衆議院

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第2号 平成13年3月2日(金曜日)

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平成十三年三月二日(金曜日)

    午前九時開議

 出席分科員

   主査 細田 博之君

      奥野 誠亮君    田中眞紀子君

      城島 正光君    田中  甲君

      山口 富男君

   兼務 上田  勇君 兼務 太田 昭宏君

   兼務 都築  譲君 兼務 土田 龍司君

   兼務 中川 智子君 兼務 山内 惠子君

    …………………………………

   文部科学大臣       町村 信孝君

   文部科学副大臣      大野 功統君

   文部科学副大臣      河村 建夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長

   )            遠藤 昭雄君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青

   少年局長)        遠藤純一郎君

   政府参考人

   (厚生労働省健康局生活衛

   生課長)         清水美智夫君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

   予算委員会専門員     大西  勉君

    ―――――――――――――

分科員の異動

三月二日

 辞任         補欠選任

  池田 元久君     津川 祥吾君

  城島 正光君     田中  甲君

  山口 富男君     木島日出夫君

同日

 辞任         補欠選任

  田中  甲君     大石 尚子君

  津川 祥吾君     池田 元久君

  木島日出夫君     松本 善明君

同日

 辞任         補欠選任

  大石 尚子君     城島 正光君

  松本 善明君     山口 富男君

同日

 第一分科員中川智子君、第三分科員上田勇君、太田昭宏君、都築譲君、土田龍司君及び第六分科員山内惠子君が本分科兼務となった。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 平成十三年度一般会計予算

 平成十三年度特別会計予算

 平成十三年度政府関係機関予算

 (文部科学省所管)




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     ――――◇―――――

細田主査 これより予算委員会第四分科会を開会いたします。

 平成十三年度一般会計予算、平成十三年度特別会計予算及び平成十三年度政府関係機関予算中文部科学省所管について、昨日に引き続き質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中甲君。

田中(甲)分科員 皆さん、おはようございます。

 大臣、副大臣また委員長に、このような機会をいただきますことを心から感謝を冒頭申し上げたいと思います。

 私は、きょうは中学歴史教科書の検定について御質問をさせていただきたいと思います。

 慣例では、毎年二月の下旬に検定作業が終了いたしまして、三月十日前後に検定結果というものが出されるということのようでありますけれども、ことしも例年どおりなのかどうか、まずお聞きをしたいと思います。

町村国務大臣 それはちょっと例年よりも早過ぎる日程を言っておられると思います。例年三月下旬に検定結果が大体決まるということにしております。

田中(甲)分科員 例年三月の下旬に結果が決まる。そうしますと、ことしも三月の末には結果を出すということでよろしいですか。

町村国務大臣 三月末ごろとあえて申し上げます。四月にちょっと、それは審議会がこれから作業に入るわけでございますから、あらかじめいついつという日をフィックスするのはなかなか難しゅうございますが、三月下旬から四月上旬にかけてと、少し幅を持ってお考えをいただければと思います。

田中(甲)分科員 わかりました。

 河村副大臣に御質問をさせていただきますけれども、二〇〇〇年、平成十二年二月四日現在の教科用図書検定調査分科会の第二部、社会の部ですが、野田英二郎元インド駐在大使が審議会で社会科の検定調査を行う第二部の担当であったことは御存じでいらっしゃいますか。

河村副大臣 承知いたしております。

田中(甲)分科員 それでは、その野田氏が更迭されたことも御存じであられますか。

河村副大臣 承知しております。

田中(甲)分科員 その理由をお教えいただきたいと思います。

河村副大臣 野田さんは、平成十一年十二月に退任をされました前任者の推薦等に基づいて、その専門分野、外交官としての経歴等を文部省において検討した上で、平成十二年二月に教科用図書検定調査審議会臨時委員に任命をされたものでありましたが、一月六日付の審議会の再編によりまして、教科用図書検定調査審議会においては、教科書の価格について審議する教科用図書価格分科会と教科用図書分科会が廃止をされまして、このため、両分科会所属の全委員について退任されて、野田委員も退任される、こういうことになったわけでございます。

 この経緯でございますけれども、平成十二年十月十三日付の産経新聞の朝刊に、教科用図書検定調査審議会の外交官出身の委員、野田英二郎委員が、現在検定中の特定の中学校の歴史教科書、平成十四年から使うものでございますが、これを不合格とするよう他の委員に手紙や電話で働きかけを行われたという報道がなされまして、文部省においてこの事実関係を調査したわけでございます。

 この野田委員が、教科用図書検定調査審議会の審議に先立ちまして、歴史小委員会及び公民小委員会に属する他の委員九名に電話連絡をされた上、検定中の特定の歴史教科書に対する自分の考え方をまとめて討議資料として送付されたことが明らかになりました。

 このような野田委員の行動というものは、客観的に見ますと、他の委員に予断を与える、審議の公正さを損ないかねない点があったと認められたわけでございまして、これは教科書検定に対する信頼と審議の公正を確保する観点、このことは特に各委員に強く求められておるところでございますが、そういったことがあったものでありますから、十月三十日付で当該委員を教科用図書検定調査分科会から教科用図書価格分科会に所属を変更して、教科書検定の審議から外れていただいた、こういうことであります。

 そしてさらに、先ほど申し上げましたように、審議会の再編がことしの一月六日付で行われまして、教科用図書分科会それから教科用図書価格分科会が廃止されたものでありますから、野田委員は退任をされた、こういう経緯でございます。

田中(甲)分科員 もし野田委員が間違った行動を行ったならば、私は価格部門に配属が変わるということもおかしいと思うのですね。本来ならやめていただく、はっきりとそう通達をしていかなければならないと思いますし、これは大臣の任命権の中から行われていることですから、明確にそのようにしなければならないのですが、私は、間違ったことはしていないのだろうというふうに思うのです。

 産経新聞が、今副大臣が御説明されたような事実と称されるものを新聞紙面に掲載いたしましたが、ほかの委員の意見を聴取している記事を見ますと、あの教科書は常識のある人なら、あの教科書というのは新しい歴史教科書をつくる会の教科書に対しての意見でありますけれども、だれでも問題があると考える、手紙と電話をもらったが、圧力とは全く感じなかったという意見が委員の中から出されています。別の委員は、圧力と感じるような話ではない、こんなことで審議会が延期にまでなったのは私の経験上初めてだという意見なんです。

 さらに、高島琉球大学教授の発言を私引用させていただきますと、検定審議会以外の場所で委員同士が意見交換することは問題がないはずだ、検定の公正さを考えると、政治家が口を挟むべき問題ではない、文部省は筋を通してほしかったという意見などが他の委員から出されていますが、これに対しては、大臣、どのように御判断されますか。御所見をいただきたいと思います。

町村国務大臣 当該委員の行動というのは、やはり客観的に見て、他の委員に予断を与えたり審議の公正さを損ねかねないということだと私は思いますから、野田委員の処遇といいましょうか取り扱いといいましょうか、これは文部省として当然の判断だった、私はこう思います。

田中(甲)分科員 正しいか正しくないかをはっきりとされる大臣の姿勢というものはよしとするところであります。私が言うのは僣越かもしれませんが。

 しかし、私は、委員内の意見交換、外部に漏らしたわけではない、守秘義務違反など不正行為であるとは考えられない、それには当たらないと思うのです。このようなことが、つまり不正のない委員を更迭するということは、逆に他の委員の脅威となって、予断のない公正な審議ができなくなるという危惧を持つのです。

 私はそのことの方が非常に問題ではないかと思うのですが、これは意見の平行線上の、かみ合わない意見になってしまう可能性を洞察しつつも、私の意見を大臣はどのようにお考えになられますか。

町村国務大臣 委員になった以上は、やはり節度というものを当然求められるということだろうと私は思います。部外の者からいろいろ言われるようなことをするというのは、やはり慎んでもらわなきゃならない。

 それと同時に、その議論になっている教科書がいいとか悪いとか、そういう問題でこの野田さんという方の行動が正当化されたり正当化されないということとは全く次元の違う話だ、このように御理解をいただきたい。

田中(甲)分科員 これは教科用図書検定調査審議会令の第二条、「委員は教育職員、学識経験のある者及び関係行政機関の職員のうちから、文部大臣が任命する。」ということになっております。

 野田氏が更迭されてから、外務省から海外で勤務している大使、駐在大使の経験のある方々が実はこの審議会の中、分科会の中に一人もいなくなったということは、大臣、御存じですか。

町村国務大臣 知っております。

田中(甲)分科員 私は、後ほど質問させていただきますけれども、近隣諸国条項などを踏まえて審議するに当たりまして、海外に大使として駐在した方々がこの分科会に加わるということは非常に重要なことである、更迭されたままになりまして補充もされていない、正規の形をとり得ていないのではないかというふうに思うんですけれども、その点についてはどのように御認識を持たれているか、お願いいたします。

河村副大臣 委員の選定については、これまでも、まさにその審議会の委員にふさわしい方をということで、各学問の領域に対応した専門家の中から適任者を選ぶということでやってきたわけでございまして、これからもそういうことでやっていくわけであります。

 ただ、もう一人の方について、中平委員がいらしたことを御指摘かと存じますが、この方についても、審議会の委員そのものは、どの審議会も全部そうでありますが、七十歳を一応定年という枠を引いておりまして、全審議会ともに、七十歳になった方は再任しないという方向で進んでおります。

 今回、そういう形になったわけでございまして、ただ、どの部分からどうしなきゃいかぬ、そういう限定的な委員の選び方はいたしておりません。まさにすべての部分についてふさわしい方を選んでいく、こういうことでこれからも進んでいく、こういうふうに考えております。

田中(甲)分科員 繰り返しになりますけれども、「関係行政機関の職員のうちから、」というその枠の中に外務省で海外に駐在した大使という方々が加わっていることの方が、私は健全な体制がとられているのではないかと認識するんですね。大臣はその点いかがお考えですか。

町村国務大臣 外交に詳しい、国際関係に詳しい方は、外交官以外にもたくさんいらっしゃいます。

田中(甲)分科員 私は、繰り返しになりますけれども、「関係行政機関の職員」という中には、やはり外務省で経験を積んできた方が入られることが望ましい姿ではないかと、大臣からの答弁を聞いた上でも考えが変わりません。その点は御指摘をさせていただきます。

町村国務大臣 「関係行政機関の職員」、要するに、そこに書いてあるのは現職のということなんですね。それは今回規定が変わりまして、一月六日から各省庁統廃合の結果、審議会も統廃合になりまして、現職のというのは外れておりますので、念のために申し上げておきます。

田中(甲)分科員 さて、私の手元に実はこんなものがあるんです。白表紙本というもののコピーでありますけれども、これが私が今お話をさせていただきましたその教科書の内容であります。

 昨日、総理大臣が議員の質問に対して、予算委員会のその席上で、我が国の教科書は国定ではなく、基準をもとに検定が進められている、ただ、我々も見る手段がないものがどうして外へ漏れるのか、日本のマスコミのニュースが海外に流れ、検定が済んでいないのに海外からいろいろな声が出るのは非常に残念で、あってはならないことだという答弁をされていますが、大臣は、検定結果が出る前にこの検定過程の内容が漏れ、その内容漏れに対する御所見というものをどのようにお感じになられているか、お聞かせいただきたいと思います。

町村国務大臣 それは森総理の言われるとおりでありまして、委員がどこからその情報を入手されたか私もよくわかりませんけれども、それは本来望ましいことではないことだと私も思います。

田中(甲)分科員 あってはならないことですか。

町村国務大臣 さようであります。

田中(甲)分科員 ここに手紙のコピーがあります。皆さんにもぜひ見ていただきたいんですが、この手紙の内容は、大臣にもしお渡しできればお渡ししたいぐらいなんです、二部用意しましたが。これは白表紙本に添えられていた手紙であります。だれが送ったかということも今御説明させていただきます。

 「先生にはますますお元気のことと存じます。先日は突然の訪問にも関わらず、お忙しい中、貴重なお時間を割いて頂きまして誠に有り難うございました。さて今回は、先日お約束致しました通り、「編集用資料」」つまり白表紙本のことですね、「二冊を送付させて頂きました。是非参考にして頂ければ幸甚に存じます。又、時期が参りましたら見本本を送付させて頂く予定です。扶桑社教科書事業室」。

 つまり、この教科書を出す業者が、教職員に白表紙本を送っているんです。流出しない方がおかしい、そう思われませんか。

町村国務大臣 真実の手紙であるかどうか、また、その今お持ちであるものがまさに白表紙本そのものであるか私はつまびらかにいたしませんが、いずれにしても望ましいことではございません。

田中(甲)分科員 それは正確に調べていただきたい。今、私の発言が事実に基づいてされているかどうかということを疑いになられたわけですから、事実であるかどうかを確認するということを大臣に言っていただきたい。

町村国務大臣 今まさに審議会の中で審議が行われているところでございますから、原案と検定意見とそして最終仕上がりがどうなったかということは、いずれこれは情報公開をすることにしておりますので、そういう意味で、いずれはこれは明らかになることであります。しかし、現段階でそういうものが出回るということは、私は望ましいことではない。そういう意味で、今調べろというお話がありましたが、それでは後で全部いただけるならば、お調べしても結構でございます。

田中(甲)分科員 大臣、ありがとうございます。すべてお渡ししますので、ぜひ事実を調査してください。お約束をいただいたということで、対外的にも、これは議事録に載って確認されることですから、どうぞよろしくお願いいたします。

 そこで、私は、この白表紙本を検定審査前に外部に漏らしたことを事実かどうかを確認していただいて、もしそれが事実であるとするならば、分科会で審査をする委員の当事者間同士の情報の交換というものが厳しく対処されて、このように業者が事前に白表紙本というものを送りつけているということは、全くバランスがとれているとは思えない。文部大臣の指導監督ということが問われるということも私は指摘をせざるを得ないというふうに思っております。これは私の意見でありますから、聞いていただいて、参考にしていただければありがたいと思います。

細田主査 町村大臣。

田中(甲)分科員 答弁は求めていません。

町村国務大臣 いやいや、そうじゃなくて。御指名をいただきましたから。

 あなたの持っておられるものが、墨で塗ったようなはっきりしないものを渡されて、それで調べろといってもそれは無理ですよ。念のために申し上げておきます。真実のものを出してください。

田中(甲)分科員 日韓共同宣言を読ませていただきます。

 我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。

その上で、ここからが大切なところだと思っておるのですが、

 両首脳は、両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある

 これは、一九九八年十月八日、来日した金大中大統領と小渕前総理が共同宣言として約束をされた、日本が主体的に行いますという約束をされて、日韓の関係というものは非常に良好な方向に向かっているという喜ばしい一文であります。

 しかし、今回、産経新聞の紙面を随分とにぎわす一連の教科書の検定の問題というのは、韓国側から抗議の声が寄せられるということに対して、外圧として受けとめるということは私は正しい判断ではないと思うのです。みずからが主体的に行うという日韓共同宣言で日本が約束したことに対して、それを破ってしまっているのは日本サイドではないのかという思いを持つのですが、大臣の御所見はいかがでしょうか。

町村国務大臣 もう一度、先ほど調べろという御要請があったから調べますが、しかし、その際には確実に真正のものをいただかなければ、その墨で塗ったようなものを渡してこれで調べろといっても、それはできませんので、念のためにこれはもう一度申し上げておきますので、よろしいですね。

 その上に立って、今、日韓共同宣言のお話がございました。

 日韓共同宣言、あのとき小渕総理、金大中大統領の間で、大変すばらしい、日韓関係が将来に向けて築かれる大きな基礎である、このように私も理解をしております。事実、この共同宣言の後、韓国における文化開放等々が進み、日韓関係は新たな次元に入ったな、そんな思いで喜んでいる者の一人でございます。

 したがいまして、この共同宣言でうたわれております、今委員が御指摘になった、「若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」ということもまたもっともである、私もそう思っております。

 したがいまして、これは既に学習指導要領の中でも、例えば中学校社会科の「歴史的分野」の中でも「大戦が人類全体に惨禍を及ぼしたことを理解させる。」という記述がございまして、こうした指導要領の範囲内で、歴史教科書の中で具体的にどういう歴史的事象を取り上げて、それをどのように記述するか、これは執筆者の判断にゆだねられているところでありますけれども、今、検定におきましては、いわゆる近隣諸国条項も含めた検定基準というものがあるわけでございますので、これに基づいて適切に検定を行うということであって、今後ともこうした検定の方針は変わるところはございません。

田中(甲)分科員 私が次に質問したかったところを先にお答えいただいたという感がございますが、検定基準の中の、近隣のアジア諸国との間の歴史的事象の扱いには国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされることとするいわゆる近隣諸国条項というのは、当然維持されるというふうに受けとめてよろしいわけですね。

町村国務大臣 当然のことであります。

田中(甲)分科員 わかりました。

 検定審議会の委員の任命権は、先ほど触れさせていただきましたが、文部科学大臣であります。かつ、検定の合否を最終的に決定するのも同じく大臣であります。この検定が終わって、任命権と最終的な決定の責任を持つ大臣が、もしアジア各国から、近隣諸国条項というものに違反している、逸脱してこのような教科書が検定を合格したということが事実となったときに、それぞれの国々から問題があるという指摘を受けた場合、これは大臣の進退にもかかわる大きな問題になっていくのではないかという危惧を私は持っております。

 ぜひ、大臣がしっかりその権限の中で、あるべき姿ということを示唆していただきたい。できるのは、大臣の最終的な責任を持っての判断ということにかかっているということを申し上げさせていただきたいと思います。

 実は、私は、二〇〇二年日韓ワールドカップの推進議員連盟のメンバーでもありまして、日本と韓国との間でサッカーを通じての交流ということを非常に、スポーツ外交という面においてもすばらしいことが今展開されているなというふうに思っているのです。

 余談になりますけれども、一生懸命サッカーをやっているから、ワールドカップのチケットを田中議員だったらとれるのではないかという、非常に残念な陳情が私の事務所に多く入ってまいります。こんな機会ですからぜひ宣言しておきたいのですけれども、私は、ワールドカップはスタジアムに行かずテレビで観戦するということをもう決めています。誤解を招きたくないのです。日韓のスポーツを通じてでも新しい扉を開いていくというその思いだけで、私も何ができるかということを考えてまいりました。そういう何か違う方向にとられるということが非常に不快な昨今の日を過ごしておりまして、私はテレビ観戦をする一人ということを言っておきたいと思います。

 大臣あるいは副大臣、なぜこの教科書問題のような、自虐的な国の姿勢ということを改めなければならないとか、あるいは謝罪、賠償が必要だとかいうことが、何か非常に前進のないままに今日もまた繰り返し繰り返し言われなければならないか。そんな本質的な問題点がどこにあるかということを、この機会ですから、もし御所見を賜れればと思うのですが、いかがでしょうか。

町村国務大臣 その前に、委員から、大臣の最終的な判断だとおっしゃった。検定というものは、検定基準という公になったものがあるわけでありまして、それに基づいて厳正に検定をする、それ以上でもなければそれ以下でもない、こういうことでありますから、私どもは、それは文部科学省内の作業としてきっちりと、そして審議会の見解を踏まえながら厳正にやるということでやっているわけでありまして、本来の検定の姿というものについて、ぜひ委員も御理解をいただきたいのであります。

 対外的な反応がどう出てくるか、それはわかりません。それはいろいろな見方があります。我が国の国内にもこれだけいろいろな見方があると同様に、またそれはいろいろな見方が出てくるでしょう。国と国との関係というのはそう簡単なものでないのは委員御承知のとおりでありますから、それは、出てきた結果、どう対処するかわかりません。現実にまだ今検定作業中でございますから、そもそも合格になるのか不合格になるのか、それすらもまだわかりません。

 ただ、現状のことをもし御報告申し上げるのならば、今、俗に言われております原本ですね、白表紙の本と今さっき委員はおっしゃいましたが、それは相当大幅な修正を受けている、修正を申請者がしてきているという報告は受けておりますので、その結果、どういう最終判断が出てくるか。これは、いましばらく、さっき申し上げた三月下旬、四月上旬になりましょうか、そのころまでお時間をいただかなければならない、こう私は考えておりますので、申し上げておきます。

田中(甲)分科員 これは検定審査の審議会の権限の中の第七条、「文部大臣は、」文部科学大臣ということですが、「申請図書について、教科用として適切であるかどうかを教科用図書検定調査審議会に諮問し、その答申に基づいて、検定の決定又は検定審査不合格の決定を行い、その旨を申請者に通知するものとする。」と、明確に大臣の裁量で決定するんだということが書かれております。そういうことに基づいて私も申し上げました。大臣のおっしゃられたことが理解できないということではなくて、やはりそういう意味では非常に大きな責任が大臣の肩にかかっているということは事実ではないでしょうか。

 この今の問題にされている教科書の最大の問題点は、私は、戦争を美化したりあるいは正当化してしまうという基本的なこの著述を行っている著者たちの主張から発していると思うのです。ですから、百三十七カ所とも言われておりますけれども、百数十カ所の訂正箇所ということが指摘されているようでありますけれども、それをもっても本質的な著述を行っている者の考え方というものが変わらないならば、今の権限の中で大臣が持たれている、検定の不合格の決定を行い、その旨を申請者に通知する、ただし、必要な修正を行った後に再審査を行うことが適当であると検定審議会が認める場合には、決定を保留して検定意見を申請者に通知することができるという、保留という判断も大臣の中には持たれているのかな、幅の中に含まれているのかなと思います。

 私の発言も非常に大臣のお気持ちを逆なでするような発言があったかもしれません。おわびを申し上げます。私の持っている範囲での正確なものをお届けさせていただきますので、先ほどの手紙の件について、あるいはこの白表紙本の流出の経緯について、お調べいただければありがたいと思います。

 ありがとうございました。

細田主査 これにて田中甲君の質疑は終了いたしました。

 次に、山内惠子君。

山内(惠)分科員 おはようございます。社民党の山内惠子でございます。

 私も、二〇〇二年四月から使われる中学歴史教科書の検定について質問いたします。

 この間、特に、新しい歴史教科書をつくる会が主導した歴史教科書に対する韓国や中国からの厳しい批判や、検定を通さないようにとの意見が出されています。昨日の予算委員会で社民党の保坂議員が、この批判に対して総理はどのような姿勢で臨まれるのかということを質問しましたが、これに対して総理は、検定中の教科書が外に漏れることがおかしいと答えられました。今、田中議員もおっしゃったとおりです。

 私は、これはお答えになっていないというふうに思います。歴史の歪曲やひとりよがりの歴史を書いた教科書の検定が通るとすれば、再びかつてのような外交問題にも発展しかねません。

 その意味で、今回、アジアの国々から今回の教科書検定に対して起きている批判について総理がお答えになったことについて、きょうは総理がいらっしゃらないので、町村大臣はどのようにお考えになられるのか、お聞かせいただきたいと思います。

町村国務大臣 どうぞ山内委員、森総理が言われた全体の答弁を見て御判断をいただきたい。総理は、教科書は国定ではありませんということをまず言っているわけであります。国によって教科書のつくり方が違う、日本が国定教科書をつくっているのではないかという誤解があるのではなかろうかなという、まずそういう一般論を述べた上で、日本では検定基準に基づいて検定を進めているのだということを言っておられる。その限りで、私も、今検定基準に基づいて検定をしておりますという事実を申し上げました。

 ただ、そのプロセスの中で、先ほど田中委員が持っておられたいわゆる白表紙というものなのでしょうか、国内あるいは海外に流れているのは大変残念だし、また私も、さっき申し上げたように、それは望ましいことではない、こう思っているわけであります。まして、検定が済んでいないものに対して外国からいろいろな声がかかるのは残念なことだ、こう森総理は言っておられますが、これはまさにそういうことで、もっとも、総理はその後、残念と言ったのは控え目に申し上げた、あってはならないことだ、こういうことでございます。

 私は、総理がおっしゃったことは、別に間違ったことを言っているわけでも何でもない、ポイントは、今、検定基準に基づいて検定を進めている、その段階で、いろいろな形で海外から御意見が出てくるのはいかがなものかなという、ごく当たり前のことを言われたのではないかと思います。

山内(惠)分科員 総理にかわってお答えをお聞きしたかったのではありません。今、韓国が国会決議を上げたり、それから、中国の江沢民国家主席が、この教科書に憂慮を述べて、配慮を願いたいと言っていることに対して、大臣はどうお考えになるかをお聞きしたかったのです。

町村国務大臣 済みません、ちょっと質問の意味を取り違えました。

 これは、総理もまさに述べておられるのですけれども、まだ検定の結果が出ていない、したがって、原本というものが、本来であれば海外にも出回るはずのない、国内にもそう、そういうもの。要するに、まだ一つのプロセスとして、教科書としてはそもそも合格するかどうかもまだわからない、そういうものについて海外の方々が、それは意見をおっしゃるのは御自由でございますけれども、私どもは、学習指導要領とかあるいは検定基準に基づいて今厳正に検定を実施している最中でございますので、それは意見を言われるのは自由でありますけれども、私どもは粛々と検定作業を進める、そういう仕事を今やっているのだということであります。

山内(惠)分科員 検定前のものが出回ることの問題点を今やはりおっしゃっていらっしゃるのですけれども、このつくる会と産経新聞とが一体となって扶桑社の申請した教科書の検定合格のためにキャンペーンをしてきたこと、これは相当たくさんの方が知っていることですけれども、大臣はこのことをどのように認識されていらっしゃいますか。

町村国務大臣 キャンペーン活動というのは私は承知をしておりません。

山内(惠)分科員 この間、随分たくさんのキャンペーンが張られ、産経新聞にも教科書が教えない歴史を掲載したりしていますし、また、各学校にこの検定本の内容が徹底するような形で本を送られたりというような形で行われているのですが、大臣が知らないということですから、今後、このようなこともどうお考えになるか、改めてまたいずれお聞きしたいというふうに思います。

 大臣も御存じのように、八二年に中国及び韓国からの我が国の歴史教科書に対する申し入れを受け入れ、検定基準にいわゆる近隣諸国条項が加えられました。このことは現在の検定作業にも当然その基準となっていることと思いますが、そのことは間違いございませんか。

町村国務大臣 間違いございません。

山内(惠)分科員 この条項が今も生きていて、それにのっとった教科書が検定を通るということであれば、アジアの諸国からの批判が沸き起こることにはならないと思います。何度も何度も繰り返しと、さっき田中議員もおっしゃっていましたけれども、我が国の教科書が何度も何度も揺れているという状況があるからこそ、心配を含めての強い抗議だったというふうに思います。

 今の検定制度が存在する限り、教科書の内容は政府の責任となるわけです。その意味で、教科書検定の最高責任者である町村大臣はつくる会の歴史教科書をお認めになるのかどうかについて、先ほどお答えもありましたけれども、もう一度明快な御見解をお聞きしたいと思います。

町村国務大臣 今審議会でその作業をやっているところでございますから、私が今、合格するだろうとか不合格になるだろうということを申し上げられるはずがないことを委員もよく御承知だろうと思います。

山内(惠)分科員 この間、相当たくさんの新聞が報道しています。この報道によれば、田中議員もおっしゃっていましたけれども、扶桑社は、審議会から、百四十カ所前後の検定意見に基づいて大幅に修正され、合格の可能性が高いというふうに報じています。

 それにしても、過去の植民地支配や戦争を肯定的にとらえようとしている今回の白表紙本、私も入手して見ましたが、内容的にこのような数を削除したからといって、修正したからといって、近隣諸国の皆さんの怒りに触れないものになるとはなかなか思えません。

 特に、当時の日本の国民の苦しみや、侵略を受けた人たちを無視した一方的な解釈に貫かれているように思います。このような歴史観を教室で教えることが、次の時代を担う子供たちに本当によいことだとは思えません。このような教科書を、一部修正させたからといって合格させることは、アジアの国々や世界の国々から再び孤立することになるのではないかということを私は危惧をしています。

 外務大臣は、九四年、村山総理による戦後五十年に当たっての談話を継承しているということを回答されていますが、今回のつくる会の教科書が、アジアの人々に対してどのような記述になるのか。この検討結果によって、再度おわびをしなければならないような結果にならないようにということを強く申し述べておきたいと思います。

 今回の検定にかかわりまして、このつくる会のほかの教科書につきましてもお聞きしたいと思います。

 これも新聞報道によるのですけれども、去年の秋、随分たくさんの報道がなされていましたが、これは文部省が報道しなくても、きっと検定を受けた側の教科書会社に対して報道機関が調査をしたのだと思いますから、相当正確な情報だというふうに思います。この見出しも、「歴史記述 大幅に後退」、いろいろな新聞社がそのことを言っています。「歴史教科書“加害者の視点”後退」、このように書かれています。この申請本、例えば従軍慰安婦の問題、九七年には七社でしょうか、書かれていたのが、今回は三社に減少している。南京大虐殺の数字も随分控えた数字になっている。それから、侵略という言葉を進出にまた変えた。かつて進出と書いたことがアジアの国々から批判され、侵略と直したという経緯があるにもかかわらず、またこのような形になっている。七三一部隊が削除されている。こういう報道がされていますが、このことについて大臣はどのようにお考えになっているでしょうか。

町村国務大臣 現在検定中の教科書について、私が途中の段階で、これがいいの悪いのというコメントをすることはできないことは、委員よくおわかりの上でのお尋ねなのかな、こう思います。

 私どもは、執筆者の歴史観、物の考え方、その是非を問うわけではございません。あくまでも教科書としてそれが適切かどうか、別の表現をすれば、図書の内容に誤りや不正確な記述がないかとか、あるいは特定の事項などに偏っていないかとか、あるいは委員御指摘の近隣諸国条項、国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされているか、こういう検定基準に照らして厳正に検定をするということでありまして、その執筆者がどういう歴史観を持っているのかということまでさかのぼって、それがいいか悪いかということになると、これはまさに委員が最も嫌っておられるであろう表現の自由とか、思想、信条の自由とか、学問の自由に反することになるのでありまして、そういう考え方を持っている人がよろしくない。それは、どうぞ言うのは御自由ですけれども、私ども検定の立場からは、そういう考えではなくて、今申し上げたような検定基準に基づいて、あくまでも厳正に検定をするという立場であるということを、ぜひ御理解をいただきたいのであります。

山内(惠)分科員 お話しになっている中身はそのとおりだと思いますが、私のお聞きしたかったのは、かつて進出と書いた教科書に対して検定以降に侵略と直して記述された。それから、これが九四年の談話を受けて九七年度版に載ったという意味です。それから、七三一部隊についても記述がされていた、それがなくなるとしたらということに対しての質問です。それから、従軍慰安婦問題についても、従軍という言葉が消えたというように報道されていますが、従軍慰安婦について慰安婦と書いているとしたら、では、そのことについて大臣はどうお考えになりますでしょうか。

町村国務大臣 まず、私は昭和五十八年に当選したのですが、五十七年当時の教科書事件というのが、言うならば、最初でした。しかし、あれは侵略を進出と書き改めさせられたということが盛んに報道されましたが、あれは、その後判明したのですが、天下の大誤報であった。そういう事実はなかったということで、すべての新聞が、スペースをどれだけ割いたかどうかは別にして、現実に侵略というのが原本で進出と書き改めなければならなかった教科書はなかったということは、委員御承知のとおりだろうと思います。

 その上に、今、どういう表現をそれぞれしてくるのかということ、従軍慰安婦を慰安婦に改める、私は細かいことまで全部今手元に資料がないからわかりませんけれども、それはまさに執筆者の判断によるところであって、文部省の検定の結果、従軍慰安婦という表現が慰安婦に変わるというような、そういうことではありません。それは、あくまでも執筆者の判断、また執筆者の権限によるところであるということを、先ほど来から私は申し上げているのであります。

山内(惠)分科員 進出を侵略に書けというふうには言わなかったということをおっしゃっているのでしょうか。今ちょっと私はそこのところがよくわからなかったのですが。

町村国務大臣 昭和五十七年当時、新聞報道によれば、原本が侵略であったものを、検定結果進出という、どちらかというとややマイルドな表現に改めるようになったというふうに報道されたわけですね。

 ところが、それは事実ではなかったということで、それから何カ月かたって、一斉にどの新聞も、これは誤報であった、その誤報に基づいて、言うならば海外の皆さん方が反応をしたという事実があったということを、どうぞ山内委員、よく調べてください。当時の新聞に全部、しばらくたってから大きな謝罪広告、あるいは訂正だか謝罪だか忘れましたが、そういうものがあったということを私は申し上げているのであります。

 しかし、それは今委員の御質問とは、ちょっと筋が離れることですから、主たる議論のテーマではございませんが、念のために申し上げさせていただきます。

山内(惠)分科員 私も調べたいと思います。

 それにしても、日本の犯した歴史的な過去の問題点を、反省しなければならない言葉を進出にするのは間違いだと私は思っています。あれはやはり侵略であったと思います。

 ところで、九八年の六月、当時の町村文部大臣は、国会で、歴史教科書は偏向している、検定前の是正を検討しなければならないということをおっしゃったというふうに聞いておりますが、このとき大臣が歴史教科書は偏向しているとおっしゃったのはどういうことだったか、お聞かせいただけませんでしょうか。九八年六月です。

町村国務大臣 私もそんなに記憶力がいい方ではございませんので、どういうコンテクストで、どういう議論の中でそういう議論があったのか、御指摘でございますから、議事録をよく調べた上で、また正確にお返事を申し上げたいと思います。

山内(惠)分科員 今回の申請本の加害者の視点が後退したという報道につきましては、多くの新聞社は、出版社が自主的にしたものと思えるというふうに書く反面、それなりの圧力があったのではないかという報道もあります。私は、町村大臣のこの国会での発言が影響しているのではないかと危惧するところなので、私もここのところは調べていきたいというふうに思います。

 ところで、私は、きょうは従軍慰安婦問題に絞って発言をしたいと思います。

 昨年十二月八日から十二日、東京で、NGO主催の女性国際戦犯法廷、これは民間のものですが、開かれました。韓国や朝鮮民主主義人民共和国、中国、フィリピン、インドネシアの方々、元従軍慰安婦と自分たちが発言をしている方七十五人を迎え、全体の集会は二千人にも及びました。

 その中で、参加された元従軍慰安婦の方たちは、このように言っています。慰安所は慰安の場所ではない、被害女性にとって、体は生きたまま心が死んでいく場所であった。また別な方は、十七歳のときに、上海の工場で働かないかと日本人にだまされ、中国の慰安所に連行された、一日に二十人、三十人の兵士の相手をさせられ、敗戦後も中国に置き去りにされた。また別な方は、日本兵に抵抗したためナイフで胸や背中を切りつけられたという北朝鮮在住の元慰安婦の発言もあります。この方たちは、発言、証言をするために日本に来られましたが、発言の途中で、当時を思い出して、狂ったように泣き叫び、とうとう気を失って担架で病院に運ばれた方もいます。

 これだけの苦しい思いをした方たちの、これは歴史における事実であります。このことが今回の教科書から削除されるということになれば、次の世代を担う子供たちが、真実を知らないで巣立っていくことになるということを懸念いたします。その意味で、出版社の言い分だけではなく、我が国の歴史をどのように子供たちに伝えるかという意味では、検定基準に基づいてとおっしゃる中で、このことを削除するような教科書にどのように対応されるのか、お聞きしたいと思います。

町村国務大臣 さっきちょっと申し上げましたが、検定というのは、国が特定の歴史認識とか歴史事実を確定するという立場でやるものじゃございません。あくまでも、検定の時点における客観的な、学問的な成果でありますとか、あるいは適切な資料に照らして記述の欠陥を指摘する、こういう基本的な性格があるわけであります。

 したがって、学習指導要領の範囲の中で、教科書に具体的にどういう歴史的事象を、またどういう表現で取り上げるか否か、これは執筆者や発行者の判断にゆだねられておりまして、基本的に、検定で、その取捨選択というものについて検定意見を付することは困難だ、検定というのはそういう性格なんだ。

 なお、平成十四年度から用いられます教科書について、今まさに作業中だということでございますから、その慰安婦云々ということについて私が今コメントをするのは適切ではない、これは先ほど来から申し上げているとおりであります。

山内(惠)分科員 先ほどの、検定をするに当たって近隣諸国条項が生きているとおっしゃった、その意味で、近隣のアジアの皆さんとの間の近現代史の事象の扱いについて、国際理解と国際協調の見地から、ぜひこのことをしっかりと受けとめた検定になることをというふうに思います。

 歴史教育は、過去を学び、そこから現在と未来のための教訓を引き出すということにあると思います。その意味で、事実が九七年の教科書には載っていたのに今回に載っていないとしたら、なぜなのかということも追求していただきたいと思いますし、このことは事実であるわけですから、そのことを十分押さえておいていただきたいと思います。

 よその国の例なんですけれども、同じ第二次世界大戦を経験して、ドイツは、戦後、あのヒトラーによるユダヤ人迫害の歴史を二度と繰り返さないように、強制収容所をしっかり残して、今もなお子供たちに、日本でいえば修学旅行のような形であったり校外学習の形であったりして、現場に連れていき、あそこで事実あったことを教え、そして平和を考える取り組みをしていらっしゃる実践を多くの方々から聞いています。実際に、私の友人もそちらを訪問して、見てきています。

 残念ながら、日本ではそのような取り組みが余りにも少ないと思います。過去にあった歴史を子供たちにしっかりと見せることが、この国を愛しながら、未来の国に向かって自分たちも羽ばたいていけるようになると思いますので、この視点をぜひ頭に置いた決断をなされることを大臣に要望したいと思います。

 最後になりますが、教科書の採択についてです。

 教科書採択の段階で、教育委員会の影響が大きくなることが心配される、これも随分報道がなされています。今、私たちは、この教科書について、教育委員会の権限という発想で最終的に絞られることを心配しています。

 教育委員会の決定権を殊さら強調することは、現場の声を切り捨てようとするのではないかというふうに思います。この教科書を使って授業をするのは教員であり、子供たちです。教育現場の意向を重視するということは、閣議決定もなされています。より多くの教員の意向を、もしかしたらこのほかに保護者の声も、また子供たちの声も取り入れていくという方向が出てくることの方がもっと望ましいと思います。

 ところで、九七年三月の決定、それは今後も守られるのかどうかについてお聞きしたいと思います。

町村国務大臣 委員も、これも御承知での御発言だろうと思いますけれども、公立学校では、学校を設置する市町村あるいは都道府県教育委員会の権限で採択をするということが法律上明確になっておりますので、そのことをまず踏まえた上で、いろいろな形で、それぞれの地区の実情に合った形で、あとは採択がどう行われるかということだろう、こう思っております。

 ただ、ややもすると、教職員組合の意向のみが反映されるような形になっていやしないだろうかというような懸念もあるものですから、私は、もしそうだとすると、それはバランスのとれた採択のされ方ではない、こう思っております。

山内(惠)分科員 大臣が組合をどのように御存じなのか私はわかりませんけれども、組合が決定するということはないわけです。組合の構成員がしっかりといるわけですから。

 私は、教科書白表紙本を見に行って、アンケートのところに入れ、そして私の希望も意見も述べてくるということを、私の出身の北海道ではいろいろな形でやっていますから、意見反映をする場所が今もあります。そのことを知った上で教育委員会が決定されていくという意味で、大臣がおっしゃったことにつながるのだと思います。どこか、だれかだけが決めるのではなくて、やはり未来の子供たちに歴史の事実をしっかりと教え、伝え、そして子供たちが二度と戦争を繰り返さない、また私たちは子供たちを戦場に送ることのないようにということを考えるという意味で、広い人々の声を集めて決定をしていくということをぜひ心がけていただける採択であってほしいということでございます。

 そのことについて、いかがでしょうか。

町村国務大臣 中学校の学習指導要領の、例えば「歴史的分野」という中にも、「目標」として、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てるというような項目がございます。したがいまして、今委員が言われた歴史の反省ということも当然、重要な未来に向けての一つの要素であります。そのことを私は何ら否定するものではありません。

 しかし同時に、我が国の歴史もすばらしい面もあった。そういう言うならば光の部分と影の部分というのは必ずあるわけであります。その光と影というものがバランスよくやはり次の世代の若者たちに伝えられていくということが大切なんだろうと思いますし、そういう意味で、バランスのとれた教科書がつくられ、バランスのとれた教科書がまた採択されていくことが望ましいと私は考えております。

山内(惠)分科員 ありがとうございました。

 私たちが自分の住んでいるこの土地を愛するのと同じように、地球上、本当に人々と連帯して生きていくためにも、私たちの歴史を間違っているところは反省をし、そして自分の住んでいるこの国をも、世界の人々をも愛せるような未来に向かっていくためにも、歴史を知らないで諸外国に飛んで行っては本当に孤立することになりかねませんので、その意味で、私たちも子供たちに本当のことを教えていくという道をしっかりと受けとめて、そして大臣のおっしゃるように、子供たちが未来に向かって本当に希望を持っていけるように、そういう教科書であってほしいということを願って、質問を終わります。

細田主査 これにて山内惠子君の質疑は終了いたしました。

 次に、都築譲君。

都築分科員 おはようございます。連日御苦労さまです。

 予算の審議も、何か報道ではいよいよ大詰めだという状況でございますが、きょうは、自分自身の勉強をする意味でも、科学技術とそれから文部科学省の教育の問題について、ぜひ御見解を承りながら進めていきたい、こんなふうに思っております。

 ことしの一月六日に、中央省庁再編ということで、文部省と科学技術庁が統合され文部科学省が発足をしたわけでございまして、私ども自由党、かつて新進党のときから、中央省庁再編ということを訴えてまいりました。それは、事務や事業、あるいはまた権限、権益、こういったものも整理をした上で統合していこうというのが本来の趣旨でございましたが、今回、形の方から中央省庁再編という形で入っていったわけでございまして、この中で実際に事務や事業の見直しが行われていくことになるだろう、こんなふうに思っておるわけでございます。

 今回の文部省、科学技術庁の統合ということで、さまざまな研究開発事業が一つの省で実施をされるようになる、そしてまた教育と科学技術が結びつくことで創造的な人材育成が可能となるのではないか、こんなふうに考えているわけでございまして、教育改革と科学技術振興という、本当に国民的な関心も高い、また我が国の将来を左右するような重要な課題を同時に担うこととなる文部科学省において、統合の成果がきちんと上がるかどうかが今回の中央省庁再編の一つの重要な試金石である、こんなふうに言っても過言ではないと思うわけであります。

 そこで、まずお聞きしたいのは、文部省と科学技術庁のこの統合によって、どのような成果が今回この予算という形であらわれてきているのか、その点をまず最初にお伺いをしたい、こう思うわけでありまして、この融合、連携政策として、平成十三年度の予算案に盛り込まれているさまざまな内容があると思います。これまで重複していた分野についてどんな工夫をされているのかをまずお伺いしたいと思います。

    〔主査退席、田中(眞)主査代理着席〕

町村国務大臣 今委員御指摘のように、両省庁で重なり合う部分というのが確かにありました。そのほかいろいろな意味から今回統合ということになったわけでありますけれども、何せまだ初年度といいましょうか、実質十三年度が初年度でございまして、十分な統合効果がもう初年度の十三年度予算から出ているかと言われると、まだまだこれからの部分もあるなと思いますが、とりあえず、さはさりながら、十三年度の中で幾つかのポイントを申し上げると、例えば類似性が高い施策を整理合理化する。

 例えば、科学技術庁の方では、科学技術振興事業団で出資金による基礎研究というのをやっておりました。他方、文部省の方では、日本学術振興会で未来開拓学術研究推進事業というのをやっておりました。これは非常に類似性が高いということもあるものですから、文部省の方を段階的に終えていくということにいたしました。

 それから、例えば国際研究交流事業というのを事業団や学術振興会がやっておりましたが、これはむしろ学術振興会の外国人特別研究員制度といった、そちらの方に吸収をしていくということで整理合理化を図ったわけであります。

 あるいは、相互に関連する施策を一体的に推進しようということで、例えば、宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所、これが科学技術庁にあり、文部省の方は宇宙科学研究所ということで、いわゆる宇宙三機関と言われてきたものがあるわけですけれども、これを何とか一体的に推進をする必要があるだろうということで、とりあえずこれは、運営本部を設置する、あるいは共同でやるプロジェクトをつくろうということでやっておりますが、この辺は今後さらに、大野副大臣を中心に、どういう形で一体的推進を強化していくのかというあたりが一つの今後の課題であろう、こう思ったりしております。

 あるいは、日本原子力研究所の加速器科学、それから文部省の関係の高エネルギー加速器研究機構、これもあったものですから、これを、機関は別々でありますけれども、実際のプロジェクトを統合していくというようなこともやっております。

 そのほか、教育と科学技術をできるだけ融合して成果を上げることができないだろうかということで、一つは、国際研究交流大学村というのが今度お台場にできるわけでありますが、これを両省庁で一緒にやって、科学技術庁の日本科学未来館と文部省の方の留学生、研究者の宿舎、国際交流プラザ、これを一つの言うならばプロジェクトの中で位置づけて一体化していくといったようなことを考えております。

 そのほか、学術ネットワークがあるのですけれども、科技庁がやっておりました省際研究情報ネットワーク、国の国立研究機関をつなぐIMネットというのがありました。それから、文部省がやっておりました大学間を結ぶ学術情報ネットワーク、スーパーサイネットというのがありました。これをお互いに相互接続して、それぞれの持っているデータをきちんと使えるようにしようなどなど、幅広い分野で統合のメリットが出るように努力をしておりますが、今後さらに引き続き工夫、努力をしていかなければいけないな、こう思っております。

都築分科員 ありがとうございました。

 今のお話を聞いておりまして、本当に多様な分野でいろいろな研究あるいはまた振興政策といったものの競合を避けてやっていくことが可能である、そんなふうな印象を持ったわけであります。

 以前、NHKの番組で報道しておりましたけれども、ハワイのマウナケアにできたすばる天文台、私も昨年、実は委員派遣で見学に行く予定でございましたが、急遽ちょっと日程変更になりまして、残念ながら見ることができなかったのですが、やはりあれだけの研究施設を、世界一の望遠鏡をつくるんだという思いで取り組んでこられた、そういった天文台の先生方、あるいは文部省の皆さん方、そしてまた政治家の皆さん方の情熱が結集して本当にすばらしい施設ができて、それがまたこれからの研究の基盤を広げていく、その貢献が大いに期待されるところである、こう思うわけであります。

 ですから、本当に、同じものをやっているだけで、重複してむだな予算が使われているところをどんどん統合していくことが、非常に効率性とかあるいは力強さを求めていくためには一つ大事なことかなというふうな思いがいたします。片やまた、多様なそういった研究がいろいろなところで行われていることも、これまた実は多様な価値観といったものをはぐくんでいく、あるいはまた多様な視点をそれこそ生かしていく上でも大事なのかなということで、統合と多様化の難しさがあると思いますが、ぜひ、大臣の指導によって、そういったものの特徴を生かしながらいっていただければな、こんなふうに思うわけであります。

 今、大臣のお答えの中で、宇宙科学技術に関して関係機関の連携というお話があったわけで、文部省の宇宙科学研究所、それから科学技術庁の宇宙開発事業団、あるいはまた航空宇宙技術研究所、それぞれロケットの打ち上げなどをやってきたというふうに聞いておるわけであります。私も小さいころは科学少年でありまして、糸川先生のペンシルロケットのころのお話などを聞くと、大変夢を持って子供のころを過ごした記憶があるわけでありますが、最近はどうもロケットの打ち上げが相次いで失敗をしているということを聞きますと、日本の技術、科学、相当世界を引っ張るようなものでありながら、どうしちゃったんだろうというふうな気がするわけでございまして、ぜひ、夢は、やはり成功し続けて夢がはぐくまれるというところもあるわけでございまして、今後、この三機関における連携、融合の具体的な取り組み、あるいはまた見通しといったものについてお伺いをしたいと思います。

大野副大臣 都築先生から、ただいま宇宙開発について、夢のあることに向かって挑戦していく、それから、融合とかあるいは連携といってもやはり深いところで考えていかなきゃいけない、こういうお話を伺いまして、大変御激励と受け取らせていただきました。ありがとうございます。

 それで、三機関の連携、融合でございますけれども、切り口をまず行革という切り口で考えてみますと、宇宙科学研究所は国立大学と同じように独法化という視点で考えていこう、それから宇宙開発事業団は特殊法人のあり方として考えていこう、それから、先生もう御存じのとおりでございますけれども、航空宇宙技術研究所につきましては既にことしの四月から独立行政法人化が決まっている、こういうことでございます。

 さらに、手法とかあるいは性格を考えてみますと、まず、宇宙科学研究所の方は純粋学究的な研究をしていく、こういうことでございまして、構成員も大学の教授という身分を持った方でございます。さらに、宇宙開発事業団それから航空宇宙技術研究所におきましては、研究のやり方も、宇宙科学研究所がどっちかというとボトムアップ方式であるのに対してトップダウン方式でございますし、それからその性格づけも、宇宙開発事業団は開発という研究をやっている、開発をねらいにしている、それに対して、航空宇宙技術研究所というのは開発につながる基礎研究をやっている、こういうことでございます。ですから、先生がおっしゃるとおり、特色はそれぞれ持っているわけであります。

 しかし、さはさりながら、やはり同じく共同でやれること、連携できること、これは進めていかなきゃいけない、こういうことで、既に平成九年から、NASDAと、宇宙開発事業団とそれから航空宇宙技術研究所との間では共同研究をやっています。私も、現場の研究者と会っていろいろ議論してまいりました。研究者の皆さんがおっしゃっていること、非常に感動したのでありますけれども、お互いに顔を見ながら一緒に研究をやっていると、何か一つの目的に向かって進んでいる、こういう実感がわいてくるという話も伺いました。

 そういうことで、我々といたしましては、この宇宙関係三機関のいわば運営本部をことしの四月からつくっていく、そして、その運営本部のもとで、できる共同研究はやっていこう、それから人材の交流も進めていこう、こういう方針でやってまいります。今後とも、両省庁の統合の実を上げるべく、できることはやっていくんだ、連携、融合について、事業など一体的な運営をやっていく、こういう決意で頑張ってまいりたい、このように思っております。

都築分科員 ありがとうございました。ぜひ、今大野副大臣が言われたような方向でしっかりと取り組んでいただきたい、こんなふうに思います。

 そこで、日本が二十一世紀に科学技術創造立国といったものを目指していくためには、将来を担う創造性豊かな人材を育成することが極めて大切なわけでございます。ただ、残念なことに、最近の新聞などの論調を見ておりますと、青少年の科学技術離れあるいは理科離れということが指摘をされております。背景としては、やはり、科学技術が非常に専門化、高度化した結果、実際の中身が完全なブラックボックスになってしまって、例えば、テレビだ、DVDだ、あるいはいろいろな最新鋭の機器でも、実際に、昔だったらゲルマニウムラジオからスタートしたことを覚えておるわけでありますが、今一体何が中で起こっているかさっぱりわからない。

 そういう状況で、機器操作をすることもわからないような大人が実は生まれてきているのではないかな、こんな状況になるぐらい複雑、高度化しているのが現実ではないかなというふうに思いますし、また、片や理科の実験とか観察、こういったものの授業が少なくなっておりますし、また、授業がおもしろくないというふうなことも一因だというふうに言われております。

 今回の省庁再編で、教育を担当する文部省、それから科学技術を担当する科学技術庁が統合する、それで文部科学省として新たに発足したわけでありますから、省庁再編のメリットを最大限に生かして、本当に子供たちの関心を呼ぶような、興味を持たせるような、そういう科学技術あるいは理科教育といったものを推進していく必要があるのではないか、こんなふうに思います。

 そこで、科学技術に関する理解増進や理科教育について、どのような連携、融合施策を考えていかれるのか。あわせてまた、大学の先生方からの意見では、最近の大学生の低下する物理学力あるいはまた理科教育の減少、こういったものについて非常に厳しい見解が新聞などいろいろなところで出ておりまして、今回の新学習指導要領の問題についても、哲学なき削減に批判ということで、例えば、イオンという概念、塩を水に溶かしますとNaとClマイナスに分かれる、こういうところから習ったと思いますが、そういったものが今度は中学校でなくなって高校に入ってしまう、こんなことでいいのかというふうな指摘もされておるわけでありまして、科学技術、理科教育について、学習指導要領でどのように改善をされていかれるのか、その点もあわせてお聞かせをいただきたいと思います。

大野副大臣 都築先生のまず後段の部分でございますけれども、知識として考えれば、私は、日本の学生生徒の知識のレベルは国際的に決して劣らない、立派なものである、このように思っております。ただ、考える力、疑う心、こういうものがなくなっている、それは詰め込み主義の結果じゃないか、こういう議論でございます。もっともっとゆとりを持って、単に覚えるだけじゃなくて、見たり触れたりすることによって、考える力、物事を疑っていく気持ち、こういうのを養成していく、これが私は新しい考え方だろうと思います。

 せんだって、毛利宇宙飛行士と話しておりましたら、彼は今度、先ほど町村大臣からお話のございました、お台場にできます国際交流村、ここで科学未来館ができるわけですが、科学未来館の館長になっていただくわけであります。この未来館の中で、毛利宇宙飛行士がおっしゃるには、自分は物を見せるんじゃないんだ、物を見せることによって考え方を見せたいんだ、つまり、この物質というのはひび割れができたらいけないから、こういうところに注意をしながらつくってきたんだ、こういうふうな考え方を教えたいんだと。これは私は新しい教育のあり方として評価すべきことじゃないか。そういう意味で、新しい教育指導要領というのを評価していきたい、いくべきである、このように思っております。

 それから、科学技術の振興なり教育なくしては二十一世紀の日本はあり得ない、当然のことでありまして、例えば、簡単に申し上げますけれども、やはり覚えるだけじゃなくて見るんだ、そういう意味で、ここまでIT環境を整えて、学校の環境を整えてきたわけですから、やはり、中央で蓄積いたしました例えば宇宙飛行士の活動状況、あるいはライフサイエンスにおきますたんぱく質の状況、こういうものを画像にしまして学校に配信して見てもらう、こういうこともやっていきたいと思います。

 それからもう一つは、大変これは特筆大書したいのでありますけれども、子どもゆめ基金の中で、これまで文部省あるいは科学技術庁がやっておりましたものを一本化する、いろいろな研究所なり大学でやっておりましたものを一本化して、そこでいろいろな体験をしてもらう。もし理科離れということがあれば、子供さん方に、単に覚えるだけではないんだ、それは、見るんだ、さわってみるんだ、試してみるんだ、体験してみるんだ、こういうことで科学教育の成果を上げていきたい、このように私は思っているところでございます。

 先ほども申し上げましたけれども、この象徴的なものが、お台場にできます、七月九日オープンでございます、先生もぜひとも見ていただきたいと思いますが、国際研究交流大学村でございますので、よろしくお願い申し上げます。

都築分科員 ありがとうございました。

 ぜひ、本当にたくさんの子供あるいはまた学生がそういったものに関心を持って生き生きと学ぶことができる、そしてまた学ぶ発想というか、そういったものを大切にする教育が行われるように期待をしたいと思います。

 次は、ちょっと視点を変えまして、そういった形で触発をされ勉強を続けてきた人たちがやがて社会に出ていく中で、サラリーマンになって働く方もいれば、あるいはまた研究者として自分の知的活動を続けていく方もいらっしゃるわけであります。日本が本当にこれからもすぐれた人材、研究者を輩出していく、同時にまた世界的な貢献をしていく上でも、諸外国のそういった研究者が十分に研究できるような、あるいは十分にその能力を発揮できるような環境を整備していくことが大切ではないか、こんなふうに思うわけであります。資源の貧しい日本でございますから、世界の中で本当に尊敬され貢献できるような存在となっていくためには、優秀な研究者が研究成果を発信していくことが大切だ、こんなふうに思います。

 そういった意味で、今申し上げたような若手の研究者あるいはまた外国の研究者、こういった人が日本の研究機関で活動できるようにするためのどういう仕組みを考えておられるのか、またどういうふうに充実されようとしておられるのか。

 ひところ、日本は頭脳流出なんということが言われてしまったわけであります。ただ、最近はどうも頭脳流出じゃなくて、この間のノーベル化学賞を受賞された白川教授の姿を見ますと、頭脳発見というか、日本では評価されなくて諸外国で評価をされてしまって、慌てて文化勲章を贈ったりなんかするということなのかなという感じもしてしまって、ちょっと日本の研究環境というのはどうなっているんだろうということを率直に思ってしまうわけであります。

 やはり、自分が本当に好きな研究に没頭できるという環境、生活の心配をしなくてもいいという環境、あるいは本当に触発されるようなすぐれた先生あるいはリーダーがいるような研究、あるいはまた研究施設も非常に最先端のものが集まっているような研究環境、こういったものが非常に重要だろう、こう思うわけでありまして、今まで、大学院博士課程を修了した若手研究者が安心して研究できるようにということでポスドク計画が推進されてきたと思いますが、その成果と今後の改善方策などについてお伺いをしたいと思います。

大野副大臣 まず、外国の研究者に対する日本の考え方でございますけれども、日本の研究所というのは割合オープンになっております。例えばSPring8、これは世界最高の高輝度研究でございますけれども、これは外国の研究者にすべてオープンにされている。それから、ポスドク制におきましても、例えば外国人特別研究員といたしまして、平成十二年度でございますと七百四十五人がこの対象になっている、こういう状況でございます。

 そういう中で、今度切り口を若手ということにいたしますと、若手の研究者が研究に専念できる環境をつくる、それからもう一つは、そのことによって研究力を育てていく、涵養していく、これは物すごく大事なことであります。そういうことによって、どうか研究の成果が、外国からはね返ってくるのではなくて日本から発信していきたいな、こういう思いでございますけれども、このポスドク制度というのは、平成八年に策定いたしました科学技術基本計画の中で一万人計画というのがあります。この一万人計画につきましては、基本計画は五年でございますが、もう四年目に達成した、このことを我々は大変誇りに思っているところでございます。現在、十三年度の予算におきましても、きちっとこれは対処いたしております。

 それから、支援の効果をどういうふうに見るか、これはまたいろいろな見方があると思いますけれども、例えばこれは三年間支援を受けるものでございます。若手研究者が三年間、いろいろな意味で研究費、それから言ってみれば生活費に類する支援を受けるものでありますけれども、三年間ポスドク制で支援を受けて、それから五年たった段階で調査をしてみました。そういたしますと、大学の常勤職にある者が七一%、それから国立、民間通じての研究職にある者が一二%で、八〇%を超える者が引き続き研究職、研究をやっている。これは大変うれしい事実でございます。

 こういう意味で、これからもこのポスドク制、きちっとやっていかなければいけないな。特に大事なのは、やはり質的な充実に努めてまいりたい。今後は、研究能力の涵養などにつきまして、若手研究者の養成方策、これを質的に充実していく方向で頑張ってまいります。

都築分科員 ありがとうございました。時間が参りましたので、最後の質問でございます。

 今大野副大臣が言われたような質的な充実ということで、特に私が懸念をしておりますのは、先ほどもございましたように、国立機関の独立行政法人化、同時にまた国立大学などの独立行政法人化が今後、実際、行政改革の中で上がってくるわけでありまして、実際に独立行政法人になって、自分たちでちゃんと運営しろと言われたって、研究施設の費用など莫大なものが実はかかるところがあるわけでありまして、そんなのどこでお金を回収するのという問題になってしまうだろうと思うわけでございます。

 特に、国立大学が今まで果たしてきた研究開発の重要性あるいは貢献度、こういったものを考えたら、まだ日本の中では、確かに民間企業の研究開発施設も相当重要になってきておりますが、ぜひそういった独立行政法人になった場合でも、何らかの措置をとって、施設が老朽化しないように、最新鋭の設備で研究できる環境を整えていく、そういう努力が大切ではないかな、こんなふうに思うわけでありまして、研究環境の整備について今後どのように取り組んでいかれるのか、ぜひその御決意をお伺いしたい、こんなふうに思っています。

町村国務大臣 私もたまに大学に足を運ぶのでありますけれども、とてもこれはちょっと国際的にも、外国のお客さんが来ると、こんなところで日本の研究者は研究しているのかと思われるとちょっと恥ずかしいなと思うぐらい古い施設があったりするわけでありまして、特に、大学の施設の老朽化というのは大分問題だと思います。

 そんなこともありまして、今度三月末に科学技術基本計画を政府が策定いたしますが、それとあわせて、国立大学の緊急に整備すべき施設というものが、約千百万平米だったか、あるのですね。これも全部一遍にできるかどうかはわかりません、若干時間がかかるかもしれませんが、計画的にこれを整備していこうという計画もあわせて実はつくりたいな、こう思っているところでございます。

 なお、そうしたことを進めると同時に、国立大学の独立行政法人化の検討も進むわけでございます。どういう形になるか、まだまだでありますけれども、いずれにいたしましても、独法化になったからそういう研究がおくれてしまうとか施設の整備がおくれてしまうということにならないようにしていかなければいけない、こう思っております。

 ただ、国立大学だからといって余りのんびりのほほんとやってもらっては困るので、やはり世界の大学と競争しているという意識も強く持ってもらって、そういう意味での競争的な環境というものは、やはりそれはそれでつくっていかなければいけないのだろうな、こう思っております。

 いずれにしても、やはり世界に冠たる日本の研究、これは国立大学であると国の研究であるとを問わず、これから意欲的に整備をしていきたい。センター・オブ・エクセレンスがたくさんあるな、こう言われるように努力をしてまいりたいと思っております。

都築分科員 終わります。ありがとうございました。

田中(眞)主査代理 これにて都築譲さんの質疑は終了いたしました。

 次に、中川智子さん。

中川(智)分科員 社会民主党・市民連合の中川智子です。

 きょうは、町村大臣に、二十一世紀教育新生プランその他あわせまして、教育改革の問題についてお考えを伺いたいと思います。

 まず最初に、私はやはり子供たちの状況というのは大人の社会の鏡のような気がしてなりません。新聞に載ることは、お金をだまし取ったり、悲惨ないろいろな事件でありましたり、また、政治家がわいろをもらって自分の地位を利用したさまざまのことをする、そのような記事などが連日載っていて、大人の社会がこうなのに、子供たちにだけ心とかを真っすぐにとか言うことは、私はとてもこれは矛盾したことではないかと思いますが、町村大臣は昨今のこの政治状況をどのようにごらんになりますか。

町村国務大臣 大人の社会が子供に影響を与えるという、広い意味でそういう御指摘があれば、それはまことにそうだろうと思います。まして、我々が小さかったころと違って、これだけのテレビ時代、あるいはインターネットで世界の情報が瞬時に入る時代でありますから、そういう意味で、我々大人がやはり襟を正し、きちんとした生活をし、なるほど、自分も大人になったらこういう大人になりたいなと言えるようなお父さん、お母さんである必要があるし、また社会人である必要がある、そう思っております。

中川(智)分科員 ちょっと漠然としたお答えでしたが、結構です。

 私は、やはり教育というのは、いつも話すのですけれども、いろいろな、大人の事件であっても、子供たち、少年たちの事件であっても、そしてまた、若い人たちは非常に投票率が低い、政治に対しての関心も、お年寄りは結構せっせと投票に行きますが、若い人たちの政治離れということが言われているのですが、どんな小さい問題であっても教育だね、本当に小さいときの教育が大事だねということを親同士で話すときには特に話します。それは、家庭の教育でもあり、学校の教育でもあり、社会の教育、そういうすべて合わさった教育一般ということを言っているわけですが、やはり教育によって人がつくられるということを痛感します。でも、その教育もまた人がつくる、これを痛感いたします。

 そこで大事なのは、人材の必要性。学校現場にやはり人がいなければ、先生たちの状況を聞いてみますと、もう気の毒なのですね。私も子供を二人育てて、そのころからのおつき合いのある先生たちとはいまだに結構仲よくしているのですが、あるとき職員室の黒板の写真を何枚か写して私に持ってきてくれたのですが、もう予定でびっしりなんですね。いろいろ雑多な行事がいっぱいで、それはその日だけじゃなくて、準備がある、後片づけがある。そういう日常の雑事というのをこなしながら子供たちに向き合って、さまざまな子供たちの状況をどうにかしていかなきゃいけない。余りにも先生たちが忙しい。

 そんな中で、不登校児もふえてはいますが、一方で先生たちが病で倒れていく、それも精神を病む先生方が非常にふえている。これは町村大臣の御認識はどうでしょう。

町村国務大臣 私もよく現場の先生方とお話し合いをすると、忙しいというお話があります。いろいろな理由があるのだろうと思いますね。昔ですと、クラスの生徒の側にある種のまとめ役みたいなのがいて、その子に頼んでおくとある程度クラスはぱっとまとまる。最近は、一人一人がばらばらで、例えばクラスに三十人いれば三十通りの対応をしないとならないというようなこともあるという話を聞いたことがあり、なるほどそうなのかなと思ったりもいたします。

 確かに、いろいろな行事もあるということも事実だろうと思います。しかし、学校というのは、行事が雑事だとおっしゃったけれども、決してそれはそうではなくて、いろいろな行事もまた大変大切な教育の一環として行われる行事がたくさんあるわけでありますから、それをすべからく全部雑事だと言うのはちょっといかがかな、私はこう思ったりもいたしますが、実際、いろいろな仕事があることも事実だろうと思います。ストレスが多い、心の病になる、そういう先生もいらっしゃるのもまたよく承知をしております。

 しかし、逆に言うと、そういういろいろなストレスというのは先生だけではないのですね。すべての職場にそういうストレス、忙しさというのがあるわけでありまして、それをやはりしっかりと乗り越えていくだけのまたたくましさというものも先生には求めたいな、こう思っております。それは、先生だけじゃなくて、すべての職種の人に必要な資質といいましょうか、社会人として働いていくための資質なんじゃないのかなと思います。

中川(智)分科員 私が雑事と言ったのは、省けるものもあるだろうということを言ったわけです。そして、教師の一義的な仕事は、やはり子供たちと一緒に向き合っていく、そして一人一人の子供たちを大切にしながら未来を切り開いていくのが第一義的な仕事であろうに、それをやりたいけれどもできない、さまざまな仕事が多過ぎるという声が多いということを申し上げたわけです。

 そして、今回のプランの中にも二十人学級ということもおっしゃられていますが、それは特定の教科とかそのようなことで、私は、やはり二十人、今四十人学級ですが、段階的にすべからく公立学校は三十人学級にということにもう一歩すぐにでも踏み出していって、そして、人材の確保というか教師の確保をして、やはり人が教育をつくり、教育はまた人をつくるということを実践していかなければいけないと思うのです。

 教員養成学部の定員の激減で、今先生になるというのはとても狭き門です。私たちの時代のころというのは、いい先生に出会うと私も将来先生になりたいという、そういうきっかけで先生になった人も多いのです。また、やはり今でも若い人たちの中には教師になりたいという人は多いのですが、とても狭き門なんですね。小渕前総理のときに百万人の雇用創出とおっしゃいましたが、まだまだ二十万人ぐらいの達成で、私は、やはり教育分野への雇用創出を図るべきだと思います。

 一点目は、三十人学級の早期実現をぜひともお願いしたいということ。それは、あわせて、団塊世代、私たちの世代が定年を迎えますと、物すごくその間がなくなってギャップが、非常に偏ってしまう。子供たちにとっては、各年代の先生がいて、バランスがとれて、そのときの教育のいろいろな背景を持った先生が生徒たちと向き合うということが大事だと思うのですが、今のように先生たちの採用が少なくなっていたら、世代間ギャップ、また子供たちにいい影響は与えないと思います。

 まず、三十人学級のことに対して、端的にお返事をお願いします。

河村副大臣 三十人学級の法案が国会に出されたこともあります。一度引き下げられまして、また新たに出てきたということでございます。

 三十人学級の実現に向けては、いろいろな意見があるわけでございますが、一概に三十人学級にして教育効果が上がるのかどうかという議論もございます。教員を大幅にふやしていけば、その可能性もあるわけでありますが、財政的な問題もあり、我々としては、最善の方法としてどういう方法があるかということを考えまして、当面、今教育現場で起きているいろいろな問題に対処する。

 特に、やはり、授業がわからない、楽しい授業ができない、ここにも大きな問題があろうということで、わかる授業をやってもらうためには、特に、中学校の差がつきやすいと言われる理科とか数学あるいは英語、そうしたものについては習熟度別も若干加えながら、少人数学級が必要であろうということで、二十人クラスの授業ができる体制をつくろうということに踏み切って、定数改善に臨んでおるわけでございます。

 また、教科によっては、切磋琢磨といいますか、体育系を初めとして、あるいは音楽とか、ある程度の人数をそろえながら授業をする効果的なやり方もありますから、それぞれのやり方については、各教育委員会、各県において対応をしていただきたい、このように考えているところであります。

中川(智)分科員 私は、やはりすべての学校に、欧米並みとは申しませんが、余りにも貧弱な四十人学級をいつまでも続けていくこと、そのことが教育の荒廃との連動というのを強く思っておりますので、それに対しての前向きの政策の実現をぜひともお願いしたいと思います。

 それに関連いたしまして町村大臣にお伺いいたしますが、今回の、非常に問題だ、これは心配だと思っていることの一つに、不適格教員の教壇からの排除ということがございます。

 先ほど、町村大臣は、やはりどんな世界にもストレスとかいろいろ大変なことがあるんだから頑張ってやらなきゃいけないんだとおっしゃいましたが、まじめな教師ほど、一生懸命それに対して深刻に悩み、そして病んでいくという状況があります。

 そんな中で、この不適格教員という表現が非常にあいまいなんですが、例えば体が弱いとか、欠勤とか遅刻が多過ぎるとか、セクハラ教師も最近ふえていますが、そういうふうなことを、資質としてのものをおっしゃっているのか、それとも、思想信条、そこまでもやはり不適格教員ということでイメージをされているのか、これをだれがチェックするのかというところに対して御答弁をお願いします。

町村国務大臣 今回、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法案をこの国会に提出をさせていただきました。いずれまた文教委員会等でも御審議をいただきたい、こう思っております。

 これは、児童生徒への指導が不適切だ。病気の方はまた別途として、それは休職制度とかなんとかありまして、別に病気の方が不適切教員というわけではございません。児童生徒への指導が不適切な市町村立の小中学校の教員について、分限免職に至らない前であって、そういう状態で都道府県の教員以外の職に転職することができるようにするということなんです。

 わかりやすい例で言うと、例えば、先生として教室へ入ってきますね。生徒の方を向いてしゃべれない、生徒の顔を見ると言葉が出なくなってしまう。しようがないからというので、黒板の方へ一日向いて、黒板に字を書き、黒板に向かってしゃべり、生徒がわいわいがやがやしていても、どういう理解程度かもわからず、とにかくひたすら一日じゅう黒板の方を向いて、そして一日終わると帰る。これは生徒にとっても不幸であると同時に御本人にとっても不幸なことだと思うんですね。

 例えばそういうようなケースで、なおかつ、しかし、別に何か悪いことをしているわけではない。だから、やめさせるとかそういう話にはならない。あるいは、何か破廉恥罪で罪になるとかそういうわけでもない。そういう方については、一応公務員であるから他の職種に移れるようにしようと。今は他の職種に移りたくても移る方法がないんです。そういう方については移っていただく。

 だから、今、三つ四つのあれを考えておりまして、例えば、教える内容がどうも間違いが多いとか、あるいは児童生徒が質問をしてもうまく答えられない、こういう人はやはり先生として不適切なんじゃないだろうかとか、あるいは今言ったように、授業の内容をひたすら黒板に書くだけで、質問しても何も答えようともしないとかいうような先生とか、あるいは生徒とコミュニケーションをとらない、もうだめ、一切話しないと言って。いや、そんな極端な人はいるわけないでしょうとおっしゃるかもしれないけれども、そういう先生方が結構いらっしゃるんですね。

 実は、こういう人は先生という職場に不向きだということを一番わかっているのが現場の先生方なんです。あの人、もう本当は無理なんだよと。もちろん校長先生もわかっている。実は、学校の現場現場でわかってはいるんですよね。今まではどうするかというと、そういう先生を、Aという学校は、いろいろいろいろあの人はどうもうまくないよという話になると今度はBという学校に転勤させる、またBという学校でいろいろ問題が起きるとCという学校に移る。何のことはない、目の前だけをちょっときれいにするというだけで、本質的な解決になっていないんですね。

 そういう方は、やはり他の職に移ってもらった方がいいのではなかろうか、そこの道を開こうというのが今回の法律の改正の意味であります。

中川(智)分科員 それでしたら、思想信条とかそのような形での、内容でのチェックじゃないということでの確認でよろしいんですね。わかりました。安心いたしました。

 それと、今のお話を伺っていましたら、最近本当に教師になるのが難しいのです。重箱の隅をつついたような試験で、採用試験がすごく難しくなったり。そうなると、私もいろいろな先生たちを見てきましたけれども、挫折を知らない先生がふえてきたなと思うんですよ。自分がいじめられたこともない、何かお利口過ぎて、勉強だけができて頭でっかちで、社会経験が非常に少ない。そういう人が先生になると、多様な子供たちをどう扱っていいかわからない。先ほど大臣がおっしゃったように、生徒の目も見るのが怖い。先生の不登校というのが結構あるわけですが、もう怖くなっちゃう。

 そうなると、最初の採用を、もっと精神的にもたくましくて、いろいろな経験をした、そういう人材を採用すべきだと思うのです。

 これはもう要望にとどめておきますが、採用の仕方なんですが、社会経験を積んだ人とか、途中でいろいろな仕事についたけれども子供が好きだからやはり教師になりたいとか、いろいろそういう人たちへの就職の道を開く、そのようなことをぜひとも御検討いただきたい。

 これはまた改めてほかのところで、宿題で、いい御答弁を御期待申し上げます。

 関連しまして、問題児童の出席停止、ここも非常に懸念しているところなんです。

 実は、大阪の松原市というところに松原三中というのがあるんですが、そこは二十年も前から、家庭に返したって、もう家庭が大変なんだから、親に説教したってそういう説教を素直に聞く親はもともと余り問題ないんですよ。PTAなんかでも、頑張ってやったって、PTAの現場に来て懇談会とかに出る親は問題ないんですよ。そこまで来ない。だけれども、よその家ですから、あなたのところの子供ちょっとおかしいんじゃないなんて言ったって、塩をまかれるぐらいです。先生たちだってそうなんですね。親と会うことすら難しい。

 そういう子供を抱えて、やはり私は家庭が基本だと思うんですが、家庭に預けることが心配な子は学校で懸命にということで、問題児童、私はこの表現は嫌いですが、そういう出席停止についての受け皿をどのように考えていらっしゃるのか。

 この松原三中では二十年も前から、金剛山とか生駒山という山があります、あそこに分校みたいに、小さい山小屋みたいなところを借りて、そこで先生たちがなるべく時間をつくって一対一で子供たちと向き合って、本当に子供たちとともに生きていこう、すごくつらい状況を子供たちはそこで先生に吐露して、やっと自分の未来をともに考えてくれる人に出会ったということで変わっていくのですね。

 中途半端な対応だけでなくて、家庭推進何とか班、そういうのを地域でつくって、そこに少し予算を投じて、退職なさった先生たちとか地域の自治会とかいろいろな人たちを集めてそういう家庭の親に対して説教をするとかというのは、どうしても中途半端になると思うのですね。やはり一対一で徹底的にその子たちと向き合う、そのような受け皿を考えていらっしゃるのでしょうか。――大臣、逃げちゃだめでしょう。しっかり答弁してください。

田中(眞)主査代理 町村大臣。(中川(智)分科員「きょうは町村大臣にすべてとお願いしていますからね」と呼ぶ)

 質疑者は不規則発言をしないでください。

町村国務大臣 河村副大臣もいらっしゃいますから、そうはまいりませんので、どうぞそこはひとつ御理解をください。

 出席停止の問題であります。

 現在も既に出席停止という仕組みはあるのですね、法律上あるのです。ちなみに、平成十年度五十六件、平成十一年度八十四件、これは全国であります。

 どういうケースかというと、この八十四件のうち、一番多いのが対教師暴力なんです、三十五件。二番目に多いのが生徒間暴力十六件、授業妨害十二件、いじめ六件、その他、こういうことになっておりまして、先生に暴力を振るうというケースが実は一番多いのですね。したがいまして、なかなかこれは事態は深刻であります。

 先生、御参考までに、こういう生徒がいるとどんなに大変かというのを、今発売中の文芸春秋に、もう出席停止しかしようがなかったケース、先生たちがいかに悩んで最後は出席停止にいったかというのを、現場の中学校の先生が文章を非常に生々しく書いておりますから、ちょっとごらんをいただくと、いかに、彼らもすぐぽんと出席停止措置なんてできない、いろいろ悪戦苦闘して最後とうとう行き着く先はそれしかなかったというプロセスが非常にわかりやすく書いてあるので、ひとつ御参考にしていただきたいのであります。

 目的は、その子供の周りにいる人、普通の生徒たちですね、一生懸命授業を受けよう、一生懸命勉強しよう、スポーツをやろうという子供たちの、いわば学習権をきっちり守るために、出席停止という措置が有効な場合にはそれはとれるようにしようということなのですね。

 今まで、ややもすると、例えばいじめがあるといじめられた子供が転校するという、全く本末転倒なことをやるケースが多いのです。そうではなくて、やはり悪いことをやった子供をどうするかということをまず正面切って考えなきゃならない。これはちょっと一般論で言うと、犯罪を起こすと、何か犯罪人の権利ばかり皆さん言うけれども、被害を受けた人たちのことが余りにも軽んじられているのとちょっと似た構図だなと思うのです。

 したがって、我々はまず、被害というか、授業を受けたくても受けられない子供たちの権利を、しっかり学習権を守るというために、この出席停止という措置をとる場合がある。

 しかし、そのときであっても、さはさりながら、今委員御指摘のようにその生徒が学校からただいなくなればいいという話ではないわけであります。その子供もやはり、学校を離れて、ではどうするか。家庭でまずしっかりと勉強したり、反省をしたり、いろいろ考えたりする期間が一定程度要る。

 しかし、今御指摘のように、家庭できちんとやれるのなら多分問題は起きないだろうと、そういうこともあるかもしれない。そういう場合には、家庭だけでは対応できなければ、教育委員会あるいは児童相談所等々いろいろな周りの機関も共同して、その子のための出席停止期間中の措置というものをどうするのかということもあわせてはっきりさせるということを、今回法律上明示していこうということでございます。

中川(智)分科員 今の大臣のお話を聞いていましたらば、まだ受け皿は明確な形できっちりつくっていない、そのようにとりました。いいです、同じあれでしたら。――では、どうぞ。

町村国務大臣 そこはケース・バイ・ケースだろうと思うのですよ。その子の家庭の事情がどうかということによって随分違うと思いますよ。

 それから、さっき生駒山というお話があったけれども、地域の状況だってそれはさまざまでしょう。たまたま近くに児童相談所があるかないかでだって随分違うと思います。ですから、さっき、伊丹の話ですか、家庭教育推進班、中途半端だとおっしゃったけれども、私は、例えばこういうような地域ぐるみの努力というのもまた大切なことなんだろうと思いますよ。

 それは、中途半端かどうかやってみなければわかりませんし、どういう成果を上げているか私はわかりませんが、こうした学校、地域、家庭、要するにみんなでその一人の子供をどうしようかというようなことで努力をすることは、私は大変いいことだと思う。

 だから、受け皿がないんでしょうと、そう簡単に決めつけないでください。それはケース・バイ・ケースで、一番望ましい形で出席停止期間中のその子供への対応を考えていくというふうに御理解をください。

中川(智)分科員 ただいまのお話で、学習権というふうにおっしゃいました。私は、それは大事だろうと思います。でも、やはりその出席停止にされた子の学習権というのもあるわけです。

 教育の権利というのはだれに属するのかということで一点お伺いしたいのですが、一九九九年四月八日、国連の人権委員会、その中での報告、声明の中で、教育に対する国の役割について、第一に、公共サービスとして教育を提供する国家の財政的な責務があります。第二に、公立校へのアクセスを見届けること、その際差別の禁止と協調したものでなくてはならないことということを挙げています。

 その声明の中にもいろいろ本当に大事なことが書かれているのですが、日本では就学の義務を親に課し、学校以外で子供を教育することが今できないわけなんですね。家庭で、算数も英語も全部私が教えてあげるわと親が言ったって、そこで勉強したことは授業日数にカウントされないという状況であります。教育に対する国の役割及び教育への権利を、もう一度やはり見直す必要があるのではないかと私は思っています。

 また、一月二十五日の国連子どもの権利委員会、ここでゼネラルコメントを採択しましたが、この中で、知識を蓄積することに焦点を当て、競争をあおり、かつ子供の過度な負担につながるようなタイプの教育は、子供がその能力及び才能の可能性を最大限にかつ調和のとれた形で発達させることを深刻に阻害するというゼネラルコメントが発表されました。

 私は、今度の教育改革の中身、時間がもうないので、どうしても私は奉仕活動のことを伺いたかったのですが、これに沿ったものだというふうに大臣はお考えでしょうか。端的にお願いします。私は、国連のこのコメントに対して反する流れに今日本は向かっているような気がします。

河村副大臣 今中川委員御指摘あった点でありますが、新しく教育改革で二十一世紀教育新生プランを決めてきました。その過程を見ましても、今中川委員から御指摘があった点について、決して反していない、私はこのように考えます。

 子供の立場に立ったわかりやすい授業をしていこう、また子供の才能それから個性、そういうものが発揮できるようにしようということは、今御指摘があったような、権利条約第二十九条第一項の児童の人格、才能の最大限の発達や、人権及び基本的自由の尊重、こういうことを目的としたこの条約にむしろ沿ったものである、私はこのように考えます。

中川(智)分科員 最後に、奉仕活動のことをやはりどうしても聞いておきたいので、お伺いしますけれども、阪神・淡路大震災のときに、延べ百六十万人のボランティアが被災地に来てくれました。そのうちの約八割が若い人たちだったんですね。そのうちの六割が初めてボランティアをする。私は、東京ボランティアセンターとか、いろいろなボランティア活動をしている若い子たちに聞くと、こういうふうに強制なんかされたら、むしろその後ボランティアするのが嫌になるだろう、ボランティアこそ、やはり自発的に、このときに自分は行くんだ、自分で決意してやるのが本来のボランティア活動であると。

 大臣、私は、先ほどの文春の三月号は大臣のこの文章しか読んでいないんですが、この中で本当に大臣が特におっしゃっているのは、「自分の頭で考えることができるようになれ」ということを、ポンちゃんのお話に感動されて書かれています。これこそ、ボランティアというのは、自分の頭で考えて、自分の心の声に従って、そして行動するということがボランティアなんですね。

 今回のこの奉仕活動、特に若い子たち、ボランティアをやっている子たちの声を聞いてもらいたいと思います。東京ボランティアセンターとか、近くにボランティアをやっている高校生たちがたくさんいます。ぜひともそのボランティアをやっている子供たちに、今回のこの奉仕活動の義務づけというのはどう思うかということを聞いてもらいたいと思うんですが、その二点、最後に御答弁をお願いいたします。

町村国務大臣 ボランティアを大いになさるのは本当に結構です。それはもう自発的にやっていただいて結構です。

 ただ、学習の中で、例えば小学生であれ中学生であれ高校生であれ、今現実に、奉仕体験学習とかあるいは自然体験学習とか、これは学校のまさに授業の中で、それは道徳の時間かもしれないし、あるいは社会科の時間かもしれないし、あるいはこれからある総合学習の時間かもしれないし、そういう中で、クラス全員で、好きな人だけじゃないんです、全員で、例えば特別養護老人ホームに行ってみる、あるいは高校生が保育園に行ってみる。

 これは、やはり行きたい人だけ行ったのでは意味がないと僕は思うんですよ。行きたい人が行くのはもちろんいいですよ。しかし、まずみんな、授業、学習活動の一環として行ってみて、そこで初めて、人に尽くすことのすばらしさとか、あるいは、やはりお年寄りというのは大切にしなきゃいけないんだとか、小さい子供の命は優しく包んではぐくまなければいけないんだとか、そういうことを初めて体験する。僕は、教育のある一つの側面というのは、自分が好きだとか嫌いだとかいうことを抜きにして、全員がそこへ行ってみる、学んでみるということの大切さ、これが教育の一つの本質だと私は思っております。

 それと、あともう一つは教育以外の面で、これは教育改革国民会議で出て、これから中央教育審議会などで検討してまいりますが、十八歳以後の青少年に対してこういう奉仕活動のあり方というのはどうしたらいいだろうか。教育改革国民会議の中でも、最終的には義務とは書いてありません。ただ、どういう奉仕活動のモデルがあるのかなということを少しく中教審等で議論をしてもらって、ではどういう形で大勢の人に参加してもらえるだろうか、そんなことをこれからまた議論していきたいなと思っております。

 いずれにしても、特にやはり学校でやる奉仕活動というのは、全員がやるところに意味がある、私はこう思っております。

中川(智)分科員 わかりました。ありがとうございました。

田中(眞)主査代理 これにて中川智子さんの質疑は終了いたしました。

 次に、土田龍司さん。

土田分科員 自由党の土田龍司でございます。

 実は、きのうから大変な風邪を引いてしまいまして調子が悪いんですが、小さい政党なものですから差しかえもできませんので、お聞きづらい点があるかと思いますが、お許しをいただきたいと思います。

 教育新生プランについて、基本的なことをお尋ねさせていただきたいと思うんですが、前の大戦から一貫して日本は経済発展を目標に掲げて、それに専念してきたわけでございます。もちろん経済発展という大きな目標は達成されたわけですが、その結果として多くのものを失ってしまいました。今の日本は、国もそして国民も、目標を失って、将来の展望もないまま漂いながら、深い混迷に陥っているんじゃないかというふうな感じがしております。

 特に、最近の少年犯罪の凶悪化はまさにそうした混迷のあらわれであって、こうした事態を打開するには、すべての社会システムを基本から変えなきゃならない。特に教育を改革することが何よりも大事であって、急務であると考えるわけです。

 文部科学省が先般取りまとめた二十一世紀教育新生プラン、その前文において、我が国の教育は、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年の犯罪の続発など深刻な問題に直面しており、個人の尊重を強調する余り公を軽視する傾向が広がっているなどとして、我が国の教育は危機に瀕しているという表現を使っており、問題意識が示されておりますけれども、私も全く同感でございます。

 こうした現状を打開していくためには、今こそ思い切った実効性のある教育改革を実現することが必要であるわけですが、文部科学省として教育改革を具体的にどのように進めていくおつもりなのか、まずは大臣の決意をお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 土田委員御指摘のように、個々の説明は省きますが、大変危機的な状況にあるという思いが強くいたしております。戦後だけをとりましても、もう何度か教育改革ということがうたわれ、また提言が出され、また実行もされてきております。それぞれが進んではきておるんですけれども、結果はどうかというと、どうもなかなかいい方向に向かっていないという感じが私もしております。

 そういう思いから、昨年三月に小渕総理の御提言で人選をして教育改革国民会議ができ、十二月にその最終報告が出され、そうしたものを踏まえながら、またこれまでの文部科学省の教育改革の取り組みも加味しながら、一月に二十一世紀教育新生プランというものをつくらせていただきました。中身はごらんのとおりでございまして、とにかくこれらのことを思い切ってやっていこう、こう思っているんです。

 今まで、教育というのは非常に幅広い国民に影響が出る、子供、保護者、場合によればおじいちゃん、おばあちゃんも巻き込んで、非常に国民に幅広き影響を与えるものですから、どちらかというと、できるだけゆっくりと、摩擦少なくということでやってきたんです。それはそれで一定の配慮として当然かもしれませんが、私は、あえて誤解を恐れず言うならば、多少の摩擦はあってもスピーディーに、どんどん変えてみる、よい方向に変えてみるという思いでこのプランをつくったわけであります。ただ、全部が全部一遍にいきませんが、少なくともこの国会では六本の法案を出し、そして今御審議をいただいている予算の中にも、それに関連する幾つもの中身が含まれているわけでございます。

 またさらに、なかなか全部一遍に答えが出ない部分もございまして、例えば教育基本法をどうするかとか教員免許のあり方をどうするかといったような、幾つかのテーマについては引き続き中央教育審議会でもう少し御議論をいただいてからまた次のステップに向かっていく、こんなようなことを考えております。

 いずれにしても、ぜひ自由党の皆様方にも御指導をいただきながら、教育改革を思い切って断行してまいりたいという決意でおるわけであります。

土田分科員 安心しました。

 私の地元なんかでも、話しておりますと、景気の問題とか教育の問題が一番受けるんですね。受けるといいましょうか、非常に皆さん関心を持っておられる。戦後こういった状況が続いてきたことも百も承知しておられる。その上で、何とかしてほしいという気持ちがたくさんあるわけでございます。

 平成の大改革にはちょっとほど遠いようなプランでございますけれども、そのくらいのつもりでおやりになって、ちょうど半分ぐらい実現すれば変わったなという気持ちが出てくるのかなと。特に、教育の場合はなかなか即効性が出てこない。こういったことを始めても、すぐその日から効果が出てくるかというとそうではなくて、長年時間がかかって初めてその効果が出てくるわけでございますので、時間の問題も含めて、ぜひ確実に推し進めていただきたいと思っているわけでございます。

 自由党としましても、従来から、日本人の伝統的な資質をはぐくみ、次の時代を担い得る、そういったよき日本人を育てることを提言しております、内容的にはほとんど同じかもしれませんけれども。今こそ日本と日本人のあり方を問い直すときであり、歴史や伝統や文化を踏まえて、心のあるよき日本人を育てることに教育の主眼を置かなければならない。この観点から、二十一世紀教育新生プランにおいての、人間性豊かな日本人を育成するということについては非常に大賛成でございまして、大いに評価をいたしておりますし、実現を目指して頑張ってほしいと思っております。

 私は、人間性豊かな日本人を育成するためには、特に学校において子供たちにきちんとした道徳を教えることが重要であると思う。先ほど前の方の質問に対して大臣が答弁されておりました内容を聞いておりましたけれども、非常に大事なことでございます。

 しかしながら、道徳教育の現状を見てみますと、とても子供たちが人間性を身につけることができるようなものになっているとは思えない。もっと文部科学省が責任を持って道徳教育を充実していくべきだと考えておりますが、今後の取り組みの方向性について、具体性についてお答えを願いたいと思います。

矢野政府参考人 今日、学校において道徳教育の充実を図っていきますことの重要性、必要性は、まさに委員御指摘のとおりでございます。

 このため、平成十年十二月に告示いたしました新しい学習指導要領におきましては、一つは、体験活動を生かした心に響く道徳教育を実施すること、それから、家庭や地域の人々の協力を得て道徳教育を充実すること、さらに、未来に向けてみずからが課題に取り組み、ともに考える道徳教育の推進を図ること、こうしたことを基本的な方針として、道徳教育の内容を改訂いたしたところでございます。

 特に、幼児期や小学校低学年の時期に、しつけなどの基本的な生活習慣でございますとか善悪の判断、さらには社会生活上のルールなどにつきまして、これを繰り返し指導し、その徹底を図ることが必要かつ大切なことであるというふうに考えているところでございます。

 また、平成十三年度におきましては、児童生徒が身につけるべき道徳の内容をわかりやすくあらわしたもので、道徳的価値についてみずから考えるきっかけとなり、その理解を深めていくことができるような、そういう趣旨でもって、児童生徒用の冊子といたしまして、仮称ではございますけれども、心のノートというものを作成することといたしておりまして、これを来年度中にすべての小中学生に配付することといたしているわけでございます。

 委員御指摘ではございますけれども、私どもといたしましては、今後ともこうした施策を通じて道徳教育の一層の充実に努力をしてまいりたいと考えておるところでございます。

土田分科員 次に、教員の問題なんですが、次代の子供たちをよき日本人として育てる教育は、よい教師がいて初めて可能になるわけでございます。

 私ごとですが、私の子供は小学校二年生でございまして、既に学級破壊が行われております。三十人ぐらいの生徒がいるのでしょうか、ほとんど授業にならないような状況でございまして、校長や副校長や担任の先生とも何回か意見交換をしたのですが、ちょっと解決策が見つからないというような状況でございます。私の子供自身も学校に行くのを余り喜んでおりませんし、めちゃくちゃとまではいかないのですが、程度はそれほどでもないと思うのですが、授業にならないのが毎日何時間もあるというようなことでございました。

 ですから、幾らすばらしいカリキュラムを用意したからといって、教師がきちんと子供に教えることができなければほとんど意味がないわけでございまして、今申し上げましたように、最近の教師の中には、子供たちに全く相手にされないとか、塾の先生の方が信頼があって尊敬をされているとか、そういった話も実際に聞いております。

 教師とは本来、単なる労働者ではなくて、崇高な役割を担っている聖職という職業であるべきであると思うのですが、今後、文部科学省としてどのように教員の資質向上を図っていくつもりなのか、お答え願いたいと思います。

矢野政府参考人 学校教育の成否は、改めて申すまでもなく、その直接の担い手でございます教員の資質、能力に負うところが大きいわけでございまして、そういう意味で、その資質、能力の向上は極めて重要な課題でございます。そのため、教員の養成、採用そして研修のそれぞれの段階を通じて、関係の施策を体系的に推進していくことが必要であると考えるわけでございます。

 そこで、教員の養成につきましては、平成十年に教育職員免許法を改正いたしまして、教諭の免許状の取得要件につきましては、学校教育活動の遂行に直接役に立つ教職に関する科目、その中にはカウンセリング等生徒指導に関する科目などが含まれるわけでございますが、そうした教職に関する科目を充実するなどによりまして、大学における教員養成カリキュラムを大幅に改正いたしたところでございまして、これは平成十二年度大学入学生から適用されているところでございます。

 また、教員の採用でございますが、採用の問題につきましては、基本的に、私ども、人物重視の観点、人物重視の方向に一層移行させることが必要であると考えてございます。こういう観点に立って、面接、実技試験等の選考方法を多様化すること、それから社会経験あるいはボランティア活動等のそういう経験を適切に評価するなどの評価尺度を多元化していくこと、それに学力試験でございますが、学力試験につきましては、これを一定の水準に達しているかどうかの評価に用いることにとどめまして、その上で、その人物の多面的あるいは総合的な評価を行うこと、こういうことが採用の問題としては重要であると考えているところでございまして、こうした点につきまして、各教育委員会の積極的な取り組みを促してまいりたいと考えているところでございます。

 さらにもう一つ、教員の研修でございますが、教員の研修につきましては、初任者研修などの職務研修というのがございます。職務として行う研修でございますが、その職務研修の内容の充実を図ることが必要でございます。また、教員が民間企業等において、半年とか一年とか、長期間社会体験研修を行う、そういう事業がございますが、この事業を一層充実を図ってまいりたいと考えているところでございます。さらには、教員の自主的、主体的な研修を奨励、支援することも大事であろうかと考えているわけでございまして、こうした点に積極的に取り組みまして、委員御指摘のように、使命感を持ち、かつ、学校の抱えるさまざまな問題に適切に対応できる、力量ある教員を養成するための施策の充実を図ってまいりたいと考えているところでございます。

土田分科員 採用の件は非常によくわかりました、養成もわかりました、それから研修も理解できますが、もう一つあるのは、いわゆる配置転換をどうするかということですね、不適格な教師をどうするか。

 先ほど言いました私の子供の担任の先生は案外優秀なのですね。話してみますと、非常に情熱を持って当たっているのですが、みんな逃げちゃうのですよ。親から文句を言われると逃げる。子供から文句を言われると逃げる。結果的に、その人は合わないという感じがするのですね。校長と話をしたのですが、普通の教師らしいのですけれども、でも、その人の前の担任のときを聞いてもやはり同じような状況があったということでして、ですから、その人がずっと担任を続けていく限りはそういうことが発生してくるのかなという感じを持っているのです。

 問題は、人事権といいますか、校長や副校長は、なかなかそれができないわけでございまして、それについてちょっとお答えください。

矢野政府参考人 今回、教育改革国民会議の報告を受けまして、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法案を既に国会に提出いたしているところでございますが、その中で、一つの改正事項といたしまして、指導力不足の教員の問題がございます。指導力不足の教員につきましては、今回の法律改正によりまして、本人の意に反して、また本人の適性を勘案しながら、教員以外の職種に配置転換させるということができるような、そういう制度改正を一つ盛り込んでいるところでございます。

 それからもう一つ、人事についての校長の権限、裁量についてもございましたが、この点につきましても、教育改革国民会議からの御提言がございまして、それを受けまして、教員の人事について校長の権限あるいはその裁量権がより拡大する方向での新しい仕組みをつくるべく、その制度改正を新たな改正事項として盛り込んでいるところでございます。

土田分科員 校長の権限と、それからそういったことが国民会議から提言されて、新生プランにも載っておりますけれども、これは実効性を上げていくことによって変わっていくのではないかなというふうに思っております。

 次の質問でございますが、人間性豊かな日本人を育成するということを言っておりますが、これは学校だけで行うことにはもちろん限界があるわけです。家庭教育はもとより、学校と地域が積極的に連携協力していくことが大切である。例えば、子供たちに社会性や協調性などを身につけさせるために、夏休みなどの長期休暇を利用して、自然の中でさまざまな体験学習、一緒に合宿したりすることは非常に有効であると私も考えております。こうした経験は学校で得ることのできないものであって、戻ってきた子供たちが自主的にお手伝いをしたり、好き嫌いがなくなったなど、親たちがびっくりしたというようなことも話を聞いております。

 そこで、文部科学省として、こうした取り組みをもっと積極的に行っていくべきであるというふうに考えておりますが、具体的にはどのように取り組まれるのか、お願いします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 委員御指摘のように、子供たちが自然体験や社会体験などを行う場や機会をふやし、豊かな心やたくましさを育てるためには、やはり学校、家庭、地域一体となってそれぞれの教育機能を発揮することが重要だろう、こういうふうに考えているわけでございます。

 このため、文部科学省におきましては、平成十一年度から、地域で子供を育てる環境を整備し、親と子供たちの活動を振興する体制を整備することを目指しまして、全国子どもプラン、これを関係省庁と連携しながら現在計画的に推進をしているところでございます。

 具体的に申し上げますと、その全国子どもプランの一環として、例えば、農林水産省と連携をいたしまして、子供たちが夏休みに親と離れまして、農家等で二週間程度宿泊をしながら、自然の中でさまざまな自然体験ですとか農業体験、あるいは地元の子供たちとの交流を行う子ども長期自然体験村、こういったような事業も現在行っているところでございます。

 また、御審議をいただいております平成十三年度予算案におきましては、学校の余裕教室等を地域ふれあい交流センターとして位置づけまして、このセンターを拠点とした地域ふれあい交流事業を展開するための所要の経費を計上しているところでございます。例えば、一例を申し上げますと、子供が公民館等で寝泊まりをしながら地域住民との交流を行う通学合宿でありますとか、高齢者の知識や経験を生かして昔の遊びですとか郷土の歴史を高齢者の方が子供に教える、こういった高齢者交流事業などの事業をこの中で実施したいと考えているところでございます。

 さらに、平成十三年度から、青少年団体が実施する地域における子供たちの体験活動等への助成金の交付を行います子どもゆめ基金、これを創設することといたしているところでもございます。

 文部科学省といたしましては、今後とも、学校、家庭、地域の連携を図りながらこれら各般の施策を推進してまいりたい、かように考えているところでございます。

土田分科員 子供たちの人間形成にとって、スポーツは非常に重要な役割を果たすと考えるわけでございます。私自身も、地域において、柔道や剣道、ソフトボールやアイスホッケー等のスポーツ団体とかかわってきておりますが、子供たちは、こうしたスポーツを行うことによって礼儀作法やルールを学んだり、さらには、人間関係や、その中での自分の役割などを考えているようでございます。特に、地域において子供たちが親や地域の人たちと一緒になってスポーツをすることは、子供たちの人間形成に極めて重要な役割を果たすものだと考えております。

 そこで、文部科学省として、地域におけるスポーツの振興についてどのように考えておられるか、お願いいたします。

遠藤(純)政府参考人 御指摘のように、スポーツは、自己責任や克己心、フェアプレーの精神を培うとともに、仲間や指導者との交流を通じて豊かな心と他人に対する思いやりをはぐくむなど、子供たちの人間形成に重要な役割を果たしている、こう考えているところでございます。こういったようなことも踏まえまして、昨年九月にスポーツ振興基本計画というものを策定いたしまして、その中で、これから十年間で取り組むべき大きな柱を幾つか挙げてございますが、その一番大きな柱といたしまして、地域におけるスポーツ環境の整備充実ということを挙げているわけでございます。

 具体的には、このためのいわばわかりやすい象徴的な政策目標としまして、できる限り早期に、成人の週一回以上のスポーツ実施率、これは現在約三七%でございますけれども、これを五〇%、二人に一人となることを掲げまして、国民が日常的にスポーツを行う場として期待されております、現在の地域でのスポーツ団体の充実はもとよりでございますが、いわゆる総合型地域スポーツクラブ、これは地域住民が主体的に運営をするというようなスポーツクラブでございまして、複数の種目が用意され、子供からお年寄りまで地域のだれもが年齢、興味、関心、技術、技能レベルなどに応じて参加できるというものを考えておりますが、そういった総合型地域スポーツクラブの全国展開を中心とする各種施策を計画的に推進するというようなことを掲げて、地域におけるスポーツ振興により一層取り組んでいきたい、こう考えておるような次第でございます。

土田分科員 時間ですので、ちょっと最後に一つだけ。

 この教育新生プラン、これはなかなかいいと思っているのです。平成の大改革まではいかないにしても、ある程度の改革はできていくのじゃないかなと。それには、冒頭言いましたように、やはり国民の方々が心配していらっしゃる、期待していらっしゃるわけですので、この新生プランについて、やはり効果度といいましょうか、学校を通してだけではなくて、もうちょっと早目に具体的にやってほしいと思うのですが、そのことだけお尋ねしまして、終わりたいと思います。

町村国務大臣 土田委員御指摘のとおりであって、これは国民運動的に展開をしていきたいということがその新生プランの頭の方に書いてあるわけであります。

 では、具体的にどうするのかということなのですが、今例えば我々大臣から副大臣、政務官、もう機会があれば週末に出かけていきまして、教育委員会主催とか、あるいはPTA主催とか、人数が多い少ないにかかわらず、どんどん今PR活動をやっております。そんな形でまず政府が一生懸命音頭をとってやっていく。各県とか市町村レベルで意外と、意外とと言っては失礼ですね、かなり熱心に皆さん方が、それぞれの地域に合った運動を実はやっておられるのですね。

 私はたまたま先週静岡県に行きましたら、静岡県では、もう三、四年前から、評論家の草柳先生が委員長になって、ちょっと正式な名称は忘れましたが、要するに教育改革県民運動みたいなものをやっておりまして、美しくあいさつし、美しく歩き、美しく話すだったかな、とてもすばらしいスローガンで県民運動をやっておられます。

 いろいろな各地区でやっておられるそういう運動とタイアップをしながら、幅広い国民運動として、教育をよりよいものにするための活動につなげていきたい、こう思っているところであります。

土田分科員 終わります。

田中(眞)主査代理 これにて土田龍司さんの質疑は終了いたしました。

 次に、太田昭宏さん。

    〔田中(眞)主査代理退席、主査着席〕

太田(昭)分科員 公明党の太田昭宏です。

 昨年の三月二十七日だったと思いますが、教育改革国民会議が発足しまして、私も、文部大臣町村先生と一緒にオブザーバー参加をさせていただき、十二月二十二日には、十七の提案という形で報告書が出されました。基本的には、努力した結果があらわれていると思いますし、またそれが、今国会も含めて、既に具体的な法律として提出されようとしております。

 実は、この教育改革国民会議は、何点か精力的な各界の論議をしていただいたわけですが、二十代は一人もいないし、三十代は一人、四十代は二人、そして五十代が二十三名ということの二十六名でありましたものですから、我々はことしに入りましてから、高校生とか大学生とか、さまざまな若い世代との対話をいたしてまいりました。

 私は、一月六日、東京で高校生五十名との対話集会を行い、意見を聞き、翌日、一月七日には大阪に飛びまして、大学生五十名との対話をやりまして、一月八日には横浜へ行きまして、二十代の青年五十名との対話集会を行いましたが、ここでは、教師の経験者がどうしたわけか非常に多くて、二十代は半分ぐらい教師であったというふうに思います。それから、二月四日に広島に行きまして、広島はいろいろテレビ等でもあるように、けんかしたり何とかというような場面がありましたので、元暴走族なんという方にも来ていただいたりしまして、若い人の意見をやはり五十名聴取しました。この間、二月二十五日には浦和に行きまして、これは母親五十名との対話集会を行いました。

 私は、きょうはその報告をさせていただいて、町村文部大臣から、感想で結構ですから、簡単にお答えをいただきたいというふうに思います。議論をするというよりは、なかなか貴重な意見がありましたので、その報告をさせていただきたいということで、きょうは質問をさせていただきます。

 初めに、提案に沿って申し上げますと、一つ目は、「教育の原点は家庭であることを自覚する」というところがありまして、その中の「国・地方公共団体は、親へのカウンセリングの機会を設けるとともに、福祉などの視点もあわせた支援策を講じる。」というところを、これはマル・ペケ式で賛成か反対か上げていただきまして、母親五十名にこの間浦和で聞きましたら、全員がマルなのですね。ここは、一人一人が非常に深刻であるということを痛感しました。

 それはどういうことかと申しますと、若い母親ばかりの五十名でありまして、児童虐待とかいろいろなことがあるけれども、親がストレスでパニックになっている。相談できる体制もないし、聞いてもらうだけでも助かるというようなことで、相談する場があるということが、ある意味では悲鳴にも似た気持ちで、パニックを脱出することには大事であるという意見が相次ぎました。みんなストレスで大変だと。

 また、具体的なこともありまして、児童館などに元教師というような人がもう少しいて、子供を児童館に送ったり預けたりするということと同時に、親もそこで学校の元先生みたいな人がいてくれて相談ができたらどうかというような、ぜひともお願いしたいというようなこともありましたし、電話で相談ということになるとどうしても十分な相談にならない、やはりフェース・ツー・フェースが大事だという話もありました。

 そういう意味で、皆ストレスで大変だ、ぜひこうしたことをやってほしいということや、児童館での、子供も遊ぶが親も相談を受けるというような場面をもっと多様にやっていただく。あるいは、ネットでチャットということも言っておりまして、いろいろな意味を通じて、もう少し頻繁に母親、親との接触ということが非常に、教育の原点は家庭であるのだけれども、家庭のお母さん方から悲鳴が上がっているということへの対応が私は必要ではないかと思いますが、まず第一問、これをお願いしたいと思います。

町村国務大臣 太田委員を初め公明党の皆さん方が、幅広い皆さん方の声を吸収して、大変積極的な御提言をいただいておりますことに、まず心から感謝を申し上げます。

 今お話のあった若いお父さん、お母さんへの対応、育児書といったたぐいのものは町にあふれているのですが、本当に必要なのは、どうもそういう育児書ではないようですね。今委員御指摘のとおりでありまして、実際、子供、それぞれの家庭の状況は千差万別ですから、自分のケースは一体どこに話をしたらいいのだろうかということなんだろうと思います。

 幾つか用意をしておりまして、一つは、これは、私が前に文部大臣のときに、家庭教育手帳とか家庭教育ノートというものをつくりまして、女性が母子手帳をもらうときにそれをお渡しする、あるいは、一歳半、三歳、就学前健診のときにそれをお渡しして、子育てに関して、しつけというのはこんなことなんですよというのを考えてもらう材料を提供する。それだけではどうも不十分だから、十三年度予算の中でも、子育て学習といったようなものを全国の市町村で津々浦々展開をしていこう、それが一つあります。

 それから、これはなかなか急には進まないかもしれませんけれども、幼稚園に地域の若いお父さんお母さんのための相談機能、ある種のカウンセリング機能を持ってもらう、それは幼稚園であっても保育園であってもいいのかもしれませんけれども、幼稚園の本来の子供に対する、幼稚園児に対する教育機能だけではなくて、親の相談機能というものも持ってもらうという方法が一つ。

 さらには、学校には、これも数は不十分ですが、スクールカウンセラーというのが配置をされ始めておりますが、これは生徒とのカウンセリングだけではなくて、親も必要があればそのカウンセリングをしていいですよ、また非常に悩みが多い先生もカウンセリングしてもいいですよというようなことで、スクールカウンセラーのそうした活用などなどがありますが、しかし、まだまだこの辺は今後充実をしていかなければいけない分野だなと思っております。

太田(昭)分科員 ボランティアと奉仕の項目については意見が物すごく出まして、私の印象では、義務化がいいとか悪いとか、そういうことではなくて、直接高校生に聞いても、非常に優しい高校生が多いものですから、今の人たちはそういう人が多いと思うのです、無理やり行って、相手に不快な気持ちを逆に与えるのではないかとかいうことを気にしていまして、そういう意味合いからの義務化はいかがかということであって、それを上からやることについてどうかというような大人が考える義務化というよりも、非常に優しい感じの、もっと楽しく自発的にということを色濃くやった方がいい、こういうことだったのです。

 特に印象的だったのは、これは大学生との対話の中で出たのですが、やっている人もある、しかし、今からやろうと思う人が、やろうと思っても、どこにどういうことができるのかというようなものがなかなか提起されていないということがあります。ボランティア等をやろうという人はいるわけなので、ボランティア募集などの情報をキャンパスやインターネット上あるいは地域で、あそこに聞けばいいものを教えてくれるというような、ステーションみたいなものが欲しいということは、なるほどそういうことかなというふうに思いました。これについてはいかがでしょうか。

町村国務大臣 十八歳以前の高校生までですと、授業といいましょうか、道徳の時間とかあるいは総合学習の時間とか、いろいろな時間でそういうところへ行ってみて、これは行きたい人も行きたくない人も行ってみて初めて学ぶということもありますものですから、私は、そういう体験をいろいろしてみるというのはいいことだと思います。

 十八歳以上のボランティアのことはどういう形でやるかというのは、これから中教審などでも少しく検討してもらおうと思います。

 例えば、私の札幌市でも、区役所にボランティアコーナーみたいなのがあって、意欲のある人は、そこに行くと、私はこういうことをやってみたいのだけれどもと言うと、ではあなたにぴったりなのはこういうのがありますよとか、隣の区に行ったらありますよとか、そういう情報が結構区役所とか市役所に集まっていたりします。そんな形のものが今だんだん整備されつつある途上なのかなと思ったりしています。

 それから、都道府県では生涯学習センター、ボランティアの登録をしておくと、実際そういうのがあったら、どうですかという情報提供をする、自治体にそういうために行くというようなこと、この辺も、今ちょうどシステムがいろいろ充実し始めているところなのかなという気もいたします。

 キャンパスにどんなのがあるのか、私も詳しくわかりませんが、こうした面も、今後、大いに施策の充実、推進を図っていきたいとは思っております。

太田(昭)分科員 それから、「学校は道徳を教えることをためらわない」という項目の下のところに「自然体験、芸術・文化体験などの体験学習を充実する。」ということがあったり、あるいは、十四項目めの「授業を子供の立場に立った、わかりやすく効果的なものにする」というところで「社会人が学校教育に参加する機会を積極的につくる。」というのがあったりするのですが、これは、母親に聞きますと、いずれも、五十名全員マル、お願いしたいということなんですね。

 ところが、その中で出たのは、例えば、芸術・文化体験などの体験学習を充実するといっても、私の子供の通っている学校では図工の専門の先生がいないのだとか、具体的な名前を言っちゃいけないのでしょうから言いませんが、ある立派な、かなりの大きな規模の市ですが、クラブでブラスバンドがあるというのが自分の子供の行っているところだけなんだとかいうようなことがあります。

 充実するといっても、やはり教える人ということをよく見ていかないと、クラブがなくなっている、図工の専門の先生がいないのだとかいうようなことは、もう少しカバーする体制というものが必要なのではないかな、このように思っておりますが、いかがでしょうか。

町村国務大臣 普通の中学で図工の先生がいないというのはちょっと考えられない。小学校ですと、必ずしも専門ということではなくて、そういう先生がいないというケースはあるかもしれません。普通、中学ですと、まずいるはずなんですが。

 いずれにいたしましても、芸術・文化体験、いろいろな方法があろうかと思います。例えば、その地域のすばらしく音楽の上手な方あるいは絵の上手な方、そういう方を特別非常勤講師みたいな形で学校に来ていただいて、そして子供たちに指導をしてもらうというようなこと、特別非常勤講師制度をつくって、どうぞどうぞやってくださいと。今その数がどんどんふえておりまして、そんな方法も一つあると思います。

 あるいは、一流のプロのオーケストラの方に、人数の多寡は別にして、学校にできるだけ出向いてもらって、生のプロの演奏を聞いてみる。あるいは、こちらから演奏会に出かけていく。これはなかなかお金がかかるからあれなんですが。そうしたことも、国が助成をしたり、あるいは市町村教育委員会ごとの努力をしたりということもかなりやり始めているのかなと思っております。

太田(昭)分科員 それから、十八歳以上の奉仕活動ということについては、やはり日本社会全体が奉仕活動とかボランティアの体制ができておりませんから、国民会議の報告でも、その辺は、最後の練り上げられた提案ということについては、そうした社会環境をつくるということについてしっかり書かれているというふうに思いますけれども、私は、特に十八歳以降については、社会環境整備ということの方に力点を置くことが大事ではないかというふうに思っております。

 次の問題で、教師の問題は、どこでも物すごく出るのですね。学校の先生からも、自分は立派な教師と思っているんでしょう、私はいいけれども、私の周りの教師はというようなことを言った人が相当いる。何か簡単な報告書だけでも四苦八苦して、一時間も一枚の報告書を書いているような先生がいて困っていますよというようなことがあったり。こんな教師じゃとてもつき合っていられないなと思ってしまったという教師の発言があったり。あるいは、黒板に向かっているだけで、一度も生徒を見ない教師。あるいは、学歴だけは高いが、教え方が極めて下手な教師、早稲田大学を出て、コロンビア大学を出て、英語が達者なはずなのに、教え方はめちゃくちゃひどいというようなことを言ったり。またはセクハラ教師とか。いろいろなことで、こういう教師がいるのでは、配置転換なんというのじゃなくて、高校生なんかは、やめさせてほしいというようなことを言ってたり。おまえ、それでも教師かとどなったら、翌日から来なくなったなんというような話があったりします。

 立派な教師はいないんですか、こう聞いたら、それはいるんですということを言うのですが、学校の先生も事務作業も多いわけですから、ここは相当バックアップしていかないと、また教師自体の研修とか、大学を卒業していきなり教えるということはなかなか難しい面もあろうと思いますが、いい先生をそろえていくというバックアップ体制は、ある意味では、この教育問題の一番大事なポイントではないかなということを、いろいろな人の話を聞きながら、再度痛感をしたのですが、いかがでありましょうか。

町村国務大臣 太田委員御指摘のように、先生に対する不満が多いということは、逆に言うと、期待も大きいということなんですね。

 確かに、いい先生になってもらいたい、そういう思いで、教員の養成の段階、採用の段階、そして入った後の研修とか、あるいは昇給とか表彰するとか、いろいろなことを、今もやっておりますし、またこれからやっていく課題もあります。

 特に、今委員例に挙げられた、この人は本当に先生に向いているのだろうかというようなケースについては、今回、地方教育行政の組織及び運営に関する法律というのを出して、だれが見てもこれはやはり先生に向いていない、言われたセクハラとかなんとかというのはこれはまた別の話でありますけれども、そうではなくて、教え方がとてもうまくないとか、あるいは子供とまともなコミュニケーションがとれないとか、そうした不適格な先生は、学校の現場から離れてもらって、他の職種にかわってもらおうということが可能になるような法律案も今回出させていただいております。

 いずれにしても、いろいろな面で、よりよい先生になってもらうための工夫、努力を我々もやっていきたいし、また、教育委員会あるいは学校の現場でそれぞれ御努力をいただければな、こう思っているところであります。

太田(昭)分科員 一番首をかしげられた項目が、いわゆる問題児の出席停止というような対応の問題であります。この間、浦和でお母さん方に聞きましたら、このことについては、マルが二十でバツが三十名ということで、この項目だけには疑問点が非常にあったわけなんです。

 高校生に聞いたところ、出席停止にしたら、ますます自分はひとりぼっちだと思って、犯罪につながると思うとか、この間の母親は、親や教師に見捨てられているというふうに思ってしまうからこそ問題を起こしてしまう、そうしたことについて粘り強い対応が必要じゃないかという声が相次ぎました。また、出席停止などの措置をとることの方が問題を起こす子供への教育をあいまいにすることに当たると思う、とことんつき合うことの方が本当の教育だというような女子高校生の意見が出ました。出席停止よりも、気持ちを聞いてあげてほしいというような声もありました。

 また、これは教師の問題とあわせて意見が出たものですから、ああいう教師も、教師の選択権というのは子供にはないということの中で、出席停止ということの原因の中にはさまざま、家庭や地域や教師に当たってしまったという問題があるのだから、この辺について、本当に慎重にやってもらいたいという声が相次いだわけで、私はそのとおりだと思いますが、これは法制化の問題も含めて、現在、具体的な詰めの作業になっていると思いますが、この点についてはぜひとも、こういう声を吸い上げた上での法案論議でなくてはならぬと思いますが、いかがでありましょうか。

町村国務大臣 問題を起こす子供への対応で、私どもが一番大切だというか、重要だと考えたのは、まず、問題を起こす子供の周りにいる大部分の、一生懸命学んだり、遊んだり、あるいは運動したり、そういう子供たちが、一生懸命自分は勉強したいのにこの子がいるために勉強できないじゃないかということで、その周りにいる子供たちのきちんとした、広い意味の学習権といいましょうか、それをしっかり担保し、保障するということがまず目的であるということが第一です。

 それから、では、その子供をどうするのか、学校から追っ払うだけなのか。そうではないわけです。まず、出席停止をするためにどういう手順を踏むか、要件をどうするか、ここをはっきりする。今までは、法律上の規定はあるのですけれども、どういう場合にそれをしていいか、どうもはっきりしないので、全国で一年間、平成十一年度の数字によると数十名ぐらいの出席停止。その理由としては、先生に対する暴力を振るうというのが一番多いのですね。あと、生徒間の暴力とか、あるいは授業の妨害とか、そういうのがあるのです。

 じゃ、その子供をどうするのかなということを考えたときに、まず、家庭でしばらく頭を冷やして勉強してもらって、反省してもらって、考えてもらってということをやりたいわけであります。もちろん、それは一人で置くということではなくて、先生が訪問をしたり、さまざまな手は尽くして。ただ家にいなさいということを言うだけではありません。その間の学習ということも大切であります。

 ただ、時として、家庭がそもそも問題だからそういう行動に出たというケースもまたあります。そうなると、家庭が居場所としていいのかなというケースもまたあろうかと思います。その場合には、他の場所を探さなければなりません。児童相談所と協力をしたり、町の青少年指導員みたいな方と協力したり、民生委員と協力したりして、出席停止の期間、その子供にとって最もよい形で広い意味での学習をしてもらって、そしてまた学校に戻ってきてもらう。

 今直前、中川智子委員からも、何も受け皿ができていないじゃないか、こういう御指摘がありましたが、それはそうではなくて、まさにケース・バイ・ケース、その子供のケースに応じて、出席停止期間中、その子供にとって最もよい教育というものを授けていく。両々相まっていく。大部分の子供たちも落ちついて授業が受けられるし、その子にとってもいいということをきっちりやっていこうということなわけです。

太田(昭)分科員 それから、障害児を抱えているお母様とか、またその問題になりまして、その論議にかなり集中したのですが、これは問題を起こすという範疇が違うのですけれども、多動の子がいるとか、いろいろなことで教育、授業がなかなか難しかったりするというようなことがある。親からいくと、普通のところに同じように入れたいというのもある。しかし、それが能力的にどうかという点もあったりして、なかなか難しい面が起きたりする。

 そうした場合、今の障害児を見るというその見るのが、歩ける子か歩けない子か、しゃべれる子かしゃべれない子かというぐらいの感じで、今は昔と違ってかなりさまざまな精神的な要素も含んだ複雑なものが必要でありましょうから、これは専門家が相当つかないといけないという声がありまして、専門家の布陣ということが教育の中で非常に大事なことだということを現場の中から指摘されたことがありまして、出席停止の問題とは違って、これまた大事な問題だなというふうに私は思ったのですが、これについてはいかがでしょうか。

河村副大臣 御指摘の点でございますが、特殊教育といいますか、今度は特別支援教育という形に名前も変えようということにしております、これはまた別の問題として考えなければいけません。

 今回の教育改革国民会議の提言の中には、障害児の扱いについてどういうふうにするかという問題は特別ございませんが、しかし、これについては別途、これからの特殊教育といいますか特別支援教育のあり方についてという提言も別の研究会の方から出ております。

 地方分権の時代でございまして、行革で、今までは機関委任事務として国の方が指定をして市町村の方におろしておったのですが、これが今度は自治業務に変わってまいりましたので、それぞれの教育委員会がそれぞれの地域に合わせて自主的にやっていこうという方向に変わってまいりました。それで、そこの就学委員会が今からどういう形でやっていくかということを本格的に取り決めていかなければいけない状況になっております。

 おっしゃるように、そうしたものに対する専門的な見地も要りますし、それから最近は障害児等に対する器具とかがいろいろ発達してまいりましたし、またインターネットを活用して、例えば息を吹きかけるだけでもコンピューターを操れて意思が表現できるというような時代になってまいりましたから、その子にとって一番ベストのあり方はどうなのか。

 確かに、障害児と健常者が一緒になる、ノーマライゼーションの考え方をみんなが周知するという見地もございます。だから、できるだけ健常者とともに学びたいという親の気持ちもありますが、そのお子さんにとっては、しかし養護学校という専門的な学校もございます、そういうところへ行った方が、将来、子供の自立のために必要だ、この判定をそれぞれの教育委員会、就学委員会でしっかりやっていただきたい、このように思っております。当然、専門家、医師、カウンセラー、そういう方々の意見をしっかり聞いてやってもらいたい、このように思っております。

太田(昭)分科員 今河村先生からお話がありましたとおり、この国民会議の提言には障害児の問題が入っていない。これは何だという声もあったし、それからエリートを育てようというそこに充実している、立派な人が議論したからなというような皮肉っぽい意見もあったのです。

 そのエリートではないという中で、最後の問題になりますが、夜学に通っている大学生が、昼夜開講の中でどうしても授業料まで上がるということで、いわゆる二部学生が、授業料が六十万ぐらいであったのが九十万、九十万ぐらいの大学は百二十万、こういうことで、一月十万近くかかったらとてもじゃないけれどもやっていけないという声がありまして、ぜひともここは心を砕いて、私立大学の二部、国公立大学の二部ということに対する温かい措置、配慮をお願いしたいということを最後に要望しまして、私の質問を終わりますが、答弁がありましたらお願いします。

河村副大臣 働きながら学ぶ、あるいは生涯教育の中で社会人が再び学習の中に入っていきたい、こういう要請も強いわけでありまして、特にそういう方々への配慮というのは非常に大事なことであろう、こう思います。今後、私学については、私学助成等々でも十分配慮していかなければいかぬ、このように思います。

太田(昭)分科員 ありがとうございました。

細田主査 これにて太田昭宏君の質疑は終了いたしました。

 次に、上田勇君。

    〔主査退席、田中(眞)主査代理着席〕

上田(勇)分科員 公明党の上田勇でございます。

 町村大臣初め文部科学省の皆様、きょうは朝から大変御苦労さまでございます。十二時を過ぎて、まことに恐縮でございますけれども、最後でございますので、ひとつお許しをいただければというふうに思います。

 きょうは何点かにわたって御質問をさせていただきますけれども、最初に、免疫・アレルギー科学総合研究センターの問題について御質問をいたします。

 アレルギー疾患というのは、本当に今、地域の中を歩いていますと、花粉症はもとよりのこと、これは年齢を問わずそれを患っている患者の方が大変多いというのを目にされることが多いのではないかというふうに思いますけれども、特に、そういった方々のいろいろな声を聞き、今までなかなか研究だとか治療法の開発についての対策がおくれてきたのではないかというのを私も感じまして、ここ数年来、この問題を取り上げて取り組んできているところでございます。

 そういう意味で、ことし新たに文部科学省で免疫・アレルギー科学総合研究センター、研究費が二十八億円計上されております。これは大変時宜にかなったことだというふうに感じている次第でありますけれども、そこで、このセンターで具体的にどういう研究を行うのか、ひとつ、専門家でない素人にもわかりやすいような形で御説明をいただければというふうに思います。

遠藤(昭)政府参考人 お答えします。

 我が国の免疫・アレルギー分野の研究能力につきましては、免疫情報を伝達する物質を発見したりするなど大変従来から世界的水準にあると言われておりまして、こうした基盤に立ちまして、今回中核的な研究を進めようということで、十三年度予算の中で、理化学研究所に免疫・アレルギー科学総合研究センターというものを新設したいということでございます。

 何をやるかということでございますが、一つは、免疫のメカニズムを解明する、免疫を知るということでございます。それからもう一つは、免疫の細胞や組織を研究するということ、これは免疫をつくるということ。それから三つ目の分野としては、免疫を制御する、この三点。この三領域を十三年度から立ち上げまして、産学官の研究者を全国から結集いたしまして、総合的に研究を推進したいと考えておりますが、それとともに、大学や病院などと連携を図りながら、一つには花粉症、アトピー予防のためのワクチン開発、それからリューマチの根本治療のための薬剤開発とか、薬剤の不要な臓器移植技術の開発、こういったことを目指した基盤的な研究、これを進めたいと考えております。

上田(勇)分科員 ありがとうございます。

 これまで、こうしたリューマチなどの免疫疾患とかアレルギー疾患については、厚生労働省の方でも従来から研究を行っております。平成十三年度もたしか十五億円程度の予算が計上されているというふうに理解をしておりますけれども、これは両省で予算が計上されているんですが、この研究内容のそれぞれの関係性はどういうふうになっているのか、あるいはその相違点というのはどういうところにあるのか、できれば今回新しく文部科学省でやる特徴的な点を御説明いただければというふうに思います。

遠藤(昭)政府参考人 お答えします。

 私ども文部科学省といたしましては、理化学研究所等におきまして、免疫に関係する遺伝子の発見、そういったこととか、あるいは免疫をつくり上げます細胞、それから組織の働きの解明、こういった免疫・アレルギー疾患抑制のための基礎的なこと、あるいは基盤的な研究を進めていきたいというふうに考えております。

 一方、厚生労働省の方におきましては、免疫・アレルギー疾患自体に重点を置きました治療法、そういったことの研究をしていきたいということでございますので、入り口が違うといいますか、我々は遺伝子というレベルから進めていきたいな、それから、厚生労働省の方は病気というそちらの方の入り口から入っていくということで、できるだけダブらないように、お互いに連携しながら進めていきたい、このように考えております。

上田(勇)分科員 両省にまたがって研究を行っていること自体、私はむしろ関心が非常に高まっているという意味では歓迎すべきことだというふうに思います。

 ただ、今の御説明で、文部科学省の方は極めて基礎的な科学の、基礎科学の分野を、厚生労働の方ではむしろ臨床に近いところを研究されるという御説明でありまして、それはよくわかります。ただ、これまでよく、縦割り行政の弊害ということで、同じような事業をいろいろな省庁で行っていて、どうもその間の調整がうまくいかないがゆえに、重複があったり、本来もっと効果が発揮できるところが十分発揮できないようなことというのも多くあったんじゃないかというふうに思いますので、ぜひ、文部科学省それから厚生労働省両省で十分な連携を図って、研究の効率を高めていただくと同時に、最大限の効果がここから発現できるように努力をしていただきたいと思います。

 そういう抽象的な協力の精神だけにとどまらず、ぜひ具体的なそういう協力体制をきちっとつくっていただいて、できるだけ効果的でそして効率の上がる研究体制をとっていただきたいと思いますけれども、それについてお考えを伺えればというふうに思います。

大野副大臣 上田先生御指摘のとおり、アレルギー疾患というのは、大変我々にとって悲惨なものでございます。日本人の成人の五分の一、五人に一人はアレルギー疾患である。子供さんの三人に一人はやはりアレルギー疾患である。しかも、毎年このアレルギー疾患の患者さんの数がふえているんですね。例えばアトピー性皮膚炎ですと、昭和六十二年に二十二万四千人だったものが平成八年に三十一万八千人になっている、十年間でこんなにふえているという状況なのであります。

 そこで、国民的課題として取り組んでいかなきゃいけない、各省で頑張ってやっていかなきゃいけない。そこで文部科学省と厚生労働省の話が出たわけでございますが、実は、厚生労働省、文部科学省を含めまして、五省庁でこの問題に取り組んでおります。取り組み方は、連絡会議というのをつくっているわけでございますが、先ほど局長からも御説明申し上げましたけれども、やはり一番の課題は、先生が的確に御指摘いただきましたように、やはり縦割り行政の弊害が出てきちゃいけないということであります。

 そこで、課題としては、免疫・アレルギーに関する研究はするとしても、各省庁の役割をきちっと明確にしていこう、厚生労働省でありましたら臨床問題、それから、環境省でありましたら大気汚染の問題、文部科学省は、先ほども出ましたけれども、遺伝子等の基礎研究の問題、農林水産省でございますと、林野庁の問題ですが、杉等の樹木の問題、それから、気象庁でございますと花粉の飛散状況をどうするか、こういうふうにきちっと自分の役割を決めましょうということになっております。さらに、研究課題の重複は避けましょう、もう一つは、しかしながら連携し合いながら研究プロジェクトを企画立案していきましょう、こういうことで連絡会議をつくっているところでございます。

 しかしながら、いずれにしましても、この問題というのは、アレルギー疾患を治すことが一番大事なわけであります。したがいまして、臨床分野への応用ということが一番大事ですから、これからの課題としては、そういう意味で医療機関と連携を深めていく、こういう方向で頑張っておるところでございます。

上田(勇)分科員 ぜひよろしくお願いいたします。

 それで、この免疫・アレルギー科学総合研究センター、十三年度予算では新たに施設を、新しい研究所をつくるという予算に計上されております。これで、ちょっと地元の要望になって恐縮でございますけれども、横浜市の方からは、理化学研究所のゲノム科学総合研究センターの近くにぜひこの新しい研究センターを誘致してほしいという話が来ているということを承知いたしております。

 先ほどお話もありましたけれども、リューマチなどの免疫疾患とかアレルギーの基礎研究は、遺伝子科学とも非常に密接にかかわりを持っていることでありますので、このゲノムの研究所の近くというのは、そういう意味では最適の立地条件ではないかと思っておりまして、今前向きに御検討いただいていると聞いておりますけれども、その辺についての御見解を伺えればというふうに思います。

大野副大臣 今、理化学研究所がつくろうとしております免疫・アレルギー科学総合研究センター、これは仮称でございますけれども、これは一体どこにつくるんだ、横浜というのは理研のゲノム研究所があるから、総合的に考えて非常にいいのじゃないか、こういうお話でございました。

 いずれにしましても、この研究所というのは、日本は免疫情報を伝達する物質の研究等を含めて大変この分野で世界に名立たる成果を残しておりますし、またこのセンターというのは初めての総合的な研究拠点である、こういう意味が非常に大きいということであります。そこで、やはり第一に大事なのは、ソフト面ですぐれた指導者を募ってこなければいけない、これは今人選中でございます。それからもう一つは、若い優秀な研究者を集めなければいけない、これは公募をするという形で考えておるところでございます。

 予算につきましては先生御存じのとおりでございますけれども、しからばどこへ設置したら一番いいのか、こういう問題であります。やはり一つの基準というのを持っていなければいけないわけでありまして、その考え方は、今先生も御指摘なさいましたけれども、一番は、やはりライフサイエンスの分野でありますから、ヒトゲノム等のライフサイエンス分野と連携しながら活発に研究活動ができるという条件が一つあろうかと思います。それから、幅広い研究者が容易に集まってこられるということも一つあろうかと思います。もう一つは、十三年度、十四年度、二カ年で立ち上げたい、こういうことでありますから、やはり迅速に研究が立ち上げられる、こういうことが大事かと思います。

 今、そういう観点から、理化学研究所では具体的な場所の選定に入りつつあるところでございますけれども、横浜市の方から大変熱心な御勧誘があるということは聞いております。しかし、いずれにしましても、これは予算審議中でございまして、予算が通った後、改めて正式に選定作業に入る、これが段取りかと思います。

 横浜市が有力な候補の一つである、このように聞いております。

上田(勇)分科員 まことにありがとうございます。

 それで、ここの地域、ちょうどやはりゲノムのセンターが来て非常に活性化されまして、京浜工業地帯のどちらかというと重厚長大型の産業の地域から、新たな発展を遂げようという意味で、その拠点施設として、今既にありますゲノムの研究所も大変大きなインパクトになっているわけでありますので、非常に密接の関係もある新しい研究所でありますので、この横浜市の御要望に対しましてぜひ前向きに御検討いただければということを要望いたします。

 それで次に、今ちょっとお話しいたしましたゲノムの研究についてお伺いをいたします。

 当時、ゲノムの研究所が横浜市に設置されるということを伺ったときに、一体これは何の研究をするところなのかなというのはさっぱりわからなかったのですけれども、多少、地元の話でもあって勉強させていただくと、このゲノム研究というのは、これからの二十一世紀のライフサイエンスあるいはバイオテクノロジーの非常に基盤になる研究であって、これからのそういった科学技術の発達にとってかぎを握っている研究であるということがわかりました。

 最近は、新聞等でもヒトゲノムの解読が非常に大きな話題になりました。これまでは、ヒトゲノムの解読というのがとりあえずの最重点の研究分野であったのだというふうに承知しておりますけれども、先般、この解読がほぼ完了したというような報道がありまして、ヒトの遺伝子の数が従来予想されていたものよりもずっと少なかったことを解明したなんというようなことも報じられたところであります。

 これで一つの大きな課題が一段落を終えたということでありますが、そういう意味で、今後のゲノム研究はどういう分野に重点を置いてされていかれるのか、それの方針を伺えればというふうに思います。

町村国務大臣 私も一月十八日に横浜の方に伺いまして、ゲノムの研究所、理研の研究所を見てまいりました。もとより素人ですからよくわかりませんでしたが、それにしてもすごい研究所だなということだけはよくわかりましたし、世界というものを研究者の皆さん方が意識しながら、この分野では日本はちょっとおくれている、ここは進んでいる、大変印象的であったことを今でもよく覚えております。

 委員御指摘のように、昨年の六月に概略解読というものができ、ことしの二月にはその後の成果を含めた研究結果が発表されたわけでございます。日本も、何もやってないじゃないかなんという声もあるのですけれども、そうではありませんで、かなりこの面では積極的に貢献をしておりまして、国際的な評価もきちんと得ておりまして、私もそうした努力をされておられる皆さん方には心から感謝と敬意をあらわしたいと思っております。

 これからのことについてお尋ねがございましたけれども、ポストゲノム研究というのがこれまた国際的にもう既に激しく始まろうとしているところでございますけれども、日本といたしましては、例えば遺伝子がつくるたんぱく質、約十万種あると言われておりますけれども、このたんぱく質について、約一万種と言われております基本構造のそのまた三分の一ぐらいを日本で解明をしていきたいなというのが一つございます。それから、薬をつくる、創薬と言っておりますけれども、この創薬に結びつくたんぱく質の働きの解明を進めるとともに、それらの成果を社会に還元していくという取り組みに全力を挙げていく。

 この辺がこのポストゲノムの中心的な課題ではなかろうかと思っておりまして、今後一生懸命努力をしてまいりたいと考えております。

上田(勇)分科員 ありがとうございます。

 それでは、きょうはちょっと厚生労働省の方にも御出席をお願いしているのですが、いわゆるシックハウス症候群についてお伺いをいたします。

 アレルギーとは別に、今よく住宅とかオフィスに入っただけで気分が悪くなったり発疹が出たり、重症の場合には何か呼吸ができなくなったりするというふうなシックハウス症候群というのがふえているということが最近よく言われております。せっかくマイホームを買ったのに入居ができないとか、職場や学校の建物に入ることすらできないというようなことが深刻になっていると言われているわけでありますけれども、こうしたことで、実は、そういう症候群にかかっている患者さんもさることながら、周囲の方々もそうですし、またそういう施設をつくられる業者の方々なども、非常にこの問題に関心を持っているというか、非常に心配をしているところであります。原因は、一般に新建材などから放出される化学物質にあるというふうによく言われているのですけれども、どうもまだ必ずしもその辺の十分な解明がされてないのではないかというふうにも思います。

 厚生労働省では、このシックハウス対策として研究費等の予算を十三年度の予算の中に計上しておりますけれども、どのような研究を行う予定なのか、その辺の御説明をお願いいたします。

清水政府参考人 ただいま御指摘のいわゆるシックハウス症候群についてでございますけれども、関係五省が協力して対策を進めることとしてございます。今までもホルマリンの基準値などもつくっておるところでございますが、いずれにいたしましても、シックハウス症候群につきましては、実態、発生機序、因果関係等が必ずしも明らかではございません。

 そのために、研究を実施することとしているところでございまして、平成十三年度、健康局などにおきまして、一つは屋内空気汚染の実態調査あるいは疫学調査によります実態の把握、原因究明というもの、あるいは健康影響の診断、治療法あるいは室内環境評価法の開発、あるいは動物を用いた暴露実験によります健康リスク予測といった分野にわたります研究を行うこととしておるところでございます。また、労働基準局におきましても、本年から、職域に関しまして、建築内装工事、合板製造工場等の空気、その汚染状況と、労働者の健康状況、作業環境と作業の改善措置等についても調査研究を行っているところでございます。

 厚生労働省といたしましては、いわゆるシックハウス症候群に対します有効な方策につながりますよう、これらの研究を鋭意推進してまいりたいというふうに考えておるところでございます。

上田(勇)分科員 ありがとうございます。

 ぜひ、今までは余り耳にしなかったのですけれども、ここのところに来てその辺の報告というのを私も非常によく耳にするようになりまして、今以上に深刻になる前にいろいろな対策を講じていただければというふうに思います。

 厚生労働省のほかに、ちょっと予算書を横に見てみますと、いろいろな省庁で同じ名前の研究をされているのが目立つのですけれども、ここでもひとつ、十分な連携協力体制をとって、研究の効果が最大限になるようにまた御留意をいただければというふうに思います。

 それで、最後に、いわゆる学校教員の定数の問題についてお伺いをいたします。

 十三年度は第七次公立義務教育諸学校教職員定数改善計画が始まるわけでありますけれども、そうすると、今子供の数も減ってきているし、これで教職員の定数増になれば、ようやくいわゆる前から言われていた少人数学級というものが、そういう教育が可能になってきた、条件が整ってきたのじゃないかというふうに思います。これは、私などが小学校のころというのは、一つのクラス五十人なんというのもたくさんあったのですけれども、それから見ると、非常に教育の効果が上がる基盤が整いつつあるのかなというふうに思っております。

 少人数学級というのについてはいろいろな御意見があるようでありますけれども、この定数改善計画を通して、具体的にどういうような学級編制を考えておられるのか、またそれによってどういう効果を期待されているのか、そのあたりを御説明いただければというふうに思います。

町村国務大臣 今次の第七次定数改善計画、大変私は重要なものだと思っておりますし、そういう意味で法律あるいは予算を今回出させていただいているわけであります。

 学級というのは二つの側面があると思っております。一つは、授業を行う単位としての言うならば学習集団という性格と、それからもう一つは、生徒指導とか学校の生活の場という意味での生活集団、その両方の性格を持っていて、それが何十人かということで今まで来たわけでございます。

 しかし、今、子供たちの学力の低下が心配だとか、あるいは、指導要領の中身を非常に圧縮するものですから、ますます学力が落ちるのではないかといったようなことがいろいろ懸念をされております。

 私どもは、基礎は基礎としてしっかり、新学習指導要領のもとで決めたものは全員の人たちがしっかり身につけてもらいたい、こう思っておりますので、そういう意味の基礎学力の定着さらには向上という目的と、それにあわせて、子供たちの理解の度合いというのもさまざまですから、きめ細やかな指導を実現する。

 そんなことから、学習集団としてのクラスは柔軟に編制してもいいようにしましょう。例えば、進み方に差がつきやすい、小学校ですと国語とか算数とか理科、中学になりますと英語とか数学とか理科とか、こういうものについては二十人学級でもいいですよというふうに考えたり、あるいは、特に小学校低学年、一年生とかあるいは二年生あたりで、今までどちらかというと余り大きな集団で生活してこなかった子供たちがぽんと学校に来るわけですから、なじめないという子供も結構いますので、低学年も二十人でいいのですよというようなことを、状況に応じて弾力的にやれるようにしましょうという考え方を今回の定数改善の中では取り入れようということでございまして、そんな観点で今回の改善計画をつくらせていただいたということであります。

上田(勇)分科員 ありがとうございます。

 やはり特に、今大臣からもお話がありましたように、一面ではきめ細かい目が配れるような少人数の学級というのが、昔はそれでも必要なかったのかもしれませんが、今非常にこの必要性が訴えられているわけでありますので、今回のこの定数改善計画を通じてそういったことが大きく前進することを期待しているところでございます。

 少々時間が余っていますけれども、以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

田中(眞)主査代理 これにて上田勇さんの質疑は終了いたしました。

 以上をもちまして質疑は終了いたしました。

 これにて本分科会の審査はすべて終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 分科員各位の御協力によりまして、本分科会の議事をすべて終了することができました。ここに厚く御礼を申し上げます。

 これにて散会いたします。

    午後零時二十七分散会




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