衆議院

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第1号 平成19年2月28日(水曜日)

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本分科会は平成十九年二月二十六日(月曜日)委員会において、設置することに決した。

二月二十七日

 本分科員は委員長の指名で、次のとおり選任された。

      佐藤 剛男君    中野  清君

      萩山 教嚴君    増原 義剛君

      岩國 哲人君    佐々木憲昭君

二月二十七日

 萩山教嚴君が委員長の指名で、主査に選任された。

平成十九年二月二十八日(水曜日)

    午前九時開議

 出席分科員

   主査 萩山 教嚴君

      赤池 誠章君    大塚 高司君

      加藤 勝信君    亀岡 偉民君

      佐藤 剛男君    中野  清君

      丹羽 秀樹君    馬渡 龍治君

      増原 義剛君    逢坂 誠二君

      田島 一成君    田嶋  要君

      佐々木憲昭君

   兼務 大島  敦君 兼務 高井 美穂君

   兼務 斉藤 鉄夫君 兼務 阿部 知子君

   兼務 糸川 正晃君

    …………………………………

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   文部科学副大臣      池坊 保子君

   政府参考人

   (内閣府政策統括官)   丸山 剛司君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房文教施設企画部長)      大島  寛君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         磯田 文雄君

   政府参考人

   (文部科学省科学技術・学術政策局長)       森口 泰孝君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長)            徳永  保君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        樋口 修資君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

   予算委員会専門員     清土 恒雄君

    ―――――――――――――

分科員の異動

二月二十八日

 辞任         補欠選任

  佐藤 剛男君     赤池 誠章君

  増原 義剛君     丹羽 秀樹君

  岩國 哲人君     逢坂 誠二君

  佐々木憲昭君     笠井  亮君

同日

 辞任         補欠選任

  赤池 誠章君     馬渡 龍治君

  丹羽 秀樹君     亀岡 偉民君

  逢坂 誠二君     田嶋  要君

  笠井  亮君     赤嶺 政賢君

同日

 辞任         補欠選任

  亀岡 偉民君     加藤 勝信君

  馬渡 龍治君     大塚 高司君

  田嶋  要君     田島 一成君

  赤嶺 政賢君     塩川 鉄也君

同日

 辞任         補欠選任

  大塚 高司君     佐藤 剛男君

  加藤 勝信君     増原 義剛君

  田島 一成君     岩國 哲人君

  塩川 鉄也君     高橋千鶴子君

同日

 辞任         補欠選任

  高橋千鶴子君     吉井 英勝君

同日

 辞任         補欠選任

  吉井 英勝君     赤嶺 政賢君

同日

 辞任         補欠選任

  赤嶺 政賢君     穀田 恵二君

同日

 辞任         補欠選任

  穀田 恵二君     佐々木憲昭君

同日

 第一分科員大島敦君、第二分科員阿部知子君、第五分科員斉藤鉄夫君、第八分科員高井美穂君及び糸川正晃君が本分科兼務となった。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 平成十九年度一般会計予算

 平成十九年度特別会計予算

 平成十九年度政府関係機関予算

 (文部科学省所管)


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     ――――◇―――――

萩山主査 これより予算委員会第四分科会を開会いたします。

 私、萩山教嚴でございますが、本分科会の主査を務めることになりました。よろしくお願い申し上げます。

 本分科会は、文部科学省所管について審査を行うこととなっております。

 平成十九年度一般会計予算、平成十九年度特別会計予算及び平成十九年度政府関係機関予算中文部科学省所管について審査を進めます。

 政府から説明を聴取いたします。伊吹文部科学大臣。

伊吹国務大臣 平成十九年度予算の編成に当たりましては、内閣の最重要課題であります教育の再生やイノベーションの創出など科学技術・学術の振興、さらに、スポーツ、文化芸術の振興についての施策を総合的に展開するため、文部科学予算の確保に努めてきたところであります。

 文部科学省所管の一般会計予算額は五兆二千七百五億円、エネルギー対策特別会計は、これはまだ仮称でございますが、一千四百七十九億円となっております。

 以上、何とぞよろしく御審議くださいますようお願いいたします。

 なお、詳細の説明につきましては、お手元に配付しております資料のとおりでありますが、時間の関係もございますので、主査におかれましては、何とぞ会議録に掲載されますよう御配慮をお願い申し上げます。

萩山主査 この際、お諮りいたします。

 ただいま文部科学大臣から申し出がありました文部科学省所管関係予算の概要につきましては、その詳細は説明を省略し、本日の会議録に掲載いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

萩山主査 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

萩山主査 以上をもちまして所管についての説明は終わりました。

    ―――――――――――――

萩山主査 この際、分科員各位に申し上げます。

 質疑の持ち時間はこれを厳守され、議事進行に御協力を賜りますようお願い申し上げます。

 なお、政府当局におかれましては、質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔明瞭にお願いいたします。

 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。阿部知子君。

阿部(知)分科員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 現在、最も多くの困難を抱えます子供たちのために、本日、三十分のまとまったお時間をちょうだいいたしまして質疑できることを深く感謝いたします。

 私は、もともと小児科の医師で、ことしで医師となって三十一年目と相なります。こうした子供たちのそばに寄り添って仕事をしてきた中でも、特に近年の子供たちの状況というのは私も深く心を痛めますし、また、安倍内閣でのお取り組みが教育問題が第一であるとなさっていることは、私は非常に評価いたしております。

 そして、具体的に子供たちのために何ができるのか、さまざまな批判や分析があると思います。でも、それ以上に、一歩でも二歩でも子供たちの状況をよくするために何ができるかをきょうは伊吹大臣と御質疑をさせていただければ本当にうれしい限りです。

 大臣も覚えておいでと思いますが、昨年の一月三日の朝日新聞には、小学校、中学校、義務教育課程の子供たちの就学援助費の比率が、一九九八年から二〇〇四年まで比べて非常に増加しておる、四割以上増加しておるという数値だったかと思います。私も深く衝撃を受けましたし、理由は、学校生活において給食や修学旅行あるいは学用品というのは、子供たちが日々を過ごすに不可欠な、大事な分野と思いますが、その分野において援助が必要となるような御家庭がふえておるということでございます。

 ちなみに、この発表がございました二〇〇四年度でございますと、就学援助費を受けておられるお子さんの比率は、生活保護水準の方が要保護、そして各自治体で異なりますが、それに次ぐような準要保護という形で自治体が施策し、平成十六年度までは国もその半額を別途支給しておりましたが、そうした準要保護ということを合わせますと、要保護が一・二五%、準要保護が一一・五二%で約一二・七七、一二・八と切り上げる数値が出ておりました。一方、ことしいただきました数値では、要保護の方が一・二七、そして準要保護が一一・九七、これを合わせますと一三・二四%と、またふえておるわけであります。

 もちろん、各自治体が、準要保護の方は、例えば、生活保護レベルの一・一倍でやる足立区のようなところ、あるいは家計の世帯の収入を一・二倍という線引きをするところ、おのおのさまざまでございますが、いずれにしろ、自治体が考えて、お子さんたちが就学するに必要な援助であるという御判断をされて、国は今それを一般会計の中で補てんするという形式に改めておられます。

 一方、ことし、やはり一月でございましたか、文部科学省がお調べになって、給食費の未納の御家庭がどのくらいあるかという調査があります。雑駁に言うと、十万人余りの子供が給食費が未納の状態になっておって、例えば、先生方に伺った調査だと思いますが、それを分析すると、三分の一くらいの御家庭が経済的な理由でお払いが滞っておるのではないか、その他の理由もございますが、三分の一ということでございます。

 そうすると、こうした要保護、準要保護という形で施策し、一方で、またさらに生活困窮のために給食費が滞るお子さんが出ているという事態がここに発生しておりますが、まず、大臣はこのことをどのようにお受けとめでいらっしゃいましょうか。

伊吹国務大臣 基本的には、義務教育というのは、本来、所得、地域の差なく児童が受けるべき教育ですから、今先生がおっしゃった給食費、教材費等それに付随する経費について公的な助成を受けないといけないという状況は、率直に言うと、子供にとって決していいことではないと思います。

 有効求人倍率あるいは失業率がかなり改善してきておりますので、今おっしゃった数字がもう少し私は改善してくるのではないかとは思いますけれども、いずれにしろ、働く意欲を持って、あるいは働ける状況にある方々をできるだけやはりふやしていくというのが国の基本ですから、それでもなお御家庭の事情等で十分な所得の得られない方々については、特に義務教育段階においては、やはり地方自治体を含めて我々が最善のケアをしていくというのが、これはあるべき姿だと思います。

阿部(知)分科員 現在でも、例えば、大阪府などでは三世帯に一世帯の子供さんが就学援助を受けられる、東京都が四世帯に一世帯、東京都の足立区になりますと二世帯に一世帯という形で、大臣の今お答えにありますように、景気の影響を受けて、子供たちを抱えた世帯の収入が非常に減少しておる。やはりこのあたりは、申しわけありませんが、教育の問題でもし十分な教育を受けられないと、いわゆる貧困の次世代送りということが生じてまいりますし、まず国として率先して手当てをしていただきたい部分とは私も思います。

 そこで、きょう大臣に、お手元に資料がございます。これは、全国消費実態調査というもの、ちょっと、きのう夜分に急ぎましたので、送っていただきましたままのコピーで、汚くて恐縮ですが、これを見ていただきますと、お子さんが一人、二人、三人おいでの御夫婦、ちなみに母子世帯等々は非常に世帯収入が少のうございますが、ここのモデルは御夫婦とお子さんが一人、二人、三人というところで比べましても、例えば年収が二百万円未満の世帯、子供さんがお一人の場合は、平成十一年度で全体を一〇〇として〇・四、これが平成十六年度で〇・七と、下の段でふえております。お子さんが二人の場合も、平成十一年度では〇・三、十六年度は〇・三、さらに夫婦と子供が三人の場合が、〇・二であったものが〇・三、さらに、二百万から三百万という世帯も、平成十一年度に比べまして明らかにふえております。

 この三百万円未満という数値は、私どもが想像いたしますにも、お子さんを抱えて暮らしていくには大変に困難が大きい。四百万円以下もふえておりまして、これから類推しても、やはり世帯の貧困化という言葉が浮かんでくるような実態が生じております。ちなみに、平成十六年度でとれば、年収三百万円以下の御家庭で子供がお一人というところは四・一%になってまいるわけですから、非常に深刻な事態が生じております。

 これが、大臣がおっしゃるように、景気の変動等々で上向きであればよろしゅうございますが、ここは厳重に大臣の方もデータをお集めいただきまして、子供たちを育てる家庭の困窮状態と申しますところは、私は何度も申して恐縮ですが、非常に問題が深刻で、今、先進諸国、OECD諸国の中でもむしろ先進国の中での貧困が問題視されております。一般世帯収入の半額に満たない世帯の収入ということがクローズアップされておりますので、ぜひ文部科学省としてもそこは注意を喚起しておいていただきたいと思います。

 きょうお尋ね申したいのは、そういう家庭の貧困化という問題と同時に、これはこのたびの文部科学省の調査でもそうでございましたが、十万人の給食費、お払いになっていないお子さんたちの三分の一が経済要件。恐らく、これは先生たちから見た調査ですので、御家庭の側から見ればまた違う数値も上がってまいろうかとは思いますが、とりあえず三分の一と押さえたとして、残る御家庭では、実際にはもしかして支払い能力がおありかもしれないのだけれども給食費をお払いでない。

 そういたしますと、給食費を払っていない家庭のお子さんと払った家庭のお子さんの間で、当然、そのことを子供自身が知ることがあるかないかということは一つございますが、やはり子供同士の差別やいじめの原因にもなっていることもあろうかと思います。

 私は、今の日本の社会というのは、もちろん一方で貧困化の問題がありますが、もう一方は、家庭、家族が子供を中心にしてその子たちのために一生懸命力を寄せ集めていく家族力と申しましょうか、そういうものを大きく喪失してきているように思います。

 そこで、例えば、柳澤大臣の女は子供を産む機械発言のときも申しましたが、日本の家族政策の中で家族サポートということをもっと中心に据えてほしいということを申しましたと同様に、やはり学校のいろいろな仕組みの中でも、家族サポートという問題をもっと私は重要視していただきたいと思うわけであります。

 そこで大臣へのお伺いですが、現状で、さまざまないじめ問題や不登校、あるいはこうした給食費の未納問題もそうかもしれません、問題を抱えた御家族や子供たちへの支援というものはどのようにお考えであるか、この一点をお伺いいたします。

伊吹国務大臣 その前に、その給食費の問題を含めまして、なかなかこれは、やはりプライバシーの問題があって、正確な把握は難しいと私は思います。

 この全国消費実態調査というのもいただいておりますが、これは所得の、要するに階層別の配分表ですね。だから、これを見ると千五百万とか千二百五十万だとかというところもぐっと減ってきているんですね、一千万以上も。ということは、逆に言うと、どこがふえているかというと、中流のところがぐっとふえてきているわけです。

 これは、世帯主の、あるいは申告をしておられる方の所得なのか、パートの方も入った所得なのか、その辺のことも少しチェックしないといけませんが、先生の問題意識として、家族の暮らしの中身が学校、特に義務教育の場にいろいろな形で影響してくるから、言うならば、今我々がやっております臨床心理士のような方々を相談相手にするのと同時に、福祉事務所的なケアを学校現場で連絡をよくしてやった方がいいよという御注意だろうと思うんですね。

 これは、いわゆるソーシャルワーカーと言われる社会福祉士だとか介護福祉士というのは、行政でいうと都道府県、市町村の福祉事務所に多く勤務しておられますので、とりあえずはその方々との連携を十分とりまして、学校現場でそういう方々を配置している県も、先生と同じような問題意識を持って、大阪だとか香川だとかはやっておられます。

 我々はその方向も促進していきたいと思いますが、何分、予算に限度があるというか、国民が負担されるお金には限度がございますので、まず臨床心理士の能力を持った方を配置しながら、今の御注意も念頭に置いて、福祉事務所とも連携をとって、子供に支障の出ないように、そしてまた予算に少しでも余裕が出てくれば、先生がおっしゃっているような御家庭のケアを考えた教育現場というものを考えていく必要があると認識しております。

阿部(知)分科員 前段の分析にかかわることですが、これは、勤労者の所得だけでなく、世帯の所得だ、世帯収入にかかわるもので、消費の側から見ていますから、大臣がおっしゃるように、例えば給与明細とパートも合わせたというよりは消費調査でございますので、使われた方を見ておる調査かと思います。

 その上で、中産階級がふえてきているということには必ずしもならなくて、年収の六百万から八百万あたりは、平成十一年度でも平成十六年度でも、比率的には大体そこにピークがあるものと思います。これは所得平均を出すとそうなのですが、この表で特徴的なのは、三百万円以下のところがぐぐっとふえ、さらに一千万円以上のところは減っておる、勤労世帯はそういう特徴を持っているのかと今私は分析しております。

 そうしたことをお伝えした上で、大臣はもう私の言いたいことを先取りしてお答えくださいましたが、実は病院などでもメディカルソーシャルワーカーというものを配置して、これは、病院に入院された方が例えばどんな福祉のサービスを利用できるか、極端なものは、生活保護の申請から、あるいは、家がない方もおられて、どこに住居を定めるかなど、あるいは病院の転院、こちらからこちらになどということも含めて、今、私のおります医療現場では、このソーシャルワーカーという者がいないと成り立たないほど、それは一方で、実は、患者さんたちも貧困化しておられますし、御高齢化して、ついの住みかを求める方も多くなっているという、これは社会現象かと思います。

 一方で、子供たちの学校現場では、今大臣がお答えのように、予算に限りがあって、そして、今年度の予算では、スクールカウンセラー、相談員の方に五十億のお金が配置され、これは、全国一万の中学校にほぼことしからは配置される予算立てになっております。

 私は、そのことは評価した上で、実は、大臣も御承知のように、今、非行も不登校もいじめも、あるいはこの給食費問題もそうですが、低年齢化、要するに、小さいうちのその子をはぐくむ家庭要件も含めたところからもう問題が発生しておりまして、先ほど来申しますように、家庭が貧困化したりすれば、当然、問題はそのようになってきて、中学校に配置されるスクールカウンセラーと、一方で、もう少し幼いうちからというか、子供が小さいうちからその家庭要件をしっかりさせるということは、いわば予防に結びつくような大きな役割を持っていると思います。

 例えば、イギリスなどでは、教育福祉という言葉があるように、今まで日本の学校教育は、もちろん福祉分野との連携がなかったわけではありませんが、比較的この高度経済成長の中で、むしろ豊かさゆえに子供たちに出てくる問題というものが結構多かったように思います、一方で貧困の問題もありましたけれども。でも、これからは、虐待もいじめも、さまざまな問題、本当に家庭にどうやってアクセスできるかというところが問題で、実はそのために先生たちも大変に御苦労をされておる。教育の中身の方に力を入れたいのだけれども、子供が落ちつかない、あるいは家で虐待されているようだ、あるいは給食費を払っていないなどの問題になると、先生たちも、限られた時間、限られたエネルギーの多くをその要件の方に向けねばならなくなっていると思います。

 大臣は予算の配分もあるということを、もう本当にそのとおりと思いますが、ぜひ大臣の任期中に、世界各国、実は、スクールソーシャルワーカーの方ですね、カウンセラーじゃなくて、アメリカでは一万人余りが配置されております。理由は、アメリカの方が貧困化が、格差が大きゅうございます。

 そうしたことから、しかし、幼いころ家庭にどうやって介入しておけるかということが、その子を守ったり、その子の全的な発育ということにつながりますので、きょう大臣にいただきたい御答弁は、そうか、わかった、各国のそうしたスクールソーシャルワーカーの実態を調べて、日本も次は予算を獲得するぞくらいに前向きにぜひお答えをいただきたいのですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 予算の分科会ですから、少し細かなことになって、私がお答えするのは適当かどうかわかりませんが、今御審議いただいている予算でも、約十二億円のお金を計上しているんですね。そして、このお金で、いじめや不登校等の未然防止、早期発見、早期対応、つまり、先生がおっしゃった、家庭に起因するいじめ、不登校その他について、関係機関とのネットワークを活用した早期からの支援をやるというので、この予算は新たに十九年度から査定を受けた予算なんですが、全国で二百四十七地域を指定しております。

 この中には、先生がおっしゃったスクールソーシャルケースワーカーというんですか、この人たちも当然、そういう形で介護福祉士の人たちも入っていただける、これはもう地方分権、地方自治の時代ですから、地方自治体がまさに先生のおっしゃったようなことを念頭に置いて、ぜひ先生のお地元の自治体にひとつそのことをきっちり話していただきたい。

 そして、各国でどういうことになっているかというのはよく調べていると思いますし、必要ならお答えさせますが、限られた予算ではありますけれども、先生がおっしゃったことの大切さは十分認識をして、今後の行政をやらせていただきたいと思っております。

阿部(知)分科員 スクールソーシャルワーカー、横文字ばかりで大変にわかりにくい。そして、申しわけありませんが、大臣が言う介護福祉士とはちょっと言葉が違いまして、ソーシャルワーカーというのは、いろいろな利用できる福祉ネットワークをつくる方でありまして、これはかなりの専門性を必要とされます。

 例えば、学校に配置された場合は、校長先生、教頭先生、担任、そして福祉事務所の皆さん、御家族、医療機関などを全部ネットワークする中心と言うと変ですが、例えれば鵜飼いの鵜匠のような立場でネットワークしていくわけであります。それで、やはり社会福祉士という専門の資格も入り用になってまいりますし、しかし、そうした専門性がきっちりとないと、これがまたなかなかケースが複雑で、入り組んで、困難で、学校の方も先生たちも本当に信頼に足る人材でないとできないということがございます。

 ちなみに、今年度の予算で五億が計上されている小学校の教育相談体制というのがございますが、それは、子どもと親の相談員の配置や生徒指導推進協力員の配置ということで、相談員は九百十校、そして生徒指導推進協力員は二百十地域となってございます。これもよいことで、評価いたしますが、しかし、本当にソーシャルワークということをやっていくには、申しわけありませんが、まだまだ力量がない配置かと思います。

 大臣がおっしゃってくださったように、各国のことはよく担当部局が勉強しておるということでありましたので、ではお願いいたします。

伊吹国務大臣 いやいや、答えさせますが、ちょっとその前に。

 先生が横文字でスクールソーシャルワーカーということをおっしゃるときには、社会福祉士及び介護福祉士法に基づく社会福祉士のことをおっしゃっているんですか。そうじゃなくて、社会福祉士的な方もおられるけれども、介護福祉士的な方も含めて要するに鵜飼いの鵜匠のようなということになると、これはやはり、横文字で、外国はこうだというんじゃなくて、日本で、やはり厚生労働省でしかるべき国家資格をきちっと確立しないと、それを確立しておかずに学校でやるというと、社会福祉士や介護福祉士を暫時使うことになりますよということを私は申し上げているわけです。

阿部(知)分科員 介護福祉士というのは全く違う資格で、社会福祉士は厚生省の方でも国家資格化されております。(伊吹国務大臣「しかし、社会福祉士をおっしゃっているわけじゃないんでしょう」と呼ぶ)そうです。社会福祉士が学校で働く場合はスクールソーシャルワーカー、病院で働く場合はメディカルソーシャルワーカーとなります。資格は社会福祉士を要件といたします。

 そして、地元で頑張れとおっしゃってくださった。本当にそうだと思っておりますが、実は、今一番頑張っているのが大阪府でございます。この大阪府は、今、七人のスクールソーシャルワーカーを県の教育委員会が各市、七市に配置しておるということで、ここに実績もありますし、どういう活動をしておるかということが我が国の場合で書いてございます。これは、大臣おっしゃってくださるように自治体が頑張る、しかし、それについて、国も支援して、補助するぞと、相対でございますから、そういうこととして発展させていただきたい。

 済みません、もう時間がないので。

銭谷政府参考人 では、二点だけ御説明させていただきたいと思います。

 外国の事例でございますけれども、アメリカでは、公立学校にスクールソーシャルワーカーがかなり広く配置されていると承知いたしております。その場合、アメリカのある州では、修士号を持っている方で、そして、州の保健局がソーシャルワーク認可証というものを発行いたしまして、それが任用される場合の資格要件になっているということで、一応ソーシャルワーカー用の資格というものがあるということのように理解をいたしております。

 それから、もう一点でございますが、小学校に今子どもと親の相談員というものを配置いたしておりまして、子供や保護者からいろいろな相談にあずかれるようにしているわけでございます。この相談員には、教員のOBの方が多いんですけれども、それ以外に福祉関係の方もかなり登用されておりまして、そういう方が必要に応じて子供や親の相談にあずかっているということでございます。

 なお、スクールカウンセラーにつきましては、中学校は、十九年度予算案におきまして、全校配置ということが可能な額を今お願い申し上げておりますけれども、このスクールカウンセラーも、小学校へも随時派遣できるような運用の仕方はしているところでございます。

阿部(知)分科員 小学校には、カウンセラーではなくてワーカーにしていただきたい。子供にカウンセリングというのは難しいんですね。やはり家庭要件をきっちり整えるということが先決で、そこは大臣がおっしゃるように厚生労働省との一緒になった取り組みかと思います。

 質問を終わらせていただきます。ありがとうございます。

萩山主査 これにて阿部知子君の質疑は終了いたしました。

 次に、逢坂誠二君。

逢坂分科員 民主党の逢坂誠二でございます。

 きょうは、私の尊敬する伊吹大臣と議論ができるということで、大変うれしく思っております。

 と申しますのは、世間の評価はいろいろあるんでしょうけれども、伊吹大臣のさまざまな場面での身のこなし、仕切り、私は、なかなか学ぶものが多いな、特に、委員会でのやじ、ひとり言、非常にこれは学ぶべきものが多いというふうに思っております。それからまた、本会議場でいろいろ発言をされるとき、伊吹大臣は必ずしも官僚の書いた原稿に頼るということをいたしておりません。自分の言葉でそしゃくされて、それを、しかも余り原稿に目を落とさずに毅然とした態度で話されるということも、これはなかなかできることではないなというふうに思っておりまして、私としては学ばせていただくことが非常に多いというふうに思っておりまして、その大臣とこうやって話ができること、非常に光栄に思っております。きょうはよろしくお願いいたします。

 実は、きょう、図書館ですとか学校図書室の問題についてお伺いしたいというふうに思っているんですが、その前に、日ごろから私が疑問に思っていることを、せっかくの機会だから大臣の考えをお伺いしたいんです。

 大臣が今所管されている文部科学省、この文部という言葉なんですけれども、これは一体どういう意味なのかということが私には常々よくわからないわけであります。広辞苑を引いても、文部という言葉は出てくるんだけれども、「文部省の略。」というようなことしか出てこない、あるいは明治時代の文部という役所のことしか出てこないわけでありまして、文部という言葉そのものがどういう意味なのかなというところがどうも釈然としないわけですね。

 ほかの省庁であると、例えば国土交通省でありますとか、言葉そのもので意味をなす言葉がついているわけですが、文部科学……(発言する者あり)ちょっとやじに一々答えるのはどうかと思いますが、総務という言葉はその他の場面でも使われる言葉でありますので、文部という言葉だけは、どうも文部科学省以外では使われるところはないのではないかという気がするんですが、この言葉の意味は、大臣、どういうことなんでしょうか。

伊吹国務大臣 これはもう私の答弁能力を超えている御質問なんですが、多くの日本の官庁の名称というのは、やはり律令制のときの、宮中というんでしょうか、天皇に関するいろいろな役職から出ていると思いますね。昔の大蔵省、それから法務なんというのももう新しい言葉になったと思いますが。これは私の推測ですよ、間違っていたらごめんなさい。

 日本の本来の学問というのは、やはり文章を書くこと、文章を読むことから出ていたんじゃないでしょうか。数学的なものは、やはり江戸時代、かなり後になってから出てきておりますし、ですから、中国の漢詩、漢語をまず読む。それから、これは日本ですばらしい発明をしたと思いますが、仮名文字を日本人がつくり出した。であるからこそ、女流の源氏物語だとか枕草子はみんなこのおかげで世にあらわれたわけですね。

 ですから、教育の一番のスタートは、やはり文章の文、そして文部の部は、当然、部長、課長という言葉があるように、あるいは中国では昔は何とか部というのが省の上にあったぐらいの組織の名称だと思いますので、やや古い教育の部局という意味じゃないかと思っておるんですけれども。

逢坂分科員 済みません、通告もしないでなかなか答えづらいことを聞きまして。

 ただ、やはり冷静になって考えてみると、ああ、なるほど、私も自分なりにふっと気がついて、言われてみると文部という言葉の意味は何だろうなというふうに思うわけでありまして、文部科学省の英訳は、教育、文化、科学、技術ですか、この四つが並んでいるわけですので、もしかすると、教育文化科学技術省というふうに、すべしというふうには私は思いませんが、その方が国民にとってはわかりやすいのかな、しかも、まさにそういうことを所掌している役所だということもわかるのかなと。やはり、文部という言葉一つで、ある種の権威的な、それは伝統とかさまざまなものがあるのは理解はするわけですが、多少配慮が必要かななんという気は私自身もしているところであります。

 さて、本題に入りたいと思います。

 きょう、私は図書館あるいは学校図書室についてお伺いをしたいんですけれども、ともすれば学校図書室だとか図書館というのは、本が置いてある場所というふうに言われがちであります。しかし私は、いわゆる図書館というのは、本が置いてある場所であることは事実ですが、実はそれ以外の多面的な機能を持っている、極めて有効な場ではないか。そこは情報の集積場所であったり、学ぶ場であったり、物を伝える場であったり、あるいは人が場合によっては集うという場でもある、極めて多面的な機能を持っているんだというふうに思っています。

 しかしながら、現在、市中に、ちょっと企業名は申し上げませんが、本を貸すような民間のお店も結構出てきて、ああいうものがあるから図書館とか図書室の機能はどんどん落ちていってもいいんだみたいな声が一部国民の中にあるようにも聞いておりますけれども、伊吹大臣は、図書館あるいは学校図書室の機能ということについてどのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃった、多くの人が集って情報を交換したり知的な触れ合いをするという意味は、非常に大切だと思います。

 私は、実は、これは私的なことになりますが、今はもう亡くなった両親に大変感謝しているのは、やはり本を読むということですね、子供のころから随分本を買ってくれて、随分そういうことをある意味では嫌なときに強制をしてくれたので、今はもう毎日私は時間があればいろいろな本を読んでおりますが、やはり、本に親しむということは、教育、教養を身につける中で一番大切なことだと思いますね。映像メディアというのは、多くの人に受けなければなりませんから、悪く言えば大衆迎合的になりますよね。本というのは、自分で選べますし、自分で一人で考える時間がありますから、私は図書館というのは非常に大切なことだと思います。

 父親が残した本もたくさんあるんですが、私が買った本も随分ありますので、どこかそのうちにまとめて図書館に寄附をしたいななんて思っておるんですけれども、図書館というのは非常にいいものだと私は思っております。

逢坂分科員 私も全く同感でありまして、昨今は、やはりインターネットなどの時代で、映像情報だとか極めてわかりやすいメディアが世の中を席巻するようになりました。しかし、映像を中心とするわかりやすいメディアというのは、どちらかというと人の想像力を縮小させるというんでしょうか、伝えるものが余りにも明確ですから、そのことしか伝わらない。でも、文字情報のようなものは、その行間から、あるいは多少わかりづらいなというところから、人の想像力をかき立てるという点でやはり相当大きな力を持つのであろうというふうに感ずるわけですね。

 その意味におきまして、あたかも、紙に印刷されたものあるいは本というものはITの時代ではちょっと時代おくれのように思われているけれども、実は全く違うんだというふうに私は思うわけですね。もちろん、映像メディアなども大事なものだというふうには思っておりますが。

 その点において、大臣が子供のころから御両親にたくさん本を買っていただいたというのは本当にすばらしいことだなというふうに思います。そういうことがあったから、やはりこの大伊吹大臣がここにいらっしゃるんだろうというふうに思うわけですね。

 さてそこで、政府参考人の方にお伺いをしたいんですが、昨今の自治体の図書館ですとかあるいは学校図書室に対する予算の状況なんですけれども、これはどのように推移しているでしょうか。私が現場感覚として思うところによりますと、自治体が随分と一般財源が厳しくなって、図書館だとか学校図書室にかけるお金というのが減っているという印象を持っているわけですが、そのあたり、政府参考人はどのようにとらえているでしょうか。

銭谷政府参考人 まず、図書館につきまして、いわゆる公立の図書館、これが今全国に二千九百七十九館ほどございます。県とか市はほとんど一〇〇%に近い設置率で、町村になりますとちょっと率が落ちるという状況でございます。

 その資料の購入費、いわゆる図書購入費でございますけれども、これは、都道府県立では一館当たり平均約五千三百万円、市町村立では一館当たり平均約一千万円となりまして、率直に申し上げまして、地方財政の影響を受けまして、毎年減少傾向にございます。

 それから、学校図書館の図書でございますけれども、これにつきましては、文部科学省として、平成十四年度から、図書館の図書整備の五カ年計画ということで地方交付税で財政措置をしているところでございます。これは、毎年約百三十億円、五年間で総額六百五十億円を図書をふやす増加冊数分として措置をしているものでございますけれども、実績といたしましては、ここ数年、大体百五十億から百六十億ぐらいで推移をいたしております。

 なお、学校図書館については、学校図書館図書標準という、学校の規模に応じまして学校の図書の冊数の目安を決めておりますが、現在、なかなかそこまではまだ達成していない学校が多いという状況でございます。

 それで、平成十九年度から新たな図書館の図書整備の五カ年計画を立てまして、十九年度から二十三年度まで毎年約二百億円、五年間で一千億円の地方財政措置を講じまして、今度は、増加冊数分と、それから古くなった本を刷新いたしますので、本の更新分とあわせまして、学校図書館の図書が整備されるように今考えているところでございます。

逢坂分科員 図書館あるいは学校図書室というのは非常に重要だという話の中でありますけれども、必ずしも予算というのは潤沢ではなさそうな実態が今言われたのではないかと思っております。

 それともう一点でございますが、地方財政措置によってさまざま予算が確保されるという話がございましたけれども、御承知のとおり、地方交付税はどんどん総額として減っている。特にまた来年度以降、地方交付税特別会計の地方分のこれまでの借財については返済計画もつくられまして、実際に地方へ回るお金は減っているという現状でございますので、地方財政措置で仮に二百億措置されたといっても、自治体の実感からすれば、実額のお金は来ていないということで、非常にそれは自治体を逆に苦しめることになっている。いや、実は厚生労働の部門でも地方財政措置で交付されていますとか、農水省の部門でも交付措置されていますとか、文科省でも交付措置されている、それを全部足し込んでみたら、自分の自治体に来ている交付税の総額をはるかに超えるような実態があるということも御理解をいただかなければ、財政措置されているからいいんだということではないのではないかというふうに思います。

 そこでもう一点ですが、時間の関係もありましてちょっと急がせていただきますが、今度は、学校図書室に関して、法の規定によれば、学校には学校図書館の専門職務をとらせるために司書教諭を置かなければならないというふうになっているわけです。ただし、これには経過措置がございまして、十二学級を下回る学校については経過措置で、必ずしもマストの規定ではないわけでありますけれども、この学校図書室への専門職の配置の状況についてお知らせをいただきたいと思います。

 まず、何校が設置済みなのかということ、そして、その人数は、専任だとか兼任の度合いはどうなっているかということを教えていただきたい。それから、その経過規定によるところの、マスト、義務規定になっていないところの学校ではどの程度配置されているのかもあわせてお知らせ願いたいと思います。

銭谷政府参考人 学校図書館に置かれます職員としては、一つは司書教諭という職がございます。この司書教諭につきましては、十二学級以上についてはほとんど九九%近くの学校で配置をされているところでございます。ただ、司書教諭は教諭が充てられる職でございますので、専任というわけではございません。

 それからもう一つ、学校図書館に事務職員が置かれるわけでございますけれども、この事務職員につきましては、現在の配置状況を申し上げますと、小学校で三一・六%、中学校で三四%、高等学校で七三・一%、平均いたしますと三七・九%の学校で、学校図書館を担当する事務職員、いわゆる学校司書が配置をされております。

 この配置をされている学校司書でございますけれども、これは、常勤、非常勤に分けてみますと、やはり非常勤の職員の割合が高うございます。例えば小学校で申し上げますと、常勤が約千六百人、非常勤が五千六百人、中学校ですと、常勤が千二百人、非常勤が二千七百人といった状況でございます。

逢坂分科員 学校図書室の状況を全国いろいろ見てみますと、やはり、そこに専任の専門家がいるかいないかということは、随分その図書室の活動度合いというものが変わってくるのではないかなというふうに思っておりまして、多分、この法律の趣旨も、専門職を置くことによって学校図書室が元気になる、学校図書室が元気になることによって実はさまざまなプラス効果があるんだということを意図した法ではないかというふうに思うわけです。

 しかしながら、現実には、兼務が多いというようなこと、あるいは、小規模校ではそもそも配置がまだされていないというようなことがあるわけでございまして、このあたり、大臣、今後どういう方針でここを充足させていくか。充足させればさせるほど効果が上がるということは明白だというふうに思うのですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生、地方自治の第一線で御苦労なすってこられましたから、今、参考人とやりとりしておられて、私はもうそのとおりだと思います。

 率直に申しまして、三位一体の改革というものが本当によかったかどうかは、私は今もなお疑問に思っております。義務教育国庫負担金を二分の一から三分の一にして税源を地方に譲る。石原慎太郎さんは大変喜んでおられるわけですよ。しかし、税目を譲ってもらっても、経済活動や人の少ないところは、結局、補助金で来ていた分が来ないわけですね、税収から。そこを交付税で埋めると。埋めるんだけれども、交付税は抑えられてきているから、多分、東京都や愛知県とか、こういうところは三位一体の結果財政が豊かになっていると思います。しかし、北海道その他のところはそうかどうかということになると、一番大切な知的な育成をする場所が、先生がおっしゃっているように抑えられてきている。これが私の現状認識です。

 どうするかというのは、これは、基本的には、御承知のように、学校の設置は地方自治体なんですよ。我々のやることは、今やもう、三分の一の教員の給与の補助をするとか一部のお金を細々と助成している。

 いつも私が安倍総理に申し上げているのは、安倍内閣は教育再生を第一の政策課題として発足をしたけれども、残念だったのは、概算要求が出て、九月末に安倍内閣は成立をした。ですから、前内閣の概算要求のまま来ているわけですね。安倍さんは特色がないなどというまことにお気の毒な批判を受けておられると私は思いますが、来年、ことしの暮れでどういうめり張りをつけられるかということによって私は本当の安倍カラーが出てくるだろうと思いますので、教育の分野は、私が大臣をやっているかどうかわかりませんが、大いに努力をしたいというのが一つです。

 それからもう一つは、三位一体がねらったことは何かというと、実は、交付税の非交付団体である東京都よりも、例えば四国の愛媛県とか、こういう県の方が加配教員の数なんか多いんですよ。まさに、地方自治体の首長がどういう判断をもって地方の限られた財源を配分するかということが本当の地方分権なんですね。それで、必要があれば堂々と地方住民に超過負担をお願いする。そこで、それを議会に見てもらうという機能が完全に機能せずに、国が何かしてくれ、してくれという話ばかり出てくると、結局地方分権ということは何だったんだろうかなということになりますので、私は、図書館その他については、今ほど先生がずっとお話しになっていたものと全く同じ価値観を持っておりますので、私も努力をいたしますが、ひとつ地方自治体にも特色を出して頑張っていただきたいと思っております。

逢坂分科員 今、伊吹大臣から、十九年度の予算についてはそのような事情で、では来年度については頑張るという言葉がありましたけれども、ぜひとも、やはり知を刺激する予算ですね、これについては、かけたコスト以上の成果が将来得られる可能性が極めて高いわけでございますので、ぜひ文部科学省として、文部科学大臣として、やれる範囲について精いっぱいのやはり予算確保をしていただきたい。それは、できれば地財計画ということではなくて、実弾で用意していただきたいというふうに思うわけです。

 それからもう一方ですが、自治体の方の努力も必要なんだということでございますが、私もそれはまさに同感であります。ただし、自治体の努力には二つの面があるというふうに思っておりまして、一つは、大臣が御指摘されるような、いわゆる税において負担を願う、多少税率をかさ上げするというようなことも一つの手法でしょうし、例えば、今全国の各地で行われているのは、図書館の運営などを市が直接やるのではなくて、NPOがやったりボランティアがやったりするという方式、これもやはり住民が負担をしながらやっているんだということだと思いますので、両方の頑張りがあるということも御理解をいただきたい。

 私がかつておりました、今も住んでおりますけれども、北海道のニセコ町では、小さな図書館の運営を、やはりこれはお母さんたちがボランティアでやっていまして、役所の職員がやるよりもずっといい効果を上げているわけです。だから、こういう事例をやはり全国にふやすためにも、ぜひまた大臣の頑張りをお願いしたいなというふうに思います。

 さてそこで、実は、学校図書室の現状を見ますと、兼任の先生がいろいろやられていることにはやはり限界があるのだろうと思っています。そこで、学校図書室といわゆる市中にある図書館あるいはその他図書のさまざまなグループとの連携といいましょうか、あるいは学校図書室を外へ向かって開いていくということも、少ない予算の中で学校図書室そのものの活動を活性化させることではないかなというふうに感ずるんですが、このあたりについて、大臣、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生から、学校図書館と公共図書館の連携についての御提案があったわけでございますけれども、実態を申し上げますと、平成十七年度は六割の小学校で何らかの公共図書館との連携、図書の貸し借りとか、あるいは運営等についていろいろ協力関係をつくるとか、そういったようなことをやっております。

 中学校はこれがちょっと減りまして三五%程度、高等学校が三〇%程度、こういうことになりますけれども、やはり、図書を含めあるいは運営を含めて、学校図書館と公共図書館の連携を進めていくということは非常に必要なことで、文部科学省としても、そのためのいろいろな調査研究事業を委嘱したりして実施をしているところでございます。

 それから、小学校には特にボランティアの方が学校図書館に随分参加をしていただいておりまして、今、やはり三分の二ぐらいの小学校でボランティアとして読み聞かせ運動などに御参加をいただいている状況がございます。

逢坂分科員 今、そういうことでいろいろ連携が進んでいるという話がございましたが、ただ、文部科学省さんにお願いしたいのは、さまざまな調査をするときに、連携が進んでいるといっても、連携の中身が随分違っていることがあるんですね。単に本を貸し借りというかお互い融通し合っているだけで、人との話し合いもなければ、まさにそれが連携と言えるのかというような状況もあるわけでございまして、調査をするときは、ちょっといじめの問題を言うと恐縮でございますけれども、やはり実情、実態をちゃんと把握できるような調査をやはりしていただきたいということを思います。

 もう時間もございませんので、大臣にこの学校図書室について最後にまた決意のほどをお伺いしてやめたいと思いますが、今、私どもの日本の国の非常に大きな喫緊の課題、少子化対策というものがございます。政府の方も、いろいろ苦労されて少子化対策をされているわけであります。手当を出す、あるいは働くお母さんのためのいろいろな条件整備をするというようなことをいろいろやられているわけですが、私が地域でいろいろ仕事をしている実感として、手当を出すとか働くお母さんのための施設を整備するということももちろん必要ですが、でも、そのことだけで必ずしもやはり少子化対策というのは改善されないのではないか。

 例えば、図書館活動みたいなものを一生懸命やることによって、短期的に直接的な効果はないのだけれども、三年、五年、十年という長い目で見ると、そういう町が暮らしやすくて実は子育てにいいよね、こういう環境であるならば子供を産んでも、子供もきちんといわゆる滞留できる場所があるし、しかも滞留しながら知の刺激も受けられるというようなことが、最終的に社会全体の子育てあるいは少子化対策というようなことになっていくのではないかという気もするわけであります。

 こういった点も含めて、少子化対策は、私は文部科学大臣の果たす役割というのも非常に大きいと思いますので、ぜひ、それを踏まえて決意のほどをお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、学校図書館のことについては、私はきょう先生のお話をずっと伺っておりまして、私が考えていることをむしろ進んで教えていただいたと思っておりますので、教育委員会の担当者が来たときに、公立その他の図書館との連携等も、実質的に意味のあるような取り組みをするようにということを一度は話してみたいと思います。

 それから、先ほど阿部先生からも御質問がありましたが、まさに私は、教育再生と少子化問題というのは全く同じ解決方法をとるべきだと思っております。それは、家族、家庭をやはり復活させること、それから地域社会を再生すること、この二つによってやはり子供を生み育てていくという条件が整ってくるわけで、今のような状況のままお金を上げるとか預かってあげるというだけでは、なかなか私は解決しないと思うんです。

 ですから、まさに教育再生会議などというのは、文部科学省の枠を超えて、どうすれば地域に三世代一緒に同居できる基盤をつくれるのかとか、労働法制をどういうふうにさわることによって、日本の常識でいえば母親をといいますけれども、実は、父親を早く帰せるのかということを私はやるべきだと思って、そういうことをいろいろなところで主張しております。

逢坂分科員 これで最後になりましたので、きょうは短い時間でしたけれども、非常に有意義な話ができたというふうに思っております。伊吹大臣には、これからもまた、いろいろな場面でさまざまなことを含めて御指導いただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 終わります。ありがとうございました。

萩山主査 これにて逢坂誠二君の質疑は終了いたしました。

 次に、大島敦君。

大島(敦)分科員 おはようございます。民主党の大島です。

 教育論というのは、十人集まれば十人それぞれの教育論があるというお話を聞いておりまして、皆さん、子育て、あるいは御家族をお持ちですから、それぞれの立場あるいは経験を踏まえた御意見があるのは当然だと思っております。

 今回はまず、伊吹大臣が就任されたときに、英語教育についての報道がございました。私は、伊吹大臣のその発言を聞きまして卓見だなと思った一人でございまして、まず、小学校での英語教育について現状がどうなっているのか、政府参考人の方に伺いたいと思います。

銭谷政府参考人 小学校における英語活動についてでございますけれども、現在、全体としては九割以上の小学校で何らかの活動が実施をされている状況にございます。

 一、二年生では行事などの特別活動を中心に行われておりまして、三年生以上では主に総合的な学習の時間における国際理解教育の一環として行われております。

 英語活動を実施している学校の年間の平均の実施時間でございますけれども、一、二年生については年に八時間程度、三年生から六年生につきましては十二時間ないし十三時間程度でございます。

 活動の内容としては、外国人との交流などを通じた英語に親しむ活動、あいさつや自己紹介などの簡単な英会話に親しむといった活動が中心でございます。

大島(敦)分科員 今、例えば幼稚園でも英語教育、私の父も幼稚園の園長を務めていまして、私の父の幼稚園でも英語の教室があるんですけれども、公教育においての英語が本当に必要かどうかという点、あるいは英語以外の言語もあるものですから、中国語なり、あるいはフランス語、ドイツ語なり、さまざまな言語がありまして、私たち日本人が、英語もそうなんですけれども、ほかの言語についても知見を広めることが必要だと私は考えております。

 これは私の個人的な経験なんですけれども、実は私は、中学校、高校と英語を勉強してきまして、受験の語学を高校を卒業した時点で変えた人間なんです。六年間の教育で英語が全くできなくて、結局、高校を卒業したときに、英語で受験してもドイツ語で受験してもフランス語で受験しても、何語で受験しても同じだったものですから、それでドイツ語で勉強をして、全く公教育とは離れたところで、独学と、及びドイツ人に教えていただきながら、二年かかったんですけれども無事に大学に入ることができました。したがいまして、自分の経験からすると、本当に六年間の英語教育が必要かどうかというのは、僕は非常に疑問なんですよ。

 それよりも、勉強するという、特に語学というのは、天才、才能のある方はすぐに身につけられるんですけれども、多くの努力を伴う作業、根気が続かないと語学というのは習得できないと考えておりまして、したがいまして小学校における英語教育は、確かにさまざまな国が私たちの地球上にはあるということを知るためには必要かと思うんですけれども、やはり日本語教育、しっかりとした日本語での思考を身につけさせる方が必要だと思っています。

 その点について、伊吹大臣のお考えを伺えればと思います。

伊吹国務大臣 冒頭、先生がおっしゃったように、何を教えるのか、またどのような日本人が理想の人間なのかというのは、やはり人それぞれみんなその人の価値観、人生観によって違うんですね。教育論というのはだれでもできますし、だから私でも大臣が務まっているんだと思いますが。

 英語教育という言葉を使いますと、何か今までの我々のイメージからいうと、英語の文法だとか、非常にかたい感じを受けるんですね。小学校の指導要領を読んでみますと、日本の伝統文化を理解し、進んで国際感覚を養うと書いてあるわけです。この国際感覚を養うところをとらえて総合学習の中で今英語教育的なものをやっている。ですから、国際感覚を養うというためには、例えば、こんにちはという言葉がいろいろな言葉、先生のドイツ語で言えばグーテンタークという言葉があるし、グッドモーニングという言葉があるし、ニーハオという言葉があるし、こんにちはという言葉がある。随分言葉は違うね、そういうことを教えることは私は何ら反対じゃないんですよ。外国語ももちろんマスターすればいいわけですが、その前に、やはり私は立派な日本語を話せるようになってもらいたい。

 OECDの調査なんか見ましても、理数系はなおベストファイブに入っていますけれども、自国語の表現力と理解力というのはもう十何番目に落ちてきているわけですね。ですから、外国語教育の大切さというのは私は否定はしませんが、順序が少し逆じゃないかなという気がしたということを申し上げたわけでございます。

大島(敦)分科員 今大臣から、政府の立場を背負っての発言ですから、御自身の率直な意見もなかなか言いづらいかなという、仄聞をさせていただきました。

 私は、大臣がおっしゃったように、さまざまな文化背景を小学校においても知ること、経験することは大切だと思うんですけれども、その時間をやはり自国語の言葉についての素養を深めることの方が必要かなという個人的な価値観を持っておりまして、そのことも考えていただければなと考えております。

 なぜこのような質問をさせていただいたかと申し上げれば、たまたま自分の地元の方から、私の面識のない方なんですけれども、高校の先生を務めていらっしゃいまして、多分親の介護で四十代で高校の先生をやめて、書いた本を一冊届けていただきました、女性の方なんですけれども。余り国会で私こういう本を取り上げることはこれまでなかったんですけれども、「見捨てられた高校生たち 公立「底辺校」の実態」ということで、ややもすると今の国会の議論は、賢い人がより賢くなる議論が多いかと思うんです。

 これは、厚生労働省の例えば職業訓練、あるいはミスマッチが起きたとき、職業訓練の中でも中高年の方にどのような職業能力を身につけていただくかということについても、例えば社労士さんだったり、あるいは教育訓練給付だと英語を勉強するとお金が出たり、あるいは専門知識に対する給付が行われている。

 しかしながら、この埼玉県の例なんですけれども、底辺校の実態、自分も実は知らなかったものですから、非常に自分の不見識を恥じておりまして、例えば、

  こんな彼らに就職活動の際に必要な礼状などを書かせると、とても大変なことになる。まず、「官製葉書」とは何か、どこで買うのか、いくらなのかと次々と教えることになる。葉書はなんとか手に入れても、次に表面・裏面の違いを説明しなければならない。ほうっておくと自分の住所を表面真ん中に書きかねない。官製葉書に切手を貼ってしまった生徒もいる。これが手紙となると、さらに指導は難しくなる。便箋という言葉すら知らない。口で説明するのも難しいので、学校宛に来た葉書や封書を、生徒に見せる見本として活用しているくらいなのだ。

ということで、今の底辺校と彼女が位置づけている学校においては、例えば、このことを地元の教育委員の方とお話をしたんです、こういう本があってこういうことがあるんですけれども、本当なんですかと。そうしたら、ある高校では三百人の方が入学をして百五十人の方が一年間のうちにやめてしまうというお話を聞いたんです。

 私たちの国は、産業競争力、要は人が財産である国だと私は思っておりまして、しっかりと働くという能力を身につけることが必要だなと考えています。したがいまして、底辺校というのは非常によくない言い方かもしれませんけれども、なかなか学力あるいは生活の力が追いついていない高校生の方たちをしっかりと国として、大臣も、今地方分権が進んでいますから、国としてと言われてもなかなか難しいかと思うんですけれども、高校の経営者の方、これは私立学校、あるいは公立学校を担っている教育委員会の方にその動機づけをする必要があるのかなと考えております。

 このことは私たちのこの国会の議論の中でもなかなか触れられていない議論かなと思っていまして、このことについて、大臣の御所見というよりもお気持ちを伺わせていただければなと思うんですけれども、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先般の臨時国会で院の御協力を得て改正教育基本法が成立をいたしまして、あの中の教育の目標については、いろいろその方が持っておられる価値観、人生観によって御批判もありましたけれども、むしろあそこに書いてあることは、公共の精神、そしてみずから自立をして生きていくことの大切さ、そういうことを教育の目標として掲げているわけです。

 今、教育というのは、特に議院内閣制でございますから、当時の政府の思いだけでいろいろやっちゃいけないということは私はよく認識しておりますので、今それを受けて中教審等に幅広い意見を承っております。何よりも国民の代表は国会でございますから、成案が出ましたら、学校教育法を改正教育基本法に合わせて直していく、直していくことによって指導要領を直していく、そして、今先生がおっしゃったような、自立できる、むしろ実学的なこともしっかりと身につけさせる教育をやっていきたいと私は思います。

 そして、再生会議などの意見を聞いておりますと、先生の御批判のようなことの御印象を受けられるかもわかりませんが、安倍総理は非常にその点はしっかりしておられると私は思います。最低限の規範意識、つまり、この規範という言葉はおのおの党派によって若干御批判もあるかもわかりませんが、人として生きていくための最低限の実学、ルール、これをやはり保障するということが一番の大切な、特に公教育、義務教育、高等学校までの大切なことだということを認識しておられますから、単に進学という目的だけのために授業を使う、逆に言うと、国で決めたことまで破って進学率の多寡を争うというようなことはできるだけやはりないようにしていきたいというのが私の気持ちでございます。

大島(敦)分科員 大臣のおっしゃられたとおり、義務教育というのは私も大切だと思っておりまして、義務教育というのは、一つの国家の意思を全国に周知徹底するというのは余りいい言い方じゃないんですけれども、これは国の体制のいかんを問わず、義務教育は非常に重んじているところがあります。

 これは国の一つの考え方を義務教育を通して国民にあまねく広めるという目的が一つはあったのかなと考えておりまして、したがいまして、我が国はやはり物を、私は物づくりの会社出身なものですから、物をつくるということは、九時にしっかり出社をするとか、当たり前のことが当たり前にできるということが大切だと思っておりまして、そのような、先ほどの根底となるべき体力及び知力をつけることが必要かなと思っております。

 そのことが彼女の本で、一つには、今のような高校をほっておくと、この著者、書いた方の意見として、「感情・学力・気力など多方面の資質・能力に乏しい大人が増加し、国民主権の民主主義国日本を大きく変えてしまう存在となってしまうのではないかと考えられる」と書いてありまして、私は、特にこの点にこれから注目をしながら自分も活動していきたいなと考えております。

 その中で、私学の役割、私学には建学の精神があります。建学の精神があって、この間私も教育に携わる方とお話ししていましたら、たまたま私立学校の理事の方なんです。今の私立学校、自分もそうだったんですけれども、進学校が正しいみたいな価値観が非常にあって、その理事会の議論は、進学校にするのか、これまでどおり自分たちの学校は、どちらかといえば恵まれない人たちを対象にしっかりとした教育を行うということが学校の精神だったものですから、どっちをとるかという議論をしているというお話を聞いたんです。

 僕はすばらしいなと思った。今の学校ですとどうしても、本当に、進学校が正しくて立派な高校ではなくて、一つの価値観として私学の中でも、今おっしゃったような、生きる力を身につける、どれだけ身につけさせたかということを評価の基準ということはできないと思う。しかしながら、大臣なり政府がそういう学校に興味を持ったり、あるいはお伺いをしたり、一定のシグナルを発することによって、日本の公教育もそうですし私学もそうだと思うんですけれども、考え方が変わってくるのかなと思うんです。

 その点について、そういう取り組みを自分が大臣の立場だったらしていきたいなとは思うんですけれども、大臣のお考えをお聞かせいただければ幸いです。

伊吹国務大臣 なかなか国会が解放してくださいませんので、視察に行くというのは非常に難しくて、東京都内の公立の学校、私立の学校を若干拝見した程度なんですが、私の地元の私立の学校は、ある意味では、先生の先ほどおっしゃった言葉からいうと、やや底辺校的な学校であったのが、随分力を入れてブライトな学校になってきているとか、これはその結果として進学率が上がってきているとか、そういう学校は私、何度か見に行ったんですよ。校長先生や教務主任の方とお話をさせていただいたことがあります。

 一番最初に先生がおっしゃったように、教育というのは十人十色で、だれでもできる分野であるだけに、こんな立派な方がと思う高僧あるいは宗教家の方も、絶対に叙勲が受けられないんですね。それと同じで、私、興味を持って、今おっしゃったように、時々いろいろなところを見に行きたいと思いますが、同時に、こういう文部科学大臣という公的な立場からすると、そのあたりは少し慎重にやらなければいけないという制約がかかっているということもひとつ御理解いただきたいと思います。

大島(敦)分科員 ありがとうございました。

 もう一つは、また違う課題なんですけれども、幼児教育の無料化ということについて閣議決定が多分出ていると思うんです。その点について手短に説明していただければと思います。

銭谷政府参考人 幼児教育につきましては、昨年七月の骨太の方針二〇〇六、それから先般、一月二十五日の「日本経済の進路と戦略」におきまして、「幼児教育の将来の無償化について歳入改革にあわせて財源、制度等の問題を総合的に検討しつつ、当面、就学前教育についての保護者負担の軽減策を充実するなど幼児教育の振興を図る。」ということとされております。

大島(敦)分科員 なかなかこれは国の財源が調わないと実施は難しいかなと考えておりまして、その点につきまして、大臣から、この幼児教育の無料化がいつごろかというのは答えられないと思うんですけれども、今後の見通しについて手短に御答弁いただければ幸いです。

伊吹国務大臣 二つの面があると思います。先ほど逢坂先生にもお答えしていたように、少子化という観点からも、幼児教育を無料にするということは一つの意味があると思います。それ以上に、三つ子の魂は百までといいますけれども、やはりどこから子供に生きる知恵を教えていくかというのは、いろいろ教育学者によっても意見があるようですが、今のように実質的に家庭が機能しないということになると、考えていった方がいいと思います、それは。

 しかし、同時に財源の問題があって、これは当然、きょうは財務省の主計官も来ているようだけれども、会社の経営もみんなそうですけれども出と入りとのバランスでやらなければいけないことですから。しかし、この入りの場合は、国民がオーケーをして国民が受益をするわけですから、昔のように封建領主が取り上げて勝手なことをするというわけじゃないので、今の主権者は国民ですから、国民がそういう流れの方に行けば、私は財源を求めてやったらいいんじゃないかと思っておりますけれども。

大島(敦)分科員 大臣のおっしゃるとおりだと思っておりまして、国会が国権の最高機関で国民の負託を受けて担っているものですから、その総意に基づいて、税の配分についてこちらの方にという総意があればできるというのは僕はそのとおりだと思います。前回、廃案というわけじゃないんですけれども、我が党の教育基本法の作成に携わっていた人間として、我が党の考え方ですと、「国及び地方公共団体は、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入に努めなければならない。」ということで、段階を追って徐々に無料化していくという文言を入れさせておりまして、やはり強く幼児教育は必要だと思いますので、この点についても政府内でも御検討いただければなと思います。

 もう一つ、最後の質問になるかと思うんですけれども、認定こども園のことについて質問させてください。

 実は、平成十三年の十一月、今からもう五年以上前の臨時国会におきまして、厚生労働委員会で自分の質問の中で、今の認定こども園と同じ形を提起させていただいております。これは、当時としては保育所も幼稚園も百八十万人ずつおりまして、今から五年、六年前、新エンゼルプランができたときには待機児童を十五万人減らそうというのが大きく掲げられまして、国として相当大きな投資をしながらそれを解消してきた過程がございます。

 十五万人ふやすということは、保育所が十五万人ふえると幼稚園が十五万人減るということになるものですから、税の使い方として、当時は幼稚園でも空き教室が少子化の影響で結構ふえておりまして、自分としては、空き教室を使って十人程度のゼロ、一、二から三、四、五の幼児を受け入れることが可能かなと。それによって、まずは国としての設備投資の費用が大分ミニマイズされるということが一つ。

 もう一つは、当時は認定保育所がミニマム二十人だったものですから、それを緩和していただければ大分楽になるなということが一つ。

 もう一つは、幼稚園の先生のOGの人たち、子育てを終わった人たちが地域にたくさんいらっしゃるものですから、その幼稚園のOGの女性にもう一回幼稚園に戻ってきていただいて、ゼロ、一、二について保育することが非常に望ましいのかなと考えておりました。このことについて、今回、認定こども園ということで国の方で施策が出てきたものですから、私も賛成をさせていただいております。

 そうしますと、子育てが済んだ幼稚園の先生が認定こども園で働くには保育士さんの資格が必要ですよね。保育士さんの資格を取るには、これは厚生労働省のテーマだとは思うんですけれども、できるだけスムーズに、子育てが終わって自分ももう一度幼稚園に戻って、それで自分の経験を生かし子供たちをはぐくみたいという気持ちがある女性がいらっしゃったときに、保育士さんの資格をスムーズに取れるような仕組みが、今、人事交流で、厚生労働省さんと文部科学省さん、人をお互いに同じようなセクションでたすきがけをしているものですから、そこについてスムーズにできるような施策なり方針なりを出していただければなと思うんですけれども、いかがでしょうか。

銭谷政府参考人 幼稚園教諭の方が保育士の資格を取得するに際して、それがスムーズにいくようにというお尋ねでございますけれども、実は、平成十六年度から保育士試験受験の際の一部科目免除、これを幼稚園教諭の資格を持っている方には行っております。

 筆記試験のうち発達心理学と教育原理、それから実技試験である保育実習実技、こういった科目につきましては、幼稚園教諭の方は保育士試験受験の際免除をされるということでございます。

 お話がございましたように、子育て経験の豊かな幼稚園教諭の経験者の方が活躍できるように、今後とも厚生労働省とよく連携をいたしまして、幼稚園教諭免許と保育士資格の併有がスムーズに行われるように努めてまいりたいと思っております。

大島(敦)分科員 あと一分あるということで、もう一点が今回の認定こども園の中の給食のことなんです。

 私は、給食を外部から取り寄せても自分のところでつくっても余りこだわりはないんですけれども、ただ一つこだわりがありまして、できるだけ安心したものを食べてほしいなと思っているんです。ですから、できるだけ無添加のものを食べてほしいなと思っておりまして、今、添加物が非常に多いものですから、私たち日本人の味覚というのがアミノ酸系の添加物によって大分麻痺してきていまして、将来、調理師の資格を取るにしても、味覚が麻痺しているとおいしい料理がなかなかできない、調理師さんになれないわけですよ。

 ですから、この認定こども園の給食についてはできるだけ無添加のものをお願いしたいなという要望なんですけれども、これを最後の質問とさせていただきます。

樋口政府参考人 お答え申し上げます。

 学校給食衛生管理基準というものを私ども定めておりまして、学校給食の実施者に対しましては、この基準に沿って給食を実施していただきたいということで、今御指摘がございました添加物の問題につきましては、有害な食品添加物はもとよりでございますが、不必要に着色料とか保存料とか調味料など、こういった不必要な食品添加物が添加された食品等については使用しないようにするということを基準の中で申しておりまして、この趣旨に沿って各給食実施者が適切に対応していただきたいというふうに考えておるところでございます。

大島(敦)分科員 以上です。ありがとうございました。

萩山主査 これにて大島敦君の質疑は終了いたしました。

 次に、田嶋要君。

田嶋(要)分科員 民主党の田嶋要です。どうぞよろしくお願いいたします。

 文部科学大臣、教育基本法やらいじめの関係、あるいはやらせタウンミーティング等でいろいろ質問させていただきました。

 きょうは、同じく、子供に関する二つの具体的な事例に関しましてお伺いをさせていただきます。

 私の、まず大きなところでの基本的な問題意識でございますけれども、やはり地方分権という大きな流れがある。そういう中で、行政は少しずつ中央集権から地方分権にしていく。ただ、私は常日ごろ思うんですけれども、分権の議論がそこでとまってしまうと、一般の国民から見ると、右の役所から左の役所に移っただけの話、若干の距離感の違いはあっても大した差じゃなくて、だからこそ分権議論というのは実に無味乾燥でおもしろくない議論に国民から見ると見える、そういうことではないか。

 分権というのは、さらに一歩進めて、やはり官から民という部分、すなわち、役所が本当にやる必要があるのかというところを常に考えないといけない。しかし、多分、従来の長年しみついた思考パターンで、まず原則役所でやることを発想として持つのがやはり官の世界の常ではないかなというふうに思うんですね。

 裏を返せば、民間の方々は、いろいろな分野で御苦労されていて、その官の壁、それが役所から見ると壁には見えていないところが悩ましいところではないかなと思うんですが、民の側から見ると、とてつもなく分厚くでかい壁に見えているケースがまだまだ本当にいっぱいあるのではないかなというのが、私自身の問題意識でございます。

 先ほど同僚議員から、図書館の話がございました。ニセコの図書館が民間のボランティアによって運営されていてという話、私も自分の地元で同じような状況を見ています。これが同じ図書館かというぐらい活気があって、しかも、中にいる職員の皆さんが楽しげに仕事をされている。やはり民が当たり前であって、官をどうしても使わざるを得ないときだけやむなく官を使うという発想に立たないことには、財政的な観点からしても今後の日本は成り立っていかないんだろうというふうに思っております。

 そこで、一行政分野ということで、この文部科学という分野、あるいは子供たちの、特にきょうは安心、安全、そういう観点も昨今大変クローズアップをされておるわけですが、まず最初に、今私は私なりの考え方を申しましたが、大臣は、その民の、民間の団体の役割というものをどのように位置づけられているか、その御認識からお伺いをしたいと思います。

伊吹国務大臣 田嶋先生、二つの面があると思います。

 私は、当事者能力をしっかりと持った人が物を決めていくというのが基本的にはいいと思っております。

 しかし同時に、当事者能力を持った人が物を決めてくれるためには、決めたことについての自己責任をとってもらわねばならないということですね。自己責任の分野になると、地方分権は結構なんだけれども、苦しいから文部科学省が何しろこれしろというのは、実はけさから結構お話が出てきている。この意識では、やはり本当の分権はできないと私は思いますし、民への移管というものもできないと思います。

 ですから、私が視察に行っても、朝、地域のお父さん、お母さんが出てきて読み聞かせの時間を十五分ほどとっておられるわけですね。これは、東京の常識は地方の非常識なんですよ。東京は交付税をもらわなくても十分やっていけますからそういうことが可能なのかもわかりませんが、しかし同時に、登校のときの安全を地域のボランティアの方が見てくださっているとか、そういうことはたくさんございます。

 ですから、私は、基本的には、民で助けていただく、民に任せるところは思い切ってどんどんやっていくという先生のお考えとそんなに違わないと思います。

 一方、特に教育の分野、福祉の分野というのは、やはり自由競争原理を超えた価値を扱っている部分がありますので、ここだけは、民に任せるにしても、あるいは当事者に任せるにしても、やはり最後にその基準がきちっと守られているかどうかということは担保しなければならないんですね。

 これは、市場経済、自由競争原理で動かしている我が日本においても、ルール違反があった場合には公正取引委員会がまず出てきますし、公正取引委員会でどうしても対応できないときは検察が出てくるということがある。それと同じような部分がやはり教育には若干残るんじゃないかなという気持ちを私は持っておりますけれども、民間の力をかりる、当事者に決定権を渡す、そしてその責任をとってやっていただくという考えは、私は何ら反対ではございません。

田嶋(要)分科員 今、大臣、民間の力をかりるというふうな言葉を使われましたけれども、もちろん、官の側に立てばかりるという発想になると思うんですが、私が申し上げているのは、やはりもうそろそろ、さらにもう一歩踏み出す必要もあるのではないかということ。

 私などはよく、地元へ帰っても、自助、公助、共助というようなことも言うんですが、例えば地域の活動を見ていても、消防団の活動なんかが典型でございますね。あるいは、防犯パトロールやらいろいろな子供の見守りの活動とか、もちろん、行政のすべてを置きかえていくだけの規模も体制もまだ整っていないかもしれませんが、やはり絶対欠くことのできない大きな部分になってきているというのはもう紛れもない事実であるし、そうしていかなきゃいけないというふうに私は思うんです。

 どう考えても、役所というものは、そもそもどうしても民でできないから役所にやらせるという市民の判断があって役所が出てくるわけでございまして、やはり大臣の今の言葉を聞いていても発想が逆。民の力をかりるというのは、主体は官であるという、どうもそこが、これは悪いとかということではないんですが、時間のかかる発想のずれかなというふうに、私などはもともとが民間が中心という感覚で物事を見せていただいておるわけですが。

 それで、特に、国、政府から見たときの地方自治体、市町村とかそういう自治体と、あるいは民間、NPO、あるいは文部科学省であれば、同じ関係ではないにしても、教育委員会ですね、教育委員会と民間の団体というのは、全く同列に比較をして、同列に並べて選んでいく選択肢にすぎないというふうに私は思っておるわけですね。

 すなわち、何か施策を行っていくときに、初めに行政ありきよというのは、やはりもうそろそろ発想として変えていかなきゃいけないというふうに私は思っておるわけですが、各論に入っていく前に、もう一度そこのところ、もうそういう時期に来ているというふうに思われませんか。

伊吹国務大臣 ちょっと私は、先生ほど踏み込んだ御答弁は、申しわけないけれども、やる勇気がまだない。これは、先生のお考えが悪いというわけじゃないですよ。私の考えが悪いというわけでもなくて、これはお互いの価値観あるいは政治を判断する場合の理念の違いのようなものですから。

 民間の経済活動とは、やはり少し違うと思いますね。憲法などにも書かれている国民の権利というものをある程度扱っている部分と、完全な市場でいろいろなことを処理しておられる立場の人たちとの扱いは、やはり若干違う。もし、ほとんどのことを同等に民に任せるというのなら、議員を選ぶということ自身もそんなに意味があることかなという気がしてくるんですけれども。

 だから、できるだけ任せるという言葉が悪ければ、民間と同等で競争していただく部分はまだまだたくさんあって、現状は不必要なものを抱え込んでいるという発想は先生と私は同じゅうしますが、教育委員会や地方自治体と民間を全く同等に選択の対象にするという勇気までは、ちょっとまだないということでございます。

田嶋(要)分科員 正直なところだと思うんですが、まさに勇気は要ると思うんですね。私も同じです。やはり、いろいろな問題が出てくるのは承知の上で踏み込む。

 しかし問題は、片っ方はそういう勇気が要る選択肢なんですが、片っ方は内在している無駄が大変多い選択肢だと思うんですよ。私は、そこの比較考量ではないかと。

 要するに、若干勇気が要るということは、選んだ結果後悔するような事態も起きるかもしれない。しかし、こちらのとめどない無駄を考えると、どっちが本当にいいのという議論もやはりあるわけで、そこら辺が、もう最初からアプリオリにこっちだというふうになっているのが今でも当たり前の思考習慣ではないかなという感じがあらゆる行政分野で目について、それできょうの各論に入っていくわけです。

 あと一点。先ほどから市場経済とか民間経済活動とは違うということをおっしゃいましたが、私が申し上げているのは、あくまでいわゆるパブリックサービスの分野の話をさせていただいておるのであって、民間であっても、やはりパブリックな部分に関する、これは定義は個人でずれるかもしれませんが、私は、官がやるものとは必ずしも限っていないし、どうしても民間がやれない、やりたくない、手を挙げる団体がどこにもないことは役所でやらせるしかないと思うんです。しかし、同じ分野でも、民間が、やりたい、私たちにやらせてくれ、そういうような熱意を感じられるところに、その熱意にふたをしてしまっているのが今の具体的な行政のケースではないか、そういうところを私は申し上げているので、必ずしも市場経済とか経済活動とは関係ない部分で私は申し上げているんですね。

 そういうところの民間の本当の活力にふたをするということは絶対これはあってはいけないし、世の中の大きな流れからすると、それは勇気は要る分野かもしれないけれども、私は、リスクもとっていただかなきゃいけないというのを、まず総論として話をさせていただきたいというふうに思います。

伊吹国務大臣 この議論をいつまでもやっていると先生の各論に入れませんので、これで私は打ちどめにしますが。

 市場経済とかビジネスの世界を別にしましても、私たちのこの日本社会というのは、基本的にはやはり自由競争と市場原理で動いている社会ですから、ビジネス以外の分野でも、例えばNPOだって、やはりNPOで働いている人は食べていかないといけないですね。そして、寄附ももらわなければいけない。そして、自由だけれども、やはり税の補助を欲しいといって皆さん来られる。そして、その中である程度自分たちが食べていくだけの資源を得ていくということになると、これはもちろん株式会社のような損益計算書をつくっているわけではないけれども、やはりある程度の価格を中心とした一致点を求めないと行えない行為なんですね。

 ですから、それでは民間で大学をやりたい、株式会社でやりたいという方がどんどんふえてくる、あるいは私立でどんどんやっておられるからといっても、残念ながら、国民の意思として決めた指導要領上の必修科目をほとんど守らないところが民間の私立学校であるというときに、官はどう対応するかということだけはやはり考えておかなければいけないなというので、私は先生とそんなに大きな考えの違いはないと思っておりますよ。

田嶋(要)分科員 わかりました。

 いずれにしても、補完性の原則とよく言われているその補完性は、国が市町村の補完ということではなくて、それよりも、大前提として、やはり官そのものが民の補完にすぎないということは常に戒めておかないと、肥大化をしていく危険が常にある。

 特に、昨年、市場化テストというようなものも法制化をされたわけでございますね。今まで官でやっていたものが、本当に市場原理の中で民にやらせた方がいいのではないかということをそうやって比較していくわけですが、新しい施策を何か始めるときにも、やはり同じ発想に立たなきゃいけない。要するに、ずっと官でやっていたものの場合だけ、本当にこれは官でやっている必要があるのという質問をするのではなくて、これから何かやるときは常に同じ発想に立たなきゃいけないと私は思っております。

 それからもう一つ、具体的なものを見ていて気づいたんですけれども、NPOというのは、これは地域で区切られていないわけですね。それはもうNPOの勝手ですから、どういう団体でもあり得る。ところが、市町村というのは、これは原理原則、地域で区切られているわけです。そうすると、一歩そこから出ると、おれの管轄じゃないという発想になるわけですね。そこのずれというのは、これはなかなか悩ましい問題がありまして、だから、分権、分権といって市町村になっていくだけだと、逆に民の、全国活動をしているNPOはやりにくくて仕方がないという現状、これは想像できますよね。ここは、具体論で入っていきますが、ちょっと考えていただきたいと思うんですね。

 それで、最初の事例、きょう二つなんですが、一つは子供の関係の放課後子どもプランですね、事前に言ってありますけれども。

 これで、文部科学省の部分、すなわち放課後子ども教室というものなんですが、今年度までの三年間は、特例ということで緊急三カ年の地域子ども教室というのもありました。これは、民間の団体が、十六か十七の団体の統合されたようなものですけれども、かなりな額、三億円か何かの委託を受けておったわけですね。それはそれで私としても大変いい施策だったと思うんですが、問題は、ここへ来て、片っ方で厚労省とセットの施策だということもあるんですが、来年度からは三分の一の補助事業にする。役所の発想としては極めて自然な流れだと思うんですね。

 ところが、民間からすると、これははしごを外されたとは言いませんよ。というのは、民間はわかっていたから。これは三年間の特例だというのはわかっていたんですよ。それはそれでいいんですが、しかし、何でこういうことになっちゃうのかなということを考えると、やはりどうもおかしいという感じがするんですね。

 さっき言っていた、やる気になってインフラをつくって頑張ってきたのに、だれも悪くないのに予算がなくなっちゃうということで、みんな壁にぶち当たっていて嘆いておられるんですね。

 まず、そもそも、この居場所づくりの実態、閉め出されているような実態に関して、どのような御認識ですか、大臣。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃったNPO以外にも、私の地元でもそういう事例がたくさんあるんですよ。例えば、児童館を使って、地域の人たち、そして保育の人たちがむしろ放課後子どもプランのようなことをやっている。ところが、今度は三分の一の補助事業になりましたね。先生、お金がなくなっちゃったんじゃないんですよ。お金はきちっとあるんですよ、お金は。

 三分の一の補助事業というのは、三分の二を、先生の嫌な言葉で言えば、地方の官が持っているわけですよ。だから、本来、三分の一プラス三分の二でお金は従来どおりあるんだけれども、地方の官は何をやったかというと、自分たちが採択をするんだから、従来のNPOを使うわけじゃなくて、学校の空き教室と保育園を使いながら放課後子どもプランをやりますよというので、実質的に契約の対象から外される危険が起こってきているというところが結構あります。私の地元にもあります。

 これは、先生の言葉で言えば、何にも変わってないじゃないかという地方分権論者の判断でいえば、地方へすべて任せてくれて極めていいことになったなという評価になると思うんですが、今度は、民と地方の官との関係でいえば、かえっておかしなことになっているじゃないかと。ですから、官である私が介入するのもいかがかと思いますが、私が担当の局長等に指示してあることは、従来民間でお願いしているところでやれていることについては、地方の自治体の三分の二の単費を含めて引き続きそこにやってもらった方がいいので、何も出しゃばってそこのところをとりに行ってまでやることはないよということをよく理解させなさいということは私は言ってあるんです。

 ですから、私は、そういう実態があるということはよく承知しております。

田嶋(要)分科員 そういうふうに言っていただいているということでいいんですか。

伊吹国務大臣 ええ。

 誤解があると困りますが、これは、地方分権、地方分権という言葉を振りかざされる限りは、補助金というのは、結局、実施主体は地方だということなんです。だから、地方自治体に最終的な判断権をもう渡しちゃったわけですよ。国が一〇〇%の委託事業でやっている場合は国が決められます。当事者能力、当事者能力ということだから、当事者に渡しちゃったわけですよ。だから、地方に、こういうことだからできるだけ、強制するとまた地方分権を侵した文科大臣だとかということになりますから、地方の判断として、今までどおりやれているところはやれるようにしてくださいよという、これはまた教育委員会の権限とかいうことになるんでしょうけれども、お願いをするより仕方がない立場だから、お願いはしてあるということを申し上げたわけです。

田嶋(要)分科員 よくわからなくなっちゃったんですけれども。

 おっしゃっている意味は、地方の判断でということは、例えば千八百あるそれぞれの地方の団体が一個一個判断するということですか。(伊吹国務大臣「そうです」と呼ぶ)

 私が先ほどから申し上げているように、NPOというのは地域で切れないんですね。地方団体というのは地域ごとの管轄があるわけですよ。NPOが全国で委託をもらって三年間やってきて、ようやく立ち上がってきたぞといったときに、突然相手をしなきゃいけない役所が、窓口が、一個だったのが千八百個になっちゃった、極端に言えばこういうことですよ。

伊吹国務大臣 民主党も大変御熱心である地方分権とは、そういうことになるんじゃないでしょうか。

田嶋(要)分科員 だから、それは私も否定はしていない。していないんですが、やはりNPOの現実を見ると、こういう不都合な事態も生まれてきていますよということを申し上げているんですね。

 では、そもそも、なぜ最初の三年間、国が一〇〇%の委託事業としてお金をつけて民間十七団体にこういうものを立ち上げさせたのかということもまず一つあると思うんですよ。それはどうなんですか。

伊吹国務大臣 ただし、それは決して理不尽なことをしているとは思わないですよ。三年間の委託事業ということは申し上げてあったんじゃないんですか。

田嶋(要)分科員 私は、全然理不尽だとは思っていないんですよ。いいことをしていただいたと思うんですが、ただちょっと、何かこっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じで、結果として、結果としてですよ、分権ということをおっしゃると、私もそうだと思うんですよ、そう思うんですが、しかし、現実問題こういう悩みをNPOは抱えているというのだったら、そこをやはり理解してあげてもいいのかなと。つまり、ハイブリッドというか、三分の一補助事業もあってもいいけれども、少しそういうところには直接委託も残したって何にも都合悪くないんじゃないですか。そういうことを申し上げている。柔軟にやられたらどうですかということです。

伊吹国務大臣 委託を残してと、NPOがそんなに官に頼ってしまったら、どうしようもないんじゃないでしょうか、国民の税金をすべてくれて、もう一度引き続き。先生、NPOというのは、これは税制の問題もいろいろありますけれども、委託費で本来やるべきものじゃないんじゃないんですか。みんなが善意で寄附金を集め、そして民間の活力で動かしていくというのが基本であって、今回は国民の税金を文部科学省が一括してお渡しをしていた。国民の税金を常に使っていくNPOというのは、私は本来のNPOとは少し違うんじゃないかと思いますね。

田嶋(要)分科員 それは、程度の問題ということはあると思うんですよ。だけれども、先ほどおっしゃったように、お金は今もありますよと。要するに、行き先が変わってくるわけですよね。そういうことですよ。だから、ことしから急に三分の一補助事業を全部地方自治体がというふうに流れをつくってしまうんだったら、今までのうまくいっている流れの方もあっていいんじゃないか。

 私は、NPOは絶対お金をもらっちゃいけないとはもちろん思いませんよ。それは、ある程度の支援をしてもいいんじゃないですかね。だから、先ほど言ったように、国から見たときに、どちらも選択肢だという発想に立たない限り、いつも流れは、最後は官が中心になってしまう。それでは、この日本をどういう形にしていくかという大きな流れの議論とは逆行してしまう。

 おっしゃるとおり、分権ということだけいえば、ちょっと私も矛盾を感じるところはあるんですよ。だけれども、さっき言ったように、分権というのは市町村に分権して終わりじゃないんですよ。本当の分権というのは、民に権利を戻すという意味ですね。何でも官でやっていた世界はもうだめよということだと私は思うんですよ。であれば、究極の分権は、やはりNPOを使っていく、NPOにやってもらう、そういうことですよね。私はそう思いますけれども。

伊吹国務大臣 ですから、そんなに官の中の一番の国の官に頼らずに、地方に分権をされているのであれば、NPOの方々も地方の分権の相手と話し合いながらおやりになっていくというのがやはり本来のあり方なんじゃないんですか。

 では、今の先生の発想をいえば、分権はあってもいいけれども、同時に、中央集権の官が委託することは引き続きやった方がいいじゃないか。相手が、例えば、先生の言葉で言えば、地方の自治体もNPOも対等の選択対象であるということをおっしゃっているわけでしょう。そうであれば、地方の方がだれを選択するかということを対等に選択をさせればいいわけじゃないんですか。

田嶋(要)分科員 あと五分しかないものですから、チャイルドラインも言わなきゃいけないものですからね。

 これは同じような話なんです。これは委託ではないんですが、いじめの問題が大変深刻になって、つい最近、新聞にも大きく出ましたね、教育委員会のこういうものですね。これはもちろん大変結構なことですよ。こういうのはだれも反対しませんよ。ただ、要するに、お金の使い方としてこれがベストだったかというところを、さっきの市場化テストじゃないですけれども、十分考えてやっているかということになると、私はどうかなと。

 片っ方で、私も議連に入っておりますけれども、チャイルドラインだけじゃないですよ、けれども、そういう活動をされておる。それで、ほかの省の事例ではございますが、厚生労働省の関係では、いのちの電話という民間の団体があり、毎年八千万円の補助金がついている状況があるわけですよ。それだって一つの委託事業ですよね。

 だから、何でもかんでもだめとかいいとかそういう話じゃなくて、やはり個別判断だと思うんですが、片っ方で文部科学省が全国の教育委員会とやるこの施策に関しては、えらいスピードで予算がばっちりついて補正から実現をした、今年度も予算が大分あるという状況がある中で、民間の頑張っておられる方々は、何であっちにはあんなに簡単にお金がつくのかな、少しぐらい応援してほしいなという話はやはりいろいろ出てくるわけですね。

 だから、いのちの電話のような事例なんかを見て、委託ではございませんけれども、チャイルドラインのような団体にもう少し予算を向けていく。これはやはり、主体が民であっても大変重要なパブリックな活動ですよ。イギリスとかから始まって何十年もやっている、もう言うまでもない。そういう姿勢をやはり具体的な数字に出していく必要があるのではないかと思うんですが、いかがでしょう、大臣。

伊吹国務大臣 それは、先生、私は何ら否定しません。ただ、二十四時間常にオンタイムで全国どこででも相談電話がかけられる状況にしたいというのが安倍総理の判断だったんですよ。それができるのがどこかという判断をして、こういうことに結果的になったわけです。

 私もいのちの電話には深く関与していまして、私自身は寄附をすれば公選法違反にひっかかりますから寄附はできませんけれども、多くの善意の寄附してくださる方をずっと御紹介しているんです、私自身が寄附の当事者になれませんから。

 いのちの電話についても、当初は確かに文部科学省としてお金を入れておったわけですよ、助成をしておったんです。三年間助成をしておったんです。当初、力はある程度は入れていくけれども、NPOというのは、本来、やはり政府とは別の立場で頑張ってもらいたい、頑張るべき筋合いのものであって、NPOが常に官に頼りながら活動していくというのは、ちょっと私は先生の一番最初におっしゃった発想とは違うんじゃないかと思います。もちろん個人的には、いのちの電話について、同じように私もボランティアの一人として何かするということは全くやぶさかじゃないんですよ。

萩山主査 田嶋さん、時間が来ましたので簡潔に。

田嶋(要)分科員 はい。

 常に官に頼るということを私は申し上げているわけじゃないんですよ。でも、やはり民が主体の社会に変えていく、その最初の立ち上がりのいろいろな苦労があるじゃないですか。インフラを立ち上げていく、例えばそういうところに支援をしていくことにそんなに私はちゅうちょすることはないのではないかということと、それから、では、二十四時間の体制をやれるところがどこなのかといったときに、最終的に教育委員会しかないという結論に至るその比較考量を、どの程度真剣にいろいろな調査をした結果そういう結論になっているのか。私は、最初から文部科学省、教育委員会、そうなっていたに決まっているんじゃないかと思うわけですよ。それじゃおかしいでしょう。それが、国と地方自治体、地方公共団体と同じ関係ですね。文部科学省、教育委員会。もう黙っていても、何かやろうとしたら文部科学省、教育委員会。それじゃいつまでたっても官、官、官、官ですよ。そういうことを申し上げておるんです。

 きょう、具体的な御答弁はいただけないようでございますけれども、聞いている団体の方が大勢今いらっしゃいますけれども、ぜひ少し民間にも、同じ中身の仕事をひょっとしたらもっともっと生き生きと効率よくできる可能性がある、勇気の要る選択かもしれない、私はそれを反対しません、しかし、そういう選択肢にもう少ししっかりとした国の支援ができないのかということを真剣に議論していただきたいというふうに思います。

萩山主査 田嶋先生、申し合わせの時間が参りましたので、御協力をお願いします。

田嶋(要)分科員 以上でございます。済みません。

萩山主査 これにて田嶋要君の質疑は終了いたしました。

 次に、高井美穂君。

高井分科員 民主党の高井美穂です。

 お時間をいただきまして、ありがとうございます。連日お疲れさまでございます。

 通告に従いまして、小中学校の耐震化の件、それから学校法人への株式会社の参入問題、それから、時間があれば給食費未納問題についてもお聞きしたいと思っておりますが、その前に、大臣に先にちょっと確認だけさせていただきたいことがございます。

 私は報道でしか知りませんけれども、長崎県で二十五日に、自民党の支部大会にて御講演をされた中での御発言の件でございます。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になるというふうにお触れになられたというふうに報道では聞いております。そして、加えて、人権を侵すべからざる大切なものとした上で、バターに例えて発言をされたわけで、権利と自由だけを振り回している社会はいずれだめになる、これが今回の教育基本法案の改正の一番のポイントであるというふうにお述べになられたそうでございますが、まずもってこの発言の背景にあるその真意というか思いをお聞かせください。

伊吹国務大臣 報道だけで御質問になるのは大変残念だと思います。必要であれば私の講演の全文を差し上げますので、やはり前後関係をよく読んで、いや、それは先生だけじゃないんですよ、大新聞の社説を書いている人だって、全文を読んで社説を書いているかどうか私が疑問に思うようなことを言っておられます。

 それで、これはもう明らかなことは、私、いつもこれを持っているんですが、日本国憲法というのは我が国の最大の基本法規でしょう。ここの「国民の権利及び義務」の第十一条にはどう書いてあるかというと、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」まずこう書いてあるわけです。

 そして、十二条に、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」つまり、これを使い過ぎて批判を受けないという努力、それから啓蒙してこれを他人に侵されない努力、これは大学の憲法学で教えることですよ、両方の努力をもってこれを保持しなければならない。「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」これが憲法十二条ですよ。

 十三条に、今度はそれらの人権を担保するものとして、人権というのは人間としての自然発生的な権利ですよ、その人権を担保するものとして、これは各法律に認められた今度は法定上の権利があるわけですよね、人権の裏側に。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の」今申し上げた権利ですよね、「権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と。

 ですから、私は、ここに申し上げているのは、人権は大切なものだ、個人の権利は大切だということは今をもって変わらぬ真理です、侵してはならない真理です、しかし、大切な権利には義務が伴う、そして守るべき自由には規律がある、これを両方一緒にしないと、権利と自由だけを振り回していては日本社会はだめになるということを言いまして、戦後は、人権が極めて軽んじられた戦前のことを受けた時代であったから、そのときに決められたものは、人権を極めて大切にする、だから、人権というものは大切だ、個人の権利は大切だということは今も変わらぬ真理です。これは侵してはならない真理です。

 しかし、バターと一緒で、戦前、先生はまだ生まれておられないから、今ダイエーに行ったら、いっぱいバター買えるじゃないですか。そうでしょう。だから、当時はバターというのは本当に貴重なもの、当時の人権と同じように。だけれども、今は、バターは相変わらず極めて大切な栄養物であるということは今も変わらないけれども、例えば、私が担当している教育現場でいえば、ある新聞の社説は、いじめられている子供の人権を守るべき大臣がと言っているんですよ。そうじゃないんですよ。なぜいじめられている子供が守れないかというと、いじめた子供に出席停止だとか教室外へ出るということをやった途端に、御父兄を初め地域の方々が、そのいじめた子供の人権がどうなるんだといって学校現場が大騒ぎになっちゃうわけですよ。だから、教師は怖がってそれをやらない。

 だから、この前、通知を出して、もちろん、そこへ逃げ込んじゃいかぬよ、しかし、そういう措置をとった限りは、校長、教育委員会、地域社会、一体となってその措置をやはり守ってあげてくれないと本当の子供の人権は守れないよという通知を出しているわけです。そのことを申し上げたのであって、私は、別に何ら、例えば産む機械だとかいうような非常識なことを言ったわけじゃないんですよ。

 ましてや、先生、これは議会人として、ぜひ私は、最初、報道だけとおっしゃったけれども、今私が申し上げた答弁は、国会の中で何度も何度も同じことを答弁しているんですよ、議事録をごらんになったら。国会議員は、やはり、国会の中で私が言ったということがおかしいというときには質問をしてください。たかだかと言っては失礼だけれども、どこかの会合で私が言ったことを報道が一部報道したことをつかまえて、国会内で同じ発言をしているときは、全く、なるほどなるほどと言っておいて、報道があったら突然鬼の首をとったように質問されるというのは私は余り、先生がじゃないですよ、ほかの委員会でけしからぬとおっしゃった方がおられたから。私の真意はそういうことです。

高井分科員 だからこそ、ちょっとお聞きをしてみたかったわけなので、それで、そのように述べていただくのは十分結構なのでございますが、私は、国会の中でバターに例えておっしゃったかどうかは存じておりません。国会の中で、メタボリックになるというようなことはおっしゃったことはないんじゃないかなと思います。(伊吹国務大臣「いや、あります」と呼ぶ)この件より前の段階ででございますか。(伊吹国務大臣「はい」と呼ぶ)そうしたら、それは私の認識不足で大変失礼をいたしました。

 ただ、つまり私も、大臣がおっしゃる意味もよくわかりますよ。報道が一部だけを取り上げて、そういう形の報道をする、それで大臣も、それで非難をするつもりだろうということで多分先ほどのような御答弁をるる御説明いただいたんだろうと思いますが、私はそういうつもりではございませんで、実は、私自身も、柳澤大臣の御発言のときに質問に立たせていただいたときに、あの発言そのものの背景にある思いや意図や、それにより少子化対策を一人頭で頑張っていっていただかなければならないということは、それは政府の見解としてはおかしいのではないでしょうか、社会でみんなで子供を支えていこうということが今言われている中ですからという趣旨で、その他、障害児童の問題等も委員会の中で申し上げたつもりですが、報道は、まさに揚げ足取りだけをしている、そんなことばかりをやっているみたいな報道があったので、非常に私も、無礼というか、頭にきまして、抗議をテレビ局に申し上げた経過もございました。それで余計にまた大臣にお聞きしたかったのです。

 とりわけ教育基本法案改正についてのポイントであるというふうにお述べになったということでございますから、つまり、私とはお考えが少し違うなと感じたところの一つは、もちろん大臣おっしゃるとおり、人権を濫用してはならない、両方、義務と権利はセットで履行されるべきであると私も強く思います。

 ただ、私どもが申し上げた日本国教育基本法案の中には、義務と権利をセットで履行していただくのが大事であるということの前提として、まず、教育の主体は国民であって、子供であって、もちろん大人でもあって、だからこそ学ぶ権利をまずきちんと保障する、それは国家の義務として必要であって、かつ、権利と義務をきちんと果たしてもらうようにしなければならないということで、わざわざ第二条に、学ぶ権利を保障するという条文を私どもの提案の中には入れました。それは残念ながら採用にはなりませんでしたけれども。

 その点は多少意識の持ち方が違うのではないかなと感じた旨、それでそういうふうに申し上げたわけでございますが。

伊吹国務大臣 これは、先生のお考えがいけないとは私は思いませんが、先生の、民主党の考えも一つの考え、自民党の考えも一つの考え、おのおのの政治理念とか物を考える価値観がすべて一緒だなんというような社会はあり得ないわけですよね。それは多数決で決まっていくわけです。

 それで、京都大学の中西輝政さんという教授がおられますが、この方がおっしゃっているのは、個人というものは何よりも尊厳をしなければならない、個というものは大切だ、しかし、個が存在するには個が帰属するものがあるんだと。これは、具体的に言えば、一に家族ですよ、二に地域社会、三番目に会社、それから、日本国なら日本国、地球社会ですよ。その一員であることを自覚するというのは公共の精神。その公共の精神よりも個というものを尊重してしまうと、結局、個が帰属する相手がなくなってしまいますよということを申し上げているわけです。

 私がここに申し上げているのは、自分たちが乗っている船を考える、船を考えずに自分たちだけが好きなことを言えば、いずれ船が沈んで、結果的に自分も死ぬんだということをよく認識しながら日本社会を動かす、これが教育の根本であって、公共の精神とはそういうものですということを言っているわけです。

 ですから、私は別におかしなことを言っていると思いませんし、その後、なるほどなと思って皆さん大騒ぎにならなかったんじゃないでしょうか。

高井分科員 そういうことだろうと思いますけれども。私は、個があって、かつ、自分を大事にすることができる人はみんな友人も大事にできる、そういう個を大事にすることも前提にしながら公共を大事にするという社会が本当はあるべきでないかと思っていますし、その点では多分同じであろうと思います。

 とりわけ、私は教育基本法のときも思ったんですが、子供に対してそういう規範意識や、個々、公共を大事にするということを教えるというのはとてもとても大事なことだと思いますが、この間、児童虐待防止法並びに児童ポルノの関係の禁止の法律等にも一緒に取り組んできた経過をすれば、私が大変残念に思っているのは、やはり日本の大人の未熟さも極めて問題であるというふうに思っております。

 性的虐待のケースとか援助交際等、こういう言葉もさまざまメディアにも取り上げておられますけれども、やはり子供をちゃんとケアできない大人の問題。そして、それは少女の側も、売る方が悪いんだというような話もあるようですけれども、少女自身も自己決定できない未熟さというか、この点もまた別途の法案やさまざまな件でずっと取り組んでまいりたいと思いますが、子供の規範意識よりも、もう本当に大人の規範意識が今きちんとしてこそ、子供にまたいい見本となれるのではないかというふうに強く思います。多分その点は同じだろうと思いますので、もう御答弁は求めません。

 次の質問の方に移ります。

 小中学校の耐震化の件についてお聞かせください。今の耐震の調査と耐震補強工事の進捗状況の点、簡単で結構ですので教えていただけますか。

大島政府参考人 お答え申し上げます。

 耐震化の進捗状況でございますが、平成十八年の四月現在で、公立小中学校施設の耐震化率は五四・七%でございます。それから、その耐震を進めるに当たり前提となる耐震診断ですが、この実施率につきましては六七・九%、このようになっております。

高井分科員 今お聞きなさったとおり、まだ半分ですよね。私の生まれた徳島県におきましても、徳島はとりわけ低くて今三七・八%の耐震化率ということでございまして、調査の方はやっと六五%と全国平均に近くなっておりますが、大変私は懸念をしております。

 というのも、やはり今世紀前半にも東南海・南海地震が起きる可能性があると専門家の間でも言われております中で、地域の避難場所の拠点となる学校、子供たちの命を守るところでもあるような場所がまだ耐震率が十分でないということは大変懸念をしておりまして、これはまさに自治体の方からきちんと要望が上がってきて、予算も相当、今年度も昨年度もついているようでございますので、やはり自治体と本当の意味で協力をしながら、ぜひ啓発活動も含めてやっていただかなければならないと思いますが、現状の点で進めていることがあれば教えてください。

大島政府参考人 先生から今御指摘ございましたように、地方自治体の認識、啓発、これは非常に大事な話だろうと思っております。

 このため、私どもでも、まずは都道府県の担当者を対象といたしました会議あるいは個別のヒアリング、こういったものを行うようにして、公立小中学校施設の耐震化に向けて要請をしております。また、昨年の十月には、耐震補強の事例集、こういったものを作成いたしまして、都道府県の知事部局それから教育委員会、こういったところにお送りいたしまして、配付してさらに意識を高めるといったこともやっております。

 それから、先ほど平成十八年四月の診断の実施状況等を説明いたしましたが、こういった実施状況の公表に際しては、各設置者ごとの状況、これも公表いたしまして、地方公共団体あるいは地域住民の啓発、こういったものに努めてきているところでございます。

高井分科員 昨年度の予算ベースでお聞きしましても、今年度も一千百四十億の予算を計上されておりますが、この予算で大体例年どおりで考えればどれぐらい進むかということをお聞きしたら、やはり三%という話でした。ということは、残り四五%あれば、少なくとも十五年近くかかってしまうということでございますので、余りにも長い計画であり過ぎるなということも懸念しております。

 県の方でも、独自に補助を出したり、さまざまな取り組みをしているところもあるというふうにお聞きしておりますので、合併も行われて自治体の中でもいろいろ変遷があったところでございますので、いろいろと文科省並びに自治体、それから県とも協力しながら進めていただけますように、ここは要望としてお願いを申し上げたいというふうに思っています。

 次の、学校法人への株式会社参入についての質問に移らせていただきます。

 特区で始めたものの中で、LEC大学というのが法令違反を受けて是正勧告を受けたというようなことも、これも報道並びに文部省の方からも少しお聞きしたんですが、これについて現状を、是正勧告後、LEC大学の方はどのように対応しているのか、お願いします。

清水政府参考人 御指摘をいただきましたように、LEC大学については、本年の一月二十五日付で勧告を行い、これに対して二月二十三日で大学から報告をいただいております。

 勧告の趣旨といたしましては、資格試験予備校と事実上同一化している現状を改めて、大学として固有の自主的、自律的な教育研究体制を確立してもらいたいというところにあるわけでございますが、LEC大学の報告書では、まさにその趣旨に沿って対応するというのがそこの骨子でございます。

 内容に若干触れさせていただきますと、大学としての授業計画、教材、シラバスその他の教育課程の編成、それから、施設についての予備校との建物、フロアごとの利用区分の明確化でございますし、また、法令違反とされました専任教員につきましては、授業あるいは業務へ従事の実態がない、あるいは給与の支給も受けていない教員を整理し、百七十三名から三十五名に再編成すると同時に、四月以降におきましては、全専任教員が授業科目を担当、オフィスアワーを設定、予備校との兼務は行わない、そして相応の処遇を行うというような内容でございます。

 そのほか、ビデオ授業につきましても同様に、双方向性を確保するという観点からの内容としておりまして、またそのほか、特区自治体の協議を経て、現在十四あるキャンパスを縮小したいというふうにしております。

 私どもとしては、報告書の内容を精査すると同時に、さらに追加書類の提出あるいは実地調査を行うなど、勧告に沿った改善措置が確実に実施されているかどうかを確認してまいりたい、こういうふうに思っております。

高井分科員 LECだけではなく、特区で申請をして始めた大学が幾つかあると思うんですが、ほかの県等ではこのような問題は起きていないのか。また、法令違反まで至らなくても、ちょっと問題点がある県があるのか。LECだけの問題ではなくて、幾つかほかの大学でもこれに近い法令違反があるというようなケースがあれば教えていただきたいんですが。

清水政府参考人 現在開設されている株式会社立大学は、LEC大学を含めて六大学ございます。その六大学につきまして、設置計画の履行状況を調査しておりますけれども、今、LEC大学で申し上げたような法令違反というようなあれはございません。

 ただ、幾つか改善すべき問題点として、例えば、専任教員が大学以外の業務に従事して、教育研究上の役割、責任の面で位置づけに疑義がある教員がいる、あるいは授業内容の方法の改善を図るための研修が十分か、あるいは大学院専用の施設が狭いとか、図書設備が必ずしも充実していないのではないか等々、改善すべき事項として指摘させていただいているというふうなところでございます。

高井分科員 今、大臣もお聞きなさったように、さまざまな問題点が今指摘されているということでございますけれども、私が少し懸念しておりますのは、まさにこういう問題が起きることもしかりながら、やはり、株式会社が入った場合、運営母体の株式会社の経営が悪化した場合の買収の懸念、もしくはまた、例えば遊休の不動産を持っている場合、その含み資産がある、その可能性を見込んで買収の対象となる。そういった場合に、実際に子供がいるわけですから、運営者がころころ変わってしまう、運営が変われば方針も変わり、また、万が一の話ですが例えば日本の会社がやっていてアメリカの会社に買収されるということになった場合、方針が全く違ってしまっていて、今までは日本語教育を徹底していたのに今度は英語教育になるんだとか、極端な例ではございますが、そういうことが起きる可能性はゼロではないということを懸念しておるわけでございます。

 子供の学業や生活そのものと直接かかわる学校法人に株式会社が参入して、そういうことが万が一起こり得る可能性があるということは大変に懸念があるところですが、大臣は今後先々、この特区のことについてはどうお考えになっておられるか、お聞かせください。

伊吹国務大臣 小泉内閣のときのいろいろな方針がありましたし、その前提として、先ほど御党の田嶋先生などは、もう民だ民だというお話でしたね。そして、先生が御当選になる前だったと思いますが、地方分権と、そして官主導の体制から民主導へ行くのが民主党で、自民党はそれが旧体制だ旧体制だという御批判を我々は受けてきたわけですよ。

 ありていに言うと、これは、やはり民で地方分権をやると、それに伴っていい効果がたくさん出てくることは私は否定しないんです。しかし同時に、制度を変えると、制度に伴う欠点というのもいっぱい出てくるわけですよ。今、どちらかというとその欠点があらわれ始めているケースが多くて、だから御党も、ちょっとこのごろ私が拝見していると、百八十度方向を変えられて、格差是正だとか、何か官が積極的に入れとかという話になってきている。これもその一つのあらわれで、私はこのことについては先生と同じ考えなんですよ、どちらかというと。

 これからはちょっと、今のような先生の御心配のようなことがありますから、大学の学位の品質の担保だとか何かも考えると、利潤原則によって、利潤を超える価値を動かしている組織についてはまあ慎重であるべきだなというのが私の基本的な考えです。

高井分科員 野党の悲しさながら、やはり政府の方の方針に合わせて私たちも、何が間違っているか、どうすればいいのかということを考えて動いていくわけでございまして、もちろん、官が行き過ぎ、官がやり過ぎていたら民の力が必要だというふうな考えでスタートはしてきたものの、やはり、民の力を導入することによって、すごく民の方で経済情勢も頑張って回復されてきた要因に、牽引車となったんだろうと思います。

 しかし、それだけでは本当に、漏れてきてしまった人をどうやって公で救うかという話の方に今我々が移ってきているわけでございますので、御了解の上で大臣はおっしゃっておられるのでしょうからもうこれ以上は申しませんけれども。

 もともと、この特区の件、導入されるときにも、二〇〇三年の三月、当時は遠山文部科学大臣でございましたけれども、文教委員会の中でもこのように、さっき大臣がおっしゃったように、民の力をいいところは取り入れようという観点ながらも、本来あるべき学校教育の持つ公共性、安定性、継続性といったものはしっかりと守りながら、セーフティーネットがしっかりと保たれるようなものについては認めていくというふうにしていく、これは特区でございますので全国に及ぶということはございませんしという御答弁で、後は略しますが、続けておられます。

 つまり、公教育は国や地方公共団体、私立は学校法人がしっかり担うのが原則であって、構造改革特区における株式会社参入は例外で限定的なものというような趣旨で取り入れた。これは、これからも文科省はきちんと口出しをしていく、見ていくというふうな御趣旨でこのときも発言されていたと思いますし、今も恐らくそうであろう、この方針は変わっていないんであろうというふうに思っています。

 比較的その民の力をとても重視するアメリカですら、教育界への株式会社の参入の件に関してはさまざまな懸念が出されているようでございます。私がちょっと調べたところによりますと、これはちょっと古いんですが、二〇〇一年の四月付のザ・ニューヨーク・オブザーバーという雑誌の中で、教育は元来効率を目指すものではない、教育の目的は教育そのものにあって、その点、利益を上げることを目的とするビジネスとは目的が異なっている、公立学校の運営は確かに効率が悪いかもしれないが、その運営を私企業が行うことで効率を上げ、そうすることによって、非効率的な中に隠されているはずの利益を引き出そうという考えには基本的には欠陥があるというような指摘が、これは二〇〇一年ですから随分前からなされているようでございまして、この点、やはり私どももよく頭に入れた上でこの特区のことを見ていかなくてはならないというふうに感じているところでございます。

 本当に、教育そのものはやはり長い時間を要するものでございますし、効率化や合理化、株価の向上や株主利益といったものとはちょっと相入れないところにあるというふうに感じておりますので、もうよく御存じだと思いますが、その点を改めて申し上げたいというふうに思っています。

 それに加えて、規制改革までして学校をふやすということにそもそも何の意味があるんだろうかというふうに感じました。つまり、来年度からひょっとすると大学全入時代、数が一緒になるということも言われておりますので、この点においても、もはや今後先々必要があるんだろうかということも私は懐疑的でございます。その点に関して大臣はいかがお思いになりますか。

伊吹国務大臣 きのうも、これはいずれ議事録が公開されるでしょうけれども、経済財政諮問会議で大学のあり方ということについて議論がございまして、先生がおっしゃるように、何も私立だけじゃなくて、徳島でもやはり自分の県に必ず大学が欲しい、県立大学、国立大学が欲しい、そういうお気持ちがみんな、知事を初め県民の皆さんにあるわけですよ。ところが、実際できているのはみんなおたふくあめのような学校ができるわけですね。先生がおっしゃったように少子化時代だし、やはり地方の特色を生かした立派な大学にしていくべきじゃないかと。

 だから、徳島は徳島の特性を持ったすばらしい大学を地域ぐるみでぜひつくっていただいて、そして我々もできる限りの御協力をして、各地にやはり特色のある学校をつくっていくということが私は大切だと思っています。

高井分科員 ありがとうございました。

 最後まで行けませんでしたけれども、御協力ありがとうございました。

萩山主査 これにて高井美穂君の質疑は終了いたしました。

 午後一時三十分から再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時三十六分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時三十分開議

萩山主査 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。糸川正晃君。

糸川分科員 国民新党の糸川正晃でございます。

 まず大臣に、スクールカウンセラーと、昨日、予算委員会で中学校の義務教育の履修漏れの問題でお答えいただきましたものですから、その二点について、本日は分科会でお尋ねをさせていただきたいと思います。

 まず、スクールカウンセラー問題につきましてお尋ねをさせていただきます。

 いじめ問題を初めといたしまして、児童生徒の悩みの解決、そして心の問題をケアしていくということは重要な課題でございます。私も、教育基本法の特別委員会でも何度もさせていただいたわけでございますが、学校において心の問題のケアに当たる者としてスクールカウンセラーというものが位置づけられておるわけです。

 平成十九年度予算案において、スクールカウンセラーについては、五十億五千百万円が計上されておりまして、全公立中学校一万校に配置することが予定されておりますが、今後の小学校への配置計画を含めて、具体的な事業の概要について御説明をお願いしたいと思います。

銭谷政府参考人 スクールカウンセラーにつきましては、平成十九年度、全公立中学校に派遣できるように予算案に計上しているところでございます。これまでも、また十九年度も、スクールカウンセラーの派遣につきましては、まずは、思春期で特に不登校や問題行動の発生が多い中学校を中心に派遣するという考え方で進めております。

 小学校につきましては、これまでは地域の実情に応じまして派遣を可能としてきておりまして、平成十八年度におきましても、千六百七十七校に派遣をされているところでございます。

 なお、小学校につきましては、子供が気軽に相談できる話し相手として、退職教員などの地域の人材を子どもと親の相談員として配置をしてきているところでございます。

 今後、小学校につきまして、スクールカウンセラーの派遣をどういうふうに考えていくのか、これは私ども、大きな課題だと思っておりまして、子供のいじめや不登校の状況などを踏まえまして、よく検討してまいりたいと思っております。

糸川分科員 また、教育再生会議におきましても、いじめ相談体制の抜本的拡充、これが提言されておるわけでございます。その有力な手段といたしまして活用すべきであると考えておりますが、文部科学省として、スクールカウンセラーに対してどのようなことを期待されていらっしゃるのか、そしてまた、学校、教育委員会とスクールカウンセラーの連携について、どのように大臣はお考えになっていらっしゃるのか、お答えいただけますでしょうか。

伊吹国務大臣 今、政府参考人がお答えを申し上げましたように、スクールカウンセラーというのは、例えば臨床心理士のように、心のケアをする大切な役割だと理解しております。ですから、当然、学級担任とか教頭、校長等と連携をして、そしてまた、地域の方々との話し合い、触れ合いの中で、地域ぐるみ、再生会議的にいえば総がかりというんでしょうか、そういう中で、不幸な子供が出ないように努力をしてもらいたいと思います。

 同時に、安倍総理も国会で御答弁をしましたので、昨年の補正予算、それから今御審議いただいております十九年度予算で、二十四時間の相談体制の中へスクールカウンセラーの方々も入っていただいて、いつでも子供たちが、特に、先生だったですかね、昼間だけじゃだめなんだよ、夜の方がかえって子供がほっとして相談しやすい、電話をかけたときは公務員だからだれもいないじゃないかというおしかりもあって、二十四時間体制をしく予算を今回お願いしております。

 そういうことが両々相まって、間違いのないようにやっていきたいと思いますが、何分、まだ数が必ずしも十分ではございませんので、フルタイムでやっていただけるぐらいの気持ちを持って努力をしたいと思っております。

糸川分科員 今、大臣が、地域ぐるみでこの相談体制をつくっていくんだというようなことでございます、そして、ケアをしていくんだということですが、生徒が大人に対して悩みを相談するということは非常に高いハードルがある。大臣、今、夜の方がほっとして相談したいというようなことがあるのではないかということもございました。

 そこで、相談者への信頼というのはもちろんのことなんですが、例えば相談室を入りやすい場所に置いたりですとか、また、今、若い人はみんな携帯メールを、若くなくても携帯メールをやっていると思いますが、携帯メールの活用で、携帯メールで相談ができるとか、そういう新しい、生徒が相談しやすい環境づくりをするべきだと思いますが、この環境について、具体的な対応策、どのような検討がされていらっしゃるのか、お答えいただけますか。

銭谷政府参考人 先生お話しのように、子供が大人に相談するというのはなかなか高いハードルがあるわけでございます。そこで、できるだけ子供が相談しやすい体制づくりということが大事になろうかと思っております。スクールカウンセラーの活用に当たりましては、こういった観点から、子供が相談しやすい場所にカウンセリングルームを設置すること、それから、子供に対して、スクールカウンセラーについてよく理解できるように周知を図っていくといったようなことがまず大事だと思っております。

 実際、学校におきましては、カウンセリングルームにつきまして、子供が行きやすいと言うと変な言い方になりますが、保健室に隣接をさせまして、保健室に来た子供がそこからカウンセリングルームに入っていけるようにするとか、あるいは出入り口を二カ所設けまして外から直接入室できるようにするなど、きめ細かな配慮がなされているところもございます。こういった、まずは相談しやすい場の設置という観点から、引き続き指導していきたいと思っております。

 それから、もう一点、お話のありましたメールでの相談などにつきましても、それぞれの学校で工夫がなされるように、各種会議の場などを通じて指導していきたいと思っております。

 いずれにいたしましても、スクールカウンセラーはまだ非常勤で勤務の時間も短いわけでございますので、先ほど大臣からもお話がございましたけれども、スクールカウンセラーの配置の促進及びその勤務時間等につきましても、今後、私ども、大きな課題として受けとめて努力していきたいと思っております。

糸川分科員 今、環境の整備ということですけれども、例えば隠れて子供が入らなきゃいけないとか、出入り口が幾ら二つあっても、いじめられている人というのは、いつも監視をされているような、そういうところに追い込まれているような感じもあるわけですから、常に入りやすい環境というのでしょうか、このスクールカウンセラーの部屋、それが保健室の隣にあっても、特別な空間として位置づけるのじゃなくて、ふだんから出入るような指導を学校側にぜひしていただきたいなと思うわけです。

銭谷政府参考人 十八年度の補正予算におきまして、スクールカウンセラーについて、集中的なカウンセリング活動ができるような措置をしたわけでございます。これによりまして、学校によりましては、皆が一度は健康診断のような形でスクールカウンセラーと面談してカウンセリングを受けるといったようなことを、今、各学校で始めているところもございます。

 こういったことから、生徒とスクールカウンセラーがいわば気楽に話ができるような雰囲気づくりといいましょうか、そういったことにも心がけていきたいと思っております。

糸川分科員 ぜひ、気楽に話せる環境づくりをしていただければなと思います。

 次に、これも私、何度も大臣にやらせていただきました臨床心理士の国家資格化ということでございます。

 現在のスクールカウンセラーの学校における権限、これは決して大きいとは言えないわけでございます。例えば、子供たちがカウンセラーに相談をしましても、事態解決のための権限はないわけです。そして、カウンセラーが校長などに相談をし、そして報告をし、校長もしくは教員、こういう者が対処をすることになるわけです。

 スクールカウンセラーの発言力の強化のためには、その主な担い手である臨床心理士、これは民間の資格でございますが、これの国家資格化が必要である、これはもう何度も私が言ってきたところでございます。国が一定水準の能力を認めた者であるというお墨つきが、教育現場や児童生徒に与える信頼感は大きいというふうに思います。

 この問題につきましては、私が教育基本法の特別委員会でも、また質問主意書、ここにおきましても質問させていただいたところでございますが、その回答というのがいつも、「関係議員連盟等における国家資格制度の創設に関する検討状況を注視しつつ、」検討していくとのお答えでございます。政府の答弁で検討する、こういう言葉は何もしないということと同義であるという俗説もあるわけでございますが、まさか本当に何もしていないということはないというふうに思います。特に、政府として注視するとされておりました関係議員連盟の検討状況というものは現在どのような状況にあるのか、把握されていらっしゃいますでしょうか。

樋口政府参考人 お答え申し上げます。

 関係議員連盟における検討状況につきましては、先生が昨年十二月、本件につきまして質問主意書を御提出いただいて以降、残念ながら議連がまだ開催されるに至っておらないわけでございます。現段階におきましては、関係者が合意して国会に提出できる法案の内容が確定したとの情報はまだ得られていないということで、まことに申しわけなく思っておるわけでございます。

伊吹国務大臣 先生、もうすべておわかりになって御質問になっていると思いますが、いわゆる国家試験あるいは国が認定する士がつく資格については、国が閣法として提出しているものと、それから議員立法において提出されるものと、過去にもいろいろな事案があります。

 本件については、学校現場の問題はもう先生がおっしゃっているとおりなんですよ。これは何ら私は間違いがないと思います。問題は、医療現場なんですよね。特に、精神科の治療に当たっておられるわけですが、医療行為と言われる中の診断行為、治療行為というのは基本的には医師の専担事項なんですね。だから、看護師さんたちも医療行為はなさいますけれども、これはあくまで補助行為なんです。臨床心理士さんが医療現場でなさる行為が医療行為なのか、医師の指示に基づく医療の補助行為なのか、ここのところがなかなか詰まらないんですね。

 ですから、私どもの方としては、文部科学省としてはいつでも受けて立つという気持ちはあるんですが、厚生労働省の方の話が詰まりませんと、別の資格ならいいんですけれども、率直なところ、ざっくばらんに申し上げますが、文科省だけで手が出せる問題ではない。したがって、関係議連のお話し合いを今注視しているということであって、何もしないなどということではございません。

糸川分科員 局長にちょっと補足していただきたいんですが、この国家資格化に反対する、例えば精神科の団体とかもあるということでございますが、政府として、こういう各団体の意見をどのように把握されているのか、お答えいただけますでしょうか。

樋口政府参考人 ただいま御指摘がございました、反対表明を出しておられる団体は、厚生労働省が所管する医療関係団体でございます。したがいまして、文部科学省として当該団体から直接意見を聴取する立場にはないということで、また、反対表明を出しておられる団体も、私どもに直接要望を提出されていないという状況にあるわけであります。

 ただ、これら反対されている団体がホームページ等で情報を公開されておられます。そこの中をお見受けしますと、先ほど大臣が御答弁申し上げましたとおり、臨床心理士、医療心理師が行う業務が医療類似行為に当たるおそれがあるなど、臨床心理士の業務の定義が明確でないのではないかという御批判、あるいは医療心理師の業務範囲が医療分野に限定されるのに対し、臨床心理士の業務範囲が、教育分野にとどまらず、保健、医療、福祉等々広過ぎて、業務に当たっての医師との関係が明確ではないのではないかなどの立場から、法案化について疑義を持っておられるという理解でございます。

糸川分科員 例えば、仮に関係団体の意見がまとまらない場合、このまま放置されることになってしまわないように、ぜひこれは政府が主体的に調整を行っていただいて、大臣、せっかくの機会ですから、これはうまく調整していただいて、厚労大臣とお話をいただくなりしていただいて、また与党内でもお話をしていただいて、早期に議連を開いていただけたらいいなというふうに思います。

 そこで、大臣に一問ちょっとお尋ねしたいんです。

 民間資格として認定を受けた臨床心理士、この方々が今現在多数活躍をされていることがわかるわけでございますが、医療の分野においては臨床心理技術者、こういう方々がチーム医療の一員として活動されているわけでございます。

 ただ、今のところ、我が国には、心理に関する専門家についての国家資格がないわけですね。教育現場におけるスクールカウンセラーの実効性、これを高めていくためには、大臣もそういうものが必要だろうということをおっしゃられていると思いますが、その位置づけや権限を明確にすることが必要だろうと私は思うわけです。国家資格を持った心理に関する専門家、この人たちを配置していくことが必要であって、そこにはある程度の技術的な部分、そういうことも含めて国がある程度指示ができるようなところに置くべきではないかなと思うんですが、大臣、いかがお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 国家資格がなければスクールカウンセラー業務ができないというものではないと私は思いますが、国家資格がやはりはっきりしていないと、先生がおっしゃったように、権威や職分の主張がしにくいということはあります。

 先生も臨床心理士の団体の方々とお親しいのであれば、私はよく御関係は存じませんが、要するに、この方々は、組織は一つのままずっといきたい、だけれども資格は欲しい、そして医療の分野と学校の分野はそちらで何とかやってくれということになってくると、どこかで、むしろ、学校分野で仕事をする者と組織を別にされたって構わないんじゃないんですか、とことん押さえていけば、最後まで。

 ところが、やはり組織としては一体感をとっていきたい、そして資格は国家資格にしてほしい、そうすると医療現場の方では反対団体が出てくる、これで今調整が大変滞っているということですから、私も内容はかなり知っているつもりなんですけれども、また私の力の及ぶ範囲で先生の今のお気持ちも伝えて、団体の方も少し、一つ深呼吸していただかないといけないんじゃないでしょうか。

糸川分科員 ありがとうございます。

 一体感を持って、恐らく、臨床心理士会は国家資格化に向けたい、ただスクールカウンセラーの部分だけは分離した方がいいんじゃないか、こういうような御意見だというふうに思います。

 もう一点、大臣にお尋ねしたいんですけれども、生徒の相談に専門的に当たる職として、例えばカウンセリング担当教諭、こういうものをしっかりと位置づけることによって生徒指導の充実が図られる、そして教諭の生徒指導に関する負担軽減にも資するんじゃないかなと思うわけでございますが、教科指導を行う教諭との役割分担をしっかりと行って、相互協力のもと、生徒の心のケアに有効な手段となるんじゃないかなと思うんですが、この点、どうでしょうか。

伊吹国務大臣 今の御質問の趣旨は、授業はやらずにという意味ですか。(糸川分科員「そうです」と呼ぶ)

 これは、そういう方がおられても私は悪くはないと思いますけれども、やはり学校教育というのは授業や教室のホームルーム活動その他を含めて一体的にやっていくものですから、そういうものと全く離れて、何か学校の校医さんだとか、あるいは学校歯科医師さんだとかというような形の教諭というのは、ちょっと私は難しいんじゃないかという気がします。やはり資格を持った先生の中で、授業時間を比較的少なくしながらそういうお仕事をしていただくということは将来考えられる余地があると思いますけれども。

糸川分科員 ありがとうございます。

 カウンセリングのことは、機会があればまたさせていただきたいと思います。残り十分を切ってしまいましたので。

 昨日、予算委員会におきまして、中学校におけます必修教科等の取り扱いに関する実態把握というものを大臣の方からお答えいただいたわけでございます。中学校の必修漏れと言ったらよろしいのでしょうか、昨日この状況についての調査報告というものの説明をお受けいたしましたが、実際に、未履修というんでしょうか、履修漏れが明らかになったものについて今後どのような対応が図られるのか、お答えいただけますでしょうか。

銭谷政府参考人 今回、中学校の必修教科の履修に関しまして不適切な取り扱いが明らかになった学校があるわけでございますけれども、これらの学校のうち、必修教科が未開設である学校につきましては、必修教科等の開設が必要だと思っております。それから、時数の不足がある学校につきましては、適切な指導時間の確保が望ましいわけでございます。

 私ども、調査をしていく過程で、既に関係都道府県の私立の担当部局を通じまして、こういった考え方のもとに、学校教育法施行規則及び学習指導要領の規定に基づいて適切に授業を行うように指導しているところでございます。

 その結果、第三学年で未開設の教科等がある学校、これは三十四校あったわけでございますが、このうち、特に課題があると考えられる入学後三年間を通じて未開設の教科等がある学校、これは十一校でございますけれども、これにつきましては、いずれも、本年度中に当該教科等を開設し、授業を実施する予定またはその実施を検討中ということになっているところでございます。

 さらに、不適切な取り扱いが明らかになった学校を含めまして、すべての国立、公立、私立の中学校におきまして、学習指導要領等に基づきまして適切な教育課程が編成、実施されるように、近く通知も考えておりまして、こういったことを通じて徹底を図っていきたいというふうに思っているところでございます。

糸川分科員 大臣、ここはもし大臣がお答えになれそうでしたらお答えいただきたいんですが、今回いただきました資料というのは、どうも必修漏れもしくは開設をしなかったから履修ができなかった学校というのは、すべて私学でございます。私学についても学習指導要領の適用があるというのは当然であるというふうに思いますが、私学につきましては、教育委員会でなくて首長部局がその監督を行うこととされておるわけでございまして、実際それが機能していないんじゃないか。

 現在検討されております教育委員会の改革に関しましても、私学を教育委員会の所管にする、こういうような案も検討されているというようなことが報道されておりますけれども、教育の全国的水準確保という観点から、今後の私学への指導のあり方、そして国公私立というんでしょうか、地域ですとか、そういう格差を生まないようにするためにも、今後しっかりと取り組んでいかなきゃいけないと思うんですが、大臣、もしお答えになれたら。

伊吹国務大臣 この点につきましては、現在、中教審に、今先生がまさに御指摘になった点も含めて、教育委員会のあり方の御検討をお願いいたしております。

 これは、先生がおっしゃったとおり、国民の意思で日本の国は動いているわけで、国民の意思の集約は国会でございますから、国会で決められた法律による指導要領を例えば一部の教育委員会が守らなかったというのが未履修です。一部の学校が守らないという事態が今中学校で起こっているわけですから、私学といえども、やはり主権在民の日本としては守っていただくということが当然のことだと私は思うんです。

 それで、私学は、御承知のように、昭和四十五年までは私学助成費というのが入っていなかったんですね。今や国民の税金がずっと入っております、もちろん十分じゃないとは思います。ですから、国民の意思で決まった国会で、国民負担をある程度入れているんだという公共性をお考えいただいて、本来きちっとしていただけば、建学の精神というものがありますから、公的な介入はできるだけやらない方がいいと私は思います。

 しかし、どうしてもこういうことが次々起こってくる場合にどうするのかという議論はやはりする必要がありますし、その場合も、建学の精神、私学の自主性というものはやはり尊重してやらねばなりませんので、知事部局に所管がある場合は、知事からの要請があれば何かお手伝いするというような法の組み方もありますし、直接教育委員会が所管にしてしまうというやり方もあるでしょうから、そのあたりは少し、広く国民を代表しておられる中教審に今ゆだねているという段階だと御理解いただければと思います。

糸川分科員 大臣、ありがとうございました。

 私も、これは私学だろうが公立だろうが関係なく、やはり学習指導要領、中学校の義務教育段階というのは特に、これは中学校を卒業して社会に出ていく子供たちもいるわけですね。ということは、その子供たちが教育を受ける機会というものを失わないように、私学に対してもやはり大臣がしっかりとリーダーシップをとっていただいて言っていただきたいな、こういうふうにするべきだという指導をしていただきたいなというふうに思うわけでございます。

 きょうは分科会ということでございましたので、機会がございましたら、またの機会にこの点につきまして質問させていただきます。ありがとうございました。

萩山主査 これにて糸川正晃君の質疑は終了いたしました。

 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)分科員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 ことしも予算委員会の分科会の季節がめぐってまいりました。分科会での質問というのはふだんの委員会とはちょっと雰囲気が違いまして、ちょっと委員会では聞くのが恥ずかしいなと思うような問題や、与野党から注目を浴びているというようなこともございまして聞きにくいこともあるんですが、この分科会というのは、ある意味で、まとまった三十分という時間、大臣とふだん話しにくい問題といいましょうか、聞く機会がなかったような問題について、ちょっとざっくばらんに議論をさせていただければという気持ちで立たせていただいております。どうかよろしくお願いいたします。

 最初に、国会における科学技術の議論が最近なくなったのではないかということについて、ちょっと話をさせていただきます。

 省庁再編以来、国会の委員会の構成も変わりました。昔は科学技術庁があり、それに対応する常任委員会として科学技術委員会がありました。そこで常時科学技術についての議論が行われ、そして法律も必ず通常国会には二、三本出てきておりました。議論が行われていたわけですが、省庁再編、それで文部科学委員会になった。逆に、総合科学技術会議が内閣府にできて、内閣府に科学技術担当大臣がいらっしゃる。文部科学大臣がいらっしゃって、文部科学委員会がある。ある意味では、議論をする場が二つにふえたんですが、実質、どちらでの議論もほとんど行われなくなったというふうに実感をしております。

 内閣委員会で科学技術担当大臣が来て科学技術の議論をしたというのは、全くないとは言いませんけれども、ほとんどされていない。文部科学委員会でも、もちろん教育は重要問題ですのでその議論が中心になる、これは当然かもしれませんが、科学技術についての議論がほとんどされなくなった。法律も全く出てこなくなったですね。科学技術関係の法律が出てくるのは二、三年に一度になりました。そういうのを実感しております。

 これは立法府の問題ですけれども、国会議員でもいらっしゃる大臣、このことをどのようにお考えになられますか。

伊吹国務大臣 ありがとうございました。

 きょう科学技術の御質問を第四分科会でいただいたのは、政調会長が初めてでございます。ですから、立法府において私は活発に御議論をしていただいたらいいと思うんです。

 科学技術は確かに、現状、文部科学省になりましても、予算的にいっても文部科学省が所管しておるものが圧倒的に多いです、政府予算の中に占める、もちろん経産省その他ございますが。それだけに、立法府の立ち居振る舞いについて行政府の私が云々するのはいかがかと思いますが、遠慮なくとおっしゃっていただいたので、国会議員という立場で申し上げれば、もう少し議論があってもいいんじゃないかという気はしますし、むしろ総合科学技術会議ができましてから官邸の会議は非常に頻繁に開かれていて、私も、かえってその会議に出ることによって、なるほどなと思うこともたくさんあります。

 予算面においては、執行権限を持っておる多くの予算は我が省にございますので、総合科学技術会議というのは大きな方針を決めるところでございますので、具体的なことは私が責任を持ってやっておりますから、各先生ももう少し闊達に御議論いただければかえって結構なことじゃないかと思っております。

斉藤(鉄)分科員 これは、まさに国会、立法府の問題ですので、我々が真剣にどうすれば活性化するのかということを考えなくてはいけないと思います。

 しかし、片一方で、いわゆる行政の方の科学技術の執行体制がどうなっているのか非常にわかりにくくなっているというのも確かなんです。昔は科技庁長官がいて、各省庁の科学技術政策については科技庁長官が責任を持って調整する、大学については文部大臣が権限を持つということでわかりやすかったんですけれども、今、総合科学技術会議がある、しかし予算は大半を文部科学省が持っていて、文部科学大臣、科学大臣ですから、科学大臣がいらっしゃる。一体どちらが主役なのかということがはっきり言ってわからなくなっている、このように思います。

 総合科学技術会議と文部科学省とどういう関係なのかということを文科大臣はどのように考えていらっしゃるのか、内閣府はどのように考えているのか、ちょっとお聞きをいたします。

伊吹国務大臣 全体的な戦略を立てるということは総合科学技術会議にお任せするということだと思いますが、先生おっしゃったように、大学、それから研究機関、それから原子力を中心とした独自の機構その他がございますので、その立場は十分お話をしている。だから、どちらがどうということじゃなくて、車の両輪としてやっていくわけですから、公明党さんと自民党が車の両輪のようにして政府を牽引しているというのとよく似たことじゃないでしょうか。

丸山政府参考人 総合科学技術会議と文部科学省の関係についてのお尋ねでございます。

 ただいま文科大臣から御答弁があったとおりでございますが、若干事務的に補足をさせていただきます。

 総合科学技術会議が内閣府に置かれております理由というのは、内閣の重要政策として、経済、財政と並んで、科学技術という政策について、文部科学省を初めとする各府省、つまり行政内部の施策の統一を図るという観点から、必要な総合調整、企画立案を行うということで内閣府に置かれております。

 先生御指摘の科学技術会議の時代は、いわばその事務局と実施部局が同じであったわけですけれども、行政改革によりまして内閣府に置かれたところは、ただいま大臣からお話のありました総合的な見地からの政策の総合調整をする、それから実施する各府省の政策のバランスがとれていることをきちんと担保するという観点から役割分担をしているところでございます。

 具体的な任務としては、繰り返しになりますが、科学技術の総合的かつ計画的な振興を図るための政策の立案、それから予算等の資源配分の方針について国全体を見渡して決める、それから大規模な研究開発、こういったものについての評価を総合科学技術会議が行うということになってございます。

斉藤(鉄)分科員 この議論をずっと続けていてもしようがないんですけれども、内閣府の科学技術担当大臣というのがやはり国民から見て非常に見えにくい、ああ、そういう大臣いたのという感じがあるのは否めないところでございまして、そういう意味では、総合科学技術会議にもう少し頑張っていただきたい。国民の側から見ると、やはり科学技術を全部引っ張っていっているのは文部科学大臣、こういうイメージがあります。国の仕組みとの中で国民がそういうイメージを持っていることも確かですので、大いに日本の科学技術、国民の関心はほかの国に比べて低いと言われておりますけれども、頑張っていただきたい、このように思います。

 それから、ちょっと具体的な話になるんですが、先日、筑波大学のロボットスーツというのをちょっと視察、見学してまいりました。人間がスーツを着るんですけれども、一つ一つ、手や足やいろいろなところに、筋肉のかわりになるモーターがついております。例えば、右手を動かしたいと私が思ったとしますと、神経電流が流れますが、その神経電流を皮膚の表面で事前にキャッチして、その筋肉に指令が行く前にモーターが動き出して、右手を上に挙げるということを手助けする。

ですから、非常に重たいものも軽々持ち上げられる。神経電流をとるといいましても、針を体の中に刺すわけではなくて、表面センサーですので痛くもないということで、介護ロボットや福祉ロボット、重たい方を持ち上げたりするのに使えるとともに、リハビリ等にも非常にいい。

 つまり、例えば、神経を損傷してとか、けがをして右手を動かせない方がいらっしゃったとすると、動かしたいと思っても動かないわけですから、神経系統が劣化していくんだそうですが、動かしたいと思って電流が流れて、モーターがこうやって動くと、思ったことが現実に動くわけで、そういうことの繰り返しで、神経全体の、神経系統のリハビリにも非常に役立つという、医療としての価値も非常に今見直されているというふうなことでございます。

 私、非常にびっくりして感動したので、ちょっとここで御紹介させていただくんですが、そういうすばらしい研究を実用化して社会に役立つようにしたいというところでやはり悩んでいらっしゃって、これは、大学発ベンチャーということでサイバーダインという会社を筑波大学が起こして、社会のいろいろな分野で実用化されるようにということで頑張っていらっしゃるんですけれども、なかなかうまくいかない、こういう話を聞きました。

 アイデアはあって、要素技術はある、それで、現実にうまくいけば社会で大いに活用でき、日本の産業力向上にも役立つ、だけれどもなかなかそこがうまくいかないというところを橋渡しすることも、私は科学技術行政として非常に重要ではないかと思うんです。こういう橋渡し支援といいましょうか、そういうことについて、どのような考え方を持っていらっしゃるのかということをまずお聞きしたいと思います。

伊吹国務大臣 まず、先般の臨時国会で改正教育基本法を成立させていただきました。この中に、大学の役割というのが七条に明記されておりまして、言うまでもなく教育機関としての大学、研究機関としての大学、それからもう一つは、研究成果の社会還元と、三つ書いてあるんですよ。今おっしゃったことは三番目にかかわってくることですから、国も当然、支援体制はつくりますし、税制上の優遇措置もさらに考えて後押ししなくちゃいけませんが、もうかなり進んでいる大学もあるんですね。そして、そこまであれなのかなと思うほど、利潤を上げている向きもあるんですよね。ですから、市場経済ですから、価格競争、価格メカニズムの中で利潤が上がると思ったら、当然そんな技術には飛びついてくると思うんですよ。

 だから、むしろ、大学の研究成果を社会還元するのが難しいのではなくて、非常に有用な技術なんだけれども、まだ市場メカニズムに乗って運営されるに至っていないという場合は、文部科学省がやるのか、あるいは、今の例でいえば、厚生科学研究費のようなもので厚生労働省が助成するのか、あるいは産業政策として経産省が考えるのか、これが、きのうですか、官邸で会議があったんですが、イノベーションの議論の一番大きなポイントなんです。

 ですから、先生がおっしゃっていることは基本法に明記されていることでございますから、我々もできるだけ各種の促進策を講じていきたいと思います。

斉藤(鉄)分科員 これは将来伸びそうだなと思うようなものというのはたくさんあって、それ全部にお金をつけるわけにもいきません。ですから、ある程度、千あったうちの例えば二、三十は自由に競争させて、生き残ってきたもの、二、三十の中からまた四つか五つ、これは絶対、将来、大きな産業競争力を持つとか、大きな技術として伸びるというものについては、人材も含めて集中的にお金を国としても投資する。

 そこら辺の考え方を明確に、もうなっているのかもしれませんけれども、何かまだ不明確のような気がいたしますので、その点については、大臣、どのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 総合科学技術会議でも、経済財政諮問会議の大学やイノベーションの会議がきのうあったんですが、そこで言われたことも、先生がおっしゃっているのと同じことなんですよ。やはり選択と集中ということですね。

 後ほど政府参考人から実態を御説明させますが、競争的資金をかなり供与しております。指定の研究費じゃなくて、これの比率をもっと高めてくれ、そういう話もございましたので、いいものであれば選択をして資金を集中していくということは当然必要だと思いますが、現状はどうなっているか、少し参考人から聞いていただきたいと思います。

徳永政府参考人 私どもの方では、先生御承知のように、大学のいわば基礎研究そのものを応援する、そういうことについては、科学研究費補助金が大体、競争的研究資金というものの四〇%を占めております。そのほかに戦略的創造推進研究という形で、これは基礎研究ではありますが、ターゲットをきっちり管理して行っていく研究、そのほかに振興調整費もあるという形で研究を応援している。

 先生から御指摘いただいたロボットスーツHALにつきましても、これは、実は一九九一年、もう十五年前から科学研究費補助金で応援をしている。当初は、全く今のような実用的な課題ではなくて、仮想人体の有するメディカルインターフェースに関する研究という本当に基礎的なもので、研究費もわずか九十万円だったわけでございます。

 こういったものを九回繰り返していく。そのうちに、応用段階に向けた段階では、厚生労働省の厚生科研費あるいは経済産業省所管の研究費の支援を受けて、いわば実用化に至った。これは、基礎から応用へ研究開発の発展段階、それから研究費のそれぞれの性格が非常にうまく役割分担をして成功した事例だと思っております。

 そして、まさに先生が先ほどおっしゃった、じゃ、そういう成果をどうやって還元していくんだというところで、文部科学省では、いわば大学ということに視点を置きまして、その大学で持っている研究のシーズ、それを具体的に実用化していく、そのことを応援する、あるいは、大学でいわばシーズとしてあっても企業化するまでにはもう少し実用的な研究をする、そこまで、いわばそういう大学の側から見た企業化までのぎりぎりの段階での研究開発を応援していくということにしております。

 特に、十九年度、今御審議いただいております予算案の中では、逆に、ベンチャー企業がありまして、それが、若干リスクが高いというところにおいても、その研究開発については応援をするという予算を、来年、一・五億円でございますが、計上させていただいております。

 ただ、それを超えてさらにいわばベンチャー企業そのものを応援するということについては、現在、これは経済産業省の方にそういうベンチャー企業を応援する制度があるというような仕組みになっております。

斉藤(鉄)分科員 非常に整理しておっしゃっていただいて、よくわかりました。

 それぞれのフェーズでかなり産みの苦しみがあるようで、その一つ一つを乗り越えていかないと物になりませんので、ある意味では、細かな支援をぜひ文科省としてもしていただいて、すばらしい技術が世に出るようにしていただきたいと思います。

 それから、もう一つ、具体的な話なんですが、教育の方にちょっと入っていくんですけれども、科学技術と教育、我々、子供のころは鉄腕アトムがおりまして、原子力に対してまだ非常に夢があった。ウランちゃんとかアトム君とか、そういう時代がありました。その後、原子力事故等があって、大変厳しい時代を迎えましたが、現在の世界のエネルギー事情の中でまた原子力が見直されてきておりますし、また見直していかなきゃいけない、地球環境問題の解決のためにも、またエネルギーセキュリティー、今や原子力の核燃サイクルというのは、国産エネルギー、我が国唯一の国産エネルギーは原子力、核燃サイクルを完結すれば、まさに国産エネルギーになるわけですので、セキュリティーという面でも非常に重要になってまいります。そういう意味で、科学技術と社会との一つの象徴的な技術だと思うんです。

 きょう、教科書をたくさん持ってきたんですが、もう時間がありませんので、例えば、これは「現代社会」という東京書籍の高校の教科書です。中学校の教科書も基本的に同じ構造だということをお伝えしておきますけれども、例えば、この教科書の中で、ディベートしましょうと。原子力を使うべきか使わないべきかというディベートをしましょうという議論の中で、その原子力の象徴として、チェルノブイリの事故と、それから東海村で事故が起こって搬出されている、この二つのことが原子力の方の代表として載せられ、そのほかの自然エネルギーのきれいなところだけがまた片方では紹介されて、はい、ディベートしてくださいと。正直言いまして、非常にアンバランス、そういう教科書が実はたくさんある。

 私もおつき合いさせていただいている大変御高名な方の監修ということになっておりまして、その先生に聞いたら、いや、自分が書いたんじゃないからとかというふうなことで、実際、監修制度も余り機能していないのではないかなということもわかってきたんです。

 ちょっと言葉が足りませんけれども、そういう、ある意味で、この原子力については偏向した内容が教科書に書いてある。

 これは科学新聞という新聞ですが、学校の先生の間に原子力に対する強いアレルギーがある、とりわけアレルギーを持っているのが教師で、原発立地に対する反対運動の中心になっているのは教師だ。原子力に対しての理解を深めようということでいろいろパンフレットがつくられるんですけれども、これは学校の先生ですけれども、そういうパンフレットは、学校でほとんど廃棄処分になっているだけで、無駄に使われている、こういうことも指摘されております。

 だから、これは教科書検定のあり方ということになってくるんでしょうか、もちろん著作者の表現は自由ですけれども、こういう内容が教科書に載っていいのかなと。科学技術というところからちょっと教育の方に入っていきましたけれども、どのようにお考えでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話がございましたように、原子力を含め、エネルギー問題、これを教育の中できちんと取り扱うということは、私ども、大変大事なことだと思っております。

 現在、主に中学校の社会科、理科、それから高等学校の公民あるいは高等学校の理科といったところで、資源エネルギー問題あるいは原子力などのエネルギーの有効利用の重要性、あるいは原子力を含むエネルギー資源の特性や利用、放射線の性質といったようなことを取り扱うということになっております。具体の教科書につきましては、先生からもお話がございましたけれども、こういった指導要領を踏まえまして、どういうふうに記述をするかは、これは執筆者の判断にゆだねられているところでございます。

 平成十八年度から使用されております教科書を見ますと、基本的には、例えば、我が国は鉄鋼資源が乏しくて、石油や天然ガスなどは海外から大量に輸入している、こう書いた上で、原子力発電は、わずかなウラン燃料で大量のエネルギーが得られること、他方、安全面の課題、これにも配慮が必要だといったような記述、これが典型的な記述ではないかというふうに思っております。

 検定に当たりましては、やはり事実は事実ということで検定をするわけでございますけれども、記述について、著しくバランスを欠くというような記述につきましては、検定意見を付して修正を求めているというところでございます。

 なお、かつて、二年前になりますか、日本原子力学会の「原子力教育・研究」特別専門委員会から教科書の記述についていろいろ御指摘もいただいております。最新の学説の御紹介をいただいたり、あるいは記述についてちょっと事実関係が古くなっているとか、そういった記述についての意見もいただいておりまして、そういった内容については、教科書協会を通じまして教科書の発行会社にも伝えて、記述に当たってより適切なものになるようにお伝えをしているというところでございます。

斉藤(鉄)分科員 それぞれの技術には、それぞれメリットもあります、デメリットもあります。どちらかの技術を、これだけをいいところだけ宣伝しよう、こういうことを私は言っているのではなくて、ある意味でバランスのとれた表現ということが教科書には特に必要なのではないか、このように思いますので、よろしくお願いいたします。

 最後に大臣に。先日、総合科学技術会議のある方と話をしておりましたら、その方も私と同じ問題意識だったんですが、社会が発展するためには、各分野に優秀な人が散らばって、総合的に社会が発展する、このように思っております。

 偏差値が高いから優秀だというわけではありませんけれども、現在、高校から大学への進学で、偏差値が高いというだけで、適性に関係なく、全部医学部に送り込まれてしまう。その方が高校や予備校の評価が高まるんだそうです。明らかに今の日本は、偏差値が高いというのが優秀かどうかというのは、二回また繰り返しますが、とは言えませんけれども、そういう人たちが医学部中心に行くということは、やはり日本の社会の健全な発展、文科系にも理科系にも、理科系の中でも、工学にも理学にも生物学にも医学にも、いろいろな分野にいろいろな人が、優秀な人が散っていって初めて科学技術立国ということになると私は思うんです。

 お医者さんの社会的地位が高いから、評価が高いからということなのかもしれませんけれども、であるならば、そこについてもメスを入れていかなきゃいけないとも思うわけですが、この点について大臣はどのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 人間は職業選択の自由を持って、自分の進路は自分で決められるというのは、これは日本の憲法の大前提ですが、先生がおっしゃったことを社会としてどう担保していくかというのは、全く別問題なんですね。ですから、待遇がいいとか、ロータリーに行けば会長になるのはお医者さんだとか、だから私は医者になるんだ、これは、進路の決め方として一つの考えですね。

 やはり、進路を決めていくには、親、親にはなかなかこのごろ相談しないようなこともあると思いますが、それから進路指導の教師、このような人が、どれほど人間の深みを持って、人間社会の構成を子供に話してやれるかということですね。

 ですから、教育基本法を改正していただいて、これからそれで教育を受けた人が教師になり、親になり、また子供が親になり、教師になり、迂遠でございますけれども、やはりそういうことを積み重ねていきませんと、今は、私は学校の先生なんかもっと優秀な人がなってもらいたいと思いますね。ですから、待遇のことも我々が責任を持って考えないといけないと思っているんです。

 これは、子供の進路の選択がけしからぬというよりも、社会全体の、人間の中で大切なものは何だろうか、病院現場へ行きますと、メスさばきの極めて上手な名医と言われる方よりも看護師さんの方がはるかに患者さんから親しみを持たれているというふうなことを考えると、人間の価値は何なんだ、社会に貢献するというのはどういうことかというところまでさかのぼる問題ですから、単に科学技術の振興のために偏差値の高い人を医師以外の科学技術の分野にアロケートしていくという以上の問題を先生は提起されていると思って、私は伺っておりました。

斉藤(鉄)分科員 きょうはどうもありがとうございました。終わります。

萩山主査 これにて斉藤鉄夫君の質疑は終了いたしました。

 次に、赤池誠章君。

    〔主査退席、中野(清)主査代理着席〕

赤池分科員 自由民主党の赤池誠章です。

 伊吹大臣に御出席いただきまして、初めて質問をさせていただきたいと思います。

 一昨年、私は初当選をさせていただきましたが、昨年、小泉内閣から安倍内閣の中で、最重要課題であります教育基本法の改正ということが実現をいたしました。昭和二十二年から五十九年ぶりの大改正ということで、私にとっても、国会議員として初めてかかわる仕事の一つが教育基本法の改正作業だったということは、政治家として本当に歴史的な使命を感じたときでもございます。

 その教育基本法の中で、第二条、教育の目標、第五号におきまして、いろいろな議論がございましたが、国を愛するという文言が明記をされたわけでございます。そして、中教審におきましても、学校教育法改正の中で義務教育の目標にもきちっと入れていただけるということが答申がなされたということも聞いております。

 国を愛するということに関しましては、さまざまな議論が委員会の中でも行われたということを聞いておりますが、私自身、改めて、国を愛するというのは何かということを考えたときに、これは、強制するから悪いとか、いわゆる戦前、戦中の軍国主義の一環云々ではなくて、近代国家日本の民主政治の根幹にかかわる最重要なポイントではないかというふうに考えております。いわゆる一部の人が国家を運営するのではなくて、国民みずからが主体となって国を運営していく、御皇室を中心とした国民国家日本の根幹が、国を愛するというところにかかわってくるのではないかなというふうに考えております。

 そんな中で、現在、教育基本法の改正、そして学校教育法の改正が伴って、それでは一体、この国を愛するという文言の明記が具体的にどのような形で義務教育の中で教育内容として変わっていくのか、内容が結実していくのかということが次の大きなポイントになってきているのではないかなということを感じております。まさに、仏をつくって魂を入れずではありませんが、今後具体的にどう変わっていくかということが次のポイントではないかなというふうに思っております。

 そんな中で、私自身は、国を愛する教育の第一歩として何が一番ポイントになるのかなということを、いろいろな視点、いろいろな内容があるとは思うんですが、その中で、国旗・国歌をしっかり教えていくということがやはり国を愛する第一歩ではないかというふうに考えております。国旗日の丸、国歌君が代の意味するところです。

 韓国の教科書の小学校一年生の第一番目には、国旗の取り扱い方、それから国旗掲揚に対する振る舞い方、そういったものが韓国の教科書の小学校一年生の第一歩で教えられているということを聞いておりますけれども、今回、この質問に当たりまして、学習指導要領には、社会の中で、小学校三年生から国旗を取り扱うようにということが書かれているというのは確認しておりますが、それに伴って、一体教科書がどのように国旗・国歌を扱っているかということで小学校の社会科のところでいろいろ資料を調べてみました。

 国旗・国歌は大切だよということは書いてあります。しかし、日の丸は江戸幕府が旗印に使ったとか、君が代は明治時代にという歴史的な事実としての事象のことは、経過は書かれていても、そのもともと持っている、国名のいわれにもつながると思うんですが、日本の国名のいわれとか、なぜ日の丸で、なぜ君が代なのかというその意味するところ、そういったものが、残念ながら中学校の教科書に至っても教えられていないわけですね。

 一体、我々日本人は、どこでどういう形で国旗・国歌の意味する歴史的ないわれ、まさに、先日、二月十一日の建国記念の日で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と明記をされておりますが、それに対照した国の教育内容、教科書に一切どこにも書かれていないんではないかということを感じております。

 そういう面では、国を愛すると明記をされた具体的な教育内容を、まさに、学習指導要領には書かれていても、肝心かなめの教科書には本当に表面的なことしかない。逆に、ある教科書などは、ペルーの国旗のいわれの方を細かく書いて、日本の国旗のいわれが書かれていないなんという教科書まであったということであります。

 戦前、戦中の反省はわかるにしても、改めてこの法改正を契機に、ぜひ、国旗・国歌の、建国のいわれ、いわゆる卑弥呼、聖徳太子は書かれていても、アマテラスオオミカミ、天孫降臨のニニギノミコト、神武天皇のことが全く建国神話として書かれていないということはどう考えてもおかしいのではないかというふうに感じております。

 私は、政治家になる前に、山梨にあります日本航空学園の専門学校長として教育現場にも携わるときがございました。航空学園は、毎朝毎夕、国旗掲揚を行っております。昭和七年からの、戦前の教育のよさを現代に残しているということであります。その一方で、甲子園出場とか、スポーツとか文化活動にも力を入れているんですが、そういった、知識だけではなくて、日々の振る舞いの中でまさに行動を習慣化するということによって初めて生徒学生が、日本人に生まれてよかった、人間教育につながっていって、職業教育と相まって就職率一〇〇%、社会から高く評価をされていたのではないかということも現場の体験として感じております。

 そういう面で、学習指導要領、三年生から社会科というだけではなくて、例えば道徳とか特別活動の中にもきちっと書き込んでいただくなり、また、それを総合した修身みたいな部分も含めて、知識とともに行動もしっかり教えていただくような体制整備、ぜひ実現していただきたいと思っておりますが、大臣の御見解をお伺いさせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先般の臨時国会において教育基本法が改正をされまして、御承知のように、その二条には、我が国の伝統と文化を尊重し、というのがまず来ているわけです。そして、その伝統と文化をはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともにという文章になっています。したがって、この伝統と文化をはぐくんできたものが何かということは、改正教育基本法を受けた教育の目的を学校教育法に書くわけですから、それを具体化していくものとして学習指導要領、そして、学習指導要領を教えるための教科書としての教科書検定という手順が踏まれていくわけです。

 ですから、教科書に書かれる内容については、これは、いろいろな自分の思いとか自分の考えていることとかはありますけれども、左翼思想で偏向したことを書かれては困りますし、逆に、事実と違うことあるいは確認をされていない歴史的事実というのはやはり書けないんですね。

 だから、神話としてどういうものがあるかということは、我々の伝統、文化をはぐくんできた中の一部ですから、そういう神話や伝承について調べてごらんなさいとか勉強してごらんなさい、あるいは、体験をして、そういう神話のあったところはどこなんだということを見に行こうよとか、そういうことは私はいいと思うんです。

 そういうもろもろのことを積み重ねて我が国の伝統、文化を尊重する態度を養っていくという中で、おっしゃったようなことを学習してもらう。私は、具体的には指導要領にかなりのことは書いてあると思うんですよ、今先生のお話ですが、それは後で参考人から御報告させます。

 それから、国旗と国歌については、これはもう明らかに学習指導要領にそういうことが書いてあるわけです。あらゆる場面で尊重し、国歌を歌い、国旗を掲揚するということは。

 しかし、これを具体的にどのようなやり方でやっていくのかというのは、今の日本の法律の建前からいうと、各教育委員会に任されているわけです。ですから、東京都の教育委員会がこういうことをやるということを言った場合に、それに従わなかった先生について服務上の処分を行った、しかし、その処分について不満だというので最高裁まで争って、きのう判決が出た、こういうことですから、今の法体系では文部科学省は学校現場には入っていけませんので、これがいいかどうかはまた別の議論になります。

 指導要領にどういうことが書いてあるかは、ちょっと参考人から聞いてやってください。

銭谷政府参考人 ただいま大臣からお話がございましたように、今後、改正教育基本法の趣旨を踏まえまして、学校教育法の改正や学習指導要領の見直しを進めていくわけでございまして、今、その作業を進めているところでございます。

 そこで、私の方からは、現行の学習指導要領におきまして、一つには、神話、伝承についてどのように教えることになっているのかという御説明をさせていただきたいと存じます。

 今、小学校の社会科の六年生で、歴史の学習の中で、農耕の始まり、古墳、こういったことについて調べ、大和朝廷による国の統一の様子を学習することになっております。その際に、神話、伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心を持つということで、神話や伝承を取り上げることにいたしております。その際、この神話、伝承については、古事記、日本書紀、風土記などの中から適切なものを取り上げるということで、教科書にもそういった観点から幾つかの神話や伝承が記述をされているところでございます。

 それから、中学校になりますと、同じく社会科の歴史的分野の中で、神話、伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰や物の見方などに気づかせるように留意するということで、やはり歴史学習の中で神話や伝承というものを取り上げるということになっているところでございます。

赤池分科員 そのことは私もよく確認をしているんですが、結局、いわゆる考古学、実証主義、科学的な部分ということで、あくまで傍系なんですね。今上天皇がなぜ百二十五代かということを説明できないわけですね。

 つまり、あくまで神話、伝承というのは傍らにおいているというのが現行だと思っておりまして、そういう面では、日本の国柄として、今上天皇をいただく百二十五代の天皇を説明するときに、初代はどなたなのかといったときに、何も教科書に説明がない、それを日本人としては話すことができないというのが現行だと思っておりますので、ぜひ、建国をしのぶ、建国の神話ということをきちっとできるだけ早い学年から国旗・国歌とともに教えていただきたいという要望をさせていただきたいと思います。

 時間がございませんので、次の質問に行かせていただきたいと思うんです。

 教科書の問題から絡めて、ことしは、ちょうど南京首都攻防戦陥落七十周年ということで一つの節目を迎えております。

 報道によりますと、アイリス・チャンというアメリカのジャーナリストが書いた「レイプ・オブ・南京」という、我々日本人からいうとほとんど偽書に近い、事実に基づかないフィクションの世界の小説、それを下敷きにした映画がアメリカを中心に何本もつくられて、世界じゅうに日本人の残虐性とともに上映されるということがマスコミを通じて伝わっております。

 その辺がどこまでどういう形で上映されるのかということはまだまだ未確認の状況だと思っておりますけれども、我々日本人としては、いわゆる南京事件といったときに、そういったものを歴史的に知らないか、もしくは知っているとしても、やはり、日本人が南京において非常に残虐な行為をしたというマイナスのイメージしか持っていないのではないかなというふうに思っております。

 そういう面では、今回改めて小学校の社会科の教科書を確認してみますと、やはりほとんどの教科書が、捕虜虐待、それから女性、子供たちを日本軍が大量虐殺した、中学校の教科書では二十万人ということまで明記をされているわけでございます。

 しかし、最近のこの十年、日本の歴史学者の研究が相当進んで、いわゆる虐殺と呼ばれるような組織性とか大量性とか、いわゆる戦争状態でありましたから、戦時国際法違反のようなそういったものは認められないというのが最近の趨勢ともなっております。

 少なくとも、ある一部の教科書だけは、占領の事実とともに、そういった事件についての論争があるということは伝えられておりますので、教科書としてはせめてそこが客観的な記述かなと。いわゆる論争があるところなのに、いかにも日本軍がとんでもないことをしたということを小学校の六年生の教科書に明記をしている。それも、私、五、六冊見ましたけれども、表現の違いはあれ、すべてそのような形で書かれている。これは、学習指導要領としてはそこまで細かく書いていないのは確認しておりますが、教科書が具体的に検定されるときに教科書調査官は一体どういう形で検定をしているのかな、いわゆる基準指導をしているのかなというふうに思わざるを得ないわけでございます。その辺、これは単に教科書の問題にとどまらず、国際的な日本の地位、名誉にもかかわる大問題というふうにも思っております。

 そういう中での、国内的な、我々日本人の一番ベースになる教科書の記述がそのような状況ということは非常に憂慮すべき事態ではないかなというふうに考えております。大臣の御見解をあわせて聞かせていただいて……(伊吹国務大臣「まず事実を」と呼ぶ)では局長に。

銭谷政府参考人 先ほども申し上げましたが、教科書におきまして、学習指導要領の範囲内で具体的にどのような歴史的事象を取り上げて、それをどのように記述するかは執筆者の判断にゆだねられているわけでございます。

 南京事件について申し上げれば、一九三七年十二月に日本軍が南京を占領した際、女性や子供を含む多数の中国人を殺害したこと、犠牲者の数には諸説あること、こういったことが教科書には記載をされているわけでございます。

 検定に当たりましては、南京事件の犠牲者数につきましてはさまざまな学説がございまして、確定しているとは言えない状況にありますので、諸説を十分に配慮していない記述につきましては、検定意見を付し、修正を求めているということでございます。

伊吹国務大臣 今、政府参考人が申し上げたことに尽きると思うんですが、例えば、国内で研究をしておられる方のものも私はかなり読んでみたんですが、全くそんなことはでっち上げだというのは、例えば渡部昇一先生とか何人かの方はそういうことを書いておられますし、東京裁判などは二十万人とかというようなことを当時言っております。十万以上か数万だったかというのは諸説ありますから。ただし、これはお互いに戦争状態の中にいるわけですから、相手の人を殺傷していなかったということはこれはもう言えないわけでして、日本ももちろん傷ついて倒れたと思いますが、できるだけやはり客観的な記述、そして今参考人が言ったように、いろいろな説があるんだということはできるだけ教科書に反映させるべきだと思います。

赤池分科員 大臣が御指摘になったように、現行は、残念ながら、諸説があるではなく、一方的に、日本軍が女性や子供を含む数多くの市民を殺害しましたということのみ、小学校六年生、これは具体的にここに持っておりますけれども、書かれている。そういう形で諸説があって、こういう説とこうじゃない説がありますならまだ子供たちもわかるんですが、諸説がないんですね。諸説がない教科書の方がほとんどだということをぜひ事実として示させていただいて、具体的に今後の検定調査会の中で、今言った基準に基づいてぜひきちっと今後やっていただきたいというふうに思っております。

 三つ目の質問をさせていただきたいと思うんです。

 私自身は専門学校長として経験しております。今回の教育基本法の改正の中でも、時代の流れの中で、職業教育というものを重視していく形で職業という文言が、今まで勤労の精神という勤労の部分はありましたが、さらに職業ということで職業教育の重視が入っております。

 そういう面で、専修学校というのは、昭和五十一年に学校教育法の中に位置づけられて以来、卒業生ではもう九百万人を超えておりますし、現在でも三千校以上の学校の中で七十五万人の学生が学んでいるということで、日本の中でも欠くことのできない教育機関の一環ではあるんですが、残念ながら、八十二条二ということでの位置づけの中から、いわゆる学校教育法の一条校とは違うということで、学校とは呼べないという格差を抱えてきておりました。

 その中で、長年、文部科学省の御指導もいただく中で格差是正に取り組んで、相当格差の縮小というのはもうなされてきたのかなと思っている中で、今回、教育基本法の改正、学校教育法の改正の中で一条校に専修学校を入れていただけると。昨年の小坂大臣の平成十八年六月八日の答弁で、前向きに検討していくということが国会の中の答弁でなされておりますが、その後、文科省として、専修学校を学校教育法一条として位置づける、その方針、また進捗度合いをお聞かせ願いたいと思います。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 専修学校制度につきましては、委員御指摘のように、その制度の意義、社会的に高い評価を得ている制度でございまして、私どもも同じ認識を持っておるわけでございます。

 この専修学校の、学校教育法一条に規定する学校、いわゆる一条学校化につきましては、委員も御指摘ございましたように、昨年六月の衆議院教育基本法に関する特別委員会におきまして、当時の文部科学大臣が答弁をいたしております。そのポイントは、関係者の意見も十分に伺いながら検討を進めていくということであったと思っております。

 私どもは、この基本的な考え方に立ちまして、担当としましては、専修学校関係者とも、いわゆる課題の整理、幾つか小さくない課題があるわけでございますが、課題の整理などを事務的にこれまで検討を進めてきたところでございます。

 現在のところでは、その成案を得るまでには法制上の幾つかの課題の整理ということが第一に課題としてございますけれども、これに加えて、関係者間の合意形成に相当な調整が必要と見込まれておりますので、私どもとしては、そういった現状にはございますけれども、できるだけその速やかな取りまとめに努力をしてまいりたいと思っておりますし、今努力をしておるところでございます。

赤池分科員 具体的な内容に関しては、専修学校教育振興室初め専修学校の協会の方々とも意見交換を私もさせていただいておりますので、承知をしているところではあります。

 ただ、その辺の、細かいさまざまな課題はもちろん承知の上で、それを越えて、学校教育法改正の中できちっと専修学校一条化を位置づけるんだ、こういう方向性があるのかないのか。つまり、議論をした結果、難しいからやめておきましょうという話ではもとのもくあみなわけでありまして、大きな流れとして、きちっと一条化に向かってやるんだというその辺の方向性の確認を、その一点だけぜひさせていただきたいと思います。

加茂川政府参考人 繰り返しになって恐縮でございますが、専修学校のいわゆる一条学校化の課題につきましては、法制上の整理、課題を慎重に進めていくことが必要でございますのと、関係者間の合意形成といった別途の課題もございますので、この二つの課題に鋭意努力をしながら取り組んでまいりたいというのが現在の考え方でございます。

赤池分科員 大臣、答弁はよろしいんですが、そういう形で課題があるということをぜひ御認識をいただいて御指導をちょうだいしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 最後の質問、ちょっと短い時間なんですが、私の選挙区は山梨県で第一選挙区ということでもございまして、三年前になります参議院選挙前後をめぐります、山梨県の教職員組合のいわゆる違法な、組織的な資金集めという形の事件が起こりました。

 その間、文部科学省におかれましては、大変、現地調査を含めて指導勧告、できる限りの調査ということでしていただいたんですが、残念ながら、県の教育委員会がなかなか文科省の指導に従わないとかいうこともございましたし、また、それを背景にした、県庁ぐるみと言われても仕方のない部分があったのかなというようなことを聞いておりますし、私も、地元ですので見聞をしております。

 そういった背景の中には、全国的には日本教職員組合の組織率は今相当落ちてはいるんですが、山梨県においてはほぼ一〇〇%に近い組織率を誇り、さらにその上、当然それだけの組織率を誇っておりますから、組合出身者が教育委員会の人事権ポストにつくということが慣行として行われて、組合の意向に沿った人事というものが行われやすい体質にあったり、また、選挙支援を通じていわゆる地方権力との癒着構造というようなことが背景にあったのかなということも聞いております。

 その中で、私自身、第一線の先生方、本当に山梨県の先生方、すばらしい先生方が大勢いるにもかかわらず、そういった組合の組織防衛の中から、やむにやまれずそういったことにせざるを得ない、非常にそういう面では組織が個人をゆがめているような現状も聞いておりますし、これを何とかしなきゃいけないなという思いを持っているわけでございます。

 そういう面で、今回の教育改革の中で、教育委員会への国の指導監督強化、先ほど大臣はさまざまな議論があるとおっしゃっておりますが、これは地方分権の問題ではなくて、教育の正常化をするに当たって当然のことだということで、私は強化すべきだというふうにも思っておりますし、さらに、教育公務員特例法十八条第二項の罰則規定が、残念ながら、昭和二十九年の改正の中に罰則がなくなってしまっているということを、ほかの公務員並みに罰則も入れていかなきゃいけないんじゃないか、そんな意見を持っているんですが、文科省の見解を最後にお聞かせ願いたいと思います。

銭谷政府参考人 教育公務員であります公立学校の教員につきましては、政治的行為の制限については、教特法の十八条によりまして、「地方公務員法第三十六条の規定にかかわらず、国家公務員の例による。」ということにされております。

 ただ、この場合、政治的行為の制限に違反した者の処罰につきましては、「国家公務員法第百十条第一項の例による趣旨を含むものと解してはならない。」ということで、いわゆる刑事罰については国家公務員法の適用がないわけでございます。

 この件につきましては、教育公務員特例法十八条の改正以前は、公立学校の教員も他の地方公務員と同様に地方公務員法の適用を受けていたわけでありますが、昭和二十九年に、その政治的行為の制限の範囲を国家公務員と同様に全国規模に拡大するために改正が行われたわけでございます。

 地方公務員法では、地方公務員の政治的行為の制限違反については罰則規定は設けられていないわけでございまして、教員についても、昭和二十九年の改正時において、教育界に起こったことはできるだけ教育行政によってこれを是正すべきであり、外部の力によって矯正することは好ましくないという理由から、刑罰規定を適用せず、懲戒処分にとどめるということとなったわけでございます。

 なお、この点につきましては、昭和二十九年の国会審議の過程で修正を受けて現行の規定になったものでございまして、御指摘の点につきましては、こういった国会の議論を十分踏まえた上で、慎重に検討することが必要ではないかというふうに考えているところでございます。

 また、あわせて、地方公務員制度全体の動向も踏まえる必要があろうかと思っております。

赤池分科員 そういう面では、ボールは国会に投げられているという御意見ではないかと思いますし、自民党でも他の地方公務員の改革とともに議論をしたところでもありますし、国会の方でもきちっと議論をしていきたいと思います。また、文科省の方でもぜひ御検討を引き続きお願いしたいと思います。

 きょうは大変御多用の中、大臣の御答弁、本当にありがとうございました。今後とも御指導をよろしくお願いいたします。

中野(清)主査代理 これにて赤池誠章君の質疑は終了いたしました。

 次に、丹羽秀樹君。

丹羽(秀)分科員 自由民主党の丹羽秀樹であります。

 昨日、鼻がむずがゆくて、風邪引いたかなと思って病院の方に行ってみたら花粉症だと言われまして、早くもだんだん春の訪れが近づいてきているのかと思っております。きょうは御質問させていただきます。よろしくお願いいたします。

 さきの臨時国会において、約六十年ぶりに教育基本法が改正されました。これは、まさに新しい時代に求められる教育の理念が明確になったことであると私は考えております。現在の時代認識を反映した理念を織り込んだ、一歩前進した教育基本法であることは確実であります。

 教育を取り巻くさまざまな問題が今回の改正教育基本法の成立により短兵急に解決できるわけではないと思いますが、この改正教育基本法の理念のもと、できるだけ多くの国民の声をお聞きいただき、また関係法令を整備していただき、さらには予算で政策を支え、文部科学省を含め関係者の意識改革が必要になってくるのではないかと思っております。

 教育問題は国家百年の大計であるだけに、その最終評価は、我々がこの世を去った後に結果が出てくるのではないかと思います。そのことを考えて、関連諸法の改正、教育振興基本計画の策定、さらには必要な教育予算の充実など、さまざまな具体的施策に大臣含め我々議員も一丸となって取り組んでいかなければならない。さらには、今現在深刻化している青少年の問題の背景には、社会全体が持っている教育力の低下、また教育力の欠如という問題があります。この教育力を取り戻すためには、学校、家庭、地域、この三つがきちんと連携して一体となることが大切であります。

 今回の教育基本法の改正について、御所見をお聞かせいただけたらありがたいと思います。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 教育基本法の改正についてのお尋ねでございますが、委員御存じのことをいわば確認的に問われておるのだと思いますので、ポイントだけお話をしたいと思います。

 改正前の教育基本法でございますが、昭和二十二年の制定でございまして、制定以来、いわゆる半世紀以上が経過をしておったわけでございます。この間、科学技術の進歩でございますとか情報化、国際化、少子高齢化等、我が国の教育をめぐる状況が大きく変化をしてまいりました。このような中で、道徳心でありますとか自律心あるいは公共の精神、国際社会の平和と発展への寄与などについて、今後、教育においてより一層重視することが求められているという認識に至ったわけでございます。こういった認識、状況にかんがみまして、新しい時代の教育の基本理念を明確にして、国民の共通理解を図りつつ、社会全体による教育改革を着実に推進するため、教育基本法の改正を行ったわけでございます。

 具体には、ポイントだけ申し上げますが、人格の完成あるいは個人の尊重、尊厳など、改正前の教育基本法に掲げられておりました普遍的な理念は引き続き規定をいたしました。それとともに、教育の目標として、公共の精神あるいは伝統と文化の尊重などを新たに規定したほか、生涯学習の理念、大学、私立学校、家庭教育、幼児期の教育など、今日重要と考えられる事柄についても明確に規定をしたわけでございます。

 そして、委員御指摘のように、このような改正の目的、基本的な考え方を踏まえまして、この後、関連諸法の改正、いわゆる教育振興基本計画の策定、教育予算の充実など具体的な施策が課題となっておるわけでございます。

丹羽(秀)分科員 改正前の教育基本法は、私が考えるに、日本が敗戦の時代、どたばたの現場で拙速に走り、精神的な内容が余り書かれていなかった、それが改正前の教育基本法ではないかと思っております。と考えますと、それにより、団塊時代からそのジュニアへと、成人はすべて個人主義、利己主義に凝り固まった人格形成がされてしまったのじゃないかなとも考えられます。感謝の気持ちや道徳心を失ってしまったのではないか、すべてが自己の欲望と目標のために個人のわがままを担ってきているようにも感じます。

 これはまさに自由の保障が放任になってしまったのではないかと思う中で、今回の教育基本法の改正の前文ではきちんと教育基本の方針の理念を述べられており、我々日本人の魂の一部が蘇生した、すばらしい基本法だと私は思っております。この教育の深さが日本の未来を決定づけると私は考えています。ぜひとも、子供一人一人の可能性を最大限に開花させるため、また、地域、学校、家庭、さらには、今、日本人の寿命がどんどん延びていっていますが、そういった中での生涯学習もまた御努力いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 次の質問に入らせていただきます。

 教育というものは、地方や学校現場における指導やリーダーシップが非常に重要であると思います。教育再生会議の中でも、文部科学省が教育委員会に是正勧告や指示ができるようにすべきだという話がございましたが、近年、地方分権が進む中、また分権重視の考え方が主流となってきておる中で、今回の是正勧告や教育再生会議の提言に始まる一連の動き、これは、地方分権にややもすれば逆行してしまうかのようにとらえられますが、しかし、近年、いじめや自殺の問題、また未履修問題など、教育現場ではおさまり切らないような問題が発生いたしております。

 これらの問題点について、教育の分権の今後の展開についてお聞かせいただきますよう、よろしくお願いいたします。

伊吹国務大臣 この点については、今、中教審にお諮りをしておりますが、丹羽先生も毎朝いろいろな会議に出ておられると思うんですが、我が党の中でも、率直に言うと、意見の非常に分かれているところです。

 まず、基本的な考え方だけを私は申し上げておきたいんですが、やはり物事に一番近いところ、当事者に最大の決定権、判断権、そして、判断をし決定をした限り責任をとるということ、これを与えるのがいいと思います。だから、教育の場でいうと、校長先生にもう少しやはり権限を与えてあげる、教師にかなりの判断を与える。

 しかし、同時に大切なことは、我が国の成り立ちからいって、今は主権在民国家で、国民一人一人が主人公なんですね。国民一人一人が税金を払っているわけです、国税、地方税を含めて。したがって、国民の意思によって国は動かさなければなりません。

 国民の意思は何かというと、憲法の前文に書かれているように、いつも私これを読むんですが、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」云々というのが、これは憲法の前文の冒頭なんですよ。ですから、国民の意思というのは先生方お一人お一人なんですよ。ここの国民の意思として決められた法律、これは日本国民である限り守ってもらわないといけないんです。

 ですから、教育委員会によっては、自分の傘下の校長先生の中に守らない人がいれば、直してもらわないと困るわけです。それが直せない場合に、最後は国民負担をしておられる国民の意思を担保するということがやはり国家統治としては必要なんですね。

 ですから、常に文部科学省が口出しをしたり権限を振りかざしたり、そんなことは私は全く必要はないと思います。地方分権を大いに進めたらいいと思います。しかし、地方の分権という名のもとに結果的に国民の意思と違うことを平然とやる場合には、それを是正しなければならない、ここのところだけをしっかりと担保ができれば、私はいいと思っております。

 ぜひ先生も、自民党のいろいろな場でこの議論が行われておりますので、きょうお示しいただいたようなお立場を国民の代表として明確にお示しいただきたいと思っております。

丹羽(秀)分科員 大臣、ありがとうございます。

 国は、複雑でわかりにくくなっている地方教育行政、これらをもう一度再検証していただいて、また、国と地方それぞれの責任と、今大臣おっしゃったように権限のあり方について議論し、不適正な教育委員会や、特に現場で収拾できないような事態が発生した場合には勧告し、また改善が見られなくなってきたら是正を指示する、そういったようにすれば、またさらによくなるのではないかと思っております。

 また、教育の地方分権が進む中で、国は教育の成果や履行状況をきちんと検証できるような体制をつくっていかないと、先ほど大臣おっしゃったように、現場現場で勝手に動かれると方向が変わっていくことがありますので、その辺をぜひ今後ともお力を入れていただきますよう、よろしくお願いします。

 次の質問に入らせていただきます。

 ゆとり教育について御質問させていただきます。

 ゆとり教育でございますが、平成十年に改正した現行の学習指導要領のもととなった教育課程審議会答申では、基礎、基本を確実に身につけさせ、みずから学び、みずから考える力など、生きる力の育成のため、子供たちがゆとりの中で繰り返し学習したり、自分の興味、関心等に応じた学習にじっくりと取り組めるようにすることを提言いたしておりますが、このゆとり教育を見直して学力を向上するということが今後重要になってくると思っております。当時問題にされた詰め込み教育の時代、そういうことに戻すのではなくて、そこを改善しながら、その欠点を補いながら、教育というものは人間力をつくっていくという大きな課題に向かっていくことが重要であります。

 人格の完成というのが今回の教育基本法の最大の中心概念でありますから、それには、やはり目指している方向はゆとり教育の見直しであるべきだと私は思います。ゆとり教育の見直しについていかがお考えか、御意見をお聞かせいただきますようお願いします。

池坊副大臣 マスコミやその他の方々が、それぞれの思いや視点の中でゆとり教育という言葉をお使いになりますが、今、丹羽議員がおっしゃいましたように、いわゆるゆとり教育というのは、現行の学習指導要領のことで、それは単なる詰め込みではなくて、基礎、基本をもとにして、みずからが問題提起し、問題解決できる能力を身につける、いわゆる活用力だと思います。

 丹羽議員が先ほどおっしゃいましたように、教育の深さこそが教育力であり、その教育力を培うのが私はゆとり教育ではないかと思っております。ですから、そういう意味で、このゆとり教育の理念は私は正しいと思っておりますけれども、それぞれの運用のところでちょっと課題があるかなという気はいたしております。

 例えば、現行の学習指導要領で取り入れられました総合学習時間です。子供たちのアンケートによりますと、自分の進路が定まったとか、仕事に対する興味がわいたとか、あるいは調査をする能力のすばらしさに目覚めたという、大変にいいアンケートも出ております。これは評価すべきことだと思いますけれども、また、どういうふうに指導していったらいいかがわからない先生方もいらっしゃるのではないかと思います。

 幾つかの課題もあると思います。その課題の中には、例えば基礎的、基本的な知識、技能の確実な定着を図るための指導が十分なされているのかどうか。あるいは、子供の主体性や興味とか関心を重視する余り、必要かつ適切な指導が行われていない場合もあると思います。パソコンで調べなさいというと、パソコンで調べてそのままで、自分の力が養われないとか、あるいは面倒くさくなって親に頼むなどというようなこともあれば、本当に琵琶湖の水質を調べてその資料をちゃんと県庁に届けて、それを生かしているというような事例もございますので、これは多少学校によって温度差があるので、いろいろな指導が必要だというふうに考えております。

 具体的な方法が必要だと思いますので、現在、学習指導要領全体の見直しというのを進めているところでございます。具体的には、国語力の育成、理数教育の充実、体験活動の推進、規範意識の確立などに向けた教育内容の改善が必要かと思いますし、また、基礎的、基本的な知識、技能を定着させ、それらを活用して考えさせるために必要な授業時間の確保というものも必要かと思います。反復などの上に立ってゆとり教育というのがしっかりと活用されると思います。

丹羽(秀)分科員 ありがとうございます。

 PISAやTIMSSの調査データの結果では、日本人の学習意欲また学習習慣が必ずしも十分でないというようなデータも出ております。また、国際的な学力調査における我が国の子供たちの読解力が全体的に低下傾向になってきているというデータも出ております。

 ゆとり教育というのは私も間違いはないと思っておりますが、ゆとり教育は、場合によっては現場で教育の緩みにつながっているということも考えられます。小生は、ゆとり教育という考え方自体は決して間違っていなかったと思います。現場現場できちんと、大臣の御地元の京都なんかの小学校では、ゆとりの時間に文化や芸術に触れるような、そういったすばらしい授業をやっているところもあります。そういった面を今後、反省点を生かして、またすばらしい今後の教育につなげていっていただきますよう、よろしくお願いいたします。

 次の質問に入らせていただきます。

 教員免許改正法案についてお尋ねしたいと思います。

 教員免許改正法案は、教員の質を高めるのがねらいであると思っております。しかし、現行の教員免許は、一度取得すると半永久的に有効な教員免許になっています。文部科学省がまとめ上げた法案では、十年ごとに研修制度を設けたりする内容でありますが、教員の質を高める目的の中で、この教員免許法改正の意義についてお尋ねしたいと思います。

銭谷政府参考人 現在、中央教育審議会においても議論をいただき、検討中の教育職員免許法の改正につきましては、教員免許に更新制を導入するということを検討しているところでございます。

 この教員免許更新制の導入は、その時々で求められる教員としての必要な資質、能力が保持されるように、定期的に知識や技能の刷新、リニューアルを図ることを目的として行うものでございます。文部科学省としては、教員免許更新制の導入によりまして、より一層教員の質の向上が図られるものと期待しているところでございます。

 引き続き、質の高いすぐれた教員の確保に努めてまいりたいと思っております。

丹羽(秀)分科員 小生も、地元で学校の行事なんかに参加させていただいたり、また教員の方々のお話をお伺いいたしますと、現場の教師の大勢は、本当に一生懸命やっていらっしゃるという方が、活動されている方がいらっしゃいます。

 教育において最大の環境は教師であります。質のよい教育は教師の質によって決まると言っても過言ではないと思います。学ぶという言葉、これは元来、まねる、相手のことをまねる、そういった言葉と同源であります。よい教師から多くのことをまねる、学ぶ、そのことが児童や生徒にとって本当に生きた教育になるのではないかと考えています。

 教育において重要なのは触発力であり、先ほども言いましたが、教員こそ子供にとって最大の教育環境であります。教員の質の向上のために、研修制度のさらなる充実はもちろんでありますが、教員を支援するための地域の人々を活用された教育サポーター制度、そういったものも今後御検討いただきたいと思います。よろしくお願いします。

 次の質問に入らせていただきます。

 教員評価制の件でございますが、教員評価制に児童生徒が参画するという件であります。もしこの教員評価制が教師の質や能力を評価する上で重要視されることになってくれば、児童生徒に対する迎合教育がよい教育になってしまうんではないかという懸念もいたしております。

 実は、小生も、中学校の社会科教員免許を学生時代に取得いたしましたが、この教員免許取得に当たり、大学の講義の中で模擬授業や教育実習なんかも経験してまいりました。授業を行ったり子供たちに教える中で、教員自身も身を持って勉強しなければならない、学ばなければならないということを実感いたしました。児童生徒に対して理解してもらい、教えるということは本当に難しいことなんですよね。

 評価する児童や生徒の年齢にもよりますが、児童生徒の中には、教師を評価する基準がはっきりしない、きちんと評価できないのではないかといった問題も、もし教師がこの教員評価制度を重視してしまうと、受けねらいの授業が横行して、パフォーマンス重視型の授業になってしまうんではないかと懸念もいたしております。

 授業を行う上で、その授業を受ける生徒や児童が積極的に参加できる、そういった授業が私はいい授業だと思っています。授業内容を理解できるような、本当にすばらしい授業であると思いますが、これはいかがでしょうか。

銭谷政府参考人 先ほどから先生再三お話しされておられますように、教師はやはり最大の教育環境でございまして、教員に人を得るということが学校教育の充実にとって何よりも大事だと思っております。

 その教員につきまして、教員評価ということが行われるわけでございますが、その際に、児童生徒や保護者の教員に関する意見を反映させるということが教育再生会議等からも言われているわけでございます。これは、やり方によりましては、ただいま先生からお話がございましたように、教員の方が生徒におもねるといったようなことにもなりかねないわけでございますが、一方で、実際に先生から授業を受けている子供たちがどうその授業を受けとめているのかということは、評価の一つの材料にはなるわけでございます。

 教員の評価は、あくまでも最終的には、校長、教育委員会の方が行うわけでございますけれども、そういう一つの材料としてこれを使っていくということはあり得るのかなというふうに思っております。

丹羽(秀)分科員 ありがとうございます。

 偏った評価制度や、また迎合教育、さらには評価ポイント重視の評価制度、そういったものにならないようにきちんと評価できるような制度の確立、学校と塾は違うと私は思っていますので、その辺を今後ともよろしくお願いいたします。

 次に、四月から実施予定の全国学力テストの件について御質問させていただきます。

 もう新聞やマスコミ等で発表もございましたが、全国で唯一この学力テストに参加しないのが、小生の選挙区でもあります犬山市です。現在、その犬山市には小学校が十校、中学校が四校ございます。この犬山市の教育委員会編著の「犬山に全国学力テストは必要ない」といった本が三月に発刊される予定なんです。犬山市の教育長は、教育は地方の責任で行うもの、政権とともに変化するはやりに地方が翻弄されてはいけないというコメントを出されております。

 小生は地域住民の、いろいろな市民のお声を聞かせていただいておる中で、実際には、やはり犬山に住んでいらっしゃいますけれども参加したいという方、保護者の方も結構大勢いらっしゃいます。その中で、文部科学省の方針を否定するだけでいいのか、考え方が違うから全国学力テストを受けないというのは余りにも教育長の考えが飛躍し過ぎていると思っております。受けたいという市民の声にも、教育行政も耳を傾けるべきではないかと思います。このままいってしまいますと、教育委員長の影響が独裁的になってしまう可能性も否めません。

 教育行政の地方分権、現場教育の重要性が進む中で、政府としての対応をお聞かせいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 ことしの四月二十四日に予定しております全国学力・学習状況調査は、地教行法の第五十四条第二項の規定に基づいて行うものでございます。小中学校を設置する市町村の教育委員会等は、文部科学省からの要請を受けまして、市町村教育委員会の判断に基づいて調査に参加するか否かを決定するという枠組みになっております。

 昨年十二月、文部科学省では、都道府県教育委員会を通じまして、全国の市町村教育委員会に参加の意向についてお聞きをいたしまして、ことしの二月にその結果を取りまとめました。先生お話しのように、公立学校につきましては、愛知県犬山市教育委員会を除き、すべての市町村教育委員会が調査へ参加する意向を示していただいたところでございます。犬山市教育委員会については、全国学力・学習状況調査は犬山市の教育理念に合わないということで、参加することに特段の支障があるとの回答でございました。

 私ども、先ほど申し上げましたように、調査への参加は学校の設置者でございます市町村教育委員会の判断ではございますが、犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。

 調査の参加につきましては、四月の調査実施の直前まで門戸は開くことといたしておりまして、犬山市教育委員会においては、市民や保護者の意向等も見きわめながら、さらに検討を尽くしていただきたいと考えております。

丹羽(秀)分科員 ありがとうございます。四月まで門戸を開いていただいて本当に助かります。

 今、昨年末当選した地元の市長が一生懸命、この教育委員長と話し合いの中で、どうやったら参加できるのか、本当に頑張っておられます。私はテストは確かにすばらしいと思います。テストがただテストで終わらないように、また、そういったデータがきちんと、評価するだけじゃなくて、今後の地域の学力にフィードバックされるような体制になれば、犬山市もまた考えが変わるんではないかと思っております。よろしくお願いいたします。

 次の質問に入ります。

 実は、昨年、小生にも第一子が誕生いたしました。親ばかかもしれませんが、子供というのは本当にいいものだなと思っております。まさに天からの授かり物であると、本当にそのとおりだと思います。子供を授かって改めて教育というものを、これは親の立場から真剣に考えますと、三つ子の魂百までというように、幼児期の教育というのが非常に大切であり、この時期の教育が後の人格形成に携わるターニングポイントにもつながるんではないかと思っております。

 今後、子供の成長過程において、育児や子育ての中で幼稚園、保育園へ子供を通わせる機会も出てまいります。幼稚園、保育園なんかに行きますと、本当にそれぞれすばらしい、いい点が多々ございます。しかし、そのどちらかを選ばせなきゃいけないということで、現在議論の対象にもなっておりますが、幼保一元化についてぜひ今後の展開、御意見をお聞かせいただければ、よろしくお願いします。

銭谷政府参考人 幼稚園、保育所の一元化の問題につきましては、かねていろいろな御意見があるところでございます。

 私ども、幼稚園、保育所の一元化の問題にすぐ結論を出すということはなかなか難しい状況がある中で、一方で、地域におきまして子供の就学前の教育についていろいろな条件の差がある、できるだけ総合的に子供たちの教育、保育の機会を確保しようということで、昨年いわゆる認定こども園法案をお諮りし、成立させていただき、昨年の十月から認定こども園の制度が開始されたところでございます。私どもとしては、こういった認定こども園制度を活用しつつ、また地域の実情に応じてこの制度が普及していくということに当面努めてまいりたいと考えているところでございます。

丹羽(秀)分科員 ありがとうございました。

 今後はまた予算等の問題もあると思いますが、ぜひ幼保一元化については実りある議論を行っていっていただきたいと思います。

 最後に、あと十秒だけお願いします。

 さきの補正予算で、いじめ対策やさまざまな政策に対する文科省の予算がつきました。小生は、災害対策特別委員会の一員でもございます。災害時、特に小生の選挙区の地元は、東海沖地震、東南海沖地震の危険性があります。もし災害が起こった場合、住民の皆さん方は学校校舎や体育館が避難場所として指定されております。そういった面で、また学校校舎、体育館への対策の充実をお図りいただきますよう、よろしくお願いします。

 きょうは、以上にて質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

中野(清)主査代理 これにて丹羽秀樹君の質疑は終了いたしました。

 次に、馬渡龍治君。

馬渡分科員 自由民主党の馬渡龍治でございます。

 先週、文部科学委員会で質問に立たせていただきましたが、その中で、まだちょっと心配なことがありますので、確認の意味で、まず放課後子どもプランのことについて、別の角度で質問をさせていただきたいと思います。

 その前に、ちょっと説明をさせていただきますけれども、平成十七年の文部科学省の調査によると、小学校四年生から六年生のお子さんのうち、学習塾に通っておられる子が三七%、そして中学生の中で五一%のお子さんが学習塾に行っておられる、そして平成二十年には団塊の世代の先生方が一万五千人おやめになるということをとらえて、実は、昨年の今ごろ、私、小坂前文部科学大臣に、その退職される先生の中で優秀な先生にもう一度子供たちのために活躍していただける場をつくっていただけないでしょうかと。実は、そのころ公明党の代表をされておられました神崎代表も本会議で同じようなお話をされて、びっくりしたんです。

 先生にとってみれば、約四十年間の中でわずかな一年間かもしれませんが、子供にとっての一年間というのは大変重要な期間であると同時に、いい先生にめぐり会えたかどうかで、その子供の人生すら変わってしまうぐらい大きな大きな影響力があると思うんです。

 そこで、では優秀な先生というのはどうやって決めるのかというと、その評価の基準が難しいと思いますが、大体クラスがえのときに、うちの子の担任があの先生になったといって喜ぶお母さんもいれば、ほかの先生がついたときに随分落ち込まれることも見ておりますから、そこのところは何かうまく評価ができるような形で、いい先生に登録していただいて、そして、塾に通っているお子さんは比較的経済的に恵まれた御家庭のお子さんが多いでしょうから、そうではない、経済的な理由で塾に行きたくても行けないお子さん、それをぜひ放課後教えていただけないか。そして、例えば、懇切丁寧に熟達した先生が教えていただくと習熟度も早まるのかなと。例えば、分数の足し算がわからなかった子が算数が嫌いになって、でもそれが解けるようになると、自信を持って、じゃ、僕これもやってみると、みずからが欲して勉強するようになるきっかけがつくれるかもしれません。ですから、そういったお話をさせていただきました。

 そして、今、通常学級の中では障害を持つお子さんもいらっしゃいますから、そういったLDやADHDだとか高機能自閉症などのお子さんに対しても、経験豊かな先生の方がうまく対応できるかな、そういう思いを前大臣に申し上げたんです。

 そうしたら、昨年四月の十六日に読売新聞で、経済的な理由で塾に通えない子供たちを支援するため、文部科学省は来年度から、退職した教員OBによる学習指導を全国でスタートさせる方針を固めた、通塾する子供との学力格差を解消するのがねらいで、放課後や土曜日、日曜日に国語や算数、数学などの補習授業を行う、来年以降、団塊世代の教員が相次ぎ定年退職を迎えることから、文部科学省では経験豊富なベテラン教師にいま一度力を発揮してもらいたいと話している、教員OBによる学習指導は、希望する小中学生を対象に、放課後や土、日曜日のほか、夏休みなどの長期休暇を利用し、小中学校の教室や公民館、児童館などで行う、受講は無料とし、テキスト代などは参加者に負担してもらう、教員OBの確保は、講師希望者を事前登録する人材バンクのような制度の整備を目指しており、計画が固まり次第、各都道府県教育委員会などに協力を呼びかけるとありました。

 そして、その後、小坂前文部科学大臣が、公立の塾を来年度、四月から全国一万校で実施すると記者会見をしたのを知りまして、私は、何か自分の思いがまるで実現したかのように大喜びをしたんです。

 そこで質問です。

 当初、ことし四月から始まるその放課後子どもプランの中で、文部科学省の予算としては五十億二千万円だったと思います。そこへ、学習アドバイザーの経費として十八億円を追加して六十八億二千万円という額が決まりました。ここで、十八億円が学習アドバイザー用の経費だとすると、全国一万校でやるとすれば、一校当たり十八万円ですから、月割りにすると一万五千円。その経費の中で、さきの新聞で発表したようなこととか、小坂前大臣がおっしゃったような、公立の塾的な機能を果たすための予算として果たして足りるのかなという心配があります。

 しかも、先ほどの新聞の内容によりますと、土日も含めて夏休みなどというと、ほぼ一年間やっているように聞こえたもので、実際は、四月からどのように進められて、予算がこれで間に合うのか、それとも、一万校の実施は無理だから、とりあえず何校かだけはモデル的にやってみようとするのか、そこのところをお聞かせいただけませんでしょうか。

加茂川政府参考人 放課後子どもプランについてのお尋ねでございます。

 さきの文部科学委員会でもお答えしたところでございますが、この事業は、放課後子ども教室推進事業という事業のもとに実施をいたしますけれども、子供たちが地域社会の中で心豊かで健やかにはぐくまれるよう、放課後の子供の安全、安心な活動場所を確保するというのが事業のねらいでございます。その中で、委員御指摘のように、学習指導、補習指導ができる機会の確保にも資することができる事業でございます。

 もう少し具体に申し上げますと、全国の小学校区において、放課後や週末等、これは長期休業期間中も含まれてまいりますが、そういった、いわゆる学校外の時間に小学校の余裕教室等を活用いたしまして、地域の参画も得ながらさまざまな体験活動、もちろん学習活動もございますし、スポーツ、文化活動それから地域住民との交流活動なども行うことができることとして事業を考えておるわけでございます。そして、その中で、御指摘のございました、家庭の経済力などにかかわらず、学ぶ意欲のある子供たちについては学習の機会、補習等の機会も提供すること、それに資することができる事業運営も考えておるところでございます。

 実際、こういったニーズは、地域ごと、または御家庭ごと、学校ごとによって違うと思っております。一万校の予算積算で実施しようとしておりますけれども、どういったニーズがあり、どういった積算上の予算の活用をしながら進めていくのかというのは、地域、地域の御判断を尊重して進めてまいりたいと思っております。特に、積算上、委員御指摘ございました学習アドバイザーについての費用積算がございまして、この中で、OBの活用なりもっと若い方の活用なり、一番地域にふさわしい方の協力を得ながら予算の執行をしていけばいいんだと私ども思っております。

 ちなみに、一校当たり十八万円の数字の御指摘がございましたが、これは三分の一補助事業でございますから、事業全体としてはこの三倍分の予算があることも御理解いただきたいと思います。

馬渡分科員 始めるところですから、これからいろいろ意見や実態を精査しながら、いいものをつくり上げていく、その意思は今お聞かせをいただいたような気がしますので、頑張っていただきたいと思います。

 これはもう質問じゃなくて、この間の、先週の委員会でも申し上げましたが、必ず、通常学級には障害を持つお子さんがいて、このプランが始まると、私も、僕も参加したいとおっしゃる可能性があるので、そこのところはぜひ支援員のことについても十分留意をして始めていただきたいと思います。

 特別支援教育についてもう一つなんですけれども、実は、一月に私はアメリカに行ってきまして、バージニア州のフェアファックス郡というのがありまして、そこに公立の小学校でフォックスミル小学校というところに見学に行ってきました。

 そのときに、ここでは二十二人のお子さんの中に一人重度の障害者のお子さんが入って、それに対して、特殊教育の専門家が一人と、それから器具などの補助をする支援員が一人、だから、二十一分の一重度障害者がいて、そこに担任の先生と、その障害者のお子さんのために二人ついて授業をなさったんですね。ほかのクラスの話を聞いたら、内臓の重度の疾患の女の子がそこの町に引っ越してきて、みんなと同じ学校に行きたいと希望して、そこの通常学級に入ったんです。友達と交わって遊んだりいろいろする中で、今まで車いすがないと歩行できなかった子が、だんだん体調もよくなってきて、全部ではありませんが自立歩行するようになったんですよと校長先生がおっしゃったところに行ってきました。

 アメリカでは、平成十六年に一般教育の公法としてNCLB法、ノー・チャイルド・レフト・ビハインド法という、一人も置いておかない、みんなしっかりやりますよという法律ができて、これによって障害児への教育も厚くなってきたんですけれども、ただ、地域によってはアメリカは格差があるようです。

 そこで、文部科学省は、十九年度から特別支援教育元年として位置づけて、大臣の所信の中で、「今年四月からの新たな特別支援教育制度のもと、発達障害を含む障害のある子供一人一人の教育的ニーズに応じた特別支援教育の一層の充実に努めます。」とありました。いきなり私が見てきた学校のようにできるわけではないと思うんですけれども、せめてその思いとして、これから先、日本の国はそういったところにもっともっと目を向けていくのかどうかということをお聞かせいただければなと思うんですけれども、よろしくお願いします。

伊吹国務大臣 大変ヒューマンで、いいお話だと思います。

 日本の場合も、交付税措置というのは、これは交付税措置がしてありますからということを簡単に言いますけれども、地方自治体の立場からすると必ずしも、そういうことをしてもらったからといって、交付税は固まりで入ってきますから、地方自治体にやはり意識がないと、先生がおっしゃったことはできないんですよ。支援するスタッフを二万一千人を三万人にふやしていくとか、そういうことは交付税措置の中では、我々、お願いしてやっております。

 全体として、多分、アメリカの例ですから、ごらんになったのは郡立でしょう。ですから、それを日本の各学校でやっていくか。特に、私も京都で障害者団体の会長をボランティアでやっているんですが、難病を持っている障害の人は二つ以上の障害を抱えているケースが多いんですよね。ですから、インクルーシブということが言われている中で、先生がおっしゃったことが理想だと思いますが、これはかなりお金がかかりますので、それも先生おわかりの上で心意気を教えろということですから、理想に向かって一歩一歩進んでいきたいと思います。

馬渡分科員 ぜひ一歩一歩前進するようにお願いいたします。

 次に、いじめ対策についてお伺いします。

 所信の中で、「地方教育行政の中心的担い手である教育委員会制度については、学校、教育委員会、国という教育行政の流れの中で、児童生徒への教育の最終責任はだれが負うのかが明確になる体制の構築が急がれます。」と。

 これがしっかりできれば、私、かなりいじめの対策にもその効果が出てくるんじゃないかと思っているんですけれども、ぜひそれを強力に進めていただいて、そして今、もう本当に社会問題で、アメリカでも相当いじめがありまして、いじめられた子が最後に銃でいじめた子を殺しちゃう事件があるらしいんですけれども、これは経済が豊かになった国の社会的現象なのかなとも思うんです。

 いち早く、いじめ対策ということで即応して、今月で全国的に二十四時間体制のいじめ相談ダイヤル、七八三一〇、悩み言おうですよね、それが設置されたことは本当に評価すべきことだと思うんです。せっぱ詰まって電話をした子の話を聞いてあげる、そしてアドバイスをしてあげる、その後、できれば当事者にどなたかがちゃんと対応して、その芽を摘むというか、自殺に追い込まないようにフォローしてあげるとか、いじめた子も指導するとか、そういった子の相談を聞いた後のシステムについては何かもう既にお考えなんでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、教育委員会というか、担当者の感性ですよね、率直に言えば。教育委員会に二十四時間体制の電話を置いて、常駐を一人、二人とさせているわけですから、相手のプライバシーがありますからどこまで聞けるか、これは電話を受ける人の技術もなかなか大変だと思いますけれども、そういうことがあった場合には、やはり学校現場と連絡をとり合って、お父さん、お母さんと相談ができないということも困ったことなんですね。

 ちょっと余談になりますが、文部科学省にも去年の暮れから自殺予告の手紙が随分来たんですよ。最初、私は対応したり、呼びかけの手紙を出したりしました。しかし、後は、来たことは新聞には公表していますが、プライバシーの問題がありますから、もちろん内容は教えていないんです。しかし同時に、文部科学省の職員が本当に一生懸命調べて、判この消印を調べて、そして教育委員会を突きとめ、そして教育委員会から学校へおろして、無駄が多かったんですが、相手を特定して、そして、その結果自殺を思いとどまったかどうかわかりませんが、そういう例が二十近くあるんですね。

 自殺をすれば、新聞は大々的にだれかを非難して書きますけれども、実はそういう黙々とした努力というのは何ら表にあらわれないんですよ。ですから、この手紙、この二十四時間体制で受けた人が、きっと先生がおっしゃっているようなことを感性を持ってやってくれたときには、それは何の報道もされないと思いますけれども、我々もやはり地域の代表としてそういう方々に目を配ってやりたいと思いますね。

馬渡分科員 ぜひ、このいじめの問題については、教育委員会も教師もとことん対応して、悲しいことが二度と起こらないように頑張っていただきたい。

 そこで、私、ここ最近、小学校の子を見ると、いじめはあるかどうかと聞くと、大抵あると言うんです、それは程度の差もあるんでしょうけれども。では、いじめられている子といじめている子はわかるかというと、みんな知っているんですね。だから、大体情報というのは、お子さんの方がひょっとしたら正確な情報はお持ちかもしれない。

 そこで、では、子供たちが心を開いて先生に、そして両親に、一人親の方もいらっしゃるから保護者の方に話ができる状況づくりというのは、やはり接触している時間に比例すると思うんですね。ですから、学校の先生が、とことん子供とつき合ってくれるような、そういう人がいっぱいふえたら随分と自殺というのは減るのかなと。

 そこで、いろいろな書類を書かなきゃいけないそうですね。こういった時間を、例えば子供と一緒にいる時間の方になるべく充ててあげる。

 私が小学校のときは、担任の先生が一緒に給食を食べて、そして、じゃ、今からまだ時間があるからグラウンドに出て遊ぼうかなんていって、放課後も一緒にソフトボールをやろうかなんて、よく遊んでいただきました。その中で悩みも打ち明けたりしました。

 だから、そういった書類を短縮できるようなことというのはできないんですかね。そこのところをお願いしたいんですけれども。

銭谷政府参考人 実は、いじめの問題について対応を検討する、子供を守り育てる有識者会議というのを文部科学省で組織して、検討をずっとしてまいりました。その会議に参加をした校長先生が、やはり今先生がおっしゃったのと全く同じことをお話をされていまして、やはり学校の先生の書類の作成がいかに多いかということをお話をされておられました。

 いろいろな、教育委員会、そして文部科学省から行くのもあると思います、あるいは外部からもいろいろな調査がやってきまして、それにどうも時間を割かれて、子供と向き合う時間が少ない。私どもの調査でも、授業など、あるいは成績処理など、こういった子供と直接、間接向き合う時間のほかに、先生方の勤務時間を見ますと、報告書作成などの業務が一日二時間近い、そういう結果も出ております。

 私どもは、やはり先生方が子供と直接向き合う時間を確保してきめ細かな対応、子供と触れ合うということが非常に大事だと思っておりまして、事務的業務の縮減ということが課題だと思っております。

 例えば、教頭の複数配置の推進ですとか、管理職を補佐する主幹などの新しい職の検討とか、学校事務の共同実施などを推進するとともに、また、各教育委員会に対しても、学校内における会議や行事の精選、報告書作成等の事務作業量の低減、こういったことについて、そういう方向で進むように私ども促してまいりたいと思っております。

馬渡分科員 ぜひ強くお願いいたします。

 もう最後の質問になりましたけれども、実は、私、学校ビオトープというのがすごいなと思っているんですね。いろいろなシンポジウムとか大会とかに出て子供たちの報告を聞くと、涙が出るぐらい感激するんです。

 日本の国は特に、今世界じゅうで地球温暖化対策が叫ばれていますけれども、京都という日本の千年の古都を冠した議定書の約束をしたんですから、これはもうみんなで参加して守らなきゃならないのと、ひょっとしたら、二〇一〇年のCOP10では、生物多様性条約第十回締約国会議も行われるかもしれません。

 そんな中で、環境の教育というのは極めて重要なものがあると思うんですけれども、大臣の所信表明の中で、私、読み返して、環境の教育で何をやっていただけるのかなと思ったら、環境教育と人権教育を進めてまいりますと、この環境教育という四文字だったので、ここであえてお願いをしたいんです。

 実は、ビオトープというのはもともとドイツ語なんですね。生息する場ということで、一九七〇年代に、公園とか河川を改修して、野生動物を呼び戻そうという運動から始まって、近年、日本でも随分と意識が高まってきたんです。もともとそこに生息していた植物をまた復活させると、それを求めて昆虫が集まり、小動物が集まりという、いわゆる昔あった生態系に近いものが再現できたところもあるんです。

 このビオトープというのは、私が一番感動したのは、引きこもりのお子さんが、自分の学校にビオトープができて、いろいろな昆虫や小動物が来て、トンボでも二十数種類来たというので、私も二十数種類トンボの数は言えないんですけれども、それで、すごく自分で喜んで、何か研究も始めたらしい。要するに、自分から勉強しようという気持ちが芽生えたというのは、子供にとってすごく重要ですよね。

 しかも、これは、ヒートアイランド対策とか温暖化対策とか、それから生態系を守るとか、子供の情操教育に資するとか、また、ほとんどのビオトープが地域の大人と一緒になっていろいろやるんです、だから地域とのコミュニケーションがさらに強化できるという、いいことずくめなんですね。

 だから、私、実は先週、環境委員会でも質問に立って、これを文部科学省と共同して何か進めていくようにしてほしいとお願いしたんですけれども、安倍総理が二十一世紀環境立国戦略というものを何か構想なさっているという話を聞いたので、これにも中心的な施策になるのかと思っているもので、ここのところをぜひ、環境と命のことでずっと活躍してこられた池坊副大臣に御答弁いただければと思います。

池坊副大臣 馬渡議員には前にも学校ビオトープの推進について御質問いただき、力をかしていただいているのを大変力強く思っております。

 私も先生に触発されまして勉強させていただきまして、今、都会の子供たちは昆虫とか池で泳いでいるお魚を見たことがない、そういうときに、土に触れたり、生きているものと触れ合う、ただ見ているだけで心が和み、そして引きこもりの子供が立ち上がった等々の事例も私も聞かせていただきました。

 学校現場において、教育現場とともに、学校の施設づくりにおいて環境に配慮するということは大変大切なことだと思います。今までもエコスクール事業などを推進してまいりまして、そこでは経済産業省や環境省などとも連携をしてまいりました。再生会議でも、社会総がかりで子供をみんなが見つめ合って育てていこう、でも、そうするためにはやはり仕組みが大切だと思います。

 このビオトープは、そういう意味では、地域の方々、それから保護者、教員、子供たちが一緒になって池をつくったというような話も聞きました。これは大変いいことだなというふうに思っておりますけれども、場所や経費を考えますと、じゃ、すぐに学校でできるよというふうにはいかないのかなと今苦慮しているところでございます。

 御存じのように、学校施設整備指針というのがございます。これは学校施設の計画、設計上の留意事項を示したものでございますけれども、その中にビオトープの有効性を盛り込んでございますし、事例集を作成して、学校ビオトープの整備というのを推進しております。また、学校における屋外環境施設の整備やエコスクール事業の一環として、学校ビオトープの整備に対して国庫助成も行っているところでございます。また、先取的な取り組みを紹介する事例集を作成するなど、これからも引き続いて学校設置者に対してさまざまな情報を提供いたしませんと、学校ビオトープというのを知っているかというと、先生方も、知らない、それ何とおっしゃるのが現状ではないかと思っておりますので、まずはそうした情報を提供しまして、学校ビオトープがいいのだという運動から始めて、多くの学校にわかっていただけたらというふうに思っております。

 命を大切にする、すべての生き物をいとおしむ、慈しむということは、いじめの防止にも役立っていくというふうに考えております。利他の心を持っていらっしゃる馬渡議員の提案にふさわしいといつも思っておりますので、私ども、これを広めるいろいろな工夫をしてまいりたいと思っております。

馬渡分科員 ちょうど時間となりましたので、これにて質問を終わります。ありがとうございました。

中野(清)主査代理 これにて馬渡龍治君の質疑は終了いたしました。

 次に、亀岡偉民君。

亀岡分科員 一期生の亀岡でございます。きょうは、お疲れのところ申しわけありません。

 何かきょうの新聞等で、未履修の問題がまた今度は小中学生にまで及んでいるというお話を聞きまして、私も非常にがっかりしておったんです。本来であれば、学校教育は、日本人としての人間性を本当にしっかり高めるために学校教育法というのが決められて、しっかりと授業単位数も決められてきたんだと思うんですが、どうも高校の未履修問題から、今度は小中学生まで及んでいるということは、何のためにしっかりと義務教育というのがあるんだろう。まして、学校教育も戦前の教育がよかったと言われる、それぐらい多分しっかりした時代があったにもかかわらず、最近はこれだけ犯罪が多くなり、または非行が多くなってしまったというのは、非常に残念な気がするんです。

 その一端がひょっとしたらここにあるのではないだろうかと私もちょっと疑問に思いまして、昔からの各教科等授業時間の変遷というのを見せてもらいました。小学校でも、例えば昭和二十二年から平成十年にかけて授業数がかなり減っているんですね。こんなに減っていいのかというぐらい、例えば国語なんかもそうですが平成十年までで二百二十四時間減っているとか、社会なんかも六百三十五時間少なくなったとか、理科なんかもそうですがかなり減らされている。本当に、こんなに授業数を減らしてきていて、時間、単位数を減らしてきていて、いい子供たちができるんだろうかというのが不思議でしようがないんです。

 そういう意味では、学校教育法において次の時代を担う子供たちに確かな学力を身につけさせる、それが今度は自信にもつながっていくだろうと思うんですが、これだけ時間を減少させてきてしまったということがあるわけです。これをしっかり確保するという必要性がこれからあるんじゃないかと思うんですが、最初に大臣にこの辺のお考えを聞かせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

伊吹国務大臣 まず、学力が落ちた、安倍流に言うと規範意識が減少したというのは、先生のおっしゃっていることも原因の一つであるかもわかりません。しかしこれは、国が豊かになると、豊穣の中の精神の貧困みたいなことは人間社会においてはもう避け得ない現実なんですね。それをいかにとめるかということがむしろ私は不十分だというふうに考えております。

 多くの理由があると思いますが、先生がおっしゃった昭和二十年代に比べて今大きく変わっているのは、まず家族構成が変わった。そして、土にしがみついて生きている日本人から、都会へ出ていく日本人に変わってしまった。土と一緒に生きている限りは土を離れられませんから、三世代は必ず一緒に住んでいたわけですよ。ところが、都会を目指して、工業で雇われながら仕事をしていくということになりますと、三世代はばらばらになります。若い世代は東京へ出ていきますね。あるいは、大都会へ出ていきます。そして、仮に子供が生まれた。生まれると、当時とまた違うのは、女性が社会で働き得るだけの大きな経済規模になった。また、女性に働いてもらわなければこの社会も成り立たないという状態に変わっている。子供は、学校が終わって帰ってきたときに家族がいないんですよ。いろいろな問題が重なり合って現状をつくり上げていると私は思います。

 授業時間も、私は、教育基本法改正を受けて学校教育法を今、中教審にお願いしておりますので、これができれば学習指導要領等も作成していかねばなりませんので、授業時間の確保ということはやりたいと思っているんです。

 その場合、どういう形で授業時間の確保をしていくのか。授業数をふやすということになりますと、まず土曜日をどうするかということがありますね。それから、授業の一日の時間をもっと長くとるというやり方もあります。それから、先ほど来議論の出ているゆとり教育と言われる総合学習というものの時間数を抑えながら基礎学力を教えていくというやり方もあります。単に時間数をふやすというだけになりますと、これは教員の給与の問題にはね返ってくるんですね。

 あれやこれや今いろいろ試行錯誤しておりますが、やはり少し授業時間が落ち過ぎたのではないかということは、私の実感として先生と同じ考えを持っております。

亀岡分科員 ありがとうございます。

 私も、調べた結果が、極端に時間数が減っているんですね。ですから、こんなに減って、ほかに何かふえたんだろうかといったら、そうではなくて、確かに総合的な学習の時間という新しい時間はふえているが、それ以外で換算してもかなり減っているということは、ここに何か大きな問題がありそうな気が私もしたので、きょう質問させていただいたんです。

 確かに、中身の問題というのはかなりあると思います。だから、減らしても授業のやり方がスムーズにいくようになったとか、教え方がすばらしく向上したとかということがあるとは思うんですが、それにしても余りにも減り過ぎた結果が、逆に言えば、今の小学生でも非行が起こるような現状につながっている可能性がなきにしもあらずということで、私はちょっとここに原因があるのかなと思ったんです。

 それと、今話に出ました平成十年に新設された総合的な学習の時間に小学校三年、四年生を合わせて四百三十単位という、これは新たなものをつくってしっかりとやられてきたわけです。

 私、思うんですが、これだけやって、逆に言えば、減った数とふえた数の差が全く合わないんですが、目的がしっかりしてこれをやられてきたんだと思うんですが、その目的としっかりした効果が得られたのかどうか。これは僕は、小学校の児童たちに与える影響力はかなり大きかったんじゃないかと思われるところの一つでありますので、この総合的な学習の時間の今までやられた成果というのはどれぐらいあるのか、ちょっと教えていただければと思うので、よろしくお願いします。

銭谷政府参考人 平成十年の指導要領の改訂によりまして、小学校三年生以上に総合的な学習の時間というものを新設いたしまして、週当たりにしますと三時間ぐらい、小学校の場合は各学年この授業を行うということにしたわけでございます。

 この総合的な学習の時間というのは、教科の枠を超えた横断的、総合的な学習を行い、できるだけ体験的、問題解決的な学習を通じて、教科で身につけた知識とか技能を実生活で活用できるようにしようということがねらいとしてあるわけでございます。

 これまで、総合的な学習の時間についての感想等あるいは調査等の結果を見ますと、小学校では、主体的に学んだり考えたりする力が子供たちに身についているとか、あるいは興味を持ったことを調べてみたくなったとか、一定の成果は上がっていると思っております。

 ただ、課題としてありますのが、学校によって取り組みにばらつきがあるということがございまして、非常に学校ぐるみで取り組んで、子供たちもいろいろな活動をしている学校もある一方で、どうも十分こなし切れていないという批判も出ている学校もございます。それから、小学校は比較的活発な活動をしておりますけれども、中学校には課題が多いということも言われております。

 私ども、総合的な学習の時間のねらいというのはこれからも大切にしたいと思っておりますが、いろいろなすぐれた事例の提供とか、あるいは総合的な学習の時間を学校の中でコーディネートする教員の養成研修とか、こういったことをもっとやっていきたいと思っております。

 なお、一言だけでございますけれども、戦後の全体の授業時数を考えた場合には、昭和二十年代になく、戦後新たにできましたのが、道徳の時間と、小学校の低学年、一年、二年の生活科の時間と、それからただいま申し上げました三年生以上の総合的学習の時間、こういうものが新たにできております。一方、週六日制だった学校が、平成十年の改訂以降、実際は平成十四年から学校週五日制になっておりまして、その分、週当たりの時間数は減っているという事情がございます。

 なお、全体の授業時数、各教科の授業時数、これについては、それぞれどういう内容をこれから重視していくかとの関連も見ながら、中教審で今、時間数の確保という観点から議論しているところでございます。

亀岡分科員 今お話があった、ばらつきがあるというのは、私、ちょっと疑問なんですね。せっかく総合的な学習の時間ということですから、ばらつきをなくすということが一番大事なんだろうと思います。小学校では活発にやられておる、中学校ではまさにそれぞれの学校で違い過ぎるということであれば、総合的学習の時間というのも、しっかりと目標を定めて、そして、格差のないような総合的学習の生活ができるような指導方法というのもこれはしっかり取り組むべきだろうというふうに思いますので、ぜひその辺はお願いしたいと思います。

 それから、最近、また犯罪なんかも多くなっているんですが、子供たちが犯罪に今度は加担する側になっているというのは、非常に私は問題だと思います。有名な事例もたくさんあるんですが、私どもの福島の学校の方でも、去年、修学旅行に来て、帰りがけに上野駅でナイフで事件を起こしたなんという事件もありまして、余りにも子供たちが安易にそういう事件を起こしてしまうということがあるわけです。特に、小学生までそういう暴力事件が多くなってきたという実態を聞いているんですが、その実態をしっかりと把握しているのかどうか、まずお聞かせいただきたいと思うので、よろしくお願いします。

銭谷政府参考人 児童生徒の問題行動につきましては、文部科学省として毎年調査を行っているわけでございますが、最近の調査結果を見ますと、今先生からお話ございましたように、小学生の暴力行為が顕著な増加傾向を示しているという残念な結果が出ております。

 平成十七年度における小学生の暴力行為の発生件数は二千百七十六件ということでございまして、三年連続の増加でございます。四年前の平成十四年度に比べますと、一・五六倍という数字でございます。また、その内訳を見ますと、学校の内外の別では、いわゆる校内暴力が、全体二千百七十六件のうち二千十八件ということで、大半を占めております。特に、その半分は生徒間暴力ということでございます。それ以外に、器物損壊、さらには対教師暴力が四百六十四件あるということで、やはり小学生の暴力行為ということに対する対応というのは、私ども、生徒指導上の大きな課題だと思っております。

亀岡分科員 では、続けて局長にお聞きしたいんですが、今、増加し続けているというお話がありましたね。私は、まさに、ふえ続けているのはわかるわけですから、それに対してこれから何らかの対応をしっかりしなきゃいけない。過去にもしなきゃいけないことがあったんでしょうけれども。

 例えば、余りにも問題の多い学校や地域に対しては、教育委員会にも国がしっかりその責任を問えるような制度がなければ、改善は見られないんじゃないかと思うんですね。もう地方だけでやっていては、ふえ続けている現状があるわけですから、そういう意味では、国がしっかりと、地方で起きている現状、教育行政の責任を問えるような制度をしっかりつくって、改善が図られるようにしていかなきゃいけない。

 これだけ犯罪が、あるいは非行が低年齢化してきて、まさにふえ続けているという現状を考えたら、しっかりとこれは対策を考える、三年間ふえ続けているからどうしましょうかという話になるのが当たり前だと思うんですね。だから、これを減らすには、例えば、国として、逆に国が事件が多いような教育委員会にはしっかりと勧告ができたり指導ができるような制度というのは考えるべきだと思うんですけれども、局長、どうお考えになりますか。

銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、小学生の問題行動というのは、私ども、本当に深刻に受けとめております。それで、各学校や教育委員会でも、もちろんこの問題については、善悪の判断や規範意識を子供たちに身につけさせるということで、それぞれ取り組みはいただいているわけでございますけれども、本当に対応がそれで十分かということは絶えず問い直していかなければいけない事柄だと思っております。

 また、この問題に限らず、いわゆるいじめ自殺の問題でございますとか未履修の問題にかんがみまして、地方における教育の中心的担い手としての教育委員会がその責任をしっかり果たしていただくようにするとともに、国も教育についての責任を担えるようにするということが必要だろうと考えております。

 今、中央教育審議会で、教育委員会制度の改革をめぐって地教行法の改正の審議をいただいているところでございますけれども、その中でも、国がどのように教育に対する責任を果たしていくべきかということもいろいろと御議論をいただいております。

 私ども、それぞれの学校、教育委員会の取り組み、これは尊重しつつ、子供の教育が危機に瀕するような状態になったときに本当に国としてどういうことができるのか、中央教育審議会のこれからいただきます答申も踏まえながら、真剣に考えていきたいと思っております。

亀岡分科員 今のは大体普通の答弁であったんですが、大臣、私、この間も全国知事会の代表のお話を聞いたんですが、地方分権だから全部地方に任せてこいというお話がやはり圧倒的に出るんです。どうしても我々国会議員、地方の代表ということで、地方のことをしっかり聞いてから国政の場に携わっていろいろ改良を加えるということやっているわけですが、どうも教育委員会だけは、我々が地方に行っても情報が入らないということがあるんですね。だから、本来は、我々が一生懸命、では制度を変えようとかよくしようとか思っても、自分の地元の教育委員会の内情さえわからないということでは、なかなか我々もいい意見も出せない。

 そういう意味では、教育委員会というのは、やはり国と連動する必要が私はあると思うんですね。だから、そういう意味では、しっかりと我々も自分の地元の教育の現場にも携われる、国が携われるような、国会議員が携われるような制度、仕組みも絶対に私は必要だと思いますので、ぜひそのうちお考えいただければと思うので、それをぜひお願いします。

伊吹国務大臣 今政府参考人がお答えしたことは基本なんですが、先ほどもお話ししたんですけれども、日本は今、もう国民主権の国なんですよ。ですから、日本国憲法の前文には、日本国民は、正当に選挙された国会における代表を通じ行動しということですよね。ですから、先生がまさに国民の代表なんですよ。国民の代表が集まってつくったのが法律なんですよ。国民からいただいているのが税なんですね。その税を使って地方の学校はみんな運営しているわけでしょう。どこに税が入ってきたかは別として、国に入ってきた、あるいは地方自治体に入ってきた。そして、全国一律、こういう形で教育を担保してほしいということを、国民の代表である先生方が国会で決めるわけですよ。それでやっているにもかかわらず、一部の教育委員会はそのとおりしない、あるところは律儀にきちっとしているというのは、これはやはり、保護者や児童生徒、納税者に対して、我々国会議員が責任を果たせていない。

 ですから、私は、地方分権の流れというのは決して悪いことじゃないと思いますし、住民に一番近いところの人たちが判断をしてやっていただけばいいんですが、最低限の、特に義務教育は何を教えるかというのはみんな共通のルールでやっているわけですから、これを守っていただけないときにどうするかという、まさに先生がおっしゃった、力だけは、別に文科省に与えていただく必要はないんですよ、国民に与えていただかなければ私はいけないんじゃないか。

 我が党の中でも公明党さんでも民主党さんでも、いろいろな議論が党内で今あります。地方分権化はどうだと。だから、先生もぜひ党内の議論で今先生がおっしゃったことを御主張いただいて、やはりそういう形で私は教育の均質性を担保していくべきだと思っております。

亀岡分科員 ありがとうございます。

 私もぜひ頑張りたいと思いますし、地方の教育行政を国会議員が把握できないという現状はおかしいはずですから、その辺は党内でもしっかりと議論させていただいて何とか上げたいと思いますので、よろしくお願いします。

 それと、私、先生の質の問題もちょっと大臣にお尋ねしたいんですが、本来であれば高校教育から専門科目に入っていったり大学で専門科目に入っていく、まさに自分のやりたい教科に入っていって勉強してもらうという制度に今なっているわけですが、例えば学校の先生だって私は専門分野だと思うんですね。

 昔は師範学校というのがあって、しっかり教育の現場に携われるような教育をしっかりした上で現場に出していくという制度があったわけですが、今は、どうも一般大学の中で一般教養とわずかな教職、わずかではないんですが、教職を取って現場の先生になっていく。それよりは、自分は子供が好きだ、まず先生になりたいというしっかりした意思を持った人たちにそういう学校をつくって入っていただいて、そして、自分の職場の改善ばかり言うのではなくて、まず子供たちのために、好きだから私は先生になった、だからこそ先生としてこういうことをやりたい、そういう人たちに先生になってもらえるような環境づくりをしていく。

 または、その中で、例えば大学を卒業してから二、三年はしっかりと社会勉強の研修ができるような、今取り組んでいますけれども、もっとしっかり制度として取り組んで、子供たちに尊敬されるような指導的な立場に立てる人間性の豊かな先生をつくり上げていくということをぜひ考えてもらいたいと思うんですが、その御意見をいただければと思うので、お願いします。

伊吹国務大臣 おっしゃるとおりだと思います。

 日本の教員の養成も、昔のいわゆる高等師範学校、その流れをくむ教員養成大学あるいは教員養成の学部というところと一般大学で、今先生がおっしゃったような形で免許を取っておられる。両方あるんですよね。諸外国の例を見ていると、やはりかなり成績のいい人がむしろ教師になって、そして修士、学士じゃなくて修士を持っている人がほとんどだという国もあるんですよ。

 ですから、安倍総理は教育再生を自分の内閣の最大の課題として取り組むとおっしゃって、政治家として生きている間に報われることは少ないでしょうけれども、五十年後、百年後のことを見据えておやりになるということは私は非常に立派だと思って、微力ですがお支えをしているということなんです。

 ことしの暮れの予算は、多分安倍内閣が概算要求のときから関与できる予算なんですね。ですから、与党の一員として、予算配分等についても、やはり教育重視、立派な先生を確保できる方向ということにも、先生もひとつぜひ力を入れていただきたいと思っております。

亀岡分科員 ありがとうございます。

 本当に、まさに教員の質の向上が日本のいい教育現場をつくる一番のもとになると思いますので、ぜひよろしくお願いします。

 それから、これだけ小学生の犯罪まで低年齢化をしてきて、一番大事なのはやはり幼児教育というのが今叫ばれています。ただ、学校教育法の最初に出てくるのが幼児教育ではなくて小学校から始まっているというのは非常に残念なんですが。そういう意味で、まさに、今の教育基本法の改正の中で幼児教育をしっかり見直そうという頑張りを今我々やらせていただいているわけです。

 その中でも幼保の一元化というのは昔から言われているんですね。これは何かといったら、できたときのコンセプトが違いまして、幼児教育をしっかりやっていこうという幼稚園の教育と、預かり保育じゃないですけれども、まさに、働いている人たちから預かるという保育園の最初のでき方から違っています。それを昨年、認定こども園という形で緩和をさせようということだと思うんですが、その認定こども園の制度も理解されている部分は非常に少ないと思うんです。まさにこれから子供たちがしっかりと同じ、平等な教育を受けて小学校に入れるようにしていくためには、やはりどうしてもこれは一元化する必要があると思うんですね。

 これは、幼児教育が平等に同じ教育を受けて小学校に入れる体制、そして、一番大事な部分は、親の収入が低いこの幼児教育の時期に、今一番重要と言われているこの時期をぜひ義務教育化して無償化して、本当に平等に学んでもらうような体制づくりというのがこれから必要になっていくだろうと思います。

 ましてそれには、先生方の年齢を比べてみてもわかるんですが、私立の方が非常に年齢的に低い。建学の精神がしっかり生きているという意味では、今は大学も独立行政法人化していますから、建学の精神がしっかりしている私学で学んでもらったらいいんじゃないかと思うんですが、ぜひ、幼保一元化についてのお考えも聞かせていただければと思うので、お願いします。

伊吹国務大臣 幾つかの言及をしていただきましたが、まず、小学校から学校が学校教育法上記述されているということについては、私はこういう国会の議論というのは極めて大切にしておりますので、先生のきょうのようなお話があったということも、今、中教審で審議をしておりますから、よく話してみたいと思います。

 それで、注意深くあれしていただくと、先ほど馬渡先生も、自分が提案したことがぽっと出てきたということをおっしゃったですよね。そういうことは必ずありますから、国会の質問というのをそんなに軽く考えずに、先生の提案がいろいろなところへ出てくるということはありますから、それは申し上げておきたいと思います。

 それから、幼保の一元化、これはやはり非常に悩ましい問題で、教育機関として発足したものと福祉施設として始まったもの、特に福祉施設として始まったものは一番最初は措置として始まっているわけですね。これはもう選択の余地がない、あてがいぶちのものとして始まっているほどのごりごりの福祉施設だったわけです。ですから、今もその名残が残っておりますので、教育という観点からだけ保育をさわれるかどうかというのは、これは非常に難しい問題なんですね。

 だから、住民本位に考えて、両方の施設がもう要らないとか、両方の施設で一つでやった方がはるかに国民負担が少なくて済むというところは、御承知のように幼保連携ということでやったわけですね。ですから、やり始めたこの制度が、認定こども園というのがどういうふうに動いていくかというのをしばらくちょっと見させていただきたい。

 それから、幼児の義務教育化は、まさに、お金のある人もない人も同じ条件で小学校へ入れるということなんですが、これは膨大な金がかかるんですよね。ですから、経済財政諮問会議等の閣議決定をしておるものも、税制改正の動向を見きわめてというただし書きがついているんです。ですから、国民の皆さんが、いいよ、もっと税負担してもいいから義務教育化してくれということだったらすぐできるんですが、大体ほとんどは税を払うのは嫌で、税を払った政党を野党は、野党というか対立党は必ず批判をされるというのが選挙戦の通例ですから、これは各党みんなで、心ある党が、与野党を通じて協力をしながらやっていくということだと思いますし、田島先生は多分賛成してくれると思います。

亀岡分科員 ありがとうございました。

 ぜひ、子供たちが平等に受けられる権利の条件づくりをお願いしたいと思います。

 ちょっとスポーツの話は時間がなくなりましたので失礼しますが、ぜひスポーツの方も学校教育の中でしっかり取り組んでいただければと思うので、よろしくお願いいたします。

 どうもありがとうございました。

中野(清)主査代理 これにて亀岡偉民君の質疑は終了いたしました。

 次に、田島一成君。

田島(一)分科員 民主党の田島一成でございます。引き続きよろしくお願いをいたします。

 私、今回のこの分科会では、本来なら常任委員会で聞いてもいいテーマですけれども、ディプロマミル、いわゆる学位商法と言われている点に焦点を当てて、伊吹大臣にお尋ねをしたいと思っております。

 言うまでもなく、このディプロマミル、学位商法と言われている、その汚染状況が随分この日本でも広がってきていることは、大臣も御承知のことと思います。怪しげな非認定大学の博士号取得を誘うその手口、これにまんまとだまされている方々、いろいろなニュースも、新聞紙上で、またテレビでも報道をされてきたところであります。

 アメリカの大学の仕組みを御存じの方ならばインチキだとすぐに見破れるものなんでしょうけれども、残念ながら、留学経験もなかったり、また、のどから手が出るくらい学位が欲しいという方々にしてみると、うさん臭さがあっても、ついついこういった誘いに乗ってしまって、巨額のお金を払って、非認定大学の博士号と称して学位を受ける、そんなインチキな事件が後を絶たない。これは早く何とかしないとだめだな、日本の高等教育の品質保持を考えても、随分問題があるんだなというふうに考えているわけであります。

 日本社会というのは、昔から肩書に弱いというんでしょうか、その一方では、アメリカの学位、アメリカ信仰とでも言える、そんな状況が随分蔓延している中で、とりわけ盲目的に信頼を置いてしまうこの日本社会の習慣というか、あしき流れを何とか食いとめなきゃいけない。その役割を私は文部科学省として真剣にお取り組みをいただきたいというふうに考えるんですけれども、冒頭、このディプロマミルの繁殖ともいうべき現状、どのように御認識をいただいているのか、まず御答弁をいただきたいと思います。

    〔中野(清)主査代理退席、主査着席〕

清水政府参考人 先生ただいま御指摘いただきましたように、特に、アメリカ発のにせ学位、いわゆるディプロマミルでございますが、それがかなり広がっているのではないかという指摘あるいは報道等については私どもも承知しているわけでございますが、実は、この我が国における広がり、正確な実態ということについては、なかなか私どもとして把握が難しいというのが率直なところでございます。

 と申しますのは、先生御案内のように、我が国の学位とアメリカの学位は違います。アメリカの学位制度、あるいはディプロマミルそれ自体といっても、伝統と広範なお金による売買の実態がずっと続いてきているわけでありますけれども、それは、例えば、学位授与機関としての大学については、州ごとに認可し、またアクレディテーション団体が、いわゆる学位授与、あるいはそのコースの正当性も含めて適格認定を行うという仕組みで、州ごとに違っているということでありますとか、あるいは、提供されるにせ学位自体も違いますし、また、その取得保持者、あるいはそれをどのような場面で活用するか、いろいろな問題が実は絡み合っております。

 また、そういう意味で、定義づけも難しいということで、実はアメリカ自体においても、なかなかディプロマミルの実態というものは、先生御案内のように、議会で一応調査したリストみたいなものはございますけれども、正確にはなかなか把握されていない、こんな現況がございます。

田島(一)分科員 現状把握が非常に難しい。これは、アメリカにおいても、実際に、そのリスト、ホワイトリスト、ブラックリストの作成過程が、州によってその熱意にも随分差があるんだと思いますけれども、なかなか困難であることは、私も承知をしているところであります。

 しかしながら、日本の高等教育のすき間をつくような、いわゆるアメリカの学位、にせ学位という表現がいいのか悪いのかはちょっとおいておいて、本来、認定されていない大学の学位というものが、さまざまな、教授であるとか著名人の肩書に、さも本物の学位のようにちまたではんらんをしている。この現状は、日本における、学位を正式に取られた方に対する冒涜でもあり、絶対に許されるべきものではないわけです。この認識は、大臣、お持ちでいらっしゃいますか。

伊吹国務大臣 それは、当然そうだと思います。

 田島先生もいろいろな御経験をなさっていると思いますが、私は、政治家として、肩書をたくさんつけられた名刺をお出しになる方、あるいは、少しよく知らない大学の何か教授だとか博士だとかというのをつけられた方は、大体信用しないことにしているんです。

 今おっしゃった、日本の大学の博士号というか学位、学士でも修士でもいいですが、この品質を高めるということは、これは確かに文部科学省の大きな仕事なんですよ。ところが、今先生がおっしゃった、外国の、先生御自身もにせとおっしゃったり、ちょっと安易なというニュアンスもあるのかもわかりませんが、それを出してくることについて、文部科学省がどこまで対応できるんだろうかというのは、これは法律上、非常に難しいですよね。やはり、私は、本来、警察、検察の仕事でもあると思いますしね。

 正式の学位である、国際的に認定されたという組織は、まずないわけでしょう、学位の認定、博士号の認定について。ですから、これは、やはり御本人自身が、名誉心なのかどうなのか、そんなものに金を出してやるということ自身が、またそれでだまされるということがあってはいけないと思いますが、先生今おっしゃった、著名人の肩書の中に入っているとか、日本の正式の大学の先生の肩書の中に入っているとか、特に後者の場合は、それが採用の条件になったりなんかしている場合は、文科省は責任を持って正さなければいかぬと思いますが、名刺にうれしそうに書いておられることにどこまで責任がとれるのかというのは、これは非常に悩ましい問題なんですよね。

 ですから、我々がやるべきことは、日本の学位の質を、どこへ出しても恥ずかしくないようにしっかりとやっておくと同時に、諸外国の大学の中でもしかるべき大学、あるいは世界のランキングをつけておられる中に入ってくるような大学の博士号を持っておられるような方をやはり尊重しながら、日本でやってもらいたいということはできるんですけれども、今の問題は、私もお気持ちは全くよくわかりますよ。しかし、文科省にそれを、どういうふうにこれは対応したらいいのか。やはり個々人の見る目にやっておかないとという気もしますがね。

田島(一)分科員 私、今回の問題意識を持ったきっかけというのが、昨年十二月十九日でしたか、大臣が記者会見で、このことの記者の質問に対してお答えになっていた中身を読ませていただいて、それは違うだろうと実は思ったんです。

 大臣のそのときのをもう一度ちょっと復唱させていただくと、アメリカの大学設置基準にのっとっていないものを日本人が金を出して買うというのは、にせブランド品を買ったのと同じようなものだと思います、その人が恥ずかしいだけのことではないですかとお答えになっていらっしゃいます。

 もちろん、自己責任の問題だというのは、私もそう思います。しかし、自己責任の問題だけで済ませられるんだろうかということから、私、今回この場で文部科学省に対してお尋ねをしたところなんです。

 当然、恥をかくのは、お金で学位を買った方でありましょう。しかし、その方が一緒にいらっしゃる大学の先生であったり、また、社会的な地位とか名誉をお持ちの方が、名刺に書こうと書くまいと、その本物ではないだろうと思われる学位をお金でお買いになられたということが、ひいては、他のまじめに論文を書き、学位をお取りになられた先生方と同じような扱いを受けられる。もっと違う言い方をすれば、本物ではない、にせ学位というかそういった肩書を持っておられる教授なりが通っておられる、勤めておられるその大学の品位だとか名誉だとかまでおとしめてしまうことになりかねない。そこで学ぶ学生たちも、言ってみれば、同じような目で見られるということにまでつながる。そういった点で、私は、今、日本の高等教育の危機に瀕する、そんな事件だと実は位置づけているわけなんです。

 もう一度、そういう意味で、このときの会見のお答えもまだお持ちかもしれませんけれども、もう少し大きな目で、文部科学省としての日本の高等教育の品位それから品質を保つという意味で、自分のところは、日本の国内はやっているから大丈夫だというのではなく、その学位を与える側の大学にお勤めになられている教授であるとか助教授だとかの肩書にまで光を当てていかないと、本物の学位として世界に発信することができないのではないかと私は考えるんですけれども、いかがですか。

伊吹国務大臣 日本の大学で、先生がおっしゃった、先生のお言葉をかりればにせ学位というんですか、これは非常に表現が難しいからお言葉をかりないといけないんですが、にせ学位を持っている人を、それを理由に大学の教授に採用したりしている具体例があるんでしょうか。もしそれを理由に大学の教員に採用している現実があるのなら、その大学にはやはりしかるべく注意をしないといけないでしょうね、文部科学省は。あるんですか。

田島(一)分科員 既にもう文部科学省として具体的なお取り組みをいただいておりますね。もしできれば、その具体的な取り組み状況を御説明、御紹介いただけますか。

清水政府参考人 今大臣から申し上げましたように、我が国の学位というものについての品質をしっかりと高めていく、まずそれでございますけれども、そのほか、外国発の大学について、今いろいろな、国境を越えてどんどん大学教育が展開しているという中にあって、私どもとしてどんなふうに対応するかということで、今、具体的に御指摘がありました、こういうにせ学位というものが、にせ学位といいますか、難しいんですけれども、例えば教員採用等に当たって外国の学位というものを見る場合に、認可を受け、きちんと認証を受けた高等教育機関の学位というものは、こういうリストとしてこういうところにアクセスできますよというような意味での注意喚起というものを行いますと同時に、私ども、例えばユネスコ等において、まさにこの問題についていろいろ真剣な討議がなされ、そういう意味で、例えばホワイトリストというようなものを作成するという試みが始まっていることに積極的な役割を果たしつつある、今参加している、こういう状況でございます。

田島(一)分科員 今、取り組みの一例ということで、ユネスコと連携をしたホワイトリストづくりということをお話しいただきました。ユネスコのいわゆるリストといいますか、具体的に大学リストが挙がっているんですけれども、本当にこれが信用できるものなのかどうか。これは、アメリカでも一番学位認定に厳格だと言われているオレゴン州では、このユネスコの大学リスト自体、いわば来る者を拒まず、それから、具体的なそのリストの精査だとかが徹底されていないというようなことから、ユネスコの大学リスト自体が信用できないというふうにみなしていると実は聞き及んでいるんです。このあたりは承知していらっしゃいますか。

清水政府参考人 実は、ユネスコで、今先生から御指摘がありました高等教育の質保証に関する情報ポータルですが、基本的な枠組み、その中身、どういう構成にするかということについての検討が最近始まっているというふうな状況でございまして、ある意味ではパイロット事業ということになりますが、今、日本を含めた、アメリカあるいはオーストラリア等も入りますけれども、十五カ国程度の国でまずまとまって、十九年中にパイロット事業というものを済ませようというようなことで、それぞれの国々の政府によって正当と質の保証がなされている高等教育機関のリストをまとめるというふうなコンセプトのもとに今進めている、こういうふうな状況でございます。

 したがいまして、先生、オレゴン州の御指摘というのは、私、つまびらかにしておりませんが、その検討の議論が始まっている、この一月に会議があったばかりでございますので、また今月さらに第二回目の会合があると聞き及んでおりますけれども、いわばそのプロセスの段階での、このコンセプトはさらにもっと精緻なものとすべきだ、そういう御意見の御指摘かなとあるいは思っております。

田島(一)分科員 決して私はユネスコを誹謗中傷するために例として申し上げたわけではなく、ただ、しっかりとした信用が置けるようなホワイトリストづくりをやはりしていただきたいということから、ユネスコの大学リストだけに頼ってつくるということは少しリスクが高いのではないかというようなことからの質問であります。始まったばかりということでありますから、余計にその精査なりチェックというものはしっかりしなきゃいけない、そのように私は感じておりますので、その点の進捗における精査について、十分な目配り、気配りをやっていただきたい、このことをぜひお願いしておきたいと思います。

 それと、先ほどアメリカのオレゴンの話もしましたけれども、確かに各州の温度差が非常に大きいということもありますし、州における非認定大学の位置づけであるとか理解というものも随分さまざまですから、日本がどのようにしてそういった全米の大学の状況というものをリスト化する手だてがあるのか、大変困難をきわめるだろうというふうには私も想像いたします。

 しかし、皆さんが御承知のないところで、同じ大学の名前が二州にまたがっている、片方の州の大学はしっかりとした認定大学だけれども、こちらの州にあるもう一つの同じ名前の大学は全く認定も受けていない大学だ、そういったすき間をうまく利用するというような悪質商法も随分うわさとして流れております。

 また、日本で、いわゆる大学名だけでは信用度も理解度もないものだから、とりあえずユネスコのリストに名前を登録だけして、そして、ユネスコのリストに載っていますという信用に加えて、日本人の経済界であるとか政界であるとか、そういったさまざまな著名人の名をかりたいわゆる推薦人登録というような形で、その大学の信用を架空に高めていって学位発行の信頼性を高めるといった、非常に悪質きわまりない、また裏を返せば、非常に巧みなやり方でこの日本の中に入り込んできているという実態、これは、先ほども申し上げましたとおり、日本の高等教育の信頼性保持のためにも、また一方では消費者の保護という観点からも、未然に防いでいくことは政府としてぜひ取り組まなきゃいけない課題だろうと思います。

 もちろん、伊吹大臣は文部科学の分野でありますから、消費者政策とは一線を画していらっしゃるお立場かもしれませんけれども、何十万、何百万というお金で、数週間で学位が手に入るという、非常に、言ってみればおかしなシステムがあること自体おかしいし、それを信用すること自体解せないんですけれども、ただ、個人の問題だけでは済まされない、社会的ないわゆる肩書、信用としてそれにすがろうとする人がいて、そのすがる人がにせものにすがったとするならば、これは将来的にいろいろなところに影響を及ぼすんだということは御理解いただけるかというふうに思うんです。

 今、現状、文科省でもそのような対策としてのお取り組みを進めていただいておりますが、日本の学位認定を取り締まる法律であるとかそういった指針等については、アメリカのとりわけオレゴン州なんかに比べると、随分、まだまだ未整備な部分が多いと思います。言ってみれば、本人自体の自覚の問題だとおっしゃいますが、その人にしてみても被害者でもあり、軽率な行動をとった方かもしれませんけれども、そういった方々を未然に防ぐという意味でも、何らかの手だてを、私は高等教育をお預かりいただいている文部科学省で対策を早急に練られる必要があるのではないかと考えますが、大臣、いかがでしょう。

伊吹国務大臣 困ったことをされているなというのは、もう全く私はよくわかります。しかし、先生の今の御提案が、私、申しわけないんだけれども、なかなか胸にすとんと落ちないんですよね。

 例えば、にせの学位、先生のお言葉をかりればにせの学位を使った人を、文部科学省が持っている、所管をしているいろいろな教育機関に入ってくるための資格あるいは肩書として使っているということは、これは文部科学省の責任においてやめさせなければいかぬですよね。だから、私、先生にさっき、具体的にそういう事例があるんだろうかということを伺っているというのは、そういうことなんですよ。

 普通、常識からいえば、大学の学位というのは、ある程度の時間を勉強していない限りもらえないわけですよ。名誉博士号とかいうのはまた別のあれがあると思いますよ。だけれども、何とか大学何々博士というのを金で買うという人の方に私はむしろ問題があるんじゃないかという気がしますね。

 もちろん、消費者行政の一環だとかということがありますが、日本で、例えば、この大学は注意しなさいとか、逆に、この大学ならいいですよというブラックリストとホワイトリストをつくるということは、これは、主権国家としては非常に難しい問題を呼び出しますね。だから、国際機関としてのユネスコがやっているということにある程度頼る。頼るけれども、それ自体が今度は、先生の今のお言葉からいえば利用してやっているということになりますと、これはもうインターポールか何かで取り締まってもらうより仕方のないような事案じゃないか。むしろ、こういう困ったことがたくさん起こっているから、警察庁に話をして、国際警察で調べさせるとかというような問題なんじゃないかというふうに私は思うんです。

 ですから、にせブランドということを言って先生からおしかりを受けましたけれども、例えば、にせブランド品を買った人がいるから、ブランド品を買っている人をおとしめるので何とかしろというお話とよく似ているんですね、これは。だから、非常に難しい問題じゃないでしょうか。お気持ちは一〇〇%共有しています。

田島(一)分科員 気持ちを理解してほしくて、私、お尋ねしたわけではありません。どういう事例があるのか、私の方にお尋ねいただいたわけですけれども、でも、これは文科省としてもう少し実態調査等、やはり把握をしていただいて、質問する一議員にお尋ねされる前に、やはり省として、省のトップとして、こういう問題が起こっているのかどうか。

 具体的な名前は出したくありませんけれども、もう既に、昨年十二月末に、テレビでも随分著名な大学の学長が、三十万円支払って非認定大学の博士号を取得した、本人いわく、うかつだったというようなコメントまで出ている新聞がこのように出ているんですね。こういったニュースも出ている以上、やはり大臣も新聞をぜひお読みいただきたいと思いますし、こういう問題が著名な大学教授にとどまらず末端にまで広がってきているという事例は、日本だけではなく当然アメリカでも起こっていますし、アメリカではもう既にFBIまでもが捜査に入っているというような状況に来ております。ですから、難しい問題としてこれを放置しておくと、いずれとんでもないところにまで火の粉が飛んでいくということから、私は警鐘を鳴らす意味で質問をさせていただきました。

 もう一度、この問題についてしっかり取り組む、また、日本の国としてこういった問題を増殖させることをしっかり食いとめるという決意がおありなのかどうか、そのお考えだけお聞かせをいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 高等教育局長に、自分が所管している教育機関の中で、にせブランド大学がどれだという認定は非常に難しいですから、のような肩書を使っている人、あるいは、その肩書をもって自分の所管している教育機関に就職をする条件にした人がいるかどうか調べさせましょう。それは調べさせましょう。それはお約束します。先生のところへ御報告させましょう。

清水政府参考人 今、大臣の御指示のあれに、また報告をさせていただきたいと思っております。

田島(一)分科員 日本の高等教育界のすき間をねらって、こうしたDM、いわゆるディプロマミルの学位商法が入り込んできている、これはまじめに学位を取得なさった先生方に対しても大変大きな信用を失墜させる出来事であろうかと思います。

 これまで文部科学省というのは、事前規制型でいろいろとやってこられたというふうに私は実は思っているんですけれども、これからのあり方、とりわけオンライン教育が進んでいきます、国際化も進んでいきます、そういった過程においては、事後チェック型の方法に切りかえをしていく必要もあるのではないかと考えております。いつも問題が起こってからそれに対応している、こういうやり方ではどうかなということは、多分大臣も御同感いただけると思います。

 これから先、実効性のある対応を進めていくと同時に、とりわけ教育機関、大学等に対しての評価制度も含めたチェック、また再考も進めていかなければならないというふうに思いますので、その現状把握のお取り組みをお約束いただきましたけれども、そこから進めて、こうした問題の再発防止に文部科学省としてお取り組みをいただきたいと思いますので、その点、ぜひお願いを申し上げて、私の質問を終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

萩山主査 これにて田島一成君の質疑は終了いたしました。

 次に、大塚高司君。

大塚(高)分科員 自由民主党の大塚高司でございます。

 まず最初に、本委員会で質問をさせていただく機会をお与えいただきましたことに感謝と御礼を申し上げる次第でございます。

 私の子供は今幼稚園に通っておりまして、私自身、子育て真っ最中であるわけでございます。その中で、幼児教育の重要性というのをひしひしと痛感しておる最中であるわけでございます。

 特に、幼児期は、生涯にわたる人間形成の基礎が培われる重要な時期でありまして、子供の心身の健やかな成長を促す上で極めて重要であり、幼児期にふさわしい教育をしっかりと行っていく観点から、現行の規定を踏まえつつ、取り巻く環境の変化に応じた見直しを検討していくことが必要であります。また、家庭や地域との連携なども重要であると考えております。

 安倍内閣総理大臣の施政方針にもありましたように、教育の再生は内閣の最重要課題であり、社会総がかりで、教育の基本にさかのぼった改革を推進し、教育新時代を開いていかなければなりませんというふうに内閣総理大臣はおっしゃっておられました。私も、そのとおりだというふうに思っております。

 そこで、三歳未満の段階から親子登園や相談事業等を実施するなどの取り組みが適当であるというふうに私は思っておるわけでございますが、保育園では、体験保育園など保護者に非常に手厚く子育て支援を行っているのに対しまして、幼稚園などではそういうことではなく、かなり薄いというふうに、私の子の通っておる幼稚園も、園長先生初め多くの先生方が嘆いておられましたが、どのように指導しておられるのか、お尋ねいたします。

池坊副大臣 大塚議員が薄いとおっしゃいましたが、幼稚園は決して薄いわけではございません。

 私学助成を受けて子育て支援をいたしておりますのは、園数にしたら三千二百ぐらいございまして、これは、保育所が子育て支援センターでしております事業も三千二百カ所ぐらいなんですね。ただ、補助金が違います。補助金が保育所の場合は御存じのように手厚くなっておりますので、さまざまな、ベビーシッターだとか、相談だけでなくて預かり保育とか、そういうこともやっているということは確かにございます。

 私は、予算のたびに、ここにも財務省の方がいらっしゃるんでしょうか、本当に一兆円あったら教育はもっともっとよくなるというふうに思っておりますけれども、今おっしゃいましたように、文部科学省では、幼稚園が地域の幼児教育センターとしての取り組みを果たせるように、子育て支援機能の強化に取り組んでおります。

 私立幼稚園においては、先ほど申し上げましたように、私学助成において未就園児の親子登園などの子育て支援事業を推し進めておりまして、これは平成七年度から行っております。

 平成十七年度には、子育て支援事業を行っている幼稚園は、全幼稚園の七七%なんです。そして、子育て支援事業のうちの、今申し上げました未就園児の親子登園事業を行っている幼稚園というのは、全幼稚園の五五%です。それから、園庭を開放したり園舎を開放している、これも五〇%ございます。それから、幼稚園の職員による子育て相談というのも三四%になっております。

 ですから、決して指導が手薄いということはございませんで、手厚くしておりますけれども、予算があればもっともっとさまざまなカリキュラムができるということは事実かと思っております。これからも、幼稚園教員を対象とした子育て支援事業に関する研修プログラムの開発に取り組んでいきたいというふうに思っております。

 現在、中央教育審議会においても、幼稚園における家庭教育支援については議論をしているところでございます。ですから、委員がおっしゃるように、幼稚園においても、そのために認定こども園というのもつくりましたので、これからさらに幼稚園が果たす役割が大きくなっていくと思いますし、それを推進してまいりたいと思います。

大塚(高)分科員 ありがとうございます。

 そのように本当に手厚くしていただいているということを、私も地元に帰りまして、重々お話をしたいというふうに思っております。

 ただ、私立幼稚園におきましては、園を開放するに当たりまして、土日に園を開放する、それに出勤する職員をあてがわなければいけない。そして、そこで、もし体験で来られた方が事故など、けがをされたときの手当て、そういったことの不安も抱えておられるという話も重々聞いておるわけでございます。そういった点についても、また格段の御配慮をよろしくお願い申し上げたいというふうに思っております。

 続きまして、次の質問に移らせていただきます。

 子供が幼稚園から帰ってくると、どう過ごさせたらいいか、どうしてやればいいかがわからなくなっている家庭が激増しております。私の幼いころなんかは、近所の子供たちと戯れて、遊んでいたわけでございますが、近ごろは本当に危ない事件等も起きまして、受け皿がだんだんとなくなっていることに対しまして、預かり保育の充実などが考えられるのではないかなというふうに思うわけですが、何か対応策などお考えでしょうか。

銭谷政府参考人 幼稚園は標準四時間の教育活動を行うわけでございますが、午後の時間、すなわち教育課程に係る教育時間の終了後に園児等を預かりまして、いわゆる預かり保育という形で実施をする園が年々ふえてきております。

 現在、幼稚園全体の約七〇%がこの預かり保育を実施いたしております。また、預かる時間も、夕方の三時、四時とかまでではなくて、六時ごろまで預かるという幼稚園も約四五%に上っておりまして、地域における子供たちの受け皿としての役割も果たしているかと思います。

 幼稚園教育要領の中にも、平成十二年度からは預かり保育というのを教育活動として位置づけて、文部科学省としても推奨しているところでございます。

 なお、私立幼稚園が行う預かり保育に対しましては、私学助成におきまして補助を行っているところでございます。

大塚(高)分科員 ありがとうございます。

 私の子供も、預かり保育で夕方六時まで預かっていただいておるわけでございます。本当にありがたいわけでございます。

 しかし、ある親につきましては、本当に悩みの種というのは、お子さんが帰ってこられた、さあ、それからどうしたらいいんだろうかということで、幼稚園から英語の塾に行かせたり、これがいいのか悪いのかは私はわかりませんが、そうやって困惑しているというような親もたくさんおられるということもよく耳にするわけでございますので、そういったことにも格段の御配慮をよろしくお願い申し上げたいというふうに思っております。

 続きまして、次の質問に移らせていただきます。

 教員の人事交流でありますが、協同的な学びでの幼稚園と小学校との合同活動等、一貫性に配慮した教育のあり方について、現在、多くの大学まである有名校が連携に関するさまざまな取り組みを進展させているが、幼小の連携の必要性はどのように考えているか、お尋ねをいたします。

銭谷政府参考人 最近よく小一プロブレムという言葉が聞かれるわけでございまして、幼稚園から小学校に入りましたときに、すぐ小学校生活になじめないということで、いろいろと問題が起きるということを耳にするわけでございます。

 こういう観点からも、やはり幼稚園教育と小学校教育の連携を図るということは重要な課題だと私ども思っております。幼稚園教育を小学校以降の学習や生活の基盤の育成につなげていくということが大変大事だと思っております。

 ただいま先生からお話がございましたように、地域における幼稚園と小学校との交流活動あるいは教員の人事交流、こういうことが幾つかの幼稚園と小学校の間で実施されております。文部科学省としても、こういった幼小連携、これに係る研究指定校を指定いたしまして、小学校について、特に研究開発学校という形でカリキュラムの例外も認めながら連携を進めるという調査研究を行っております。

 加えて、人事交流につきましても、例えば小学校の先生が幼稚園に長期派遣研修という形で派遣されまして、そこで子供たちの指導に当たるとか、あるいは幼稚園の先生と小学校の先生が合同研修会を行って相互理解を深めるといったような取り組みが最近見られるところでございます。

 いずれにいたしましても、幼児期から小学生になるこの接続は大変大事だと私どもも思っておりますので、幼小連携には力を入れていきたいと思っております。

大塚(高)分科員 教員もそういった形で交流を図るということは本当にいい意味でこれから大切だというふうに思っておりますので、また、こういったことも、指定校だけではなしに、テスト校だけではなしにどんどんとそういった交流も広げていただきたいというふうに思っております。よろしくお願い申し上げます。

 ただいまは教員の人事交流の件についてお尋ねをいたしたわけでございますけれども、続きまして、幼稚園児と小学生との交流の必要性はどのようにお考えかということもお尋ねいたします。

銭谷政府参考人 少子化等によりまして、兄弟の数が少なくなってきております。ですから、子供たちが異年齢の子供と交流するということが経験的に少なくなっておりますので、例えば幼稚園児と小学生が交流するというのは、子供たちの豊かな心をはぐくむという観点からも重要でございますし、先ほど申し上げました幼稚園から小学校への滑らかな接続ということの意味でも重要だと思っております。

 これもまた部分的ではないかということになろうかと思いますけれども、今文部科学省でも、就学前教育と小学校の連携に関する総合的調査研究という事業を実施しておりまして、この中で、例えば幼稚園児と小学生が合同で学習発表会を行うとか、あるいは一緒の行事をやってみるとか、あるいは相互に訪問し合うとか、こういったいろいろな交流活動を推進しているところでございます。

 やはり、年齢の違う子供たちが交流を深めるということは、大変意義のあることではないかと思っております。

大塚(高)分科員 ありがとうございます。

 私もかすかな記憶でございますが残っておるんですが、幼稚園から小学校に上がったとき、すごく小学校の先輩がお兄さんに見えたんですよね。ぴかぴかの一年生として小学校に入学したとき、二年生の先輩は本当にすごいな、規律がちゃんとできているなというふうに思ったわけでございます。

 そういったギャップというのをこれから地域でなくしていくというのも一つ大切なことだろうと思いますし、そういった交流をすることによって地域がより一層親しみやすくなっていき、そしてもっともっといろいろな意味でのネットワーク、情報が入ってくるのではないかなという思いもあるわけですので、そういったことに関しましてもまたなおさらのお力添えを賜りますようによろしく要望しておきます。お願い申し上げます。

 続きまして、幼児教育支援センターについてお尋ねを申し上げます。

 私の住んでおります大阪府豊中市は、平成十七年六月、市内の七〇%の幼児期の子供が通う幼稚園における保育内容の充実と幼児教育の視点に立った子育て支援の強化を目的として、幼児教育支援センターを創設いたしました。創設と同時に文部科学省より、同省の新規施策、幼児教育支援センター事業の委託を受け、モデル地域を限定し二年間にわたり事業を進める中で、確実な成果を上げてまいりました。

 このように、事業がどんどんと全国的に普及していくに当たってどのようにお考えか、お尋ねをいたします。

銭谷政府参考人 御指摘の豊中市の幼児教育支援センターは、地域で幼児教育の振興の取り組みを支援するために、豊中市の教育委員会内に保育カウンセラーなどの専門家から成る幼児教育サポートチームを設置して、市内の関係機関とも連携を図って、市内の幼稚園、保護者、家庭等を支援する、そういう事業を行っていただきました。親子の学び場づくり、保育カウンセラーの派遣、幼小連携アドバイザーの派遣とか、いろいろと新しい試みを行いまして、まさに地域の幼児教育の支援センターとして活動を続けてこられたわけでございます。

 これは、平成十七年度からの事業として文部科学省が始めたわけでございますが、本年度は二十一の地域でこういった幼児教育支援センターの事業を行っていただいております。

 これは、私ども、この事業の成果を会議とかいろいろな場面を通じまして全国に普及をして、ぜひ全国各地でこういう幼児教育支援センターのような事業が展開されるように努めていきたいと思っております。

 ただ、率直に申し上げて、経費的な面もございますので、豊中のような立派なものにすぐなるというわけにはいかないかもしれませんが、こういう趣旨の、その市内、域内の幼児教育をサポートする、そういう事業を今後全国で展開されるように努力していきたいというふうに思っております。

大塚(高)分科員 ありがとうございます。

 本市におきましても、二年間ではあったんですけれども、それなりの本当にすばらしい成果が出たというふうに市の職員の方も喜んでおりますし、これからそういった保育アドバイザー派遣というのを市でどんどんと広げていきたいというふうに思っていた二年間であったんですけれども、もっともっと期間が欲しいなという声が今どんどんとまた上がってきております。それも事実でございます。

 そういったことも踏まえまして、やはりそういった展開を日本全国いろいろな各地でまた広げていただいたら、本当にすばらしい成果が出てくるのではないかなというふうに思っておりますので、よろしくお願いを申し上げます。

 続きまして、認定こども園についてお尋ねをいたします。

 認定こども園制度の法律が平成十八年六月に成立し、同年十月に施行されました。大阪府下の認定こども園の申請状況を見ると、法案成立当初、相談件数は相当あったわけでございますけれども、申請実数は、平成十九年二月、本日の時点におきまして、まだゼロであるそうであります。

 また、申請相談の多くは、幼稚園と保育所の共用化施設が中心であり、幼稚園、保育所単独の園は、様子見か現状のままとの意見であるわけでございます。

 その中で、大阪府が認定こども園に関するアンケート調査というのを実施いたしました。それは、昨年の十二月三十一日現在で取りまとめたものがあるわけであります。

 大阪府下の幼稚園は対象が四百三十四園ありまして、そこの幼稚園にアンケート調査を実施いたしました。うち、回答したのが四百十二園あったわけであります。その中で、認定こども園に関しまして実施希望するというふうに答えた園は七十園あったわけであります。そして、希望しないという園は二百十五園もあったわけでございます。そして、様子見の判断留保というふうにした幼稚園は百二十七園あったわけでございます。

 そのうち、実施形態といたしまして、幼保連携型、新たに保育所の認定を取得してやりたいというのが十七園ありました。幼保連携型の保育所と一緒に連携したいというのが九園あり、幼稚園型、三歳から五歳児のみ対象としたいという園が三十五園ありました。幼稚園型で三歳未満の園児の受け入れを希望したのが八園ありました。その他四園というふうに、データが大阪府のホームページにも出ておるわけでございます。

 こういったアンケート結果の内訳で、申請を見合わせる理由としては、施設整備費の負担が大きいのに、助成措置が見合わないというのもありました。もう一点は、手続が複雑でよくわからないというのもありました。そして、人事問題など多く解決しなければならない課題があり、申請に踏み切れないという意見がありました。そういった意見が大半を占めておったというわけでございます。

 その中で、平成十九年一月末日までに申請を受けた件数、認定件数が、幼保連携型、幼稚園型、保育所型、そして地方裁量型はそれぞれ何件あったか、お尋ねをいたします。

銭谷政府参考人 認定こども園につきましては、昨年十月に秋田県で認定をされたのを皮切りに、本年二月一日現在で十一園の認定こども園が誕生しております。その内訳でございますが、幼保連携型が七園、幼稚園型が四件でございます。保育所型、地方裁量型は、まだ認定されたものはございません。

 なお、一月十五日現在で文部科学省が各都道府県による調査を取りまとめましたところ、これは都道府県の数では三十二都道県でございますけれども、この三十二の都道県では、十八年度は約百十件、それから十九年度以降は約七百五十件の申請が見込まれているということでございました。なお、この中には、今お話のございました大阪は入っておりません。

大塚(高)分科員 私の大阪府ではそういった案件が本当に少ないというような話を聞きまして、少し残念な気持ちであるわけでございますけれども、そういった制度を設けたわけでございますから、もっともっと懇切丁寧に説明をするというような場を与えていただいたらというふうに思っております。

 昨年、私の市も、文部科学省の方に来ていただいて、幼稚園そして保育所の方と勉強会もさせていただいたわけでございます。そういった中で、わからない点、いろいろな点もそこでまた出てきたというようなことも現状であるわけでございます。そういったことに関しましてもまた格段のお取り組みをしていただいて、もっともっと実りある認定こども園にしていくように、また御努力をしていただきたいというふうに思っております。

 続きまして、認定こども園に対する特別措置として、学校法人、社会福祉法人問わず、運営費、施設整備費を措置するとあるわけでございますけれども、具体的にどういったものかというのもお尋ねをいたします。

銭谷政府参考人 幼稚園と保育所が一体的に設置をされます幼保連携型の認定こども園につきまして、特別措置を講じているところでございます。

 まず、学校法人が保育所を設置する場合に、その設置をした保育所を含めて、学校法人が幼保連携型の認定こども園ということで運営をする場合には、保育所部分について、運営費はもとより、施設整備費の補助の対象とするということでございます。それから、逆に、社会福祉法人が幼稚園を設置いたしまして、社会福祉法人が幼保連携型の認定こども園を運営する場合は、幼稚園部分につきまして、幼稚園の運営費及び施設整備費の対象とするということにいたしております。

 先ほど、これまでに十一の認定こども園が認定をされているというお話を申し上げましたが、その中で、三つほどの認定こども園につきましては、認定こども園の認定に際しまして、既存の幼稚園に加えまして、新たに保育所の認可を受けて幼保連携型の認定こども園になっております。この場合、設置者である学校法人は、保育所の運営費の対象になっているということでございます。

大塚(高)分科員 そういった措置というのも本当にやはり皆さん期待する部分も多いと思いますので、そういったところもまたよろしくお願いを申し上げたいというふうに思っております。

 続きまして、認定こども園の申請が、先ほどお話もしましたけれども、私の地元で本当に少ないという懸念があるわけでございますけれども、文部科学省はそういったことに関しましてどのように理解をされておられるか、お尋ねをいたします。

銭谷政府参考人 大阪の状況については、ちょっと私、必ずしもつまびらかにしておりませんでしたので、大変恐縮でございます。

 ただ、認定こども園の制度は、都市部では、既存の施設の有効活用による待機児童の解消に資する一方で、地方では、少子化の進行によりまして子供の数が減少する中、子供の健やかな成長にとって大切な集団活動や異年齢交流の機会を設けることができるように、地域の実情に応じていろいろな活用ができるのではないかというふうに思っております。

 私ども、先ほど先生からもお話がございましたが、この認定こども園の趣旨等につきまして、もっともっと広報あるいは説明をしていく必要があると思っております。今、文部科学省と厚生労働省が連携をして、幼保連携推進室を設置いたしておりますが、そこが中心になりまして、関係者の研修会における説明、個別の園からの相談に応じたり、パンフレットの配布、ホームページの開設などを行っているところでございまして、地域の実情に応じて認定こども園制度が活用されますように、制度の普及に努めていきたいというふうに思っております。

大塚(高)分科員 ただいまおっしゃられたように、認定こども園というのは、本当に皆さんとともに、我々も一緒になってつくった園、制度でございますので、私も地元でもっともっと広めていきたい、理解をしてもらうように頑張りたいというふうに思っております。そういったことにもまた御努力をしていただきたいというふうに思っております。

 それと、やはり幼児期の教育というのは、本当に私も今身にしみて感じておるところでございますし、人間形成において幼児期の教育というのは一番大切であるというふうにも思っておるわけでございます。昔から三つ子の魂百までというような言葉があるとおり、本当にそういったときに、人間の温かみ、心の優しさ、そういったことを身につける年でもあろうかというふうに思います。そういった中、我々大人が、総理がおっしゃるように、社会総がかりでそういったことに全力で取り組んでいかなければならないし、我々も中心となって全力で取り組んでまいりたいというふうに思っております。

 時間が来ましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

萩山主査 これにて大塚高司君の質疑は終了いたしました。

 次に、加藤勝信君。

加藤(勝)分科員 自由民主党の加藤勝信でございます。いよいよ最後でございますけれども、よろしくどうぞお願いを申し上げます。

 いよいよこの四月から、特別支援教育制度、一部は既に施行されている部分はありますけれども、本格的な実施がなされるわけでありますし、また、いわゆる発達障害ということに対する関心また取り組みも、いろいろな地域で、またいろいろな分野で今進んでいるわけであります。

 そういう流れで、私ども自民党の中に、特別支援教育小委員会、いわゆる文教部会の中ではありますけれども、去年の十一月に設置をいただきまして、私も、事務局長を務めさせていただきながらいろいろ勉強もさせていただいております。きょうは、その辺を中心に御質問させていただきたいというふうに思います。

 まず一つは、今回の、昨年の教育基本法の改正の中で、いわゆる義務教育の年限規定というものが、もともと、教育基本法の旧でいいますと四条という中で、「九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」という規定がございます。それが、新法の中では、「別に法律で定めるところにより、」ということに変わったわけであります。

 そこに対する期待というのは、あるいは幼稚園とか高等学校を義務教育に入れてくれ等々いろいろな期待があろうかと思いますが、私、昨年の分科会でもちょっと申し上げたんですけれども、今の学校教育法の中で、小学校は基本的に六年間、中学校は三年間と規定されております。ただ、小学校の中では、小学校の課程を修了しないときには満十五歳まで行けますよ、すなわち最大三年まで延ばせますね、こういう規定もあるわけであります。ただ、小学校で三年間いますと中学校の期間がゼロになる、こういう形になっているわけであります。

 そして、先ほど申し上げましたさまざまな障害がある子供さん等々の中では、なかなか、六年間あるいは中学校の三年間でその小学校の義務教育の中で求められるものを十分に習得できない、もう一年あればと。例えばアメリカなどは、一年エクストラで、これはもちろん保護者の御理解とかそういうのを含めてプラスしていける、こういう制度もあるように思っておりまして、そうした障害を抱えている方々からは、そうした弾力的な対応が今度できるようになるかもしれないねというお話をしますと、そこに対する期待というものもなかなか高いものがあるのではないかな、こういうふうに思っております。

 この議論はいろいろなところでさせていただいておりまして、これに係る問題点等々もよく承知をしているつもりでありますし、きょう、あしたにすぐにいけるというふうには思っていないわけでありますけれども、いずれにしても、この現行の九年間、あるいは教育基本法の中で法律に定めるとされたこの九年間について、今私が申し上げた点も含めてこれからどういう御検討をしていこうと考えておられるのか、その辺の方向性を、ひとつ大臣の御所見をお願いしたいと思います。

伊吹国務大臣 基本法ではなくて各法に義務教育の年限を譲っているということは、これは、時代の変遷に応じて、国会の意思というか国民の総意によって変わる可能性を従来の法律よりは柔軟に設定したということでしょう。

 そして、後のお尋ねの障害を持つ人たちについて、これは先生もすぐにできるとは思わないがとおっしゃっているように、当面は、障害のない人も含めて九年を変えるということは、現行の財政事情のもとでは難しいと思います。しかし、将来的に日本も、いろいろ国際社会の条約その他を考えながらやっていかなければいけない部分が来れば、国民合意を得てそういうことを考える時期は来るだろう。

 それから、義務教育の年限を下の方へ延ばすのか上の方へ延ばすのか、これはいろいろ議論があるところですが、いずれにしろ、財務省におられたからおわかりのように、膨大な費用がかかるということはもう御承知のとおりですから、経済財政諮問会議の決定等も、財政、歳入構造の改革というんですか、税制のあり方等々も含めて考えていくということですから、年金と消費税の関係がよく論じられますけれども、税制改正をやる場合には、こちらにも候補者がいるということは、先生も与党の一員として十分応援をいただきたいと思っております。

加藤(勝)分科員 最後におっしゃられた点はまさに最後にお聞きをしようかなと思った点でありますけれども、やはり、特に義務教育でしっかりした学力をつけておくということが高等教育等々でも大変大きなポイントになろうかと思います。

 今逆に、高等教育の現場で中学校のことをやったり、あるいは大学で高等学校のことをやったりというような話も聞くわけでありまして、そういう意味では、いわば教育もどっちかというと年限主義であったかに思うわけでありますけれども、そろそろ質を問うていく、そういう時期にも来ているのではないかな。そういう意味で、財政面の議論と並行して、引き続き、私どもも提案をして働きかけをさせていただきたいと思いますけれども、文部科学省等においても十分な御議論を重ねていただきたいというふうに思います。

 それでは、特別支援教育、特に発達障害の関係でありますけれども、いわゆる障害を有する子供さん方が大体どのぐらいおられるのか。特に発達障害、中には学習障害、いわゆるLDと言われる障害、あるいは注意欠陥多動性障害、ADHDと言われる障害、さらには高機能自閉症などなど、発達障害の対象として指摘をされているわけでありますけれども、そういう方も含めてどのぐらいおられるのか、文科省の方でも把握をされていると思いますし、また、そういう子供さんのどのぐらいの方々がいわゆる通常学級の中で勉強されておられるのか、概観をお示しいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、義務教育段階の障害を持つ児童生徒の数について申し上げます。

 現在、盲・聾・養護学校に在籍する児童生徒は約五万六千人でございます。また、小学校、中学校の特殊学級に在籍する児童生徒は約十万五千人でございます。小学校、中学校の通常の学級に在籍をして、通級による指導を受けている児童生徒は約四万一千人でございます。これらを合計いたしますと二十万二千人でございまして、これは義務教育段階の児童生徒の約一・八六%に当たります。

 このほか認定就学者がいるわけでございますが、これらの認定就学者は、特殊学級に在籍をしたり通級による指導を受けている人も含まれておりますので、単純な合計はちょっとできない状況でございます。

 それから、先生からお話のございましたいわゆるLD、ADHD等の発達障害の児童生徒でございますけれども、通常の学級に在籍をしているケースが多いと思いますけれども、平成十四年の文部科学省調査では、児童生徒の約六%と推計をされております。

 その内訳でございますけれども、学習面で著しい困難があるという児童生徒が四・五%、行動面で著しい困難があるという児童生徒が二・九%、両方で著しい困難があるという児童生徒が一・二%という結果でございます。

 約六%と推計されるこの児童生徒を平成十八年度の児童生徒数に換算をいたしますと約六十八万人ということになりまして、これはあくまでも推計値でございますし、平成十四年度の、いわば学校に聞いた数でございますので、可能性という意味で御理解をいただきたいわけでございますが、先ほど申し上げましたように、二十万二千人の障害を持つ児童生徒にいわゆる発達障害の児童生徒が約六十八万人程度いるということになろうかと思います。

加藤(勝)分科員 したがって、障害の程度はいろいろあると思いますけれども、六%ぐらいの子供さん方が発達障害等を抱えて通常の学級におられるということでありますから、三十人学級で割っても平均して一人以上いらっしゃる、こういうことになるわけでありますから、これは全般的な対応が私は必要な分野だというふうに思っているのであります。

 二次障害という言葉があります。こういう議論をすると非常に気をつけなきゃいけないのでありますけれども、障害を持っている方々が最終的に反社会行動に走るとか、あるいはさまざまな意味での精神的な障害を持つことになるということではなくて、その間にいろいろな作用があって、あるいは通常の障害がない方でも、教育面、家庭面、環境面、いろいろなことがあれば、例えば反社会行動に行くことも十分あるということでありますから、障害があるからそうだという議論ではなくて、それに対するケア、対応が十分できていない、そのことによってさまざまな障害がまた引き起こされてしまう、そういうのを二次障害という言葉で言われているようであります。

 一般的に、障害を持つ子供さん方は、障害から、学習上、行動上、対人関係上さまざまな問題行動を起こしがちであります。そういう行動をとったときに、周りの親や先生あるいは友人、知人といった方々がその辺をよく理解して対応していれば、それからさらに次に続くことは少ないんだろうと思いますけれども、特にこの発達障害の議論というのは、日本ではここ最近という感じでありますから、なかなか理解がされない。特に、外見等々から見ると、普通の、まさにどこに障害があるのかもよくわかりにくいということがまた問題を難しくしているのではないかという部分もあるように思います。

 いずれにしても、そういうことが問題行動を起こす、そしてその結果として、例えば学習上であれば、学業の成績が上がらない、あるいは行動上でいえば、その場の雰囲気を読めずに急にいろいろな行動に走って、周りから逆にいろいろ言われてしまう。そういうことを繰り返していくうちに、疎外感あるいは自尊心の低下等々が引き起こされて、それが、先ほど申し上げた反社会的な行動に行き着いてしまう場合もあります。あるいは場合によっては、まず不登校、引きこもり、さらに行けば、さまざまな意味での精神的な疾患にまでたどってしまうということが指摘をされているわけであります。

 私も、宇治、あるいは、この間広島の少年院の先生からもお話を聞かせていただきました。学習障害も含めたいわゆる発達障害的な傾向、これは別に障害がなくても、例えば虐待を受けていた子供さん、あるいは貧困のために十分な学習機会が与えられていない子供さん、そういう方も含むわけでありますけれども、七割ぐらいの方がそういう傾向を宇治でも広島でも持っておられる。先ほどの数字だと六%という数字でありますから、これはかなり顕著にそこにあらわれていると思います。

 それから、厚労省の指摘でありますけれども、ニートの就職・自立支援施設という四施設をあるNPOの方が調べたら、そこでは四分の一がやはりその傾向がある。ただ、そういう施設に来られているわけでありますから、そこに来られていない多くのニートの方たちを考えれば、もっとその比率は高いのではないか、そういうことが相当指摘されているわけであります。

 そういうことを考えますと、このいわゆる二次障害という問題、これは、教育も含めてもっときちんとした対応がなされていれば発生しないで済んだ。そういう意味では、いろいろな社会的な意味でのマイナスを、逆に言えば、そういうことをうまくすればプラスに転じたかもしれない、そういうふうに思うわけでありますけれども、そうしたいわゆる二次障害、こういう部分について、文部省がどういうふうに御認識をされておられるのか、お示しいただきたいと思います。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話がございましたように、二次障害は、障害を持った子供が障害による失敗、叱責、友人との人間関係上のトラブルなどから自尊心が低下をし、二次的に生じたさまざまな症状をいうというふうに認識をいたしております。

 具体的には、チックなどの神経症的な症状、不安や抑うつなどの情緒的な症状、不登校あるいは大人への反抗や非行などの問題行動といったようなことが二次障害として挙げられるかと思います。

 不適切な環境の中に長くいれば、この二次障害の方が大きくなるということもしばしば起こるというふうに言われております。したがって、二次障害の予防、改善には、やはり何といっても早期の環境調整ということが重要だと考えております。すなわち、理解のある環境で適切な教育的な支援を受けられるようにすれば予防や改善が可能だというふうに考えております。実は、この点につきましては、平成十七年の十二月八日の中央教育審議会の答申においても指摘をされているところでございます。

 文部科学省としても、この二次障害の予防、改善を含めまして、一人一人の教育的ニーズ、これをしっかり把握をいたしまして、それに対応した特別支援教育ということが重要だということで、そういう観点から取り組みをしていきたいと考えております。

加藤(勝)分科員 まさにその点は、また最後に予算も含めてお願いをしたいと思いますけれども、大変重要なポイントだと思います。

 そして今、障害を有する子供さん方への教育面、これは、単に教育だけではなくて一貫的な対応が必要ではありますけれども、各地区でさまざまな取り組みがなされ、また、平成十九年度からも一層充実が予算面からも図られているわけであります。

 そういう中で、早期発見、早期対応が基本である。その必要性が強く求められ、小さいころから、そして青年になってまでも一貫した対応、教育、医療、福祉、行政など、さまざまな関係者の連携も当然必要とされております。

 そして、特に、先ほどの御答弁の中にもありましたけれども、今回の特別支援教育への移行というのは、これまでの障害に応じた対応ということから、それぞれのニーズ、教育面でいえば教育面のニーズに応じた対応という意味へ大転換をした。今、方向性を出したから、これからそういう方向へ向かって大いに進んでいかなければいけないわけでありまして、障害のある児童生徒一人一人のまさに教育的なニーズに応じたこうした特別支援教育、あるいはそういう面での支援が強く求められているわけであります。

 そういう中で、どうしてもこういう障害を持つ子供さんというと、通常、障害のない子供さん、その差を補っていく、こういう発想が間々あると思います。もちろんそういう部分も必要でありますが、逆に、ある分野は確かに障害があってその力は決して高くないかもしれない、しかし、ほかの部分はとんでもない力を持っている子供さんというのもたくさんおられるんですね。ですから、補うだけじゃなくて、伸ばすということも含めて、そういう面での対応をぜひお考えいただきたいというふうに思います。

 ことしの頭にアメリカに少し行って、数日でありますけれども、いろいろ勉強させていただきました。アメリカという国は非常にスローガンの立て方がうまい。今、教育の基本法にNCLB法というのがありまして、ノー・チャイルド・レフト・ビハインド法、要するに、だれも置き去りにしないよ、なかなかうまいキャッチフレーズのつけ方だなと思います。そして同時に、IDEA法、障害のある個人教育法というこの二本立てでやっているわけであります。

 その教育省、そこへ行きますと、ノー・チャイルド・レフト・ビハインドという看板がばさっと立っているわけであります。アメリカではまだ特殊教育という言い方をしておりますが、その特殊教育部の職員の方が百二十名なんですね。その中には大きく二つありまして、研究から実践といういろいろな教育プログラムを開発され、それを普及されているところに五十名、残りの方がいわゆる助成金等の関係ということになりますが、どうやったらいいかと研究をし、それを実践していくというところに非常に私は手厚さを感じている。

 日本でも、研究所等でいろいろ議論もされているんだろうと思いますが、まだまだその辺が足らないんじゃないかなというふうに思っております。また、それぞれの地域でこの障害のある子供さん方と向かっている先生方のお話を聞いても、もっともっとそういうノウハウを高めてきて、そしてそれを普及していく、そういうこともしていきたいなという御希望も聞かせていただきました。

 もっとモデル的な事業をし、あるいはそういうモデル校をつくり、そういうところに集積をし、あるいは開発をし、そしてその部分をいろいろな方へ普及をしていく、そういう仕組み、取り組みを、特に、教育指導方法というんでしょうか、そういう面でもっともっと磨きをかけていく意味で重点化を図っていただきたいと思うのでありますけれども、そういう面に対するこれからの取り組み、思いをお示しいただきたいと思います。

池坊副大臣 私も、昨年の夏にアメリカに参りまして、落ちこぼれをつくらない法律というのはどのように実践されているかというのを小学校に行って見てまいりました。大変に勉強になったというふうに思っております。

 発達障害のある児童生徒に対する指導の充実を図るために、国立特殊教育総合研究所において、研究の実施、手引書や事例集の作成あるいは教員に対する研修の実施等を行っております。例えば手引書の例を挙げますと、「自閉症教育実践ガイドブック」とか「自閉症教育実践ケースブック」、あるいは「LD・ADHD・高機能自閉症の子どもの指導ガイド」などというのがございます。

 また、筑波大学附属久里浜養護学校では、自閉症に特化いたしまして、この開発学校として指定をいたしておりまして、指導内容、方法の開発等々を今研究しているところで、これは十六年度から取り組んでいるところでございます。

 私も、先週、杉並区の済美小学校というところに行ってまいりまして、お隣に養護学校がございます。発達障害者も含めて、みんながごく自然にそれを認め合いながら授業をしておりまして、教員と保護者の緊密な関係がまずは大切なのだな、それから、担任の先生の理解というものがなければならない、また、周りの保護者の理解もなければならないというようなことも感じまして、どちらにいたしましても、先ほど委員がおっしゃいましたように、教育面のニーズにこたえるということはきめ細やかな指導をするということなんだというふうに思っておりますが、義務教育は九年ということですけれども、例えば、四年をもう一度したら次にスムーズに進めるという子供もいるんですね。そういうことなどもしっかりと検証をすることが必要なのではないかというふうに思っております。

 小中学校においてはきちんとした指導内容などの研究が進んでおりますけれども、発達障害のある生徒に対する高等学校における指導というのは余り十分ではございませんので、平成十九年度は予算案に計上いたしておりまして、モデル校を指定した実践研究事業というのを今募集いたしておりまして、十校ぐらいを指定校にしようかと思っておりますが、それをはるかに超える公募がございます。この中には、国立、私立、それから進学校などもございますので、進学校においても発達障害者でさまざまな障害がございますので、こういう子供たちも含めましてこれから研究をしていきたい、そして、それを情報発信していくことが必要なのではないかというふうに思っております。

 アメリカでは平気で著名人が、私はLDだよとか、私はアスペルガー症候群だよということを発表しております、カミングアウトを平気でしているので、日本もそういうふうになったら、かえってみんなの理解が進むのではないか。やはりみんなの理解の上に成り立っていくというふうに考えておりますので、これを推進してまいりたいと思っております。

加藤(勝)分科員 ぜひお願いをしたいと思います。

 そういう中で、先ほどもちょっと触れさせていただきましたけれども、少年院、特に宇治とか広島の少年院がいろいろ取り上げております。大変先駆的な取り組みを、発達障害ということも含めたアプローチでされておりまして、地元の教育界の方とも交流があるようであります。広い意味では教育界なのでありましょうけれども、いわゆる文科省から考える教育界以外の方とももっと積極的な交流を、これまでもしていただいていると思いますが、ぜひやっていただきたい。

 それから、やはりアメリカ、ヨーロッパの方が、国情も違いますし教育制度も違いますから一概にどうのこうのとは言えない部分はありますけれども、こうした面での取り組みは相当進んでいるというふうに私は思うんですね。

 ぜひそういうところへ、日本の現場でやはり日々いろいろと葛藤して、そして取り組みをされているそういう先生方を、短期でもいいですから向こうへ行っていただいて、同じ悩み、同じ課題を持っている方と少し交流をしていただいて、こちらから提供できるノウハウがあれば提供し、向こうから提供していただけるノウハウがあればいただいて帰る、そしてまたそのことが、そうした現場で頑張っている皆さんに対する応援をしているんだよ、こういう声にもつながるんじゃないかと私は思うんですが、ぜひ、そういう取り組みを展開していただきたいと思うのでありますけれども、現行の予算の中でできるのかできないのか含めて、ちょっと御説明いただきたいと思います。

銭谷政府参考人 まず、広島少年院などにおける、発達上の観点を取り入れた矯正教育及びその成果につきましては、文部科学省としても注目をしておりまして、現地視察も行っているところでございます。早期からの発達支援が必要であったと考えられる少年もいるわけでございまして、学校における特別支援教育の一層の充実ということを感じているところでございます。

 また、少年院との教員の人事交流といったようなこととか、あるいは、少年院の教官による大学での講演とか地域の学校への巡回相談への協力といったようなことも行われているわけでございまして、さまざまな形で交流が進んで、学校がよいところを吸収していけるようになるということが望ましいと考えております。

 それからもう一点、外国における発達支援の先進的取り組み、これについて学んだり、あるいは情報交流をするということも必要でございますが、現在は、国立特殊教育総合研究所における研究や、あるいは教員側の海外研修という機会がございますので、その海外研修の際に発達支援の取り組みを視察し、外国の先生方と意見交換をするといったような形で進めておりますが、そういったことに、より配慮していきたいというふうに思っております。

加藤(勝)分科員 ぜひ、そういう意味で、発達障害のことも含めて海外交流等々を大いに進めていただきたいというふうに思います。

 しかし、今の現状を見ると、地域間格差が相当あるわけでありますし、文科省からいただいた資料を見ても、さまざまな対応、学校の中に委員会をつくるから含めて、個人指導計画ですか、これをきちんとやっているかやっていないかと見ると、相当ばらつきもあります。私もいろいろ回らせていただくと、かなりなばらつきがあります。同じ日本に生まれてきて育って、それはもちろん地域にはいろいろな事情があるわけでありますけれども、ベースのところはできるだけ合わせていただけるようにこれはぜひお願いをしたいと思いますし、今、私の小委で自民党の方からホームページで意見を求めた中にも、地域のセンターとなるべき養護学校の先生方が自閉症や発達障害について十分理解していないというようなお話があったり、まだまだ理解が進んでいない。

 ただ、今回の予算の中で、特別支援教育支援員の地方財政措置ということで、十九年度で二万人、二十年度で三万人、こういうようなことが進められて、これも大変ありがたい。しかし、学校に一人だよね。さっき申し上げた、クラスに一人ぐらいずついるというような観点からいえばまだまだ足りないですよね、できれば副担任制も導入してほしいというような意見も出されているわけであります。

 そういう中で、最初に大臣から御指摘があった点でもありますけれども、まさに、平成十九年に向けて我が国の消費税も含めた歳入歳出の全体の議論をこれからしていく中で、やはりややもすると社会保障あるいは高齢者というところに重点が置かれがちでありますけれども、少子化ということとあわせて、この教育面についてしっかりと充実をしていく。ほかの国と比べても、公的教育に回す、例えばGNPで見た割合というのがかなり低いわけであります。低い中でも相当効率よくやってきたということも他方で事実だと思いますけれども、人を育てるためには手間と暇がかかると昔から言います。やはりそれだけのものが必要だと思います。

 ぜひ、そういう意味で、しっかり教育の充実あるいは財政的な担保の充実を図っていただくよう、大臣にさらに御活躍をいただきたいと思いますが、再度その辺の決意をお願いして、終わらせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 御激励をいただいたことを真摯に受けとめて、ひとつ頑張りたいと思いますが、同時に、どちらかというと数も少なく、日の当たらない障害者の特別支援教育等について、党でも委員会をつくり、先生は事務局長をなさっているんですか、本来、華やかではないけれども、政治がいろいろ心配りをしなければいけないところに御努力をいただいていることに私からも感謝を申し上げて、予算の問題もありますが、きめ細かくやっていきたいと思います。

萩山主査 これにて加藤勝信君の質疑は終了いたしました。

 次回は、明三月一日木曜日午前九時から本分科会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後六時散会


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