衆議院

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第10号 平成17年4月5日(火曜日)

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平成十七年四月五日(火曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 塩崎 恭久君 

   理事 園田 博之君 理事 田村 憲久君

   理事 平沢 勝栄君 理事 三原 朝彦君

   理事 吉野 正芳君 理事 津川 祥吾君

   理事 伴野  豊君 理事 山内おさむ君

   理事 漆原 良夫君

      井上 信治君    左藤  章君

      坂本 哲志君    笹川  堯君

      柴山 昌彦君    谷  公一君

      早川 忠孝君    松島みどり君

      水野 賢一君    森山 眞弓君

      柳澤 伯夫君    柳本 卓治君

      市村浩一郎君    加藤 公一君

      小林千代美君    佐々木秀典君

      樽井 良和君    辻   惠君

      松野 信夫君    松本 大輔君

      江田 康幸君    富田 茂之君

    …………………………………

   法務大臣政務官      富田 茂之君

   参考人

   (元日本弁護士連合会会長)            久保井一匡君

   参考人

   (元東京女子大学教授)  林  道義君

   参考人

   (ジャーナリスト)    江川 紹子君

   法務委員会専門員     小菅 修一君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月五日

 辞任         補欠選任

  大前 繁雄君     坂本 哲志君

  河村たかし君     市村浩一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  坂本 哲志君     大前 繁雄君

  市村浩一郎君     河村たかし君

同日

 理事園田博之君同日理事辞任につき、その補欠として三原朝彦君が理事に当選した。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 理事の辞任及び補欠選任

 刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律案(内閣提出第七七号)


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     ――――◇―――――

塩崎委員長 これより会議を開きます。

 まず、理事の辞任についてお諮りいたします。

 理事園田博之君から、理事辞任の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

塩崎委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次に、理事の補欠選任についてお諮りいたします。

 ただいまの理事辞任に伴うその補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

塩崎委員長 御異議なしと認めます。

 それでは、理事に三原朝彦君を指名いたします。

     ――――◇―――――

塩崎委員長 次に、内閣提出、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、元日本弁護士連合会会長久保井一匡君、元東京女子大学教授林道義君、ジャーナリスト江川紹子君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、大変御多用中にもかかわりませず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、法案審議の糧とさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたしたいと思います。

 次に、議事の順序につきまして申し上げます。

 まず、久保井参考人、林参考人、江川参考人の順に、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。

 それでは、まず久保井参考人にお願いいたします。

久保井参考人 御指名にあずかりました久保井でございます。

 本日は、明治四十一年に制定されて百年近くたつ監獄法の全面改正という大変重要な法案の審議に参考人としてお招きいただき、発言の機会を与えられましたことを大変光栄に思っております。厚く御礼を申し上げたいと思います。

 お手元にごく簡単なレジュメをお渡ししておりますが、必ずしもこのとおりというわけではございませんけれども、これを横目ににらんでいただきながら私のお話をお聞きいただきたいと思います。

 私は、ただいま元日弁連会長という御紹介をいただきましたが、退任後、法務省の行刑改革会議の委員の一名に加えていただきまして、この問題に関与させていただきました。その過程で私の感じたこと、考えたことを中心にお話しすることをお許しいただきたいと思います。

 このたびの監獄法の全面改正は、御案内のとおり、いわゆる名古屋刑務所事件がきっかけになりました。私は、日本の刑務所には、現代社会にふさわしくない二つの大きな欠陥があると思います。

 その一つは、受刑者に対する力による支配ということが行き過ぎていると思います。厳しい規律のもとで軍隊的行進、あるいは正座の強制、一瞬のわき見も許さない厳しさ、そのようなことがまさに受刑者の人間性を奪っている。借りてきた猫のように、すべて刑務官に完全に順応できる受刑者は耐えられますが、中には不器用な受刑者もおりまして、必ずしも刑務官に的確に適応できない。それが不満な目つきとか顔にあらわれると刑務官としてはおもしろくないから、制圧に制圧を加えるというようなことが事件の大きな背景にあったんだろうと思います。

 行刑改革会議は、受刑者二千五百名に対してアンケート調査を実施いたしました。このこと自体画期的な作業だと思いますが、その回答の三四%が刑務官によるいじめや暴行の被害に遭ったということを言っているわけであります。無記名のアンケートでありますから、かなり正直に答えが出ておりますが、この数字は恐るべき数字だと思います。この点が第一点。

 もう一つの欠陥、それは、日本の刑務所が余りにも閉ざされた刑務所である。外から見えない、国民から見えない刑務所になっている、その点が第二の欠陥であります。

 私は、行刑改革会議の委員に指名された段階で大変悩みました。受刑者は確かに、いかに有罪判決があったとしても、国民の一員として基本的人権が保障されなければならないということは理屈ではわかる。しかし、何せ犯罪を犯したわけでありますから、一定のしつけ、厳しさは当然であって、一般社会と同じような甘えは許されないというふうに思っておりました。したがいまして、行刑改革でどのあたりの待遇を受刑者に行うのが適切なのか、その線の引き方について私は大変悩みました。

 しかし、私の悩みが解消するときがやってきました。それは、行刑改革会議十三名は、日本国内の刑務所六カ所、そして海外の刑務所三カ国、イギリス、フランス、ドイツの視察をいたしました。外国の場合は、お金の関係もありますので分担をいたしまして、私はドイツとフランスの二カ国に参りました。

 そこで、日本の刑務所六カ所を見た印象と外国の刑務所を見た印象で全く違う点が一点ある。どこが違ったか。それは、一口に言いますと、日本の刑務所の受刑者には表情が全くない。顔が死んでいるといいますか、人間らしい顔がない。それに比べて、外国の刑務所、ドイツの刑務所、フランスの刑務所はいずれも、非常に普通の人間の生き生きとした表情をしているということ。

 私は、たまたまドイツのテーゲル刑務所、このテーゲル刑務所というのは、テーゲル空港のすぐ近くにある、最も進んだといいますか、明治四十一年に日本で監獄法が制定されたときに手本とした刑務所であります。日本の監獄はこのテーゲル刑務所の規則を参考にし、建物の構造もすべて同じスタートを切ったわけでありますが、このテーゲル刑務所に行きました。

 そうしますと、たまたま私が訪れたのは夕方の五時ごろでありまして、受刑者が一日の作業を終えて自室に戻る光景に出くわしました。約二百人から三百人ぐらいの受刑者がぞろぞろ歩いて部屋に帰っていくところでありましたが、日本の刑務所のように軍隊的な行進なんかしておりません。普通の状態で、お互いに仲間同士で談笑しながら、会話をしながら、楽しそうに歩いている。いよいよ自分の部屋に帰れるということで喜んで歩いている。外国からの視察団といいますか、私どもがお客さんでやってきているということがわかりますと、笑顔でこんにちはと言ってあいさつをする、そういう状況でありました。そして、部屋の中も見ました。部屋の中には、自分の家族の写真や花も飾ってある。さらに、受刑者の着ている衣服も、それぞれめいめいが自分の服を着ているというような状況でありました。

 私はこれを見て、やはり日本の受刑者も、本当に社会の役に立つ人間として復活させる、再生させるためには、人間としての自信と誇りを取り戻す、そういう教育をしなければ、そういう刑を与えなければならないということをつくづくと思いました。

 私は、その意味で大変感動いたしましたが、明治四十一年の出発点のときにはドイツも日本も同じであったはずであるにもかかわらず、百年の間にそのような差がついたということは、やはり日本が閉ざされた東南アジアの一国であったということも大きな原因だろうと思います。

 そこで、私は、日本の刑務所の改革は、はっきり申し上げて、大きく転換する必要がある。コペルニクス的転換と言ったら言い過ぎかもわかりませんが、大きく転換する必要がある。

 その一つは、先ほど申し上げました、力による支配をやめて、対話と説得によって受刑者に対していくという、この転換が必要だと思います。そして、刑務所は懲らしめる場所ではなくて、人間を復活させる、復権させる、そういう場所として位置づけていく必要があるというふうに思いました。

 そして第二は、開かれた刑務所にする。明るいところでは悪いことがしにくいということが言われます。話が飛びますが、今会社法の大改正、なぜかといいますと、いろいろな会社でいろいろな不祥事が続出している。雪印食品の事件にしても、ああいうコンプライアンスが守られていない。それを直すために、開かれた会社、ディスクロージャーということが非常に強調されている。これは刑務所でも同じでありまして、ガラス張りの刑務所にしていく必要がある。そうすれば、職員による不祥事等は最小限に防げると私は思います。

 ところで、皆さん方の中には、受刑者に対してそんなに優遇していいのか、それよりもまず先にしなければならないことがあるのではないか。まずは犯罪被害者の救済であり、そして年々悪化する治安をどのようにして維持するか、このことの方が受刑者の処遇よりもはるかに大事ではないか、そういう国民の声、あるいは皆さん方の中にもそういう御意見の方がいらっしゃるということは私も承知しております。

 しかし、私は、受刑者に対する改善と治安の維持は決して矛盾する概念ではない。受刑者が本当に人間として再び社会の一員として役に立つ、真人間に復活していくことによって再犯を防止することができ、そして社会の担い手として活躍してもらうことによって、被害者に対する償いの一つにもなるということでありまして、決して治安か受刑者の人権かという対立概念でとらえてはならないと確信するのであります。

 そういう観点で今般の法案を見ますと、基本的には、厳しい規律を見直す努力、そして開かれた刑務所を目指す努力が十分になされておりまして、大変評価すべき内容になっている。もちろん、百点満点とは言えません、不十分な点もございますが、少なくとも八十点ないし九十点の評価を与える法案になっているのではないかと思います。

 私に与えられた時間はあと二分間でありまして、各論を申し上げる時間が少なくなりましたが、まず、刑事視察委員会というものが設けられることになった。これは十名以内の委員、外部の委員のみによって構成される、いわゆるガラス張りの刑務所を目指す目玉の中の目玉でありまして、これをぜひ成功させていただきたい。

 そして受刑者から、メールボックス、刑務所の中に無記名で意見が投書できるようなメールボックスなんかを設けて、そしてそれを視察委員会の委員だけが見れる、そういう制度も行刑改革会議の提言の中に入っておりますが、これもぜひとも実現していただきたい。

 そして、十分な調査権限。法務省令で詳細が決まることになっておりますが、資料の提供とか情報の提供、それから調査の権限等についても省令の中で決めていただきたいと思います。

 そして、今回の改革の柱の二つ目は、外部交通を拡大したということであります。従来は親族だけしか面会できなかったのを、親族の面会も数をふやし、かつ友人、知人にも面会を認める、これは大変画期的なことだと思います。

 現代社会は、親族によって守られている親族中心の社会から、友人、知人の方が大事な社会になっている。皆さん方の場合でも、結婚式だの葬式は親族が中心でありますが、ふだんの日常生活は友達、知人に支えられているということでありますから、刑務所を出た後、普通の人間にきちっと自信を持って戻れるようにするためには、そういう人間関係を切断してしまうということは極めて問題であります。それを改められたことは大変な進歩であります。

 さらに、不服申し立て制度も整備されました。従来の情願、所長面接は機能しておりませんでしたが、今回、審査あるいは再審査、事実の申告、苦情の申し出等、制度がきちっと整理された。

 ただ、残念なことは、行刑改革会議が予定しております刑事不服審査会について、法案の中に根拠規定が置かれていない。法務省令に置かれるのでしょうけれども、その点は、やはり核になる機関ですから、法案の中に根拠規定を置いてほしかったと思います。

 そしてさらに、今度の改革は刑務官にとっても喜んでもらえる、刑務官にだけ無理を押しつける改革であってはならない。人権尊重、人権尊重、言うのは易しいが、毎日の世話をしている刑務官にとっては大変な作業であります。したがって、刑務官の人数をふやし、そして待遇をよくしていく、そういうこともあわせてなされなければならないと思います。

 そしてさらに、最後に、この法案は既決に対する法案でありまして、未決についてはまだこれからであります。附則でたくさんの読みかえ規定がありますけれども、未決については一から白紙の状態で十分に審議していただいて、立派な改革案をつくっていただきたいと思います。

 終わりに、これまで百年間、日本の刑務所は放置されてきた。今こそ、世界第二の経済大国にふさわしい、国際社会に恥ずかしくない刑務所をつくっていただきたいと思います。

 本日は、どうもありがとうございました。(拍手)

塩崎委員長 どうもありがとうございました。

 次に、林参考人にお願いいたします。

林参考人 ただいま紹介いただきました林道義でございます。

 私は、このたびの本法律案には重大な疑問点があるというふうに考えておりますので、評価する点はもちろんございますけれども、時間の関係上、疑問点を申し上げるという立場から意見を申し上げたいというふうに考えております。

 もちろん、現在の監獄法にはいろいろ不備がある。例えば用語や概念に不明確な部分や時代おくれの部分があるということは、あるいは不当ないじめや虐待を許す余地があるなどは、改正が必要であることを認めるのにやぶさかではありません。しかし、刑事施設の本来の目的という観点から見たときに、今回の改正案の中に、その目的に沿うのではなくて、場合によってはそれに反する効果を持ってしまう危険が認められると思います。

 時間の都合と陳述を明確にするために、最初に私の結論を申し上げます。

 本法律案は、受刑者の人権を守ることを極めて重視しているという特徴を持っておりますが、受刑者の人権に配慮する余り、刑事施設の本来の目的を阻害する危険をはらんでいるというふうに思います。

 結論を最初に申しますと、第一に、受刑者の更生にとってマイナスになる危険をはらんでいる。第二に、犯罪の抑止力を減少させる危険を持っている。第三に、刑務官等の職員の人権を侵す可能性を持っている。第四に、犯罪被害者の感情や人権を守るという配慮が薄く、著しくバランスを欠いているというふうに思われます。

 以上の点についてやや詳しく申し上げたいと思います。

 刑事施設の本来の目的とは、言うまでもなく、第一は、罪に対する罰を与えることであり、第二は、更生という教育を与える場であります。法改正は、当然ながらこの二つの目的を果たす可能性を増大させるものでなければなりません。

 この二つの目的を果たすためには、ある意味では厳しさの原理が必要であります。特に、犯罪を犯した者の多くは父性が不足しており、父性という言葉は本当は説明が必要なのですけれども、ここではちょっと簡単にはできません。私は、僣越ながら「父性の復権」という本も書いておりますので、詳しいことはそれを読んでいただくことにしまして、簡単に一言で言いますと、厳しさとかしつけをするという原理の方だ、それに対して母性の方は優しさの方というふうに御理解いただきたいと思いますが、犯罪を犯した者たちの家庭環境それから生育環境を私も詳しく調べたことがございますけれども、もちろん父性も母性も両方欠けている場合が圧倒的に多いのですが、特に父性が欠けているという特徴がございます。

 そういうことを踏まえた上で今のような意見を申し上げているわけですが、父性が不足しており、甘えや無規律の精神を持っている者が圧倒的に多い。それに対しましては相当に強い厳しさの原理を与える必要があるというふうに考えております。

 刑務所や少年院といった刑事施設の中では、規則を守らせ、規律正しい生活をさせ、秩序を維持すること自体が教育的な意味を持っています。ちょっと説明をいたしますと、受刑者たち、犯罪者の特徴としまして、家庭教育の中で、育つ中で規則正しい生活習慣というものが決定的に欠けている、刑事施設の中において初めてそういうものが与えられて人格を育て直すという面が顕著に見られるということを踏まえて申し上げております。一般的に言いまして、昨今の教育には厳しさが不足しておりますが、特に、犯罪を犯した受刑者には適切な厳しさが必要であります。

 この点について、ある服役経験者の手紙を紹介したいと思います。私あてに手紙を下さった方がいらっしゃいます。この方は二十歳で罪を犯して服役し、現在は三十歳代で、定職につき、責任ある地位で仕事をこなしている、いわば立派に更生している方です。この場で引用することは御本人の許可を得ております。

 以下、引用します。

  最初に告白しますが、私は二十歳のころに罪を犯し、服役の経験があります。その上で誤解を招くような言い方をすれば、服役中の受刑者に人権など不要だと思います。当時の私も含め、情状酌量の余地なく実刑に至るような人物は、常識で管理できるようなレベルの人間ではないことを、まずよく考えるべきだと思います。テレビ等で伝えられる刑務所の中からは、受刑者の本当の姿や、その被害者の姿までは見えてきません。どんな模範囚でも、刑期に見合う過去を抱え、矯正の必要あって刑に服しているのです。受刑者の客観的な姿を知るためには、裁判の傍聴で検察や判事の評から判断するのが最も正確だと思います。「受刑者の人権」をうたう方は、裁判の傍聴等を数多く重ねるべきです。

この方がおっしゃっていることがちょっと理解が難しいかもしれませんので、ちょっと私の注釈を入れます。

 この方が裁判の傍聴をよくしなさいとおっしゃっている意味は、言葉は悪いかもしれないが、模範囚として外を飾っているだけの姿を見たって本当のことはわからないよと。裁判の傍聴で、この人はどういう刑を犯したのか、どういう動機でどういう生育歴で犯したのかということをちゃんと知らないといけないよ、そういう意味でこの方はおっしゃっているのだと思います。

 以下、引用を続けます。

  もちろん、理不尽なことも数多くありましたが、法を守れない人間には、理不尽でも言うことを聞かせるということが、経験として必要だと思います。もちろん、再犯率の高さからいっても、現状が完全でないことは確かです。ただ、少なくとも私も含め、更生にある一定の成果を果たしてきたことを無視し、人権という的外れな議論で、勝手に刑罰の質を緩和してはいけないと思います。人権を盾に看守を困らせる受刑者の姿が目に浮かぶようです。何を目的に、このような議論をしているのか、私には全く理解できません。

  私は、たまたま二十歳という時期に服役したため、今にして思えば、今の世の中に失われた成人のイニシエーションのようなものだったと思っています。この過保護な世の中に残された、数少ないしつけの厳しい施設が、刑務所のような矯正施設だと思います。法規社会的に末期的な人間しか行けないということが、少しもったいないように思えるほどです。そんな場所まで過保護な目が行き届くとなれば、これはある意味、更生の可能性ある受刑者の自立する機会まで摘みかねない、全くだれにとってもいいことなしの改案です。このような議論では、すぐに外国の例との比較から、日本の人権意識の至らなさをやり玉に上げますが、少なくとも日本がいまだ治安レベルの高い国家であることからも、軽はずみに法律を変えるべきではありません。

  法律には、立場によっての利益不利益はつきものですが、この見直しによって、一体どんな利益があるのか、慎重な議論を望みます。

以上、引用を終わります。

 時間がないので、ちょっと早口になるのをお許しください。

 この方が証言しているように、更生のためには適度な厳しさが必要であります。改正案は、受刑者に優しくすればするほど更生にプラスになるという考え方を基礎にしているとしか思えませんが、それは甚だ疑問だと思います。

 ただ、この方も言及しているとおり、名古屋で明るみに出たような極端な虐待のほかにも、刑事施設内には理不尽な扱いも多く存在しているようです。そうした不当な扱いは、この方にとってはマイナスにはならなかったと言っていますが、一般には、更生のためにはマイナスに作用する場合の方が多いと思われます。というのは、「お上」、括弧つきの彼らの言う言葉を使っておりますが、「お上」の施設において不当な扱いをされると、社会の公正さに対する疑問や反発が生まれ、心の底から正しい人間、真人間になろうという気持ちが薄らいでしまいます。したがいまして、人権という観点から、また更生という観点からも、虐待等の不当な扱いはぜひともなくさなければなりません。

 さらに言えば、この問題には現状の刑事施設の過剰収容の問題が絡んできます。刑務官一人が受け持つ受刑者の数が七十人、八十人という例もあるそうで、そういう条件の中では、威圧する必要もあり、過剰な圧力をかけることが理不尽な扱いに通じる可能性があります。したがって、受刑者の人権を重んずるのであれば、単純に受刑者の待遇を改善するというよりも、刑務官の過度のストレスと緊張をなくすことも必要だと思われます。

 次に、受刑者の人権を無制限に尊重したり強調し過ぎることに対して疑問を申し上げます。

 受刑者の待遇をむやみと改善したのでは更生にとってマイナスになりかねません。待遇改善は人権に対する配慮から出たものと思われますが、厳しさを緩和することは、受刑者の甘えを助長し、受刑者の自立更生の機会を奪うことにもなりかねません。

 特に、この問題は外国人受刑者に対して重要な意味を持っています。

 昔から、暴力団関係者を中心に、刑務所をあらわす隠語として別荘という言葉がありました。これは逆の意味の言葉が隠語になっている例です。すなわち、刑務所とは別荘のような快適なところではなく、つらいところだという意味であります。ところが、生活水準の低い国から来た受刑者にとっては、日本の刑務所が冗談ではなくて本当に別荘になっている場合があります。これでは犯罪の抑止力になりません。刑期が短いなど処罰が軽いこともあわせて、犯罪者を呼び込む作用をしていることは否定できません。罪の償いという観点から見れば、私は刑務所の待遇は今でもよ過ぎると考えていますが、これ以上待遇を改善したら、ますます犯罪者を呼び込むことにならないかと大変心配であります。

 外国人犯罪者に対しては、本法律のらち外ではありますけれども、本国に送り返して本国の基準で処罰をしてもらう、あるいは第二に、本国並みの処罰と待遇を与える等の処置が必要と思います。

 次に、受刑者の人権と刑務官の人権との兼ね合いについて申し上げます。

 最大の問題点は不服申し立て制度にあります。

 この部分は善意の受刑者のみを前提としていますけれども、言うまでもなく、受刑者は善意の者ばかりではありません。悪用する者も出てくることは当然予想し、予防措置をとっておかなければなりません。しかるに、不服申し立ての内容を「刑事施設の職員に秘密にする」というふうに書かれております。これは、受刑者が萎縮することなく審査の申請ができるようにすべきだからだと説明されております。しかし、それだと、告発された刑務官の側の申し開き、反論または証言というものができません。刑務官の側の人権はどのように保障されるのか、明らかにすべきであると考えます。

 もう一つ留意していただきたいことは、アンケート調査で虐待を体験した受刑者が何%という結果、数字が報告されておりますが、受刑者が自己申告した数字をうのみにしてはならないということであります。そうした数字をうのみにするような風土または雰囲気がありますと、不服申し立て制度がますます悪用される危険があります。例えば、受刑者が気に食わない刑務官に対して示し合わせて虚偽の苦情を言い立てるという可能性も考えておかなければなりません。

 受刑者が萎縮することなくという面ばかりを強調して、余りに安易に申し立てをする雰囲気にすると、逆に、刑務官にとって厳し過ぎる内容になってしまいます。そうした弊害をなくすためには、虚偽の申し立てをした者に対して、当然、処罰の対象にすべきものと考えます。

 この改正案が通りますと、刑務官にとっては大変過酷な勤務条件と緊張を強いることになり、刑務官のなり手がいなくなるというおそれさえ否定できません。現状でも、アンケート調査によれば、暴力を振るわれたり、脅威を感じた刑務官は半数を超えています。刑務官による不当ないじめや虐待をなくすと同時に、刑務官の超過勤務、過労、ストレス、危険を防止する対策も同時に必要であると思います。

 次に留意しなければならないのは、犯罪の被害者や国民一般の感情と人権であります。

 既に今までにおいても、犯罪者の人権を守るためと称して被害者の知る権利がないがしろにされたり、意見や心情を表明する機会が奪われてきたことに対して批判が強くなり、多少の改善が進みつつありますが、被害者や国民の感情からして、受刑者に対する現状以上の待遇改善は慎むのが妥当と考えます。

 以上、要するに、改正案は受刑者の人権を過度に尊重するという偏りが見られ、バランスを欠いているように思われます。この点について修正が必要だと考えます。

 すなわち、例えば修正案として三点申し上げます。

 受刑者の待遇を今以上によくしないようにする。受刑者の人権はある程度制限されるのはやむを得ないという考えに立ち、理不尽な扱いや虐待を受けないように保障するという点に限るようにする。電話をかけやすくする、面会をしやすくする等々のかなり大幅な待遇改善というのがなされるように予定されているようですけれども、それは問題であるというのが私の意見でございます。第三番目として、不服申し立て制度については、安易に利用することのないように、また刑務官の言い分も聴取できる保障をするようにする。

 以上の諸点について修正するのが望ましいと考えております。

 以上でございます。ありがとうございました。(拍手)

塩崎委員長 どうもありがとうございました。

 次に、江川参考人にお願いいたします。

江川参考人 おはようございます。

 私自身もかかわりました行刑改革会議の提言が生かされて、こうして法案となり、それが真剣に論議されている、そういう場で発言の機会をいただきましたことを本当に感謝いたします。

 ただ、私は、今回の行刑改革会議に加わるまで、行刑というジャンルに関しては全くの素人でした。それどころか、正直に申し上げて、格別の関心を払っていなかったというのが本当のところです。

 新聞記者になって以来、さまざまな事件の取材あるいは裁判の傍聴の取材をする機会はたくさんありました。けれども、大抵の場合、被告人の刑が確定すると、その事件は自分の中で一件落着というふうになっていたような気がいたします。

 名古屋刑務所での事件が起きたときも、もちろん大きなニュースとして取り扱われましたので関心は持ちましたけれども、実感としては、私とは無縁の世界の出来事だというふうに受けとめておりました。そうした自分の認識不足というものを棚に上げるわけではないのですけれども、塀の向こう側というのは自分のいるこの社会とは全く異なる異次元の世界のように感じている人は少なくないように思います。行刑改革会議のメンバーとなってから、そうした自分の態度やあるいは無知というものを非常に恥じることになりました。

 法務省の方からレクチャーを受けたり、六カ所の刑務所を見せていただいたり、その際に、刑務所の職員の方にお話を伺い、あるいは刑務所で仕事をされているお医者さんなどにも話を聞きました。あるいは、受刑者や職員にアンケートを実施しましたけれども、そうしたことで知ったことはいずれも本当に驚きの連続でした。

 とりわけ私が衝撃を受けたのは、府中刑務所で、いわゆる処遇困難者と呼ばれている人々がいる区画に行ったときのことでした。独房がずらりと並んでいました。そこには、昼間でも工場に出役できない受刑者たちがおりました。一人で黙々と作業をしている人がいるにはいたのですけれども、それ以外に、生気のないうつろな目で漫然と時を過ごしている人たちがたくさんいるということに驚きました。

 さらに、私たち一行が、通路を歩いて、ある箇所まで差しかかりますと、職員の方が私たちをとめました。そして、その職員の方が、一つの房の横側についている窓、これはプラスチックの板が張ってあって中が見えるようになっていたわけですが、その中をのぞき込み、そして私たちに向かってこう叫んだんです、気をつけてください、しょんべん持って立っています。私もその窓から中を見てみました。すると、ドアのすぐ横に男の人が立っていて、器を持っていました。そして、目をぎらぎらさせながらそこで待ち構えていたわけです。その通路に面したドアにもプラスチックの小窓がついていますが、そこは、恐らく会話がしやすいようにでしょう、小さい穴がたくさんあいているんですね。その男の人は、私たちがドアに近づいたら、その穴越しに容器の液体をお見舞いしてやろうというふうに構えていたのでした。

 その様子が、私も横から見てわかったので、私たちは、そのドアの前を迂回するようにして房の前を通り過ぎようとしました。すると、ドアの下のすき間から液体が廊下に流れ出てきたわけです。計画が失敗したということを知って、その男の人は腹いせに液体を床にぶちまけたらしいのです。

 私はそのとき、刑務官の方に、そういったものをまともに浴びてしまうこともありますかと聞きました。するとその方は、大小便を浴びせられるなんてしょっちゅうですよという答えが返ってきました。それを聞いて、刑務所の刑務官というのは何と大変な仕事なのだろうかということを思いました。そして、果たして私自身は、例えば排せつ物を浴びせかけられても、感情を動かすことなく丁寧に対応し、汚れた房を黙々と掃除する、そういうような仕事ができるだろうかと考え込んでしまったのでした。

 しかも、刑務所の過剰収容の実態は本当に深刻でした。私が行った刑務所でも、定員の一二〇%近い受刑者を収容しなければならないために、独房に二人、あるいは六人部屋に八人を詰め込んだり、本来は更生のための教育に使われる教室、あるいは図書館に使っている場所を改造して居房にするというようなことをしておりました。ただでさえ狭い独房に二人を入れると、布団を敷いたときに重なり合ってしまうわけです。そういう状態でも同房者同士がもめたりしない人がそういうところに入れられることになるわけです。つまり、まじめでおとなしい人ほど割を食う、こういう状況になっているわけです。当然、そういう中では受刑者のストレスも高まっているようです。

 そんな状況でも、受刑者の増加に見合うほど職員の数はふえていないようです。当然、仕事は多くなり、当直明けでもすぐに帰れないというようなことを聞きました。どうしても勤務の時間が長くなるわけです。

 どこの刑務所に行っても、刑務官の方たちから伺う労働実態というのは、本当に悲鳴に近いものがありました。

 私たちは刑務官の方へのアンケートをやりましたけれども、そこでも、六割以上が前の年一年間にとれた有給休暇の日数は三日以内と答えておりますし、一日もとれなかったというふうに答えている人も三割以上に上っています。また、そのアンケートでは、三人に一人の刑務官が受刑者の処遇でストレスを感じておりますし、六割近くが仕事において身の危険を感じたことがあると答えています。あるいは、先ほど久保井先生の方からお話がありましたように、受刑者へのアンケートでも、三四%が何らかのいじめや暴力ということを答えておりますけれども、その一方で、刑務官の方も、四割以上が実際に受刑者から暴力を振るわれたりおどされたりしたことがあると述べています。いずれにしても、非常に緊張感のある中で仕事をしているということが言えると思います。

 名古屋刑務所の事件のような一件がありますと、刑務官の人権意識を高めよ、人権教育をもっと行うべきだという意見が出てきます。それは当然のことです。そして、実際にそれは、そのような対策が十分にとられなければならないというふうに思います。今回の行刑改革の中でも、刑務官に対する人権教育というものが強調されているのは当然のことだというふうに思います。

 けれども、それだけで十分なのでしょうか。当の刑務官の人権が十分に守られていると言いがたい状況の中で、さきのような困難な職場において受刑者の人権を大事にする基本姿勢を貫くというのは本当に大変なことだと思います。あってはならないことですが、刑務官の間にストレスがたまり、それが何かのきっかけではじけてしまうということが絶対にないとは言えない状況にあるなということを刑務所を見て感じました。

 刑務所を本当に改革しようとすれば、過剰収容や処遇困難者と呼ばれている人々の存在、この処遇困難者というのは、先ほど申し上げた排せつ物を浴びせかけるような攻撃的な人ばかりではなくて、さっきも申し上げた、うつろな目をして座っているままなど何らかの知的な障害や問題を抱えている可能性があるという人も含めてのことなのですけれども、そういった現状、現実を直視した上での改革というものが必要になっているというふうに思います。

 具体的には、過剰収容の改善と適正な数の職員の配置、また、一言に処遇困難者といっても、その状態や原因はさまざまです。薬物が原因の人もいれば、拘禁反応を示しているケースもあるでしょうし、その他病気によるものもあるでしょう。さまざまな原因あるいは態様が見られるわけです。そうした個々の状況に応じた適切な対応というものが求められるわけです。

 今申し上げたように、いわば人権など、建前だけを論じるのではなく、現実に即した改革が必要であるということは、医療に関する論議の中でも感じました。

 刑務所の常勤の医師というのは、本来は週五日刑務所で勤務すべきということになっております。ところが、その多くが週に二日は大学などで研修をしているということが明らかになって、報道では随分批判が起きました。

 確かに、筋論としては、そういうことはあってはならないわけです。しかし、実際に医師の話を聞いたりアンケートの結果などを見ますと、簡単に医師たちに対して週五日勤務の原則を徹底させよと言うだけでは済まないことがわかります。

 医師たちは、刑務所で勤務している間に医療の最先端から取り残されるということに不安を感じています。そういう研修日がなければ、給料が倍になってもやめたいというふうに答えている者も少なくありません。研修の機会を与えていても、医師の定着率は低いというのが実情です。行刑施設に勤務する医師のうち、行刑施設での勤務経験が三年未満という医師が六割を占めているのが現実なわけです。

 この現実を踏まえて、十分な医師を確保し、今回の法案で述べられているような刑務所医療を行うためには、単にかけ声ばかりではなくて、厚生労働省や各大学など法務省以外の部局との積極的な協力など、本当に省庁を超えた連携が必要になってくると思います。

 先ほど、府中刑務所で衝撃を受けたという経験をお話ししましたけれども、もう一つ、この刑務所で考えさせられたことがあります。それは、当たり前のことなのですけれども、彼らもいずれ社会に帰ってくるということです。

 刑務所の中では、刑務官があらゆることを受けとめて処理をいたします。私たちはそこでの現実を見たくなければ見なくても済むわけです。けれども、処遇困難者と言われる人々も含めて、受刑者の多くは社会に戻ってくるわけで、一たん戻ってくれば私たちの隣人になるわけです。

 そのことを考えると、彼らがどういう状態で社会に戻ってくるのかということに関して、私たちはもっと関心を払わなくてはいけないのではないでしょうか。できることならば、犯した罪を反省し、社会の中でもう一度やり直すという意欲を持って出てきてほしいのです。そういう人が一人でもふえることが、再犯を減らし、社会の治安を改善するということになるからです。

 けれども、今の刑務所は、そうした社会の願望や要望にこたえているでしょうか。あるいは、こたえられる状況にあるでしょうか。もちろん現在でも、刑務所で更生教育が行われていないわけではなく、職業訓練や通信教育なども実施されております。けれども、それが十分なものとはとても思えません。また、刑務所に長らくいて、家族からも見放されたような人が、出所後に自力で職や住まいを探して、すぐに社会復帰をするというのは非常に困難な現実があります。

 しかも、受刑者の中には、生活力もない人がかなりいるようです。刑務所の中では生活力というのは必要とされません。そこでは食事が提供されておりますが、いざ出所となれば、ラーメン一つ自分でつくれないという人がいきなり自活をしなければならないわけです。更生保護施設というものはありますけれども、先般、読売新聞の調査で明らかになったように、施設の半数以上が性犯罪の前歴者の入所を受け入れないなど、必要な保護が十分に行き届いていないという現状があります。

 こうした現実を踏まえると、さまざまな側面でもっと、社会復帰、いわゆる出口を見据えた行刑を行っていくことが重要になっていると言えます。

 今回の法案では、さまざまな点で、受刑者が社会との接点を維持したり、社会性の涵養のために工夫がなされております。それを一歩進めて、矯正と更生保護との連携をもっと深めたり、他省庁、さらには民間との有機的な協力関係を築くということが求められております。

 例えば、就職に関して、フランスでは、職業安定所と司法省がタイアップして、出所と同時に就職ができるように受刑のときから準備をする仕組みがあると聞いております。日本でもそういうような取り組みができないものでしょうか。

 あるいは、深刻な薬物中毒の問題に関して、行刑改革会議の提言では、受刑中に専門家の集中的なケアが受けられる治療センター、そういう施設の必要性に言及いたしました。さらに進めて、そうしたところでの受刑中のケアを、出所後の治療、カウンセリングあるいは自助グループなどといったケアにつなげていくことで薬物事犯の再犯を減らすということはできないものでしょうか。

 今回の法案第十四条は、受刑者の処遇は、個々の資質や環境に応じて、社会生活に適応する能力を育てることを旨として行うという趣旨のことが書いてあります。これこそがこれからの行刑に最も求められることであり、今回の法案の真髄だというふうに思います。

 ただ、この理念を現実のものとしていくには、なさなければならないことがたくさんあります。今回の法整備というのは行刑改革のスタート地点にすぎません。法案の審議を通じて、あるいは今後のさまざまな機会をとらえて、刑務所が真の意味で人間再生の場になるよう改革を進めていただきたいと本当に心から願うものです。

 また、この改革を効率的に進めるには、国民の理解を得ていくということがとても大事だと思います。かつての私のように、塀の中は異次元の世界という感覚ではなく、治安のとりでとしての行刑の役割について国民の間で認識が深まるよう、先生方、そして法務省など関係機関のなお一層の御努力に期待をしているものです。

 どうもありがとうございました。(拍手)

塩崎委員長 どうもありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

塩崎委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森山眞弓さん。

森山(眞)委員 先生方、ありがとうございました。

 私も、平成十三年の四月から十五年の九月まで法務大臣という仕事をさせていただきまして、その間にいろいろなことがございました。

 私は全くの素人でございますので、その対応に大わらわでございまして、多くの方に御迷惑をおかけしたと反省しておりますけれども、中でも、平成十四年の末に表に出まして国会でも取り上げられました名古屋の刑務所の事件というのは、大変心を痛めましたし、対応に苦慮したという思い出が深刻でございます。

 私も在任中に、刑務所は日本ばかりではなく外国も含めて二十カ所近く見てまいりましたし、関係する多くの人たちと話をしたり、どうすればいいかということを私なりに考えたものでございます。そして、過剰収容が基本的な問題だということを考えました。それと同時に、百年近くそのままになっていたいわゆる監獄法を改正しなければならないというふうに強く思ったものでございます。そのようなことは、国会答弁の中でも時々申し上げた記憶がございます。

 そして一方、できることはすぐにでもやろうというふうに思いまして、十五年の三月に省内に行刑運営に関する調査検討委員会というのを設けまして、例えば、それ以後、情願はすべて私がまず見るということを決めまして、年間数千件もありますので非常に大変でございましたけれども、毎日一生懸命見まして、必要な場合は人権擁護局などに指示をいたしまして対応するようにやったものでございます。また、六カ月以内に革手錠というものを廃止しようということにいたしまして、代替品を開発しようということも決めたわけでございます。

 しかし、考えてみますと、刑務所というのは一朝一夕にこういう問題を持つようになったわけではございませんで、長い歴史の中で徐々にゆがみが出てまいりまして、私の在任中にそれが表に出てきたということを考えましたので、私はその立て直しをするということが天命だというふうに思いまして、行刑改革にぜひ取り組みたいというふうに考えたわけでございます。

 塀の中という言葉に象徴されますように、刑務所などの行刑施設は世間から閉ざされている、全く違う世界だと江川先生もおっしゃいましたけれども、そういうのが一般の常識でございまして、刑務所の中で何が起きているかという情報がなかなか外には出てこない。そして、受刑者の人権の侵害がもし行われたといたしましても、そのようなことが表にはっきりあらわれない。医療体制も不備があるかもしれないけれども、改善することなく放置されてきてしまったということがございまして、旧態依然とした行刑運営がそのまま行われているんだということをつくづく感じたわけでございます。

 また、最近の犯罪情勢の悪化によりまして過剰収容が極端になっておりますので、そのために刑務官のストレスも非常に高くなっておりますし、受刑者の方も非常にストレスがたまったということで、両方が非常に神経過敏になっているということはあると思います。

 ですから、行刑の抜本的な改革をするには、法務省の専門家だけの話ではなくて、世間一般の有識者のお知恵を拝借して、世間の常識を十分に反映させながら議論していただくということが重要だと考えまして、十五年の三月の末に私的諮問機関として行刑改革会議というものを設けたわけでございます。その会議に久保井先生や江川先生も参加していただきまして、非常に活発な御議論を展開していただくことになりました。

 私は、最初の開会のときのごあいさつで、できるだけオープンで外からもわかりやすいこと、人権が尊重されつつ必要な規律は守られること、更生改善が適正に行われることが重要であるということを強調いたしまして、国民に理解され支えられる刑務所にしたいという私の思いを聞いていただいたと思います。

 そしてさらに、時間的には大変厳しいと自分でも思いながら、ぜひこれは急ぐので平成十五年中に結論を出していただきたいということを申し上げまして、内心厚かましいかなと思いながら、御無理をお願いした次第でございます。

 そうお願いしまして半年後に、私はろくにごあいさつもいたしませんで職を離れてしまいました。選挙とかその他いろいろございましたので、大変気にしながら、どうなったかなと思っていたわけでございますが、それを先生方がお聞き取りいただきまして、約束のとおり、十二月二十三日に、しかも全会一致の結論を出していただいて提言をしていただいたということを知りまして、内容的にも私がお願いしたことを全部カバーしていただいたというふうに解釈いたしておりまして、大変感謝している次第でございます。本当にありがとうございました。

 それがいよいよ新しい法案になりまして、国会で審議をされる現場に私が委員の一人としてかかわるということになりましたのは、まことに感慨無量という気持ちでございます。

 そこで、久保井先生に、先ほどのお話で既にいろいろ触れていただいたと思いますけれども、行刑改革会議に参加していただいて、御多忙の中、御無理を願った先生のお気持ちとして、全体としての御感想、それから新しい法案について、まとめていただいた提言との比較でどのようにお思いになるか。先生御自身が個人的にはもっとこうしたかったという御不満の点がもしおありだったら、そのようなことをお聞かせいただきたいと思います。

久保井参考人 先ほどは森山先生から大変御丁重なごあいさつをいただきまして、ありがとうございました。

 ただいまの御質問につきましては、メーンのスピーチでほぼ申し上げているわけでございますが、私は、この短期間の改革が大変積極的な形で進められたことは、やはりこれは大きな時代の流れが味方したというふうに思います。

 直接には、雪印食品の狂牛病の偽装事件がありまして、この問題が発覚するや否や、あっという間に会社が解散に追い込まれた。多分、三、四カ月の間にそういうことに追い込まれた。刑事事件では、詐欺事件になりました。

 次々と、いわゆる社会の法令遵守、コンプライアンスということが、その認識が高まっていった。そういう中で、刑務所、これは国家の機関であります。国家の機関の中で、いわゆるいじめとか暴行、つまり名古屋のような事件が発生してよいのか。あそこまでひどい事件は恐らく今までなかったと思いますが、若干の不祥事はこれまでから伝わってきておりましたので、ある意味では、受刑者だからやむを得ないことだということで目をつぶってきたことがあったかもしれない。

 しかし、民間の企業ですら厳しい法令遵守、コンプライアンスを問われているのに、刑務所の中をあのような状態で放置できないんじゃないかということで、一挙に世論が盛り上がった。そういうことが今回の改革を強く後押ししてくれたんじゃないかという感想を持っております。国民全員が同じテーブルで議論することができた。したがって、ああいう提言がまとまっていったんだろうというふうに思います。

 それから、提言と今回の法案との整合性は、ほぼ御提言いたしたことが法案に盛り込まれていると言ってよいと思います。もちろん、部分的には、例えば刑事不服審査会の位置づけ、制度化等について若干の不満もございますし、また、細かい点ではあります。ありますが、しかし、恐らく、八十点から九十点の点数を差し上げてもいい立派な内容になっているのではなかろうかと思います。

 そのくらいで答弁とさせていただきます。どうもありがとうございました。

森山(眞)委員 ありがとうございました。

 八十点から九十点というお言葉をいただいて、先生御自身もかなり満足していただいているのかなというふうにお察しいたす次第でございます。

 次に、江川先生には、私、かねて鋭い観察力と正義を求める強い御意思というのを拝見しておりまして、敬意を表しているわけでございますが、このたび、この行刑改革会議に参加していただいたことを大変喜んでいたわけでございます。

 今のお話にも出ておりましたし、また会議後、お書きになったものなどをちょっと幾つか拝見いたしまして、特に刑務官の仕事の厳しさに同情していただいて、刑務官の立場をもっと仕事のしやすいものにしてやるべきだというお気持ちを伺っているわけでございますが、大変ありがたいと思っております。

 おかげさまで、過剰収容の解決につきましては、この厳しい財政事情ではございますけれども、財政当局もかなり関心を持ってくれまして、幾らか前向きに取り組むようになってまいりました。先生方のおかげだと思って感謝しているわけでございます。

 先生御自身からも、法案をごらんになって、もし御感想があれば承りたいと思います。

江川参考人 本当に過分なお言葉をちょうだいいたしまして、何か恐縮しております。

 行刑改革会議の中で、刑務官の方たちの働く実態などを知るにつけ、本当に私は今まで刑務所のことを、行刑のことを知らなかったなというふうに思うと同時に、私の周りでもそういうことを知らない人がたくさんおります。法務省とかあるいは刑務所というところは、何か自分たちで何とかしなければならないという意識が強過ぎて、もうこれはいっぱいいっぱいになっているんだから助けてくれということをもっと国民に対して言ってもよかったのではないか、あるいはもっと言ってもいいのではないかなということを感じております。そういうふうにすることが、国民の理解や関心を集めることではないかなというふうに思っている次第です。

 私は法律の専門家ではございませんので、法律の一つ一つがどうのこうのという採点をする立場ではありませんけれども、私が今回の法案を一読して一番感動したのは、やはり十四条なんですね。一人一人の状況に応じて適切な処遇をしていくことが大事であるということと、それから、それが社会とつながっていくことがとても必要であるということは、恐らく、私も含めて行刑改革会議の委員の人たちみんなが思っていたことだと思うんですね。そして、しかも単なる建前的なことではなくて、本当に現実に即してやっていこうということなので、それはとてもいい条文が入ったなというふうに思いました。

 ただ、さっきも申し上げたように、これを本当に実効性あるものにするかどうかは、具体的に何をするかというこれからのことなので、先生方におかれましては、その点も含めてずっと御議論をいただきたいというふうにお願いしたいと思います。

森山(眞)委員 ありがとうございました。

 以上で終わります。

塩崎委員長 次に、松島みどりさん。

松島委員 今、元大臣が、御自分のかかわられたテーマについてこうやって参考人質疑で質問にみずから立たれるという、非常に珍しい、そして非常に思い入れたっぷりな質問の後に、非常に恐縮しております。

 私、江川参考人が言われました、この人たちもいずれみんな社会に帰っていく人である、それでどう考えるかということと、そして、法律ができたということはまず第一歩であって、これからのことが課題なんだという、本当に全くそのとおりだと思います。

 それで、私はこの問題を考えるときに、二つ視点がございます。

 一つは、もう皆さん御一緒なのが過剰収容の問題。そして、過剰収容というのは、刑務官が人手不足になって大変だということと、もう一つ、それも関係するんだけれども、もちろんスペースの問題で、今森山元大臣が言われましたように、これは少しずつ予算がついていっている、今、緊縮財政の中では画期的についている、でも、とてもとても及ばないというのが現状かと思っております。

 もう一つの私の視点というのは、私は、一般国民及び犯罪被害者、特に被害者の中でも、例えば見ず知らずの人に本人あるいは家族を傷つけられた、最悪の場合は死に至らしめられた、そういった被害者の感情というもの、これをまずベースに考えたい、そう思っている人間でございます。

 その中で、どちらにもかかわるんですが、過剰収容というのは結局、治安の問題というのは、刑務所に入る人を減らす、そして出ていった人が再び入らないようにする、この二つの心がけに尽きるのではないかと思っております。

 その観点で、まず久保井参考人に質問がございます。

 諸外国で刑務所に入っている人が生き生きとしている、確かにこれは、これから社会に出て頑張ろうと思って生き生きしているんだとは思いますけれども、例えば、作業から自分の部屋へ帰るときに楽しく談笑しながらというのは、私は非常に違和感を覚えました。

 そうすると、諸外国をごらんになって、ドイツなどお手本とすべきだと思われたところでは日本に比べて再犯率が非常に低いのかどうか、それについてちょっと教えていただきたいと思います。

久保井参考人 お答えいたします。

 今松島先生が言われましたとおり、刑務所は、入る人を減らすということ、そしてまた、一たん入った人も再び入ってこないように、再入所しないように、再犯者を減らすという、この二つのことが治安の維持向上のために重要だという点は私も同感であります。

 ところが、実情は、日本の刑務所の再犯率は諸外国に比べて大変高い実情にあります。法案の資料の中にその数字も出ておったかと思いますが、五割ぐらいが再犯率、一たん入った人が犯罪を犯しているというふうに思います。

 再犯を減らすための方法というのは、確かに二つの方法があるわけでございます。それは、怖がらせて、もうこんなところに入るのは懲り懲りだ、したがって犯罪を犯すことはしないようにしようと犯罪の抑止力を高める、刑務所がそういう意味での一定の役割を果たすということは当然必要なことだと思います。

 しかし他面で、受刑者に自信を失わせてしまう、つまり、現在、力で支配をし過ぎておりますと、おまえは犯罪者なんだから、もう嫌というほど犯罪者ということを頭の中で教えられて、つまらない人間だということ、そして絶対服従するのは当然だ、そういう個人の人格なり自分を主張するということは許されないということで、全く自信を失った状態で追い出される。そしてまた、退所した後もそれにふさわしい受け入れ体制がないということになりますと、これは結局、また再犯に結びついていくということになります。

 したがいまして、やはり本当の意味で再犯を減らそうと思えば、受刑者に人間としての誇りと自信を取り戻してもらう、そういう自発性を身につけさせるということがなければ、ただ単に怖がらせるとか懲らしめるということでは本当の解決にならないというふうに私は思います。

 その意味では、やはり現在の日本の刑務所のこれまでやってきたこと、最近この一、二年間の御努力はもちろん多といたしますし、非常に、日に日によくなっておることは私も承知しておりますが、長い間のやり方はやはり基本的に転換をする必要がある。それによってこそ、もう一度社会の役に立つ人間として立ち直って頑張っていきたい、そういう気になると思います。

 特に、日本は人口減少社会が進んでおります。したがいまして、一度や二度失敗した人を切り捨ててしまうんじゃなくて、何とかしてもう一度、社会にとっても有用な人間、個人にとっても人間らしい生活ができる人間に再教育をしていくということに重点を置いていくとするならば、やはり自発性を尊重していく、そういう刑務所の処遇が根本にならなければならないと私は確信しております。

 以上です。

松島委員 再犯率については外国でどれぐらいというのを、具体的な数字をお伺いできなかったのが残念だったんですが。

 それで申し上げさせていただきたいんですが、確かに規律と愛情、両方必要ではないかとも思います。しかしながら、つまり再犯を犯すというのは、刑務所が厳しかったからというよりは、社会に出てからの制度が築かれていないからではないか、住むところあるいは働くところができていないからではないかということに私は起因するのではないか。

 もう一つ、今再犯率が高いというのは、例えば人をあやめた人間が、あるいは性犯罪を犯した人が、出てきてからまた同じような罪を犯す、これは私は、決して刑務所が厳しかったからではなく、反省をさせるだけの教育が足りなかったからではないか。そして、出た後、場合によってはスムーズに働く場がなかった。これは私は、例えば国家として、この間ちょっと自分の質問で言ったんですが、例えば森林労働とか、人が足りない部門に国が国営事業で何か仕事を見つけてやらせるべきではないかと思っているものでございますけれども、そういう観点に立っております。

 林参考人、江川参考人にもお伺いしたいんですが、規則を守らせるということ、さらに加えて教育ということについて、教育については余りお三方から今回、特に久保井参考人と林参考人からはお話がなかったように思うんですが、どのようにお考えか。どういうふうに、今回の法律できちっとやっていけるんだろうか、それが社会で後、生かしていけるんだろうかという点、林参考人そして江川参考人、最後に久保井参考人に伺いたいと思います。

林参考人 刑務所等の施設において収容している最大の目的は更生ということにあると思いますね。その更生の質をどのようにして高めるかということが一番大切なことになると思います。

 その場合に、受刑者たちの心理的な特徴に注目する必要があると思います。いろいろな調査、詳しくは申し上げませんけれども、によりますと、最近の特徴としまして、犯罪者の罪意識が非常に不足しているというか、ないということが特徴としてよく指摘されております。この罪意識をどのようにして持たせるかというのが第一のポイントであろうと思います。それから、第二のポイントとして、犯罪を犯す人たちに決定的に見られる特徴として、秩序感覚の不足ということが挙げられると思います。秩序感覚とかルール感覚というものが極めて顕著に不足しているということがあります。この二つのものをきちんと補っていかなきゃいけない。

 そのためには、厳しさももちろん必要なんですけれども、ある適切な厳しさを背景にしながら秩序感覚を育てるということが人格を育て直すために一番大切なことなんですね。そのことを行うためには、余りにも優し過ぎてしまうと、むしろマイナスになってしまいます。

 例えば、私、教誨師の方たちといろいろつき合いがあったり、親睦をして、会を持ったり講演を頼まれたりしておりますけれども、その人たちが今までやってきたやり方は、母性を中心にして、優しさを中心にして接していくという方法だったんですけれども、それはますます最近ではうまくいかなくなっているという事実がございます。

 もちろん、厳しいといっても、おどしたり危険を感じさせたりするというように、やたらと怖がらせるということでは毛頭ありません。もちろん怖がらせるというのは、さっき久保井参考人さんもおっしゃっていたように、むしろ逆効果のことが多いのでありますけれども、ただし、きちんとした人格を育てるという観点を持たなきゃいけないということが一つございます。

 そして、もう一つ大事なことは、更生と処罰というのを分けて考えなきゃいけない、待遇ですね。待遇をよくすればするほど更生に役に立つ、あるいは受刑者の自信とかにつながるということではないと思いますね。そこのところを混同して議論をすると、受刑者の扱いが間違ってしまうというふうに思います。

 ですから、優しくすればするほど受刑者が明るくなって、楽しくなって、それで更生するというものでは決してないということですね。そこら辺を混同しないでいただきたいということであります。

江川参考人 今さっき松島先生からお話があった中で、社会に出てからの制度がとても問題だというのは、私も本当にそう思います。

 まさに刑務所の中と、それから出るときの更生保護と、そして社会という、この輪が、輪というか連鎖ができていないということがとても私は問題ではないかと思いますし、その点の改善をどうやってやっていくかという、これからの大きなテーマだというふうに思います。

 そして、中にいるときの教育の問題ですけれども、御指摘のように、これは本当に大事な問題だと思います。昨今は、景気が余りよくないとかいう中で、あるいは受刑者がふえるという中で、刑務所の方は受刑者にやらせる作業を見つけるのに本当に御苦労なさっている。何とか仕事をさせなきゃいけない、懲役ですから、ということで、一生懸命仕事を見つけてきて、場合によっては薄めてやらせるみたいなこともしなきゃいかぬという状況になっているようです。そんなことをするぐらいなら、むしろ教育にたっぷりと時間をかけてほしいというのが、これは社会の方の気持ちでもあるのではないでしょうか。

 ただ、教育といっても非常に難しいのは、例えば先ほどおっしゃった性犯罪の件ですと、まだこうすればよくなるというようなやり方が確定していないということで、やはりこの件については、専門家を集めての検討会というのが開かれ始めたようですけれども、早急に知恵を出し合って、どういうプログラムが適切なのかということを検討し、それを実施していただきたいというふうに思うわけです。

 今回の改革の中でも、矯正教育の参加義務化ということが出ておりますけれども、それは私は非常に歓迎をしています。ただ、先ほどからの議論の中で、待遇改善が更生にとってプラスではない場合もあるという御指摘もありました。そういう点もある、それは私は否定はしないんですけれども、反省とか更生とかということを求めるのであれば、人はどういうときに反省をするのかなということを考えるんですね。私もたくさんしくじりをしました。そして、それをどういうときに反省をするかというと、周りが全部敵に囲まれた中で反省をするということが果たしてできるかな、自分がそれほどきちっとした人間かというと、それをできる自信はないんですね。

 私は、その議論を聞きながら、ある裁判の傍聴を思い出しました。オウムの事件なんですけれども、殺人事件にかかわった被告人です。それをやったことは悪かったというふうに言っているのですけれども、検察官と彼の言い分で、細かい点で食い違うところが幾つかありました。そしてその中で、検察官そして被告人の双方でかなり感情的な論争が行われたんですね。その被告人というのは、その期間はもうその検察官とのやりとりに全精力を集中しているかのように、つまり、目の前に敵がいる、その敵のことに対する対応で全エネルギーを使っているかのように見えました。その期間は、犯罪の被害者に対する反省とか謝罪とかというのは、一応言うけれども、非常に薄っぺらに私は感じました。つまり、彼の関心がそちらに余り行っていなかったと思うんですね。それが、裁判が一段落して、判決の中でも彼の言い分も一部取り入れられました。そして、その後高裁になったわけですけれども、見違えるように彼は非常に真摯な態度で裁判に臨んでおりました。

 そういうことを考えると、もちろん厳しさというのも必要でしょうけれども、自分が不当な扱いを受けているというふうに思い込むような状況、あるいは目の前に敵ばかりいるというような環境というのもまた望ましくない。人が反省するというのにふさわしい処遇あるいは待遇、環境というものの設定というのには、やはりある程度の待遇改善とか、そういうことも考えていかなきゃいけない点があるんじゃないかなというふうに思いました。そういう点からの改善というものを、改革というものを期待しております。

松島委員 どうもありがとうございました。

塩崎委員長 次に、漆原良夫君。

漆原委員 公明党の漆原でございます。よろしくお願いします。

 貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。

 この法案、考えまして、私も長い間弁護士をやってきたんですが、刑務所の中のことについては余り関心がなかったなと。弁護活動はやはり、有罪か無罪か、執行猶予か実刑かということで、実刑になってしまったら、ああ、向こうへ行っちゃったな、こんなことで、あとはもう刑務官にお任せということで、本当に恥ずかしい限りだなというふうに思っております。行刑改革会議で一生懸命議論された久保井先生そしてまた江川先生には心から敬意を表したいと思っております。

 これも驚いたんですが、今回の改正で初めて、矯正処遇の改善指導とか教科指導とか、今までは刑務所は作業をさせるだけだった、そういう学習指導みたいなものをしなかったということなんですね。何で長い間これをしてこなかったのかな、本当に更生のために働かせるだけでよかったのかな、何でもっとしっかり改善指導等をするようなことを日本は考えなかったのかなということを、改めてびっくりした次第でございます。

 ここのところが一番大きな改正の内容になっているんじゃないかと私は思いますが、これについての評価と、これを実行するに当たっての今後の課題について、江川参考人と林参考人にもう一度お聞きしたいと思います。

江川参考人 今までも更生教育というのは全く行われていなかったわけではないようですけれども、やはりそれが本当に不十分であったということは、先生がおっしゃるとおりだったと思います。

 今後の課題ということなんですけれども、やはり先ほど申し上げたように、自分たちだけでやろう、何とかしようというのはもう限界があると思います。今回の改革で、少しずつ外との連携ということについて実現してきたと思うのですが、これからはそれをもっと進めていく必要があると思います。

 例えば、薬物の関係でいいますと、民間では薬物依存症の人たちを立ち直らせるための活動にかなり貢献をしている団体もあります。そういうような人たちと刑務所がもっと連携を深めていく、そういうふうに民間と公的なものがもっともっと協力を深めていくということが必要だと思いますし、あるいは省庁の壁、いわゆる縦割り行政ということが随分言われておりますけれども、やはり行刑に関してもそういうところがあるような気がします。

 例えば、教育といってもいろいろな教育があります。学校教育を十分に受けていなかった受刑者も随分いるようですから、そういう人たちに対して、もちろん今でも地元の学校の先生などの協力を得て教育なども行われているようですけれども、そういうときに文部科学省なども一肌脱いでそこに協力していく。あるいは、医療の関係でいうと厚生労働省、あるいは大学ということになると文部科学省も関係していくんでしょうか、そういうところが本当に連携をしていくということがこれからの大きな課題ではないかというふうに思います。

林参考人 ただいまおっしゃいましたように、受刑者に対する教育、学習に重点を置いていくべきではないかというお考えは全く大切なことであるというふうに考えております。

 その方法でございますね、実際にどういうふうにやったらよいのかということが一番大切だと思うのです。その点について、今までの体制というのは、例えば罪意識を反省させるというような場合に、教誨師という方が面会をして、そしていろいろ反省する。この教誨師の方々はほとんど宗教家が多いんですね。もちろん宗教家がいけないというわけじゃないのですが、ただ、この方たちも最近ではカウンセリングの技法を身につけようということが進んでおりまして、大変結構なことだと思うんです。

 といいますのは、罪を犯す人というのは必ず、先ほど私が申し上げましたように、家庭環境の中できちんとしたしつけを受けていない、あるいは人格が育っていない、こういう特徴が顕著にございます。これをカウンセリングでは育て直しといいますけれども、カウンセリングの中で育て直すということがぜひとも必要になってくると思います。そういう意味で、今まではそういう点が決定的に欠けていたというか不足していたと思いますけれども、こういうのを、外部の専門家、精神医とかカウンセラーというのを動員しまして、面接を頻繁に行う。

 これはもちろん、懲役でありますから、仕事はさせなきゃならないという建前があるというお話ですが、むしろ仕事をさせるよりも、収容しておるだけでももう罰になっておりますから、余り仕事をさせるなんてこだわるのではなくて、むしろ学習をさせる、教育を受けさせる、カウンセリングを受けさせる、こちらの方にもっと重点を置くべきだ。

 アメリカなども、州によりましては、軽い犯罪の場合でありますけれども、家庭内暴力とかセクハラとか、そういう犯罪者は特に、刑務所に入るかそれともカウンセリングを受けるかどちらかを選びなさいというふうにして選ばせて、ほとんどがカウンセリングの方を選ぶんですけれども、そういうふうな法律があるところもございます。これも、日本では早くこれを見習ってそういう制度にすべきだということを私は以前から主張しているのでありますけれども、そういう方向で全体の法律も修正していくべきではないかというふうに考えております。

 以上でございます。

漆原委員 次に、不服申し立ての制度について、久保井先生と林先生にお伺いしますが、現行法は情願ということですね。これは古めかしい言葉でございますし、何日間で処理すべしという期間もない、またその結果を通知する必要もない。情願を受けて、先ほど森山元大臣は一生懸命御自分で情願を読まれたとおっしゃいましたけれども、読んだのか読まないのか、どうなったのかわからない、こういう内容でしたね。

 今回は、不服申し立て制度を整理して、九十日以内にきちっと処理しなきゃならない、書面で結論を出さなきゃだめだ、あるいは検閲の禁止とか、さらに不服申し立てをしたことによって不利益取り扱いをしてはならないとか、種々の制度がつくられて不服申し立てが充実したということになりますけれども、この制度の評価について、久保井先生と林先生で意見が分かれるのかなというふうに私は思っているのですが、双方の評価をお尋ねしたいと思います。

久保井参考人 お答えいたします。

 現行の情願制度は、その文字があらわしているとおり、大臣の情にすがって願い出るということでありまして、極めて権利性の低い裁量的な要素が強かったために、不服申し立て制度として不十分であった、それを反省して今回の法案の提案になりました。それによって大変進歩はあると思います。

 しかしながら、やはり不服申し立てを審査する機関が、審査の場合であれば管区長それから不服があれば法務大臣ということになっておりまして、不服を裁決する第三者機関の設置にはなっていないわけでありまして、その点ではやはり若干の不満が残る。もちろん、行刑改革会議の提言の中では、却下する場合、棄却する場合は第三者委員によって構成される刑事不服審査会の意見を聞いた上で結論を出さなきゃいかぬということになっておりますから、かなり大きな前進は認められますが、これも諮問機関でありまして、勧告をする権限はあっても不服そのものを裁決する権限がありません。その点は、やはり今後の法改正の際には一歩前進させていく必要があろうと思います。

 不服申し立て制度がどの程度整備されるかによって、やはり刑務所の公正な運営、あるいは透明性の確保に大きな力になると思いますので、今後の課題として先生方にもお願いしたいと思っております。

 以上です。

林参考人 不服申し立て制度につきまして、疑念を先ほどの中で申し上げました。私は、不服申し立て制度そのものにもちろん反対するわけではありません。不服申し立て制度というものがもし理想的に運用されるならば、不当な、理不尽な扱い、虐待等を防ぐ効果はもちろんあると思います。ただし、これが持っているマイナス面というものにも十分に配慮する必要があるということでございます。

 例えば、マイナス面と申しますのは、この不服申し立て制度を実際に運用するときには大変に困難が伴うと思います。といいますのは、膨大な人員が必要でございます。これは、不服申し立てができるように、どんどん萎縮せずにやりなさいということを言われておりますけれども、もし萎縮せずにどんどん出てきますと、それを公正に審査しなければなりません。正しい不服もあるけれども、うその不服もあるかもしれない。だから、当然、きちんとした審査をしなければなりません。それには膨大な人員が要るということを、まずどのくらい覚悟をなさっているのかということですね。

 それから、それをやりますと、もちろん第三者機関で審査をしなきゃならないけれども、また現場も大変なことになると思います。現場が大変というのは、例えば、もちろん刑務官の方も、受刑者の方も、大変緊張がふえたり、あるいは緊張しなかったり、いろいろありますけれども、両方とも取り調べを受けなきゃなりませんね。そうすると、刑務官の仕事がそれだけふえるということになりますから、実際に現場でどれだけ受けとめる能力があるかどうかということが問題になってまいります。

 審査の内容について申しますと、実際に暴力を振るわれたのかどうかということを証明することは大変難しいと思いますね。周りに証人がどのくらいいるのかどうかということも問題になってまいります。両方の意見、言い分が対立したときにどういうふうに裁くのか、また裁判をもう一回やり直すのかというようなことになってまいります。

 そういうすべての困難さをきちんと予測した上で対策を立てないと、ただ理想を言って、不服申し立てどんどんやりなさい、それは人権のために必要ですと言っただけでは、到底、現場にだけしわ寄せがいって、実際に正しく運用ができないというおそれがございます。

 ですから、これは確かに理想的によいことなんですけれども、それを行う場合に、運用できるかどうか、どんな困難があるか、それから、どういうマイナスがあり得るか、つまり、それを悪用する人だって出るはずなんです。そういうこともきちんと予防措置をとるだけの覚悟があって、そういうものをすべて手当てした上でのことでないとまずいのではないかというのが私の意見でございます。

漆原委員 最後の質問になろうかと思いますが、久保井参考人にお尋ねします。

 今回の行刑改革会議では、未決拘禁者処遇それから死刑確定者の処遇については議論の対象とされなかったわけですね。実際、この未決の部分は来年の通常国会で審議されることになると思うんですが、これはやはり今からきちっとした機関をつくって、今回の改革会議みたいにきちっとした機関をつくって、審議を継続して議論を深めていくというふうな準備が必要じゃないかと私は思っているんですが、これについて御意見はいかがでしょうか。

久保井参考人 お答えいたします。

 今、漆原先生がおっしゃいましたとおりでございまして、来年の通常国会に法案を提出するという大きな方針が決まっております。そうしますと、既に持ち時間はそんなに多くはありません。

 したがいまして、まずは、この行刑改革会議の提言の後の協議も、法務省、警察庁それから日弁連が細部にわたって協議をいたしましたら、早速にでもこの三者協議で具体的に詰めていただくということも必要でしょうし、そしてさらに、有識者、国民の意見も聞きながら制度設計をするという必要もあろうと思いますので、行刑改革推進委員会といいますか、その中に顧問会議というのもございまして、前の行刑改革会議の委員がほとんど全員顧問に就任しておりまして、今回の法案の作業に加わった経験もありますから、それを生かしていただく。

 未決の場合には、弁護活動とか被告人の防御権とかさまざまな違ったファクターが入ってまいりますので、より一層困難な面はありますけれども、そういう有識者の意見も聞きながら立派なものをつくっていく、早急に作業を進めていただくということが必要だと思います。

 特に、今回の法案で採用されました刑事施設視察委員会、このガラス張りの運営をしていくという、この制度は未決の警察の留置場についてもぜひとも必要な、そういう制度設計だと私は思っておりますので、そういうことも含めて早急に検討していただきたいと思っております。

 以上です。

漆原委員 以上で終わります。どうも大変ありがとうございました。

塩崎委員長 次に、山内おさむ君。

山内委員 民主党の山内おさむでございます。

 本日は、三名の参考人の皆様、貴重な提言を賜りましたこと、心から感謝申し上げたいと思っております。

 まず、久保井参考人にお話を伺いたいと思います。

 私は、数カ月前に、用事がありまして大阪弁護士会館に行きました。そうしたら、弁護士倫理という授業をやっていたんですが、そのときに、久保井参考人が一生徒としてその講義を聞いておられるところを見させていただきまして、倫理の話ですからそうおもしろい話でもなかったんですけれども、二時間ぐらいですか、じっと話を聞いておられる姿を見て、本当に私は改めて、あの日弁連の会長までされた方が常に法律実務家として襟を正して法の正義を貫いていくという姿勢に敬服した次第でございます。

 そういう久保井参考人、あるいは江川参考人のような、社会経験が全く、刑務所問題を専門に刑事政策を考えたり刑事訴訟法の勉強をした人たちではない方々も多く含めた行刑改革会議がこのような形で合意に達したということ自体、大変すばらしい思いがするんですけれども、一体どういうふうにこの提言がまとまっていったんでしょうか。

久保井参考人 過分なお褒めの言葉をいただきまして、大変恐縮いたしております。

 なぜ行刑改革会議が今日の提言をまとめることができたかということにつきまして、私なりに感じていることを申し上げますと、一つは、会議を公開で行うことにしたということ。つまり、非公開で行うべきだという意見もありましたけれども、会議場自身は狭かったんですけれども、別室モニター方式で、別室ですべてのやりとりが、マスコミを中心として国民の皆さんに開かれた形で議論をすることができた。やはりこの審議会の審議方式が成功したというのが一つあろうと思います。

 それからもう一つは、現場に対するアプローチを怠らなかった。例えば、受刑者の代表として何人かの方からヒアリングを直接させていただいた。矯正局の担当者からもヒアリングをさせていただきましたが、受刑者からも直接ヒアリングをさせていただいた。それからまた、二千五百名に及ぶ受刑者アンケートを実施させていただいた。匿名のアンケートを刑務所側の特段の配慮のもとにやらせていただいた。

 それから、日本の刑務所六カ所、外国の刑務所、直接には三カ所、その他、ほかの方法も講じまして、アメリカとかアフリカの刑務所についても一定の調査をいたしましたが、外国との比較を行うことができた。そういうことが、日本の刑務所が世界の刑務所の中でどういうポジションにあるかということを把握する上で非常に役に立ったというふうに思います。

 そして、何よりも大きかったと思うのは、先ほども少し触れましたが、新しい世紀、二十一世紀がまさに市民の世紀、人権の世紀として、二十世紀のような戦争と人権侵害が繰り返されることのない世紀にしなければならないという、やはり国民の願いというか世界的な潮流、世論というもの、まさに時代の流れも味方した。そしてコンプライアンス、先ほど言いましたような法令遵守ということ、そういうことについての国民の共通認識も急速に高まってきた。そういうさまざまな要素がこういう進んだ改革になっていったんじゃないかというふうに考えております。

山内委員 力による支配から対話、そして処遇を大切にするという意味では、行刑というのが質的に転換をしたと私は思っています。

 ところが、先ほど参考人の意見の中で八十点ぐらいかなと言われたのがちょっと気になるんですけれども、例えば、日本の刑務所もヨーロッパの刑務所もたくさん見られたということですが、どういう点が違って、この法案にはどういう課題が残されて、そして、私たちはこれからまた新たな法案をどうつくり上げていくべきなのか、そのあたりを御教示いただけますでしょうか。

久保井参考人 お答えいたします。

 基本的には非常に大きな転換をこの法案による改革でなされようとしているし、恐らく八十点あるいは九十点ぐらいの評価をしていいのだろうと思いますが、現状を余りにも大きく一遍に変えるということは、これはやはり物的、人的予算、過剰収容の問題の解決、さまざまな条件が整いませんと、一遍には難しいところがあります。ステップ・バイ・ステップでいかざるを得ないところがございます。

 例えば、行刑改革会議の提言の中では、せめて受刑者には一日に一時間の運動をさせたらどうかという提言をさせていただきましたが、現状ではなかなか、三十分が限度である。これはやはり職員の数の問題、負担の問題、あるいはまた場所の問題、さまざまな制約があります。さらにまた、家族とのコミュニケーションを絶たないようにするために、土曜、日曜、休日、家族が働いている者も多いですから、ウイークデー以外にも夜間の面会なんかも望む人が多いわけでありますけれども、そういうことを実現しようといたしましても、やはり職員の増加ということが不可欠の前提になります。

 そういう点一つとりましても、やはり総合的に改革を進める中で、ステップ・バイ・ステップで進まざるを得ない、そういう点がありますので、現在ではやはり八十点ぐらいの評価しかできないんじゃないか。これから九十点、百点を目指して改革を進めていっていただきたい。

 電話による通話を認めたことも大変画期的であります。ドイツなんかではコレクトコールまで認めておるようでありますけれども、日本では、開放処遇を受けている者で有益と認められると刑務所が判断した者について徐々にこれを認めていく、広げていく、やがては全部の受刑者にチャンスを与えるようにしていく、そういう考え方で法務省は対処されておりますが、それもより積極的に、受刑者の更生ということから有益だというふうに考えられる場合は、また、厳密な意味でそういう要件を絞らないで外部との接点を断ち切らないような形、もちろん暴力団が自分の仲間との連絡がとれるようなこと、そういうものについてのチェックというのが必要でありますから、すべてフリーというわけにはまいりませんが、そういうことも、出発点だからやむを得ませんが、若干法文の体裁も腰が引けている部分がないではありません。

 そんな意味で八十点ということを申し上げたんですが、基本的には質的な転換がなされていると評価しております。

山内委員 続きまして、江川参考人にお話を伺いたいと思います。

 私も朝、テレビをつけて江川参考人の鋭いコメントなどを聞いていますと、本当にこの人は立派な人だなと思って、私も江川参考人の、テレビの画面を通じてですけれども、一ファンでございますので、これからも日本の進路が誤らないように貴重な御提言を引き続きいただきたいと思っております。

 私が江川参考人をよくテレビで見かけるようになったのは、やはりオウムの事件だと思います。変な教義に唆されて信者になった人、あるいは坂本弁護士一家を含めた弁護士に対する襲撃事案、そういうような事件がたくさん起きまして、江川参考人は犯罪被害者の人権とか権利に対して本当に鋭い洞察を持っておられる方だなと私は思っておりました。

 一方では、今回の法案というのは受刑者の人権にも配慮をした規定になっておりまして、ある見方によっては、犯罪被害者の人権という問題と、それから悪いことをした人、受刑者の人権とは対立するものではないかということを言う方がおられるんですけれども、参考人の御意見を承りたいと思います。

江川参考人 今、被害者のことについてお話がありましたけれども、犯罪被害者の方たちというのは、今まで長らく置き去りにされていたと言っても過言ではないと思います。ただ、ようやくその被害者に対しても関心が集まるようになり、基本法などもできて被害者対策というのは緒についたばかり、こちらの方も緒についたばかりだと思います。例えば犯罪被害者に対する給付金とかその性格、あるいはその金額、そういったことについてもこれからもっと改善がなされる、あるいは官民を挙げて犯罪被害者を支援していくという体制をやはりやっていかなければならないというふうに思います。

 ただ、今回の刑務所改革ということは、今の被害者と対立する概念というよりも、むしろ次の被害者を出さないための対策というふうに考えることもできるように思います。もちろん、過去に犯した犯罪の被害者のことを考えると、やはりどうやってその人たちが本当に反省をするかということで、先ほど問題になった教育の問題を徹底しなければいけないということも言えます。それと同時に、いずれ社会に出てくるわけなので、その人たちが次の犯罪を犯し、次の被害者を生まないために、刑務所で今何ができるのか、あるいは社会につなぐときに何をなすべきなのかということが議論されるべきで、これは被害者と加害者の対立という観点よりも、次の被害者を生まない観点からの御議論をお願いしたいなというふうに思います。

 そして、もう一点。刑務所の中に今いる人たちは、いわゆる被害者を生んだ事件の人たちばかりではございません。私も、刑務所を見に行ったときに、どんなにすごい人たちの集団なんだろうということでびくびくしながら行ったんですけれども、驚いたことに、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、知的障害のあるような、そういう人たち、あるいは非常に高齢者の集団もいました。そういうところを見ますと、一部では、まるで刑務所が、償いのための施設あるいは更生の施設というよりも、福祉施設と化しているような、そんな状況も見られました。そういう人たちを、これから社会に出てくるときにどういうふうに処遇していくのか、そういうこともあわせて御議論いただければというふうに思います。

 どうもありがとうございました。

山内委員 私は、きょうの参考人の話の中で一番印象に残った言葉が、いつかは社会に帰ってくる、この言葉です。とにかく刑期には満期があるわけですから、必ず帰ってくる。

 私は、法務省の人たちにも言うんですけれども、この受刑者が社会に出てどういう生活をするのかというのは、出た後のケアだけを考えてはいけない、中に入っているときに、この人が世の中でどう通用する人間になれるのかということを考えていかなければならない。そのためには、矯正局が刑務所を仕切っていて、出た後は矯正局ではなくて保護局が面倒を見るという仕組みはおかしい、一連の流れの中でこの人の更生改善を期待する仕組みをつくるべきだということで、矯正保護局というか、そういうような、もっといいネーミングがあるかもしれませんけれども、つくるべきだと、私は法務省の役人と議論をしているんです。

 江川参考人も、もしこの法案で積み残しがあるとしたら、この点が気になるとか、こういう仕組みをつくってほしいということを最後にお聞きしたいと思います。

江川参考人 今先生がおっしゃったような矯正保護局というような発想は、私も全く賛同して、実を言うと、私もある原稿でそのことを書いたことがございます。もちろん、官民の壁、あるいは役所ごとの壁もあると同時に、やはり同じ役所の中でも局の壁というのもあるようで、それを本当にスムーズに矯正が社会の中での保護につながるようにする仕組みというものをこれからつくっていく必要があると本当に思っています。

 例えば、更生保護施設に関しても、これは民間の篤志家の方が中心となっておやりになっているわけですけれども、やはりやることに非常に限界がある。もし本当にやろうとすればもっともっと人を雇わなければいけないけれども、そのお金がないとか、それから、そういう更生保護施設にも行ったことがあるのですけれども、そういうところでは若い人が非常に少ないですね、就職する人たち。ですから、若い人たちがどんどんそういうところに入ってきて、犯罪をかつて犯した人の更生にどんどん協力できるような、そういう魅力ある職場にしていかなければいけないと思うんですね。そういう意味でも、では、今の更生保護施設というのはこれでいいのかどうか、そういう制度も含めて御検討いただければありがたいなと思います。

 ありがとうございました。

山内委員 どうもありがとうございました。

塩崎委員長 次に、松野信夫君。

松野(信)委員 民主党の松野信夫と申します。

 三人の参考人の皆さん、大変御苦労さまでございます。私の方が最後の質疑者ということでございますので、よろしくお願いをしたいと思います。

 まず最初に、久保井参考人の方にお伺いをしたいと思います。

 久保井参考人の方から、行刑改革会議の中で委員会の提言があって、その中で、刑事施設視察委員会の方は、これは取り入れられた。しかし、もう一つの刑事施設不服審査会の方ですね、こちらの方はそうではないということで、これについては明確な法制化と位置づけが必要だ、こういうような御意見をいただきました。

 これについてもう少し詳しく教えていただければと思いますが、それとの関連で、日弁連とか単位弁護士会あたり、人権擁護委員会あたりも設けて、いろいろな形で、いわゆる人権侵害の救済申し立て、そういうのも受け付けておられるのではないかと思うんですね。中には、刑務所に入っている受刑者の人たちからの不服申し立てというのもあっているのではないかなというふうに思いますので、そういう人権擁護委員会あたりとの比較で、この不服審査会というのはどういうふうに位置づけるのが望ましいというふうにお考えなのか。この辺についてお話しいただければと思います。

久保井参考人 お答えいたします。

 受刑者に対する不服の申し立ての道をきちっと制度化して、単なる恩恵でなくて、権利として不服の申し立てをできるようにしなければならないということは当然のこととして今度の法案も提案されていると思いますが、やはり、不服が正当かどうかを判断する場合には、その判断機関は刑務所から独立している、そしてさらに言うなら、法務省から独立した機関がその不服を審査するというのが当然望ましいと思うわけであります。

 しかしながら、現在、いわゆる人権擁護法案というのが国会にかかろうとしておりますが、人権擁護に関する独立の委員会、政府から独立した人権委員会というのができようとしている。したがって、もしそれができたら、その新しくできる人権委員会がこれを担当するのが望ましいんではないか、受刑者の不服の申し立てについても、その委員会が担当するのが望ましいんじゃないかというふうに考えております。

 しかし、行刑改革会議の中では、さまざまな議論の結果、とりあえず、将来のことは別として、当面は刑事不服審査会というものを法務省の中に設けて、そして、少なくとも、受刑者の申し立てを退ける場合には、そこの意見を聞いた上で退けるということぐらいはしなきゃいかぬということになりまして、そういう刑事不服審査会を提言させていただいたわけであります。したがいまして、この点を今度の法案でも、審査とか再審査の申し立てを棄却する場合はそういう審査会の意見を聞いた上でなきゃいかぬということを明記すべきであったんではないかと私は思います。

 しかし、法務省としては、設けるのは設けるけれども、法務省令で設置するというような意向のようでありますので、当面はそういうことでやるのもやむを得ないかなと思いますが、人権委員会、これは受刑者だけのものでなくて人権一般に関する人権委員会が政府から独立した形でできる、法務省の外局にできるということのようでありますが、それができたら、そこに不服の裁決権を与えていくべきではないかというふうに思っております。

 弁護士会に対する救済の申し立てとか行政訴訟を起こして国家に対して救済を求めるということも一般的な制度としてございますし、確かに、弁護士会に対する受刑者からの人権救済の申し立て件数も、名古屋事件以後圧倒的にふえておりますけれども、しかし、やはりまずは内部の不服申し立て制度を整備するということ、ハンディーに、手軽に利用できる制度を整備していただかないと、弁護士会とか行政訴訟の道を選ぶということは受刑者にとっても大変な負担と勇気が要る、なかなか申し立てしにくい、本当のさまざまな困難の中でやらざるを得ないということがありますので、そういう一般的な制度だけでは足りないわけでありますから、そういうこの法案の中での不服申し立て制度を整備するということも大変重要なことだ。そして、一般的な制度と相まって機能していくということが必要ではないかと思っております。

松野(信)委員 それでは、続いて林参考人の方にお伺いしたいと思いますが、林参考人の方は、刑務所における厳しさというのをもう少し前面に出すべきだ、こういうお話だったかと思います。

 それで、もし林参考人の方が日本あるいは外国の刑務所を実際に視察をされたというような御経験があれば、この点はもう少し厳しくしなきゃいけないというようなことでも、もし印象として持たれたのがあれば、お話しいただきたいと思います。

林参考人 外国では視察したことはありませんけれども、日本では幾つかしております。

 私は、ちょっと誤解があるようなので訂正させていただきたいんですが、厳しければ厳しいほどよいと言っているわけではありませんし、厳しさを前面に出すというようなことも申し上げているわけではございません。適度な厳しさが必要であるということを何度も申し上げております。

 適度なというのはどのくらいが適度かというのは時代と社会によって判断しなければなりませんので、その国の国民の生活水準とか意識というものを基準に考えるべきであって、単純に外国と比較するというのは余り参考にならないんじゃないかというふうに考えております。したがいまして、例えばヨーロッパとアメリカが一番世界では生活水準が高いのでございますけれども、そこでの基準をそのまま日本に持ち込むというのは疑問じゃないかというふうに考えております。

 今は昔と違って冷暖房などもちゃんとついていたり、個室にはついていないけれども廊下にはついているとか、そういうふうで、非常に楽な、楽と言うとおかしいですが、厳しい寒さとか厳しい暑さというのはそれほど過酷な条件ではなくなっていると思います。もちろん、国民の平均をどの辺にとるかというのは、それはいろいろ国民にも生活水準の違いが、貧富の差がございますけれども、やはり過酷な寒さや暑さというのをある程度防げる、そして、食事もまあまあの食事を与えられている、ふろにも何回入る、そういうふうなことがあれば、私はそれで十分ではないかというふうに考えているわけでございます。

 先ほどから議論になっておりますが、力の支配がいけないというふうな議論もなされておりますけれども、非常に危険なのは、力の支配を全部なくしてしまう、そして待遇を改善してやると改心をして真人間になるというのは、私は間違いだと思います。力の支配というのもある意味では必要な場面もあるし、原理としては必要であるというふうに考えております。それが過剰になって人権を侵したり虐待をするようになっては、もちろんそれは行き過ぎであるし、間違いでありますけれども、力の支配そのものをなくしてしまえというのは非常に危険でありまして、ちょうど教育の場面におきまして、ゆとり教育、ゆとり教育と言っているうちに学力が下がってしまって教育が崩壊するという危険になっているようなことになりかねないということを心配しているわけでございます。

 ですから、二者択一ではなくて、厳しさとか力の支配というのは、必要なものはどういう意味で必要なのかということをきちんと明らかにした上で、維持すべきところは維持すべきというふうにしないと、産湯とともに赤子を流してしまうということになりかねないということを心配しているわけでございます。

 以上でございます。

松野(信)委員 ありがとうございました。

 それで、最後に江川参考人にお伺いしたいと思いますが、先ほどの御意見の中でも、刑務所の中の医療の問題、大変精神的にも知的にもいろいろな障害を持っておられる方がいらっしゃる、こういうようなお話があったかと思います。たしか江川参考人の方は、行刑改革会議の中で刑務所医療の問題について議論する第三分科会にもおられたというふうにお聞きしておりますので、この刑務所医療についてはやはりかなり抜本的な改革をしなきゃいけない、そういう面が多々あるんじゃないかなというふうに私も思っております。

 私も、刑務所を視察したりして、ちょっとこの人はいる場所を間違えているんじゃないだろうかというふうに思わざるを得ないような人も、しようがない、判決で懲役何年というふうに言われているものですから、その間は刑務所にいなきゃいけないというんですが、しかしどうも、判決自体を余り批判するのもあれですけれども、むしろ刑務所ではない場所での処遇を考えるべき人が刑務所の中にいるという実態もあるのかな、そうすると、判決自体から考えていく必要も、もしかしたらあるんじゃないか、こういうような印象を持っているんです。

 そうした刑務所医療について、先ほども少しお話しいただきましたけれども、さらにこういうような改革が必要だとか、あるいは特に受刑者の方が刑務所の中で亡くなられる、そうしたときの死因をしっかり確定する、これもまた大事なことではないかなと思いますが、この辺について何かコメントをいただければと思います。

江川参考人 今おっしゃいましたように、本当に刑務所の医療というのはとても難しいものだと思います。

 アンケートをやりましても、例えば受刑者の七割の人たちが、満足のいく治療を受けられなかったという不満を述べておりますが、一方で、医師に対するアンケートをやりますと、不調を訴える声の大半は虚偽であるとか、あるいは薬を強要されるというような医師の方からの不満も起きているわけです。

 ただ、いろいろな方たちにお話を伺って明らかなのは、やはり医者が足りないということだと思います。医者が足りないために、いろいろな訴えがあっても速やかに対応するということが非常に難しいケースも出てきているということで、この医者の確保をどうするかということは本当に大事な問題だと思います。

 法律はいいものができたけれども、それを実効あらしめるには、やはり実際に医者をどうやって確保するのかということになると、常勤医師を多数確保するということが難しい以上、月に数回であっても、非常勤をたくさん抱えておくというようなやり方も必要になるでしょう。そういう点について、やはり制度上、あるいは医者が勤務しやすいようないろいろな制度づくりというのが必要かなというふうに思います。

 それから、死因の確定、あるいはこれから誤診という訴えも出てくるかもしれません。そういうことに関しては、やはり普通の社会に準じた扱いというのが必要かなと思っています。

 というのは、例えば私たち自身が、あるいは家族が誤診などによって障害を負った、あるいは最悪の場合に命を落としたというようなケースの場合には、やはり、ではそのカルテを見せてくれということになるわけです。そういうようなカルテあるいはいろいろな医療に関する情報の開示というものが、本人あるいはその家族に対して外の医療と同じような状況で開示がされるということになれば、後から検証が可能なわけなので、そういう検証可能な中で医療行為をするという緊張感ももちろんあると思うので、いろいろな問題を防ぐのに貢献するのではないかなというふうに思いました。

松野(信)委員 大変ありがとうございました。大変参考になりました。また、どうぞよろしくお願いします。

塩崎委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の皆様方には、貴重かつ大変深い御意見をお述べをいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げたいと思います。

 次回は、来る八日金曜日午前十時三十分理事会、午前十時四十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時十一分散会


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