衆議院

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第9号 令和5年4月27日(木曜日)

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令和五年四月二十七日(木曜日)

    午前十時四十一分開議

 出席委員

   会長 森  英介君

   幹事 伊藤信太郎君 幹事 上川 陽子君

   幹事 柴山 昌彦君 幹事 新藤 義孝君

   幹事 山下 貴司君 幹事 階   猛君

   幹事 中川 正春君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 北側 一雄君

      青山 周平君    五十嵐 清君

      伊藤 達也君    石井  拓君

      石破  茂君    衛藤征士郎君

      神田 憲次君    熊田 裕通君

      小林 鷹之君    國場幸之助君

      塩崎 彰久君    下村 博文君

      田野瀬太道君    辻  清人君

      土田  慎君    中西 健治君

      深澤 陽一君    船田  元君

      古川 禎久君    古屋 圭司君

      細野 豪志君    松本  尚君

      務台 俊介君    山本 有二君

      新垣 邦男君    大島  敦君

      奥野総一郎君    城井  崇君

      近藤 昭一君    篠原  孝君

      本庄 知史君    谷田川 元君

      吉田はるみ君    岩谷 良平君

      小野 泰輔君    三木 圭恵君

      國重  徹君    浜地 雅一君

      吉田 宣弘君    玉木雄一郎君

      赤嶺 政賢君    北神 圭朗君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 神崎 一郎君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十七日

 辞任         補欠選任

  岩屋  毅君     深澤 陽一君

  越智 隆雄君     松本  尚君

  大塚  拓君     塩崎 彰久君

  船田  元君     五十嵐 清君

  渡辺 孝一君     土田  慎君

同日

 辞任         補欠選任

  五十嵐 清君     船田  元君

  塩崎 彰久君     大塚  拓君

  土田  慎君     渡辺 孝一君

  深澤 陽一君     岩屋  毅君

  松本  尚君     石井  拓君

同日

 辞任         補欠選任

  石井  拓君     越智 隆雄君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題)


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     ――――◇―――――

森会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題について討議を行います。

 この討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派一名ずつによる発言に入ります。

 発言時間は七分以内といたします。

 発言時間の経過につきましては、おおむね七分経過時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の申出がありますので、順次これを許します。新藤義孝君。

新藤委員 自由民主党の新藤義孝です。

 四月より九条に関する討議を行ってまいりました。

 今国会における審査会の討議は、幾つかの論点について委員から問題提起があり、これに対する見解がきちんと準備された形で各会派の委員より示され、建設的かつ実体的な議論が積み重ねられています。

 議論がかみ合い、内容が審査会の毎週の討議において深められているという状況は誠に喜ばしく、国民の皆様に憲法改正の必要性や様々な論点を明らかにできるよう、今後も努力してまいりたいと思います。

 本日は、九条改正につきまして、これまでの積み重ねで明らかとなってきた意見の方向性や相違点を、私なりの観点から整理をしたいと思っております。

 まず、配付資料の1、現行の九条解釈の基本姿勢を御覧ください。

 憲法九条は、一項で戦争放棄、二項で戦力不保持と交戦権否認を定め、日本国憲法の三大原理である平和主義の理念を宣言したものであります。

 この平和主義の理念においても、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は否定されておらず、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められています。また、その担い手である自衛隊が九条二項によって禁止される戦力に当たらないことについても、長年にわたる国会審議を通じ、確立しているところであります。

 このような現行の九条解釈については、1の(1)にあるように、現行解釈を維持するべきか否かという論点があり、(a)、今後ともこれを維持すべきとする意見と、(b)、九条二項を削除したり解釈変更するなどして、他国と同様に戦力としての軍隊を保持できるように変更すべきとの意見が出されております。

 私は、九条一項の侵略戦争放棄のみならず、二項の戦力不保持までも定める我が国独自の平和主義については、二度と不幸な戦争を行わないという誓いは国家運営の礎である、そして、戦後七十七年が経過してもなお戦争による深い悲しみと傷は決して癒えることなく私たちの心の中に刻まれていること、これを重く受け止めて、平和主義の取扱いについては慎重な議論が必要と考えております。

 多くの意見は、現行の九条の必要最小限度、専守防衛といった解釈は維持すべきとの意見だったと考えますが、引き続き議論を続けてまいりたいと思います。

 これと関連して、今述べました九条解釈について、1の(2)として、憲法に明文化することの是非についての意見も出されています。

 この論点については、(a)、長年積み重ねられてきたものであり、これまでどおり解釈に委ねるのが適当とする意見と、(b)、曖昧な解釈に委ねることなく、明文で規定すべきとする意見がありました。

 仮に、現行の必要最小限度や専守防衛の解釈を明文で規定したとしても、結局は、我が国に対する脅威の内容や程度によって相対的に判断しなければならず、その時点での解釈に委ねられることなどを理由に、多くの意見は、これまでどおり解釈に委ねるのが適当ではないかということだったと思いますが、この点につきましても、引き続き議論をさせていただきたいと思います。

 次に、配付資料の2、国防規定・自衛隊明記を御覧ください。

 まず、(1)として、憲法に明記することの要否に関する論点があります。

 これについては、(a)、国家の根幹である国防規定や、その担い手である自衛隊に関する規定は、基本法である憲法に位置づけることが必要との意見が出されております。他方、(b)、現状の自衛隊は合憲であり、その役割と必要性については国民に十分に理解されており、わざわざ憲法に明記する必要はない、憲法改正は不要だとの意見もありました。

 九条は、日本国憲法で唯一の安全保障に関する規定です。しかし、それは平和主義の原理と自衛権行使の在り方に関する規定であって、現行九条には、安全保障の根幹である、誰がどのように国を守るかという国防規定が欠落をしております。私とすれば、国防規定と、それを担う実力組織である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とする法体系を完成させることは、国の根幹を整えることであり、多くの委員の賛同を得られるのではないかと考えております。

 次に、2の(2)として、この国防規定と、その担い手である自衛隊を憲法に明記する理由、いわゆる立法事実については、(b)にある、自衛隊違憲論を解消するためという意見もありましたが、(a)にある、私が一貫して説明しております、日本国憲法制定以来の欠落部分である国防規定と、その担い手である自衛隊を憲法に明記し、憲法を頂点とする我が国の法体系を完成させるということが、立法事実としてふさわしいのではと考えております。

 自民党たたき台素案の資料にある自衛隊違憲論の解消という説明は、その思いと効果を国民に分かりやすく伝えるためのものであることを申し上げておきます。

 この点も、基本的な論点であり、引き続きしっかりと議論を深めてまいりたいと思います。

 次に、3、シビリアンコントロール規定の要否といった論点があります。

 一つは、内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする政府部内による統制、もう一つは、国会承認や国会報告といった、国会による民主的統制に関する規定を憲法に明記することの要否に関する論点です。

 まず、シビリアンコントロール規定の必要性については、共通理解が得られており、不要とする意見はなかったと思います。そもそも、軍隊や実力組織に対するシビリアンコントロール規定は、各国憲法でも一般的に定められている当然の規定だと思います。

 最後に、今後、より深掘りをした議論をする際の論点となる、4、その他の条文表現・構成について、これまで出されている意見を申し上げます。

 まず、(1)として、現行の九条との関係を整理する文言、すなわち、冒頭で述べた、現行の九条解釈を維持することをどのように表現するかといった論点があります。

 一つは、(a)、私たちのたたき台素案のように「必要な自衛の措置をとることを妨げず、」と表記し、第九条一項、二項の解釈を確認する規定とする意見がございます。これに対して、「妨げず、」は、例外規定を表す場合もあり、適当ではないのではとの御指摘もいただいております。他方、この「妨げず、」と同じ趣旨を、(b)のように、九条の範囲内という表現で示す意見もあります。

 これらの規定ぶりにつきましても、更に議論を詰めてまいりたいと思います。

 次に、4の(2)として、この国防規定、自衛隊明記を憲法のどこに規定するかといった、条文の置き場所に関する論点があります。

 私たちとすれば、(a)、九条の二として第二章「戦争の放棄」の章に規定するのが自然ではないかと考えております。すなわち、国防規定と、それを担う実力組織である自衛隊という国家の根幹的な規定と、その実力行使の限界を定める現行九条の平和主義の規定、そしてその活動に対するシビリアンコントロール規定は密接不可分であり、同一の章に規定してはどうかと考えるからであります。これに対して、(b)のように、専らシビリアンコントロール規定に着目して、第五章「内閣」の章に定めることも考えられるのではとの意見もいただいております。

 これらの点につきましては、今後の討議の中で更に議論を詰めてまいりたいと思います。

 今朝の幹事会におきましては、次の定例日である五月の十一日にも審査会を開催し、討議を継続することを提案いたしました。今後も、憲法審査会が安定的に開催され、充実かつ深い議論が行われるよう、委員各位の御理解と御協力をお願いいたしまして、私の発言といたします。

森会長 次に、階猛君。

階委員 立憲民主党の階猛です。

 先週の当審査会終了後の筆頭間協議により、今週の当審査会においては、私の方から国民投票法の論点を説明してほしいと中川筆頭から指示がありましたので、以下、述べさせていただきます。

 なお、本日は、国民投票法に関してこれまでどのような議論がなされてきたのか、第二百八回国会、すなわち昨年の通常国会以降の各会派の主な発言をまとめた資料を用意し、配付する準備をしておりました。これは、前国会における自民党の新藤幹事の緊急事態に関する論点の例に倣い、私から衆議院法制局に対して事務的に整理するよう依頼したものです。

 そして、これも新藤幹事の例と同様、今回取りまとめる内容は、各会派においてオーソライズされたものではありません。基本的に、各会派の意見を私なりに取りまとめて、法制局に整理をしてもらう趣旨で作ったものであります。

 今後の建設的な議論に資するものであり、新藤、中川両筆頭の合意内容にも反しないと考えておりましたが、先ほどの幹事会の協議の結果、提出が認められず、極めて遺憾です。会長におかれましては、早期提出に向けてお取り計らいをいただきますよう、切にお願いを申し上げます。

森会長 はい、承りました。

階委員 さて、国民投票法に関する論点について、意見の隔たりが大きいものを中心に御説明します。

 まず、現行法の附則四条の位置づけです。

 我が党からは、同条一号に掲げる投票人の投票環境の整備に関する事項と、同条二号に掲げる国民投票の公平公正の確保に関し、何らかの法制上の措置等が講じられるまで憲法改正発議はできない趣旨であるということを、この条文の起草に携わった奥野委員が説明しているところです。しかし、条文上は、この点は明確でなく、他の会派からは反対意見が出ています。

 ただ、いずれの見解を取るにせよ、両事項については、施行後三年をめどに必要な法制上の措置等を講ずるものとされており、間もなく施行後二年を経過します。両事項について必要な法制上の措置等の検討を急がなくてはなりません。この課題を放置したまま憲法改正の中身の議論だけを続けることは、附則四条が予定するものではないということをこの際申し上げます。

 第二に、投票環境整備です。

 既に公職選挙法で手当てがなされた三項目の改正について、我が党も改正することには異存ありません。

 ただし、憲法改正の国民投票は、通常の選挙と異なり、主権者である国民が直接国の在り方を決める重要な機会です。通常の選挙以上に投票環境の整備が求められる中、高齢化やグローバル化への対応の必要性も増しています。こうした認識の下、三項目以外についても必要な事項がないか検討すべきというのが、我が党の考え方です。

 また、先ほど申し上げた、附則四条に掲げるもう一方のテーマである国民投票の公平公正の確保に関する改正も、先ほど申し上げたとおり、検討を急ぐべき時期に来ています。両事項を盛り込んだ改正案の成立を図る方が効率的であり、憲法改正の是非に関する国民の関心を高めることにつながると考えます。

 第三に、CM規制等です。

 まず、放送CMについては、民放連のガイドラインによる自主規制への評価の違いが法律による規制の要否に関する見解の違いにつながっていることを確認したいと思います。

 表現の自由の重要性は言うまでもないことであります。しかしながら、アテンションエコノミーが発達した現在、憲法改正への賛否を勧誘するCMが賛否一方向に偏ることにより、主権者の判断がゆがめられ、国民投票の公平公正が害される事態を防ぐ必要があります。

 そこで、我が党としては、意見CMによる意見表明の自由については、国民投票広報協議会を通じた発信の機会が与えられる政党等は除いて保障することとします。他方、勧誘CMについては、これを禁止することで表現の自由と国民投票の公平公正とのバランスを図ろうとしているということを御理解いただければと思います。

 次に、ネットCM、ネット等の適正利用です。

 この点については、ネット規制は困難である、ネットの問題は国民投票に限られないといった意見が各党から出ていますが、国民投票についてのネット規制の海外事例などについて、国会図書館の調査報告書が最近公表されました。後ほど我が党の城井議員からもこれに関する発言があると思いますが、こうした海外事例も参考にしながら、建設的な議論をするべきです。

 次に、資金規制です。

 憲法改正の賛否が、改正案のよしあしではなく、資金投入の多い少ないによって左右されることがあってはなりません。まして、外国勢力の資金によって憲法改正の賛否が決められることは、主権侵害であり、安全保障の観点からも断じてあってはなりません。

 そのような観点から、立憲民主党は、英国の例などを参考にしながら、支出限度額の設定、外国人等からの寄附の受領禁止などを主張しており、一部の会派も同様の見解を示しています。与党の委員からは言及がない状況ですが、保守派を自認する委員の方々には、是非関心を持っていただいて、前向きな議論をお願いしたいと思います。

 第四に、国民投票広報協議会の活動です。

 この点については、共産党を除いて、充実強化を図ることで一致しています。是非、具体的な充実強化策について今後詰めさせていただければと思います。偽情報や誤情報により国民が判断を誤ることのないよう、民間のファクトチェック機関と連携を図る必要性も複数の会派が指摘しております。今後、議論を進めていくべきと考えます。

 最後に、その他ということで、特に選挙運動と国民投票運動の期間重複をどうするべきかということは重要な論点だと思います。今後、議論を深める必要があります。

 以上で、私からの発言を終わります。

森会長 次に、三木圭恵君。

三木委員 日本維新の会の三木圭恵です。

 今日は、憲法九条について、我が党の考え方と各党各会派の意見の相違についてまとめてみたいと思います。

 まず、九条一項、二項は維持するという考え方は、自民党、公明党、立憲民主党は同じであります。しかしながら、立憲民主党は、自衛隊は合憲であり、その役割、必要性は国民が理解しているところであり、自衛隊の明記は不要とのお立場なので、各党の比較の対象からはここで外れてしまうことになります。

 国民民主党は、本質的な議論、つまり九条二項の存続や自衛隊の軍としての位置づけをすべきとなっており、有志の会も、国際法を踏まえてフルスペックの集団的自衛権を認め、二項を削除し、自衛隊を軍として位置づけるべきとの御意見です。

 この九条二項を削除するべしという論は、先週に我が党の小野委員から、政治的ハードルはかなり高いが議論はすべきとの旨の発言がございました。九条をどのように捉え、そして自衛隊を憲法にどのように位置づけるのか、また、必要最小限度の概念や自衛権について、まさに九条二項はその議論の入口にあり、大きな大きな争点であります。

 例えば、芦田修正論が出された時期や経緯を見ても、九条二項は、その時代時代の背景に左右されながら、様々な議論を巻き起こし今日まで来たのではないか、そう感じるものであります。それゆえに、私も個人的に、この九条二項について議論することはとても大切なプロセスであると考えています。

 また、交戦権、ライト・オブ・ベリジェレンシーという言葉は、日本国憲法を除き公式用語として存在しない、よって削除すべしという意見もあることをつけ加えさせていただきます。

 次に、必要最小限度ですが、これは相対的概念であることを、維新、自民、国民民主党がそれぞれ述べています。

 また、自衛権行使の範囲を、国民民主党は具体的に憲法に書き込むべきとの御意見ですが、自民党、公明党、維新はそれぞれ、余すことなく書き込むことは困難、過不足なく明文化することは困難、日本国憲法が硬性憲法であることを考えると解釈で行うのが適当との意見でありました。

 私は、書き込むことによってポジティブリスト化してしまい、不測の事態にかえって自衛隊の手足を縛り、危険を招くことになるのではないかと考えます。

 国防規定については、自民党、国民民主党が必要とのお立場ですが、維新の会は、憲法に自衛のためと明記すればよいとの考え方です。

 また、自衛隊違憲論ですが、公明党、国民民主党は自衛隊違憲論の解消が自衛隊明記の目的であることは疑問としているのに対し、自民党は自衛隊違憲論の解消は目的ではなく効果であるとしており、維新は自衛隊違憲論を解消するべきとしています。

 自衛隊は、現行憲法下では、学者の間では通説的には違憲とされることが多いことを鑑みれば、自衛隊を憲法に明記することによって違憲論が排除されるのであれば、それは大きな意義を持つことは間違いないと考えます。

 もちろん、違憲論を解消することだけが目的と化しているのであれば疑問が残るでしょうが、九条に自衛隊を明記することによって、我が国のスタンスを世界に明確に示し、また、我が国が平和主義を保ちつつ、自衛隊の存在を憲法に書き込むことで、自衛隊が法律上の存在から憲法上の存在に格上げされること、つまり、自衛隊が憲法によって根拠づけられ法的安定性が高められること、国民投票を行うことによって自衛隊の民主的正統性が一層高められることなどが挙げられます。

 もう一点、実は、自衛隊の将官クラスが一番嫌なのが、自衛隊、セルフディフェンスフォースという呼称です。国防軍あるいは防衛軍にしてほしい、だから、自衛隊を明記することは避けて、せめて実力組織という表現にしてほしいという御意見があると伺っています。一足飛びには難しいかもしれませんが、我が国を守るという命を懸けた任務に就いている自衛隊員の心情を考慮することも非常に大切な観点かと考えます。

 次に、シビリアンコントロールについては、各党が明確化が必要との認識で一致しています。

 その際、自民党の新藤幹事からは、「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする」との内閣の統制と、「国会の承認その他の統制に服する。」との国会による民主的統制に関する規定を設けているとの御発言がありました。

 我が党は、自衛隊を「行政各部の一として、」と書くことによって内閣の統制、そして、「法律の定めるところにより、」とすることで国会の民主的統制を図っています。この点、自民党案と維新案は似ていますが、維新案の方が自衛隊そのものを行政各部の一とすると明確に示しているので、防衛省と自衛隊の関係が今と変わらないことを示しており、シンプルかつ分かりやすい表現になっています。

 また、自民党案の「妨げず、」という文言ですが、「妨げず、」には確認規定の意味のほかに例外規定の意味を持つときがあるため、九条に穴を空けるつもりかと疑念を抱かれることになりかねません。これは公明党も同じく、例外規定と解される余地があると懸念を示されました。

 我々の案では、前条、すなわち九条の範囲内でという表現を用いることを提案しています。そうすれば、新設する九条の二がどのような規定であれ、現行九条の枠を飛び出ることはあり得なくなり、現行九条の重要規範である必要最小限度や専守防衛が疑念を持たれることなく、より明確に維持されることになります。

 そして最後に、規定する場所でございますが、自民党、維新案では九条に新たに二を創設しようとするものですが、公明党は第五章「内閣」に、そして国民民主党も、自衛隊違憲論の解消とシビリアンコントロールの明確化のみを改憲の目的とするならば、第五章「内閣」にという御意見でした。

 私は、「内閣」の章に自衛隊を明記することはいささか無理があると感じます。なぜなら、自衛隊が実力組織だという理由だけで、ほかの行政機関と著しく違う扱いで憲法に書き込むことに疑問が生じるからです。

 以上が、ここ最近の各党各会派の御意見の一致するところ、違うところです。今後は、相違点についてどのように意見をすり合わせていくのか、今日、私なりに整理をしました論点も是非御一考いただき、活発な議論の上に合意を見出せる作業を進めていただければと考えますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 御清聴ありがとうございました。

森会長 次に、北側一雄君。

北側委員 公明党の北側一雄です。

 緊急事態条項の創設、特に、緊急事態における国会議員の任期の延長について、昨年来、当審査会で活発に論議されてまいりました。

 衆議院解散後若しくは議員任期満了前に緊急事態が発生し、国政選挙の適正な実施が長期間困難と認められるときに、国会の機能を維持するため、憲法を改正し、国会議員の任期の延長ができるようにすべきであること。そして、その要件、手続、効果等についても具体的な内容についての論議が進められ、五会派では既に共通の理解ができつつあると思います。

 憲法四十一条は、国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関としています。国会は、いかなる緊急事態が発生しても、必要な法律と予算を審査、成立させ、また、政府を監視、助言をしていくという重要な役割、機能を担っていかねばなりません。緊急事態における国会議員の任期延長論は、まさしく、どんな場合でも国会機能を維持していかねばならない、そのために憲法の改正が必要との議論です。

 また、国会機能の維持という観点から、当審査会では、緊急事態が発生し、議場に国会議員が参集するのが困難となった場合にどうするのかが議論され、憲法五十六条一項の「出席」の概念は、例外的にオンラインによる出席も含まれるとの意見が大勢となり、その結果を昨年三月、衆議院議長に報告したところです。それから既に一年以上経過しており、衆議院の議院運営委員会での速やかな検討をお願いしなければなりません。国会法等の改正やシステムの整備などが当然必要となってまいります。

 会長におかれましては、現在の議運での検討状況について、幹事会に御報告をお願いしたいと思います。

 次に、緊急事態によっては、国会での法律の制定や予算の成立を待ついとまがない場合があるのではないか、そのような場合には、国民の生命財産を守るために、内閣に緊急政令制定権や緊急財政処分を行う権限を付与すべきとの意見があります。これは緊急事態における国会機能の維持という目的とは次元が異なる論点であることを、まず確認しておきたいと思います。

 緊急事態における国会機能の維持という観点からは、さきに述べましたとおり、まず、緊急時にオンライン国会が開催できるよう、その手続と条件を早急に整備すべきと思われます。また、緊急事態だからといって、憲法で内閣に白紙委任的な緊急政令制定権を認めることは、国の唯一の立法機関としての国会の責任を放棄することにつながります。

 我が国の危機管理法制は、相当程度整備されています。例えば、現行の災害対策基本法第百九条では、生活必需品の譲渡制限、価格統制、金銭債務の支払い延期等の具体的項目を明示して、内閣に緊急政令制定の権限を与えています。また、国民の権利、自由との関わりでは、災害救助法七条、八条で、医療、土木建築工事又は輸送関係者や近隣住民等の一般国民に対しての従事命令の規定もあります。こうした災害対処法制のほか、感染症の全国的かつ急速な蔓延への対処としての新型インフルエンザ等対策特別措置法、有事の際の武力攻撃事態等対処法、国民保護法などの有事法制、治安上の事態対処のための自衛隊法、警察法などでも政令委任規定があります。

 このように、法律事項として個別に政令委任ができる範囲を規定し、危機管理法制を更に整備、充実していくべきではないかと考えます。

 仮に、緊急事態時における内閣の政令制定権等を憲法に規定するとしても、憲法四十一条の例外規定としての位置づけではなくて、例えば、内閣は、あらかじめ法律の定めるところにより、法律で定めるところの事項を定める政令を制定し又は財政上の支出その他の処分を行うことができるとの確認規定となるのではないかと考えられます。

 憲法四十一条の、国権の最高機関、国の唯一の立法機関との規定、また、同八十三条以下の財政民主主義の規定は、日本国憲法の基本原理である国民主権の理念を体現したもので、この例外規定を設けることには慎重でなければならないと考えます。

 一九六二年五月、今から六十年以上前になりますが、さきに述べましたように、災害対策基本法を改正し、内閣に一定の緊急政令が制定できる権限が与えられました。この改正法案審議の際、衆議院地方行政委員会では参考人質疑が実施され、東大の小林直樹先生や一橋大の田上穣治先生など、当時の著名な憲法学者が出席されました。法律で緊急政令制定権を内閣に付与することが憲法四十一条に反しないのかが、まさしく争点となりました。

 私も、このときの議事録を改めて読ませていただきました。参考人からは、次の理由から、国会の唯一の立法機関性に反せず、違憲ではないとされました。

 第一に、要件が、災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合として限定されていること、第二に、政令に委任する事項が限定されていて、特に経済活動に関することになっていること、第三に、直ちに国会の承認を得なければならないという暫定的な措置であることなどを理由にして、憲法四十一条に反しないというふうにおっしゃっておられます。

 また、小林参考人からは、このような災害、緊急事態時の緊急政令を認めるからといって、一般的にそういう法形式が合憲であるということではない、そうした趣旨の御発言もございました。

 以上の参考人の意見は、災害対策基本法の改正条項が憲法四十一条に反しないかという憲法解釈のレベルのものですが、憲法政策としても、憲法で内閣に白紙委任的な緊急政令制定権、緊急財政処分権を認めることは、憲法四十一条、また同八十三条などの理念、憲法の価値体系との整合性が取れないのではないかと考えます。

 また、災害、感染症蔓延、戦争、テロなど、緊急事態の要因が異なる中で、政令に委任する事項を憲法で限定して書き込むことは困難と思われます。

 次に、国会法六十八条の三では、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行う」、また、憲法改正国民投票法四十七条では、「投票は、国民投票に係る憲法改正案ごとに、一人一票に限る。」とあります。これは、憲法改正国民投票において、国民の賛成若しくは反対の選択の意思表示が的確にできるようにするためのものです。同じ緊急事態に係る条項といっても、国会議員の任期延長と内閣の緊急政令制定権等とは改正目的の次元が異なるもので、区分されて発議、投票が行われなければならないと考えます。

 日本の国会に当たるウクライナの最高会議では、ウクライナ国民と国際社会にその活動を連日発信しています。議会のホームページは日々更新されていますが、これによると、ロシアがウクライナを侵略した二〇二二年二月二十四日から今日に至るまで、計九百十二件の法律の制定や改正、また議会決議がなされています。ウクライナの国会は、一年以上にわたる戦時下でも、その責任と役割を厳然と果たしております。

 以上、本日の私の意見表明といたします。

森会長 ただいま北側君から会長に御要請のあった件については、適切に対処いたします。

 次に、玉木雄一郎君。

玉木委員 国民民主党の玉木雄一郎です。

 まず、緊急事態における議員任期の延長について述べたいと思います。

 先週も、立憲民主党の篠原委員に対して、任期満了を迎えた前議員に議員並みの特別な身分を付与する特別立法は可能なのかということを伺いました。

 なぜ私がこのような質問を繰り返しているかといえば、憲法に書いてある議員任期の延長や前議員の身分復活、延長にはやはり憲法改正が必要であって、立法措置で行う場合は違憲立法にならざるを得ないと考えるからです。しかし、もし立法や解釈で一時的、臨時的、限定的とされている緊急集会の射程を延ばしたり拡大できるのであれば、具体的にどのような立法や解釈で行うのか、その対案を是非、立憲民主党の考えを伺いたいからであります。

 また、期間や対象について限定なく緊急集会で対応できると主張する憲法学者などがいらっしゃれば、是非参考人として来ていただきたいと思います。これは森会長に是非お取り計らいをお願いしたいと思います。

 その上で、やはり立法や解釈では対応が難しいということになれば、これは中川先生も前回おっしゃったと思います、そのときは、立憲民主党さんにも是非憲法改正の議論に入っていただきたい。そうすれば、非常に幅広い成案を得ることができると期待をいたしております。

 加えて申し上げたいのは、やはり、議論を拡散することなく、まずは一致点の多い議員任期の延長について成案を得ることに集中して議論してはどうかということであります。

 せっかく議員任期の延長については意見がまとまりつつあるのに、まとまる前に次のテーマに行くことは避けるべきではないかと思います。はっきり申し上げて、現実的に憲法改正を実現したいのであれば、まずは議員任期の延長規定に絞って議論を深めるべきだと考えます。九条改正については、前回の議論を聞いていても、とてもすぐにはまとまりそうにないと感じます。余り欲張り過ぎない方がいいと思います。

 特に、自民党の九条改憲案では、自衛隊ができることは変わらないと主張されています。一方、議員任期の特例延長は、これは憲法を改正しないとできないので、必要性の度合いが全く異なると考えています。また、自民党の国防規定、自衛隊明記論は、改憲理由が抽象的で分かりにくい印象を受けます。改めて、この具体的な課題について意見を申し上げたいと思います。

 まず、最大の問題は、憲法を改正して国防規定を設けたとしても、違憲論が解消されないことです。

 自民党の言う国防規定を設けた場合、自衛隊の組織としての違憲論は解消されても、自衛権の行使という行為についての違憲論は解消されません。これは前回も申し上げましたが、例えて言えば、お父さんの勤め先についての違憲論は消えても、お父さんが行っていることの違憲論は依然として消えません。行為についての法的安定性が担保されないからです。

 新藤幹事は、前回、誰がどのように国を守るのか、これが国防規定だと述べられましたけれども、自民党案では、誰がは明確になっても、どのようにの部分についての違憲論が消えないわけです。その結果、新設される国防規定は違憲論がつきまとう不安定な国防規定にならざるを得ず、命を懸けて国を守る自衛隊の皆さんに対して誠に申し訳ない内容となる可能性があります。これでは、まさに労多くして益なしの改憲となる可能性があります。

 九条改正を検討するのであれば、やはり情緒論ではなく論理的帰着として、戦力不保持を定めた九条二項を削除するか、あるいは残す場合であっても、少なくとも、九条二項の範囲内ではなく、例外として戦力の保持を正面から認める書き方にしないと、違憲論は消えません。

 さらに、国防規定が必要というのであれば、自衛隊を戦力として位置づけなくていいのか、この本質的な議論を避けるべきではないと考えます。

 なお、本日示された新藤幹事の資料で、一番上ですが、九条の現行解釈を維持すべき、そして解釈の明文化は不要という記述は、改憲に向けた大きな矛盾を明らかにしていると感じます。つまり、現行の解釈は維持します、そしてその解釈は書かなくていいということであれば、まさにそのままでいいのではないかということで、まさにこの整理は、自衛権の行使に関して言えば憲法改正が不要だと言っているように見えます。

 それと、法体系の完成という言い方も気になります。逆に言うと、現行憲法の規定は未完成ということになりますが、先ほどの説明では、現行の解釈の下で整合性の取れた法体系が完成しているからこそ、解釈を維持した上で、その解釈の明文化は不要としているのではないでしょうか。未完成というなら、組織に対する違憲論のみならず、行為に対する違憲論にも終止符を打つ改憲とする必要があるのではないでしょうか。そもそも、違憲論の残る国防規定は、とても法体系の整備、完成とは呼べないと考えます。

 最後に、チャットGPTについて申し上げます。

 私、実際、チャットGPTに、憲法九条は改正した方がいいですかと聞いてみました。そうしたら、聞いてください、以下のとおりです。

 憲法九条を改正する必要性については意見が分かれています。一方で、国際情勢やテロリストの脅威が増大する中、自国の防衛力を強化する必要性があると主張する人もいます。また、こうした立場の人々は、九条を残したままでは自国の防衛ができないとして改正を求めています。一方で、九条を改正することが平和主義に反するとして改正に反対する人々もいます。個人的な意見としては、憲法九条は大切な価値観を体現していると思いますが、時代の変化に合わせて議論し、必要に応じて適切な改正が行われることも必要かと思います。ただし、その際には、多様な意見が尊重され、丁寧な議論が行われることが重要ですとの答えが返ってきました。

 これは三十秒ぐらいで返ってくるんです。正直、バランスが取れていて、驚きました。ただ、一つ問題だと思ったのは、改憲論者が、九条を残したままでは自国の防衛ができないとして改憲を求めているという部分です。

 今の議論、自民党の改憲案は、実は自国防衛の強化を目的としていませんね。つまり、国防規定を設ける、解釈はそのまま、書くことは必要ないということは、何か、できないことを追加的にできることをする、つまり、防衛力を強化することを目的としていないんですが、少なくともチャットGPTさんは、この自民党の改憲案の本質をまだ理解していないんですね。

 何を言いたいかというと、もっともらしい答えが返ってくるんですが、このチャットGPTを含む生成AIの答えの正確性、公平性、中立性をどう担保していくかということは極めて重要だと思います。前回、階先生にも申し上げましたが、階先生が提起された情報環境権、これは非常に大事だと思うんですが、人間のみならず、AI自身がどれだけバランスの取れた情報を食べることができるか、入手することができるかという環境整備をどのような規制の下で実現していくのかということが非常に重要だというふうに思います。

 その意味で、私たちが適切に思想、良心の自由を形成できるよう、チャットGPTと憲法十九条との関係についても当審査会で幅広く議論をしていきたいと思います。

 以上です。

森会長 玉木君から御要請があった件については、幹事会等で協議をいたします。

 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 今日は、沖縄と憲法について意見を述べたいと思います。

 七十一年前の一九五二年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効しました。このサ条約の第三条によって、沖縄県は日本から切り離されました。沖縄は米軍の施政権下に置かれ、県民は耐え難い苦しみを押しつけられました。私たちはこの日を、怒りを込めて屈辱の日と呼んでいます。

 米軍は、銃剣とブルドーザーによって住民の土地を暴力的に奪い取り、基地を拡大しました。県民の人権は全く無視されました。

 私が小学校に入学した翌年に、六歳の少女、永山由美子ちゃんが米兵に拉致され、強姦された挙げ句、惨殺され、米軍のごみ捨場に捨てられました。

 そして、私が小学校六年生のときに、当時の石川市の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落をしました。パイロットは脱出しましたが、児童十一名を含む十八人が一瞬のうちに命を奪われました。

 高校一年生のとき、那覇市で米軍トラックが信号を無視して、集団下校中の中学生の中に突っ込み、少年をはねて即死させました。国場君事件と言われています。ところが、犯人の米兵は軍法会議で無罪になり、何のとがめも受けませんでした。

 高校の三年生のときには、読谷村で米軍ヘリがトレーラーを民家に落下させ、小学校五年生だった棚原隆子ちゃんが下敷きとなりました。

 大学生のときにも、糸満市で米兵が飲酒運転で金城トヨさんという女性をひき殺しましたが、無罪放免となりました。

 余りにも屈辱的でありました。アメリカの軍政下で、沖縄県民の命は虫けら同然に扱われたのです。

 沖縄県民の粘り強い運動により、一九七二年に沖縄は本土に復帰しました。そのとき県民が願ったのは何であったか。当時の琉球政府の屋良朝苗主席が策定した復帰特別措置に関する建議書は、次のように述べています。

 県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を要望したからにほかなりません。基地あるがゆえに起こる様々な被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来どおりの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。

 県民が求めたのは、平和憲法の下に復帰することであり、基地のない平和の島として復帰することでした。

 ところが、日米両政府が締結した返還協定の中身は、日米安保条約に基づき、沖縄でアメリカの軍事基地を保持し、占領下で構築した基地をほとんどそのまま存続させるものでした。

 この返還協定は、沖縄県選出の瀬長亀次郎議員、安里積千代議員、この二人の質問が予定されていた前日の特別委員会で強行採決されました。屋良主席が建議書を政府に提出するため東京に降り立とうとする直前のことでした。屋良主席は、そのときの思いを、沖縄県民の気持ちというのは全く弊履のように踏みにじられたと日記で述べています。

 復帰後も、米軍が優先され、県民の命は脅かされ続けております。一九九五年には、小学校の女の子が三人の米軍に拉致され、レイプされました。二〇一六年にも、米軍属が女性を暴行し殺害しました。二〇〇四年には沖縄国際大学に米軍ヘリが、二〇一六年にはオスプレイが名護市の海岸に墜落しました。二〇一七年にも米軍ヘリが高江の民有地に墜落し、その同じ年、保育園や小学校に部品を落下させました。

 米軍には航空法が適用されず、無法な低空飛行を繰り返しています。

 コロナ禍の下でも、米軍基地に直接入ってくる米軍関係者を日本側は検疫することができず、沖縄でのパンデミックを引き起こしました。

 今、有機フッ素化合物、PFASが県内各地から高濃度で検出され問題となっていますが、日本側は、汚染源である米軍基地の立入りを、調査することができません。

 さらに、日米両政府は強権的に辺野古の新基地建設を推し進めております。県民は、県知事選挙や国政選挙、県民投票によって反対の意思を示し続けておりますが、政府は全く顧みていません。これが民主主義国家と言えるでしょうか。

 憲法の上に日米安保があり、国会の上に日米地位協定がある下で、県民の人権は今もじゅうりんされ続けております。ここに、憲法と現実の深刻な乖離があります。この沖縄の実態を放置したまま憲法改憲議論を進めるなど、許されるはずがありません。

 私たちは、政治家がやるべきは、憲法を変えることではなく、憲法の原則とかけ離れた沖縄の現実、すなわち地位協定などを変えることを強く申し上げておきたいと思います。

森会長 次に、北神圭朗君。

北神委員 有志の会の北神圭朗です。

 先週、自衛隊の権限の制約の在り方についてお話ししました。警察法的なポジティブリストとなっていて、とりわけ憲法解釈と法律によって自衛権を制約していることが特色だということを申し上げました。先ほど三木委員から、憲法解釈をそのまま九条に明文化するとポジティブリスト化するとおっしゃいましたけれども、もっと言うと、そもそも我が国はポジティブリスト的になっているということを前回申し上げました。これは、通常の定義とは異なりますけれども、我が国の文民統制の範囲が、憲法解釈と法律による規制をも含めていると表現することもできるというふうに思います。

 そこで、今回は、文民統制、すなわち政府と軍、政軍関係について考えてみたいと思います。

 サミュエル・ハンチントンという方がいます。「文明の衝突」で有名な政治学者であります。その著書で「軍人と国家」という古典的著作がございます。その中でハンチントン氏は、いかなる国の軍事制度も二つの要因によって形成されると分析しています。一つは、その国に対する軍事的脅威を防ぐために必要な機能的要因、どうやって国を守っていくのか、効果的に守っていくのかという要因、二つ目の要因は、国内の支配的な社会的勢力とかイデオロギーとか諸制度から生まれる社会的価値観であります。

 言い換えれば、一国の文民統制の在り方は、その国を取り巻く地政学的環境と同時に、国民の支配的な価値観によって形成されるということだと思います。これ自体、そんなに珍しいことを言っているとは思いませんが、問題は、社会的価値観を満足させる文民統制の在り方が必ずしも機能面で効率的、効果的であるとは限らない、他方で、機能にのみ特化した軍隊では国民から受け入れられないということです。したがって、文民統制を考える上で、この二つの要求をいかに満たしていくかということを検討することが重要だと思います。

 ハンチントンの考えを我が国に当てはめると、自衛隊の機能をかなり制限しつつ、日本独自の、先ほど新藤委員がおっしゃった日本独自の平和主義の価値観を満足させてきたと言えます。しかし、逆に言えば、自衛隊の機能、権限を抑えることができたのは、一つには、冷戦の主戦場というものが欧州などにあり、ソ連からの直接の侵略の可能性は低かったこと、二つ目には、日米安保条約により米国の圧倒的な軍事力の庇護の下に入っていたことが大きいのではないかと思います。

 こうした条件の下で、当初は自衛権すら否定していた憲法解釈は、冷戦を背景に必要最小限度という解釈に変更され、自衛隊が創設されました。米国の強力な抑止力がある中で、専守防衛で事なきを得たというふうに思います。

 そして、冷戦崩壊直後にはいわゆる平和の配当の時代というものがうたわれて、これは覚えていらっしゃる方は少ないと思いますけれども、冷戦が崩壊して、もう戦争はない時代に入った、みんな国境を越えて、人種を超えて、みんなで手をつないで、裸でアコギをかき鳴らしながら歌を歌って、そういう牧歌的な甘美な夢が、ほんの一瞬見ることができましたが、これも九・一一を起因に、テロに対する闘いによって、無残にもこの夢は破られたわけでございます。

 といっても、我が国に対する本格的な脅威はその時点ではまだ存在しなかったので、中東などへの海外派遣の方にみんな目を向けていたわけであります。そして、米国に過度に頼らないような自主防衛の努力をサボってきたということです。

 しかし、十五年前ぐらいから、中国の軍事力、経済力が目覚ましく成長するとともに、彼らの戦略的思惑が必ずしも友好的でないということが判明してきました。尖閣諸島、東シナ海、南太平洋の海と空に向けて、彼らのお家芸でもある忍び足侵略主義が着々と進められてきました。

 つまり、ハンチントンの言う地政学的環境というものが大きく関わってきているんです。テロとの闘いの時代、平和の配当の時代、いや、冷戦の時代にも増して、我が国が直接脅威にさらされています。また、頼みの綱にしてきた米国も、その国力が相対的に低下し、国論も二分化しています。

 こうした中で、自衛隊の権限、機能がこれまでどおりでいいのか、少なくとも議論はしましょうというのは、そんなに非常識なことではないかというふうに思います。常識的かどうかというのは、ハンチントンの言う社会的価値観が今どう変化しているのかということによるのでしょうが、それを明らかにすることこそが、憲法改正の国民投票の役割の一つではないでしょうか。

 一部で、中国問題は米中対立という文脈で語られます、日本が別に脅かされているわけではない、米中の対立に巻き込まれるべきではないと。

 しかし、歴史的に見ますと、オバマ政権とトランプ政権の初期の頃までは事情は逆でした。米国の建国精神である孤立主義、そして、そのグロテスクな表れである米国第一主義は、中国脅威論に対してほとんど関心を示していませんでした。むしろ、日本の安倍政権が、一生懸命、クアッドを創設したり、集団的自衛権を一部認めたりして、米国に、何とかこっちの方を見てくれ、中国は怖いということを訴えることで必死でありました。

 しかし、これも、二〇二〇年七月に中国が香港を弾圧した際、やっと米国や英国などが対中非難をし始めたら、我が国は急に一歩引き下がって、歩調を一にしませんでした。

 当時のフィナンシャル・タイムズでは、日本は二十年かけて中国にもっと厳しく対応すべきだと世界に訴えてきた、しかし、香港に国家安全法が制定されたことに対し、米国やその同盟国がより中国に対して敵対的な反応を示すようになり、日本の訴えが通じたと思った途端、日本は後部座席に座ってしまったというふうに報道しています。

 つまり、元々中国抑止論を唱えていたのは日本です。物理的にも、中国の拡張主義を恐れなければいけないのは、米国よりも我が国だと思います。こうした中で、自衛隊の権限が今までどおりでいいのかということを再検討することは、極めて自然なことだと私は思います。

 もう独りぜりふは終わりますけれども、私の孤立した議論よりも、もっと共通の理解のある議員任期の延長とか、こういった具体案がございます。特に、参議院の緊急集会については、私はそう思いませんけれども、まだ詰めるべき論点があるそうなので、是非そういったところに審議を絞ることを求めて、私の御意見といたします。

 ありがとうございました。

森会長 一巡目の各会派からの発言が終了いたしました。

 次の発言に入りますと予定していた時間が大幅に超過することとなりますので、本日はここで終了することといたします。次回については、これを踏まえ、幹事会等において対応をいたしたいと存じます。

 これにて討議は終了いたしました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十九分散会


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