衆議院

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第5号 平成22年3月17日(水曜日)

会議録本文へ
平成二十二年三月十七日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 鈴木 宗男君

   理事 木内 孝胤君 理事 小宮山泰子君

   理事 空本 誠喜君 理事 中野  譲君

   理事 和田 隆志君 理事 平沢 勝栄君

   理事 赤松 正雄君

      小原  舞君    吉良 州司君

      齋藤  勁君    阪口 直人君

      末松 義規君    武正 公一君

      中津川博郷君    西村智奈美君

      萩原  仁君    浜本  宏君

      早川久美子君    松宮  勲君

      横粂 勝仁君    安倍 晋三君

      岩屋  毅君    河井 克行君

      河野 太郎君    高村 正彦君

      笠井  亮君    服部 良一君

    …………………………………

   外務大臣         岡田 克也君

   内閣官房副長官      松野 頼久君

   外務副大臣        武正 公一君

   防衛副大臣        榛葉賀津也君

   内閣府大臣政務官     田村 謙治君

   外務大臣政務官      吉良 州司君

   外務大臣政務官      西村智奈美君

   防衛大臣政務官      楠田 大蔵君

   外務委員会専門員     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月十七日

 辞任         補欠選任

  大山 昌宏君     小原  舞君

同日

 辞任         補欠選任

  小原  舞君     大山 昌宏君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 国際情勢に関する件


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     ――――◇―――――

鈴木委員長 これより会議を開きます。

 国際情勢に関する件について調査を進めます。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩屋毅君。

岩屋委員 おはようございます。

 きょうはまず、岡田大臣、遅刻しないで来ていただいて、まことにありがとうございます。鳩山政権、ちょっとたるんでいると思いますね。しっかりと引き締めていただきたいということを冒頭に申し上げておきたい、こう思います。

 きょうは、一時間の時間をいただいております。岡田大臣とはこれで三度目になります。敬愛し、信頼申し上げている大臣との間ですから、私は余りディテールにこだわるつもりはありません。揚げ足をとるつもりもありません。日本の外交について、安全保障について、本質の話をさせていただきたいと思っております。

 そこで、最初のテーマは密約問題でございます。

 今回、この密約について、岡田大臣が調査を命じられ、また結果を公表されたということについては、私は一定の評価をさせていただきたいと思っております。一定の評価をする最大の理由は、今回の調査が、今後の日本の外交政策あるいは安全保障政策、とりわけ核抑止政策、これを考えるよき材料を提供していただいた、その意味において今回のことはまことに意義のあることであった、こういうふうに私は受けとめておりますが、最初に、改めて今回の調査の目的を大臣から聞かせていただきたいと思います。

岡田国務大臣 私は、野党時代から、この密約をめぐる議論を聞いておりまして、これは非常にまずいなというふうに受けとめておりました。外交に対する国民の理解、信頼、そういうものが私は極めて重要だというふうに思っております。強い外交を推進していくために国民の理解がその土台になければならない、この密約の問題は、そういった土台を揺るがしかねない問題であるというふうに常々感じておりました。

 歴代の総理や外務大臣が密約の存在を否定する、しかし、現実には、そういうものがアメリカの情報公開などであるらしいと国民の多くが思っている、そういう状況というのは早く私は解消しなければならない、こう考えたところであります。

 率直に申し上げて、とはいえ、大臣に就任して、そして国会でそういうものがあるのかないのかと野党に聞かれれば、あるいはその場で、いや、ありませんと答えてしまうかもしれない。一たん答えればもうそれは撤回できないわけですから、また時間が必要になる。そういうことで、就任したその日のうちに調査をするということを明らかにして、しばらく時間の猶予をいただき、徹底的に調査をして、今回明らかにしたということでございます。

 私は、このことが外交に対する理解と信頼、そのことにつながり、そして、もっと言えば、やはり民主主義の基本というのは私は情報をきちんと出すということだと思いますので、もちろん、すぐに出せない情報が外交にはあるということは事実ですけれども、一定の期間が過ぎたものについて明らかにする、国民にうそは言わない。そういう中で、私は、今回の密約の問題というのは非常に効果があった、成果が出せた、こういうふうに思っているところであります。

岩屋委員 私は、二つの成果を調査によって生まなければいけないんだと思います。一つは、今大臣がおっしゃった、国民の皆様の外交全般に対する信頼の回復というのか、強化というのか、この成果を一つ生まないといけない。もう一つは、これは事日本の安全保障の根幹にかかわる問題ですから、しからば、その密約の問題を明らかにした後で、これからの日本の安全保障政策あるいは核抑止政策をどうつくるかということについて、新たな姿を見せるということがもう一つの成果でなくてはならないと思うんです。

 国民の信頼を回復するということは非常に重要だと思いますが、岡田大臣のこの委員会での密約問題についての報告の中で、「この問題によって外交に対する国民の理解と信頼が失われていた」という表現がありますが、私は、日本国民というのは非常に賢明だと思うんですよ。つまり、日本という国は、戦後、唯一の被爆国である、非核三原則という原則を国是として立てている、しかし一方で、米国の核抑止力に依存をしなくてはいけないというジレンマの中で、日本の外交安全保障というのはずっと推移をしてきた。賢明な国民の皆さんは、それは大体理解をしていただいていると思います。

 したがって、やむにやまれぬ苦渋の決断がこの間幾つかあったであろうということについても、大方、類推をし、また了解をしていただいてきたというふうに私は思っているわけでありまして、「外交に対する国民の理解と信頼が失われていた」とまで断定するのは、いささか大臣の個人的な見解がちょっと過ぎているのではないかなという感じもするんですが、いかがでしょうか。

岡田国務大臣 まず、岩屋委員おっしゃった、国民はわかっているというお話でありますが、そういう部分もあると思います。そして、私は、今回の密約調査の一つの目的として、なぜ当時、こういう判断を下さざるを得なかったのかということについて国民の皆さんに考えていただく、そういう材料も提供できたというふうに考えているわけであります。

 私は、この国会の場でもたびたび申し上げておりますけれども、例えば、当時の岸総理が、改定安保条約を結ぶに当たって事前協議制度を入れた、そのことを高く評価しております。しかし、それに、結果的には、朝鮮半島有事ということに関しては、いわば穴をあけざるを得なかったということ。そのことを一方的に批判することは簡単ですが、当時の日米の力の差、そして旧安保というのは全く一方的な、いわばGHQの時代を引きずるような安保、朝鮮戦争については、一九五三年に終わってまだ七年しかたっていなかった、そういったことを全体に考えたときに、果たして私が岸総理の立場であったとして、では、朝鮮半島有事についての例外ということを認めずに事前協議制度を入れることができただろうかというふうに考えると、それはかなり困難だったというふうに私は率直に思います。そういうことについて、国民の皆さんによく理解していただく、そういう材料を提供したことにもなった。

 あるいは、ちょっと長くなってしまいますが、佐藤総理が、その朝鮮半島有事についての密約をみずからの記者会見における言葉で置きかえようとした。つまり、事前協議はあるんだということに置きかえようとした、沖縄返還のときの話でありますが。そういうふうに努力されたというようなことも、この密約の報告書を読むと伝わってくるわけで、そういう意味では非常に意味があった。

 ただし、やはり、委員はどう思われるかわかりませんが、例えば九〇年以降の歴代総理あるいは歴代外務大臣、密約はありません、そういうふうに断言した方が多いわけです。幸いにして国会でそういう機会がなかった方は別にして、聞かれればみんなそう答えた。国民の多くが、アメリカの外交文書の公開などによって、そういうものは多分あっただろうというふうに思っているときに、いや、絶対ありませんということを総理が言う、外務大臣が言う。それが果たして政治に対する信頼につながっただろうか。私は、国民の政治や外交に対する信頼感を損なったというふうに思っております。ですから、そういう事態を早く打ち切らなければいけない。

 委員は、いや、そういったいろいろな苦渋の決断があったと。それはそのとおりですが、その苦渋の決断をした当事者じゃなくて、それから二十年も三十年も、あるいはそれ以上、四十年もたっているそういう状況において、しかも、国際環境が冷戦も終わって変わったときに、ずっと同じことを言い続ける、それが果たして民主主義にとって健全な姿かどうかということについて、もし委員の御異論があれば聞かせていただきたいと思います。

岩屋委員 その問題は、後で触れたいと思っておりました。大臣の指摘については、自民党として、歴代政権はほとんど自民党政権下でしたから、私どもにもちろん責任はあるわけで、自民党として、どう受けとめ、特に九〇年代以降の問題についてどう整理すべきかということを党の中でしっかり協議しようということを私、提案しておりまして、その作業を進めていきたいと思います。

 ただ、なかなか簡単なことではなくて、九〇年代以降、確かに米国の核戦略も変わった、けれども、では、その時点に一体どういうやり方があったのか、どういうやり方をすれば適切だったのかということを考えると、これはなかなか容易に判断がつきかねる、そういう問題だというふうに思っておりまして、しっかり我々も検証して、我々なりの見解をやはりまとめなきゃいかぬ、こう思っておるところでございます。

 だから、今、岡田大臣が直面している問題、もし九〇年代に自民党政権がやっていれば、同じ問題に直面したと思うんですね。そのときにソリューションをきちんとつくれたかということになると、これはなかなかやはり容易ではなかったのではないかなというのが現段階での正直な私の見解でございます。

 もうちょっと聞かせていただきたいんですが、この有識者委員会の報告書の位置づけですね。

 外務大臣は、会見で、密約の有無をめぐる政府としての公式見解を出す考えはないと。調査結果は公表したけれども、これをもって直ちに、外務省の見解というか岡田大臣の見解というか、そのまま鳩山政権の見解ということではないという御判断だと思います。これは見識だと思いますが、この報告書の持つ意味合いというか性格というか位置づけというのは、どういうふうに理解すればよろしいんでしょうか。

岡田国務大臣 今回の密約に関する調査、結果は二つの報告書になってあらわれております。一つは外務省の調査、いま一つは有識者による報告書。

 外務省による調査は、約二カ月かけて外務省にある文書を徹底的に調査して、その結果、出てきた事実というものを書いたものでございます。ですから、一定の推論とかそういうものはございません。資料を見て、その資料から出てくる結果をストレートに書いたというものであります。

 ただし、第三の密約については、そのときに、佐藤信二先生の公表された沖縄返還時の合意文書というのはありませんでしたので、それについては触れておりません。

 そして、私は、そういう事実関係を明らかにするだけではやはり国民にわかりにくいだろう、それからもう一つは、第三者によって、きちっとやはりそれをどういうふうに読み込むか、解釈するかということをお示ししていただいた方がいいということで、有識者委員会を立ち上げて、そこで、その外務省の調べた結果をもとにして、それにヒアリングなども行って、有識者委員会の報告書ができたということであります。これは有識者による報告書でありますので、外務省そのものの見解とは必ずしも一致する必要はないというものであります。

 よく記者の皆さんから、密約はあったのかないのか、マルかペケか、そういうふうに言われるわけですが、ゲーム番組のように簡単に出てくるものではなくて、そこはやはり一つの事実というものをどう解釈するか、そういう余地の残る問題ですから、そう簡単には言えないということであります。

 とはいえ、有識者の結果というのははっきりしておりまして、広義の密約があったが二つ、それから密約そのもの、狭義の密約が一つ、そしてそういうものはなかったというのが一つであります。

 大体、有識者の意見というものは、もちろん外務省の事実関係の資料に沿って出していただきましたので、私としてそれに大きな異論があるわけではありませんが、若干、これからさらに議論が出るだろうなと思うのが、第三の密約であります。沖縄返還時の再持ち込み密約、これについて有識者委員会は、これは密約に当たらないという結論を出しております。理由は二つ。

 一つは、それは表に出ている共同声明と余り変わらないと。ここは、我々はあの共同声明で、少なくとも私は核の再密約を示唆したというふうには思っておりませんので、当時の外務省もそういうことはないというふうに答弁していますが、どう見ても私は示唆したとは思えませんので、共同声明とあの結んだ約束、合意議事録が余り意味は変わらないというのは、ここはかなり議論があるだろうな、率直に言ってそう思っております。

 もう一つは、佐藤首相とニクソン大統領がいわば個人的に交わしたもので、その後、拘束していない、こういう根拠であります。これについても、そうはいっても、お二人が役職についている間はやはり拘束力はあったんじゃないか、政府はもちろん知らなかったわけですけれども、だからといって、トップが交わした約束というのはやはり拘束力はあったのではないか、そういう見方も当然あるわけでありまして、ここの第三の密約の評価については、私は、いろいろな議論が、これから専門家の間でどんどん発展して議論していただければいい、外務省はそれにあらかじめたがをはめるようなことはしない方がいい、そういうふうに思っているところでございます。

岩屋委員 今までの大臣の御答弁を聞いておりましても、私は、ある意味、ちょっと安心しているんですね。非常に冷静にこの問題を受けとめていただいておると思います。

 やはり、これは歴代政権が何党であったかという次元の問題ではなくて、戦後日本の外交、安全保障、どういう判断があり、苦渋の決断も含めて決断があり、今日までやってきたかということを現外務大臣がどう受けとめ、評価しているかということでありまして、これはもう外務大臣としての資質にかかわる問題だと思っております。私は、そこは信頼をしております。

 そういう意味で、ちょっと気になるのは、今回の報告書は、暗黙の合意はすなわち広義の密約である、こういう、いってみれば新概念、新定義を持ち出しているわけでありまして、暗黙の合意が広義の密約であるというのは、この報告書によって初めて示された概念だと思います。

 密約があった、密約を結んでおったのがけしからぬ、こういう話ばかりがひとり歩きをして、問題の本質を国民の皆さんあるいは我々政治家がしっかり見詰めることができなくなってしまってはいかぬ、そんなつまらない議論をしておってはいかぬ、こう思うわけでありますが、この新しい定義、これをまた全く正しいとして定着させることにも問題があるのではないかな。報告書というのは、これからの我々の議論の貴重な材料にはなると思います。ただ、この新しい定義がひとり歩きするということについてはいかがなものかなと私は思っているんですが、いかがでしょうか。

岡田国務大臣 ここは、もともと密約に対する定義がきちんとあったわけではなくて、それぞれのこの問題を論ずる方が自分の定義で議論していた。それをきちんと、狭義の密約、そして広義の密約というふうに定義づけたというのは、私は、これから議論を整理する上で非常に重要だというふうに思っております。

 そして、暗黙の合意という概念、ここの解釈、いろいろあると思いますが、この問題、特に議論になるのは第一の密約であります。

 第一の密約は、最初からお互い、核持ち込みということの中に一時的な寄港や領海通過は含まれないというアメリカの考え方を日本も了解して、そしてそういうことで最初から約束があったという見方が一方であります。いや、そこまでの証拠はない、いや、むしろそれに反するような資料も出てきた、だからそれはそこまでは言えない、そこで終わってしまったのでは、やはり議論が深まったことにならないのであって、最初はそうだったかもしれないけれども、しかし、その後の大平・ライシャワー会談、あるいは東郷北米局長のメモ、そういうものを見ると、どこかで日本は気がついて、気がついたけれども、お互い、これは詰めるとまずい、ですから詰めずにおこうということで、明確な文書での合意はしていないけれども、しかし、お互い詰めない、そういう合意は暗黙のうちにあった、こういうことであります。

 私は、第一の密約の全体状況を明らかにする上で、こういう概念というものがなければ、議論はかなり混乱したと思いますし、そういう概念を入れたことが決して悪いことだというふうには考えておりません。

岩屋委員 もう一つ、この報告書の中の記述で気になるところが私はありました。報告書文中には、「明白な嘘をつき続けた」という記述であるとか、「嘘をふくむ不正直な説明」などの表現がございます。

 ただ、事は一国の安全保障にかかわる問題なのでございます。マックス・ウェーバーの言を引くまでもなく、政治というのはやはり心情倫理で責任を問われるべき世界ではない。特に、安全保障というのは責任倫理ですね。結果がどうであったかということにおいてのみ歴史の審判を受けるという領域だと思います。

 そういう意味でいうと、歴代政権、この戦後の厳しい状況の中で安保という枠組みを結び、そして一度ももちろん戦争に加担することもなく、戦禍を受けることもなく、一発の銃弾も海外で発することもなく、今日まで平和を保ってきた。歴代政権は、そういう意味では責任倫理は立派に果たしている、むしろ誇りに思っていいことですらあるというふうに私は思っております。

 したがって、有識者が書いた文章としては、かかる表現はいかにも浅薄だなというふうに私は思います。まさか政務三役の関与がここにあったとは当然思っておりませんけれども、ここは、今回のこの報告書を材料に、さらに深い本質的な議論を我々していかなくちゃいけない、これは指摘だけしておきたいと思います。

 では、大臣、ちょっと感想を。

岡田国務大臣 この「明白な嘘をつき続けた」、それから「嘘をふくむ不正直な説明」、これは外務省にとっても大変厳しい御指摘でございます。別に時の総理や外務大臣だけではなくて、外務省全体がそのことを真摯に受けとめなくてはならない。私は、いや、厳しい表現だなというふうに思いましたけれども、もちろん、有識者の皆さんが議論した結果として記述されたことで、有識者の皆さんのその報告書に注文をつけることは一切しておりませんので、これはこれとして真摯に受けとめなければいけないと思っております。

 「明白な嘘をつき続けた」というのは、これはマッカーサー・藤山口頭了解のところで出てくる話であります。口頭了解はある、しかし、口頭了解以上のものはないというふうに言い続けたわけであります。現実には討議の記録というものが存在した、にもかかわらず、そういうものはないと言い続けた。果たしてそれは、例えばアメリカで情報公開されて、そういうものの存在が明らかになった後も、言い続けなければいけないことだったのかどうかというと、私は、やはりそこは反省をしなければいけないのではないかというふうに思います。

 それから、もう一つは、「嘘をふくむ不正直な説明」、これは先ほどの話ですが、日米間で解釈が違う、持ち込みについては、一時的寄港や領海上の通過は含まないんだというアメリカの解釈を日本は明確に、ある時点から知りながら、そのことは、例えば北米局長のメモではっきりしているわけですね。そして、北米局長は、そのことを、アメリカと日本の解釈が明らかに違うということを歴代総理や外務大臣にきちんと説明しているわけです。

 にもかかわらず、そういう解釈の違いには触れずに、いや、日本政府として、一時的寄港は持ち込みに含まれます、そして、アメリカが事前協議をしてこない以上、核は入っておりませんと。アメリカが事前協議をしてこない以上というところで、アメリカの解釈が違うということをわかりながらそういうふうに言い続けた。これはやはり、私は、国民に対して極めて不正直な、そういう答弁だったと思うわけであります。やはりそういうことについて謙虚に反省が必要ではないかというふうに思っているところでございます。

岩屋委員 報告書の記述が厳し過ぎるのではないかと思いながらもそれを受けとめたい、こういう大臣の御発言は了解したいと思います。

 ただ、何度も申し上げますが、やはり事は国の安全保障の根幹にかかわる問題ですから、極論すればですよ、極論すれば、うそをつかなければ国をきちんと守ることができないと判断した場合は、うそをつくべきなんです、極論すれば。そのぐらいのシビアな責任倫理を負っている領域だという認識は、我々、お互いに持っておく必要があるのではないかなと思います。

 そこで、本題に入っていくんですが、だから、岡田大臣はパンドラの箱をあけたわけですね。パンドラというのは、ゼウスから箱を授けられて、あけたらいかぬのをあけて世の中にすべての邪悪があふれ出してしまった、慌ててふたを閉めたら希望だけが残った、こういう話ですね。

 何も、今回の調査で世の中に邪悪がばらまかれたとは私は言いません。例えが適切でなかったかもしれませんが、しかし、戦後の我が国の安全保障、特に核抑止に関しては、報告書に言う暗黙の合意が担保してきたということも私は言えると思うんですね。今回の調査によって、その担保をある意味じゃ外しちゃったわけですから、箱をあけて世界は変わったわけですから、箱をあけました、中を見てください、さあ閉めました、今までと何も変わりませんというわけにはいかなくなったというふうに認識しなきゃいかぬと思うんです。

 では、自民党時代は何でそれをやらなかったのか。箱をあけたら世界を変えなきゃいかぬと思っていたから、なかなか判断がつかなかったということだと思うんですね。

 だから、そのことを外務大臣がしっかりと認識していただいて、今回のことを今後の建設的な前向きな議論に生かしていかなきゃいかぬというふうに思います。特に、核抑止の政策について、暗黙でない、明示された形の何かの取り決めができて、国民にきちんと説明できるということじゃないと、調査をやった意味がないということになるんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。

岡田国務大臣 これは先ほどの最初の議論に戻るわけですが、やはり私は、余りにも明らかなうそといいますか、少なくとも、アメリカの情報公開などで明らかになっているにもかかわらず、歴代の総理や外務大臣がそういうことはありませんと言い続ける、そういう状況を終わらせることが、国民の政治に対する信頼というものをしっかりと取り戻すことになるというふうに思っております。

 委員おっしゃるようなリスクは当然あります。私もそのことはわかっております。しかし、どこかでこれは決断してやらなければいけない。それは役所にやらせるのは無理です。ですから、政治家が決断して、こういうことをしなければいけない、そういうふうに思っております。

 さまざまな厳しい御意見がこの密約を明らかにしたことによって出てくるし、論争も出てくるし、それは甘んじて受けなきゃいけないし、そして論争は大いにやっていきたいというふうに考えているところであります。

岩屋委員 大いに甘んじて論争を、大臣、受けてください。我々も真摯にその論争に臨んでいきたいというふうに思うし、国民の皆さんも賢明ですし、問題の本質がどこにあるかということを理解していただいた後は、妥当な政府の結論が出てくれば、理解をし、受け入れてくれるというふうに私は思っております。

 外相から、大臣からたびたび指摘されています、九〇年代以降の歴代政権の対応はやはりちょっとおかしかったんじゃないの、あそこでもうちょっと調べて、きちんと説明できるものは説明した方がいいんじゃないのという指摘がありました。我々も、今それを受けとめて、さっき申し上げたように、では、あのとき何ができたのかな、どうすべきだったのかなということを自民党の中でしっかり検証します。

 大臣はどう思いますか。あのとき、そういうことが可能だったと思われますか。どういう方法によれば、過去の密約の問題を明らかにし、新方針を国民に理解してもらうということができたと思いますか。なかなか私は思いつかないんですけれども。

岡田国務大臣 九一年に、アメリカの核政策が変わり、それを反映してNPRも出たという段階で、しかも、その前提は、東西冷戦が終わったということであります。その前提で私は決断できたというふうに思います。今と基本的に状況は変わっていないというふうに考えております。

岩屋委員 では、それまで形骸化してきた事前協議は、そうなった場合にどうしたらよかったのか。そういう日米間の取り決めが変わるということによって、近隣国の安全保障あるいは極東の安全保障の環境にどういう影響を与えるのかとか、あるいは方針の変更なりを国民の皆さんがどう受けとめてくれたであろうかとかですね。

 九〇年代というのは、確かに冷戦は終わったんですけれども、我が国周辺の安全保障環境というのはそんなに改善していないんですね。ソ連邦が解体をして、ソ連の脅威というのは確かに減じましたけれども、一方で、どんどん中国は軍拡を進めてくる、南北朝鮮の問題はある、台湾海峡の問題はある、北朝鮮はやがて九〇年代、NPTを脱退して核の開発に向かっていく、そういう状況の中で、本当にそういうことがなし得たかなということになると、これもやはりよく検証してみないといけないな、私どもの課題としてもそう思っているところでございます。

 ちょっと議論の前提を、材料をそろえるために、防衛省に幾つか基本的な問題を聞きますので、端的に答えてもらいたいと思います。

 一個ずついきましょうか。

 アメリカの核戦略が変更された後、撤去されたのは戦術核のみであって、戦略核はいまだに米国の航空機並びに艦船に配備されていると私は認識しておりますが、それでよろしいですか。

榛葉副大臣 委員にお答えいたします。

 アメリカは、一九九一年に、配備されていたすべての地上発射の戦術核兵器と、海軍艦艇及び航空機に搭載されたすべての戦術核、これを撤去したというふうに理解しております。

岩屋委員 だから、戦略核というものは配備されているわけですね。

榛葉副大臣 さようでございます。

岩屋委員 次に、これまでの岡田大臣の説明なんですが、戦略核搭載の機種は特定できる、特に攻撃型潜水艦は常時、米国周辺に配備されているのであって、したがって、それらが我が国近傍に出てくることはない、こういう説明をされておられますが、これは事実ですか。

岡田国務大臣 委員のおっしゃった攻撃型潜水艦、私、そういう表現をかつて使ったかどうか記憶にないんですが、攻撃型潜水艦というのは戦術核を積んだ潜水艦のことであって、私が申し上げたのは、戦略核を積んだ潜水艦の話を申し上げたわけであります。

 そして、そこで申し上げましたように、戦略核を積んだ潜水艦というのは、別に実際に紛争地域の近くにある必要はない、むしろ、近くにあればそれだけリスクは高まりますから、基本的に、米大陸本土に置かれた大陸間弾道弾と同じ扱いですから、日本にそれがわざわざやってくるということは想定していないわけでございます。

榛葉副大臣 先般の当委員会で、大臣がこのようにお答えをしております。「戦略核を積んだ潜水艦というのは機種で特定できますし、そもそも日本の近海には基本的にはいない、これはアメリカの周りにいる」というお答えでございます。

 一般的にはこのように認識をされていると私も承知をしておりますが、他方、どのような潜水艦がどこにいるというのは、アメリカの抑止の話でもあり、米軍の運用に関する事実関係でございますので、私の方からこのことについて明確に言及することは差し控えたいと思います。

岩屋委員 だから、オハイオ級というものなんですね。十四隻あって、一隻に二十四発、SLBMを積んでいる。ただ、これについて触れられたことは、それはそれでちょっと不適切だったのではないかなと私も感じていました。

 今、副大臣が答弁されたように、やはり潜水艦の運用というのは軍事機密の中でも秘中の秘でありますから、同盟国の戦略核を積んだ潜水艦が常時どの辺にいるだろうからというような説明をするというのは、やはり外務大臣としては適切ではなかったのではないかということを指摘しておきたいと思います。

岡田国務大臣 オハイオ級潜水艦、その中には核を積んでいないものもあります。しかし、どのオハイオ級潜水艦が核を積んでいるかということは、既にそれは明らかになっていることでございます。したがって、それが日本に寄港するということになれば当然わかる。そういうことは私はないというふうに思いますが、もし何らかの理由でそういうことがあったとしたら、事前にわかるということでございます。

 私の発言についていろいろ御心配いただいておりますが、もちろん、この密約の問題を議論するに当たって米国側とは意見交換をしておりまして、御心配には及ばないと申し上げておきたいと思います。

岩屋委員 心配なきように、くれぐれもお願いしたいと思います。

 防衛省にもうちょっと聞きます。

 撤去された戦術核、現在、どのような状況に置かれておりますか。そして、それは再配備しようと思えば可能な状況にありますか。

榛葉副大臣 委員指摘の撤去された戦術核兵器でございますが、既に撤去されたものと貯蔵されているものがあるというふうに承知をしております。貯蔵されている戦術核兵器の中には、再配備可能な状態で貯蔵されているものもあるということでございます。

岩屋委員 続けて聞きますが、仮に、我が国の近傍国から核を搭載したミサイルが不幸にして我が国に向けて発射された場合に、着弾までの時間はおおよそどのくらいだと見積もっておられますか。

榛葉副大臣 委員御承知のとおり、周辺国にある核弾道ミサイルが、その性能について明確に確たることを言いませんし、飛翔軌道といいますか、飛び方によっても時間が大体変わるわけでございますが、その上で、あえて一般論として申し上げますと、射程千キロ級の弾道ミサイルについては発射から着弾まで約十分程度、また一万キロ程度の弾道ミサイルにつきましては発射から着弾まで約三十分程度の時間がかかるというふうに一般的には言われています。

岩屋委員 これらの防衛省の説明で、大臣、私が持っている問題意識というのは、確かに、米国本土にあるICBM、戦略核、それから潜水艦に積んでいる戦略核、それから一部爆撃機に今なお積まれている戦略核、今、アメリカの核抑止というのは大体この三本柱ですよね。戦術核はできるだけ撤去しよう、冷戦も終わった、大は小を兼ねるじゃないけれども、ちっちゃいものはどんどん外していこう、こういうことですね。

 ただ、我が国は近傍に核保有国を抱えているわけでありまして、今も説明があったように、最悪の場合は十分以内に着弾するような近いところに核の保有国があるという状況の中で、通常、戦略核が米国周辺にあるから日本の核抑止は大丈夫なんだということを言い切れるのか。しかも、戦略核というのはまさに最終兵器ですね。国家そのものを破壊しかねない兵器ですね。したがって、もちろん最大の抑止力ではあるけれども、むしろ使うに使えない兵器という意味ではかえって抑止力がないかもしれない。

 本当に我が国が核の脅威に現実の問題としてさらされたときに、今の体制のままで本当に大丈夫と言い切れるのか、こういう問題意識があるんですが、いかがでしょうか。

岡田国務大臣 いろいろな議論が成り立ち得るということは、そのとおりだと思います。私は、基本的に、戦略核の抑止力というものが最終的に担保されているということ、そのことが核抑止という意味で役割を果たしているというふうに考えております。

 委員のおっしゃることは、恐らく、緊急時にそういう形で急遽、戦術核を潜水艦に積んで日本近海に配備するということが起こり得るのではないか、こういうお話だと思いますが、しかし、今アメリカは、九一年の政策以来、もちろん再配備ができる体制は残しつつ、しかし、今もとっていない、そういう宣言をしているわけであります。その政策が変わるということであれば、それは議論も必要になるかもしれませんが、今、変わる、そういうことは承知しておりませんし、我々も米国側とさまざま意見交換をしておりますが、そういった今取り除いている戦術核を再配備するということはないんだろうというふうに私は思っております。

岩屋委員 そこが大臣、私は問題だと思うんですよ。大臣は、米国の戦略というものに依拠して日本の核抑止の政策を決めるという言いぶりに終始しているわけですね。問題意識は持っておられると思うんですよ。箱をあけた後、暗黙が支えていた核抑止というものが揺らいだ、新しい方針をつくらなきゃいかぬ、この問題意識は大臣は持っていながら、そこになると思考停止になるわけですね。

 今もおっしゃったように、アメリカの核戦略というのは環境に応じてどんどん変わると思いますよ。オバマ政権は核軍縮をやっていますけれども、御案内のとおり、新型の巡航ミサイルの開発というものを議会に諮っている。やはり運搬手段の近代化というか、あるいは弾頭の近代化ということを含めて多分計画を持っているんだと思います。

 大臣は、アメリカの核戦略が変更されているから、近い将来変わる可能性もなさそうだから、幸いにして核の持ち込みはあり得ないという説明をされているわけですね、この密約調査の後も。日本の安全保障というのは、幸いという偶然に依拠しておっていいんでしょうか。不幸にして事が起こったときに備え得る構えをとっているというのが安全保障であり、危機管理なのではないでしょうか。だから、大臣が直面している問題に真正面から何とか答えを出そうと努力していただかないといけないんじゃないでしょうか。いかがでしょうか。

岡田国務大臣 もちろん、最悪に備えるということが非常に重要であることは、そのとおりであります。ただ、この議論をするときに、狭く論理だけを突き詰めていくと、誤った議論になりがちだ。東西冷戦、非常に対立が深まったときの核戦略の議論などを見ておりますと、例えば相互確証破壊、論理的にはそういう帰結というのはあり得るかとも思いますが、やはり人間ということに立ち戻れば、私は正気の議論だとは思えないわけであります。しかし、そういうことをアメリカとロシアのそのときの時代の最高の頭脳と言われた人たちが論理構築する中でつくっていったということであります。やはりそこは、人間ということに立ち返って議論を検証していかないと、とんでもないことになってしまうという一つの例だと思います。

 私は、十二月にクリントン長官とゲーツ長官に手紙を出しました。その中で、従来、日本政府がトマホークについて、これがなくなるということが日本の核抑止力を弱めるというふうに言ってきたとは思わないし、もしそういうふうに受けとめられたとしたら、それは私の考え方とは異なるというふうに申し上げたところであります。

 トマホーク、つまり戦術核によるそういう抑止というものがなくなると困るというふうに私は言うべきでない。やはり将来、核なき世界を目指していく中で、もちろん現実と理想とのバランスをどうとっていくかの問題ですが、私は、戦略核による抑止というものが確保できればそれで対応できる、基本的にはそういうふうに考えているところであります。

岩屋委員 トマホークをやめていくというときに日本政府が懸念を表明したのではないかというのは、私もちょっと調べてみたいと思うんですが、ただ、そういう問題意識は、必ずしも否定されるべきものではないんではないかなと私自身は思っています。大臣はそうではないというふうに今おっしゃいましたけれども、やはりピンポイントで敵の策源地などを的確にたたく能力を持っているか持っていないかというのは、この日本の核抑止に限らず、抑止力の重要な部分を構成していたんではないかなというふうに思うだけに、これは細かい議論になりますので、またやらせていただきたいと思います。

 要は、密約調査をやりました、その後で、非核三原則はこれまでどおりです、アメリカから核が持ち込まれる心配は戦略が変わったのでありませんということだけを大臣は言い続けているわけですよ。

 では、事前協議というのは、これからどうするんですか。もうその心配がないから考えなくていい、こういうことですか。

岡田国務大臣 非核三原則と事前協議の関係で問題になるというのは、いわゆる持ち込みの場合であります。ですから、持ち込みというのは、一時的寄港、領海通過、そして据えつけという本来狭い意味での持ち込みということがあると思いますが、この狭い意味での持ち込みというのは、我々としては、基本的に非核三原則があるというふうに申し上げているわけであります。もちろん、一時的寄港や領海通過についても、これは非核三原則の対象にするというふうに申し上げているわけです。

 それを危うくするような状況、例えばアメリカの核戦略が変わるというようなことになれば、それはお互い矛盾があらわになるわけですから、そのときにはしっかりと議論が必要になるというふうに思います。そして、そういう将来のことについても、私は、国会の中でいろいろな議論をしていただくということは非常に大事なことだというふうに思います。

 鳩山政権としては、非核三原則は堅持する、これは方針であります。それを変えるつもりはありません。しかし、将来の可能性というものを、私は、現実にその可能性は非常に少ないというふうに見ておりますけれども、しかし、そういうことに備えてさまざまな議論があるというのは結構なことだし、政党レベルでもそういうことについて突っ込んだ議論をしていただきたいというふうに思っております。

岩屋委員 そうですね。だから、議論の門戸は、大臣、ぜひあけておいていただきたいというふうに思うんです。

 日米の核持ち込み、イントロダクションに関する認識の相違が明らかになった、明らかになったけれどもそれは放置しておきます、なぜならば、もうアメリカの核が近づいてくる心配がないからという説明になっているわけですけれども、やはり本当に緊急対応、有事の際にはどうやって日本の核抑止力を確保するかという観点に立つと、そのときの場合はどうするかということについても、政府として一定の方針を持っておられるべきだと思うんですよ。

 論理的に言うと、一つは、もう認識の相違を埋めてしまう。放置するんじゃなくて、埋めてしまう。しかし、そうなると、イントロダクションの意味が変わるわけですから、これはなかなか容易なことではないと思います。

 それから、もう一つは、今後とも、ある意味のあいまい戦略を続けていく、新暗黙の合意と言ってもいいのかもしれませんが、しばらくはそれを続けていく。でも、これは本来、この調査をやった後の結論としてはふさわしくないと思うんですね。

 もう一つは、今大臣も触れられたように、あるいは亀井静香大臣もおっしゃっていたのかな、いよいよ緊急のときは日米で早急に話し合う、核抑止についての体制をつくる話し合いをするということをあらかじめ取り決めておく、これだけでも一つの前進だと思うんですけれども、その辺についてどう思われますか。

岡田国務大臣 まず、今後あいまい戦略を続けていく、そういうことではありません。はっきりしているわけです、日本の考え方、アメリカの考え方。しかし、そこに食い違いがある。食い違いがあるということも含めてはっきりしたということで、そこにあいまいさは残されておりません。

 問題は、委員御指摘の、では、緊急事態ということが発生したときにどうするかということであります。

 我々は、非核三原則を守るというふうに申し上げております。非核三原則というのは、それは国民を守るために非核三原則ということを我々は主張しているわけでございます。

 余り仮定の議論をすべきでないと思いますが、緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております。

岩屋委員 きょうは、そこまでの話が聞けてよかったなというふうに思います。やはり、そのときの政権として、万やむを得なき場合には、非核三原則の一部にその例外が生じることがあってもやむを得ない、これは当然、そういう判断に立ってしかるべきだと私は思うんですよ。

 がらっと話はかわりますけれども、大臣、日本は唯一の被爆国ですね。だから、核に対する国民の特別な感情があります。それはもう当然のことだと思います。

 だけれども、これも仮にという話をしても仕方がないのかもしれませんけれども、例えば日本が被爆せずして敗戦をしておったら、日本の核抑止というのはどういう姿になったのかなと私は想像してみたりすることがあります。ドイツを初めヨーロッパ諸国は、もちろんつくらず、持たずですけれども、実際にアメリカの核を持ち込んで、据えつけて、核の抑止体制をつくってきたわけですね。私は、もし日本が被爆国でなければ、そういう選択も、もしかしたらあり得たのかもしれないなと。

 しかし、唯一の被爆国であり、なおかつ抑止力を必要とするという中で、歴代の政権が苦しんで、暗黙の合意あるいは広義の密約という形で、何とか核の抑止力を担保してきたという姿だったと思うので、そういうことも含めて国民の皆さんに明らかになって、万やむを得ない場合は緊急の措置をとるという説明をされた場合は、国民の皆さんは十分御理解をいただける余地があるのではないかな、私はこう思っているところでございます。

 やはり、唯一の被爆国であるということは、核軍縮・不拡散に努力をすることは当然ですけれども、二度と我が国に核を使用させないという決意を持つことも大事だと思うわけでありまして、今回の密約の調査を機に、ぜひ前向きで建設的な議論をやっていきたいと思います。

 大臣の見解を聞かせてください。

岡田国務大臣 今、世界の大きな流れがどちらに行っているかというと、核なき世界ということを目指して、しかし、それは一挙にはできませんので、具体的に現実的な手段を講じていく。

 それは、アメリカとロシアの間で行われている戦略核に対する軍縮交渉もそうであります、間もなく合意に至ることを期待しておりますけれども。あるいは、私が盛んに言っております、核の目的というものを限定していく、これは実はオバマ大統領も言っているわけであります。その具体的中身、消極的安全保障とかあるいは唯一目的とか、いろいろな概念があります。それをどこまで、どういうタイミングでやるかということの議論はありますが、しかし、流れとしてそういう方向にあることは間違いないということであります。

 今、委員言われた欧州も、戦術核を欧州から撤去するという声を幾つかの国が上げて、まさしく議論しているところであります。流れとして、核の抑止というものを限定していこう、そういう流れがあるということも十分に踏まえた上で、日本の考え方をしっかりとまとめていく必要があると思います。

 委員言われましたが、私は、緊急時に非核三原則の例外をつくるべきだということを言っているわけではありません。しかし、本当にぎりぎりの局面になれば、我々は非核三原則を守る、堅持する、その方針を変えませんが、しかし、最終的には、それは国を、国民の命をどう守るかという話でありますから、そのときの政権がぎりぎりの判断をどうするか、大事なことは、きちっと国民に説明する、そういうことだと私は思っております。

岩屋委員 とにかく、大臣の今回の調査によって非常にいい材料を提供していただいたと思うので、決して議論を封印することなく、建設的、前向きな議論をこれからも続けていきたいと思います。

 残った時間で、最後に、普天間の問題を聞きたいんですよ。

 私は、十二月にワシントンに一人で行ってきたんですね。アメリカの政府関係者とかシンクタンクとか、回りました。そのとき、既に鳩山政権のハンドリングについては非常に懐疑的な見方が支配的だったと思いますけれども、幸いだったことは、岡田大臣に対する評価は非常に高かった。岡田さんという人が外務大臣をやってくれている、努力してくれているということは、行ったところ全部で評価してくれていました。私は、よかったなと思いました。やはり、日本の外務大臣が信頼されているというのは非常に大事なことだと思いました。今どうなっているか知りませんよ、その時点ではそういうことでした。

 私は、彼なら信頼できる人だし、しっかりやってくれるだろうということを言いました。何も、野党だからといって、与党の悪口を言いに行ったわけではないので、我々も協力できるところは協力するということを言ってきましたが、ちょっとその後、岡田大臣の姿が見えないですね。これは、日米関係は幅広いけれども、最後はやはり岡田大臣のもとでハンドリングしてもらわなきゃいかぬと私は思うんですよ。これは岡田克也が決めるべきなんですよ。

 そういう意味で、私は、もうちょっとリーダーシップを発揮してもらいたい。平野官房長官が責任者ということですが、そんな、朝から晩まで山ほど用事を抱えている官房長官で仕切れますか。2プラス2に出ていく、しかも外交の責任者は岡田さんですよ。これは、岡田さんがリーダーシップをとって、沖縄へ行って頭を下げて、土下座してでも決めるべきなんですよ。

 そういう意味で、私は、もうちょっと大臣にリーダーシップをとっていただきたい。今の政府内の調整、与党内の調整で、大臣の姿が余り見えないことを非常に残念に思っております。頑張ってもらいたいんですけれども、いかがでしょうか。

岡田国務大臣 これは、今の時点では、とにかく案を絞り込まなきゃいけないということで、絞り込む際に、もちろん沖縄初め国内で理解される、同時にアメリカがそれで合意するということで、両面あるわけですけれども、まずは国内調整ということで、官房長官をそのまとめ役ということに決め、行っているところであります。

 ですから、余りそれぞれがそれぞれの意見を言うと、またいろいろなふうに御批判もいただきます。官房長官のもとに完全に一本にして、議論をしていただいているところでございます。

 そういう仕組みを考えたのも、これは総理も私も入って、そういう形でやろうということも決めておりますし、五月末というのも鳩山内閣としての約束ですから、それに間に合うようにしっかりとやっていきたいと思います。

 日米で交渉するという局面になれば、これは当然、外務大臣あるいは外務省が中心になって、もちろん防衛省の御協力などもいただきながら、アメリカと厳しい交渉をしていくということになります。

岩屋委員 私は、もう細かいことは言いません。本当に、この問題を越年させたというのはやはり失策だったんじゃないかなと私は思うんですね。去年の国会で、岡田大臣も防衛大臣も、もう大方、県外、国外と言っても難しい、年内に決めなきゃいかぬと言っていたときに決断してほしかった。

 ぜひ、岡田大臣、本当に中心的な役割を果たしていただいて、これは約束どおり決着させてください。そのことを申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

鈴木委員長 次に、平沢勝栄君。

平沢委員 自民党の平沢勝栄でございます。

 岩屋委員に続きまして質問させていただきたいと思います。

 最初に、今、岩屋委員がアメリカの日本政府に対する反応についてコメントされておられましたけれども、私も先日、ワシントンに行きまして、アメリカの国会議員、政府関係者等とお会いしまして、受けた印象は、鳩山政権に対してアメリカ政府は相当な不安というか不満を持っているな、対して、岡田大臣に対しては大きな期待をしておられるなという感じを受けたわけでございまして、外交については、これは与野党ございませんので、大臣にはこういう契機を踏まえてしっかりやってもらいたいなと思います。

 そこで、今後のスケジュールを確認させていただきたいんですけれども、普天間の移設につきましては、三月中に政府案が固まる、その後、アメリカあるいは地元と話し合いをして、最終的に五月の末までに決着をつける、こういうことでよろしいんでしょうか。

岡田国務大臣 五月末までに決着、政府として案を、何といいますか、決着をつけるということは、そのとおりであります。三月中に政府の案をつくるというのは、これは私は、そういう話をメディアで報じたところもありますが、そういう話を総理から聞いているわけではございません。

 もちろん、なるべく早く進めていかないといけないということは事実であります。五月末という全体の締め切りがありますので、逆算していけば、そう時間はないというふうには思っております。

平沢委員 この前、アメリカに行きましたときも、国務次官補キャンベル氏は、数週間の間に進展が見られるだろう、それを我々は期待していると。ということは、恐らく三月末までに、大体、時間的に五月末という最後があるわけですから、三月中には、報道にも出ていますけれども、何らかの政府案を取りまとめるということを言っていたんじゃないかなと思います。

 ということは、三月中に必ずしも政府案が固まるということではない、こういうことでよろしいんでしょうか。

岡田国務大臣 先ほど申し上げましたように、三月いっぱいで案を取りまとめる、そういう話を私は総理や官房長官から聞いておりません。

平沢委員 いずれにしましても、最後が大事なので、五月末までということは、これは動かせないわけで、それまでに急がなければならないわけでございますけれども、昨日の報道では、国務次官補キャンベル氏が、本来、アジア歴訪の過程で日本に最後に寄るというスケジュールだったのが、急遽中止になったということですけれども、これについては、外務省はアメリカ側からどういう連絡を受けているんでしょうか。

武正副大臣 平沢委員にお答えいたします。

 キャンベル国務次官補の来日ということが、事前から御連絡をいただいておりました。それが、諸事情により来日は難しいという御連絡をいただいているところでございます。

 ただ、当初から非常にタイトなスケジュールというんでしょうか、非常に短時間の来日ということを聞いておりましたので、そうした事情が発生したんだなというふうに拝察したところであります。

平沢委員 これは外交的には、直前にこういう形でキャンセルして、その事由ですね。タイの政情不安でタイに行かないわけですから、スケジュール的には十分、日程的には時間的な余裕ができた。だから、行く事由がなくなったのか、あるいは本国に急に用事ができたのか、そういったことはいろいろ考えられるんですけれども、急にこういう形で言ってくるというのは、日本も事務当局がそれなりの準備をしていたわけで、ある意味では、急に言ってくるというのは、外交的には、異例なんですか、失礼なんですか、それとも通常のことなんですか。

岡田国務大臣 急に予定が変わるというのは、決して望ましいことではありません。しかし、相手方、アメリカ側にはそれなりの事情があったということでありますから、それは理解しなければいけないというふうに思います。

 私の経験で言いますと、外務大臣で日本に来るということが決まっていて直前に来られなくなったというのは最近二、三件ありまして、一体どうなっているのかなというふうに思いましたが、今回の場合は次官補でありますので、日本で言うと局長。ですから、私は、日本のメディアがそのことをとらえて、何か重大な意図があるんじゃないかとか、そういうふうにいろいろ騒ぐこと自身が非常に違和感を覚えるわけでありまして、お互い局長同士の意見交換、それが少し先送りになったというだけでありまして、アメリカの国務次官補の言動一つを新聞やテレビが大きく報道するというのは、ちょっと、私の感覚からいうと理解しがたいことであります。

平沢委員 通常ではそうなんでしょうけれども、ただ、今、普天間の移設先が、もちろんキャンベル氏も普天間だけやっているわけじゃないですけれども、普天間の移設先がなかなかうまくいかない中でこういったことが起こると、あらぬいろいろな憶測を呼びがちでございまして、事実、昨日の報道でも、何か、話し合っても意味がないからじゃないかというようなこともいろいろ書かれていますし、それから別な報道では、近く行われるワシントンでの核サミットに総理が行かれる、そのときに、本来なら首脳会談が行われていいにもかかわらず、なかなか話す内容もないので表敬訪問になるんじゃないかというような記事も出ています。

 そういったことをいろいろ勘案しますと、何か日米関係、普天間の問題なんかがあって、ぎくしゃくしているんじゃないかなという印象を受けてしまうんですけれども、その心配は一切ございませんか。

岡田国務大臣 その心配は必要ないというふうに思います。

 核サミットについて、まだ日本政府としてだれが出るかということを最終的に決めているわけではございません。ただ、核サミットには各国の首脳がかなり集まることも予想されますので、そういう中で日米がどうなるかというのは、これは日本側の出席者が正式に決まったところで協議すればいいことだと思いますが、本来の会議は核サミットなので、そこで直接会う時間がなかった、あるいは少なかったからといって、それで騒ぎ立てるというのも、これまたいかがなものか。

 要するに、各メディアあるいはそのメディアにしゃべる人たち、私は、その感覚というのはちょっと私の感覚と違うなというふうに思っております。そこまで何か物事を深刻にとらえる感覚というのは、もうそろそろ脱却した方がいいんじゃないのかな、普通に考えればいいんじゃないのかなというふうに思っております。

平沢委員 ただ、アメリカと日本との関係というのは、これは大変に緊密な同盟関係で結ばれているわけで、そういう中で、向こうの立場で考えると、何か本当に大丈夫かなと思われるようなことがいろいろあったわけで、そこは大臣には、日米関係のきずなをさらに強固にするために、ぜひ御尽力をお願いしたいと思います。

 そこで、普天間の移設先についてお聞きしたいんですけれども、三月十二日の記者会見で、大臣は質問に答えてこういった答弁をされておられます。「我々は五月末までに普天間代替地を見つけるということを主張した訳ですから、「合意に戻すという話になるはずがない。新しい所を探す。もちろんゼロベースで」というのが私とルース駐日大使の間のやり取りであります。」こういうふうに言われておるわけです。

 ということは、この答弁を見ますと、こういうことでよろしいんでしょうかね、要するに、普天間のこれからの移設先については、どこも決まらなかったら普天間の継続使用ということは選択肢として最悪のパターンとしてあり得る、それから二〇〇六年に決めた日米政府の合意案、辺野古沿岸部の沖合案、この二つは大臣のコメントからして絶対にないということでよろしいんでしょうか。

岡田国務大臣 ちょっと今、議事録を読ませていただいておりますが、これが正しい議事録かどうかというのは確認しないといけませんが、私が申し上げていることは、要するに、ゼロベースでやっているということですから、もとの、現状のままというのは、それはそこを何とかしようということで議論をスタートしたので、現状のままに戻るという議論はしたくない。しかし、日米合意ということも含めてゼロベースで議論しているわけですから、これを除く、そういう明確な前提で議論しているわけではない。あくまでもゼロベースであるということであります。

平沢委員 ということは、記者会見のコメントとはちょっと違って、要するに、ゼロベースですから、もちろん最悪の場合に普天間の継続使用ということもあり得る、あるいは日米政府の合意案、二〇〇六年のに戻るケースもあり得る。これもゼロベースですから選択肢として排除はされていない。要するに、あらゆる可能性、オプションがまだ残っている、こういうことでよろしいんでしょうか。

岡田国務大臣 今、政府の中で具体的にどういうことを議論しているかということは別であります。ただ、議論の前提としてゼロベース。

 では、今のままということがあり得るのかということですが、ここは少し注意深く発言をしたいと思いますけれども、我々としては、現状のこの普天間の危険な状況を除去したいということが議論のスタートですから、今のこの普天間を使い続けるということは、そのまま残るというのは、やはりそれは答えではないのではないか。少なくともそういう事態に陥らないように努力しなきゃいけないということだと思っております。

平沢委員 普天間の継続使用というのはできるだけ避ける、こういうことだろうと思います。

 そこで、今、もちろん報道が、メディアが勝手にやっているということなんでしょうけれども、いろいろな案が飛び交っています。キャンプ・シュワブの陸上案だとか、ホワイトビーチだとか、きのうはまた一部メディアに徳之島というのが大きく報道されていまして、現地の人たちは大変にいわば困惑しているというか、一部怒っている人たちもおられるのですけれども、これはやはり、政府が早く決めないからこういった形でいろいろな案が飛び交っていまして、それがまたその対象となった地域の人たちに大きないわば混乱を起こしているんですけれども、この現状についてはどう思われますか。

武正副大臣 私もメンバーということで、沖縄基地問題検討委員会、第八回ということで先週月曜日も開催をいたしました。そのときに、委員の案ということで、阿部さん、また下地さんということでの案ということも提示をされているわけであります。

 あくまでも特定の移設先ということについてのコメントは控えるということでありますけれども、先ほども大臣が答弁しましたように、ゼロベースで幅広く検討をして、官房長官のもと、委員長のもと、五月末までに政府として結論を得るべく邁進をしてまいりたいと思っております。

平沢委員 副大臣の答弁を聞いていますと、何か本当に、優秀な答弁でありますけれども、中身が全然ないんですね。できればぜひもうちょっと中身のある答弁をしていただきたいなと。そこで……(発言する者あり)いや、それは優秀な答弁ですよ。

 それで、最後にお聞きしたいんですけれども、徳之島に行きまして、きのうあたり大きく報道されていますけれども、徳之島に着いて、私、徳之島というのは三つの町があるんです、その三人の町長さんと、先月行きましてお会いしたんです。

 その町長さんが言われるには、最初にこの話を持ち込んできたのは徳之島出身の民間人だ。その民間人が、これは徳之島の振興、発展のためにちょっとお話があるというようなことで持ち込んできた。そして、徳之島はかつて自衛隊の誘致をやったことがある。ですから、最初は町長は、自衛隊の誘致かなと思って話をしていたら、そのうち、どうも話が違うなと。そのうち、この話は米軍の普天間に関連しているのかと言ったら、普天間に関連しているということになって、それから今度、名前は言いませんけれども民主党の国会議員の方が出てこられて、最初は民間人が持ってきた、その後、今度は民主党の国会議員の方が来られた、そして、ことしの一月二十五日にはぜひ平野官房長官に会ってくれというような話になって、それから徳之島は大騒ぎになりまして、これはとんでもないということで、私が徳之島で聞いた話では、そもそも話を持ってくるプロセスが全然違う、これは民間人の持ってくる話じゃない、島を何かもてあそんでいるんじゃないか、島が生活的に厳しいから、今やっと立ち直ってきたのに、厳しいからこういった話を持っていけばすぐ乗るんじゃないかとか、いろいろなことを言っていましたよ。

 いずれにしましても、ちょっとやり方がおかしいんじゃないか。もし本当に普天間の基地の話を持ってきたいならば、正々堂々と普通のパイプ、ルートでオフィシャルに持ってきたらどうか。島出身の民間人を使ってやってくる、初めはその意図を明らかにしないで話を持ってくる、こういうやり方はおかしいんじゃないか。それで今、島は二分する大騒ぎになった。かつて政争で、あの徳之島は大きく割れていたわけです。その徳之島がまたこの新しい問題で大きないわば政争に巻き込まれてしまう、これをぜひとも避けたいということで、島を挙げて反対しているということなんですけれども、こういったやり方についてはどう思われますか。

武正副大臣 今、御指摘をいただいたところでありますが、基本は、ことし、日米安保条約改定五十年ということでありますので、この日米同盟の深化を協議し、三十年、五十年、この日米同盟が継続する……(平沢委員「いや、そうじゃなくて、徳之島についてどう思われるか、このやり方について」と呼ぶ)ということを踏まえますと、とにかく国民の皆さんの信頼というものが、やはりこの日米同盟の深化の何と言っても基盤であるというふうに認識しております。

平沢委員 ちょっと大臣、聞かせてください。だから、私はよくわからないんですよ。副大臣じゃなくて大臣、どう思われますか。

岡田国務大臣 今、官房長官のもとで検討しているところでありますので、具体的なことについてのコメントは控えたいと思います。

平沢委員 いや、そうじゃなくて、民間人を使って、結局、こういう米軍の普天間の基地の移転という国家的な問題を、民間人を使って、最初は米軍というようなことをはっきり言わないで持ち込んでいる、そういうやり方については、しかも、それは後から、民主党の国会議員、名前は言いませんけれども、その方が来られて、そしていろいろ、ああだこうだ、官房長官に会ってくれというような話を持ち込んでくる、このやり方についてどう思われるかと。

 だから、移転先が徳之島に決まったわけでも何でもないですから、それはそれでいいんです。ただ、やり方について、そのプロセスについてどう思われるか。

岡田国務大臣 私は、事実関係について承知しておりませんので、コメントできません。

平沢委員 ちょっと、この問題は、いずれにしましても、また詳しくやらせていただきますので、これはちょっと深刻な問題なので、また時間をとってしっかりやりたいと思います。

 終わります。

鈴木委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 おはようございます。公明党の赤松正雄でございます。

 政権が交代して、外交は岡田外務大臣が担当ということで、新しい局面になったわけですけれども、きょう朝も、いわゆる密約の問題、そういうテーマ、あるいはまた今もお話があった沖縄の普天間の問題、いろいろな意味で日本外交をめぐる事態というのは新しい局面を迎えたんだろうと思います。

 私、きょうは冒頭に、防衛並びに内閣府の大臣政務官にも来ていただいておりますので、お忙しいでしょうから、そっちの問題から先に取り組みたいと思います。

 湾岸戦争以降、およそ二十年にわたって、日本の国際平和協力活動というものが、カンボジアのPKOを経て今日まで、東ティモール、あるいはまた、きっかけは大地震ということであったにせよ、ハイチにおけるPKO活動、そういう一連のこの二十年における国際平和協力活動、その中のうちのいわゆるPKO活動、こういうものが大きな展開を見せてきているということであります。

 PKO活動については、ハイチで少し数が、自衛隊の皆さんの参加しておられます数が多いということがあって、一見数はふえているように見えますが、ハイチのPKOまでの段階では、国際平和協力活動、その中でもPKO活動については、取り組むミッションが非常に少ないというか、そういうテーマがあったと思うんですね。それに対して大臣も、こういう事態ではならない、もう少し取り組めるものはないのかというふうな意味合いの発言をなさっていたと思いますけれども、まず冒頭、そういうPKO活動の現状についてどういうふうに認識しておられるか、お尋ねしたいと思います。

岡田国務大臣 PKO活動、これは私が初当選のときに、PKO法というのを大議論の結果つくったわけであります。当時は自衛隊を海外に出すこと自身が非常に大きな出来事で、これに対してどういう縛りをかけるかということをさまざま議論したことを思い出します。そして、その直後に行われたカンボジアにおけるPKO活動、これは非常に私は大きな成功だったというふうに思います。

 そういう華々しいスタートを切ったにもかかわらず、その後の実績というのは、東ティモールを除くと非常に限られたものであったというふうに思いますし、現に今、海外にどれだけPKO活動ということで日本人が出ているかというと、非常に少ないわけであります。

 現行法でももっと出せる、そういうふうにかねがね思ってまいりました。ハイチは非常にいい機会でありましたので、三百五十名出すということを決めたわけでありますが、ほかにもそういう可能性があるだろうというふうに思っておりまして、日本が世界に貢献する具体的な姿、PKO活動をより活発にするための可能性について、現行法のもとでさらにできるのではないか、さらなる検討を行っているところでございます。

赤松(正)委員 今、現行法のもとでもできることがある、さまざまな検討を行っているところだというお話がございましたが、これは、岡田さんになられてから半年ぐらいですけれども、もう随分前から、前政権からの引き継ぎという部分を合わせれば相当前からいろいろ検討はされてきているわけですね。

 現行法の中で取り組める場所、現在展開されているミッション、これから何か全く今展開されていないミッションでどこかへ行くというわけにはいきませんから、今展開されているミッションの中で現行法で行けるところはありますか。

岡田国務大臣 いろいろな検討をしておりますけれども、ただ、やはりこういうものはきちんと決まった段階で明らかにすべきだ。途中のプロセスを言いますと、それに対するいろいろな反応も出てまいります、期待感も出てくるかもしれませんし、めどがついた段階で明らかにする。まだそういう意味でのめどがつくという状況のものはございませんので、今ここで明らかにするということはできない状況でございます。

赤松(正)委員 どこか明らかにできない、それはそれ以上こだわりません。

 要するに、PKO法をつくったとき、我が党、私の先輩なんかが大変に尽力をして、当事者間の合意、同意、中立、そして携帯武器は必要最小限、さらに、紛争に巻き込まれればいわゆる雨宿りをする、回避する、避ける、こういういわゆるPKO法五原則というものをビルトインさせてということでスタートして今日まで来ているわけですが、こういう五原則に見合うというところ、現行法ということになるとそうなりますから、そういうことで行くのはなかなか限定されてくるなという意見が一方であります。

 私どもも、よく公明党並びにその周辺の学者の皆さんといろいろな意味で意見を交換すると、武器の使用というものと武力の行使、この二つの間にはなかなか線が引けない、武器の使用ということからやがては武力の行使へ発展していく、こういうテーマがあるためにやはり非常に面倒な議論に必ず陥って、この五原則というものがあるがゆえになかなか参画する部分が難しいという話があります。

 そういう点で、私どもも、そのあたり、武器の使用が武力の行使につながるということについて余りにこだわり過ぎると、これはあらぬ方向に行ってしまって、本来の目的としての国際平和協力、こういった部分から離れてしまう可能性が高いということも認識しております。

 そういう点で、今申し上げた五原則についての検討をもちろんしておられると思うんですけれども、そのあたりについての議論の一端を聞かせていただければと思います。

岡田国務大臣 ぜひ、そういった問題についても、国会の中でも議論していただきたいというふうに思います。

 今、具体的に政府の中で、武器使用の問題を初め五原則について、見直しの議論をしているわけではございません。そして、連立の中にもいろいろな御意見も当然あるというふうに思います。私は、外務省の中で少し議論する必要があるというふうには思っておりますが、まだ政府としてこういうことを議論していると正式に申し上げる段階にはないということを申し上げておきたいと思います。

 一方で、もともと、やはり海外における武力行使ということにつながるのではないかということで武器使用の問題が議論されたわけであります。法律をつくるときに、武器の使用と武力行使はどう違うんだというようなことで覚書があったり、いろいろな経緯がございました。そういう中で多少広げてきたということですが、私は、やはりきちんと考え方を整理する必要があるというふうに思います。

 よく、いや、今のままではPKO活動、制約があり過ぎてうまく活動ができない、それはそのとおりであります。必要だから変えればいい、そういう立場は私は立ちません。必要だから、憲法の原則に触れる可能性があることについてそれを自由に変えていく論理というのは、私はとるべきでないというふうに思います。憲法の原則とこういうことで矛盾しないんだとしっかり説明できる、そういう論理構築もあわせてやっていかないといけない問題だというふうに思っております。

赤松(正)委員 今、あらゆる部分で、冒頭に申し上げましたように、いいも悪いもという言い方は適切じゃないかもしれませんが、新しい段階になって、岡田さんが、さまざまな問題、いっぱいあるので優先順位をつけなきゃいけないというようなこともおっしゃっておりますけれども、そういう中でこの問題は結構優先順位が高い問題で、ぜひとも岡田さんの時代に、今、論理をきちっとした上でこの問題に対してどう対応するのかを決めるべきだとおっしゃった、そのとおりだと思うんですね。そういう意味で、ぜひともしっかりとした議論をして、それを構築していただきたい。

 国会の中でも、今こうやっているのがまさに国会の中での議論でございまして、それ以外であるというわけではないと思うんです。そういう点で、お互いにしっかりと取り組んでいきたい、そんなふうに思います。

 改めて確認ということになりますけれども、民主党の中に幾つかの考え方がありますけれども、一つの代表的な考え方で、小沢幹事長が、これは本人がそういうふうにおっしゃっているかどうかは別にして、イメージとしてあるのは、国連が決めたことであるならばある意味で地の果てまで行ってもいいということとか、国連の決議のもとでならばすべてが許される、こういうふうな言い方でとらえられているという側面があると思うんですけれども、このあたりについてはどう思うかという点が一つ。

 それから、先ほど申し上げた武器の使用ということについて、国際基準に合わせて、今は少しきつ過ぎる、少し緩和をしていい、こういう考え方について、さっきおっしゃったのを蒸し返すような角度になりますけれども、そういう緩和の余地があるということ。

 この二つについてどのように考えられるか、大臣のお考えを聞かせていただきたいと思います。

岡田国務大臣 最初の問題は、私の意見というのは幹事長の意見と必ずしも同じではありません。このことは委員もよく御存じだと思いますが、かつて委員も同じ党におられて、新進党時代にも盛んに議論されたわけであります。私の意見はそのときから変わっておりません。

 国連決議があれば憲法九条の国権の発動ということに当たらない、したがって憲法九条の問題ではない、言葉をかえれば、武力行使も含めてそれは可能であるという一つの考え方で、学者の中にもそういう議論というのは有力な議論としてあるというふうに思います。私は、国権の発動と言えないというふうに割り切ってしまう考え方には立っておりませんので、やはり憲法九条の枠の中で考えていくべき問題というふうに思っております。

 ただ、憲法九条というものが、戦前の日本がみずからの判断によって海外で武力行使した、そういうことの繰り返しを防ぐために置かれた規定だと考えれば、そういう淵源に立てば、自分の判断や少数国の判断ではなくて、国連という大きな組織の中で決めたことについては、同じ武器の使用ということについても少し程度に差があっていいんじゃないか、そういうふうに私自身は思っているところでありますが、これは別に外務省や政府がそういう見解に立っているということではありません、これから議論をしていくべき課題だというふうに思っております。

 それから、二番目の話はもう先ほどお答えしたつもりでございますが、特につけ加えることはございません。

赤松(正)委員 大臣が先ほど二つの答弁で答えられた方針に基づいて、御自分の考えをしっかり前へ出されて、外務省の中の議論を取りまとめていっていただきたい、そんなふうに思います。

 次に、今のことと関連をして、私ども、この二十年間のいわゆる広い意味における国際平和協力活動というものを、二つの側面、一つは、記念碑的というのも変な言い方ですけれども、二十年間の一つのシンボルとしての仮称PKOセンター、国際平和協力センター、そういう記念碑的な側面と、もう一つは、アジアにおける国際平和協力活動、PKO活動を含めるところのさまざまな活動についてのアジアの見本といいますか、私は残念ながら実際には行ったことはないんですけれども、カナダのピアソン・センター的なるものを日本にぜひつくろうじゃないかということを積極的に発言し、時の政府と打ち合わせをしながら進めてまいりました。

 ところが、御承知のように、民主党の皆さん、今の政権の皆さんの事業仕分けの流れの中でこれがついえました。もう時間もないので一々聞きませんけれども、要するに、建物、箱物を重視していく考え方ではなくて、中身については大いに賛同するんだけれども、箱としての仮称国際平和協力センター、いわゆるPKOセンターというものは必要ない、こういう結論に達せられたということですが、防衛省、そういうことでよろしいんでしょうか。

楠田大臣政務官 お答えをさせていただきます。

 我が省といたしましては、御存じのように、国際平和協力業務が平成十九年一月に本来任務化をされたこともあり、また、防衛計画の大綱でも教育訓練体制を整備していくという方針がありましたものですから、こうしたPKOセンターをつくるという方向で話を進めておりました。

 しかし、昨今の財政状況等も含めまして、事業仕分けの中で、教育の大切さ、人材育成の大切さ等については全く否定するものではないけれども、建物をつくらない形でという指摘もありましたものですから、我々としましては、今年度末に統幕学校のもとに国際平和協力センターを新編して、連携を図りながら、より効率性の高い教育を行うということで話を今進めているところであります。

赤松(正)委員 今、政務官がおっしゃったことは、要するに、統幕学校の中にいわゆるPKOに従事する自衛隊の皆さんの訓練を意味するものをつくる。これって、もともと発想した私なんかの発想とは違うんですね。

 つまり、先ほども言いましたように、日本が世界に向けて取り組んできたというか発信してきた、いわゆる湾岸戦争以降の日本が、憲法九条というものを持っている日本がどのように国際社会の中に貢献できるかということで、ある意味で苦心惨たん、さっきも外務大臣が少しその片りんを述べられましたけれども、いろいろ苦労してやってきたこのPKO活動というものの歴史的経緯、それを世界に向けてむしろ積極的に、東アジアの一員としての日本がこういう格好で取り組んできましたよということを世界に向けて示す、そういうメモリアル的な側面。それから、自衛隊がいろいろな困難の中でPKO活動に取り組んできた、そういう実務的な側面。そして、ある意味ではアジアの方が進んでいる部分もあるわけですけれども、アジアの進んでいるところ、おくれていること、日本が指し示すことができるようなことも含めて、いろいろと研修する場面もつくる。こういう意味合いのものをつくろうと言った。

 ちょっと認識ギャップがあって、我々はそういうことをやろうと言って、その中身はいいんだけれども、建物が、確かに防衛研修所の中に、具体的な数字は申し上げませんけれども、たくさんのお金をかけてつくるというのは少しお金をかけ過ぎかなということは、進めてきた当の私も思いますよ。しかし、ここで大事なことは、一たん立ちどまって、この仮称PKOセンターなるもの、私たちが考えているものをもう一遍しっかりと、中身もぜひ政府全体として検討していただきたいということを今申し上げたいわけです。

 外務大臣に答弁していただく前に、つまり二つあって、一つは純然たるPKO活動と、それから、恐らく岡田外務大臣なんかは余り首肯できない部分であろう、イラクのサマワにおける自衛隊の活動とか、あるいはインド洋における給油活動、これも自衛隊がやってきたこと、幅広い意味で私たちはそれは国際平和協力活動の一環だと思っておりますけれども、こういうものも一緒にして、記念碑的側面を持たせて世界に発信する、こういう意味も持たせる。二つの側面を一緒にするということと、幾つかの面があるんですけれども、政府としてこの問題に真正面から取り組む意思ありやなしやを聞きたいと思います。

岡田国務大臣 今、二つの話が政府としてはあるということで、防衛政務官がお話しになったのは、幹部自衛官に対する国際平和協力活動に関する教育訓練、教育課程、調査研究に従事する、そういうものであります。そしてもう一つは、先ほど委員も言及をされましたが、平和構築人材育成事業、今、広島でお願いしておりますが、この話。これは違う話だというふうに我々としては考えている、つまり、文民ができる問題と自衛隊が行う話というのは違うというふうに考えているわけであります。

 ただ、ここの平和構築人材育成事業というのは、単にPKO活動に関するものだけではありません。平和構築というのは、より広い概念で平和がつくられ、平和が維持され、つまり、PKO活動ということのその先ということも含めて、総合的に考えていかなきゃいけない。その後は、例えば援助政策、あるいは国家として必要な最低限の、例えば法律とかいろいろな統治の機構とか、そういうものをいかにつくっていくかとか、そして最終的にはひとり立ちできる、そういう平和構築というものをより大きな概念でとらえて、そして日本として特定の案件に対してどういうふうに行っていくか。

 カンボジアなどは、結果的にはそういった形で、現在も含めて、一連のPKOから始まって、カンボジアの国家をつくるということについても、相当日本政府として関与しながらやってきた一つの例だと思いますけれども、そういうぶつ切りに、縦割りにするんじゃなくて、PKO活動の後も含めて、どういうふうに持っていくか、そういう考え方の中で平和構築人材育成事業というものを位置づけているところでございます。

 もちろん、まだまだ内容的には充実させなければいけないところはあるというふうに考えておりますが、ぜひこれを大きく育てたいというふうに思っているところでございます。

赤松(正)委員 今ちょっと外務大臣にしては珍しく、私の言ったことと取り違えておられるというか、それは外務省が考えている平和構築のための人材育成の仕組みですね。私も昔から、公明党はその平和構築の人材育成ということに一生懸命取り組んできました。それとまた別なんですよ。それはそれとして、外務省はどんどん進めていっていただきたいと思います。

 一方で、さっき言ったカナダのピアソン・センター的なる、日本が国際平和協力というものについていかように取り組んできたのかということを世界なかんずくアジアの人々に向けて発信する、そういう言ってみれば記念碑的な側面を持たせたものが必要だろう、そういう意味合いを込めた国際平和協力センター、PKOセンターだったわけです。だから、ちょっと違うんですね。

 ぜひ私が今ここで言いたいのは、そういう前政権の考えたものを全部否定するのではなくて、今お考えのこと、そして防衛省が考えていること、縦割りでそれぞれではなくて、一緒に合体させて、トータルな意味で、日本国として世界に発信するそういう国際平和協力についての記念碑的な、センター的なるもの、こういうものをつくるべきだ、こういうことなんですよ。それについてのコメントをぜひいただきたい。

岡田国務大臣 私は、旧政権時代に考えられたものを全部否定するつもりはありません。いいものはどんどんやっていきたいと思います。

 ただ、委員今言われたことで、なかなか難しいなと思う点があります。それはやはり、イラク戦争へのかかわり、インド洋への自衛隊の派遣、そういったものに対する認識、評価というものが多分違うんだろうというふうに思います。もちろん、イラク戦争に対して、日本のかかわりというものをどう評価するかというのは、別に我々の政権として何かまとまったものを出しているわけではありません。しかし、やはりそういうものは、ある程度時間を置いた上で、どこかでもう一回総括していかなければいけない問題だというふうに私は思っておりまして、何かそれを実績として称賛するような、そういう意味が込められたものだとすると、それは簡単ではないというふうに思います。

赤松(正)委員 決してそういう意味で言ったわけではなくて、ちょっと時間がなかったので整理し切れませんでしたけれども、つまり、私どもの考えを、防衛省だけに任せるということになるとどうしてもそういう方向に行っちゃいますよということを言いたかったわけで、政府全体がしっかりとした全体観に立ってこういうものを考えていかないといけないということを言った、その部分に限っては岡田外務大臣の考えと全く同じです。

 ぜひとも、政府を挙げて、国際平和協力、PKO活動そのもの、そしてその周辺のもの、この辺をどうとらえるかということも含めて検討していただきたいということを申し上げさせていただきまして、終わります。

鈴木委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 前々回の質疑に続いて、日米核密約問題に関連して質問いたします。

 まず、外務省に確認しますが、二〇〇〇年から二〇〇九年までの十年間に、米原子力潜水艦は合計何回日本に寄港しているか。そのうち、ロサンゼルス級及び改良ロサンゼルス級の原潜の入港回数は合計何回でしょうか。

武正副大臣 笠井委員にお答えをいたします。

 二〇〇〇年から二〇〇九年までの各年において、米軍の攻撃型原子力潜水艦が我が国の港に寄港した回数は、二〇〇〇年五十三回、二〇〇一年四十六回、二〇〇二年五十三回、二〇〇三年四十九回、二〇〇四年五十一回、二〇〇五年四十八回、二〇〇六年四十五回、二〇〇七年四十七回、二〇〇八年五十八回、二〇〇九年五十回、合計五百回でございます。

 また、今御質問の、ロサンゼルス級原子力潜水艦、ロサンゼルス級原子力潜水艦改良型などの寄港回数ということでございます。二〇〇〇年から二〇〇九年の各年において、ロサンゼルス級原子力潜水艦が我が国の港に寄港した回数は、二〇〇〇年が五十二回、二〇〇一年四十六回、二〇〇二年五十三回、二〇〇三年四十九回、二〇〇四年五十一回……(笠井委員「ロサンゼルス級ですよ。いいんですか」と呼ぶ)ロサンゼルス級ですね、ロサンゼルス級の回数でございます。二〇〇五年四十八回、二〇〇六年三十九回、二〇〇七年四十三回、二〇〇八年五十八回、二〇〇九年四十二回、合計四百八十一回でございます。

笠井委員 核トマホークはロサンゼルス級とそれから改良ロサンゼルス級の攻撃型原潜に搭載をされます。この十年間に五百回の入港、寄港のうち、核巡航ミサイル搭載対象の原潜は四百八十一回という回数にも及ぶということであります。

 しかも、日本に寄港を繰り返している攻撃型原潜を含めて、太平洋に配備されている攻撃型原潜の中には、核攻撃能力とその資格の認証を受けたことがある原潜が十隻程度あることが確認をされています。いずれも日本に寄港実績があり、うち五隻はこの三年間も寄港を繰り返しております。

 岡田大臣は、当委員会で、九一年、九四年の米国の核政策の決定で、今、核持ち込みということは起こり得ないというふうに繰り返し答弁されました。しかし、いずれの政策決定、九一年、九四年も、通常の場合であります。従来の政府もそう繰り返し答弁してきました。

 ところが、一九九一年にブッシュ大統領が、米国の水上艦艇、攻撃型潜水艦、海軍航空機から戦術核兵器を撤去するように指示した際にも、通常の状況では艦船は戦術核兵器を搭載しないが、将来の危機に際して必要な場合に利用されると明言をしております。一九九四年のNPR、核体制見直しも、もし必要な場合は将来の予期せぬ挑戦にも対応するとしておりまして、その中で、水上艦艇に核巡航ミサイルを搭載する選択肢を廃棄するが、潜水艦に核巡航ミサイルを配備する能力を維持するということを表明しているわけであります。つまり、通常の場合には積まないが、いざというとき、将来の危機やもし必要な場合にはいつでも攻撃型原潜に積み込んで使える能力を維持すると。

 大臣、これが九一年以降、今日に至る米政府の政策であることは明らかじゃないかと思うんです。九一年、九四年以降も核搭載能力を維持した原潜が寄港した可能性というのを全く否定できますか。

岡田国務大臣 九一年の政策、戦術核というものは航空機及び艦船から撤去する。もちろん、委員のおっしゃるように、将来にわたって完全にないということを言っているわけではありません。緊急事態における可能性というものは残しております。しかし、現実に、今日までの間、そういう事態にはなっていないというふうに考えております。

笠井委員 しかし、可能性としては完全に否定できないということはあると思うんですよ。

 大臣は、前々回の私への答弁で、九一年の政策、九四年の政策、これは変わっていない、確認はしていると言われたわけで、大臣が、確認はしている、変わっていない米国の政策というのは、水上艦艇から核兵器を撤去したけれども、攻撃型原潜に必要があれば随時トマホークを搭載する体制を維持しているということであります。さらに、今、大臣も言われましたが、米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか。

岡田国務大臣 今まではなかったということは言えます。

 今後の問題というのは、先ほど岩屋議員とも議論をしたところであります。我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います。

 いずれにしても、鳩山政権としては非核三原則を堅持する、そのことははっきり申し上げておきたいと思います。

笠井委員 いざというときはあると、まさに、日米核密約のもとでは、日本に核兵器が持ち込まれる仕組みと体制は引き続き日本列島を覆っているということであります。

 それから、大臣、一点確認したいんですが、これまではなかったと言えるという根拠は何ですか。

岡田国務大臣 アメリカの政策が変わった、つまり九一年の政策を変更する、そういったことは承知しておりません。

笠井委員 変わっていないと言っても、結局、向こうはNCNDでやるわけですよね。そして、必要なときはいつでも入れるということであります。そうなれば、当然、入ってくるという可能性はあったし、そのときに、肯定も否定もしないわけですから、そういう可能性は否定できないと私は思うんです。

 このことというのは、つい昨年五月、米国議会戦略態勢委員会がほぼ一年がかりで発表した調査研究の最終報告をめぐっても、当時の日本政府関係者が米側に対して攻撃型原潜に搭載するトマホークの退役に反対する具体的な働きかけをしたという重大な問題で改めて浮き彫りになりました。

 この最終報告の附属資料には、委員会が協議した人物の一覧表があって、外国政府関係者の二十六人のトップに、在米日本大使館の二人の公使、政務班長を含む四人の氏名があります。

 この問題では、昨年十一月の我が党の井上哲士参議院議員の質問に岡田大臣は、まず事実関係をしっかり把握すると答弁されました。そして、ことし、二〇一〇年一月二十六日付の浜田昌良参議院議員への答弁書の中で、「米国側からの要望に応じ、外交ルートを通じて、当時の外務大臣の了解を得た我が国政府の考え方を米国議会戦略態勢委員会に説明したと承知している。」、そのように述べております。ということは、大臣、在米の四人の公使、大使館員が呼ばれて説明したという事実を承知しているということですか。

岡田国務大臣 具体的な詳細を明らかにすることはできませんが、いろいろな議論というのは当然あるわけであります。ただ、その中身が問題であります。

 一部伝えられたようなトマホーク撤去、今恐らく議論されていると思いますが、そういうアメリカの政策ということについて、日本の政府として、そういったことはやめてもらいたい、そういうふうに言ったかのごとき報道も一部あったわけであります。そのことについて私も重大な関心を持って、大臣として徹底的に事実関係を調査いたしました。結論は、そういうことはないということであります。

 ただ、念のために、十二月にクリントン長官、ゲーツ長官に対して私から出したレターの中でこのことも触れておりまして、そういったことを日本が言ったということは、つまり、トマホークの撤去をやめてもらいたい、あるいは、そのことは日本の核抑止力に影響するということでトマホーク撤去について否定的な意見を述べたということは、日本政府としては言っていないと私は理解するし、もし、そういうふうに相手方が、米国が受け取ったとしたら、それは明らかに私の考えとは異なるということで、外務大臣として日本のスタンスを明確に述べたところであります。

笠井委員 私の質問にお答えになっていないんですが、四人の日本の大使館員、公使を含めて、その委員会に呼ばれて説明をしたという事実は確認しているんですね。

岡田国務大臣 具体的にだれかということは申し上げませんが、その会議に出て、日本の考え方というものについて一般的に説明をしたということはございます。

笠井委員 大臣言われました、昨年の十二月二十四日にクリントン国務長官に書簡を送られたと。前内閣のもとで行われた協議ではありますが、私は、我が国政府として、上記委員会を含む貴国とのこれまでのやりとりの中で、核トマホークや地中貫通型小型核といった特定の装備体系を貴国が保有すべきか否かについて述べたことはないと理解していますと言われている。

 しかし、昨年五月七日に米上院軍事委員会での公聴会で、この委員会のジョン・フォスター委員が、特に日本の代表は、米国の核の傘としてどんな能力を保有すべきだと自分たちが考えているかについて、ある程度まで詳細に説明したと証言をしております。昨年、井上議員も指摘したとおりでありますが、大臣は、述べたことはないと理解していると言われましたが、実際に何を言ったか、そして、アメリカでその委員会の委員が言っているようなことを言っているのか、言っていないのか、そこを確認されましたか。

岡田国務大臣 どういう議論が行われたかということは、詳細に承知をしております。

笠井委員 それはどういうことですか、概要は。

岡田国務大臣 外務大臣として、そこでの議論について把握をした上で私は申し上げております。

笠井委員 おっしゃらないんですが、この委員会は、ただ一般的な抑止力の必要性を議論しただけではないと思います。これは最終報告を見ても、アジアにおいては、拡大抑止は若干のロサンゼルス級攻撃型原潜の陸地攻撃核巡航ミサイル・トマホークの配備に大きく依存していると述べております。そして、我々の委員会の作業の中で、アジアの若干の同盟諸国は核トマホークミサイルの退役を非常に懸念するであろうことが明らかになったと明記しております。

 核トマホーク退役問題がこの委員会の大きな焦点の一つだったことは明らかだと思うんですが、そういうことが焦点だったということは確かめましたか。

岡田国務大臣 さまざまな議論が行われたというふうに思います。しかし、基本的にはやはり、それは両国政府間での話し合いということが基本であって、さまざまな議論の場があるということは理解しますけれども、最終的に責任を持って決めるのはそれぞれの国の政府であります。

笠井委員 核トマホーク退役問題が大きな焦点の一つだった委員会で、日本政府の代表がそこに出席をして、答弁書にあります、当時の外務大臣の了解を得た我が国政府の考え方を説明したというわけでありまして、その中で、昨年十一月十九日の梅本北米局長の答弁によれば、こう言ったということを説明していますよね。アメリカの特定の装備体系について十分な情報を持っているわけではないので、それをどうしろということは言っていないが、北朝鮮の核実験であるとかいろいろなことがあって、国民の中にもいろいろな不安や議論があることも説明した、したがって、アメリカが今後、核の体制というものを考えていくに当たっては、日米安保条約のもとの抑止力の信頼性を下げるようなことは慎重に検討していただきたいというような趣旨の説明はしていた、北米局長はこのように答弁で言われています。

 こういう説明を聞いた委員会側が、最終報告にあるような、トマホークの退役を非常に懸念すると理解するのは当然じゃないんですか。

岡田国務大臣 我が国としては、アメリカの核抑止力に依存をしている、これは現実であります。そして、その核抑止力が減ずるということになるとどういう影響が出てくるかということも冷静に判断しなければいけないわけであります。梅本局長はそういう視点で答弁をされているというふうに思います。

 いずれにしても、さまざまな議論が行われましたが、最終的に決めるのはそれぞれの政府であります。

 そして、先ほどからの委員のお話を聞いておりますと、何かトマホークの退役について日本国政府として日本の外交官が意見を述べたかのごとき御発言ですが、そういうことは基本的にございません。私は、それは責任を持って申し上げたいと思います。

笠井委員 トマホーク退役が焦点になっている中で抑止力を下げるなということを言ったら、それがどういうことになるかということは明らかだと思うんです。核ミサイル・トマホークの退役、それに反対した当時の日本政府の動きというのは、核密約に基づく核兵器持ち込み体制を今後も続けることを日本側から求めようとするものだ。私は、被爆国にあるまじきことを、そういう態度をとったと。そうした働きかけをした前政権時代のことを、特定の装備体系を貴国が保有すべきか否かについて述べたことはないと理解しているということで新政権が容認するということも重大だと言わなきゃいけないと私は思います。

 もう一つ、私は確認しておきたいんですが、最終報告では、ある特別に重要な同盟国が当委員会に内密に、米国の拡大抑止の信頼性は、広範な種類の目標を危機にさらし、状況が要求すれば、見える方法かあるいはこっそりと戦力を配備する特別の能力に依拠していることを主張したというふうに述べております。

 これはまさに核密約にかかわる主張ではないかと思うんですが、ここで言われている、ある特別に重要な同盟国というのは日本のことじゃないんですか。

岡田国務大臣 委員が何をもってそういうふうに推測されるのか、ぜひ教えていただきたいと思いますが、それを日本だというふうに決めつけるのは根拠のないことだと私は思います。

 いずれにしましても、日本で政権交代が行われ、そして、新しい政権の考え方というものを私はクリントン長官とゲーツ長官への手紙の中で示したつもりでございます。

 委員は一部だけを引用されておりますが、その引用された部分も、ですから、個別の兵器体系について言及したことはないと理解している、つまり、そこで議論されたトマホークの退役の問題、あるいは小型地中貫徹新型核爆弾、そういうものを開発するかどうか、そういうことについて私は、日本国政府が何か見解を述べたということはない、そう理解をしておりますし、少なくとも、そういう誤解が生じているのであれば、この鳩山政権として、あるいは鳩山政権の外務大臣として、そういうことは考えていない、私の考えと違うということを明確に述べているわけでございます。

笠井委員 私は決めつけているわけじゃないんです。それとも、さっきの密約にかかわる表現ではないかと言っていることについて、日本ではないと断言できるんですか。例えば四人に確認したんですか。

岡田国務大臣 まず、その報告書そのものが公開されているものかということもよくわかりませんが、いずれにしても、私の考え方、新しい鳩山政権のもとにおける外務省の考え方というものを明確にしております。そういった趣旨はしっかりと両長官に伝わっている、そういうことでございます。

笠井委員 最後に質問しますが、大臣のクリントン長官への書簡には、核トマホークの退役が行われることになる場合は、我が国への拡大抑止にいかなる影響を及ぼすのか、それをどのように補うかといった点を含む貴国の拡大抑止に係る政策については、引き続き貴国による説明を希望するものでありますとありますが、これに対してクリントン長官から返事はあったんですか。あったとするなら、どういう返事だったんでしょうか。

岡田国務大臣 まず、核トマホークの扱いについて、アメリカ政府は現時点で何も発表しておりません。そういう段階で私が仮定の議論をすることは避けるべきだというふうに思います。

 ただ、一般論として申し上げると、アメリカの核の傘にこれだけ依存しながら、アメリカの核戦略について日本政府が十分にそのことをフォローし、理解してきたか、そこに意見交換があったかというと、私は従来は十分ではなかったというふうに思っております。

 そして今、日本とアメリカの間で、アメリカはNPRを間もなく出すだろうというふうに推測をいたしますけれども、そういう中で、さまざまな深い議論を日米間で行っているということは申し上げておきたいと思います。

笠井委員 質問に答えていただいていないので、返事があったのか、あったとしたらどういう中身かと聞いたんですが、それについてはどうなんでしょうか。ちょっと時間があれなんですが。

岡田国務大臣 ですから、委員の御質問が、核トマホークが退役をする、撤去されるということを前提で聞いておられますから、そのことについてはコメントできません。

笠井委員 いや、前提も何も、書簡を出して返事があったのかということを聞いているんです。これはもう単純な話です。

岡田国務大臣 返事はございました。

 それから、一月十三日にハワイで日米外相会談を行ったときにも、このレターをもとに議論を行っております。

笠井委員 もう時間なので。だから、中身はどうですかと何度聞いても言わないんですけれども、返事はあって、どういう中身だったのかということなんです。これはちょっと単純なことなので。

鈴木委員長 次の委員会でまたやってください、時間ですから。

笠井委員 いや、ちょっと一言だけで。

岡田国務大臣 繰り返しになりますが、トマホークをどうするかということについて、アメリカ政府はまだ決めておりません。そういう段階で中身についてコメントすることは控えたいと思います。

笠井委員 アメリカの側は、一時寄港は事前協議の対象でないと言う、そして日本側は、そういう密約はなかったと言うということで、現状のまま続く。そのもとでアメリカ側にそういう要請をすることが、日本側の要望を受けて、では、向こうは退役やめようとか、必要なときは持ち込むよという事態になりかねないわけです。それは防げないわけですよ。認めるということに逆になっちゃうということを指摘して、私は、だからこそ廃棄だということを申し上げて、質問を終わります。

鈴木委員長 次に、木内孝胤君。

木内委員 民主党の木内孝胤でございます。

 本日は、経済外交に焦点を当てて質問させていただきたいと存じます。

 政権交代をしましてから昨日でちょうど六カ月になりました。岡田大臣が就任なさってからの外交日程あるいは書類、こうしたものをここ一、二週間ずっと見てまいりました。まさに現場主義を標榜されているにふさわしい、すばらしい動きだと思います。こうして連日国会審議にくぎづけになりながらも、核密約、こうした問題を着実にこなし、そして外交機能をきっちりと掌握されていることに深い敬意を表します。

 ちょうど六カ月という区切りの時期でございますので、まず最初に、半年間の岡田外交、これを振り返って、その成果そして課題についてお伺いをしたいと存じます。

    〔委員長退席、小宮山(泰)委員長代理着席〕

岡田国務大臣 外交というのは、すぐに成果が出るものではないと基本的には思います。

 重要なことは、やはりネットワークをいかにつくっていくか。この間、中国のヨウケツチ外相とは四回、クリントン長官とは三回、外相会談をする機会がありました。しかし、もう少し広げて見ると、例えばフランスのクシュネル外相とは今週日本でお会いしますが、実質的にはこれが初めての議論ということになります。少なくとも、世界の中の三十カ国ぐらいの外相とは、必要があればいつでも電話で話せる、それだけの人間としての信頼関係、そういうものを築かないと外交というのはやっていけないなというふうに思っております。そのためのネットワークを張る。これは体力を要する問題でありますが、しっかり頑張っていきたいと思います。

 具体的な成果というのは、一つは、この密約の問題。これは長年の日本の外交の大きな足かせでありましたので、それを明らかにした。それだけではなくて、昨日第一回の会合を開いたんですが、外交文書の保存そして公開についてきちんとルールを明確にして、そして公開をどんどん進めていく。この作業も含めて、これは一つの大きな成果ではないかというふうに思っております。

 もちろん、非核三原則について、きょうもいろいろ厳しい御指摘もいただきました。そういう議論が出るということは承知の上でこちらは密約の解明ということをやったわけですけれども、こういう議論が出ることも、私は歓迎すべきことだと思っております。

 あとは、アフガニスタン、パキスタンに対する支援というものを五年間で最大五十億ドルということで方向づけた。具体的な政策というのはこれから毎年決めていかなければなりませんが、大きな枠組みができたということも一つの成果かなというふうに思っています。

 最後に、やはりアジア外交は、鳩山総理のもとで、中国や韓国との関係、ASEANとの関係、従来と比べてより深まった。そして、アンケート調査などを見ましても、国民のこういった地域、国々に対する親近感というのは増しておりますので、そういう意味で、鳩山総理を中心に、いいアジア外交ができている、そういうふうに思っているところでございます。

木内委員 成果が出るには時間を要するとおっしゃりながらも、半年間の間で非常に大きな成果が出始めている、そのように感じました。

 一方で、先日来の外務委員会での質疑を聞いておりまして、一つ、非常に大きな危機感を抱いております。

 私は、選挙に出るまで二十年間、国際金融の現場で働いてまいりました。ビジネスの世界でも日本の地位の低下が言われているわけでございますけれども、外交の世界でも、例えば、日本は二十年間全く成長がない、その中で、中国、インド、新興国は急成長を続けている、中国は今後十年間で日本の経済規模のほぼ倍になると言われているのはほぼ確実でございます。

 一方で、例えば、外交手段としてODA予算は非常に大事だと私は思っております。それが、ピーク比比較でいいますと、もう既に四二%も減っております。あるいは、国連の分担金、これも減らしている。こうして、先日も平沢議員からも質問がございましたけれども、例えば資源外交、レアメタル、こうしたものも重要だと言われているにもかかわらず、例えばアフリカに公館を出す、そうした財源すら厳しいと。こういう中で、非常に経済が厳しいのが外交に悪影響を及ぼしていることに心配をしているところでございます。

 そこで、経済外交のあり方につき、大臣の所見をお伺いするものであります。

 連日の新聞報道等でも、例えば、中国の送電網に五十兆円の投資、アメリカでの新幹線やリニア、ベトナムでの原子力発電など、インフラビジネスが目立っています。当然、官民一体の取り組みがますます重要になってきておりますけれども、先日もベトナムにおける鳩山総理の親書が話題になりましたが、こうした取り組みは大いに結構だと思う反面、官民あるいは省庁間の連携が本当に十分に機能しているのか、私は疑問に思っておりますが、大臣の現状認識、あるいは問題点はどのようにお考えでしょうか。

武正副大臣 木内委員にお答えいたします。

 経済外交ということでの視点ということで、深い問題意識を持っての御質問というふうに承りました。

 外務省では、例えばWTO、EPAについては、省内に対策本部を設け、政務三役主導で外務省としての取り組み、また関係閣僚会合、これが累次開かれ、またその前には関係省庁の副大臣会合ということで、このEPA、WTOへの取り組みを進めてきたところでございます。

 また、今、資源外交という指摘もございましたが、こうしたエネルギー、鉱物、食料など資源の安全保障ということからの資源産出国との二国間関係の強化、あるいは国際機関を含む多数国間、マルチの枠組みを積極的に活用していくということであります。

 特に、先ほども大臣から触れました、アジア太平洋地域においてのインフラ整備などで日本の資金、技術、知見、知恵を活用してアジアの活力ある発展を促すとともに、アジアの需要を日本に取り込むということが、今ちょうど内閣主導で進めております、また、これから細部もさらに、進めていこうという成長戦略の観点からも重要というふうに考えておりまして、こうした経済外交を戦略的に進めていくためにも、官民の連携、関係省庁間の連携はこれまで以上に重要と認識しております。

 外務省は、関係省庁や関係機関とも緊密に連携し、日本企業支援に取り組んできておりますが、一層意を用いてまいりたいと思います。

木内委員 インフラビジネスで非常にわかりにくいなと思っておりますのは、例えば、新幹線であれば国土交通省が絡んだり、あるいは資金につきましては財務省が絡んだり、JICAであれば外務省であったり、本当にだれが案件ごとに責任を持っているのか、これが非常にわかりにくくなっていると思います。

 こうした各案件ごとの司令塔役というか調整役というのはどこで、どなたが果たすということになっているのか、御意見をお伺いしたいと思います。

武正副大臣 新しい内閣がスタートして半年、この中で、一例かもしれませんが、さきの報道で、たしか、官邸を訪れる政務三役の回数が非常に多いという報道があったと思います。これもやはり関係省庁間のいわゆる縦割りを政務三役が連携して乗り越えようということの一つのあらわれかなというふうに思っております。例えば今のような新幹線の案件については、外務省から政務三役も、そして国交省からも政務三役も出て、官邸で総理のもとで勉強会あるいは説明を行うということも一つのあらわれかというふうに思っております。

 御指摘の点については、特にアジアにおける新幹線、都市交通、水、エネルギーなどのさまざまなインフラ需要、これについて官民、そして政府のそれぞれの省庁、こうした点について、しっかりとバランスに配慮しつつ、受注に向けた国内体制の構築などの課題に早急に取り組むとともに、総理、そして外務大臣を初めとする閣僚によるトップセールス、在外公館のさらなる活用も含めまして、外務省として積極的な働きかけを行っていきたいというふうに思っております。

木内委員 官民支援の一環としまして、日本の金融資産、よく個人の金融資産が千四百兆円あると言われておりますけれども、私は、例えば、年金基金の百二十二兆円、郵貯、簡保の二百七十兆円、外為特会の百兆円、こうした金融資産をより国家戦略のために活用するべきだと思っております。

 先々週も私、年金運用のあり方につきまして、これは長妻厚生労働大臣に予算委員会の分科会で質問させていただきましたけれども、各国は、こうした自国の保有する資産をいかに有効に外交に役立てるか必死になっているという認識でおります。

 昨今、外為特会も、先日、菅財務大臣からも指摘が出ておりましたけれども、これをどういうふうに使うのか。そして、先ほどのODA予算、私はこれは増額をするべきだと思っておりますけれども、これだけ財源が厳しい中でなかなか増額はできない。そういう中では、これをどういうふうに活用していくのか。

 こうした金融機関の活用のあり方、最近は政府系ファンドという言われ方もしておりますけれども、こうした設立につきまして御意見をお伺いしたいと思います。

武正副大臣 大変、政府の財政状況が厳しい、また経済状況も厳しい中にあって、ミレニアム開発目標達成など世界の開発需要に対応するため、今、ODAの増額ということも触れていただきましたが、そのためにはやはり幅広い開発資金の動員が必要であることは委員御指摘のとおりでございます。ただ、現時点で政府系ファンドの設立については考えておらないということと、外務省のみで決められることでもないことはもう御承知のとおりであります。

 他方、革新的資金調達メカニズムをめぐる国際的な議論に積極的に参加するなどにより、我が国においても、従来のODA以外の資金を途上国支援のために活用する方途を考えていきたいと思います。

 また、委員御指摘の金融資産の活用に関しては、ODAでは、一般会計、ODA予算のほか、財政投融資など一般会計以外の財源も活用をしております。

木内委員 こうした政府系ファンド、国の税金の使い方、これは税金の使い方に関しましては大分メスが入り始め、賢い使い方ということで結構かと思いますけれども、我々には千四百兆円という個人の金融資産がございますので、ぜひこれも外交に生かすという視点を今後ともとり続けていただければと思います。

 続きまして、FTA、EPAに関して、大臣の方針を伺います。

 東アジア共同体構想、あるいは、環境、温暖化問題に関する日本の積極的な関与は、政権交代によるまさに外交の変化を感じさせました。

 一方で、こうした話は、非常に長い期間を要する長期的な理念でもございます。しかしながら、こうした長期的な理念は、短期の成果もあわせてお示ししなきゃいけない。あるいは制度設計、こうした道筋がどこまでできているのか。こうした面に関して、当然のことながら、今、一つやろうとしていることは、人、物、金の流れを活発化させるFTA、EPAだと思っております。

 しかしながら、こうしたFTA、EPAを進める、私もいろいろな外交団の方と話しておりましても、土俵に乗せてほしい、いろいろな話をしてほしいということでございますけれども、実は、国内問題にきっちり向き合って解決できているのか、あるいは農業問題、こうした問題ときっちり向き合った上でなければ、こういう交渉の土俵にもなかなか乗れないのではないか。

 私は、今まで日本の抱えているさまざまな問題は、この本来向き合わなければいけない問題から逃げている。農業問題も、決してこうした方を犠牲にして解決しようということではございません。何とかこういう国内問題を解決しながら、どういう形でFTA、EPAに取り組んでいくのか、この点についてお伺いをしたいと思います。

岡田国務大臣 今の御質問の答弁の前に、先ほど来、委員の言われている話ですが、例えば年金の基金を利用してリスクの高い投資にそれを使うということについては、多分両論あると思います。

 我々、野党の時代には、やはり株式市場などで損失を出すことに対して厳しく批判をしてきたわけです。その性格上、そういったリスクの高いところに投資すべきでなくて、着実に収益を上げていく、そのかわり、大きなリスクもないかわりに大きなメリットもないということにはなると思いますが、そういう考え方でやっていくべきなのか、それとも、大きな損をしたときはそのリスクを覚悟しながら、トータルとしてプラスを求めてやっていくのか、ここの議論をきちんとしなきゃいけないというふうに思います。

 やはり、年金などの性格からいって、損をしたときに政府が責任をとって税金で穴埋めするというなら別ですが、そうであれば、またこれはモラルハザードの問題など出てまいります。やはり、そう簡単にリスクの高いところに投資をすべきだという議論ではないんじゃないか、私は個人的にそう思っております。長妻厚労大臣も同じようなお考えだと思いますが、政府の中できちんと議論をしていかなければいけないことだというふうに思っております。

 それから、FTAなどについて、農業分野など、しっかりと議論すべきだということはそのとおりであります。

 各国の、日韓とか日豪とか、いろいろ議論していく中で、やはり農業というものが最大の問題になるケースは多いです。しかし、それは一方的に譲れということではなくて、では、どうしたら日本の農業をしっかりと支えていくことができるのか、そういうことも含めて議論が必要だというふうに思っています。

 ただ、農業分野でも、実際に生産者に非常に大きな影響が出る場合以外に、やはり官の構造というのがあるんですね。つまり、いろいろなお役人とか天下りとか、そういうさまざまなことがあって簡単に動けないという部分も私はあるというふうに思います。そういうものは、民主党らしく、ばっさりと切り込んでいく。そういうことで、少しでもFTAについて前に進めるように努力したいと思います。

 どうしても、担当者ベースで議論していると時間がかかりがちであり、そして細かいことにとらわれて、これ全体を進めることの大きなメリットということを忘れがちであります。ですから、政治主導で、しっかりと議論していきたいと思っています。

木内委員 ありがとうございます。

 先ほどの年金の運用についてでございますが、私は投資のリスクの怖さをだれよりも知っていると思います。私の持っていた会社の株は三十分の一に減ってしまいましたので、選挙資金も大分足りなくなり、苦労してしまいました。だれよりもリスクを知っているつもりでございます。

 したがいまして、逆にリスクの厳しさを知っているからこそ安全にやりたいというのが思いでございますので、決して積極運用をしてということではございませんで、守るためには攻めなければいけないときもある、あるいは一部だけでも攻めに回すというようなポートフォリオの考えでございますので、そこだけはちょっと誤解のないようにお願いできればと思います。

 そして、続いて、密約問題は皆さん質問をされているのであれですけれども、あさって、参考人質疑がございます。私、地元でいろいろ質問、聞かれますと、やはりこの密約問題が民主党政権にかわった外交上の意義の一番大きなところではないかというふうに思っております。

 一方で、過去に交渉された方、あるいは政府関係者その他、ややけしからぬじゃないかみたいな論調も一部ではあるんですけれども、私もかなりいろいろな資料を引っ張り出しまして、日米外交史といいますか、見ましたけれども、本当にみんなが苦労して、そのときそのときの国力といいますか、本当に苦渋の決断をされたんだな、そういうふうにとらえております。

 私は、あさっての参考人質疑の前に、大臣から、あら探しをするということでなくて、どういう形で、前向きに、国民にこの点について、どういう心構えでこの参考人質疑をするべきかということにつきましてお伺いしたいと思います。

岡田国務大臣 私も、あら探し、あるいは一方的に批判をするだけではだめだというふうに思います。

 この密約の問題、火曜日に発表させていただきましたが、歴代の総理、外務大臣、私自身も含めて説明を可能な限りで事前にさせていただいております。やはり、過去にそういう重責を担った皆様には一定の敬意を払うべきだというふうに考えたからでございます。

 しかし、とはいえ、やはり事実を明らかにするということは非常に重要で、しっかりと、守秘義務というのは事実上ないということを私も明らかにさせていただきました。国家公務員法百条の解釈からいうと、外務大臣は守秘義務を解くことはできないということでありますが、この件に関してはもう既に資料が公開されておりますので、密約の公開のときにすべて関係資料を公開いたしましたので、そういう意味でも守秘義務というものはない。そういう中で事実を明らかにする。

 どういう事実を集中的に明らかにすべきかということは、それぞれ委員がお考えいただくことが重要かと思っております。

木内委員 時間も大分なくなってまいりましたが、普天間の質問を皆さんがされますと岡田外務大臣の顔がちょっと暗い顔に見えてしまうものですから、私は特に回答を求めているわけではないですし、恐らくゼロ回答しかできないと思っておりますので、その中であえてお願いといいますか、触れさせていただきたいと思います。

 沖縄県民、本当に大事です。日米関係も大事です。国民新党さんも社民党さんも、みんな大事です。ただ、今回の密約問題に見ても感じますとおり、本当につらい決断をするというのが政治といいますか外交だと思っております。

 岡田大臣は、こういう言い方を申し上げると失礼かもしれませんけれども、昔の、吉田茂さんは私は会ったこともないですし、岸総理も会ったことはありません、あるいは、田中角栄さんだけ横をすれ違ったことが一回あるんですけれども、非常に殺気立った怖い雰囲気を感じました。私は、今いる政治家の中で、岡田大臣というのは、そういう何とも言えない、怖いといいますか、迫力のある雰囲気を持った大臣だと思っております。

 最後に、その五月末に向けて、表には出てこない、鳩山総理、平野官房長官、北澤防衛大臣、そして岡田大臣、ほかの方もみんなこれについて議論をされるんだと思いますけれども、やはり私は、メディアの中でリーダーシップをとっていただく必要は決してございませんが、その四者、あるいは五者、六者になるのかわかりませんけれども、岡田外務大臣が、密室ではないんでしょうけれども、その中で本当に強い、最後、信念を通していただき、厳しい決断をしていただくことを祈念いたしまして、私の質問の終わりとさせていただきたいと思います。

 きょうはありがとうございました。

小宮山(泰)委員長代理 次に、早川久美子君。

早川委員 民主党の早川久美子でございます。

 本日、初めての質問でございます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。

 さて、岡田大臣は、外交の基本方針にて、我が民主党への政権交代を国民の期待を担った大きな機会ととらえ、国民の理解と信頼に基づく外交を実現していくと述べられています。また、そのために、基本方針では三つの原則を打ち出されています。一つ目は、現場を知ること、二つ目は、常に原点に立ち返り検討すること、三つ目には、わかりやすい言葉で国民にメッセージを送ることでございます。

 日米同盟が、日本外交の基軸であり、日本のみならず、アジア太平洋地域の平和に非常に大きな貢献をしておりますが、その平和のために在日米軍が抑止力として重要な役割を果たしていること、これも事実です。そして、その反面、沖縄県民の皆様方に多大な負担をおかけしている、これは当然でございますが、忘れてはならない現実でございます。

 この五月には、普天間飛行場の移設問題に決着をつけるという大変大きな政治課題がございます。政府は、日米合意の重み、基地の役割、沖縄の負担軽減など十分に勘案すると言っておりますが、先ほどの三原則にございますように、県民の皆様方と、現場にて、基地のあり方という原点に立ち返り、十分にわかりやすい言葉で政府の考えをお伝えしていくこと、これを改めて願うものでございます。

 さて、これを踏まえて、本日、私は、沖縄担当大使、このことにフォーカスを絞って御質問をさせていただきたいと思っています。

 私は、初めてこの沖縄大使という言葉を聞いたときに、数年前でございますが、なぜ日本に大使が赴任をするのか、素朴な疑問を持ったわけでございます。当時、四、五年前でございますが、ウエブで調べたとき、最初に出てきますのは沖縄観光大使でございました。沖縄県外に住む私たちにとりまして、メディアですとか新聞などではなかなかこの沖縄大使が報じられることはございませんので、この沖縄大使を知らないという方も多くいらっしゃるかと思います。

 しかしながら、沖縄県内に住まれている県民の方々は、毎日のようにメディア、新聞でこの沖縄大使を目にいたします。しかし、残念ながら、その多くは、沖縄大使の発言や行動が批判され、その存在意義に疑問符が呈されていることが多うございます。

 まずは、沖縄大使の役割と設置経緯、その目的についてお尋ねをさせていただきますが、外務省の待命の特命全権大使である沖縄担当大使は、平成九年、橋本内閣のもと、任命され、そのときに沖縄事務所も開設されております。ホームページを見ますと、このようにこの役割が書いてございます。沖縄に駐留するアメリカ合衆国軍隊にかかわる事項についての沖縄県民の意見及び要望を聴取し、これを外務省本省に伝えるとともに、必要に応じ、合衆国軍隊との連絡調整を行うなどの事務に従事させているとなっております。

 しかし、この沖縄大使が赴任する前、二年前でございますが、平成七年以前の外務省のお考えは、国内大使は対外交渉を直接行うことはないというお考えでございました。どのような経緯で国内担当大使が対外折衝である合衆国軍隊との連絡調整を行う、このように外務省の見解がお変わりになったのか、お尋ねをさせていただきます。

武正副大臣 早川委員にお答えいたします。

 多分、平成七年以前というのは、一九九五年の報道ですか記事のことを指しておられたのかもしれませんが、北海道担当大使、関西担当大使、成田担当大使など、これら国内大使は対外交渉を直接行うことはないとしておりますが、従来から一般的に、外務公務員法第十二条第三項に基づき、外務省本省の事務に従事している待命の大使、赴任をしている大使、公使が一時的に戻っているということを待命といいますが、待命の大使が従来から対外交渉を行うことができないわけではないというのが外務省の見解でございます。

 米軍に係る問題について我が国で行われる日米協議は、外務本省が関係府省とともに在京米国大使館や在日米軍司令部との間で行うのが基本でありますが、沖縄担当大使としても、従来から、沖縄県に米軍専用施設・区域の七四%が集中している現状等を踏まえ、在沖縄米軍と連絡調整を行っております。

早川委員 済みません。確認の意味でお尋ねさせていただきます。

 待命の特命全権大使が対外交渉をするというのは、ウィーン条約上、反するという解釈にはならないということでございますでしょうか。

武正副大臣 交渉ができると。ウィーン条約上、今、違反という御指摘ありましたが、そういうことはないということが外務省の考えでございます。

早川委員 了解いたしました。

 外務省からの資料をきょうも配付をさせていただきましたが、設立の経緯でございます。これは、沖縄担当大使は、市町村、沖縄県側から要望を受け設立したとのことでございますが、私が市町村また県などの資料を調べても、意見書、要望書が出ていない、足跡が見られませんでした。また、多くの、琉球新聞ですか、その辺を寄せて見てみましても、その記事の多くは、ほとんどがこのようなものでございました。一つ読み上げます。

 一九九六年十二月五日の琉球新報では、橋本首相が四日午後、ホテルで県内の米軍基地を抱える市町村長らと懇談をし、基地問題や地位協定の運用など基地問題に対処するため、沖縄に大使を所長とする外務省の出先機関を設置することを明らかにした。沖縄大使の設置に、大田知事は、問題を解決することに寄与することになればいいと述べ、歓迎したと記載をされております。

 メディア、新聞の報道は、このように、橋本首相の方から言われて、現場はそれを容認したという記事ばかりでございました。沖縄大使の設置に反対するにせよ、賛成するにせよ、やはり県側から、また市町村側から協議の要望があった記述は、私は一つも見当たりませんでした。

 当時、この沖縄担当大使の設置や沖縄事務所の開設について、だれがどのように協議を行っていったのか、お示しください。また、議事録などが残っていれば、それをお示しいただきたいと思います。

    〔小宮山(泰)委員長代理退席、委員長着席〕

武正副大臣 お答えをいたします。

 沖縄大使の設置については、沖縄県側から設置要望が出されております。平成七年の少女暴行事件後の世論の高まり、平成八年十二月のSACO、沖縄に関する特別行動委員会最終報告に基づく沖縄の負担軽減のための取り組みの進展を踏まえ、平成八年十二月に当時の橋本総理大臣が沖縄を訪問した際、米軍施設・区域所在市町村長との懇談会において、米軍に関する地元の御意見や御要望を聞いて、政府として迅速に対応ができるように大使を所長とするということで、先ほどの指摘のとおりでありますが、当時の大田沖縄県知事も、沖縄の基地問題の解決につながることを期待したい旨、表明したと承知をしております。

 過去でありますが、昭和六十三年に西銘知事が、外務省の出先機関の設置につきましては、基地から派生する諸問題について的確な情報収集と適切な措置が講じられることが期待されますので、極めて意義深いと考えており、私もこれまで国に沖縄大使を要請したこともございますと、これは昭和六十三年、沖縄県議会でございます。このことが、まず一つ、議事録ということでは御紹介ができると思います。また、昨今も沖縄県議会で、沖縄の知事公室長からもその旨の答弁があります。

早川委員 ありがとうございます。

 平成九年から沖縄大使が赴任をしておりますが、この後、過去十三年間、八人大使が就任をしております。先ほど申し上げましたように、沖縄大使の役割というのは、県民の声を聞くという役割、また合衆国軍隊との連絡調整という海外軍隊と信頼関係を築かなければならないというわけでございますが、十三年に八人、大変短い赴任期間だと思います。大使の赴任期間が短過ぎると私は思いますが、どのような考えで短い期間を繰り返しているのか、お聞かせいただきたいと思います。

武正副大臣 在任期間のことで御指摘がありました。過去の在任期間ということでいきますと、二年三カ月、一年九カ月、一年十一カ月、一年十一カ月、一年三カ月、一年五カ月、一年九カ月、そして今の樽井大使は昨年の六月九日赴任ということでございます。平均すると二年というような感じになろうかと思いますが、一つは、待命ということで大使という形での任命が国内でされているという事情があろうかというふうに思います。私は、二年ということで、それが必ずしも短過ぎるということは当たらないのではないのか。このそれぞれの期間の間に、地元市町村、そしてまた米軍、あるいはまた経済界、大学、プレス、さまざまな形でさまざまな声を伺うということで精力的に対応しているというふうに考えております。

早川委員 次の問題に移ります。

 沖縄の米軍基地問題に対処するため、ことし一月に首相官邸に内閣官房沖縄連絡室が新設をされ、地元の意見を直接聞くため、沖縄総合事務局に分室が設置をされました。

 これら新設された部署は、役割を私も外務省の方々に確認させていただいたんですけれども、本来ならばもともと沖縄担当大使が行うべき事業をも目的としている、いわゆる二重行政になってしまうのではないかとも見受けられました。

 まず、沖縄担当大使と内閣官房沖縄連絡室分室との違いは一体どこにあるのか、それをお聞かせいただきたいと思います。

松野内閣官房副長官 早川委員にお答え申し上げます。

 ことしの一月の初旬に平野官房長官が沖縄を訪問した際、知事から、沖縄と政府の意思疎通をもっと円滑にしたい、こういう旨の御要望がございました。それを受けて設置をした次第でございます。

 今御指摘の国の出先機関等、沖縄に所在をしておりますけれども、各省庁の所掌する事務に関して、要はそれが各省に上がってそこから官邸に上がるというような仕組みでございますけれども、それが横断的な情報収集の機能を持つために、沖縄の県民の要望、皆さんの要望等が直接官邸に入る、こういう意識を持って今回開設をいたしました。その中で、トータルな地域発展、経済振興、基地問題も含めた問題、こういう横断的な問題を直接内閣官房が受けるということで行いました。

 以上でございます。

早川委員 沖縄県民の皆様方が基地問題について意見や抗議をする際に、これまでも沖縄担当大使や沖縄防衛局、また県の担当窓口など、意見の陳情先が二重三重と煩雑になってまいりました。そしてさらに、そこにはまた沖縄連絡室が設置をされるわけでございます。

 今、松野官房副長官からもお話があったように、直接県民の意見、声を聞きたいというお話がございました。まさにこれも沖縄担当大使の一番の役割でございます。そもそも沖縄担当大使が使命を果たしていたら沖縄連絡室が不必要だったのではないかなと思います。逆な言葉を使えば、言い方を変えれば、沖縄担当大使が十分な役割を今まで果たしてこなかったためこの連絡室が新設されたのではないかという解釈ともとれると思うんですけれども、いかがでしょうか。

武正副大臣 今の早川委員の御指摘なんですけれども、まずは、二重行政ではないかという御指摘については、例えば外務省の沖縄事務所の副所長を今の内閣官房の沖縄連絡室分室に併任発令をして、必要以上に人員を配置することのようにしているというのが一つであります。

 また、やはり、今回この沖縄連絡室が設けられたというのは、官邸として沖縄の皆さんの声を、この日米安保改定五十年の年に、そしてまた普天間移設問題を中心とする委員会が設けられている中でしっかりと聞きたいという積極的な対応のあらわれというふうに御理解をいただきたいと思っているところでございます。

早川委員 次に、沖縄事務所についてお尋ねをしたいと思います。この沖縄担当大使が仕事をしている沖縄事務所でございます。

 別紙の、参考資料を配らせていただきました、その三番を御注目いただきたいと思います。

 沖縄事務所の職員は、非常勤、いわゆるアルバイト二名を含めまして八名でございます。しかし、そこに費やされる賃料は年間一千七百五十四万円となり、月の家賃は、十二カ月で割りますと百四十六万円となってございます。東京都心ならば人数と建物の賃料のバランスが、それでも高いかなと思うんですが、当然ながら、この場所は沖縄でございます。八名の事務所で百五十万円の予算、大変多うございます。

 ちなみに、私が地元の不動産会社に問い合わせをいたしましたところ、新築物件で一坪当たり、最上級で一万五千円だそうです。そして、この沖縄事務所の隣のビルも確認をいたしましたところ、ここは二十四坪で八万円でしかありません。

 どうしてこのような高級物件を借りる必要があるのか、また、大変大きな物件なのか、ここもお聞かせいただきたいと思います。

武正副大臣 お答えをいたします。

 沖縄事務所等借料として千七百五十四万円の予算を計上しております。その内訳は、事務所借料、駐車場借料、大使宿舎借料であります。

 借料については現地の同様の物件と比較しても適正であるというふうに考えておりまして、先ほどの事務所借料は、月額で換算しますと、その周辺の単価と比しても順当というふうに考えております。

早川委員 済みません、確認の意味で。

 駐車場と宿舎とあともう一つ何が……。

武正副大臣 事務所借料が一千五百四万強、駐車場借料が三十一万強、そして大使宿舎借料が二百十八万強ということで、合計一千七百五十三万強ということでございます。

早川委員 ここまで私は、沖縄担当大使の設置経緯、目的、実績、行政のあり方、また事務所の現状を質問させていただきました。経緯は今いろいろお聞きさせていただいたんですけれども、実績において、県民の声を聞き、合衆国軍隊との連携、調整という外国軍隊との信頼を築かなければならないという役割について果たしているのかどうか、なかなか私は足跡が見えてまいりませんでした。

 例えば、平成十四年に外務省改革に関する「変える会」が、制度全般に関する改革として、「役職が多すぎる。」、また沖縄大使は「必要なポストかどうか整理をすべきではないか。」など指摘をしており、また鈴木宗男委員長においても、平成十九年、二十一年の質問主意書において、沖縄担当大使の役割やコストにおいて疑問が呈されております。

 政権交代が行われて六カ月でございます。自民党政権から民主党政権へとかわった現在においても、この沖縄担当大使のポストをそのまま設置されていくことが適切とお考えになるのかどうか、お尋ねをさせていただきたいと思います。そしてまたもう一つ、継続する御予定があるのであれば、これまでの実績を受けて、民主党政権のもとで今後どのように継続をしていかれるおつもりなのか、お聞かせください。

武正副大臣 やはり、今ほど沖縄の皆さんの声を真摯に承る、そういう必要のあるときがないと言ってもいいほどだというふうに思っております。であるからこそ、今は樽井大使でありますが、ちょうど過日もさまざまな形で基地問題にかかわっている現場のさまざまな皆さんのところに直接伺って話を聞いたということも聞いておりますが、本当に現場主義で、これはもう大臣が言っているところでありますが、現場主義で樽井大使にも一人でも多くの皆さんの声をしっかりと聞いてくる、そしてそれをしっかり我々も伝える、また政府に対してもそれを伝えていくということで、今まで以上に精力的に取り組んでいくということで、これまでそうした御懸念があったかもしれませんが、先ほどの内閣官房の沖縄連絡室とも、関係省庁とも連絡をとりながら進めていくということが必要だというふうに考えております。

早川委員 先ほど私は行政上沖縄大使がコスト的にも少しかかり過ぎているのではないかと質問させていただきましたが、一番の問題は、沖縄県民の皆様としっかりとした対話をしてきたかどうか、ここが問題であると思います。

 最後に、国民の理解と信頼に基づく外交を実現していくならば、この沖縄大使のあり方も原点に立ち返りしっかりと検討していただく、これを要望いたしまして私の質問とさせていただきます。

 ありがとうございます。

鈴木委員長 次に、服部良一君。

服部委員 社会民主党・市民連合の服部良一です。きょうは、核密約問題を中心に質問をさせていただきます。

 この核密約の解明は、政権交代あるいは岡田大臣のリーダーシップなしにはないというふうに認識しているわけですけれども、先日の外務委員会での密約問題に関する御報告を大臣から聞かせていただきました。その中で一つ残念だったのは、非核三原則の堅持という言葉が見当たらなかったということなんですが、大臣は、きょうの委員会でも、あるいは記者会見でも、非核三原則は堅持するんだということは再三おっしゃっているわけなんですけれども、改めてその決意をお聞かせいただきたいというふうに思います。

 そしてまた、非核三原則の堅持というのは、それをどう担保していくかということが非常に重要な問題で、先ほど来いろいろ議論もあるわけですけれども、核搭載艦船の日本寄港、領海通過がない、あるいは今後それをどう担保していくのか、アメリカのNCND政策との両立をいかにしていくか、その考え方も含めてお聞かせいただきたいというふうに思います。

岡田国務大臣 鳩山内閣として、非核三原則、これを堅持してまいります。これは内閣の方針であります。

 ただ、先ほど来議論になっておりますように、ぎりぎりの局面で内閣としての判断ということを今後迫られることが将来全くないということではない、それはそのときの内閣が判断するしかないということだと思います。しかし、そのときに大事なことは、やはり国民にきちんと説明するということだと思っております。

服部委員 今、鳩山内閣としては堅持をする、こういう言い方なんですけれども、その点も私は若干違和感を感じるわけです。

 国会決議については御存じのとおりだと思うんですけれども、一九七一年に「政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守するとともに、」ということで国会決議を行っております。これは一九七一年の十一月二十四日衆議院本会議ということですね。そして、引き続き一九七六年には衆議院の外務委員会、同じく参議院の外務委員会において「政府は、」「非核三原則が国是として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に履行すること。」という決議をしております。それから、一九七八年、衆議院本会議においても「唯一の被爆国であり、非核三原則を国是として堅持する我が国は、」こういう決議を上げております。一九八一年には衆議院の外務委員会で「唯一の被爆国として、持たず・作らず・持込ませずの非核三原則を国是としているわが国は、」。それから、一九八二年、これは衆参の本会議ですけれども、「非核三原則を国是として堅持する」。過去、こういう決議が上がっているわけですね。

 では、国是とは何かということになるわけですけれども、憲法があり、法律があり、ここで衆議院、参議院の本会議あるいは委員会での決議があり、国是という言葉が使われているわけです。

 私たち社民党は、従来から、非核三原則を法制化したらどうなんだ、法制化をしてきちっと日本政府としての理念として打ち出すべきではないのかというふうに考えておりまして、そういう意味で、ただ鳩山政権でのみこれを遵守するということじゃなしに、むしろ日本の被爆国としての政治的な理念として確立すべきものなのではないのか、そういう考えを私は持っているわけですけれども、非核三原則を法制化するというお考えはないでしょうか。

    〔委員長退席、小宮山(泰)委員長代理着席〕

岡田国務大臣 鳩山内閣として、そういう考え方は持っておりません。

 それから、これはぜひ、内閣の方針はそういうことでありますが、国会の中などでも議論していただきたいテーマだというふうに思っております。

 率直に申し上げたいと思いますが、法制化する際の問題点、私は少なくとも二つあるというふうに考えております。

 一つは、領海とはいえ、そこを艦船が通過するというときに何らかの条件を付すということは、国際法上認められるのかどうかという問題がございます。原則として述べている限りにおいては、そういうことはよりシビアな問題になってまいりませんが、法制化するということになると、そういう問題をどう解決するかという問題が一つございます。

 それから、もう一つは、私は米国の九一年の政策によって戦術核を持った艦船が日本の領海を通過するということはないと思っておりますが、しかし、それ以外の国、例えばロシアや中国の艦船が日本の領海を核を積んで通過しないという担保をどうとるのかという問題もございます。

 そういう問題について明確に決着がつかないと、法制化というのは私は難しいというふうに判断をしております。

服部委員 岡田大臣とはいろいろと議論をしたいところなんですが、もう時間が多分ないということですので、最後の一点だけ、ちょっと大臣にお聞きをいたします。

 今度、元毎日新聞の西山太吉さんが参考人質疑でお見えになります。今七十八歳ということで、四十年前にこの密約問題を提起といいますか、新聞紙上で報道をして、その後、警察に捕まり、非常に苦労をされてこられました。謝罪と損害賠償を求めて裁判も起こされて頑張ってこられたわけです。

 先日、大臣が西山さんについて、外務省はどうかかわっていくべきなのかについて少し頭の整理が要るという旨の発言をされているわけですけれども、私も、せっかくこの委員会に参考人としてお呼びするに当たって、やはり西山さんの名誉回復ということが必要なんではないのかというふうに思うわけですね。本人は謝罪と損害賠償ということを国に求められているわけですけれども、ぜひそういうことで、この間、長年苦労された西山さんに対して大臣としてどういうエールを送られるのか、どういうお考えなのかを含めてちょっとお聞きをしたいと思います。

岡田国務大臣 私は、先般、記者会見で、西山さん、ジャーナリストとして非常に優秀な方であったし、惜しいことだというふうに申し上げました。

 ただ、西山元記者は、この沖縄返還交渉をめぐる取材に当たって、国家公務員による秘密漏えいを唆し、その取材行為が正当な取材活動の範囲を逸脱しているということで有罪とされ、その判決は既に確定をしております。そういう意味では、もう過去の話ではありますが、そういう経緯があったということも、これは事実でございます。

 ですから、そういったことが、判決が間違っていたとか、そういうふうには私は考えていないわけで、名誉回復という言葉の意味にもよりますけれども、こういった過去、最高裁で下された、裁判として判決として確定したこと、そういうことについて、私は、それが違っていたとか、そういうことを申し上げるつもりは全くありません。

服部委員 確かに、司法の場でということだろうと思いますけれども、しかし、司法そのものもやはりこの密約の存在を知ることができなかったという時代的背景もあると思うんですね。

 大臣ももうお時間ないと思いますので、この件は一応、そういうことで終わらせていただきます。

 この密約問題をどうとらえていくかということになるわけですけれども、きょうの議論の中でも、ちょっと極端な言い方をしますと、うそも方便じゃないけれども、密約がある時代はやはり仕方がなかったんじゃないか、そういう議論も、現実的な判断としてあったんじゃないかというニュアンスの発言もあるわけですけれども、先ほど申し上げましたように、一九七一年に国会で非核三原則の決議が上がった。この決議は、当時、与野党すべての国会議員が賛同して、そうだということで決議を上げているわけですね。

 ですから、先日の岡田大臣のマスコミ報道の中で、冷戦時代が終わってからもなおこの密約が隠されていたのはちょっと理解しがたいというふうな趣旨の発言があるわけですけれども、それも一つの考え方だとは思いますけれども、そうじゃなくて、国会決議できちっと上がっている、そのことが無視をされ、議会として、国会として無視をされ、行政それから一部のごく限られた政治家によってこの密約が続けられていたということ自身は、これはもうまさに国民を欺く行為であると同時に、国会を欺く行為であるというふうに思うわけですね。

 そういう意味で、この密約の問題を、冷戦以降の脈絡の中でどうだとか、そういう現実的な感覚ということでなくて、これは行政と国会、あるいは国民と国会、行政と国民との基本的な信頼関係をも破壊するものだというふうに私は思うんですけれども、その点に対する御認識をお伺いしたいと思います。

武正副大臣 過去六度にわたる国会決議について、先ほど来、服部委員から御提起があるわけであります。私ども、国会議員としても、国会の委員会での決議、また本会議の決議、これは大変重く受けとめなければなりませんし、政府としても同様だというふうに思います。

 その中で、過去六度の国会決議のそうした時期的なものと、今回の密約についての調査の一連の調査対象とは、時期的なものではずれがあるということはもう委員御承知なところだと思いますが、ただしかし、こうした決議についてしっかりと重く受けとめていくということは既定のことだというふうに思っております。

 ただ、大臣も何度となく答弁で申しておりますように、やはりその時々の政権としての判断が日本の外交、安全保障上さまざまな形で確定をされていること、それについての判断というものをやはり後世しっかりと判断できるようにということで、今回の密約の解明の発端があり、有識者会議からも提起がされ、きのうも第一回の会合を行いましたが、これから大臣、本部長のもと、この外交文書の公開ということに取り組んでいくということが、今委員指摘の、国会決議の重みというものをしっかりと踏まえていくことにつながるのではないかというふうに思っております。

服部委員 特に、私、ちょうど大学に入学したのが一九六九年で、七〇年安保の時代でした。この時代は、七二年の沖縄の返還を前にして大変な国民的な議論が続いていた時代だったわけですけれども、沖縄の核抜き本土並み返還ということを信じて、当時、多くの人たちがいろいろな行動に参加をした、私もその後からついていった一人なわけですけれども、これが今度の密約によって物の見事に裏切られていたのだなという思いをするわけです。

 このとき、交渉に当たられた若泉さん、この方がこういうことをおっしゃっています、決定的なことをやってしまった、あとは歴史の評価を待つしかないと。実は、今度の沖縄への核持ち込み疑惑については、合意文書がありながら、密約ではないというような、そういう判断がなされているわけですけれども、若泉さんはその当時の議事録をキッシンジャーさんと一緒につくった当事者であるわけですけれども、この方が、決定的なことをやってしまった、そして沖縄に申しわけないと何度も口にされていたというふうに言われるわけですね。そして、日米首脳会談以来、歴史に対して負っている私の重い結果責任をとり、武士道の精神にのっとって自裁します、自裁というのは自決ですね、ということで、実は本当に自殺をされたわけなんですね。

 ですから、この密約の問題というのは、やはりそれにかかわった当事者にとっても大変に重たい歴史的事実だったんだなということを、改めて若泉さんのお言葉から感じるわけです。

 ですから、冷戦以降にもっとオープンにしたらよかったんじゃないか、そういうような問題じゃなくて、あの七二年の沖縄返還のとき、沖縄の人たちがどういう思いで、核なしの、核抜きの返還を望み、闘っていたのか、そういうところにやはりしっかり思いをはせていただきたいというふうに思うわけです。

 そういう意味で、先日、岡田大臣からも、うちの沖縄選出の山内議員の質問に対して、結果的に沖縄の人々を欺いたという国会での答弁もありましたけれども、再度、この件について御答弁をお願いしたいというふうに思います。

武正副大臣 沖縄返還に当たっての、核抜き本土並みを基本方針として米側との交渉を行った結果、これが実現をし、一九七二年、沖縄返還協定、祖国復帰ということになったわけであります。

 ただ、今回の調査の結果、本件合意議事録は外務省の文書からは発見されず、また本件文書について、当時、外務省として何らかの関与または知識があったことを示す文書の存在も確認されなかったということでございます。

 本件の、先ほどの若泉さん、「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」でしょうか、本も読ませていただいて、まさに日米交渉の舞台裏ということが、多くの皆さんが本から知るところになったわけであります。

 両首脳間での合意議事録についても、両首脳間の約束であったと考えられますが、歴代の内閣に引き継がれていないということから、両国政府を拘束するような効力を持っているとは考えないということも、今回の有識者会議でも出されたところでございます。

 今、委員の一九七二年当時の思い、これはやはり沖縄の皆さんが同様に感じている、今もそういう思いであったというふうに思いますので、今回のこうした合意議事録、あるいはそうした両国政府を拘束する大きな効力を持っていないということで、この件に関しては密約はないという結論が有識者会議では出ておりますけれども、沖縄の皆さんの基地の負担、そしてまた核に対する考え、やはりこうしたものをしっかりと政府として踏まえて対応していく必要があるというふうに思っております。

服部委員 今回の有識者会議のいわゆる報告書というのは、これは即外務省の見解ではない、こういうふうに理解もしておりますし、また、裏を返せば、では今後、外務省として本当にどういうきちんとした見解をまとめていくのかということは、当然また課題として残るというふうに思っているわけですね。

 先ほどの合意議事録についても、きょうの朝日新聞ですけれども、「沖縄核やはり密約では」ということで、再持ち込みについて研究者から多くの異論が出ておると。一国の首相と一国の大統領が署名した合意議事録があるわけです。ところが、それが外務省になくて佐藤さんの個人宅にあった、これも一つの摩訶不思議で、こういう問題をもう少し今後の課題として丁寧に議論を続けていただきたいし、これはやはり密約だという一つの政府としての見解も、当然私はそうだというふうに理解をするわけです。

 最後になりますけれども、今後、文書の公開について、三十年で公開するんだという話が出ております。ただ、その前に、大量の文書が破棄をされていたんじゃないかということが実は指摘されているわけですね。

 この有識者の報告書を見ましても、「当然あるべき会議録・議事録や来往電報類の部分的欠落、不自然な欠落、あるいは交渉経緯を示す文書類が存在しないために、外務省内に残された記録のみでは十分に復元できなかった」ということも記述されております。それから、「重要な交渉について、戦前期の記録文書の多くが残され、戦後期の文書に欠落が目立つのはなぜか、という疑問がのこる。」あるいは、「歴史的に重要な文書の不用意な廃棄や不適切な処理が行われていたことは、いずれの行政官庁も多かれ少なかれ認めざるを得ない」という指摘もあるわけです。

 私は、まず、今回の作業の中で、特に、二〇〇一年ですか、情報公開法が施行されるときに、朝日新聞の報道ですけれども、外務省によって大量の資料が破棄をされたという報道がありました。今回、外務省としては、そういった大量の資料の破棄ということについて具体的な調査をされたんでしょうか。

武正副大臣 今回の調査の結果、有識者委員会の報告書において指摘されておりますように、存在が確認できない文書、あるいは会談記録に欠落がある事例がございました。その原因については、確たることを申し上げることは困難でございます。また、意図的な文書の廃棄が事実として確認されているわけではなくて、事実関係が特定されていない状況であるということも申し上げなければなりません。

 そうした状況の中、仮定に基づいてのお答えというのは差し控えたいと思いますが、他方、今回、徹底的な調査を外務省そして有識者会議と、要は半年間やってきたわけですね、ちょうど半年前の大臣就任の夜の指示でありましたので。この中で、やはり一方、多くの重要文書も確認することができて、密約問題に関する事実関係も相当程度明らかになったと考えております。

 ただ、文書管理及び記録公開については、先ほど申し上げましたように、きのう、第一回の会合、外交記録公開・文書管理対策本部、行いまして、三点、具体的な大臣の指示を受けて、これから対策本部で検討していく、一点目は外交記録公開に関する規則の制定、二点目は外交記録公開についての体制の強化、そして三点目は文書管理に関する各種改善措置ということで、そうしたことで、今、外務省として精力的に取り組んでいきたいというふうに思っております。

服部委員 ありがとうございます。

 引き続き議論をさせていただきたいというふうに思います。

 これで質問を終わります。

小宮山(泰)委員長代理 次回は、来る十九日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十六分散会


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