衆議院

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第3号 平成23年4月27日(水曜日)

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平成二十三年四月二十七日(水曜日)

    午後一時開議

 出席委員  

   委員長 新藤 義孝君

   理事 太田 和美君 理事 小林 興起君

   理事 辻   惠君 理事 中塚 一宏君

   理事 柚木 道義君 理事 河野 太郎君

   理事 平  将明君 理事 東  順治君

      相原 史乃君    石田 三示君

      江端 貴子君    小原  舞君

      神山 洋介君    川越 孝洋君

      京野 公子君    小山 展弘君

      近藤 和也君    斉木 武志君

      城島 光力君    田中美絵子君

      高井 崇志君    高橋 英行君

      玉木 朝子君    道休誠一郎君

      中川  治君    長島 一由君

      野田 国義君    福田衣里子君

      藤田 一枝君    藤田 大助君

      藤田 憲彦君    本多 平直君

      三輪 信昭君    森岡洋一郎君

      森本 和義君    山岡 達丸君

      湯原 俊二君    吉田 統彦君

      伊吹 文明君    古賀  誠君

      中村喜四郎君    細田 博之君

      村上誠一郎君    斉藤 鉄夫君

      小泉 龍司君    鳩山 邦夫君

    …………………………………

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  荻野  徹君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房文教施設企画部長)      辰野 裕一君

   政府参考人

   (文部科学省科学技術・学術政策局次長)      渡辺  格君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局スポーツ・青少年総括官)          有松 育子君

   政府参考人

   (経済産業省大臣官房審議官)           中西 宏典君

   政府参考人

   (経済産業省大臣官房審議官)           朝日  弘君

   参考人

   (東京電力株式会社常務取締役原子力・立地本部副本部長)          小森 明生君

   参考人

   (原子力安全委員会委員長)            班目 春樹君

   参考人

   (公益財団法人原子力安全研究協会評議員会長)   松浦祥次郎君

   参考人

   (インターナショナルアクセスコーポレーション上級原子力コンサルタント)  佐藤  暁君

   参考人

   (大阪大学名誉教授)   住田 健二君

   決算行政監視委員会専門員 尾本 哲朗君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十七日

            補欠選任

             坂本 哲志君

同日

 辞任         補欠選任

  稲富 修二君     京野 公子君

  柴橋 正直君     高井 崇志君

  城島 光力君     野田 国義君

  田中美絵子君     相原 史乃君

  玉木 朝子君     石田 三示君

  中川  治君     本多 平直君

  藤田 一枝君     江端 貴子君

  石井 啓一君     斉藤 鉄夫君

同日

 辞任         補欠選任

  相原 史乃君     田中美絵子君

  石田 三示君     玉木 朝子君

  江端 貴子君     藤田 一枝君

  京野 公子君     道休誠一郎君

  高井 崇志君     川越 孝洋君

  野田 国義君     山岡 達丸君

  本多 平直君     近藤 和也君

  斉藤 鉄夫君     石井 啓一君

同日

 辞任         補欠選任

  川越 孝洋君     柴橋 正直君

  近藤 和也君     中川  治君

  道休誠一郎君     湯原 俊二君

  山岡 達丸君     城島 光力君

同日

 辞任         補欠選任

  湯原 俊二君     稲富 修二君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 歳入歳出の実況に関する件及び行政監視に関する件(福島第一原子力発電所事故問題)


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     ――――◇―――――

新藤委員長 これより会議を開きます。

 歳入歳出の実況に関する件及び行政監視に関する件、特に福島第一原子力発電所事故問題について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 両件調査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官荻野徹君、文部科学省大臣官房文教施設企画部長辰野裕一君、文部科学省科学技術・学術政策局次長渡辺格君、文部科学省スポーツ・青少年局スポーツ・青少年総括官有松育子君、経済産業省大臣官房審議官中西宏典君及び経済産業省大臣官房審議官朝日弘君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

新藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決定いたしました。

    ―――――――――――――

新藤委員長 本日は、参考人として公益財団法人原子力安全研究協会評議員会長松浦祥次郎君、インターナショナルアクセスコーポレーション上級原子力コンサルタント佐藤暁君及び大阪大学名誉教授住田健二君並びに原子力安全委員会委員長班目春樹君及び東京電力株式会社常務取締役原子力・立地本部副本部長小森明生君に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に出席いただきまして、まことにありがとうございました。参考人各位には、福島第一原子力発電所事故問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をちょうだいしたいというふうに思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、政府及び東京電力株式会社から説明を聴取し、その後、松浦参考人、佐藤参考人、住田参考人の順序で、お一人十五分程度御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 質疑は、まず、各会派を代表する委員が順次質疑を行い、その後、各委員が自由に質疑を行うことといたします。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、まず、政府及び東京電力株式会社から説明を聴取いたします。東京電力株式会社常務取締役原子力・立地本部副本部長小森明生君。

小森参考人 東京電力の小森でございます。最初の発話になりますので、おわびを申し上げたいと思います。

 まずは、このたびの大震災により被災された方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、東京電力福島第一原子力発電所における放射性物質を外部に放出させるという大変重大な事故により、発電所の周辺の皆様、福島県民の皆様、また広く社会の皆様に大変な御迷惑と御心配をおかけしていることを、改めて心より深くおわび申し上げます。

 現在、東京電力福島第一原子力発電所におきましては、一号機から四号機の各プラントを冷温停止状態に落ちつかせるべく、あるいは放射性物質の外部への放出を一刻も早く抑制すべく、全力で取り組んでいるところでございます。

 本日は、地震発生以降の原子力発電設備の状況及び対応につきまして、十五分程度で御説明させていただきます。

 まず、お手元の資料一ページ目になります。

 既に御存じのとおりかとは思いますが、東京電力では、福島に第一原子力発電所、第二原子力発電所がございます。十基ございまして、地震発生時には、黄色で示しております七基のプラントが定格出力で運転しておりました。

 次のページ、二ページ目になります。

 三月十一日でございますが、三陸沖を震源とするマグニチュード九・〇の東北地方太平洋沖地震が発生し、広い範囲で強い揺れが観測されました。第一、第二原子力発電所の立地町におきましては、震度六強の地震でございました。発電所内では、原子炉建屋の最地下階におけます加速度の最大値として、第一の場合は、二号機で加速度で水平五百五十ガル、上下動として三百二ガルの強い揺れが観測されております。

 津波が発電所に到達いたしましたのは、十四時四十六分の地震発生からおよそ三十分後以降と思われますが、第一原子力発電所の非常用ディーゼル発電機が津波によって機能を喪失したのが十五時四十一分でございました。

 三ページ目になります。

 津波につきましては、まだ精査が必要でございますが、東京電力で調査した現況としましては、ここに書いておりますとおり、今回の津波は、第一発電所では主要建屋エリア全域を浸すような状況でございまして、海水面の基準水面に対して十四から十五メートルの高さがあっただろうと思っております。主要な建物、地面に対しては約四、五メートルの高さになります。

 一方、福島第二原子力発電所の場合では、基準水面に対して六・五から七メートルの津波と思われます。一、二号機の建屋周辺と三号機の建屋南側に浸水しております。第一の方が、第二のものに比べて大きかったということでございます。

 四ページに書いておりますように、打ち上げられたもの等の観測の結果によりますと、左側が第一でございます、右側が第二でございます。青い部分、主要な建物で、数字で1、2、3と書いてございますのが原子炉のユニットの番号でございまして、第一の場合は、ほとんど主要な建物が浸水されるという状況でございまして、第二の場合は、右のように、海岸エリアにつきましては浸水しましたが、主要な建物については、黄色のように遡上した水がございましたが、全域に至ったわけではございませんでした。

 次の五ページになります。第一発電所の現況でございます。

 運転中の三基、定期検査中の三基、現状は、ここに書いてございますように、運転中のものについては、大きな地震により原子炉を自動停止した、とめるというところまでは行きましたが、その後、後ほど御説明いたしますような状況でございまして、現状は、淡水注水で原子炉を何とか冷やしているという状況でございます。

 五、六号機につきましては、後ほど少し述べますが、冷温停止まで至っております。

 あと、使用済み燃料プールにつきましても、一から四号機につきましては、外部からの注水ということで除熱しているというような状況でございます。

 六ページになります。第二の現況でございます。

 福島第二は、外部電源が失われず、また三号機のように除熱機能が残ったプラントがございまして、その後の復旧作業を経て、何とか全号機を冷温停止まで持っていくことができました。

 七ページ目になります。

 以降、特に事故を起こしました東京電力の福島第一原子力発電所についての状況を御説明いたします。

 まず、安全機能という観点では、とめる、冷やす、閉じ込めるということでございますが、地震発生と同時に、運転中のプラントにつきましては、全制御棒が自動的に挿入され、原子炉をとめるという機能は正常に作動いたしました。地震により送電線が損傷し、非常用発電機が起動しましたが、津波によりましてその機能が失われ、全交流電源喪失というのが長時間続くことになりました。この事象は、原子力災害対策特別措置法の十条の事象に該当いたします。

 原子炉の冷却は、交流電源不要の注水手段によりしばらくは行われましたが、その機能が失われた後は、消防車等により海水あるいは淡水というものを注入してきております。

 また、一、三、四号機につきましては、原子炉建屋上部が損傷するということで、恐らく水素爆発というふうに思われますが、閉じ込めるという機能が残念ながら失われたという状況でございます。

 八ページ目に参ります。

 これは、東京電力の福島第一発電所の一、二、三、四、五・六号と共用プールということで、燃料の入っている場所につきまして、おおよそ三月中までの冷却の状況でございます。

 淡水による冷却をしまして、海水を入れまして、その後しばらくしまして、海水から淡水に切りかえる。それも、通常の設備を使うというよりは、補助的な手段を使って冷やしているという状況になります。緑色のところが原子炉の炉心関係の冷却、ピンクのところがプール関係の燃料の冷却ということになります。

 次の九ページ目は、模式図でございますが、通常の除熱をする系統ではなくて、それ以外の、原子炉につきましては、過酷の事故なんかの場合に淡水を注入するというラインを使って注水をしております。現状は淡水でございます。

 それから、使用済み燃料プールにつきましては、二号機のように、ラインを何とか使っているプラントもございますが、本設の配管を一部使っているプラントもございますが、一、三、四号機につきましては、コンクリートポンプ車のようなもので上から注水しているというような状況でございます。

 崩壊熱に伴います熱量を、水を適宜注入するということで、連続的に入れ続けているということではございません。

 十ページ、十一ページは、放射性物質が放出されました、また、建物の下の方に、号機によっては違いますが、汚染水がございます、そういう意味合いでモニタリングをしておりまして、空間線量が十ページ、それから、大気、土壌、海水の分析等につきましては十一ページということでございます。

 十ページに戻りまして、電源がなくなるということは非常に状況が厳しゅうございまして、モニタリングポストの電気もなくなりまして、モニタリングカーということで、一時的に発電所の中を走り回りながら観測していたというデータが現状でございます。現在ではモニタリングポストが復旧しておりますので、発電所の周囲のポイントにつきまして観測をし、その測定値につきましてはホームページ等で公開もしておりますが、徐々に下がる傾向があるとはいえ、かなり高いレベルというところでございます。

 十一ページ目の方は、土壌あるいは大気のモニタリング、核種等のモニタリング。現在、大気、土壌、海水を合わせて二十五地点で採取を行っておりますが、さらに海水等につきましては拡充する方向で考えております。このデータにつきましても、すべて公開しております。

 非常に駆け足で申しわけございませんが、今後の方向性としましては、十二ページを使って簡単に御説明したいと思います。

 十二ページの左側の方に「現状」ということが書いてございます。まずは、原子炉を冷やす、あるいは燃料プールを冷やすというところで淡水注入というのが現状でございますが、その後、いかに除熱をしていくかということを考えていかなければなりません。

 また、大きなカテゴリーの「抑制」というところにつきましては、今の汚染水等がございますので、そういったものを処理して、系外に出さないように安定化していくということ、あるいは土壌につきましては、飛散防止剤等をまくなど、飛散防止用の塗料を表面にやるとか、あるいは各原子炉の上にカバーをかけるとか、そういったことで順次放射性物質の拡散を管理していこうということを考えなければなりません。

 また、全体の冷却あるいは抑制につきましてさらにモニタリングを全般的にしていく、放射性物質の拡散あるいは上の効果の確認ということでモニタリングをしていくということで、ステップを二つ、道筋としては二つのステージを今考えてございます。大きくは、ステップ1として、何とか確実にこれ以上放射性物質が出ていかない、あるいは燃料が少し安定して冷やせる状況に持っていくという意味合いで、その準備段階としてステップ1としておおよそ三カ月程度、それからステップ2としては、さらに確実に管理できる状況にするということで、その後三から六カ月程度ということを一つの目安として確実な仕事をしていこうということで、今、計画を四月の十七日に公表させていただいたところでございます。

 いずれにしましても、とにかく最善を尽くして、また、一電力会社を超えてあらゆる力を結集させていただきまして、今の道筋を確実なものにしていくということで日々努力していっている状況でございます。

 簡単でございますが、当方からの説明は以上でございます。

新藤委員長 ありがとうございました。連日御苦労さまでございます。

 続きまして、経済産業省大臣官房審議官中西宏典君。

中西政府参考人 経済産業省原子力安全・保安院の中西でございます。

 御報告のまず冒頭に、このたびの震災で亡くなられました方々の御冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に対しお見舞いを申し上げます。

 これにあわせまして、福島原子力発電所の事故により、周辺住民、福島県民の皆様、農業、漁業関係者初め国民の皆様に御心配をおかけしていることにつきまして、心よりおわび申し上げます。

 時間もちょっと限られてございますので、福島第一原子力発電所一号機から四号機の原子炉及び使用済み燃料プールの状況につきまして、簡単に御説明を申し上げます。

 平成二十三年三月十一日十四時四十六分でございます、三陸沖を震源といたしますマグニチュード九・〇の地震が発生いたしました。この地震によりまして、東京電力福島第一原子力発電所が立地いたします大熊町及び双葉町では、震度六強が観測されてございます。

 福島第一原子力発電所には、一号機から六号機まで六基の原子炉がございます。このうち一号機から三号機につきましては地震中に運転中でございましたけれども、全基とも自動停止したとの連絡を受けてございます。四号機から六号機につきましては定期検査中でございました。原子力発電所は外部電源が確保できない状況であったことから、各号機の非常用ディーゼル発電機の方が起動したとの連絡を受けてございます。

 その後、十五時四十二分に、東京電力福島第一原子力発電所の運転中の一号機から三号機並びに定期検査により停止中でありました四号機、五号機におきましてすべての交流電源の電気供給が停止したということから、原子力災害対策特別措置法、つまり原災法の第十条一項に基づきまして、全交流電源喪失であると判断したとの連絡が東京電力よりなされました。

 その後、十六時四十五分でございます、東京電力から、一号機及び二号機に関しまして非常用の炉心冷却装置による注水が不能になったというふうなことで、原災法の第十五条の事象に該当するという報告を受けてございます。

 経済産業大臣は、原災法の第十五条の原子力緊急事態が発生したということを認めまして、直ちに内閣総理大臣に対しまして報告を行いました。

 内閣総理大臣は、同日十九時三分に原子力緊急事態宣言を発したところでございまして、内閣総理大臣を本部長といたします福島第一原子力発電所事故に係る原子力災害対策本部及び同現地対策本部を設置するに至ってございます。

 さらに後、三月十五日になりますけれども、一次情報の共有をし、より効果的で効率的な意思決定が可能となるよう、政府と東京電力によります福島原子力発電所事故対策統合本部というものを設置いたしまして、事故対策に取り組んでいるところでございます。

 続きまして、福島原子力発電所の一号機から三号機の原子炉と使用済み燃料プール、さらには四号機の使用済み燃料プールにつきまして、地震発生後の経緯と対応につきまして御説明を申し上げます。

 まず、第一号機の話でございますけれども、地震発生から約二時間の間にすべての交流電源を失うということとともに、すべての注水機能を失いました。東京電力では、その後、消防車を用いた原子炉圧力容器への淡水注入を行っていたというふうに聞いてございます。

 他方、十二日の未明に、東京電力から、格納容器の圧力が異常に上昇し、当該格納容器の設計上の最高使用圧力を超えている可能性があるという報告を受けました。ということで、十二日午前三時ごろより、その旨につきまして、経済産業大臣及び東京電力により記者会見をいたしてございます。

 同日の朝六時五十分でございます、経済産業大臣より、原子炉等規制法第六十四条三項の規定に基づき、一号機及び二号機に設置されております原子炉格納容器内の圧力を抑制するという命令を発してございます。この命令を受けまして、東京電力は、同日十時十七分にベント操作を実施しているというふうに聞いてございます。

 同日十五時三十分過ぎには、水素爆発と思われる爆発が発生しております。このような状況も踏まえまして、同日の二十時五分には、経済産業大臣より東京電力に対しまして、原子炉等規制法第六十四条三項の規定に基づきまして、海水注入を命令いたしました。本命令を受け、東京電力は、消火系ラインを用いまして原子炉圧力容器への海水の注入を開始いたしました。

 海水注入につきましては、三月二十五日からは淡水に切りかえ、三月二十九日からは仮設の電動ポンプに、さらには、四月三日には電動ポンプの電源を仮設の電源から本設の電源に切りかえて、順次安定的な注水態勢に移行しているという状況にございます。

 続きまして、四月六日には、一号機につきまして、原子炉格納容器内に水素ガスが蓄積している可能性があるということから、四月六日の十二時四十分に、経済産業大臣より東京電力に対しまして、原子炉等規制法六十七条一項に基づきまして、窒素封入についての必要性、実施方法、安全性に係ります環境影響等について報告するよう指示をいたしました。原子力安全・保安院は、当該報告内容を確認した上で、同法六十四条の第一項に基づきます危険時の措置として実施することについて妥当だというふうな判断をいたしました。その結果、窒素注入の実施に当たって、プラントパラメーターの適切な管理等による安全確保など三点を指示いたしました。その後、東京電力から、その夜でございますけれども、窒素封入作業を開始したという連絡をいただいてございます。

 使用済み燃料プールへの注水につきましては、東京電力は三月三十一日にコンクリートポンプ車による放水を開始してございます。

 以上の措置を通じまして、現在、原子炉や原子炉水位などは比較的安定に推移しているというのが一号機の状況でございます。

 引き続きまして、二号機の状況でございます。

 二号機につきましても、地震発生から二時間の間にすべての交流電源を失うとともに、すべての注水機能を失いました。東京電力からは、原子炉停止時に機能いたします原子炉隔離時冷却系につきまして、三月十二日の午前三時過ぎに作動をしているというようなことを確認したという連絡を受けました。しかしながら、その後の三月十四日の午後でございます、東京電力から、原災法の第十五条事象でございます原子炉冷却機能喪失に該当するという旨の連絡を受けてございます。

 東京電力は、その後、ベント操作を行い、原子炉格納容器の圧力を下げるという作業を行いますとともに、原子炉圧力容器への海水の注水を開始してございます。

 しかしながら、格納容器圧力が上昇いたしまして、三月十五日午前六時ごろでございます、大きな爆発音がしたという現地からの報告がございました。同日十時三十分でございます、経済産業大臣より東京電力に対しまして、原子炉等規制法六十四条三項の規定に基づきまして、二号機の原子炉への早期注水及び必要に応じ格納容器上部からのベントを実施することにつきまして命令をいたしてございます。

 海水注水作業につきましては、三月二十六日から仮設タンクを用いました硼酸を溶解した淡水に、さらに、四月三日には電動ポンプの電源を仮設から本設の電源に切りかえを行うということで、順次安定的な注水態勢に移行してございます。

 二号機の使用済み燃料プールにつきましては、三月二十日から海水の注水が行われてございます。

 以上の措置によりまして、現在、原子炉圧力や原子炉水位というものは比較的安定的に推移しているというのが現状でございます。

 続きまして、三号炉の状況でございます。

 すべての交流電源を喪失した後に、蒸気圧を利用いたしました注水機能の停止などによりまして、三月十三日午前五時ごろでございます、原災法十五条事項でございます原子炉冷却機能の喪失に該当するという連絡を東京電力より受けてございます。

 東京電力によりますと、その後、原子炉格納容器の圧力を下げるためベント操作を実施し、原子炉格納容器内の圧力が低下傾向にあるということを確認するとともに、三月十三日午前中に、消火系ラインを用いまして真水の注入が開始されまして、午後には炉心への注水を真水から海水に切りかえるというようなことをやってございます。

 その後でございます、三月十四日十一時ころに、三号機におきまして水素爆発と思われます爆発が発生しました。

 炉心への注水につきましては、三月二十五日に淡水に、二十八日には仮設の電動ポンプに、さらには四月三日には電動ポンプの電源を本設電源に切りかえるということを通じまして、順次安定的な注水態勢に移行しているというのが現状でございます。

 三号機の使用済み燃料プールにつきましては、全交流電源喪失によりましてプールの冷却水の蒸発というものが懸念されたため、十七日の午前十時前から自衛隊ヘリによる上空からの散水、同日夜から二十五日にかけましては、機動隊、自衛隊、米軍の高圧放水車や東京消防庁の消防車からの海水あるいは淡水の放水が行われました。二十七日からはコンクリートポンプ車による海水放水が行われていますけれども、二十九日以降は淡水に切りかえて放水をやってございます。

 以上の措置によりまして、三号機につきましては、原子炉圧力や原子炉水位というものは比較的安定的に推移していると認識してございます。

 最後になりますけれども、四号機の使用済み燃料プールにつきましてでございます。

 四号機は、地震当時は定期検査中でございました。核燃料はすべて炉心から使用済み燃料プールに移されてございました。

 三月十五日の午前六時ごろでございます、大きな衝撃音がしたという現地の情報がございました。三月十五日午前八時に東京電力から、四号機原子炉建屋の五階屋根付近に損傷を確認という連絡を受けてございます。その二時間後には、原子炉建屋三階北西部付近より火災が発生してございます。

 その後、同日でございます、十時半に、経済産業大臣は、原子炉等規制法六十四条三項に基づきまして、東京電力に対しまして、四号機の消火及び再臨界の防止等を命令してございます。

 東京電力によりますと、四号機の火災につきましては、十五日の十一時ごろ、現場にて、自然に火が消えているというようなことを確認してございます。

 こうした状況も踏まえまして、十五日の二十二時でございます、経済産業大臣は、原子炉等規制法六十四条三項に基づきまして、東京電力に対しまして、四号機の使用済み燃料プールへの注水の実施命令をいたしました。

 四号機及び他の号機の状況も踏まえながら、四号機の使用済み燃料プールにつきましては、三月の二十日及び二十一日に淡水の放水が行われまして、二十二日からはコンクリートポンプ車による海水放水、三十日からは海水を淡水に切りかえて放水を行ってございます。

 以上、御説明申し上げましたように、福島第一原子力発電所一号機から三号機の原子炉及び使用済み燃料プールにつきましては、注水による冷却が継続しておりまして、パラメーターなども落ちついた状況にございます。

 これに加えまして、タービン建屋の方に高レベルの放射性の汚染水が滞留しているということが発覚いたしまして、この水に主要な電気装置が水没しているために、復旧作業を進める上で大きな阻害要因というのが起きてございました。

 四月四日、高レベルの汚染水を貯蔵する場所を確保するために、緊急やむを得ない措置といたしまして、低レベル汚染水を海水へ放出いたしました。現在、高レベル汚染水を集中廃棄物処理施設等へ移送する作業を実施しているところでございます。

 引き続き、汚染水の海水への流出や大気中への放射性物質の飛散を防ぐため最大限の努力をいたしているとともに、一日も早く炉心や使用済み燃料プールを冷却し、安定した状態を実現すべく、万全の対策を講じてまいりたいと思ってございます。

 この状況をさらに安定的な方へ一歩前へ進めるために、四月十七日に東京電力が公表いたしました事故の収束に向けた道筋といったものが確実かつ早期に実施されるということが必要でございます。政府といたしましても、定期的にこの道筋をフォローアップし、原子力安全・保安院を中心といたしまして、必要な安全対策等々の確認を行うとともに、その成果についてはしっかりと公表してまいりたいと思ってございます。

 これまでに周辺住民の皆様に避難をお願いせざるを得なくなり、また、海洋への低濃度放射性排水の放出といったことで皆様にもたびたび御心配をおかけしているということにつきまして、改めて、この場をおかりいたしまして、おわびを申し上げたいと思っております。

 引き続きまして事態の収束に向けて最大限の努力をやっていきたいと思ってございますので、引き続き皆様の御理解をちょうだいしたいと思っております。

 長くなりました。

新藤委員長 御苦労さまです。ありがとうございました。

 続きまして、原子力安全委員会委員長班目春樹君、お願いをいたします。

班目参考人 原子力安全委員会委員長を仰せつかっております班目でございます。

 原子力安全委員会の最大の責務は、原子力安全の確保のための規制の政策の企画、審議、決定ということになってございます。ほかの言葉で言いますと、要するに安全確保のための基本的な方針を示すことであり、具体的には安全審査のための指針類というのを作成してございます。

 原子力安全というのは分厚く守られなければいけません。想定を超える地震が来ようと、想定を超える津波に襲われようと、電源は確保されなければならない、そして原子炉は安全でなければならないはずでございます。しかしながら、実際には、全交流電源喪失という事態が発生し、かつ、事業者自身が定めたところのアクシデントマネジメント対策というのもおくれにおくれて、その結果、これだけの大きな事故に拡大してしまった。このあたりにつきましては、安全委員会が示してきた指針類にやはり足りないものがあったということは明らかでございます。その意味におきまして、原子力安全委員会を代表して、実際に被害を受けた方々はもちろん、全国民に対し、おわび申し上げたいと思います。

 また、安全審査の指針類につきましては、これから抜本的な見直しを行っていくこともお約束したいと思います。

 それでは、原子力安全委員会がこれまでとってきたことについて御説明申し上げます。

 全交流電源喪失の通報を受けて、直ちに委員会を開き、緊急助言組織というのを立ち上げてございます。そして、緊急事態応急対策調査委員という方が四十名いらっしゃるのですが、その方たちに直ちに携帯メールで発信しました。しかしながら、これは全く機能しませんでした。そこで、電話をあちらこちらにかけて、ようやくつかまった方も交通機関が全く麻痺して集まれないということがわかりました。その中で、数人の調査委員の方は徒歩で安全委員会の方へ来ていただいたわけでございます。

 原子力災害対策本部が立ち上がって以来、そちらの方から専門的助言依頼というのが安全委員会の方に殺到してございます。結局、安全委員はもちろんですが、調査委員十六名とそれ以外の専門の方、外部専門家の方十六名とでこれに対する対応に当たらせていただきました。実際には二十四時間体制で当たらなきゃいけないこと、それから、このような方はほかにちゃんとした職業をお持ちですので、それとの兼ね合いで大変な負担をかけてしまったということで心苦しく思っているところでございます。

 一方で、調査委員をお願いしておきながら、結局、お声をかけるのが随分遅くなってしまった先生方もいらっしゃいます。このあたりにつきましては、それでよかったかどうか、これから反省すべき材料ではないかと思っております。

 それから、現地対策本部が立ち上がったということで、早速安全委員を初め数名を派遣しようと思いました。しかしながら、本部の方に問い合わせたところ、現地に行くにはヘリコプター以外の方法はないこと、それからヘリコプターには安全委員会の方は一名だけにしてくれというふうに言われましたので、とりあえず事務局員一名だけを現地に送ってございます。

 しかしながら、現地の方は、最初はオフサイトセンターに立ち上がったんですが、避難区域の設定等によりまして、やがて福島県庁の方に移ってございます。その結果、現地対策本部との通信手段というのは非常に限られたものとなってございます。一方で、統合本部というのが東京電力の本店内に設けられまして、むしろ第一福島発電所のいろいろな情報はそちらからの方が入手しやすくなってございます。こんなことがありまして、現地対策本部へ安全委員や調査委員等、専門家を送るのは大変遅くなってしまいました。このあたりにつきましては本当に失敗だったと思って反省しております。

 安全委員会の方では、日ごろから防災訓練を重ねております。しかしながら、今回の事態においては、その多くが実は役に立たなかったという実態がございます。

 私どもとしては、限られたリソースというのを最善の使い方をするという方針に立ちまして最大限の努力をしたつもりでございますけれども、このあたりの評価につきましては第三者にお任せしたいと思っております。

 それから、原子力安全委員会の方で行った助言内容について若干紹介させていただきます。

 私自身は、三月十一日から十二日にかけて、いわゆる格納容器ベントをしてくださいという助言をしていたわけですが、このあたりにつきましてはほかの委員会等でも何回も答弁していますので省略させていただきます。

 実は、私自身、十二日から十四日、十五日ぐらいかな、ずっと官邸の方にこもっておりまして、事故としては一号機、三号機、二号機、そして四号機というふうに拡大していってしまったわけですけれども、その間もずっと政府に対して助言活動は続けております。事故の拡大を防げなかったのは、全く私の非力なんだということに尽きると思いますが、少なくても助言内容というのはその時点その時点では正しかったと私自身は思っております。

 それから、安全委員会としましては、例えば避難区域の設定ですとか変更等々におきましては、安全委員会があらかじめ定めていた指標というのが参考とされ、また我々の助言も参考とされて、原子力災害対策本部の方で総合的な観点から決められたものだと考えております。

 それから、あと、助言内容としては、例えば除染の基準だとか、それから食物摂取の制限基準だとか、あるいは学校再開のこととか非常に多岐にわたってございます。

 実は、安全委員会の顔が見えないという御批判をいただくようになりました。私としては、黒子に徹して行動したことがそれほど間違っているとは思っていないんですが、このあたりも第三者に評価していただきたいと思っております。

 なお、安全委員会では、三月の下旬あたりから、文科省の方で行っているモニタリングの評価ということで、毎日記者会見を開き、ただその評価結果を説明するだけではなくて、あらゆる専門的なことについて記者団に丁寧に説明し、御理解いただいている、そういう形で情報発信にも努めているところでございます。

 最後に、二点ほどお願いでございますが、私ども原子力安全委員会というところは、安全委員は五人でございますけれども、それ以外に、先ほどの調査委員ですとか、あるいは原子炉安全専門審査会等々の専門家の方たちを、合わせて三百名ぐらい抱えておりまして、常日ごろお世話になっております。そういう組織が背後にあるからこそ、今回のような予想もしなかったような事態に対しても、専門的知識というので助言を与えることができたというふうに考えてございます。このような機能はこれからもぜひきちんと残していただきたいと思っております。

 それからもう一つは、こういうところに加わっていただく原子力安全の専門家自体がやや減りぎみであるというよりは、かなり減ってきて危機的な状況にあるということもちょっと御理解いただきたいと思っております。以前、原子力ルネサンスと言われ続けながら、実は原子力安全研究自体がちょっとやせ細っている状態にあるということでございます。

 これから多分、組織の再編の話等々が出ると思いまして、そのときには原子力安全委員会自体が俎上にのせられることになると思いますので、それについては私の方から一切コメントする気はございませんけれども、ぜひ、安全委員会の果たしてきた機能、それからそれを支える安全研究の重要性だけは認識していただきたいと思っている次第でございます。

 それから、最後になりますけれども、この事故を収束させるには、一義的な責任を持っている東京電力が全力で立ち向かわなきゃいけない、これは当たり前のことだと思います。それから、それを直接的に監督している保安院においても全力で当たっていただきたい、これも当たり前のことでございます。

 原子力安全委員会としましては、まさに専門家としまして、例えばいろいろなデータがなくて、なかなか物が言いにくいようなところとか、あるいは責任の所在がはっきりしないようなところにおいても、勇気を持って発言していきたいというふうに思っている次第でございます。

 本日は、このような発言の機会を与えてくださったことに対して、大変感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

新藤委員長 ありがとうございました。御苦労さまです。

 これにて政府及び東京電力株式会社からの説明は終わりました。

 次に、松浦参考人より意見を聴取いたします。よろしくお願いいたします。

松浦参考人 公益財団法人原子力安全研究協会の松浦祥次郎でございます。

 私は、原子力の利用というのが社会に非常に大きな利益を与えるものと考え、過去五十年、自分の人生のすべてをそれに費やしてまいりました。しかし、今回のこのような重大な事故、特に周辺の人々のコミュニティー、生活をほとんど崩壊させるような事故が起こったことに関しまして、非常にざんきにたえず、まことに申しわけないことと思わざるを得ません。

 しかし、一方で、今でもやはり原子力の利用というのは社会に非常に大きな役割を果たし得る可能性があり、またそれも必要であるという考えには変わりはないわけでありますが、事故の状況、日々もたらされるニュース等に向かいますと、自分の考え方と事故の状態との間の葛藤に日々悩まざるを得ない、それが正直な気持ちでございます。

 本日は、このような席上で私の意見を聞いていただけるという機会を与えていただきまして、深く感謝しております。

 本日、ここで申し上げたいことは、お手元にお配りさせていただきました資料にございますように、五項目でございます。

 まず初めに、福島第一原子力発電所事故に対する基本的な認識でございます。そして、第二番目に、原子力災害対策マニュアルの活用について、三番目に、原子炉一、二、三、四号炉の今後の対応において重要な事項、四番目に、周辺地域の放射能汚染状況の実測把握、そして最後に、事故の原因究明と対策でございます。

 時間も余りございませんので、極めて簡潔なものでございますけれども、述べさせていただきたいと思います。

 一番目の、福島第一原子力発電所事故に関する基本的な認識でございますが、これは、大自然が我々に与えた挑戦であるというふうに認識しております。そして、この挑戦への応答に耐え切れなければ、あるいは耐え切らなければ、我々は原子力エネルギーを利用する資格を失うものではないかというふうに考えます。敗退は将来にわたる我が国のエネルギー供給保障に大きな障害を与えるというばかりでなくて、国際的にもエネルギー供給保障に重大な影響を及ぼすおそれがあると思います。

 これにつきましては、現在いろいろ議論がございます。新しいあるいは自然エネルギーを使うとか、その他のいろいろ可能な原子力以外のエネルギーを使うとかという議論もございますが、一方で、ただいま原子力の果たしている役割を見ますと、やはり続けるべきであるという議論も片一方にございます。

 しかし、とにもかくにも、明らかなことは、このままあきらめますと、将来に対してエネルギー供給上非常に大きな障害が生ずるということではないかと思います。

 一方、今回の事故を見ますと、膨大な量の高温放射性物質の塊というのは、極めて対応の難しいものでございます。これは、既に過去に起こりました大事故、旧ソ連のチェルノブイリ原子炉事故であるとか、あるいは米国のスリーマイル島二号炉の事故においても示されたとおりでございますが、今回の事故は、その二つの事故で扱われた放射性物質の量よりもまだ多いものでございます。したがいまして、今後のその抑制に関しましては非常に長時間、長期間かかりましょうし、技術的にも非常に困難なことが多くあると思います。しかしながら、我々の持っております最高レベルの知識や経験を糾合して着実に対処していけば、必ず抑制に成功すると私は考えております。

 もちろん、これに関しましては、国際的にもいろいろ関心が深く持たれておりますので、必要な国際的協力を求めるのにやぶさかであってはならないのではないかと思います。むしろ、日本がイニシアチブをとって、国際的な対応のもとに最終的な段階まで対応を進めるというのが適切な道筋ではないかというふうに思っております。

 二番目の、原子力災害対策マニュアルの活用でございます。

 これにつきましては、今既に班目委員長からも多少御説明がありました。我が国では、平成十一年に発生しましたジェー・シー・オー事故を教訓といたしまして、原子力災害対策特別措置法が制定されまして、これに基づきまして、原子力災害発生時に対応する原子力災害対策マニュアルがつくられております。災害発生時の対応を効果的に実施しようとしますと、マニュアルに沿って実際的な訓練を繰り返して習熟しておくことが必要でありまして、こういう訓練が毎年進められてきたということは実態としてございます。

 しかしながら、事故というのはそのときそのときで非常に態様の変わるものでございますので、その態様に応じて適切に柔軟に対応がされるべきというのは当然でありますけれども、もし、最初事故が起こりましたときに、その対応がよくわからない、今までに経験のないものであったというような場合には、最初はまずマニュアルのとおりに動くというのが適切なのではないかと思います。

 これは、こういう事故に当たります人々の数というのは非常に多いものでございますので、対応に関する共通の認識というのを皆が持っているということが、その後の作業を非常に円滑にすることでありますので、そういう点で、まず最初はマニュアルに従う、それから適宜変えていく、そういうことが必要だと思います。

 これは、かなりそういうふうな努力をされたようでございますけれども、少なくとも外から見ておりますと、今回はそのマニュアルがどのように活用されたかというのがよく見えないように思いました。このことは、今後の非常に重要な参考、学習のためになると思いますので、今回の対応の経緯は、事故収束後に詳細に検証されて、学習されるべきだと思います。この点については、既に班目委員長からも言及があったというふうに承知いたします。

 三番目に、原子炉一、二、三、四号機の今後の対応で重要だと考えているところでございますが、現在は、現場の非常に必死の努力によりまして、何とか小康状態に至っているというようなことでございますけれども、どの原子炉の状況も、いまだ安定状態には至っていないというふうに認識しております。先ほどの東電からの御説明にも、その点はうかがわれるところでございます。

 何より重要なことは、申すまでもなく、崩壊炉心から発生する熱、それから、使用済み燃料プールに貯蔵されている使用済み燃料の発する熱、これを冷却することであります。この熱は、当然のことながら放射性物質から出てくるものでありますが、放射性物質の放射能の減衰というのは、もはや今後は余り急激に行われるということは考えられません。これは、自然現象として当然のことであります。したがって、今後の冷却というのが非常に重要であります。

 現在の冷却は、これはやむを得ませんけれども、余り効率的ではありません。そのために、安定な状態に移すためには、とにもかくにも、効率的な冷却、すなわち、熱交換器をつけ、そして、海水で除熱ができる、そういうシステムを確立する必要があります。このことは、当然現場でもよく認識されておりまして、既にそのための準備が進められているわけでございますけれども、現場が非常に放射線環境として過酷な状態にある、放射線レベルが高い状態にある、そういうことでございますので、少なくとも、環境をなるべく作業がしやすい状況に改善していくというのを並行して進めるのが非常に重要な問題ではないかと思います。

 それから、これはやや細かいことでありますけれども、放射能で汚染した場所での作業と申しますのは、全身をタイベックスーツというか、防護服で包んで、全面にマスクをかけ、眼鏡をかけ、帽子も着用して、そういう姿形で作業するわけでありますが、これは、経験者はよくわかるのでありますけれども、非常に暑くなります。今後、特に気温が上昇してくるような環境のもとですと、熱中症を起こすような作業員が次々と出るのではないかと恐れますので、そのための配慮が十分必要ではないかと思います。配慮というのは、単に気をつけろということではなくて、産業医のような専門的な知見を持った人が作業環境の管理に当たるということであります。

 私のところの原子力安全研究協会から、現地へ救急医療のドクターを派遣しておりますが、そのドクターからの報告では、既にこれまでも何人か熱中症にかかっている、そういう患者を治療したという報告を受けております。これは、余り完全に防護服を着た形で作業をしたことのない作業員が作業しますと、知らない間に熱中症になるということでありますので、放射線の被曝の上に労災が重なるというようなことがないように気をつけていただきたいと思うわけであります。

 次に、周辺地域の放射能汚染状況の実測による把握でございます。

 現在避難しておられる住民とか、あるいは今後避難せざるを得ないという住民の方々が、今後どのような条件になったときに家へ帰れるのか、復帰できるのか、コミュニティーをつくり直せるのかということは、非常に重要な問題であります。これは言うまでもないことだと思います。

 しかし、このための基礎データをつくるというのは、まさに実地で実測でデータを集めて、そのデータを詳細に分析して、いわば汚染マップというようなものをつくりまして、それに基づいて今後の方針、対応を進めていかざるを得ないと思います。このような測定の作業は、航空機で上空を飛びながら測定をするというよりは、はるかに人手やあるいは測定器がたくさん要るものでありますので、そういう点で、非常に、いわばマスを要するような仕事であります。かつまた、ポイント、ポイント、選ばれたポイントによっては、非常に正確な測定をして誤りのないようにする工夫も必要です。

 そのためには、こういう測定をやるプロジェクトを、専門家の参画のもとに、行政機関、政府機関が統合的、統一的に推進されることが必要だと思います。もちろん、この作業を円滑にする、効率的にするためには、米軍の航空機測定による結果とかあるいはSPEEDIによる計算結果とかを十分に活用すべきだと思います。また、可能ならば住民の方々にもこの作業に協働参画してもらうということが望ましいのではないかと思うところであります。

 最後の点は、事故の原因究明と対策でございます。

 今回の事故の直接的な原因は、既にもう御説明のあったように、津波によって全電源遮断した、そういうことであります。この経過がどのようなものであったかというのは、今後、中央制御室等の記録をすべて回収して、非常に詳細な分析をして検査すべきであると思います。

 その中でも、特に今後、安全規制の点では、安全審査指針の再検討、これは既に班目委員長からもお言葉がありましたが、長時間電源喪失時における冷却継続対策をどうするか。いわば、全電源喪失がないようにという対策をできるのか、あるいは全電源喪失をしても冷却ができるようにするべきか、この点は十分に検討されるべきだと思います。そしてまた、過酷事故時にも放射性物質の大量放出を回避できるような、そういう原子炉の仕組みはどういうものか、こういう点も考えるべきではないかと思います。

 今後、このような対策をするのは猛烈な時間と人手がかかると思いますけれども、このことの重要性から考えますと、国家においてこの点を十分認識していただいて、こういう作業ができるように取り計らっていただければと思います。また、その点におきましても、先ほど申しましたように、国際協力のもとでこれを進めるというのが世界から求められていると思います。

 世界の安全を担当する人たちの中の合い言葉は、オール・イン・ワン・ボートという言葉がございます。世界は一つの船に乗っているという意味であります。こういう認識を我々も常に持っているわけでございますけれども、ぜひこのような気持ちで事業を進めていただければと思います。

 どうもありがとうございました。

新藤委員長 大変具体的な御提案までいただきましてありがとうございました。

 続きまして、佐藤参考人にお願いいたします。

佐藤参考人 インターナショナルアクセスコーポレーションで原子力コンサルタントを務めております佐藤と申します。

 私は、一九八四年から二〇〇二年までゼネラル・エレクトリックの原子力事業部に属しておりまして、検査、改造、建設、試運転等々にかかわっております。二〇〇二年から転身しまして今のコンサルタントというなりわいなんですけれども、米国の原子力安全研究に専心しております。

 きょうは、私の最近の原子力安全研究の知見と、それから、いろいろな視察の経験をもとにしましてまとめました意見を御披瀝したいと思います。

 私の資料は、要点が一ページの中にブレットでまとめてあります。

 まず最初ですけれども、今回の事象、これまで全電源喪失というふうな事象として繰り返し御説明がありましたけれども、この事象は、一九八〇年代に既に米国ではかなり詳細な解析が行われている事象です。その中で一番原子炉に対して致命的な、破壊に至らしめる最悪の事象として扱われておりまして、今回のように電源が早急に回復しない状況というのは、その中でも一番困難な事象だったというふうに見受けられます。ジェット機に例えれば、これは全エンジン停止という状況に例えられるのではないか。その場合の唯一の救済が外部からの給水ということになるんですけれども、今回のあのような規模の津波、それからその後の余震、あれを考慮しますと、そのようなことも実行するのが非常に難しい環境だったというふうに思われます。

 二番目ですが、先ほど、解析で予想された事象である、解析された事象だというふうに申し上げましたが、幾つかの想定外の進展が起こっております。

 例えば、一、三号機では、原子炉圧力容器、格納容器が破壊する前に原子炉建屋が水素爆発を起こしている。これは、恐らくこのような事象が起こるまでに予想した人というのはいなかったと思います。といいますのは、ほかのタイプの原子炉の場合ですと、格納容器とか建屋に、水素を静かに燃焼させるハイドロジェンイグナイターというのがあるんですけれども、そういうものがついているんですけれども、今回の事故が起こったタイプの原子炉にはそういうものはつけてありません。想定していなかったからです。

 それから、二号機では、原子炉圧力容器の破損の前に格納容器の破損が起こったわけですけれども、これも上部ではなくて圧力抑制室側で起こった。

 それから、四号機では、使用済み燃料プールから発生した水素で建屋が破壊されるという事象が起こったわけですけれども、これも、解析書では水位が下がった場合にはジルコニウム火災が起こるというふうに書いてあるんですが、その後の進展としまして、酸素欠乏の状態からジルコニウム・水反応に進展していって水素が発生したというふうに見受けられるわけですが、これも予想外の進展だった。

 ですけれども、予想外とはいっても、こういう事象が起これば、何がどういう原因でこういう事象が起こったのかということは、原子炉のシステムに通じている人であれば瞬時に把握できたと思います。それが、今回のいろいろな報道を聞いておりますと、現在調査中、不明、そういう報道が非常に多かったわけで、聞いている一人としまして、非常に情報に不信がありました。

 次のポイントですが、例えばベントの指示を出したというようなことが報道されていたわけですけれども、私は、これは大変不審に聞いておりました。

 これは、実際には、ベントといいますのは、その中にいろいろな放射性物質があるわけですね。最近ではよく沃素の131という放射性の核種が取りざたされるわけですけれども、これは半減期が七日ぐらいという物質なわけですけれども、その沃素には、実はもっと、132、3、4、5、そういう核種があるわけですね。それは非常に半減期が短いんです。ですけれども、その量は沃素131の十倍ぐらいあるんです。ですから、うかつにベントをやれば、それが、この十倍の沃素が放出されるということもあります。

 ですから、それをこらえておくということも当然考えるわけですね。ですけれども、こらえれば、破損してさらに大量の沃素が放出されるということで、それは、本来ならば、一番プラントに通じている、運転の十年、二十年以上の経験のある当直長にゆだねられるべき判断だったのではないか。それが指示という形で、ツーウエーコミュニケーションでなくて、ワンウエーで指示が行ったということは、非常に客観的に心配しました。

 それから、一時退避についてもそうなんですけれども、事故の直後の一番プラントの不安定だったとき、このときに、一時退避がまかりならぬ、そういうような報道があったということですけれども、これも一つの選択肢として、なぜツーウエーのコミュニケーションがなかったのかというふうに思います。

 実は、このようなことを感じましたのは、私は二回目でありまして、二〇〇七年に柏崎の原子力発電所で三号機の火災がありました。このときに、二日後なんですが、柏崎の市長が、消防法に基づく命令だということで、ディーゼル発電機を使っちゃいかぬ、こういう命令が出ているわけです。もしそれを実行していたら、それにまた地震があって外部電源が喪失すれば、今回みたいなことが起こっていたんです。私はそのときに、どうか東京電力さんにはこの命令を無視してほしい、また、保安院には、その命令を撤回させるような指示を出してほしいというふうに思いました。

 この件については、その後、私はアメリカに行きまして、ニューオーリンズの近くの発電所なんですけれども、そこを訪ねまして、その原子炉の運転員に面談しまして、あなたは、もし、こういう命令が社長から、CEOからじかに出されたらどうするということを聞きました。そうしたら、社長の命令といえども私は聞かない、私の運転員の資格、それはSROという資格なんですけれども、この資格は国家からもらっている資格で、国民を守るための資格だ、CEOの命令といえどもそれは聞かないというふうにきっぱりと言いました。

 そのように、経験、資格、そういうものを所持したスタッフの考え方をオーバーライドされて、指示とか命令という形で出されるというようなことが、非常に不健全なのではないかというふうに思います。

 次のポイントですが、これは保安院に対する苦情といいますか、要望もあるんですけれども、これも私、アメリカに、NRCの本部のオフィスの中に視察に行ったことがあるんですけれども、その中にエマージェンシー・レスポンス・センターというところがあります。そこは二十四時間スタッフが詰めています。全く絶えないで、常に専門家がそこに詰めています。そこでもし何か事故があった場合には、その当該の発電所の風向だとか風速だとか、それから何マイル以内に小学校がある、病院がある、デイケアセンターがある、家畜が何頭飼われているとか、そういうデータが瞬時に出るようになっています。

 今回の場合には、そういうシステムが日本の場合に整備されていなかったということで、結局、安全な方向への避難もされておりません。結局、十キロ圏外、二十キロ圏外へ避難するようにという指示に従ったばかりに、わざわざ放射線のレベルの高いところへ行ってしまったという人たちもおります。

 さらに、その後のフォローアップも全くされていません。例えば、どれだけの内部被曝をしたのか、そういう評価もされていないわけですね。汚染した土地、そこで普通に活動する人たちの注意事項もアドバイスされておりません。原子力発電所で働く場合には、ALARAという、放射線をアズ・ロー・アズ・リーズナブリー・アチーバブルに、達成可能な限り低く下げるというキャンペーンがあるわけです。少しでも被曝をしないようにする。そういうことがなぜ市民のために実行されなかったのかというようなところが非常に遺憾だと思います。

 原子力安全を守るという任務は大変な重い任務だと認識されているわけですけれども、アメリカにおいては、これが非常に誇りに思って全うされています。NRCのスタッフ、四千人おりますけれども、連邦の政府機関に対するアンケート調査では、NASAほかのいろいろな機関を抜いて、ぶっちぎりの第一位をここ三年くらい続けております。ぜひ保安院にもそういう誇りを持って活動できるような組織になっていただきたい、そう思います。

 それから、損害賠償制度のことについてなんですけれども、米国では、スリーマイルアイランドの事故があったときに、翌々日から現場の近くに仮設の保険会社の事務所が設置されまして、どんどん支払いが行われています。今回は全くそれがおくれています。

 アメリカの場合には、プライス・アンダーソン・アクトという原子力損害賠償の保険がありまして、これは全部の発電所が、どこで事故が発生しても原子炉一基当たり大体一億ドルを負担する、そういうものです。ですから、現在百四基が稼働していますけれども、どこかで事故が発生すれば、たちまち約百四億ドルのお金が集まるようになります。ずっと損害賠償が果たされていないわけですけれども、将来は、ぜひそういう制度も検討していただきたいというふうに思います。

 それから、次の項目が、放射能汚染の食物に関する基準なんですけれども、これはもともと飲食物摂取制限というのがありまして、これは災害が発生したときの周辺住民の被曝を抑制するための制限、周辺住民を守るための制限というふうになっていたものが、現在、国内の食物の暫定基準になっている。どうもこの決定のプロセスが非常にわかりにくいのではないかなというふうに感じております。

 その結果、敷地から排出される排水基準が、例えば沃素であれば四十ベクレル・パー・リットルというふうになっているんですが、飲料水基準がそれよりも高い三百ベクレルという数字になっているわけですね。WHOの飲料水の水質基準が十ベクレルです。それの三十倍です。非常に違和感があるわけですけれども、これはもともと暫定だということなんだとは思いますけれども、これがこのままずるずると全国民に対する恒久的な許容基準のようにして扱われないように注意していただきたいと思います。

 それから、今回の原因と対策についてなんですけれども、既に電源喪失という事象に対応する方法として電源車の配備等が始まっておりますけれども、私はこれを根本的な解決だとは思っておりません。

 確かに、今回と同じような事象が発生した場合の電源を補充する方法としてはいいでしょうけれども、ほかの、例えば原子炉冷却材喪失事故が発生した場合の必要な負荷には満たないはずです。実際、非常用電源は、アメリカの場合ですと四千百六十ボルトで二千アンペアないし三千アンペアの大容量が必要です。とてもあのような電源車でそれを賄える容量ではないというふうに思っておるんですけれども、そういうつけ焼き刃でなくて、もっと根本的な対策をとるべきだ。

 さらに、今回はSBOという事象が取り上げられたわけですけれども、もっともっと潜在的なものを見つけるような活動、これはアメリカではPRAという方法を導入しまして、悪いところを皆抽出しているわけです。この際は、これを機会にしまして、すぐにはもちろんできませんですけれども、こういう活動を日本でも本格的にやって、要は、それぞれのプラントの弱点を強化していく、そういう活動に取り組んでいただきたいと思います。

 ほかにも幾つかありますけれども、またの機会に御説明できればと思います。

 以上でございます。

新藤委員長 ありがとうございました。いろいろと具体的にいただきました。

 それでは、最後に住田参考人にお願いをいたします。

住田参考人 住田でございます。

 何分にも老齢でございますので、ごあいさつだけして座らせていただきたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。お許しください。

新藤委員長 どうぞおかけのままで結構でございます。

住田参考人 私ども、今ちょうど松浦さんがお話しになられたのと全く同じ感情を持っておりまして、長く原子力にかかわってきた、推進とか規制とか、そういうことを抜きにしまして、大学を卒業してから、私は六十年ぐらいですけれども、原子力にかかわってきた人間として、こんな状態の日を迎えるというのはやはり予測しておりませんでした。本当にそうあってはならないということは考えてきたつもりでおりますけれども、やはりそれを目の前に見せられると本当に感無量でありまして、皆さんに申しわけないという気持ちの前に、自分自身の今まで持ってきた、積み上げてきた努力というのは何だったろうかという反省をするわけでございます。

 しかしながら、そんなことを言って逃げてはいけないので、少なくとも原子力に今までかかわってきた人間としては、こういう難しい状態にぶつかったときにこそ、本当にできる限りの力を尽くして、しかも、立場とか意見とか、いろいろ皆違いがあると思うんですけれども、そういうことを超えてお互いに頑張ろうじゃないかという、私ども、松浦さんもそうだったんですが、呼びかけをいたしましたらば、幸いにして、同じような立場にいるシニアといいますか、かなり年配の原子力畑で働いてきた人間がやはり声明文を出しました。多くの方々から、原子力コミュニティーにいる、原子力村とよく言われるんですけれども、そのコミュニティーにいる若い人たちからも賛同の声をいただいております。

 ですから、きょうは、そういう意味では、クリティサイズするという立場よりは、むしろ何とかしてこれを突破していきたいという気持ちでおりますので、そういう意味の発言になると思いますが、お許しいただきたいと思います。

 当面の問題として、これは言いわけになりますけれども、世界じゅうで、大きな動力炉が四つも同時に問題を起こしたというのは初めての例でございます。皆さん、よくチェルノブイリとかあるいはTMIの事故を例に引かれるんですけれども、あれは一基の原子炉でございまして、四基並んで倒れたというのは、これは残念ながら世界で初めての経験でございます。ある意味では非常に悲惨な経験になるわけですか。

 そういう意味で、我々が直面していることは、これまでの我々の知識あるいは常識というようなものでひょっとしたら乗り越えられないかもしれない、そういう危惧の念を持ちながら、やはり、しかし、これを越えていかなくちゃいけないというふうに考えている次第でございます。

 それからもう一つ、これも言いわけになりますけれども、悲惨な事故が、チェルノブイリの場合にしましてもそうですし、TMIの場合でもですけれども、天災と同時には発生していなかった。原子炉単独に起こったわけでありますが、これは、実際の原因が、大津波というのが一番大きな地震と同時に起こっておりますので、そういった日本のやはり歴史に残る大災害の天災と同時に発生した、あるいは災害が幾つか発生した。そういう意味で、我々に与えられた試練というのは、ダブルパンチを食らったという表現を許されると思うんです。ですから、乗り越えなきゃいけない困難さというのはただごとではないということを私ども原子力をやってきた人間は痛切に感じているわけでございます。

 それで、あと具体的なことになりますと、今既に参考人でありますお二人の方がお話ししてくださったのと私はほとんど同感でありまして、余り同じようなことを申し上げてもしようがないと思うんですが、一つ、二つ、ちょっと気になることをこの機会に伺ってみたいなと思ったのは、一つは、オールブラックアウトと言っていますけれども、非常用電源が全部なくなってしまった。ですから、地震が終わった直後は一応原子炉は無事に停止できたのにもかかわらず、その数時間後にそういう異常事態が発生して、約十時間後には完全に非常用電源もなくなった。ですから、午前中に起こった事故について真夜中にお手上げの状態に立ち至ったということであります。

 私ども、そういうことを知らないで、のんきにテレビなどを見ておったわけでありますが、恐らく関係者の方は地元では本当に大変な努力をなさっていたんだと思いますが、しかしながら、別の面でいいますと、何基も並んでいる原子炉が、どうして十時間も時間があるのにその電源回復ができなかったのかというのは、私、率直に言いまして、非常に疑問を持っております。いまだに自分では納得できない。よほど何か深い事情があるんだろうと思いますけれども、御苦労もあったと思いますが、それはぜひ伺ってみたい。

 特に東京電力なんかの当事者の方に、あなた方、電気事業者でしょう、電力供給というのが一番の使命じゃなかったんですか、安定供給というのが、そういうことを申し上げたいという気がするわけであります。

 それからもう一つは、私ども、やはり関係者として非常に不思議に思いまして、最近はこれは是正されたんですが、昔の東海村の日本原子力研究所、今はJAEAという開発事業団に統合されておりますけれども、そこで開発されておりました大気中の放射線のいろいろな線源からの拡散の計算コードでSPEEDIというのがございます。これは実は、十数年前に私が東海村でジェー・シー・オーの臨界事故を収拾するときに、現地に参りましていろいろやったわけでありますが、そのときに既にもうSPEEDIの助けをかりることができたわけであります。それによっていろいろなことを判断していった。十何年前に我々が頼ったものが、今という瞬間になって、なぜそれが大きく取り上げられなかったのか。

 途中で一回だけ、汚染区域を拡大するという判断を下したときにSPEEDIの計算結果がちょろっと出たんですが、以後また出なくなって、ごく最近になって、これを認めてといいますか、取り入れていろいろなことをやりますよというお話があったんですが。

 なぜ、そういうちゃんとしたものがありながら、全体的な判断の中で取り入れられなかったのか。あるいは、取り入れておったけれども発表しなかったということなのかもしれませんけれども、少なくとも海外から私どもに寄せられる声というのは、なぜ日本はSPEEDIがあってああいうことをもたもたしているんだろうという質問が非常に多かったのであります。

 その二つの点だけ、ちょっと申し上げておきたいと思います。

 それから、現時点での将来の展望でございますけれども、はっきり言いまして、私どものように部外者という立場で、テレビで様子を眺めておるだけの立場でいいますと、設置者、あるいは直接の監督官庁である原子力保安院の方からのお話、それから時々原子力安全委員会が出てくるというような形でいいますと、どうもつながりがよく見えない。専門家だから意地の悪い見方をするというんじゃなくて、一般の方はもっとわからないというふうに伺っております。

 最近、これは合同で記者会見などなさるようになったと思うんですが、改善されて大変結構なことだと思っております。しかし、形式的な統合でなくて、本当に、先ほどマルチコミュニケーションという言葉が出ましたけれども、相互によく連携をとり合って、それから、伝えられるような、いろいろなところからいろいろな号令が出て現場は非常に混乱しておる、困っておるんだというようなことも聞きますので、ぜひその辺はうまくやっていただきたいというのを私、痛切に感じております。

 それと同時に申し上げたいことなんですけれども、アメリカの原子力安全委員会、NRCからのいろいろな協力の申し出があって、かなりの人数の方が援軍に来られて、いろいろディスカッションに参加された。なぜ日本の研究者や技術者をお呼びにならなかったんでしょうか。私は、それを申し上げたいんです。

 もちろん、関係の深い電力関係、あるいはメーカーの方は参加されたということも知っておりますけれども、日本全体とすれば、それはやはりワン・オブ・ゼムでありまして、全部ではありません。かなりたくさんの数の研究者や技術者が、原子力の安全、あるいは軽水炉の開発ということに参加してきたはずなのでありますが、そういう人たちにそういう場が与えられなかった。とにかく、大変皆さん不満を持っておられます。フラストレーションを持っておられます。そのことをぜひ申し上げたいと思うんです。

 学会とかあるいは学術会議とか、いろいろな場所でも、既にそういういろいろな討論なんかを始められておりますし、インターネットでありますから、そういうもので情報交換しておりますけれども、そういうものが、政府の規制、あるいは行政のところには一向に声が達していないんじゃないかというふうに思われるわけであります。

 私の方から先ほど申し上げました、連名でそういうアピールを出したというのも、我々なりには多少努力をしたつもりでありますけれども、一向に声が届かなかったということが、あのあらわれであります。そのことをぜひ申し上げておきたいと思います。

 それからもう一つは、国際協力という場面が出てまいりますから、そうなりますと、いよいよ心配になるのは、今少し苦情を言いましたけれども、そういう情報公開ということに対して、一方的に窓口がふさがってしまうんじゃないか。国際的に日本が非常に不利になるから出したくない情報も時には出てくると思いますけれども、これは覚悟して出さなきゃいけないと思いますけれども、それにしても、日本国内ですら、そういう情報の発信ということについては、必ずしも透明度が高くないということは言わざるを得ないんですね。そういうことのないようにぜひやっていただきたい。

 そのためにも、やはり最終決定の責任者を明確にしておかないと、だれが一体それをオープンにしたんだということになりますから、その辺のルールとか何か、そういうこともきっちりしておいていただきたいと思います。

 それから、ちょっと、今、少し気が早いことを言い過ぎるとしかられそうなのでありますが、恐らく、これだけの事故でありますから、事故調査委員会というようなものが、しかるべき時期にしかるべきバックグラウンドを持って開かれると思うのでありますけれども、これまでの前例によりますと、これはまず、第一段階の行政庁、行政監督、例えば通産省とかあるいは科学技術庁というところが第一段の報告を出しまして、それを原子力安全委員会がもう一回持ち上げて、再調査するというようなことをやっておりました。ところが、前回のジェー・シー・オーの臨界事故の場合には、それを省きまして、実は、両方合同で、行政庁とそれから安全委員会が合同の調査委員会をつくったわけであります。

 私、個人的なことかもしれませんが、その反省といたしましては、やはり、責任を明確にするということが調査の一つのポイントであります。したがいまして、肝心の批判を受ける方の立場の人間と、それをクリティサイズする立場の人間が、一緒に、最初から呉越同舟で調査委員会がスタートしますと、その辺が非常にあいまいになる。

 今度、全体的な、あるいは、人によっては国際協力の委員会から始めろとおっしゃるんですが、そういう高い立場から物を見るということは非常に大切だと思いますけれども、先ほど幾つか佐藤さんが非常に手厳しいことを批判されておりまして、よりポイントをついた御指摘だと思ったんですが、やはり、まず、だれの責任でどういう失敗をしたかということははっきりさせておかなくちゃいけないと思います。それをあいまいにしてしまって、まあまあ、まあまあで前へ進むということは、やはり将来のためによろしくない。

 ですから、そういう事故調査委員会というのを立ち上げて、少なくとも、一般国民に納得をいただけるためには、原子力コミュニティーといいますか、その中でのまあまあで済まない世代できちっとしたけりをつけておかなきゃいけない。それをぜひ申し上げておきたいと思います。

 それからもう一つは、これは、またおまえはそんなことを言うのかとしかられそうでありますけれども、前々から申し上げたことでありますけれども、原子力関係についての規制と推進が同じ大臣のもとに統括されているというのは、やはり無理があります。

 これは、御存じのように、政府機能としてそういうものの分離を行うべきだというのは原子力安全条約にも書いてありますけれども、日本は特例ということでこれまでやってきたわけであります。同時にフランスと日本が抵抗しておったわけでありますが、フランスはもう十数年前に陥落いたしました。今や、原子炉を幾つか持っているぐらいの国でこれを一緒にやっているというのは、日本だけであります。

 そういう状態を考えてみますと、やはり無理を重ねて重ねてきたことが現在の大きな事故の遠因になったんだと、私ども年寄りの繰り言かもしれませんけれども、やはりあのときにもっと言っておくべきではなかったのかという反省をしているわけであります。ただ、そのことは皆さんおっしゃってくださって、幾ら何でも今度は実現するだろうというふうに私は思っておるのであります。

 もう一つ、そのときに忘れてはならないポイントを一つ申し上げておきたいと思います。

 実は、原子力というエネルギー利用は確かにそういう二つの機関にまたがっておりますけれども、放射線の利用ということになりますと、これは文部科学省にも関係しています。今度も、先ほどから何回か出ておりますように、文部科学省の管轄での測定結果というのが出てきて、並んできているわけですね。例えば、放射線の利用に関するレベルの、特に職業人、一般人の区別とか、そういうことについては、いわゆる原子力行政の一つの中立性という意味で分かれている方がいいという意見もあるんですけれども、文部科学省の方に行っております。

 これから後は紙に書いていないことを申し上げたいんですけれども、そのために、今現地でいろいろな混乱が生じているというのを私たちは聞かされているわけですね、実際問題として。そういう省庁間の、セクショナリズムとは申しませんけれども、壁が非常に厚くて連絡がうまくとれていない。そうすると、一方的に、さっきの話じゃないですが、一方交通でがりがりの規制をやられますと、本当に動きがとれなくなってきて、そのためにいろいろな被害が出てくるということが出ておりますので、ひとつ、省庁を超えた、推進と規制の分離ということの場合に、現在、我々、経済産業省の中にあるのがいけないと言っておりますけれども、それだけじゃなくて、文科省の下に入っている放射線審議会その他のところあたりも、どうぞ体制をよく考えてそういう議論をしていただけたらありがたいと思います。

 以上でございます。

新藤委員長 ありがとうございました。

 政府、事業者、そして参考人の方々からそれぞれ御意見をちょうだいいたしました。

    ―――――――――――――

新藤委員長 これより質疑に入ります。

 きょうの委員会は、今まさに住田先生がおっしゃったマルチコミュニケーションをやろうと。通常ですと、参考人と政府とは別々の質疑を行うわけでございますが、このたびは御一緒になっていただいて、委員の皆さんから双方に、参考人と政府、事業者それぞれに御質問ができるように、こういう形をとらせていただきました。

 そして、その質疑をした後に、今度は全委員の皆様に参加をいただいて、自由討議という形で、これは時間の制限をいたしますけれども、質疑を聞いた中から、さらに委員の皆さんからも政府、参考人に質問していただく、こういう時間も、最後の三十分でございますが、とってあります。

 今、いろいろ具体的な提案もございました。参考人の方々からお話があったこと、政府がやっていることと相反するところもございます。そういったものを、では一体どちらが正しい方向なんだということがきょうの議論の中で少しでも見えてくればいいな、こういう思いで私どもは委員会を開催させていただいておりますので、ぜひよろしくお願いしたいというふうに思います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。太田和美君。

太田委員 民主党の太田和美でございます。

 改めて、参考人の皆様方に、本日はお忙しい中お集まりをいただきまして、心から感謝、御礼を申し上げたいと思います。

 また、福島県民の一人として、この間の大震災に関しまして多くの皆様から御支援をいただいておりますことに、この場をおかりして厚く御礼を申し上げます。

 さて、東京電力福島第一原子力発電所で発生した重大事態について、福島県民は筆舌に尽くしがたい犠牲と負担を強いられています。発生以来、放射能という見えない恐怖におびえ、行方不明になっている身内の安否も確認できず、自宅にも戻れない避難区域の住民の苦しみは言うまでもなく、風評被害や汚染に関する差別などは到底看過できないものでございます。

 見えないものは放射能だけではなく、私にとっては、総理のリーダーシップも見えない、そのように感じているところでございます。

 そこで、率直に申し上げて、今回の原子力災害は、政府の対応が後手に回るなど人災の側面が余りにも大きいと私は個人的に感じておりますが、参考人の皆様方はどう率直にお感じになられているのか、お尋ねをしたいと思います。

 また、本日は、せっかく原子力発電の御専門の方々をわざわざお招きしておりますので、まず、第一原発の一号機から四号機までの現状を踏まえて、今後起こり得る最悪の事態についてお示しをしていただきたい、そのように思います。そして、そのことを防ぐ手だてとして、どういうリスク管理があるのか、どうお考えになられているのかということをあわせてお尋ねしたいと思います。松浦さんから順次お願いしたいと思います。

松浦参考人 今回の事故に対して政府の対応がどうであったか、どう考えるかという御質問だと伺います。

 先ほど私も申しましたように、こういう事故が起こった場合には原子力災害対策マニュアルに応じて動くべきでありますが、これは、もちろんその事故に応じて順次柔軟に対応すべきものであります。

 しかしながら、今回の事故を見ておりまして、私どもには、以前私は原子力安全委員会におりましたが、今は別の組織でありまして、直接つながりがございませんので情報は特に伺えません。我々が目にするのは新聞報道ないしは原子力安全・保安院の出されるホームページのデータあるいは記者会見等であります。それを見ておりますと、本当に技術レベルの高い人々によって知見が集合されて、それによって中心部の本部で指示がつくられるのか、そこがよくわかりませんでした。

 どう考えても、一番あそこの原子炉をよく知っている人々がすぐ集められたか。例えば、あの原子炉をつくった人々はまだ、もちろん東京電力にはおられませんけれども、元気で働いておられる方がたくさんおられますので、そういう方々を急遽呼び集めて、そしてその知見に基づいて助言をして、それによって本部のリーダーが意思決定する、あるいは指示する、そういう仕組みであるべきだったわけですが、どうも、いろいろ伺っているところでは、技術者としての考え方が政治家としての本部の人々の考え方と合わないと、技術者の考え方がどうしても十分に取り上げられないということが多いというふうに伺うことが何度かございました。

 そのあたり、今後の事故後の調査では、こういう災害に対して技術的知見、技術的意見と政治的考え方、意見がどう使用されるべきものか、それがやはり一つの重要なポイントになるのではないかと思っております。

 以上です。

佐藤参考人 ただいまの松浦先生の御見解に全く賛成でありますけれども、私の方からも一つ、二つ、つけ加えておきたいと思います。

 特にこのような複雑な事象は、時間がたてばたつほど複雑になってきます。その場合に、今どういう状態にあるのだろう、これからどうなっていくのだろうということを予想することは、ぴたりと当てることはできません、的中はできません。ですから、必ずその場合の予想はオーバーコールになるかアンダーコールになります。

 今回を見ておりますと、極端にアンダーコールが多かった、オーバーコールをするのを恐れる余りに、つまり過小側に発表していたというふうに見受けられます。これは、最初のレベル4の発表からそうだった。あのような事態で、明らかにスリーマイルよりも悪い条件になっているわけですけれども、それがスリーマイルアイランド並みというふうに報道されたあたりにも、その辺があったというふうに感じております。

 それから、対策が、事故があってから関係者を集める、これでは遅いんです。このような、三十分、一時間で刻々と変わるような事故の場合に、それから人を集めるのでは、もう全然遅いんです。先ほども言いましたように、アメリカの場合には、二十四時間、そこにいるんですね。いつ起こっても対応できるような専門家がその場にいるんです。基本的に対策というのはそういうものでなければならない、特にこういう原子炉事故の場合は。発生してから、だれが専門家だということで集めるのでは、もう全然遅いというふうな印象がありました。

 以上でございます。

住田参考人 年寄りというのは古い話しかしないものだと言われそうなんですけれども、ジェー・シー・オーのときの私の経験をちょっと申し上げたいと思うんです。

 事故が起こりましたのは、ちょうど十一時半ごろというか、午前中でございましたけれども、私どもに実際の連絡が入ったのが約二時間後ぐらいでございまして、そのときに、当時の委員長であった佐藤一男さんとか我々委員が異口同音に言ったことは、緊急助言組織というのがちょうど発足したところでございまして、九月に発足したところだったものですから、それをすぐ集めましょうということで、手配してくださいと事務局に申し上げました。

 そうしたら、事務局が、何とうれしいことに、もう全部の委員の方の所在を確かめておりまして、だから、事故が起こった瞬間に、彼らはもう動き出していたんだと思うんです。それで、私たちの手元に、××委員は京都の方だけれども今はもう東京に委員会でいますとか、××委員は海外に駐在、そういう状態で、必要な人間の所在が全部確かめられておりまして、すぐ招集をかけてもらいました。大体二、三時間ぐらいで全部集まりまして、これはプレスの要望がありまして、公開でやれということだったものですから、そうしますと、プレス側の方が人数がそろわないものですから、余り早くやられたら困るということがあって、我々は非公開で先に委員会を発足いたしまして、もう議論を始めました。

 ですから、正式の記録では、午後六時に開始して、その中で私の派遣が決まって、七時に東海村へ向かったと書いてありますけれども、実際にはもう二時か三時ごろに、さっきのSPEEDIの計算結果も来ておりましたし、全部が来ておった、そういう状況であります。

 それから、私が東海村へ到着いたしました九時過ぎでございますけれども、七時ごろに東京を出て、九時過ぎになりましたが、私が到着しましたときには、私が着いたテーブルの上には、当時の日本原子力研究所、たまたま松浦さんが理事長でおられたわけですけれども、それから、やはり関係のあります動力炉開発事業団その他からの、自分たちがやられた計算結果とか、そういうものが全部、もう机の上に来ていたわけですよ。それから、私がこういう人に相談したいと思ったような人が、全部もうテーブルの前に座っていてくれたわけですね。

 要するに、原子力コミュニティー全体が、もうこれは大変なことだ、だから今何をしなきゃいけないかということを、だれかが呼び集めるのではなくて、もう自発的に皆始めて、それの結果が結集していたと。ですから、私は、はっきり言って、よく言うんですけれども、私、司令官なんか務められません、ただ、いろいろな意見があるからそれを調整して、調整した以上は、責任がありますから、嫌なところは逃げるわけにいかないので、一番最後の苦しいところは自分がやりましたということをよく申し上げるんです。

 ですから、そういうふうに、組織というのは、確かに今、佐藤さんがおっしゃったように、アレンジされておらなきゃいけなかったと思うんですけれども、やはりそこで働いている人の心意気といいますか、そういうものが物すごく大きく響くんですね。

 今回の場合は、もちろん、地震が発生しました。交通機関もとまりました。ですから、恐らく、例えば原子力安全委員会が緊急助言組織の人を招集しても、多分集まらなかっただろうと思います。でも、それはそうなんですけれども、つかさつかさで、それぞれの方が本気になって、その気になって、前へ前へ出て何かやってくださっているんだったら、もうちょっと何とかなったんじゃないかなという、これは年寄りの繰り言として聞き流していただいても結構でございますけれども、私は少なくともそういう恵まれた条件のもとに仕事をさせていただきました。十何年たったから、そんなに変わっているはずはないと私は思いたいのでありますが。

 以上であります。

太田委員 ありがとうございます。松浦さんの御意見に私も全く同感でございます。

 続いて、松浦さんの方にちょっとお尋ねをしたいんですけれども、今回災害は、政府としても過小評価、そしてまた過信があったのではないかな、そのように思っております。

 次に、工程表のことについて御意見をお伺いしたいんですけれども、評価できるところ、そして問題だと思われるところ。特に、格納容器を水で満たして冷却する水棺方式を今検討しているということでございますが、地震や爆発によって傷めつけられているであろう格納容器が耐えられるのかどうか。冷却効果としてもそれほど効果がないということも、松浦さんも先ほど御指摘されていたと思います。この方式の評価について、率直に、例えば点数をつけると何点ぐらいか、この工程表についてお伺いしたいと思います。

松浦参考人 非常にお答えするのに難しい御質問でございます。

 まず、冷やし方でありますけれども、これは明らかに、今どれだけの熱量を冷やさないといけないかというのは恐らく計算でかなりわかっているはずだと思います。これは、どれだけ核分裂をしたものがそこにあるかということから、非常に正確にはわからないにしても、けたが間違うようなことはまずあり得ないと思います。そうしますと、どれくらいの熱を取らないといけないというのはわかっておりまして、そして、今また炉心が大体どういう状態にあるか、例えば一号炉ですと、中にまだ溶けた状態で二千数百度にあるものがどのくらいあろうかとか、あるいはその他の周りとしてどのくらいの熱を発しているか、そういうことはおおよその見当はついているんだろうと思います。

 そうしますと、どれだけ水を入れて、どれだけ熱を取らないといけないというのはわかっているわけでありまして、今のやり方は、ほとんど温度が変わっておりませんので、多分発生する熱は取れている、こういうふうに理解しますが、より冷やしていくためにはより効果的に熱を取らないといけない。そうしますと、もともとあった熱交換器を経ての循環型のループで取るというのが一番いいわけでありますが、現場の様子からそれは非常に難しいのではないかと予想されます。これは現場の方はよくわかると思います。

 そうだとしますと、付加的にそういうものを、それほど大きな設備でなくていいと思いますので、その熱量から計算して、可能な施設をつけて冷やすという方向も並行にするべきではないかというふうに思います。そのためにも、現場の作業環境をよくするというのがもう避けられないことだと思います。

 それから、全体としてどのくらいの年数がかかるか。これは、私も時々そういうことを聞かれますけれども、今のところでは、私には、非常にはっきりとこのくらいでいけるでしょうというような予想はなかなか明確に申し上げる能力がありませんが、しかし、今、東京電力さんが出されているあのスケジュールがどのくらいの内容をお考えの上で出されたか存じませんけれども、私にはもう少し時間がかかるのではないかと思わざるを得ません。

 ああいう汚染した場所での作業、それから放射線の被曝管理をしながらの作業でありますので、なれた人が続けてやるという作業ではありません。交代しながらやるようになりますので、作業自身もそれほど効率的にできない。そういうような状況を考えますと、かなり、こんなにもかかるのかと思えるぐらいの時間がかかると思った方が、今後の長期戦には耐えやすいのではないかと思います。

太田委員 ありがとうございます。

 今回、工程表を出したのは一定の評価ができるというふうに思います。

 政府の方にお願いをしたいのが、今回の工程表というのは最善のシナリオだと思うんですね。最悪のシナリオと、そして中ぐらいのシナリオ、この三つのシナリオを出すべきだというふうに思いますので、これは強く要望としてお訴えをさせていただきたいと思います。

 少し時間がなくなってきましたので、原子力安全委員会の班目さんの方にちょっとお伺いをしたいんですけれども、先日、計画避難区域が新たに設定されて、三十キロ圏外でも、飯舘村や川俣町の一部の方々らは今後泣く泣く避難していただくということになりました。この計画避難区域というのは、安全のために避難していただくというのが、年間二十ミリシーベルト以上の放射線を浴びる可能性のある地域ですよね。

 福島県で県内の学校の放射線を調査しました。県内で十三校が、年間二十ミリシーベルト以上の放射線を浴びる可能性があることがわかりました。私の地元事務所のすぐ目と鼻の先にある郡山市立薫小学校は、この十三校のうちの一つになりました。ここは第一発電所から六十キロ近く離れております。つまり、十三校というのは計画避難区域になるのではないでしょうか、御所見をお伺いしたいと思います。

班目参考人 まず、二十ミリシーベルトという値についてちょっと御答弁させていただきます。

 二十ミリシーベルトという値は、それによって直ちに健康被害が出る値ではないということはまず御承知おきいただきたいと思います。

 しかしながら、先ほど佐藤さんがおっしゃったように、こういう場合は、ALARAと申しまして、アズ・ロー・アズ・リーズナブリー・アチーバブル、とにかく実行可能な手段はありとあらゆるものを用いて被曝線量は下げなければいけない、この精神にのっとっているものでございます。

 したがいまして、学校については、とりあえず再開するのは構わないけれども、そのままずっと一年何もしないでいいというふうには安全委員会の方では考えておりませんで、ぜひしっかりモニタリングをして、場合によっては対処手段も考える、そういう条件で学校の再開というのはして結構ですというふうにこちらからは助言した次第でございます。

太田委員 そこにずっといては危険だから、残りたいというお年寄りも計画避難区域になっているわけですよね。しかし一方では、片や同じ二十ミリ超の地域でも、父母からは学童疎開が必要だという悲痛な声すら上がっております。校庭にいるのを一日一時間に制限すれば学校で授業を受けても大丈夫ですよと文科省は言っておりますが、私は、これは非常に矛盾しているのではないかなというふうに思っているところでございます。

 これまで、人工放射線で一般人が浴びていいのが一ミリシーベルトということとされておったはずだと思います。それが突然二十倍に緩和されたということで、しかも大人と子供では放射線に対する感受性が違うはずなのに同じになっていることに、地元の父母の間では不安が非常に高まっております。体外被曝が二十ミリということですが、体内被曝も同様にカウントしなければいけないはずです。そこはどうなっているのか。

 また、労働安全衛生法では、三カ月につき一・三ミリシーベルトを超えるおそれがある区域を管理区域というふうに定めております。放射能の危険から守るために、事業者には個別被曝管理を義務づけておりますよね。この法律の論理からいくと、学校にも黄色いマークを張りつけなければいけないんじゃないか、そういう不安が非常にあるんです。

 子供たちの健康は本当に大丈夫なのか。保護者の方たちが安心できる、わかりやすい説明をお願いいたします。時間がないので短目にお願いします。

渡辺政府参考人 では、簡単に御説明申し上げます。

 まず、学校の基準における二十ミリシーベルトの考え方でございますが、学校に通うというのは、いわゆる事故が起こった後の復興期の第一歩でございますので、復興段階における一般公衆が受ける被曝線量の参考レベルとして、国際放射線防護委員会、ICRPは一から二十ミリシーベルトという値を適用しているところでございます。この参考レベルは大人も子供も含めた一般公衆全体に対するものでございますので、それを用いているところでございます。

 それから、管理区域の話がございましたが、放射線管理区域というのは、放射線従事者が大きな被曝を受けないように、一定のレベル以上は放射線の管理を始めてくださいという設定がございます。その始めてくださいというレベルが先ほどおっしゃったレベルということは御理解いただければと思います。

太田委員 まだ安心できるような御説明だというふうにはちょっと思えないんですけれども、せめて、私がお願いしたいのは、即刻学校の除染をしてほしい、そのように思っております。先ほど班目委員長も言っておりましたけれども、少なくとも被曝線量を最低限に抑えていく、この努力をしていかなければいけないというのは、安全委員会の方でも助言として行っているはずだというふうに思います。

 郡山市では、五センチ程度の表土を除去する対策を実施することに決定をいたしました。対象は、地上一センチの地点から、数値が、小学校では毎時三・八マイクロシーベルト、保育所では三・〇マイクロシーベルト、保育所は低年齢を考慮して決めたそうです。また、屋外活動を制限する必要がない小中学校でも、屋外活動は一日一時間、部活動は一日二時間以内とするということを決めました。さらに、全校で、窓ガラスや昇降口、建物の周辺を、先生や保護者、そして地域住民の皆さんの協力を得て行うことを決めました。

 この取り組みについて、班目委員長、どういうふうに思いますか。お願いいたします。

班目参考人 先ほども申し上げましたように、ALARAの精神、アズ・ロー・アズ・リーズナブリー・アチーバブルという観点からは、すべてしかるべき処置だろうと思っております。

 実際の処置としてどういうことを行うかというと、これは、各地方自治体であるとか、あるいは責任主体の責任でやっていただきたいものでございますが、一番大切なのは、きちんとモニタリングする、ちゃんとはかっていくということが大切でございますので、その結果がまた出てきたところで安全委員会としては意見を述べさせていただきたいというふうに考えているところでございます。

太田委員 委員長、夏休みが終わってからとかいうのではなく、今すぐです。子供の学校はもう今始まっているんです。新学期が始まっているんですね。今すぐグラウンドの土を入れかえたり、施設の除染をするという、最大限の子供の安全を考えてほしい、そのように思っております。

 今の御発言からすると、この郡山市の取り組みを一定の評価をしていただけているというふうに、お墨をつけていただいたものだというふうに私は受けとめさせていただきます。

 今回、原子力災害というのは、そもそも国策で進めてきた国の責任があるはずです。ですから、私は、国としてできる限りのことをしていただきたい。土壌入れかえなど、無論、全額国費でお願いをしたいというふうに強くお願いをしたいというふうに思います。

 そしてもう一つ、これから窓があけられないということが予測されますので、梅雨どきに向けてエアコンの設置の要望も地方自治体から上がってきております。先日、委員長もおっしゃっておられましたけれども、スクール・ニューディールという形で、学校の上に太陽光パネルを敷いてエアコンを設置するのはどうかというような御提案は私は非常にすばらしいというふうに思っておりますので、子供たちの安全をやはり最大限に考えたときに、このような対策を検討していただきたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。

班目参考人 原子力安全委員会としては、個別の行政処置については助言しかできない立場でございますが、アズ・ロー・アズ・リーズナブリー・アチーバブルということからは、そのような方向も検討されてしかるべきだというふうには思います。

太田委員 ありがとうございます。

 ちょっと時間がなくなってきてしまって、本来であれば、せっかく専門家の皆様にお集まりをいただきましたので、本当は今までの原子力政策の検証とかこれからの原子力政策のあり方について私は深く議論したかったんですが、ちょっと時間となってしまいまして、ぜひまた機会をよろしくお願いしたいというふうに思います。

 何よりも、目の前の国民の不安を払拭することがやはり大事だというふうに思っておりますので、これからもさまざまな御進言を政府の方によろしくお願いを申し上げまして、私の方からの質問を終わりにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

新藤委員長 太田和美君の質疑は終了しました。

 次に、小林興起君。

小林(興)委員 小林興起でございます。

 今の太田議員の残り時間で質問をさせていただきたいと思います。

 三月十一日に大震災が起こりまして、三月二十日に、私も国会議員として少しでも何かできることはないかと友人と語らいまして、直ちに東北関東被災地支援促進行動議員連盟というのを立ち上げまして、そして三月二十日に仲間と現地に行きました。

 発電所の方までは、原発までは行けませんでしたけれども、一応、南相馬市、二十キロ―三十キロ圏というところまで入りました。そして、避難地域というものができていて、結局、屋内避難というわけのわからないことをやっているわけでありまして、屋内避難であればもうさっさと全部避難にすればいいわけですけれども、何か机上の空論のようなそういう行政の実態を見て、これは非常に問題があるんじゃないかということを痛感して帰ってきたわけでございます。

 その後、いろいろと発表される中に、先ほど住田参考人からもお話がありましたけれども、だれが考えても、十一日に大津波が起きて、そして電源も壊れたということであれば、常識的に、私なんか全くこういう問題の素人ですけれども、直ちに電源を復旧させるために、いかなる手段を用いても、電源車か何かわかりませんけれども、そういうものをヘリコプターで持ち運んで、そしてさらに、電源をつないでみたところでも、何かその他も壊れていて動かないのであれば、その壊れている部分、例えばですが、ポンプか何か壊れているものについて直ちに専門家がそれを直すということをやれば、日本の技術をもってすれば半日ぐらいで直ちに冷却装置が動いて、そして冷却ができたんじゃないかというふうに素人は考えるわけです。それがなぜそういうふうにならなかったのか、それが第一の質問であります。

 そして次に、少なくとも失敗した、うまくやらずに爆発が最初に起こったわけですけれども、しかし、それは次々と同じことが起こる可能性があるわけですから、そのときに、先ほどベントで抜くという話がありましたけれども、もうやむを得ない、どんどん抜いて、そして、放射能は出るけれども爆発を抑えようという判断があってしかるべきであれば最初の爆発だけでとまったのに、次々と爆発するのを何か指をくわえて見ていたんじゃないかという、失礼な言い方ですけれども、素人としてはそういう考えもするわけでございます。

 なぜそのような現場での矢継ぎ早な対応ができなかったのか。それは、東京電力さんが一生懸命頑張っているんだけれども、頭のかたい政府が、先ほど第何条、何条とか、一々やるたびに法律が出てくるわけですけれども、そういう法律の壁みたいなもので、頼むと、政府がいいと言わなきゃ何もできないという形になっていたために、やろうと思ってもできなかったのか。そういう現場のことについて一番いろいろな思いを持っていらっしゃる東京電力の方にまずお伺いしたいと思います。

小森参考人 お答えいたします。

 現場の状況はどうであったかということでございます。現場は今でも復旧作業ということでございますが、私も東京におりまして、現場のテレビ会議等で聞き取っておりました。

 まず、電源をとにかく復旧しようということで、東京の方からも電源車を送ったということがありますが、第一の場合ですけれども、電源装置のほとんどのところに水をかぶっていたということで、ちゃんとつなぎ込めなかったということがございました。ただ、ここについての教訓等については、もう少ししっかりとした現場の状況を見なければいけないと思います。

 それから、いろいろのベントあるいは注入、そういったところの現場の状況というのは、本当に東京からでは、今になってみると想像のつかない部分があったと思います。

 水素の件もございましたけれども、そこでけがをした人を救済し、余震が来た場合には津波の警報があったので退避して、また何とかつなぎ込むために行く。そういうような、それも夜間であれば電気が非常に少ないので、懐中電灯といいますか、そういう予備の電源を使うというようなことで何とかやるということであったろうと想像しております。

 いずれにしましても、非常に困難な中で作業をしていたということは事実だと思います。詳細につきましては、まだすべての現場の調査ということは終わっているわけではございませんし、聞き取りもなかなかできないところで、今復旧に向けて頑張っているという状況でございます。

小林(興)委員 もちろん、東電の方もベストを尽くして頑張っておられたんだと推測をするわけでありますが、私が政府に聞きたいことは、このような事故が起きたときに、一民間企業、幾ら巨大といっても、やはり人員の点、いろいろな面で限界がある。今言いました近づけない、みんな崩れちゃっているわけですから。そういうときに動くのはヘリコプターですけれども、東京電力にヘリコプターがあったとも思えない。直ちに自衛隊からヘリコプターを持っていって、載せるものは何かありますかとか、何を今政府として応援すればいいんですかと、緊急事態ですから、そういうことについて政府として十分な、何をしたらいいかということをすぐ東電に聞き、ヘリコプターを出すとか、そういうことについての協力態勢をすぐとったのか、それとも東電からそういうことをしてくれと頼まれなかったから何もできなかったのか、その点どうなんですか。

中西政府参考人 お答え申し上げます。

 今回の地震発災以降、政府全体といたしましても、すぐに、例えば二時五十分でございますけれども、官邸に対策室というのができまして、緊急参集チームができたというのもございますし、七時三分には、これは政府全体として、原子力緊急対策本部、これを開きまして、各省庁の代表の大臣等々に御参加いただいて、この原子力発電所の事故に向けた、政府全体として何をやるべきかというようなことは、早急に関係省庁連携して支援していくというような形でサポートをさせていただくことになってございます。

小林(興)委員 すぐ議論はしたようでございますけれども、東京電力から頼まれたことについて何かやったという、そういう具体的なものがあるのかどうかということを私は聞きたいわけです。

 それから、今になれば我々だって知っているわけですけれども、しかし技術者は当時から知っていた、直ちに冷やさなければいけない、冷やさなければやがて圧力が上がってくる、圧力が上がれば、それはだれだって考えるとおり爆発が起きる。そういう状況がどんどんと起きている中に、どちらが誘ったかわかりませんけれども、のこのこと日本の総理大臣が視察に行ったわけでしょう。そんな視察に余分な人員を割くよりも、総理に対して、今動くべきときではない、危険なときなんだから、今技術者を集めて、どのようにして冷却をするのか、どのようにして圧力が上がってくるのをとめるのか、これは命がけでやっているんですから邪魔しないでください、そういうことを言った、ちゃんとしたまともな責任者、官僚でも何でもいいですけれども、そういう人はいたのかいないのか。東京電力はそのようにしてびしっと、総理、やめてくださいと断ったのかということを聞きたいです。

中西政府参考人 今御指摘いただきました、まず東京電力とのどういうふうな協力を即やったのかということでございますけれども、この発災以降、既に十一日の夜から、東京電力さんも含めまして、我々の経済産業省も含めまして、あるいは原子力安全委員会の委員長も含めて、官邸の同じ場所で、今後具体的な対応は何が必要なのかというようなことは、既に情報交換を密にとりまして対応をやってきているということでございます。

 それと、二点目の、総理の現地の視察でございます。こういうことが起きた中で、やはり現場でどういったことが本当に起きているのかといったものをちゃんと見た上で対応するということで視察をお決めになられたというふうに聞いておりますし、その後の総理のいろいろな国会での御発言を聞かせていただきますと、やはり、そこで具体的に現場を見た、あるいは所長との話をするということで、その後の対策に対してプラスになったというふうな認識を持っているというふうにお答えさせていただきたいと思います。

小林(興)委員 今やもう、最初の初動で間違ったことが取り返しのつかない事態になっているわけでしょう。そう思いませんか。

 何としても冷却し、冷却が壊れたというんでしょう、どうして冷却が壊れたものをもとへ戻して冷たい水を回すのか、そして爆発しそうに圧力が上がってくる、どうやって抑えるのか、命がけでやっているところに、視察して何のメリットがあるんですか。真上で爆発したら総理も死んじゃうじゃないですか。こんなことを許すような原子力安全政策だったのか、私は班目委員長にお伺いしたい。

班目参考人 大変申しわけありません。総理が視察を決めたという、その経緯については、私は全く存じ上げませんので、ちょっと回答は控えさせてください。

小林(興)委員 責任者の委員長すらも、最初の御発言で、黒幕というか、裏にいて、全部いろいろと助言してこられた、その一番能力のある助言する人が、そういう事態、いかにしてトップがどう動くかということについて助言をしようにも実態を知らないから助言もできなかったということでは、我が国の危機体制というのは原子力について非常に劣っている、問題があると私は思うんですね。

 その結果、こんな、よその国だったら何でもなく封じ込めて、抑え込んで、水を回して終わってしまったことを、今、原子力は危ない、危ないという話が全部に広がって、本来技術者が言っていた安全であるべきはずの原子力が安全ではないという話から、エネルギー政策についても大変なことが起こっている。本来、こんなものは抑え込むことができたというのであれば、それは天災ではなくて人災にすぎなかったわけでしょう。

 きょうおいでになりました三人の先生方、どう思われますか。

松浦参考人 私は、最初の状況がどのようになっていたか全然存じませんけれども、原子力災害対策のマニュアルによれば、とにかく、本部ができるときには、まず全員が官邸に集まるわけであります。総理がおられて、そして関係閣僚がおられて、そして、そこの一席に安全委員会の委員長が席を与えられているわけであります。それで、最初にどういう状況かという報告が原子力安全・保安院からなされて、それに対して、関係閣僚及び原子力安全委員長からの助言が求められることになります。それが一番最初の原子力安全委員会からの発言になると私は思います。そのときの状況がどうであったかということを私は存じませんので、そのときがどうだったかはわかりませんが、少なくとも、そこからこの初動というのが始まったというふうに理解しております。

 それから、先ほどから総理の視察の問題が出ておりますが、実は、スリーマイルアイランド原子炉の事故のときに、カーター大統領が現場のコントロールルームに視察に行ったということがございました。そのことについて、後にNRCの担当者に大統領が現場へ来たということをどう評価しますかと質問しましたら、にべもなく、大迷惑であったというお答えがありました。これはやはり、こういう大きな事故の対応のときには心して対応すべき教訓の一つであったと私はそのときに思ったわけであります。

 以上です。

佐藤参考人 電源喪失から炉心が崩壊するまでの時間、これは非常に限られた時間だったわけですけれども、その中でやらなければならない仕事はたくさんあった。その環境が非常に厳しい状態だった。その辺をどう評価するのかというのは、ちょっと私は、現場の状況を十分把握しておりませんので、お答えするのは難しいところですけれども、ただ、意思決定のプロセスに必要以上の複雑さが持ち込まれていたように感じられます。

 以上です。

住田参考人 お答えにならないと思うんですけれども、全然別のこと、年寄りは必ずこういう言い方をするんですが、天皇陛下におかれましては、きょう現地へ御視察に行かれたというふうに伺っているのでございますが、実は陛下は、この事故の発生の数日後に原子力関係者をお呼び寄せになって、かなり詳しい報告を受けておられます。これは一部の週刊誌に既に報じられたことですから公表していいんだと思うんですけれども、でも、天皇陛下がおいでになられたのはきょうなんですね。だから、陛下とされては、やはり自分が表に立って動く場合に、下々の、下々といいますか、私たちが受けるであろういろいろなインタラクションをお考えになって、やはり時期をお考えになられたということでございます。それが私どもの年代の、陛下と同じような世代の人間の答えでございます。

小林(興)委員 今、日本は世界から、ばかな国だ、愚かな国だと。失った権威というのは本当に取り返しがつかない状況になっている。まさにそれは、天災でスタートしたけれども、ほとんどが人災だということを専門家の方も言っていらっしゃるわけですよ。

 そこで、政府に最後のお願いがある。先ほど工程表があったけれども、この工程表を長くするのではなく、短くするために、命をかけて、日本の国民の英知を結集して、世界の皆さんのお知恵もかりて、どうしたらいいのか。そのときに、一東京電力が工程表を出すのではなく、日本政府が責任を持って工程表をつくる、そのためには、今はもう時間はあるんですから、大勢の方々、参加できる人にはすべて集まっていただいて、今そういう体制ができているのか。

 いろいろな方から、例えば水が汚れている、その人は、活性炭素というんですか、そういうものを使えば放射能はそこで吸収されると幾ら政府に言っても、政府は取り上げる窓口がどこかわからない、たらい回しだというようなことも含めて、水をきれいにするためにはどのような知恵が今世界にあるのかとか、どのようにすれば最後に封じ込めるやり方があるのか。

 まさに日本がこれから編み出すような世界最新鋭のそういう技術というものを、今、日本の技術者を集めてつくり上げて、そして、あっと驚くほどの短い時間でこれを封じ込めるぐらいのことをやらなきゃ日本の評価は戻らないですよ。そういうことについて政府はどう考えますか。

中西政府参考人 今般、今御指摘いただきましたように、具体的に東京電力の方からは今後の道筋といったものを出されました。

 それに対しまして、電気事業者がつくってきた計画というものではなく、政府といたしましても、一体になって協力できるところは積極的に協力をやっていくというような形で、今まさに先生から御指摘のように、世界の英知を集めながら、本当に今、日本のこういう対応がちゃんとしたスケジュールで、できるだけ早く収束するように、政府としてもサポートさせていただきたいと思っております。

小林(興)委員 政府にどういうふうに指示したか。経済産業省だけ一生懸命頑張ったって何ともならないわけだから、最後の総責任は内閣にあるわけだから、内閣府にきちっとこの工程表を短くするようなチームをつくって、東京電力を助けてあげて、そして本当にこれを封じ込める、そういうことについて、さすがにやったと言われるような体制をつくるように。

 日本には本当に優秀な人がたくさんいる。この国は何が悪いか。いつもリーダーが悪いんですよ。大組織のこの国の最大の欠点は、トップがだめだ。外国は、こう言っちゃ悪いけれども、普通の人が大したことがなくても、どの国もトップはすばらしいんですよ。そういうことを含めて、トップというのは、だれというわけじゃないんですから、皆さんがトップなんだから。とにかくトップをしっかりと磨き上げて、迅速に立派な対応をして、さすがと言われるようにしてもらうことが国民の希望であるということを最後にお願い申し上げまして、私の発言を終わります。

新藤委員長 小林興起君の質問は終わりました。

 次に、村上誠一郎君。

村上(誠)委員 きょうは冷静にやろうと思っていたんですが、小林さんの質問を聞いて、ちょっとこっちへ来てやってもらいたいなと思っております。

 まず最初に、このたびの東日本大震災で被害に遭われた皆さん並びに亡くなられた皆さん方に、本当に心からお見舞いとお悔やみを申し上げたいと思います。

 特に、今回の原発でただいま多大なる被害を受けている皆さん方に対して、残念ながら非常に政府の対応がおくれている、まずそれを指摘したいと思います。

 まず最初に政府に聞きたいのは、まず最初の復興会議を開いたときに、復興会議の議題に原発問題を取り上げてくれるなというお達しがあったようですが、政府、それは本当ですか。

荻野政府参考人 東日本大震災復興構想会議についてお尋ねでございますが、この会議におきましては、被災地の状況を踏まえまして、幅広い見地から、復興に向けての指針策定のための復興構想について御議論いただくというものでございまして、特定の事項を除外するというようなことはございません。

村上(誠)委員 このたびの謝罪にしても、何を反省するかわからない東電や政府、人のことのような答弁をもうそろそろやめてほしいんですよ。

 それで、あのときに福島県知事が、この原発の問題が終わらない限り東北大震災は終わらないということでクレームをつけて、議題に入ったんですよね。

 まず最初に申し上げたいのは、政府のこの問題に関する、一番最優先の課題である、全精力を挙げてやらなきゃいけないという気構えが本当にあるのかということを指摘したいと思います。

 それから次は、日本の原発自身の問題について。

 今まで我々は、福島原発に明らかになったのは、長期間にわたる放射能漏れという原発に関する想定外事態への対処能力がエキスパートと思われていた政府、原子力安全・保安院、東電いずれも脆弱だったということなんですね。想定外、想定外と言いますけれども、先ほど佐藤参考人が言われたように、アメリカではもう既に三十年前に全電源が喪失したことを想定したレポートがあることを当然御存じだったですか。

小森参考人 佐藤参考人からお話のあったレポートそのものは私自身は見ておりませんが、それをベースにしたアクシデントマネジメント、あるいはそういう手順というものは、その後、日本国内でも整備され、全交流電源喪失ということだけではございませんが、そういう手順についての整備については知っておりました。

村上(誠)委員 本来、外国においては、原発は地震のないところ、そして雨や洪水のないところにつくることを限定されています。日本のように地震が多発し、雨、洪水の多い、危険性のリスクの高い場所に建設せざるを得ないような状況において一番大事なのは、炉心がこのような状況になったときにどのように対処するマニュアルというものを最初から持っていたのか持っていなかったかということです。その点、東電、どうですか。

小森参考人 先ほど申しました過酷事故に対する手順あるいはマニュアル、そういうものは整備しておりました。

村上(誠)委員 では、お伺いします。

 住田先生、済みません、住田先生が一番最初の、朝日新聞で書かれたのにありますように、「すべてが後手後手に回る」、そして、最初にこういうふうに停止してから十時間近くあった後に何もできなかったということは、先生の文章でいけば後手後手に回った、すなわちこれは担当者の責任であると私は思うんですが、先生はどのように思われますか。

住田参考人 私もそのように思います。

村上(誠)委員 私は、このように原子炉にダメージを受けたときに本当にどうすべきかというマニュアルをもっときちっとやるべきであったし、そして直ちに判断すべきことは、やはり廃炉にするのかどうするのかということを決断すべきだったと思います。それをちゅうちょしたがために、海水の注入までするのがおくれたんだ、そういうふうに私は考えています。ということは、先ほど小林さんが私のかわりに言ってくれたんですが、そもそも起こった今回の引き金は天災であったけれども、その後のことはすべて人災であった、そういうふうに私は考えるわけであります。

 特に、先ほど来小林さんも御指摘してくれたんですが、今回、このようにベントを行うということに対して非常に私が不審に思うのは、東電もそれから保安院も、あたかもベントするのが当たり前だと。私からいえば、そもそもベントというのは炉の自殺を意味することであって、それは本当に百万分の一ぐらいの可能性のためで、やむにやまれずやるしかない、そういうときに行うべきものだと思います。だから、チェルノブイリに比べて格納容器があるから安全だといっても、ベントをすればその安全性が吹っ飛ぶわけですから、その問題について、まず、このベントの許可について、だれが、いつ最終的にしたのか教えていただきたいと思います。通産省。

中西政府参考人 お答え申し上げます。

 今御指摘のとおりのベント操作につきましては、格納容器の健全性を管理された状態で、ある程度の放射性物質を格納容器の中に逃すということもありまして、そういった意味での影響が大きいということでございますけれども、具体的には、これは三月十二日の一時半ごろに具体的にベントをするというふうなことで判断いたしまして、その同じ日の夜中でございます、三時六分から、海江田大臣から記者会見の場で、格納容器の圧力が高まっており、弁を開いて圧力を解放するということで東京電力より報告を受けたといった形で対外的に記者発表もさせていただいているところでございます。

村上(誠)委員 それは、先ほど参考人の先生方が言われたように、ベントをしなかったらより多くの放射性物質が飛び散ってしまうから、緊急避難的にやるということですね。ということは、先ほど来小林さんも指摘しているように、水素爆発の可能性もあるし、ベントをやったら大変危険な状態にあるということですね。

 それでは、お伺いします。菅氏がそのときに、ここに記事があります、午前の七時過ぎに首相は見切りをつけて自衛隊ヘリで福島第一原発に到着、迎えのマイクロバスで、隣に座った東電の副社長に、何でベントを早くやらないんだと。この国には諸葛孔明も竹中半兵衛も黒田官兵衛もいないのかということです。一国の総理が行くときに、そういう危険性のある状況のところに、幾ら頼まれても、殿、それは大変です、やめてくださいと言うのが当たり前なのに、だれ一人言わなかったんですか。東電と経産省、だれもとめなかったんですか。

小森参考人 ベントにつきましては、事象が非常に厳しいということで、早い段階からその手順に従いまして準備をしておりました。

 私の方からも、ベントというのは、先生のおっしゃられるとおり、非常に放射能をある面では放出することと、大きく格納容器を破損させないという二つのもののバランスの話でございますので、我々としてはベントをするという方向で判断をし、国の方にもお話しに行っていたということであります。

 その点と、総理が現地をごらんになるということとは直接関係なく、我々としては、とにかくベントをするという判断につきまして、国とお話をしておりました。総理の現地のお話ということについては、我々としては、判断あるいはそういったものについてよく存じ上げないという状況でございました。

村上(誠)委員 そんないいかげんな答弁で今までよく原子力発電やってきましたね。今皆さんおわかりのように、総理が行っている最中に水素爆発が起こったり、ベントをしていたらどういうことになっていたんですか。

 もっと私は、今回の一番の大きい問題は、情報公開の問題です。今回の大事故がどんなに環境やいろいろなものに影響を与えるかということを本来保安院や東電は逐一我々に伝えなきゃいけないけれども、本当に重要な情報はほとんど知らされていない。

 ここのところで、もうあなたたちの話を聞いていてもしようがないから事実を詰めていくと、首相が、ベントをした後、みんなに、与野党含めて、これで危機は過ぎ去ったと大見え切った。大見え切ったら、途端に爆発してしまった。結論は何かといいますと、結局、首相はその後、三月十五日の午前五時半過ぎに東京・内幸町の東電本店に乗り込み、会議室で居並ぶ幹部を前に大声を出した。撤退などあり得ない、一〇〇%つぶれると。滞在は三時間に及んで、別室に移った後、いすに座ったまま居眠りをしてしまった。居眠りは御愛きょうですけれどもね。

 ただ、何を言いたいかというと、トップの危機管理というのは、トップが情勢の全体像を把握しないまま現場に急行するのは、問題解決につながらないばかりか、もし行政のトップが爆発でけがをすればどうなるかという危機管理のイロハがわかっていない。周囲もとめるべきだったのに、とめなかった。

 経産省、それに対してどう思うか。

中西政府参考人 まず、三月十五日の件でございます。

 三月十五日に、実は、東電の方に政府全体としての統合本部というのを設けました。実は、今回の事故につきまして、全体像の把握という御指摘もございましたけれども、やはり我々としましては、そういう危険なところ等についての管理というのは、今後、今回をいろいろと踏まえて考えていくべきかというふうに考えてございます。

村上(誠)委員 だから、何回も言うように、今回の答弁、政府も東電も他人事みたいな答弁なんだよね。特に、総理がこういうことにパフォーマンスで行くときに、体を張ってとめるのが忠臣でしょう。それをとめないで行かす。

 そして、もっとおかしいのは、その後、起こった後ですよ。結局、考えてみますと、水素爆発が起こって放射性物質が飛び散ったのは、三月十二日から三月十五日まででほとんど飛び散っているんですよね。ということは、そのときに本当に国民の皆さん方に、ベントをして大変なことになるんですよ、水素爆発して大変なことになるんですよときちっと言わなきゃいけないのに、まだレベル4だとかなんとか言っている。大体、三先生方は言わなかったけれども、あの十二日から十五日、新聞のニュースでも出ていますが、もうレベル7に達するということは推測できたんですね。それも黙っている。

 経産省、それはなぜ黙っていたんですか。

中西政府参考人 お答え申し上げます。

 今、レベル7というお話がございました。実は、我々も、一号機から四号機、プラントのデータ、できるだけそれを踏まえた上で、どのような核種がどれぐらいの程度外に出たのかを評価するというようなことをやろうといたしましたけれども、先生御案内のように、当時は外部電源がまだ全部復旧していなかったということもございまして、発電所の中の状況が把握できなかったということもございます。

 そういった中で、ようやく三月の二十三日に外部からの電源が供給されることによりまして、プラントの中のデータが一部でございますけれども読むことができるようになったということで、対外的にレベル7というふうな評価ができるようになったという環境の変化がございました。

村上(誠)委員 それはうそだ。

 佐藤参考人、どう思いますか。

佐藤参考人 先ほど私の陳述で述べておりますけれども、これはどうなるかというのはある程度予想のついている事象でありますので、少なくともスリーマイルのような規模を大幅に上回る事象になるということは容易に予想ができたと思います。

 これも先ほど申しましたけれども、ぴったりと的中させるというようなことはもちろんできないわけですけれども、その場合に、オーバーコールになるか、アンダーコールになるか。それを極端に、オーバーコールを恐れて、アンダーコールの評価を対外的に報道していたというふうに受けとめています。

村上(誠)委員 ありがとうございました。

 佐藤さんはジェントルマンだから遠慮っぽく言いましたが、そういうことはないということであります。

 そして、もっと一番大事なのは、原子力事故というのは、もう東電が幾らビッグエンタープライズであるからといって、一企業で処理できる問題じゃないのは明白なんです。

 特に、初動の大きなミスは、産経新聞の四月十日にありますが、「災害対策基本法に基づく中央防災会議さえ開こうとせず、執務室に籠もって一人で新聞や雑誌を読みふけっていた」ということ。それから二番目は、これは文春の記事ですが、アメリカのオバマさん初めルース大使は、アメリカは「事故翌日の十二日、「できることがあれば何でも協力する」と、米軍派遣の用意があることを首相官邸に伝達した。防衛省も同日、自衛隊派遣の意向を伝えた。しかし、官邸側はあろうことか、「まずは警察や消防で対応する」と、これらの申し出を断ってしまう。一刻も早い対策が必要な原子力災害では許されない、致命的な判断ミスだった。東電が自力での対処にこだわったとの見方に加え、政権維持に汲々とする菅が「米軍の協力を仰げば野党に攻撃の余地を与える」と過剰反応したとの説もある。菅サイドは駐日米大使・ルースの面会要請も断り、米政府を激怒させた。」そう書いてあります。

 まさに危機管理で考えるべきことは、全世界の経験や英知や技術やツールや検査器具や、今ドイツが東電に申し入れている防護服も含めて、すべて結集してやらなきゃいけないのに、残念ながら、初歩の初歩の段階でこの独善に入ってしまった。これに対して、ジェントルマンで言いづらいかもしれませんが、班目委員長はどういうふうに思われますか。

班目参考人 申しわけございません、十一日から十二日にかけて私ずっと危機管理センターの一室にこもってございましたけれども、そのような事実は実は私の耳には全く入ってございませんので……(村上(誠)委員「いや、事実だとしたらどう思われますかと聞いているんです」と呼ぶ)ぜひ本当は支援していただきたかったなと思います。

村上(誠)委員 大体これで本当に今回のあれが人災であったということと、やはりこういうときに本当の政治家のリーダーシップ、また危機管理ができるかできないかということが明白にわかってくることだと思います。

 そして、今後の対策についてなんですが、私は非常に危惧しております。それも、工程表は早くても六カ月から九カ月ということですから、来年の正月まで続くということです。ということは、最初に申し上げたように、この東日本大震災が来年の正月まで続くということであります。

 それに対して、先ほど小林さんも言われたように、これを本当にどのように速やかに収束させるか、これがすべてであるんですが、残念ながら、先ほど申し上げたように、全世界の英知や経験や道具や、すべてを結集できる体制が私はまだまだできていないと思いますが、住田先生、どう思われますか。

住田参考人 先ほども申し上げましたように、私は、全世界も結構ですけれども、まず日本の国内の技術者、科学者、研究者の結集をぜひお願いしたいと思うんです。まず国内の垣根を取っ払わないで、海外からいろいろなものが入ってくる、それは大変結構でございますし、悪いことじゃありませんから、大いに歓迎でありますけれども、日本の国内で垣根をつくっていて外から入ってきたって、本当に使うのは日本人ですから、それを申し上げたいと思うんです。

 以上です。

村上(誠)委員 住田先生もジェントルマンですから、まず日本からとおっしゃるんですが、それさえも今できていないということであります。

 それで、今回のいろいろな汚染についてほとんど知らされていないんじゃないかなと思うので、二、三説明したいと思います。

 ちょっと済みません、小さい部屋だと思ったので小さいものしか持ってこなかったんですけれども、これが実はチェルノブイリの汚染の分布図であります。ここに小さく書いてありますように、これが百二十キロですから、実は三百キロに及んでいるわけです。なぜこのようにまだらになるかというと、必ずしも同心円状に汚染されるのではなくて、そのときの風向き、それから山の地形、それによってこれだけいろいろなまだらになるわけです。

 ただ、言えるのは、日本の場合は定点の観測点が余りにも少ないために、本当に地上がどこでどれだけ汚染されているのかをだれも把握していないということであります。だから、本来ならば、ここを福島とすると、例えば十キロで幾ら、二十キロで幾らと、本当はもっと点の数を多くふやしてやらなきゃいけない。

 場合によっては、この間、足立区で、普通のベンチでかなりの放射線の暫定値が測定されました。佐藤参考人、それはどうですか。

佐藤参考人 それは私が実際に測定したものなんですけれども、東京の公園のベンチでも一平方センチメートル当たり三ベクレルの汚染がありました。先ほど管理区域の話がありましたけれども、管理区域のレベルというのは四ベクレルなんですね。ですから、東京でさえも、その管理区域のレベルに近いところまで汚染が進んでいるということです。

村上(誠)委員 それから、これは実は、あろうことか、西ドイツの気象庁が出した汚染の可能性を示したマップであります。要するに、風向きによってこのように飛び散っていく。そして、これには書いてありませんが、風向きが今度は下に来れば、我が東京にも来ることは考えられます。

 もっと私が心配しているのは海洋汚染であります。まず最初にお聞きしたいのは、一万一千五百トンの低レベルだということで、あれはだれがいつどこで許可して、それを放出することを認めたんですか、経産省。

中西政府参考人 我々も、福島原子力発電所の中で比較的高い放射性物質の汚水が見つかったということで、それはまずは、二号機のタービン建屋の地下でその高レベルの……(村上(誠)委員「違うんだよ。だれが決めたのか、それだけ答えてくれよ」と呼ぶ)最終的には、我々の海江田大臣が原子炉規制法に基づき……(村上(誠)委員「海江田大臣が決めたんですね」と呼ぶ)はい。

村上(誠)委員 それで、お聞きしたいんですけれども、低レベル、低レベルと言うんですけれども、そのときに流した水の、放射性の量はどのぐらいだったんですか、教えてください。

中西政府参考人 今、御指摘ありました放出につきましては、四月四日から十日までの間に、放出量といたしまして千三百九十三トン、放射性物質の総量といたしましては一・五掛ける十の十一乗ベクレルというふうに評価してございます。

村上(誠)委員 私は、それは決して低レベルだと思いません。

 そして、もっと大変なのは、その後ぼたぼたとトレンチから流れ出た排水が、何と四千七百兆ベクレル、一年間の許容量の二万倍ということです。ということは、一瞬のうちに二万年分が出てしまったということなんですよ。

 これに対して、では簡単にもう一回聞きましょう。今までにどれだけの水量を注入して、どれだけ一号機、二号機、三号機、四号機の中に水が残っていますか、説明してください。

 わかる人ですよ、東電でも。わかっていなきゃ困るんだ。

小森参考人 お答えいたします。

 時点がきょうまでというわけではないかもしれませんが、一号機につきましては七万五キロリットル……(村上(誠)委員「いや、トータルでいいです。一号機から四号機まで、全部で幾ら入れて、それで今現在どれだけ残留の水があるかということを数字で示してください」と呼ぶ)ちょっと今、手持ちでは持ち合わせておりません。

村上(誠)委員 これでおわかりいただけたように、実はこの海洋汚染は大変なことになります。

 もう一つ聞きます。

 一万一千トン近く低レベルと言って流したようですが、そのときに、直ちにGPSをつけてブイを一緒に流して、どのような方向に流れるか、私は追跡調査をすべきだったと思いますが、東電さん、通産省、やっているんですか、やっていないんですか。

中西政府参考人 今回の海洋放出等々に伴いまして、我々としましても、海洋汚染の問題はかなり関心を持って見ております。

 具体的には、東京電力さんの方で、十五キロ沖合の地点での観測地点を三カ所から六カ所に倍増させていただきまして、さらに観測回数も四回にふやさせていただきます。

村上(誠)委員 もうあなたの説明を聞いている意味ないですよ。

 我々が一番心配しているのは、あなた方、最初に、保安院の眼鏡をかけた人が毎日、直ちには健康被害がないとか言っているけれども、結局、あれだけ流していけば、アリューシャン列島からアラスカから太平洋岸まで届いたときに、今研究によっては津軽海峡から日本海にさえ流れていくという推測まで出ている。海洋法違反における風評被害やこの損害賠償まで請求される危険性があるのに、そのことについてただ関心を持っているなんて、あなた、よくのうのうと言えますね。

 では、その責任は政府がとるんですね、通産省。

新藤委員長 経産省中西審議官、先ほどの質問は、放出した水に対して、ブイを置いてGPSでずっと追跡調査をしたかという質問です。

中西政府参考人 先ほど御指摘いただいた点の、ブイを置いての観測、GPSの観測はやってございません。

 済みません、先ほど私の答弁の中で、海洋放出の量を一千トンと読みましたけれども、トータルとしては一万三百九十三トンの間違いでございました。

村上(誠)委員 このように、本当に私は、日本の官僚がこのように責任感を喪失してしまったのか、そしてまた、東電という日本一のエンタープライズがこのような脆弱になってしまったのか、私として本当に情けないと思います。

 なぜこのことを言うかというと、さっき後ろからメモが出たようですが、今までの放り込んだ水と、それから建屋に残っている水、合わせて幾らになったか計算できましたか、東電。

小森参考人 申しわけございません、投入した水の量はちょっとまだ計算できておりませんが、高レベルの廃液量としては今六万七千トンぐらいあるということで、これを出さないようにしたいと思います。

村上(誠)委員 そのような無責任なことはもういいかげんにしてほしいんだけれども。

 例えば、では六万トンの水を、アレバに頼んだかどこに頼んだか知らないけれども、それをクリーンな、放射性物質を取り除くとすると、一トンにつきコストは幾らかかりますか。

小森参考人 申しわけございません、金額そのものは、まだシステムの詳細のところを今つくっておりまして、金額についてはここでは私自身わかりません。申しわけございません。

村上(誠)委員 なぜ今聞いたかというと、これは後で、今後水棺化して冷却系をつくるといっても、先ほど来参考人の先生方が言われているように、ダーティーな汚水をぐるぐる回すのか、一々クリーンにしてやっていくのか、多分ダーティーな水をくるくる回すわけにいかないと思うんですよね。そうしたら、ある会社から言わせれば、一トンにつき二億円かかるというんですね。六万トンですよね。十数兆ですよ。

 すなわち、何を言いたいかというと、当事者で今すぐやらなきゃいけないのに、そういうコストパフォーマンスも計算していない。これが当事者の本当に真剣なる姿かということなんですよ。

 それで、もっと情けない話は、こういう問題が起こっているのに、だれもチェックしないんですけれども、班目さん、こういう海洋汚染については、日本は、これは今回世界で初めてなんだけれども、どこがチェックする責任があるんですか。

班目参考人 海洋汚染に対するチェックでございますか。済みません、申しわけございません。存じません。

村上(誠)委員 これは大きな問題なんですよ。今、世界は黙って見ているけれども、さっき小林さんが言ったように、もし、ある程度落ちついてきて、海洋法違反で全世界から風評被害や損害賠償を請求されたときに、どこがだれの責任でもって払うかということも考えておかなきゃいけないわけですよ。

 特に、先ほど言っているけれども、青森から中村先生の茨城までの漁場は、下手すれば大変なことになるわけですよ。そういうことに対して本当に、現場の人たち、気仙沼の漁師さんが早く港や船を直して再開したいと言っても、御存じのように気仙沼は、例えば高知のカツオのときは、あそこでえさを入れて、そしてサンマはおりてくるときにやる。そうしたら、高知からすべての漁場がだめになる。

 こういう重要な問題についてだれもチェックしていない、だれも関心を持っていないということは、委員長、行政監視委員会はもっとびしびしやらないと、だれもやらないということなので、引き続きよろしくお願いしたいと思います。

新藤委員長 まさにその目的で、きょうは開かせていただいております。

村上(誠)委員 それで、問題は、先ほど来言われている水棺化の問題なんですが、私は、今言ったように、いろいろな問題点があると思うんですね。一つは汚染水のジレンマ。最低でも一日六百トン入れれば、二日で千二百トン、二十日で一万二千トンと、どんどんどんどんふえていく。

 それからもう一つ、これはちょっと御参考までに申し上げておくんですが、実は今回の地震は、今までとちょっと違うのは、(パネルを示す)この潜り込むプレートの上が崩れつつあると言われています。この部分が崩れつつあるから余震の可能性が多いということ。それから、これから七月、八月に向けて、どんどん台風や洪水のシーズンになってきます。そのときに、こんなのを半年も九カ月も続けている間に、余震が来たり洪水が来たときに、果たして水棺化は安全であるかどうかという問題点。

 それから、問題は、原子炉内の燃料棒ですが、ある記事によりますと、ここにあるように、一号機は原子炉の七〇%の燃料が傷ついている、二号機は三〇%が損傷している、三号機が五百四十八本、こう言っているんですが、佐藤参考人、お伺いします。正直言って、このように七〇%壊れているといっても、私は燃料棒はほとんど、これも見ていただいたらわかるんですけれども、これが燃料棒のあれなんですが、すぐ溶けてしまいます。五分間で溶けてしまうんです、冷やすことができなくなると。そして、こうやって溶けて裂けていって、水をかければ、こういうふうに中の燃料棒は全部ぐしゃぐしゃになってしまいます。

 ということは、七〇%崩れているとか、三〇%崩れているといっても、私はほとんどの燃料棒はぐしゃぐしゃになっていて取り出し不能だと思いますが、どうですか。

佐藤参考人 御理解の可能性は非常に高いと思います。

 ぐしゃぐしゃになって取り出せないのではないかという御意見に対しましては、私のこの資料でちょっとつけ加えたいと思うんですけれども、この中の真ん中の絵が燃料をかいているところなんですが、この赤い部分が燃料です。これが溶融します。支持板のところが溶けて崩落していくんですけれども、そこまでには、ある解析によれば、冷却を失ってから二時間ぐらいで行ってしまう。ですから、当然その下にさらに落ちていきます。

 そういったものを回収するという作業なんですけれども、これは大変私は自信を持って申し上げられるんですが、これは非常に困難で、被曝管理上も大変危険な作業になって、実行可能性は非常に薄いと思います。

村上(誠)委員 ありがとうございました。

 それから、あと、使用済み燃料棒なんですが、実は使用済み燃料棒というのをマスコミもほとんど報じないんですが、実は、あそこの一号機、四号機、五号機、六号機、全部入れますと、何と三千四百四十六本あるんですね。そして、四号機のプールは、アメリカの情報だと、当初、穴があいていて、かなり煙が出ている、千三百三十一本あるわけですが、かなりぐしゃぐしゃになっていると。

 そうしたときに、ある新聞で、燃料棒を取り出すんだとか、将来石棺化をするんだとかいうことを、ここにありますように、使用済み燃料の搬出計画、それから東芝、日立の共同で廃炉案、要するに石棺化、こう記事が出ているんですが、要するに、ぼろぼろになっている燃料棒をどのようにして搬出するのか。

 それからまた、ここにありますように、東芝と日立が福島第一原発を四基並行で十年かけてスリーマイル島のような廃炉過程をやるんだ、こう言っているんですが、そんなに時間とコストをかける暇があるのか。もっといい案がないのか。そういうことであります。

 時間がないので、本当はもっとここをじっくりやりたいんですが、大体今おわかりいただいたように、汚染水のジレンマ、台風、余震の可能性、それから原子炉内の燃料棒の破壊、使用済み燃料棒の破壊、そしてまた、このようなことが延々と続くとなるとすれば、もう福島県民は、これは私が言うとちょっとおこがましいんですけれども、目の黒いうちは帰れなくなってしまう。そういうことをもっと当事者は真剣に考えるべきじゃないかと私は思うんです。

 今まで、大体おわかりいただけたと思うんですが、今回なぜこういう問題が起こったか、原因の究明ですね。これは、先ほど住田先生や皆さん方が言われているように、初動ミスがすべてである。この責任の所在をやはりきちっと、徹底的に追及すべきであるということ。そしてまた、情報の公開について、何か一元化されたようですけれども、いつも大本営の発表ばかりで、本当のことを本当に知らされているのかどうか。それから、今申し上げた、福島原発の最良の収束法について、いろいろな英知や経験や道具を結集する体制をもっと組む必要があるんじゃないか。その点、まことに申しわけないんですが、細野君や馬淵君ではちょっと心もとないなと。もっと政府の中で、きちっとした部署で、参考人の先生方のようなきちっとした人を据えなきゃ、私はこれはできないんじゃないかと思いますよ。

 それから、最後に、今回の問題点は、実は将来のエネルギー対策に大変大きな影を落としているわけであります。それはなぜかというと、今まで民主党は、昨年の政策で、二〇三〇年に電気の供給の五〇%を原子力で賄うと大きくかじを切ったわけであります。としますと、今、国会の中で脱原発の何か勉強会ができているようですが、私は、原発なしではこれからの日本は乗り切れないと。マグネシウム水素のような代替エネルギーが開発されるまでは少なくとも原子力発電に頼らざるを得ない。それならばこそ、なおさら国民や、そしてまた現地の人たちを説得できるようなやはり説明が必要じゃないかと思うんです。

 そういう中で、将来のエネルギー対策なんですが、今三〇%の原子力のウエートを今後どういうふうに持っていくのか。経産省、どのように考えているか、ちょっと説明してください。

朝日政府参考人 お答え申し上げます。

 今後のエネルギー政策のあり方につきましては、今の地震、津波の状況でありますとか、事故原因についての徹底的な検証を踏まえて、国民各層の御意見を賜りながら検討を進めなければなりません。それに当たりましては、エネルギーの供給安定性、地球温暖化問題との関係、経済性などをあわせて勘案いたしまして、中長期的な、さまざまなエネルギー源のベストミックスを追求していくことが必要でございます。そういう観点から、しっかりと議論をさせていただきたいと思っております。

村上(誠)委員 政府委員を廃止してからの弊害なんだけれども、あなたらの言葉は何か言霊がこもっていないんだよ、本当に。ただぺらぺら用意した文章を読んで、今、東先生が言われたように、何も答えていないよ、そんなのは。要するに、これだけ原発に対して不信を持って、例えば私の地元には伊方原発があるけれども、伊方の人たちに、こういうことですから納得してくださいという説明ができなきゃいけないけれども、今あなたの説明でできるわけないじゃないですか。

 そして、次に私が考えなきゃいけないのは、過疎化と人口減少を含めて、これからの都市計画をどうしていくのか。そしてまた一番大きな問題は、日本の産業構造をどうしていくのか。

 特に一番大きな問題は、今回、御承知のように、トヨタや日産の自動車が、カルロス・ゴーンが、要するにコストを下げるということで部品の一極集中をやったんですね。一極集中をやって、今までは三カ所ぐらいに分散していたのが、例えば東北のある箇所に集中する。そのために、実は日本どころか、外国の自動車の産業もとまってしまった。そしてまた、そういう問題について無策でありますから、円高が続いていくとますますこれから日本企業が海外に移転する傾向が強まる。そしてまた、今申し上げた部品の提供をしているところがほかにとられれば、またリカバリーするのは難しい。

 そして、一番重要なのはエネルギー政策で、日本が世界に唯一、ウラン棒からプルサーマル、そしてまた使用済み燃料の再処理まで、一貫してできるのは我が国だけなんです。それを今まで営々と築いてこられた三先生たちの苦労が、この際一挙に吹き飛んでしまう危険性がある。

 こういうエネルギー対策、土地計画、日本の産業政策、それから構造改革、これについて本当はもっとやりたいんですが、きょうは原発の問題だけで終わってしまったので、委員長にお願いしたいと思います。今後、これから息の長い闘いです。

 それからもう一つ、きょうは逢沢君が来ていないんですが、できたら、本当はこういう問題について、与野党を問わず、特別委員会を設けて、復興の方向をどうするかということをこれから本気で考えることが一番重要じゃないかと思います。

 最後に、これで終わります。産経新聞に出ているんですが、「民主党政権になり、政務三役に無断で仕事をやってはいけないという「不文律」ができた。「勝手なことをやりやがって」と叱責されるのを覚悟の上で官僚機構は黙々と対策を練ったが、実行のめどは立たない。政治不在がいかに恐ろしいか。官僚らは思い知った。」と産経新聞はまとめております。これはお互いに政治家等で猛省して、ここら辺は本当に、この問題こそが東北大震災のすべてであるということで、今後とも我々が一致団結して頑張っていきたいと思います。

 御清聴どうもありがとうございました。

新藤委員長 村上誠一郎君の質疑は終わりました。

 続きまして、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 きょうは、参考人の皆様には貴重な御意見をちょうだいし、本当にありがとうございました。

 私ども公明党も、これまで原子力を認めてまいりました。また、私自身もエネルギー政策にかかわってきました。そういう立場から、今回の事故を大変じくじたる思いで見ておりますし、今回の事故を、人類の一つの、次のステップへの教訓とすべく、またプラスに転じるべく、我々努力をしていかなければならない、このように思っております。

 そういう立場で質問をさせていただきますが、まず初めに、原子力安全委員会の役割ということで質問させていただきます。

 十二年前のジェー・シー・オー事故のときは、住田先生は原子力安全委員会の委員長代理として、先ほどもおっしゃっておりましたけれども、すぐ現場に飛んで陣頭指揮をとられました。当時の原研と動燃、今の原子力研究開発機構が全面的に協力するようにという態勢を取りつけられて、かつ、最後といいましょうか、再臨界を防ぐために水抜き作業をしなきゃいけない。その水抜き作業をするジェー・シー・オーの社員に対して先生みずからが説得されて、あなた方がやらなくてだれがやるということで、その水抜き作業を成功裏に終えられた、このように聞いております。

 そういう意味では、原子力安全委員会が前面に立って、政治の方は一歩後ろからそれをバックアップしたという形。当時は、文部科学大臣が有馬先生でございましたけれども、政治は一歩外からそれをバックアップするという体制だったように思います。

 そのときに果たした原子力安全委員会の役割と、今回、原子力安全委員会のリーダーシップの発揮が見られないのではないか、このような批判もあります。当時は原子力災害対策特別措置法ができておりませんでした。ジェー・シー・オー事故が起きてから原子力災害対策特別措置法ができたわけで、その法律の存在があったかなかったかという大きな違いもございますけれども、このことに対して、住田先生、まず、今回の原子力安全委員会の活動について所見を求めたいと思います。

住田参考人 大変難しい質問だと思いますが、率直に申しまして、今お話をいただいたような、若干私の理解とは違うところがございまして、ジェー・シー・オーの事故のときも、原子力安全委員会というのは本来は行政委員会ではなくて諮問委員会でございますから、諮問委員会としては明らかに、そのメンバーの一人である私がそういう行動をとりましたことについては叱責されてしかるべきでありまして、国会あたりで罷免という声が上がっても不思議ではなかったと思うんですけれども、幸いにして、先生方の御好意で見逃していただいたというのが本当だと思うんです。

 ただ、別な意味で申し上げますと、いろいろな状況から、先ほどから何回も話が出ているんですが、だれか非常に専門家がリーダーシップをとらなきゃいけないときと政治家がリーダーシップをとらなきゃいけないときと、はっきり違うと思うんです。技術のわかる人が技術的な判断を下して、それをサポートしていただくというのが政治家の役割だと私は理解しているんですけれども。

 そういう意味で、当時、私が東海村へ参りましたときに、現地本部長としては政務次官がついてこられまして、政務次官がそのときおっしゃったんですけれども、ここから先は技術的なことについては私はわからない、だれかにお願いしなきゃいけないということで私を指名されて、私もその場ですぐ申し上げたことは、原子力安全委員というのは諮問委員であって行政委員会ではないから、私がそれをお受けしていいかどうかわからないけれども、同じような原子力をやっているシニアの一人として、皆さんが私をサポートしてくださるというのなら、その立場でなら私、お引き受けしてもいいんですがということを申し上げて、ちょっとくどかったんですけれども、そういう条件をつけた上で、私自身は、だから、安全委員の一人としてというよりは、むしろ原子力シニアの一人としてそういうポジションをお引き受けしたというつもりでありまして、当時も、その後、やはり国会の科技特に呼ばれまして、その点は厳しく追及されたんですけれども、私の御説明で皆さん納得してくださったといういきさつがあります。

 ですから、原子力安全委員会が何でもかんでも前に出てやるということについては、私は個人的にも反対でありますし、私自身のやった行動も、もっとも、そのときとしてはやむを得なかったんですけれども、適切であったかどうかというのは若干疑問だと思っております。

 しかしながら、現在の状況においては、原子力安全委員会というのは諮問委員会でありますから、諮問委員会が前へ出るということは、これは日本の行政あるいは政治の体系からいいますとやはり出過ぎでありまして、要するに、質問されたことに対してきちっと答える、それから、もし非常に重要なことがあれば、原子力安全委員会は総理に意見を申し上げることができるということだと思っております。

 ただ、申し上げたいことは、一つは、行革のときに、実は、原子力安全委員会と原子力委員会、御存じのように、原子力委員会から分かれて出た原子力安全委員会でありますけれども、原子力安全委員会の方には、必要だと考えたときは原子力安全委員会は総理にそういうことを申し上げてよろしいという条項が一つあったんですけれども、なぜか行革のときにそれが削られてしまったんですね。二つとも同じような、今見ていただくとわかりますが、一つ並びになっています。私は当時、安全委員会の中での担当だったものですから、大分抵抗したんですけれども。だから、安全委員会が、今、諮問委員会としては、原子力委員会それから原子力安全委員会、同じ並びになっておりますから、そのことを一つ申し上げておきたいと思うんです。

 ただし、やはり重要だと思うことは私どもが進言をするという立場でありまして、ですから、現在の原子力安全委員会、班目先生以下五人の方の役割というのは、やはり諮問に答えてベストを尽くすということであって、みずからが陣頭指揮して何かをやるということではないと私は理解しております。

 先ほどちょっとお話がありました、カーター大統領がシッピングポートに行ったときに、当時のNRCのデントンという技術部長が実はシッピングポートの現地におりましたけれども、彼は頑として制御室に入らないで、外におって頑張っていたらしいんですけれども、カーターさんが来られるというので、やむを得ず同行したという話を後で聞かされています。それほど、諮問委員会の役割とそれから行政委員会の役割というのは、やはり日本の全体の政治をやっていく上では厳密に考えていただかないといけないと思うんです。

 そういう点で、私は、自分が元安全委員であったからということではないんですけれども、班目先生がいろいろな立場で政府に助言をされているとは思いますけれども、やはりデシジョンメーキングの責任というのは行政側がおとりになっていただかないと困ると思うんですね。その点はちょっと何か、私にすれば、余りにも安全委員会が行政委員会であるかのごとく確認されて、国家公安委員会とは違うんだということをぜひ覚えておいていただきたいと思うんです。

 それでお答えになったかどうかわかりませんが、以上です。

斉藤(鉄)委員 班目委員長、今の住田先生のお話を聞かれて、いかがでしょうか。

班目参考人 まさに私の思いを代弁していただいたという感じでございます。我々は、やはり法律にのっとって動かざるを得ないということをぜひ御理解いただいて、政府に対する助言役に徹しているということをどうか御理解いただければと思います。

斉藤(鉄)委員 では、その位置づけについては私も理解しました。

 もう一つ、今回、原子力安全委員会に対して、いわゆるSPEEDI、放射能拡散予測プログラムですね、この結果をなぜ出し渋ったか、公表しなかったのかという批判もございます。先ほど、住田先生も最初のお話のときに、そこをぜひ聞きたい、このようにおっしゃっておりました。まだこの質問が出てきておりませんので。

 我々も、その日の気象状況を、いわゆるドイツの気象庁が発表した計算結果で知るような次第でした。私は、SPEEDIの結果をあのジェー・シー・オーのときに既に使える体制にあった、それから十二年もたった、随分機能も改善されたに違いないのに、今回なぜ出し渋ったのか。この点をお聞きします。

班目参考人 ちょっと午前中の委員会でも同じようなことがあったので、もう事実関係ははっきりしていると思うんですが、SPEEDIというのは文部科学省によって開発されたものであるということが一点。それから、現在も文部科学省の予算のもとに、その関連団体であるところの原子力安全技術センターが計算を行っているものであるということ。その結果というのは、安全委員会にも三月十一日時点から配信はされておりましたけれども、その他のところにも全部配信されていたものであるということ。三月十六日になって、このSPEEDIというのが放出源データがないがゆえにちっとも活用できないではないか、専門家集団としてこれの活用策を何とか考えてくれないかというふうに言われて、それから初めて実は安全委員会の方でいろいろなことを試みたというのが実態でございます。

 そういう意味では、安全委員会の方からSPEEDIについての情報提供を出し渋ったという事実はないというふうに私は認識しております。

斉藤(鉄)委員 例えば、最初の避難計画を立てるときに、済みません、今、具体的なある村の名前を忘れましたけれども、ある村の避難は、わざと風下の方になるように、つまり、二十キロ圏内ではあった、しかしそれが、二十キロ圏外には出るんだけれども、SPEEDIの計算結果を見れば、明らかに被曝線量は高くなる方向に避難計画が出されて、そのように実行された。

 情報は来ていると先ほど委員長はおっしゃった。では、なぜその計画を阻止されなかったんですか、安全委として。

班目参考人 避難区域の設定とか、あるいは具体的な避難のオペレーションは、これは行政庁の方でやっているものであって、実は安全委員会としては、その指標みたいなものはつくってございますけれども、具体的なところまでは助言の時間もなかったというのが実態でございます。

斉藤(鉄)委員 まさに住民の安全を守るために助言をするというのが安全委員会だったんじゃないでしょうか。

班目参考人 その当時は私、ずっと官邸にこもっておりましたので、そのSPEEDIに関する実態は本当に全く知りません。

 少なくても十六日の時点までは、もうこれは避難は全部終わっております、それまではSPEEDIの管理は完全に文部科学省下にあったということだけはぜひ御認識いただきたいと思います。

斉藤(鉄)委員 この問題は非常に大きな問題なので、これからも議論していきたいと思います。

 松浦先生、原子力安全委員長経験者として、今の議論をどのようにお思いになりますでしょうか。

松浦参考人 実は、このSPEEDIといいますのは、私が旧日本原子力研究所のたしか理事及び理事長のころに、日本原子力研究所で一つの研究として開発したものであります。開発が成功いたしまして、そしていろいろな試験の結果、一応実用になるということで、その運用を原子力安全技術センターが受け持つことになって、その安全技術センターで運用させることを文部科学省の方がなされている、こういうふうに理解しております。

 もともとSPEEDIというのは、本来が、原子炉事故、特に放射性物質の大量放出が出たときに、避難に対して、どういう避難をするかということを、それのための、いわば助言に役立つようにということを目的につくられたものであります。したがって、確かに、放出の量そのものがなかなかわからなくても、そのときの気候条件等がわかりますと、傾向としてどちらの方にどのように流れるかというのは十分わかるわけであります。そのようなことは、かつて国際協力のもとにヨーロッパで実証試験等が行われておりまして、その結果もそのようなことを示しております。

 したがって、値がわからない場合は、確かに、ここでどのように被曝するかまではわかりませんが、どの方向にどのように放射性物質が流れるかというのはわかりますので、それに基づいての対処の方針を決めるということはできたのではないかというふうに思います。

斉藤(鉄)委員 それから次に、住田先生のお話の中で、これからの安全規制の体制を改めるべきだ、こういうお話がございました。

 私も基本的には同感ですが、ただ、これまで、いわゆるダブルチェックが一番いいんだ、こういうふうに我々は与党のときは言ってきたし、そういうふうに説明を受けてきました。つまり、原子力安全・保安院が行政庁としてチェックし、全く独立した原子力安全委員会がそれをチェックする、そのダブルチェックで非常に確実性の高い安全規制を行うんだと。

 今回、先ほどの先生の提言ですと、それを一緒にして、NRC的な、非常に規模も大きな、体系的に整ったものをつくった方がより効果的だということですが、そうするとシングルチェックになるわけですけれども、この点について住田先生のお考えと、それから佐藤参考人はアメリカの例をよく御存じ、アメリカはまさにシングルチェックです、どのようにお考えになるか、お聞かせください。

住田参考人 私は、現在、ダブルチェックじゃなくてもうトリプルチェックになっているんじゃないかと思うんです。というのは、地方自治体が政府の二つのシステムでやったのでは到底満足されませんで、自治体自身が何らかの形でチェックシステムをお持ちになって、そこに相談してからということをやっている。だから、トリプルチェックになっている傾向が非常に強いと思うんです。

 端的に申し上げまして、これは、我々が持っているこれだけの技術者と研究者を集めたとしますと、それを三つに分けて、薄く三回繰り返すことになっていやしないかということで、非常に危惧の念を持っております。もちろん、いろいろな分野の方にいろいろな角度で見ていただくというのも大変結構なんですけれども、どうも、ややトリプルチェック的に流れていっているという心配がありますので、むしろ、NRC式に、強力なシングルで全責任を負うようなシステムにした方がいいんじゃないかなというふうに考えております。

 ただし、ぜひとも考えておいていただきたいのは、ただ単に現在の保安院と安全委員会の機能をあわせて持っただけではだめでありまして、その下にといいますか、その斜め横といいますか、そういうところに研究機関があり、あるいは調査機関がありシンクタンクがある、そういう非常に強いバックグラウンドを与えていただかないと、ただ単に二つの組織をぱっと重ねて人間を足しただけでは不十分でございますので、ぜひとも、いろいろなことをお考えのときには、形式的な統合ではなくて実質的な統合と、それに対するサポーティングシステムをつけていただきたい、これはお願いでございます。

 以上です。

佐藤参考人 私は、NRCの体制については、必ずしもシングルチェックだというふうには理解しておりません。

 NRCの組織をまず簡単に御説明しますと、一番上にコミッションという機関があります。これは、大統領から指名された委員が決まった任期でおさめるというところです。最高の決定機関です。その下にEDO、エグゼクティブ・ディレクター・フォー・オペレーションというのがスタッフと呼ばれる職員のトップになります。その以下に、いろいろな部門別にスタッフが配属されている。

 それと完全に別に、ACRSという組織があります。それは、直接コミッションにレポートします。そのACRSがスタッフのいろいろな判断、評価をチェックする。これは、私はダブルチェックだと思っております。ACRSの職員はスタッフからは完全に別に採用されております。任期も決まっております。そういうことで、実際の活動を見てみますと、シングルチェックということではなくて、確実にダブルチェックが機能しております。

 以上でございます。

斉藤(鉄)委員 それでは、もう一つお聞きしたいんですが、そのNRCまたACRSの組織の中に入っていらっしゃる専門家の方というのは、役所だとか民間企業だとかメーカーだとか、そういうところとの人事交流というか、人事交流というときれいに聞こえますが、例えば天下り的な要素のある人事交流だとか、そんなものはあるんでしょうか。

佐藤参考人 お答えいたします。

 ACRSの中にも、大学出身の先生方あるいはメーカー出身の先生方というのは含まれております。ですけれども、決定するときには、例えばメーカー出身者であれば、審議する内容について自分のバックグラウンドが関係している場合には、審議の前に、私はこの件についてはコンフリクト・オブ・インタレストがありますから、意見は言いますけれども表決には加わりませんというようにきっぱりと断った上で審議に加わっているというのが、議事録からそういう経緯はわかります。

斉藤(鉄)委員 次に、東京電力に対して質問させていただきます。

 最新の知見を常に取り入れて、不断の安全設計の見直しをするという姿勢に欠けていたのではないか、こういう批判がありますが、これに対してはどのようにお答えになりますか。

小森参考人 今までも、最新の技術あるいは知見に基づいて安全をさらに向上するということは、我々の原子力のような、リスクあるいは巨大なエネルギーに携わる者としては基本であるというふうな認識を持っておりますし、海外のトラブルあるいは他電力のトラブル等についての知見の反映というようなこともやってきたわけでございますが、まれに見る津波とはいえ、このような事態になりましたことに関しては、本当に痛恨の念も持ちますし、反省すべき点があるというふうにも思っております。

 原子力の技術者としては、常に真摯に安全を向上するということに努めてまいりたいというふうに思います。

斉藤(鉄)委員 そのような風土をあらわす言葉として原子力村という言葉がありますけれども、ある意味で、高度な専門家集団、そのレベルは保たなきゃいけない、これは当然だと思いますが、それと同時に、風通しのいい組織、それは、その組織だけではなくて社会との風通しという意味も含めて、風通しのいい組織をつくるということが必要かと思います。

 このことに対して、東京電力と、それから、ある意味では、原子力研究者であられたきょうの参考人の方も原子力村の外れの方の一員と言えるのかどうかわかりませんけれども、何か御意見があれば御三人の方から。まず東電から答えていただいて、御三人の方でもし御意見があればぜひお願いします。

小森参考人 お答えいたします。

 原子力は、原子力工学に限らず、電気、機械、あるいは土木、建築、そういう工学に関しても、いろいろな部門の人たちが総合した技術だというふうに思っております。もちろん、研究のレベルでは、物理、化学、あるいは地質、そういう広範な部分が成り立って初めて実現できている技術だというふうに思っております。そういう専門性あるいは統合性というものについては、常に高いレベルを保つということが必要かというふうに思います。

 また一方、それとはまた違った意味合いで、我々の技術を社会に生かすという観点では、先生のおっしゃられるとおり、社会の視点を持つという意味合いで、東京電力は、過去に情報隠しといいますか、そういう設備のデータ隠しというようなこともあり、風土の向上というのは本当に重要なことだというふうに取り組んでおります。また、この話は、今回の事故とはまた違った形で基盤をなすものということで、邁進してまいりたいと思います。

松浦参考人 原子力村の端っこにいるであろう人間はどう思うかという御質問でありますが、実は原子力という科学技術は、それに特有の部分というのは非常に少ないものであります。核反応であるとか放射線であるとか、そういうのは確かに原子力に特有のものでありますけれども、それ以外のところというのは、他の科学技術をほとんどそのまま使っているというものであります。

 したがって、私自身が原子力村ということを感ずるということは今まで余りありませんでしたし、私の友人の他の分野の技術者、科学者、あるいはむしろジャーナリストとか、そういう人たちと話をしても、そういう、特に私自身がその人たちと違う集団に属しているというような違和感を感じたことはほとんどありません。

 しかしながら、よく言われますように、実は放射線とか核反応とかいうのは一般的な概念としては非常にわかりにくいものでありますので、その点を原子力に携わる者が世の中の人にわかりやすい形で今までお伝えしてきたかというと、わかりやすくするために、つい漫画のようなもので説明してしまうために、結局は、最後、どうもわからないということになるわけでありまして、そのことが、いまだに、原子力の人の言うことはわからない、あの人たちは特別の村人だ、こういうふうに思われるのかもしれません。

 今後は、少なくとも漫画じゃなくて、本当の意味で原子力の意味合いを一般の市民の人たちにわかっていただくように、そのためのいわばインタープリテーションといいますか、納得していただけるような説明をする努力を、原子力に携わっている人間はこれから、今までとは格段に違って努力をしないといけないのではないかというふうに思っている次第です。

佐藤参考人 二〇〇二年からアメリカの原子力安全の実態を調査してきた者としまして、感じているところを申し上げます。

 やはり、日本の原子力安全基盤は相当おくれがあるというふうに私は感じております。

 先ほど、確率論的危険度評価、PRAという手法が運用されていなくて、各原子力発電所それぞれが自分の発電所の弱点を把握していないということを申し上げましたけれども、そのほかにも、例えば火災防護、これは日本にも一応規格基準はあるんですけれども、アメリカに比べますと、大変緩いです。大変非保守的になっています。

 それから、最近のテロ対策ですけれども、アメリカの場合には、テロ対策を発電所の設計に反映したりしております。ですから、日本のABWRの原子炉よりも、これからテキサス州に建てようとしています、予定がありましたABWR、そちらの方には、今まで日本のABWRにはない別のシステムがまた追加されています。

 それから、サイバーセキュリティーですけれども、これが最近非常に大きな問題になってきております。ことしの春ですけれども、私はこのサイバーセキュリティーの会議に出席する機会がありました。各電力会社から三百人ぐらい集まりました。多いところは、一社から三十人ぐらい集まっています。もう既に、名刺にサイバーセキュリティー担当という人たちがたくさんいるんですね。その中には、日本から、官からも民からも出席はありませんでした。そういったところから、やはり最新の安全上の問題に対する関心の薄さが感じられています。

 以上です。

住田参考人 原子力村の住人だというふうに決めつけられたんですが、私自身は余りそのことを意識しておりませんで、どちらかといいますと、割合に幅広く工学全般、あるいは、私は専門が物理でございましたから、実験物理学の畑で育ってきました。したがって、大学の教授をしておりましたけれども、プロフェッサーとしての約二十年ぐらいの間、私が何をやっていたかといいますと、実は、核融合のときに出る中性子を何かにぶつけたら、それが熱に変わりますから、その熱をうまく効率よくやる。それから、トリチウムという元素を使って、それでブリーディングをしよう、増殖をしようというような、そういうことの基礎研究の方に興味を持って、一生懸命になってやっておりました。

 ただ、私がその専門の方にのめり込む前に、やはり十年間ぐらい原子力のフィールドでお世話になっておりましたから、それと放射線計測という分野の仕事はずっと続いておりましたから、そんな立場で、科学技術庁の技術顧問的な役割もサービスとしてやっておりましたし、それから、大学関係の学内あるいは全体の共同研究所のようなところのやはりいろいろな世話役をやっておりまして、そのまま何かずるずるっと、大学を卒業できるかと思ったら、原子力安全委員にしていただいたみたいなものでして。

 だから、私自身は、原子力村のいわゆる育ちのいい人間ではなくて、むしろ村外れといいますか、村から逃げ出そうとして、最後は失敗して、その中へ引き戻されたというのが今のところの感じでございます。

 今度のような大きな事故がありますと、本当に私自身が原子力村の中にどっぷりと必ずしもつかっていなくて、いつも距離を置いてきていたという、その距離を置いていた理由というのが、僕自身が、心の中のどこかで非常に心配していたことがある。それが何か現実に姿をあらわしたという意味で、ある意味では自分がひきょうであったという反省もいたしますけれども、ある意味では自分の直観といいますか、そういうものがやはり現実の姿になったということで、非常に何かつらい思いをしているわけです。

 ですから、今、斉藤先生からそういうふうに言われますと、私は原子力村の住人なんですかと。むしろ、はっきり言いますと、斉藤先生のお若いころに、私の実験室へ来て実験をされたこともあるような記憶がありますので、そういうことを思い出しますと、やはりいろいろなことをやってきた人たちが原子力に集まってきてやっている。ですから、原子力村の住人だけの原子力じゃないということを、やはり原子力村の住民はよく知っておかなきゃいけない。

 特に、今回のような大きな事故を起こしますと、自分たちの失敗がどんなに大きな影響を与えるか。これは、例えば航空機とかあるいはいろいろな産業で産業災害を起こしますと、これは物すごく現場に迷惑をおかけすると思うんですけれども、でも、原子力ほど、今度の事故の例が一番いい例だと思いますが、これだけ幅の広い、いろいろなところに影響を与えるだけの災害をもたらすというのは、やはりちょっと類例がないと思います。

 そういう意味で、私たちは、もし何かと言われるんでしたら、原子力村の住民として、心の中の一番奥のところに持っていなきゃいけなかったのは、やはり原子力の安全といいますか、こういうことで人に迷惑をかけないでおこうという、それが一番のとりでだったと思うんです。そのことは、私自身は忘れてこなかったつもりでいるんですが、それでもやはり努力が足りなかったなと反省しております。

 村の中の一人とおっしゃったのですが、私は村外れの一人だと思うんですけれども、それでよろしいでしょうか。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 失礼な言い方があったとしたら、お許しをいただきたいと思います。

 終わります。

新藤委員長 以上で各会派を代表する委員の質疑は終了いたしました。

 参考人の先生方、お疲れだと思いますが、申しわけございませんが、もうしばらくおつき合いのほどお願いしたいと思います。

 また、政府、事業者の皆さんも、申しわけございません、よろしくお願いいたします。

 これより自由質疑を行います。

 この際、委員各位に申し上げます。

 質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言されますようお願いいたします。また、発言の際は、着席のまま、所属会派及び氏名をお述べいただいてからお願いいたします。

 なお、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は三分以内ということになっております。三分過ぎますと鈴が鳴りますので、御了解いただきたいと思います。

 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。

辻委員 民主党の辻惠でございます。

 政府側の三人の方と三人の参考人の先生方で、余りにもコントラストのはっきりした立場のあり方ということを感じました。

 とりわけ住田先生、これまでのみずからの営為を本当に真摯に振り返られて、真正面にその問題に向き合おうとされている、そこには現状に対する深い危機感がおありだというふうに感じました。

 一方で、政府側からの皆さんについては、非常に事務的な、危機感が果たしてどこにあるんだろうというふうな答弁に終始され、わずかにみずからの言葉で語られたかと思われる班目委員長につきましては、十二日から十四日まで官邸にこもっていろいろ助言活動を政府に続けていた、助言内容は正しかったんだ、自分の非力のためにそれが受け入れられなかった、政府の側に責任があるというようなことをあえて言わんとされているのかなというふうには思いました。

 いずれにせよ、きょう参考人の方々が提起されたいろいろな問題、避難地域の設定についてもそうですし、飲料水や食料の汚染度についての設定もそうですし、いろいろな問題についてこれは検証していかなければいけないし、また、事故調査委員会の設定についても、きちっとこれは推進と規制を分けて考えろという住田先生の御指摘、そのとおりだと思います。

 そういうことの上で参考人の先生方に御質問したいなというふうに思いますのは、住田先生は、乗り越えられないかもしれない、困難はただごとではないというふうにおっしゃった。まさに今の現状、楽観できるような状況ではないと思いますけれども、乗り越えられないかもしれない、ただごとでない困難な現状というのは何なのか、これはどういう事態が想定されるということでおっしゃっているのかということを伺いたいというのが一点です。

 あともう一点は、いずれにせよ、いろいろな問題がありますけれども、現状をどこかで軟着陸させないといけない。なすべきこと、それに必要な情報は何なのか。情報不信だということは佐藤先生もおっしゃっておられますが、三人の参考人の方々に、現状を軟着陸させるためにはどういう方策があり、そのためには何をすべきであり、どういう情報が必要なのか、その辺についてお教えいただければありがたいと思います。

住田参考人 私は、端的に言いまして、東京電力が発表された今後のスケジュール、何もかもうまくいけばあのとおりにいくかもしれませんけれども、まず非常に難しいだろうというふうに思っております。

 要するに、我々が持っているであろう技術的な壁というか困難というのは、恐らく原子力を専門にやっていらっしゃる方というのは本当に痛切に感じているはずなので、それを余り楽観的に、ちょうど先ほどの話に出ました、初めはグレード4だろうと言っていてどんどんどんどんふえていって7になったという御指摘がありましたけれども、そういうふうに楽観的に期待を持っていただくのはありがたいんですけれども、それほど甘い状態ではないというふうに思います。

 それから、まだ私はよくわかりませんけれども、補償問題とか何かを見てみましても、恐らく今までの我が国では考えられなかったような天文学的な数字が出てくる可能性もないわけではありませんし、そういうすべてのことを考えてみますと、本当に何か押しつぶされるような感じがするんですね。

 しかし、それに負けていちゃいけないから何とかやりたいというのが本音でございます。何とかしたいと思っております。ただ、それを胸を張って任せてくださいというようなことはとても申し上げられませんということです。

 以上でございます。

佐藤参考人 今、東京電力さんのやっております対応ですけれども、これは、一九九〇年代にアメリカのBWRオーナーズグループの制定しておりますEPG、エマージェンシー・プロシージャー・ガイドラインという内容と整合しております。特に新規性はないというふうに思っております。

 ですけれども、前提条件がいろいろ崩れてきている。例えば、格納容器の圧力が二倍以上に加圧される、あるいは、圧力抑制室が破壊されているというようなことが起こっています。

 また、このEPGについても、これがオールマイティーだというふうにも認められては必ずしもいません。例えばこれから格納容器に水張りをしていくということを進めようとしているわけですけれども、圧力容器の下に圧力容器を支えているスカートという部分があるんですね。そこのところにエアポケットができてしまうじゃないかとか、そんなこともこのEPGについてはコメントがついている、そういうものです。

 それで、これから冷温停止に入っていくということなんですけれども、これはゴールではないんですね。これは単なる途中の経過でありまして、最後に燃料を取り出すというふうに進んでいくとするならば、その途中でどんどんどんどん難しいことが出てきます。それが達成できるというふうには今のところとても思えません。

 ですから、ここはやはり世界の英知を結集して、もっとドラスチックなアイデアを出して、今のままですと本当に二十年かかるか三十年かかるかわからないわけですけれども、もっと短期でやるための方法もこれはきっとあるはずですので、積極的にそういう方法を目指して、建設的に、先ほども先生から御発言があったように、これを建設的なプロジェクトに昇華させるようなアプローチを考えていただきたい。できればそういうところに参加してお手伝いしたいというふうに思っております。

松浦参考人 まず、とにもかくにも冷温停止状態に持っていくというのが第一番のことであります。これはほかに選択の余地はないと思います。

 その後でありますが、過去の大事故、チェルノブイリ事故ともスリーマイル事故とも異なっております。チェルノブイリ事故は、上からかぶせて要は埋めてしまったわけですが、これが不成功だったということは今はっきりしておりまして、もう一度埋め直しを今やろうとしている。したがって、この轍を踏むわけにはいかない。スリーマイル島の方は、実は、原子炉の炉心は壊れましたけれども周りが壊れておりませんので、取り出すのが必ずしも不可能ではない状態だった。それでも事故が起こってから全体として軟着陸できたという状態になるには十五年かかっております。

 今回は、スリーマイルよりもはるかに難しい状況のものが四基あるわけでありますので、これは普通に考えたのではとても、軟着陸の姿を思うだけでもなかなか難しいと思いますが、これはまさに今、佐藤参考人が言われたように、もうありとあらゆる世界じゅうの英知を傾けて、冷温停止になってからの状態で、周辺環境をきれいにしながら、必死になって考えて選ぶ以外はないのではないか。今、どういう姿になるのが理想か、できるかというのを軽々に考えてみても、多分、末にはそれが壊れるのに決まっているような気がいたします。

新藤委員長 ありがとうございました。

 大変有意義なんですが、今の話だけでもう半分終わっていますので、申しわけございませんが、委員の先生方、できるだけ、もう少し何人か御質問いただきたいと思いますので、一人ワンテーマにしていただきたいんです。それから、参考人の皆様も、少し時間を絞っていただきたいと思います。

河野委員 自由民主党の河野太郎でございます。

 東京電力にお伺いをしたいと思います。

 さきの外務委員会で保安院から、今回の事故の処理の責任は東京電力が負う、保安院は、その事故処理に当たって安全基準をきちっと守っているか、そこをモニターするのが保安院だ、そういう説明がございました。工程表についても、東京電力の工程表であって、この工程表は東京電力の責任でやるんだ、そういう発言が保安院からございました。

 東京電力の理解はそのとおりでよろしいですか。

小森参考人 まず、我々の設備ですので、一義的に我々が対策をとり、いろいろな設備あるいは知恵を結集するということはやります。ただ、今、既にもう我々の事故の対応は政府の統合本部という中に入っておりますので、そういう意味合いでは、そういった方々の知恵、あるいは支援、あるいは政府のサポートをいただいて解決に一歩ずつ進むというのが現状でございます。

神山委員 民主党の神山洋介でございます。

 参考人のお三方に簡潔にお伺いをさせていただきたいと思っております。

 本日の議論も含めて、発災以降、福島第一原発の事故に関連をして、知見、技術、機材、人材という言葉がよく出てまいります。内外を含めて広くこうしたものを結集しなければならないということ、これはもう言うまでもないと思うわけです。

 各所において、もっと海外から集めなきゃいけない、場合によっては、もっと国内から集めなきゃいけないという抽象論は語られるわけですが、では具体的に、いかなる技術を、どのフェーズのどういう処理に対して使わなければならないということの具体性の中でなかなか議論がされないなという気がしております。

 これまでの処理であり、もっと言えば、これから一刻も早くおさめなければならないことを考えると、今後の処理ということに関しての方がより重要かと思いますが、例えばの例示で、こういうフェーズのこういう処理に対して、こういう技術に関しては国内ではないから海外からやはり借りなければいけないんだとか、そういった具体的な例示をそれぞれ可能な範囲でお願いできればと思っております。よろしくお願いいたします。

松浦参考人 現在、原子炉の処置についてどうするかというのを具体的に言うことは私にはできません。これはもう統合本部にお任せしたいと思います。

 私が特に強調したいのは、周辺の汚染の測定であります。これではっきりした汚染マップをつくることが、まず、住民の方々に対しても、あるいはその後のいろいろな問題解決にも、重要な基礎データになると思います。

佐藤参考人 私は、アメリカのDOEが非常に頼りになるパートナーになるのではないかというふうに思います。これまでにもいろいろ、原子炉のデコミッショニングもやっておりますし、それから、ワシントン州には、核兵器をつくったときの再処理のタンクが漏れて、土壌の汚染、地下水汚染、こういったことも経験しておりますので、それから、固体の放射性廃棄物の処理、こういったところもDOEの研究所ではやっておりますので、ぜひそういう知見を有効に利用した方がいいのではないかと思います。

住田参考人 先ほどの話、松浦先生の話にも関係するんですけれども、例えば、今私が知っているところでいいますと、文部省関係で、大学が持っているいろいろな放射線の測定機器類を総動員して、それを場合によってはレンタルしてもいいから駆り集めて、そういう汚染マップをつくるのを手伝おうじゃないかという動きが若い研究者たちの間で出ております。

 そういうふうに、皆それぞれの、つかさつかさといいますか、関係者は、この問題に関心を持って、何か手伝えることがあれば手伝おうとしておりますので、ぜひそのときに、どうぞ、いわゆる何とかの壁というやつをつくらないでください。要するに、大学同士でせっかく集まってやろうとしているんですから、文科省は余計なことをするなとどこかが言うとか、そういうことをなさらないで、どうぞ皆の協力を気持ちよく受け入れていただきたい、それをお願いしておきたいと思うんです。

小泉(龍)委員 国守の会の小泉龍司でございます。

 私が伺いたいのは単純なことです。今回の事故は天災なのか人災なのか、その一点です。この公の場で、日本の最高の頭脳を持った原子力の専門家の方々がどういうふうに言われるのか、これは人災だったというのか、いや、天災で想定外だったというふうに言われるのか、その一点でございます。

 代表で班目委員長のお答えをいただいて、追加でもう一つだけ。

 甘かったと言いましたね、安全審査の指針が甘かった。五・七メートルに対して十四メートルの津波が来たんです。何で甘くなったんですか、どうして甘くなったんですか。住田先生もおっしゃいました、この辺に不安があったんだと。その不安をなぜ現実に指針にしなかったんですか。

班目参考人 天災か人災かということですけれども、これは、私に言わせればフィフティー・フィフティー、天災の部分も五〇%ありますが、人災の部分もあったということはもう認めざるを得ないと思っております。

 それから指針の策定については、これは体制がやはりきちんとしていなかったのではないかということをちょっと気にかけております。

藤田(憲)委員 民主党の藤田憲彦でございます。

 高濃度放射能の汚染水について政府の参考人にお伺いしたいんですけれども、住田参考人のお話によりますと、いわゆる高濃度の放射能汚染水、この処理がこれから大きな難問になってくる、一方、松浦参考人のお話ですと、これは継続的に注水でどれぐらいの水が必要なのかわかってくると。それに関して、四月二十五日の朝日新聞によりますと、今、高濃度放射能汚染水は大体七万トンあって、これが毎時千ミリシーベルトという非常に大きい放射能汚染水がある中で、この処理において、東京電力とフランスのアレバ社がこの放射能汚染水の処理を契約したと。

 先ほど来、参考人のお話で、いわゆる英知を結集してということの中で、これはどういう過程の中で東電及びそれから経済産業省、保安院がアレバ社と契約に至ったのか、その選考過程について教えていただきたいのが一つ。

 それから、これは委員長にお願いでありますが、そういった形でアレバ社と契約をしているということ、この事実もあるのであれば、いわゆるこの事態の収束において、もう少しこの東京電力の資料において、今後、放射能汚染水をどういうふうに処理するのかというようなもっと具体的なロードマップというのがもっと出てくるべきだというふうに思っております。ここはまだ段階しか書いていないので、こういった資料を追加で東京電力に提出をお願いできないか、御検討いただければと思います。

新藤委員長 それは後ほど理事会で協議したいと思います。

中西政府参考人 今御指摘いただきましたように、いろいろな課題に直面することによって、我々も内外のいろいろな新しい技術、そういったものを取り込んでいくというようなことの必要性は十分認識してございます。

 今のアレバの話でございます。アレバと東電さんの契約が、具体的にというのはどこら辺まで、我々すべて承知しているわけではございませんけれども、日本とフランスの間、先般も大統領が来られました、そういう関係の中で、世の中ですぐれた技術と今にでも使えるような技術があれば、それを積極的に取り込んでいくという議論の過程で今回の話が御成約になったんだと認識してございます。

新藤委員長 済みません、これから質問だけちょっと全部やっていただいて、まとめて答弁してもらうことにします、時間がなくなりましたので。

細田委員 私は、地元に島根原発がありまして、県庁も私の家も原発から九キロのところに住んでいるわけですよ。

 そして今まで、政治家としては非常に大変なのは、原発は地方にとっては一種の迷惑施設であって、何とか建設を進めたいと言えば、大体反対がある。それを、エネルギー政策だ、いろいろなことで説得をして、また安全性も言ってこれまで来ているわけですね。そのことについて、今非常に大きく問われている。

 ですから、先ほどの住田先生の御発言と似ておりまして、一体これは今後どういうふうに考えていけばいいのか、消費地の皆さん方がみんな要らないよと言うなら、本当に要らないでいいのかという気持ちになるわけですね。

 私は、エネルギー政策上はやはり必要なものは必要だと思うんですが、そのことに関して三人の皆様方が、ガリレオ・ガリレイのせりふじゃないけれども、やはりこれはエネルギー源として、あるいは人類が活用するエネルギーとして原子力発電は必要であるという考えは今も変わりがないとおっしゃるのか、もうこういうことが起こったら、どんどん減らしていけ、一部議員や一部政党にはそういう人が多いわけでございますが、そちらの方にくみして、収束に向かうべしと考えておられるのか、その理由は何かということをお聞きしたい。

 以上です。

長島(一)委員 民主党の長島一由です。

 一点だけお伺いしたいんですけれども、班目委員長とそれから参考人の佐藤さんの方にお尋ねしたいと思うんですが、きょう午前中に経済産業委員会と内閣委員会の合同委員会がありまして、その中で一つ議論になっていたのが、四月二十一日の警戒区域の設定、あるいは屋内退避解除、そのときの基準についてどういう考えでしたのかという枝野官房長官への質問があったんですけれども、その答弁で、二つ基準があって、一つは緊急時に逃げられる同心円だ、それからもう一つは、放射能物質の蓄積量だと思うんですけれども、風向きを想定して総合的に判断したと二つの基準を言っていたんですが、今後、これは長期化するおそれがありますので、より基準を明確化する必要があるんだろうと思います。

 そのときに、もっと基準を明確化できないのかということが一つと、それに関連して、例えば、海外でスリーマイルとかチェルノブイリのときにそういう基準を考える際に何か参考になる情報というのはないのか、この場で教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。

中村委員 私は、原子力委員長が先ほど、総理が福島に行かれるときに官邸にいたんだけれども知らされていなかった、こういう答弁をされましたが、そのことは大変遺憾なことではないかな、このように思います。そのことについて委員長としてどのような考え方を持たれているかということが一点。

 さらに、東京電力にお聞きしたいんですが、福島の原発は想定外の津波が来たためにすべての施設が倒されてしまったということで大きな事件、事故になっているわけですけれども、津波に対して、福島の場合はどのぐらいの津波を想定して安全対策というものを準備してきたのか。それが極めて脆弱なものであったということが今日の事故の大きな原因になっているのではないか、こういうふうに考えられるわけですが、第二の福島を起こさないためには、ほかの原子力発電所についても、柏崎については何メートルぐらいの津波が来ても大丈夫だとか、あるいは伊方原発はどうだとか、そういうようなことを全体的に、きちっとした、第二の福島を起こさないための津波対策としての安全施設というものを今持っていらっしゃるのか、持っていないとすればいつまでにつくるのか。

 国土交通省がやっている防潮堤などは、十五メートルぐらいの、地震が来て全く被害がなかったという地域もあると聞いておりますので、本来ならばそういった防潮堤などをつくるときと原子力の安全政策というものがお互いに協力し合っていくならばこうした問題も防げたのではないか、こういうようなことも考えますので、この二点についてお聞きしたいと私は思います。

班目参考人 それでは、まず長島先生からの御質問の準備区域等々の設定の明確化でございますけれども、現在、まだ放出源データといいますか、発電所からどれぐらいの放射性物質が放出されているかということをきちんと把握できていない状況にございます。もうしばらくすると、この辺がはっきりしてくると、避難区域等々の設定のあり方についても見直しができるのではないか、もう少しお待ちくださいというのが私の見解ということになります。

 それからもう一つ、中村先生の総理の視察の件ですが、当日、私、ずっと官邸にはおりましたけれども、総理とずっと一緒にいるわけではなくて、視察することになったので同行するようにとぱっと言われたので、これはもう従うしかなかったというのが本当のところでございます。

小森参考人 先ほどの資料にもちょっと書いてございますが、まず事実を申し上げますと、福島の第一の方では、最初はチリの津波等をもとに設計していた時代がございますが、平成十四年の二月に土木学会で津波評価技術というものがありまして再評価を行いまして、五・七メートルというものにまず設計で少しかさ上げをしたり、水密扉をしたりして、そういう設計でございました。そこに十四メートルぐらいの津波が来たというのが事実でございます。

 今後、どういうふうに対策をするかということに関しては、今の冷却している、冷水というか水を入れている発電所、福島第一におきましても、電源車を置くとか、注水のポンプを電源多重化するとか、それから、何かバックアップをするということで津波対策をやっていこうということでありますが、何をベースに設計をするかということに関しては、今回の起こした地震あるいは津波の性格というのをもう少し把握しないといけないというのが現実だと思います。ただし、それを待っていてはいけないということで、土のうを積むとか、そういったことをやっていくということを考えております。

 また、柏崎等につきましても、設計ベースとしては、どういう地震、あるいは日本海側で津波を考えるかという議論は、もっと深めていくことになろうかと思いますが、現時点では、そこまでの設計のベースはありません。

 ただし、何も手をこまねいているということではございませんので、海水系の冷却あるいはベントに関して、そういう設備をつくる、そういったことを至急手当てして、あるいはディーゼル発電機についても予備を持つ、そういう手当てを今して、できるものはやり始めております。また、そういう部分につきましては、日本全体は保安院から緊急の指示が出ておりまして、それを今、直ちにやり始めているところでございます。

中西政府参考人 今御指摘いただきましたけれども、今回の津波への対応ということで、現在、新しい耐震指針に基づきましてバックチェックというものをやっております。特に福島につきましては、まさにこの二年後には、新しい津波への対応策、そういったものを含めて準備をするという予定でございました。

 そういったものを含めまして、今回の事故の徹底的な分析、評価といったものを踏まえて、今後の安全の規制のための基準、そういったものはしっかりと見直していきたいというふうに考えてございます。

松浦参考人 それでは、細田先生の、これからも原子力を使う気になるか、それともやめる気かという御質問にお答えします。

 私は、やはり原子力、この場合、エネルギーとしては核分裂、核融合、両方を含みますが、原子力ほどエネルギー供給力の高いエネルギー資源はないと思います。それから、今後の日本はもちろん、世界におけるエネルギー利用の需要のふえ方を考えますと、それを賄う上で相当な役割を原子力が果たさない限り、世界の人々の生活向上に役立つエネルギーというのは担保できないのではないかと思います。そして、最後に、技術がそれを賄うだけの可能性を持っているかといいますと、今回のような災害が起こらない技術を開発する可能性は十分にあると思うからであります。

 以上です。

佐藤参考人 まずは、原子力を支持するのかしないのかという御質問ですけれども、これは、最終的には世論に従うしかないというふうに思います。ただ、原子力の改善すべきところは相当あるというふうに思われますので、推進、支持していくという場合であっても、相応の改善が反映されなければならないというふうに思います。

 それから、解除の基準についての御質問がありました。スリーマイル、チェルノブイリの教訓はないのかという御質問でした。スリーマイルについて言えば、放出された放射能、沃素ですけれども、これは一テラベクレル未満になっておりまして、全然、今回の場合とはけたが違います。避難はしましたけれども、非常に早い時期に皆戻っているということです。

 今回の場合ですけれども、これは太田議員のお話にもありましたように、本来、法令では、許容被曝線量は、女性、妊婦、年少者に対しては特別な数値が設けてあるわけです。ですから、本来の基準も考慮して、一律に扱うのではなくて、本来の法令も考慮して、解除は検討されるのがいいのではないかと思います。

 以上です。

住田参考人 先ほど、だれかが引用されましたけれども、ガリレオ・ガリレイが引っ張り出されたときの宗教裁判の話を出されたんですけれども、やはり地球は動いていると言わざるを得ないんですね。

 ということは、つまり、この狭い日本の中で一億何千万かの人間がある程度の生活水準を維持していくためには、どうしてもエネルギーが要る。原子力にかわるものがあるんでしょうか。残念ながら、私は、残念ながらという言い方をしますけれども、幾ら探しても、今までの努力、我々が知っている限りでは見つかっていませんね。ですから、そうだとすれば、やはり原子力を大事に使うよりしようがないと思うんです。

 よく引用される言葉ですけれども、寺田寅彦先生の言葉に、怖いものを正しく怖がるという言い方ですね。やはり原子力は、今までは怖くない怖くない怖くないと言ってきたんですけれども、そうじゃなくて、一たん起こり出すと、ペットみたいなものでして、シェパードか何かで非常にいいのを持っている、自分はもう飼いならしたつもりだけれども、あるときに、こちらに向かって猛然とかみつかれたときにはもうどうしようもないということが起こり得るわけですから、やはりそのことはよく意識した上で使いこなさなきゃいけない。それが人類の英知だと思うんです。

 ですから、日本人が原子力を使いこなせないようであれば、日本の国も、将来は余り期待ができないんじゃないか。もし何か、我々が期待を持とうとするんだったら、頑張ってみようじゃありませんかというのが、私が申し上げたいことです。

河野委員 参考人の皆様、きょうは、長時間、本当にありがとうございました。

 きょうの審議の中で、いろいろな課題が浮き彫りになったと思います。決算行政監視委員会でございますから、政府に対する提言も、当然、この審議を経て取りまとめをしなければならないと思いますので、後ほど理事会で協議をいただきたいと思います。

新藤委員長 ただいまのお話は、結局、我々の行政監視委員会というのは、委員会で決議をして、政府に提言をすることができるんです。

 ですから、きょうは、たくさんのいろいろな問題点や課題、提案がございましたので、これをぜひ取りまとめて、委員会、理事会でもんでいただいて、委員会として決議をして、また、政府にそれを提言する、こういった形にしていきたい、このように思いますが、よろしゅうございましょうか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

新藤委員長 はい。ありがとうございます。

 それでは、予定を大分超過してまことに恐縮でございますが、質疑はこれで終わらせていただきたいと思います。

 この際、参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。

 きょうは、非常に有意義な、そして専門的な、いろいろな見地からの御意見をちょうだいいたしまして、まことにありがとうございました。

 また、長時間にわたる質疑になりましたが、御容赦をいただきまして、しかし、きょういただいたこの御意見をもとに、我々としても、国会として、原子力の安全体制、危機管理体制、そして何よりも、一刻も早い事故の収束に向けて活動していきたい、また、それに役立たせていただきたい、このように思いますので、その点に免じてお許しをいただきたいと思います。

 本日は、まことにありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時十四分散会


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