衆議院

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第14号 平成15年6月4日(水曜日)

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平成十五年六月四日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 佐々木秀典君
   理事 逢沢 一郎君 理事 小野 晋也君
   理事 星野 行男君 理事 渡辺 博道君
   理事 中沢 健次君 理事 山内  功君
   理事 遠藤 和良君 理事 西村 眞悟君
      浅野 勝人君    今村 雅弘君
      奥山 茂彦君    嘉数 知賢君
      金子 恭之君    木村 隆秀君
      菅  義偉君    高橋 一郎君
      谷川 和穗君    谷本 龍哉君
      近岡理一郎君    林 省之介君
      石毛えい子君    大畠 章宏君
      小宮山洋子君    横路 孝弘君
      瀬古由起子君    北川れん子君
      山谷えり子君
    …………………………………
   内閣府大臣政務官     木村 隆秀君
   参考人
   (国立社会保障・人口問題
   研究所所長)       阿藤  誠君
   参考人
   (NPO法人びーのびーの
   理事長)
   (少子化社会を考える懇談
   会委員)         奥山千鶴子君
   参考人
   (SOSHIREN女(わ
   たし)のからだからメンバ
   ー)           米津 知子君
   参考人
   (日本弁護士連合会両性の
   平等に関する委員会副委員
   長)           金澄 道子君
   内閣委員会専門員     小菅 修一君
    ―――――――――――――
委員の異動
六月四日
 辞任         補欠選任
  大村 秀章君     今村 雅弘君
  亀井 久興君     浅野 勝人君
  平野 博文君     小宮山洋子君
  吉井 英勝君     瀬古由起子君
  江崎洋一郎君     山谷えり子君
同日
 辞任         補欠選任
  浅野 勝人君     亀井 久興君
  今村 雅弘君     大村 秀章君
  小宮山洋子君     平野 博文君
  瀬古由起子君     吉井 英勝君
  山谷えり子君     江崎洋一郎君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 少子化社会対策基本法案(中山太郎君外八名提出、第百五十一回国会衆法第五三号)


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     ――――◇―――――
佐々木委員長 これより会議を開きます。
 第百五十一回国会、中山太郎君外八名提出、少子化社会対策基本法案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、参考人として、国立社会保障・人口問題研究所所長阿藤誠君、NPO法人びーのびーの理事長・少子化社会を考える懇談会委員奥山千鶴子君、SOSHIREN女(わたし)のからだからメンバー米津知子君、日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会副委員長金澄道子君、以上四名の方々から御意見を承ることにいたしております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、私どもの審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 阿藤参考人、奥山参考人、米津参考人、金澄参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願いを申し上げます。米津参考人におかれましては、御発言は着席のままで結構でございます。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承ください。
 それでは、阿藤参考人、お願いいたします。
阿藤参考人 阿藤でございます。
 私は、一九七二年から旧厚生省人口問題研究所、そして現在の国立社会保障・人口問題研究所に勤務しておりまして、主として人口研究、とりわけ結婚、出生、家族、家族政策といったようなことを、しかも国際比較的に研究している、そういうものでございます。また、立場上、人口に関する国際会議にたびたび政府代表の一員として出席しております。
 早速でございますが、私は、本少子化社会対策基本法案に基本的に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。その理由を三つの視点、すなわち少子化問題の現状認識、二番目には少子化の背景と政策的対応の関係、そして第三番目に少子化への対応と高齢化への対応、そういう三つの視点から述べさせていただきたいと思います。
 第一の少子化問題の現状認識でございます。
 言うまでもないことですが、一九七四年以来、合計特殊出生率、一人の女性当たりの子供の数が人口置きかえ水準と言われる二・一前後、最近では二・〇八というふうに計算されていますが、それを下回って低下を続けております。九〇年代に入りましてからは、合計特殊出生率は一・五を下回って、さらに低下を続けるという状況でございまして、諸外国、もちろん先進国でございますが、諸外国と比較しましても、外国の文献などではザ・ローエスト・ロー・ファーティリティー、私は超低出生率と訳しましたが、そういうカテゴリーに入る国になってきている、そういう状況でございます。日本と並ぶのは、イタリア、スペインとかいう南ヨーロッパ、あるいはドイツ語圏の国々であります。
 そういった超低出生率がこれからも継続するという前提に立って、私どもの研究所が二〇〇二年の一月に発表しました将来人口推計によりますと、二〇〇六年には日本の人口はピークに達して、以後五十年、あるいは参考推計としては百年間にわたって人口が減少を続ける、そういう見通しでございます。
 それから、いわゆる高齢化でございますが、国民の中で六十五歳以上人口の占める割合として、高齢化率といいますが、この高齢化率は現在一八%程度でございますけれども、やがて二〇五〇年には三六%、現在の二倍の状況に達する、そういう見通しでございます。
 そういった急激な人口減少と超高齢化が続くと一体どうなるのか。なかなか単純な予測は難しいのでありますが、一般的に申しまして、労働力が減り、そして消費人口が減り、国内需要が縮小し、高齢化によって貯蓄率が下がるというふうなことで、経済成長にとってマイナス、ひいては国民生活の豊かさを脅かす、そういうふうに一般的には解釈されるのではないかというふうに思います。
 以上が、いわゆるマクロの観点から見た少子化問題でありますが、世論調査などによって、個々人、いわばミクロの観点から見てみます。
 例えば、お手元の資料の1、つい最近の読売新聞の調査でございますが、その結果を見ましても、もちろんこれにとどまりませんけれども、多くの人々が、これは未婚の方も既婚の方も含めて、あるいは若い人も高齢者も含めて、理想の子供数というものが平均で二・六人ぐらい、最もパーセントの高いいわゆる最頻値と言われるところは三人、そういう状況でございます。
 しかるに、夫婦の平均の実際に産む子供の数というのは二・二人を下回り、最近では二・一人。もちろん、これに未婚者を含めれば、女性全体の平均値は大変大きく下がっております。つまり、多くの人々がこの理想の子供数を実現できないでいる、そういう状況にあるというふうに認識できます。
 この読売新聞の調査では、実に七割の人々が、今日の日本は子育てしやすいかしにくいかと聞かれて、しにくい社会というふうに答えております。
 このように、人口、経済というマクロの視点、そして個人個人の意識、ミクロの視点から見ましても、少子化の状況は極めて深刻だというふうに考えざるを得ません。
 そういう意味で、政府は、この少子化の状況を是正するための施策を強力に推進することが現在求められているというふうに考えます。その点で、本法案の前文と基本施策の内容は、私とほぼ同様の現状認識に立っていると思われます。
 第二番目の、少子化の背景と政策的対応の関係でございます。
 この少子化の社会経済的背景と申しますのは、大変複雑であります。そう簡単に答えの出るものではないと思っておりますが、具体的施策との関連で考えますと、以下の二つの長期的な社会経済変化が重要ではないかと見ております。
 第一の点は、かつては、いわゆる性別、役割分業が支配的な時代というふうに特徴づけるとしますと、その中で、男性は職業労働、女性は家事育児に携わるという形で一種の両立が可能であった、仕事と育児の両立が可能であった、そういうふうにとらえられておりますが、時代の変化とともに、女性の高学歴化、就業機会の拡大、男女の賃金格差の縮小などによりまして女性の就業率が増大し、就業意欲が強まり、その中で特に女性にとって結婚、出産と仕事を両立する、言いかえれば、結婚、出産した後も仕事を継続するということが容易でなくなっております。そのため、あえて言えば、未婚で働き続ける人と、結婚して仕事を、あるいは出産をして仕事をやめてしまう人という二者択一的な選択を迫られるようになってきている。統計で見てわかりますように、未婚で就労を続けている方はほとんど子供を産まない、そういう状況になっているわけでございます。そういう意味で、社会全体として、職業労働と家族形成、俗に、仕事と子育ての両立が容易でない時代が来たんだ、こういうふうに認識できるわけであります。
 第二番目には、かつては、子供は親にとって家業の労働力、後継者、老後の保障、家の継承といった意味を持っておりました。言いかえれば、子供を持つということは結婚の前提であって、ほぼ、子供を持つということがいわば選択の有無を問わない必然的なものであった、こういうふうにとらえることができたかと思います。
 しかし、戦後の高度経済成長を経て、いわば七割、八割がサラリーマンの社会に変わってきております。その中で、子供が家の宝という意味合いは大変弱まっておりまして、子供が親にとって持つ意味は、資料の2で示されておりますように、これは毎日新聞の調査ですが、子供を持ってよいことは、子供がいると家庭が明るくなる、子育ては楽しい、あるいは、子育てによって自分も成長できるといった心理的、情緒的な満足を与える、そういう存在として親にとって意識されている、そういう時代でございます。そういう意味では、子供を持つということが現代の社会では選択的になっている。
 その一方で、高度情報化社会によって高学歴が必要な、つまり職業労働を持つために長い年月の教育期間が必要だ、そのために子育ての金銭的、時間的コストというものがかさんできているということがございます。それだけに、現代の親にとっては子供の経済的、心理的負担感が強まっている、こういうふうに認識できると思います。
 繰り返しになりますが、そのことは、資料の2の表1の方は子供を持つことのよさ、そして表2の方は子育てで大変なこと、もちろん資料の1の方にもそういった同旨の結果が出ております。
 したがいまして、少子化への政策的対応の中心というのは、この二つの問題、両立問題の改善ということと子育て負担感の軽減ということが二本の柱になるべきであるというふうに考えております。
 その点で、第一の両立問題の改善に関しましては、本案は施策の基本理念において、男女共同参画社会の形成と相まった、子育て環境の整備を旨とするというふうに述べて、基本的施策の最初に、雇用環境の整備、そして保育サービス等の充実ということを置いております。
 第二の、子育ての負担感の軽減に関しましては、本法案は基本的施策で、地域社会における子育て支援体制の整備、ゆとりある教育の推進によっていわば子育ての心理的負担感を和らげ、そして生活環境の改善、経済的負担の軽減によって文字どおり子育ての経済的負担感を軽減する、そういう施策を掲げております。
 以上のように、本法案は、少子化の背景と政策的対応の関係という点からも、おおむね納得できるものだというふうに思います。
 第三の、少子化への政策的対応と高齢化への政策的対応の関係でございます。
 日本は、社会保障全体の給付構造という観点から見ますと、子供、家庭に対する給付が大変小さい、それは絶対額においても、そして高齢者への給付と比べても、先進国中最も小さい国の一つであるということがデータで示されております。
 お手元の資料3に、図1の方は、横軸に現金給付、縦軸にサービス給付とございますが、要は、日本はその軸の両方の一番低いところの一群に入っております。それから、図2の方は、同じデータでございますけれども、高齢者に対する給付に比べて子供、家庭に対する給付が小さい、一番下の方から数えた方が早い、そういうところに位置するということが示されております。
 しかも、これは社会保障でございますけれども、これに加えて日本の教育費、とりわけ大学教育のコストというものの個人にとっての負担というのは大変大きい、これも先進国の中では顕著でございます。こういったことが、今の日本は非常に子育てしにくい社会だという人々の評価につながっているのではないかというふうに思われるわけであります。
 この点で、本法案が、内閣府のもとに高齢社会対策会議と並んで少子化社会対策会議、これは総理主宰のもとだそうですけれども、これを置くことで子供、家庭、子育て者への政策的支援の強化に努めようとすることは、社会保障におけるこのアンバランスな給付構造の変化、そして教育費負担の軽減に向けての大きな力になるものと考えております。
 以上、少子化問題の現状認識、第二番目には少子化の背景と政策的対応の関係、第三番目には少子化への対応と高齢化への対応の関係という三点から見まして、私は本少子化社会対策基本法案に賛成するものであります。
 ありがとうございました。(拍手)
佐々木委員長 ありがとうございました。
 次に、奥山参考人にお願いいたします。
奥山参考人 おはようございます。
 まず、このような機会を与えていただきましたことに感謝申し上げます。
 私は、子育て支援のNPO法人びーのびーのの代表をしております奥山でございます。
 私は、現在、九歳、六歳、三歳の子供の母でもございます。地方出身で、こちら関東に出てまいりまして、大学卒業後十年ほど会社で働いておりました。社内的には第一号の育児休業を取得しましたけれども、仕事と家庭の両立が非常に難しく、退社をいたしました。その後、初めて地域と向き合いながら子育てをいたしますが、その大変さ、それから自分が今まで働いてきた働き方と子供を育てていく環境のギャップ、そういったものを感じながら子育てをしてまいりました。
 そのような子育てのいわば支えられ感のなさ、そういった部分から、自分たちで地域に開かれた「おやこの広場びーのびーの」を仲間の母親たちと立ち上げました。また、昨年ございました少子化社会を考える懇談会の委員も務めてまいりました。きょうは、基本的には少子化社会対策基本法案に賛成の立場から意見を述べさせていただきます。
 その理由として、三つの観点から、一つは少子化社会と総合的なその推進、それから地域三世代子育て支援の必要性とびーのびーのの活動の視点から、それから子育てと働き方の見直し、この三点から述べさせていただきたいと思います。
 まず、少子化社会と総合的な推進の必要性についてでございます。
 次世代をどう育てるかは国の育成に大変大きくかかわる問題でございますが、今現在子供を育てている私自身にとっても大きな問題です。それは、私自身の子供が大人になっていき、どんな環境を残してあげるか、子供たちにどんな環境を残してあげられるかということが私にとっても重要な問題であるからです。
 少子化社会というのはどんな社会なんでしょうか。もう既にその兆候はあらわれ始めていると思います。公園で遊んでいるのに静かにしろとどなられる、一体どこで遊べばいいんでしょう。運動会ののろしは上げないでくれ、近所の方が学校に申し入れをする。母親や子供に対して周囲の目が厳しい。外ではしかるのも笑うのも、周りを気にしてびくびくしているという母親。学年に一クラスしかない学校だったので引っ越した、六年間同じメンバーでは子供がかわいそうだという親。日本は子供を生み育てやすい社会かという質問に対して、先ほど阿藤先生の御紹介もありましたが、四分の三の方がどちらかといえばそうじゃないというふうに答える社会。子供の声が聞こえない、聞こえても雑音としか受け取られない、子供にとって寛容でない社会、そんなことになっていくんじゃないでしょうか。出産、子育てというのは、本当に個人的な問題だと思いますが、社会のありようと無関係ではないということを申し上げたいなと思います。
 また、さらにそれが進展していきますと、選挙権のない子供たち、それから発言力の少ない二、三十代の若い世代の人たちに物事が何か不利に進んでいくんじゃないかという危惧さえ覚えます。実際、社会保障の給付金の六八%が高齢者向けです。子供や家庭に対する給付はわずか三%。これは本当に諸外国に比べても少ない数字なんじゃないかなと思います。
 今回、次世代育成支援対策推進法案、それから児童福祉法、育児休業、介護休業法、年金各法など、子育てに関連する各法を束ねる基本法が先生方の審議に上りましたことを大変うれしく思っております。これにより、子供、家庭支援の機運が、全国のあらゆるレベルで議論され、各地方自治体、企業を巻き込んだアクションプログラムに発展していく、そういった過程をぜひ見守っていきたいなというふうに思っております。
 次に、地域三世代子育て支援の必要性とびーのびーのの活動についてでございます。
 私自身、両親は地方におりまして、自分の子育てを手伝っていただく環境にございませんでした。今、そのような核家族の親、それから地域に支援していただける、応援していただけるような環境にない方、非常に多くふえているというふうに思います。
 私どもは、「おやこの広場びーのびーの」を通じて、親の就労の有無にかかわらない、親子の出会いの場というのをつくっております。ゼロから三の子供と親が集まるということで、育児休業中のお母さんたちもいらっしゃいます。それから、これから幼稚園に入れたいというお母さんもいらっしゃいます。それから、お父さんも、おじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃいます。お教室のようなところではなくて、安心して家で過ごせるような日常性を、広場で私たちはできるようにしております。
 また、家で一対一で、親子だけで子育てしておりますと、それはどんな一生懸命やっているお母さんでも行き詰まってしまいます。二十四時間子供と一緒というのは、ちょっと、どんな方でも多分難しいだろうと思います。
 子供にとっても親にとっても、いろいろな関係性の中で人間関係をはぐくんでいくというのがとても大事だと思います。広場では、疑似的なおじいちゃん、おばあちゃんの手、地域のボランティアの方、学生の方、いろいろな方がかかわってきます。広場に来ると、皆さん思われると思いますが、どのお母さんがどの子供の親だろうと。それがわからないぐらい、子供はいろいろな人のところに行って遊べるようになるんですね。そういった環境が今はないんです。昔だったら、地域にありましたよね、井戸端的な環境が。でも今は、隣に住んでいる人がどんな人かもわからないような、そんな環境で子育てをしております。
 また、親は、学ぼうと思ってもなかなか学べる環境がないんです。本を見て学ぶのではなくて、隣にいるお母さんがどんなふうに子育てをしているんだろうか、どんなふうに子供に離乳食を食べさせているんだろうか、半年たったらこんなふう、一歳になったらこんなふうというふうに、先の見通しが立てられるということが大事だと思います。
 また、ここにかかわっているおじいちゃん、おばあちゃん世代の方たちが、赤ちゃんとかかわることで生き生きしてまいります。子供から明るさや喜びや、そういったものを得ていらっしゃる。自分がやってさしあげるというよりも、一緒に、何かそこの広場で居場所を見つけて活動なさっているというふうに見ております。新たな身内、血縁関係ではない新たな身内を地域につくる、それが地域三世代というキーワードではないかなというふうに思っています。それをこの広場で実現していきたいというふうに思っております。
 また、地域では幼稚園、保育園ガイドを発行しておりまして、広場に来る、これから保育園にお子さんを預けようと思っていらっしゃる方、幼稚園に行こうと思っていらっしゃる方、また多様な在宅でのワークなどもございますので、どんな、私に合った幼稚園、保育園があるんだろうというようなことも、私たちはNPO法人ですから、幼稚園のことも保育園のことも、またそれとは別のサークルの情報なども横断的に地域の情報をお伝えすることができます。それがNPOのよさ。行政の縦に対して、横の役割というのを担っていっていると思います。
 また、いろいろな世代が、学生さんから七十代まで、赤ちゃんに触れるということが本当に命の尊厳というか、こうやって自分たちも慈しまれて育ってきたんだということを学生さんたちが見ていくというのは、とてもいい機会だというふうに思っております。
 また、私たちはこの活動をこの広場だけにとどまらず、横浜十八区それから神奈川県、それから国全体、日本国全体として、さまざまな緩やかなネットワークづくりをしています。昨今のメールでも、地域福祉計画を各地でどんなふうに策定しているか、皆さんはどんなふうにかかわっているかという議論が活発に行われていました。そのように、若い世代はITで全国津々浦々つながりながら、子育てのことというのがどんなふうに全国で展開しているのかを見ています。横浜市のネットワークでは、政策提言も昨年いたしました。それを評価されて、昨年は調査研究も共同でいたしました。そのように私たち当事者、親自身も社会に対して発信していくというのが必要だというふうに思っております。
 私たちはこのような活動をしながら、今回の法案が地域社会における子育て支援体制の整備、保育サービス等の充実、ゆとりある教育の推進、教育及び啓発といった考え方に基本的に合致し、私たちの活動をさらに推進していただける法案だなというふうに感じております。
 また、第三に、子育て中の働き方とその見直しについてです。こちらは資料をちょっと手元に御用意しましたが、「子育て支援策等に関する調査研究」、これはことしになって、一月―二月で調査した内容ですから、非常に新しいデータになっておりますが、おめくりいただきますと、二ページ、「男性を含めた働き方の見直し」のところでは、「父親も、家事や育児を、仕事と同等かそれ以上に優先させたいと希望しているが、現実には仕事を優先せざるを得ない状況」、それから「子どもが生まれて、労働時間を減らしたいという希望をもった父親は約三割もいるが、実現させることができた父親は六・五%」、また「父親が、子育てに比べて仕事を重視している家庭では、母親が「配偶者と意見が合わない」、「仕事や自分の時間がとれない」など」というような悩みを抱えています。
 私たちも広場で子育ての悩みということを聞いているうちに、それは子育ての悩みではなくて夫婦間の悩みというか、意識のギャップであるということに気がつくことがございます。このように、基本法案の第一項で、第一義的な責任を家庭は果たすことというようなことが記載されておりますが、今、父親がなかなか帰ってこれない現状では、そのような働き方を見直し、父親も家庭に早く帰してほしいというふうに感じております。
 以上、この少子化社会対策基本法が、先生方の審議の上に早急に成立し、社会的に緊急性を喚起し、あらゆる分野で議論され、次世代を担う子供たちにとっていい環境を提供できるよう、ひいてはすべての生活者にとっても子供のいる社会が明るく展望を持ったものになれるよう希望いたします。まさに、介護保険に続き、子供、家庭支援に対する夜明け前というような期待を持って、審議を見守っていきたいというふうに考えております。
 どうもありがとうございました。
佐々木委員長 ありがとうございました。
 それでは次に、米津参考人にお願いいたします。
米津参考人 よろしくお願いします。
 私は、この法案に反対し、廃止を求める立場からお話をさせていただきます。
 その廃止を求める理由を、最初に三つ申し上げます。まず、この法案は、人権を尊重する国際的な流れに逆行しており、女性の基本的人権を侵害するおそれがあります。次に、不妊治療を少子化対策の中に位置づけるべきではないということです。三つ目に、この法案は、人口問題に関する国際的な視点を持っていません。
 順番に内容をお話しします。
 五月二十八日のこの内閣委員会で、法案を提出された議員の方々が、これは、人口政策として子供を産めと強制する内容ではない、あるいは、本人の自己決定を妨げないというふうに発言しておられました。しかし、そういった文言は、この条文の中には全く書かれていません。むしろ、前文で、少子化に対する危機感を非常に強く書かれた後で、少子化に歯どめをかけるというような文章がございます。
 また、法案の外側では、四月に開かれた自民党の少子化問題調査会で、九七年に行われた人口問題審議会の提言、これが、結婚するしない、産む産まないは個人が決める問題だというふうにしたことが非常に問題だという発言がたくさんあったということを報道で知りました。
 提案された議員の方たちが幾らこれは個人を制限しないというふうに言われても、その文言がない以上、こういう環境の中にこの法案が成立して機能していけば、やはりこれは女性に産ませるための人口政策として機能するのではないか、そういうことを私は大変心配しています。
 人口政策というのは、公の利益が優先されて、その結果、個人の人権が侵害される、制限されるということが基本にあります。そこでは、人間の数をふやしたり減らしたりというだけではなくて、産んでいい人、産んでは困る人、生まれてよい子供、生まれてはよくない子供というふうに、人間を選別する優生政策がついて回ってしまいます。これは、特別な人間に向けられるのではなくて、人口政策というのは国がその国に住む国民に向かってやるものですから、だれもがその対象の中に入るわけです。日本の政策がまさにそのようなものでした。
 まず、明治時代に刑法堕胎罪が制定されて、現在もあります。戦前は、産めよふやせよという政策のもとで、避妊の方法を普及することすら非合法でした。日本で初めて女性の国会議員になられた加藤シヅエさんは、まさにその避妊法の普及活動のリーダーでいらしたために弾圧されて、投獄もされています。加藤さんは、もう一昨年に亡くなられたんですが、最晩年まで、この少子化社会対策基本法案がどうなるのかという行方を大変懸念していらしたと聞いています。加藤さんの信念が、女は国のために子供を産むのではないというものだったからだと思います。
 戦後になりまして、一九四八年に優生保護法という法律ができて、条件つきで人工妊娠中絶を合法化したんですけれども、これも、母性保護という名目がありましたけれども、人口を急いで減らさなければならないという国策の一環であったことも確かです。
 優生保護法は、中絶の合法化と同時に、病気や障害を持つ人に子供を産ませない目的でも機能しました。ハンセン病訴訟でその一端が明らかになっていますが、この法律が定めた優生手術、優生上の理由に基づく不妊手術ですが、これによってたくさんの人が子供を持つことを奪われました。
 九六年にこの優生保護法は改正されて、優生条項が削除されて現在の母体保護法になりましたが、そのときにも国は、今述べたような優生保護法のもとでの人権侵害について、広く反省を表明して、国民に対して、障害者に対してもう差別はしないということを明らかにするということをやっていません。そして、被害者に対しての謝罪、補償というのも全く行っていません。過去に同じようなことがあったドイツやスウェーデンやカナダでは、その補償が行われております。
 私は、過去のことを言っているのではなくて、過去にあったこのような人権侵害を伴う人口政策が、九六年、九六年まで優生保護法があったわけですから、そんなに最近まであった、そのことについて、このようにこの国はまだ清算していない。公の利益のために個人を侵害してしまう、産むことを奪うというようなことに対して反省をしていない。公と私といいますか、国と個人の利益というものをどういうふうに位置づけるのか、どうやって折り合いをつけるか、そうした議論もほとんど行われていないと思います。そういう中でこの法案が成立するということから、やはりこれは産ませる人口政策になってしまうのではないか、そういう危機感をぬぐうことができないんです。
 国際社会は、とても長い時間をかけて性や生殖、人口あるいは人権の問題を考えてきました。女性差別撤廃条約、これは一九七九年にできたものですが、子の数と出産の間隔を決定する権利を女性にも認めました。また、九四年にカイロで開かれた国連の国際人口・開発会議の行動計画では、リプロダクティブヘルス・ライツ、性と生殖に関する健康・権利の重要性が提唱されました。この中で、人口問題を解決するには、国が強権的に頭ごなしに行うのではなくて、妊娠、出産の調節について個々のカップルと個人の意思に選択をゆだねる、そのことが重要であるということが言われ、それが現在の国際社会の共通認識になっています。
 日本政府は、法的拘束力を持つこの女性差別撤廃条約を批准しておりますし、カイロ行動計画にも同意していますので、ぜひそのことを思い出していただきたいと思います。
 また、国会でも、九五年、九六年、二〇〇〇年に、それぞれ優生保護法、母体保護法の一部改定の際に附帯決議を行って、リプロダクティブヘルス・ライツの推進をうたっています。詳しくは、私の資料の後ろの三ページを見てください。
 少子化社会対策基本法案は、少子化の進展に歯どめをかけることに熱心な余り、こうしたことを忘れて逆行してしまうのではないかと心配しておりますので、日本がこのような責任ある決定を下して推進してきたということを思い出していただきたいと思います。
 次に、不妊治療を少子化対策に位置づけてはいけないということです。
 この法案は、全体に書いてあることがとても抽象的な部分が多いのですが、その中で、不妊治療に関してだけは大変具体的になっています。
 しかし、まず、不妊の問題を少子化対策という枠組みの中で扱うことは、まるで不妊の方たちが少子化の原因の一端であるかのような間違った印象を与えます。このことで、不妊に悩む人が傷ついたり、あるいは不妊治療に駆り立てられるのではないかと私は心配しております。不妊当事者の自助グループ、フィンレージの会有志の意見書にも、「なぜ、この項目が少子化社会対策基本法に含まれるのでしょうか。私たちは危惧でいっぱいです。」と書いています。「子どもを持てない人、持たない人にまで無理に子どもを持たせようとするような法律はおかしい」と書かれています。
 厚生省やフィンレージの会の調査によっても、不妊治療というものはそれほど有効なものではなく、何度も繰り返し治療を受けた方たちも含めて、三割程度しか実際には子供を得られません。でも、この法案を読んでいると、不妊治療は実際以上に有効であるというような誤解を増幅するように思います。
 私は、フィンレージの会の会員でもあります友人から次のメッセージを託されましたので、読み上げます。
 不妊治療には身体的なリスクがあります。成功率も決して高いとはいえません。排卵誘発剤の副作用でつらい思いをし、それでもなお「治療をやめることを周囲が許してくれない」という理由で治療を続けている方もいます。そうした中、この法案は、「治療をしてでも子どもをつくったほうがよい」という圧力を強めるのではと考えます。不妊の人への支援は、治療だけではありません。治療を受けない選択、治療をやめる選択、子どものいない人生への支援など幅の広いものであり、子どものいない人がそのままで受け入れられる社会づくりが不可欠です。「治療」のみを突出して法律で扱うことに、私たちは大きな不安を感じます。
というメッセージです。
 不妊の人への支援は確かに必要です。でも、それはそれで別にちゃんと設けてほしいと思います。断じて、少子化対策の手段にすることは受け入れられません。このような不妊の問題の扱い方からしても、この法案が、女性に産ませるための法律になるのではないかという強い印象を受けます。
 三番目に、この法案が、国際的な視点を持って人口問題を考えていないのではないかということです。
 世界的な規模で見ますと、人口問題というのは、いかに増加を抑制するかということです。人口が減るということは、むしろ、食糧や貧困やエネルギーや環境問題、そういった問題を解消する上での重要な、そして不可欠な要因と考えられています。しかし、そのような視点がこの法案にはありません。やはり日本という限られた地域であっても、地球規模の問題に照らして、この国の人口はどうあればいいかということを考える視点があってもいいのではないんでしょうか。そして、人口が少ない国というのを、マイナス面ばかりを強調するのではなく、それを事実として受けとめて、いかにプラス面を引き出すかということも必要だと思います。プラス面もあるではないかということを言っている人口学者もおられると思います。
 以上、私がこの法案に反対する理由を申し上げました。
 では、国は何もしなくていいと言っているのかというと、そうではありません。やはり、国は国としてすべきことがあると思います。まず、どうしても法律をつくらなければ対策ができないと言われるならば、提出議員が二十八日におっしゃったようなことを、法案の中に、条文の中に明記してほしいと思います。少なくとも次のことは必要だと思いますので、読み上げます。
 まず、生殖における個人及びカップルの自己決定を妨げないこと。次に、リプロダクティブヘルス・ライツを尊重すること。それから、育児の責任は女性と男性両方が担うべきものであって、社会がそれを支援すべきということ。それから、国と企業は、男性が育児の責任を果たせるように、また、女性が職業を持ちながら妊娠、出産、育児ができるように、必要な制度整備の責任を負うこと。以上のことを法律の中には書いてほしいと思います。
 次に、リプロダクティブヘルス・ライツを確立してほしいと思います。
 リプロダクティブヘルス・ライツを確立してほしいというふうに言いますと、産まない選択だけを求めているのかというふうに誤解されることがあるんですが、それは全くの誤解です。女性に対して子供を産めという圧力が強い社会では、産まないという選択が必要だということを大きな声で言わなければならないんですが、本来は、産むことも産まないことも、その選択、そしてそれを実行に移すときに、そのどちらもが支援される、選択が保障されるということを求めているのがリプロダクティブヘルス・ライツです。
 今、この国では、未婚で子供を持とうとしたり、障害や病気を持っている人が子供を持とうとすると、決して歓迎されません。それは、非常にその人たちのリプロダクティブヘルス・ライツを侵害していると思いますので、どういう場合でも、子供を持つことに対して、大丈夫だよという支援を私は欲しいと思います。そういう意味でこれを言っております。
 当然のことなんですけれども、女性は、子供を産むときだけ大切にされるべきではなくて、生涯にわたってその健康が保障されるべきなんです。この生涯を通してという考え方も、リプロダクティブヘルス・ライツの基本にありまして、厚生労働省も、そちらで、生涯を通じた女性の健康支援事業というのを推進していると思います。ぜひ、その内容を一層充実していただきたいと思うんですが、例えば、どういうことを特にしてほしいと思うかといいますと、若い世代が、性や生殖のこと、そして避妊や感染症、子供を産むことあるいは産まないことに関して相談をしたり、その手段に気軽にアクセスできる相談室あるいは相談所のようなものを全国津々浦々に設けていただきたいということです。このような若い人たちに対する情報提供、教育の場というものがあって初めて、若い世代であろうと年配の人であろうと、責任を持って産むか産まないかの自己決定ができると思うからです。
 最後に、子供を持とうとする人の負担を軽減してほしいと思います。
 さっき阿藤さんもおっしゃっていましたが、子供を欲しいと思う人はいるのに希望の数だけ産むことができないというのが、現在の日本の現状です。それにもさまざまな理由があるということを阿藤さんがおっしゃっていましたけれども、例えば、さっきも言った、婚姻外の子供に対する差別があるということも大きいと思います。日本は、シングルで子供を産んでいる人が非常に少ない、欧米諸国に比べてもとても少ないんですね。
 それから、子供のしつけや教育、健康に関して、親、特に母親の責任が非常に強調されています。その中で、出生前診断の技術が開発されていて、そのことが、病気や障害を持たない健康な子供への志向を強めているように思います。子供を持つことは責任が伴うというのは確かだと思いますが、健康な子供を産んでいい子に育てなければ母親の資格はないと言わんばかりのこうした圧迫感やプレッシャーが、子供を産むことにブレーキをかけ、そして子供を育てることに夢を持てなくさせている要因であると私は思います。
 国が行うことは、子供を持たないあるいは持てない人にまで無理に持たせようとすることではなくて、子供を持ちたい人が持てるようにする、その人たちの負担や不安を取り除くことだと思います。それには、まさに、さまざまな差別をなくして、女性の人権を高める、そうした施策を行うということに尽きると思います。子育てと仕事の両立、そういうことがちゃんと確保されている国の方が人口の問題は望ましい方向に向かっているという傾向があるということも参考にしていただきたいと思います。
 産みたい人が産める環境をつくるには、国は、このように、やることがたくさんあります。中でも、産もうとする人、生まれてくる子供に条件をつけたり、育て方や家族のありように画一的な価値観を押しつけるのではなく、多様な生き方を認めて、すべての生まれてくる子供と子育てをする親たちを全力で支えるぞという姿勢を私は見せてほしいと思います。
 最後に、この法律がもし通ってしまうならば、あるいは少子化社会対策ということが今後も行われていくならば、女性に対して子供を産めという圧力を高め、産まない選択をする女性に対して非難が強まること、産めない女性に対して圧力が増大することがあってはいけないということを強く訴えたいと思います。
 以上です。(拍手)
佐々木委員長 ありがとうございました。
 次に、金澄参考人、お願いいたします。
金澄参考人 私は、日本弁護士連合会の中の両性の平等に関する委員会の副委員長をしております金澄です。きょうはどうぞよろしくお願いいたします。
 両性の平等に関する委員会とは、女性に関係する問題についての専門委員会です。お手元に、私どもの委員会が中心となって作成し、日弁連が二〇〇一年に公表いたしました本法案に対する意見書と、本年五月に出しました日弁連会長の声明をお渡ししております。重複してお持ちの先生方もいらっしゃるかもしれませんが、再度目を通していただければ幸いです。
 私は、本日、基本的には、本法案が大幅な修正が必要であるという観点から意見を述べさせていただきます。
 それでは、本日お配りした要旨に従って、本法案の条文を基本に意見を述べさせていただきます。
 まず第一に、本法案は、妊娠、出産に関する女性の自己決定権を尊重するという基本的な視点に欠けております。
 少子化に対する対策は、女性が子供を産むようにするということに尽きるわけですから、基本的に人口政策になりかねない危険性を持っております。妊娠、出産は、女性の最もプライバシーにかかわる問題であり、また女性の生き方の選択にかかわる問題ですから、そこに国が何らかの影響を与えようとする施策を講じることは、もともと非常に危険な側面があることは否定できません。それでも少子化対策として何らかの施策をとるということであれば、その内容が女性の自己決定や女性の選択を尊重し、それを損なってはならないということが大前提になってまいります。したがって、本法案の中にもこの前提が基本理念として明確に記載される必要がございます。
 このような視点は、少子化に対する議論を行った人口問題審議会でも明確に述べられております。すなわち、平成九年十月の報告書によりますと、「妊娠、出産に関する個人の自己決定権を制約してはならないことはもとより、男女を問わず、個人の生き方の多様性を損ねるような対応はとられるべきではない、ということが基本的前提である。」というように述べられております。国際的にも、一九九四年の国際人口・開発会議、いわゆるカイロ会議ですけれども、ここにおいて、人口問題は女性の選択が基本であり、女性の選択をサポートすることの重要性というものがるる述べられております。
 このように、妊娠、出産についての女性の自己決定を尊重することが国際的な流れであり、既に国際社会の中でも確立された考え方です。したがって、本法案中の施策の基本理念の中に、女性の自己決定権の尊重が大前提となっているということを明記するとともに、少子化社会に対する対策が女性の自己決定権、特に結婚、妊娠、出産というライフスタイルの選択を損なってはならないということを明記していただきたいと思います。
 次に、二点目です。少子化対策の施策は社会環境の整備を中心に講じるということを、施策の基本理念の中にきちんと書き入れていただきたいというふうに思います。
 本法案の前文、二条の基本理念、六条の国民の責務の三カ所に「家庭や子育てに夢を持ち、」という文言が入っております。このことは、提出の先生方が、国民の結婚観や価値観の変化が少子化の原因であり、少子化対策のためには国民に対して家庭や子育てに対する意識の変革を求めているようにも読み取れます。
 しかし、さきにも触れました人口問題審議会の報告書では、少子化の背景を、個人の生き方の多様化、女性の社会進出とそれを阻む固定的な男女の役割分業や雇用慣行であるというふうに分析しております。つまり、個人の生き方、価値観の多様化と並んで、仕事と子育てや家庭の両立が困難な社会環境が原因であるというふうにも言えるわけです。
 前者の個人の生き方、価値観の多様化は避けられませんし、個人の自己決定に対してそもそも国は関与することができないのですから、国が行うべき少子化対策としては、必然的に後者の、性別役割分業と雇用慣行を解消すべきなどという、仕事と子育てや家庭の両立に向けての社会環境の整備ということに尽きることになります。平成十年十月三十日の少子化への対応を考える有識者会議働き方分科会の報告書というのがございますが、その中でも、政府や社会が少子化への対応にかかわる際の基本姿勢は環境整備であるというように明記されております。
 実際、諸外国を見ましても、いわゆるパパクオータ制、父親割り当て制というふうに日本語では訳されると思いますけれども、男性にも育児休暇をとることを推し進めたスウェーデンを初めとした北欧や、女性の就業率が高く夫の家事分担が多い国、すなわちいずれも男女共同参画社会の形成が進んでいる国と言えるかと思いますが、そのような国ほど出生率が回復してきている、出生率が高くなってきているということがわかっております。
 したがって、少子化対策の施策としては、男女ともに仕事も家庭も両立させるという男女共同参画社会に向けての社会環境の整備にあるということを、二条の基本理念に明確に入れていただきたいと考えております。
 三点目です。今の二点目とも若干関係をいたしますけれども、六条の国民の責務の中に「家庭や子育てに夢を持ち、」というふうに規定した部分がございますが、この部分については削除すべきであるというふうに考えております。
 この責務は、結婚、妊娠、出産というライフスタイルに対する国民の価値観、生き方に対して、一定の考え方、価値観を持つことを一律に国民の責務とするものでして、国民の自己決定権を尊重するという考え方には相反しております。さらに、国民の内心に踏み込む可能性もありまして、憲法十三条の個人の尊重、十九条に定める思想信条の自由に反する可能性もございます。
 さらに、結婚して子供のいる家庭という一つの家族像を理想とすることを政府が強調するものでして、一九八九年の国連総会で採択された国際家族年宣言、政府は、家庭にかかわる施策の遂行において、唯一の理想的な家族像の追求を避けるべきであるという精神にも反するものになります。
 したがって、国民の責務の中から「家庭や子育てに夢を持ち、」の部分は削除すべきであると考えております。
 次に、条文としては若干さかのぼりますけれども、二条についてです。二条には、「父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有する」との文言が入っております。もちろん、子育ての責任が第一次的に両親にあることは当然です。しかし、何度も触れておりますとおり、人口問題審議会の報告書の中に、育児の負担感、仕事との両立の負担感が少子化の要因として挙げられていることからすれば、親の責任を書くばかりでは親の負担感を増すだけで、逆効果です。
 したがって、親の責務の規定に加えて、親の負担を軽減するための環境整備という観点からの国の責任も重要になってまいります。例えば、労働時間、残業時間の規制を初めとする労働環境の整備、経済的負担を補う児童手当、教育費の負担軽減のための奨学金制度、そのようなものがいろいろ考えられます。
 したがって、子育てについて国が個人を援助する、子育ての環境を整備するなどの方法により、国にも子育ての責任があるということを明記すべきです。このような規定の仕方は、我が国が批准しております子どもの権利に関する条約第十八条二項にもありますので、本法案においても、少なくとも、同条約の規定程度には明確に国の責任を条項に入れていただきたいというふうに考えております。
 五点目です。十七条には、国民に対する教育及び啓発の内容として、生命の尊厳や子育てにおいて家庭が果たす役割というものが入っております。生命の尊厳については、前文でも「生命を尊び、」という文言が入っております。生命が重要であること自体には何ら異論はございませんけれども、生命の尊厳を強調するということは、母体保護法改正論議の際に、経済的理由による中絶条項の削除を主張する方々が根拠として使われたものです。人口政策と微妙な関係にある少子化対策の中でこの言葉を使うことは、女性の出産についての自己決定権を否定する方向につながりかねない懸念がございます。
 また、子育てにおいて家庭の果たす役割を特に教育、啓発の内容として掲げることは、少子化の原因が仕事と家事、育児の両立の困難性や子育ての負担感にあることからすれば、育児の責任を家庭の内部に押しとどめようとするようにも読み取れる文言でして、少子化対策としては逆方向と言わざるを得ません。
 六点目として、基本法の規定の仕方として均衡を失していると思われる幼稚園と不妊治療について述べます。
 十一条二項において幼稚園の果たす役割が特に一項を設けて強調されておりますけれども、少子化の要因が仕事と家事、育児の両立の困難性にあることからすれば、幼稚園よりも、待機児童が多い保育園や学童保育の充実こそ強調されるべきです。さらに、十三条二項で規定している不妊治療に対する施策は、女性の出産に対する自己決定権に微妙な影響を与える問題であり、正常出産に対する健康保険の適用もない現段階においては、時期尚早であると言わざるを得ません。幅広い国民的議論を待った上で、慎重な審議が必要であると考えております。
 最後に、第五条、十条に「子どもを生み育てる者が充実した職業生活を営みつつ豊かな家庭生活を享受することができるよう、」という文言がありまして、十二条にも「子どもを生み育てる者」という文言がございます。これは、女性のみを指すものではなく、当然男性をも含むものであるということを明らかにしていただきたいと思います。
 「生み育てる」と一言でなっておりますが、男性も子供を育てることについては主体的になっていただいて、仕事と家庭の両立を図ることが男性でも可能にならない限り、女性の子育ての負担感、仕事と子育ての両立は図ることができません。女性のみならず、男性の仕事と家庭の両立を可能とする施策が求められております。それこそが男女共同参画社会の実現に向けての施策となり、ひいては少子化対策の施策の方向となるものです。
 以上、このようにるる申し上げましたけれども、本法案については、基本的理念のところに欠けている視点があると言わざるを得ません。その点については、これまでの審議の中で当然の前提であるということが何度か繰り返されてきておりますが、当然の前提であれば、それをきちんと入れていただくということが基本であるというふうに考えております。
 以上です。(拍手)
佐々木委員長 ありがとうございました。
 以上で各参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。奥山茂彦君。
奥山委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、本日、四人の参考人の先生方、本当に御苦労さまでございます。ひとつよろしくお願いを申し上げたいと思います。
 そして私は、質問の内容から、阿藤参考人とそれから奥山参考人に主として質問させていただきたいと思いますが、よろしくお願いを申し上げたいと思います。
 近年、我が国は、少子化傾向がとみに速くなっておりまして、このスピードはまさにもう世界で最速の状態になっておるのではないかと思います。国の将来に重大な危機感まで持たざるを得ないというようなことで、我が党といたしましても、森総理を中心にしながら、もう大臣経験者初め元総理大臣まで全部入れまして、党内でこの論議をきっちりとやっていこうということで、現在スタートさせているわけであります。
 そこで、安心して子供を産み、安心して子育てができる、そんな社会を目指していくということは当然であるわけでありますけれども、ただ、阿藤参考人がおっしゃったように、子育てのしにくい社会に現実には今我が国もなっておるということは、あらゆる論議を重ねましても我々は非常に強く感じてきたわけであります。
 そういったことで、このたび少子化対策基本法というものを取りまとめたわけであります。その施策を推進する立場から、我々は、おおむね五点のことで取りまとめてまいりました。
 一つは、各分野ごとに各省庁で講じられてきた子育て支援策が、これまで政府側ではばらばらに行われてきたわけでありますので、対策全般にわたって基本的な理念を定めて、社会全体のあり方にかかわる改革を総合的に推進しなければならないかと思います。
 さらにまた、二番目として、国家として重要政策の多くは基本法で制定されておって、二十数本の基本法がこれまで制定されてきたわけであります。本法案によって、改めて少子化への対応が国の重要施策として認知されて取り組まれる必要があるんじゃないかと思います。
 さらにまた、三番目として、これまではどちらかというと、政府は、高齢社会対策基本法の制定や高齢者対策に手厚い社会保障制度などに重点を置いてきたわけであります。しかしながら、子育てが非常に重要な問題であるということによって本基本法を制定することによって、またバランスのとれた少子高齢化社会というものができていくのではないかと思います。
 さらにまた、四点目といたしまして、国、地方の公共団体の責務のみならず、事業主や国民の責務を定めた上で各施策の基本的な方向を定めて、少子化等の問題が個人の問題だけではなくして社会全体の問題として広く認識されて、多くの子供の子育ちへの理解と関心を高める必要があるんじゃないかと思います。
 さらにまた、五点目といたしまして、内閣総理大臣を長とする少子化社会対策会議というものが設置され、各省庁が適切な役割分担のもとで、各種施策の重複を避けながら効果的な対策の推進を図る必要があるんじゃないかと思います。
 五点挙げましたこの点につきまして、阿藤参考人と奥山参考人から、どのように評価をされるかということをお尋ね申し上げたいと思います。
阿藤参考人 今の御質問にお答えします。
 今の御質問の五点でございますが、これは、私自身が先ほど陳述させていただいたこととほぼ重なることでございまして、基本的にそれぞれ納得のいく視点だというふうに思います。
 一つは、一・五七ショック、一九九〇年ですが、それ以来散発的にと申しますか、各省庁、特に厚生労働を中心としてばらばらに施策が進められてきたわけでございますけれども、なかなか総合的視点といいますか、そういうことがはっきり目に見えてこないという点でも、これはぜひそういう基本法をもって全省庁、全施策がこれにかかわってくるということが目に見えるような形にひとつぜひしていただきたいというふうに思います。
 それから、基本法でございますが、これは私の知るところでも、例えば男女共同参画社会基本法とか、あるいは高齢社会対策基本法とか、私の関心を持つ分野でもそういうものがございまして、それによって逆に国家的な取り組みが進むというふうに理解しております。この点も、やはり全体的にそういう視点が強まり、施策が強力に進められる一つの機縁になればというふうに私自身は感じております。
 三点目の、高齢者あるいは高齢化対策と少子化対策と申しますか少子社会対策の関係は、これは私申し上げたところでございますけれども、私自身、今厚生労働省の社会保障審議会の委員でもございまして、二十数名の委員の中でさまざまな議論がございます。どうしても議論が高齢者の医療、年金、福祉と介護、そういう分野に偏りがちでありまして、どうも子供、子育て、家庭を代弁する声が弱い、そういうことを常々感じておりまして、私自身あるいは二、三人の方が一生懸命声を出してそういった推進をお願いする、そういうことでございます。ということで、この点でも私の認識は同様でございます。
 それから、第四点目の国、地方等でございますが、これはやはりいろいろなレベルで認識を深めていく、そして総合的な施策を進めるという点でも大変重要だというふうに思います。
 それから、最後の、総理を代表とする少子化対策会議というものが設けられる。これもまた、おっしゃるとおり、強力な施策を進める上で大変重要だというふうに思っております。
奥山参考人 それでは、五点、大体まとめてお話をさせていただきたいんですけれども、現在、もう子育てをするのが非常に大変な地域社会になっているということをやはり申し上げたいと思います。
 例えば、地域福祉計画を策定しようといっても、地域の社会福祉協議会は高齢者、障害者が中心であって、子育ての委員会すらないというような状況があります。この状況でどうやって子育ての協議会をつくっていこう、計画をつくっていこうとするのでしょうか。やはりこれだけ転出入の多い、若い世代が流動化している中で、地域に発言力を持っていくというのはなかなか厳しいです。
 また、私たちは、子育て支援のいろいろな分野を調査しますと、保健センターでは保健センターの子育て支援があり、それから生涯学習の方では生涯学習の方で子育て支援、母親クラブ支援があり、保育所、幼稚園、それぞればらばらにやっております。また、市役所についてもそれぞれ担当部局が分かれております。私たちはどこに何をお話ししたら総合的に子育てのことを考えていただけるのか。本当にたらい回し状態なんですね。
 普通のお母さんは、もうあきらめてしまいます。もう小学校に子供が入ったらいいや、あきらめちゃいます。それで、次に子供が生まれた人たちに、頑張ってね、私も苦労してきたのよと。そうやって順番順番に送ってきたのが、ツケが回ってきたんじゃないでしょうか。
 私たちはNPO法人をつくりまして、自分も大変だったけれども、これから子供を産みたい、産もうと思う人たちに何が支援できるかということを行政の人たちと一緒に考えていきたいと思って、ネットワークをつくっています。それにはぜひ、法的な根拠なり、全体としてこういった方針があるんだよと国が姿勢を見せていただかないと、周りが動かないです。
 特に、企業も、こういう雇用情勢ですから、働けるものなら残業をさせたいと思うでしょう、三十代のお父さんたち。ぜひ子育てに必要な時期にやはり父親がいなければ、子供たち、やはり父の役割、母の役割ということもあるでしょう。地域の役割ということもあるでしょう。そういった全体的な見通しというものを法的につくっていただかないと、もうこれ以上やはり待てないんじゃないかというのが、少子化社会を考える懇談会の意見でした。もう分析はいい、これからは行動じゃないかというような、そういう話になった。私たち自身も、もう本当に待てないなというふうな感想でございます。
 以上です。
奥山委員 ありがとうございました。
 恐れ入りますが、時間が余りありませんのでちょっとかいつまんで申し上げますので、ひとつよろしくお願いします。
 本委員会でずっと論議がなされてきたわけでありますけれども、一部から、法案はやはり修正すべき、またきょうの先生方の話でも意見がかなり割れておるわけであります。今度の法案をまとめるに当たって、超党派の議員連盟ということで議員から出されたということで、最大公約数をとるという形でまとめられたわけであります。なおかつ、そこで修正をするということに対して、我々は、いかがかなと思いながら聞いておったわけであります。
 次に、女性の自己決定権ということで、結婚をするしない、子供を産む産まないを決定する権利というものの視点が欠如しているという話がありました。本来、このような話というものは、憲法で保障をされているものでありますから、わざわざここに改めて記する必要があることは少し問題ではないかと思います。
 特に、また「家庭や子育てに夢を持ち、」という言葉が非常に問題視されているわけであります。本基本法の第六条の規定は、国民に家庭や子育てに夢を持つことを押しつけるもの、あるいは家庭や子育てに夢を持つという一定の価値観を押しつけるというような主張があるわけであります。
 そこで、「生命を尊び、」そして「生命の尊厳」という文言は、これは中絶の権利を奪うというもので削除すべきという主張が先ほどからもあったように思います。生命が尊重されるべきということは、人間社会として当然でありますので、これをわざわざうたわなければならないということに我々は少し疑問を感じているわけであります。
 ちょっともう少し続けますと、児童虐待やいじめというものが非常に深刻になっている中において、なおさら「家庭や子育てに夢を持ち、」という言葉が生きてくるんじゃないかと私は思います。
 さらに、不妊の問題が強調され過ぎているという主張もありました。しかし、子供を持ちたいにもかかわらず子供に恵まれない人にとっては、これは非常に切実な問題であります。こういったことに関して、やはり情報の提供や相談あるいは研究等の対策は、当然行われなければならないと思います。
 決して強調され過ぎているようには思えないわけでありますけれども、こういった点につきまして、不妊に悩んでおられる多くの方々の意向も我々は酌んでいただきたい、こういうことで、奥山参考人にお尋ねをしたいと思います。
奥山参考人 まず最初に、「家庭や子育てに夢を持ち、」というところなんですけれども、もちろん、こういったことを強制するということではないのではないかなと思います。先ほども環境という言葉が大分出てきたと思います、社会環境を整えるということに決して反するものではないんじゃないか、そういったものに夢を持てる環境を整備するという理解でよろしいんじゃないかなというふうに思います。
 なかなか家庭のことというのは、別に学校で教わるわけでもないですし、それこそ私たちNPO法人として、地域でその辺を三世代でどんなふうに次の世代に伝えていくのか。お母さんたちが地域でどんなふうに活動しているのかという、背中を見せていくじゃないですけれども、そうやってはぐくんでいくような、そういう地域社会をつくっていきたいというふうに思っております。
 それから、「生命を尊び、」のところなんですが、このことから優生保護だとかいろいろな問題に波及するのかどうかというのは、私も、どのように読むかということについては専門家の皆さんにお任せしたいというふうには思いますけれども、やはり子供を産む、それから自分自身、父親自身も母親自身も自分の体を大切にするというような、そういった観点からも、この「生命を尊び、」ということは非常に重要でありますし、赤ちゃんが生まれる、その周り、取り巻く人たちに与える影響というのは非常に大きなものであると思います。やはり赤ちゃんが生まれるということを慈しむ社会というのも必要なんじゃないか。もちろん、それに、強制をするものではないし、中絶の自由ということも保障されなければいけない、その前提であります。
 また、不妊のことでございますが、いろいろなケースがあるんだろうというふうに思いますけれども、不妊というか、子供を産むということを強制されるのではないかという懸念がある一方で、やはりどうしてもお子さんは欲しいという方たちもいるということなんだろうというふうに思っております。確かに、今現在、その治療費等も大分かかっているというお話もありますし、欲しいという方についての規定であれば問題がないのかなという気もいたします。
 以上です。
奥山委員 ありがとうございました。
 阿藤参考人にお尋ねをしたいのですけれども、「生命を尊び、」及び「生命の尊厳」という文言ですね。これは中絶の権利を奪うことにならないか、そういう問いかけがこれまでからあったわけであります。カイロの国際人口・開発会議の行動計画に沿ったものにすべきとの主張がなされているわけであります。
 こういった点が一点と、それからもう一つは、いわゆるカイロの行動計画の中で、リプロダクティブヘルス・ライツですか、この部分に係る概要、そして、行動計画においては女性の中絶についてどのように記載がされてきたのか、阿藤参考人に最後にお尋ねをしたいと思います。
阿藤参考人 なかなか簡単に一口で、短い時間で御説明するのは難しいと思いますが、カイロ会議の行動計画そのものは、先ほどもどなたかからお話がありましたように、従来の行動計画に比べて、いわば女性の地位向上を人口問題の解決のかぎと見るという点、それから、家族計画を含む人々のリプロダクティブヘルス・ライツの実現を通じて人口の安定化を達成する、これは特に世界の人口の問題ですけれども、そういう立場をとっております。
 そのかぎになるリプロダクティブヘルス・ライツでございますが、あるいはリプロダクティブヘルス・ケアを含めて、一種のセット概念というふうに考えられると思います。リプロダクティブライツは、言うまでもなく、すべてのカップルと個人、主体はそうなっておりますが、自分たちの子供の数、出産間隔、そして出産する時期を責任を持って自由に決定できることというのが最初にございまして、そのための情報と手段を得ることができる、これは出生調節の手段でございますが、そういう基本的権利を持つ。
 それから三番目に、性に関する健康及びリプロヘルスを得る権利、こういうことから成るというふうに書いてございまして、この権利を行使するに当たっては、現在と将来生まれてくる子供のニーズ、それから、コミュニティーに対する責任を考慮に入れるべきということもつけ加えられております。ですから、リプロライツの中にもう既にリプロヘルスの概念がそこに入り込んでいる、そういう関係です。
 リプロダクティブヘルスの方でございますが、簡略化しますと、人間の生殖システム、これは人間の再生産のシステムでございますが、それについて、身体的、精神的、社会的に完全な良好状態にあることという意味合いで使われております。同時に、それは、人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力を持ち、子供を産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決める自由を持つことを意味する。ですから、この点でも、リプロヘルスの方にリプロライツの概念が入っている、そういう関係でございます。
 そして同時に、リプロダクティブヘルス・ケアという概念がございまして、そのヘルスを高めるためのケアとしてどういうものが入っているかというと、家族計画、それから出産にかかわるケア、特に母子保健ですね。それから、不妊の予防と治療。四番目に、法に反しない中絶の安全性、中絶の防止、中絶の影響への対策、性感染症への対応、性リプロヘルス、親の責任に関する情報、教育サービスといったものが含まれている、そういう関係でございます。
 それから、中絶は、大変議論になったわけでございますが、行動計画における中絶に対する基本的な立場というのは、まずは適切な家族計画がリプロダクティブヘルスの一環であり、同時に、妊娠中絶が健康に与える影響を踏まえて、「いかなる場合も、妊娠中絶を家族計画の手段として奨励すべきでない。」、そういう一項が入っておりまして、すべての政府等において家族計画の普及を通じて妊娠中絶への依存を軽減するということが強く求められる、こういう形になっております。
 その他、中絶に関しまして幾つかのことがございますけれども、特に「妊娠中絶に関わる施策の決定またはその変更は、国の法的手順に従い、国または地方レベルでのみ行うことができる。」、つまり、国際社会の圧力で決まるものではない、そういうふうなことが記してございます。
奥山委員 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で奥山君の質疑は終了いたしました。
 次に、小宮山洋子君。
小宮山委員 民主党の小宮山洋子でございます。四人の参考人の皆様には、それぞれのお立場からの御意見、ありがとうございました。
 民主党といたしましては、今回の法案、超党派の議員立法なんですが、そういう形で党の議員が法案を提出することは妨げない、ただし、この内容については懸念材料が多いので修正をするということをたびたび確認をしてきております。その立場から伺わせていただきたいと思います。
 最初に、四人の参考人の方に手短にお答えいただきたいのですが、私は前回の質問のときにも、この基本法、枠組み法というのは、これをつくったから何かが具体的にすぐ実行されるということではなくて、そういう雰囲気をつくるとか、枠組みをあくまでつくるものなので、今や少子化の問題というのは、これだけ当事者の方が懸念をしている材料が含まれているということも含めまして、基本法をつくるというレベルではなくて、個別の職場でのこと、あるいは、子育ての経済的な支援、保育の問題など、個別法で対応する時期に来ているのではないかと思っているのですが、四人の方に手短に、その点についてまず伺いたいと思います。
阿藤参考人 先ほど私の方からお話ししましたように、確かに日本では個別の施策としてこの十何年間、少子化にかかわる政策が進められておりますけれども、国際比較的に見て、非常に、端的に言えば予算の出し方が少ないということがございます。それは先ほどのデータに示されたとおりでございまして、実際に出生率も高い、そして女性の労働力率も高い国というのは、北欧諸国、フランス語圏諸国、それから英語圏の国でありますが、特にその中で北欧諸国とフランス語圏諸国は、そういう意味で、子育ての経済支援も大変強い、そして両立支援も強いという……(小宮山委員「短く」と呼ぶ)はい、そういう関係でございますので、その点で、基本法ができれば、この点でもっともっと予算的にも強化されやすい、そういう環境がつくられるんじゃないかというふうに思っております。
奥山参考人 同じように、やはり、少子化社会を考える懇談会でも、一つ一つの法案では対応できないんじゃないかというようなお話が出ました。例えば、バリアフリーという言葉でも、高齢者とか障害者については出てくるのですが、子供たちが乗っているベビーカーというものをなかなか枠に入れてもらえないとか、全体としてのそういった基本法があって初めて目にとめていただけるということもあるのかなと思います。
金澄参考人 おっしゃるとおり、労働法、育休法、児童手当法、さまざまな法律が少子化には関係してくるかと思いますけれども、それらの法律がそれぞれ子育て支援についての環境がきちんと整備できるようになれば、特に全体としての一括基本法というのは要らないとは考えております。
 ただ、このような法案がない限り雰囲気がつくれないというような考え方であるのであれば、特段基本法をつくることには反対いたしませんけれども、基本的理念をきちんと入れていただきたい、その視点が一番大切であると考えております。
米津参考人 まず、個別法がしっかりしていなければ、基本法があっても意味がないと思います。基本法に抽象的な理念が書いてあることがどのように解釈されるか、そこが非常に難しいので、そこでまず人権が侵害されないということがしっかり書いてあることが基本ですが、さらに個別法の中で具体的なことがしっかりあるということで、初めて有効性があると思います。
小宮山委員 懸念材料は、中から拾えば切りがないのですけれども、例えば少子化に歯どめをかけるというふうに前文でなっています。これはやはり上から何かをすることによって歯どめをかける、人口政策になるという懸念を招いている一つでありまして、私も、高齢者に比べて支援が少ない子供にしっかり焦点を当てるということは多くの皆さんが賛成されると思うのですけれども、それはあくまでも子供を持ちたいと望む人が生み育てやすいということを支援するのであって、その結果出生率が上がって歯どめがかかるということなんじゃないか。
 そのように、細部にわたって、やはりどうしても人口政策の対象に、これだけ非常にデリケートな個人の自由に関するものに国がどこまで関与するべきかということについて、懸念が多くの女性やグループから寄せられているというのが現状だと思っています。
 それで、基本法をつくるとした場合に、先ほどから御指摘がありますけれども、この点だけはぜひ変えてほしいということを、金澄参考人と米津参考人に重ねて伺いたいと思います。
金澄参考人 先ほどもお話を申し上げましたけれども、一点目としては、女性の自己決定権を全く損なうつもりがないということをきちんと入れていただきたい。それが法案の大前提であるというふうに考えております。
 二点目については、少子化対策は社会環境の整備に尽きる。社会環境を整備すれば、子育てが楽しいもの、負担なものではないよという環境が整備できれば、そこに流れていく人もいるわけでして、その選択の自由を損なわない、そのための環境を整備する、そこの点が一番入れていただきたい点です。
 以上です。
米津参考人 私が入れていただきたいと思っていることは、さっき四つ読み上げました。つまり、生殖における個人及びカップルの自己決定を妨げない、これを必ず入れていただきたい。リプロダクティブヘルス・ライツを尊重すること。育児の責任が女性と男性両方にあり、社会が支援すること。国と企業は、男性が育児の責任を果たせるように、女性が職業と育児が両立するように必要な制度をつくる責任を負うということ。この法案がどういう社会に置かれるかということを、つまり、言葉でこの社会に不足しているものを補っていくということが必要だろうと思います。
小宮山委員 今、金澄参考人、米津参考人が言われたことは、この法案で懸念を持っている人たちにその懸念を払拭するために必要なことだと私も思いますが、阿藤参考人、奥山参考人は、今のような点が基本法に入ることについては御意見はどうですか。入っては困るということがあるのかどうか伺いたいと思います。
阿藤参考人 もちろん、結婚や出産ということが個人並びにカップルの自由であるというのは、基本的に当然のことでございます。そして、この議論というのは、一・五七ショック以来、さまざまな場で議論もされ、そして、ある意味では人々の間に浸透し、一種の、社会的に広い意味でのコンセンサスといいますか、そういうものができているように思います。
 私は、これが多くの立場の方の、超党派で議論されて、最大公約数的に法律ができたというふうに聞いております。そういう意味において、その法案の文面について一つ一つ言うことはなかなか難しいのでございますが、基本的には、この法案がそういったものを侵害するということはないんじゃないかな、そういうふうに考えておるところでございます。
奥山参考人 今、阿藤先生がおっしゃられたとおり、私自身も、今申し上げられたこと、本当に必要なことだと思います。大事なことだと思います。この法案の中にそれが入っているというふうに私も考えてよろしいんじゃないかなと思います。社会的にも、産む、産まないの選択というのは、当然、決定権があるというふうに私たちは思っていますし、それがこの法案にないとは読み取れないのではないかなというふうに考えます。
小宮山委員 重ねて伺いますが、阿藤さんや奥山さんはないと思われても、それに対する心配をしている人がたくさんあるんですね。今、阿藤さんからも最大公約数という話がありましたけれども、最大公約数といって強い方の側に束ねられることに対する懸念があるわけです。それぞれ、少なくとも、これまでも要望書がもう十通を超えて私の手元にも来ておりますし、不妊の立場の方あるいはさまざまな立場の方から、個人の自由がこのことで侵害されては、もともと議連の皆様もそういうことは意図してないとおっしゃっているんですから、意図してないことを、懸念を払拭するために入れるということに反対されることはないのではないかと思うんですが、重ねてお二方にもう一度伺います。
阿藤参考人 それはここの議論の場だと思いますけれども、これを読んで、そういうものが侵害されているかとか、そういうことはほとんど感じられない、私自身はそう思うんですね。ですから、それが基本的にそういう合意の上でつくられているというふうに思ったわけでございますけれども、そこのところで、ないとおっしゃる。それは、一種の認識の差というか、そういうものではないかなというふうに思います。
奥山参考人 文章自体が非常に、どう読み取るかという部分については、私もそこの部分をこう読み取るんだというような、その部分については非常に難しいなというふうに考えます。
 自分自身がぱあっと読んだ限りにおいては、また一般的な感覚からいって、そういったものが侵害されるというふうには読めませんでした。
小宮山委員 私たちというか、私は、懸念材料があるのであればというか、あるのですから、この間の質疑の中でも提出者の方が、そういう人口政策に用いる意図はないと言われているので、やはりカイロ国際人口会議の行動計画が示すごとく、結婚や妊娠、出産は個人の決定に基づくということをきちんとこの中に入れ込むべきだと考えております。
 そしてさらに、具体的に懸念材料とされているところが、御指摘にもありましたように、子育てに夢を持つということを国民の責務にしているというようなことがあるわけです。これは前文にも六条にも出ていますが、これも、もしこれを生かすのであれば、子供を生み育てようと望む者が家庭や子育てに夢を持てるようにするというふうに、もちろん私もなくした方がいいという意見も持ちますけれども、これを最大限生かすとすれば、そのようなことを修文することによって懸念材料を払拭していくということが必要だと思いますが、この点については米津参考人、金澄参考人はどうお考えですか。
米津参考人 私も、まず個人の選択が尊重されるということが書いてあって初めて、懸念を持たずに素直に文言を読むことができると思います。それがないので、いろいろな文言が、これはもしかして価値観の押しつけになるのではないかというふうに読めてしまうので、やはり個人の選択の尊重が入るべきであろう。その上で、あいまいな文章は排して、具体的に何を言っているのかわかる文章にすべきだと思います。
金澄参考人 法律家の立場から言わせていただきますと、法律は、できましたら、その文言がひとり歩きしていきます。その成立過程の審議を調べるには、このような議事録を全部ひっくり返して読まなければその審議の過程の内容というのは出てきません。したがって、当然の前提であると皆様がお考えになった事項については、法律の中にきちんと入れていただくことについて何ら問題もないのではないかというふうに思っております。
 また、夢を持つということなんですけれども、確かに、夢を持たない、持たない自由ももちろんあるわけですから、そういうことであれば、夢を持つことというふうに一律に国民に求めるということは、やはり憲法に抵触するおそれもございますので、小宮山先生がおっしゃるとおり、最大公約数でもし生かすということであれば、先生がおっしゃったような文言を入れていただくと落ちつきやすいというふうに考えております。
小宮山委員 今お二方おっしゃいましたように、やはり法律の文章に書いていないことは、後から見たときにどこにあるのかわからないわけですね、審議の過程としては。そういう意味では、やはりそういう懸念はないということを提出者も言われているのですから、そこのところはきちんと法文に書いていくということが私も必要だというふうに思っております。
 それから、もう一点の懸念材料として、不妊治療のところが基本法にはふさわしくなくと私は前回の審議でも申し上げたのですけれども、非常に突出して具体的に書かれている。
 そうであれば、例えば、教育啓発のところなども含めて、先ほどからお話にあったリプロダクティブヘルス・ライツ、女性の生涯を通した健康・権利ということをほかの部分にも書き込んで、不妊治療だけが突出しないような書き方にすべきではないかということを考えますけれども、その点についてはいかがでしょうか。米津参考人と金澄参考人に伺いたいと思います。
米津参考人 私は、不妊の人たちに対して支援が必要ないと言っているのでは決してありません、さっきのお話ししたことでわかっていただけると思いますが。これはこれで、少子化対策という枠組みではなく、ちゃんと別に場を設けて議論し、行っていくことだと思うのです。
 少子化対策の中でやりますと、どうしても必要な支援のごく一部にしか触れることができない。実際にこの法案がそうなっています。これは不妊の方たちを決して大切にしていない、そのように思います。
金澄参考人 不妊のところで、先ほど私の方からもお話ししましたとおり、基本法というのは社会の枠組み、考え方についての基本法ですので、このような不妊を入れるということは、やはり全体の流れの中でちょっとおかしいのではないかというふうに思っております。もしこういうのを入れるのであれば、労働時間の長時間労働を変える労働法の改正とか、そういうことだって入れてもいいはずだというふうに考えております。ただ、基本法ですから、一つ一つを入れないというのが基本法の考え方であるというふうに考えております。
 また、リプロについても、一つ一つの個別法でできるものについては個別法にゆだねるということが、基本法の姿としては一番妥当なんではないかというふうに考えております。
 以上です。
小宮山委員 それから、あともう一つの懸念材料が、先ほどからある生命の尊厳ですけれども、命はもちろん大切なものですが、この言葉がどちらかというと、子供は妊娠をしたらとにかくすべて産まなければいけない、カイロの行動計画にもある中絶をする自由ということも妨げるのではないかという懸念をやはり持っているというのは、プロライフの皆さんが生命の尊厳ということを象徴的に使われている言葉だからなんですね。私もここは本当は要らないんじゃないかと思うんですが、最大限生かすとしましたら、今の子供たちの命が脅かされている、例えば虐待の問題とか、さまざまな問題をずっと具体的に並べて、そういうことの中から命の大切さを強調するとか、いろいろともう少し、このままむき出しのままだとなかなか難しいのではないかと思うんですけれども、その点については、阿藤参考人と米津参考人はどういうふうにお考えになりますか。
阿藤参考人 委員の今御質問の中に、カイロ会議で中絶の自由が認められているという表現がございましたけれども、私の先ほどの説明でも、必ずしもそうではないんじゃないかというふうに最初にちょっと申し上げておきます。
 それを踏まえた上で、さてこれはどうかといいますと、基本的に、確かに中絶論議の中でその言葉が使われていることは承知しておりますけれども、一般的な感覚として、それからもう一つはどういう文脈で使われるかということもございますので、命の大切さというふうに一般的には読めるんじゃないかということで、特に、先ほども申しましたように、最大公約数ということでコンセンサスがつくられているということでございますので、このままでも何とか通るんじゃないかというふうに考えております。
米津参考人 私は、堕胎罪の廃止を求めておりますし、人工妊娠中絶で女性が罰せられることは不当であると考えています。ただ、そう思うことと、生命を尊重しないということなのかというと、それは違います。私も生命は尊重されるべきだと思います。
 ただ、それがこういう法案の中に一言だけ出てくるというのは、非常に危険な使われ方、どう読まれ、解釈され、ひとり歩きしていくかということがわからない。これはとても一言で語り切れることではない。この短い時間の中では、私は、考えていることはたくさんありますが、語れません。それほど大切な言葉をこのように安易に使ってほしくはない。どうしても使うというならば、もっと細かく丁寧に書いてほしいと思います。この使い方はとても危険です。
小宮山委員 やはり、たびたび申し上げていますように、この法案については、もう提出されてから三年半たっています。それで、その時点といろいろな状況が変わっています。個別な対応も、まだ足りませんけれども、とられてきています。ですから、最初に申し上げたように、私は、基本法をつくるのではなくて、もう個別法で対応する時期に来ているとは思っていますけれども、もし基本法をつくるとしても、これは、最大公約数、最大公約数と言われますけれども、やはり一人一人のいろいろな価値観が尊重されない中で、持ちたくても持てないということも出てきているのだと思いますので、こういう問題は本当に一人一人のさまざまな自由な選択、自己決定という民主社会の基本にかかわることですから、もっと、つくるのであれば、もう少し幅広く、国民の一人一人、特に産む女性たちの声をしっかり拾い上げて、どんなことが必要なのかをもう一度やり直しをして提出をすべきなのではないかというふうに私は考えております。
 それが今どうしても難しいということであれば、今幾つかの点は申し上げましたけれども、少なくとも、前回の審議を通じても、超党派の議員の皆さんたちもそのような人口政策で縛る意図はないと言われているのですから、そうであれば、自己決定によるということですとか、あるいは国民の責務についてももっとわかりやすく、そういうふうな選択をした人たちの環境を整えることに国や社会が責任を持つのだということがもっとわかるように、一部だけ細かく書かれてバランスの悪いということではなくて、全体にわたって懸念材料を払拭し切るような形で修正をする必要があると思っております。それを申し述べまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で小宮山君の質疑は終了いたしました。
 次に、遠藤和良君。
遠藤(和)委員 公明党の遠藤和良です。
 きょうは、四人の参考人の皆様、それぞれの立場から本当にありがとうございます。
 私は、同じ質問を四人の方にいたしますので、よろしくお願いします。
 最初に、我が国の人口についてどのような認識をお持ちであるかということを聞きたいんですけれども、日本の将来推計人口というのがありまして、二〇五〇年の数ですけれども、総人口が一億五十九万三千人、このうち、ゼロ歳から十四歳までが千八十四万二千人、それから、六十五歳以上の方の人口が三千五百八十六万三千人。ちょっと比較をしたんですけれども、ゼロ歳から十四歳と六十五歳以上の人口の比率ですけれども、〇・三〇対一ですね。ですから、六十五歳以上の人が一とすると、その〇・三しかゼロ歳から十四歳はいない。それから、ゼロ歳から十四歳と七十五歳以上の人口比率、比較しますと、〇・五〇対一になります。ですから、子供さんよりも七十五歳以上の人が二倍いるという形です。
 こういうふうな将来の日本の姿が描かれているわけですけれども、こうした姿に対してどのような認識を今お持ちであるかということをお伺いしたいと思います。
    〔委員長退席、中沢委員長代理着席〕
阿藤参考人 これは、先ほど私の冒頭陳述で、意見で述べさせていただきましたように、実に大変なことであるということでございまして、実際に推計をした研究所の立場からしても、これほどまでに少子化が進むとは予想だにしなかったことでありますし、そのことが長期的に大変、人口を通じて今度は経済社会に大きな影響を及ぼすということで、大変強く懸念しております。
奥山参考人 先ほどもお話ししましたけれども、今もう既に子供の声がどうだとか、子供に寛容でないような地域社会になっていると思います。それがまたさらに進展していくというような、何かそういう懸念をしております。私自身の子供の世代がどうなっていくのかということについて非常に不安でもあります。
金澄参考人 少子化社会が、労働人口が減って年金財政がいろいろ破綻して困るというような状況になるということは十分認識しておりますし、そうなったときには、男女ともに働きながら子育てをする男女共同参画社会で乗り切っていくべきではないかというように考えております。また、社会環境の整備によって子育てがしやすい社会になれば、子供を産む人もふえるでしょう。そういうような社会環境の整備が大切であるというふうに認識しております。
米津参考人 確かに、子供が少なく高齢者が多いというのは大変であろうと思います。ただ、それをどうしていくかというときに、国内だけを見ていてはやはりわからない。今は、食糧の問題、環境の問題、人口の問題、これは世界の問題です。日本に労働力人口が少ないと言われるならば、働きに来たいという海外の方たちをどのように、文化や人種やさまざまなものが違う者たちがどのように共存していけるかということは、これは日本だけじゃなくて世界的な課題です。これをやはり視野に入れて考えていくことが必要ではないかと思います。
 やはり私も、産める人が産める社会をつくっていく、そのことによって、ある程度は、もっと子供たちが生まれてくるだろう。その上で、今言ったような、さまざまな国からやってくる人たちとどうやって共存していくかということを考える視点も必要だと思います。
遠藤(和)委員 それから、きょうもいろいろな議論が出たんですけれども、結婚とか妊娠とか出産というのは女性の自己決定権であり、これを尊重することが大切である、これは私も至極当然のことだと思うんですね。
 法案との関係ですけれども、法案に書かれていないんじゃないかとか、あるいはもう書かれている、そう読める、こういうふうな議論があるんですけれども、こうしたことは、法律というのは、つくってしまうとひとり歩きするわけですから、やはり法案の条文の中にきちっと明記すべきである、こういう御意見があったんですけれども、その意見について、四人の方の御意見を聞きたいと思います。
阿藤参考人 先ほどの繰り返しになりますけれども、結婚、出産というのが個人並びにカップルの自由であるということは、本当に基本的な当然の権利というふうに理解しておりまして、それは十分に社会に浸透してきているというふうに思います。この法案がそれを侵害しているというふうには、とても私には読めません。
奥山参考人 一般的に、私たち女性にとってみても、今現在、出産、子育てに関する選択、出産する権利、そういったものはきちんと保障されているというふうな認識でおります。この法案がそのことを著しく侵害しているというふうには考えておりません。
金澄参考人 先ほども申し上げましたとおり、立法経緯という、注釈という本がありまして、いろいろの法律を調べるに当たっては、立法経緯というところがまず非常に膨大な資料となってついてくるわけですけれども、条文を読んだだけではもちろん解釈できないことは、その立法経緯にさかのぼって全部調べないとなかなか法律の内容、深い解釈ができないというのが現状です。
 ただ、基本的に、条文を読んでわかるようにするというのが法律の一番大前提、だれが読んでもわかるようにするというのが大前提ですので、そうであれば、ここの御審議がそのまま法案に生かされるように、当然の前提でなっているというのであれば、それをそのまま入れていただくのが一番素直ではないかというふうに思っております。
米津参考人 私は、個人の決定を尊重するということをやはり書いてほしいと思います。当然、皆さんそう思っているとおっしゃいますが、不妊の方が、どうして子供をつくらないの、早く治療しなさいという冷たい声を浴びせられる。結婚していないあるいは子供を持っていない人が、どうしてと聞かれる。これはやはり圧力としてあります。こういう圧力のバランスの中では、やはりこれは個人の決定の問題である、尊重すべきであるということを書かれていなければならないと思います。
遠藤(和)委員 自己決定権との関連でお伺いしたいんですけれども、子供さんの数は何人欲しいですかと言うと、三人欲しいと答える家庭が一番多い。けれども、実際は二人産んでいる家庭が多いんですね。そうすると、これは自己決定権を自己実現できていない社会になっているのではないか、こう思うんですね。この社会をきちっと整えていく、こういう法律が必要じゃないかと思うんですね。自己決定権を自己実現できていない、三人欲しいけれども二人しか、産むことを断念している。それは何か社会のバリアがある、環境が整っていない、ここをきちっと整備していく基本法といいますか法律をつくる。ということは、法律をつくる必要があるのではないか、私はこのように思うんですけれども、どのように認識されるでしょうか。
阿藤参考人 その点も全く同意見でございまして、私も、冒頭に述べさせていただきましたように、要するに、理想子供数が到底実現できていないということの背景に、やはり仕事と家庭の両立問題、そして子育ての負担感、こういうものがある。それを早急に、強く解消する努力をしていただきたいというふうに思います。
奥山参考人 本当に欲しい子供の数と実際に産める数というのが違うということは、さまざまな課題やバリアが社会にあるという、本当にそういうことだろうというふうに思います。それを整備するために、本当に、各法でやるのはもちろんなんですけれども、やはり横断的に、いろいろな各省庁にまたがるような、やはり社会、みんなが考えてこそ初めて、子供を持とうかなと思うような世代に伝わってくるということじゃないかなというふうに思いますので、それをもうちょっと、あらゆる世代に広げるためにも、何か根拠というか、そういったものが必要になってくるんだろうなというふうに思っております。
金澄参考人 私の周囲では、もう本当に、一人子供を産んで、仕事と家庭の両立、育児の両立が本当に大変で大変で、もう懲り懲りだという人が結構多いんですね。そういうことの原因が何かといいますと、先ほどからずっと話に出ております社会環境が整備されていないということなんですね。そうであれば、その環境整備というのは、先ほどから何度も申し上げているとおり、労働法なり個別の立法で十分対応ができるところでございます。それができない、その雰囲気がどうしても必要だ、そうじゃないと社会的な機運が盛り上がらないというのであれば、基本法の成立もやぶさかではございませんけれども、その点については、何度も申し上げているとおり、現在行われている自己決定権を侵害しないという基本理念をきちんと入れていただく、それが大前提です。それがない限り、基本法はあっても余り意味がないのではないかというふうに考えております。
    〔中沢委員長代理退席、委員長着席〕
米津参考人 私も、産みたい人が産めるようにする、それはとても必要なことだと思います。ただ、法律や制度は、それができたときに、逆の立場の人を圧迫したり非難するようなことがあってはならない、これが大事です。ですから、産みたい人が産めるようにするとともに、産めない、産まない人が非難されないという配慮も当然必要です。
 それから、産みたい人を想定するときに、皆さんはどういう方を思い浮かべるでしょうか。私はその思い浮かべる顔の中に、病気や障害を持っている、でも私は子供が持ちたいと思っている人、そして、シングルだけれども私は子供を育てたい、一緒に生きていきたいと思う人、今まで願いがかなえられにくかった方たちがいるということ、そのことを忘れないで、入れてほしいと思います。
遠藤(和)委員 人間には多様な生き方があるわけですから、いろいろな価値観があるわけですね。それは生きていく本人の自己決定権に基づく生き方ですから、それを侵害しないという形で、本当に子供が欲しいんだけれども、産みたいんだけれども、産むと心配なことがいっぱいある、その心配を取り除いてほしい、こういう意味で、環境の整備ですね、こういうことは大変重要なことだと思うんですね。
 ただ、この法案のバランスが余りとれていないんじゃないかという意見がありました。少し、家庭の中に踏み込んだり、社会の環境づくりということだけに特化して役割をした方が、本来の意味からいっていいんじゃないかという意見がありました。あるいは、不妊治療とか保育所とかいうところを特記している割に、雇用の環境整備だとかそういうところが余りバランスよく書けていないんじゃないかとか、全体の法律の体系をもっとバランスよいものに仕上げた方がいいのではないか、こういうふうな御意見があったように思いますけれども、こうした意見につきましてどのように感じられますか。
阿藤参考人 私、法律の専門家じゃございませんので、法案の中のバランスというのは、余り強い意見を持っておりません。おっしゃるように、個々に何か突出したように見える部分があるかとも思いますけれども、これが恐らく成立過程の、超党派の一種の、意見を集約する過程でそういうふうになったんであろうなと想像しておりますが、その程度の意見でございます。
奥山参考人 私も、法令のバランスと言われても、なかなか難しいなというふうに思っておりますが、幾つか、もしそういったことがあるとすれば、多分皆さん、先生方の方で、超党派でいろいろ議論を重ねた上での法案ということですから、議論は随分尽くされてきたものなんだろうなというふうに思います。
米津参考人 バランスというのはちょっとどういうふうに理解していいのか難しいところがありますが、私なりにバランスのことを言ってきたつもりで、いまだに、公のために個人は尽くした方がいいという考え方がこの社会にはあり、女性は子供を産んだ方がいいという考えも非常に強い。そういう社会の中に置かれる法律として、その社会とのバランスをとるために、個人の決定ということを法律の中で書いてほしいということを私は言ってきたんです。
金澄参考人 バランスということからすれば、保育サービスの充実ということが十一条でずっと述べられておりまして、それに対して、事業主の責務というところがたった三行というふうになっておりまして、保育サービスの充実と雇用環境をきちんと整える、長時間労働をしない限りは正社員でいられないよというような社会、雇用環境を変えていく、もしくは、転勤、単身赴任があるようだとやはり子供をきちんと育てていくような環境はできない、そういうようなことを是正していくような事業主の責務というところをきちんと書いていただく。保育と雇用環境というのは、少子化対策の必要であるとすれば両輪になると思いますので、そこのところもバランスよく入れていただければというふうに考えております。
遠藤(和)委員 そもそもこの法律の名前がかた苦し過ぎるんじゃないかという意見もあるんですね。少子化社会対策基本法ですから、何か、国のために、困難な問題が起こっているんだから何とかしなきゃいけないという認識が、何となくこの文言から感じられる。こうではなくて、この法律の心は一体どういうところにあるかというと、子供を生み育てることを支援する基本法、そういうところに心があると私は思うんですけれども、そういうことならみんな賛成じゃないのか、こういうふうな感じもするんですけれども。
 どうも、この法案の名称についての印象といったらどうでしょうか、そういうものについて、何か特に、少子化社会ということはもう人口に膾炙している問題だからこれでいいんじゃないのというのか、あるいはもっと、本当にこの法律がねらっているのは、国のために何かしようというのではなくて、本当に日本のお母さんやお父さんが子供を産みたいと思っている数だけ産めるようにしよう、そういう自己実現ができる社会にしよう、あるいは、生まれた子供さんも、この日本に生きていて本当に自分の生まれてからの自己実現が全うできるような社会にしよう、それを社会全体で支えていくような法律をつくりましょうということであれば、みんなが賛成されるんじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
佐々木委員長 どなたか、手を挙げていただきましょうか。
 米津参考人。
米津参考人 では、せっかくの機会なので。
 私は、この法律の名前を読んだときに、この国は少子化に向かっていく、それに対して社会はどうあればいいかということを考えるための法律だと思ったんですね。つまり、国民にどうしろこうしろということではなく、例えば、外国から労働したい人が入ってきたときにどのように社会はそれを受け入れてともに生きていけるのかとか、産みたい人の願いをどうかなえていくのかとか、それから、保険とか年金、そういうものをどういうふうにしていけば人口の少ない国というものを運営していけるのかとか、そういう方面を考える法律かと思いました。ただ、そうではなかったので、非常にがっかりしたというかびっくりしまして、いろいろな不安を持ったわけです。
阿藤参考人 少子化という言葉は本当に一九九二年からもう既に十年以上この国で使われていて、全体としてその言葉が非常に人口に膾炙し、こういう問題というのはマクロ、ミクロ、いろいろな面で重要だということが広く認識されてきたというふうに思います。
 その中で、先ほどの繰り返しになりますけれども、日本ではややもするとどうも高齢者対策に偏りがちで、子供の問題、家庭の問題がおろそかになっている、これは予算面とかいろいろな面がございますけれども。そういう点で、ちょうど高齢社会対策という基本法があり、それに並んで、少子化対策でなかったのはよかったと思うんですが、少子化社会対策というふうにパラレルに並んでいるというのが、その点で、これからの子供、家庭への予算配分等も含めて、強力な政策を進める上で大変心強い名前ではないかと私は思います。
佐々木委員長 時間が来ております。
遠藤(和)委員 どうもありがとうございました。
佐々木委員長 以上で遠藤君の質疑は終了いたしました。
 次に、西村眞悟君。
西村委員 自由党の西村です。
 自由党は、この法案の提出者にはなっておりません。根本的な問題で法に対する姿勢が少し他党と違うのかなと思うからでございます。やはり法万能主義といいますか、基本法をつくればそのとおりになるんだと。しかし、現実は、決して法をつくれば法のとおりになるわけではありません。
 阿藤参考人が言われたように、子供は労働力であった、家業を継ぐ者であった、家名を継ぐ者であった江戸時代の農耕社会、これが全然違ってきておるのが人口構成の変化にあらわれているとするならば、基本法をつくったからこれが改まるわけではない。それは、例えば現在の社会状況でも多くの人が子育てが負担だと思っておるならば、今の日本の状況では、その負担を解消する施策をとるということではないのか。少子化社会対策基本法ができるならば、高齢化社会基本法をつくって、年寄りは余り生きては困るのだということにもなりかねない。
 そもそもこの法案に賛成か反対か、あってもなくてもいいというのなら題目からして反対する理由はないだろうということになるんですが、この今四人の皆さんが御意見を述べられた中でも、いろいろな御意見がある。そして、この法案の対象領域はまさにそのいろいろな御意見をすべて容認するこの社会を、日本の社会を前提としておるということからするならば、そもそも基本法というよりも個別法で対処する領域に、基本法という押しつけがましいものをつくらなくてもいいのではないか、私はそう思っているんですが、四人の皆さんは、そもそも必要か必要でないかという意識に関してはどう思われておりますか。お聞かせください。
阿藤参考人 繰り返しになりますけれども、この十数年間、個別法で対応してきた少子化への政策対応というものが、かけ声はあってもなかなか予算が伸びない、こういう問題がございます。その点で、基本法がつくられることがそれへの大変強い援軍になるのでないかというふうに期待しております。
奥山参考人 同じです。今まで本当に、個別法で対応してきてもなかなか変化してこなかったというふうに思います。今回、この基本法があり、さらにそれぞれそれを受けて個別法が強化されることによって、やっと社会の皆さんに伝わっていくのではないかなというふうに考えます。
金澄参考人 基本法がない限り個別法が動かせない、そういうことは全く法律上ないはずですので、基本法があろうとなかろうと、個別法をきちんと動かしていただいて社会環境の整備をしていただければ、それで足りることであるというふうに考えております。
米津参考人 私も、さっき申しましたけれども、個別法が充実していて具体的でなければ基本法があっても意味はないのではないか、その基本法があいまいなことが書いてあるだけならば、どのように解釈されるのかよくわからない、不安を感じるような内容であればなくてよいと。ですから、私は、この法案に対しては反対の立場で意見を言っております。
西村委員 では、この法案の問題意識、この法案が基本法として生み出される問題意識について共有されておるのかどうかお聞きしますが、法案要綱によりますと、我が国における急速な少子化の進展は、高齢者の増大と相まって、人口構造にひずみを生じさせ、深刻かつ多大な影響をもたらす、我らは、紛れもなく、有史以来未曾有の事態に直面しておるのである。それから少し飛びまして、我々に残された時間は、極めて少ないということで、基本法が必要なんだと入っていくわけであります。
 初め脱兎のごとし、後何とかのごとしという言葉がありますが、この問題意識、危機感をあおって産めよふやせよということなんです、結局は。人口政策ですわ、この問題意識から出てくるのは。ただ、戦前の人口政策は、戦争しているんだから人口をふやさねばならないということでやった。今はこういう社会ですからこういう基本法になっておる。
 さて、果たして少子高齢化社会というのは、本当に未曾有の事態であって、ひずみなのか。お年寄りが長生きできること、そして、昔から、子供が労働力であった。それで避妊の手段もなかった。江戸時代の女性の一生の妊娠回数は驚くべき回数であります。こういう社会でなくなった。そして、子供というのは、当然労働力でも何でもありませんから、前に比べて少なく生まれてくる。そして、今の状況では子育ては負担なんですけれども、負担でないようにするということで足ると。
 さて、この問題意識は共有された上でこの基本法が必要だと言われる方は言っておるんですか。私はどうも、余りにも無前提にあおり過ぎているな、こういうふうに思いますよ。
 それで、賛成だとおっしゃった参考人の皆さんに、この法律をつくった立法者の問題意識と共有されておるのかどうかお聞きします。
阿藤参考人 人口の方でいいますと、いわゆる多産多死から少産少死への変化をすれば、人口は高齢化していく。ですから、高齢化社会になるということは、一種、成熟社会、先進社会の一つのシンボルでもある、そういう面がございます。
 ただ、それがどこまで行くか、つまり少産少死の少産の方でございますが、長寿化は別にしまして、いわゆる少産が非常な勢いで進んでいる。それを少子化というわけですが、それによって通例の高齢化とは非常に違う人口構造になるということがやはり懸念されているわけですね。ですからその点、しかも日本だけではなくて、諸外国と比べても、日本の出生率が余りに低い。そのことで将来、大変、まさにアンバランスな人口構造になっていく、さらには急激な人口減少が続く、こういうことでございますから、誇張かどうかは別にしまして、大変歴史的にも大きな事態だということは、共通に認識できると思います。
奥山参考人 本当に、今の議論のように、やはり年齢の高い人がふえればふえるほど、私たちの立場というのはどうなんだろうというふうに思ってしまいます。子供が少ない社会というのは、本当に私たちも、今、既に、電車に乗るのでも何するのでも、子供を騒がしちゃいけないとか、そういう強迫観念を持ちながら、何か周りに迷惑をかけるんじゃないか。でも、従来、子供というのはみんなに迷惑かけながら大きくなってきたんじゃないでしょうか。それをやはり認めてくださる社会、子供たちが健全に伸び伸びと育っていく社会、それが少なくなったら、本当にどんな社会になってしまうのかなということを非常に懸念します。やはり、人口構造のバランスが本当に極端になってしまうということが、自分のこれから育っていく子供たちのことを考えても問題ではないのかなというふうに思います。
西村委員 議論が余りかみ合わない部分もあるから、また飛ばします。
 人口が永遠にふえ続けたら、私、昭和二十三年生まれで、日本の歴史上、多分一番たくさん生まれた世代だと思うんですが、この調子で人口がこの日本列島でふえ続ければ、それはそれでいいのかということもまたあり、つい五十年前に巨大な出生人口を急激にもたらした日本でありますから、それは自然の安定に戻っていくというふうに考えてもいいんじゃないかと。熱い鉄板の上で踊っている猫みたいに、いろいろなひずみだとか、有史以来の事態に直面しているんだとか、我々に残された時間は極めて少ないんだとかいうふうな基本法をつくる必要が今あるのか、もっとおおらかになれ、私はそういうふうに思っておるんです。
 さて、キリスト教諸国においては、中絶というものが本当に政権の命運を左右する重大な議論を巻き起こします。私は、今も御意見をお聞きしまして、中絶の自由は当然に女性にあるという前提でお話しされておったと思うんです。
 そこでお聞きしますが、皆さんは、私も教えてほしいんですが、人はいつから人になると思っておられるのか。つまり、いつから殺人になって、いつから自由な中絶になるのか。これは刑法における重大問題であるとともに、中絶を論ずるときにはこれをおろそかにしておいては困る。いつから人は人になるのか、このことについてどうお考えですか。四人にお聞きしましょうか。
阿藤参考人 非常に難しい御質問で、私は、今すぐ答えは持ち合わせておりません。
奥山参考人 済みません、勉強不足で、余りそういったことを考えたことがございませんでしたので、いつからということについては、お答えがちょっとできかねます。
金澄参考人 法律家の立場から言わせていただきますと、まず、刑法の殺人罪の人、対象となる人になるのは出生をしたとき、ちょうど頭が生まれ、母体から出たようなところ、そのときに殺人罪の対象ということになります。
 民法上では、人としての人権の享有主体になるのは、もちろん生まれたとき、生まれて、母体からちゃんと出たときが人権の享有主体になるということになりまして、あとは、相続の場合は、既に亡くなった方がいる場合に、相続人がもう既におなかの中にいれば、それで相続権を取得するということになりますので、相続に関しては、胎児の段階から権利主体であるということが言えると思います。
米津参考人 私は、生命というのはいつからどこまでという線引きは難しいと思っています。ですから、胎児を生命かと言われれば、生命だろうと思います。けれども、母体を離れて自分で生きていける状態、段階といいますか、その後とその前では法律的な扱いは違ってくるだろうと思います。私は法律の専門ではありませんので詳しいことは言えませんが、そこにおける線引き、法律上の線引きというのはある、あるべきであると考えます。
 では、生命だと私が認める胎児を出産させないという中絶は何なのか。それこそ私は、個々が自分の内側に対して問うていく問題だろうと思います。つまり、倫理的にどう考えるかというのはさまざまあります。そしてそれは、一つの考え方をだれかがだれかに押しつけるということではない、生命観とか宗教観、いろいろなものがあります。私は、自分に対してそれを問いますし、個々人がそれは自分に対して問うてほしいと思います、非常に大切なことですから。
 ただ、法律で罰するかどうかということになりますと、中絶というのは必ずしも女性の意思だけ、都合だけで行われていない場合がほとんどです。さまざまな産めない事情とかいろいろな問題が重なって、せざるを得なくなっている。例えば、避妊がちゃんと若いころから教えられていて、それを行使できるのであれば避けられた妊娠はたくさんあるでしょう。そういうことが整っていない社会の中で、中絶をする人だけを責め立てるということはできません。その意味で、私は、どういう場合も中絶が法律で罰せられるということは不当だと思っています。
 ただ、この生命というものについては、私は、個々人が深く自分の内側に問うていく大事な問題だと確かに思っております。
西村委員 米津さん、長くお答えになりましたけれども、最後にお答えになったのが本当だろうと思いますね。
 それで、生命という言葉を言われたから、それはそのとおりなんですよ。それが人になる場合と胎児として存在する場合があるということはおわかりだと思います。皆さんが中絶の自由ということを断定的におっしゃっておりますから、今その前提で、生命の中に胎児としての生命と生まれてくる赤ちゃん、人の生命があるというふうな前提の中で、いつから許されていると考えるのかということは、やはりこの委員会では聞かないかぬな。そうでなければ、もう断定的に結論だけがあって、本当に相手が生命なのかどうかという議論の問いを発すれば極めてあやふやだという中で議論が行われていることは、私は、この基本法がどうも必要ないのではないかというゆえんの一つでもあるわけですね。
 それから、時間が少々ありますので、先ほど米津さんはシングルで子供を産む人は日本では少ないんだと言われましたね。私はこれも自由な領域にあると思うんですが、少ないからふやさなあかんという領域ではないと思います。
 それで、家庭や子育てに夢を持つというふうな文言を日本弁護士連合会が否定されて、というのは、これは一つの思想の押しつけだ、良心の自由にも反してくるんだというふうに言われましたけれども、なぜ良心の自由に反してくるのかということが私にはどうもよくわからぬ。
 そして、家庭や子育てに夢を持つということは国が言ってはならぬのだ、シングルで子供を産む人もどんどん出てきてもいいんだ、これは自由だということでは、アナーキーになるのではないかなと。やはり国としては、家庭と子育てというのは不可分一体に、個別法で保護するとかそういうことの前提にある思想ではないかな、こう思うんですが、米津さんと金澄さんに、質問が漠然として申しわけなかったですが、お聞きいたします。
米津参考人 シングルの女性が子供を産むことをふやせと言っているのではなくて、現実にそうしたいという人はできるようにすべきだと言っているんです。また、それを支援することがアナーキーになるというふうに私はちょっと思えないんです。現実に、離婚によって一人親の家庭になったり、あるいは、初めから結婚ということが制度上できないということで一人で子供を持つということはありますし、実際にそれが可能ならば子供を持ちたい人はいるでしょう。それを支援するということが重要なんじゃないでしょうか。
金澄参考人 先生は家庭といったときにどういう家庭のイメージを持たれているのかということになってくるかと思うんですけれども、もちろん、母子家庭の方もいらっしゃいますし、父子家庭の方もいらっしゃる、両親がいなくておじいちゃん、おばあちゃんに育てられている子供もいる、いろいろな家庭があるわけですね。そういういろいろな家庭があるということに対しての思いやりというんでしょうか、目配りがここではなされていないのではないか。家庭といったときに、両親がそろって子供がいる、そういう定型的な、模範となるような家庭についてしか思い浮かべていらっしゃらないんじゃないかということがまず私の懸念としてあるわけでして、「家庭や子育てに夢を持ち、」ということで、その家庭が何なのか。一人だってもちろんいいわけです、結婚しないで子供を産む人がいても、それはそれで、他人が非難をしてその人の価値を低めるという必要は全くないわけですから。どういう家庭に夢を持つのかということを入れない限り、普通、家庭と書いたら両親がそろっている家庭じゃないか、そういうことに夢を持ちなさいというふうにとられやすいのではないかというふうに思います。
 あと、子育てということですけれども、子育てをしたくない人ももちろんいます。したい人もいます。いろいろな方がいる。国民の自由な生き方、個人の尊厳というものがあるわけですから、それを前提に考えていただきたい。そのためには、特にこのような文言を入れる必要はないのではないかというふうに考えております。
西村委員 終わります。
佐々木委員長 以上で西村君の質疑は終了いたしました。
 次に、瀬古由起子君。
瀬古委員 最初に、奥山、米津、そして金澄参考人にお伺いしたいと思います。
 少子化社会を考える懇談会の中間まとめの中で、「少子化社会への対応を進める際の留意点」として、「子どもの数だけを問題にするのではなく、子どもが心身ともに健やかに育つための支援という観点で取り組むこと。」「子どもを産むか産まないかは個人の選択にゆだねるべきことであり、子どもを持つ意志のない人、子どもを産みたくても産めない人を心理的に追い詰めることになってはならない」「共働き家庭や片働き家庭、ひとり親家庭など多様な形態の家庭が存在していることや、結婚するしない、子どもを持つ持たないなどといった多様な生き方があり、これらを尊重すること。」ということが明記されております。
 私は、わずか十二ページのまとめにおいて、わざわざこの項を起こして、そしてこの基本的な留意点を指摘しているということは、懇談会の皆さんがこの点を重視して議論をされてきた結果だと思います。少子化社会対策という場合には、私は、この点をしっかり位置づけることが懇談会の意思を尊重する上でも必要ではないかと思うんですが、その点、三人の参考人にお伺いしたいと思います。
奥山参考人 まさしく今おっしゃられた点が非常に大事なところだというふうに思っております。私も懇談会のメンバーの一人として、皆さんで議論を重ねて、これを重点的に配慮した形で進めていくべきだという確認をとりました。
 今おっしゃられたことというのは、例えば次世代育成支援の法案の方にも反映させていくものだと思いますし、その上位にというか、概念を規定するこの基本法においても、その理念というのをきちんと反映させたものだというふうに思っております。
金澄参考人 今おっしゃったとおり、子供を持たない自由、いつ、何人産むかの自由、そういうものがこの法案の中に自己決定権ということで入っていない、せっかく懇談会でそういう項目を起こしていただいたのに、それが当然の前提だからという一言でもって入っていない、そこが問題になると思います。当然の前提であれば、それを入れていただく、そのことについて何らちゅうちょはないというふうに考えております。
米津参考人 私も、金澄さんがおっしゃったように、本人の決定の重要性ということは入れてほしいと思います。
 しかし、産めない人を非難しないとか、多様な家族、多様な生き方を尊重するという点は必要だと思います。ただ、数だけではなく子供が心身ともに健康に育つということを問題にするということは、これはちょっと注意しなければならないことがあると思います。
 それは当然なんですが、一方でこの社会は障害や病気を持つことに対して非常に否定的な考え方を持っています。特に、そういう子供が生まれてくることに対して歓迎しない、生まれてこない方が本人や家族あるいは社会にとっていいのではないかというふうに、非常に偏見を持たれております。
 そういう偏見が強い中でこれを読みますと、生まれてきた子供あるいは生まれてくる子供が、例えば公害とか薬害とかそういうものの害を受けた結果、持たずによい病気や障害を持つことに対しては、私はそれは防ぐべきだと思いますが、そうではない、あるいは原因がわからないけれども病気や障害を持って生まれてくる子供に対してこの言葉がどういうふうに機能するのか、その点が心配になります。病気や障害を持った子供が生まれてくることを防いでしまうようにこれが理解されないように私は注意していきたいと思いますし、そういうことをはっきりさせていただきたいと思います。
瀬古委員 次に、阿藤参考人にお伺いしたいと思います。
 参考人はかつて厚生委員会の参考人質疑、ちょうど児童手当の問題が出されたときに、このように言っておられます。少子化対策という言葉は余り安易に使いたくない、外国語でこの少子化対策というのは何と言うのか難しい、日本語でこれを出生政策というふうに置きかえるのだとしますと、そういうことを言っている国はほとんどないんですね、このように発言されていることがございまして、この問題について、少子化対策という言葉は余り安易に使いたくない、そして、外国ではこれを言うのはなかなか難しいという点の事情を教えていただけますでしょうか。
阿藤参考人 少子化対策という言葉は九九年ぐらいから使われ始めたと思うんですね。もともとは少子化という言葉がつくられて、それに対応して対策という言葉がくっついたと思います。その時点で、仮に少子化というものを出生率低下と呼ぶとすると、それに対する対策というふうに、直つながるものですから、まさに出生対策ということになるのではないかということで、そのところでは諸外国と申しましたけれども、例外的にフランス、ほとんどフランスぐらいですかね、それ以外の国ではなかなかそういう言葉は使っておらないということを認識として申し上げたわけでございます。
 フランスのみは、戦後、もう伝統的に、特に第三子を産んでほしいという、それを強調するという政策をとり続けておりますから、その点でやや例外でございますけれども、日本はむしろそうでない国の立場でいったらどうかということをお話し申し上げたと思います。
瀬古委員 では、金澄参考人と米津参考人にお伺いしたいと思います。
 金澄参考人は、少子化社会対策の基本理念として、施策は社会環境の整備を中心に講じる、これに尽きるということも言われました。それから、米津参考人は、法案の真意が提出議員の発言どおりなら、法案に書くべきことの一つとして、国と企業は、男性が育児の責任を果たせるように、女性が職業を持ちながら妊娠、出産、育児ができるように、必要な制度整備の責任を負うこと、このように言われております。
 私自身は、基本法をつくるとすれば、個別法の具体的な推進の力になるものでなきゃならないと思っています。ところが、今、国会ではどのような事態になっているかといいますと、例えば、労働法制が審議されているわけですね。派遣労働法の改悪の問題やまた労働基準法の改悪の問題などが審議されている。一層長時間労働や不安定雇用が進められようとしているわけです。
 私は、先日この委員会でも日本航空の客室乗務員の問題を取り上げました。育児休業法で認められている深夜労働の免除についても、会社はいろいろな事情を言って、会社の都合でその権利が制限されて、ともかく三泊四日の勤務かそれとも無給の休業かというのを迫って、結局、もう休業せざるを得ない、無給ですからやめていかざるを得ない。乳幼児を抱えて、せめて夜中の十時から五時までの間働かせないでほしいと言っている人まで、無理やりに働くかそれとも休業に追い込むか、こういうひどい状態、日本の大企業が平然とやっているわけですね。
 ですから、私は、この法律で、基本法をつくって、子供を生み育てる者への支援、雇用環境を整備する、支援する、こういうふうに言いながら、一方では、個別法ではどんどん女性が働きにくくなる、また男性も含めて長時間労働や不安定雇用がふえる、こういうやり方をとっていると。この現状についてどのように思われるでしょうか、お二人にお聞きします。
金澄参考人 その労働法制の改正については、やはり私どもの弁護士連合会の方で意見書を出させていただいているかと思いますけれども、少子化対策の中で重要なのは、先ほども何度かお話をいたしましたが、保育サービスの充実と労働環境の整備というのが車の両輪のように重要だと思います。それがない限り、保育がない限り働けない、長時間労働をしない限り働けないのであれば、働くこともできないし、結局子供を産めないということになるわけですから、この長時間労働、不安定雇用というのを解消しない限り、やはり子供を安心して産める環境にはならないというふうに思っております。
 そのような対策は個別法によって十分可能なはずでして、それがまた違った方向になるということで、それを阻止する力としてこの基本法があればということであれば、基本法の成立というのもやぶさかではないのですけれども、結局、基本法があっても、片っ方の労働法制が変わっていくというのであれば、あっても余り意味がないのではないか。逆に、あることによって女性の自己決定についての危惧感をぬぐい切れないというのであれば、これは基本法としてあっても仕方がないのではないか、ある必要がないのではないかというふうに思っております。
米津参考人 瀬古議員がおっしゃるとおり、大変問題だと思います。
 一方で、少子化は問題だというふうにいってこういう法律をつくろうといっておきながら、片方では、子供を生み育てられる環境をつくっていない。父親も母親も、子供と過ごしたいのに子供と過ごす時間がない。特に、日本の父親は子供とともに過ごす時間が非常に短いということも聞いております。これは変えていかなければならないことですが、こういうことを、片方でそれを難しくしていることをやっておきながら、こういう法律は、子育てに夢を持つというふうに書かれている、非常に矛盾を感じます。
瀬古委員 阿藤参考人にお伺いしたいと思うんですけれども、各国の特殊出生率の上昇と総合的な施策との関連、家族手当だとか労働時間だとかこういうものがあると思うんですが、特に参考人はヨーロッパ、フランスなどについての事情に大変お詳しいと聞いておりますけれども、この点はどのようにお考えでしょうか。
阿藤参考人 先ほども申しましたように、今、先進国のグループで、出生率の相対的に高い国は、英語圏、北欧諸国、フランス語圏の三グループ、そして低い方は、ドイツ語圏、南ヨーロッパ、日本を含む東アジア、ここらあたりがどちらかというと非常に低い。あえて言えば、合計特殊出生率が一・五以下と一・六以上、そういうような状況でございます。
 それに対して政策がどういう効果をもたらしたかといいますと、英語圏については、基本的に政策効果は余りない、あえて言えば、政策はそれほど行われていないというふうに認識されております。
 それに対して、北欧諸国並びにフランス語圏については、どちらかが非常に、ニュアンスがちょっと違うんですけれども、フランス語圏は、もともと子育ての経済支援というところに大変力を入れてまいりました。それから、北欧諸国は、子育ての、いわば仕事と家庭の両立支援ということに力を入れた法制並びに予算の増額をしてまいりました。しかし、両方を比べてみますと、その二つのグループともに、子育ての経済支援もそれから両立支援も両方とも相対的に強いんですね。
 ドイツ語圏になりますと、経済支援、児童手当の方は高いんですけれども、むしろ両立支援は非常に弱い。それから、南ヨーロッパは両方とも弱い、そういうふうな状況であります。
 ですから、個人的には、あえて言えば、子育ての経済支援も両立支援も、欲張りですけれども、両方することによって、先ほどから出ておりますような子育てのしやすい社会環境というものが生まれてくるのではないかというふうに感じております。
瀬古委員 奥山参考人にお伺いしたいと思うんです。
 奥山参考人は、社内第一号の育児休業を取得するけれども、両立が難しくて退社されたというふうに言われました。両立のために一体どのようなことが問題になったのか、もしお聞かせいただければと思うんですが、いかがでしょうか。
 それからさらに、発言された中で、子育ての悩みというのが、単なる子育ての悩みではなく、夫婦の問題、働き方の問題、こういうものが含まれているということも指摘されました。雇用環境の整備という場合、具体的にどのような点での国としての改善するべきことが必要だと思われるでしょうか、その点をお伺いします。
奥山参考人 お答えします。
 私が会社の方を退職したのは九六年だったというふうに思います。その当時は、やはり自分の会社にモデルになるような、私が第一号ですから、モデルになるような働き方をしている女性がいなかったということも一つあると思います。また、その当時課長職でしたので、自分自身が早く帰らなければいけないということが非常にプレッシャーになったということもありました。子供を育てながら家庭と両立する環境が自分自身もうまく整えられなかったこと、それから、会社自体もそれにどう対応していいかわからなかったということがあるように感じております。
 また、労働環境の整備というのは非常に大事なことであるというふうに思っておりまして、例えば保育園、今、横浜にある保育所は大体が六時半で終わるんですね。私は横浜の北部に住んでおりますので、父親は、大体が東京方面に通勤時間四十分から一時間かけて通っているというような状況です。そうしますと、皆さん、大体何時ぐらいに帰ってくるのか聞きますと、大体が十時以降というようなことで、日中いろいろ大変だったこととかそういったことをちょっと聞いてほしいと思いながら、疲れて帰ってくる夫に対してそれさえも言えない、そういうような状況が今現在あるというふうに思います。そういった夫婦間のちょっとした積み重ね、ちょっとした行き違い、そういうことがやはりどうしてもストレスになって子供に向いてしまうというようなことが繰り返されている現状だというふうに思います。
 今、次世代育成法案の方では、働き方の見直しということで、企業にもアクションプランをということを考えているようですから、そちらの方でぜひ、目標を掲げている部分を実現していっていただきたいというふうに切に思っております。
瀬古委員 最後の質問になると思うんですが、金澄参考人にお伺いしたいと思います。
 先ほど私がお話ししました、例えば日本航空の客室乗務員の皆さんの育児休業法に基づくいろいろな申請拒否も、企業は相当な努力をしているということで育児休業法違反ということにならないんですね。
 それで、育児・介護休業法というのは、来年度が改正の見直しの時期になっています。労働者の自己請求権の問題、それから子供の看護休暇の問題、私たちは、子供の病気はもちろんですけれども、授業参観だとか運動会の参加も含めた家族休暇の創設だとか、また休業中の手当を六割に引き上げることや深夜業の免除の対象年齢をもっと枠を広げよう、こういう問題なども対案を提案しているわけですけれども、育児休業制度の改善点として具体的に考える点がありましたら教えていただきたいということ。
 そして、先日、厚生労働省が発表しました男女雇用機会均等法の施行状況という中に、雇用均等室における個別紛争解決の援助として、妊娠、出産を理由とする解雇が増加しているということがあります。昨年度のまとめで、百二十二件中、退職勧奨や解雇が全体の八割を占めている。その八割が妊娠、出産を理由とする事案ということです。配置についても、女性であるということ、また子供がいるという理由で不利益な取り扱いが行われている。相談まで持ち込まれるケースというのは実態のほんの一部分であると思いますけれども、このような実態についてどのようにお考えでしょうか。二点お伺いします。
金澄参考人 育児休業法の改正ですね、そういうものについては本当に一番必要なことだというふうに思っております。
 夫婦で、夫と妻と協力して楽しい子育てができれば、産む人もまたふえていくでしょう。そういうことができない今の現状というのが、やはり少子化の原因になっているというふうに思います。
 そのための環境整備が必要ですから、育児休業法を初めとして、そのほか労働法全般ですね、そちらの方で、安定した雇用と長時間労働をなくす方向、あと、子育て中の女性、女性のみならず男性もということですけれども、育児休業がとりやすい形、もしくは病気の休暇、子供の病気というのは突発になりますので、そういうときにすぐ休暇がとりやすい、そういうような柔軟な労働時間というものもまた必要になってくると思います。そのような改正は、やはりこの少子化対策の中の環境整備の一環として一番大きな柱になってくるかと思います。
 また、妊娠、出産を理由とした解雇をされたということなんですけれども、妊娠、出産を理由とした解雇それ自体は既に禁止されているはずですので、そのようなものが現に行われているとすればきちんと対処をしていただくように、そういうことも個別法で十分対応が可能なはずですので、それすらできていない現状で基本法をつくる必要があるのかということについては、疑問を持たざるを得ません。
 以上です。
瀬古委員 どうもありがとうございました。以上で終わります。
佐々木委員長 以上で瀬古君の質疑は終了いたしました。
 次に、北川れん子君。
北川委員 社民党・市民連合の北川れん子と申します。本日は、四人の参考人の皆様、本当にありがとうございました。
 まず最初に四人の皆さんにお伺いしたいのですが、先週この議論を立法者の方たちをお迎えしてやったわけなんですが、そのときお伺いしておりますと、社会環境の充実の方は幾ばくか進んできた、非婚化、晩婚化、そして夫婦の出生力の低下、ここに少子化の原因があるということに視点のポイントを大きく置いて御答弁をされていたんですけれども、この視点の置き方、これに対して参考人の皆様はどうとらえていらっしゃるかをまずお伺いしたいと思います。
阿藤参考人 議論の経緯をよく存じておりませんけれども、ちょっとこの二つの問題は、レベルといいますか次元の違う話じゃないかと思います。
 今の出生率の低下の原因は何か、人口学的な原因は何かというと、明らかに未婚化、晩婚化、晩産化ということでございます。それに加えて、九〇年代に入って、今度は結婚した人の子供の産み方に陰りが見えるようになったというのがデータの示すところでございまして、では、そのさらに背後に何があるのかというと、それ以外の社会経済的な理由がある、それに対して我々は社会環境の整備をしていく必要があるんだ、こういう議論の立て方になるんだと思います。
奥山参考人 私も、従来言われてきた晩婚化、非婚化、晩産化、そういうのに加えて、さらには、結婚した人も産みにくくなっている環境がある、そういうことから非常に問題がまた広がってきたということなんだろうなというふうな認識でおります。
金澄参考人 今、出生率低下の原因に非婚化、晩婚化、晩産化というのがあったのですけれども、では結婚をおくらせている原因が何かということを考えてみますと、これは私の意見なんですけれども、やはり結婚生活の中で、結婚をして家事が女性の負担になってくる、夫はそれに対してなかなか長時間労働で協力をしてくれない、そういうことの中で、結婚生活が余り楽しいものと思えなくなってきているのではないか。そういうような状況があるかと思います。
 それは結局は少子化の方にも影響してきて、やはり夫婦で楽しい時間が過ごせない、そこで、子供が生まれるともっと大変になるということで、やはり子供を産むのを控える。ということからすれば、社会環境の整備をして、夫婦で夜一緒に御飯が食べられて楽しい生活ができるというのであれば、結婚する人もふえていくかもしれません、子供を産む人もふえていくかもしれません。
 そういうことで、社会環境の整備、男女ともに仕事も家庭もという社会環境の整備は、非婚化、晩婚化ももしかしたら解消することができるかもしれない。根っこのところでは同じ問題なのではないかなというふうに思っております。
米津参考人 私は、社会環境の整備は、整えられているとは思えません。その結果が今のような状況をもたらしていると思います。
 また一方では、非婚でも、つまり結婚はしたくないけれども子供は欲しいという人もいます。もし子供をどうしても、家庭というか結婚という制度を、ちゃんと段階を踏んだところで子供を持てというのは、そういうふうにおっしゃるのでしょうけれども、そういう、結婚はしないけれども子供は持ちたいという人の声にこたえていくということも大事なことではないでしょうか。
 結婚したい人ができるようにすることはもちろん大切ですが、家族のありよう、生活の仕方に対して画一を求めるというのは違うと思います。
北川委員 法律のひとり歩きの言葉もあったんですが、非婚はいけない、晩婚はいけない、夫婦の出生力を上げなければいけないとかという形で何らかの理想像を押しつけられてはいけないというのも、きょうの議論の中の中心点であったと思うんですね。
 きょう参考人で来ていただいている皆さんは、これは議員立法なんですが、議員立法提案者会派の中から廃案や修正の要求が出ている、そういう基本法であるという心もとなさを御理解いただけていると思うんですけれども、社民党は、この前文と二条の方に女性の自己決定権やリプロダクティブヘルス・ライツの考え方を文言としてきっちり入れるべきだということを提案したんですけれども、それが最大公約数の中では受け入れられずに、立法提案者にならなかったという経緯がございます。
 そういたしますこの状況の中で審議が進められているわけなんですけれども、金澄参考人と米津参考人にお伺いしたいんですが、もしこれに修正を施すことが可能であるならば、優先順位というものがあると思うんですが、申しわけないんですが、優先順位の第一番目に持ってくるとすれば、どのようなものをここには絶対必要であるとお思いになっていらっしゃるか、教えていただければ幸いです。
金澄参考人 では、お答えします。
 非常に難しい質問でお答えしにくいんですけれども、申し上げるとすれば、女性の結婚、妊娠、出産に対する自己決定権を尊重しなければならない、それを侵してはならない、そういうことについての選択について何らかの影響を与え、ライフスタイルの選択を損なってはならないということが前文、目的の中に入れられることが一番重要であるというふうに考えております。
米津参考人 私もほぼ同じ意見です。
 さっき四つ読み上げましたが、一番最初に、生殖における個人及びカップルの自己決定を妨げないこと、やはりこれに尽きると思います。
北川委員 私どももせっかく一緒に議員連盟の中で考えてきて、提案の寸前でおりたということは、そこがまず中心の背骨であるといった点でどうも理解が得られなかったということで、断念をしたという経過があったんですけれども。
 もう一つお伺いしたいんですけれども、きょう、米津参考人の方からは、不妊治療を少子化対策に位置づけるべきではないということを本当にるる短い時間の中で答えていただいたんですけれども、あとの阿藤参考人、奥山参考人、金澄参考人はこの御意見に対してどういうふうな見解をお持ちかを教えていただきたいと思います。
阿藤参考人 この法案の中でどういうふうに扱われているかということでいえば、不妊治療を望む者に対してというふうに規定して、それに対して情報、研究等が必要だ、こういうことでございます。そういう意味で、即それが不妊治療を望まない者に対して押しつけたり圧力になるというふうなものではないのではないかと。
 何かこの法案の形を見ていますと、この項目が入っているのが、母子保健の医療体制の充実等、こういう傘の中に入っているということで、いわゆるリプロダクティブヘルスという観念でいえば、こういうものはすべて入るわけですね。しかし、母子保健の中にこれが入るかというと、必ずしもそうではない。そうすると、それを別のカテゴリーで立てるということも形の上ではある程度やむを得ないんじゃないかな、こんなふうにとっております。
奥山参考人 本当に、もう子供を持つつもりのない方やできない方、そういう方にも圧力をかけるような法案であってはいけないということは、基本的にそうだというふうに思います。ただ、不妊で悩む、そういう人たちにとっては本当に切実な問題であるということから、こういった条文が入るということは非常に勇気を与えるということにもなるのかなと。ただ、ここのところでは「望む者に対し」ということが入っているということですから、十分配慮がされているのではないかなというふうに思います。
金澄参考人 不妊治療のところなんですけれども、これについては、今現在、社会保険で正常出産に対しても保険が適用されていないというような状況、もしくは、小児医療に対しても、小児科医が減っているというような状況で、安心した夜間の救急、子供を病院に連れていくということもできないような状況になっていることからすれば、生まれた子供にすら、もしくは今生まれる子供についてすらきちんとした対処ができていない中で、このような不妊治療ということを特段入れていくことの価値がどのぐらいあるのか。
 もちろん、不妊治療が非常に費用がかかり、手間がかかりということはよくわかっておりますけれども、それについて、やはり日本の社会の中ではまだ、不妊だと子供を産むように治療すればというような圧力が高い社会ですので、その中でこのようなことを入れると、治療しないのはなぜかとか、そういうことの圧力に必ずなってくるのではないかという危惧の念を強くせざるを得ません。
 ですので、このような規定が入っていることについてはさらなる慎重な議論をしていただきたい、さらに多くの女性、国民の意見を聞いてからじっくりと考えていただきたいというふうに思っております。
北川委員 米津参考人の方は、先ほどお伺いしておりますと、優生思想へのまた逆行する面も含めてこの問題をとらえて御発言になっていたと思うんですが、三人の参考人の意見も踏まえて、米津参考人に、今またつけ加えたい点があれば教えていただきたいと思います。
米津参考人 人口政策の問題点について先ほど言わせていただきましたが、二十八日の議論の中では、それを戦前の問題というふうに認識されている方がかなりいらした。しかし、実際は戦後にできた優生保護法の方が、戦前の国民優生法よりもさらに強い優生の政策を持っていたんです。それが九六年まであった。この優生保護法の中には、本人が同意しなくても優生手術、優生上の理由から不妊手術を行うということができてしまったんです。その方たちがいた、確かに。それで、補償も謝罪もされていない。
 こういうことが放置されているということに非常に不安を覚え、本当にこの国は人間、人口ではなくて人間を大事にしているのか、公の利益のために個人を制約するということにちょっと平気になってしまっているのではないか。その反省をしっかりとして、謝罪をし、清算するということの上で、初めて人口についてどうあったらいいかということを考えられると思います。
北川委員 ありがとうございます。
 それと、ここに「子どもを生み育てる」という言葉が何度も繰り返し出てくるわけなんですが、私どもはこれを「男女」というふうに置きかえるべきだというふうに提案をさせていただいているんですけれども、こういう視点について、四参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
阿藤参考人 ちょっと私、質問の趣旨がよくわからなかったんですが、子供を生み育てるというのを男女に置きかえるというのはどういう意味でしょうか。ちょっと済みません。
北川委員 申しわけございません。ちょっと御説明が不足したかもわかりませんが、「生み育てる」というふうにすると、今回は生命の生を使って、出産の産ではないのでただ女性だけを指すわけではないという提案者の御意見があったんですけれども、生み育てるという話を一連化すると、女性に対しての重圧というものの方に重きが置かれていくのではないかという懸念があるがゆえに、「生み育てる」というのを「男女」と、両性で負担をしていこうじゃないか、それに社会の支援が必要ではないかというのが根幹ではないかという意味で、「生み育てる」という文言を何度も使うのではなくて、「男女」という言いあらわし方に変えていくべきではないかという主張をしたという点において、こういう視点に対してはどういうふうなお考えをお持ちかというのをお伺いしたいと思います。
阿藤参考人 基本的には、もちろん男女が責任を持つというのは、これは言うまでもないことだと思います。
 私が、少なくとも舌足らずで、この文章を読んだ範囲で申しますと、だからといって女性にプレッシャーがかかるような文章だったかというと、そういうふうには少なくとも私自身は読めなかったので、もちろん心配なさる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、私自身は、このままでもよろしいのではないかなというふうに思っております。
奥山参考人 当然、家族で子供を育てるということですから、夫と妻、男性と女性ではぐくんでいくということだというふうに認識しております。
金澄参考人 先ほど、私の意見の中でも、この五条、十条「子どもを生み育てる者」というのが当然男性を含むものであるということをきちんと入れていただきたいというふうにお話をしたとおりだと思います。
 「事業主は、子どもを生み育てる者が充実した職業生活を営みつつ」とありますので、これを、ウむという字が産と生というところで違うからといって、事業主の方がそこを理解して男女というようにとっていただけるかということについては非常に疑問がございます。やはり、そうであれば、子供を生み育てる男女もしくは子供を生み育てる国民ということでもよろしいかと思います。
 さらに付言させて、ちょっと言わせていただきますと、「子どもを生み育てる者が充実した職業生活を営みつつ豊かな家庭生活を」というのではなく、もっと広く言えば、子供を生み育てていない人もプライベートな個人の生活と仕事とを両立できるような社会というのが一番の理想ではないかというふうに思っております。
米津参考人 私も、育児に関しては女性と男性両方が担うということがはっきりわかる文言で書いてほしいと思います。そうでなければ、やはり女性を想定して読んでしまうと思います。
北川委員 ありがとうございます。
 そうしましたら、先ほど米津参考人からも出ていたのですが、少子化社会を楽しむといいますか、少子高齢化になる社会に対応できる社会をつくることがまず必要じゃないかというか、このテーマからすると本当はそうなっていた内容かなと思うと、内容が余りにも違っていたという御意見をお伺いしたのです。
 原田泰内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官という方が新聞の方に、「人口減少は、環境を守る人間の知恵かもしれない。人口が減少するときに、うまく知恵を働かせれば、過密状態が緩和され、日本の住環境は改善される。 人口減少は、社会の仕組みを、少子高齢社会に適したものに変えることを迫っている。」というような御発言をされています。
 こういう考え方に関して、金澄参考人や米津参考人はどういうふうに思われているか、お伺いしたいと思います。
金澄参考人 もちろん、少子高齢化に対応した社会というのも非常に重要でして、そうなる場合ももちろんあるわけでして、女性の自己決定権を侵害することはできないので、そうなる場合もあるでしょう。それに対してきちんと対応できるということがまさに国の英知が問われているところですので、そのような場合も含めてさまざまな人口の構造に対応する社会をつくっていく、そういうのが一番大切ではないかというふうに思っております。
米津参考人 私も、子供を持ちたい人が産める状況をつくるとともに、現実に子供の少ない社会が今進行しつつある、これのマイナスばかりを見るのではなくて、いかにこの国をよりよくこの状況の中で運営するかという知恵を本当に結集してほしいと思います。
 その際、国内のことだけではなくて、地球的に見たときに、食糧が圧倒的に少ない、飢えている国は非常に飢えている、貧困がある、エネルギーにも限度がある、環境は汚染されていく、そういう中でのこの国の状況だという視点をぜひ持って考えてほしいと思います。
北川委員 最後になりますけれども、法律はやはりひとり歩きをします。そうすると、ここで一番懸念される、大人は、大人の男女は子供を持って当たり前、一人前、立派に育てて一人前、当たり前、こういうことをもう一度、平成版産めよふやせよの少子化社会対策基本法案ではないかという懸念に対して、最後に四人の方に、こういう懸念を持つ声が盛んに出てきておりますが、これに対しての御見解をお伺いしたいと思います。
佐々木委員長 各参考人で。(北川委員「はい。各参考人にです」と呼ぶ)
 恐縮です。簡潔にお願いします。
阿藤参考人 少子化社会対策基本法という名前の中で議論されていることは、全体としてそれほど過激なことではなくて、ある種非常に当たり前のことが淡々と、基本的なことが述べられているというふうに私は理解しておりまして、そのことがそれほど大きな余波を持つのかということは、それほど懸念はいたしておりません。
奥山参考人 私も、さっと読んでみたときに、この文字、一字一句がいろいろ議論されてくることにつながってくるのかどうかということについて、きょう改めてそう考える方たちもいらっしゃるということを知りました。
 先ほど、これから高齢化していく中で知恵を出して暮らしやすいというようなお話もあったのですけれども、そのときに、知恵を絞れる大人はいいと思うのですけれども、これから、今育っている子供たちはどうするのか。やはり彼らは話ができない、社会に向かって発信できない。うちは今子供がいますけれども、一人いらっしゃるような御家庭から、子供が大きくなると、子供を求めて土曜日でも日曜日でも一緒に遊びたいという電話とかもかかってくるわけですよね。子供が少なくなるということについては、本当に私自身も、自分の子供のことを考えても、どうなっていくのだろうかということで、知恵を絞るのを、やはりこれから高齢化に対応するだけでなくて少子化、子供たちをどうするのかという、子供たちの育ちに立った視点での議論というのもしていかなくてはいけないというふうに思います。
 その意味でも、国を挙げてこういった基本法を設定して運動を起こしていくということは、まずは第一歩、必要なことではないのかなというふうに思いました。
金澄参考人 法律は、やはり一字一句、そういうものを大事にして解釈をされていくものです。ですから、この内容は、どういうふうにとられるか、どういう解釈ができるかということにきちんとこだわっていただきたいというふうに思います。そうであれば、一番基本的な考え方を入れない、前提になっているから入れないなどという議論はできないのではないかと思います。
 前提になっているからこそきちんと入れていただく。その上で、一字一句どのような意味を持つのかというのをきちんと考えていただいて、吟味していただいて、法文の中に入れていただきたいというふうに思います。
 以上です。
米津参考人 私は、北川委員がおっしゃる懸念をまさに言いにきたのです。
 法律というものは、無色透明な中で読まれるものではありませんから、それを読む社会が持っている色合いに染まっていくということがあります。この社会は、やはり女性は産むべきである、人口が減るのは困る、これだけ社会がやっているのになぜ子供をみんな産まないのか、そういう声の中でこれが読まれるということを考えれば、懸念を持つのは当然だと思います。
北川委員 どうもありがとうございました。
佐々木委員長 以上で北川君の質疑は終了いたしました。
 次に、山谷えり子君。
山谷委員 保守新党、山谷えり子でございます。
 どうも、皆様、九時から三時間以上にわたりさまざまな御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
 私自身も三人の子供を育てながら働いて、長女を産んだときは専業主婦でございまして、しっかり育児ノイローゼというものにもなりまして、そのときに、公園に出ていろいろな専業主婦のお母様方とお話ししたときに、多くの皆様がマタニティーブルーあるいは育児ノイローゼにかかっていらっしゃるということを発見いたしました。もう二十年以上前のことでございます。
 それで、人間というのは人の間と書くから、互いにつながり合いながら子育てするというのが自然本来の姿だよねということで、地域でネットワークをつくりまして、奥山さんがやっていらっしゃるような活動をして、我が家にも休日には、十人、二十人、子供が来る。そんな中で、私自身も、どの子も我が子、非常におおらかになって母性がはぐくまれていくことを感じました。
 それと同時に、そうするつながりをつくることによって、父親同士、あるいはおばあちゃま同士、あるいはまた地域の人々がつながっていくというようなことも体験いたしまして、本当に子育てには温かな環境とつながり合うというような何かのきっかけ、場というものが必要だというふうに考えております。
 そこで、奥山参考人にお伺いしたいんですけれども、このびーのびーのをおつくりになられて、そして運営していくというのは、さまざまな大変なことがあると思います。昔は自然に、野っ原があったし、そんなに苦労しなくてもこういうようなつながりというのはできたかもしれませんけれども、今は本当に子供を遊ばせる場所もない。公園にいて遊んでいると静かにしろとどなられると。これは私も本当によくわかります。うちの子供三人も、公園に行って遊んでいたらどなられた、僕たちどこで遊べばいいのといってしょんぼりして帰ってきたという経験を何度も持っております。
 やはり、行政あるいはまた新しい形が、きっかけや場づくりに力を与えるような何かが必要だというふうに思いますけれども、行政に望むこと、悩んでいる方たちにこんな助けがあればというようなことがありましたら、お教えいただきたいと思います。
奥山参考人 私たちも本当に、私自身ももう十年、働いているときには、子供を持つということについても全然イメージがわきませんでしたし、身近に赤ちゃんと触れることもなく、本当に子供を持って初めて、ああ、大変だなということを実感したわけです。
 やはり、子供も一人、親一人で育てるのは非常に難しい。みんなで協力し合ってやっていく。そういうためには、特に、子供を産んですぐのマタニティーブルーの話もありましたけれども、産んですぐは、結構皆さん、周りからちやほやされて、ああ、何かうれしいなという気持ちなんですけれども、やはり一カ月、二カ月とたつにつれ、自分の今までの時間がなくなり、二十四時間子供と一緒にいるということがどんなに大変なことかというのが身にしみてわかってまいります。
 今おっしゃられたとおり、公園にも、まず小学校に入るまで、子供に親がついていかなければ一緒に安心して遊べないという環境です。だれが公園にあらわれるかわからない、行くまでの道路も危ないということで、もう親子ぴったり、カプセル状態で公園にも行かなくちゃいけないというような、そういう環境で子育てをしています。ですから、まずは親子で安心できる居場所が必要であるということで、この活動を始めました。
 児童館等あればよかったんですが、残念ながら、横浜市には児童館すらございません。そういう状況です。地域を見回すと、高齢者のための地域ケアプラザ、地区センターもほとんどが高齢者が御利用になる。そういう中で、子供が走り回るとうるさいと言われるということで、厳しい。皆さん、もちろん昔から子供が騒ぐとみんな大人は怒ったんだと言われるかもしれません。少子高齢化は、きっとその声がふえるということですね。子供一人に対してうるさいと言う人が五、六人になるということかもしれません。どんどんそういうことで子供の自由濶達な動きというようなことが縮小し、子供を育てている親の方も肩身狭くなっていくというような、そういうことだというふうに思います。
 広場をつくることによって、〇―三の子供と親のみならず、地域のいろいろな方を巻き込んでそういった場所を運営していますが、これは、今現在、意図的につくり出さないともう無理です。自然発生的にはできないんです。だから、私たちはNPOという組織を形成して、運営しています。これについては、市民が自分の地域を変えていきたいという気持ちで始めた活動です。それがNPOですから、それに対して行政は、資金的な面だとか専門家だとか、そういった人たちによって支援をしていただきたい、そういうふうに思っております。行政とともに、私たちは、地域を変えるために一緒になって共同していきたい、そういう願いでおります。
 今回の法案の中においても、地域で活動しているNPO等への支援ということで、本当に今まではお仕着せとして行政からおりてくるものだけをサービスとして受け取る形だったわけですけれども、ここで、市民社会ということで、それを私たち自身もつくっていくんだ、もしくは、非常に声の届かない子供、それから若い世代の声を社会にアピールしていくというような役割も担っているというふうに思っております。
山谷委員 奥山参考人のところには、ゼロ歳から七十代までの方がかかわっていらっしゃいまして、高校生あるいはまた結婚していない方もかかわっていらっしゃるということでございますけれども、小中学生に赤ちゃんをだっこさせたりして、非常に命を身近に感じられるような体験、環境づくりということも大事だと思うんです。いろいろな調査でも、子供を持つことに、そのような接触があった子供ほどポジティブなイメージを持つということがございますけれども、奥山さんのところは、高校生がいらっしゃる。小中学生のそういう体験、総合学習の時間に利用したりしてのかかわりというのはあるんでしょうか。
奥山参考人 広場においても、ボランティアさんの方は中高生から七十代まで幅広くおります、時々、総合学習の一環として高校生などが決まった曜日に来てくださることもあるんですけれども。
 最初はおっかなびっくりで、赤ちゃんをだっこするのも怖いというような形なんですけれども、そのうち、赤ちゃんだけではなくて、一歳、二歳になると、子供たちが本当に、悔しいんですけれども、ああ、この人は私と遊んでくれるとか、この人は非常に若い人だという、子供なりにやはりわかるんでしょうかね。何か、私たちよりもどうも学生さんの方に、子供、小ちゃい子供たちも遊びに行くというようなことで、最初はぎこちなかった中高生が、子供を、小ちゃい子供を通じて非常に表情も豊かになってくるというようなところで、だっこも上手になってくるということで、やはり体験がとても必要だなということを感じます。
 また、カナダの方のルーツ・オブ・エンパシーという、赤ちゃんが学校にやってくるプログラムというのがございます。私どもの広場のアドバイザーの先生がカナダの研究をなさっていて、それを日本に紹介しているんですけれども、ここでは、小学校に赤ちゃんと御両親が毎月一回ずつ参ります。それで、どんどん成長していく過程を見る中で、やはり自分の、小学生といえどもまだ小ちゃい、下にお子さんがいらっしゃらない方もいるので、こうやって自分自身が小さいころ親に守られて育てられたというようなことを取り戻す、または、赤ちゃんが何を今感じているかというのを考える教育というふうに発展する。
 また、このプログラムを中学校でやりますと、やはり、もう産める年齢になっている中学生に対して、赤ちゃんを産むということがどういうことなのか、そういった意味での性教育的なことにもなる。ただ理念として入るだけではなくて、その現物、赤ちゃんというのを通じて感じていく、体験していくということが非常に大切で、そういった活動をカナダではしているというのを聞いて、ああ、ぜひそういったことが必要だな。
 先ほど配った調査報告書においても、地域活動を具体的にしている中高生ほど家族観がまた違ってくるというような情報などもありますので、そういう、今なかなか、ほかの家族を見る、小さいお子さんと触れ合うという機会がないですから、そういったことも地域活動の中でできたらいいなというふうに思っております。
山谷委員 奥山さんのところでは、産褥シッターさんとかマタニティークラスというのもあるようでございますけれども、私は、妊娠して出産を望みながらもそれを阻害する条件のいろいろなもとの中に、悩んで迷っていらっしゃる方に対する精神的、経済的サポート体制というのは日本はもう皆無に近いのではないかというふうに思っております。
 遠藤周作さんの奥様が、リーダーシップをとられて円ブリオ基金というのをつくって、そのような、やみからやみへ葬られる赤ちゃんを何とか大切にしたいという運動をしていらっしゃいまして、電話相談あるいは地域の助産婦さん等々との相談体制、励ましをしながら、七十二人の赤ちゃんが生まれたというようなこともございます。
 また、ドイツ・ベルリンでは、二〇〇〇年の統計なんですが、妊娠葛藤相談所というところで相談して、二千百三十九人のお母様が赤ちゃんを産むことを決心なさって、中絶が避けられたということもございます。
 欧米では、教会あるいはコミュニティー活動などでこのような悩みを受けとめ、そして励まして、産めるものなら産むようにというようなサポート体制があるわけでございますけれども、その辺に関しては、奥山参考人はどのようにお考えでございましょうか。
奥山参考人 私たちも妊娠中の方に対してサポートするということがとても大事だというふうに思っております。
 毎週水曜日を赤ちゃん広場ということで、乳児さんがたくさん来る曜日になっているんですけれども、そのときにマタニティークラスを設定しまして、生まれたばかりの赤ちゃんのお母さんに、どうだったのとか、それからこんなことが大変だったとか、今現在なかなか寝られないということもあって、今のうちにたくさん寝ておきなさいよとか、そういう本当に出産前後の体験をなさったお母さんに話を聞く、それから、生まれてからどんなふうなのかというイメージをつくるというようなことがとても大切ではないかなというふうに思います。
 さらには、これを地域でやっていくということで、生まれてからもケアができる体制というのがつくられていくんじゃないかというふうに思います。今、妊婦さんでもまだ動き回れるので、かなりいろいろなところに出かけて、いろいろなところで勉強はなさっているんですけれども、やはり自分が子供を育てていく地域でこういった試みがあって、つながっていくということが大事ではないかなというふうに思います。
山谷委員 阿藤参考人にお伺いしたいと思います。
 今一番使われている高校の教科書の中で、母体保護法についていろいろな説明があって、最後に「「女性の自己決定権」という考えにもとづく法律にはいたっていない。」とか、あるいは、中学生全員に、百三十万人に配ろうとして印刷されたパンフレットでは、小冊子では「日本では中絶することが許されている。」というような記述があったり、極めて誤解を招くような中絶に関するメッセージが子供たちに向けられております。
 統計では今三十五万人一年間に中絶されている、しかしながら、ある人に言わせれば、百十万人子供が生まれているけれども、それと同じぐらい中絶されているのではないかというような説もございますけれども、中絶というか、あるいは産めるものなら産めるんだよというような励ましのサポートがほとんど皆無であるとか、その辺についてはいかがお考えでございましょうか。
阿藤参考人 ちょっと私自身は、余りそういう、個別具体的で、しかも出産にかかわるところでのサポートについて詳しくないので、特に強い意見は持っておりませんが、中絶の問題は大変やはり難しい問題で、日本の場合は本当に二重構造の法律構造になっている。しかし、多くの国でもやはりなかなか難しい問題がある。いわゆる女性の自己決定権というものを本当に推し進めたのは、今のところヨーロッパ社会、そして米国といったような社会がそこまで行っているということで、これは、やはりまだまだ相当議論をしていく必要があるのかなというふうに感じております。
山谷委員 日本の場合は、胎児に生命権があるわけでございます、児童の権利条約等々で認められているわけですが、堕胎罪がある、しかしながら、母体保護法という形で罪としないというような、極めてある種の知恵を持った構造になっているわけでございます。
 その辺のこと、胎児の生命権とか、それから女性だけの自己決定権で中絶の権利が基本的人権であるというような考え方のメッセージがもしも子供に行き渡っているとしたら、それは子供たち自身にとって間違ったメッセージになるのではないかというふうに考えておりまして、私は、教育現場でこの辺も見直していただきたいなというふうに思うところでございます。
 続きまして、子育ての相談相手の条件ということで、子育て支援等に関する調査研究に基づきますと、だれに相談したいか、子育ての経験のある人、また親の気持ちを理解してくれる人というのが上位に来まして、専門知識を持っているというのが必ずしも高くないんですね。これは、私自身の経験でも、いろいろな仲間たちに聞いても、わかるような気もするんです。
 保健所の一歳児健診、三歳児健診、いろいろございますけれども、専門性は高い保健婦さんかもしれないけれども非常に高飛車だったり、あなたはまだこれができていないじゃないのというような形で、逆に育児ノイローゼを進めてしまうような部分もある。あるいはまた、生まれてすぐの温かい母子の密着したケアということに対するまなざしがまだまだ少なかったり、あるいは、乳もみおばさんなんというものを用意している病院はほとんどないですね。私は非常に苦労しました、二人目、三人目のときに。おっぱいはすぐ出ないんですよ。昔は乳もみおばさんがいて乳腺をあけてくれた。そんなことから、本当にサポート体制が温かくないというようなことを感じます。
 二人目を産んだときは、外国の夫婦がたくさん産む産院でございました。そのときは、一日目からお父さんに、会社が終わると六時からお父さんが来て、十時の面会時間が終わるまで三時間、四時間、おふろの入れ方から何からかにから教えて、それで、マタニティーブルーというのに三分の一から三分の二のママがかかるんだから、あなたはきちんとケアしなさいというような、もうお産のときから、あるいはお産の前からそのような温かな、それからリアリズムに満ちた対応ができているんですけれども、その辺の対応に対する視線が全くないということを私は感じます。
 阿藤参考人、奥山参考人に、その辺の御意見を伺いたいと思います。
奥山参考人 本当におっしゃるとおりだなというふうに思います。
 私自身も子供を産み、育てるということを本当に体験なく始めましたので、一人目のときは、どうしようか、こんな母親に育てられる子供はかわいそうだと思うぐらい自分に自信がありませんでした。ですけれども、周りに支えられながら活動し、今二人いますけれども、はっきり言って四人いてもいいなと思うぐらいの気持ちでおります。
 やはり体験でしかないんです。その体験を伝えられるような環境がないです。私の場合は両親が遠くにいたということもありますが、では両親が近くにいればそれが実現できるかというと、どうでしょうか。今は、やはり子育てをしている人同士が助け合い、それを支える周りの環境があって初めて出てくることだというふうに思います。こういったことを、少子高齢化になると、やはりそれを伝えられる環境すらも何か危うい感じになってくるのではないかなということを、少し本当に懸念しております。
 なかなかそういったことを口にできない方が多いということを思います。普通にしている母親でも、広場でいろいろな話をしているときにぽろっと出てくるような言葉に、ああ、すごく肩に力を入れてしていたんだなと。広場では、特に専門的な解決を図るというよりも、日常的なかかわりの中でいつか本音がちらっと出てくる、それで、話すことによって安心し、子供をまた育てることに自信を持つというような、そういう広場づくりになっています。
 先ほどのアンケートにもあったとおり、専門家にかかわっていただかなければいけないケースもあるでしょう。だけれども、通常は、日常的なかかわりの中で解決できることがたくさんあります。それをサポートする環境というのを今きちんとつくっていかないと大変なことになるのではないかなというふうに思います。
阿藤参考人 これもどうも余り、専門と離れた話でございますので、やや個人的体験をお話しさせていただきますと、もう三十年以上前ですけれども、アメリカで子供を産み、私自身も大変子育てをしたんですけれども、そのときに、生まれてすぐ病院で、次の妊娠計画はというふうなことを話され、そして避妊の方法はとか、そういうことをアドバイスされる。そして、家へ帰りますと、今度は家庭にすぐケースワーカーというんですか、そういうのが訪問してきて、逐次出産後のいろいろな相談事に乗ってくれる。そういうサービスを受けた経験がありまして、それはもう既に三十年前の話です。日本で今そういうものが一体あるのかどうかということは、私よく存じませんが、そのときに大変心強い思いをしたということがございます。
 それから、もう一つそのときに感じましたのは、育児書でございますが、日本の育児書とアメリカの育児書を読み比べましたら、日本の育児書はあれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、大変不安になるんですね。出産が非常に怖いものだと。ところが、アメリカの育児書は非常に励ます形の育児書だった記憶があって、それを読んでほっとするという、そんな経験もございます。ですから、専門的アドバイスがどういうふうに働くか、大変難しいものがあるなとそのときに思いました。
山谷委員 少子化は社会におけるさまざまなシステムや人々の価値観に深くかかわっているわけでございますが、生命の豊かさに共感を持つ社会、それからチルドレンファースト、愛に満ちた社会づくりのためにこの法案がプラスと働くように祈っておりますし、そのような議論の方向を望んでおります。
 どうもありがとうございました。
佐々木委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆さんには、貴重な御意見を長時間にわたってちょうだいいたしました。まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。どうも御苦労さま。ありがとうございました。(拍手)
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時三十一分散会


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