衆議院

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第1号 平成17年2月23日(水曜日)

会議録本文へ
平成十七年二月二十三日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 甘利  明君

   理事 伊藤 公介君 理事 金子 一義君

   理事 渡海紀三朗君 理事 松岡 利勝君

   理事 茂木 敏充君 理事 佐々木秀典君

   理事 島   聡君 理事 田中 慶秋君

   理事 石井 啓一君

      伊吹 文明君    石原 伸晃君

      植竹 繁雄君    尾身 幸次君

      大島 理森君    岡本 芳郎君

      奥野 信亮君    河村 建夫君

      北村 直人君    小泉 龍司君

      後藤田正純君    鈴木 淳司君

      玉沢徳一郎君    中馬 弘毅君

      津島 雄二君    永岡 洋治君

      西川 京子君    根本  匠君

      萩野 浩基君    二田 孝治君

      村井  仁君    森田  一君

      石田 勝之君    稲見 哲男君

      生方 幸夫君    大石 尚子君

      吉良 州司君    小泉 俊明君

      篠原  孝君    辻   惠君

      中井  洽君    中津川博郷君

      中塚 一宏君    永田 寿康君

      長妻  昭君    西村智奈美君

      原口 一博君    樋高  剛君

      古本伸一郎君    松木 謙公君

      米澤  隆君    佐藤 茂樹君

      坂口  力君    田端 正広君

      佐々木憲昭君    山本喜代宏君

    …………………………………

   公述人

   (東京大学大学院経済学研究科教授)        井堀 利宏君

   公述人

   (前岐阜県知事・前全国知事会長)         梶原  拓君

   公述人

   (神戸大学都市安全研究センター教授)       石橋 克彦君

   公述人

   (東京学芸大学教育学部教授)           山田 昌弘君

   公述人

   (東京大学東洋文化研究所教授)          田中 明彦君

   公述人

   (暮らしと経済研究室)  山家悠紀夫君

   公述人

   (株式会社ニッセイ基礎研究所上席主任研究員)   武石恵美子君

   公述人

   (埼玉大学経済学部教授) 伊藤  修君

   財務大臣政務官      倉田 雅年君

   予算委員会専門員     清土 恒雄君

    ―――――――――――――

委員の異動

二月二十三日

 辞任         補欠選任

  河村 建夫君     永岡 洋治君

  津島 雄二君     岡本 芳郎君

  福田 康夫君     奥野 信亮君

  岩國 哲人君     大石 尚子君

  津川 祥吾君     松木 謙公君

  辻   惠君     稲見 哲男君

  照屋 寛徳君     山本喜代宏君

同日

 辞任         補欠選任

  岡本 芳郎君     津島 雄二君

  奥野 信亮君     鈴木 淳司君

  永岡 洋治君     河村 建夫君

  稲見 哲男君     辻   惠君

  大石 尚子君     古本伸一郎君

  松木 謙公君     西村智奈美君

  山本喜代宏君     照屋 寛徳君

同日

 辞任         補欠選任

  鈴木 淳司君     福田 康夫君

  西村智奈美君     津川 祥吾君

  古本伸一郎君     岩國 哲人君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 平成十七年度一般会計予算

 平成十七年度特別会計予算

 平成十七年度政府関係機関予算


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     ――――◇―――――

甘利委員長 これより会議を開きます。

 平成十七年度一般会計予算、平成十七年度特別会計予算、平成十七年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十七年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますよう心からお願いを申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず井堀公述人、次に梶原公述人、次に石橋公述人、次に山田公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、井堀公述人にお願いいたします。

井堀公述人 東京大学の井堀です。よろしくお願いします。

 私のきょうお話しする主要なテーマは、平成十七年度の予算でも定率減税の一部廃止縮減の話が出ていまして少し増税の動きもありますが、これからの中期的な財政再建を考えたときに、どの程度の増税が必要不可欠なのかということを中心にお話しさせていただきたいと思います。

 財政状況は非常に厳しいわけですけれども、今の政府の公式の目標ですと、二〇一〇年代初頭にプライマリーバランス、いわゆる基礎的収支の均衡化あるいは黒字化を図るというのが量的な財政再建目標として掲げられているわけです。

 この目標の意味するところというのは、御存じのように、公債残高の対GDP比が二〇一〇年代初頭になると発散しない、つまり、時間がたってもGDPと同じ割合でしか公債残高がふえない。そういう意味で、必要最小限の財政再建を量的に進めるときの目標としてプライマリーバランスの均衡化あるいは黒字化ということを目標として掲げているわけですが、実はこの目標は、公債残高の対GDP比を安定化させるには、私のレジュメのところにも最初に書いてありますように、金利と経済成長率が等しいというのが前提になります。

 この予算委員会でも一月に内閣府の方から展望の試算が出たと思いますけれども、その試算でも、二〇一〇年代初頭に金利と経済成長率は等しい、そういう想定を置いて、その想定のもとでは、プライマリーバランスを均衡化、あるいは黒字化といってもほとんどゼロですけれども、そこまで持っていけば公債残高の対GDP比は発散しないで一五〇とか六〇ぐらいで安定化する、そういうことなんです。ただし、これは金利と成長率の関係次第でかなり動き得る数字で、現実を見ますと、成長率よりも名目金利の方が高い状況の方がよりもっともらしいだろうと思います。

 したがって、今の政府目標というのは相当楽観的な、あるいはこれを改革がうまくいくというぐあいに表現することもできると思うんですが、逆に言うと、相当楽観的なケースを前提にして、そのもとでの必要最小限の財政再建としてプライマリーバランスの均衡化を掲げているということになります。

 しかし、もしも金利の方が経済成長率よりも高い状況が今後中期的に続いていくとすると、プライマリーバランスを均衡化しただけでは、依然として現在と同じように公債残高の対GDP比はどんどん上昇し続けるままで、財政再建の量的な見通しが立たないままに二〇一〇年代に入ってしまう、こういう状況を迎えることになります。

 したがって、金利と経済成長率が等しいというある意味で楽観的なケースだけに頼って、余りにも財政再建を量的なところに対して楽観的な数字だけで、必要な歳出削減なり増税への努力を怠ったままこれから五、六年あるいは七、八年たってしまいますと、その後で財政状況が予想以上に相当厳しくなったときに、大幅に財政歳出を削減したり、あるいは大幅に増税をせざるを得ないような状況に追い込まれることになりますので、その方が、将来、国民経済にとっても非常にマイナスの影響が出てくることになります。

 したがって、より慎重な見通しのもとに、多少金利が経済成長率よりも高くなってもある程度量的な財政再建が中長期的に達成可能であるような、そういうシナリオを現在からきちんと示して、そのもとで歳出削減を進めると同時に、必要不可欠な増税がどの程度あり得るのかについてももう少し真剣に議論する時期に既に来ているのではないかと思います。

 具体的にはどの程度の量的な引き締めが必要かといいますと、現在の政府目標というのは対GDP比で見て四%ポイントぐらいの財政収支の引き締めを想定しているんですけれども、金利が経済成長率よりも多少、一%か二%ぐらい高いという状況、これは、一九八〇年代以降の平均的な数字を当てはめると大体金利の方が経済成長率よりも一%から二%高い状況が続いているわけですけれども、その状況が今後も続くと想定しますと、実際には三%から四%ぐらいのプライマリーバランスの黒字に持っていかないと公債残高の対GDP比は発散する状況が依然として続いてしまう、こういう状況になります。

 したがって、現在想定している歳出削減よりもある意味ではその二倍程度の量的引き締め、増税と歳出削減の両方の組み合わせで今の想定の二倍程度の引き締めが今後七、八年の間に必要になり得る、そういう慎重な見通しのもとに、もう少し真剣に歳出削減の努力と増収を図る努力について具体的に考える必要があるのだろうと思います。

 歳出削減ですけれども、御存じのように、日本が相当少子高齢化が進んでいますので、社会保障費は自然のままでほっておいてもかなり伸びますので、これを対GDP比と同じ割合に落とすだけでも相当大変ですけれども、それをさらに四%ポイントも下げるとなると、大幅な社会保障の制度改革なしにはある意味で実現不可能な数字なわけですね。

 さらに、自然増収を考えますと、確かに景気がよくなれば税収はふえますけれども、そうはいっても名目の経済成長率はそれほどふえませんから、今現在、ほぼデフレかインフレかぎりぎりの、物価水準はほぼゼロの状況ですから、この物価水準が多少上がったとしても、高度成長期のように名目経済成長率が一〇%を超える状況は非現実的だろうと思います。

 したがって、仮に経済が好調になってデフレから脱却したとしても、それほど極端に自然増収は期待できない。さらに、高齢化の圧力で歳出削減に対しては相当厳しい制度的な課題があるということを考えますと、四%ポイント程度削減するのであっても、相当厳しい歳出削減と経済の活性化を前提にしているわけですね。さらにそれに加えてプラスの、残りの三から四%ぐらいの量的な引き締めが必要だとなると、これはどう見ても裁量的に増税せざるを得ないだろうと思います。

 今、裁量的な増税というのは、ある意味で税率を変えたりあるいは課税ベースを変えるという形で税制改正をするということですけれども、そういった裁量的な増税をしないままいきますと、これから四、五年たった後で、逆に言うと極端な増税をその時点になって初めて検討せざるを得ないとなりますと、これは国民にとっても非常に大きなマイナスのショックになりますので、そういった増税に対する不安感を解消するためにも、必要最小限の増税がどのくらいなのかということについてもう少し国民にきちんとした情報を開示して、それなりの協力を求める必要があると思います。

 仮に、それを消費税の増税だけでやるとしますと、四%ポイントぐらいの裁量的な増税というのは消費税に直しますと八%ぐらいの消費税の税率の引き上げにほぼ相当します。これを、一つの試算ですけれども、毎年一%ポイントずつ消費税を上げるとすれば、現在から八年間で今の五%の消費税を一三%ぐらいに上げればほぼ四%ポイントぐらいの税収の増加が確保されますので、それが裁量的な増税の一つの大きさになります。

 ただ、消費税を一三%まで上げるかわりに、消費税を例えば一〇%ぐらいの上げ幅に抑えて、残りの三%ポイントぐらいを別の形で増税するということも当然選択肢になるわけで、例えば、レジュメに書きましたように、住民税の税収をもう少し大幅に確保する。一つの案としては、均等割を今の数千円のオーダーから数万円のオーダーにするだけでもこれは数兆円規模の増収効果がありますし、あるいは、国税としての所得税の人的控除を、特に配偶者に関しての人的控除を大幅に削減する、これは女性の社会進出にとってもプラスだと思いますが。そうした効果でもやり方次第では兆単位の税収増が確保できるわけですけれども、そういった具体的な税収の増加についてある程度の議論をするべきであると思います。

 ただし、増税する場合は、きちんと税金を取る人から取っているんだ、そういう増税に関する負担に関しての公平感を確保する必要がありますので、納税者番号制度をきちんと入れて、だれがどういった形で特に資産を形成しているのか、蓄積しているのかの情報を長期的にきちんと税務当局が把握しておくというのは、所得税の捕捉を間接的に補強するものとして有効だろうと思います。

 それからもう一つは、増税という形で税収が入ったとしても、それがむだに使われるということであれば国民は、あるいは納税者は納得しないわけですから、やはり税金がきちんと使われるということの担保をする必要があると思います。

 これはもちろん、この場のように予算委員会できちんとした予算が審議されて納税者の意向に沿った形で予算が執行されるというのが本来ですし、それが望ましいわけですし、そういった形で日本の現状が進んでいることを私も期待しますけれども、同時に、それを補完する意味で、納税者が何らかの形で税金の使い道についてある程度指定できるような、そういう制度も間接的に考えてもいいのではないか。それで、レジュメのところで納税者投票というのも書きましたけれども、これは、所得税の使い道についてある程度納税者がその使途を指定できるような、そういう仕組みも入れると、税金がきちんと使われるということに関する納税者の理解もより得やすいのではないかと思います。

 それから、税金を取る場合の大きな論点はやはり消費税になるわけですけれども、消費税に関しては公平性の観点からいろいろな反対意見があって、なかなかこれをクリアするのは難しいと思いますが、ただ、公平性の観点からいいますと、消費税はそれほど不公平な税ではないんだろうと思います。

 なぜかといいますと、人々の経済的な格差というのは何に反映されるかというと、その人がどれだけ消費をたくさんしているか、あるいはたくさんできないかという消費行動の格差に反映されるんだろう。つまり、お金をたくさん稼いでもそれを使わないまま資産として残して死んだ人はそれほど経済的には豊かな生活をしているとは言えないわけですね。たくさん使って初めてその人が経済的に高い生活を享受しているということになりますから、逆に言うと、消費水準の高さというのはその人の経済力を反映する一番有力な指標になります。ということは、消費に対して課税するわけですから、消費をたくさんしている人からたくさん税金を取るのはそれほど不公平な税ではないわけですね。

 消費税で一番公平的な税というのはいわゆる直接税タイプの消費税で、つまり消費額に対して累進的に税金をかけるという税ですが、これは、一年間のその人の消費額が実際上捕捉できませんから、なかなかできない。そのかわりに、間接税タイプの消費税というのはその都度その都度消費に対して比例的に税金がかかるわけですから、直接税タイプの支出税に比べると累進税が適用できないという分だけ再分配効果はないんですけれども、だからといって逆進的でもないということですね。

 その意味で、消費税はそれほど不公平ではないので、消費税の税率が二けたに上がったからといって特に消費税に関して再分配を是正するような、例えば複数税率の導入というのは余り望ましいことではないと思います。

 複数税率を入れる場合によく議論されるのは、食料に関する非課税とか軽減税率を入れるケースがあるんですけれども、日本の場合、データで見ても、特に低所得者の人が集中的に食料だけを多く消費しているということはありませんので、食料に関して軽減税率を入れたとしても再分配効果は余り期待できない。そのかわりに、むしろ複数税率が入ることによるいろいろな攪乱効果が大きくて、メリットが余りないばかりか、デメリットの方が大きいだろうと思います。

 それから、消費税と所得税とは、つまり一般的な税と考えるとほとんど同じようなものでして、ここはテクニカルになりますので時間の関係で省略しますけれども、要するに、使う段階でかかるのが消費税で稼ぐ段階でかかるのが所得税ですけれども、消費する以上はその所得として稼いでいるわけですから、長い目で見れば、所得として稼いだものは基本的にはすべて使われるはずなわけですね。もちろん貯蓄もするわけですけれども、最終的には使い切るのが合理的な、経済的な行動になります。遺産を入れると多少この話は違ってくるんですけれども、遺産の場合は、もらう遺産と残す遺産がほぼ同じであれば相殺できますから。

 その意味で、消費と所得はほぼ同じなので、消費にかける消費税と所得にかける所得税というのは、経済的な効果というのはそれほど違いがないんですね。つまり、例えば二〇%の所得税をかけるということと二五%の消費税をかけるというのは、ともにフラットな比例税だということで考えれば、ほぼ同じ経済的な効果を持っています。逆に言いますと、例えば北欧諸国は二五%の消費税を入れているわけですけれども、これは、二五%の消費税を入れているという見返りに二〇%のフラットな所得税、労働所得税を入れているんだ、こういうぐあいに考えることもできるわけですね。

 だから、日本の所得税の税制が相当フラット化している現状ですと、所得税と消費税というのはそれほど大きな効果はないわけですから、その意味で、課税、徴税の面での透明性、つまり所得よりも消費の方がいろいろな意味でわかりやすいという面からしますと、消費税をもう少し活用するというのはそれほどおかしいことではないんだろうと思います。

 ただし、消費税を活用する場合の一つの大きな懸念は、いわゆる社会保障に関する福祉目的税という形でこれから高齢者がどんどんふえるときに社会保障の受給と消費税とが完全にリンクがなされてしまいますと、受給世代というのはこれから政治的な発言力が非常に強くなるわけですから、その人たちの財源として消費税が活用されますと、社会保障の財源が足りなくなると消費税を上げればいいという形で、ある意味ではむだな、大きな政府になりやすい。そういうインセンティブを消費税を福祉目的税化すると持ちますので、やはり消費税というのは一般税源のもとで有効に活用されるという前提のもとで、必要最小限の財源として消費税を活用するんだという方向で、足りなければ消費税で何とか福祉財源をやればいいんだ、そういう方向で消費税は活用すべきではないだろうと思います。

 それから、最後ですけれども、定率減税の縮減、廃止等も含めて増税をこれから多少ともやっていきますと、マクロ経済に与える効果あるいは景気回復との関係でどうなんだという疑問なり不安感も当然出てくると思うんですが、問題は、増税する場合にその財源がどこに行くのかというところが問題で、増税してそれを歳出の拡大に使ってしまうのでは、当然、国民、納税者にとってみれば税金が取られっ放しですから、可処分所得が減りますので、消費は落ち込みます。

 ただし、増税しても歳出がふえないで、それが過去の借金の返済に充てられる、つまり、増税した分だけそうでない場合に比べると国債の残高が相対的に減って、それも将来の増税要因が相殺されるということであれば、必ずしも増税というのは長期的に見た増税につながっていないということですね。つまり、現在増税するということは将来の増税要因を消しているわけですから、中長期的に増税要因にならない以上、それほど消費を抑制する効果もないんだろうと思います。

 それで、レジュメ三ページの最後の方に書きましたけれども、マクロ経済の安定化にとって一番重要なのは、財政面からいうと、いわゆる自動安定化効果に期待する。つまり、景気がよくなれば何もしなくても税収はふえるわけですね。景気が悪くなれば何もしなくても税収は減りますから、その分だけマクロ経済にとっての安定化効果があるわけで、裁量的に増税したり減税したりすることによってマクロ経済を活性化するということはあえて必要ないんだろう。その意味で、マクロ経済の動向と並行して、余り景気のよしあし等に一喜一憂しないで、中長期的に必要な増税に関しては粛々とやる方が望ましい。

 これは、課税の平準化あるいは負担の平準化という観点から、経済的には一番もっともらしいやり方で、つまり、一時期に集中的に増税するよりは、どうせ増税するのであればなだらかに増税する方が国民経済にとっての負担は小さくなりますので、その意味で、これから中長期的にある程度の増税が避けられないということであれば、それを先送りするのではなくて、現在から少しずつ増税していく方が国民にとっても負担感も少なくなりますし、結果としてマクロ経済にもプラスになる。だから、景気がいいから、あるいは景気が悪いからといって増税を先送りしてしまいますと、結果として将来重い負担を残すという意味で、まずいのではないかと思います。

 大体時間になりましたので、もし質問があれば後で聞かせていただきます。

 以上です。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、梶原公述人にお願いいたします。

梶原公述人 梶原でございます。

 今月の初めに全国知事会会長を退任いたしましたが、全国知事会、市長会、町村会、それからそれぞれの議長会、これは地方六団体と称しておりますが、地方六団体がいわゆる三位一体改革にどのような考えで取り組んできたか、また地方分権改革にどのように取り組んできたか、その点についてお話をさせていただきたいというふうに思います。

 お手元に資料をお届けいたしておりますが、その一ページにございますように、地方分権改革、三位一体改革は、単に国と地方との間の権限、財源の奪い合いではないということでございまして、幅広い、あるいは根の深い改革というふうに我々は意識をしておりまして、行政改革であり政治改革であり、あるいは生活改革、社会改革、産業改革、こういうような幅広い改革につながっていくものだという認識をいたしております。そして、一の一番下にございますように、地域、個人の潜在能力を解放していくということが日本全体を生き生きとした社会にしていく、こういうことではないかということでございます。

 二にございますが、歴史的視点から見た場合、歴史の大きな流れから見ますと地方分権改革というのは歴史の必然である、このような認識をいたしております。基本的に、官僚政治から市民政治へという、四百年のサイクルで日本の政治権力の中心が移行いたしておりまして、平安遷都から鎌倉幕府、そして徳川幕府、そして今日に至っている、こういうような考え方もございます。

 それから、明治維新は中央集権改革でございましたが、我々が今進めている平成維新は地方分権改革である、地方分権革命であるというふうに認識をいたしております。二ページに参りまして、工業社会から情報社会へ移行していくということは、画一社会から多様性の社会へ移行しなきゃいけないということでございまして、そういう意味からも分権改革は必然である、かように考えております。

 それから、(三)にございますが、大正デモクラシー運動が盛んに行われて、その結果、昭和三年に第一回普通選挙が行われております。後ほど説明させていただきますけれども、第一回の普通選挙の際の立憲政友会、これは今の自民党の前身の一つでございますが、その選挙公約が地方分権ということでございました。

 御案内のとおりでございますが、立憲政友会は、市民派ということで民党と呼ばれておりました。もう一方の立憲民政党は、官僚派ということで官吏の吏党と呼ばれておりました。

 その後、軍国主義体制に入りまして、いわゆる民党派が影を潜めていった、こういうようなことでございます。石橋湛山先生が早くから地方分権を、特に税源移譲というものを唱えてこられました。

 「地方分権推進の必要性」が三にございますが、現在は高コスト不満足社会と言っていいのではないかと思います。非常に硬直化している、縦割りだ、規制が強過ぎる、そしてみずから決定権がないという不満足な状況である、全体が甘えの構造、護送船団で依存社会であるということで、地方分権をしていくということが真の構造改革であり究極の財政再建である、一言で言うと、自己責任社会に日本全体を持っていかないと究極の財政再建はできないというふうに考えております。

 三ページに参りまして、住民主権、市民政治ということは、なるべく生活者に近いところで政治、行政を行うということが透明性を高めるし、また情報公開の効果も高い、市民参加もやりやすいというようなことでございまして、代表制民主主義と同時に地方自治が併存することによって真の民主主義となるということでございます。

 ヨーロッパでは、第二次世界大戦、ナチズムの反省から、つまり、余り権限が中央に集中し過ぎると、独裁者が出た場合に大きく国がぶれてしまうということで、足元をしっかりしようという反省、そういうことで、ヨーロッパ地方自治憲章というものが一九八五年に制定されております。

 地域に自由を、市民に権利をというのが我々の地方分権改革のスローガンということでございます。

 「国と地方の役割分担のあり方」でございますが、地方自治体の実力はどうかということでございまして、国際的に経済規模というものを見てみますと、ブロック別に、これも後ほど御説明しますけれども、広域の単位で考えると、ノルウェー、アルゼンチン、イギリス、スイス、ブラジル、メキシコ、ベルギー、ポルトガル、オーストラリア、ベトナム、この十カ国を一つのところでコントロールしようということで、物理的に中央集権というものが限界に来ているというふうに考えていいんじゃないかと思います。

 この地方自治の基本原理は、ヨーロッパ地方自治憲章それから世界地方自治憲章の案というのがございまして、これが民主主義の、あるいは地方自治のグローバルスタンダード、こう言ってもいいのではないかと思いますが、近接及び補完の原理ということになっております。なるべく基礎的自治体、日本の場合でありますと市町村に権限、財源を優先させる、そこで処理できないものをより広域な団体で処理させる、これが日本でいえば都道府県でございまして、そこでもなお処理できない国防、防衛、通貨、金融政策等々は国の事務である。こういう近接、補完の原理というものが現在の先進国の民主主義、地方自治のグローバルスタンダードであるというふうに我々は考えております。

 ということで、三ページの(三)にございますように、国の関与、規制をどんどん緩和し、あるいは是正していくべきだということを主張いたしております。

 次のページ、資料一というのがございますが、これは、昭和三年、一九二八年、今から七十七年前ですか、大正デモクラシーの成果として、第一回の普通選挙が行われました。これが先ほど申し上げた立憲政友会のポスターでございまして、「地方分権丈夫なものよひとりあるきで発てんす」、一方「中央集権は不自由なものよ足をやせさし杖もろふ」と。これが第一回普通選挙の立憲政友会の選挙公約ということになっておりまして、今日これをそのまま持ち出しても十分通用するということで、八十年近くほとんど変わっていないという現状でございます。

 資料二でございますが、「地方分権は何故必要か」ということでございまして、これは、先ほど申し上げましたように、やはり硬直社会に今なっております。全国一律、画一でコントロールされている、これをもっと地方に任せて、柔軟な、創意工夫ができる社会に持っていく。

 それから、縦割り社会。各省庁別、局別、課別、ひどいときは係別で縦割りの補助金とか規制が行われているということで、横割りの仕事ができないということになっておりまして、もう莫大なむだを生んでおります。

 それから、過度の規制によって創意工夫が生かされないということになっております。

 そういうような状況で、地域、市民、非常に満足感を抱けないというような閉塞状況になっておるわけでございまして、分権型にしてより透明性を高める、そして自分たちも、自分たちの生活にかかわる行政についてみずから参加できる、こういうことによって初めて満足感が出てくるということでございます。

 総じて、最後にございますように、日本はまだ、護送船団といいますか甘えの構造といいますか、依存社会でございまして、地方自治体相互の競争原理というものももっともっと導入しなきゃいけないということでございまして、しっかりやらない首長は選挙で落選をするということにしなきゃいけない。今は、いや国が悪いんだとか、そういうツケ回しができる状況であるということでございまして、次のページにございますように、そういう改革をして低コスト満足社会へ持っていくべきである、これが究極の財政再建である。

 世界の政治経済学者が提唱しておりますリヴァイアサン仮説というのがございまして、税財政面で分権が進むほど、国、地方を通じた歳出規模は縮小するということでございます。世界六十二カ国の二十世紀終わりごろの二十年間のデータを用いた実証研究がございまして、一国の総収入に占める地方自主財源の割合が一%増加すると、国、地方歳出は国内総生産、GDP比で〇・二九%減少するというようなことでございます。

 例えは正確じゃないかもしれませんが、自分たちのお金を税金で納める、それが国に入って戻ってくるときは、一種のマネーロンダリングで人の金になって来ていますから、非常にむだな使い方をする。やはり自分の金として使うようにしないと大きなむだが出てくる、端的に言いますとそういうことではないかということでございます。

 次のページに「各地域ごとの経済力の国際比較」という図がございまして、これは先ほど申し上げましたように、上から、北海道はノルウェーに相当する、東北はアルゼンチンに匹敵する、関東はイギリスに匹敵する、それから東海はブラジルに匹敵するというようなことで、これだけの経済力のある広域ブロック、それぞれが一国の力を持っているんですが、これをまとめてコントロールしようということ自体がもう限界に来ている、国際的にそういう視野で見ていかなきゃいけないんじゃないかということでございまして、その次のページにブロック別のいろいろな指標を出しております。

 それから、最後に資料四がございますが、世界地方自治憲章の案というものがございまして、これは、中国とアメリカの反対によって日の目を見ておりませんが、ヨーロッパ地方自治憲章をベースにした、民主主義あるいは地方自治のグローバルスタンダードと言ってもいいと思います。

 日本政府もそれに賛成をしておったわけですが、この下の囲みにございますように、平成十二年、いわゆる地方六団体も、これが我々が目指す地方分権の推進、地方自治の確立と軌を一にするものである、このような動きが今や世界の潮流であるということで、その実現に向かって努力すべき、こういうような決議をし、声明を発表いたしております。

 以上のような基本的な考え方で三位一体改革あるいは地方分権改革に我々地方六団体が取り組んできた、そういうことでございますので、ひとつ御理解を賜りたいと思います。

 以上でございます。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、石橋公述人にお願いいたします。

石橋公述人 神戸大学都市安全研究センターの石橋と申します。よろしくお願いいたします。

 私は地震の研究をしておりますが、その立場から、迫りくる大地震活動期は未曾有の国難であるというテーマで、それを賢明に乗り切るためには、地震対策、地震防災対策というような技術的あるいは戦術的な対応では到底しのぎ切れなくて、私たちの国土あるいは社会経済システムというものの根本的な変革が必要ではないでしょうかという意見を述べさせていただきたいと思います。

 日本列島の大地震の起こり方には、活動期と静穏期というのが認められます。これは地学的、物理的に根拠のあることであります。非常に重要なことは、敗戦後の目覚ましい復興、それに引き続きます高度経済成長、さらには、人類史上まれに見る技術革新の波に乗って都市が非常に利便性を高めた、高度化、高度に集中した都市が発展した、それで日本の現在の繁栄がつくられたという、これは、たまたまめぐり合わせた日本列島の大地震活動の静穏期に合致していたということであります。つまり、大地震に洗礼されることなく現代日本の国土や社会というのはでき上がっているのでありまして、基本的に地震に脆弱な面を持っております。

 ところが、現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつあるということは、ほとんどの地震学者が共通に考えております。ということは、非常に複雑高度に文明化された国土と社会が言ってみれば人類史上初めて大地震に直撃される、それも決して一つではない、何回か大地震に襲われる、そういうことであります。したがいまして、これは大げさでなくて、人類がまだ見たこともないような、体験したこともないような震災が生ずる可能性が非常にあると思っております。

 地震という言葉と震災という言葉が普通ごっちゃに使われておりますけれども、私が地震と言っておりますのは地下の現象です。地下で岩石が破壊する、これが地震であります。これは自然現象でありまして、よくも悪くもない、日本列島の大自然として淡々と起こっている。我々が日本列島に住むはるか前から地震はそうやって起こっているわけです。

 震災というのは、それに対しまして社会現象であります。地震の激しい揺れに見舞われたところに、我々の社会あるいは文明があるときに生ずる社会の災害でありまして、社会現象だと思います。

 将来、具体的にどういう震災が起こるだろうかと考えてみますと、言ってみれば、広域複合大震災とでもいうべきもの、それから長周期震災、超高層ビル震災とかオイルタンク震災とでもいうべきもの、それからもう一つ、原発震災とでもいうべきものが将来起こり得ると私は考えております。

 それぞれがどういうものかは、近未来の日本列島の地震情勢に即してもう少し御説明したいと思います。

 近未来の日本列島の地震情勢を簡単に言いますと、駿河湾から御前崎沖、遠州灘あたりの非常に広い範囲の地下ですぐ起こってもおかしくないと思われているのが東海巨大地震であります。その西、熊野灘では東南海地震、それから、紀伊水道、四国沖では南海地震という巨大地震がもうそろそろ射程距離に入ってきた。今世紀の半ばごろまでにはほぼ確実に起こるであろうと考えられています。二年ぐらい前ですか、特別措置法もできたわけです。東海地震に関しては、一九七八年に既に大規模地震対策特別措置法ができております。

 場合によりますと、すぐ起こってもおかしくないと思われている東海地震が少し先送りされて、つまり、大地が頑張ってしまってすぐには起こらないで、東南海地震と一緒に、一八五四年に安政東海地震という非常な巨大地震がありましたが、そういうものが起こるかもしれない。その場合には、引き続いて南海地震が起こるかもしれない。一八五四年の場合には、十二月の二十三日に東海地震がありまして、翌日二十四日、わずか三十時間を隔てて南海巨大地震が起こりました。それから、一七〇七年にはこの両者が同時に起こりました。そういうことも今世紀半ばにあるかもしれません。

 一方、首都圏に目を移しますと、首都圏直下の大地震は、これはマグニチュード七クラスの大地震と思われていますが、これは幾つか地下の候補地がありまして、これもいつ起こっても不思議ではないと考えられております。中央防災会議が昨年の十二月に被害想定を発表したところであります。

 しかし、過去の例で言いますと、一八五四年の場合には、安政東海・南海巨大地震が起こったその翌年、一八五五年に安政江戸地震という直下地震が起こって、江戸に大変な被害をもたらしています。将来もそういうことがあり得ると思います。つまり、東海地震が起こってじきに、その年か翌年か二、三年後かわかりませんけれども、首都圏直下で大地震が起こる、そういうこともあり得ると思います。

 さらに、こういう東海・南海巨大地震に先立つ数十年間、内陸でも大地震が幾つか起こる。既に、神戸の地震、それから昨年の新潟県中越地震はこういうものの仲間であっただろうと考えられております。

 その震災、災害の方でありますけれども、東海地震が起こりますと、もし一八五四年と同じような、駿河湾の奥から熊野灘ぐらいまでの地下で非常に広大な断層面が破壊するという巨大地震が起こりますと、まず、阪神大震災と中越震災があちこちで、随所で同時多発するというようなことが起こります。つまり、沼津、三島あたりから尾鷲ぐらいまでの各都市で都市型の震災が起こるわけです。

 それと同時に、山地でも山地災害が起こる。内陸、甲府盆地とか諏訪湖の周辺とか、場合によったら北陸とか、そういうところも非常に激しく揺れまして、そういうところでも激しい災害が生ずると考えられます。

 さらに、この場合には大津波が生ずるわけです。房総半島から尾鷲のあたりまでは大津波です。特に相模湾から尾鷲のあたりまでは非常な大津波で、海岸の地形や何かによっては、あのインド洋の大津波に匹敵するようなことが起こる場所もあるかもしれません。というわけで、これらは広域複合大震災と言ってもいいものだと思います。

 二番目に、巨大地震というものが起こりますと、これは地下で地震の波を出す領域が非常に大きいために、非常にゆったり大きく揺れる長周期の地震波というものを放出します。これはもう物理的に必ず放出します。それが少し離れたところへ伝わると、例えば東京湾の地下構造、伊勢湾の地下構造、それから大阪湾の地下構造、そういうことの影響でさらにそのゆったりした揺れが増幅されて、さらに、その受け皿の関東平野、濃尾平野、大阪平野、そういうところが、ゆっくりとですけれども、非常に激しく大きく揺れます。これを長周期の強震動、強い震動と言います。これは、超高層ビルや大規模なオイルタンクやそれから長大橋、そういうものに大きな影響を与えます。

 超高層ビルが最近の都市再生というような政策によってどんどん建てられておりますけれども、最近の超高層ビルは、制震装置というようなものを備えて揺れを抑えると言われていますけれども、まだ実際の長周期強震動に洗礼されたことはありません。ですから万全かどうかわかりません。まして、例えばバブル期にコストを切り詰めて建てられた超高層マンションなんというのはかなり危険性が高いと思います。

 最近シミュレーションなんかも行われていますが、上の方の階は非常に予想外に大きく揺れまして、家具の滑動、ピアノとか家具とか大きなテレビとかがもうすっと滑って、思いがけなく上に住んでいる人を押しつぶすというようなことで、人的被害も起こり得ます。さらには、致命的な構造的な被害も生ずるでしょうし、また、設備がやられますので、エレベーターが動かない、水が出ない、トイレが使えないということで、上に人は住んでいられない。

 ですから、超高層マンションや何かが林立して、非常に都市空間が有効に活用されていると思っていても、その地震の場合には、結局、住民は全部下へおりてきて、ブルーテントを張って地べたで避難しなければならないということが起こり得ます。さらには、その構造物自体が損傷するかもしれない。

 また、石油コンビナートのオイルタンクなんかも、その長周期の揺れによってオイル火災を起こす。これは、おととしの九月二十六日の十勝沖地震のときに、苫小牧でオイルタンクの火災が発生して俄然問題になりましたけれども、こういうことが起こることはもうずっと前からわかっていることであります。

 これが、超高層ビル震災とかオイルタンク震災と言ってもいいような長周期震災であります。オイルタンクの火災、コンビナートの火災は、火のついた油を乗っけた海水が津波によって市街地に遡上して、市街地に延焼火災を誘発するというようなことも起こるかもしれません。

 三番目の原発震災ということでありますが、これは私が一九九七年につくった言葉ですけれども、東海地震の場合、東海地震の予想震源域という、地下で地震波を放出すると考えられている領域の真上に中部電力の浜岡原子力発電所がありまして、ことしになって五号機が動き始めました。既に四号、大分年を経た四号までも動いているわけです。

 日本の場合五十三基の原子炉が今ありますが、地震には絶対安全だということになっております。それから中部電力も、浜岡の原発は東海地震には絶対耐えられるとおっしゃるわけですけれども、地震学的に見ますと、いろいろ疑問点はあります。想定の地震、あるいは地震の揺れがまだ不十分なのではないかというようなことです。

 アメリカでは、地震というのは原子力発電所にとって一番恐ろしい外的要因であるというふうに考えられています。といいますのは、普通、原発の事故というのは単一要因故障といって、どこか一つが壊れる、その場合は多重防護システムあるいはバックアップシステム、安全装置が働いて大丈夫なようになるというふうにつくられているわけですけれども、地震の場合は複数の要因の故障といって、いろいろなところが震動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなるとか安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合には、いわゆるシビアアクシデント、過酷事故という、炉心溶融とか核暴走とかいうことにつながりかねないわけであります。

 浜岡原子力発電所も、六百ガルという強い地震の揺れに耐え得るから絶対大丈夫だと中部電力は言っておりましたけれども、ことしの一月二十八日には社長さんが記者会見されまして、念のために千ガルという揺れまで耐えるように耐震補強工事をしますということになりました。ですから、どこまで丈夫にしたら大丈夫なのかということははっきりしているわけではございません。

 万々が一、ここで東海地震によって浜岡原発が大事故を起こしまして、大量の核分裂生成物、炉心にたまっている核分裂生成物が外部に放出されますと、これは、例えば浜岡の三号機が百十万キロワットの発電能力を持っていますけれども、そういう原子炉を一年間運転すると、広島型原爆七百発から千発分ぐらいのいわゆる死の灰が炉心にたまると言われております。そういうものの何%か何十%か、事故によって随分違いますけれども、そういうものが放出されますと、要するにチェルノブイリの原発事故のようなことが起こる。それで、近くに住んでいる住民は急性放射線障害、放射能障害によってすぐ死ぬ。それからやや離れたところでも、パーセンテージが減っていくだけで、そういうことが起こる。

 さらに、放射能雲、死の灰の雲が、御前崎の場合は南西の風が吹いていることが多いんですけれども、その場合には、清水、静岡、沼津、三島、そういうところを通って箱根の山を越えて、神奈川県、それで首都圏にも流れてくる。これは気象条件、風の速さなんかによりますけれども、十二時間ぐらいすると首都圏にもやってくる。それで、雨が降ったりしますと、放射能がその雨粒について降ってくるわけです。

 私が原発震災といいますのは決して地震による原発の事故という単純な意味ではありませんで、仮に、東海地震によって新幹線が脱線、転覆するとか、建物がいっぱい倒れる、燃える、そういうことで一万人の方が亡くなるとします。地震ではないときに、平常時に仮に、万一浜岡で大事故が起こったときに、放射能で近隣住民が千人死ぬとします。それが同時に起こったら、では死者は一万一千人かというと、決してそうではないわけですね。

 放射能から避難しようと思っても、地震の被害で、津波や液状化で道路、橋はずたずた、建物はたくさん倒れて、道路をふさいでいるということで、逃げようにも逃げられない。浜岡の原発事故に対処しようと思っても対処できない。一方、新幹線が脱線、転覆して閉じ込められている、あるいは無数の家屋が倒壊してその中に、まだ生きているけれども閉じ込められている。そういう人たちを、ふだんであれば、まさに神戸のときのように、あのときはちょっと時間がおくれてしまったわけですけれども、それこそ自衛隊やボランティアが駆けつけて救出するということができるわけですけれども、非常に強い放射能があるわけです、襲ってくるわけですから、恐らくそれはできない。まあ、どうなるかわかりません、決死隊が行くのか何かわかりませんけれども。通常の震災による生き埋めの人、救出できる人がかなり見殺しになるんではないか。そうすると、死者が数万人にも十万人にも及ぶわけです。そういうことが東海地方で起こりかねない。

 さらに、東京に目を移しますと、やや長周期の震動で超高層ビルや何かが被害を受けて、大勢の人がブルーテントで地面に避難しているというような、そこへ放射能雲がやってくるわけです。気象条件によっては、かなり東京でも放射能レベルが高いものがやってきます。そういう場合、本来、人々は密閉された建物の中に避難すべきなんでありますが、怖くて避難できないですし、避難していても水も何もないから暮らせないということで、これは大変なことになります。

 それで、大体東京あたり、もっと遠くまで長期避難しなければなりません。急性死亡はしませんけれども、そこにとどまっておりますと体外被曝、体内被曝というものを受けて、長年のうちにはがんで死ぬおそれがある、また子孫に遺伝的な影響を与えるということで、避難しなければいけません。しかし、この膨大な首都圏の人間がどうやって避難するのか。それは大変なことであります。

 そういう首都圏を、例えば翌年、今度東京直下地震が襲う。そうすると、放射能のために本格的な修理もできないでいた、壊れた、損傷した超高層ビルなんというのが、非常なダメージを受けて弱くなっていますから、これが轟音を立てて崩れるというようなことが起こるかもしれない。というわけで、さらに災害は増幅される。そもそも東京は放棄せざるを得ない。首都を喪失するわけです。そこに至るまでの静岡県や神奈川県という国土も、もう長年人が住めない、土地が喪失、国土が喪失される。そもそも水源が汚染されますから水が飲めない、人は暮らせないということになります。これは日本の衰亡に至るであろう。

 大体、東海地震が起こった途端に、世界の国債市場で日本の国債が暴落するとかで、世界経済は混乱しますし大変なことだと思いますが、この原発震災が起これば、これはもう本当に、物理的にも社会的にも日本の衰亡に至りかねないと思うわけです。

 こういうことがすべて同時に起こりますと本当に大変なわけで、これにどう対処したらいいか。これはもう地震防災対策というようなことではしのぎ切れない。中央防災会議が平成十五年の五月に東海地震対策大綱というものを立てまして、例えば、事前に自衛隊がどこへどこの部隊を投入するというような計画をきちんと立てておいて、それに従って、発災した場合の対応を決めるということをやりましたけれども、この浜岡原発震災が起これば、そういうものは吹き飛んでしまうわけです。

 結局、私は、現在の日本の国土とか社会の情勢、非常に地震に弱くなっていて、例えば地方の小さな山村とか地方都市も、地震に襲われたとき、本来はそこが自立して完結して震災後の対応をしなければいけないんですけれども、そういうことができないような状況になっている。ということで、私たちの暮らし方の根本的な変革が必要ではないかと考えています。これは、決して地震とか自然災害に対して受け身、消極的にやむを得ずやるのではなくて、これ以外のあらゆる問題に通じると思います。現在、日本でも世界でも二十一世紀の非常に大きな問題でありますエネルギー、食糧、あるいは廃棄物、環境、そういった問題にすべて通じることである。私の前のお話の地方分権にも通じることだと思います。

 そもそも、日本列島にいる限り、地震と共存する文化というものを確立しなければならない。つまり、従来は自然と対決する文明で、それに対して最新技術でもってバックアップしようという考え方でしたけれども、自然の摂理に逆らわない文明というものを我々はつくっていかなければならないと思います。

 要するに、開発の論理、あるいは効率、集積、利便性の論理、それから東京一極集中、都市集中の論理、そういうものをやはり見直して、保全とか小規模、多極分散、安全と落ちつき、地方自立、国土の自然力と農山漁村の回復といったようなことをキーワードにして根本的な変革が必要であると、地震災害を考えると私は強く思います。

 なお、原子力発電所に関しては、これはいろいろなほかの問題もあるわけですけれども、本当に危険でありまして、浜岡だけではありません。例えば若狭湾に十三基の商業用原発がありますけれども、ここも地震の危険性は高いところであります。そういうことからして、全国の原子力発電所の原発震災のリスクというものをきちんと評価して、その危険度の高いものから順に、段階的に縮小する。必然的に古いものが縮小されることになると思いますので、そういうことを考えない限り、大変なことが起こって、世界が一斉に救援に来てくれて、同情してくれるでしょうけれども、逆に世界じゅうから厳しい非難を浴びるということにもなりかねないわけで、こういうことを急いでやることは日本の責務だろうと思います。

 以上です。どうもありがとうございました。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、山田公述人にお願いいたします。

山田公述人 東京学芸大学の山田昌弘でございます。

 お招きいただいてどうもありがとうございます。一週間前まで、こんなところに立って意見を述べさせていただけるとは思ってもいませんでした。

 私は、家族社会学者として、若者の家族の状況やフリーターといったところを調査してまいりました。今、若者は極めて不安定な立場に置かれていることがわかってきました。単に経済的な弱者であるという以上に、将来に対する生活の見通しが立ちにくくなっている人がふえているわけです。つまり、私に言わせれば、将来に希望が持てなくなっている状況にあるわけです。

 私、インタビュー調査をしているときに、あるフリーター男性がいまして、常にフリーターの人には年金払っていますかと聞くんですけれども、大体払っていない。年金掛金を払わない理由として言われたのが、五年後の生活の見通しが立たないのに五十年後の生活の心配ができますかというふうに答えられていたわけです。さらに、世代間の助け合いというふうにこちらが水を向けますと、助けてほしいのはこちらの方なんだ、若者世代なんだというふうに言われたこともあります。中には、年金をもらっている祖父がフリーターの孫の年金掛金を払っているといったような、どう見ても転倒したケースというのが存在してきたわけです。

 さらにまた、ある雑誌で、高学歴フリーターとしてもよい正規の教員になれないオーバードクター、大学非常勤講師だけしかできていない人というのが結構、何万人のレベルでいるわけですけれども、もう年金どころではなくて国民健康保険さえも払えなくなっている、病気になるのは正社員、正規教員等の特権になっているというふうに書かれていました。

 このような状況に陥っている若者というのは決して少数ではありません。少数ではないからこそ、年金掛金未納率というのがどんどんふえていくわけです。たとえ正社員であっても、将来の生活に不安を感じる若者が多くなっています。

 私はもう四十七歳で余り若いとは言えないんですけれども、若者を調査する中で、若者の立場を代弁いたしまして、今、若者がどのような状況に陥っているか、何を求めているか、どのような対策が必要であるかという点について意見を述べさせていただきたいと思います。

 私は、一九九八年という年が、日本社会が不安定化し始めた年だと思っています。なぜ九八年かというと、中高年男性の自殺が突然増加してしまいまして、自殺者数が、九七年ぐらいまでは二万人台だったものが九八年に突如三万人台にふえて、それから高どまりをしている。ほかのデータを見てみますと、児童虐待も急増していますし、今話題になっている少年凶悪犯も、九六年ぐらいまでは極めて日本というのは犯罪的に安全な社会だったんですけれども、九七、八年ごろから再び増加が開始しています。強制わいせつ、不登校とか急増していますし、さらに、学力低下と言われるような学習時間の減少というものも九〇年代後半に起きています。九五、六年まではきちんと勉強して学力をつけていたんですけれども、九〇年代後半から勉強しない小中学生がふえてきているわけです。

 そして、若者の失業率、フリーター、引きこもり、ニート、それは昔からこういう人がいたというふうに言われるかもしれませんが、一口に、フリーター二百万人、引きこもり五十万人以上、ニートも五十万人。私がつくった言葉ですが、いわゆる親と同居する未婚者、パラサイトシングルが今一千二百万人のレベルで存在しています。

 これはどうして起こったかというのを考えてみますと、いわゆるニューエコノミーというものが日本に浸透してきて、そのマイナスの側面が一挙に噴出してきた。もちろんニューエコノミーというのは、IT化とかグローバル化とか言われるように、社会が便利になるというプラスの面もあるんですけれども、逆に生活が不安定になるというマイナスの面がこの時期に噴出してきた。つまり、生活の将来の見通しが立たなくなって希望を失う人、つまり一生懸命努力した、もしくはしたいと思うんだけれども、それが報われるかどうかわからないといったような人がふえてきた結果生じた現象だと思っています。これは日本だけではなくて、フリーターとかニートとか、そういう問題に関しては先進国であれば全世界的に起きている問題なんですけれども、日本では特に若者に大きな影響が起きたというふうに考えています。

 一枚めくっていただくと、二十五歳から三十四歳までの若者を対象に、厚生労働省科学研究費の補助金を受けまして私が行った調査の中からデータを引用しました。将来日本社会は経済的にどうなるか、「今以上に豊かになる」と答えた、平均三十ぐらいなんですけれども、三十前後の若者はわずか四%しかいない。「現在と同じような豊かさが維持される」というのは三一・五%、いや、日本社会は今後、経済的に「今より豊かでなくなっている」と答える三十前後の若者がもう三人に二人ぐらいに達しています。

 一つ飛びまして、あなた自身はというふうに質問したとしても、日本社会よりはいいんですけれども、「今以上に豊かになる」と思っている若者はわずか一四・二%、「今より豊かでなくなっている」と感じている者が五人に二人になっています。

 これはもう小学生、中学生まで及んでいまして、これは私がかかわっている東京都生活文化局の調査を手伝って行ったものなんですけれども、小学校五年生で、あなたが大人になるころ、日本社会の暮らしは今よりよくなる、「そう思う」と「どちらかというとそう思う」と合わせても四九%にしかならない。中学校二年生になると、よくなると思う人はもう二五%ぐらいで、七割五分ぐらいの人は、自分が大人になったころ、日本社会はよくならないというふうに答えているわけです。

 先ほども言いましたけれども、ニューエコノミーというのは、我々の生活をますます便利にするというプラスの側面、さらに、今まで活躍の機会を与えられてこなかった人に活躍の場が与えられるというプラスの側面があるんですけれども、逆に、職業を不安定化させ、生活の見通しが立たなくなるというマイナスの側面があります。

 時間がないので詳しくは述べませんが、将来を約束された中核的、専門的労働者といわゆる単純労働者というものへの分化が進行しています。いわゆる物をつくる経済ではなくて情報をつくる経済、サービスをつくる経済というのは、商品やシステムのコピーが容易で装置が不要ですから、コピーのもとをうまくつくれる人はお金がたくさんもうかるんですけれども、コピーをする人とかコピーを配る人というのは、非常勤というか熟練は要らないわけです。コンビニとかファストフード、スーパーでわかるように、マニュアルのもとをつくる人、システムを構築する人は将来の見通しがあるんですけれども、そこでマニュアルどおりに働く人というのは、熟練の機会がなく、そのまま過ごしていくわけです。

 戦後の安定社会というものは、多分、だれでも努力が報われることが保証された社会としてあったと思います。つまり、教育して学校を出れば、その学校に見合った職業につけた。仕事をすればそこで認められて徐々に昇進して収入が上がっていった。生活も、一生懸命頑張れば生活水準もどんどん向上していった。つまり、あらゆる若者にとって戦後の社会というのは努力が報われるようになっていたので、希望を持って学校で勉強して、仕事に励んで子供を生み育てられる。安心して、将来の生活を心配することなく子供を生み育てることができたわけです。そして、若者は途切れなく、つまり学校を出たらすぐ、ある企業集団に入ったり、自営業だったら自営業の後継ぎとして業界団体に入ったり、青年団に入ったりというような形で、どこかの集団に属して、そこで自分が評価される場というものがあらゆる若者に存在していたわけです。

 しかし今は、フリーターやニートとか、別にすべての自営業に将来がないというわけではなくて、今シャッター通りとかありますので、今までどおりの商売をしていたのでは将来がなかなか見えない自営業の後継ぎといった人が、まず夢があっても希望がない状態に置かれている。つまり、努力が報われるかどうか保証がない。つまり、フリーターを続けていてもその先が見えなかったり、評価されなかったりする。

 さらに、バトルロワイヤルというふうに、私は教育のバトルロワイヤル、職業のバトルロワイヤルというふうに名づけたんですけれども、つまり、夢を持てばいいだろうというふうに言われるかもしれませんが、全員がかなえられないことがわかっている夢というのはやはり問題があるわけです。夢が実現できない人は、では結果的に実現できなかった人は、それは自己責任と言われて、もう知らないよといって放置される。でも現実には、ポストが少ないというのも変なんですけれども、すべての人が希望どおりの職業につけるわけでもないし、結婚ができるわけでもないという状況に陥っているわけです。

 そしてさらに、ライフコースの途中で所属集団がなくなる空白期間というものが存在し始めたわけです。つまり、学校と職業が接続がなくなって、仲間から評価される場所が存在しなくなっている、こういう状態に陥る人がふえ始めているわけです。

 一番最初に書きましたように、希望とは、努力が報われると感じるときに生じて、努力してもしなくてもむだだと思うと絶望感に支配されるわけです。つまり、能力や魅力がある活躍できる人、コミュニケーション能力とかがある人というのは大丈夫なんですけれども、能力や魅力がそこそこであるという者が、努力をしたら確実に評価されるという希望がなかなか持ちにくい社会環境に置かれています。

 希望が持てない者、社会から見捨てられた者、そして社会のつながりを失った者が、例えばある者は、私がリスクからの逃走と名づけているように、パラサイトフリーター、とりあえず親のもとにいれば生活できるから何かいいことがあるまで待っていようとか、就職するのが怖いとか、引きこもってしまうとか、つまり、親にパラサイトして、親に基本的な生活を見てもらって、実社会で努力が報われない体験をすることを回避している状況に陥っている。

 さらに、享楽的行動、つまり現実の絶望を忘れさせてくれるものにふけるといったようなことが起きたり、さらには、やけ型犯罪、つまり、自分の将来がもうどうでもいいというふうになった人は、将来幸福になる見通しがない若者が不幸の道連れという形で恨んでしまうということが起きてしまうんではないか。さらには、将来不安というのは少子化に結びついておりまして、私も先ほどの調査の中で、将来の生活が豊かにならないと回答する若者ほど、子供をこれ以上持てないと回答する人がふえていっています。

 現在は、先ほど申し上げたように、全世界で不安定化する若者の問題というのは起こっています。ニートというのもイギリスで問題化されたわけですけれども。今はとりあえず、オールドエコノミー、つまり年功序列、終身雇用、生活が向上していった親が抱えている、抱えられているとも言えますけれども、抱えているので、大きな社会問題にならなかったわけです。しかし、十年後、二十年後、親が若者を支えられなくなったときに、若者の夢と生活が破綻したときに混乱状態に陥ることは目に見えているわけです。つまり、ここ十年、二十年の間に対策をしておかなければいろいろなことが起こるだろう。

 あるフリーターの人、夢見るフリーター、三十過ぎのバンドマンのフリーターの人にインタビューしたとき、十年後どうしていますかという質問をしたときに、バンドで食えているか、食えていなかったら死んでいるというふうに答えていました。あと、二十代後半で毎日バッティングセンターに通いながら、野球選手になりたいという夢を見てプロテストに落ち続けている、それでバイトをしている人というのは、もう何も将来、これをやり続けるしかない。まだ彼らはとりあえず五十代、六十代の親の家に住んでいるからそのような状態でも生活していけるわけです。でも、二年前に長野県で、親が自宅で亡くなったんだけれども、それを隠して年金をもらい続けて生活していたという中高年が死体遺棄罪で逮捕されましたけれども、将来そういうことが起こりかねないわけです。

 そこで、ただ、今何ができるか、すべきなのかというところで、速やかな総合対策ということをお願いしたいんですけれども、現実を放置しておけば、使い捨てられると思う若者が大量発生して、それが十年後、二十年後、親が支えられなくなったときにほうり出されることになって、社会保障の負担がかさむと思います。といってラッダイト運動、昔に戻れ、それは日本社会を停滞させます。つまり、学卒後のすべての男性が職場で終身雇用、年功序列を維持できる経済など、今の社会に戻れるわけはないわけです。

 そのために、すべての若者が努力が報われることを実感、保証できる場を再建する必要があるのではないでしょうか。つまり、最低限の生活保障ということではなくて、何か努力してやればそれが報われるんだということ。幾らチャンスがあるといっても、何度もチャンスだ、チャンスがあると言われて、もう全部だめで、もう一回やり直せというのでもう嫌々しているという若者にも私は会ったことがあります。教育の再編、教育訓練を受けたら必ず職業に結びつくルートの再建とかキャリアカウンセリングといったようなものが必要になってくると思います。短時間正社員というのが、今の若者が一番求めているものなわけです。

 もう時間がありませんので、最後に述べたいのは、戦力の逐次投入をしてはならないと思います。

 私は、予算書を詳しく分析するわけにはいかないんですけれども、確かに政府の中では危機感を持ってニート対策、フリーター対策、職業カウンセリングといったものをやられているということは存じ上げていますけれども、ガダルカナル、二百三高地の教訓。私もちょっと戦争オタクでして、つまり、そういうのが、戦後六十年たってもう御存じない方も多いかと思いますが、戦力を逐次投入しても余り効果がない、総合的にやるべきだというのと、ライフコースの継ぎ目で生じている問題、つまり、教育で訓練をつければいい、仕事につかせればいい、といって経済界がそれを求めていなきゃだめなわけですから、省庁にまたがった総合的な対策が必要だと思っております。

 少々長くなりましたが、どうもありがとうございました。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

甘利委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小泉龍司君。

小泉(龍)委員 おはようございます。自由民主党の小泉龍司でございます。

 四人の公述人の先生方におかれましては、大変早朝からお越しをいただき、また、大変貴重な、御示唆に富むお話を賜りました。厚く御礼を申し上げます。

 私、ちょっと風邪を引いておりまして、ふだんもう少しいい声なんですが、お聞き苦しい点がありましたらお許しをいただきたいと思います。

 それぞれ大変興味深いお話でありまして、どなたにというふうに思いましたけれども、やはり三位一体改革の議論を経て、今国会、予算案ができ上がっておりますので、梶原公述人に、地方分権のあり方について、素朴な、また率直な疑問点を三つほど順次お聞きしたいというふうに思います。

 一つは、地方六団体から御要望がありました。我々も、総理の御指示もありまして、真摯にこれを受けとめて一生懸命議論はいたしました。しかし、議論をしている横から、今度は市町村長の方々が、いや、これじゃ困るんだ、こういうふうにしてくれというようなさまざまな市町村の要望というものが個別に我々には数多く寄せられたわけでございます。

 明治維新以来、都道府県制度だけが動いていない。また、十カ国を擁する国なんだ、日本はGDPで見ると十カ国分あるんだというふうにおっしゃいましたけれども、アメリカのカリフォルニア州ぐらいの広さのところで国と県と市町村と三層構造になっていること自体が非常に不自然でもあり、非効率ではないかなというような思いもそのとき持ったわけでございます。

 きょうのお話の中で、民に近いところに財源と権限を移していくことが地方分権であるというお話でございましたので、県と市町村の間のいわば三位一体改革、県から市町村に権限を、予算をおろしていく、こういう取り組みについてどのようにお考えになるのか。現実に、全国市長会からは、県を通じて流れてくる補助金については、最終的には事業主体である市町村に税源移譲をしてもらいたい、あるいは、国から出されております交付税の中で都道府県の取り分が徐々に徐々にふえている、市町村に回ってこない、これを何とかしてくれ、こういう話もございます。

 したがいまして、中二階という言葉は今政界では禁句かもしれませんけれども、中二階の都道府県というのがどうも私は要らなくなってくるんじゃないんだろうかな、広いブロック制のもとで、道州制のもとでやっていく。三層構造の中で国が要らないと思う人はいないでしょうし、基礎的自治体である市町村が要らないと思う、議論をする人もいない。その中で、都道府県のあり方というものを広い地方分権の視野の中でどのようにとらえておられるのか、ぜひ御教示を賜りたいと思います。

梶原公述人 大変重要な御指摘ではないかと思います。

 先ほど申し上げました世界地方自治憲章案、あるいはヨーロッパ地方自治憲章もそうですが、やはり基礎的自治体優先ということでございまして、日本の場合もそういう方向に行くべきだというふうに思います。過渡的に都道府県という存在が今問われているというふうに思うわけでございますが、我々地方六団体で結束をしていくという中で、全国知事会としては、常に市町村を尊重していく、市町村の利益を優先させる、こういうことで心がけてまいりました。

 国から都道府県に権限、財源が移譲されるということだけであっては相ならぬ、それが市町村の方にさらに移行されるべきだというのが我々の考え方でございまして、霞が関に陳情に行くのが県庁に陳情に行くのに変わるだけだということでは相ならぬということでございまして、その辺、市町村と都道府県の関係というもの、過渡的にも問題がございますし、将来的にも、道州制に絡んでこれからの重要な課題だというふうに思っております。

小泉(龍)委員 大変ありがとうございました。ぜひそういう方向でまた知事会の中でも御議論を深めていただきたいと思います。

 もう一点、地方分権に弱点、ウイークポイントがあるとすれば、それは、私は、行政改革が本当にできるんだろうかという点だと思うんですね。もちろん、住民に近いところに財源が置かれますから財政規律が働くという議論もあると思いますけれども、逆に、住民の顔が見えるために、あるいは地域の発展を思うためにどうしても予算が切れない。顔が見えますから、要望者の顔が見えるために予算が切れない。何とか市の、何とか県の発展のためにということで、今までも多くの予算が使われてきたと思います。

 そういう中で、例えば今、大阪市の問題が取りざたされておりますけれども、全国的に見ても、さまざまな補助金あるいは手当、こういうものが職員に支給されている。公務員給与、これはもちろん我々の議員歳費、国家公務員の給与の問題もありますけれども、地方公務員の給与、手当、こういうところが地方自治の足元でございまして、こういうところにきちっとした規律が働かないと、地方分権した、しかし、より財政赤字が膨らんだ、そういう結果になっていくのではないかということも非常に強く懸念をしております。

 人事委員会というのが県にございますけれども、人数は数十名単位でありまして、結局、国家公務員しか見ていない、民間との格差がある、こういう指摘もございます。岐阜県でありますと、民間の水準は全国平均より一割低いけれども、地方公務員の方の給与は国家公務員と横並びになっている、やはり格差がある。その点をどういうふうにこれから自律的に地方自治体の中でやっていかれるのか。技能労務職員について特に問題があります。

 これは、組合交渉がかかわりますから、組合の問題がどうしても出てまいりますので、当局だけではいかない部分があると思いますけれども、その点も含めて、問題をどのように把握されておられるか、お伺いをしたいと思います。

梶原公述人 その点も大変重要な御指摘ではないかと思います。地方側が地方分権を唱える以上は、自治体みずからがやはり改革を進めなきゃいけないというふうに思います。

 現状はどうか。甘えの構造、護送船団の中で、随分といろいろな問題点がございます。

 いろいろなパターンがございますが、一つは組合癒着型ですね。プロパーの職員から首長になられたところは概してそういう傾向がございます。お手盛りのやみ給与があるとか、そういう問題がございます。二つ目には、いわゆるばらまき福祉、目先の選挙目当てにいろいろ金をばらまくというようなパターンの大衆迎合型ですね。それから、リーダーシップ不在型といいますか、よきに計らえということで職員に任しておるだけでは改革は進まない。おおむね三つのパターンの問題点を持った自治体があろうかと思います。

 私ども地方六団体としても、あるいは全国知事会としてもやはりみずから改革をしなきゃいけないということを心がけてきたわけでございますが、特にこれから、自治体相互間の競争原理を働かせることが大事なことではないか。私どもは、善政競争というのをインターネット上でやっておりまして、いい政治、行政をやっている事例をインターネットに掲げるということをやって競争いたしております。アメリカの全米州知事会議という組織がございますが、そこでも、ベストプラクティスセンターというのを設けて、いい事例を紹介し合って切磋琢磨している、こういうこともございまして、御指摘のとおり、いろいろな面から自治体自身の改革をしていかなきゃいけないと思います。

 なお、給与のことに関しまして、若干私の個人的なことにもなるんですが、一律の給与水準という物差しだけでいいのかどうか。むしろ、少数精鋭ということで、給料は高くして優秀な人材を採って、しかし全体として人件費は安く済んでいる、経常収支比率が低い、こういうことも大事な側面ではないかと思うんです。

 一律に給与水準だけで論ずるのはいかがなものかということを私は個人的に考えておりまして、岐阜県の場合は、少数精鋭ということで、平成元年、私が知事に就任して以来、職員定数も一割カットいたしました。しかし、やみくもに給与水準を下げるということは優秀な人材を導入するという点では大きな問題があるわけでございまして、その点もこれから御理解をいただいていかなきゃいけないな、こんなふうに思っております。

小泉(龍)委員 ありがとうございました。

 地方公務員の問題だけではなくて、当然、国家公務員、また我々政治家の報酬、こういうものを含めますと、一般政府の雇用者報酬というのは三十一兆円ございまして、これを仮に二割カットすることができれば六兆円浮くわけですね。消費税率にして三%弱。ここに手をつけないと、井堀先生がおっしゃったような消費税導入の議論に我々は入れないんじゃないかと私は個人的に思っております。人事院勧告の問題が国家公務員についてはありますから一律に二割というわけにいきませんけれども、そういう運動を自民党としては起こしていきたい、私としては党内で起こしていきたい、このように思っておりますので、またぜひ御指導いただきたい、その機会もいただきたいと思います。

 井堀公述人にお伺いをいたしますけれども、消費税の問題を具体的に今取り上げていただきました。大変明快な議論だったと思います。

 ただ、二点ちょっとひっかかりました。

 一つは、一%ずつ八年間、五%を一三%に上げる、こういう小刻みな調整というのは机上ではすごくスムーズにいくように思うわけでございますけれども、まず経済に対する影響。これがずっと八年間ボディーブローのようにきいていくわけですね。マイナス効果は非常に大きいんじゃないか。また、流通コストがその都度変わってきます。システムを変えなきゃいかぬ、あるいは在庫品に課税をしなきゃいかぬ、そういう課税技術上の問題も大きなロスとして出てくるんだろうと思います。実務的な実現可能性、実行可能性、こういう点について私は疑問があるように思いましたけれども、どのようにお考えか。

 もう一点は、逆進性はないんだ、消費課税というのは所得に対して累進性はないけれども逆進性もないんだとおっしゃいましたけれども、いや、そうもいかないんじゃないかと思うんですね。所得が百倍になって消費が百倍になればこれは比例課税になるわけですけれども、所得が百倍になって消費が十倍であれば、税負担は十倍にとどまるわけですから、逆進性が出てきますね。高額消費ということもあろうかと思いますけれども、所得と比例的に消費がふえるというふうには一般的な経済理論では決められていない、指摘されていないわけですから、その点、もう少し補足説明をお願いしたいと思います。

 二点です。

井堀公述人 お答えしたいと思います。

 最初の点ですけれども、確かに、毎年小刻みに上げていくというのは、徴税面それから行政面でいろいろとコストはあると思います。ただし、そのメリットとしては、毎年毎年の増税幅がそれほど大きくありませんので、払う方から見ると負担感が極端に上がらない、そういうメリットがありますので、これは、毎年毎年の、要するに税収を仮に上げていくとした場合の負担感をどこまで中期的に平準化するのかというメリットと、行政的な、あるいは徴税面でのコストの面での煩わしさをどこまで考えるかという、メリットとデメリットの両方で考えるべき問題で、現実的には、その二つをあわせて考えますと、例えば数%ずつ、二、三%ずつ二回か三回ぐらいに分けて上げるというのが、その二つのメリットとデメリットを考えれば落としどころかなという気がします。

 それから、二番目の点なんですけれども、確かに所得をベースにとれば消費税というのは逆進的な側面があるんですけれども、私がきょうお話ししたところで一つ強調したかったのは、所得というのは必ずしもその人の経済的な格差をあらわす指標として妥当なものとも言えない。つまり、所得をたくさん稼いでいるということ自体がその人が経済的に豊かだということには必ずしもならなくて、使って初めて豊かだ、そういう側面がありますので、つまり、所得を稼いだだけで死んでしまった人が本当に豊かな生活をしているのかという側面から考えると、消費という方がより望ましい。

 それからもう一つは、これはもうちょっと技術的な問題になりますけれども、所得というのはどういう所得を定義するかによって非常にあいまいでして、要するに、勤労所得であれば確かに所得になるんですけれども、それ以外の資産性所得の場合には、必ずしもその所得があるということ自体でその人の長期的な所得が高いということにならないわけですね。要するに、ある一定の勤労所得から貯蓄をしてさらに資産性所得になるわけですから、現在価値に直してみますと資産性所得が消える側面もありますので、その意味では、所得自体がふえるということは必ずしも経済的な格差の指標にはならないということです。

 それから、中長期的に考えますと、何のために要するに消費をしないで貯蓄してしまうかといいますと、最終的には使うためでして、最後まで使わないで残してしまって死んでしまうというのも一つの選択肢ですけれども、それであればその人はそれほど経済的に豊かではないんじゃないかというぐあいに考えれば、ある意味では、所得よりは消費の方がその人の垂直的ないわゆる公平性を考える指標としてはもっともらしいのかなと思います。

小泉(龍)委員 ありがとうございました。

 山田先生にお伺いしたいのでありますけれども、希望格差社会というのは大変インパクトのある言葉であろうと思います。

 私も、今の日本の経済社会において問題が二つあるとすれば、一つは格差の問題、もう一つは経済主権が守れるかどうかという問題だろうと思っております。単に格差があるというところにとどまらず、ジニ係数なんかを見れば、どんどんどんどん不平等化している、税による再配分効果もほとんどなくなってしまった、そういう指摘はあるわけですけれども、社会心理学的に、努力しても報われないと感じる人たちがずっと下へたまってきている、大変重要な御指摘だと思います。

 特に、今問題になっていますゆとり教育の中で何が起こったかというと、インセンティブデバイドですね。やる気の格差がそこに投影されてしまう。恵まれた家庭の子供たちは、授業時間が減る、あるいは総合学習がふえる中で、どんどん偏差値が上がるような塾に通い学力を上げていく、それが学歴の再生産になっていく、そういうことが指摘をされ始めました。先生もそのようにきょうおっしゃいました。

 質問は、だけれども、これはいわば資本主義の一つの歯車が回っていくことによって起こっている部分があると思うんですね。セーフティーネットとか所得再配分だけではおさまらない、技能職と単純労働者の分化ですから諸外国でも同じことが起こっているはずですけれども、諸外国でニートというのは余り聞かない。諸外国はあるんですか、そこはさっき聞き落としたかもしれませんけれども。何か精神的なバックボーン、キリスト教とか、そういうようなものが社会の安定に貢献しているのかどうか。日本の今の国は、精神的な部分で、精神文化という意味で空白状態だということもあると思うんですね。諸外国から見た問題点をつけ加えていただきたい、補足していただきたいと思います。

山田公述人 どうも御質問ありがとうございます。

 私も、格差があるのがいけないと言っているわけではなくて、希望の格差があるというのがまずいのではないかというふうに言っている次第でございます。

 諸外国の話でございますが、もちろん先進国に限定させていただきますと、やはり、ニューエコノミーの進展によって、ニートなりいわゆる非正規雇用者というものが非常にふえております。ただ、小泉先生がおっしゃったように、キリスト教的基盤のあるコミュニティーなりそういうものが欧米には、階級社会というのもあるんですけれども、そこそこで仲間同士で生活していくというようなライフスタイル、そして、宗教的基盤に基づくライフスタイルというものが諸外国には含み資産としてあったということだと思います。

 日本の戦後においては、企業に所属するということがそこで見捨てられない、つまり見捨てられない場というのが必要なわけで、男性の場合は、企業に正社員として所属することによって、そこで努力すれば報われる、努力しなければしかられるんだけれども、見捨てないでみんなで一緒にやってあげるという場があったわけです。

 でも、今それが無理になってきたとすると、私、内閣府の国民生活審議会委員としてコミュニティーの再建ということにも発言させていただいているんですけれども、NPOなり地域社会なり何でもいいんですけれども、そういうところに若者が所属して、その中で努力をして報われる。つまり、若者はそんなにお金持ちになることを望んでいるわけではなくて、生活が安定していて、自分がやっていることを、おまえいいんだ、よくやっているなというふうに言われる場を望んでいるんですね。

 それが、すべての企業、今までは企業が中でやってきたんですけれども、それが無理になったときには、その外側に何らかのものをつくらなくてはいけない。諸外国にはそれの含み資産というのが宗教的コミュニティーとか階級的コミュニティーとしてあったんだけれども、日本は今空白になっている、そこで再建しなくてはいけないということだと私は解釈しております。

小泉(龍)委員 ありがとうございました。終わります。

甘利委員長 次に、佐藤茂樹君。

佐藤(茂)委員 公明党の佐藤茂樹でございます。

 四人の公述人の皆様方、本日は貴重な意見を陳述していただきまして、ありがとうございました。

 全員それぞれ著名な方々でございますので、時間があれば御意見を本来ならお聞きしたいところでございますけれども、私自身に与えられました時間は往復で十分間、そういう時間でございますので、きょうのところは、石橋公述人を中心に、最後に時間がありましたら梶原公述人に一問お聞きをさせていただきたいと思います。

 それで、昨年は、台風が十個も上陸しましたし、また新潟県中越地震も起きまして、もう一度日本の災害対策というものをやはりここに来て抜本的に見直さなければいけないんじゃないか、そして災害に強い国づくりを、我々、これは与野党関係なく力を合わせてつくっていかなければいけないであろう。そういう観点で、石橋公述人の御意見をお聞きしておりましたら、非常に警鐘を今の現代文明に対して鳴らしておられる、そういう御意見をいただいたわけでございます。

 石橋公述人のことをちょっと調べさせていただきますと、地震学者の中では非常に有名な方で、特に日本の地震対策に対して非常に影響を与えた方でございまして、一九七六年だったと思うんですけれども、それまでの学説では非常に説得力に欠けておりました東海地震について、考慮外とされていた駿河湾こそ将来の主要な震源域である、そういうことを指摘されて、駿河湾地震説というものを発表されて、東海地震の地震像というものを鮮明にされたわけですね。それが非常に、学会だけではなくて、それを超えて社会や行政、また政治の方まで動かしまして、一九七八年、これは福田内閣のときだと思うんですけれども、大規模地震対策特別措置法が成立しまして、国を挙げて東海地震に対する地震対策がとられた。そういう経緯があるわけでございまして、一つの科学研究が行政や政治まで変えていった、そういうことをされた方でございますので、我々も真摯に耳を傾けなければいけないなと思うわけでございます。

 何点かお話をされましたけれども、まず、日本にとって今世紀という時代の認識ですね。

 岩波新書で名著になりました「大地動乱の時代」の中でも言われているわけでございますが、要するに、ペリーの黒船がやってきたときの一八五三年に小田原地震があって、きょう御説明があったように、その後、五四年、五五年と、安政江戸地震という最悪の直下地震が発生して、そこから活動期に入って、一九二三年の大正の関東大震災まで活動期であった。そこから、現在八十数年になりますけれども、静穏期であった。その間に我々は、経済成長であるとかいろいろな恵まれた環境にたまたまあっただけなんだ、そして、いよいよこれから活動期に入るんだ、そういうシナリオを言われたわけですけれども、そう言われる根拠をぜひお話しいただきたい。

 それと、そういう活動期というのが、石橋先生の御本によると、大正の関東大震災が起きたときのような、巨大地震が起きるときまでがそういう活動期になるんだ、大体そういうお話をされているんですけれども、それが二十二世紀までである。そうすると、これから約百年ぐらいは少なくとも日本の国土自体に地震の活動期というものが続くのではないか、そういうようにも読み取れるんですけれども、そのあたりの根拠と、またこれからの活動期がどれぐらい続くのかということにつきまして、まずお話をいただきたいと思います。

石橋公述人 お答えいたします。

 活動期でありますけれども、日本列島は狭いですけれども、場所によって、地震の発生のメカニズムといいますか、地震の舞台が少しずつ違っておりまして、私の本まで言及していただいて大変恐縮ですが、次の南関東の巨大地震まで活動期が続くというのは、一応、首都圏あるいは南関東のことであります。

 これは、細かいことはちょっと説明を省略させていただきますけれども、一八五五年から一九二三年まではちょうど、南関東の巨大地震は大体二、三百年ごとに繰り返すんですけれども、それを地学的に三分の一ずつに分けることができまして、あのときは最後の三分の一が活動期でした。将来はむしろ後の方の三分の二ぐらい活動期として続くのではないかと思っておりまして、そういう意味では二十二世紀まで続く、そのかわり活動の密度は低いかもしれません。

 一方、西日本の方に目を向けますと、今世紀半ばに南海、東海南海地震が起こるのはほぼ確実、これはプレートの運動から考えても確実なんですが、多くの地震学者がそう思っています。西南日本に関しては、一応それが起これば静穏期に入ると思います。

 ということでありまして、日本じゅう、あと百年も大変なことになるかどうかはわかりません。そうではないと思います。

佐藤(茂)委員 それで、お話の中にも、最後の方に触れられたんですけれども、これからの地震活動期を乗り切るための日本の地震対策のあり方につきまして、どうも、技術革新によって、ある意味で言ったら技術力、また力ずくで地震に対抗しようというのではなくて、抜本的に国土のありよう、社会のありようというものを変えるべきではないのかということを多分公述人は述べられようとされていたんじゃないのかなと。

 これから、首都圏だけではなくて、日本全国がそういう地震災害に覆われるということになると、例えば首都機能自体もやはりバックアップできるような体制、少しやられてもどこかが補完できるような、そういう体制も国土づくりでしっかりと考えていかなければいけない、そういう分散型の国土というものもしっかりと考えていかなければいけないんではないかなというようにお聞きをしていて感じたわけでございます。

 公述人の方で、これからの日本の地震対策のあり方につきまして、再度になりますけれども、これをやはりこれから国家として力を入れた事業にしていかなければいけない、そういうものがありましたらお述べいただきたいと思います。

石橋公述人 お答えいたします。

 まさにおっしゃるとおりのことを私考えておりまして、今は、ある意味で、都市が大震災を受けて犠牲者が何万人も出るのはもう当然のことというかやむを得ないという前提のもとで、起こったときに、ではハイテクを駆使して、人工衛星からその被害状況を見るとか、地震計をいっぱいばらまいておいて揺れが集中した場所を事前によくわかって、それでそこへ救援隊を投入するとか、何かそういうスターウオーズみたいな感じのことでやっていこうとしているわけですけれども、そもそも、まず犠牲者を出さない、それから家をなるべくつぶれさせない、燃えさせない、そういうことが肝心であることは言うまでもないわけであります。

 そういう意味で、十分御説明申し上げないとちょっと飛躍しているようにお感じになるかもしれませんけれども、結局、基礎体力をつけるといいますか、大地震に襲われても被害がなるべく少なくなる、それから、震災に見舞われたときにそれぞれの地域が、同時多発型の場合は特にでありますけれども、それぞれの被災地が自己完結型にその後の長い被災の期間を乗り切れるように、つまり、外から応援してもらわなければやっていけないというのではない状態にしなければいけないということで、非常に飛躍して申しますれば、地震対策の根本は、ハイテクを駆使した防災技術にあるのではなくて、地方分権であるとか、私素人でありますけれども、例えば道州制であるとか、至るところにこれだけのそれぞれ個性のある大地震が起こる国でありますので、幾つかの地方が独立してやっていけるような仕組みにするということが究極的な地震対策になると私は考えております。

佐藤(茂)委員 済みません、時間が参りました。梶原公述人、また別の機会に御意見を賜れればと思います。

 ありがとうございました。

甘利委員長 次に、中塚一宏君。

中塚委員 民主党の中塚一宏でございます。

 お四方の参考人の皆さんには、大変に御苦労さまでございます。

 多岐にわたる課題でございますけれども、私は、まず山田公述人にお伺いをしたいと思います。

 「希望格差社会」という本と、あと「パラサイト・シングルの時代」という本と、大変興味深く、あっという間に読ませていただきました。といいますのも、私、今三十九歳なんですが、妹がいわゆるパラサイトシングルでございまして、フリーターではないんですけれども、要は親と同居をしているわけですね。だんだん宿主の方が弱ってきておりまして、私も本当に、先生の言われる十年、二十年後ということについて、自分のこととしても大変に心配をしているところなんであります。

 個人のレベルではすごく経済合理的な行動だと思うんですね。親と一緒に住むということは大変に経済合理的だと思うんですが、ところが、それが、たくさんの方がそうなってしまうことによって経済が停滞をしまた社会も停滞をする、ひいては希望格差社会というものまで生んでしまうというお話であったわけであります。

 先ほどの公述の際にはお触れになられていなかったんですが、パラサイトする若者の方は確かに、いいか悪いかは別にして、理由はあるということなんですけれども、それを許してしまうと言うのもちょっと語弊がありますけれども、要はパラサイトをさせてしまう親について、社会学的な考察で結構ですので、御意見をいただければと思います。

山田公述人 本を読んでいただきまして、どうもありがとうございます。

 まず、私は別にパラサイトシングルが悪いと言っているわけではなくて、いつか結婚できるかもしれないと思いながら、生活の見通しもなくずるずるといっているのはよくないのではないかというふうに言ったので、その点は御了解くださいませ。

 日本に特有と言いましたけれども、南ヨーロッパ、イタリア、スペインと、あと私の本が韓国と台湾で訳されまして、今、韓国の少子化が強力に進んでいるというのも、やはり親と同居して、親のもとで豊かな生活を享受しているために、結婚をして自立する、なかなか結婚できないために待ち続けているという状況が少子化の一因、これは全部ではありません、一因であるというふうに述べさせていただいたんです。

 親の状況としましては、やはり社会が変わっているということになかなか気づかない親が多いんだと思います。昔なら、例えば娘だったら、大学を出させればいいところにお嫁に行って生活できるというような期待が高度成長期はできたと思います。それは、社会が成長しているときには、自分の父親、女性にとって父親以上に稼ぎそうな男性がたくさん出てきたからです。しかし、経済が停滞期に入ってきますと、女性にとってその父親以上に稼げるような男性の絶対数というものがどんどん減っています。そのために、欧米では、男女共働きで、とりあえず二人で稼げば豊かな生活が維持できるという形で転換したんですけれども、日本は、パラサイトしていたためにその問題が先送りされてしまった。そこで、子供が三十、四十になると、ちょっと差別的用語になりますが、酒井順子さんの著書のような人がどんどんふえていってしまっている。その一方で、収入の不安定な男性はなかなか今の状況では結婚しにくいという状況で、未婚化が進んでいるんだと私は思っています。

 だから、親の方の考え方も社会の変化に合わせて変わらなきゃいけないんだけれども、なかなか変わらないというところに原因があるんだと思っております。

中塚委員 私も、パラサイトシングルがいいとか悪いとかいうことを言うつもりじゃなくて、そういうパラサイトシングルになってしまうような社会状況というか、そういったものを考えていかなきゃいかぬというふうに思っているわけであります。

 先ほどのお話の中で、評価される場所がないということをおっしゃっておりました。私の妹だけではなくて、私の周りにはパラサイトシングル、フリーターというのはたくさんおりますけれども、評価される場所がないということもそのとおりだと思うんですが、評価をしてあげても評価と受け取らない、そういう若い人もたくさんいらっしゃると思うんですが、その点についてはいかがでしょうか。

山田公述人 多分、評価というのが、どういうのが評価、つまり、おまえ、いいと言われていてもなかなかそうだとは思えないわけで、今やっていることがきちんと将来につながるんだよということを、そこまで言ってあげる必要があるというか、いや、それは若者が甘い、甘やかしているとかいうふうにおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんけれども、逆に言えば、今までは、若者は何も考えなくても就職できて、結婚できて、そのまま成長の波に乗っていったわけですけれども、若者自身もその考え方からなかなか逃れられていないという点も一つあります。

 だから、考え方の転換と、いや、おまえを将来にわたって日本社会は必要としているんだよという評価、そしてさらにはそういう自立をするための社会的支援というものが三点で必要になっているんではないかと思います。

中塚委員 ありがとうございました。

 きょうは予算委員会の公聴会ということでございますので、パラサイトシングルあるいはフリーター等々の問題に関連をして、予算といいますか税のあり方について伺いたいと思いますので、井堀公述人にも御意見を伺いたいと思うんです。

 今ほど山田公述人がおっしゃった、ヨーロッパ諸国では夫婦で働いて収入を合わせるということだったわけでありますけれども、対して、我が国の所得税の課税の仕組みというのは、実はずっと家族単位の課税になってしまっているわけですね。ですから、大体想定しているのは片働きであって、奥さんは専業主婦で、しかも、そこから配偶者控除、配偶者特別控除、扶養控除等々を差っ引いていくということで、それに税率を掛けるということになっている。課税最低限という言葉があって、いつも財務省から資料をもらうんですけれども、その財務省の使っている標準ケースというのがいまだに、夫婦子二人で、しかも奥さんは専業主婦、そういうモデルをずっと使ってきているわけなんです。

 今、私ども民主党として提案をしている税の問題なんですが、そういう人的控除をやめてしまえということを言っております。人的控除をやめるということには二つの意味があって、家族単位という課税からやはり個人単位の課税へと改めるべきではないのかということが第一点なんですけれども、パラサイトシングルあるいはフリーター対策という意味で、税制のあり方について、山田公述人、御意見がございましたらお願いします。

山田公述人 私は昔、パラサイト税というのを、親同居税を取ったらいいんじゃないかというのを文芸春秋で発表したことがあるんですが、今は違う質問で、ごめんなさい。

 今の若い人は、どういうライフコースを送るかということがあらかじめ予測できないというところからスタートしなきゃいけないんだと思います。

 昔は、自営業の人は、跡継ぎで、そのままみんなで一緒に働きながらそこでずっと住み続ける、だから国民年金、国民健康保険。一方で、サラリーマンの人は、男性は企業にずっと所属し続けて奥さんは専業主婦という予測が立った時代はいいんですけれども、今は、たとえ共働きモデル、専業主婦モデルと立てても、あるときは専業主婦、あるときは共働き、そして、今離婚率が三割ぐらいになっていますので離婚する確率も高くて、また再婚する確率も高くなってくる。あるときは正社員、あるときはフリーター、あるときは自営業といったように、各人、各家庭によってライフコース、仕事のあり方、家族の関係というものが時間とともに刻々と変化しているという状況なわけです。

 そういうときに、ある一つの家族形態がずっと続くという形でのモデルをつくることというのはもう合理的だとは私は思っておりません。だから、個人単位で、別に家族を壊すとかそういうことではなくて、私もアメリカにいたときにソーシャルセキュリティー番号をもらいましたけれども、個人単位でやっていく必要があると思っております。

中塚委員 ありがとうございます。

 やはり税というのは、もう政治のほとんどを税が占めている部分があって、税のあり方で社会のあり方が決まってしまうということもあるわけですね。

 人的控除を廃止するということの中にはもちろん当然ながら扶養控除の廃止ということも含まれるわけなんですが、私どもは、人的控除を廃止して、その財源で子供手当、今の児童手当を拡充するべしということを主張いたしております。月額一万六千円、ですから、山田公述人にはガダルカナルだと言われるかもしれませんけれども。

 これには二つの意味がございまして、まずは、扶養控除、何歳であろうが扶養家族だということで扶養できてしまうということについてはやはりちょっと問題があるんではないのかということが第一点。第二点目については、先生の御著作の中にありましたけれども、今、第一子の四分の一ができちゃった婚による子供だということなんですけれども、要は、そうやって、ちゃんとした生活基盤の整わないカップルが子供をつくり結婚してしまうということがある。そういう意味で、やはり控除というものを改めて、手当にする。それによって、パラサイトシングルの方の自立というものを促すことにもなるでしょうし、あともう一点は、そういう若年層の、若年層と言うとちょっと違いますが、生活基盤の整わない結婚した夫婦の子育てを支援していこうということを提案しているんですけれども、これについていかがでございましょうか。

山田公述人 私もその点についてはいろいろ心配していることでございまして、私、東京都の児童福祉審議委員をやっていまして虐待家庭にかかわることをやっているわけですけれども、もちろんいろいろなケースがあるんですけれども、やはり経済的に破綻したカップルが虐待をしがちだという印象を非常に受けました。

 つまり、意識して子供を生めば将来予定が立てられるわけですけれども、特に今、日本はできちゃった婚が先ほど言われたようにふえていて、年間約十五万件はできちゃった婚でできた子供であるということからかんがみると、やはり若者の生活基盤を安定させる対策こそが少子化対策であるとともに虐待防止対策にもなるというふうに私は思っております。調査の中でも、やはりできちゃった結婚をしたカップルは収入が低いというデータも私は出しております。そのために、逆進性の強い所得控除よりもむしろ手当の方を充実させていく方向は正しいと思っております。

中塚委員 ありがとうございました。

 それでは、次は消費税のことについて伺いたいんですが、この件については井堀公述人にもお伺いしたいと思うんです。

 先ほどお話ありましたとおりで、実は、年金、特にフリーターの皆さんなんかだと国民年金が主だと思うんですけれども、一万三千三百円というのはかなり高い額なんですね。年額にすると十五万円ぐらいになるということで、払っていない方がほとんどなんだろうというふうに思います。また、国民年金の保険料というのは、二十以上だったら、学生さんで収入がなくても払わなきゃいけないということなものですから、親が保険料を立てかえたりとか、さっき山田公述人がおっしゃったとおり、おじいちゃん、おばあちゃんが保険料を立てかえるというようなことまで起きてしまっている。

 私がやはりそういう心配をしますのは、こういったフリーターの方が受給者側に回った場合なんですね。そうすると、恐らくもう果てしない数の無年金者が出るのではないかというふうに思うわけなんです。

 無年金者、年金がないということですが、では、かといって、そういう人たちを国としてほったらかしにできるかというと、それはそうではないわけで、最後は生活保護に落っこちていっちゃうわけですね。そうすると、もうこれはますます税金で面倒を見る。これから人口も減っていく中で、要は、歳入はふえない、しかし歳出はふえるということが大変大きな問題になってくるという意味で、本当に心配しているんです。

 私ども民主党としては、そういった意味で、基礎年金、国民年金ですけれども、そこを消費税方式でやってはどうかということを提案いたしております。消費税によってこの基礎年金の部分、私どもは最低保障年金というふうに呼んでいるわけでありますけれども、それを消費税、年金目的税で賄うことによって無年金者を出さないようにするべきだと考えているんですが、この考え方について、山田公述人、井堀公述人の順で御意見をいただければと思います。

山田公述人 おっしゃるとおりで、やはり私は、若者対策として、逆年金なり親保険なり、そういうもので所得の再配分を図っていくべきだと思っております。

 あと詳しい制度的な話はちょっとよくわからないので、以上、アイデアだけ述べさせていただきました。

井堀公述人 お答えしたいと思います。

 基礎年金の未納問題は非常に重要な点ですので、これを実際上解決するとすれば、消費税にして国民から広く取るというのは一つの有力な方法だろうと思います。

 ただ、消費税にする場合の大きな問題点は、消費税にしてしまいますと、保険料と違って、基礎年金を払った人が必ずしも基礎年金の受給者になるというリンクがなくなってしまって、つまり、基礎年金の受給者というのは、過去にその人がどれだけ基礎年金の保険料を払い込んだとは無関係に消費税から財源が回るわけですから、いわば基礎年金自体が生活保護のような色彩になってしまって、ある一定の年齢に達した人には消費税から基礎年金という形で国が一律に支給をする、そういう形になるだろうと思います。

 そうしますと、では現行の生活保護とどこですみ分けするのか、そういう問題も出てきますし、もう一つは、私が最初にお話ししましたように、消費税は広く薄くかけられますので、逆に言いますと、消費税の税率さえ上げれば基礎年金をよりふやす方向に政治的な圧力が加わる可能性もありますので、そういったデメリットも同時に考えて総合的に判断するのかなと思います。

 つまり、基礎年金の財源としては、もう一つのやり方は、現行の社会保険体制を維持しながら、社会保険庁ではなくて、例えば国税庁が国税と同じ形できちんと取るという方向で徴税体制をしっかりする形で全体として社会保険の財源を確保するという方法もありますので、それとどちらがいいのかどうかというのは、メリット、デメリット両方あるので私もよくわかりませんが、消費税にする場合は、基礎年金の給付をきちんと限定できるという前提が必要になるのかなと思います。

中塚委員 ありがとうございました。

 この件についてはこれぐらいにしたいと思いますけれども、総理の施政方針の言葉にやればできるという言葉があって、私は本当にあごが外れそうになってしまいましたけれども、やればできない人とか、やってもできそうにない人をどうするのかということが一番問われているということであるというふうに思います。

 続いて、梶原公述人にお伺いをしたいと思います。

 知事さんとして、また全国知事会会長として、本当にお疲れさまでございました。

 まず、先ほどの公述の中で、地方分権が進まない、八十年近く変わっていないというお話があったわけでありますが、単刀直入にお伺いしますが、進まない原因は何だというふうにお考えになりますか。

梶原公述人 大正デモクラシーの成果として、昭和三年に第一回の普通選挙が行われて、先ほど御説明したようなああいうポスターが出たわけでございますが、その後、御案内のように、列強諸国と対抗するということもあって、軍国主義体制に入ってまいりました。軍事力を強化するとかあるいは工業大国をつくるとか、そういうことになりますと、どうしても国としては中央集権体制をとらざるを得ないということもあったのではないかというふうに思います。追いつき追い越せの時代、いわゆる発展途上国型の場合はどうしても中央集権にならざるを得ないということでございます。

 でございますが、日本の場合は、もう追いつき追い越せの時代は終わって、成熟社会になり、しかも時代が情報社会になってきている、それに適した分権社会にしなきゃいけないけれども、それがおくれてしまっているということではないかというふうに思います。

中塚委員 もうちょっと直接的な原因についてもお伺いをしたいというふうに思いますけれども、来年度の予算案、今審議中ですが、その来年度の予算案にいわゆる三位一体改革というものが盛り込まれているわけなんですが、政府が予算案の中に盛り込み、また関連法案も提出をしておりますこの三位一体改革についてどのように評価をされますか。

梶原公述人 政府・与党合意というものが成りまして、そのときの評価として六十点だというような評価をいたしました。限りなく落第点に近い六十点であるという注釈をつけて、六十点と評価いたしました。

 しかし、これは逆に考えると合格点でもあるということでございまして、とにかく、曲がりなりにも三兆円という税源移譲の道筋ができたということは評価すべきではないかというふうに思っております。内容的には、補助金、負担金関係百四十八項目挙げましたけれども取り上げられたのはわずかだったとかいろいろございますが、第一歩としてはそういうような評価をいたしていたわけでございます。

中塚委員 きのう、関連法案の趣旨説明と質疑が本会議で行われまして、百四十八項目の改革案のうち何項目採用したんだと我が党の議員が質問をいたしました。また、自分で何点だというふうにも質問をしたんですが、総理は両方とも答えなかったですね。何点であるというふうにも答えなかったわけであります。

 総理は、これは真摯に受けとめた結果だと、知事会案を真摯に受けとめた結果だというふうにも述べておりましたが、真摯に受けとめられたというふうにお考えでしょうか。

梶原公述人 地方でできることは地方へという姿勢で、この改革案については、地方が納得するようにという姿勢は一貫されましたけれども、あと、なるべく私に上げてくれるなというお話もあったようでございまして、御本人は真摯に受けとめられたと思いますし、そういう一貫した姿勢で、曲がりなりにもこういう成果が出たというふうにも思うわけでございまして、これはなかなか評価は難しい問題ではないかというふうに思っております。

中塚委員 続いて、私どもの案について御意見を伺いたいと思います。

 私ども民主党は、補助金改革、あと税源移譲ということについて、今、政府で補助金十九・八兆円あるわけなんですけれども、これに税源移譲の対象分、所得譲与税とか税源移譲予定特例交付金、一兆八千億を加えて二十一兆六千億を改革の対象にしようと。そのうち、やはり国が引き続きやった方がいいものというのが三兆円ほどあります、先ほど申し上げた子供手当の財源なんかですが。それを除いた十八兆六千億を、五兆五千億は税源移譲、十二兆五千億は一括交付金という形でもう地方自治体にみんなお渡しをしようという提案をさせていただいているんですけれども、梶原公述人のお考えはいかがでございましょうか。

梶原公述人 将来像として、なるべく地方でできるものは地方でということでは、基本的にそういう方向ではないかと思いますが、現実論として、やはりステップを踏んでいかなきゃいけないということで、私ども地方団体としては、第一期、十八年度までですが、三兆円、それから第二期として五兆円、道路財源も入れると一・五兆円で、五兆円、全体で八兆円というのが私ども地方団体としての主張でございます。

中塚委員 そういった意味で、現実問題、皆さんのゴールを目指していくという上でも、やはりこれから国と地方との協議の場というものをどういうふうに設定していくのかというのは大変に大きな課題になってくるだろうというふうに思っております。

 麻生新会長はそれを制度化するべきだというお話もされているようでありますけれども、そういった意味で、今後の知事会のあり方、国と地方の協議の場ということも踏まえて、御意見があればお聞かせをいただきたいと思います。

梶原公述人 内容の問題もさることながら、国と地方が対等で協議する場を持つということは大変重要なことであると思います。

 私ども、協議の場を持ち、八回意見交換をしてまいりましたが、これは継続していくというようなことになっておりますが、なるべくそういうものを制度化した方がいいのではないか。関係省庁でもそういう協議の場を継続することについては反対だというような声もあったと聞いておりますので、やはり制度としてそういう協議の場というものを堅持していくということがこれからの国と地方のよりよい関係を築く上で重要なことではないかというふうに思っております。

中塚委員 四方の参考人の皆さん、ありがとうございました。石橋公述人にはお伺いする時間がちょっとなくなってしまいましてまことに申しわけないと思っておりますが、どうもありがとうございました。

甘利委員長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 公述人の皆さんの貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。

 お一人ずつお聞きをしていきますが、まず、井堀公述人にお聞きをいたします。

 定率減税の縮減というのが大変大きな問題になっておりまして、一九九九年、平成十一年に実施をされた際は、所得税の定率減税と最高税率の引き下げ、さらには法人税の減税、こういう三点セットで行われたわけであります。その理由は、経済的な大変厳しい状況を克服していくためということでありました。

 最近、この経済状況をどう見るかというのは非常に微妙なところでございますが、ただ所得税の定率減税の縮減だけが実行されていく、ほかの二つの減税の部分はどのように検討されたのかということなど、私ども随分疑問に思いまして、質問をさせていただいたりしているわけであります。

 井堀公述人は、この三点セットで実行された減税のうち、法人税それから所得税の最高税率の引き下げの問題、これもやはり平等に考えて、戻すならもとに戻すべきだと私は思いますけれども、どのようにお考えでしょうか。

井堀公述人 お答えしたいと思います。

 九〇年代後半の減税の一つの目的は、マクロの景気の不安定性に対する一つのカンフル剤としての効果を期待したわけですね。そのときの状況と今、認識は人によって違うかもしれませんが、九〇年代後半に比べれば、相当マクロ経済環境もよくなっていますので、そういったカンフル剤的な減税政策はできることならやめにしたい。しかも、私、最初にお話ししましたように、中長期的に日本の財政状況は非常に厳しいわけですから、必要最小限の増税に少しずつ踏み出すべきだろう。

 そのときの増税の対象として何が適当か、そういう問題だろうと思うのですが、今御指摘いただいた三つの選択肢の中で、所得税の定率減税の縮小というのは、ある意味で所得税を払っているすべての方に定率減税というのはきいてくるわけですから、上限二十五万円はありますけれども、すべての所得税を払っている納税者の方が広く薄く、もちろん、高額所得者ほど定率減税のメリットは大きいわけですから、逆にそれが廃止になるときのデメリットも大きいわけですけれども、ある意味で納税者が広く薄く負担するような、そういう増税策になります。

 それに対して、最高税率の引き上げあるいは引き下げというのは、御存じのように最高税率にかかる人というのはほとんどいませんので、余り実際の増収策としてはそれほどの効果もないわけですし、量的に日本の財政状況を税収面からきちんと確保しようという面では、最高税率を上げてもほとんど何も効果はない。それに比べて、所得税の定率減税の廃止の方は、広く薄くという意味できちんとした効果が出てくる。

 それから法人税の方は、法人税を引き上げますと、確かに短期的には、景気のいいときには法人税収上がりますけれども、ただ、法人は個人と違いまして、税率に対するいろいろな経済活動の悪影響が非常に大きいと思いますので、私は、法人税はできることであればむしろ下げる方向で、要するに、財政状況は厳しいんだけれども法人税はなるべく上げない形で税収を確保し、国民が消費税なり所得税を広く薄く負担する形でやるべきだろうと思います。

 問題は、そのときに、定率減税を縮減するとそれがマクロ経済に悪い影響を与える可能性があるんじゃないか、そういう御指摘だと思うのですけれども、これは確かに増税ですから、増税がマクロ経済をあるいは個人消費を刺激するということは余り考えられませんから、定性的には、増税すればそこそこの悪影響は避けられないと思います。

 ただ、問題はその程度問題でして、要するに、定率減税を縮減したとしても、そこの財源で公共事業をふやすわけではありませんので、政府がむだな歳出をふやすために増税するのとは違いますので、要するに、所得税がふえてもその分はきちんとこれまでの借金の返済に回るんだということであれば、いずれ何らかの形で増税は避けられないわけですから、それがある意味では先取りするという意味では、それほど極端なマクロ経済への抑制効果はないんじゃないかと思います。

 逆に言いますと、九〇年代後半に定率減税をして、所得税を減税したことによってどれほど民間消費が刺激されたのかというのを九〇年代後半のデータで見てみても、それほど大きな効果がなかったわけですね。ということは、逆の形で増税しても、それほど悪影響もないんじゃないかと思います。

 そういった意味では、総合的に判断すると、定率減税の縮減というのは、必要最小限の増税をやらざるを得ないという日本の現在の財政状況を考えると、やむを得ない増税ではないかというのが私の判断です。

佐々木(憲)委員 私どもの見解とはまだ大分違いますが、きょうはここで論争することではございませんので、御意見として伺っておきます。

 さて、それでは梶原公述人にお伺いします。

 三位一体改革、これは本来、国のひもつき補助金を減らして税源を地方に移譲する、そういうことによって地方自治体の自主性を高めていくというのが姿だと思うんですが、実際には、国庫補助負担金と地方交付税の削減がかなり厳しく行われる、しかし税源移譲はなかなか十分ではないというようなことで、自治体財政が圧迫されていくのではないかという懸念を私たちは持っております。

 先ほど六十点という点数をおつけになりましたが、この四十点分というのはどういう懸念からそのような判断をされたのか。また、今私が申し上げました財政的な面からいって、プラスマイナス、どのようなお感じでおられるか。この点をお聞きしたいと思います。

梶原公述人 私ども、骨太の方針に沿って、三兆円の税源移譲に相当する補助金、負担金の改革案を出してくれ、こういう御要請にこたえて地方六団体としてまとめた案、これを基準に考えていきますと、例えば補助金、負担金の廃止項目が少ないとか、いろいろなそういうマイナス、都道府県側から見ると、例えば国民健康保険の関係が突如として入ってくるとか、生活保護の補助率の引き下げとか、これは別に決まったわけじゃございませんけれども、そういう案が提示されるとか、そういうようないろいろの、我々の案から考えた場合のマイナスを考慮するとおおむねそういうような評価になる、こういうことでございまして、厳密に何点何点という計算をしたわけじゃございませんけれども、そういうことでございます。

佐々木(憲)委員 週刊東洋経済の昨年の九月二十五日号で梶原さんのインタビューが載っておりまして、大変おもしろく読ませていただきました。この中で、こういうことを言われているんです。「今、歯科医師連の問題が表ざたになっていますが、明治時代の中央集権構造というものの必然的な結果でしょう。」というふうにおっしゃっているんですね。

 これはどういう考え方なのか、率直なところをお聞かせいただきたいと思います。

梶原公述人 一般論として、権力、権限、財源が一カ所に集中するということはいろいろな問題点をはらむということでございまして、政と官と業というような関係がブラックボックスに化するおそれがあるという意味で申し上げたわけでございます。

佐々木(憲)委員 石橋公述人にお聞きをいたします。

 日本は大変な震災の可能性がある、大きな地震が起きる可能性があるということでありますが、私は、特に浜岡原発の震災問題というのは非常に気になるわけでありまして、これは想定震源域の直上、上にあるということですが、現在稼働中なんですよね。

 地震というものはいつ起こるか、短期的には非常に予想は難しいと思うんですけれども、こういう状況の中で、ほかにももちろん原発というものが稼働しているわけですが、特にこういう地域にある原発は、一度とめてきちっと点検をする、それで本当に大丈夫なのかということを確認する作業を急ぐべきだと私は思うんですが、公述人はどのようにお考えでしょうか。

石橋公述人 お答えいたします。

 基本的にはおっしゃるとおりだと思います。それがごく正常な感覚であろうと思います。

 ですが、中部電力も一月二十八日の発表で、結局、実質的に、一号機、二号機、三、四もそうです、五号機もそうですが、耐震補強をする、そのためにはとりあえず二、三年はとめるということでありますが、これを、そういう何かとりあえずではなくて、きちんと、今おっしゃったような理由によって、とめて点検する必要があると思います。

 一方で、原子力安全委員会の耐震指針検討分科会というところで日本の原発の全般的な耐震設計審査指針の見直しを行っておりますので、私もその委員を務めておりますけれども、そういうところできっちりした結論を出して、浜岡も含めてバックチェックというものもきちんとすべきだろうと思っております。

佐々木(憲)委員 山田公述人に伺います。

 先ほどのお話、大変興味深く聞かせていただきました。若者が将来に希望が持てない状況というものがやはり大きく広がっていると思うんですが、夢が実現できない若者は、これは自己責任だということで、それが放置されるとかあるいは就職になかなかつながらない。

 そういう場合、親も社会の変化に対応できていない、認識できていないということもおっしゃいましたが、やはり社会の側の、例えば雇用する側、具体的に言いますと企業ですね。それが最近は、リストラというのは当然のような風潮になっておりまして、なかなか安定した雇用の責任を果たしていないのではないかと私は思います。

 その点で、企業の社会的な責任、これはOECDなどでは大いに議論されているところですけれども、この点をきちっと、日本の場合も企業に対して責任があるんだよということを認識していただくことが必要ではないかと思うんですが、どのようにお考えでしょうか。

山田公述人 私は、むしろ逆に、企業に雇用の責任をすべて押しつけられない時代になってきたんだと思います。

 物づくり経済というのは、長期的に人を雇って熟練させることが企業にとって最大のいい行動だったんですけれども、大企業はともかく、私、企業経営者、特に中小企業経営者にインタビューしてきまして、今の時代に正規雇用で全部抱えていたら、グローバル化の中でもうつぶれてしまうというふうに言われて、なかなか、顔を知っているから、若い人にちょっと涙をのんでもらうような形になっています。つまり、すべての企業が体力のある大企業ならともかく、あらゆる企業があって、かつ、いろいろ事業を展開していかなければ、このグローバル化した、IT化した時代を乗り切れません。

 だから、私はむしろ、企業の社会的責任という場合は、たくさんもうけていただいて、税金なり寄附なりで、それで若者対策に回すという形で貢献していただきたい。非常勤なら非常勤でもいいんですけれども、それを育てて、もちろん内部で育てるという形も必要ですけれども、内部、外部で育てるための資金を提供するという形で社会的責任を果たしてもらいたいというふうに私は思っております。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

甘利委員長 次に、山本喜代宏君。

山本(喜)委員 社民党の山本でございます。

 公述人の皆さんには、貴重な御意見、大変ありがとうございました。

 最初に、井堀先生にお伺いしますけれども、所得の再分配ということと消費税という税制のあり方、これについてお伺いしたいんです。

 ILOの経済安全保障指数というのが昨年九月に発表されまして、所得の公平性、労働環境の充実度などということで勘案した国別の順位ですが、北欧の諸国、一位スウェーデン、二位フィンランド、三位ノルウェー、デンマークというふうに並んでいますが、日本は十八番目というふうな状況でございます。やはりこれは、最近の格差の拡大というふうなことが生活実感として出てきている。

 例えばジニ係数ということであれば、日本の所得の上位三分の一の人たちがすべての所得の三分の二ぐらいを持っているというふうな状況でありますとか、かつて一億総中流と言われましたが、現在だと、七百万前後の人が少なくなって、二千五百万円以上、あるいは百万、二百万円台という人がふえてきているというふうな状況でございます。そうした結果が、最近の犯罪の増加でありますとか、あるいは自殺、三万人を超える状況が六年以上続いているというふうな状況がございます。

 そうした現状を考えたとき、やはり所得の再分配ということを考えるべきではないのかというふうに考えます。

 その点と、そうした場合に先生は、消費税、これから増税は避けられないということで一八%ぐらいまで考えておられるようですが、一八%ということになると、やはり広く薄くということに果たしてなるのかどうかというふうなこともありますし、税金の累進度、これをやはり高めていく必要があるのではないかというふうに思っています。

 そうした点について、先生はどのようにお考えでしょうか。

    〔委員長退席、茂木委員長代理着席〕

井堀公述人 お答えしたいと思います。

 まず最初に、消費税、私、一三%というぐあいに、一八%じゃないですので、相済みません。

 確かに、所得の再分配を公的にきちんとやるというのは重要な、一つの大きな政府の仕事ですので、私も、税制を通じて所得再分配をするべきではないというぐあいには全く言っていないわけでして、問題は、消費税がそれに対して余り逆進的ではないということを強調しただけであって、税制による再分配が必要でないということを言っているわけではありません。

 ただ、問題は、現状の、例えば所得税の累進税構造なり、あるいは再分配の場合に一番大きな効果を持つのは相続税だと思いますけれども、そういったものの累進性が再分配効果の観点から見て本当に不足であって、もっと累進度を高めるのが結果として再分配に役立つかどうかというと、これは非常にまた問題がありまして、例えば相続税の累進度を上げますと、脱税、節税をむしろ奨励する形になるわけですね。

 つまり、限界税率が高ければ高いほど、課税ベースを小さくすればその効果が個人的には上がりますので、これは個人所得税でもそうですが、最高税率を上げれば、そこにいる人たちは個人所得ではない形で、要するに給与所得ではない形で、例えば法人化するとかいろいろな形の対応がとれますので、結果として、表面的な累進税率を上げるだけでは必ずしも実質的な再分配の効果というのは出てこない。

 ここが、すべての人が要するに税に関して全く何の反応もしないということであれば、税率を高くすればそれなりの再分配効果が出てくるんですけれども、問題はそうではないですね。いろいろな人が、個人的に税金を払いたくないという人がたくさん、特に高額納税者はそうですけれども、そういったことを前提にして、それでもある程度有効な再分配政策となりますと、それほど極端な累進的な税構造はむしろ実態としては効果がないのかなと。

 だから、実質的に再分配効果をある程度高めつつそれなりの税収を確保するとすれば、むしろ累進性の税率をそれほど高くしないで、課税ベースを操作できないように、例えば相続税のいろいろな控除をもう少し簡素化するとか、相続税に関してのいろいろな適用の優遇措置がありますけれども、そちらを見直すとか、そういった方向の方が、表面税率を上げる形での累進性の確保よりは、より実効性が高いのではないかと思います。

山本(喜)委員 次に、山田先生にお伺いします。

 若者の雇用対策ということでありますが、先生が先ほど来おっしゃっているように、ニートあるいはフリーターというふうな状況が、日本の社会の特徴というふうな状況になってきているわけでございます。失業率も今改善をされたというふうには言われておりますが、若者の失業率に限って言えば、極めて高い状況にあります。その一方で、二〇〇七年から、団塊の世代という人たちが二百万人単位で退職をしていくというふうな状況がございます。非正規雇用がもう二千万近い状況の中で、中小企業なんかでは、技術力の維持ということで大変な問題を今抱えているというふうに言われております。

 日本の市場経済が国際競争力を維持しながら健全に発展していくということのためにも、いわゆる雇用問題というのをきちんと解決していかなきゃならないというふうに思います。そうした意味で、今の現状、若者の雇用対策というふうなことについてどう考えておられるのか、お伺いします。

    〔茂木委員長代理退席、委員長着席〕

山田公述人 すごく広範囲で問題を含みますので、ちょっと部分的にしかお答えできないと思うんですけれども、やはり今こそ総合的な対策が必要だと思っております。ただ単に教育訓練だけすればいいとか、ただ単に所得を保障すればいいとか、そういう問題ではなくて、若者たちに、今やっている仕事というのが五年後、十年後に、自分にとっても社会にとっても役立つということを保証する場をつくらなくてはいけないと思っております。

 もちろん、先ほど言ったように、それを企業にすべて押しつけるのは無理。だけれども、あえて言うならば、余りにも短期的な利益のみを考えてしまうと企業自身ももたなくなるだろう。企業の中においても、長期的な視点に立って、たとえそれほど専門的な労働ではなくても評価して昇進させていく、そして、希望をつなぎながら技術を蓄積させていくというところももう少し考えてもらってもいいのではないかと思っています。

 ただ、それだけではとても何百万人のニート、フリーター、失業者を吸収できるわけはないですので、やはり外側に、若者たちの自立をサポートして、それを評価する仕組みというのを何かつくれないかというふうに考えております。

山本(喜)委員 次に、梶原先生にお伺いします。

 三位一体ということで今進められておるわけですが、本来の意味での地方分権ということには、私自身、今の政府の進めている中身は極めてほど遠いというふうに思うわけでございます。

 特に、地方税源移譲で、人口の多いところはそれなりに財源は確保できるようでございますが、東北とか九州とか過疎地、そういうところでは、今の税源移譲ということでは大変厳しい結果になるわけでございます。

 そうした中で、財源調整機能ということでの地方交付税のあり方、これをどういうふうに考えていったらいいのかということ。特に今、政府とすれば、地方はまだ七兆円も八兆円もむだ遣いが多いということで、これにターゲットを絞っている状況にありますが、これだと地方はもう大変な状況になるのではないかというふうに思います。

 この財政調整機能といいますか、こうしたもののあり方、あるいはその展望についてお伺いしたいと思います。

梶原公述人 今御指摘の問題はこれから大変大きな課題でございまして、十九年度以降、中期財政ビジョンが描かれるということでもございます。そして、地方財政計画について、国と地方が協議をしていこうということにもなりました。これからの最大の課題が交付税をどうするかということでございまして、財源保障をどうするのか、財政調整をどうするかということでございます。

 私どもといたしましては、財源調整と財源保障ということは必要であるという主張を一貫してしておるわけでございまして、典型的な事例を挙げておりますけれども、例えば、離島で人が住んでおられる。それによって領海、領土が守られているわけですね。無人島になれば途端に侵犯されてくるという状況の中で、そういう人たちを守るというのは財源保障そのものではないか。一つの典型的な事例でございますが、水源地を守るとか、いろいろそういう役割を各地域で果たしているわけですから、そういうことをやはり国としても十分配慮すべきだという考え方で私どもは主張をいたしておるわけでございます。

山本(喜)委員 重ねてお伺いしますけれども、例えばフランスなんかでは、地方の声をちゃんと聞いて反映させるというシステムがあるんだそうでございますが、こういうシステムをやはり日本でもつくっていくべきと考えるんですが、その点いかがでしょうか。

梶原公述人 このたびの方針で、交付税の算定について地方団体の意見を聞くという仕組みはできました。これは大きな前進であろうかというふうに思いますが、さらにこれからそういう仕組みをきちっとした制度にしていく必要があろうか、こんなふうに思います。

山本(喜)委員 以上で私の質問を終わります。ありがとうございました。

甘利委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 午後一時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十二分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

甘利委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 平成十七年度総予算についての公聴会を続行いたします。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十七年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず田中公述人、次に山家公述人、次に武石公述人、次に伊藤公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、田中公述人にお願いいたします。

田中公述人 東京大学の田中でございます。

 本日は、予算委員会の公聴会で私見を述べさせていただく機会を与えていただきまして、大変光栄に存じます。

 私は、仕事という点から申しますと、国際政治の研究をしておりますものでして、きょうの意見も、かなり長期にわたって、世界の中での日本という観点から意見を申し上げたいと思っております。

 世界の中での日本ということを考えてみますと、戦後六十年の日本の実績は、大まかにとらえれば成功だったと言えると思います。破局的な敗戦と占領から立ち上がって、現在では世界の主要国の一角を占めるまでに至りました。国連安保理に新たな常任理事国が追加されるという改革が実現するとすれば、日本は最有力の候補であることは間違いありません。世界経済の運営においても、G8サミットのメンバーとして指導的立場にありますし、開発援助の世界でも日本の役割は大きいと言えます。

 今や世界じゅうを日本人の観光客が濶歩し、日本のビジネスマンが飛び回っております。例外はあるにしても、世界じゅうで日本人に対する好感度は相当高いと思います。多くの国々から徹底的な敵対感情で見られていた一九四〇年代前半とは全く別の世界になっていると言うべきだと思います。

 振り返ってみますと、現在のように日本が世界の指導的地位に立つようになったのは、一九六〇年代の後半から一九七〇年代の初めにかけてでありました。自由世界で第二の経済力を持つというふうに言われるようになったのが一九六〇年代の末であります。それから、日本を抜きにして世界経済の動向は語れないという認識が欧米で強まって、主要国のサミットの一員となったのが一九七五年のことであります。それ以後三十年、顔が見えないとか、外圧がなければ何もしないとか、いろいろ言われてきましたけれども、日本が世界的課題解決に向けてのさまざまな問題に関与してきたということは事実だと思います。

 概観的に言いますと、戦後、日本は三十年かけて主要国の地位を回復して、以後三十年間、主要国として生きてきた、そういうふうに言うことができると思います。次の三十年はどうなるでしょうか。

 なぜ日本がサミットに出席し続けているのかというふうに言われるようなことはないでしょうか。仮に現在の国連外交がうまくいって、安保理の常任理事国になれたとしても、十年後とか二十年後に、もう日本が常任理事国である必要はない、そういうふうに言われることはないでしょうか。アジア開発銀行の総裁というのは、これまで常に日本人が就任してきましたけれども、日本人ばかりがこの地位を占めるのはもう適切でないというふうに言われるようになりはしないでしょうか。政治家や外交官が面目を失うだけならともかく、世界じゅうで日本人が軽視されたり嘲笑されたり、あるいは迫害されたりすることはないでしょうか。

 二十年、三十年後の時代にこんなことが言われないようにしたいと私は思います。予算編成は、その年その年のことでありますから、その年の課題にこたえるということですけれども、ぜひとも、このような日本や日本人にならないように、立派な予算をつくり、国政を指導していっていただきたいというふうに思います。後から考えて、日本の没落の原因は二十一世紀初頭にあったというようなことを言われないようにしていただきたいというふうに思います。

 二十一世紀の世界は、大変複雑でダイナミックな世界であります。アメリカが圧倒的な軍事大国であり続けることは間違いないと思います。一方、統合を進めるヨーロッパの影響は増大すると見られます。アジアでは、中国の台頭のみならずインドの成長もほぼ確実でしょう。国家のみならず、テロリストを初めとする非国家主体の動向も重要です。グローバル化はますます進展しますから、遠方の出来事が直接人々の生活に影響を与えるようになります。日本周辺の国際環境は、依然として武力対立の可能性がなくならない不安定な状態が続くということも想定し続ける必要があります。

 このような世界で日本はどうなるのでしょうか。少子高齢化が進み、財政制約は大変大きい。かつてほど何でも経済力で日本のプレゼンスを示すということはできなくなると思います。他方、世界的課題から目を背けて、内向きに生きるというような選択もないように思います。内向き路線は、長期的には確実に日本を主要国の地位から放逐するでしょうし、日本周辺の安全保障環境は、日本の利益を軽視ないし無視した形で形成される可能性が大きいからであります。

 内向き路線には将来がない、しかし、何でもかんでも経済力に頼るというわけにもいかないとすれば、そうしたら、どうしたらいいのでしょうか。

 私は、一国の国際的な戦略は、大きく分けて二つの要素から成り立つものだと考えております。

 第一は、最悪の事態を防ぐための戦略であり、第二は、その反対に、最善をもたらそうとする戦略です。

 第一は、日本にとってマイナスとなることができるだけ起きないようにして、起きた場合にはその損失を最小にするという戦略であります。通常は、これは広い意味で安全保障の戦略というふうに言われるわけであります。第二の戦略は、日本人にとってできるだけよい状態をつくろうとする戦略、つまり、ビジョンを実現する戦略と言ったらいいと思います。極端なことを言いますと、政治というのは、基本的には安全保障とビジョンの二つを語ることだということになるのではないかと思います。

 まず、安全保障についてですが、昨年末に閣議決定された新しい防衛計画の大綱は、今後の日本の安全保障政策の重要な方向性を示していると思います。

 現代の日本を取り囲む安全保障環境の特徴は、伝統的な国家間の安全保障問題が依然として継続する中で、九・一一事件に見られるようなテロリストなどの非国家主体からの脅威が増大しているというものです。この中では、単に自国と自国の周辺のみに関心を持つというタイプの安全保障戦略は十分ではありません。自国の防衛に加えて、広く国際的安全保障環境そのものを改善させていく、そういう努力をしなければいけないと思います。

 そして、このような安全保障の二つの目的、つまり、自国防衛と国際的安全保障環境の改善というこの二つの目的を達成するためには、さまざまなアプローチを組み合わせていくことが必要となります。日本みずからの努力は当然ですけれども、同盟国であるアメリカとの協力、そして、広く国際社会との協力が求められます。

 したがって、今回の防衛計画の大綱で示された、多機能で弾力的な防衛力の整備を自衛隊が着実に行うことは極めて重要で、これによって、自衛隊が安全保障のためのさまざまなアプローチの重要な一翼を担うことができるようになってほしいと思います。そして、それを可能にする背景として見れば、法的に言って、国際平和協力の任務を自衛隊の本来任務と位置づける必要があるのは私は当然だと思っております。

 しかし、安全保障は、自衛隊のみが行う活動だけではありません。複雑性を増す国際環境の中では、非軍事のさまざまな活動も重要です。日本が行う活動として見れば、量的に圧倒的にこのような非軍事の活動が重要だと思います。

 国際的安全保障環境の改善のためには、不安定な地域に秩序をもたらし、経済発展が可能となることによって、武力対立の芽を摘むことが必要です。そのためには、自衛隊などによる平和構築活動と密接に連携した文民の活動が重要です。文民警察、行政支援、そして政府開発援助です。これらに参加する人員は、政府のみならず、民間企業やNGOなどから多く集めなければなりません。国際平和協力に関しては、法律的に言えば、私は早く一般法を作成することが望ましいと思っております。

 このように、多様な人材を使って包括的、総合的に安全保障戦略を進めなければいけませんが、その際重要となるのは、情報と政策統合と外交の力です。日本周辺のみならず、世界各地の情報がなければ、このような戦略を進めることはできません。

 また、このような活動が各省ばらばらの縦割り行政的に行われたのでは、むだばかり多くなります。テロ対策についていえば、自衛隊、海上保安庁、警察の緊密な連携が必要ですが、国際平和構築活動について見れば、それをさらに超える各省間の緊密な協力体制が望まれます。

 そして、このような日本の活動が各国にも理解され、実効あるものにするためには、国際政治をリードしていくだけの外交の力が必要になると思います。

 その意味で、各省ばらばらの対策ではなく、国家としての安全保障政策を明示的に示すものとして、私は、毎年、政府の安全保障会議で、国家安全保障戦略の年次報告とか、あるいは指針としての国家安全保障年次指針といった文書を作成して、国として統合的な安全保障戦略を実施していってほしいと思います。

 言うまでもなく、日本周辺の安全保障環境は、依然として極めて大きな不安定要素があります。この中で国際緊張を高めずに実効的な安全保障環境を担保するためには、これまで以上に密接な日米同盟関係を築いていく必要があります。また、国際的安全保障環境を改善するためにも、アメリカとの協力は欠かせません。先日の日米安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2ですが、これは大変建設的な戦略対話だったと思っております。

 そして、このような日米協力を国民的に支持していくためにも、日本国内における米軍基地などに関する国民の負担についてはできる限り軽減できるよう、創造的、クリエーティブな方策を考えてほしいと思います。沖縄の普天間基地の問題は、私は急務だと思います。

 世界の中の日本ということを考えるとき、安全保障に加えて、国際社会に対する日本のビジョンを語っていくことも必要だと思います。そのようなビジョンこそが、国際社会の中での日本の地位を維持し、日本人への尊敬を増すものだと思うからです。私は、今後の日本のビジョンは、平和で繁栄し自由主義的・民主主義的価値、そして地域の伝統が尊重されるような東アジアという地域を日本周辺に確立していくことだと思います。

 現在の東アジアはそうではありません。朝鮮半島など不安定要因を抱え、国によっては、経済発展もままならず、人権侵害の絶えないところもあります。これは超長期の仕事になるかもしれませんが、日本や日本人にとって、不安定な地域が周辺にあるということは望ましいことではありません。この地域を、平和で繁栄し自由主義的・民主主義的な価値を体現したような地域に変えていくこと、これが日本のビジョンでなければならないと思います。

 小泉総理が施政方針演説で語られた東アジア共同体という言葉も、このようなビジョンが実現した暁の東アジアの姿だと思います。もちろん、共同体という言葉であらわせるような実態がこの地域に直ちに生まれると想像することは現実的ではありません。

 しかし、平和で繁栄し自由主義や民主主義の理念に向かって近づいていこうとする方向性を進めていく基盤がこの地域に全くないわけではありません。一九九七年以降のアジア経済危機にもかかわらず、現在、東アジアの経済はダイナミックに発展していますし、民主主義体制の国々もふえています。また、東アジアの発展する数多くの都市を中心に、東アジア型文化あるいは東アジア型生活様式とでも言い得るものが広がっています。

 このような動向を確固たるものにし、一層促進するためには、自由貿易地域の協定、FTA交渉や国際金融の安定化のための制度づくりなど、さまざまな活動を進めていく必要があります。最も基盤的な活動としては、地道な文化交流や学術交流も重視する必要があると思います。

 分野によっては、日本の国内の一部利益にとって短期的な不利益が生まれる可能性もあります。しかし、長期的に見て、日本がみずからを開放することによって地域全体の平和や繁栄に貢献するということは、日本自身の活力の源ともなり、日本の繁栄につながるのだと思います。

 言うまでもなく、このような東アジアは、アメリカやヨーロッパと、友好的で緊密な関係を維持する東アジアでなくてはなりません。東アジアの繁栄の基盤はアメリカ市場や欧州市場との密接な関係だからであり、また、グローバル化した世界において、いかに広い地域であれ、自己完結的な地域などというものはあり得ないからであります。

 仮に、今から三十年後の東アジアがこのようなビジョンに近づいていたとしましょう。そのとき、過去を振り返って、日本と日本人が頑張ったから平和と繁栄と自由・民主のための東アジアができたのだ、そういうふうに言われるようになったら、これはどんなにすばらしいことでありましょう。このような評価が生まれれば、そういうことがありさえすれば、三十年後の日本の地位や日本人への尊敬を確保する基盤ができたと言えるのではないかと思います。

 統合的な安全保障のための戦略と、平和で繁栄し自由・民主の東アジアというビジョンは、どちらも相互補完的な戦略だと考えるべきだと思います。最悪の事態を防ぎ、平和を維持することなくして、繁栄し自由・民主の東アジアは生まれません。また、東アジア協力を進め、繁栄の期待が高まり、普遍的な価値観が普及することこそが、国際的安全保障環境を改善することにつながるからであります。

 敗戦から三十年で主要国の地位に日本はつきました。その後の三十年間、世界の主要国として日本は世界のさまざまな活動に参与してきました。この日本が、今後も同様な地位を維持できるか。現在、世界的に相当の尊敬と好感を持って見られている日本人は、今後も同様の尊敬と好感を維持できるかどうか。そのような観点から御審議をお願いしたいと思います。

 財政制約が厳しいわけですから、何でも大盤振る舞いはできません。しかし、安全保障を確保するために必要なものは備えなければいけません。国際的安全保障環境の改善や地域のビジョンを実現するためには、やはり相当規模の経済援助を継続する必要があります。

 限られた資源を有効に生かすかどうかは、保持している情報の質に依存します。情報収集や分析に力点を置かなければいけないと思っております。人文・社会科学も含めて科学技術力というのは、一国にとっての総合的な影響力の基盤だとして重視する必要があると思います。

 また、日本のこのような努力がより効果的に世界に対して発揮されていくためには、外交体制の充実も急務だと思います。現在、かつてないほど外交活動の幅も量も広がっています。外務省や対外活動に当たっている人員が過労死してしまったのでは、安全保障も地域ビジョンの実現もありません。

 いずれにしても、経済の規模だけで勝負していくということは、今後の日本にはできません。最終的には、人の力をこれまで以上に発揮するしかありません。日本人の個々の力が十分振るえるような政策をお願いしたいと思いますし、世界的に言えば、日本のことをよく知っている人、これは私の造語ですけれども、知日人とでも言い得るような人々を世界じゅうでふやすという政策を行っていってほしいと思います。

 以上、簡単ですが、私の方から冒頭発言をさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、山家公述人にお願いいたします。

山家公述人 山家でございます。

 私からは、日ごろ、日本経済の分析とか景気の分析を中心に仕事をしておりますので、そういった角度から、二〇〇五年度予算について意見を申し述べたいと思います。

 お手元にA4三枚の資料がございます。グラフが並んだ図表一、図表二というのが表面にあります。それを用意しましたので、ごらんになりながら聞いていただきたいと思います。

 まず、日本経済の現状、とりわけ景気の現状についてでありますけれども、最近の日本経済の大きな特徴として、輸出の影響力が極めて大きくなっているということがあります。輸出がふえると景気はよくなる、輸出が減るか伸びが鈍るかすると景気は悪くなる、あるいは景気の足踏み状態が起こる、そういうことが起こっております。

 図表一をごらんください。

 これは実質の輸出でございますが、輸出の増減と鉱工業生産の増減を同じグラフ、同じ表に載せて対比したものであります。四半期ごと、季節調整済みの前期比という数字をとっておりまして、点線が輸出の動きであります。実線の方が生産の動きです。二つの線の動きが非常によく似ていることが直ちにお気づきになられると思います。

 ここ数年について見ますと、二〇〇一年というのは景気が落ち込んだ年でありました。生産も大幅なマイナスになりました。ごらんいただけますように、輸出の方も大きく落ち込んでいるわけでございます。これは、アメリカ景気が失速した年でありました。それに伴って日本の輸出が落ちた、それとともに生産も大幅に落ち、景気も悪くなったということであります。

 最近、二〇〇二年からの景気の回復ということが言われております。ごらんいただけますように、生産は前期比プラスの状態が続いております。やはり、その背景に、輸出の伸びが高まっていることがあるということが言えるわけであります。アメリカの景気回復とか中国経済の好調、そういったことが背景にあります。

 また、二〇〇二年からの回復は必ずしも一直線ではありませんで、二〇〇二年の終わりから二〇〇三年にかけて生産の伸びが停滞した時期、景気の回復が中だるみになった時期があります。その時期には、やはり輸出の伸びが鈍っております。それから、昨年の後半から、景気の中だるみ、足踏み状態ということが言われております。生産はほとんど伸びない、若干のマイナスという状況になっております。その背景にも輸出の伸びの鈍化があるわけであります。こういった関係は、日本経済の全体像を示します実質経済成長率との関係でも、やはり輸出の影響度が強いという格好で見えるわけであります。

 今度は、図表二をごらんいただきたいと思います。

 これは、実質GDPの成長率を折れ線グラフにとりました。それから、その成長に対する輸出の寄与度、要するに、輸出がどれだけふえたことによって成長率が何%影響を受けたか、その寄与度を棒グラフにして対比してみたものであります。年ごと、これは暦年でありますけれども、毎年の動きを見ております。ここでもやはり、実質成長率の動きは輸出の動きによって左右されているということがおわかりいただけるかと思います。

 もう少し申しますと、最近の景気の動き、輸出がふえますと企業の収益がよくなる、それによって企業の設備投資がふえる、そこまでのことがここ何回かの景気回復で起こっております。逆な例は逆でありまして、輸出が減ると設備投資も落ちる、景気も悪くなる、そういう流れになっております。

 ページを開いていただきまして、図表三であります。

 これは、経済成長率と、輸出と設備投資を合わせた寄与度、これを対比したものであります。折れ線グラフが、図表二と同じ経済成長率、毎年の成長率であります。棒グラフが、さっきは輸出だけでしたけれども、これは輸出に企業の設備投資の増減をプラスしました。その二つの成長率に対する寄与度を見たものであります。

 これで見ますと、近年の経済成長率の高まりが、ほとんど輸出と企業投資の増加によって説明できる、こういう状況になっております。

 こうしたことが最近の日本経済に顕著なことでありまして、このことから何が言えるかといいますと、海外の景気、アメリカなり中国なりの景気が悪くなり輸出が伸びなくなると、それとともに日本の景気は悪くなってしまう、そういう危うい基盤の上に日本の現在の景気回復が成り立っているということであります。

 こうした状態、日本は何せ世界で第二の経済大国というふうに言われております、そういう国が、ひたすら海外景気の動きによって国内の景気も左右される、これは非常に残念なことといいますか、みっともないことといいますか、望ましいことではございません。輸出と設備投資、設備投資は国内需要でございますが、輸出に導かれての設備投資の増加ではなくて、国内需要の増加による景気の本格的回復ということが必要な状況であると言っていいかと思います。

 そういう点で見ますと、国内需要、GDPの五五%を占めております家計、民間の消費支出、この伸びというのが大事な意味を持ってきます。消費の回復を図ることが景気の本格的回復を図るためにどうしても必要であるということになるわけです。そのことによって、海外頼りの景気回復の危うさということからも脱却できるかと思います。

 ところが、民間の消費支出については、このところ極めて不振であります。資料は用意しておりませんけれども、GDPの実質消費支出、四半期ごとの伸びを見ますと、二四半期続けてマイナス、七―九月期も前期比マイナス、十―十二月期も前期比マイナスという状況です。名目の成長率、消費支出の伸び率について見ますと、既に四―六月期からずっとマイナス、二〇〇四年度に入ってからマイナスにマイナスが続いている、そういう状況にあります。そういうふうに消費が不振なわけでありますが、その背景に何があるかということであります。

 今度は、図表四をごらんいただきたいと思います。

 図表四は、国民経済計算、GDP統計の中の雇用者報酬という欄がございますが、その数字を拾ったものであります。

 上段の折れ線が、これも暦の年で拾っておりますが、毎年の雇用者報酬の前年比変化率、ふえたか減ったかという比率であります。下の棒グラフは、雇用者報酬の金額そのものをグラフにしております。二〇〇一年から去年、二〇〇四年まで四年連続して減少であります。上の折れ線グラフでごらんいただくとおりであります。やや長期的に見ますと、一九九七年をピークに減少傾向にある。この間ふえたのは二〇〇〇年だけでありまして、傾向としては七年続けてマイナス傾向にあるというふうに見ていいかと思います。

 ちなみに、二〇〇四年の数字は、グラフではちょっと読み取りにくいかと思いますが、二百六十三兆円でありまして、二〇〇三年、前年に比べて三兆円減っております。四年前、最近のピークであります二〇〇一年に比べますと十兆円減っております。さらにその前、一九九七年のピークに比べますと十八兆円落ちている。雇用者報酬、これはサラリーマン、働いている人の所得の総額でありますが、こういうふうに減り続けているというわけであります。こういうことがありますと、消費が不振であるのももっともというふうに言えるかと思います。

 とりあえずここまでの景気の話をまとめますと、景気が回復しているということが言われております。それは、生産の統計を見ましても、あるいはGDPの成長率を見ましても、あるいは企業収益を見ましてもそのとおりでありまして、景気は一応全体としては回復してきている、そういうふうに言っていいかと思います。

 しかし、そういう景気の回復が言われる中でも、家計部門にあっては景気は一向に回復してきていない、むしろ年々悪くなっている、こういう状況にあるわけでありまして、家計部門の景気はまだ悪化し続けているというのが足元、二〇〇五年初めの状況であります。

 こうした景気の現状を踏まえますと、二〇〇五年度予算にはどういうことが期待されるかということであります。

 ここから予算について考えを述べたいと思います。

 二〇〇五年度の予算案で最も気になりますことは、家計部門の負担が大きくなる方向での予算が組まれているということであります。すなわち、予算案には、定率減税の縮小、住宅ローン減税の縮小、あるいは国立大学の授業料の値上げなどの項目が織り込まれております。また一方で、国民年金保険料とか厚生年金保険料あるいは雇用保険料の引き上げが進められようとしております。そのほかに、公的年金控除の縮減とか老年者控除の廃止などが既に実施されております。介護施設の利用代、食費の有料化なども予定されております。加えて、地方自治体のレベルでも、財源難を背景に各種の福祉サービスの切り詰め、住民負担の増加が続々と行われようとしております。

 こうした負担増が家計を圧迫し、消費を一段と落ち込ませ、景気が悪化するのではないかと、大いに懸念されるわけであります。

 もとより財政の状況は極めて厳しい、そのことは十分私も承知しております。しかし、財政状況が厳しいからということで、国民の負担増によってそこからの脱出を図るということをいたしますと、そのことによって景気は悪くなる、結果として一段と財政状況が悪くなるということが起こります。既に一九九七年に我々はその例を持っております。

 図表五と六のページを開いていただきたいと思います。

 一九九七年の財政再建優先政策といいますか、そのときの内閣によってとられた財政再建政策によって財政状況がどのように悪化したか、これからその数字を見てみたいと思うんですが、以下、その数字を何で見るかということで、私は、政府正味資産という数字の動きで見てみたいと思います。余りなじみのない言葉かと思いますが、図表五をごらんください。

 これは、国民経済年報に記載されております政府部門の貸借対照表、バランスシートを単純化したものであります。ここで政府とは、国と地方自治体を合算した政府部門全体であります。目下のところ、残念ながら、統計は二〇〇二年末までしかとることができません。間もなく二〇〇三年末の数字が発表されると思いますが、まだ我々のレベルではとることができませんので、二〇〇二年末の数字でグラフ化しております。

 図表五の右側に負債七百八十九兆円というふうにあります。国債とか地方債、その他政府部門の負債の合計を示したものであります。左の欄は政府の保有している資産の中身、総額が記載されております。金融資産、さまざまな年金積立金とか外貨準備、地方政府のいろいろな積立金、財政調整基金等がここに当たります。そうした金融資産、それから固定資産、道路とか建物、港湾、ダム、政府保有の固定資産、それから土地、それが記載されております。総額で八百九十五兆円あるというのが国民経済計算で示されているところであります。

 そうしますと、資産が八百九十五兆円、負債が七百八十九兆円でありますから、二〇〇二年末において、政府は百六兆円の正味資産を保有している、そういうことであります。

 財政の状況を把握する方法としては、政府の総負債残高、政府部門の借金が幾らあるか、あるいは国債残高、国の国債が幾らあるか、そういう負債側の統計が専ら使われております。しかし、政府の財政の全体像を見るためには、やはり資産も合わせてみて、正味資産がどうなっているかという数字をとらえるのが一番全体的にとらえられる方法ではないかというふうに思うわけです。正味資産で財政状況の推移を見てみようと考えている次第であります。

 今度は、図表六をごらんください。

 図表五で見ました正味資産の動きを示したものであります。上段の折れ線グラフは、毎年末の政府部門の正味資産残高の推移を示しております。一九九〇年末には政府の正味資産が三百五十兆円ありました。それが、二〇〇二年末には百六兆円に減ってきているということであります。

 注目していただきたいのは一九九八年。グラフの下の方は、年末と年末の残高の差額、年間の増減額を示したものであります。この下の段をごらんいただきますと、一九九八年に年間の減少額が五十五兆円という、それまでもマイナスだったんですが、極めて大幅なマイナスに転じていることであります。九八年以降、年間減少額は、三十兆円から四十兆円という大幅なものになっております。すなわち、一九九八年を境に政府正味資産の大幅な減少が始まったということがあります。

 上の折れ線グラフを見ましても、一九九七年の残高三百兆円から二〇〇二年の百五兆円、この五年間でおよそ二百兆円の減少が生じております。その前の五年、一九九二年から九七年にかけて、同じ五年間でありますが、この五年間は五十兆円の減少にとどまっております。

 すなわち、どういうことが起こったか。一九九六年から七年にかけて、時の政府は、五十兆円という正味資産、財政状況の悪化に対応すべく、いろいろ、国民負担九兆円と言われる増税策をとりましたし、公共事業の大幅削減をいたしました。そういう対策をとった結果として景気は大変に悪くなった。どうしようもなくなって財政支出を図らざるを得なかった。その結果、その後の五年間で、その前の五年間の四倍、二百兆円の財政悪化を招いてしまったということであります。今回、こうした失敗の轍を踏んではいけない、貴重な教訓にしていかなければいけないと思うわけであります。

 九七年の国民負担増は九兆円と言われました。今回は、それに比べると規模が小さいのではないかということがあります。ただし、そのことでもって余り楽観視してはいけないと思います。

 九七年の場合、戻っていただいて図表四でありますが、雇用者報酬はかなり増加していたという背景があります。九六年の雇用者報酬は、棒グラフですが、二百七十三兆円でした。九七年は二百八十一兆円です。この一年間で八兆円の雇用者報酬の増加があった年であります。それだけ雇用者報酬が増加した、サラリーマンの所得がふえた、それでもやはり九兆円の負担増の影響は大きく、景気は悪くなってしまったということであります。

 今回の場合、さっきもお話ししましたが、足元の雇用者報酬は減少しております。二百六十六兆円から二百六十三兆円、三兆円減少。前回と比べて十一兆円、前回は八兆円の増加、今回は三兆円の減少ですから、十一兆円の差があるわけです。前回の国民負担増が九兆円だった、今回は少ないからといって安心できないということはおわかりいただけるかと思います。

 二〇〇五年については、政府の経済見通しを見ますと、雇用者報酬は増加を見込んでいるようであります。ただし、その増加額は〇・五%、一兆円程度の増加、政府の見通しでもそういう数字になっております。しかも、これが実現するかどうかはまだはっきりしない。さっき言いましたように、海外経済の悪化でも一度起こりますと、たちまちにして逆の方向、マイナスになってしまうというおそれも多分にある状況であります。

 財政赤字につきましては、その速やかな削減を図ることがもちろん必要でありますけれども、その対策とタイミングを誤ってはいけないというふうに思います。何よりも必要なことは、まず景気を本格的によくすることであります。一般会計の税収の推移を見ますと、二〇〇三年度の決算、小泉内閣発足直前の決算でありますが、そのときの一般会計の税収は、たしか五十兆七千億円だったと思いますが、五十一兆円近くありました。二〇〇五年度予算で見ますと、税収見積もりは四十四兆円であります。七兆円の税収減が生じている。要するに、この間の景気の悪化によって、主としてそれによって財政状況が七兆円悪化しているということであります。

 ということは、これから景気の本格的な回復を図り、税収の増加を取り戻すことがまず財政再建のために必要なことであり、行うことであると思います。そのために必要なことは、需要の多くを占める消費支出の回復が必要であるということを申しました。そのための政策を展開すべきであります。

 国民負担の増加をかなりもたらすであろう今の予算を、そういう、国民負担を軽くするばかりでなく、国民生活を支援する方向へと組み替える必要があるんではないか、そういうふうに思っております。

 以上で陳述を終わらせていただきます。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、武石公述人にお願いいたします。

武石公述人 ニッセイ基礎研究所の武石でございます。よろしくお願いいたします。

 本日は、衆議院の予算委員会の公聴会で意見を述べさせていただく機会をいただきまして、大変ありがとうございます。

 私の専門は人的資源管理、企業の人事管理、それから女性労働論ということでございまして、私の前のお二人の御意見がかなりマクロの御意見でございましたが、私はもう少しミクロの、働く人とか働く女性という視点からきょうは意見を述べさせていただきたいというふうに思います。

 特に本日は、日本の少子化傾向と関連いたしまして、子育てと仕事の調和の問題に関して私が考えていることの意見を述べさせていただきます。

 予算というものは国の方向性を決めるものであるというふうに考えているわけでございますが、少子化問題、これは今後、中長期的にかなり大きな問題になると思いますが、この問題にどんなふうに取り組んでいただきたいかという私の意見ということでお聞きいただきたいというふうに思います。

 私は、こういう研究をしておりますと、きょうもここに来るときに職場の女性から頑張ってきてねと言われたんですけれども、子育てをしている女性から、非常にいろいろな事例を聞かされます。ちょっと、最近の事例を三つほど御紹介したいと思うのです。

 まず、三十代の金融機関に勤める知人なんですけれども、職場結婚をいたしました。そうしたら、職場結婚をした途端、夫が海外赴任を命ぜられたということで、出産を考えていた彼女は非常にそれにショックを受けて人事にかけ合ったんですけれども、ひっくり返らなかった。それなら断ればよかったのにと言われたわけなんですね。人事の方は、当然別居をして、夫だけが海外に行って妻の方は残ると思っていたらしいんですけれども、そういった個人のライフプランにまで考えが及んでいないということなんだと思います。

 それから、二つ目の事例は、私の同僚なんですが、共働きをしながら二人の子供を出産しています。親が遠方にいるものですからなかなか親の協力も得られないということで、苦労をしながら子育てをしておりますが、彼女がつくづく、最近私にこぼしたのは、仕事をしながら子育てをしていると、何かもう毎日毎日いろいろなところに行って、済みません、済みませんと言って謝っている。やってもらったことにありがとうと言うんだったらわかるんだけれども、何でこんなに謝らないといけないんだろう、非常に不合理だということで、こぼしておりました。

 それから、三つ目の事例なんですが、これも私の知人ですけれども、育児休業から復帰しまして短時間勤務で働いていた。企画部門にいる総合職の女性なんですけれども、自分でプランニングした企画の会議を、大体夕方の時間からの会議設定で行われるということで、やりくりをしながら会議には出るんですけれども、どうしても出られない場合がある。そうすると、上司に資料の説明をして、資料を準備して帰るわけなんですが、翌日会社に行ってみるとその企画がひっくり返されているというようなことで、非常にやりきれない思いをしている。それから、就業時間後のいわゆるお酒の席でいろいろな仕事の話がされるということで、いたたまれなくなって、やむなく退社をしてしまった。こういう事例が数えれば山ほど出てくるわけなんです。

 それで、子供を育てながら仕事をする、仕事ではなくてもいいんですが、社会にかかわっていくというようなことが当たり前にできない社会に日本がなっているんじゃないか。先進国のほかの国を見るとこれほどの状況というのはないわけですけれども、それが日本では一般的にならないというこの状況をどういうふうに考えたらいいだろうかということなんです。

 私はこういう研究をしていますので、仕事と子育ての両立ということで、少子化の流れを変えるためには重要だというふうに申し上げますが、ただ、実際に仕事と子育ての両立支援をしたときに、では少子化がとまるのかと言われても、それは未知数だと思っています。ただ、これからの社会、人口が減って、子供が減っていくという社会の中で、どういう働き方がスタンダードな働き方なんだろうかというのを考えていく必要があると思います。

 今でこそ、子育てをしているカップルというのは専業主婦の家庭がとても多いんですけれども、これからは、夫婦が働かないと生計が成り立たない、そういう家庭がふえてくるんじゃないかというふうに思っております。そうすると、そういう家庭が一般的になる中でどういう政策をしていった方がいいのかという中長期的な視点からこの問題を考えていただきたいということをまずお願いしたいというふうに思います。

 きょう、私の資料をお手元に配らせていただいておりますが、少子化対策と言われるものの中で、仕事と子育ての両立支援というのがなぜ重要だったのかということなんです。ここに、日本の労働市場の非常な特殊性というものを指摘しなくてはならないというふうに思っております。

 資料の一ページの上のデータをごらんいただきたいんですけれども、これはOECDが分析しましたレポートから掲載してございます。折れ線グラフが六歳未満の子供のいる母親の雇用率ということになっておりますが、日本は三三・三%で、ここに並んでいる国の中で一番低くなっているんです。つまり、子供を持っているお母さんの就業率が一番低い。それから棒グラフの方なんですが、これは、仕事と育児の両立支援策を指標化しましてOECDが比較をしたものなんですが、これが左から低い順に並んでおりますけれども、日本はギリシャに次いで二番目にこういった施策の取り組みがおくれている、こういう状況になっております。

 下の表をごらんいただきたいんですけれども、合計特殊出生率、先進国の中で出生率が低下していくという傾向が、八〇年代ぐらいまでは共通して見られました。ところが、八〇年代、九〇年代以降、国によって出生率の動きに違いが見られてくるということになるわけです。

 八〇年代に出生率が上昇してくる国として、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーのような北欧諸国、それからアメリカといった国が挙げられますが、九〇年代以降は、さらにフランス、オランダといった国で出生率が回復しております。日本と並んで低い出生率ということで、いつもドイツ、イタリア、スペインといったあたりが取り上げられるんですが、こうしたドイツ、イタリア、スペインをごらんいただきましても、近年、出生率が少し上がってきている。水準としては低いんですが、上がってきている。この中で一貫して下がっているのが日本とギリシャというような状況でございまして、日本の出生率の動向が非常に低水準で、しかも回復の兆しが見られないという状況に来ているということでございます。

 それから、次の二ページの上のグラフをごらんいただきたいんですが、そういう中で、女性の労働力率、労働参加と出生率の関係というのが、八〇年代までは確かに労働参加の高い国は出生率が低いという負の相関関係が見られるんですが、九〇年代それから二〇〇〇年と、労働力率の高い国が出生率が高いという関係が見られるようになってまいります。

 そして下のグラフですが、日本の都道府県で見ましても同様の傾向が見られるということでございまして、女性の労働市場への参画というのを所与にした施策の展開というのが必要だというふうに考えられるようになってきたわけでございます。

 そこで、それでは日本はどういう状況にあるかということで、三ページのデータをごらんいただきたいと思います。

 三ページの上の表になりますが、ここで女性の労働力率あるいは婚姻関係別、末子の年齢別の状況をごらんいただいております。特に、末子の年齢別、一番下の子供の年齢がゼロから三歳、四歳から六歳という未就学児を持つ母親の状況を見ていただきたいんですが、九〇年代、これが一・五七ショックと言われて、少子化が非常に差し迫った状況として認識された時期でございます。このときから比べまして、現在まで、小さい子供を持つ母親の就業率というのはそれほど上がってきておりません。下にも同様のデータを掲載してございますが、特に、週三十五時間以上働くフルタイムの母親というのは、ゼロから三歳の子供のところでごらんいただきますと、一割という非常に低い水準でございます。

 そして、働いていない人たちがどういう思いで無業状態にあるかといいますと、就業希望を持ちながら非労働力化している、これが小さい子供を持っている女性たちの現状ということになります。

 ですから、九〇年代以降の少子化対策の中で、この両立支援策というのが大変重要な柱になってきたわけなんですが、その結果といたしまして、出生率に上昇が見られない、母親の就業率は上がってこないということで、限定的な効果にとどまってしまっているというのが現状ではないかというふうに思います。

 それでは、どうしてこの対策が効果を上げなかったのかということなんですけれども、私は、従来の少子化対策が、言ってみれば働く女性のための対策、もっと言ってしまえば小さい子供を持つ人の対策というところで矮小化されてしまったことに原因があるんじゃないかというふうに思っております。本来、仕事と子育ての両立というのは、働く女性だけの問題ではなくて、男性の問題でもありますし、これから子供を持とうとする若い人たちの問題でもあるわけなんですけれども、そこが十分認識されずに施策が展開されたという課題認識を私は持っております。

 そして、子供を持たない理由、理想の子供数を持たない理由として、経済的に苦しいからというのがよく言われます。経済的に苦しいんだったら、では手当を給付しましょうという政策が提案されることも多いわけなんですが、実際に、国家予算というものが今高齢者給付に非常にシフトしていまして、児童・家族関係給付というのは非常にその割合が低い。こういう中で児童・家族関係給付をふやすということに関して、私は何ら異存はございません。

 ただ、子育て家庭の支援策として手当を給付するということは、私は慎重に検討がなされるべきではないかというふうに思っております。女性あるいは男性の望むライフスタイルとその手当の支給のあり方というのが本当にマッチしているものかどうかということをきちんと考える必要があるだろう。

 それで、経済的な理由というときに、なぜ経済的な理由になってしまうかというと、やはり、子供が生まれると妻が仕事をやめてしまうという家庭が非常に多いんですね。そうすると、子供がいないときは二人で働いていたのに、子供が生まれて家族がふえたのに一人が仕事をやめてしまって、二馬力から一馬力になってしまうということで、これで家計が厳しくなるのは当然でありまして、そういった二人の収入減というのを和らげる方向での政策というのも十分考えていいのではないかということでございます。

 それから、職場における対応ということについて次に申し上げたいというふうに思います。

 特に仕事と家庭の両立という問題の中で、職場でのマネジメントの問題というのは非常に重要になってくると思いますが、今、企業がこういった問題になぜ取り組まなくてはいけないかというと、企業の社会的責任、少子化なんだから企業も何か努力しなさいという文脈で、企業の責任論というのが展開されます。

 ただ、私は、それも大事なんですけれども、むしろ、これからの企業にとって、そういった仕事と子育て、仕事と生活といった従業員のライフスタイルに目配りをしたマネジメントというのをしないと、逆に企業としてのパフォーマンスが落ちてしまうのではないか、企業の必然性としてこういう取り組みが求められてくるのではないかというふうに考えております。

 そういう中で、企業が実施している両立支援策の中で大きな期待を寄せられているのが育児休業制度だと思います。

 育児休業制度に関しましては、いろいろ制度改正もなされて、この四月からは改正法が施行されるということで、制度の改善が行われてきております。私はこれは大変いいことだと思うんですけれども、一方でちょっと危惧しますのが、育児休業制度にのみ過大な期待がかけられ過ぎてはいないだろうかという問題です。

 私は二人子供がおりまして、下の子供を産んだときがちょうど育児休業施行の半年前だったものですから、育児休業をとることができませんでした。ですから、育児休業制度の重要性は非常によくわかるんですが、両立支援の切り札という形で育児休業制度に余りに過大な期待をかけ過ぎるのは、むしろ問題が大きくなるのではないかということでございます。

 資料の四ページの下に、育児休業給付という、雇用保険の仕組みで支給されています休業中の賃金補てんのような意味合いの給付金ですね、これの受給者数の推移を載せてございますが、最新時点で女性が十万人、それから男性ですと四百五十九人という受給者数になっています。年間に生まれる子供の数が約百十万人ですので、この給付の対象にならない公務員あるいは自営の方というのがいるんですが、ざっと母親の一割、それから父親に至っては〇・〇何%という水準の取得率になっているわけです。

 この育児休業の取得がふえない理由というのは、いろいろな理由があるわけですが、もちろん、職場で取得をすると言ったら上司から嫌な顔をされた、そういったプリミティブな問題もたくさんあるんですが、一つは、やはり育児休業だけでは育児期を乗り切ることができないという問題があるんじゃないかというふうに思っています。

 現在の育児休業法というのは、子供の一歳のお誕生日の前日までを労働者の権利として休業を保障しているわけです。ただ、育児休業で一歳までを乗り切っても、その後の長い子育ての中で残業とか転勤というハードな働き方を強いられることになると、長期的に考えてここで仕事をやめておこうと選択する人がいてもそれはやむを得ないということで、育児休業だけで子育てが乗り切れない。むしろ、その後の柔軟な働き方というのをこれから考えていかないといけないのではないかということでございます。

 ここで注目されますのが、次の五ページの下のデータをごらんいただきたいと思うんですが、よく、こういった両立支援策というのは中小企業では導入が難しいと言われるわけなんです。ところが、出産後も継続している女性の割合というのは、大企業よりも中小企業の方が多くなっています。これはいろいろな理由があると思うんですけれども、結局、制度があるなしではなく、職場の中で子育てといった状況にどのように柔軟に対応できるかということが重要なのではないかということで、中小企業は確かに制度はないんですが、人材の引きとめ策として経営者の方が大変努力していろいろな対応をされている中で、こういった中小企業で出産後も継続する女性が多いという状況になっているんだろうと思います。

 したがって、子供が小さいときの育児に限らず、もう少し長期間にわたった仕事と子育ての支援のパッケージといった発想から、この両立支援策というものをぜひ展開していただきたいということでございます。

 ただし、その際に、私は、子育てという場面だけを切り取って、子育てを聖域にして、子育てをしている労働者のためだけの施策というのは弊害も多いというふうに思っております。

 子育てをしている人は、確かに、休業ができて短時間で帰れて満足度が上がるかもしれないんですが、周りにいる人たちにそのしわ寄せがいってしまっては周りの従業員の人たちのモチベーションが落ちてしまうということで、周りの人たちのニーズも踏まえたトータルの、子育て支援策よりももっと広い、最近人事の分野で言われていますワーク・ライフ・バランス、仕事と生活の調和、その生活の中には、子育てももちろん入りますが、それ以外のボランティア活動ですとか学習活動、いろいろな活動が入ってまいります。そういうワーク・ライフ・バランスという視点から、子育てを聖域にしない、子育ても含めた働き方の見直しというのが大変重要になるのではないかなというふうに思っております。

 アメリカで、一九八〇年代に、子育てを行っている従業員に対する支援策が大変充実いたしましたが、そのときに問題になったのが、ほかの従業員のモチベーションの問題でした。そこで、九〇年以降、もっと従業員を包括的に包み込むワーク・ライフ・バランスの取り組みというのが進められてきております。

 それから、イギリスでも近年、ワーク・ライフ・バランスの重要性というのが、企業だけではなくて国の経済にとってもこういった取り組みが重要であるということで国の政策に取り上げられているということで、日本でもぜひ、子育て支援にとどまらず、働き方の見直しという視点から、ワーク・ライフ・バランスの視点からこうした少子化の問題にもアプローチしていただきたいなというふうに思っております。

 日本でこういった取り組みがどういうふうに展開され得るかということを最後に申し上げたいと思うんですが、日本の労働市場というのは、正社員の働き方と非正社員の働き方、非常に距離を置いた二つの働き方が労働市場にあって、その間に選択肢がない、これが一番の問題であろうというふうに思っております。ですから、拘束度が高いけれども雇用保障も強い、両方トレードオフの関係にある正社員の働き方と、拘束度は低いんだけれども労働条件も低いという非正社員の働き方、この二つの働き方の両者をつなぐような多様な働き方がふえてくる、そういった政策対応が必要になってくるのではないかということでございます。

 最後のデータなんですが、六ページの下に、では正社員の働き方が変わるのかということで、データを御紹介させていただきました。

 これは二〇〇三年に実施した調査ですが、短時間で働きたいという正社員がどのぐらいいるかというデータを見ているんですけれども、ちょっと色の濃いところがそういう働き方を希望する、それから白っぽいところがどちらかといえば希望するということで、現在からライフステージを切って掲載させていただいております。

 特に男性、左にありますが、下の方の、介護ですとか、あるいは学習活動をしたいとき、社会活動をしたいとき、こういったときに、男性でも短時間で働きたいという人が出てきています。私の周囲にも、賃金が下がってもいいから労働時間をもっと短くしてほしいという人がたくさんいます。

 やはり、子育てをしている人の状況まで想像力が及ばないというのは、結局、その周りにいる人たちがライフがないからじゃないかというふうに私は思っております。ワーク・ライフ・バランスというときには、ワークは、働いている人は大体あるんですが、自分の個人生活というものがしっかりないと、このワーク・ライフ・バランスが難しいと思うんですが、そういったライフの部分をもっと充実させて、子育て以外の人たちのワーク・ライフ・バランスということを考えていただきたいということでございます。

 そしてそれは、働く人にとってももちろんハッピーなことなんですけれども、企業にとっても、やはり満足度を持って働いている人たちが多い組織というのは活性化してくる。そうすると、そういう企業がたくさんふえれば、日本の国の経済としてパフォーマンスが高くなるということで、ぜひそういう視点の重要性という意見を、きょうは最後に述べさせていただきたいというふうに思います。

 以上で意見陳述を終わりにさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

 次に、伊藤公述人にお願いいたします。

伊藤公述人 埼玉大学の伊藤でございます。

 資料はございません。しゃべくりだけでやらせていただきます。

 本日、御意見申し上げたいのは、税制と社会保障についての考え方にかかわる問題であります。

 いわゆる定率減税の廃止については、二年をかけて、そして景気に配慮しながらということに決まっているように伺っておりますけれども、これはもっと大きな、全体的な税制再改革の検討と一体で実施していただきたい。さらには、もう一つ加えるとすれば、社会保障改革と一体で考えていただきたいというのが最初に申し上げたいことであります。

 なぜならば、これは時限的なものとして始めたんだからまずここを戻すというのは、行政的といいますか形式的な取り扱いであって、長い目で見た税制の改革の中で、これを実施することがどう位置づくのかというのを改めて考える必要があるだろうと思うからであります。そうでないと、これはまた、取りやすいところから負担がふえるというような受け取られ方が出てまいりまして、国民のマインドが下向きになりまして、景気に対して悪影響が出るだけということを恐れるからであります。

 そう申しましても、私はすべての増税がよくないと言っているわけではなくて、中長期的にはむしろ税負担水準の上昇は日本においては不可避であるし、また必要であるというふうに考えています。それも、わずかではなくて、ある程度大きな負担水準の上昇というのは不可避かつ必要であると考えています。

 なぜならば、景気循環の関係での税収の減少というのもありますけれども、これを取り去った上でもいわゆる構造的な赤字というのが残るという分析結果が出ておりまして、今、国際的に見ても負担水準が低い状態から、ある程度上げていくことは不可欠であると考えるからであります。

 また一方、支出の方でも、社会保障の必要性というのは、高齢化のさらなる進展に伴ってこれは否定できないことでありますので、むしろ、税、社会保障負担の水準の上昇というのは避けられないもとで、それをどうやりくりしていくかというふうに頭を進めた方がいいのではないかというふうに考えます。

 その際、特に重要だと思うのは考え方でありまして、下手をすると国民をミスリードするようなキャンペーンをやってしまいはしないか。それは有害な結果を既にもたらしているし、今後もそうならないように注意すべきだという点でございます。

 例えば、今三つ挙げたいと思うのですけれども、一つ目の例は、長期の公的債務が、先ほど来資料にも出ておりますが、七百兆円を超えてくる。これについて、国民一人当たりに直しますと六百万円を超えるというようなことがよく言われるし、目にするわけであります。

 しかしながら、あらゆる借金はそうでありますけれども、すぐに全額返済する必要はないわけでありまして、このように一人当たり幾らと言いますと、国民の間には、あたかもすぐさま全額返さなければいけないというような考えが浮かび、これが景気に対して、あるいはもう少し長い目で見ても、非常に有害な結果をもたらすのではないかと思います。現在必要なのは、対GDP比でまず一〇〇%のラインを切って危険水準を脱出する、そういう方向に向けて動き始めることであろうと思うわけです。

 それから、二つ目の例でありますけれども、重税というようなキャンペーンですね。特に中心になるのは、所得税が重税あるいは重税感が強い、中堅サラリーマン層に対してこれがきついというようなことがよく言われるわけでありますけれども、これは、冷静に国際的に比べてみたりすれば、事実に反するんだろうというふうに思います。負担率は、よく見られるとおり、先進国の中で低いわけでありますし、もっと具体例を言えば、年収一千万円のサラリーマンというのは、恐らく多くの場合、所得税は百万いっていないはずでありまして、税率が一〇%に満たないというのを中堅層の重税と言うのかといえば、これはそうは言わないのが常識だろうと思います。

 それから法人課税につきましても、これも法人税率の国際比較というのがよく出るわけでありますが、考えてみれば、法人の税負担というのは法人税だけではないわけで、地方税もあるし社会保険の使用者側負担もあるし、あるいは税率だけではなくて課税ベースがどうなっているかというのがもう一つの大きな要素であるわけですから、これをもって重い軽いという議論をするのは少し足りないというふうに思います。

 今申し上げた直接税関係では、よく所得捕捉の不完全性ということが問題になるわけですけれども、これについては、財政事情が厳しい折といえども、以前から、税務行政に携わっている方から御指摘があるとおり、税務職員の増員をやって、これによって所得捕捉の漏れについて拾い上げていくことができるんだよという話があるわけですから、これを実施すべきであるというふうに考えます。

 それから、キャンペーンのたぐいについての三つ目の例なんですけれども、これが一番重要かなと思いますが、高齢化が現役世代あるいは若い世代を圧迫して、その負担に耐えかねて日本経済の活力が落ちてしまうというようなことが、これは常識的なものとして言われているわけですが、これはちょっと言葉が悪いですけれども、非常に有害な危機あおりの部分が含まれているというふうに私は考えます。

 例えば、かつては現役七名で退職者一人を養っていたとか、もう少し最近に近づきますと、五人で一人であったのが、これからは二人で一人を養わなければならないというようなことがよくパンフレットに書かれているわけでありますが、これは極めて事態の一部分だけを取り上げた、ミスリーディングなものだろうと思います。

 なぜなら、全人口のうちで、もし扶養する側に立つのが現役の働いている世代だとしますと、これは高度成長期において全人口の六〇%強であったのが、今後見積もられるのは五〇%台前半になっていくだろうということで、一割とかそういうレベルの問題なんですね。それが、七人で一人が二人に一人というふうに何倍になるというようなイメージが広がりますと、これは悪影響を及ぼすのは明らかだろうと思います。

 扶養されるべき立場に立つのは、高齢者だけではなくて、専業主婦もそうですし、これはだんだん減っていく。まだ就職する前の子供の世代もそうで、これは困ったことですけれども減っているということを考えると、何倍にも現役の負担が重くなるかのようにミスリードするような言い方というのは厳に慎むべきだろうというふうに考えます。

 それからもう一つですけれども、これもはやりになっている世代間不公平、世代会計の話であります。

 今既に年金をもらっている高齢者は、若いときは掛金が少なくて今はたっぷりもらって得だな、我々若い世代は損だなということで、日々学生と接してみますと、もう年金制度に対する信頼が地に落ちているというのは非常に感じるわけであります。非常に誤った観念が広まっておりまして、払ったって一銭も返ってこないというふうなことが今の二十前後の国民の間に定着している率が実は非常に高いわけであります。

 このような損得というのは非常に間違った考え方を含んでいるだろうということで、これについては、アメリカの経済学者でロバート・バローという人がいて、合理的期待学派に属する人なんですけれども、この人が初めに定式化して、日本ではいち早く宮島洋先生がこれを社会保障問題に適用してまとめられておりますが、非常に重要な考え方だと思われるのは、正味の負担という考え方であります。つまり、例えば高齢者の生活を支えるというのにこれだけの負担が必要だとしましても、それは私的な、プライベートな負担の部分と、社会保障等を通じる公的負担の部分と、二つがあるわけであって、これを合わせて全体である、大体一定の額になるというものであります。

 私的な負担というのは、昔、社会保障がさほど充実していなかったころは、子供や孫あるいは親戚で、仕送りをするだの、もし同居していれば介護といったような労力も出す、生活費も出すといったような、家族内、親戚内での支え合いであります。この部分と公的負担の部分が合わさって一定額でありますから、今後の若い世代は負担が大変だといって社会保障の水準を今切り下げておくとすれば、それは若者の負担が本当の意味で下がるのではなくて、公的負担の部分が減って、私的負担をしなければいけない。もちろんこれは自分で若いときに蓄えておくというものも含めてですが、それがふえるだけなので、差し引き変化はない、つまり正味の負担は変わらないということで、構成が変わるだけなのだという議論であります。

 この考え方が非常に重要だと思いますのは、例えば今、シルバー大学とかそういう機会がふえてきているわけですが、現在の年金受給者の中に、後ろめたさとか心理的な圧迫感を感じていられる方が非常に多いわけであります。我々は得をしている世代なのか、若い者に対して申しわけないと実は思っていたという方が結構多いわけであります。

 ところが、それは実は正しくない考え方であって、現在の高齢者が若いときは、それは年金の掛金は安かったけれども、そのかわり全体の制度が整っていなかったので、自分の親に対しては私的負担をたくさんやっているわけだから、これも考えれば、世代面で損得ということはそう簡単に言えないはずである。そうであれば、我々が考えるべきなのは、私的負担と公的負担のこの割合をどのようにミックスした社会を構想するかであります。

 ここは意見が非常に分かれてくるところかもしれませんけれども、私の個人的な価値判断としては、日本の現状を考えれば、ある程度公的負担の割合が高い方が、よい社会になるだろうと判断いたします。

 例えば、一例ですけれども、一部の国会議員の方から、年老いた親の面倒を見るのは息子のお嫁さんであるのが日本古来の美風であるというような意見が漏れ聞こえてきますけれども、それは同居していたらできますけれども、離れていたらできないわけですね。このように、各家庭によって所得や資産、その他、同居とか労力がどの程度出せるかというような条件は非常にばらついているわけですから、これは公的なルートをある程度ふやすことによってならすことができるというのは、今後の日本社会の現実を見たときには、ある程度の水準がぜひとも必要であろうというふうに考えます。

 これは、先ほどの話じゃないですけれども、負担であるとか、国が金を出せとか、自治体が金を出すべきであるとかいう考え方ではなくて、国民が相互に扶養し合うことをやっているわけで、中央、地方の政府は、国民の相互の扶養し合いの仲介とか代行をよりうまくやるというふうな考え方をすべきではないかと思います。

 次に、今の話で中心になるかと思います年金等の問題なんですけれども、これについては、私の意見としては、各制度の一体化と税方式化というのが基本になるだろうというふうに考えております。

 昨今、格差の拡大だとかいうことがいろいろなデータでも言われておりますし、それに、高齢化が進めば進むほど、高齢者ほどその格差を含んでいるということから考えますと、応能原則ということは、人気がないんですけれども、実は今後ますます必要だというふうに私は考えます。負担は能力に応じてということですし、給付の方は必要に応じてというふうに、できるだけ近づけるべきだと思います。

 例えば、年金、医療、介護だとか、年金の中での各制度、これを個別に扱いますと不効率があるというふうに思います。なぜならば、各制度の中で重複が生じたり、あるいは、個別にとると非常に必要度の高い人と低い人がいるんですけれども、これはできるだけ一律に扱わなきゃいけないということで、各制度の中での高い方というんですか、給付の水準を高くしなければいけない方に各制度が合わされる結果、肥大化する傾向が出てくるだろう。それから、各制度を個別に設計した結果、全部合わせてみると負担原則がゆがむというおそれがあることからであります。したがって、各制度をできるだけ一体的に扱うのがいいというふうに考えます。

 これも考え方次第でありまして、相互に保障するというようなこと、保険の原理というのは非常に効率的なわけでありまして、例えば自分で老後の準備をしましょうといっても、各個人が私的な貯蓄を個々にやりますと、最大限かかるときの老後の生活費というのは非常に高額になりますから、これをみんなが個々に備えるというのは非常に不効率になります。これを社会保険のような原理で相互に保障しますと、平均的に一人当たりで備える必要性というのは非常に低くなるわけですから、効率的である。

 このようなことを考えますと、社会保障の各制度を全体として扱うときには、まず、個別リスクあるいは特定リスクを十分にカバーする。例えば介護の必要な場合とか特定の重い医療の必要だとか、こういうところをまずカバーして、優先順位としては後に持ってくるのは包括的な所得保障、このやり方で考える方が効率的である。まず最初にだれに対してもある程度の包括的な所得保障をやろうとしますと、その中には、特定のリスクがもし実現してしまったときのこれだけ必要だというものが入ってきますので、非常に水膨れをしてしまうという性質があるのだろうというふうに思います。

 具体的に、年金については基礎部分を税で賄うようにすべきだというのは全く個人的な意見ですし、それは別に消費税に最初から限定する必要はないだろうと思います。それから、基礎部分のところをしっかり確保することが重要で、所得比例の部分を余り重要視する必要は実はないのではないか。付加部分は個人個人で選択に任せるという部分があっていいんだろうというふうに考えますので、まずは、今、国民に安心を与える観点からは、基礎部分をとにかく一定程度を確保するという制度設計であり、メッセージだろうというふうに考えます。

 この際、間違えてならないのは、税方式に大幅に移行しますと、現在行われている社会保険の負担、これは雇用者についても、あるいは使用者側についても、基本的にその分なくなるわけでありますから、その分を所得税や法人税のアップの方でどううまく調整していくかということになります。現在の例えば社会保険の使用者側負担というのは、従業員を雇用することに対する課税ということに実際上なっております。これはバイアスを生みますので、そうではなくて、このおもしを外して、もっと一般的な課税の方に移すというのが、中立の観点からも望ましいと考えます。

 最後に一言、提案を申し述べたいんですが、先ほど来申し上げておりますように、国民の間ではいろいろな情報が飛び交って、必ずしも事実に即していない、また、やや悪い結果をもたらすような観念というのが定着しがちであります。特に税については、自分がどれだけの計算で、どれだけの税額を毎年払っているのかというのを正確に把握している源泉徴収者は少ないと思います。これは、確定申告をやるときのように、税金の計算方法とその金額を源泉徴収者に対しても個別に通知する、これによって国民に真実が伝わって、もっと予算や経済論議というのが地に足のついたものになっていくのではないかと思いますので、ぜひこの制度を御検討いただきたいと思います。

 以上でございます。(拍手)

甘利委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

甘利委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。後藤田正純君。

後藤田委員 自民党の後藤田でございます。

 きょうは、四名の先生方、お忙しい中、本当にありがとうございます。

 最初に田中さんからは、国際政治と安全保障につきまして、大変格調の高いお話をいただきました。また、山家さんの方からは、輸出関連の貿易の関係から、内需拡大、経済または財政につきましてのお話もいただきました。また、武石さんからは、少子化、また人事管理、働く女性につきましてのお話を賜りました。また、伊藤先生におかれましても、税制と社会保障を中心にお話をいただきまして、本当にありがとうございます。

 一九八〇年に、総合安全保障という政策を大平内閣のときに閣議決定をいたしたんですけれども、それ以降二十数年たちますが、その総合安全保障という考え方がなかなか国家戦略として前面に出ていないような気がしております。

 安全保障と一言で言うと、いつも有事の際の安全保障ということになりますけれども、それは当然のことでありまして、有事プラス経済安全保障。経済安全保障の中には、食糧安全保障、エネルギーの安全保障、そして労働力の安全保障、または金融の安全保障、さまざまな安全保障がございます。そして、もう一つは国際貢献、人道支援という安全保障でございまして、その大きな安全保障の考え方に基づいて、きょうは、四名の方のお話、すべて関連があったと思います。

 まず、田中先生にお伺いしたいと思います。

 先ほど来、顔が見えないという、日本の国際政治の対応に対して批判があるというようなお話がございましたけれども、私自身は、今、日本が置かれている立場として、三つの常識があるというふうに思っております。

 これは、アメリカの対日に対しての考え方、または日米関係ということに対してなのでございますけれども、まず、アメリカという国は、みずからの世界戦略に基づいて対日関係を考えているということ、二つ目は、その時点での国民世論の支持の動向を見ているということ、三つ目は、独立国に外国の軍隊が長期間駐留しているという、この三つの常識といいますか非常識といいますか、この問題が大変重要な問題にもかかわらず、戦後六十年、国会議員は、また日本はこれに対して何もしてこなかった、アメリカの半植民地化の状態をそのまま受け入れているというのが私の認識でございます。

 フィリピンですら、一九九一年に米軍が撤退しております。パナマに至っては、九九年に米軍が撤退しております。また、冷戦後の欧州、イギリス、イタリア、ドイツにつきましても、二十九万人いた米軍が九万人に減少しております。しかしながら、日本はいまだに沖縄を中心に米軍が駐留している。なおかつ、ドイツ、韓国と比べても、たしか韓国は五百億、ドイツは百億、日本は土地代を含めると六千数百億のお金を使っているという現状に対して、私は、果たしてこのままで日米関係はいいのだろうかということを大変危惧しております。

 脱亜入欧、アジアから脱して欧州に入るという言葉が今まではございましたが、私は、今は脱欧入亜、改めてそのことを今日本はすべき立場にあるというふうに思っておりますが、その点について、田中先生の御見解をお聞かせいただきたいと思います。

田中公述人 どうも御質問ありがとうございました。

 後藤田先生おっしゃったように、総合安全保障という考え方が一九八〇年に出されて以来、私は、これは大変重要な考え方だったと思います。今後、先ほど来申し上げましたように、安全保障というものはやはりいろいろなものを組み合わせてやるアプローチですから、そういう方針で進めていかなければいけないと思います。

 ただ、御質問の御趣旨は、独立国である日本に対してアメリカ軍が駐留しているという状況、そして、その中で日本の外交戦略がどうもアメリカの戦略に引きずられているばかりではないかということ、それから、余り日本の世論を反映していないんじゃないかというようなことについて、どのように考えればよいかという御趣旨だったと思うんですけれども、私は、日米安全保障体制というのは必ずしも半植民地というような形で実現してきたものではないというふうに思っております。

 やはり、一九五二年に平和条約を達成したときの日本の政権の考え方は、日本の中に軍隊を持たないという世論があり、しかも経済発展をするためにはできる限り経済成長に全力を注いだ方がいいという判断の中で、最もよい安全保障政策は何かという観点から、私は、主体的に決断した結果として、アメリカと安全保障条約を結ぶという形の選択を行ってきたのだというふうに思っております。

 私は、現在の在日米軍の量がこれで完全に適正であると言えるかどうか、それは必ずしもそうであるとは思っておりませんが、直ちに、外国の軍隊がいるから、それでもって独立が脅かされているというようなことではないというふうに思っております。

 ですから、欧州では、欧州における安全保障環境が変わったということを前提として、欧州におけるアメリカ軍の数は減っているわけであります。それから、それ以外の国々についても、アメリカとの交渉の過程で体制を変えるということは、十分それはあるわけですね。

 これを日本について考えてみますと、私は、日本の安全保障環境の中で、現状、アメリカに対して、今ある軍隊を大幅に削減してくれと言うような安全保障環境にはないというふうに思っております。もちろん、駐留軍経費について、この中にむだとかあるいは日本が負担しなくてもいいようなものがあるんじゃないかということを精査していくのは当然のことだと思いますが、アメリカ軍が日本に駐留するということは、日本にとっても、そしてアメリカにとっても、お互いにとって利益があるからこういうふうにしているわけでありますから、その面において、大幅な変更ということは私はあり得ない。まして、現在の朝鮮半島情勢、それ以外のところの情勢を考えますと、現状、私は、大きな形で在日米軍の変化が起こるということはないんじゃないかと思います。

 それから、日本の全般的な外交の方向性でございますが、私は、先ほどの冒頭の意見陳述で申し上げましたように、日本が今後、東アジア地域あるいはアジア地域との関係を全面的に強化していくべきであるということはそのとおりだと思っておりますし、ここを平和、繁栄、自由、民主の地域に変えていくということが日本のビジョンだと思いますが、そのことが直ちに日本がアメリカやヨーロッパとの関係を疎遠にしていいということを意味しないというふうに私は思っております。

 日本の経済、世界的な関係というのは、アジアはもちろん重要ですが、やはりアメリカ、欧州との関係を基準にしたものでありますから、これは、お言葉を返すようでやや恐縮ですが、脱亜入欧から脱欧入亜というよりは入亜入欧、どちらも重視するということでなければいけないと私は思っております。

後藤田委員 ありがとうございます。

 これは考え方の相違でございますが、私も、今回、党の方で防衛庁予算の審議のときに、いわゆるアメリカのトランスフォーメーションの議論がなされていない中で、防衛庁から大綱が出てきたり中期防が出てきたりしておりますね。これは非常に矛盾があるような気がしておりまして、そういう思いと、加えて、総理と外務大臣は今まで、日米安保条約堅持と言っておればすべて外交ができたような、いわゆる思考停止状態にあったということは私は間違いないことだと思っております。

 先ほど田中先生がおっしゃったんですけれども、安全保障会議の役割も、まさにこれはPKOの派遣の審議と、いわゆる防衛庁の単なる予算陳情の場であったということは間違いのない事実でございまして、こういったものを、安全保障会議の役割をきちんとこれからしていくという先生の御説はごもっともだと思っておりますので、今後とも、政府に対しても、より厳しい御見解をぜひいただければありがたいと思っております。

 続きまして、山家先生にお伺いをしたいと思います。

 先ほど来の御説で、日本の経済は輸出頼みであったわけでございますけれども、それだけではだめだ、内需拡大もしなくてはいけない、同時に、家計負担をなるべくふやさないようにするべきだというお話がございました。全くもってそういう方向はしかるべきだと思いますけれども、私は、戦後もう六十年たって、個人消費というのはある意味で飽和状態になってしまったのではないかと思っています。

 つまり、一般的に、我々の家計もしくは家庭内で必要なものというのは、一億総中流で、ほとんど買えるようになってしまったのではないか。これ以上、個人消費をどうふやしていくか。もちろん、昨今では、CDといって、チャイナ、あといわゆるデジカメですね、新しい技術革新が生まれているわけでございますけれども、とはいえ、これからそういう消費拡大というのは非常に難しい状況になっている。しかしながら、それを企業努力の中でやっていかなくてはいけない、これもそのとおりだと思っております。

 また、その点について、個人消費がこれからどういうふうに、理想的にこうなれば日本の経済はよくなるというような御認識があれば教えていただきたいと思います。私は、消費というのはある程度飽和状態になってしまっている。ですから、経済成長率につきましても、考え方を日本は改めるべき時期に来ているのかなというふうに思っておりますので、その点について御意見があれば教えてください。

山家公述人 どうも御質問ありがとうございました。

 個人消費が飽和状態にあるという御意見というか、だから成長を考え直さなきゃいけないと。私も、全体的に言えば、ほぼそういうことで正解だと思います。日本の経済というのは、これ以上成長しますと、環境を汚染するばかりですし、余りいいことはありません。今の生産水準で、もうほぼいいのではないかというふうに思っております。

 ただし、問題は分配にありまして、みんながみんな、ある程度の物をちゃんと得られていればいいんですけれども、かなり所得格差があります。厚生労働省でしたか、定期的に行われています国民生活基礎調査などを見ましても、生活が苦しいという回答がこのところ上がっておりまして、五〇%を超えているという状況にあります。ですから、全体としては物資が豊かにあっても、それを十分享受できない人がたくさんいる。それから、一方では、あり余るほどで、もう消費の拡大する余地もないという人もいるというのが現実だと思います。

 そういう意味では、底辺の層といいますか、所得の極めて乏しい層にもっと所得を分配するといいますか、社会保障その他で分配することによって、そういう人々にも十分消費を享受していただける。そういう状況になれば、全体として消費は伸びざるを得ないと思いますし、まだまだ伸びる余地もある。現に、日本より生活レベルが高いと思われますヨーロッパ諸国とかアメリカでも消費はやはりコンスタントに伸びておりますから、日本がこれでもう消費は伸びられないことはないというふうに考えております。

 予算の面におきましても、できるだけ、その所得の乏しい人がちゃんと所得が得られて消費ができる、それでももう買うものがないという状況になれば、もちろん、それはそれで望ましいことですから、成長はなくてもいいということになるかと思いますが、まだそういうことを言うには生活の厳しい人がたくさんあり過ぎる、そういうふうに考えております。

後藤田委員 ありがとうございます。

 続きまして、伊藤先生にお伺いします。

 先ほど来、経済の話の中で財政規律の話が出ておりますけれども、先生も御承知のとおり、ハイエクという経済学者が「隷属への道」という本を書かれましたね。これをサッチャーさんがお読みになって、まさに日本におきましても、自由民主党、社会党、五五年体制がまさにその隷属への道、つまり、国民の皆様方、また団体の方々のいろいろな要望を全部聞いていっていた。そこで全部それに対して与野党ともに対応していった。これによって、まさに二十世紀の財政赤字というものがどんどん膨らんでいって、最後に、とどめが九〇年代の財政出動というような状況だと思っております。

 この点につきまして、これ以上、財政支出をして、まさに七百兆円と言われる借金をふやすのか。我々はといいますか私は、徐々に増税をし、そして財政支出を下げていくという、非常に抽象的でございますが、そういう方向をとらざるを得ない。そうしないと、これはもう破綻が目に見えている。

 いわゆるGDP二〇〇%の借金というのは、百年以上前ですか、当時イギリスで同じようなことが一度あったようでございますけれども、そういう国に一歩一歩近づいている中で、これ以上財政支出をふやすわけにはいかないというのが、これから持続可能な日本を築くための政治家の大きな責任だと思っておりますが、その点につきまして御意見をいただければと思います。

伊藤公述人 考えを述べたいと思います。

 これは、財政の規模と申しますけれども、中身で分けて考えるべきだというのが私の考えでありまして、日本の財政というのを先進諸国と比べたときに、規模は小さい。投資的な経費が多くて、そして人手のかかる部分が少ない。例えば、公務員数を比較すると非常に少ないというようなところに特徴を持っているというのがいろいろなところで言われております。

 もはや、これまで他国よりも非常に多かった、物をつくる、あるいは政府が購入をするという部分については、かなりそぎ落としていかなければいけないということでしょう。けれども、また、急速に高齢化が進むという中で、最低限のそうしたサービスという部分は、小さな政府ということが言われる中でも、むしろ日本の現状では拡充しなければいけないところもある。そういう異なった部分から成っているということで、そこら辺のめり張りをきかせることが重要であって、余り最初から全体の規模ということの議論になるべきではないと考えます。

 もちろん、先ほど申し上げましたように、現在のGDPに対する長期債務の水準というのはもう危険水域に入っていると思いますので、余り慌ててということではなくて、これは、税負担水準も上げながら、それから寿命の尽きた歳出もカットしながら、ゆっくりと落としていくべきだというふうに考えております。

後藤田委員 済みません、すぐ、一分で終わりますが、武石さんに最後に質問させていただきます。

 先ほど来、少子化対策は働く女性の対策そのものだというような話がございますが、そのとおりだと思っています。しかし、一つだけ疑問があるのは、昔は、貧しい中でも皆さん子供を産んで、そして育てていらっしゃったですよね。しかし、いわゆる働く環境が変わった、つまり女性が社会進出した。そしてそれによって、まだ日本的な、また男性社会中心の企業文化が残っていた、そこにまだマッチしていないという状況がある。しかしながら、昔の方々は五人も六人も子育てをされたということを考えますと、その点がちょっとどうしても私は理解できないので、最後、一言お願いします。

武石公述人 ありがとうございます。

 貧しい時代に子供がたくさんいたというのは、今も世界を見ますと、貧しい国ほどたくさん子供がいて、先進国ほど子供が少ないという状況になっております。

 日本の過去の状況を見ますと、結局、貧しい時代というのは農業が中心の時代でございまして、農家は、奥さんもだんなさんもみんな、家族、一家で、子供まで駆り出して労働力になっていたわけでございます。やはり仕事と子育ての両立という視点から申しますと、農家の世帯というのは非常にそれがやりやすかった、職住接近といいますか、全く同じところで生活をして働いているわけでございまして。そして、周りの、地域のコミュニティー、そういう中で子育てが、親だけではなく、ほかの人の目もかりながら子育てができたという、非常にそういった地域のコミュニティーの違いもあったと思います。それが、どんどん核家族化して、産業化が進み、外で働くというか、雇用労働力化が進んだことによって、従来の農業社会とは違う形での共働きというのがふえる、そこでの両立支援というものを今後考えていく必要があるのではないかなということでございます。

 どうもありがとうございました。

後藤田委員 どうもありがとうございました。終わります。

甘利委員長 次に、石井啓一君。

石井(啓)委員 公明党の石井啓一でございます。

 私は、少子化対策を中心に質問させていただきます。

 ことしに入りましてから、いわゆる二〇〇七年問題というのがクローズアップされてまいりました。二〇〇六年に我が国の人口はピークに到達して、二〇〇七年以降人口が減っていく。人口減少社会を迎えるということで、この人口減少の大きな要因である少子化対策に本格的に取り組まなきゃいけないという機運が出てきております。

 きょうの武石公述人の御意見で、今までの両立支援策は限定的な効果しかなかった、それは女性、特に子供を持つ女性の対策に矮小化されていたためだ、これは男性も含んだ働く人の対策に、さらには、子育てだけでなく生活と仕事の調和、バランスをとる方向に進めるべきだ、こういうお話だったと思います。大変重要な御意見だと思います。

 まず一つお伺いさせていただきたいのは、男性が今会社に縛られてなかなか子育てに参加できないということがございますけれども、一方で、仕事に忙しいということにかまけてなかなか育児、家事の支援をしない。私は、みずからを省みますと他人のことをとやかく言う資格は余りないなというふうに思いますけれども、男性の育児や家事の参加意識を高めていくためにはどうしたらいいんだろうかということについて、何か御意見なり御提案なりがあればお伺いをさせていただきたいと思います。

武石公述人 ありがとうございます。

 意識を変えるというのはなかなか難しいので、例えばすばらしい男性を表彰するというようなことも考えられるとは思うんです。

 ただ、私、きょうちょっと時間の関係でデータは御紹介申し上げませんでしたけれども、資料の六ページの上のデータをごらんいただきますと、仕事と家庭の優先度ということで、実は現状と希望とに非常にギャップがございます。私は、家事をしたくない、それから、妻も別に夫に家事を手伝ってほしくないというカップルにまで夫に家事を手伝えと言うつもりは毛頭ございませんが、もっと子育てにかかわりたいとか自分の生活を充実したいと思っている人がたくさんいるのに、それができない状況というのはやはり一番問題じゃないかと思うんです。ですから、それがやりたいのにできないという状況があるとすれば、そこは政策で変えていく必要がある。

 それで、やりたくない人にやらせるというのは、もうちょっとベーシックな啓発等があると思うんですが、一つは、やはりこれから、先ほども申し上げましたが、共働きのライフスタイルが、望むと望まざるとにかかわらず、これからの若い人たちの中ではかなり一般的な形で、スタンダードになっていくだろう。そのときに、一方だけが家事、育児をして一方がやらないというのは家庭として成り立たないという中で、そういった、やりたいけれどもできない、あるいは、やらざるを得ないけれどもできないということになるかもしれませんが、そういう人たちの環境整備というのをまず考える必要があるんじゃないかというふうに思っております。

 以上でございます。

石井(啓)委員 もう一つ、企業の方が積極的に仕事と生活とを調和する働き方を導入していくことが必要という御意見ですが、そのためには、経営者あるいは事業主の意識を啓発していくといいますか、そういう働き方を取り入れた方が企業にとってメリットがあるんだということをやはり理解してもらわなければいけないと思うんですけれども、そうはいっても、実際にはなかなか、企業に任せていたのではその点は進まないと思います。

 今、ファミリー・フレンドリー企業を表彰するという制度がございますね、そういう働き方に非常に配慮した企業。そのことによって企業イメージが上がる、企業のブランドが高まる、そのことによっていい人材が集まる、そういうメリットがあると思うんですけれども、それだけで果たしてこれからそういう企業がどんどん大きくふえていくんだろうかという問題意識がございます。

 そういう、企業にとってインセンティブを与えるようなことを政策的に考えるべきじゃないかという問題意識を持っておりますけれども、その点について、武石公述人の何か御提案なり御意見なりがあればお伺いをいたしたいと思います。

武石公述人 ありがとうございます。

 企業にとってのインセンティブは非常に重要なこと、特に経営者がこの問題をきちんと理解して進める、トップダウンというのが非常に重要であるというふうに思っております。それで、表彰制度ということでは生ぬるいということで、もっと、きちんとやっているところに助成金をというお話も、そういう考え方もあるかと思います。

 例えば、イギリスが何をしたかといいますと、イギリスのワーク・ライフ・バランスの取り組み、非常に今、国を挙げて進めておりますが、三年間に限定して、そういう取り組みを進める企業に対して助成措置を導入いたしました。限定した理由というのは、結局、企業にとってメリットがあるものを公費として永続的にやっていく必要がないということで、トリガーとして公費の導入というのをやったわけでございます。

 そうしたところ、トリガー企業が五百社、もうちょっとありましたか、数百社出てきたんですけれども、そういった企業の経営パフォーマンス等を国がきちんと調べて、非常にメリットがあるということを国が非常にアピールしまして、それに続く企業をどんどん今キャンペーンとして進めているというようなことをやっておりますので、私は、基本的には、やはり企業にとって、特にこれからの人事戦略の中で、こうした問題は賃金と同じぐらい、両立支援というのは報酬制度として重要なものになってくるというふうに思っております。

 ですから、企業としてもうやらなくてはならないことだと思うんですが、そのための、期間を限定して何か助成策をというのは、イギリスの例を考えますと、あり得る政策かなというふうに考えております。

 以上でございます。

石井(啓)委員 それでは、最後の質問になるかと思いますが、子育ての経済的支援という意味で、先ほど武石公述人の方は、手当というよりも、むしろ女性が働き続けられる方が家庭としての収入が確保できるので、そちらの対策が優先ではないかというお話がございました。

 確かに、北欧等を見ますと共働きが通常であって、そういった家庭としてのトータルの収入を確保するということが非常に重要であるし、これからの日本社会全体を見ても、労働力人口も少なくなっていきますから、従来より女性の方によりその能力を発揮していただくということはどうしても必要になってきますので、武石公述人おっしゃるように、共働きというのがスタンダードになっていくという方向にならざるを得ないと私も思っています。

 一方で、共働きが進んでいるヨーロッパを見ましても、共働きをしながら、なおかつ、子育て支援については我が国よりも充実をしておりますね。

 そういう意味で、私は、共働きというか女性が働き続ける対策をしっかりやると同時に、今の日本の子育ての助成も、ヨーロッパ等を見ると、まだ拡充する余地があるんではないかというふうに認識をしておりますが、この点、武石公述人、いかがでございましょうか。

武石公述人 経済的支援の問題というのは非常に重要なポイントで、私も、それが必要ないと言うつもりは毛頭ございません。

 それで、経済的支援のあり方というのも、手当を出すあるいは税制で控除をする、いろいろな形があると思います。例えばノルウェーで、家族給付ということで、在宅で育児をしている家庭に在宅の育児手当のようなものを出しております。ただ、これは、日本と非常にバックグラウンドが違いますのが、ノルウェーはほとんどが共働きの家庭でございまして、その中で一時期、家庭で子育てをしている場合に手当が出るというようなことなんですが、日本の場合は、ほとんどが専業主婦の御家庭の中で、一部働いている人がいる。こういう状況の中に在宅育児手当というのを導入したときに、私は、かなり女性の就業に対してバイアスをかけた政策になるのではないかというふうに考えております。

 ですから、専業主婦世帯がかなりの割合を占めるところで、これからの社会が、皆さんがそれを望み、日本がそういう方向に行けばいいんですが、なかなかそれが難しい状況の中で、やはり女性の就業というものを前提とした手当のあり方、経済的支援のあり方というものを考えていかないと、変にバイアスがかかってしまうとこれは労働市場をゆがめるということで、そこはぜひ慎重に御議論をいただきたいということでございます。

 以上です。

石井(啓)委員 時間が参りましたので、以上で終わります。ありがとうございました。

甘利委員長 次に、樋高剛君。

樋高委員 政権交代を目指します民主党の樋高剛でございます。

 きょうは、公述人の四人の先生方、大変お忙しい時間を割いて御高説を賜りましたこと、厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

 まず、委員長、この第一委員室、出席者が余りに少な過ぎる。公述人の先生方も本当にお忙しい時間を割いて、きっとやりくりしてこうして予算の審議についてさまざまな御意見をいただいておるわけでありますが、委員長、しっかりと委員にやはり出席を促すということが必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

甘利委員長 委員会が同時進行できょうは開かれておりますが、終わった委員会の委員で予算委員は直ちに予算委員会室に戻るように今督励をしております。各党お願いいたします。

樋高委員 公述人の先生方も時間に制約があるでしょうから、話を進めさせていただきたいと思います。

 まず、私ども民主党では予算案というものをしっかりと作成させていただいた次第であります。基本方針として、四つの最重点項目を示させていただきました。ちょっと概略を簡単に説明させていただきまして、四人の公述人の先生方に、率直にいいとか悪いとか、ぜひ御意見を拝聴したいと思うわけであります。

 基本方針として、予算の重点配分を四項目、子供・子育てというのがまず一つ目でございます。二つ目が教育ということです。三つ目が地方の活性化。そして四つ目が財政健全化。この四つの最重点の項目を挙げさせていただいた次第であります。

 まず、子供・子育てということでありますけれども、キーワードは、チルドレン・ファーストという言葉を打ち出させていただきました。

 安心して子供を生み育てる、そして子供たちが健全に育っていくことができる社会をつくるためには、公的投資の重点を、今まで予算の配分をコンクリートに投資していたものを人に投資するというふうに転換するという理念を盛り込ませていただきました。

 二つ目が地域ということでありますけれども、ローカル・ファーストというキーワードを打ち出させていただいております。

 これは、日本の活力はやはり地域にあるということであります。これは、地方ということではなくて、東京も神奈川も埼玉もそれぞれ一つの地域である、首都圏であっても地域であるという考え方に基づきまして、これらのそれぞれの地域地域の活力を生かして、そしてさらに高めるためにはやはり地域のことは本当に地域で決めるということ、そして地域主権、地方主権を実現することが必要である。そしてまた、地域を支える中小企業に対しても適切な支援を行っていくという理念でございます。

 三点目は、働く人、働きたい人を応援していこうということであります。

 働く人、働きたい人を応援するということは、人への投資の中で最も重要な視点の一つであるというふうに私ども民主党は考えておるわけでありますが、特に、若年者の雇用対策に重点を置くとともに、失業というリスクに対するセーフティーネット、安全弁を強化するということが重要ではないかという考え方をお示しさせていただきました。

 そして四点目でありますけれども、暮らしの安心を高めるということであります。

 本格的な高齢社会を目前にいたしまして、高齢者の方々が安心して暮らせる社会をつくることは喫緊の課題である。また、すべての人がさまざまなリスクに今直面をしているわけでありますけれども、生活の不安感が今どんどん高まっておりますが、これを少しでも軽減する、不安感を払拭していく、解消していくということが大切であって、だれもが安心して暮らせる社会をつくっていこうということをこの民主党の予算案としてお示しさせていただいた次第であります。ホームページでも詳細をお伝えさせていただいておりますので、また御意見がありましたら、ぜひ率直に、政権交代を目指します民主党に対して御指導いただきたいと思っておるわけであります。

 例年の予算案の編成を見ておりますと、やはり哲学というか、もちろん、私のような若輩が言うのも僣越な話かもしれませんけれども、理念、共通した考え方が貫かれていないというふうに言わざるを得ないのであります。

 詳細は省きますけれども、私ども民主党は、一つの考え方として、まず、将来に対する、将来世代に対するツケを減らすということで、徹底的に国債発行額を絞り込んだ予算案を示させていただいております。今本当に国民が真に求めているものは、未来への責任として今すぐに行わなくてはいけない、さっき申し上げた四つの分野に対する思い切った投資をしていく、それはコンクリートではなくて人であるという概念を盛り込ませていただいた次第であります。

 本当に雑駁な説明で恐縮でありますが、四人の公述人の先生方に御見解を伺いたいと思います。順次お願いいたします。

田中公述人 民主党の御方針を御説明いただきまして、どうもありがとうございました。

 私、内政専門ではございませんので個別については余りコメントを申し上げられませんが、第一点、御方針の大きなところで、人が大事であるということは、これはまさにそのとおりであります。私、先ほど冒頭、意見陳述で申し上げましたように、日本が世界の中で経済的な規模で勝負ができないという中で、何で勝負するかといえば、これは人で勝負するしかないわけでありますから、その面でいって、世界に通用する、先ほど私は世界の中の知日人と言いましたけれども、日本の中の世界人というような人材をつくるということをぜひ重視していただくことが大事だと思います。

 ただ、若干、先ほど四つの御方針の中で、私は、日本という国の今後のことを考えますと、世界と向き合う外交政策、安全保障政策についてはできるだけ大きなコンセンサスをもとに遂行していっていただきたいということでありますので、与党はもちろんでありますけれども、政権を担うという民主党の先生方にもぜひ、安全保障政策それから国際的な活動についての積極的な考え方を伸ばしていっていただきたいというふうに期待申し上げます。

山家公述人 不勉強で申しわけないんですけれども、民主党さんの政策については余り詳しく知りません。今おっしゃっていただいた点について感想を申しますと、非常に結構な方針であるというふうに思います。

 ところどころ気がついた、気になるところを申しますと、一つは、ローカル・ファーストということをおっしゃいました。これはまさにそのとおりだと思います。

 ところが、去年、ことし、これからの予算案等を見ますと、いわゆる三位一体改革というのが行われておりますけれども、これは正直なところ、どういう改革になっているかというと、国の財政難を地方に押しつける、そういう改革になっている。要するに、国からの補助金は削るけれども財源は十分に与えない、あるいは地方の交付税自体も削減する。それによって国の財政は幾らか救われるけれども、地方は非常に厳しいことになる。そして、地方というのは、まさに国民、地域の住民に直接サービスしているところですから、地方に、地域に財政難が押しつけられると、それは地域の住民にしわ寄せされる。

 そういう格好で財政赤字の問題を多少なりとも軽減しようという政策のように見えますから、これについてはしっかり歯どめをかけて、きちんと、本来の趣旨といいますか、地方の主体性が生かせるような、財源もそっくり譲るような改革にすべきであるのではないかということを思っております。

 それから、働きたい人、働く人の支援、これも大いに結構であると思います。やっていただきたいと思います。

 ただ、現状を見ますと、企業は今、正規社員をどんどんなくして、非正規社員、パートとかアルバイトとか派遣に置きかえる動きが活発化しております。しかも、この間の労働基準法とか派遣法の改正等によってそれがやりやすい環境を国会が準備しているといいますか、そういう政策の流れにあります。そうではなくて、年間を通して必要な人はきちんと正規雇用で雇う、そういう格好で雇用をしないと、働く人も育たない、安心して生活もできないということになります。民主党さんにはぜひ、そういう方向でこれから国会審議に当たっていただきたいというふうに思います。

 それからもう一つ、暮らしの安全、安心を高める、これも大賛成であります。

 その点で問題なのは、このところ、年金制度にしろあるいは医療保険制度にしろ、むしろ不安を高める方向での改革、要するに、年をとっても年金では安心できない、病気になったらお医者さんに行っても金がかかるという格好での改革といいますか改正が行われております。これを逆方向にぜひ戻していただきたい。

 そういう内容を含むものであれば、今民主党さんがおっしゃった基本的方針、大賛成であります。

 以上です。

武石公述人 民主党さんの政策をお聞かせいただき、ありがとうございます。

 四つの柱、いずれも、私もこういうことを研究しておりまして非常に共感できる部分を多く感じました。特に重要なのがやはり生活不安の払拭ということで、将来に希望が持てないという部分が、子育てでも教育でも若者のフリーターの問題でも、私は全部そこに根っこがあるような気がしております。

 それで、今のいろいろな制度改革が逆に不安につながっているという部分もあるとは思いますが、もう一つ、やはり将来が見えない。見えたところで不安があるのではなく、見えないまま何となく漠然とした不安があるというところで、私は一番問題があるというふうに思っております。

 ですから、不安がある将来なら、こういう不安があるから、あなたたちは、セーフティーネットはこういうふうに準備をするから、ちゃんとこういうふうにプランニングをしなさいという将来像が描けないところが、私はいろいろな問題の根っこにあるかなと思っております。

 将来に希望が持てるというのも大事なんですが、もし不安の部分があるのだとすれば、その不安の部分をぜひ教えていただいて、若い人たちにその情報を提供して、あなたたち、ちゃんと考えなさいよというような情報提供をしていただきたいというのが、今のお話を聞いて一番感じたところ、ぜひ民主党さんにお願いしたいというふうに思います。

 それで、それぞれ総論については本当に私も同感するところばかりで、特に、人に資源を配分していくというのは大変重要なことだと思います。やはり日本がこういうふうに国土が狭い中でこれだけ発展してきたのは人材の質の高さというところにあったと思いますので、今お話を聞く限り、ぜひそういった政策を進めていただきたい。特に、将来の不安のところはぜひお願いしたいと思います。

伊藤公述人 私も、今のお話の大きなレベルの柱の問題としては全く異論はございませんので、御主張の内容を推進していただきたいというふうに考えます。

 財政再建を目指すということに関しては、同じ借金をするのでも、ギャンブルに使った借金を子供に残すのと、子孫のために美田を残す、その借金とでは全然意味が違うので、そこのめり張りをつけていただきたいというのは、先ほど来申し上げていることであります。

 人の方に配分をすべきだというのは、全体としてはそのとおりだと思います。補足しておくとすれば、では、公共事業が全部悪いのかというと、そうではなくて、例えば、高齢化に伴って必要なものもある。例えば、歩道が狭い中で、そこにまた電柱が立っている、交通標識が立っているというのがいかにこれから障害になるかということを考えれば、そこら辺の中身の精査を十分にやるというのは政治の責任だと思いますけれども、そういう中身をきちんとつけた上でめり張りをというふうなことだと考えます。

 以上でございます。

樋高委員 四人の公述人の先生方におかれましては、民主党の予算案につきましてさまざまな御意見、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。

 民主党の予算案も、こっちが完全にだめだからこっちの方に全部シフトするということではなくて、必要なところには十分に予算をつけていく、まさしくめり張りという言葉がありましたけれども、つけていくという理念でありますことをお伝え申し上げたいと同時に、やはり予算というのは、政策がその予算にあらわれてくるわけであります。

 私ども、問題意識としては、やはりむだ遣いをなくす、まずそこからだよと。まず、むだ遣いをやめることで、肥大化してしまっている政府の役割を縮小していく。国家としてやるべきことはむしろしっかりとやっていく、安全保障なりエネルギー政策なり基礎教育なり、それはやっていくよと。しかし、地方でもできることについてはどんどん地方に移していこうじゃないかということを、やはりしっかりと予算の中でも盛り込んでいかなくてはいけないというふうに思っている次第でございまして、民主党の予算案につきましても、しっかりとまたPRをしてまいりたいと思います。

 各論にちょっと入ってまいりたいと思います。

 田中公述人に伺いますけれども、国際政治、安全保障の専門家でありますけれども、今のブッシュ政権の行方が今後どうなるのかという政策の方向性でございます。

 先生も本当にエキスパートで研究なさっておいででございますが、私、先生の論文か本を以前拝見させていただいたときに、米国のいわゆる国際協調主義か、あるいは単独主義、モンロー主義とも言いますけれども、どっちに向かうのかということで、最終的にはやはり国際協調主義に向かわざるを得ないだろうということを見て、私、全くそのとおりだなと思ったのであります。

 そこで、やはり日本の政治の役割というのは、私、すごく重要になってくると思います。同盟国であるがゆえに、米国追従ではなくて、むしろアメリカに、ブッシュ政権にこうすべきだよということをはっきりと意見具申する。もちろん、自分たちの考えが一〇〇%正しいわけではないわけですから、また議論をしていく。しっかり言うべきは言うということが外交、安全保障において今最も重要なことであろうと私は思います。

 アメリカが今後、国際協調主義、単独主義、どちらに進もうとしているのか、またその理由、あるいはまた日本の政治の役割というのはどういったところにあるのか、先生の御高察を賜りたいと思います。

田中公述人 アメリカの現在の政権の外交政策の方向性についての御質問ということでございますが、端的に私の情勢判断を申しますと、ブッシュ政権は、かなりの程度その国際的なレトリックは前期と継続させておりますけれども、私は、明らかに第二期目は相当のギアシフトをするのだというふうに思っております。やはり、ブッシュ政権にとりまして、九・一一以後のアメリカのとってきた政策は間違っていなかったという主張でありますし、これを変えるということはあり得ないというふうに思いますが、そのやり方について、今後同じような方向をとるというふうには私は思いません。

 一つには、ほかの国がついてこなくともアメリカ単独で、しかも軍事的手段のみをもってしてすべてのことは動くのだということはあり得ないという、まあ言ってみれば常識でありますけれども、これが、やはりイラク戦争後のイラクの状況を見ていれば、そうであったということになるんだと思います。ですから、この一月の就任演説、あるいは一般教書演説、それから、二、三日前にブリュッセルで行ったブッシュ大統領の欧州での演説などを見ても、大層協調的な観点からヨーロッパとの融和を主張するようになっております。ですから、この方向は、私は日本にとってみれば大変望ましい方向に進んでいると思います。

 もちろん、アメリカがこういうギアシフトをするについては若干の幸運というようなものもあって、イスラエル・パレスチナ問題で、アッバスさんが議長になって以来、ある程度の進展の希望が出てきたということ、それから一月末のイラク選挙がそれなりに成功したということがあって、こういうことを受ければ、今後、アメリカとヨーロッパとの協調体制をもう一度確立していくことは可能になってくるんじゃないかと私は思います。

 日本外交にとってみますと、ブッシュ大統領にとってみて日本はこの何年間か最良の友人であったという実績がございますから、今後、国際的な協調体制を築いていく上に当たっては、今のギアシフトをするこの路線を十分慫慂する、エンカレッジするという形をとっていくことが望ましいし、また、そういうことは十分可能だというふうに思っております。

    〔委員長退席、渡海委員長代理着席〕

樋高委員 次に、山家公述人に伺いたいと思います。

 先生の著書「「構造改革」という幻想」という中で私自身が学ばせていただきましたのは、構造とは何ぞや、あるいは改革とは何ぞやということであります。世の中に存在するものすべてが構造ということで、あるいは物事を変えるということはすべて改革であるということ、そういうふうに考えちゃいけないよということが書かれていたわけで、私は全くそのとおりだなと思ったわけであります。

 例えば、社会保障制度改革一つとってみましても、この通常国会では介護保険制度改革と、改革という言葉を入れております。去年は年金制度改革と言っております。一昨年は医療制度改革。この社会保障制度、三カ年連続で改革という言葉を使っていますけれども、私に言わせれば、ただ単に、お金が足りなくなったから足してくれという財政措置のつじつま合わせにすぎない、改悪だと思うんでありますけれども、何でもかんでも改革という言葉をつけている。そして、それに国民の皆様方がだまされてしまうわけです。どうしても中身までは精査して見る機会も限られてしまいますので。

 そこら辺のあり方について、山家先生の御見解を伺っておきたいと思います。

山家公述人 今おっしゃいました構造改革ということですけれども、一九九〇年代の半ばぐらいから、構造改革ということがしきりに言われるようになりました。その場合に、おっしゃるとおり、構造というのも普通名詞ですし改革も普通名詞ですから、何か根本からいい方向に変えるというイメージを一般的には浮かべるわけですが、もう少し構造改革というのは限定されたものだと思うわけですね。

 九〇年代半ばから言われた構造というのは何かということですけれども、これは主として供給側の構造、経済学ではサプライサイドの構造といいますが、その構造を変えなきゃいけないという主張が一貫しております。

 九〇年代半ばからの構造改革はみんなそうでして、要するに、日本が長期間低迷状態にある、これはなぜかというと、構造がいけない、何の構造がいけないかというと、供給側、物をつくる側、サービスを提供する側、要するに企業の方の力が弱くなっている、だから日本経済は発展できない、こういう考え方に立っています。ですから、構造というのは、企業の側といいますか、サプライサイドの構造を指す。

 それから、小泉内閣になりましてから、構造改革、これは骨太の方針、二〇〇一年六月でしたか、それに書いてあるんですが、停滞分野から成長分野へと経済資源を移動させることが経済の構造改革にほかならない、こういうふうに内閣の方針に書いてあるわけです。これも供給側の構造です。停滞産業、停滞商品をつくっている分野から成長分野へ人とかお金を動かす、それが構造改革というんですから、やはり供給側の構造を変えるということです。

 それから、改革というのはどういうことであるかといいますと、今言いました文脈から、供給側の力を強くすること。要するに、もっといろいろと環境変化に対応して収益も上げられるような構造にすること、そして、いい言葉で言えば有用な商品をつくるような力をつけるということでありますが、ざっくばらんに言いますと、要するにサプライサイド、企業がもうかるようにすること、そのことが構造改革であるというふうに言っていいかと思います。

 小泉内閣の改革によれば、停滞分野、どういう分野が停滞分野かなかなかわからないんですけれども、何となく全体からは、例えば建設業であり流通産業であり、要するに不良債権がたくさん出ている産業、それは停滞分野であると。そういう分野に人とかお金を張りつけていてもむだだから、そういう分野から人とかお金を引きはがして成長分野、これもよくわからないんですが、全体の文脈からいいますと、例えばITとかバイオ、それから医療とか教育、そういう分野のようでありますが、そういう分野に人を流し込んでいく、そういう分野が商売として成り立つようにすることが構造改革というふうに書かれております。

 ですから、構造改革はそういうふうに理解して、果たしてそれが必要なことかどうか、今の日本経済にとっていいことかどうか、そういうことで判断して議論していけばもう少し実りの多い議論になるかと思いますが、残念ながら現状は、もっと一般的な、おっしゃるように、何となく構造、何となく改革、言葉としていいことだということで、議論が上滑りしているような感じを私は受けております。

 そんなことでよろしいでしょうか。

    〔渡海委員長代理退席、委員長着席〕

樋高委員 構造改革という中の構造でありますけれども、また先生のその著書、論文の中にもあったと思いますが、要するに、既存の構造をまず否定してその上でつくり上げるのか、あるいは既存の構造を肯定して、その延長線上で物事を変えようとするのかということの大きな発想があったのではないかなというふうに私は思っております。

 次に、武石公述人に伺いたいと思います。

 先生は育児休業についても専門家であります。男性の育児休業についても最近また本も出されておりますけれども、取得率は〇・三三%ですか、一%にも満たないということでありますけれども、男性の子育て参加が何で難しいのか、なぜ男性は育児休業をとらないのかということについての造詣は深いと伺っております。

 先ほども話がありました、企業経営にとって子育て支援というのはプラスかマイナスかというところがまだまだはっきりしていないですし、なぜ男性の子育て参加を促進することが今企業に求められているのかということの啓発がまだまだ世の中に足りないのではないかなと私は思うわけであります。

 企業がとるべきアクションはどういうところにあるのか。もちろん政治の現場においても、どういう方向性に行ったらいいのか。総論でありますけれども、男性の育児休業向上に向けてどのような御意見をお持ちか、御開陳をいただきますればと思います。

武石公述人 ありがとうございます。

 私は、先ほどから申しておりますように、育児休業をとりたくない人にとれとか、家事をしたくない男性に家事をしろと言うつもりは毛頭ございません。

 ただ、育児休業をとりたい男性が、アンケートをしますと、とりたいと思ったという人は半分ぐらいいます。それから、ぜひとりたいという人が八%ぐらいいるんですね。そのアンケートが、どれだけのぜひかというのはあるんですが、ぜひとりたいと思っているのが八%いるのだとしたら、その八%がせめてとれる状況というのは大事だろう。とりたくないのに罰金をかけてとれというのは、それは本末転倒だろうというふうに思っておりまして、やはり、やりたい人ができるようにする。

 では、どうしてとれないのかといえば、その職場の風土なり、企業の問題というのがあるわけでございます。

 この四月から次世代育成支援対策推進法というのが施行になりますと、企業が自社の従業員の育児支援についての行動計画をつくって、早ければ二年目から認定を受けることができるようになります。その認定を受けるためには、男性の育児休業がいないと認定が受けられない、こういう仕組みになっております。それで、企業の方は、困った困った、うちでは育児休業が出るだろうか、業務命令でとらせなくちゃと言っているわけなんです。

 私は、これだけとりたい人がいるので、まずは、男性も育児休業がとれますということを企業の中できちっと情報を提示して、とりたい人には決して邪魔はしませんということをその企業のメッセージとして発するだけで、無理なく一人ぐらいは出てきますよということを私は申し上げているんです。ですから、とりたい人がとれる状況、要は、とりたいのにとれない状況というのが非常に従業員の不満につながり、この会社は嫌な会社だなと思って転職をしてしまうということになるわけですから、そこの部分をやはりきちんと考えるべきではないかというふうに思っております。

 以上でございます。

樋高委員 ありがとうございます。

 重ねて武石公述人に伺いたいのでありますが、少子化対策で海外のこともちょっと研究なさったと伺っておりますけれども、成功した事例の国が、幾つかの国がありました。もちろん、国が違えばそれぞれ背景も違います、要因も違います、物事の考え方も違いますけれども、やはり海外での成功事例も、日本では十分にその経験を取り入れていく必要があるのではないかと思うのであります。

 では、その成功した国の中で、先生が、こういうところをまねしてもいいのじゃないかな、あるいはこういうところを日本の制度として取り込んでもいいのじゃないかなということがありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。

武石公述人 海外の取り組みは、先生も御承知のように、さまざまな取り組みがなされております。それぞれに特徴がありまして、日本はどこへ行けばいいのかというのはなかなか難しい問題がございますが、例えば北欧型のように、男女共同参画社会、女性が職場に進出するということを前提にして育児支援策を非常に強力に国が進めているというケースがございます。一方、アメリカは、非常に出生率が高いのですけれども、国がやっている施策はそれほど大したことはありません。ところが、企業が国の制度を補完する形で、託児所をつくったり、いろいろな形で取り組んでいる。北欧と英米型というのは非常に両極にあるのですが、それぞれに出生率がそこそこ高い。それから、フランスが手当制度、家族手当制度を中心に、比較的高い出生率を維持している。それから、九〇年代以降出生率が上がった国でオランダが一つ注目できると思うんですが、オランダ・モデルで有名なように、パートタイム就労というのを非常に良好な就業機会として位置づけまして、一・五人モデルと言われている、夫婦二人で一・五人分働こうというような政策をとっている。

 これはいずれがいいのかというのは、それぞれバックグラウンドがいろいろある中で政策が選択されているわけでございますが、私は、一つは、オランダの一・五人モデルのような形で、今、日本のパートタイム労働というのは非常に低い労働条件に置かれております。それで、民主党さんは、その労働条件改善ということで法案も提案なさって、大変御努力されていることはよく存じ上げておりますけれども、やはりパートタイムと正社員の働き方というものをもっと連続的な仕組みにしながら、その中で働き方が選択できるような仕組みに持っていくという中で、仕事と子育ての両立支援を進めていくというのが一つの選択肢としてあり得るかなというふうに私は考えております。

 以上でございます。

樋高委員 四人の公述人の先生方、どうもありがとうございました。また今後とも御指導をいただきますように、よろしくお願いします。

 どうもありがとうございました。

甘利委員長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 きょうは、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。私は、景気回復と財政のあり方という観点から、伊藤公述人、山家公述人を中心にお伺いしたいと思っております。

 現在、景気が踊り場であるということが言われておりますが、これから景気が一体どうなっていくのか、回復の過程なのか、あるいはさらに下がっていくという過程なのか、ここが非常に判断が難しいところだろうと思うんですが、今回の予算、この財政政策が景気全体にどういう影響を与えるかということも大変重要だろうと思っております。

 そこで、まず伊藤公述人にお伺いしますけれども、現局面の景気の現状をどのように認識されているか、それから、先ほど税、社会保障のお話がありましたが、それも含めた今回の予算、それが景気にどのような影響を与えるか、この点の御見解をお伺いしたいと思います。

伊藤公述人 景気の判断については、いろいろ意見があって、大変難しいところだと思います。大きく分けて弱気派と強気派に分かれるのだと思いますが、弱気派の方はこれを機会にして落ち込んでいくリスクが非常に高い、それから、強気派の方は踊り場ということで一時的な横ばいがあってまた何らかの回復コースに乗るだろうと考えていると思いますけれども、私はどちらかといえば踊り場と見る方に近いわけであります。

 その理由は、基本的には、先ほど輸出が非常に景気の動向とかかわっているというお話がありましたけれども、それは事実だと思いますけれども、輸出の反面にはマイナス要因として輸入もあって、二〇〇三年度以降、外需主導とは余り言えなくて、今の景気動向の中心を担っているのは大企業製造業部門の利益とそれをバックにする設備投資の動きだというふうに私は考えております。そう見ますと、九〇年代の設備の廃棄というのが大変進んできましたところから、ちょっとやそっとではなかなか折れないくらいの設備増強の意欲というのが日本の産業の中にはある程度あるのではないか、爆発的ではないけれども根強いものがあると考えておりますので、今、踊り場といいますか、小さな下がり、下がる局面にありますけれども、これはやがて回復して、高い成長ではありませんけれども、二〇〇二年、三年から四年まで続いてきたような経路にはまた乗るだろうというふうに考えております。

 今回の予算については、際立って何らかの、上へあるいは下への影響を与えるということはないだろうというふうに考えております。

 以上でございます。

佐々木(憲)委員 山家公述人にお伺いしますけれども、最近、先生がお書きになった「景気とは何だろうか」という岩波新書でありますけれども、これを読ませていただきました。先生は、景気が回復するということは暮らしが一般的にはよくなるだろうというふうに期待をされるのが普通なんだけれども、しかし景気回復と暮らしがよくなるということは必ずしも一致するとは限らないというふうに本の中でも分析をされております。

 その辺の見方、なぜそのようにお考えになるのか、それから、現経済局面をどのように判断されておられるか、お聞きをしたいと思います。

山家公述人 まず景気の現状について、お答えは逆になりますが、順序として私の考えを述べますと、現状は完全に踊り場だと思います。二〇〇三年の後半から二〇〇四年の初めにかけてかなり勢いよく景気が回復してきた、それから、二〇〇四年の半ばから完全に、中だるみといいますか横ばいあるいは若干マイナスの状況に今なって、今日に至っております。

 これからどうなるかですが、正直言って私はわかりません。これからどうなるかは、さっきお話ししましたが、ひとえに輸出にかかっている。ということは、アメリカとか中国の景気にかかっている。あちらの景気がもう一回盛り返して日本の輸出がふえるようになりますと、景気は今が踊り場でまた回復を続ける、そういう可能性はあると思います。逆に、アメリカとか中国、あるいはどっちか一方が景気が失速しますと、日本の景気もたちまち衰えてしまう。設備投資も、輸出のふえ方に応じて活発化しているものですから、輸出というものがなくなれば、消費が伸びない限り、設備をつくってもしようがないという状況になります。設備投資も衰えていくだろうというふうに思います。

 そして、アメリカとか中国、今一般の見方は、何とかいくだろう、ことしは大丈夫だろうという見方が大半でありますが、実は大きなリスクを抱えていることは御承知のとおりでありまして、アメリカは年間六千億ドルぐらいの輸入超過、経常収支の大赤字を出しています。財政収支も四千億ドルを上回る赤字でありまして、いわゆる双子の赤字が、前のブッシュ大統領あるいはレーガン大統領のころに比べて一回り大きくなってまた生まれてきたという状況にあります。

 ですから、こういう状況からしますと、いつ大幅なドル安、ドルの崩壊が起こってもおかしくない、何かをきっかけに起こってもおかしくないという状況でありますし、しかも今、多少景気が回復して物価も上がり出して金利を上げておりますから、この金利の引き上げによって、例えばアメリカの株価とかあるいは個人消費に大きな影響が出てくることも懸念される。

 というわけで、うまくいけばうまくいくけれども、まずくいけば大変なことになる、日本の景気もそれに左右されるであろうから、現状はどうも判断しがたいというふうに見ております。

 そして、今の予算との関係で申しますと、そういうときにこそ、外が多少どうなっても何とかなるような状況を国内でつくり出しておかなければいけない、そのためには消費を回復させる必要があるというのがさっき申し上げた趣旨であります。

 それから、最初の御質問、最近の本、この二月の半ばに出たばかりの本でございますが、岩波新書の中で、私は、これまでは景気がよくなると暮らしは確実によくなっていただろう、例えば給料も上がるし、いい就職口もふえてくるし、それなりにいいことがあった。ところが、今の景気回復はそうではない。

 もうちょっと言いますと、一九九九年から二〇〇〇年にかけての景気の回復がありました。それから、二〇〇二年からことしにかけての一応の景気回復、この二回の景気の回復に共通して言えることは、景気がよくなってもなかなか給料が上がらない。さっき雇用者報酬でごらんいただいたとおりであります。景気が回復して既に二年目、三年目を迎えておりますけれども、給料はまだ下がり続けている。要するに、これまでの日本経済とは変わって、景気はよくなっても給料は上がらない、企業がそういう行動をとることによって辛うじて収益を確保して景気をよくしているという状況が生まれてきているということが一つあります。

 それから、まだありまして、就職口の問題。これは申し上げませんでしたけれども、雇用者数自体もこのところ傾向としては減っております。景気はよくなっても雇用者はふえない、企業はリストラをするという状況が続いております。

 それからもう一つ。去年になって多少雇用がふえ始めましたけれども、その雇用の中身は何かといいますと、主として非正規雇用。さっきちょっと御質問のときに申し上げましたが、パートとかアルバイトあるいは派遣労働といった非正規雇用でありまして、正規雇用、正社員の数はむしろ減っております。ですから、景気がよくなってもいい働き口は一向にふえない。安くて非常に労働の厳しい就職口ならあるという状況に辛うじてなっている。これも、景気がよくなってもよくならないということであります。

 それから、正規社員でありますが、正規社員については、景気がよくなると働き方がますます厳しくなる、残業時間が長くなるという傾向が出ております。これも、政府の幾つかの調査などによりまして、長時間労働が日本で非常にふえている。平均しますとそんなにふえていないのですが、これは、短い時間労働の人の割合がふえているので、全労働者平均しますと労働時間全体はふえていないのですが、正規社員だけに限って見ますと長時間労働が非常にふえている。

 先ごろILOの統計で、週に五十時間働く人の比率というのが発表になりました。日本は二八%という比率でありまして、これは世界で断トツであります。アメリカが二〇%ぐらい、それからニュージーランドとイギリスが十数%ですか。大陸ヨーロッパの諸国はほとんど四、五%の水準。一週間に五十時間も働く人はそれぐらいしかいない。日本だけは四人に一人かそれ以上の人が働いている。景気がよくなったらこういうことが起こっているわけです。

 ですから、最近の状況はどうも、景気がよくなったら給料が上がる、ボーナスがふえる、あるいはいい就職口がふえる、仕事がよくなるということにはない、景気がよくなってもなかなか生活はよくならない状況が生まれてきているというふうに認識しています。これがどうしてこうなったかはまた別の問題になりますので、御質問についてはそういうふうにお答えしておきます。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

 景気がよくなってもなかなか暮らしの方はよくならないという構造に変わりつつあるという御認識でございました。

 そこで問題なのは、景気回復が本当に安定的に行われていく、あるいは日本経済の発展が順調に進む、こういうふうになっていくのが望ましいわけですが、そのポイントになるのは、先ほどおっしゃったように、内需の五五%、GDPの五五%を占めている家計にある、どのようにしてそこのところをふやしていくかというのがポイントになるというふうにおっしゃっておられたと思います。

 さて、そこで問題なのは、それをどのようにして実際に具体的に国の政策として支援していくかというところだろうと思うのです。

 私は二つあると思いまして、一つは企業の側。これは、今おっしゃいましたように、リストラが当然であるかのように進んでいく、それに対して、ヨーロッパの場合は一定の歯どめがありますけれども、日本はなかなか法的な規制がない、そういう状況の中で、それに対してやはりリストラを野放しにするような状況を何とか転換できないだろうかというのが一つであります。

 それから、もう一つは財政の問題。国の予算でありますが、その面で家計負担をできるだけ軽減していく、家計を支援するという方向への転換が求められているのではないか。

 私はその二つだと思うのですが、この点で、山家先生、政策的に何と何と何が今必要かという点、お考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。

山家公述人 さっきの話の続きになりますが、家計がなかなかよくならないというのは、要するに、輸出その他でもうかった部分が企業の中でとまっている、それが家計に向かって流れていかない構造になっているところに大きな原因があるかと思います。ですから、家計をよくするためには、おっしゃるように、企業の収益、その中で特に輸出関連の大企業にたまっている収益をそこで働いている人々に還元していく、あるいはそこに商品を納入している中小企業等に還元していく、こういうことが必要であろうと思います。

 ですから、専ら大事なのは賃上げですから、これは政府でなかなかどうこうできるものではない、組合に頑張ってもらわなきゃいけない。あるいは、企業にもそれなりの、長期的に見たらその方が企業にとってもいいことだという自覚が必要かと思いますが、政策的にはなかなかしにくいところであります。

 では、政策で何ができるかといいますと、一つは、今おっしゃった、企業のリストラ、正社員を非正規社員に置きかえる、そういうことをどんどんやっておりますが、それは政策によって歯どめがかけられる。さっき言いましたように、むしろ今、逆の改革が行われて、リストラをどんどんやりやすくするような改革が行われていますが、もとに戻すというか、そうでない方向に改革するということが必要であろうかと思います。余り無制限に非正規社員に仕事をさせるようなことはしてはいけない。

 それからもう一つは、どんな働き方をしても同一労働同一賃金、要するに、非正規社員に仕事を割り振っても払うコストは同じであるという格好にしていけば、ある程度移転は進んでいくというふうに思います。それが政策的にできることです。

 それからもう一つは、残業時間の規制といいますか、最低限、不払い労働をなくする。これは、最近、労働基準監督署の調査によりますと、基準監督署の命令で支払われた賃金が年間で二百億から三百億あるようでありますが、実態はもっともっとあると思います。そういう不払い労働をなくすれば、これも企業から家計に向かっての所得の移転が起こります。そういう政策ができると思います。

 それから、財政措置について言いますと、私は正直言いまして、法人企業はこれだけもうかっているのでありますから、法人税はもっと、負担をふやしてもよろしい。

 法人税率は、今、日本は世界で一番低い国々の中に仲間入りいたしました。ただ、実態を言いますと、租税特別措置法等でおよそ一兆八千億円ぐらい減税が行われているというふうに聞いております。これは税調の資料か何かにそういう数字がありました。かつて法人税率を三〇%に引き下げるとき、セットで、法人税率は下げる、ただし租税特別措置は見直すということがあったと思いますが、景気の状況に配慮して税率の引き下げだけに終わっております。特別措置の見直しはそのままになっている。これを見直すだけで、全部なくすれば一兆八千億円の税収がふえるわけであります。あるいは、法人税率をもう少し上げても、今の企業には耐える力ができていると思います。

 そういう格好で法人からある程度の政府の所得を得て、それでもって低所得者層を中心に減税をするということも可能になるのではないか。それも企業から、特にもうかっている大企業から家計に所得を移転させる、景気を本当によくする一つの方策ではないかというふうに思っております。

 以上です。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

甘利委員長 次に、山本喜代宏君。

山本(喜)委員 社民党の山本です。きょうは、公述人の先生方、大変貴重な御意見、ありがとうございます。

 まず伊藤先生にお伺いしますけれども、総合的な福祉制度、あるいは給付並びに負担といったものについて統一的にどうとらえていくのかということでございます。

 先ほど来、景気の踊り場ということが言われております。きょうの新聞にも、個人消費の回復がおくれているというふうなことでございました。サラリーマンの平均給与も六年連続して下がってきているわけでございます。このことしの予算でこれにどう配慮していくかということがほとんど見当たらない。定率減税の縮小、あるいは増税路線にかじを切ったというふうにマスコミでも言われているとおり、国民の負担がどんどん重くなっていく中で、一方、福祉といえば、年金あるいは介護も負担がどんどん重くなっていく方向に今なっているわけでございます。そうした中で、国民が将来に対する安心というものが持てない、先行き不安というような状況が、今、国民の中に大きな気持ちとしてあるわけですね。

 そうした中で、やはり将来の安心をつくり出すということであれば、医療、年金、介護というふうにばらばらの改革ではなくて、総合的に、福祉制度、あるいは国民負担、そして給付のあり方というものをきちっと明示していくということが、国民にとっても生活設計を含めて将来の安心をつくり出すということになると思うんですが、そうした点について、伊藤先生のお考えはいかがでしょうか。

伊藤公述人 先ほども少し述べたとおり、社会保障各制度の総合化ということについては基本的に賛成であります。その理由でありますけれども、個々分立した制度になりますと、どうしても能力に応じた負担という制度が個々の中では生かしにくい。全部合わせてみますと、何か一律負担というのがベースになった上に少し累進的な制度が乗るというような形で、これは人頭税の変形に近いようなものになるおそれというのが非常にあると思うんです。

 そこで、各制度を分立させるのではなくて、制度を総合した上で負担も考えていく、それは応能原則でできるだけこたえていくということが望ましいと考えております。それをやるためには、社会保険の枠をとるのではなくて、できる限り税を充てていくという方式に近づけていくことがそれにはふさわしいのだろうというふうに考えております。

 以上でございます。

山本(喜)委員 負担には税を充てていくというふうなことで今お話しいただきましたけれども、年金制度は極めて国民の不信が高くなっておりまして、先般の厚労省の発表でも、未納が二年間で百二十万人ふえているというふうな状況がございました。今後、かなり多くの無年金者が生まれていくという危険性も指摘されておるわけでございます。

 そういう意味で、社民党とすれば、国民の信頼を年金制度がどう得ていくのか、回復していくのかということにまず力を入れるべきだというふうに思っております。

 そういう意味で、基礎年金の国庫負担、これを早急に二分の一に上げていく、最終的には基礎年金部分は全額税方式ということで社民党は考えておるわけですが、その年金制度の将来像、あるいはそのための財源のあり方ということについて、伊藤先生並びに山家先生にそれぞれお伺いしたいんですが、よろしいでしょうか。お願いします。

伊藤公述人 年金制度については先ほど半分言いかけたわけですけれども、やはり国民の安心ということについてはぜひとも不可欠の条件だということで、これは全額税方式で基礎部分というのは充実させるべきだというふうに考えます。

 このことは実は年金問題にとどまりませんで、現行社会保険方式ですと、未納問題もありますが、一番大きいのは、先ほど来問題になっている格差の拡大、特に非正規雇用ですね。正規の従業員を減らして非正規にかえるというのは、時間給で考えた賃金コストも違うんですけれども、社会保険の使用者側負担を回避するということが非常に大きいわけですから、現行制度をとっている限り、非正規を拡大するようなバイアスを政府が率先してかけることになるのではないか。そう考えますと、やはり所得に応じた課税ということで一貫できるような税というものを基本に置くことが重要だと考えます。

 例えば、いろいろ案が出ておりますけれども、月一人当たり七万だ、八万だ、十万弱だ、そこら辺の線だと思いますけれども、基礎的な年金を税方式で全額きちんと手当てをして、それ以上の部分は、いろいろ議論されておりますが、私は、二階建ての所得比例部分というのはそれほど国の責任でどうこうという必要はないのではないか。そこは、好きな人は民間の個人年金をやればいいし、それはちょっと面倒くさいという方は、かなり収益率は悪いだろうけれども、国で、ワンストップの取引として基礎部分とあわせて国に委託しますよというような制度でもいいし、とにかく最低限度のところをきちんと整備するということがまずは大事だろうというふうに考えております。

 以上でございます。

山家公述人 御質問の年金の将来像の話ですが、私は、年金について考えるに当たっては、どちらから考えるかというと、まず年金をもらう人の側、給付の側から考えるべきであるというふうにかねがね思っています。

 どうも、いろいろな年金の論議は、逆に、負担する側、どれだけだったら負担できるだろう、保険料を払ってもらえるだろうかという観点から年金制度を設計している、そういう嫌いがあります。そうしますと、どうしても受け取る方は少なくなりますから不安が残るというわけで、基本的には、どれだけ年金をもらえれば老後を安心して迎えられるだろうか、最低限の生活を保障できるだろうかというところからまず年金制度を設計する、そのことが必要であると思います。

 そうしますと、その設計としては、おっしゃいましたように、まず基礎年金部分を充実させる、どんな状態にあってもこれだけの年金は必ずもらえますという基礎年金はきちっと国庫なりで負担するという方向に行くべきだと思います。

 それから、プラスアルファの部分。それは保険料を払い込んだ額に応じてといいますか、その人の働いているときの給料の水準に応じて払い込むわけですから、それに応じてプラスアルファがある、そういう二階建ての年金制度を設計すべきだと思います。

 そして、そういう将来不安のない年金の給付の仕組みをつくりますと、それに応じて負担がどういうふうに必要になるかというふうに考えるべきであろうと。そうしますと当然負担も高まりますが、それはもう仕方がない。これだけ高齢化社会になって高齢者がたくさんいる、そして高齢者に、適当に死んでくれと言うわけにもいかない、ちゃんと生活してもらうためにはそれをその社会に生きている人が支えなきゃいけないわけでありまして、これまではそれを私的な部分でかなり支えていた。これからの社会は、どちらかというと公的な部分でそれを支えなければいけない。そうしますと、年金保険料は上がる、あるいは一般的な部分を負担する税負担も上がるということになりますが、それを削ったところで、私的部分がたくさんになって残るだけでありますから、そういう公的負担が高まるのはやむを得ない。

 そして、その負担の高まりに耐えられないかというと、そうではありません。御承知のとおり、日本の税、社会保険料負担は国民所得に対して三七、八%、アメリカと並んで先進国で最も低い水準です。大陸のヨーロッパ諸国は大体五〇%から六〇%。北欧は、国民所得の七〇%近くを一たん国、政府に差し出して、それをまた政府から再配分される、そういう仕組みになっております。

 ですから、日本の社会保険料負担とか税負担がこれから高まりましても、とりあえずは大陸ヨーロッパ並みの五、六〇%。あちらの国でできることが日本でできないとは思えないし、経済力もこちらの方が上であります。十分に可能なことであるから、まず、どういう年金制度に、自分たち、皆さん方、あるいは私も含めて、これから老後に向けてのことができるか、その満足できる水準というのをまずはじき出して、それから負担の問題を考える、そういうふうに年金を考えていただきたいとかねがね思っているところであります。

山本(喜)委員 ありがとうございました。

 次に、武石先生にお伺いしますけれども、今の少子化、出生率がどんどん下がっているという現状、これは、毎日新聞の家庭欄というのを見ましたけれども、今、派遣労働というのが大変ふえておるようでございます。この間の労働力の規制緩和ということで、派遣労働の対象も分野が大変広くなってきております。そして、そのほとんどが女性になっているということで、この新聞のレポートによると、三十五歳が大体の事実上の定年ということとか、あるいは妊娠即雇いどめとか、そういうふうな状況があるようでございます。

 そうした意味で、労働条件ということとかあるいは育児休業制度とか、いろいろありますけれども、職場の中で安心して働き、妊娠しても働き続けられるというふうな職場の体制、そうしたことに対する支援というものがないと、やはり、ただ単に育児支援とか、そういうことだけで果たして、うまくはいかないというふうに思うんですが、その点、いかがでしょうか。

武石公述人 おっしゃるとおりでございまして、育児支援だけでは難しいと思います。それで、妊娠中から含めましてそういった支援ですとか、あるいは派遣労働に関しましてはなかなか労働法の規制が、自分のところで雇用している社員というのは自社の就業規則のもとで働くわけですけれども、ほかから受け入れている社員というのは、派遣元の企業の雇用管理と派遣先での指揮命令権という非常に複雑な雇用関係のもとで働きますので、この方たちの労働条件というのは非常に問題になってくるかと思います。

 今度の育児休業法の改正では、非正規の人たちも一定の条件を満たせば育児休業法の対象にはなるんですが、派遣労働者の場合にはそこも対象になるかどうか、難しい方たちがたくさん出てくるように私は思っております。

 ですから、派遣労働者に対して、社外の労働力を今は本当に企業の雇用の調整弁として、大変安価な労働力として活用されているという現状があるわけでございますが、ここに対して、業種の緩和ということをやる一方で、やはりその方たちの労働条件をどういうふうに確保していくのかということは非常に重要な問題であるというふうに考えております。おっしゃるとおりだと思います。

 以上でございます。

山本(喜)委員 どうもありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

甘利委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表し、厚く御礼を申し上げます。

 明二十四日は、午前九時から公聴会を開会し、午後一時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時五十三分散会


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