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第8号 平成14年12月10日(火曜日)

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平成十四年十二月十日(火曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 田並 胤明君
   理事 岩屋  毅君 理事 木村 太郎君
   理事 浜田 靖一君 理事 山口 泰明君
   理事 末松 義規君 理事 渡辺  周君
   理事 田端 正広君 理事 樋高  剛君
      岩倉 博文君    臼井日出男君
      北村 誠吾君    小島 敏男君
      杉山 憲夫君    虎島 和夫君
      中山 利生君    仲村 正治君
      平沢 勝栄君    町村 信孝君
      伊藤 英成君    江崎洋一郎君
      大出  彰君    川端 達夫君
      赤松 正雄君    赤嶺 政賢君
      今川 正美君    粟屋 敏信君
    …………………………………
   防衛庁長官政務官     小島 敏男君
   参考人
   (現代コリア研究所所長)
   (北朝鮮に拉致された日本
   人を救出するための全国協
   議会会長)        佐藤 勝巳君
   参考人
                ノルベルト
                ・フォラツ
   (ドイツ人医師)     ェン   君
   通訳           吉国 ゆり君
   通訳           蜂屋美季子君
   参考人
   (元駐中国大使)     中江 要介君
   参考人
   (東京大学名誉教授)   和田 春樹君
   安全保障委員会専門員   小倉 敏正君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 閉会中審査に関する件
 国の安全保障に関する件(北朝鮮関連)


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     ――――◇―――――
田並委員長 これより会議を開きます。
 国の安全保障に関する件、特に北朝鮮関連について調査を進めます。
 本日は、参考人として、現代コリア研究所所長・北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長佐藤勝巳君、ドイツ人医師ノルベルト・フォラツェン君、元駐中国大使中江要介君、東京大学名誉教授和田春樹君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにいたしております。
 なお、本日は、通訳を吉国ゆり君、蜂屋美季子君にお願いしております。よろしくお願いをいたします。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、大変ありがとうございました。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、佐藤参考人、フォラツェン参考人、中江参考人、和田参考人の順序で、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知いただきたいと存じます。
 なお、フォラツェン参考人につきましては、通訳の関係もありますので、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、佐藤参考人、お願いいたします。
佐藤参考人 おはようございます。佐藤でございます。
 北朝鮮情勢を考える場合、私は、必要不可欠なことは、今の金正日政権をどう評価するか、ここが明確でないと、対応する方法も非常にあいまいなものになってくるというふうに考えております。
 私は、現在の金正日政権を、個人独裁ファッショ政権というふうに理解をいたしております。その理由を以下述べます。
 一つは、今国民の最大の関心事である拉致の問題。日本人が拉致をされている、これはもう四半世紀前ないしはもっと早くから行われておりまして、私の所属する全国協議会に入ってきております情報は、うちの子供が拉致をされたのではないかといって問い合わせが来ている件数は、今百六件に達しております。それは、所定の用紙をつくりまして、電話をかけてきた人たちに必ず郵送いたして、そして送り返していただいている件数が百五件であります。もちろん、これが全部拉致されたかどうかは定かではございませんが、警察庁が所有しているという数字とほぼ一致いたしております。警察庁の方は、もちろん公開はいたしておりませんが、非公開には約百名ぐらいと言われております。
 つまり、北朝鮮にとって日本というのは外国です。独立国家間において、外国人を暴力によって拉致する、誘拐するというようなことは、一般的には考えられない、最も野蛮な行為というふうに理解をいたしておりますし、最近の一連の報道などで多くの国民もそのように理解をいたしておると承知いたしております。
 第二番目の問題です。
 この国は、最近しばしば報道されておりますように、工作船を使って、日本に覚せい剤、麻薬などをどんどん持ち込んで販売をしていることであります。この覚せい剤の問題は、考えようによっては、青少年またはそれを使用している者の身体を、あるいは精神状態を著しく破壊していく極めて危険なものであります。そういうものが北朝鮮から我が国に半ば公々然と持ち込まれているという事実は、軽視することができないと思います。
 数日前、境港に講演に呼ばれて行ってまいりまして、改めてその事実を認識させられたのですが、末端価格で百億円の覚せい剤が境港で揚がっているわけです。大体、工作船があの種のものを持ってきているのだというふうな理解が一般的なんですが、実際には必ずしもそうではなくて、工作船でない普通の北朝鮮の船舶が、陸地の近いところに海にブイをつけて投下する、それを示し合わせて回収に行くわけです。ところが、境港は当時しけが続いておりまして、回収に失敗をしたそのものが港に流れ着いてきたということですから、日本への覚せい剤並びに麻薬の持ち込みは工作船だけではないということが、かなりはっきりと立証されております。
 第三番目には、核、大量破壊兵器を生産している事実です。あわせて、大量破壊兵器を運搬するミサイルの開発、つまり核とミサイルの開発をやっていることで、北朝鮮は今まで核の開発については、実態はともかくも、言葉の上では否定をし続けてまいりました。それが十月の上旬、事実上、核の開発をやっていることを認めたということは広く報道されているとおりです。
 我が国にとって深刻なことは、あの核開発の資材等々のかなりの部分は日本から輸出されている事実です。ミサイルについては、ほぼ六〇から七〇%のハード、ソフトが日本から輸出をされているということもほぼ間違いありません。それを使って、御案内のように、九三年能登半島沖に、九八年三陸沖に、二回にわたってミサイルが実験をされてきております。これは我が国にとっては、当委員会で扱っている安全保障という面で極めて重大な問題を引き起こしていると思います。
 以上の観点から、この政権は、話し合いの対象ではなく、あらゆる方法で早く倒さなければならない政権だと考えております。
 以上です。(拍手)
田並委員長 どうもありがとうございました。
 次に、フォラツェン参考人、お願いいたします。
フォラツェン参考人(通訳) 皆様、おはようございます。座ってお話し申し上げることをお許しくださいませ。
 ドイツの緊急時対応医師をいたしておりまして、北朝鮮に一年半住んでおりました。病院十軒、そして親を失った子供を養う施設、そして幼稚園、孤児院、こういうところに勤めておりました。そして、一年半の間、北朝鮮の田舎等含めまして、七万キロメートル、あちらこちらへといろいろなところへ参りました。
 そして、ある患者に私の皮膚を提供いたしましたところから、友好メダル、VIPのパスポート、そしてプライベートの、個人の運転免許を与えられました。この三つのものを利用いたしまして、何百という写真と、そしてビデオを北朝鮮におきまして撮ることができました。
 医療情勢でありますが、簡単に言えば、薬もない、食品もない、そして水もない、暖房もない、そういう状況でございます。そして、主要な医学的な診断としては、うつ病、うつ状態があるということと、そして非常に恐れがあるという状況です。
 ドイツからの食糧援助ですが、郊外の必要なところには行かずに、ピョンヤンの軍事エリートのところに行ってしまっている。そのエリートたちの生活、ピョンヤンの生活というのは今お示ししているとおりです。(写真を示す)田舎の状況というのは、このような状況になっております。子供たちは飢餓と死に苦しんでおります。
 これは、ドイツの強制収容所、アウシュビッツとかダッハウとかそういうところの、ドイツの強制収容所の写真では決してありません。北朝鮮の子供の病院で撮った写真なのです。
 これは、北朝鮮の刑事法のオリジナル、原版のコピーです。四十六条によりますと、個人で反国家的行為に従事した者は矯正施設に入れられるというふうに書いてあります。そして、そこにおいて労働を通じて矯正をされると書いてあります。まさにこれは労働強制収容所なのです。
 ファーイースタン・エコノミック・レビューの最新版に出ました衛星写真を見ていただければ、まさに金正日のこのような労働強制収容所の写真が見られるわけです。今お示しした写真が子供の病院の状況、まさに子供の病院はこういう状況なんですが、これを見ていただければ、強制労働収容所がいかにひどいであろうかということは想像がつくだろうと思います。
 この記事には、日本国民もこのような強制収容所において拷問を受けていると書いてあります。私は、北朝鮮において、拉致された日本の国民とは会っておりません。というのは、そのことについて知らなかったからです。
 日本人については知りませんでしたが、彼らが死んでいるということは私は信じられません。というのは、向こうの医療記録あるいは医療のいろいろなステートメントなどについて存じているからです。医療記録等は、まさにうそ、不正に書かれたものなのです。私の友人でやはりドイツの医師であった者が亡くなっております。医療記録には心臓発作というふうに書いてありますが、彼は事実自殺をしたのであります。そのように、医療の記録というのはいかようにでも改ざんされてしまうのです。
 昨日、ピョンヤンの友人からEメールを受け取りました。食糧状況は相変わらず悪く、子供に食糧は届いていないということでした。
 ドイツ国民として、発言せざるを得ません。ドイツは、歴史において、ナチの支配下にあったときには沈黙をしてしまいました。そういうことから、発言しなければならないという気持ちです。ただ、ドイツ人として、難民への影響というのも十分に認識いたしております。そういうことから、難民のお世話、面倒も見ております。
 そして、日本の経済力についても私は存じております。そういうことから、これは、イラクにいる兵器の査察官と同様、食糧査察官を導入なさることを提案したいと思います。
 私は、政治家でもない、外交官でもありません。私は緊急時対応医師なのであります。きょうは人権の日ですから、ぜひこの写真の子供たちについて何とかしていただきたいと訴える次第であります。
 ありがとうございます。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 次に、中江参考人、お願いいたします。
中江参考人 おはようございます。私は中江でございます。
 私は、安全保障という見地から、特に日本の安全保障、さらには東アジアの安全保障という見地から、日朝関係についての私の考え方を述べさせていただきたいと思います。
 結論を先に申し上げますと、九月十七日に発表されました平壌宣言、これが忠実に履行されることが、日本の安全保障、さらに東アジアの安全保障にとっていいことであるというふうに私は考えております。
 なぜそういうふうに考えるかといいますと、御高承のとおりですけれども、第二次大戦が終わってから、国際社会は国際連合によって安全保障が保たれるという構想があったわけですけれども、これが不幸にして、アメリカとソ連の覇権争いであるコールドウオー、冷戦のために妨げられて、所期の目的を達することができないままにいろいろの出来事が起きたわけですが、一九八九年に冷戦が終わりまして、そういう大きな圧力がなくなった世界はこれから多極化するのではないかというふうに言われて、ヨーロッパなりアメリカなりアフリカなり、アジアでもそうですが、方々で地域的な安全保障というものが考えられ始めたわけです。
 日本の属しておりますアジアにおきましては、御承知のとおり、東南アジアにおきましてはASEANという地域機構ができまして、これが最初にできましたときは、どちらかというと経済協力の面に重点があったんですけれども、だんだん月日を重ねまして、最近では政治的な、場合によっては軍事的な性格すらも持ち始めているということで、東南アジアはASEANを中心にして一つの秩序、枠組みというものをつくることに成功したわけです。
 これに引きかえまして、東アジアの中の北の部分、北東アジア、この部分は、私は世界の中で最もおくれているところだと思います。それぞれの国は二国間なりあるいは少数の国の合意によって、協定によって自国を守ろうということはやっておりますけれども、地域としての安全保障というものがまだ確立されていない。
 構成メンバーとしては、御承知のように、我が国を初め中国、大韓民国、北朝鮮、それからモンゴル、こういう国があるわけですけれども、こういう国の間にはまだお互いに安全保障のために話し合おうという枠組みができていないわけです。そういうものができるためには幾つかの条件が必要ですけれども、何といっても、その構成メンバーがお互いに対等に主権を尊重しながら同じテーブルで話し合いができる、そういう状態でなければそもそも話にならないと私は思います。
 そういう意味で、今申し上げました、東アジア、北東アジアの中で、朝鮮民主主義人民共和国と我が日本国との間ではまだ正式に国交が樹立されておりません。つまり、正常化されていないために、対等にテーブルに着いて話をするということができないままになっておるわけです。ところが、ほかの国はみんな、中国も大韓民国もモンゴルも、北朝鮮とは話ができる。そういう中にあって、我が日本が、経済力は身につけたけれども、アジアで政治的な役割を果たすことはできていないじゃないかという批判が時々あるんですけれども、政治的な役割といっても、まず日本がその地域であらゆる国と話し合いができる状態でなければ、地域安全保障体制の枠組みを話し合うということはできない相談だろうと思っております。
 そういう意味からいいますと、私は、この際、日朝両国の首脳がピョンヤンで会談されて、平壌宣言を出されて、日朝正常化を実現しようという決意を表明されたことは、極めて歓迎すべきことであると思っております。
 そのことは、申し上げるまでもないんですけれども、宣言の冒頭にはっきりとそのことが書かれてありまして、両首脳は、両国の関係を樹立することが地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認したということで、この認識がまず基本になければいけないと思います。
 したがって、この地域の平和と安定のために日朝国交正常化というものが役に立つんだという認識があるわけです。ですから、第一項で、国交正常化を早期に実現するためにあらゆる努力を傾注することとするという約束があるわけで、当然のことだろうと私は思っております。
 こういうふうにして日朝関係が正常化されましたら、それで日本は北東アジア地域の集団安全保障の枠組みの話をする資格ができるかというと、まだそれだけでは足りないと思います。
 それはもう一つの側面なんですけれども、日本は、半世紀以上前に戦争に敗れて新しい日本として出発したはずなんですけれども、この戦争の後始末、戦後処理というものがまだ完全に終わっていない。アジアにおいていろいろの問題を引き起こした戦争の戦後処理を完全に終わっていない国は、新しい枠組みの話をするといっても、なかなか信頼が得られない面があると思うんです。アジア諸国の信頼をかち得るためにも、日本は戦後処理を全うしなければいけないと思います。
 戦後処理は、御承知のように、一九五二年に発効しましたサンフランシスコ平和条約で多くの国との関係を正常化しました。その次に、一九六五年に韓国との間で日韓正常化をやりました。それから、一九七二年に中国との間で日中正常化をいたしました。こういうふうにして次々と関係を正常化して戦後処理をしてきた中で、唯一北朝鮮だけが残っているわけです。
 ですから、日本は、戦争の後始末で北朝鮮との関係を早くきちんと処理をして、そして初めてアジアにおいていろいろの新しい将来に向かっての話をする資格がある、また、そういう日本であってこそ、多くの国とともに未来を語ることができるようになる、こういうふうに思います。
 そういう意味で日朝正常化交渉というものは、日本の戦後処理、第四番目の戦後処理として極めて重要な問題で、これによって日本はアジアにおいて、戦争のいろいろの反省の上に立って、新しい平和のための枠組みづくりに日本が貢献するということができるようになるというふうに思います。
 そういう意味で、日朝正常化はこの平壌宣言が忠実に履行されることによって実現されることが、日本の平和と安全、東アジアの安全保障の面で望ましいことだというのが私の考えであります。
 ありがとうございました。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 次に、和田参考人、お願いいたします。
和田参考人 北朝鮮の歴史を研究しております者として、意見を述べさせていただきます。
 朝鮮半島の平和と安定は、日本の平和と不可分です。このことは歴史の中で何度も確認されてきましたが、今日では、これまでよりもはるかに切実な真実となっています。
 五十年前に朝鮮戦争がありました。北朝鮮が武力統一を目指して韓国に攻め込み、米国が国連安保理決議に基づいて韓国の支援に参戦しました。占領下の日本は、米軍の後方基地となりました。米韓軍は、北朝鮮軍を三十八度線まで押し戻した上、新たな国連総会決議を得て北朝鮮に攻め込み、金日成体制の除去、武力統一を目指しました。だが、そこに中国の義勇軍が参戦し、米韓軍は三十八度線に押し戻されることになりました。
 やがて三十八度線をめぐって一進一退の攻防が始まり、それが二年間続きました。その間、横田と嘉手納から飛び立ったB29が北朝鮮に対する空爆を続けております。戦闘は一九五三年七月の停戦協定で終わりましたが、平和条約は結ばれず、撃ち方やめの状態が今日まで五十年間続いています。
 この間、北朝鮮とアメリカ、韓国の間には直接的な敵対状態、北朝鮮と日本の間には間接的な敵対状態が続くことになりました。しかしながら、軍事的力関係では、米韓側が一貫して有利な状態にあったと考えられます。なぜなら、一九六五年以来八年間にわたり、常時五万の韓国軍がベトナム戦争に参加できたからです。三十八度線が危なければ、それだけの兵力を外国に出すことはできなかったでしょう。北朝鮮の安全を保障したソ連と中国は、武力統一の企ては二度と認めるはずがありませんでした。ですから、朝鮮半島では緊張が続きましたが、朝鮮有事はあり得ないとの判断があったのです。米軍も韓国軍も自衛隊もそのように考えていたと思われます。
 ところで、一九九一年、ソ連社会主義が終えんし、北朝鮮とソ連との関係が切断されると変化が起こります。優遇された貿易関係が終わり、重油を中心にしたソ連からの輸入が激減し、北朝鮮は経済危機に陥りました。同時に、ソ連の核の傘が北朝鮮に及ばないことになって、北朝鮮は、アメリカの核兵器に対抗して、自前の核兵器を持つことを考えることになりました。
 米朝が交渉を続ける中で、北朝鮮の瀬戸際政策はアメリカの厳しい反応を引き出し、ついに一九九四年、米朝は戦争の危機に限りなく近づきました。この危機はカーター訪朝によって回避されましたが、朝鮮有事はこれ以降あり得ることとなり、米国はそのための対策を講じることになりました。日本が有事の際にどのように米軍を助けられるか、日本への要請が出され、日本側の検討が進められました。安保再定義から新ガイドライン、周辺事態法までの動きは、このことのあらわれだと考えられます。
 しかし、朝鮮有事が起こるとすれば、それは、アメリカの制裁攻撃が始まると考える北朝鮮が先制攻撃に出る場合です。韓国と日本の米軍基地が攻撃されるでしょう。ですから、戦闘が始まれば、朝鮮半島と日本は直ちに戦場になってしまいます。日本海側には多くの原子力発電所が並んでいますので、北朝鮮がノドンミサイルでそこをねらえば、核弾頭は必要ないわけです。北朝鮮も、アメリカ第七艦隊のトマホークミサイルで全面的に攻撃を受け、壊滅することになるでしょう。第二の朝鮮戦争は、五十年前の朝鮮戦争とは全く別の恐るべき戦争になり、日本もその戦場になるわけです。ですから、朝鮮有事は絶対に起こしてはならないと思います。朝鮮半島の全住民、日本列島の全住民、そして韓国と日本にいる十万人のアメリカ兵にとって、絶対に起こしてはならないことです。
 そのためには、北朝鮮の内部的緊張を押し下げ、北朝鮮と韓国、アメリカ、日本との関係を抜本的に変え、北朝鮮の内部変化を招来することが必要です。日朝間の国交正常化を早期に実現させるためのあらゆる努力を傾注することを日朝両国の首脳が誓約した平壌宣言は、この目的の実現のために極めて重要な達成でありました。戦後日本外交史に残る成功である、日本の国益にとって大きな成果であるのみならず、東アジア戦後国際関係史に新たな一ページを開くものであると専門家の評価を得たのも、ひとえにこの安全保障上の意義が重視されたからであります。
 さらに、平壌宣言は、日朝関係の正常化を東北アジア地域の平和と安定のための協力と位置づけています。北朝鮮を取り巻く危機的状況を解決することを通じて、東北アジア諸国の相互信頼に基づく協力関係の構築、地域の信頼醸成を図るための枠組みの整備に道を開くという意欲を表明していますが、これは、大東亜共栄圏の構想の惨めな失敗の後、日米二国間関係に隠れていた日本が戦後五十七年を経て初めて打ち出した東北アジアの新地域主義の宣言として、極めて画期的でありました。
 日朝首脳会談の後に、ケリー米国務次官補が訪朝しましたが、核問題での交渉は決裂に終わりました。ケリー国務次官補がウラン濃縮計画についての証拠を突きつけたところ、北朝鮮側がその計画の推進を認めたとの報道がありました。核兵器以上の生物化学兵器も開発をしていると認めたとの報道もありましたが、実際のところ、北朝鮮がどう答え、何を要求しているのかははっきりしません。
 アメリカは、北朝鮮が米朝の枠組み合意に違反して核兵器の開発をひそかに進めており、起爆装置の実験も行い、既に数発の核兵器を持っていると疑っているようです。北朝鮮の側は、ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸の一員と断定したこと、北朝鮮を核兵器による先制攻撃の対象に含めたことは、北朝鮮に対して核兵器を使用せず、核兵器で威嚇しないという基本合意文第三条違反だとし、自分たちは自主権と生存権を守るために、核兵器はもちろん、それ以上のものも持つことになっていると述べています。
 容易ならざる状況です。訪朝したグレッグ元駐韓米大使に対して、姜錫柱外務第一次官は、言っている意味は核兵器を持つ権利があるということだと説明したと報道されていますが、いずれにしても、この問題の速やかな解決が望まれます。北朝鮮に核兵器開発計画を最終的、抜本的に中止させなければなりません。
 ここにおいて、日本の役割が重要です。北朝鮮は長らく、核問題はアメリカと話し合う問題だとしてきましたが、日本としては、どうしてもこの問題で話し合いを求める必要があります。なぜなら、米朝間で核兵器が使用されるとすれば、その対象は朝鮮半島か日本かのいずれかだからであります。被爆国としての日本の立場としても、広島、長崎で被爆した日本人と朝鮮人の立場からしても、核兵器の開発を思いとどまるように北朝鮮に要求していくことが必要です。非核三原則を持つ日本は、日本の周辺で、日本の属する東北アジアで、いかなる国も核兵器をこれ以上製造してはならない、使用してはならないと主張していかなければなりません。
 現在、アメリカが北朝鮮とこの問題での交渉を拒否していることも、日本が北朝鮮と交渉することを必要にしています。日朝国交交渉が唯一の交渉チャンネルです。この交渉で、北朝鮮の核開発中止を、それを検証する原則の確認をかち取らなければなりません。
 日朝平壌宣言は、
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
と規定しています。日本が北朝鮮と核問題を協議し、核開発を中止させていくための手がかり、てこがここに与えられています。南北間で結ばれた朝鮮半島の非核化共同宣言、朝米間の基本合意文について、日本は北朝鮮にそれらの遵守を要求して交渉できるのです。
 KEDOにおいて米国の重油提供が打ち切られるという深刻な事態が発生しています。日本と北朝鮮が核開発問題で交渉を行うことはまさに焦眉の急であり、朝鮮有事は核開発問題での対立から起こり得ることを考えれば、日朝交渉には日本列島と朝鮮半島の全住民の運命がかかっていると言えるのです。
 そうであるにもかかわらず、日朝国交交渉は、拉致問題の取り扱いをめぐって目下完全な行き詰まり状態に陥っています。日朝間には信頼関係がないのです。お互いに誠意を尽くし、約束したことを守り、合意した早期国交樹立の目標に向けて一つ一つの手順を積み上げて交渉しなければなりません。その点で、明文の約束があろうとなかろうと、暗黙の合意があったのですから、五人の被害者をこのまま帰さないと決定したのは文明的な交渉態度とは言いがたく、失敗だったと思います。
 しかし、既に地村夫妻、蓮池夫妻は明確に日本に残る意思を表明されているようですから、振り出しに戻すことは難しいと思われます。唯一残る可能性は、御本人の意思を改めて確認して、希望されるなら、曽我ひとみさんを米国人脱走兵の夫のもとへ帰すことです。そして、蓮池夫妻、地村夫妻のお子さんたちへの御両親の手紙を渡す仕事を曽我さんに託してはどうでしょうか。
 以上でございます。(拍手)
田並委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
田並委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。平沢勝栄君。
平沢委員 自由民主党の平沢勝栄でございます。
 参考人の皆さん方には、お忙しい中おいでくださいまして、貴重な御意見、ありがとうございました。いろいろ意見を伺っていまして、賛成できるところもありますし、和田参考人の意見のように全く賛成できないところもありますけれども、それはともかくとしまして、これから順次質問させていただきたいと思います。時間が限られていますので、答弁はできるだけ簡潔にお願いしたいと思います。
 まず佐藤参考人に御質問させていただきたいと思いますけれども、拉致問題というのは、九月十七日に初めて起こったわけじゃないんです。昔からあったんです。もう一九八八年に国会で答弁しているんです。その翌年には警察白書にも出ていたんです。なぜ今日まで、こんなにおくれてしまったのか。政治家の責任も大きい、マスコミの責任も大きい、学者の責任も大きい、外務省の責任も大きい。私は、この問題について、もちろんこれから解決を急がなきゃなりませんけれども、反省、総括もすべきところはきちんとすべきではないかなと思いますけれども、佐藤参考人、いかがですか。
佐藤参考人 簡潔にお答えをいたします。
 一つは、第二次世界大戦後、特に極東裁判において、日本近代史がほぼ全面的に否定をされた、そういう認識に基づいて、戦後、平和と民主主義というような教育が広く行われてきまして、日米安保条約のもとで日本はどんどん経済成長を遂げてきました。日本の押しつけられた憲法によって、自分たちが主観的に平和を守れば周辺国並びに世界の平和が維持できるというような正しくない考えが浸透していった結果、我が国の国民が近隣諸国、特に北朝鮮に拉致をされる、暴力によって拉致をされていくというような認識がほとんど持てない状況が起きていったということが一つ大きな原因だと思います。
 今、平沢先生から御指摘ありましたように、国会においてはかなり早い時期にこの拉致の問題が取り上げられたにもかかわらず、一九九七年二月まで、つまり横田めぐみさんがあらわれてくるまでは、国会においても、マスメディアにおいても、ほとんど無視されてきた。
 これはなぜかということですが、時間が限られておりますから細かいことは申し上げることができませんけれども、つまり、北朝鮮という国がどういう国であるか、危険きわまりない国であるかというふうな認識を決定的に欠いておった。それは、私が冒頭申し上げたような教育や社会的な雰囲気の中でそういうことが起きたということです。したがいまして、人の痛さを痛さとして理解できない、そういう大変困った社会状況、国民が起きてきた、そして今日に至っているということです。
 以上です。
平沢委員 佐藤参考人にもう一つお聞きしたいと思いますけれども、元外務次官の村田良平さんは、「なぜ外務省はダメになったか」で、いろいろ日本の外交の問題点を指摘していますけれども、その中に、国益、主権を忘れているとか、あるいは、外国とできるだけトラブルを避けようとしたとか、いろいろなことが書いてありますけれども、私は、大事なことが抜けているんじゃないかなと思っているんです。
 というのは、これは朝鮮総連の元幹部が書いた論文ですけれども、朝鮮総連は莫大な金を使ってマスコミ関係者、学者等を籠絡するための工作活動をやっていたと。これは私も警察にいたからよくわかっているんです。北朝鮮は、朝鮮総連は、これはというターゲットを決めて、政界、マスコミ、学者、外務省、いろいろな形で籠絡活動をやってきたんです。
 その結果として、北朝鮮のスポークスマン、応援団になったのが日本の国内にはいっぱいいるんです。これが日本の国益を大きく損ねてきたと私は思うんですけれども、佐藤参考人、いかがですか。
佐藤参考人 理由はいろいろとあると思うんですが、今平沢先生から御指摘のあったことは、私、この問題にかかわって間もなく五十年になります。それで、ずっと朝鮮総連と国会議員の先生方の関係、北朝鮮と訪朝団との関係は私の専門分野ですから、注意深く見守ってまいりました。
 私は、今の状態、つまり拉致を北が認めて五人が帰ってきた、そういうこの今の状態は、日本で戦後初めて、いわば日本の国会議員の中で北側の意向を体して政府・与党に働きかける人たちがいなくなった僕は歴史的な日だと考えております。つまり、北朝鮮を擁護する族議員がいなくなったということなんです。
 今まではずっとおりました。それは、現在の社民党、それから前の社会党、こういうような政党、さらに前の日本共産党というようなものは、理由はどうあれ、北朝鮮の意向を体して積極的に議会内において、さらには議会外において擁護してきた、これが拉致問題を阻害してきたかなり大きな理由です。
 九〇年代以降は、自民党の中に、もうはっきり名前を申し上げますけれども、金丸信さん、さらに渡辺美智雄さん、さらに加藤紘一さん、野中さん、中山正暉さん、こういう方たちが、北朝鮮の意を体して、絶えず米を出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかいうさまざまな動きをやってきたことが、今日、拉致問題が長年問題にならなかった理由の大きな一つだと理解しております。
 以上です。
平沢委員 和田参考人にお聞きしますけれども、和田参考人は、五人は約束だから一たん帰すべきだというばかげたことを言っていますけれども、それはともかくとしまして、和田参考人が昨年「世界」に書かれた論文を読んでみますと、拉致事件は辛光洙一件だけだ、残りの拉致事件はあったかどうかわからない、こういうことを書いておられます。
 警察ははっきり認定しているわけです。警察は別に安明進証言だけで認定したわけじゃないんです。警察は石高証言だけで認定したわけじゃないんです。あらゆる状況を総合的に判断して、そして最終的に八件十一人を認定したわけです。それで、私は、八件十一人以外にもっと認定したらいいんじゃないか、例えば西新井事件なんかも認定したらいいんじゃないかと言うんだけれども、これはあくまでも警察は、訴追にたえられなければだめだということで、ミニマムの認定をしたのが八件十一人なわけです。
 これは結果的に、今回の金正日が認めたことによって警察の認定が正しいということがわかったわけですけれども、昨年の論文の中で、辛光洙以外は事実かどうかわからないというようなことを言っておられますけれども、こうしたことについて学者としての責任はどう考えておられるか、それをちょっとお聞かせください。
和田参考人 私は、北朝鮮との間で交渉していくに当たって、拉致問題というものの交渉が非常に難しいことだというふうに見ておりました。
 したがいまして、一般的に通常、国家はそういうものについて認めようとしませんから、そこで非常にはっきりとした証拠が挙げられるものを外交上向こうへ提示して交渉していくということが可能でありますが、そういう点で、日本政府の認定しておる人々の中で、辛光洙の行いました原敕晁さんの事件は明瞭にそういうような証拠がある、しかし、そのほかのケースについてはそのような物証というものがなく、警察庁はそういうふうに確信を持っていると思われますが、外交的にそれを提示するようなそういう条件がないというふうな状況のもとで、どういうふうに交渉していくべきか、どういうふうにこの問題の解決に進んでいくべきかということを考えたのでございます。
平沢委員 警察庁は訴追しなければならないわけですから証拠を全部出すわけにいかないわけで、警察は警察白書にもはっきり書いたわけですから、一言で言えば、日本の警察は拉致がある、北朝鮮は拉致はでっち上げだと言う、どっちを信用するかという問題だと私は思いますよ。
 ですから、一言で言えば、別に和田参考人だけじゃないのですけれども、ほかにも吉田康彦さんも含めていろいろな方が言っていたということは、北朝鮮の言っていることが正しいということになってくる、そっちの方を信用したということじゃないかなと思うのですけれども。
 そこで、お聞きしたいのですけれども、辛光洙事件は、間違いなくこれは拉致事件として認められるということを言われているんだろうと思うのですけれども、そうだとすれば、辛光洙のこの事件について、和田参考人の場合、北朝鮮に対してどういう運動をとってこられたのか、この辛光洙の問題の解決に向けて。これをちょっとお聞かせいただきます。
和田参考人 この点につきましては、私どもの努力が十分なものであったというふうに申せません。
 ただ、私は、北朝鮮に参りましたときに、辛光洙問題については証拠があるということを北朝鮮側に申しました。そうしたところが、北朝鮮側では、それは韓国の法廷でそうして出てきた証拠ではないかというように申しました。それ以上は進めませんでした。
 そういう状況でございます。
平沢委員 和田参考人が、韓国の民主化運動、それから朴軍事政権のときに、いわば人権問題、民主化運動それから政治犯の釈放運動、こういったものに一生懸命取り組まれたということは十分承知しております。だけれども、今、先ほどフォラツェンさんのお話にもありましたように、もう既にだれでもが知っていますように、一時の韓国とは比較にならないくらい、北朝鮮はまさに、最初佐藤参考人が言われたように軍事独裁国家、人権抑圧国家なんですけれども。
 かつて、和田参考人は韓国の民主化運動に一生懸命取り組まれたわけですけれども、北朝鮮の民主化運動にはどういう形で取り組まれているのか。北朝鮮こそ史上まれに見るいわば悪政というか人権抑圧国家なんですけれども、この民主化運動にはどうやって取り組んでおられるのか、それをちょっとお聞かせいただけますか。
和田参考人 私、北朝鮮の前にソ連を研究してまいりまして、国家社会主義国の体制というものはどういうものかはソ連のケースからよく承知しております。それで、北朝鮮においては民主主義というようなものがなく、言論の自由もなく、そして収容所というようなものが先ほどの御指摘のとおりあり、そういうことは皆承知しております。
 ただ、問題は、そのようなことを、国交がない国の段階でそういうことを提起して問題にしていくということに実効性があるかという問題です。そうでない場合にはこの共和国というものをつぶすということになってしまいます。したがいまして、国交を樹立した暁にそのような努力というものが本格的に始められていくべきだと私は思っています。韓国につきましては、少なくとも韓国では法廷に傍聴に行くことができました。北朝鮮では政治犯の法廷というものが見られないわけですから、やはりそのような状況の中で初めて運動も可能になるというふうに私は思っております。
平沢委員 いろいろ聞きたいことがありますけれども、時間がありませんので次に進ませていただきます。
 中江参考人にお聞きしたいと思います。
 中江参考人は、日朝国交正常化、平壌宣言に基づいて急げ、それはそのとおりだろうと思います。まず、拉致問題について一言も触れられませんでしたけれども、中江参考人は外務省のOBでございます、アジア局長もされたわけでございます。かつての次官、駐米大使の村田良平さん、外務省の対アジア外交は大変に問題が多いということをこの「なぜ外務省はダメになったか」という本の中で、しかも実名を挙げて、歴代のアジア局長、例えば槙田氏あるいは阿南氏、実名を挙げて書いております。そして、この本の中で、中江参考人が書かれたことについてもいろいろと問題が多いということが随分書かれておりまして、私も全くそのとおりだと思いますけれども、中江参考人は、外務省のOBとして、歴代の外務省の拉致問題への対応についてはどうお考えになられますか。ちょっと伺います。
中江参考人 お答えいたしますが、私がアジア局長をしておりましたころは、拉致問題というのは私の目にも触れませんでしたし、耳にも入ってこなかったのです。それがなぜかということはいろいろ御議論があると思いますけれども、拉致問題というのはあるかないかということで長い間議論があって、それがやっとことしになって北朝鮮側が、そういうことがあった、非常にひどいことをした、これは間違っていたので謝罪する、再びこういうことをしないようにすると、大方向転換といいますか、日本から見ると政策の、政策というのか立場の大転換があったわけですね。
 どうしてそういうふうになったかについてはいろいろな議論がありますけれども、その中でよく言われていることは、アメリカが悪の枢軸と言って、イラン、イラクとともに北朝鮮に対する武力の行使すらも辞さない強い態度で出たので、北朝鮮は考えを変えたのじゃないかという意見がありますが、これは非常に危険な考え方だと私は思っております。なぜ北朝鮮がそういうふうに変わってきたかについては、私はよくわかりません。
 それまで外務省では何をやっていたかということですが、今平沢委員の御指摘のように、治安当局の方でこういう問題があると。普通、そういう問題がありますと、これを相手国に対して突きつけて、黒白をはっきりさせて、もし不法行為があるなら、それに対するいろいろの原状回復その他、謝罪、補償、再びそういうことを起こさない約束、いろいろのことがあるわけです。
 そういうことはどういうふうにしてするかというと、これは申すまでもありませんけれども、相手国と交渉してそういうことを決めていくわけです。北朝鮮も、もう既に御承知のように国際連合の加盟国なんですね。国連加盟国でもありますし、多くの国がもう北朝鮮と国交を持っている。日本は、そういう何か不届きな問題があって、それを相手に追及しようと思っても、相手との間に国交がないということが大きな障害だったと私は思うのです。
 ですから、これは私の在任中じゃありませんけれども、拉致問題というものが相当に疑惑が濃い、これは相手に黒白を迫らなければならないということになったときには、やはり早くその相手と話し合いができるように国交を正常化して、そして対等の立場で一つのテーブルを挟んで談判する、そういうふうに日本は努力すべきだという声が上がってしかるべきだったのに、そういう声がなくて、むしろ逆に、こういうことをやっているから正常化してはならぬというふうに今なっているのが私にはちょっと理解に苦しむところでありまして、今はちょっと、先ほど来御指摘のように、正常化交渉に対して拉致問題の解決がいろいろの問題を難しくしているということは否めませんが、冷静になって、だれと何を議論するかということを考えますと、やはりよその国に頼むのじゃなくて、相手国と直接話ができるようになるべきだ、こう思います。
平沢委員 外務省は、警察白書に拉致を書いたときでも、警察に対して外務省からクレームがついてきたんですよ、北朝鮮を刺激するからということで。今まで外務省は英文のパンフレットもつくってこなかったのです。外国に拉致問題を訴えるための英文パンフレットもつくってこなかったんですよ。私は、外務省の責任は極めて大きいと思いますよ。
 それで、今、国交正常化、国交正常化ということを言われていますけれども、森前総理も今の小泉総理も、拉致問題の解決なくして国交正常化はないということをはっきり言っているじゃないですか。これが日本政府の基本的なスタンスで、私は、この基本的なスタンスは間違っていないと思います。
 それで、最後に、フォラツェン参考人にお聞きしたいと思います。
 二つお聞きしたいと思うんですけれども、まず、死亡確認書、八人が亡くなったという中で、七人については同じ病院だ、同じ病院からこの死亡確認書というのが発行されていますけれども、亡くなった場所は全然別々なんですよ。にもかかわらず、同じ病院から発行されている。先ほど、北朝鮮のこういう死亡確認書はでたらめだというお話がありましたけれども、日本の亡くなられた八人のうちの七人について、死亡確認書、七名が同じ病院から出て、しかも全く偽造されたものじゃないかと私たちは思っていますけれども、これについてどう思われるかということが一つ。
 ついでに、時間が来ましたからもう一つお聞きしたいんですけれども、先ほど来、日本は人道支援、人道支援ということを盛んに言っていますけれども、人道支援で本当に末端の苦しんでいる、飢えにあえいでいる人のところに行くなら私たちは反対しませんけれども、私たちは、それは行っているとは思わない。ただひたすら金正日軍事政権を支えているだけ、ただ一部の階級だけがその食糧を得て、そしてそれを享受しているだけだという感じがしておりますけれども、滞在されたフォラツェンさんは食糧支援についてどうお考えになられるか、それについてお聞かせいただけますか。
フォラツェン参考人(通訳) 私の体験から申しますと、北朝鮮の文書というのは信じてはいけない、これはすべて間違っているということです。私が申しましたように、友人の死亡診断書に心臓発作と書かれていた、これは事実は自殺であり、これは間違いであります。
 それから食糧援助については、これは私の、WFPそしてOXFAM、MSF、ACFなどの同僚も確認してくれることと思いますが、困っている、苦しんでいる子供たちのところには届かず、ピョンヤンの軍事エリートのところに行ってしまっているということです。
 そして、日本は大きな支援国として、国連に対して食糧査察官の導入を働きかけていただきたいというふうに思います。食糧査察官は、外交官そして援助の作業員、そしてジャーナリストなどとともにそこに入り、そして子供の状況などを伝えるべきだと考えます。
平沢委員 では、時間が来ましたので終わります。ありがとうございました。
田並委員長 次に、渡辺周君。
渡辺(周)委員 民主党の渡辺でございます。
 きょう、こうした形で、北朝鮮問題の権威ある方々、また実際にフォラツェンさんは北朝鮮で西側の医師として、しかも自由に行動できるお立場の中で、ふだん知り得ないことを見てこられた。大変貴重な機会に恵まれましたこと、また、遠路お越しいただきましたことをまず御礼申し上げたいと思います。
 そこで、フォラツェン医師にお尋ねをしたいんですが、著書の中にもございました、そして今のお話の中にもありましたが、いわゆる北朝鮮の医療レベルというものは一体どういうものなのか。
 我々日本もそうですが、当然、お国のドイツからも大変多くの援助物資、薬品等が送られている。しかし著書を読みますと、薬は非常に欠乏している、そしてしかも栄養状態も悪い。子供たちの発育に必要な、例えば栄養ビスケットのようなものもかなり送られているはずですが、そういう実態はどうなっているのか。今の平沢委員の質問にも関連しますが、まさにそうしたものが、食糧と同様に必要なものが本当に届いているのか。それを御自身が活動した中でどのようにお考え、お感じになったでしょうか。
フォラツェン参考人(通訳) 北朝鮮の医療状況でありますけれども、状況としましては、石けんもありません、水がありません、暖房がありません、ベッド、毛布などもないわけです。ですから、医薬品、食糧ももちろんございません。その医療施設で仕事をしている医師そのものが食べる食糧すらないわけです。
 しかし、北朝鮮の医師の多くは、教育はかなり受けている人もいます。東ドイツやほかの国で以前教育を受けた関係で、教育は医師としては受けておりますが、現在、医薬品がないということで、患者を助けることができないということで、北朝鮮の医師自身が非常にうつ状態にあります。
 私自身、見てショックを受けましたが、多くの医薬品や食糧の援助物資は、本当に必要としている子供に届くどころか、ピョンヤンにおける外交官や特権階級がアクセスを持っているホテルやそれらの店舗で援助物資が売られているわけであります。
 二番目の御質問、食糧支援に関してでありますが、北朝鮮の地方の地域の二七%は、全く外国人が踏み入ってはならない禁止区域となっております。ですから、食糧援助物資が本当に届いているかどうか、外国人としてモニターすることは現時点では全くできない状況にあります。すなわち、地方の二七%が、全く外国人が入れない地域として指定されております。
 ちなみに、これらの全く同じ指定されている地域が、収容所が設立されている地域でもあるわけです。
 また、食品に関しての物資のモニタリングをしようといたしまして、地方に国連の高官や支援プログラムなどの担当者が入ろうといたしましても、常に通訳者またはコーディネーター、訪問などを発表する仲介者などが随行人としてついておりますので、自由なアクセスというのは全くないわけであります。ですから、外交官にとってもジャーナリストにとっても、いろいろな支援を行っている人たち自身が自由にアクセスできないという状況です。
 しかも、平壌で実際作業に当たっているはずの支援担当者でありますけれども、彼ら自身がこの状況をよくわかっているがゆえに、支援を行っている側の人間そのものがうつ病にかかっているわけです。実際、必要な物資が届くべき地方に行っていないということをわかって、自分たちがしたい支援ができないということで非常にうつの状態に陥っているので、そのうつ病を治そうとして、私自身が支援を与えている人たちのカウンセラーの仕事をやっておりました。
 また、地方に食糧物資が届いていないとわかっている支援する側の人間は、書いている書類が間違っているとわかりながらも、来年の献金なり寄附、支援物資を少しでも確保しようとしなければならないので、うそを自分で報告書に書かなければならないという行為に対しても非常に気がめいっているわけです。ですから、国連にしてもWFPにしましても、その報告書にうその記載をしなければならない、そのような行為をしていてうつになっている人たちに私はカウンセリングの行為をしなければならなかったわけです。
渡辺(周)委員 ありがとうございました。
 まさにそうした私たちの思いが届かない、先ほど平沢委員もおっしゃいましたけれども、結果的に本当に困っている人たちの栄養になるのならば、我々はやはりある程度の支援は必要だろう。しかし、それが全くモニタリングできない、そして先ほどお話があったように、外貨商店あるいはやみ市に流される。まさにこういう状況の上で援助の効果があるんだろうかと甚だ疑問に思わざるを得ないんです。
 私たちはやはり、これから日本と北朝鮮が国交正常化に向けて交渉していく上で、先にある究極の目的は、北朝鮮という国をどう民主化させるか、あるいは、北朝鮮が民主的国家にならなければ、今後どれだけ交渉を続けても、まさに我々の善意や努力は水泡に帰すだろうと思うわけであります。
 そこで、北朝鮮の中で、これは簡単にお答えいただければいいと思うんですが、例えば、収容所から出てきた方々、そういう方も診察された。どういう状況なのか。あるいは北朝鮮から出てきて、中朝国境で、まさにそこで見た脱北者、北朝鮮から逃げてきた、自由を求めて、食糧の欠乏から逃れて出てきた方々を見て、一体北朝鮮とはどういう国だ、非人道的な何か結果を見てきたということですが、その点について簡潔にお答えいただけますか。
フォラツェン参考人(通訳) 簡単に、最初の御質問にお答えさせていただきます。
 私は、この食糧支援などについて唯一とり得るアプローチは、国際的な連立、連合体を形成することによりまして、すなわち、日本、韓国、米国、ロシア、中国などの国が提携をいたしまして、イラクに対して兵器の査察を受け入れさせたと同じように、北朝鮮に対して、食糧や人権に関しての査察団を受け入れるようにということでプレッシャーを与えていくべきだと思います。あくまでも、これは国際的な共同作業でアプローチするべきだと思います。イラクに対してアクセスを確保できたならば、北朝鮮に関してもこのようなアクセスはとれるはずだと私は思います。
 また、私、一年半の北朝鮮での経験で、いろいろと北朝鮮当局側、高官などと話し合ったり交渉した結果、私の学んだ教訓なんですけれども、彼らは弱い者に対してはまじめに話を聞いてはくれません。奴隷のようにこちらが振る舞いますと、我々の要求などは一切聞いてはくれません。ですから、彼らも、これをこういうふうにしないと殺すぞなどと脅迫めいたことを言ってきますけれども、それに対抗して、我々もまじめなんだ、真剣なんだ、本当に強い立場で主張するべきことは声を大にして言う、こっちも真剣なんだということを姿勢で示しませんと、相手側は聞いてくれません。
 私、北朝鮮で、道端に拷問されて死んだ兵士の姿を見たことがあります。残念ながら、この子供のような写真、(写真を示す)その死んだ、拷問を受けた兵士の写真は持っておりません。しかし、これは事実です。また、中国との国境付近で数百人脱北してきた人たちを見て、また話を聞きました。北朝鮮で大量な処刑、複数の人たちが一斉に処刑されている現場を見たと証言している人たちもいます。また、生物的な実験を行っているということを証言した人もいます。そのような人たちの話を聞き、脱北してきた人を、私、医者としても診たわけですけれども、明らかに北朝鮮では人類に対しての犯罪が行われているわけであります。
 ですから、それを行っている犯罪者金正日は、正義の裁きを受けなければならないと考えております。拉致を認めた、おわびをした、それだけで許されるということでは決してないと思います。殺人を犯した人は、次の日おわびをしたからとして、自由な人間として解放されるべきではないと思います。やはり正義のもとで裁かれるべきだと思います。
渡辺(周)委員 私たちは、やはり北朝鮮という国が民主化しないと、いつまでたっても日本の脅威であり、極東の脅威であり、まさに非人道的国家を民主化させることがこの日朝交渉の先にあるわけでございます。
 そこで、時間もありませんので最後に質問しますが、今中国の名前が挙がりました。しかし、自由を求めて、そして飢えの恐怖から逃げてくる脱北者、避難民たちを救うNGOも含めて、中国当局が今この人たちを大変厳しい摘発をして北朝鮮に送り返している。そうすれば、今お話があったような収容所に送られて、恐らく生きては出られまい。国家反逆の罪に問われる。
 私たち国際社会は、まさに当面人道問題として逃げてきた方々、この方々を救うために中国に対しても当然協力を求め、時には中国にプレッシャーをかけなきゃいけないと思いますが、今後、国際社会が協力して中国にプレッシャーをかける、あるいは協力の輪の中に引き込む、その手だてについて何かお考えはありますでしょうか。
フォラツェン参考人(通訳) 私は、政治家でもありませんし外交官でもありません、普通のドイツ人の医師であります。しかし、私は、マスコミの力、テレビカメラが持つ威力が大きいものだと確信しております。
 また、私はドイツ人でありますので、もともとドイツ統一の過程を見てみますと、東ドイツの人たちが大使館に逃げ込んだ、それをテレビカメラがとらえることができたということが一つのきっかけになったということも知っております。それで東ドイツの体制が崩壊する流れができたわけであります。ですから、同じことを私はどうしても脱北者に関しましても思い、中国における大使館に入り込もうとしている動きを見てみますと、同じ感触で見守っております。
 現在、中国は、日本や韓国とよい経済関係を結びたいと願っておりますし、オリンピックの関係もあります。WTOに加盟したという事実もありますし、国連の加盟国でもある中国であります。また、国連の難民高等弁務官事務所とバイラテラルな提携関係を持っておりますので、そういう意味では、日本もその経済力を使いながら、日本のみならずほかの外国も含めて、中国に対してプレッシャーをこの分野でかけるべきではないかと私は思っております。
渡辺(周)委員 時間が来たので終わりますけれども、日本はもちろんでありますが、お国のドイツでも、ヨーロッパ全土でも、あるいは昨日まで行っていらっしゃったアメリカでも、ぜひこれは国際的な大きな問題として、拉致事件の問題、それから北朝鮮の非人道的国家を民主化させるために、どうぞ今後また御活躍されることをお祈りして、質問を終わります。
 ありがとうございました。
田並委員長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 きょうは、参考人の四人の皆さんそれぞれの過去の人生をかけてのお話と、私、非常に感慨深く聞かせていただきました。今の渡辺委員の御質問の流れを受けて、最初にフォラツェン参考人にお伺いをいたしたいと思います。
 その前に、これは基本的な私の物の考え方ですけれども、北朝鮮と日本の関係というこの問題、まさに戦後日本が、先ほどお話の中にもありましたように、最後の課題として今解決を迫られている非常に重要なテーマである。拉致問題の解決なくして国交の正常化はあり得ない、こういった観点に立ちまして、いかにして北朝鮮を国際社会の中に引き入れていくか、暴発をさせないでいかにしてうまくソフトランディングさせていくかということに知恵の限りを尽くしていかなくちゃいけない、こんなふうに思っているわけです。
 後で佐藤参考人、中江参考人にもお聞きしますが、まずフォラツェン参考人に対しましてお聞きしたいと思いますのは、私も二冊出されている本の一冊目の方はしっかりと読ませていただいたんですが、きょう私たちの手元に配っていただいたペーパーの中に関連するんですけれども、要するに、北に私たちの想像以上に西側の情報が入っていて、反体制的な動きの兆しがあるとわかる、こんなふうに書かれております。そしてその状態は、アル中が異常に多いという観察とあわせてみると、崩壊直前のソ連と大変よく似ている、こんなふうな書き方がされているんです。
 私は、北をどう軟化させていくかということについて、東西両ドイツのいわば統一、これは非常に環境も違うし、ドイツと朝鮮を一緒にはできないんですけれども、東ドイツが西ドイツに合流をしていった流れをいかにして参考にするかということも、いろいろな意味で、周辺諸国の位置づけ等を踏まえて考えるんですけれども、フォラツェン参考人は、十八カ月北朝鮮におられた、限られた状況の中で、一つは、西側の情報が入っている中から変化する可能性、これをどう見るのかということと、ソ連とよく似ていると言われますが、ドイツの統一に当たっての経緯等何か参考になる点はないか、この二点についてお伺いをしたいと思います。
フォラツェン参考人(通訳) 私は、ドイツ人であるということを強調しておりますので、ですから、ドイツの歴史というところからも学ばなければならないということにいつも留意しております。
 ピョンヤンにおりましたとき、韓国のサウスコリア・ラジオ、そしてボイス・オブ・アメリカ、それから日本のラジオ、これを毎朝聞いておりました。これら三つが、外国のラジオ放送で入ってくるものでありました。
 国境から出ていく難民たちは、こういう情報を把握しておりますし、この安全保障委員会の今行われている会議についても知るに至るでしょう。そして、まさに奴隷キャンプと呼ばれる状況についても、メディアが知るに至っているし、政治家も知るに至っているし、それに関して調査を進めているということは彼らも知っております。
 私が昨日ピョンヤンの同僚から受け取ったEメールによりますと、変化が起きているということを申しております。彼は旧東独の者でして、彼いわく、ピョンヤンの今の状況というのは、壁が崩壊した直前の東ドイツの状況によく似ているというふうに申しております。
 過去十年、二十年、ないし五十年でしょうか、北朝鮮の問題は、全く何も情報がそこから出てこなかったということで、だれもその人権の問題、人権の悲劇が起きているということを知っていなかったということが問題でありました。
 しかしながら、今は状況が違います。メディアがいて、その状況を把握しています。それから、悪の枢軸とも呼ばれ、核の問題も注目されています。それから、日本の拉致問題も話題になり、そして北朝鮮がそれを認めるに至っています。北朝鮮は、外の、外国の、世界において状況が知られているということを、彼らがまた認識するに至っています。ですから、東ドイツと同様、我々がその国民なのだと言って、民主化に向けてその声を上げるということも間もなくであると考えます。
 そして、私自身、関与の政策を支持するものでありますし、お互いに話し合いをするということも支持をするものであります。
 しかしながら、こういう独裁政権をなだめようと思っても、これは無理なのであります。ドイツにおいても、チェンバレンがヒトラーをなだめようと努力をしましたが、これはうまくいかなかったわけであります。
 そういうことから、これは、こちら側から働きかけて、向こうが犯罪を犯しているわけですから、こちら側も同じように強く出ていかなければならないわけで、食糧をくれなければ殺すぞという恐喝に対しては、こちらも強い態度で出ていかなければならない。単になだめるという政策は、うまくいかないと考えるのであります。
 日本の政府とドイツの政府は、立場が似ていると思います。戦争の歴史から、例えば帝国主義とかヒトラーとかそういうことがあったがために罪の意識がある、そういうことから強い立場がとれないという状況は似ていると思います。
 日本は、経済的に強い大国とはなっているんですが、外交政策においては非常に弱い立場をとっています。そういうことから、向こうもまじめに日本の主張を受けないという状況になっています。
 私は、初めて北朝鮮に参りましたときは、非常にナイーブなブロンドの医師にすぎませんでした。あたかも太陽政策をとっている政治家のような振る舞いをし、そして非常に、私の皮膚を提供したり、弱い姿勢をとったのであります。そのような姿勢をとっている限りにおいては、利用し続けられるだけでありました。与えればそれ以上のものを求めてくるというのは、利用し続けられたのであります。
 一年半いる間に、よりタフになること、より強くなるということを学びました。彼らと同じ言語で話さなければ、真剣には受け取ってくれないのです。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 佐藤参考人にお伺いいたします。
 先ほど三つの角度から述べられて、最後の段階で、あらゆる方法で早く倒せという、簡潔に参考人の物の考え方を述べられましたけれども、そのあらゆる方法での中で一番いい方法だと思われることを一つ挙げていただきたいというのと、それからもう一つは、その過程の中で、過程の中というか将来における北朝鮮の暴発の可能性ということについてはどう考えられるか。この二つについて、お伺いしたいと思います。
佐藤参考人 お答えします。
 最初の方の質問ですが、比較的知られていないことですけれども、北朝鮮の経済はほとんど日本に従属をしているというのが実態です。時代によって従属の濃度が違ってはいるんですが、それを断ち切ることです。
 どういうことかといいますと、北朝鮮から日本にはたくさんの船舶が入港してきております。よく言われているのは、万景峰号、新潟に来ていると言われているんですが、もちろんあれもありますけれども、そのほかの港にもたくさん来ております。こういう船舶が一体何をしているのかということです。それに規制を加えること。
 特に万景峰号については、人と金と物とそして情報です。この場合の情報というのは、北朝鮮の党幹部が来て、日本国内で動いているいわば非合法的な工作員の指導、あるいは合法的に動いている朝鮮総連の幹部を呼んでの指導、こういうものがあの船の中で一遍に行われている。
 つまり、物、金、人、そういう情報というものが動いておりますから、この船の入港の規制をされますと、総連中央幹部の表現をもってすれば、北朝鮮の政権は三カ月ともたないだろうと。それは事実かどうかはわかりませんけれども、彼らはそう言っています。それぐらい、船舶の入港に規制を加えるということは、あの政権にとっては大きなダメージになる。もっと言えば、生殺与奪の権を我が国が握っていると断言しても言い過ぎではないと承知しております。
 以上です。
赤松(正)委員 二つ目の方の質問のお答えをお願いします。
佐藤参考人 はい。
 その場合の混乱ということだったと思うんですが、二月の外交委員会でも私、参考人のときに指摘をしましたけれども、今我が国が安全保障ということで考えなければならないことは、難民の問題なんです。つまり、あの政権が崩壊した場合に、大量の難民が南と北またはロシアにあふれ出てくるだろうと。
 北の難民が南へ入った場合、これは一九九四年、北朝鮮の核査察をめぐって非常に緊張した状態が起きたときに日本政府が試算した数字です。つまり、そういう事態が起きたときに日本にどれくらいの難民が入ってくるか、三十万という試算の数字が出ております。それは、韓国の経済が混乱をして飯を食えなくなった人たちが日本にやってくる、もちろん北から韓国経由で来る人たちもいるんですが、そこの難民の対策を急遽やる必要があるということです。
 つまり、関係諸国、日本、韓国、それから中国、ロシア、そして国連の機関、これらのものが難民に対してどう対処するか。私の基本的な考え方は、出てきた人たちじゃなくて、出さないためにどういう措置をとるか、このことが最も重要だと思いますので、関連諸国、国際機関等々が難民が出ない措置を危機管理としてどう確立するか、それを早急にやるべきである。
 一定の混乱は、これは避けられないと思います。戦争になることなどは全然望みませんけれども、あの政権が崩壊するときに、何もなく、日本のようないわば選挙だとかそういうことによって交代するなんということはあり得ません。必ず一定の暴力は伴うというのが私の見解です。したがって、難民対策に全力を挙げるべきであろう。
 以上です。
赤松(正)委員 時間がもう押し迫ってまいりましたのですが、最後に中江参考人にお伺いいたします。
 参考人は先ほど、平壌宣言の忠実な履行、これがもうすべてであるというふうな趣旨のお話をなさいましたけれども、今後の見通しについて楽観的でおられるのか悲観的でおられるのか、その辺について最後に簡単にお願いします。
中江参考人 私は交渉当事者でも何でもありませんので、軽々に見通しを述べることはできませんけれども、似たようなことで日韓正常化交渉のことを思いますと、日本と韓国との間の正常化交渉は何と十四年間かかっているわけです。ですから、目先のことで一喜一憂するのではなくて、こういう大きな外交案件というのはしっかり腰を据えて、時間がかかっても目的を見失わないということが必要だと思います。
 今のところ、具体的な見通しというのは私は聞いておりませんし、難しい段階だろうと思います。
赤松(正)委員 終わります。ありがとうございました。
田並委員長 次に、樋高剛君。
樋高委員 自由党の樋高剛でございます。
 きょうは、四人の参考人の先生方、お忙しい時間を割いて御高説を賜りますこと、感謝を申し上げたいと思います。
 まず、救う会の会長であります佐藤参考人にお伺いをいたしたいと思います。
 私ども自由党では、西村眞悟議員を初め、党を挙げましてこの拉致の問題にも取り組んでいるところでありまして、私も拉致議連の一人としてこのブルーリボンをつけて活動をさせていただいているところでありますが、そもそもこの拉致事件は国家犯罪であり、人権侵害のみならず、いわゆる国家の主権が脅かされた、また、五人の永住帰国というのは拉致問題解決の第一歩にすぎないというふうに思っております。
 また、平壌宣言、これは九月十七日に調印がなされたわけでありますけれども、私は考えれば考えるほどどうしても腑に落ちないのが、拉致の謝罪についての文言が入っていなかったということであります。行間を読んでくれとか、拉致の謝罪についてはここの言葉に含まれているからそれを解釈してくれと言われても、それは無理な話でありまして、そもそも北朝鮮は、拉致を認めた以上は、やはり無条件で原状回復すべきである、全員を日本に帰すこと以外に解決の方法などあり得ない、拉致問題解決なくして国交正常化など行ってはならないというふうに考えているわけであります。
 今、日本政府では、拉致被害者ということで十件十五人を認定なさっておいでです。一方で今、新聞報道、またきょうの委員会におきましても、拉致被害者は九十人とも百人とも言われているわけでありますけれども、やはり私は、日本国として、政府は、疑いがあるという方々がこれだけいるんだよということを公式に世界に向かってきちんと発信すべきである、毅然として示すべきであるというふうに思っているわけであります。
 確かに、今、十件十五人の方しか拉致されたというふうな確証が得られていないからという理由で、もしくは北朝鮮を安易に刺激してはならないという理由でやっていらっしゃるという一つの論理かもしれませんけれども、私はやはり外交というものは、疑いがあるという部分も堂々と、日本政府として、百人ぐらいいるんだということを示すべきであるというふうに考えますけれども、佐藤参考人、いかがお考えになりますでしょうか。
佐藤参考人 御主張には全く賛成であります。しかし、発表いたしますと、今回の経験でわかったことですが、五人が帰ってきたことで我々が経験したことですが、発表された当事者にとって、マスメディアが殺到するんですね。これの対策というのは、実は考えているほど簡単ではない。いわば人権とのかかわりもございまして、ここの対策をどうするのかということで、今私たちは非常に悩んでおるところであります。
 例えば、先ほど申し上げました百名以上の問い合わせが来ているリストの中で、我々はほぼこれはもう間違いないなと思われるものがある。それから、家族の方も名前を公表してもよろしいという人たちもいらっしゃいます。しかし、それをやっちゃいますと、家族はマスコミの怖さを知っておりませんから、いかに家族が了解したといっても公表できないというような問題があって、いわんや警察庁であるとか政府が公に公表した場合、物すごい事態が起きてくるということが、人権上配慮しなきゃいかぬという問題で、今考えておるところです。
 それから、拉致の問題につきまして、きのう私が北朝鮮筋から得た情報で、次のようなことになっています。
 金正日政権は五人を一時帰国させて、彼らは一時帰国と言っている、そして戻す。この一時帰国というのは原状回復なんだと理解しているんです。したがって、原状回復は終わって北に帰した、家族と相談した結果、日本よりもこちらがいいという意思表示をさせて、それで拉致問題は一件落着、日朝交渉、もっと言えば経済協力の議案に入っていくという計画で臨んできたということです。それが、五人が帰らないという態度表明することによって、北朝鮮側の思惑は大きく外れた。そして今、交渉が停滞をしているということです。
 したがって、日朝交渉推進というお話が先ほどからありましたけれども、自国の国民が、確実に五名拉致をされ、八人が死亡した、さらにそのほかに膨大な数の人たちが予測されるときに、拉致の問題をわきに置いて日朝交渉などというのはナンセンスであって、あり得ないことです。
 以上です。
樋高委員 大変重要な部分を御指摘いただいたと思います。
 幾つかありましたけれども、まず、私、毎日いろいろなテレビ、新聞などをうかがっておりましても、永住帰国なさった方々へのマスコミ攻勢、もしくはマスコミじゃないにしてもいろいろな、近くにショッピングも気楽に行けないような状況で、私は本当に心配というか、もう気が気でならないわけであります。
 佐藤参考人おっしゃいましたとおり、疑いある方をオープンにしてくださいという話ではございませんで、国家として、名前はオープンにしなくてもいいと思いますけれども、外に向かっては、外国に対してはオープンにしてもいいんじゃないかという私は話なだけでございますので。
 それと、今御指摘いただいた、重要なことなんだと思うんですけれども、日本国内で永住帰国なさっておいでであります五人の方々、いわゆるマスコミを初めとしてその取材攻勢に対して、やはり対策として、佐藤参考人が国に望まれること、また、いい知恵がありましたらちょっと御高説賜りたいと思います。
佐藤参考人 おかげさまで、中山援護室などの御協力を得まして、現在ただいまのところ、マスコミとの関係においては大きなトラブルがなくて済んでおります。これは政府の協力がなければとてもできないことでございまして、今回のやはり経験というのは、国にとっても我々にとっても非常に貴重な経験だったと思います。
 マスコミの方たちも節度を守って、まあ若干踏み外しているところもございましたけれども、全体としてはきちっと節度を守っていただいて、今まで大きなトラブルがない。したがって、今回の経験をそのまま、今後も引き続きとった方がいいだろうと考えております。
樋高委員 どうもありがとうございました。
 それでは、ノルベルト・フォラツェン参考人にお伺いをいたしたいと思います。
 北朝鮮から脱出をいたしましてから、この手記も拝見をさせていただきましたけれども、三十八度線、南北の国境線を越えるふりまでなさって、体を張って、北朝鮮問題について関心を持っていただくように、思い切った手段をとられた、その勇気を私は心からたたえたいというふうに思っているのであります。
 きょうはるる話がありましたが、総論としてお伺いをしたいのでありますけれども、北朝鮮の多くの国民の方々が恐怖心、そしてうつ病状態に陥っているということでありますけれども、その原因につきまして、それともう一点、その対策、私は結局この二点に尽きるのではないかなというふうに思っております。
 多くの方々が恐れおののいたり、日々戦々恐々とした生活を送っているということでありますけれども、その原因は何なのか。そして、先生の医療的な言葉で言えば、最大の治療方法という言葉で書籍では申しておいででありますけれども、対策はどういったところに持っていくべきなのかということをお伺いいたしたいと思います。
フォラツェン参考人(通訳) まず、私は医者であります。医療上の診断として、北朝鮮の市民は恐怖のもとで生活しておりますし、その結果としてうつ病態になっている人が多いわけであります。しかし、医学的な治療法としては、もちろん抗うつ剤やほかの治療法も考えられるわけですけれども、それよりもやはり今の現状を見た場合、私は一医師でもありますけれども、にもかかわらず、やはり政治的なマンデートという次元で考えていかなければなりません。そういう意味では、一時的に政治家になり、また外交官になったつもりで、私は、あえて挑発的な行動をとってこなければならないという、緊急医療医師としても挑発的なことをやらなければならない状況に今までありました。
 そして、今皆様にも訴えたいことは、この子供たち、今飢餓に苦しんで、今死ぬところにいるわけでありまして、五十年後の朝鮮半島の統一などを待つ暇が、時間が彼らにはないんです。
 また、私、ピョンヤンでの生活で学んだわけですけれども、北朝鮮の政策の一部として、本当に北朝鮮はプロパガンダにたけております。世界チャンピオン級だと言えるほどプロパガンダにたけているわけですし、メディアの操縦また洗脳の策にも非常にたけています。
 私、この友好メダルというのをもらいました。それは皮膚を移植したということだったわけですけれども、この出来事を北朝鮮のメディアはプロパガンダとして大々的に取り上げて、新聞、テレビに報道されたわけでありまして、非常に大きなストーリーとして宣伝されました。しかし、その持っていき方、その方向性というのは、私は金正日を余りにも尊敬している余りに皮膚を提供したということになっているわけです。
 しかし、これに対抗する唯一の政治的に可能な方法というのは、彼らと同じ策を使う、すなわち、同じプロパガンダという手法を使ってマスコミを活用させていただくことではないかと思います。
 私は、そのような観点から、やはり北京やほかの中国の都市での大使館で壁をみんな越えるという状況を、例えばCBS、CNN、AP通信や日本のジャーナリズムがとらえる、それも結局世界の脚光を浴びるという意味ではいいのではないかという考え方を持っております。また、非常に勇敢な日本のジャーナリストが北朝鮮に入って、そして実際収容所のビデオを撮って見せる、このようなこともいいのではないかと思います。
 私自身、板門店で国境を越えるということを試み、それも結局テレビに注目してもらって、世界のマスコミに多く取り上げてもらうことによって、この人類の今起きている惨事に世界に注目してもらう、これが重要なのではないかと思います。
 そこで、私は今いろいろなアイデアを考えつこうと努力しているわけですけれども、例えば、食糧物資などを大量に積んだ汽車の車両を本当に連ねて板門店の方に向かう、または日本の複数の船に米などを載せまして船隊にして北朝鮮の港に向かう。ですから、これらの大量の食品物資を北朝鮮に供与いたします、しかし、必ず一つの条件を守ってくださいと。
 イラクでほかの国がやってきたのと同じように、自由なアクセスを我々査察官に対して確保してください、査察官のみならずジャーナリスト、外交官、自由に北朝鮮にアクセスを確保して、子供たちに本当にこの物資が届くか、その確認をしていきたい。ですから、汽車でもいいですし、船でもいいですし、元山港などに日本の船を複数行かせて、CNN、CBS、APなどが見ている前で、とにかくジャーナリストを入れてください、そうでしたらこれだけの物資を渡しますよと。
 ですから、北朝鮮は世界に対して今までいろいろな脅迫をしてきたわけです、こうしないとこうしますよと。逆に、彼らと同じショーを我々が逆手にとって、これを受け入れないとこういうふうになりますよと、我々の方から北朝鮮をある意味では脅迫していかなければならないのではないかと思います。
 私、強く確信していることですけれども、日本は経済力を持っているわけです。ですから、その経済力を使って北朝鮮に対してプレッシャーを日本はかけることができるわけですし、日本の国民の皆様は、北朝鮮で現在飢え、死のうとしている、本当に国の奴隷として扱われている人たちを解放する助けができるのではないか。すなわち、北朝鮮の国民が自由な社会に生きられるように、日本の市民は策をとれると思います。
 瀬戸際政策や脅迫という手法は、相手側が恐怖感を抱いているときのみ通用する策であります。確かに今、北朝鮮は核兵器を持っているということなので、周りの国は恐れを抱かざるを得ない状況ではありますけれども、では、ロシア、中国の今の行動を見てみますと、以前に比べて変わってきております。ロシア、中国も、今北朝鮮が核兵器を持っているということを非難しているわけであります。
 ですから、日本、韓国、米国、ロシア、中国などの国が国際的な連合を形成して北朝鮮にプレッシャーを与えていくべきだと思いますし、脅迫、また古い形での瀬戸際政策は、今はもう通用しないのだということを伝えるべきだと思います。
 中国やロシアは今までと変わってきております。それぞれの国の北朝鮮との国境付近でも見た変化でありますけれども、中国側、ロシア人側のビジネスマンが、やはり経済関係、取引などに関心が今向いているということで、例えば、北京からソウルに鉄道を敷きたいとか、日本との取引をより活発にしたい、ウラジオストクからソウルまたは日本へトンネルを掘りたい、そういうような経済活動を促進していきたいと思っているロシア、中国ですから、そういう意味でもこの両国の外交政策は変わってきているわけでありまして、そのような国と日本は一緒になって北朝鮮にプレッシャーを与えていくことができると思います。
樋高委員 時間ですので終わります。
 先生方の活躍を祈ります。ありがとうございました。
田並委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。
 きょうは、四人の参考人の皆さん、大変ありがとうございました。
 そこで、中江参考人にお伺いいたしますが、先ほど、日朝平壌宣言の意義について、特に東北アジアの平和と安定に果たす役割、それから、日本がアジアに対する戦争の責任を明確にして、アジアの平和のために働く、そういう立場を確保していく上でもより大事だということを述べられておりましたが、その日朝平壌宣言の意義について、限られた時間でありますので、日ごろ参考人が考えておられることで追加することがありましたら、ぜひお願いしたいということ。
 それから、今本当に、今度の日朝交渉をめぐって拉致問題、国民的な関心事になり、大変胸を痛めている出来事でもあります。拉致問題の解決が日朝交渉に当たって重要な課題であることはそのとおりであります。
 同時に、日朝間の交渉というのは、その他日朝間に横たわる問題について包括的に話し合い、解決をしていくという立場もまた日朝平壌宣言で明確にされていることですが、北朝鮮というのは、これまでもラングーン事件を初め国際的な無法行為を数々行ってきた国であります。それで、そういうこれまでの無法を日朝間の交渉においてきちんと清算をして、そして本当に国際社会の仲間入りをするために日本が役割を果たすというのであれば、相手が無法な国であればあるほど、我が国は道理と理性に立った交渉を進めて、理性的な解決を図ることが外交の上で大変望まれるんじゃないかと思うんです。
 中江参考人は、その意味では日本外交を担ってこられたいろいろな経験をお持ちですので、そういう経験に照らしても、今、今度の困難をきわめている問題について、やはり道理と理性と冷静にということを先ほどおっしゃいましたけれども、そういうことなどについても、もし御意見がありましたらお聞かせいただきたいと思います。
    〔委員長退席、末松委員長代理着席〕
中江参考人 御質問の第一点の、今度の日朝平壌宣言をどう位置づけるかという問題ですが、私は、これは二つの問題があると思っております。
 一つは、先ほども申し上げましたけれども、やはり戦後の日本の戦争処理の残された、最後に残された問題である。これを本当を言えば二十世紀中に解決できればよかったんですけれども、いろいろな事情でおくれていた。これをこの際、首脳の直接の会談で解決の道を開いたということは、戦後の日本の外交では四つ目の大きな案件処理である、こういうふうに受けとめております。これが第一点です。
 なぜそういうふうになったかということについては、これはもう長いというか数十年の戦後の歴史を見ればわかるんですけれども、やはり冷戦というものが非常に邪魔をしたために、日本の戦後処理がいろいろな形でいびつになった。例えば、中国大陸との国交正常化についても、台湾の存在というものが、冷戦下であったがために非常に日本の対中交渉を難しくした。今でも台湾問題というのはいろいろ議論を起こしているということがございます。
 そういうことで、日韓交渉も、先ほど十四年もかかったと申し上げましたけれども、それもやはり朝鮮半島については、御承知のようにカイロ宣言で朝鮮の独立を承認するということになっていたわけですね。それを受けたポツダム宣言を日本は受諾して、そして、だからこそサンフランシスコ平和条約でも朝鮮の独立を承認するという文言が入っているにもかかわらず、日本は朝鮮の独立をはっきりと承認する機会がないままに冷戦の中に取り込まれて、南の韓国とのみ国交正常化してしまった。そして北朝鮮の方を白紙のままで放置してきた。これはやはり外交上相当な問題だろうと私は思います。
 その白紙で残していた北朝鮮との関係を、冷戦がなくなった一九八九年以降、速やかにその白紙の北朝鮮の部分に筆をおろして独立を承認して、きちんと話し合いのできる相手として認めていくという、そういう外交措置をとるのが筋だったと思うんですが、それが残念ながらできない。
 それにはいろいろな理由がありますが、今までになった。ですから、今回の平壌宣言はむしろ遅きに失したものではないか。もっと早くてもよかったはずのものが、なぜおくれたんだろうか。十年間の空白と言う人もいますけれども、冷戦後、今まで放置されたことはそれなりの理由があったにしろ、よく考える必要がある問題だと。
 ですから、幸いにして両国の首脳が直接会って正常化の道を開く合意をしたのですから、これを尊重して、早く正常化していくことがいいんじゃないかというのが第一点です。
 もう一つは、この平壌宣言の冒頭にも書いてあります、先ほども申し上げました第四項には、特に北東アジア地域の平和と安定の問題を取り上げております。これはやはり、これから二十一世紀で日本が平和と安定と繁栄を確保していくためには、この地域のしっかりとした安全保障の枠組みが必要だろうと。そのためには、この地域で唯一国交の持てていない北朝鮮との間に国交をはっきり持って、そしてほかの近隣諸国とともにこの地域の安全保障枠組みをつくっていく、そういうことを可能にする、それがまた日本の安全保障にも直接つながる問題だという意味で、この宣言は非常に重要な意味を持っているというふうに思います。
 ですから、かいつまんで言いますと、日朝間の二国間の問題と、それから北東アジアにおける日本の安全保障、この地域の安全保障にとって非常に重要な意味を持ってくるというのが私の受けとめ方です。
 それから、その次の問題として、拉致の問題を初めとしていろいろな問題があります。これはどの国ともそうですけれども、特に近隣諸国同士というのは世界じゅうどこでもたくさんいろいろな問題があるのは、これが通常であって、周辺諸国と平和で友好でというようなのは、理想ではあっても、なかなか実現は難しい。それで、そういう場合にはどういうふうに処理していくかというのは、これはいろいろなチョイス、選択があると思いますけれども、基本はやはり、国際社会ですから、お互いに主権を尊重していく、相手の内政に干渉しないという、これはもう踏み外してはならないものだと私なんかは思っております。
 ですから、日本がここで何かをするという場合にも、まず相手の主権を尊重する。相手を頭から尊重しない、信頼しないということでは話し合いにならないので、やはりお互いに主権国家同士として尊重し合った上で、信頼醸成のために努力していく。この道は、先ほど来プレッシャーの話が出ておりますけれども、プレッシャーによって何かしようというような方向は、戦後の日本の外交ではとるべきでないということだったように私なんかは思います。
 やはり平和外交と言われておりますけれども、話し合いによって、それではなかなからちが明かないし、まどろっこしいという感覚があり得ますけれども、しかし、そう難しく複雑な問題を一年、二年で簡単に片づけていくということも難しいので、やはりそこは忍耐強く話し合っていく。それ以外には、武力の行使とか武力による威嚇とか、そういったものは国連憲章も禁止しておりますしサンフランシスコ条約もそれを踏襲しておりますし、日本国憲法も第九条で、武力の行使や武力による威嚇は、これは永久に放棄するとしているわけですから、力による外交というのではなくて、平和的な話し合いによる解決に努力する、その線はやはり踏み外してはならぬ問題だ、その前提は、お互いにまず、正常化した国についてはその主権を尊重して内政に干渉しない、この原則は守らなきゃならぬのじゃないか、私はこう思います。
    〔末松委員長代理退席、委員長着席〕
赤嶺委員 今、最後のところで武力による威嚇、武力行使のお話も出てまいりましたが、大変気になるのは、この日朝間の問題が、一方でアメリカの北朝鮮、イラン、イラクに対する悪の枢軸、こういう国際情勢がまた背景にあるということであります。それで、アメリカは先制攻撃戦略も隠してはいないわけですが、私、果たしてそういうアメリカの悪の枢軸のような態度が、東北アジアに平和を実現する上で、そういう姿勢というのは必要なのかどうかということを大変疑問に思っています。
 私は沖縄県の出身ですが、よく沖縄の基地が問題になるときに、我慢してくれ、国際情勢の安定するまではというのを五十年聞かされてきたわけですね。ところが、今のアメリカのそういう態度を見ていると、本当にそれが、そういうもので東北アジアの平和と安定というものを実現する上で必要なんだろうかということを考えてしまいます。
 中江参考人は、この点についていかがお考えでしょうか。
中江参考人 ただいま御指摘の点といいますか、そういう側面から見まして私がすぐ思い浮かべますのは、今から七十八年前になりますか、一九二四年に中国革命の父と言われた孫文が、日本でいろいろ活躍をして、いよいよ中国大陸に引き揚げる直前、神戸で最後の演説をしているんですね。その孫文の最後の演説で、今日本国民に求められているものは、一体日本は西洋の、西洋というのはつまり欧米の、覇道の先、番犬になるのか、それとも東洋伝統の王道の先駆者となるのか、それが今日本国民に問われているんだという言葉を投げかけて彼は中国に行ったわけですが、その後日本がどちらを選んだかというと、覇道を選んで、そして惨めな、戦争に負けて今日のようになってきているわけです。
 この欧米の力による物の処理といいますか対決の仕方、この覇道を排するというのは、これは日中共同声明にも日中平和友好条約にもございますけれども、反覇権ということで、覇権主義には反対する、日本は平和に徹するんだということでまいって、これは東洋伝来の仁義と道徳に基づく王道によるつき合いと。
 私は、日本が戦後、前の戦争の大きな反省の上に立ってアジアにおいて平和と安定のためのイニシアチブをとり、またそういう活動をしていく上で、やはり日本は、覇道を選ぶのではなくて、王道による参加、干渉といいますか関与をしていくということが必要だと思います。
 そういう観点からしますと、アメリカのやり方は、孫文が当時から指摘しているように、欧米の伝統的な、力による、覇道による支配というものが、やはり悪の枢軸というような仮想敵国のようなものをわざわざつくって、そして士気を鼓舞して現状を打破、改革していく、そういう手段を選んでいる。これは日本として、あるいはアジア、東洋の国として選ぶべき道ではないというふうに私は思います。
 ですから、やり方はいろいろあると思うんです。政策には、特に外交政策の場合には、相手は二百近くの国がいろいろなことをやっているわけですから、そういう国とつき合うに当たって、基本として日本が忘れてはならない点は、そういう戦後の日本がどういう道を歩んでいるのかということをはっきりさせることが、結局、アジアの国から日本が信頼をかち得ていくゆえんではないか、こういうふうに思います。
赤嶺委員 重ねて中江参考人にお伺いいたしますが、今、孫文の言葉もお聞かせいただきましたけれども、いわば北朝鮮との関係、あるいはアジアの問題で、日中の問題では台湾の問題も残ります。同時に、中江参考人の講演の記録などを読みますと、アジアでは今、アジア外交の力強い流れが起きており、そしてそのアジア地域の外交をもっと日本が重視するようにして、その場合に、域外大国というのでしょうか、アジア地域以外の大国の介入を認めないで、やはりアジアの国同士が平和と安定の関係を築いていくべきだという将来の展望をるる述べておられるところもありますけれども、将来のそういうアジアの外交、どうあるべきかということについてもお願いいたします。
中江参考人 今、アジアで地域的な協力といいますか、あるいは政治的な枠組みというようなものは非常に活発に流動していると思います。それの核になっているのは、先ほど冒頭で申し上げたと思いますが、ASEANなんですね。東南アジアのASEANを中心にして、東南アジア、ASEAN十カ国、これはもう東南アジアを全部網羅してまとまったわけですが、それにASEANプラス3といって、ASEANプラス日本、中国、韓国、そういう枠組みもあります。さらにこれを広げてASEANリージョナルフォーラム、ARFといいますが、これになりますともう域外大国、アメリカもオーストラリアもカナダもみんな入ってくる。非常に広いARF、そういう場もあるわけです。
 いろいろな場があって、アジアなりに苦心しております中で日本は、本当を言えば平和を愛する国としてもっと外交的な、政治的な役割を果たし得るはずだし、果たすべきだという気持ちが多くの人にあるにもかかわらず、必ずしもそうはいかなくて、二言目には日本の経済力、経済力と言われている。ただ金の力だけで世の中を動かすというような、そういう発想ではどうもアジアでは、金の切れ目は縁の切れ目ではありませんが、本当に信頼に基づく協力関係というのは難しいように思うんです。
 ですから、まず我が身がはっきりとした理念を持つ必要があると思います。その理念は、もう何度も申し上げておりますけれども、前の戦争に苦い経験をしたその反省の上に立って、新しいアジアのあり方はやはり平和に基づいて、平和外交の基本を守ると。にもかかわらず、アジアの国、特にこの北東アジアの国では、日本が平和に徹しているのかどうかということについてはまだまだ疑念を持っている向きがあります。
 そういう点は、我々の努力が足りない。ポツダム宣言の受諾から始まった五十年この方の国際情勢の中で、日本はどういう道を選択してきたか、それが果たしてよかったかどうか、これからはどういう道に行くべきかということをもっと国内で議論していくべきだろう、こう思います。
 そのときに、やはり安全保障の問題は、単なる軍事的な狭い安全保障ではなくて、最近は人間の安全保障などと言われる言い方もありますけれども、広い意味の総合的な安全保障というものを視野に置いて、個々の具体的な懸案一つ一つはもちろん大事ですけれども、それをのみ込んだ大きな歴史の流れというものを見失ってはならぬだろうというのが私の考え方です。
赤嶺委員 時間が来ましたので終わりますけれども、先ほど来の議論の中で、拉致問題に関しまして、国会はいち早く取り上げたのに、政党がどうだったんだとか、あるいは、政党の中には北朝鮮の代弁者になっていた党があったとかということで、私たち日本共産党の名前も挙げての議論がありましたが、実際は、国会で一番最初にこの拉致問題を取り上げて日本社会で問題にしたのは、私たちの日本共産党の橋本敦参議院議員の一九八八年の予算委員会での質問でありましたし、北朝鮮の労働党との関係では、一貫して自主独立との関係で、しかも労働党の無法を絶対に許さないということで断絶までしてきて頑張ってきた歴史を持っているということもまた御理解いただきまして、私の参考人への質問を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
田並委員長 次に、今川正美君。
今川委員 きょうは、四人の先生方におかれましては、非常にお忙しい中にこうした安全保障委員会においでをいただきまして、本当にありがとうございます。
 私も実はこの拉致事件、今五人の拉致被害者の方々が日本に帰ってきておられますけれども、日本政府として北朝鮮との交渉の中で、とりあえず一、二週間一時帰国という言質を与えたようで、これをもって北朝鮮の側に約束違反ではないかという言いがかり、口実をつくってしまったんじゃないかと思いますし、このままいきますと、北朝鮮に残されている家族の皆さん方と果たしていつ会えるのかという心配もするわけであります。
 まず和田参考人にお聞きしたいと思いますが、先ほど、曽我ひとみさんの御主人が体調を崩して入院なさっているということにかかわって、その処遇をめぐって御意見がありましたけれども、今のいわば膠着状態に入ったようなままだと、どんどん月日が流れるだけで、一部には、ほうっておけば北朝鮮の側が折れてくるだろうという物の見方もありますけれども、しかしその保証がない。そういった意味では、もう少し何らかの工夫をして北朝鮮を説き伏せて、結果として五人の拉致被害者の皆さん方の御家族が無事この日本に帰ることができるには、どうすればいいだろうかなというふうに思うわけであります。
 その点についてもう少し具体的に、和田参考人の方から、お考えがございましたらぜひお聞かせを願いたいと思います。
和田参考人 非常に難しい状態でして、日本の政府としましては、日本の政府の立てている方針というものがあり、政府のメンツもありますので、非常に難しいところだと思いますけれども、やはりこのままいきまして、日本の方では石油が足らないわけでもないし、食糧がないわけでない、我々はいつまでも待てるという姿勢をもって、北朝鮮に対し、北朝鮮はお金が欲しいのだから折れてくるに違いない、こういうふうにだけ言っておるということは、北朝鮮という国家が非常なるメンツ国家である、メンツというものを非常に重視している国家だということから考えると、このような態度をとり続けることもまた得策ではないというふうに私は思っております。
 要するに、平壌宣言で、あのような形で小泉首相がいらっしゃって、そして北朝鮮に拉致の事実を認めさせたということは、これは並大抵のことではなかった、北朝鮮を説得した大きな行為であったと思いますので、それに続けてやはり同じような形で説得していく、そして北朝鮮というものを変えていくということが望ましいわけでして、そのためにはやはり時間をかけて問題を解決していくという態度は必要ではなかろうかと思います。
 特に、曽我さんの場合には、アメリカの脱走米兵を御主人に持っておられるという状況で、この家族に日本に来るようにということを申すことは非常に困難なことで、現実的に不可能なことでございますから、曽我さんの状況というものはほかの方とちょっと違うようなふうにテレビの報道でも拝察しております。ですから、やはりこれは曽我さんの御意思ですから、曽我さんがこのまま残りたいとおっしゃればもうそれで、当然そうであろうと思いますけれども、もしも一時でも北朝鮮に行きたいというお気持ちであれば、それは、将来において曽我さんがこっちへ来るということになりましたらそれは必ず守ってもらうということを向こうに約束をとりつけた上で、一時帰すということもあり得るのではないかと私は思います。
 それで、一番問題なのは、だれしももう皆わかっておることでございますけれども、地村さんと蓮池さんの御夫妻のお子さんたちは北朝鮮で北朝鮮の人間として育てられたということでして、そしてそういう人間がどういう教育を受けてきたかということはもう明らかでありますから、いきなりその人たちに対して、こういうかくかくしかじかというようなことを北朝鮮の官憲が説明をして、そして日本に行くようにというふうに説得させるということは、非常に難しい問題があるというふうに考えられます。もし普通にいけば、北朝鮮の中に彼らがいるわけですから、日本には行かないというふうに言う可能性が非常に高いということであります。
 ですから、そういう状況を何とか打開するためには、やはりいろいろな条件を整えて、周りの環境も整えていく。それにはやはり日朝間の交渉も進めていくということの中で、あの子供さんたちが日本に来れるような条件をつくっていくということが望ましいと私は思っております。
 そういう手始めとして、曽我ひとみさんの帰国、まあ北朝鮮行きという問題はあり得るのではなかろうか。それで、そういう方が、曽我さんが行かれて、お二組の御夫婦のお子さんたちへの手紙などを持っていっていただいてお子さんたちに説明していただくというようなことは、何といっても被害者自身が説明するということで、北朝鮮の官憲に説明させるというよりははるかに意味があると思います。すぐに答えが出ないかもしれませんが、将来において必ず生きてくるというふうに私は思っております。
今川委員 同じこの問題で、中江参考人は、元中国の大使もなさって日本の外交関係で実際に携わってこられた方ですから、そういう方に対しては愚問になるかもしれないんですけれども。
 今、拉致被害者の五人の方、日本におられます。北朝鮮に残された御家族の皆さんを、時間は少々かかっても無事日本に戻っていただくための一つの方策として、例えば、日本国籍の一、二万トンクラスの客船に乗っていただいて、ピョンヤンの近くの港に停泊する、そこに北朝鮮に残された御家族の皆さんを連れてくる、日本からも関係する当事者を全部この客船の中に集める。もちろんそこで、先ほど和田参考人もおっしゃったように、五人の皆さん方の子供さんたちは、北朝鮮で生まれて北朝鮮人として育てられてきていますので、相当な説得が要ると思うんですね。そういった意味では、北朝鮮の監視下ではなくて、自由な環境の中で時間をかけて、御両親ともども日本に帰るという説得が要ると思うんです。
 今私が申し上げたのは一つのケースなんですけれども、今の状態を何とか打開する一つの手だてとして、日本国籍の客船であれば当然日本の主権の範囲内ですから、北朝鮮がどう対応するんだろうかということが一つ気になるんですけれども、その一つの有効な手だてとして今申し上げたような方法が可能かどうかということ、これまでの御経験の中でいかがでしょうか。
中江参考人 私の今までの経験の中でと言われると非常につらいところで、そういう経験は今までなくて、ただ、私が経験した拉致に関連する問題というのは、金大中現大韓民国大統領が東京で拉致された金大中事件のときには、私は外務省におりまして、その処理のお手伝いをしたことがあります。
 そのときにも、今とは全く同じじゃありませんけれども、何をもって原状回復と見るかというようなことは非常に議論されたんですね。一時は、飛行機でトランジットでちょっと羽田でも成田でもいい、空港におり立って、そこでだれかと会って話ができればもうそれでいいじゃないかというような議論もありました。あのときに金大中事件の収拾に当たっていろいろな案が出ました中には、今先生が御指摘のような具体的なあれはありませんけれども、似たような発想というのがいろいろあり得るんですね。
 結局どうなったかというと、金大中さん自身がもうそれをあげつらわないということにされて、そして大統領になられて、今北朝鮮に対していわゆる太陽政策といいますか、そういう政策をとっておられますね。
 そこのところをよく見きわめますと、やはりこれは、問題は当事者御本人の物の考え方、対応の仕方というものが非常に大事なので、周りからこれがよかろう、あれがどうだ、こうではなかろうかといろいろ議論をすることは、あの当時もいっぱいあったわけですけれども、やはり基本は当事者それぞれの人権を尊重するといいますか、その人の考え方というものを大事に尊重するということが基本だろうと思います。
 それから、それに関連して、ちょっと次元は違うかもしれませんが、あの平壌宣言が出ましたときに、アメリカも中国もヨーロッパも韓国もすべて非常に歓迎したわけですね。日朝首脳が会談して正常化の道が開かれたことは非常にいいことだということで、国連事務総長も含めてみんなが歓迎して、それを理解を持って見守って受けとめた。だから、その流れの中で、いろいろな問題があっても、それは本流を外れない限りにおいて最善を尽くすということでないと、国際的な評価というか期待を裏切ることになるんじゃないかというふうに私は思います。
 それは何かというと、やはりあそこまで、首脳会談を実現するまで持ってきた日本側と北朝鮮側の人脈ですね、交渉した人たちの信頼関係、そういうものがあって初めてああいう問題というのはできるので、相手の言うことを信頼しない、あるいは約束を守らないようではとてもできない相談だと私なんかは思います。
 そういう意味で、せっかく会談が行われて、その後いろいろ交渉事があって、いろいろもめるのはこれは当然ですけれども、ごたごたしたために、せっかく築かれた信頼、当事者同士の信頼関係が崩れるようなことになることは避けるべきではないか、もし約束したのなら、約束はやはり守るべきではないかというふうに思います。
今川委員 次に、佐藤参考人にお伺いをしたいと思うんですが、実は、この私の手元にあるのは佐藤参考人が書かれた本で、「拉致家族「金正日との戦い」全軌跡」という文庫本でありますが、これは、北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会の会長という肩書のもとでお書きになったものですね。
 それで、これの一番後半のくだりに、いわゆる拉致問題、拉致事件を解決するためには今の金正日政権下では無理ではないか、最終的には金正日体制の打倒を目指そうという小見出しのもとに書かれておりますけれども、ここで言われている拉致事件、拉致問題の全面的な解決というのはどういう状態のものを指すのかということと、それから、金正日体制の打倒というふうに小見出しに言っていますが、具体的な手段といったものをどう考えておられるのか、その真意を伺いたいと思うんですね。
 少なくとも、平壌宣言なり、何はともあれ九月の十七日に小泉総理が直接北朝鮮の最高責任者と会談をしたということで、これまで拉致疑惑と言われていた問題が、八名が本当に亡くなられたかどうか現時点でははっきりしませんが、少なくともこの拉致事件の一端がはっきりしたということでありまして、小泉総理も、核の問題、ミサイルの問題あるいは植民地支配時代の清算の問題も含めて包括的に交渉の中で解決を図っていきたいという小泉総理のスタンスからすると、この佐藤参考人のおっしゃっていることとはかなりずれがあるのではないかという思いもあるものですから、その真意のほどをお聞かせ願いたいと思います。
佐藤参考人 大変よい御質問をしていただきまして、ありがとうございました。
 お答えいたします。
 最後の、小泉総理とのスタンスが違うのではないかということですが、はい、そのとおり違います。
 拉致の解決とはいかなることかということですが、私の理解によれば、百名近い人たちが、日本人が北朝鮮に拉致をされている、これが全員日本に帰ってくることです。そして、実行犯を処罰することです。相手側に損害賠償を請求することです。それが拉致問題の解決です。それ以外の解決はないと承知しております。
 では、金正日政権にそのことが期待できるのか、全くできません。例えば、金正日政権はこの二十五年間、拉致はデマとでっち上げ、ありもしない拉致だと言ってきた。一転して認めましたよね。これは二十五年間うそをついてきたということです。核兵器、開発はしておりません、言い続けてきました。十月上旬、核兵器の開発を事実上認めました。これもうそを言ってきたことです。金正日政権に我が国に向かって発言した公式発言で真実があるなら、お示しいただきたい。すべてうそです。そういう政権を相手にして、我が国が拉致の解決ができる、幻想です。
 以上です。
今川委員 私の質問の中で佐藤参考人にもう一点、いわゆる金正日体制を打倒するというそのところは。
佐藤参考人 それは先ほど申し上げましたように、どなたかの質問に答えましたけれども、日本側が万景峰号を初めとする北朝鮮の船舶入港を規制できるような法的措置を日本国会がとっていただきたい。そうすれば、容易に打倒できます。
 以上です。
今川委員 余り時間がありませんので、北朝鮮の核の問題に関して、これは和田参考人にまずお尋ねしたいと思うんですが、前回、この委員会でも私は質問の際に申し上げたんですけれども、アメリカのジョージア大のハン教授が、北朝鮮は通常兵器の部品も油もなくて、核が唯一国を守る手だてだと考えている、それにまだ戦争中、停戦協定を和平協定に切りかえない限り、核を含む兵器開発を放棄することはないというふうにおっしゃっているわけですね。
 私も、そういった意味では、せっかく日朝のトップ同士が会って、平壌宣言に、核開発の問題も基本的に解決をしていくということを合意しているわけですから、私はやはり、朝鮮戦争が休戦協定が結ばれただけでいまだ継続中であるというところが一番大きいと思うんですね。
 そういった意味で、この核問題のかぎは朝鮮戦争に最終的に終止符を打つ。そのために日本は、直接の当事者じゃありませんけれども間接的には大いに過去かかわってきたわけですから、米朝を初め関係当事国にしっかりと働きかけをしてやっていく。
 そういった意味では、北朝鮮側も不可侵条約というものの提案もしているようでありますから、そうした朝鮮戦争にピリオドを打つということのためにはどうしたらいいのか、そこら辺のお考えをぜひお聞かせください。
和田参考人 朝鮮戦争の停戦協定は、国連軍の司令官と中国人民志願軍の司令官、そして朝鮮人民軍の司令官、この三者で結んでおります。それで、長い間北朝鮮は韓国というものを話し合いに入れて議論することを拒否しておりましたが、とうとうそれを受け入れまして、四者会談というものが行われておりますが、この四者会談はすなわち朝鮮戦争の平和協定を結ぶための会合であります。しかし、それは非常にうまくいっておりません。それで、それに対しまして、ロシアも日本も四プラス二というのを提案いたしまして、小泉首相はこの間のピョンヤンでの会合のときに金正日委員長に対してそれを提案しておりました、はっきりした答えはありませんけれども。
 やはり朝鮮戦争の平和条約、平和協定化ということは非常に大きな課題でございますけれども、しかし、恐らく、それを達成するためにも当面の核の問題ということが非常に重要である。この核の問題の解決ということを通じまして、先ほど来もお話もありましたが、この東北アジアの地域のロシア、中国、アメリカ、そして日本、そういうところが皆かかわって核問題の解決というところに努力が注がれれば、その勢いの中から朝鮮戦争の平和条約化というようなことも可能になってくるのではなかろうか。
 どれが先という論理的な順序がありますけれども、論理的な順序を立てずに、当面の可能な、一番難しい、困難で焦眉の急のところから解決していく。そして最終的には、先生のおっしゃるとおりの朝鮮戦争の平和条約化というものを実現する。最終的には四プラス二が望ましいと思いますけれども、そういう形が実現できれば、それがとりもなおさず東北アジアの新しい地域的な結びつきになる、こういうことだろうと思います。
今川委員 もう時間が参りました。最後に一言だけ。
 我が党も、これまで長い間、朝鮮半島の安定、そして将来的な統一ということも視野に入れながら国交正常化に力を入れてまいりましたが、残念ながら、我が党はこの拉致事件に関しては極めて力不足でありました。
 その点も反省をしながら、今後、拉致事件の解決はもとよりでありますが、この東アジアの安定と平和のためにはやはり日本と北朝鮮との国交が実を結ぶように我が党としても全力を尽くしてまいりたいということを申し上げて、私の質問を終わります。
田並委員長 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変御多用のところを本委員会に御出席をいただきまして、また貴重な御意見を述べていただき、本当にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 どうぞ、先生方にはますます御健勝で御活躍されますようにお祈りを申し上げて、ごあいさつにかえます。ありがとうございました。(拍手)
 参考人の方々は御退席いただいて結構でございます。
     ――――◇―――――
田並委員長 この際、御報告いたします。
 本会期中、当委員会に付託されました請願は、空中給油機の航空自衛隊浜松基地配備反対に関する請願一件であります。本請願の取り扱いにつきましては、先ほどの理事会において検討いたしましたが、委員会での採否の決定は保留することになりましたので、御了承願います。
 なお、本会期中、当委員会に参考送付されました陳情書は、お手元に配付してありますとおり、陸上自衛隊の定員増加に関する陳情書外一件であります。念のため御報告いたします。
     ――――◇―――――
田並委員長 次に、閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。
 国の安全保障に関する件につきまして、議長に対し、閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
田並委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 次に、閉会中審査案件が付託になりました場合の諸件についてお諮りいたします。
 まず、閉会中、委員派遣を行う必要が生じました場合には、議長に対し、委員派遣承認申請を行うこととし、派遣の目的、派遣委員、派遣期間、派遣地等所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
田並委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 次に、閉会中審査におきまして、委員会に参考人の出席を求め、意見を聴取する必要が生じました場合には、参考人の出席を求めることとし、その人選、出席日時等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
田並委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時五十六分散会


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