衆議院

メインへスキップ



第1号 平成22年2月25日(木曜日)

会議録本文へ
本分科会は平成二十二年二月二十三日(火曜日)委員会において、設置することに決した。

二月二十四日

 本分科員は委員長の指名で、次のとおり選任された。

      小野塚勝俊君    梶原 康弘君

      平岡 秀夫君    松原  仁君

      下地 幹郎君

二月二十四日

 平岡秀夫君が委員長の指名で、主査に選任された。

平成二十二年二月二十五日(木曜日)

    午前九時開議

 出席分科員

   主査 平岡 秀夫君

      小野塚勝俊君    梶原 康弘君

      瑞慶覧長敏君    高橋 昭一君

      松原  仁君    本村賢太郎君

   兼務 杉本かずみ君 兼務 長島 一由君

   兼務 福嶋健一郎君 兼務 吉井 英勝君

   兼務 照屋 寛徳君

    …………………………………

   国務大臣

   (経済財政政策担当)   菅  直人君

   国務大臣

   (地域主権推進担当)   原口 一博君

   国務大臣

   (科学技術政策担当)   川端 達夫君

   国務大臣

   (沖縄及び北方対策担当) 前原 誠司君

   防衛大臣         北澤 俊美君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     平野 博文君

   国務大臣

   (国家公安委員会委員長)

   (防災担当)

   (拉致問題担当)     中井  洽君

   国務大臣

   (金融担当)

   (郵政改革担当)     亀井 静香君

   国務大臣

   (消費者及び食品安全担当)

   (少子化対策担当)

   (男女共同参画担当)   福島みずほ君

   国務大臣

   (「新しい公共」担当)

   (公務員制度改革担当)

   (国家戦略担当)     仙谷 由人君

   国務大臣

   (行政刷新担当)     枝野 幸男君

   内閣官房副長官      松野 頼久君

   内閣府副大臣       大島  敦君

   内閣府副大臣       古川 元久君

   内閣府副大臣       大塚 耕平君

   防衛副大臣        榛葉賀津也君

   内閣府大臣政務官     泉  健太君

   内閣府大臣政務官     田村 謙治君

   内閣府大臣政務官     津村 啓介君

   環境大臣政務官      大谷 信盛君

   防衛大臣政務官      楠田 大蔵君

   防衛大臣政務官      長島 昭久君

   衆議院事務総長      鬼塚  誠君

   参議院事務総長      小幡 幹雄君

   裁判官弾劾裁判所事務局長 石川 隆昭君

   裁判官訴追委員会事務局長 向大野新治君

   国立国会図書館長     長尾  真君

   政府特別補佐人

   (人事院総裁)      江利川 毅君

   会計検査院長       西村 正紀君

   最高裁判所事務総長    山崎 敏充君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  高橋 清孝君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  阪本 泰男君

   政府参考人

   (宮内庁次長)      風岡 典之君

   政府参考人

   (宮内庁書陵部長)    本田 清隆君

   政府参考人

   (総務省総合通信基盤局長)            桜井  俊君

   政府参考人

   (文化庁次長)      合田 隆史君

   政府参考人

   (国土交通省道路局次長) 西脇 隆俊君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房技術監) 秋山 義孝君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房審議官) 山内 正和君

   政府参考人

   (防衛省防衛政策局長)  高見澤將林君

   政府参考人

   (防衛省運用企画局長)  徳地 秀士君

   政府参考人

   (防衛省経理装備局長)  西  正典君

   政府参考人

   (防衛省地方協力局長)  井上 源三君

   内閣委員会専門員     上妻 博明君

   安全保障委員会専門員   金澤 昭夫君

   予算委員会専門員     杉若 吉彦君

    ―――――――――――――

分科員の異動

二月二十五日

 辞任         補欠選任

  小野塚勝俊君     高橋 昭一君

同日

 辞任         補欠選任

  高橋 昭一君     本村賢太郎君

同日

 辞任         補欠選任

  本村賢太郎君     瑞慶覧長敏君

同日

 辞任         補欠選任

  瑞慶覧長敏君     小野塚勝俊君

同日

 第三分科員杉本かずみ君、照屋寛徳君、第四分科員長島一由君、福嶋健一郎君及び第六分科員吉井英勝君が本分科兼務となった。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 平成二十二年度一般会計予算

 平成二十二年度特別会計予算

 平成二十二年度政府関係機関予算

 (皇室費、国会、裁判所、会計検査院、内閣、内閣府及び防衛省所管)


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

平岡主査 これより予算委員会第一分科会を開会いたします。

 私が本分科会の主査を務めることになりました。よろしくお願いいたします。

 本分科会は、皇室費、国会、裁判所、会計検査院、内閣、内閣府及び防衛省所管並びに他の分科会の所管以外の事項についての審査を行うことになっております。

 平成二十二年度一般会計予算、平成二十二年度特別会計予算及び平成二十二年度政府関係機関予算中皇室費について審査を進めます。

 政府から説明を聴取いたします。風岡宮内庁次長。

風岡政府参考人 平成二十二年度における皇室費の歳出予算について、その概要を御説明申し上げます。

 皇室費の平成二十二年度における歳出予算要求額は、六十四億七千五百七万三千円でありまして、これを前年度当初予算額六十七億四百五十万二千円と比較いたしますと、二億二千九百四十二万九千円の減少となっております。

 皇室費の歳出予算に計上いたしましたものは、内廷に必要な経費、宮廷に必要な経費及び皇族に必要な経費であります。

 以下、予定経費要求書の順に従って事項別に申し述べますと、内廷に必要な経費三億二千四百万円、宮廷に必要な経費五十八億六千七百六十七万七千円、皇族に必要な経費二億八千三百三十九万六千円であります。

 次に、その概要を御説明いたします。

 内廷に必要な経費は、皇室経済法第四条第一項の規定に基づき、同法施行法第七条に規定する定額を計上することになっておりますが、前年度と同額となっております。

 宮廷に必要な経費は、内廷費以外の宮廷に必要な経費を計上したものでありまして、その内容といたしましては、皇室の公的御活動に必要な経費七億五千六百十九万七千円、皇室用財産維持管理等に必要な経費五十一億一千百四十八万円でありまして、前年度に比較して二億三千百九十二万円の減少となっております。

 皇族に必要な経費は、皇室経済法第六条第一項の規定に基づき、同法施行法第八条に規定する定額によって計算した額を計上することになっておりますが、前年度に比較して二百四十九万一千円の増額となっております。これは、憲仁親王第三女子絢子女王の御成年に伴うものであります。

 以上をもちまして平成二十二年度皇室費の歳出予算要求額の説明を終わります。

 よろしく御審議くださいますようお願いいたします。

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 次に、国会所管について審査を進めます。

 まず、衆議院関係予算の説明を聴取いたします。鬼塚衆議院事務総長。

鬼塚事務総長 平成二十二年度衆議院関係歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度国会所管衆議院関係の歳出予算要求額は、七百八十九億四千五百万円余でございまして、これを前年度予算額と比較いたしますと、九十三億五千五百万円余の増額となっております。

 その概要を御説明申し上げますと、まず、国会の権能行使に必要な経費として四百五十一億一千三百万円余、衆議院の運営に必要な経費として二百十二億八千万円余を計上いたしております。

 これらの経費は、議員関係の諸経費、職員の人件費並びに事務局及び法制局の事務を処理するために必要な経費でございます。

 増加した主なものは、新議員会館に係る維持管理運営費等、議会開設百二十年記念事業経費でございます。

 次に、衆議院施設整備に必要な経費として十三億八百万円余、民間資金等を活用した衆議院施設整備に必要な経費として百十二億三千七百万円余を計上いたしております。

 これらの主なものは、新議員会館等の整備に係る不動産購入費、議事堂本館及び分館等の施設整備費でございます。

 次に、国会予備金に必要な経費でございまして、前年度同額の七百万円を計上いたしております。

 以上、平成二十二年度衆議院関係歳出予算の概要を御説明申し上げました。

 よろしく御審議のほどをお願い申し上げます。

平岡主査 次に、参議院関係予算の説明を聴取いたします。小幡参議院事務総長。

小幡参議院事務総長 平成二十二年度参議院関係歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度国会所管参議院関係の歳出予算額は、四百八十六億九千百万円余でありまして、これを前年度予算額と比較いたしますと、六十五億四千百万円余の増額となっております。

 これは、主に、通常選挙の実施に伴い必要となる経費、新議員会館の完成、引き渡し、供用開始に伴う新議員会館整備等事業経費の増額によるものであります。

 次に、その概要を御説明申し上げます。

 まず、国会の権能行使に必要な経費として二百四十七億一千百万円余、参議院の運営に必要な経費として百六十三億二千三百万円余を計上いたしております。

 これらの経費は、議員関係の諸経費、職員の人件費並びに事務局及び法制局の所掌事務を処理するために必要な経費であります。

 次に、参議院施設整備に必要な経費として十五億七千八百万円余、民間資金等を活用した参議院施設整備に必要な経費として六十億七千二百万円余を計上いたしております。

 これらの経費は、本館その他庁舎の整備等に必要な経費及び新議員会館の整備に係る不動産購入費であります。

 次に、国会予備金に必要な経費でありまして、前年度同額の五百万円を計上いたしております。

 以上、平成二十二年度参議院関係歳出予算の概要を御説明申し上げました。

 よろしく御審議のほどをお願い申し上げます。

平岡主査 次に、国立国会図書館関係予算の説明を聴取いたします。長尾国立国会図書館長。

長尾国立国会図書館長 平成二十二年度国立国会図書館関係歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度国立国会図書館関係の歳出予算要求額は、二百十一億三千万円余でありまして、これを前年度予算額と比較いたしますと、百六十億九千二百万円余の減額となっております。

 その大部分は、前年度第一次補正予算に計上されました所蔵資料のデジタルアーカイブ整備等に関する経費及び施設費の増額相当分が減少したことによるものでございます。

 次に、その概要を御説明申し上げます。

 第一は、運営に必要な経費でありまして、人件費等として九十四億九千二百万円余を計上しております。

 第二は、業務に必要な経費でありまして、国会サービス経費及び情報システム経費等として九十一億二千二百万円余を計上しております。

 その内容といたしましては、科学技術に関する調査の拡充に要する経費、業務・システム最適化関係経費及びデジタル・アーカイブシステムの運用経費に重点を置いて計上しております。

 第三は、科学技術関係資料の収集整備に必要な経費でありまして、十一億二百万円余を計上しております。

 第四は、施設整備に必要な経費でありまして、十四億一千二百万円余を計上しております。

 以上、平成二十二年度国立国会図書館関係の歳出予算について御説明申し上げました。

 よろしく御審議のほどをお願い申し上げます。

平岡主査 次に、裁判官弾劾裁判所関係予算の説明を聴取いたします。石川裁判官弾劾裁判所事務局長。

石川裁判官弾劾裁判所参事 平成二十二年度裁判官弾劾裁判所関係歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度国会所管裁判官弾劾裁判所関係の歳出予算要求額は、一億一千二百三十八万円余でありまして、これを前年度予算額と比較いたしますと、五百五十六万円余の減額となっております。

 この要求額は、裁判官弾劾裁判所における裁判長の職務雑費、委員旅費及び事務局職員の給与に関する経費、その他の事務処理費並びに裁判官弾劾法に基づく裁判官の弾劾裁判に直接必要な旅費及び庁費であります。

 以上、簡単でありますが、裁判官弾劾裁判所関係歳出予算の概要を御説明申し上げました。

 よろしく御審議のほどお願い申し上げます。

平岡主査 次に、裁判官訴追委員会関係予算の説明を聴取いたします。向大野裁判官訴追委員会事務局長。

向大野裁判官訴追委員会参事 平成二十二年度裁判官訴追委員会関係歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度国会所管裁判官訴追委員会関係の歳出予算要求額は、一億二千七百二十二万円余でございまして、これを前年度予算額一億三千七十六万円余と比較いたしますと、三百五十四万円余の減額となっております。

 この要求額は、裁判官訴追委員会における委員長の職務雑費及び事務局職員の給与に関する経費並びに訴追事案の審査に要する旅費その他の事務費でございます。

 以上、簡単ではございますが、裁判官訴追委員会関係歳出予算の概要を御説明申し上げました。

 よろしく御審議のほどお願いいたします。

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 次に、裁判所所管について審査を進めます。

 最高裁判所当局から説明を聴取いたします。山崎事務総長。

山崎最高裁判所長官代理者 平成二十二年度裁判所所管歳出予算について御説明申し上げます。

 平成二十二年度裁判所所管歳出予算の総額は、三千二百三十一億七千八百万円でありまして、これを前年度当初予算額三千二百四十七億三千三百万円と比較いたしますと、差し引き十五億五千四百万円の減少となっております。

 次に、平成二十二年度歳出予算のうち、主な事項について御説明申し上げます。

 まず、人的機構の充実、すなわち、裁判官及び書記官の増員等であります。

 司法制度改革が進展し、ほぼすべての施策が実施の段階に入り、裁判所の体制の充実強化が求められている中で、増加し、かつ、複雑困難化している民事訴訟事件、民事執行事件及び家庭事件等の適正迅速な処理を図るため、裁判官は、判事補からの振りかえ二十人を含め判事六十五人、書記官は、速記官からの振りかえ十人を含め七十五人、合計百四十人の増加をすることとしております。

 他方、平成二十二年度には六十五人の定員合理化をすることとしておりますので、振りかえ分を除いて差し引き四十五人の純増となります。

 次は、司法の体制の充実強化に必要な経費であります。

 まず、裁判事務処理態勢の充実を図るため、二百十二億百万円を計上しております。

 その内容について申し上げますと、第一に、民事事件関係経費として六十二億七千三百万円を計上しております。この中には、民事調停委員手当、専門委員経費、労働審判員経費、知財事件関係経費等が含まれております。

 第二に、刑事事件・裁判員制度関係経費として八十億九千九百万円を計上しております。この中には、裁判員制度運営経費、裁判員制度広報経費、心神喪失者等医療観察事件関係経費等が含まれております。

 第三に、家庭事件関係経費として六十八億二千八百万円を計上しております。この中には、家事調停委員手当等が含まれております。

 また、老朽狭隘施設の整備及び庁舎の耐震対策のための経費として百四十五億九千七百万円を計上しております。

 以上が、平成二十二年度裁判所所管歳出予算の概要であります。

 よろしく御審議のほどをお願い申し上げます。

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 次に、会計検査院所管について審査を進めます。

 会計検査院当局から説明を聴取いたします。西村会計検査院長。

西村会計検査院長 平成二十二年度会計検査院所管の歳出予算について御説明を申し上げます。

 会計検査院の平成二十二年度予定経費要求額は、百七十八億一千九百万円余でありまして、これを前年度予算額百七十五億一千七百万円余に比較いたしますと、三億百万円余の増額となっております。その主な理由は、定年退職者の増加による退職手当の増等やむを得ない人件費の増加分が見込まれることによるものであります。

 ただいま申し上げました要求額は、日本国憲法第九十条及び会計検査院法の規定に基づく、会計検査院の運営及び会計検査業務に必要な経費等であります。

 次に、その概要を御説明申し上げます。

 まず、会計検査院の運営に必要な経費として百五十六億円余を計上いたしております。これは、会計検査に従事する職員等の人件費及び庁舎の維持管理等に必要な経費であります。

 次に、会計検査業務に必要な経費として二十一億三千二百万円余を計上いたしております。これは、国内外における実地検査等のための旅費及び検査活動を行うためのシステムの開発・運用等に必要な経費並びに検査活動に資する研究及び検査能力向上のための研修に必要な経費であります。

 次に、会計検査院施設整備に必要な経費として八千六百万円余を計上いたしております。

 以上、会計検査院の平成二十二年度予定経費要求額の概要の御説明を申し上げました。

 よろしく御審議のほどお願いいたします。

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 次に、内閣及び内閣府所管について審査を進めます。

 政府から説明を聴取いたします。平野内閣官房長官。

平野国務大臣 おはようございます。

 平成二十二年度の内閣及び内閣府関係予算について、その概要を御説明申し上げます。

 内閣所管の平成二十二年度における歳出予算要求額は一千四十億七千万円でありまして、これを前年度当初予算額九百七十二億七千四百万円に比較いたしますと、六十七億九千五百万円の増額となっております。

 要求額の内訳といたしまして、内閣官房には、情報収集衛星システムの運用・開発等の内閣の重要な政策に関する総合調整等のための経費として九百二十三億一千八百万円、内閣法制局には、法令審査等のための経費として十億六千万円、人事院には、人事行政等のための経費として百六億九千二百万円を計上いたしております。

 次に、内閣府所管の平成二十二年度における歳出予算要求額は七千二百七十二億八千九百万円でありまして、これを前年度当初予算額七千八百三十八億九千五百万円に比較いたしますと、五百六十六億六百万円の減額となっております。

 要求額の内訳といたしまして、内閣府本府には、経済財政政策・科学技術政策、行政刷新・規制改革、暮らしと社会、国民の安全・安心の確保、地域主権・地域活性化、沖縄政策、北方対策等の推進のための経費として四千六十一億七千万円、宮内庁には、その人件費、事務処理のための経費として百七億二千四百万円、公正取引委員会には、厳正かつ実効性のある独占禁止法の運用、中小企業に不当な不利益を与える行為の取り締まり強化、競争環境の整備等のための経費として八十九億六千二百万円、警察庁には、警察庁、その附属機関及び地方機関の経費並びに都道府県警察費補助等のための経費として二千七百五億四千三百万円、金融庁には、金融庁一般行政、投資者等保護、金融機能安定確保等のための経費として二百十九億三千六百万円、消費者庁には、地方消費者政策の強化、消費者事故情報等の集約・分析・発信機能の強化及び着実な法執行等の推進のための経費として八十九億五千五百万円を計上いたしております。

 以上をもって平成二十二年度の内閣及び内閣府関係予算の概要の説明を終わります。

 よろしく御審議くださいますようお願いをいたします。

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 次に、防衛省所管について審査を進めます。

 政府から説明を聴取いたします。北澤防衛大臣。

北澤国務大臣 平成二十二年度の防衛省関係予算について、その概要を御説明申し上げます。

 平成二十二年度予算については、平成二十一年十二月十七日に閣議決定された平成二十二年度の防衛力整備等についてにおける平成二十二年度の防衛予算の編成の準拠となる方針に基づき、我が国を取り巻く安全保障環境を踏まえ、現下の喫緊の課題に対応するとともに、各種事態の抑止及び即応・実効的対応能力の確保、地域の安全保障環境の一層の安定化、グローバルな安全保障環境の改善に向けた取り組みの推進等を重視しつつ、老朽化した装備品の更新や旧式化しつつある現有装備の改修による有効利用を中心として防衛力整備を効率的に行うことを原則とするという考え方のもと、必要な経費については確保することができたと認識しております。

 防衛省としては、厳しい財政事情のもと、装備品取得等の全般にわたりさらなる効率化・合理化に取り組み、国民の御理解をいただけるよう予算の作成に努めました。

 平成二十二年度の防衛省所管の歳出予算額は、四兆七千九百二億九千三百万円で、前年度の当初予算額に比べますと、百六十一億五千八百万円の増となっております。

 新たな継続費の総額は、平成二十二年度甲3型警備艦建造費及び平成二十二年度潜水艦建造費で千七百四十一億二千五百万円、また、国庫債務負担行為の限度額は、武器購入、航空機購入、弾薬購入及び武器車両等整備、提供施設整備等で一兆五千六百四億二千六百万円となっております。

 これをもちまして平成二十二年度の防衛省関係予算の概要の説明を終わります。

 よろしく御審議のほどお願い申し上げます。

 なお、時間の関係もございますので、主査におかれましては、お手元に配付してあります資料を会議録に掲載されますようお願い申し上げます。

 以上であります。

平岡主査 この際、お諮りいたします。

 ただいま北澤防衛大臣から申し出がありましたとおり、防衛省所管関係予算の概要につきましては、その詳細は説明を省略し、本日の会議録に掲載したいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

平岡主査 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

平岡主査 以上で説明は終わりました。

 それでは、御退席くださって結構です。

    ―――――――――――――

平岡主査 内閣府所管について審査を進めます。

 内閣府本府について質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高橋昭一君。

高橋(昭)分科員 おはようございます。兵庫四区の高橋昭一でございます。

 本日は、分科会での質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。しかも、トップバッターでございますので、頑張って質問をさせていただきたいと思います。

 いつも白のジャケットで申しわけございませんが、実はこのジャケットは、私の地元でございます西脇市の播州織というもので織っております。地産地消という観点から、いつも白で着せていただいていまして、選挙期間中もずっと白でございましたから、純白の思いで頑張ってまいりたい、そのような気持ちできょうも立たせていただいております。

 二回の落選がありましたものですから、足かけ七年間戦いを進めさせていただきました。ですので、地域の中でさまざまな課題がございましたけれども、きょうは私の原点に立ち返った御質問をさせていただきたい、よろしくお願いを申し上げたいと存じます。

 一九九五年一月十七日午前五時四十六分、この時間を私は忘れることはできません。というよりも、忘れてはならない、そのように認識をいたしています。阪神・淡路大震災の瓦れきの中で、本当に厳しい現実に向き合って、救援に奔走いたしました。実際に御遺体も運ばせていただいて、手の中にまだその重みを感じるような状況であります。

 政治が機能しなければ人が死ぬという現実に向かい合いました。しかしながら、これは、その当時に政治に携わっておられた方を言っているのではありません。これはあくまでもシステムの問題であると思っております。ですので、今回、施政方針演説で鳩山総理が阪神大震災のお話をしていただきましたときに、私たち、神戸、被災地におりました者は涙して聞かせていただきました。これは、実際に被災をした人たちの本当の感謝の思いがありました。

 しかしながら、なかなかその思いが届かないということもまた事実でありまして、私は、二〇〇三年に、実際、自分の選挙ということで立候補を決意したときに、地域でお話をいたしました。神戸市以外にも北播磨という地域があるのでありますが、その北播磨の地域で震災のお話を申し上げましたら、いや、高橋さん、それはいまいちぴんとこないよ、被災をしていないのでわからないんだというふうな御意見もいただき、つらい思いをいたしました。

 しかし、実は、その翌年の二〇〇四年の十月、台風二十三号が兵庫県で猛威を振るいまして、北播磨の地域も大きな被害を受けました。播州織と申しましたけれども、この播州織の産地であります西脇市を初め、それぞれの市町で被害が出て、例えば、繊維工場のダイイチさんでありますとか、私たちをいつも応援いただいている播州労働組合連合会の職場の皆さんのところは水没をいたしました。しばらくは仕事にならないというふうな状況もありましたし、全域で被災をしておりまして、なおかつ死者が一名出ております。そのような大きな惨事が生まれました。

 全く関係ないと思っていたところでも、災害がいつ起こるかわからないという状況であります。その意味からいいましたら、今まで、天災は忘れたころにやってくるというふうに話がありましたけれども、まさに今隣にある危機というふうに言わざるを得ないというふうに思います。

 このようなことを前提で、中井大臣にお伺いをしたいと思いますのは、危機管理庁のお話でございます。

 民主党のマニフェストには危機管理庁というものが明確に書かれております。しかしながら、私は実は、危機管理庁を創設する、新たな庁を創設するということのいかんも含めての議論が必要だと思うんですが、やはり機能するような防災システム、災害対策システム、危機管理システムがないといけない。今まさにどこで起こるかわからない災害でありますから、どうしても縦割り行政では無理で、横割りの、まさに横ぐしを通したものでなければ危機管理はできないと思います。

 ですので、危機管理庁を創設という議論を通じて、さまざまな議論をさせていただきたいと思います。

 このプロセス、これからの計画について、まず大臣にお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

中井国務大臣 高橋委員が御経験を胸に苦労して国会へ出てこられて、これからの議員活動の基礎に据えて頑張るんだという、大変私どもにとりましてもありがたいお話をいただきました。

 私自身も、あの阪神・淡路大震災を含めて、災害ということについて個人的な思い等もいろいろございます。ことし一月十二日に防災大臣に任命をされまして、十五日、神戸に向かいまして、十七日のあの厳粛な式典は非常に印象深いものでございましたし、あの罹災者の方の話を本当に感銘深く聞きました。総理が所信表明で述べられた、私も同じような感動を覚えて、あのお話を聞きました。

 同時に、神戸の皆さん、兵庫県の皆さんが幾多の犠牲を超えて本当に立派に復興を頑張っていらっしゃるということにも大きな感動を覚えているところでございます。このときに地元から賜りました陳情や要請も含めまして、担当として精いっぱい頑張りますので、また、いろいろな御示唆、御激励をいただきますように、この機会にお願いを申し上げます。

 お尋ねの危機管理庁、これにつきましては、民主党のマニフェストに掲載がされていることは承知をいたしております。しかし、私自身は、これを議論された場に一度も出たことがありません。今、いろいろな方にどういう思いでこれを公約としたんだといったことを聞いたり、また勉強したりいたしております。

 現在の財政状況を含めて、あるいは新しい役所をつくるということがいいのかどうかということ、また、内閣には危機管理監というのが任命され、それぞれの役所もいろいろな対応をいたしているところでございます。こういう中で、民主党内の議論も十分お聞かせいただきながら判断をしていきたいというのが率直なところでございます。

 同時に、お話ございましたように、考えられないような事態、災害が起こったときにどう対応するか、これはもう政治家の責任、総理以下私どもの責任、このことを常に心に銘じて行動し、それぞれの担当にも備えていただく、このことが今一番必要なことだと感じております。

高橋(昭)分科員 ありがとうございます。

 今、御答弁いただきましたように、実際、実のある機能というものが本当に必要だと私も思います。ですので、危機管理庁の創設というのは確かに議論のスタートラインでありますが、実際には、危機管理庁という形にとらわれることなく喫緊の災害に対応される、今大臣からも本当に力強いお話をいただきました。私も、一議員でございますけれども、災害対策特別委員会の理事を今回拝命いたしましたので、現場の中に根差して頑張って活動を続けさせていただきたいという思いであります。

 その延長上でございますけれども、災害についていろいろと考える機会を、きょうは本当に、私もこの場でお話をさせていただくのに感謝を申し上げたいんですけれども、今一番心配をしておりますのは、喫緊の地震のことであります。もちろん、関東とかいろいろなエリアで直下型の地震のお話はありますが、私も震災以来、十五年間やっておりますから、いろいろな災害現場にも行きながら、そしてまた災害のお話を勉強させていただきました。その結果、やはり痛切に感じるのは、実は大きな地震の問題であります。

 東海地震のお話がありまして、今回、予算関連では地震財特法の期限が切れますので、さらにそれを延長するということに関しては、私は、非常に重要なことだと思っておりまして、東海地震に関してはしっかりと長い間かけてやってこられましたから、それは継続をすべきだと思っております。

 その中で、実は、東海地震は余りにも長く起きなかったと。学者の先生ともお話をしましたが、アスペリティーという割れ残りがあって、その割れ残りが割れないまま、長い間引っかかったままなんだ、それがいつ何どき割れるかわからないというお話でありました。

 そう考えますと、東海地震だけではなくて、南海地震と東南海地震というものは、実は、本来はつながった地震であったということを聞いております。そうなったときに、東海地震だけが単独で発生するのか、東南海、南海と一緒に発生するのかという問題は非常に重要であると思っております。

 私の選挙区のちょうどど真ん中に三木市という市がありまして、ここに防災公園という公園がございます。そこにはE―ディフェンスという大規模震動台があります。せんだってもそこの実験を視察させていただきましたが、五階建てぐらいのビルを建てまして、それを揺らすということでありますが、実際にそのビルを揺らすときに、加振ということで、振動を加えるという話であります。その振動を加えるのは、何かの地震を想定して振動を加えるわけでありますが、その想定した地震が、実は南海地震だというふうにアナウンスが流れました。それで、そのビルの建っているところにかかってくる、加振する波の名前というのを聞かせてもらったのですが、北野町―東遊園地波という波の名前を聞きました。

 私たちからしますと、実はこの言葉は怖い言葉でして、神戸の方であればぴんとこられますが、神戸市の東遊園地といいますのは、あの一・一七の竹筒を並べるところ、あれが東遊園地であります。ですから、北野町―東遊園地波というのは、神戸市のど真ん中を流れる地震の波を測定するということでありました。それで実際に加振をかけたのを見まして、実は高いビルの上層部の地震の実験でありましたが、もうそれは恐ろしいほど揺れております。

 ですから、南海地震に関しては、津波もあるし、あと地震の揺れもあるし、非常に大きな災害が予測されるというふうに言われております。今、東海地震、東南海地震、南海地震、この三つが同時に起こった場合、どれぐらいの被害があるかという想定に関しまして、まず、想定の人的被害もしくは建物等の被害について、大臣にお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

中井国務大臣 お尋ねの、東海、東南海、南海地震が一度に起こったときにどういうふうに被害が予想されるかをお尋ねでございましたが、朝五時という形で想定をいたしまして、約一万九千人から最大二万五千人死者が出るのではないかと想定をいたしております。

高橋(昭)分科員 ありがとうございます。

 私があえて数字をお尋ねしましたのは、確認のためでございます。

 といいますのは、今大臣がおっしゃいましたように、朝五時という、これは実は、阪神・淡路大震災は五時四十六分であります。私たちは、実は神戸にいて、あの時間を、神の、本当に奇跡の瞬間というふうに呼んでおりました。

 といいますのは、あれはまだ始発が動いていない状態でありまして、高速道路の上にもほとんど車がない状態でありますから、あのときに発生した、なおかつ、ちょうど真っ暗な状況から徐々に白々と明るくなってくる時間帯でありましたので、救援も何とか間に合ったという時間帯でありました。その時間帯の中でマックス二万五千人という死者を想定される。

 阪神・淡路大震災は、若干、徐々に数字がふえてまいりますが、六千四百三十四名という死者であります。あの災害で六千名でありますが、二万五千名というこの大きな被害が、実は三地震が連動したときに発生するんだということは、私は必ずしも危機をあおろうという話ではないんですが、しかしながら、危機感というのを持つという意味においては、国民の中で広くこの数字を周知いただきたいというふうに思ったというのが趣旨であります。

 そうなりましたときに、三つが連動するというふうな状況、いろいろ調べますと、確かに南海地震、東南海地震は、サイクルからするともう少し先だというお話も当然あります。しかし、先ほど申しましたように、東海地震の割れ残りというのがありますので、連動する可能性も否めないということから考えますと、この三地震の連携した中での防災対策というのが必要かと思っております。

 現状、先ほど、財特法はあくまでも東海地震、それ以外に全国をフォローする法案は別にございますが、特にこの三地震が大きな地震でありますので、これに対する対応というのは今後どのようになるかということを質問させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

中井国務大臣 御指摘をいただいて、大変つらいことと実は感じております。

 私自身が防災担当になりまして、中央での防災訓練、年二回、官邸でございますが、これを見させていただきましたら、お話の東海地震でございました。私の県も被害が出る、三重県でございますが、そういう中で、救援隊はどこから来るんだ、応援はどこから来るんだと言うと、和歌山と奈良、こう言うんですね。私は、東南海も一緒に起きるんじゃないのか、そうしたら、和歌山、奈良の方が被害が多いよと。そうしたら、全然想定していないんですね。

 したがいまして、三つ一緒はどうだと言われたら、実際は、文科省を中心に被害想定とか始めてはおりますが、どういう対応があるかということについては、まだ緒についたばかりだと言わざるを得ません。

 私自身は、この東海、東南海地震が連動して起きる可能性はあるんだと事務方に申し上げて、発想を変えていろいろな対策をやるべきだ、被害が大きい場合を想定してやはり訓練をすべきだ、減災、これについて考えるべきだ、こういうことを申し上げているところでございます。

 現実に、一六〇〇年代と一七〇〇年代に、この三つが同時に起こったような地震が日本を襲っているわけでございます。現在の研究では、かなり大きなものだったというのもつい最近わかってきたようなところもございます。

 この後、安政の元年に起きました地震というのは、実は私の郷里が震源地でございます。今お話ありましたように、本当に、朝だったんですね。だから、まだ火を使っていなかったから火事が少なかった。これで被害が百数十名でおさまっているんですが、昼等だったら大変なことになっておったと語り継がれているわけでございます。

 こういうことを含めまして、古い地震の研究も含めて、備えを十分していきたい。

 そして、いただいた時間でまことに恐縮ですが、東京都直下型の大地震、これについても対策が僕はおくれているような気がするし、専門家にもそういう御指摘をいただいています。

 そういう意味で、もっともっと防災、減災ということについていろいろな機会に御議論をいただいて、国民の意識を向けていただく、そして打てる対策は打っていく、このことが大事だと思っております。

高橋(昭)分科員 ありがとうございます。今大臣からお話をお聞きして、心強い思いであります。

 今御指摘ありましたように、地震は、日本の場合どこで起こるかわかりませんし、神戸も想定は若干していたとはいうものの、実際に神戸で起こるというような設定はありませんでしたし、本当に危機が隣にある、これはもちろん地震だけではないと思いますが、非常に大きな危機があるということは私も痛感をいたします。防災の話というのは、先ほど大臣もお話ありましたように、非常に大規模なものの想定というのはおくれていると思います。

 ですから、いろいろと対策は間に合ってきているんですけれども、例えば、今回、佐用の水害がございました。私も現地へ行きましたけれども、佐用の水害の場合、ボランティアのマッチングというのが非常に円滑に行われて、やはり、兵庫ということもありますものですから、ボランティアのオペレーションも非常によくできたという評価を現地でもしておりましたし、私もそう思いました。

 しかしながら、これが、ノウハウとして全国で共有をした中で、しかも大規模災害で活用できるようにということは、やはりこれからの課題であろうかと思います。特に大規模災害の場合、防災訓練でビルを一本で考えますが、もしかすると、そのビルが七十本あるかもわからないという、非常に危機的なものでありますし、帰宅困難者が帰る途中に、もしかすると救援をしなくちゃいけない人たちがいるかもわからないという、本当に現場レベルではいろいろなことがあると思います。

 私もそう認識しましたので、そういう思いでこれからも私も頑張らせていただきたいと思います。防災について、本当にありがとうございました。

 では、引き続きまして御質問させていただきたいと思います。

 今、災害対策のお話から延長上で来ましたけれども、お伺いを申し上げたいのは、私も、インターネットの仕事をずっとやらせていただいておりました。その関係から申しまして、今ふと思い出しますのは、インターネットにかかわりましたのが、たしか災害のときであったと思います。インターネットの必要性というのを非常に感じたのも、あの阪神・淡路大震災だったと私は認識をいたしております。

 そういうことで、延長して、ICTという問題を内閣府所管としてお尋ねをしたいと思っておりますが、実は、災害対策の延長でございますので、少し災害現場のお話になってくるかと思います。

 インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー、ICTという分野は、特に被災地のど真ん中では非常に重要になってくると思います。その中で、有線の、つながった状態でのものは断線する可能性もありますから、現在でありますと、無線というものの取り組みがなされているというふうに認識をしております。

 WiMAXというシステムの話を聞きました。WiMAXは無線でありますので、その無線の基地を実際に被災地の中に展開をしていく、そういうふうな形で一気に確保するというシステムが構築をされており、今、ハリケーンのカトリーナでありますとか、実際に今ハイチでも現場で展開をされているというふうにお聞きをしました。

 WiMAXは一つの例でありますが、実際に、ICTというものに対して、日本の政府として、特に災害の対策の中、そこでのネットワークの支援というもの、特に緊急対策の情報ネットワークの確立支援ということについて、政府にお尋ねを申し上げたいと思います。

桜井政府参考人 お答え申し上げます。

 委員御指摘のとおり、災害時において電気通信サービスが安定して提供されるということは極めて重要だというふうに考えているところでございます。

 そのため、携帯電話の基地局等のネットワーク設備につきましては、電気通信事業法に基づきまして、機器が故障した際の予備機器の設置ですとか、あるいは通信回線が被災した場合に備えた通信回線の原則二重化をしていただくとか、あるいは基地局が停電した際にも動作を確認するための非常用電源装置といったものの設置ということを、平時から義務づけているということでございます。

 また、これまで、基地局などの設備につきましては、税制面での支援措置というものも講じて、事業者がそういった措置を講じやすいようにということもやってきているということでございます。

 また、手続面でも、例えば携帯電話の基地局が崩壊しましたということで、新たに可搬型の代替基地局をそこに持っていくというときに、許可手続を一々書面でやるというわけにまいりませんので、口頭での申請ということを可能にして、迅速な処理をしているということでございます。

 また、市町村との関係で申し上げますと、御案内のとおり、市町村防災行政無線というものを各市町村で配備しておりますが、そういったものの専用の周波数を確保するとか、あるいは、総務省におきましても、備蓄センターというのを東京と大阪に設けておりまして、ここに移動無線通信機器を配備しておりまして、市町村からの要請に応じて災害時にそれを貸し出すといった措置を講じてきているというところでございます。

高橋(昭)分科員 どうもありがとうございました。

 今お話を聞きましたように、実際の災害の現場での対応というものはもう準備をされているというふうにお聞きをしましたが、先ほど中井大臣からもお話がございましたが、実際にそれが起こったときの対応というのは、やはり現場でないとなかなか対応ができないところもございます。これからも、そのあたりの充実というものは十分にやっていただきたいとお願いを申し上げたいという思いであります。

 引き続き質問をさせていただきますと、災害時でもそうでありますけれども、特にセキュリティーという問題は、インターネット等の情報ネットワークには出てくると思います。

 先ほどもお話し申し上げた、今いろいろなネットワークが進んでいるわけでありますが、例えば医療分野での遠隔治療にインターネットを使う、せんだってもインテルの吉田社長からもお話をお伺いしましたが、そういう取り組みもされているようであります。そうしたときに、より一層セキュリティーというものが必要になってくるというふうに考えます。

 そうした場合に、今、社会経済の制度というものが十二分にICTに準拠していないのではないだろうかという指摘もあります。そうなったときに、国民の中ではインターネットに対して不安を持っていると。総務省の調査によりますと、平成二十一年度の情報通信白書では、インターネットに不安というのは八〇%、そしてまた、セキュリティー対策をどう行ったらいいのかと思っておられるのが六割に上るそうです。そして、セキュリティー脅威そのものが難解で理解できないという方々も三四%おられるそうであります。

 これは各国で取り組みがありますから、日本だけではなくて、例えばアメリカでありますと、毎年十月をナショナル・サイバーセキュリティー・アウェアネス・マンスというふうなものに設定をして、オバマ大統領みずからがキャンペーンのような形でやっておられたり、また、二〇〇四年でありますが、ネットワークセキュリティー庁というのがヨーロッパではできているそうであります。そのような取り組みがあるようであります。

 日本でも、本年の二月を情報セキュリティー月間というふうに設定をしておられると聞いております。その取り組みの具体的な内容を確認させていただきたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。

阪本政府参考人 お答え申し上げます。

 先生御指摘のように、社会経済全体がITへの依存度を高める中、国民が安心してITを利用できる環境を実現することというのは、極めて重要な政策課題であるというふうに私ども認識しております。

 他方、最近もサイバー攻撃であるとか個人情報の漏えい問題が発生するなど、情報セキュリティーに対する国民の不安感というのは解消はされておらない状況にあると思います。

 これらの課題に的確に対応するためには、政府機関、それから重要インフラ事業者などにおける取り組みに加えまして、やはりITの利用者である国民一人一人に情報セキュリティーの重要性について御理解いただくということが重要であるというふうに考えてございます。

 このため、政府では、本年から新たに二月を情報セキュリティー月間といたしまして、国民への情報セキュリティーに関する普及啓発活動を強化することといたしました。

 具体的には、官房長官の方から国民に対しまして、情報セキュリティーの重要性を直接訴えるメッセージを発信していただきました。また、全国で、関係省庁、企業等による情報セキュリティー関連のセミナーであるとか講演会等を開催することといたしまして、二月中旬現在で、約千三百のイベントを開催するような予定になっております。さらに、私どもの内閣官房の情報セキュリティーセンターのウェブサイトなどを活用いたしまして、利用者視点からの情報提供などにも努めておるところでございます。

 情報セキュリティー月間の取り組み自身は本年からスタートした施策でございますけれども、さらなる拡充を検討するとともに、先ほど御指摘もございましたけれども、諸外国の例なども参考といたしまして、より効果的で、かつ総合的な普及啓発の包括的なプログラムというものを検討してまいりたいというふうに考えております。

高橋(昭)分科員 ありがとうございます。

 今お話がございましたように、情報セキュリティー月間というものがございます中で、この普及啓発というのは絶対必要だと思っております。私自身、例えばツイッターでありますとかグリーでありますとか、本当にICTの最先端のツールを使わせていただく中で、これからまだまだ普及をやらないといけないと思っておりますから、私も、その意味では、現場の中で普及活動に取り組んでいきたいと思います。

 本日は、御答弁いただきまして、ありがとうございました。質問を終わります。

平岡主査 これにて高橋昭一君の質疑は終了いたしました。

 次に、杉本かずみ君。

杉本分科員 おはようございます。衆議院の愛知十区の杉本かずみであります。

 きょうは、質問の機会をちょうだいしまして、まことにありがとうございます。また、お忙しい中、仙谷大臣、大谷環境大臣政務官様、そして平岡先生、松原先生、梶原先生、ありがとうございます。

 諸先輩方とこうやって機会が持てるということは、私にとって、夢のような、ほっぺたをつねりたいような現実でございまして、ある意味で、私は、日本に生まれて、日本に育って、そして日本で老後を迎えて幸せと思っている人間だと思っておりますが、その一方で、そう感じていただけていないんじゃないかなという方々も日本の中にいらっしゃるということが大変残念でありますので、少しでも多くの方に幸せ感を持っていただけるような国づくりをしていきたいということで、きょうは質問をさせていただきます。

 また、委員部の皆さんにも、きょうは御手配いただきまして、本当にありがとうございます。

 私の話の方は、できるだけ提案型、建設的なものにしたいと思いますし、時間的にも短目にということで考えております。

 まずもって、私、幸せというのは、この政治の仕事をさせていただいているんですが、一部の政党の方々が審議に出ずにいらっしゃったんですが、ニュースを見ますと、きょう審議に復帰されるということを聞いております。私が先般質問させていただいた財務金融委員会では、特に故意に欠席ということではなかったんですけれども、委員会の最中にほとんどの方が離席をされていて、故意でなくても自然と仕事をされていないという状況も見受けられるので、ぜひとも、国会議員の各位におきましては、審議をして仕事が何ぼのものだという御意識を持っていただきたいということを、大変僣越ですが、お願い申し上げたいと思います。

 まず、実は、きょうお話しさせていただくのは大項目で二つありまして、サマータイム制度について、それから二つ目が、国民の幸福度をあらわす新たな指標を考えるということの二点についてお話をさせていただきます。

 それで、これはまた一つ提案になるかもしれないんですが、今回、サマータイム制度を取り上げさせていただきたいということで質問の項目として挙げさせていただいたんですが、残念ながら、各省の間で、譲り合いというか、大変謙譲の気持ちをたくさんお持ちのようでございまして、なかなかそういった問題を、大臣の席で皆さんが手を挙げてくださっているような風景とは別に、きちっとした回答を御用意したいというようなお気持ちでいらっしゃると思うんですけれども、どうしても縦割りの弊害として、このサマータイムであったりする問題については、過去いろいろ研究をされているとは思うんですが、少し間があいてしまっているというようなテーマであって、そういった縦割りの弊害、むしろ縦割りから横ぐしへというような政権のテーマにできないものかなというふうに考えております。

 それで、大変僣越なんですが、きょう私が取り上げる二つのテーマは、仙谷大臣御所管の成長戦略の一つの考え方ということで、取り上げていただけるかどうかはまた十分御審議が必要だと思いますけれども、お考えいただけないものかということで、あえて取り上げさせていただきました。

 それでは、一つ目のサマータイム制度について話をさせていただきます。

 主に私の方から一方的に御説明する中で、大谷政務官様には環境面の効果等について御回答いただければと思っております。

 現在、サマータイム制度が導入されている国は七十カ国以上ということでありまして、逆に、導入していない国の方が少ないということであります。アメリカでいきますと、各州ほとんど採用している中で、ハワイとアリゾナの一部が、ほぼ全域ですけれども、採用をしていないということ。それから、韓国、北朝鮮、中国、そして日本といった国々が採用していないという状況にあります。

 それで、逆に、アンチテーゼというか留意するべきようなことでいきますと、身近な国々で、向こう三軒両隣の国々の方々の対応でいきますと、韓国では、大臣御高承のとおりだと思いますが、ソウル・オリンピックを契機に二十五年ぶりに復活をさせたということなんですが、二年間で打ち切りになっていまして、生活リズムの崩壊、勤労時間の延長を理由に、オリンピックイヤーとその翌年で打ち切られたということがありました。

 また、中国でも、一九八六年からサマータイムが導入されておりますが、九二年までで見送られるということで、六年程度で終わっているという実態もあります。

 また、我が国のケースも十分御存じかもしれませんが、第二次大戦直後の一九四八年、昭和二十三年から二十六年までの間でございますが、当時は、夏時間、サンマータイムと呼ばれたということです。

 その制度導入の背景は、占領軍、GHQの経済科学局長をしていたマーカット少将の覚書、日本におけるデーライト・セービング採用についての計画に端を発しているということでありますけれども、逆に、本件については、サンフランシスコ講和条約の締結によりまして我が国が独立を回復したこと等を契機に、夏時間、四年間でとめられたという実態がございます。こういった近隣諸国の状況、そして我が国の過去の状況といったものがございます。

 また、大体十年に一度ぐらいこのテーマというのは取り上げられていまして、仙谷大臣はもう代議士でいらっしゃったころだと思いますが、一九九五年とか二〇〇五年ごろに結構盛んに議論されております。

 幾つか挙げさせていただきますと、平成十七年に、我が党の本多平直議員が、決算行政監視委員会第三分科会で、サマータイムが導入された場合の農業への影響を質問されておられます。また、同年の五月十三日、経済産業委員会におきまして、衆議院の方でございますが、細野豪志代議士がサマータイムに関する経済産業大臣の認識を伺っていらっしゃいます。また、ちょっと何年かあきますが、平成二十年、自民党の参議院の塚田一郎さんが、経済産業委員会において参考人の所見をとられております。また、平成二十年の六月には、環境委員会で岩國哲人代議士が環境大臣の見解を聞かれております。また、平成二十年の十一月、篠原孝代議士が外務委員会におきまして、サマータイム制度を導入せず、始業時間を早めるなど運用で対応する必要性をお話しされておられます。

 こんなようなもろもろの質疑が行われておるんですけれども、私が率直に感じるのは、やはり新成長戦略というか、あるいは日本が変わるような動きというのは、最近、大河ドラマ「龍馬伝」というのがNHKで始まっていまして、坂本竜馬さんが黒船を見て大変びっくり仰天というどころか、青天のへきれきというか、何とも表現できないようなショックを受けられる中で我が国を開国に導くというような動きになったわけでございます。

 そんな意味で、諸外国、近隣諸国で、残念ながら数年で採用をやめたとか、我が国も過去、昭和の、戦後のときにやめたという経緯があるんですけれども、一つの考え方として、国民の皆さんに、一つの刺激というか、きっかけにしていただくというようなことにできないものかなとも思っております。

 また、サマータイムというのは春と秋に時間の変更があるわけなので、そのときに、一つのタイミングとして、省エネであるとか、そういったことを国として、政府として訴える一つのいい機会ではないかなというふうに感じておりますので、そんな点から、ぜひとも、検討する組織というか、そういったものを考えていただけないものかなというふうに感じております。

 それでは、私の方も経済効果等についてはちょっと御報告したいんですけれども、環境上の効果について、どんなことが考えられるか等について、大谷大臣政務官の方から御答弁をいただければと思います。よろしくお願いします。

大谷大臣政務官 お答えいたします。

 杉本議員とは、もう二十年も前から、日本政治、日本経済を憂えて、ともに勉強会で議論してきた仲でございまして、かような予算委員会でこうやって答弁させていただきますことを私も光栄に思っております。

 CO2削減ということに関して、環境省の試算では、年間約百二十万トン削減ができる、これは民生部門の〇・五%に匹敵、年間排出量の大体〇・一%ぐらいが削減できるものと計算しております。

 以上です。

杉本分科員 御説明、どうもありがとうございます。

 ちょっと規模としてはどうなのかなという部分も、数字的には、今、大谷政務官の方からありましたけれども、私の方からは、生活構造改革フォーラムさんがつくった資料をもとに、仮の数字かもしれませんが、サマータイムのほかの点での効果について、ちょっと御報告しておきたいと思います。

 サマータイムの省エネ効果ということでいきますと、直接的な省エネ効果で八十六・八万キロリットル、これは照明の節約、冷房の節約等の効果でございます。それから、余暇需要拡大効果ということで、生産が誘発され、ドライブ需要が増大してしまうということで、逆に電力消費量がふえるということでマイナス三十六・八万キロリットルございます。ネットで省エネ効果は五十・〇万キロリットルというのがサマータイムの省エネ効果でございます。

 次に、景気刺激効果について申し上げますと、短期的経済波及効果では九千九百億円ということが言われております。また一方で、デメリットもきちっと見ておかなきゃなりませんが、電力メーター、信号機の改修、ソフトウエア改修等で一千億程度が必要経費というふうにも言われております。また、これ以外にも、交通機関で、航空であるとかあるいは列車であるとかといったダイヤ調整等が必要になるといった部分も、逆に変化の一つのあらわれということになるかと思います。

 あと、金額的に、もう一つだけ御紹介しておきますと、これは二〇〇五年の数値でちょっと古いんですけれども、第一生命経済研究所の研究データによりますと、名目GDPを一兆二千九十四億押し上げ効果があるというレポートが出ておるということをあわせてお伝えしておきたいと思います。

 繰り返しになるんですけれども、こういった形で、サマータイム、特に、前政権のときにもいっとき議論があったかもしれないし、福田内閣のときに結構議論があったやに聞いておりますが、いずれにしても、検討に値するテーマであると思いますし、このようなテーマが幾つか成長戦略の中で考えられるのではないかと思いますので、この次にお話しする経済指標の話とあわせて、縦割りに陥ることなく、横ぐしの、名前はタスクフォースでも結構ですし、プロジェクトチームでも結構でありますので、ちょっとこれは私が言うような立場ではないかもしれませんが、政策会議というようなものを掘り下げていくと、そういう形でタスクフォースになったりプロジェクトチームになったりするのかもしれないんですが、どうしても、委員会の流れであったり、あるいは政策会議も、そういった省庁に合わせた形の、党の方でも組織づくりみたいな形になってしまうので、そういった形ではない、政府・与党一体で、しかも横断的なテーマで我が国の政策づくりといったものをぜひとも考えていただきたいとお願いを申し上げまして、サマータイムについては終了とさせていただきます。

 大谷政務官、どうもありがとうございました。

 残りの半分の時間を使わせていただきまして、次に、国民の幸福度をあらわす新たな指標づくりということで質問をさせていただきたいと思います。

 これも、私も勉強不足で、「新成長戦略(基本方針) 輝きのある日本へ」というのをよく読んでおらなかったので、取り上げられているとは余りよく認識していなかったのですが、十二月三十日閣議決定の二十八ページ、一番下から二つ目のパラグラフにありますけれども、「数値としての経済成長率や量的拡大のみを追い求める従来型の成長戦略とは一線を画した。生活者が本質的に求めているのは「幸福度」(ウエルビーイング)の向上であり、それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の「幸福度」を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う。」ということを閣議決定いただいているという認識で、大変、さすが諸先輩方であるというふうに感じておりますが、これを具体化していくことがいかにまた難しいということかと思います。

 そんな中で、平成十一年かと思うんですが、ちょっと正確なところは私もまだ認識できていないんですが、新国民生活指標というものが過去ございました。旧経済企画庁がつくっていらっしゃった指標でございます。新国民生活指標、PLIといいますが、ピープルズ・ライフ・インディケーターズということで、国民の生活実態を多面的にとらえるための生活統計体系といったもので、従来、生活の豊かさはGDPや所得などの貨幣的な指標でとらえられがちでもあったのに対し、この指標は、豊かさを非貨幣的な指標を中心に多面的にとらえるものということで、趣旨としてうたわれております。しかし、このすばらしい指標も、残念ながら、省庁再編の中で余り発表されなくなってしまったということがございます。

 その一方で、数字的なお話で恐縮なんですが、年間の休日数についてちょっと話しておきたいんです。

 日本の場合は、いわゆる土日、それから土日以外の祭日、そしてよくとられる平均的な年次有給休暇、合わせて百二十七・四日でございます。アメリカの場合は、これはデータは厚生労働省の労働基準局勤労者生活部というところの資料でございますが、アメリカも同様に百二十七・一日にとどまっております。

 片や、同じアングロサクソンでも、イギリスの場合は合わせて百三十七日。そして、ヨーロッパの大陸の方に行きますと、フランスは百四十日、またドイツは百四十三・二日ということで、休日だけが人生でありすべてであるとは思っていませんし、先ほど申し上げたとおり、仕事をして幸せだと思うのが、一種、日本民族の特徴かな、日本人の特徴かなというふうにも感じております。

 済みません、ちょっと長くなったんですが、旧経企庁さんが経済指標であったPLIをやめられた経緯と、それから、このPLIの中で、逆に新成長戦略の中の新しい指標として取り上げられるようなことはどんなことがあるかといった点を、現時点での御認識を大臣にお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

仙谷国務大臣 委員の大変最先端の問題意識に敬意を表しながら、これから、今の新成長戦略で提起しておりますような幸福度指標というふうなものについても勉強をしてまいりたいと思っております。

 従来のPLIと称する指標がなぜやめられたかということでありますが、どうも、都道府県別に順位をつけたということが、低い順位になった首都圏周辺の知事さんたちの感情を相当刺激したということが、これが取りやめになった最大の原因ではないかと私は見ております。

 中央政府がこの種の指標を開発して、それで調査するというのは、これからの政策の企画立案ということについては大変意味があると思っているのでありますが、都道府県あるいは市町村を順位づけをして、ここはいいとか劣っているとかという結果になってくると、これはこれで大変まずいことになるのかなと。

 とりわけ、GDPであらわせるような無味乾燥な数字だけではなくて、幸福度とか充実度とか、そういうものは非常に定性的ですし、ある意味では主観的、いい意味での主観的なものでありましょうから、例えば経済雑誌等々の雑誌社がいろいろなことをやられる、あるいは任意的な団体などもそういうことをやられるというのは大いに結構なのでありますが、これは順位づけにならないようにするということが大事だろうなと思います。

 たまたまでありますが、きょうの朝日新聞の、何欄というんですかね、意見欄でしょうか、そこに、西川一誠福井県知事が、「私は「暮らしの質」を指標化した「ふるさと希望指数(ローカル・ホープ・インデックス)」を提案したい。」「経済指標には表れない子育て環境や教育力、住環境など生活の質を測る様々な要素を組み入れた新しい指標ができれば、田舎は決して都市に劣っていないことが証明されるはずだ。」ということを、九人の知事さんで集まってやろうとしているという記事が出ておりました。

 内閣府でも、幸福度についての調査というものをどういうふうにすればいいのかということで、今考案をしておりまして、今年度中、つまり三月までに何らかの格好でその調査をしてみたいというふうに思います。

 例えば、この政権になって自殺者数が減ったというふうなことが、少なくとも十月以降はそういう傾向があらわれている、そういうことも言われるわけでありますが、どちらかというと、この種の話は、日本はいかにミゼラブルなのかというような観点で報道されたり議論されたりすることが多いと思うんです。

 先ほど、議員がおっしゃる坂本竜馬の話でもありますが、私自身も、GDPだけをとってみても、一人当たりGDPのある種の順位が落ちてきていることに、そして、国民全体の、どちらかというとちょっと元気に欠ける、前向きの姿勢に欠けることに危機感を持っておりますけれども、よく足元を見てみれば、日本はまだまだ捨てたものではないということも、また多々あるような感じがいたします。みんなが下を向いて生きているだけではないということも確かであります。

 先週も、三鷹市立第四小学校に総理なんかと一緒に行ってまいりました。ここは、コミュニティースクールをもう十数年前から展開している市でありますが、このごろは、コミュニティースクールからスクールコミュニティーへというスローガンといいましょうか、コンセプトを掲げて市政全体も展開している、この間は毎年千人人口がふえているということを、市長さんや教育長さんもおっしゃっていました。

 そうだとすると、学校あるいは学校を中心とするコミュニティー形成が、あるいは人間同士の関係性というか他人との関係が学校を中核にして形成されつつあることは、子供の教育のみならず、そこで生きていくこと、つまりコミュニティーの中で生きていくことにプラスの価値を見出した、あるいはそういうことを見出そうとする方々が集まってきているのかなというふうに私は受けとめまして、ある意味で、これからの時代の豊かさ度というか幸福度というか、何かそういうことにこのコミュニティースクールが一つの大きな要素になっているという感じがしまして、これはやはり、一つ一つ、地域地域でそういう確認をしていく作業でもあるなと。ただし、政府としても、これを調査するというのは大変大事なことだと思っております。

杉本分科員 どうもありがとうございました。

 お話にありましたけれども、また旧PLIのときからなんですが、GDP万能主義という、一辺倒の金銭的な物差しではなくて、ぜひとも違った物差しというものを考えていただきたいですし、一人当たりのGDPも、人口が減っていく中で同じGDPをキープしていけば、結構ふえていって、みんな金額的にも幸せになると思います。

 さらに、仙谷大臣が前々から小冊子等にまとめていただいている宗教教育だとか、ある意味で、日本はいろいろ宗教を学ぶことができる、逆に非常に恵まれた国なのかもしれないというふうにも思いますし、いわゆる一つの宗派に偏ることなく、いろいろ学びができるという点では大変すばらしい国だと思っています。

 ちょっと話がそれるんですが、先般、原丈人さんという、デフタ・パートナーズ、アメリカの財務省並びに日本の財務省の顧問もされた方からの御提案がありましたので、一つ御紹介しておきたいんですが、いわゆるグローバルスタンダードがすべてだという発想ではなくて、むしろ日本発の価値観みたいなところを考えていけないかというお話がございました。

 その方の提案は、要は、株主重視の経営ではなくて、やはり物づくりを大切にするような企業が伸びていくような投資ができる環境づくりということで、これは込み入った話になりますが、商法を変えることなのか、あるいはもろもろ、財務省の金融関連なのかわからないんですけれども、いずれにしろ、例えば配当も、長期保有の人には多くして短期で売買する方は少ない配当をするとか、そんな商法改正とかも、ルール変更によって、経済成長であり、あるいは成長戦略につながるようなことかと思いますので、ちょっと話がそれて大変御無礼なのでございますが、原丈人さんの御提案を御紹介させていただきたいと思います。

 重ねてでございますが、仙谷大臣に、お心の中にあるような、日本のよさ、もったいないだとか、義理人情だとか、勤勉、物づくり、読み書きそろばん、この日本人のよさみたいなものをもう一度改めて点検していただいて、それこそ、事業仕分けじゃないんですけれども、見直し、点検をしていただく中で幸福指標といったものをつくっていっていただきたいと思います。

 また、あわせて御質問しようかとも思っておったんですが、諸外国で、ブータンの幸福度指標だとか、あるいは国連関連の指標等もあるかと思いますので、そういった部分も参考にしていただきながら、また、私ども、若輩ですけれども使っていただきながら、成長戦略の少しでも、一翼まで行かないかもしれませんが、担わせていただければと思っております。どうもありがとうございました。

 以上でございます。

仙谷国務大臣 先般、鳩山総理にかわってダボスへ行ってこいということで伺いまして、そこで、私の二日前に、サルコジ・フランス大統領が大演説をしたことになっておりました。

 きょう、杉本議員の質問をお受けするということで事務方が調査をしてくれた資料の中にも、サルコジ大統領が、スティグリッツやアマルティア・センですか、そういう有名な人を、ノーベル経済学賞受賞者を世界から集めて、何かすごい委員会を立ち上げているということも知りまして、やはりこれは、豊かさとか資本主義の形、今、杉本議員がおっしゃった、会社とは何なのか、会社のあり方まで、企業のあり方まで踏み込んだ検討がというか、変革が必要な時期に来ているんだなと改めて感じたところでございます。

 もう一つ、先ほど、縦割りの中でみんなが譲り合って空間ができてしまうということも日本の政治の上ではよくある話でありまして、これはだれかが俯瞰的な立場で、埋めるというよりも、改めて違う角度で調査をし、企画をし、政策をつくり、実行することができなければならないというふうに私も常々思っております。

 ただ、その力は、多分、我々のような世代ではなくて、杉本議員のような世代か、もっと下の世代が、突発性湿疹が出るように、エネルギーを発散しながらやっていただければと思いますので、一番最初に提起されたサマータイムのような問題も、ひょっとすれば文明論にかかわる問題なのかなと思って聞いておりましたけれども、その問題も、それから今の資本主義の形、あるいは企業、会社、会社法、あるいは株式保有と配当のあり方というようなことも、ぜひ、まずは皆さん方の世代でそういう研究調査会を立ち上げて、精力的に発信をしていただければありがたいなと。もしお手伝いできることがあればやらせていただくということをお約束いたします。

 どうもありがとうございました。

杉本分科員 どうもありがとうございました。以上で終わります。

平岡主査 これにて杉本かずみ君の質疑は終了いたしました。

 午前十一時三十分から本分科会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十時二十七分休憩

     ――――◇―――――

    午前十一時三十分開議

平岡主査 休憩前に引き続き会議を開きます。

 皇室費について審査を進めます。

 質疑の申し出がありますので、これを許します。吉井英勝君。

吉井分科員 日本共産党の吉井英勝です。

 昨年私は、二回の質問、それから質問主意書で、考古学的見地から考えて確実に時代が合わない三つの陵墓の例を取り上げました。宮内庁の陵墓の治定の考え方の問題をただしたんですが、「陵墓の治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく所存である。」という答弁書でした。

 エジプトのクフ王とかツタンカーメンの墓などの場合は、ファラオの名前を記したカルトゥーシュ、要するに墓誌銘によって明らかにされているんですが、中国でも銘文が刻まれた石牌で王が特定されています。

 そこで、最初に宮内庁に伺っておきたいんですが、陵墓に葬られている皇室の祖先の名前を書いた陵誌銘の出てきた古墳はどれなのか、伺います。

本田政府参考人 お答えをさせていただきます。

 陵誌銘の出土が治定の根拠の一つになった例といたしまして、奈良市にございます第四十三代元明天皇奈保山東陵というのがございます。

吉井分科員 ずっと新しい時代の話なんですね。

 奈良県天理市にある西殿塚古墳は、宮内庁によると、衾田陵、つまり継体天皇の妃である手白香皇女の墓というふうにしていますね。考古学の世界では、この西殿塚古墳の出土土器から考えると、三世紀後半から四世紀初めの古墳というふうに見られています。私も実際にこの古墳を見てまいりましたけれども、継体天皇は、もちろん六世紀の時代の方ですね。だから、約三百年も前に亡くなって葬られたというのは合理性を欠いていると思うんです。

 ですから、これは陵誌銘が出てきて、これが手白香皇女の墓というふうに治定したのかどうかを伺います。

本田政府参考人 お答えをいたします。

 今お尋ねの陵でございますけれども、これは、江戸時代におきまして、文献あるいは現地の調査……(吉井分科員「陵誌銘は出ていませんね」と呼ぶ)陵誌銘ということで治定をしたということではございません。

吉井分科員 次に、文化庁の方に伺っておきますが、昨年六月二十四日の内閣委員会で質問をいたしまして、平城京の五世紀の前方後円墳、市庭古墳の問題を取り上げました。

 市庭古墳は、現在、円形の墳丘しか残っていないので円墳のように見えるんですが、奈良国立文化財研究所による平城京の発掘調査の結果、八世紀の初めから始まった平城京の造営によって壊されたと。もともと二重の周濠を持つ、五世紀の墳長二百五十メートルの前方後円墳であったものが、その残骸と言ったら言葉は変ですけれども、そういうふうに呼ぶべきものであるということがわかっています。

 そこで、文化庁に念のために確認しておきますが、市庭古墳は五世紀の前方後円墳で、平城京の造営によって壊されたと理解して間違いないと思うんですが、確認します。

合田政府参考人 お答えをさせていただきます。

 御指摘の市庭古墳につきましては、史跡には指定をされていないわけでございますが、学説によりますと、御指摘のように五世紀前半の築造であるということでございまして、平城京造営時に前方部が破壊をされたというふうに学説上はされていると承知をしてございます。

吉井分科員 同じ日の委員会で宮内庁の本田書陵部長は、この古墳は楊梅陵、平城天皇陵だというふうに答えております。平城天皇というのは、八二四年、九世紀前半に亡くなった天皇と言われているわけですね。その九世紀前半に亡くなった方が、四百年も時間をさかのぼって、なぜ五世紀の古墳時代の古墳に葬られているのか。それについては、平城天皇陵と定めるに足る陵誌銘が出てこないことには、そういう決め方というのはおかしいと思うんですが、陵誌銘が出てきているのかどうかを伺います。

本田政府参考人 お答えをいたします。

 ただいまお尋ねの市庭古墳、先生がおっしゃいますように、私どもは、第五十一代平城天皇楊梅陵ということで、いずれにしましても、江戸時代に治定をされたものとして現在管理をしているということでございますが……(吉井分科員「陵誌銘は出ていませんね」と呼ぶ)これにつきましても、陵誌銘というものは出ておりません。

吉井分科員 治定を覆すには陵誌銘等が出てこないとだめだと言いながら、実は決めるのに陵誌銘というのは出ていないんですよね。

 次に、文化庁に伺っておきますが、太田茶臼山古墳から出土した円筒埴輪は何世紀のものですか。

合田政府参考人 お答えをいたします。

 太田茶臼山古墳についてでございますけれども、太田茶臼山古墳につきましては、これも学説によりますと、先ほど御指摘の出土遺物等から、その築造時期につきましては、五世紀中葉から後半ごろに築造されたものというふうにされていると承知をしてございます。

吉井分科員 宮内庁によると、ここは継体天皇陵とされているわけですね。だから宮内庁に伺っておきますが、継体天皇が亡くなられたのは何年のことですか。

本田政府参考人 お答えをいたします。

 継体天皇につきましては、日本書紀によりますれば、同天皇の二十五年、五三一年というふうに亡くなった時代について記されているところでございます。

吉井分科員 大体、ここでも約百年の開きがあるんですね。

 では、太田茶臼山古墳から継体天皇陵とする陵誌銘が出てきてそういうふうにしたのか、ここのところをやはりきちんと聞いておかなきゃいけないと思うんですが、陵誌銘は出てきていますか。

本田政府参考人 こちらの陵につきましても、その治定の際に、陵誌銘等で、それが出てきて行ったということではございません。

 ただ、治定でございますので、一般的な話でございますけれども、江戸時代から明治にかけまして非常に数多くの文献あるいは現地の伝承、そういったものを踏まえ、さらに現地の調査も行って、それでこのように治定をしてきたというところでございます。

吉井分科員 昨年六月二十四日の内閣委員会で高杉文化財部長が答えていただいておりますが、「古墳の被葬者について発掘調査で判明するということは非常にまれな例でございます」と。文化庁も認めているように、そもそも葬られている人物がだれであるのかは発掘調査してもわからないというのが客観的、科学的な物の見方だというふうに思うんですが、文化庁に確認しておきます。

合田政府参考人 お答えをいたします。

 ただいま御指摘のように、古墳の発掘調査によりまして新たに被葬者が判明をするということは、一般的には非常にまれな例であるというふうに承知をしてございます。

吉井分科員 一度治定をしてしまうと発掘調査してもわからない、しかし、発掘していないから陵誌銘も出てこない、では本当はどうなのかというのはわからないというのが現実だと思うんです。

 そこで官房長官に伺っておきたいんですが、長官もお近くでもおありでしょうし、行かれたことはあるかと思うんですが、実際の継体天皇陵は高槻市の今城塚古墳という考え方が有力で、既に文化財として史跡に指定されています。高槻市教育委員会の発掘調査による数多くの資料によって、ほぼ継体天皇陵というふうにされているんですが、私もここを訪れたことはありますが、古墳の上まで自由に登れるんですね。学術調査も繰り返し行われております。そういう点では、古代史研究が非常に大きく研究の面では貢献しておりますし、周濠のところは、この間まで子供が釣りをするような、釣り堀のような状態でした。

 先日、ウエブを見ていたら、宮内庁は、天皇の墓でないことが確実な古墳の静安と尊厳を守りつつ、天皇の墓であることが確実視されている古墳が大阪のおばちゃんの足げにされていることを看過している、これが現代の王家の墓守の姿ですというのをインターネットで見ることができました。

 その当否は別にして、陵墓は、古代律令制度が廃れて、そして中世以降は所在さえ不明になっていたものを、先ほどもお話ありました幕末から明治期の歴史観を背景にして伝承や記録の考証から決められたものですが、陵墓の被葬者がだれであるのか、その陵墓の時代がいつのものなのか、考古学的な見地からやはり調べ直して、間違いがあれば陵墓の治定変更をするということは当然のことじゃないかというふうに思うんです。

 平野官房長官に伺っておきたいんですが、あなたも大阪の人で、本当にあちこちの古墳も見ておられると思うんですが、私は、きょうは三つの例を紹介いたしました。学術研究の成果もなく陵誌銘もないままに天皇陵を適当に決めたと言ったら、適当という表現は適当かどうかは別にしても、昔の宮内省時代に決めたことは間違っていない、そこで思考停止に陥ってしまうというのはやはりいかがなものかと思うわけです。

 日本の科学者がエジプトの王家の墓の発掘調査に今行っていますね、テレビでよく紹介されております。エジプトの王家の墓は発掘に行き、しかし、日本の古代国家解明と、当時の、倭国と言われた時代の、倭と東アジア情勢などの歴史的解明に貢献できる古墳の学術調査を妨げるというのは、私はやはり考え方としておかしいと思うんですが、官房長官のお考えを伺っておきたいと思います。

平野国務大臣 今、吉井先生、もろもろ詳しく担当部局にお聞きをいたしておられたわけですが、古墳の問題という概念、あるいは考古学という学術的な観点と、本来、陵墓及び陵墓参考地、こういう表現をされておりますけれども、いわゆる皇室における祭祀が継続して行われているところというのは、皇室と国民の、追慕尊崇という非常に難しい言葉がございましたけれども、そういう対象にしている、こういうことでございますから、そういう視点。

 ただし、今先生おっしゃるように、では間違っているのかどうか。ここは、少なくとも宮内庁において書陵部長がしっかりとスタッフを抱えてそのことについてきちっとされているというふうに私は信じているところでございます。

 そういう中で、やはり静安と尊厳の保持が最も重要であるという観点から、しかし、今先生御指摘の視点も加えて今後とも対応していかなければならない、このように思っております。

吉井分科員 ウエブに紹介されておった文章は、その表現とかあれは別にしても、実際に天皇の墓でないことが確実と思われるものの静安と尊厳を守ると。それは、決められた御本人も、自分は違うのになということになってしまうわけですよ。

 一方、天皇の墓であることが確実視されている古墳については、ウエブの中では大阪のおばちゃんの、とにかく山まで登れますから、足げにされているという状態にあるわけですから、やはりそういうおかしいことについては学術調査に協力をして、大体、古墳を含めた、周濠部分を含めた全域を基本は保存し、学術調査もうんとやっていく、公開もする、その立場というのは非常に大事だというふうに思うわけです。

 次に、宮内庁に伺っておきたいんですが、二〇〇四年三月二十四日の参議院で、当時の田林均書陵部長さんは先ほどの答弁書の趣旨のことを答弁しておられますが、絶対年代が明確でないから現在の治定を維持すべきだ、そういう趣旨の答弁だったんですが、その点、やはり今考えなきゃいけないときだと私は思うんです。

 箸墓古墳の問題を昨年も取り上げましたが、ここから出土した土器の絶対年代が三世紀後半ではないかという研究成果が発表されただけでも大騒ぎになっております。

 歴史学、特に考古学では、絶対年代を特定するというのは非常に難しいわけです。考古学の年代観の基本にあるのは相対年代だと思うんですよ。もちろん、炭素14の放射性崩壊のデータとか年輪年代測定など多様な組み合わせで絶対年代の誤差の範囲をうんと縮めていくという努力は今進められて、精度が非常に高くなってきている時代です。

 宮内庁に伺っておきたいのは、相対年代でも年代観が違うものがあれば治定をやり直す、そういう調査、それぐらいの調査を行うことはやはり大事じゃないか、当たり前のことではないかと思うんですが、伺っておきます。

本田政府参考人 現代、大変科学も進み、いろいろな知見も出てきている、それから先ほど先生がおっしゃいましたように、いろいろな学説も出てきておるというところで、私どももそういった学説あるいは知見があるということは承知をしております。

 ただ、大変申しわけございませんけれども、私どもの立場として、その学説あるいは知見について評価というかコメントする立場にはないということでございます。

 いずれにしろ、私ども書陵部としては、治定をされた陵墓、これが現在、皇室によりまして祭祀が行われている、いわば生きた陵墓でございますので、これを適切に管理また保存して、さらには、先ほどの先生のお話にもありますけれども、きっちりと保存しまして、保護しまして、また次の世代に伝えていくということも非常に重要な使命だろうというふうに考えておるところでございます。

吉井分科員 次に、奈良県桜井市の茶臼山古墳の竪穴式石室、私も見に行きましたけれども、計算上、少なくとも二百キロを超す大量の水銀朱が塗られていたわけです。

 宮内庁の方では、藤井寺の陵墓参考地としてその一部を管理している津堂城山古墳から出土した大量の水銀朱を管理しておられるんですが、答弁書ではこれは十三リットルであるということが答えられておりました。その重量は何キロであるのか、これをきょう伺います。

本田政府参考人 現在管理しております朱でございますけれども、先生おっしゃるとおり、およそでございますけれども、十三リットルというふうに考えております。

 なお、重さにつきましては、今まで計測したことはございませんので、承知しておりません。

吉井分科員 単純に密度を掛ければ百七十五キロぐらいになってくるんですが、やはりこれは計測ぐらいはやればいいと思うんですね。

 その水銀朱について、そのまま調査しないというのは、私は宝の持ち腐れだと思うんです。これについては、答弁書では、「分析実績のある機関から申請があり、学術上の観点から必要不可欠であると認められれば、実施方法などを考慮し、検討することもあり得る」というふうに答えておられましたが、少なくとも桜井市の茶臼山古墳で二百キロという大量の水銀朱が出たということですし、桜井の茶臼山では銅鏡の破片もたくさん出ているわけですね。

 津堂城山の水銀朱は持っていらっしゃるわけですから、これを全く調査しないままというのは本当にもったいない話で、この水銀朱の研究をすれば、例えば同位体分離をやる、質量分析をやる、そういう手法をとれば、どこで産出したものか、これは中国なのか、朝鮮半島なのか、あるいは日本国内の北陸の方か、四国なのかとか、みんなわかってくるわけですね。不純物等、水銀の同位体分析によってわかるわけですよ。なぜそれが大事かといったら、当時の古代国家成立過程における権力構造を知る手がかりとなり、倭国と東アジアとの交流を読み解くかぎになるんですね。

 文化庁に伺っておきます。

 文化庁としても、学術調査の申し出を行う、調査を行うという立場に立つことが大事だと思うんですが、どうですか。

合田政府参考人 お答えを申し上げます。

 文化庁といたしましては、古墳を初めといたしまして、国民の財産ともいうべき文化財を守り、活用していくことは非常に大切なことであるというふうに考えております。そのため、古墳などに対しましても、文化財保護法を所管する立場から、文化財の価値を把握するための調査等を行いまして、例えば、遺跡が発見をされたような場合には確認調査を行い、その結果に応じて適切な保存を図ってきたところでございます。

 一方で、陵墓や陵墓参考地である古墳につきましては、先ほど来お話ございますように、天皇及び皇族を葬る場所として祭祀が行われており、また、国民感情にも配慮する必要があるということでございますので、陵墓等の調査につきましては、このような事情を踏まえまして、基本的には陵墓等を管理する宮内庁が決定をされるべきものというふうに考えてございます。

吉井分科員 いや、決定はわかっているんです。調査の申し入れをすれば応じましょうというのが宮内庁の立場ですから、文化庁としてはやはりきちんと調査をするということを求めることが大事だというふうに思うんです。

 それで、さっきの銅鏡の話ですけれども、これは本当に分析すれば、魏志倭人伝に出ている卑弥呼への銅鏡百枚のものなのか、それとも、そのうちの、送られてきたものを日本で鋳型をつくって、日本でつくった彷製鏡になるのかとか、分析すればわかるわけなんですよ。やはりそういうことをきちんとやっていくというのが大事ではないかということを言っているわけです。

 官房長官に伺いますが、この卑弥呼にかかわると言われる箸墓古墳については、考霊天皇の娘の一人、ヤマトトトヒモモソヒメが葬られているところというふうに宮内庁は主張しているわけです。陵墓の名前は倭迹迹日百襲姫命大市墓となっていますが、質問主意書に対して政府は、宮内庁としては、古代の皇室の歴史については歴史学者の中で諸説あるものと承知しているというふうにしていました。さらに、日本書紀等によれば、ヤマトトトヒモモソヒメは考霊天皇の皇女とされていると承知しているとして、箸墓古墳が毎年九月一日に御命日として祭祀を行っておるんですが、答弁書の中で、ヤマトトトヒモモソヒメの薨去の月日については明確ではないと答えているんですね。命日だと言いながら、月日はよくわからぬと言うんですよ。

 現在の天皇は百二十五代天皇となりますが、宮内庁は、天皇の起源については諸説あってわからないと言うんですね。宮内庁は皇室の財産の管理が仕事ですから、管理すべき古墳はどの時代のものからなのか、これは大事な点なんですが、諸説あるものとして起源がわからないと言い出すと、そこで官房長官に伺っておきたいのは、弥生時代のものからか、邪馬台国の時代の、同時代のものからか、ヤマト政権形成過程のものからなのか、あるいはそれ以降のものなのか、どこからを皇室用財産の管理の中に入れるか、これはやはり明確にしておくことが必要だ。だけれども、そうなっていないのは、結局、学術調査を認めてこなかったからではないかと思うんですね。その点についての官房長官のお考えを伺っておきたいと思うんです。

平野国務大臣 非常に専門的見地からの御質問ですので、後で答えをしていただきたいと思いますが、私はやはり、皇室の祭祀をしているということは、生きた墓である、こういうことでありますから、学術調査というのはそういう観点から好ましくないという判断のもとに今日まで来ているのだろうというふうに思います。

 しかし、今先生おっしゃった学術的観点、先ほど科学技術の分析のことを申されましたから、そういう観点から、発掘をして云々ということではなくて、別の次元で、より特定をしていく、より真実を求めていくというのは、一方、学術的な観点からは必要なんだろう、こういうふうに思いますが、今具体的な、皇室が、宮内庁がやっております、祭祀をしている、これはまさに、生きた墓である、こういう前提のもとに処している管理運営だと私は理解しております。

 あとのところは、具体的なところは答弁させます。

吉井分科員 祭祀をするにしても、御命日はこの日だと決めながら、では、それはわかるんですかと言ったら、いや、薨去の、亡くなられた月日はわからないと言ってみたりとか、これでは、今官房長官ずっこけられたように、本当にずっこける話であって、この古墳の被葬者は調査してもだれであるかはわからないというのが文化庁の見解なんです。これは答弁なんです。これは正しいと思うんです。

 大阪府羽曳野市にある巨大前方後円墳の一つである誉田御廟山古墳というのは、その外濠と外堤の西側が、誉田御廟山古墳外濠外堤という名で実は国指定の史跡になっているんですね。史跡の指定範囲が全域でないというのは問題の一つだと思いますけれども、この古墳は宮内庁によって応神天皇陵とされて、周濠含めて中に入ることはできないんですね。

 私は、何でも掘ればいいという発想じゃないんです。だけれども、古墳の陵誌銘もなく、被葬者が応神天皇という明確な証拠もない中で、やはり可能な方法で、さっき長官も言われたように、同位体分離だとか質量分析とかいろいろなことを含めた調査によってきちんと定めていかないと、お参りしておった相手は全然別人だったというのではおかしい話になりますから。

 ですから、そういう点では、「陵墓の立入りの取扱方針」の中で、書陵部長が立ち入りを許可する者についての四項目の規定というのがありまして、四つ目に、「前三号に掲げる者のほか、書陵部長が適当と認める者」とあるんですね。当然、学術調査に当たる専門家はもちろんですが、国会議員が該当するものと思って、実は私、宮内庁の担当者に聞いてみたところ、研究者を対象としているので国会議員は対象外だと。研究者は入っても、国会議員は入れさせないというわけですね。

 陵墓の管理というのは宮内庁が宮廷費に予算を計上して行っているわけですから、国費を使って管理を行っている皇室用財産について、国有財産ということになってくるわけですから、国会議員が管理の状況を見に行くことがなぜできないのかというのは、やはりおかしい点だと思うんですね。

 政権もかわったことですから、官房長官に、やはり政府として、皇室用財産を質疑する国会議員に立ち入り、公開しないというこのおかしい事態は是正をさせると。私は、何でも入って掘ればいいとか、そういう発想じゃないんですよ。しかし、少なくとも、国会議員も中に入るということは、これは普通のこととしてやっていいじゃないかと。

 政権もかわったわけですから、最後に官房長官にこのことを伺っておきたいと思います。

平野国務大臣 これは政権がかわるかわらないの問題ではなくて、日本の今日までの歴史の中の礎だと私は思っております。

 そういう中で、先生がおっしゃる意味も、ある意味よく理解はいたします。しかし、やはり生きている墓である。天皇であろうが、どういう状態であろうが、生きている墓を掘るということについては、国民感情から見てもいささか抵抗がある。

 そういう意味で、静安と尊厳ということを最重要な問題として保持をしながら、一方で、学術的観点から、今先生御指摘のところについての範囲がどこまでなのか、国会議員といっても、専門家の方もおられるわけでしょうし、そういう観点からどうあるべきかということについては研究してみたい、このように私は思います。

吉井分科員 時間が参りましたので終わりますけれども、今の研究を本当にやっていただいて、この間四十回近く、一般の市の方とか学術団体の方とかも入っていますから、この二、三年の間に。国会議員もその中に入って、別に、おっしゃったような、例えば私が中へ入って掘ろうなんというようなことじゃないですから。やはりそこはもっと公開して、広く、そのお山だけじゃなくて周濠部も外堤も含めて文化財としてきちんと保存する、そして後世に残すとともに、必要な学術調査はどんどん進める。学術調査というのは、掘るという意味だけのことを言っているんじゃないですからね。

 そういうことが必要だということを重ねて申し上げまして、時間が参りましたので、質問を終わります。

平岡主査 これにて吉井英勝君の質疑は終了いたしました。

 午後三時から本分科会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時四分休憩

     ――――◇―――――

    午後八時開議

平岡主査 休憩前に引き続き会議を開きます。

 防衛省所管について審査を進めます。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。本村賢太郎君。

本村分科員 民主党の本村賢太郎です。どうぞよろしくお願いいたします。

 日本の国防を支える防衛省の皆様には、私自身も大変敬意を表しておりますし、これからも日本の安全保障のために、北澤防衛大臣を中心に取り組みをお願いしたいというふうに思います。

 今回、在日米軍及び関連する自衛隊の再編実施のための日米のロードマップについてお伺いいたします。

 まず、全体の進捗状況についてでありますが、五月までに普天間飛行場の移転先の見直しを今検討中ということも伺っておりますが、普天間以外の事業については影響されることなく進められていくのか、お伺いいたします。

北澤国務大臣 お答えをいたします。

 御案内のように、普天間の移設問題につきましては、その代替施設について、官房長官のもとで検討委員会が今熱心な議論をしていただいておりますし、また、鳩山総理自身も五月の末にはきちんと決定をする、こういうことで進んでおるわけでありますが、その他のロードマップに合意されたものにつきましては、御案内のように、今御審議いただいております二十二年度の予算に計上させていただきまして、粛々と、これを御決裁いただいた後には進めていくというのが防衛省の考え方であります。

本村分科員 次に、私は神奈川県相模原市選出でありまして、本市には、キャンプ座間、相模総合補給廠及び相模原住宅地区の三つの大きな米軍基地が所在しておりまして、その面積は四百四十六ヘクタールに値いたします。この基地は、人口密集地である市街地に集中しておりまして、相模原市民の生活にも大変大きな影響があることから、これらの基地に関して数点またお伺いしてまいりますので、よろしくお願いいたします。

 まず、平成十八年五月一日の日米のロードマップを受けて、平成二十年六月六日には、日米合同委員会で、在日米軍相模総合補給廠の一部返還と共同使用の合意がなされております。これに関して、ロードマップの中の文章から、「相模総合補給廠の一部は、地元の再開発のため(約十五ヘクタール)、また、道路及び地下を通る線路のため(約二ヘクタール)に返還される。影響を受ける住宅は相模原住宅地区に移設される。」と記載があります。

 この件に関しまして、一月二十七日に、私どもの相模原市の加山市長が北澤防衛大臣と面会をしていただきまして、大臣からも貴重な御指導をいただいたわけでありますけれども、この文章の中にあります、影響を受ける住宅は相模原住宅地区にまず移設をされるということでありまして、今お配りをさせていただきました資料に基づきまして、これはちょうどJR相模原駅の北側、二百十四ヘクタールが相模総合補給廠でありますけれども、このだいだいの部分の「家族住宅区域及び野積場の一部返還」約十五ヘクタール、ここに八十八戸の米軍の住宅地と託児所などがございますが、これらをまず相模原住宅地区に移動させるということでありますが、現在の進捗状況についてお伺いいたします。

楠田大臣政務官 本村委員に御説明をいたします。

 今の進捗状況でありますが、十七ヘクタール、これが返還されるとされておりまして、平成二十年六月、日米合同委員会において合意したところであります。現在、返還条件である既存施設の移設工事や返還に伴い必要となる施設の設計などを鋭意進めているというところが現状であります。

 その状況でありますが、今後、米側との調整、返還条件である移設工事等を速やかに実施することで、数カ年後をめどに返還が実現できるように最大限努力していきたいと考えているところであります。

本村分科員 来年度の予算案に相模原住宅地区のいわゆる新築、建てかえの予算も計上されているわけでありますし、総合補給廠から米軍の住宅地と託児所の移設を早急に進めていただきたいというふうにお願い申し上げます。

 その中で、今政務官からも御答弁ございましたが、数年後というお話もちょうだいしたわけでありますが、まず、この十五ヘクタール部分に関して、返還できる状態になるのはいつごろか、もう一度お伺いいたします。

楠田大臣政務官 十五ヘクタールの返還につきましては、先ほど申されたように、家族住宅、倉庫、学童保育センター、コミュニティー支援施設、水道施設等の移設が条件となっておりますので、この十五ヘクタールの部分が、先ほど申しましたように数カ年かかるということで考えております。

 残り二ヘクタールの部分につきましては、できる限り早い返還が先んじてもなされるかどうか、この点は検討を重ねておりまして、相模原市長の話もありましたが、地元の意向を十分に踏まえつつ調整を積極的に進めてまいりたい、そうした状況でございます。

本村分科員 繰り返しの御答弁、ありがとうございます。

 今、数年後という話で、なかなか先行きが見通せないということでありますが、きょうは国土交通省の方にもお越しいただいておりますので、他省庁の国の事業ではどうなのか、お伺いいたします。

西脇政府参考人 お答え申し上げます。

 国土交通省所管の例えば直轄の国道につきましては、例えば用地買収とか工事の進捗状況を踏まえまして、供用の目途が立った段階で、極力その目標時期というものを公表しているところでございます。

本村分科員 今、国土交通省の方からもお話がございました。防衛省は特に米軍との協議もあるのでなかなか厳しい部分もあるかと思いますが、予算の見込みがないのに国民には示せない部分もあるのかもしれませんけれども、ぜひ日本国民にも向いていただいて、国交省で今、予算取りができないものでも先行の時期というか目途は示せるようでありますので、防衛省としても、ここは日米ロードマップ、そして日米合同委員会でも合意されている事項でありますので、やはり示せるような形にするべきじゃないかなと思っています。

 その中で、防衛省の関係者の皆さんから聞くところによりますと、二十五年度を目途にこの十五ヘクタール部分の移設が完了するんじゃないかというお話も漏れ伝わっておりますし、冒頭述べました相模原住宅地区の住宅移設に関しても、二十五年度末で完成することを受けて、この補給廠の十五ヘクタール部分、返還が可能な状態になるんじゃないかと伺っておりますが、大臣、いかがでしょうか。

楠田大臣政務官 お答えします。

 いろいろなうわさといいますか情報というのはさまざまあるのかもしれませんが、我が方としまして、極力、十五ヘクタールの部分、二ヘクタールの部分、三十五ヘクタールの部分、それぞれありますが、できる限り二ヘクタールの部分をまず早期にという考え方も柔軟に示しているところでもありますし、そういう中で、数カ年ということで御理解をいただきたいと思っておりますので、この点は、何年ということは明言することはできないということであります。

本村分科員 わかりました。

 それでは、今政務官が触れた二ヘクタール部分の返還部分、この部分でいうと、ちょうど旧道の県道部分であるんですが、「鉄道・道路用地の返還」という形で示されている部分でございますけれども、ここは財務省からも、在日米軍に係る返還財産の処分条件について、基地の処分相手が都道府県または市町村の場合、道路法第九十条第二項によりますと、譲与または無償貸し付けとなっていることから、十五ヘクタールの部分よりも早期に返還が可能じゃないかなと思っております。ここだけでも相模原市民の皆さんに方向性が示せれば、基地のこれまでの大きな負担がかなり解消されるという思いが強くございます。

 また、野積み場の共同使用部分、黄色い部分でございますが、ここと補給廠を、二ヘクタールの道路用地をまたいでアーチ、ブリッジの設計費が二十二年度予算でつけられていると思いますし、また、私も昨年、東日本マラソンでこの中を走って中を見させてもらったんですが、この二ヘクタール部分の境界のところに、ちょうど二十年度予算で測量が終わって、くいが打たれているわけであります。

 ですから、そういった意味で、大臣を中心に返還に向けた形で進めてもらっていると思いますけれども、この二ヘクタール部分に関して、いつごろ返還ができるのかというのは、見通しはお答えできるでしょうか。

北澤国務大臣 今政務官がお答えしましたように、米軍との関係がありますので、今この場で年度を特定することはなかなか難しいわけです。しかし、相模原駅の真ん前というような立地であることに、市長初め市民の皆さん方の期待も極めて大きいわけで、そういう意を体して本村委員も御質問されておるというふうに思いますので、きょうはたまたま参考人で局長も来ておりますから、その辺の見通しについては局長の方から答弁をさせますので、よろしくお願いします。

井上政府参考人 お答えを申し上げたいと存じます。

 二ヘクタールの部分でございますけれども、現在、倉庫及びテストトラックの移設工事の関連の作業を進めておるわけでございまして、また、先ほど先生の方から御指摘のありましたように、連絡橋それから境界のさくの調査設計等を行っているところでございます。現時点におきまして、二十二年度予算では、その設計と調査費用を計上しておりますけれども、二十三年度は工事費等の予算も計上させていただきたいというふうに考えておるわけでございます。

 そういうことを踏まえて事業を進めて、その上で返還という形になるわけでございまして、今明確にこの年度ということを申し上げることはできませんけれども、三、四年程度の中で努力をさせていただきたいというふうに考えているところでございます。

本村分科員 今、三、四年程度という形で数値を示していただき、本当にありがとうございます。

 それでは、ちょっと次の質問でありますけれども、野積み場の共同使用、三十五ヘクタールの部分になりますけれども、バッファーゾーンとしての要望として、相模原市から、十ヘクタール部分に関して、スポーツ施設等々、利用させていただきたいということで、防衛省の皆さんにも大変お力をいただいているわけでありますが、大臣、このバッファーゾーンの相模原市の要望を酌んでいただけるか、御答弁をお願いいたします。

井上政府参考人 今お尋ねのいわゆる三十五ヘクタールの共同利用の部分でございまして、そのうち、先ほどの十五ヘクタールに近い十ヘクタールの部分、これにつきましては、できるだけ共同使用ということが早期に進められますように、現在、相模原市、防衛省、そして米軍と調整をいたしているところでございまして、その調整をできるだけ進めまして、市民の方々に何らかの形でこれが使えるように努力させていただきたいと考えております。

本村分科員 次に、キャンプ座間に関して数点お伺いさせてもらいます。

 平成二十年九月に七十名の米軍の第一軍団(前方)・在日米陸軍司令部がキャンプ座間に来られました。これを受けて、陸上自衛隊中央即応集団司令部が朝霞の方から平成二十四年度までにキャンプ座間に移転すると日米ロードマップの中で記載があるわけでありますが、この平成二十四年度までとは、具体的に何年度で、そしてこの中央即応集団司令部の人員や規模などについてお伺いいたします。

榛葉副大臣 本村委員にお答え申し上げます。

 御地元である相模原市と座間市にまたがるキャンプ座間の問題でございますが、日ごろ委員からは防衛問題に対しまして格別の御指導を賜りまして、お礼を申し上げたいと思います。

 今御指摘のございました、現在朝霞にございます陸上自衛隊中央即応集団司令部のキャンプ座間への移転問題でございますが、平成十八年五月のいわゆる2プラス2で承認をされました日米ロードマップにおきまして、二〇一二年度、平成二十四年度までに実施をするということになっております。

 現在の進捗状況でございますが、司令部の移転については、これまでも必要な検証等を行ってきており、平成二十二年度予算案において、同司令部の移転、この問題に必要な経費が計上されているところでございます。移転につきましては、ロードマップの合意を踏まえまして、現在のところ、平成二十四年度末を予定しているということでございます。

 なお、規模でございますが、具体的に何名の自衛官が移動するかというところは現在検討中でございまして、具体的な数字については現時点では明らかにすることはできないということでございます。

本村分科員 次に、キャンプ座間には米陸軍のヘリコプターのヘリポートがあるわけでありますけれども、ここは、夜間や低空旋回飛行を行ったりして、タッチ・アンド・ゴーとかホバリングなども行って、周辺住民にいわゆる騒音や振動で大分御負担を多くかけている部分も否めないわけでございます。

 ロードマップの中に、「自衛隊のヘリコプターは、キャンプ座間のキャスナー・ヘリポートに出入りすることができる。」と記載がございます。これに関して、運用面での話や、さらには、いつから発着が可能になるとか、想定される機種や発着回数など、おわかりでしたら、また御答弁をお願いいたします。

榛葉副大臣 キャスナー・ヘリポートの運用についてお答え申し上げます。

 お尋ねの、中央即応集団司令部の移転に伴うキャスナー・ヘリポートの使用でございますが、いわゆる指揮官であるとか幕僚の移動、連絡調整等々、さまざまなためにキャンプ座間に飛来するヘリコプターの着陸場所を確保するための措置であるわけでございます。

 ただし、これは現在具体的に決まっているわけではございませんで、ヘリポート、今後どのような使用回数か、この時期等についても具体的に固まっているわけではございません。しかし、騒音等大変御心配な点もあろうかと思いますので、ぜひ、お尋ねの内容につきましては、早期に御地元に御説明できるように鋭意努力をさせていただきたいと思います。

本村分科員 私も、相模原の自衛官募集相談員を十数年やらせていただいていまして、本当に防衛省の応援団の一人でもありますけれども、できれば、このヘリコプターの関連に関しても、事前に地元に御説明を、よく周知していただきたいと思います。

 次に、厚木基地の空母艦載機による騒音などを含めて、数点御質問をさせていただきます。

 先日、次期哨戒機P1の厚木航空基地配備が発表されまして、地元自治体である大和市や綾瀬市の首長さんから配備反対の声が上がっております。

 そこで、現行のP3C、これはターボプロペラ機だと認識しておりますし、また、それに比べてP1というのはジェットエンジン機。ただ、国産であるので、私もこれは大変魅力に感じている部分もございまして、ちょっと御質問をさせていただきますが、このP1がP3Cよりどの程度すぐれているのか、数値など具体的なデータがございましたらお示しをいただきたいと思います。

秋山政府参考人 お答えいたします。

 防衛省としましては、厚木基地周辺地域の航空機騒音の状況については、住民の方々にとって大変深刻なものであるというのは認識しております。

 P1につきましては、低騒音を実現するために、国際民間航空機関が規定しております騒音に関する基準を満たすべく開発を進めております。低騒音化のためには、ファンを大きくするとか、中に吸音パネルを装着する等の工夫をしております。

 また、平成十九年六月に、岐阜基地におきまして、地上でP3CとP1の騒音の比較をいたしました。その時点では、大体五ないし十デシベルという差がございまして、P1の方が静かであるということになっております。この結果を踏まえれば、P1の配備によりまして厚木基地周辺の騒音が悪化するということはないのではないかと考えております。

本村分科員 大臣、確認でありますが、現在、厚木基地にP3Cは何機配備されていますか。

井上政府参考人 現在、性能評価という形で二機配備をいたしております。(本村分科員「P3Cで」と呼ぶ)

 失礼いたしました。手元に資料がございません。後ほど、調べまして御報告させていただきたいと存じます。

本村分科員 私は正確にはわかりませんが、二十機ほど入っているんじゃないかと思われますけれども。

 大臣、これからP1にこのP3Cを、とりあえず今二機入っているということも事前に答弁いただきましたが、新聞等によると、これから四機ぐらい入ってくるということも聞いています。P3Cが二十機ほどあった場合、すべてP3CからP1に変えるのか、御答弁をお願いいたします。

北澤国務大臣 おっしゃるように二十機ほどおりまして、実は私、つい最近基地へ行きまして、P1をつぶさに視察してまいりました。極めて高性能で近代的なものでありまして、多分、これから地元の皆さんとは十分な協議をいたしますが、騒音について、今よりは悪くなるというようなことは、むしろ減退するということで承知をしております。

 また、予算等の関係もございまして、今の段階で何機配備するかというようなことは、まだちょっと明確に申し上げられないところであります。よろしくお願いします。

本村分科員 四六文書の問題なんかも何か地元の首長さんたちで心配しておりますので、今、高性能と伺いました、私も大いに期待をしておりますので、ぜひ地元市への御説明をお願いしたいと思います。

 次に、この厚木基地周辺は、騒音、振動といったもので、地域の大和市や綾瀬市、当地選出の橘議員ともよく連携をしながら勉強会をやっておりますけれども、相模原市や藤沢市、そういった地域に、いわゆる住宅防音工事の助成制度が二十年ぶりに平成十八年一月に改正をされ、地域が拡大をいたしました。これには本当に、前政権下でありますが、大変感謝をしているわけでございます。

 厚木基地といえば米軍機もございまして、F14のトムキャットとかF18ホーネット、そして平成二十一年十二月に、順次導入しておりますスーパーホーネット、特にこのスーパーホーネットは出力が三五%アップということで、騒音等が大分心配をされております。

 それに関して、大臣、住宅防音工事の助成制度を含めて、周辺地域も、四メーター五十の道路で助成が入ったり入らなかったり、地域の住民も大変困惑している部分もありまして、スーパーホーネットの導入に関して、例えば対象区域の拡大などの見通しがあるのかどうか、確認の質問をさせてもらいます。

井上政府参考人 スーパーホーネットのお答えをさせていただきます前に、先ほどのP3Cの配備機数でございますけれども、二十機でございます。

 それから、スーパーホーネットでございますけれども、今御指摘のように、昨年の十二月にスーパーホーネットの飛行部隊が一部隊増加をいたしました。これまで、ホーネットが二飛行隊、スーパーホーネットが二飛行隊、合わせて四飛行隊であったわけでございますけれども、そのうち一飛行隊がホーネットからスーパーホーネットに変わりまして、ホーネットが一飛行隊、スーパーホーネットが三飛行隊となったところでございます。

 私ども、継続的に、厚木飛行場周辺の二十三カ所に自動騒音測定装置を設置いたしまして、騒音状況の把握に努めているところでございます。昨年の十二月にスーパーホーネットが一飛行隊変更した後と前の比較をいたしているところでございます。

 騒音の指数は、W値、うるささ指数というものでございまして、音の強弱のみならず、その飛行頻度でありますとか飛行時間帯等を加味した加重平均値で求めるわけでございますけれども、それによりますと、必ずしも同一条件であるとは限りませんので正確な比較にはなりませんけれども、二十三カ所、逆に若干W値が下回っているところの方が多いという数字が出ております。

 ただ、いずれ、今後とも継続的にこの数字につきましては調べさせていただきたいというふうに考えておりまして、仮に今後、その結果、騒音状況に大幅な変化が見られ、かつその状況が長期にわたるようなことであるとするならば、さらに騒音の調査の実施等を行うなど、適切に対処してまいりたいと考えているところでございます。

本村分科員 騒音被害が拡大した場合は、また助成の対象もぜひ見直しをいただきたいなと思います。

 また、住宅の防音工事の助成制度に関しましては、手続の状況説明が多少不備なこともありまして、地域の皆さんも、いつごろうちがやってもらえるのかなという御心配の声もありますので、ぜひともそういった点に配慮しながら、やはり地域の皆さんにも国防の御理解を深めていただきたいなと思います。

 最後に要望といたしまして、米軍との関係も大変難しく、北澤防衛大臣におかれましても、また政務三役の皆様におかれましても大変激務が続いていると思いますけれども、これまで基地を負担してきた市民の目線に立っていただき、米軍基地の整理縮小または早期返還を推進するとともに、基地返還に際しての地元負担の軽減をぜひ大臣のお力で進めていただきたいと思います。

 それからまたもう一点、日米合同委員会には基地負担をしている地元首長さんたちが参加できないことでありまして、本県神奈川県の松沢知事が提案して地域特別委員会というのが一度実施されたと伺っておりますが、ぜひ今後、北澤大臣のもとで、地元の、日本各地の首長さん、議会の御意見を聞く場面というものも設けていただければ本当にうれしく思います。

 また、私も、防衛を本当に国民の皆さんに理解していただくために、皆さんとともに頑張ってまいりたいと思います。ありがとうございました。

平岡主査 これにて本村賢太郎君の質疑は終了いたしました。

 次に、福嶋健一郎君。

福嶋(健)分科員 民主党の福嶋健一郎でございます。本日は、よろしくお願いいたします。

 きょうは、三点、PKOについて、そして防衛政策について、もう一つは防衛予算についてということでございます。何分、テーマが一つ一つ大きくて時間も短うございますので、基本的な部分しかお尋ねをすることができませんけれども、どうぞよろしくお願いをいたします。

 まず、ゴラン高原のPKO活動についてお尋ねをいたします。

 このゴラン高原のPKOというのは、もう御案内のとおり、一九九五年から自衛隊が、UNDOF、いわゆる国連兵力引き離し隊というところに派遣という形をとりまして、それでシリアとイスラエルの間のゴラン高原で主として輸送活動の任務に当たられているという活動でございます。

 ことしの二月から、私、地元が熊本でございますけれども、陸上自衛隊の西部方面隊第八師団を中核といたしまして、佐藤三等陸佐を隊長とします精鋭四十三名が編成されて、第二十九次の輸送隊ということで、もう活動をされておられます。

 まず、一月の三十日に、実は北熊本の駐屯地におきまして、家族、隊員の激励会というのがありまして、私はそこに出席をいたしました。ふだんは自衛隊の制服に身を包んでおられる皆さんが、UNDOFの制服でベレー帽をかぶって、何となく初々しいながらも、きちんと、平和を守るという自信と、そして誇りに満ちた目をしておられたので、きょうこういう質問をさせていただこうかなと思っているんです。

 そもそもこのゴラン高原のPKO活動に我が国が参加することの意義及び重要性についてお伺いをしたいと思います。

 あわせて、今回、私どもの地元から隊員の皆さんが派遣されていますので、隊員の皆さん及び家族の皆さん方に大臣の方から激励のメッセージをいただければ幸いでございます。

 よろしくお願いいたします。

    〔主査退席、梶原主査代理着席〕

北澤国務大臣 お答え申し上げます。

 大変お地元の隊を激励していただきまして、感謝申し上げる次第であります。

 非常に詳しい方でありますから、私の方から特段申し上げることはありませんけれども、中東和平の実現は、国際社会における主要な課題の一つであると同時に、国際連合を中心にした国際社会がその実現に向けて努力をしていることでありまして、先進国としての日本の役割は極めて大きい。

 それから、国際貢献の中で、我が自衛隊が、隊員そのものも含めて、また組織も含めてですけれども、PKOで海外に派遣されて体験を積んできますと、本当に一皮も二皮もむけて、視野の広くなった隊員が養成できるということで、当事国あるいは国際社会への貢献と同時に、自衛隊そのもののレベルアップにもなるということで、私どもとすれば、積極的に、あらゆる制約をクリアしながら進めてまいりたい。

 これにつきましては、もう二十九次にわたって、延べ千二百人以上の隊員が要員として派遣をされておるわけでありまして、自衛隊の中でも極めて伝統のある仕事ということになっておるわけであります。

 遠隔の地へ行きますと、どうしても御家族のことが気になる、また御家族の皆さんは、自分たちの主人が、あるいはお父さんが無事で帰ってこれるかなというようなお気持ちになりますので、私どもとすれば、随時、その出発式に、まだ我々は五カ月でありますけれども、政務三役が出向いて激励をし、そしてまた御家族の皆さん方と連携を深くして、任地の隊員に無用な心配をさせないような態勢はしっかりとっておるつもりでございますので、御理解をいただきたいと思います。

    〔梶原主査代理退席、主査着席〕

福嶋(健)分科員 ありがとうございました。

 今、大臣のお話をお伺いしながら、先ほど申し上げた家族激励会のシーンをちょっと思い浮かべていたんです。

 隊長のお子さん、まだ小さいお子さんなんですけれども、いすに座って、背筋をきっと伸ばして、じっとお父さんの姿をごらんになられていたんですね。そういう姿を見ると、やはり、こうやって誇りを持って活動する親御さんを見て子供は育つじゃないですけれども、必ず次の世代にこういった活動の意義というものは引き継がれていくのではないかなというふうに思います。

 そういう意味におきましても、今の大臣の激励のお言葉で、隊員そして家族の皆さんは非常に喜ばれると思いますので、この場をおかりしてまた感謝いたします。どうもありがとうございました。

 続きまして、そういう中で、国防、国を守るということでございますが、この基本方針について幾つか確認をさせていただきたいというふうに思います。

 昭和三十二年、一九五七年に国防の基本方針というものが、当時の国防会議、そして閣議で決定をされておるところでございます。一九五七年ですから、今をさかのぼること五十三年前ということで、もう五十年も前に決定された方針でございまして、そこからいろいろと世の中は変わっていっていると思います。

 直近の二十年を見ても、東西冷戦が終わったり、あるいは世界同時多発テロが起きたり、北朝鮮でいろいろな脅威が生じたりと、さまざまな動きが生じていると思うんですけれども、こういう我が国を取り巻く状況が変化している中で、この五十年前に決められた国防の基本方針、これは、現在に至るまで有効であるというふうに考えてよろしいのでしょうか。

北澤国務大臣 確かに、昭和三十二年からの基本方針でありますが、大綱をつくるときにも、我々、以前の政権ではありますが、この問題については議論があって、少し真剣に考えるべきではないかといって議論はするんですけれども、非常によくできているということで、これを外す意味が本当にどこにあるのかというような議論はたびたび行われておるようであります。

 御案内のように、まず第一に国際協調と平和努力、それから第二に内政の安定、そして三番目に効率的な防衛力の漸進的な整備、それから第四に日米安保体制でこれを補完する、こういうことでありますから、古くても、日本の憲法九条に基づく平和国家としての理念をしっかりとらえた防衛の基本方針ということで継続されております。

 もう御案内のように、鳩山内閣として新しい防衛大綱をつくるに当たって新安防懇がスタートをいたしまして、ここでも闊達な議論を闘わせていただいておりますので、この議論を受けて、鳩山内閣の防衛大綱をつくっていく。したがって、ここのところでこの問題についてどのようなお考えを示していただくか、私も、楽しみにと言っては言葉がおかしいですが、この重要な理念が再び認知されるであろうなというような気持ちで今お待ちをしておるということであります。

福嶋(健)分科員 この国防の基本方針というのは、そういう意味では、基本中の基本というふうなことで整理ができるのかなと思います。

 少しここで、この方針について改めて御紹介をしたいと思うんですけれども、前段として、「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。」とあります。これで、今大臣から御答弁をいただいた四つのことがございます。

 今回の質問については三番目と四番目がかかわるところでございますので、ちょっとこの三番目と四番目だけ読み上げたいと思うんです。

 「国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。」これが三つ目の話ですね。「外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。」というのが四番目の項目でございます。

 この四番目の項目に対して御質問をさせていただきたいんですけれども、いわゆる現在の状況は、ここに規定をされている「外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至る」、こういう状況にあるのかどうかということについて御答弁をいただきたいと思います。

北澤国務大臣 お答え申し上げます。

 第四のところでありますが、先ほどお話しになりました国防の基本政策というものをまず第一に決めて、その後、五十一年から大綱をつくっておるわけでありますが、その中で基盤的防衛構想というのがございまして、これについてはいろいろ御意見もありますけれども、要するに、みずからが防衛の空白をつくって、そして、侵略といいますか、不安要因を増勢するというようなことのないようにという構想であるわけでありまして、まさに今お話のありましたものと連結するわけであります。

 私は、今の状況を見ますと、第一列島線の北は九州から種子島、沖縄まで、この間に今、中国の潜水艦等が随分とそこを通過しておる。またさらに、下地島、宮古島から台湾のあたりについても一定の空白という概念でとらえられがちな部分があるということでありまして、これは、これからの我が国の防衛政策の中で相当に注視をしていかなきゃいけないのではないか、こんなふうに思っております。

福嶋(健)分科員 第四のところについては、私が申し上げたかった趣旨というのは、国際連合が、いわゆる外部からの侵略に対してそれを阻止する機能及び力があれば、アメリカとの安全保障体制というのは基本的に基調としなくてもいいんじゃないかと。ただ、今までのお話をるる伺っている限りにおいては、これはもう当たり前の話なんですけれども、現在、国際連合がそういう力を持っている状況にはまだ至っていないというふうに感じております。

 そうであるのであれば、当たり前の話なんですけれども、アメリカと協調して、米国との安全保障体制を主軸に、今大臣がおっしゃったような防衛政策、短期的であれ中期的であれ長期的であれ、すぐ展開をしていかなきゃいけないというのは当然のことであろうかなというふうに思っております。

 そういう中で、二月の一日にアメリカの国防総省が、四年ごとの国防計画見直し、いわゆるQDR二〇一〇というふうなものを発表されましたけれども、これについての所見を伺いたいと思います。

 特に、日本に対する記述というのは、多いようで余り多いものではありません。

 具体的なものを幾つかお話をしますと、北東アジアにおいて国防省は、重要な同盟国である日本及び韓国と緊密に協力することで、二国間、地域、グローバルな範囲における包括的な同盟を構築するという合意された計画及び共通されたビジョンを実施に移して、軍の態勢を再編し、同盟の役割、能力を再構築し、集団的な抑止と防衛力を強化しているということ。あるいは、米国は、同盟国及びパートナー国と協力をして、日本及び韓国に対する拡大抑止の提供等を通じて、地域の安定を維持し、同盟国の安全保障を保証するために必要となる軍事プレゼンスを適応させていく努力を継続していく等々の記述はございます。

 すなわち、お伺いしたいことは、QDRが発表されて、これにおける米国のいわゆる日本を含む東アジアに対する方針について、現在どのように分析あるいは御評価をされているのかというところをお伺いしたいというのが趣旨でございます。

北澤国務大臣 先ほどの御質問で、少し言葉が足りませんでした。

 いわゆる国連としての正規の国連軍というのが理想でありますけれども、現実に存在しないということの中から、委員もおっしゃったように、日米安全保障体制の中で、我が国自身の努力、同盟国との協力、国際社会との協力、これを総合的に組み合わせることによって我が国の安全保障の基本としておる、こういうことで追加させていただきます。

 QDRについては、副大臣の方から答弁いたします。

榛葉副大臣 福嶋委員にお答え申し上げます。

 先ほど、新しいQDRについては、日本について真新しいことはないようにというような御発言もございましたが、他方、私は、これはだからこそ極めて大事なんだろうというふうに思っております。

 オバマ政権になりまして初めてのQDR、そして、日本、アメリカ両方で政権交代が起こり、我々にとりましても、ことしは防衛大綱見直しの一年でございます。ともに、QDRと防衛大綱を議論していくという年になるんです。

 今回のQDRの概要ですが、改めて私自身も再認識をしたんですが、やはり、アメリカは八年にわたってイラクとアフガニスタンで実際に今戦争をやっているということ、ここに立脚をしている、これを我々はしっかり認識しなければなりません。

 QDRの概要にも明確に記されているわけでございますが、中国であるとかインドであるとか、さまざまなこういった大量破壊兵器を含む拡散等の安全環境が極めて変わってきているということ、デカン半島も極めて危険な状況になっているということ等々を踏まえまして、やはりアメリカとして多岐にわたる作戦をどのように実施していくかという、いわゆる米軍の戦力のバランスを修正していくということなんだろうというふうに思っております。

 その中で、先ほど委員も御指摘になりましたが、アジア太平洋地域におきましては、やはり同盟国とさらなる連携を、パートナーシップをしっかりと保っていく、そして、アメリカの緊急即応能力を強化していくということにポイントがあるんだろうと思っております。

 我が国の関係でございますが、長期的にプレゼンスをしっかりと保障して、そしてグアムを地域における安全保障のいわゆるハブにしていくということで、我々も、日米間の再編のロードマップの合意をしっかりとやっていくということにしっかりと取り組んでいかなければならないというふうに認識をしております。

福嶋(健)分科員 質問に考えておったんですけれども、今御答弁をいただきましたので。

 今月の十八日、いわゆる有識者懇談会の第一回の会合がありまして、そういう意味では、いよいよ新しい防衛大綱に向けての第一歩、スタートが始まったのかなと思うんですけれども、この防衛大綱の策定という過程の中において、今までのいろいろな御答弁等々を伺っている限りにおいては、基本的にはQDRと方向感を合わせるというふうなことを前提に物が検討されていくと考えてよろしいですね。

榛葉副大臣 委員御指摘のとおりでございます。

 いわゆる新安防懇が始まりまして、加えまして、これは方向性を年内に示していくということでございますが、防衛省内におきましても、防衛会議等々でこの問題をしっかりと議論していく、アメリカのQDRとともに、日米安全保障をどのように深化させていくか、真剣に議論してまいりたいと思います。

福嶋(健)分科員 ありがとうございます。

 もう一つ、QDR絡みでお伺いしたいことがあるんですけれども、QDRの中に米軍の六つの主要任務というものが記載されてございます。そのうち、いわゆるアンチアクセス環境下での攻撃の抑止、打破ということが記載されておるんですけれども、このことに関連して、具体的に言うと、今副大臣からお話あったように、中国に対してなんですが、QDRでは、いわゆる繁栄して成功した中国がより大きな世界的な役割を担うことを歓迎するというふうな肯定的なコメントをしている一方で、透明性の欠如、あるいは、中国の軍事発展及び意思決定過程の性格は、アジアやそれ以外の地域において中国の将来の行動と意図についての当然の疑問を生じさせているというふうに、否定的な評価もしています。

 こういう状況下で、いわゆるアメリカのパワープロジェクションというんですか、言いかえると戦力投射能力というようなものを低下させるような中国のアンチアクセス能力の向上、これに対しては、QDRの中でも一定の脅威として示しているのではないかなというふうに考えられる、読み解く限りではそういうふうに思われるんです。

 こういう中、地理的にいうと、中国と日本というのは非常に近いですので、中国のアンチアクセスのエリア内に日本が入っているというふうなことも言えるのかなと。だからこそ、これからの日米安全保障体制をきちっと進めていく上で、こういう中国のアンチアクセスのエリア内に入っている日本として何か対応すべきことがあるのかなと思うんですけれども、そのあたりについてはいかがお考えか。

榛葉副大臣 ただいま御指摘のございましたアンチアクセスのもとでの対中国への対応というような問題について、御答弁をさせていただきます。

 中国の大変急激な経済成長。政治的にも経済的にも我が国と中国は、より信頼を醸成し、さらなる互恵関係を構築しなければならないということは言うまでもございません。他方、日本の安全と防衛、国民の生命と財産を守る我々といたしますと、非常に急激な中国の軍事費の拡大、そして、先ほど委員も御指摘になられましたが、透明性と説明責任の欠如という問題、これは真剣に考えなければなりません。

 また、中国は、大変先進的な中距離弾道ミサイルであるとか巡航ミサイル、新型の攻撃型潜水艦、長距離防空システム、電子戦能力、コンピューターネットワーク攻撃能力、高度な次世代型の戦闘機、そして宇宙システムを開発、配備中だということで、こういった問題にも我々はやはりしっかりと対応していかなければなりませんし、さらに中国に対して、信頼関係をさらに構築するためにも、説明責任と透明性を求めていかなければならないと思っています。

 このアンチアクセスの問題につきましては、まさに今後、ことし一年間、防衛大綱で議論をする問題でございまして、これらの問題につきましても、ぜひ委員にもさまざまな立場から御指導を賜りたいというふうに思っております。

福嶋(健)分科員 ありがとうございます。

 そういう意味では、我が国も、今後、今までよりも、いわゆる自衛ですね、攻めるのではなくて自衛、そして、我が国を守るためにやはりリスクをとっていかないといけない、リスクに対応しないといけないということも当然ふえてくると思います。それに伴うコストも発生をしてくると思うんですけれども、これからの防衛大綱の見直しの過程においては、ぜひその辺を踏まえて議論をしていただきたいというふうにお願いを申し上げます。

 私も、そういう意味では、党のサイドとしていろいろと考えさせていただきたいなというふうに思っておりますので、よろしくお願いをいたします。

 最後に、防衛予算について。もう五分しかございませんのであれですけれども。

 鳩山政権による来年度予算は「いのちを守る予算」ということでございまして、私も十六日に、税制改正三法案で民主党から代表質問をさせていただいたときに、鳩山首相に決意を伺ったら、これは予算にめり張りをつけて必ず命を守るんだというふうにおっしゃっておられます。

 そういう意味においては、この命というのは、よく想像されるのは、医療あるいは福祉、子育て、教育、いろいろなものがあるんですけれども、それだけではなくて、いわゆる国民の皆さんの生命及び財産を守るという意味での命というのも、当然のことながら入ってくるというふうに思います。

 そういう中で、ちょっと具体的な数字をお挙げして御質問する時間がなくなったんですけれども、我が国の一般会計予算というのは、前年度比四・二%増加をする予定でございます。五年前に比べても、来年度予算は一二・三%の増加の金額になっています。一方で、防衛関係予算については、来年度は、今年度対比ほぼ横ばい、二百億円の減、〇・四%の減。五年前と比べて三・一%の減となっている。要は、減っているということなんですね。

 また、アメリカやイギリス、フランス、ロシア、中国等の防衛費については、直近五年度は着実に自国通貨ベースで伸びている。数字を出すまでもございません。

 こういう中で、日本の防衛関係予算というのは、我が国の予算の伸びのトレンドとも違うし、また先進国のプレゼンスともちょっと異なる動きをしているというふうに思われますけれども、なぜこういうふうな状況になっているのかというのをお願いいたします。

榛葉副大臣 お答え申し上げます。

 鳩山政権になりまして、北澤大臣の御指導のもと、我々、初めて役所に入って補正予算に着手をし、そして概算を見直して新年度の予算をつくっていった。

 改めて誤解を恐れずに申し上げますと、はたから批判をしていただけの野党から、中に入って、貴重な税金をちょうだいしてそれをどう配分するかという重い責務を負いまして、改めて防衛予算の厳しさ、四兆六千億と言われる予算があるようですが、実は自由になるお金はほとんどない、二十七万人の自衛官の人件費の問題もある、これらの問題に直面して大変苦しみました。

 今、委員御指摘のとおり、我が国の予算のトレンドは当然増にある。これは委員御承知のとおり、社会保障関係費であるとか国債費等の増加でございまして、大変我が国も実は厳しい状況でございます。その中において、防衛費も自然増、当然増ということにはなかなかならないというふうに思います。

 なお、防衛予算が若干、数字上は〇・三%ほどふえたかのように見えますが、実はこれは、子ども手当が入って三%増。実質は、今委員御指摘のとおり、前年度比と比べてマイナス二百二億円、〇・四%の減ということでございますが、予算を大臣の指示で、ない知恵を絞って頑張った私といたしますと、よくこの減でおさまったな、本当にシビリアンの皆さんも、そして幕の皆さんも、耐えがたきを耐えながらこの予算を財務省とつくっていたということでございます。

 また、全世界のトレンドも、防衛費の増ということでございます。中国のような経済成長著しいところは別といたしましても、我々も真剣に、物づくり国家としてどのようにこの国を守っていくのか、限られた財源の中で、やはり効率的かつ効果的に限られた税金を使っていくということを真剣に考えなければならないというふうに考えておりまして、今後とも、委員にもぜひ御指導賜りたいというふうに思います。

福嶋(健)分科員 ありがとうございます。

 最後に、これも質問しようと思ったんですが、お願いにかえます。

 今のお話にもありましたように、防衛政策の基本で、これはもう当然のことながら、日本国憲法に基づいた専守防衛でございますので、この中で必要最低限の防衛力を保持する、これは当たり前の話でございます。

 こういう中で、予算が野方図にふえていくということは許されませんけれども、先ほど申し上げました国防の基本方針、この三項だけ最後に御紹介をして、私の質問を終わりたいと思います。

 この三項は、「国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。」と。ぜひこれにのっとった予算をつくっていただきたい。精いっぱい応援をしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

平岡主査 これにて福嶋健一郎君の質疑は終了いたしました。

 次に、瑞慶覧長敏君。

瑞慶覧分科員 沖縄選出、民主党の瑞慶覧長敏でございます。

 質問の前に、質問通告では防衛大臣にまず最初に質問だったんですけれども、順番を変えさせていただきまして、御了解いただきまして、内閣府の地域活性化の津村政務官の方から質問させていただきます。よろしくお願いいたします。

 早速ですけれども、津村政務官も何度か沖縄へ足を運んでいらっしゃることかと思います。日ごろから沖縄の支援策に腐心をなさっていることに感謝をいたします。

 ところで、きょうの質問ですけれども、沖縄の問題で、那覇市に都市開発が進められておりまして、特に現在のおもろまちという地区、もともと米軍の基地だったんですけれども、それが返還されまして、また、沖縄戦最大の激戦地でもありました。戦後、接収されて、三十年たってやっと返還されて、今、那覇の新都心として開発が進んで、見違えるようなよい町になっております。

 そこで、少し御質問したいんですけれども、その土地に、那覇市が所有していた土地を公有地拡大法の改正や地域再生法に基づいて、那覇市が売り渡した民間業者の手で、約三十階建ての高層マンション二棟が建設されようとしております。

 当該土地の地主さんたちは、当初、那覇市の庁舎が建設されるとのお話で売買に応じたんですね。ところが、民間マンションということになって、しかもそれが三十階建て。日照権、騒音、それから交通渋滞等生活環境への影響が心配されるなどして、地主や周辺住民は、この計画の十分な説明と、問題があれば計画の見直しなどを求めたいとして、業者さんに対して話し合いを要請しているところですけれども、既に建設工事が開始されて、業者と住民とが衝突をする事態になっております。

 ただ、この計画は、地域再生法による地域再生計画なんですね。そして、計画が住民とのトラブルという事態を起こしていることについて、私たちは非常に憂慮しております。そのことに関して、御認識と御所見を津村政務官にお伺いいたします。

津村大臣政務官 瑞慶覧委員の御質問にお答えいたします。

 那覇市が作成いたしました地域再生計画につきましては、当初、平成二十年度からの着工を予定していたものでございます。

 一方で、土地周辺の住民を初めとする方々が、日照、風害、電波障害、交通渋滞などによる生活環境の著しい劣化によりまして日常生活が脅かされることを危惧するとして、現在に至るまで反対運動を展開されてきております。

 こうした中で、平成二十一年十月十九日に工事に着工したわけでありますけれども、民主党沖縄県連の政策調査会が昨年十二月二十八日付で地域再生計画の問題点と題する提言ペーパーをまとめまして、一つ、地域住民との調和の不備、二つ、地域再生計画からの一年を超える大幅なおくれ、三つ、事業の構成員の役割が不明瞭、こういった問題点を指摘するなど、引き続き地元では賛否を二分する形で議論が続いている状況と承知しております。

瑞慶覧分科員 まさにそのとおりでございまして、私たち民主党沖縄県連としても、非常に重要視しております。なるべくトラブルがないようにしていくというのが地域再生法の趣旨だとも思っております。

 津村政務官には釈迦に説法となり失礼なのですけれども、地域再生法の第五条で、地域再生計画を内閣総理大臣に認定を申請するようになっておりまして、かつまた地域再生計画というのは、同条第八項の三号に、「円滑かつ確実に実施されると見込まれるものであること。」を定めております。ですから、今言ったように、一年以上もおくれているということに関しても少し問題があると考えております。

 ところで、住民側は、那覇市長を相手取って、公有地の売却処分取り消しの請求、それから用途地域変更等の違法確認請求、この二つの訴訟まで起こしているんですね。一方、業者側は、住民の反対行動を抑えようと、住民を相手取って、妨害禁止、つまり工事用車両の通行を妨害する行為を禁ずる仮処分を那覇地裁に申し立てて、既に決定が下りました。

 裁判ざたになっているだけではなくて、業者と住民との衝突でけが人さえ出ているという現実を踏まえれば、この計画は、地域再生法の趣旨や第五条の規定に反するのではありませんか。

 地域再生法の第十条には、内閣総理大臣は、地域再生計画が第五条第八項各号のいずれかに適合しなくなったと認められるときは、その認定を取り消すことができるとあります。

 したがって、政務官として、ぜひともこの現状をよくよく調べていただいて、法にのっとった適切な御指導をお願いしたいと思います。御所見をお聞かせください。

津村大臣政務官 お答えいたします。

 地域再生法でございますが、地域の自主的、自立的な地域再生の取り組みを支援することをその趣旨としているものでございます。

 この地域再生法第十条の規定につきましては、同法第五条第八項に定めております認定基準に適合しなくなった場合には、内閣総理大臣による地域再生計画の認定取り消しができるという趣旨の規定でございます。

 内閣府はこれまで、計画を作成した那覇市から計画内容を聴取いたしまして、所定のプロセスを経てこの認定を行ってきた経緯がありまして、ここはぜひ御理解をいただきたいところでございます。

 しかしながら、今回、瑞慶覧委員の御指摘をいただいたことを踏まえまして、現地の皆さんからのヒアリング等を通じて、地元の方々の意見を直接丁寧に伺いながら、適切に対処してまいりたいと思います。

瑞慶覧分科員 非常にありがたいお言葉をいただきました。ありがとうございます。

 地域主権という連立鳩山政権のもとで、地域の自立の支援というのは非常に大事だと思います。ただ、やはりそれは実際に地域の方々と本当に協力し合ってのものだと思いますので、ぜひとも、ヒアリングを通してしっかりと住民の意見を聞いていただきたいと思います。

 三つ目の質問です。

 この事案で少し補足をしておきますが、実は、御案内のとおり、この新都心、上の方は世界文化遺産の首里城群がございます。そして、その首里城からおもろまちの方向、さらにその先を見ますと、きれいな海が広がっております。ところが、その懸案の高層マンションが建設されますと、首里城からの海の眺めというのは目隠しされるようになりまして、景観を損なうことは間違いありません。

 世界文化遺産の認定あるいは保存に当たっては、バッファーゾーンという概念がございまして、文化遺産そのものだけではなくて、その周辺の環境、景観にも配慮しなければならないということになっております。これは世界でも非常に重要視されているバッファーゾーンという概念がございます。

 とりわけ地元自治体が景観条例等でその辺に注意を払うのはもちろん当然ですが、国としても、地域再生計画を認定あるいは計画の進捗状況をチェックする際は、このバッファーゾーンという概念を十分心得ておくことが大事ではないかと思います。この点について、政務官のお考えをお聞かせください。

津村大臣政務官 お答えいたします。

 地域再生計画とは、地方公共団体が行う自主的かつ自立的な取り組みを推進するための計画でありまして、那覇市もこの趣旨を踏まえて当該計画を作成したものでございます。

 内閣府といたしましては、計画を作成した那覇市から、当該マンションについては首里城の高さに配慮したものと伺ってきたわけでございますけれども、今の瑞慶覧議員の世界遺産にかかわる御指摘、大変ごもっともでございまして、今後、必要に応じて、ヒアリングを行うに当たりましては、チェックすべき重要な事項の一つとして確認をしてまいりたい、そう考えております。

瑞慶覧分科員 ありがとうございます。

 おもろまちに関しましては終わりまして、一括交付金制度について、引き続いて津村政務官にお伺いいたします。

 地域主権戦略の御担当ということもお聞きしておりますので、一括交付金制度の創設に向けた地域主権戦略室での進捗状況についてお伺いいたします。

 長く続いた自民党政権下のこの間の補助金というやり方が、結局、中央官僚による地方支配の根源となっていたことは御案内のとおりです。それを打開して、都道府県の枠組みを残したまま自治体を強化していく制度として、ひもつき補助金をやめて一括交付金に改めて、自治体が自由に使えるお金をふやしていく、いわゆる一括交付金制度はできるだけ早急に実施すべきだと考えております。

 そこで、地域主権戦略室において、現在、一括交付金の制度設計がどの程度進んでいるのか、簡潔に御説明ください。

津村大臣政務官 それでは、簡潔にお答えいたします。

 総理を議長とする地域主権戦略会議におきまして、昨年十二月、一括交付金化を含む改革の諸課題とその工程を示す原口プランを提案したところでございます。近く、第二回の戦略会議の開催を予定しております。

 ひもつき補助金の一括交付金化につきましては、平成二十三年度からの段階的実施を目指しておりまして、その段階的実施のあり方を含めまして、ここが御関心の点だと思いますけれども、今後、地域主権戦略会議において検討してまいります。

 これからの議論でございます。積極的な御提言をよろしくお願いいたします。

瑞慶覧分科員 津村政務官に対して最後の質問でございます。

 沖縄では、国の補助事業について、補助金を内閣府沖縄総合事務局に一くくりで交付して、その後、各省ごとに補助金を振り分けるという一括計上のやり方が従来からずっととられております。したがって、沖縄県的には、この一括計上の予算の執行の権限を沖縄県に付与すれば、まさに一括交付金となるわけです。

 ですから、質問としましては、ぜひとも沖縄をモデル地区として、既に土壌がありますので、そしてまた沖縄ビジョンにも、沖縄を先行してやっていくということもございますので、ぜひとも二十二年度からやれるところから実施に踏み切っていただきたいと思っております。この点について、政務官のお考えをお聞かせください。

津村大臣政務官 民主党政策集インデックス二〇〇九というものがございます。この中に、関係の記述といたしまして、「ひもつき補助金の廃止・一括交付金化についても、まず沖縄県をモデルとして取り組むことを検討します。」こういう記述があるわけでございます。

 そうした中で、先ほども申し上げましたように、ひもつき補助金の一括交付金化については、新政権のもとで平成二十三年度からの段階的な実施を目指すこととしておりまして、その段階的実施のあり方については、先ほども申し上げましたとおり、ここから議論をスタートさせる、まだその段階でございますので、ぜひ議論に積極的に参画をしていただきたい。現在お答えできるのはそこまででございます。

瑞慶覧分科員 ありがとうございます。

 ぜひ、我々も、積極的に沖縄サイドからも提案なりをさせていただきたいと思います。きょうはありがとうございます。政務官には御退出していただいて結構でございます。

 引き続き、防衛大臣の方に御質問させていただきます。東村高江の米軍ヘリパッド建設問題についてでございます。

 実は、沖縄県の東村の高江という地区に、住民の人口が約百六十名というところですけれども、米軍が兵員や物資を輸送するヘリコプターの離発着等の訓練を行う大型のヘリパッド、つまりヘリポートを建設しようとしていることは皆様方も御案内のことと思います。

 高江での米軍ヘリパッドの建設については、平成二十二年度防衛予算案で約二億六千万円を措置していると理解しております。しかし、予算措置がなされているから事をどんどん進めていってよいとはなりません。

 御案内のとおり、高江の、地元の住民は強く反対をしております。なぜかといいますと、ヘリパッドというのは、高江のちっちゃな集落を取り囲むように六カ所新たに建設される予定です。地元の住民にすれば、ヘリの騒音、それから事故の不安に加えて、世界文化遺産にも匹敵するすばらしい自然が残る山々、沖縄では山原と言うんですけれども、山原の森を切り開いて建設することから、自然破壊も心配しているからでございます。

 そこで、防衛大臣にお伺いいたします。

 昨年の十月だったんですけれども、防衛省を訪問し、私と喜納県連代表、玉城代議士、三人で防衛大臣にお会いして、本件に関連して要望をお伝えした際に、大臣の方は、とにかく住民の意向を聞いてみたいとのお答えでした。

 そこで、その後、大臣としてその辺の御努力をどのようになさったのか、御説明いただきたいです。

北澤国務大臣 十月の十四日、おいでをいただきまして、いろいろ貴重な御意見も賜りまして、本当にありがとうございました。

 私は、就任して直後に沖縄へ行って現地調査をしましたが、そのときに、北部の訓練場のところの視察は計画に入っておりませんでしたから、私にとってはちょっと残念だった思いもありまして、お行き会いしたときにお勧めもあって、視察をしてみたいという気持ちを申し上げたわけであります。

 私も、長い政治経験の中で、どんな事案に遭遇しても、現地を見ることが何よりも大切なことであるということは私の政治信条としてしっかり持っておるわけでありますが、今の国会情勢の中でその日程をとれるかどうかというのはなかなか難しいので、気持ちとしては変わりはございませんけれども、今ここで、いつごろというようなお約束を申し上げるわけにはいきませんので、大変恐縮でありますが、御理解をいただきたいと思います。

瑞慶覧分科員 ありがとうございます。ぜひとも、お忙しい国会日程を割いてでも地元まで足を運んでいただきたいと思います。

 重ねて大臣にお伺いいたします。

 地元住民の皆さんは、とにかく、まずもって、この建設計画と事業の進め方について納得いくように説明をしてほしいということをずっと願っております。そして、そのためにも防衛省、つまり地元の防衛局にもお願いをずっとしているところです。しかし、防衛省側から十分な説明がない。そして、建設を強行することだけはやめてほしいとして監視活動を続けていたわけでございます。

 ところが、防衛省側は、住民が通行を妨害しているとして、一昨年、二〇〇八年十一月二十五日、高江の住民十四人に対して、那覇地方裁判所に対して、その行動を禁止する仮処分を申し立てました。那覇地方裁判所は、昨年、二〇〇九年十二月十一日に、大部分の人々への仮処分は却下しましたが、住民二人の仮処分を決定して、その後、防衛省は仮処分を取り下げることなく、そのまま本訴となっていることは、防衛大臣も十分御認識のことだと思います。

 しかし、当初の仮処分申請では、申し立てられた住民の中に八歳の子供もまじっているなど、少々ずさんなもので、裁判という手段をとることになった、それは非常に無理があったのではないかと思っております。その点について、大臣の御所見をお聞かせください。

榛葉副大臣 瑞慶覧委員にお答え申し上げます。

 この問題は、選挙区であります、御地元であります玉城デニー先生にもさまざま議論をしてきたところでございますが、まず、七千五百ヘクタールの北部演習場の半分以上になる四千ヘクタールを、我々とすると御地元に返したい、何とかこの北部演習場、このモメンタムにしっかりと土地を返還したい、沖縄の御負担を軽減することを目的とするいわゆるSACOの最終合意に盛り込まれた措置の一つでありまして、これを一日も早く返還したいという思いでやってきたわけでございまして、とりわけ東村そして高江の皆様方を困らせようとかということでは当然ないわけでございまして、この件につきましても、沖縄県を初めとして、地元の東村及び国頭村からは御理解を賜っているというふうに承知をいたしております。

 委員御指摘のいわゆる裁判の件でございますが、平成十九年七月に工事がスタートいたしました。しかし、三日後に入口を封鎖される等のいわゆる妨害活動が始まりまして、先ほどありましたが、八歳の少女も入っていらっしゃった。八歳の少女が入っていたからこれがずさんかというと、決してそうではないのではないか、よわいであるとか性別に関係なく、これはきちっと司法が判断する問題だと私は思っております。

 保全命令の申し立て、いわゆる仮処分を一年待ちまして、平成二十年十一月二十五日、先ほど委員も御指摘になりました、債務者十四名に対して行ったわけでございますが、さらに一年後の平成二十一年十二月十一日に、那覇地裁からいわゆる保全命令が出されまして、中心的な債務者二名に対しまして通行妨害の禁止措置が出たということでございます。

 そして、十二月十四日、債務者側が那覇地裁に起訴命令の申し立てをされたということでございまして、十二月十六日にいわゆる起訴命令が那覇地裁から出されたということでございまして、委員御承知のとおり、本案の訴えを提起する書面を四十五日以内に提出しなければならないということでございます。

 本案の訴えを仮に取りやめた場合、これは保全命令そのものが取り消しになってしまうわけでございまして、そもそも起訴申し立てをされた債務者側でございますから、我々はきちっと、公平公正、一日も早く北部演習場の半分以上の土地を沖縄に返したい、その思いからこういった措置に出たということで、ぜひ委員にも御理解を賜りたいというふうに思います。

瑞慶覧分科員 土地を住民の皆様方あるいは沖縄のために返還したい、半分に減らしたい、その思いは十分伝わっております。ただしかし、八歳の子供までもその中に入れたということに関しては、私自身は、これはずさんだったんじゃないかなと思っております。

 また、住民が納得しないままでの、トラブルを抱えたままでの強行的なやり方というのは改めていただきたいなと私は思います。

 というのは、先日も私の事務所の方に防衛省の事務方の方々が来られまして、今度は、テントを張っている、そこにフェンスをつくる、ネットというんですか、そういうことをおっしゃっていまして、それは新たなトラブルを起こすんじゃないですかと私は懸念を示しました。

 ところが、事務方の皆様方は、いや、トラブルを起こさないように十分配慮してやるということをおっしゃっていましたが、翌日、早速トラブルが起こっております。

 ですから、住民との対話をもっと丁寧に行うべきじゃないかなと私は思っておりますので、大臣のお答えをお聞かせください。

榛葉副大臣 委員御指摘のとおり、御地元の皆さんの御理解は大変極めて重要だというふうに思っております。

 我々防衛省も、防衛力だけでこの国を守っているわけではなく、さまざまな国との連携、とりわけ同盟国との信頼関係、そしてそれには納税者、国民の理解があって初めて我々防衛省がきちっとした国防の仕事ができるというふうに考えております。

 先ほど、ずさんなという言葉がございましたが、私は決してそのようには思っておりませんで、むしろ、お子さんがそのようなところにいることが極めて危ないし、その辺はやはり大人がしっかりと配慮しなければならない問題ではないかなというふうに思っております。

 今御指摘ございましたフェンスの問題、繰り返すようで恐縮でございますが、我々は決して御地元とトラブルを起こすために、もしくは御地元に御負担をかけるためにこれをやろうとしているのではなく、半分以上の、七千四百ヘクタールのうちの四千ヘクタールを返すために今努力をしているわけでございまして、このフェンスにつきましても、国の所有地である進入路において安全を確保したい、そのためにぜひ仮設のフェンスを設置させていただきたい。そして加えて、影響評価に基づく環境保全措置をとらなければならない、そのためにも希少植物の移植等の作業をしなければならないといったものでございまして、こういった措置をとったということでございます。

 いずれにせよ、委員御指摘のとおり、地元の皆さんとの信頼醸成を図るべく、今後も説明に努力をしていきたいというふうに思います。

瑞慶覧分科員 ありがとうございます。

 私が聞いた範囲では、その八歳の子供さんというのは、お父さん、お母さんに差し入れを持っていった、それが調書に載ってしまったということを聞いておりますので、ぜひ防衛省の方でも、その事実関係を把握していただきたいと思います。

 次の質問に移ります。

 北部訓練場において新たに建設されるヘリパッドというのは、直径約七十五メートルなんですね。現在のヘリパッド、現在も二十二カ所あるんですけれども、四十五メートルなんです。ですから、かなり大きくなります。

 したがって、普天間基地の名護市辺野古沿岸への移設の問題、つまり辺野古の新基地建設については、新型の輸送ヘリV22オスプレーの配備と関係があるのではないかと地元の方々はまた懸念をしております。

 それについて、大臣の所見をお願いいたします。

榛葉副大臣 御指摘の規模の比較についてでございますが、これは一概に申し上げることは困難でございますが、北部演習場におけるヘリコプターの着陸帯については、現有着陸帯の代替機能を果たすべく設置をされるものでありまして、原則として、代替の範囲を超えることのないような施設になるというふうに承知をしております。

瑞慶覧分科員 ありがとうございます。

 大臣にお伺いいたします。

 昨日、二十四日ですけれども、沖縄県議会が、米軍普天間飛行場の県外、国外移設を求める意見書を、満場一致、これは自民党さんも公明党さんも、全員一致で採択をいたしました。

 この意見書の中には、宜野湾市民や県民には最も危険な普天間基地を早期に全面返還して、そして地元の名護市長も辺野古の海上及び陸上の基地建設にも反対している、よって、県内移設を断念して、国外、県外に移設されるよう強く要請するとございます。

 この中身の意見書の採択に対して、防衛大臣の率直な御意見をお聞かせください。

北澤国務大臣 このことは、民主党が政権をかけて昨年戦った衆議院選挙で大きな県民の期待が高まったわけでございまして、その結果として、名護市の市長選挙、そして今回の決議、こういうことでございまして、地元の切なる思いというのは、市議会、市長あるいは県議会、県知事とそれぞれあるわけでありますが、最近の動きの中での大きな民意の一つであるというふうに受けとめまして、十分にこのことに配慮をしなければいけないのではないか、こういうふうに思っております。

瑞慶覧分科員 時間ですので、これで私の質問を終わりたいと思います。

 ぜひとも沖縄の民意を大切にしていただきたいと思います。どうもきょうはありがとうございました。

平岡主査 これにて瑞慶覧長敏君の質疑は終了いたしました。

 次に、長島一由君。

長島(一)分科員 民主党の長島一由です。

 大臣初め関係者の皆様、夜遅い時間、本当に大変申しわけないんですが、私のせいではありませんので、ぜひ御理解と御協力のほど、よろしくお願いしたいと思います。

 私は、平成十年の十二月から平成十八年の十二月まで八年間、神奈川県の逗子市長をしてまいりました。逗子の市長というのは、私で七代目、今の平井市長が八代目になります。八人の歴代の市長がいるわけですが、池子米軍家族住宅の問題では、実にこの半分の、私も含めて四人が出直し選挙をしているという、ある種、特殊な事情や歴史を背負った自治体の首長でもあります。

 そういった中にあって、今回初めて逗子市長出身としてこの場に立たせていただいて防衛大臣とやりとりさせていただくということで、本当に、せっかくの貴重な機会をいただいたと思っております。よろしくお願いします。

 まず、安全保障、特にこの池子米軍家族住宅の問題について何点かお話をさせていただきたいと思います。

 ことしは日米安保改定五十周年を迎えまして、民主党のマニフェストでは、「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくります。」と明記されております。また、マニフェストの政策各論では、「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」としております。

 そこで、北澤防衛大臣にまずお尋ねさせていただきたいと思いますが、この日米安全保障条約の解釈の仕方として、私自身は、非対称条約である、つまり、アメリカが攻撃をされて日本は守らないけれども、日本が攻撃されたときはアメリカは守ってくれるということ、その上で、日本はアメリカが攻撃されても守らないかわりに基地等々で協力をする、そういった意味で非対称条約だと思っておりますけれども、この私の理解、認識に間違いがないか、北澤防衛大臣の認識をお伺いしたいと思います。

北澤国務大臣 委員も十分御承知のことでありますが、五条と六条においてバランスをとっておるわけであります。これを非対称とするのかどうかということは、これまたそれぞれ意見の分かれるところだろうというふうに思いますが、私は、日米安保は、総合的にとらえますと、五条、六条において日米双方の義務のバランスはしっかりとれているものというふうに考えております。

長島(一)分科員 御答弁ありがとうございます。

 今、非対称条約かどうかということは防衛大臣も御指摘いただきましたけれども、この国の安全保障、国益も考えて、一定、自治体も協力できるところは協力すべきだという考えに私自身も市長時代から立っておりました。

 ただ、きょうこれから本編の質問に入っていく中で、私も与党の立場で、せっかくの機会ですから、過去の政権に対する愚痴も踏まえて、いろいろこぼしていきたいところもあるんです。特に、過去の政権では、小さな自治体あるいは地元自治体に対して、地元の意見を聞くことなしに強引に進める傾向がある、小さな自治体にしわ寄せを押しつけるようなことがありました。

 それから、私自身、八年間逗子市長として交渉していく中では、あるときは、本当に、ああ、日本はまだまだ植民地なんだなと正直残念に思う部分もありました。今だから言えますけれども、当然、基地関係の自治体の首長というのは、私も、例えば追加建設については反対していましたけれども、それ以前にはいろいろなプロセスがありまして、全く水面下で、横須賀基地司令官を自宅にこっそり招いてバーボンのウイスキーを二本あけて、雪の日に雪合戦もしたり、いろいろなこともやりながら交渉もしている事実もあります。

 そのような中にあって、逗子市については、現在、八百五十四戸の住宅の建設が平成十年にされました。この八百五十四戸の受け入れについては、当時、この住宅の建設に反対する緑派と、これを認める容認派に分かれて、いっときは市長と議会のダブルリコールという形で、市を二分して、全国的にも非常に注目を集めた市民運動が展開されました。そして平成六年に、当時の沢光代市長が国と神奈川県と三者合意を交わして、逗子市としては、もうこれ以上追加建設はないという認識のもと、八百五十四戸の住宅を受け入れました。

 しかし、その後、平成十五年に突如、横浜市域側に、当時は八百戸でしたけれども、追加建設の計画が浮上しただけでなく、横浜市域側なので逗子市は関係ないという形で、当時の国は強引にこの計画を推し進めようといたしました。

 このことについては、当時は逗子市では、党派を超えて、当時は自公政権ですけれども、地元の自民党の議員も公明党の議員もこぞって反対をして、市議会で全会一致で追加建設の反対を決議したところです。

 このため、私は、平成十四年の十二月に二期目の再選を果たしたばかりだったんです、まだ九カ月ぐらいしかたっていなかったんですけれども、この建設の是非を問うために一たん市長を辞職して、出直し選挙を行いました。当時も、なぜ横浜市域側のことについて逗子市の市長が出直し選挙をするんだという御批判なり疑問もいただいたところがあるんですが、後で話しますけれども、実は私自身が一番恐れたのは、横浜市域側の追加建設だけならまだしも、それを機会に、なし崩し的に逗子市に追加建設されてしまう危機感がありました。これを阻止するために出直し選挙を行いました。

 結果としてこの選挙には勝たせていただいたんですけれども、これを受けて、選挙前までは逗子市は関係ないんだとしていた防衛省も、当時の小泉総理大臣が逗子市の意見も聞くようにという指示を出しまして、それ以降、関係自治体ということで逗子市の意見も聞いていただくことにはなったんですが、当時の石破防衛庁長官、直接お会いもして、交渉もさせていただいたんですが、全くの平行線ということで、国の姿勢は変わりませんでした。

 なお、この横浜市域側の追加建設とは別に、大臣も十分御承知かと思うんですが、今、本設小学校の建設計画がございまして、これについては、今、逗子市は反対はしていますけれども、そもそも反対はしていないんですね。私が市長在任中のときに、いろいろ国と約束もして交渉もして、アセスに入ること自体は認めますということで、環境調査に入ることは認めたんです。つまり、それは裏返しをすれば、アセスさえクリアすればいいですよというところまで譲歩したんですよ。ところが、その後、横浜市域側に追加建設を一方的にしようとしたので、結局、反対に翻ってしまったんです。

 つまり、ボタンのかけ違いがあるんですね。ですので、これはやりようによっては、それを直すことは今の政権ででき得る可能性があるということはまず御指摘をさせていただきたいと思います。

 その上で、出直し選挙もしたんですけれども、国との交渉が平行線になって、私自身、平成十八年の十二月で八年の任期を終えましたので、そのまま退任いたしました。

 あれからもう七年がたったんですけれども、現時点でも横浜市域側の住宅の追加建設は行われておりませんけれども、今回、平成二十二年度予算案において関連予算が盛り込まれております。これについては、横浜市域側の住宅の追加建設で五億二千六百万、本設小学校の設計、文化財調査等々で二億三千百万、合計七億五千七百万円の予算計上がされているんですが、北澤防衛大臣にお伺いさせていただきたいのは、この横浜市域側の追加建設、そして本設小学校の建設計画、現時点でどのような形で北澤防衛大臣はこの建設計画を進めようとされているのか、あるいは進めないのか、その考えについてお尋ねさせていただきたいと思います。

北澤国務大臣 市の理事者として大変御苦労いただいた経過は十分承知しております。

 また一方で、仮設校舎で低学年の児童が勉強していること、それからまた、高学年の児童が横須賀基地にある小学校へ通学するために非常に早い時間に通学をしなきゃいかぬというような事情は十分に考慮しなければいけないことだろうというふうに思っておりまして、また、今お話しになりますように、新しい政権になったという御期待もありますので、十分お話し合いはしてまいりたいというふうに思います。

 体験しながらの、御記憶をたどってのことで、大変に正確なことだというふうに承知はしておりますが、ただいまの経過について、詳細にわたって、局長の方からちょっと答弁をいたさせますので、それをまずお聞きいただきたいと思います。

長島(一)分科員 主査、結構です。

 大臣、御答弁ありがとうございます。

 私も、この件については、非常に幅を持って、もちろん国益を考えた上でですけれども、なおかつ、逗子市民がどのようにしたら理解できる環境づくりができるのかということを、防衛大臣初め、副大臣、長島昭久政務官、三役としっかりと共通認識を持って進んでいきたいと思っております。

 その上で、ただ、前提として、共通認識をまた持っていただきたいことは、今回の追加建設の日米合意については、確かに、例えば今、七百戸で追加建設をするという過去の一定の日米間の合意事項はございますけれども、期限までは約束されていないと思うんですけれども、その点のところは御認識いただいていますでしょうか。

井上政府参考人 七百戸の横浜市域側の住宅の建設についてでございますけれども、この事業につきましては、横浜市域におきます根岸住宅地区、それから上瀬谷通信施設、深谷通信所の返還と関連をいたしているわけでございます。

 根岸住宅地区も大変古くなっておりまして、その建てかえのニーズ等があるわけであり、また横浜市全体での、この地域全体での米軍の住宅不足があるわけでございまして、それの解決も図るという観点から横浜市側の住宅の建設が必要になっているというものでございまして、この事業を進めることによって、実は横浜市民の方々が強く御希望されておられます根岸住宅地区、上瀬谷通信施設、深谷通信所の返還にもつながってくるというものでございます。

 日米間で具体的にいつだというふうに書いてあるわけではございませんけれども、そうした横浜市民の方々の御要望も十分考慮に入れて、我々としては進めていかなきゃならないものだというふうに考えているところでございます。

長島(一)分科員 もちろんこの問題については、逗子市単体の問題ではなくて、ほかの、横浜市域の返還も絡んでいるということは私も十分承知しておりますけれども、今局長からお答えいただきましたように、時期については実はおしりが決まっているわけじゃないんですよ。かといって、いつまでも延ばしていいのかということではないと思っています。

 そのことはぜひ認識をしていただいて、せっかく、今の平井市長も、返還を中心に土壌づくりをすれば、一定の逗子市民の理解ということは、やりようによってはうまくいく可能性があるんですね。ですので、例えば、いつまでにやらなきゃいけないんだということを、幸いにして、今期限がないということを御確認いただきましたけれども、その点は認識をいただきたいと思っております。

 それから、現計画の七百戸についてなんですが、その後というか、これまでに戸数の再検証を新政権になってから検討されたのかどうか、その点についてお尋ねさせていただきます。

北澤国務大臣 これも御案内のことと思いますが、平成十六年度に日米間で調整されて、不足はまず千戸ということでありましたが、このうち、単身赴任を余儀なくされている者を除く当面の所要はまず四百戸である。さらにまた、横浜市の要望を受けて百戸削減をし、そして差し引きして、不足分は三百戸である。さらに、根岸住宅地区の老朽化に対する対応として四百戸を加える。

 こういうことで、今おっしゃるように、家族住宅としては七百戸が必要である、こういう経過をたどってきておりますので、私どもとしては、現在のところではそういう戸数を認識して事業を進めたい、こう思っておるわけです。

長島(一)分科員 北澤防衛大臣、現段階では七百戸、これは相手もあることですから、余り予断を持って言えないという事情はわかるんです。

 ただ、ぜひ北澤防衛大臣も御認識いただきたいのは、これは、全体の中で、最近、地元の逗子市からも、あるいは、例えば北澤防衛大臣も懇意に、あるいは御存じの大石尚子参議院議員、私の前任者でもあるんですけれども、大石尚子参議院議員からもいろいろ御報告も聞いているんですが、軍属軍人の中には、エリアの中の住宅に住まわれたいという方もいらっしゃるんですけれども、逆に、最近ふえているのは、逗子市の一戸建て住宅を借り上げて、地域の中に溶け込んで住みたいという方もいらっしゃるんですね。しかも、この三年ぐらいすごいふえているんですよ。

 ですので、根岸の住宅も老朽化して、建てかえもしなきゃいけないという御事情もわかるんですが、せっかく新政権になったわけですから、そのあたりも十分御認識をいただいて、もし一戸でも二戸でも減らせることがあれば、まあ、一戸、二戸は極端ですけれども、もちろん逗子市民としてはゼロがいいんですけれども、ただ、幅を持って考える上では、そのあたりの再検証をまたお願いさせていただきたいと思います。これは指摘にとどめさせていただきます。

 それから、先ほどもお話ししましたように、私がなぜ横浜市域側のことに出直し選挙をやったのかということで、それは、実は逗子市域へのなし崩し的な追加建設ということだったんですね。

 これは、市長在任中には言えなかったんです。退任する日に初めて明らかにさせていただいたんですけれども、これは、平成十年の十二月に私が就任したんですけれども、ちょうどそのおよそ一年後だったんですが、平成十一年の十一月、当時の在日米海軍のワイス司令官が逗子の市長室に来て、図面も見せて、逗子市域側に千五百戸建ててほしいという話だったんです。それで、逗子市域側に約千五百戸を建てさえしてくれれば西側の四十ヘクタールを返還してくれるという話だったんですね。

 当時は、もういろいろな歴史を乗り越えてやっと八百五十四戸受けたばかりですから、そんなこと聞くだけでも大騒ぎになって、大変になったので、聞かなかったことにさせていただきますということで、お引き取り願ったんですね。

 さすがに、私も退任する日には、これを明らかにするに当たって、もう引退されていましたけれども、ワイス司令官に、これはやはり私は墓場に持っていくことはできないので、次の市長にも、そういうことがあるから追加建設に注意してくれということを明らかにしなきゃいけないのでオープンにさせていただきますということで、仁義は切らせていただきました。

 これは、当時の国もある程度関与して、ワイスが来るけれども、とりあえず話を聞いてくれ、それで、もう引き取ってもらって構わないからということでの関与はあったんですね。ですから、もしかすると、防衛省の中に当時の交渉記録というか、ワイス司令官と当時の逗子市長である私との交渉記録みたいなものが残っているかどうか、お尋ねさせていただきたいと思います。

北澤国務大臣 今回の御質問で、私も大変興味を持ったというと言葉がおかしいんですが、こんなこともあるのかということで、省内で調査をしてもらいましたが、このK21計画なるものを作成していたということは防衛省でも承知をいたしておるわけでありますが、またその資料そのものも残ってはおります。

 しかし、当時は防衛庁ですが、防衛庁がこのことについて検討をしたことは全くないという記録がありまして、きょう、実は職員を集めて聴取をいたしましたが、そのような経過だそうであります。

長島(一)分科員 御答弁ありがとうございます。

 K21計画、これは確かに在日米海軍、在日米軍の方でつくった話で、防衛省が主体的につくったわけでないということは私も理解をしております。ただ、今防衛大臣からお話がありましたように、防衛省としてはそれについて本当に全く関与していなくて、むしろバリアになってくれたのかなということが初めてわかりました。ありがとうございます。

 それで、時間もちょっと限られてきましたが、私自身、今回、逗子市に対して、今の平井市長と返還についての交渉をし始めているというふうに聞いております。さっき私が言った平成十一年の時点では、逗子市に千五百戸追加建設させてくれれば西側の四十ヘクタールを返すよという話だったんです。現時点では、横浜市に七百戸つくらせてくれれば四十ヘクタール返すよと。その単純比較からすれば、私自身は、国は大幅に譲歩したなと過去との比較の中から認識をしております。

 ただ、今後の返還交渉、防衛省と現在の逗子市長との交渉過程の中で、大事なポイントが二つあると思うんです。

 その一つは、これは平成六年に三者合意を交わした沢市長、それをサポートした職員からも聞きましたし、私自身も八年間の交渉、特に前半はひざ詰めでやっていましたから、ポイントは、逗子市に追加建設をしないということを、いかに現在の政権がかわった防衛省が逗子市長に約束できるかどうかがすごい大事なことなんですね。

 ただ、私の経験則あるいは平成六年の三者合意のときは、追加建設の考えはないという一言が盛り込まれたんですね。追加建設の考えはないなんですよ。考えがないから、もしかすると考えを転換できるんですね。ですから、いや、その表現じゃだめだ、追加建設はしないんだという文言にしてもらいたいというふうに当時さんざん交渉したんですけれども、当時の担当者は、役人が日本の安全保障について、将来にわたってまで拘束するような文言拘束はできないんだという話だったんです。

 ただ、やはり官僚主導から政治主導の政治を目指しているわけですから、そこは政治がイニシアチブをとって、今度こそ交渉過程の中で、逗子市に追加建設の考えはないではなくて、追加建設をしない、ここをきちんと担保をとっていただくことが大事だと思いますが、北澤防衛大臣の所見をお尋ねいたします。

北澤国務大臣 今御質問になられたことについては、逗子市に対して回答したいわゆる三十三項目の回答の中で、家族住宅を建設する考えはないという今おっしゃったような回答をしており、現在もその考えに変わりはないのであります。

 一方、防衛施設の規模及びその機能については、我が国の安全保障体制環境により変化するものであって、防衛施設の使用形態について未来永劫拘束するような文言を盛り込むことは困難であるというふうに、いかにも役人らしい言い回しでありますが、こういうことで我々が政権を引き継ぐまで経過をしてきたということであります。

 今後とも、本件の解決につきましては、逗子市としっかりお話し合いをして、十分理解が得られるようにしていきたい。委員の、市政担当の先輩の貴重な御意見も体しながら、ひとつそういうふうにしていきたいと思っております。

長島(一)分科員 前向きな御答弁を本当にありがとうございます。北澤防衛大臣だから、あるいは今の民主党の三役だからできることがあるとかたく信じさせていただきます。

 それから、もうあと五分ほどですので、手短にお話をさせていただきたいと思います。

 もう一点の大事な点は、この四十ヘクタールの返還をしていただく場合に、今、平井市長も、あるいは今の逗子市民も、この返還については、党派を超えて大変大きな期待が高まっております。この返還なんですが、有償ですとそれなりのコストがかかるんですね。

 ただ、逗子市についてはちょっと特殊な経過があるんですが、昭和二十五年に横須賀市から独立をいたしました。その直後に、旧軍港市転換法というものがスタートいたしました。ただ、この旧軍港市転換法というのは、旧軍港市というのは横須賀、舞鶴、呉、佐世保なんですけれども、当時、横須賀市内に住む逗子町民が、この軍転法の成立に住民投票で直接参加しているんですね。ところが、その後独立してしまったので、旧軍港市転換法が適用されないという状態がずっと続いていました。

 これも、私も逗子市長在任中のときから、財務省の理財局に、何とかこの旧軍港市転換法を適用して、返還がされた場合は逗子市に無償に近い形で提供してもらいたいということを重ねてお願いさせていただきました。当時の理財局の方は、それは難しいのだと。議員立法で法律自体にこの四市に加えて逗子市という文言を盛り込むか、あるいは解釈でということでお願いしたんですけれども、難しいと言っておりました。

 ただ、私も、国と地方自治体という違いはありますけれども、担当者にいつも言っていたのは、難しいというのは実はできるんですよ、難しいのかできないのかどっちかはっきりさせろ、できないんだったらできない、難しいというのは実はできるんだということで繰り返し言ってまいりました。

 それと同じように、今回、理財局の方では難しいという旧政権の見解はありますけれども、きょうは分科会ということですので、財務大臣はいらっしゃいませんけれども、ぜひこれも政治的なイニシアチブで、北澤防衛大臣と菅財務大臣とイニシアチブをとっていただいて、何とかこの旧軍港市転換法を。

 それで、行政が考える上で非常に恐れるのは、例外をつくると、ではうちもうちもという例外がどんどん広がってしまうことを危惧すると思うんですね。ただ、この旧軍港市転換法から考えると、法律の成立のときに住民投票にかけるということなんですけれども、例外が逗子市しかないんですね。ですから、仮に旧軍港市転換法を逗子市に適用しても、ほかにうちもうちもと出てくる自治体がないので、非常に適用しやすいと思います。

 ですから、これについても、即答はなかなか、こういう場ですからお話しいただけないかもしれませんけれども、ぜひ北澤防衛大臣の強いリーダーシップとイニシアチブで、逗子市民の理解を得られるように、この点についても御検討いただきたいと思いますが、御所見をお尋ねいたします。

北澤国務大臣 大変これは難しい話ではあるわけですが、歴史をひもとけば、軍転法の公布、施行から三日後に独立をされたということで、歴史上の皮肉のような話でありますが、それをまた、委員が市政を担当した立場で、国政の中でこういう御提言をいただくわけでありまして、私どもといたしましても、今後できる限りのことはしていきたい。しかし一方で、財務省もかかわることでありますので、現職の市長さんたちとも相談をしながら検討をしていきたい、こういうふうに思っております。

長島(一)分科員 一つの事例として、でき得れば軍転法の適用ということはあります。ただ、別に軍転法の適用を目指すことが目的ではなくて、あくまでも、今まで、旧政権のときはどうしても、冒頭にお話ししましたように、小さな自治体にしわ寄せ、あるいは強硬に進めるような経緯がございました。政権がかわったからやはり何らかの対応は違うんだろうという強い思いが逗子市民も地域の方もございます。

 そういった意味で、返還に当たっては、逗子市の負担が軽減される、あるいはない形で実現できるように強くお願いをさせていただきまして、この場での質問を終わらせていただきます。

 ほかにも政府の危機管理とか政策評価について通告はさせていただいたんですが、ちょっと時間がなくなってしまいましたので、関係者の皆さんには御迷惑をおかけして済みません。またよろしくお願いします。

 ありがとうございます。

平岡主査 これにて長島一由君の質疑は終了いたしました。

 次に、照屋寛徳君。

照屋分科員 北澤防衛大臣、夜遅くまで大変御苦労さんでございます。そして、副大臣を初め政務三役の皆さんも、本当にお疲れさんでございます。あとしばらくの辛抱でございますので、よろしくお願いを申し上げます。

 大臣、昨日、沖縄県議会は、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で可決いたしました。あらかじめ北澤大臣にお渡しをしてありますが、この沖縄県議会意見書に対する大臣の率直な所信を伺います。

北澤国務大臣 お答え申し上げます。

 照屋委員におかれましては、一時期、参議院で御一緒に働かせていただきまして、心のこもったお慰めまでいただいて恐縮でありますが、御質問の中身はなかなか重い中身であります。

 私も、昨日そのことを承知いたしまして、沖縄県民の皆さん方の思いは日を経るに従って高まっていることの一つのあらわれかなというふうに思います。

 そこで、防衛大臣の立場としてこれをどう受けとめるかということでありますが、市長は市長、市議会は市議会、県知事は県知事、そして県議会は県議会、それぞれ民意の集約でありまして、その一つである沖縄県議会が全員一致で決議をしたということは、沖縄県民の大きな意思表明の一つであるということで、強く肝に銘じておかなければならぬ、こういうふうに思っております。

照屋分科員 北澤大臣には釈迦に説法になるかと思いますが、私なりにこの意見書を眼光紙背に徹して読んでみますと、大臣おっしゃるように、沖縄県議会が全会一致で可決をした、こういうことも画期的でありましょう。また同時に、大臣がおっしゃった、一つの民意のあらわれ、こういう評価もありましょう。

 それで、大臣にぜひ、これは質問ではなくて、おわかりをいただきたいのは、一九九六年の七月にも、実は沖縄県議会で全会一致の意見書、決議が可決をされました。その後、SACOの報告等を受けて沖縄県内でもいろいろ意見が分かれておりましたが、今度、全会一致になったという中でも、第一点は、従来、普天間基地の県内移設を容認し、旧自公政権とアメリカの共和党政権で合意をした辺野古V字形滑走路、いわゆる現行案を支持しておった自民党、公明党が、今回県内移設反対に賛成の立場に回った、こういう点が私は重要であろうと思われます。

 もう一点は、これまで、県外、国外移設を言うのは他の県や国に沖縄の基地の痛みを押しつけるものであるという考えから、共産党は反対をしておりましたが、今回、共産党も県外、国外への移設を求める意見書に賛成をした、こういう点が、過去、一九九六年以降の県議会の意思と違うなというふうに私は思っておりまして、ぜひその二点については北澤大臣にも心得ていただきたいな、私はこのように思っております。

 ところで、大臣、次の質問については、この時期、大臣としての御答弁を強く求めるのはいかがなものかと私自身思いますが、巷間、普天間飛行場の移設先を、キャンプ・シュワブ陸上案や、あるいは沖縄県内各地への移設を求める案などが流布をされております。

 その移設案の中で、特にキャンプ・シュワブ陸上案は、どうも北澤大臣が熱心に推進をなさっておるのではないかといろいろマスコミが書き立てております。私は、マスコミ報道を信用するという考えは持っておりませんが、もし可能であれば、キャンプ・シュワブ陸上案に対する現段階の大臣の所信をお聞かせいただきたい、このように思っております。

北澤国務大臣 この問題は、御案内のように、官房長官をキャップにして、検討委員会であらゆる前提を持たずに検討するということでお話し合いをさせていただいておるわけでありまして、あの検討委員会が発足した時点から、私の頭の中も、お見せできれば見せたいんですが、余りきれいではありませんが、おなかの中も、全く白紙であります。

 また、あのシュワブの陸上案は、我々が政権をとってから、ロードマップの合意の検証をいたしまして、検討された経緯も十分承知をいたしております。したがって、さまざまな過去の経過を知っている中で、特定の案を私の方から発信するということは厳に慎まなきゃいかぬという気持ちも強く働いておりますので、重ねて申し上げますが、震源地ではない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。

照屋分科員 大臣、普天間飛行場の移設問題と関連して、防衛省内に新たな特命の検討チームが結成をされた、このように聞き及んでおります。この特命チームの構成員の氏名や役職、あるいはその具体的な任務、役割、現段階における検討作業の進捗状況についてお尋ねをいたします。

北澤国務大臣 これは、検討委員会が発足するに当たりまして、その前に過去の経緯を検証したという外務省と防衛省の経過があるわけでありまして、官房長官の方から、手助けをしてほしい、こういうことでありました。また一方、社民党の皆さん方の方からも、直接あるいは間接的に、今までの日米交渉に直接かかわった者でない者の方がいいのではないかというような意見も仄聞をいたしておりましたので、新たにチームを編成いたしまして、現在も事務方として、専ら過去の経緯についてのお手伝いをさせていただいておるということであります。

 その構成員は、黒江哲郎防衛政策局次長をチーム長といたしまして、防衛政策局の防衛政策課長、それから地方協力局の沖縄調整官、統合幕僚監部防衛計画部防衛課長、それから陸上幕僚監部防衛部防衛課長ほか五名で構成をいたしております。

 ちなみに、これまで検討チームがしてきたことと申しますと、普天間飛行場の移設にかかわる経緯、米軍再編の考え方、政府として過去に正式に検討した移転先の場所、それから、在日米軍及び海兵隊の機能、在沖米海兵隊のグアム移転等について説明を専らした、こういうことであります。

照屋分科員 大臣、来る四月二十五日から二十八日まで、ウィーンで軍事オンブズマン国際会議が開かれるようでございます。この国際会議に長島防衛政務官が出席に意欲的だということを伝え聞きましたが、私は、可能であれば北澤大臣にもぜひ御出席をいただきたいと思います。

 というのは、私は、やはり自衛官の人権というか、自衛官の個人としての、人間としての尊厳というのは大事にされなければいけない、こういう考えを持っておりまして、今、自衛隊の組織の中でいろいろな、いじめ、その他の自殺事件等が多発をしておりまして、大変心を痛めております。この軍事オンブズマンの国際会議に大臣、政務官が出席をしたら、恐らく日本としては初めてのケースではなかろうか、こういうふうに考えますが、大臣の御決意を伺います。

北澤国務大臣 鳩山政権発足以来、社民党の皆さんには、この問題について大変関心を高くお持ちになっておられまして、昨年の暮れも防衛省の方から、今日まで、今御指摘があったような自衛隊員の心の問題、その他、あるいはいじめの問題、そういうものにどう対応してきたかというようなことは、資料でお示しを申し上げた経過があるわけであります。

 さらに、前政権の時代に、妻と幼子を残して自殺を図った、しかも、それは労災適用になるのかどうかというようなことで、先生も大変高い関心を持って関与をしていただいておるというふうに承知しております。

 前政権の事案でありますけれども、大臣あての手紙に返事をしていなかったという経過を承知しましたので、私の方から、私がみずから文案を作成してお返事を出して、近々お行き会いするということになっております。この方も、同じ悩みを持っている、かつて自衛隊に勤務していた夫を亡くした方たちと御一緒においでになる、こんなようなお話もありましたが、しかし、今回は特定の事案について私がお返事を申し上げましたので、今回はその方だけというようなことで、お話を聞いて、今後の参考にもぜひしていきたい、こんなふうに思っております。

 そこで、お話のウィーンでの会議でありますが、今のところ、私の日程は極めてタイトでありまして、各国からの防衛大臣の招待も受けておりまして、それを組み込むのにはいささか苦慮しております。即刻ここでお返事を申し上げるというわけにはまいりませんけれども、一般的な調査の一環として、今後しっかり検討をしてまいりたい、こんなように思っております。

照屋分科員 心優しい北澤大臣でございますので、旧政権で起こった防衛省内の不祥事事件についても、御遺族と直接面会をして胸の内を聞いてあげる、そういうふうに私も大臣の決意を聞いて、実は喜んでおります。同時に、ぜひ軍事オンブズマンの重要性についても、北澤大臣として今後もお考えをいただきたい、このように思っております。

 さて次に、二月三日、日出生台の演習場で行われた在沖米海兵隊の実弾射撃訓練で、M825白燐弾が使用された疑いが濃厚になりました。白燐弾は、化学兵器禁止条約などの国際法上は規制されておりませんが、非人道的兵器であるとの強い批判がございます。

 今回の日出生台における演習は公開訓練として実施をされましたが、訓練を目撃した者の証言や訓練状況を撮影した写真等を総合すると、白燐弾であることは間違いなさそうです。米海兵隊のショーン・ウェスター中佐は、M110白燐弾とは異なる、白燐の含有率が低いM825の使用だと釈明をしております。

 北澤大臣は、日出生台演習場におけるM825白燐弾使用の事実を承知しているか、まず伺います。

楠田大臣政務官 照屋委員にお答えをさせていただきます。

 事実関係でありますので、私からお答えをさせていただきます。

 アメリカ側に確認をいたしまして、今般の訓練において百五十五ミリりゅう弾砲で使用した砲弾は、りゅう弾、照明弾及び発煙弾、いわゆるM825とのことでありますという確認をさせていただいております。

照屋分科員 そうすると、私は、白燐の含有率が少ないとはいえ、M825も白燐弾の一つであることは間違いありませんので、そういうことは国際社会から、非人道的兵器だ、こういう非難もありますので、ぜひ、政権交代を果たした北澤大臣以下の防衛省としては、海兵隊に強い自粛の申し出をしてもらいたい、このように思っております。

 関連して、旧政権下では、昨年四月段階で防衛省は、沖縄県内での米軍演習で白燐弾の使用があったかどうかについて米軍に確認できていないとしていますが、新政権として、使用事実の有無を米軍に照会する意思はおありでしょうか。

楠田大臣政務官 お答えをさせていただきます。

 昨年四月に米側に確認をさせていただいたところ、いわゆる白燐弾を使用した実績があるかどうかについては確認が困難であるという旨の回答がなされております。

 先生、長く御指摘をされておることでありまして、我々としても、事実関係には改めて努めてまいる、米側に確認をしてまいりたい、そうした思いであります。

照屋分科員 北澤大臣、最後は、これは、私は北澤大臣の政治力で必ずや解決できるんじゃないかと期待をしている問題ですが、防衛省訓令第百二十六号に防衛施設周辺放送受信事業補助金交付要綱というのがございます。これに基づいて、現在、NHK放送受信料の半額助成を実施しております。沖縄では嘉手納基地、伊江島補助飛行場等が助成対象になっていますが、なぜか普天間飛行場は該当しておりません。その理由を、旧政権では、ターボジェット発動機を有する航空機の離陸、着陸がないというものが理由でございました。

 ところが、普天間飛行場には、ヘリだけでなくターボジェット発動機を有する航空機も常駐をしているんです。多くはありませんが、常駐をしているんです。また、外来機として多くの戦闘機が飛来をしております。

 北澤大臣にお願いでございますが、訓令を改正して、爆音に苦しむ普天間飛行場周辺住民のためにNHK放送受信料の半額助成を実現する決意はおありでしょうか。私は決意してもらいたいと思いますが、お伺いをいたします。

北澤国務大臣 もうお気持ちは重々しみ渡っておるわけでありますが、いろいろな規制もございますが、今のお話を承って、今後のあり方につきましては防衛省内部でしっかり検討いたしたい、照屋委員のお気持ちを十分に胸におさめて検討していきたい、こういうふうに思っております。

照屋分科員 大臣、これは旧政権ではなかなか周辺住民が要望をしても聞き入れてもらえなかったんですね。

 私の法律事務所も、また後援会事務所も、普天間基地のすぐ近く、沖国大の近くでありますが、やはり爆音から、せめてNHK放送受信料の半額助成ができるように北澤大臣に再度お願いを申し上げて、終わりたいと思います。

平岡主査 これにて照屋寛徳君の質疑は終了いたしました。

 次に、小野塚勝俊君。

小野塚分科員 埼玉県第八区選出の小野塚勝俊と申します。

 昨年の初当選以来、国会議員として初めての質問でございます。本日、また最後の質問者でございますので、時間も午後十時半となりますけれども、お疲れのところ、防衛大臣初め皆様、よろしくお願い申し上げます。

 本日は分科会ということでございますので、具体的な事例について二点伺えればと思います。

 防衛医科大学校の病院についてと、あと米軍の所沢通信施設の二つに絞って伺いたいと存じます。

 命を守ると言って、鳩山総理は施政方針演説で高らかにお訴えをなされました。私自身も、実は昨年の総選挙で、命と仕事と生活を守るという言葉をみずからの信念として繰り返し申し上げまして、選挙区の皆様にお託しをいただいて当選をしてきた者でございます。

 防衛省の皆様は、防衛という観点から、日本に限らず、世界の多くの方々の命を守られているわけでございますが、本日は、特に防衛医科大学の病院という観点から、医療の分野で命を守ることについてお聞かせいただければと存じます。

 まず、防衛医科大学病院についてでございますが、昭和五十二年に防衛医大の病院として設立をいたしました。以来、地域の医療に貢献をされてきていらっしゃるわけでございます。

 本日配付いたしましたこちらの資料でございます。ごらんいただきますと、防衛医科大学校の設立時に、防衛医科大学校の運営等に関する協定書という形で、一枚めくっていただきますと書いてあるんですが、防衛医科大学校の事務局長の方と東京防衛施設局長、現在の北関東防衛局長ですね、あと地元の自治体であります所沢市長との協定書でございます。

 こちら、また一枚戻っていただきまして、アンダーラインを引いたのは私なのでございますが、全部読んでいただくと特にわかるんですが、象徴的なところをアンダーラインをつけさせていただきました。

 一と書いてある資料の右側の部分でございますが、「地域医療に関する事項」「病院は、一般市民に開放するとともに、保険診療を実施する。」。また(3)番のところには、「病院は、一般市民のため、できる限り、地域医療行政機関の行う予防衛生、健康相談等について協力する。」。(5)「地域医療機関との間における医療に関する学術情報の交流を図り、協調体制を確立するとともに、地元医師会との融和を図る。」。一枚おめくりいただきまして、(7)のところには、「病院は、地域医療の向上に関し、必要に応じ関係機関等と連絡協議する。」。また、四条というところには、医療との関係以外のところでございますけれども、「防衛医大の運動施設、図書館等については、乙の要請に応じて甲は防衛医大の教育研究活動に支障のない範囲で、一般市民の利用を認める。」などという形になっておりまして、非常に地域に対してさまざまな連携をとっていただけるような協定を結んでいただいております。

 このようなことを踏まえまして、防衛医科大学病院の地域医療との連携について、その現状を大臣にお伺いできればと存じます。

北澤国務大臣 大変貴重なところへ御関心を持っていただいて、感謝いたしておるわけであります。

 今お話しになりました、五十二年の開設以来、広く地域住民の診療等を行ってきておりますけれども、埼玉県における第三次救急医療機関、そしてまた特定機能病院、災害拠点病院としての役割は十分果たしてきたというふうに思っておる次第であります。

 また、地域の中核医療機関として実績を重ねてきておるわけでありますが、ちなみに申し上げますと、昨年度は、外来患者、延べ約三十三万人、一日平均で千四百人、入院患者としては、延べ約二十万人、一日平均で約五百人を診療し、地域医療に貢献しているというふうに認識いたしております。

小野塚分科員 今、大臣おっしゃっていただきましたように、本当に大変地域の医療に貢献をいただいているわけでございます。

 防衛医大病院でございますが、こちらは、私が先ほど申しました、埼玉県第八区になります所沢市にありまして、私の選挙区にあるものでございます。大変に医療に関して意識の高い地域でございまして、その一端を御紹介させていただきますと、所沢市におきましては、医師会、歯科医師会、薬剤師会、接骨師会、鍼灸師会、獣医師会という、いわゆる医療六団体がまとまっておりまして、所沢市医療団体協議会というものをつくっております。

 こういう医療関係機関というのは、どちらかというと利益が相反するようなこともあったりしますもので、なかなか連携がとりづらいと言われているやに聞くんですが、所沢市におきましては、全国でも珍しく六団体がまとまって協議会というものをつくっております。そして、各会が連携をとっているところでございます。

 また、医療の救急体制につきましては、所沢市の消防本部におきまして所沢モデルと言われるようなものがありまして、これは埼玉県の他の消防本部が参考とするようなさまざまな取り組みをやっているところでございます。

 このような所沢市でございますので、そこにある防衛医科大学病院でございますので、医療の分野で大変大きな役割をいただいている次第でございます。

 しかし、その防衛医科大学病院なんですが、地元の方々に多く伺いますと、医師の方や看護師の方々が大変に激務でいらっしゃると伺っております。

 例えば、看護師の待遇を示す基準でございます、いわゆる七対一看護だとか十対一看護というものがあるんですけれども、防衛医大病院では、いわゆる十対一看護という、どちらかというと七対一に比べて厳しいという状況でございます。また、医師の方についても、これは何かメルクマールがあるわけではないんですが、他の病院に比べて大変な激務をこなしていらっしゃるというふうに、防衛医大じゃない地域の医師の方々もおっしゃっておりまして、また、これも数字の比較が端的にできるわけではありませんが、給与面でも余りいい条件ではないなどという話もちょっと聞いたりもしております。

 そのような中で、防衛医科大学校について、独立行政法人化について検討が進められていたという話が以前あったかと思うんですが、こちらは、先ほど大臣もおっしゃっていただきましたように、地域に大変に頼られ、また多くの患者さんを受け入れている防衛医大病院でございますので、その分、診療費も多く受けているわけでございます。

 今の形でございますと、診療費として受けたものを国庫に一般会計歳入として受け入れられるわけでございますから、広く一般に使われる形で、医療というか、病院または大学校という形で、ダイレクトに使える、還元できる形ではございませんので、独立行政法人という形をとれば、みずからの組織で採算性を高めることにより、医師の方であったり看護師の方の人員の充実や設備、器材の改善などということが行われるのかなということも考えられます。

 それが、一昨年の十二月に、独法化につきましては仕切り直しになりましたということを伺っておりますので、そのようになりました御経緯と、今後、防衛医科大学校の独法化についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、お聞きできればと存じます。

北澤国務大臣 今御指摘のように、一昨年の十二月に仕切り直しということで、現在再検討をしておるということでありますが、その理由につきましては、自衛隊病院との連携強化など防衛医科大学校の役割拡大の必要性が高まってくる中で、防衛医官を育成するという防衛医科大学の任務を独立行政法人にゆだねた場合、これは自衛隊としての特殊性でありますが、指揮命令、教育訓練の質、秘密保全等が十分に確保されるかといった点について現在再検討をいたしておるわけであります。

 いずれにしても、行政刷新会議等における独立行政法人の見直しの状況も参考にしながら、なるべく早く結論を出していきたい、こんなふうに思っています。

小野塚分科員 独法化につきましては、今の大臣の御答弁のように、再検討ということでございますが、独法化以外について、この防衛医科大学校の病院について、さらによき病院となっていただけますよう、また、特に地域医療との連携に関しまして何らかの活性化案だとかそういうものがございましたら、ぜひお示しをいただければと存じます。

北澤国務大臣 医科大学校病院では、御案内のように、お地元ですから御承知と思いますが、新病棟も建設して四月一日から運用を開始するという状況になっておりまして、新病棟においては、外来診察室及び病室面積の拡大、個室の増加などによって患者の療養環境を大幅に改善することといたしておるわけでありまして、そのほか各施設でいろいろな問題も起きてきておりますので、要は、質の高い医療を提供して地域医療に貢献をいたしたいということであります。

 まず、五つほど、ちょっと申し上げてみたいと思いますけれども、十六の自衛隊病院を十の病院に集約化して、より質の高い病院を整備し、防衛医科大学病院との連携を強化するという全体的な構想のもとにやっていきたい。それから、看護師の養成課程を現在三年制でやっておりますので、時代にそぐわないということで、これを四年制にしていきたい、こんなふうに思って、今、その整備の研究をさせていただいております。それから、新型インフルエンザやNBC被害等、各種事態における防衛医大教官等の派遣。それから、医療従事者に対する研修機会を拡大していきたい。それから最後に、防衛医学の研究機能の強化。

 こういったようなことで、みずからも高度化するとともに、地域に貢献できる体制を整えていきたい、こう思っております。

小野塚分科員 ありがとうございます。

 防衛医科大学病院は、本当に地域の方に頼られている病院でございます。それは、市民もそうですし、地元の医療関係の団体の方々も本当に頼りにしております。救急体制、消防本部の方々も、本当にいい大学がある、いい病院があるというふうに思っていただいておりますので、ぜひ、今お示しいただきましたさまざまな改善点といいますか、活性化案を実行していただければと存じます。

 続きまして、もう一つの課題で、本日の質問させていただきたい点でございます、米軍の所沢通信施設について伺います。

 こちら、また先ほどの資料の二と書いてある、地図が載っている資料をごらんいただければと存じます。

 こちらの地図の黒い太線で囲ってありますところが、所沢にございます米軍の通信施設でございます。これは地図を一部拡大してございますので、どのようなところかと申しますと、左下の方に、ちょっと丸に囲っておりますのが、一番下のところに所沢市役所がありましたり、ほかにも、細かく見ていただきますと、警察署であったり郵便局、また最寄りの鉄道の駅などがございまして、この通信施設があることによってアクセスに支障が生じているという状況でございます。

 また、先ほど議論になりました防衛医科大学、また防衛医科大学病院は、本当にこの通信施設の隣り合わせのところにございまして、防衛医大の病院に重篤な患者を受け入れてもらうということになりますと、地域によってはこの広大な施設を迂回するというような形になります。

 これが、後ほど質問させていただきます東西連絡道路というものがもしできた場合と比べますと、迂回する場合、比較しますと三分程度のおくれとなりまして、救急救命率の向上という観点からも大きな支障となっているというのが、今、所沢市の現状でございます。

 所沢市の本当のど真ん中のところにこのような大きな施設が、米軍の通信施設といった形であるという形でございます。災害や事故、事件など発生したときについても、今、防衛医大病院のことで申し上げましたように、迂回しなきゃいけないことで支障が生じているというのが今現状でございます。

 この米軍の通信施設でございますが、これがある地域というのは、日本で最初の飛行場ができた場所でございまして、明治四十四年に開設された旧陸軍の所沢飛行場があったところでございます。ちなみに、来年四月で開設百年ということになります。終戦後は米軍が進駐いたしまして、この地域は建設部隊や兵器廠が置かれまして、また、昭和四十二年からは米軍の通信基地となっております。

 戦後は、米軍の進駐後、所沢市では、基地返還運動が本当に多くの市民の皆さんによって行われまして、昭和四十二年には、所沢市基地全面返還運動市民大行進というものが、四千名を超える四千百十五名の参加の方々により行われたり、昭和四十三年には、市内の各界の代表者から成ります所沢市基地対策協議会が設置をされまして、以来、この協議会は昨年まで、昨年十月五日が最後なんですけれども、百二十九回にも及んで、もう本当に市内の各界の代表者がこれに関しての議論をしているところでございます。

 この間、本当に多くの方々の多くの御努力によりまして、昭和四十六年に第一次返還、五十三年には第二次返還、昭和五十七年には第三次返還と行われまして、また昭和五十年には、ICBMを察知するOTHレーダーをすべて撤去できるということも行われておりました。ただ、その昭和五十七年の第三次返還以降もさまざまな返還運動や要望活動が行われたわけでございますが、基地全面返還に至ってはいないという状況でございます。

 大臣、副大臣、政務官、所沢にお越しいただきますとわかるんですが、所沢市じゅうに、基地全面返還は市民の願いという高い塔のような看板が本当にいっぱいあります。探さなくてもいっぱいありますのでわかるんですが、これが見ることができます。所沢市民にとりまして、この基地全面返還は市民の願いというのが本当のところでございます。

 そこで、大臣にお聞きできればと思うんですが、米軍の所沢通信施設の現状と全面返還の可能性について、いかがお考えでしょうか。お願いいたします。

北澤国務大臣 お答え申し上げます。

 今、歴史をひもといていただいたとおりでございまして、これまで二百七ヘクタールが返還され、現在、面積が九十七ヘクタールというふうになっておるわけでありますが、米側によりますと、所沢通信施設というのは、航空機及び艦船等の通信任務上、現在の規摸が必要ということを、現時点でははっきり向こう側が言っておるわけであります。

 ただ、東西の連絡道路についてはしっかり協議をしていきますので、米側の言い方としましても、東西連絡道路用以上の部分の返還は困難ということでありますから、ここのところは、この言葉どおりやると、返還は十分可能な状況かというふうに思っております。

 いずれにいたしましても、基地が存在するということは地域の皆さんに大きな負担と懸念を醸成するわけでありまして、これは沖縄の普天間の返還協議とそれぞれみんなリンクしておるわけでありますが、一方、我が国の専守防衛という国是の中で、米軍のプレゼンスというものをどういうふうに考えていくかという国民的な議論も必要であって、ただいまの状況からすると、私は、ある種、国民の皆さん方がこの問題についてもしっかり考えていただけるいい機会ではないかというふうに思っておりまして、さはさりながら、地域の皆さん方の御要請については、防衛省とすれば、しっかり耳を傾けて、前向きな検討をしていきたい、このように思っております。

小野塚分科員 ありがとうございます。

 本当にこれまで返還が続けられてきたわけでございますが、昭和五十七年以降はなかなか前に進んでいないというところもございましたが、今大臣からお話しいただきましたように、東西連絡道路の返還というお話が出ております。

 先ほどの地図をごらんいただきますと、この黒く線で囲ってありますちょうど真ん中のあたりに斜め線で入っているところ、これがいわゆる東西連絡道路と言われているところでございまして、この返還に向けての動き、地元の市民の方々、本当に熱心にやっていただいているところでございます。

 ここができますと、先ほど申し上げましたように、これを迂回して病院に行く、または駅に行く、いろいろな施設に行くことが迂回しなくても真っすぐで行けるということになりますので、まずはこれが返ってくることが、今、市民としての願いとなっているところでございます。

 つきましては、この東西連絡道路返還に向けた進捗状況についてはいかがなっているか、お伺いできればと思います。

楠田大臣政務官 小野塚委員にお答えをさせていただきます。

 東西連絡道路返還に向けた状況でありますが、この点は党側からもいろいろ御意見を伺っております。

 その中で、現在、米側との間で返還条件の具体的な内容を調整するとともに、所沢市にもその概要を提示して、調整を行っているところであります。この点で、今後、米側の返還条件の具体的な内容及びその実施についてアメリカ側及び所沢市との調整を加速化して、できるだけ早く日米合同委員会で一部土地の返還を合意すべく、最大限努力をしてまいりたいというところでございます。

小野塚分科員 ありがとうございます。

 今回の平成二十二年度予算案につきましても、東西連絡道路に関係いたします事前調査費というものを案として計上をいただいておるところでございます。

 この事前調査費の調査内容、これは予算案という、まだ案の段階ではございますが、四千七百万円の案の金額をいただいております。この調査の内容についてどのようなものを想定なされているか、お伺いできればと思います。

楠田大臣政務官 お答えをいたします。

 平成二十二年度予算案、今、四千七百万円と御指摘があったところでありますが、測量調査に要する経費として四千七百万円を計上しているところであります。

 具体的に申しますと、地形測量等、地形測量調査のほか、既存施設の埋蔵物調査などを実施予定としておりまして、所沢通信施設全体の状況を把握していくということで、この四千七百万円を計上させていただいております。

 当該調査結果を踏まえて、平成二十三年度以降、一部返還に伴う建物等の移設に係る具体的な配置検討を行っていくということでございます。

小野塚分科員 ありがとうございます。

 また、昨年の十一月に所沢市が大臣に要望をさせていただきました、東西連絡道路建設に係る施設移転及び設置費用の負担についての地元負担の軽減、これについてなんですけれども、これまで所沢市といたしましては、長年にわたるこの通信施設の存在により所沢市が受けてまいりました障害や影響と、現在の地方の厳しい財政状況を考えていただきまして、この負担の軽減について昨年十一月に要望をさせていただいたところであるんですけれども、それについてどのような御検討をいただいていらっしゃるかということをお伺いできればと存じます。

北澤国務大臣 一般論とすれば、地元要望に応じて行われる米軍施設の一部土地の返還に必要な施設の移設に要する経費は要望者が負担することが適当ではないか、こういうふうに言われておるわけでありますが、防衛省といたしましては、所沢市の要望を踏まえまして、返還予定地に現存する施設の移設については所沢市の負担とする一方、保安用地の確保のために必要な施設の移設等については国が実施することによりまして、所沢市の負担を軽減するということを検討いたしておるところであります。

小野塚分科員 ありがとうございます。

 米軍の通信施設につきましては、先ほども申し上げましたように、市民の願いでもありますし、これまでの行動の中で出てまいりました東西連絡道路についても、本当に、早く返還できれば返還いただいて道が通ればなというのが思いでございますので、ぜひとも、きょう御審議いただきましてお答えいただきましたことを踏まえまして御検討をいただき、前に進めるようなことをお願いできればと存じます。

 これで私の質問したいことはすべてお聞きできましたので、もう時間も、きょうは本当に長い時間でございましたし、午後十一時となろうともしておりますので、これで終わらせていただきますが、本当に毎日激務をなされている大臣、副大臣、政務官の三役の皆様におかれましては、私も与党議員としてしっかりお支えしてまいりますので、どうぞ今後ともお体を気遣いながら頑張っていただければと存じます。

 本日はどうもありがとうございました。以上でございます。

平岡主査 これにて小野塚勝俊君の質疑は終了いたしました。

 この際、暫時休憩いたします。

    午後十時五十五分休憩

     ――――◇―――――

    〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.