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第1号 平成17年2月25日(金曜日)

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本分科会は平成十七年二月二十二日(火曜日)委員会において、設置することに決した。

二月二十四日

 本分科員は委員長の指名で、次のとおり選任された。

      渡海紀三朗君    萩野 浩基君

      福田 康夫君    佐々木秀典君

      津川 祥吾君    中井  洽君

二月二十四日

 渡海紀三朗君が委員長の指名で、主査に選任された。

平成十七年二月二十五日(金曜日)

    午前九時開議

 出席分科員

   主査 渡海紀三朗君

      谷川 弥一君    萩野 浩基君

      大畠 章宏君    岸本  健君

      佐々木秀典君    津川 祥吾君

      中井  洽君    中山 義活君

      三日月大造君    渡辺  周君

   兼務 坂本 哲志君 兼務 島田  久君

   兼務 中根 康浩君 兼務 吉田  治君

   兼務 太田 昭宏君 兼務 吉井 英勝君

    …………………………………

   文部科学大臣       中山 成彬君

   総務副大臣        今井  宏君

   政府参考人

   (内閣官房内閣情報調査室内閣衛星情報センター次長)            上原美都男君

   政府参考人

   (法務省大臣官房司法法制部長)          倉吉  敬君

   政府参考人

   (財務省主計局次長)   松元  崇君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房文教施設企画部長)      萩原 久和君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         金森 越哉君

   政府参考人

   (文部科学省研究開発局長)            坂田 東一君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

   予算委員会専門員     清土 恒雄君

    ―――――――――――――

分科員の異動

二月二十五日

 辞任         補欠選任

  福田 康夫君     谷川 弥一君

  津川 祥吾君     大畠 章宏君

  中井  洽君     岸本  健君

同日

 辞任         補欠選任

  谷川 弥一君     菅原 一秀君

  大畠 章宏君     中山 義活君

  岸本  健君     三日月大造君

同日

 辞任         補欠選任

  菅原 一秀君     萩生田光一君

  中山 義活君     渡辺  周君

  三日月大造君     中井  洽君

同日

 辞任         補欠選任

  萩生田光一君     福田 康夫君

  渡辺  周君     津川 祥吾君

同日

 第一分科員吉田治君、第二分科員坂本哲志君、第三分科員島田久君、太田昭宏君、第六分科員中根康浩君及び第八分科員吉井英勝君が本分科兼務となった。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 平成十七年度一般会計予算

 平成十七年度特別会計予算

 平成十七年度政府関係機関予算

 (文部科学省所管)


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     ――――◇―――――

渡海主査 これより予算委員会第四分科会を開会いたします。

 私が本分科会の主査を務めることになりました。よろしくお願いいたします。

 本分科会は、文部科学省所管について審査を行うこととなっております。

 平成十七年度一般会計予算、平成十七年度特別会計予算及び平成十七年度政府関係機関予算中文部科学省所管について審査を進めます。

 政府から説明を聴取いたします。中山文部科学大臣。

中山国務大臣 おはようございます。

 平成十七年度文部科学省関係予算につきまして、その概要を御説明申し上げます。

 平成十七年度予算の編成に当たっては、教育・文化立国と科学技術創造立国の実現を目指し、教育改革、科学技術・学術の振興、さらに、スポーツ、文化芸術の振興についての施策を総合的に展開するため、文部科学予算の確保に努めてきたところであります。

 文部科学省所管の一般会計予算額は五兆七千三百三十二億七千百万円、電源開発促進対策特別会計予算額は一千六百十二億九千万円となっております。

 以上、何とぞよろしく御審議くださいますようお願い申し上げます。

 なお、詳細の説明につきましては、お手元に配付しております資料のとおりでありますが、時間の関係もございますので、主査におかれましては、会議録に掲載されますよう御配慮をお願い申し上げます。

 以上でございます。

渡海主査 この際、お諮りいたします。

 ただいま文部科学大臣から申し出がありました文部科学省所管関係予算の概要につきましては、その詳細は説明を省略し、本日の会議録に掲載いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

渡海主査 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

渡海主査 以上をもちまして所管についての説明は終わりました。

    ―――――――――――――

渡海主査 この際、分科員各位に申し上げます。

 質疑の持ち時間はこれを厳守され、議事進行に御協力を賜りますようお願いいたします。

 なお、政府当局におかれましては、質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔明瞭にお願いいたします。

 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷川弥一君。

谷川分科員 自由民主党の谷川弥一です。長崎出身です。

 きょうは、こういう機会を与えられて感謝しております。よろしくお願いします。

 まず、詳細についてお尋ねする気持ちはありません。基本的なことだけをお聞きしようと思っておるんです。

 禅語に、三八九(さんぱく)をあきらめずんば境に応じて所思多しというのがあります。禅語についての解釈は、これはその人が全人格をかけて自分の経験で理解するものなので、どの本にも答えは書いておりせん。ですから、私みたいな浅学非才な者がこういうことにいろいろ口を挟むというのは非常に僣越でありますが、あえて話を進める上で自分なりの解釈をさせていただきますと、一を知って努力をして二を知る、それをずっと繰り返して十まで来て、ようやく物の本質がわかるんだ、そういうことだと思うんです。

 ただ、一から十までというと言葉が非常に韻として悪いので、三と八と九を出して三八九(さんぱく)、こうしているんだと僕は思っているんですが、要は、物の本質をきちっととらえなかったらば、境、いろいろな場面にぶち当たったときに思うところが多くてごたごた四の五の言う、そして真っ当な人生を歩けないんだよ、そういう教えだと僕は思っているんです。

 こういう言葉に照らしてみたときに、今の教育制度で、いい悪いは言いません、結果として、大臣、新聞の記事を見ていただきたいんですが、ことしの二月五日の日経新聞に、「採用、コミュニケーション力重視」という記事があるんです。

 企業というのは、別に企業に学生を集める必要は何もありません。ただ、企業というのは、昨今、グローバリズムという名のもとに、世界じゅうの中で消費者から選ばれる競争をしております。ということは、この地球上で一番生命力の強い集団でないと生きていけないということになるんですね。その集団のメンバーになるためにはある種の才能というのか素質というのかは学生といえども要るんだ、もしそれを身につけないで社会に出たならば非常に苦労しますよということで御理解していただきたいんですが、圧倒的に必要だと言われているのがコミュニケーション能力なんです。

 次がチャレンジ精神、主体性、協調性、誠実性、責任感、こうなっておりまして、学業成績なんというのはずっと下の方に落ちているんです。ですから、「き、し、しか」を知っているよりも、一足す一は二を知っているよりも、ボールが飛んできたらぱっと避ける、こういういわば生命力というのか本質的な知能というのか、そういうことが必要なんだよということをまず冒頭、御理解を賜りたい。

 次に、朝日新聞の二月二十三日の記事なんですが、大学生にイラクはどこにあるかと聞いたら、知らぬという人が四割おったそうです。四割という数字は四%の間違いじゃないかなと僕は思ったんです。これだけ毎日毎日、ここ二、三年、イラクという報道が新聞でなされ、テレビでなされているのに、なおかつその場所がどこにあるか知らぬということは、僕は知らないことそのものを言っているんじゃないんです、知ろうとしない気持ち、ここに大きな問題があるんだ。何のための教育なんだ、ゆとりもへったくれもあるかよと。

 とにかく、このこと一つとってみて、何とも言いようのない、言いしれぬ怒りすら覚える、私はそう思っておるんですが、まず、この件に関して何かコメントがあったら所感の一端でも述べていただきたいと思います。

銭谷政府参考人 ただいま先生から、物事の本質をきっちりわきまえるということが教育のまず基本であって、その例示として、企業が求める人材についてはコミュニケーション能力が非常に大切である、それから、高校生や大学生がイラクの位置をよく知らない、これは知らないということが問題というよりも、むしろ、きっちり自分で調べる、そういう態度ができていないんじゃないかという御指摘がございました。

 まことに先生おっしゃるとおりでございまして、まず、今の教育の中で、私どももやはり、自分が疑問に感じ、それを調べ解決する力を身につけるということが非常に重視されなければならないというふうに思っております。

 今の義務教育段階でも、学習指導要領におきましては、各教科の学習の中で、子供たちが図書館に行って調べたり地域の人にインタビューしたりするなど、体験的、問題解決的な学習を重視するようにいたしております。ただ、その成果がまだあらわれていないということも私ども課題と思っております。

 それから、国語を中心として、自分の考えや思いを的確に表現する力を育成するいわゆるコミュニケーション能力、私どもは伝え合う力というふうに呼んでおりますけれども、これも今の指導要領では大変重視をしていかなければならない内容となっております。

 今後、自分の考えを的確に表現する力や相手の考えを尊重して話し合う力、コミュニケーション能力の育成ということについて、教育において重点を置いて取り組んでいきたいというふうに思っている次第でございます。

谷川分科員 ずっと原点の話をさせていただくんですが、生きとし生けるものすべて、自分の力でいずれ生きていかなきゃならないし、また、巣立ちとかいう行事も鳥の世界にはあるし、いろいろなものを身につけながら、親は子へそういうのを伝えていくのが自然界のおきてだと思っております。まず、とにかく自分が幸せになる、そして自分の一番近くにいる嫁さんとか子供とか兄弟とか親戚とか社員の仲間とかにそれを広げていく、限りなくお互いに幸せになろうよというのが教育の原点だと僕は実は思っております。

 その次に、自分並びに集団の長に必要な素養というのは、これは偉そうに聞こえたら申しわけないんですが、宗教心への理解、それから哲学、理念、信念、倫理観、それから、願わくは自分の所属する民族の個性的な伝統ある文化の理解、この三つぐらい基礎的才能として備えていないと、各界のリーダーになったときに、政治家であれ経済人であれ学者であれ、そのことそのものは知っている、しゃべらせるとべらべらよくしゃべる、ところが、その人から何の感動も受けない、僕はそういうふうになってくると思うんです。

 本人は偉いと思っているけれども、周りはだれも思っていない、これほど無残、悲惨なことはないし、また哀れなことはないですね。そう思いますよ。テレビに出る人もしくはどこかで講演をする人をじっと僕は顔を見る癖があるんですが、顔に覇気がなかったり張りがなかったり目がきれいじゃなかったら、もう見ません、聞きません。だってむだですよ、聞いたって。

 では、宗教とは何かということをさせていただきますと、昔、唐の時代に、ある修行僧がある人に、いかなるかこれ仏法的々の大意と聞いたそうです。そうしたら、あるときある人は喫茶去と言ったんですね。喫茶店の喫茶に去れですから、肩に力を入れんでお茶を一杯飲んで帰らんねと。いや、私はお茶じゃなくて仏法の真髄について、願わくはその先にある一人の男の生き方を聞いているんですよと言ったら、返事をしなかったそうです。これを一つ、私はいつもいわば考えるあれにしているんです。

 もう一つは、これよりわかりやすい言葉で、同じ質問に対して、庭前の柏樹子、こう言っているんですね。庭先に生えている柏の木だよという意味だそうですが、中国に柏の木というのは物すごく多いそうで、一般の木だそうでして、日本でいえば一昔前の松の木なんですね、今は松の木も枯れていますけれども。庭先の松の木を、こう言われたときに、何のことかわからぬけれども、よく考えてみたら、地中深く根を張れ、天高く枝を広げろという意味なのでしょう、多分。これも書いていないからわかりませんけれどもね。

 そうすると、大学生にとって、小学生にとって、もしくは一政治家として、おまえにとって根を張るとはどういうことだ、天高く枝を広げるとはどういうことだという原理原則をきちっと押さえてかからないと、僕は間違ってくると思うんです。これが、いろいろありますけれども、とりあえず宗教論ですね。

 哲学論なんですが、私どもは満州事変をしました。時間がないので説明しません、これは明らかに横の侵略です。日本の失業問題を解決するために、よその国に迷惑をかけて領土を広げようとした。これはしかし、日本人が発明したのじゃなくて、実は、ポルトガル、イスパニア、オランダ、イギリス、どこもここも全部やっておったその当時の風潮なのでありまして、その当時の日本人が悪いとだれも思っていない、みんなやっているんだから。しかし、今の価値観で見たらおかしい、今の価値観で見たら。

 だから、今の価値観で批判するのはおかしいぞ、批判するのだったら昔の歴史の中に戻ってその場面で批判しろ、こういうのが一つの哲学です。それを考えられとったら、人が言うからと、わあわあと朝日新聞も批判する、毎日新聞も批判する、NHKまで批判する。これが実は付和雷同といいまして、個性がない、自己主張がない、自分の個人の理念がない、全くもっておかしな論法である、こういうふうに考える、これが哲学なんです、実は。

 もう一つは、また、満州事変を批判する人が、今は縦の侵略である税金以上の社会福祉をするためにもっとやれ、もっとやれ、もっとやれと言っているんだよな。縦の侵略ならやっていいという理屈なんでしょう、恐らく。私の今から生まれるかもしれぬ孫の取り分を今のじじばばが使うてしまう、これは縦の満州事変じゃないか。これはおかしいよ、これが哲学なんですね。そういうことを僕は言っているんです。

 最後に、日本の伝統文化というのは、これはいろいろあるでしょうが、わかりやすく言うために、私は、ことしの正月から一念発起して、万葉集を実は勉強しているんですが、私は「き、し、しか」知りません。ただ、気持ちはわかります。

  東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ

  み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも

  旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群

 何もわからぬでも、何となく、聞いておって、ああ、遣唐使を送るお母さんが、空を飛ぶツルの群れを見て、私の息子は船に乗って遣唐使で行ったけれども、どこかの港に宿って野営するときに、霜が降ったら、そこのツルさんよ、おりてきて自分の子をこうしてよ、気持ちとしてよくわかりますね、文法は全くわかりませんけれども。ああ、六百何十年代に、お母さんが遠くの西の方を見て、大和の近辺で言ったんだなという気持ちはよくわかる。

 この気持ちが、今の高校生、大学生にどの程度わかっているのかな。こう考えてきたときに、一日の新聞記事を見るにつけ、また自分が、私も実は五百人社員がおるんですが、採用した連中と話をするにつけ、何を勉強してきているのかな、文科省は一生懸命やってくれているけれども、本当に物の本質というのをつかんでいるのかなと心配でなりません。

 それからまた、政治家もいろいろおりますが、私どもは一年生で来て、いろいろな人の言動を見て、このおっさん、偉そうにしているけれども、どの程度宗教がわかっているのかな、どの程度私が言う理念というのがわかっているのかな、何でこんな莫大な借金をつくってきたのかなと思いながらずっと見ているんですよ。どうですか、民の声。民の声が各界各層におる連中を冷ややかに見ている。

 そして、おれはリーダーだという人に、本当に人間としての腹の底からの力、生命力、理念、哲学、教養、あるのかな。日本人として、外国に行ったときに堂々と日本の大和心、あえてもう一遍言いますけれども、

  敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

こういう魂でもって外交に当たっていただきたい。そういうことを思う庶民として、おかしいよ、本当に、文科省の真髄のことが。何か大臣、ありませんか。僕はおかしいと思いますよ、文科省の底流にある思想。何かあったら一言答えていただければと思います。

田中政府参考人 ただいま先生から、今の日本人に欠けているものについての御指摘があったわけでございますけれども、私どもといたしましても、最近の青少年につきまして、夢や目標を持ちにくい状況になっている。あるいは規範意識、道徳心、自立心といったものが低下している。さらには、学ぶ意欲でございますとか体力についても、子供たちの低下が起こっているのではないかということで心配をしているところでございます。

 私どもといたしましては、これから本当に自己実現を目指してみずから努力する人間の育成、それから、今まで日本人は国や社会というものは何かだれか別の人がつくってくれるというような感じであったのではなかろうかという反省の点から、国や社会の問題を自分自身の問題として考えて、主体的、積極的に行動できる、そういう公共心を持った人間をこれから育成していくことが大切であろうと考えております。

 と同時に、日本の伝統文化を基盤といたしまして、国際社会を生きていける教養ある日本人をつくることが大事であるというふうに考えておるところでございます。

中山国務大臣 谷川議員、年配的には私と同じぐらいなんですけれども、ずっと地方政治をやってこられまして、本当にそういう意味では庶民とともに歩んでこられた、そういう方が国会に出てこられて、今の国会の現状を見られて、本当にいろいろ考えられるんだろうなと、本当によくわかるわけでございます。

 このことは文部省だけの問題でもないわけでございますが、戦後の日本の教育がどうであったかということについては、本当にさかのぼって考えなければいけない、こう思うわけでございます。

 特に、私は、前の戦争が日本人にとって有史以来の敗戦だったということで、そのショックが余りにも大きかったということもあるんでしょうけれども、過去をすべて否定するような風潮がずっと続いたわけでございまして、もともと日本というのは非常に古い歴史と伝統を持ったすばらしい国なんですけれども、昭和二十年を境にして断層があるような気がするわけでございます。

 今いろいろ、万葉集や詩歌のことについても引用がありましたけれども、本当にそういった日本の持っているよさというものをもう一回復活させなければいかぬ、そういうふうにも思うわけでございますし、満州事変のことも話されましたが、本当に私たちは、今からの子や孫たちを搾取しているんじゃないか、先取りしているんじゃないか、このことは本当に反省しなきゃいけない。むしろ、これからの子供たち、孫たちに何を残すかということが非常に大事だと思うわけでございます。

 そういう意味で、私は、この文部科学省というのは、教育そして科学技術、これはいずれもこれからの者に対する投資です。これから子供たちが本当に幸せな人生を送っていけるための土台をつくってやるという意味では、子供たちに対する投資でありますし、科学技術の振興というのも、それをもとにして日本がこれからも経済大国としてきちっとやっていける、そのための未来に対する投資だろうと私は思うわけでございまして、いろいろな役所もありますが、特に文部科学省というのはこれからの子供たち、次なる世代のために投資する、そういうふうな役所だということをしっかり自覚して取り組んでいくべきだ、このように考えておるところでございます。

谷川分科員 もう大体これでいいんですけれども、めったにない機会ですし、せっかく時間が余っているので、若干まだ話をさせていただきたいんです。

 人間の本能というのは、三大本能というのがありますね。睡眠欲とか食欲とか性欲とかあります。ところが、余り世間で言われていませんが、これに劣らず負けず強い本能が別にあります。それは心の本能でありまして、苦を避け楽を求める。苦しいことはしたくないわけですから、できればきのうと同じ方法でしたい。

 特に、だれからも批判されない立場におる人はこれが直りません。言いにくいけれども、余り苦労しないで政治家になった人たちとか、それから、頭がよくて東大に入って、すっと役所に行った人とか、反省するチャンスがないんです。特に始末に負えぬのが選挙に強い政治家でありまして、むちゃくちゃ強いんだから、何回やっても、目をつぶっていたって通るんだから、これはどうにもならない。私はいつもこれを思っているんです。こういうふうに考えるのも実は哲学なんですけれども。

 長期、短期合わせて千六十二兆円、借金になった。もちろん資産があります。資産についてきょうは触れません。医療費が十三・九兆円、一九八二年、二〇〇一年に三十一・三兆円、二〇五〇年に百十兆円、二一〇〇年に二百七十兆円かかると、厚生労働省の指標をもとに三菱総研が計算したらこうなるそうです。

 こう見たときに、片や六十歳以上が生涯国とのやりとりで、もうけ、五千六百四十七万、二十歳未満はマイナス三千九百五十二万、合わせて九千五百九十九万の差がある、世代間で。こういう事実もあるんですね。

 出生率は、昭和二十二年から二十四年で、二百七十万毎年生まれている。去年は百四万しか生まれておらぬ、こういうのがあるんですね。

 こういう資料を見たときに、これは事実として、どういうふうな子供にならぬと、この人たちの、いい悪いは抜きにして、どうするこうするも抜きにして、結果として、物すごく精神力をたくましくしておらぬと、これは大変だなという推測ができます。

 ところが、残念ながら、五十二万のニートがいるとか、四百十七万のフリーターがいるとか言われているんですが、正直言って心配でならない。本当にどうかせぬといかぬ。関係者は心配で夜も眠れない。自分の身内ならそうなると僕は思うんです。もし、そうでないとするなら、それは他人事だと考えているんだろうと思うんですね。本当に文科省はまなじり決して子供の教育に当たらなきゃならないし、なおかつ、生涯学習に関係ある人たちは大人に猛省を迫らなきゃならない、大人がおかしいんですから、どう考えても。そういうふうにして物事を見れば見るほど、心配の種が実はあります。

 基本はここなんですよ。マスコミが日本の将来を憂えて、日本人としてこうあるべしという理念が底流にあるんじゃなくて、どうしたら新聞が売れるかな、どうしたらテレビの視聴率が上がるかな、こう考えて、大多数の人たちが気持ちよいと思う方に論調が流れていく。もしこうなったら、そうだと言いませんよ、僕は。もしこうなったら大変だな。政治家が票をとるために、国会議員になるためにそうなったらどうなるかな。評論家が、それに合わせないとテレビに出してもらえないから、新聞記事にならないから、大多数に合わせていったらどうなるかな。僕は心配でならないんです。だれがそれなら本当を言うんですか。

 そう考えたときに、私は、二、三日前、四、五日前にNHKの人たちがちょろっと遊びに来たので言いました。私みたいなチンピラのところに遊びに来なくていいんだよ、もっと偉い人に行きなさいと言ったんですが、へらへら笑って、まあ、人生論をいろいろ話していったんですが。

 僕が言ったことは、物事は演奏なんだ。一方からだけで報道したらだめだよ。朝日が、読売が、その他のいわば一般紙が、広告料をもらいたいために仮にそっちの方にやるとして、あなたたちまで大衆迎合したらどうなる、世の中は。全く反対からやってよ、こう僕は言ったんです。

 医療費を防ぐために、年をとって、頭が痛い、病院に行こうという前に縄跳びしてみろ、そうしたら血のめぐりがよくなって、すっとして、よくなったよというのがあるんじゃないか。これが何十億、何百億、何千億になるよ、年間は。なぜそういう角度から新聞記事を書かないの、僕はこう聞いたんです、実は。

 いろいろ言いますけれども、最後の質問ですけれども、何かコメントがあれば。本当に核心に触れたことに我々は命がけでぶつかっていく時代なんですよということを僕は言いたいんです。

中山国務大臣 いろいろなところで、憂国の士、谷川節を聞かせていただいているんですが、同じ世代として、本当に同感といいますか、我が意を得たりという気持ちが非常に強いんです。

 この前の日曜日、私はちょっと時間がありましたので映画館に行きましたら、二千円だといって払ったら、いや、千円でいいですと言うんですね。どうしてか。六十歳過ぎていると千円だそうでございまして、私はびっくりしたというか、えっと思ったんですけれども、いや、おれは二千円でいいよと言って、二千円払ったんです。若い学生たちが二千円払って、何で私が千円なんだと。

 そういうことも含めて、今の施策というのが、年配の人たちに非常に厚いんだと。これは今まで私たち、今の年配者というのは戦中戦後を通じて非常に苦労されていた方だから、その人たちのために、そういう気持ちもあったんですけれども、我々がそういう世代になってきたとき、もう少し、若い人たち、これからの人たちのことを考えた、そういう施策に方向転換しなきゃいけないんじゃないかなということを映画館でも実は感じたわけでございます。

 少子化社会になります。急激に人口が減っていくという中で、周りの国がどんどん追い上げてくる。本当に私たちは、子や孫、さらにその次の世代の日本人がどういうふうに生きていけばいいのか、どういう教育を授ければいいかということで、私は大臣に就任早々、「甦れ、日本!」ということで、自分の教育改革案を出したんです。

 これには何がその一番の目玉だったかというと、要するに、どういう時代、どういう社会になろうとも、たくましく自分の力で生き抜いていけるような、そういう力を持った、これは人間力というんでしょうか、そういった子供たちを育てるためにどうしたらいいか。頑張る子供を応援する教育、それによってチャレンジ精神を持った、そういう子供たちをたくさん輩出することが大事であるということを訴えているわけでございます。

 このことは、谷川先生初め、孫に夢をかける世代としては、本当にそのことが一番心配だし、一番考えなきゃいけないんじゃないか、こう思うわけでございます。日本が未来永劫に、こういう平和で豊かで、本当に一人一人の子供たちが幸せな人生を送れるような、そういう国をつくるためには、文部科学省も頑張りますけれども、我々政治家がやはり率先して……。

 マスコミの話もありましたが、なかなかおっしゃるとおり先のことまで考えてくれません。いかに紙面をおもしろくするか、読者が読んでくれるかという、どうしてもそういうふうな観点が強くなるわけです。しかし、谷川先生、マスコミの諸君ももう自分たちの子供、孫の時代ですから、そういう世代に対して、こういうことだということを、時間がかかるかもしれませんが、どうかひとつ粘り強く説得、理解できるようにお話ししていただきたい、同じ政治家として、むしろお願いしたい気持ちでございます。これからもよろしくお願い申し上げます。

谷川分科員 あと数分時間があるので、最後に一言だけ。

 社会に出て一番大事なことは、努力する癖をつけるということだと僕は思うんです。

 僕は、変な話ですが、あるときに友達関係で、このやろう、絶対許せぬということが起きまして、腹が立って夜も寝られなくなりました、飯が食えなくなったんです。これは気違いになるなと思って、何かいいことないかなと思ったら、新聞を切り抜いて大事なことを書くという習慣を実はつけたんです。書くんですよ、こんなふうにして。ずっと書くんですから大変ですよ、これは。結構時間がかかるんですよ、大事なことだけ。

 これでもって、きょう、あすの質問をやってやろうと思ってつくっているんですが、これが実は一日分なんですよ。日経新聞ほか、一日分。ずっと一日分ですよ。これが四年間、こうたまってくるんですけれども、私はおかげで世の中で起こっていることは大体わかっていますよ。だって、全部書くんですから。大体わかっている。そのかわり、テレビを見る暇は全然ありません。

 別に自慢するんじゃなくて、私がここで最後に言いたいことは、いろいろな才能が要るけれども、こつこつ努力をするということは物すごく大事ですよ。一日一歩、三日で三歩。そういう癖を小学校一年生で全部につける方法はないかな。そうしたら物すごく世の中明るくなりますよ。何かいい方法はないですかね。一つ焦点を絞って、それに向かってこつこつやっていく、そういう癖です。別に何もない、ただ癖。朝起きたら顔を洗うのと同じことなんです。何かありませんかね、そういうこと。何とか小学校一年生の第一日目でつける癖、何かありませんか。

中山国務大臣 それは人それぞれあるんだろうと思うのですけれども、きのう小学校を訪問しましたら、まず読書の時間、朝、十五分ないし二十分みんなで本を読む、そういう授業をしておると言っていましたけれども、毎日毎日それをやる、これもいいことだと思うのですね。

 やはりそういった一日一日の積み重ねが将来のためになるんだということで、例えば朝ちょっと本を読むというふうなことも大事なことじゃないかな、こう思いますが、それぞれ子供たちにとって、一つ何かやるというようなことを先生方が慫慂するということも大事だろうし、それをやっている子供をよくやっているなと言って褒めること、そして励ますことが一番大事じゃないかな、こう思っております。

谷川分科員 ありがとうございました。

渡海主査 これにて谷川弥一君の質疑は終了いたしました。

 次に、大畠章宏君。

大畠分科員 おはようございます。

 今、谷川委員から、非常に今日の社会現象を憂いながら、どうやったら日本の子供たちが次代を担う力を養うことができるかという趣旨の御発言がございました。何かいいことはないのかというお話がございましたが、私の地元で、先ほど谷川先生のお話を聞いていて思い出したのは、高萩市のあるJRバスの所長さんがおはよう運動というのをやっているんですね。すれ違う人みんなにおはようと言おう。電車で来ている方なんですが、すれ違う人みんなにおはようと言う、子供たちにも近所の人にも。それが大変今広がり始めていまして、何かおはよう運動なんという看板まで近所にあるんですが、とにかく、一人一人の心構えでいい社会にしようといううねりを上げなければならないという感じがいたします。

 そこで、きょうは時間をいただきましたので、何点か質問させていただきますが、ちょっと順番を少し変えながらさせていただきたいと思いますが、まず最初に、教育の現場から幾つか声が上がってきています。

 一つは、高校生など青少年の薬物、麻薬が非常に今地域の方にも入り始めている。そこで、エイズについても教育が必要なんだけれども、薬物についても、例えばテレビのコマーシャルといいますか宣伝等で呼びかけるということもやらないといけない時代になったんじゃないかということが一つ。

 それから二つ目には、携帯電話の普及によって地域に公衆電話がなくなってきちゃったんですね。しかし、緊急の場合にはやはり公衆電話、地震災害のときに携帯電話はほとんど通じなくなるケースがありますので、そういう意味では、緊急時に備えて公衆電話を通学路に最低幾つ、この距離ごとに置こうという、もうかるとかもうからない、あるいは収益があるとかないにかかわらず、ある程度通学路には公衆電話を置いていただけませんかという声が来ています。

 それから三つ目には、災害時に学校の耐震性は大丈夫なのか。体育館等々がよく利用されるわけでありますが、その耐震性の点検が必要じゃないかということで、点検と対策についてはどうなんでしょうかという声。

 それから四つ目に、団塊世代の教員が一斉に退職し始めます。そして、それを補充するために若い先生方を採用するという話があるんですが、学校内でのいわゆるバランス、ベテランの先生がいなくなって若い先生だけという状況が生まれてしまうのではないか、そういうところに対して、男女の比率ですとか、ベテランの先生と若い人の組み合わせはどうなんだろうか。

 あるいはまた、新しく採用された先生がすぐ担任につくと非常にストレスになっちゃって、中には登校拒否、学校の先生が登校拒否をしてしまうというケースも見られるということで、これも深刻な問題です。欧米では、新しく採用した先生は一年くらい、補助教員ではないんですけれども、ベテランの先生とペアを組んで一年ぐらい修行を積んだ後担任させるとか、そういう工夫をしているというんですが、こういう幾つかの課題に対して、文部科学省としてはどういう見解あるいは対応をとろうとしているのかということをお伺いしたいということがありますので、最初にそのことについてお伺いしたい。

素川政府参考人 最初に、薬物乱用防止対策、またエイズ対策につきましてお答え申し上げます。

 まず、薬物乱用につきましては、先生御指摘のように、特に中高校生の覚せい剤事犯、特に合成麻薬事犯というものについて深刻な状況にあるということでございまして、これに対しましては、政府全体で、薬物乱用防止新五カ年戦略というのが平成十五年に策定されました。その中では、特に中高校生を中心といたしました薬物乱用、危険性の啓発を継続して、その根絶を目指すということが盛り込まれているわけでございます。

 私どもといたしましては、薬物乱用防止教室ということを、これは警察職員とか麻薬取締官のOBの方などの協力も得ながら行うわけでございますけれども、そういうものを各学校に行っていただくとか、特に小中高校生につきましては、薬物乱用の健康への影響等を解説したパンフレットの配付、こういうことをする中で効果的な対応をとっていくように努力してまいりたいと思っているところでございます。

 それから、エイズ教育に関しましても、これも二十歳代を中心に深刻な状況にあるということで、その予防対策が非常に重要な課題になっているわけでございます。

 そのような状況を踏まえまして、文部科学省においては、中学校の一年生、高校一年生全員に、入学したときにエイズ教育教材の作成、配付ということを毎年行っておるところでございます。そういうことを通じまして啓発を行ってまいりたいと考えております。

 それから、コンピューターのネットワークによりますエイズ教育情報の提供、これは主には教職員向けにつくられたものでございますけれども、こういうものも一般の方も活用することも可能であるというふうに考えておりますので、広い面では、そういった情報通信機能を活用した広報になるのではないかと考えております。

 いずれにいたしましても、エイズなどに関する正しい知識の理解、望ましい行動をとれるようなことをねらいとした対策というものは非常に重要であろうと考えているところでございます。

萩原政府参考人 学校の耐震化についてお答えいたします。

 公立小学校の耐震化につきましては、毎年調査をしておりますが、最近の一番新しい平成十六年四月に文部科学省が行いました調査によりますと、耐震性が確認されている建物が半数に満たない、むしろ耐震性が確認されていないのが多いということでございます。耐震化への取り組みがまだ十分に進められているとは言えない状況でございます。

 このため、文部科学省といたしましては、国の財政が極めて厳しい状況にある中で、耐震化への取り組みが十分進められるように、耐震化関連予算の確保に最大限努力をしているところでございます。

 さらに、現在、より効率的に耐震化を推進していくための方策につきまして、有識者にお集まりいただきまして、検討していただいているところでございます。

 文部科学省といたしましては、今後とも耐震補強等を積極的に支援して、安全、安心な学校づくりの実現に向けて努力していきたいと考えております。

素川政府参考人 先生から、通学路の公衆電話の設置のお話がございました。

 学校の安全対策という意味におきましては、登下校中も含めて、その安全管理の徹底を図るということが重要であろうと考えております。私どもにおきましては、教師用の安全教育の資料でございますとか、平成十四年に策定いたしました危機管理マニュアルにおきまして、通学安全マップの作成とか通学路の安全点検など、登下校時における安全確保について指導してまいっているところでございます。

 先生からお話がありました、緊急時に児童生徒が連絡をとる体制といたしましては、公衆電話の活用というのも一つの大きな方法であろうと思いますが、私どもといたしましても、先ほど申しましたように、通学安全マップの作成などを通じて、近くの交番でありますとか、いわゆる子供一一〇番の家、こういったことを子供たちに周知する、そして緊急時に児童生徒が避難し、連絡をとることができるようにしておくことが重要であると考えております。このような指導を今後とも充実してまいりたいと考えております。

銭谷政府参考人 私の方から二点御説明をさせていただきます。

 まず第一点は、団塊世代の教員が大量に退職した後、学校における教員構成のバランスの問題でございます。

 先生お話ございましたように、現在の教員の年齢構成は、四十代、五十代の教員が六割を超えるという状況がございまして、今後大量の退職者が見込まれるわけでございます。その後の、それに伴います教員の構成については、やはり年齢や経験の面でバランスのとれた構成になることが望ましいと思います。任命権者でございます都道府県の教育委員会におきまして、適切な採用や退職の管理ということが必要になってくると思います。

 ですから、例えば採用に当たりましても、年齢制限の緩和とか、あるいは社会人の特別選抜とか、あるいは面接などを中心とした人物重視の採用とか、こういったようなことで、本当に社会的な経験のある方を教職に迎えるような、そういう工夫もこれから必要になってくるかなと思います。

 文部科学省といたしましても、中長期的な視野から退職者数等を分析、把握して計画的な教員採用人事を行うよう指導しているところでございます。

 それからもう一点でございますが、新規採用の教員は一年くらい担任を持たないで、研修を積んでから担任になるようにしたらどうかという御提案でございますが、非常に人的な余裕があれば、本当にそれは先生にとっても学校にとってもいいことかなとは思うわけでございますけれども、なかなか今それほどの人的余裕もない部分もございます。

 ただ、新採の先生につきましては、初任者研修ということを今一年間行っているわけでございますので、実際の子供たちの教育活動に携わりながら、学校で、あるいは教育センター等において研修を受けるということでございますので、指導の先生方と二人三脚と言うと変でございますけれども、力を合わせながら経験を積んで、いい先生になっていただけるように、私どもも初任者研修の充実に努めてまいりたいというふうに思っております。

大畠分科員 まとめて御質問しましたので大変恐縮でございました。それも、きのう遅くといいますか、けさ早くのときもありましたから、大変恐縮でしたが、現場の方でも、とにかく第一線でやっているわけでありまして、さまざまな声が上がってきていますので、文部省としてもそういう声を真摯に受けとめて、ぜひ対応していただきたいと思うし、テレビのコマーシャルというのは非常に有効なんですね。ですから、いろいろ今パンフレットを見せていただきましたけれども、工夫はされていますが、より進んだ効果を与えるのはテレビのコマーシャルなんで、ここら辺、NHKを使っていただいて、NHKは多分コマーシャルはただでやれるわけでありますから、そういう意味では大いに活用していただいてもいいのかなと思います。

 それから、公衆電話についてはNTTに少し交渉して、携帯電話も便利は便利なんですが、そうすると、小学校の低学年からみんな持つような話になってきますので、そういう意味では、公衆電話の設置というものをある程度、通学区域には最低限何基置くという、そういう基準も必要ではないかと思いますので、そこら辺も御検討をお願いしたいと思う。

 先生の余裕がないから、なかなか一年間云々というのは難しいんだと言うんですが、子供たちにとっては最初に出会う教師なんですね。ですから、その先生が準備不足のまま突入してしまうと、子供たちも非常に大きな影響を受けますね。先生も大変なんですね。ですから、そこは余裕があるとかないとかというよりも、そういうシステムに文部省内でしてしまう。

 小泉総理は、米百俵と言いましたね。米百俵を節約して何に使うかといって、アメリカにお金をやってしまってはだめなんですよ。教育に使わなければだめなんです。ですから、もしも米百俵を言うんであれば、小泉政権の中山大臣は、米百俵はおれに渡せということを言う権利があるんですよ、大臣。そして、少しゆとりを持って、新人の先生方には一年間研修しなさい、それから担任になりなさい、これが大事なんだと私は思うんですね。ここら辺、再度、ぜひ検討を内部でしていただきたいと思うんです。

 それから、大臣はゆとり教育の見直しということを主張されておられるわけであります。これも一つの時代的な流れとして理解できないことはないんですが、後ほどこの問題については論議させていただきますけれども、今日本の教育で欠けているのは、子供たちには体験教育だと私は思うんですね。知識はあるんですよ。学習塾に行って、一足す一は二を習うとか、知識を得る方法はたくさんあるんです。インターネットを通じて学ぶ。でも、結局体験不足、経験不足。

 私のところにもあるファクスが来ていましたけれども、ゲームとかなんかでやるバーチャルリアリティーにすごく慣れてしまって、人間は死んだ後生き返りますかという問いに、何か二割とか三割ぐらい、生き返るというアンケート結果があるんでしょう。そういうのも全部、知識だけの社会、あるいはコンピューターのバーチャルリアリティーの中で過ごしてしまっているから、結局現実がわからない。そういう意味では、体験教育の充実というのは非常に大事だと私は思うんです。

 私もボーイスカウトの育成会長をさせていただいていますが、小学校の四年、五年、六年、中学校の一、二年、中学校一年生だけでも結構ですが、こういう子供の時代に、電気もガスも水道もない、一週間ぐらい山の中で過ごす。腹が減ったら、コンビニに行けなくて、自分でお米を炊いておにぎりをつくって食べる。こういう経験をすることは、学力を上げることも大事だけれども、人間としての正しいこと、悪いこと、それから感性、人間関係、そういうものを学ぶには非常にいいと思うんですね。ぜひここら辺は、ボーイスカウト、ガールスカウトのお父さん、お母さん、あるいは学生さんもいるので、夏休みあたりは、そういうことが今欠けているんじゃないかという声が一つはございます。

 それからもう一つ、コンビニなんですが、今コンビニが深夜の学生たちのたまり場になり始めている。茨城県では、そこで殺人事件まで起こっているわけですよ。なぜ全部のコンビニが二十四時間営業しなければならないのか。それはトラックの運転手さんのためだという話もあるから、沿道筋とかなんかというのはあけておくとしても、自治体が許認可制にして、ではここはいいですよ、ここは必要ないじゃないですか、そういうことにして、子供たちの環境を整えるべきではないかという御意見がありますが、この二つについてお伺いします。

中山国務大臣 大畠委員とは経済産業委員会でいろいろとお世話になりましたけれども、この文教委員会でいろいろな議論ができるのは大変ハッピーなことだと思っております。

 最初、話を聞いておりまして、おはようの声かけ運動、私は大賛成で、大臣になってすぐそのことを提案したんですけれども、返ってきた言葉が、そんなことをするとさらわれちゃう可能性があるというので、おはよう運動もなかなか実施できないような状況にあるということですね。

 先生、アメリカなどでは、ハーイとか言ってあいさつしますよね。あれは、私は何も敵意がありませんよということを示すと同時に、やはりそれだけ向こうは、どういう人かわからぬからということも踏まえてまずそうやっているわけで、そういったお互いの関係ももちろんわかるという意味でも、私はおはよう運動というのはいい運動だと思うので、ちょっと内部で検討させていきたい、このように考えていることが一つでございます。

 それから、自然体験、これは本当にそうでございまして、我々の若いころというのは、小さいころは自然があったんですよ。自然の中で生きてきたんですけれども、今の世の中、特に都会の方は、親たち、学校がそういう体験をつくってやらないとなかなかできない。きのうも私、中央区の阪本小学校へ行ってきたんですけれども、夏の林間学校だとか海水浴とかそういうことをやはりさせているんですね。ですから、自然体験というのは大事だということ。これはまた、実際、調査によりましても、自然体験をすると学習意欲が高まる、そういうふうな結果も出ているんですよ。

 それで、私この前、ルバングから帰ってこられた小野田寛郎中尉、立派な人ですね、あの人が、ブラジルで牧場をつくった後、今度は日本にまた来られて、自然塾という塾をやっている。その本を読ませていただきました。「君たち、どうする?」まさに大畠先生言われたように、山の中にほっぽり出すんですね。そしていろいろなこともやらせる。これは本当に、子供たちがたくましく育っていくその過程を見事に書いた本で、文科省にも読めと言っているんですけれども。

 ああいうふうなのが大事だなということで、しかしこれは学校だけじゃできないので、やはり保護者も日ごろ、小さいころから子供たちをそういうところへ連れていってそういう体験をさせる、これは絶対に必要なことだ、こう思うんですよ。

 それから、死んだら生き返るという話ですね。この前の、長崎県の調査が出たんですけれども、あれ、小学校よりも中学生の方がそう思っている。これは私、調査がからかわれているんじゃないかと。今の中学生は結構賢いですから、そんなばかなことを聞くものじゃないといって、逆に生き返るのところに丸をつけたのもいるんじゃないかと思うぐらい、よくわからないんですけれども。

 しかし、この前北海道で、死んだ人が生き返りましたね、自殺未遂の人が。ああいうのがあると、死んだ人が生き返るということになるので、なかなか一概に言えないんですけれども、そういったことで、実体験といいますか、子供たちにとっては周りの人たちが亡くなってお葬式なんというのはないわけです。

 だから、そういう意味で、なかなか昔と違って、今の子供たちの現状を見て教育というのはやらなきゃいかぬなということをつくづく考えておりますので、ぜひ、そういう意味ではおっしゃるとおりだということで、そういった方向で進めていかなきゃいかぬし、また進めているということを御理解いただきたいと思います。

 コンビニは、これは文科省の所管じゃないので、私の方から答えるわけにいかないんですけれども、一般の人にとっては非常に便利だということもあって、これを時間を区切れとかなんとかということはなかなか難しいと思うんですけれども、おっしゃるように、地域によってはなくていいじゃないかと。むしろ、子供たちのたまり場になって問題だとか、いろいろなことがあるでしょうから。

 これはやはり市町村の問題だと思うので、学校ごとにといいますか、あるいは教育委員会の方で検討していただいて、ここはちょっと自主的に規制してもらえないかとか、そういったことは地域で相談していただくという形の方がいいのかなと思いますが、実際、非常に便利なものであると同時に、そういったいろいろな弊害もあるんだということも認識しておかなきゃいかぬなと思っております。

大畠分科員 コンビニ問題は経済産業委員会でもこの間やってきまして、経済産業大臣も検討したいと。そういう弊害が出てきていることは事実だから、必要性があればいいけれども、必要性がないところは、何でもかんでも二十四時間営業というのは日本の風土に私は基本的に合わないと思う。暗くなったら寝るというのが、大体、もともとは日本の風土だったんだ。ところが、それがだんだん、暗くなっても寝ない、明るくなったら寝るという人が、もちろんそれは職業ではいろいろあるんですが、子供たちまでそうなってしまったのでは、私はいろいろ問題があるんじゃないかということで申し上げさせていただきました。

 それから、ぜひ、大臣も賛意を示されておると思いますが、ボーイスカウトとかガールスカウト連盟の方も大いに協力しますと言っていますので、ぜひ大臣の時代に、そういうものを織り込んだ形のプログラムというものを、夏休み、学校の先生は子供たちがいないのに出てこいというのでみんな出てきているんだけれども、何かあれも私はおかしいと思うんですね。だから、そういうプログラムを組んでやるというのも大変私は重要だと思いますので、再度御検討をお願いしたいと考えます。

 それから、幼稚園と保育園の一元化問題についてお伺いしたいと思うんですが、幼稚園と保育園の一元化は特区として一部認可され、実施が始まっていますけれども、今後の展開はどういう形になるのか。幼稚園と保育園のそれぞれのいいところがあるんですが、子供たちのことをまず第一に考えてほしいというんですが、流れとしては、私は、厚生労働省だとかあるいは文部科学省だというまさに見えない壁があってなかなかうまくいかなかったんですが、これからはそういうことをやる時期ではないかと思います。

 それから、保育士の資格を持つ方が、平成十七年あたりから、検定試験を通過すれば幼稚園の教諭の資格も得られるという動きもあると聞いています。保育所における教育的レベルアップのためかなと思うんですが、受験者について、年齢層、受験者をどういうものを考えているのか聞いていただけませんかという声もありますので、この二つをお伺いします。

銭谷政府参考人 幼稚園に係る特区の問題でございますけれども、現在、幼稚園において幼稚園児と保育所の子供たちの合同活動を行う特例など、幼稚園と保育所の連携に係る構造改革特区が三十四件認定をされております。こういうところでは、今、就学前の教育・保育を一体的に実施するようになっているわけでございます。

 元来、幼稚園と保育所は異なる目的、役割を持つ施設でございますけれども、両施設とも就学前の幼児を対象としており、それぞれの特性を生かしながら地域や保護者の多様なニーズにこたえていくということが今後必要になってくると思っております。

 そこで、現在検討しておりますのは、就学前の教育・保育を一体としてとらえた一貫した総合施設というものについて、平成十七年度に試行事業の実施をするなど予定をいたしているところでございます。この点については、厚生労働省と文部科学省が協力しながら、この総合施設の実現のために現在準備を進めているところでございます。

 それから、保育士の資格を持つ方が幼稚園教諭資格を取れるようにするということで、これはある面では幼稚園と保育所の連携を一層促進するということにもなるわけでございますので、平成十七年度から、保育士の資格所有者の方が幼稚園教諭の免許状を取得できる方策として、幼稚園教員資格認定試験というものを実施することとして、現在準備を進めているわけでございます。

 お尋ねの受験者数でございますけれども、これは昨年、認可保育所に対して行ったアンケートの調査結果などを参考にして考えますと、三年以上の児童福祉施設での経験を有する方がおおむね三万人程度見込まれております。ただ、その方が皆さん受験するというわけでもないと思いますので、おおむね二十代後半から三十代ぐらいの方が中心かなと思いますけれども、かなりの数の認定試験受験者が見込まれるというふうに私ども思っております。

大畠分科員 いろいろと現場の方でも心構えをしながら努力しているようでありますから、ぜひ、私自身、次に質問する中山義活代議士もそうですが、政治は現場主義で行こうと。もちろん心に夢を持ちながら、やはり現場のことをしっかりと踏まえてやらないといけないのではないかという感じがしますので、ぜひ現場の声を聞きながらお願いしたいと思います。

 それで、大臣には、あと残り一分となってしまいましたが、ゆとり教育の見直し問題について、非常に踏み込んだ御発言をされております。私自身も、何か違うふうになってきているなという感じがするんですね。週休二日制にしようというので二日制にした。そうしたら、やり過ぎじゃないかということで、また言われた。でも、どうも腰が定まっていない感じがするんですよ。

 私は、もちろん見直しするなら見直しするで、これまでの変遷というものを十分分析していただいて、検証して、どうするか。単に、国際的な学力調査をやったら成績がおっこっちゃっているから、ではもうちょっと勉強させようというだけでは、私はいけないんじゃないか。

 要するに、子供たちを取り巻く環境も非常に複雑になっています。今、結婚した人の二組に一組が、半分ぐらいは離婚しているというでしょう。その離婚された方の家庭がまたいろいろあるというお話も聞いていますし、社会的に複雑な傾向がありますから、ぜひ、そこら辺は十分現実を踏まえて検討していただきたいということを、時間が来ましたので要望だけお願いしまして、私の質問を終わります。

渡海主査 これにて大畠章宏君の質疑は終了いたしました。

 次に、岸本健君。

岸本分科員 民主党の岸本健でございます。

 きょうは大臣にいろいろとお伺いできる機会をいただきまして、私も、高等学校、中学校、いわゆる大規模校、中規模校それから小規模僻地校というふうに、九年間でありますけれども、そんな大層な経験でもないんですけれども、いろいろとお話を聞かせていただきたい。質問というよりも、大臣の率直な御意見を伺えたらと思いますので、よろしくお願いいたします。

 まず最初に、全国的に市町村合併が行われております。それに伴いまして、当然、学校も統廃合が行われているという、これは必然的に行われておりますので、そのあたりで大臣にちょっとお尋ねをしたい。

 学校の統廃合について、おおよその目安は何か。また、学校統合に当たって特に留意するべき点とは何とお考えでしょうか。お尋ねいたします。

中山国務大臣 公立学校、小中学校の統廃合、これは学校を設置する市町村の判断に基づいて行われるものでございますが、御指摘のように非常に市町村合併が進んでいますから、この何年間かというのは、そういう意味では非常に激変するときかな、こう思うわけでございまして、私の気持ちとしては、やはり子供たちがよりよい教育が受けられるには、少なくとも下がるようなことのないようにということをまず原点にして考えたい、こう思っています。

 今、小中学校の学級数につきましては、十二学級以上十八学級以下を基準とすること、ただし、地域の実態その他により特別の事情があるときはこの限りでないということが定められております。こうした学校の規模や通学距離の目安ということの中に、教育の効果を考慮し、土地の実情に即して実施すること、将来の児童生徒数の増減の動向を考慮して計画的に実施すること、住民に対する啓発について特に意を用いることなどを示してきているわけでございまして、引き続きこれらの点に十分配慮しながら、先ほど申し上げましたが、子供たちの立場に立って適切な判断がされるようにということを指導してまいりたい、このように考えております。

岸本分科員 そうですね。特に、学校は子供のためにあるものですから、それをいろいろと、地元の市町村はもちろんですけれども、やはり私は、国からの指導が大事ではないかな、そんなふうに思います。

 それで、統廃合を控えた学校の現場で、教職員の定数、それから配置がえ、事務職、養護教諭をなくす、減らす、このような問題が出てきております。これは別に職員の肩を持つわけでもなく、まず、養護教諭がいなくなる。特に小規模僻地校、近くにお医者さんがいないんですね。突発的にけがをした、救急の措置をとらなければならないというふうになったときに、やはり、ある程度専門的な教員なり、その立場の人がおった方がいいんじゃないか、そんなことを思うんです。

 実際、教員のほかに、校長、教頭、養護教諭また事務職、これは大体普通おると考えられるんですが、減りますと、教頭がいなくなる、それから養護教諭がいなくなる、事務職がいなくなる。そうなると、校長が教頭の役割も果たさなければならない、それから、事務一切合財、教員の給料のいろいろな段取りを校長がしなければならない。そういうふうに兼務しなければならない。学校というのは、大きかれ小さかれ、一年のスパンは同じように、校務があり、教務があるわけですね。それを、減ることによって、肩がわりというんですか、やっていくのはちょっと大変じゃないかな、そういう思いがあります。

 とにかくスムーズに統廃合が行われるために、やはり現場の不安を払拭する必要があると思います。また、今言った人事の問題でありますとか通学の問題、統廃合すると子供たちに不利益が起こるんじゃないか、そんなことを思っております。

 こうした点で文部科学省がどのようにケアをするように指導されているのか、具体的な事例があればお教えいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 小中学校の統廃合というのは、その地域にとっては大変大きな問題でございますので、文部科学省は、先ほど大臣から御答弁がございましたように、地域の実情に即して、それから地域の住民の御理解を十分得て統廃合問題は考えていただきたいということをまず基本にいたしております。

 学校の教職員の配置につきましては、これは標準法という法律に基づきまして、学校規模に応じて教職員の数を計算するということになるわけでございますが、お話のございました養護教諭については、三学級の規模の学校から、法律上は一人措置がされるということになっております。一学級校、二学級校、つまり六年まで一つの学年とか六年まで二つの学級しかないというところは、標準法上は養護教諭の定数はないわけでございますが、その点、各教育委員会において教員人事の際にいろいろ工夫はできるわけでございますので、できるだけ子供の健康という観点から、必要な職員は配置していただければなと思っております。

 それから、学校統合によりまして、例えば国として、仮に統合がなされた場合にどういう援助をしているのかということのお話もあったかと思いますけれども、統合になりますと、どうしても遠距離通学という問題が生ずるわけでございます。それで、国としては、スクールバスの購入費や遠距離通学費について市町村が経費を措置する場合に、その一部について国庫補助を行っているわけでございます。

 平成十七年度予算案におきましても、通学用のスクールバスの購入費や児童生徒の遠距離通学費に係る予算として、十六年度に比べまして一億円増の約五億三千万円を計上しているところでございます。これらは、各市町村からの御要望に即して、私ども、予算措置をしているところでございます。

 繰り返しになりますけれども、地方公共団体におきまして学校の統廃合を考える場合には、やはりその地域の実情に応じて、また、住民と十分な意思を通わせた上で、それぞれの市町村の御判断でやっていただきたいというふうに思っております。また、統廃合が決まった場合には、私どもとしては所要の援助を、補助事業を活用して適切に支援してまいりたいというふうに思っております。

岸本分科員 本当に、これ、私のことなんですけれども、私、社会科の教員であったんですが、仮免許というのを発行されまして、体育それから技術家庭、そんなのも教えたりしまして、そのときに、技術の仮免許をいただいて生徒を指導しておったんですけれども、指導しておる立場の人間が、縦に回るのこぎり、電動ののこぎりで指を、今はもうちゃんと生えていますけれども、けがをしまして、肉片が飛び散って、血が両手からえらく出てきました。これはえらいことやということで、私は慌てて保健室へ行きました。そうしたら保健の先生がいないので、ほかにいた先生が、これは岸本君まずい、救急車を呼ぼうと。救急車が来るまでに三十分、いや四十分、五十分、これぐらいはかかりますよ。それから、来て、それで乗って、そこでもう二時間です。どんなになるかわかりません。ただ、養護教諭さんがおったから、これはもうやりましょうということで、たたっとできて、その日一日過ごせた。ただ、その後は通院ですけれども。

 ただ、これが仮に、私だったからよかったものの、子供だったらどうだったかということを思いますと、そういう専門的な人間を、生徒数が少なかれ多かれ、法律上云々あったとしても、やはりその辺の配慮というのはどうしても私はするべきではないかな。子供たちの命にかかわる場合もあると思うんですよね、指のけがだけじゃなくて。その辺の御配慮というのはぜひともお願いをしたい、そんな思いがあります。

 通学時間、後で同じような話になるんですけれども、やはり時間のロスというのは大きい問題があると思うんですよ、バスを出していただいたとしても。それは非常に、逆に安心できる、学校から家の近くまでバスが走るというので親御さんは安心できるかもわかりませんけれども、それで遠くまで行くというのはロスがかかる場合もあるだろうな、長所短所両方あるんじゃないかな、そんなことを思います。

 次に、平成六年に約八百五十八万三千人いた小学生が、昨年は約七百二十万人まで減少している。にもかかわらず、小学校の数ですけれども、平成六年に二万四千六百三十五校あったのが、昨年に二万三千四百二十校と、生徒数が百三十八万三千人減少している、それに対して千二百十五校しか学校が減っていない。

 過疎地域では極端な少人数学級が生じております。適正な集団における児童生徒の育成に支障が生じる、現実問題として起きているところもある。もはや、これはもう少子化の化がとれて、本格的な少子時代に入ってきた。これに適応した学校の再編が迫られているというふうに思いますが、ここで本当に賛否の分かれるところであると思います。

 ある程度の集団を維持することが教育には必要であるとは考えます。大臣のお考えになる適正な集団とはどのくらいになるのか、そして、極端な少人数学校の弊害について御意見をいただきたいと思います。

中山国務大臣 私は以前に、余り極端な少人数クラスはどうかなということを発言したことがあるんです。それは、自分のころは五十人以上を一クラスに詰め込んであったんですけれども、それはそれなりに、しかし教室は整然としておりましたし、授業もちゃんと行われていたなという体験があったからそういう話もしたんです。

 実際に先生も現場でいろいろと経験してこられたと思うんですけれども、私も現場に参りまして先生方のお話を聞きますと、今はもう違うんだ、本当に一人一人に物すごく手がかかるんですよ、こういう話を聞きますと、そうかな、そうだろうなということもわかるわけでございます。

 適正な規模がどうなんだということは、ある程度の数がおれば分けることはできると思うんですけれども、本当に過疎地なんかでは、もう先生と生徒の数がほとんど同じぐらいというようなところの先生方というのはどういうふうに教えるのか、また教えられる方も、一年生と六年生一緒のクラスで、どのように学年に応じた授業ができるのかというような大きな問題があるので、私としては、やはり同じ学年、一クラスきちっとあるというのが基本じゃないかと思うので、その場合、一体何十人ぐらいが適正規模なんだ。これは少なければ少ない方がいいということもありますが、一方では、集団行動、集団生活の中で集団心理とかいろいろなことを学ぶことも多いんじゃないか。もちろん、そういうのは先生に教えていただきたいような気持ちですけれども。

 ですから、そういうところを考えて、気持ちとしては、一つ一つのクラス分かれてソフトボールの試合ができるぐらいというようなことも考えたりしたことがあるんですけれども、実際は四十人学級を限度としてずっとやってきて、減らしてきているわけでございます。特に平成十三年度からは、学科の特性に応じて二十人程度の少人数指導等を行うための第七次の定数改善計画も進めてきた、これはもう完成するわけでございますけれども。

 そういったことで、全体としても、平成十六年度では四十二都道府県において少人数学級がもう導入されているという状況の中で、かなりのことができるようになっている。その中で、しかし、本当に少なければいいのかということについてもむしろまた考えていかなければいかぬし、先ほど言いましたように、本当に遠距離からの通学をどうするかとかいう話もございますが、私は、これは経費の問題とかいろいろ考えて、そしてまた集団的な生活ということも考えると、例えば、高知県で今度何かやられるそうですけれども、寄宿舎制度。ウイークデーは寄宿舎で一緒に寝泊まりして勉強する、土日は親元に帰すとか、そんなことも考えているというようなことでしたけれども、そういったのも一つの方法かな。もちろんプラスの面も含めて、そんなことも考えられないかなと思っているんです。

岸本分科員 私も、高等学校でしたけれども四十人、習熟度の関係で四十人をちょっと超えていたクラスがあったような気がするんですけれども、それとか二十人の学級ですね、四十人超えて二つに分けるという感じの二十人。それから、僻地に勤めさせていただいたときは、一番少ないときで一クラス六名というケースがありました。

 これは私の技量のなさだったと思うんですけれども、通知簿とか所見をつけるときに、六人だと、人数少ないんですけれども、いろいろなところまで見えますので、書くことが多いんです。やはり多くなると、これは私の情けない話なんですけれども、目立たない生徒というのは、あれ、どんな子だったかなと、もう一回振り返らないとだめなんですね。

 だから余り多過ぎるのは、ここで人数を言うのはやめます、ただ、多過ぎるのはどうか。また、少な過ぎても、先ほど大臣言われましたけれども、やはり少ない中で、決まった人間関係、それから、どうしてもそういうところは、小さいころから、保育所、小学校、中学校と同じメンバーで来ますので、暗黙の序列というのが生まれてくる場合がある。それで競争心が薄らいでいく、競争心とはいい意味での競争心ですけれどもね。

 だから、どっちがいいのかと言われたときに、少ない方がいいんだろうけれども、やはり適正な人数というのを今後改めて考えていくことが必要なんではないかなというふうに思っております。

 次に僻地教育についてですが、僻地教育といいましても、中山間地域もあれば離島や北海道の奥地と、一概に一くくりにできない問題もありますが、小中学校全体の一二・一%を占めている。三位一体の改革の中で義務教育費がどのような決着を見るのかちょっとわかりませんけれども、こうした僻地教育の現場が財政的な不利益をこうむらないように配慮をお願いしたい。

 よく言われる僻地手当、これなんかも削減されると言われております。

 私、僻地へ自宅から往復百キロ、毎日通いました。二通りの道がございまして、百キロで行く方が近道なんですね。でも、私は和歌山の暖かい土地の生まれなんですが、山間地域にありましたもので、冬場、積雪がございます。通常通っている道というのは、雪の日はもう絶対に走れません。ということで違う安全な道を、安全といって、危険な道を毎日通っているわけではないんですが、違う道を通るんですね、割合雪の積もらない道を。そうすると一時間半はかかる。そうなりますと、一日百キロも往復で走っていれば車のタイヤも減ります。もちろんそんなところにバスの便なんかございませんし、電車もございません。交通手段としては、それこそタクシーか自家用車でしか学校に通えない。もちろん、そこに教職員住宅のようなものもございません。

 そんな中で、自動車の消耗とかタイヤの消耗であるというのは、非常にこの手当がついたことはありがたく感じておりました。今、現場の先生に聞きますと、手当が削減される、これはもう仕方ないことかもわからない、自分たちももうそれは感じておるし、わかっておる。その手当、自分らは返上しても構わないよ、ただ、僻地教育のために使っていただけるように、還元していただけるように、そんなふうにしてもらえないかな、そういう意見もございました。

 僻地教育に対する大臣のお考えをお尋ねいたします。

中山国務大臣 岸本先生もみずから僻地への遠距離通勤といいますか、経験されたということでございましたが、実は私の地元の後援会長、最後は校長先生になられたんですけれども、ずっと僻地教育をやってこられた先生でございまして、御存じかもしれませんが、宮崎県には椎葉というところがありますけれども、そこの先生をずっとやっていらっしゃった。みずから志願してそこにずっとおられたという先生でございまして、ですから、僻地教育のことについてはいろいろと実は教えられてきたわけでございまして、僻地の先生方の苦労、そして、どういう子供たちが育っていくんだ、どうしたらいいんだというようなことについてまでもいろいろと教えてもらった経験があるわけです。

 その宮崎県でも、今度僻地手当を減らすというようなことも検討しているということでございまして、実際、非常に交通の便がよくなりましたから、車で行けるようになりましたから、昔のように、本当に僻地で、行ったら帰ってこられないというようなことはなくなりました。

 時代がそういう時代ですから、僻地手当が少し減らされるのもこれはしようがないかなということだろうと思いますけれども、しかし、今おっしゃいましたように、僻地で苦労される先生方のこともやはりきちっと考えていかなきゃいかぬと思います。

 また、僻地で教育を受ける子供たち、複式授業だったりいろいろあるわけですけれども、私、いつも申し上げているのは、どんな山間僻地に生まれても、少なくとも義務教育はひとしく教育を授かって、義務教育を終わった段階では同じラインから人生をスタートさせたい、それが国の責任なんだということを三位一体の義務教育国庫負担制度の論争の中でずっと申し上げてきたわけでございまして、その気持ちは変わりません。とにかく、子供たちが、どこに生まれても、本当に皆その一生が幸せなものであるように、努力すれば報われるような社会にするためにも、子供たちの教育、特に僻地の教育については今後とも力を入れていかなきゃいかぬな、そういう決意でおります。

岸本分科員 ぜひ本当に、大臣言われた、子供たちは、どこに生まれても、幸せに、ひとしく教育を受けられるようにしていただきたい。本当にそれは心よりお願いをしたいと思います。

 児童数の減少で、学校の行事それから地域の伝統行事ができない、このような事例も出てきております。また、スポーツの分野といいましょうか、学校の活動の中だと部活動というのがございます。人数が非常に少なくなってきまして、限られた種目でしかできない。子供たちの希望がなかなかかなわないということがございます。

 学校というのは地域に根差した文化の拠点でありまして、僻地というんですか統廃合されるというんでしょうか、自分の卒業した学校にノスタルジーを覚えるのは当然のことだと思いますし、また、地域の学校がなくなるというのは、その地域にとっても、大変なハンディを背負うといいましょうか、やはりどこでもお年寄りは、子供の声が聞こえると元気な気持ちになると。非常にそういういろいろな問題があるんですけれども、現実には学校の体をなしていない、そういう状況もあちこちで、先ほど来言うておりますけれども、起きている。

 クラブ活動でありますけれども、やりたいスポーツができないので、それこそ、さっき大臣言いましたけれども、クラスでソフトボールができるとか、やはりスポーツぐらいは学校でできなかったらもう学校と言えないんじゃないかな、そんな思いもあります。

 このような学校の実情があるんですけれども、何らかの方法で集団活動が体験できるような方法があるのかないのか、また大臣にお尋ねをいたします。

中山国務大臣 私も地元でいろいろ回りながら、そういった実態、本当に子供たちが少なくなっている実態の中でどういうふうなことが行われているかということは見てきたつもりでございます。例えば運動会なんかは、地域の方々みんな一緒になって運動会をやっているとか、そういうこともやっていますし、いろいろなことをやる場合には隣の学校と一緒になって授業をやるとか行事をやるとか、そういうこともやっています。

 そういう意味では、先生も感じていらっしゃると思うんですけれども、ある程度の集団で動く、そういった体験も非常に大事だと思いますので、これはそれぞれの地域、学校の特色もありますけれども、ぜひそういった観点も踏まえて、これはいつも言われることですけれども、地域ぐるみで、現場の方々が考えて、本当にどうしたらたくましくもいい子たちができるかということを考えてやってもらいたい、こう思います。

岸本分科員 本当に、例えばサッカーがしたい少年がおった。ただ、十一人いない。サッカーできない。もちろんできたとしても、試合するような人数なんかありません。だから、よく言われているのは、隣の学校と合同のクラブ活動をしたらどうかというふうな話もあります。ただ、隣の学校に行くまでにすごく時間がかかるんですよ。そうすると、そこには公共交通機関がない、タクシーを使う。タクシーを使うと、毎日のことですからお金がかかる、学校はもうパンクする。そういう難点といいましょうか、出てくるんですね。

 だから非常に難しく感じますし、例えば放課後、終わって、仮にそれが成立したとしても、隣の学校へ行く往復、それに時間が費やされて実際のクラブ活動の時間は短くなるとか、やはりいろいろな問題が出てきます。

 運動会も、私も行ったところは、保育所、小学校、中学校、高等学校、分校でございましたので、四校所合同運動会というのをやりました。地域のおじいちゃん、おばあちゃんが出てきて、別に孫もだれもいないんですよ。でも、そこで活力をもらって、おばあちゃんたちは、昼、自分でおにぎりをつくってきたのを食べて帰っていく。十分元気になって帰られるんですね。

 だから、いろいろな問題があるんですけれども、ぜひ、そういう子供たちの希望がかなうようなスポーツ活動、そういうのも考えていただきたいと思います。

 最後になります。時間も迫っております。

 学習指導要領の中に食育が、最近よく言われております、取り上げられております。そんな中で、総合的学習等々の関係もありまして、私も田植えを子供たちとしたことがございました。実際、子供たちが体験するのは、苗をあれする、それから刈り入れ。初めと終わり。米という字は八十八と書きます。お百姓さんが八十八手間かけて、世話して米をつくるから八十八だ。子供たちはいいときしか活動しない。これでは、本来お米というのがどういうふうにでき上がるか、食育になっていないんじゃないかな、そんなふうな思いがありまして、その次の年からは、精米以外は子供たちとともに共有して、すべての子供たちとするわけにはいかなかったんですけれども、ローテーションでやっていたんです。

 食育の必要性、これは与野党を問わず異論はないと思うんですけれども、教育の現場で食の教育を充実させることが先決でありまして、何も基本法などという大げさな問題にすることはない、そんな思いもございます。

 正直、給食のないところもあるだろうし、学校によっていろいろな違いがあると思うんです。そういうところをどういうふうなやり方をするのかなと、いろいろな疑問もあります。早い話が……

渡海主査 岸本君、時間が参っておりますので端的に。

岸本分科員 子供より親を再教育する方が食育の成果は上がるんじゃないか。ぐあいが悪かったら医者任せ、教育は学校任せ、それから肝心かなめの家庭教育が欠落している、私はそんなことを思います。

 今の文部科学省の食に対する取り組みについて、物足りないとお考えでしょうか。法でカロリーベースが回復するとは思わないんです。大臣の御所見をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。

渡海主査 簡潔にお願いいたします。

中山国務大臣 食育というのは私は非常に大事だと思っています。これは、自分が食べているものの栄養はどんなものが入っているんだとかいうことも覚えなきゃいけませんし、食習慣も大事だし、そういう意味で、これは家庭で本当にできればいいんです。ですけれども、それができませんから、今、国から、地方公共団体それから農協だとか、そういった学校ぐるみで子供たちに、食育の大切さ、そして食を支える人たちのいろいろな産業、農業を含めたいろいろな方々の苦労とか、そういったものを知るということは非常に大事なので、そういう意味では、子供だけではなくて大人も勉強しなければというようなこともありますが、食の大事さということを小さいころからきちっと教えるということは、その子供が、一生、本当に健康で幸せな人生を送るためのもとになるんじゃないか。そういう意味で、私は食育というのは大事ではないかな、こう思っております。

岸本分科員 ありがとうございました。

渡海主査 これにて岸本健君の質疑は終了いたしました。

 次に、中山義活君。

中山(義)分科員 おはようございます。

 大体、新年会へ行きますと、昨年は台風だとか地震だとか大変災害の多い年だった、ただし一つだけ明るい話題といえばということでオリンピックの話が出まして、日本がオリンピックで大変活躍をしたと。

 私、実は有馬文部大臣のときからずっとオリンピックの重要性ということを言っているんです。日本の国威であるとか国の勢いであるとか、または日本人が何を目指しているか、こういうのを見せるのには、オリンピックで金メダル、そして成績を上げる、これが日本の存在感、こういうものを知らしめるのに一番いいんだ、こういう発言をずっとしてきたんです。ですから、ほとんどの文部大臣は私の話を聞いて、それから文科省の皆さんも私の話を聞いて一生懸命やって、そしてアテネ・オリンピックでは金メダルがとれた、このように私は自負を持っているんです。

 私自身も社会人体操協会の会長をやっておりまして、理事長が塚原君なんですが、いつも話をすることは、何で自分がスポーツをやったか。この原因は、よく探ってみると、大体が、あこがれの選手がスポーツをやっているところを見て、それにあこがれてそのスポーツに入っているんですね。中山文部大臣のころは、野球でいえば川上、大下の赤バット、青バット、それで野球を目指したわけで、私ですと長嶋ですとか王なわけですよ。そういうようにすばらしいスーパースターを見てそのスポーツに入っていく、子供たちがスポーツをやっていく、こういう環境をつくっていくためにもスーパースターをつくるということは大切なんです。

 外国に行っても、金メダルをとった人というのはかなり重要視されているんですね。例えば大統領とニクラウスが一緒にゴルフをやっていたり、ああいうのを見ますと、スポーツというものは文化としてすごく評価をされている。

 ですから、金メダルの数というのは、ある意味ではその国の文化度であるとか、または、経済だけじゃなくて、人間のいわゆる限界を試しながら、どれだけ人間の能力があるか、持っている能力を全部引き出していく、これがスポーツの競技なんです。人間がどれだけ力を持っているか、これは学校教育にも共通するわけですね。もともとエアツィーウングは、要するに引き出すという意味が教育だと思うんです。どれだけその人が持っている能力を引き出していくか。

 こういうことで、今回のアテネ・オリンピックに対して大臣はどのように感じているか。これは文科省だけがやったというわけじゃないんでしょうけれども、やはり文科省の考え方として、スポーツというものに重要性を与えなきゃいけない。

 例えば、百メートルを速く走る子と、数学で非常に能力がある。これは、ある意味では能力としては、ある一つの分野に卓越した能力がある。全く同じだと思うんですよ。どちらかといえば、学校教育の中で、単位があって数学の方が頭がいいんだ。学校に行くときにも、または勤めるときにはこっちが有効だ。だけれども、百メーターを例えば十秒で走るとかいうのはとんでもない能力なわけですね。

 そういうことも含めて、今回のアテネ・オリンピック、私たちもいろいろなことを感じました。これについてどういうふうに感じておりますか。

    〔主査退席、萩野主査代理着席〕

中山国務大臣 まさに中山議員と同じ気持ちでございますが、これまでも、文教行政、特にスポーツ関係について積極的な御提言をいただいてきたということについては改めて感謝申し上げたいと思うわけでございます。

 そして、去年のオリンピックの日本人の活躍というのは本当に目覚ましいものがあったと思っています。これはいろいろな話題も提供しましたが、何といっても、日本人の中に明るい話題、明るい希望、将来に対する展望を与えたという意味では、選手たちの活躍というのは本当にすばらしかった、こう思っているわけでございます。

 やはり、今御指摘のように、オリンピックのメダルの数というのはその国の国力のあらわれでもある、こう思うわけでございまして、ですからこそ、逆に言うと、ある特定の政治家が自分の国の国力を見せるためにオリンピックに物すごく力を入れるということもあるわけでございます。

 総力としての国力のあらわれであるというふうに私は思いますので、今後ともスポーツには、特にエリートのスポーツ競技者を養成するということにも力を入れなきゃいかぬし、そのすそ野として、底辺の本当に一般の国民も日ごろからスポーツに親しむことができるような環境をつくっていくということは極めて大事なことである、このように認識しております。

中山(義)分科員 今、すそ野を広げるという話がありました。このすそ野を広げるのは、やはりスーパースターにあこがれてその競技に入ってくるというケースがお子さんの場合には非常に多いんです。サッカーを見たらわかりますね。昔はペレにあこがれたり、今は有名選手にあこがれながらどんどんサッカー人口がふえてくる。これは、日本のサッカーがいろいろな形で振興したことは事実ですが、やはりスーパースターが出ている、すばらしいチームができてきた、または世界で活躍した、オリンピックで活躍すると同時にワールドカップなんかでも大変すばらしい活躍をした、こういうことだと思うんですね。

 ですから、やはり、すそ野を広げる意味でもオリンピックというのは非常に重要な大会であり、国民にそういうスーパースターをつくる。そのつくり方について私どもは何回も質問してきたんです。

 つまり、五十億、六十億の予算が組まれております。しかしながら、現実は、だんだん、企業がスポーツをやっているんですね。ところが、この不景気の中で、まず首を切られるのは、労働者と、そしてスポーツクラブなんですよ。会社が、株主の監視が非常に厳しくなった。株主は、まず給料を上げるなと。それから、何だあのスポーツクラブは、あれをまず切れ、むだだと。ところが、企業は社会に貢献するためにスポーツをやっている。競技をやっている合間に、例えば体操教室であるとかいろいろなことをやっているわけですね。こういうものまで全部切られてしまう。これはちょっとまずいので、そういうときには何らかの指導が文科省からできないのかどうか。

 そういうような要請が実は来ているんだという話も株主総会で言えるのかもしれないし、私たちはこれだけ社会貢献していて、オリンピック選手も出した、日本の文科省も、そういうすばらしいことをやっている、だからこうやって表彰状を出したいぐらいだと。何かそういうようなインセンティブをうまく引いていけば、企業も単純に、まずスポーツクラブから切っていく、こんなことがないと思うんです。

 その辺、大臣、少し気を使っていただいて、ある意味では賞状一枚でいいのかもしれない。しかし、その賞状には、やはり大臣から、いかにスポーツをやることが、地域社会の健康であるとかその地域の意識の高揚であるとか、または、金メダルをとって、日の丸が上がって君が代を歌えば気持ちいいでしょう。大臣だって、テレビを見て、日の丸が上がると一緒に君が代を歌っているんでしょう。そのくらいの気持ちになるでしょう。こういうことが大事なんですよ。

 そういうことを企業に文部大臣みずから言って、何だ、簡単にスポーツクラブから切っていくとは何事だ、あなたたちの社会貢献はこういうところが社会貢献なんじゃないかと。こういうこともちょっと考えていただけませんかね。

中山国務大臣 まさに御指摘のとおりでございまして、長引く不況の中で、企業がリストラとかいろいろなことをやってまいりましたが、最初に目をつけられたのが企業のスポーツクラブだったと思うんです。私の地元でもそういったところがありましたものですから、もう少し頑張ってくれといって、実は私は申し入れに行ったこともあるぐらいでございます。

 スポーツというものが、もちろん個人個人もやりますけれども、企業に入っている方が、その中で仕事をしながら腕を磨いていくということについては、それは非常に勧めたいし、また、そのことが、企業が日本のためにいいことをやってくれているんだということをやはり国民全体が持たなきゃいかぬと思うんですね。

 ですから、テレビとか新聞等で、いろいろな会社が頑張っている、これはもうむしろみんなで称賛するような体制をつくらなきゃいけませんし、私が表彰状を出していいのなら、これは別にそんなに金のかかることじゃございませんので幾らでもやりたいと思いますし、また、その文科大臣の表彰状が価値のあるものにならなきゃいかぬ、こう思うわけでございます。

 そういう意味で、これから日本がさらにそういうスポーツ関係、世界的にもオリンピックでも活躍しなきゃいけませんし、国内的にもいろいろな企業が、いろいろなスポーツが発展していくために、やはり文科省としては、国の予算としてやらなきゃいかぬこともありますが、企業にも頑張ってもらいたい。逆に言うと、企業からいろいろな要請がある、税制とかいろいろな要望があれば、そういったことについてもできるだけ貢献していく、かなえられるようにやっていくということが大事じゃないか、こう思っておるわけでございます。

 文部科学省では、企業スポーツに関する研究会を設置しまして、その提言に基づいて、平成十五年度から、トップレベルの企業チームから成る各競技のリーグや、トップレベルのスポーツチームの財政基盤や、マネジメント力の強化を図るためのモデル事業を実施しているということでございまして、今後とも、企業関係者やスポーツ団体等の意見を聞きながら、企業スポーツの振興ということについては力を入れていきたい、こう考えております。

中山(義)分科員 やはり、本当にお金がかからないでスポーツの振興ができるということを考える必要があるんです。

 ということは、私たち、いろいろなことを財務大臣に言えば必ず、今こうやって国民も苦労して、それぞれの会社がリストラをやったりなんかして苦労しているんです、そしてまた、国も予算がありません、次代を担う子供たちに赤字をつけていいのか、こういう答弁をされるわけですよ。

 私もほかの委員会で、例えば政府系の金融機関であるとか保証協会的なものは、五年で返すところを十年に返済期間を延ばす、これはお金がかからないじゃないですか。お金がかからないで中小企業対策になることをやってくださいよというお願いを今しているんです。

 ですから、皆さんが考えなきゃいけないのは、企業にできる限りスポーツをやらせていく、そのためには、今は株主を説得しなきゃならないんです。昔は、企業というのは、銀行から金を借りて、そこに金を返して、あとは社内で分配していく、ボーナスも取れる、給料もなるべく昇給していく。ところが、最近は株主重視になって、株主の意見ばかり考えて、労働者を無視しているようなところが随分あるんですよ。そういう面ではアメリカ的になってきて、自由競争というのが非常にまずい部分に働いているのかなと思う。

 やはり、企業を愛する気持ちであるとか、企業の中で自分たちが下からどんどん上がってきた、そういう人が社長になればいいんだけれども、ぽんとどこかへ、上だけでかわって、これは何もだれだと言っているんじゃないんですよ、どうもそういうようなことが、アメリカ的になれば横行してくるんじゃないかと思う。

 愛社精神や何かというのは、みんなで競技を応援に行ったり、何かやっているわけですよ。ところが、本当にまず切られてしまうのが、そういうようなスポーツだ。スポーツはどうせ遊びじゃないか、こう言いますが、現実問題として、外国はそんなことを考えていませんよ。社内でスポーツをやって、社員の健康であるとか、国のために金メダルをとって日の丸を上げる、こういうことをすごく重要視しているんですよ。だから、日本がエコノミックアニマルなんて言われて、経済ばかりやっているんじゃないかと思われないためにも、やはりスポーツというのはもっと重要視してもらいたい。

 そういう面で、いま一つ企業を、税制または寄附や何かについて優遇できないかということをしっかり考えて、民でやれることは民でと総理大臣が言っているんだから、こういうときこそそういうことを活用して、アイデアを示すべきじゃないですか。ただ腕組みしていてもだめですよ。もう答えを出してくださいよ、これはやろうという。きょうはそれをぜひ言わないと、私も後ろに体育協会のいろいろなバックがあるんです。

 なぜこんなことを言っているかというと、やはり日本人が健康になってもらいたいし、余り医療費を使ってもらいたくない。できる限り健康で、気力のある前向きな日本人をつくるためにはスポーツが大切だというんですよ。気合いだ、気合いだ、気合いだと言って、そんな気合いが出てくるんですよね。政権交代だ、政権交代だと言っていると、政権交代ができるんですよ。

 だから、そういう気合いが大事で、これはひとつ大臣、ぜひそういうことをアイデアとして出すということを確約してください。できないことじゃないんですよ、こんなの。確約してくださいよ。研究してくださいよ。今、研究会というのがあると言いましたけれども、そこで結論を出してもらえるような話でないと、本当にスポーツは、せっかくアテネ・オリンピックがこれだけ盛り上がったのに、きっとまた戻ってしまいますよ。答弁お願いします。

中山国務大臣 企業がスポーツ関係に力を入れた場合に、それを税制面でどのように支援できるものかということ、これについては、具体的に、企業関係者、企業スポーツ関係者がどういうことをしてもらいたいのかという要望をいろいろ出してもらいたいということが一つあるんです。

 もうこれは済んだ話ですけれども、平成十年度に行った特別土地保有税、これを非課税にしろというのも、そういう要望があったという話を聞いていますし、私の経験では、自民党税調で議論したんですけれども、ゴルフ入場税、あれを文科省の提案で、あれは七十歳以上については軽減する、こういうことをやったんですけれども、私はあの議論のとき聞いていまして、むしろ若い人、女性を安くする方がいいんじゃないか、もう年配者は金を持っているんだからというふうに思ったこともございました。

 現実問題として、どういった御要望があるのか。それに対して、やはり国策としてもっともっとスポーツを振興すること、文化力ということを言われて、最近、文化を振興すれば経済も活性化するんだという話がありましたが、それ以上に私は、スポーツを活性化することによって経済も活性化できるんじゃないか、こういうこともありますから、そういった面も含めていろいろな意見を聞きまして、まさに中山議員が御指摘のように、そういう税制の面も含めて財政的にどういった支援ができるのか検討していきたい、こう考えております。

中山(義)分科員 今の特別土地保有税というのは、要するに、あいた土地があったら、そこでスポーツをやっているのもそれは土地をしっかり活用しているんだという意味だと思うんですね。特別土地保有税というのは、そこに建物が建っていないと税金を取られるというものでございますよね。

 文京区なんかでも、田中元外務大臣の横にもすごくでかい土地があるんですよ。そういうのを野球だとかなんとかで使っているんですね。だけれども、いよいよこれは国も苦しいからどうのこうの、売らなきゃいけない。あれは目白台だね、たしか国家共済組合ですよね。そういうのをすぐ売っちゃおうとするんですよ。だけれども、スポーツで活用しているんです。そうやって野球やなんかで使ったり、防災上も急に使える。

 だから、スポーツというものを重視すれば、いろいろな活用の部分が考えられるんです。野球とかサッカーというのは場所がないんです。都会の子供の中には、やりたくても場所がない、これが現実なんですね。そういう場所を出しているところは、そういう場所を出していることで優遇もできるんですよ。

 先ほど言っているのは、企業だけじゃなくていろいろなところに、スポーツをやっていれば優遇してやろうじゃないか、こういう気持ちが大切なのです。ここで締めくくりで、ちょっと今の、企業に対する優遇措置として、スポーツをやっていれば、子供たちの健康とか、必ず地域のためになっているという証拠があればそういう通達が出せるようにしてくださいよ。ぜひお願いしたいと思うんですけれども、その辺いかがでしょうか。

中山国務大臣 なかなかこれは文部科学省だけでできる話じゃなくて、まずはいろいろなところで検討してもらわなきゃいかぬ。例えば自民党税調でやるとか、いろいろなところでやらなきゃいかぬわけですけれども、まず、要望というか、そういったものを具体的に出してもらう方が先決だと思いますので、ぜひそういったことで関係のところに働きかけていただきたいと思います。

中山(義)分科員 今の、文科省が社会貢献している企業を認めてあげることによって、企業の社長も株主やなんかに、これだけ社会に貢献しているとうちは言われているんだ、うちの企業は、利益だけじゃなくて社会貢献をしている企業です、こういうふうに宣伝できるわけですよ。そういうことを、その証拠として表彰状であるとか何であるとか、こういうことも文科省に考えてもらいたいということでございますので、前向きな答弁をいただいたし、結論を出すというような意味合いも、先ほどその決意はあった、このように思っております。

 それから、あとは、やはり文科省でしかできないことというのがあると思うんですね。スポーツ科学センターなんかも、北区で、これがあったから今回金メダルがとれたと言えるものは何なのか。五分以内に、今回オリンピックでとったのはこの科学センターがあったからだ、それはここの部分だと言ってください。

中山国務大臣 昨年のアテネ・オリンピックでは、日本選手団は、金メダル十六個を含む過去最高の三十七のメダルを獲得したところでございます。

 一九六四年東京オリンピック以降、我が国の国際競技力は長期的に低下傾向にあったわけでございまして、文部科学省は、これではいけないということで平成十二年にスポーツ振興基本計画を策定しまして、そして、日本オリンピック委員会もJOCゴールドプランというのを作成しまして、これらを受けまして、各競技団体では、ジュニア時期から、若いときからの一貫指導システムを構築するなどの強化策を実施してきたわけでございます。

 また平成十三年には、今お話がありましたけれども、国立スポーツ科学センターが開設されまして、スポーツ、医学、科学を活用したサポート活動を行いながら、水泳、体操、レスリングなどの競技では専用のトレーニング施設をつくりまして、集中的なトレーニングを行ったわけでございます。

 さらに、文部科学省では、平成十五年度に、ニッポン復活プロジェクトといたしまして、強化に係る予算を十億円ふやしました。これは十七億円を二十七億円にしたわけでございますが、そして、メダル獲得の期待が高い競技については重点的に強化を図ってきたということでございます。

 去年のアテネ・オリンピックの躍進というのは、選手やコーチを初めとする関係者のたゆまぬ努力のたまものであるということは言うまでもございませんが、このようなさまざまな取り組みというものが総合的に実を結んだのではないかな、このように認識しているところでございます。

中山(義)分科員 一流選手を育てるには、例えば、練習が終わってから、マッサージであるとかケアするとかいろいろな、チームで一人の選手をしっかり囲んでやっていくということで、大変お金もかかるんですね。現実に、科学的に、また医学的に、今選手がどういう状況であるかということもしっかり分析をしなきゃならぬ。こういうことにおいては、やはりこのセンターが非常に有効に働いたということは間違いないんです。

 ですから、これがナショナルセンターとなると、もっと期待はしているわけです。その期待に本当にこたえられるシステムなのかどうかとか、また、期待にこたえられるナショナルセンターと言われるこのセンターが、さらに金メダルを多くとって、日本の国威高揚のためとか、元気が出るように、こういう多くの貢献度があるのかどうか、これも私ども期待をしているんですね、このナショナルセンター。

 これは本当に、一番のうたい文句は、いろいろ私どもも過去に聞いていますが、何か小泉さんの一言で決まったとかという話もあるんですよ。ですけれども、本当にやはりこれはしっかりとした予算の裏づけやなんかもしっかり考えてやってもらいたいんですが、どうも、いわゆるサッカーくじだとかなんとかの上がりでやっていこうとか、あれは一つのかけごとですよ。サッカーそのものはスポーツですよ。だけれども、それをやるのはかけごとで、これは当たり外れがあったり、そのときの状況でどんどん悪くなってきたり、こういうものを当てにした予算の組み方というのは私はやめてほしいと思うんですね。ちゃんとした予算を組んで日本のスポーツを育てよう、こういう気持ちでやってもらいたいと思いますけれども、その辺はいかがでしょうか。

中山国務大臣 次の北京オリンピックもあるわけでございますし、今話がありましたナショナルトレーニングセンター、これについては、これを完成させ、そこで選手たちをトレーニングすることによりまして前回以上の成果を上げたい。これはもう、最初に言われましたけれども、日本の国力の象徴だろう、こう思うわけでございまして、この予算につきましてはしっかり確保していきたい、こう思っているわけでございます。

 平成十六年度は、この施設を、必要な用地の一部を取得して基本設計を行ったところでございますが、平成十七年度予算案におきましては、実施設計、屋外トレーニング施設の建築工事及び土地取得に係る経費を計上しておりまして、三年後の平成二十年度の北京オリンピックに間に合うように、何とか平成十九年度中には施設を完成させたい、こういうことで取り組んでおります。

中山(義)分科員 こういうような組織やそういう施設が、必ず、選手の健康面であるとか、またはいろいろな意味でのバックアップになると思うんです。

 もう一つ文科省で考えてあげなきゃいけないのは、スポーツはやはりジュニアからやらないと間に合わない時代になったですね。だから、対外試合を中学でも当然認めざるを得ないようなところがあるわけです。特に体操なんかでもジュニアからやっています。サッカーもそうだと思うんですね。

 そのときに、単位の問題とか練習時間の問題、先ほど言いましたように、義務教育課程は終わって高校になったら特になんですが、そこには、さっき言ったように、数学で優秀なお子さんと、百メーターを九秒幾つで走るというすばらしい才能があるとしたら、これはある意味では、能力としてはそれぞれ同じような価値があると思うんですね。

 そういう場合に、対外試合とかそういうものについてもそれは単位として認めたり、またはそういうような配慮というのはやってあげないと、やはり競技は伸びないんですよ。競技をやるというのは、相当な精神力も使いますし、子供にとっても教育的な価値が高いんじゃないでしょうか。大臣、どうですか。その辺、少し優遇的な何かできませんか。

中山国務大臣 子供たちが学校の中だけで練習するんじゃなくて、やはり対外試合、いろいろなところと、いろいろな人たちと試合する中で切磋琢磨しながら競技力も向上するでしょうし、また、自主性といいますか協調性、いろいろな人を知るという意味でこれは非常にいいことだ、こう思っています。

 今でも、全国大会などの対外試合に参加する場合は、校長の判断によりまして出席扱いができるようになっているというふうに聞いておりまして、また、高校生が夏休みなど学校の授業時間以外に各種のスポーツ大会にして顕著な成績を上げた場合には学校の科目の単位として認定することができる、そういうふうになっているようでございます。

中山(義)分科員 その辺はひとつしっかり考えていただきたいと思うんです。

 例えばボランティア、障害者の皆さんのために何かをする、一生懸命そういうところへ通えばそれも単位であるとか、と同じように、やはり、競技スポーツをやっている、それでどうしても海外または対外試合をやるということになれば当然出られない授業もある。しかし、それはある程度すばらしいことをやっているんだという評価をしっかりやっていただきたいと思います。

 それからもう一つ、概念として、スポーツが遊びで、ある企業でスポーツクラブをつくっていても、企業が苦しいからそういうものから先に終わらせるというような概念もぜひやめていただきたい。

 それから、スポーツの中には、サッカーとか野球のようにプロのあるスポーツがあります。これは、プロに行くということでインセンティブがあるわけですよ、もともと。仕事そのものがスポーツなわけですね。だけれども、そういうプロのないスポーツもうんとあるわけですよ。それはやはり、企業にあって企業がバックアップするか、または国がバックアップするか、自分で自費を出すか、これしかないわけですね。保険じゃありませんけれども、自分で出すか国が出すか。

 そういう面では、そういう優遇措置もしっかりこれから考えていかないと日本のオリンピックは育たないし、テレビを見ていて、外国の選手が金メダルをとってどんどん上がっていても、やはり日本の選手が真ん中にいなきゃ、日本人としておもしろくないんです。そういう面では、愛国心やなんかのことを教育基本法に掲げようとかなんとかと言っているならば、やはり、金メダルをとらせて日の丸を上げる方が早いんです。

 そういう面で、一つ強い要望を大臣に申し上げまして終わりたいと思いますが、この次のオリンピックに金メダルがとれないと、ああ、あのときの中山大臣の仕事が、ちょっとやってくれなかったんじゃないかと思いますから、ひとつ精いっぱいやってください。よろしくお願いします。

萩野主査代理 これにて中山義活君の質疑は終了いたしました。

 次に、吉田治君。

吉田(治)分科員 分科会の、これは見てくださいよ、まず。定足数はあるんでしょう、分科会に。定足数なしでこんな委員会を開いていいんですか。民主党は全員出席しているじゃないですか。だから、まず委員会をとめてくださいよ。速記をとめて、委員を集めてくださいよ。こんな状況で質問できませんよ。だから、速記をとめてよ、時間とるんだから。

萩野主査代理 速記をとめて。

    〔速記中止〕

萩野主査代理 速記を起こしてください。

 吉田治君。

吉田(治)分科員 まず最初に、今、分科会の時間が少しおくれましたが、大臣、政権与党でいらっしゃるんでしょう。しかも、大臣の予算委員会の分科会でいらっしゃるんでしょう。そういうときに、御党の議員が司会役を除いてだれもいない。我が党の民主党は全員しっかり座っている。何か事あるたびに、二言目には民主党は、民主党はと言うけれども、あなたたちのそのやり方が、こうしてしっかりと委員会にも来ない。これはここだけじゃないですよ。大臣自身も商工委員長をされた。さまざまな委員会を見ていって、自民党の議員がほとんど来ないときはいっぱいある。そんなことが許されていいんですか。どうお考えですか。大臣に質問。

中山国務大臣 委員会の方でしっかりやってもらいたいと思います。

吉田(治)分科員 いや、法案を通してもらうって、予算を通してもらうって、あなたが頼みに行かなあかんのと違いますか。頼まなければならないんじゃないんですか、自民党の議員に。出てください、出てくださいと。事務方を含めて。こんなことはきょうだけじゃないですよ、これからずっとやりますからね。事務方もしっかりと肝に銘じて国会対応をするように。

 質問させていただきますが、前回の予算の一般質疑、時間がございませんでした。あのとき申し上げましたように、議論を深めていきたいというふうな形でお時間をいただいております。

 まず、あのときの一番最初の出だしで私申し上げましたように、教育といったものによってこれから社会全体に大きな格差、階層分化ができるのではないか。あのときも申し上げましたように、今、学習塾に行かなければ私学に行けない。また後ほど質問させていただきますが、公立の中高一貫校をつくると。それに入れるためにまた塾が頑張っている。そして、塾の費用は月幾らかかるのか。いろいろな方がおいでですけれども、月十万、四、五万から十万も払っている。まさにそれを払える家の子供だけが塾に行って、そして私学に行って、いい教育が受けていける。どう考えても憲法に保障された教育の、義務教育の平等ですけれども、反していくのではないか。

 そして、町を見渡したら、大臣、車に乗って感じられることはありませんか。大臣、大蔵省出身ですよね、税務署長もされましたよね。そうしますと、町に、東京は別かもしれないけれども、今まで目抜き通りの一等地にあったのが銀行の支店でしたよね。今、その銀行が合併されたり、また清算をされていって、証券会社も含めて、なくなっていった後に何が入っているか。ほとんど学習塾じゃありませんか。大手の学習塾チェーンが入り、そして、中には上場していく、株式会社ですよね、利益を追求するのが学習塾だと。その代表の方が、代議士になって、副大臣まで務められるようになってきた。

 私は、学習塾を否定するものでは決してありません。私たちも子供の時分から通いました。私はそれを否定するものじゃありませんが、お金があるなしによって最終的にその人の人生が決まってしまう。どう考えても、ある意味でおかしいんじゃないか。

 戦後日本は、大臣も地方から出てこられたように、一生懸命頑張って、勉強して、試験に通って、通って、頑張っていけばチャンスがある社会ではなかったか。チャンスが、もう生まれた段階で、所得であるとか収入であるとか資産によって、そして、それによって教育が受けられる、受けられないによって変わっていく、どうもそんな気がして仕方がないんですけれども、その辺、大臣はどうお考えでしょうか。

中山国務大臣 子供たちの様子をいろいろ見ていまして、やはりいろいろ感ずるところがあるんですけれども、吉田議員のような、そういうふうな考え方もおありになると思いますし、また私も、そのことはよくわかります。

 学校現場をよく回っているんですけれども、本当に、学校の授業はそこそこにして、塾やらいろいろなおけいこごとに走っていく。学校というのは、そういう意味で、休息に来るんだ、あるいは、もっと遊びたい、そういうふうな子供すらいるというふうな状況の中で、去年の秋に出ました国際的な学力調査の結果を見ましても、要するに、二極分化といいますか、成績の悪い子供たちの割合がふえているというふうな状況を見るにつけましても、まさに御指摘のように、子供たちの中に、これは貧富の差だけじゃないんでしょうけれども、勉強を一生懸命する子としない子と分かれている、分かれつつあるということについては、私も、教育行政に携わる者として大きな懸念を持っているということは申し上げたいと思います。

吉田(治)分科員 大臣、塾は大体何時ごろ終わるんですか、子供たちは。御存じですか。何時ごろ電車に乗ってはります。

中山国務大臣 きのうも子供たちに聞いたんですけれども、何時ごろ帰ってくるのと言いましたら、四時半ごろに行って、八時過ぎかなという子供もいました。別の子供に聞きましたら、十一時ごろ帰ってくるんだというふうな子供もおりました。子供たちによって、いろいろな塾、おけいこごとをしていますから、たくさんやっている子は遅くなるでしょうし、早い子は早い、全く行かない子は全く行かないわけです。千差万別ですけれども、本当に、そういう意味で、塾に通って余裕のない子もいるんだなということは認識しております。

吉田(治)分科員 悪いですけれども、代議士がそれだけ働いているかどうかちょっと不明です。

 しかし、子供の、小学校のときはそう勉強して、中学、高校、大学を出る、ある程度で見たら。大臣はそうじゃないと思うんですね。小ちゃいころは地元では、一生懸命遊びながら、勉強して、ようできたなというふうになってこられたんでしょうけれども、今はもうそうしないと追いつかない。

 私たちの世代もそうかもしれない。よく言われるように、灘高、東大法学部を出て、上級職を通って役所へ入る。その人たちのメンタリティーの中に、どう思うか。おれは小ちゃいときに頑張って勉強したんだ、遊びもしなかった。今大臣言われましたよね。遊びたいけれども遊べない、我慢したんだ。思春期の大事なとき、これはいいかどうかわからないけれども、男性であったら、いや、女性であっても、異性というもの、男の子、女の子と遊ぶことも我慢した。

 自分が国家の一員になって、では、公務員で国のために頑張ろうというお方もおいででしょう。でも、普通の人間の感情としたら、おれはあれだけ頑張ったんだから役所へ入ったら好きなことやっていいじゃないかと。やり過ぎた部分が、大臣の出身である大蔵省が財務省に名前を変えざるを得なくなったような、ノーパンしゃぶしゃぶみたいなことになったのかもしれない。

 私、そこのところが本当に、これから先、日本社会を考えていったときに、子供たちが勉強する、しないだとかいうよりも、考え、発想というものが、そういうふうに今度は二極化、分かれていくんじゃないか。私は、その方が恐ろしい。

 地元に帰ると、地元の私の同級生、私の知り合いの方々、はっきり言って、上級職通って役所へ入った人間は、はっきりそう言っている。おまえたちは中学、高校、遊んだじゃないか、おれは必死に勉強したんだと。私は、それは、一般の人間の感情として、否定するつもりは全然ありません、当たり前のことですから。だから、そこのところをどうするかというのは、私は、ぜひとも文部行政の大臣としてお考えいただきたいということ。

 そして二点目は、さきの予算委員会の質問で大臣とゆっくり議論できなかったですけれども、公立学校と私立学校の問題。これは先ほど、塾が終わったら次に学校に入りますよね。今、大阪の進学校のトップレベルの校長先生が驚かれているんです。昔はトップ校だ、旧制中学校から来た、どんなすごい子供たちがここに集まっているのかと思うと、どうもちょっと昔と違うなと。中学校を回った。公立の中学校の先生から言われた。いや、それはそうですよ、小学校のトップ一〇%は私学に行くんですから、公立の中学校のその次の一〇%もまた私学に行くんですからと。昔のナンバー校であって、旧制中学校で、地域で一番の高校であっても、大阪は特に、もう御承知のとおり公立が強いところでした。しかしその大阪ですら、悪いけれども、校長先生、昔で言う小学校の上の二〇%を抜いた、あとが来るんですよ、そうお考えいただいたらと言われて愕然としたと。

 ただ一点救いは、このごろ、校長先生だとか公立学校の先生方にも、さまざまな、自由化というんですか、権限を持たせて、そこの学校はOBの人を呼んで、いろいろ反対があっても、現役の高校生たちに勉強を教えよう、大学に行った子たちを呼んで受験勉強させよう、土曜日、日曜日休みだから、その時間でというふうにしているといいますけれども、やはりそうなってくると、公立、私立という発想というものを考えていったときに、前の質問のときには、大臣、こう言われていますよね。私学へ行かせるのは選択だ、格差があるのは当然だ、そういうふうに言われているんですね。格差の大きいのも当然だと。議事録にちゃんと書かれております。

 私は、それを聞いて、今もう一度、この質問をするに当たり読んでみたときに、それは違うんじゃないかと。なぜならば、ちょっと古いですけれども、平成十二年に大阪府で、私学と公立学校、どっちに行かせたいですか、どうしたいですかというアンケートをしております。ほとんどの親御さんは、できたら私学に行かせたい、パーセンテージここにありますけれども。学費の差がなかったらどちらに魅力を感じますかとあるんですね、子供を学校に行かせている親御さんに。私学の親御さんは、七四%がやはり私学がいいなと。公立に行かせている親御さんでも、やはり私学の方がよかったというのが大方四〇%。公立に行かせていて公立がよかったなというのは一七%。どっちともわからへんわというのが四五%ですね。

 だから、要するに、親としては私学に行かせたい。大臣の話で言うならば、行くのは勝手じゃないか、行かせればいいじゃないかというけれども、ではどうなのかというと、公立の学校の保護者は、私学に行かせたかったけれども高校選択のときに学費の負担が影響したかというと、公立の保護者は七六・七%が実は影響したんだと。

 要するに、はっきり申し上げて、お金がなかった、私学に行かせたい気持ちはやまやまだけれども我慢して公立に行ってくれよと。私はそれがいいとか悪いとか言うつもりはありません。しかし、大臣がけんもほろろに、それは選択だ、それは格差があってしかるべきだと言うことの中身に対しては、大変私は違和感を覚えるんですけれども、今でもそのお気持ちは、大臣、お変わりになりませんか。

中山国務大臣 最初に、私の小さいころの話をされましたけれども、私のころは、もちろん塾も何もありませんでしたし、私の場合、うちが農家だったものですから、小さいころから貴重な労働力で、勉強どころじゃなくて、学校から家に帰れば、どこどこの畑にいるから来いとかいうおふくろのメッセージが残っていまして、そちらの方に走っていったというふうなことで、本当に勉強どころではなかったというのが実際でございまして、サラリーマンの子はいいなというふうなことも思ったりしたことはあるんです。しかし、そこでとどまっているわけにはいかぬと思って、それなりに努力したことは事実でございまして、そういうことだったということは御理解をいただきたいと思っております。

 それから、確かに私学と公立の学校でいろいろな差がある。保護者の中には、やはり私学に行かせたいという方、しかし、経済的なことを考えて行かせられないというふうなこともあることも、これは事実でございます。そしてまた、東京とか吉田先生の大阪などは、私学に行かせようと思ったら私学もありますが、地方によってはそういう私学もない、公立しかないところもあるわけでございます。ですから、貧富の差というのもありますし、地域間によってもそういった制約はあるということも当然わかっているわけでございますが、また、そうした格差があるということもあるわけで、ではどうしたらいいんだと。

 全部これを公立にするというわけにもいきませんし、全部私学にするというわけにもいかない中で、できるだけ公立と私学の差を縮めなきゃいけないということでいろいろやっておるわけでございまして、御承知のように、経常費補助を中心とした私学助成とか、私も高校、大学といただいておりましたが奨学金制度を充実するというふうなことによって格差を縮め、そして向学心に燃える子供たち、またそういったところに行かせたい親に対して、できるだけ応援していくという姿勢で今文部科学省でおるということは御理解いただきたいと思います。

吉田(治)分科員 大臣と同じように、私のところも町工場ですから、家の横に工場があるんです。その前が小学校です。帰ってくると、同じです、おやじが待っているんです、すぐ服着がえて工場に出ろと。でも、それでも大臣は東大に行きましたよね、頑張って。私は早稲田に行きました。それがいいとか悪いとか言いません。しかしながら、今現実に、お金がなければそこへ行けない。私のころからだんだん、例えば大学の、親の所得はどんどん上がっているわけですね。そうでないと行けなくなってきている。

 公立学校の話、公立、私立、中学、高校の話を今させてもらっていますが、小学校で、公立で百点満点ずっととってきても私学に通らないんですね、これは塾に行かないと。百点とった子がみんな大体どうなるかというと、模擬試験か何かを受けに行って、けちょんけちょんになって、おれは小学校では、ここでは優秀だと思ったのに、ここへ行ったら全然だめじゃないかと、そこから始まっていくわけですね。やはり、そういうふうなあり方が本当にいいのかな。

 そして実際、中学、高校と私学に入っていったときの授業料、幾らか大体御存じですか、私立と公立の授業料というのは。格差の話を大臣に質問するんだから、それぐらいそらで言ってもらわなくちゃ困りますよ。

中山国務大臣 それではお答えいたしますが、中学校では授業料は、私学が三十七万一千円ちょっと、入学金が十八万六千円ぐらい、合わせて五十五万七千円。高等学校は、授業料が三十三万九千円、入学料が十六万二千円、合わせて五十万一千円。それに対しまして、公立の高等学校は、合わせて十一万八千円ということですから、高等学校で比べますと、五十万円に対して一方は十二万円ということで、大きな格差があるということです。

吉田(治)分科員 中学はただですね、公立の中学校は。

 格差の話をするんだから、それぐらい事務局がちょっと事前に教えておかないと、後ろからペーパーを渡して、恥かかせているようなものですよ、大臣に。

 今見たら、中学校は、要するに全額国の国庫支出金、それから地方の負担金ですよね。そうしますと、私学に行っている人は、もう本当に、合わせて五十五万。

 今のは全国平均ですか。はい。大阪の例で言うと、大阪の高校を例に挙げますと、府立高校で授業料約十五万円、私学が五十一万円、この格差が三十六万円で、約三・四倍になっている。そして、入学金合わせると、大体これが格差が五十六万円で、四・六倍になってきていると。公費支出というのを入れますと、公立には、これは生徒一人頭ですけれども、公立は八十四万で私学が三十八万円。しかしながら、大阪府は、公立私立とも、それぞれ均等、十四万ずつ負担を、公費支出をしておりますので、国が公立に七十万、私学に二十四万、これを出しているのがきいてきているわけですね。

 一方、私たち、親としては、税金という形で負担をしているわけですね。税金で負担をして、公費支出を出していって、結果として、例えば、先ほどの中学校の例で言うなら、中学はゼロ円だけれども、親は大方、入学金を入れると五十五万ほど払わなければいけない。これは何も返ってこないわけです、税金は。

 こんな言い方よくないですけれども、人の子が公立へ入るために税金払って回っても、それは仕方がない。大臣のこの間の答弁だって、それは仕方がないじゃないか、あなたが選んで行ったんだからと。でも、私はそうじゃないと思うんですね。子を持つ親として、先ほどの、ちょっと古い資料ですけれども、親としての気持ちを考えていったときに、そして、都道府県はそれぞれ、公立、私立とほぼ同額の負担をしながら、国の負担の違いというのは物すごくここにあらわれてきている。

 この中で、私は、ひとつ大臣の方にこれから先御検討いただきたいということは、この親の税負担というもの、これを何か考える。だから、私学へ行っている場合には特別控除というものを、何か仕組みとして文科省から財務省の方に、そういう特別減税というか定率減税なくなっていきますけれども、そういうふうなものを入れていくであるとか、また、公立、私学あわせたいわゆるバウチャー制度というものが古くから言われております。この辺の検討をするとか、そういうふうな部分でないと、奨学金、奨学金ばかり言いますと、これはまた後で返すお金でありますから。国民が税として負担した部分に対して、やはり教育というもの、これは憲法にも保障されている。

 そして公立、私立、私、反対に言うなら、大臣がそこまで、いや、格差だから当然あると言うんだったら、私学に対する規制はもっと緩めるべきだと。やはり補助がある分、さまざまな規制をしていっている。建学の精神もあればいろいろな部分がある。いや、規制しない、お金も出さないかわりに、好きにやってくれたらいい、それぞれの思いでやってくれたらいいと。

 あご足まで縛っておいて、いや、あなたは私立だから、ここは公立だからと、私は、そこの仕分けというのは、どこかでこれから、大臣は商工委員長をされて、経済界だとか産業界でいかに人材というものが必要なのか、これは何も東大、京大へ行く人だけじゃなくて、いわゆる一般技能工、自動車の組み立て作業員もいっぱい来るけれども、やはりその中で適性があるんだ、できる人できない人、やはりそのすそ野の部分を大事にしなければ日本の産業は成り立たないというお考えは、大臣も絶対お持ちだと私は思うんです。そうしてくると、トップばかりがお金がかかってよくなる社会じゃなくて、どこかの部分ですそ野も広がっていく、私は、これが公立、私立というふうなものの垣根の中でぜひとも考えていただきたいと思う部分ですけれども、大臣、その辺はいかが、検討するのか考えるのか、今の段階でのお考え等いただければと思います。

中山国務大臣 私学というのは、御承知のように、建学の精神にのっとりまして、本当に自分たちの考えられる、考える教育ができるという意味では極めて自由度があると思っていまして、そこに対して、もっともっと、何か文科省が規制をしているというのであれば、その辺はもちろん考えていかなきゃいかぬ、こう思っておるわけでございます。

 そういう意味では、ちょっと先に急ぐかもしれませんが、義務教育国庫負担制度、去年問題になりましたけれども、国は、御承知のように全体の三割しか負担しないわけでございますから、これもしかし全部地方に渡せと、こういうふうなことになって、そうなった場合には、まさに今のような御質問といいますか御指摘もできなくなるわけでございます。そういう意味で、私どもは、すべからくといいますか、ひとしく子供たちが教育を受けられる、そういうふうなことを常に念頭に置いてやっていかなければいかぬと思っているわけでございます。

 今、私学に行っている親については、税務上の優遇措置も何か考えられないか、もちろんそういうことも考えてもいいようなそういうことがありますが、単に学校だけじゃなくて、一方では塾とかおけいこごとだとかいろいろやっているわけで、父兄は自分の子供をどういうふうに育てるかということについてはいろいろ考えるだろうと思うわけでございまして、そうすると、全体の中でこれらの公立、私立の問題も考えていくべきだと思いますし、私は、やはり向学の精神のある子供はひとしく教育の機会があるようにということを最優先にして考えていくべきである、少なくとも義務教育についてはそうだろうと思っております。

吉田(治)分科員 すべからくであるとか規制の部分、そして税制の部分もということですけれども、最後、大臣、気になるのは、中学と言われましたよね。高校の部分はどうされるんですか。私、質問していた主な部分は、金額を述べていたのは高校の部分なんですね。高校は義務教育じゃありませんよね。

 その中で言うと、三番目の中高一貫教育、これも、公立中学校でも中学の入学時に選抜すると。今までだったら、公立義務教育、普通教育によって子供たちにひとしい修学機会を提供するというものが、ひとしくなくなるのをお国がする、地域がするという、前回も質問いたしましたけれども、それでいうならば矛盾するんじゃないですか。中学と高校を一緒に考えるんだったら、今大臣が私の質問に対して最後の答弁で、中学校でと言われたのは、中学、高校合わせてということでないと。中高一貫教育。

 先ほど大臣、地方には私学がないからと。私も前回の質問でそう申し上げました。それなら都会に、私学のあるところには中高一貫教育の学校はもう公立として余りつくらないということにもなるんですけれども、その辺、いかがなんですか。

中山国務大臣 私が申し上げましたのは、要するに、文部科学省としては、これは小学校、中学校の義務教育に関しては国庫負担ということで金を出すわけですけれども、高校については、御承知のように一般財源化といいますか、これは都道府県で持つことになっていますから、そこについてはやはり都道府県で考えていただく問題だろう、こう思うわけでございます。

 それで、中高一貫ということも今進められておりますけれども、これについても、中学校の部分はもちろん義務教育ですから、国が一定部分、財政的にも責任を持つわけでございますが、中高一貫の高校の部分については、これはもちろん都道府県が責任を持つ、こういうことだろうと思います。

吉田(治)分科員 時間がなくなるので、質問が違うんですけれども、事務方の方にちょっと答えてもらいたい。今大臣は一般財源と言われたけれども、でも、これは財源請求的に言うたら文科省から行っているわけでしょう、私学の高校生、私学高校への公費負担というんですか。それだとちょっと、私が聞いているのは、それは全然別だから、私学の高校のそういうふうな負担のことについては関係ないよというふうにとらえられるんですか。その辺、いかがなんですか。

中山国務大臣 公立の中高一貫の場合には、その高校部分については都道府県がということでございます。私立の場合には、もちろんそれは私学が出していますし、これは文科省が、一部ですけれども、それを補助金という形で出しているということです。

吉田(治)分科員 その辺の親の負担ができない。それで、中高一貫については、何度も申し上げるように、公立義務教育と高校というものを一緒にしているという部分、地域事情だとかいうのも私は十分勘案してもらわなければならないなということを申し上げさせていただいて、また機会があればこのことは議論していきたいと思います。

 そして、時間の関係上、最後になりましたけれども、いよいよ「もんじゅ」の方が、福井県の知事の了承をとられて、これから改造工事に入るということであります。私は、何度も現地に足を運んでいて感じることは、福井県としては、あの知事さんは茨城の副知事もされましたから、できれば、「もんじゅ」があって、立地するだけじゃなくて、それによって産学の研究機関であるとかそういうものをしていきたいということになると、「もんじゅ」で終わりなのか、「もんじゅ」から先は国の大きな計画の中でどうなるのか。長期計画の議事録等を読ませていただいたり現地の新聞等を見ますと、十年間、約一千億の金はそのまま動かずに使ってしまった。文科省に対する、当時の科学技術庁ですね、責任も重いという議論もその審議会で行われたやにも聞いております。

 また、今回の決着については、審議会の委員の中で、玉虫色過ぎるんじゃないかと言うと、委員長が、いや、それでいいんだ、玉虫色で御了解をとかいうふうに言ったり、何か、こんなふうに言うたら悪いですけれども、文科省の中において、「もんじゅ」以降のことについて、どうも、この言い方はよくないかもしれないけれども、ちょっと腰が引けているというか、国のエネルギーの安全保障という部分でもっとちゃんとしないと、これは単に「もんじゅ」を動かせばいいことではなくて、その後の実証炉、いわゆる実用炉等々に含めていったときに、大変なそごを来すんじゃないか。何年先まで世の中の状況を見ていてというものではなく、やはりこういう機会をとらえてしっかりとしていかなければならないと思うんですけれども、「もんじゅ」以降の展望について、大臣、どういうふうにお考えですか。

中山国務大臣 あれは二月六日でしたか、私、現地に行きまして知事さんとお話しする中で、改造工事についての御了解をいただいたということで、今、改良工事についての取り組みが始まっているところでございますが、これからどうするかということについては、次なる炉といいますか、実証炉をつくってそれを実用に向けていく、そういった核燃サイクルの全体像を踏まえながらこれは当然やっていかないかぬわけでございまして、このことにつきましては、原子力委員会の中で、次期の長期計画の検討の中でやっていかれる話でありますし、文部科学省としては、そういった方向でぜひ進めてもらいたい、こう希望しているところでございます。

吉田(治)分科員 今の大臣の話を確認しますと、大臣としてはFBRの実用化計画というものは進めていきたいと。ずっと商工委員長もやられたからよく御理解されていると思います。実証炉、実用炉等もつくっていく必要があると。ただ、これについては原子力委員会の長期計画の議論を待つという必要がある、そういうことですか。

中山国務大臣 もちろん、原子力委員会の方で検討していただいているところでございまして、ぜひとも、文部科学省としては、あるいはまた私個人としても、その実用化に向けてやっていくという方向でまとめていただきたいと考えております。

吉田(治)分科員 それで言うならば、地元にもそういうふうにはっきりと御説明、大臣の意思として、文科省として、国としてはそうしたいというふうなことで、はっきり話をされているということで理解をしてよろしいんでしょうか。

中山国務大臣 西川知事ともいろいろな話をいたしました。西川知事も、これをもとにして、やはりそういった全体の研究施設といいますか研究基盤みたいなものをこの地区でも展開したいというふうな御希望もございましたけれども、私たちは、もちろん地方としてはそれでいいけれども、国としては実用化に向けてやっていくんだ、そういう方針は御説明したところでございます。

吉田(治)分科員 本当に平成七年十二月八日の悲しい事故が起こって、約十年近く、九年間で一千億もお金を使った、そして「もんじゅ」自身六千億ぐらいかかるという話、そういうふうなことから含めていくと、やはりこういう場合は国の極めて強いリーダーシップというふうなものをしていく必要があるんだと思います。改めての大臣の御決意についてお聞かせをいただきたいと思います。

中山国務大臣 吉田委員とも経済産業委員会でいろいろと一緒に仕事をさせていただきましたが、エネルギーの重要性、特に資源の乏しい日本においてこの原子力というのは極めて重要な任務を持っていますし、これから先のことについて、次なるエネルギーをどうするかということについては、原子力も含めて幅広い検討を進めていかないかぬ、私はこういうつもりでおります。

吉田(治)分科員 時間になりました。終わります。

萩野主査代理 これにて吉田治君の質疑は終了いたしました。

 次に、坂本哲志君。

坂本(哲)分科員 自由民主党の坂本哲志でございます。

 質問の機会を与えていただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。通告に従いまして質問を進めてまいりたいと思います。

 まず、法科大学院の問題でございます。

 これはきのうも民主党の議員の方が全く同じ質問を予算委員会でやられておられました。非常に今問題化している事柄でもございますので、私は私の立場として、この法科大学院のあり方について、文部科学省中心にお伺いをいたしたいというふうに思います。

 法科大学院が平成十六年度からスタートいたしました。平成十六年度で六十八大学、入学定員が五千五百九十人で開校したわけであります。平成十七年度にはさらに六大学が開校予定でございますし、法科大学院は七十四大学にふえます。そして、大学の定員も五千八百二十五人というふうになるわけであります。

 御承知のとおり、法科大学院構想というのは司法改革の一環として実現をいたしました。ふえ続け、そしてその一方で多様化する訴訟に対応するために、質、量ともに充実した法曹人材を育成しようというものであります。平成二十二年には司法試験の合格者は年間三千人ということが言われております。各法科大学院とも大変な出願者でございまして、それぞれ入学試験も二十倍、三十倍という難関でございました。お医者さん、エンジニアあるいは学校の先生あるいはサラリーマン、多様な人材が集まってきたようでございます。

 特に、現行の司法試験制度が司法試験予備校に依拠しながら法律知識と受験技術というようなものに傾斜いたしまして、本来法曹が持つべき倫理観やあるいは使命感、役割、そういったものに不足しておった部分があったという反省も踏まえての発足でありましたので、この新しい法曹人材の誕生というものに私自身も非常に期待をしているところでございます。

 しかし、今、法科大学院に入学したほとんどの学生が、これからはどうなるんだろうかと暗たんたる気持ちになっているのは事実でございます。そして、学習意欲にまでそれが影響を及ぼしているというような状態になっております。といいますのも、各マスコミでも取り上げられておりますように、当初は、次のような司法制度改革審議会の意見書を信じて入学した者がほとんどだったからであります。

 司法制度改革審議会の意見書といいますのは、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度、七割から八割の者が新司法試験に合格できるよう充実した教育を行うべきである、点数のみによる選抜ではなくてプロセスとしての法曹養成制度を新たに整備するという趣旨からすれば、法科大学院の学生が在学期間中にその課程の履修に専念できるような仕組みとすることが肝要であるというのがその司法制度改革審議会の中身でございます。

 これを信じながら入ってきたわけでございまして、頭の中には当然、法科大学院のカリキュラムに従って勉強すれば七割から八割は新しい司法試験に合格するんだというような意識であったわけですけれども、現在言われ始めましたが、新しい司法試験の合格者は二割から三割というようなことになっております。そういうふうに言われております。まさに、学生からすれば、当初言われたことからすれば、看板に偽りありというようなことではなかろうかというふうに思います。

 また、二割、三割の合格者であるならば、まさに法科大学院そのものが再び予備校化をしていく、そして当初のねらいであった倫理観や使命感を持った法曹人の育成というようなねらいから大きく外れてしまう。何のための法科大学院構想だったのか、ロースクールだったのかというような危険性も十分に今はらんでいるであろうというふうに思います。

 こういった混乱は、私が考えますに、文部科学省が当初の法曹人材の供給体制を無視したかどうかはわかりませんけれども、供給体制に関して、それを余り考慮なく余りにも多くの法科大学院を許可してしまった、ここにまずつまずきがあるんじゃなかろうかなというふうに思います。初年度、国立大学で二十大学、公立で二大学、そして私大で四十六大学ということでありますので、これは余りにも多くなかったのかなというふうに解することもできます。いろいろ言われていることなんですけれども、文部科学省のお役人の方々の天下り先にもなる、そのための確保対策でもなかったかというようなことも一部では言われているというようなことも聞いております。開始に当たって、将来の供給体制あたりを考える上で法務省あたりとの連携がどれだけとられていたのかなというような気もするところでございます。

 そこで、今後、法科大学院修了者の新司法試験の合格者割合、また今後の法曹人材の育成のあり方というものについて大臣にお伺いをいたしたいというふうに思います。

 私のふるさとであります熊本でも、熊本大学で一つ法科大学院が開校されましたけれども、このたびの法科大学院の開設に当たってはアメリカのロースクールを参考にしたのではなかろうかなというふうに思います。もし参考にしているのであれば、アメリカの司法試験の合格率が、州によってはばらばらでありますけれども、この種のプロフェッショナルスクールはやはり七、八割が合格しているというふうに聞いております。

 我が国の法科大学院がそういったアメリカの教育カリキュラムのみを参考にして、司法試験制度は従来どおりの低合格率の厳格な試験制度を維持するということであるならば、制度はアメリカを導入する、一方で司法試験そのものはこれまでどおりのものを踏襲するということで、非常にその整合性に問題があるというふうに思いますけれども、文部科学省はどのように考えておられるのでしょうか。

 それから二番目に、七、八割が合格者、司法試験に合格できるよう充実した教育を行うべきであるというふうに私自身は考えておりますけれども、他方で、さっき言いましたように、二、三割で推移するというふうに言われております。文科省は当初、法科大学院の設立を認可するに当たって、当然七、八割の合格者を輩出することを念頭に制度設計をされたというふうに思いますけれども、一体どのぐらいの割合の合格者を文科省としては見込んで認可をされたのか、あるいはそういう見込みがなく、条件がそろえばということで認可に至ったのか、お伺いをいたしたいというふうに思います。

 それから三番目に、工夫を凝らし、そして特色ある教育課程の実現を掲げている文科省といたしましては、合格率が低く抑制された場合、文科省の理念が達成されないのではなかろうかというふうに危惧をされます。文科省が考えます法曹像とはどういうものなのかというようなことをお伺いしたい。また、文部科学省と法務省が連携して、法科大学院修了者のうち、当初の方針どおりある程度の、七割から八割の者が司法試験に合格できるようにしていくべきであるというふうにも考えるわけですけれども、大臣の所見をお伺いしたいというふうに思います。

 最後に、合格者数の定まらない今の状態をどのように今考えておられるか、そして、今後の法科大学院に対して新規の申請などがあった場合にどういうふうに対処されるのか、また、現在の定員についての増員あるいは削減、そういったものについて、文部省、あるいはこれは法務省も含めて、どのように考えておられるのか。

 この四点、お伺いをいたしたいというふうに思います。

    〔萩野主査代理退席、主査着席〕

中山国務大臣 この法科大学院というのは、司法試験による選抜だけではなくて、法学教育と司法試験、そして司法修習というのを有機的に連携させたプロセスとしての法曹養成制度を新たに整備して、その中核をなすものとして、法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナルスクールである法科大学院を設けるべきであるという司法制度改革審議会、平成十一年の七月に内閣に設置されたものでございますが、この意見を踏まえて創設されたものであるというふうに認識しております。

 この司法制度改革審議会におきましては、意見の取りまとめに当たりまして、審議会委員がアメリカ、ドイツ、フランス及びイギリスにおける法曹養成制度等の実情や司法制度改革の動向など各国の司法制度に関する調査を実施して、その結果を参考にしたもの、このように承知しているわけでございます。特にアメリカの制度でございますが、学士課程四年を修了後、ロースクール三年間の教育を経て法曹となるための基礎資格を得られる、そして、この基礎資格を持つ者が各州の実施する試験に合格すれば弁護士等の法律職として活動できるということですけれども、日本の法科大学院はこれに最も近いものというふうに考えられております。

 それで、この法科大学院の設立に当たって文部科学省はどのような観点で認可したのかという御質問でございますけれども、この司法制度改革審議会の意見書におきまして、「関係者の自発的創意を基本としつつ、基準を満たしたものを認可する」ということにされておりまして、「広く参入を認める仕組みとすべき」とされているわけでございます。これを受けまして、文部科学省としては、必要な教員組織や教育課程などを内容とします専門職大学院設置基準というものを定めまして、これに基づきまして厳格な審査を行い、基準を満たしたものについて設立を認めることにしたわけでございまして、今、坂本先生御指摘のように、平成十六年度は、六十八校、五千五百九十名、十七年度は、六校、二百三十五名の設立が予定されておりまして、合わせますと、七十四校、総入学定員は五千八百二十五人となるわけでございます。

 文部科学省といたしましては、各法科大学院が真に国民の期待と信頼にこたえ得る法曹の育成に向けて厳格な成績評価及び修了認定を実施するなど、法曹養成機関としての機能を十分に果たしていくように促していきたい、このように考えているところでございます。

 次に、司法試験の合格率が低く抑制された場合には、法科大学院設立の理念や法科大学院そのものの存在意義が達成されないのではないか、このような御質問でございましたが、この新しい司法試験におきます合格者数のあり方につきましては、現在、法務省の司法試験委員会におきまして、法科大学院が新たな法曹養成制度の中核であるという理念を尊重して、旧司法試験より新司法試験の合格者数を多くすべきという考えのもとに検討を行っているというように承知しておるわけでございまして、文部科学省といたしましては、司法試験委員会において、こうした理念、考え方を踏まえた適切な方針が示されることを期待しておるところでございます。

 なお、先ほども申し上げましたように、法科大学院における教育につきましては、各法科大学院におきまして、厳格な成績評価及び修了認定を実施するとともに、五年以内ごとに文部科学大臣の認証を受けた評価機関の評価を受けることによりまして、質の確保と向上が図られるものと考えているわけでございます。

 それから、法科大学院を設置し過ぎたのではないかというふうな御質問で、これからも設置を認めていくのかという御質問もありましたけれども、先ほど言いましたように、「広く参入を認める仕組みとすべき」、このように司法制度改革審議会の意見書に書かれているわけでございまして、文部科学省としては、必要な教員組織とかあるいは教育課程などについて定めを置いた設置基準に基づきまして、引き続き厳格な審査により、これを満たしたものについては設置を認めるということにしておるところでございます。

 なお、現在、新たに法科大学院設置に関する大学関係者からの相談はありません。当面は、この五千八百人余りの入学定員規模で推移するものと思われるところでございます。

 それから、法科大学院修了者のうち、七割程度の者が新しい司法試験に合格できるようにしていくべきではないか、こういうふうな御質問でございましたけれども、先ほど申し上げましたように、合格者のあり方につきましては、現在、法務省の司法試験委員会におきまして、旧司法試験よりも新司法試験の合格者数を多くすべしという考え方のもとに検討を行っているというふうに考えているわけでございます。

 文部科学省としては、この検討に当たりましては、法科大学院が新たな法曹養成制度の中核であるという理念と考え方を踏まえた検討が行われるべきであるというふうに考えておりますが、法務省に対しましては、この文部省の認識とともに、私も受けておりますけれども、法科大学院関係者の要望とか懸念もありますので、そういったところもお伝えしているところでございます。

 以上でございます。

坂本(哲)分科員 特に今現在の、去年入りました在学生、不安を抱えて勉強するというのはなかなか集中力がつきません。それから、今これから法科大学院を目指そうとしている方々、多数おられます。この一期生、二期生、スタートのときの状況が後々、この法科大学院をどう位置づけるかという大きな要素にもなってまいりますので、何とぞこれからの対応策、そして学生たち、これから法科大学院を目指してくる人たちが意欲を持って、希望を持って、そして優秀な人材が集まるような、そういう仕組みにしていただきたいというふうに思います。

 法務省の方はどうですか。

倉吉政府参考人 法務省の立場から申し上げたいと思いますが、今文科大臣からお話があったとおりでございますが、今委員の御指摘のありました法科大学院構想、特に中核として、プロセスとしての法曹養成の中核を法科大学院が担うのだ、それから医師、エンジニア、いろいろな、多様なバックグラウンドを持った方が法科大学院で今勉強しておられる、そういう多様なバックグラウンドを持った方にぜひ来ていただきたい、法曹の方に来ていただいて、そしてより広い視野から、新しい知見のもとに、新しい法曹に育ってほしい、ここら辺は全く我々も同意見でございます。

 その中で、倫理観、使命感を持った法曹を育てる、そういうことでございまして、司法制度改革審議会の意見書、それからこれを受けました政府の司法制度改革推進計画では、先ほど御指摘のありましたとおり、平成二十二年ごろには司法試験の合格者数を年間三千人程度とする、こう言っているわけでございます。これはもう申すまでもございませんが、ただ量をふやすのであれば、現行の司法試験の合格者数をふやせばいい。しかし、そうではない、より質のいい法曹をふやしていくのだということでロースクールをつくったわけでございます。

 今、そこの合格率、それから七、八割という話がございました。司法制度改革審議会の意見書では、その七、八割のくだりでございますが、法曹となるべき資質、意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度、約七、八割の者が新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきだと、そういう充実した教育を行うべきだというところで指摘をしているところでございます。

 ただ、こういう数字が出てくれば、七、八割は大丈夫かなと思うのも無理もないところがあろうかなという気はいたしますが、いずれにしても、厳格な成績評価と修了認定をしていただける、その前提で考えなければいけません。

 そこで、どういった方々が法科大学院を修了してこられるのか、その数がどれくらいになるのか、その結果、司法試験の受験者数それから合格者数はどうなっていくのかというところが不確定な要素によるところが大きいので、合格率ということを一概に申し上げることはできないわけでございますが、御承知のとおり、十八年から二十二年までの五年間については、現行の司法試験が並行して行われます。そうすると、現行の司法試験を受けた方がいいのか、ロースクールに行った方がいいのかということは受験生も悩むということになります。

 そしてまた、この二つの試験は、時期、内容が全く違う形で行われますので、そのためにもどれくらいの目安でいくのかということは指針を示さざるを得ないということで、目下、法務省の委員会でございます司法試験委員会の方で、少なくとも新しいロースクールの卒業生が出る十八年、それから三年構想のものの卒業生が出てくる十九年、この二年分くらいについては、何らか概括的な数値と概括的な考え方というのをお示ししなければいけないのではないかということで、検討しているところでございます。

 いずれにいたしましても、先ほど文科大臣からお話がございましたけれども、ロースクールを重視するんだ、今先生の御指摘のあったようなことは司法試験委員会も十分理解をいただいているところでございまして、その前提で検討が進んでいるものと承知しております。

 それから、文科省との連携というお話がございました。もちろん、連携をとっております。法律上も、新しくロースクールを認可する場合、それから第三者機関として評価する場合、そういったいろいろな機会において法務大臣は意見を述べることができるということになっておりますし、何よりも現実的な連携が大事でございまして、ロースクールには、検察官からも実務教官を派遣しております。

 それから、司法試験の問題がございますが、これもサンプル問題をつくりまして、これまでの司法試験の問題とは全然違う、非常に分厚い事実関係を出して、契約書なんかもつけまして、その中で、これまでは民法、商法、民事訴訟法と分けた問題にしていたわけですが、この民法、商法、民事訴訟法を全部一緒にして、民事系ということで総括的に問う、四時間ぐらい考えさせて答案を書かせるんだと。こういった中で、広範なバックボーンを持った方々が、その社会観、人生観をかけてこの事実関係について一定の考え方を示す、それを、立派な答えを書かれた方を採用していくということで、十分に連携はとられている、こう考えている次第でございます。

坂本(哲)分科員 数字が先に出てきますと、いろいろその数字に目をとらわれがちになりますけれども、やはり、意欲を持って、落ちついてということが大前提。そして、勉強するということが一番大事なことであろうかと思いますので、文科省との連携も含めて、よろしくお願いいたしたいというふうに思います。

 それから、続きまして、教員の養成と確保ということについてお伺いをいたしたいと思います。特に、小中、義務教育の教員の養成でございます。

 先般、自民党の文教部会で東大の苅谷先生のお話をお伺いしました。そしてまた、東大のそのチームが調査をした今後十年、二十年、その義務教育の教員の数字の動向というものを読ませていただきました。

 昭和五十五年、第二次ベビーブーム時代の子供たちが就学するときに採用された教職員の方々が今四十五歳前後、この方々が全国で二万五千人。四十四、四十五、四十六、四十八ぐらいに全部が固まって、それから急速にまた少なくなっております。三十代あるいは二十代になりますと、一万二千人、あるいは一万人ちょっとというような状況になってまいりまして、この大きな四十五歳代の固まりが抜ければ、これは極端な教員不足に陥ってしまうというようなデータになっております。

 そのときにどうやっていくのか、どういうふうにして教員を確保していくのか。ただ単に退職者の再雇用でいいのか、臨採の採用でいいのか、あるいは教育学部の定数をふやすだけでいいのか、さまざまな問題があと十年ちょっともすれば出てくるであろうというふうに思います。それはそのまま、今大臣が言われております教育の質の向上、学力の向上にも直結するような大事な問題でございますので、ぜひ、この教員不足に対してのお考えをお伺いしたいというふうに思います。

 そして、現在、現場教員のために、現職の身分のままで入学して、質を高めるために教育の大学院が開設されておりますけれども、これは最短一年で、そうして、既に教員免許を取得しているという人たちのための短期修学制度といいますかそういう制度でございますけれども、新たに私のこれは提案でございますが、今言いましたロースクール的なもののエデュケーショナル版、こういったものができないのかどうか。既に社会の動きといたしましては、例えば経営管理、アカウンティングスクールあるいは総合政策、そしてロースクール、こういういわゆるプロフェッショナルスクールをふやすことによって多く民間から人を集めよう、そして、新たな免許を付与しようというような流れにあります。

 ロースクールの教育版をつくって、エデュケーショナルスクールみたいなものをつくって、そしてそこに多くの民間人あるいは多くの教育に情熱を燃やす人たちを集めて教育して、新たに教員免許を付与するということができないのかどうか。そういうような構想、これまで考えられていたと思いますけれども、もし考えていたのであれば、なぜそれができなかったのか、問題点がどこにあったのか、そういったものを含めて大臣の御所見をお伺いいたしたいというふうに思います。

中山国務大臣 昔から、教育は人なり、こう申しますけれども、いろいろな現場を回らせていただけばいただくほど、やはりそうだな、先生いかんだ、そういう感を強くしているわけでございまして、今後とも、優秀な教師を必要な数確保していくということは至上命題である、このように考えているところでございます。

 しかし、現実問題として、今御指摘ありましたように、採用にばらつきがあるものですから、大量に退職者が出るというふうな時期が迫っているわけでございます。もちろん、これも都道府県によりまして違うわけでございますけれども、そういったことにつきましては、各都道府県でそれぞれ工夫をしていただいているわけでございまして、例えば、採用選考試験の受験年齢を緩和したり、あるいは民間企業等の経験者を対象に特別選考を行うなど、さまざまな工夫を講じているところでございます。

 文部科学省としても、都道府県がそれぞれの実態に応じて質の高い教員を適切に確保できるように、引き続き採用選考の工夫、改善を促してまいりたい、このように考えているところでございます。

 そういった中で、今お話がありましたように、より質の高い教師を確保したい、こういったこともあるわけでございますし、また、法科大学院の構想の中にもありますように、もっと幅広い識見、経験を持った、そういった教師を学校の現場に入れるということもこれは必要なことじゃないか、こう思うわけでございまして、今の中央教育審議会におきまして、教員養成における専門職大学院のあり方について御審議いただいているところでございますが、高い専門性と実践的な指導力を有する教員を養成するためにどうしたらいいかということで、今審議いただいております。

 具体的な制度設計は今後御検討いただくことになりますけれども、専門職大学院というようなものをつくりまして、いろいろな多様な経歴を有する方々を、そういう人材を受け入れて、そして教師として世の中に送り出していく、教育現場に出していくということは非常に大事なことだな、こう思うわけでございます。

 今坂本先生御指摘のように、本来ならば、もっと早くこういったことは考えるべきじゃなかったか、こう思うわけでございます。しかし、おくれてはいかぬということで、ことしじゅうに答申をいただきまして、速やかに所要の制度改正を行いまして、使命感と指導力にすぐれた質の高い教師、先生方を養成し、確保していくということに努めてまいりたい、このように考えております。

坂本(哲)分科員 昨年十一月のOECDの学習習熟度調査というのは、私たち日本人にとりましては大変ショックでございました。やはり、各国とも、とにかく教育に対しては、ヨーロッパもアジアも含めて真剣になっている、必死になっているというふうに思います。それは、教育現場、とりもなおさず教師の方々の資質あるいはノウハウ、そしてまた家庭、地域、そういったものすべて集約をしての教育効果が出るだろうというふうに思います。非常に、一番大事な時期に、大切な時期に文部科学大臣となられました大臣の今後の御活躍をぜひ期待いたしまして、質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

渡海主査 これにて坂本哲志君の質疑は終了いたしました。

 午後一時から再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時八分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

萩野主査代理 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。太田昭宏君。

太田分科員 公明党の太田昭宏です。

 学校施設の耐震改修について要望したいということで質問します。

 公立学校施設の耐震改修の状況については、先般、私、予算委員会でやらせていただきましたが、きょうは、さらに掘り下げていきたいと思います。

 まず、学校施設の耐震改修の状況について、最新の報告を求めます。

萩原政府参考人 学校の耐震化率について御説明いたします。

 毎年、文部科学省におきましては耐震の進捗率を調査しておりますが、最新のものとしましては、平成十六年、昨年ですが、四月に行ったものがございます。この調査によりますと、公立の小中学校における耐震性が確認されている建物、これが四九・一%でございます。

 逆に言いますと、耐震性が確認されていない建物、これが五〇・九%でございまして、その内訳を申しますと、耐震診断をしていないために耐震性が確認できないというのが三五・二%ございます。この中には、耐震診断をすれば確認できるものもあるでしょうけれども、耐震性があるかないかわからないということで、三五・二%を耐震性が確認されていない建物としております。それから、耐震診断を行いまして、改修の必要があるということがわかってもまだ対応ができていないというものが一五・七%ございまして、これを合わせますと五〇・九%、これが耐震性が確認されていないということでございます。

    〔萩野主査代理退席、主査着席〕

太田分科員 全体的にそのくらいということは、我々は随分推進をしてきたつもりなんですが、なかなか、その程度か、これは大変なことだなという感を深くします。

 大体、公立の学校というのは防災拠点ということになって、特に都市部においては、そんなに空き地があるわけじゃありませんから、地震が起きた、防災拠点、避難所ということになると学校ということになるんですが、学校を、公共施設の安全性と同時に、そうした公共施設の防災拠点という観点からも、耐震化を本当に急いでいかなくちゃいかぬ、こういうふうに思います。

 その意味で、そのほかの公共施設、社会福祉施設や公民館などに比べて耐震化がおくれているわけですが、この辺の問題意識と原因の究明ということについて、答弁をお願いします。

萩原政府参考人 先生御指摘のとおり、これは平成十五年に消防庁が実施いたしました調査でございますが、防災拠点に指定されている公共施設、そのうち約六割が学校施設となっております。しかし、残念なことながら、学校施設の耐震化がほかの公共施設と比べても低い。防災拠点に指定されている公共施設の中で最も低いという報告がなされているところでございます。

 学校施設の耐震化が十分でない理由といたしましては、都道府県等からお話を聞いているところでございますが、やはり一番多いのは地方自治体の財政上の理由、これが一番でございます。それから、学校施設は他の公共施設と比べましても、絶対量が、数が多いものですから、やっているんだけれどもなかなか時間がかかるということもございます。それから、少子化等によりまして、学校の統廃合計画が今なされていますので、それとあわせてやるためにちょっと今耐震補強が見合わされている、こういうような事情が寄せられているところでございます。

太田分科員 地域別に見ましてもかなりばらつきがあって、特に、地震が予想される、きょうにも、直下型の地震について中央防災会議が被害について発表するということで、東京直下の地震ですと百兆を超える被害が出るというようなことからいきますと、東京あるいは神奈川、そして東海地震、東南海地震、南海地震ということがかなりクリティカル。しかも、宮城沖地震というのは三十年で九九%の確率だ、こう言われることからいきますと、そうしたばらつきの中でも、特に、今私が申し上げたような地域の耐震の改修ということを急ぐべきだ、こう思いますが、現状認識はいかがでしょうか。

萩原政府参考人 今、先生、各県のばらつきを御指摘になりましたけれども、平成十六年の四月の文部科学省の調査によりますと、かなりのばらつきは出ております。

 耐震化が比較的平均より進んでいる地域は、地域防災対策強化地域に指定されている東海地域あるいは大都市圏、それから近い将来可能性が高いと指摘されている地域でございます。具体的に言いますと、先生が先ほどおっしゃいました東京都、それから神奈川県、静岡県、山梨県、宮城県、これらは耐震化率が八〇から六〇%という状況でございます。他方、耐震化が十分進められていない地域におきましては、耐震化率が三〇%前後というところもございます。

 これらの格差が出ている理由といたしましては、近年の、大地震が発生したかどうかという状況や、それから大地震の発生の切迫感が十分認識されているかどうか、その違いによりまして、地方自治体において耐震化への取り組みが違ってきているんではないか、こう考えております。

 それからもう一つ、ばらつきということでは、市町村が設置する小中学校と都道府県が設置する高等学校、ここらの違いでございますが、全国平均で見ますと、小中学校も高等学校も、耐震化率におきましてはほぼ同様でございます。小中学校が四九・一%、先ほど申しました数字でございます。高等学校が四九・六%。コンマ以下で多少高校の方が優位になっておりますが、ほぼ同じような結果になっております。

 ただし、都道府県別のばらつきを見ますと、小中学校では、一番耐震化率が進んでいるところと最低のところ、これもまた約五〇%でございますが、施設費を一般財源化いたしました高等学校においては八〇%と差が大きくなっております。高校は、やるところはやっている県は多いんですが、やっていないところとの格差が広がっているということでございます。

 また、平成十五年から十六年にかけて、最近の進捗率の状況でございますが、先生なかなか進まないという御指摘がありましたが、小中学校においては二・五%改善されているということでございます。一方、高等学校においては一・二%の改善ということでございまして、改善のスピードには、小中学校と高校では二倍ぐらいの差が出てきていると思います。

 これらにつきましては、国庫補助制度が全国的な耐震化の推進に大きな役割を果たしているものと我々認識しているところでございます。

太田分科員 一月に新聞にも大きく出ましたが、文部省、耐震改修で学校を耐震化すると。学校ですから、かなり古い建物というか、もうずっと使ってきているところが多いと思うんです。全部建て直すとなれば大変なお金がかかるんですが、改修ということで学校を耐震化するという方向が出されました。

 基本的にはそういう方向というものがしっかり、やるならやるで骨太に打ち出されて、国としてそういう方向でいこうという決断をしないと、なかなか財政がどうのこうのなんということを言っていたらしようがないので、きょうは文部科学省の人たちに聞くというよりは、私はほかのところで気合いを入れに行こうと思って、財務省にと思っていたんですが、まず、そうした改修で学校の耐震化という方向について、骨太に政府内できちっと対応してもらいたいということを大臣に強く要請したいと思います。

中山国務大臣 委員御指摘のとおり、耐震化ということにつきましては、まだ十分な取り組みがなされているとは思えない状況でございまして、地震等の場合に児童生徒等の命と安全を守るためには早急に措置すべきである、このように考えているわけでございます。

 文部科学省といたしましては、国の財政は極めて厳しい状況下ではありますけれども、耐震関連予算の確保に最大限努力しているところでございまして、平成十六年度補正予算、そして十七年度の予算におきまして、耐震関連経費といたしまして千四百五十三億円を計上しておるところでございます。

 そして、御指摘のように、限られた予算の中で、膨大な学校施設の耐震性を緊急に確保していくという観点から、現在、より効率的に耐震化を推進できる方策について有識者会議において検討をしているところでございます。具体的には、新たな投資は効率性を考慮して、既存施設の改修によってその価値、効用を高めていく観点から、工事費のかかる建てかえ方式、いわゆる改築から、より経済的な耐震補強改修方式に重点を移す方向で御議論をいただいているところでございます。

太田分科員 財務省、お金がないからといって、これで、被害想定がきょう出て、百兆を超えるような被害が出るというようなことを、平然と百兆とか一万二千人が死ぬんだとか、そういうようなことを言っているわけには本当はいかないんだね。

 それは、人命が失われるというようなこと、そして、ここは本当に緊急なことですから、財源措置というものについて本当に力を入れてやってもらわなくてはいけないので、きょうは財務省を代表して松元さんが来ていらっしゃるけれども、いかがですか。

松元政府参考人 学校の校舎等につきまして御質問いただいておりますが、まさに先生御指摘のとおり、大規模地震発生時における児童生徒の安全確保はもとより、被災いたしました地域住民の応急避難場所として活用されるなど、国民の生命財産を守るために重要な役割を果たしていると考えております。

 こうした観点から、文教施設整備関連予算につきましては、近年、厳しく総額の抑制を図る中で、小中学校の耐震化関連経費につきましては極力予算額の確保に努めているところでございまして、平成十七年度予算におきましても、対前年度十八億円増の千百七十三億円を確保させていただいているところでございます。

 今後とも、学校施設の耐震化を推進する観点から、関係省庁ともよく御相談しつつ、適切に対応してまいりたいと考えております。

太田分科員 三位一体の改革の中で、義務教育費の国庫負担のあり方、それから施設整備ということについても、できるだけ今切り込んでいくみたいな話の流れがあるんですが、私はこれは相ならぬと。

 本当に、義務教育自体の問題は問題として、きょうは施設整備の問題なんですが、これが東京と神奈川と、さっき言った静岡、愛知、そうした東南海・南海地震、また東海地震、そして宮城の地震は九九%の確率だというんだから、そういうところに具体的に焦点を絞って施設を整備しなさいよ。体育館と校舎というのをちゃんとやらなければだめなんだということは、単に一般財源化するということで、ばらまいていくということで、そうしたことが緊迫感がない中でやるという場合では、私は全くうまくいかないと。

 そういう点では、国が、日本の国の安心、安全ということで、学校という施設は、子供たちのためだけじゃなくて、地域において大事なんだという観点をしっかり持ってやってもらわなくては困るということを、重ねて答弁をお願いします。

松元政府参考人 三位一体の改革の関連で御質問いただきました。

 三位一体の改革に関します昨年末の政府・与党合意におきまして、公立文教施設等建設国債対象経費であります施設費の取り扱いについて、検討課題とされておるところでございます。

 財務省といたしましては、こうした施設費を含めまして、建設国債を財源といたします公共投資関係の補助金につきましては、第一に、公共投資は引き続き全体としてスリム化が求められている分野であること、第二に、建設国債を財源としておりまして、移譲すべき財源がないこと、第三に、公共投資は形成される資産からの便益が長期にわたりますため、将来世代も含めた費用負担とすることが適当との考え方によりまして、公債発行を原則として禁止いたしております財政法の特例を設け、建設国債の発行を許容するという取り扱いがなされていること、また、地方におきましても、こうした事業につきましては、建設地方債の起債により財源を調達していること等から、財源移譲をすることは不適当と考えております。

 今後の検討に当たりましては、小中学校の施設整備に係る国と地方の役割分担のあり方など、政策的観点からの議論を詰める必要があると考えておりますが、さきに申し上げましたような論点につきまして、国庫を所管する財務省として、必要な主張を行ってまいりたいと考えております。

太田分科員 まさに国と地方の役割分担という中で、国が国民の安全というものについて、各県においていろいろ緊迫性が違うわけだから、そういうことも含めてやるということをしっかり認識して、そして、財務省、総務省、政府自体がしっかりとこの問題に取り組むように、私は強く要請しておきます。

 それから、夜間中学校の問題について質問しますが、小学校、中学校を卒業していない義務教育未修了者のために、また、在日外国人の日本語教育のために、夜間中学校が果たしてきた役割は非常に大きいと思います。

 夜間中学校は、戦後の混乱期に義務教育を受けられなかった人を初めとして、いじめの被害者、不登校ということも最近はあるし、登校拒否の生徒に普通教育を提供するという役割も果たしているというふうに思います。さらに、韓国や中国からの引き揚げ家族の日本語教育や、また、今日では、ブラジルやフィリピン、ベトナム、タイ、アフガニスタンなどから来た外国人の日本語教育の場ともなっているわけです。

 そこで、まず、そうした認識について、共通した認識を持っているかどうかという一点についてお伺いをするとともに、義務教育未修了者の人数が、現場の夜間中学校の担当者の声を聞きますと、十分把握されていない。国勢調査の教育の項目の調査区分を改善する必要がある。

 この義務教育未修了者の人数は一体どれだけあるのか。そして、国勢調査での調査項目が小学校と中学校という区分ではないということもありまして、その辺の実態把握の状況等についてお聞きをしたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、義務教育未修了者の実態でございますけれども、学校教育法により九年間の義務教育を受けるべき者のうち、義務教育を修了していない者の数を正確に把握するということはなかなか難しい面がございます。

 今先生お話ございましたけれども、平成十二年の国勢調査によれば、約十五万九千人が義務教育未修了となっております。ただし、これには、病弱等の事由によりまして、就学義務の猶予、免除を受けた者が相当数含まれております。

 いずれにいたしましても、戦前戦後の混乱期における義務教育未修了者数の把握がなかなか難しいこと、就学義務猶予免除者のうち、最終的に義務教育未修了者の数の把握が大変難しいといったようなことがございまして、正確な把握はなかなか困難であるということをお答えさせていただきたく存じます。

 なお、夜間中学につきましては、先生の方からお話がございましたけれども、夜間中学は、学校教育法施行令の第二十五条第五号に規定をいたします中学校の二部授業の一形態として行われております。現在、全国で三十五校ございまして、学んでいる生徒の数は二千六百九十名でございます。

 その生徒さんを年齢別に見ますと、いわゆる学齢者、義務教育段階の人はおりませんで、すべて十五歳以上の方ということになっております。それから、外国人の方、つまり日本国籍を持っていない方も全体の七五%という状況でございます。

太田分科員 変な話なんだけれども、この国勢調査で十五万九千という数が出てくるわけですが、これは、十五歳以上の人の中で小学校に全く行ったことがない人、及び小学校を途中退学した人しか含まれていない。小学校卒業者及び中学校中途退学者は、中学校卒業者とともに小学校・中学校卒業者に含まれている。こういうことで、小学校と中学校の国勢調査における区分分けというようなことを検討したらどうかということを言いたいわけですが、いかがですか。

銭谷政府参考人 私ども、義務教育未修了者ということで数を今把握しているわけでございますけれども、大変難しいのは、結局、小学校を終えていない、あるいは中学校を終えていないという場合に、その人たちの事情が非常にさまざまございますことと、先ほど申し上げましたように、就学義務の猶予免除を受けた方ですとか終戦時の混乱期の方とかいろいろおりまして、いわゆる数の正確な把握というのが大変困難だということで、現在まで、こういった形で、義務教育未修了者はある種推定的なことしかお答えできない状況にございます。

太田分科員 ぜひとも国勢調査の検討課題として研究してもらいたいと思います。

 それから、義務教育未修了者をなくす問題を文部科学省の重要な課題の一つとして位置づけるということをまずお願いしたい。

 それから、夜間中学校の役割を正当に評価する。最低、全都道府県及び全政令指定都市に一校は夜間中学校を設置する等の方向を打ち出すということが必要だというふうに思います。特に、不登校とかドロップアウトした人たち、それから五十歳、六十歳、中学校を出ていなくて、年齢になっている人、それから外国人、いろいろなケースがあって、非常に涙ぐましい努力をしながら教育をしている現状というものをよく、これはまさに現場の状況を把握して、財政論の中で教員を減らすというようなことのないように、ここはひとつ、大事な社会の安定基盤をつくるということにもなると僕は思います。その辺の措置をとっていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 先生御案内のように、夜間中学は、戦後の混乱期の中で、生活困窮などの理由によりまして昼に就労等を余儀なくされた学齢生徒が多くいたということから、これらの生徒に義務教育の機会を提供することを目的として昭和二十年代初頭から開設されてきたものでございます。その後、昭和三十年代の初頭には数としてはピークを迎えまして、全国で八十校を超えた時期もございました。ただ、その後、社会状況の変化に伴いまして、昭和四十五年には二十校まで減少し、現在は少し増加をして、先ほど申し上げましたように、全国で三十五校ということになっております。基本的には、それぞれの地域におきまして、その地域の状況に応じて各市町村においてその設置を判断すべきものというふうに私どもとしては考えているわけでございます。

 ただ、文部科学省としても、中学校の夜間学級、夜間中学につきましては、例えば教員の給与費の国庫負担を行うとか、あるいは夜間中学校における学習指導や生徒指導の改善充実を図るために、夜間学級を設置する中学校に対しまして調査研究事業を委嘱したり、全国の夜間中学校の方に集まっていただいて、研究協議の場を設けたりして、支援は行っているところでございます。

 ただ、ただいま申し上げましたように、最終的にはやはり、いろいろ地域の実情がございますので、各市町村においてその設置については判断されるべきものと考えております。

太田分科員 今銭谷局長おっしゃったように、その追い風を国が送るということが大事で、まさに義務教育の国庫負担にもかかわることなんですが、国が風を起こして追い風を送るということなしに、地域ということで、独自性と言うかもしれないけれども、逆に言うと、現場対応型に終わるというような教育であってはならないので、私は、国における義務教育ということに対する追い風をしっかり送る体制をつくっていただきたいというふうに思っております。

 同時に、最近は、外国の人たちに対して日本語の教育を施すというようなことが非常に大事な問題になっているわけですよ。浜松とか私の生まれ育った豊橋とかいうところではブラジルの方を初めいろいろな方が多いわけですが、そうした都市の調査に、浜松なんかでも外国人の子供のうち二七・一%が未就学というようなこともあったりします。そういう点では、この日本語学級を法的に位置づけるということが非常に大事なことだというふうに私は思います。

 日本には二百万人以上の外国人が居住している、子供さんも多数居住をしているというところで、いろいろな労働形態もあるでしょう、あるいは留学に匹敵するというようなこともあるでしょう。これからの日本ということを考えると、そこでの日本語学級、そして日本の中に定着していただくというようなことも含めて、そうしたことの働きというものが私は極めて重要であろうというふうに思いまして、夜間中学校の日本語学級についても、その法的な位置づけということを含めて政府としてやっていただきたいということを強く要望します。

中山国務大臣 御指摘のように、まず夜間中学校、いろいろな事情があって学校に行けなかった方、そういった方々も勉強したいという意欲があればぜひ勉強できるような体制は国が率先してつくるべきだ、こういうふうに考えているところでございます。また、いわゆる在日外国人の方々が安定した日常生活を送るためにはどうしても日本語が大事でございますから、その日本語を学ぶために国としてもいろいろなことを考えていかないかぬ、こう思っているわけでございます。

 現在の夜間中学校におきます国語教育というのは、そういう意味では、在日しておられる外国人に対する日本語教育として意義のあるものと考えますけれども、夜間中学校というのは日本語教育を専門とする教育施設とはちょっと異なりますので、これを専ら在日外国人に日本語教育の場として提供するということはなかなか難しいかと思うわけでございます。

 学校教育以外の日本語教育支援につきましては、例えば地域のボランティア財団の協力を得ながら、学校の施設、余裕教室、こういったものを活用して親子の日本語教室を地域の要望等を踏まえて開設したり、あるいはまた、国立国語研究所では日本語教育支援総合ネットワークシステムというのを構築いたしまして、インターネットを通じて日本語教育の教材などに関する情報を関係者に提供するなどして、地域社会での在日外国人に対する日本語教育の充実に努めているところでございますが、これからどんどん在日外国人の子弟もふえてまいりますから、この人たちに対しての教育、国語教育を含めてどうやっていくかということは大きな課題として考えなければならない、こう考えております。

太田分科員 ぜひとも、現場で涙ぐましく努力をしている先生方もいらっしゃるし、大臣あるいは副大臣、せっかく総務副大臣も来ていらっしゃいますから、政府の関係の方が現場を見ていろいろな現場の声を聞いていただくようにお願いしたい、こんなふうに思います。一言。

中山国務大臣 まさにおっしゃるとおりでございまして、私ども、まず現場を見てみようということで、現場主義で今文部科学省やっているわけでございますが、関係省庁とも一緒になりまして、まず、在日外国人の方々がどういう状況にあるんだ、そういったことの実態を見るために、できるだけ早く現場に赴きたい、こう考えております。

今井副大臣 私も、文部省の方々と一緒に総務省としても現場を拝見させていただきたい、こういうふうに思っています。

太田分科員 終わります。ありがとうございました。

渡海主査 これにて太田昭宏君の質疑は終了いたしました。

 次に、島田久君。

島田分科員 民主党・無所属クラブの島田久でございます。

 きょうは、私も教育にかかわる者の一員として文部大臣に質問させていただくということで、本当に心から感謝をいたしたいと思っております。

 学力低下とゆとり教育の問題を中心に質問させていただきたいと思います。

 最近、学力低下を危惧する教育関係者や、あるいは経済界などにおいても、日本全体の中で相当活発な意見が出ておられますし、あるいは大学教育全体を含めて、これらの結果によっては、日本経済全体あるいは日本の国力、教育問題全体にいろいろなひずみを来すのではないかということについて危惧をされている面があるわけであります。

 古いデータでちょっと申しわけないんですけれども、日本経済新聞社が一九九九年に行ったアンケートによれば、全国の大学の学長の八割以上が、中でも私立大学の学長では八七・一%も、自分の学校の学生の学力が低下しているということを感じているそうであります。また、読売新聞等の世論調査によりますと、国民のおおよそ八割が子供たちの学力の低下に不安を感じているという実態調査などが出たわけであります。

 そういう中で、大臣は見直すという意見でしょうか、あるいは、より正しい方向に、誤解のない教育改革をしていこうというお考えなどについて発言をしているようですけれども、やはり誤解のないような形というものをとっていかなきゃならないというふうに私は思うわけであります。

 文部科学省は、当初は、学力低下はしていないのではないかというような意見もありましたし、最近では、検証してみると幾分学力が低下しつつあるというような形の中を、どう現場の中で検証していくかという問題等を含めてたくさんの議論もあるし、習熟度別の少人数制をとったり、学力全体の低下というものを防いでいかなきゃならないというような現状について、現在大臣はどんなお考えを持っているか、まず最初に御所見をお伺いしたいと思います。

中山国務大臣 いろいろ御指摘ありましたように、日本の子供たちの学力が低下してきているんじゃないか、このことはいろいろなところから言われてきたところでございますが、特に、昨年末に公表されました国際的な学力調査の結果を見ますと、日本の子供たちの学力は低下している、低下傾向にあるということは認めなきゃいけませんし、やはりこれは深刻に受けとめるべきじゃないかな、こう思っております。

 なぜそうなったのか、なぜ学力が低下してきたのか。これについては、ゆとり教育のせいじゃないかというようなことも言われますが、私は、必ずしもそういうことだけではなくて、日本経済、社会全体が何となくずっと低迷してまいりました。子供というのはそういう時代の産物でもあると思うわけで、特に日本の場合には、非常に高度に発達した社会の中でテレビゲームだとかいろいろおもしろいことがいっぱいあるものですから、子供たちがまず勉強よりももっとおもしろいことに気がとられているということで、この学力調査の結果でも、日本の子供が世界でも一番勉強しなくなっている。また、勉強している子供でも、どうして勉強しなきゃいかぬのかなという動機づけが弱くなっている。これは、私は非常に大きな問題だ、こう思うわけでございます。

 そういう意味で、ゆとり教育ということでやってまいりましたが、それが子供たちあるいは保護者そして先生方に誤ったメッセージ、要するに、勉強しなくてもいいんだとか、これぐらいまで勉強すればいいんだという誤ったメッセージを与えているということになったら大変なことだ、こう思うわけでございます。

 しかし、現実にどうかということはわからないものですから、私ども、まず本当に現場の学校に行きまして、保護者とかあるいは先生方といろいろな話をして、また子供たちとも会って、一体どういうことになっているのかということの実態を調べて、その上で、ではどうしたらいいのかということについて、もし改めるべき点があれば早く改めないと、私はいつも言っていますが、伸び盛りの子供にとっては一日一日が非常に大事なんだ、一日一日をむだにするわけにはいかない、そういうスピード感を持って改革していかないかぬな、こういうふうに考えているところでございます。

島田分科員 そこで、今までの文科省がとってこられた面について幾分検証しながら質問させていただいておるんですけれども、私は、前回の予算分科会のときにも質問させていただいたんです。そのときは、体力の減退という側面から、この問題を全体の教育のあり方というような問題を含めてとらえさせていただいたんですけれども、去年一年前ぐらいですと、まだまだ、学力低下なり、新たなる学力観あるいは生きる力なり、新しい文科省が出された学力というものについての考え方に対して方向性が出ているようでありましたけれども、なかなか現場の方に浸透していない、そういう側面があったと思うんです。特に、文部科学省が考える、今まで提起をされた学力というのはどういうふうに理解をしたらいいでしょうか。

中山国務大臣 現行の学習指導要領がねらいとします学力というのは、基礎、基本的な知識、技能に加えて、あるいはそれをもとにして、それを実社会で生かしていくために必要な思考力だとか判断力だとか表現力、あるいは学ぶ意欲といったものを含んだ、一人の人間が生き抜いていくための力といいますか、そういったものを学力というふうに呼んでいるわけでございます。これは、今回の国際的な学力調査、例えばOECDのPISA調査では、知識や技能等を実生活のさまざまな場面で直面する課題にどの程度活用できるのかを評価する調査問題となっているわけでございまして、そういう意味では、文部省が考えている学力に対する考え方と国際的には同じ方向ではないか、このように考えております。

島田分科員 それで、よく一般的に、教育関係者の間では、学力の状況について七五三ということが現象として説明されるんですけれども、高校で七割、中学校で五割、小学校で三割が授業を理解できない実態がある。これが一般的に学級崩壊と言われているんです。

 今大臣からもお話がありましたように、社会のいろいろな状況変化などによって学力の低下も社会現象としてありますし、ある一面では、ゆとり教育という形で打ち出された側面というものが、ゆとり教育とは何かということが十分わからずに、ある程度、現場では、ただ単に教科の削減とかそういう形がどうも先行した形の中で、ゆとり教育とは何かというような問題を含めて、あるいは、私もちょっと苦労したときに、最初に地域の人が、田植えをさせてあげると言って、田植えのところに苗を持ってきて、子供たちに植えさせてほしいと。ああ、そうすれば地域との開かれた学校としても大事だと。だけれども、理科の先生が、これは全部ではないんですけれども、ヒルにかまれるし蛇にかまれるから、手袋をはめてやらなきゃいけない。

 それは単純に手袋をはめてということなんですけれども、総合学習とか生きる力とか、そういうようなことを考えた、そういうことを文部省としては今までの弊害の中から教えていかなきゃならないという場合に、そういうことに対して理解をする上においても、理科の先生が、ヒルにかまれる、蛇にかまれるから手袋をはめてという形で田植えをしなきゃならないということになると、本来の人間が持っている土に対する感覚、あるいは科学的なものを分析する上でも本質的なものがあるなと。

 そういうところにどうも、なかなか総合学習というものが、実態的には、社会現象からいろいろ、試験地獄だとか詰め込み主義だとかという形で、新しい学力あるいは本当の意味の生きる力というものを持たせなきゃならないというふうに言いながら、やはり今までの学校の中におけるいろいろなひずみというもの、あるいは教員を養成する中における何らかの問題点なり、これは一般的に言えないんですけれども、最初に、総合学習という場合に壁にぶつかりました。

 だけれども、またそれを今度は学校側で準備する、総合学習をするために、例えば、では田植えをしようとする、草むしりにしろ何にしろ、相当その準備も必要だし、なかなか時間も要する。特に小学校なんか、日本の伝統的なものを総合学習で教えようとする。先生がそういう面で、なかなかそういうものについて的確な理解もないというような状況の中でやらざるを得ないというところで、本来、せっかく正しい学力観、生きる力とは何かという形で教えようとした総合学習というものが、またここで、大臣が言われたように、基礎、基本をやらなきゃいけない、主要教科を重点的に、学力低下を抑えなきゃいけないという形だけでは、どうも本質的に解決できない問題があるような気がして。

 私は、週休二日制、今度の学校教育の改革の流れの中に、本来は、教員の先生方や労働時間の問題など、さまざまな問題がある。それを教育改革だという形で、本質的な問題をどうも解決しないで、余りにも大きな問題にぼかっと行き過ぎちゃったような気がして、もっと今の現場に悩んでいる具体的な事例の中から、体系的にまだ見直していかなきゃならぬ問題がたくさんあるような気がしてならないんですけれども、大臣はその辺、ちょっと質問で、原稿を用意したより少し外れてしまいましたけれども、どんなお考えでしょうか。

中山国務大臣 最初に七五三現象のことを言われましたが、これは実際、調査の結果もそういうふうに出ているわけでございまして、学校の授業がわかる児童生徒の割合というのは、小学校が七割、中学が五割、高校が三割、これは平成十年、十五年に実施しました学校教育に関する意識調査の結果でも大体そうなっているわけですね。

 ですから、できるだけ子供たちがわかるようにしなきゃいけないということで、いわゆる教科内容も削減して、基礎、基本を教えよう、そのことによってこぼれていく子供たちを少なくしようということだったんだろうと思うんですけれども、むしろそうであれば、そういう基礎、基本的なことに絞って、それを繰り返し教えるとか、もっと徹底した基礎、基本に徹した授業をやる、こういう意味では、授業時間というのは減らしちゃいけなかったのかなということも、私は実は思うわけでございます。

 また、総合的な学習の時間、おっしゃるように、田植えをする場合、本当は、私、農家の子だからよくわかるんですけれども、田植えというのは、もうでき上がった舞台なんですね。それまでに、もみをまいて、苗代をつくってそれを運んできて、田植えをします。田植えをした後も、水がちゃんとかかっているかどうかを見回って、草が生えていないか、そして台風が来たらどうなるかとか、そういったことを見て、そして収穫期にまた稲刈りをしなきゃいかぬわけですね。そういった全体の中で、ある意味ではいいところなんです、いいとこ取りなんです。

 しかし、それでも、ヒルにかまれたりということで手袋をする。これは本末転倒じゃないかと思うので、やはり田植えをするというのは大変なことなんだ、もちろん泥んこになりますし、中にはけがをしたり、あるいはヒルにかまれたり、痛い目に遭ったりする。本当は実体験をしなきゃいけないので、手袋をしているということは全くそうじゃない。これは実体験をさせないようにするということで、余りにもそういう意味で、危険とかそういうことを、いろいろと言われると学校もびびってしまうわけですけれども、本当に生きる力というのは、痛い目に遭ったり、苦しかったり、そういうところをいかにして耐えて頑張るかというのを身につけるのが、この総合的な学習の時間であるべきだと私は思うわけでございます。

 そういう意味で、この総合的な学習の時間をいかに活用していくか。子供たちが本来生きる力をつける、しかも、自分たちが習った国語とか算数とか理科とか社会とか、そういったいろいろな知識がいかに人々の営みの中で、いろいろな仕事の中で生かされているか、そういう教科をまたがった学習とか、そういったことについて、本当にやっていただかなきゃいかぬわけですけれども、これは大変です。

 私、自分でやってみろと言われたら、やってみたいなという気持ちはありますが、準備も大変だろうと思いますし、これは子供たちのためにいろいろな準備をしなきゃいけませんし、その過程過程でずっと子供たちの興味といいますか、関心を引きつけておくことも大変なことだろうな、こう思うわけでございます。

 この総合的学習を始めてもう三年になりますから、一体どのように、どういった形でやられているのか。地域によっても違うでしょうし、そういったことを現場に行きまして、実証して、聞き取りをして、よりよい総合的学習の時間、それが今の時数でいいのか、もっとふやさないかぬのか、減らさないかぬのか、こんな時間よりももっと基本的な、国語とか算数とか、そっちの方をやりたい、やった方がましだ、今いろいろな意見が出されているものですから、そういったことを総合的にまとめまして今後の教育改革に結びつけていきたい、このように考えております。

島田分科員 この前、NHKの討論を、大臣の意見を少し聞かせていただいたんですけれども、中央教育審議会に、学力観を含めてこれからの方向性を提起されたということのようでした。

 その発言の中で、どうも基礎学力というようなものの時間をふやして、何か総合学習を減らしていくんだというような感じがちょっとしたんですけれども、今の答弁ですと、やはり基礎、基本はきちっとやりながら、今まで提起された生きる力とか、受験地獄に対してどうあるべきかというようなことについて、今まで文部科学省が提案されていた総合学習というものを、総合的にそういうことも含めて、中教審を含めて出された方向性について、これからどういう結果が出てくるかわかりませんけれども、大臣の考えとしては、総合学習そのものを減らしていくという形で、これはどっちとも言えないんですけれども、何かそんな印象を受けたんですけれども、その辺はどうお考えでしょうか。

中山国務大臣 私としても、いろいろ考えることはあるんですけれども、ただ、余り私が先取りしてやりますと、今から中教審に対していろいろと議論していただくわけでございますから、余り結論を先取りするようなことはしない方がいいということはあの番組でも私は申し上げたわけでございまして、決して総合的学習の時間というのが無意味だとかそういうことを言っているわけじゃない。むしろ、総合的な学習の時間というのが一番必要だと思うんです。だから、この総合的学習の時間というのは、仕上げでもあると同時に、出発点でまず総合的学習の時間といいますか、こういうことをやらないかぬ。

 人生、生きていくためにいろいろなことをやらないかぬですけれども、そのためにはいろいろな学科、教科も勉強しなきゃいけないんだよ、教科を勉強した結果、それをもとにして総合的な学習の時間、これを通じて、生きる力といいますか、一人一人の子供たちが、私はいつも申し上げるんですけれども、これからどういう時代になるかわかりません。わかりませんが、どういう時代になっても、どういう社会になっても、また、一人一人の子供がどういう事態に立ち至っても、何とか切り抜けていける、自分で解決していく、そういう力といいますか、これは学力も体力も気力もあると思うんですけれども、そういった総合的な力をつけるためにこの総合的な学習の時間というのを何とか活用したい、こう思っているわけでございます。

 これは、はっきり申し上げて、それぞれ違うんです。うまく活用されているところもあれば、全くなおざりになっているところもある。また、一生懸命やっているところでも、聞きますと、これは実は大変なエネルギーを使うんですというふうな話もある。さまざまなものですから、私は余り予断を持って発言するんじゃなくて、むしろ、一応問題提起はいたしましたので、これから現場のいろいろな意見等を吸い上げて、それを最終的には中教審で議論していただいて結論を出していただく、こうするのがいいんじゃないのかな、こう考えてああいうような発言になったということは御理解いただきたいと思います。

島田分科員 その大臣の考えというものは了としながら、今学校教育の中で一番問題なところは、どうも幼稚園、小学校、この辺のところに相当重要な課題があるというふうに私は理解をしているんですね。

 それで、これはきょうの議論とはあれですけれども、幼保一元化の中、あるいは文科省が幼小学校という考え方もこれから議論しようとしていると言われているんですけれども、発達段階における教育体系のあり方というもの、そこのところをきちっとした方向を出さなければいけないんじゃないか。余りにも、何かそういう現象面だけにどうもとらわれ過ぎているのではないだろうか。

 子供たちが本質的にやらなきゃならない基礎、基本というものはそんなに変わるわけじゃなくて、時代の変化とか、それに対応しながら、どう付加していくという言葉がいいのか、あるいはどういうカリキュラムの中で対応していかなきゃいけないかというような問題を含めてだと思うんですけれども。

 どうも、いろいろな今の社会状況の中で起きる事件を含めて、大体小学校四年生から六年生ぐらいの、その辺の心理的な状況、社会的な影響を一番受ける年代層、それがいろいろな社会現象の中にあらわれてきているような気がして、ですから、今度の幼小学校という考え方と、総合施設をつくるという、幼稚園と保育園の一体化というこの制度の問題ですね。

 それからもう一つは、私学で成果があったからということで、中高一貫教育というものが本質的な議論がされずにどうも進んでしまったような気がしてならない。私学は建学の精神に倣えばいいんですけれども、公立学校における中高一貫という問題について、東京は、これから各駅停車に中高一貫ができると言われているんですね。

 僕は、もっとここのところ、例えば高校は義務教育じゃないんですね。中学は義務教育だし、そこのところの発達段階における教育体系を見直す、そういう側面というものを、議論が、これは三位一体の改革とも多分絡んでくる問題だと思うんですけれども、これらの問題について、きちっとした方向性がない中で、どうも制度の複雑化、複線化を求めればいいんだという形で進んでいる。

 ある一面では、地域の中では、どうもそういう制度の混乱があり過ぎるような気がして、本当の意味で子供たちが抱えている学力の低下の問題、本質的な問題にどうあるべきかということについて、今まで頭に持っていたものですから、ちょっと通告をしないで大臣に問いかけて申しわけないんですけれども、これからの大きな課題だと思うんです。その辺の所見をお聞かせ願えれば幸いです。

中山国務大臣 今、島田議員がおっしゃいましたように、なかなかこの教育の問題というのはぱっと割り切れる問題じゃなくて、子供の発達段階、実際そのとおりですけれども、ではみんなの子供が一斉に同じように発達していくかというと、そうじゃない。ある程度のグループをまとまったグループとして教えないかぬわけですから、この子がちょっとおくれている、この子が早いな、そういうのをどういうふうにして同じようにやっていくか、これは非常に難しいと思うんですね。一人一人だったら、そういうふうに、発達段階に応じてできるんでしょうけれども。

 そういう意味で、そういったことも検証もしないでと言われるとそのとおりですけれども、しかし、それを待っていたらできないし、また、待ってそれができたとしても、では、学校教育の場でどうするんだと言われても、ある程度大くくりにしてやっていかないかぬわけでございます。

 そういう意味で、小中あるいは中高の一貫とかいろいろなことがありますし、私ども、問題意識としては、六・三制というものが本当に六・三でいいのか、もっと区切って、今の子供たちの発育が早いとすれば、それを違う形でやっていってもいいんじゃないか。だから、小中とか中高とかいろいろなことをやっていくという方向、これはやはり教育の多様性という意味では、私は望ましい方向だろうと思いますし、また、保護者の立場から見ても、いろいろな選択肢があった方がいいんじゃないかな、こう思うわけでございます。

 そういう方向では、はっきり申し上げて、文部科学省がこうしろと言うんじゃなくて、いつも申し上げていますが、できるだけ学校現場、それぞれの地域にお任せして、それぞれの地域の特色あるいは保護者の意向に応じた形で、学級編制だとかそういうことができるようにというふうな方向でやっていきたい、このように考えております。

島田分科員 幼小学校の中、今、早生まれ、遅生まれですね。昔は小学校段階で、早生まれ、遅生まれというのが大体四、五年生ぐらいまでにある程度学力がついていって取り直すことができた。だけれども、今のように社会変化が激しい状況の中で、カリキュラムがどんどん進んでいく。ちょうど一番心理的に問題の起きようとしている四年生、五年生、その辺のところまで今、ついていけない形で早生まれ、遅生まれが進んでしまうというんですね。

 そういう社会変化の状況を見ていると、やはり幼児教育段階と小学校における文科省が考えておる幼小学校という問題と総合施設のかかわり合いを、これは少子化問題を含めて重要な問題だと思うんですけれども、ぜひこの辺の問題について視点を、ここのところは今議論してできるわけですから、幼児教育と小学校の関連性。

 今まではどちらかといったら、保育に欠ける場合は保育園、集団能力に耐えるための四時間が幼稚園という形になっていたんですけれども、そうではなくて、発達段階における子供たちの条件の、子供たち一人一人の個性なりが生きるようになっていたんですね。やはり、制度としてきちっと確立していただくようにお願いをしまして、感想がありましたら、よろしくお願いします。

中山国務大臣 幼児教育の重要性ということにつきましては、文部科学省も十分認識しておりまして、それをいかに小学校につなげていくかということについて、いわゆる教育という面からいろいろ検討していかなければいかぬということで、今やっているところでございます。

島田分科員 どうもありがとうございました。

渡海主査 これにて島田久君の質疑は終了いたしました。

 次に、三日月大造君。

三日月分科員 民主党の三日月大造です。どうぞよろしくお願いいたします。

 過日の予算委員会では、通告をしながら、定率減税、特に予算の入りの部分ですね、随分議論が白熱をいたしまして、御臨席をいただきながら質問できなかったこと、まず冒頭おわびを申し上げたいと思いますし、きょうは限られた時間です、教育について大臣と議論をしていきたいと思います。

 教育について論じれば、百花繚乱、それぞれあると思います。特に義務教育の政策、そして予算といったものに絞って質疑をさせていただきます。

 まず、先ほどの島田委員も触れられていましたけれども、私も、先週末の「日曜討論」、拝見をいたしました。教育は現場と最後に大臣がおっしゃって、私も共感をいたします。さすがに次世代育成コンテストまで言われたときにはちょっと言い過ぎかなと思ったんですけれども、岡田代表も、過日の本会議の代表質問の中で、学びの現場から改革をサポートすることの大切さということを指摘されております。

 そうはいっても、総合学習の問題にしてもそうです、ゆとりの問題にしてもそうなんですけれども、教育に関する方針だとか現状認識が若干迷走ぎみでして、また、財政負担をどこがどのように負担するのかということについては、駆け引き、綱引きが今ずっと行われている段階で、現場は、ある意味不安で、困惑しているのかなというのが私の率直な、ヒアリングや、そして現場での実感ではあるんです。

 今、大臣が中心となってスクールミーティングというのを御省挙げて行われています。三百校を目標にやろうということでやられているんですけれども、私はいいことだと思います。ぜひ大臣、まず冒頭、現場をいろいろと回られての御感想を含めて、二、三、お伺いをしたいと思います。

中山国務大臣 先般の予算委員会、楽しみにしておりましたが、定率減税、熱が入りまして、教育問題まで届かなかったこと、大変残念でございましたが、きょうはまた、こういう機会でいろいろ議論できることを大変楽しみにしていたところでございます。

 今、スクールミーティングのことについて評価していただいて大変ありがたいと思っていますが、やはり教育、文部科学省は予算はしっかり組んで確保するけれども、しかし、現実の教育というのは、それぞれの地域の特色もありますし、いろいろな父兄の希望等がありますから、できるだけ現場、校長先生、そして市町村、そういったところが中心になって、責任を持って創意工夫をしながらやってもらいたい。

 先ほど次世代コンテストは行き過ぎだと言われましたが、行き過ぎの面があるかもしれませんが、地方分権というのはそれぞれの地域が知恵と汗を出して競い合う、これが地方分権だろうと思うわけで、教育だって決して例外じゃないと思うわけですね。そういう意味で、どこの地域が子供たちを健やかに育てているか、これは学力だけじゃありません、学力も体力もしつけの面でも、あるいは健康といいますかそういった面でも一番力を入れているか。これはもちろん予算も含めてですけれども、そういった意味で、コンテストという言葉を使うとちょっと異論があるかもしれませんが、そういう競い合って全体の水準を上げていくというふうになってもらいたいなという意味で、次世代育成コンテストというようなことを申し上げたわけで、御理解いただきたいと思うんです。

 学校現場を回りまして、ああ、やはり回ってこないかぬな、私自身が小学校、中学校、もうはるか昔のことでございますし、自分の子供が学校にいたのも随分前でございますから、やはり変わっているな、変わってきたなということを実感するわけでございます。

 私だけじゃなくて文部科学省の職員も、やはり建物の中にいるだけじゃなくて現場に行って、一体どういうことになっているんだ、自分たちが進めてきた教育方針、今の学習指導要領をもとにした教育というのがどうなっているんだということは、これは実は常時見ておかないかぬと思うわけでございますが、どうもその辺がちょっと足りなかったんじゃないかという感じもありました。私自身がすぐ現場に飛んでいく方なものですから、ぜひ、現場主義ということでスクールミーティングをやっていこうということで、三百校を目標にして今精力的に回っていますが、回りますと本当にわかることがあります。私が誤解していたというか、そういうこともやはりあるわけで、本当によかったな、こう思っています。

 例えば、私は、一つのクラスの編制、子供たちの数というのはある程度多くていいんじゃないか、例えば集団行動、集団心理とかいろいろありますから、子供たちが、要するに学校を卒業すればそういう集団の中で生きていくわけですから、余り少人数じゃ問題じゃないか、こう思っていましたが、昔に比べて今の子供は手がかかるんですよ、大臣と。時には、学校の先生だけじゃなくて、父兄になってみたり、怖いおばちゃんになってみたりしなきゃいけないところもありますよと言われると、本当にそうだなということで、子供というのは昔に比べて本当に手がかかるんだなというふうなことも感じるわけですね。

 それと、この前、ある小学校に行きましたら、子供たちが疲れている、学校は休養に、休息に来るところだというように感じている、あるいは、学校に来て遊びたいというふうなことを言っている子供がいると。ちょっとこれは本末転倒になっているんじゃないか。学校で一生懸命勉強して、そして家に帰って遊んだり休息をしなきゃいかぬのが、今はそうじゃなくて、学校から帰ってからの方が、塾に行ったりいろいろやっていて、もう結構忙しい、くたびれちゃうと。だから、学校に行ったら休んでいるとか、あるいは家で遊べないから学校で遊ぶとか、こういうふうなことで、ちょっと逆になっているんじゃないかとか、こんなこともわかるわけです。

 例えば、総合的学習の時間なんかも、聞いてみると本当によくやっておられる。だけれども、先生の方の負担というのは大変だなと思いますし、あるいはまた、ここは余りちゃんと総合的学習の時間を有効に使っていないんじゃないかなということも思いますし、先生方から、こんなことをやるのならもっと基本教科をやりたい、また、基本教科をもっとやりたいんだけれども中途半端になっている、何とかこれを見直してくれとか、いろいろな意見が、本当に率直な意見が出るわけで、これはいいなと思っていますので、これからも暇をつくっては私自身も現場に参りたいし、あと四人政治家もおりますし、それだけでは足りませんので、職員も総動員して現場回りを続けたいと思っております。

三日月分科員 ありがとうございます。

 自分の行っていたころと子供が通っているころしかなかなか教育にかかわる機会がないというのはおっしゃるとおりだと思います。これから大きな改革をされる際に、現場を実際に見ていただいて、そして現場で働かれている方々の声を吸い上げながらその大きな改革をなし遂げていただきたいと思いますし、我々国会議員も同じだと思うんですね、ぜひ、ともに頑張っていきたいと思います。

 そういったときに、ゆとりか学力かとか、また国か地方かとか、また一昔前にありました日教組か教育行政当局かという、対立型の、また二極化されたそういう議論ではなくて、本当の意味で教育の質をどうやったら高めていけるんだ、これからの時代にどんな教育が必要なんだ、義務教育は、公教育はといった観点での本質的な議論というのが私は必要だと思うんです。

 そういった観点から、二、三、大臣に、現状の取り組みなり、そして今後の方針を確認していきたいと思うんです。

 大臣、今の御答弁の中にも予算という言葉がありました。文部科学省としてしっかりとした予算は確保しているけれどもというお答えがありました。果たしてそれがいかがなものかといった観点で、若干問うてみたいんですけれども、四年前の平成十三年の五月に、小泉総理大臣が就任をされて、あの有名な米百俵の精神でというお言葉を引用されました。その後が大事で、米百俵の精神で教育をと言っていただければよかったんですけれども、国民は痛みに耐えてというような形で、構造改革全般を指されたようなところがありましたので、事教育といったことに重点を置かれた意味合いにはとられなかったところはあるんですけれども、しかし、あの言葉に私は非常に心を打たれました。

 実際、私は、平成十五年の初めに、学校現場で三カ月間、研修、実習をさせていただいていたんですけれども、そのときに学校には、米百俵の精神といってあの長岡藩の話が張ってあって、国もこうやって私たちの教育に目を向けてくれているので、どうか皆さん、頑張って勉強しようと校長先生がおっしゃっていたんですね。私は、非常に印象的だったんです。

 しかし、大臣、どうでしょう。その後、十三年、十四年、十五年、十六年、十七年、そして今、来年度の予算が提案され、審議されていますけれども、教育予算にどのように反映をされてきているのか、また重点化されてきているのか、お示しをいただきたいと思います。

中山国務大臣 小泉総理が米百俵の精神を説かれたときには、みんながそうだともろ手を挙げて賛成したと思うんですね。その後、どうなっているんだという話でございますが、昨年の臨時国会でも、新しい時代の国づくりの基盤は人である、こういう文言がございました。今回の所信表明でも、子供は社会の宝、国の宝だという言葉がございました。そういう意味で、小泉総理も教育の大切さということについてはしっかりとした考え方を持っておられるな、こう思うわけでございます。

 昨年暮れの三位一体の議論のときにも、何度も私はそのことを申し上げまして、総理はちゃんと、教育は大事だ、こういうふうにおっしゃっているじゃないですか、やはり国の責任として教育はしっかり取り組まなきゃいけないんじゃないか、そういう論拠として私も何度も実は出していただいたところでございます。

 そこで、では、国の予算は一体どうなっているんだというふうな話でございますけれども、確かに義務教育費というのは少しずつ減ってきているんですね。減ってきていますが、これは御承知のように少子化というような問題もあるわけでございまして、一概に、義務教育の水準、年ごとの比較というのはできないと思うんですけれども、ただ、子供一人当たりの経費という面から見ますとふえているんですよね。ですから、必ずしも教育というものがないがしろにされているということではない、こう思うわけでございまして、私どもとしては、義務教育における国の役割というのをしっかり果たすという意味で、国家予算の確保にはこれからも懸命に努めていかないかぬ、こういうふうな決意でおります。

    〔主査退席、萩野主査代理着席〕

三日月分科員 今の、中山大臣に申し上げることではないのかもしれないです。言うのなら、小泉総理に言ってくれと言われるかもしれません、財務当局に言ってくれと言われるかもしれません。今、国の予算の総額における、また一人当たりの子供たちの数で割った教育費のことがありましたけれども、地方の、都道府県が、市町村が支出をしている、かつ、人件費だけではなくて、施設費や教材費や運営費も含めて支出をしている、その総額で見ていかがなんでしょうか。

中山国務大臣 学校教育費全体として見ますと、都道府県の支出金も若干ながらふえていますね。平成十二年度は二兆四千六百億でございますが、平成十三年度は二兆四千七百ということで、若干ながらふえているということでございます。

三日月分科員 この質問は事前に通告をさせていただいていましたし、また、今私が申し上げたのは、小泉総理大臣になってから、国家としての予算、そして地方と合わせた予算、かつ、人件費だけではなくて教材費、運営費も含めた予算で教育の質というものを見ていく必要があるだろうし、その推移の動向について御確認をしたんです。

 学校教育費というもののとり方、特に私はきょう、義務教育といった観点で質問をさせていただいておりますので、これは最新のデータということでいただいています。十三年度、十四年度の学校教育費の、地方教育調査報告書というんですか、これで比較をすると、金額だけがすべてではないと言われるかもしれませんけれども、しかし、減っているんですよね、小学校と中学校の予算が。もちろん金額だけがすべてではありません。小泉総理、子供は国の宝だとか、若干薄っぺらい言葉で表現をされていますけれども、そういったことに、何か国全体で教育を変えよう、そして重んじようという雰囲気が広がらないのは、こういう施政方針演説に薄っぺらい言葉で示されるだけではなくて、予算に反映されていないといったことも大きな原因ではないかと思っているんですけれども、いかがでしょうか。

中山国務大臣 トータルとしての数字を申し上げますが、小中、特殊、そして中等学校合わせて、平成十三年度が十兆七千七百三十億、十四年度が十兆七千百十億ということで、トータルとして若干減っていますが、先ほど言いました子供一人当たりということになりますと若干ふえている、九十八万三千円から九十九万四千円ということで、ふえているということでございますから、いろいろな要素はございますが、やはり子供の数が減っている中でトータルは減っていますが、一人当たりはふえている。だから、決して予算的に軽視しているわけじゃないということは御理解いただきたいと思います。

三日月分科員 もちろん金額だけではありません。そして、軽んじられているとか、そういうことじゃないと思うんです。しかし、どれだけ国がこの教育という部分に目を向け、力を向け、注いでいるかといったことが私は大事だと思いますし、大臣が示された「甦れ、日本!」、この方針を具現化して、そして新たな教育をつくっていくという意味においては、国家予算の中でしっかりと確保していく、国だけじゃなくて地方も含めて確保していくというのが私は重要だと思うんです。そのまま総理大臣に言ってくれと言われたらそのまま言いますけれども、ぜひ、それはともに、この部分、確保に向けて頑張っていかなければならないと思っています。

 その意味で、若干各論に入りたいと思うんですけれども、この大臣の「甦れ、日本!」の中にも教員の質の向上というのがたくさん述べられているんです。教育の質を考える上で教員の質というのは大事です、もちろん。これは中教審の部会の中でも検討されて、いろいろな取り組みもなさっています。この間もずっと不断の努力が、現場においても行政当局においてもされてきたと思います。

 では、ここに来て、教員の量といったことについて、どのように現状をとらえ、そして将来を予測し、対応されているのかということについて議論をしたいと思います。

 特に、学級編制基準との関係、特に小学校の低学年時には、少人数学級ですとか複数指導だとか、これは都道府県によって、また低学年中心にさまざまな取り組みがなされています。OECDのPISAの調査では、わからないレベル、できない子供の層が前回調査よりもやはり広がってきているといったようなことで、つまずきがあった時点でより手厚い指導が必要だといった観点もあります。

 加えて、先般の国会で発達障害者支援法というものが成立をしました。以前から文部科学省においては、特別支援教育といったことで取り組みもなさっておられます。こういう特別な支援が必要だと言われる子供たちもふえている現状の中において、教員の量という現状を、大臣、どのようにとらえていらっしゃるのか、お答えください。

中山国務大臣 教員の数ということにつきましては、第七次定数改善計画で、これは着実にやっていまして、平成十七年度、来年度にはそれが完成するということでございますから、着実に進んでおる、このように認識しているわけです。

 ただ、これからのことを考えますと、要するに今の先生方、四十代、五十代の教員が五割を超えている。それで平均年齢が、小学校では四十四歳、中学校で四十三歳になっておりまして、今後、教員の高齢化と退職者の増加が予想されるわけでございまして、生徒数は減ってまいりますけれども、退職手当を含む教職員の人件費というのはしばらく増加していくなと思います。それと同時に、採用の方もふやしていかないかぬ、こういうことでございまして、こういうことにつきましては、一義的には都道府県の方で、それぞれの地域の実情も違いますから、考えていただかなければならぬわけですけれども、いかにして優秀な教員を必要な数確保していくかということについては、今後一層考えていかないかぬ問題だ、こう思っております。

三日月分科員 今おっしゃったように、年齢構成がいびつなんですよね。かつ、だからこそこの十年、短期的に、退職金も含めて非常に人件費がかかってくる。年齢構成がいびつであるということは、すなわち人件費や、そして財政にかかわってくるんですね。にもかかわらず、今この三位一体の改革の中で義務教育国庫負担金制度をどうするのかということが、そういう切り口で語られることがないんです。国が持つのか地方が持つのか、半ば感情論的な、当初は地方分権でした、そのことには私も異論はありません。ところが、それがいつの間にか財政再建だとか金額合わせの財政論に議論が進んでしまっていることに、事教育という大きな問題については、私は大きな危惧を覚えざるを得ません。

 ごらんになった方も多いと思うんですけれども、「論座」二〇〇五年三月号に、苅谷剛彦東京大学院の教授が指数を示されています。今大臣がおっしゃったような教員のいびつな年齢構成に起因して、今グラフをごらんになっていますけれども、ここ十年で、子供の数は減っても、退職金等に充当しなければならない費用がかさんで、教職員の人件費は減少しないんです、一時的に増大するんです。かつ、この十年で確実に発生する大量退職に対応するために、子供が減っても教員の需要が全国的に必要になってくる。

 もっと重要なことは、この年齢構成、教員の年齢構成というのは、都道府県によって格差、違いがありますから、先ほども大臣、御答弁の中にもおっしゃっていましたけれども、当然、人件費の負担というものも変わってくるんですね、どの時期にどれぐらいの金額が必要だと。さらに申し上げれば、都道府県ごとに財政力の格差がありますから、この人件費の負担というものが、それぞれの都道府県の財政にどのようにはね返ってくるかといったようなことが非常に重要になってくるんです。これが、教育のいわゆる都道府県格差という、今懸念されているさまざまな問題にもつながりかねないと思うんです。

 この苅谷先生の試算によれば、平成十六年度をベースに見て、義務教育費の人件費、都道府県の平成三十年度までの累積不足額が四兆四千八百億にも上るというふうに試算をされているんですけれども、この試算は現状の四十人学級、しかも教育の質というものについて、今のまま変えないということを前提にされてこの不足額ですから、今さまざまなニーズやそして要請がある中で、さらに少人数学級、さらに特別な支援といったようなことを当然やっていかなければならないと思うんですけれども、それをやれば、さらに財政を各都道府県で圧迫していくといったことにもつながりかねないと思うんです。いわば、この地域の財政力の格差が教員の量や教育の質といったようなことにはね返ってくることについて、どのようにお考えになっているのか。

 また、そういう国が持つのか地方が持つのかという議論をするに当たっては、当然、各都道府県別の試算というものが、年齢がこうなっているから人件費がこうかかって、そして財政力と比較してどうなんだという試算が必要だと思うんですけれども、いかがでしょうか。

中山国務大臣 三日月議員がまさに御指摘のとおりでございまして、私が主張いたしましたのは、地方分権あるいは補助金改革、ここからの議論だったのが、義務教育国庫負担制度はもう要らない、国の責任を放棄しろと言わんばかりの主張が地方から言われたわけでございまして、ちょっと待てよ、そうじゃないんじゃないの、どちらが大事なんだ、本末転倒の議論をしちゃいけないということを繰り返し繰り返し主張いたしまして、結果的には、御承知のように、政府与党間の議論の中で、中央教育審議会において幅広い議論をいただいて、ことしの秋までに結論をいただくということになったわけでございまして、まさに御指摘のように、教員の給与というのはこれからふえていくんですよね、一時そういうふうに退職金とかそういうのを含めて。

 退職金はふえるけれども、要するに年輩の給料の高い方が減るから、若い人に移るとその分だけあるいは減ることになるかもしれません。これはもっと詳細に計算しなきゃいけないと思うんですけれども、そういったことも今事務方ではやっていると思うんですが、どうも地方の主張の中には、子供の数が減るからこれから義務教育の負担というのは減っていくはずだ、だから一定の財源移譲を受けた中で、何に使うかということについては、今のうちに義務教育のあれをもらっていた方が使える分がふえてくる、逆に福祉の関係は、これはどんどんふえていくばかりだから、それは国にやってくれ、そういうような感じが、これは勘ぐりかもしれませんが、ありました。

 しかし、それはそうじゃないかもしれませんよ、必ずしもそうじゃないんですよ、地方は地方によって違うんですよということだろうと思うんですけれども、それは地方地方では、なかなかそこまではまだ数字の計算ができていなかったと思うんですけれども、あのときにはもう知事会側が、とにかく小泉総理の投げかけ、三兆円つくってこいと言われたときに、バスケットをつくらないとメンツの問題だったわけですから、そういう意味で、義務教育八千五百億がぽんと入ったわけで、本来はこれは九番バッターだったはずがトップバッターになって、何かいかにも三位一体の議論の象徴的な存在で扱われたというのが私は問題だったと思うんですね。

 だから、最初に戻りますが、補助金改革から始まったのに何で義務教に来るんだ、義務教育、教育というのは、いわゆる財政論といいますか銭金の議論よりもっと高位の命題ではないかというのが私の主張だったわけでございまして、これからもそういった立場で議論していきたいと考えております。

三日月分科員 ぜひ道を誤らないように、また道を誤らないための、精緻なデータに基づく議論というのが必要だと思うんです。

 今私が申し上げたのは、当然、それぞれの都道府県に財源を移譲していけば、それぞれの都道府県の財政力によって、その大量退職の人件費、そして新たな教員を採用しなければならない人件費、またさまざまなニーズが広がってきている教育にかかわる予算を確保していかなければならない。ところが、財政力の格差によって、教育の質の格差につながる懸念があるということなんです。今私が質問したのは、その都道府県ごとの年齢構成のデータの試算、人件費の推移、財政力との分析をされているのかということを私は聞いたんです。あるのかないのかでお答えいただけますか。中教審の議論には、私はこれは必要だと思うんです。

中山国務大臣 一応文科省の方でも都道府県別の教職員人件費の将来推計というのはやっております。その中を見ますと、都道府県によってばらばらでございますが、大体都会地といいますか、こちらの方はその増が余りふえないんですけれども、むしろ財政力の乏しいところが負担がふえてくる、こういうことになるようでございまして、まさに御指摘のように、一般財源化といいますか地方に渡した場合に、本当に財政力、財政力ということは経済力ですよね、経済力の差によってアンバランスが生じるなと。単純な計算でも、四十都道府県においては今よりも減っていく、こういうトータルとしてあるわけですから、そういったことを考えますと、まさに義務教育の根本であります機会均等という、この機会均等が脅かされるんじゃないか、こういうことも懸念されるわけでございます。

三日月分科員 ない段階から、当初国と地方六団体がやっていたときはそういうデータはなかったはずですよ。私がこの質問をさせていただくのに、指摘をさせていただくのに文部科学省の担当の方に聞いたら、確かに中教審の議論ではそういう観点からの議論は必要です、今つくっていますという段階でした。恐らく、今の大臣の御答弁に間に合わすような形で、今の時点でのものをお持ちになったんだと思うんですけれども、私は、こういうデータがなくて、国が持つのか地方が持つのかということをやられて、一たんは引き取られて中教審でということになりましたけれども、今もまだ人数をめぐっていろいろなトラブルをなさっていて、本質的な議論になっていないというこの現状を私は危惧するんですね。

 ぜひ、大事な問題ですので、このあたり、精緻なデータに基づいて将来予測をし、そして教育のあり方を議論し、方向づけをするといった観点で不断の努力をお願いしたいと思いますし、この部分、大臣が思っているだけではなくて、内閣としてしっかりと重要な位置づけをしていただくようによろしくお願いを申し上げたいと思います。

 若干、教員の質の向上策について予定をしておりましたけれども、できませんでした。最後に、この教育改革の標語として、大臣、ここはもう質問通告でも何でもなくて感想だけで結構なんですけれども、子供たちの教育をするのに、くじけるな、うそをつくな、弱い者いじめをするなと言っているんですね。この間の小泉内閣のさまざまな、特にこの予算審議において政治と金の問題、増税を言う前に、予算を言う前に、まずこれまでやってきたことの暗い部分を出そうじゃないか、問題点を出そうじゃないか、その上で対策を講じていこうじゃないかといったことに対する姿勢というのは、私は、若干隠した部分もあるしごまかしている部分もあるしということを言わざるを得ないと思うんです。

 どうか、子供たちの範を示すべき国会、政治家として、主導的な役割、指導的な役割を果たしていただきますことを御要望申し上げて、ぜひ感想もいただきながら、質疑を終わりたいと思います。

萩野主査代理 中山大臣、簡潔にお願いします。

中山国務大臣 義務教育の関係につきましては、まさに御指摘ありましたように、これから中教審で議論していただきますので、今いろいろな資料等を準備しておりますから、そういった資料等をもとにして、本当に自由濶達な意見を出していただきたいということで、そのためにも早く地方側からもいい案を出してもらいたいな、こう思っておるところでございます。

 それから、負けるな、うそをつくな、弱い者いじめをするな、これは子供たちに対してでございますし、また、もう一つ私言っていますけれども、ほめよう、しかろう、励まそうと。どうか、政府がいいことをやっていたらほめていただきたい、だめなところはしかっていただきたい、そして励ましていただきたいということをお願いする次第でございます。

萩野主査代理 これにて三日月大造君の質疑は終了いたしました。

 次に、渡辺周君。

渡辺(周)分科員 民主党の渡辺でございます。

 きょうは、予算委員会の第四分科会、ぜひ、文部科学大臣といろいろ教育論について意見をやりとりしたいなと思います。私は今まで、実は残念ながら文教委員会、文部科学委員会に所属したことはなかなかございませんで、きょう、実は初めてこうやって文部科学大臣と面と向かって質問をするわけでございます。

 私も地元の公立小学校に通っている六年生の娘と四年生の息子がおりまして、親としても、教育の今の現状というのは、本当に恵まれているなとうらやましく思う反面、昔は、子供の仕事は勉強することだと我々は親に言われてきたんですけれども、正直言って今の時代、土曜日、日曜日はお休みで、ともすれば月曜日が休みだったりすると三連休。正月休みが明けたら今度すぐに三連休があって、この間も何か三連休がございました、二月の十一日から。いや、こんなに休みがあっていいものだろうかと私自身は思うんですね。

 もちろん、いろいろな学習塾だとかそういったところには人並みに通っているわけでございますけれども、非常に今の子供たちを見ていて、やはり先般からずっと指摘をされておりますOECDの調査の結果で、トップグループから日本の学力というのは下がってきている。私は、正直言って、国語力が下がっている、あるいは理解力が下がっている、あるいは理科や数学、算数に対して、非常に理数系の科目に対する興味が他国に比べて劣っている、低いというふうなことなんですが、ところで、学力の低下ということは漠然として、我々も、では自分たちのときはどうであったかなと思いますと、そして今、反面で恵まれた環境がありますから、本当に学力というのは下がっているんだろうかというふうに思うわけであります。

 ただ、こうして国際調査なんかを見ますと、トップグループから下がっている。日本が下がっているのか、日本は横ばいなんだけれども、ほかの国々が頑張って、教育に力を入れる韓国であるとかインドであるとかシンガポールであるとか、とにかく教育に力を入れてきた結果がこうなったのか、どちらなのかなということを私も親としていろいろ思っているんです。

 ここで大臣の御認識を伺いたいんですけれども、学力の低下ということは一体何であるかということについて、大臣の御見解でもまず伺いたいなというふうに思います。

中山国務大臣 既に御承知だと思うんですけれども、OECDが実施しましたPISAの調査によりますと、我が国の学力は、読解力の順位が前回の八位から十四位、十四位というのは大体OECDの真ん中ぐらい、こういうふうに御理解いただきたいと思うんですけれども。そのほか、数学的な活用能力の順位も一位から六位に低下しました。

 また、国際教育到達度評価学会、IEAが実施しました調査によりますと、かつて一位または二位であった順位が徐々に下がってきている。中学校の順位が、かつては一位でしたけれども五位、理科は六位となっているということでございまして、今回の調査の結果を分析してみますと、まず読解力の得点の経年比較で、中位層が下位層にシフトしてきているということ、それから解釈を要する問題や自由記述の問題に課題がある、それから基礎的、基本的な計算技能の問題や実生活の関連づけが必要な問題等に課題がある、さらに、一番私は問題にしているんですけれども、学習意欲とか学習習慣に課題があるというようなことが明らかになったわけでございます。

 特に、PISAの調査では、知識や技能等を実生活のさまざまな場面で直面する課題にどの程度活用できるかということを評価するための調査だったわけですけれども、まさに今の現行の学習指導要領がねらいとしております学力と同じ方向のことについて実はこれはテストしたわけですけれども、読解力については得点の低い生徒の割合がふえている。あるいは、先ほど言いましたけれども、自由記述形式の出題において無回答、初めから、ちょっともうやめたという感じが実はあるということで、無気力といいますか、そういったことが大きな課題であると思っております。

 なぜこんな結果になったのかなということが一番問題なわけですけれども、これは先ほどから話がありましたけれども、学校教育の問題もございます。あるいは、家庭、地域、そして社会全体の問題もある。私は、ここ十数年、日本経済が低迷してまいりまして、いろいろなことがあった中で、子供はやはりその時代の産物の反映でございますから、そういったことも子供たちの学習意欲とかいったものに影響しているんじゃないかと私は思うんです。

 要するに、日本の子供たちの勉強時間が一番少ない、逆に、テレビとかゲームを見ている時間が一番多い、そういうことを考えて、いかに学習習慣を身につけさせることができるのか、あるいは、今の学習指導要領におきます教育内容とか、授業時間、時数が十分なのか、あるいは教員の資質、能力の向上をもっとしなきゃいけないんじゃないか、いろいろと検討すべき課題があるんじゃないか、こう思っているわけでございます。

 そういった課題をあわせて学習指導要領全体の見直しを行う必要があるんじゃないかということで、先日、中央教育審議会におきまして検討課題をお示ししたところでございまして、今後、中央教育審議会におきまして、それこそタブーを設けることなく自由濶達に検討いただきたい、このように考えておるところでございます。

渡辺(周)分科員 うちの子供が、自分の子供が一番卑近な例なものですから例に出すんですけれども、公立の学校に行っております。先生方はとにかく一生懸命やっているんですね、工夫をされて。総合学習にしても、ゆとりの時間とかという中で本当に一生懸命知恵を絞っていろいろなことをやっていらっしゃる。いろいろなことで子供たちに、日記を書いてきたら必ず子供が書いてきたことに対してコメントを返して、やりとりをずっとやっているんですね。一生懸命やっています。もういっぱいいっぱいじゃないかと思うぐらい頑張っていらっしゃる。公立のいい先生方というのは、決して、上の学校へ行くとかいい学校へ行くというよりも、もうちょっと人間教育を何とかしてあげようという方々も多いわけでございます。

 その反面で、今言われているのは、そうした公立学校が、公立の危機といいましょうか、ゆとりを前面に出してゆとりの時間がふえたばかりに、正直言って非常にその質が低下している。

 それで、どうしたらいいか。よく言われたことなんですけれども、例えば土曜日、日曜日、週休二日ある、大手の進学教室に行く、家庭教師をつける、あるいは添削に申し込んでやりとりをする。いろいろな形で、経済的にゆとりのある家庭は公立で不安な部分を補うことができる。ですから、よく言われるのは、今親の年収と学力がどんどん比例するようになってきてしまった。つまり、公立の学校の勉強だけでは、私立の学校に行っている、あるいは塾であるとか大手の進学教室や添削や家庭教師をつけている人たちと学力で競い合ったら、当然、経済的余裕のある方が優位になる。

 私もこういうのがいいかどうかわかりませんけれども、週刊誌でよく、有名高校、有名大学の合格一覧表というのが必ず出ます。我々も、ここにいる人たちも多分そうだと思いますけれども、自分の母校というのは一体何とか大学に何人入ったのかなと見るわけですね。そうはいいながらも、やはりそうやって競う中で出てくるのは、これは高校なんかもそうですけれども、私立、中高一貫の私学へ行っている方が当然合格率が高いということになって、かつての地方の名門とかあるいは都立の雄と言われたような公立学校がどんどんだめになって、ランクが落ちてくる。そうしますと、勢い、どうしても私学に行くんだ、私学に行くためにはそのための勉強をしなきゃいけない。そうなると、それなりの費用がかかるけれども、これは仕方がない。

 昔は、学校の教科書だけをやっていて、授業をちゃんと聞いて、先生の言うことを聞いてちゃんとノートをとって、予習、復習をちゃんとやって教科書を隅々まで読んでいれば困ることはないんだなんて言われたんですね。ところが、今は、それだけではとてもじゃないけれども私学や塾に行っている子には太刀打ちできない。だから、ことしもそうでありますけれども、私立の競争倍率がどんどん高まってきて、非常にお受験熱がエスカレートしているということでございます。

 親の所得によって学力の水準が比例してしまうということを考えてみますと、公立の学校の復権、公立、公教育の充実あるいは向上ということについては、これからどうしていくべきなのか、同時に大臣はどうお考えなのか、この点についての御意見を伺いたいと思います。

中山国務大臣 まさに同じような懸念といいますか心配を持っているものでございまして、親の財政力の差によって子供たちの勉強、学力に差ができる、これはやはりちょっと問題ではないかと思うわけです。

 先ほど申し上げましたPISAの学力調査の結果からは、我が国はまだ諸外国に比べて保護者の学歴とか職業等が得点に与える影響は弱い、こういうふうに指摘されているんですけれども、しかし、現実問題として、二極分化といいますか、できる層は変わらないんですけれども、中位が下位の方にシフトしてきておるという結果から見まして、やはり御指摘のように、小学校、中学校に行っていてもそれよりも塾の方を重要視しているという家庭、これはある程度財政力がないとできませんよね、そういう層と、まさに学校だけの授業で、それでほったらかされている。

 ほったらかされるという言葉は悪いんですけれども、おっしゃいましたように、三連休などいっぱいあったりしますと、一体子供たちはその間何をしているのかなということを思いますし、特に大人でもそうなんですけれども、三日も休みがありますとなかなか我々仕事モードに入れないのと同じように、子供たちもそれ以上になかなか勉強モードに入れないんじゃないか、その間を何とかしなきゃいけないんじゃないか、そういう問題意識も実は持っているわけでございます。

 私は、公教育といいますか、特に義務教育ということを本当にもっと充実させなきゃいけない。でないと、本当に親の財政力によって子供が左右される、子供の将来まで左右される、こういうことがあっちゃいけないわけでございます。もちろん、私学は建学の精神というのがありますから、どんどん勉強させると思うんですね。それに負けないようにいかにして公教育を充実させるかということ、これが大事だと思うわけで、そういう意味で、私は就任以来、今やってきているいわゆるゆとり教育と言われるもので本当にいいのかと。

 学校に参りましても、子供たちに聞くと、学校以外で勉強して、塾とかで勉強して、学校は遊ぶところ、休むところになっている、そういう傾向もあるわけで、これではいけないので、やはり学校で本当に必要な時間を確保して学力をしっかりつけられるようなシステムをつくらないかぬ。そのためには、学習内容をどうするか、授業時間をどうするか、それにも増して、優秀な先生方を、熱意のある先生方をいかに確保するか、ここをやはり相当厳しく追求していかないとこの傾向というのは弱まらない、私はこう思っていまして、何とかしなきゃいかぬという決意でやっておるところでございます。

渡辺(周)分科員 本当にその点については皆さん同じ思いだと思うんですね、今の教育の現状。この公教育の充実ということをどうしていくかということは本当に我々はみんな考えていかなきゃいけない。

 教育が国家の根幹である、国家百年の大計であるということで言われながらも、では本当にこの十年、二十年何をしてきたんだろうか。今の子供たちの学力が低下している、客観的に学力が低下している、あるいはこうなっていろいろな問題が起きている。これは子供たちが自然にそうなって、そういうふうになるべく生まれてきたんじゃなくて、今生きている大人たちがつくった環境の中で、その仕組みの中で子供はそうなってきたんだということをやはり我々は認識して考えなきゃいけないと思う。

 さてそこで、大臣、先ほど来教員の質の問題がございました。もちろん、わかりやすく理解をさせる、つまり、ああ、なるほどと理解させる、教えることがうまい先生というのはいます。特に私立の学校だとか学習塾というのはこういう先生がいるんですね。なるほどと、わからなかったことがわかるヒントを教える、もちろんそういう先生も大事なんですけれども、その反面で、中学、高校なんかに行きますと、ドロップアウトをしてしまった人間がいます。

 今、視聴率一位の番組は日本テレビの「ごくせん」という、きれいな女の先生が実は極道の娘だった、ところが、それが問題の多い、頭真っ金々の子供たちがいっぱいいる中で、要は、頑張ってその子たちの味方に立ってまともな道に行くというドラマがある。昔からこういうドラマはいっぱいあります。

 最近、私、残念だったのは、北海道の北星学園余市高校の義家さんという先生が今度やめるんだということになる、ヤンキー先生。この人も複雑な家庭事情の中で一回ドロップアウトしたけれども、その学校に預けられて母校の先生になった。本当に今はこういう学校の先生もいるんだなと。あるいは、みずから定時制の高校の先生になって夜間の夜回りをしている夜回り先生、水谷先生とか、横浜にいらっしゃるんですね。この方の御本も読みました。

 とにかくこの人たちに共通しているのは、ドロップアウトをしている、あるいははぐれてしまった、例えば夜の町に行ったきり昼間の世界に戻ってこない生徒、あるいはもう自分はだめだと言っている生徒、どうやって子供たちを引き上げて救うかということを一生懸命やってきた方々です。私は、ここにやはりすごくヒントがあるなと思ったんです。

 例えば、誤解があっちゃいけませんけれども、公立、例えば地元の学校の先生になる。大体、地元の名門校と言われるところに行って、お父さんかお母さんどっちかが教師だったりするんですね。それで子供が教員になる。地元の、静岡県なら静岡大学の教育学部を出て、教育実習を受けて資格を取って、あきがあれば大体地元の学校、比較的エリートコースを歩んできている。ところが、中学校の先生になって授業に行ってみたら、目の前に座っているのは、自分の一番苦手なタイプのやつがいる。つまり、頭の毛は何かどこを向いているかわからない、まゆ毛は細くてずっとにらみつけているのがいる。そういうのがいたらどうするんだと、私も後輩だとか学校の先生をやっているのに聞くと、やはり困ると言うんですね。

 つまり、自分たちが中学、高校、教員の家庭に生まれたから比較的優等生でまじめな子が多かった。それがそのまま例えば教育学部に行って、可もなく不可もなく、少々やんちゃをやったけれども大体道に外れることもなく教員になった。さあ、自分たちが教壇に立って授業を教えていくと、つまり、自分の一番つるんでこなかったといいますか、自分と違う派閥にいたような連中がいる。では、この子たちをどうしようというと、なかなかどう接していいかわからない。勢い、自分たちの仲間と似たような優等生か何かばかり指す。だから、だんだん、おもしろくないやつがもっとおもしろくない。

 という意味で、ちょっと長くなりましたけれども、私は、学校の先生というのはペーパー試験で選ぶのではなくて、例えばもっと幅を持たせて、いろいろな人が、さっきのヤンキー先生じゃないけれども、ドロップアウトした人がいてもいいと思うんですよ。教育学部を出てこなくたって、通信講座だとか、今はインターネットでいろいろな勉強ができる時代ですから、そういう学校の先生たちが、そういう悪い連中がいるところにも行って教えられる。元暴走族の親分だったのがいたっていいじゃないか。そういう学校の先生と、あるいは実社会に出てきて、いろいろな経験をしてきた人たちが必要です。

 今、校長先生なんかは、どんどん民間から公募して選ぶようになってきました。私は、教員の質というのは、もちろん教え方の上手な先生、知的好奇心を喚起するような教え方のうまい先生もいると思いますけれども、今、道にはぐれつつある人間にどうやってこれから一緒の立場に立っていけるか、ぜひ教員の採用のあり方、特に社会経験だとか人間の経験みたいなものを加味してやはり判断していくようにすべきじゃないのかな、採用していくべきじゃないのかなと思うんですけれども、その点について、さっきちょうど教員の質という問題が出ましたので、大臣はどのようにお考えなのか。

銭谷政府参考人 今、教師論について、先生からいろいろお話を承ったわけでございますが、先生お話ございましたように、やはり教員には、人間、子供の発達、あるいは成長についての深い理解、あるいは教育的な愛情というものが要請されるんだろうと思います。

 今、公立学校の教員の採用は、都道府県の教育委員会それから政令市の教育委員会が行っているわけでございますけれども、その状況を見ますと、ペーパー試験による知識量の把握だけではなくて、すべての県、政令市で、面接を必ず実施して、それから模擬授業とか、そういう実技的なところもしっかり見るようになってきております。それから、ボランティアとか、そういう社会経験というのも評価をして、人物評価を重視する方向で改善が今進んでいると思っております。

 最近、教員になられる方を見てみますと、企業とかそういうところで三年あるいはそれ以上働いてから教員の方に志望してくるという方もおりまして、全体の一割前後、そういう方が出てきておりますので、やはり教員に、そういう社会的な経験を重視して採用するということは、今後必要になってくるのかなと思っております。

渡辺(周)分科員 私、御提案なんですけれども、すぐ教壇に立つんじゃなくて、例えば、採用されたら、その県でもその市でも結構ですから、一番大変な仕事を経験させる。例えば、夏の暑いときに、市のいわゆるごみの収集車、その助手席に乗って、朝、生ごみのむせ返るような暑い中で、一緒になって、泥だらけになって仕事をして、あるいは、老人ホームに行ってお年寄りの下の世話をするとか、いろいろなことをすべきだと思うんですよ。

 この世の中というのは、いろいろな人がいて、いろいろな人が支え合っているから、成り立っているのであって、汚いとか何だとかということはあり得ないんだ。だから、いろいろなことについて、子供たちにそういうことを教えられる先生を、私はやはりそういう人間の幅の広いものをつくっていくべきじゃないかと思うんです。先ほど、タブーなくいろいろなことを考えていくというわけで、私は、そういうエリートといいますか、できのいい子ばかりじゃありません、いろいろな道に進む人間がいる中で、この世の中でやることというのは何一つむだなことはないんだということを本当に身をもって教えられるような先生をぜひつくっていただきたい。

 本当にそのために、私も実は地方議員をやっていましたとき、こういう同じような質問をやはり地方議会でもやったことがあります。ですけれども、そのときに比べて大分変わってきてはいますけれども、ぜひ、国の中でもそういうことを考慮に入れて、教育の、特に教員のあり方については、これからもいろいろと考えていただきたいなと思います。

 ちょっと時間がなくなりましたので、急ぎますが、歴史の教育についてお尋ねをしたいと思うんです。

 歴史の教育について、その歴史の中身が云々ということは、きょうはちょっと申し上げませんけれども、私、こういう経験がございます。かつて、私、新聞記者をやっているときに、韓国に行きました。それで、韓国の釜山に行ったときに、地元のある中学生、日本の中学生と韓国の中学生の交流事業だったんですが、ついていって取材をしたことがあります。そのときに向こうの子供たちが、日本の子供たちを歴史博物館に連れていった。博物館に連れていって、説明をするんですね。そこには、日本が過去、我が国に対してどうであったかという話がいろいろありまして、いろいろその話をするわけです。そうすると、日本の子供たちはぽろぽろと泣くんですね。何てひどいことをうちの先祖はしてきたんだろうかと。

 結果的に、この子たちというのは、中学生ですが、歴史の教育というのは学校で受けていないんですね。受けたといっても非常に、縄文時代、弥生時代からさかのぼってのことをずっと行って、これはたまたまちょっとお借りしている教科書なんですけれども、戦中とか戦後の方というのは、明治以降の話なんて大体これだけ。でも、これはこれぐらい、ずっとあるんです、いわゆる縄文時代。人類が始まったころから始まっている。明治以降というのはこれぐらいしかなくて、戦後の話になるとたったのこれだけ。これだけ厚くて、たったのこれだけしかないんですよ、戦後の話は。

 つまり、歴史の、特に中でも近代とか現代というのは、例えば戦前であるとか戦後、あるいは戦中戦後という部分については、カリキュラムの時間がなくなって、何か自分で自習していくみたいな話ですよ。それで、子供たちは反論することもできないんですね、その事実は違う、史実は違うと言って。例えばそれは韓国の例でしたけれども、これは中国へ行ってもそうだと思います。アメリカへ行ってもそうだと思います。歴史の中身を知らないから、どんなに流暢な語学ができても中身がないんですね。

 だから、私は、これは確かに大事なことだと思います。日本の歴史を、これは絶対必修科目にすべきだと私は思うんですね、日本史というのは。大体、自国の歴史も知らない人間が真の国際人であるわけがないというふうに思いまして、この点についてどう考えるか。

 例えばですけれども、授業進度の関係で割愛されることもあると聞いているんですよ。そうすると、だから、教養として知っておくべき部分、高校や大学へ行って勉強する部分の歴史もあるでしょう、美術史だとか文学史だとか。ところが、最低限知っておかなきゃいけない知識、なぜ日本と韓国は、あるいはなぜ日本と中国はいまだにこういう問題でもめるのか、ディベートすらできないですね、日本は。

 私は、近代史、現代史というのは、もっと言えば、高校、大学へ入るときの必修科目にするべきだと思うんですけれども、ぜひその辺について、今の現状はどうなっているのか。この歴史の授業、近代史あるいは現代史とでもいいましょうか、身につけさせることというのが本当に絶対必須だと思いますけれども、大臣の見解をお尋ねしたいと思います。

    〔萩野主査代理退席、主査着席〕

中山国務大臣 私のころからもそうだったと思うんですけれども、しばらくの間、なかなか歴史、縄文、弥生から始まってくるんですけれども、まさに明治以降、特に戦後のことなんかほとんど教えなかった時代がずっとあったんじゃないかと思うんですね。ですから、私たちは、自分で勉強するしかなかった。これは司馬遼太郎さんの本とか、いろいろなものを含め、自分たちで勉強したんです。

 やはり最近のいろいろな、例えば歴史教科書をめぐる問題とか、あるいはまさに御指摘のように、日本の子供たちが韓国に行ったり、韓国の子供たちが日本に来たりします。いろいろ交流がある中で、日本の子供たちがそういう知識が全くない。逆に、向こうは物すごく教えているわけですね。もう太刀打ちできない、こういうふうな時代があったんじゃないかと私は思うので、ずっと、特に近現代史については、それは歴史のスパンから言えばこれぐらいのことですから、薄くなるのかもしれませんが、しかし、重要性から見ればかなり大きなウエートを占めている、こう思うわけでございまして、どうなっているのかということで、大臣になりましてから、いろいろ関心を持って調べているんです。

 今どうなっているんだということでございましたけれども、今の学習指導要領では、小中学校の歴史教育については、近現代史を一層適切に指導するため、例えばオリンピックの開催とかあるいは高度経済成長といった戦後の主な出来事や直接に現在とつながっている事項までも指導事項として盛り込んで、充実を図っているということでございます。

 歴史教育の授業時数につきましては、小学校の社会科では、政治の動きや憲法などの学習と合わせて百単位時間を充てることとしておりまして、学校の取り組み例を見ますと、歴史の学習に約六十九時間程度、そのうち近現代史に二十時間、三分の一程度が充てられているということでございます。また、中学校の社会科では、百五単位時間を充てることとしておりまして、学校での取り組み例を見ますと、うち、近現代史には約三十五時間程度充てているということで、ちょっと驚くべき数字だと思うんですけれども、最近は非常に近現代史に力を入れているんだなということがわかるわけでございます。

 やはりこれから日本が近隣諸国そして世界の中で生きていく上には、ますます近現代史についてのしっかりとした知識といいますかそういったものを子供たちに植えつけることが非常に大事だ、このように思っております。

渡辺(周)分科員 私は、教養と知識と分けて、必須の、とにかく絶対必要な知識と、教養で済む、これは大学へ行って、またどこかで、史学科か何かに行って勉強すれば教養として済む部分というのはあると思うんですよ。

 私は、やはりこの時代を生きている人間が最も必要なこと、日本国憲法の成り立ちから、あるいは占領下を経てどうなってきたか、なぜ領土の問題で中国と尖閣をめぐって、そのときには何があったのか、向こうから一方的に言われているけれども、こっちは何もわからないから、何か日本が悪いことをしているのかみたいな話になってしまうんですね。歴史の、中身についてはまたいろいろ、これは言う時間がありませんけれども、ぜひその点に授業時間を確保していただきたいな、それは徹底していただきたいと思うわけです。

 最後に、もう時間がありませんけれども、残念ながら、最近ではもう学校が安全なところではなくなってしまった。不審者が学校へ入ってきて、この間も寝屋川市で痛ましい事件がありました。それを受けて、学校あるいは学校周辺でいろいろな形で、子供たちの緊急情報を保護者のもとに送る、これは静岡県の富士宮市というところの例が一つあるんですけれども、あるいは全国でいろいろなことをやっています。メール配信をしたり、いろいろな訓練、けさもテレビのワイドショーでやっていましたけれども、侵入者が来たと。昔はこんなことは考えられなかったですよ。

 私、昔、有事法制の議論をやっているときに、学校の先生が随分みんな反対していたものですから、言ったことがあるんです、あなた方、話し合いで済みませんと。話し合いをしましょう、学校で暴れちゃいけませんと言ったって、ちょっとおかしいのが包丁を持って入ってきたときには、話し合いの前にとっ捕まえなきゃいけないでしょう、それが有事法制の話なんだという話を、そんな四の五の理屈を言っている間に何かえらいことになりますよということで納得していただいた経緯があるんです。

 今、残念ながらこういう時代になってしまって、国として、学校に対して、では警備員を配備するといっても、民間の会社に頼めば、これは試算すると何百万、一千万近くかかるという話もあるんですね。あるいは、地域のボランティアに頼むのか、警察官のOBに頼むのか、いろいろなやり方があると思いますけれども、残念ながら、今のこの時代の中で、自治体任せにしておくのか、それとも国として何らかの支援をするのか。学校の安全対策、あるいは侵入者を含めた危機管理というものに対してどう支援をしていくのかということを最後にお尋ねして、質問を終えたいと思います。

素川政府参考人 お答え申し上げます。

 学校の安全対策、非常に重要な課題であるわけでございます。文部科学省といたしましても、平成十四年、これは平成十三年の大阪の池田小学校事件の後、子ども安心プロジェクトというものを立ち上げまして、ハードの面、またソフトの面の両面から、マニュアルの整備、それから校舎の整備の中で門、フェンスの整備ですとか、それに伴って行われる防犯カメラとか通報設備の設置、こういったものに対する国庫補助の推進といったことを進めてまいっているわけでございますけれども、今回の寝屋川市の事件を踏まえまして、文部科学省においてもプロジェクトチームを立ち上げ、これまでの施策を点検するとともに、さらに一層学校安全対策につきまして充実させるよう検討してまいりたいと考えておるところでございます。

渡辺(周)分科員 終わります。

渡海主査 これにて渡辺周君の質疑は終了いたしました。

 次に、吉井英勝君。

吉井分科員 日本共産党の吉井英勝です。

 私は、きょうは、宇宙研究、宇宙開発という問題について質問をしたいと思います。

 宇宙開発、宇宙研究の予算というのは、今、大体年間三千億円ぐらいですが、大変巨大な予算であります。これは、全国の国立大学法人八十九校への運営交付金一兆二千三百十七億円と比べてみても四分の一に当たるわけです。それから、大学や試験研究機関のプロジェクト研究などに振り向けられる科学研究費補助金の千八百八十億円と比べてみて、大体二倍近いものになってくる。大きな予算規模であるだけに、内容についてよく吟味していくということが大事だと思うんです。

 私は、日本の宇宙研究というのは非常にすぐれた成果を上げているというふうに考えております。例えば、すばる望遠鏡とか野辺山の宇宙電波観測所それから高エネルギー研究所のトリスタン以降のいろいろな施設、今では、ニュートリノ発射施設から神岡の観測所、さらに、エックス線天文衛星「ぎんが」、エックス線天文台と言われているものですね。これらの活用を通じて、国際的にも、日本の天文物理の分野、宇宙物理の分野あるいは素粒子論といったところで、理論、実験、観測といった面で非常に大きな成果を上げてきたというふうに思います。

 まず最初に、こういう宇宙研究や開発の中で、こうした取り組みが大きな成果を上げてきたと思うんですが、大臣の方はどのように見ておられるか、これを伺いたいと思います。

中山国務大臣 今御指摘ありましたように、宇宙開発、これは、人類にとっても非常に広大なフロンティアを開拓するという挑戦的な取り組みもありまして、国民、とりわけ青少年に大きな夢を与えるものでございます。

 その中で、我が国は、これまで、通信・放送衛星あるいは気象衛星、地球観測衛星、ロケット等の開発利用等の努力によりまして、国民の生活の質の向上、産業の発展等に大きな成果を上げてきておる。また、宇宙科学の分野の成果では、宇宙の起源や物質の根源にかかわる新たな知識を増大させている。このように思っているわけでございまして、特に天文観測、宇宙物理学等宇宙科学の分野におきましては、これは世界最高水準の成果を上げてきている、このことは世界的にも認められたところでございます。

 今まさに御指摘ありましたように、我が国が世界を二十年以上もリードし続けておりますエックス線天文学の分野におきましては、ブラックホールのなぞの解明に大きな寄与を続けております。また、宇宙プラズマ物理学等の分野におきましては、オーロラの活動を解明する研究において大きな成果を上げておりまして、こういったものは、人類の知的資産の拡大に大きな貢献をしていると私は思うわけでございまして、今後とも、宇宙の研究開発につきましては積極的に取り組んでまいりたい。

 きのう、ちょうど総合科学技術会議がありましたけれども、私は、宇宙のことにつきましても、ぜひ今後とも力を入れていくべきだということを発言したところでございました。

吉井分科員 宇宙の研究開発というものについては、そういう大事な分野、また成果を上げてきたものがありますから、そこをしっかり見るとともに、同時に、何しろ予算が非常に巨大なものになってきますから、これについて、例えばJAXAで見れば、年間大体二千億円ぐらいの予算を使うわけですね。宇宙開発、研究の予算の大体七割がJAXAに流れているわけですが、東大の運営交付金九百二十六億円の大体二倍近い。京大の運営交付金六百四十億円の三倍近いもの。だから、万単位の、数万人規模の大きな国立大学など一校に交付される交付金に比べても非常に大きな予算を使うわけでありますから、それだけに、きちんとした吟味をよくしていかなきゃいけない、このことは大事だという問題意識を持っております。

 そこで、JAXAについて、これは政府参考人に伺っておきますが、国からロケット製造や打ち上げ、人工衛星の開発を随意契約で請け負う形をとるわけですが、それをさらに請け負っている会社にロケットシステムがあります。ロケットシステムという会社にロケット製造工場があるのか、ロケット打ち上げ施設がこの会社にあるのかを、簡単なことですが、まず伺います。

坂田政府参考人 お尋ねのロケットシステムに製造工場があるのか、あるいは製作の場があるのか、これは私ども承知しているところでは、そういう製作現場は持っていないというぐあいに理解しております。

吉井分科員 それから、このロケットシステムが設立されてから、国がロケットを打ち上げるときにロケットシステムがかかわっていない打ち上げの成功率一〇〇%なんですね。ロケットシステムが関与した打ち上げは八二%ですから、二割は失敗したというのが実績ではないかと思いますが、これも少し確認しておきます。

坂田政府参考人 今先生おっしゃったことでございますけれども、確かに、ロケットシステムが平成二年に設立されまして、今日まで三つのロケット、TR1AロケットそれからH2ロケット、H2Aロケットの製造にかかわっております。

 全体で十七機でございますが、失敗が三機ございましたので、先生おっしゃいましたとおり、成功率は八二・四%でございます。

吉井分科員 ロケットシステムが、JAXAから、内閣官房の情報収集衛星の関係でH2Aロケットの製作、打ち上げの仕事を請け負っておりますが、その請負契約金額を見ると、二〇〇〇年からの四年間で総額二百四十一億円です。ロケットシステムには製造工場、打ち上げ施設もないことは先ほどのとおりですが、三菱重工などメーカーに丸投げする形になるわけですね。そのときの請負金額は二百二十一億円ですから、ペーパーマージンといいますかピンはねといいますか、二十億円。これは契約にもよりますが、大体七%から一三%の割合になってくると思うんですが、この点だけ比率を確認しておきます。

坂田政府参考人 今先生がおっしゃいましたロケットシステムの受注の比率といいますか、七から一三とおっしゃいましたけれども、余り詳しくはあれでございますけれども、ロケットシステムがロケット関係でJAXAから受注したものが八種類ございます。

 そのうち、ロケットシステムは、当然、今申し上げましたとおり、みずからは製作いたしませんので、三菱重工その他メーカーにロケットのいろいろな部品について発注をするわけでございますけれども、当然のことといたしまして、ロケットシステムの大事な役割といたしましては、単にメーカー各社に製造の発注をするだけではございませんで、各企業の製造工程の監督、品質保証活動、これはしっかりやることになってございますし、当然ながら、全体が取りまとまりましたときに全体の受け入れ検査もする、そういう業務を行います。

 したがって、それに対する対価といたしまして、今先生おっしゃいました、物によりますけれども、七%程度から一三%程度までの受注をとる、そういうことになろうかと思います。

吉井分科員 そもそもロケットシステムという会社は、ロケットや人工衛星を請け負う三菱重工、石川島播磨、日産自動車、三菱電機など宇宙産業十三社が共同で設立した会社なんですね。国の仕事をこのロケットシステムが請け負って、その仕事の配分をロケットシステムが宇宙産業十三社に配っていくわけですよ、振り分ける。言ってみれば談合元締め会社という性格であり、さっきの二十億というのは、言ってみれば談合手数料という見方さえ成り立つものなんですよ。

 そこで、H2Aロケット打ち上げ失敗が続く中で、二〇〇四年、昨年六月段階に宇宙開発委員会特別会合の報告書が指摘しておりますが、H2Aロケットの場合、宇宙関連企業の共同出資により設立されたロケットシステムが扱い、このロケットシステムが製造取りまとめを行っている。しかしながら、ロケットシステムは、出資各社からの出向者が多く、また、みずから製造現場を持っておらず、技術力、人材、経験において能力に限界がある。トラブルが発生したときにはJAXAがふぐあい処置や審査等に関与しているということを指摘しているというのが報告書の示しているところではないんですか、そうでしょう。

坂田政府参考人 先生の今のお尋ねに直接答える前に、冒頭に談合元締め会社等々という御発言がございましたが、私どもは決してそのようには思っておりません。

 先ほど私が御説明申し上げましたとおり、ロケットというのは、いろいろな会社がいろいろな部品をそれぞれ分担して製作いたします。したがって、それを全体としてシステムにまとめ上げるというのは非常に大事な仕事でございまして、そのまさにシステムインテグレーションのところをロケットシステムが担っているわけでございまして、そういう意味で大事な機能を果たしてきたものというぐあいに考えてございます。

 一方、お尋ねの特別会合の報告書のことでございますけれども、確かに御指摘については、私ども、重く受けとめてございます。

吉井分科員 ぐだぐだ最初言ったけれども、報告書でちゃんと書いているんですよ。技術力、人材、経験において能力に限界があると。

 だから、私がここで言っておきたいのは、科学技術に名をかりて、巨額の研究開発の予算のさや抜きとでもいうべきものが行われることは断じてやっちゃならない。ここはきちっと見てかからないと、ぐだぐだ言って、結局それは事実なんですから、報告書が指摘していることなんですから、そういうことは今言っちゃならぬと思います。

 次に、JAXAへ公務員として宇宙産業各社から三百二十二人が、天上がりとでもいいますか、形で行っております。JAXAがロケットや人工衛星の契約を行うとき、ロケットシステムや三菱重工、石播、三菱電機などが契約の相手方となっていますが、これでは契約金額はメーカー言いなりになる形になってしまう。実際、宇宙開発の契約は一〇〇%が随意契約で、予定価格もいわば落札する金額、これが、メーカー言いなりの契約というのが実態ではありませんか。

坂田政府参考人 JAXAがロケットの製造等でメーカーと契約するときのやり方についてちょっと御説明をさせていただきたいと思います。先生が言いなりとおっしゃいましたので、決してそうではないということを申し上げたいと思います。

 実際に契約を具体的にやります場合でございますけれども、仮にロケットシステムに発注する場合でありましても、実際には、メーカーがロケットシステムから提出を受けました見積もりの案につきまして、しっかりとJAXAの担当者がメーカー側の担当者と議論をいたします。JAXAは、これまで、多くのロケット、衛星の開発について経験を積んでまいりました。そういう中で、何が原価として適正かという経験も積んできております。そういうものを踏まえて契約しておりますので、決してメーカー側の言いなりでやっているということではございません。

吉井分科員 JAXAが厳正に見積もったという立場をとるのは当たり前の話なんですよ、皆さんの立場からすれば。しかし、厳正に見積もって契約したはずのものなのに、メーカー言いなりで工数を決めて、それが水増し不正契約であるということがわかって、NECなど三社から合計六十六億一千三百万円返還させたというこの事実はあるんじゃないですか。事実でしょう。

坂田政府参考人 平成十年当時、そういうメーカー側の不正な行為があり、結果として過大請求がございましたので、そのことについては改めて返還請求をいたした経緯がございます。

吉井分科員 予定価格も見積もりも相手企業と一緒に行って、そもそも天上りで来た人も技術屋さんであって、これは委員長も技術屋さん出身だからよくわかると思うんですよ。相手企業と一緒にそれをやって、水増し価格が最初から入っていたんですよ。だけれども、その水増し価格を含めた入札予定価格と落札額がもうすべての契約で一〇〇%一致した、そういうことが行われていたんですよ。だから六十六億円の返還というのが行われてくる、こういうことになったわけです。

 それで、やはり私は、メーカー出身の社員を多数抱えるJAXAが、JAXAからロケットシステムへ、さらにロケットシステムが三菱重工などロケットシステムを構成する企業に発注する。すべてそれが随意契約で、これで毎回ペーパーマージンとでもいうべきものが七%から一三%で再契約が結ばれていく。これじゃ、もうすべてがメーカー言いなりということになっているのは明白なんです。やはりこれは余りにも異常だと思うんです。

 しかも、この六十六億の問題のときも、わかったから返還があったんです。その六十六億の水増し分はあったんだけれども、わからなかったらそのままだったんです。国民に六十六億の損害を与えていたということになるんです。この点では、こうした問題をあいまいにし、言いわけをすればいい、適当な説明をすればいいというものじゃないということをはっきり言っておかなければならぬと思います。

 次に、情報収集衛星の目的の一つに、地震などの大規模災害への対応へ備えるためというのがあります。

 昨年起きた台風二十三号豪雨災害、新潟中越大地震とか、あるいはスマトラ沖地震・津波などで、情報収集衛星は、災害の前であれ、実際に発災した後であれ、地殻のひずみであるとか津波の移動の様子とか、災害現場などについて観測をしていると思うんですが、その観測で、それはどのように活用されたのか、伺います。

上原政府参考人 情報収集衛星ですが、外交、防衛等の安全保障及び大規模災害の危機管理のために必要な情報収集を目的としているわけでございまして、政府といたしましては、当然のことながら、このような目的を果たすべく、情報収集衛星の有効活用に努めてきているところでございます。

 ただ、情報収集衛星を用いまして、いついかなる対象を撮像しているかにつきましては、情報収集活動の性格上、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。

吉井分科員 情報収集衛星の目的の一つには、地震など大規模災害への対応に備えるということを挙げてあるわけですよ、今おっしゃったように。それをうたっているんだから、そうすると、例えば中越地震のときの、これについてはこういう観測をして、そのデータを気象庁なら気象庁とか、東大の地震研なら地震研とか京大の防災研だとか、そういうところへも情報を送って、生かされて初めて意味があるわけですね。そうでなきゃ、大規模災害への対応に備えるということになってこないわけですよ。

 だから、目的からいっても、大規模災害への備えなら国民にそれらは公開をするべきですし、できないのはおかしいと思うんですが、これはきちんと、そういう場合には公開するんですね。

上原政府参考人 情報収集衛星は、安全保障、危機管理のための必要な情報の収集を主な目的といたしております。そういう意味では、その画像情報でございますが、極めて機微にわたるものでございますので、公表ができないということを御理解いただきたいと思います。

吉井分科員 これは、大規模災害に備えるというのはつけ足しの目的にしかすぎないということがここに出てくると思うんです。本当に国民の危機管理、災害対策などに資するものという、少なくともそのことをうたうならば、必要な情報はきちんと公開しなきゃ意味がないということを言わなきゃならぬと思います。

 さらによくわからないのが、内閣衛星情報センターの発注する情報収集衛星の契約は、JAXAを経由してロケットシステムなどの企業に発注されています。JAXAの、ペーパーマージンといいますか、さや抜き額というのは、二〇〇三年度までの六年間だけで五十八億八千四百万円になります。

 JAXAやNEDOが国から発注を受けて、直接ロケットや衛星の開発、製作したものというのはありますか。

坂田政府参考人 情報収集衛星プロジェクトに関連いたしまして、JAXAのかかわり合いについて少し御説明いたします。

 確かに、JAXAは、内閣官房、文科省を通じてでございますけれども、委託を受けまして、情報収集衛星打ち上げのためのロケットの開発、また衛星の主たる部分の開発を担ってございます。したがいまして、JAXAといたしましては、特に衛星の開発にかかわります職員の人件費等につきましては、いただいた委託費の範囲でそれを賄っているということでございますので、先生が今さや抜きとおっしゃいましたが、言葉の意味は別といたしまして、JAXAとしては、これまで培いました宇宙の専門能力を最大限に活用して、そしてこの情報収集衛星プロジェクトに貢献している、そういう立場でございます。

吉井分科員 私が伺ったのは、JAXAやNEDOが、内閣衛星情報センターから発注されている衛星開発など、直接開発、製作したものはありますかということで、私が聞いているところではないんですけれども、ありますか。

坂田政府参考人 大変失礼いたしました。

 くどいですけれども、情報収集衛星につきましては、JAXAは、例えばメーンのバス、そういったところの開発を担っておりますし、それから、経済産業省あるいは総務省を通じて、それぞれの下部の機関がやはり一定の役割を持っておりますけれども、そことの技術成果もJAXAの側で受け取りまして、全体の衛星の取りまとめ、この辺についてもJAXAが役割を果たしているということでございます。

吉井分科員 もともと打ち上げた衛星のデータも機密なんですけれども、衛星そのものが機密ですから、直接かかわっているものはないというふうに伺っております。

 契約件名、情報収集衛星システムの開発について見ていきますと、二〇〇〇年三月二十七日の最初の請負契約では六百四十九億九千九百万円だったんですが、一カ月ぐらいごととか、あるいは数カ月ごとに、数億円から、大きいものでは五十三億円という範囲で十六回も契約変更が繰り返され、最終的には七百八十三億五百万円に膨れ上がっている。つまり、百三十三億六百万円増額と、一・二倍に膨れ上がっております。十六回契約変更、これはすべてが随意契約であったと思いますが、随契は間違いありませんね。

坂田政府参考人 随意契約、間違いございません。

吉井分科員 これを調べていくと、これは偵察衛星だからとか機密だからといって隠されてしまうんですね。実は、解像度を上げるためとして契約金額は上積みされるという場合がありますが、衛星搭載の光学センサーの解像度を、分解能一メートル上げることでミサイル移動などが手にとるようにわかるというのが、売り文句といいますか言葉ですが、実際の画像というのは極めて大まかで、長期にわたる豊富な観測データを持っていて、優秀な判読能力を持つ者でないと識別は不可能というふうに専門家は指摘しておられたりもします。

 なぜ契約金額は引き上げられるのかといろいろ聞いても、理由がよくわからないままどんどん予算が膨らんでいくのがこの偵察衛星です。機密ということを盾にして契約内容が公開されてこない。これはおかしいと思うんですね。

 そこで、大臣、もともと日本の宇宙開発というのは、国会決議によって平和利用目的でやってきたと思うんですね。それがもともとのJAXAの本来の姿でもあったと思うんです。それが事業内容であったのに、そのJAXAが、今、日本の宇宙研究の平和利用とか、国際的な共同となりますと公開ということが必要になってくるんですが、その性格を変えてしまうのではないか、この心配が出てきております。

 私、冒頭に申し上げましたように、私自身は、宇宙研究とか宇宙開発というのは非常に大事な分野だと思っています。日本は大きな国際的な成果を上げてきたと思っているんです。しかし、それは、日本の宇宙開発、宇宙研究というのが、平和利用とか、それから、その多くを公開するというところから始まっているんですね。その性格を変えてしまうということになってくると、これはやはり大変心配な問題なんですね。この点は大臣に伺いたいと思います。

坂田政府参考人 その前にちょっと。

 先生が先ほど、情報収集衛星の契約で十六回もJAXAが三菱電機と契約を更改して、何かあたかも無用に契約金額を拡大したかのようなとも受け取れるような御発言がありましたので、きちんと申し上げたいと思います。

 JAXAが開発を行う人工衛星、これは今回の情報収集衛星も含めましてですけれども、実は、あらかじめ、その衛星のすべての詳細な仕様だとか開発のための具体的な作業や試験内容を定めることはできません。したがいまして、試験とか実験を繰り返しながら、最終的な仕様とか作業の詳細に向けて進めておりますので、一般的に市場価格の存在するような施設の製作とは異なりまして、詳細が確定したごとに段階的に契約を締結して、そして最終的に取りまとめるものでございます。したがって十六回も契約を変更する必要があったということでございまして、契約自体はきちんと適正に行われたというぐあいに考えております。

中山国務大臣 宇宙の平和利用についてでございますけれども、昨年九月の総合科学技術会議におきまして、我が国の宇宙開発利用全般について今後十年間程度の方向性が基本戦略としてまとめられたところでございまして、本戦略におきましては、我が国としての平和利用のあり方について議論する必要があると述べられているところでございます。

 我が国の宇宙の平和利用につきましては、昭和四十四年の国会決議によりまして平和の目的に限り行うこととされておりまして、この有権的解釈につきましては、もとより国会において議論していただくべきものと認識しておるところでございます。

吉井分科員 大臣、前段、ちょっと普通のレクチャーで聞いておけばいいような話で、レクチャーでもう全部聞いてありますから私自身はわかっているんですが、あなたになぜよくわかっていただくようにしたかといいますと、これは、日本の宇宙開発が平和利用目的とか国際協力、その中には当然公開ということがしっかりないとだめで、しかし、その情報の公開ということがまた技術を高めている力になってきているんですね。

 ところが、契約の中に水増しがあったり、さや抜きと見られるようなものがあったりとか、あるいは機密事項というものが入ってきてわからない部分ができてしまうと、これは巨額の予算を使うだけに、その巨額の予算を使う宇宙開発や研究の性格をゆがめてしまうことになったら大変なんですよ。私はこの分野を大事だと思っているからこそ、いささかなりとも、実際、水増しありました、事実なんですから、水増しがあってもそのまま随意契約やっちゃっていたんですから、そんなことがあっちゃならないし、機密の名においてわからない部分が出てきたら、これは宇宙の研究開発にとっては大変なことなんだ。しかも、年間三千億近い巨額の予算なんですよ。こういうものはきちっとしなきゃいけないということを大臣によく見ていただきたいということで、きょう取り上げた次第です。

 宇宙を含めて科学技術に予算を投じるということは大事なんですが、それは、基礎研究の重視とか大学や国立研究機関の経常研究費の保証とか必要な技術開発は、それを支える中小企業なども含めて支援するということ、これが非常に大事なんですね。巨大科学について、必要な研究開発に公正な研究費投入などが大事なことで、科学に名をかりて利権につながるものが生まれちゃならない、そこは非常に大事なことなんです。

 時間ですから最後に一言だけ申しますと、三菱重工がロケットをつくったりしていますが、三菱にしろその他のかかわっている企業にしろ、リストラをどんどん進める中で大事な技術を失っていく、あるいは技術を持った人々が失われていくということがあります。

 例えば、三菱重工の長崎造船でダイヤモンド・プリンセスが火災で焼失しましたね。あれ、普通だったら考えられないことなんです。上の階、カーペットを敷いて内装をやるときに、下の階の天井に溶接をやったら、千度を超える溶接で火事になるのは当たり前ですよね。そういう工程管理から何からといった基本的な技術が今失われるようでは、ロケットを打ち上げるということは大変なことです。だから、私が日本の中小企業を含めてと言った意味はそういうことなんですが、平和目的に沿って取り組むということをきちっとやっていただきたいと申し上げて、時間になりましたので、終わります。

渡海主査 これにて吉井英勝君の質疑は終了いたしました。

 次に、中根康浩君。

中根分科員 民主党の中根康浩でございます。

 今の吉井先生の宇宙の話とは打って変わって、小さな話をさせていただきます。

 まず、一つ一つ確認する作業を行っていきたいと思いますけれども、幼稚園と保育所の総合施設、したがって、これは、文科の部門で行っても、あるいは厚労の部門で行ってもということでもあったんであろうと思いますけれども、本日は文科の部門で確認作業を行っていきたいと思います。

 まず、平成十七年度においてモデル三十カ園の事業、モデル事業がスタートするというふうに聞いておりますけれども、現在における応募状況といいますか、これを、希望が出たところからそれを選定して、モデル事業としていくということを聞いておりますので、現在の応募状況、スタートは何月ごろから始まっていくのか。そして、その応募している今の園は、幼稚園が保育所的なものを加味していく場合と、それから保育所が幼稚園的なものを入れていく場合と、それぞれ公立のものと私立のものと、どういう内訳になっているか教えてください。

    〔主査退席、萩野主査代理着席〕

銭谷政府参考人 お尋ねの、平成十七年度に実施をいたします総合施設のモデル事業についてでございますが、これは、予算成立後、円滑に実施できるように、現在、厚生労働省と共同で準備を進めているところでございまして、近く、実施希望の聴取を行いたいと考えております。

 実施箇所数については三十カ所程度を予定しておりますけれども、公立の施設と私立の施設のそれぞれについて、幼稚園が保育サービスを付加して実施する形態でございますとか、保育所が教育サービスを付加して実施する形態などをバランスよく選定するということにしております。

 本事業は、予算をお認めいただき次第速やかに実施できるように、今準備を進めているところでございます。

中根分科員 ということでありますと、まだ予算も可決しておりませんし、事業をスタートするわけにはいかないので、どの園がということも決まっておらないということですね。これは、時期的にまだそういうことなんでしょうね。

 そうしますと、年度の途中から始まるということになるわけですか。

銭谷政府参考人 先ほども申し上げましたように、いわゆる事前の希望聴取ということを年度内に行いまして、それで、予算成立したときにできるだけ早くモデル総合施設を指定できるように、年度のできるだけ早い時期にやれるように、私ども、準備をしていきたいと思っております。

中根分科員 そうすると、この四月から入園をするお子さんは、その園が総合施設になる園なのかどうかというのはわかった上で入園できるのか。あるいは、途中から、きょうまでは幼稚園だったけれども、あしたからは総合施設だよという状況になってしまうのか。どうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 作業をできるだけスピーディーに進めまして、入園する時点でわかるようにしていきたいと思っております。

中根分科員 それでは、改めてちょっと確認したいんですけれども、いわゆる幼稚園が行うのは教育だ、それから保育所、保育園が行うのは保育であるという仕分けが今までなされてきたんですが、実際には、現場では親はそんなにそのことを意識してそれぞれの施設に預けているわけでもないということも思います。

 こうやって総合施設を新たに実施するということになって、幼稚園が行ってきた教育、それから保育所が行ってきた保育というものがどういうものであるか、改めて意識に上ってきてしまうということなんですけれども、文部科学省としてとらえている、就学前の子供に対する教育とはどういうもので、保育とはどういうもので、そこにどういう相違点があるかということをお知らせください。

銭谷政府参考人 幼稚園は、先生御案内のように、満三歳から小学校就学前の幼児を対象に、一日に四時間を標準とした教育を行う学校でございます。保育所は、親の就労等の事情により保育に欠けるゼロ歳から小学校就学前の子供を対象に、一日に原則八時間の保育を行う児童福祉施設でございます。

 このように、幼稚園と保育所は、目的、役割を異にしているわけでございますが、保育所の機能のうち、三歳以上の幼児の教育、つまり四時間分につきましては、幼稚園教育要領と保育所保育指針との整合性を保ちながら今進めているところでございますので、かなり共通性があるというふうに思っております。

 それから総合施設の方は、そうなりますと、利用対象者というのは、結局、親の就労の有無、形態で区別することなく受け入れるという形になろうかと思っております。

    〔萩野主査代理退席、主査着席〕

中根分科員 続きましては、総合施設においては、そうすると、例えば保育園に幼稚園的機能を加味するという場合の総合施設、どちらの場合でもいいんですけれども、いわゆる今度の総合施設においては、親が預ける場合、保育に欠けるという要件はなくなるというふうに考えてよろしいですか。

銭谷政府参考人 結局、保育に欠けるかどうかというのは、総合施設では余り考えないということになります。

中根分科員 一つ一つ確認をしていきますので、申しわけありません。

 次は資格の問題なんですけれども、園長それからそのほかの先生、職員の資格は、これはどちらか一方あればいいということだというふうに思いますけれども、その点の確認と、それから、ゼロ歳から二歳の部分、これは明らかに保育の部分なんですけれども、ここは例えば、現状、幼稚園教諭の免許しか持っていない人がゼロ歳から二歳の保育部分を受け持つことになってもそれは可能であるかということの確認をお願いいたします。

銭谷政府参考人 総合施設の問題につきましては、基本的に、中央教育審議会の幼児教育部会と社会保障審議会の児童部会の合同の検討会議というものをずっと開催してまいりまして、昨年十二月にそこが出しました審議のまとめというのが今の基本的なアウトラインになっているわけでございます。

 それで、もちろんまだ確定的でない部分が相当あるわけでございますが、現在の審議のまとめに即してお話をさせていただきますと、まず職員の資格でございますけれども、これは一定の教育・保育の質を確保する観点から、保育士資格及び幼稚園教諭免許を併有することが望ましい、こうなっておりますけれども、常に両資格の併有を義務づけるのではなくて、基本的にはいずれかの資格を有することで従事可能とするということが適当であるという報告になっております。

 その上で、三歳から五歳児の四時間の共通時間につきましては幼稚園の教諭免許を有する者を、それから、お話のございましたゼロ歳から二歳時の保育については保育士資格を有する者をそれぞれ中心にすべきとの意見、これを踏まえて、総合施設の理念、意義に照らしてそのあり方をさらに検討していくということが適当であるというのが審議のまとめの方向性でございます。

中根分科員 次は、先生の配置基準についてお尋ねをいたします。

 現行、保育所の場合、ゼロ歳児については子供三人に対して職員が一人、一歳から二歳については六人に対して先生が一人という基準になっているんですね。三歳については、ここはちょっと、保育所の場合は先生一人に対して子供が二十人、幼稚園の場合は三十五人。四歳、五歳は、保育園が三十人、幼稚園が三十五人というような基準が現在あるということなんですけれども、こういった基準についてはこれからも踏襲していくということであるとするならば、これは幼稚園基準の方と保育園基準の方、どちらを基準として考えていくのか。

 例えば保育園の方を基準とすれば、今まで幼稚園だったところは先生が足りなくなってしまうということも生じかねませんので、そういった場合は、新たに先生を採用するに際して、その総合施設については助成金なり補助金なり、そういったものが投入されるかどうかということを確認したいと思います。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げております幼児教育部会と児童部会の合同検討会議の審議のまとめにおきましては、経営の効率性のみを重視するのではなく、次代を担う子供の健やかな育ちを中心に置いた上で、地域の実態に応じ、かつ地域の創意工夫が発揮できるように柔軟な対応が可能なものとすることが必要とされているところでございます。

 したがいまして、私ども、十七年度、モデル事業を行うわけでございますけれども、そのモデル事業の状況を見ながら、本格実施された際の総合施設の職員の配置について考えていきたいというふうに思っております。

中根分科員 そうすると、来年はどちらでもいいといいますか、どちらでもいいというわけじゃないんですけれども、要するに緩い方の基準でいうと、今まで幼稚園だったものが保育所の性格を帯びていく形の総合施設の場合は三十五人に対して一人でもいいということですか。

銭谷政府参考人 今、最終調整を厚生労働省と行っておりますけれども、モデル事業でございますので、できるだけいろいろなケースがあってよろしいんじゃないかと思っておりますので、弾力的な扱いをしながら、職員配置についてはモデル事業の様子を見ていくということになろうかと思います。

中根分科員 その点については、現場において保護者から不満のようなものが、うちの園は先生一人当たりに対する子供の数がほかの園よりも多くなっちゃったからちょっと損しちゃったわなんということが出ないようにお気をつけいただいて進めていただきたいと思います。

 次は、給食のことについて確認をしたいと思います。

 幼稚園が保育所をという形の総合施設の場合は、もともと幼稚園には基本的には調理室はないことが多いわけです。ですから、この場合は、外部からの給食をとるということになるか、あるいは家庭からのお弁当を持ってくるということになるか。それから、保育所が幼稚園を入れる場合の総合施設、この場合は、調理室が必置基準ということに今までなっていたはずですので、そういった場合は、全部、園における給食といいますか、園でつくった給食が提供されることになるのか、あるいはそうでないケースもあるのか、その辺はいかがでしょうか。

銭谷政府参考人 今、いみじくも先生の方からお話がございましたように、来年度実施いたしますモデル事業は幾つかのパターンがあろうかと思っております。例えば、既存の幼稚園と保育所とが連携をして実施するような場合とか、お話にございました、幼稚園に保育所的な機能を付加して実施する場合、あるいは保育所に幼稚園的機能を付加して実施する場合、いろいろな場合があると思うのでございますけれども、先ほど来申し上げております審議のまとめにおきましては、この点も、給食の問題も相当議論になったのでございますけれども、食事も含めた乳幼児の成長にふさわしい環境づくりといった観点から検討を行っていくことが必要であるということで、この点についても、食事も含めた子供の成長にふさわしい環境づくりについて、モデル事業の実施状況を見ながら本格実施の場合の制度設計を考えていくということになっております。

中根分科員 済みません、次から次へと細かい質問で恐縮でございます。

 先ほどから幼稚園は四時間だという話がありますけれども、この総合施設における幼稚園部分、これは基本的には何時から何時までの四時間というものを想定しておられるんでしょうか。

銭谷政府参考人 基本的に、総合施設におきましては、このモデル事業の場合もそうでございますが、四時間程度の共通の教育・保育時間があるわけでございますけれども、これは通常であれば午前中ということになるわけでございます。通常というか、普通、午前中四時間、共通に教育・保育を受ける、その後午後、全体として八時間というのが、これは希望をすれば皆受けられますし、場合によっては途中から帰宅させることもできますし、日によっては四時間だけ受けて帰る子もいるだろうというふうに思っております。

中根分科員 午前中四時間というと、例えば九時からだと三時間で、午後の一時までになっちゃうんですけれども、要するにそのあたりは九時から一時ということですね。

 そうすると、必ず給食の時間もそのコアの時間の中に入ってくるということですので、食事ということも教育や保育の大切な一要素でありますので、給食ということはお母さんたちからも関心の高いところでございますので、またしっかりと検討していただきたいと思います。

 そういう四時間というものが設定された場合に、幼稚園だとその後は預かり保育という形になっていく、それから保育園コースを利用する子供は引き続きということになっていくと思います。基本的に幼稚園コースを選択した子供で、たまたまその日は預かり保育を利用した、その総合施設において預かり保育というものが行われていた場合ということなんですけれども、預かり保育を利用する子は、保育園のコースの子と一緒に午後はそちらの方にまじって生活をするということになるのか、預かりは預かりの方だけでやっていくということになるのか、このあたりはどうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、総合施設のすべての子供に共通して四時間程度の教育・保育がまずあります。

 その後でございますけれども、それは個々の子供の状況に応じたサービスが提供される。逆に言うと、親御さんの御希望、要望に応じたサービスが提供されるということで、例えば、これは園によっていろいろなやり方があると思いますけれども、最初から毎日八時間の保育を希望する方もいるでしょうし、日によって四時間で帰宅する、ある日は八時間やるとか、あるいは、原則は四時間にして、希望した場合に八時間やるとか、いろいろな個々の子供の状況に応じたサービスが提供されるということで、特に今私どもとしては、保育所コースとか幼稚園コースといった区別というのは余り設定するということは考えていないわけでございます。

 いずれにいたしましても、来年度のモデル事業の中で、子供の視点に立って、個々の子供の状況に応じたきめ細かな対応に留意して事業実施をしていただいて、その様子を見たいというふうに思っております。

中根分科員 預かりのやり方については個々の園のやり方だというふうに理解をいたします。

 続きましては、またこれも細かい話なんですが、夏休み、冬休みの長期休暇なんです。

 総合施設においては、幼稚園コース、四時間のコースを選んだ子は幼稚園だということで夏休みがあって、八時間のコースを選んだ子供は保育園だということで夏休みや冬休みはないということなのか。あるいは、どのコースを選んだ子供であっても、親がどういうふうに希望するかによってそれは違うんだとか、夏休み、冬休みはどういうふうになるんでしょうか。

銭谷政府参考人 先生御案内のように、今、幼稚園は学校週五日制が導入されておりまして、かつ夏休み、冬休みなどの長期休業期間が設定されているわけでございます。保育所の方は、週末の休みの取り扱いは地域の実情に応じて判断されているわけでございますけれども、一般に夏休みや冬休みなどの長期休業期間は設定されていない、こういう違いがございます。

 では、総合施設はどうなるのかということでございますけれども、これもまた、先ほど来申し上げておりますようにモデル事業の様子を見ながら決めていくことになるわけでございますけれども、基本的にはできるだけ子供たちを受け入れるということが要請されておりますので、必ず夏休み、冬休みを設けなさいとか、そういうことには多分ならないんじゃないかなというふうに思っております。

 また、そこに通っている子供たちについてどういう扱いをするのか、この辺も、本格実施の具体的な制度設計を進める中でさらに検討していかなければいけない課題だと思っております。

中根分科員 次に、さまざまな補助金のことについてなんですけれども、私立幼稚園については、例えば経常費補助金、就園奨励費補助金、施設整備費補助金、そのほか各種、最近新しくいろいろな子育て関係の補助金が出る。私立保育園にも運営費補助金等が出ている。こういった補助金の出どころは、この総合施設についてはこれからどういう流れになるんでしょうか。例えば両方からということになると、事務をする人は大変煩雑で面倒な作業が強いられるということにもなろうかと思いますけれども、この補助金の出どころ、あるいはその事務作業、どういうふうに総合施設ではなされていくか、少し想定してみてください。

銭谷政府参考人 総合施設に対する財政措置、これは大変大きい問題でございまして、今後さらに検討を進めていくということになろうかと思います。

 審議のまとめにおきましては二点ほど言われておりまして、一点は、利用者からの利用料だけで賄うのではなくて、次世代育成支援の理念に基づいて社会全体が負担する仕組みとしていく必要があるということと、二つ目には、総合施設の意義、理念に照らして、新たな枠組みにふさわしい費用負担の仕組みを検討していく必要があるとだけ御提言いただいておりますので、私どもといたしましては、厚生労働省ともよく御相談をし、連携しながら、総合施設の具体的制度設計を進めていく中で、財政措置の仕組みについても十七年度さらに検討していかなければいけないと思っております。

中根分科員 もちろん、財政措置についても十分、将来のこの日本を担う子供たちの生きる力をはぐくむためにしっかりと行っていただきたいと思いますし、また、現場の事務作業をする人が、厚生労働省からも来る、文部科学省からも書類を提出しなさいというふうに来る、そういったことが面倒だ、だから、総合施設をやりたいけれども事務が面倒だからやめようということで、せっかく普及させようと思ってもそれがゆえに普及しないということになってしまっては残念な話ですので、そういったあたりもよく御配慮いただきたいというふうに思います。

 時間もそろそろ大分押し詰まってまいりましたけれども、利用料についてお尋ねをいたします。

 利用料は、契約で、それぞれの園で設定されたものを入園した保護者が払うということなんですけれども、そのほかにその地域において選択肢がない場合、今まで保育園だったものが総合施設になってしまった。そうしたら、今までは、例えば所得が低いから低額の保育料で入園することができたんですけれども、総合施設になったら、それが二万円なら二万円、一律になってしまった。

 低所得者が入園をするのが難しくなるというか、ちゅうちょする状況になるというようなことがないように、低所得者対策みたいなものはいかがでしょうか。

銭谷政府参考人 まず、総合施設の利用料はどういうふうに決まるかということでございますけれども、総合施設の利用形態としては、利用者と施設との直接契約、これが望ましいという考え方に立っております。

 それで、その場合、利用料につきましては、例えば、共働きや一人親の家庭であって保育を必要とする場合など、配慮が必要な家庭が排除されないような仕組みを検討する、あるいは障害を持った方への対応についても配慮するといったようなことが適当だと思われておりますので、今後、具体的な制度設計を進めていく中で、利用料のあり方についてもさらに検討していくことになろうかと思います。

中根分科員 今、障害児をという話もしていただきましたが、障害児を受け入れて、そこに一人手厚く先生を、加配といいますか、障害児担当の先生を新たにふやすというようなことになった場合に、その補助金みたいなものは厚生労働省か文部科学省か、どちらから出るのか。今、例えば幼稚園なら文部科学省から出ていますし、保育園だったら厚生労働省からだと思いますが、どうなんでしょうか。

銭谷政府参考人 先ほど来、ずっと検討するというお話ばかりで恐縮なんでございますが、ただ、審議のまとめにおきましても、総合施設における障害のある子供の受け入れに関しては、総合施設の利用形態のあり方として、「障害児への対応についても配慮することが適当」、こうきちんと提言をいただいております。ですから、この提言を踏まえて、結論的には、具体的な制度設計を進めていく中でよく検討していくということになろうかと思います。

中根分科員 ぜひ、新しくつくる総合施設ですので、むしろ今まで以上に障害児を積極的に受け入れるという姿勢で臨んでいただければありがたいと思います。

 本格実施というものが平成十八年度から、今も何回も言葉として出てくるんですけれども、本格実施というのは、どの程度の数といいますか、どの程度のものを本格実施というふうに考えておられるんでしょうか。

銭谷政府参考人 十七年度のモデル事業の状況を見ながらいわゆる本格実施を検討することになるわけでございますが、総合施設の規模、数というものについては、多様化する幼児教育・保育のニーズに応じて各地域で判断をしていただくということになろうかと思いますので、現在のところ、どのぐらいの規模になるのかというのは、なかなかお答えするのは困難であろうかと思います。

中根分科員 今回の総合施設、平成十七年度において三十カ園のモデル事業が行われる総合施設は、いわゆる私どもが今まで言ってきた幼保一元化というものとはまた違うということで、幼稚園があって、保育所があって、もう一つ、第三の選択肢としての総合施設があるという形になってくると思います。

 まだまだいろいろ決まっていない、詰め切れていないところがたくさんあるみたいですので、ぜひ、保護者にとって、子供たちにとって、よりよい総合施設がはぐくまれていくといいというふうに思っています。

 ぜひとも、ここから先については、この総合施設を試すことを通じて、いわゆる幼保の一元化、厚生労働省と文部科学省の縦割りの弊害、そのことが、子供たちあるいは保護者にとって就学前の育ちということについて不便さをもたらしている、そういったことがもしあるとするならば、そういったものをきちんと根本的に解消していく一元化というもの、例えばこれは、民主党が、子ども家庭省をつくって、子供の育ちについては、就学前の子供については、文科省でもない厚労省でもない、そんな縦割りではない一元化された組織と一元化された環境の中で子供たちの生きる力をきちんとはぐくんでいくということも提唱させていただいておるわけでございますけれども、そういった方向へ踏み込んでいけるような総合施設の実験といいますか、試みであってほしいというふうに思わせていただいております。

 それから、今いろいろなところで学校の安全対策ということが言われるんですけれども、幼稚園あるいは保育所、こういったところは、やはり女性が中心の職場なんですね。だから、もし何か、一たん不審者が侵入したり、そういった事件が発生した場合には、本当に非力な職場だと思います。

 そういった意味でも、幼稚園、保育所に対する安全対策、ガードマンをつけるとか、あるいは監視カメラを設置するとか、それぞれの園はお金がふんだんにあるところは少ないと思いますので、厚生労働省なりあるいは文部科学省なり、何とかお金を捻出していただいて、こういう幼稚園や保育所に対する安全対策ということも充実していただきますようにお願い申し上げまして、本日の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

渡海主査 これにて中根康浩君の質疑は終了いたしました。

 次回は、来る二十八日月曜日午前九時から本分科会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時六分散会


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