが発射されたとの発表がありました。断固として抗議いたします。

 そして、抗議するだけではなく、この間議論が重ねられてきた有事に備えた緊急事態条項を憲法に設けることや、これから申し上げる憲法九条の改正など、国及び国民の安全を守るため、いつまでも議論、議論と言わずに、早期に結論を出して前に進めていくことが憲法審査会の委員たる我々の使命ではないでしょうか。

 さて、このように我が国を取り巻く安全保障環境が深刻化する中で、自衛隊を廃止することが非現実的であることは論をまちません。一方で、自衛隊の存在が憲法上認められるかについて、自衛のための必要最小限度の実力は憲法で保持することを禁じられている戦力に当たらないので合憲であるとの政府解釈には批判も多く、憲法学者の間では、現行憲法の下では自衛隊は違憲とする考えが通説的な地位を占めています。

 この現状は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つ根幹をなす自衛隊が解釈によって存在していることにより、違憲の可能性が指摘され続けることになり、立憲主義の観点から大きな問題です。よって、現実的に必要な存在である実力組織である自衛隊を、苦しい解釈によるのではなく、憲法に明確に位置づけて、より明らかに合憲の存在とすべきです。

 このため、日本維新の会は、現在の九条一項、二項をそのまま維持した上で、憲法に自衛隊を明記するために、新たに設ける九条の二で、「前条の範囲内で、法律の定めるところにより、行政各部の一として、自衛のための実力組織としての自衛隊を保持する。」と規定すべきと考えます。

 九条の二を設けて自衛隊を憲法に位置づけ、自衛隊違憲論を解消すべきとの趣旨は、自民党案も同様だと理解しています。

 しかし、その際、留意すべきポイントが幾つかありますので、配付した資料に基づいて御説明いたします。

 まず、ポイントの一つ目は、新設する九条の二が九条の枠内であることの明確化です。すなわち、九条の二が現行九条の規範に影響を与えないようにするということです。

 この点、自民党案では、同様の考え方の下、「妨げず、」という文言を用いていますが、「妨げず、」には確認規定の意味のほかに例外規定の意味を持つときがあるため、九条に穴を空けるつもりかと疑念を抱かれることになりかねません。

 そこで、我々の案では、前条、すなわち九条の範囲内でという表現を用いることを提案しています。そうすれば、新設する九条の二がどのような規定であれ、現行九条の枠を飛び出ることはあり得なくなり、現行九条の重要規範である必要最小限度や専守防衛が、疑念を持たれることなく、より明確に維持されることになります。

 なお、専守防衛や必要最小限度の規範については、昨年十二月に岸田総理に提出した日本維新の会の国家安全保障戦略等の改定に対する提言書でお示ししたとおり、専守防衛とは、国土や国民の生命に被害が出た後のみ反撃が可能となることを意味するものではなく、他国の侵略を未然に防ぐに足る十分な抑止力、すなわち、我が党が掲げる積極防衛能力の保持は専守防衛の理念に合致すること、及び、必要最小限度の実力とは、その時々の国際情勢や相手国の状況及びそれらへの対処の選択肢等に応じて変化するものであることに留意する必要があります。

 次に、ポイントの二つ目は、自衛隊の保持と任務の明確化です。自衛隊を憲法に位置づけるに当たっては、それが何を任務とする、どのような組織なのかを書く必要があります。

 この点、自民党案では、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための実力組織とされていますが、簡潔な記述を基調とする我が国の憲法においては、他の規定とのバランスからも、シンプルに、自衛のための実力組織と書くだけでよいと考えます。すなわち、自衛隊という実力組織の任務が、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つこと、つまり国防であることを示すには、単に自衛のためと書くだけで必要かつ十分です。

 次に、ポイントの三つ目は、自衛隊が行政機関であることの明確化です。

 自衛隊を憲法に明記することで、自衛隊が国会、内閣、裁判所や会計検査院と同じような憲法上の機関となりますが、それに加えて、防衛省と異なる位置づけの機関になったのかとの疑問が出てきます。

 そこで、自衛隊と防衛省との関係を明確に整理しておく必要がありますが、この点については、行政各部の一つとしてと書けばよいと考えます。行政各部という表現は、現行憲法七十二条に、内閣総理大臣は行政各部を指揮監督するという形で用いられており、行政各部の一つと書くことによって、自衛隊が各行政機関と同格であることが明確となり、防衛省との関係を含めて、現在の位置づけから変わらないことが明確になります。この視点は、自民党の条文イメージにはなく、我が党の独自の緻密な条文作成のポイントでもあります。

 ポイントの四つ目は、シビリアンコントロールの明確化です。

 自衛隊は、武力を行使する究極の実力組織であることから、民主的統制に服せしめることを憲法上明確にすることも重要なことです。

 そこで、維新の案では、法律の定めるところによりと書いています。これにより、具体的には自衛隊法や事態対処法などで規定することになり、既に現行法に規定があるとおり、一、内閣総理大臣を最高指揮監督者とする行政府内の統制と、二、国会承認、報告等による立法府の統制の両方を機能させることが明確になると考えます。

 なお、この点について自民党案は、「内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする」や「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」とされており、行政府と立法の両方の統制を図る点で同様の趣旨の規定になっていると理解しております。

 以上のような我々の案は、現行の政府解釈を前提に、必要最小限の改正によって自衛隊の合憲性に対する疑義の解消を図るものであり、多くの国民の皆様にも受け入れていただけるものではないかと考えています。

 なお、我々維新の会が提案しているように、憲法を改正して憲法裁判所が設置されれば、現行の憲法の下での自衛隊の合憲性に関して抽象的違憲審査が行われることになると想定されます。そして、合憲と判断されれば違憲性の疑義は解消されますし、仮に違憲と判断されれば、現実的な判断として、憲法九条を改正し自衛隊を合憲化する動きが一気に進むものと考えられます。

 すなわち、憲法裁判所はいわゆる裁判の政治化や政治の裁判化を引き起こすのではないかとの御意見をいただいておりますが、このように、憲法裁判所が設置されれば、裁判が政治を動かす、あるいは政治が裁判を動かすダイナミックで動的な権力分立となり、それは望ましいことであるとも考えられることを付言いたしまして、私の発言を終わります。

 ありがとうございました。

森会長 次に、浜地雅一君。

浜地委員 公明党の浜地雅一です。

 本日は、反撃能力と専守防衛、また自衛隊の憲法上の位置づけについて私見を述べたいと思います。

 まず、反撃能力と専守防衛については、私も参加しました安保三文書の与党ワーキングチームでの議論も紹介しつつ、見解を述べたいと思います。

 今日は、一枚ペーパーをお配りしております。

 専守防衛とは、言うまでもなく、お配りしましたこの図の下の方の三つのパーツから成っておりますけれども、まず、このワーキングチームでは、先制攻撃は許されないという専守防衛の一つ目のパーツ、これを端的に表すものとして、名称を反撃、あくまで相手方の武力攻撃が発生してからのカウンターであることを意識しまして、このような名称、定義といたしました。英語で読みますとカウンターケーパビリティーズというふうに表現をされます。

 また、この反撃の定義の中で、「我が国に対する武力攻撃が発生し、」としたため、存立危機事態において反撃を行使し得るかが表現されていないのではないか、我が国と密接に関係のある他国に対すると加えるべきではないかとの指摘もございましたが、この反撃能力は、そもそも政策的な概念で、法的な概念ではありません。また、この反撃の定義の中に、「武力の行使の三要件に基づき、」と明記することで、存立危機事態も含むと読める、そのように整理を行いました。

 とはいえ、確認的に、安保三文書の中には、二〇一五年、平和安全法制時に示された自衛の措置の三要件に当てはまる場合にこの反撃能力は行使し得る旨を記載させていただいたところでございます。

 次に、反撃に用いるスタンドオフミサイルと専守防衛との関係について。これは、専守防衛の定義の三つ目に関わる問題だと思っております。いわゆる、保持できる必要最小限度の防衛力かどうか。

 この問題につきましては、その時々の国際情勢や、科学技術の、安全保障の環境によって左右される相対的なものであることは皆様御承知のとおりだと思っております。しかし一方で、安全保障環境が変化すればどのような装備も保持できるかというとそうではなく、政府は、これまで、保持できる防衛力の限界として、性能上専ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いる核兵器や長距離戦略爆撃機など、攻撃的兵器は必要最小限度を超えると答弁をしてきております。ですので、スタンドオフミサイルはこの限界を超えないのかという問題が生じました。

 スタンドオフミサイルは、まず、通常弾頭を搭載し、その上で、精密誘導ミサイルでございます。性能上、目的を的確に捉えることができます。よって、相手国の国土全体を五月雨式、網羅的に攻撃するものではない。当然、的確な目的情報や攻撃効果の測定が前提となりますが、いわゆる壊滅的破壊にのみ用いるような装備ではないというふうに整理をいたしました。

 次に、とはいっても、現下の安全保障環境は、反撃能力の保有は質的に必要最小限度を超えないかということが問題になります。

 これは、変則型ミサイルやマッハ五を超える極超音速弾の登場によりまして、BMDを中心とする現在のミサイル防衛網だけでは防ぎ切れないかもしれない、国民の生命、安全を守るために、現下の安全保障環境では、まずはミサイル防衛で防ぎつつ、有効な反撃を加えることは必要だろうということで整理をいたしました。

 次に、専守防衛の二つ目の、行使の態様としての必要最小限度性の問題でございます。

 これは、自衛権三要件のうちの、相手方の武力攻撃を排除するに必要最小限度というものを超えないかどうかということの問題でもございますが、これは裏を返せば、自衛権行使の場合に必ず反撃能力を行使するのではなく、反撃を加えなければ相手方の武力攻撃を排除できない場合でなければ、行使の態様としての必要最小限度を超えるものと理解されます。

 これを担保するために、ワーキングチームでは、国会承認の対象となります武力攻撃等の認定における対処基本方針において、事態の経緯や武力攻撃の認定に当たっての前提となる事実を記載する際、反撃まで加えなければ相手方の武力攻撃を排除できないような事態であるのか、もちろん、反撃能力は自衛権の一環ですから、明示的に反撃能力行使の要否までの記載は求めませんが、事態の経緯等から反撃も含む防衛出動の発動の要否を我々国会が判断できるように、詳細に記載するよう求めたところでございます。

 また、軍事目標以外に反撃を加えることは国際法上違反であるため、これも行使の必要最小限度性の問題として整理をいたしました。スタンドオフミサイルは精密誘導弾であるため、軍事目標のみを攻撃することは性能上可能であり、必要最小限度は超えないと判断したところでございます。

 ワーキングチームでは、反撃能力は自衛権の一環であるため、自衛の措置の三要件、そして、その前提となる専守防衛との整合性を意識して議論したことを紹介させていただきました。

 次に、自衛隊の憲法上の位置づけについて述べますと、まず、憲法九条一項、二項は堅持すべきです。また、一部にある自衛隊違憲論を払拭するために憲法上明記するという議論ではなく、自衛隊は言うまでもなく我が国の最大の実力組織であるわけでありますので、これに対する民主的統制の観点から憲法上に書き込んでいく。民主主義、国民主権という観点から、憲法価値を高めていく意味で、ふさわしい書きぶりを求めていくべきだろうと思います。

 そこで、私は、自衛隊法七条の、内閣総理大臣が内閣を代表して自衛隊に対する指揮監督権を有するという民主的統制を定めた規定、これを憲法価値を高めるために憲法上明記していく。そうなりますと、恐らく、憲法の統治機構の中の、七十二条とか七十三条の内閣の職務として書き込んでいくのも一つ考えられるのではないかと思います。この考え方は、前回、自民党さんも示されました図の、自衛隊を国防の担い手としての組織的側面及びシビリアンコントロールの側面から規定するという部分と重なると思います。

 他方、行動的側面、つまり、自衛権の具体的な内容を書き込むことについては慎重さが求められると思います。御案内のとおり、自衛隊の存在及び自衛の措置の限界については、これまで、長い綿密な議論を通して、解釈に解釈を積み重ねて現在、確立されたものでございます。

 特に、限定的集団的自衛権を含む自衛の措置の限界を示した平成二十六年七月一日の閣議決定においては、憲法九条と前文及び憲法十三条から、我が国の存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることは禁じていないと、砂川判決と軌を一にするこれまでの解釈を紹介しつつ、自衛の措置は、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される事態に対し、やむを得ない措置として初めて許容されるという、昭和四十七年十月十四日参議院決算委員会への提出資料を引用して、これが、政府が一貫して表明してきた見解の根幹、基本的論理として、憲法九条下では今後も維持されなければならないと明記をされております。その上で、武力の行使は、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として許容されると、あくまで自国防衛に限る旨が明示をされておるわけでございます。

 当時の安倍総理も、国会答弁で、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的論理を超えて武力の行使が認められるとするには、憲法改正が必要になると述べられております。

 憲法九条下で許容される自衛の措置の限界は解釈を積み上げて確立したものでありまして、これを正確に表現することは私は大変難しいものではないかと思いますし、また、これをあえて表現をしますと、かえって自衛の措置の必要最小限度性や専守防衛について新たな解釈が生まれる余地が生じてしまうのではないかと私は懸念をするところでございます。

 私の見解は以上でございます。

森会長 次に、玉木雄一郎君。

玉木委員 国民民主党の玉木雄一郎です。

 まず、緊急事態において国政選挙が実施できない場合の対応について述べたいと思います。

 先週、奥野委員から、立憲民主党は議員任期の延長のための憲法改正は絶対反対ではない、解釈や法改正でできないことが明らかになれば、改憲も当然との意見表明があったことを改めて評価したいと思います。

 これまでの議論の中で、繰延べ投票で対応できないことは明らかになったと思いますので、残された論点は、緊急集会の一時的、臨時的、限界的な射程がどこまで延び得るのかということに収れんされてきたと思います。

 前回、日本維新の会、我が党、そして有志の会の三会派で示した案では、選挙の一体性が害されるほど広範な地域において国政選挙の適正な実施が七十日を超えて困難であることが明らかな場合に延長を認めることとしております。逆に言うと、七十日までは緊急集会の活用をするということで、すみ分けを明確にしています。

 今日は公明党の先生方に伺いたいんですが、昨日、参議院の憲法審査会で、御党の議員から、七十日を超えても緊急集会で対応せざるを得ない旨の発言があったと承知しております。

 本院でのこれまでの主な議論は、あくまで緊急集会は、期間限定かつ事後的に衆議院の同意がなければ効力を失う臨時的なものであり、取り扱える案件も、浜地議員からも、過去の例も示しながら、内閣が求めた、ある種限定的なものに限定されているということだったと思います。

 仮に七十日を超えて対応できるとしたら、逆に、どの程度の期間、どのような案件について対応できると考えているのか、公明党さんのお考えがあれば伺いたいと思いますし、衆議院と参議院でそこは意見がそもそも違うのか、同じなのか、まだ収れんされていないのか、ここは現状として教えていただければと思います。

 次に、立憲民主党の篠原委員に、前議員の身分復活について改めて伺います。前回、回答をいただいたんですけれども、理解できなくて夜も眠れないので、改めて伺いたいと思います。

 前回、前議員に国会と同じような権能を与えてもいいんじゃないかと述べられて、同時に、全てのことを憲法にきちんと規定しなくちゃいけないというのは理想だ、安全保障の大事な部分だって、違憲だと思われるようなこともしているわけですからと述べられておられます。

 これは、選挙できないような緊急事態において、違憲だと仮に思われても前議員に議員と同じような特別の身分を与える法律を作れという趣旨だと理解したんですが、しかし、これは明らかに、議員でない者に議員と同様の権限を与える立法は、議員任期を定めた憲法四十五条、六条、国会が唯一の立法機関と定めた四十一条、参議院の緊急集会の対応を定めた五十四条二項にやはり違反する、違憲立法にならざるを得ないと思います。

 本当にかかる立法が可能と考えているのか、改めて篠原委員の、あるいは立憲民主党の意見を伺いたいと思います。

 次に、新藤幹事から説明のあった自民党の九条改正案、先ほど岩谷委員からも維新の会の説明もありましたので、これについての国民民主党の考え方を申し述べたいと思います。

 両党から出された案も一案だと思います。ただ、我が党の中で引き続き議論している中で、まず、自民党の改憲四項目の九条改正案については、立法事実、憲法事実というか、改正の目的は何なのかというところがやはり重要だと思っています。

 解説文書を読ませていただいたんですが、憲法学者が違憲だと言っている、教科書に違憲論がある、多分共産党さんだと思うんですけれども、違憲だと言っている国政政党があるということが憲法事実と位置づけられていて、実体的に、これこれができないから、これこれをできるようにするために改正するという実体的な目的が書いていません。

 かつては、集団的自衛権の行使ができないから改正が必要だという議論でしたが、先ほどありましたように、二〇一四年、二〇一五年の議論の中で、平和安全法制の議論の中で解釈変更を行ったので、実体的な改正の必要性が消失していると思います。

 逆に言えば、今の自民党案だと、例えば、共産党さんが自衛隊は合憲だと認めた瞬間に憲法事実がなくなってしまうということになるので、共産党さんも、護憲の立場を維持するのであれば、自衛隊を合憲だと認めれば今の憲法を一字一句変えなくて済むようになるので、双方ハッピーなのかなと思いますので。是非、護憲のためにも、自衛隊を合憲だと認めた瞬間に、少なくとも自民党案の改憲目的は一つ消えるのかなと思います。

 私たち国民民主党は、せっかく九条を改正するなら、そうした弱い理由ではなくて、国家国民を守るために、国家にどのような軍事的公権力の行使を認めるのかといった本質的な議論がやはり必要だと思います。改正する以上は、追加で何ができるようになるのか、つまり、自衛権の位置づけを国民に明確に示す改正であるべきだと考えます。

 自民党案も、そして維新の案も同様だと思いますが、改正文案を示されていますが、自衛権の範囲については、従来の九条の解釈を維持する、あるいは範囲内であるとしているので、何ができるのかは結局、解釈なんですね。憲法改正をしようとしているのに、その実態は結局、改正の文案を幾ら見ても分からなくて、解釈に委ねざるを得ない。

 自衛権の行使の範囲を解釈に委ねている以上、戦力不保持を定めた九条二項との永遠の解釈論争を、結局、改正後も引きずるのではないか。つまり、自衛隊という組織の違憲性は消えることになりますけれども、その自衛隊が行使する自衛権の範囲については九条二項との関係で永遠の解釈論争が残り続けて、自民党さんも特に明記されている、憲法学者から違憲だとか、教科書に書いているとかと言われること、あるいは共産党さんが違憲だと言うことが消えないのではないのか。

 つまり、物すごい政治的な労力を経て改正しても、目的である違憲論に終止符を打つということが達成できず、労多くして益少なしの改正になってしまうのではないのかなということを懸念します。

 もし自衛権の範囲の解釈をめぐる違憲論争に終止符を打つのであれば、維持しようとしている、あるいは範囲内としている九条の解釈の内容をある程度改正案に明記すべきではないかと考えます。今、浜地先生からも、全部書くとまたややこしい解釈が出てくるとなるんですが、書かなくても解釈は出るので。だから、例えば新三要件をある程度書くというのは一つの案ではないかということは提案したいと思います。

 結局、条文を読んだだけでは何ができるのかが分からないという根源的な問題が解決しないので、この点については、これから議論を是非深めていきたいと思います。

 私も、仮に自衛権の範囲はこれまで同様解釈に委ねるとして、自衛隊の組織としての違憲性の否定とシビリアンコントロールの明確化のみを改憲の目的とするのであれば、むしろ、第五章の「内閣」の章に、必要な自衛の措置を取るための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する、こういう規定を一文設けた方が、改正の目的には合致するのではないかというふうに思います。

 九条を改正して自衛権行使の本質の議論をするのであれば、やはり、戦力不保持を定めた九条二項を残したままでいいのか、あるいは、自衛隊を軍として位置づけなくていいのか、自衛隊は軍人なのかどうか、国際法との関係、その身分の在り方も含めて、より本質的な議論を深め、将来に禍根が残らないような、つまり、やり残した感がないような改正にしないと、非常に意味が少ないのではないかなと思っています。

 なお、我々国民民主党は、二〇二〇年の十二月にまとめた憲法改正の論点整理の中においては、九条二項を存置する案と存置しない案の、今二案を条文イメージ案として取りまとめており、党内でも議論を継続しております。本審査会でも、こうした自衛権をめぐる本質的な議論を提起していきたいと思いますし、また、各党各派の先生方からの御意見も伺いたいと思います。

 以上です。

森会長 篠原君並びに公明党に対して質問がございましたけれども、玉木委員の質疑時間を終了しておりますので、またの機会にお願いいたします。

 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 せっかく玉木先生からアドバイスいただいたわけですが、日本共産党は九条を断固として守り抜くという立場には変わりがありませんので、そういう立場から、憲法審査会、改憲のための審査会は動かすべきではないということを改めて申し上げたいと思います。

 日本共産党としては、私は、先週に続いて、岸田軍拡とアメリカとの関係について意見を述べます。

 前回、私は、今の長射程ミサイルの配備計画はアメリカの軍事戦略から始まったものであり、敵基地攻撃はアメリカの統合防空ミサイル防衛、IAMDの一翼を担うものだと指摘しましたが、今の軍拡は、徹頭徹尾、アメリカが起点です。軍事費のGDP二%もアメリカの要求に基づくものです。

 アメリカは、同盟国に対し、軍事費をGDP二%に引き上げるよう、繰り返し求めてきました。トランプ前大統領は、就任以来、NATO諸国に、二四年までの二%の目標を早期に達成するよう繰り返し圧力を加え、今すぐ二%を払わなければならない、最終的には四%に上げろなどと恫喝してきました。

 NATOだけではありません。当時のエスパー国防長官は、二〇二〇年十月に、日本を含む全ての同盟国が最低でもGDP比二%を防衛費に充てることを期待すると述べています。この下で、岸田首相は、昨年五月の日米首脳会談で、防衛費の相当な増額を表明し、軍事費のGDP二%へと踏み切ったのです。

 岸田首相はしきりに必要な防衛力を積み上げた結果だと弁明していますが、軍事費を補完する取組は一体何をどこまでやるのか、検討を進めるための仕組みさえ、まだ決まっていません。首相自身が、安保三文書の中身が決まる前から、二%に増額するよう財務大臣や防衛大臣に指示しております。数字ありきそのものです。日本の軍事費がGDP二%になれば、アメリカ、中国に次ぐ世界第三位となります。軍事大国ではないなどというのは詭弁にすぎません。

 大軍拡の中身は、アメリカ言いなりです。二三年度のFMS調達は一兆四千億円以上になり、前年度の四倍という破格の金額です。安保三文書では、トマホーク四百発を始め、F35戦闘機、イージスシステムなど、アメリカ製の高額兵器が大量に並んでいます。日本国民の血税をアメリカの巨大軍事企業に差し出すものです。

 岸田政権は、この大軍拡の財源を、国民の生活に不可欠な予算の削減や所得税の増税で賄おうとしています。軍事のために国民の命と暮らしを犠牲にするものです。この点で、憲法と財政法の根幹に関わる重大な問題として二つの点を指摘しておきます。

 一つは、軍事費を公債で賄うことです。

 岸田政権は、戦後初めて、軍拡財源のために建設公債四千三百四十三億円を発行することを決めました。これは、過去の戦争の教訓を全く顧みないものです。日本政府は、さきの大戦で、戦費を調達するために大量の公債を発行して軍備を増強しました。国家財政も国民生活も破綻に追い込みながら、侵略戦争へと突き進んだのです。

 この反省から、財政法四条は公債の発行を原則禁止しています。財政法を起案した大蔵省の平井平治主計局法規課長は、一九四七年に発行された「財政法逐条解説」で、四条について、「公債のないところに戦争はないと断言し得るのである、従つて、本条は又憲法の戦争放棄の規定を裏書保証せんとするものである」と述べています。財政法四条は憲法九条を具現化したものであることを重く受け止めるべきです。

 第二に、予備費の軍拡財源への転用です。

 岸田政権は、大軍拡の財源として、今後五年間で決算剰余金から三兆五千億円を充当し、さらに、想定を上回る増加分として九千億円を当て込んでいます。政府は、二〇二二年度の予算にコロナ対策や物価高騰への経済対策を理由に十兆円もの予備費を計上し、約四兆円が不用額として決算剰余金に繰り入れられます。自民党はこの予備費を軍拡の財源につぎ込むことを検討していると報じられています。

 日本国憲法八十三条は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」と明記しています。予備費は災害等の予見し難い予算の不足に充てるものであり、巨額の予備費を計上すること自体、国会の権能を奪うものです。さらに、これを軍拡財源に使用するなど、幾重にも財政民主主義をじゅうりんするものであります。

 あらゆる面で憲法を踏みにじり、大軍拡を推し進めることは絶対に許されないことを強調して、発言を終わります。

森会長 次に、北神圭朗君。

北神委員 有志の会の北神圭朗です。

 先週、参議院の緊急集会の射程、機能、権限に関して優先的に議論すべきだという提案がありました。これについては、私の考えでは、もうかなり議論が積み重ねられているというふうに思っています。直近では、先ほど玉木委員からもありましたし、私も発言しましたし、浜地委員からもありました。

 その結論、まあ結論まで行くのか分かりませんが、大体収れんしているのは、緊急集会というのは、選挙ができる状況を前提とした平時の制度であって、長期にわたり選挙が実施できないような緊急事態を想定していないということです。しかも、憲法は両議院をもって初めて国会が構成されることを規定しています。よって、我々の、三会派の共同提案では、一時的、暫定的、限定的な緊急対応は緊急集会で対応することとし、七十日を超えるような長期にわたる場合には議員任期の延長で対応すべきだという整理をしています。

 また、任期延長議論に合わせて、国会の閉会禁止、解散禁止、即時召集といった憲法改正事項についても検討すべきだという発言がありましたが、これについても議論をかなり重ねていて、ほとんど反対する者はいないというふうに思います。我々三会派でも、本日から具体的な条文案の作業に入り、今月中にもまとめてまいりたいと思います。これらに対して反論や別の論点があるんだったら、是非お示しをしていただきたいと思います。

 次に、新藤幹事より、九条に関する発言がありました。自民党案では、これまでの必要最小限度の実力の解釈を維持するということです。

 この必要最小限度という文言、基準については、本日は、少し歴史的なお話をしたいと思います。これは東京外国語大学の篠田英朗先生の論文で私も初めて知りましたが、それによると、事の経緯はこういうことです。

 一九五四年と古い話になりますが、その年の十二月に鳩山一郎率いる日本民主党が政権を取りました。この政権は、九条二項にある戦力について、必要な自衛力であれば禁止されないという基準を示していました。他方で、日本自由党は、最小限の実力であれば禁止されないという基準を掲げていました。必要な自衛力なのか、最小限の実力なのか、この争点をめぐって、両党が国会で真っ向から対立していた。

 そして、一九五五年、翌年の六月十六日の衆議院内閣委員会で、自由党の江崎真澄委員が鳩山総理を激しく追及します。総理が答弁に窮し、動議によって委員会は休憩に入る。そして、二時間半に及んだ休憩の末、鳩山総理は、委員会にやわら再登場し、必要でもない、最小限でもない、「必要最小限度の防衛力を持てる」と宣言したそうです。

 自由党側は、これはなかなかの妙案だと評価し、その後に、林修三内閣法制局長官は、何事もなかったように、必要最小限度の実力とはかくかくしかじか、こういうものだと考えることができると自説をとうとうと述べ続けます。そして今日に至るわけです。

 つまり、必要最小限度という言葉は、二時間半の休憩時間内に、国会を切り抜けるために大慌てで内閣法制局らがつくり上げた技術革新のたまものです。民主党の必要な自衛力と、自由党の最小限の実力の新たな結合であります。その五か月後に自由党と民主党が合流して自由民主党ができるので、ある意味では自然な流れではないかというふうに思います。

 逆に言えば、憲法学者や内閣法制局が法律論を詰めたものではないようであります。二時間半の休憩時間の中で編み出された苦肉の策をめぐって、我が国は七十年、口角泡を飛ばし、議論をしてきたのです。

 こうした政局のもうもうたる世界から、より澄み切った国際法の世界に目を転じると、御案内のとおり、自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために主権国家に認められている固有の権利です。

 具体的には、国連憲章第五十一条で、武力行使の一般的禁止を前提に、安全保障理事会が平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、各加盟国に個別的そして集団的自衛権を認めています。

 そこで、自衛権の制約については、国際法上、必要性、均衡性の原則という基準が確立されています。必要性とは、武力行使に訴える以外に自衛の手段がないこと、均衡性とは、受けた武力攻撃に対して均衡の取れた形で武力を行使することです。反撃能力もここに入るんだと思います。

 ここで大事なのは、どの兵器は許され、どの兵器は許されないといった厳密さが不可能なところに厳密さを求めるがゆえに、非現実的な制約は国際法上は求められていないということです。新藤幹事がおっしゃるように、当然、それはそのときの国際状況に応じて柔軟な解釈をするのは、私は現実的だというふうに思います。

 問題は、我が国の憲法では、少なくとも今の解釈では、九条で、装備の種類とか軍事作戦の内容にまで、厳密かどうかは分かりませんが、厳密を建前とする制約を設けています。だから、おっしゃるような柔軟な解釈をするたびに神学論争が起きて、逆に柔軟性が損なわれる、そして、野党側からは立憲主義に反しているというような疑いを持たれるというところが私の問題意識であります。

 もう一つ、平和主義の話がありました、フルスペックの集団的自衛権との。

 日本国憲法の平和主義というのは、よく一九二八年の不戦条約の精神を継承するものと言われています。しかし、この条約によって戦争が国際法上違法なものとされたものの、武力行使そのものは違法化されていません。

 また、不戦条約と同様に、戦間期に発足した国際連盟には、対抗措置、ルールを守らない国に対する対抗措置の仕組みが欠けていました。そのため、その後の第二次世界大戦が防げなかったという反省を踏まえて、一九四五年の国連憲章では、武力行使を違法化しながら、安全保障理事会による強制措置という対抗措置の仕組みを設けました。

 しかしながら、御存じのとおり、安保理の機能不全により、期待された安保理の強制措置が発動される見込みがほぼないのが現状です。そのために、これも国際法上の基準としての個別的、フルスペックの集団的自衛権は、依然として私は重要な意味合いを持つものだというふうに考えています。

 新藤幹事の話では、フルスペックの集団的自衛権は、日本国憲法が掲げる平和主義に抵触するのではないかという話なんですが、私が今申し上げた国連憲章の第五十一条、そして個別的自衛権、集団的自衛権の在り方、これも国際法上の平和主義の中身ですよね。だから、日本国憲法の掲げる平和主義と、国際法上の、あるいは国連憲章上の平和主義、この違いがどこにあるのかということを、今後議論を深めてまいりたいというふうに思っています。

 いずれにせよ、必要最小限という基準については、政局を離れて、こうした国際法上の観点をも踏まえた議論が求められるということを申し上げて、私の意見とします。

    ―――――――――――――

森会長 次に、委員各位による発言に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 なお、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 発言が終わりましたら、名札を戻していただくようお願いいたします。

 また、幹事会の協議に基づき、一回当たりの発言時間は五分以内といたします。質疑を行う場合は、一回当たりの発言時間は答弁時間を含めて五分程度といたします。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 発言時間の経過につきましては、おおむね五分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

越智委員 自由民主党の越智隆雄でございます。

 本日は、九条について、私の考えを述べたいと思います。

 国民を守ることは、本来、国家最大の使命であります。にもかかわらず、現行憲法にはその発想が明確ではなく、国家の最重要責務に関する規定ともいうべき国防規定が存在はいたしません。これは、日本国憲法が、占領下という主権が著しく制限された状態で制定されたものであり、武装解除によりその能力を保持していない状態では国防規定を定めようがなかったということなのかもしれません。

 当時、国際社会は、発足して間もない国連による国際平和維持の仕組みに大きな期待を寄せておりました。前文が掲げる、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意したというくだりは、まさにこの精神を反映したものと言えます。

 しかし、国連発足直後から、東西冷戦構造を背景として、安保理はいわゆる拒否権のために機能不全に陥り、日本国憲法が理想とした国際平和秩序の維持は実現しないまま、今に至っています。

 そうした状況の中で、国がどのように国民を守り抜くのかという基本理念について国の最高規範である憲法に規定しないまま、憲法解釈と立法政策に委ねてしまってよいのか。このような問題意識に立って、自民党は、平成三十年、条文イメージ、たたき台素案を策定し、自衛隊明記を提案をしております。

 本日は、これを前提に、改めてその内容について私の考えを述べてまいります。

 現行九条一項の戦争の放棄は、いわゆる侵略戦争の放棄を示すものであり、パリ不戦条約に始まり、大西洋憲章、カイロ宣言を経て、国連憲章に至る国際的な平和主義の概念であることは周知のとおりであります。

 一方、九条二項は、我が国独自の徹底した平和主義や専守防衛の精神を表したものであり、今後も大切にしていくべきものと考えております。

 したがって、現行九条の一項、二項は、一言一句変えずに堅持をいたします。

 その上で、自民党は、九条の二として、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を取るための実力組織として自衛隊を保持するとの規定を新たに設けて、現行九条一項、二項の解釈を維持した上で、等身大の自衛隊を憲法に明記することを提案をしております。これは、国民を守り抜くための国防規定と、それを担う実力組織に関する規定が存在しないという日本国憲法の最大の欠陥を補うものと位置づけることができます。

 また、これに加えまして、シビリアンコントロールに関する規定も設け、憲法に明記される自衛隊が行政権の主体である内閣の指揮監督の下にあることや、国会による統制に服することを明確にすることも提案しています。

 もっとも、憲法改正の原案作りの作業は、各政党会派が条文案を持ち寄るのではなく、この憲法審査会で議論を深め、論点が整理されていく中で、原案の内容が徐々に作り上げられていくものと承知しております。その意味では、今述べた我が党の自衛隊明記案も条文イメージ、たたき台素案でありまして、あくまで考え方を提示しているにすぎません。我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中で、様々な議論があり得るところであり、審査会においても、そうした議論を活発に行っていくべきだと考えております。

 憲法改正により国の形を整えて次の世代に引き渡せるように憲法をアップデートしていくことは、今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。そして、その最も重要な一歩が、国家の最重要責務規定ともいうべき国防規定や、それを担う実力組織に関する規定を設けることだと確信しております。

 今後も、九条を始めとする重要事項について、憲法審査会で丁寧に議論を深め、幅広い合意を得ていきたいと考えております。

 以上でございます。

谷田川委員 立憲民主党の谷田川元です。

 緊急事態であっても国会の機能を維持しなければならない、そのためにも議員の任期延長が必要だとの意見がこれまで多く出されました。しかしながら、国会機能の維持にそれほどこだわるのであれば、その国会機能を不全にする、時の政権による恣意的な衆議院解散について、なぜ議論しないのでしょうか。この問題は、緊急事態ではなくても常に生じることです。先に議論するのが筋ではないでしょうか。

 岸田総理は、衆議院解散は時の総理大臣の専権事項と何度も発言しています。私はこの表現に違和感を覚えます。専権という字を広辞苑で引いてみますと、「権力をほしいままにすること。思うままに権力をふるうこと。」とあります。すなわち、専権事項というのは、総理大臣が勝手に決めて、決めた以上は従わなければならないということです。

 令和五年度予算が成立して、岸田総理が公明党に挨拶したときに、山口代表が、解散ではありませんねと発言し、岸田総理を牽制したとの報道を目にしました。山口代表もかねてより、解散は総理の専権事項という表現を何度も用いられていますが、総理にあのような発言をするなら、今後、解散は総理の専権事項という表現は避けた方がよいのではないでしょうか。

 総理の専権事項ではないことを示す実例を一つ紹介したいと思います。

 戦後行われた二十六回の衆議院総選挙で唯一、任期満了選挙となったのは、一九七六年の十二月のことです。その三か月前の段階で、三木武夫総理は解散を行うための閣議を開きましたが、実に十五名の閣僚が反対をし、解散を断念せざるを得ませんでした。反対する閣僚十五名を罷免し、三木総理自身が十五名の閣僚を兼務し、解散する手段はありましたが、自分は議会人としてそれはできなかったと後に語っておられます。

 まして、現在の岸田内閣は自公連立政権です。連立与党である公明党の意向を無視して岸田総理が解散を強行しようとすれば、公明党の閣僚を罷免せざるを得なくなります。公明党の支持を得て国会の指名を受け就任した岸田総理がそのような暴挙に出ることは、議会人としてあり得ないことです。解散は総理の専権事項という言葉は、現状ではなおさら誤っています。

 また、衆議院議長を務められました保利茂氏が、衆議院解散に関してとても見識の高い文書を残しています。福田赳夫内閣が日中平和友好条約締結という外交的成果を掲げて、解散を検討していた一九七八年七月に書かれたものです。

 保利氏は次のように述べています。憲法上、国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会を、内閣が勝手に助言と承認をすることによって七条解散を行うことは問題がある、それは憲法の精神を歪曲するものだ、特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用だ。

 また、佐藤内閣によるいわゆる沖縄解散直後の一九七〇年二月の国会の代表質問で、自民党の政調会長であられた水田三喜男氏も、国会議員の任期が保障されない限り、議員は常に選挙運動に追われて落ち着かず、国会の公正な審議と採決が常に選挙用のジェスチャーによって妨げられる実情も、決して故なしとは思わないと述べているのです。

 こうした良識あるお二人の自民党の政治家が今生きておられたら、現状をどう思われるでしょうか。

 残念ながら、直近三回の解散は、今やれば勝てる、一週間でも選挙を早くやった方が有利だとの党利党略以外の何物でもありません。

 小選挙区制導入等の政治改革を主導した佐々木毅元東大教授は、安倍政権による二回の恣意的な解散を批判し、政治改革の議論の中で総理の解散権の制限にまで考えを及ばせなかったことに反省の弁を述べられています。

 民主主義の土台である選挙の公正性を確保するという観点からも、総理の解散権の濫用を防止する立法措置を検討すべきです。仮に法律の射程範囲を超えるのであれば、憲法改正を視野に入れるべきだと私は思います。国会機能の維持を重視するのであれば、緊急事態という万が一の場合の議員任期延長を議論するよりも、通常事態における恣意的な解散権行使の抑止を先に議論すべきだということを重ねて申し上げ、私の発言を終わります。

小野委員 日本維新の会の小野泰輔です。

 本日は、緊急事態条項における司法の関与について所見を申し述べます。

 先々週、先週と、各会派からの御意見で、議員任期の延長の判断に対して司法がどう関与すべきかのお考えを拝聴することができました。

 自民党の新藤幹事の先々週の御発言では、緊急事態の認定は一義的に政治が責任を負うべきであり、その信任は民主主義の根幹である国政選挙によってなされるべきとする一方、必ずしも裁判所の関与を否定するものではなく、現行司法制度においても選挙困難事態により私人の権利侵害を訴えることができるほか、客観訴訟の対象として選挙困難事態を扱うことも可能とされました。

 同党の柴山委員からも同様の御発言があり、加えて、既存の裁判所の改革にも言及をされました。

 立憲民主党の中川幹事、奥野委員からは、最高裁判所が違憲立法審査権を適切に行使していないという現状認識から、現行の裁判所の改革又は憲法裁判所の設立の議論の必要性が示されました。

 公明党の北側幹事からは、憲法裁判所は現行の司法制度を大きく変更するもので、憲法改正のみならず、権限の内容、訴訟手続、組織体制、裁判官の資格など、詳細な制度設計が必要であり、ハードルが高いのではないかという旨のコメントをいただきました。その上で、緊急事態下での議員任期延長と憲法裁判所の問題は切り離して議論すべきとの御意見も頂戴しました。

 また、自民党の皆様と同様、憲法裁判所によらず、現行の通常裁判所による選挙困難事態の判断方法として、法律で要件や手続を定めてその適法性を判断する客観訴訟の可能性についても触れられました。その際、選挙困難事態の認定は、内閣が事態の状況等を総合的に勘案して緊急に判断することに鑑みれば、内閣の判断が合理的な裁量の範囲を大きく逸脱し、極めて明白に違憲であることが必要とも述べられています。

 自民党、公明党の皆様からも司法の関与の在り方に言及されたことについては、非常にうれしく思っています。

 選挙困難事態の認定において立法府の歯止めが利かなくなることについて、私たち議員こそが、自らそのような可能性を想定し、制度上の手当てをしていくことが、歴史上、幾多の民主主義の限界を見てきた我々の責務ではないかと考えます。

 選挙困難事態を国会が認定したことに対するチェック機能を、憲法改正を行う憲法裁判所ではなく、現行制度の下での司法の関与に求める方がより合理的かつ現実的であるとの新藤幹事の御主張は、各会派が合意できる憲法改正原案を取りまとめるという観点からは理解できます。しかしながら、我が国の最高裁判所は統治行為論を採用し、高度な政治的判断を伴う法的紛争については原則として裁判所は判断を下さないという姿勢を取っています。

 選挙困難事態において、時の国会がずっとその事態認定を解除しないという可能性が全くないとは言えない中、仮に客観訴訟の制度を法律で設けたとしても、その判断が高度な政治的判断を含むという理由で審理に腰が引けるといったことも考えられます。そのようなことから、純粋に憲法問題に関する判断を行うことを使命とする憲法裁判所の創設に関して、この機会に検討する価値は大きいのではないかと思っています。

 もっとも、憲法裁判所の議論は、それ自体が大きな司法制度の変更であり、もっと議論を積み重ねる必要があります。國重委員や吉田委員が指摘されたように、我が国の法文化に照らし、フィットするのかという問題も含め、多くの検討が必要です。

 そういう意味で、今回の私の発言は、司法の形態はともかく、選挙困難事態の認定について司法自体の関与を認めるべきかという点について、議論を収束させる観点から行ってまいりました。

 全ての委員の皆様も異論がないことだと思いますが、緊急事態において本来の民主主義を回復するために何が必要かというと、可能な限り早期に議員任期の延長という特別な措置を終わらせ、総選挙を実施することであります。それを促すために司法が関与することは、何ら国会の民主的プロセスを阻害するものではありませんし、むしろ、司法による歯止めを設けておくことが民主主義を守るためのセーフティーネットとして機能するものと考えます。

 実は、私は、自公両党の皆様が、選挙困難事態の判断に司法が関与することに対し後ろ向きなスタンスを取っておられることを非常に危惧をしておりました。緊急事態における国会機能の維持という目的は一致していても、議員任期の延長の歯止めの在り方について深い溝があれば、まとまらないと思っていました。しかしながら、ここ二週間の議論で、必ずしもそうではないというふうに私としては感じることができたので、議員任期の延長について、各会派が合意できる改正案までたどり着けるのではないかと思っております。

 引き続き、他の論点についても議論を詰めていくことができるよう、委員各位の御尽力をお願い申し上げまして、私の発言といたします。

森会長 それでは、次に、先ほどの玉木雄一郎君の質問に対しまして北側一雄君から手短に御答弁いただきまして、引き続き、吉田宣弘君にお願いします。

北側委員 簡潔にお答えをします。

 先ほど玉木さんの方から、緊急集会の位置づけについて御質問がございました。

 これは、去年の四月の七日にこの場で私が発言しているんですが、国会というのはあくまで二院制が大前提です。衆議院及び参議院の両議院で構成される。したがって、法律とか予算とか条約とか内閣総理大臣の指名、さらには憲法改正の発議等も両議院の議決で行われます。

 参議院の緊急集会による国会としての意思決定は、この二院制の例外として、憲法上あくまで暫定的、一時的な緊急措置というふうに位置づけられるわけです。

 憲法上、衆議院解散から四十日以内に総選挙が実施され、選挙から三十日以内に国会を召集し、新しい衆議院が構成されます。解散から新衆議院の構成がなされるまでの最大七十日の間を想定し、緊急の必要があるときは内閣は参議院の緊急集会の開催を求められるとしたというふうに思われます。

 したがって、選挙困難事態の定義についても先週述べましたが、国政選挙の適正な実施が七十日間を超えて困難であることが明らかであると認められるときというふうに考えております。

 参議院の安江さんの発言だと思うんですが、私も正確には見ておりませんが、彼も、緊急集会の開会は内閣が求め、議員による招集要求もできない、緊急集会が暫定的であることに鑑みれば、国会と同等の権限を認めることは困難ではないか、こういう発言を彼もしておりますので、そう違いはないんじゃないかと私は理解をしております。

 それともう一点、先ほど、山口代表の発言を通じて、衆議院の解散は総理の専権事項かというお話がありましたが、総理の専権事項であると認識をしております。仮に恣意的な解散が行われるのであれば、これは、その直後の総選挙において国民の厳しい審判を受けることは間違いないと考えております。

吉田(宣)委員 公明党の吉田です。

 御指名いただきまして、本当にありがとうございます。

 前回、私からは、前議員の身分復活の論点及び緊急政令、緊急財政処分の論点につき意見表明をさせていただいた後に、憲法裁判所についても意見表明させていただきました。

 緊急事態条項については、三月九日に自民党新藤筆頭から示された論点整理と残された論点につき、論点も整理され、五会派の意見も出そろい、日本維新の会、国民民主党、有志の会からは共同の条文案も示されるなど、議論が進捗をしております。まず、三会派による条文作成までの御努力に深く敬意を表します。

 さて、残された論点のうち、五会派による結論が共通していない論点が、緊急事態認定に対する国会の関与について、過半数で足りるとするか特別多数を要するかという議決要件の論点、裁判所の関与が必要かという論点、緊急政令、緊急財政処分という論点です。

 この点、裁判所の関与が必要かという論点については、必要とする三会派については、憲法裁判所か最高裁判所かの違いがあるものの、いずれも事後統制とすることで共通です。

 まず、憲法裁判所の採用については弊職も研究を進めているところでございますが、極めて大きなテーマであり、時間を要しております。我が党の北側幹事から先週意見表明がございましたところの、少なくとも緊急事態における議員任期延長の課題とは切り離して議論されるべきという意見に私も同意をいたします。

 憲法裁判所については、議論の進捗に照らし、適切な時期に、複数回にわたり、集中して議論すべきであると考えます。そのような御対応を望みたいと思いますけれども、御判断は、森会長の下、幹事会に御一任申し上げたいと存じます。

 その上で、裁判所による事後統制を図る上で、同じく、先週北側幹事から意見がございました、客観訴訟を提起できるような法整備を検討することも傾聴に値すると存じますので、申し述べておきます。

 緊急事態認定に対して、憲法保障を実現するという観点からは、裁判所の関与を必要とする三会派とも軌を一にするのではないでしょうか。

 さて、これらの論点は、既に十分議論が尽くされているように感じております。具体的な文言の検討を行うべき段階に来ているのではないでしょうか。既に、自民党、日本維新の会・国民民主党・有志の会の三会派からは具体的な文言も示されておりますし、我が党も、北側幹事の発言、意見表明の中で具体的な文言を提示している部分もございます。その旨、御提案申し上げたいと存じますので、森会長にお取り計らいのほど、お願いしたく存じます。

 以上で私の発言を終わります。

森会長 御提案の件については、幹事会等で協議をいたします。

熊田委員 自由民主党の熊田裕通です。

 発言の機会をありがとうございました。

 私は、憲法改正議論の本丸である九条、特に自衛隊明記の必要性について、抱いてきた思いを述べたいと思います。

 言うまでもなく、憲法は国民のものであります。憲法は、主権者である国民が、自分たちが、自分たちが生きる社会を運営する仕組みを定め、これによって自由と権利を守り、そして自分たちが目指す社会の在り方、理想の姿を示すという重要な役割があります。

 したがって、そのような憲法は、国民一人一人にとって分かりやすいものでなければならないのではないでしょうか。ある条文について、このような意味を持っているのだと誰もが同じことを思い浮かべるものでなければならないと思うのであります。果たして、現行憲法は、そのようなものになっているのでしょうか。

 私の事務所では、県会議員時代から、毎年、学生のインターンを受け入れ、政治の最前線を経験していただいております。参加するインターンの学生とは様々な議論をいたします。特に、最近では、安全保障関連や憲法についてのお話もします。その多くの学生が、九条があるのに、どうして自衛隊があるのかという疑問を抱いております。この疑問に対し、これまで築き上げられてきた政府解釈を基に説明をするのですが、なかなか難しい作業です。

 この政府解釈とは、九条はその文言からすると、武力の行使を一切禁じているように見えるが、前文の平和的生存権や十三条の幸福追求権を踏まえて憲法全体を整合的に解釈すれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置が禁じられているとは到底解されない。しかし、だからといって、九条の平和主義の下では、自衛の措置が無制限に認められるものではなく、必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そして、九条二項は戦力の保持を禁止しているが、この自衛の措置を裏づける必要最小限度の実力の保持までも禁止する趣旨ではなく、必要最小限度の実力組織として自衛隊の保持は憲法に違反しないというものであります。

 もちろん、説明の際にはもっと分かりやすい表現を使いますが、それでも、政治に関心を持ち、それなりの知識を持っていると考えられる学生のインターンでさえ、難しいと一言、言葉を失います。私もその姿を見て、言葉を失います。

 多くの国民の皆様にとっても、自衛隊と九条の関係が分かりやすいものであるとは言えないでしょう。繰り返しますが、憲法は国民のものです。そもそも、条文を読むだけでは理解ができず、説明が必要とされること自体、あってはならないことだと思います。

 国民全てが憲法、法律の専門家ではありません。社会のありようを示す憲法が国民にとって分かりにくいものであっては、政治の主役であるはずの国民を政治から遠ざけてしまいます。分かりにくいから人々が政治から遠ざかり、遠ざかるから人々により分かりにくくなる、この悪循環を断ち切らなければなりません。

 では、九条と自衛隊の関係について、分かりにくさをどう解消するか、それが自衛隊の明記だと思います。分かりにくい解釈をなくしても、憲法を読むだけで、疑問を抱かずに自衛隊があることを理解できる、そのような憲法改正が求められているのではないでしょうか。

 本日は、憲法は国民にとって分かりやすいものでなくてはならない、憲法改正議論にはこの視点を欠かせないということを皆様と共有させていただきたく、意見を申し述べました。

 引き続き、本審査会が安定的に開催され、国民のための憲法改正議論が繰り広げられることを期待いたしまして、私の発言といたします。

 ありがとうございました。

大島委員 憲法審査会委員の大島です。

 憲法審査会での皆様の御発言に、心より敬意を表します。

 憲法改正と党議拘束の関係について、私の意見を述べます。私の考えに基づく発言であり、会派を代表しての意見でないことは御理解いただければ幸いです。

 ふだん、私たち国会議員は、政党政治の下、政党会派単位で活動を行っており、法案の採決に当たっては党議拘束がかけられています。しかし、このふだんの政治活動のありようは、憲法改正議論には完全にはなじまないのではないかと考えます。

 そもそも憲法とは、いかなる政党が政権に就いたとしても守らなければならない共通のルールを定めた国家の基本です。つまり、立法政策や行政統制をめぐる日々の政治を行うための土台を形作るのが憲法ですから、その改正議論は与野党対決型の通常の議論とは一線を画するものです。

 したがって、憲法改正議論は、党派性を重んじながらも、与野党の枠を超えた個々の議員の識見の積み重ねによるべきだと考えます。

 この点、我々には、かつて、党議拘束を外して採決に臨んだ経験があります。二〇〇九年の臓器移植法の制定、採決の際、死生観に関わる問題は政党政治では国民意識を酌み取りにくいとして、多くの政党で党議拘束が外されました。我々国会議員は、法案への賛否をふだんからよく考えて決めておりますが、このときは、党議拘束が外されたことから、特によく考えたこと、そして大いに悩んだことをよく覚えています。まさに個々の議員の識見が発露された瞬間でした。

 臓器移植の在り方は個人の倫理観によるところが大きいことから、また、憲法改正は選挙で争われにくい国のありようを問うものであることから、いずれも個々の議員の識見によるべきだという点で共通しています。

 また、憲法学においても、議員と国民の近接性が民主主義にとって重要であるとの見解があり、我々国会議員は、選挙区の人々との結びつきを強く意識せざるを得ない立場にあります。しかし、憲法改正議論に当たっては、選挙で自分に投票していただいた人も、そうでない人も、今を生きる世代も、将来生まれてくる世代も含め、国民のもろもろの各層全体を代表する立場であることを自覚した上で、個々の議員が日本のありようをよく考え、よく悩むことが欠かせません。

 そのためにも、憲法改正原案の採決には党議拘束を外すべきとの意見を述べて、私の意見といたします。

 私の考えに基づく意見であり、会派を代表しての意見ではないことは御理解いただければ幸いです。

森会長 予定した時間が経過いたしました。

 この討議の取扱いについては、ただいま与野党の筆頭間で協議をいたしておりますので、今後については、これを踏まえ、幹事会等において対応をいたしたいと存じます。

 これにて討議は終了いたしました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十六分散会


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