衆議院

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第46号 平成19年6月20日(水曜日)

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平成十九年六月二十日(水曜日)

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  平成十九年六月二十日

    午後一時 本会議

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本日の会議に付した案件

 衆議院議長河野洋平君不信任決議案(鳩山由紀夫君外六名提出)


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    午後一時三分開議

副議長(横路孝弘君) これより会議を開きます。

     ――――◇―――――

加藤勝信君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。

 鳩山由紀夫君外六名提出、衆議院議長河野洋平君不信任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。

副議長(横路孝弘君) 加藤勝信君の動議に御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

副議長(横路孝弘君) 御異議なしと認めます。

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 衆議院議長河野洋平君不信任決議案(鳩山由紀夫君外六名提出)

副議長(横路孝弘君) 衆議院議長河野洋平君不信任決議案を議題といたします。

 提出者の趣旨弁明を許します。松野頼久君。

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 衆議院議長河野洋平君不信任決議案

    〔本号末尾に掲載〕

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    〔松野頼久君登壇〕

松野頼久君 私は、民主党・無所属クラブ、社会民主党・市民連合、国民新党・そうぞう・無所属の会を代表して、ただいま議題となりました衆議院議長河野洋平君不信任決議案について、提案理由を御説明申し上げます。(拍手)

 まず、案文を朗読いたします。

  本院は、衆議院議長河野洋平君を信任せず。

   右決議する。

    〔拍手〕

 以下、その理由を申し述べます。

 言うまでもなく、憲法第四十一条に定めるとおり、国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関であります。また、議長はその最高責任者として、国会法第十九条に定めるとおり、議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する立場にあります。

 河野洋平君は、一昨年九月二十一日、議長就任に際して、「私は、この厳しい時期に、決意も新たに議院の公正公平な運営に全力を傾け、諸君とともに本院が国民と国際社会の期待と信頼にこたえるべく最善の努力をいたす所存であります。」と決意を述べました。

 しかるに、議長河野洋平君は、その言葉とは裏腹に、巨大与党による問答無用の議会運営を看過し、容認していると言わざるを得ません。とりわけ、内山晃君に対する懲罰事犯の件については、本会議の議事日程にするべきではないという、民主党、社民党及び国民新党の幹事長の再三にわたる要請があったにもかかわらず、同君の対応は極めて無責任なものでありました。かかる行為は、まさに議長としての職責を放棄するものであり、国権の最高機関である国会を行政府の追認機関におとしめるものにほかなりません。

 以下、具体的に理由を申し述べます。

 理由の第一は、内山晃君に対する懲罰事犯の件についての極めて無責任な対応であります。

 去る六月十八日の懲罰委員会において、与党は、懲罰委員長横光克彦君に対する不信任動議を、正当な理由もなく突如として提出、与党単独で強行採決するという暴挙に出ました。その上で、島村委員長代理は、理事会に諮ることもなく、一気呵成に内山晃君に対する懲罰動議を採決するという暴挙を重ねました。自分たちに盾突く者は問答無用で葬り去るという与党の手法は、もはや民主主義と呼べるものではなく、まさに恐怖政治であります。

 民主主義の危機とも言えるかかる状況を受け、河野洋平君は、議長として公正公平な裁きを行うこともなく、消極的な姿勢に終始をしました。そして、十九日の本会議において、横光懲罰委員長を差しおいて、単なる理事にすぎない島村君に委員長報告をさせ、これまた与党単独で強行採決をさせたのであります。議員の身分にかかわる重大な問題をかくも軽々しく取り扱う議長は、憲政史上初であります。まさに民主主義の自殺というほかありません。

 理由の第二は、巨大与党による問答無用の議会運営を看過し、容認していることであります。

 今国会、巨大与党の数の力に物を言わせ、強引な議会運営を推し進めてまいりました。委員長職権による委員会設定は四十七回を数え、強行採決は十四回も行われました。まさに歴史に残る暴挙であります。しかも、行政府の長である安倍総理は昨日、参議院文教科学委員会及び外交防衛委員会において立て続けに強行採決が行われたことに対して、選挙を前にした会期末はいつもそうなる、やむを得ないと思うと述べました。数の力で何でもできるのであれば、選挙の結果が出た時点で結論ありきということになり、国会は全く不要なものとなります。

 とりわけ、いわゆる消えた年金問題で、年金制度に対する国民の不安、不信が極限に達しているにもかかわらず、立法府として政府の責任を明確にすることもないまま、厚生労働委員会におけるつけ焼き刃の政府・与党案の強行採決を容認したことは、国民の不安、不信をさらに拡大するものであります。

 そもそも、五千万件の保険料納付記録がだれのものかわからなくなったというのは、およそ先進国ではあり得ない話であります。長年にわたってずさんな事務を行ってきた社会保険庁及び厚生労働省、そしてその間政権を担ってきた自民党の責任は極めて重大であります。

 我々同僚議員による地道な追及により、消えた年金問題の驚くべき実態が明らかになりつつありますが、社会保険庁による虚偽の報告が発覚したサンプル調査の結果を例に挙げるまでもなく、社会保険庁による実態の隠ぺいは今なお続いております。消えた年金問題は、まさに底なしの状態であります。

 これに対して、政府・与党は右往左往するばかりで、何ら実効性のある対策を講じられないばかりか、我が党の菅直人代表代行に責任を転嫁するものであります。このような状態を看過することは、立法府としての役割放棄であります。国民の期待と信頼にこたえるという同君の言葉は一体何だったのでしょうか。

 我々は、この間、国会が不正常化するたびに、河野洋平議長に対して正常化のための御尽力をお願いしてまいりました。しかし、同君はいつも他人事のような消極的姿勢に終始し、政党間協議で解決をしてほしいと繰り返すばかりでありました。国権の最高機関であり、行政府のチェック機関でもある国会を、内閣提出法案を日程どおり処理する行政府の追認機関におとしめた責任は極めて重大であります。

 第三の理由は、山積する諸問題に対し、国権の最高機関として、役割を何ら果たそうとしていないことであります。

 柳澤厚生労働大臣は、二月一日には、女性は産む機械という、大臣としても政治家としても許されない発言をいたしました。柳澤大臣は、その後も、結婚して子供二人が健全、工場労働者は労働時間だけが売り物など問題発言を繰り返し、閣僚としての不適格性がますます明らかになりました。しかしながら、河野洋平君は、こうした柳澤大臣の不適格性を覆い隠すための与党の強引な議会運営を許し、その結果、柳澤大臣は依然として閣僚の席にとどまっています。

 国会が国権の最高機関としての役割を果たさず、単なる行政府の追認機関となっている状況は、国会の形骸化、無力化に等しいものであり、まことに憂うべき状態であります。

 以上、河野洋平君を信任しない理由を申し述べました。

 一昨年九月二十一日、河野洋平君は満場一致をもって議長に選任をされました。その同君に不信任決議案を突きつけるのは、我々としても不本意であり、痛恨のきわみであります。しかし、巨大与党による問答無用の議会運営により民主主義が死滅をしようとしている中で、その巨大与党の暴挙に加担をする同君を信任するわけにはまいりません。

 私ごとでありますが、私は三代八十年にわたって議席をいただいております。かつての議会は、与党三割、野党七割という議会運営に努めていました。数の多い与党は寛容であれというのは、議会の先人たちの築いてきたよき伝統でありました。寛容な姿こそ、与党としての自信と迫力を感じさせるものであります。しかしながら、このところの巨大与党は、数の力に物を言わせ、野党を無視した強引な議会運営を推し進めております。寛容さを失った与党の姿には、悲しさを覚えざるを得ません。

 議員各位におかれては、こうした私の思いを受けとめていただき、御賛同のほどよろしくお願いを申し上げる次第でございます。(拍手)

    ―――――――――――――

副議長(横路孝弘君) 討論の通告があります。順次これを許します。鈴木恒夫君。

    〔鈴木恒夫君登壇〕

鈴木恒夫君 自由民主党の鈴木恒夫でございます。

 私は、自由民主党、公明党を代表いたしまして、ただいま議題となりました衆議院議長河野洋平君不信任案に対し、断固反対の意を込めて討論を行います。(拍手)

 申し上げるまでもなく、議長は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である国会の最高責任者であります。その権威と地位は、我々国会議員が率先してこれを守り、高めなければなりません。

 我々が全会で一致して選出をし、与野党で良識を持って守らねばならない議長の権威を、今まさに極めて意味不明な、理不尽な理由によっていたずらに傷つけ、地におとしめようとする政党がありますことに、まことに愕然たる思いがいたします。

 とりわけ民主党の皆さん、ちょっと振り返ってください。これだけ、国権の最高機関たる議長の不信任案を出した政党の代表が席にいないじゃないか。何たることですか。きょうは、議長の不信任が問われている。政党の代表がいないのはおかしいじゃないか。

 私は、討論を始めるに当たって、河野洋平という議員がいかに野党というものに気を使っている議員か、長い河野さんとのおつき合いの中で、私は、河野洋平さんの政治家としての信条を改めて諸君に御紹介したいと思います。

 私と河野議長とのつき合いは、新聞記者時代を含めて三十五年になります。ちょうど三十一年前の六月、河野洋平さんは、沈滞をし、硬直し、腐敗をきわめていた政治に、新たな政治刷新の志を持って新自由クラブを立党いたしました。

 このときの離党声明を、諸君、若い議員は知らないと思いますから申し上げると、私たちの行動が日本の政治を蘇生させる一粒の麦となるか挫折の道をたどるかは、私たちの研さん、努力と国民各層の方々の支援いかんにかかっています、日本のあしたを信じ、あえて政治刷新の先駆たることを誓いますとこの離党声明ではうたっています。

 このとき、自由民主党の三役の一人、総務会長は、今ここで趣旨説明をされた松野頼久君のお父上、松野頼三さんでありました。私は、毎日新聞の記者として、松野頼三という人が河野洋平という人の政治姿勢に、党に残れと言いながらも、あなたの気持ちはよくわかると言ったことをこの耳で聞いております。

 以来、河野洋平の政治姿勢は、一貫して、少しでもましな政治状況をつくるための努力、私を捨てて、一歩でも二歩でも日本の国会の改革を、そう願いつつ行動を続けてきたものと思います。

 政治刷新にかける運動の陰で、河野武子夫人は、五十三歳で、ちょうど十三年前に命を落とされました。七月十三日、十三回忌を迎えます。

 体を壊し、河野太郎君から肝臓移植を受けている。しかし、自分の体をなげうって政治刷新にかけてきた情熱は、一向に衰えたわけではありません。

 河野洋平さんが野党にかける思いは、きょうも私は、ある野党の幹部からこう言われました。河野さんほど野党に気を使ってくれる議長なんかなかったのにね、これが野党の幹部のある方の私に対する述懐です。与党の若い議員は、あんなに野党に気を使う議長で我々はいらいらしているんですとまで言うんです。

 共産党の諸君は、この不信任案の提案者になっておりません。私はこの心情がよくわかる。さすが共産党だ。いかに野党の気持ちを大事にしている議長かわかってくださっている、口には出さないけれども。そう思うんですね。皆さん、違いますか。

 不信任決議案の理由の一つに、内山晃君の懲罰問題に対する議長の対応の無責任さということを言われました。

 しかし、民主党の国対関係者の皆さん、よく振り返ってみてください。余りにも、数が多いことを理由に、強引に国会審議を進めようとする自民党の執行部に対して、議長は何度かにわたって、ちょっとやり過ぎだということを言ってきたことを一番御存じじゃないですか。法案の名前は言いませんけれども、強行突破をしようとした与党に対して、ここはちょっと踏みとどまりなさいと諫言をしてとどめたのは、まがいもない河野議長その人であります。

 河野さんは、議長に就任されて以来、少しでも国権の最高機関の地位を高めるために、さまざまなトライアルをされた。

 一番わかりやすいのを一つ言いましょう。国会図書館の館長の人事。事務総長がいるから言いづらいけれども、衆参の事務総長をやった者が必ず国会図書館の館長に天下るのが慣例だった。河野さんは、絶対これを認めないと言って、ついこの間、京都大学の長尾さんを初めて民間人で国会図書館長に決めました。

 外務大臣の経験から、議員外交を進めねばならない、そう言って、日米、日中、議員外交もどんどん進めたじゃありませんか。

 公聴会をやってすぐ採決するようなことはまかりならぬ、国民をばかにするにもほどがあると言って、委員会運営のやり方に苦言を呈したのも河野さんじゃありませんか。

 すべて野党のためを思って、少しでも少数意見を尊重する、この気持ちに河野さんは生涯をかけて働き続ける、間違いのない、すばらしい議長であることを、野党の諸君だって心の中では思っているじゃないですか。近づく参議院選挙のためにだけ、党利党略のもとに不信任案を提出する、この愚かさに悲しいくらいの思いがいたしますが、皆さん、そう思いませんか。しかも、まだ小沢一郎はあらわれない。議会をばかにするにもほどがある。

 国会の権威のために、議長不信任案に断固反対することを表明して、討論を終わります。(拍手)

副議長(横路孝弘君) 大島敦君。

    〔大島敦君登壇〕

大島敦君 民主党の大島敦です。

 私は、民主党・無所属クラブ、国民新党・そうぞう・無所属の会を代表して、ただいま議題となりました衆議院議長河野洋平君不信任決議案につきまして、賛成の立場で討論を行います。(拍手)

 振り返りますと、河野議長が議長に最初に就任されたのは、二〇〇三年十一月十九日でありました。その翌年に、百年安心と政府・与党が称する年金改革の議論が行われました。百年安心は、ことし、三年で破綻してしまいました。あのときの国会審議も混乱しました。年金問題は拡大して、それが今に引き継がれています。そして、迂回献金、政治と金の問題であります。その問題を議論する予算委員会も混乱を来しました。

 さらに、参議院で法案が否決されて衆議院を解散するという、憲法の精神に反する郵政解散であります。当時も国権の最高機関の長であられた河野議長は、時の内閣の暴挙に抗議し、議会の権威を守られるものと見ておりましたが、その暴挙を支持されました。そのころも、問題が起きるたびに、私たちは議長のもとに要請に伺いました。結果は残念なものでした。

 そして、その郵政選挙後、二〇〇五年九月二十一日に、河野議長は議長に再任をされました。それでも、私たちは、郵政選挙後の議会構成を見ながら、河野議長になお期待しておりました。しかし、残念ながら、その期待はそう長くは続きませんでした。

 一昨年、議長として再任されて以降の河野議長の対応を見ますと、とても少数野党に配慮した国会運営を行ってこられたとは思えません。国権の最高機関の長として、立法府の権威を守らなければならない立場におありのはずなのですが、実態は、大変残念なことに、時の内閣の意に沿った、内閣の思うとおりの国会運営を行っておられます。

 安倍内閣発足後の衆議院は、まさに、三権の一翼を担うのではなく、内閣の附属機関かと見まがうばかりであります。特に、今通常常国会に入ってからは、その傾向が顕著となりました。

 各委員会で委員長の職権で委員会立てが行われた回数が四十七回、強行採決が行われた回数が実に十四回もあります。議院運営委員会で議運委員長の職権で本会議立てが行われたものが六回あります。衆議院で七割を超える議席数を有する巨大与党がその気になれば、何でもできるようになりました。国権の最高機関としての見識が失われてしまいました。

 平成十八年度の第一次補正予算審議では、野党が欠席する中で、与党の単独審議、単独採決で本会議まで一気呵成に行われました。引き続く平成十九年度の予算審議でも、昨年度に比べて大幅に審議時間を短縮し、野党が出席、抗議する中で力ずくの強行採決が行われました。関連する法案を審議していた総務委員会、財務金融委員会でも、同様に強行採決が行われました。野党が抗議して河野議長に申し入れても、採決に瑕疵はなしとの一点張りでありました。

 そして、去る五月二十五日、厚生労働委員会での社会保険庁関連法案の採決と、五月三十日の同じく厚生労働委員会におけるいわゆる年金時効特例法案の採決であります。だれが見ても、与党の一方的な審議打ち切り、強行採決の連発でありました。しかし、この際にも、河野議長はほぼ同様の対応をされました。さすがに五月三十日の厚生労働委員会の採決については、議事録での採決の確認が不可能であったため、与党に対して、採決の確認のための採決をするようにあっせんをされたようですが、結局、委員会は開かれず、議長のあっせんは不調に終わりました。議長が本気であっせんに乗り出されるなら、せめて、法案を委員会に差し戻し、再度委員会での審議を行った上で、採決確認のための採決をやる、それなら野党も過去に受け入れた例がありますが、残念ながら、そのような御努力をされた形跡も見当たりません。

 もともと与党御出身の議長であるということで、与党への思い入れが強くおありになるのか、少数野党に七、三の構えとか六、四の構えで対応されるなどということは、ついぞ見られませんでした。かつて河野謙三参議院議長は、小会派への質問時間の確保、審議時間の確保など、少数野党に一貫して配慮する姿勢を示されました。当然のことながら、私どもも河野洋平議長であればと期待しておりました。

 期待が大きければ落胆も大きい。それが決定的になったのは、去る六月十八日の懲罰委員会における、憲政史上に汚点を残す、与党の蛮行に対する河野議長の対応にあります。

 横光懲罰委員長の不信任動議を与党単独で採決し、事実上横光委員長の職務権限を奪った上で、内山君に対する登院停止三十日という動議を可決した。この前例のない暴挙に対して、当然のことながら、河野議長なら、懲罰事案を委員会に差し戻す程度のことはされるだろうとの淡い期待がありましたが、むなしい期待でありました。河野議長は見事に我々の期待を裏切りました。十九日の本会議で、選挙を通じて国民から重い負託を受けている内山晃君に対して、その権限を剥奪する登院停止三十日という厳罰があっさりと議決されました。

 社会保険労務士である内山晃君は、強行採決された年金時効特例法案では救われない裁定金額が平成十一年から十五年の五年間に一千百五十五億円になることを明らかにさせ、今後予定されている厚生労働委員会で、国民のためにさらに真実を明らかにする予定でした。登院停止三十日は、国会が有権者からの負託にこたえられない、国会の機能停止を招いてしまいました。消えた年金問題隠しであります。

 最大の問題点は、内山君を懲罰委員会に付するに至った五月三十日の厚生労働委員会で、あのような事態が生じた原因であります。その原因はどこにあるのか。それを考えれば、内山君に対する懲罰処分の不当性は明らかであります。場当たり的と批判されているいわゆる年金時効特例法案、法案を出したその日に議院運営委員会で強引に採決して厚生労働委員会へ付託、その厚生労働委員会では、たった一日、わずか四時間の審議で、数に物を言わせて採決を強行した、こんな許しがたい暴挙を行ったのは与党の方ではありませんか。その責任は一体どうお考えになっておられるのでしょうか。

 消えた年金五千万件に、新たに既に千四百三十万件がプラスされ、審議すればするほど社会保険庁の年金管理のずさんさが明らかになっています。それと同時に、安倍総理の危機感もあらわになっています。そんな内閣の姿勢を反映した、与党による強行採決連発の力ずくの国会運営に、議長は何の疑問も感じられなかったのでしょうか。内山君の行為は国民の声、切実な願いを受けとめたやむにやまれぬものでありました。

 同法案採決の際、与党の提出者も、何ら権限もないのに委員会運営を仕切っておられました。多数与党であるがゆえに、何ら責任を問われないのでしょうか。おかしくはないのですか。不当きわまりない強行採決に体を張って抗議した野党議員は、少数がゆえに不当に懲罰処分を科せられる。許されないことであります。しかしながら、河野議長には別のお考えもあったと伺っております。

 議員の身分問題を扱う懲罰委員会であのような事態が生じたことに、河野議長は何も感じられなかったのでしょうか。少数意見の尊重を言いますと必ず、民主主義は多数決原理だとの反論があります。しかし、それはあくまでも民主的な議会運営が行われることが前提であります。今国会での河野議長の国会運営を拝見いたしますと、前提条件は成り立ちません。

 一体、国会とは何でありましょうか。巨大与党がその気になれば、少数野党の議員など簡単に除名することもできます。そして、そうなった瞬間に、かつてのように議会制民主主義は機能しません。そのことを一番懸念されるべきは、衆議院議長であります。

 戦後、先輩議員が脈々と培ってきた我が国の民主政治を失うわけにはいきません。巨大与党の数の横暴は絶対に容認できません。今、国民の怒りは頂点に達しています。与党の皆さんは、このことを肝に銘じるべきであります。

 与党の皆さんに一言申し上げます。

 憲政史上に数々の汚点を積み残そうとしている御自身の姿に、そんな御自身たちの姿を見て恥ずかしくはありませんか。

 以上申し上げまして、衆議院議長河野洋平君不信任決議案に賛成、安倍内閣と与党の暴挙に改めて強く抗議をして、私の討論を終わります。(拍手)

副議長(横路孝弘君) 阿部知子さん。

    〔阿部知子君登壇〕

阿部知子君 私は、社会民主党・市民連合を代表して、ただいま議題になりました議長河野洋平君不信任決議案に対し、賛成の討論を行います。(拍手)

 冒頭、こうした形で、リベラルで、かつ永年平和外交に努力されてきた河野洋平議長の不信任を述べねばならないということは、残念のきわみであります。

 しかし、そもそも、今第百六十六通常国会は、主権在民をねじ曲げる国民投票法案、イラク特措法案、米軍基地特措法案など、我が国の行方を左右する重大な法案があれよあれよという間に通過、成立した国会であり、歴史の分水嶺に位置づけられる国会であると思います。加えて、その運営手法の上でも、議会制民主主義の破壊という、歴史に残る国会に成り下がってしまったと言わざるを得ません。

 戦後、現憲法のもとで、今国会ほど異常、異例な運営がなされた国会があったでしょうか。その冒頭から、与党による数の力を背景にした強行採決や委員長の職権による強引な委員会設定が相次ぎました。

 まず、三月二日の衆議院予算委員会では平成十九年度予算三案が、同日の財務金融委員会では平成十九年度公債特例法案、所得税法等一部改正案、特別会計に関する法律案が、総務委員会では地方税法一部改正案、地方交付税法等一部改正案が強行採決され、三月三日の衆議院本会議で予算三案が同じく強行採決されています。三月十五日の憲法調査特別委員会では、公聴会の開催までもが与党によって強行採決され、次いで四月十二日、国民投票法案をまたまた強行採決いたしました。同じ十二日に安全保障委員会で米軍再編特措法案が強行採決され、翌四月十三日の議院運営委員会では野党の反対を押し切り教育再生特別委員会の設置が議決され、十八日の法務委員会では少年法等一部改正案が強行採決されました。とにかく枚挙にいとまがありません。

 そして、五月二十五日の厚生労働委員会では、宙に浮いた年金、消えた年金問題について真摯な追及を続けていたにもかかわらず、社会保険庁改革関連法案と年金特例法案がこれまた強行採決されました。

 また、野党が賛成している法案ですらも、時間がないからという理由にもならない理由で強行採決されたことすらあります。四月二十二日の法務委員会では全会一致だった更生保護法案が、六月十五日の衆議院財務金融委員会では民主党の皆さんが賛成している電子記録債権法案すら強行採決されました。

 さらに、六月八日の議院運営委員会では、議員の身分にかかわる内山晃君懲罰事犯の件が与党の多数で採決され、十八日の懲罰委員会では、公平な運営に努めようとした横光克彦委員長に対し、与党の多数で不信任を議決し、委員長を宙に浮かせたまま、内山晃君懲罰事犯の件を無理やり押し通したのです。

 そのほか、委員長職権による委員会立ては枚挙にいとまがありません。

 このような数の暴力による暴走に猛省を求めるのが、本来の議長の役割であるはずです。ところが、河野議長は、就任の際に公平公正な運営に全力を傾けると誓われたにもかかわらず、強行に次ぐ強行を重ねる与党のやり方に歯どめをかけるどころか、昨日は横光懲罰委員長に自発的に辞表を出すように迫るという前代未聞の議長裁定を行われました。公平な議長であれば、委員会において公平な運営が期待されている横光委員長がその職務を全うしようとしたときに、そのやさきに不信任されたという苦衷のお気持ちがだれよりもおわかりになったはずなのにと思うと、残念でなりません。

 最後に、ここにおられるすべての皆さんが、いま一度国権の最高機関である唯一の立法機関に身を置いていることの重責をよくよく胸に手を当てて考えてみていただきたいと思います。最近とみに、戦後レジームからの脱却と美しい国づくりを掲げる安倍官邸による強引な議会運営が目についてなりません。しかし、国民の代表者としての自覚、議会の権威の確立、立憲主義、議会制民主主義の発展については、与党、野党を問わず共通のものがあるはずです。今求められているのは、まさに議会の良心ではないでしょうか。

 以上申し上げ、議長河野洋平君不信任決議案に対する賛成討論といたします。(拍手)

副議長(横路孝弘君) これにて討論は終局いたしました。

    ―――――――――――――

副議長(横路孝弘君) 採決いたします。

 この採決は記名投票をもって行います。

 本決議案に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参されることを望みます。――議場閉鎖。

 氏名点呼を命じます。

    〔参事氏名を点呼〕

    〔各員投票〕

副議長(横路孝弘君) 投票漏れはありませんか。――投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖。開票。――議場開鎖。

 投票を計算させます。

    〔参事投票を計算〕

副議長(横路孝弘君) 投票の結果を事務総長から報告させます。

    〔事務総長報告〕

 投票総数 四百三十七

  可とする者(白票)        百十八

  否とする者(青票)       三百十九

    〔拍手〕

副議長(横路孝弘君) 右の結果、衆議院議長河野洋平君不信任決議案は否決されました。(拍手)

    ―――――――――――――

鳩山由紀夫君外六名提出衆議院議長河野洋平君不信任決議案を可とする議員の氏名

安住   淳君   池田  元久君   石川  知裕君   石関  貴史君

泉   健太君   市村 浩一郎君   岩國  哲人君   枝野  幸男君

小川  淳也君   小沢  鋭仁君   大島   敦君   大畠  章宏君

太田  和美君   逢坂  誠二君   岡田  克也君   岡本  充功君

奥村  展三君   加藤  公一君   金田  誠一君   川内  博史君

川端  達夫君   河村 たかし君   菅   直人君   黄川田  徹君

菊田 真紀子君   北神  圭朗君   楠田  大蔵君   小平  忠正君

小宮山 泰子君   小宮山 洋子君   後藤   斎君   郡   和子君

近藤  洋介君   佐々木 隆博君   篠原   孝君   下条  みつ君

神風  英男君   末松  義規君   鈴木  克昌君   仙谷  由人君

園田  康博君   田島  一成君   田嶋   要君   田名部 匡代君

田村  謙治君   高井  美穂君   高木  義明君   高山  智司君

武正  公一君   津村  啓介君   筒井  信隆君   寺田   学君

土肥  隆一君   中井   洽君   中川  正春君   仲野  博子君

長島  昭久君   長妻   昭君   長浜  博行君   長安   豊君

西村 智奈美君   野田  佳彦君   羽田   孜君   鉢呂  吉雄君

鳩山 由紀夫君   原口  一博君   伴野   豊君   平岡  秀夫君

平野  博文君   福田  昭夫君   藤村   修君   古川  元久君

古本 伸一郎君   細川  律夫君   細野  豪志君   馬淵  澄夫君

前田  雄吉君   前原  誠司君   牧   義夫君   松木  謙公君

松野  頼久君   松原   仁君   松本  大輔君   松本  剛明君

三日月 大造君   三谷  光男君   三井  辨雄君   村井  宗明君

森本  哲生君   山岡  賢次君   山口   壯君   山田  正彦君

山井  和則君   柚木  道義君   横光  克彦君   横山  北斗君

吉田   泉君   笠   浩史君   渡辺   周君   渡部  恒三君

赤嶺  政賢君   笠井   亮君   穀田  恵二君   佐々木 憲昭君

志位  和夫君   塩川  鉄也君   高橋 千鶴子君   吉井  英勝君

阿部  知子君   菅野  哲雄君   重野  安正君   辻元  清美君

照屋  寛徳君   日森  文尋君   保坂  展人君   糸川  正晃君

亀井  久興君   綿貫  民輔君

否とする議員の氏名

あかま 二郎君   安次富  修君   安倍  晋三君   阿部  俊子君

逢沢  一郎君   愛知  和男君   赤池  誠章君   赤澤  亮正君

秋葉  賢也君   麻生  太郎君   甘利   明君   新井  悦二君

井澤  京子君   井上  喜一君   井上  信治君   井脇 ノブ子君

伊藤  公介君   伊藤 信太郎君   伊藤  忠彦君   伊藤  達也君

伊吹  文明君   飯島  夕雁君   石崎   岳君   石田  真敏君

石破   茂君   石原  伸晃君   石原  宏高君   稲田  朋美君

稲葉  大和君   猪口  邦子君   今井   宏君   今村  雅弘君

岩永  峯一君   岩屋   毅君   宇野   治君   上野 賢一郎君

浮島  敏男君   臼井 日出男君   江崎  鐵磨君   江崎 洋一郎君

江渡  聡徳君   江藤   拓君   衛藤 征士郎君   遠藤  武彦君

遠藤  利明君   遠藤  宣彦君   小川  友一君   小此木 八郎君

小里  泰弘君   小野  次郎君   小野  晋也君   小野寺 五典君

小渕  優子君   尾身  幸次君   越智  隆雄君   近江屋 信広君

大島  理森君   大塚  高司君   大塚   拓君   大野  松茂君

大野  功統君   大前  繁雄君   大村  秀章君   太田  誠一君

岡下  信子君   岡部  英明君   岡本  芳郎君   奥野  信亮君

加藤  勝信君   加藤  紘一君   嘉数  知賢君   海部  俊樹君

鍵田 忠兵衛君   梶山  弘志君   片山 さつき君   金子  一義君

金子  恭之君   上川  陽子君   亀井 善太郎君   亀岡  偉民君

鴨下  一郎君   川崎  二郎君   川条  志嘉君   河井  克行君

河村  建夫君   瓦    力君   木原  誠二君   木原   稔君

木村  太郎君   木村  隆秀君   木村   勉君   木村  義雄君

岸田  文雄君   北川  知克君   北村  茂男君   北村  誠吾君

久間  章生君   倉田  雅年君   小池 百合子君   小泉 純一郎君

小島  敏男君   小杉   隆君   木挽   司君   古賀   誠君

後藤  茂之君   河野  太郎君   河本  三郎君   高村  正彦君

近藤 三津枝君   佐田 玄一郎君   佐藤  剛男君   佐藤   勉君

佐藤 ゆかり君   佐藤   錬君   斉藤 斗志二君   坂井   学君

坂本  剛二君   桜井  郁三君   櫻田  義孝君   清水 鴻一郎君

清水 清一朗君   塩崎  恭久君   塩谷   立君   七条   明君

実川  幸夫君   篠田  陽介君   柴山  昌彦君   島村  宜伸君

新藤  義孝君   菅   義偉君   菅原  一秀君   杉浦  正健君

杉田  元司君   杉村  太蔵君   鈴木  馨祐君   鈴木  俊一君

鈴木  淳司君   鈴木  恒夫君   関   芳弘君   薗浦 健太郎君

田中  和徳君   田中  良生君   田野瀬良太郎君   田村  憲久君

平   将明君   高市  早苗君   高木   毅君   高鳥  修一君

竹下   亘君   竹本  直一君   武田  良太君   武部   勤君

棚橋  泰文君   谷   公一君   谷垣  禎一君   谷川  弥一君

谷畑   孝君   谷本  龍哉君   玉沢 徳一郎君   中馬  弘毅君

津島  雄二君   土屋  品子君   土屋  正忠君   寺田   稔君

とかしきなおみ君   戸井田とおる君   渡海 紀三朗君   土井   亨君

土井  真樹君   徳田   毅君   冨岡   勉君   中川  秀直君

中川  泰宏君   中谷   元君   中根  一幸君   中野   清君

中野  正志君   中森 ふくよ君   中山  太郎君   中山  成彬君

中山  泰秀君   仲村  正治君   永岡  桂子君   長崎 幸太郎君

長島  忠美君   長勢  甚遠君   並木  正芳君   二階  俊博君

丹羽  秀樹君   丹羽  雄哉君   西川  京子君   西野 あきら君

西村  明宏君   西村  康稔君   西銘 恒三郎君   西本  勝子君

額賀 福志郎君   野田  聖子君   葉梨  康弘君   萩生田 光一君

萩山  教嚴君   萩原  誠司君   馳    浩君   鳩山  邦夫君

浜田  靖一君   早川  忠孝君   林    潤君   林   幹雄君

林田   彪君   原田  憲治君   原田  令嗣君   原田  義昭君

平井 たくや君   平口   洋君   平沢  勝栄君   平田  耕一君

広津  素子君   深谷  隆司君   福井   照君   福岡  資麿君

福田  峰之君   福田  康夫君   福田  良彦君   藤井  勇治君

藤田  幹雄君   藤野 真紀子君   二田  孝治君   船田   元君

古川  禎久君   古屋  圭司君   保坂   武君   保利  耕輔君

細田  博之君   堀内  光雄君   馬渡  龍治君   牧原  秀樹君

増原  義剛君   町村  信孝君   松島 みどり君   松浪 健四郎君

松浪  健太君   松野  博一君   松本   純君   松本  文明君

松本  洋平君   三ッ林 隆志君   三ッ矢 憲生君   三原  朝彦君

御法川 信英君   水野  賢一君   宮腰  光寛君   宮澤  洋一君

宮路  和明君   宮下  一郎君   武藤  容治君   村上 誠一郎君

村田  吉隆君   望月  義夫君   茂木  敏充君   盛山  正仁君

森   英介君   森   喜朗君   森山   裕君   森山  眞弓君

やまぎわ大志郎君   矢野  隆司君   谷津  義男君   安井 潤一郎君

保岡  興治君   柳澤  伯夫君   山内  康一君   山口  俊一君

山口  泰明君   山崎   拓君   山中 あき子君   山本  明彦君

山本  公一君   山本  幸三君   山本   拓君   山本ともひろ君

山本  有二君   与謝野  馨君   吉川  貴盛君   吉田六左エ門君

吉野  正芳君   若宮  健嗣君   渡辺  具能君   渡辺  博道君

渡辺  喜美君   渡部   篤君   赤羽  一嘉君   赤松  正雄君

伊藤   渉君   池坊  保子君   石井  啓一君   石田  祝稔君

上田   勇君   漆原  良夫君   江田  康幸君   遠藤  乙彦君

大口  善徳君   太田  昭宏君   神崎  武法君   北側  一雄君

佐藤  茂樹君   斉藤  鉄夫君   坂口   力君   田端  正広君

高木  陽介君   谷口  和史君   谷口  隆義君   富田  茂之君

西   博義君   東   順治君   福島   豊君   冬柴  鐵三君

古屋  範子君   桝屋  敬悟君   丸谷  佳織君

    ―――――――――――――

副議長(横路孝弘君) この際、議長に本席を譲ります。(拍手)

    〔副議長退席、議長着席〕

     ――――◇―――――

議長(河野洋平君) 本日は、これにて散会いたします。

    午後二時一分散会


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