衆議院

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第3号 平成25年12月4日(水曜日)

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平成二十五年十二月四日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 安住  淳君

   理事 今津  寛君 理事 関  芳弘君

   理事 西銘恒三郎君 理事 宮腰 光寛君

   理事 宮路 和明君 理事 菊田真紀子君

   理事 阪口 直人君 理事 佐藤 英道君

      秋元  司君    伊東 良孝君

      國場幸之助君    武部  新君

      永山 文雄君    橋本  岳君

      藤丸  敏君    堀井  学君

      宮崎 政久君    渡辺 孝一君

      前原 誠司君    石関 貴史君

      西岡  新君    遠山 清彦君

      杉本かずみ君    赤嶺 政賢君

    …………………………………

   参考人

   (根室市長)       長谷川俊輔君

   参考人

   (北海道大学名誉教授)  木村  汎君

   参考人

   (公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟副理事長)  萬屋  努君

   衆議院調査局第一特別調査室長           本多  満君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月四日

 辞任         補欠選任

  比嘉奈津美君     藤丸  敏君

同日

 辞任         補欠選任

  藤丸  敏君     比嘉奈津美君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 北方問題に関する件


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     ――――◇―――――

安住委員長 これより会議を開きます。

 北方問題に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、根室市長長谷川俊輔君、北海道大学名誉教授木村汎君及び公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟副理事長萬屋努君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、委員長から、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。

 長谷川市長さん、また、地元の対応ということで、参考人として貴重な意見をいただきたいと思いますし、木村先生は大変、対ロ関係については、我が国の第一人者として、長く第一線で御活躍をいただきました。そうした点から、貴重な意見をいただきたいと思います。また、萬屋さんは、長年にわたりまして、北方四島の旧島民としてさまざまな運動をなさってまいりましたので、そうした観点から、現状の問題についてお話をいただきたいと思います。

 参考人各位のそれぞれの立場からの忌憚のない意見をいただいて、北方問題解決に向けた当委員会のさまざまな議論に資するようにしていきたいと思いますので、本日はよろしくお願いをいたします。ありがとうございます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、長谷川参考人、木村参考人、萬屋参考人の順に、お一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず長谷川参考人にお願いいたします。

長谷川参考人 ただいま御紹介をいただきました根室市長の長谷川でございます。

 本日は、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会の御高配によりまして、意見陳述の機会をいただきましたことに、心からお礼を申し上げます。

 また、日ごろより、北方領土返還要求運動原点の地である根室市に絶大なる御支援、御協力を賜っておりますことに対し、そしてまた、去る九月二十四日には、臨時国会開会中の御多忙な中にもかかわらず、北方領土問題に関する実情調査といたしまして、十名の委員の皆様に根室市へお越しをいただき、現地視察、さらには関係者との懇談等、精力的に御活動をいただきましたことに対しまして、改めて感謝とお礼を申し上げます。

 時間の関係もございますので、早速、北方領土問題に関する現地の実情等につきまして、私から意見を述べさせていただきます。

 根室市を初めとした根室管内一市四町、いわゆる北方領土隣接地域でありますが、戦前から、漁業、水産業を中心として、北方領土と一体となった社会経済圏、生活圏を形成し、お互いに支え合う親子の関係として緊密なつながりを持って発展を続けており、特に根室市は、北方領土との物流及び人的交流の拠点として、まさに北方四島の母都市としてその役割を担っておりましたが、昭和二十年八月の終戦直後、北方領土が旧ソ連によって一方的に占領され、このつながりは強制的に断絶されました。

 北方四島で生活をしていた日本人島民は全員、ふるさとである島を追われ、以来、隣接地域は、北方領土とのつながりが絶たれることにより、領土はもとより、生活の基盤とも言える海、海域までもが奪われたところであります。

 特に、根室市におきましては、北方四島の不法占拠によりまして、それまでの産業、経済の八割を失うという状況となりまして、それが戦後六十八年、現在も続いており、また、歯舞群島という根室市の行政区域の一部が今もなお奪われ続けており、根室市の一部でありながら、行政権が一切及ばないことはもとより、自由に往来することさえ許されない行政区域が存在するという状況が続いております。

 御承知のとおり、隣接地域と北方領土との間には国境は存在しておりませんが、北方領土がロシアに実効支配されているという現実から、中間ラインと呼ばれる厚い壁が横たわっている国際紛争地域であります。

 戦後六十八年が過ぎた現在も、この目に見えない厚い壁によって、隣接地域の漁業水域は大幅に狭められており、狭隘な漁場における水産資源は枯渇し、さらに、拿捕、銃撃事件がいつ発生してもおかしくない緊張した状況に置かれていること等から、基幹産業である漁業、水産業は衰退の一途をたどり、それに起因する関係産業の縮減、さらには人口減少といった急激な悪循環が今もなお続いているところであります。

 一方、元島民の状況でありますが、終戦当時、北方領土で生活をしておりました一万七千二百九十一人の島民は、旧ソ連軍による不法占拠によって、全員が、先祖の墓や一切の財産を残したまま、ふるさとの島から強制的に追い出されました。

 その多くの島民は、一日も早く島に戻れることを信じて、北方領土を指呼に望む根室管内に居住し、生活を続けてきたところでありますが、その願いがかなわないまま今日に至っており、この間、既に六割を超える一万人以上の方々が亡くなっており、残された七千人の方々の平均年齢も八十歳を迎えようとしております。

 元島民は、北方四島交流事業や北方墓参、自由訪問という特別な枠組みによって、これまでも多くの方がふるさとを訪問しておりますが、昔生活していた面影は全く残っていないという現実を目の当たりにし、その反面、自分の生まれ育ったふるさとであるはずの島が急速にロシア化が進んでいる現実を見たとき、その胸中を察するには余りにも残酷であると感じざるを得ないところであります。

 さらに、元島民の高齢化が著しい状況の中にあって、体力的かつ精神的に、北方四島交流事業等への参加が困難になっている方が急激にふえているという現実もあります。

 私どもはこれまで、元島民を中心としてさまざまな世論啓発を積極的に推進してきたところでありますが、元島民の置かれている現状を見たとき、北方領土問題の解決に残された時間は余りにも少なく、まさに待ったなしの状況であり、ふるさとの返還を心から喜べる人が一人でも多くいるうちにこの問題を解決させることが何よりも重要であると考えております。

 このような状況の中、本年四月に、日本の総理大臣としては実に十年ぶりとなる安倍総理大臣の公式訪ロが実現し、プーチン大統領との日ロ首脳会談が行われたことは、私どもといたしましても、久々の喜びと期待を抱いたところであります。

 さらに、この会談におきまして、平和条約交渉を再スタート及び加速化させ、両首脳の議論に付することで合意し、その後、これまでに四度もの首脳会談が行われ、また、外相会談や次官級協議、さらには2プラス2など、さまざまなレベルでの政治対話が継続的かつ活発に行われていること、そしてまた、日ロ両国において安定かつ長期的な政権が維持されつつある今が、北方領土問題解決に向けた千載一遇のチャンスであると捉えており、今後の外交交渉のさらなる進展に大きな期待をいたしているところであります。

 今後とも、北方領土問題の解決に向け、あらゆるレベルでの政治対話を加速していただき、一日も早い平和条約の締結に向け、委員皆様のお力添えを賜りますよう、改めてお願いを申し上げます。

 また、本年の日ロ首脳会談以降、本委員会の皆様を初め、自民党の石破幹事長、公明党の山口代表、さらには後藤田内閣府副大臣、自民党の領土に関する特命委員会など、多くの要人の皆様が北方領土に関する視察として根室市を訪問され、元島民を初めとする我々関係者の切なる声を聞いていただいております。このことは、北方領土問題の現場を抱えている私ども隣接地域に対する国の熱い思いを強く感じるものであり、そしてまた、私どもに勇気と希望を与えていただくものであります。

 北方領土問題は日ロ間の外交問題であり、その解決は、日ロ両国の政治対話によって解決されるものではありますが、その一方で、北方領土問題の長期化によって望ましい地域社会の発展が阻害され続けている隣接地域のさまざまな課題の解決、そしてまた、元島民に対する援護措置につきましては、積極的な内政措置によって軽減されるべきであります。

 国におかれましては、北方領土問題によって隣接地域がこうむっている地域疲弊の現状、さらに、元島民の置かれている現状についてさらなる御理解をいただき、北方特別措置法、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律の趣旨に基づいた施策の展開につきましても、格別なる御理解と御支援を賜りますようお願いを申し上げるところであります。

 さらに、日ロ平和条約の締結に向けた政治対話が活発化を見せている現状において、今後は、北方領土返還後の隣接地域の役割、また返還後の北方四島の開発など、北方領土問題の解決を見据えたさまざまな施策に着手していく必要があると考えております。

 特に、返還を見据えた隣接地域の道路や港湾などのさまざまなインフラ整備につきましては、北方領土が返還されてからでは大きくおくれをとることになりますので、ぜひとも、国の責任において、今から加速的に促進をしていただきたいと考えておりますことから、委員皆様におかれましても、格別なる御理解と御協力を賜りますようお願いを申し上げます。

 根室市は北方四島と一体の町であり、戦前は根室市と北方四島の間には八つの航路が開かれ、物流や人的交流の拠点として発展してきた町であります。元島民を初めとする私たち根室市民は、北方領土問題の解決なくして戦後はなく、経済的にも社会的にも、北方領土が返還されて初めて正常になる、まさに北方領土の今後によって将来が大きく左右されるという宿命を背負っております。

 私たちは、北方領土問題の早期解決を願いながら、政府の外交交渉を後押しする立場で、北方領土返還要求運動原点の地の住民として、今後も、全国の先頭に立って返還要求運動に邁進してまいる所存でありますので、委員皆様におかれましては、北方領土問題の解決はもとより、北方領土隣接地域の振興、発展、さらには、北方領土の返還を見据えた施策の推進につきましても絶大なる御支援を賜りますようお願いを申し上げますとともに、政府におかれましては、これまで以上に具体的かつ積極的な政治対話を推進していただきますよう強く要望いたしまして、参考人としての私の意見陳述を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

安住委員長 ありがとうございました。

 次に、木村参考人にお願いいたします。

木村参考人 私の考えでは、ロシアが日本に対して北方領土の返還に踏み切るか否か、これを決定する要因が大きく言って三つあると思います。まず第一は、国際情勢が今後どのように変化するか。第二は、ロシア国内の情勢がどのように変化するか、特にプーチン大統領の権力基盤がどのぐらい強いかどうか。第三番目は、日本がそのような環境の中でチャンスをつかまえて十分生かせるかどうか。この三つであります。これについて十分間お話しいたします。

 まず、国際情勢でございますが、国際情勢の中で、ロシアを取り巻くものの中で、二つだけ、最近、日本にとって有利に動きつつあるものがございます。

 一つは、米国、カナダなどでのシェールガスの開発の発展でありまして、その玉突き効果の直撃を受けて、一番困るのはロシアでございます。ロシアは資源を売ってこれまで外貨を稼いできた国でございまして、輸出の六割が資源関係、四割、国庫収入を占めております。

 ところが、このシェールガス革命が進展いたしますと、アメリカは資源を中東から必要としなくなり、中東は玉突き効果で、今度はヨーロッパに売ろうとしても、ヨーロッパが買わなくなる。としますと、結局のところ、ロシアはますますアジア地域に資源の販路を求めなければならない。

 ところが、中国は非常にしたたかな国でございまして、価格を常にロシアに対してバーゲン、最低に抑えようとしている、ロシアにとっては苦手な資源輸入国であります。その点、日本は国際価格ですんなりと合意するという点で、これからロシアは日本に対して熱いまなざしを投げかけてくることはほぼ間違いなく、日本は有利に立つ、これが第一の条件であります。

 第二に、言うまでもなく、中国の台頭が今後ますます進むんじゃないか。それによって世界は大きな影響を受けますが、中でも、隣国ソ連は、中国の台頭によって最も大きな影響を受けます。というのも、中国はロシアと世界で三番目に長い、地上での四千三百キロメートルの国境を共通にしているからで、賄賂を使えば、中国人はいとも簡単にロシア国境を越えてロシアに入り込むことができる。

 特に重要なのは、ロシア極東地域であります。ロシアの三分の一を占めるという極東地域には、六百万というごくわずかな人間しか住んでおりません。それに対する中国側は一億一千万の人間が住んでおって、十三倍の人口圧力をもって、国境を越えていろいろなものを運んでくる。そういうわけで、ロシアは事実上、現在もう中国の原料供給地あるいは植民地になっているという意見もあるぐらいでございます。

 これをどうして防ぐか。ロシアはこの地域の経済開発を活発化することによってしか中国に対抗できませんが、ロシアは自力でそれを行う力はございません。したがって、論理的に、日本、韓国から科学技術、金、人、物を導入する以外、方法はありません。仏教の言葉をおかりすれば、他力本願でしか方法はない。もう自力本願は尽きているというわけでございます。

 そうすると、今、韓国は中国に随分踏み込んでおりますから、日本に対して再びロシアは、極東の開発のために熱いまなざしを今後も向けてくることは間違いございません。

 この二つは、日本にとって非常に有利な今後の国際情勢の展開でございますが、ただ、残念なことには、今ではないんですね。これから四、五年後にますます顕著になる状況でございます。つまり、シェールガスが日本に入ってくるのは二〇一七年とされていますから、今すぐロシアに対して有利な状況が醸成されているわけではないということを強調したいと思います。

 二番目に、大急ぎでロシアの国内情勢に移りますと、一言で申しまして、これからのロシアは沈み行く大国であります。ほとんどいい条件がない。いろいろな問題が山積している。例えば、一例を挙げますが、経済は国の基本でありますが、ロシアの経済は、オイルブームの間は七%から八%のGDPの成長を示しましたが、その後は三%台を目指してそれを果たせず、今後は一から二%ぐらいに落ち込むと見るのが世界の経済学者の常識でございます。

 どうしてそんなことになったんでしょうか。それは、資源に頼り過ぎて経済改革を怠ったからですね。資源が非常に豊かなものでございますから、こういった国々はオランダ病というものにかかる。オランダ病というのは、資源、油田が発見されたときに、それに浮かれて労働を怠ったことで起こった一般的な言葉でございますが、ロシアもオランダ病にかかって、資源の呪いにかかっている。資源がある間は我々は働かなくてもいいわという雰囲気ができてきたわけです。したがって、その間に、資源依存から脱却して、製造加工業、日本が得意な製造加工業を向上させるという産業構造の多角化ということを怠ってしまったわけです。

 それで、今やろうとしているのは、自力ではできない。国民はそれに甘え切っておりますから、上から下までオランダ病にかかっておりますから。したがって、やるのは、先進資本主義から、まさに他力本願で、すぐれた科学技術、イノベーションを導入して、インフラの整備その他に努めるという方法でございます。これは、ロシアで、ピョートル大帝以来とってきた、外国に技術を求めるというやり方でございます。

 ただ、これは時間がかかるわけですね。これを物にするまでには時間がかかる。しかも、各国は、ロシアにただでは進出いたしません。ロシアには、次の二つのために、海外からの協力を阻む事由がある。

 まず、投資環境が実に劣悪なんですね。

 ロシア経済は今、プーチンのもとにプーチノミクスということを実現しておりますが、それは国家資本主義でございまして、重要な産業は国家が押さえて、それ以外の産業は許可、認可制にして民間に渋々譲るという、純粋の資本主義市場経済でない国家資本主義でございます。

 そうすると、許認可権が大変なので、民間で出ていく場合は、外国であれロシア人であれ、何十という許可、認可権を得なければならない。その許可、認可権を採用するのは官僚でございますから、官僚に賄賂を払わなきゃならない。これで頭が痛い。それで、西側の企業どころか、ロシア側の企業も海外に逃げ出していっている。これが、資本逃避という今ロシアを悩ませている問題です。ロシアでもうかった、ロシア人がもうかったお金を世界へ分散している。スイスの銀行その他のタックスヘイブンに納めているわけです。

 戻りますと、ロシアの汚職は、世界の客観的な研究者の中では、世界の百八十三カ国を調査した結果、上から、いい順番から数えて百四十三位でございます。汚職はそれでございまして、資本逃避は、百八十三カ国中、上から数えて百二十三位ということで、これは、プーチン大統領も演説の中で認めていることであります。

 次に、資本、金が出ていくばかりじゃありません、人、人間が出ていきます。

 今、ロシアから人間が出ていく数は、二〇一一年の半年で三十万人と言われておりまして、ボルシェビキ革命、ロシア革命が起こって以来、第二の海外移住ブームということで、私どもがロシアに行くたびに、私どもの同僚のモスクワ大学の教授から、日本へ移住させてくれないかというお話を受けます。

 というのは、優秀な人間ほど、ロシアの息詰まるあの雰囲気の中では生活できないということで、ここで大変な皮肉な現象が起こっている。ロシアは、今後、若い優秀な、いわゆるブライト・アンド・ブライテスト、すぐれた人間を必要とするんですが、そういう人に限って、ロシアはその才能を生かすことができない。

 したがって、最近ロシアではノーベル賞をとった人はいないんです。ほとんどがアメリカ人、それか、イギリスとかヨーロッパの人でございます。プラス日本人でございます。ロシアのノーベル賞をもらった人を挙げてくださいと言われると困るわけです。たまたま、二、三年前に、物理学でノーベル賞をとった人はいましたけれども、その二人ともが、ロシアから、ルクセンブルクだったかベルギーだったかとイギリスに亡命した人で、その人たちは、メドベージェフ当時の大統領が帰国を要請して、大変な報酬を出すと言ったけれども、このような状況のもとでは帰国できないということを言ったわけです。

 これは経済の問題で、時間も来ましたので大急ぎで次を述べますと、今度、社会でも少子化という問題がある。

 これは先進国に共通の問題でございますが、ロシアの特殊性は、平均寿命が先進国の中で最も低いということであります。日本の男性が仮に七十九歳から八十歳で死ぬとしますと、ロシアの男性は五十九歳から六十三歳までの間で死ぬわけです。二十年、日本に生まれた方が得だということになります。なぜかというと、共産主義が崩壊したことに対する絶望感が男性には強い。それが麻薬やアルコールへ走ってしまうということもあると思います。それから、医療施設が不整備であるということもあります。

 それにかわりまして、イスラム人口が急激に増加している。イスラムの方は多産系でございますし、一夫多妻制ですらある。したがって、ロシアは、しばらくたつとロシアでなくなるわけです。スラブの国でなくなってイスラムの国になる、それを非常にプーチンは恐れております。

 それに加えて、チェチェン共和国や北コーカサスやイスラム民族が不満を高じまして、ロシアに対してテロ行為などを行っておりまして、このたび、来年二月七日から始まるソチ五輪も果たして無事に終了するか、疑問視されているくらいでございます。

 最後に、プーチン・ファクターについて述べざるを得ない。

 ロシアは、何といっても、プーチンという上御一人が全ての政策を決める国でございまして、彼が強ければ、柔道を好む親日家でもあるといううわさもあるくらいですから、何か日本に思い切った妥協をとるのではないかという期待が日本人の中には生まれつつありますが、間違いです。

 まず彼は、日本びいきではあるが、ロシア人であります。しかも、彼が今置かれている状況は非常に厳しい。かつての人気投票では七五%から八〇%をコンスタントにとっていたプーチン大統領の人気は今下降ぎみでありまして、いろいろな調査がありますが、六三、四%。それも、ほかに競争相手がいないので、それを占めています。

 しかも、最近では、考えられないことですけれども、モスクワを中心として、一昨年の十二月から、プーチンよ去れ、プーチンなきロシアと叫ぶ中産インテリ階級が生まれつつあります。そこでプーチンが大統領当選後にとっている政策は、力ずくでこの人々を抑えつけるやり方で、それがまた逆効果になっております。

 それを抑えつけるために彼が使っている方法は、愛国心の高揚。彼ら反対派は外国の資金を受け唆されているエージェントである、そういう組み立てでございます。ということは、愛国心、ナショナリズムに訴えている以上、日本にたとえ小さな四島であれ譲るということは、彼の主張していることと矛盾するわけですから、彼は非常に強い立場になって、以前よりは領土問題について妥協しにくくなる立場に立っているわけでございます。

 そこで彼が、前半でお話ししたように、日本にはすり寄らなければならない、しかし国内的な自分の基盤が弱いために妥協はできない、この苦境、ジレンマを克服するためにとっているのは、見せかけ戦術であります。

 見せかけというのは、口頭では、日本に対して、自分は柔道が好きな人間で、引き分けに持っていきたいというようなお世辞を振りまく。そして、かつ、環境を整備してくれさえすればこの難しい領土問題も解決するかもしれないので、まず日本の方から、ロシア、特に極東に対して、科学技術の援助、医療、農業その他、何でもいいから援助をしていただくと、その援助がロシア国民にいい印象を与えて、立派な環境整備になって、それがロシア人の心を解かすかもしれないし解かさないかもしれないというような環境整備論で日本にすり寄ってこようとしているわけであります。

 それでは、最後に一言。三番目の私の要素としては、日本国民こそが、この返還を可能にする第三の、ある意味では最も重要な要素であるということでございます。

 残念ながら、日本人とロシア人は性格が全く違うんです。ロシア人は、気の長い、のんびりとした、鈍感な人間でございます。最後に力を発揮する。ところが、日本人は、正反対で、気が短く、私の言葉で言うと、行水さっぱり国民で、常にトラブルや問題を抱えていることに耐えられない、それを一日も早く解決してさっぱりしたいという国民。この二つの国民が領土交渉を行っているわけで、これは、どちらかというとロシアの粘り勝ちになる結果を私は恐れているわけであります。

 冒頭から述べておりますように、このまま推移すれば、国際情勢もロシア情勢も日本に有利になっていくわけでございます。しかしながら、きょう、あすではないわけであって、これは、今から二、三年後から顕著になる現象であります。つまり、プーチンが次に大統領に四選される二〇一八年の前後あたりに、くしくも日本に急速に有利になってくることでございます。シェールガスも一七年から日本に入ってくるし、中国の脅威といいましても、ロシアは、今はまあまあ用心しておりますけれども、それほど緊迫性を持って感じていないわけであります。

 そこで、私は、流行語を使うようですけれども、日本が動くのは今ではないでしょうと言いたいんですね。もう少し待つことが大事なので、これは、後ろに座っていらっしゃる参考人の方々にとってちょっと私はつらい発言をするかもしれませんけれども、あえて申し上げなければなりません、専門家として。

 富士の山がもう見えているわけです。しかし、これを焦りますと、九仞の功を欠くことになる。三浦雄一郎さんがエベレスト山頂の近くにまで来て、我々、テレビで拝見する限り、もうやきもきするぐらい、彼はそこで慎重な準備を整えて、そして最後に栄光に輝いたわけであります。

 かつて、日本は、二つのチャンスがあったはずです。それは、米中接近という国際情勢の地殻変動、それからソ連邦自身の崩壊という二つのチャンスがありましたが、それを日本は生かすことができなかった。その一つの理由は、日本の担当者が、よっしゃと言ってすぐ動き出す方だったこともあると思います。

 今度こそはそのようなことにならないように、日本人は、我慢に我慢を重ねて戦略を練る、そして一気にチャンスを物にしなければならない。ひょっとすると最後のチャンスかもわかりません。そのような正念場が近く、今ではない、近く来ることを我々は予測して、拙速主義に走ったり、下手な妥協をしてしまうならば、四島は実現しないで二島に終わるでしょう。

 そして、もっと悪いのは、中国や韓国のファクターが今出てきていることです。日本が下手な妥協をロシアにしますと、中国や韓国は間違ったシグナル、メッセージを受け取ります、日本はロシアに対して妥協するんだ、それならば、我々も竹島や尖閣列島でもっと強く押せば、あの国は妥協してくるんだと。こういう新しい国際情勢も生まれてきているわけです。

 そういうわけで、返還を可能にするのは何か。私はよく学生や地方の人々に、講演に行ったときに聞かれます、先生、それでは先生はどうしたら返還可能と思いますかと。それは、日本国民にかかっている……

安住委員長 参考人、倍時間が過ぎておりますので、ちょっと手短にお願いします。

木村参考人 はい。(拍手)

安住委員長 ありがとうございました。

 次に、萬屋参考人にお願いいたします。

萬屋参考人 ただいま御紹介をいただきました公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟副理事長の萬屋と申します。歯舞群島の一つであります多楽島の出身でございます。

 本日、安住委員長初め委員の皆様方の御高配によりまして、北方領土元居住者を代表いたしまして意見陳述の場を与えていただきましたことに、厚く御礼を申し上げさせていただきます。

 また、日ごろより、私たち元島民及びその後継者に対しまして御支援、御理解を賜っておりますことに、改めて心から感謝を申し上げる次第でもございます。

 意見を申し上げる前に、安住委員長には、平成十八年、北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律の改正におきまして、融資資格者の拡大及び元居住者に対する死後承継の導入の実現の際に、当時、委員長として特段の御尽力を賜りましたことに、この場をおかりいたしまして、改めて厚く感謝を申し上げる次第でございます。

 また、私自身、本年、北方四島、国後、色丹、択捉、北方四島交流、いわゆるビザなし交流において、大変御多忙の中、北方四島を御訪問いただきました各委員の皆様方に大変御指導、御協力を賜りましたことに、改めて厚くお礼も申し上げさせていただきたいと思います。

 最初に、千島連盟の設立の経緯、事業などについて申し上げ、その後、意見、要望を述べさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

 六十八年前の昭和二十年八月でありますが、第二次世界大戦が終結し、ポツダム宣言を受諾した後にもかかわらず、当時のソ連軍は、無抵抗の住民に銃を突きつけ、八月二十八日からの択捉への侵攻を皮切りに、九月五日までに国後島、色丹島、そして歯舞群島を不法に占拠いたしました。

 北海道本土から的確な情報がなく、元島民は混乱に陥った次第であります。

 私は、歯舞群島でも最も北海道本土から離れた多楽の生まれでありますが、私の両親も含め、約半数の元島民は、ソ連軍の監視の目をくぐりながら、親族や近隣の人たちと助け合いながら、闇に乗じて、危険を顧みず小さな船で脱出を試みたのであります。

 北方領土周辺は、世界有数の漁場でありますが、夏には濃霧に包まれ、お盆を過ぎれば荒々しい海と豹変いたします。正確な記録はありませんが、脱出を図り、本土を目の前に海に投げ出された人たちの目撃証言も多数あります。

 一方で、残りの半数の元島民は、自力で脱出できず、ソ連の支配下に置かれ、財産や食料を取り上げられ、心身ともに苦痛の中に身を委ねざるを得なかったのであります。これらの元島民は、昭和二十二年から樺太の真岡を経由し函館への引き揚げが開始され、昭和二十三年十月を最後に全員強制送還されたものであります。

 樺太真岡の収容所は帰還を待ち続ける人たちであふれ、寒さの中でテント生活を強いられたり、食料も黒パンと塩生ニシンの配給のみといった状況もあり、こうした劣悪な環境の中で、祖国の土を踏むことなく失われた命も多数あったわけであります。

 北方四島から自力で脱出した者も、また強制送還された者も、それまで築き上げてきた生活の基盤や財産の一切を島々に残し、裸同然で島を追い出され、国じゅうが戦後の混乱が続く中、親族や縁故などを頼りに、定住の地と職を求めながら、艱難の道をたどった次第であります。

 元島民の多くは、島で漁業関係を営んだこともあり、また、すぐにでも島に戻れることを信じ、根室周辺に職と生活の場を求めたものであります。

 こうした状況の中で、根室の地で返還要求運動が始まり、元島民たちも、出身地の島や集落ごとに島の会などを組織し、お互いを励まし、再び島に戻ることを誓い合うようになったわけであります。

 昭和二十五年から、サンフランシスコ平和条約の締結の機運が高まったことを背景に、根室市や札幌市を中心に北方領土返還要求を求める声が強まり、次々と元島民団体が結成され、その後、大同団結が図られ、昭和三十三年に、全国唯一の元島民団体として、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟が設立されたものであります。

 また、当連盟は、公益法人制度の改革に伴い、北方領土の早期返還、北方地域の元居住者等に対する援護の充実を図り、北方領土問題及びこれに関連する諸問題の解決の促進に寄与することを目的に、本年四月、内閣総理大臣の認定を受け、新たな公益法人となったところでもあります。

 当連盟の主な事業でありますが、北方領土返還要求運動の推進、元島民の援護対策の推進、後継者育成対策の推進、さらに、日ロ政府間の合意によって平成十一年度から始まった、元島民とその家族がふるさとを訪問する、いわゆる自由訪問事業の実施主体ともなっております。

 北方領土返還要求運動の中核となっております署名運動は、昭和四十年に、国民世論の喚起とふるさとの祖国復帰を悲願する当連盟の元島民が札幌において署名活動を行ったのが最初であります。この草の根運動は、全国各地の婦人や青年などの団体、自治体などの協力、共感を得ながら全国規模の運動に広がり、今日に至っているものであります。

 この署名数は、平成二十五年三月、八千五百万人に達し、この北方領土の早期返還を要求する国民の意思が一日も早く達成されるよう、国会法第七十九条の規定に基づき、去る十一月二十日、百六十万人の署名を携えて衆参両院に請願を行わせていただいた次第であります。

 その際、安住委員長を初め本委員会の委員の皆様には、強い決意と温かい励ましのお言葉を賜り、改めて感謝を申し上げる次第でございます。

 次に、私たち元島民の強い思いを含め、意見、要望を申し上げさせていただきます。

 第一は、北方領土の早期一括返還についてであります。

 当連盟は、多くの先人たちがたゆまぬ努力と不屈の開拓精神で築き上げた我が国の固有の領土、また、ふるさとである北方領土の祖国復帰を一心に願い、政府の外交交渉を信じながら、北方領土の早期一括返還を掲げ、返還運動の先頭に立ってまいりました。

 私たちは、この六十八年間、日ロ間の外交交渉があるたびに、大きな期待を抱き、そして失望を味わうことを繰り返してまいりました。

 平成二十二年十一月、当時のメドベージェフ大統領は、突然、国後島を訪問いたしました。私たちの憤りは言うまでもありませんでした。

 本年四月、安倍総理が我が国の首脳として十年ぶりにロシアを公式訪問され、共同声明において、日ロ平和条約が締結されていないことは異常であるとの認識で一致し、平和条約問題の双方受け入れ可能な解決策を作成する交渉を加速させるとの指示を双方の外務省に出し、平和条約交渉が再スタートしたと受けとめております。

 このときを含め、本年、半年で四回の首脳会談が行われ、二度の外相会談、八月に開催された次官級協議など、日ロ間における動きが活発化していることに大いに期待し、歓迎をしているところであります。

 当連盟は、これまでも、北方四島の帰属に関する問題を解決して平和条約を早期に締結するとの政府の方針を支持してまいりました。

 私たちは、平和条約交渉が北方領土交渉を前提に行われるものと承知しておりますが、安倍総理もおっしゃっていますように、領土問題の解決には魔法のつえはなく、解決への具体的な道筋はまだ見えていない状況であることはまことに残念であり、私たちとしても、今後の交渉の動向を注意深く見守っていかねばならないと思っております。

 当連盟は、北方四島から強制的に追い出された元島民の組織であり、北方四島、すなわち、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島を一括して返してほしい、一人でも元島民が元気なうちに北方四島が返ってきてほしいと願うのは当然のことであります。

 領土交渉において、少なくても交渉のスタートは四島であるべきだと考えております。

 再び自由にふるさとへ帰ることなく他界した父母や仲間の無念の思いを胸に、私たちの使命として、決して諦めずに返還要求運動に尽力してまいりたいと考えております。

 どうか、本委員会の皆様方には、元島民の置かれている現状とふるさとへの思いを御理解いただき、北方領土の早期一括返還のためにさらなる国民や国際世論の啓発、喚起に御尽力賜りますとともに、より一層強力な外交交渉が展開されるようお力添えを強くお願い申し上げるところであります。

 次に、元島民の財産権の不行使に対する補償についてであります。

 戦後六十八年を経た現在、苦難の日々を余儀なくされた元島民約一万七千名も、既に一万名以上が他界し、生存している者の平均年齢は七十九歳を超えております。元島民は、父祖が築き上げてきた生活の基盤、財産の一切を失い、島に残してきた残置財産はもとより、この六十八年間、これらの財産の権利を行使できないまま現在に至っており、その損失ははかり知れないものがあります。

 当連盟の小泉理事長は、今年九十歳になりましたが、理事長になってこの二十一年間、北方領土問題の解決のために全国、全道を奔走し、特にこの財産権の不行使に対する損失補償を最重点課題の一つとして、政府、国会に全力を尽くして要望してまいった次第であります。

 当委員会におかれましては、小泉理事長の願い、そして、私たちには残された時間が少ないという現状、さらには、北特法で示されている元島民が置かれている特殊な事情、特別な地位を御理解いただき、私たちの要望に沿った直接的な補償措置を議員立法において早期に実現されるよう特段の御理解、御支援を賜りたく、お願いを申し上げる次第であります。

 また、北海道が事業主体となっている北方四島墓参事業は、政府見解では私的行為とされておりますが、自由に訪問できない北方領土という特殊な地域への墓参でありますことから、国が実施主体となるようお願いを申し上げる次第であります。

 次に、後継者の育成強化対策についてであります。

 先ほども申し上げましたが、私たち元島民は平均年齢が七十九歳を超えており、気力、体力ともに限界が近づいており、長引く返還運動の主体はいや応なく後継者に託さざるを得ない状況になっており、返還運動において後継者の役割はますます高まっております。

 国会議員の先生方の御尽力をいただきながら、政府においては後継者の育成強化対策に支援措置を講じていただいていることに感謝申し上げる次第でありますが、北対協融資制度において、融資対象者が同居等の子または孫のうち一人に限るとされておりますことから、例えば長男が承継を受けたにいたしましても、他の兄弟姉妹は融資対象とならない現状にあります。このため、元島民の子または孫の全ての者に承継が認められるよう要件緩和を図るように、切にお願いを申し上げる次第であります。

 最後のお願いでありますが、北方領土問題は、元島民あるいは地域の問題ではなく、国家の主権と尊厳にかかわる最重要の課題であり、領土返還の願いは国民の悲願でもあります。

 北方領土を御視察いただいている国会議員の方々から、こんなに近いのかとの発言をいただくこともありますが、元島民、我々にとっては、余りにも近く、余りにも遠いふるさとであります。

 委員の皆さん初め一人でも多くの国会議員の先生方には、ぜひ、北方領土を御視察され、私たち元島民や行政並びに関係者の声に耳を傾ける機会をいただけるようお願い申し上げます。

 終わりに当たりまして、私たち元島民も高齢化が進み、残り時間も少ない中、これまで返還運動に御尽力いただいている全国の仲間、関係団体等と連携を図りながら、政府の外交交渉を後押しし、一日でも早く北方領土の返還が実現するよう力を尽くすことをお誓い申し上げますとともに、安住委員長を初め委員の皆様方のますますの御健勝、御活躍をお祈り申し上げ、私の陳述とさせていただきます。

 本日はまことにありがとうございました。(拍手)

安住委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

安住委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。宮路和明君。

宮路委員 自民党の宮路和明でございます。

 三人の参考人の皆さんには、熱い思いを本当に切々と語っていただきまして、まことにありがとうございました。

 まず最初に、長谷川市長さんにお聞きをしたいのでありますが、先ほどのお話の中で、返還後を見据えて、道路だとか港湾だとか、そういった隣接地域発展のためのインフラ整備などをやってもらいたい、こんなお話がございました。

 実は、私も七月に四島へ交流事業で行ってきたのでありますが、向こうのロシアの人が言うには、日本は返還を求めているけれども、北海道自身が過疎化が進んで大変沈滞しておる、日本政府は本当に、北海道はそうしておって、では北方四島は、返還後、発展をさせられるだけのそういう力があるのか、思いがあるのか、そんな質問がロシア人の方から私の方に投げかけられたわけでありまして、私もびっくりいたしたわけであります。

 それで、四島の方は今、クリル発展計画、プログラムでもって、これまでなかったことですが、最近、道路の舗装をやったり、あるいは学校だとか消防署だとか、我々も実際見せてもらったんですけれども、そういう公共施設なんかもどんどんと整備をしておる、新しいものをつくっているということで、発展に向けての勢いが感じられるわけでありますが、一方、根室を初めとする隣接地域はどうかというと、どうも以前よりもむしろ沈滞しているんじゃないか、そんな感じを私も率直に言って受けたわけであります。

 そこで、ロシアの皆さんにそんな思いをさせるようなことでは全くこっちは立ちおくれる、こういうことになるわけでありますから、これは根室を中心とした隣接地域の発展を、政府としても、また我々としても一生懸命進めていって、ロシア人からそういう気持ちを持たれるようなことがあっちゃいかぬ、こういうふうに私も考えたわけであります。

 例えば、高速道路も今、根室の方からはほとんど工事が行われていない。西の方からやってきて、今、釧路の方までどうにか近々たどり着く、根室はいつになるかわからないというような、そんな状況だと聞いたんですね。

 私は鹿児島なんでありますが、九州新幹線は、実は鹿児島を起点として工事を始めて、そして後で福岡へつないだわけであります。ですから、この高速道路体系についても、むしろ根室からスタートさせて、起点にして、そして東へ引っ張っていくというぐらいの、私はそういう気概といいますか、そういう計画でもってやらぬといかぬのじゃないかなということを思いました。

 また、港湾のお話についても、根室港でありますが、やはり、あそこで「えとぴりか」の発着をやったわけですけれども、整備がいまいちのものがあるなと。特に、「えとぴりか」の発着場において、あそこからバスに乗ってまた行ったり来たりしたわけでありますけれども、その発着場のところに、雨が降っても雨ざらし、日が照っても日ざらしといったようなことで、「えとぴりか」に乗ったりおりたりした場合の待合所とかあるいは休憩室といいますか、そういうものも何もなくて、本当にただの接岸する場所から「えとぴりか」が発着をしておるというようなことで、まことにわびしいなという感じすら抱いたわけであります。

 そういう意味で、いろいろあると思いますが、もっともっと我々も、根室を中心とした地域の開発、発展に向けての、国家としても、国としても投資をしっかりとやって、そして、この地域もこうして発展しているんだという姿を見せなきゃいかぬというふうに思っておるのでありますが、その点についてどんな印象、感じを持っておられるか、一点お聞かせいただきたいということ。

 それから、やはり、返還運動の一番最初の、その返還運動を起こされた、発端になったのは根室の皆さんだったわけでありますので、先ほど木村先生のお話を聞いておりましても、返還に向けて、国民の決意といいましょうか、あるいは姿勢というものをもっと強く打ち出していくということを私は常々感じているところでありますが、返還運動のいわば一番の端緒を切られた根室市長さんとされて、そのためにどういうことをひとつ考えていったらいいのか、その点を教えていただければ、こう思います。

長谷川参考人 宮路先生からお尋ねがありました点について、お答えをいたします。

 まず、返還を見据えたインフラ整備というのは、宮路先生も、根室においでいただいて、実際に根室港とかを視察していただいてもうよく御存じと思いますが、ビザなし交流は、二十年前からやっておりまして、平成四年からスタートした事業であります。北方四島に住むロシア人が最初に根室港に来たときに、皆さんびっくりいたしました。それは、日本では当たり前の光景なんですが、道路が全部舗装されているとか、あるいはバスが通っている、あるいは列車が通っている、車はすごく多い、根室は夢のような場所だというような印象を我々によく話していただきました。

 しかしながら、あれから二十二年たった昨年あたりの、いわゆる北方四島から来るロシア人の感想は、今、宮路先生がおっしゃったように、根室も二十二年前と比べれば随分寂れたと、何か見下げたような言い方をするんです。

 それはなぜかというと、先ほど来話がありますが、ロシアの千島開発のおかげでありまして、これは、新聞報道では、一千億を超える巨費を投じて開発が進められているということで、日本側がビザなしとか自由訪問で国後とかへ行きますと、間違いなく港も整備が進んでいるし、舗装もどんどん進んでいる、あるいは最近では空港の整備も進んでいるということで、やや、ロシア化が非常に進んでいるということで、危惧を感じて帰ってくるわけです。

 ロシア人から見ても、根室は二十数年前と何も変わらない、インフラ整備も進んでいないというふうに見られていたと思います。まして、最近のビザなし交流では、根室だけでなく、沖縄とか東京とか全国の都道府県に行きますので、根室よりさらに立派なところをたくさん見ていますので、なおさら原点の根室市がみすぼらしく感じるのではないかと私ども感じているところであります。

 したがいまして、六十八年たちますが、今、日ロ間の北方領土問題を何とか解決しようという、まあ、木村先生の話ではもう少し時間が要るんじゃないかという話もございましたが、間違いなく今までで一番いい雰囲気になってきていると思います。しかしながら、島が返ってきて、島を開発したり、あるいは、当然返ってきましたら日本人も移住するわけでありまして、島にもそれなりの町ができる、人的交流も戦前のように盛んになるだろうということで、おくれているインフラ整備を、あるいは島を開発するために港をぜひ整備してほしい。

 実は、重要港湾に根室港はなっているんです。平成五年に十カ年計画で整備計画をつくりました。ところが、あれから二十五年ぐらいたつんですが、その港の整備が半分しかまだ進んでいません。本来であれば、根室港も、ビザなし交流船のバースができたり、あるいは北方領土が返ってきた場合にフェリーバースが四つぐらい必要だというような計画があるんですが、整備がまだ未整備になっています。

 それはなぜかというと、港湾の整備に市の負担が約三割ございまして、例えば、その年十億港を整備したら、七億は国が出してくれるんですが、三億は市が負担しなきゃならない。その三億の負担ができないために先延ばしになっているということで、国はやる気は十分あるんですが、それに応える市町村に力がない。それは、戦後六十八年、経済も疲弊していて、人口も減って、税金も減るというのが最大の原因なんです。

 したがって、クリル諸島みたく、今返還が現実問題として近づいてきているときに、ぜひ国費主導でおくれている港の整備を早急に促進していただきたいというのが、まず一番、根室市民が今望んでいることであります。

 それと、もう一つは道路でありまして、これも開発資材とかを運搬するために、やはり今道路が一番重要であります。あるいは、島が返ってきた場合、水産物も、今根室市が揚げている水産物の四倍ぐらいにふえるというふうに想定していまして、道路をしっかりとしなければ物流もうまくいかないということです。

 実は、道路の場合は完全に国が一〇〇%でありまして、地元負担がなくてできるわけでありますので、これは、ぜひ、先ほど先生がおっしゃったように、釧路まではあと二年後ぐらいに高速道路が完成いたします。根室―釧路は百二十キロぐらいなんですが、高速化すれば九十キロぐらいに短縮されますけれども、先生がおっしゃったように、かつて有力な議員の方がやはり、根室からスタートをした方がいいという発言をしていただいて、十五年前から根室からもスタートしているんです。それと、釧路からもスタートしているんですが、国の予算がなかなかつかないために、根室から七キロぐらい一応整備区間になっているんですが、それも遅々として進んでいないという状況であります。

 我々も宮路先生の考えと同じで、両方から攻めた方が短縮できるわけですし、また、それを見た市民も、いよいよ道路が完成する、あるいは島が返ってくるんだという雰囲気にもなるわけで、力強く感じるところでありまして、今後、ぜひとも、根室側と釧路側、もう釧路まではできるわけでありまして、早急に促進をしていただきたい、これが根室市民の今大きな考えでございます。

 それから、返還運動でございますが、実は、戦後六十年たった今から八年前、六十年たてば人間は、還暦、生まれ変わると言われています。しかしながら、北方領土、六十年返還運動をやったけれども一歩もこの問題が解決しないということで、根室市民は非常に焦りまして、地元で一生懸命返還運動をやっても余り効果がない、ぜひ我々が日本の中心である東京に行ってその思いをアピールしたいということで、八年前から十二月一日に五百人規模でアピール行動をしております。

 それで、そういうふうになったというのは、実は、根室市は返還運動の原点の地ですから、市民大会を開くといったら、人口の約一割、三千人は簡単に集まってきたんです。やはり島が返ってきたら根室の町もよくなるというのは皆さん知っていますので。

 ところが、六十年たって、毎年のように国会議員が来たり、大臣が来て視察して懇談して帰っていくけれども、さっぱり進まないということでやはり疲弊してしまった。そのうち経済も悪くなって、企業の皆さんが動員してくれないんです。大会、大体、日曜日の場合もあるんですが、平日やる場合もありまして、いわゆる義務免で出してくれなくて、今、千人集めるのも大変な状況になっている。それもやはり、島が遠い、幾らやっても、そういうむなしさがあるのではないかと思っています。

 幸いに、我々、北方領土隣接地域で、内閣府に対して、啓発予算をふやしてほしいということでずっとお願いしておりましたら、昨年度、一・七三倍、いわゆる啓発予算をふやしてくれました。本当に、それで根室市を視察する都道府県の方も三倍ぐらいにふえまして、また、かつて、昭和五十年代、北方領土ができたころ、北方領土問題は全国に広がりましたが、それと同じような状況になっていまして、有効にお金を使えば国民の間にももっともっと広がるのではないかと思っておりまして、やはりお金を使わなければだめではないか。

 そのために、あるいは、教育の教科書問題、北海道は公立高校の入試に必ず北方領土問題はもう既に入れておりますけれども、そういう問題、いわゆる後継者問題とか、それをしっかりとしていただく。それがやはり一番今急がれることではないかと思っております。

 以上です。

宮路委員 どうもありがとうございました。

 あと、もう時間がないのでありますが、木村先生にちょっと、一点お聞きしたいんです。

 先生は、四島返還という大変高い志、そしてまた深い洞察力を持って、先ほどのお話も賜ったわけでありますけれども、残念ながら、我が国では国論が統一されていなくて、二島返還、あとの二島は共同管理とか、あるいは三島返還とか、まことに残念な状況になっているわけであります。そうした二島だとか三島とかいった論が、歴史的なあるいは法的な根拠、どういうものがあってそういうことになったのか、ちょっと私はわからないんですけれども、そういう面から見て妥当性があるものなのかどうなのか、そこのところを、そして、世論を統一する、国論を統一するにはどうしたらいいのか、その辺をちょっと、先生のお考えをひとつお聞かせいただければと思います。

木村参考人 宮路先生がおっしゃった状況は私も十分理解しておりまして、非常に困ったことだ、日本側にとって不利な分裂だというふうに結論を申し上げることができます。

 私の考えは、ちょっと、最後に共産党の方が発言されるかもしれませんけれども、共産党の方の結論は正しいんですね。つまり、これは、四島どころではなくて、南樺太、全千島をソ連、現ロシアに対して要求できる立場にあるわけです。

 平和条約もございませんし、ロシアが一方的に参戦してきた。それから、サンフランシスコ平和条約にロシアは参加しないで、ボイコットして、グロムイコ全権が帰っていった。そういうこと等々でロシアに対しては四島以上のことを要求できるわけですけれども、サンフランシスコ講和条約という、ああいう混乱というか差し迫ったところで吉田茂全権がこの四島だけを日本が要求するような立場をやむなくとってしまったために、四島となっている。

 しかし、私は、後で共産党の方に述べたいんですけれども、もうそういうことが決まっている以上は、そして、日本共産党の方が、サンフランシスコ平和条約はアメリカを中心として進められたものだから無効だということに重点を置いて全千島や南サハリンの要求をされているというところで、ちょっと論理的におかしいし、もう既成事実ができてしまっていて、サンフランシスコ平和条約をもう一度再招集するということは物理的に不可能で、よく読んでみますと、あとはもう日本とロシアの決定に任せるということが、大体、サンフランシスコ講和条約の筋じゃないかと思います。

 そういう意味で、私は、共産党の立場に一部賛成し、一部反対しております。

 それをまず申し上げた上で、私は、戦術的には非常にまずかった、日本が早々に南サハリンの放棄と全千島の放棄を認めてしまったのはまずかったと。

 なぜかといったら、それは、ロシアというのは、交渉事一般でもそうでございますけれども、高く売りつけてきて最後は妥協するというのがもう常道でございますから、日本は、半分諦めていても、ロシアに対しては、これだけ要求できるんだよということを、一つの道具としてというか手段として使うべきだと思っているんですね。それを日本はやらずに、今、旧豊原は、ユジノサハリンスクといって、もう完全にロシア領になって、そこから、サハリンから私どもはガスや石油を買わせられるという、大変なマイナスをこうむっているわけです。

 しかし、そのことは一応おきまして、その次に、最近、特に、四島はもう無理だから二島、あるいは、二島というのはやはり余りひどいから、二島プラスアルファあるいは面積等分論といった妥協案が日本側から出ているんですね。

 プーチン大統領は、引き分けという言葉を言いましたけれども、何度森特使などがお聞きしても、それは中身を明かしていない。つまり、それは明かした方が負けなんです。

 交渉の第二番目の原則は、自分の立場は言わないで、相手から言わせるということ。

 これは、皆様、私ども、ピアノだとか住宅、それからテレビ、冷蔵庫、大きな買い物をするときに誰しも使うやり方で、私のような関西出身の者にとっては、当然、それはもう常識なんですね。初めに決まった値段では買わない。

 ところが、日本人は、正直というか真っ正直なもので、これでどうか、これでどうかといって、どんどんどんどん要求を下げていっているものですから、クレムリンにいる人は、もうおもしろくてたまらないんですね。じっとこうやって腕を組んで座っているだけで、日本はどんどんどんどん値段を下げていく。

 なぜ下げるかといったら、私どもも責任がありまして、私どもロシアの研究者は、古い、この頭の髪の毛を見てもわかりますように、日本の国会で決まった四島一括返還という立場をずっと支持してきて、それが正しいと思ってきたわけです。そうすると、若手のロシア研究者は、僕らが言っていること以外の違ったことを言わないとマスコミの話題にならない。

 次に悪いのはマスコミでございます。犬が人間をかんでもニュースになりません。でも、人間が犬をかんだらニュースとなるというように、マスコミの方は、常に誰かが新しいことを言うんじゃないかということをしていますから、もう私どものような四島一括返還論は新聞にならなくて、きょう久しぶりにこの会合に呼ばれたので、僕は安住委員長の見識に心から感謝して、きのうの晩から泊まりがけで、わくわくして来たんですけれども、私などは、マスコミから完全に抹殺された古い立場の四島返還論者。

 それに対して若い人は、もう次から次へと、おもしろいというか、私はおもしろいことを思いつきましたよ、二島返還論ですよ、二島プラスアルファですよ、面積二等分論ですよということを言いまくって、それを一部の政治家の方は、これは、政治家の方はもっと悪い。なぜかといったら、政治家の方は、自分が国会議員でいらっしゃる、あるいは大臣でいらっしゃる、官僚は局長や課長でいらっしゃる間に何かこの問題を解決したいという、よく言えば使命感、悪く言えば焦りの気持ち、功績を残したいという気持ちがあるものですから。

 私どものように、いつ返ってくるかもわからない正論、四島一括返還論を述べているのは全く人気がなくて、だんだんだんだん、こういうことです。

 しかし、ロシアは、それが作戦でございまして、引き分けという言葉によって、プーチンは、自分は引き分けの内容を一言も漏らさないで、日本から引き分けの内容を言わせて、それをじっと待って、その中の一番下のところにちょっと色をつける。ちょっとだけ、ごくわずかに色をつけて、これでどうだということになると思うんですね。

 それで、今、宮路先生に対して最後に一言言うと、私とて、政治や交渉は最終的には妥協だというような気持ちを持っています。しかし、私がここで強調したいのは、自分の落としどころを最初に言ったら落としどころ以下になるという交渉のABCでございます。それは口が裂けても言ってはいけないのです。最後の最後の瞬間、飛行機のタラップに足をかけたときに、これでやむを得ないなということを言ってもいいけれども、日本から、さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、これこれといって向こうの気を引いたら、向こうはどういう立場をとるでしょう。待てば待つほど状況はよくなるんじゃないかと思って、じっと待つわけですから。

 僕は、そういうことを日本の学者それから政治家が言う、それをまたマスコミがおもしろげにニュースとして取り上げる、これが北方領土問題の一番日本のまずい点で、安倍訪ロのときも面積二等分論をリークした側近の方がいらっしゃいますけれども、この人に対して、私はどなたか存じませんけれども、それを叱責しなかった安倍総理に対しては、それ以外では賛成しておりますけれども、私は個人的に、いかがなものかなと思っております。

宮路委員 どうもありがとうございました。

安住委員長 次に、菊田真紀子君。

菊田委員 おはようございます。民主党の菊田真紀子でございます。

 きょうは、長谷川参考人、木村参考人、そして萬屋参考人、大変お忙しい中、貴重なるお話をお聞かせいただく機会をいただきましたこと、まず心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 十九世紀ドイツの法学者イエーリングは、わずかなりとも隣国から領土を奪われた国がそれを取り返す行動に出ないとき、その国は国家として存立できなくなると述べています。言うまでもなく、領土は国家の根幹をなすからであります。

 もちろん、北方領土を武力で取り返すことはできません。外交交渉によるほかないわけでありますが、交渉事である以上、日本の主張が一〇〇%全て通るわけではなく、北方領土問題解決のためには、日ロ双方の譲歩が必要となります。

 ここで、日本政府の立場を確認してみたいと思います。

 政府は、北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については柔軟に対応するとしています。すなわち、政府は、四島の即時返還を求めているわけではありません。この点は、日本政府の譲歩なのでしょう。しかし、交渉妥結の前に公表してしまったものは、ロシアに対しては譲歩となりません。

 以上を前提といたしまして、ことし四月に安倍総理がロシアを訪問した際に発表されました日ロ共同声明を吟味してみます。

 平和条約交渉に関して、両首脳は、第二次世界大戦後六十七年を経て日ロ間で平和条約が締結されていない状態は異常であることで一致をいたしました。「両首脳は、両国間の関係の更なる発展及び二十一世紀における広範な日露パートナーシップの構築を目的として、交渉において存在する双方の立場の隔たりを克服して、二〇〇三年の日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明及び日露行動計画においても解決すべきことが確認されたその問題を、双方に受入れ可能な形で、最終的に解決することにより、平和条約を締結するとの決意を表明した。」とあります。

 二〇〇三年の日ロ行動計画と共同声明に言及があるのはよいとして、問題は、両文書において解決することが確認されたその問題について、わざわざ双方に受け入れ可能な形でという付加条件をつけた上で、最終解決するとしていることであります。

 そこで、長谷川参考人と萬屋参考人にお伺いいたします。

 北方領土返還運動の原点の地で、先頭に立たれ、長年運動を続けてこられましたお二方に対し、私は改めて敬意と感謝を表します。

 長谷川市長さんは、根室市は北方四島と一体であり、領土問題の解決なくして戦後はなく、経済的にも社会的にも北方領土が返還されて初めて正常になると、繰り返し発言をしてこられました。しかし、交渉による解決を目指す以上、また、安倍政権が日ロ双方に受け入れ可能な形を追求することとしている以上、四島ではなく、一部返還となる可能性もあります。その点をどのように受けとめておられるのか。同じ質問を萬屋参考人にもお答えいただきたいと思います。

萬屋参考人 お答えさせていただきます。

 先ほどお話しさせていただいた中で申し上げましたとおり、我々元島民は、北方四島、すなわち択捉、国後、色丹、歯舞群島から引き揚げてきた元島民の団体であります。千島連盟といたしましては、あくまでも、交渉にあっては、先ほども申し上げさせていただきましたが、入り口は四つから入ってくださいというお願いもさせていただきました。

 ですから、これは、我々には残念ながら交渉権はございません、両国の首脳により解決を見ると我々は思っておりますが、そこで決められたことについては、私たち千島連盟もそうでありますが、ビザなしが始まってから二十二年間、元島民の我々代表と今住んでいる現ロシア人島民との間で毎年意見交換させていただいておりますが、早く平和条約を結ぶことを両国に請願しよう、我々は日本政府に早期に平和条約を結ぶようにお願いするし、あなたたち四島に住んでいる住民もモスクワ政府に対してその旨の要望を強めてくれということで、お話をさせていただいております。そんな中で、そこで決まったことについては、我々は従わざるを得ないなという今の現状であります。

 よって、繰り返しになりますが、あくまでも交渉の入り口は四島から入っていただきたい。

 以上であります。

長谷川参考人 同じ質問でございますが、よく市議会でも質問される内容でございますが、ただいま萬屋参考人が申したとおり、市としては、政府見解を容認といいますか認めざるを得ないだろう、その方針で我々も頑張るしかないという考えでございます。

 しかしながら、根室市民の四人に一人は元島民関係者でありまして、七千人を超える方々が住んでおります。そういうことで、心情的には、たとえ二島、三島、具体的な数字を挙げるのはまずいかもしれませんが、いわゆる妥協点を見出したとしても、これはロシアが認めればの話ですが、またロシアにそういう交渉をしてほしいと、原点の市長としてはこれは願望に近いものでありますが、まだ残された部分は、それで終わりでなくて、平和条約を結んでそれなりの国交正常化ができた後も、全くそれでゼロでない、ロシアがそれで最終決着を目指しているのは間違いないんですが、残った部分について、ぜひ、継続といいますか、その道は残していただきたいというのが原点の地の本音でございます。

 以上です。

菊田委員 ありがとうございました。

 シェールガス革命との関係につきまして、木村参考人にお伺いしたいと思います。

 北方領土問題を解決することにロシアがメリットを見出さなければ交渉は動きません。先ほど木村参考人が述べられたことは、私も大いに共有いたします。

 シェールガス革命によって天然ガス市場がだぶつけば、資源依存型のロシア経済は大きな打撃を受けるでしょう。日本がガスを買ってやればロシアは助かる、日本も中東依存を減らせる、したがって、エネルギー分野で協力を進めれば領土交渉への弾みとなる、こういうことがよく言われるのでありますけれども、その評価についてもう一度お伺いしたいと思います。

 そう単純に進むでしょうか。私は、エネルギー分野での関係強化と領土交渉は別物と割り切るしたたかな計算がロシア側、プーチン大統領にあるのではないかとも考えるのですが、いかがでしょうか。

 それともう一つ、先ほど木村参考人は、北方領土返還に関して日本の好機は二〇一七年以後ではないかと述べられました。来年の二〇一四年、ロシアはソチ冬季オリンピックを主催して、国威を発揚させ、二〇一五年は、ロシアにとっては戦勝七十周年の節目でありまして、国内において戦勝史観が台頭する可能性があります。その後の二〇一六年は下院選挙、一八年は大統領選挙が控えています。

 現在、プーチン大統領の政治基盤はかつてに比べて弱いと見る向きがあり、先ほど木村参考人もそのような御指摘がございました。国民の期待感、支持率は必ずしも高くないというお話であります。

 このようなロシアの国内事情、政治情勢、政治日程をにらみながら日本政府は戦略的に領土交渉を前進させる必要があります。御意見をお聞かせいただきたいと思います。

木村参考人 率直に申しまして、実に鋭い御質問でございます。

 二つあったと思います。一つは、シェールガス革命が進展するからといって、ロシアは領土を譲歩するだろうか。それは、おっしゃるとおりです。それ一つだけでは譲歩しないと思います。それはもう間違いございません。

 ロシアはなかなかしたたかでして、ロシアにもシェールガスというのは埋まっておって、ひょっとしたら世界一にあるかもしれない。ただ、それを掘り出すような、アメリカやカナダのような掘削技術を持っていない。しかし、それはおいおい持つことになりましょう。その他その他で、シェールガス革命が起こるから、これはもう参った、天然ガスを日本にしか売ることができないので、領土も返しますわ、こういうふうな簡単なものではありません。

 しかし、考えてみますと、ロシアにとって天然エネルギー資源というのは非常に大事なものであって、プーチン大統領はどうして無名のところから今日まで十余年間に及ぶ指導者の地位に上ってきたかというと、彼はラッキーな政治家であって、ちょうど、二〇〇〇年に彼が大統領になったころから、石油の値段が十七ドルとか二十三ドルから百十ドルぐらいまでに上がってきたということで、彼は、すぐれた指導者ですけれども、非常に幸運な指導者であった。

 ですから、それを高く売って、今までの借金を全部IMFや世界銀行に返して、そして国民にもある程度均てんしたために、国民はもうプーチン大統領様々ということになったんですが、二〇〇八年の世界経済危機からぐあいが悪くなって、そして今日に至っては、またオイルの値段が少し持ち直したにもかかわらず、その間お昼寝をしていた、つまり、ウサギさんのように、コオロギのように怠けていたために今後の経済が非常に厳しいということは、先ほどお話ししたとおりなんですね。

 したがって、日本に対しても、世界に対しても、天然ガスを中心とする石油、それを外交的武器として、ウクライナ、グルジア、日本、その他、ヨーロッパの国に政治的な手段として物を言わせてきたのが、今後は通用しなくなる。

 日本は、シェールガスがアメリカ、カナダから入ってきて、また、ほかの代替エネルギーもあれして、東日本大震災を克服するようになれば、ここでロシアには全く頭をぺこぺこ下げる必要はなくて、二番目に入りますけれども、別物だというロシアの、プーチンの主張に対して、違うんだ、リンクしているんだと。

 キッシンジャーが有名な言葉を吐いていますね。リンケージというのは戦術じゃなくてリアリティーだ、世の中のことは全部リンクしているんだ、関連しているんだ。だから、石油と領土、領土と資源を分けるということは実際上あり得ないので、必ずどこかで結びつくんだと、私も国際政治の学徒としてそう思います。

 それから、先生のもう一つの御質問は、これの方が実は難しいんですね。私は、二〇一七年までは待たなきゃいけない、しかしそれは、私は言葉を選んで、二〇一八年以後に解決するとまでは言っていないのです。

 解決するとしたら、二〇一八年のプーチンの四選目の選挙のどさくさで、彼が出るか出ないかということが、我々専門家の間で、毎日ロシアの新聞を読んで検討していることですけれども、今どちらかということを言うというのは、にせのクレムリン学者であって、わからないというのがあれなんです。本人もわかっていない。

 もちろん、本人は、出ないと言ってしまったらレームダックになってしまいますから、権限を喪失しますから、言わない。しかし、彼の年齢、周りの状況から見ると、彼はそこのときに非常に苦境に立って、ロシア全体が、後継者が育っていませんから、そこで混乱状態が起こるんじゃないか。

 そして、プーチンとは違ったタイプ。というのは、ロシアでは必ず、後継者というのは前の人と違った政策をとる人なんですね。それは、言うまでもないと思いますけれども、スターリンはレーニン、フルシチョフはスターリンを批判し、ブレジネフはフルシチョフを否定し、それからプーチンはエリツィンとゴルバチョフを否定して、一度として前任者の政策を追従した政治家はいない。そうすると、プーチンの政策をかなり変更する、対日にも、接近してくるような人が生まれるんじゃないか。そういう意味で、私は、ソチその他が終わった後に問題になるんじゃないか。

 ですから、私は、お聞きになっていませんけれども、安倍首相が来年二月七日のソチ・オリンピックの開会式を優先されるか、北方領土返還の全国大会が九段で行われるのを優先されるか、これは一つの重要なシグナルをロシアに投げかけることにもなると思うので、注意深く見たいと思っております。

菊田委員 時間が参りましたので、もう一つだけ木村参考人にお伺いして、終わりたいと思います。

 シェールガス革命は、アメリカの中東依存を根本から変える可能性があります。既にオバマ政権は、中東からアジア太平洋へのリバランシングを進めています。一方、シリアの化学兵器問題、イランの核開発問題を見ても、オバマ政権の混乱と信用低下を横目に、ロシアは、これまでの空白を埋めるかのように、中東への関与と影響力を強めているように見えます。

 国家の根幹にかかわる領土問題を解決するためには、政治指導者がみずから精力的に取り組む必要があることは言うまでもありません。とりわけロシアでは、領土はツァー、皇帝の専権事項と言われ、プーチン大統領によるトップダウン方式によってしか動かないと聞いております。

 今後、ロシアの中東政策が北方領土交渉に与え得る影響についてどのように見ておられるか。プーチン大統領は両方できるんでしょうか。木村参考人に御意見を伺います。

木村参考人 率直に申しまして、先生の御質問は非常に難しくて、学者の一人として、うれしい、そこまで勉強されて御質問されるのかと感心しております。

 例えば、冒頭で引用された、領土を失うものはと。あれは私自身の本にも書かれて、恐らく日本で初めて書かれたので、先生が私の本を読んでくださったことを証明しております。それは自慢になりますけれども。

 シェールガス革命に関して。プーチンが得点を上げたことは間違いございません。オバマ大統領、あるいはイギリス、フランスが、だらしないと言うとおかしいけれども、混乱したために、久々に彼が放ったホームラン、括弧つきですけれども、ホームランと言ってもいいと思います。そのために、世界では、フォーブスという雑誌やタイムという雑誌が、再び、プーチンの指導力ということを賛美するような記事を書いております。

 ただし、私はロシア関係の本を読んでおりますけれども、アメリカ、イギリスの学者の中で、あれは一時的なホームランであって、ひょっとしたらそれだけに終わるんじゃないか、だから余り過大評価しないべきではないかという論文を既に私は、後ろに持参しておって、何ならお貸ししますが、新幹線の中で昨晩読んでまいりました。

 そういうわけで、先生の御質問は、確かに一時的にはプーチンは中東でシリアに関して華々しく成功しましたけれども、それは概して、アメリカやイギリスやフランスの側の敵失といいますか、失敗、オウンゴールとさえ言っていい、それによってしとめたもので、ロシアの中東における影響力は、これを除いてこれから非常に難しくなってきて、減少していく一方だと思います。

 先生の御質問は、その中東政策と、対日というか対アジア政策とのバランスといいますか、それがどういう関係になっていくかということですけれども、私がちらっと申し上げたように、中東には再びちょっと地位を確保、強化したように見えるものの、それは一時的な問題で、今後、世界の情勢は、アメリカのピボット作戦、戦術と同様に、アジア、ヨーロッパに、好むと好まざるとに向かわざるを得ません。

 そして、アジアというのは非常に難しいので、ロシアは、レートカマー、アジア太平洋地域において経験もなければ地盤もない、最も弱い。例えば北朝鮮をめぐる六カ国協議でも、一番影の薄い、影響力のないのはロシアで、次は日本と言われて、この二国を除いたらいいじゃないかという声もあるぐらいで、日本はびくびくしていますけれども、一番ないのはロシアなんですね。したがって、ロシアは、最近ちょっと北朝鮮にちょっかいを加えているということでございます。

 そういうわけで、私の結論は、最初に述べたことと変わらない。ロシアはこれからますますアジア太平洋を重視しなきゃならないんだけれども、実績がない、手段もない、それで、やはり、その手引きとしては、APECに入れてくれたり、ここでの経済的な雄である日本にどうしても接近してこざるを得ないという私の持論は、少々のあれはございますけれども、正しいと思っております。

 ありがとうございました。

菊田委員 終わります。ありがとうございました。

安住委員長 次に、西岡新君。

西岡委員 日本維新の会の西岡新でございます。

 まず、三人の参考人の先生方におかれましては、御多忙中、御出席賜りまして、まことにありがとうございます。

 北方領土問題に関しましては、具体的な進展が見られず、動いていない、そして結果を出せていないというような状況でありまして、先ほど木村参考人の方からもお話がありましたが、日本の国民性というのは気が短いということでありますが、それでも、もう戦後六十八年たっておりますから、物事を進めていかないといけないと思っておりますし、やはり風化をさせてはいけないということを思っております。

 さらに、今、ロシア化が進んで、ロシア人の入植者の二世、三世となると、実効支配というような実績が残って、占有権の問題もあり、ますます解決が困難になっていくというような心配もしております。

 この問題は、三年前にメドベージェフ当時の大統領が国後島の訪問をして、関係が悪化するような状態でもありましたが、プーチン大統領になって、タンデム体制、双頭体制が解消されて、少し解決の糸口が見えてまいったのではないかと思っておりますし、北方領土問題に対しては、始めとか、引き分けとかという発言のもとに、少し、この一年でも四回の首脳会談等々、再び気分が盛り上がっているというふうに感じております。

 これまでの歴史を見ておりますと、領土問題を解決するためには安定した政権というのがやはり何より重要であるというふうに思います。その点、プーチン大統領は、国内基盤は強いように私は思っております。しかも、中国を初めラトビアやウクライナとの領土問題も解決しているというような実績もあります。

 一方で、日本側も、これまで一年交代で総理大臣がかわってきた次第でありますけれども、この安倍政権になって、夏の参議院選でも勝利したことによって、長年、決められない政治の原因であったねじれが解消されたというような中で、日本側の政治体制についても、今こそ領土問題を解決することができる資格を有しているのではないかというふうに思っております。

 そこで、木村参考人にお伺いしたいと思います。

 先ほどの話では、北方領土の解決のためには、国際情勢、国内情勢、そして日本がチャンスを生かせるかどうかというのが観点としてあるということでありました。

 今後のロシアについては、経済成長の鈍化や、中国との安全保障問題、そして優秀な人材の流出とか汚職の問題とか、非常に懸念される材料もロシア側にはあるんですけれども、しかも、プーチン大統領の権力基盤が脆弱化しつつあるというような話でありますけれども、支持率が六三%から四%というのは、日本の指導者にとっても大変うらやましい数字じゃなかろうかと私は思っております。

 日ソ共同宣言や東京宣言、イルクーツク宣言、そして日ロ共同声明など、領土問題を解決して平和条約を締結するという方針のもとに交渉を進めておりますけれども、なかなか解決の糸口が見えてこない。先生の話では、解決はまだ今すぐではないというような話もございました。

 しかしながら、私は一方で、四島の一括返還から、二島だ、三島だ、そしてフィフティー・フィフティー方式だというような、日本側の方針に統一性がないというのが何より問題であると思います。この点については、ロシア側はどういうふうな観点で受けとめておるのかということをお聞きしたいのと、やはり日本国民こそが返還を可能とする重要なファクターだということをおっしゃられておりますけれども、この環境整備、準備を我々はどういうふうに行っていくべきであるかという点についてお伺いしたいと思います。

木村参考人 先生のお話も多岐にわたっておりまして、一々私が、ちょっとニュアンスが違うところをしゃべり出しますと時間がかかってしまいますので、一番最後のあたりにおっしゃったことから述べて、さらに、御不満でございましたら、具体的に、改めてこの点を聞きたいんだとおっしゃってくださいませ。

 最後におっしゃったことは、日本は、二島だ、二島プラスアルファだとか、フィフティー・フィフティーだとか、三島だとか、面積等分論だとかいろいろなことが出ているので、それをロシア側はどう受けとめているか。

 私は、その一々の反応、全部見ております。それが私の午前中かかってしまう仕事なんですけれども、見ております。一々は反応しておりませんけれども、なかなかずるい、賢いやり方だと思います。

 というのは、先ほどと重複しますけれども、もっと待っていればロシアにとって一番有利な点までおろしてくるんじゃないかと思って、じっと様子ばかり見ていて、向こうは反応を示さないんですね。恐らく、きょう私がしゃべったことぐらいは、狸穴のアファナシエフ大使のもとで、きょうじゅうにプーチンの耳に届いているぐらい情報網は発達しているんですけれども、しかし、それをわざと知らんぷりする。知らないふりをして、相手、日本側が条件を下げていくのをじっとしたたかに、冬眠をしている熊のごとく、腕を組んで見ているんじゃないかと思います。

 そして、逆に、日本側の主張は何にも報道しておりません、つまり日本側の強い主張は。

 例えば、民主党の時代の野田さん、それからその前の菅さん、その前の鳩山さん、それから安倍さんになりましてから、この四方の総理大臣の会談のときにプーチンに対して述べられた日本の正しい主張、これは向こうの大統領や首相の、僕はインターネットで毎朝調べておりますけれども、日本の首相が抗議したとか、こういう四島返還を主張したということは一度も載っていません。ですから、国民は一切知らされなくて、日本は経済協力をする用意があるというところだけしか知らされておりません。

 そういう国相手に交渉しているわけでございますね。しかしながら、それも当然だと思います。

 そして、我々としては、もうここまで来た以上、いろいろな意見を言うのは、日本は民主主義的な、多元主義的な、言論の自由のある国だからということで、開き直ってというか、いろいろな学者やマスコミの方が言うのは向こうも計算に入れていて、交渉のときに、何月何日にある大学の助教授がこういう提案をしたから、政府の立場はこうじゃないかというようなことは言わないと思います。

 ただし、私、何でもきょう率直に述べてよろしいならば、安倍さんがやっている包括的、総合的対ロ戦略というのは基本的に正しいと思っているんですね。

 それはどういうことかというと、安倍さんがロシアを訪問するお帰りか行く前に、中東の、同じく資源を提供してくれる国をお回りになっていること。それからもう一点は、領土問題だけではなくて、科学技術、経済協力、農業、医療、環境、その他幅広い分野で日ロは協力していくんだという、地理的にも分野的にも広げた大きな風呂敷の中で、パッケージの中で領土問題を位置づけて、しかし、領土問題ではおたくは譲歩しなさい、そうすればそれ以外のアイテムでは我々は幾らでも協力する用意がある、こういう風呂敷を広げた、私の言う暮れにおけるデパートの福袋作戦という抱き合わせのやり方は感心しておりますが、今の先生の御質問に関しては、彼の側近の、近くにいる方が、そのような安倍総理大臣の正しい、総合的、複合的な対ロ政策に水を差している。

 例えば具体的には、構わないで挙げるならば、森前総理を特使として派遣された、これ自体も問題、二元外交で、なかなか慎重にしなければならないことですが、その方が日本のテレビで、三島論とか面積二等分論のような、日本政府の従来とってきた立場と違う立場を公言されて、そしてそれを改められない。にもかかわらず、その場で彼の特使をキャンセルしないでお送りになったのが一。

 二番目に、彼のブレーンとされている元外務省の某幹部が、北海道の釧路や網走とかそういった地域で、四島はもう無理なんだよというような発言をされている。そういう人を外務省の外務参与として採用されている。

 それから三番目には、さっき申し上げたように、面積二等分論が安倍訪ロのとき出たということを側近が漏らしたことに対して、安倍総理がその側近を批判するとか叱責するとか、あるいは罷免するというような行為がなかった。

 そういう意味で、彼は戦略的には正しい対ロ政策をとっていると僕は思いますけれども、戦術的な面で、その実践において、政局絡みの、人間絡みの妥協をして、一貫していない。そういうことはロシアはちゃんと見ておりまして、それを胸におさめて、いざというときには日本に対してちくちくと出すというか、ああ、日本は四島はもう要求しないんだな、ちょっと二島に色をつけてやって、二島プラスアルファで飛びついてくると大体見ているんじゃないかと思います。

西岡委員 本当に、日本政府の統一した方針がやはり私も何より重要だと思いますし、誤ったメッセージがロシアに伝わっていくというのは、今後の北方領土問題解決のためにもすごく重要な部分だと私も思っております。

 次に、萬屋参考人にお尋ねをしたいと思っております。

 先ほどの話で、当時故郷を追われた元島民の方々のうち、約六割の方々が故郷に戻れることなくお亡くなりになられたということでありました。今現在生存されていらっしゃる方々も、もう平均年齢が七十九歳ということでありまして、本当に、財産権の問題等もあって、もはや一刻の猶予もないというような状況であるというふうに思っております。

 そういった中で、先月、内閣府の政府広報室が発表した北方領土問題に関する特別世論調査という調査では、北方領土の問題の認知度について調査をしておりまして、この問題について聞いたことがあるというのはおよそ九七%と、ほぼ認識されているというふうに調査結果が出ておるんですけれども、その内容も知っているということになると、五年前の調査では三九・二%であったものが、現在では四〇・五%ということであって、若干ふえているにすぎないんですね。もちろん、ある程度知っているということを含めますと数字は多少上がってきますけれども、そうした内容を詳しく知られていないというのが実態であります。

 また、皆様方の活動、北方領土返還要求運動の認知度についても、取り組みについて聞いたことがあって、取り組みの内容も知っているというのは、五年前が二〇・四%、それから現在が二〇・六%と、ほとんどこれは変わっていない状況にあるんです。

 皆様方の御努力もいろいろあって、政府も広報をしっかりやっているのかどうかというのは後にするにしても、詳しい内容についての認知度がもっと上がってもいいのではないかというのが私の率直な感想であります。

 この問題について、例えば、活動をしている中で国民の反応について率直に感じられることとか、政府の広報のあり方について改善すべき点などがあれば、お考えをお聞かせいただければと思っております。

萬屋参考人 お答えさせていただきます。

 認知度の話でありますが、私も報道を見て実はちょっと驚いておりますが、残念ながら、さほど、全国民には我々が期待するほどの認知度にはなっていないのが現実であります。

 我々、常に、国会の先生方が根室においでになったときにお願いさせていただいている件がございます。それは、教育現場で北方領土のことをもっと扱っていただきたい、これが一点。それから、もっとマスコミを通じて国民に周知をしていただきたい。政府は一生懸命やっていただいておりますが、まだまだ、テレビなんかを使ってやっていただくことが一番望ましいのかなと個人的に実は私は思っております。

 それと、我々千島連盟では、約九十名ほどの元島民、後継者を含めた、語り部という組織を形成させていただいておりまして、この語り部の資格を持った我々元島民、そして後継者が、要請があれば地方へ行って講演させて、島の様子と引き揚げ等の状況等々を御発言させて、そして返還運動に寄与させていただいているという事業を実は行っております。

 この事業は、我々は昭和三十三年に設立している団体でありまして、その後に、北対協が昭和四十四年、そして北海道に北方領土復帰期成同盟という団体があるんですが、これが昭和四十年、それと北海道が計画された語り部事業ということで活用させていただいておりますが、もっともっとこれを充実した活用をしていただければ、もっと国民世論に訴えられるのかな。

 残念ながら、ここは、予算的には我が千島連盟にはついておりません。来年になりますと七十年という節目の年にあるものですから、ここで我々も大きな事業展開をしなきゃならぬなという思いを持っておりますので、できれば、その時点で千島連盟にそういった事業が推進できるような予算配分をしていただければ、もっと国民世論を高められるのかな、こう思っております。

 以上であります。

西岡委員 ありがとうございます。

 私の地元も四国の愛媛県でありますので、選挙区を回っておっても、なかなか身近な問題としては感じていない人が非常に多いなというふうな思いがしておりましたから、語り部の話もありますけれども、またぜひ我が愛媛県にもお招きしたいと思いますので、その際はよろしくお願いします。

 時間もありませんので、最後に長谷川参考人の方にお伺いしたいんですが、前回の参考人質疑の際に、ビザなし特区の話について今提唱されているというふうな中で、日ロ外相会談を受けて、外務省もロシア支援室を日露経済室に改編されたというふうな話がございました。その後の外務省の姿勢と連携状態についてお聞かせいただければと思います。

安住委員長 時間が参っておりますので、手短にお願いします。

長谷川参考人 ビザなし交流の経済交流ですね。この件については、実は、私どもも、継続して外務省の方に北隣協として要請していますが、かなり北方領土問題が詰まってきたので、これをまた取り出せば、これをロシア側に提案すれば、そのことでまた時間を割いて、本件の北方領土問題がまた後回しになるので、慎重な対応が必要であるという外務省のお話がありまして、今、一市四町ではちょっとその問題は差し控えている状況でございます。

西岡委員 ありがとうございました。

 これで質問を終わらせていただきます。

安住委員長 次に、佐藤英道君。

佐藤(英)委員 公明党の佐藤英道でございます。

 きょうは、三人の参考人の皆様方、大変に遠路はるばる御苦労さまでございます。そしてまた、長時間お疲れさまでございます。

 私は、選挙区が北海道でございますので、元島民の方々を初めとする返還運動関係者の方々とは日ごろからお話を伺う機会がございます。きょうは、返還運動のさらなる推進に向けて、そしてまた所期の目的に達することができるよう、三人の先生方から御意見を伺ってまいりたいと思います。

 そしてまた、特に、ことしの十月の八日に、我が公明党の山口那津男代表を初めとする公明党の議員で北方領土返還運動原点の地である根室市を訪問させていただきまして、納沙布岬から歯舞群島などを視察させていただくとともに、返還運動の関係者の皆様方、また漁業関係者の方々とも懇談をさせていただくことができまして、その際には、長谷川市長、また萬屋副理事長にも大変に貴重な御意見をいただきまして、大変にありがとうございました。

 まず初めに、そのときにさまざまな御意見等々も伺いましたので、せっかくの機会でありますので、さらに詳しくお話をいただければなと思うところでございます。

 まず、萬屋参考人にお話を伺いたいと思うのでありますけれども、私も平成九年に歯舞以外の三島を訪問させていただきました。それこそ元島民の方々と一緒に参加をさせていただき、それ以来、元島民の方々と交流をしていっている中で、やはりこの領土、二島の返還であるとか、この返還のあり方についてマスコミ等でもまたいろいろな報道なんかもなされるわけでありますけれども、元島民の方々の思いを思うと、うちの島は返ってきてうちの島は返ってこないとか、ある意味では、雪の中、署名運動をされたり、さまざまな運動をされている中で、この四島以外の返還のあり方については、元島民の方々の思いとしては張り裂けるような思いじゃないかということを私は痛感するんです、そういう報道がされるたびに。まずは、そのことをお話しいただければと思います。

 それからもう一点、やはり後継者の問題、大変に強調されていらっしゃったわけでありますけれども、いただいた要望書の中でも、いわゆる後継者の組織活動に関する事業の支援、それから、後継者の方が実施する事業の支援について、また、先ほど北対協の融資制度の充実について等々お話があったわけでありますけれども、特に、後継者の方々のお話を伺うと、そうした運動に参画できるのは自営業者に限られているんだというお話なんかも伺ったわけであります。

 この後継者の問題、そして、先ほどの元島民の方々の返還のあり方についての思いについての二点、お伺いしたいと思います。

萬屋参考人 お答えさせていただきます。

 四島返還の話でありますが、実は私も、ビザなしが始まって、先遣隊から二十年間で、相当数、日にちにして、延べでありますが、おおむね百日間ぐらい四島入りをさせていただいております。そんな中で、この返還のありようについて、今住んでいるロシアの四島住民と私的に、あるいは副理事長の立場でも、いろいろお話をさせていただいております。

 我々千島連盟というのは、先ほどもお話しさせていただきましたように、四島から強制的に引き揚げさせられた元島民の団体である以上、あくまでも四つ返していただきたいというのが我々の基本的な考え方であります。

 でも、現実、今あなた方は住んでいますね、我々と同じ扱いをさせるつもりはありません、追い出すことは考えておりません、将来、平和条約が結ばれた後、この島で一緒に住むことを考えようじゃないかということで、今日を迎えている状況であります。

 ですから、これは再三再四のお話になりますが、千島連盟というのは、四島、すなわち、択捉、国後、色丹、歯舞群島から引き揚げてきた元島民団体の組織でありますから、あくまでも四つ返していただきたいというのが基本であるけれども、先ほどもお話ししたように、ここは両首脳が決めたことに従おうねということで、住民のニーズの中ではそういう話をさせていただいております。

 二つ目の質問であります。

 後継者の問題でありますが、私は、実は三歳で引き揚げてきました。母に抱かれて、三歳、冬の十一月だったと聞いておりますが、闇をついて根室まで逃げてきた。これが私の引き揚げた状況でありますが、私から下三歳、要するに、今六十八歳以下が二世であります。六十八歳以下が二世でありますから、彼らは、公務員であればもう定年を迎えております。あるいは、民間であれば、それなりに、定年を迎えた人あるいは事業をしている人、それぞれいるわけでありますが、現役世代であります。上限が六十八でありますから、ちょうど今、働き盛り、五十代、六十代が後継者であります。彼らは、今、返還運動をやれといっても、できる人とできない人、当然、仕事の関係で残念ながら出てくる問題である。ですから、何とか、いろいろな意味で力をかしていただきたいというのが大きな望みであります。

 ですから、我々一世が亡くなったら、この問題、この運動はいや応なく後継者に委ねざるを得ないわけですから、何とか後継者が返還運動に携わりやすく、そして一刻も早く返還できるように、そこもお力添えいただきたいというのが、千島連盟としてのお願いであります。

 以上であります。

佐藤(英)委員 ありがとうございました。

 次に、長谷川市長にお伺いをさせていただきたいと思います。

 市長は、それこそ隣接地域の協議会の会長もされておりまして、これまでも、さまざまな御意見をまとめながら取り組んでいらっしゃっているということはよく承知をしているところであります。

 その中で、いわゆる戦略的な北方四島交流事業の推進という項目を挙げられながら、具体的に六つの視点でお話をされていらっしゃるところであります。いわゆる経済交流の推進、有用水産資源の適正管理、資源増大、それから医療支援機能の充実、北方四島自然環境の保全、それから研究、教育、自由訪問、墓参を含むですね、そのための多様な交流の実現、北方四島を含めた地震対策等々を述べていらっしゃるわけでございますけれども、特にこの場で国に対して強調されたい部分について、また、特に思いのある部分についてお話をいただければなと思います。

長谷川参考人 北隣協として実は今一番大きな問題は、北特法という法律が昭和五十八年、議員立法で公布されまして、二十七年後の平成二十二年、今から三年前ですが、一部改正していただきました。これも議員立法なんですね。(発言する者あり)済みません、二十一年です。かなりいろいろ改正していただいたんですが、残念ながら、財源といいますか予算が伴っていない、我々の要求に対して、まだ改正の効果があらわれていないというふうに感じています。

 根本的に、法律の中の第十条で、百億円を積んで基金でさまざまな事業をするということでありまして、本当は、この昭和五十八年当時、百億を積んだら七億三千万円の利息が出る。それで、当時、一市四町で百五十二億の事業も予定していました。十年間でそれをやるんだという計画をつくって、そのために、七億三千万の十倍ですから七十三億の国の補助金が必要だ、そういうことで百億を積んだという経緯がありますが、先生も御承知と思いますが、平成三年に五億九千万、これが一番多かったんですが、今現在では一億七千万と、四分の一以下に下がっています。したがって、一市四町で、五つの自治体で、しかも農協、漁協、商工会議所も使いますので、一自治体にしますと三千万程度ということで、やはり四分の一以下でずっと続いているということは、我々とすれば非常に不満である。

 したがって、我々は要求するんですが、こういう基金事業は国で八百を超えると言っていまして、なかなかここだけかさ上げするというのは難しいと言われるんです。この目減りを、特例交付金なのか、いろいろ方策はあると思うんですが、ぜひしていただきたい。そうでなければ、一市四町のいわゆる疲弊がどんどん加速化されるというふうに考えています。

 それで、国土交通省の方で平成十六年、一億円を一応認めていただきました。それは目減りを防ぐ一つの方策ですが、これはあくまでもハード面ということで規制を受けていまして、例えば水産関係の藻場造成だとか市場の改築だとか、そういうものに全部使われるということでありまして、本当に広い意味での地域の振興対策にはなかなかつながっていない現状でありますので、この北方基金の目減りを、どういう形でもいいですので、ぜひ実現をしていただきたい。

 そしてまた、国土交通省の一億円も、需要としては本当に何倍もの需要があるわけでありまして、これもぜひ増額をしていただきたいというのが私どもの今一番大きな要求でございます。

 それで、ビザなし交流の経済交流、先ほど言いました六つの項目ももちろんいろいろと国に対して要請していますが、一部、医療関係は、ロシアの方のニーズもあるということで進んでおりますが、私どもが一番要求しているのは、経済交流をして、北方四島を逆に根室地域の経済圏に取り込んでしまった方がというような考えもあるわけです。

 先ほど西岡委員にも御答弁したとおり、外務省は、北方領土問題は今非常に難しいとき、大事なときに来ているので、寄り道はかえってマイナスである、六つとも、領土問題を解決すれば全て解決するような問題であるので、少し自重していただきたいと言われていまして、我々も、最後の目標はやはり北方領土返還でありますので、今、少し自重しているというのが実態でございます。

 以上です。

佐藤(英)委員 それから、せっかくの機会ですので、根室といえば水産業のメッカでございますので、ぜひ水産業にかかわる方々の声も代弁していただければなと思うんですけれども、特に、北方四島周辺海域における漁業の安定等とありますけれども、もし御意見がありましたら、ぜひお話をいただければと思います。

長谷川参考人 根室市は、まさに水産業、漁業を中心に発展してきた町でありますし、北方領土隣接地域も、中標津町を除いては、漁業が主体の町であります。

 したがいまして、私どもは、かつて、北方海域、四島の真ん中ら辺、空白地帯で安全操業を認めていた時期がございまして、それも閉鎖されたり、あるいは、サケ・マス沖取り禁止もされたり、あるいは、昭和五十二年の二百海里法が施行になったということで、どんどん海が狭まっております。

 それと、例えば、貝殻島で昆布をとらせていた、これは民間協定なんですが、これにも二億近い協力金を払ってやっているということで、サケ・マス沖取り、あるいはいろいろなものを入れますと、四十億ぐらい、漁民が負担して行っているということであります。

 それと、酪農の場合は、農地改良といいまして、草地を五年に一度ぐらい整備するんですね。そうでなければいい牧草が成り立たないということで、それは国費でほとんど導入していただいているんですが、水産関係はどうもそこら辺が手薄でありまして、まだまだ我々の要求にはほど遠い。

 ぜひ、その件についても、あるいは沿岸振興、いわゆる魚礁だとか、あるいはその上についても、もう少し手厚く予算措置をしていただきたい、そういう希望は非常にございます。

 以上です。

佐藤(英)委員 最後、木村先生にぜひお伺いをさせていただきます。

 きょうは、ロシアにかかわる問題では本当に高い御見識の先生のお話を拝聴させていただいたんですけれども、ロシアの大文豪であるノーベル文学賞の受賞者ソルジェニーツィン氏が著書「廃墟のなかのロシア」で、北方四島について、これらの島がロシアに帰属していたことは一度もなかった、日本がこれらの島の返還を要求するのは国家の名誉、威信にかかわる大問題だからであると述べられ、ロシアがこれらの島を抱え込んで放さないことはロシアにとっても外交上の不利益につながる、良識に基づいた明快な主張をされております。

 先生、研究をされていらっしゃる中で、ロシアの方で、こうしてやはり日本に対する、日本の領土問題に対する、見識のあるといいますか日本にとってプラスになる、領土問題の交渉にかかわるそうしたお話をされていらっしゃる方がいるのかどうかも含めて、先生のお話をいただければと思います。

木村参考人 ありがとうございます。よく勉強されているので、びっくりしました。

 おっしゃるとおりでして、ソルジェニーツィンというノーベル文学賞をもらわれた方は、「廃墟のなかのロシア」という書物の中で、今御紹介していただいた、日本には有利になるようなことをおっしゃっています。

 そして、かつ、彼は、御存じのように、事実上西洋に亡命して、私はそのときに、奥様が後から追いかけられるときに、飛行場で、シェレメチェボ・モスクワ空港で最後に話しかけてお送りした外国人ということで、ちょっとそういう機会もあるんですけれども、その後、ソルジェニーツィンは御家族全体でプーチンのもとに帰ってきて、プーチンといろいろ意見を述べたりしておりますが、この点だけは、プーチン大統領とソルジェニーツィンとの間の意見は最後まで埋まらないままに終わってしまいました。

 そのことからわかりますように、ソルジェニーツィンのような自由に物を考えるロシアのインテリの中には、何で、この重要な隣国日本との関係をもっと重視して、ちっぽけな領土を返還しないのかという声が確かにあります。しかし、それは残念ながら少数派であります。

 まず、ソルジェニーツィンにちょっと戻りますと、ソルジェニーツィンの考え方は、もともとロシア主義というかスラブ主義。つまり、中央アジアやその他百二十の諸民族からソ連邦は成り立っていましたけれども、そういうのを抱え込み過ぎたがゆえにロシアの純粋性が失われて、実はもう持ち出しの方が多いんだ、そういうことで、彼は、小さなロシアでかっちり固まった方がいいという純ロシア主義者、純スラブ主義者なんですね。

 そして、それがくしくも、偶然、ソ連邦の崩壊ということで実現してしまったわけです。そして彼も、ロシアに帰ってくることになりまして、プーチンはジェスチャーとして彼と座談会をしたり対談をしたり別荘に呼んだりしましたけれども、今さっきも述べましたように、それでは日本に領土を返すかに関しては、プーチンは、ソルジェニーツィンの意見に賛成しなかったわけですね。

 それは、プーチンは同じくロシア主義、愛国主義者でありますけれども、それはむしろロシアがソ連邦の崩壊によって小さくなったということを憂うる、残念に思う、逆の意味での愛国主義者なんですね。そういう意味で、むしろ拡大主義者と言ってもいい。ですから、その人が政治家であって、ソルジェニーツィンは単なる一文学者である。

 そして、御質問にありますように、それ以外のインテリの中、例えば私の友達の中ではドミトリー・トレーニンさんという人がいますけれども、この人は、二年前の秋に重要な、センセーショナルな発表をしました。それはどういうことかというと、ロシアの極東の開発は中国ではやってもらえない、中国はただ来てとっていくだけだ、それだから、日本が、ヨーロッパにとってのアジア、西におけるアジアの地位を占めているので、日本は、東におけるアジアとして、ロシアを、特に極東を助けてくれる最大の友好国だと。

 したがって、北方四島の面積からいうと、これはロシア極東の千二百五十分の一しかないんです、それは私の計算ですけれども。それを、北方四島を日本にのしをつけて返しても、千二百五十倍の極東がもし中国の植民地となることから逃れ得るならばお安いことじゃないかといって、彼は二段階論的な提案をした。

 つまりそれは、一応四つともが日本の主権だということを認める、ただし、そこに住んでいる人もあるのですぐには返せない、百年ぐらい後には四島全部を返す、それは一種の香港返還方式の一バリエーションかもわかりませんが、そういうことを言った。

 私などは、ちょっといけないんですけれども、ロシアに行くたびに、ロシアの知識人とか大学教授とかフリーな研究所員、評論家とばかりついつき合いがちなので、町を歩いている人とは余り交際がないので、ちょっと私はゆがんでいると思います。

 しかし、世論調査などを調べますと、私の友人で、四島や領土を日本に返したらいいという人はむしろ全体の中ではごく少数派であって、ロシアは今二つに分かれておりまして、三分の二ぐらい、六〇%ぐらい、たまたまプーチン大統領の支持率は六三%です。これは、地方にいて、テレビを見ていてインターネットをやらないで、年金生活者であるか国家公務員、この人たちは、プーチンの方が気楽でいいと支持している。それに対して、三二%から五%ぐらいの人は、前大統領のメドベージェフが言うような近代化、西洋化を遂げなければロシアの未来はないという方で、これはモスクワ市内に住んでいるインテリの中産階級が多いんですね。

 この二つの階層が今争っているわけで、今、過渡期にあって、プーチン支持派がまだ三分の二で、メドベージェフ的な、ロシアが生まれ変わらなきゃいけないという人々が三分の一なんですね。

 ですから、そういう意味からも、私は、今、日本は領土問題で明るい兆候を得る段階じゃなくて、ロシアが徐々に変わっていって、人口比例も変わっていって、私が交際しているような大学教授やインテリや、例えばソルジェニーツィンやトレーニン、例えば女の人ではシェフツォーワのような意見があれするまでは、やはり持久戦で、根室とか北海道の方には非常に申しわけないんですけれども、これは誤って余り早く、拙速主義に走ってはいけないという根拠の一つにもなる、ロシアの社会層の状態でございます。

佐藤(英)委員 ありがとうございました。終わります。

安住委員長 委員長から申し上げますけれども、大幅に時間が過ぎておりますので、質疑応答での二十分をぜひ守っていただくようにお願いをいたします。

 次に、杉本かずみ君。

杉本委員 みんなの党の杉本かずみと申します。

 お三方、ありがとうございます。お話を伺う限り、私が感じるのは、北方領土問題というのは三層構造になっているかなというふうに感じております。

 一番コアの部分は、やはり最終的な政治的な決断だと思いますし、二層目は、それを整える環境ということで、エネルギーであったり技術であったり、そういうことだと思っています。そして三層目は、今皆様がやっていただいている返還運動であったりビザなし交流であったり署名活動であったり、そういった草の根的な活動が三層重なって、最終的に結論が出ると思っています。

 木村先生から伺っていると、タイミングがある、こういうお話でもございましたが、一方で、橋本元総理とエリツィン大統領がお会いになっているときに、ダーと言ってしまいそうになって言えなかったというような、本当の一瞬のタイミングを逸したがために今日まで至っているということだと思います。

 私の考え方としては、ちょっとこれは例えはいいかどうかわかりませんが、将棋の詰みのような形で、いよいよもう詰みですよということで返ってくるというのが理想的な展開かと勝手ながら思っています。

 それでは、ちょっと細かい質問をさせていただきますけれども、地域の振興ということで、長谷川参考人、市長に伺いたいんですが、根室の振興、道路の問題だったり港湾の問題は伺いました。

 一方で、産業振興という意味では、私が最近聞いている限りですと、ベトナムとの、サンマの輸出というんですか、冷凍したサンマを大分輸出できるようになったとか、逆に、ベトナムの方が何人か住んで、ベトナム料理が提供されている町になっているというようなことだったり、実行されたかどうかわからないんですが、その冷凍したサンマのすき間を使って酪農品の乳製品を、別海だったり中標津だったり、そういった地域ででき上がったアイスクリームのようなものを、冷凍食品ですから、こういったものを輸出しているやに聞いているんです。

 そういった経済振興、産業振興、商業振興、こういった部分で根室は少し元気になっているんだぞということを聞いているんですけれども、その辺の市長の認識のぐあいをお聞かせいただければと思います。

長谷川参考人 今、具体的にベトナムのサンマ輸出の件に触れられておりましたが、ベトナム通の方に仲介していただきまして、三年前から、根室市に、これはベトナムだけでなくて、アジア圏輸出促進協議会という、いわゆる産業団体、経済団体、行政、議会等で構成した協議会をつくりまして、いわゆる市そのものが、その協議会が商社的な役割をして輸出をするということでございます。

 一般的には、ロシアとか中国にも日本の商社を通じてやってはいるんですが、なかなか利益の面が出ない、自前でやった方が利益が出るのではないかという、新しい試みでございます。

 これは一応三年目を迎えまして、当初は百トン足らずだったのが、今五百トンぐらいまでいっていまして、あと二年後、五年後には五千トンを一応目標にやっていまして、これを今、ベトナムだけでなく、タイ、シンガポール、香港、それから中国も一部入っておりますので、まず五千トンは確実に輸出が実現できるのではないかと思っています。

 それと別海産の酪農、これはアイスクリームなんですが、これはあくまでも、輸送の際にそのすき間を使ってコストを安くということで実施していまして、ことしからもう既にスタートしております。

 あと、まだ管内では農産物とか酪農品もございますので、さらにその面も包括して、一市四町で取り組んでまいりたいと思っております。

 産業振興では、実は、先ほども言いましたが、北特法の中で、基金事業として、一億七千万を使って、それと国土交通省の一億円、ほとんどが産業振興に使っています。しかしながら、四分の一以下の果実ということで、我々が考えている線はなかなかいかないということであります。しかしながら、限られた生産物を高次加工したり、あるいは今言ったように外国に輸出するとか、そういう面は行っておりますが、そのためにも、これらをさらに推進するためにも、ぜひ北方基金の、当初予定した七億程度の財源は確保していただきたい。それが実現すれば、産業振興の面で一市四町は相当な事業促進ができると考えておりますので、ぜひ委員のお力添えをいただきたいと思います。

杉本委員 攻めの農水産業で、日本の食材、特に根室の場合は魚ということで注目されていますので、ますます活発にお願いしたいと思いますし、基金の問題については、今お話を拝聴いたしましたので、微力ながら努力してみたいと思います。

 次に、先ほど申し上げた三層構造の底辺の部分のビザなし交流、こういったものが極めて大事だということで、直近、十月にも山本一太大臣が行かれていたりもしますけれども、私も八月に二度目の四島訪問をさせていただきました。

 ちょっといい例かどうかわからないんですが、ロシアの地元の女の子が、学校の先生方と私は一緒に行きましたけれども、一番若くてハンサムな男の先生のことを非常に気に入りまして、最後まで港に送るというような姿があって、みんなで、ほほ笑ましいけれども、君、ちょっとこの島に残ったらどうだなんていう、ジョークと言ってはなんですけれども、そんな話もして、いわゆる人の交流というようなものは、恋愛等も含めてかもしれませんけれども、大いに活発化する必要があると思っています。

 そんな意味で、お三方に伺いたいんですけれども、このビザなし交流を活発化させることの大切さと、あと、ちょっとさかのぼるんですが、一九八九年の海部内閣ができて一カ月後ぐらいのタイミングで、御存じの方もほとんどだと思いますが、我が国国民の北方領土入域問題に関する閣議了解というのがございます。

 これで、戦後四十年が経過してという中で、

 最近一部の我が国国民がソ連当局の査証の発給を受けて北方領土に入域するという事例が見られたが、我が国国民がソ連の出入国手続に従うことを始めとしてソ連の不法占拠の下で北方領土に入域することは、我が国固有の領土たる北方領土に関する国民の総意及びそれに基づく政府の政策と相いれないものである。

  このことについて、我が国の多数の遺族が過去に約十年間にもわたり人道上の問題である北方領土墓参の中断を余儀なくされたことが想起されるべきである。

  以上にかんがみ、政府は、国民に対し、北方領土問題の解決までの間、このような北方領土への入域を行わないよう要請することとする。

という閣議了解がありまして、これは今も生きております。

 この閣議了解をなくすということは、今いろいろな議論の中で、外務省が、難しいタイミングで、大変重要な時期に来ているということで、むしろ慎重にいくべきであろうという意見が多いかもしれないんですけれども、この閣議了解の問題とビザなし交流の活発化、とにかく交流を促進することが非常に重要だという認識を私は持っているんですけれども、お三方のこの二点についての御意見を手短に御回答いただければと思います。

木村参考人 ビザなし交流は、日本にとって非常に大事な交流でございますので、ぜひとも続けるべきだと思っています。

 まず、その理由の第一は、皆様も御存じのように、ゴルバチョフさんが来たときに我々は大変期待したんですが、彼は、島を返すということを約束せずに帰っていって、残念でありました。しかし、そのときに、彼がみずからこのビザなし交流を、その埋め合わせと言うとなんですけれども、お土産として提案してくれて、日本にとっては非常にありがたかったわけです。

 なぜかといいますと、これは理論的にこういうことを意味しております。最近ではビザなしということがいろいろな国で行われるかもわかりませんが、その当時のソ連においてはこういうことだったんですね。ビザを出すか出さないかというのは国家主権の一番大事なものですから、ここに日ソの両国民がビザなしで行けるということは、この地域はまだ最終的にはソ連の領土とも日本の領土とも決まっていない、灰色の、グレーゾーンであるということをゴルバチョフが認めたことになるわけですね。

 つまり、ひょっとするとこれは、今は実効支配しているのはソ連だけれども、交渉のあれでは四島全部か一部が日本に返るかもしれない、そういう曖昧な宙ぶらりんな、黒とも白とも、ブラック・アンド・ホワイトで決められないグレーのゾーンであるという理論的、国際法上の前提になって初めて、ビザなし交流が当時は始まったわけです。

 ということは、日本にとっては、これは、領土問題は解決済みというそれまでのソ連の立場からの大変な譲歩であるということで、日本側は万難を排してこのプログラム、枠組みを維持すべきだと思います。それが一点。

 二番目に、もっとある意味で大事なことは、この領土が日本に返ってきた場合、日本とロシア人は共存できるということの実験台として、特にロシア人にそのことを示す。あなた方は島を追われるのではない、我々とともに共存して仲よくこれからやっていけるんだということの実験を小さいながらやっているわけですね。そういうモデルケースとして、二番目に大事でございます。

 三番目は、ちょっとこれは僕自身の意見と思ってください。

 北方四島がどういう状態であるかということを偵察できる、日本にプラスもございます。支援運動は向こうから断ってきたのも、偵察される、地震の後、四島で何が一番欲しいかということを日本に毎年知られるのが嫌だから、向こうは、豊かにもなったし、やめたいと言ってきて、支援運動は今行われていませんね。しかし、支援運動をやっているときは、ロシア人が一番日本から必要としているもの、あるいは一般的に必要としているものは何かということがわかる、そういうバイプロダクトというか副産物もあったわけでございます。

 しかし、私の強調したいのは一と二で、三番目はそれほど大きくないかもしれません。

 ところが、この一の前提をプーチン大統領は嫌うわけです。プーチン大統領は、大統領になってから事あるごとに、ビザなし交流を縮小するか廃止したいと思っておるわけです。なぜか。それは、プーチン大統領というのは表向きはやわらかく見えますけれども、ロシアではなぜあれだけの人気があって長く治政を行っているかというと、アンチ・ゴルバチョフ、アンチ・エリツィンなんですね。エリツィンは彼を任命した人ですけれども、政策上は、ゴルバチョフ、エリツィンと二代続いた時代に、ソ連、ロシアは大混乱で、世界のセカンドクラス、サードクラスの国に落ちた。貧困をきわめ、インフレは高くなり、そういうことになってはならないといって救世主のごとく登場したのがあの若きプーチンでございますから、プーチンはゴルバチョフのアンチテーゼなんです。そして、自分を任命してくれたエリツィンのアンチテーゼになって、反対の政策をやらなきゃならない。だから、それが日本にもあらわれて、対日政策も、プーチンがとっているのは、ゴルバチョフ、エリツィンの反対、正反対をやろうとしている。そしてその具体例が、ビザなし交流を縮小しようか、できれば廃止しようという政策でございます。

 そういう意味で、いろいろなことを言ってきて嫌がらせをしてきているわけです。あんな、停泊するのはあれしろとか、新聞記者はどう制限するとか、また政治の話をしてはいけないとか、山本一太先生に対する嫌がらせも、もう理屈にならない嫌がらせだと思います。

 そういうふうに、彼は、日本がそれでもう嫌になったから、日本の方の持ち出しが多いんだ、日本の船で行って帰ってきて、ロシア人はおんぶにだっこで、大名行列の買い物行列をして二トン、三トントラックに三台も四台もお土産を買ってくる、そういう陰口をきく人もありますけれども、是が非でもこれは、もっと大局的な立場から続けなければいけないプログラムだと思います。

萬屋参考人 閣議了解の件でありますが、これはそのまま堅持していただきたいと思います。

 また、今年三月、山本担当大臣が発表されましたように、三年をめどにこのビザなしについて見直しをするということで、今、内閣府、外務省、北海道、それから二つの実施団体、北対協、北海道の推進委員会、我々連盟も参加させていただいておりますが、その中で、このビザなしのありようについて、三年をめどに一元化に向けて検討するということになっており、作業中であると思いますが、これもまさしく、あくまでも閣議了解をもとに進めていただくことが最もふさわしい、このように思っております。

 以上であります。

長谷川参考人 ただいまお二人の参考人が述べたのと同様でございます。

杉本委員 まだ若干時間があるので、もう一問させていただきますが、先般訪問した際に、おじい様で現地生まれの方はやはり、今議論になっていますけれども、四島が返還されたときにこのままいさせてもらえるのか、その条件の確認を俺は正直したいんだよ、こういうことを言われました。一方で、国後あたり、あるいは先生方とか、いわゆる離島手当のような手当が公務員に出ていて、給料が倍だったり二・五倍だったりということで、本当に短期間だけ四島に来ている方というのも結構いるようでございます。

 そういう二つのタイプのロシアの方がいる中で、元島民の方は全員追い出されちゃったというつらい思いがある中で、今、木村参考人からは共存の実験台だというお話がございましたけれども、四島が返ってきた暁に、やはり私が考えるには、根室も含めて国際都市化することが非常に望ましいと思いますけれども、その島で生まれた方々にそのまま引き続きいていただくという考えに異論はないかどうか、あるいは根室を含めた国際都市化ということについて、これは萬屋参考人と長谷川参考人、お時間があれば木村参考人から、短くお願いします。

安住委員長 残り一分ですから、指定してください。

杉本委員 残り一分、では、済みません、萬屋参考人からお願いします。

萬屋参考人 先ほど述べさせていただきましたように、我々は共存を望んでおります。

 以上です。

杉本委員 では、長谷川参考人も一言お願いできれば、根室の国際都市化を含めて。

長谷川参考人 実は、我々も外務省等にその話はしておりますが、ビザ関係とかで、なかなか実現していない。しかしながら、逆に根室に北方四島の人を入れるということは非常にいい考えではないかというふうに地元としては思っております。

杉本委員 時間となりました。

 以上で終わります。どうもありがとうございました。

安住委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 きょうは、ちょうど萬屋参考人の陳述の最中に隣の委員会で質問せざるを得なくなり、途中、抜けてしまいました。それで、質問が少し重なったりする面があるかとも思いますが、三人の参考人の皆さん、よろしくお願いをいたします。

 納沙布岬に立ちますと、そこには祈りの火が、北方領土の返還の日まで燃やし続けるということで、燃え続けております。あの祈りの火は、私のふるさとであります沖縄県の最南端の波照間島から採火されてきたということを聞くにつけ、北方のふるさとを追われた人たちの思いに自分の思いを重ねる努力が非常に大事だということ、領土の返還まで本当に頑張っていかなきゃいけないという国会議員としての責務も感じているところであります。

 そこで、最初に長谷川市長にお伺いをしたいんですけれども、先ほどの陳述では、北方四島を失い、漁場を失って、そして四島を追われた元島民の皆さんが、四島の隣接地域ということで、ふるさとを慕って住み続けられている、いろいろな御苦労があると思いますが、やはりそのことによって地域の経済が疲弊しているということがありました。

 前回は経済特区の話だとかいろいろありましたけれども、今回は、やはり地域経済を支えるという上では水産業が非常に大事になっていきますし、農業も大事になっていくと思いますが、漁業の安全操業を含め、今、根室市として、漁業の問題、どんなところに力を入れていらっしゃるのか、あるいは、領土問題を抱えている中での懸念事項はどういう問題なのかということをちょっとお聞かせいただきたいと思います。

長谷川参考人 祈りの火のことはよろしいですか。沖縄の波照間島から全国キャラバンしてきているんですが、ガスで一応たいているんですが、かなり高騰しまして、一時期、夜の間消してということで、今も年間大体三百万ぐらいの経費なんです。もともと寄附で、北方四島を見に来た方々の寄附であるとか、全国都道府県民会議の皆さんの視察時の寄附等で運営しているということでございまして、やはり足りないので、市でも相当の経費をしているというような状況でありますが、これは今後とも、引き続き返還実現までしっかりと維持管理してまいりたいと思っています。

 北方領土問題未解決によって、これは根室市だけでなくて三町ですね、中標津以外は漁業中心、酪農と漁業の根室管内、市、町なんですが、その中でも、今の金額でいえば酪農と水産の額がほぼ一致していまして、根室管内で七百億ぐらいの水揚げ、そしてまた酪農も七百億ぐらいの生産といいますか、をやっている状況であります。しかしながら、やはり水産関係はまさにどんどん、この北方領土問題で、先ほど私が申し上げましたとおり、北方四島では、昭和十六年、いわゆる第二次大戦が始まる前のデータで四十三万トンの魚がとれている。その四十三万トンの魚を根室市まで運んで、根室市で缶詰にしたり、あるいは水産加工して全国に出しているということなんですが、したがって、今根室市でとれているのは十二万トンぐらいですから、両方合わせると五十万トン以上の魚が根室市で揚がっていました。

 ところが、北方四島で四十三万トンなくなったということは、根室市に五十五万トン揚がっていたうち四十三万トンが入ってこなくなったわけで、まさに八割、今の町の構造からいいますと、水産依存度が八〇%ですので、そういうことからすれば、八、八で六四%ぐらいの産業基盤を失ったと言ってもいいと思います。

 そういう状況が続いておりまして、さらに、先ほども言いましたとおり、昭和五十二年、二百海里設定であるとか、サケ・マス沖取り禁止、タラの漁獲枠の八〇%削減、安全操業でいいますと、北方四島水域の三角形の空白地帯を日本漁船が認めていた時期があるんですが、これもだめになりまして、非常に厳しい状況である。まさに細々と戦前の二割程度の水揚げで町を維持しているというような状況が続いております。

 したがって、北特法の北方基金絡みの果実も、先ほど言いました一億七千万、それと国土交通省一億、このほとんどを水産振興に使っています。それでもまだまだ足りない。したがって、とる漁業から育てる漁業というふうにかなりシフトしている面が非常に多いわけでございまして、ぜひとも基金の果実を、いろいろな方法があると思いますが、ぜひ実現をしていただきたい、これは強く、要望ですが、お願いしたいと思います。

赤嶺委員 市長からお話を聞くたびに、北特法の充実、常に訴えられておりますので、私たちも、その立場で頑張っていかなければいけないと思います。

 それで、今度は萬屋参考人にお伺いをいたしたいと思います。

 やはり、根室あるいは隣接地域へ行きますと、領土返還の問題は国の責任であります。ただ、引き揚げてこられた、あるいは島から本当に逃げるようにして根室あるいは隣接地域に住んでいる方々のお話を聞くと、奪われたふるさとは今跡形もない、自分の住んでいた場所さえわからないという話を聞くたびに、やはり返還運動の、我々が思いを一つにすべきところはそういう点にあるんだなということを感じます。

 そこで、二世、三世、四世、後継者が返還運動の中核になっていく時代を迎えておりますが、その後継者に対する政府の支援、要望というのもよく聞きますし、それから、島に残された、北方四島に残された財産、そのまま奪われた、あるいはその財産を活用できないことによって戦後の生活の御苦労、いろいろお話があります。その辺をもう一度この国会の場でお話ししていただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

萬屋参考人 お答えさせていただきます。

 委員さんには、先ほど何か私のお話し中いなくなられたということで、同じ繰り返しの御発言になろうかと思いますが。

 我々、元島民が引き揚げてきてから、生活の全てを島に置いて逃げてきた、こういうことでございますので、当然、裸一貫で引き揚げてきまして、すぐ帰れるであろう、この領土問題はすぐ解決するであろうということで、元島民の半数以上が根室管内に居を構えた、こういう状況でありまして、根室管内一市四町、それぞれ、全国に元島民は散らばったわけでありますが、特に半数以上が根室管内に住みつきまして、いつでも島へ戻れるような準備をしながら細々と生活をしていた。

 そんな中で、残念ながら今日まで返還されずに、返還運動を続けているわけでありますが、これも繰り返しになりますが、戦後六十八年たってもまだ返還にならない、一世はもう七千名も切っている状況でありますし、他方、二世、三世、四世が三万人くらいまでふえてきております。これらの後継者の生活も、大して安定しているものでもございません。よって、先ほど、法改正による元島民後継者への直接の融資についてもお願いをしたところでもあります。

 ですから、返還運動を続けなきゃならない状況にある中で、何とか二世への援助もしていただきたいな、我々、残っている一世の悲願でもございます。この後、二世、三世に頑張っていただかなきゃならぬわけでありますから、ぜひその手だてを、何とか議員立法化してでも御配慮いただけないかというお願いでございます。

 ありがとうございます。

赤嶺委員 返還運動の担い手である後継者に対する支援策についても、御当地に行くたびに訴えられていることでありますので、本当に具体化していかなければいけない、こういう思いであります。

 そこで、木村先生にまたお話を伺いたいんですが、実は私、沖縄県の出身でありまして、サンフランシスコ条約第三条撤廃ということをずっと一貫して訴えてきて、今、基地は残っておりますが、サンフランシスコ条約第三条というのは、実際、永久にアメリカの領土になるところだったのを、もう死文化し、サンフランシスコ条約三条は実体を失っております。

 私は、沖縄返還運動を通して今でも思うことなんですが、ことしの四月二十八日に安倍内閣が主権回復の日だといって式典を行ったときに、沖縄の人は大変怒ったんですね、沖縄を切り捨てた日じゃないか、沖縄では屈辱の日だと言われているんだと。いわゆるサ条約の歴史を今日の問題として捉えて論じ、そして今の不条理の解決の道筋を探るという、これは割と皆さんの意見であります。

 私は、北方領土、北方四島に住んでおられる皆さんが、どの島も差別なく返還を求めるんだということにも賛成であります。同時に、歴史的に領土問題というのを考えてみたときに、事の起こりは、去った戦争の戦後の処理のあり方が大国によって間違っていた。とりわけ、ソ連のスターリンが領土拡張主義に走り、そして千島列島をソ連参戦の条件として領土を奪い取るということになったと思うんですよね。サ条約にソ連が参加していないというのはそのとおりでありますが、サ条約の第二条で、千島放棄という、日本政府が国際条約で明らかにされているわけですね。

 戦後の日ロの交渉の過程の中で、戦後処理のあり方や国際的な道理に立った、やはり、ロシアに対して、これは間違っている、サ条約も戦後の処理の仕方としては間違っているということを日本は一度も主張していないんですね。私たち日本共産党は主張しているわけですが、一度も主張しない。やはり、改めて、領土交渉というのは、いろいろありますが、歴史的な事実とそして国際的な道理に立った交渉というのは、いま一つ求められるんじゃないか。でないと、いろいろな交渉のテクニックを駆使しても、なかなか元島民が思うような方向に領土交渉が進展していかない、そういう問題もあるんじゃないかと思いますが、先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。

木村参考人 これは、沖縄の方及び共産党の方がいつも鋭く提起される質問で、私自身も一部同感するところがあります。

 しかし、この機会に、違うところも申し上げます。先ほどと重なりますけれども、この議論を続けていきますと、二つ三つの問題にぶつかるんです。一番大きな問題は、アメリカが結局悪かった、ソ連も悪いけれどもアメリカも悪かったんだという意見でこれをやっていきますと、ソ連に対する北方領土の返還が少し曖昧化されて、要求が弱くなってしまうんですね。

 ちょっとすりかえられて、もともとはヤルタ会談とかサンフランシスコ条約でアメリカが一方的にこういう体制を押しつけたので、そこに戻って、その原点に戻って改めていかなきゃならないというような理屈になってしまって、私は、アメリカ側の学者を根室にお連れして、例えば駐ロ大使をしていたマトロック先生と行ったら、島から帰ってきた人が同じような意見で、アメリカがもっと早くこの地域に進出してくれたら、この問題は起こらなかったんだ、さかのぼると、ロシアも憎いけれども、ソ連も憎いけれども、アメリカが種をまいたんだということをしきりに言われたときに、マトロックさんはおとなしい、立派な大使ですけれども、ちょっと異論を述べて憤られたんですね。

 どんな国も完全ではないと。アメリカは確かに、勝利を焦るために、つまり、アメリカの若い青年の血が少しでも少なく流れるように、ソ連の参戦を頼んだり、ルーズベルトはもう年をとっていたので、車椅子でヤルタでスターリンに会った二カ月後に死んじゃったわけですね。そういうことで、ブレークスリーという日本の、専門家の陳情書も読まないで、この四島は日本が暴力と貪欲でとったものと誤解して、ああいう妥協をしてしまったんです。そういうミステークはしたけれども、その後アメリカは改めているんじゃないかと。

 まず第一に、一九五六年から、「われらの北方領土」にも書いていますけれども、アメリカは日本の四島返還を支持しているんですよ、一貫して。そして、できるならば、ロシアと日本の間の仲介者に立ちたいということを言っているけれども、日本の方がむしろ御辞退申し上げて、これは二国間問題であるので、他国の問題にするならば、複雑になって、ロシアのメンツもあるだろうということでお断りしているぐらいなので、アメリカは一貫して四島返還を支持しているわけです。ですから、一度ミステークを起こしましたけれども、相対的に言うと、アメリカはロシアと比べ物にならないぐらい日本にいいことをしている。

 そして、赤嶺先生の前でこういう乱暴な言い方をしちゃいけないけれども、沖縄も、一応返還しているわけです。アメリカは完全な勝利国なんですね。日本が真珠湾を攻撃して、アメリカは被害者で、そして、どんなことをしてもいいぐらいの立場なんだけれども、沖縄の人には基地があるとかいろいろな御不満があるかもしれないけれども、一応沖縄は日本に返ってきているわけです。

 それに比べると、政治の世界は絶対ということを求めませんで、相対性、どちらが相対的にましか、ベストを求めないでベターを求めるので、それから考えると、ロシアはアメリカと同列に並べて言うようなことは到底できない。ロシアはもうこの問題を認めないし、火事場泥棒式に四島を、中立条約を違反してきているわけです。

 それが、先生の意見や共産党の一部をやると、サンフランシスコ条約憎し、アメリカ憎しということから、ロシアには少し点が甘くなるんです。それは甘くなっていないとおっしゃるかもしれないけれども、こちらを余り批判するとこちらがちょっと甘くなるので、むしろ、攻撃、非難が集中すべきはロシアの立場、間違っているところなのに、そういえばと言って、アメリカもちょっとやるために、もう一度サンフランシスコ平和会議を開催することなんてできません。

 ですから、これは重光葵という人が書いた本が、僕も賛成しているんですけれども、日ロでもうあとはやりなさいというのがサンフランシスコ平和条約の集まった人々のあれで、そしてやっているわけです。

赤嶺委員 ありがとうございました。

 私は、ソ連やアメリカやそういう大国が、戦後の処理について、国際的道理に立っていないと。スターリンから始まってやって、どちらが憎しということじゃなくて、そういう道理に立って、千島全体の返還要求の中で、いろいろ元島民の問題も考えていくべきじゃないかと。また先生とはこれからも御議論を続けていきたいなと思っております。

 きょうはありがとうございました。

安住委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の皆さんに一言御礼を申し上げます。

 本当にお忙しい中、特に遠路おいでをいただきまして、当委員会で貴重な意見をお述べいただいたこと、厚く御礼を申し上げます。御発言は、当然、国会の議事録に長く載りますので、貴重な意見を本当に心から感謝申し上げます。委員会を代表いたしまして、委員長として改めて厚く御礼を申し上げまして、皆さんのこれからのますますの御活躍を御祈念申し上げます。

 ありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時四分散会


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