衆議院

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第5号 平成24年6月8日(金曜日)

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平成二十四年六月八日(金曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 生方 幸夫君

   理事 大谷 信盛君 理事 川越 孝洋君

   理事 近藤 昭一君 理事 矢崎 公二君

   理事 横山 北斗君 理事 田中 和徳君

   理事 吉野 正芳君 理事 江田 康幸君

      岡本 英子君    柿沼 正明君

      笠原多見子君    工藤 仁美君

      空本 誠喜君    高邑  勉君

      高山 智司君    玉置 公良君

      森岡洋一郎君    山花 郁夫君

      横光 克彦君    吉川 政重君

      井上 信治君    近藤三津枝君

      柴山 昌彦君   斎藤やすのり君

      佐藤ゆうこ君

    …………………………………

   環境副大臣        横光 克彦君

   環境大臣政務官      高山 智司君

   参考人

   (獨協医科大学准教授)  木村 真三君

   参考人

   (福島原発事故独立検証委員会委員長)       北澤 宏一君

   参考人

   (法政大学大学院客員教授)            宮野  廣君

   参考人

   (認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長)  飯田 哲也君

   環境委員会専門員     高梨 金也君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月八日

 辞任         補欠選任

  岡本 英子君     笠原多見子君

  岸田 文雄君     柴山 昌彦君

同日

 辞任         補欠選任

  笠原多見子君     菊池長右ェ門君

  柴山 昌彦君     岸田 文雄君

同日

 辞任         補欠選任

  菊池長右ェ門君    岡本 英子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第一一号)

 原子力安全調査委員会設置法案(内閣提出第一二号)

 地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件(内閣提出、承認第一号)

 原子力規制委員会設置法案(塩崎恭久君外三名提出、衆法第一〇号)


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     ――――◇―――――

生方委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案、原子力安全調査委員会設置法案及び地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件並びに塩崎恭久君外三名提出、原子力規制委員会設置法案の各案件を議題といたします。

 本日は、各案件審査のため、参考人として、獨協医科大学准教授木村真三君、福島原発事故独立検証委員会委員長北澤宏一君、法政大学大学院客員教授宮野廣君、認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。

 それでは、まず木村参考人にお願いいたします。

木村参考人 おはようございます。獨協医科大学の木村真三と申します。

 きょうは、実は皆さんにお配りしたレジュメの方にも出していますが、このお話をメーンにしてやっていきたいと思います。さらに、大変申しわけございません、誤字脱字が多々ありますことを、この場をおかりしておわび申し上げたいと思います。

 それでは始めたいと思います。

 まず、私が今回このような場所でお話をするということになりまして感じたのは、まず、原子力規制庁という法案作成の場ということですが、私自身の考えとしては、安全、安心という言葉自身が私は大嫌いです。安全というものは、技術革新、技術の進歩によって行われることですが、安心というのは全く受け手側の心理的なものである。全く違うものを一緒に言葉として使っていること自身がまず間違いであると私は思っております。

 これまで私自身が文部科学省政務三役勉強会や内閣官房の低線量被曝影響ワーキンググループ等でお話をして申し上げてきましたが、まず、規制庁というよりは、ウクライナとかロシア、アメリカ等もつくられております緊急事態省の方がより効果的で、その発動権限等についてもよく研究なされているのではないかと私は思っております。

 原子力発電自体を継続させるべきか、また、将来的に廃止していくべきかについて国民的な合意がなされていないまま、原子力の安全利用を前提とした組織を新設するのは適切でないと私は思っております。原子力を利用するのであれば、安全性について我々が徹底的に監視するという基本姿勢を持った組織をつくるべきであろうと私は思っております。

 原子力規制庁、原子力規制委員会が一時的な組織でないかと受けとめられると職員の士気を低減させるおそれがあり、恒久的な組織として存続させる用意が必要であると考えております。

 原子力規制委員会が独立性を持った三条委員会として設置されるとしても、その判断が環境省や内閣の政治的意図に左右されない姿勢を確保しなければならない。

 東海村臨界事故の際も、科学技術庁は、自身の管轄下であった核燃料取扱事業所に対する事実の隠蔽や、自身が管轄する事業所についての不都合な事実を隠蔽するために、調査を阻止しました。

 現に、私が当時の放射線医学総合研究所で現地に入りたいと申し上げたときに、まず企画の方からだめだと。所長の方にお願いをしていったときにも、本庁が許可をしないということで取り下げられてしまって、一週間初動がおくれてしまったということがあります。当時の政府は、緊急時の情報を集約するためのシステム構築は完成させたが、国民への情報公開への配慮は欠けていました。

 今回、この事故に対しても全くそのとおりで、このようなことがあったがために、国民の政治不信、行政不信につながったと考えております。

 チェルノブイリ原発事故調査を、ことしで十三年目、十二年間続けております。その経緯から申し上げましても、日本政府はチェルノブイリの教訓を全く生かしていないというふうに感じております。

 今回の福島原発事故の際、参考人が当時所属していた厚生労働省所轄の独立行政法人労働安全衛生総合研究所でも、調査の規制が入りました。これは、当時の研究所幹部、本省から出向職員として来た理事、また、企画調整部首席の保身からではないかというふうに考えております。

 さらに、事業仕分けの弊害から、科研費で私がチェルノブイリ研究をもとにこういうような震災等があったときに必ず生かせるというようなテーマとして出してきたものも、労働衛生ではないという理由により、廃止を震災二日前に研究所の役員会で決定され、廃止処分を受けました。

 このようなことから考えても、こういう国立研究機関やそれに準ずるような機関が一体何のために存続するのかということを、まず皆さん、考えていただきたいと思います。こんなものは実際につくったって仕方がないんです。こんな小役人が実際に自分たちの保身のためだけでやってしまうような、それが、本来持つべき、国民の意図するものと全くかけ離れているということを、皆さん、どうかこの席上で考えた上で、今後の審議に入っていただきたいと思っております。

 そのような気持ちから、今回の震災があった、事故が起きたといった瞬間に、ああ、やめなければならないということで、辞表を提出して、現地に三月十五日から入りました。

 本来は三月十二日にもう既に入る予定でしたが、NHKのドキュメンタリーがどうしても撮りたいということで、一般公開という形では、今までの既存の考え方である論文や学会等の発表、こんなものはどうだっていいんです。これは、今緊急時における実態というものに対しては、すぐさまにでも国民にその情報を提供し適切な判断を促すというのが我々研究者の立場です。こういうことができないということで、考えたあげく、NHKの協力を得て現地に入りました。

 実際、このような状況になったのは、政治も含めて、誰のためのものなのかということを問題提起したいと思います。

 事故に関する情報を、前回の轍を踏まえて、ジェー・シー・オー事故、東海村臨界事故を踏まえて一元化したにもかかわらず、正しく事故状況を認識できず、間違った政治的判断を下すことになったということも、ここは問題と思います。

 原子力、放射能の専門家、例えば東海村臨界事故で陣頭指揮をとったような先生方を身近に置けば、被害の拡大が現在よりも数段軽減されるというふうに私は思っております。誰がまともな専門家なのか判断するのは極めて困難です。目立った人材には、問題を抱えている場合が非常に多くあります。事故時対応や安全対策の実績で選ぶというような方法が良案ではないかと考えております。

 首相官邸に指揮系統をまとめることは不可能であり、原子力安全委員会や原子力保安院と同じ機能だけではなく、事故を想定した事故対策班をあらかじめ設置しておくべきだと考えております。

 その際に重要なのは、原発や産業発展を重視せず、国民の生命を守ること、第一義にそのことを考えてそのような人材を集めてくることが重要であると考えております。

 その件に関して、ノーリターンルールではそのような人材が確保できるかということについて、皆さんもう少し考えていただきたいと思います。これは、民間も含めた上で、安全対策というものを徹底していかなければならないと私は思っております。

 また、行政に関しても、経済産業省が、今回、大飯原発の再稼働の推進というようなこともあり、ここに書かれています資料を皆さんお読みになっていただければいいと思います。

 このようなことがあったり、文部科学省が、当時、SPEEDIが活用されていないということも含め、さらに、事故後のモニタリングポスト、私は、いわき市川前町志田名というところにおとといの夜から入り、きのうの午前中そこで仕事をして、さらに、二本松で仕事をして帰ってきました。このようなときに、全てモニタリングポストがあるんですが、そこは全て除染されているんです。ほとんど除染された上にモニタリングポストが立っているんです。数値があたかも低く見せられているんですが、現実問題、そこには二マイクロシーベルトがあるところでも〇・三マイクロぐらいの数値しか出ていない。

 このようなことが新聞報道で、全国紙で発表されてしまえば、福島の現実というものが、実は大したことないんだと国民に思わせてしまいがちです。ところが、福島県の地元紙などでは、挙げられた線量について事細かく書いておりますが、そのような数値は一切入っておりません。飯舘村にしても全く同じことが言えます。このようなことを、実際、文部科学省は一体どう考えているのかということを私は問いたいと思います。

 また、気象庁についても、SPEEDIが動かなかったときにはそのバックアップ体制として機能しなければならないのに、国研である気象研究所には箝口令がしかれていた。この事実は私自身が確認しております。このようなことからも、実際、機能はしていない。誰のため、自分たちの保身のためだけというようなこんなものは、潰してしまった方がいいと思います。

 また、その研究者が一番の問題です。研究者も論文至上主義というような形にとらわれてしまい、予算がいろいろな関係機関から配られるということで、それに迎合するような形で事故当時のマスコミに出られた方々はそう言っておられます。実際、そういう方々は、自分の研究費なんか、僕なんかは手弁当でやっているわけです。手弁当でやっているような人間でも、できる範囲でもやれることはいっぱいあるわけです。そのようなことを、実際、頭を使ってやっていないということが一番の問題だと思います。

 また、原子力工学の専門家が、放射線影響に対して、人体の研究が何たるかわかっていないのにあたかも知ったかのような話をしたり、また、放射線医学の専門家が放射線計測学や物理学的、化学的な要素を含んだ話を住民説明会等でして、住民の不信感を買ってしまう。このようなことが実際多く見受けられております。

 実際、私は、事故現場で今ホームステイしながら住み、暮らしていますが、そのようなところから非常に多くの言葉を聞いております。

 このようなことから、研究者自身というものに対してもきちんとした対応をせねばならない。マスコミ等で出てきた情報というのは一体何カ月後、これは本来この人たちに最初に出すべきでしょうというのをやっていない。このようなことを、実際、あたかも学者面して話をすること自身がおかしいと私は思っております。

 私の活動というものは、こちらの方にお渡ししていますが、これはほんの一部の抜粋です。最近有名になったのは二本松における汚染マンションの発見ですが、これも、私は当初からこれを予測した上で、個々の個人被曝線量をはかりながらきちんと見ていくというようなことで出しております。

 そのようなことで、御質問等があればこの後受けますので、よろしくお願いします。

 また、大飯原発の再稼働については、きちんとこの責任の所在を考えなければならない。東電、政府、また、野田首相においては全責任は自分自身でとると言われますが、一体何をするのか、どういったことを言っているのかというのが全く見えてこない。私は、これは国民の声を代弁して言っているつもりです。

 このようなことで私の意見陳述は終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

生方委員長 木村参考人、ありがとうございました。

 次に、北澤参考人にお願いいたします。

北澤参考人 北澤でございます。

 本日は、私は民間事故調の委員長をやらせていただいたということでこちらにお呼びいただいているかというふうに思いますけれども、規制庁との関係も考えて、二点お話ししたいと思います。

 こういう横長の資料を一枚だけ、皆さんのお手元にお配りしているかと思います。

 それで、私が申し上げたい二点は、一番目は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということの調査結果から学ぶことであります。第二は、なぜ事故対策ができていなかったのかということに関して、規制庁とのかかわりでどういうことが考えられるかということを申し上げたいというふうに思います。

 この民間事故調といいますのは、一番下に書きましたけれども、日本再建イニシアティブ財団というところが新たにできまして、そこは、原子力、電力関係の企業からは寄附金をもらわないということで設立された財団なんですけれども、そこが中立を保って、国会の事故調それから政府の事故調、東電の事故調とは独立に調査、検証するんだということで、私も協力させていただいたわけであります。

 それで、この事故調は全く権限がございませんでしたので、多くの方々から、そんな何の権限もない事故調に一体何が調べられるんだというふうに言われました。私もそう思っておりました。しかし、民主主義の国において民間の事故調がこのような大きな事故が起こったときには活動するというのは、民主主義国の責任でもあり特権でもあるというふうに言うことができるかと思います。

 スリーマイルアイランドの事故が起きた三十年前にアメリカでも民間の事故調もできて、二十年後にまだそれを検証する本が出版されるというような感じで、スリーマイルアイランドの事故、これは福島に比べればはるかに小さな事故でありましたけれども、非常に大きなショックを持って迎えられたわけであります。

 そういうことで、三月十一日の一周年までに私どもは報告書を出すことができました。それで、約三百人の方をヒアリングさせていただいて、三十人のワーキンググループ、これは若い人たちですけれども、彼らがヒアリングをして、その結果をまとめたわけであります。

 この民間事故調の報告書といいますのは二千部ほど刷らせていただきまして、報道陣の報道によってその日のうちにあっという間にあちこちから問い合わせがありまして、すぐにはけてしまったというようなことがありました。ただし、民間事故調にはお金もないということで、仕方なく、市販本としてその後十日間のうちに印刷してもらって、出すことにさせていただきました。本屋さんの名前をつけただけで、報告書を全くそのまま市販本として出させていただいて、アマゾン・ドットコムの調査では、それが二週間ぐらいのうちにベストセラーになったということであります。

 私どもの印象としましては、こういう報告書などというものを一般の方々が何万部も買ってくださるということは、日本の国民がいかに関心を持っているかということであったというふうに思っております。

 そういう中から、きょう、二点ちょっとお話しさせていただきたいんです。

 まず第一点は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということに関してでありますけれども、これは一言で申し上げれば、大量の放射能の源が過密に配置されていたということであります。つまり、量が多かったということと、過密配置であったというこの二点。ですから、この二点が今後も直らない限りにおいては、また大きな事故が起きる可能性を抱えているということであります。

 それで、過密に配置されていると事故対策の活動が阻害されるんですけれども、それは、瓦れきが飛ぶ距離、それから、放射能レベルがベントなんかをしたときに上がってしまう距離の中に第二の原子炉があったり第二の放射能の源が配置されていると、そこへ近づけなくなってしまう。

 それで、原子炉というのは、実は、人間がそこに手を加え続けないと暴れ出してしまう、そういう存在であったということであります。これは多くの方々が御存じないし、私自身も知りませんでした。つまり、ほっぽっておいたら原子炉というのは黙っていないということであります。

 それはどういうことかといいますと、燃料棒から大量の放射能が出てくる。その放射能というのは大きなエネルギーを持っている粒子のことでありますので、大きなそのエネルギーというのが自分自身を加熱してしまって、熱くなって溶けてしまう。そうすると、そこから放射能がさらに出てきてしまう。そういう問題であります。

 そのために冷やし続けなければならないわけですけれども、それが、人間が近づけなくなってしまうとできなくなってしまう。電源があれば自動的に遠隔操作できるわけでありますけれども、それができなくなった、電源が全て喪失してしまったというのが今回の福島の事故でありました。

 それで、そのために事故が次々と拡大していくわけでありますけれども、余りにも過密に配置されていたということが、第一に我々が学ばなければならないことであるというふうに思います。

 実は、福島の事故というのは、安全か安全じゃないかという、ゼロか一では決してありません。ゼロに限りなく近い事故もあるし、一に限りなく近い事故といいますか、うんと大きな事故もあり得るわけでありまして、ゼロか一では決してない。

 ですから、今後も、安全か安全じゃないかという問いに関しては、答えることはできない問題であります。この程度に危険である、この程度に安全であるというそういう答え方になりますので、それともう一つ、なぜつくらなければならないのか、なぜ稼働させなければならないかということとのバランスで物事が決まっていく、そういう問題であるというわけであります。

 したがいまして、どれだけ大きな事故が起きるのかというこの源を少しでも少なくするというこの問題というのは、これから非常に大きな問題だと思います。

 なぜそんなに大量の放射能源が置かれているのかということなんですけれども、それは、使用済み核燃料をどこにも持っていけないという、この問題があるということであります。この問題がある限りは、原子炉は非常に危険な量の放射能を自分の建物の中に抱えておかなければならない、そういうことであります。これはよくトイレのないマンションであるというふうに原子炉が言われるのは、そういうことを表現しているというのがまず第一点であります。

 第二点。その事故が〇・一でとまるのか、〇・三までいっちゃうのか、〇・五までいくのかというのは、事故が起こり始めてからの対策がどれだけ準備されていたかということによって決まります。残念ながら今回は、電源が失われて、そこから後の対策は実はほとんど立てられていなかったということが、私たちの調査でもわかっております。

 どういうことかと考えてみますと、それは、電源が失われると、いろいろなことをマニュアルでやらなければ、手動でやらなければならないことになるわけであります。そうしますと、ふだん、自動で、遠隔操作でスイッチを押せばいろいろなことができるようになっているわけですけれども、それを全部手動でやらなければならない。では、一体、バルブとかそういったものがどこにあるのかというようなことがふだん訓練ができていないと、それは緊急時にはできないということになります。

 ですから、一番最初の日、それから翌日、翌々日、そのころの福島第一のテレビに出てくる様子を見ると、非常にもたもたしているふうに見えました。

 なぜかといいますと、やはりどうしていいかわからない。ではこうしようと言って、これは非常に泥縄的なことになるんですけれども、これをやってみる、やってみようと言って行くと、どこにあるかわからないというようなそういったことが続いていくわけであります。それで、探してそこにたどり着いてみると、もう放射能レベルが上がってしまっていて近づけない。

 そして次に、では電源車を、電池をたくさん積んだものを持ってこようというようなことを考えても、それをどうやってつないでいいかわからない。あるいは、消防ポンプがやってきても、どうやって水を入れたらいいかそこが考えていなかったというようなことで、いろいろなことを対策を立てるんですけれども、私たちの報告書ではこれを、泥縄的な対策がいろいろ行われたというような書き方になっておりますが、それは今申し上げたようなことを意味します。そういうことのために、もはや手おくれという状況になってしまうわけであります。

 それで、最初申し上げましたように、原子炉はとにかく燃料棒を冷やしていないと放射能が漏れるようにだんだんなっていってしまう、そういう問題でありました。ですから、なるべく早くいつ冷やせるかということが最も大事なことであったわけでありますけれども、それが今回できなかった。

 これが、そこに書きましたように、推進、規制両方の組織的な怠慢によってそれが起こっていた、しかもそこにはおごりがあったというふうに、ちょっと厳しい口調で我々の報告書に書かれております。

 このおごりとは何を意味するかということなんですけれども、実は、スリーマイルアイランドの事故が三十年前、チェルノブイリの事故が二十五年前にあったわけでありますけれども、海外はそれに非常に恐れをなして、いろいろな事故の対策というのを立てたわけであります。日本は、事故は起きないということのもとにその対策を立てなかった。日本は、原子力の技術は最もすぐれていて安全だというふうに、海外が対策を立てるときに、日本国内でそういうふうに言っていたということであります。

 これは一番下から二行目に書いてありますけれども、日本では安全神話というものができて、その安全神話によって、規制側及び推進側も自分たち自身の手を縛ることになってしまった。なぜかと申しますと、一〇〇%安全であると言い張ったわけであります、これが安全神話なんですけれども、そうしますと、一〇〇%安全なものにそれ以上の安全はない、そういう論理ができていってしまうわけであります。

 ほかの国は、安全性がまだ不十分だからということでいろいろな対策を立てて、遠くの方からぐるぐるとベントのバルブを回したり、そういったことができるようにいろいろな改造を加えていくわけでありますけれども、日本はやらなかった。なぜやらなかったか。一〇〇%安全だからというふうに言い張るからであります。そうすると、何の対策も立てられない。対策を立てようとすると、では一〇〇%安全じゃなかったんですねと言われてしまう、この問題であります。

 そのために、一〇〇%安全だと言えば言うほど安全対策はできなくなっていってしまうということがこの三十年間起こっていた、その実態があったということを民間事故調は強調いたしました。そして、日本の技術はすぐれているというふうに言うことによって、一〇〇%安全ということをサポートするような言い方になっていたわけであります。

 このことは、日本だけがなぜそんなガラパゴス化したようなそういう状況を迎えたのかということなんですけれども、これは、個々人が空気を読むという、そういう日本のこれはいい風土でもありますけれども、安全に対してもうからない規制をやらなければならないというこの原子力の特殊性、そういう分野においては、お互いに空気を読んで、規制側は推進側が困らないように、こういう形で今までの規制は行われていた。私たちはそれを、組織的な問題があったというふうに考えております。

 したがいまして、組織及び法律によってそういう空気を読む、そういう雰囲気のもとで規制が行われ安全対策が考えられるようなそういう原子力行政では、今後も同じことが発生するということを申し上げたいと思います。

 そうしますと、なぜ、空気を読む、そういう土壌ができてしまうのかというのが最後の問題になるわけでありますけれども、これは、先ほど木村先生のお話にも出てきましたけれども、ノーリターンルールとか、その辺のことが非常に大きな問題になる。

 特に、日本では永久雇用システムのようなものが定着しておりますから、自分がいつ、どこに帰っていくのかという帰巣本能みたいなものが、これは公務員を初めいろいろな人たちにあります。私たちにもあります。

 その帰巣本能、最後に戻っていく先というんですか、そういうものがあるために、そこに不都合になるようなことを、今自分が規制側にいてもやることができないというこの問題であります。

 そのことを、今後、規制の組織をつくり、法律をおつくりになられるときには、ノーリターンルールというのはそういうことから出てきてはいますけれども、では、どこの巣に帰っていったらいいのかということまで考えないと、このノーリターンルールというのは実効が出てこないということになるかというふうに思います。

 以上のことを申し上げまして、私のプレゼンテーションを終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。(拍手)

生方委員長 北澤参考人、ありがとうございました。

 次に、宮野参考人にお願いいたします。

宮野参考人 宮野でございます。

 私は、長い間、原子力標準委員会の委員長をやりまして、公正、公平、公開という原則のもとに、規格基準づくりに携わってまいりました。そういう立場から、現在思うことを話をさせていただきます。

 まず、きょうの課題であります安全規制の組織をどうするかということについて、一言まず申し上げさせていただきます。

 安全規制というのは、原子力安全の確保をするというのが規制でございます。そこには、もちろん、政治、政策といったものが入る余地はないと私は思っておりますし、原子力安全の確保は合理的な科学的判断によるものでなければならないというのは、これまでお二人の話の中でも当然のことであると、私もそういうふうに思います。

 安全を超えて安心を求めるという声はもちろんあるわけでございますが、それは、安全を確保した上で規制機関や事業者に信頼が生まれれば、当然、そこに安心が生まれてくるものであるというふうに思っているところでございまして、安全と安心は明確に分けて議論しなければならないというふうに考えているところでございます。

 さて、原子力の平和利用としての原子力発電を推進するかしないかという問題は、エネルギー政策の一環として国民が決定することでありまして、それはさまざまな選択肢があるというふうに私も理解しております。

 規制機関は、原子力発電のエネルギー政策上の位置づけがどういうふうになろうとも、その原子力安全を確保しなければならないというところは当然のことであります。

 もちろん、安全規制というのは、人との関係を考慮した上で、その原子力安全の確保という命題に対して純然たる技術的領域の問題であり、専門家が何者からの影響も受けずに、責任を持って取り組むことが必要であるというふうに考えています。

 こういうことは、IAEA、国際原子力機関の安全原則にも、規制機関の役割として独立性の重要性が指摘されておりまして、先進各国では、当然、独立性が保障されているのが現状であります。

 この規制機関の独立性というのは、通常の安全確保、常時の安全確保と異常時の安全確保と双方において確保されなければならないというところが当然であります。

 常時の原子力安全の確保ということは、規制機関が組織として独立をして、責任を持って安全確保に努めるということは最も重要なことであるというふうに思っております。

 その上で、原子力の特殊性から、地域住民との関係が重要な要素となると考えております。

 それは、原子炉設置者が、地域として必要な、もしくは対応できる意見をプラントの運用に取り入れて、地域住民とともに発電所の安全と地域の安全をつくり上げるということは、当然のことながら、やる姿勢が重要でありますが、それを規制機関が十分にバックアップしていくということも規制機関の重要な役割の一つであるというふうに考えているところであります。

 原子炉は五層の安全対策がとられています。これは深層防護と言われておりますが、第一層が異常の発生の防止、第二層が拡大の防止、第三層が影響の緩和であり、そして第四層が、事故が発生したときの対応、異常が発生したときの対応、さらに、バックアップとして第五層が防災というふうに言われております。それぞれの層においては、異なる考え方で見て安全を確保していくという対策がとられるわけでございます。

 安全を担うこの組織が、現場に人を配して、必要に応じて情報収集して、直接こういった各層に対応した対応をすぐに判断できるような手を打つことが重要であるというふうに考えておるわけでございまして、昨年の事故でも、当然皆さん御承知だったと思いますが、事故は待ってくれません。どんどん進みます。そういう意味で、すぐに技術的な判断ができるという体制が必要だということは当然であります。

 専門家の役割が重要であり、異常との闘いの中でその専門家が結論を出し、トップがリーダーシップを持って技術的な判断を行うことが重要であり、トップの役割は極めて重要なものであると言えるわけであります。昨年の事故でも明らかになりましたように、政治的な判断というのは、それによって対策がおくれるということはあってはならないということを私たちは感じたのではないかというふうに思います。

 事故を起こした原子炉の対応として、あくまでも、技術的に判断をしてすぐに対応できるようなそういう組織であることが重要であり、そこには政治の入る余地はないというふうに私は思っております。

 しかし、第五層の防災という視点で見た場合には、地方、住民、市町村、県そして国、そういった住民の避難、退避ということは当然必要でありますし、事故の対応においても事業者が十分にできるわけではない。必要な資源を送らなければいけないということに対する支援は、国として最も重要な役割であり、それをできるのは首相である、総理大臣であるというふうに思っております。

 そういう意味では、今回の福島の事故では、多くの組織が関与しておりました。その中で、役割分担をきちんとやることが重要だということを私たちは学んだのではないかというふうに思っております。そこで組織が技術的な問題と住民退避の問題をきちんと分けて迅速に対応することが必要であるということが最も重要な事故時の対応であるというふうに思っています。

 このように、異常時にはオフサイトの対応は総理大臣が、そして、オンサイトの対応は規制組織の長が行うということで、国の機関の役割を明確にして、国全体として迅速かつ的確な判断、対応ができるようになるのではないかということでございます。

 原子力安全の確保ということについて、航空機の歴史を見てみると、同様に多くの事故があったというふうに私たちも思っております。しかし、それを克服してきたのは、航空機の専門家が情熱を持って対策をとってきたからだ、規制をしてきたからだというふうに思っています。同様に、原子力の安全を担うのは、原子力の安全に情熱を持った専門家だというふうに思います。この専門家以上に原子力の安全を担う人たちはいないと私は確信をしております。

 そういう人たちが原子力の安全を担うということが必要でありますし、そしてまた、昨年の事故を反省して、その反省の中から、何をすべきかということをきちんと決めていくことが大切なことではないかと私は思います。

 これまで、原子力発電の、動かすという責任から安全とは何かという話を申し上げました。

 一方で、安全確保のためには、とめるという判断をする勇気と責任を持つことが必要であります。そこにおいても、そこに政治的な判断もしくは経営的な判断があってはいけません。そういう意味で、科学的な、合理的な判断を行えるような組織が必要であるというふうに言えるわけであります。

 原子力推進の政党や、もしくは反対の政党が政権をとることがあると思います。そういった場合でも、原子力の安全を担う規制機関の役割というのは変わりません。淡々と原子力安全を担っていく、そういう姿勢が必要であるということであります。

 そのためには、組織全体がそういう動きをするためには、組織全体の長は、そういう意識、そういう見識を持った人がなるべきである、私はそういうふうに思うところであります。

 動かす責任と、それから、とめる勇気を持った決断ということを申し上げました。このように、原子力の安全というのは、合理的、科学的な判断のもとに、動かすことととめることをきちんと判断できる組織であり、組織の長が必要であるというふうに私は確信するところであります。

 これは私の主題でございますが、昨日、原子力学会の声明を出しましたということで、私たちがこれまでを反省して、こういう組織であるべきだというのをニュースに投げております。原子力学会のホームページでもごらんいただけると思いますが、原子力学会が安全規制に係る国会審議に向けての提言というのをお出ししました。ぜひごらんいただきたいというふうに思います。

 きょうは詳しくは御紹介できませんが、四十年の寿命問題は、これも、技術的な判断、科学的な判断を行うべきだというふうに申し上げております。

 そして、私がもう一つ申し上げたいところは、人材の育成だというふうに思います。規制組織は、人材を固定してそこに置くんだということに対応して、いかに人材を育成するかということをよく考えなければいけないというふうに思います。人材の硬直化を防ぐためには何をすべきかということであります。

 組織の一元化ということでありまして、原子力の組織は、原子炉の安全だけではなく、セキュリティーの問題、それから核不拡散、スリーSと言われておりますが、そういったものを一元化することと、それの研究開発もあわせてこういう組織でやるということが私は必要ではないかと。それを行うことで、人材が研究開発にしばらく籍を置くことで広く世界を見ることができ、それが安全規制を行う糧となるというふうに思うところでありまして、他の部署との交流をなくすことでは、人材はそれだけでは育ちません。それをなくしたときには、どういうふうにして人材を育てるかということが最も重要な課題になるかというふうに思っております。

 ぜひそういう組織にしていただきたいと思うところであります。

 さて、最後に、IAEAの安全原則では、公衆それから利害関係者の意見を求めることというのが規制機関に求められているところでありますし、それから、数年前にIAEAが保安院を監査したときに言われたのは、役所の職員と原子炉設置者との間の良好な相互関係、信頼構築を推進すべきだというふうに指摘をされています。

 私が日ごろから思っているところは、現場のことは現場の人たちはよく知っております。その責任者は責任を持って安全を確保しようと努力しております。しかし、今指摘ありましたように、規制機関と現場が対峙しているのが今の現状ではないかと私は危惧しております。憂えております。

 そういう意味で、原子力事業者は、胸襟を開いて、現場の情報を規制の人たちに公開、それから一般の人たちにも広く公開をすることが必要ですし、その情報をもって規制機関は運転をしている現場に対してよくサービスを行う、適切な対応を行う、支援を行うということが必要だというふうに思っておりまして、お互いに良好な関係を築くことが最も重要な安全確保の道であるというふうに思います。

 ただし、監視という意味では極めて厳しい目が必要だということで、世界は、そういう厳しい目で規制を行い、良好な関係を築いているというのが現実であります。

 そういうことで、ぜひ信頼関係を築くような組織にしていただきたいというのが私の最後の願いでございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 どうもありがとうございました。(拍手)

生方委員長 宮野参考人、ありがとうございました。

 次に、飯田参考人にお願いいたします。

飯田参考人 認定NPO法人環境エネルギー政策研究所の飯田哲也と申します。よろしくお願いします。

 お手元に二枚物のレジュメを用意しましたので、大体それに沿ってお話をしたいと思います。

 その前に、私は、もともと神戸製鋼で、放射性廃棄物、特に使用済み核燃料の輸送、貯蔵処分の設計、研究、開発、製造にかかわって、安全解析、安全許認可、その後、電力中央研究所に行って原子力安全委員会の事務局の仕事と電気事業連合会の裏仕事をして、いわゆる原子力村という名づけ親として知られています。

 しかも、全く偶然にも、私が原子力村時代に最後にやった仕事が、福島第一原発に今もある乾式貯蔵施設、キャスク貯蔵、そこにもかかわって、例えば、日本の安全規制の制度設計というか基準づくりの実務がどうあったのか、もう二十年も前ですから今は多少は改善しているかもしれませんが、そして、許認可の現場は一体どうあるのか、あるいは物づくりの現場がどうあるのかという、私は徹底的にリアリティーにこだわってきておりまして、そういった観点からすると、これまでの議事録とかを拝見しても、なかなか宙に浮いた感覚がありまして、あれだけの事故を起こした国で実質的に改善をしないと、今ここで改善しないと一体いつ改善できるのかということを、ぜひ国会議員の皆さんには覚悟を込めてしっかりやっていただきたいと思うんですね。

 それで、サブタイトルとしては、形骸化、偽装された安全性から実質的、実効的な安全性をしっかり担保するということが必要だと思います。

 まず、そういう観点から申し上げると、今、この原子力規制庁の議論が並行して進んでいますが、今事実として進んでいる、現実として進んでいる矛盾と、これからでき上がっていく規制庁なり安全規制体制のギャップをどう埋めるのか。魔法のように安全規制組織ができるとは思えないわけですね。

 まず、再稼働問題です。

 私、同時に大阪府市統合本部の特別顧問をしておりますが、ここの中で、私も一応原子力の専門家の片割れですが、各電力会社の原子力のアドバイザリーをしている佐藤特別参与と一緒に体系的な分析をして、大飯三、四号を初めとするあのストレステストの、極めて限定的な状況で安全性はどう考えても担保されていない。少なくとも、福島の事故を踏まえた安全性は担保されていないです。

 それを、先日も議事録を拝見すると、細野大臣は、あるいは四大臣は、安全性を確認したと強弁される。これは明らかにうそですよ。しかも、専門家が安全ではないと言っているものを政治家が安全だと言うのは、これは政治の介入ですね。何でこんなことが今まかり通っているんですか。おかしいじゃないですか。

 それで、その政治のもとでできる原子力規制庁がまともなものになるとは思えないわけです。

 その結果として、国民は非常にリーズナブルですから、昨年の秋は、即時脱原発よりは、いつかはなくなってほしいという人が八割だったわけですが、もう今となっては再稼働反対が圧倒的多数になっているのは、これは、安全性の問題はこれで完全に信頼を喪失しているという問題だと思う。これは完全に政治の失敗だと私は思います。

 この現実と、これからでき上がっていく原子力規制庁とそして規制体系というものは必ずつながっていますので、この問題をきっちり筋を通しながら、並行して法案の議論も必要だと思います。

 同時に、原子力委員会の秘密会議の問題です。何か私の名前もうわさされていたと報道されていましたが、これは私も原子力村にいたときから常態化していて、それは当然だと思うんです。しかも、事務局は前々からみんな知っていました。電力会社や原子力の事業者の方々が出向で、私自身も出向で、しかも原子力安全規制の仕事をやっていた経験もありますから。そういう、ある種ずぶずぶの関係なわけですね。そういった組織が、原子力委員会という名のもとに、結局、規範性を欠いて今もなお運営されているといったこともやはりしっかりと見ていかないといけないだろうと思う。

 そして、昨今報道されている美浜原発の駆け込みで四十年超えですね。四十年超えは例外だというような話が駆け込みのような形で行われる。これはもう明らかに政治の不作為だと思います。

 確かに、形式的には、今、現行法でやるから認められる、あるいは、新しい法案ができても、それは例外ということできちっとやったら認められるかもしれません。

 しかし、あれだけの事故を起こした国が、抜け駆けのような形で、しかも、これは安全規制の失敗でもありますから、冒頭のストレステストも含めて今進めている人たちは、ある意味、手が汚れている人たちですね。そういったものに対して政治がブレーキをかけないと、この国のモラルはどこまで落ちていくんだと。これは本当に世界に対して恥ずかしい状況だと私は思います。

 そして、福島第一原発の教訓を一体どう学ぶんだ。これは、北澤先生が立派な報告書をつくられているので余り詳しく申し上げませんが、去年の秋にスイスの原子力規制庁、きょう添付資料で、北海道大学の吉田先生が翻訳をされたサマリーのところだけですが、膨大な分析をされて、そこからスイスの原子力規制庁は学ばないといけないことをされています。

 その中で、これも北澤先生が指摘されていましたが、特に組織的な問題が非常に大きい。学習ができない組織、あるいは学習を阻害する。保安院が経産省に依存をしている、あるいは意思決定が非常に不透明である。これは今も非常に不透明ですね。なぜ美浜が進むのか、なぜ再稼働が進むのか極めて不透明で、裏側のことが進んでいる。もろもろ、あとはちょっと省略しますが、そして原子力村問題も指摘されている。

 そして、北澤先生の民間事故調の報告は出ていますが、政府の事故調の最終報告、そして国会の事故調、皆さん自身がつくられた事故調の報告が出ていないのに、そこから学んでつくるべき規制庁や原子力安全規制体制の法案がなぜ先に進むのか。これも明らかに政治の不作為というか、おかしいと思われないんでしょうかというふうに私は思う。

 これは、別の都合でほかのことが進む。これはまさに再稼働問題と一緒ですね。安全性をないがしろにしてほかの都合で物事が進むと、結局は安全神話にまた舞い戻りしているのではないかというふうに思います。

 そして、私自身がいた原子力村の問題、これは本当に徹底的に、きちんと社会科学的にメスを入れる必要があると思うんです。

 一人一人は、ほとんどの方は極めて誠実で、きちんとした技術者の方が多いわけです。しかしながら、これが、かつての旧日本軍のときの陸軍、海軍の問題と同じように、全体として膨大なある種の利益集団となっていくと、その誠実な方は押し黙り、ゆがんだ言論が前に出てくるといったことで、日本の安全性は極めてないがしろにされてきた。特に上に行けば行くほど、腹芸と寝わざで、きちんとした論理的なことをおっしゃらない。そうすると、下の者はその腹を読みながら、結局、情緒的コネクション、裏の仕事でしか物事ができなくなる。そして異論は、あの人はちょっとおかしいよねという形でだんだん遠ざけられて、実質的な議論はどんどん表舞台でされなくなっていく。いわゆる空気の支配ですね。

 今回も、例えばノーリターンルールとかもありますが、形式的、形骸的なルールをつくることによって実質的なところが見逃されていく。どんな形式、ルールをつくっても必ず実質というのは中を抜いてきますから、実質をどういうふうに埋めていくのかということに知恵を尽くす必要があると思います。

 それで、幾つか論点が挙がっていると思いますが、例えば専門性の確保。

 これは、組織的な学習能力をいかに高めていくか。これまでの閉鎖的な組織文化を、いかに外部、特に国内外、そして批判的な人も含めたオープンな組織風土をどうつくれるか。一人一人が非常にモチベーションが高く、士気が高く、好奇心旺盛な学習文化をつくる。

 そのためには、自立した個と国際的なネットワークに一人一人が結ばれていて、その人がやはり固有名詞で、きょう例えば木村先生とか北澤先生、宮野先生ですね、固有名詞で勝負をすると、世界に吹きさらされるので、恥ずかしいことができなくなるんですね。

 これは、ノーリターンルールとか、私はそういうことではないと思うんです。一人一人が誇りを持った仕事ができる環境をどうつくるのかということ、その実質を問わなきゃいけないと思う。

 私がいたスウェーデンの例ですと、まずはトップの人、本当に尊敬できる指揮官、専門性と人格的独立性をいかに確保する、そういう人を据えて、その人のもとで、ここにあるような専門性と人格、社会性、戦略性、機能性、よくある、前回も調達価格委員会等で、国会同意人事であれば何でもいいわけではなくて、いつの間にか決まってしまうような非常に不思議な人事が出てくるわけですが、そうではなくて、本当に人格的にこの人なら、その組織、日本の原子力安全規制を守れる、そういう人をきっちりと担保する、新しいトップとガバナンス体制をつくる必要があると思います。

 それから、日本全体のやはり原子力技術の安全技術の底上げが必要で、これは一例ですけれども、私が二十年前から指摘している旧告示五〇一号問題とか、これはちょっと専門的になるのであれですけれども、昔は電気事業法の下にぶら下がっていた告示五〇一号というのは、これは、かつてASMEの、いわゆるアメリカで原子力機器をつくる機器基準は、そのまま横文字を縦文字にしたものが電気事業法の下にぶら下がっていたのが、今は機械学会の、一応形式的にはASMEのまねごとのようになっていますが、今、実態はいまだにASMEの横文字を縦文字にしたものでしかなくて、やはり、オープンな文化で実質的な技術基準をつくり上げていくような組織風土、これは法律の問題ではなくて、皆さんの問題ではなくて、民間というかアカデミアの話だとは思いますが、全体を底上げしていく。

 しかしながら、これはやはり原子力村のところにメスを入れていくような規制庁のあり方が、範を垂れるという意味では、関係をしてくるのではないかと思います。

 それから危機管理体制については、これも、やはり実態や能力を伴わない形式的体制をやめて、例えば総理の本部長が本当にいいのかどうか。これは、あの震災直前の九月一日の防災訓練で当時の菅首相がSPEEDIということを命令しておられるわけですが、実際に起きたときに、御本人を含めてどなたもSPEEDIのことは存じなかったという、いわば、台本を読み上げるような学芸会的あるいはセレモニー的なことは、いいかげんもうやめた方がいいんではないかというふうに思います。

 そういう意味では、政治がとるべき責任と、専門家、いわゆる指揮官がとるべき責任をしっかり仕分けをして、政治家は任命責任と結果責任をとる、指揮官にやはりしっかりとした専門性の方を置くというような、そこらあたりのきちんとした仕分けが必要だと思います。

 そういう意味でいうと、この国の全体のモラルとしてやはり私が一番問題だと思うのは、もう一年三カ月も経過をして、政治も、行政も、そして事故を起こした当事者の東電も、誰一人として責任をとっていないですね。これは、もちろん民事、刑事のことを言っているのではなくて、道義的な結果責任です。

 これはなぜなのか。これは、将来世代に対しても、今の現世代に対しても、世界に対しても本当に恥ずかしいことですね。なぜ誰もみずから辞任をし、あるいは辞任を命じないのか。これは本当に恥ずかしいことだと思います。

 その他のちょっと細かい論点はつぶして、論点に入っていない最後のところですね。

 私は原子力委員会は廃止すべきだと思います。これはそもそも機能としてもう必要ない。そしてもう一つは、今回の秘密会議の問題もあります。モラルが極めて低下をしている。今回の規制庁にあわせて、実は原子力委員会だけではなくて、文科省にぶら下がっているさまざまな、今度、原子力村が縦割りになってしまうのをしっかりと統合するという意味でも、この原子力委員会の廃止というのは極めて象徴的になる。

 もう一つは再稼働問題。電気が足りる足りないという話になっていますが、結局はそうではない。本当の問題は、電力会社の経営問題であり、そして、その先は使用済み燃料問題なわけです。そこをしっかり表に出した円卓会議のようなものをしっかりやらないと、この大飯三、四号で国民の反発をますます招いても、その先、問題はもっと大きくなる一方ですから、もうちょっと大きな問題解決の場をつくった方がいいのではないかというふうに思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

生方委員長 飯田参考人、ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

生方委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉川政重君。

吉川委員 おはようございます。民主党の吉川政重でございます。

 参考人の先生方には、本日は、大変お忙しい中、わざわざこの委員会にお出ましをいただきまして、また、ただいまは、それぞれの専門のお立場から貴重な御意見を賜りましたことを、改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

 さて、昨年の福島第一原発のこの事故は、我が国で初めて、原子炉の炉心融解、あるいは水素爆発という、極めて深刻な事態となりました。この事故によって、我が国のこれまでの原子力行政あるいは安全行政について、国内外の信頼、これは大きく損なわれてございます。

 こうした中で、我が国の原子力安全対策、これを根本的に見直すことが不可避となり、従来の原子力安全・保安院の原子力規制部門を経済産業省から分離して、いわゆる原子力の規制と利用の分離を徹底して原子力の安全確保に関する事務の一元化を図るなど、関係組織の再編、これを行うために、このたび立法措置をとらせていただくということになりました。

 このことについて、既に、政府・与党案とそれから自民・公明案の二つの法案が提案をされておりまして、この環境委員会でも審議がスタートしております。

 その中で、与野党の協議も議論も深まってまいりまして、議論は進んでおるんですけれども、しかしその一方で、なお意見の隔たる項目もございまして、これらの点について、特にきょう御出席の専門家の先生方の御意見をお聞かせいただきたいというふうに思っております。

    〔委員長退席、川越委員長代理着席〕

 それで、今、政府・与党案とそれから自民・公明案、この大きな違いは、組織のあり方、形ですね、これがまず決定的に違っております。

 政府・与党案は、環境省の外局に原子力規制庁という部署をつくりまして、従来の原子力安全・保安院の原子力安全規制部門を経産省から分離して、あるいは、従来、文科省、経済産業省あるいは国土交通省が所掌しておりました原子力安全規制に関する事務も一元化して、原子力安全の確保の任務を環境省の任務にするというものであります。

 それに対して自民・公明案は、同じく環境省の外局に組織をつくるということについては共通しておりますけれども、国家行政組織法第三条に基づく原子力規制委員会、これを設置してこの任務に当たらせようというものでございます。

 政府案は、いわゆる一人制の原子力安全規制庁長官という役職をつくって、それに任を当たらせる。それに対して自公案は、原子力規制委員会という合議制の委員会をつくってこれに当たらせるという、そういうところが大きく異なっているところであります。

 それで、この自公案をベースに考えるとするならば、委員会というのは、世の中には委員会という名前の組織はたくさんございますけれども、この国家行政組織法の三条で言う委員会というのは、これは普通の委員会ではありません。今、日本に六つしかないんですね。これは行政庁であります。

 行政庁というのは、国家の意思を決定して、これを外部に表示する権限を有する行政機関が行政庁であります。

 これには二種類ありまして、一つは独任制の行政庁、つまり大臣とか長官であります。もう一つは合議制の行政庁であり、これが、いわゆる国家行政組織法で言う第三条委員会であります。今回、自公案で提案されているのは、このまさに第三条の行政委員会を設置するということであります。

 この行政委員会を設置されるということの目的といいますかその意図というのは、当然、独立性というところを強化するというところがその意図があろうというふうに思うところであります。

 そうしたら、政府の役割との関係はどうなのかということで、いろいろとお話を伺っておりますと、原発の敷地内、いわゆるオンサイトにおける原子炉事故等の収束のための専門的判断についてはこの規制委員会が責任を担う、それに対して敷地外、いわゆるオフサイトの住民避難などの対応については政府が責任を負うということで、役割分担をされるというそういうたてつけになってございます。

 そもそも、この三条委員会に権限を担わせようとする最大の論拠は、より高いレベルの独立性が確保されるというのは今申し上げたとおりであります。そこには、政治の関与を極力排除しようという意図があるわけであります。

 確かに、今回の福島原発事故に際しまして、原子力の専門家ではない当時の菅総理あるいは官邸サイドがオンサイトに過度に介入したことが現場に混乱を引き起こしたとの事故検証報告も出されており、この点は大きな課題であろうと私も考えております。

 しかしその一方で、机の上ではこの委員会と政府の役割分担、これは分けられるとしても、緊急時や災害時のときにこのような線引きが果たして現場でできるのか、あるいは、専門的な観点からのみ全てを判断、決定することが果たして可能なのか。例えば緊急時の総理の指示権の確保は本当に必要ないのか、あるいは責任の所在が明確になるのか。委員会が所掌するとすれば、当然、合議制でありますから、一人の長官とか大臣という責任の所在というのは、これは明確にならないということも指摘をされております。

 この点について、先ほど何人かの先生からは組織のあり方についての明確なお答えもあったと思うんですけれども、原子力規制委員会のあり方、この三条委員会という合議制の行政庁に行わせるべきなのか、それとも独任制、長官や大臣という責任者を据えて、その組織でこの事務を行わせるのがいいのか、この点についての先生方の御所見をまずお伺いをしたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。

    〔川越委員長代理退席、委員長着席〕

木村参考人 質問にお答えしたいと思います。

 私自身の考えでは、合議制というのは一番理想的ではありますが、緊急事態においては、合議の上での時間差というので、多くの災害の拡大につながっていく可能性はあると思っております。

 その中で私が考えるのは、アメリカ等での緊急事態省ということで、総理ではなくて、その庁のトップがその現場で自己判断によってやっていく。ただし、その責任の所在というものは明確化するべきだというふうに考えております。

 結局、この事故自身、緊急時ということを前提に置いた場合では、即決を求められるということが重要かと思います。この即決を求められる時間が長ければ長いほど、時間がかかればかかるほど、問題というもの、事故の被害というのは拡大していきますので、その部分というものをきちんと即決していくということが望ましいかと思います。

 以上です。

北澤参考人 今の御質問をちょっと言葉を私なりに直しますと、対策を行っていくときに、原子炉を経済的になるべく生き長らえさせて、それで、対策をやっていくときにはなるべく遅くまで水は入れたくないとか、どうしてもそういった気持ちがある。それに対して、安全性だけを考えれば、もうなるべく早くにベントをして、なるべく早くに水を入れてしまうのが一番いい。

 そうすると、どこの時点でどうするのかというのは一体誰が決めるのかということで、電力会社の経営者が決めれば、どうしても遅くしたい、そういうことになりますから、それは誰が決めるのかということをはっきりさせなければならないという、そういうことが変わってまいります。

 それで、一番は緊急時の対応ですから、そこの相反する時間軸上の願望というのを、安全サイドに行くのか、それとも経営サイドに行くのかということを誰かが判断して、よし、ここで行くぞということを決めるという、そこがはっきり決まっていればこれはやっていける。

 今回の教訓からすればそれができるんだと思うんですけれども、組織をこうしたというだけでは、それははっきりとしないというところがあるかと思います。

 以上です。

宮野参考人 私の見解は先ほどるる申し上げたと思いますけれども、昨年の事故を顧みますと、やはり、なぜ対応がおくれたのかといった議論が先日の国会でもありましたが、撤退する、しないという議論があったという話もあります。それは、現場を全く関係なしの、全くの茶番をやっていたと。要するに、東電の中でも経営者と現場は全く乖離しておりました。情報が行っていないということもありますし、国の中でも情報が全く来ていないという中でああいう議論をやっているというのは、非常におかしい。

 現場は撤退なんということは絶対あり得ません。そのためにあの当時の所長の吉田は、今はもうがんで入院してまだ出てきていないと私は聞きました。それくらい、彼はずっとあそこにいて責任をとっていたというふうに思います。やはり現場が一番です。

 本来は、オフサイトセンターが現場にあって、そこで規制機関が支援をすることになっていたはずです。それが機能しなくなった途端に、なぜ東京に本部が来て、遠隔でしようということになったのか、私は非常に不思議です。本来は、現場できちんと対応して、それを東京が支援をする、要するに国が支援をするという、そういう体制が必要です。

 それをきちんとできるのは、やはり、技術的判断ができる組織、即対応できる組織を持つことであり、それが、事業者、現場を動かしている人間と連携をよくしてやるというのが必要だということで、それは、アメリカにおいてもフランスにおいても、世界では、同じそういう共通の組織になってそういう対応が今はできているというふうに私は思っております。ぜひそういう組織が必要だと思います。

 以上であります。

飯田参考人 基本的には、今回の事故、十条通告がどこの時点かですが、とにかく平時から異常時は、いわゆる戦時の対応のような体制に切りかえることだろうと思いますね。

 だとすると、いわば戦争に例えると、大本営参謀が現地の戦闘の指揮をとることは恐らく不可能なので、もちろん、全体のこちらの戦時の参謀は、例えば三条委員会でも委員長がその権限を持つということと、あとは、実際の事故炉に対してしっかりと権限を付与するような体制というのもやはり考えるべきだろうというふうに思います。

 今回はそれが非常に混乱をしていたので、どこに中心があるのかというのは非常に混乱したのではないかというふうに思っています。

吉川委員 ありがとうございます。

 私があえてこれをお尋ねするのは、自民・公明の案でいきますと、基本的には、この三条委員会に原子力にかかわる権限を全て与えるということになるんですね。

 しかも、どういう方が委員に任命されるかということについては、「原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験を有する者」というふうに限定されておりますので、これは、研究者、学者の皆さんがこの委員に任命されるということになると思うんですね。

 先ほども言いましたけれども、この委員会というのは、従来の委員会、例えば専門的な見地からいろいろな提言をしていただいたりアドバイスをいただいて、それで政治家が物事を決定するというようなものじゃなくて、この委員会そのものが決定権限を持つということなんですね。

 そこで私が危惧するのは、これは大変失礼ですけれども、いろいろな判断の中で、先ほど先生もおっしゃったように、純粋に専門技術的な見地からだけで判断が下せるのであれば私はこの委員会でやっていただいたらいいと思うんですけれども、現実には、それだけの判断では済まないような局面がやはりあるのではないかというふうに思うんですね。

 例えば、先ほど先生がおっしゃったように、あの事故のときに東電の撤退の話がありました。それが実際に全員撤退だったのかどうかというのは、これは、民間事故調のきょうは委員長もお見えですけれども、それではまだはっきりしないんですけれども、ただ、ああいうときが起こった場合に、例えば現場の作業員からしたら命にかかわることなんですよね、それに対して専門技術的なお立場からだけで、だめだ、現場に残って闘えというようなことを判断するというのは、これはやはり、専門技術的な判断を超えた一つの政治的決断であろうというふうに思うんです。

 ですから、たとえオンサイトであったとしても、全て専門技術的な判断だけで対応ができるというような局面ばかりではないということを私は思っております。ですから、そういう政治的なものを全て排除するということが果たして妥当なのかどうか。

 もし、この自公案に基づく委員会ができたとしたら、多分きょうおられる先生方は、日本の原子力を代表される先生方なので、ひょっとしたら先生方がその委員に任命されるかもわかりません。

 そのときに、例えば、先ほど原発の再開の話もございました。この原発の再開については、当然、安全性の審査については、先生方の御専門の知識で安全かどうかの判断はしていただけると思います。しかし、安全だからといって原発を再開することを認めるかどうかは、もう一つ別の判断があるんですね。

 つまり、国全体としてエネルギー政策をどうするかという政策的な話がございます。原発の依存度をどうするかという話もあります。そういう中で原発の再開をするかどうかの判断というのはしていただく。これは従来は政治家がやっていました。

 しかし、今回もしこういう形で法律ができますと、委員である先生方がその判断をしていただくということになるんですね。ですから、その判断の中には、純粋な専門技術的な判断を超える、一定の政策的、政治的決断というものはこれは必ず避けて通れないというふうに私は思うんですけれども、この点について、本当にこの三条委員会で、専門家の先生だけでそういう政策決定にかかわる分野までも果たしてやっていただけるのか。

 従来は、国民から直接責任を負う政治家が先生方の意見を尊重して決定していたということで行われているんですけれども、それが、先生方自身がそれを決めていただくということになるんですけれども、果たしてそういうことが妥当とお考えなのか。先生方がもしその立場になったときにその判断を果たしてしていただけるのかどうかを、再度、ぶしつけな質問で大変恐縮でございますけれども、私の言おうとしていることはおわかりいただけるかどうかわかりませんが、ぜひお答えをいただきたいと思います。お願いいたします。(発言する者あり)

生方委員長 お静かにお願いします。

木村参考人 私ができるかできないかというと、できます。そうなんですよ。それはその判断をしないといけないんです。そのための事故研究をずっとやってきたわけです。この事故研究をやっていない人間たちが入るからわからないわけですよ。

 だから、そういう意味では、政治的判断、例えばこの再稼働の話というのは、また別個の話なわけじゃないですか。今回、この法案がどうするかというような、稼働の問題とその話は別であって、そもそも論で言うと、これは環境省の外局でいいのかというところからまず入ります。

 なぜかというと、環境省には法律の専門家はいません。この専門家がいないところでどうやって束ねるのかというところからまず判断しなくてはいけないんです。環境大臣等を含んで合議をして、一体何が言えるのかというのが私の一番の疑問です。

 だから、そういう部分も含めた上で、もし緊急事態が発生した場合、例えば、その現場における指揮系統で一番のトップが判断していくというような、それはそれぞれの事故現場の判断によるという一番常識的なやり方というのがいいとは思いますが、でも、その責任は、三条委員会以外でも、その行政の長という者がとっていくということでやればいいのかなと私は思っております。

 以上です。

北澤参考人 御質問の趣旨はよく理解できるところがあります。

 ただし、これは、その人がその場になってその専門的な知識あるいは経営的な知識で判断できるかといったら、そんなものはできない、誰でもできない。つまり、何が今回足りなかったかというと、どういうことが起きたときに何をするのかというのがあらかじめ決まっていなかったということなわけであります。

 それで、原子炉は複雑なシステムではありますけれども、何が起きそうか、ここが破られたらどうする、ではここが破られたらどうするというのは、これからそういう委員会ができたら、あらかじめ全て決めておくべきであります。

 この程度のことが起きたらこの程度のことをやるんだということは、もうどんなに時間がかかってもきちんと決めるというのは当たり前のことでありまして、それができていれば、そういう全体の流れを見ながら、それが最後で首相が口を挟むようなことが起こってくるかもしれませんけれども、その情報の流れと決断の流れを首相にまでずっと見えるようなそういう体制を、この情報化の時代ですからつくりながら、そして、こういうことが起きたらこうするというあらかじめのマニュアルというのをちゃんとつくっておいてもらうというのが、これから一番必要になるんじゃないかというふうに思います。

 以上です。

宮野参考人 私は、その判断を必ずやるんだ、安全に対する判断、原子力安全というものに対する判断を行うということなので、それはできますし、やるべきだというふうに思います。

 それで、稼働する、しないという問題と原子力安全を確認するという問題は、私は全く別問題だと思います。

 原子力発電所をどういうふうに使うか。先ほど申し上げました、選択肢はいろいろあると思いますが、どういうふうにするかは国民の合意が必要ですし、それは政治的な判断が必要なところだというふうに思います。

 それから、安全については科学技術的に判断をするというのは、それは必要なことですし、単に科学的な判断というのは、式をどうのこうのつなげてというだけではありません、科学の中でもマネジメントをしなきゃいけない。要するに、全体をどう考えるかというのは、皆さん意見が多分違うんです。そこの中でどう結論を出していくかということがその委員会もしくは委員長の見識にかかわるところでありまして、それが重要なところだというふうに思います。

 そういう意味では、十分にそこに責任を持つことができると思いますし、その結果は、当然、国、首相にも上げるべきでありますし、その後の判断は国としてやることが必要なことが出てくるというふうに思います。

 以上であります。

飯田参考人 皆さんほぼ共通した意見だと思いますので、私も繰り返しになりますが、先ほどおっしゃった、まず平時の場合で言う再稼働であるとか、その後の原子力政策を推進云々という話は、これは、原子力規制庁とか規制委員会、どちらであっても、それは安全性だけの判断ですから、考慮すべきことではない。これは当然のことです。

 それは全く別のもので、そして異常時の場合は、基本的には委員長がきちっと原子力の専門として判断されるべきだと思いますが、それがさらに多領域にわたって自衛隊云々ということであれば、総理に戻すか、別途FEMAのような組織を考えるかということをまたやればいいわけであって、委員会で全く私は問題ないというふうに思います。

吉川委員 ありがとうございます。

 今、与野党の議論の中で、組織のあり方と、もう一つは、最終的に災害時に首相のいわゆる指示権というものを全て排除するのか、それとも、それは最終的には一定残した方がいいのかということも今協議の中で議論をされているというふうにお聞きしております。

 これについても再度先生方にお尋ねするんですけれども、今、原災法のもとで最終的に指示権というのは首相にあるんですけれども、これはやはりなくした方がいいとお考えなのか、それとも、これは従来どおり残した方がいいというふうにお考えなのか。時間がありませんけれども、これをもう一度先生方にぜひお尋ねしたいと思います。

 よろしくお願いします。

木村参考人 私にはわかりません。

 これはもっと審議すべきことであって、今ここで私のような者が答えられるようなものではなくて、私は緊急時については専門家ですが、その平常時については私自身が専門家ではないので、この場で申し上げるようなことはございません。

 以上です。

北澤参考人 安全規制の範疇内に属するのか、それとも国が危うくなるといったような、今回もそういう危険性があったわけでありますけれども、国全体がだめになるというようなそういったことまで予想されるような事態において首相が関与しないはずがない。

 これは、安全だけで言える問題と、それから、避難の仕方とかそういったことまで含めて、首都圏の人たちがみんなどこに逃げていくのか、そちらの方にも原子炉があるのかどうかとか、いろいろなことを考えての判断というのはこの規制庁だけでできることではありませんから、最後の最後に、国全体にかかわる問題に関して首相が責任を持つのは当然だというふうに私は考えます。

宮野参考人 これも何度も申し上げておりますが、技術の範疇は規制委員会。先ほど、深層防護の話を申し上げました。第四層まではきちんと守るというのは、これは委員会の責任です。それが危なくなったとき、第五層をやるのは国です。

 そういう意味では、お互いに切れているわけじゃなくて、連携をとりながらやることが重要なのであって、今、北澤さんが申し上げましたように、国の問題にかかわるところは、当然ながら、首相がやるのが当たり前です。それはかわりの誰かがやっても構いませんが、国としての判断は別にやることであって、この委員会は、安全規制の範疇で責任を最後まで持つということだというふうに思います。

 以上です。

飯田参考人 私も、最終的にはもちろん首相だと思います。

 ただし、個別の各論のところまで指揮をするというよりは、一個一個の大きな責任権限に関するいわば任命責任と、その任命した責任者がきちんと答申を出して、それを受けて最終的には政治家が判断する、そこの仕分けがきちんと仕分けされる必要があるというふうに思っております。

 以上です。

吉川委員 どうもありがとうございました。

 組織論、そうした組織のあり方、それから、それぞれ組織の権限、国のかかわり、これについて先生方から見識をいただきまして、ぜひこれを参考に、今後、この委員会の中で法案についての議論を深めさせていただきたいというふうに思います。

 本日はありがとうございました。

生方委員長 次に、柴山昌彦君。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦です。

 参考人の皆様におかれましては、きょうは本当に御多用の中、ありがとうございました。

 今御質問があったところと関係をいたしますけれども、民間事故調の報告書の中には、菅総理の緊急時の現場介入について非常に批判をされております。

 「官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」「政府のトップが原子力災害の現場対応に介入することに伴うリスクについては、今回の福島原発事故の重い教訓として共有されるべきである。」というように書かれております。

 しかしその一方で、今お話があった、東電の清水社長による福島第一原発からの退避の申し出を退けた件については、「この撤退拒否が東京電力により強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイント」であったとまで評価をしているんですね。

 私は、この二つの記述が相矛盾しているようにちょっと思えてしまいます。

 撤退拒否ということの事実関係はいろいろとあると思います。ただ、事実関係はさておき、北澤参考人にお伺いしたいんですけれども、この民間事故調の報告書の撤退拒否に対する評価というのは、撤退拒否という内容を評価されているのか、それとも、それを菅前総理が指示したということを評価されたんでしょうか。明確にお答えいただきたいと思います。

北澤参考人 ただいまの件でありますけれども、菅総理がということと、それから、今御質問の最後の部分でしたけれども、そういうことを指示したということを評価するか、どちらなのか、そういう御質問と考えていいですか。(柴山委員「はい」と呼ぶ)わかりました。

 その意味では、そういうことが官邸の方から指示されて、そしてそういう事態になっていったということを評価しているのであって、何総理大臣であってもそれは構わない、あるいは、それが官房長官から出てきたとしてもそれは別に構わないという、そういうことであります。

柴山委員 今のところ、要は内容が評価されるというふうにお答えいただきましたけれども、それでは、同じ内容、撤退拒否という内容を別の機関が判断をしても、例えば今度設置する原子力規制委員会、我々は規制庁じゃなくて規制委員会という独立行政委員会の設置を主張しているわけですけれども、その別の機関が判断をしても、そこにきちんと最終的な権限が与えられ、そして避難等については、オンサイトの避難などですよ、それに責任を持つ総理とそれこそ緊密な連携がとれていれば構わないんじゃないんですか。

北澤参考人 実質的にそれが担保されるということであれば全く問題はないと思いますが、思いますがなんです。

 今回、どういう事態が起こっていたかというと、それができていないような組織であったと。では、そのときに誰が出ていくのかというときに、菅総理が出ていったということかと思います。

 その意味で、今回の事態においては、できないような、つまり、細かいことまで誰が一体考えているのかということがわからない。それを周りの人たちに聞いても、本来だったら官邸に報告すべきような人たちがそれを把握していないという、そういう事態が起こっていたということであります。

 それで、誰がそれを把握していったらいいのか。そのときに、かなり細かいことまで菅総理は、自分が考えなければ誰もちゃんと考えている人がいないじゃないかというようなことで、それを我々は介入という言葉で呼んだ部分がありますが、私たちの、介入したことに問題があると言うのは、介入させた側にも非常に大きな問題がある。介入した側も、その意味でいえば、もっとそれをきちんと情報を上げてくる、あるいは、情報を決断しているのか、それからうまくいっているのかうまくいっていないのか、そういったことを把握して上げてくる、そういう組織がはっきり機能しなかったというそういう問題があったわけですね。

 ですから、今回起こった事態において菅総理がああいう形で介入していったということは、私たちも一定程度の理解ができるというふうに思っているわけです。

 それですから、これからできる組織においては、それがきちんといくようにしてもらわないといけないということであります。

柴山委員 今の御説明で、完全に全部、終始一貫して理解ができました。ありがとうございます。

 次の質問に移らせていただきます。

 平時それから緊急時、それぞれ原子力対策というのは重要なわけなんです。これも北澤参考人にぜひお伺いしたいんですけれども、今度新しくできる原子力規制委員会が、今御指摘になられたように、しっかりと権限が与えられ、安全について独立に判断ができるというものができたといたしまして、その規制委員会の役目は、あくまでサイトの、緊急時にいろいろと事故が発生して、それが被害を拡大させてしまいかねないというような状況になったときに、どのような技術的措置を講ずれば鎮圧できるのかということについて判断をし、必要であれば、そのための技術的なアドバイスをするための人材を派遣するなどして協力することだと思っておりまして、別に、原子力規制委員会が災害対応においてオフサイト等も含めて全面的に災害対策本部の事務局機能を担う必要はないし、またその余裕もないというように考えていますけれども、そういった理解で何か不都合はありますか。

    〔委員長退席、川越委員長代理着席〕

北澤参考人 わかりません。

 わかりませんという意味は、これは最終的に組織がどうなるかでありますけれども、なるべくこういうことは一元化されていた方がいいというふうにまず思っております。

 それで、それが分かれていたときに技術的なことはどこまで責任を持つのかというのは、そこの委員会の構成によって決まると思うんですが、最終的に一番問題になるのは、いろいろ場面を想定して物事をあらかじめ決めておいてそれでハンドリングできることについては、かなり技術的にできるかと思うんです。

 ところが、最後、もうこんなことになっているというそういうときに、技術的なことと政治的なこと、それをあわせて決めなければならない、そういう状況になっていくかと思いますので、そこのところをはっきりこの委員会が、つまり、分離できないというときに、一元化されていればそこのところはやれると思いますけれども、分離してある場合には、最終的にそこのところが迅速にできるようなそういう体制ができていないとどうしようもないということを、今の御質問に対しては感じました。

柴山委員 要は、技術的、専門的な事柄については、迅速に判断をしなければならないことについても、もしこの委員会がそれをきちんと迅速に判断できるのであればこの組織でやってよろしい、ただ、それと、例えばオフサイト、要するに発電所から離れた部分についての対応、これがうまく連携をとれているかどうか、ここが肝だというようなお答えだったと理解をいたしました。私もその御意見に賛成をさせていただきます。

 続きまして、ノーリターンルールについて、先生方から御指摘があったのでちょっと質問をさせていただきたいというように思います。

 特に木村参考人から、やはり今回の事故においては、関係者の保身ということについての強い懸念を示していただいたかと思います。

 ノーリターンルール、つまり、一度この規制組織に来られた方が、その母体となる例えば経済産業省ですとかあるいは原子力事業者、そういうところに戻るということを禁止するというのがノーリターンルールなわけですけれども、もしこのノーリターンルールが適用されないとすると、この規制機関が、先ほどちょっと飯田参考人からもお話があったかもしれませんけれども、戻ってしまうことを想定して、やはり保身を図って公正な判断ができないのではないかということをずっと我々は主張しているわけなんですけれども、それについては、ノーリターンルールを破るということが必要になるのか、それとも、ノーリターンルールはノーリターンルールで維持しておいて、人材確保のためにいろいろと工夫をするということで対応できるのか、そこのあたりの御所見をお伺いしたいと思います。

木村参考人 私の考えですが、先ほど柴山議員からお答えされたように、後者の方を考えております。

 もし呼び戻しがあった場合、今までは規制をしていたところで操作していた方々が逆に今度は推進の方にかわるというような状況になった場合、やはり、心情的にはやりづらいと思います。それを完全に機械のように振り分けることが可能であるならばそれはよいとは思うんですが、基本的には難しいと思います。

 人材確保という上では、まず最初にそういう方々をノーリターンルールで入れますが、それ以上に、新規で、もっとフレキシビリティーのある外部の方々を入れていくことが望ましいかと思っております。

 以上です。

柴山委員 この点、先ほど宮野参考人から、もしノーリターンルールを導入するのであれば、工夫として、やはり人材確保のために、例えば原子力に関係する研究組織などをここにしっかりと入れていく、そうしないとなかなか研究人材なんかも、ここに来てもとに戻れないというふうになると、確保が難しいんじゃないかというようなお話もあったかと思うんです。

 そういう意味では、やはり、この新しい規制組織が研究部分も含めた一元化ということをしていかなければいけないということをお述べになったかと思うんですが、そのあたりについてもう一度教えていただけますか。

宮野参考人 そのとおりであります。

 私も、こういう件については、ずっと昨年から真因は何かということは検討してまいりまして、こういうふうな組織をつくって人材育成をどうするか、人材確保をどうするかというのが大きな課題だと。特に、これは新しい組織だけではなくて、日本全体の課題にもなっていくというふうに思います。

 その日本全体の課題の中でこの狭い規制組織をどうやって維持をしていくのかということは非常に重要なことでありまして、最も重要なことは、モチベーションをどうつくるかということだと思います。毎日毎日規制だけやっているというのは、非常に大変なことだと思います。

 そういう意味で、違った目でモチベーションを持って、この規制の役割を果たせるような組織づくりが重要なことだろうというふうに思います。

 もう一つ、今、外から人を入れればということがございましたが、これは昔、今の保安院は、その下のJNESというところにたくさんの人間を入れました。それは、国のプラントの建設状況がどんどん落ち込んで、人材が余って受け入れになったという状況があったわけでありまして、そういう事態でもなければ、日本の場合は人材の流動化というのはほとんどありません。非常に難しい。

 そういうことで、組織の中でいかに人材を流動化をさせて、そしてモチベーションを持たせるかという工夫が必要だということで私も長い間悩みましたが、今申し上げましたように、この組織の中に研究機関をつなげるということで少しそういうことは改善されていくのではないかということで、先ほど申し上げた次第でございます。ぜひそういう工夫をしていただきたい。

 ノーリターンでなくても一生懸命仕事をする人は役所の方にはおられると思います。ただ、それはルールとしてはなかなか難しいということで、ノーリターンルールがいいんじゃないかということを私は賛成するところでありますし、工夫をしていただきたいということでございます。

    〔川越委員長代理退席、委員長着席〕

柴山委員 非常に明快な御答弁をありがとうございました。

 飯田参考人にもお伺いしたいと思います。

 飯田参考人には、さっきの撤退の部分で事実関係がどうかということをちょっと留保をさせていただいたんですけれども、あの事故のときには、最前線の吉田所長はまだ頑張れるというように本部に伝えていて、清水社長個人はともかく、現場としては全面撤退の意思はなかったのではないかというように言われております。また、撤退拒否ということの指摘は、二号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなかったんじゃないか。

 そうすると、やはり、一番よくわかっている現場の意向に任せるということが実は最善の策だったのではないかなと。

 また、現場に仮に任せれば、それこそ一時退避というようなことはあったかもしれませんが、先ほどもお話があったように、ずっと原子力災害は対応し続けていかないと事態が悪化するという運命があるわけですから、もう後ろに下がっちゃって何もしないよというそういう意味の撤退ということは、科学的、技術的にはあり得なかったんじゃないかなと思うんです。

 以上二点、現場に任せた方がいいんじゃないかということ、それから、そもそも全面撤退などという選択肢はあり得なかったんじゃないかという点、以上についてちょっと御所見をお伺いしたいと思います。

飯田参考人 その点については全く私も推測でしか物を申し上げられないのであれですけれども、事実としてやはり吉田所長が踏ん張られたということが、かなりのところ福島第一を、相当悪化をしましたが、逆に言えば、あの程度で食いとめられたという事実はあっただろうと思います。

 そこから先というか後知恵として、どうすればこの次はより緊急時はよくなるのかという意味でいうと、一つは、吉田所長があそこまで頑張ったというのは、やはり自分たちの施設だという使命感だと思います。

 ただ同時に、そうはいっても東京電力の一所長でしかないという限界があったので、そこを補強するような、それが吉田所長に国の権限を付与するのがいいのか、本来であれば、オフサイトセンターにいた保安院の人間が、使命感を持ってそこに寄り添ってできるような人間がそこにいるべきなのか、それはこれからのいわゆる規制委員会のあり方として緊急時で考えるべきだと思いますが、いずれにしても、国のサポートが逆に弱かった、混乱していたという部分は、そこを限定的にした要素としてあるのではないかというふうに思います。

 いずれにしても全面撤退は、恐らく吉田所長の選択としてはなかったというのは、私は伝聞では聞いております。

柴山委員 ありがとうございます。

 以上の参考人に対するいろいろとお話をお伺いして強く感じたのは、今の政府案は、現時点での欠陥の多い保安院なり原子力委員会を前提として、そこを政治主導で補わなければいけないというような発想がまず頭にあって、その上で中途半端な仕組みを出しているように思えてなりません。

 私が参考人の先生方からお話をお伺いして強く感じたのは、NRCなどの国際水準のしっかりとした専門性と一元化とそれから権限が与えられた機関がびしっとできれば、そこにはやはり政治的な介入の余地も必要性も全くないんじゃないかなというように思いますし、現に、NRCのメザーブ元委員長が国会の事故調でベントに関して聞かれたときに、これを大統領が決めることなどはあり得ない、よっぽど日本の政治家は能力が高いんでしょうねというふうに言っていたのを私は強烈に思い出しまして、大臣が伝家の宝刀とかなんとかおっしゃっていましたけれども、そういうクリティカルな場面であっても、NRCあるいは外国の規制機関の常識からすれば、トップ、トップというのは行政のトップですよ、行政のトップが最終判断を下すということはあり得ないんじゃないかなというふうに思うんですけれども、ちょっと先生方から、今のメザーブ委員長の御発言に対してそれぞれお一人ずつ御所見をお伺いできますでしょうか。

木村参考人 これ自身も、言っておきますが、もともと私は事故の人を守る方が専門であって、原子力の専門家でない人間がどうのこうのと言うのは、僕には一切実は口を挟めるような知識もありません。

 ということなので、私にはこういうことはわかりません。

北澤参考人 今の御質問ですけれども、これは認識に若干間違いがあると私は思います。

 これはどういうことかと申しますと、初期のベントのときに官邸が介入したというふうに言われているわけでありますけれども、これはどういう問題かというと、ベントをするということを現場は言ってきた、それもわかっていて、それを官邸側もオーケーということを出した。ところが、いつまでたってもベントが進まない。なぜ進まないのかと聞いてみても、わかりませんという答えしか保安院とかそういったところからは返ってこない。さて、そのときに一国の責任を預かる人は何をすべきでしょうかという、そういう問題だったと思います。

 わかっていて介入したわけでは決してない。何が起こっているかわからない状況でそれを見に行ったというのが、菅首相がやられたことなわけですね。

 ですから、そういう状況であったところで起こったことであって、菅首相の方がベントのことについてよくわかっていて、それで介入したということでは決してないので、メザーブさんがそういうことを冗談っぽく言われたんだと思いますけれども、あの状況は、なぜ上がってこないのかというときに、もしかすると、電力会社は原子炉を損したくないためにベントをなるたけやりたくないんじゃないかということを官邸側は感じておられたというふうに、民間事故調の調査では思われます。

 それですから、そういう中で起こったことで、そのときに、どういう状況になったときにベントをどうしなければならないのかということは、やはり初期のころからきちんと考えてある必要があったのが考えていなかったということが今回のああいう大混乱を引き起こしているわけで、決して菅さんが現場に行ったから混乱が引き起こされたわけではないというのが民間事故調の見方であります。

宮野参考人 まず最初に、首相がどう口を挟むかという問題ですが、私は、NRCに昨年十二月に行って直接話を聞きました。全く同じ答えで、あり得ないと。要するに、政治が技術に口を挟むということはあり得ない、あってはならないと言っていました。これはあえて私が聞いたわけじゃないんですが、そういう話になったときに、そういうことはアメリカであるのかというのを聞いて、それはあり得ないと。というほどに、NRCの中でも、上から下まで基本的に考えは全く同じだということです。

 それはNRCだけではなくて、アメリカの仕組みが、NRCから始まり、電力事業者、そして電力会社、そしてサイトと、順番に同じ考えを持って安全確保のための運営をしているということはよくわかりました。違うところへ行っても同じ答え。日本のように金太郎あめを切ったような同じ答えではなくて、それぞれの立場で考えを述べるということが重要だということがわかりました。それが日本にどうなるかという問題があります。

 もう一つ申し上げたいのは、情報の話が、ベントする、しないという問題がございます。

 情報のラインをよくすればいいのではないかという議論があると思いますが、それは緊急時には非常に難しいのではないかと。それで、現場で判断をすることの大切さということを申し上げているわけですし、もともと我が国の体制も、オフサイトセンターで対応することになっていたはずです。それは、よくわかっているからそういうふうになっていたんだと思いますが、それができなくなったときに首相がリーダーシップをとってしまったと。

 そういうことを報告して指導を受けたがために現場での対応がなかなかとれないという状況にもなったのではないかというふうに思いますが、そういうことのないようにすることがこれからは必要ではないかということを申し上げておきたいと思います。

 どうも失礼しました。

飯田参考人 お時間ないでしょうから手短に。

 基本的にこのベントの話と再稼働の話というのは非常によく似ていて、アメリカNRCでもこういった再稼働、通常であれば、認可するのはこんな首相が判断することではなくて、通常の担当官が判断すべきこと。

 問題は、ベントもこの再稼働も、政治が判断すべきような状況になっていないのに政治が判断する状況になっているということですね。そこが政治の不作為としてあるということで、そこはしっかり認識していただいた方がいいんじゃないかというふうに思います。

柴山委員 恐らくあと五分ぐらいで質問の時間が終わると思いますけれども、原子力安全委員会原子力施設等防災専門部会防災指針検討ワーキンググループ、ちょっと長いんですが、「中間とりまとめ」において、一般災害に対応する組織が一般災害と原子力災害に係る公衆の防護の対応の両方を実施することが合理的であると三十六ページに書かれております。

 これは、要は、公衆の防護は一般災害に対応する組織が当たって、原子炉事故の収束は規制機関が担う。だからこそ、原子力災害においても、一般災害に対応する組織というものがオフサイトを中心として対応できるというような考え方だと思うんですけれども、私たち自民党・公明党案は、この記述を踏まえて、原子力規制機関が災害時においても原災本部における従的対応ということで副本部長というふうにならせていただき、そして原災本部長はやはり総理大臣というような仕組みにしているわけなんですけれども、これに関する御所見を北澤参考人にお伺いしたいと思います。

北澤参考人 私どもそこまで考えたことがありませんので、今の御質問にすぐお答えすることはちょっと不可能です。

柴山委員 最後になると思いますが、木村参考人にお伺いしたいと思います。

 木村参考人は、どちらかというと、やはり放射能被害とか健康問題についていろいろと、過去の著作も論考も拝見していますけれども、書かれているかと思います。

 その上で、やはりデータの問題ですね。結局、SPEEDIの個々のデータ測定の部分と、災害時に司令塔として行う部分、ここが一元化されていない限り、適切な対応というものはもう不可能なんじゃないかなというように私は思いますし、また、先ほども少しお話しになっていたと思いますが、特に避難の部分でこのデータが何か作為的に隠蔽されているようなことがあったら、それはとんでもない禍根を残すということになると思うんですけれども、ここについて、一元化それからデータの開示、最後にお話をお伺いして、私の質問を終わります。

木村参考人 一元化に関しては必要であると思います。それを判断すべきことは、このデータの開示をもって、どこまでが危険であるということをきちんと、まず予防的措置、これもあくまでも暫定措置としてやっていくことが望ましいかと思います。

 実際に事故が起きた状況でその判断というものは、すぐに風の流れとか放射能放出量によって決まってまいりますので、そのデータをまず開示していきながら判断をしていくことが重要かと思っております。

 以上です。

柴山委員 質問を終わります。

生方委員長 次に、江田康幸君。

江田(康)委員 きょうは参考人の先生方、大変御苦労さまでございます。大変貴重な御意見を賜り、まことにありがとうございました。

 公明党の江田康幸です。質問をさせていただきます。

 まず、きょうも続いておりますけれども、これまでの環境委員会の質疑では、大変幅広い、また深い審議ができていると思っております。

 これを受けて、現在、与野党の実務者同士で法案の協議を行っております。新しい原子力機関としては、独立性の高い三条委員会とすることで合意をすることができたわけでございますが、これは非常に歓迎すべきことで、原子力規制を実施する上で、独立性、中立性の確保に向けて、日本の原子力規制庁が本格的に前進することになると思っております。

 その独立性、中立性に加えて重要になるのが、先ほどからも先生たちから御指摘がある、専門性でございます。

 今回の事故では、原子力安全・保安院は、その専門能力の低さを国民に対して、また全世界に対しても露呈したところであります。ここにいらっしゃる北澤先生におまとめいただきました民間事故調の報告書においても、それは痛烈に批判をされているところであろうかと思っております。

 一方で、アメリカの原子力規制委員会、NRCは、みずから原子炉を動かすことができる複数の職員を有する、専門性の高い、四千名から成る職員を抱えておるわけであります。

 余りの落差に愕然とするところでございますが、これを改善するために、自公案では、原子力規制に関する専門能力を有する原子力安全基盤機構、JNESの職員を基本的に原子力規制委員会の職員とすることで人材の質を高めるということにしていたわけであります。また、原子力研究開発機構、JAEAについても、原子力規制委員会が文部科学省とともに共管して、これらの組織が持つ知見を集積するということにしているところでございます。

 ここで、飯田先生と木村先生に御質問をさせていただきますが、JNESを原子力規制機関に統合して専門能力を高めていく、この考え方、これは今ほぼ合意をしているところではございますけれども、どのような御見解をお持ちか。また、先ほどからあります。この原子力規制機関の専門能力を高めていくということが喫緊の課題でありますけれども、そのための方策について御意見を二人にお伺いしたいと思います。

飯田参考人 基本的には、先ほど先生がおっしゃったように、研究機関を統合する方が望ましいというのが、まず一次元的には思います。

 ただ、しかしながら、さらに副次的なところがあって、国の研究機関というのは、一つは非常に官僚主義的である、そして、今回の規制委員会というのは非常に権威的になります。権威的な組織というのは、大体往々にして中身がどんどんうつろになっていきますので、実質的な専門性をどう高めていくのかというのは、そこにしっかりとしたくさびというか、打っていく。

 それで、きょうちょっと私書かせていただいたのは、権威ではなくて、実質、権限はあるけれども、しかしオープンな組織文化で、国内外に開かれた、そして個人個人の顔がしっかり見える、特にトップはもちろんディレクターレベルが世界に開かれて、その人が責任を持った仕事ができる、そういう組織風土にすることがまず非常に重要かというふうに思っております。

 以上です。

木村参考人 私も、今お答えになられた飯田さんの意見に基本的に合意です。

 まず僕が一番思うのは、やはり人材なんです。今現在の人材でいいのかということなんですよ。これは宮野先生もおっしゃっておりましたが、人材育成というところにかかわってくる問題で、もし例えばその研究機関の方々が入ってきたとしても、今現在の人たちでどの程度まで十分に国民の理解が得られるかというのは、僕にはわかりません。

 この事故を踏まえた上でのやはり再編成というのは必要になってくるし、それは、基盤機構だけじゃなくて、大学等からも入れていくというのがよいのかと思います。

 以上です。

宮野参考人 宮野でございます。

 先ほどから申し上げておりますが、アメリカの場合の話が出ました。NRCは実機を動かせるくらいの能力のある人たちがいるという話です。

 日本の場合は、原子力は平和利用で行っているわけでございます。平和利用の国で原子力発電所をこれだけ動かしているところはほとんどないと思いますが、アメリカの場合には、海軍という、立派な原子力施設、潜水艦を持っているところがたくさんあります。そこの人たちが、実炉の経験を踏まえて、NRCとか、それから電力会社の原子力を動かすところに入ってくる。人材の流動化が非常に活発に行われているところでありまして、人材の育成が十分なされているというふうに思いますし、また、NRCでは、二千人以上の人たちが働いて、その中でも活性化をしているわけであります。もちろん研究機関もたくさんあります。

 では、我が国はどうなのかというのを見ると、非常に寂しいといいますか、非常に苦しい思いがあるところでありまして、JAEAの話がございましたが、JAEAの一部の人たちが原子力の研究をされているというところでありますし、また、先ほど御指摘にありました、いかに活性化されていないかといいますか、研究の中にどっぷりいるという状況もあるというふうに言われておりますし、そういうおそれがないわけではないと思います。

 そういう意味で、どうやって活性化をするのかというのは非常に大きな課題であります。研究マネジメントという教育をすることも必要なのではないかということで、ぜひそれをお願いしたいなと。マネジメントというのは、経営だけではありません。研究においてもマネジメントをいかにするかということが重要で、それを原子力の分野でもきちんとやって、そういう人たちがリーダーシップをとって世界に出ていくということが一つあるというふうに思います。

 ぜひ教育をお願いしたい。

江田(康)委員 ありがとうございました。

 現在、この人材育成と密接に絡むわけですけれども、新しい原子力規制機関の職員をどのように配置するか、ノーリターンルールに関して、私、質問をさせていただきます。

 そういう議論が行われているわけでありますが、人材が限られている中、発足当初は、これは、原子力安全規制を担っている経済産業省の原子力安全・保安院、また、文部科学省から人材を集めざるを得ないかもしれません。

 しかし、これらの職員が、先ほどもございました、親元の経済産業省とか文部科学省、帰巣本能とも言われましたけれども、そういうようなところを見て仕事をするようでは、これは独立性や中立性が確保できずに、専門性も高めることはできないと思っております。

 このために、自公案では、経済産業省、文部科学省から原子力規制委員会への職員の配置につきましては、このノーリターンルールを徹底するということで、したわけでございます。

 このことについて、これまでの議論で政府は、立ち上げに必要な全ての職員をノーリターンしてしまうと、強い意欲を持って規制業務への参加を希望する優秀な職員が少数にとどまる懸念があるというような大臣答弁もございます。確かに、立ち上げから人材を集めるというのは厳しい面もあるかもしれませんが、意欲や能力のない職員をノーリターンにしてしまうというリスクもあるかもしれないわけであります。

 この新しい原子力規制機関をやはり実効性のあるものにするためには、資格の創設や、また処遇も充実させて、研究交流等々においても、意欲のある職員が集まるような環境を整備する前向きの取り組みが絶対に必要だと思っております。

 先ほど述べましたJNESとの統合というのも、これは、千人規模でそういう専門能力のある職員の組織をつくる、そういう中でノーリターン化していくことであれば、十分にこういう意欲のある職員が育つ環境になってくる、このように思うからでございます。

 ここでもう一度御質問をいたしますが、飯田先生、また北澤先生にお伺いをいたします。

 このノーリターンルール、どのような手順で進めていくべきと考えておられますでしょうか。また、処遇の改善、また、ほかとあわせて徹底しなければこの実効性は確保できないと思いますが、その辺のところの見解をお聞かせいただきたいと思います。

飯田参考人 どうもありがとうございます。

 ノーリターンは、これはもう当然だというふうに思いますが、ノーリターンだけではなくて、そこからさらに通り抜けて別の原子力村の方におりていくというのも、原子力村というのは非常に狭いものですから、そういった利害関係のあるところに、さらにその次に行かないといった最低限のディシプリンは絶対マストだと思います。

 基本的には、まず組織をつくるときにノーリターンルールが出てきたのは、これは恐らく霞が関文化からだと思いますが、通常の民間で考えるとおよそ考えがたいことで、きちんとミッションがあって、それを呼びかける責任者がいれば、優秀な人材を公募していって立ち上げれば、白地で立ち上げた方がよりしがらみのない、優秀な組織が立ち上がりますし、処遇というよりはむしろ、誇りがある仕事をきちんと与えれば人間は本当にいい仕事をしますので、とにかく誇りがある仕事。であれば、意思決定が不透明になりますから、ノーリターンだけではなくて、例えばさまざまな省庁のしがらみで役職が不透明に決まるといったことは、決して避けなきゃいけないと思います。

 そういった意味で、外部は資金の関係もあって公募は難しいかもしれませんが、先ほどのJNESの統合に関しても、内部組織的にもきちんと公募制と人事評価を透明にしていって、優秀な人がディレクションをしっかりしていくという、年功序列ではない形をしっかりとっていった方がいいのではないかというふうに思っております。

 以上です。

北澤参考人 ノーリターンルールに関してなんですけれども、やはり日本のお役所というのは、世界の中でも非常に特殊な面があって、それは、そのお役所をやめてから、終生にわたって、その後のいろいろなところへのポストもお役所の人事が全て決めている。ですから、一旦そこから外れたらもうどうしようもない、そういう恐怖感というものに対する、ノーリターンルールというのはそこから出てくると思うんですけれども、非常にそれが強固であるだけに、表向きノーリターンになっていますというのは、余り大きな意味を持っていないように私には感じられます。

 ですから、これは相当にきちんと考えなければならない問題で、それでさらに問題は、事務局というのが日本ではとても大切でありまして、その事務局を構成する人たち、その人たちが帰巣本能に基づいてというか、親省庁に帰っていくというようなそういう形で働いていたのでは、やはり日本のいろいろな委員会というのは、事務局が、若い人たちが実際には動かしていますから、その人たちに推進側と癒着しないようなそういう規制側の実効をどうやって上げさせるかということが、ノーリターンルールでは非常に重要な、考えなければならない部分だというふうに思います。

 それで、研究教育にかかわるような人たちについては、原子力に関しては安全性といったようなものがほかの産業に比べてはるかに重要な部分であるだけに、テクニカルなことにかかわる人あるいはその行政にかかわるような人に関しては、その部分から教育と研究に相当に携わる人が出てくるべきであるというふうに思います。

 例として申し上げますと、例えば東大の原子力工学科の中には、この規制側の組織が運営している三つぐらいの研究室があるとか、そういう形で、原子力に関しては、総合的にリスクマネジメントを含めて教育及び研究に携わる人たちがたくさん出てくるということによって高いモラルと専門性というのを保っていくことができるというふうに感じております。

 以上です。

江田(康)委員 ありがとうございました。

 時間が過ぎてまいりましたが、先ほどから論点になっていますところの、総理の指示権を含めた危機管理について質問をさせていただきます。

 現在、最も大きな議論になっているのが、緊急時における総理の指示権でございます。原子力の安全性について一義的責任を持つのはこれは事業者でありますが、その事業者がしっかりと安全を確保しているかを監視して監督するのがこの規制組織であるというこの役割がございます。この役割というのは、これは平時においても緊急時においても同様にしなければならない。

 そういう中で、国家、総理の介入というのは、あくまで必要最小限の、また抑制的なものでなければならない、こういう議論がされているところであります。

 今回の事故でも、これは北澤先生の民間事故調の報告書にもございます。菅総理また官邸の現場への過剰介入というのが、例えば、海水注入やベントの要請というようなところにおいても大変大きな問題となっておるわけであります。

 大変厳しい評価をこの民間事故調ではなされているかと思いますが、ここで北澤先生にもう一度御質問をさせていただきます。

 今回のこの事故の検証をされていたお立場から、先ほども種々ございましたけれども、緊急時における国家、総理の介入のこの必要性について、先ほどもございますけれども、どのように見解をお持ちか、改めて伺います。

 また、過剰な介入を防止する、このことが大変重要になるかと思いますが、どのような措置を講じていくべきか。これは飯田先生にももう一度お伺いをさせていただきます。具体的なお考えをお示しいただければと思います。

北澤参考人 先ほども申しましたけれども、安全性という観点からは、ゼロか一というデジタルな問題ではない。ですから、安全性を高めれば高めるほどコストもかかりますし、それから稼働もできなくなってくる、そういう類の問題でありますから、その意味では、最終的に社会全体としてどのレベルで安全性をやっていくのか、あるいは原子炉を廃炉にするというような決断をどの時点でするかというのは、技術だけでは絶対に決まらない。最後は、社会それから経済性、いろいろなことを考えて決めていかなければなりませんから、そこのところで政治が全く入ってこないということはもうあり得ないという、私はそういう見解に立っております。

 ですから、そこのところを、どこの場合にはどうなのかということを平時から関連者たちはきちんと考えておいて、政治ともそういうことは話し合っておく。それで、どうしようもない想定外というのは出てこないようにしていくということが一番重要なことであるというふうに思います。

 それで、最後の最後は、首相が出てくるのは、それがどうしようもないときには出てくるのは当然なことであるというふうに思っております。

飯田参考人 今回は、もちろん首相が最後出ていったという話があるんですが、一方で、保安院、安全委員会、その間で専門的役割を果たすべき組織が全て崩壊をしたという中で、誰がどうすべきかという混乱状況であったと。

 その中で、恐らくイフはありませんが、すべきだったことというのは、やはりあそこまでぐずぐずになってしまった中で、きちんとした緊急時の権限移譲をもう少し実体化すればよかったのではないかと。空本先生いらっしゃいますが、空本先生もいろいろ大きな力を発揮されたというふうに伺っています。

 それが、非公式な権限でいろいろ動いていた状況が指揮権と情報の混乱をもたらしたのではないかと思いますので、そういう意味では、緊急時のときに、やはりそこのところの専門性を持った、しかも緊急時に対応できる人が、本来はもともと用意されていればいいんですが、なかったときに政治家は何をどう判断するのかということが大事だったのかということが教訓ではないかというふうに思います。

江田(康)委員 この質問に引き続いてでございますが、緊急時にどう対応していくか、今回も大変大きな課題が残ったわけですが、そのためにも平時における危機管理体制をしっかりとしていかなければならないというのは、北澤先生を初め、きょうの御指摘でもございます。

 今回の事故を改めて振り返れば、政府はシビアアクシデントに対する備えが全くできていない、そういう結果であったと思われます。想定したこともない事故が発生して、マニュアルも不十分で、関係者の能力も不十分で、情報共有の体制も整備されていない、専門知識、経験を欠いた少数の政治家が中心となって、次々と思いつきだけで場当たり的な対応を続けた、こう言わざるを得ない、危機管理体制というのは全く機能していなかった、こういうことだと思います。

 政府の危機管理体制というのは、民間事故調でも御指摘がございます。先ほどから出ています。稚拙で泥縄的な危機管理だったのではないかということで、つまりは、やはり先生たち御指摘のように、平時から事故に対する備えが全くできていなかった、いざ緊急事態になったら、何をしてよいかわからない、右往左往した状況だったということだと思われます。

 緊急時の対応ができるためには、やはり平時からの連続で危機に備えていなければ、これは十分対応することはできないということは明らかでございます。

 この点については、今環境委員会でも大きな議論をしているところでありますけれども、平時のオフサイト対策として、市長を含む自治体との調整そして連携、また、自衛隊、警察、消防との調整や連携、さらには、防災訓練、原子力防災対策指針、防災計画の作成、また、風評被害対策から被災者の健康管理、こういうところまで多くの仕事があります。これらは、ハイレベルで調整できる者を配置できる体制も含めて議論していかなければならない、大きな論点であります。

 ここでもう一度、北澤先生に御質問をさせていただきます。

 稚拙で泥縄的な危機管理とならないように、平時から関係者と調整して連携を深めてしっかりとした備えをしていく必要があるわけですが、これについてどのように進めていくのが適切であるのか、また、このような備え、これを充実させるために何に留意をしていけばいいのか、御見解をお願いいたします。

北澤参考人 今度できる組織の最大の任務は、まずすぐに当然事故が起きることは望まないわけでありますけれども、あらゆるタイプの事故が起きることを想定して、そして、それに対する対策の仕方を一つ一つみんな考えておくという、どこまで考えることができるかというのが一番最初の大きな任務だというふうに私は思います。

 それで、それをちゃんとやっていくに当たって、技術の中身からだけでは決して対策というのはできないということも事実でありまして、つまり、安全性だけを重んじれば、幾らでもコストをかけて幾らでもやっていくことはできるわけですから、あるいは安全性だけを考えれば、とめてしまうのがもう最も安全なことでありますし、何もやらないということになります。

 ですから、そこのところを政治の側とも相談しながらやっていかなければならないところは随分あると思いますし、これは、社会的にもいろいろな議論を巻き起こしていかなければならない問題だというふうに感じております。

 以上です。

江田(康)委員 これ、済みませんが、それぞれの先生からいただけますでしょうか。

木村参考人 平常時の危機管理ですが、まず私が申し上げたいのは、一九九九年に、東海村臨界事故があった年に私は放射線医学総合研究所に入りました。その前からその研究計画を提出するんですが、そのときに、有事の際と原子力災害というふうに書いたときに上司から言われたのは、事故は起きない、原発は事故を起こさないということをまず言われたんですね。そういう話からまず原点に戻って考えていかなければならないわけですよ。

 私はその当時、科技庁の職員でもありましたから、そういう監督官庁の部分自身も、事故は起きないというあり得ない想定のもとに話が進んでいって、今回事故が起こりました。だから、事故についてさまざまな角度から見ていくんじゃなくて、あらゆる部分に対応可能な組織づくりにしていかねばならないという考えがします。

 私自身が今回その調査に臨んだ気持ちというのは、これは戦場だ、戦場というのは何が起こるかわからない、自分の命は自分で守るしかないんだ、自分の周りにいる人たちを守るにはどうすべきかというようなことから発展して考えてきました。

 このような観点から申しますと、さまざまな分野の方々が意見を言われても、根底に何があるかというのをまず考えた上で平常時というものを考えていかねばならないと考えております。だから、根本から、根底からまず考え直していただきたいというのが私の意見です。

 以上です。

宮野参考人 平常時と異常時でございますが、平常時に異常時のことを考えて手を打っておくということは、非常に難しいことです。

 難しいというのは、防災という問題について、特にオフサイトの問題について、常にどういう事故が起こるかわかりません。それを、いつもそういうことを考えながら手を打つというのは、国として考えるのは非常に難しい。そういうことで、オフサイトセンターの機能がうまくいかなかったという例があるように、やはり、常時を考えて異常時をどう展開していくかということをきちんと考えておくことが必要だと。

 すなわちどういうことかと申し上げますと、地元と常に連携をしながら発電所をどうやって運営していくのかということを考えることが、日常のことが重要なのであって、事故が起きたときにはどうするんだということを一緒に考えるということです。それは、世界、アメリカでもそうです。常に地元と考えて、事故が起きたときにはどうするんだということで手を打ってきている。それが平時の事故に対する考え方です。

 防災は、原子力だけじゃなくて、ほかのものも一緒に考える必要があるのではないかというふうに思っております。

飯田参考人 かつてまだ私が原子力をやっていたころは、例えば防災訓練をすること自身が住民を怖がらせるからやらないんだという時代がまずあって、それが、いわゆるジェー・シー・オーの事故も起きて、セレモニー的防災訓練になりましたね。今回はもうそれをやってはならないので、事故は起きるという前提のもとで、実質的ないわば機能を設ける。

 それは今、宮野先生もおっしゃったように、事故が起きたときには何が起きるかわからない。それは確かに平時には準備できないんですが、何が起きるかわからないときに何ができるかは想像力と責任感でしかないので、ですから、充て職はやめることですね。本当に、モラルを持って、責任感を持ったリーダーがきちんと座った組織にするということ以外にないのではないかというふうに思います。

江田(康)委員 時間が参りました。本日は大変にありがとうございました。

 終わります。

生方委員長 次に、斎藤やすのり君。

斎藤(や)委員 きょうはありがとうございます。大変参考になりました。

 今、これまでの質問された方がかなり細かいところまで質問されておりましたので、私からは、ダブるところもあるとは思うんですけれども、ぜひよろしくお願いを申し上げます。

 先ほど、飯田先生から、今回の福島事故で誰も責任をとっていないじゃないかというようなことがありました。私もこれは同感でございまして、飯舘村の子供たちのおしっこからセシウムが出てしまったのはなぜかということなんです。これは、政治主導が誤った形で行われてしまった、これがやはり事故を拡大させてしまったことは私は確かだと思っております。ですから、この規制組織というのは、政治に暴走させないこと、それから、原子力村からいかに独立性を確保させるのかというのがポイントになってくるんだというふうに思います。

 今回のこの規制機関の設置と、そして何といっても大飯原発再稼働の話というのは、切っても切れません。まずは、この大飯原発再稼働の話からちょっとお伺いしたいというふうに思います。

 きょう、野田総理が大飯原発再稼働について国民に訴えをするそうです、夕方の記者会見だそうですけれども。そもそもこの再稼働に正当性はあるのか。政治的正当性、それからリスクという点から見た正当性、これはどうなのかということを、ぜひ宮野先生そして飯田先生にお伺いしたいと思います。

宮野参考人 私は、再稼働についてどうこう言う立場では基本的にはないというふうに思っております。

 原子力発電所が安全かどうかということについては、その判断を行ったところの評価について、私はそのとおりだというふうに理解しております。

 それは、一つは、基本的に設計というのは安全を確保するためにきちんとなされておりますし、運用もなされてきております。そういう評価をしてきているはずです。そういう中で運転をしてきたということに間違いがあったかどうかということで、それはまずないと。しかし、昨年起きた津波での災害に対応してきちんと評価できているかどうかということに対して対応できているという評価がなされていれば、それは正しいことだと。それで安全が担保できるか、その前提条件としてのストレステスト等々があったというふうに理解をしておりますし、その評価については、いろいろ見解に相違があるかもしれませんが、出された結論については、それなりの結果だというふうに思います。

 その結果をもって再稼働するかしないかは、それは政治の判断だということで、安全であるかどうかということについては、私は安全性は担保できたというふうに理解をしているところでございます。

 以上であります。

飯田参考人 私は、特にこの問題は、大阪府市の統合本部のエネルギー戦略会議の立場として検討してまいりましたが、現在確認されている安全性というのは、これまでの安全神話のもとでの安全性は確認されているかもしれませんが、福島事故以降の、安全神話が崩壊した後の安全性は一切確認されていないということは、これはもう大阪エネルギー戦略会議全員の共通見解です。

 まず、正当性がないというのは、事故調査の結果が出ていないのに、それに対してどのような安全性を今後担保すべきかということができるわけがない。安全性の判断の前提がまずないということです。

 そして、安全性に関しても、今想定されるものとしては、まず福島級の地震と津波に耐えればいいというのは、これはまさに安全神話そのものであって、どのような事故原因がこれからあるかもわからないということを根底からまず見直す。それには、テロもあり得る、あるいは最近では竜巻すら、あるいは爆弾低気圧もあるわけですから、そして飛行機の墜落もあり得る。どこまで想定するのかということを虚心坦懐に考え直して、そしてその上で、壊れるか壊れないかをきちんと判断する。それも、ただ計算だけではない。そして、閉じ込めることができるかどうか、閉じ込められなくても住民の安全を防護できるか、そしてさらに損害賠償と復旧に財政が対応できるかというこの三掛ける四のマトリックスを、きちんとそれなりに対応しないといけない。

 我々は八条件を大阪からは提示しておりますが、一切、どれ一つとして対応していないというのが今の政権ですので、必要性から再稼働にいくというのは、これは全く政治的に正当性がない判断だというふうに我々は判断しています。

斎藤(や)委員 私も飯田先生の意見と同感でして、保安院がつくった三十の安全基準からとりあえず十三を取り出して二日でつくった暫定基準で動かしますよというのは、国民の誰が納得できるんでしょうか。私は、これについてはこの場で訴えるのもおかしいですけれども、政府に強くこの点は訴えたい。国民の安全というものをどう考えているのか。

 これは私の意見だけじゃなくて、国民の多くが、六割以上の方が今、この大飯原発の再稼働に対しては反対していますので、私は、引き続ききょうの午後の連合審査会でも政府に強く抗議の意を訴えていきたいというふうに思っております。

 なぜ再稼働を急ぐのか、これもまたきちんと政府は話していないわけです。恐らく、夏の電力不足というのが一つの再稼働の大きな原因だとは思うんですけれども、政府、電力会社が出した夏の需給予測について、これも済みません、飯田先生、どのような見解をこれはお持ちでしょうか。

飯田参考人 私の理解は、これは国家戦略室の担当にも確認した話ですが、五月十八日に行われたエネルギー・環境会議のもとで確認されたものは、電力制限令は行わなくてよい、つまり、節電目標、関西電力一五%、九州電力一〇%、その他西日本五%の節電目標によって、そして広域の需給調整を、広域で連携を図ることによってこの夏の西日本地域はできるんだという見解になっているというのが私の認識です。

 以上です。

斎藤(や)委員 どうもありがとうございます。

 やはり、自家発電の掘り起こしとか、それから、想定されている夏の暑さが、一昨年のウルトラ猛暑、本当に二十一世紀の中では一番という暑さを想定されている需要予測に基づかれているものです。

 私は気象予報士で、実際、電力会社にも電気の供給予測というのはしていましたのでこのあたりはよくわかっているんですけれども、一昨年のようなああいうウルトラ猛暑にはことしはなり得ない、下手をすると冷夏になるリスクもあるという中で、大げさに需要が多くて供給が不足するというのは、ちょっとこのあたりは疑問でございますので、このあたりもしっかりと意見を述べていきたいというふうに思っております。

 先ほども言ったように、福島の事故調査結果が出ておりません。しかも、先ほど飯田先生からありましたけれども、事故を起こした責任ある保安院がつくったその安全基準で動かそうとしております。

 このまま大飯原発再稼働に突っ込んだ場合に、最大の事故リスクというものはどういうことが考えられるのかということを、民間の事故調で調査結果を出した北澤先生にぜひお伺いしたいんですけれども、どうでしょうか。

北澤参考人 大飯原発のことに関しては、私は詳しくわかっておりません。

 ただ、言えますことは、使用済み核燃料の貯蔵場所を含めて、どれだけの量の燃料棒がどこに蓄えられているのかということをきちんと把握して、そして、大飯原発についてもそういうことも把握した上で、最後の事故の拡大するところはどこまで行くかというのはそれによって決まりますので、原子炉だけでは決まらない。

 それで、それが漏れ出したときに最大ここまで行くということは考えなければならないわけですけれども、今回の福島原発のときには、かなりの放射能は海の方に流れたわけでありますけれども、これが冬に起こったとしますと、そうすると琵琶湖とかそちらの方に来てしまうという問題も非常に大きくありますので、それから、大都市がすぐ近くに、風下になっているというようなこともあって、これは非常に考えなければならないことで、そこのところは政治がきちんと考えなくちゃいけない問題だと思います。

 これは、技術的にはどの程度のことになるかというのはある程度予測がつくわけですから、最後は政治の問題だと思います。

斎藤(や)委員 先生、ありがとうございました。

 やはり、今の安全基準というのが原子炉の安全基準ばかりに焦点が当たっていて、では、国民の安全は一体どこにあるのかというところがもう明らかにこれは欠如していると思いますので、事故が起きた後なんですから、余計そこに焦点を当てて安全基準をつくるべきだというふうに私は考えております。

 次の福島が日本を破滅させる、そういう思いでやはり規制組織をつくらなければいけないというふうに思います。

 次の福島を起こさないための規制組織はどうあるべきか。木村先生にちょっとお伺いしたいんですが、これは非常にざっくりとした質問なんですけれども、大きなトラブルがあった場合の指揮系統ということは、非常にざっくりとした聞き方で申しわけないんですが、危機管理はどうあるべきかというのをちょっと教えてください。

木村参考人 まずは調べることでしょうね。とにかく、事故が起きたというときには、まずその事故状況を予測するという予測システム、SPEEDIのようなものというのは非常に重要なんですが、それ以上に、実際の現場で何が起こったか、どういうことが起きているのかというのをつぶさに判断する必要に迫られると思います。

 以上です。

斎藤(や)委員 そういう意味では、原発の建屋が吹き飛んだときに、私は実は隣の仙台にいました。八十キロの場所にいたわけです。そして、宮城県内の放射能のモニタリングがもう全部停電でとまってしまいまして、放射能がどれぐらい飛んでいるのかもわからない。SPEEDIも情報が出ない。しかもひどかったのは、ガソリンがなかったんです。ガソリンがなかったから、次、原子炉が吹き飛んだら、これはもう逃げられないなと。食料もないんです。私は初めてそこで死というものを意識したわけでございます。

 ですから、そういう意味でも、先ほど先生がおっしゃったように、SPEEDIの管理だとかそれから放射能のモニタリングの管理なんですけれども、そこの問題も今回非常に焦点が当てられております。これについて、北澤先生とそれから飯田先生にお伺いします。

 政府案では、規制庁がこのモニタリング業務については機能を担うと言っております。しかし、文科省にある実施機能は移管されない。先ほど柴山先生の質問もありまして、かぶる部分はあるんですが。実は文科省は、モニタリングには人員が要る、規制庁には実動部隊を抱えるだけの規模がなく、我々がやるしかないというふうに言っております。実施とそれから指揮というところがばらばらでもいいというふうに言っているわけなんですが、先ほど言ったように、やはり、何といいますか、恣意的なというか、政治的な情報の隠蔽みたいなものが起こり得るということでございますから、私は、これは一元管理でするべきだというふうに思っております。

 放射能情報の管理、情報のリリースのあり方について、先ほど木村先生に聞いていましたので、北澤先生と飯田先生に、この情報の管理、情報のリリースの仕方、お伺いしたいと思います。

北澤参考人 今回、SPEEDIが役に立たなかった一番の理由は、一元化の問題があったかと思います。

 つまり、文部科学省がそれを動かして、そしてそれを判断してみんなに知らせる役割というのは、文科省は自分にあるとは思っていなかったという、それによって情報が外に出ていかなかったというふうに思われるわけでありますけれども、実際に動かしている人たちは感情もあり、これはどういうことになるのかということは皆さんわかっておられるわけで、そのときに、その人たちに心があれば、それをきちんと伝えていったはずなわけであります。それを伝えられるような組織になっていなかった。つまり、文科省にはそれを外に発表していくようなそういう権限がないというふうに理解していたということが一番の問題だと思います。

 そのときに、それをきちんと外に、こうですよ、大変ですよと言って伝えていったかというと、そこまではやれなかった。なぜかというと、それは文科省の中に何らかの事情があったんだというふうに思えるわけでありますけれども、一元化されていればこういう問題は起きなかったというふうに思います。

飯田参考人 基本的には私も一元化だと思いますけれども、これは、もともと私、原子力村にいた人間として申し上げると、大分今は形が変わってきましたが、やはり日本の原子力村には、国策直営のいわゆるかつての旧科学技術庁グループと国策民営の通産、電力会社グループが大きくあって、かつてのジェー・シー・オーの事故は、これは文科省グループが起こした不始末だから、旧通産省、経産省グループは一切協力しなかったわけですね。今回はその逆が起きたわけです。今回は電力が起こした不始末だからということで、当初、文科省グループは一切動かなかった。

 そのことが実は尾を引いているわけで、そういう意味でも、原子力村の構造に切り込んで、文科省管轄の原子力グループは全てある意味一つに一元化することも含めた、私は、そういう意味で先ほどの原子力委員会の廃止等も御提言申し上げたということです。

斎藤(や)委員 利権が絡むと俺が俺がというふうに言ってくる人たちが、いざ事故が起こると、俺には責任がないというふうな構造がその原子力村の構造だというふうに思います。

 ですから、話はちょっと変わりますけれども、この原子力のモニタリングの問題については、今修正をしているのであれば、衆法で出している、モニタリングも一元化するということにぜひかじをとっていただければなというふうに私は思います。

 さて、ちょっと気になったのが、けさの読売新聞か何かで、報道のことなので実際はどうなのかということはちょっとわからない部分ではあるんですけれども、修正案の中で総理の指揮権を認めるという旨の報道がありました。政府案は総理の指揮権を認める、政府の指揮権を認めるということなんですが、修正案でも総理の指揮権を認める旨の報道がありました。

 報道ベースですから私はわかりませんが、仮に総理の指揮権を認めるという法案に修正されたとして、新聞に何て書いてあったのかというと、例えば、低レベルの汚染水を海に放出する、それからベント、それから原子炉への注水、こういう重大な決断が必要な場合に総理の指揮権を認めるということのように修正案がなるようなんです。

 ずっとこの委員会の中で、これは言葉は悪いですが、菅直人リスクのことが言われておりました。私は、専門家でないリーダーの暴走、私の元の上司ですけれども、いわゆる菅直人リスクが今回の災害にはあったと思っていいと私は思っています。

 不当な政治介入を防ぐため、これにやはり全力で今回の法案というのはまとめ上げなければいけないというふうに思いますけれども、この総理の指揮権も含めて、どのような組織のたてつけであるべきかということを、ぜひ木村先生にお伺いしたいと思います。総理の指揮権を中心としたことでお答えいただければと思います。

木村参考人 これも私も新聞報道でしかほとんど読んでいないので、実際こういう話というのは、正直な話、事故当初の話、僕がわかるわけないんですよ。何でかといったら、現場にいましたから。情報なんか見れるわけないんですよ。車の中のラジオしかわからないし、その状況がどうなっているかということを気にしていたら、自分のモニタリングはできないわけです。

 ということなので、正直な話、指揮権については、新聞で読んだ限りのことなので、ここの場で何を言っていいのかというのは、正直なところ責任が持てないので、ちょっと私には答えかねます。済みません。

斎藤(や)委員 同じ質問を、ぜひ北澤先生にお願いいたします。

北澤参考人 現場のことに関することも、これは、ベントも含めて、最終的には国全体にかかわる問題であります。ですから、一国の総理たるもの、そこのところにおいて国に危険が及ぶというようなことになったときに、それが、その部分での利害関係とか経営の問題とか、そういったことでおくらせるようなことが行われる可能性があるときには、当然、総理は指揮権を発動しなければならない、そういうところに陥るそういう場面というのは、想定されるというふうに私は考えております。

斎藤(や)委員 ありがとうございます。

 恐らく、専門家でない人が中途半端な知識を振りかざして何か指示を出すということではなくて、専門家が出した最良の手段を総理に預けて、総理がその有無を判断するということの多分指揮権だとは思うんですけれども、このあたりも含めて、ぜひ修正案で修正できればというふうに思います。

 さて、組織の問題で最後なんですけれども、飯田先生から、ノーリターンルールなんというのをつくっても、実質的なものを伴わなければいけない、そういう話がありました。

 これから規制組織をつくるにしても、職員の四分の三が保安院で、あとは原子力安全委員会とそれから文科省のスタッフです。

 今回の原発事故の、ちょっと言葉は悪いですけれども、戦犯とも言うべきスタッフをそのままスライドさせて、果たして、だめなものはだめと言える体制をつくれるのかということなんです。

 実のある、まさに原発のリスクから国民を守っていこう、原子力村の甘いささやきに耳をかさない組織をどうやってつくっていくか。最初のベースをどうつくるか、人材をどのように配置をするのか。そして、それともう一つ、原発の安全性を厳格に追い求めるだけの集団であるべきなのか。それから、海外では規制機関の人材教育をどのようにやっているのかということもやはり参考にしなければいけないというふうに思うんですけれども、飯田先生と宮野先生に、組織の中身の人事だとか人材発掘だとか、そしてマインドの持ち方とか、そういうことをお伺いしたいと思います。

飯田参考人 まず申し上げた、ノーリターンルールを私は否定するのではなくて、それは最低限絶対必要だと、形式的には。ただし、形式的ルールだけでは必ず実体が崩れていくので、まずは、これは基本的には、去年、実は原子力安全顧問会議というものに私は突っ込まれて、お座敷のような割と緩い会議だったんですが、並行して実体の組織設計はどんどん進んでいきました。それは今日に至るまで、実務で行われている状況というのは全く不透明だったわけです。

 欧米的な形でいうと、本来あるべき組織論というのは、まず、トップを誰にするかというのをしっかり決めます。そのトップが自分の裁量権のもとでディレクターを選んで、そのディレクターがきちんとその組織を所掌する。もちろん、全体としてのアームスレングス、いわゆるきちんと距離を置くようなルールとかはきちんとつくった上で、あとは、その組織を透明化していくことによって、そういう恥ずかしいことはできなくなりますね。

 だから、霞が関は両方あるんです。霞が関の各省庁の思惑が入り込むリスクと、それから原子力村との利害相反、その両方を排するようなきちんとした背筋の伸びた組織を、やはり、権限移譲とトップのいわゆるガバナンス、そしてディレクション、そこをしっかりつくることによって、一人一人は真面目な技術者の人がほとんどですので、その人たちに誇りのある仕事をしていただくような組織をどうつくるかという意味では、そういうリーダーの役割が非常に重要だというふうに思います。

宮野参考人 組織は、ノーリターンというのはそのとおりだと思いますし、どういう組織にしたらいいのかということを、今、飯田先生がおっしゃいました。

 やはり、トップをしっかり決めることがまず大事です。それで、その周りに委員を何人か置くということになっていると思いますが、トップがその委員を決めてはならないと私は思います。やはり、その委員も含めてバランスよく決める。要するに、反対を言っていてもいいと思うんです。技術的な議論は幾らでもあってもいいと思います。ただ、そこに政治的な議論を持ち込むのはおかしいと思いますし、それから、専門家でない人たちが入って議論するのは意味がないと思います。

 ぜひ、反対の意見を述べる専門家が集まって常に議論をしていただきたい。その中で下の組織をきちんと動かしていけば、日本人は、上がしっかりすればきちんと下は動くようになると私は思います。

 教育の仕組みは、先ほど申し上げませんでしたが、来週からIAEAの国際人材育成というのが、日本で英語だけで教育をするというのは、東海村で東大が行うと私は聞いておりますが、三週間ぐらい缶詰になって国際人と一緒になって日本人も議論する。そういう教育の中に入れ込んでいくというようなことも必要だというふうに思いますし、ぜひ、教育をするということでマインドを育てていっていただきたい。ぜひ、トップそれからその周りをきちんと固めて、その見識に従った組織となるように持っていくようにしていただきたいなというふうに思います。

 以上であります。

斎藤(や)委員 今、トップのやはりマインドだとかトップの方向性だとか、そういうのが非常に重要であるということを言われました。

 追加でちょっと質問なんですけれども、そのトップのキャリア、そういうものはどうあるべきかと思うんですけれども、過去の職歴とか仕事の仕方とか、今はありましたけれども、そういう点では飯田先生それから宮野先生、どうでしょうか。

飯田参考人 きょうの私のメモの中に、スウェーデンのSKIの例ということで、当然、専門性は必要であると同時に、人格、社会性あるいはきちんと戦略的目線を持っているかといったことが厳しく評価をされて、つい最近も、スウェーデンの原子力長官選考プロセスを、かわったばかりですね、いろんな人がノミネートされていましたが、思惑で人を選ぶのではなくて、まずはきちんとそういう人を何名か出して、あとは政治決定だと思いますが、最低限のきちんと高いレベルのスクリーニングが必要だというふうに思います。

宮野参考人 私も全く同感でございます。

 ぜひ専門性をきちんと見て、見識、それから経歴も参考にするのがよろしいかと思いますが、やはり、人格その他含めて、専門性をきちんと持った人の中からそういった人間を選ぶということが必要だというふうに思います。ぜひそういうふうにしていただきたいと思います。

斎藤(や)委員 ありがとうございました。非常に参考になりました。

 やはり私たちがやらなければいけないのは、もう本当に次の福島をつくらないということ、それをしないための組織づくりをするべきだというふうに思います。

 きょう、四人の先生方からそれぞれ御意見がありました。形骸化された安全性から実効性のある安全性の確保をするべきだ、最悪のことを想定した組織、法律、情報管理の整備をするべきだ、そして、無責任集団ではなくて、心ある責任集団に変えるための組織づくりをするべきだ、私はきょうの提言からこの三つを抽出したんですけれども、ぜひこの三つを目標にした、そして、それを実行できる規制組織というものをこれから修正案で与野党でもんでもんで、そしていいものができればなというふうに思います。

 できれば、その規制組織の安全基準で大飯原発再稼働というのは判断するべきなのではないかということを最後に提言させていただきまして、ちょっと時間が余ってしまいましたけれども、私の質問とかえさせていただきます。

 きょうはありがとうございました。

生方委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十七分散会


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