衆議院

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第7号 平成25年11月15日(金曜日)

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平成二十五年十一月十五日(金曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 江崎 鐵磨君

   理事 大塚  拓君 理事 土屋 正忠君

   理事 ふくだ峰之君 理事 盛山 正仁君

   理事 吉野 正芳君 理事 階   猛君

   理事 西田  譲君 理事 遠山 清彦君

      安藤  裕君    井野 俊郎君

      小田原 潔君    大見  正君

      門  博文君    神山 佐市君

      菅家 一郎君    黄川田仁志君

      小島 敏文君    古賀  篤君

      今野 智博君    末吉 光徳君

      橋本  岳君    鳩山 邦夫君

      平口  洋君    三ッ林裕巳君

      宮崎 政久君    宮澤 博行君

      郡  和子君    横路 孝弘君

      鷲尾英一郎君    高橋 みほ君

      林原 由佳君    濱村  進君

      椎名  毅君    鈴木 貴子君

    …………………………………

   法務大臣         谷垣 禎一君

   法務副大臣        奥野 信亮君

   農林水産副大臣      江藤  拓君

   法務大臣政務官      平口  洋君

   政府参考人

   (法務省大臣官房訟務総括審議官)         都築 政則君

   政府参考人

   (法務省民事局長)    深山 卓也君

   法務委員会専門員     矢部 明宏君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月十五日

 辞任         補欠選任

  池田 道孝君     井野 俊郎君

  橋本  岳君     宮崎 政久君

  田嶋  要君     鷲尾英一郎君

  大口 善徳君     濱村  進君

同日

 辞任         補欠選任

  井野 俊郎君     池田 道孝君

  宮崎 政久君     橋本  岳君

  鷲尾英一郎君     田嶋  要君

  濱村  進君     大口 善徳君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 民法の一部を改正する法律案(内閣提出第二〇号)


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     ――――◇―――――

江崎委員長 これより会議に入ります。

 内閣提出、民法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、政府参考人として法務省大臣官房訟務総括審議官都築政則君及び法務省民事局長深山卓也君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

江崎委員長 異議なしと認め、そのように決しました。

    ―――――――――――――

江崎委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。初めに、土屋正忠君。

土屋(正)委員 きょうは、内閣提出の民法改正の法案でございますが、この法案のもととなるべきは、平成二十五年九月四日、最高裁大法廷における違憲判決がもとになっているわけでありますので、この法案そのものは、たった一条の、至って簡潔なものでございますが、この背景にある最高裁判決についての評価をしながら質問をいたしたいと思います。

 とはいえ、大臣のお立場は、法務行政の責任者としてのお立場でありますから、最高裁の大法廷が下した判決について、恐らく御発言をするのはなかなか難しいお立場だと思いますので、どうしても、質問は長く、お答えは短くなるのかなと思っている次第でございます。いや、どしどしお答えいただけるのならどしどし質問をするんですが、そこで、しばらく私がしゃべるのが長くなるのをお許しいただきたいと思います。

 まず最初に、民事局長に質問をさせていただきます。

 今回の判決の中に、いわゆる嫡出子と非嫡出子の区別がなされているわけでございますが、非嫡出子は、事実婚の子供と、それから法律婚をなした人物が、男性が他の女性との関係においてなした、いわゆる世の中的に言うと不倫の子、裁判の用語的に言うと不貞の子、こういう二つの分類があって、その両方を指していると理解していいのかどうか、法律上の見解をお尋ねいたしたいと存じます。

深山政府参考人 今の委員の御指摘のとおり、どちらも嫡出でない子に当たります。

土屋(正)委員 よく考えてみますと、いわゆる信念を持って法律上の届け出をしない事実婚といわゆる不貞の子という二種類に分かれるわけでありますが、事実婚だけで、ずっと、婚姻届は出していないけれども、お互いに誠実に、一夫一婦制を守って生涯を終える、こういう人には今回の判決は全く意味がないわけですよね、それ以外に子供がいないわけですから。だから、今回の判決並びに民法改正によって、いわゆる具体的な利益を受けるのは、不貞の子供、こういうことが利益を受けるということになるんだろうと思います。

 実は、このことが国民にさまざまな影響を与え、これから議論が進めば進むほど、国民の間にさまざまな議論が出てくるんだろうと思います。

 谷垣法務大臣に対する質問でございますが、九月の四日の判決以来、町でこの種の話題がよく出ます。そして、女性の皆さん方に、もちろん統計をとったわけじゃなし、メモをとったわけではないですが、押しなべて一般の国民に聞いてみますと、こういう感想があります、典型的な感想は。

 これは法律婚の女性ですが、私が頑張ってきたのは一体何だったのよという意見が圧倒的であります。とりわけ、商店や小企業の人々は、財産形成に自分も重大な寄与をしてきた。にもかかわらず、突然、夫の死後に不貞の子供に請求されるのは理不尽である、こういう思いが非常に強いわけであります。ちなみに、どういう階層かというと、四十代、五十代、六十代、七十代、こういう世代の人々の抵抗感は物すごく強く、二十代、三十代の比較的若い層には強い拒否反応は比較的少ないという印象であります。これは一体どういうことなのかというと、婚姻の有無や人生経験の差が見解の違いになっているんだろうと思うわけであります。

 これが平均的な国民感情であると思いますが、こういう国民感情について、谷垣法務大臣はいかがお考えでございましょうか。

谷垣国務大臣 この問題で国民感情がさまざまであるということは、私もよく承知しております。

 土屋先生も当然いろいろな御意見を耳にしておられると思いますし、また、その御意見の背景にあるそれぞれの人生、家庭生活、親子関係、これもまた多様なものがあるんだと思います。今お話を伺って、率直に申し上げますと、そういうことでございます。

土屋(正)委員 それでは、最高裁判決について、私の考え方を述べ、最後に何か谷垣大臣から御感想があればお聞きをいたしたいと思います。

 私たち自民党は、家族は、愛情と信頼で結ばれた、国民生活の基盤を形成する最小の単位であり、これを法律で保障し、支援することは健全な国家を形成するための最優先事項だ、このように考えてきたわけであります。

 しかし、今回の最高裁大法廷判決は、相続において、嫡出でない子供も嫡出と同様の権利を与えるという内容で、法律婚の否定、家族の軽視につながると考えるわけであります。

 なぜならば、相続割合を嫡出一とし嫡出でない子を二分の一とするのは、相続財産の割合が多くなるという財産上の理由だけではなく、法律婚で夫婦が暮らし、時には仕事をし、財産を形成し、家族を養い、ともに歩んできたという、その人生そのものに対する誇りでもあるからであります。これが否定されたようなことになるわけであります。

 したがって、嫡出子と嫡出でない子供を同等視するのは、結婚して夫婦力を合わせて長い人生をともに歩んできたという自負心と誇りを毀損することになるのだ、このように思います。

 今回の判決は、たとえ非嫡であっても生まれた子供に罪はないなどという俗論にくみして、国民感情に反するものだ、このように考えております。

 判決文第十一ページには、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきである」と判示をしております。しかし、この見解は、個人としての権利を尊重する余り、重大な視点が欠落をしていると私は思います。

 まず第一は、人間は、個人として孤立して生きるのではなく、親子、兄弟、姉妹を身近な最小の家族として、さまざまな人間関係によって生き、生活をしているのだと思います。

 二点目は、非嫡出子の権利を強調する余り、そのことによって傷つき、落胆し、無念に思う法律婚の妻や嫡出子に対する思いが欠落をしていると言わざるを得ません。

 今回の判決によって、法律婚によって保護されるべき家族の利益は物心ともに失われるのではないかと危惧をするわけであります。

 それに対して、平成七年七月五日の大法廷判決は、次のように述べているわけであります。三のところで、

  憲法二四条一項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、民法七三九条一項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法七三二条は、重婚を禁止し、いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない。

  そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。

  本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、

ここですね、

 他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったもの

であると。実にいい判決ですね。実に情理にかなった判決だ、このように思っているわけであります。

 そもそも、今回の判決が問題なのは、論旨が一貫していないことであります。判決文二ページにおいて、次のように述べているわけであります。これは今回の判決です。

  相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律、国民の意識等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断に委ねられているものというべきである。

と、実に立派な前提を置いているわけであります。まことにごもっともであります。

 ところが、判決文四ページあたりから、だんだん論旨が違ってくるわけであります。

 前記2で説示した事柄を総合的に考慮して決せられるべきものであり、また、これらの事柄は時代と共に変遷する

こういう、時代とともに変遷するという抽象的なことが出てきているわけであります。

 続いて、ドイツやフランスの例や、児童の権利条約、法務省の婚姻制度等に関する民法改正要綱試案、離婚件数の増大、嫡出でない子の増加などを挙げているわけであります。

 さらに、外国では婚外子が五〇%、我が国では二・二%にすぎないと、明らかな国情の違いを具体的に示した上で、八ページで以下のように述べているわけであります。

  しかし、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一とする本件規定の合理性は、前記2及び(2)で説示したとおり、種々の要素を総合考慮し、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし、嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題であり、

こう言っているんですね。

 しかし、となると、不当に侵害してきたなら、今までの判例は不当に侵害してきたのか、こういうことにもなるわけであります。国情や国民感情によって決定されるとした原則に対して、真反対な結論を出しているわけであります。結局、結論は、十ページの下段(4)の五つの抽象的な理由によって、それまで合憲としてきた結論を真反対に覆したわけであります。

 この部分をさらに読んでみますと、「(4) 本件規定の合理性に関連する以上のような種々の事柄の変遷等は、その中のいずれか一つを捉えて、本件規定による法定相続分の区別を不合理とすべき決定的な理由とし得るものではない。しかし、昭和二十二年民法改正時から現在に至るまでの間の社会の動向」、これが一ですね、理由は。「我が国における家族形態の多様化」が二番目、「これに伴う国民の意識の変化」「諸外国の立法」、そして五番目が「我が国が批准した条約」、こういう五つの例を挙げているわけであります。

 しかし、これらはいずれも抽象的なものであり、個別の論証をしたいと思いますが、同時にまた、変化の具体的な事例として挙げた、住民票の続柄を長男、長女から単に子とすることを求めて起こした裁判の例を挙げているわけであります。

 しかし、これは明らかに引用を間違っているし、この訴訟の本質、つまり、住民票の続柄表記に関する訴訟の本質の実態について理解していないと私は言わざるを得ないわけであります。

 この訴訟は、誰に対して起こされたかというと、武蔵野市長に対して起こされたわけであります。住民票の続柄訂正を求めたものであり、特殊な目的を持った、法律婚解体を目指した運動であります。被告は、武蔵野市長たる私でありましたが、原告は、驚くべきことに、夫婦とも市の職員。独自の主張を展開し、労働組合活動を頑張ってきた職員でありますが、同時に、労働組合の中でも孤立した活動家でありました。ちなみに申し上げますが、この夫婦は私が採用したものではありません。

 その夫婦が武蔵野市長たる私を訴えたもので、そのきっかけは、住民票発行事務の窓口職員であったときに、この職員だったんですね、この女性が、住民票で、窓口で。ところが、他区の居住者が同様な趣旨の申し立てをして、その苦情を受け付けた職員だったんです。この案件は異議申し立ての段階で終わり、訴訟には発展しなかったんですけれども、このことに学んだこの職員は、これはいけると思って、自分のことで武蔵野市長の土屋を訴えたわけであります。

 当時は、住民票に本籍地を記載すべきかどうか、また、それを閲覧させるべきかなど、住民票の公開原則とプライバシーの議論があって、訴訟中に当時の自治省が見解を出し、続柄欄を、長男、長女など身分をあらわす表記から単なる子と変更したものであります。これは私が訴えられたわけでありますが、国も大いに関係するということで、法務省の検事さんが、共同の、追加の、訴訟に参加したわけであります。

 私は、続柄を書いても一向に構わないと考えておりますけれども、仮に百歩譲っても、この一連の事件の本質は、住民票が居住関係を公証する制度であることに鑑みて、戸籍簿のように身分を公証する制度とは違うわけですから、居住関係を公証する制度の中にわざわざ続柄を書く必要があるかどうか、こういう議論になるわけであります。

 住民票は、住民基本台帳法に基づく地方自治体の基本図書であり、自治事務であります。選挙権を初めとするさまざまな社会的権利を行使するための基本台帳であり、身分を公証する戸籍とは明らかに性格が異なるわけであります。

 したがって、住民票の続柄欄をめぐる裁判の本質は、居住関係の公証制度である住民基本台帳に身分を公証する続柄を記載する必要があるのかどうか、プライバシーはどうか、これは住民票は公開制になっておりますから、こういうことが問われた裁判であって。また、住民票をめぐる裁判は、それまで国民の大多数が異存なく受けとめていた制度を、一握りの運動家が一定の価値観に基づいて、あえて訴訟を起こしたものであり、運動家のための運動であるというのが実態であります……

江崎委員長 御静粛に。

土屋(正)委員 あなた以上に私がよく知っている。

 この例を、法律婚主義をとる我が国の婚姻制度の変更の理由に挙げるなど、引用違いも甚だしく、かつ、訴訟の実態を十分承知していない観念論であると言っても過言ではないと私は思っております。

 また、判決が違憲とした理由のうち、嫡出でない子供がふえている、また、欧米の立法例を挙げたことについても意見を述べたいと思います。

 日本において、嫡出でない子がふえているといっても、わずか二・二%であり、過去十年間の統計をとってみても、全部二万人台を推移しているわけであります。これは法務省から出された資料であります。したがって、欧米の五〇%と明らかに異なるわけでありまして、何をもって嫡出でない子がふえているというのでしょうか。この欧米との違いは二十二倍で、決定的な差があるわけでありますから、この差異は、背景にある国民意識の差と考えるべきではないでしょうか。

 事実、判決文八ページの中段においても、「婚姻届を提出するかどうかの判断が第一子の妊娠と深く結び付いているとみられるなど、全体として嫡出でない子とすることを避けようとする傾向があること、」「法律婚を尊重する意識は幅広く浸透しているとみられる」と、この判決文の中でも説示をしているところであります。

 結論からすれば、日本では嫡出でない子はふえていない。また、今回の最高裁判決文二ページに記述されているように、「相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。」のだから、嫡出でない子が五〇%の欧米と比較をして、事実と国民感情に立脚すれば、欧米に倣って改正の必要は全くなく、改正の必然性に欠けると言わざるを得ないと私は思っております。

 ここでは、なぜ欧米は嫡出でない子、事実婚が多いのだろうかと考察をしてみますと、背景にはキリスト教に対する宗教観があると思います。

 キリスト教においては、男女の婚姻は当事者の合意ではなく、神の恩寵、秘跡、サクラメントとされているわけであります。誕生から始まり、死亡時の終油に至る人生のさまざまな過程には、神からの選ばれた恩寵があり、七大の秘跡があるというのがローマンカソリックの基本的なテーマであります。

 近代国家以前の中世までは、婚姻は教会で誓い、婚姻届は教会が婚姻簿に記載していたわけであります。私は、二十数年前にフランスの地方自治体を視察したとき、教会婚と法律婚が併存していて、教会婚には離婚が認められていないので、最近は法律婚に人気が移ってきている、このようなことを聞いたわけであります。まさに宗教的な背景があると言わざるを得ないわけであります。

 天動説に異を唱えたガリレオ・ガリレイのそれでも地球は回っているという言葉は、神への挑戦であり、宗教裁判において異端審問官からはりつけの刑に処せられるという危険を冒したものなのであります。

 ルネサンス運動は、まさに神が支配する世界から人間中心の世界へと変換する命がけの運動でもあったわけであります。

 十九世紀の世紀末に、ニーチェが神は死んだとか、エゴン・シーレやクリムトの人間賛歌の美術運動は、神からいかに自由になるかが近世ヨーロッパのテーマであった、このように考えます。そして、その象徴が、サルトルとボーボワールのいわゆる事実婚だ、このように考えております。

 ヨーロッパの嫡出子の比率の五〇%は、神からの自由という重要なテーマが存在し、単なる不貞の話ではない、こういうふうに理解しなければ、なぜ五〇%もの人がそのような状態にいるのかわからないわけであります。

 しかし、神から自由になった現代は、何をきずなとして生きるのか。イギリス人の作家、サマセット・モームの大作の「人間の絆」は、そのような問題意識で創作されたものと理解し、この「オブ・ヒューマン・ボンデージ」という小説の中には、家族のきずなということが極めて重大なファクターとなっているわけであります。

 では、日本の場合はどうなのか。これは、やはり日本の文化や国民意識を形成していく裏づけは神道と仏教でありますから、これらの二つのいわゆる文化の根底には、神から選ばれて、神の命令に従って生きるという発想はないわけであります。何といったって、神道はやおよろずの神で、八百万も神様がいるわけでありますから。

 このような中にあって、それでは中世、江戸時代はどうであったのかということになりますと、しかし、寺社が重要な役割を果たしてまいりました。いわゆる過去帳だとか人別帳だとかというものがそれに当たるわけであります。歴史人口学という学問の中で鬼頭宏先生などが明らかにした内容でありますけれども、このような中にあって国民意識が形成されてきた、共同体を優先するという意識が醸成されてきた、このように考えているわけであります。

 このような国民感情に立って今回の最高裁の判決を見てみると、婚姻制度は、それぞれの国において、歴史、文化、宗教観などを背景にした国民感情に立脚した制度でありますが、今回の判決は、他国の比較や国際条約など、観念論によって結論を導き出し、また、事実の指定の、いわゆる婚外子の増加ということも事実とも違うわけであります。また、判決文が一番最初に示した論旨とも首尾一貫をしていないわけであります。

 婚姻と結びついた相続を日本社会の根っこにある国民感情に依拠して判断するのではなく、他国との比較や国際条約など、それもキリスト教国中心の価値観で判断したところに違和感が生ずるわけであります。

 この最高裁判決は、国民私人間の法律関係、とりわけ親族関係に言及した初の違憲判決でありますが、本来、このような作用は、国民から選ばれた国権の最高機関である国会の立法作用によって方向を見出すべきではないでしょうか。いささか、最高裁の、司法の能動が過ぎているような気がいたすわけであります。

 とはいえ、法解釈の最終審である最高裁の判断は重い。今の日本国の民主制の三権分立の立場からすると、残念ながら、この判断は重いと言わざるを得ないわけであります。

 そこで、権威の象徴である石の塔に立てこもる、象牙の塔とよく言いますが、あれは石でありますから、最高裁は、石の塔に立てこもる最高裁の判事の皆さんは、草の根の国民のバランス感覚や素朴な正義感などを深く省察して判決を出すことを今後期待いたしたいと思います。このことは、最高裁判事の国民審査の方法にも影響を与えることだろう、私はこんなふうに思っております。

 この判決をきっかけに、民法改正に当たって、私たち立法府にある者は、国民感情に根差し、おくれず、さりとて先走らず、国民とともに、国民の幸せと日本国の繁栄を果たすことを図り……

江崎委員長 傍聴人は私語を慎んでください。

土屋(正)委員 引き続き、関連の法制の整備に当たりたい、このように考えておりますが、大臣、何か感想がありましたら、どうぞよろしくお願いします。

谷垣国務大臣 土屋委員から、カトリックの教義からサルトル、ボーボワールに至るまで、また、儒教、神道も引いて、博引旁証の御議論でございました。それに対して余り事務的な答弁を申し上げるのは恥ずかしゅうございますが、最後におっしゃったように、やはり、通常、司法は立法府のつくった法律に従って裁判をする、しかし、その法律が憲法に適合するかどうかは、最高裁判所が判断権を持っているというのが日本国憲法の構造でございます。

 したがいまして、法務大臣としては、その判決を尊重して、それに対応する姿勢を整えていくというのが私の責務であろう、このように考えております。

土屋(正)委員 以上をもって終わります。どうもありがとうございました。

江崎委員長 次に、宮崎政久君。

 その前に、傍聴人の方は私語を慎んでください。もし、御意見があったら、もう退場を命じます。お願いします。

 宮崎政久君。

宮崎(政)委員 自由民主党の宮崎政久です。

 本日は、民法の一部を改正する法律案について質問をさせていただく機会をいただきましたことを理事各位の皆様に御礼を申し上げます。

 さて、今回の民法改正でございますが、平成二十五年九月四日の最高裁大法廷での憲法違反の判断、憲法違反が最高裁大法廷で示された、これは、日本国憲法が施行された後、六十六年の間にわずか九件目ということでございます。

 最高裁大法廷で法令が憲法違反であると判断されたことを受けて、国会が立法府としてその意思を示していく場でございまして、この衆議院の法務委員会において、この歴史的な場所に立ち会わせていただいたことに感謝を申し上げる次第でございます。

 さて、今回の法案の内容は、民法第九百条第四号ただし書きにあります「、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし」という部分を削除する、極めてシンプルな内容となっております。しかしながら、国会において、最高裁の憲法判断を受けて、立法府としてその意思を示すわけでありますので、その意味するところは大変に重いものであるかと思います。先ほどの土屋委員の御発言にもありましたとおり、さまざまな国民世論がある中で、私たちは国民代表として立法府の意思を示していくわけであります。

 最高裁が憲法判断をした、そのことによって、自動的に、何の作業もしないで、オートマチックに法令が書きかえられてしまうということは、日本国の法令制度の中ではないわけであります。私たちが、最高裁の判断というのを背景として、きっかけとして、今回、その意思を示していかないといけないと考えています。

 そこで、今回の法律案関係資料というものが委員会の中で配られております。これは冒頭のところに、民法の一部を改正する法律案の提案理由が記載されておるわけです。これは三行あるんですね。こう書いてある。これをちょっと読んでみます。「この法律案は、民法の規定のうち嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の二分の一とする部分は憲法違反であるとの最高裁判所決定があったことに鑑み、この部分を削除することにより、嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分と同等とするものであります。」というふうにあるわけです。私は、これはちょっと寂しいなというふうに思うわけです。

 今の最初と最後の部分は、法案の内容でありますので、立法の理由というか立法の趣旨として書かれているのは、「憲法違反であるとの最高裁判所決定があったことに鑑み、」という部分だけになってしまうわけです。

 ですから、我々は立法府として、これを立法していくんだ、削除という形であったとしても、積極的な立法行為をしていくんだという立法意思が必要であると考えています。

 そこで、谷垣大臣にお伺いをしたいと思います。

 今回の最高裁決定、これは、背景であり、きっかけであります。立法者としての意思を我々が示していく、その今回の立法の意思、立法の理由について、ぜひ大臣のお言葉で御説明をいただきたいと思います。

谷垣国務大臣 今の宮崎委員の御意見のように、最高裁から違憲の決定が出た、これがこの法改正のまず第一の動機である、これは間違いございません。では、その中身はいかん、ただそういう形式的な理由だけかという御質問ですね。

 これは、最高裁の違憲決定にも触れられておりますように、父母が法的な婚姻関係にはなかったという、子供にとっては自分で選択することのできない事由でございます。非嫡出子になりたくて生まれてきたわけではないだろうということになるわけですね。だから、自分の選択のない、修正する余地のない事柄を理由として不利益を及ぼすのは問題であるということでこの判決も出た。それが背後にある考え方だろうと私は考えております。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 先ほど来、土屋委員から意見があった、実は、我が党の法務部会では、五回にわたってこの法案審議をいたしました。通常、自由民主党の部会というのは一時間が原則で行われているところ、各回一時間半で行われて、最終回は三時間を超えるほど、さまざまな意見を闘わせて、今回、法案を与党側として提出させていただいているわけであります。

 最高裁の判断に示されているとおり、法定相続分を含めて相続制度はどうするのかということは、当然、立法府が合理的な裁量判断をすることができる。これは当然のことであります、立法裁量論であります。その裁量判断に当たっては、我が国の伝統、社会事情、国民感情、家族というものをどう考えるか、そういう意味でいえば、婚姻や親子関係に対して、法律がどう定めているのかとか、国民の意識は今どうあるのかということを総合考慮した上で判断する。

 今回、問題になっているのは、その中の嫡出子と嫡出でない子の間の法定相続分に二分の一という区別をつけるということの可否が問題になった裁判があったわけであります。

 私は、先ほど大臣もお話しになりましたけれども、我が国の伝統的な家族観であるとか、法律婚を尊重する意識、これは当然であります。国民の中にあまねくある。このことは最高裁の判決の中でも触れられている。ただ、生まれたときに父母が法律上の婚姻関係にはなかった、これは子供にとってみれば、もちろん相続が発生するときは子供のときではないかもしれない、大人になってからかもしれない、だけれども、生まれた一時において決まることであります。子供にとっては選択もできない。後で修正することもできない。こういうことをもって、同じ親から生まれた嫡出子との間で相続分を区分して二分の一にするというのは、やはり合理的な区別の範囲を超えているんだと思うんです。

 先ほど、嫡出でない子は数はそんなに多くないという御指摘がありました。判決の中でも、平成二十三年度で約二万三千人で、全出生に占める割合は二・二%だということであります。

 立法府が司法権の独立がある裁判所、最高裁の判断に対して、その当否を必要以上に論難するのは、私は立法府としては謙抑的であるべきだと思っています。ただ、裁判所の立場からすれば、立法府は多数者の意思で決めていきます、国民代表でありますから、選挙で選ばれた国会議員がこの中で国民の多数の意思を形成していく、しかし、裁判所は、少数であったとしても救われるべき人がいるのであれば憲法に照らして救うべきかどうかということを判断する場所なのであります。その一事をもって論難しているとは思わないですけれども、数が少ない、嫡出でない子が二・二%だということをもってして、だからといって救うに値しないというような趣旨ではよろしくないというふうに私は思っております。

 事実の経過も、実は、最高裁の判例、四ページから十ページまで七ページにわたって昭和二十二年からの事実の変遷を延々と述べているんですね。そういうことも自由民主党の法務部会の中ではさまざまに議論されたということも一旦御報告をさせていただきたいと思います。

 ただ、国民の皆さんの中にはさまざまな意見があることは当たり前のことであります。民主主義社会でありますから、いろいろな意見があっていいわけであります。今回の法改正によって法律婚が脅かされるのではないかとか、家族のあり方が将来的にどうなっていくのかということに対して不安があるという声が聞こえてくることも、これもまた事実であります。

 私は、この法改正をもって日本国の、日本国民の家族や家族のきずなを大切にする思い、国柄というのが傷つくことはないと思っています。

 翻って、昭和四十八年、刑法第二百条の尊属殺重罰規定が最高裁で憲法違反だと判断されたとき、当時、この法改正をすることは親をとうとぶ日本の道徳観念が損なわれるのではないかというような意見はありました。あったけれども、その法改正をした結果、私たちはどうでしょうか。親をとうとぶという気持ちを刑法二百条がなくなったことによってなくしたわけではないと私は思っています。

 ということも踏まえて大臣にお聞きしたいのでありますが、ちまた言われている今回の法改正と法律婚を尊重する気風に対して毀損を生じるのではないかという懸念に対して、大臣御自身の御意見を伺えればと思っています。

谷垣国務大臣 私の認識は、民法をつくったのは明治二十何年でしたか、その当時、法律婚を明治の民法は採用しました。しかし、その当時、まだ多くの日本の国民は、なぜ自分が結婚したときに役場に届け出なきゃならないのかとすぐにはなじめなかったと思います。ですから、当時は事実婚をどう扱っていくかというのは大きな問題であったというふうに思っております。しかし、それから百数十年たちまして、法律婚を尊重する考え方というのは幅広く日本国民の間に浸透して現在に至っているというふうに私は認識しております。そのことは、今回の最高裁の決定においても指摘されているところですね。

 それで、将来どうなるのかということになりますと、これは将来の予測で、私、神のごとき権能を持って断定するつもりはございませんが、私は、この法律婚を尊重する日本人の気持ち、広く浸透した気持ち、これはこれからもきちっと受け継がれていくだろう、このように考えております。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 現在の法体系の中で、我が国において、法律婚を尊重するというのは、さまざまな法制度の中でどのような定めがされているのか、法務省から御説明いただきたいと思います。

深山政府参考人 現行法は法律婚主義を採用しておりますので、これから述べるような法制度によって、法律婚の尊重が図られているところです。

 まず第一に、法律上の婚姻関係にある夫婦の一方が不貞行為をした場合には、民法上、不法行為が成立しまして、不貞行為をして法律婚を侵害した配偶者とその相手方は、他方の配偶者に対して損害賠償義務を負うことになります。

 また、法律上の婚姻関係にある夫婦の一方配偶者は、他方配偶者の相続について二分の一の法定相続分が認められておりますが、事実婚の関係にある男女の場合には、その一方に他方の相続権は認められておりません。

 さらに、法律上の父子関係につきましても、法律上の婚姻関係にある妻が懐胎した子は夫の子と推定されますけれども、事実婚の関係にある男女の場合には、父子関係を生じさせるには認知が必要である。

 主な違いはこういった点にあらわれております。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 これはそれぞれ、価値観、人生観、思想、信条に近い部分でありますので、さまざまな意見が交錯するところであるということは十分に理解をした上でありますが、今回速やかな立法に導きたいというのが、与党の一員としての私の考えでございます。

 次に、立法府としていかに対応するべきなのかということで、幾つか、ちょっと法律上の解釈の問題になりますが、質疑を重ねてみたいと思っております。

 今回の最高裁の憲法違反という判断に対して、日本国憲法は、第四十一条において、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」という定めがある。その他方、第八十一条で、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」こう規定しているわけであります。

 我が国の憲法では、事件の存在を前提としないで法令の憲法適合性を抽象的に判断していく憲法裁判所は設置されておりませんから、最高裁の憲法判断も、個別のそれぞれの事件を前提とする付随的審査制となっているわけです。そして、違憲判断をされたときのその効力はどうなるのかということに鑑みては、これは事件を解決するためにその判断が行われますので、当該事件に対して効力があるという意味での個別的効力説になるというのが、判例を含めて一般的な考え方であります。

 先ほどの憲法第四十一条との関係から、最高裁判所が憲法判断をするに当たって、その判断の方法ですね。私は、判断の方法はさまざまにあります、法令違憲、適用違憲がございますので、裁判所はしっかりとした判断をしたと思っておりますが、まずこの法令違憲というようなものが許容されているという理解でよろしいのかどうか、御説明をお願いしたいと思っています。

谷垣国務大臣 今回の最高裁判所の決定は、民法九百条四号ただし書きの規定そのものが憲法十四条第一項に違反する、いわゆる法令違憲であるとした判決ですね。

 それで、法令違憲というのは、法令の規定そのものが憲法に違反する。一方、適用違憲と言われているものは、法令自体が違憲というわけではないんだけれども、この事案に適用する限りにおいて憲法に違反するということですよね。

 それで、先ほどおっしゃったように、今の憲法四十一条のもとでは、いわゆる付随的違憲審査制であるという理解、これが今までされてきて、私もそれが現在通用している考え方だと思います。付随的違憲審査制のもとであっても、具体的な事件の解決に必要であるということを前提とする限り、法令違憲という判断はこの憲法の中であり得るのだということだろうと思います。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 幾つかの御指摘で、先ほど土屋委員からも御指摘がありました。私法の問題は、国権の最高機関である国会がまず考えるべきであって、裁判所の判断は抑制的であるべきだという意見があります。これ自体、私は当たっていると思っております。つまり、私法の領域は、さまざまに複雑な制度が絡み合った上で法制度ができ上がっておりますので、やはりこういうことを総合調整した上で法をつくるのが、私ども立法府がやるべき判断であるというふうに思います。

 ただ、そうはいっても、さまざまに時間的な経過を経た上でであれば、裁判所が踏み込んで判断するということもあり得るものであるというふうに思います。

 まず、違憲判断の考え方として、私法の問題については最高裁が踏み込んで判断するべきでないということについての大臣の御所見をいただきたいと思います。

谷垣国務大臣 国会は立法機関でございますから、今、宮崎さんがおっしゃったように、これは私法であろうと公法であろうと、やはり国会でまずいろいろな利害状況と申しますか、全体の状況をよく議論し調整して決めていくというのが第一義であることは、これは間違いないと思います。

 今問題になっている夫婦関係、あるいは親子関係、男女関係、島倉千代子さんじゃありませんけれども、さまざまですから、人生いろいろですよね。だから、それをよく見て国会が民法なり婚姻法をつくっていく、それが第一義であるというのは当然のことだと思います。

 しかし、今の憲法八十一条、先ほど私、四十一条と言い間違えましたが、八十一条のもとでは、これは、私法、公法を区別することなく、「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」こういうふうに規定されておりまして、これはもう私法、公法の別なく、一切の法律に対する違憲審査権を持っている、こういうことだろうと思います。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 まさに人生いろいろでありまして、人生いろいろ、議員もいろいろ、いろいろな考えがあるわけでございまして、その中で自由闊達な議論をしまして、今回こういう経緯をたどっているという非常に民主的な場がここに展開されているわけでございます。

 今回の最高裁決定、今まで合憲とされていたものが、何の前ぶれもなく突然違憲とされたじゃないかというふうな御批判を受けているやに聞いております。

 確かに、平成七年に最高裁判所大法廷で合憲の決定が出ているということは事実であります。その後、どのような経過をたどって最高裁判所が判断をしていって、今回の平成二十五年九月の違憲決定になったのか、その判断の経過について法務省から御説明いただきたいと思います。

深山政府参考人 今御指摘があったとおり、平成七年七月の大法廷の決定で合憲の決定が出ております。その後、小法廷ですけれども、平成十二年、十五年、十六年、さらに二十一年と合憲の判断が積み重なっております。

 ちなみに、平成七年七月の大法廷の合憲の決定は、全員一致ではありませんで、反対意見が付されておりまして、十対五でありました。その後の小法廷の裁判につきましても、五名ないし四名の裁判官のうち、いずれについても一名ないし二名の裁判官の反対意見が付されていた、こういう状況でございます。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 こういう経緯を経ているということも、我々は理解するべきところではないかというふうに思っているんです。立法府として判断をするべきときが今来ているというふうに理解をしています。最高裁は謙抑的に判断をしてきたのではないかと私は勝手に善解をしておりまして、その三対二、三対一などの中でも、立法府に対して法改正を求める補足の意見が付されているものもあった。

 だから、そういうことも踏まえて、今回の法改正、速やかに行われるべきタイミングが今来ているというふうに思っておりますので、今回の最高の判断を私は尊重してまいりたいというふうに思っております。

 仮に、民法改正を速やかに行わずに違憲状態を放置したということになると、具体的にどういう弊害が生じるのか。また、最高裁の判断は事実上の拘束力がありますので、下級審などで今回の最高裁決定を前提とした判断が既にされているのか、されていないのか。この点についての御説明をお願いいたします。

谷垣国務大臣 最高裁の決定が出ますと、最高裁の判断は、その個別的事件を解決するということももちろんございますけれども、裁判所の判断がまちまちになってはやはり困る、要するに、司法部として解釈を統一していこう、そういう作用も持っているわけでございますので、今委員がおっしゃいましたように、今後、下級審はこの最高裁の判断に従って民法九百条を解釈していくというふうに想定されます。

 御指摘されましたように、下級審において今回の決定を踏まえた判決が既に出ているという現状でございます。そこで、今御指摘のように民法改正がされませんと、条文上この規定はそのままになっているけれども、他方、裁判所の判断は違う方に行くだろうということになります。

 それで、実際どういう紛争が私人間で起こってくるかというのは、これは一概には言えませんが、私の想像するところ、嫡出子だけの相続と非嫡出子も交えての相続、どっちが難しいかといえば、多分非嫡出子がいる方が相続は難しいんだろう、いろいろな問題が生ずるんだと思うんですね。そのときよるべき準則は何かという問題が出てくる。

 私は、やはりそこをはっきりさせておく必要が余分な紛争を起こさないために必要ではないかな、このように考えておりまして、今回の法案提出も、そういう余分な紛争を解決するということを考えなきゃいかぬという気持ちも私の気持ちの中にはございます。

宮崎(政)委員 ありがとうございます。

 今回の最高裁の決定では、嫡出でない子の相続分を嫡出子の二分の一とする本件規定が憲法違反であるという判断が出たわけでありまして、先ほど谷垣大臣からも御説明がありましたとおり、我が国の憲法の判断、裁判所の判断の審査構造としては、付随的審査制でありますので、本件事件において相続が開始された時点での法令の憲法適合性というのが判断の対象となってまいりますので、本件事件において相続が発生した時点、つまり、本件では平成十三年の七月当時においてどうであったかということが判断の対象となるわけであります。

 よって、裁判所の判示の中でも、付随的審査制であるがゆえに平成十三年七月時点における当該法令の憲法適合性が判断されたということになってまいります。

 そうすると、憲法に違反する法令というのは無効でありますので、平成十三年七月以降に開始された相続についても、この二分の一の規定が無効であることが前提としてさまざまな処理がされないといけないのが原則となると言えます。

 しかし、最高裁の決定は、この平成十三年の七月というときからするともう十二年以上経過している、全ての相続案件について、この二分の一規定を適用したものは全部ひっくり返していくということになると、社会に大きな混乱が生じることは避けられないだろう、そういうこともあって最高裁は、平成十三年七月から本決定までの間に開始された相続について、現行法を前提として既にされた遺産の分割の審判などにより確定的になった法律関係には影響を及ぼさないというふうに判示されております。

 ちょっとこの点わかりにくい部分もありますので、少しわかりやすく御説明をいただきたいというのと、こういう判示がこれまで最高裁でされたことがあるのか、御説明いただきたいと思います。

深山政府参考人 この判示は、平成十三年七月以降に相続が開始した事案のうち、既に遺産分割などが終了して解決済みの事案、こういうものにつきまして、最高裁判所による違憲判断の事実上の拘束力が及ぶということになりますと、著しく法的安定性を害することになる、こういった事情に配慮をして、違憲判断の事実上の拘束力を一部制限したものと理解されます。

 このような判断手法というのは、過去に例はございませんで、違憲判断についての新たな判例法理を示したものと認識しております。

宮崎(政)委員 そうしますと、今回の最高裁の判断内容、つまり平成十三年七月から平成二十五年九月四日までの間に開始した相続についても遡及適用をすることとした上で、一部のものについて、確定的なものについてはひっくり返さないということについて、本法律案の経過措置で反映させるということがされておられるのか、おられないのか、また、そういう検討がされたのかについて御説明いただきたいと思います。

深山政府参考人 この最高裁の決定を受けまして、法務省としては、最高裁の決定の趣旨を忠実に反映した経過措置を設けることを内部的に検討いたしました。ただ、このような経過措置の内容としては、改正後の民法の規定を、原則として平成十三年七月から決定があった平成二十五年九月四日までの間に開始した相続についても遡及適用することとしつつ、例外的にその効力を及ぼさない法律関係を限定列挙するというものになるのではないかと考えられます。

 しかし、最高裁の決定におきましても、違憲判断の影響を受けない法律関係の範囲が必ずしも一義的に明らかに示されているとは言いがたいということがございまして、新法の遡及適用の例外となる事項を網羅的に、しかも過不足なく条文上規定するということは極めて困難であるという結論に至りました。

 そこで、この法律案では、平成十三年七月から平成二十五年九月四日までの間に開始した相続についての経過措置を設けないということにしております。

宮崎(政)委員 そうしますと、要は、この法律案でいった場合に、平成二十五年九月四日以前に開始された相続について適用されないということになりますと、いわゆる社会における遺産分割における準則としては、何が準則になっているというふうに考えたらよろしいのでしょうか。

深山政府参考人 ただいま申し上げましたとおり、平成十三年七月から平成二十五年九月四日までに相続が開始した事案につきましては、この法律案による改正後の民法の規定の適用はございません。したがって、今回の最高裁判所の判断を前提とした取り扱いがされることになると考えております。

 したがいまして、既に遺産分割の審判等がされたものについては、その効力が維持され、これから遺産分割の審判等がされるものについては、嫡出子と嫡出でない子の相続分が同等であることを前提とした取り扱いがされることになると思っております。

宮崎(政)委員 この点は、なかなか難しいものであります。法というものが持っている限界みたいなものがありまして、法は全てのことを網羅的に全部について規定し切るということはできないし、それは予定されていないわけでありますので、このような趣旨で今回民法の改正がされるということについて、やはり国民の皆さんに対してもしっかりとしたお知らせ、周知もしていくことが必要になると思いますし、特に法を取り扱うような職業についているような方々にも十分に理解をしていただいて、若干、やはり社会的影響が大きいものですから、混乱が生じないように、行政の立場から手当てをしていただきたいというふうに思っております。

 いずれにしましても、国民の社会生活を安定させるために、そして法の安定を図るために、そして立法府として適切にその立法の意思を国民代表として示していく、三権分立のもとで我々がなすべき仕事を今国会においてしっかりと果たしてまいりたいと思っておりますことをお伝えいたしまして、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

江崎委員長 次に、遠山清彦委員。

遠山委員 公明党の遠山清彦でございます。

 谷垣大臣、きょうはよろしくお願いいたします。

 きょうは、民法の一部改正案が議題でございます。土屋委員の大演説もあり、そして宮崎委員の非常に専門性の高い御質問もありました。私が本日伺おうと思っていた質問も少し重なるところがあるわけでございますが。

 私ども公明党としては、この最高裁の違憲判決が裁判官全員一致で本年九月四日に出てすぐに谷垣法務大臣のところに参りまして、早期の民法改正を申し入れさせていただきました。その意味におきまして、まず、迅速にこの改正案を出された谷垣法務大臣のリーダーシップに率直に感謝を申し上げたいと思っております。

 私ども公明党の中では、法務省が閣法として出すということを決めた後に、私が部会長をさせていただいております公明党の法務部会、そしてまた政調で審査をいたしまして、その結果、賛成するということを決めているわけでございます。

 私どもとしましては、確立された日本の三権分立制度のもとで、日本国憲法によって司法に付与された、先ほども議論がずっとありましたけれども、違憲審査権を行使して、今回の判決は、憲法第十四条一項の法のもとの平等原則に違反するという違憲判決が示された以上、やはりこれは行政府としてその是正措置をとるということが行政府の義務であり、また立法府としても必要な是正措置をとることが、法の支配というものの原則を考えたときにも立法府の義務である、このように考えているわけであります。

 また、先ほど来、宮崎委員からるる御質問がありましたとおり、この違憲状態を放置すると、いたずらに国民の生活に混乱を招くということがあるわけでございまして、まずは、こういう考え方から、迅速な民法の改正というものをすべきだ、私どもはそういう立場に立っているわけでございます。

 恐らく法務大臣も同じ考え方で今回の法改正案を提出されたと推察しておりますけれども、その点について御見解をいただきたいと思います。

谷垣国務大臣 この最高裁決定が出ました後、直ちに公明党の法務部会の皆様が私のところにおいでになりまして御意見をいただいたこと、大変ありがたく思っております。

 それで、今、遠山委員がおっしゃいましたように、最高裁判所が法令違憲の判断をしたときには、内閣としてはできる限り速やかにそれに対応した措置をとることが期待されているし、また内閣としての責務であろうと思っております。

 これがまず第一でございますが、それと同時に、今指摘されましたように、また先ほど宮崎委員にもお答えいたしましたが、以前の尊属殺法令違憲のときは、仮に放置をしたとしても、検察官が尊属殺で起訴をしますと裁判所に行ったら負けてしまう、だから、普通殺で起訴するということをとっていけば大きな混乱は回避できる余地があったわけでございます。

 ところが、今度は私人間で起きてくる。相続を起こすなといったって、亡くなることは防ぐわけにいきません、相続は自然に発生してくるわけでございますから、先ほど宮崎委員にもお答えしたような混乱を避けることも、またこれは行政あるいは立法の立場としてもそうなんだろうと思います。

遠山委員 それで、けさからいろいろありますが、本改正案が成立いたしますと、非嫡出子、いわゆる婚外子の相続分が嫡出子と同等になるわけでございます。

 立法府の義務だから賛成するということだけでは、我が党の立場を主張するのに弱いと思いますので、これから少し質疑を通して、なぜ賛成なのか、理由を明確にしたいと思っております。

 異論を含めてさまざまな意見があることは、私も承知をいたしております。しかし、党内でのいろいろな議論を経て、私自身、頭の中で整理をいたしますと、この規定が民法に盛り込まれた昭和二十二年当時から今日まで、家族形態や価値観の多様化、これが日本の社会で起こってきたということは事実だと思います。

 また、この後質問で伺いますけれども、諸外国の立法状況、これも、昭和二十二年当時は、婚外子の相続権を認めない、あるいは現行法のように少し格差をつけるという国が多かったわけでございますが、その状況も変わってきている。また、日本におきましても、平成六年の住民基本台帳事務処理要領の一部改正におきまして、世帯主の子は、嫡出子であるかないかを区別することなく、一律に子と記載されるようになるということが決まっているわけでございまして、それがもう二十年近く日本で続いてきているという点も考慮しなければならない。

 そして、この後少し議論したいと思いますが、私は何よりも我が党の中で一番大事だと思った考え方は、子供は、児童は出生によっていかなる差別も受けてはならない、この原則が、二十一世紀の今日、ほぼ普遍的な人権規範、原則になっているというふうに私は考えております。

 そこで、事務方にまず伺いますが、婚外子の相続に関する諸外国の法制度並びに関連の深い国際条約、国際規約の中身はどうなっているのか、お答えください。

深山政府参考人 まず、諸外国の法制ですけれども、フィリピン、インドなどごく一部の国では、嫡出子と嫡出でない子の相続分に差異を設ける法制をとっておりますが、現在では、欧米諸国のほか、韓国、中国など、嫡出子と嫡出でない子の相続分を同等とする法制をとっている国が圧倒的に多数を占めていると承知しております。

 また、我が国が締結している条約の規定で、子が出生によって差別を受けてはならないという趣旨の考え方を示したものとして、次のものを二つ挙げることができます。

 一つ目は、市民的及び政治的権利に関する国際規約、いわゆるB規約です。この第二条で、締約国は、その領域内にある「すべての個人に対し、人種、皮膚の色、」云々といろいろありまして、「出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」という規定がございます。

 もう一つは、児童の権利に関する条約、いわゆる児童の権利条約です。この二条でも、「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、」「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、」ずっとありまして、「出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」と規定しているところでございます。

遠山委員 今御答弁ありましたように、日本が児童の権利条約に加入した段階でこの原則を受け入れているわけです。子供は出生によっていかなる差別も受けない。

 そこで、大臣に伺いますが、この考え方が今普遍的な原理原則になっているという私どもの考え方について大臣はどう思われるか、お聞きをしたいと思います。

谷垣国務大臣 私自身は、今度の法改正、先ほど申し上げたように、やや官僚的価値観と言われるかもしれませんが、やはり日本国憲法の三権分立の仕組みの中で、世の中に混乱が起こらないようにその秩序を運営していくというのは、大臣としてもあるいは政治家としても自分の職責だろう、こういうふうに思ってこの法案を出させていただいた、これが私の考え方の第一義でございます。

 しかし、今、遠山委員からお問いかけがありましたように、子供の人権というか、人は生まれによって差別されてはならないというのは、これは日本国憲法の理念でもあり、それから、国際的にも各種の条約において承認をされている世界共通の考え方になってきているというふうに私も考えております。

遠山委員 きょう朝、土屋委員からいろいろお話がありまして、私もずっと拝聴させていただきました。共感する部分もございます。それは、婚外子の出生の経緯、背景にはさまざまな事情があり得るわけでございますし、その子供の親の行為の倫理的評価あるいは社会的評価も、日本の一般的な社会通念に照らして好ましからざる場合もあるだろうと思います。

 しかし、私どもの考え方は、もし仮に問題がある行動の結果、非嫡出子、婚外子が出生したという場合でも、その責めを負うべきは親であって、婚外子本人ではない、婚外子として生まれざるを得なかった子供自身はその責めを負う立場にないという考え方でございます。

 ですから、もし、婚外子の出生により法律婚の関係にある配偶者や嫡出子に精神的負担や経済的不利益を生じさせたとするならば、それらに対処する責任は一に当事者の親にあるわけでありまして、その立場に立つならば、婚外子の相続について、その子が不利益をこうむるようになっていた従来の規定を是正することは、私は妥当だと考えるわけでございますが、法務大臣の所見をいただきたいと思います。

谷垣国務大臣 婚外子が生まれる理由というのは、先ほども申し上げましたけれども、本当にさまざまでございます。私自身も、国会に出る前、弁護士として多少経験したことから見ますと、生まれる理由で、これはひどいなというのもあれば、やむを得ないな、苦しい中でこういう選択しかなかったんだなとか、いろいろな事情がございますから、一概にはこれは申し上げられないと思っております。まさにさまざま。

 しかし、今おっしゃったように、子供に責めを負わせるべきではないという考え方は、私はやはりきちっと踏まえなきゃいけないんだろうと思っております。今度の最高裁判決も、よって来るその思想は、今、遠山委員がおっしゃったことを踏まえているのではないか、このように考えております。

遠山委員 ありがとうございます。

 本改正案への典型的な批判的な論点の一つとして、先ほどもありましたけれども、今回の相続格差是正が日本で定着している法律婚制度を崩壊させるのではないか、こういう論点があるかと思います。

 私も法律婚制度は日本で定着していると思っておりますし、崩壊させてはならないと思っておりますが、ただ、私は、今回の法改正で、この日本の法律婚を重視する制度、文化というものが崩壊しないのではないか、このように思っているわけでございます。

 それはなぜかといいますと、そもそも現行規定、今までの規定も、婚外子が嫡出子の二分の一という格差はつけているものの、相続権自体は認めているわけでございます。ですから、今回は、嫡出子に対して非嫡出子が二分の一だという取り分を平等にするという措置であって、相続権自体は現行法でも認めてきているわけでございます。

 そうしますと、もし仮に誰かが法律婚のみを重視する立場に立てば、そもそも婚外子に相続権を与えていること自体おかしいんじゃないかと言うことも論理的には可能でありますから、そこは、今回の法改正の前と後は、従来と本質的に変わらないわけですね。

 ですから、これは法改正が成立した後の数字を見なきゃわからないわけでございますが、私は個人的に、今回の法改正をした後も、それによって事実婚というものがふえるとか、あるいは、先ほど土屋委員がおっしゃっていた不貞の行為がふえるとかというふうには必ずしも言えないのではないか、こう考えておりますが、法務大臣の見解を求めます。

谷垣国務大臣 先ほど宮崎委員にもお答えしたことでありますが、私は、明治民法制定以来、いろいろ最初は葛藤がありながら法律婚というものが定着してきたことの意義というのは小さくないし、それは簡単に崩れるものではないだろうと思っております。

 昨今では、何か時々、イデオロギーで事実婚、サルトル、ボーボワールじゃありませんけれども、イデオロギーでとる方もないわけではないんだろうと思いますが、将来の予想はなかなか難しいんですが、私は、そうやって築き上げられてきたものがそう簡単にひっくり返るとは思っておりません。

遠山委員 次に、もう一つ、これも既にきょうの議論で出ているわけですが、典型的な批判の論点として、嫡出子と婚外子は、相続をする財産の形成、それから維持への貢献度が異なるという批判があるわけでございます。貢献度が異なるのに取り分が同じなのはおかしい、こういう意見でございます。

 貢献度が異なるということは実際あり得ることでございますので、この主張は私も理解をしております。実際に、九月四日の判決文、私も全部読ませていただきましたが、判決文の一番最後の方で、岡部喜代子判事の補足意見がありまして、この問題に言及をしております。少し引用させていただきます。これは岡部判事の補足意見です。

 「婚姻共同体の構成員が、そこに属さない嫡出でない子の相続分を上記構成員である嫡出子と同等とすることに否定的な感情を抱くことも、理解できる」、こう判事は最初に述べているわけでございます。この理解の上で、しかしながら、その後、こういう主張をしております。「嫡出でない子は、生まれながらにして選択の余地がなく上記のような婚姻共同体の一員となることができない。」「多くの場合は、婚姻共同体に参加したくてもできず、婚姻共同体維持のために努力したくてもできないという地位に生まれながらにして置かれるというのが実態であろう。」と。

 ですから、結論は、やはり私が冒頭から申し上げているように、子供に責任がないんですね、そういう地位で生まれてきたという事実について。ですから、子供に責任がないのに、経済的な格差をつけて不利益をこうむらせるというのは、私は、いろいろな考え方があるから、感情論としてはわかりますよ。しかし、法律論として、論理的に考えれば、今回の措置は正しいと。それはどういうことかというと、子供を出生によって差別しないというのは、やはり普遍的な原則として我々は理解すべきではないかということなんです。

 ただし、先ほど冒頭に申し上げました、子供が相続しようとする財産への貢献度が違う、婚内子と婚外子で違う、これは十分あり得るわけでございます。これについては、大臣も御承知のとおり、生前の遺言で相続分の取り分をあらかじめ決めておくことができる、そこで差をつけておくことができるわけです。それから、仮にそれをしなかった場合でも、寄与分等の制度というもので、司法の場で調整することは可能であるわけでございます。

 そういう意味でいうと、法律の中で、何分の一、何分の一、あるいは、平等、平等と決めるその定めというものは、あくまでも補充的な機能でありまして、貢献度が違うから今回の法改正はだめだという懸念は、実はそこで手当てを既にされているということからも問題がないのではないか、私はこう考えておりますけれども、大臣の御見解を聞きたいと思います。

谷垣国務大臣 相続財産の形成に関する貢献というのも、これもなかなか一概に言えないんだろうと思いますね。

 糟糠の妻が子供と一緒になってお店を一生懸命守り立ててきた、それで、亭主が亡くなったら、どこかから子供が出てきて、私にも相続させろと言われたら、そういうさっきおっしゃったような感情が起こるでしょう。

 しかし、反面、結婚したけれども、どうも夫婦仲がうまくいかなくて、それで離婚しようと思っても、実態上、夫婦関係というか婚姻関係はもうなくなっているのに、なかなか離婚届に判こを押してくれない、そのうちにどこかで家庭を事実上つくって、子供が生まれて、そこで息子も親孝行で一生懸命やっているというようなことも、これは現実にはあって、まさにさまざまなんです。

 しかし、あえて言えば、先ほどの最高裁の判決もそうなんでしょうけれども、嫡出子である方が嫡出子でない方よりも貢献度が多い場合が多いのかなと。これは実証的なものがあるわけじゃありません。ただ、それは、確かに最高裁がおっしゃるように、そういう非嫡出子で、家庭の中に入って一緒に協力をする機会がなかったという場合も多いというのも、これは事実だろうと私は思います。

 だから、この解決は、委員がおっしゃるように、やはり遺言であったり、あるいは寄与分を活用する。法定相続分で全て解決しろといっても無理だと思いますね。

遠山委員 私も、大臣の最後におっしゃった部分、全く同感でございます。これはやはり、私人間のさまざまな関係というのは、正直に言えば、全て法律でしゃくし定規に解決できる類いのものばかりではないわけでございますし、逆に言えば、家族間の話し合いで決められれば、司法に行く前に全て解決することも多いわけでございます。

 ただ、今回の法改正についての考え方、そして、私ども公明党の中の議論を経て賛成になった立場の根幹にある部分というのは、繰り返しで恐縮でございますが、子供が出生や出自、あるいはどういう立場でこの世に生まれてくるかという、自分がまさに生まれてくる前の事情によってある程度環境や地位や立場が決まってしまっている、そこに子供も責任をとらせるような法体系ではいけないということで賛成になっているわけでございまして、その点はぜひ強調させていただきたいと思います。

 大臣、恐縮ですが、最後に、民法と少し関係のない御質問をさせていただきますし、江藤拓農水副大臣もお見えですので、一問お聞きをしなければなりません。

 それは、重要な司法判断が最近下されまして、混乱が生ずるおそれがありますので、法務大臣の見解を伺いたいと思います。

 長崎県の諫早湾の開門調査問題について、今月十二日、三日前に、長崎地方裁判所は、国に開門差しとめを命じる仮処分決定を行いました。三年前の十二月には、福岡高裁が開門を認める判決を出して、これは、菅直人政権が上告を長崎県に相談せずに断念したために、確定してしまいました。今回の司法判断と三年前の確定した判断と、真っ向から相反するものとなっておりまして、地元では既に混乱しております。

 そこで、伺います。

 過去にこのような矛盾した判決が出た例はあるのか。その際の行政府としての対応は、どういう対応をとったのか。また、私個人といたしましては、今回出た司法判断というものは、三年たっております、新たな事情を考慮した上で下されているので、そこだけに着目すればですけれども、新たな司法判断の方が重視されるべきではないかというふうに、これは時差の問題ですね、考えますけれども、これらの点について、いかがでしょうか。

谷垣国務大臣 今月の十二日に長崎地裁で諫早湾の排水門開門差しとめを認める仮処分が出たわけですね。おっしゃったように、平成二十二年十二月に福岡高裁は、確定判決になっておりますが、この排水門をあけろという判決を出して、まさに私、どちらもの被告としては、股裂きと申しますか、平重盛の心境なわけでございます。

 先ほど、最高裁は、判断をまちまちにさせない役割も負っているということでございましたが、これは高裁でとまって確定になっているということもございますね。

 それで、国として、過去にこのような股裂き状態になった、同一事項について相反する意思決定を受けたことがあるかというと、そのような事例は承知しておりません。事務方にも調べさせましたが、そういうことがあるとは聞いておりません。

 そこで、この二つの裁判の関係は非常に難しいわけで、まさに忠ならんと欲すれば孝ならず、こういうことでございますが、今回の仮処分決定があったからといって、福岡高裁の確定判決が消えるわけではありません。それから、前後関係とおっしゃいましたけれども、消えるわけではないのは事実です。

 したがって、まず、この今回の仮処分、これは大変分厚い仮処分なんですが、詳細に検討して、関係機関、きょうは江藤副大臣お見えですが、農水省等ともよく協議をして適切に対応していきたいと考えております。

遠山委員 私も今、大臣の御答弁を伺って、これは歴史上初めての全く相反する司法判断が出たということでございまして、歴史上初ということですし、先ほど大臣もおっしゃっていたように大変難しい状況になっているんだと思いますが、そこで江藤副大臣の御活躍が期待されるわけでございます。

 今、この開門への反対派と賛成派双方が、異なる司法判断を後ろ盾として主張するという形になっているわけでございますが、新聞の社説なんかでは、司法判断がこんなに分かれちゃっていますから、これはもう政治が解決するしかないんじゃないか、こういった社説も出ているわけでございますが、農水省としてどのように対応をされるのか、率直な御答弁をいただければと思います。

江藤副大臣 この委員会に呼んでいただいて、大変名誉に思っております。私は余り縁のないところでございますので。率直にお答えをしたいんですが、きょうはちょっと歯切れが悪いことをお許しいただきたいと思います。

 昨日、午前中には、佐賀県知事以下、関係者の方々、国会議員の先生も大挙して私の部屋にお越しになられて、率直な御意見を伺いました。非常に緊張感を持って、今まで来られたときと比べて、はるかに目に、殺気と言うとちょっと語弊がありますけれども、迫力のある目線が投げかけられました。

 その後、午後には、大臣室に今度は長崎県知事がお越しになられまして、私は担当副大臣ですから同席したわけでありますが、こちらは、今さら民主党さんの政権時の判断についてどうこう言っても仕方ありませんからもう言いませんけれども、こういう判決が出た、これをもって、今時差のお話もされました、この時差に新たな事象が生まれて、こういう判決、司法判断がなされたんだから、こっちの方が優位性はあるんだ、異議申し立てなんかは絶対しないでくれというふうなことの真剣な御意見をいただきました。

 五百九十三ページございます。私も、判決が出る日はずっとじりじりと待っていたんです。これは関係省庁が連携しなきゃなりません。もちろん矢面に立つのは我々でありますけれども、最終的には、総理も含めて、国全体としてこれは責務を負っているわけでありますから、官邸も含めて、関係省庁が連携して検討を今深めている最中でございます。

遠山委員 江藤副大臣、現時点でおっしゃれる精いっぱいの率直な御答弁をいただいて、ありがとうございました。

 法務大臣、これは司法の部分での今後の対応というのもあり得るわけでございますし、また、既に報道されておりますけれども、間接強制というのをされた場合に、国が負った義務を履行しない場合に、履行されるまで罰金を国が公金から払わされる制度があるということでございます。両方、司法判断が出ていますので、開門をしろというのと開門するなというのと両方ありますから、これは、開門すれば、するなと言った方に違反しますから罰金を払う、開門をしないと、開門しろと言った判決に違反しますから罰金を払う。だから、どっちに転んでも、国が罰金を払わざるを得ない状況もあり得るという中でのお話になっているわけでございます。

 これは、時間がありませんので答弁は結構でございますけれども、私は、国と長崎県と佐賀県と、やはりしっかり話し合いをして解決策を見出す方途というものを、司法ではなくて政治の次元でもう一度しっかり考えることも必要だと思っておりますし、そういったことも念頭に置きながら、ぜひ法務省もお知恵を出して、こういう件は全ての人が納得できる解決というのはなかなかないかもしれませんけれども、一番いい方向に行くように御努力をしていただきたいということを申し上げまして、私の質疑を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

江崎委員長 これをもって質疑を終了いたしました。

 次回は、来る十九日火曜日委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十分散会


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