衆議院

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第3号 平成14年2月27日(水曜日)

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平成十四年二月二十七日(水曜日)
    午前八時十八分開議
 出席委員
   委員長 萩野 浩基君
   理事 金田 英行君 理事 西野あきら君
   理事 松岡 利勝君 理事 吉川 貴盛君
   理事 荒井  聰君 理事 武正 公一君
   理事 白保 台一君 理事 一川 保夫君
      相沢 英之君    岩倉 博文君
      倉田 雅年君    仲村 正治君
      林 省之介君    福井  照君
      吉野 正芳君    渡辺 具能君
      石井 紘基君    金田 誠一君
      川内 博史君    楢崎 欣弥君
      原口 一博君    横路 孝弘君
      丸谷 佳織君    赤嶺 政賢君
      東門美津子君
    …………………………………
   外務大臣         川口 順子君
   国務大臣
   (沖縄及び北方対策担当大
   臣)           尾身 幸次君
   内閣府副大臣       熊代 昭彦君
   外務副大臣        植竹 繁雄君
   内閣府大臣政務官     嘉数 知賢君
   政府参考人
   (内閣府政策統括官)   安達 俊雄君
   政府参考人
   (内閣府沖縄振興局長)  武田 宗高君
   政府参考人
   (内閣府北方対策本部審議
   官)           坂巻 三郎君
   政府参考人
   (防衛施設庁長官)    嶋口 武彦君
   政府参考人
   (外務省大臣官房長)   小町 恭士君
   政府参考人
   (外務省総合外交政策局長
   )            谷内正太郎君
   政府参考人
   (外務省北米局長)    藤崎 一郎君
   政府参考人
   (外務省欧州局長)    齋藤 泰雄君
   政府参考人
   (厚生労働省大臣官房審議
   官)           三沢  孝君
   政府参考人
   (水産庁長官)      木下 寛之君
   衆議院調査局第一特別調査
   室長           小倉 敏正君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月二十七日
 辞任         補欠選任
  金田 誠一君     石井 紘基君
同日
 辞任         補欠選任
  石井 紘基君     金田 誠一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 沖縄及び北方問題に関する件


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     ――――◇―――――
萩野委員長 これより会議を開きます。
 沖縄及び北方問題に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、政府参考人として内閣府政策統括官安達俊雄君、内閣府沖縄振興局長武田宗高君、内閣府北方対策本部審議官坂巻三郎君、防衛施設庁長官嶋口武彦君、外務省大臣官房長小町恭士君、外務省総合外交政策局長谷内正太郎君、外務省北米局長藤崎一郎君、外務省欧州局長齋藤泰雄君、厚生労働省大臣官房審議官三沢孝君及び水産庁長官木下寛之君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
萩野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
    ―――――――――――――
萩野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。原口一博君。
原口委員 おはようございます。民主党の原口一博でございます。
 きょうは、北方領土問題、そして沖縄開発と、二点についてお尋ねをしたいと思います。
 まず第一点目は、我が国固有の領土である北方四島周辺の密輸、それから密漁の問題でございます。
 この問題について、衆議院の予算委員会でも議論がされましたが、一九九九年、ロシア産の水産物の日本への輸入、日本側の統計が二十一万七千トン、十一億八千五百万ドルであるのに対して、ロシア側の統計は三万トン、七千百万ドルというふうになっています。いかにしてこのような違いが出てくるのか。そして、実態を聞き取り調査してみると、北海道の漁民の皆さんは、不法な漁によって資源を減らされ、そのまま花咲港なりなんなりに水揚げがされるということで、大変な被害を受けていらっしゃる。悲鳴のようなものが上がっているのですが、この問題について、なぜこういうことが起こっているのか。そして、私たちの調査によると、この十年間当局はこれを知りながら、放置してきたのはなぜか。三点についてお尋ねを申し上げます。
齋藤政府参考人 お答えいたします。
 御指摘のとおり、一九九九年におきますロシア産水産物の日本への輸入につきましては、約七倍の差がございます。ロシア側は、この数字の差は不正な輸出によるものである旨、日ロ協議等の場において指摘してきております。政府といたしましては、密漁、密輸問題の解決に向けまして、ロシア側に必要な情報を求めますとともに、日ロ間の協力を促進すべく、関係省庁間で協議を進めているところでございます。
 一月二十一、二十二日の日ロ協議におきましても、密漁、密輸問題を放置することはできないとの日ロ双方の共通の認識のもとに、今後有効な措置を速やかにとっていくために、日ロ間で協力していくことで一致したところでございます。
原口委員 質問に答えてください。なぜ十年間放置してきたのかと聞いているのです。
齋藤政府参考人 日ロ治安当局間会合は、外務省ほか警察、海上保安庁等の関係省庁が出席する政府間協議でございますが、一九九八年の第二回会合以降、毎回水産物の密輸、密漁問題を取り上げてきております。また、この間、外交ルートを通じまして、ロシア側に種々照会等も行っているところでございます。
原口委員 私は、これはとても重い問題だと思うのですよ。
 皆さんは、九七年に第一回目の日ロの治安担当会議をなさっているのです。その後でもずっと改善していないじゃないですか。そして、ロシア側から、このペーパー、ここにポートクリアランスの実物のコピーを持ってきましたけれども、これは無効だとプーチン大統領御みずからおっしゃっているじゃないですか。なぜこんなことをやっているのですか。
 実際に、これは参議院ですか、議事録でももう四年も前からやっています。しかし、皆さんが密輸、密漁についての日ロ協議をされたのは一月二十二日じゃないですか。外交ルートで何をやってきたのですか。
齋藤政府参考人 先ほど申し上げましたように、日ロ治安当局者協議をやっておりますけれども、この間にも外交ルートを通じまして種々照会等を行ってきているところでございます。他方、御指摘のとおり、ロシア側からはこの問題に対して日本側に協力を要請してきております。
 ただいまポートクリアランスなるものがロシア側から提示されておりまして、これに対して私どもはロシア側に照会したところでございますが、昨年八月、ロシア側中央政府より、ロシア当局としてポートクリアランスを発行した事実はないという回答を口上書で得ているところでございます。
 他方、地方においてなおポートクリアランスが発行されているという情報もございましたために、念には念を入れて、関係国内官庁のお立場も踏まえて、ロシア側に対して再度、中央と地方の関係、この権限関係等々につきまして照会を行っておりますけれども、まだ明確な回答を得ていない、こういうことでございます。
 いずれにいたしましても、一月の日ロ協議におきまして、今後、有効な措置を速やかにとっていくために、日ロで協力を強化していくということで一致しているところでございます。
原口委員 きょう、限られた時間なので、的確に答えてくださいよ。
 二〇〇一年の四月にロシア政府に対して日本政府からの照会で、ロシア政府は発行していないというのを、今お答えになったとおり、八月にやったけれども、このポートクリアランスはどこから出ていますか。ペトロパブロフスクカムチャツキー税関、ユジノサハリンスク税関、監視官の名前も出ているじゃないですか。照合したのですか、照合。
齋藤政府参考人 幾つかの地方税関からポートクリアランスが出されているというふうに伺っておりますけれども、このポートクリアランスを日本側で最初にチェックするのは、海上保安庁及び税関であると承知しておりまして、私どもとしては、詳細について承知する立場にないことを御理解いただきたいと思います。
原口委員 あなたたちが日本国を背負って外交をやっているわけですよ。では、税関からやってもらえばいいじゃないですか、やってもらいましたか。海上保安庁からやってもらいましたか。ロシア政府から、このカムチャツカあるいはユジノサハリンスクの政府に聞けばいい話じゃないですか。照会しましたか。
萩野委員長 委員長から申し上げます。
 明確に答弁をお願いします。
齋藤政府参考人 海上保安庁及び税関、水産庁等とも協議しながら、先ほど申し上げましたように、ロシア側に照会を行っているところでございます。
原口委員 どういう答えが返ってきましたか。
齋藤政府参考人 いまだ明確な回答に接していないというのが、残念ながら現状でございます。
原口委員 そんな答えは、北海道の漁民の皆さんの現状を考えれば、あなたたちがここで平然としてそうやってお答えになること自体が、私は大変問題だと思います。いつロシア側に、そして何を照会したのか。税関からでも何でも結構ですよ。それをこの委員会に出してください。
 委員長にお願いしますが、私は、今のような答弁ではとても納得はできない。いつ、だれが、そして日本のどの機関を通して、ロシア側のだれに照会をしたのか。そして、答えがいまだ返ってこないというのは、ロシア側政府に対して、強く外交ルートから働きかけるべきじゃないですか。ロシア国内の法制度などについては、地方政府の制度なども含めて、あなた方は情報分析官を持っていたわけだから、今も持っているのでしょう、情報分析官、欧亜局としては平素から把握しているはずじゃないですか。当たり前の話ですよ。隣国ですよ。
 しかも、北方領土の一括返還運動に私どもは取り組んできましたが、ロシアが国境問題決着していないのは日本だけですよ。ほかの国は全部、領土問題を解決しているのです。我が国だけが何でこういう状況なんですか。おかしいじゃないか。明確な答弁をお願いします。
齋藤政府参考人 昨年の四月二日に、モスクワにございます我が方大使館から、ロシアの外務省に対しまして、以下の諸点について照会をいたしております。
 まず、ロシア連邦政府または地方政府のこの問題に関連する法令があるのかないのか、また、連邦政府から地方政府への立法権及び行政権の委任規定があるのかどうか、また、ポートクリアランスを発給したというその詳細について、具体的に申し上げますと、発給権限を有する政府機関の数及び名称、様式、発給手続、発給に関する記録の保存の有無、公印が必要であるかどうか、また権限ある者の署名が必要であるかどうか、最後に、日本を入港地とする船舶へのポートクリアランスの発給の状況、これらの事項について四月二日付の口上書で外務省に照会したところでございます。
原口委員 今、何月ですか。それは去年の四月二日でしょう、ことしはまだ四月来ていないから。そして、ここに、何回も言いますが、カムチャツカそれからユジノサハリンスク、税関が出しているじゃないですか。このことは本物かどうかというのを確かめればいいじゃないですか。実際にユジノサハリンスクにあるサハリン政府が我が国固有の領土のこの一帯を管理しているわけですよ、北方四島も含めて。そこに聞けばいいじゃないですか。そこに聞いてくれるように、外務省からロシア政府に聞けばいい。しかも、一九九七年に、善処しますと。このときの政府参考人は東郷当時の欧亜局長でしょう。こういうことを見逃してきたんじゃないですか。北海道の漁民を見殺しにしてきたんじゃないですか。
 私は、これは国家が国家としての威信を持つために、こういうことが、四月に照会して、来ませんと、二月ももう終わろうとしているときに皆さんの口から聞くことを、国民を代表する国会議員として断腸の思いであります。そのことを指摘して、次の問題に参ります。
 北方人道支援事業でございます。北方人道支援事業、これは、大きな地震がありました。そして、我が国固有の領土にお住まいの皆さんも大変な思いをされているということで、平成三年から、食料品、衣料品、多くのボランティアの皆さんのお力をいただいて、外務省も頑張っていただいた、そして政府も頑張っていただいた。当初、大変大事な人道支援事業でございました。
 しかし、それが、最初二千五百万で平成三年に始まったものが、四年には一億円、五年には四億一千万円、六年四億円、そして平成十年には七億円、十一年には三十億円、十二年には二十七億円という金額まで膨れ上がってまいりました。私は、人道支援の重要性を確認するとともに、しかし、この事業がどのようなものに、何を目的に使われていたのか、そのことを考えると非常に残念でなりません。
 委員長、お許しいただいてパネルをお見せいたします。これは一九九九年六月、いわゆる色丹島に我が国の人道支援のお金でつくっていただいたディーゼル発電施設の写真でございます。
 色丹島の人口は何人ですか。
齋藤政府参考人 色丹島の穴澗に関する人口を有してございますが、これが約一千人、三百五十世帯というふうに承知しております。
原口委員 自分の固有の領土に対してこういう施設をつくって、そしてこれはロシア側に供与したわけでしょう。管理はだれがやっていますか。
齋藤政府参考人 色丹島の行政府が管理しているというふうに理解しております。
原口委員 ちょっと理事、よく聞いてほしいんですけれども、うそですよ。色丹島の行政府は管理していないんだよ。これは、ロシア人が経営されている、ユダヤ系のロシア人のアレクサンドル・ベルホフスキーという方が管理されているんですよ、ギドロストロイという水産会社が。大臣、さっき申し上げました密輸や密漁、そういったものが頻繁に起こっている。そして、島に行ってごらんなさい。鈴木議員は、私どもの質問に対して、島は一センチも舗装がないとおっしゃった。舗装はあるんですよ。そして、カニ御殿という御殿が建っているんですよ。
 なぜ、私たちが、私たちの国民の税金でよその国の会社が管理するこういう施設をつくらなきゃいけないんですか。ほかの二島はそこの行政府がやっていますよ。そんなことでも、どうして違う答弁をするのですか。
齋藤政府参考人 色丹島の発電施設の管理に関してでございますが、行政府に発電施設の維持管理費を手当てする財政的余裕がございませんために、ギドロストロイ社に運営を委託している、こういうふうに理解しております。私どもが入手いたしました先方地区長からの書簡によりましても、色丹島におきまして、電力の生産、配分に関するライセンスを持っている唯一の法人である同社に委託管理をした、こういうふうに書かれているところでございます。
原口委員 さっきの答弁と違いますよ。ちょっと、やってください。さっきの答弁と違うじゃないか。
萩野委員長 ちょっと速記とめてください。
    〔速記中止〕
萩野委員長 速記を起こしてください。
 もう一度答弁お願いします。齋藤欧州局長。
齋藤政府参考人 このディーゼル発電所につきましては、ロシア連邦の法律に従いまして、南クリル地区の地方自治体の資産となっておるわけでございますが、管理につきましては、行政府が同島における唯一のライセンスを持っている法人でありますギドロストロイに委託管理をお願いしている、こういうふうに私どもは理解しているところでございます。
原口委員 にわかに先ほどの答弁を今変えて、管理を委託すると。実質ここに無償供与したのと同じなんですよ。
 きょう、時間が限られていますから、この発電所の施設のことについてさらにお話をしますけれども、発電設備及び据えつけ工事のための入札についてという、これは九九年の一月五日に北海道新聞の朝刊の十六面に入札の公告がされています。この入札の公告がされて、そして入札説明会が行われたのはいつですか。
齋藤政府参考人 ただいまちょっと手元にございませんので、調べてまたお答えをさせていただきたいと思います。
原口委員 通告しているんですよ。このことについて、しかもあなた方はけさ六時に私に資料を送ると言っておきながら、発信記録がない。ずっと中の資料を出し渋っている。
 では、もう一回聞きます。別のところでも結構です。択捉島、これは九九年の二月八日。択捉島にも同じような発電施設をつくっているんです。九九年二月八日、これは公報に出した。そして、入札説明会はいつですか。――いやいや、通告しているのに。きのう夜中までかかってこれはやっているんですよ。
齋藤政府参考人 択捉島のディーゼル発電施設に関します入札説明会は、平成十一年二月十日というふうに承知しております。
原口委員 二月八日に公告を出して、二月十日に説明会に来い、そんなの無理でしょうが。そして、こう書いてあるんですよ、入札説明会の不参加の場合は入札参加資格がありませんと。これの名前は、十一年二月八日支援委員会事務局長末澤昌二さん。末澤昌二さんというのは今どこにいらっしゃいますか。
 こんな入札がありますか。見たことない。公告を出して二日後に来い、そして、そこに来なければ入札資格がない。結局、知っていた人しか入れませんよと言っているのと同じじゃないですか。違いますか。
齋藤政府参考人 その点につきましては、まさに今、園部参与を中心に事実関係を調査しているところでございまして、結果が判明するまでいましばらくお時間をいただきたいと思います。
原口委員 大変なことを言っていますよ、あなた、それ。
 外務大臣、園部さんを中心に調査しているのはこのことですか。ムネオハウスと言われるいわゆる診療所でしょう。これも調査していただいているんですね。外務大臣、どうですか。
齋藤政府参考人 友好の家を中心といたしまして、その他幾つかの案件について調査をしているところでございます。
原口委員 理事会で御協議いただきたいんですけれども、この末澤昌二さんというんですか、ちょっとコピーが非常に不鮮明なんですが、この方にぜひお出ましいただいて、そして、この方のお名前が出ているこういう入札が果たしてこの日本で行われていいものかどうか、聞き取りの調査をいただきたいと思います。
萩野委員長 ただいまの要求につきましては、後ほど理事会で協議させていただきます。
原口委員 極めて不鮮明で、そしてここについても大きな圧力、話し合いがあったというふうに私は聞いています。
 そして、このディーゼル発電施設の、これに応札した企業というのは三井物産なんです。三井物産がこういうのをつくれますか。しかもその応札のときには、二つの企業を、北海電工とダイハツディーゼルと二つの企業を入れて、括弧に入れて、はい、これでいきますとやっているでしょう。そんな入札の仕方がありますか。あなたたち、そこでも内部の文書を持っているでしょう。何をやっているんだ、外務省は。国民の税金ですよ。
 しかも、我が国固有の領土に対してこういう施設をつくって、返ってくるときには、これ、逆に買い取らなきゃいけないんじゃないんですか。違うんですか。
齋藤政府参考人 択捉、色丹、国後のディーゼル発電施設につきましては、御指摘のとおり、三井物産が中心となって工事全般を調整しつつ工事を実施し、電気工事につきましては北海道電気工事が、またディーゼル機関につきましてはダイハツディーゼルが請け負ったというふうに承知しております。
 また、領土の返還に支障のあるような形で施設を提供することはしないように我々は心がけておりまして、そういった面で、プレハブですとか簡便な施設の供与ということに意を用いているところでございます。
原口委員 本当にびっくりしますよ。これのどこが簡便ですか。何億かかっています、これ。そんな簡単な施設じゃないですよ。プレハブですか、これ。幾らかかりました。
齋藤政府参考人 択捉の発電所につきましては五億九千七百四十五万円、色丹島につきましては十四億四千九百三十三万円、国後島につきましては二十億九千百八十八万円でございます。
原口委員 外務大臣、大変な答弁だと思うんですよ。私には今、返還に当たって日本側の負荷がないように簡便な施設をつくるように心がけましたと言いながら、これは十四億九千万円するんですよ。しかも、立派な施設ですよ。二千人しかいない色丹島で、しかも穴澗でこういうものをつくる、こんなことが許されるでしょうか。外務大臣の御答弁をいただきたい。
川口国務大臣 私は、発電所が一般的にどういう大きさのものが幾らぐらいかかるかということについての知見を持っておりませんので、その金額がそれにふさわしいかどうかということについては、今突然お話がございましたので、判断はできませんが、基本的にこの援助は人道的な支援ということでございますので、電力についても、停電をしているような状況が存在をしている場合には、やはりそれも人道的支援のうちに考えられるべきものではないかと思います。
 ただ、そのときに、先ほど来局長がお話をしていますように、将来の返還の際に問題がないような形であるということは大事なことでして、それはそうなっているのではないかというふうに思っております。
原口委員 とても大臣と議論をしているとは思えない。
 この施設が我が国が国民の税金でつくった施設であるということはお認めになりますね。そして、簡便ではなくて。
 ロシアはエネルギー大国です。そして、エネルギーを供給するということは、今ここはロシア政府の管理にあるわけです、サハリン州の。私たちが樺太と言っていた、そして今も樺太と呼んでいるところの、そこにある政府がここを管理しているわけです。ファンダメンタルなところまで我が国がどうして、しかも解体するときには莫大なお金がこれはかかりますよ。そういうものをなぜやっているのか、私には今の答弁ではとても理解ができない。
 そして、ここに南クリル行政府、当時は南クリル地区長というのはゼーマさんという人ですよ。ゼーマさんが鈴木議員に対して直接、尊敬する鈴木さん、ファクスを送って、これを送ってください、あれを送ってくださいとやっているじゃないですか。私はこういったことは外交とは言わないと思う。気の毒な人があれば、それを経済大国として隣人としてしっかりと救う、これは大事なことだ。
 しかし、事こういう領土の問題について、まさに全く外務省も通さずに、この私、一つの議員と一地区長との間、これでやって全部決まっていっているじゃないですか。北方の運動に身を投じて頑張ってきた人たちは今泣いている。一括返還という言葉が消え、そして二島先行返還論なるものが出てきて、私もユジノサハリンスクに行ってきました。尾身長官、私はユジノサハリンスクに二〇〇〇年に行って、あちらの行政府の人たちとお話をしてきた。援助という話はあったけれども、領土をどうのこうのという話は一切なかった。こんなことでいいんですか。私は、今の局長の答弁と大臣の答弁のまさにあいまいさが、我が国だけが領土問題を残す、そういう結果になっているというふうに思えてならないのであります。
 そこで、時間があと五分になってしまったのでお尋ねをしますが、このディーゼル発電施設、ここに入れる油。ロシアは天然資源の大国であります。しかも、パイプラインを持っている、サハリン2というのがもう動き出している。当然ロシアから来ているんでしょう。どうですか。
萩野委員長 質問わかりましたか。
齋藤政府参考人 大変恐縮でございますが、ただいまの質問、正確に私理解できませんでしたので、お許しをいただきまして、先ほどディーゼル発電所をなぜ供与したかということにつきましては……(原口委員「いやいや、質問だけ、聞いてください。理解できないとはどういうことだ」と呼ぶ)きちんと私御答弁を尽くしていなかったと思いますので御説明させていただきたいと思うんですが、この発電所につきましては……(原口委員「聞いていなかったんですか。いいよ。ちょっと、委員長、油のことを聞いているんだ。油はどこから来ているんだ」と呼ぶ)
萩野委員長 静粛にお願いします。
原口委員 質問に答えさせてください。
萩野委員長 はい。油がどこから来ているかということの質問ですから、それに対して。
齋藤政府参考人 調査させていただきます。
原口委員 通告しているんで、今回は出しているんだよ。
萩野委員長 速記をとめてください。
    〔速記中止〕
萩野委員長 速記を起こしてください。
 齋藤欧州局長。
齋藤政府参考人 失礼いたしました。
 日本の燃料を供給しているというふうに理解しております。
原口委員 私もたった今これは、知っているんだったら聞くなという人がいましたけれども、これは大変なあれだと思うけれども、今来たんですよ。日本から来ている。色丹向けディーゼル燃料千トン、六千百七十二万円、供給業者は光商会。色丹向けディーゼル燃料千トン、北日本石油、五千四百三万円。国後島、色丹向け百トン、根室石油、供給業者ですね、千三百三十八万円。そして、国後島、色丹島向け九百トン、ヒシサン、四千七百十七万円。
 なぜこういうエネルギー大国に日本からかくも大きな金額を、これは毎年毎年送り続けているでしょう。なぜこういうことが必要なんですか。そして、この供給業者はどこの業者ですか。ここについても私たちは、不透明な、あなた方と一部の議員、そしてこの北方支援事業をまさに食い物にする、そういう動きをつかんでいます。あなた方がきのうの夜からずっと通告をしているにもかかわらずこれに答えられないのは、そういう事情があるからじゃないですか。
 ここの業者はどこの業者ですか。これも通告をしています。
齋藤政府参考人 この燃料の調達に当たりましては、入札参加資格として、北海道東部周辺海域の気象、海象条件を熟知しているとともに、同海域における燃料供給等の実績を有する者であるという条件がついてございます。
 私の理解するところでは、燃料の供給は根室から船積みしているというふうに理解しておりまして、根室及び釧路の業者であろうと思います。
原口委員 御存じじゃないですか。私は、とてもこのことを看過できないと申し上げておきます。
 それで、尾身長官にお尋ねを申し上げますが、根室には、通称二島先行返還市民会議、いわゆる北方領土返還促進根室市民会議ということがあるというふうに思っております。一括返還を目指してたくさんの署名を集めていらっしゃる方々からは大変反発を持たれている会議であるというふうに思いますが、これはだれが会長で、どんな活動をなさっているんですか。そして、それは日本政府の方針と一緒なんでしょうか。このことをお尋ね申し上げます。
尾身国務大臣 昨年の八月二十六日に北方領土返還促進根室市民会議が設立されましたが、その後、特段の活動は行っていないものと聞いております。
 私どもは、従来から申し上げておりますとおり、北方四島の帰属の問題を解決して日ロ平和条約を締結し、両国間に真の相互理解に基づく安定した関係を確立するというのが基本的な一貫した方針でございます。
原口委員 もう時間が来ましたから終わりますが、一括返還という姿勢をきっちりロシア側に間違いのないように伝える、このことが私たちの国民の利益だ。国際法と正義に基づいて、我が国固有の領土を一刻も早く我が国に返す、この国民の願いに、与党、野党ありません、一丸となって取り組んでいきたい。このことを申し上げて質問を終わります。
 ありがとうございました。
萩野委員長 次に、川内博史君。
川内委員 おはようございます。川内でございます。
 川口新大臣、外務省の余りの体質に、大臣を引き受けるんじゃなかったという思いを今はお持ちになっていらっしゃるのではないかなと、御心中をそれこそ私、そんたく申し上げているところでございますけれども、実は、私の母も順子と書いてヨリコと読みまして、大臣は川口順子さんで、私の母は川内順子で、大臣とは一字しか違わないということで、私の母が大臣の就任を大変喜んでおりましたので、それをまず冒頭お伝えを申し上げて、厳しい質問に入らせていただきたいというふうに思います。
 まず沖縄問題、基地の整理、統合、縮小、非常に難しい課題にこれから取り組んでいかなければならないわけでありますし、また、川口大臣は環境部門の大臣もお務めになられていたわけですから、アメリカの京都議定書離脱問題等にも積極的に御発言をいただかなければならないわけであります。
 さきに行われました日米首脳会談の際に、パウエルさんと新大臣は会談をされていらっしゃると思いますけれども、京都議定書の批准については、大臣が環境大臣のときにリードをして、イニシアを発揮して日本をそういう方向に向けていかれた。その御功績というものは私は高く評価をするわけでありますけれども、パウエルさんに対して、この京都議定書問題、あなたたちのやっていることは大変な間違いだということをおっしゃらなければいけなかったと思うんです。
 パウエルさんと京都議定書についてどんな話をされたのか、冒頭ちょっとお聞かせをいただきたいと思います。
川口国務大臣 まず、お答えを申し上げる前に、私としては、私の息子が先生のような立派な大人になってくれればいいというふうに思っております。
 京都議定書のことでございますけれども、私は、環境大臣時代に、京都議定書に大変一生懸命に取り組んだつもりでございます。それで、多くの国々の御同意あるいは御協力、御支援を得て、全部の国が一緒になってこの京都議定書の運用ルールについて合意ができたということを私は非常にうれしく思っておりますし、その意味で、アメリカが昨年の三月に京都議定書を支持しないと言ったことについては大変に残念に思いましたし、今でも思っております。
 それにつきまして、パウエル国務長官とお会いをいたしましたときに、私としては、日本としては今国会で京都議定書の批准を目指して議定書の承認をお願いする、あわせて関係国内法令についても国会に出させていただくということをお話をいたしました。
 それから、アメリカが支持をしないと言った後で、閣僚レベルでアメリカとしてどういう対応ができるかということについてかなり熱心に議論をしていたにもかかわらず、例の九月十一日の同時多発テロ等がございまして、その後ずっと話し合いが進まなかったということを私はよく知っておりましたので、そういう意味で、アメリカがとにもかくにもアメリカとしての新しい提案を出したということについては、第一歩として評価をするということは申し上げました。
 そして、今後、発展途上国も他の国々も含む形で国際的に一つの枠組みができて、それに基づいてすべての国が温暖化の抑制に取り組むことができるということが大事なので、それに向かって日本としては努力をするということも申し上げました。
 私としては、日本は京都議定書を大事にしている、日本だけではなくてほかの国もそうである、そういったコンテクストで、全世界が一緒になって一つの国際的な枠組みに基づいて行動することが大事だということはお伝えしたつもりでございます。
川内委員 非常にマイルドにパウエルさんにお伝えになられたんでしょうけれども、日本の対米追従というか追随というか、余りにもアメリカの言うことを聞き過ぎる。外務省の方々は、いや、決してそうではないとおっしゃるでしょうけれども、少なくとも国民の目から見れば、そういうふうに今映っていると思うんですね。そして、アメリカの割とひとり勝手な行動というものも、これは、日本国内だけではなくて世界じゅうの人たちが、アメリカは余りにも横暴が過ぎるんじゃないかということも若干思ったりしていると思うんですね。
 そういう中で、今回の日米首脳会談が行われて、小泉総理がブッシュさんの横で恍惚とした表情をお見せになる。それが国民の皆さんには、何だという思いを抱かせたのではないかな、だから支持率がさらに下がってしまったのではないかなと。私は野党ですから、小泉さんの支持率が下がってうれしいんですけれども、若干、日本全体とすれば、もうちょっと毅然たる態度、言うべきことは割と強い口調ででも言う、ブッシュさんを機嫌悪くして中国に行かせるぐらい、韓国に行かせるぐらいのことがあった方が逆によかったのではないかなということを思うわけです。
 これは沖縄の基地問題にも通じることで、今のような外交の姿勢あるいは外務省の体質で、果たして本当に沖縄の基地がしっかりと整理、統合、縮小に向けて動いていくのかということを、沖縄の県民の皆さんはもとより、国民は非常に心配をしているということだと思うんです。
 大臣が骨太の改革案というものを出されたわけです。「誤ったエリート意識の排除とお客様志向」、外交官の誤ったエリート意識ですね、「国民全体の奉仕者としての意識を徹底します。」というふうに書いてございます。私は、まさしくそのとおりだと思いますよ。公僕として国益のために頑張るんだということを、意識改革をぜひしていただきたいわけでありますが、まず、その前提となることについてお伺いをしたいわけであります。
 田中前大臣のもとで外務省改革案というものが実行に移されていると思うわけでありますが、この改革案の中には、機密費あるいは報償費については大臣が決裁をするというふうに書かれております。川口大臣は、就任されて今日まで、報償費の決裁の書類にサインあるいは大臣の印鑑を押されたことはございますか。――いや、大臣に聞いているんですよ、大臣が決裁をしたかどうかだけですから。
川口国務大臣 ございます。
川内委員 それでは、何回ぐらいされましたか。
川口国務大臣 三回ぐらいあったと思います。
 それから、私だけではなくて、これは副大臣以上ということになっておりますので、私は三回ぐらいだったと思います。
川内委員 植竹副大臣は何回されましたか。
植竹副大臣 報償費は少額のもありますから、三、四十回あるかと思います。
川内委員 川口大臣が三回ですか。植竹副大臣が三、四十回。
 では、官房長、田中大臣には決裁の書類は何回持っていかれましたか。
小町政府参考人 お答え申し上げます。
 報償費につきましては、昨年六月、昨年春以降改革を行って、今、十万円以上につきましては副大臣及び大臣の決裁を得るということになっております。ただ、田中大臣のときには、副大臣に上げて、その上で大臣に上げるものについてお諮りしておりました。
 私自身、田中大臣に御報告、御説明した案件が、ちょっと正確な数字は覚えておりませんけれども、数件あったように記憶しております。
川内委員 今年度の予算案では、私も正確には覚えておりませんが、報償費としては五十億ぐらいですか、予算が計上されていたと思うんですけれども、もうちょっと少なかったですか。別に、正確な数字はいいんです。
 要するに、四十億だか五十億だかの報償費を、十万円以上を決裁するにしても、回数がちょっと少ないんじゃないかなというふうに思うんですけれども、何か、副大臣、大臣に上げない案件というのもあるわけですか。
小町政府参考人 お答え申し上げます。
 十万円以上につきましては、自動的に副大臣以上に上がるようなことになっております。
川内委員 どうせ、込み入ったことを聞いても、外交上の秘密だとかいうことで多分お答えいただけないと思うのですが、国民の皆さんが知りたいのは、どういうふうに私たちの税金が、国民の皆様方の税金がきちんと使われているのかということに、今一番不信感というか御関心を持っていらっしゃると思うんですね。そういう意味で、今、報償費の決裁の書類に何回サインをしていただきましたかということに関してそれぞれお答えいただきました。
 その総額あるいは一件一件の金額等についても実はお答えをいただきたいんですけれども、その辺はまたおいおい聞かせていただくとして、この間の外務省のいろいろなごたごた、事務方の総責任者として野上さんという方がいらっしゃったわけですけれども、この野上さんという方は、私は、一月二十九日の夜で更迭を言い渡されて、そのまま外務省を退職されるものだとばかり思っていたんですが、何か今は官房付になっていて、この前写真週刊誌には、おれは今度北米大使にでもなるかというようなことをちらっと漏らしていたと。まあ、写真週刊誌の書いてあることですから、本当かどうかはわかりませんよ。
 でも、とにかく今現在まだ外務省にとどまっていらっしゃって、官房付である。そして、今度はどこかの大使におなりになるんじゃないかといううわさがあるということでありますけれども、もとはといえば、この野上さんという人がNGO問題について田中前大臣にきちんとした報告を上げずに勝手に処理をして、そのことが今回の一連の騒動の発端になったわけですよね。
 そういう意味では、その責任をとってやめるというのであれば、外務省を退職しなければならない。外務省を退職するといったって、どうせ何千万もの退職金も受け取りになられるんでしょう、別に、何か法律に違反して罷免されて、退職金も出ないというようなことではないんでしょうから。しかし、退職だけはしていただかないと、骨太の改革案の中にある、それこそが誤ったエリート意識、その場だけ取り繕って、大使に出て、大使に出ればいろいろな手当もついて、物すごいお給料もお取りになるわけですからね。
 そういうこと自体が、私は、国民の皆さんにはとても納得のいかない事柄になるというふうに思うんですが、川口大臣はどうですか。大臣自体は、野上さんはやめた方がいいと思うんだけれども、しかし官邸がそれを許してくれないとか、複雑な事情がおありになるんでしょう。
川口国務大臣 あることに責任をとるということを言いました場合に、どの程度の責任をとるかということは、その処分の対象になった事案との関係で論ずるべき話だと思います。それからもう一つ、他方には、何を、どういう処分をそこで与えられるかということとの関係で考えるべきだと思います。
 私は、野上前次官が次官をやめるということの重みは、実は大変に大きいと思っております。という意味で、次官を官房付にしたということでございまして、次官をやめたこと自体の処分の大きさということを御認識いただきたいと思います。
川内委員 いや、だから、次官をやめるということの重みを御認識いただきたい、次官をやめるというのはすごいことなんだ、その大臣のお気持ちは私もよくわかりますが、私は、それこそが誤ったエリート意識だということを申し上げているわけです。
 普通の場合は、責任をとってやめるというのは、その組織から去るということを国民の皆さんは一般的には思うわけですよ。そしてまた、通常の社会においては、責任をとってやめるという場合にはその組織を去らなければいけなくなるわけですよね、自動的に。
 しかし、外務省というのは非常におもしろい役所で、事務次官というのが職位では事務方のトップかもしれませんけれども、ポストの格としては、北米大使だのあるいは英国大使だのあるいは何とか大使だの、ほかにも同格あるいは格上のポストというのはたくさんあるらしいですね。そうすると、そういうところに行かれることになってしまうというのは、国民の皆さんからすれば、一体何だ、国民をばかにしているのかということになるわけです。
 責任をとるというのは腹を切るということですから、それは野上さんは、責任をとっておやめになるというのは、外務省という組織からも去らなければ、国民の皆さんは納得できないと思うんですね。恐らく大臣は、川口大臣は非常にすばらしい感覚の持ち主でいらっしゃると私は信じますので、そうした方がいい、野上さんはやめた方がいいんだけれどもなと思っていると思うんですよ。それを官邸が許さないということだと私は理解をしたいというふうに思うんです。
 そもそも、野上さんを次官に据えたのは官邸の非常に強い意向があったわけですよね。田中前大臣は別な方を次官にというふうに思っていらっしゃったようでありますけれども、官邸が、いや野上、野上さんだということを働きかけてきたと。そのときに、総理秘書官の飯島さんという方がもう外務省に連日乗り込んできて、野上次官実現に向けていろいろな運動をされたらしいですけれども、各局の局長さんや田中前大臣が会議をしていらっしゃる場面にも、この総理秘書官の飯島さんが乗り込んでいらっしゃって、次官は野上だというようなことをまくし立てた一幕というのがあったそうであります。
 そのときにいらっしゃった局長さん方で、このとき飯島さんが何を理由に野上さんを次官にしたがったのか、そのときに飯島さんがどんなことをおっしゃったのかということをお聞かせいただきたいというふうに思うんですが、谷内総合政策局長いらっしゃいますか。
谷内政府参考人 私、以前に人事課長もやっておりましたので、その経験も踏まえてお答えさせていただきますけれども、一般に、個別の人事が決定されるプロセスにつきましては、人事という事柄の性質上、御説明することはいかがかということで、差し控えさせていただいておるわけでございます。
 今回も、確かにそこに同席していたことは事実でございますけれども、私自身は人事については何らの権限もございませんので、いずれにしても御説明は控えさせていただきたい、このように思います。
川内委員 型どおりのお答えをいただいて、本当に、まことにありがとうございます。
 大臣、今のこういう答え方が誤ったエリート意識なんですね。この外務省改革、あるいは外務省の体質を変えていく、日本の国益をしょって活動していただかなければならない外交官の皆様方の意識を変えていくということが今最も国民の皆さんが求めていらっしゃることなのに、そして、これだけ大きな国民の注目というものを外務省が集めているときに、すべての事柄を明々白々に、白日のもとにさらして出直しをしなければならないときに、いや、人事のことでございますのでお答えできません、事柄の性質上と。
 飯島秘書官が、一飯島総理秘書官がわざわざ外務省に乗り込んできて、野上さんじゃなきゃいけないんだと。これは新聞で報道されていることですよね。そのときに、田中大臣にだけ飯島さんが話をするのではなくて、もう各局の局長も皆さんいらっしゃるところで飯島さんが何事かをまくし立てられた。何をおっしゃったのですか、そのとき。それはある意味では非常に重要な出来事だった。それについてお答えをいただきたいということに関して、いやいや、そういうことは下々は知る必要がないんだというような紋切り型のお答えをされる。それこそが誤ったエリート意識であって、何ら、外務省がこれから変わるのかなという希望を抱かせないお答えだと思うのです。
 きょうは官房長も来ていますけれども、もともとこのNGO問題というのは、重家さんと小町さんは国会の答弁の中で、もしかしたら田中前大臣のおっしゃるとおりかもしれないという御答弁をされた。それに対して野上次官は、そんなことはない、だれもそんなことは言っていないと。その食い違いをうちの原口議員が指摘をして、これだけ問題が大きく発展をしてきたわけですよね。
 そういう意味で、この前、田中前大臣も参考人質疑で、野上前事務次官はうそをついているということをはっきりとおっしゃったわけで、この野上次官というのはどういう人なのか、なぜ官邸がこの野上次官を強烈に実現をしたがったのかということは、この問題を解明する上で重要なポイントだというふうに私は思うのですけれども、官房長は何か言うことはありますか。
植竹副大臣 先ほど先生から、官邸から飯島秘書官が乗り込んでいろいろ圧力をかけたというようなお話がございましたが、実は、飯島秘書官は私と一緒に入ったんです、大臣室に。
 その間の経緯を申しますが、飯島さんは、初めは大臣室に入ったんじゃなくて私のところに、いわゆる野上さんじゃない、前の川島次官のときにいろいろ停滞がございまして、その点につきまして、これでは国会運営が非常にまずいということで、私にその調整の要請があったのです。そして、私が田中大臣と二、三回お話をいたしまして、話がついたということで、実は、飯島さんが来られて要請がありましたものですから、飯島さんも大臣室に同道いただいて、そして人事について、中身は申し上げられませんが、お話をした。そのときの状況というものは、極めて穏やかに、スムーズにいったということでございます。
 そして、その結果、川島さんが辞表も出されて非常に円満にいった、そういう状態でございますので、官邸から圧力をかけたとか、そういうのは誤った報道でありまして、私は、それを御信じいただきたくないと。
 はっきり私のところに、その調整の要請があって、大臣室にはお入りになっていませんでした。私は大臣とお話をし、解決いたしましたので、そういう要請に来られたから御案内したということでございますので、それを、事実と違った御認識でありますので、私から真相を申し上げました。
 以上でございます。
川内委員 飯島さんは大臣室に入っていないというのですか。
植竹副大臣 いえ、ですから、お入りになりました。ただし、私の部屋に来られて要請があったのです。そして、その人事について大臣と私とでお話をいろいろとしまして、話が決定いたしましたので、そのときは川島次官がやめる、やめないのお話がございましたので、それをやめられるという話がつきまして、そのために私は、御要請があってこの人事を解決いたしましたということですから、大臣の部屋に御案内いたしまして御了解を得た、そういうことでございます。
川内委員 では、一連の新聞報道あるいはマスコミの報道の中では、植竹副大臣は、二日の夜九時に官邸に行かれるときに田中大臣と同行をされたということはお名前が出ていらっしゃいましたけれども、ほかの場面で植竹副大臣の名前はなかったかのように私は記憶をしているのですけれども、そうすると、マスコミの報道が違っているということになるわけですかね。
植竹副大臣 その夜九時半ごろ、時間は多少違いますが、九時過ぎに、田中前大臣と私が官邸に御一緒いたしました。それも事実です。ただ、翌日の点については、それは記事に出ておりませんでしたから、申し上げるだけです。
川内委員 どちらにせよ、植竹副大臣の御人徳でいろいろなことが丸くおさまったのでしょうが、しかし、私は、総理官邸から飯島さんが使者としてやってきて、田中前大臣がお考えになっていた人事をひっくり返したということもまた事実でありますから、官邸が野上次官でなければならなかった何らかの理由がそこにあったのであろうということを推測するわけでありますが、時間もございませんので、この件はまたこの次に続くということで、請う御期待をいただきたいというふうに思うわけであります。(発言する者あり)いやいや、期待してくださいよ、そんな寂しいことを言わないで。
 最後に、重家さんと小町さんの更迭を、川口大臣は総理に御叱責をお受けになられた後発表をされていらっしゃるわけでありますけれども、私は、ある意味では、重家さんと小町さんというのは、最後の最後で非常に正直にお答えになられたなという印象を持っているわけです、NGO問題に関して。田中前大臣のおっしゃるとおりかもしれないとちょっと弱々しくお答えになられたりしまして、そこがこの問題解決に向けた、あるいは外務省改革に向けた突破口になっていったわけですから、そのお二人の更迭を今発表されるというのはどうにも納得がいかない。
 あらゆる問題がクリアになってから、すべてがクリアになってからこのお二人を更迭する、いや、更迭するんじゃなくて異動でいいですけれども、というのであればわかりますけれども、この時期に総理から言われて更迭を発表されるというのは、どうにも納得がいかないんですね。やはり、この人事も総理が主導されたのか、官邸の意向なのかというふうに思うんですけれども、いかがですか。
川口国務大臣 私は、割に記憶力はいい方だと思っておりますが、総理に叱責をされて人事をやったという記憶はございませんし、総理から早く人事をやれと叱責されたということは全くございません。
 ちょっと日にちが、記憶力がいいと言った割には覚えていないんですけれども、官邸に伺いまして、総理がおっしゃったことは、調査をきちんとやるように、遅くとも十日以内に出しなさいとおっしゃられた。これを私は叱責と受けとめたというふうに申し上げたわけでございまして、あわせて総理は、外務省の革新を進めなさいということは、私が就任をして以来おっしゃっていらっしゃることはおっしゃられましたけれども、それだけでございまして、人事については、これは私は人事権者でございますので、私の判断でやったことでございまして、総理にはもちろん了承を得たということでございます。
川内委員 済みません。では、総理に叱責を受けたというのは、いろいろな意味で叱責と私も申し上げたんですけれども、直接的に人事のことで叱責ということではなく、とにかく官邸に大臣が呼ばれて、そこで何事かを総理に言われて、それで人事を発表されたということでありますから、少なくともこのアフガニスタンNGO問題が解決するまでは、重家さんと小町さんというのはキーマンですから、その職にとどめていただいて、くれぐれも海外に飛ばしたりすることのないように、疑惑にふたをするということになってしまいますので、それはお約束をいただけますか。
萩野委員長 時間が来ているから、簡潔にお願いします。
川口国務大臣 国会議員からの御意見は、幅広く謙虚に受けとめさせていただきますけれども、人事については、私は自分の判断でやるつもりでおります。
川内委員 終わります。
萩野委員長 石井紘基君。
石井(紘)委員 石井紘基でございます。
 昨今の外務省問題というのは、特に鈴木宗男さんの問題は、ちょっと本質的な問題までよく念頭に置きながら対応してもらいたい。
 どういうことかといいますと、大体、いろいろな予算というのは各省庁が決める、あるいは、どこに何を、箱物をつくるというような事業の計画ないしは政策、そうしたものもそれぞれの省庁に権限があるというようなシステムのもとで、往々にして、与党の議員と省庁の上層部の官僚とで動かされていく、日本のこれまでのそういうあしきシステムというものがある。そういう中で、さまざま起こってくる問題であるということであります。
 ですから、私は、外務省の皆さんに同情するわけじゃありませんけれども、役人の皆さんも、有力な政治家に強く物を言われますと、やはりそれは無視するわけにはいかないという立場もある。したがって、外務省あるいはその他の各省庁の官僚の皆さんもさることながら、政治家がやはり非常に悪いという部分があることを認識する必要があるだろうと思うんですね。
 私は、鈴木宗男氏について、かつて、一昨年の八月でございましたが、決算行政監視委員会で私の調査したことを明らかにいたしました。それは、彼が北海道開発庁長官をやっていたのが平成九年、十年であります。このときに、北海道開発庁から発注された公共事業を受けたところの企業数というものは、年間に千六百社から千七百社に上りました。このうち、鈴木宗男氏がその受注企業から献金を集めた。この集めた会社の数が平成九年には二百七十五社に上った。平成十年には、開発庁長官もやっておりますから、ぐっとはね上がって四百社に達した。
 これはすなわち、税金で公共事業を発注する、その発注先から税金を還流させて、ピンはねをして自分の団体の懐に入れる、こういう行為であることは間違いない。こうした政治資金の集め方というものが、我が国の今日の根本的な深い病巣の一つになっておるということをはっきりと認識をする必要があるわけです。実に、平成十年においては、北海道開発庁が公共事業を発注したうちの二三%の企業から上前をはねた、そういうことなんであります。
 さてそこで、鈴木宗男氏は、非常に頻繁に北方領土地域あるいは極東地域に足を運んでいるわけでありますが、私が外務省に依頼をして、そのスケジュールをいろいろ出してもらいましたけれども、これは非常に問題があります。この内容について見てみますと、問題がある。
 これは後ほど申し上げたいと思いますが、そうした彼の動きの中で、国後島と色丹島、択捉島に、先ほど原口委員も取り上げましたけれども、ディーゼル発電施設を提供した。このディーゼル発電施設の、まず入札及び契約に関して、外務省に私は、具体的に、いつこの入札の公告が行われ、どういう方法で行われ、どこが説明会に参加してきて、どういう経過で三井物産に落札ということになったのかという詳しい資料を出すように求めたのでありますが、これはもう数日たっておるけれども、いまだにそれが出てこない。これは、一体どういうわけなのか。そのことが今答弁できるのかどうなのか、できればやってもらいたいと思いますが、いかがですか。
齋藤政府参考人 択捉、色丹、国後に対しますディーゼル発電施設の供与でございますが、これは、入札方法といたしましては、いずれも一般競争入札という方法をとってございます。
 応札した会社につきましては、択捉島につきましては三井物産、住友商事、兼松の三社、色丹島につきましては三井物産、伊藤忠商事、兼松の三社、国後につきましては三井物産、住友、兼松の三社が応札しておりまして、最終的に受注いたしましたのは、いずれも三井物産でございました。
石井(紘)委員 公告はいつしたの。それで、説明会はいつしたの。入札決定はいつしたの。契約はいつしたの。何も言わないじゃないか。そんなの全部わかっていることだよ。
齋藤政府参考人 択捉、色丹、国後の順番で進めさせていただきますが、択捉につきましては、平成十一年二月八日に公告いたしております。入札は平成十一年三月十六日、契約は平成十一年三月二十四日でございます。色丹島につきましては、入札公告は平成十一年一月五日、入札は平成十一年二月五日、契約締結は平成十一年二月十六日。国後島につきましては、入札公告は平成十二年三月六日及び八日、入札につきましては平成十二年三月三十一日、契約締結につきましては平成十二年四月四日でございました。
石井(紘)委員 金額等、そういうことは言わなかったけれども、まあこちらにありますからいいんだけれども、とにかく、公告から入札まで、あるいは契約まで、もう非常に短期間であります。これは、あらかじめ、もうほとんど中身は決まっておったということを、今のスケジュールを見ますと、どうも推察せざるを得ない。
 それで、この入札予定価格というのと落札価格というのを見てみても、色丹島の場合には、十四億五千万円、落札価格が十三億八千万円。択捉は、五億七千万円、これが五億六千九百万円で落札になっておる。国後島の場合には、十九億九千四百万円の予定価格が十九億九千二百万円というふうに、もう本当にぎりぎりのところで落札になっておるわけです。
 それで、これが、今言われたように三井物産に発注されて、三井物産から、建設、電気周り、これについては北海電気工事、先ほどの原口さんに対する答弁では、北海道電気工事と言われたけれども、これは正しくは北海電気工事株式会社ですよね、ここに発注をされた。北海電気工事は、またさらにそれを道内の下請企業に、苫小牧の、これは関係ないですから社名は言いませんが、イニシアルT、そういう企業に孫請をまたしておるわけですね。
 そういう経過でありまして、ここもやはり相当の疑惑が持たれる、そうしたデータになっておりますから、外務大臣、この三件についてもよく調査をしなければなりません。
 さてそこで、今申し上げましたこの契約を受けた三井物産。三井物産は、これは全部足し上げれば総額四十数億になりますよね、この事業を一手に引き受けた。この三井物産が政治献金をどういうふうにしたかということは、私は、鈴木宗男さんの方に直接されていないので、さてどうしたのかなというふうに不思議に思いまして、いろいろ調べてみました。
 鈴木宗男さんという人は、御案内のとおり、北海道開発庁長官をやっておったのが平成九年から十年、その後、平成十年から十三年まで自民党の総務局長をやっております。自民党の総務局長というのは事務方のトップでありますね。ですから、この実績というようなもの、そのうちの一つは、やはりいかに資金集めに貢献しておるかということが当然あるわけであります。これは、目の色を変えて、どこの党でも総務局長というようなものはそういうことなんです。
 さてそこで、三井物産が政治献金をしたのは、案の定、自民党本部の政治資金団体であるところの国民政治協会にありました。平成九年に二千四百四十万円、平成十年に二千二百四十万円、十一年は二千二百四十万円、十二年は千八百七十万円。それで、ちなみに、この国民政治協会に献金をした商社をいろいろと見てみましたら、三井物産以外の重立った商社は一社か二社しかありません。この三井物産は、金額的にも非常に際立っているわけであります。
 もう一つの北海電気工事株式会社、これは札幌にある会社でありますが、この会社は、必ずしもこのディーゼル発電施設だけの受注のために献金したかどうかはもちろんわかりませんが、しかし、平成九年には全然献金をしておりませんでした。平成十年ごろからこの北方領土の支援事業というものが始まっていくわけであります。平成十年に献金を国民政治協会にされたのが七百万円、十一年にも七百万円、平成十二年度も七百万円、合わせて北海電気工事株式会社は二千百万円の献金を最近の三年間でしておる。先ほどの三井物産は、平成九年から数えますと、八千五百九十万円の献金をしておる。
 このことは、これが少なくともこのディーゼル発電所の建設事業に関係しているということは、ほかの資料を見てみて明らかになるわけであります。つまり、この北方支援事業の建設工事に携わったところの、もうこれまでも名前が何度も出てきておりますが、日本工営、これは友好の家、ムネオハウスのコンサルタントを担当したところであります。それから北興工業、これは国後の桟橋工事を受注した企業であります。あるいは島田建設、これも同じく国後の桟橋工事を受注した企業であります。
 さて、日本工営の場合は、やはり自民党本部の政治資金団体、国民政治協会に、平成十年が三十二万四千円、平成十二年が同じく三十二万四千円、計六十四万八千円。北興工業、これが十年が、九年はないのです。全部、その三社とも平成九年は全然ないのです。それまではなかった。十年に初めて献金をし出したのです。十年が二百万円、十一年が三百万円、十二年が四百万円、計九百万円。島田建設が、十年は二百万、十一年が二百万、十二年が二百万、計六百万円。
 これを見ても、明らかに北方人道支援のさまざまな事業に絡むところの政治献金というものが、こうした関連する各社において行われておる。ほかの各社はここに挙げませんでしたけれども、鈴木宗男さんの二十一世紀政策研究会あるいは北海道自民党の第十三支部等々の鈴木宗男さんの政治団体にそれぞれ献金をずっとしておるわけですね。これはもう今までも明らかになっておる。今まで明らかになっていない部分を若干つけ加えるならば、会社としてだけではなくて、個人としてもこの社長や常務などが献金をしておるというのがあります。
 これは平成十二年度、鈴木宗男氏の二十一世紀政策研究会に対して、これまで一切なかったところの渡辺建設、犬飼建設、そして濱谷建設等の建設会社の社長や常務が個人でも献金をしたのであります。これがこうした北方関係の事業との関連であることは明らかであります。ちなみに、渡辺建設の社長、渡辺寿一さんは五十万円、犬飼建設の社長は二十四万円、濱谷建設の社長の和雄さんは六十万円、同じく濱谷建設の美津男常務、濱谷美津男さんですね、この人が六十万円というふうに、企業としてだけではなくて個人としても献金をしておる。こういう実態があるわけであります。
 先ほどの入札、あるいはその後の経過等も含めて、外務大臣、これは、そうした私が最初言った観点を踏まえて徹底的に調査をする必要があるというふうに思いますが、今週か来週出される調査結果、今行っている調査の中にそうしたものが含まれているのかどうなのか。あるいはこのこと、ディーゼル発電施設について、特にこの経過を別途調べるというつもりがあるのかどうなのか、伺いたいと思います。
川口国務大臣 先ほど、十日以内に報告書をお出しするというお話を今させていただいておりまして、園部外務省参与には調査をお願いしておりますけれども、その内容といたしまして、北方四島住民支援に関する事実関係ということで国後島の緊急避難所兼宿泊施設、それからその他ということで、この中にはおっしゃった件も含めております。
石井(紘)委員 それは、念のために老婆心ながら申し上げておきますけれども、きちっとしたものでないとだめですよ。
 これは私、支援委員会事務局にもきのう行ってまいりました。高野事務局長ともお会いしました。支援委員会そのものは、私も以前から知っておりますが、これに携わっている人たちは、何もすきあらば悪いことをしようと思ってやっているというような人はいないはずです。そして、そうした人道的な事柄を扱っておりますから、誠心誠意皆さん努力しておられるという印象を以前から私は持っております。そのとおりだろうと思うのですね。
 しかし、こういう外からの悪質な政治家の働きかけ、動きがありますから、そうしたものにどうも左右されるという側面があるだろうと思うのです。そうした外務省内あるいは外務省の関連団体との関係におけるところのさまざまな動き、活動というものは、外務省だけで調べて、果たしてこうした重大な、本質的な問題というものが浮き彫りになるものかどうか。私は、それは非常に疑問だし、外務省が出される調査結果なんというものはほとんど期待していないのであります。できないだろうと思うのですね。
 川口大臣、あなたは、本当に陣頭指揮をとって、外務省に絡むところの政治家も含めたこのどろどろした疑惑をうみを出し切るほどに浮き彫りにできるでしょうか。もう一回、その確信をはっきりと述べてください。
川口国務大臣 園部参与には、この調査を徹底的にやっていただきたいというお願いをしておりまして、かりそめにももし外務省がこれについて協力をしないようなことが万が一あったならば、私に直接言ってきてくださいというふうにお話をしておりますけれども、今のところ、園部参与からは、そういうことがあるので困るというお話は一言も伺っておりません。
 それから、園部参与には、週末を返上していただいて、短い時間で、十日以内という限定された時間内で、園部参与の時間の限り、能力の限り、体力の限りを尽くしていただいているわけでございまして、この点については、私は非常に感謝を申し上げております。
 それから、もう一つ申し添えておきますけれども、この調査が対象といたしておりますのは、物件と申し上げるか事案と申しますか、それについては先ほど申し上げたようなことでございますけれども、行政を行う立場の外務省がその関係においてどういうような行動をとったかということが調査の対象でありますことを、あわせて申し添えておきます。
石井(紘)委員 外務大臣、私は、先ほどこれにまつわる政治献金や何かの話をした上で、あなたに今の質問をしたのですよ。そうしたらあなたは、そのことも含めて調査をしておるという答弁をしたのですよ。今の答弁はどうですか。これは外務省の仕事に関することのみだと。
 いいですか、外務省というのは、三井物産に発注したら、三井物産に発注するまでのところだけが仕事なんですよ。その間に入札の公告をいつしたか。さっきの話を聞いても、公告まで非常に時間がない。数日ないし一週間、二週間だ。そういう中で、入札説明書というものを企業が書いて、そして書類を添えて持ってくるなんということは、実際上はできないのですよ。できないんだ。だから、そこまでは外務省の大きな責任です。これは、外務省が、そこで何か起こっていたということは報告に出なきゃいけません。
 具体的に申し上げますと、それは出るのかどうかということも私は心配しておりますが、ましてやその先のことは外務省の仕事の範囲外になるわけです。一たん契約してしまえば、あとは民間の話になりますから、これは談合が行われようと何が行われようと外務省は知りませんよということになってしまうんじゃありませんか。ですから、外務省だけの調査じゃだめなんですよ。そのことをはっきり申し上げておきます。答弁は結構です。
 そして、では、そのこともあわせてもう一つ伺いますが、鈴木宗男さんは自分にも事情を聞いてくれと言っているわけですが、私は、鈴木さん周辺ないし鈴木さんの方も調査しなければわからないのじゃないかと思いますが、いかがですか。
川口国務大臣 先ほど委員が献金のお話等をなさったことについては、私は伺っておりましたけれども、当然、常識として、一外務省が党の献金の問題等について調べられるとお思いになられる方が、これは常識の外におありになるのではないかと思います。これは、違うところにそのお話はお持ち込みになっていただきたいと私は思います。
 それから、鈴木議員のお話については承っておりますけれども、これについては、先ほど申しましたように、行政を担当する外務省として、行政官がどういう行動をこの件についてとったかということが対象でございますので、政治献金その他も含めまして、外務省の手の届かないところにある話については当然調査できないということは申し上げておきます。
石井(紘)委員 鈴木宗男さんはどうですか。答弁漏れているのです。鈴木宗男さんと、事情を聞くのか、聞かないのか。ここに松岡筆頭理事がおられまして、何かおっしゃっておりますが、鈴木宗男さんにもやはり事情を聞くべきだということについては賛成をされているようでございます。
 鈴木宗男さんは、やはり国会にもう一回、大臣が言うように聞かないのであれば、それは証人喚問で来てもらわなくちゃいかぬですね。事情を聞かなきゃ、外務大臣は政治献金のことまではわからないというわけですから。その政治献金が何のために行われたか、どういう背景があったのかということも、全然外務大臣は理解していないわけでしょう。
 ただ、政治献金のことを調べられない、それは当たり前ですよ。政治献金のことは調べられない。だけれども、その背景にあったことの本質の話を私はしているわけですから、それをできないというのであれば、鈴木さんはもう一回国会に来てもらう必要があるんじゃないですか。どうですか、そう思いませんか。どう思いますか。
川口国務大臣 国会でお決めいただきたいと思います。
石井(紘)委員 ちょっと、先ほど聞き落としたんですが、この三つのディーゼル発電所の開設式に鈴木宗男さんは行っておりますか、どうですか。あるいは、開設式以外にも、このディーゼル発電所の建設に関連して行っていますか、国後島とか色丹島とか択捉島に。
齋藤政府参考人 ディーゼル発電施設との関連におきましては、鈴木議員は、平成十二年十月二十九日、国後島におきまして行われましたディーゼル発電施設完成式典に出席されているというふうに承知しております。
石井(紘)委員 完成式典に行ったのは、外務省が要請して行ってもらったんですか、それとも自分で行くと言って行ったんですか。
齋藤政府参考人 その点も含めて、今、調査しているところでございます。
石井(紘)委員 鈴木宗男さんは、平成十二年の八月の十六日から二日間、ハバロフスクを訪問して、そこから帰ってきて、また二十一日に、だから三日、四日置いて、ユジノサハリンスクに行って、何やかや、州知事と会ったり会談したりなんかして、そして何かピアノを贈呈してきたらしいのです。
 これは、ピアノはだれに、どこに贈呈したものなのか。鈴木宗男さん個人が贈呈したものなのか、あるいは外務省が贈呈したものを鈴木さんが授与式か何かをやったのか、それはわかりますか、ちょっと突然の質問ですけれども。
齋藤政府参考人 私どもとして、今御指摘の点について承知しているというふうに申し上げることができませんことを御理解いただきたいと思います。
石井(紘)委員 では、それを調べておいてください。
 それから、時間がありませんから、きょうは水産庁にも漁業の問題でいろいろ聞きたかったんだけれども、それは別の機会にさせていただきます。
 それから、きょう、例の佐藤優さんと角崎総領事、これは、今申し上げた一連の平成十二年の八月のハバロフスクそれからユジノサハリンスクの鈴木宗男さんの行動を、全部角崎さんが私のところでアレンジしましたと。全部スケジュールもつくって、そして、彼はハバロフスクにいる総領事であるにもかかわらず、鈴木さんの日程に合わせてサハリンスクまで飛んで、この一週間の間に大わらわで鈴木さんと全部同行して、ことごとく会談に参加しているわけですね。
 これは、鈴木さんが自分の私的な行動として行ったものにその総領事などがついて回ったのか、あるいは総領事館がこれに協力をしたのかどうなのか、このあたりは、今答弁を求めてもまたいいかげんな答弁でしょうから、また次の機会にもう一回聞きますから、よく、それまでにきちっとしておいてください。
 そして、きょう佐藤優さんを私はこの委員会に呼んでくれと言った、角崎さんも呼んでくれと言った、ところが呼べないと言った理由は何ですか。
萩野委員長 これは、両筆頭でいろいろ議論をしていただきましたが、理事会でも議論いたしましたが……。
石井(紘)委員 私は理由を聞いているんですよ。外務省が何か言ったんでしょう。
萩野委員長 いえ、外務省からではございません。私の判断で、委員会で両筆頭並びに皆委員の意見がありまして……。
石井(紘)委員 だから、理由を聞いているんだよ、理由を。ちょっと、それだけ聞かないと私はこの質問を終われません。理由は何ですか。
萩野委員長 過去の例とかいろいろなものをとりまして、今回、齋藤欧州局長が出ておるので十分足るのではないかと。ただし、要求につきましては十分、先ほどの審議の過程を聞きましてもわかりますので、今後理事会で協議いたします。
石井(紘)委員 だめです。理事会で協議するということは、委員会の場合は、これは呼ばないということなんですよ。そういう言葉なんです。だから、それはそうではなしに、あるいは、そうすると理事会で協議して、今度は筆頭間の話し合いということになるわけだ。そうすると、筆頭間の話し合いになると松岡さんがだめだと言うから、これはだめだとなるんだ。それは全部そうなんだ。そうなんだ。
 昨日、外務省から私のところへ電話があって、そして理由を言っておりました。これは、理由は、ともかく今そのポストにない、今そのポストにないということが一つだった。だけれども、外務大臣もよく聞いておいてもらいたい。佐藤さんを出さない理由に、今そのポストにない、先週の金曜日からほかのポストに移された。それは、じゃ、佐藤さんを結局口封じをするということになってしまう。それから、もう一つの理由は休暇をとったというんです。金曜日にポストをかえて新しい職務につかして、そしてすぐ休暇をとっているというのは何事だ。
萩野委員長 申し合わせの時間が来ましたから。
石井(紘)委員 時間時間と言うからこれでやめるけれども、私は来週もう一回これは追及しますから、いいですか、はっきり答弁してください。
萩野委員長 岩倉博文君。
岩倉委員 自由民主党の岩倉博文でございます。
 きょうは、極めてわずかな時間でありますけれども、北方領土問題について基本的なことを素直な視点でお聞きをしたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。
 私自身、一九八五年から九〇年にかけまして、民間団体が主催をいたします北方領土返還運動に直接かかわり、共産主義国家崩壊の足音が聞こえてくる中、ソ連邦の動向に注目をしながら、毎年のように納沙布岬で開催をされる領土返還運動に参加した経験があります。
 新生ロシア誕生と同時に新しい日ロ関係が始まり、日ロ間で両国共通の課題である北方領土問題の扱いについて、日ソ関係時代の経緯を踏まえ、政府間、特に両国首脳間で幾度か話し合いが持たれたと認識をいたしております。
 昨年来、政府内部の認識について何か不統一があるような印象を与え、特にこれまで北方領土返還運動に魂をつぎ込んできた地元の皆さんを初め、多くの皆さん方に不安と不信を与える結果となったことも事実ではないかと思います。一貫した政府の見解、そのことと日ロ間の交渉プロセスにおける戦略的な、あるいは別次元的なマターを混同して世論が受け取ってしまっているようにも私には思えます。
 そこで、今国会で、改めて、政府の北方領土問題あるいは日ロ関係に対する現状の認識と日本政府の見解、加えて、日ロ間にある具体的な当面の外交日程について確認をしておきたいと思います。
    〔委員長退席、金田(英)委員長代理着席〕
植竹副大臣 今岩倉委員のお尋ねでございますが、北方領土並びに日ロ関係の政府の現状認識及び見解ということでございますが、政府といたしましては、ロシアとの関係におきまして、平和条約の締結、あるいは経済分野での協力、さらには国際舞台におきましての協力関係という三つの課題が最重要でございますし、そしてこれを同時に前進していって、幅広い分野での関係の進展に努めていくということが両国関係においても一番重要だと考えておるところでございます。
 なお、北方領土関係につきましては、何といっても平和条約締結問題についての北方四島の帰属の問題を解決しないといけないということでございますので、この平和条約を締結するという一貫した方針に基づきまして精力的に交渉を継続していく、これが政府の基本的な考えであり、また北方四島に対する考えでございます。
 それから、日ロ間の具体的な日程についてお話がございましたが、これは、先般行われました日ロ外相会談におきまして、両国間のあらゆるレベルで頻繁にこの問題について接触を行いまして、何といっても両国間の対話ということが最重要課題でございますので、そういうことの重要性を確認することができました。
 特に日ロ双方につきましては、ことし、実は小泉総理が訪ロを最重要な課題として、政治日程、外交日程として重視しております。さらにはまた川口大臣の訪ロ、さらにはまた中谷防衛庁長官の訪ロ、カシヤノフ総理大臣の訪日など、そういったハイレベルの緊密な交流も検討しておるところでございます。
 また、先般の二月の外相会談におきましては、これまでのすべての合意に基づき平和条約を締結していくためにも、その確認と四島の帰属の問題、これは大変重要なことでございまして、平和条約締結交渉の前提条件でございますので、こういったすべての問題について実質的に協議していく、具体的に論議していくためにも、三月の中旬において次官級の交渉が行われるということで、両国間外相会議で合意された、そういうような日程になっております。
岩倉委員 外務省を取り巻く状況、極めてさまざまなものがありますけれども、しかし、この問題というのは我が国にとっても国家的な課題でありますので、ぜひ気合いを入れて取り組んでいただきますようにお願いをしておきたいというふうに思います。
 私は、北方領土の問題の解決なくして日本の戦後は終わらない、そのような思いでこの問題をずっと見ているわけですけれども、今ちょうど新しい世紀が始まって二年目を迎えておりますし、あるいは時代の節を今通っているんだろうというふうに思います。そういったときこそ、私は改めて北方領土返還に対する国民の意識高揚、国民の総意というものをどうやって高めていくのかということを一生懸命考えていかなければならない旬でもあるというふうに考えているわけであります。
 そこで、政府として、これまで北方領土返還運動についていろいろな取り組みをされてきているわけでありますけれども、時代の節というこの旬に、このことについて、新しい日ロ関係を取り巻く状況を踏まえながら、何か特別な具体的なお考えがあるのかどうか、今までの延長線上で返還運動を見ていくのか、あるいは、何かこういった節目に新しいポイントをつけ加えていこうとされているのか、そのことについて御見解をお伺いしたいというふうに思います。
尾身国務大臣 北方四島の帰属の問題を解決して日ロ平和条約を締結し、両国の真の理解に基づく安定した関係を確立するというのが我が国政府の一貫した方針でございます。
 北方領土の問題の解決がない限り我が国の戦後が終わらないという御意見、私もまさに同感でございまして、こうした北方四島に関する外交交渉を成功させるためには、御指摘のとおり、国民全体が、独立国としての意識をしっかりと持って、すそ野の広い運動を展開していくことが極めて大事であるというふうに考えております。
 私も、その任に当たる者として、全力を尽くしてまいりたいと思っております。
岩倉委員 ぜひ、今までもずっと長い間返還運動が継続されているわけでありますけれども、やはりこれはしっかりとした視点で、何か新しいステップアップを図っていく必要があるのではないかというふうに、私自身も直接返還運動にかかわった者として感じているところでありまして、そういった意味で、ぜひ、さらなるステップアップという視点で取り組んでいただきたい、そのこともお願いしておきたいと思います。
 そこで、外務大臣はいらっしゃいませんけれども、外務大臣そして担当大臣は納沙布岬に立たれたことがあるでしょうか。そして、この十年、在任中に納沙布岬に立たれた外務大臣が何人いるのかなというふうによく私自身は思うわけであります。
 願わくは、この北方領土問題というのは国家課題だという認識のもとに、そういった政府としての位置づけを国の内外にしっかりと発信していくために、やはり外務大臣そして担当大臣は、在任中に、できるだけ早い時期に一度は納沙布に立たれるべきではないかというふうに思いますけれども、このことについて御見解をお話しいただければというふうに思います。
植竹副大臣 今、岩倉先生の御質問の納沙布岬のことでございます。これは、過去、一九七六年から、二人の総理大臣を初め、六人の外務大臣が行っております。特に、我が国固有の領土であります北方領土を根室から見るということは、そして地元の方々と懇談しながらいろいろこの問題を推進していくということは、私も大変重要だと思っております。
 実は、私自身も、納沙布岬のあそこで、あの碑を見まして、あの四島を見たときのその思いというものは本当に熱い思いでございまして、何が何でもこれは、北方領土返還ということは、我々日本人としての使命だ、そんなことを強く感じております。
 したがいまして、川口大臣においても、訪問する条件というのが整えば必ず御視察いただいて、行くということは、私は、北方領土に取り組むことの重要性がより肌で感じていただけるものと期待し、私からも、釧路ですかをお訪ねすることを強く推進し、また検討をいたしていきたいと考えておるところです。
    〔金田(英)委員長代理退席、委員長着席〕
岩倉委員 たしか尾身大臣も昨年現地に行かれたというお話をお伺いしているんですが、そのときの御感想などお願いいたします。
尾身国務大臣 昨年八月に根室市を訪問いたしまして、ヘリコプターで北方四島を見、また納沙布岬にも参りまして、元島民の方々や地元の皆様とお話をさせていただきました。地元の方々の筆舌に尽くしがたい大変な御苦労、四島返還への切実な願いを肌で感じてきた次第でございます。
 私は、そのときに考えましたのは、これは地元に参りまして、根室市に参りまして感じたことでございますが、根室市や元島民の皆様の熱い思いを感じながら、同時に、これは、国全体として、日本国という独立国としてこの問題を国家的に解決するということが極めて大事だというふうに強く感じた次第でございまして、まさに国民運動をこれからもさらに一層展開していくことが大事であるという思いでいっぱいでございました。
岩倉委員 ありがとうございました。
 一日も早い領土問題の解決を願い、私の質問を終えさせていただきます。ありがとうございました。
萩野委員長 次に、仲村正治君。
仲村委員 昨日は、尾身大臣そして川口大臣の、沖縄問題解決のための大変強い御決意、中でもSACOの着実な実施についての御決意を拝聴いたしたところでございます。
 私は、昨年一月六日に内閣府副大臣を拝命いたしましたが、小泉内閣発足で五月一日に内閣府副大臣に再任をされまして、ことしの一月八日まで、尾身大臣の格別な御指導のもとで仕事をさせていただきました。その時期はたまたま、第三次振興開発計画の総仕上げの時期でございますし、また、平成十一年十二月二十八日で閣議決定された沖縄振興新法制定に向けての作業をする非常に重要な時期でございましたので、大臣のもとで大変やりがいのある仕事の経験をさせていただきましたが、たまたま九月十一日に米国で同時多発テロが発生いたしまして、そのとばっちりを一番受けたのは沖縄の観光産業でございます。
 次々、修学旅行がキャンセルをするし、本当に、観光産業のみならず、すべての企業に、産業に壊滅的な打撃をこうむったわけでありますが、それを回復させるために、尾身大臣が先頭に立っていただいていろいろの緊急の措置を講じていただきまして、今日では、ようやくもとに戻ったような感じであります。一時は、航空便も間引きをして、もう便数も減らして大変な状態になっておりましたが、特に尾身大臣、みずから後援会五百名を引き連れて沖縄観光に何とかPRしたいということもなされて、大変その御熱意に対して改めて私は感謝を申し上げたい、このように思っております。
 本日は、まず第一番目の質問に、政府は、先般のマスコミの報道によりますと、二月二十二日に、政府と沖縄県が共催で沖縄の本土復帰三十周年記念式典を五月十九日に挙行するという決定をなされたようでございます。復帰三十年、本当に、政府の積極的な施策展開によりまして、復帰のときには想像もできなかったほど、沖縄の経済社会、社会資本整備、大変整備をされてまいりまして、そのことについては県民もひとしく感謝をしているところでございますが、今回、政府と沖縄県が共催で行うこの復帰三十周年記念式典について、大臣のお立場でどのようなお考えをお持ちか、まずお伺いをいたしたいと思います。
尾身国務大臣 仲村委員におかれましては、まさに地元を熟知している立場から、沖縄北方対策の副大臣として一月の八日まで御苦労いただき、地元の沖縄の県民の方々の気持ちを私どもの政策に反映させていただけるという、大変大事な役をやっていただいて、心から高く評価し、また感謝をしているところでございます。
 五月の十五日が復帰三十周年ということでございまして、この三十年間における沖縄のいろいろな問題を振り返ってみると、さまざまな思いがあると思うわけでございますが、この復帰三十周年を記念いたしまして、今、どういう具体的内容でその式典をやるかということについて、関係方面と協議をしているところでございます。基本的には、政府と沖縄県の共催で、沖縄におきましてこの式典を開催するということで、今関係者と協議をしているところでございまして、大変大きな節目でございますので、意義のあるセレモニーにしていきたいと考えている次第でございます。
仲村委員 全く大臣のおっしゃったとおりでございます。先ほど私が申し上げましたように、復帰三十年間の沖縄の発展、これはもう、政府の強力な施策展開があったればこそだ、このように思っているわけであります。
 ただ、私たち県民の立場で申し上げますならば、昭和二十年に米軍が上陸して、その後二十七年間米軍の占領下に置かれて、そして復帰三十年、いわゆる戦後五十七年経て復帰三十年、こういうことでございますが、日本国民の第二次大戦で犠牲になった人たちは二百五十万人だと言われております。沖縄戦は三月二十三日に上陸作戦が始まって六月の二十三日に組織的な戦闘は終わったわけで、ざっと九十日間。その間に二十三万人の人が戦死をしておるわけでありますが、第二次大戦で日本国民の亡くなった方々の約九%、一日二千五百人がこの戦争中死んだということになるわけでございまして、私たちは、その後二十七年間米軍の統治下に置かれたわけであります。琉球政府というのはありましたけれども、これはもう、アメリカの民政府のコントロールのもとに置かれた行政でありまして、全く自治というものはなかったわけであります。
 沖縄県民が自治権拡大を訴えれば、沖縄県民に自治というのは神話だ、このようなことをアメリカの高等弁務官はぬけぬけと言ったような時代から、何としても県民が一致協力して、一丸となって復帰をかち取らなければならないということで、今日復帰をかち取って三十年を迎えるということを考えますと、私は、この復帰三十年というのは、あの第二次大戦の悲劇を繰り返してはならない、そして、この悲劇を経験した沖縄から世界に向けて平和を発信していくんだ、こういうやはり強い決意を持ってこの式典を開催しなければならない、こういうふうに思っております。
 大臣、もう一度ひとつお願いいたします。
尾身国務大臣 私も復帰前に沖縄に一度お伺いをしたことがございますが、そのときの状況と、最近たびたび行っております沖縄の状況、まさに、日本として、沖縄県民の皆様が日本に復帰されて三十年間という歳月がたちました。その間に、皆様この沖縄の発展、その他基地問題等々、大変に御努力をいただいたわけでございますが、この復帰三十周年を契機として、過去をしっかりと振り返り、その上に立脚して未来をどうするかということも私ども考えながら、意義ある復帰三十周年を迎えたいと考えている次第でございます。
仲村委員 次に、基地問題についてでありますが、所信表明の中でも、両大臣とも、SACOを着実に実施することによって沖縄の基地負担を軽減していくという決意が述べられているのであります。
 もう御承知かと思いますが、沖縄県、全面積の一一%が米軍基地、特に基地の集中している沖縄本島なら約二〇%は米軍基地、こういうことで、沖縄の中に基地があるのじゃなくて米軍基地の中に沖縄があると言った方が適切じゃないかと思うほど、占領状態から今もずっと続いているわけでございます。これは、決して日米安保条約に基づいてつくられた基地じゃない、占領している米軍が勝手につくった基地なんだということをいつも強調しておりますが、そういう状態から本当に国と国の条約に基づいた基地に戻していかなくちゃならぬという気持ちを私は強く持っております。
 このSACOで決定されたのは、まず十一施設五千ヘクタール、こういうことでございますけれども、その大半が県内移設を条件にしたものです。ですから、私たちとしては、決してこれは満足すべき基地の移設ではない、縮小ではない、こういうふうに考えておりますが、しかし、曲がりなりにも安保条約に基づいて提供された基地である以上、日米間の合意がなければ基地の整理縮小はできない、こういうことは私たちは基本的に持っております。したがって、これは満足すべき内容ではないけれども、ベストではないけれどもベターではあると。したがって、当面このSACOに基づく決定を着実に推進することである、こういうふうに思っております。
 もうほとんどこの十一施設の中で片づいて、あと大きなのは普天間基地と那覇軍港、これもようやく方向が見えてきたような感じがありますけれども、今後のこの推進についての大臣の御決意をお聞かせいただきたいと思います。
尾身国務大臣 日米安保条約に基づきまして沖縄に在日米軍基地の全体の七五%があるわけでございますが、〇・五%のシェアを占める地区に七五%の基地があるという実情でございます。そして、基地の存在そのものは、日本の安全のみならずアジア太平洋地域の安定と平和に大きく貢献しているというふうに考えているわけでございます。さはさりながら、基地の存在による負担というものが沖縄県民の皆様について非常に大きいものであるという認識も私ども強く持っているところでございます。
 そういう状況を踏まえまして、基地の整理、統合、縮小を進めるということでSACO基本合意ができました。その基本合意に基づきまして、普天間基地の代替施設の建設等々の問題を地元沖縄の皆様と相談をしながら進めているところでございまして、私どもは、私どもの基本的な考え方に基づく基地の整理、縮小、統合というSACO合意をきちっと実行していくことが大変大事であるというふうに考えております。
仲村委員 この普天間基地の移設につきましては、平成八年の二月二十四日に、橋本・クリントン会談の中で橋本総理は、沖縄の基地の整理縮小を訴えた中で、例えば普天間基地の返還、こういうことを言われたわけです。それを四月の十四日の日米首脳会談で、SACOの中間報告として普天間基地の移設、これは、県内に規模を縮小して移設をするなら返しますよという合意がなされたわけです。それで、十二月の二日に最終決定がなされたわけですね。それに基づいてその作業を進めてきているわけですが、じゃ、町の真ん中にあって危険であると。これをどこが受け入れるかということで、今の稲嶺知事も相当苦労をされて、いろいろな角度から名護市のキャンプ・シュワブ沖というふうに決定をされたわけです。
 私たちは、当初から、普天間基地は町の真ん中にあって危険である、その危険な状態をそのまま持っていくならだれも受け入れません、まず安全性を確保することが大事である、環境に対しても配慮が大事である、周辺の住民に対する基地被害のないようなことが大前提である、こういうことを申し上げました。それを名護市長さんはいろいろな角度から決断をされて、平成十一年十二月二十七日に受け入れ表明をされて、そして二十八日の閣議決定でそれが決定されたわけであります。
 そういう経緯はありますけれども、着実にこの作業は進展してきている、こういうように私は思っておりますので、ぜひ、政府を挙げてこの実現のために頑張っていただきたい、こういうふうに考えております。
 次に、日米首脳会談で総理が、沖縄には米軍基地の七割が集中しており、沖縄の負担を軽減するために閣僚レベルで議論をさせたい、こういう発言をなされた。これに対して大統領は、沖縄については建設的な議論を行いたい、閣僚間で緊密に協議をしていきたい、こういう答弁をしておられるわけであります。SACOの問題はもう既に両国間で決定をされてその作業は進んでおりますので、私は、この総理の発言あるいはアメリカ・ブッシュ大統領の答弁、これは、今後閣僚間で緊密に協議をしていきたいというのは、このSACO後に、さらに基地の整理縮小をしたい、話し合いをしたいということだと思いますが、その件について尾身大臣、それから植竹副大臣の御所見を伺いたいと思います。
尾身国務大臣 今般の日米首脳会談におきまして、小泉総理からブッシュ大統領に対しまして、沖縄に関する問題につきましては、沖縄の負担を軽減するために閣僚レベルで協議をさせたいという発言がなされました。これに対して、ブッシュ大統領より、沖縄については建設的な議論を行いたい、そういう意味で、閣僚間でこの問題について緊密に協議をしていきたいというお話があったと伺っております。
 その結果といたしまして、日米外務大臣及び国務長官の間で、沖縄問題についての話し合いが今般もなされたものと聞いておりますが、私、沖縄担当の者といたしましては、首脳間でそういう合意がなされたことについては大変よかったことである、大事なことであるというふうに評価しているところでございまして、今後とも日米間で十分協議をし、このSACOの最終合意を踏まえつつ、基地の整理、統合、縮小についていろいろな話をしていきたいと考えているところでございます。
植竹副大臣 仲村先生初め沖縄の方々の、沖縄の負担を軽減する、その思いというものは本当によくわかりまして、先ほどお話しのように、小泉総理それからブッシュ大統領の両首脳の間におきましても、閣僚レベルで議論していく、そして緊密にこれを協議していくというお話を踏まえまして、二月十八日の午後の日米外相会談におきまして、川口大臣より、在日米軍の安定的駐留のために、沖縄については日米両国がSACOの最終報告の実施のための協力を継続していくことが何といっても重要なことである、また、日本側といたしましても、この十五年使用期限の問題についての米国の立場は了解しているけれども、普天間飛行場の移設、返還について引き続き国際情勢を踏まえて相談していきたい旨を述べた次第でございます。
 これに対して、パウエル国務長官よりは、そのとおりである、十五年使用期限問題についてのお互いの立場はよくわかっているが、普天間飛行場の移設、返還については今後ともよく相談していきたい。自分は沖縄について統合参謀本部議長であったときから詳しくフォローしているという話がありました。
 沖縄におきます米軍施設・区域に関する問題については、これまでも種々の閣僚レベル、事務レベルの日米協議において取り上げてきておりまして、SACO最終報告の実施や日米地位協定の運用改善、事件、事故の防止等につき話し合ってまいりました。さらに、特に日米地位協定の運用に関して、相互間の協議を必要とする事項につきましては、この日米合同委員会の枠組みにおいて取り組みが随時行われておるところであります。
 今後とも、先般お話し申し上げましたとおり、日米外相会談のやりとりも踏まえつつ、沖縄におきます米軍施設・区域に関する問題について適切に米側と協議してまいりたいと考えておるところでございます。
仲村委員 今まで、沖縄の米軍基地の整理縮小といえばSACOを実施するということでありましたが、こういうふうに日米首脳会談で新たな決意が表明されたことは、非常に私たちとしても歓迎すべきことだと思っておりますので、ぜひ、両政府間で閣僚レベルでの協議をしていただいて、このSACOの後に何があるかということを、しっかりひとつ協議をしていただきたい、このように思っております。
 次に、順番を変えまして、那覇空港の沖合展開についてお尋ねをいたしたいと思います。
萩野委員長 ちょっと仲村正治君、ちょっと待ってください。
 植竹副大臣。
植竹副大臣 一言訂正させていただきます。
 先ほど、米軍の立場を了解と申し上げましたが、これは、承知しているということでございますので。
仲村委員 那覇空港の沖合展開、いわゆる平行滑走路の建設についてでありますが、那覇空港は、第一に、我が国の南の玄関口の、いわゆるゲートウエーの拠点空港であるということ、そして、羽田や関空と並んで全国で数少ない二十四時間運用できる空港であるということです。平成十二年度一年間の乗降客数は千百九十三万人、これは全国第七位です。さらに、航空機の離発着回数は、同じく平成十二年度で十一万三千五百二十四回で、全国第六位です。一日平均三百十二回離発着しているのです。これはもう本当に、二分間で一回という感じですね。羽田並みなんですよ。しかも、主要空港が全部複数滑走路を持っているのに対して、那覇空港は滑走路一本しかない、こういう過密な状態で運航しているものですから、しばしばいろいろな問題が起こるのでございまして、何としても平行滑走路、沖合展開をすべきだということでございます。
 今までの航空機の離発着の増加の状態から見ますと、平成二十二年には十四万回に達して、もうこれはまさにキャパシティーをオーバーしてしまうということが心配されておるわけでございますが、先般、二月十三日に、那覇空港の沖合展開東京フォーラムというのが開催されて、尾身大臣を初め、野中広務元沖縄開発庁長官や二階俊博元運輸大臣も出席されて、那覇空港の沖合展開の必要性、そして各大臣が全面的に支援をしていくという約束をされたのであります。
 したがって、私は、この状態をみんな心配して、とにかく早目に第八次空整にこれをのせなければならないということで各方面にお願いをしているわけでありますが、たまたま平成十五年から八次空整五カ年計画が始まるわけです。ぜひその八次空整にのっけられるように、尾身大臣はひとつ御努力をしていただきたい、こういうふうに思っておりますので、御所見をお聞かせいただきたいと思います。
尾身国務大臣 那覇空港は、国土交通大臣が設置、管理をいたします主なる、いわゆる国内線を中心とした第二種空港でございまして、我が国全体の航空ネットワークの上で極めて大事な役割を果たしているわけでございます。その中で、先ほどお話にありましたとおり、沖縄県の調査によりますと、平成二十二年ごろには十四万回にも達する需要があるという見通しでございまして、これに対応して平行滑走路の問題が起こってまいりました。私ども、沖縄をしっかりと発展させていくという観点からも、この那覇空港の拡張の問題は十五年度からの第八次空港整備計画に位置づけられるように対応してまいりたいと考えている次第でございます。
仲村委員 ぜひ、そのように御努力をお願い申し上げたいと思います。
 時間が参りましたので、最後に、沖縄市の泡瀬埋立事業についてお尋ねをしたいと思います。
 沖縄市は、市域全体の三分の一、西側の約三分の一は軍用地に、嘉手納空港などに入っておりまして、今後住宅地や商業地や業務地域を開発するためにはどうしても東部海浜開発をしなければならない、こういうことで、二十五年前から歴代市長がこれを推進してきたわけでございます。
 二十五年の積年の夢が実現いたしまして、平成十二年十二月十九日に埋立事業認可がおりて、みんな非常に喜んでいるわけでございますけれども、その後、海草の移植実験などがある、こういうことで、少しおくれた感がいたしておりますが、先日の報道によりますと、藻場の移植も成功した、非常に順調に生育をしている、こういうことがございまして、今まで懸念しておりました問題が一つ一つ解決をされておりますので、ぜひ一日も早くゴーサインを出されるべきだと考えておりますけれども、尾身大臣の御所見を伺いたいと思います。
萩野委員長 時間が来ておりますので、簡潔にお願いします。
尾身国務大臣 泡瀬の埋立事業につきましては、沖縄本島の中部圏域の振興のために極めて重要なプロジェクトであると認識をしております。
 藻場の移植作業の結果、及び地元沖縄県及び沖縄市が実施をしております土地の需要等の確認の作業の結果を待っているという状況でございますが、先般、お話しのとおり、藻場の移植作業につきましては一定の見通しが得られたというふうに考えております。また、地元での署名活動等も行われておりまして、多くの推進の署名が寄せられているというふうにも伺っている次第でございます。
 今後、土地需要等の見通しにつきましての結果もよく伺った上で、関係者と相談をしながら、早期の事業推進に向けて取り組んでまいりたいと考えております。
仲村委員 ありがとうございました。終わります。
萩野委員長 白保台一君。
白保委員 大臣、新しい振興法が国会の方に提出をされております。その審議の際にまた多くの議論をしていかなきゃならない、こういうふうに思っておるわけでございますが、その前に、この振興法を提出するに当たっては、過去三十年、沖縄振興開発を続けてまいりました。開発庁、そしてまた、今、内閣府、こういう形で、この三十年間にまさに沖縄は多くの格差是正のための充実を求めて頑張ってまいりました。
 そういう中で、担当大臣といたしまして、最近頻繁に沖縄に行かれて大変沖縄のために尽力をなされておられますが、三十年、評価と課題といいますか、これは振興新法の際にもお聞きしたいと思いますけれども、率直に言ってどのようにお考えになっていらっしゃいますか、その御認識をまずお伺いしたい、こう思っています。
尾身国務大臣 過去、復帰以来三十年間、私ども、七兆円近くに及ぶ資金を投じて、できるだけ本土並みにしようということでインフラの整備を進めてきたところでございまして、その成果は着実に上がってきているというふうに考えております。
 しかしながら、なお現在、全国の平均水準の七割という一人当たり県民所得でございますし、失業率も十二月で七・二%という高い水準になっているわけでございまして、今後とも、沖縄のさらなる発展を図るために、産業の振興やあるいは雇用の拡大のため、いろいろな手を尽くしていかなきゃならないと考えております。
 そして、そのときに、これからの二十一世紀は、インフラの整備ももちろん必要でございますし、これも続けてまいりたいと思っておりますが、同時に、自立経済の達成ということを基本的な考え方として、一層の沖縄振興を図るということが大切であろうという考え方で進めてまいりたいと考えている次第でございます。
白保委員 今、大臣、率直なお話がございました。私は、まさに七兆円に近いこれだけの国費を投じて格差是正、そういったことで頑張ってきた、本当に三十年前と今では、多くの部門で大きな変化があり充実してきたんだろう、こういうふうに私も評価いたします。
 ただ、これから振興策をやっていく中で一つだけ申し上げておかなければならないのは、昨年も大臣とお会いしたときに申し上げましたが、七兆円の振興策をこうやってやってきて、ところが九月十一日のあの同時多発テロが出てきたときに、営々として築き上げてきたところのあの観光産業に多大な影響が出てきたわけですね。そして、その影響の結果として何が出てきたかといいますと、やはり基地があるからだ、やはり沖縄は危険だとか、こういう結論が風評として出てまいりまして、多大な影響を受けた。
 それで、私は、尾身大臣の提唱されております大学院大学もそうですが、教育は最大の平和創造ですから、そういう意味では大変大事なことだ、こう思います。
 同時に、振興策とあわせて、基地があるがゆえに、むしろ平和戦略をどのように位置づけていくのか。したがって、我々は国連機関の誘致等も申し上げて、だからこそこういったことでアジアの平和と安定のために寄与していく。そういう平和戦略を持たなかったならば、できるとかできないとかという話よりも、むしろそういった平和戦略を持つことが、この振興策と相まって沖縄の自立への大きな前進につながる、こういうことを申し上げてきました。そして、大臣もそのことについては同意をしていただいて、内閣府でもしっかり勉強しなきゃいかぬな、こういうようなお話も暮れにあったわけでございます。
 そういう意味で、私は、これから振興策を進めていただく上で、こういう平和戦略、また教育は最大の平和創造と先ほど申し上げましたが、そういうことを踏まえて大臣の所見をお伺いしたい、こういうふうに思います。
尾身国務大臣 平成十年に策定されました全国総合開発計画におきまして、沖縄を太平洋・平和の交流拠点、パシフィック・クロスロードというようなことで、特色ある地域を目指すということにしているところでございます。
 このような政府としての基本的な考え方に基づきまして、このたびの沖縄振興特別措置法案におきましても、「文化・科学技術の振興及び国際協力等の推進」という項目を設けましたし、また、「国は、沖縄の経済及び社会の発展に資するため、沖縄の国際協力及び国際交流に係る施策の推進に努める」、そういう規定を新たに入れたところでございます。そういう取り組みを通じまして、具体的には、国際協力事業団やあるいは国際交流基金の取り組みにつきましても新たな規定を設けるというようなことで、いろいろな対応をしながら国際的な位置づけをしっかりとしていきたいと考えているところでございます。
白保委員 まさに暮れに大臣にお話を申し上げたことが着々と実りつつあるわけでございますが、古くから、今の県知事の父君の稲嶺一郎先生のときから、南北センターという考え方があったぐらい、やはり交流の拠点ということはずっと言われてきました。しかし、現実にどうするかということが目に見えてこない。話としてはわかった、しかし、ここで振興新法にそういったことを位置づけて一つ一つ積み上げていくということは平和戦略の一つであろう、こう思いますので、ぜひこのことは前へ進めていかなきゃならない、こういうふうに思っております。
 さて、話は大きく変わりますが、御存じのように沖縄の失業率は異常なほどの高さを示しています。まあ、今は全国的にも大変高い失業率の状況の中でありますから、そういう面では厳しい状況が続いているな、こういうふうに思っています。
 そこで、先般、地元の新聞等でも報じられましたが、失業給付ですね、沖縄労働局のまとめで見ますと、二〇〇一年の一年間で県内で支給された雇用保険の求職者給付額が百五十九億、百六十億になろうとしています。これは、このままだとちょっと厳しいんじゃないかというようなことが言われておりますが、この沖縄労働局がまとめた失業給付、これについて厚生労働省、どのような認識をお持ちか、まずお聞きしたいと思います。
三沢政府参考人 お答え申し上げます。
 先生御指摘のように、沖縄の雇用保険の受給状況でございますけれども、昨年十二月の受給者数、前年同期に比べまして一六・九%もふえておりまして、実数で申しますと九千八百人、実額でいいますと、先ほどのように百五十九億円であります。全国的に見ても、十二月現在で百十一万人の方が受給されておりまして、前年比で一一・二%アップということでございます。
 それで、こういう状況で雇用保険財政はどうか、こういう御質問だと思いますけれども、十四年度、来年度におきましても、支出額、雇用保険の失業給付等の支出額でございますが、支出額が保険料収入を上回る見込みでございますけれども、雇用保険につきましては、積立金がございますので、必要な財源につきましては積立金の取り崩し等の措置により確保できるというふうに考えております。
 ただ、今後の見通しにつきましては、今後の失業状況とか、先ほど出ました、本年度から施行された新しい制度というものも注視しながら、安定的な運営に努めていきたい、こう考えております。
白保委員 そういったことが厳しいかどうかはわかりませんが、そのためかどうかはわかりませんが、どうも、地域の緊急雇用創出、これが、大変大臣等御苦労いただいて傾斜的な配分をいただいたわけでございますが、六カ月未満、この人たちがおやめになる、その後どうするか。その際に失業給付を期待している。ところが、この地域としての雇用創出の基金、これでやって、今度はまた失業給付になった場合には二重取りだなんという考え方等があったりしまして、この半年間、半年未満の分、ここで縛りをかけて失業給付につながらないようにしている実態がある。これを何とか改善できないかという声があるんです、現実に。いかがでしょうか。
三沢政府参考人 お答え申し上げます。
 先生御指摘のように、この緊急雇用創出特別交付金、原則六カ月未満ということでやっております。
 この事業自身は、国が財源を用意しまして、実際の事業は都道府県ないし市町村が行う、こういうことでございます。したがいまして、地方公共団体が雇用創出を図る上でどのような事業が適当かという観点からこの事業は行われています。
 その事業を行うに当たって、私どもとしては、短時間勤務だとか通常労働者の労働時間だとか、そういう制限は一切設けておりませんで、いかに雇用創出効果が上がるかという観点から各地方公共団体が考えて実施されているものじゃないかと思っています。
 この事業はあくまでもつなぎの雇用でございまして、私どもとしては、この事業によって、本来その雇用が継続したり、あるいは引き続き他の仕事につく、こういうことが望ましいのではないか、こう考えている次第でございます。そういうふうなことになれば、当然、雇用保険制度の適用にもなるということでございますので、私どもとしては、交付金事業の運用に当たりましては、この交付金事業での就業経験を生かしつつ、地域における常用雇用につなげるような視点を十分に踏まえて、事業を実施しております都道府県を指導していきたい、こう考えている次第でございます。
白保委員 つなげるというふうに理解していいわけですね。
 そこで、高校生や大学生の就職内定率、大変厳しい状況にあります。ぜひこのこともしっかりと努力をしていただきたい。このことについても聞きたいと思いましたが、時間がありませんので、この点については離れます。きのうも資料をいただきましたが、全国と沖縄との内定率が物すごい極端に違う。この辺のことについてもぜひ労働局を通じてしっかりとした御指導をいただきたいということを申し上げておきます。
 そこで、次の問題ですが、嶋口さん、防衛施設庁長官は、沖縄に先般行かれて、北谷町美浜のドラム缶、放棄ドラム缶、返還されて二十数年、これが非常に、返還された後にたびたびいろいろなものが出てくる、こういうことがあります。そもそも、これは何が問題なんでしょうか。端的に言ってください。
嶋口政府参考人 確かに、先生御指摘のとおり、返還された後いろいろなものが出てくるということで、私も、ドラム缶の件がありましたから、当時どうなっていたんだということを、部内の方もどのような返還事務をやったんだということも調べると同時に、やはりもともと米軍が使用したところですから、米軍にも至急照会しております。ただ、何分にも二十年前の話でございまして、資料がないということでございますので、これは困る。
 それで、今後返還がたくさん出てくるわけですから、どういうふうにやったらいいか、また土地の所有者の方とどんな契約をしたらいいか、それも全部見直そうということで、今鋭意検討している最中であります。
白保委員 ですから、何が問題なのかというのは、本当は北米局長が間に合っていれば北米局長に聞こうと思ったんですが、問題は、地位協定で、施設・区域内で安全に作業をして、そしてきちっと返還をするということになってくれば、こういった問題が残ってこないわけですね。ですから、これは、運用でしっかりやりますなどといっても、結局は安全な作業がなされていなかったということが示されているわけですよ。
 したがって、こういった問題について、根本の問題は何か。これは結局、皆さんは、防衛施設庁は、施設を提供して、そしてそこで安全に運用されておる、こう思って、そして返還される。ところが、出てきてみれば、とんでもないのが飛び出してくる、こういうようなことがありますね。したがって、この根本の問題をどう解決するかということが非常に我々としては基本の問題であろう、こういうふうに思っております。
 そういうことで、これから、これは皆さんとしては特定しなきゃいけないわけですね、原因者を。そして特定して、これをどうしますか、どうされますか。
嶋口政府参考人 もともと米軍の基地で使用したものですから、そういうものが出てきたということで、今、特定ということで、米軍にも照会しております。もちろん部内でも調べております。しかし、これはなかなか難しい、二十年前ということで。そこをやっていますと、それは追及します、しかし、そこにかまけていますと、何よりも大事なことは、早くあのドラム缶を処理したいということで、一刻も早く処理したい。その中で並行して法律問題は検討をしていこうということでございまして、原因究明についても徹底的にやっていくつもりでありますが、今何より大事なことは、早くあれを処理したいということでございます。
白保委員 最後の質問になるかと思いますが、先般も委員会の際に質問いたしましたが、いわゆる嘉手納騒音訴訟というのもございました。そういったことも含めて、それでは訴訟をしなかった人たちはどうするのという議論もあります。
 そこで、騒音は同じですから、公平な補償がなされるようにすべきだという声が上がりました。そして、防衛施設庁では、あそこは厚木ですか、あの周辺等もアンケート調査を行うなどして、そして騒音に対する識者の懇談会をスタートさせ、先般の委員会でもそういった報告がなされました。そして、地域の皆さん方の声を春ごろまでには聞きたい、こういうお話でございましたが、その経過と今後どのようになされるのか、そのことについてお答えをいただきたいと思います。
嶋口政府参考人 先生御指摘のいわゆる公平補償の問題につきまして、嘉手納を中心としていろいろな御意見がある、不公平じゃないかということがございます。それは私どもよく理解できます。ということで、検討しておりますけれども、ただ、制度論的に申し上げますと、精神的被害というものをどういうふうにとらえていいのか。判決もいろいろございますし、それぞれ違うということもございまして、だから多々検討すべき課題があるだろうということで、昨年の九月二十八日ですか、私どもだけでは足りないということで、部外の有識者に集まっていただいて、もう五回会合をやっています。公平補償問題、それから住宅防音のあり方、全般につきましてかんかんがくがくの議論をしています。
 できるだけ結論を急ぎたいので、春ごろまでにはあと二、三回やってその中で……(白保委員「もう春だよ」と呼ぶ)もう春ですからあれですが、あと二、三回やって適切な結論を出したいと思っていますので、御理解いただきたいと思います。
白保委員 周辺の皆さん方の御意見を聞く場を持ちたいと言ったんです。それはいつやりますか。
嶋口政府参考人 実は、三月一日に有識者懇の三名の先生方に沖縄に行っていただきます。ただ、大変お忙しい日程でございますので、大勢の方から御意見を聞ければいいんですが、そういう時間がないということで、私どもとしては、嘉手納町と県に行ってお話を聞いてくださいということでお願いしております。
白保委員 時間が参りましたので終わりますが、いいですか、公平補償でかんかんがくがくと言っていますけれども、裁判はしっかりと出ているんですから、皆さんのかんかんがくがくでおかしな方向に持っていかないようにということだけ注文をつけておきます。
 以上で終わります。
萩野委員長 午後零時十五分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午前十一時十二分休憩
     ――――◇―――――
    午後零時十六分開議
萩野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。一川保夫君。
一川委員 私は、持ち時間の最初は沖縄関係の質問を少しさせていただいて、その次に北方領土問題について御質問をしたいと思います。
 先ほど来のいろいろな質疑の中で、今回の沖縄新法に対する大臣の所見めいたところもお聞きしているわけですけれども、沖縄が本土復帰以来三十年という相当の時間が経過しまして、沖縄開発に係るそういった長期計画も第三次まで終えたという中で、本来、復帰後、当然その長期計画は本土との格差を是正するという中で取り組んできたということだと思いますし、相当の開発もなされ、それなりに振興をしてきたというふうに私も思います。
 ただ、現時点で沖縄の状況、経済社会の実情を私なりに思いますのは、三十年経過して、そういう自立的な経済なり社会といったものを目指しながら格差の是正に取り組んできたと思いますけれども、まだ依然として、やはり現状では公共的な財源に依存をしている体質が残っているというふうに思いますし、それからまた、いい悪いは別にしまして、やはり基地というものにも相当いろいろな面でかかわってきておる、ある人は依存しておるという言い方をする人もいますけれども、そういういろいろな体質を強くまだ残しているわけでございます。
 今度の新しい法律の中では、割と、法律の条文の数も大幅にふえまして、従来の開発型からやや方向転換をしていこうということでのねらいが見受けられますけれども、所管大臣として、今回の法律では一番それなりにどこに焦点を当てて立案をされたのかというところを、もう一度お聞かせ願いたいと思います。
尾身国務大臣 今、一川委員のお話のとおり、復帰後三十年間にわたって総額六・八兆円の資金を投じて主としてインフラの整備を進め、そういう意味で社会資本の整備は相当進んできて、本土との格差も縮小してきているというふうに考えている次第でございます。もとより、これからも社会資本の充実はもちろん必要でございまして、これもやっていきたいと考えております。
 そういう状況でございますが、同時に、翻ってみると、一人当たり県民所得は日本全体の平均の七割である、失業率も都道府県の中で一番高いという実態にございまして、沖縄における経済のさらなる発展を図り、雇用の拡充を図っていかなきゃならないというのが私どもの大きな課題であるというふうに考えております。
 三十年を経て、いわゆる格差是正という大きな柱から自立経済の確立という方向に転換をしたといいますか、もちろん、大きな重点をそういうふうな形で持っていったらどうかなというふうに考えているわけでございまして、稲嶺知事も、魚よりも釣り針が欲しいんだというようなおっしゃり方をしているわけでございまして、そういう考え方に沿って、この振興のための特別措置法案は私どもとしてはかなり意欲を持って御提案をしているというふうに考えております。
一川委員 今回の新しい法案の理念なり、そういった目的的なものはそういったところにあろうかと思います。
 私、ちょっと気になるのは、今回、そういうことで相当精力的にいろいろな分野の課題をこの法律である程度カバーしていこうというようなものが見受けられるわけでございます。私は、やはり沖縄というのは、いろいろな特殊条件の中でこれまで御苦労されてきているわけですけれども、本土といろいろな格差を是正するということにとどまらず、ある面では本土を乗り越えて、本土以上のいろいろな整備水準が当然あっていいというふうに思います。まだ、この本土の中でもいろいろな格差がたくさんあるわけですから、そういうことからすれば、沖縄のいろいろな立地条件なり自然条件なり、もろもろの条件を生かした中で、しっかり伸ばせるところは伸ばしてあげるということも大変大事なことだというふうに思っております。
 そこで、ちょっと気になるのは、それだけ幅広くいろいろなことを対応しようとする新法でございますけれども、じゃ、具体的に例えば、十年なら十年後に、どのあたりに目標を定めてどういうことをやるかという焦点をある程度やはり絞っていかないと、何か総花的に取り組んだら結果的には余り何も成果が上がらなかったということを非常に心配するのが一点。
 それからやはり、沖縄という県の自立性といいますか、今で言う地方分権という一つの流れの中で、できるだけ沖縄県にいろいろな自主性を持たせながら、その目的を達するということも非常に大事なことだというふうに思いますけれども、この点について大臣はどのようにお考えですか。
尾身国務大臣 今おっしゃいました具体的な内容については、この沖縄の振興計画あるいは個々の各分野ごとの観光あるいは情報通信、農林水産あるいは職業安定等についての計画の中にしっかり盛り込んで、その基本的な考え方を生かした具体的な方向づけをしていきたいというふうに考えております。
一川委員 ぜひ、それを期待したいわけです。
 私自身も、これからのいろいろな振興計画立案の中で、やはりこれまでの三十年間の経験、それから、すべてがすべて成功した事例じゃないと思うのです。中にはうまくいかなかった事例もたくさんあると思うのですね。そういうものを生かして、やはり本土にないような制度であっても、沖縄だけの制度でも、それをつくっていくような気構えで、やはりこれまでの三十年間の、いろいろなそういう経験を踏まえた中での新しい制度の確立ということも含めて、積極的に各分野で対応していただきたいというふうに思います。
 そこで、ちょっと外務大臣に基本的なお考えをお聞きするわけですけれども、私ども、歴代の外務大臣にこの場でお聞きしたことがあるのです。沖縄県に対する外務大臣としてのお考えなんですけれども、日本の外交上、沖縄県という県をどういうふうに、どういうふうな役割を果たしてほしいなというふうに考えておられますか。そのあたりの御見解をお伺いしたいと思います。
川口国務大臣 まず、沖縄県の皆様には、在日米軍施設・区域の集中で多大な御負担をおかけしているということを十分に承知しておりまして、米国とも緊密に協力をしつつ、普天間飛行場の移設、返還も含めましてSACO最終報告の実施に全力で取り組んでいきたい、沖縄県民の負担軽減に向けた努力を継続していきたいということをまず申し上げさせていただきたいと思います。
 それで、外務省として沖縄県についてどのようなことを考えているかということですけれども、まず、沖縄県というのは非常に特色のある独特な伝統文化を持っている県だと思います。それから、非常に日本の中でも国際的な県民性を持っている県だと思います。そういった特色を生かして、日本の南における国際的な交流拠点という大きな役割を果たしていただけることを私としては期待をいたしておりまして、外務省としても、沖縄において国際会議の開催を推進していくことが重要だと考えております。
 この観点で、外務省は、各種の国際会議が沖縄で開催されるように積極的に取り組んできておりまして、今後ともこうした取り組みを通じまして沖縄が交流の拠点となるように努力をいたしたいと考えております。
 以上です。
一川委員 沖縄は、御案内のとおり我が国で唯一の亜熱帯気候のところでもございますし、それから今のお話のように独特の文化を持っている地域でもございます。それとまた、場所的、立地条件的にも、東南アジアとのかかわりとか、あるいは中国、台湾とのかかわりとかという面では非常に距離の近い場所でもございますから、そういう面では、今のように交流的な拠点としてしっかりと発展させるという、そういう外交の中での位置づけというのは非常に大事だというふうに思いますので、ぜひそういう観点で取り組んでいただきたいというふうに思います。
 次に私は、今回話題になっております北方領土にかかわる問題について質問を移したいと思いますが、今、北方領土は別の面で、いろいろな面で注目されております。その前に、基本的にこの北方領土返還という運動なり、それに対する考え方というところが、いろいろマスコミの報道でもそうですし、いろいろな人の話を聞いても何かちょっとぎくしゃくしているような印象を受けるわけです。
 そこで、ちょっと整理してお伺いしたいわけですけれども、日本とロシアとのいろいろな、旧ソ連の段階でもありますけれども、いろいろな会談、交渉事が積み重ねられて今日に来ているわけです。これまでの北方領土返還にかかわるような日本とロシアの交渉事の中で、東京宣言の段階とかそういったところが非常に一つのキーポイントになっているわけですけれども、大臣としては幾つかの会談、歴代総理なり外務大臣なりの会談で、どこのところが一番ポイントだというふうにお考えでしょうか。
川口国務大臣 この問題につきまして、今までさまざまな節目があったというふうに思っております。五六年に日ソ共同宣言というのがございまして、これを皮切りといたしまして、七三年の田中総理が訪ソをなさったときのやりとり。それから、今おっしゃられました九三年の東京宣言、それから九七年のクラスノヤルスク合意、それから二〇〇一年三月のイルクーツク声明といったような成果がさまざまな会談を通して積み上げられてきているというふうに思っております。それぞれが非常に重要だったと思っております。
一川委員 そこで、私も、今お話しの中で、東京宣言と称する九三年の会談の合意事項というのが一つのベースになってきているような気もしますけれども、その四島帰属問題というものを解決した上で平和条約を締結するという基本的な考え方がその当時確認されております。それを受けて、九七年、クラスノヤルスク会談ですか、橋本総理とエリツィン大統領との間で合意があります。このときに、東京宣言に一応基本的に基づくということでしょうけれども、二〇〇〇年までに平和条約を締結するということを当時確認されていると思うんですね、それに向けて努力するということだと思いますけれども。
 当時のことを大臣は、ちょっと大臣でなかったからどうかわかりませんけれども、なぜ二〇〇〇年までにそういうものが締結できるという見通しが立てられたのか。何かそういうことを判断できる材料というのが当時あったのかどうか、それはいかがですか。
齋藤政府参考人 お答えいたします。
 御指摘のとおり、九七年のクラスノヤルスク合意におきましては、九三年の東京宣言に基づきまして二〇〇〇年末までに平和条約を締結するよう全力を尽くすということで合意したわけでございますが、これは二十世紀に起きたことを二十世紀中に何としても解決したい、こういう気持ちで、全力を挙げて平和条約を二〇〇〇年末までに努力するという合意を見たというふうに理解しております。
一川委員 二十世紀中に懸案事項を解決したい、そういう一種の願望を込めた確認だったというふうな説明なんですけれども、具体的に当時のやりとりの中で、ロシア側も相当前向きに、二〇〇〇年までにそういうものの合意を取りつけたい、そういう何か具体的な発言なり言い回しなり、そういったところが当時あったから、こういうことまで、二〇〇〇年という具体的な数字まで挙げて一つの期限を切ったような合意をしたというのは、単なるそういう二十世紀の問題を二十世紀に解決したい、そういうことだけだったのかどうか、非常に判断に困るわけですけれども。
 では、具体的にそれを受けて、その後、二〇〇〇年までに平和条約を締結しましょうということで、具体的ないろいろな事務的な会談というのは何回か行われたというふうに聞いておりますけれども、それは全体でどれくらいの会談をやって、最終的にはどこで終わっているんですか、その会談は。二〇〇〇年までに平和条約を締結という、それに向けてのいろいろな事務的な会談が重ねられてきていると思いますけれども。
齋藤政府参考人 先ほど大臣から御答弁がございましたように、一九九三年の東京宣言というものは、領土問題を、北方四島の島の名前を具体的に列挙いたしまして、その帰属に関する問題であるというふうに位置づけたこと、また歴史的、法的事実に立脚して、両国間の合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するというふうに明確にしたということで、非常に重要な宣言だろうと考えております。
 九三年のこの宣言を受けまして、九七年に、二〇〇〇年末までに全力を尽くす、こういうことになったわけでございますが、九七年のこのクラスノヤルスク合意を受けまして、一連の外相会談及び外相会談を受けまして次官級協議を行ったわけでございます。
一川委員 では、九八年に川奈会談というのがありますよね。私も詳しく調べていないからあれですけれども、その川奈会談で合意したときには、今の九七年の合意事項を確認したのは当然でございますけれども、何か川奈提案というのがあって、日本側から提案された。それに対して、その場ではロシアの返答がもらえなくて、その後、ロシアの方からの回答があった。しかし、その回答に対しても日本はその場では返答ができなくて、検討しましょうということで来ていたというふうに私は理解しているんだけれども。その川奈提案なるものは何だったんですか。それで、何がお互いに意見が合わなかったんですか。
齋藤政府参考人 川奈におきます会談の内容については、双方明らかにしないということになってございますので、御容赦願いたいと思います。
一川委員 それは中身は明らかにできないということで、そういうことなのかもしれませんけれども、現時点でもあれですか、両者といいますか、ロシア側の考え方と我が国の考え方というのは、その川奈提案なるものの中身からすると、まだお互いに意見の一致は見ていないというふうに理解していいわけですか。
齋藤政府参考人 北方領土問題は日ロ間に残されております最大の懸案事項でございますが、イルクーツク声明、それから昨年十月の上海での日ロ首脳会談、ここにおきまして、歯舞、色丹の引き渡しの対応の議論と、国後、択捉の帰属の問題の議論を同時かつ並行的に進めていくということで小泉総理とプーチン大統領との間でおおむね合意を見たところでございまして、この合意を含めまして、一連のこれまでに達成された合意にのっとりまして、二月二日に開催されました日ロ外相会談におきまして、すべての四島の帰属の問題を含む平和条約締結交渉にかかわるすべての問題につき、実質的かつ具体的な議論をするために、三月中旬にモスクワで次官級協議を行うことで合意したところでございます。
一川委員 これは局長にお聞きするのか大臣にお聞きするのかあれですけれども、二〇〇〇年までに平和条約を締結するという一つの努力目標が達成できなかったわけですけれども、これは、エリツィン大統領が九九年に辞任したということもありますけれども、何が一番原因だったのか。お互い何か努力不足があったんですか。要するに、二〇〇〇年までという一つの努力目標が、そこで平和条約の締結に至らなかったというのは、何が大きな原因なんですか。
齋藤政府参考人 クラスノヤルスク合意におきましては、二〇〇〇年末までに平和条約を締結するよう全力を尽くすということで合意を見たわけでございますけれども、双方全力を尽くしたにもかかわらず合意を見ることができなかった、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
一川委員 いや、だから、その全力を尽くすということは、お互いにそういう問題意識を持って取り組んでおれば、私は十分そこまでこぎつけることが可能だったというふうにも思うわけです。というのは、その後も橋本・エリツィン会談というのは、何回あったかわかりませんけれども、何回かお会いして、それを確認しているわけですよね。要するに、トップの決断でもってそういうものがある程度前へ進むというような気がするわけですけれども、何か今の、努力したけれどもだめだったというような言い方は非常に私自身としては理解できないと考えております。
 それから、その当時、二〇〇〇年までに努力するという当時の合意なるものは、単なる二十世紀中に解決する、そういう判断でやられたのではなくて、何かある程度具体的なそういう言い回しがあって、そこだったら見通しが立つのではないかというような感触がお互いにあったんではないかというふうに私は推察するわけですけれども、それもなかったということなんで、非常に日本の外交としては甘いなという感じを率直に受けておりますし、これからのことを考えると非常に心配になります。
 そこで、大臣、ちょっといいですか。今、最後の方におっしゃいましたけれども、森総理大臣の時代に入ってからだと思います。今で言う並行協議なるものがいろいろと前面に出てきたわけですけれども、この並行協議というのは具体的にはどういうことですか。
齋藤政府参考人 いわゆる並行協議と言われているものでございますが、歯舞、色丹の引き渡しの態様の議論と国後、択捉の帰属の問題の議論を同時かつ並行的に進めていくということについて、昨年十月の上海での日ロ首脳会談においておおむね一致しているところでございます。
 このような協議の進め方は、歯舞、色丹の引き渡しについては一九五六年の日ソ共同宣言で既に合意されているという意味におきまして、歯舞、色丹の問題と国後、択捉の問題との間に交渉の進捗状況に違いがあるという事実を踏まえたものでございます。こうした議論の進め方は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した方針を前提としているものでございまして、この方針に変更はございません。
 二月二日に行われました日ロ外相会談におきましても、これまでのすべての合意に基づき平和条約締結交渉を継続していくことが再確認されているところでございまして、政府としては、これまでに達成された成果を引き継ぎ、今後とも精力的に交渉を進めていく考えでございます。
一川委員 外務大臣の所信の中にも、北方四島の帰属の問題を解決することによって平和条約を締結するとの一貫した方針のもとに、という言い回しがございます。並行協議なるものは、何となく、今マスコミ等がいろいろな解説をしておりますけれども、四島一括返還という話とはちょっとまた意味が違うと思いますけれども、四島の帰属問題を解決するというその基本的な前提条件というのは、並行協議の場合でもそれは変わらないんですか。大臣、それはどうですか。
川口国務大臣 変わりません。
一川委員 二島先行返還というようなことがちらちら聞こえるときもあるんだけれども、並行協議と二島先行返還という話というのは、それはそれで両立する話なんですか。
齋藤政府参考人 二島先行返還ということは、政府としてロシア側に提案したこともございませんし、私どもがこの引き渡しの態様の議論と国後、択捉の帰属の議論を同時に並行的に進めていこうというふうに考えておりますのは、先ほども申し上げましたように、一九五六年の日ソ共同宣言におきまして、歯舞、色丹につきましては平和条約締結後日本に引き渡されるというふうに規定されていることにかんがみまして、この引き渡しの議論と、それから帰属の問題がまだ決着しておりません残りの国後、択捉の問題をいずれも取り上げて交渉していく、片一方だけの交渉ではないということに基づきまして、二つの議論を同時かつ並行的に進めていくというふうに考えているわけでございます。
一川委員 これはもう一回確認しますけれども、今の並行協議的な協議を進めていこうということで両国が確認したというのはいつの時点ですか。
齋藤政府参考人 昨年十月の上海におきます日ロ首脳会談におきましておおむね一致を見ているということでございます。
一川委員 それで、今、おおむね一致を見たというちょっとあいまいな表現を使いましたけれども、この並行協議なるもの、日本側としての四島の帰属問題が先決ですよというのは当然ベースになっているというふうに思いますけれども、そういう日本側の思いとロシア側の思いというのは、この並行協議という中身ではそれは全く一致しているというふうに考えていいわけですか。いかがでしょうか。
齋藤政府参考人 先ほども申し上げましたとおり、二月二日に行われました日ロ外相会談におきましては、これまでのすべての合意に基づき平和条約締結交渉を継続していくことが再確認されております。
 四島の帰属の問題を含む平和条約交渉にかかわるすべての問題について、実質的かつ具体的な議論をするということにつきまして、ロシア側と合意しているところでございます。
一川委員 今お話を聞いている限りでは、以前の東京宣言の精神というか趣旨にのっとって、四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶという基本的なスタンスというのは、要するに日本側としては一切変えていないというふうに、私はそういうふうにとったんだけれども、しかし、一方で、今の並行協議の話が出だしてから何となくちょっとニュアンスが変わってきたのかなという印象を持つわけだけれども、川口大臣、いかがですか。
 要するに、昔の東京宣言の折と現時点の並行協議の方式と全く変わっていないんですか、考え方の基本的なところは。どうぞ。
川口国務大臣 政府といたしまして、北方四島の帰属の問題を解決することによりまして平和条約を締結する、この一貫した方針を堅持しておりまして、かかる方針に基づいて交渉していくということでございます。
一川委員 ぜひそういう基本的なスタンスというものを、余りふらふらしない形で、しっかりとした交渉をお願いするわけです。
 ただ、先ほどのお話を聞いている限りでは、一九九七年の合意の折の、二〇〇〇年までに平和条約を締結するという一つの努力目標というものは全然達成できなかったわけでございますし、何となく交渉のいろいろなやり方が、先行き不安感を持つわけでございますので、ぜひそのあたりをしっかりと対応していただきたいと思います。
 最後に、外務大臣と尾身大臣、両方にお伺いするわけですけれども、今回の北方領土問題といいますか、今の鈴木議員にまつわるような話題とか、こういう一連の北方領土返還運動に水を差すような話題が非常に多いわけですね。これは、全国的にこういういろいろな運動を展開しているという方々にとっても大変ショックなことでございますし、こういった、長年にわたって全国的に盛り上がっていろいろなことをやっているこういう運動を、これからも当然しっかりとしなきゃならぬと思いますけれども。
 今回の一連のいろいろな交流支援事業にかかわるような、こういう不信感を持たれるような問題というのは、今後の返還運動に対してどういう影響が出てくるか。あるいはまた、それを逆にうまくプラスに持っていくような対策をどういうふうに考えておられるか。どうか両大臣から見解をお伺いしたいんですけれども。
尾身国務大臣 我が国固有の領土である北方領土を返還していただくということは、独立国家としての基本的な私どもの考え方でございまして、私どもは、いかなる事情があろうとも、この方向をしっかりと守り抜いて頑張っていきたいと考えております。
川口国務大臣 先ほど申し上げましたように、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するということは、政府の確立した方針でございまして、委員御指摘のような問題について、いささかなりとも影響を受けることはないと思います。
一川委員 今回の、北方領土のいろいろな支援事業等にかかわる、国民から不信を持たれるような出来事が話題になるということ自体が、私自身も、これからの北方領土のいろいろな交渉事に大変大きくマイナスになる可能性というのを秘めていると思います。
 このあたりを、両大臣、それぞれ皆それなりの分野でかかわっていらっしゃるわけですけれども、その対策をしっかりととられた上で、一日も早く北方領土が日本に返還されるという目標に向かって、最大限の努力をお願い申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
萩野委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢でございます。
 私は、尾身大臣と川口外務大臣に対して質問を行いたいと思います。
 まず、尾身大臣に対してですが、いよいよ新しい振興法の審議が始まります。三次にわたって沖縄振興が進められてきたわけですが、その到達点と課題、そして、どういうふうに三次にわたる振興開発の事業を総括していらっしゃるのか、大臣のお考えを伺いたいと思います。
尾身国務大臣 復帰三十周年を目先に控えて、三十年間を振り返ってみますと、私ども、沖縄の振興のために、三次にわたる振興法を十年ごとにつくりまして、いろいろな対策を講じてきたところでございます。そして、特に、本土との格差の是正という考え方のもとにインフラ整備等を進め、沖縄の経済の基盤をしっかりさせるということに力を注いでまいりました。その結果として、いわゆる社会資本の面における本土との格差はかなり縮小してきている、そういう意味での成果は上がってきているというふうに考えております。
 そして、もとより、これからも社会資本の整備は続けていかなければならないと考えていますけれども、しかし、これからまた、今後の、二十一世紀の沖縄を展望してみると、自立経済、そういうキーワードであらわされるような体制をつくり上げていきたい。そのための、経済の発展、それから科学技術、文化等、あらゆる面にわたって対策を強力に進めていく。そういう考え方のもとに、このたびの沖縄振興の法律案を提案させていただくこととしたところでございます。
赤嶺委員 この三十年にわたる振計で格差が是正されて、産業の基盤も整備された、次は自立経済だ、こういうお話なんですけれども、三十年前の第一次振計を振り返ってみますと、例えば道路の整備にしても、米軍占領下は軍用道路でしたから、歩道もありませんし、側溝もありませんし、とにかく軍事優先という道路が沖縄本島を網の目で覆っておりました。それが歩道つきの道路になったという点では、社会資本が整備されたということは言えるだろうと思うんですね。
 ただ、三十年間にわたって七兆円の振興資金を注ぎ込んできて、その八割は公共事業なんですね。それで、公共事業なんですが、結果として、産業の振興だとかあるいは雇用の拡大だとかという、これまでの振興計画の中で目標としていた大きな目標はいまだに達成されていない。
 それで、やはりその面で、米軍の占領下、そしてあの沖縄戦で大きな被害を受けた沖縄で、インフラの整備とともに、本当に沖縄が自分の足腰で立てるような経済の振興、それから失業率の解消、こういうものは引き続き必要だと考えますけれども、尾身大臣はどのようにお考えですか。
尾身国務大臣 私は、この三十年間でいろいろなことをやってまいりましたが、その結果として、産業の振興あるいは雇用の拡大にも相当程度貢献してきた、そういう実績は正当に評価されてしかるべきだというふうに考えております。
 しかしながら、なお、一人当たり県民所得が日本全体の平均の七割であるということ、失業率も都道府県の中で一番高い失業率であるという実態があるわけでございまして、そういう実態を踏まえて、今までの社会資本の整備はこれからも進めていかなければなりませんが、同時に、さらに一段の経済の発展を実現するという意味で、例えば科学技術の振興とか文化の振興とか、そういうことを視野に入れて、また新しい局面での沖縄の新しい発展を実現してまいりたいと考えている次第でございます。
赤嶺委員 そうしますと、所得の格差だとか失業率が大きい問題だとか、いわば三十年にわたって進められてきた振興開発計画で達成されたものの引き続きの達成を含みながら、同時に、二十一世紀の新しい沖縄づくりという点で、そういう視点にも立って振興開発を進めていく、振興新法もその立場で行われるという理解でよろしいですか。
尾身国務大臣 例えば、今度の振興新法には、金融特区の問題とかあるいは情報特区の問題とか、私どもとしては大変に意欲的な内容を含んだものであり、また、大学院大学の設立等も含めまして、新しい局面の新しい事業を展開していける、そういう基盤を今度の振興新法でスタートさせたい、こういうふうに考えているわけでございます。
赤嶺委員 沖縄振興法の精神は引き継がれているのかどうかです。つまり、大学院大学だとか国際金融特区だとか、目新しいものもあります。同時に、振興法の精神を引き継いでいるかどうか、そういう点をきちんと答弁いただきたいと思って先ほどから聞いているんですが。
尾身国務大臣 基本的には、沖縄の特殊事情を考慮しながら、振興法の基本的な精神を引き継ぎ、新しい時代に即応した形で、これを一段階高めたやり方で進めていきたい、こういうことでございます。
赤嶺委員 そこで、もう一度お伺いをいたしますが、今度の場合には新法と呼ばれているわけですね。それで、近年、沖縄ではよく、基地とリンクした振興策という呼び方がはやっております。この沖縄振興新法あるいは今度国会に出される沖縄振興法というのは、基地とリンクした振興策、振興法というような立場でしょうか。
尾身国務大臣 先ほど来申し上げておりますとおり、本土復帰三十周年を契機として、一つの節目の時期を迎え、振興新法を制定し、そして厳しい雇用情勢等を踏まえまして、自立型経済の構築を目指して、この法案を提出させていただいているところでございます。
 普天間飛行場代替施設等との関係につきましては、平成十一年十二月の普天間飛行場の移設に係る政府方針の中におきまして、新たな時代に向けた沖縄振興新法の実現を目指すということが決定されたものでございまして、この閣議決定に基づいて振興新法の検討作業を県とも協力をいたしまして続けてまいりまして、今回の成案を得たものでございます。
 なお、この基地の問題を含めました総合的な意味合いを有する、あるいは歴史的、文化的な沖縄のいわゆる特殊事情を沖縄に対する特別措置法を講ずる根拠としている点は、従来のこの振興のための法律と全く変更はないという考え方でございます。
赤嶺委員 従来の振興というのは、私たちが考えるに、沖縄県民が理解するのに、やはり基地の整理、縮小、撤去、基地のない沖縄を実現したいというような基本的な立場があって振興というのを願ってきたわけですが、尾身大臣、はっきり答えていただきたいんですけれども、今度の新しい振興法というのは、基地とリンクした振興策の法律ですか。
尾身国務大臣 基地の問題を含めました総合的な意味合い、経済的、文化的、歴史的経緯等も含めまして、そういう総合的な意味合いを有する沖縄のいわゆる特殊事情を一つの考え方の根拠にしているわけでございます。
赤嶺委員 そうすると、基地を引き受けてほしい、そのかわりに振興策の予算を措置しましょう、そういう性格の法律なんでしょうか。
尾身国務大臣 先ほど申し上げましたように、この沖縄新法の特別措置の考え方のもとにあります特殊事情の中には、いろいろな問題を含んでいるわけでございます。地理的、歴史的な問題あるいは基地の問題等々を総合的に考えた、その特殊事情をこの法律の根拠にしているというふうに考えております。
赤嶺委員 これまでの沖縄振興法の精神を引き継いでいるということで理解をしたいと思います。
 ところで、今度、嘉数政務官が誕生されたわけですけれども、嘉数政務官、同じ沖縄の立場として、沖縄振興に頑張っていただきたいと思いますし、立場は違っても一致するところがあれば力を合わせていきたい。しかし、立場が違うところはまた違うところとして明確にしてやっていきたいなと思いますけれども、この間の名護の市長選挙のときに、一月二十日ですけれども、ある演説会で嘉数政務官はこういう発言をなさっているんですね。私が政務官をしている間に、沖縄振興策が復帰三十年ということで新しい形でスタートしますから、昨日、一昨日と官邸の官房長官あるいは尾身大臣に呼ばれました、ハッパをかけられてきました、名護市長選挙を負けたらみんなだめだよ、国が一生懸命やろうとするのがほとんど挫してしまう、こういうことを演説していらっしゃるんですね。
 そういう記憶はございますか。
嘉数大臣政務官 たしか言ったかと記憶しております。
赤嶺委員 よく記憶されております。
 それで、尾身大臣、市長がかわったらこの法律の実行はやらないんだとか、予算の執行はやらないんだとか、五年前に、ある沖縄開発庁長官なんですけれども、国の言うことを聞くなら税金の傾斜配分当然だよとおっしゃった大臣もおられたんですけれども、この沖縄振興法というのは、市長がかわれば法律の実行をしないとか、予算の措置をとらないとか、そういう性格のものですか。
尾身国務大臣 名護市長選挙が二月の初めに投票日があったと思いますが、私どもずっと検討をしてまいりまして、この振興新法の内容はほとんどその段階では詰まっており、政府としては、これを国会に提出する予定でございました。
 市長選挙の結果につきましては、私ども大変心配をしておりましたが、おかげさまで九千票という大差で現市長が当選をさせていただいて、しかも、その前の十二月の代替施設協議会におきまして、代替施設の基本計画についての地元の御意見を踏まえて、さらに検討を一歩前進させるという結論が出た後の市長選挙でございました。そういう意味におきまして、代替施設の問題も含めまして、市民の皆様の御理解は得られたものというふうに考え、大変ありがたいと思っているところでございます。
赤嶺委員 尾身大臣、質問に答えてください。名護の市長選挙の結果はどうぞ皆さんでいろいろ総括しておられたらいいですよ。私が聞いているのは、嘉数政務官が記憶にある、名護市長選挙を負けたら、国が一生懸命やろうとするのがほとんど挫してしまうと。これからも、ああいう基地の島ですから、いろいろな政変が起こります、政治的激動も起こります。そういう中で、いろいろな市長さんが誕生します。その都度都度、誕生した市長を見て皆さんは、振興策を一生懸命やろうとか手を抜こうとか、そういうことをお考えですかと。そうであれば大変けしからぬことじゃないですかと。どこかの国会で問題になっている、どこかの政治家と全く同じような態度を沖縄にとろうとしておられるんですかと。そうであるかどうかだけ答えてください。
尾身国務大臣 市長選挙で負けたらどうの、勝ったらどうのということをここで申し上げることは適切でないと思いますが、この振興新法の私どもが考えている一つの根拠というものは、基地問題を含めました歴史的、文化的経緯、そういうものを含めた総合的な特殊事情を私どもの振興新法の考え方の根拠にしているということは事実でございます。
赤嶺委員 基地に反対をする市長さんが誕生したら、あるいは皆さんとは違う立場で基地問題に一生懸命取り組む市長さんが誕生したら、これは振興新法は手を抜く、あるいは、皆さんと同じ立場であれば振興新法は一生懸命やります、こういうことでいいんですか。日本の政治というのは、そういうことでいいんですか。
 一つの法律がつくられる、体系が完成をする、それに基づいて予算が裏づけとしてつけられる。ところが、政府とは違う立場の首長が誕生をしたら手を抜くとか、そういうような沖縄振興をお考えなんですか。嘉数政務官のこういう発言の立場を尾身大臣もとられるつもりですか。
尾身国務大臣 選挙のときの応援演説の中で、嘉数政務官は御自身の思いを込めてそういう応援演説をされたと私は考えております。嘉数さんの応援演説の気持ちは、私としてもよく理解できるところでございます。
 そして、もとよりこの振興新法の根拠は、先ほど申しましたような総合的な特殊事情をもとにして、私どもが、例えば情報特区とかあるいは金融特区とか、日本のほかの地域に絶対にないような制度をつくっているということも、関係者が努力をしてこれを実現しているということも事実でございますので、その辺もぜひ御理解をいただきたいと思います。
赤嶺委員 この新しい振興法の中には、今大臣が言われた意味で、いろいろな要素が入っているとすれば、これは大変けしからぬことであります。沖縄に基地を押しつけることによって特別な振興措置をとるというようなことはあってはなりませんし、大臣も先ほどからお認めのように、第一次振計から第三次振計まで国がやってきた施策、この精神を引き継いでやるということが大事なんで、これは引き続き法律の議論の中でも取り組んでいきたいと思います。
 もし大臣が、大臣として、政府として嘉数政務官のああいう立場で沖縄振興をやっていくんだということであれば、これは重大な間違いであると思いますけれども、同じ立場でやるのかどうか、ここはもう一度お答えください。
尾身国務大臣 戦中から戦後にかけて五十七年以上にわたりまして、沖縄の皆様が大変に苦労され、そして〇・五%の地域に在日米軍の七五%もの基地がある。その基地の存在は、日米安保条約に基づいて我が国全体の安全保障のみならず、アジア地域の平和と安定に極めて大きな貢献をしているということが事実でございます。
 そして、その中でしかし、この基地の集中によりまして、沖縄県民の皆様に大きな負担をかけているということもまた事実でございます。そういう歴史的経緯も踏まえ、また実態も踏まえまして、私どもは、沖縄のさらに一層の発展のために特別の措置をとるということを、法律をもってしっかりと国の方針を決め、そしてそれを実現していくことが必要であるという考え方でこの振興新法を提案しているところでございます。
赤嶺委員 そこで、本当の沖縄県民の振興ということを真剣に考えないと、どういうことになるのかという一つの見本みたいなものなんですが、きのう尾身大臣、泡瀬干潟の問題で記者会見をされております。移植工事が成功した、これをもって環境の条件は整ったというおよそ学問的には語るに落ちるような記者会見でありますけれども、きょうは、その環境問題の議論は時間がありません。
 ただ、尾身大臣のきのうの発言をめぐって、地元のマスコミでこう報道されているんですよ。無責任とはこのことだ。きちっとした見通しがなくても、そこそこの見通しがつけばいい。尾身幸次沖縄担当相の二十六日の閣議後の発言は、まさに無責任を絵にかいたようなものだ。泡瀬干潟の埋め立て事業後の需要見通しについての発言だが、埋め立ての是非はおくにしても非常識。事業費の多寡にかかわらず、税金のむだ遣いをなくすことが求められているのに、その意識が見えない。総事業費は約四百八十九億円と巨額。きちっとした見通しが事業実施の絶対条件だ。沖縄市は、土地購入費約百八十四億円を企業誘致による土地売却で賄う考えだが、あいまいな見通しではこれも危うい。尾身大臣は、前段で、需要見通しについて県の考え方を聞いた上でないとやらないと言っているが、続けた言葉がそこそこでいいでは、県の考えを聞く意味はあるまい。
 需要予測について、私は、去年の六月にも、尾身大臣を相手にこの委員会で、いかにこの事業の需要予測が甘いか、そして国がいかに無責任な態度をとっているかということで、観光客数についての立場から伺いました。尾身大臣、本当に尾身大臣の記者会見の中で、需要予測について甘い態度をとられようとしている。そういう姿勢で泡瀬干潟の埋め立てに臨むつもりですか。
尾身国務大臣 確かに昨年、赤嶺委員から需要予測の問題等について御発言がございました。その当時、私はこの泡瀬干潟の問題については余り詳しい状況ではございませんでした。それ以後、私自身も現地に行ってみました。それから、需要の問題あるいは藻場の環境の問題等々について検討をしていただくということもよく承りました。
 そういう藻場の環境の問題につきましては、二月の二十二日に委員会が開かれて、移植先の条件により状況のよくない海岸も見受けられるけれども、移植された海岸の生育状況はおおむね順調である、機械化による海草の移植は可能であり云々というような結論が出たと承知をしているわけでございます。
 この需要の問題につきましては、私はまだ県及び沖縄市の方から聞いておりませんが、近くお話も伺った上で結論を出していきたいというふうに考えているところでございまして、前回のこの委員会での質問につきましては、私自身は誠意を持って、御質問の趣旨、御意見の趣旨を踏まえて検討してきたということは御理解をいただきたいと思います。
赤嶺委員 私が尋ねているのは、そういう甘い需要予測の姿勢で泡瀬干潟の埋め立て、ここに臨むおつもりですかということを聞いているんです。
 沖縄の場合は、三次にわたる振興開発で、公共事業が八割と言いましたが、その社会資本の整備の陰で、沖縄島の干潟の大半が埋め立てなどによって失われているんです。ですから、沖縄振興法の実行に当たって、沖縄の環境の問題についてももっともっと十分な注意を払ってほしいというのが県民の願いなんです。開発さえすればいい、沖縄に予算さえ投入すればこれが振興だというようなことで、需要予測が極めて甘い。
 これは、名護の軍民共用空港にも同じことが言えます。これも尾身大臣に申し上げました。沖縄の副知事は県議会で、その需要予測はどうでもいいんだという発言を答弁しておる。県議会の答弁の記録の中に残っています。基地があるからといって、需要予測もあいまいな、そして見通しもないような公共事業やいろいろな問題について手がけていこうとする、こういうのは二十一世紀の沖縄の未来を暗く閉ざすものだと思います。そういうことについていかがでしょうか。
尾身国務大臣 需要予測の問題につきましては、私がまだ沖縄県及び沖縄市の方から聞いておりませんので、内容について甘いとかなんとか言われておりますけれども、聞いておりませんので、まだお答えできる状況ではございません。
 ただ、この泡瀬干潟の問題は、沖縄県及び沖縄市の地元の方からの要望で、私どもがそれを受けて立ったということでございまして、さらに、今の藻場の問題につきましては、委員会での一応の結論めいた方向が出ていると考えておりますが、需要予測についても、実情をきちっと私がお伺いをした上で前向きに進めてまいりたいと考えている次第でございます。
赤嶺委員 そうしますと、大臣、きちっとした見通しがなくても、そこそこの見通しがつけばいいという発言は撤回なさいますか。
尾身国務大臣 需要予測についての話をまだ聞いておりませんので、それを聞いた上できちっとした対応をしていきたいと考えております。
赤嶺委員 需要予測について聞いたかどうかじゃないんです。需要予測ということを公共事業全体の中でどれほど重要な問題として位置づけるかということで考えてみた場合に、そこそこの見通しがつけばいいという発言がありました。こういう位置づけでいいんですか、あるいは撤回なさるんですか、このことを伺っているんです。
尾身国務大臣 現実に、需要予測について沖縄県及び沖縄市がどういう考え方を持っているのかということを聞いた上で判断をしてまいりたいと考えております。
赤嶺委員 あなたがそこそこでいいと言えば、沖縄県や沖縄市もそこそこでいいんだなということにしかなりませんよ、需要予測については。これが膨大な浪費型公共事業を生み、国の財政を悪化させてきたじゃありませんか。そのために、小泉内閣は構造改革、構造改革といって、そういうことを繰り返しているじゃないですか。公共事業において需要予測を正確にするというのは、小泉内閣の政策ではないんですか。そこそこでいいというのが小泉内閣の閣僚の考え方なんですか。
尾身国務大臣 この問題は、地元の沖縄県及び沖縄市の方からの強い要望で具体的なプロジェクトを進めてきたわけでございまして、なお、先日のお話もございましたから、再度需要予測をしていただいているわけでございまして、その結果を伺った上で、きちっとした対応を決めたいと考えております。
赤嶺委員 需要予測について、最後まで、そこそこの見通しがつけばいいと言ったことについて訂正もしません。こういう形で沖縄の公共事業に臨まれたら、それこそ、沖縄の公共事業は浪費型で埋まってしまうということを申し上げます。
 外務大臣に、もう時間が限られてしまいましたけれども、この間、予算委員会で十五年問題について質問をいたしました。
 この十五年問題について、この間、日米外相会談をなさっているわけですが、先ほどの答弁にもありましたけれども、アメリカの側の立場も十分理解しているとおっしゃっています。米国の立場は承知していると。どういう米国の立場を承知していらっしゃるんでしょうか。米国の立場というのは何ですか。
川口国務大臣 米国の立場でございますけれども、米国としては、使用期限問題については困難な問題であるけれども、普天間飛行場の移設、返還につき引き続き協議していきたいというものであると承知をいたしております。
赤嶺委員 つまり、十五年使用期限は、米国の立場としては困難であるということですね。
 それで、閣議決定によると、十五年の望みを国際情勢の中での兵力構成の検討といったところに何かウエートを置いているように見えますけれども、今後の国際情勢の発展の中で、沖縄について兵力構成を削減するというアメリカの戦略が生まれていると思いますか。いかがでしょうか。
川口国務大臣 私が知っている限り、米国は、そのことについて特に何か具体的に明示的に言ったということはないと思います。
赤嶺委員 それじゃ、米国の立場も承知している、知事の立場は重く受けとめる、国際情勢の変化によって兵力構成については引き続き検討をする。しかし、そんなことを言えば、今の川口外務大臣のお話からいっても、皆さんは、十五年使用期限というのはできる話じゃないけれども、基地の永久化、固定化、これに反発する沖縄県民の意思を和らげようとして、実現不可能な話を持ち出して県民をごまかしているということになりはしませんか。
川口国務大臣 この件につきましては、政府といたしましては、平成十一年末の閣議決定に従いまして適切に対処をすることといたしておりまして、今後とも、この閣議決定に従いまして適切に対処をしてまいりたいと考えております。
赤嶺委員 外務大臣、私、その閣議決定の中身についてさっき伺ったんですよ。アメリカは十五年は困難だと言っている。知事の意見は重く受けとめなきゃいけない、しかし、国際情勢については、沖縄の米軍基地の削減についてアメリカが手がける様子は知るところ全く見えないと言っている。できませんという話じゃないですか。できないことを何かあたかもできる余地があるかのように言って、県民をごまかしているということになりはしませんか。
 この間の一般教書の後の日米首脳会談の中での、日本でのブッシュ大統領の発言というのは、すさまじいものでした。これにこたえる小泉総理の発言も大変なものでした。ブッシュ大統領は、悪の枢軸について、我々はすべての選択肢を排除していないと言って武力行使の態度を示しております。それから、小泉首相は、悪の枢軸については、大統領のテロに対する強い決意と受けとめている。これは、川口外務大臣も私の質問に対して同じ立場だとおっしゃいました。さらに、総理は、米国とともに断固とした姿勢で立ち向かうともおっしゃっています。
 このアメリカの悪の枢軸論というのは、アメリカが勝手に平和の敵と決めたら戦争をしかけることも許されるという、国際法にも国連憲章にも違反した立場です。これについて何の批判もしていないのが日本の外交です。アメリカにノーと言ったことがない日本の外交で、十五年使用期限の実現は絶対に不可能で、これは県民をだますために持ち出してきたということを改めて強調しまして、時間が来ましたので、私の質問を終わります。
萩野委員長 次に、東門美津子さん。
東門委員 社会民主党の東門美津子でございます。ラストバッターです。よろしくお願いいたします。
 私の最初の質問も、先ほどの赤嶺委員の質問と重複するところもありますけれども、やはり私は沖縄市の出身ですので、ぜひそのことは伺わせていただきたいと思います。
 大臣は昨日、閣議後の会見で、泡瀬干潟の埋め立てに関して、環境問題では一応めどが立った、あとは県側から計画の需要見通しについて聞いた上で、早急に前に進むことにしたいと述べられ、海草の移植実験をクリアしたとの御認識を表明されたようですが、地元では、移植実験はまだ始めたばかりで、結果が出ていない段階で結論を急ぐのはおかしいとの声も大きく聞こえます。
 大臣、藻場の移植実験には本当でしたらもっと時間をかけて、活着の状況をしっかりと見届ける必要があるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
尾身国務大臣 二月二十二日に開催をされました環境監視・検討委員会におきまして、昨年の秋以来行われてまいりました藻場の移植作業の結果等についての審議が行われました。
 そこにおいては、一つは、移植先の条件により状況のよくない海草も見受けられるが、移植された海岸の成育状況はおおむね順調である、二つ目は、機械化により海草の移植は可能であり、今後ともモニタリングをしていくことにより移植技術がさらに向上をするものと判断できるといった結論が得られたと聞いております。
 これまで、移植作業は、埋め立てに伴う環境への影響を軽減するために、予定している藻場の移植がうまく行えるかどうかを実際に確かめることを主眼とするものでございました。今般の委員会で、移植はおおむね順調であり、移植は可能であるという結論が得られたことによりまして、事業を進める上での一つの条件がおおむねクリアされたものと認識しております。
東門委員 では大臣、着工時期はいつごろだとお考えでしょうか。着工の時期です。
尾身国務大臣 この前にもこの委員会でお話があったと思いますが、移植についての問題と土地需要等の確認という二つの問題点がございまして、あと土地需要の確認等につきましても、近く沖縄県及び沖縄市の方から、その確認の状況についてお話を伺いたいというふうに考えておりまして、そのお話を伺った結果で私どもとして対応していきたいというふうに考えております。
東門委員 環境面に配慮するということは、重要な約束事として、もうお聞きだと思いますが、トカゲハゼの繁殖期、それは四月から七月の間だと言われています。その繁殖期には工事は行わないことということが、事務方の間の認識としてあると私は聞いております。大臣、その件はいかがでしょうか。
尾身国務大臣 そういう問題も含めまして、環境への影響ができるだけ少ない形で事業を実施することが必要であるというふうに考えております。
 なお、先ほど申し上げませんでしたが、東門委員からのお話について、先般、沖縄市で署名運動が行われまして、沖縄市の人口十二万でございますが、その中で八万五千人が……(発言する者あり)沖縄市以外を含めますともっと多いわけでございますが、沖縄市だけで八万五千人という全体の三分の二にわたる方々の推進の署名が寄せられました。このことによって、私は、地元の意思がある形で確認をされたというふうに認識をしているわけでございまして、この点も我々としては重く受けとめなければならないと考えております。
東門委員 私も、推進団体からのそういう署名のことは、数は知っておりますが、では大臣、内閣府では署名をちゃんとチェックしておられますか。ちゃんと沖縄市の市民で有権者である、赤ちゃんが入っていないとか幼児が入っていないとか、そういう名前はチェックされておりますか、八万五千という数を。
尾身国務大臣 私はそういう内容についてはチェックしておりませんが、分母である沖縄市民の数が十二万、これは赤ちゃんも入っております。それから、署名の方が八万五千、これはそういう方々も入っているかもしれません。しかしながら、分母と分子は同じ基準で計算をして、三分の二が賛成署名をいただいているということだというふうに理解をしております。
東門委員 確認だけです。赤ちゃんでも、字の書けない子でも、それは親が書く、それでもその一人である。有権者であれ赤ちゃんであれ同じ一人だ、一票だと数えられるということなんですか。
尾身国務大臣 いや、そういう趣旨を申し上げているのではなくて、分母の方の人口も、赤ちゃんも入っている人口で十二万と申し上げ、署名の方の人口は、これはどういう方がいるかわかりませんが、八万五千ということでございますから、総合的に考えれば、全体の有権者も三分の二程度は署名をしていただいているというふうに考えてもあながち間違った判断ではないと考えております。
東門委員 その泡瀬の干潟の問題については、本当に沖縄市、あるいは県内で大きく二分しております、反対派と推進派が。そういう事情がある中で、八万五千のそういう署名が集められるのであれば、大臣、大臣の方からむしろ沖縄市長に、これは住民投票しなさいよ、市民投票に問うべきじゃないのか、絶対に勝てるよとおっしゃるべきではないでしょうか。その方が、沖縄市民にとって、県民にとってわかりやすい。八万五千という数がそれだけ、もう三分の二、大きいですね、間違いなく通るよとおっしゃっていただくようなことはできないでしょうか。
尾身国務大臣 これは、小泉政権はあくまで地方の意思を尊重する政権でございまして、住民投票についても、いろいろともちろん御議論があると思います。あると思いますが、とにかく八万五千の方々が市内から署名をされ、市外だけで十三万人、合計二十一万五千人の署名があるということは、私どもとして重く受けとめなければならないと思います。
 そういうことを踏まえて、二月六日に、沖縄市議会におきまして、住民投票条例は、この署名の結果ということも踏まえて結論が出されたと私は思いますけれども、圧倒的多数で住民投票条例についての否決、反対二十四、賛成七で否決されたと聞いておりまして、それらを総合して見ると、私は、沖縄市、沖縄県の考え方はこの埋め立てを推進するべきであるというふうに、そういう要望が基本的な地元の考え方である、御意思であるというふうに受けとめても決して偏った受けとめ方ではないと考えております。
東門委員 今回の藻場の実験なんですが、それは私たちの方から見れば、あくまでも事業前提の実験だと思っております。その実験結果を得て、大臣は、県側から計画の需要見通しについて、きちっとした見通しがなくても、そこそこの見通しがつけば着工するとおっしゃったとされておりますが、そこそこの見通しとは大臣の中でどういうことでしょうか、お聞かせください。
尾身国務大臣 これは私どもは、基本的な考え方は、地元の沖縄、沖縄市の意見を尊重して、沖縄県及び沖縄市の地元の要望を踏まえてこの事業を進めるということで、いろいろなことをチェックしながらやってきたわけでございますが、先ほど申しました意味で、前回、この委員会で御議論がございました。
 正直なところ、私は、あのときにこの泡瀬の問題、詳しくございませんで、その後、東門委員もおっしゃいましたいろいろな問題点を私なりに、自分なりの形で確認をしてまいりました。現場にも行ってまいりました。現場の皆様の御意見も聞いてまいりました。それから、署名運動等の結果についてもお話を伺いました。沖縄県の方からもお話を伺いました。そういう中で、地元沖縄県及び沖縄市の御意見は、この埋め立てを進めるというのが地元の意思であるということについては、そう判断してもいい状況はできてきている、そういうふうに考えているわけでございます。
 ただしかし、先ほどの、この環境への問題、藻場の問題等々についてのチェックはやらなければいけませんし、そういう意思であるということは前提としつつも、土地需要等についてどういうふうに考えておられるかということは、私どもとして聞かなければならない。そして、それを全部総合判断して結論を出さなければいけない、こういうふうに考えているわけでございまして、まだ直接私が聞いておりませんので、その内容を聞いた上で結論を出していきたいと考えております。
東門委員 この時点で県からの、地元からのその需要見通し、いつごろになると情報が入っておりますでしょうか、大臣。
尾身国務大臣 余り遠くないうちに、一月はかからないのじゃないかと考えております。
東門委員 それでは、川口外務大臣にお伺いいたします。
 同じ泡瀬干潟の件でございますが、大臣は、環境大臣であられたときに、この泡瀬干潟のことについては随分お勉強なさったと私は思っております。オーストラリア連邦環境・通産省のロバート・ヒル大臣から川口大臣あてに親書も行っていると思います。泡瀬の干潟はシギ・チドリ類などの渡り鳥性水鳥の最大の渡来地である、そういう観点からもぜひ配慮をしていただきたい、すばらしい干潟であるのでということで行っていると思いますが、大臣、沖縄もどんどん干潟はなくなっております。今残っている一番大きな干潟が泡瀬なんですよ。これは、子供たちあるいはお年寄りが本当に憩いの場として、いやしの場として、自然に触れ合う場として大事にしているところなんです。あるいは、渡り鳥あるいはいろいろな小さな生き物、そういうものたちがたくさん、多様性の本当に多いところなんです。
 そういう干潟を、今、先ほどからここでお聞きになっていると思いますが、埋め立てて、そこに何が出てくる、これは以前はホテルでした、今度は何が出てくるかわかりません、どういう見直しになるかわかりませんが、そういうものをつくっていくという動きであります。そういうことに関しまして、今は外務大臣であられますけれども、環境大臣のころ、環境に対して、環境保全の立場、自然保護の立場から、ぜひ一言お願いしたいと思います。
川口国務大臣 泡瀬の干潟が、あるいはそういう意味では一般的に干潟というものが、浄化機能を持ち、それからそこに多くの生物が生息をし、また渡り鳥、シギ・チドリ等の渡来地、飛来地であるという意味で、我が国にとっても非常に重要であるという認識は私は持っておりますし、環境大臣時代に勉強させていただきました。
 私、今環境大臣ではございませんので、環境大臣という立場でお答えをするということは差し控えさせていただきたいと思いますけれども、これについて環境大臣時代に申し上げておりましたことは、十分に環境のアセスをしていただく必要があるということでございまして、それについては沖縄県の方で適切に対処をなさっていらっしゃるというふうにも理解をいたしております。
東門委員 質問を変えます。
 ことしは、先ほどからこの話も出ておりますが、沖縄が本土に復帰してから三十年になります。この間、政府は三次にわたって沖縄振興開発計画を策定して、本土との格差是正を柱に振興策を進めてこられました。確かに、道路、空港、港湾などのインフラの整備はかなり進んでおります。しかし、なお、県民所得は三十年後の今日も全国最下位、失業率は過去最悪の状況、そして産業別生産、財政依存度など、どの数値を見ても、自立的経済発展のための基礎条件整備ではなくて、むしろ依存型経済の仕組みがつくられたと言えると私は思います。七兆円近く投入してきた政府としては大変不本意ではないかと思うわけですが、大臣、いかがでしょうか。
尾身国務大臣 昨年の十一月十日に、テロによる修学旅行のキャンセルあるいは観光客の減少という状況がございまして、私は、私の地元の群馬県から、私の後援会の皆様にお願いをして、五百人ほど沖縄に行っていただきました。そのときに行っていただいた一人の方の帰ってきての感想は、沖縄は大変よかったということと同時に、実は復帰前に沖縄に行ったことがあるんだけれども、そのときと比べると、このたび行って見た沖縄はさま変わりの状況であって、涙が出るほどうれしかったというお話が私の支持者の中からございました。
 ですから、私は、この三十年間に七兆円に近いお金をつぎ込んだことは、インフラの整備という面から見れば相当程度の効果が上がっているというふうに考えております。
 しかし、これでまだ十分とは到底言えない状況でございまして、インフラの面においても、なお本土との格差は、縮まったとはいえ残っている。それから、県民所得一人当たり等々につきましてもまだ満足できる水準ではない。そして、そういう中で、これからの沖縄をどうやって本当の意味で発展をさせ、いわゆる魚ではない、釣り針を持っていただくかということについて、私自身、本当に苦労しているところでございまして、これを一つ一つ実現してまいりたいと考えております。
東門委員 インフラの整備につきましては私も申し上げました、かなり進んでおりますと。
 ただ、私が申しましたのは、県民所得が全国最下位であるという事実、これは事実ですね。それから、失業率も全国のほとんど倍で推移している。自主財源比率なども、本当に全国の平均にしてかなり低い。そういうのが三十年たった今でもまだ変わらない状況であるということに対して、七兆円というお金も、先ほど、そのうちの八割は公共事業という話も別の委員さんからあったのですが、そういう中で、政府としてこれだけつぎ込みましたよといつもおっしゃるのですが、本当に沖縄の県民のための振興策というのであれば、これは政府としては成功したとは言えないのじゃないかと私は思うんです。いかがですか。
尾身国務大臣 この点につきましては、私は委員のお考えと全く違った考え方を持っておりまして、少なくともインフラの整備という点では相当に成功している、成果が上がっているというふうに考えております。
 しかしながら、地理的条件、あるいはもともと製造業が弱かったというような大きなハンディキャップがあるわけでございまして、このハンディキャップを経済の面で克服をして自立型経済をどうやって達成するか、こういうことがこれからの大きな課題になる。もとより、インフラの整備等について手を抜くわけにはいきません、これからも進めてまいりますけれども、しかし、それにもう一つ別の次元のプラスアルファを、例えば科学技術の振興とか沖縄の国際化とか、そういうことで追加する必要がある。それが私が今皆様に提案をしております沖縄の大学院大学の構想であり、情報特区であり、金融特区でございます。
 それらの施策を立体的、総合的に組み立てることによって、全体として、必ず二十一世紀のそんなに遠くない将来において、私は、沖縄の一人当たり県民所得を日本平均ぐらいまでには何としても上げていきたい、こういうふうに考えてこれからも頑張っていきたいと考えております。
東門委員 ぜひそれをお願いしたいと思います。
 そして、今回提出されている振興新法がこれから審議されることになるわけですが、私は、中身についてはそのときまた質問させていただきたいと思います。しかし、今回策定する中でちょっと気になることが聞こえたので少しお尋ねしたいのです。
 沖縄に政府のプレゼンスを示さなければいけないとか、政府がどれだけやってくれるかが沖縄県民の関心事である、あるいは法律をつくるということが閣議でも決められたので、既存の制度に化粧をして、名前だけの制度でもつくらなければとか、何かそういうお話が出たとか、そういう思いがひょっとして政府の中にあったかもしれないなと思うのです。
 三次振計の結果が、不本意にも自立への基盤整備にはつながらなかった、私はそう思っておりますが、そういうつながらなかったことを見ると、何か手法として反省すべき点があるのではないか。これまでの三次振計の策定あるいは実施の中で、何か反省すべき点があるのではないか。本当に県民ニーズの把握がされていたか、県民ニーズの把握が二の次になってはいないかという懸念があるのですが、いかがでしょうか。
尾身国務大臣 簡単に言うと、格好をつけて県民の皆様の関心を引こうなどということは私は全く考えておりません。
 本当に十年、二十年後に成果があるようなものを、今は地味であっても種をまいておく。小泉総理のおっしゃる米百俵の精神のような形で、時間はかかるかもしれないけれども、結果がきちっと後で出るようなことを今始めておいて、それがまた沖縄の皆様の御努力によって、いずれの日にか成果が出てくる、結果が出てくるということで、形ではなしに、本当に一人当たりの所得が少なくとも日本全体の平均ぐらいのところまではいくようにやりたい。それが例えば情報特区であり、金融特区であり、大学院大学である、そういうことでございまして、これについてはぜひ党派を超えて御理解をいただき、同じ立場で沖縄の振興発展を実現していきたいと願っている次第でございます。
東門委員 私は県民ニーズの把握のことをお話ししたんですが、県民ニーズの把握と関連しまして、ちょっと一例を挙げさせていただきます。
 例えば、九八年四月に、沖縄振興開発特別措置法の一部改正で観光振興地域制度が創設されました。その地域に指定された場合、観光関連施設を新設あるいは増設した場合、設備投資に対する減税あるいは地方税、固定資産税の減免などが受けられるというものになるはずでしたが、その固定資産税を減免する際の条件として、対価を取ってはならないという規定がもとの自治省通達にありまして、企業にとっては非現実的な制度にしてしまっていると思われます。また、減税の対象となる観光関連施設の中にホテルが含まれていないのはなぜか、理解ができないということですね。
 ですから、関係者からは、固定資産税の減免のためにただで施設を提供するという企業があるのかだとか、あるいは、どうやって建設費を捻出するのか、ホテルは観光の基本施設だなどの声がもちろんあるわけです。
 通達で制度を骨抜きにされて、なかなか利用されない、そういう実態があるということを大臣は御認識されておられますか。
尾身国務大臣 観光施設に対する租税特別措置につきましては、私も今おっしゃられた詳細は存じませんが、適格要件といいますか、そういうものでとかくいろいろな制限がつけられがちでございます。
 ですから、そういうものについては、本当に使い勝手がいいように、もし具体的な御指摘があれば私ども検討させていただいて、本当に観光の施設が租税特別措置の特別減税によってつくりやすいような対応をするべく日々努力をしているところでございまして、また具体的なお話があればよく御意見も承らせていただきたいと思っております。
東門委員 その観光振興地域制度を初め、最近ではサミットの沖縄開催がありましたし、あるいは特別自由貿易地域制度あるいはIT産業の誘致など、政府がかなりてこ入れをして沖縄振興を図っているということは私もわかっております。
 にもかかわらず、失業率は過去最悪の状況であるということ、全国二倍の比率となっているのはなぜでしょうか。大臣、そこら辺はどういうふうにお考えですか。
尾身国務大臣 戦後三十年間、多分ずっと一番高い失業率で来たと思います。ですから、これを少なくとも全国水準にまで下げるということを目指していかなければいけないと考えておりまして、そういう歴史的な経緯あるいは地理的なハンディキャップをむしろプラスに転換するような政策を実行していくことが大事であるというふうに考えております。全体としては、私は、相対的な地位関係はかなり改善したと思っておりますが、今まだ全く十分であるとは考えておりません。
 それから、先ほど申しましたような意味で、振興新法の精神の中に、特に金融特区とか情報特区とか、日本のほかの地域にどこにもないような、沖縄を特に立ち上げるための制度を私ども随分と、与党内あるいは政府内で努力をしてようやくつくり上げた新しい制度も幾つかございまして、これについては大いに、与党、野党を問わず評価していただきたい、褒めていただきたいと誇りを持って言えるような内容の提案もしておりますので、ぜひその点も御理解をいただきたいと思います。
東門委員 沖縄だけに、特別な措置をというお話はよく聞いておりますし、先ほど赤嶺委員の方からも基地とのリンクでかという御質問、いろいろありました。
 そういうのは、まず私きょうは入りませんけれども、大臣がおっしゃる振興策すべて含めて、近いうちに県民所得も全国平均並みに持っていきたい、失業率も全国並みにしたいというお気持ちは今承りましたけれども、それは今のままの沖縄の状況でできる、可能であるとお考えですか。申し上げたいのは、基地はそのままでやっていくということかということです。
尾身国務大臣 沖縄にある米軍基地が日本の七五%でございまして、沖縄県民の皆様に大変に大きな負担をかけている、そういうことも、日本全体の安全保障、アジアの平和と安定に寄与しているということも片方にあるわけでございまして、この点についても、私どもは日本全体として沖縄の問題を考えていかなければならないというふうに考えております。
 それから、このままの状態でいいのかという御質問については、私は、今のような経済の内容では日本平均水準に行かないということで、ある種のブレークスルーを考えながら、大学院大学をつくる、ほかの日本の地域ではできないような例外的な中身の大学院大学をつくるということで、そういう歴史的、地理的な壁を突破していきたいというふうに考えております。
東門委員 沖縄県の失業率の高さ、県民所得の全国最下位ということは、やはり沖縄に一番欠けているのは雇用の場だ、それはもう大臣よく御存じだと思います。その雇用の場の不足というのは、私から見れば基地被害ではないかと思います。
 まず、基地所在市町村では、農業あるいは商工業などの産業用地の確保も困難です。反面、基地周辺対策費あるいは基地交付金、基地所在市町村だけの特別地方交付税あるいは助成交付金などの補助金、地主への軍用地料など、基地関連収入が構造的に高いウエートを占めるのは当然です。さらに、SACO関連の四千億円、あるいは基地所在市町村への島田懇、これは通称ですけれども、島田懇談会事業、これは総額一千億円ですか、あるいは普天間移設先の山原を対象とした北部振興策、これは年間百億で、十年で一千億。そういうものなど、米軍基地と密接に絡む振興策ばかりが目立っています。
 基地所在市町村は、日常的に、演習による山林火災あるいは米軍機の墜落事故、爆音被害、環境汚染、暴行事件などに苦しめられながら、基地撤去を叫べば地域経済あるいは財政そのものが破綻しかねないというジレンマを抱え込んでいるという状況です。このゆがんだ構造の改善なくして沖縄の振興はあり得ないと私は思うんです。
 政府はどのような手順でこのゆがみを解消していくお考えなのか。特に復帰三十周年を迎えて、先ほど大臣の決意のほども聞かせていただきました。その三十周年を迎えるに当たり、改めて沖縄振興のビジョンをお聞きしたい。私の申し上げたことをそのまま、基地被害ではないかというのを踏まえてお答えいただきたいと思います。
尾身国務大臣 〇・五%の国土に日本全体の在日米軍の七五%が存在しているという事実は、日本の安全保障、アジアの平和と安定に大きく貢献をしているということがあるにしても、同時に、沖縄の皆様に大きな負担をかけているということでございます。そして、私どもは、それに対して、沖縄基地の整理、縮小、統合をアメリカ側とも相談をしながら、SACO最終合意に基づいて一歩一歩着実に進めているというのが実情でございます。
 他方、沖縄の振興につきましては、今まで、先ほど来のお話のとおりのいろいろなインフラ整備等を進めてまいりましたが、これから、この三十周年を契機として一つの新しい形で、今の沖縄の水準から一つ脱皮してジャンプするような形での考え方を持ち、そして今の沖縄の地理的条件あるいは歴史的背景をマイナスからプラスに転向するような形で新しい沖縄づくりをしていきたい。それは、一つはアジア地域に非常に近いという利点がある。そういうことも含めまして新しい沖縄を、県民の皆様の御意見もよく伺いながらつくり上げていきたい。そのために全力を尽くしていきたいと考えております。
東門委員 基地がこれだけある。七五%とおっしゃいます。そして、SACOの最終合意が実現された場合、七〇%程度になると言われております。それでも大き過ぎるということは、もう御理解していただけると思うんですが、そういう現状は、やはりこのままでは沖縄で雇用の場の改善というのはとても難しいのではないか。特に、若年層の失業がすごく叫ばれております。
 私、ここで大臣にお願いがありますが、基地周辺の若者たちの失業率と、基地を離れたところのそういうものの、まあ既にあるかもしれません、あったらぜひ資料が欲しいし、なければぜひ調査を入れていただきたい。基地があるがために若者たちが本当に勤労意欲をなくしているというのが沖縄で実感されます。そういうことを御存じかどうか。
 基地があるところとないところ、若者たちの意欲についてもやはり差があると言われております。私は数字は持っておりませんので、もし内閣府にありましたら、それをいただきたいし、もしなければ、ぜひ調査を入れていただきたい。基地が本当にそこに住んでいる人たちにどのような影響を及ぼしているかということを、一歩踏み込んで調べていただきたいと私は思います。
 私は、その上で振興策等もしっかりと検討していただいて、そうすることでなければ、この五十何年もの間、沖縄県がこれだけの大きな基地と共存をさせられてきた、それは私たちは決して納得いきませんし、すべてが基地と絡んでくるような振興策であれば、本当に考えていかなければいけないのではないかと思うことを申し上げて、終わりますけれども、ぜひ、私の要望をお聞き届けいただけたらと思います。
 その件について一言だけお願いできますか。
尾身国務大臣 沖縄におきます若者の失業率が一〇%を超えているわけでございまして、しかし、逆に言いますと、それだけ若いエネルギーが沖縄に存在をしているということでもございます。そういうエネルギーをもっと活用するような、基本的な沖縄経済の体質改善といいますか、私は、一つ科学技術ということを切り口にして実現をしてまいりたいと思っておりますが、やはり沖縄に生まれてよかったということを皆さんが言えるような状態を一日も早くつくり上げたいと考えております。
東門委員 終わります。ありがとうございました。
萩野委員長 早朝より長時間、ありがとうございました。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後二時二分散会


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