衆議院

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第5号 平成17年7月26日(火曜日)

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平成十七年七月二十六日(火曜日)

    午前九時三十分開議

 出席委員

   委員長 藤村  修君

   理事 江崎 鐵磨君 理事 上川 陽子君

   理事 小泉 龍司君 理事 河野 太郎君

   理事 大島  敦君 理事 古賀 一成君

   理事 水島 広子君 理事 池坊 保子君

      井上 信治君    岡本 芳郎君

      加藤 勝信君    北川 知克君

      佐藤  錬君    谷川 弥一君

      葉梨 康弘君    山際大志郎君

      山下 貴史君    石田 勝之君

      梶原 康弘君    小宮山泰子君

      園田 康博君    西村智奈美君

      村井 宗明君    高木美智代君

      石井 郁子君

    …………………………………

   参考人

   (社会福祉法人世田谷ボランティア協会名誉理事長)

   (NPO法人チャイルドライン支援センター代表理事)            牟田 悌三君

   参考人

   (NPO法人カリヨン子どもセンター理事長)

   (弁護士)        坪井 節子君

   参考人

   (東京都立工業高等専門学校校長)

   (東京都立科学技術大学名誉教授)         藤田 安彦君

   参考人

   (横浜市立大学教授)   中西新太郎君

   衆議院調査局第一特別調査室長           田中 啓史君

    ―――――――――――――

委員の異動

七月二十六日

 辞任         補欠選任

  萩生田光一君     井上 信治君

  小宮山泰子君     村井 宗明君

  小宮山洋子君     園田 康博君

同日

 辞任         補欠選任

  井上 信治君     萩生田光一君

  園田 康博君     小宮山洋子君

  村井 宗明君     小宮山泰子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 青少年問題に関する件


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     ――――◇―――――

藤村委員長 これより会議を開きます。

 青少年問題に関する件について調査を進めます。

 本日は、参考人として、社会福祉法人世田谷ボランティア協会名誉理事長・NPO法人チャイルドライン支援センター代表理事牟田悌三君、NPO法人カリヨン子どもセンター理事長・弁護士坪井節子君、東京都立工業高等専門学校校長・東京都立科学技術大学名誉教授藤田安彦君、横浜市立大学教授中西新太郎君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっております。御了承願います。

 それでは、まず牟田参考人にお願いいたします。

牟田参考人 どうも皆さんおはようございます。

 私は、事前に言っておきますけれども、右にも左にも偏っておりませんので、その辺、御承知おきいただきたいと思います。

 私、ずっと、三十年来、子供の問題を考えてまいりまして、そこで、ちょうど最初のころは、いわゆる非行、暴力という問題が中学校に起こってきた時代でございました。そんな中で、私は、ずっと現在に至るまで変わらず、私の信条というのか方向というのかをやってまいりましたので、その辺をお話ししたいと思います。

 子どもの権利条約、これはもう御存じのとおり、一九八九年ですか、そして、日本はその五年後に批准したわけでございます。その子どもの権利条約ということが、子供を甘やかすとか、何かそういう偏見がいろいろあるようでございますけれども、私は、この中に書かれていることの中でとても共感したのは、子どもの権利条約の成長を支える権利ですね、その一つが教えられて育つ、もう一つが自分の意思と力で育つ、この二つ目の方に、私はずっとそういう考えで今までいろいろやってまいりました。

 事例をちょっと三つばかり申し上げたいと思います。

 物質文明、物質的な豊かさの中で、子供たちの意欲が非常に失われてきている。やはり人間というのは、不足があると、それを何とかしようとか、そういう意欲につながっていくんですけれども、その不足が逆に不足していると考えまして、私は、どうやってあげたらいいのかといろいろ考えたんですけれども、その中で思い浮かんだのがハンディキャップという不足でございます。ハンディキャップを持ったお子さんと交流することによって、そこで何かを、人間として非常に必要な何かを発見してくれるに違いないと思って、その活動を二十五年前から始めました。

 世田谷というところで、公立の中学生を対象に、三十一の中学校がございましたので、各校二人ずつ集めて六十二名なんですけれども、六十一名でございましたが、そこにいろいろな障害を持ったお子さんに入っていただいた。つまり、これを十の班に分けましたので、六人ぐらいのところに障害を持ったお子さん二、三人ずつ入っていただいて、そこにリーダーがやはり必要だ。

 この活動は九団体の共催で行われました。社会教育団体、ボーイスカウトとかガールスカウト、YMCA、そういう社会教育の団体、そして世田谷ボランティア連絡協議会というのがそのころ既にできておりまして、そういう方々、そして障害を持った親の方々、そういう方々にも、団体にも参加していただいて、共催事業で始めまして、期間は半年でございます。

 ですから、最初、大体六人ぐらい、十の班に分けましたので、六人ぐらいのところに二、三人のハンディキャップを持ったお子さんに入っていただいて、さらに、三カ月間リーダー研修をしまして、障害ということに対しての認識を深めてもらって、そのリーダーに二、三人ずつ入っていただいて、班ごとに半年間活動していただく、交流していただくという活動でございました。

 どういうことになるか、私は、自信があったわけでも何でもなくて、とても不安でございました。こんなことをやって、何にもならなかったら大変ですからね。しかしここで、いろいろなことがございましたけれども、子供たちは明らかにいろいろな発見をしてくれました。

 感想文にありましたけれども、初め、この会に入ってきて、障害を持った方々の手助けをするつもりで入ってきた、しかし、実際に会ってみて感じることは、障害者も私たちも同じじゃないか、いや、私たち以上に生きるということに懸命になっている仲間だ、だとすると、手助けじゃない、みんなして生きていくということ、みんなだれもが持っている足らない部分をお互い補い合って、支え合って生きていくということがわかってきましたみたいなことを書いてくれる子がいると、原稿用紙に一枚ずつなんですけれども、四百字の中にこんなでかいことを書けるのかと思って、本当に参ってしまいます。

 中で、活動の部分で、ちょっと思い当たるのは、肢体不自由のお子さんで、車いすからおりると立つことができないお子さん、初めて、この会に入ってきて、体に不自由のない仲間を得たんだそうです。それまでは障害者同士のお友達しかいなかった。だものだから、彼としては、うわあ、これで野球ができると思ったんでしょうね。みんなに向かって、野球やろうよと言うんだけれども、みんな困っちゃって、そんなこと言ったって、歩けないんだものな、どうするんだよなとみんな困ったんですけれども、余り一生懸命言うものだから、じゃ、やってみようか、やりながらルールをつくっていったんだそうです。

 そのお子さん、バッターボックスに立つことができないので、座ったまま打つんですけれども、手の方も不自由なので、バットに当たらない。うわあ、当たらないな、どうしよう、どうしようとみんな困っちゃったんですけれども、あるお子さんが、ちょっと待ってねと言って、うちへ飛んで帰って、テニスのラケットを持ってきて、それを持って打ってもらったら当たるようになって、飛ぶようになって、うわあ、当たった。よし、じゃ、彼が打ったら、一塁まで、代走を置いておいて、かわりの人が走ればいいじゃないかということになって、かわりの人が走っていったら、当人がつまらなそうな顔をしているのにみんな気がついて、そうか、それじゃどうすると言ったら、あるお子さんが、それじゃ、はってもらえばいいじゃないかと言い出したんですね。ああ、そうだよなというので、一塁までの三分の一ぐらいのところに線を引いて、打ったらはっていく、一塁へ投げるタイミングで、アウト、セーフにしましょうなんというルールをつくったり、いろいろルールをつくって野球をして、それをスライドで見せてくれたんです。

 このはってもらうという発想、我々大人には、浮かぶかもしれないけれども、なかなか口に出せないことじゃないですか、何か悪いような気がしちゃったり。だけれども、彼らは、子供たちは、どうやったらこいつが満足するか、喜ぶかというようなことの中で、そこでそういう発想が浮かんだ。うわあ、かなわないなと私は思いました。

 明らかにこの活動は、子供たちに何か自分で発見するチャンスを上げられたんじゃないかなと思っております。我々大人がああしろこうしろということじゃなくて、自分で見つけてもらう、そういうチャンスを彼らに上げるべきじゃないか。

 私は、中教審に十五期、十六期かかわりまして、その中で、私は、バックが何もなかったものですから、無責任にはならない程度に勝手なことを言いましたので大分うるさがられたと思います。

 そんな中で、やはり実体験を今こそ子供に上げなくちゃいけないんじゃないか、そういうことを主張しましたし、それから、科学文明の発達の中で、科学文明の光の部分はわかるけれども、影の部分があることを忘れちゃいけないということで、二十一世紀の教育を展望するなんというテーマのときに、私は、これは文明論を我々はやらなくちゃいけないんじゃないかななんということも何回も言ったんですけれども、そんなこと、膨大な問題ということで論議にはならなかったけれども。

 ただ、少なくとも、私は、答申の中で奉仕という言葉がありました。これは逆に、子供たちにそういう一方的な問題じゃないということを伝えたいのに、奉仕というのはやはり一方的で、上げることしか考えないというんじゃ、これは適当ではないと思うので、奉仕という言葉を全部削っていただけませんかというふうに申し上げて、削っていただきました。

 それから、子供というのを、そのころは文部省でした、文部省が供という字を書いてあるわけですよね。これはおかしいんじゃないですか、文部省が子供というのを残している、供は平仮名にしましょうと。これまた、一夜にして変更していただきました。

 そんないろいろなことがありましたけれども、その中で、やはり私は、子供たちに体験を上げましょうよということを主張して、そんな中でできてきたのが総合的学習の時間でございます。それが今、何か学力の低下をどうのこうのという話になっておりますけれども、これはちょっとおかしいんじゃないか。勉強するなと言っているわけじゃなくて、勉強しつついろいろな体験をすることによって、総合的に優秀な子供たちが育つんじゃないかということでございます。

 もう一つの事例を申し上げますと、世田谷でプレーパークという子供の冒険遊び場、これは今四つになりました。最初、羽根木公園から始まって、世田谷公園、駒沢はらっぱ、そして烏山と四つのプレーパーク。これは、やはり何か子供の指導員がいて、子供にああしちゃいけない、こうしちゃいけないなんということをするところではございません。

 プレーリーダーというのがいますけれども、子供がやることを管理したりなんかということは一切せずに、子供がよっぽどこれは危ないなと思ったときにちょっとアドバイスをする、その程度で、あとは子供が自分たちで遊びを開発していくというか遊び方を考えていく、そういう方向で運営しておりますけれども、この活動も、まさに子供たちが自分で育つことを大人が支えていくという活動でございます。

 もう一つ、今現在やっておりますけれども、チャイルドラインという活動です。これは行政にはできないんです。なぜならば、行政というところは解決して何ぼですから、解決しよう、解決しようとする。そうすると、子供たちに向かって、そんなことをしていちゃだめよ、こうしなさい、ああしなさいというようなことを言ってしまう。子供はそっぽを向いて、機関はあっても機能しない。これは民間ならば、解決するというところまでいかなくてもいいという前提がございますから、つくれるわけですから、これは民間の仕事だなと思って私は取り組んだわけです。

 今の子供たちは孤立化しておりまして、親にも先生にも友達にもなかなか話ができない。変な話をすると、そこでもって何をしているのとか、おまえはどうのこうのと仲間たちに逆にいじめられる口実になりますから。そういうことで、孤立して、それがうっせきして、たまりにたまって爆発していろいろな事件を起こしてしまう。

 今の子供は何を考えているのかわからないと言う大人がおりますけれども、私は、そんなことはない。この社会をつくったのは大人ですから、その社会の影響の中で子供たちはいろいろなことをやってしまうわけで、大人が変わらなければ子供は変わらないというのが私の持論でございます。といって、大人社会を変えるということは、皆さん方のお力で変えていただく方向ではないかなというふうに考えております。

 時間が来てしまいましたので、何かございましたら、ぜひ質問していただきたいと思います。

 一つだけ言っておきたいことは、今申し上げました事例の三つに共通することは、子供は自分で解決する力があるということを信じ、待ちの姿勢で対応することが今重要じゃないかということでございます。

 以上で、私の話を終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

藤村委員長 ありがとうございました。

 次に、坪井参考人にお願いいたします。

坪井参考人 おはようございます。

 私、弁護士をしておりますけれども、昨年からNPO法人のカリヨン子どもセンターというものを設立いたしまして、そこの理事長ということになりまして、今、虐待や少年犯罪あるいは学校でのいじめや不登校、そうしたことに苦しんでいる子供たちの救済に当たっている現場からということで発言をさせていただくことになりました。

 私たち弁護士は、東京弁護士会の子どもの人権救済センターというところで、既に二十年前から、子どもの人権一一〇番という電話相談と、そして面接相談を無料で設けまして、子供たちの相談に当たってまいりました。本当に、どうしてこの幸せなと思われるような、経済的に豊かだと思われるような日本の中で、これほどに苦しむ子供たちがこれほどに多くいるのだろう、どうして子供たちがこれほどに生きることに絶望し、不安を抱え、怒りを抱え生きているのだろうか、私たち大人は一体この子たちの話を聞いて何ができるのだろうかということを本当に毎日毎日悩みつつ生きてきたと言って過言ではなかったと思います。

 あるいじめで苦しんできた、自殺未遂をした男の子が、お父さん、お母さんに愛されていながら、しかし、いじめの事実を話せないまま学校に行けなくなり、励まされ、頑張れと言われ、その言葉自体が、もう見捨てられたということなんだ、僕は強くなれないんだ、死ぬしかないといって自殺未遂をした男の子の話を聞かせてもらったことがあります。

 死にたかったんじゃないんだよ、でも、毎日地獄のように苦しかった、だから死ぬしかなかったんだよ、死んだら両親が悲しむだろうなとは思ったよ、だけれども、死んでしまったら両親が悲しむところは見ないで済むんだよ、そう思って自殺したと。彼の話などを聞いていますと、真っ暗やみでひとりとぼとぼと歩いてきた彼らに、一体私たち大人は何ができたのだろう、どれほどひとりで生きようと試み、もがき、そして力尽き果て、命を落とさなければならないと決意したその子供の寂しさたるや、どんなものだったろうかと、本当に私としては、話を聞きながら何もすることができないとおろおろしていた、そんなことがありました。

 しかし、その子が、私がおろおろしているのを見て言ってくれた言葉がありました。子供の話をこんなに一生懸命聞く大人がいると思わなかったよ、坪井さんに話をしたら気が楽になったよと。私がこの子どもの人権救済センターの相談を続けてこれた大きな理由がここにあります。子供たちが求めているのは、解決策や下手なお説教や助言なんかじゃないんだ、自分たちがここで苦しんでいるということをきちっと聞き取って、そして一緒に苦しんで、悩んで、考えてくれる大人の存在なんだということ、それが子供たちに生きる勇気を与えるんだということをこの子たちから教えてもらいました。

 あるいは、現在、児童相談所の協力弁護士、非常勤弁護士として、虐待の現場から子供たちを救い出す仕事を児童福祉司さんたちと一緒にしています。虐待という問題、外から見ていたのと、また現場で実際に虐待される子供たちに触れ合うときと、これほどまでに深刻な状態かというのは日に日に実感するようになりまして、子供たちを救い出し、また虐待する親たちを支援するということの困難性というものを本当につくづく感じております。

 虐待されて子供たちが口をそろえて言う言葉、僕たちは生まれてこなければよかったんだ、僕が、私が生まれてきたことを親ですら喜んでいないんだ、私たちが生まれてきたことは迷惑だったんだ、私がいなくなれば親たちは喜ぶんだ、生きている価値なんかないんだ、私の命なんか自分で傷つけたってだれが文句を言えるっていうの、この感じですよ。ここまで人間不信になり、大人たちへの信頼を失い、そして生きるということについて確信を持てない、自分の命が大切だと思えない子供たち、一体私たちはどうしてあげることができるのかと思います。

 そうした子供たちは自傷行為に走り、あるいはやむにやまれず犯罪行為に走ります。私たち弁護士は、少年事件の付添人という仕事をしています。犯罪を犯した子供たちと少年鑑別所や警察署で出会い、どうしてそうした犯罪を犯すように至ったのかということをその子供たちから聞き取る、これもまた壮絶な子供たちの人生が浮かび上がってきます。

 新聞報道などではわからない、なぜその子供たちが犯罪を起こさなければならなかったかという、その長く重い人生の暮らし。子供たちの表現力というのはとても未熟です。警察でがんがん問われて、おまえはなぜこれをやったのだと言われて、すぐに答えられるような子供たちなんかいないんです。そこまで来るまでにどれほど苦しかったか。自分たちの苦しみをだれも聞いてくれない中で、ひとりぼっちの中で、自暴自棄になって、そして破裂するしかなかったかというそこの思いに寄り添うことができなければ、子供たちの犯罪を犯すその根底のところには届かないだろうと思います。

 こうしたさまざまな活動の中で、私たちは弁護士としてできるだけのことはしていきたいと思ってきました。でも、どうしてもできないことがありました。それは、今晩帰る家がないと言われたとき、私たちには何も手だてがなかったということです。あしたまたね、きょうどこで泊まるの、友達のところで泊まるからいいよ、そう言って帰った女の子。後で聞いてみたら、体を売って、一晩そうした風俗営業で軒を貸してもらって泊まっていたり、あるいは男の子がごみ袋をかぶって公園で野宿をして出てきたり、どうしてこの子たちが一日の宿すらもらえるところがないんだろう。虐待をされ、あるいは犯罪に巻き込まれ、親たちに見捨てられた子供たちが帰る家がない。

 私たちに相談をされたところで、じゃ、ここで寝泊まりすればいいよと言うことができない。私たちのポケットマネーでカプセルホテルに泊めてあげたり、あるいは自宅へ連れてきて一泊だけぐらいなら何とかすることができても、多くの子供たちにそんなことはできないし、長続きもしません。どうしてこの日本にはこうした子供たちが逃げ込めるシェルターがないんだろう。二十年間子供たちの救済活動をやってきて、ずっとそれが私の中にあった疑問であったし、夢でありました。

 もちろん児童相談所の一時保護所というところはあります。ここは児童相談所が、虐待であるということを、子供たちが虐待をされているということを発見して、その子供たちを救い出して措置をするという場所であります。思春期に入った子供たち、自分から家を出てきたり、あるいはもともと帰る家がなくなってしまった子供たちが、みずから進んで一時保護所に入れてくださいと言うのはなかなかできないことです。しかも、例えば東京ですと、現在、児童相談所は、もう一〇〇%の定員超過状態が毎日のように続いています。幼い子供たちを虐待から救い出して保護するだけで手いっぱい、十五、十六、十七、十八、十九という子供たちを収容するということはとてもできない、能力の限界になっています。

 子供たち自身も、集団処遇の中で、ピアスを外せ、あるいは髪の毛を黒く染めてというようなことを言われるようなところで小さな子供たちと一緒に暮らすというのは、非常に限界を感じています。ですから、一時保護所に子供たちが逃げ込めるというのがなかなかできないというのが現実です。

 そうした中で、浮遊して犯罪に走ったり自傷行為に走る子供たちに何とかシェルターが欲しい、そうした夢を持ってきたわけです。せめて、その子たちが安心して一カ月あるいは二カ月の間暮らすところがあれば、私たち弁護士がその子供たちの代理人になって親との間の関係調整をしたり、あるいは住む場所を探したり、あるいは雇い主との間で話をつけて雇用先を探したり、学校の先生と話をつけて学校に戻れるようにしたりという、弁護士ではあるけれども、ある意味でリーガルソーシャルワーカーというような形なのかもしれませんが、そうした活動をしながら子供たちの生きる道を探すことができるようにと思ってきた、そうした避難場所。

 実はこれが、夢のまた夢と思っていたその避難場所ですが、たくさんの方たちの御協力によって、昨年の六月、開設をいたしました。弁護士会がシェルターを運営するわけにはいかないということで、特定非営利法人を別に設立いたしまして、カリヨン子どもセンターという形でこれを開設しました。一軒家を提供してくださる篤志家があらわれて、あるいは中の家財道具、什器、備品、そうしたものを寄附してくださる方たち、あるいは子供たちとともに生きるということを申し出てくれているボランティアのスタッフの方たち、そしてたくさんの資金の提供をしてくださった方たち、本当に、この日本の中で、こうした見捨てられた子供たちのために手を差し伸べようと思う大人たちがこれほどまでにいてくれるのかということを、私は改めて、本当にうれしくなったということです。

 私たちができることなんというのは本当に知れています。しかし、そこに逃げ込んできた子供たちが、人間としての尊厳を傷つけられた、生きる勇気を失っているということは間違いないのです。この子供たちに、ひとりぼっちじゃないんだよ、そのメッセージをかけてあげたい。私たちがあなたたちの人生を解決してあげるということではない、あなたの人生をかわって生きてあげることもできない、前から引っ張ったり後を押したりすることもできない、でもそばにいるよ、一緒に生きよう、一緒に悩もう、あなたたちはひとりぼっちじゃない、このメッセージを伝えるだけが精いっぱいだ、そのことを、かかわるスタッフたちといつも共有しながら子供たちを受け入れています。

 そして、その中で子供たちが、こんな大人たちがいるんだ、自分たちを管理したり、あるいは処罰したり、あるいは見捨てたりする大人たちだけじゃなくて、こうした、自分たちとともに生きようとしてくれる大人たちがいるということに、本当に驚きをあらわします。そして、え、生きていていいの、自分がこんなに大事にされていいの、なぜそんなことしてくれるのという感じになっていきます。本当に早いんです、子供たちは、一カ月二カ月の間に。

 そして、その子供たちが、人を信じるということがそこから芽生えてくる。自分は生きていていいのかもしれない、こんなめちゃめちゃな自分だけれども、その自分を愛してくれる人がいるのかもしれない、この感覚を子供たちがつかんでいく、それが子供たちの生きるということのよすがになる。そして、自傷行為や他害行為に陥ることなく、この世の中でもう一度自分の道を歩いていくという、その勇気を取り戻す、プライドを取り戻す、その過程にわずかの間でも寄り添うというのがこのカリヨン子どもの家、子どもセンターの仕事かと思っています。

 しかし、実はこの理念というのは、少年法、教育基本法、児童福祉法、そういった子供にかかわる法律のすべての根底に流れていることであって、今そうした法律が過管理、過保護、処罰、厳罰化の方向に改正されようとするような動きがあることについて、私たちは非常に大きな懸念を持っている次第です。

 このカリヨン子どもセンターでは、弁護士や児童福祉関係者や市民がともに働くということ、これが大変重要なことになっています。子供の支援はどこかの一つの分野だけではできないということ、法律的な支援、福祉的な支援、教育的な支援、そして民と官、これの連携というのが本当に不可欠であります。

 私たちは、東京都の児童相談所と協定を結ぶことができました。幾ら弁護士であろうとも、子供を保護するという権限を持っているわけではありません。児童相談所だけです、虐待されている子供を保護できるのは。その権限を分けてもらうというわけではないですが、児童相談所が一時保護を決定し、カリヨン子どもセンターに一時保護委託をする、そういう形の協定を結ぶことができました。したがいまして、私どものところへ逃げ込んできた子供たちを、児童相談所の一時保護委託という法的根拠を持って守るということができるようになった、これも官民連携の中の一つのあらわれです。

 また、私たちは、シェルターだけではどうにもならない、その後、もう少し長く子供たちを就労支援という形で助けていきたい、そういう意味で自立援助ホームが必要というふうに思っておりました。まだまだ実現は先と思っていたのですが、これも東京都の方との連携で、ことしの四月、第二号店ですけれども、自立援助ホームをカリヨン子どもセンターで開設することもできました。

 今までに、この一年間、三十一名の子供たちが逃げ込んできております。十二歳から二十までの子供たち。親からの身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、児童養護施設を出身して帰る場所のない子、少年審判を受けて在宅試験観察を受けるけれども、だれも受け手がいない子供、そうした子供たちを受けてまいりました。

 この子供たちが、衣食住が確保されるということでどれほど安心するか、まずそれが一つです。そして、そこで自分の人生を振り返り、親や友人との関係を考える、そうしたことができるという時間のゆとりを持ち、そして、先ほど申し上げたように、これまで出会ったことのないタイプのスタッフや弁護士たちと出会う。自分を見守り、守ってくれて、相談に乗ってくれる、そういう大人たちとの関係から生まれる信頼、そうしたものを持って、大変です、行く場のない子供たちなので、さらに行く場を探すというのは大変なんですが、それでもみんなどこかに旅立っていきました。レジュメの中にその先幾つか書いてございますので、ごらんいただければと思います。

 そうした中でも課題は幾つもあります。大きな自傷行為を犯して、とにかく腕を切り続ける、大量の出血をし続ける子供たち、一体その子たちに何ができるか。あるいは、パニック障害を起こす子供たち、これはもう精神科のお医者さんたちと連携をし、毎日のようにケースワークをしながら、子供たちをどうやったら支援できるかということをやっています。そうしたセンター、これは今初めて日本で起きたことですが、各地でこうしたことの必要性が叫ばれるようになってきています。

 子供たちが、今、家族だけでは支えられない時代になってきている。地域の中で、そうした大人たちの見守りの中で生き直す子供たちのための取り組み、そうしたことへ目を向けていただければと思いました。

 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

藤村委員長 ありがとうございました。

 次に、藤田参考人にお願いいたします。

藤田参考人 おはようございます。ただいま御紹介いただきました、都立高専の藤田安彦と申します。

 本日は、青少年問題の特別委員会にお招きいただきまして、心から御礼申し上げます。

 私の話は、お配りさせていただきました資料のとおり、「高等専門学校の取り組むべき課題」として、「ニートの夢を形にする「ものづくり技能教育」の実施(案)」でございます。この資料に沿いまして、本題のお話をさせていただきます。

 まず初めに、御存じの方もいらっしゃるとは存じますが、高等専門学校について御紹介いたします。

 我が国が高度成長を迎えて実践的中堅技術者の育成が急務となりました昭和三十六年、一九六一年ですが、学校教育法の一部改正によりまして高等専門学校制度がつくられました。その目的は、配付資料にありますように、学校教育法第七十条の二によりまして、高等専門学校は、深く学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とするとあります。まさにニートの若者に職業の能力を教育するのが高専でございます。

 入学者としましては、中学卒業者、十五歳でございますが、そういう卒業者を受け入れ、二十歳までの五年間一貫の、教養、専門、実験実習などを中心としました、本科と呼ばれておりますが、技術者教育を施し、準学士の学位を授与して世の中に送り出しております。現在は、さらに、本科卒業生に二年間のより専門的な技術教育を行うために、大学工学部と同じ工学士の学位が取れます専攻科というものを多くの高専で設置しております。今、全国で、国立、公立、私立合わせまして六十三校の高専がございます。

 卒業生は、一九六〇年代から七〇年代にかけました高度経済成長期に、実践的な中堅技術者として我が国の経済発展に大いに貢献したわけでございます。しかし、現代の情報化社会になりまして、物づくり技術も高度化されます。また、学生の高学歴化への要求も強くなりまして、それにこたえるべく、教育内容の専門性を高めるために、先ほど申し上げました専攻科が全国の国立高専に設置されたわけでございます。二〇〇七年の大学全入学の到来と同じく、少子化によりまして高専入学者の確保が高専全体の課題になっております。

 都立の高等専門学校は、私のおります工業高専と荒川にございます航空工業高専、二つございます。それぞれ一千名の学生定員、合わせて二千名の学生諸君がおります。この学生定員一千名は、国立高専の場合もほぼ同程度でございます。学校教育法の目的に従いまして、東京都教育委員会のもと、実践的な技術者教育を実施した結果、求人倍率が十八倍の企業評価を昨年度いただいております。さらに多数の物づくり人材の輩出が社会から求められているのが現状でございます。大変ありがたいことでございます。よき環境、設備、すぐれた教授陣及び地元企業の支援に基づきまして、私ども都立の高等専門学校を運営しております。

 都立の高専改革に今取り組んでおりまして、平成十八年四月開設を目途といたしまして、先ほどの二つの高専の統合による新しい産業技術高等専門学校、ものづくり工学科でございますが、その開設と創造工学専攻という専攻科の開設を今進めております。また同時に、産業技術大学院も開学し、我が国初の九年間一貫教育によります高度な物づくり人材育成を行い、産業振興や大都市東京の抱える諸課題、すなわち環境・エネルギー問題、都市防災、高齢化福祉、中小企業振興などの諸課題に技術的観点からこたえる東京工学の推進に貢献するようになっております。東京工学の推進につきましては、添付資料をごらんいただければありがたいと思います。

 以上御説明しました高専では、ニートなどの青少年問題はありません。学生本人も、また受け入れ側企業も満足しているのが高専の現状でございます。

 しかし、最近、引きこもりやニートの問題が社会問題になっております。次のセクション二に移りますが、私は、ニートを含む若年無業者は大切な国民であると当然のことながら考えておりますし、私は、すぐれた能力を持ったニートの人たちもたくさんおりますので、彼らの将来に期待をしております。学校などに行かず、独身者で、収入を得る仕事に非従事の十五歳から三十四歳の若年無業者は、内閣府の調査によりますと、一九九二年の百三十三万人から、二〇〇二年では二百十三万人に増加したことが報じられております。この二百十三万人の内訳は、職を求めても職につけない求職型の百二十九万人、それから、八十五万人がいわゆるニートと呼ばれる貴重な若者でございます。

 ニートは、少しずつふえる傾向にございます。二〇〇〇年には七十五万人と言われておりまして、二〇〇五年、現在は八十五万人と言われております。大変な社会問題でございます。求職側と求人側のずれに起因する雇用のミスマッチを解消すればニートの新規発生三十万人減らせるということ、それから、有効な政策がとられなければ二〇一五年にはニート人口は百九万人を超えるであろうと指摘されております。これは第一生命経済研究所の報告でございます。

 この青少年問題の特別委員会におきまして、既に引きこもりやニートを含めた青少年問題について検討されております。それを紹介させていただきますと、平成十七年三月十五日のこの委員会におきまして、佐藤錬先生によりますと、ニートとフリーターの増加は大きな社会問題であり、さらに、少ない子供をいかに教育するか、これが大切であると指摘されていらっしゃいます。ニートの増加は、企業の雇用、若者の社会参加意識、コミュニケーション能力の低下などに起因するとお話しされていらっしゃいます。また、自然との触れ合い、職業に対するイメージが描きにくいなども指摘されていらっしゃいます。

 また、石井郁子先生によりますと、引きこもりには社会生活ができるための訓練期間と社会復帰過程での居場所づくりが大切であると御指摘なさっていらっしゃいます。

 また、塩田幸雄政府参考人によりますと、社会復帰するステップといたしまして居場所を確保することが大変重要であると御指摘なさっていらっしゃいます。

 私は、ニートへの期待と要望を次のようにお伝えしたいわけでございます。希望、生きがい、やりがいを持った自己形成の実現でございます。また、自立した社会人や職業人として社会活動へ参画していただくことでございます。それから、国民として地域や国の発展へ貢献していただくことでございます。

 このようなニートの若者に対する私の期待と要望を実現するために、ニートの夢を形にする技能教育を実施することによりまして、職業に必要な能力の育成を図りたいと考えました。それは、自立した社会人、職業人として、スキル、専門知識、教養などを具備した自己形成を実現できるように、高専を中心とした物づくり技能教育を実施することでございます。

 七月十五日に発表された二〇〇五年の経済白書によりますと、二〇二〇年には、出生数が九十万人を割る深刻な少子化と、団塊世代の退職によります深刻な労働力人口の減少が、これは六千万人ぐらいになってしまいますが、指摘されております。したがって、佐藤先生が御指摘のように、少ない子供に対する教育の重要性とともに、我が国の国家的緊急課題となりました、ニートの若者が社会人、職業人として自立できる能力を育成するために、物づくり技能教育を高専において実施するための立法化を要請させていただく次第でございます。

 ここで、自立できる能力とは、まさに冒頭述べました、学校教育法にあります職業に必要な能力の育成であります。これは産業界で必要とする能力のことであります。

 産学連携の推進に関しまして、文科省は平成十二年、産業技術力強化法を施行いたしました。そこによりますと、公立高専の地域連携に関連することでございますが、産学連携は、公立大学、公立高専の社会貢献、学術研究に対して重要であると指摘しております。

 一方、東京都の産学連携は、我が都知事が諮問機関としてつくりました東京都中小企業振興対策審議会で戦略をつくったわけでございます。競争力ある東京の物づくり産業振興の戦略というものでございます。一つは物づくりの環境を整える、二つ目は物づくり企業の体力をつける、三つ目は物づくりを支える人材を育てるということでございます。

 この東京都でつくりました戦略に沿いまして、我が都立の高専では次のように取り組んでおります。環境につきましては、ロボカップジュニアとかロボットコンテストに学生が積極的に参加しております。ロボカップでは優勝して日本の代表になりまして、昨年は世界大会にも行かせていただきました。ロボットコンテストは最近ちょっと成績が悪いのでございますが、数年前はベストフォーぐらいに残った実績も持っております。

 企業の体力をつけることに関しましては、私どもの高専では産学交流センターというのがございまして、大田区、品川区の地域の技術者、経営者の方とともに、いろいろ地域を活性化する方向で動いております。中でも、技術相談それから技術の指導を行っております。

 それから、物づくりを支える人材を育てるということに関しましては、大田区、品川区を中心といたしまして、小学生、中学生に対しまして、こういう小さなロボットでございますが、実際にロボットをつくり、そこにコンピューターソフトウエアを埋め込みまして、実際に自分たちでつくって動かすということを体験していただいております。昨年はたしか二百数十名の参加者がございまして、とても対応できませんで、補講、補習授業をやらせていただいたほど盛況でございます。

 これらの産業振興の戦略の応用によりまして、ニート問題の解決に貢献できると私は信じております。特に、上記求職側とそれから求人側のミスマッチに関連する三十万人のニート、さらには八十五万人のニートの若者を対象としました物づくり技能教育の実施は、我が国の技能の継承による物づくり産業振興に通じる極めて大切な国策になると私は思っております。

 物づくり技能教育の実施といたしまして、三枚目に参考資料として載せさせていただいておりますが、公開講座名「ニートものづくり技能トレーニング公開講座(案)」を提案させていただきます。

 この趣旨は、夢を形にする物づくり技能を継承し、受講者が自立した社会人、職業人として社会活動に参画できるように我々が教育指導することでございます。

 対象は、八十五万人と言われておりますニート全員でございます。期間は三カ月、実践的な技能教育を三カ月予定しております。それから、希望者によりましてはインターンシップ、これは、企業に出かけまして、現場で、産業界でどういうことが行われているのかというのを実体験するとともに、社会との連携、そういうものを深めていただくということが極めて重要だと思います。

 費用は、本人と自治体で折半でございます。施設設備は、都立高専を含めまして全国に六十三校高専がございますが、その施設設備を利用するわけでございます。

 運営に関しましては、そこに数校高専の名前が書いてございますが、共同研究やいろいろ地域連携につきまして我々一緒にやっております高専の名前を書かせていただいております。当初はこの高専がよろしいかと思っております。

 それから、技能検定証を受講修了者に発行したいと思っております。特に、これはドイツのマイスター制度につながればいいななんということの夢も描いております。

 それから、開講講座でございますが、一番のロボット・機械技術からクリーンエネルギー技術、この中に私も大変興味があるものもございまして、私自身も入ってみたいななんて思うようなおもしろいものもございます。

 ここで重要なことは、教育指導体制でございます。高専教員及び補助者を充当することとともに、特に二〇〇七年、七百万人退場し、以後急速に増加すると言われております団塊世代の方々の中で、日本を代表する一流の技能、技術、経験を有する企業のOBを中心とした教育指導体制を編成し、我が国の技能の継承を図ることでございます。

 もう時間が参りましたので、これでお話をやめさせていただきますが、本日は、お話をさせていただく貴重な時間を賜りまして、ありがとうございました。ニートに夢を形にする機会をぜひ与えたいと思います。先生方の御指導をよろしくお願い申し上げます。(拍手)

藤村委員長 ありがとうございました。

 次に、中西参考人にお願いいたします。

中西参考人 おはようございます。今紹介いただきました中西と申します。

 私は大学に勤務しておりますが、神奈川県で引きこもりのサポート調査にも関係をしております。

 きょうは、時間がございませんので、青少年が社会に出ていくときにさまざまな困難を抱えるわけですが、その中の一点だけ、友人関係ということにだけ焦点を置いてお話をさせていただきたいと思います。

 ただ、その前提として、日本の社会の中で子供たちが大人になっていくプロセスの大きな変化があるわけですけれども、その変化の歴史的な特徴ということを最初にお話しさせていただきたいと思います。

 まず最初に、日本とそれから欧米諸国と共通する側面をお話ししたいと思います。

 それは、ここにもちょっと書いておきましたけれども、一九五〇年代、六〇年代以降ですが、共通の側面として、メディアや情報手段の発達などを通じて社会に出ていく道筋というのが非常に大きく変わったということ、これは日本の研究者だけではなくて海外の研究者も指摘をしております。例えば、ここに挙げておいたバッキンガムという人は、青年というのは、何歳から何歳までという成長の段階をあらわす言葉ではなくて、ライフスタイルに近い、そういう観念に変わったということを言っています。

 ですから、私は五十代で青年とは言いがたいですけれども、しかし、言いたければ青年というふうに言える。つまりこれは、思春期とか青年というふうに考えられてきた二十世紀の基本的な成長の観念そのものが現在変容しているということを盛んに研究者が論じ始めている、こういう状況であります。

 この点は共通しているんですが、日本の社会に関して言いますと、一九七〇年代半ば以降、こうした傾向というのがとりわけ強く、海外の諸国と比べても際立ってあらわれているというふうに言うことができると思います。ただ、七〇年代については時間がありませんのでここではお話をすることができないんですが、アメリカと比べても、それから欧米諸国と比べても、日本の社会の場合には消費文化の影響力というのが際立って強い、こういう特徴を持っております。

 ここには、これはスペインで売られている「ドラゴンボール」なんですが、世界じゅうでこういう日本の漫画が売られ、スペインでは日曜日の朝になると、子供たちは日本製のこういうアニメを、サッカーアニメのようなものをスペインの方が強いにもかかわらず見ている、こういうのがごく普通の状態になっているわけです。

 こうした状況というのは、七〇年代半ば以降、静かな文化的な変動として進んできたわけですけれども、八〇年代から九〇年代を通じて非常にはっきりと目にあらわれるようになってきたと思います。

 八〇年代後半に少し、例えばお受験というような言葉が一般化していく、そういうことの背景にある例えば幼児教育にかかわる産業のところで、非常に大きな、参加者がふえるとか、こういった変化があるわけですが、九〇年代の九七、八年から、この七〇年代半ば以降の変化に加えて非常に大きな変動が起こっていると思います。

 これは言うまでもなく、先ほどのお話にもありましたように、九七年、これはフリーター元年というふうに言われた年ですし、青少年が社会に出ていく道筋の新しい難しさというのがこの時期に加わっていった。これが、意識の上では、さまざまな意識調査を見ますと、青少年のドラスチックとも言える劇的な意識構造の変化というのをもたらしているように思います。

 ここには幾つか例を挙げておきましたけれども、例えば結婚して、結婚した後どうするかということに関して、専業主婦になる、こういう将来像というのは、この九〇年代後半以降、女子の中では一割以下という状態になっておりますし、それから社会全体に関しても、青少年が持っている未来像というのは、これはこういう言い方はおかしいんですが、確実に暗い。明るいというふうに考える青少年というのは、世界の諸国、例えばフランスのような割合シニカルな意識を常に持っている、そうした国の青少年と比べても、比べ物にならないほど際立って暗い未来像を持っているというふうに言うことができると思います。

 学校教育に即して言いますと、NHKの調査でもそうなんですが、九〇年代後半以降、勉強時間というのは全国平均で見て下がるという状態ですので、二〇〇二年のNHKの調査で、これは十年前と比べますと、高校生で約三十分近く平均で勉強時間が減っております。大体半分ぐらいの高校は、全く勉強しないかあるいはほとんど勉強しない、こういう高校生たちが存在している。これは、高校によって、大学に行く場合とそうでないところでやや性質の違いがありますので、場合によっては高校すべてでほとんど全く勉強しないというのが当たり前だというのが九〇年代後半以降の現実というふうに言うことができるわけです。

 この背景には日本の社会の大きな変動があるわけですが、その点についても省略をさせていただきます。

 そうした背景の中で、大人になる道筋について青少年が持つイメージ、そして実際の姿も大きく変わっているというふうに言うことができるように思います。それは、例えば大学生に即して言えば、最近の大学生は幼稚になったというふうに多くの方が言われるわけですし、それから逆に、小中学生でありますと、最近の小中学生は早熟だ、こういうことを言われる方もいるわけです。

 実際、小学校の中学年ぐらいから、渋谷のマルキューというふうに言われるファッションビルの中で買い物をする。小学校の思春期、五、六年生になりますと一人で行くケースも出てきますけれども、親子で出かけていく、しかもファッションは自分で選ぶ、こういうような子供たちが小学生から普通に存在している。

 佐世保の事件で初めて大人は衝撃を受けましたけれども、小学校の高学年の子供が小説を書き、そして自分でホームページを持つということはそんなに不思議なことではない、特別な子供がそうしているわけではないということもあるわけです。

 そういうふうに、一見これは、つまり大人になる道筋が早熟から幼稚へ変わるというのは非常に変な現象なんですが、そうした現象に見られるように、現在の日本の青少年の成長過程、成長の形というのが、今までの私たちが考えてきた、そうした成長の形とはどうも違っているようだということが言えるように思います。

 とりわけ、ローティーン少女の意識でありますとか、それから行動の変化ですね。警察庁の調査では、マニキュアをして外出をする、週末に外出したことがある、こういう女子中学生は過半数を超えております。これはもう普通のことであって、ファッション一つとっても、小学校高学年から中学校一、二年生を中心にした、そうしたファッション専門の雑誌というのが何冊も出され、そして部数が急増している、こういう現状があるわけです。

 情報行動についても、もうこれは既に御承知のことと思いますが、携帯の急激な普及によって、大学生、高校生はほぼ一〇〇%に近い携帯の所持率ということになっておりますし、中学生が約半数、今もう半数を超えていると思います。そして、小学生が大体四人に一人から五人に一人ぐらいの所持率、こういう状況になっているわけです。

 こうした情報環境、文化環境の変化の中で、当然その成長の姿というのが変わっていくということが考えられるわけですけれども、その中で特に友達関係という点にだけ焦点を絞って、どういう問題があるのかということを見てみたいと思います。

 消費文化ということを私は申し上げましたけれども、消費文化の最大の特徴は何かということなんですが、これは私が使っている観念ではなくて、ドイツの研究者の言葉で、個人化という言葉がございます。個体化というふうに私は呼んでおりますが、今まで複数、共同で利用したり享受をしていた、そうした文化というものが、個人個人、別々に利用し享受できるようになる、こういう現象というふうに言っていいと思います。

 携帯がその象徴ですけれども、一家の中に一台電話があるという状態と比べると、家族や親に知られずに友達と連絡ができる携帯というのは、十代の人たちにとっては極めて便利な、そういうコミュニケーション手段になるわけですけれども、そうした個体化の中で生きる子供たちは、一人一人がどういう文化を持っているかということをごく早い時期からスポットを当てられ、自分がどういう趣味、どういう人間であるかということを、そうした自分が備えている文化によって判断されるということに早くから訓練されるようになります。

 これは、ファッション一つとってみても、例えばアキバ系というふうに学生が言った瞬間に、もう既に、着ている服装、あるいは服装からアキバ系かどうかということが判断がつく。読んでいる漫画、聞いている音楽、見ているアニメ、その作品一つ言うだけで、一体どういう種類の人間かということが、あるいはどういう性格やどういう趣味を持った人間かということがすぐにわかってしまうというくらいに、言ってみれば個別化された、そういう文化のシステムの中で生きているというのが大きな特徴というふうに言うことができるわけです。

 そういう状況ですので、当然、個人個人に焦点が当てられて行動していかなければいけない、そういう場で、自分がいてもいいよということを承認してもらうためには、そのために友人が必要だということになるわけです。

 資料に挙げておきましたけれども、ちょっと見にくいんですが、NHKの調査の中で、一番関心のあることということを挙げているのが、左から男子中学生、男子高校生、そして女子中学生、女子高校生ですけれども、いずれも、一番関心があることは友人です。また別の調査では、これは十代の男子の平均の友達人数が五七・一五、こういう数字が挙げられています。要するに、ざっと五十人から百人近くの友達がいるのが普通。親友でいいますと大体十人近く。親友で野球ができるというくらいに、言ってみれば友人も親友もインフレーションになっているわけですね。

 これは、友人や親友ということの観念が非常に大きく変わっているということを示唆しています。友達も親友も、自分がこういう新しい文化の中で安心していられるということを保証してくれるような、そういう存在ということになるわけです。

 ということは、そういう友人との関係の中で自分が踏まえるべきさまざまな配慮というのが同時に生じてくることになるわけです。これはもう時間がありませんので一々図版の説明はしませんけれども、携帯一つとっても、携帯のメールの一番最後にどういう絵文字をつけるか、これは絶対に必要な配慮事項です。例えば丸をつけるか何もつけないか、こういうことによって印象が全く違うんですね。

 これは最近少しわかり始めたことなんですが、例えばフィンランドの十代の人たちは、メールが来たときに大体十五分から三十分の間に返答しないと、相手から何だというふうに言われると言っていますが、日本の場合には十分以内に返答しないと、何かおかしいんではないか、異常があったんではないか、あるいは、自分に対して何か非常に含むところがあって返答しないんではないか。ですから、即レスが原則になるわけですね。

 こうした細かい配慮の中で生きている。社会性がないと言いますけれども、むしろ、そういう形で一種高度な社会性を発揮しなければ友達とうまくつき合っていけない、そういう状態に早い時期から入っていく。その中で孤立をしないように、いじめを受けないようなそういう配慮も当然必要になってくるわけです。

 携帯一つとっても、携帯の着メロによって相手がどこから来たかわかりますので、返事をしたくない相手は、着メロが鳴ったと同時にごみ箱に捨てることができます。だれに送っても全部ごみ箱に行く、こういう状態に陥らないためには、それなりの配慮をしながら、友達を立てながら生きなければいけない。積極的に友達に働きかける、これは嫌われる、そういうキャラクターの典型です。積極的になり過ぎてもいけないし、無視をしてもいけない。そういう距離の中で早くから生きていく、こういう状況の中で育っていく、そういう友達関係というのを少し大人たちが想像してみるべきだというふうに考えております。

 ここから出てくる課題は数多いわけですが、時間がもうありませんので、そうした、一見、社会性がないとか耐性がないとかと、こういうふうに言われる子供たちが生きている現実の文化の中でどんなコミュニケーションやそれから人間関係の難しさを抱えているのか、こういうことを考えることによって、引きこもりやそれから具体的なさまざまな問題を抱えている子供たちの姿をより深く理解することができるのではないかということを申し上げて、おしまいにさせていただきたいと思います。

 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

藤村委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

藤村委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山際大志郎君。

山際委員 自由民主党の山際大志郎でございます。

 私は、なぜ政治家になったのかといつも問われるときに、もともと獣医という職業をやっておりまして、命というものを扱い続けてきた、命に接し続けてきた人間として、現代の日本を見るときに、これほどまでに命というものが粗末にされている現状に大きな危機感を抱き、もう一度その命の大切さというものが当たり前のこととして認識できて、そしてその認識に基づいて行動ができる人間をつくらないと、日本は本当にだめになってしまうんではないか、このような危機感を持ち、そして、その人づくりのための仕組みをつくりたい、この使命感に駆られて政治家になりました。

 命の大切さに関しましては、この委員会に所属されていらっしゃる委員の先生方全員、同じ意識を持っていらっしゃると思うんですが、そういう観点からも、きょう、四人の参考人の皆さんに貴重なお話をいただいたことを、まず冒頭、感謝申し上げます。

 まず最初に牟田参考人にお尋ねしたいんですが、子供の生きる意欲というものが低下してしまっている、それは自分自身が生きていく上での不足というものがないからだというお話がございました。それに、ハンディキャップを持った方々と接することによってそこの部分に気づいてもらうという試み、本当にすばらしいと思うんですけれども、これをただ単に牟田参考人がやっていらっしゃるところだけで終わらせるというのでは、余りにもったいない。これをもう少し広く広げていくためには一体どうすればいいかというようなことを、具体的に何かお考えがあれば教えていただければと思います。

牟田参考人 これが世田谷の中である効果を持ったなと私は思っていますけれども、世田谷全体から見ればほんのささいな活動でありまして、ただ、そういうことを考える人がいかにしたらふえるか、広がっていけるのか、このあたりは我々活動する者にとって非常に関心がありますけれども、容易ではありません。

 チャイルドラインの方はおかげさまで全国に広がりましたけれども、そういう活動が、これは普通、それまでは障害者の問題を何とかしなくちゃという発想の中で行われていたんですけれども、私は、そうじゃなくて、これは一般の中学生の問題として、そこに障害者もと。これは双方にとってお役に立つんじゃないかなという思いでやりました。

 ですから、こういう活動というものがもっともっと、一部の方々は評価していただけたと思うんですけれども、こういうことをやってみようということをどんどん政治家の皆さん方が発言していただくような場面をつくっていただけたらなということでございます。

山際委員 まさにそういうことなんじゃないかなと思います。この委員会でこのような御意見をいただいたことを私たちも重く受けとめまして、先につなげていきたいと思います。

 それともう一点、チャイルドラインの話ですけれども、私もこのチャイルドラインの議員連盟に所属させていただいておりまして活動をしておりますが、確かに全国展開したとはいっても、まだまだ、叫びたいけれども、その声をどこに叫んだらいいかわからないという子供たちはたくさんいると思うんですね。これもやはりもう一段、もう二段、この子供たちを救うためにこの仕組みを広げていく必要性が絶対あると思うんですが、それについての課題、どうすればいいかということもまた少し、具体的にございましたら教えていただきたいと思うんです。

牟田参考人 広がっているけれども、それぞれ電話を受ける方々、我々は受け手さんと呼んでいるんですけれども、受け手さんのトレーニングが、これが容易ではないんですね。やはり大人としては、子供がいろいろなことを言うと、何か言いたくなっちゃう。自分の価値観を押しつけるという場合がどうしてもある。それではいかぬというところから出発していますので、そういう意味で、全国に広がっているけれども、受け手さんの質の向上というものがそろっていかなくちゃいけない部分がありますよね。そういう意味で、我々、研修を繰り返して、全国のイベント、秋にはフォーラムを持っておりますけれども、そこでいろいろ勉強していただくという方法なんです。

 ただ、私が言いたいのは、コミュニケーションの問題だと思っております。チャイルドラインというのはコミュニケーションの問題。これは、子供が自分の思いを表現できる、そういうコミュニケーション能力をこういう電話を使って少しずつうまくなっていってもらいたいし、大人の受け手さんの側も、いかにコミュニケーションをすると子供がちゃんと認めてくれるか、このコミュニケーションのトレーニングでもあるというふうに思っておりまして、これは双方にとって、いや、ボランティアというのは必ず、一方的な問題じゃなくて双方向のことを考えるわけでございますけれども、双方向にとって役に立つことではないかな。コミュニケーションのおけいこというふうに考えていただければと。

 とにかく、我々大人はコミュニケーションを省きましたよね。つまり、コミュニケーションすることを煩わしいこととか、いろいろなそういう思いでもってカットして、省略して、省エネしていった結果がコミュニケーション不足の子供たちをつくってしまったんじゃないか。

 そういう意味で、これからもいろいろなことを考えながら推し進めてまいりたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

山際委員 今、くしくもコミュニケーションというお話がございました。チャイルドラインもコミュニケーションの一法だと思いますが、坪井参考人の子ども人権救済センターというのも、まさに子供たちとコミュニケーションをとるということを一つの大きな柱としてやっていらっしゃると思うんです。

 特に、先ほどお話を伺っていて、子供の話を大人がこんなに真剣に聞いてくれるとは思わなかった、本当にそうだと思うんですね。ただ、子供の話を聞くというのは、正直言って非常にしんどいことだと私は思います。ですから、こういった試みは本当に大切だと思うんですけれども、なかなか広がりを見せないというのも現実だろうと思うんです。

 昨年、青少年の問題でさまざまな協議をこの委員会でさせていただく中で、とにかくキャパシティーが足りなさ過ぎるよ、さまざまな意味で公の機関で働いていらっしゃる方々のキャパシティーはもう限界に来ているというような話がございまして、だからこそ、民間の方々やボランティアの方も含めてこの仕組みというものをもっと拡充させたいと私どもは考えております。帰る家がないというこの観点に関しても当然必要なんですが、その前段階としても、困った子供たちとコミュニケーションをとって同じ思いを共感してあげるという作業を進めるための仕組みをもう少し広げるためにはどういうふうにしたらいいか、考えていく上での何か御意見があったらお聞かせいただけますでしょうか。

坪井参考人 現実には、子供たちの話を聞くことが一番できるのは親たちなはずなんですね。親たちというのは、一人の子供に一人ではないにしても、多くの場合たくさんの親たちがいるはずです。親たちが子供たちの話を聞くということがどういうことなのかということを知ってもらうというのが、本当を言うと、そういったあちこちの機関をふやしていくことももちろん必要なんだけれども、一番本当は必要なのかなという気もしているんですね。子供にとっては、親が話を聞いてくれることほど受け入れられたという安心感を持つということはないと思います。

 そのためには、親に限らず、学校の先生であれこうした機関の方たちであれ、要するに、子供というものが一人の人間なんだ、存在する一人の人間であり、この子たちは苦しみや不安や怒りや喜びを大人と同じように感じている存在なんだ、ただ表現する言葉を持っていないがためにとても時間がかかるし十分に伝えられないけれども、それだけの違いなんだということを、要するに、子供の見方というか子供へのまなざしというのでしょうか、その感覚を変えていくということ、それが本当に必要なんだと思うんです。それがわかっていく、自分と同じ一人の人間なんだということを多くの大人がわかるということが、子供たちの話に耳を傾けるということができることになる一番大きな原動力ではないか。

 やはりその意味では、子供が一人の人間である、子供の権利ということが、人間としての権利が守られなきゃいけないという、ここの基本を啓発していくというのでしょうか、そこが一番必要なんじゃないかなと本当は思っています。

山際委員 どうもありがとうございます。

 時間が余りございませんので、藤田参考人にお尋ねをしたいと思います。

 実は、私たち自由民主党の若手議員で、昨年一年間かけまして、フリーター、ニート対策研究会というのを立ち上げてさまざまな提言をさせていただきました。その中で、例えばトライやる・ウイークという兵庫でやっているのを全国展開していただけるような仕組みをつくっていただいたり、あるいは人材投資促進税制、まさに企業と若者との間のミスマッチを埋めるための税制措置というものもこの四月から導入させていただきました。

 その観点でいきますと、ミスマッチを埋めるという意味では高専の役割というのは非常に大きいと思うんです。そこで、先ほど少しお話しいただいた中で、公開講座、この公開講座に関しましては、今ニートの実数が八十五万人と言われておりますけれども、実際に本当には何人いるかというのがわからない。それはなぜかというと、社会になかなか出てこない人たちだからということだろうと思うんです。

 そういうことを考えたときに、公開講座をやろうとしたときに見込みとしてどれぐらいの方が参加されるのか、あるいはまた、公開講座を開いたときにキャパシティーとして、定員はどれぐらいまでだったら大丈夫なのかということを教えていただきたいのが一つ。

 もう一点は、そうはいっても八十五万人、一応推計だけでも八十五万人になっているわけですから、これは全員にこのサービスというか講座を開こうとしても、どう考えたってこれは定員オーバーになってしまうと思うんですね。ですから、高専だけでやれることというのは限りがあると思いますので、例えば、一般の高校等々も利用して同じような試みをしようとするときに、どういったことを高校には期待するかというか、やらせることができるとお考えになっているか、その辺を教えていただければと思います。

藤田参考人 ただいまの御質問、非常に貴重な御質問だと思います。

 最初の、公開講座受け入れの場合の定員でございますが、全国で六十三校高等専門学校がございます。一校当たり一千名がほぼ学生定員でございますので、普通の意味で考えますと非常に人数の制約が予想されるわけでございますが、ここに書いてございますように週に二回、二時間程度、例えば土曜日であるとか日曜日であるとか、それから授業等は四時半で大体終わりますので四時半以降の時間帯、そういう時間帯を利用することが一つでございます。

 それから、キャパにつきましては、実験設備等も当然ございます。場合によったら宿泊施設も必要かと思い、ログハウスとかいろいろ簡便な手法でできるものがございまして、ニートの若者それから学生自身もログハウスをつくったりすることも物づくりの勉強になると思います。

 結論的には、定員というのは、例えば学生定員が一千名でございますと二、三千名ぐらいを当初予定といたしまして、逐次ふやしていくというようなことが一つ考えられます。

 具体的には、各地に、東京都にもございますが職業訓練所というのがございます。ここも非常に立派な施設設備を持っておりまして、ハローワーク等と連携をとりまして、再雇用を含めた一般の方たちの技能教育をここでも行っておりますので、そういう職業訓練校、品川にも立派なのがございますが、そこともお話は大分前からちょっとしておりまして、そういうことであれば連携させていただきますということをもういただいております。これはもう当然全国にあると思いますので、そういう訓練所を利用することも有効ではないかと思っております。

 それから、高等学校の件でございますが、高等学校はあくまでも、義務教育とは申しませんが、あくまでも人間形成を図る教養的な部分の教育部門でございます。高等専門学校は、先ほど申し上げましたように、学校教育法によりますと、深く学芸を教授し、職業に必要な能力を育成するということでございまして、明らかに高等学校とは性質の違う高等教育機関でございます。

 やはり、社会で生活するためには企業ニーズにマッチするように高度な技術も身につけなきゃいけませんし、そういう観点からいたしますと、きちっと高等教育機関で技術、技能、あわせてまた教養等も含めて勉強していただく環境をつくることが必要かと思います。

 以上です。

山際委員 どうもありがとうございました。

 それでは、最後に中西参考人にお尋ねします。

 本当に日本の現代の世相を科学的に御説明いただきまして、そのとおりだなとうなずきながら聞いておりました。

 私は、この世の中の実は一番大きな問題は、参考人がおっしゃっていただいたとおりに、個人主義の横行といいましょうか、個体化という言葉で参考人はおっしゃっておりましたけれども、これが社会全体に広くはびこっている状況というのが一番まずいんだろうなという考えを持っておりまして、私が所属しております自由民主党の保守の理念の根っこにあるものが、実は、社会を構成している最小単位であります家庭、家族というものを大切にするんだというところから発しているということを考えますと、もう一度、その個人主義、個体化というものから家族というものに目を向けさせるようなことをしなくてはいけないんだと、私は個人的にもそう思っているんです。

 しかし、現実にそれを行おうとすると非常に難しい。恐らく、教育にまつところが大きいという言葉が出てくるのかもしれませんが、これを実際に社会としてもう一度そのような形に変えていくということをしようとするときに、何かきっかけになるものがあればなと私は思っておりまして、その点について、参考人、何か御示唆に富んだことがございましたら教えていただければと思います。

中西参考人 最初に、個人主義ということに関連してでございますけれども、子供たちがこういうふうにお互いの関係というのをそれだけ気にするというのは、自分の尊厳といいますか、個人個人の尊厳をきちっと認めてほしい、尊重してほしい、そういう気持ちから出発していると思います。ですから、お互いが安心して個人個人の尊厳も含めて存在を認めてあげられるような、そういう関係をつくり出すことが一番肝心だというふうに考えております。

 その点と関連いたしまして、家族が現実に子供たちが育っていく上で非常に大きな基礎的な集団であることは間違いがないと思います。ただ、現在の社会の現状を見ていきますと、さまざまな困難を抱えた、成長の困難を抱えた子供たちを家族が全部背負っていくというところに非常に大きなまた難しさが存在しているのも間違いがないと思います。

 よく親御さんには言うんですけれども、子供の問題を解決しようと考えたときに、この問題をどういうふうに解決するのかというのをどうしても向き合って考えてしまう、向き合って考えるのではなくて、そばに一緒に肩を並べていられるかどうか。ですから、こちらの、当然、親の期待とかそれから家族の願いとかというのは伝えていかなければいけないと思うんですが、同時に、子供たちが難しさを抱えている、例えば友達や、さまざまな例えばいじめや、それから引きこもりに関連しても、やはり人間関係の問題というのが非常に大きな問題になっているわけです。そのときに、それは解決はできないけれども、そばに肩を並べて座っていられるかどうか。これは、話を聞くということの一番基礎にある、お互いに同じ場所に来てそばにいられる、こういう意味での共同といいますか、そういう関係をつくり出すことができればいいのではないかなというように思っております。

 これは、家族の垣根を余り高くするよりも、そうやって肩を並べていられるような大人をいろいろなところでたくさんつくっていく、それがやはり子供たちが安心して育っていく上での一つの大きな土台になるのではないかというふうに感じておりますので、雑駁ですけれども、そのくらいにいたします。

山際委員 ちょうど時間が参りました。本当に示唆に富んださまざまな御意見、ありがとうございました。

 終わります。

藤村委員長 次に、加藤勝信君。

加藤(勝)委員 自由民主党の加藤勝信でございます。

 きょうは、本当にお忙しい中、ありがとうございます。本当に、ちょっと時間が短かったかなという感じがしながら聞かせていただきました。

 最初に、牟田参考人に幾つか御質問というか、お聞きをしたいと思うんですが、私も今、一番上が中学校二年生で一番下が五歳、四人子供を抱えながら、やはりいろいろ教育の話を聞くと、しつけをしっかりしなきゃいけないと言われるとそう思い、いや、ここにあるように、少し自由にさせなきゃいけないと言われるとそう思いという中で、揺れる親の一人でもあります。

 最初のお話を聞いて、不足が不足をしている、逆に言えば、非常に過剰感あふれているというお話を聞く中で、私も夏になると時々座禅に行くことがありまして、そこでは、吸うよりも吐けということ、吐けば自然に吸いますよということを言われて、それによって呼吸法をしなさいというふうに教えていただくわけでありますが、確かに子供からも、親から聞くことはいっぱいあるけれども、まさに聞いてもらえない、自分の思いを伝えられない、そんなことがあるのかなということを聞かせていただきました。

 それからもう一つ、子供は自分で解決する能力があることを信じ、待ちの姿勢でというお話、これは待ちということ。あるいは、プレーパークで自由にさせる。結果的に、全部くくると、やはり親がどれだけ時間が提供できるかということに集約するのかなというふうに私は思います。

 特にうちの妻もそうなんですが、大体子供に、朝起きると早く起きなさい、早く支度をしなさい、早く早く早く、最後は早く寝なさい、これで終わるわけでありまして、早く早く早くになってしまう。では、なかなか子供にゆっくり接することが、まさに子供が自発的に、自立的に動き出すまでの時間を我慢できるかという勝負じゃないかなという気もしなくはないんですね。

 そういう中で、まさに聞くということのチャイルドラインで、四カ月研修されるというお話をこの中に書いてあるんですが、具体的にどういうことを研修されるのか、普通の親に対する御示唆を含めて、その辺をちょっと教えていただければと思うんです。

牟田参考人 研修の中で、今の子供の現状であるとか、それから電話という特性、それから子供たちを受けとめるにはどうしたらいいか、ワークショップをやったりロールプレイをやったりしながら、少しずつどうしたらいいかということを自分で見つけていただく、そういうトレーニングでございますけれども、これは電話を受けながら、なおかつ継続研修ということで、やはりその事例を、みんなでこれでよかったのかどうかと。振り返りというのは非常に重要だと思うんです。振り返ることによって、自分が対応したことがよかったのかどうか。

 今、お父さんの立場からのお話がございましたけれども、しゃべればいいというものじゃないと思うんです。コミュニケーションを多くすればいいというものじゃなくて、結局子供というのは、親の生き方、姿勢みたいなものを非常に敏感に感じ取るわけでございますから、私はこうやって生きているということが子供にわかる、そんなふうな生き方をしていただければ、それが一番子供にとっては幸せだと思います。

加藤(勝)委員 ありがとうございます。

 まさに親の背中を見ながら子供が育つということなんでしょうが、でも、なかなか自分がどういう背中をしているかということが認識できませんし、なかなかそこまで自信がないというのが実感ではないかなというふうに思います。

 それと、もしおわかりになれば、世田谷で四カ所されているプレーパークという中で、やはり親御さんから見ると、自由にさせたいという気持ちがある、しかし、けがや、あるいは不審者が入ってきて危害を及ぼすかと、さまざまな心配もあるわけであります。その点に対してどういう配慮を、まさにさっき言った、危険なことがあれば指示をするというのがありましたけれども、どういう配慮が、あるいはどういう行政責任というのでしょうかね、そういう中でされているのか、ちょっと教えていただければと思います。

牟田参考人 要するに、プレーパークというところは、子供が自分のアイデアとか自分の思いとかそういうものを自由に反映させられるという、ですから、けがをしたら自分の責任ということが明記されております。ですから、公園なんかでも禁止事項が多いわけですけれども、公園の一角だけはそういう禁止事項がない、少ないというような、そういうことでやっております。

 私は、子供にとって、このルールというのがとても重要だと思うんですね。どうも皆さん、規範という言い方をなさいます。規範ということじゃなくて、子供たちが自分たちでルールをつくる。ルールをつくる中で、初めは調子よくルールをつくるんだけれども、それに縛られますよね。そして、これはちょっとまずいなということで、このルールを考えるという中で、子供の論理性も育ちますし、子供が自分で考えるという能力がついていくんじゃないか。ですから、遊ぶということ自体も、これは大変な学習だと思うんですね。

 私、中教審の中で先生方に言ったことがあるんですよね。先生方、子供のころ、遊んでいませんでしたか、遊びの中でいろんな人間関係をつくることを覚えたじゃないですかということを言ったことがあります、しんとしましたけれども。なぜ、子供が遊ぶことを、チャンスを我々は奪ってしまったんでしょうか。それは、学歴偏重社会という問題が非常に大きいと思います。

 そういう中で、子供が遊ぶということ、人間全体そうですけれども、遊ぶということがいかに重要なのか。遊ぶことの中でいろいろなことを感じ、それが自分の生き方につながっていくということもございます。ですから、プレーパークというのは、そういう意味で、ハザードは取り除かなきゃいけないけれども、危険なことに挑戦するというおもしろみ、楽しさもあります。冒険心を揺り動かすような、そういうことも子供は好きですし、本当に遊びというのは人間は自然に欲しがることであって、だから、なるべく子供が遊べるような状態をつくってあげたいなというのがプレーパークの思いであります。

 だから、リーダーというのは、どうしたらいいかねと相談に来ると、うん、こうする方法もあるし、こういう方法もあるんじゃないのというアドバイスをする程度で、それはしちゃだめとか、そんなことは一切、よっぽどのときに、ちょっとそれはまずいよという話を子供に言う。だけれども、子供にとっては、そのリーダーというのは、まさにおじさんなわけですよ。おじさんというかお兄さん、お姉さんなわけで、だから、そういう関係で子供と共存していく、そういうことが子供にとっては非常に快適なことではないかなというふうに思うので、今、日本全国、世田谷から出発しまして、二百以上にプレーパーク、冒険遊び場というのは広がりました。

 そういう実情でございます。

加藤(勝)委員 ありがとうございました。

 百聞は一見にしかずということで、一度子供も連れていって実感したいと思います。

 続いて、坪井参考人にお話を聞かせていただきたいと思います。

 本当に、まさに現場でいろいろなところに接しられた、まさに生の声を聞かせていただけたなという思いがいたします。

 そういう中で、虐待に関して、子供たちを救うということと同時に、親たちを支援するというお話をされておりました。いただいた資料を見させていただいて、いわゆる親に顧みてもらえなかった子供たちという中の親という存在につながっていくわけでありますけれども、一方で、ある意味では、子供へ過大な、過剰な期待をして、それが子供のプレッシャーになるということもあり、他方で、友達親子というんでしょうか、だめということが言えない部分もあるというような指摘もなされている。

 そういう中で、親のあるべき姿、こういう親と一義的になかなか規定できるものではないと思いますけれども、やはり、いろいろな事例に接しておられて、この子供、特にいろいろな問題を抱える子供さんたちの中で、あそこであの親がこの一言をもし言っていればなとか、こういう対応をしていればなということがあったと思うのでありますけれども、そういうことを一つ具体的に教えていただければと思うんです。

坪井参考人 私自身も三人の子供の親で、余り偉そうなことは言えないということがあります。

 ただ、とにかく、私たちのところのカリヨンに逃げてきている三十一人のうち、三分の一は両親がきちっとそろったおうちから逃げ出してきて、いい高校に通い、経済的にも恵まれた、両親そろった、お医者様ですとか、そういったおうちから逃げてくる子供さんというのは結構います。

 まず、そういう子供たちを見て、私たちはそんな子供たちがこんなにたくさん逃げてくるというのはちょっと予期していなかったところがあったんですが、やはり、親から受けてきた教育虐待とでも言える、そうした中での苦しみ、そして、いい子をして、いい高校へ通い、いい大学へ入るということで必死に親の期待にこたえてきた子供たちが、高校三年生や大学一年生の年齢で、もうだめといって飛び出してきているんですね。

 こういう実情というのが起きているということからすれば、まず、親たちは、自分たちの人生を子供に重ね合わせ、自分ができなかったことを子供にさせてというような、こういうことだけはしてほしくない、子供の人生と自分の人生は別なんだということがきちっとわかる親であってほしいと思うんです。

 そのためには、親が自分の人生を一生懸命生きているということがとても大事で、親が自分の人生を一生懸命生きている、そうすると、子供を別の人間として見ることができ、子供の人生もきちっとパートナーとして生きていくという感覚ができる。親が乗りかかっちゃうというのが一番子供にとってはかわいそうだというのが一つありますね。まず、そこが一つ、親が自分の人生をしっかり生きられるかどうか。

 それから、もう一つは、子供たちが何につらいか。おまえなんか生まれてこなきゃよかったんだ、あんたみたいな子は要らないんだよという、言葉だけじゃないんですよ。毎日のまなざしとか抱きとめ方とか声のかけ方とか、いろいろなことがあるんだけれども、子供は、自分はこの親にとって大切にしてもらえる存在なのかどうか、愛されているのかと本当に一秒一秒感じているんですね、赤ちゃんのときから。

 親にとって、何をしてあげるというよりも、あなたの命は大切なんだ、生まれてきてありがとうね、本当にあなたがいてくれることが私の喜びだという、それをいろいろな方法で伝えてあげてほしい。親がすごく下手になっているんだろうと思います、今、内閣府が広報で何か抱きとめてあげるというのでやっていますけれども。

 カリヨンに来る子供たちに私は何も言えなくて、あなたに生きていてほしいからねとか、私はあなたが大事なのとか、あなたを愛しているよとかと言うんです。こういう言葉がすぽんときくんですね。つまり、本当に直截な生の言葉で子供をきちっと愛しているということを伝えてほしいな、そんなふうに思います。

加藤(勝)委員 ありがとうございました。

 本当に、ある意味で、親から見ればそんなことはわかっているだろうみたいなところがベースにあるんだと思いますし、ある意味では、夫婦間でもほとんどそんなことは言いませんから、そこから考えていかなきゃいかぬのかなという思いもいたしております。

 それから、だんだん時間がなくなりましたので、藤田参考人に、きょういろいろお話を聞かせていただいて、高専の存在ということをまた改めてよく知らせていただけたなというふうに思うんですが、まず、一般的な知識として、今、卒業する皆さんが大変引く手あまただというお話がございますけれども、今、具体的に、逆に言うと、高専を志望されてくる子供さんたちというのはどういう思いを持ってこられているのか、その辺を一つ教えていただければと思うんです。

藤田参考人 ただいまの御質問に対してのお話でございますが、先ほど紹介させていただきましたように、大田区、品川区の小学生、中学生を対象に物づくりのロボット教室というのを開催しておりますが、大変盛況でございます。高等専門学校に来る中学生の方たちは、早く物づくりの技能的な、技術的な、そういうことをやりたいという学生さんが多いことは事実でございます。

 もう一つは、入学してから、私、去年四月から、都立の大学の方から急遽、校長に命ぜられまして行ったわけでございますが、一年間、学生諸君と、直接は授業等担当しておりませんのでわからないところもございますが、日常的な学生指導等を含めまして、教員の話を聞いておりますと、母子家庭の子供さんが非常に多いですね。そういう意味で、やはり経済的に若干苦しい立場におられる子弟が来ているのかなということを感じております。

 それから、全国の高等専門学校の校長会等が年に何回かございますが、そこで地方の校長先生のお話を伺いましても、やはり母子家庭の子弟が多いということで、何かやはり経済的な面のことで高専に来ておられるのかなということを感じております。

 ちなみに、東京都の高専の場合は、月謝が年間二十五万程度でございます。このたび、平成十八年度から新しい高専をつくって専攻科をつくりまして、学士号を授与して大学院につなげるという、九年間一貫の教育をやる予定でございますが、そうしますと、大学と比べますと、私立大学なんかに行きますと百数十万の授業料でございますね。すぐわかると思うんです、二十五万で九年間、修士号が取れます。そういう意味で、多分これから、さらに多くの子供さんが私どもの高専に来ていただけるのかなと思っております。

 また、最近、広報活動におきましても非常に問い合わせが多くて、新しい高等教育機関ができるということで、九年間一貫教育というのは地域の方たちも非常に興味を持っておられるようでございます。

加藤(勝)委員 ありがとうございます。

 また、先ほどの技能の講座、計算すると大体五十時間ぐらいの総時間数のようであります。そのぐらいあると個々の科目についてはまあまあある程度のところまでは習熟できるという、大体それぐらいの目安というふうに考えてよろしいんでしょうか。

藤田参考人 今の御質問は、先ほど紹介させていただきましたニートの若者に対する公開講座でございますか。

 十分時間をとればいいんですけれども、まず、とりあえず三カ月間、とにかく御自宅、家から外に出ていただいて、教育をしている、技能を学ぶ場所に実際に来ていただくということですね。そこが、先ほど居場所のお話をちょっとさせていただきましたが、まず居場所として、物づくりを勉強して、実際に自分が技能を習得するという、そういう居場所を高専につくれたらいいなということが一つございます。

 時間の点でございますが、先ほど紹介させていただきましたのは、二時間で週二回で三カ月間ですね。恐らく、興味を持った若者は時間無制限に多分居座るんじゃないかと私ども予想しております。それほど、物づくりに取りつかれた子供たち、中学生含めてそうですが、小学生もそうですが、非常にそういうところは一生懸命やる傾向がございます。研究者もそうなんですが、若いときはほとんど寝ないで研究するというような方が多いです。睡眠時間が非常に少ない。とにかく自分がやりたい、こういうことで自分の志望を通したい、夢を形にしたいという、そういう場をつくってあげればよろしいのかなと思っております。

 それから、インターンシップがございます。これは、実際に企業に受け入れていただきまして、企業で現実に、どういう産業活動の中でどういうぐあいに技能、技術が使われているのかとか、さらには新しい技術も習得できる、そこはいわゆるお見合いみたいなものですね。技能、技術を学んだ若者が、場合によったらそこの企業で就職の機会をいただいたり、そういうことも可能かと思います。それらを全部、中心的に担うのが、先ほど申し上げましたように団塊世代の方で、一流の技能、技術、経験を持った方がたくさんいらっしゃいます。こういう人たちのお力をかりて、私ども職員もともども協力して、そういう若者を指導する体制をつくるということがとにかく大事ではないかなと思っております。

 以上でございます。

加藤(勝)委員 ありがとうございました。

 また、中西参考人にもぜひお話を聞きたかったんですが、時間となってしまいましたので、申しわけございません。

 ありがとうございました。

藤村委員長 次に、古賀一成君。

古賀(一)委員 民主党の古賀一成と申します。

 きょうは、本当に有意義なお話を聞かせていただきましたけれども、かつまた、一面では、それぞれに現場を預かられ、あるいは現場で子供に触れられて、皆さんも非常に悩んでおられるな、こうしたらいいという決定的なシナリオが見えない中で呻吟しているなという感じがします。

 私も、ニート問題というのは、あるいは今の子供の教育問題全般は、郵政事業民営化なんというよりも百倍ぐらい重要な、日本の将来にかかわる重要な問題だと思っています。いずれニート国会でも開かないと日本の社会はもたないというぐらい私は心配しておる一人でございまして、今後、我々も国会議員として真剣にこれを考え、取り組んでいきたいと思います。

 冒頭に申し上げますけれども、現場のアイデア、悩みというものを、参考人招致という形だけでなくて、今後いろいろ、びしびし御提言、御叱責をいただきたいなと、きょう聞きながら、四人の先生の方にお願いを申し上げたいと思います。

 話はがらっと変わりますけれども、私、そういう子供というものをどうやって、どこを突破口にたくましくしていくべきであろうかといつも悩みます。先ほど坪井さんの方から、親の言葉、本当に親の一言、抱き締める気持ち、それが非常に重要なんだ、効果があるんだという話がありましたけれども、実は、今の若い親そのものが、あるいは教える立場にある学校の先生そのものが実は、ニートに近いと言ったら怒られますけれども、そこら辺がわかっていないところがあるような、そういう感じになっております。

 私自身はまだ解決策はよくわかりませんけれども、やはり大きい意味での社会のシステム、そこで受けとめて、子供たちがそういう世界に触れる、触れざるを得ないというシステムを幾つか組み込んでいかなければ、お父さん頑張れ、お母さんこうだよと言っても、もうらちが明かないというか、抽象的な言い方ですけれども、政治あるいは社会、社会の価値観がやはり全般的に、親なり、とりわけ子供あるいは若い学校の先生をそちらに動かしていくようなシステムをつくらない限り、これは本当に大変な問題だと思っています。

 私、ちょうど二週間前にまたモンゴルに行ってきまして、モンゴルというと、マンホールチルドレンというのが問題になっているんです。草原にいる小さい子供たちは、もう目が輝いて、小学校一年生、幼稚園ぐらいのが驚くような馬術を披露するんですけれども、マンホールチルドレンに今回は何度も触れ合いました。これが、先ほどお話のあるような日本の子供と違って、すこぶる元気がいいんですね。目がきらきら輝いているし、にこにこしながらまとわりついて、何か日本の、家にこもっていく、自分の右腕なり左腕を切って血を出している、そういう話を幾つも、新聞でも見ますし聞きましたけれども、どこに差があるんだろう。モンゴルは、自殺する人が一人もいないんです。

 そうしたときに、先ほど言いましたような、何か日本の社会の、子供を教育するなり、あるいは家族そのものがもっと話し合う、助け合う、あるいは地域が子供をたくましく育てるとか、いろいろな意味での社会システムがかつてはあったかもしれないけれども、今はなくなっている。そういう問題意識を持っております。

 先ほど藤田先生の方から、都立高専が、まずはロボットというようなテーマで、ニート的な、子供たちも含めて経験を積ませ、あるいはかいなを磨かせて社会に送り出そう、本当にすばらしい試みだろうと思っております。

 どうでしょうか、先ほど言ったような、全国的な社会システムとなっていくことを私も大変期待をしておりますけれども、現状としては、学生を呼び込む、区役所に頼むのか、区役所が本当に動くのか、学校の中で、いや、そんなことまでするのはもうしんどいと言うのか、いろいろ実は御苦労もあろうかと思いますけれども、今立ち上げにかかわられておりまして、何か隘路はないのか、ここをこう改善してほしい、こういう制度がいい、政治がこういう発信をしてくれたらもっとこれをやれるという御注文があれば、ぜひお聞かせ願いたいなと思います。

藤田参考人 ただいま古賀先生のお話、非常に貴重なお話をありがとうございました。

 どういうところを変えたらよろしいのかということでございますが、私どもは東京都の高専でございまして、教育委員会の傘下にございます。教育委員会というのは、小中高含めまして高等専門学校まで所管しておるところでございますが、本来的な学生諸君以外に、地域の子供たち、地域の青年を学校に受け入れることのできるような法改正というのが必要だと思いますね。

 これは学校教育法に関係することだと思いますが、そういう若者やそれから、ニートという言葉、非常に私は言いたくないんですが、将来的に技能、技術を身につけて社会人、職業人として自立していこう、そういう若者を教育する場に入っていただく、そういうことは現行では学生でないとできぬわけでございます。それを、技能、技術を学ぶということであれば全国の高等専門学校に入ってもよろしい、そこで地域の一流技能、技術を持った方とともども技能の勉強をしてください、そういうような環境をぜひつくれるような法改正をしていただければありがたいなと思っております。

古賀(一)委員 あと、これは周知徹底といいますか、今法改正のお話はよくわかりました。現状において、今度、呼び込んだり募集したり、そういうところは区役所なりは一生懸命やっておるんですか。

藤田参考人 今の御指摘の点でございますが、これは地域の企業、中小企業を含めました企業の方たちも協力体制がございます。

 品川区の場合には品川区長が非常に積極的でございます。青少年教育に関しまして、昨年、私、委員会に呼ばれまして、高専の紹介をしてくださいということを伺いまして、高等専門学校の改革の話をしました。その折に、小学生、中学生の教育に関して非常に関心を持っていらっしゃいまして、ちょっと忘れたんですが、何か異常があると、携帯電話を使って異常信号を発信して、それをすぐ近くにいる人が救護に行くというような、そんなシステムを多分試みられていらっしゃると思います。

 そんなことで、青少年教育に関しましては、幸い私の勤めておる高専は品川区にございまして、品川区あるいは大田区の支援は十分得られるものと思っております。

古賀(一)委員 聞くところによりますと、都立高専を一つのスタートに、高専は全国たくさん、先ほどのお話のようにあります。私の地元にも国立久留米高専がございますけれども、この話をちょっとしたんです。

 都立高専は、都知事も首都大学であるとか非常に新しいチャレンジをしてあるところなんですけれども、願わくは、これは、ニートというのは別に品川区だけ、東京都だけではありませんし、非常に、教育が新しい時代に向けて日本の課題を解決しながら新しい脱皮をしていくという私はすばらしい挑戦だと思いますけれども、全国的な展開というのは、今後いろいろ問題、隘路もあろうかと思いますけれども、先生の思いは、あるいは悩みは、全国展開、ネットワークを張る、あるんでしょうか。

藤田参考人 先ほどお話をさせていただきました資料の三枚目でございますが、既にここに書かせていただいた高専の方は、もしかしたら国会でお話をさせていただいて一緒に協力をしていただくかもわかりませんけれどもというお話で、協力体制は整えております。

 全国的には、国立高専の場合には、今、昨年からだったと思いますが、独立行政法人化されております。全部の国立高専は一つの機構としてまとまっております。ですから、機構に対しまして、文科省等を含めて、あとどこなんでしょうか、厚生労働省も入るんでしょうか、いろいろな各省庁が入ると思いますが、そういうところで働きかけをしていただければ、全国の高等専門学校には情報はきちっと伝わるということがございます。

 古賀先生の御指摘の点を円滑に進めるためには、やはりニートの物づくりの夢を形にする技能教育をするための研究会を、大げさでございますが、日本でつくっていただくのが一番いいと思いますので、そういう研究会におきまして発生しそうな問題点を十分検討いたしまして、全国の校長先生に集まっていただければ、恐らく協力をしていただけると思います。その研究会できちっと、さらに詳しい実施案を、あるいは課題を解決するための問題点を列挙して検討することが必要かと思います。

古賀(一)委員 今の藤田校長のチャレンジ、私も文部科学委員会でもございますし、ひとつ今の御提言を具体の施策として生かしていけるように、しっかり受けとめたいと思います。

 ところで、今度は坪井参考人と牟田参考人にもお聞かせ願いたいんですけれども、先ほど、とりわけお二人、現場の生の、悲痛なると言ってもいい、行き場を失った、特に坪井さんの場合は、子供たちと触れ合って、あると思うんですよ。そこで、どうしたらいいか。

 逃げ込んできたと言ったら言い方はおかしいかもしれませんが、本当にどうしようもなくなってシェルターに駆け込んできた話がありましたけれども、そういう子供たちと触れ合ってみて、その救い方は、最終的な救い方というのは聞きました。でも、それだけ触れ合っておられると、もともとこの根源はここにあるんじゃないかと。先ほど、お母さんとの、あるいは親との関係がありましたけれども、もっと社会システムとして、こういう仕掛けというか、政治なり行政がこういうことをちゃんとやっておればこうならないだろう、この時代にこういうことをやるべきではないかという、根源を絶つといいますか、根源の面で何か御提案があればと思います。

 それは、学校の問題がとかいろいろありますけれども、具体的に何か御提言があれば、ぜひこの場でお聞かせ願いたいと思うんです。

坪井参考人 私としては、ぜひとも取り上げなきゃいけないと思っておりますのは、国連の子どもの権利委員会が日本政府に対して勧告を出しています。もう既に二回にわたって出しているんですね。日本政府のさまざまな子供にかかわる施策、立法、行政、そうした施策に対して勧告を出しているんですが、どうも、この国連勧告がきちっと国会で取り上げられたり、あるいは政府が本格的に取り組んだりして実施をしているというふうには見られないところがございます。

 第二回勧告は昨年の一月に出ているんですけれども、現在の日本の子供を取り巻く状況について、国連の子どもの権利委員会は非常に綿密な審査をしております。そして、それに対して、その視点から、国際的な視野から勧告をしていますので、それをきちっとまずとらまえていただきたい。そして、行政、立法、司法でそれぞれ何をすべきかということも非常に具体的に書かれておりますので、そうした国連、社会からの声に耳を傾けていただくというのはぜひともしていただきたいという一つのお願いでございます。

牟田参考人 これは、文明の過保護といいましょうかがもたらした、だから、先進国の悩みと途上国の悩みが違うんですよ。世界のヘルプラインのインターナショナルがあるんですけれども、その中で、だから困っちゃうのは、方向が違うものですから、ことしの頭か、日本で開催したんですけれども、そんな中で、先進国の悩みというのはやはり文明にかかわっているわけでございます。だから、人間関係をいかに、人間関係というのは一番手間暇のかかることだと私は思うんですよね。その手間暇を省いたがゆえに、社会の中で一緒にこうやろうよとかそういうことを言っても、そんなことをしなくたっていいんじゃないみたいに思われちゃって。

 だけれども、これからは、市民社会といいましょうか、行政だけではなくて、やはり地域の市民がそれぞれ立ち上がって、問題意識を持って解決に向かっていくような、そういう国になっていくのが私は非常に重要じゃないかなと思っております。ですから、具体的にああだこうだということを申し上げても切りがないんですけれども。

 以上でございます。

古賀(一)委員 私自身は、ちょっと思い込みかもしれませんが、具体的にこれは絶対やろうという思いがあるプロジェクトがあるんです。

 実は私は、子供は、大人もそういうところがありますけれども、やはり体験だと思うんですね。もう本当に体験こそ、とりわけ小さい少年時代の体験こそが人間の可能性を開くし、体験すれば自分自身が大きくなっていけるんだ、物事を乗り越えられるんだということもやはり体験を通じて心にしっかり宿っていくものだ、こう思っているわけです。

 ところが、日本の社会が戦後、いわばどんどんどんどんミクロの世界というか単一の世界に社会システムとして押し込んできた。受験ですよね、受験。お父さん、お母さんとの会話が本当にないような、就業形態もあれば家の建築物の設計もある。そういう中で、結局、子供たちは、現段階では、学校の先生も当てにならない、親も冷たい、テレビをぼうっと見ていて、あとは友達をつくることだ。友達と、傷をなめ合うと言ったら言い過ぎかもしれませんが、そういう関係で、いわゆる世界を知らない、いろいろなことを体験しない。

 私なんか、小さいころはもう、全校生徒で映画を全部見に行くとか、自動的に、そういう人生とか、映画とかあるいは本とか、こういう本を読め、そういう世界で、体験ではないけれども、ああ、自分とは違うこんな人生もあるんだと。私なんか、モーパッサンの女の一生を読んで何か感激したとか、あの映画を見て感激したとか、それは一つの物すごい糧になっていると思うんですよね。

 そうしてみると、僕は中西先生に最後にお聞きしたいんですけれども、子供の行動学というか、非常に興味深く聞かせていただきました。今の子供たちの、最終的には友達をつくってそれで何か安心して、そこでいじめられたら、もう全部がなくなっちゃってキレちゃって自殺する、こういうパターンのようにも思いますけれども、今の子供たちは本をどういう形で読んでいるのか。漫画を読んでいることはよく知っていますけれども、あるいは、いい映画というか、そういうものに本当に触れたがっているのか、触れているのか。私はそこら辺を、もちろん冒険をしているかといったらしていないと思いますけれども、本とか映画とか、とりわけそういうものにどう子供たちはつき合っているのか。先生、ちょっと教育学的に事実を教えていただければと思います。

中西参考人 大人も含めて、中高生、読書に関して調査を継続的にやっているのは、毎日新聞の読書世論調査というのがございます。これが系統的に中高校生の読書の時間を調べておりますが、漫画がふえた、こういうことはございます。むしろ、漫画を読む、あるいは雑誌を読む時間は減っております。それから、読書はふえているかというと、これは読書もふえておりません。傾向的に少しずつ下がっている、こういう状態です。今学校で、朝少し読書をさせるとかということもあるんですけれども、全体としては余り大きな変化はないということです。それは調査ですので、問題は、読み方といいますか、言葉を自分の背後にある経験とか体験とか、おっしゃられたそういうものとどういうふうに結びつけられるのか、これが非常に大切なことかなというふうに思います。

 ですから、読書、本を読んでもらうということは、本を読むこととそういう自分の生活なり自分が感じていることなりを自分なりに結びつけるような、そういう教育とあわせてやっていかないと、時間だけふやそうと思ってもなかなか難しいということです。

 ちなみに申し上げますと、テレビは小学生で大体三時間程度、ゲームが大体一時間程度、毎日そのくらいで、これは比較的低学年の方にふえております。ですから、全体として、情報環境のところで、非常に早くからそうしたメディアの環境に触れるということが拡大しているということは事実です。

 これに対して、これをどういうふうに考えていくのかということで、研究は若干ございますけれども、最近、アニメ等に関しては長期的な影響の研究を始めましたけれども、少し丁寧な、規模の大きなきちっとした研究を積み重ねていくという必要があると思いますけれども、その分野はやはり非常に少ないというふうに言わざるを得ないところがあると思います。

 以上です。

古賀(一)委員 私は、もう自己宣伝になりますけれども、モンゴルの空は人工衛星が飛んでいるのが山ほど見えます。流れ星がじゃんじゃん落ちます。将来は、馬に乗せて、体験させて、大きい世界を知らせることから私たちもやっていきたいと思いますので、御意見があれば、ぜひまた応援してください。よろしくお願いします。

 終わります。

藤村委員長 次に、水島広子君。

水島委員 民主党の水島広子でございます。

 参考人の皆様、本日は、貴重なお時間をいただき、貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。

 また、今、子供たちが非常に貧困な環境で育たなければならないこの日本の社会にあって、多くの方たちが胸を痛めながらも、どうしたらいいかわからない。そんな中で、いろいろと好き勝手なことを言う方たちもいらっしゃって、社会全体が混乱して右往左往してしまっているという中、私は、本当に地に足の着いた活動を現場でされている方たちの声にこそ真実があると思っておりますし、私自身も、精神科の医者として、子供たちの話を聞きながら、本当に多くのことを学ばせていただきました。

 そんな中で、きょうは本当に現場からのお話をいただけているということ、また、そのような取り組みを日ごろからしてくださっているということ、また、先ほど牟田さんがおっしゃいましたように、子供は自分で解決する力があるということを信じて待ちの姿勢で接してくださっているということ、こういったことすべてを含めて、まずは感謝を申し上げたいと思います。

 その上で質問をさせていただきたいと思いますけれども、まず、牟田参考人に質問をさせていただきたいんですが、先ほど、ちょうど坪井参考人のお話の中で、子供の話をこんなに一生懸命聞く大人がいるとは思わなかった、一緒に苦しみ考えてくれる大人の存在ということが子供には一番の救いであるというお話があったわけですけれども、そのようなことで、子供の話の受けとめを一生懸命やってくださっているのがチャイルドラインということであると思います。

 私もチャイルドライン支援議員連盟の事務局をさせていただきまして、本当にできるだけ応援をさせていただきたいと思っているところでございますけれども、せっかく、きょう、こうして青少年問題特別委員会にいらしていただきましたので、ぜひ、チャイルドラインの意義というものをここで改めてお話しいただきたいと思うんです。やはり、価値観を押しつけることもなく、お説教をすることもなく、ただ聞く、それを電話で聞くということ、これについては、必要なんだろうなと思う人がいる一方で、本当にそれで何か効果があるんだろうかと思っている方もいらっしゃると思いますので、まず、牟田参考人から、子供の声をただ聞くということの意義について、一言御説明をいただけますでしょうか。

牟田参考人 意義といいましょうか、私は、社会全体、人の話を聞くということがどうも余りうまくなくなったんじゃないかなというふうに思うんですね。そういう意味で、人の話を聞くということはとても重要だというふうに思います。

 そういう意味で、子供にとって、この世の中で自分のことをしっかり認めてくれる、受けとめてくれる人がいるんだという安心を上げたいというのがまず一つございます。その辺はかなり大きいと思うんですね。

 それと、先ほど申し上げたコミュニケーションの問題で、自分が思っていることをちゃんと話せない、無言電話なんというのが非常に多いですね。それは、言おうと思うんだけれどもどう言ったらいいのかわからないということがあったり、NHKで「しゃべり場」とかというのをやっていますけれども、あれを拝見していると、やはり感覚的な表現が多くて、何かロジカルじゃないんですよね。だから、今、論理という問題が子供にとってどういう状態にあるのかと考えると、非常に私は論理が貧困になっているような気がしてなりません。

 そういう意味で、自分が思うことをしゃべることができたときに子供というのは一つの自信を持てるんじゃないかな、そういう効果はあるんじゃないかなというふうに思います。

 それで、こういう活動が全国に広がるとは私も思ってもいなかったです。広げたいとは思ったけれども、広がるとは思わなかった。だけれども広がったということは、皆さんお一人お一人の中で、そういうコミュニケーションをする、そして、しかもそれが子供と大人のコミュニケーションであるということに対して、ああコミュニケーションが下手になっているなとか、なかったなとかという思いがおありになるから広がったんじゃないかな。

 快適なことというか楽なことというか、おもしろい、おかしいことを追い求めて生活する中で欠落していく部分が人間の生活の中にあるような気がしてなりませんけれども、そういう部分を何か大人と子供が共有できる、そういう場ではないかなというふうに考えております。

 それと、ついでに申し上げますけれども、先進国の中だと思いますけれども、国が子供に使う交付金の割合は日本が最低なんですね。文科省から発表になったのを皆さんごらんいただいたと思いますが、日本が最低だということは、いかに子供に対して皆さんが気を使っていただけなかったかということだと思います。ですから、いろいろな事業をやりたい、こういうことをやりたい、ああいうことをやりたいと思っていたって、それを厚労省に行ったり文科省に行ってお願いしても、いやそういう予算はとれませんということで終わっちゃう場合が多いですね。これをひとつ皆さんよろしく。子供にもっとお金を使いましょうよ。

 失礼いたしました。

水島委員 ありがとうございます。本当におっしゃるとおりだと思います。

 チャイルドラインも、国際比較で見ますと、きちんと公費が投入されていて二十四時間フリーダイヤルで受けられる国ほど子供の声をきちんと拾えているというようなデータもチャイルドラインの方から見せていただきまして、やはりまだまだチャイルドラインに対しては支援すべき点があるんじゃないかと思っております。

 一つは、今、子供のことにお金を使いましょうよということの一言に尽きるとも言えるんですが、もしも具体的に、政治、行政に対して、チャイルドラインとしてもっとこういう支援をしてほしいという御要望がありましたら、お聞かせいただきたい。

 あと、先ほどからのずっと牟田さんのお話を伺っていますと、やはりもっと子供たちが安全に試行錯誤できる社会を大人たちがつくっていかなきゃいけないということなのかなと思って伺っていたんです。そのためには地域の力というのが何といっても欠かせないわけなんですけれども、今はなかなか、児童相談所の人員配置を見ましてもパンク状態で、それをずっと国会で言っていても、国会が非力なのか関心を持つ議員が少ないのか、本当に時間だけがたっていくというような状況で、その一方では、チャイルドラインですとか、また、牟田さんが世田谷でやってくださっているような、そういう民間の力というのも明らかに伸びてきている。そんな中での官民の連携のあり方、そのあたり、今の地域にどの程度の力があるかということも含めまして、ちょっと展望を述べていただければと思います。

 いろいろ盛りだくさんで申しわけございません。

牟田参考人 今おっしゃったとおりで、児相、児童相談所というのがもうパンク状態にあります。ただ、なのに、いわゆる行政が動いていただいていないというか、新しい方向を模索していただいているとはどうも思えないんですね。

 私は、児相そのものの専門性がどうも低いような気がしてならないんです。人事でもって関係ない方がそこに配置される場合もあったりなんかして、やはり児相というのは、そういう意味ではかなり高い専門性を持っていなくちゃならないし、それから人員だって足らないし、だから私は、子供専用のソーシャルワーカー制度というのをつくっていただいたらどうかなというふうに思うんです。

 つまり、それは、かなりの学習をしていただくというか研修をしていただく。最低二年ぐらいの研修を経て、まあ資格を取るのがいいのかどうかわかりませんけれども、そういう方々が地域に散っていただいて、それぞれの拠点で活躍していただく。そしてまた、そういう方々が児相に配置されていく。

 これは、国がそういう制度をつくっておやりいただければ、その専門性も高まるし、そして、現実の子供のニーズというものを読み取っていく、またそれを提言していくみたいな状況が生まれるんじゃないかな。その辺がちょっと弱いんじゃないかな、ちょっとじゃない、大分弱いんじゃないかなと私は思っておりますけれども、ひとつ先生方、よろしくお願いいたします。

水島委員 貴重な御提言をありがとうございました。

 それでは、時間が限られていますので、次に坪井参考人に伺いたいと思いますけれども、私も、子供たちとかかわっていく上で一番大切なのは愛情ともう一つ一貫性だと思っておりまして、やはり坪井さんがそれだけ子供たちに信頼されるというのも、常に一貫性を持って、一貫したメッセージを持ってかかわっていらっしゃるからだと思っております。

 そのような観点から見ますと、最近の政策決定の姿勢というのは結構ちぐはぐで、一貫性に欠けているなと思うんです。虐待の防止というのは厚生労働省を中心に結構熱心に取り組んでくださっているんですけれども、その一方で、今度は健全育成と称して何かを押しつけてみたり少年法の改正をしてみたりと。

 今、実際に少年院に収容されている子供たちの大部分が虐待を受けた経験がある、あるいは本当に人間として扱ってもらえないような環境で育ってきた、そのような状況を見ますと、本来やっていくべきことというのは、虐待防止も、そうやって既に今問題を起こしてしまった子供たちをまた支えて育ち直していただくという、その中でも本来問われている思想というのは私は一貫したものであるべきだと思っておりまして、その方向が全く違う方向を向いてしまっているために、こんなに混乱して、また子供たちに悪い影響が及んでしまうというようなことなのだと思います。

 もうお金も時間も限られているわけですから、そこはもう一つ一貫した思想を持ってきちんと取り組んで、それでようやく間に合うかどうかというところではないかと思っていますので、非常にじくじたる思いでいるわけです。

 また、よく子供の規範意識と申しますけれども、やはり大人が子供に対して愛情と一貫性を持って接していく中で、子供の中に規範意識なるものが生まれていくものだというふうに私は思っておりますので、それは全く違う議論ではないというふうに思うわけですけれども、今現場にいらっしゃって子供たちと日々接しておられて、そして、まさに今全く足りなかった部分をカリヨン子どもセンターとしてつくっていただいて、また御活動されている中で、本当にこのあたりの子供関連の政治、行政を貫く一貫性の必要性といいますか、そのあたりについてお話しいただけますでしょうか。

坪井参考人 おっしゃるとおりで、私からつけ足すことがないほどおっしゃっていただいていると思います。

 現場の声というものをもし受けとめていただけるならば、子供たちに、こういう子供たちとこういう子供たちと全然違う子供たちがいるわけではないということをおわかりいただけると思います。虐待をされている子供たちも少年犯罪を率いる子供たちも、しかしエリートとなって頑張っている子供たちも、決して別の人間たちではない。そこのところをきちっと見ていただきたい。子供施策を場当たり的に、そこの子供たちだけに焦点を当てて、そして、そこだけ何とかすれば何とかなるんだろうというような発想法でやっていただきたくないというふうに思います。

 やはり子供をどう見るかということが、何度も申しますけれども一番大切なことで、そのためには、子どもの権利条約が批准されているこの国で、きちっと子供たちが一人の人間だと、その尊厳を守ることこそ子供の権利保障として必要であるというそこの根本をきちっと押さえていただく、法制度の中でもきちっとそこを押さえていただきたい。

 健全育成というような言葉が出てくるたびに私は非常に嫌な思いをします。大人たちが子供たちを自分たちよりも下にある存在と見て、自分たちが何とかしてやれる、そういうふうに思い上がっているというふうに思います。

 もちろん子供たちは、情報も必要ですし、助言も必要ですし、転んだら差し伸べる手も必要です。自分を守る力もありません。ですから、大人たちはいっぱいしてあげなければいけないことがありますが、それは、大人たちが子供たちより偉いからではなくて、この社会をともに支える仲間としてやれることはやる。そして、子供たちからいっぱいエネルギーや希望をもらっているということを忘れずに、この社会をつくっていくんだという、そのことを忘れずにやっていただきたい。

 そして、何としても場当たり的な、やはり政治家の方には、十年後、二十年後の日本の社会を考えて、今いる子供たちがこのままだったら日本の社会は本当に大変なことになるという危機感を持って子供のことを考えていただきたい、そのことをぜひともお願いしたいと思います。

水島委員 ありがとうございます。

 時間がいよいよ限られてまいりましたけれども、次に、藤田参考人に一言質問させていただきたいのです。

 やはり、若年の雇用のことに取り組んでおりますと、どうしても教育現場と実際の経済界との連携ということが非常に重要になってきまして、インターンシップをするにしても、また職業訓練をするにしても、その場がどうしても必要になるということ。これが、地域でいろいろ取り組んでいる方たちにとっていつも頭痛の種ということなんですけれども、そのあたり、高専ならでは、特に、強い連携があって生かしていけるんだというようなことがもしございましたら、御紹介いただきたいと思います。

藤田参考人 まさに、今のお話でございますが、民にできることは民にという、総理大臣も申しておりますが、私どもやはり国立高専を初め、都立高専も官でございます、ある意味では。官によってできることは、やはり法律に基づいて、我々の場合は教育基本法に基づいて、そのとおりに教育を施行するということでございます。

 今の御質問でございますが、実は、特に高等専門学校に関しましては、地域の要望というのは非常に強うございます。私どもの都立の高専では、三十七年に開学いたしまして四十三年になりますか、そういう伝統を持っておりまして、いろいろな意味で、教育の面でも、それから学校運営に関しましてもいろいろな助言をいただいております。

 例を申しますと、大田区の中小企業の同友会というのがございますが、そこで、中小企業の経営者の方で、功成り名をなしていろいろな苦労をされた方たちを先生にお迎えいたしまして、学生諸君にじかに公開講座的に授業をやってもらい、学生たちが感銘しております。

 そういう意味で、むしろ、今の御質問に対しては、私どもの高専は地域密着型の高等教育機関であるということでございます。

 お時間があれなので、これでよろしいでしょうか。

水島委員 ありがとうございました。

 中西参考人に質問する時間がなくなってしまったんですけれども、本当に貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。

藤村委員長 次に、池坊保子君。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 本日は、大変に有益なお話を伺うことができ、心より感謝申し上げます。

 先ほど坪井参考人がおっしゃったように、私もいつも、病んでいる子供たち、苦しんでいる子供たちに大人たちは一体何ができるのだろうか、そういう自問自答をいたしております。

 そういう中から、私たち公明党は少子社会対策トータルプランをつくりました。それを貫いておりますのは、「もっと「生まれたい社会」へ」、つまり、大人の視点ではなくて、子供たちが生まれたいような社会をつくっていかなければいけないのだ。出生率が一・二九になった、これは国策を考えるともっと出生率を上げなければいけない、私はそういう意見にはちょっと疑問を挟むのですね。子供たちが生まれることがいいのではなくて、子供たちが生まれて、幸せ感を抱きながら生きていく、それが必要なんだ。今、この日本において、子供の視点、子供が本当に勇気や夢や希望を持って生きているかしらと思うときに、出生率だけを上げる政策をしてはならないといつも思っております。

 そういう思いの中からこの青少年特別委員会は設置され、そしてまた、私たち議員は児童虐待防止法をつくりました。

 昨年、児童福祉法の改正が行われまして、児童相談所の窓口が都道府県から市町村に変わりました。市町村の方がより身近だという利点があるからではありますけれども、市町村の児童福祉担当職員が知識が乏しかったり人的資源が乏しいのではないか。私は、市町村の担当職員に対する研修体制の整備が必要なのではないかと思ったりいたしておりますけれども、現場の連携の中で今どんな問題を抱えていらっしゃるのか、もしおありになりましたら、坪井参考人に伺いたいと思います。それが一点。二点あるんですね。

 それで二点目は、子どもの人権センターというのを弁護士の方が核になってやっていらっしゃいますね。私は、相談できる子供たち、親たちというのはごく限られているのではないかと思っております。子どもの人権一一〇番がもっと身近な存在になってほしいな。そのためには、弁護士の方が核になって、ボランティアの方々の手をかりながら、その子どもの人権一一〇番を拡充してはどうかというふうに思うんです。

 先ほど、民と官の連携が不可欠である、子供の支援にはまずそれが大切なのだ、そして市民との協働ということをいろいろな中で言っていらっしゃいます。よく町に子供の一一〇番というのがあるんですね。これは何かといいますと、ちょっと何かつきまとわれたり何か危ないときに、ぱっとその家に入れば助けてもらえる。私は、そのマークを見ますと、いつも歩いていながら安心感を覚えます。その延長線上で子どもの人権一一〇番というのを考えていただきたいなと思っておりますので、この二点について、ちょっと御意見を伺いたいと思います。

坪井参考人 まず、児童福祉法の改正の問題なんですが、確かにまだ改正されて間もないということもありまして、現場の意見としては、やはり簡単に市町村が児童虐待の問題に対して対応できる状態になってはいないというのが現実。本来は、市町村が窓口になれば、児童相談所は深刻な事件だけを受ければというふうに役割分担をしようということになっていたはずですが、まだまだ児童相談所は、逆に言うと件数はどんどんふえる、窓口がふえた分相談がふえて、そしてみんな児童相談所に投げてこられる件数がふえているという現実で、それはそれは大変になっているということがあります。

 しかし、これは短期的に解決できることではないだろうとは思いますが、何はともあれ、児童福祉予算をふやしていただいて、そして児童相談所の児童福祉司さんの数をふやしていただきたい、そして市町村の子供担当の方たちの質を高めるためのお金を使っていただきたい、そのことに尽きるのではないかというふうに思います。

 ただ、例えばカリヨンをやっていましても、地域の福祉事務所にかなりいろいろ相談をしなければならないことが多いのです。福祉事務所というのは区で運営されているわけですけれども、結局は人なんですね。福祉事務所にどういうケースワーカーさんがいて、子供の問題についてどういう感覚を持ってくれている人であるかどうかによって、医療保護なり生活保護につながるかどうかも決まってくる。ある意味、本当に人だなと思っていますので、そうした区市町村の中で、この子供たちの虐待の問題にしても、それの支援にしても、研修を高めていただいて、市民の中でこういう活動があるということも知っていただいて、連携の方法をこれからも探っていただきたいなというふうに思っています。

 それから、子どもの人権一一〇番についてなのですが、これは、やはりチャイルドラインが、そういう意味で市民の方たちのボランティアが聞き手になっておられる。きちっとした連携という形の協定書のようなものがあるわけではないにしても、例えばチャイルドラインが非常に幅広く受けとめておられる。そして、チャイルドラインは解決型ではないんですね、聞くことが主です。弁護士会の子どもの人権一一〇番は、聞いた上で行動するということがメーンになっておりますので、例えば、チャイルドラインで聞く、そして、行動が必要だという場合は子どもの人権一一〇番を紹介していただくというようなことはお願いをしているわけです。

 だから、すべてが弁護士会の子どもの人権一一〇番でできることではなくて、チャイルドラインのような形の民間の市民の方たちのボランティアで広く窓口を広げていただく、そして弁護士がやっているそうした解決型というか行動する型の電話相談にきちんとつなぐというシステムをつくっていただければなというのが、本当は、そういう意味で、弁護士会が何もかもやれるという意味ではないし、連携こそ必要なのではないかと思っておりますので、その辺で御勘弁をいただきたいと思います。

池坊委員 問題を起こす子供、そして非行に走る子供というのは、良好な家庭的環境が欠如している。そして、今、福祉的な配慮がもっと必要なのだとおっしゃっていらっしゃった御意見には私も全く同感ですから、それを政治の視点で、政治の側からできることをこれから進めてまいりたいと思っております。

 中西参考人に二点ほど伺いたいんです。

 先ほど、消費文化の影響力が極めて強いとおっしゃいました。私も全くそうだと思っております。ただ、消費文化というのは、日本には限らないと思うんです。諸外国でも、今、消費文化、特に先進諸国ではそうだと思います。にもかかわらず、日本の子供たちがその極めて強い影響力を受けているのは、業者があおっているのか、あるいは保護者だとか周りの環境だとか、あるいは子供たちに自主性がなくてすぐに汚染されていくのか、その辺を一点伺いたいと思います。

 二点目は、それに関連いたしまして、引きこもりあるいはニートというのは、特に日本に特化した問題なのでしょうか。諸外国の実情はどうなっているのか。これは一つの世界的な流れなのかというふうなことを伺いたいのです。

 なぜかと申しますと、私は、日本の場合には、ニートもそうですけれども、家庭との、家族、親との密接な結びつきがより多くのニートを生んでいるんじゃないか、つまり、子供たちを親も抱え込みたい、それから子供も親にいつまでも頼っている、これがたくさんある要因の一つではないかと思っているんですね。

 先ほど個人主義のお話が出ましたけれども、私は、日本の場合には、真の個人主義ではないと思うのです。個人主義というのは自立と個の確立があり、自分も大切だけれども相手も尊重する。でも、今の子供は横並びなんですよね。決して自主性ではないんです。人と同じことをしなければ心配である。それから、孤立感というか孤独感に極めて弱いのではないか。ひとりぼっちでいることがすごく怖いわけですよね。そしてどんどん悪に行ったり、あるいはほかの道に走ったりするんだと思いますが、その辺の現状をちょっとお話しいただけたらと思います。

中西参考人 二点ほどの御質問ですけれども、最初に一点目ですが、消費文化の影響力を言うと必ずこの質問は出てまいります。これに学問的に答えるのは、実は非常に難しいと思っております。

 と申しますのは、消費文化というのは、規模は違え、欧米諸国も同じような状況にある。ただ、携帯一つとってみても、九〇年代後半のときにイギリスの十代の人たちの携帯の所持率というのは日本とは比較にならないほど低い。北欧やシンガポール等々は高いですけれども、地域的に違いがありますが、消費文化が押しなべて、子供たちというより青少年に非常に強い影響力を持っているのはやはり日本の社会。

 これはなぜかということなんですが、子供たちにというのは、これはどこも同じだと思います。つまり、子供たちは、職業の場、生産の場には出ていないわけですから、生活の場で消費文化の影響を最も受けやすいというのは当然のことであります。ただ、高校生になりますと、親からもらうお小遣いよりもアルバイトの方が都市部では五倍近くになっておりますので、自分たち自身が消費文化の中で生きるということをお金の面も含めてかなりできるようになっているというのも事実かと思います。

 結局、消費文化がなぜそれだけ浸透したのかということは、これは一面では、例えば輸出でいいますと、非常に輸出競争力がふえたということで、洗練された文化がどんどん出てきているではないかというようなことで、単純にいい悪いというふうに言えない面が出てくるわけですが、そうした消費文化を支えていくような、これは人材やお金の問題も含めて、サイクルというのが七〇年代から成り立ってきたということが一点目です。

 それから、例えば地中海地域でのマクドナルドの消費というようなものを見ていきますと、イタリアやスペインではバルというような独特のお店の仕組みがありますので、マックがなかなか普及しない。つまり、既存の文化がさまざまな形で生きているところは壁になっていてという性格があります。

 子供たちの遊びをとっても、九〇年代の初めまで、私が子供のころ遊んだものと同じような遊び、例えば女の子であればゴム跳びというようなこともやられていますので、そうした既存の文化とのかかわりの中でどういうふうにその変化が起きてきたのかということを詳しく見ていかないといけませんので、事実として、やはり日本が一番そうした消費文化の影響を受けているということだと思います。

 二点目の引きこもり、ニートにかかわってなんですが、ニートという言葉は御承知のようにイギリスの英語の略語でございますので、日本で使われている意味とはちょっと違いますけれども、そもそもイギリスで最初に問題にされた。

 引きこもりに関しては、引きこもりが存在しないかということですが、最近、これは海外の研究者で日本の引きこもりの研究をしたいという方も来ているようですので、日本に限ったことではないということだと思います。ただ、引きこもりは実数がわかりませんので、昨年私たちが神奈川県で推測した例では、全国的には三十万人を下回らない、少なくとも下回らない数というふうに推測で計測をしましたけれども、実数がわかりませんので、諸外国の場合も、やはりデータとして実数というのは非常に難しいかと思います。

 原因については、まださまざまな形で議論されておりますし、実際のサポートの場面では原因が何かということを追求しないところがほとんどです。原因がわかっても解決をするわけではありませんので、原因自体を問題にするということはサポート組織ではできないわけですが、家族とのかかわりということはもちろんございますけれども、私が知る限りでは、やはり、現代の日本の中での友達関係、友人関係、人間関係というのが非常に強い影響力を持っているということが推測されます。

 例えば、大学を卒業して就職をする場合、高校を出て大学に行く場合、それまで全く元気な明るい子であった子供が突然外へ出られなくなる。こういったことの背景を考えてみますと、複合的だと思いますけれども、やはり人間関係の原因が大きいのではないかというふうに思っております。

 家族的な背景については、ニート研究の中では、日本労働研究機構、政策・研修機構で検討しておりますので、それがなかなか、インタビューを含めてやっておりますので、そちらをもし機会がありましたらごらんいただければというふうに思っております。

池坊委員 中西参考人からいただいた資料の中に参考書も書いてございましたので、これをしっかり読んで勉強したいと思っております。

 藤田参考人に伺いたいと思います。

 私も、物づくりは子供たちの再生に大きな力になっていくと思っております。ニートの中には、本当に仕事なんか嫌だよ、働くのは嫌だよという子供もあれば、雇用とのミスマッチで、働く意欲があるけれども自分を出せないという子供たちがあると思います。そういう子供たちにとって、物づくりの喜びを見出したら、それは大きな力になっていくのではないかと思います。

 ただ、高専に入学する前に物づくりのおもしろさとかその芽生えをやはり感じないと、高専に入らないと思うんですね。そのために一般公開とかをやっていらっしゃると思いますけれども、もし小学校や中学校の中で、物づくりに対するそういう芽生えをするための方策というのでしょうか、勉強でしょうか、そういうものがあったらなと思っていらっしゃるならば、ちょっとお伺いしたいと思います。

藤田参考人 物づくりは、御指摘のように、やはり子供のときから物づくりに関しての知識なり喜びと楽しさを味わってもらうということが非常に重要だと思います。

 私どもの学校では、むしろ出前をして、品川区、大田区に出前をしまして講演を教員がしたり、あるいは実際にロボットを持ってきましてそこでデモンストレーションをしたり子供たちに触ってもらったり、中にはもう既に物づくりの技術を持った子供たち、それからパソコン等もいじくれるような子供たちもおります。そういう子供たちには、実際に物づくりをするということも教えております。

 そういう意味で、正規の公開講座としては小学校、中学校を対象としておりますが、場合によったら地域の行政、私ども品川でございますが、品川、大田区と、行政体を通じまして、そういう勉強をする場を設けるとか、あるいは公開講座の回数をふやすとか、いろいろな手だてが考えられるわけでございます。

 やはり、習い事でもそうだと思うんですが、できるだけ若いときから、音楽家なんかそうですね、ピアニストの方たちを見ますと、本当に三歳、四歳からピアノをして一流の演奏家になるわけでございますので、物づくりの場合もできるだけ若いときから、小学校二年、三年ですね、そのぐらいから手を動かして実際に自分で物をつくるという、昔はラジオなんかつくったわけでございますが、今はいいものはロボットとか、それからいろいろな工作物がございます。そういうものをつくる体験をするということを我々がやるのが務めだと思っております。

池坊委員 最後に、牟田参考人に伺いたいと思います。

 私もチャイルド議員連盟に入っておりまして、いつも、もっと各地域に広げなければいけない、その努力をわずかでもしているつもりでおりますけれども、他方、牟田参考人は、積極的に子供たちを遊ばせる。今の保護者というのは過保護ですから、どうしても、積極的に遊ばすより、ここは危ないからやめちゃいなさい、やめなさいという、いけないということばかりを言い募る傾向にあると思うんですね。

 そういう中にあって、親の反応というのはどうなんでしょうか。最初は何か渋々、親の方が心配していたけれども、積極的に子供に生きる力が出てきたんだと思って親自身も触発されるということがあると思うんですが、その辺の親の視点からの御意見というか、ごらんになったことを伺いたいと思います。

牟田参考人 プレーパークというのは、近所の、近所というか、周りのお父さん、お母さんがかかわって運営委員会をつくって、それに支えられている部分があるわけですね。プレーリーダーというのはお金を多少は上げないと、多少はなんて言ってはいけないけれども、しっかり上げたいわけですけれども、世田谷ボランティア協会の事業としてやっているものですから、そこに予算として予算化されていて、そういう成り立ちでございますので、お父さん、お母さんがかなりかかわっている活動でございます。やはりもっとプレーリーダーにお金を上げたいな、生活できるぐらいに上げたいなということで、いろいろな活動をしてその上がりを差し上げているというような実態があったり。

 ですから、親がやはりプレーパークというのを信じていて、その親たちが地域のお父さん、お母さんに向かってかなりプレーパークのことをお伝えしている部分もあるし、子供同士の中でつながっていくという部分もあります。

 このプレーパークというのは、私は活動としてすばらしいと思うのは、やはりルールができるということです。

 先ほど水島委員がおっしゃった規範という問題、規範という問題を上でつくっておいて、それを子供たちに当てはめていくというやり方が今までの日本のやり方でございましたけれども、そうじゃなくて、逆に子供につくらせることによって、子供はつくった以上責任がありますから、それを、これはまずいから改正しようというので改正したり、改正したりいろいろする中で子供自体が考えるわけです、いろいろなことを。

 そして、遊びの場合ですと、もっとおもしろくしなくちゃと思う中でルールをつくっていく。スポーツでもそうでございますけれども、ルールがなければおもしろくも何ともないと思うんですね。ルールがあるから、すれすれのことをやったりいろいろすることによって勝ったり負けたりするわけで、ただかごだけを置いておいてやるだけじゃ、おもしろくないと思うんですね。

 そういういろいろな発想を子供自体が持ってもらえるような状態をつくっていくことによって、子供自身が自立した生き方をしていただけるんじゃないかなというふうに思います。

池坊委員 プレーパークが親にとっても子供にとっても一体となって幸せ感を感じられるすばらしいことだということがよくわかりましたので、これからももっともっと広めていただきたいと思います。

 四人の参考人、本当にありがとうございました。

藤村委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 参考人の方々、それぞれに子供たちのさまざまな実態と向き合っておられて、その中から、今の子供たちをどう見たらいいのか、その子供観といいましょうか、あるいはその問題性の本質的なことについてきょうは重要な問題提起をいただいたというふうに思っております。本当にお忙しい中をありがとうございます。

 私、幾つかのことを伺いたいと思いますが、青少年のさまざまな問題行動だとかいろいろな事象が社会問題となり報道されるたびに、今の子供はと、こういう言い方をされるんですよね。私は、このこと自身が大人がもう子供をつかめなくなっている、大人と子供の間がギャップがあり乖離をしているということを吐露しているようなものだというふうに思うんです。

 この点で、私は牟田参考人から大変いろいろ示唆をいただいたと思うんですが、今の子供、何を考えているかわからないと言う大人がいるけれども、これは大人自身の問題じゃないのかと最後にちょっとおっしゃったわけですけれども、そのことで、つけ加えるならばというか、大人の何が問題なんでしょうか、どこをつかんだらその子供と本当にわかり合っていけるのかということで、ちょっと教えていただければと思いますが、いかがですか。

牟田参考人 子供がどういうふうに生きるかということでございますけれども、やはり大人がわからないということは、わからなくした、わからないような社会をつくっちゃったという発想を私は持つわけです。わかりにくくしちゃったわけですよね、多様性とかいろいろなことを追いかけるがゆえに。それで、子供自体に対して、本当にどういう状態なのかということを大人が知ろうとする意欲が私は欠けていると思うわけです。

 だから、やはり子供を持つ親としては、自分の子供も含めて、子供全般、今どうなんだろうか。私も、実は五年五カ月で子供を五人つくった男で、いや、私がつくったわけじゃないんですけれども、女房がつくったわけでございますので、もうずっと前の話ですが、少子化の委員会にこの間堀田さんの代理として出席したんです。そのときに申し上げたんだけれども、とにかく、これからは人口が一億四千万を超えるだろうということで、私はゲストで呼ばれたんですよ。ゲストで呼ばれたので――ごめんなさい。では、そういうことを言うのはやめますけれども……(石井(郁)委員「結論をどうぞおっしゃっていただいて」と呼ぶ)

 いや、その時代は、要するに人口過剰なので、それをどうしたらいいか、そのまないたに私はのっけられたわけで、材料にされた覚えがございます。そのことを申し上げたら、ああ、そういう時代もあったんですねと皆さんに言われたんですけれども。だから、要するに私はどっちかというとナチュラリスト、ですから子供が授かったら子供をということで。

 ただ、子供に関してどうしようこうしようなんて初めから方針があるわけじゃなくて、子供と接する中で、どうしたらいいかこうしたらいいか、そういう方向で大人が考えていく、関心を持って一緒に暮らすという状態が必要なんじゃないかなと思います。

石井(郁)委員 どうもありがとうございます。

 私は、子供と大人の関係のことをお聞きいたしましたのは、やはりいつの時代も若者の行動というのは、大人から見ると、なかなか新しいことがあったり跳びはねていたりして、そういう世代間のギャップというのはあるんだろうと思うんですよ。しかし、今ほど、子供からすると大人は私たちのことをわかってくれない、大人からすると、親からすると今の子はわからない、こういうことが言われているときもちょっとないように思うんですね。その溝というかギャップというのは本当に埋められるものなんだろうか、また、埋めなきゃいけないと。だれでも子供時代があったわけだから、その子供時代に、傷つけられたり、何で悩んだり、そういう時代が必ずあったわけだから、それを考えたらそんなに難しいことじゃないなんて私は単純に思うんですけれども、しかし、お互いにわからない、わからない、こう言っているわけですよね。そういう意味で、これをどう考えたらいいのかということがちょっと私の問題意識の中にありました。

 その点で中西参考人にお伺いしたいんですけれども、大変私は重要なことをいろいろ教えていただいたと思うんですけれども、この世代間ギャップというのは、これは先生の本によりますと、いつの時代もあるけれども、これは世界に類例を見ない世代間ギャップだという御指摘をちょっと読んだことがありまして、それはつまり、若い人たちが生きている日常的な世界について大人がほとんど知らないんだ、やはり知らなかったら全くもう入り込む余地がありませんよね。そういうことを言われていて、きょうその一端をお聞かせいただいたかなと思うんですけれども、その世界に類を見ない世代間ギャップだということの意味合いですね、少し御説明いただけないでしょうか。

中西参考人 私の話とも関係しますけれども、一九七〇年代半ばに起きた日本の文化的に大きな変動を、成長期に最も深く変動を受けた世代というのは、現在三十代半ばから四十歳近くになっております。その当時は新人類というふうに呼ばれていた世代なんですが、この世代以降が、私がお話ししたような消費文化の影響のもとでさまざまな新しい文化を呼吸してきたということになります。その世代とそれ以前の、私もそうですけれども、高度成長期あるいはそれ以前に大人になっていたこの世代とは、七〇年代半ば以降の文化の変化が非常に大きかったために、ここでの世代間の違いというのが極めて大きくなっていると思います。

 例えば、それはファッション一つとっても、子供たちが普通だと思っている事柄が大人には理解できない、こういう状態になっているわけですが、現在の三十代あるいは二十代の親の方たちは、恐らくそこはよくわかる、こういう共通のことになっておりますので、世代間ギャップというのはずっとそうということではなくて、私が申し上げた七〇年代半ばというこの時期の文化的に大きな変化ということに関連している、コンビニやそれからファストフードショップを日常的に利用するというような世界が日本で広がっていく、こういうこととかなりかかわっていると思います。

 したがって、世界の中で類例を見ないというのは、日本がそうした意味で全国的に広く消費文化の影響力が広がった、そういう社会であるということと深く関係しているというふうにお答えを申し上げたいと思います。

石井(郁)委員 ありがとうございます。

 そういう若者たちのいろいろな行動というのがあるわけですけれども、そんな中で不登校とか引きこもりとか、さまざまなまた深刻な問題もあらわれてきている、これはまた悲惨な事件にもなっているというのが昨今の状態だというふうに思うんですね。早く仕事につけと親に言われて殺してしまうというようなことが報じられているんですけれども、新聞の報道ですから、それは動機の一端だったり、本当に一部だったりするかもしれませんけれども、外に出られない子供あるいは青年、そういう青年をどう受けとめていくのか、あるいは、先ほど来出ている虐待などで、やはりSOSを発している子供たちが本当に広く今存在しているということがあると思います。

 どう支援していったらいいのかということについて坪井参考人にお伺いしたいんですけれども、先ほど坪井参考人から、やはり今の子供たちが生きる勇気を失っている、本当に苦しんでいるということを実際に即して非常にリアルに話していただきまして、私もそれはかなり共感を持って受けとめたところなんです。そういう本当に困難を抱えている子供たちに、カリヨンという形で立ち上げられたのが、大変御苦労されていると思いますけれども、そのほか、広くいろいろ社会福祉的な、あるいは教育的な取り組み、そういう点で、どういう支援をもっと日本社会として強めていったらいいのかという点で、何か御意見いただけましたらお聞かせください。

坪井参考人 これは対症療法的な、一つ、現在既に傷ついてしまっている子供たちをどう救済するかという部分と、それから、そういう子供たちを生み出さないためにはどうしたらいいのかという、その二つの面で恐らく政治というのは考えなければいけないんだろうというふうに思います。私は、そのどちらも言えるというわけではないのですが、まず現在傷ついてしまっている子供たちに対する施策としてはというところに行きますと、子供たちに逃げてもいいんだよということを教えてあげてほしいと思いますね。

 カリヨンに来るには、子どもの人権一一〇番にまず電話をしてもらって、そこから弁護士につながって、カリヨンにつながるというシステムなんですけれども、子どもの人権一一〇番に自分で電話して逃げたいと言えるかどうかといったら、これは子供にとっては大変なことなんです、家から逃げるということを相談できるかどうかというのは。

 それで、どういう経路でしているかというと、学校の先生が応援してくれているんですね。これはひどい、もう逃げろと学校の先生が言ってくれる。あるいは地域のボランティアをやっている方たちが、これは大変だ、地域じゃ守り切れないよ、弁護士会へ行けと言う。そういう大人たちの支援というのが物すごく必要になっているんです。

 ですから、子供たちは親から逃げていいんだというところを今の子供たちには教えてあげなきゃいけないという、悲しいかなですけれども、そうしないと、家庭内暴力で逆に親を殺したり、あるいは親から殺されたりということが起きてしまうという、そこのところの緊急避難の方法があるということを教えてあげてほしい、それが一つあります。

 それから、そうした子供たちがSOSを出したときに、もうそれはどうしてあげたらいいかなんというのは本当にわからない。わからないんだけれども、見捨てないでほしいということなんですね。解決策なんか簡単に見つからない、でも、一人たりとも子供たちは死んではいけないという、その思いを共有してほしいと思います、地域でも大人たちでも福祉の現場の人たちでも。この一人も見捨てちゃいけないんだという視点というものを見失わない、そうすることによって子供たちを救い、そしてその子供たちを通して親たちを最終的には救えるんだという、今危機的な状況の中ではそうしたことも必要なんだということをわかっていただきたい。

 それから、全体的に、予防の面からいえば、やはりそうした子供たちの言葉を聞かないまま、もっと子供たちを管理しなきゃいけない、もっと子供たちに厳しくしなければこの子供たちは大変なことになるという、この発想法で世の中をどんどんどんどん締めつけていくということは、これは大変なことになるということをわかっておいていただきたい。

 子供たちは今ですら自分の中で悩みを抱え込んで、それを、大人たちになんかわかってもらえない、大人たちなんかどうせ信じられないという思いで生きている。それがますます、厳罰化とか管理を強化していくことによって、子供たちの中の内面というのは大人から離れていく。それこそ世代間ギャップなんというものじゃない、もう絶望的な不信感になっていくだろうと。やはり、そういう社会になってしまったときにどんなことが起きるかというのは、もっともっと今よりも恐ろしい爆発が起きてくるだろうというふうに思っています。

 だから、甘やかせばいいなんというのは全く言っていません。甘やかせばいいということではなくて、大人たちも失敗する、子供たちも失敗する、しかし、その失敗を乗り越えて一緒に生きていこうなという、その視線を持って子供たちとともに生きる、そういう施策を考えていただきたいなというふうに思います。

石井(郁)委員 私も、最近のいろいろな事件に接するたびに本当に胸が痛いのは、やはり余りにも家族の中で、家庭の中で起こってしまっているという、だから、今のお話を伺って、いや、親から離れたっていいんだよ、逃げたっていいんだよということをメッセージとして伝えるというのは、とてもやはり大事なことかなというふうに思いますよね。

 ただ、その場合には、かわって受けとめる大人たちがいますよと。やはり大人たちが必要なんですよ、子供には。だから、子供は親を頼っているけれども、いや、かわりの大人たちがいますという、この状況もつくらなきゃいけないなというふうにも思いますので、いろいろなことを考えていきたいというふうに思いました。

 それで、きょうは引きこもりの問題を一つのテーマにもしたいと思ったわけですが、ニートの問題も同様にございますが、そういう引きこもりとかニートと言われる青年問題、これは先進国に共通しているということもあると思いますけれども、やはり日本社会の今重大問題だと。これは一人一人の人生、生き方の問題であると同時に、やはり日本社会の将来の問題としてどう取り組むかということで、対策が急がれていると思うんですね。

 きょうは、その点で、藤田参考人からは、「ニートへの期待と要望」という形で出されて、大変意欲的な御提言、取り組みも教えていただきました。

 ただ、私は一点だけ伺いたいんですけれども、社会人、職業人として自立する能力をつけたいとおっしゃる中で、物づくり技能教育という、物づくりということに、高専という立場からかもしれませんけれども、日本社会全体としては製造業というのは大変衰退傾向にあったり、いろいろ困難を抱えているということがあると思うんですが、その物づくり技能教育ということに注目をされたというのは、どういう積極面があるんでしょうか。それと、また、問題点などがございましたら教えていただきたいと思います。

藤田参考人 ただいまの御質問に対しまして、私が現在勤めているところが高等専門学校でございまして、高専は、学校教育法にありますように、職業に必要な能力を育成するということが最も大事なところでございまして、どんな職業でもやはり、能力というのは何も物づくりだけではございませんで、ほかのいろいろな面の能力というのはあろうかと思います。

 ただ、私どもの学校では、実際に、世の中に科学技術をうまく活用して、世の中のためになるような、例えば工業製品であるとかあるいは社会福祉機器であるとか、いろいろなものがございます。問題は、どういうことかと申しますと、自分で創造的にこういうものをつくりたいという発想をいたしまして、それに対してきちっと設計をして、それで試作品をつくって、例えば製品にするのであれば製造ラインに乗せる、そこまで一貫した思考プロセスと申しますか、開発プロセスと申しますか、そういうものを養ってもらいたいというのが物づくりの本質だと私は思っております。

 日本の経済の振興も叫ばれておりますが、科学技術基本法を初め、やはり日本が戦後復権したように、最初は工業立国として日本は復権したわけでございますが、やはり、従来にない、世界をリードするような新しいものをつくり出すということがいろいろな面で必要だと思います。ですから、そういう点では、物づくりのリーダーに限らず、政治の面でもそうだと思います、行政の面でもそうだと思います、いろいろな面で、文化的な面も含めてリーダーを養成するということを私自身夢に思って勤めております。

 私が今いるところは物づくりのリーダーをつくるところでございまして、それがまたいろいろな面で産業振興等につながるということで、大いに一生懸命やろうとしておるところでございます。

石井(郁)委員 どうもありがとうございます。

 きょうの質疑を通じて、私も改めて、今の子供たちの日常生活、子供たちの日常の世界というのは本当に知らないことがいっぱいだということを痛感させられたわけですけれども、これは、昨年でしたね、佐世保で小学校の中で女の子がカッターナイフで、教室の中でそういう事件を起こしたということで、その子がホームページをつくっていた、しかし、学校の担任も校長先生も、今の子供たちがそういう何かチャットでやりとりをするというようなことは知らなかったと。だから、本当に知らないことが余りにも多過ぎるというふうに思うんです。

 私は、最後に、これは中西参考人に伺いたいと思いますが、ここは青少年の特別委員会でございまして、青少年問題というふうに一くくりにしますともうさまざまな問題があるわけですけれども、これは、社会全体として取り組む、あるいは個々の家庭が対処するというような、いろいろなレベルがあるかと思うんですけれども、これは簡単に短い時間で一言というのは難しいかもしれませんけれども、今やはり行政とか政治が最も力を入れて、まず一歩、こういうことがやはり改善につながるんじゃないかということで、何か具体的な御提案がございましたら、ちょっと短い時間ですけれども、教えていただければと思います。

中西参考人 ほかの参考人の方が口々に言っておられるように、まずお金、財政的な支援というのが必要だと思います。その上で、最近、内閣府で青少年支援に関する検討会の報告書が出まして、その中で、総合的な方策ということを、イギリスのコネクションズサービス、これを引きながらやっております。

 それで、要するに、学校から社会へ出ていく道筋が今までと変わってきたので、その社会への道筋をどういうふうに支えたらいいかを総合的に考えなければいけない。そのためには社会の方のあり方も少し変えないと、今の子供たちがなかなか難しい。特に引きこもりのような現場では、引きこもりサポート、専門で行きますと、二十代の人がたくさん参ります。行政でいいますと、十八歳までが一応支援の年齢になりますので、その後が全く、つまり十代とは違う条件に置かれるわけですので、こうしたところの支援は急務だと思います。

 それから、具体的なことで言いますと、さまざまなフリースペース、そういったところで活動している方々は、場所一つ確保するのでもやはり非常に苦労する。行政の公平性の観点からいきますと、一つの団体に継続的に同じ場所を貸すというのは確かに問題があるわけですが、そういう熱意や、活動しているさまざまな民間の団体を支えて、活動しやすいような環境を整えていくというのは、やはり政治や行政の非常に大きな責任なのではないかというふうに考えております。

 簡単ですが、以上です。

石井(郁)委員 以上で終わります。

 きょうは、本当にありがとうございました。

藤村委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 本日、参考人の皆様には、貴重な御意見をお述べいただき、また、委員の質疑に対しまして丁寧にお答えをいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時四十一分散会


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