衆議院

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第18号 平成15年7月16日(水曜日)

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平成十五年七月十六日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 佐々木秀典君
   理事 逢沢 一郎君 理事 小野 晋也君
   理事 星野 行男君 理事 渡辺 博道君
   理事 中沢 健次君 理事 山内  功君
   理事 遠藤 和良君 理事 西村 眞悟君
      浅野 勝人君    大村 秀章君
      奥山 茂彦君    嘉数 知賢君
      金子 恭之君    木村 隆秀君
      菅  義偉君    高橋 一郎君
      谷川 和穗君    谷本 龍哉君
      近岡理一郎君    林 省之介君
      石毛えい子君    大畠 章宏君
      中村 哲治君    中山 義活君
      伴野  豊君    平野 博文君
      西  博義君    春名 直章君
      吉井 英勝君    北川れん子君
      江崎洋一郎君
    …………………………………
   議員           長勢 甚遠君
   国務大臣
   (内閣官房長官)
   (男女共同参画担当大臣) 福田 康夫君
   国務大臣               
   (国家公安委員会委員長)
   (産業再生機構担当大臣)
   (食品安全担当大臣)   谷垣 禎一君
   国務大臣
   (規制改革担当大臣)   石原 伸晃君
   国務大臣
   (構造改革特区担当大臣) 鴻池 祥肇君
   内閣府副大臣       米田 建三君
   総務副大臣        若松 謙維君
   文部科学副大臣      河村 建夫君
   内閣府大臣政務官     大村 秀章君
   内閣府大臣政務官     木村 隆秀君
   衆議院法制局第一部長   高橋  恂君
   政府参考人
   (内閣官房内閣審議官)  春田  謙君
   政府参考人
   (内閣官房行政改革推進事
   務局長)         堀江 正弘君
   政府参考人
   (人事官)        佐藤 壮郎君
   政府参考人
   (人事院事務総局公平審査
   局長)          潮  明夫君
   政府参考人
   (内閣府大臣官房長)   江利川 毅君
   政府参考人
   (内閣府政策統括官)   山本信一郎君
   政府参考人
   (内閣府食品安全委員会事
   務局長)         梅津 準士君
   政府参考人
   (内閣府原子力安全委員会
   事務局長)        小中 元秀君
   政府参考人
   (警察庁生活安全局長)  瀬川 勝久君
   政府参考人
   (警察庁刑事局長)    栗本 英雄君
   政府参考人
   (警察庁刑事局暴力団対策
   部長)          近石 康宏君
   政府参考人
   (警察庁警備局長)    奥村萬壽雄君
   政府参考人
   (総務省大臣官房審議官) 衞藤 英達君
   政府参考人
   (外務省アジア大洋州局長
   )            薮中三十二君
   政府参考人
   (文部科学省大臣官房長) 結城 章夫君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (厚生労働省大臣官房審議
   官)           新島 良夫君
   政府参考人
   (資源エネルギー庁原子力
   安全・保安院長)     佐々木宜彦君
   政府参考人
   (国土交通省鉄道局長)  石川 裕己君
   参考人
   (原子力安全委員会委員長
   )            松浦祥次郎君
   内閣委員会専門員     小菅 修一君
    ―――――――――――――
委員の異動
七月十六日
 辞任         補欠選任
  亀井 久興君     浅野 勝人君
  大畠 章宏君     中山 義活君
  横路 孝弘君     伴野  豊君
  太田 昭宏君     西  博義君
  吉井 英勝君     春名 直章君
同日
 辞任         補欠選任
  浅野 勝人君     亀井 久興君
  中山 義活君     中村 哲治君
  伴野  豊君     横路 孝弘君
  西  博義君     太田 昭宏君
  春名 直章君     吉井 英勝君
同日
 辞任         補欠選任
  中村 哲治君     大畠 章宏君
    ―――――――――――――
七月十五日
 戦時性的強制被害者問題解決促進法案の成立に関する請願(鎌田さゆり君紹介)(第四一八〇号)
 イラク戦争支持表明撤回に関する請願(阿部知子君紹介)(第四二四九号)
 同(今川正美君紹介)(第四二五〇号)
 同(川田悦子君紹介)(第四二五一号)
 同(原口一博君紹介)(第四二五二号)
 同(山元勉君紹介)(第四二五三号)
 同(横路孝弘君紹介)(第四二五四号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 参考人出頭要求に関する件
 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案(長勢甚遠君外二名提出、第百五十四回国会衆法第四一号)
 内閣の重要政策に関する件
 栄典及び公式制度に関する件
 男女共同参画社会の形成の促進に関する件
 国民生活の安定及び向上に関する件
 警察に関する件


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     ――――◇―――――
佐々木委員長 これより会議を開きます。
 第百五十四回国会、長勢甚遠君外二名提出、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 本案審査のため、本日、政府参考人として内閣府大臣官房長江利川毅君、文部科学省大臣官房長結城章夫君及び文部科学省初等中等教育局長矢野重典君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐々木委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。平野博文君。
平野委員 おはようございます。民主党の平野博文でございます。
 与えられました時間、質疑に入らせていただきたいと思っていますが、過日の内閣委員会で、この祝日法の一部改正法案についての趣旨説明をお聞かせいただいたわけでございますが、昭和の日を設けることの趣旨については、るる今までの経過、参議院での過去の議論等々考えてまいりましたけれども、非常にわかりにくいというのか、やはりはっきりした上で祝日法の改正を改めてした方がいいのではないか、こんな思いで、私、この法律をよく見たわけであります。
 先般の趣旨説明の中で、昭和の時代を顧みて、歴史的教訓を酌み取ることによって、平和国家、日本のあり方に思いをいたし、未来への指針を学び取る、こういう趣旨の御説明があったわけであります。
 私自身も、今日の日本があるのは、御説明をいただいたとおり、昭和の激動と変革、苦難と復興の上にあるもの、こういう認識に立って、その点の認識は全く同じ考え方に立つものでございます。私は戦後生まれでありますから、戦争は直接体験をしていませんが、戦前戦中を含めて、昭和の時代から歴史的教訓、未来への指針を得る、この意義深さについても、私は全く同感であります。
 個人的な意見をまず言わせていただきますと、御説明をいただいた法案の趣旨、その趣旨が本当にそういう趣旨であれば、私は全く賛同する、こんな思いであります。
 ただ一方、経過の議論を聞いておりますと、特に昭和天皇との関係においてのこの法案に懸念を持っておられる方もあることも事実であります。したがって、短い時間でありますが、誤解を解き、また確認する、こういう視点で質問に入らせていただきたい、こう思っております。
 改めて提案者にお聞きしたいわけでありますが、昭和の日の趣旨についてお聞かせをいただけますでしょうか。簡潔で結構でございます。
長勢議員 この法案に御理解をいただいておりまして、感謝を申し上げます。
 提案理由説明で申し上げましたとおり、昭和の年代、六十有余年でありますが、その間、戦争それからまた復興という大変な激動の時期でございました。また、今日、大変我が国自体も大きな転換期に差しかかっておるわけでございまして、今後、平和な、そしてすばらしい日本をつくっていく上で、この激動の時代を十分に理解し、考え、そして将来の指針にしていくということが極めて大事である、そういうことを考えるというか、記念をして考えていくという日を設けて、国民全体として将来に思いをいたすということが必要であるという考え方から提案をさせていただいたものでございます。
平野委員 そこで、昭和の時代というのは、やはり過去の大戦ということは切り離して考えることはできないわけであります。そういう中で、歴史認識という言葉も過去の議論の中に随分ございましたが、提案者は、この歴史認識をどのように踏まえて、今、提案された趣旨との整合性をとられておるのでしょうか、その点について。
長勢議員 戦争また復興という激動の時代についての歴史認識につきましては、それぞれいろいろなお考え方、受けとめ方があると思います。
 今回、この法案によりましていずれかの考え方を強制したり、あるいは否定したりということは全く考えておるものではありませんで、それぞれのお考えによって過去を振り返り、そして将来を考えるということが大事である、そういう日にしたいという趣旨でございます。
平野委員 それぞれのお考えがあるというこのことは事実でありますが、そういう中でも特に昭和の日にこだわる、そういうことは歴史認識に基づいてこだわっているということではないのでしょうか、その点は。簡潔でいいです。
長勢議員 いずれかの歴史認識にこだわってこの日を設けたいという趣旨ではございません。しかし、どのような考えであれ、我々の国家あるいは国民にとって大変な時代だったという認識は一致しておると思いますので、そういう観点から、それを考える日にしたいということであります。
平野委員 私も、まあそういうお考えであれば結構かと思います。
 まあいろいろ、議論の本質でございますが、特に、昭和の日を非とするか是とするかという議論を考えてみますと、一つは、議論の中の本質論は、天皇陛下と皇室との結びつけを非か否か、こういうことか、あるいは、ひいては、結果として天皇陛下の政治利用になっていないかという、こういう点であります。二つ目は、本当に国民の意見を、総意を反映していることなのかな、こういう二つの論点に私はなるのではないかと思っています。
 そういう意味で、この二つの点についてお聞かせをいただきたい、確認をさせていただきたいと思うのであります。
 まず、天皇と政治という、軽々にこのことを語るというのはいかがなものかと思っておりますが、あえて、立法府の立場でこの祝日法を見るときに、改めて確認をさせていただきたいのであります。まず、天皇陛下、皇室との関連でありますが、個人的な私の見解を述べておきますと、私個人としては、皇室とのつながりのある祝日であっても、つまり昭和の日が昭和天皇をしのぶ日であっても、私は個人的には構わないと思っています。しかしながら、立法府の立場で議論をするときにはそこでしっかり議論をしておかなければいけないという立場に立って、あえてこの点について質問をしたいと思っています。
 昭和の日は天皇をしのぶものかどうか、こういうところにあるわけでありますが、まず、この法案の趣旨に昭和天皇をしのぶという趣旨が含まれているのかどうか、この点はいかがなものでしょうか。
長勢議員 条文あるいは提案理由説明で申したところに昭和の日の意義は尽きるわけでございます。今、特にしのぶという趣旨が入っておるかどうかという御趣旨でございますが、我々、「昭和の日」推進議員連盟というものをつくって活動してまいりました。平成十年に設立をしたと思いますが、当時は昭和天皇をしのぶということとこれからの将来に思いをいたすということとが含まれた趣意書であったかと思います。その後、いろいろ議連でも議論がありまして、やはり国民共通の認識を持てる昭和の日にしたいという観点から、この趣意書も修正をいたしまして、そして、衆参多数の議員の方々の賛同をいただいて今回の法案に至ったという経過でございまして、先生がおっしゃるようなしのぶということは、もちろん、今先生もおっしゃられましたが、その日をそういうふうに御理解される方がいることを否定するものではありませんけれども、法案自体として、そのことを含んでいる趣旨というふうには理解をいたしておりません。
平野委員 ただ、今、少しきつく言えば、この法案の立法化をしてくる母体となった議連の趣意書の中には、そういう意図がやはり一つの大きな柱としてあったことは事実なんですね。その上に立って今回の法案が立法化されているわけですから、当然そこにそういう趣旨があるのではないかというふうに私は思うのですが、それは明らかに、先ほど言われたように、ないというふうに断言されますか。
長勢議員 先ほども御説明申し上げましたが、議連の議論というか運動の過程において、いろいろな考え方の方で議論してまいりましたので、そういう考え方をもってこの日を考えたいという方もあったというのは経過でございます。しかし、そのうち、みんなで議論いたしまして、議連の趣意書も修正をして、今日の法案と同じ内容にいたしておるわけでございまして、昭和の時代をしのぶという趣旨でございますから、先生がおっしゃるような昭和天皇をしのぶという趣旨は、法案としては入っていないというふうに考えております。
平野委員 そうしますと、なぜ天皇誕生日なのかという議論にかかわってくるんですね。別に天皇誕生日でなくても、昭和のそういう激動の時代を回顧して、新しい次の時代に云々、こういうことになるならば、もっとステータス的な日にちをもって昭和の日といってもいいのではないか、こういう議論も出てくるんですね。それで、改めて、ではなぜ天皇誕生日なのか、こういうことになるわけであります。
 したがって、昭和の時代を象徴する日として昭和天皇の誕生日が本当にふさわしいか否かという議論は、議論しなきゃならないところはあると思うんですが、別に昭和の日を反省する日だということは僕は全く思っていませんし、逆に言ったら、いろいろな、サンフランシスコ講和条約だって、その日をもって昭和の日に決めてもまたいっとう別に、目的の、法案の趣旨からすれば、いいのではないかと思うのでありますが、改めて、天皇誕生日なのか、この点についてはいかがなものでしょうか。
長勢議員 激動の時代を考える日がいつであるべきかということについてはいろいろ御議論もあるかと思います、あってもよいかとは思いますが、我々としては、昭和の時代を国民一般の方々が一番わかりやすいというか、なれ親しんだ日が一番いいのではないかと。そういう意味で、昭和天皇の誕生日である四月二十九日が、天皇誕生日として昭和の時代に広く国民に親しまれ、今日では象徴する日として理解されやすい、そういう意味で、記念しやすい、そういう日であるというふうに思いましたので、昭和を記念する昭和の日としては四月二十九日が最もふさわしいと考えた次第でございます。
平野委員 そうしますと、例えば戦前の明治節のように、皇室の祭日との関係というところがおのずと懸念をされる方もおられるわけであります。したがって、私は、四月の二十九日でなくても、本案の立法の本当の趣旨であれば、別の日でもいいのではないか、こういう考え方も、素直に考えればなってくるわけでありますが、改めて私は、四月の二十九日にした経過を考えますと、今提案者が御説明されたような趣旨なんでしょうけれども、あえてここで、祝日法という法律によって今日まで四月の二十九日がみどりの日というふうに決められてきた経過があります。私は、なぜあえてみどりの日を決めてきたのかという、そことの関係を確認しておかなきゃならない、こういう視点で、祝日法の問題に少し質問を移したいと思っております。
 祝日法の制定については、もう釈迦に説法でございますが、衆参両院の協議のもとに、国民主権の新憲法の精神にのっとって、祝日というものを皇室の祭日から国民の祝日にするという考え方の基本に立って法改正がされた、こういうふうに私は理解をしておりますが、きょう、官房長官、お忙しいところお越しでございます、そういうことでよろしゅうございますか。
福田国務大臣 祝日というのは、国民こぞって祝い、そしてまた感謝し、または記念する日として定められているものであるというように承知しておりまして、政府といたしましても、この改正案は、国権の最高機関であり、国民の意思を最も直接に代表する機関である国会で御議論をいただいておるわけでありまして、国会において決定をされていただくことについて、全く異存はないというように承知をいたしております。
平野委員 官房長官、ちょっと趣旨が違うんですが。
 私は、祝日法というのは衆参両院の協議のもとに、国民主権の新憲法の精神にのっとって祝日法というのが制定されて、それによって決められてきた経過がありますと。天皇誕生日をみどりの日へと変更した平成元年の国会審議においても、政府は、昭和の日とすべきという質問者に対して、明治天皇誕生日が文化の日になっている等々の祝日法の建前から考えまして云々、みどりの日にしたという答弁が政府からも答弁されているんです。それが、私が先ほど言いましたように、国民主権の新憲法の趣旨、精神にのっとって、そういう祝日法なんですよと。こういうことなんですね。
 今回の部分では、そういう建前のもとにみどりの日にしてきたのに、今回、一たんみどりの日にしたものを昭和の日に変えるというのは、今日までの祝日法の運用、さらにこういう視点から見たときに、法的には問題はないのでしょうか。これが二つ目の質問でございます。
福田国務大臣 四月二十九日をみどりの日としたことにつきましては、これは有識者の懇談会において御意見を伺いまして、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。」こういうことを趣旨とする祝日にするということとして、国会の多数でもってお決めいただきました。
 一方、五月四日も、新緑の季節でございまして、ゴールデンウイークの一日でもある、こういうことから、それをみどりの日としても、これは制定当初の趣旨を損なう、こういうものではないというように考えております。
平野委員 まだ少し違うんです。
 要は、言いたいことは、すなわち新憲法の精神にのっとって祝日法というのは運用されておって、今回改正をするというのは、もともと新憲法の精神にのっとってみどりの日にしたんですよと。昭和の日にしなさいと言う人に対しても、それは建前云々を考えてみどりの日にしたんですよ、こういう経過をその当時の内政審議室長が答弁をしている。にもかかわらず、今回、一たんみどりの日と決めたものを昭和の日に移すことについては、祝日法という運用規定を考えて、あるいは立法の基本的精神から考えて、いいんですかということに対してはよろしいんですか。
江利川政府参考人 経緯でございますので、私の方から簡単に。
 先生がおっしゃいますように、最初の、祝日法をつくるときには、衆参の文化委員会で基準をつくって議論をされました。また、平成になりますときに、今官房長官からお話がありましたような有識者会議をつくって議論をしたわけでございます。これは、祝日ですから、国民の皆様がいわゆるこぞって祝い、感謝し、あるいは記念する日、そういうことが大事でございまして、その有識者の方々の意見の大勢がみどりということでございまして、それで定めたというものでございます。そういう意味で、趣旨は、国民こぞってお祝いできるというのが大事だと思いまして、その点は有識者の意見によって確認をしたということでございます。
平野委員 そういう考え方でいくならば、みどりの日を変える必要ないじゃないですか。
江利川政府参考人 国民こぞってお祝いをするということでございますが、これはまた、国会は国民の代表者で議論されるわけでございます。ある意味で国民の総意でございますので、そこの国会で決まりましたことは、国民のそういう意思を体現したものではないかと思います。そういう観点から今ここで議論されているというふうに認識しております。
平野委員 いやいや、だから、みどりの日ということを決められて、そのときにも当然それは国民の総意としての祝日だ、今回議員立法で上げてきたのはそれを超える国民の総意だから変える、こういうふうに受けとめていいんですか。
江利川政府参考人 当時は、有識者の意見を聞きまして、それで国会で御議論いただいて決めたものでございます。また、ここで新しい提案があるわけでございますが、これも国会で、国民の総意を代表する方々の御議論で決められれば、それもまた総意を反映したものということになるんだというふうに認識しております。
平野委員 いや、少し言い方がおかしい。私も決してこの昭和の日を制定することに反対者じゃないんですよ。賛成はするんです。したいんだけれども、しかし、しっかりと経過だけは認識しておきたいという思いからやっているんです。
 少なくとも前のときには、今官房長おっしゃったように、そういう緑豊かな、新緑の云々という、みどりの日に変えるということで、その当時でも昭和の日にしたらどうだという声があったにもかかわらず、云々云々でみどりにしてきたという政府の答弁があるんですよ。その答弁があって、今回出されてきて、これはやはり世論が、国民総意の喜びだ、そういうことで改めてこの議員立法が、その当時以上に盛り上がってきょうの審議に入ってきたという違いがありますか。その当時と今とに至って、こんなに大きく盛り上がりましたという違いはございますか。
江利川政府参考人 昭和から平成に移りましたときは、天皇誕生日が変わるわけでございますので、祝日法を変える必要がある、このときに有識者会議、有識者を集めて会議を開きまして、六十年以上にわたります、国民の祝日として親しんできた四月二十九日をどうするか御議論をいただいて、先ほど申し上げたような結論になったわけであります。政府としては、そういう議論を踏まえて提案させていただきまして、そういう趣旨で当時お答えしたものというふうに思います。
 ただ、今はまた今で新しく議員立法が出ているわけでございます。ここは議員立法を提案された方、あるいはそれを議論する方々の御議論に私どもは従うということだと思います。
平野委員 有識者が国民総意だという判断、認識は間違っていますよ、それは。だから、やはり国民の代表である国会議員が、本当にこれは大多数、全部と言ってもいいですよ、それが国民総意ですよ。それが私、本来、有識者が決めましたから云々という理屈は成り立たない。
 したがって、私が言いたいことは、もうちょっとしっかりと、先ほど二点言いました、天皇の政治利用はやはりよろしくないですよ、二つ目は、やはり国民が本当にこぞってお祝いをする、あるいは記念日とする、このことを明確にした上での日でなきゃならない、こういうことだと思うんです。私は、もし法案が通ったら、やはりこの日はこういうことなんですということをもっと国民に対しても知らしめる、あるいは国民がその日をもって昭和の激動期をやはりしっかりと考える、あるいは未来に対する一つの指針となるような日にしてもらうためのアクションプランが今後また起こってくるわけですから。
 最後に、時間が参っておりますが、先ほど国民総意と言っていますが、提案者にまた政府にお聞きしたいんですが、まず提案者に、世論というのはどれほど大きくこのことについて賛同し、期待をしているか、この点についてお調べになったことはございますか。
長勢議員 みどりの日の制定の経過について御議論がありますが、四月二十九日という天皇誕生日をどうするかという議論の中で、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。」という趣旨のみどりの日とすることが適当であるということで、当時制定されたものと伺っております。
 その段階でも、またその後におきましても、国会等においていろいろな議論があったやに聞いておりますし、さらに民間におきましても、昭和の日をつくろうというネットワークが形成をされまして、相当数の署名運動が行われ、また国会におきましても、前回、平成十二年ですか、国会に法案を提案させていただきました段階では、衆議院、参議院それぞれ過半数の議員が加入をされるという、約四百名の方々の議員の賛同を得てこの法案を提出した経過がございまして、具体的に世論調査をやったということはございませんけれども、相当数の、大多数の国民の方々の理解、賛同が得られておるものと理解をしております。
平野委員 私、聞くに、四百人近い国会議員の議連が起こった、百七十万人の署名を集めた、あるいは、ラジオのそういう報道調査等々を見ますと、五分五分であったとかいうことですよね。そこから、盛り上がりを含めて、こうしていくべきだということの世論喚起云々ということは一切ないんですよ、その当時やられたことはあるんですが。
 だから、今政府参考人がおっしゃったように、国民こぞってというところについては、まだまだ盛り上がっていない昨今だと私は思います。だから、もっとやはりしっかりと、この制定をしたときには国民に理解と納得を得るようなものをやらなきゃいけないということでありますが、政府としては、このことについてはお調べがありますか、過去。
福田国務大臣 この法案はただいま御審議をいただいているところでございます。成立いたしましたならば、この法案の趣旨を踏まえて、政府といたしましても、さまざまな機会を通じて国民に広く周知されるように努力をしてまいりたいと思っております。
平野委員 時間が参りましたので、一つ、今度は具体的なところで、これが通りますと、施行日は十六年一月一日、こういうことになっているんですね。ところが、実際、いろいろお聞きしますと、業界的にお聞きしますと、カレンダー業界とか手帳をつくっている業者さんとか、来年のあれは全部印刷に、もう仕込みが終わって発進しているんですね。したがって、いいことだけれども、時期の問題については十分考えてもらいたい。少なくとも来年、もう刷っているところはほとんど、一部どうなるかわからないから待っているところもあるわけですが、大量にやるところはもう間に合わない、こういう要望が私のところへ、ここ二、三日のうちに入ってきているんです。
 施行日十六年一月一日となっていますが、そういう事情等々、社会的影響を考えますと、その点についてはどうお考えでしょうか。
長勢議員 御案内のとおりでございます。
 周知徹底の時間も必要なことでございますので、提案者といたしましては、十七年一月一日に施行日を修正していただきたいと思っておりますし、またそのように御提案があるものと承知をいたしております。
平野委員 ちょうど時間が参りましたので終了したいと思いますが、私は、やはりこの立法の趣旨、国民の皆さんに、この祝日をどんな記念日にするのか、このことをやはりしっかり告知し、国民こぞって、この日がああなるほど昭和の日なんだなと言えるような、後のアクションプランをしっかりつくっていただくことが大事であろうと思います。いろいろ議論の経過もあるわけでありますが、私は個人的にはもう大賛成でありますが、そういう思いをしっかり受けとめていただいて私は賛同したい、このように思っております。
 時間が参りましたので、終えたいと思います。ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で平野君の質疑は終了いたしました。
 次に、西村眞悟君。
西村委員 自由党の西村です。
 御苦労さまでございました。二つほど、質問というよりも会話をしたいと思います。
 今の御質問とも関連するんですが、なぜ四月二十九日が我が国においては祝日として今も残っておるのか。国民は、今もこの祝日、四月二十九日が祝日であることに何ら疑問を抱いていないということ。これはなぜかといえば、昭和天皇崩御の後、この四月二十九日という昭和天皇の誕生日を祝日として国民に定着したこの日を、なおも祝日として残したいという国民の、我々の願いがあった。これ以外に根拠はないわけですな、これ以外に。四月二十九日が祝日である、現在もあるというのは、これ以外に根拠はないわけです。
 そこで、この残る経緯は、我々の世界の立法上のいろいろな技術的なことがあり、そしてふたをあけてみれば、この日はみどりの日として、祝日として残っており、その趣旨、祝日として残す趣旨の中に昭和という観念は全く排除され、あたかもその前にある春分の日の、自然を愛し、慈しみという同じ趣旨だけが語られておったということであります。これは、ある意味では、戦後の我々が生きているときによく起こる詐術であったと言ってもいいわけでございます。
 そこで、今から十五年ほど前に、平成になったところに、初めて国会で、民社党の柳澤錬造参議院議員が、これはおかしいではないかという質問を発しておるわけですね。答弁は、既に昭和天皇の誕生日として長年定着しておりますから祝日として残しますという答弁、政府側は、このとき閣法でしたから。しかし、現実には昭和の日はないじゃないかと言っても、この答弁があるので疑問に思う人はこの答弁で納得してくれというレベルでありました。私も、今から九年前の平成六年に、五十嵐官房長官に同じ趣旨のことを尋ねたわけであります。それから数えても九年がたっております。
 このなぜ祝日が残る趣旨に名称を合わせられないんだろうか。この昭和天皇の誕生日という祝日が残る趣旨に名称を合わせられないんだろうか。これは何なんだ。我々戦後に生きる者たちが克服すべき一つの空間がここにあるのではないか。その克服すべき空間とは何だといえば、我が国が立憲君主国であるという我が国の国の形であります。
 今この法案に反対している党派を見ると、我が国が立憲君主国であるということを我々自身の立場に身にしみてわかるのは、憲法第七条、天皇は国会を召集するというこの一条である。我々が勝手にこの建物の中に集まっていろいろなことをやって決議をしても、それは法律にならない。天皇が憲法七条によって我々をここに召集して初めて国会であり、ここで議論、結論を出したものが法律となる。であるにもかかわらず、国会の開会式には出席しないということをもって戦後貫いている党派は、この法案に反対であると。
 こういうふうな戦後の立憲君主国であることを認めない一つの慣性、惰性と言ってもいいんですが、これを、昭和天皇の誕生日を現在まで祝日として残しておるのに、昭和のショーの字もない祝日として残しておる。そして、この法案が、昭和の日の法案が、本日この委員会を通過するわけですが、十五年もかかったという理由ではないか。このように思っておるわけですが、御努力いただいていた先生はいかに御感想をお持ちですか。
長勢議員 昭和天皇御崩御の後、四月二十九日をどういうふうに扱うかにつきましての経過は、先ほど来御議論のあったとおりでございまして、そして、みどりの日となっておったことは事実でございます。
 それに対して、我々としては、それとは別に、激動の時代であった昭和をしのび、そして将来を考えるという、それを記念する日を設けるべきであるという考え方に立って議論を進めてまいったわけでございまして、その昭和の時代を象徴する日は四月二十九日がふさわしいと我々としては考えて、今回提案をさせていただいておるわけでございます。若干、先生の御趣旨とぴったりいっていないところがあることはあるかとは思いますけれども、我々としてはそういう考え方でこの法案を提出させていただいている次第であります。
西村委員 国民の祝日というものは国家の形、民族の記憶と密接不可分なことでございますから、必然的にその祝日が持つ名もそれにふさわしい名であるのが、これは自然であります。これが不自然であったから、我々はみどりの日を昭和の日に直そうとしておるわけでございます。これを私は、戦後の詐術であった、この国の形、民族の記憶から遊離した非歴史的な、ある意味ではこの名前から全く歴史がわからないような名前で祝日を単なる休日としてしか扱えなくなってきたんだ、こういうふうに申し上げたんですが、我々が昭和の日に名を正そうとするならば、同じように国民の祝日からこの国家の形や歴史性が消し去られた祝日が我々にある。先ほどこの戦後精神の詐術だと言った同じ詐術が他の祝日にもありますなということを我々は問題意識として、これを立法するならば、これを機会に考えねばならない。賛成、反対は別にして、我々の国の形とは何ぞや、立憲君主国にふさわしい祝日の名称が消えてなくなっておるのではないか、すなわちそれは歴史の喪失ではないかということ。
 この観点から考えますならば、例えば文化の日、これはなぜ祝日として残っておるのか。明治天皇の誕生日であったから、これ以外に祝日として残っている根拠はございません。しかしながら、戦後はこの日が文化の日となって、我々自身の世代も含めて、この日が明治天皇の誕生日であるから、大正の時代になっても、明治に生まれた人々はこの日を祝日として消し去ることではないとして、消し去ることに忍びないということで、明治節として残して、昭和二十年まで来ておったわけであります。
 このことを考えますならば、我々は今、この祝日、我々の国家の形、民族として持つ祝日の名を正さねばならない作業に取り組まねばならないのではないか、これは我々の歴史を回復する作業である。政の要諦とは何かと孔子が聞かれたときに、論語子路編は、まず、政の要諦は、名を正すべきである、名を正せば秩序定まる、このようにあります。我々の戦後が今漂流し始めておるのは、この名を正さずに歴史を忘れたからではないかと私は思っておりますので、これを機会に、今は政府の方はおられません、政治家同士の話をしておる、問題意識として我々の祝日のすべてを正し、その歴史を回復するときである。
 例えば、文化の日とは何だということをもう一度。日露戦争、戦勝百年が二年後に来るんです、あの民族存亡をかけた戦いは明治に戦われたんです。こういうことも踏まえて全面的な見直しに進みたい、それによって我々の精神は戦後から解放されるというふうに思うんですが、いかがですか、御感想をお聞かせください。
長勢議員 昭和の日を創設したいという法案の趣旨は先ほど来申し上げておるとおりでございます。したがって、先生がおっしゃっておられる趣旨とは必ずしも全部が一致しておるわけではございません。先生がおっしゃっておられることは、さらに一歩を進めて歴史的経過に沿った、歴史認識を持った意味での祝日法であるべきではないかという御意見だろうかと思います。
 私といたしましては、今回私どもが考えております趣旨にのっとってこの法案を御審議いただいておりますので、ぜひ御理解と御可決を早急に進めていただきたいとお願いする次第でございまして、今先生おっしゃるように、文化の日について見直すべきではないかということにつきましては、また改めて先生と御議論いたしたいと思いますが、ここで見解を述べろと言われるのは、差し控えさせていただきたいと思います。
西村委員 私も政治家としてこの世界におりますから、一挙に事が成らないのはわかっております。半歩前進でいくべきだということもわかっております。しかし、祝日に関して、半歩前進するものが持つ志、その問題意識はかくあらねばならないというふうな思いを述べたわけであります。したがって、これから政治家同士として努力をしなければなりませんなと申しておるわけです。
 もうじき、いいですか、百年前は一九〇三年です、本当に、朝鮮半島三十八度線までロシアが南下してきて、国家存亡の決断をしたのが百年前、これが明治の時代、そして二年後に大祖国戦争を戦った、そして昭和という日を経て我々はここにおられるということを考えますならば、これはぼつぼつ歴史を誇りを持って見直す時期が来ているな。そして、祝日法を昭和の日と改正するならば、そのものは精神においてその志を持たないかぬなと思っておるわけであります。
長勢議員 先生の歴史認識については改めて御議論させていただければありがたいと思いますが、ただ、誤解のないように申し上げておかなければならないのは、今回昭和の日を設けることが、例えば、先生のお説のような明治の日を設けるための第一歩だという認識で、あるいはそのための法案を提出しておるものでは全くないということは、提案者として申し上げておかなければならないと思いますので、よろしくお願いいたします。
西村委員 質問を終えます。御苦労さまでした。
佐々木委員長 以上で西村君の質疑は終了いたしました。
 次に、吉井英勝君。
吉井委員 日本共産党の吉井英勝です。
 祝祭日というもの、江戸時代には五節句あったんですね。これが明治維新後、明治六年三月に、民間での伝統を切り捨てて天皇中心の神道的な祝祭日の体系に変わっていった。ですから、紀元節とか、天皇誕生日を天長節とか、そういうふうにしていったわけですが、戦後、最初に国民の祝日を決めた一九四八年当時、当時の参議院文化委員会では、国民の祝日の選定基準を決めている中で、一つ、新憲法の精神にのっとること、二つ、国民全体につながりのあるものを選び、部分的なものは除くこと、三つ、世論を尊重すること、四つ、国際関係を慎重に考慮することなど、十項目の選定基準を立てました。私もここへ持ってきておりますが、当時、約五十ページの報告書も、これは文化委員長の名で参議院議長あてのものとかあります。
 官房長官に伺っておきたいんですが、もちろん、官房長官、こういう選定基準はよく御承知のことと思いますが、この選定基準を福田官房長官はどのようにお考えになっておられるか、これを最初に伺いたいと思います。
福田国務大臣 戦後の新しい祝祭日のあり方の検討に当たりましては、昭和二十三年の、委員が御指摘ありました衆参両院の文化委員会において選定基準がつくられておりまして、その中で、現行憲法の精神に即応すること、それからまた、国民全体がこぞって参加し、ともに喜ぶことであるということなどが挙げられておるということで、委員もおっしゃったとおりでございます。
吉井委員 いやいや、それは選定基準に書いてあることで、この選定基準を今福田官房長官はどのようにお考えになっておられるのか、このことを伺っているのです。
福田国務大臣 選定基準は選定基準でございます。
 今回の法改正に当たりましては、国会で御審議をいただいているものである、こういうように承知をいたしております。
吉井委員 なかなか自分の考えを逃げてはるようなんですが、みどりの日は、昭和天皇が亡くなった後、当時の四月二十九日の天皇誕生日を残すために、有識者から意見を聞いて内閣提出の祝日法改正案でみどりの日として残したわけですね。有識者の中には昭和の日という少数意見もあったようですが、これもそれぞれの方の御意見等も見せていただきましたが、しかし、昭和の日の意見というのは少数意見だったんですが、仮に多数であったとしても、祝日法の建前からいわゆる昭和の日を祝日にする法案を出すことはできないということで、みどりの日と、こういうふうにしたんじゃないでしょうか。福田官房長官にその点の見解というのを伺っておきます。
福田国務大臣 私も当時の事情はよくわかっておりません。けれども、当時も懇談会の意見を聞き、そして国会におきましては国会の多数の政党の賛成も得て合意した、こういうように承知しておりますので、それは国会の議決によるものである、このように承知しております。
吉井委員 当時、たしか福田さんは国会議員だったと思いますので、この内閣提出の法案についての審議にも、委員会にいらっしゃったかどうか、僕はそこまで知りませんが、少なくとも本会議ではかかわっているわけですから、それは何か国会のお決めになったという話にされると、これはちょっと筋が合わないわけです。
 このことについて、当時の的場内閣内政審議室長はこう言っているんですね。「昭和の日というふうに明言するようにという御意見もございました。けれども、例えば、明治天皇のお誕生日であったのは十一月でございますけれども現在は文化の日になっている等々の祝日法の建前から考えまして、」云々と言葉を濁して答弁しているんですが、当時の小渕官房長官も同じ趣旨の答弁を八九年二月十四日の参議院内閣委員会で行っております。
 福田官房長官自身は、ここで言う祝日法の建前というのはどういうことだというふうに、祝日法の建前から考えて、例えば十一月の明治天皇誕生日は文化の日になっているなど、そういう、これは的場さんの国会答弁があり、当時、小渕官房長官も同じ趣旨の答弁をしてはるんですね。だから、福田官房長官自身は、ここで言う祝日法の建前というのはどういうふうに考えていらっしゃるのか、これを伺いたいと思うんです。
福田国務大臣 祝日法の建前というのは、ちょっとどうも意味がよくわからないんですけれども、当時も法にのっとって国会で議決されたものである、こういうことであります。
吉井委員 国会で議決、議決とおっしゃるんだが、もともと選定基準があって確立されておって、一九四八年ですね。その祝日法の建前というのは、これに準拠して、みどりの日ということも内閣として提案されたわけですから、何か内閣の知らぬところで国会が勝手にお決めになったみたいなことでは、さっぱりだめなわけですから。
 一九四八年七月、国民の祝日に関する法律が公布、施行されましたが、当時の祝日法の制定過程の資料とか、衆参文化委員会における審議の会議録も見ると、四八年七月五日の衆議院本会議で、当時の文化委員会を代表して、小川半次氏、京都で私の家が近かった人なんですが、小川半次さんが祝日法の提案理由で趣旨説明を行っております。その中で、国民の祝日の選定基準は、第一に新憲法の趣旨に沿うべきこと、第二に、国民大衆を挙げて容易に納得し、参加し得べきものということでありましたので、国家神道的な色彩はもちろん全然払拭されているわけであります、こういうふうに述べているんですね。
 四八年七月三日に参議院議長あてに提出した参議院文化委員長の調査報告書では、これまでの祝祭日は宮廷中心の祝祭日であった、しかし今日では新憲法が公布され、主権が国民の手に移った以上、祝祭日もまた国民の祝祭日でなければならない、これは最も重要なことであると述べています。
 こうした新憲法の趣旨に沿って明治節というのがなくなって、文化の日になったわけでありますが、このことを指して当時の的場内政審議室長は祝日法の建前と言ったというふうに思うんですが、福田官房長官はそういうことではないというお考えですか。
福田国務大臣 当時どういう議論がなされたか、私は存じません。しかしながら、いずれにしても、祝日の選定基準というものがあって、それに基づいて国会に提案され、そしてそこで決まったものである、こういうことであります。
吉井委員 提案者に伺いますが、祝日法第一条では、ここにこぞって祝い、感謝し、または記念する日を定め、これを国民の祝日と名づけると規定されていますね。これは、だれが読んでも同じことですから、あなたも私も一緒なんです。
 そこでお聞きしたいんですが、一九四六年の新しい日本国憲法が制定されたもとで、昭和に対する国民の認識も多様化しているわけですね。いろいろな認識はありますから、それはそれぞれの方のお考えです。そのもとで、国民こぞって感謝するとは何に感謝するのか、国民に何を記念しようと、昭和の日に変えようというわけですから、その点はどういうふうにお考えなんですか。
長勢議員 この法案におきまして、昭和の日は、今一条に言われます、いわゆる記念する日として考えておるものでございます。
 提案理由でも申し上げましたが、六十年有余に及ぶ昭和の時代は、我が国の歴史上、未曾有の激動と変革、苦難と復興の時代でありました。二十一世紀を迎えて、さらに今また新たな変革期にあるわけでございますので、昭和の時代を顧み、歴史的教訓を酌み取ることによって、平和国家、日本のあり方に思いをいたし、未来への指針を学び取るということを考える、そういう極めて意義深い記念日として考えたいということで、この法案を提出した次第でございます。
吉井委員 昭和という時代については、一九四五年以前、昭和二十年以前と以後とでははっきり違いがあるということはだれも知っているわけで、明治憲法下と今日の憲法下の、まず憲法を初めとする法体系も違いますし、戦前は、対外的には侵略戦争、国内では自由と民主主義が抑圧されたという時代でもありました。戦後は、平和の面でも国民主権を初めとする民主主義の確立という点でも違いがあるわけですから、一くくりにしてということそのものがそもそも無理があるわけですが、この昭和に対する国民の認識について世論調査を見ると、実際さまざまなんです。
 一九八九年の十一月にNHK放送文化調査研究所が「日本人の中の昭和」という世論調査を行っています。これでは世代を分けて、満州事変が始まった一九三一年以前に生まれた世代、三二年から四五年、終戦までに生まれた世代、私なんかはその世代ですが、四六年以降五九年までに生まれた世代、それから六〇年以降に生まれた世代に区切って、昭和が日本人に何を残したか、何を失わせたかということで、どう回顧し、評価しているかという調査をしたんですね。
 昭和の時代を、戦前・戦中、終戦から一九六〇年まで、六〇年からそれ以降の三段階に分けて調査をした結果、戦前・戦中の時代のイメージとしては、一九三一年以前に生まれた方は、六割近くが貧しい、戦いの時代であったと。ほぼ半数の人が自由のない時代だったという見方ですね。終戦から一九六〇年までの時代イメージとして、この方たちのイメージとしては、全体では、貧しい、混乱というマイナスイメージに次いで、希望の持てる時代というプラスイメージも三番目に上がってくる。
 さらに、調査で、昭和を振り返ってみて、日本の社会や国民の生活に大きな影響を与えた出来事を三つまで限定して選んだ結果、太平洋戦争、原爆投下、敗戦、いずれも戦争にかかわる出来事が上位三つを占めています。
 一九四五年の終戦を挟んで、憲法を初めとした法律体系のもとでは、天皇主権から国民主権になったことはもうこれは明らかであり、さらに、今紹介しましたNHKの世論調査でも、昭和の時代に対する国民の認識はさまざまだと。
 国民の認識がさまざまだということは、提案者は御理解していらっしゃるだろうと思うんですが、少し確認しておきたいと思います。
長勢議員 この時代が敗戦前と敗戦後で大きく変わっており、また、それぞれについていろいろな方々がいろいろな認識、評価をされておるという意味でさまざまであるというのは、そのとおりだと思います。
吉井委員 それを、昭和天皇の誕生日が昭和を象徴する日であると決めつけることは、この昭和に対する国民の多様な認識にも合わないと思うんです。まして、これを昭和の日と名をつけて、国民こぞって祝い、感謝し、記念することを求めるというのは、これは昭和の日の国民への押しつけとなり、結局、昭和天皇をたたえる祝日となるんじゃないでしょうか。
 この点についての提案者のお考えを伺いたいと思うんです。
長勢議員 先生のような御意見は全くないわけではないかもしれませんが、大多数の方々は、憲法に基づく象徴天皇としての誕生日を、四月二十九日は今までその日として定着してきたわけでありまして、大多数の国民の方々は、その日が、昭和という場合に親しみやすい日として理解をされておるものと私どもは考えております。
吉井委員 では、提案者に伺うんですが、みどりの日のままでは昭和天皇の誕生日が単なる休日になってしまう、このことを懸念しておられるんですか。
長勢議員 みどりの日はみどりの日として意義のある日だと思っております。それに加えて、我々としては、激動の昭和、それに思いをいたす日として昭和の日を設けたいということでございまして、でありますから、昭和を象徴する日として四月二十九日が昭和の日にふさわしい。また、みどりの日を置くということも大変意義深いことでございますので、その日は、五月四日をみどりの日とするということで、御提案を申し上げておるところであります。
吉井委員 多分提案者もごらんになられたと思うんですが、日本の祝祭日を考える会が出したブックレット、一九九四年に出版されたブックレットですが、この中で、三人の方が座談会を開いておられて、一人は、かつて参議院の審議のときに参考人としても出席された大原康男さん、大原さんは国学院大学教授で、「みどりの日」を「昭和の日」に改める国民集会代表になった方です。残りの二人の方は、高森明勅国学院大学講師、当時の昭和の日ネットワーク準備会の企画委員です。そして、伊藤哲夫日本政策研究センター所長。つまり、昭和の日を設けるイデオローグといいますか、理論的中心になっていた方たちの座談会です。
 この中で、「今から五年ほどもすると、四月二十九日と昭和天皇との結びつきも、人々の意識の中で弱くなってゆくでしょう。ちょうど現在、十一月三日と明治天皇の結びつきが、若い世代をはじめ大方に見失なわれつつあるようにです。ですから、このまま放置できません。早めに手を打つ必要がありますね。」「これを放っておくと、昭和天皇を追慕すべき日が、単なる休日になり、ただゴールデン・ウィークのはじめというだけの日になってしまいます。」と言っておられます。
 つまり、この運動のイデオローグの方たちはこう言っているんですが、発議者はこの考え方と同じお考えなのか、どういうお考えかを伺っておきたい。
長勢議員 今お示しになった資料、私は、読んだことがあるかもしれませんが、正確に記憶がございませんけれども、私どもは、最前来申し上げておりますとおり、激動の昭和の時代をみんなで考え直して将来に思いをいたそうという日をつくりたいということでございまして、その論者のような趣旨でこの法案を提出しておるわけではありません。昭和の日をつくるとした場合に、昭和を象徴する日は四月二十九日がふさわしいと考えましたので、みどりの日は五月四日にしたいということで提案をいたしておるわけでありまして、その論者と軌を一にするものではないということを申し上げさせていただきたいと思います。
吉井委員 この論者と考え、軌を一にしないと。異なるということなんでしょうが、座談会での論理でいくと、昭和の日に同意すれば、明治の日を拒否するという論理的根拠がなくなってきます。つまり、この昭和の日を突破口にして明治の日ということも考えておられるんじゃありませんか。
長勢議員 先ほど西村議員にも答弁を申し上げましたが、全くそのような意図は持っておりません。
吉井委員 しかし、この座談会を見ていると、こういうこともあるんですね。
 祝日を取り巻く現状を考える場合、固有の意義が埋没してしまおうとしている、現代人の実感では、祝日は限りなくただの休日に近づいてしまっていると述べて、祝日法と休日法の二本立てにするという主張も出ています。
 そして、祝日についても、攻めやすく、しかも波及効果を期待できる目標を設定し、これを突破口とすべくそこに全力を傾注し、確実な成果を挙げてこれを他に及ぼすのが、運動の進め方としては賢明である、こういうふうに述べておられて、十一月三日を文化の日から明治の日なり明治記念日あるいは明治節に改めようとする提案もあるが、これをストレートに展開するのは、残念ながらやっかいだと。だから、これを入り口にするのは難しい、やはり突破口になるのは昭和の日に改める運動である、これらのお考えなんですね。
 あなたも言っておられた議員連盟は、運動団体と一体で進めていらっしゃるわけですが、十一月三日の文化の日を明治の日、明治記念日あるいは明治節としない、このことははっきり提案者からは明言できるんですか。
長勢議員 祝日が単なる休日にすぎないということはやはり望ましくないと思いますから、それは、あらゆる祝日がそれにふさわしいものであるべきだと思います。
 ただ、今、そこでお話しになっておりますように、明治の日をつくろうとか、あるいはその突破口として昭和の日を考えるということは、提案しておる我々としては、それを意図してやっているものではないということは、先ほども御答弁申し上げたとおりでございます。もちろん、いろいろな御意見の方がおられるわけでございますから、それは将来いろいろな場で議論があるかもしれませんけれども、我々がそのことを意図してこの法案を提出しておるものではないということは申し上げます。
吉井委員 天皇崇拝の立場の方の中には、こういうお考えもあるんですね。昭和の日はこの法案で復活をする、明治はそのままにしておく、文化の日のままで、天長節とするわけでもなく、明治記念日とするわけでもない、大正は黙殺だと。
 天皇の間で、昭和と明治との間で差別を設ける何か基準はあるのかというふうなお考えの方もおられるんですが、今は昭和の日だけで、考えておられないとしても、つまり天皇の間に差別を設けないという、そういう天皇崇拝の立場に立ちますと、やがてそれは、明治の記念日であるとか、あるいは大正の記念日であるとか慶応の記念日、もっとさかのぼれば、例えば、日本の筑紫の国の磐井の乱とか、ああいう、いわば当時の時代の非常に大きな内乱であって、それを克服したと言われる例えば継体の日であるとか、次から次へと出てくることはあり得るわけですが、何か差別を設ける基準をお考えになって、今回は昭和の日ということなのか。もうそれ以降のことは考えないというお考えで提案しておられるのか、改めて伺っておきたいと思います。
長勢議員 私は、先生がお話しになっておられるような論者ではありませんので、何とも申しようがないのでございますが、先ほど来申し上げておりますように、そういう議論とは関係なく、まさに、これからの将来に、この転換期の中にあって、昭和の時代を考える日を設けるべきであるという趣旨で提案をさせていただいているところであります。
吉井委員 私は、特定の個人とか特定の家族を崇拝し、記念日などを設けるということは、国際的には、人類社会の民主主義の発展とともにそういうことはなくなっていく方向になるだろうし、しかし、別に記念日がなくても、歴史上の人物なりなんなり、その人のある時期の功績というものは、これは自然科学の世界であれ、どんな世界であれ、すぐれた業績を残せば残るものだろうと思うんです。
 だから、特定の個人や特定の家族の崇拝、あるいは記念日等を設けるということとなってきますと、そうすると、やはり国民的な合意ということを考えていくときに、これは、もし何か歴史上とか自然科学の上で記念すべき日、人とかいろいろなことを含めて考え出すと、それこそ毎日を記念日にしないとおさまらないぐらいになるわけですから、やはりそういう民主主義の発展とともに、後の歴史の評価とともに変わるものについて無理に、そもそも提案をするということ自体が無理なんですよね。
 今は、あなたのお考えはお考えとして、しかし、何年後、何十年後か先の国民からすると、全く違う評価になるということもあるわけですから、やはり特定の個人に結びついた記念日として昭和の日を提案する、それはもともとの選定基準に照らしてみても合わないというふうに考えなきゃいけないと思うんですが、この点はどうお考えですか。
長勢議員 四月二十九日についての御懸念のようでございますが、天皇制自体、新憲法において国民的統合の象徴として位置づけられており、それに基づいて天皇誕生日が設けられ、定着をしてきた経過でございますから、その日を祝日とすることが選定基準に違背をするというようなものではないと私は理解をいたしております。
 したがって、これが将来こういうことになるんじゃないかと大変御危惧でございますけれども、提案をしておる我々がそういうことを意図しているものではございません。それから、我々議員連盟におきましても、そのような議論が全くなかったわけではありませんけれども、国民共通の祝日として、こういう形で提案をするということで合意をして、みんなで一致してこの運動を進めてきたわけでございますので、将来、何十年後の話をされましても、私は答弁のしようがありませんけれども、その御懸念は現時点では全くないと思っております。
吉井委員 私は、別に、将来昭和の日が名前が変わるだろうとか、そんなことを心配して言っているんじゃないんですけれどもね。
 戦後、最初に国民の祝日を決めた一九四八年は、国民の生活感情と密接なつながりがあること、将来長く行われるものであることから、慎重に調査研究の上決定すべきものである、そういうことをきちんと踏まえて慎重な審議を国会でもやってきたわけです。
 ですから、衆議院の文化委員会での報告では、祝祭日の改訂を慎重審議いたしますること、委員会十二回、打合会九回、参議院文化委員会との合同打合会四回に及びましたが、この前後二十五回に及ぶ諸種の会合において、戦後の祝日法を決めたということをその報告はまとめられているわけですね。また、参議院の文化委員会では、委員会十七回、打合会十一回、懇談会四回、衆議院文化委員会との合同打合会四回、その他八回、計四十四回の多きに及んでおりますというふうに報告があります。
 今回の法改正は、三年ほど前の参議院のときでさえ参考人質疑等を交えてやっているんですが、国民的合意もなされない段階で、たった二時間ほどの質疑時間で審議をもう打ち切ってしまう。これは、法制定時の趣旨に反するやり方であると私は思いますが、提案者は、やはりそういうどたばた劇の中で、こういう審議のあり方でいい、国会の終わる間際ですね。それでいいというお考えでいらっしゃるのかどうか、これだけ最後に伺っておきたいと思います。
長勢議員 この祝日法が制定された当時から今日まで、祝日自体も定着している経過の中で、かつ、この一つの祝日についての御議論でございますから、同列に論ずべきものかどうか、若干疑問に感じます。
 同時に、この議論は、みどりの日制定の当時、かつ、その後も国会等でも相当に議論があり、先ほども御答弁申し上げましたように、百数十万の署名運動があり、また、国会の中でも、衆議院、参議院、超党派の賛成・加入議員がそれぞれで過半数を占めるという経過の中で議論をされ、かつ、国会に提案しましたのは平成十二年、以来ずっと議論いただいてきておるわけでございまして、どたばたに乗ずるという評価は当たらないというふうに私は考えております。
吉井委員 当時の戦後の選定基準に照らしてみても問題のあるものですから、こういうどたばた劇で審議を打ち切って採決に持ち込むことは反対である、これはもっと時間をかけるべきだ、このことを申し上げまして、時間が参りましたので、私の質問を終わります。
佐々木委員長 以上で吉井君の質疑は終了いたしました。
 次に、北川れん子君。
北川(れ)委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。
 まず、提案者にお伺いしたいんですけれども、昭和の日とすることに国民の支持を得ているという認識でいらっしゃるのかどうか。先ほどの御議論の中では、具体的な世論調査もせず、けれども、さまざまであるというのはそのとおりだというような御答弁もされているんですけれども、この点をまず最初にお伺いしたいと思います。
長勢議員 再々答弁を申し上げておりますが、昭和の日を創設する意義というのは、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、歴史的教訓を酌み取ることによって、平和国家、日本のあり方に思いをいたし、未来への指針を学び取る。今、転換期にある日本にとって大変意義のあることであると我々は考えておりまして、この趣旨については、広く国民の賛同が得られておるというふうに考えております。
 現に、国民の側からも、従来から、両議院への請願あるいは署名運動、その他さまざまな活動がもう十数年にわたって行われておるところでございますし、現在も、その方々の運動が大きな活動となっておるわけであります。
 また、国会におきましても、衆議院、参議院、超党派での議員連盟の賛同する方々が、平成十二年の法案提出時にはそれぞれの院の過半数を占めるという経過でございますから、私は、国民多数の理解が得られておるというふうに考えております。
 たまたまでございますが、先般、私が当委員会で提案理由を述べさせていただきましたが、地元の新聞でそれが報道されまして、相当多数の方々から、選挙区の方々から激励を受けました。みんな、このことに賛同されているんだなということを実感した次第でございます。
北川(れ)委員 提案者の周りの方は賛同の方が多いということなんですけれども、賛同が多いか少ないかではなくて、私がお伺いしたいのは、異論の有無なんですね。
 さまざまな意見があるというのはそのとおりだというふうに先ほどお伝えになりましたけれども、異論の有無をどのように理解されているかをお伺いしたいと思います。
長勢議員 さまざまな御意見があるというのは、昭和の時代についての評価ということについても御答弁申し上げたと思うのでございますが、それはそのとおりだろう、いろいろな評価が各人にそれぞれおありだろうと思っております。
北川(れ)委員 異論はあるということで、まず、反対する政党もあるということは、一つはそのことを明確にしていると思うんですけれども、異論があるということを提案者は十分理解されているというふうに。
長勢議員 昭和の日を設けることに異論というか反対の政党がおありになるということは承知をいたしておりますが、先ほど来申し上げておりますように、国会内でも多数の皆さんが賛同いただいておると思っておりますので、そのように申し上げ、答弁した次第であります。
北川(れ)委員 では、提案者にお伺いしたいんですけれども、現行の国民の祝日法には、天皇の追号や元号を名称とした日はあるのでしょうか。
長勢議員 現在はございません。
北川(れ)委員 その理由をどういうふうに理解されているんでしょうか。
長勢議員 一つ一つ、祝日の意義はそれぞれ法律に書いてあるわけでございまして、それにふさわしいものとして元号を使う必要がなかったのではないのかというふうに理解をします。
北川(れ)委員 ということは、四月二十九日はみどりの日としてふさわしかったということだろうと思います。
 それで、やはり一条の問題が何度か繰り返されているんですけれども、日本国民は、ここに国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日としているところから、国民の間に異論のあるような名称を避けたものと推察もできます。こうした考え方に立てば、先ほど提案者も、今まではなかったわけですから、祝日の名称に追号や元号を使うことの疑義は、どういうふうに思っていらっしゃるんでしょうか。
長勢議員 元号を使うことを避けたいということで使われなかったということではなくて、それを使う趣旨の祝日が今までなかったということではないかと思います。
 今は昭和の日を提案させていただいておりますが、これは、昭和の時代について、それをこれからの指針として考えようということでございますから、昭和の日という名前が非常に適切であるし、皆さんにも記念日としてわかっていただける名称だと思います。
北川(れ)委員 それは、一九四八年当時のやはり真摯な議論ですね。かなりの慎重審議をされたということが明らかになっておりますけれども、そのことを無視しているというか、そのことに軸足を置いていないというふうに思うんです。やはり目的は追号を残すことにあるのではないかというふうに思うのですが、そうではないですか。
長勢議員 繰り返して恐縮でございますが、そういう趣旨ではありませんで、この激動の時代を顧みて、これからの将来に思いをいたす、そういうことを国民みんなで考える日にしたいという趣旨であります。
北川(れ)委員 激動の昭和の時代を顧みるということは、唯一追号で昭和天皇という、昭和という文言が残ったわけですよね。その顧みることは、国民に昭和天皇を思い出させるということを強制していくことになるのではないか、三百六十五日のうちの一日に設けることで、以降そういうことにつながっていくのではないかというふうに懸念をするんですけれども、そのことはいかがお考えになっていらっしゃるでしょうか。
長勢議員 昭和の時代についていろいろなお考えの方がおられる、いろいろな評価もある、そのことはそのとおりでありますけれども、いずれにしても、戦争があった、復興が行われた、これは事実でありまして、大変な変革でありました。
 そのことについての評価等々はいろいろあるわけでありますが、そういう激動、変革というものがこれからの変革期にあって大変大きな指針になるわけでございますから、それを考える日としてみんな考えようじゃないかということを提案申し上げておるわけでありまして、具体的に何らかの評価なり事実なりを押しつけるという意図は全くないわけであります。まして、今おっしゃったようなことはないということは申し上げておきたいと思います。
北川(れ)委員 法制局にお伺いしたいと思うんですけれども、元号や追号を祝日とすることに解釈上疑義がないという、先ほどは、立法者の提案の趣旨に、政策判断なんだから法制局はそれに沿うというような御答弁をされているんですけれども、再度、解釈上に疑義がないのか、本当に法制局はそういう認識なのかをお伺いしたいと思います。時代とともに法制局の認識というのが変わるのかということも含めて、お答えいただきたいと思います。
高橋法制局参事 お答えいたします。
 昭和という元号を祝日の名称として用いることの可否、適否についてのお尋ねかと思いますが、法制的に申し上げますと、元号は年の表示方法としての表号でございますので、これを法律の条文の中に用いることは全く問題がないだろうと。
 ちなみに、昭和の日の趣旨につきましては、御提案者の説明にもう尽きているわけでございますけれども、一つの時代を記念する日というその御趣旨から考えますと、その時代の元号を冠した名称を選ぶ、選択するということも一つの考え方ではないかと思っております。
北川(れ)委員 一条を今もあえて狭めておっしゃったんですね。記念する祝日というふうに強調されたんですけれども、その前に、こぞって祝い、感謝する日とあるわけですよ。だから、昭和天皇という追号が残った唯一の昭和という日をつくるということは、昭和天皇に感謝をするということが含まれるというふうに思うんです、一条を素直に読めば。今は記念する日という、感謝とこぞって祝うというところは、殊に感謝するというのが抜けていたと思うんですけれども、その点はいかがでいらっしゃるんでしょうか。
高橋法制局参事 法文上「こぞつて祝い、」「又は記念する日」というふうになってございます。「又は」というところでもって三つの柱に切れておりますので、これは記念する日としての位置づけであるというふうに考えております。
北川(れ)委員 それはおかしいですよ。こぞって祝い、感謝する気持ちがわいてきて、記念する日と。だから参議院で一九四八年時代、十項目の選定基準というものが真摯につくられて、その上で、これはそういう三つのテーマに合うものというふうな形を、真摯な議論を長時間かけてやったということが、四八年当時はやられているわけですよ。それから五十数年、六十年近くたつと、記念する日だけという意味で選定をするような祝日法、国民の祝日というものに、この時点で狭められたということになるんじゃないですか。
 法律を読むことにおいて、そういうふうに狭めるということをあえてするんだったら、一条自身も変えないといけないんじゃないですか。
高橋法制局参事 今回の改正案の昭和の日の意義、これをそのまま客観的に見ますと、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の年代を顧み、国の将来に思いをいたす。」、こういうふうに性格づけられておりますので、記念をする日であるというふうな考え方でつくられているということでございます。
北川(れ)委員 違いますよ。一条の趣旨に合っているかどうかということをお伺いしているんですよ。
 あえて法制局は記念する日だと。そのことだけが担保できれば、どういうふうなものを盛り込もうが、それは立法者のそのときの時代性の、政策の判断だからいいんだというふうに理解すること自身が、法制局がそういうふうに理解したこと自身がおかしいのではないかと言っているんですけれども。一条の問題。
高橋法制局参事 これは参議院の方での御議論がございまして、議事録を読ませていただきますと、「これは完全に「又は記念する日」となっておりますから、この祝日は国民が記念する日と、こういうふうに考えています。」そういう御議論、会議録に載っております。
北川(れ)委員 委員長、これはやはりおかしいですよね。「ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」となっているんですよ。それを、議論を、何か今議事録を引かれましたけれども、「又は」からしか強調されないで、「又は記念する日」ということだからというふうな国民の祝日だということになると、一条自身を踏まえた上でここにいらっしゃるどの委員の皆さんも審議をされているものだと思うんですが、その一条の読み方自身が法制局自身の解釈がおかしいままでは、進められないと思うんですけれども、いかがでしょうか。(発言する者あり)どうしてですか。いや、祝って感謝しというのが入っているわけですから、「記念する日を定め、」というところだけ、「又は」以降だけを読むというふうに解釈した国民の祝日の改正の議論は根幹的におかしいと思うんですが、委員長、法律家でもいらっしゃるので、いかがでいらっしゃいますか。
佐々木委員長 さて、委員長としても、ちょっと答弁に困ります。
 どなたが答弁に立たれる、今の点は。第一部長がいいのか。もう一度立つのか。
 高橋第一部長。
 法律の解釈になるようですね。
高橋法制局参事 繰り返しでまことに申しわけございませんけれども、法文の読み方としては、今まで御説明申し上げたとおりの考え方でおりますので、御了承いただきたいと思います。
北川(れ)委員 本当にそれは法律の読み方自身の、一条をゆがめているというか、やはり、範囲を狭めて、記念するということだけの祝日であるというところで、今回の昭和の日というのが憲法上、法律上問題ないというふうにしていかれるということは、私は、慎重審議の時間がこの二時間で終わるということ自身にもともと疑念を呈しておりますということもあり、そこのところは本当に問題を残したままになるというふうに思います。
 それで、ここは本当に大きな問題を残して、異論のある昭和の日の制定だと言わざるを得ないと思うんですけれども、時間があれですので、福田官房長官の方に、またちょっと後で言わせていただきますけれども、お伺いしたいんです。
 先ほどからお伺いしていると、昭和という時代の戦前と戦後の連続性の問題なんですが、戦後において、憲法も変えられ、日本国憲法が制定されたというところにおいて、憲法も変えた昭和という時代を、戦前と戦後の連続性という意味からも、官房長官はどういうふうに認識されているのか、お伺いしたいと思います。
福田国務大臣 どういうふうに認識しているかと言われましても、なかなか難しいですよね。この法案に関係するのであれば、これは議員提案でございますから、私に答えを求める筋合いのものでないというように思っております。
北川(れ)委員 しかし、これは小渕官房長官の時代に、官房長官のもとに懇談会が設置されてみどりの日となったというように、すべからく、今回のが議員立法だから私どもには関係ないというのではなくて、福田官房長官という立場において御発言をされる必要はやはりあるというふうに思うんですよね。そういう立場でいらっしゃるということです。
佐々木委員長 質問をもう少し具体的に。
 北川君、答弁を求めるわけですね。
北川(れ)委員 求めます。
 ですから、今、難しいねということでお答えにならなかったので、官房長官としては、やはり、議員立法でなければ、すべて今までの時代は、官房長官のもとにそういう懇談会が持たれて、祝日法というものが第七次改定まで議論をされてきたわけですよ。そういう位置づけにあるわけですから、たまたま今回の昭和の日は議員立法であるというだけの問題であります。異論の中に、昭和という時代をどう見るかということに異論があり、昭和天皇の戦争責任の問題も含めてどう評価するかということに異論があるわけですから、では、今この立法が成立する過程にいらっしゃる官房長官としては昭和の時代をどういうふうに認識されているかというのは、大きな問題だろうと思いますけれども。
福田国務大臣 みどりの日は、先ほど来答弁していますとおりでございまして、これは祝日の選定基準というものにかなうものである、こういうことで、これは懇談会の意見をお聞きした上で国会に提案され、国会で多数でもって決められた、それも多数の政党によって決められた、こういうように理解いたしております。
 今回は、これは議員提案だから、法改正にかかわる価値判断とかそういうことについては提案者にお聞きを願いたいというふうに申し上げているんです。
北川(れ)委員 それはもうあれですよ。ですから、提案者の価値判断、そして、政府をつかさどる官房長官の価値判断はいかがかというふうにお伺いしたんですけれども、御答弁がなかったということです。
 一つ、関連性の中で、これは文科省にお伺いをしたいんですけれども、例えば大喪の礼のときには、文部次官名で、弔意奉表についてとする通知が各教育委員会に出されましたよね。ここにその写しが、国総第一八号というので二月十五日の分があるんですけれども、もしこの法案が成立したとするならば、同様な通知等を、文部科学省は通達を出そうというふうに思っていらっしゃるのかどうか、まずお伺いしたいと思います。
結城政府参考人 昭和天皇の大喪の礼当日の弔意奉表につきましては、平成元年二月十五日付の文部事務次官通知が出されております。これは、それに先立ちます二月十四日の閣議決定におきまして、学校などに対して、国と同様の方法により哀悼の意を表するよう協力方を要望することとされたことを踏まえまして、文部省管下の機関あるいは各都道府県の教育委員会等に通知を発出したものでございます。
 そこで、昭和の日が新たに制定された場合、改めて都道府県教育委員会に通知を行うかどうかという点でございますけれども、これにつきましては、法律の成立後、政府全体の取り組み状況も勘案しながら、文部科学省として検討してまいりたいというふうに思っております。
北川(れ)委員 勘案してということですから、では、閣議の決定がどうなるかということを、指示がどう出るかということで、官房長官にお伺いをいたしたいと思うんです。
 大喪の礼と皇太子の婚礼日だけが、一日だけの特別休日と、当時法律が変えられてなっていくわけですが、このとき、二月十四日に閣議の決定で、「弔旗を掲揚すること及び」「歌舞音曲を伴うものについては、これを差し控える」とか、「各公署、学校、会社、その他一般においても、(1)と同様の方法により哀悼の意を表するよう協力方を要望する」というのを出していらっしゃる。それで、十五日にすぐに文部省は動くわけですね。教育委員会に通達を流す。
 今回のこの法律が制定されます。異論がある、追号や元号が冠になった昭和の日、そして、その意味はかなりいろいろな混乱を引き起こすと思うんですけれども、閣議決定をした先ほどの大喪の礼のときのような弔意奉表について、法案が成立した後、政府としてはどのような対応をとられていくのか、特別何かお考えは持っていらっしゃるかどうかをお伺いしておきたいと思います。
福田国務大臣 今回の法改正は、これは国民の意思を最も直接的に代表する機関であります国会で御議論の上決定をしていただく、こういうことになるわけでございます。この法改正案が成立しましたらば、政府といたしましては、祝日法の趣旨を踏まえながら、従前の祝日の新設、これは例えば海の日などございますけれども、そういうときと同様に、さまざまな機会を通じて、国民に広く周知されるように努めてまいりたいと考えております。
北川(れ)委員 周知されるということの意味の中に、特別なものとしての扱いとして、このような形で、何か昭和の日については、周知徹底だけではなくて、閣議において決定されて、記念する行事を云々かんぬんとか、例えばそういうことをお考えにはなっていらっしゃらないのか。
 ここをなぜ聞くかというと、では、福田官房長官の時代にこの法律が成立するわけですから、官房長官の昭和の時代についての認識はいかがなものであるのかというのをやはりお聞かせいただかないと官房長官のお考えというものがわからないわけですから、先ほど御答弁はいただきませんでしたけれども、もう一度そのこと、一般の周知徹底ではなくて、大喪の礼のときにやられました弔意奉表のような通達というようなお考えはあるのかないのか。
 そして、やはりこれにまつわることには、根幹的に、昭和の日を官房長官としてどう御認識されているのかをやはり御答弁いただかなくてはいけないと思いますので、よろしくお願いします。
福田国務大臣 先ほど答弁したとおりでございます。それ以上のものは何もございません。
北川(れ)委員 弔意奉表のような形での何か特別な通達はしようとは思わないということになるんでしょうか。
福田国務大臣 先ほどの答弁のとおりでございます。
北川(れ)委員 では、昭和の日の認識について、やはり再度お伺いしたいと思います。
福田国務大臣 個人的なことを言ったってしようがないと思うんですね、認識を。政府の認識ですか。何ですか、よくわからない。(北川(れ)委員「官房長官の認識ですよ」と呼ぶ)私個人の。(北川(れ)委員「では、福田康夫さん個人でお話しいただけるわけですか、この場で」と呼ぶ)それは、個人的なことを言ったってしようがないと思うんです。
北川(れ)委員 ですから、官房長官の立場での御認識をお伺いしたいと言っているんです。
福田国務大臣 ですから、何度も言うように、個人の立場で物を言っても、今回、議員提案なんです。ですから、私の言うことは、この法律の審議には何の意味もないと思っております。
北川(れ)委員 そんなことはないですよね。このように、官房長官という立場の方は、いろいろなことを、閣議決定した中で、談話も発表する立場であったり、されていく御本人じゃないですか。祝日法を管轄する当事者であるわけじゃないですか。(福田国務大臣「成立したら」と呼ぶ)いや、成立する前にどういうような認識を持っていたかということをお伺いすることはとても大事だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
福田国務大臣 私の個人の考えを言っても、余りこの法案審議に意味がないというように思います。
 あえて申し上げれば、私の認識も、先ほどの提案者のお考えと全く同じでございます。
北川(れ)委員 では、長勢提案者、もう一度、昭和という時代をどのように認識しているのか、官房長官は全く提案者と同じだとおっしゃいましたので、よろしくお願いをいたしたいと思います。
長勢議員 今回、昭和の日を制定したいというのは、非常に激動の時代について、将来の指針としてみんなが考えるべき日として考えたいということでありまして、何らかの評価なりというものを強制するという趣旨のものではないということは申し上げておるとおりでありまして、したがって、昭和の時代についてどう考えるかについてもそれぞれのお考えがあるという前提でこの話をしておるわけであります。
 したがって、私の、個人的にどう思うかということであれば、もちろんあるわけでありますし、官房長官もおありだろうと思いますが、そのことがどうかこうかということが今回の議論の対象になるものではないというふうに思っておりますので、とりあえず、私の考え方は差し控えさせていただきます。
北川(れ)委員 そういう昭和の時代の認識を、提案者からも、官房長官という政府をつかさどる方も、どちらも明確にされずに、では、昭和の日という追号、元号が冠になった祝日をあえてつくることの意義がやはりわからない。きょうの二時間余りの審議の中では浮き彫りにならずに、そこのところはだれも口を閉ざしてしまった上での審議である。さまざまにとっていただいていいんですよ、さまざまに理解したらいいんだ、こういうふうな乱暴な投げ方は、以降、いろいろな段階で混乱を引き起こすと思うんです。
 では、提案者にあえてお伺いをいたしたいわけですが、先ほど私は時代の連続性ということを言いました、戦前と戦後。戦前と戦後の時代を明確に断絶しないといけないというふうにした国ももちろんあります。しかしながら、日本は、戦前と戦後の連続性というものが切れずに来ている国だというふうに思うんですが、戦争に至る時代も含めて、提案者はどういうふうに、括弧つきの昭和なんですけれども、この昭和という時代をお考えになっているのか、お伺いをしておきたいと思います。
長勢議員 敗戦前と敗戦後と、国の仕組みが全く変わったものになったということは事実であります。しかし、これを断絶したものと言ってみても、時間は連続してあるわけでありますし、みんな同じように生きてきたわけであります。私は昭和十八年ですから戦前は非常に少ないんですけれども、それを断絶するという趣旨はどういうことをおっしゃっているのかよくわかりませんけれども、一つの時間の経過をそれぞれに認識し、評価するということが、別々にしなきゃならない、人間の考えることを別々に切り離さなきゃならないというのは一つの強制であって、そういうことも含めて、この激動の時代をこれから顧みて、そして、これからそれを踏まえて考えていこうというふうに国民が考えるという日をつくることは、極めて意義のあることだと考えております。
北川(れ)委員 いや、その答弁は、昭和に対しての認識の異論があるところを全然尊重されていないというふうに思うんですね。時間の流れの連続性ではなくて、戦争責任への、加害に対しての反省と謝罪をどういうふうにするかということで、戦前と戦後を断絶させなければいけないという立場というのはとても重要であるということで日本国憲法というものが制定されて進んでいくという戦後があるわけですよね。敗戦後があるわけで、そのことの認識を全くただの時間の流れとしてしか見ていないということで、では、戦争というものにおける平和の意味もなくなるというふうに思うんです。
 私自身は、昭和という時代の認識というものに関して御答弁があえてされなかったことと、やはり戦争に至る時代への議員立法提案者の明確な答弁というものがなかったという点において、あえて今、みどりの日を昭和の日に、こんな二時間足らずの審議でしていくことに関しては、これ以降大きな禍根を残すものであるというふうに言わざるを得ないと思うんですね。
 そこの点においては、やはり戦争責任についての問題においては、では、最後にお伺いしたいと思うんですけれども、提案者はどのようにお考えになっていらっしゃるんでしょうか。
佐々木委員長 時間が経過しておりますので、簡単に。
長勢議員 先生も一つのお考えだと思いますけれども、そのことも含めて、こうでなければならないということでこの日を記念しようという趣旨の法律ではないということは、再度繰り返して申し上げます。
 そういう意味で、私の個人の話を申し上げることはかえっておかしくなるかもしれませんが、何か、私が戦争責任について全く違ったこと、先生とまるで違ったことを言っているかのような御発言もあったようですが、私は、昭和の時代を考えるときに、戦争に負けるという事態を引き起こしたということは、何でこんなばかなことになったのかということをこれからも我々は考えて、これからの日本の将来を考えていかなきゃならぬと強く思っております。
佐々木委員長 北川君。
 北川君、時間が来ております。
北川(れ)委員 このことは尽きない問題であると思いますので、この後もまた議論をする機会があれば取り上げていきたいと思います。私自身は、そこのところにおいて出発した日本国憲法の趣旨からも、やはりこの法案は違反するというふうに思うということをお伝えして、反対の意思を述べ、終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で北川君の質疑は終了いたしました。
 次に、小野晋也君。
小野委員 少し前までは、「降る雪や明治は遠くなりにけり」ということで、明治の時代に非常に強い郷愁を覚えるこの日本の国でございましたけれども、考えてみますと、平成の世を迎えてもう十五年、昭和の時代も随分古い時代に入りつつあるなというような感慨を持って、きょうはこの場に立たせていただきました。
 私たちは、先ほど北川委員からいろいろな御質問がございましたけれども、いかなる時代であれ、いかなる社会であれ、日本の国の歴史から逃れることはできないわけでありますし、また、その国がたどってきた、その中で国民が生きてきた歩みから目を閉ざすわけにはいかない。思い出とともに私たちは生きていくべきものであるような気持ちがいたします。たとえそれが苦しい思い出であれ、悲しい思い出であれ、楽しい思い出であれ、その悲喜こもごものいろいろな思い出を引き継ぎながら、我々は今平成の時代を生きているという認識を新たにしていかねばならないものだと思う次第であります。
 そこで、私たちが古き時代を振り返るということは一体何だろうということをこの機会に改めて考えてみました場合に、一つには感謝の思いがあると思います。古き時代に、よしあしの価値判断というものは時代によって変わるものでありましょうけれども、その時々、力を尽くして、心を注いで取り組んでこられた先人たちの礎の上に今の時代があり、私たちの生活があるんだということに対して感謝の思いをささげるということは、我々の一つの務めであろうと思っております。
 そして二つ目には、過去の時代から私たちは教訓を酌み取らねばならない。いろいろな歴史の歩みの中で何が今の時代にとってよきことであり、悪きことであり、そしてその中で、よりよき社会をつくるために私たちは過去の歴史を訪ねながら新しきものをつくり出すということを考えていかねばならない。これが二点目であります。
 そして三つ目に、この二つ以上に私が大事だと考えておりますことは、社会の中にとうとうと流れる命というものを、過去を振り返る中に私たちは身につけるべきだということでありましょう。
 一人一人の人間がそれぞれ独立した、ただ一つ、動物としての数十年の命だけしか認めない存在だとするならば、私たちの人生というものは非常にはかなく、漠としたものにならざるを得ないような気がしてならないのであります、これはあくまで私の個人的見解でありますけれども。社会というものの中に、一人一人の人間を包摂しながら流れるもっともっと大きな命が存在するという価値観、生命観、人生観、社会観、こういったものを我々が持つことを通して、人生というものの意義をより高からしめていくことができる、私たちの人生を充実させていくことができる、より深い幸福に立ち至ることができる、そのような価値観を私は持っているわけであります。
 この思いというものは、歴史小説家として著名な山岡荘八先生が長編小説「徳川家康」をすべて書き上げたときに、日光東照宮に一つの句碑を建てられた。その句碑には、「人はみな生命の大樹の枝葉なり」という言葉を俳句として刻まれたと私はお伺いいたしました。
 目に見えない大きな大きな幹が、大樹が、人類社会と言っていいかもしれない、日本の国と言っていいかもしれない、地域社会と言ってもいいかもしれないけれども、そういう中にそびえ立っていて、春がやってくるとその幹から芽が出てくる。それが枝となり、葉を広げ、そして夏の間精いっぱいに太陽の光を受けとめてその養分を幹へ戻していく。そして、秋が来ると色が変わり、冬が来るとそれが散っていく。その葉っぱが散ったからといって、命がそこで終えたということではないではないか。命というものは、葉っぱが散ってもその後も永遠に続いていくものなんだ。そして、葉っぱが夏の間太陽の光を受けながら培った栄養分というものは、確実にその幹の中に一つの年輪として刻み込まれていきながら、それが大きく大きく成長していく一つの役割を果たしていくのだ。
 こういう生命観というものが今の日本の国の中で非常に薄らいできつつあるわけでありますが、私は改めて問い直されるべきときを迎えているような気がしてならないのであります。
 最近、非常に異常な事件が長崎でも起こりました。愛知の方でも起こりました。それで福岡の方でも起こりました。沖縄でも起こりました。いろいろなところでいろいろな、私たちがなかなか理解しがたいような事件が起こってくるこの日本の国の状況を見ましたときに、国家というものにおける一つの命の概念、また人類という意味での概念でも結構だろうと思うわけでありますけれども、時の流れをとうとうと、過去から現在、現在から未来へ流れていくその大きな力、命の流れ、こういうものを認識するということが必要だと思えてならないわけであります。
 この祝日法というものは個人にとってのお祝いではなくて社会にとってのお祝いである、こういうところに私は一つの日本人の知恵、また人類の知恵というものがあったような気がいたします。一人一人の人間にお祝いがあるならば社会の中にもお祝いがあっていい、だから、一人一人に命があるのならば社会の中にもそういう命というものを認めながらやっていこうという、私たち人類が築いてきた知恵だったような気がしてならないわけであります。
 こういうふうな見解について、提案者に、ちょっとこれは酷な質問であるかもしれませんが、こういうような認識の重要性また考え方ということについての思いがございましたら、御答弁をお願い申し上げたいと思います。
長勢議員 先生は新文明についても大変勉強なさっておられまして、すばらしいお話だったと思います。とても私の知識経験ではお答えできませんが、今回の提案をいたしておりますのは、繰り返しておりますように、やはり歴史に学ぶということがどの社会でも大事なことであることはつとに言われておることでございますし、特に、我々にとって間近にあった激動の時代、昭和の時代が、最も近間にあって、反省また見直す、将来の指針として考えられる一番重要な、みんなが考えなければならぬ時期であった、時代であったという思いでこの法案を提出させていただいておるところでございます。
 おっしゃるように、個人が、宇宙の摂理といいますか、そういう中で非常に生かされておるという存在であって、今何で我々はこうやっておって、かつどういう役割で生きておるのかということは、みんなが考えなければならない大事な問題だと思います。私もそういう思いで今ここに立っておるわけでございまして、何で今ここに立っておるかというと、この法案をぜひ早く可決させていただきたいというのが私の役割だという認識でおるということでございます。
小野委員 私たち一人一人の人間が過去にどういう道を歩いてきたか、また、どういう体験の中に喜び、泣き、笑い、やってきたか。こういうことは、先ほど北川委員の発言の中には、時代を切り分けて過去はないものとするような発言もございましたけれども、そうじゃない。私たちの人生の中で過去は過去としてそれを慈しみ、反省しながら、その同じ一つの命の中によりよき未来を開くために努力するというのが私たちの大事な務めだろうと思うんですね。
 ですから、この祝日、昭和の日ということで今提案されて議論されているわけでありますけれども、この日が、昭和という時代を、それぞれの国民にとって、日本の国においてどういう時代であったのかということを振り返りながら、みずからの糧として、日本という国がより大きく飛躍、発展、成長していくための栄養として活用されていくように、これは政府に、今後成立したときの運用についてはお願いを申し上げておきたいと思う次第でございます。
 そこで、内閣府にお尋ね申し上げたいのは、政府広報の問題でございます。
 先ほど来も平野委員からも、こぞって祝う日とするためにはいろいろな工夫が必要だろうというようなお話もございましたけれども、私はやはり、政府広報の中において、単にきょうはこういう日でございますというふうなスポットを入れるだけではなくて、例えばドラマだとか、昭和という時代に対してのクイズだとか、何か、国民の皆さんが深い関心を持って昭和という時代に向かい合うというような番組を制作されて、そういうお祝いのときに、この祝日には国民の皆さんの意識を啓発する努力というものも必要だと思うわけでありますが、その点について、お考えはいかがでございましょうか。
米田副大臣 全く同感でありまして、今ちょうだいしたアイデアは、早速持ち帰りまして検討したいと思います。
 なお、政府広報のあり方につきましては、実は、既に私も、担当副大臣として相当な予算を毎年ちょうだいしておるわけでありますから、テレビの番組あり、あるいは雑誌の発行あり、新聞の広告あり、これだけのツールを持ちながら、祝日の件のみならず、アピール性というもの、全般的に果たしてきちんとした対応ができているのか、効果を発揮しているのかということの見直しも、実は、民間の編集者等をお招きして御意見をちょうだいしたり、そういう全体的な改善の努力もしておりますので、その一環として御指摘の点も検討させていただきたいと思います。
小野委員 ぜひその点はよろしくお願い申し上げたいと思います。
 今度は文部科学省にお尋ねをさせていただきたいわけでありますけれども、時代や社会は何が動かし、何がつくっていくのかというふうに問いを立てれば、恐らくこれは人間と答えざるを得ないと思うんですね。いかなる事件にしろ、いかなる問題にしろ、または社会の中のいかなる事象にしろ、その背景の九九%まで恐らく人がいる。単なる自然現象だけでそのことが動いていくものというのは、極めてまれなものだろうと思います。
 そういたしますと、この昭和の時代を考えるということは、とりもなおさず、昭和の激動の時代を生きた人間に思いをはせるということになるわけでありますし、先ほど来の議論を聞いておりますと、昭和天皇の話ばかりが提起されておるわけでありますが、そんな小さな問題ではなくて、もちろん統合の象徴としての天皇の存在というものは極めて大きなものではありますけれども、同時に、学問の世界であれ、スポーツの世界であれ、文化の世界であれ、それぞれの時代を背負いながらこの国の中で生きた人たちをきちんと顕彰していくという活動が極めて大事なことであろうと思えてならないわけであります。
 京都に霊山歴史館というのがあって、これは、明治維新期にこの日本の国のために戦い、散っていった若い志士たちの墓が一つの丘にまとめられて、それを顕彰している場でありますが、その霊山歴史館の入り口のところに書かれた言葉というのは何かというと、危機は人をつくる、そして人は歴史をつくる。
 まさに人が歴史をつくるということであるのならば、この昭和の日を私たちが迎えるに当たって、やはり昭和の時代を築いた人物顕彰運動というものをあわせてやっていくべきものであろう、こんなふうな気持ちがするわけでございますが、御見解はいかがでございましょうか。
矢野政府参考人 子供たちが国民の祝日の意義について理解するということは、これは大変大事なことでございます。このため、学校教育におきましては、学習指導要領の中で、これは小学校の社会科でございますが、そこで、政治の働きと国民生活との関係を具体的に指導する際に、子供たちが国民の祝日に関心を持って、その祝日が設けられている意義について考えることができるように配慮すること、そういうふうにされているところでございまして、また、一般に、国民の祝日による休業日の前日などには、その祝日の意義について、発達段階に応じ、適宜指導が行われているところでございます。
 国民の祝日の意義を指導する場合には、これは例えば、委員御指摘のように、社会科などの学習と関連づけたり、あるいは保護者や地域の人々の話を聞くなどして、先人の働き、あるいは先人の苦心、苦労を考えさせたり、さらには先人の生き方に触れさせるなども、これは指導の際の工夫の一つとして考えられるところでございます。
 私どもといたしましては、今後とも、学校教育において、国民の祝日の意義について適切に指導されるように努めてまいりたいと考えております。
小野委員 もう一点、もう時間がありませんので簡単に申し上げますけれども、祝日が、昭和二十三年に初めて第二回国会で戦後の祝日が制定されたときが、これは九日であります。現在はこれが十四日にふえてきております。さらに、ゆとり教育の推進ということが主張される中で、土曜日の学校を休校とするというふうなことも今生まれております中で、学校現場で聞いておりますと、やはり基礎的なことをきちんと教えようと思うとどうしても授業時数が足りない、こういうふうな問題も休日の増加に伴って生まれてきているのは事実なんですね。
 そこで、私は、もう夏休みを少し削りまして、十分な授業時数を持つべきである、こういう意見を持っているわけでございますが、その点の御見解をお伺いいたします。
矢野政府参考人 公立学校の夏休みなどの休業日、これは、その学校を設置している市町村あるいは都道府県の教育委員会が、それぞれの事情を踏まえて決めることとされているところでございます。
 そこで、現在、新しい指導要領のねらいとする確かな学力をはぐくむ、そういう方策の一環といたしまして、授業時数を確保するために、時間割りの工夫でございますとかあるいは二学期制を導入するなど、それぞれの学校や教育委員会におきましてさまざまな努力がなされておりまして、今委員が御指摘になりました長期休業日の削減などにも取り組まれている、そういうところもあるわけでございます。
 文部科学省といたしましては、ことしの五月に、初等中等教育の教育課程及び指導の充実・改善方策ということで中央教育審議会に諮問を行いまして、その中で、授業時数の確保のための改善策等についても御検討いただいているところでございまして、今後、その答申をいただきまして、答申を踏まえて適切に対応してまいりたいと考えております。
小野委員 以上で質問を終わります。
佐々木委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 この際、本案に対し、小野晋也君外三名から修正案が提出されております。
 提出者から趣旨の説明を聴取いたします。小野晋也君。
    ―――――――――――――
 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
小野委員 ただいま議題となりました国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、自由民主党、公明党、自由党及び保守新党を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。
 本法律案は、第百五十四回国会に提出され、継続審査となっていたものであり、提出から相当の期間が経過しております。カレンダー業界等に配慮するとともに、十分な周知期間を確保するため、原案において「平成十六年一月一日」と定めております施行期日を「平成十七年一月一日」に改めるものであります。
 以上が、修正案の趣旨であります。
 何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
佐々木委員長 これにて修正案の趣旨の説明は終わりました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 これより原案及びこれに対する修正案を一括して討論に入ります。
 討論の申し出がありますので、順次これを許します。星野行男君。
星野委員 自由民主党の星野行男でございます。
 私は、自由民主党、公明党及び保守新党を代表いたしまして、ただいま議題となりました修正案及び修正部分を除く原案に賛成の立場から討論を行います。
 六十有余年に及ぶ昭和の時代は、我が国の歴史上、未曾有の激動と変革、苦難と復興の時代でありました。今日我々が享受する平和と繁栄は、まさにこのような時代の礎の上に築かれたものであります。
 二十一世紀を迎え、我が国は、今また新たな変革期にあります。こうした時代の節目に当たり、過去の歴史を振り返ることによって歴史の教訓を学び取ることは、我が国の将来にとって極めて意義深いことであります。
 平成の時代に入り、既に十数年が経過いたしました。今日の我が国の平和と繁栄は、昭和の時代を生きた人々の努力の上に築かれたことを国民一人一人が再認識するとともに、日本のあり方について真剣に考える機会が必要であります。
 祝日法の第一条は、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」と規定しております。祝日とは、本来、その国の歴史、文化や国民性を反映したものであり、国民生活に深く根差したものであります。
 本法律案の柱の一つは、昭和の時代に天皇誕生日として広く国民に親しまれ、この時代を象徴するともいうべき四月二十九日を、昭和を記念する昭和の日として新たに祝日とするものであります。
 昭和の時代に対する思いは各人各様であり、これからもさまざまな感慨を持って語り継がれていくことでありましょう。必ずしも楽しい思い出ばかりでないことは言うまでもありません。しかし、激動の日々を経て復興をなし遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす機会としての昭和の日を祝日に加えることは、祝日法の趣旨に合致したものであり、極めて有意義であると考えます。
 また、本法律案は、五月四日をみどりの日とするとともに、振りかえ休日に関する規定を整備しております。これにより、ゴールデンウイークにおいて四連休となる年が増加し、ゆとりのある国民生活の実現にも寄与することになります。
 なお、本修正案は、カレンダー業界等の実情に配慮したものであり、適切なものと考えます。
 以上の理由によりまして、修正案及び修正部分を除く原案に賛成の意をあらわす次第であり、一日も早くこの法律案が成立することを強く希望いたしまして、私の討論を終わります。
佐々木委員長 次に、吉井英勝君。
吉井委員 私は、日本共産党を代表して、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に反対する討論を行います。
 反対の第一の理由は、さきの天皇の誕生日を昭和の日として国民の祝日にすることは、戦前の侵略戦争と暗黒政治の反省に立って打ち立てられた憲法の国民主権、平和、民主主義の原則を踏みにじるものだからであります。
 提案理由では、昭和というこの時代を象徴する四月二十九日を、昭和を記念する昭和の日とするとしています。
 しかし、さきの天皇は、みずからが国の全統治権を握る政治体制のもとで侵略戦争を推し進め、国の内外に未曾有の惨禍をもたらした最高責任者です。この最高責任者の誕生日を国民こぞって祝い、感謝し、記念する国民の祝日とすることは、憲法の平和的、民主的原則を踏みにじるものであります。
 反対の第二の理由は、新憲法のもとで定められた祝日法の理念に真っ向から反するものだからであります。
 戦前、天皇は神聖にして侵すべからずとした体制のもとで、祝祭日は、宮中行事、国家神道に結びついたものでありました。戦後、新憲法が制定され、主権は国民に移り、祝祭日も宮中中心から、国民の祝日と変わりました。
 さきの天皇の誕生日を昭和の日とすることは、こうした祝日法の理念と歴史の流れに逆行するだけでなく、この時代に対する国民の多様な認識を無視し、国民が容易に納得し、参加できる日という祝日の選定基準にも反する愚行と言わなければなりません。
 反対の第三の理由は、国民の祝日は、国民生活や国民感情と密接につながり、将来長く実施されるものであり、慎重な法案審議が行われるべきでありますが、その審議が極めて不十分だからであります。
 前回、参議院で行った参考人の意見聴取も行わず、わずか二時間ほどの審議で採決を強行することは、国民の祝日という事柄からしても、また国会審議の形骸化を一層深めるという点からも、極めて遺憾な事態であることを指摘し、反対討論を終わります。
佐々木委員長 次に、北川れん子君。
北川(れ)委員 社会民主党・市民連合を代表いたしまして、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に反対の立場から討論を行います。
 六十三年間天皇誕生日として祝い、十二年間続いた四月二十九日、みどりの日を強引に昭和の日と改め、祝日に挟まれた五月四日の休日を祝日、みどりの日とするものであります。
 最初に申し上げなくてはならないことは、むやみに祝日の名称を変えたり日にちを移動したりするべきではないということです。
 新たな祝日を設けるというならまだしも、名前を変えたり日付を移動したりする玉突き変更は、国民投票もなく、内容的にも主権在民から天皇主権への第一歩と理解される方々も登場されると予想され、非常な混乱を招く可能性があります。今回の改正の真意がどこにあるか、審議を経てみてもつかみどころがなく、広範囲にかかわることを五年や十年で変えるということは、まさに朝令暮改と言わざるを得ません。
 祝日の変更という形で一方の意見を押しつけることは、昭和天皇の責任問題が賛否両論ある中で、国民のみならず外国人の方々にどれだけの負担を強いることになるか、考えるべきです。さらに、第一条に「ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する」とあるように、苦痛を押しつけられる人々も出現することを考えると、国民の祝日とする法の精神に違反するものであります。
 昭和天皇が亡くなった際、四月二十九日の祝日、天皇誕生日をどうするかという議論の中で、昭和の日という案を退け、圧倒的多数でみどりの日となった経緯があることは、御承知のことと思います。今この時期にその判断を覆す合理的な理由は、全くありません。
 第二に、昭和の時代に対する評価の問題があります。
 特に昭和の冒頭、一九三一年から一九四五年に及ぶ長い戦争は、多くの国民に耐えがたい労苦を強いました。昭和天皇はその最大の責任者とも言えるものであり、戦争の実態、原因や背景、責任問題についてさまざまな意見が対立し、昭和の時代についての評価はいまだ定まっておらず、近隣諸国からの厳しい追及の声は今なおやむことがありません。
 特に、昭和天皇の名のもとで行われた我が国の侵略戦争の犠牲となった国々から見れば、昭和の日制定がどのように見えるのでしょうか。戦前と戦後の連続性の復活、新ガイドライン関連法や国旗・国歌法、有事法制、イラクへの自衛隊派遣の議論といった流れと相まって、警戒感を高めることは当然であります。戦後処理をめぐっていまだ不幸な関係を改善できていない状況であることを考えれば、このような時期にあえて昭和を持ち出すということは、疑問が残ります。
 今回の唐突な昭和の日法制化は合理的な根拠を全く欠いており、私には、国会の多数を背景にしたひとりよがりの復古的な感傷にしか思えません。アジアの諸国と共生を目指し、新しい二十一世紀の時代を迎えるに当たって、全くふさわしくない法案であります。
 また、参考人質疑や公聴会もなく、わずか二時間の審議で採決まで持ち込んだ委員会運営にも抗議を申し上げ、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案に反対の討論といたします。
佐々木委員長 これにて討論は終局いたしました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 これより採決に入ります。
 第百五十四回国会、長勢甚遠君外二名提出、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。
 まず、小野晋也君外三名提出の修正案について採決いたします。
 本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
佐々木委員長 起立多数。よって、本修正案は可決いたしました。
 次に、ただいま可決いたしました修正部分を除く原案について採決いたします。
 これに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
佐々木委員長 起立多数。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。
 お諮りいたします。
 ただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐々木委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔報告書は附録に掲載〕
     ――――◇―――――
佐々木委員長 内閣の重要政策に関する件、栄典及び公式制度に関する件、男女共同参画社会の形成の促進に関する件、国民生活の安定及び向上に関する件及び警察に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 各件調査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官春田謙君、内閣官房行政改革推進事務局長堀江正弘君、人事官佐藤壮郎君、人事院事務総局公平審査局長潮明夫君、内閣府政策統括官山本信一郎君、内閣府食品安全委員会事務局長梅津準士君、内閣府原子力安全委員会事務局長小中元秀君、警察庁生活安全局長瀬川勝久君、警察庁刑事局長栗本英雄君、警察庁刑事局暴力団対策部長近石康宏君、警察庁警備局長奥村萬壽雄君、総務省大臣官房審議官衞藤英達君、外務省アジア大洋州局長薮中三十二君、文部科学省初等中等教育局長矢野重典君、厚生労働省大臣官房審議官新島良夫君、資源エネルギー庁原子力安全・保安院長佐々木宜彦君及び国土交通省鉄道局長石川裕己君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐々木委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 引き続き、お諮りいたします。
 各件調査のため、本日、参考人として原子力安全委員会委員長松浦祥次郎君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
佐々木委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
佐々木委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石毛えい子君。
石毛委員 民主党の石毛えい子でございます。
 本日、私は、既に本委員会の各委員のもとにも要請書や資料が届けられていると思いますが、日本がまだ解決をしてきていない戦後処理の問題の中で、韓国・朝鮮人元BC級戦犯の方々の問題、そして韓国人戦傷病者の問題について質問をいたします。
 今お話ございましたように、官房長官は十一時半にこの会場にお入りということですので、官房長官への質問は後ほどということにしたいと思います。
 具体的な質問に入ります前に、きょう、くしくもと申しましょうか、激動の昭和を顧みるその日として、新しい祝日が制定されることになりました。実は、本日の私の質問に際しまして、この韓国・朝鮮人、旧植民地の方として、元BC級戦犯になられた方、そしてまた韓国人戦傷病者の方が傍聴席にお見えになっていらっしゃいます。恐らく、この昭和の日を、記念日、祝日として記念、記すという文字だということを確認しましたけれども、するのであれば、日本が第二次世界大戦時に旧植民地にさまざまな被害を及ぼし、その国の方々に多大な迷惑をおかけしているという、そのこともぜひ、昭和の日という、私どもの思考回路の中にきちっと位置づけるようにというお思いで採決をごらんになっていたのではないかという思いがいたします。そのことを申し述べさせていただきまして、具体的な質問に入りたいと思います。
 韓国・朝鮮人元BC級戦犯の問題につきましては、二〇〇〇年三月、四月に衆参の委員会で質疑が行われております。そのときの議事録を私もきょう持ってまいりましたけれども、その時点で政府側の答弁は、本当にお気の毒な立場の方々がおられる、あるいは、関係省庁でいろいろな議論をし、調査検討なども行ってきている、これらの問題をどういうふうに解決といいますか前進させるかということは政治的な問題、こうした答弁をされております。
 そこで、その後、この問題につきまして、この答弁に触れられていましたことの延長で、どのように検討が行われ、現時点ではどのような判断が出されているのか、そのことをまずお尋ねいたします。
薮中政府参考人 お答え申し上げます。
 今委員御指摘のとおり、まさに朝鮮半島出身のいわゆるBC級戦犯の方々につきましては、さまざまな御苦労をされてきているということで、かねてから本院でも大臣等御答弁申し上げておりますけれども、心が痛む思いであるということは、もうそのとおりでございます。
 他方、本件BC級戦犯の問題を含めまして、日韓間の請求権に係る問題ということにつきましては、既に一九六五年のいわゆる日韓請求権協定により完全かつ最終的に法的に解決済みであるということも、委員十分御承知のとおりだというふうに思います。
 そうした中で、政府としては、我が国の過去の行為によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたということについては、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきているというところも、まさに委員御承知のとおりでございます。
 外務省としては、そうした歴史の事実を謙虚に受けとめながら、また韓国を初めとするアジア諸国との信頼関係を強化していく、こういうことで我々は日々努力をしてきているところでございます。
石毛委員 今の御答弁には、いろいろな論点と申しましょうか、それが含み込まれていたと思います。私はきょう余り、行政実務的なといいましょうか、そういうお話としてこの質疑を進めたいとは思っていないのですが、今、薮中アジア大洋州局長が一九六五年の日韓協定を引き合いに出されましたけれども、この韓国・朝鮮人元BC級戦犯の方の歴史において背負わされた課題につきまして、衆参の委員会で質疑が行われましたのは、二〇〇〇年三月及び四月でございます。議事録では都合五回ぐらい私は拝見しておりますが、二〇〇〇年三月及び四月には当時の河野外務大臣が答弁をされているわけですけれども、この二〇〇〇年四月の時点で、関係省庁でいろいろな議論をし、調査検討なども行っていて、前進させるかどうかは政治的な問題だという御答弁をいただいているわけです。御答弁といいますか、所感と申しましょうか、そういう御発言であります。
 日韓協定自体につきましては、もう既に外務省から答弁もなされていますように、これは韓国と日本の国家間の協定であって、被害を負われた個人の請求権を否定するものではないという答弁もなされているわけでございます。
 ですから、私は、今の薮中アジア大洋州局長の御答弁は、二〇〇〇年四月の河野外務大臣のこの時点の発言を経て、さらにどのように検討がなされたのか、なされないのか。調査検討なども行ってきている、これから先どう前進させるかは政治的な問題という御答弁ですので、それが一挙に村山談話、総理談話ということになるのか。そのほかにもう少し詳しくいろいろと検討された経緯があるのかどうか。あるのであれば、そこのところを披瀝していただきたいと思いますし、後ほど触れたいと思いますが、二〇〇〇年には、在日の方々に対する補償を解決する、これは議員立法でございますが、議員立法がこの三月、四月、質問の時点の後に成立をしているわけでございます。そこのときには、国籍条項をどういうふうに解釈するかということもこの部分に関しましてクリアをしているという経緯もあるわけでございますから、局長の御答弁は、私は、極めて粗いといいましょうか、とにかく、一九六五年の日韓協定、それから二〇〇〇年四月の答弁という間には五年のラグがありますし、そしてさらに、現在は二〇〇三年ということでございますから、少しそのあたりを、外務省としてはどういう検討の積み重ねをされてきているのかということを披瀝していただきたいと再度お願いいたします。
薮中政府参考人 お答え申し上げます。
 基本的に外務省としてはということでございますと、まさに当時の河野大臣も答弁されたとおりでございますけれども、非常にこの問題については、外務省もその一員として、朝鮮半島の出身のいわゆるBC級戦犯の方々がさまざまな苦労をされてきたことには心が痛む思いであるというふうに答弁されているとおりでございまして、その後ももちろん、今委員御指摘のようなさまざまな検討、あるいは、その中での立法府における検討も含めてだと思いますけれども、さまざまな措置、これは内閣全体の問題としての取り組みだということでございます。
 その中で、我々としては基本的には、先ほど申し上げましたように、外務省から見ますと一九六五年の法的なというか、そういう見地から申し上げますと日韓請求権協定により解決されている、他方において、人道的な観点から議員立法において弔慰金が支給される等々、こういうこともその後行われているということもそのとおりでございます。
 いずれにしましても、そうした中で、先ほど申し上げましたように、基本的に、先ほどに戻りますけれども、そうしたさまざまな状況、過去の歴史の事実も謙虚に受けとめながら関係国との友好関係を強化していくというのが外務省としての立場だということを申し上げたわけでございます。
石毛委員 大変重要な御指摘をいただいたと思いますけれども、今、外務省としての立場を明確にされまして、それを超えるという部分といいますか、超える事柄に関しましては内閣全体としての取り組みというふうに御答弁をなされましたそこの点を、今は受けとめておきたいと私は思います。
 次の質問でございますけれども、多少今の質問と重なる感もございますけれども、先ほど来、二〇〇〇年三月、四月と申し上げておりますけれども、二〇〇〇年三月には丹羽厚生大臣が、参議院でございますが、胸が痛む思いというような御発言をされ、そして外務大臣がお気の毒というふうに御答弁をされておられます。
 この胸が痛む思いとかお気の毒という答弁は、具体的にはどういうことを指しているのでしょうか。例えば、確かに正義ではないということ、不正義がなされ、あるいは日本の国内そして国外、公平ではない、不公平があるというような、そうした事態に対して胸が痛む、あるいはお気の毒というようなお気持ちを披瀝されているのでしょうか。あるいは、元BC級戦犯の方に関して立法をしていないという不作為に対して胸が痛む思いというふうなことを披瀝されたのでしょうか。
 本来でしたら当時の大臣に御答弁いただいて、その後どうかということをお尋ねしたいところでございますが、本日は、厚生労働省、外務省、それぞれから御答弁をいただきたいと思います。
新島政府参考人 御指摘の点でございますけれども、丹羽元厚生大臣がどのような趣旨で御発言になったかということについては、正確にはわからない部分がございますけれども、前後のやりとりから推測をいたしますと、日本国民として戦争犯罪を犯したとの理由で刑を受け、または拘禁された韓国出身のBC級戦犯の方々が経験された御労苦に対しまして発言をされたのではないかと考えられると思います。
石毛委員 外務省からも、もう一度御答弁。
薮中政府参考人 これも今の厚生労働省の答弁と類似してございますけれども、全体のコンテクストから判断いたしまして、基本的に、さまざまな御苦労をされてきている、そうしたことについて思いをいたすとき、改めて心が痛むという趣旨で述べられたんだというふうに理解しております。
石毛委員 私は、政府が全体にどういうふうに国際的なあるいは国内的な課題を解決していくシステムを整備されているのかということをよく存じているわけではございませんけれども、余りこれに時間をとっていますとちょっと先が心配なんですけれども、参議院で丹羽当時の厚生大臣は、胸が痛むという御発言に続きまして、ちょっと間を省略しますが、「機会があるたびごとにこういった問題が提起されていることを十分に私自身の脳裏に刻み込んで、委員」、これは清水澄子議員ですけれども、「の御指摘のことにつきましてどういうような対応策がとれるかということにつきまして十分に私の立場で今後検討していきたい」、こういう御答弁をされていらっしゃいます。
 今、私は、このことを経過的に全部フォローすべきと言うつもりはございませんけれども、大臣としての発言でいらっしゃるわけですから、先ほど薮中局長は、外務省は日韓協定のディメンションでといいますか、認識を整理しているけれども、内閣全体の課題だというふうに考えるとお答えになられましたけれども、内閣全体として、どういうふうにこのことをその後運んでいったのか。今日から見れば運んできたのか。
 そして、きょう、新島審議官、御答弁くださいましたけれども、本来であれば、この丹羽大臣の御答弁、どういう対応策がとれるかということにつきまして、「私の立場で」といいますのは、援護法を所管している大臣の立場ということだと私は理解しますから、援護法では国籍条項の問題があって、いろいろあるでしょうけれども、元BC級戦犯の方についての課題をどのように考えていくかということは、大臣のお立場として、その後が継続されてしかるべきであったのではないか。とすれば、審議官からの御答弁は、その後どのような取り組みがなされたのか、なされないのか、そのあたりにも少し触れていただいてよろしかったのではないでしょうか。
 確かに、御労苦に対して、御苦労に対して胸が痛むあるいはお気の毒というお気持ちを持たれたということは、これはどなたも人間として当然のことだと思いますけれども、大臣としての職責に基づいての御答弁であるわけですから、その後、政府を構成する重要な閣僚としてどう動かれたということにつきまして、もう少し丁寧な御答弁をいただいてよろしかったのではないかということを申し上げたいと思います。(発言する者あり)指示をいただきましたので、もう少し丁寧に御答弁いただけますですか。新島審議官、いかがでしょうか。
新島政府参考人 御指摘の点でございますけれども、援護法の枠組みにつきましては、国籍条項がございまして、なかなかこの援護法の枠の中で考えることは困難という趣旨の発言も当時大臣の方からしているわけでございます。そういったことを踏まえまして今後検討していきたいという答弁があったわけでございますけれども、それにつきましては、当時、与党内で人道的見地からの検討が行われているという旨の発言がございます。それから、政治家共通の願いとして恒久平和を政治の羅針盤とするといった直前の発言もございます。
 こういった発言などから推測いたしますと、政治家あるいは国会議員という立場での御発言ではないかなというふうに考えております。
石毛委員 それでは、今の御発言で、丹羽厚生大臣は、当時、ちょうど与党内に国籍条項を勘案して在日の方に対する補償立法が進んでいるということを、与党の議員立法として進んでいるので、大臣はそれを十分に認識しているというふうに賛意を示されたといいますか、そういうふうに理解をさせていただきます。余りこのことでやりとりをしている時間はございませんから、そのようにさせていただきます。
 私自身は日本政府の不作為ということをきょう問題にしたいわけですが、官房長官、お見えくださいましたので、まず官房長官にお尋ねしたいと思います。
 官房長官、今、私は旧植民地出身でいらっしゃる元BC級戦犯の方についての質疑をさせていただいております。ちょうど官房長官がお入りくださったわけですけれども、二〇〇二年の十二月二日付でございますけれども、元韓国出身戦犯者の方の同進会の会長さん李鶴来さん、そして副会長さん金完根さんの連名で、「韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の補償立法化措置について」という要請書を福田官房長官あてに郵送させていただいておりますけれども、お読みいただいておりますでしょうか。
福田国務大臣 確かにそういう要望書がございまして、拝見いたしました。私あてということだけでなくて、関係省庁何人かにお出しなされたものだというように思っております。
石毛委員 関係省庁何人かにお出ししているんですけれども、福田官房長官あてにお出ししているということも明白な事実でございますから、そこのところはきちっと御認識していただきたいと思います。
 それで、官房長官に後でもう少しお尋ねしていきたいと思いますけれども、先ほど来の、厚生大臣あるいは外務大臣の御答弁は、御苦労に対して、あるいは、そうしたことに胸が痛むとか、お気の毒とか、そういうお気持ちを示されたけれども、立法不作為というそうした考え方は持っていないというような言い方として伺いました。
 私は、実は、日本政府が立法を不作為しているというそのことによって、元BC級戦犯にされている当事者の方々の名誉が回復していないことが一番の問題だというふうに受けとめているわけですけれども、官房長官、この点につきましてどのようにお考えになるかということをお伺いしたいと思います。
福田国務大臣 その要望書でございます、拝見いたしましたけれども、本当に、過去のことでありますけれども、今思い出して胸が痛くなるような、そういう戦中戦後の問題であるというふうに思っております。
 このBC級戦犯の問題を含めまして、日韓間の請求権にかかわる問題、これは先ほど来事務方が答弁いたしておるとおりでございまして、一九六五年のいわゆる日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決済みである、こういうことでありまして、法的には整理をされているということになるのでありますが、しかし、このようなことでもって大きな損害、苦痛を与えたということ、これはまことに遺憾なことだというように考えております。
 そういうことでございますので、これらの方々に対しましては、道義的な見地から、一九五三年四月以降、日本人と同様の帰還手当を支給したということ、また、一九五八年までの間に見舞金、生活資金の一時支給を行いまして、また、生業の確保、公営住宅への入居といったような便宜を図るというような措置も行っております。また、平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律もございまして、これによって、しかるべき法律に基づいた手当てもしたこともございます。
 しかし、この要望書にございますように、今私が申し上げた以外の方々、対象外の方々もおられるわけでございます。そういう方々に対してどういうこと、どういう実情があったのか、まずこれは確認しなければいけない、この要望書をいただいたのがちょっと前になりますのでね。それから何もしていなかったのか、こういうふうに怒られるかもしれませんけれども、これは私の方でもって至急実情を調べてみたい、このように思っておるところでございます。
石毛委員 内閣官房長官、今いろいろ御答弁くださいました。官房長官がいらっしゃらない間に、少し繰り返しになりますけれども、平成十二年、二〇〇〇年に、今官房長官が最後の方で触れられておりました、国籍条項にかかわるけれども在日の方に関しては弔慰金を支給するという、これは議員立法で立法化がされたわけです。
 ですけれども、御存じのように、元BC級戦犯の皆さんは、お伺いするところ、きょう、実は傍聴席に、裁判の原告になられた当事者の李さんと金さんがお見えになっていらっしゃいますけれども、教えていただきますところによりますと、捕虜収容所に勤務を命じられた朝鮮青年は三千人ということでございまして、そして、日本が敗戦とともにポツダム宣言を受諾して、裁判によって二十三人が死刑に処せられて、百二十五人が服役されまして、一九五六年、昭和三十一年、ちょうど官房長官は青春の時代であったと、私もそうですけれども。
 そういう時代に、本当に有為の青年期を獄中におられて、しかも青春も命も、そして、ポツダム宣言による戦後処理ということも含めてあらゆる犠牲を日本は強要しておきながら、刑はまさに戦争裁判によって日本人として服役させられ、これまで援護と補償は外国人だからできないというふうに言われてこられた方、百二十五人が服役されて、五六年に出獄されていらっしゃるわけです。出られてからお二人の方は自死されたというふうにも伺っております。ですから、百有余人の方が、今、法のはざまといいましょうか政策の谷間にいらっしゃるということを、ぜひ十分にお受けとめいただきたいと思います。
 そして、先ほど来、一九五三年には帰還手当ですとか、五八年に生活一時金とか、いろいろおっしゃいましたけれども、それは施策的な措置でありまして、まさに人道的精神に基づきまして、当事者の方々がお求めになられております、当事者の方々はぜひ謝罪をというふうに御主張されて、私はそれは当然だと思いますけれども、でも、その慰謝と、そしてまた象徴的な補償ということ、これも二〇〇〇年の法律では弔慰金というような形にされておりますけれども、そうしたことを求めていらっしゃいます。
 官房長官に提出いたしました要請書の最後の方を見ていただければおわかりになりますように、九一年の十一月に東京地裁に裁判を提訴して、九八年七月、八年間の裁判を闘われた。そして、私はここのところを強調したいわけですけれども、地裁も高裁も最高裁判所も、裁判では棄却、こういうことになっておりますけれども、どの裁判所も全部、これは立法府として解決をすべき課題だということを判示しているという経緯がございます。
 そのこともぜひ御認識をいただきまして、裁判所は立法を促す見解を示しているわけですから、どういう実情があったかということを十分に調査をしたいというふうに先ほど御答弁くださいましたけれども、さらに一歩進めまして、今私は、BC級戦犯の方につきましての概要は御紹介させていただきましたので、政府として、立法による新たな措置をおとりになる方向を検討するということをぜひ御答弁いただけないでしょうか。
福田国務大臣 過去の経緯、どういう実態があったかといったようなこと、そういうお話を伺いまして、本当に、戦争ということはあったにしても、そのことによって大きな負担を与えたということについて、これは政府として十分考えていかなければいけない問題だというふうに思っております。
 そういう観点から、これから私たちが実情を調べて、こういうふうに申しましたけれども、遅まきながら、この実態がどういうものであったかをよく確認して、その上でどういう方向をとるべきか、この点をよく考えてみたいというように思っております。
石毛委員 ありがとうございます。
 それで、官房長官に、私がさらに詳しいことをぜひお示しいただきたいと申しますのは少し出過ぎるかもしれませんけれども、実は、話題を少しそらすかもしれませんけれども、内閣委員会の官房長官に対する質問といいますのは、質問をとりに来てくださっている役所の方々との間では大変苦労いたします。何を苦労するかといいますと、官房長官は、例えば男女共同参画担当というふうにお決まりになっている部分はよろしいんですけれども、総理を補佐し、あるいは総理を場合によっては代理されたりという、内閣全体を統括するというような、そのお立場にいらっしゃる大臣、官房長官に質問をさせていただきたいというふうに申しますと、質問とりの方は大概の方が、官房長官の所管ではありませんというふうにお答えになります。
 先ほどもちょっとそういうことがこの委員会でもございましたけれども、所管であるかないかという部分と、それから全体として統括されるという……(福田国務大臣「統括じゃない」と呼ぶ)統括といいますか調整をされるというふうに申し上げたらよろしいでしょうか。調整でよろしいですか。――では、調整という。そうしますと、今、政府としての観点からどういう実情であったかということをこれから検討してまいりたいという御答弁をいただきましたが、もう少し具体的に、どういう機関でといいますか、あるいはどこでというようなことをさらにお示しいただきますと、私は本当に質問させていただいたかいがあったというふうに思いますので、ぜひお願いいたします。
福田国務大臣 私の職務は限定されております。しかし、総合調整機能というものもございますので、その機能を使って仕事を進めていくということになりますけれども、この戦後補償の問題とかいうことにつきましては、これは内閣官房でもって窓口になりましょうということはかねがね申し上げております。そして、政策的な判断、そういうようなこともございますから、そのことについては、これは内閣官房ですべきだろうというように思っておりますので、私がこのことについてはまずは責任を持って、そして必要な関係部署、そこと協議をして、そして結論を出していきたいというふうに思います。
 今までの経緯もございますし、また、実際に方針が決まれば専門の省庁におろすということもございますけれども、まずは、とりあえずは私の方でお預かりさせていただきたいと思います。
石毛委員 ありがとうございました。
 今さまざまなことがございまして、大変御多忙でいらっしゃると思いますけれども、時を置かずにすぐ動いていただければ大変感謝申し上げますので、ぜひよろしくお受けとめください。
 実は、私はこの後、質問といたしまして、先ほど来申し上げております、二〇〇〇年十二月あるいは一九八七年、八八年に台湾の元軍人の方に対する弔慰金が支給されて、その立法がされているんだから、いろいろ細かい点できちっとどのように読むかというようなことを解決しなければならない点はあろうかと思いますけれども、大筋とすれば、まさに条理の問題として、立法化の方向をたどっていただくという、そのことをぜひ、次は韓国の方に、そしてまた北朝鮮の方。北朝鮮の問題は今いろいろとございますけれども、日本は国交回復を図るという基本方針は持っていらっしゃるわけですから、これはタイムスパンの問題であると思いますので、ぜひそこのところをお受けとめいただきたいと、再度質問を含めて申し上げたいと思っていたところでございますけれども、先ほど来官房長官の御答弁の中にお触れいただいていると思いましたので、これは質問ということではなくて、今のように申し上げさせていただきます。
 そこで、きょう、大筋内閣官房で必要な関係部署等の連携をとって進めるという御答弁をいただきましたから、さらに官房長官に御認識をいただきたいということで、これから先のことは申し上げたいと思います。
 今までは元BC級戦犯の方につきまして提起を申し上げましたけれども、本日もう一人、傍聴席に金成寿さんがお見えになっていらっしゃいます。志願兵として陸軍上等兵でビルマ戦線で右腕をなくされ、足にも負傷されて、今お体は不自由でございます。本日、今回も韓国から、きょうの委員会傍聴のために飛んできてくださいましたし、それから、これも内閣委員会の委員各位の皆様あてにこれだけの要請書、そのほかの書類等々を議員会館の事務室にお伺いしてお渡しさせていただいておりますので、ぜひ委員各位の皆様、ごらんいただきたいと思います。そして、認識を共有させていただきたいと思います。
 この金さんも、日本政府に国家賠償を求めて一九九〇年から十一年間裁判を行ってこられた方で、最高裁で請求が棄却された方でいらっしゃいます。その後もお一人で、政府から戦争当時の記録を入手するなど、調査を重ねてこられました。
 それで、棄却されておりますのが二〇〇一年十一月十六日ですから、一昨年ということになります。私は、とても驚くんですけれども、きょう厚生労働省からもおいでいただいていますけれども、厚生労働省は、金成寿さんに、軍歴証明書ですとか、昭和五十三年八月一日で受傷証明書をお出しになっていらっしゃるという。それから、金さんが創氏改名によって大立俊雄さんというふうに名乗らせられたというようなことも記録にちゃんとございます。
 それからさらに、最近でいいますと、受傷証明、それこそ、当時日本軍に属する軍属として戦争で傷を負われたという受傷証明書も出されておりますし、それから、私はもう、ちょっと息が詰まるようですけれども、平成十五年三月六日、ことしの三月六日に、もし、金さん、当時の日本名大立俊雄さんが日本国籍を持つというふうに、まあ、これは法律的には擬制というか例えるか、いずれの方向かはあると思いますけれども、日本国籍を持つとしましたら、幾らの恩給ないしは年金が支給されることになるのかということに関しまして、受傷の程度を若干、どこに分類するかによりますけれども、二つ金額を提示してくれてありまして、それが約一億四百万円という金額と、約一億三千万円という金額です。
 物すごい金額、もし日本人として、それこそ在日でいらっしゃったらば、象徴的弔慰金ですから、これだけの金額ではありませんけれども、日本の方はこれだけの金額になっている、こういうことが総務省人事・恩給局から出されております。
 確かに、日韓協定後、先ほど官房長官もちょっとお触れになられていましたけれども、韓国政府からの支給金というようなこともあったやに伺っていますけれども、とにかく、このけた違いの格差というのはすごい話だということを、改めて私は認識せざるを得ないということなんです。
 ぜひ、このことを官房長官にもお知りいただきたいと思いますし、それから、この際ですけれども、実は、本当は金成寿さん御自身が、今から私がかわりに御紹介させていただきます「福田官房長官殿」と記載されました「嘆願」。これは多分今お手元にないと思いますけれども、官房長官の事務のところには届いているはずだと思いますが、この「嘆願」、ここのところを、ぜひ私からかわって御紹介させていただきたいと思います。
 ちょっと、だめですね。しっかりしなきゃいけません。(発言する者あり)はい。
 嘆願
 福田官房長官殿
                    小生、
 金成寿は、日本名を大立俊雄といいました。
 名誉ある大日本帝国陸軍上等兵でありました。
 ビルマのウンナン戦線で、左足を負傷しました。
 ビルマのシャオ戦線で右手を失いました。
  片手なし、片足をひきずって、戦後五十八年をどうにか生きぬいてきました。紛れもない傷痍軍人であります。
  ところがです。日本国は小生の失った手、負傷した足を返してくれません。
  軍人恩給というのがあるらしいのですが、小生にはビタ一文の支給もありません。
 おかしいなあ。
 裁判にも訴えました。
 最高裁まで十年の歳月が流れました。
  棄却でありました。
 小生はもうすぐ七十九歳であります。
 日本が好きです。友人もたくさんいます。戦友たちはいつも励ましてくれます。
  二〇〇二年十月脳梗塞を発症しました。
  二〇〇二年十二月再入院でありました。
 今回は五十回目の来日であります。病後の身体をひきずってであります。
 日本の友人はやさしい。日本国は冷たい。
                   小生の
 足も劣えました。
 日本の良心を信じます。
 官房長官殿、小生の命あるうちに日本の良心を示して下さい。
 冥途の土産にしたいのです。
 二〇〇三年六月三〇日
                金 成寿拝 
でございます。
 本当は、私は、委員会を開催して、そして参考人の方として、元BC級戦犯とされている皆さんにも、金成寿さんにもぜひ証言をしていただきたい。そして、いかに日本が旧植民地の方々に、私どもも、もちろん戦争によって苦労をいたしましたけれども、それ以上に、自分の国ではない、日本という国の植民地化された中で苦労をなさった皆さんの発言を直接お聞きいただきたいというふうに思います。
 ですけれども、本当はこの席で、金成寿さん、あるいは李鶴来さん、金さんに前においでいただいてお渡しいただきたいと思いますが、前にある委員会で……(発言する者あり)では、ちょっとしっかりする時間を少し下さい。
 それでは、今、筆頭理事から御助言をいただきましたので、金成寿さん、また李鶴来さん、金完根さんがお見えになっていらっしゃいますので、傍聴席から、官房長官にお出いただいて、お渡しいただきたいと思いますが……(発言する者あり)
 それでは、お三人に代理させていただきまして、私からお渡しさせていただきますので、委員長、よろしいでしょうか。
佐々木委員長 どうぞ。
 では、官房長官、お受け取りください。――では、石毛君、続けてください。
石毛委員 それでは、お受け取りいただきましたので、ぜひ、そのことを官房長官に、再度、内閣官房として解決に向けて力を尽くしていただくという御発言をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
福田国務大臣 もう戦後六十年たったわけでありますけれども、いまだに戦争を引きずっているのが日本の実情だと思います。すべての問題が終わっておりません。多くの問題がいまだに残されているということです。
 いずれにしましても、戦争というのは不条理なことがいろいろございます。ですから、そういうものをどのように現世代が受け継いでいくのかという大きな課題でもあろうかと思っております。
 いずれにしましても、ただいま委員の御提起されたことにつきましては、十分に検討してまいりたいというように思っております。
石毛委員 そうした御答弁をいただきまして、さらに発言を重ねますのは、私も少し気が重いところが正直言ってございますけれども、先日、七月十三日の新聞報道ですけれども、自民党の江藤隆美議員が、日韓併合は国連が承認したことだ、何を今さら九十年たったら植民地支配というようなことを言うのかという発言をしたことがございます。
 こうした差別的な発言がされるということ、このことは、やはり戦後処理がきちっとされてきていないということの象徴的なあらわれではないか、そして、植民地支配に対する清算がきちっとできていないということのあらわれだというふうに、私は、本当は、このことにつきましても、ぜひ官房長官にただしていただきたいというようなことを申し上げたいと思いますけれども、今そのことは申し上げません。
 こういう発言、しかも、政治の場にある人間がこういう発言をするということ自体が、私はやはり間違っているということだと思いますので、ぜひこうしたことが起こらないように、そして、ドイツとかアメリカとかいろいろな国で戦後補償がどのようになされているのかということを大いに私たち日本の国も学びながら、ぜひとも、こういう時期、二十一世紀に入って、日本は大きな大きな、大変大事な時期を迎えていると思いますので、世界に対して信義と責任を有する国であるということを、この元BC級戦犯の方々の問題、あるいは韓国、北朝鮮に在住する金成寿さん初め、傷病兵として日本の戦争の被害をこうむった方々に対する課題を解決していきたい、そのことを世界に向けてアピールしていただきたい。そのことが、日本が信義のある国である、徳のある国であるということを示すことになるというふうに確信しているということを申し上げさせていただきたいと思います。
 これから先、私が一人で官房長官にお聞きいただくという形になっていますけれども、李さんや金さん、そして金成寿さん、皆さん、ぜひ立法をということで、実は、今官房長官にお渡ししました、そのことを各委員の皆様にもお願いに回られていらっしゃるわけですけれども、政府として立法化をしていただければ、こんなにありがたいことはありませんし、日本という国の立場を国際的にも示すことになりますので、私どもは、政府が取り組んでいただけないのでしたら、議員立法としてということを考えて検討を進めているところでございますが、ぜひ政府が立法化ということでお進めいただきたい。
 もしも、もしもでございます。ここから先のもしもは本当は申し上げたくないのですけれども、もしも政府ができないということであれば、立法府の方で、私ども、議員として議員立法化を進めてまいりますので、その折には、内閣委員の皆様にも御協力をいただきたいと思いますし、議員立法ですから、政府は関与する立場にないというふうには、制度的にはそうだと思いますけれども、ぜひぜひ、いろいろな解釈におきまして、さまざまな課題があると思いますので、政府として後押しをしていただきたいというふうに思います。
 この関係、政府としての立法化あるいは議員立法化ということにつきまして、官房長官、お考えになられるところがありましたら、御発言をいただきたいと思いますけれども、いかがでしょうか。
福田国務大臣 立法の仕方につきましては、これはその内容いかんということであろうかと思います。そういうことになるのかどうか、そういう必要性とかいったようなことも含めまして、まずは実情を至急調べさせていただきたいと思っております。
石毛委員 済みません。念押しの質問ですが、実情をお調べになられるということを、私ども内閣委員会に所属する委員、ないしは、私は実は民主党の中で人権担当をしておりますけれども、私の方から随時お伺いさせていただく、お尋ねさせていただくということでよろしゅうございますか。
 それでは、そのお約束をいただきましたということで、ちょっと私は涙腺が弱いものですから、本当は私はこういう姿は見せたくはなかったんですけれども、失礼いたしました。ありがとうございました。
 あともう一点、鴻池大臣をどうして、少年非行で内閣府に検討の場が設置されたということですけれども、七月十五日の朝刊によりますと、あるいはきのう、けさのニュースによりますと、鴻池大臣がヘッドに座られたと。これは問題になった発言の後でございますので……(福田国務大臣「前です」と呼ぶ)後ではないですか、前ですか。
 そうしますと、発言をなさったということに関しては、何ら対処をされなかったという理解をしてよろしいんでしょうか。
福田国務大臣 鴻池担当大臣、内閣府大臣は、いつでしたか、ちょっと覚えていませんけれども、恐らく二週間以内だったと思いますけれども、青少年問題の担当大臣、こういうことで担当をお願いいたしたわけでございます。
 その後、先週、発言がございました。いろいろと波紋がございましたけれども、しかし、その発言につきましては、その直後に、鴻池担当大臣も、適切なる表現の仕方でなかったということで訂正をされておられます。また、昨日も、閣議の後の閣僚懇談会というのもございますけれども、そこでもって、全閣僚に対して、そういう不適切な発言があったけれども、それは例えとしてではあったけれどもよくなかった、そういう趣旨のことを言われたわけでございます。
 鴻池大臣には、青少年問題ということでございますけれども、青少年問題の大綱を出していただこう、こういうことでもって、その作業がこれからあるわけでございますが、この大綱に取りかかる前に、今回の少年事件が起こりました。したがいまして、その少年事件を、これは緊急を要する、沖縄にもありました、長崎にもありました、緊急性があるということで、緊急の青少年問題への対応を考えるべきではないかということを担当大臣としてお考えになり、それを大綱に先立ってやりたい、こういうふうなことでございまして、これは総理も、そういう考え方については了承しまして、早速取りかかるようにという指示をしたところでございます。
 いずれにしましても、大きな我が国の社会問題であり、かつまた、将来の日本を支える青少年が健全に今後社会の中で育っていくというような、そういうことは極めて大事なことでございますので、鴻池大臣にも全力を挙げてこの問題に取り組んでもらいたい、そのように考えているところでございます。
石毛委員 この件に関しましては、また後ほど委員から御質問がなされるようですので、私はこれで終わらせていただきます。
 官房長官、ぜひ、きょうのお約束を、スピードを上げてお取り組みいただきますように要請をさせていただきまして、質問を終わります。ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で石毛えい子君の質疑は終了いたしました。
 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時十九分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時一分開議
佐々木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。中沢健次君。
中沢委員 午前中に引き続きで大変お疲れさまでございます。民主党の中沢ですが、きょうはまた四十五分しか時間がありません。前半は国家公安委員長といろいろ政治家同士の議論をしたい、後半は公務員制度改革でまた石原大臣とやりたいと思っております。
 早速ですが、まず事務方からのお答えを先にいろいろ聞いた後で、国家公安委員長の大臣の方と、今の局面で大事な問題、二つ私は問題意識を持っておりますから、いろいろしっかりした意見交換をして、率直に言って、もう通常国会の会期末で、内閣委員会の一般質疑というのはこれからやる余地は余りないと思いますので、通常国会最後の内閣委員会の一般質疑、とりわけ国家公安委員長に対する質問、こういうことで受けとめていただきたいと思います。
 まず最初に、前回のピッキング法案のときにも簡単に触れましたやみ金融、中でも暴力団との関与が非常に濃厚になっている、こういう問題意識をずっと以前から私は持っておりますから、これについて幾つか、まずは政府参考人の方からお答えをいただきたいと思うんです。
 言うまでもありませんが、きょうの財政金融委員会で、財政金融委員会のいろいろな判断で、この際、出資法、貸金業法等々の改正が必要である、それが国民のため、国家のためになる、こういう判断で、委員長提案で関係法案が審議をされて、聞くところによると、きょうの委員会で上がって、あすの本会議で衆議院を通過する。私は、大変時宜を得た国会の対応だというふうに考えています。
 そこで問題は、やみ金融の犯罪の事前の防止、被害者に対する、国民に対して、さまざまな警察の責任としてやることが、今までもいろいろやってきていますけれども、さらに一段とそういう必要性がある。まずそのことを前提にして、具体的に、特に昨年一年間で、やみ金融と言われている事件、国民に対する被害、警察はどういう具体的な対応をしたか、簡単で結構ですからお答えをいただきたいと思います。
瀬川政府参考人 お答えいたします。
 やみ金融でございますけれども、私どもとしましては、三つの内容があると考えております。一つは、出資法に違反をいたします高金利事案でございます。それから二つ目は、貸金業法に違反をいたします無登録の貸金業営業の事案。それから三つ目には、こういった貸金業に関連をいたしました、詐欺でありますとか暴行でありますとか脅迫でありますとか、そういった犯罪を犯すもの。こういうものを総称いたしまして、やみ金融事犯というふうにとらえております。
 このやみ金融事犯に対する警察の取り組みでございますけれども、大変極端な、数百%から数千%という極端な高金利の取り立てが行われる。あるいは、返済が滞れば、その本人、家族のみならず、近隣や職場に至るまで脅迫的な取り立てを行うという、大変悪質な取り立て行為が行われて、大変被害が頻発をしているということで、非常に深刻な状況であるというふうに認識をしております。
 警察の取り組みでございますが、こういったやみ金融事犯の取り締まりに鋭意取り組んでいるところでございまして、ちなみに、昨年の事件でございますが、警察が検挙しました事件で、被害に遭った人員の統計をとってみますと約十二万人に及んでいる、それから貸付総額は約百六十億円に上る、こういうことでございます。この被害人員十二万人というのは、私ども平成八年から統計をとっておりますが、最多の数字でございます。
 それから、検挙でございますが、検挙件数で二百三十八件、検挙人員で四百四十六人というのが、昨年の取り締まりの結果でございます。この二百三十八事件という検挙事件数は、これも統計を私どもとってから最も多い数だということでございます。
 大変に深刻な状況にあるという認識のもと、今後とも強力な取り締まりを推進してまいりたいと考えております。
中沢委員 今、瀬川局長の方から、幾つかの具体的な事例のお答えもありました。
 率直に言って、暴力団というのは、金になることなら何でもあり、こういう世界だと思うんですよ。これはとんでもないと思うんです。しかも、最近はやはり経済、あるいは国民生活に、こういうやみ金融ということに象徴をされるような大変な事件を起こして、しかも、恐らく十二万人というのは、率直に言って氷山の一角だと思いますね。もっともっと、実態からいうと、現実からいうと、たくさんの国民が結果的に被害を受けている。私は、これはもう紛れもない事実だと思うんですよ。
 特に、ことしに入りましてから、このやみ金融の被害を受けて、大阪の八尾市では御夫婦が心中をする、愛媛では御主人が自殺をしてしまう、こういう非常に悲惨な、これは氷山の一角中の非常に象徴的な出来事だと思うんですがね。特に、私が前の委員会でも指摘をしました、今ちょっと具体的には触れられておりませんが、やみ金融の会社の経営、あるいは従業員、あるいは悪質の取り立て等々を含めて、暴力団の関与が歴然としている。警察で出されている資料でも、およそ暴力団の関与というのは五割近くなっている。これは大変なことだと思います。
 もう少し暴力団の関与の内容について、具体的な傾向、あるいはそれに対する警察の対処、少しくお答えをいただいておきたいと思うんです。
近石政府参考人 いわゆるやみ金融と呼ばれる違法な高金利や無登録の貸し付けにつきましては、現下の社会経済情勢を反映いたしまして、事業者のみならず一般市民にも被害が拡大しているところであります。
 警察では、いわゆるやみ金融について、平成十四年は二百三十八事件、四百四十六人を検挙して、今、生活安全局長がお答えしたとおりでありますが、そのうち、暴力団、暴力団員及び準構成員に係る検挙は六十六事件、百十人ということになっておりまして、事件数では二七・七%、人員では二四・七%を占めているところであります。
 また、暴力団が営むやみ金融、やみ金業者の検挙事例の中には、三日で一割といった法外な利息を徴し、また短期間に一億円を超える収益を上げていたと見られる事例等があり、いわゆるやみ金融は暴力団の大きな資金源となっていると見られます。
 警察といたしましては、これらの実態を踏まえ、やみ金融について、その被害の防止に努めるとともに、暴力団の関連するやみ金融事犯については、資金源封圧の観点からも徹底した取り締まりを図っていく所存であります。
中沢委員 そこで、谷垣大臣、もう言うまでもないと思います、大臣の方が全国のいろいろな情報も正確に把握をされる。警察が国家公安委員会の指導のもとに何をやったか。
 私は、あえて財金の委員会できょう関係法案が成立をするというお話をしました。そうすると、やはり政治家の国家公安委員長、担当大臣として、確かに、暴力団新法というのはもう施行後十一年経過、あの時点はやみ金融という言葉もなかったんですよ。それがだんだん、とにかく金になることなら何でもありと、やみ金融に直接、間接暴力団が大変な関与をしている。しかも、国民の被害というのは、十二万という数字は氷山の一角である、もっともっと深刻な問題を国民に与えている、こういう事実なんかを十分把握されていると思うんです。
 私は、やはりこの際、国家公安委員長として、国家公安委員会を開いての議論も必要だと思いますが、警察庁あるいは都道府県警察に対して、今日のこの問題の重要性を改めてしっかり全体が認識をする。そして、今までも決してやってないとは言いません、言いませんけれども、もっともっと全体としてこの問題にしっかりとした視点を当てて、具体的な体制の問題だとか、あるいは捜査の関係だとか、国民に対するさまざまな相談の窓口を開くだとか、そういう警察全体のこの問題に対する総力を挙げる決意と、決意だけじゃなくて体制づくりというのは、私は改めて必要になるのではないかなと。
 出資法も改正になります。それはそれで一つの歯どめはできると思いますが、やはり全体的に、警察権力をいい意味で背景にして、強制的にさまざまなことができる、警察のそういうことをよく念頭に入れて、この局面で思い切ってさまざまな分野でこの問題について全面的に対処をしていく、そういう必要があると私は思います。
 決意と具体的な体制についてどうするか、きょうの段階で大臣からの見解をしっかり聞いておきたいと思います。
谷垣国務大臣 現下の深刻な状況をお踏まえになった委員の御議論でございます。
 私も、一方で国家公安委員長という職をいただいておりますが、他方で産業再生担当ということで、要するに治安と経済、ある意味で両方視野に入れなければならない立場でございます。もちろん、この二つを混同するのはいけないと自分で戒めて、二つの職はきちっと区別を、厳然と区別をしているつもりでございますけれども。
 産業再生がなぜなかなか思うように進まないかということを考えますと、個々の事案は別として、例えば、強制執行をしていくときにいろいろ暴力団等が入ってきて権利実現がうまくいかないであるとか、あるいは、日本の金融機関は多くの場合に譲渡禁止の特約をつけて、それは長い信用に基づく取引関係はそういうことでいいんでしょうが、他面、それは知らない者が出てきたときどういう行動をするかわからないという不安感が背景にあるんじゃないかと思ったりするわけであります。
 つまり、経済の再生のためにも透明な市場、そこに委員がおっしゃった暴力団が金のためになら何でも入ってくるというような土壌を断ち切らなければ、今の日本のこのトンネルに入ったような状況はなかなか抜けられないのではないかというような思いを、産業再生を担当しながらも思ったりするわけでございます。
 しかし、そういう思いの中で今最も焦眉の急は、委員が御指摘になった、これは経済活動というより、経済活動に名をかりた暴力であり、犯罪である、こういうことで自殺者が出たりしているということだろうと思います。そこで、今、与野党で御協議になって、財金委員会で法改正を議論していただいている。私は、まさに時宜を得たお取り組みをいただいていると思っておりまして、こういう国会の問題意識を治安当局も正面から受けとめて対応しなければならないと考えております。
 一つは、やはりこれは、今までこのやみ金融の問題は、警察で申し上げれば生活安全局の担当でございますけれども、しかし、今の委員の御質問にもありますように、生活安全局だけで片づけられるというような問題ではない。暴力団対策をやっているものも力を合わせなければいけないし、それから、具体的な被害の相談なんかが来たときは地域を担当しているものも一緒になってやらなきゃいかぬという、いわば警察の総合力が問われている問題ではないかな、こういうふうに感じております。したがいまして、この国会での問題意識を正面から受けとめて、警察としてはそのようないろいろな警察の持っている能力を総合的に発揮できる体制はどうあるべきかというのが一つでございます。
 それから、こういう問題は、何でもそうですが、警察は頑張らなきゃなりませんが、警察だけで空回りしてもうまくいかない。これは、いろいろ弁護士会や何かで非常に問題意識を持っておられる方も多くいらっしゃる、市民団体でもそういう方がいらっしゃる、そういう方々との連携もまた確立していかなきゃならないということだろうと思います。
 国会でこういう御議論をいただいているのを機に、今までもいろいろ工夫はしてきたんですが、今一段とそこらも工夫を重ねて、この国会での問題意識に私どももこたえられるように、国家公安委員会としても督励をしてまいりたい、こう思っております。
中沢委員 問題意識は全く共有できると思います。具体的な対応についても、所管の大臣として決意と具体的なお話がありました。ぜひひとつ、大変な問題ですから、きょうはこのぐらいにしますけれども、しっかりやってほしい、こんな思いでいっぱいです。
 さて、もう一問、麻薬問題、覚せい剤問題について幾つか質問もしたいと思います。それで、私は前の委員会でもこの問題を取り上げました。きょうは少し新しい事実がありますから、少しく議論をしたいと思うんですよ。
 まず、政府参考人にお尋ねをしますが、最近の我が国における麻薬の密輸の実態、しかも北朝鮮ルートが残念ながら年々拡大をしている、そして、その中でも日本の暴力団の関与が具体的な事実を含めて明確になっている。毎年発行される国民向けのこういうしおりにも、ポイントのそういう紹介があります。
 麻薬というのは、暴力団でいえば伝統的な資金源なんですよ。やみ金融というのは新しい資金源、簡単に言えば。伝統的な資金源、しかも、日本に限らず、世界各国は共通の国家的な、国民的な不安と悩みを持っている。そうなってくると、まずは、今申し上げましたように、麻薬の密輸の北朝鮮ルートの実態がどうなっているか、暴力団の関与がどうなっているか、まとめて結構ですから、簡単にお答えください。
瀬川政府参考人 お答えいたします。
 我が国で乱用されております薬物といいますのは、そのほとんどが海外から密輸入されたものでございます。特に覚せい剤につきましては、最近では中国と北朝鮮を仕出し地とするものがその大部分を占めているという状況になっております。
 お尋ねの北朝鮮ルートでございますが、平成九年以降、北朝鮮ルートの覚せい剤というものが出てまいりまして、最近五カ年間を見ますと、大量押収事件について見ただけでも、北朝鮮を仕出し地とする覚せい剤の押収量は千四百六十六・八キログラムということになっておりまして、大量押収事案の三四・六%をこのルートが占めているということでございます。
 この北朝鮮を仕出し地とする覚せい剤の特徴として三つございますが、一つは、一回の押収量が非常に大量であるということであります。それから二つ目には、その押収した覚せい剤の純度が高い。それから三つ目には包装ですね。そのパッケージが非常に整っているというようなことがありまして、私どもとしましては、これは北朝鮮が国家として密輸あるいは製造に関与しているかどうかということは、証拠としてはまだ把握をいたしておりませんけれども、相当高度の技術水準や相当の資金を有する組織が関与しているのではないか、こういうふうに見ているところでございます。
 それから、暴力団の関係でございますけれども、今申し上げました北朝鮮を仕出し地とする覚せい剤の大量密輸入事件、今まで私ども、六件検挙をしております。このうち、暴力団構成員がこういった事件に関連して検挙をされたというものが三件ございます。
 簡単に申し上げますと、一つは、平成九年の四月、宮崎県の細島港に入港しました北朝鮮船籍の貨物船に積んでありましたハチみつ缶の中から五十八・六キログラムの覚せい剤が発見された事件、それから二つ目は、平成十年の八月、高知県沖の海上で、覚せい剤二百二・六キログラムが海上を漂流しているところを発見された事件、それから、平成十一年の四月、鳥取県の境港に入港した貨物船に積み込まれていたシジミ入りの麻袋の中から覚せい剤百キログラムが発見された事件、この三件の事件につきまして日本の暴力団の幹部を検挙している、こういう関係が今まで事件検挙で裏づけられております。
中沢委員 今のお答えはポイントでした。私の方も、いろいろな情報もあるいは資料もいただいています。
 そこで、国家公安委員長、恐らくテレビのビデオは見ていないと思うんですが、これはぜひ、後でもいいですから見てください。今月の十日、NHKの報道で「クローズアップ現代」、「北朝鮮と暴力団 覚せい剤密輸の実態」という三十分物、私は別に逓信委員長をやったからNHK、NHK言っているんじゃないんですが、やはり新聞のタイトルを見て、これはちょっと後々いろいろな意味で利用できるなと思ってビデオに撮りました。きのう全部見ました。大変衝撃的ですよ。相当リアルに、しかも海上保安庁の幹部も登場して、間違いなく一昨年の十二月の例の工作船、疑惑は濃厚だと、しかし物的証拠は残っていない、こういう報道でした。それ以外にもいろいろな報道がありました。これはぜひ見てほしいんですよ。
 そこで、もう言うまでもありませんが、先ほど言いましたように、麻薬というのは暴力団の伝統的な資金源である、これはもう否めない事実。そうすると、前にも言いましたけれども、暴力団新法とはいいながら、確かにもうつくって十年も過ぎている。やみ金融の問題これあり、暴力団も、北朝鮮のルートがどんどん大量に暴力団の資金源になっている、その被害は一般の弱い国民に及んでいる、これは本当にゆゆしき事態だと思いますね。やみ金融と別な観点で、そこのところは今までも随分、水際作戦あるいは他省庁との連携をとって警察力を十分に発揮をして、しかし結果的に、大量押収したケースも幾つかしかない。恐らく事件になっている、隠れたそういう事実というのは物すごくあるのではないか、こう思うんですよ。
 そうすると、国家公安委員長として、やはりもうこういう事態について改めて国家公安委員会でも開いていただいて、やみ金融とあわせてで結構だと思いますが、できればもう少し詳しい状況をしっかりと認識をしてもらう、そして、国家公安委員会としての一つの指導方針を改めて打ち出してもらって、そして警察全体に対する指示をおろしてもらって、徹底的な摘発と捜査と、国民に対するさまざまな窓口を開く、あえて言えば、暴力団新法の改正も視野に入れてやる時期に私は来ているのではないかと。
 別に今度の国会、この次の臨時国会なんという短絡的な意味じゃなくて、少ししっかり腰を据えて、そちらに座っているレベルでもやってもらうし、場合によっては、昔は、この問題でいえば小委員会をつくりました。当時の地方行政委員会に小委員会をつくって、十一年前にいろいろな議論もしたんですよ。そのぐらいの国会としてのやはり責任もあるのかな、こちらの問題ですが、そんな思いも私は率直にしておりますから、谷垣国家公安委員長としてこの事態にどういう認識と具体的な対応をこれからしようとしているか、お聞かせをいただきたいと思います。
谷垣国務大臣 今、中沢委員がお触れになったNHKの番組、私もかつて逓信委員長をさせていただいたから申すわけではありませんが、早速私も見てみたいと思っております。実は、私の秘書官から、こういうものを見たがなかなか掘り下げた内容であるというのをちょっと聞いておりましたので、今委員からもお話がありましたので、早速拝見したい、こう思っております。
 それで、もう委員御指摘のように、先ほどのやみ金融、それから最近では産廃等がいわば甘い汁を吸うあれになっておりますが、やはり我々が攻めなければならないのは、伝統的、古典的なこの薬物の問題であるだろうと思います。
 委員御指摘のように、これに対応していく手法は、暴対法それから組織犯罪対策法、こういうものを我々はいただいて使っているわけでありますけれども、もちろん、これをフルに活用していろいろな業態の中に仮装して入ってきている暴力団を押さえていかなきゃならぬということは当然のことだろうと思いますが、私、この国家公安委員会に参りまして、やはりいろいろな問題がありますけれども、暴力団を中心とした組織犯罪にどう対応していくかというのはやはり根本の問題だ、こういうことで、いろいろ警察の中の議論を聞いておりましても、やはりそれに対しての適切な手法を少し研究して、それを開発していく必要があるんじゃないかという議論、私が参りまして、いろいろ聞いてもそういう議論がございました。
 そこで、今そういうことを少し勉強してもらっているところでございまして、まさに、私どもも中沢委員がお持ちになった問題意識と同じものを持っているわけでございます。これは鋭意研究してもらって、何とかこれでやれるというものを打ち出したい、こんなふうに考えておりまして、私としても、国家公安委員会としても、それを督励してまいりたい、こう思っております。
中沢委員 これは別にお答えいただかなくてもいいと思うんですが、いずれにしても、総理もオーストラリアの首相とお会いをして、テロ対策のこともあるけれども、麻薬対策もさまざまなチャンネルで共通するということの報道もありますから、非常に国内的な課題であると同時に国際的な課題でもある、そのことを改めて認識をしていただきまして、非常に大事な大事な問題であると念押しをして、あとは、国家公安委員長としての質問は私はございません。御自由に退席されても結構です。
 それでは、石原行革担当大臣と、きょうは総務副大臣の若松さんにもわざわざお越しをいただいています。特に若松さん、この委員会に出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 まず最初に、ことしの人事院勧告あるいは昨年の経緯、昨年の衆議院における給与法成立時の附帯決議に関連をして、若松副大臣に、一問だけで大変恐縮ですけれども、お答えをいただきたいと思うんです。
 もう多くのことはお互いに言わなくてもよくわかっていることだと思うんですね。昨年は、残念ながら、人事院勧告制度発足以来最初の給与表二・〇三%の減額勧告があって、当該の労働組合あるいは国会でも随分議論しました。結果的に、民間に準拠をするのが公務員の賃金だ、こういう制度の壁があって、四月にさかのぼって減額という措置で国会では法案が成立をいたしました。
 ただ、いいとか悪いとかという議論をすれば際限がないと思うんですけれども、やはり、不利益はさかのぼらない、不利益不遡及という原則からいって、減額について初めて四月にさかのぼる、こういう影響を受けた関係の労働団体は、もちろん全部とは言いません、それを不服として裁判闘争に持ち込んでいるというケースも結構あるんです。私の出身の北海道でもそういうケースがあります。全国的にもそういうケースがあります。
 そこで、若松さんに直接お尋ねをしたいのは、昨年は、そういうことが想定をされながらも、あえて給与法は国会で議論をして成立させた。その折に、私としては注目をしたいのは、具体的な衆議院の附帯決議で、附帯決議の全文、副大臣もお持ちだと思いますけれども、こういうことについては当該の労働団体とよく話をして理解を得るように全力を挙げると。それ以外の附帯決議、三項目ありました。参議院は、理解だけじゃなくて納得を得るように全力を挙げると。私は、国会の見識としては、常識的に言えば、当たり前といえば当たり前だと思うんですよ。
 さて、ことしの場合は、既に人事院中心に民間調査をされておりまして、恐らく八月には例年どおり給与表の改定を含めた勧告が出る。私の聞く情報によると、ことしも、去年並みになるかどうかは別にして、減額は避けられないな、こういう非常に深刻な背景で、人事院と当該の労働組合が話をしているというふうに聞いています。もちろん、人事院ではありませんから、とはいいましても法案を処理する総務副大臣、大臣にかわってきょうは出席していただいていますから、率直に言って、昨年の附帯決議を十分あるいは十二分に尊重をすべきだと私は思います。
 これからの事の推移がいろいろ予想される上での質問を私はしているんですけれども、ほぼそういうふうに動いていくと思うんですよ。そうすると、無用な混乱を来して、昨年のようにまた法廷闘争に持ち込む。これはお互いに余り、こんなことを言っちゃ後でいろいろな影響が出るかもしらぬけれども、生産的でないと思いますね。
 せっかく国家公務員の労働条件について当事者として責任を持っている総務省としては、そういうことも政治的によく念頭に入れてことしは対処をすべきではないか。附帯決議といえども、それを最大限尊重する、こういうお答えをぜひ期待して質問しているんです。よろしくお願いします。
若松副大臣 中沢委員におかれましては、当時の地方行政委員会ですか、大分古くなりますけれども、一緒にいろいろと議論させていただきまして、懐かしく思っております。
 お尋ねの件でございますけれども、総務省の立場はどこまでも、毎年の給与改定に当たりましては、いわゆる人事院勧告制度尊重の基本姿勢に基づきまして、そして国政全般との関連を考慮しつつ、我が省としてはその取り扱い方針を決定している、こういう立場でございまして、ことしの給与改定につきましても、昨年の給与法の改正時の衆参両院の総務委員会での附帯決議、やはりこれを当然最大限尊重しなければいけない。
 現実的には、これは人事院が表に立って関係団体との話し合いをさせていただいているわけでありますけれども、人事院のそういった手続を経た結果としての適切な勧告が今回出されるものと私は考えておりまして、それに基づきまして、総務省としても、給与法を所管する立場から、しっかりとこの勧告を踏まえた適切な処置をしていきたいと考えております。
中沢委員 今の時点では、政治家としても、今若松さんのお答えが一つの限界かもしれません。
 ただ、いずれにしても、そういう事態に、だんだん日にちがたっていけばいくほど具体性を帯びてくると思いますね。ですから、今のところ人事院と当該の労働団体との問題だといえば問題だけれども、結果は、それはもう国会に来て総務委員会がこの法案の処理をする。そこには、総務大臣なり副大臣として、いろいろなことを含めて、昨年の附帯決議をしっかり尊重してほしい、改めてそのことだけを指摘して、終わりたいと思います。
 どうぞ退席されて結構です。ありがとうございます。
 さてそこで、石原大臣、率直に言って、今の通常国会で公務員制度をこの委員会で議論するのはきょうが最後だと思います。二つ、提案も含めて大臣にお尋ねをしたいと思うんですが、まず一番最初は、今月に入りましてから、もちろん公務員制度改革の主管の大臣は石原さんで、事務方は事務局が存在をする、私はそのことはよく承知をしています。
 最近の動きは、政府間のさまざまな話し合いもしている。政府と与党間の話し合いもしている。政府と労働団体の話し合いも、決して十分ではないけれどもやっている。そして、結果的に、これは新聞報道でありますが、あるいは諸会議の内容についても、情報も正確に持っていますけれども、さまざまな背景を含めて、今国会で公務員制度改革の法案の提出は事実上断念せざるを得ない、こういう状況だという新聞報道もあります。
 私はこちらの席に座っていますけれども、この問題について、少なくとも民主党のこの内閣委員会の責任者として随分議論してきました。ついこの間も議論して、もう今度の国会では法案として出せないんじゃないの、石原さん、はっきりその辺は言ったらどうだということを押し込みましたが、あのときは、まだ国会が会期残っているから国会で出すように頑張る、こういう答弁でした。
 しかし、二十八日の会期末、実質きょうでこの内閣委員会としては一般質疑を含めて終わる予定なんです。だれが考えても、さっき言うように、政府間あるいは政府と与党、政府と労働団体、話し合いの機運はあったにしても、なかなか調整がついていない。そうすると、事実上断念ということは、私は客観的に正しいと思うんですよ。
 ですから、石原さん、きょうは、この後、恐らく自民党の総裁選挙があって、組閣があって、臨時国会があって、僕らの手の届かないところの話ですが、お互いに政治家ですから、この際、もう今度の臨時国会は潔く法案の提出は断念します、この委員会で言ってもいいんじゃないですか。言ったからといって、石原、けしからぬということは、与党はともかくとして、少なくともこちら側にいる人間としては、その見識は私は評価したいと思うんですよ。どうですか。
石原国務大臣 この問題につきましては、中沢委員とこの場あるいは他の委員会等々でもかなり議論をさせてきていただいております。
 委員が今意見の御開陳の中で述べられましたように、政府部内での調整あるいは与党間との調整に時間を割いてまいりましたけれども、正直申しまして、一致できない点が多々あるという現状の中で会期末を迎えつつあるのが現状ではないかと思っております。
 きょう、我が党の方の行革本部の総会もございまして、そこで我が党としての意見というものをきょうはお示しされるということもございまして、そういう状態を勘案しつつ、最終的な決断をしなければならない時期に近づいていると認識しております。
中沢委員 いずれにしても、私自身は直接の当事者ではありませんが、この問題について、政治家として、民主党の立場で深く関与していますからね。そこで、石原さんが今の私の質問にそうしますということは言いづらいというのはよくわかるんです。わかって言っているんです。言いたいけれども言えないということも私もわかっていますから、きょうはこれ以上その問題は深追いしません。
 さて、二つ目。私、具体的に提案したいと思うんです。
 いずれにしても、与党の内部でもいろいろな意見があるようですよ。五十年ぶりの日本の公務員制度の大改革をやるんだ。そうすると、いろいろ難しい問題は今でも山積して残っているんですよ。一言で言えば、私は、この際だから仕切り直しをやったらどうだ、政府も、あるいは関係のレベルのいろいろな人方も、そういう思いを率直に持っています。
 具体的に言いたいと思うんですが、一つは、担当大臣は石原さんで、行革事務局が具体的に支えている、承知しています。しかし、政府間の話し合いといったって、厚生労働省あり、総務省あり、あるいは労働基本権剥奪の代償の人事院あり、その辺等の調整も今でも十分整っていない。私は、この際、別に大臣かわれなんという、そんなことは言える立場でないから言いませんが、少なくとも、五十年ぶりの公務員制度の大改革をやるにしては、今の事務局体制では不十分だ、量も質も含めて、そういう認識を率直に持っています。
 私、野党だから厳しく言うんじゃなくて、全体的に仕切り直しをする必要があるということで、その具体的な一つの提案として、事務局体制の再編を本気になって考える必要が一つある。これが提案の一つ。
 もう一つは、政府側と与党との関係はあえて言いません。言いませんが、これも相当しっかりおやりになった方がいい。言われるまでもないということだと思いますが、そういうこともあえて申し上げておきたい。これが二つ目。
 三つ目には、やはり一番大事な労働団体との話し合いです。今、石原さんが大変苦労されて、公務員連絡会のレベルと何回もいろいろな話し合いをする、事務局も話をしている、よく承知をしています。一方では、連合サイドでは、官房長官とチャンネルをつくって、まだ具体的に官房長官の受け皿は明確になっておりませんが、ついこの間も官房長官に、個人的に、大事な問題だから、国会がだんだん会期が今迫っているけれども、早急に連合とも話をして詰めた方がいいんじゃないですかとあえて言いました。
 私は、やはり連合と官房長官の間、きょう官房長官は別な委員会へ行っていますから直接お答えいただけませんが、やはり担当大臣と関係の労働組合とのチャンネル、同じチャンネルで私はいいと思うんだけれども、内容的にしっかり、私の言葉で言えば、お互いに裸になるところは裸になって、信頼関係を改めてつくるのならつくり直しをして、そしてそういうチャンネルをしっかりとつくっていかないと、結果的にこの先大変な山あり坂ありという話になりますから、そういう必要があるのではないか。これが三つ目。
 四つ目には、この際、どういう形であれ、政府の原案をまとめるに当たっては国民の声を聞く。今流でいえば私的懇談会でも、かつてのような公務員制度調査会でもいいと思うんです。そういう新しい国民の声を聞きながらも、政府原案をつくるという別なチャンネルづくり、そういう受け皿づくりの必要性は、緊急性を含めてあるのではないか。
 最後に、閣僚懇談会、公務員制度改革の閣僚懇談会の話を前回申し上げました。石原さんは検討に値するというお話です。政府間で話をするということは、事務レベルの話ももちろんだけれども、政治家レベルの話をしなければいけない。もう言うに及ばないと思いますね。ですから、担当大臣と官房長官と少なくとも厚生労働大臣、そしてこの法案を恐らく直接扱うというふうに思われている総務大臣あたりも、この際、形はともかく、実体的にそれぞれ当事者能力が、あるいは責任能力がしっかり発揮できるようなそういう一つの仕組みもあわせておつくりになって、私からいえば、天下りだとか、能力給の導入だとか、五十年ぶりの公務員制度の大改革になるし、背景には労働基本権問題も素通りにできないという共通認識はほぼ一致しているわけですから、そういうことも含めて、もう少しお互いに腰を落ちつけて仕切り直しをする。全部御破算にするということではありませんよ。今までずっとやってきているんだから、それはそれで尊重しながらも横に置いて仕切り直しをする、そういう考え方で今五つほど具体的な提案をしました。
 きょうの段階でお答えできること、これから検討すること、いろいろあると思いますが、明確にお答えできる部分は明確に答えておいていただきたいと思います。
石原国務大臣 五点についてお話があったと思います。そしてまた、中沢委員の方から、これまでの議論、積み重ねてきているから、そういうものを大切にしろという御示唆に富んだ御提言も最後にいただいたと思っております。
 与党内部の調整から話させていただきますと、与党内部の調整は、与党協議会あるいは各党の行革本部と密に連絡をとりながら、これからもやらせていただきたいと考えております。
 そして、行革事務局の体制でございますけれども、委員御指摘のとおり、事務局の所要の体制の整備というものは私ももう一段図りつつ、さらに幅広く関係者の皆様方と議論を行うとともに、委員御指摘のように、関係閣僚の密接な連携のもとに協力体制を今まで以上に強力に推進していくということは、重要な御指摘ではないかと思っております。
 そして、委員が、国民に開かれた場で議論をするということで、公制調の話をされましたけれども、これは個人的と断らせていただきたいんですけれども、私も公制調という組織を、幅広く人を集め、開かれた形で、私も労働基本権のあり方を否定するなんて一言も言っておりませんし、ただ、結論に至るまでにはさまざまな議論がこれからなされていかなければならない。そういうものを議論する場として、委員御指摘のこういうものは、これまた一つ有力なツールではないかと思っております。
 それと、第三点目でございました連合との各レベルでのチャンネルというものも幅広く開かせていただいておりまして、私も官公労部門の責任者の方あるいは連合本体の責任者の方とも御議論をさせていただいておりますし、これからも幅広く政府と連合との協議機関の枠組みについて、おおむね両者で大体こんなものでしょうというところまでは来ておりますが、具体的に何を協議しようというようなところについてはまだ合意には至っておりませんけれども、こういうものも詰めていかなければならない。
 そして、最後でございますけれども、関係閣僚の話もあったわけですけれども、関係閣僚、これまで鋭意議論、先ほど若松副大臣おりましたけれども、総務大臣、厚労大臣、官房長官ともさせていただいておりますけれども、より一層緊密な連絡をつくって、改革推進に向けた、委員御指摘のような協議体制の構築というものを図っていかなければならないと考えております。
中沢委員 いずれにしても、この問題は大事でありますから、次の臨時国会あるいは通常国会、国会の場だけじゃなくて、いろいろな場でまた、大変な重要な問題ですから、お互いに意見交換をして、そして本当に国民が期待をするような、関係者がそれなりに納得できるような中身でまとめ上げる、私もその一方の荷物をしょってこれからもやらざるを得ないな、こんなことを率直に申し上げて、少し時間が超過しましたが、これは党内で調整しますから、ほかに迷惑かけません。
 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で中沢君の質疑は終了しました。
 次に、山内功君。
山内(功)委員 民主党の山内功でございます。私は、長崎の十二歳の事件について、これから質疑をさせていただこうと思っています。
 政治不信、経済不況、教育の荒廃、そして平和という概念の混乱、もう二〇〇三年の混迷した日本を映し出している事件だろうと思っています。頭がよくて、たくさん本も読んで、今まで問題行動もなかった、そういう少年が起こした事件であるから、余計にみんなが、国民こぞって議論をしていくべき問題であろうと思うんです。
 ですから、例えば教師一人に責任があるという事件でもないと思うんですが、今月出ました月刊世論調査に、子供の人権を守るために何が必要なのかという項目がございまして、その中で、五年前のアンケート結果に比べるとパーセンテージがふえているものの一つに、教師の資質の向上を挙げている。
 この調査結果あるいは今回の事件を踏まえて、文部科学省としてはどういうような取り組みを考えているのか、まずお聞きしたいと思います。
河村副大臣 さきの長崎の事件でございます。文部科学省としても、また教育現場も、極めて深刻に受けとめておるわけでございまして、これは今その情報等を収集しているわけでございます。これからいろいろな形で対応も考えていかなきゃならぬと思っておりますが、今委員御指摘の、こうした事件に及ぶまでもなく、やはり教育現場における教員の資質といいますか、そういうものが向上することは非常に大事である、人間性、資質を高めるということが人権擁護に関する世論調査にも出てきたということ、そしてそれが平成九年以上に高まっているということ、このことはやはり非常に重要な項目であると受けとめなきゃいかぬ、こう思っております。
 私は、先生、教員というものは、もちろん教職に対する使命感とか、そして人間が成長していく、発達段階、そういうことに対する理解とか、あるいは命というものを大事にするとか、子供に対する教育的愛情という表現、要するに子供が本当に好きであるとか、それが指導力にあらわれなきゃいかぬし、やはり人格と人格の触れ合いができる、そういうものでなければいかぬ、こう思っておるんです。
 こういう観点から、教員の資質向上のためにということでいろいろな取り組みをしておるわけでございますが、特に、教員養成の段階、そして採用の段階、研修の段階、いろいろな段階があろうと思います。これを体系的、積極的に進めていかなければいかぬと思っております。
 具体的に、養成段階においては、平成十年に教育職員免許法の改正によりまして、大学の教職課程におきましても、教え方とか子供たちとの触れ合い、そういうものを重視する教科指導、生徒指導、教育実習等の教職に関する科目をさらにふやしたりいたしておるようなわけでございます。
 また、採用段階においても、単なる学力テストといいますか、ペーパーテストだけを見るんじゃなくて、個別の面談あるいは集団で面接をする、そういうものの中で、まさに人間力といいますか、そういうものを持った先生を採用していくということを、もっともっと私は改善しなきゃいかぬと思っておりますし、現実にそういう方向で今進めております。
 また、実際の研修においては、十年たちますと必ず経験者研修をやらなきゃいかぬ、あるいは、さらに資質を高めるために大学に行くという場合には、ちゃんと休学をして、またもとの職場に戻れるようにして行っていただくとか、そういう法律の改正をしたり制度を設けたりしておりますし、特に、教員が子供たちと同じ目線に立って、カウンセリングマインドという言い方をするのでありますが、子供の気持ちを受けとめながら、信頼をされて、心を開いて話し合いができるような、そういう技術も学ばなきゃいかぬと思っております。
 文部科学省は、生徒指導総合研修講座というようなものを設けまして、そういうこともやっておるわけでございます。さらに、そうした教員の能力といいますか、あるいは実績というものを評価してやらなければいかぬ。新しい教員評価システムの導入も今研究をいたしているようなわけでございます。
 このような、長崎のような事件が起きまして、現在情報も収集しておるわけでございますが、やはりこのことを重く受けとめて、今後とも子供たちの悩みを受けとめ、またその予兆を早く感知するような能力も持たなきゃいかぬ。そういう意味において、教員の資質向上にさらに努めてまいりたい、このように考えておるところでございます。
山内(功)委員 例えば学級編制を、三十人以下学級を徹底していくとか、あるいは、私も小学校一年生から高校を卒業するまでに学級担任というのが何人かいたんですけれども、例えば合う学級担任の先生とか合わない人等々、皆さんも多分経験あるでしょう。だから、例えば教員をクラスにもう一人つけて、どちらかには何か相談をできるような仕組みを整えていくとか、それから、今五千カ所ぐらいにスクールカウンセラーという方を置いているようですけれども、それをもっとサイクルを速くして、全国の小中高校にスクールカウンセラーを置いていくとか、あるいは地域でサポートするシステムをもっと全国的に展開していくとか、そういう面でのビジョンを聞かせてください。
矢野政府参考人 何点か御指摘がございましたけれども、それぞれの学校におきましては、子供たちが持っている学習面や生活面の問題について教師に相談しやすい、そういう体制をつくっていくことが私どもは必要であるというふうに考えているわけでございます。
 そこで、文部科学省といたしましては、平成五年度から平成十二年度までの第六次の教職員配置改善計画というのを進めたわけでございますが、その計画によりまして、今委員が御指摘されました、複数の教員による指導、チームティーチングと呼んでございますが、チームティーチングに必要なそういう教職員定数を改善してまいりました。さらに、平成十三年度からは新たな第七次改善計画を進めておりまして、それによりまして、教科に応じた二十人程度の少人数指導、そういうことができるような教職員定数の改善を進めているところでございます。
 これらの教員が配置されることによりまして、チームティーチングや少人数指導など、複数の教師が連携、協力した指導が図られ、スクールカウンセラーの活用もあわせまして、教職員配置全体を通じて、子供たち一人一人に応じたきめ細かな対応が一層可能になるというふうに考えているところでございます。
 また、スクールカウンセラーの配置についてのお尋ねがございましたが、心の専門家であるスクールカウンセラー、これは、児童生徒本人からの相談を受けるのみならず、児童生徒の指導に当たる教職員や保護者からの相談を受けることを通じまして、問題行動の兆候を的確にとらえ、その対応について専門的な立場から助言を行ったり、あるいは、深刻な事例につきましてはふさわしい関係機関をあっせんするなどの役割が期待されておりまして、実際にスクールカウンセラーが配置された学校では暴力行為や不登校の増加が抑制されている、そういう成果もあるわけでございます。
 そういう意味で、私ども、このスクールカウンセラーにつきましては、現在、平成十四年度では中学校を中心に六千五百七十二校に配置しているところでございますけれども、今後、公立中学校に在籍するすべての生徒がスクールカウンセラーに相談できる、そういう体制の整備を図ってまいりたいというふうに考えているところでございます。
山内(功)委員 地域サポートシステムですか、結局、例えば家電量販店に夜七時、八時に子供が一人歩いていたとか、あるいは公園に一人でぽつんとベンチに座っていたということだけで通報されるのも、何かそれもまた窮屈な社会だと思うんですけれども、みんなが連携を取り合ってしっかりと、自分たちの地域からは間違いが起きないようにするという仕組みも十分整えてもらいたいと思います。
 さて、警察庁にお聞きしたいんですが、この事件は、いわば同じような、つまり数キロしか離れていないようなところで、四月に二件続けて同じような事件が起きているわけです。そのときにもっと地域で、こんな変な事件が起きて大変ですよと、あるいは、その時点でも商店街のビデオカメラをきちんと見たり、もうちょっと、不審な人間についてしっかりと騒いでいれば、その時点で犯人が挙がってきたかもしれないし、犯人が捕まらなかったとしても、ああ、もう何か、この地域では二度とやっては、今度こそ捕まるなというような抑止効果も出たと思うんですけれども、それが私もすごく残念なんですが、一般の方から、四月の捜査について不十分だったのではないかという指摘も随分あるんですね。この点についてはどうですか。
栗本政府参考人 今お尋ねの二件の事案につきましては、それぞれの関連性については明らかでなく、しかも今回の事件の被害者が誘拐されました電器量販店から約一キロの距離にある複合商業施設で発生したものであります。
 長崎県警察におきましては、しかしながら、それらの事案がいずれも幼児に対します悪質な事案でございまして、これらの事案の認知後、当該施設の警備員、従業員及び付近の住民の方々に対する聞き込み捜査や当該施設周辺におきます、いわゆる、私ども要撃捜査という言葉を使っておりますが、そのような捜査など、所要の捜査を実施してきていたところでございます。
 また、これらの事案が幼児を対象とした事案であることに考慮いたしまして、周辺のマンション等に対します聞き込み捜査を行ったときに、あわせて防犯指導を行う、さらには、各地域の自治会の役員の方や防犯連絡所など、地域における各種会合におきましても、このような事案の発生状況、また、被害防止のためのお話をさせていただくなど、注意を呼びかけてきたというような活動を行ってきたと報告を受けているところでございます。
山内(功)委員 多分、そのときも十分に捜査をしたと言われるとは思うんですけれども、例えばこういう報道もあるんですよ。結局、四月の二十六日とか二十七日に被害に遭った児童の保護者は、警察から事情を聞かれたのは一回こっきりだったというようなことも聞いていますので、私はやはり四月の時点での対応が不十分ではなかったかなと思っています。
 大臣、例えば、捜査のためとはいえ、町中でいつも何か警察官の姿が見えるというのも、ちょっと萎縮効果もあると思うんですよね。だから、私も、どこまで、そのほどというのが大変難しいとは思うんですけれども、地域と学校とそういう連携をとっていこうということは、大臣としても考えておられますか。
谷垣国務大臣 今の委員の連携という前に、警察が法によって負っている責務といいますか、権限といいますか、これを的確に行使して犯罪を抑止し、あるいは摘発していく、まずこれを警察が徹底してやるのは当然のことだろうと思いますが、それに加えて、警察だけではなかなか物事が進んでいかないということがございます。
 やはり一つは、今委員がおっしゃいましたように、子供のいわば公的な生活の場である学校との連携、あるいはそのほかの行政機関との連携も必要だろうと思います。また、やはり大事なことは、先ほど委員の御議論の中にもあったと思いますが、自分たちの子供たちは自分たちで守り育てていこうという気持ちを地域社会で持っていただく必要が非常にあると私は思いますが、警察としては、そういう方々と連携をとって、あるいはそういう方々のサポートをする、これも十分行わなければいけないんだろうと思います。
 学校との連携に関しましては、かつてはなかなかしにくいというような話も聞いたことがございます。警察の方の努力も必要なことがあったのかもしれませんが、学校の方でも、やはり自分の教え子といいますか、自分の中の子供たちを警察と連携しながらやることに抵抗感があった時代もあるようでありますけれども、最近はそういうことがなくなってまいりまして、学校警察連絡協議会というのを今つくっておりますし、文部科学省もサポートチームを進めておられるわけですが、そういう中に警察も入っております。それから、警察でも独自に、関係機関から成る少年サポートチームというのを編成いたしまして、地域の実情に応じて学校との連携を図っていこうとしておりまして、こういうのはもっともっと進める必要があるんじゃないかと思います。
 それから、地域社会との連携という意味では、全国で六万人ぐらいの方に、警察と連携して街頭の補導なんかを行っていただく少年警察ボランティアというのをお願いいたしまして、随分活発に活動していただいております。これは、各地域の実情に応じまして、大学生にお願いしているような場合もございますし、それから、PTA等に委嘱してやっていただいている。
 とかくこういうのをお願いしますと、どちらかというと年配の方々が参加していただくことが多いんですけれども、少年等の場合には、やはり年齢が近い熱心な大学生なんかに参加していただくと非常に効果が上がるという話も聞いております。それから、活動内容も、街頭の補導というだけじゃなしに、非行少年の立ち直りの支援とか、あるいは少年の居場所づくりといったことも非常に大事な活動ではないかと思っております。
 私も視察に行きまして聞いた話では、夜なんか、少年が群がり集まって、ちょっと騒いだり迷惑をかけたりしている、そこへ制服の警察官が行って注意すると反発されたりしますが、例えば一緒に少年野球なんかをその子たちとやったことがある警察官が行って話をすると、みんなに迷惑をかけるからもう帰りなさいと言うと割と話を聞いてくれる、こういうようなことがあるようでございますから、今委員がおっしゃったように、どこまで警察が出ていくかという問題が一方であるわけですけれども、そういうよい面もあるわけでございまして、そういったことを含めて、警察として、地域あるいは学校との連携をもっともっと研究していく必要があるかなと思っております。
山内(功)委員 さて、鴻池大臣、長崎の事件を受けて、今の時代、厳しい罰則をつくるべきだと発言されていますが、具体的にはどのようなことを考えておられるのですか。
鴻池国務大臣 具体的に罰則を強化するということではなく、私の個人的な見解とすれば、例えば、人の命を大切にしようという教育が随分なされてきておりまして、これも大事なことだと思いますけれども、こういう、親も子供も道徳観念のない時代に入れば、人を殺してはならないという教え方が非常に大事な時期ではないか、これを象徴的に申し上げたところでございます。
 ただ、昨日立ち上げました非行少年に対する検討委員会というものにおきまして、罰則の問題等々、厳しくするのか、今のままでいいのかといったことを根本的に議論していきたい、このように思っております。
山内(功)委員 現在でも、十三歳以下で刑事責任が問えないケースの場合には、保護者を、例えば大臣みずからでも引きずり出して、市中を引き回すというような考えを持っておられますか。
鴻池国務大臣 言葉のあやと申しますか、例えが厳しく聞こえてしまったということに関しては、昨日の閣僚懇談会でおわびをいたしました。
 しかし、どういうんでしょうか、被害を受けて、殺されて、そして悲しみに打ちひしがれている若い両親がひつぎを出しておるところは絶えず映っておりますけれども、加害者の親族、両親、また、担任、学校の校長という人の顔が全く見えない。これは、加害者の人権を優先にして、被害者の人権というものを何か無視しているような風潮に対して、私は政治家の一人として反発をしている、こういうところであります。
山内(功)委員 閣僚懇談会で謝罪を、陳謝をしたというような記事は新聞で見たんですが、国民あるいは国会の委員会で謝罪をすることについてはどうですか。
鴻池国務大臣 今も申し上げましたように、言葉の例え、あやでございます。
 私が閣僚懇談会で申し上げたのは、あの後の国会における委員会で、総理に対して質問がありました。鴻池のあの発言は不適切ではないか、こういう御質問があったやに聞いております。その答弁で総理が、それが現実とすれば極めて不適切な発言であった、こういう答弁をなさいました。それで、私は、その不適切であるという総理の答弁、これを重く受けとめなければならないと思いまして、例え話にいたしましても、今後の発言については十分注意を払います、大変御迷惑をかけましたということで、おわびを申し上げました。
 ただ、私に対して、十五万件以上のホームページのアクセスがございました。そして、今のところ、約五千近く御意見をちょうだいいたしております。それを手分けをいたしまして精査をこの二、三日でいたしましたところ、鴻池の発言については許すべからざることである、とんでもない、辞任しろ、こういう内容のメールは約一割半でございました。残る八割半は、まさに、的を射たとは言いにくいけれども、しかし、気持ちはよくわかるし、国民の気持ちを代弁しているということで私は支持をする、ただし、あなたの市中引き回しの上の打ち首という発言については、これは大変問題であるから、以後改めてほしい、こういうことでありましたので、私も反省をしているということをここに表明をさせていただきたいと思います。
山内(功)委員 ということは、国民、国会に対しては謝ったというふうにとっていいんですかね。(鴻池国務大臣「そんなつもりはないですね」と呼ぶ)あっ、そうなんですか。
 その八割ぐらいのメールが来て、それが激励だったというのも、報道ももうみんな知っているんですよ。大臣、大臣のその時代錯誤の発言を聞いて、みんなあきれて物が言えないし、メールを打つこともしないんですよ。それはやはり感じられたらどうですか。
 確かに、親の責任が重いということは私もわかりますよ、私も三人子供がいますので。だけれども、同時に、この社会全体がやはり重く受けとめるべき事件でしょう。しかし、小さな命を大切にできない子供がもしたくさん育っていって、それでいいんだろうか、こういう社会でいいんだろうか、我々はこの事件から何を学ぶべきなんだろうか、そういうような思いが、大臣が市中引き回しで打ち首と言った途端に、そういうことを考えようという気持ちが、今の政府というか、大臣の考えの中から読み取れませんよ。(鴻池国務大臣「読み取ってください。そう思っていますよ」と呼ぶ)
佐々木委員長 大臣、ちょっと不規則発言やめてください。委員長の許可を得て質問して。
山内(功)委員 はい。では、答えてください。
佐々木委員長 鴻池大臣。(山内(功)委員「どういう思いなんですか。国民や国会には謝らないと言ったり」と呼ぶ)
 山内さんも、ちょっと許可をとって、不規則発言しないで。
 鴻池大臣。
鴻池国務大臣 一たん口から出たことは、これは、私は、へ理屈は申し上げる気持ちはございませんけれども、しかし、不適切であったという反省をしておる。これは十分、何度も申し上げているわけでありまして、私の考え方は以上でございます。
山内(功)委員 時間が終了しました。
 公約なんか破っても大したことがないと言われる総理のもとでの大臣なので、そういう今、一体とした内閣に、少年のモラルを語る資格はないと私は思います。大臣の一連の発言やきょうの態度も、この事件についてどう考えようとしているのかということがさっぱり伝わってきません。
 例えば、二年前に少年法が改正されて厳罰化になったりしたんですけれども、しかし、逆送になったのは十四歳、十五歳で、一件ですよね。(発言する者あり)はい、今終わります。
 だから、そういう犯罪の抑止効果も、少年法を改正しただけでは今のところは見えていないし、最後に、大臣は、青少年育成推進本部の担当者、あるいは、きのう立ち上がったようですけれども、少年非行の検討会の担当大臣を辞任する考えはないかだけを聞いて、終わります。
鴻池国務大臣 ございません。
山内(功)委員 終わります。
佐々木委員長 以上で山内功君の質疑は終了いたしました。
 次に、平野博文君。
平野委員 午前中に引き続きまして、一般質疑の時間をちょうだいいたしましたので、質問をいたします。
 今もう大臣お帰りになりましたけれども、今の同僚議員のやりとりを聞いておりまして、大変悲しくなりました。大臣たる要職におられる立場の人がああいう開き直っての発言というのは、国民から見たらどういうふうに映るだろうかということは、非常に私としては憤慨をし、憤りを感じているところであります。通告しておりませんから、私、また次回、機会あれば質問しますが、ああいう議論が国会の中でやられるというのは、閣僚懇談会で謝罪すれば済むというものではない、本質的なところが追及されていないというふうに、私、強く憤慨をいたしておるところであります。
 さて、これはまた別でございまして、この前、ちょうど一カ月ぐらい前になりますか、石原大臣に御質問をさせていただいたときに、時間がなくて大変失礼をいたしました。そのときにも石原大臣に申し上げたんですが、石原大臣は、官僚のつくったペーパーでしゃべらずに、みずからの言葉でしゃべられる大臣でありますから、非常に私は敬意と好意を持っておるわけであります。
 したがって、ここ一年ぐらい、特に公務員制度改革に関する、その中でも特に天下りに関する石原大臣の各委員会での答弁の精査を私なりにいたしまして、大臣の言葉でしゃべられていますから、多少違っている部分か、いやそれが本質なのか、このところを少し検証したいと思って、この時間をそれに当てたいと思っています。
 私自身は、まず、公務員制度改革に当たって三つの視点が非常に大事だと思っています。
 一つには、やはりこの二十一世紀の日本の姿はどうあるべきなのか、そのことを描いた上で、それに必要な政府と公務員の姿を明確に描くことだというのが一つであります。
 二つ目には、公務員の権利や待遇を、仕事への意欲を高めていくという視点と、国民がやはり納得する適正なものに仕上げていくことが大事である、これが二つであります。
 三つは、最近、公務員の不祥事問題がいろいろあるわけでありまして、行政に対する国民の信頼回復、特に、一部の者の利益のために行政の決定をゆがめることがない制度にしていくことが大事であろう、私はこういう視点に立っています。
 したがって、天下りに関するというのは、一部の者の利益のために行政決定をゆがめないためにも、天下りというものをしっかり見詰めていかなければならない、行政の中立性を確保するためにも、そういう視点の質問に入りたいと私は思っています。
 さて、天下りの人数の問題でございますが、大臣が御答弁されている中にもあるわけでありますが、二〇〇二年度の人事院承認に係る幹部公務員の営利企業に対する天下りは五十九人でありました。その前年ですから、二〇〇一年は七十人、その前は四十一人ということで、二〇〇〇年度よりも、二〇〇一年、二〇〇二年と、天下りの方の人数がふえているわけであります。
 この点に対して、昨年の四月二十四日の当委員会で、同僚の議員の質問に対する石原大臣の答弁でありますが、現行制度で六十九人と、三十人近くふえてしまった、この問題をどういうふうに是正をしていくか、現行の人事院の基準で、基準を満たしていれば人事院は客観的に公正に判断しなければならないから、現行の制度では天下りの人数がふえてしまうんだ、こういう御答弁を実はされているわけであります。いわゆる、人事院が客観的にやったからふえたんだ、こういう趣旨の答弁だと私は解釈をいたします。
 この御答弁に私が疑問を抱くのは、二〇〇一年度の天下りは、前年四十一名から七十名にふえたわけでありますけれども、この原因は本当に人事院にあったのだろうか、各省庁が天下りの申請件数をふやしたからこういう結果になったのではないかというふうに私は思うのであります。
 大臣がみずから言われたように、人事院は客観的に基準を当てはめただけにすぎないのではないか、そういう意味で、改めて、人事院は、本来の仕組みとして客観的に判断するしかその機能、役割を与えられていないのであります。したがって、大臣がおっしゃった視点というのはいかがなものかという気はいたしますが、そこで御質問をいたします。
 人事院にまずお聞きしたいと思います。それぞれ、ふえたと称されております年度で、各省庁が申請をした人数はどうだったのか。
佐藤政府参考人 各年度、いずれにつきましても、承認した人数が申請された人数と同数でございます。
平野委員 省庁が申請された人数と結果としては同数であったということは、中身については全く問題なかったという、結果としては全く問題なかったという意味でよろしいのか。
佐藤政府参考人 その点につきましては、各省庁は、申請する前に、十分に私どもの基準を理解していただいて、それに適合する者のみを申請していただいたというふうに理解しております。
平野委員 大臣、このことを聞いて、どうですか、人事院に任せておくことは問題であるというふうに御認識されますか。
石原国務大臣 誤解がないように、私も、御質問があるということで、今、若干、昨年の四月の答弁を振り返ってみたんですが、客観的事実として、承認件数が、平成十二年、平成十三年ですか、比べてふえたということを私は時の答弁として申し述べたということが第一点。
 それと、今度の改革では承認基準を内閣でつくりますので、高い承認基準にすれば人数は減る、そういう趣旨で発言をさせていただいているところでございます。
平野委員 これまた少しひっかかるところでありますが、要は、天下りがふえるのは各省庁に問題があると。要は、公務員制度改革に当たって、政府は、各省庁の大臣に任せれば、先ほども申し上げましたように、今大臣から答弁ございましたが、天下りの人数が規制をされる、こういうふうにお考えだと思いますが、私は、逆にふえるのではないかと思いますが、その点はどうでしょうか。
    〔委員長退席、中沢委員長代理着席〕
石原国務大臣 この点は、新しい制度を運用していないので、どう思うかという話になってしまうということはお許しいただきたいと思うんですけれども、情報公開がこれだけ進みまして、内閣のつくった承認基準に照らして制度をつくり直すという今回の公務員制度改革大綱に基づいた案で考えますと、当然、大臣は、政治家としての責任というものがより明確になるということは事実だと思います。
 そんな中で、前年に比べて、例えば私がどこかの省庁の大臣になって、前任者の大臣よりも天下りの方を、例えば仮に三十人、承認基準に照らしてふやしたというようなときに、その大臣に対する責任、そしてその行った行為に対する正当性をどう判断するのか、また、だれがどう判断するのかということによって、その大臣の行為というものは規制されてくると私は考えておりますので、そういう答弁をこれまでもさせていただいていると御理解をいただきたいと思います。
平野委員 いや、そこが私はひっかかるんですが、要は、では、内閣で厳しい判断基準をつくる、その厳しい判断基準に合致すれば許可をする。そうすると、今、石原大臣がおっしゃる意味からすると、そういうこととは別に、大臣の裁量権によってさらに規制をする、こういう判断もあるというふうにとれますが、どうなんですか。
石原国務大臣 そこは、現行の人事院の承認基準と同じであって、承認基準を満たされていれば認めるという仕組みになると思います。しかし、自己抑制的に働くか働かないかということを考えると、情報公開の世の中では自己抑制的に働く、そういう事実はこれまでも人事院の承認制の中でもあったものだと私は思っております。
平野委員 いやいや、自己抑制というのはだれが抑制するのかわかりませんが、大臣の自己抑制なのか下ろうとする人の抑制なのかがわかりませんけれども、要は、私は、基準、ルールに従っておればオーケー、従わなければだめに、プラス大臣の裁量権がそこに付与されるような制度設計ということに、では、減らしてやろうという大臣がおられれば減っていくだろうし、こういうルールの範疇であればふやそうという裁量の幅というのがプラスにもマイナスにも働くような制度設計をされようとしておるように思うんですが、そうじゃないんですか。
石原国務大臣 内閣が定める厳格な、そしてまた明確な基準というものがございます。それに対して、各省庁の退職者、あるいは退職する方の人数というものは、年次によりましても、また各役所によりましても違います。そういうことも要素として大きく働いてくるんだと思います。
平野委員 視点を変えます。
 そういう中で、内閣の天下りの基準、承認基準というのは、今現在は人事院の基準に基づいて行われていますが、現在の基準にも問題がないとは私は思いません。あると思います。しかし、先ほど中沢先生の質問に対しては、もう今国会、断念したというような雰囲気でございましたけれども、今回の原案を見せていただきますと、公務員制度改革に当たっては、新たな厳しい基準をしっかり法律で書き込むことが私は必要なんだろうというふうに思うんです。
 そこで、現在の人事院の規則についても、問題は問題なんです。天下りの概念というところが問題であると私は思います。今、営利企業に限定されておって、特殊法人とか学校法人、公益法人は除外をしているんです。これも今の大きな問題になっているところであります。今の現行法でいきますと、離職前五年在籍要因、あるいは離職後二年以内という規制期間、こういう該当になっておりますが、私、先ほど申し上げましたような本来の思想、考え方からいきますと、何年たとうが、行政をゆがめかねない関係にある企業に天下りを認めるべきでないと思っています。
 この五年、二年という制度設計そのものが、それだったらどこへ行ってもいいと今なっていますけれども、本来の趣旨、設計からいくと、何年たってでも、公正をゆがめる、行政のゆがめに関係のあるところには下るべきでないと思いますが、いかがなものでしょうか。
春田政府参考人 お答え申し上げます。
 現在の制度についてお尋ねをいただいた御趣旨だというふうに思いますが、現在、在職して、退職、再就職する前五年の間の職務を基準といたしまして、再就職した場合の二年間、退職後の二年間にわたっていわゆる承認の基準というものを当てはめまして、承認する、しないという制度になっているということでございます。
 特にこの二年のところ、期限を設けずに無期限でということを先生おっしゃられたわけでございますが、現在の制度、これは、新しい制度においても基本的にはその枠組みは引き続いて同じ枠組みで考えていきたいと思っておりますが、再就職の規制期間、現行の退職後二年、これを例えば無期限にするというような場合には、職員がその公務の中で、いろいろと経験の中で培った能力、こういったものを退職後に有効に活用するというような道が実際には閉ざされてしまうことにもなるわけでございまして、現行の制度におきましても、そういった意味で、退職後二年間ということで期限を区切っているというように理解をしております。
平野委員 では、現行の法律では、二年たったら行政がゆがめられてもいいようなところになってもいい、そういうことですね。簡単でいいですよ。るるは要りません。
春田政府参考人 この二年間の考え方でございますが、いわゆる再就職をした職員が前に勤めていた機関に対しましていろいろと影響力を行使するということで、そういう関係に立つということを、民間の営利企業との間の癒着ということを公務の公正との関係でやはり抑えていく。その場合に、一つの期限的な区切りとして、どれぐらいたつとそういう関係というものが、密接な関係というのか、まだ退職して間もないというときの関係からだんだんその関係の密接さというものが薄れていく関係になるかということで、二年という区切りを設けているものと理解しております。
平野委員 そういうことを聞いておるんじゃないんですよ。それだったらゆがめますよ。現行法律では、二年たったらゆがんでもおりていくんですね。今度の制度設計もそこは変えないというんだったら、そういうことになるわけですよ。
 そうすると、もともと天下りは何で禁止すべきだ、天下りについてはしっかりと見ていこう、信頼関係のある公務員制度改革の中で天下りについてはやはりだめなんだと。下っても中立公正な行政機関が担保されるんだったら天下りと言わないんですよ。曲がっちゃうから天下りと言うんですよ。利害関係があるから天下りと言うんですよ。いい意味で言えば転職ですよ、利害関係がなくてその人のスキルを使うというのであれば。お互い利害があるところにおりるから、在任期間五年、その後二年、こういう制度設計できたんだけれども、二年で本当に大丈夫ですか。大丈夫じゃないでしょう。だから、そういう利害関係にあるところについては永遠に行くことは禁止すべきであり、そんな考え方の思想を今度の制度設計の中に入れていただきたい、入れなきゃだめだ、こういうことを私は言っておるわけで、今の説明は私の質問に対する答えになっていない。
 時間が来ますから、次に行きます。
 もう一つは、改めてその基準を明確に内閣でつくる、こういうことでありまして、先日、政府の原案をまとめ与野党に、野党には提示されていないんでしょうか、与党に提示した法案を少し見せてもらいましたけれども、この承認基準、法律事項でなくて政令事項になっている。ということは、法律でしっかり担保されない。考え方、理念だけを言って、あとは具体的に政省令でつくってしまおうという発想なんですね。だから、中身が全く不明なんですよ。
 ことし、きょうも差しかえで来ておられますが、我が党の中村哲治議員が、三月末までに中身を見せてくれ、こういうことを御質問していると思うんですが、もう三カ月以上もたっておるけれども中身が出てこない。石原大臣は、少なくとも基準は政令でなくて、しっかりとこれは担保しなきゃだめだと、これは大臣が答弁をされているにもかかわらず、政令でやると。この発想はいかがなものかと私は思いますが、どういうことになるんでしょうか。石原大臣は、やはりしっかりと法律で担保しなきゃならぬ、こう言っているにもかかわらず、出てきておる中身は何もない。政令で決める、こういうことになっている。大臣の言っていることと事務方がやっておることは違うんじゃないですか。
 大臣、自分が言ったこととやっていることの違いはどう認識しておられますか。
    〔中沢委員長代理退席、委員長着席〕
石原国務大臣 やはり、基本的な事項については私は法律で定めなければならないと思います。しかし、全部を法律で定めるということは運用上できない部分があると思います。そういう部分が政令になる。
 なぜこういう御議論があったかというと、公務員制度改革大綱は、この基準については政令で定めるというふうに閣議決定をしているわけであります。しかし、この問題は、先ほどの中沢委員との議論、あるいは他の委員会でもいろいろな議論がございまして、私の方が、やはり基本的なことはできる限り法律に定めれば、法律というものは与党、野党問わずこの立法府の中で議論をするので、それはそういうふうにすべきであるという話をして、その方向で事務局も法案の作成作業を行っていると御理解をいただきたいと思います。
平野委員 今、大臣はああいう御答弁されました。細かいところまで云々と言わない、しかし基準の中身はやはりしっかり法律で担保すべきだ、こうあるんですが、事務局、大臣の今御発言した中身について、大綱としては、中身としては法律で担保されているんですか。
春田政府参考人 お答え申し上げます。
 ただいまの承認の基準のところでございますけれども、この基準のいわゆる設定の仕方につきましては、当然のことながら、内容といたしましては、職員と職員の所属していた国の機関それから営利企業との関係などに応じまして、かつ社会情勢の変化にも対応する必要があるということでございます。
 そういうことで、基本的な事項については法律で定めるということにしつつ、具体的な基準の内容は政令に委任するという方向で作業をしておるところでございます。
平野委員 ちょっと今の待ってくれ。
 要は、では、先日政府から出してこようとした原案のとおり出てこないんだね。中沢さんがやったときには、もう出てこないということだから、もう一回やり直すの、原案。あれはまた修正するの。
春田政府参考人 今お答え申し上げましたとおりでございますが、基本的には、法律でどういう事項を政令に委任するか、その委任の考え方をはっきりと法律で規定いたしまして、具体的な内容につきましては、例えば、今申し上げましたような、対象となる職員の職務、地位、あるいは職員の職務と営利企業との関係、あるいは職員の所属する国の機関等とそれから営利企業との関係、あるいは離職だとか再就職の経緯、こういった多様な判断要素に応じまして、かつ、営利企業の状況、社会的情勢の変化、こういったものにも対応しながら定める必要があるということでございます。
 したがいまして、許可の基準の基本的な考え方については、法律で政令にどういうものを委任するかという考え方を定めまして、具体的な基準の内容は政令に委任をするということが合理的であると考えております。
平野委員 要は、非常にそこがグレーなのよ。大臣の言っている趣旨と本当に事務局がぴたっと合っているかというと、僕は合っていない。大臣はああ言っているけれども、中身の細かいところは大臣わからないから勝手につくっちゃうわという発想になっている。
 だから、もっとこれは開示してほしい。それで、こことここは政令、こことここは法律、こういうことをやはり出してもらわないと、法律通っちゃったら後は私らの問題ですわ、こんな理屈で入っていくと、これは極めて問題だと思います。これはしっかり注視していますから、このところは。よく肝に銘じておいてほしいと思います。大臣、よく御理解をいただきたいと思います。――ちょっと待ってください、もう時間がないので次に行きます。
 次に、特殊法人等々の問題で、特殊法人について、これまで営利企業だけでしかやっていない。人事院、なぜ今日まで営利企業だけにとどめておったのか。人事院の責任は重いと思うけれども、どうですか。
佐藤政府参考人 確かに、今まで、公務の中立性、公正性を確保するという観点から、営利企業のみを対象としてまいりました。
 御指摘の特殊法人等でございますけれども、これらにつきましては、例えば、主務官庁とどういう関係にあるのか、あるいは主務官庁の人材をその特殊法人等に入れる必要があるのかないのか、こういう判断は、実は、公務の中立性、公正性という私どもの観点からは、ちょっと外れた部分がございます。したがいまして、私どもが申し上げているのは、各省の組織管理について総合的に責任のある内閣が、特殊法人等については再就職の管理を行っていただきたい、そういうふうに申し上げているわけでございます。
平野委員 時間が来ましたから終わりますが、要は、営利企業しか抑えていないということは、特殊法人に二年間迂回をして、それから営利に行ってしまう、そのときにはこの制度設計から外れてしまうんですよ。だから言っているんですよ。
 だから、私は、特殊法人もしっかり含めたものにぜひやってもらいたいと思います。人事院がそこに手を出さないのは、石原大臣の委員会の言葉では、総裁は特殊法人への天下り規制は必要ないと答えていますが実際は人事院も天下っているからだ、だから手をつけないんだよ、こんな議論の言葉もあるように思いますので、改めてしっかり人事院も、石原大臣は大臣自らの言葉でやっておりますが、大臣の言葉を忠実に事務局が反映しておるのか。事務局と大臣の発言の間にミスマッチが起こっているようなところも、多々とは言いませんが、若干あるように思いますから、大臣の意向を、先ほど言いましたことをしっかり受けてくださいよ。基本は、骨子は法律で明確にする、このことを絶対お願いをし、終わります。
 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で平野君の質疑は終了いたしました。
 次に、西村眞悟君。
西村委員 最近、「Z(革マル派)の研究」という本が出版されました。この本は、野村旗守というジャーナリストが、Z、つまり革マル派を研究して書かれた本であります。
 おおよその内容は、革マル派が、早稲田大学を拠点として、例えば早稲田祭、大学祭の最大のもので、早稲田祭を資金源として、そこを占拠したと。これと同じ手法でJR総連に浸透して、それを占拠しつつあると。どういう事件を今まで起こしてきたのか、どういう組織なのかということを書いてあるわけであります。
 この本の、この野村さんというジャーナリストの注意喚起が事実に基づいているならば、JR東日本に革マルが浸透しているということは、JR東日本は首都圏の大動脈である、首都圏の大動脈が革マル派というものの影響下にあるということは、国民の安全という治安の観点からいって、その治安に責任を持つ閣僚である国家公安委員長としては、愕然として、使命感に目覚めて、もって全力で取り組むべき課題である、このように思うわけです。
 それで、せっかくお越しいただいて、御答弁は結構でございますが、この実態を今鋭意捜査に当たられている警察当局からお聞きしますので、お見守りいただきたいと思います。
 そこで、警察におかれては、平成八年に革マル派の非公然アジト十カ所の捜索を開始し、驚くべき事実が明らかになった。そして、本日に至るまで、その実態、目的、危険性などの解明努力をされてきたのでございますけれども、現時点でその解明結果を改めて、革マルの本質、実態を御説明いただきたいと存じますが、よろしくお願いします。
奥村政府参考人 お答えをいたします。
 警察といたしましては、極左暴力集団である革マル派の動向につきましてはかねて重大な関心を持っておりまして、情報収集あるいは事件検挙に努めてきたところでありますけれども、平成八年以降、革マル派の非公然アジト十七カ所を摘発いたしまして、これらのアジトから押収した資料につきましても徹底的に分析をしてきたところであります。
 そうした捜査等のこれまでの結果を総括的に申し上げますと、まず一つは、革マル派の基本的な性格と路線でありますが、この革マル派と申しますのは、日本で暴力主義的破壊活動によりまして共産主義革命を起こすことを最終的な目標としている組織でありまして、現在、構成員が約五千人であります。昭和五十年代の初めまでは、対立をしております同じ極左暴力集団の中核派、革労協との間で大変陰惨な内ゲバ事件を繰り返しまして、十数人を殺害する、また数百人に傷害を与えておりますけれども、その後、昭和五十年代の初めになりまして、まだ革命情勢は到来をしていないという彼らなりの認識のもとに、当面は組織の拡大に重点を置くようになりまして、このため、党派性を隠す、革マルであるということを隠して、基幹産業の労働組合等各界各層への浸透を図って、勢力を拡大しておるところであります。
 それから二つ目に、革マル派は、そうした活動の過程におきまして、これまで数々の犯罪を敢行してきたところでありまして、今申し上げました内ゲバ事件に伴う数多くの殺人とか傷害事件はもとよりでありますけれども、自分たちと対立するグループ、例えば国労とかJR連合傘下のJR西労組の組合員、あるいは、先ほどお話がありました早稲田の学内から革マル派を排除をしようとしておりました早稲田大学の学生部長等に対しまして、情報収集等を目的とした盗聴事件、あるいは住居侵入、窃盗などを繰り返してまいりましたほか、組織と対立する人物等に対しては、強要、暴行あるいはいわゆるナーバス、無言電話を繰り返しかけるといったものでありますけれども、こういうナーバス等を大変執拗に行ってきているところであります。
 三つ目に、革マル派は権力謀略論という非常に荒唐無稽なものを唱えておりまして、これは例えば、極左暴力集団内の内ゲバというのは国家権力が実は事件の犯人だと。革マル派の者が中核派に内ゲバでやられましても、これは中核派がやったのではなくて、実は国家権力が自分たちを攻撃したんだというようなことを言っております。平成九年に起きました神戸の小学生の殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇事件でありますけれども、この真の犯人は権力であるというふうに言っておりまして、それを彼らなりに証明しようということで、犯人の少年の検事調書を兵庫県内の病院から盗んでおります。
 警察といたしましては、こういう極左暴力集団革マル派の動向につきましては引き続き重大な関心を持っておりまして、革マル派の非公然、非合法活動の実態解明に努めますとともに、違法行為につきましては今後とも厳正に取り締まってまいりたいというふうに考えております。
西村委員 現時点で公表し得べき全容は公表していただいたと思うわけですが、革マル派が敵対する者に対しては無言電話等々の圧力をかけてくるというのは、かく質問している国会議員に関しても、極めて当てはまることであります。私は実体験しております。
 さて、今の全容御説明で満足すべきところですが、もう少し具体的にお聞きいたしますが、二年前の平成十三年五月二十五日の私の質問に対する御答弁で、当局は、革マル派内にJRを担当するトラジャという組織がある、そして、JR内にそのトラジャの傘下にマングローブという組織があるという裏づけをとっておる、JR総連、東労組内に影響力を行使できる立場に革マル派が相当浸透しておる、その地位にある具体的な人物は特定できておる、このように答弁されました。
 本年七月の報道では、その後に家宅捜索したJR東労組関連組織から、トラジャ、マングローブに関する資料が押収されているという報道もございます。これらの二年前の御答弁に関しては、その二年間の捜査努力を総合して、その認識に変更すべき点はあるのかないのか。この認識に変更はないのかということについて確認したいと思いますが、いかがでございますか。
奥村政府参考人 革マル派は、ただいま申し上げましたとおり、勢力拡大のために基幹産業の労働組合等各界各層に浸透を図ろうとしておりますけれども、このために党の中央組織の中に産業ごとに労働者を指導する労働者委員会を設けておりまして、それぞれ任務を分担しております。
 その中にJRを担当する組織がございまして、これは通称トラジャと呼ばれて、JR内の労働者を指導しております。一方、JR労組内には、このトラジャの下部組織といたしましてマングローブと呼ばれる組織がございまして、このマングローブがJR内の革マル派の指導に当たっております。このことは、平成八年以降摘発をいたしました革マル派の非公然アジト十七カ所から押収いたしました資料あるいは内部文書等からも明らかになっております。
 警察といたしましては、こういう点を総合的に分析、検討いたしました結果、JR総連やJR東労組に対して革マル派が相当浸透しているという分析結果を申し上げた次第でありまして、この見解は現在でも変わっていないところであります。
 また、警察は、昨年の十一月に革マル派が絡む退職強要事件を検挙しておりますけれども、この事件は、革マル派活動家を含むJR東労組の組合員七人、これが、同じJR東労組の組合員であります電車の運転手に対しまして、この運転手の方がJR東労組と対立をするほかの組合のメンバーと一緒にキャンプに行ったということに因縁をつけまして、十数回にわたって集団で取り囲んで脅迫をいたしまして、この人物をJR東労組から脱退させることはもとより、最終的には会社そのものを退職させたという事件でございまして、この事件では七人の者を逮捕いたしまして、現在公判中であります。
 それから、先ほどお話にありましたけれども、先月の六月の十二日には、JR総連の本部執行委員三人による集団暴行事件で、JR総連事務所のあります目黒のさつき会館等十八カ所を捜索しておりますけれども、この事件は、去年の六月に東京駅の八重洲口で、この執行委員三人がJR東海の助役を取り囲みまして、腕とか背広の襟をつかんだり引っ張ったりする暴行を加えた事件でございます。
 警察といたしましては、先ほど申し上げました以前からの捜査等の結果や、最近のこうした事件の捜査結果にかんがみますと、JR総連や東労組に対して革マル派は依然として相当浸透しているというふうに考えておるところでございます。
西村委員 ありがとうございます。
 今の警察の答弁の表明、つまり、JR総連、東労組内に革マル派が相当浸透している、また、先ほど御説明いただいた昨年十一月一日の東労組組合員七名の強要罪名下での逮捕ということに関して、JR総連は執行委員長名で、警察庁長官、国土交通大臣、内閣総理大臣に、JR総連及び東労組内に、革マル派が浸透しているなどのことは事実無根である、根拠を示せという申し入れを行い、また、先ほどの強要事件に関しても、東京地検検事正、警視総監に事実無根の旨の申し入れを行っております。また、さらに、革マル派とJR総連を関連づけて報道した報道機関に抗議文を送っておるということでございますが、私の考えでは、これは語るに落ちるなと。
 つまり、警察の先ほど来の認定を前提にすれば、つまり、東労組、JR総連内に、組織に影響力を行使できる立場に革マル派が浸透しているという前提からするならば、このJR総連の、事実無根である、革マルとJR総連は関係ないという文書も、革マルの影響下に作成されたことになるわけでございますから、語るに落ちるわけであります。
 捜査に対しては、このような抗議、申し入れを当局が受けることは間々あると思いますけれども、このような抗議、申し入れを受けるいわれは当局にあるのかどうか、当局としてはやるべきことは徹底的にやるつもりなのか、この件について御答弁いただきたい。
奥村政府参考人 警察といたしましては、ただいま申し上げましたとおり、革マル派の非公然アジトを摘発いたしまして、これらのアジトから押収をいたしました資料の分析等によりまして、革マル派が国労の役員宅あるいはJR連合傘下のJR西労組の役員宅に侵入した事件を検挙する一方で、JR総連、東労組内における革マル派の組織の実態について解明を進めてきたところであります。
 そうした具体的な捜査活動によって積み上げてまいりました根拠に基づいて、警察としては、JR総連、東労組に対して革マル派が相当浸透していると見ているところでありまして、したがいまして、こうした見解につきまして、何ら抗議や申し入れを受けるいわれはないと考えております。
 警察といたしましては、今後とも、公共交通機関の労働組合における極左暴力集団、革マル派の動向につきましては、重大な関心を払ってまいりたいと考えております。
西村委員 それで、この「Zの研究」では、大学祭における最大のイベントたる早稲田大学の大学祭が革マルの資金源になっておるので、大学当局は早稲田祭を中止して今日に至っておるということが書かれております。
 現在の革マル派の資金源、この資金の金額、先ほど、十七カ所のアジトを捜索されたわけでありますが、その中からは多くの機材が出てきたということであります。資金が当然要るわけでございます。これらの資金はどこから来るのか。
 世界のテロに対する闘いの最大の関心事は、テロ組織に資金を供給する者もテロ組織の一員であるという前提で今世界は動いておるわけでありますが、この観点からいうならば、革マルの資金源はどこなのか、そして、資金額はどうなのか、それを供給している温床はどこなのか。
 これを徹底的につぶさねばならないと思いますのでお聞きいたしますが、公表できる範囲で、革マルの資金源は今どこなのか、資金額はどれほどなのかということをお聞かせいただきたい。
奥村政府参考人 革マル派の資金源には、革マルの機関紙誌、週刊の「解放」とか、あるいは隔月に出ております「新世紀」という機関紙誌がございますけれども、これらの売上代金、それから活動家が納めます同盟費、あるいは活動家やシンパから徴収するカンパ、その他のものがあると承知をしております。
 資金額につきましては、これは、私ども警察活動のいわば結果を明らかにすることでございまして、今後の活動に支障を来すおそれもございますので、これにつきましては、お答えは差し控えさせていただきたいと思います。
西村委員 わかりました。
 今の警察当局の御答弁を前提にして、JRの革マルに関して国土交通省当局にお聞きするわけですが、この間に、朝鮮総連に対して、大臣に御答弁いただきたいことが一項ありますので、ちょっとこれを挿入させていただきます。
 革マルといい、そして朝鮮総連といい、オウムの次はZだという革マル、そして、それと同じように言うならば、朝鮮総連とは何だ、この実態は何なんだということでございます。
 このごろ朝鮮総連に関する本もあらわれまして、内部告発文を本にしたこの「わが朝鮮総連の罪と罰」、文芸春秋、韓光熙という元朝鮮総連中央本部財政局副局長の語った本を今持ってきております。朝鮮総連とはという、罪と罰ということを語られておるわけであります。
 例えばこの本の九十七ページには、私、つまり韓さんが学習組、朝鮮総連傘下の非公然組織である学習組に入って、日本の侵入ポイントを三十八カ所つくったということが書いてあります。北海道から鹿児島まで、地図に記名して書いてあります。
 こういうことをこの方は、韓さんは言っておられる。「北朝鮮の工作員が上陸する侵入ポイントは、現在、日本国内におそらく百カ所以上あるものと推測される。そのうち六〇年代の後半から三年か四年かけて私がつくった場所が、北海道から鹿児島まで全部で三十八カ所ある。私がつくった場所はまだ一度も発見されていないから、現在でも使用されているはずである。」
 ということで、侵入ポイントの地図が、具体的に、この人しかわからないと思われる書き方で記載されておる。この侵入ポイントから、覚せい剤が運び込まれるのか、日本人が拉致されて連れ去られるのか。侵入ポイント、非公開港、開かれていない港から入るわけですから、入ること自体が日本国内の犯罪であるということ。犯罪のポイントですね、これは。
 それから、この本の二百二十ページには、朝鮮総連が北朝鮮に送金することが書いてある。「日本から非合法的に送られる資金は、そのほとんどが新潟港と北朝鮮の元山港を結ぶ準定期航路を通じて、現金のかたちで運ばれる。」
 二百二十六ページには、日本の「外為法では、五百万以上の現金の持ち出しは届け出が必要ということになっているが、税関員など一人か二人いるだけだから、いちいち手荷物検査などできるわけがない。それに、朝鮮総連では、新潟の税関を常日ごろから接待等で手なずけているので、税関のほうも最初から調べる気がないようだ。」
 この送金も違法ですわな。朝鮮総連が指示してこういう違法をやっておる。そして、アメリカからの指摘では、北朝鮮の核ミサイル開発は日本の資金でやっておるんだということであります。
 さらに、この本の二百五十二ページには、朝銀資金の流用、これは、警察が、捜査二課が朝鮮総連に強制捜査をかけられた件ですが、これも書いてある。朝銀東京理事長と朝鮮総連の金庫番が共謀して、「架空の口座を通じて朝銀から総連に、約八億円を不正に流用していた、」こういうことも書いてあるわけです。これは、警察が裏づけて強制捜査もやっているわけです。
 しかし、私が申した日本侵入ポイント、送金の実態については、まだ警察は解明のメスを入れていない。
 この方はかなり高齢の方であります。朝鮮総連の罪と罰を告白するわけですから、身の危険を感じて告白されておるわけです。病身のかなり高齢の方が、身の危険を引き受けてうそを述べるはずがないわけです。極めて信憑性のある内部告発だと思うわけです。
 これらのことを内部告発しており、覚せい剤が、北朝鮮製の極めて純度の高い覚せい剤が日本に驚くべき数が入っておるということは、警察が把握している。世界から、日本から送金された資金で北朝鮮の独裁政権はもっており、そしてあの体制が続き、営々核ミサイルの開発をやっておるんだという情報を総合すれば、国家公安委員長としては、朝鮮総連を最大のターゲットとして、日本の治安を維持するために、世界からテロ支援国家が日本であるという汚名を返上するために取り組まねばならないのではないですか、質問するまでもなく取り組まねばならないのではないですかということを申し上げます。国家公安委員長の覚悟、御所見をお伺いいたします。
谷垣国務大臣 警察として、朝鮮総連に対する認識というのは、要約すれば二点でございます。
 一つは、北朝鮮を支持する在日朝鮮人によって構成されている団体でございますけれども、その綱領の第一項には、「われわれは、すべての在日同胞を朝鮮民族の真の祖国である朝鮮民主主義人民共和国の周りに総結集させ、愛国愛族の旗のもとにチュチェ偉業の継承、完成のために献身する。」こうございますが、極めて北朝鮮と密接な関係のある、一心同体という言葉が適切かどうかわかりませんが、そのような団体であるという認識が第一点でございます。
 第二点は、今まで朝鮮総連関係者が関与していた密出入国事件あるいは不正輸出事件、こういうようなものが、これはもう一々名前を挙げることは差し控えますが、従前からこういうものが随分あったわけでございまして、幾つも事例がある、こういう認識が第二点でございます。
 こういうことでありますから、公共の安全と秩序を維持するという警察の責務の観点から、警察が朝鮮総連の動向に重大な関心を持つというのは当然のことであろう、こういうふうに考えております。
 今後とも、具体的に刑罰法令に違反する行為がございますれば、これに対して厳正に対処していくということは当然のことであろうと承知しておりまして、国家公安委員会としても、そのような警察の活動を督励してまいりたい、こう思っております。
西村委員 警察単独ではできないので大臣にお聞きしたわけですが、万景峰号が来れなくなったということ一つとってみても、各部署が国内法令を適切に適用していけば万景峰号は来れなくなったわけでありますから、各部署が、そこで不正の発覚を認めたら直ちに警察との連絡をとってやるというふうな連携が必要でございますから、内閣は一体でございますから、閣議でどうかその旨を関係大臣とともに密にしていただきたい。
 そして、大臣の認識された一点、二点の朝鮮総連に対する認識があるならば、これは破壊活動防止法を適用してもいい団体ですから、その方向で、問題意識で、この団体を解散さすまで闘っていただきたい。
 ただ、朝鮮、在日の方々の相互の生活の安定を確保するための団体は必要なんです。それは必要ですが、その域を超えて今のことをやっている朝鮮総連は解散させるべきだと私は思います。
 閣議における関係大臣、部局への周知徹底と、問題意識は、解散だ、獅子身中の虫だ、治外法権は絶対放置しないというふうな私の要望に対して、御答弁をいただけましたら。
谷垣国務大臣 警察だけでなく、各機関連携して事に当たれとおっしゃるのは、私、そのとおりだろうと思います。
 それから、破防法の適用等言及されましたが、我々は、もうこれは法と証拠に照らして厳正に対処していく、その信念は揺るぎはない、こういうことを申し上げたいと思います。
西村委員 閣僚の閣議で、「Zの研究」と「わが朝鮮総連の罪と罰」を自費で購入してお配りするぐらいの熱意を持ってやっていただきたい。
 さて、今までの公安委員会委員長の答弁、それから警察当局の革マルに関する現状認識を前提にして国土交通省当局に聞きますが、国土交通省は、他人事ではなくて、既にこの問題の当事者である。二年前、JR総連、東労組に、革マル派、相当浸透しておりますよ、それをコントロールする立場に浸透しておりますよと言われて、現状もその認識は変わりがないという警察の事実認定でありますが、なぜこれは、JR総連、東労組またJRはこの革マルの浸透を排除できないのか、この理由は那辺にあるのかということであります。
 時間の節約上、私からまとめてお聞きしますけれども、JR総連、JR東労組だけではなくて、革マル派の浸透はJRそのものに及んでいるから排除できないのではありませんか。労組だけが革マル派の影響を受けて、会社が受けないということは考えられないのであります。その実態の解明はそもそもしておるのか、これが一点お聞きすること。
 それから、JRそのものが影響下にあるのではないか。これは「Zの研究」百三十七ページにこう書いてあるからお聞きするわけですが、ここには、JRの当時の松田社長と、松崎というJR総連のトップの人の語ったことが書かれてある。この本に書かれてあるわけです。
 例えば、「私はとくに、」私というのは松崎さんですが、「松田常務とはお互いに昭和十一年生まれでありますが、」「十一年生まれの同期の桜という感じでしてよく同志と言い合います。ですから、男が男に同志と言う以上、生半可なもんじゃありません。」これは一九八八年十一月の、千葉で語られたことだと。
 一方、八九年七月、中央委員会で、松崎さんから松田常務と言われた、そのときは松田社長になっておられる方、この方は、今道路公団民営化推進委員ということになっておられる方でありますが、こう松田社長は語っておる。社長が、「私は国鉄改革を一緒にやり、かつ、ですね、いま新会社を一緒に支えているというつもりですから、その意味では気持ちとしては一緒にやっている、」この一緒にやっているのは、この本では(松崎と)と書いてある。したがって、「死なばもろともというか、そういう感じでいますよ。」と。
 JR東日本の松田社長とJR総連の松崎さんは、「男が男に同志と言う」、「生半可なもんじゃありません。」という松崎さんの関係説明、松田社長の方は、「死なばもろともというか、そういう感じでいますよ。」という関係、これが象徴的に語っておるのではないか。
 革マル派は、JR総連、東労組だけではなくて、JRそのものに浸透している。それは社長の発言で明らかにある。したがって、日本の治安の、また首都圏の大動脈の最大の脅威である過激派革マルを、JR総連、東労組からJR自身の手で排除できないんだ、こういうふうに考えますが、当事者である国土交通省はどう感じておられますか。
石川政府参考人 先ほどから警備当局から、JR総連あるいはJR東労組に革マル派が相当浸透しているという御答弁があったわけでございますが、私どもの扇国土交通大臣も、国土交通委員会でございますけれども、「これは基本的にはJR東の話ではありますけれども、」「JR東の運行が安全で安心であるということの原則からすれば、私は大変憂慮すべき問題を内含しているのではないかと思っております。」こういうふうに御答弁しているわけでございます。
 私どもとしても、事務方としてもそう思っているわけでございますが、ただ、今の先生のお話のように、革マル派がJR東の会社そのものに及んでいるかどうかということについては、私どもとしては承知しておりません。
 いずれにしましても、法に触れるような行為があれば、警察当局によってしかるべき対応がとられると考えておりまして、私どもとしては、基本的には、この問題に関し、JR東日本が適切な鉄道事業運営を図る上で必要となる健全な労使関係をいかに構築していくかという、同社の経営上の問題と認識をしておるわけでございます。
西村委員 今の御答弁でも、まだ他人事のような御答弁ですな。法に触れることがあれば警察が適切に対処していただくと思っておる、これは当たり前の話なんだよ。物の実態は、JR労働組合の中だけに浸透して、JRという会社が影響を受けないということはないじゃないかということなんです。これは扇大臣もそうだと認めておるというふうに今認められた。
 だったら、質問項目にないけれども、知っておられたらお答えいただいたらいいのですが、昨年十一月の強要事件、七名逮捕された強要事件、これは、JR当局から警察に通報があって、警察が逮捕に至った事例ですか。
石川政府参考人 申しわけありませんが、ちょっと、私、詳しいことはわかりません。
西村委員 JR総連、東労組に浸透しておって、JRそのものに及んでいるか否かはわからない。承知していないということは、わからない、及んでいないんだと言い切れないというふうにお聞きしてよろしいか。
石川政府参考人 私どもは、繰り返しになりますけれども、鉄道事業が適正に運営できるかどうかということの観点からJRを指導しているわけでございまして、そういう観点での健全な労使関係はどういうふうに構築するかあるいは構築されているかということで、私どもも行政として対応しているわけでございまして、今お尋ねのようなことにつきまして、行政という立場からお答えするには必ずしもなじまないと思っております。
西村委員 まさに今お答えになった観点から、適当に公共運輸事業が運営されているかどうかという観点から、最大の関心を持たねばならないのではないかということは、私、もう一遍確認したい。今お答えになった観点から、JR東労組の中に革マルが浸透しているということを最大の関心を持って対処しなければならないのではないか。新幹線置き石事件、列車妨害事件、あらゆることが発生しているじゃないですか。
 さて、今おっしゃった観点から、当事者として最大の関心を持たなければならない、こういうことでしょう、革マルの浸透は。そうなんですね。
石川政府参考人 私どもが申し上げておりますのは、鉄道事業者でありますJR東日本、これが安全で安定した鉄道輸送を確保するということが必要だろうと思っているわけでございます。したがいまして、そういう意味で、例えば鉄道運転事故あるいは輸送障害等々がありますれば、それに対して厳重注意であるとか再発防止の指示等の指導を行ってきているわけでございまして、そういう意味で、鉄道輸送の安全にかかわる問題が出てくるのであれば、私どもとして適切に対処してまいりたい、こう申し上げているわけでございます。
西村委員 まさにそれが出てきているじゃありませんか。列車妨害事例は頻発しておりましたでしょう。だから、皆さんがこういう問題に関心を持たなければ、公共輸送機関の民間マネジメント会社に委託して済ませる、それで十分なんですよ。新幹線のボルト外し、置き石、新幹線連続置き針事件、これはこの本の百四十五ページから十ページにわたって書いてあることですから。そして、このジャーナリストは、それは革マル派と関係があると言っておる。それは調べなければいかぬ、えらいことになる。
 そこで、先ほどの答弁は、JRそのものに影響があるかどうかは、浸透しているかどうかはわからない、承知していないという答弁だったけれども、警察と連絡を密にして、その実態を積極的にあなた方の情報にしていただきたい。それで、この「Zの研究」を、こんな市販された本だからおれたちは関係ないぞと思わずに、まさに今御答弁なさったあなた方の責務に密接に関連することが書いてあるわけですから、一度読んで、本当かうそか検証されたらどうですか。ちょっとその辺の答弁を。うなずいているんやったら、それを言葉にして、はいとここで言うてくれ。
石川政府参考人 勉強させていただきます。
西村委員 昨年十一月の強要事件は、JR総連の歴史始まって以来初めて起こったのではありません。この「Zの研究」百二十三ページにはこういうことが書いてある。そして、JR総連の体質から見ては、これはあり得べきことです。
 これは、JRグリーンユニオンに移ったJR総連の元組合員が、先ほど警察からも御説明いただきましたけれども、非常に厳しい追及を受けたんだということで、組合が違うという理由だけでほかの友達づき合いまで干渉されるんだということを告白されております。このような被害を受けたのはこの人だけではないんだと。
 「他労組の行事に参加した、東労組の批判をした、などの理由で執拗な監視・脅迫を受けたという訴えを、私は」、つまり、著者の野村さんは「ほかにいくつも聞いている。そして、東労組を脱退し対抗組合に加入でもしようものなら集団で取り囲まれ、「組織破壊行為だ」「権力の手先に成り下がった」など、罵声の集中砲火を浴びせられることになる(東労組の組合員たちは、これを「カゴメカゴメ」と称しているという)。」
 カゴメカゴメというのは、子供が手をつないで、波のように一人の子供に押し寄せたり、はやしながら押し寄せる、懐かしい子供の遊びの一つのパターンでありますが、カゴメカゴメと称しているんだと。しかし、このカゴメカゴメは明らかに強要であり、侮辱であります。
 今後、JR東に関する指導において、このようなことがあれば、小さなことでも逐一許さない、黙認しないというふうな姿勢をとるということ、少しの違法も見逃さないという体制をもって公共輸送機関としての責務を果たそうとする意識がなければだめだということ。そしてまた、会社が従業員、勤労者の安全と自由を守るための断固とした意思を持たなければだめだということ。こういう観点、つまり国土省の公共輸送機関の安全を守るという観点、これはイコールなんですが、この観点から、会社を指導し、そして警察から指摘されているJR総連、東労組に浸透している革マル派を排除するように強烈な指導をすべきではないか、するつもりはあるのかということについて、御答弁いただきたい。
石川政府参考人 先ほどから申し上げておりますように、私ども、JR東日本が適切な鉄道事業運営を図る上で必要となる労使関係をいかに構築していくかというふうな、同社の経営上の問題ということだろうと思いますけれども、一般的には、社員が法令や就業規則などの社内規則に違反したということであれば、会社が厳正に対処するということも一般論としては当然だろうと思っております。
 そういう中で、私どもとして、繰り返しでありますが、鉄道輸送の安全にかかわる問題が出てくるのであれば、安全で安定した鉄道輸送の確保の観点から対処してまいりたいと考えております。
西村委員 今御質問を申し上げたことは、省庁はまたがっても目的は一緒であります。日本の治安を確保する、勤労者の安全と、いわゆる職場という人生にとって一番平穏であるべきものの平穏を守る、つまり生きがいを守る、国民の安全を確保するということでありますから、大臣、お立ち会いいただいてありがとうございますが、閣議において国土交通大臣に対しても、今申し上げたような問題意識でこれに対処するように働きかけていただきたい。
 それから、これは本の宣伝をしているわけじゃないですが、こういう本をやはり軽視することなく、実態を解明するために用いていただきたいということを発言して、質問を終えます。
 ありがとうございました。
佐々木委員長 以上で西村君の質疑は終了いたしました。
 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 きょうは、吉井議員にかわりまして、私の方から鴻池大臣、そして石原大臣に質問したいと思います。
 まず、鴻池大臣の、先ほどの、長崎の事件にかかわる十一日の記者会見での発言の問題について質問させていただきます。
 過激な発言で、皆様に御迷惑をかけ、お騒がせしたことをおわびする、今後、発言には十分注意する、七月十五日の閣僚懇談会でこのようにお述べになっていらっしゃいますが、大臣はこのみずからの発言の何を反省されているのか、改めて聞きたいと思います。
鴻池国務大臣 反省をしているということ、先ほども民主党の委員から御質問がございました。かみ合わずに大変失礼したと思うんですけれども、私は、基本的な政治家としての考え方、これにはいろいろ賛否がおありと思います。加害者の方にも大変な人権があるから大切にしなきゃいかぬ、こういうお立場の方もいらっしゃるでしょうし、私の方は、加害者の方の人権、これは最優先すべきではなく、被害者の方の人権を優先すべきではないかと。
 しかし、今の世の中、どうも被害者、沖縄にいたしましても、長崎にいたしても、過去の例にいたしましても、やはり大きく映し出されて、そして悲しみに打ちひしがれている姿、しかし、加害者の方は全く、人権が守られているのか、出てこない。しかし、少年法によって罪にならないならば、その親がやはり社会に出てきて社会に対するおわび、あるいは被害者に対するおわびというのが行われて当然であろうと私は思っております。しかし、そうではないという方もいらっしゃいます。私はそういう思いの中で、親がやはり出てくるべきである、このように思い、一つの例えとして、やはり市中引き回し、こういう例えをいたしました。これには、やはり大変過激な判断、過激な受けとめ方だということで、大変な御非難も受けました。しかし、それは、表現は別として、当然の思いであるという逆の御支持もいただいております。
 その中で、例の総理に対する野党の質問の中で、鴻池の発言はいかがなものかというのがあったやに聞いておりまして、そのときに総理は、それが現実とすれば不適切な発言であるという表現をされました。それを私は聞きましたので、その総理の発言、また、官房長官の発言の中に鴻池の発言は不適切であると、これをやはり私は重要、重大に受けとめなければならない。
 そこで、例えばの話であろうと言い回しの話であろうと、今後、発言につきましては十分注意をしなければならぬと反省をいたしております、大変御迷惑をおかけいたしました、こういうことであります。
春名委員 市中引き回しの上打ち首という暴言は到底許されないわけでありますが、今大臣がおっしゃった、政治家としての考え方にはいろいろある、加害者が出てこない、この問題について私はこう考えている、このことを言ったまでであると。
 確かに、七月の十一日の記者会見では、信賞必罰、勧善懲悪の思想が余りにも戦後教育に欠落している、勧善懲悪、罰則を強化しないとびりびりこない、厳しい罰則をつくるべきである、そして、市中引き回しという発言が出ているわけですね。だから、この発言の全体は、親も含めて、罰則をとにかく厳しくすべきであるということを言っておられるわけです。そして、世間にさらして制裁すべきである、こういう趣旨のことをこの記者会見の中では言っておられて、それは政治家としての私の考え方である、賛否両論あるとおっしゃったわけですね。
 ただ、大臣は一政治家ではないわけです。青少年問題の対策の担当大臣ですね。そして副本部長をされているという、いわば青少年問題に対して最も責任ある、最も重い責務を持った、そういう方だと私は思うんです。その問題と、そういうあなたの立場とこの発言が本当に両立するのかについて、私は率直に聞いていきたいと思うんです。
 まずお聞きしたいのは、子どもの権利条約です。お読みになったことあると思いますが、条約は、罪を犯した少年への対応をどのように対応するとなっていますでしょうか。
鴻池国務大臣 私は、詳しいことは存じておりません。
春名委員 青少年問題の対策を考える際に、世界の標準である子どもの権利条約の中心点をもし御理解されていないとすれば、私は、それだけでも大問題だと率直に申し上げておきたい。罪を犯した少年に対して、人間としての尊厳の回復と価値観の獲得、早期の社会復帰、復帰後の建設的な社会参加の促進こそ最も重要なんだ、これが子どもの権利条約のポイントじゃないんですか。そういう御理解はないんでしょうか。
鴻池国務大臣 ただいま委員から御説明がございました権利条約、それをしっかり勉強しなきゃいかぬというふうに思っておりますけれども、私は、子供といえども、犯した罪というのはいろいろな重さというものがあると思います、委員はどのように思われるかわかりませんけれども。
 例えば、一人の弱い子を大勢で殴りつけて、そして死に至らしめる。あるいは、長崎のように、本当にいたいけな子供を裸にしてわいせつ行為をして、そしてあの屋上から突き落とす。これが、今委員のおっしゃった、子どもの権利条約だからそれはすべてそのように対処せよという考え方は、私は、たとえ青少年担当の大臣としてもちょっと承服できかねる、このように思います。
春名委員 大臣やめた方がいいですね。どうすれば解決するか、みんな胸を痛めているんですよ。その世界の到達点がこういう子どもの権利条約の四十条の中身になって、日本も批准しているんじゃないですか。この四十条の第二項には、罪を犯した子供たちの司法手続のすべての段階でプライバシーの保護がきちっと確保されなきゃならない。世界のスタンダードじゃないですか、これが。委員長じゃないですよ。私、質問しているんですから。
 あなたはそういう青少年担当の大臣として、最も重責を担っている。そのときに、世界が苦労しながら、日本が苦労しながら獲得をし、批准をしたこういう子どもの権利条約の内容すら全く解さずに、そんなことはどうでもいいんだということを今おっしゃっているわけなんで、私は、これは、解決のためにどうすればいいかという基準として出しているんですよ。こういう大変な事件があって、みんな胸を痛めているんです。そのときに、あなたがそういう立場に立って、この水準に立って物事を考えないとどうするんですかということを言っているんですよ。
鴻池国務大臣 御質問であるかどうかわかりませんが、私の意見をもう一度申し上げたいと思います。
 子どもの権利条約、ただいま委員が御説明になりました。それも大変大事だろうと思う。そして、加害者の、いわゆる犯罪を、凶悪な犯罪を犯した少年のいわゆる人権を守るということ、それはそれでもいたし方ないかもしれない、そういうことであるならば。それも今後のことで一考すべきことかもしれない、守るべきことかもしれない。しかし、被害を受けた方だけがあのように露出をされるということに対して、私は憤りを感じているのだ、こういうことですよ。
春名委員 加害者の人権も被害者の人権も同等に大事なんです。それをどうすれば守れるのか、そして、二度とこのようなことが起こらない、そういう凶悪な犯罪が起こらないようにどうするのかということを英知を集めてつくり出したのが、子どもの権利条約のそのポイントじゃないですかと言っているんですね。
 しかも、大臣、もう率直に申し上げますけれども、日本政府は、日本の少年法第一条、どう書いていますか。「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。」あなたが言うような、厳罰に処してやるんだ、そういうふうな目的とは全く違う理念で構築をし、その努力をみんなが尽くしている。政府もその立場に立ってやっているんです。
 全然違うんじゃないですか。
鴻池国務大臣 委員は何か勘違いをされている。私は、厳罰に処さなければならないということを言っていないんです。被害を受けた方の少年あるいはその家族、これが余りにも人権が守られてなさ過ぎるのではないかと。加害者の人権を優先して被害者の人権を後回しにするようなことは、私は、許してはならない、これが基本的な考えです。
春名委員 話をすりかえないでほしいんですけれどもね。
 あなたは、十一日の記者会見で、厳しい罰則をつくるべきである、勧善懲悪であって、罰則を強化しないとびりびりこない、こういうことは不適切だといって取り消しても何にもないんですよ。そういう考え方を持っていらっしゃるわけですよ。それはどうかというふうに、私はそう考えていると言っているわけです。――ちょっと待ってください。そういうふうに言っているわけでしょう。
 加害者の人権も被害者の人権も大事であるし、そのことを努力するというのは当然だと私も思います。しかし、この発言の中であなたが一番言っていることは、厳しい罰則をつけ、罰則を強化しないとびりびりこない、信賞必罰、勧善懲悪、こういう考え方でこれからいかなきゃいけない、あなたは、青少年担当大臣の職にありながら、そういう立場に立つと。しかし、あなたは一番少年法を守って生かす立場に立たなければならない人なわけですから、その少年法を翻って見たときに、そういう考え方ではなくて、本当に、罪を犯した少年の更生をどうやったら実現できるのかという中身が詳しく書いてある。
 しかも、親を引き回して、テレビの前で明らかにする、そういうふうになれば、その子供のプライバシーは全部なくなります。そのようなことをしたらだめだということが日本の法律の到達点じゃないですか。そのことをわかっているのかと聞いているんです。
鴻池国務大臣 よいことは褒めたたえ、そしてそれを大いに盛り上げ、勧める、悪いことは悪いことで、これはやったらいけない、先ほども申し上げましたけれども。人の命は大切にしましょう、当たり前だ。しかし、戦後のこの教育の中で、そういうスローガンばかりが前に走って、人を殺してはならないという教育がなっていないからこのような状況にあるんです。
 私は、罪を重くしろ、そう言っているばかりではありません。よいことは勧善、しかし悪いことは懲らしめるという、その今までの欠落してきた日本の風潮というものを、きちっと考え直さなければならないのではないかということを申し上げているんです。
春名委員 政府が国連に提出した児童の権利に関する第一回報告、平成八年の五月にこの文書を政府自身の決定として国連に出しています。その中にはこう書いてあります。
 罪を犯した少年に対しては、刑罰による非難を加えるよりも、保護、教育を行うことが健全育成に役立つと考え、性格の矯正と環境の調整を図るとの観点から、これらの少年事件は、すべて家庭裁判所に送致、通告される。このことを政府の統一の見解として国際機関に提案、報告しています。いいですか。そういうふうになっているんです。
 そのことを考えたときに、今大臣がおっしゃったその考え方を、一緒に、てんびんといいますか、かけてみますと、本当に大臣は、罰も強化する、被害者の人権、加害者の人権も、その軽重があるので、そこも強化するということを言われるわけだけれども、日本の少年法と、そして国際的なグローバルスタンダードで、日本が批准している子どもの権利条約のこういう今の到達点をちゃんと踏まえて、それをしっかり推進していこう、その流れを促進するという立場とは正反対のことを言っておられるわけなので、そういうお考えを持っておられることと、今の、青少年対策の担当大臣をやられて、副本部長をやられるということが、私はどう見ても両立するとは思えない、法律をまず守らなければなりませんので。
 そういう認識はないんでしょうか。
鴻池国務大臣 今、委員がるる御説明なさいましたとおり、あの事件にしましても、かの事件にいたしましても、過去の事件にいたしましても、そのとおりの、法律どおりの動きになっているではないですか。
春名委員 私の質問に答えてください。両立するんですかと聞いているんです。
鴻池国務大臣 両立をいたさなければならないと思っております。
春名委員 今議論してきたとおり、例えば、鴻池大臣、権利条約も少年法も、余り読んでいらっしゃらないのか、知っているけれども言わないのかわかりませんけれども、一九二二年の旧少年法から、一九四九年一月に新少年法に変わりました。日本国憲法の、新しい憲法のもとで、基本的人権を保障するというこの大原則に基づいて、刑罰優先から保護優先へという、そういう重要な変化を新少年法でつくりました。
 確かに、数年前の改正で、それを逆転するかのような中身も多少盛り込まれましたが、しかし、そのときの議論だって、当時の法務大臣は、この少年法の理念は尊重していくべきであって、いささかも変更するものではないとはっきり言っているわけでして、そういう、当然の政府が立つべき、法律を守るという立場に立てないのであれば、私は、両立できないし、やめていただくしかないというふうに、はっきり、きょう実感いたしましたので、申し上げておきたいというふうに思います。
 鴻池大臣、どうも。
 それでは次に、公務員制度改革の問題についてお話をさせていただきたいと思います。
 会期末まであと十二日となりました。先ほど中沢委員も質問されましたが、長い間の議論が繰り返されてきているわけですが、私も率直に大臣に伺いたいと思うんですが、先ほど、出すかどうかについて最終決断をすべき時期に来ていると。やはり、今の現状を見ますと、今国会で提出するということは、そういう条件はないし、私、許されないと思いますし、改めてそのことは確認をし、十分な労働組合との話し合い等々を進めていくということがいよいよ大事になっているというふうに思います。
 その点、まず、御認識をお聞かせいただきたいと思います。
石原国務大臣 この問題につきましては、先ほど、御同僚の中沢委員の御質問の中でお答えをさせていただきましたとおり、国会の会期末が迫ってまいりまして、ぎりぎりの政府内の調整、また与党の皆さん方との話し合い、また職域団体の皆さん方とのお話をさせていただいているところでございますが、法案の提出権というものは政府が持っているということは、委員、ぜひとも御理解をいただきたいと思います。
春名委員 実態からいって、そういう、提出して、やるというような状況にはないというふうに思いますし、そのことを肝に銘じておいていただきたいんですが、そのことについて今から議論を進めていきたいと思うんです。
 それで、七月の十三日の新聞あるいは九日などの幾つかの新聞に、自民党の了承を取りつけるために、自民党の行革推進の幹部用に作成されたと見られる想定問答集というものがあるということが報じられました。私も現物をここに持っておりますけれども、十一日の記者会見で石原大臣が、一体だれがどういう意図を持ってつくったのか調べるように指示しておりますと、こう述べておられます。もう五日たっておりますので、どこがだれの指示でこれはつくったものなのかおわかりになりましたか。
堀江政府参考人 大臣の方から調査をするようにという指示を受けておりますので、私の方からお答えをさせていただきたいと思います。
 実は、当初、本件が話題になりましたときに、私はそういう文書を持っておりませんでした。そこで、調査の指示がございまして、私はまずその文書の入手をすることから調査の仕事を始めたわけであります。
 これまでのところ、事務局が組織的に本件にかかわったという事実はありませんでしたけれども、引き続き、わからない点もたくさんございますので、調査をやっているところでありまして、もう少し時間をちょうだいしたいと考えております。
春名委員 五日たって、まだどこからどういう指示でこういうものが出たのかおわかりにならないということなんですね。
 そうしましたら、後で議論しますが、これはなかなかえぐい話がたくさん出てくるので、十八日に閣議決定するためにこういう手だてでやりなさいとか、物すごく生々しい話なので、こういうものが事務局や石原大臣とは全く無関係のところでつくられているとしたら、それ自身がおぞましいことでありまして、事実関係を全面的に明らかにするのは当然じゃないでしょうか。いつまでにこれは明らかにできますか。
堀江政府参考人 いろいろと私自身わからないところがございまして、いろいろな人にも当たったり、また実際に文書がファクスで送られてきたという先生のところにもお伺いしましてお話を聞いたりしているわけでございますけれども、いまだよくわからないという状態が続いております。いつまでにということは、はっきり今の段階で申し上げる状態にはございません。
 また、調査の途中で断片的に、これまでわかったことではこうだというようなことを申し上げますと、いろいろと誤解あるいは混乱を招くおそれがありますので、調査結果が出まして、改めて必要があれば御報告を差し上げたいと考えております。
春名委員 大臣、異常じゃないですか、これ。五日たってもまだわからない。しかし、中身はすごいことが書いてあるわけで、大臣が考えていないことも含めてかもしれません。後でちょっと言いますけれども、これはどう考えますか。
石原国務大臣 ただいま事務局長の方が調査中であるというお話をさせていただきまして、私も調査中であるという報告を承っております。
 このそもそもの発端は、我が党の行革本部の総会の席で、同僚の議員から、こういうものがあるが知っているか、そういうものは非常にけしからぬことではないかという指摘があって、委員の御指摘も、また我が党の委員の指摘と同じものだと思います。
 私と事務局長は、少なくともそのとき、そういう文書のあること自体も承知しておりませんでした。その後、ただいま事務局長がお話をいたしましたように、私も事務局長も、その文書をともかく手に入れることから始めませんと何が書かれているかわかりませんので、収集に当たりました。
 そこでいろいろな事実が出てまいりました。詳細は割愛させていただきますが、私が見つけたものと事務局長が見つけたものは、同じようで違うようなものでございました。すなわち、若干違うものが、複数のものが存在するということがわかりました。そして、どちらが問題になった文書であるのかということを確定するに至っていない。
 ですから、どういう意図で、だれが何の目的でつくったのかということは、やはり慎重に調査をして、わかりましたら私どもとしても公にしていかなければならない重要な問題であると認識をしております。
春名委員 本当に重大な問題で、例えば石原大臣一つ、中身をごらんになっているので、中身にかかわって、怪文書だからわからないとおっしゃるかもしれませんけれども、少し聞いておきます。
 「ネタメモ」といって、手書きされているんですね。その「ネタメモ」と手書きされた文章の中にこういう文章が出てくるんですよ。「今回の一連の行革は皆、政治主導で行ってきた。公務員制度改革は人事院の権限を減らす話であり、「まな板の鯉に包丁を握らせる」こと自体そもそもおかしいのではないか。」こういう文章が並んでいるんですね。
 今回の公務員制度改革はそもそも人事院の権限を減らすことが目的であって、その人事院にいろいろなことを反論されているのは、まないたのコイに包丁を握らせること自体であっておかしいと。こんなことを自民党の行革本部の中で答弁させるのか、どういう意図であれなのかわかりませんけれども、こういうことすら書いてあるんですよ。憤慨でしょう。それとも、こういうことが本当に目的なのかと思ってしまうわけであって、ですから、この内容を含めて、これはあなた方にとっても絶対看過できない問題じゃないのかと思うんですよ。
 ですから、いつまでにどうやって調べて、この委員会にも明らかにして、対応する、対処するということを明言していただかなければならないと思うんです。
 大臣、今私が一つ取り上げたその内容の問題、そして明らかにしてほしいという点についてお答えください。
石原国務大臣 我が党の名誉のために申しますが、そのような発言をされた方はいらっしゃいませんというのが第一点。
 二点目につきましては、鋭意調査中でございますので、今しばらくお時間をちょうだいしたいと思います。
春名委員 そういう発言をしたという書き方ではなくて、恐らくこういうことも反論でしゃべれというような、これはサジェスチョンではないかと思いますがね、この文章は。
 こういうようなことまで議論されているわけであって、行革推進事務局の皆さんや大臣にとっては、こんなおぞましい話はないわけでして、私も驚きますし、官僚がもしこれを書いたのだとしたら、政治主導でやっているどころか官僚主導そのものになるわけですし、本当に明らかにしてもらって、対応するということをまず強く要望しておきたい。
 次に、昨年十一月のILOの勧告に続いて、六月の二十日にILOの理事会で中間報告が承認されました。石原大臣は、この二つのILOの中間報告と勧告、なかんずく六月二十日の再度の中間報告、勧告を今どのように受けとめられているのか、お聞かせください。
石原国務大臣 今、中間勧告の部分も持っているわけですけれども、その内容は、公務員の労働基本権に対する現行の制約を維持するとの考えを再考せよ、すなわち、公務員制度改革大綱を再考しろというものでございます。二点目としては、関係者に、公務員制度改革及び結社の自由の原則と調和するよう、法律改正について合意に達することを目的として努力すること、また、この点に関してはILOに対して情報提供を供し続けることというような内容であったと思います。
 詳細については、昨年の十一月の勧告と私は変わらないということだと思っております。
 そして、ぜひ委員にも御理解をいただきたいんですが、これは中間報告でございます。我が国の現状やこれまでの考え方、我が国の政府と職域団体との協議の実況、実施状況に関して、ILO側も受けとめていただいた点もあるというふうに認識しております。これからもILOに対しては適切、適宜適宜情報提供を行っていって、御理解を得るべく努力を続けさせていただきたいというのが政府の見解でございます。
春名委員 ILOに適宜情報を提供して理解をしていただきたいという立場に立っていること自身が問題なんじゃないですか。十一月に勧告が出されて、中間報告といいますが、もちろん中間報告ですが、そして三月に分厚いこういう政府の追加情報を皆さんが反論として出されて、そしてこの追加情報の反論を全部詳細に分析した上で、そして六月の二十日に改めて中間報告、再勧告を出して、中身は今おっしゃったように、ほとんど十一月の勧告の内容を踏襲する中身です。
 しかし、政府のこの反論書が、これでは道理がない、ILOの八十七号条約を批准している国として、国際的な基準から見て道理がない。だから再勧告を出して、その中身として、大綱の再考ということを含めて議論しなさい、そして労働組合との意義ある議論をしっかりやれということを言っているわけですね。そういうものとして出されている、国際的にそういうことが提起されているという受けとめがあるのかどうかが今は大事なんじゃないですか。それはあるんですか。
石原国務大臣 先ほども御答弁をさせていただきましたように、我が国には我が国の考え方、状況の問題というものがあるわけでございます。各国とも歴史があるわけです。そういうところの理解を深めるべく、御心配いただいておりますので、政府としても必死に、理解を求めるべく努力をしていきたいと考えております。
春名委員 ですから、先ほど私が申し上げているように、例えば石原大臣は、消防職員は職員委員会をつくったという自分たちの歴史がある、だから団結権と言われても困るということをおっしゃっているけれども、そういうことを全部わかった上で、そうではなくてその上に立っても、その上に立ってもですよ、消防職員の団結権がこのような理由で認められていないというのは、世界の水準からいって到底認められないということを、二回にわたって勧告を出しているわけですね。
 だから、そういうものとしてこれを正面から受けとめるのか、それとも、いや、まだ説得の対象で、もっといろいろ情報を出してやり込めてやろうじゃないけれども、そういう態度に終始するのか。私は雲泥の差があると思うんですよ。そこを、石原大臣はやはりその点に立たないとだめなんじゃないかというように私は思うんです。再勧告というのはそれだけの重みがあるのと違うんですか。
石原国務大臣 これは、春名委員も御質問の中で申されているように中間報告でありますし、さらに、結社の自由委員会という、ILOの組織の中でも比較的自分たちの意見を強く言う機関が言っている話であります。それが我が国としての正式な受けとめ方でございますので、我が国の歴史、こういうものにつきましても御理解をいただくべく、今、鋭意努力をさせていただいているということでございます。
春名委員 非常に軽く見ているように思えてならないんですね。
 長い歴史があるわけです。長い歴史があって、その上に立って五十数年ぶりの公務員制度の大改革をやる際に、この問題について、現行の制約をそのまま置いたままで改革をするという提案がされて、そのことについて、本当にそれでいいのかということが繰り返し国際機関から提起をされているわけであって、そういう重みが随分、一つの機関から、しかも意見を強く言う機関から言われているから、しかも最終報告じゃないので、そのことは軽く扱ってもいいかのような、こういう御認識を吐露されること自身が、日本の政府の後進性を示しているといいますか、というふうに本当に私は感じざるを得ないんですね。
 そこで、ILOの再勧告も言っているように、意味ある合意、十分な議論ということの中身、意味ある交渉、協議、合意に達する努力ということについてですが、坂口厚生労働大臣がことし四月、ILOを訪問したときに、担当大臣として、一、まず労働側とよく話し合う。二、その結果をILOに報告する。三、ILOの意見を聞く。四、それを踏まえて政府が意思決定することが必要。四つの手順に沿って合意形成を図りたいと述べたと言われています。
 これが意味ある交渉であって、合意に達する努力のプロセスだと私も感じますが、石原大臣はこういう御認識でよろしいですか。
石原国務大臣 その点につきましては、ILOから戻られた坂口大臣が、報道されているとおりではないんだという話を私にされたことを記憶しております。
春名委員 大臣がこの発言で示した手順は、だれが見ても、意味ある交渉、協議、合意に達する努力という点で、こういう手順を踏むのはいわば当然というように思うんですね。これをまた薄めるということになりますと、また話が違ってくると思うんですね。
 それで、労働側との話し合いを誠実に行うということが極めて重要です。これからどういう議論をし、詰めていくのかということがいよいよ大事になってきます。その際、ILOは、二つのナショナルセンターの提訴に対して、同列に扱って検討し、中間報告と勧告を提出しています。そして、意味ある交渉、合意に達する努力を政府に求めています。したがって、提訴した全労連と連合の二つのナショナルセンターを分け隔てなく扱って協議の場もつくり、真摯な努力をする、協議をするということが当然の帰結だと思いますが、これはどうでしょうか。
石原国務大臣 この点は、春名委員の御指摘のとおり、政府としては、全労連、連合に対して適切に対応していると認識をしております。
春名委員 果たしてそうでしょうか。それは全く違うんじゃないでしょうか。
 連合とよく話をすることは当然であります。最も数も大きいですし、しっかり議論をしていただく、協議機関もつくってやられるということは当然です。同時に、ILOにはほぼ同じ中身で提訴をし、その二つの提訴に対して勧告が出されているわけですから、同じように、日本の国内での合意形成に向けて努力をされるというのは当然のことだと思うんです。
 例えば、昨年十一月に勧告が出されて以降、調べてみますと、連合との協議では福田官房長官と三回、片山総務大臣と一回、石原担当大臣と三回、小泉首相とも一度話し合い協議が行われています。ところが、同じ提訴した全労連との話し合いは、大臣クラスは今まで一度もありません。事務レベルでも、二〇〇三年四月十五日、きょういらっしゃっている行革推進事務局の堀江局長と、五月二十九日の春田室長の、わずか二回のみです。
 これは著しく公平を欠いていると思いますので、この点を認識して、正していただくということでよろしいですか。
石原国務大臣 私も、さまざまな経緯、歴史がありまして組合の方々とお会いしているわけでありまして、政府として、分け隔てをして交渉あるいは情報提供を行っているという認識はないということをぜひ御理解いただきたいと思います。
春名委員 日本には二つのナショナルセンターがあるんですね。ILOは、例えばことしの三月六日、七日に結社の自由委員会を開催しまして、その報告の中で、二十六、二十八日の理事会で承認しているものですけれども、「委員会は、第二十八期中労委への任命の機会に、あるいはそれ以前であってもその間に労働者委員の空席が生じた場合には、日本政府が是正措置をとることを希望する。」つまり、ILOは、中央労働委員会への労働側の委員の選任にかかわって、欠員が生じた場合には全労連系への配慮も求めているということを明記しているわけですね。地労委はもう、全労連の委員も入っていますしね。
 つまり、少なくともILOの場では、日本の労働者のナショナルセンターとして全労連が認知されているわけですね。日本には二つのナショナルセンターがある。それが存在している。政府に対して均等な取り扱いをILOは求めているわけです。
 ですから、そういう差別するつもりはさらさらないとおっしゃっておられるので、それは大事な見解だと私は思います。したがって、今私が申し上げたように、今までの経過で見ますと、石原大臣との関係でも全労連の代表とは全く、議論、テーブルの場に着いていないわけですので、この点を改善していただきたい。そして、もちろん、連合とも真摯な議論を尽くしていただくということを改めて石原大臣に要請したいと思いますが、いかがですか。
石原国務大臣 ただいま委員が御指摘されましたように、私もここに連合、全労連、全労協ですか、その組織図を持っております。そして、さっき申しましたように、やはり人間関係があって人と人は話すんだと思うんですね。私は、少なくとも、規制改革の話をして恐縮なんですが、我が党の支持母体である医師会、薬剤師会、あるいは道路公団改革をめぐってゼネコンの方とも一切お話をしていない。そんな中で、誠意を持って対応しているということでぜひ御理解をいただきたいと思います。
春名委員 ですから、そういうレベルの話を私はしているんじゃなくて、いいですか、今度の公務員制度改革の問題とそれに対する中間報告と勧告というのは、日本にある連合と全労連がほぼ同じ内容で、労働基本権の問題を含めて提訴して、それに対する中間報告と勧告が出されているわけです。二つのナショナルセンターに対する勧告が出ているわけです。
 ですから、ILOが、それら関係機関とよく協議しなさいという中身は、当然、二つの労働組合と真摯な議論をするというのは当たり前だと思っているわけですね。当然なことですよね。
 ですから、人間関係がいろいろあって、希薄なのかどうなのかわかりませんが、私は、そういうレベルのことではなくて、これから五十数年の体系を決めようとしている、そういうときに、実態は今言ったとおりになっているわけですから、これを機会に、しっかり石原大臣も広い視野でいろいろな意見を聞いていただく、協議の場を持っていただくということは改めて私は強く要請したいわけで、もう一度御答弁をお願いします。
石原国務大臣 何度も申しましたように、我が党を支援している方々とも利害関係があるときは会わないというのが私の立場でありますし、さらに、政府としては責任を持って対応しているということも重々述べさせていただいておりますので、それを不十分であるか、思わないかは、それは春名委員の御自由でございますが、政府としては責任を持って対応させていただいていると認識をしております。
春名委員 責任を持って対応しているということについて今おっしゃっているわけですので、そして差別をすることはないということもおっしゃっているわけですので、このことをこれからの意義ある協議に生かしていただくということを強く改めて要請しておきたいと思います。
 さて、最後に、石原大臣は能力等級制は勤務条件ではないという趣旨のことを述べていらっしゃいますが、五月の十六日の内閣委員会で、吉井議員がこの点の人事院の見解をお聞きしております。きょうも改めて人事院の見解をこの場で確認しておきたいと思いますが、この能力等級制をどうごらんになっているか。お願いします。
佐藤政府参考人 今の御質問の趣旨については既に何度かお答えしているので、きょうはやや問題を整理しながらお答えをさせていただきたいと思います。ただ、私は労働法の専門家ではございませんので、もし誤りがあれば御指摘をいただきたいというふうに思います。
 まず、勤務条件の定義ですけれども、これは、私もいろいろ本を読んでみましたけれども、必ずしも専門家の間で一致していない、幅がある。それからもう一つは、いわゆる管理運営事項と勤務条件の間の線引きでございますが、これについてもかなり幅があって、いわゆるグレーゾーンがある。ただ、専門家の皆様方が一致しているのは、給与と労働時間と労働環境、これは典型的な勤務条件である、しかも、そのうちの給与というのは最も重要な勤務条件であるということが専門家の方々が一致した御意見であろうかと思います。
 その上で、私なりに行革推進事務局でお考えになった能力等級制度というものを考えさせていただきますと、まず、能力等級制度の最初の段階として、今各省庁にあるすべての役職を能力等級の上に分類整理するということでございます。これにつきましては、確かに管理運営事項だというふうに言えるかもしれません。
 その次の段階として、各能力等級ごとに能力の基準を決める。その基準についても、各職員の能力評価の基準にも使うわけでございますね。この点については、そもそもそういう基準を決めること自体、普通、民間会社ですと労使交渉事項でございますので、これはかなり勤務条件に近づいてくるわけでございますね。
 さらに問題なのは、その能力等級というものが実は給与等級になっているわけでございまして、能力等級表というのは今の給与等級表にほとんど一致しているわけでございますね。そうすると、能力等級制度というのはまさに給与を決める制度であるというふうに私は理解しているわけでございます。
 さらに、昇進、昇格について考えてみますと、ある職員がある能力等級からさらに上の能力等級に行く、上のポストに昇格するというときにどういう条件を満足しなければいけないかということは、能力等級の基準によって決まってしまうわけでございますね。さらに、それによってどれだけ給料が上がるかということについても、能力等級の設計次第ということになります。
 総じて考えますと、能力等級制度というのは、端的に言いますと、一つの、全体として能力及び昇進、昇格の決定システムではないかというふうに私どもは理解せざるを得ない。そういうことで、私どもは、能力等級制度というのは非常に重要な勤務条件であるというふうに申し上げている次第でございます。
春名委員 今の人事院の御説明について、石原大臣はそうは考えないという、ちょっと違うということだというふうに私は理解しているんですが、少し、違うということだけで結構なんですが、どうですか。
石原国務大臣 私、この点は何度もこの委員会でも議論をさせていただいていると思うんですけれども、人事院の方は、勤務条件か否かは給与との関係で決まるものであると。職員は、今度の制度によると能力等級によって位置づけられる、能力等級は給与に直結し、また能力等級は給与等級であるから、能力等級は勤務条件であるというのがロジックだと思うんですね。
 しかし、能力等級制イコール給与制度が一体であるというのは誤解だということを何度も話させていただいている。すなわち、例えば、省庁再編をしました、役所ができました、その中に局があります、課があります、そこにいる人の能力等級というものがあるというものが、これが勤務条件だとはだれも思わない。すなわち、何度も話しておりますように、能力等級制というものがあり、その間があってこちらに俸給等々の勤務条件がある、ですから直接的にはつながっていないというのが私のこれまでの見解でございます。
 なぜ人事院の方がこういうことを言われるのかなということを私なりに整理しますと、法律をよく読みますと、本当は、能力等級と非常に似ております職階制というものがあるわけですけれども、職階制は実施されていなくて、一般職の給与法に基づいて暫定制度がその職階制の官職分類を代替しているというのが今の仕組みであります。そうしますと、給与が割とダイレクトに勤務条件とつながっているわけですね。
 そうしますと、こういう能力等級制が給与制度と一体であるというような誤解が生じているんじゃないかな、私はこんなふうに考えております。
春名委員 時間が参りましたので、今お二人の答弁を聞いていても、根本的な問題が食い違っているということがはっきりわかりました。そこの違いもいいかげんなままに閣議決定をしたり、あるいは今、労働組合との関係では全く不十分でありますし、最初に申し上げたように閣議決定をするような条件は全くないと思いますし、意義ある交渉、そして論議を組合などなどとやっていただくことが極めて大事だということを改めて私、痛感いたしました。
 そのことを申し上げまして、質問を終わります。
佐々木委員長 以上で春名君の質疑は終了いたしました。
 次に、北川れん子君。
北川(れ)委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。
 きょうは、本年三月十日、「原子力発電設備の健全性評価について 中間とりまとめ」という冊子が出ているんですけれども、これをもとに、BWRの再循環系配管にあらわれたひびの長さの方についてお伺いをいたしたいと思います。
 それで、この中間取りまとめにはデータが過去の分が表になって出ておりますけれども、これは、電力会社の自主検査のものプラス今停止時における定期検査の、国の供用中の定期検査のデータが掲載されていると理解してよろしいでしょうか、まず初めにお伺いしておきたいと思います。
佐々木政府参考人 先生御指摘のとおり、三月十日に報告をいたしました中間取りまとめの添付資料として記載されました再循環系配管の点検データは、東京電力、東北電力及び中部電力が過去に行った再循環系配管の自主点検の結果及び定期検査の結果のうち、ひび割れが見つかった部分についてその結果を記載しておるものでございまして、自主点検と定期検査の双方から得られた結果を含んでおります。
北川(れ)委員 ということを確認させていただいて、これはいろいろ興味深いデータが記載されてあるわけなんですが、本日は、配付をさせていただきまして、委員の皆様のもとにも一枚の紙をお渡ししております。少し想像していただけると思いましてお渡ししたんですけれども、今回、特に焦点を当てさせていただきますのは、福島第二原発三号機、第五回、国の定検時の、定期検査において、再循環系配管B系六六一―B〇六―S〇二において検出されたひび割れというものについてお伺いをいたしたいと思うんです。
 これは、第五回ということで、今回のデータには第八回からしか載っておらないので、これ自身のデータというのは載っておりません。しかしながら、なぜこれを取り上げたかといいますと、このデータが、第五回定検、九三年になるそうなんですが、そのときには、国に報告、だから原子力安全委員会に報告されたときには、異常なしというふうに報告された部分なんですけれども、これが実は、ことし六月二十六日の東京電力の株主総会におきまして、株主の方から質問があり、回答がされました。このときに、異常なしとなっているけれども数値はどうなっていたのかと。数値は、DAC二〇%というのとDAC一〇〇%以上ということで聞いたわけですね。
 この表を見ていただいたらおわかりいただけると思うんですけれども、DAC一〇〇%というのは、内側の部分であります。内側というか、内径にひびができたわけなんですけれども、内側にもDAC一〇〇と書いて、四ミリとかと書いてあるんですけれども、DAC二〇%というのは、全周ということに回答が出てくるんですが、DAC一〇〇だと濃く出るんですね、傷の色が。だから、ひびが濃い、深いという感じに見えているということで、違いがあるということなんですけれども。
 このときに、東京電力が、DAC二〇の方は千九百五十五ミリ、ほぼ全周ということで、ちょっと、点、点、点と書いて、足すとほぼ全周に近いところに傷があった、DAC一〇〇%を超える長さは四ミリ出たんだということを株主総会の席で御発言になったと聞いておりますけれども、きのうから当局にお願いしておりますが、保安院はこの事実をつかんでいらっしゃるかどうかをまずお伺いしたいと思います。
佐々木政府参考人 定期検査の結果でございますので、私ども保安院として把握をいたしております。
 今先生御指摘のこの図面に沿ってちょっと御説明を申し上げたいと思いますが、この福島第二・三号機のB六六一―B〇六―S〇二の溶接線でございますけれども、一般に、超音波試験のデータ、指示エコーが出てまいりますけれども、これは、ひび割れ等の欠陥によるもの以外に、配管の形状、すなわち配管の内面機械加工部、あるいは溶接の表面の形、あるいは溶接金属の結晶の形状等の原因によりまして、反射波を検出する場合がございます。
 御指摘のありました福島第二・三号機の当該溶接線の部位につきましては、超音波探傷試験のデータとして計測されたことは事実でございますけれども、このデータは、ひび割れによるものではなく、溶接金属の結晶の形状を検出したものであると評価をしております。
 また、第八回定期検査時によります東京電力による自主点検においても再度計測されておりますけれども、全体的には、その際、類似のデータが検出されておりまして、評価した結果、データが拡大するなどの状況が見られないことから、改めてひび割れによるものでないと評価をいたしております。
 正確には、DAC一〇〇%の四ミリという指示については、二カ所ほど実はございます。福島第二・三号機の当該溶接部について、第八回以降に実施された自主点検によってひび割れが見つかっておりますけれども、これらのひび割れは御指摘のあった部位と反射源の位置が異なるものと我々は評価をいたしております。
 すなわち、斜角法で、四十五度で横波を発射する探子の位置が違っているところでございますので、どこから返ってきたかという波は違うものを拾っているものが第八回以降の検査の結果でございます。
 したがいまして、第五回のときには有意なエコー指示はなかったものでございますけれども、八回以降、反射源の違う部位から返ってきたものについては、これは傷であるということがわかったわけでございます。
北川(れ)委員 去年の十月一日に、原子力発電所における自主点検作業記録の不正等の問題についての中間報告の中に、「同一部位を定期検査と自主検査において試験されたケースがあり、国の定期検査で」、これ供用中ですけれども、「「異常なし」と判定される場合であっても、電力会社の自主点検ではインディケーションを検出する場合があった。これは自主点検で採用されている方法がより感度の高い検査方法に起因するものである。」ということが一つ。
 もう一つ、定期検査で異常がないのにあえて自主検査を八回、十回、十一回と続けて、同じ継ぎ手の部分でやっている。
 今、佐々木院長の方は、何か、第五回の部分はひびじゃなかったということなんですけれども、DAC一〇〇%以上で四ミリ以上はひびとみなすということが方針として出ていると思うんですけれども、その点においては食い違いがあると思うんです。聞いても同じひびじゃないというふうに言われると思うので、原子力安全委員長の方にお伺いしたいと思うんですが、原子力安全委員会に定期検査の報告をするというのは、概要が行くというふうにお伺いしておりますけれども、こういう細かい数字での検証ということは原子力安全委員会ではされているのかどうか。
 そして、今、東京電力が株主総会で言った数字を保安院はひびではないというふうに判断したと言われるんですけれども、原子力安全委員会はどういうふうに理解されているか、お伺いしたいと思います。
松浦参考人 今御質問の平成五年の問題でございますが、当時の原子力安全委員会の議事録を確認いたしましたところ、この報告はいただいておりますけれども、安全性を確認したというその答えだけでございまして、詳細なデータについては議事録に残っておりませんので、申しわけございませんが、今の段階では、そのときにどういう議論をしたかについてはお答えすることができません。
 しかし、当時は、こういう問題については、安全委員会が一々細かく検討するということはございませんでしたので、それ以上の検討はいたしたとは私は考えられないと思います。
北川(れ)委員 あえてお伺いするんですけれども、なぜかというと、これは九一年に大事故を起こしてから、当時の那須社長は、新品同様にしてからでなければ運転再開をしないと言っていらっしゃいます。二年後に、やはり、データとして定期検査では出ていたんだ、だけれども、DAC一〇〇の四ミリが云々かんぬんで異常なしの報告は見たということなんですけれども、今の時点でちょっとお伺いしたいと思うんですが、四月十七日の指令も出していらっしゃるという時点で、原子力安全委員長にお伺いしたいんですけれども、DAC一〇〇%で四ミリを検出していたというふうになると、今の段階でしたらひびとみなすのかどうか。そして、DAC二〇%で今は評価をするというふうに聞いておりますけれども、今の時点ではどうなのかというのをお伺いしたいと思うんですが、原子力安全委員長の方にお願いしたい。
佐々木政府参考人 安全委員会の方でのお答えの前に、私どもの検査のそもそもの判定はどういう考え方でやっているかということを御説明させていただいた方がいいと思いましたので、先に御説明をさせていただきます。
 定期検査において実施しております超音波探傷試験の結果判定に当たりましては、電気工作物の溶接に関する技術基準を定める省令及びその解説に定められた判定基準に従って評価をいたしております。
 具体的な判定について申し上げますと、やや技術的で恐縮でございますけれども、超音波探傷試験の結果、一定レベル、今先生がおっしゃいましたDAC一〇〇%を超えるデータ、指示エコーが検出された場合には、溶接省令に基づく判断基準に照らしまして、データの長さとこの省令に基づく判断基準に規定された配管の厚さから得られる数値とを比較いたしまして、データの長さが規定値より小さい場合には、異常なしというふうに判定をいたします。
 なお、一定レベル以上の指示エコー、DAC二〇%を超えるものが、指示が検出された場合には、過去の点検記録との比較などを行いましてその原因を評価いたしまして、ひびが原因と見られる場合には、この判断基準に従いまして判定を行うことになります。ただし、配管の形状、内面の機械加工、あるいは溶接の裏波、あるいは金属の表面、こうしたものの反射波をとらえていたことが原因である場合は、異常なしと判定をいたしております。
 なお、定期検査におきましては、事業者の依頼に基づき、検査会社が超音波探傷試験を実施いたしますが、そして試験結果の評価を行います。その際、第三者機関であります財団法人発電設備技術検査協会が、試験への立ち会いまたは試験結果の記録の確認を行います。国の検査官は、第三者機関が作成した記録を確認することによりまして、試験結果についての評価が適切なものであったかどうかについて最終的な判定を行っております。
 したがいまして、現時点で、先ほど先生がおっしゃいました第五回の定検時における四ミリのDAC一〇〇%の指示エコーは、今の段階でも、今の判定基準によれば、板厚三十八ミリでございますので、傷とは判定しないということになるわけでございます。
松浦参考人 現在の段階で仮にという御質問がありましても、安全委員会といたしましては、保安院から具体的にデータを示していただきまして、それをよく伺いまして、その上で検討して結論を出す、そういうふうになると思いますので、今すぐ仮にどうかという御質問には、答えるのは控えさせていただきたいと思います。
北川(れ)委員 否定されなかったということは、技術者でもいらっしゃる委員長においては、これを今の段階に置きかえるとひびだと言わざるを得ないというところがあるのかなというふうに思いますけれども。
 先ほど判定のことをおっしゃいました。だから、検査会社と東京電力、電力会社とそれから財団法人発電設備技術検査協会という三者が判定するというふうになります。この判定がすごく難しくて、かなりの技術力を持たないと、本当に近いものとして判定できるかどうかというのは微妙であるということ、そして九三年の時点から十年たって、やはり今回も同じ場所、継ぎ手の部分がDAC一〇〇でも四ミリという形で、ですから、もう肉厚云々かんぬんの三分の一以上というのは超えている数値をあらわしています。八回が二十一、十回が四十五、それから十一回が四十一ということで、DAC一〇〇の、もうその肉厚を超えた数字を出しているわけです。
 先ほど那須社長の言葉を出しましたけれども、地元、今、福島と新潟柏崎ですけれども、地元の方々は過去、新品の形で運転は続けておりますということを言われ続けていらっしゃったわけですね。今の、九三年のときのことを、判定結果が三分の一以下の数字であったからひびというふうにはみなさない、でも現時点においては微妙であるという御発言だったと思うんですけれども、地元の方たちの認識とすれば、九三年のときに既にもう四ミリの兆候が見えていたということすらわからないわけです。
 そして、定期検査は異常なしというふうに出るということにおいては、四月十七日に皆さんが指示を出していらっしゃって、これも、現在この炉は交換中なわけですよね。ただいま交換中ということであります。ひびがなければ交換しなくてもいいし、補修をしなくてもいいと思うんですけれども、九三年からこのひびの兆候というのは、一番最初にどうつかまえるかということが大事であるということでありましたら、定期検査においても異常なしというふうに報告がされても、ひびはあったんだと。今、現時点での知見に基づけばあったんだというふうな形になるものは多々見られるのではないかと思うんですけれども、その点は、原子力安全委員会としては、どのように思っていらっしゃいますでしょうか。
松浦参考人 極めて一般的な立場からの御質問でございますので、具体的にお答えするのはかなり難しゅうございますけれども、しかし、現段階におきましても、現在の、先ほど佐々木院長が示されましたような基準に基づいて判定されて、その結果の結論が妥当であるという場合には、もちろん安全委員会として報告をいただきまして検討いたしますが、今までのいただきました検討の結果等から考え合わせますと、その判定が妥当であるという結論は余り変わらないように思います。
北川(れ)委員 では、もう少しあえて言わせていただきますと、異常なしという判定、その判定は第三者の機関がやるんだというふうに御説明になったんですけれども、その判定が正しかったということであって、ひびがあったかどうかという点については、今もまだ御回答は、院長と委員長におかれましては明確ではないわけなんですね。
 これをやはり、九三年の時点で異常なしとしても、三回も自主検査をやっていると、何かあったのではないかなと通常思うわけでありますよね。異常なしなのにあえて自主検査で三年も、一年は飛ばしますけれども、三年も続けて自主検査をするということはあり得ないので、異常に際立って見えたわけなんですよ。ですから株主の方もこのことを取り上げて、東京電力にじかに総会でお伺いになったということがあるわけですから。
 今のをお伺いしていますと、判定は異常がないということは妥当であったということなんですが、やはりひび、では今なぜ交換しているのかという、この十年のスパンのことを見ると、進展状況も含めて、ということになってくると思うんですが、今交換しているんですよね。九三年の定期検査のときにそういう事実はあったということを当の電力会社が言っているわけですから、やはりこのことをひびと認めるかどうかは、今後の皆さんの姿勢にもかかってくると思うんですけれども、地元はかなり厳しい御意見を、佐藤知事もおっしゃっていますよね。
 それで、新潟の方でも、隠ぺいするような、東京電力が隠ぺい前にやっていたような調査が信じられるかということを知事がおっしゃって、きょうは専門家と一緒にエコーを見に入り、判定委員も連れて、自分たち側の判定委員を連れて見に入っているわけですね。聞きますと、あしたは、市民の方が同じように入って、そのエコーのデータを見せていただいて、生データを見せていただいて、その判定が正しいかどうか、一つは、判定能力の高い人を連れていくかどうかということがポイントであるので、きょうとあしたにかけて、新潟ではそういうことももう具体的にされているという現実があります。
 ひびではなかったのであれば、ひびをいつ検知したかということがとても大事だと思うんですけれども、ひびではなかったんだったら、今この十年後に交換というような事態というのも免れたのでは、補修で済んだのではないかというふうな気もするんですけれども。
 もう一度お伺いしたいと思うんですが、これを今の段階に置きかえてひびと見れば、四月十七日の、皆さんが出された見解に基づいて、これは四月十七日、原子力安全・保安院は、「炉心シュラウド及び原子炉再循環系配管等の点検及びひび割れの補修工事に関する指示文書の発出について」という中で指示もされ、今は二〇%で見るんだということもおっしゃっているわけです。それで、三項目の補修の仕方、交換の仕方を提示されているわけなんですけれども、今の状況に置きかえると、これはやはりひびであったということではないでしょうか。
佐々木政府参考人 繰り返しになりますけれども、福島第二・三号機の第五回におきます定期検査時の判定の問題と第八回以降の判定の問題を分けてお答えをさせていただきます。
 第五回におきまして、DAC二〇%で何ミリ、DAC一〇〇%で四ミリの指示が二カ所というものに対してどういう判定をいたしましたかといいますと、このエコーそのものは有意な傷ではなくて、いわば配管の形状によるものであるという判定をいたしましたので、このこと自身は、同じデータを今判定いたしましても、変わりません。
 しかしながら、第八回以降事業者において自主点検を行った部位については、第五回の定期検査をやった部位とは探子の位置も違っております。また、傷と判定された場所も溶接部位から少し離れたところにございます。したがいまして、第八回以降に自主点検で判定をされたものについては、これは明らかに傷として判定がなされているものでございます。
北川(れ)委員 しかし、九三年にDAC二〇%で全周にわたる千九百五十五ミリがあったんだということを当の電力会社が言っていらっしゃって、定期検査のことを表現していらっしゃるわけです。ですけれども、四ミリだったからそのときの基準の判定では異常なしと判定してよいということであって、ひびがなかったということではないというふうにするのは、今の状況に置きかえなくてもわかるんじゃないでしょうかね。
佐々木政府参考人 今おっしゃったDAC二〇%につきましては、これは、判定をするときにどういう判定をとるかといいますと、建設時においてどのようなこういう指示エコーが出るかという記録がございます。それと、第五回のときに見つかりましたこの指示エコー、DAC二〇%で何ミリというものが、基本的に建設時に見つかっているこうした反射波のエコーと同じ傾向でありというようなものについては、これは配管の形状によるものであって、傷という判定はいたしません。
 したがって、そうした過去に実際の建設時のデータと比較をして、その指示、出たエコーそのものがどういう性格のものだということをきちんと評価して判定いたしておりますので、今先生がおっしゃった第五回にDAC一〇〇%で何ミリ見つかったものは傷ではなかったのかという御指摘に対しては、今の判定においてもそれは傷ではございませんと、こういうふうにお答えをさせていただきます。
北川(れ)委員 損壊というのと破壊がイコールかというので、先日も原子力設備の技術基準の省令六十二号の第五条のところの問題で言葉遣いがあったんですが、今傷というふうに言われるんですけれども、ひびイコール傷というふうに見ていいお話で御答弁いただいたということなんですか。
 そうしましたら、保安院の制度ができてからなんですけれども、保安院制度ができてから以降、定期検査の段階においての各電力会社から上がってくるものに関しての判定がどうだということは、先ほどの三者の判定基準というのがあったんですけれども、三者の判定基準を検証するための生データと照らし合わせて見るということをされているんでしょうか。どういうふうなシステムになっているのでしょうか。
佐々木政府参考人 こうした非破壊検査の点検は技術的に極めて専門的なことでございますので、電気事業者は検査会社に点検を委託するわけでございます。当然こうした点検の作業にはしかるべく事業者においても立ち会い等が行われておりますけれども、国の検査官が最終的な結果を判定するには、私どもは発電設備技術協会が実際にどういう指示エコーが出て、それをどういう判定をしたかという詳細な記録を確認いたしております、この発電設備技術協会が判定を了としたものを国の検査官が記録の確認をいたします。そういう仕組みで、国の定期検査については点検結果についての確認を行っております。
北川(れ)委員 この財団法人の協会を第三者機関と見るかどうかではかなり厳しい意見がありまして、ここには天下りもあり、電力会社からの出向組もいるということで、この協会のありようというものが今問われ出しているんですけれども、そうすると、現実に判定されたものを見てどうだということを保安院はされるということなんですが、定期検査の生データというのは、では、保管をしているのは電力会社のみということになるんでしょうか。
佐々木政府参考人 私ども国の方で保管をいたしておりますのは、判定の結果、検査官が了とした判定の結果は保管をいたしております。
 生データにつきましては電気事業者が保管をいたしておりますが、立ち会いをいたしました発電設備技術協会も生データを保管いたしております。ただし、もちろん一定の期間ということではございます。
北川(れ)委員 では、定期検査の資料というのは、何年が保存期限なんでしょうか。国の供用中の定期検査の資料の年限を教えてください。
佐々木政府参考人 これは内規で決めておりますけれども、恐らく十年程度であったと記憶をいたしております。
北川(れ)委員 そのような重大な定期検査の書類というものが内規で決められているということは、多少やはりびっくりするわけですね。私たちはかねがね、原子力発電所の事故、重大事故も含めてなんですけれども、事象から重大事故までなんですけれども、起こった場合の被害の範囲というものははかり知れません。そして、原因を、責任をだれがとるのかということを調べ、ひもとくにもかなりの部分が必要である。そして、一たん事故を起こせば、四十五億年以上放射能被害というものはなくならずにとどまるんだということを含めますと、十年、それも内規でということですから、おぼろげであるということもありまして、内規で決めるのではなくてすべて保管をするという必要があると思うんですけれども、原子力安全委員会、この間のいろいろな状況を御判断されていて、その点はどう思われますでしょうか。
 今、保安院の方は、多分内規で十年であろうという御見解を言ってくださったんですけれども、少し心もとないな、散逸しているのではないかなという危惧があるんですけれども、どういうふうにとらえていらっしゃるのか。
 そして、今回この中間取りまとめに出されたように、私どもは、定期検査において異常なしというふうに出ていても、それは、判定を三部局がした、電力会社、プラント会社、それから財団法人がしたものの数字を見て、その数字の判定が、異常がないという定期検査の報告を見て保安院が異常がないことを確認するということですので、その一番のもとの生データをどう見るかというところにおいては、もう一度こうやってひもといていくとなかなか微妙な箇所も出てきたりするわけで、今ほかのも出ています。福島一の六なんかは運転再開を決めましたけれども、応力緩和の措置をとったから、五年もこの間定期検査もしていないけれども大丈夫なんだということで、改めての検査もなく再開に踏み切ったわけですけれども、国の定期検査は異常なしというふうには出ているんですけれども。
 私はやはり、今回の中間取りまとめをされたように、自主検査と同じように表にして、過去十年間分の資料は残っているとおっしゃっているわけですから、十年間分の資料の、定期検査のありようというものもデータを出して、示して、多くの人に公開していき、それをではどういうふうに資料を読むか。いろいろな人に資料の読み方を見ていただいて、これは問題だと思うことを、かなりの方たちが中間取りまとめを見ただけでも声を上げて、地元の電力会社と何度も交渉されたりしているわけなんです、県知事とも。
 ということもありますので、自主点検と今回の定期検査の分だけの中間取りまとめのデータではなくて、全体像を把握するためにも、過去十年間は残っているとおっしゃっているので、過去十年間分の定期検査の記録を、ただ表にすればいいだけなんです、今改めて検査をしなさいということではなくて、表をまとめてきっちりとした報告書をつくるべきではないかというふうに今回のことについては思うんですけれども、二点について、原子力安全委員長の御見解をお伺いしたいと思います。
松浦参考人 お答えします。
 原子力安全委員会は、直接事業者の仕事に関して規制しているという役割はございません。直接の規制は原子力安全・保安院がされるところであります。原子力安全委員会は、保安院のなさる仕事のあり方が科学技術的観点から見て妥当かどうか、そういう視点で判断するわけでございまして、具体的な検査の方法であるとか、あるいはそのデータをどのように保管するとか、その保管期間をどうするか、それは原子力安全・保安院のお仕事であるというふうに考えます。
 なお、そのデータがそのうちどう保管されていて、それが今後の安全確保のためにどういう重要性があるかということにつきまして、恐らく今後は原子力安全委員会でより深く、すべてについてではございませんが、重要なものについてはより深く考えて、そのときそのときで意見を申し上げる。その意見の中では、こういう情報についてはより長く、あるいはより詳細に記録を保管するようにとか、保存するのが望ましい、そういう意見を申し上げることはあり得ると思います。
 それから、過去のデータ全部を公表すべきでないかということにつきましては、これは、現実的にどう対応できるかということは私はすぐにはお答えできませんけれども、しかし、基本的に、先般原子力安全委員会が申し上げました中で、一般国民の信頼を得るためには安全に関する情報が透明であることが必要であるということで、電力会社の方々がその安全に関する情報を透明にするということについてどう取り組んでおられるかということをお伺いいたしました。十年前からのデータというとこれはよくわかりませんが、最近に関しましては、どの電力会社も安全に関する情報については可能な限り透明にしておられるということを確認いたしました。
 したがって、今後は、今先生の御指摘のようなデータについては透明性が確保されるものと私は考えております。
佐々木委員長 北川君、時間が大分迫っておりますので、念のため。配分をお考えの上で質疑、質問してください。
北川(れ)委員 済みません。この後、今度は食品安全委員会の方のことをお伺いするということで谷垣大臣に来ていただいているというのも、ごめんなさい、重々承知しております。
 しかしながら、安全委員長、やはり、なぜすぐにとめて点検するというふうに動かなかったかというのは、世界各国の原子力関係者から声が上がっているわけですね。そして、こういうふうに見ていけば、かなりの皆さんが、この中間取りまとめを詳細に精査していけば、いろいろな状況が見えてきた。ですから、新品ではなくて、ひびの兆候があったものも動かしてきたというのが過去であったということが、地元の人たちは全く知らないということが明らかになったわけですから、余り悠長なことをおっしゃらずに、せっかく散逸していない十年分があるのなら、今回のように、中間取りまとめをされたように冊子にして報告するというようなことを保安院に促していただきたいということを申し伝えておきたいと思いますということなんです。
佐々木委員長 お答えが要るんですか、要望ですか。
北川(れ)委員 お答えをいただけますでしょうか。今の、先ほどのお答え以上のお答えをいただきたいと思うんですけれども。原子力安全委員長の方にお願いしたいと思います。
佐々木政府参考人 過去の分につきましては、データも、生データは膨大なものがございます。ただし、こうした生データも、透明性、公開性ということは重要でございますので、あしたは柏崎刈羽の方では、地域の皆様方にも生データをごらんいただくというようなこともやっております。
 国の定期検査の報告自身は、正直に申し上げまして、結果だけでございますから、一枚紙の量というものだけであります。したがいまして、私どもは、こうした今回の経験も踏まえて、今後は、電気事業者において、定期検査の生データは、供用期間中、的確に保存をするという指導をしていこうと思っております。
北川(れ)委員 今も的確に保存しているということがこの株主総会のところでわかったということでありますので、的確に保存するということをしていなかったのは国の方だということですので、ぜひ国の姿勢の方を、定期検査で出てきた情報を素早く読み取る力というものを国の方がつけていただくということをお願いしまして、では、食品安全委員会の問題についてお伺いをしていきたいと思います。お答えが保安院長の方にとられてしまいましたので、残念ですけれども、本日はありがとうございました。
 食品安全委員会が三日と九日に持たれたということをお伺いしました。それで、議論になっておりました、要するに公開というところは現実にしていただけたということで、そのときの資料配付なども、すべて傍聴者にも渡るということを聞いておりまして、ありがとうございました。
 それで、私どもは、今回の同意人事、七名の方に、公募も含めて、事務局体制もそうなんですけれども、新たな空気を入れていただきたいということで、どんな七人がなるのかということで期待をしていたんですけれども、やはり審議会の域を出ないメンバーであったのではないかなというのが率直な感想で、殊に天下りの方に関しては、私どもは反対の意見を言わせていただいたら、その方のお一人が委員長になられたという経過もあるんですけれども。
 今回、モニターというものを、モニター制度、四百七十名ということで、今テレビなども使って募集をされているということなんですが、このモニターの制度の中に三要件を、資格を入れていらっしゃるんですね。今回、私どもは、消費者の団体をまず七人に入れるべきだと。そのことも、ちょっと、消費者の意識、行動御専門の坂本元子委員という方が、消費者というよりはどちらかというと研究者という立場でお入りになっているというふうに私どもは理解して、消費者の意見というものの反映がやはり見えないわけなんですね。
 それで、聞いておりましたら、九日のときに、モニター制度の中に、分野の一つに、流通と経営は入れるというふうに修正をされたというんですけれども、テレビなんかで流れているのとか、モニターの募集についてという部分においては、それが入っていないように思うんですけれども、そのことの修正というのは即座にされていらっしゃるのかというのが一つ。
 このモニター制度四百七十名、各都道府県に大体十名ぐらいを、偏らないようにしていきたいというふうにお伺いしたんですけれども、この三要件がなくても応募をしたいという方、自分はこれを受けてみたい、モニターになってみたいという方が応募してきた場合はどういうふうに対応されるかということを考えていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
梅津政府参考人 まず一点目の修正の点でございますけれども、前回の委員会におきまして、安全モニターの要件について、一定の食品に関連が深い学問ということで、医学とか歯学とかあるいは食品工学とか、主として自然科学系の学問が例示されたわけでございますけれども、流通とか経営とか、食品に関連する社会科学もつけ加わったところでございます。あわせて、食品に関する業務ということで、例えば、過去、食品工場で働いた方とか、そういった修正がされましたけれども、これは、直ちに修正いたしましてメディア等に配布し、あわせて、数日後、ホームページ等でも修正されたものを掲載してございます。
 それから、後段の御質問でございますが、安全委員会は、御承知のように、評価とそれに基づく勧告、それからそれに基づく措置のモニタリングというものを主たる業務にしております。したがいまして、このモニター制度は、主として安全委員会が行った、施策についての勧告をした場合、この施策の実施状況について報告を求めたり、あるいは食に関連する危害情報を入手した場合に情報提供をいただいて、そのことを食品安全行政に反映させていくという役割を期待しております。そのために、ある程度の食の安全に関する知識または経験を有している方をお願いするということになったものでございます。
 広く一般の消費者から情報、意見をいただくことにつきましては、例えば内閣府の国政モニター、こういったものを活用いたしまして、このモニターのテーマの一つに食品安全を掲げて、具体的に実施することにしております。それ以外に、各地で意見交換会を開催したり、あるいは、事務局に消費者からの御意見やお問い合わせに応ずる具体的な電話窓口、担当を設けまして対応するなどによりまして、幅広く国民の意見を受けとめて反映させてまいりたいと思っております。
北川(れ)委員 谷垣大臣とは公募の問題では多少議論させていただきまして、明確に、私は検討してみますというふうなニュアンスで受け取っていたんですが、後から読み返すと、どうもやはりなかなか難しいということも含めておっしゃっていたと思うんです。今の安全モニターのお伺いをしていますと、やはり社会科学系の方や消費者がモニターになってみたいといっても門戸は閉ざすんだということの裏返しで、今、この範囲のことを多少修正して、あとは無理なんだということをお伝えになったと思うんです。
 モニター制度に対して、大臣、本当に新しい大臣で、この食品安全委員会を何とか、先ほどの原子力安全委員会の対応も聞いていただいたと思うんですが、その独立性を担保するためには人材がとても必要なんですよね。見抜く力のいろいろなベクトルを持った方にしていただくためにも、公募の問題をもう一度お伺いしたいんですが、この三要件には入らないけれどもモニター制度に応募したいという方に対しての対応は、大臣はどうとらえていらっしゃるか。
 そしてまた、専門調査会の人材二百名を八月一日までに決めていかれようとしていると聞いているんですが、そこのところも、今の段階だったらもうほぼ決まっているのかなという感じがしないではないですが、あと二、三週間、残された日時がございます。これも、公募ということを含めていかがでしょうか、お考えになっていらっしゃらないかどうか、最後にお伺いしたいと思います。
谷垣国務大臣 食品安全モニターに関しましては、今事務局長からも御答弁いたしましたけれども、食品安全委員会の委員で御協議をいただいて基準をつくっていただきましたので、私としてはそれを尊重すべきものだと思っております。
 それからもう一つ、専門調査会の委員に関して、今の委員の御意見は、公募枠を設けるべきだという御趣旨と承りました。私は、どういう方針で専門調査委員を決めるか、これは食品安全委員会で議論していただかなきゃいけないと思っておりますが、その際に、事務局からきちっと、国会の議論においてはこういう今委員のような御意見もあったということを伝えて、食品安全委員会で議論をしていただいた上で人選をするという運びでいきたい、こう思っております。
北川(れ)委員 公募という提案が国会の方からあったということを伝えていただけるということなんですけれども、やはり事務局先導にならないで、事務局がおぜん立てをすべてしてやる委員会ではなくて、自主、独立を持った食品安全委員会をぜひ、議論がこれはさまざまにやはり沸騰しておりますし、これ以降も、あの法案をもう一度ひもとけばというところにも返ってきて、消費者というのがぽっこりやはり抜けているのは変わりがありませんので、ぜひ大臣の方も、安全委員会のメンバーに関して、自主、独立性を持って動きなさいということを御提案いただくようにお願いをしておきたいと思います。
佐々木委員長 時間が来ております。
谷垣国務大臣 当然、委員の方々は、独立できちっと判断をするという意識のもとでやっていただいておりますし、私もそれを尊重してまいりたいと思っております。
北川(れ)委員 どうもありがとうございました。
佐々木委員長 以上で本日の質疑は終了いたしました。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時五分散会


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