衆議院

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第5号 平成24年8月6日(月曜日)

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平成二十四年八月六日(月曜日)

    午後一時開議

 出席委員

   委員長 稲津  久君

   理事 川村秀三郎君 理事 竹田 光明君

   理事 道休誠一郎君 理事 柚木 道義君

   理事 あべ 俊子君 理事 松浪 健太君

   理事 黒田  雄君

      打越あかし君    橘  秀徳君

      富岡 芳忠君    橋本  勉君

      初鹿 明博君    松岡 広隆君

      室井 秀子君    森山 浩行君

      山崎 摩耶君    山田 良司君

      棚橋 泰文君    馳   浩君

      岡本 英子君    小林 正枝君

      高木美智代君    宮本 岳志君

      吉泉 秀男君

    …………………………………

   参考人

   (花園大学客員教授)   水谷  修君

   参考人

   (PHP総研教育マネジメント研究センター長)   亀田  徹君

   参考人

   (NPO法人ジェントルハートプロジェクト理事)  小森美登里君

   衆議院調査局第一特別調査室長           横尾 平次君

    ―――――――――――――

委員の異動

八月六日

 辞任         補欠選任

  川口  浩君     橋本  勉君

  松岡 広隆君     打越あかし君

  池坊 保子君     高木美智代君

同日

 辞任         補欠選任

  打越あかし君     松岡 広隆君

  橋本  勉君     川口  浩君

  高木美智代君     池坊 保子君

同日

 理事池坊保子君同日委員辞任につき、その補欠として池坊保子君が理事に当選した。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 理事の補欠選任

 青少年問題に関する件(いじめ問題)


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     ――――◇―――――

稲津委員長 これより会議を開きます。

 青少年問題に関する件、特にいじめ問題について調査を進めます。

 本日は、参考人として、花園大学客員教授水谷修君、PHP総研教育マネジメント研究センター長亀田徹君及びNPO法人ジェントルハートプロジェクト理事小森美登里君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、一言御挨拶を申し上げます。

 皆様御承知のとおり、昨年十月、滋賀県大津市において、中学二年生がみずからの命を絶ちました。原因には、学校におけるいじめの問題があったのではないかと報じられているところであります。将来ある若い命がこのような形で失われてしまうことは、極めて残念なことであり、心から哀悼の意を表させていただきます。

 本来、学校は、生徒の豊かな心を育む学びの場として、生徒の人間形成に重要な役割を果たすはずです。しかしながら、その学校において、いじめはなくなるどころか、深刻化する状況にあるとも言えます。

 こうした中、本日は、いじめの問題を初め、教育現場で御活躍の参考人の皆様にお越しをいただきました。

 参考人の皆様におかれましては、御多用のところ本委員会に御出席をいただき、心より御礼申し上げます。

 本日は、いじめの問題、特にその原因、防止策、不幸にしていじめが起こってしまった場合の対処等について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 それでは、どうぞよろしくお願いいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からお一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言いただきますようお願い申し上げます。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承いただきます。

 それでは、まず水谷参考人にお願いいたします。

水谷参考人 それでは発言をさせていただきます。

 まず、各議員の方々御存じだと思いますが、いじめという問題の定義につきましては、二〇〇七年一月十九日、当時の安倍内閣のもとで、子どもが一定の人間関係のある者から心理的、物理的攻撃を受けたことにより精神的な苦痛を感じているものという定義がなされました。しかも、このときに、いじめか否かの判断については、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる、これは画期的な改革だったと私も判断しております。

 ただ、ここには大きな問題がありました。実は、いじめには二種類ある。その二種類のいじめについて、全く、当時の文部科学省担当者も、あるいは現場の人間も含めて、わかっていなかった。

 いじめの二種類というのは、まず一種類は、教育的解決の求められるいじめ、学校が解決しなくてはいけないいじめです。

 例えば、集団による無視。シカトという言葉で扱われています。あるいは悪口を意図的に言う、あるいは物を隠す。こういう行為については、学校の中で当然予防もしますし、私も生徒指導の教員でしたが、こういう事案が起きたときには、和解をさせたり、注意、指導をしていく。これは学校で教育的解決の求められるいじめです。

 でも、もう一つのいじめがあることを、実はこのときのいじめの定義の中には含まれていませんでした。すなわち、教育的だけでは解決できないいじめ、他機関の関与が必要ないじめです。例えば、暴力、金品強要、死ねなどをメールやあるいは手紙において書く脅迫、あるいは差別の絡んだようないじめです。

 実は、このような教育的だけでは解決できないいじめというのは、それ自体が既に傷害罪、恐喝罪、名誉毀損罪等の刑法事案でもありますし、また、そこで学校に通えなくなった、ひきこもりになった、経済的な影響を受ければ、当然、賠償請求のできる民事事案でもあります。また、我が国日本において我々国民が守られなければならない基本的人権、まさにその人権侵害の事案でもある。このもの自体が、実は全くの区別もされずに、いじめの中に含まれてきている。これが、実は、いじめを全くこの国で根絶できない部分に入ってきていると私は考えております。

 ですから、このような教育的だけでは解決できないいじめに関しては、もう既に刑事事案、刑事事件と言ってもいいでしょう、民事事件、人権侵害事案である以上は、速やかに、警察や家庭裁判所あるいは地方裁判所、人権擁護局の介入のもとに、ほどく必要があった。でも、その観点を全く文科省や教育委員会、学校はわかっていません。その観点を持たず、みずからの中で判断しようとする。だから、いじめについては全くこの国では解決ができない、私はそう考えております。

 次に、今回の大津市の事件に関して発言をさせていただきます。

 昨年、事件後にアンケートをとり、実は、そのアンケートの事案については、どういうわけか、マスコミ関係を回り、我々専門家のもとにまで実名入りのものがもう本当に手に入っております。議員の方々の中には、現物をごらんになった方もおられると思う。この内容を見た段階で、実は、刑事事件や人権侵害に当たることは誰が見ても明らかな事実です。にもかかわらず、すぐに警察や人権擁護局に報告することもしない。しかも、自分たちの判断で他の機関に連絡しない、通報しないどころか、それをある意味では隠蔽したととられても全く間違いのない状況だと思います。もうそれ自体が私は犯罪だと考えております。

 また、学校で発生したいじめについては、既に学校と教員はその当事者の一人になっている、厳しく言えば、加害者になっておるわけです。それが正当な判断を自分たちの中で行うことができるのか。できないことは明白だと私は考えます。

 また、もう一点、気になることがあります。

 生徒からとったアンケートが、これは裁判資料として地方裁判所に提出されたものです、それが被害者側の関係者から、誰ということはここでは申しませんが、各報道機関に、我々のもとまで、個人名も明記されたまま送られた。結局、その結果、この事件に国民的関心が集まり、事件の解決に向けて大きな前進があったということを鑑みたとしても、我が国の裁判所、司法を軽んじる大きな問題であると私は考えます。

 しかも、その資料をあるテレビ局が個人名を不十分にしか隠さず放送したことにより、ネット上に関係者や関係のない人たちまでの個人情報がさらされてしまいました。現在もさらされております。これはもう大変な人権侵害であり、速やかに関係機関は動いて、関係した者は厳しく処罰される必要がある、私はそう考えます。

 特に、ネット上では、自分たちがこのように個人情報をさらしたことが国や県、市を動かしたという勝利宣言まで出ております。今後、このような動向がもしも広まっていくとしたら、この国の基本的人権、どういうふうな形で影響を受けるのか、恐怖すら感じる今です。

 次に、いじめの根絶に向けてお話をしたいと思います。

 文科省、教育委員会、学校という教育関係機関の中でのいじめの根絶には、先ほども述べたとおり、限界があると考えています。当然、いじめが発生しないように、日々子どもたちとかかわり、指導、教育をしていくことは、教育機関の義務であり、当然なことですが、一旦いじめ事件が発生してしまえば、その当事者の一員となってしまっています。

 また、いじめは、いじめている子といじめられる子の、子どもだけの間の問題ではありません。いじめている子の家庭や学校での置かれた環境、あるいはその周辺、生育歴等に、多くの場合、原因がある。ここまで教育機関が踏み込むことには限界がある、私はそう考えます。

 まず、いじめについて考えていく場合、いじめというのは、第一に、重大な人権侵害であります。この観点からいえば、全国各市町村に一万四千人ほどいる法務省人権擁護局傘下の各地の人権擁護委員が定期的に学校を訪れ、いじめに関するアンケート調査を行い、いじめの相談を行う、これが大きな成果を上げると私は期待しております。

 また、いじめは、今回のケース、大津のケースはまさにそうですが、犯罪です。犯罪に当たるいじめが発生した場合には、教育関係機関は速やかに警察に相談し、警察と家庭裁判所にその解決を付託すべきであると私は考えます。

 当然、加害者、被害者の子どもに関する教育的指導は、学校という場で適切に行われなければなりません。加害者といえども、矯正を受けた上で、教育を受ける権利があり、また、この国の国民として成長する権利があります。

 また、いじめの根絶についてのある国の試みをお話ししておきます。これは世界で最も成功した例と言われています。

 カナダで、二〇〇七年、カナダは十二年制の教育を行っていますが、九年生、中学校三年生がピンクのシャツを着て登校したところ、性的を含めたさまざまなひどいいじめに遭いました。そのことを知った十二年生、高校三年生二人が、五十枚のピンクのシャツを買いまして、みんなでそれを着ようじゃないかと。それが、五十枚どころか、全校に広がっていって、いじめがなくなった。

 実は、これがカナダ全国に広まっておりまして、カナダでは、毎年二月第三水曜日がピンクシャツデーと呼ばれております。これは、学校だけではない、会社を含めた、工場を含めた、いじめを許さないという人たちが、ピンクのシャツを着てその日を行動する。カナダ一国がこの日はピンクのシャツで埋まる、国会まで埋まると言われています。

 こういう試みがあったことを御紹介しておきます。

 最後に、いじめに関して、一部の専門家が、逃げろ逃げろと勧めております。学校に行かなくていいんだ、学校をかえなさい。これは非常に無責任な発言だと私は考えます。

 いじめから逃げ、でも心の傷からひきこもりになって苦しみ続ける人たちがたくさんいます。私のもとにも、先日、三十二歳の、中学校のいじめから学校に通えなくなってひきこもりになっている子が、窓の外を見たら、私をいじめたやつが妻と一緒に子どもを連れて幸せそうに歩いている、殺してやりたい、そういうメールが来ております。

 逃げる、逃げてもいいんだけれども、闘わなきゃならない。されたいじめについてきちっと決着をつけていかない限り、その子の一生に心の傷が残ることをつけ加え、私の発表を終わらせていただきます。

 きょうはどうもありがとうございました。(拍手)

稲津委員長 ありがとうございました。

 次に、亀田参考人にお願いいたします。

亀田参考人 初めに、今回の大津の事件で亡くなられたお子様に対して、心から冥福をお祈りしたいと申し上げます。

 私は、PHP総研の亀田と申します。

 本日は、このような場で意見を申し上げる機会をいただきまして、ありがとうございます。何か少しでも日本の子どもたちのためになればという思いで、考えを述べたいと思います。

 私は、以前、文部科学省で仕事をしておりまして、生徒指導の担当もしておりました。そういった観点で、本日は、教育行政という観点から意見を申し上げます。

 ここ数年、文部科学省の指導の成果もありまして、ほとんどの学校でいじめに関するアンケートが実施されるようになり、いじめの発見の取り組みは一歩進んだと考えております。

 ただ、今回の大津の事件を見ておりましても、報道の範囲でありますけれども、問題の一つは、いじめの事実があったにもかかわらず、学校が組織的な対応をとらなかったこと、また、もう一つの問題は、不幸にも生徒が亡くなったとき、その後、御遺族が納得されるような対応がとられなかったこと、そこに問題があると考えております。

 今回のような不幸な事件が起こらないようにするため、国に期待される役割は何か、国の役割は何かということについて、三点申し上げたいと思います。

 まず第一点は、学校に求める機能の優先順位をはっきりさせるということです。

 いじめは、子ども同士の健全でない人間関係、ゆがんだ力関係がもとになって、暴力やからかいが生じるものであります。

 学校というところは、人間関係で成り立っているという現実があります。子ども同士の人間関係、教員と子どもとの人間関係、教員同士の人間関係。私は、これまで二百回以上、小中高校を訪問してまいりました。授業を見ておりましても、よい授業というのは、よい人間関係、子ども同士、教員と子どもとのよい人間関係が前提になっております。子どもと教員の信頼関係があって初めて、教室の中でやりとりが生まれ、よい授業が展開されると言えます。

 したがって、一人一人の子どものよさを見つけ、人間関係をつくり、子ども同士、教員の集団をつくっていくということが学校運営の基本にあると考えます。

 同じことを子どもの立場から申しますと、学校に安心して通える、学校で安心して楽しく学べる、そういったことが何より大事ではないかと思います。保護者にとっても、子どもが家に帰ってきて、きょう学校楽しかったよと言ってくれることが何よりうれしいことだと思います。

 つまり、学校においても、教育行政としても、安心して楽しく学べる場をつくる、それが最優先の課題なのではないでしょうか。

 それが最優先だという優先順位をつけることが十分認識されていれば、今回の事件のように、いじめではなくけんかだから対応しなかったというような判断にはならなかったと考えます。いじめではなくけんかと学校は判断したようですが、いじめに当たるかどうかにかかわらず、子どもが実際に殴られたり嫌がらせをされている、それは学校にとってはとても重大な問題として取り扱うべきだったのではないでしょうか。子ども同士のトラブルがあったときに、いじめに当たるかどうかがよく議論されますけれども、子どもにとっては、それは意味のない話だと思います。

 いじめの要因となるような健全でない人間関係、ゆがんだ力関係を変えることができるのは、現場にいる教師、そして子どもたち、保護者、さらに言えば、現場に近い教育委員会の役割だと考えます。

 では、国の役割は何かと申しますと、先ほど申しましたように、学校の機能に優先順位をつける、国としての教育の方針をはっきりさせるということではないでしょうか。つまり、安心して楽しく学べる場、それをつくるということを最優先にすることが大事だと思います。

 このような指摘に対しては、安心あるいは楽しい学校づくり、そういった指導はもう既にしている、学校としても十分認識しているという反論があるかもしれません。けれども、実際は、例えば子どもたちの学力の向上、応用力の向上、社会的課題への対応など、さまざまな機能を学校は求められています。これまでのところ、そこに優先順位がつけられているようには思えません。

 優先順位をつけるとは、単にスローガンを掲げるのではなくて、優先順位に従って資源を配分するということです。現行制度のもとでは、それが国の第二の役割だと考えます。優先順位に従って、人、時間、お金を配分する。

 最も重要な資源は、教職員定数であると考えます。安心して楽しく学べる場をつくるには、そのための教員が必要です。具体的には、例えば、授業を持たない教員を一人あるいは複数、学校に配置する。その教員が、家庭を訪問して保護者と話をしたり、地域で子どもの様子を把握したり、課題を抱える子どもの指導を行う、そういったことが可能になると考えます。

 特に、子どものことをよく知るには、授業のときの姿だけでなくて、放課後や家庭での様子を知ることが欠かせません。さまざまな場面で子どもの姿を知り、それを教員同士で共有するには、それだけの教員体制が必要と考えます。安心して楽しく学べる場づくりに、人、時間、お金を最優先で配分することで、国による優先順位づけが各学校、各地域にも共有されるのではないでしょうか。

 国の三番目の役割として、制度改正があると考えます。学校の中での人間関係は制度改正では変えられませんけれども、学校を取り巻く仕組みに関しては制度改正で変えることができます。

 一つは、教育委員会制度です。

 大津の事件でも、教育長が記者会見をしたり市長が会見をしたりと、市としての最終責任者が誰なのかということがわかりにくい状況になっております。学校教育に関する責任と権限は教育委員会にありますけれども、例えば、責任をとって、それが賠償問題に仮に発展するということになれば、市の予算としての判断は市長が行うことになります。

 こういった責任と権限が教育委員会と市長とで分散していることが、市としての責任に関して明確な決断を下すことの阻害要因になっているのではないでしょうか。もちろん、多くの自治体では、教育委員会と市町村長とが連携を図っているわけですけれども、それでも、市町村長は日常的な学校の情報が入ってこないままに予算について判断をするという制度上の問題があり、特に今回のような事件においては、責任と権限が分散しているという構造上の問題が、市の対応の曖昧さの要因になっていると考えます。

 最終的な責任者をはっきりさせるために、住民に対する責任を直接的に負っている市町村長に、教育の責任と権限を一元化すべきではないかと考えます。

 もう一つは、多様な学びを認めるための制度改正です。

 いじめがきっかけで子どもが学校に行けなくなったとき、その子どもはどうすればいいでしょうか。あるいは、安心して楽しく学べる場づくりに努力したとしても、どうしても学校に合わない子どももいます。

 不登校は、文部科学省の報告書でも、いじめによるストレスから回復するための休養期間としての意味があると認めているものの、制度上は、登校しないことを選択できる制度にはなっておりません。全ての保護者に、原則として、子どもを学校に通わせる就学義務が課されているからです。

 その結果、子どもは、学校に行かない、行けないことに罪悪感を感じるといいます。それでは安心して休養できないのではないでしょうか。一定の場合には、学校に行かずに家庭やフリースクールなどで学ぶことを選択できる制度を導入することが必要と考えます。

 私自身は、これまで三十カ所以上のフリースクールを訪問してまいりました。いずれの施設でも、スタッフの方々が、子どもたちのことを真摯に考え、熱心に活動されていたことが印象に残っております。子どもたちは、そこで、今のままでいいんだということを認めてもらうことができます。

 気おくれすることなく、事情に応じて家庭やフリースクールで学ぶという選択ができる制度、そして、学校に行かない子どもや保護者をサポートする制度をぜひ導入していただきたいと考えます。御検討、お力添えをお願い申し上げます。

 以上、いじめ問題に関連しまして、国の役割として、三点、申し上げました。本日のこの御議論が国としての今後の具体的な対応につながりますよう、委員の先生方に心からお願いを申し上げます。

 きょうはどうもありがとうございました。(拍手)

稲津委員長 ありがとうございました。

 次に、小森参考人にお願いいたします。

小森参考人 NPO法人ジェントルハートプロジェクトの小森美登里と申します。きょうはどうぞよろしくお願いいたします。

 子どもの心と命を守る、これは全ての大人に課せられた責務と思います。次の時代をつくる子どもたちの問題が何よりも優先されることを望みます。

 その実現のため、先生方のお力をぜひとも拝借したく、NPOの理事としてだけではなく、本日は、我が子をいじめ自殺で失い、その後、学校の隠蔽と闘った一人の親としても陳述させていただきます。

 まず、大津の事件での学校の隠蔽は、残念ながら全国で昔から続いている一般的な現象です。今から二十年前に富山県で起きた岩脇寛子ちゃんのいじめ自殺事件では、クラスメートが亡くなった寛子ちゃんに書いた追悼文まで、家族に見せないまま学校は焼却処分をしていました。今も、多くの御遺族が、このような隠蔽という厚く高い大きな壁の前で苦しみ続けています。

 学校の中の情報は全て学校がコントロールできますので、情報が表に出ず、我が子のいじめ自殺という現実に泣き寝入りせざるを得ない御遺族は数え切れないほどいます。

 また、私は、この活動の中で、真実を知るためだけに、最後の切り札である民事訴訟という形をとり、結果、隠蔽がほとんど勝っている現実も多く見ています。

 全ての情報を学校が握っており、都合の悪いことは、個人情報にかかわります、または、親御さんに見せると生徒との信頼関係が壊れますと、一切情報を家族へは見せず、結果、我が子の身に起きた、それも死へと追い詰められるほどの苦しみを、本人に準ずる一番近い立場の親が知ることができないのが現状です。

 ここで、子どもたちの自殺人数について話します。

 二〇一一年度、警察庁は、高校生までの自殺を三百一人と発表しています。また、平成二十四年内閣府発行自殺対策白書では、こちらは十九歳以下になるんですけれども、男性四百十八人、女性二百四人です。この数は、きょうもどこかで若者がみずから命を絶っているということをあらわしています。

 日本は、若者の死亡原因のトップが自殺です。自殺といじめの因果関係が非常に深いということは言うまでもありません。そして、深い心の傷を抱え、数年後に亡くなる子もいます。

 また、いじめの内容は、昔と全く違います。

 例えば、裸の写真を撮られ、それをもとにおどされ、恐喝や万引きなどを強要されるということがあります。お金が用意できなければ、または言うことを聞かなければ、撮られた写真をネットで公開されるかもしれないのです。この手法で、今までどれほどの子どもたちが自殺をしているでしょうか。これは、より死へと追い詰められる確率が昔よりふえたということです。

 このように、毎日どこかで子どもたちが死へ追い詰められ、心に深い傷を負い、苦しんでいる現状に対して、すぐにやらなければならないことがあります。それは、実効性のある再発防止策を立てるということです。

 しかし、残念ながら、それに対する一番の弊害が、学校の隠蔽です。真実に向き合い、しっかり検証作業をしなければ再発防止策を立てられないのですが、隠蔽により、真実にたどり着くことができません。子どもを守るという当たり前のことを、隠蔽が阻止しているのです。

 実は、天国の子どもたちは既にさまざまな事例を残してくれています。なので、今からデータを集める必要はありません。すぐに動けます。これから子どもたちが死ぬのを待つ必要など、どこにもないのです。

 そこで、当法人が、文部科学省と児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議へ提案した四つの項目について説明させていただきます。

 一番目、事件事故後三日以内に基本的な調査をすること。これは初動捜査という意味です。二番目、調査内容を当事者や親と共有すること。三番目、全ての学校に事故報告書の作成を義務づけること。四番目、事故報告書に家族が知る情報や意見を記入する欄を設けること。

 一の、三日以内の調査ですが、大津の場合、初動捜査があったことにより、その後の調査の足がかりとなりました。もしあの隠蔽がなければ、事実を打ち明け、事件に向き合うことにより、子どもたちの心の安定につながったはずです。もし子どもたちがその後傷ついているとしたら、それは、事実を書いたからではなく、隠蔽により自分が書いたことを先生に否定されてしまったからだと思います。

 二の、情報の共有については、情報の共有がなされていれば裁判は激減していると思えるからです。ほとんどの御遺族は、真実を知るためのすべとして裁判をしているのです。

 三番目の、事故報告書ですが、自治体により内容が違っていたり、提出も任意なので、実態調査ができていません。これを国が主導してやれば、より真実に近い実態調査ができます。

 四番目の、家族の持っている情報の記入については、学校が持っている情報だけで事故報告書が作成できないようにすれば、隠蔽防止に役立ちます。遺族が知らない間に一方的に提出することを阻止できます。

 これらの要望は、全て、お金と時間はかかりませんので、すぐにできることです。今まで、学校の中で起きた命にかかわる事件や事故に対して、このような初動捜査の基本も存在していなかったことが大きな問題と考えます。この基本を国が提示しなければならない、そう思います。

 また、現在は、調査というものに対して素人の先生がそれぞればらばらの調査をしています。そのような状況で、因果関係まで導き出すことはできないはずです。そして、その学校が全ての情報を握り、その情報をコントロールできてよいはずもありません。再発防止のためという目的があるにもかかわらず、我が子の死因にかかわる重要な情報を親が一切知らされないのは、本当に個人情報保護に当たるのでしょうか。

 子どもたちは、とうの昔から、真実に向き合う準備はできていました。しかし、文部科学省は、重大な問題は慎重に対処しなければならない、ですから、調査には専門家やカウンセラーの配備が必要だと言い、今まで、調査そのものがやりづらい状況を生み、結果、初動捜査が先延ばしになっていたのです。

 子どもたちにとって本当に必要なのは、専門家とカウンセラーなのでしょうか。私は、一番大切なのは、安心して全てを吐き出せる状況を大人が生み出すことだと思います。見たこと、聞いたこと、感じたことを吐き出し、その後、大人と一緒に、反省も含め、みんなでその現実と向き合い、再発防止策を考えることだと思っています。それができれば、もう一度、しっかり生き直しができるはずです。

 しかし、それでも心の安定に不安が残る子もいるかもしれません。そのような場合に対処できるよう、カウンセラーの紹介ができる体制にすればよいと思います。専門家とカウンセラーがいなければ調査ができないのではないのです。

 また、文部科学省は、長い歴史の中で、私たちのような当事者から話を聞いたのは、わずか四十分しかありません。その時間は、調査研究協力者会議でのヒアリングで、私たちが頼み込んでつくっていただいたものです。平野大臣が設置する支援チームには、ぜひとも、当事者の経験から生まれた知恵が利用できるよう、私たちを参加させてほしいと思っています。

 最後に、大津の学校で最初にやった調査書について説明させていただきます。

 あの調査書は、当法人がつくったものをたたき台としており、調査研究協力者会議が昨年三月にまとめとして発表した中にあったものです。

 しかし、私たちが最も重要としていた、「ご家族にも報告することをご理解ください。」という部分はカットされ、生徒の初動捜査より先生への調査を優先していました。そしてその次は、亡くなった子どもと関係の深い子どもへの調査という流れになっています。

 しかし、皆さんも御存じのとおり、大津では、先生は一人もいじめに気づいていなかったということになっています。

 どちらの調査を優先しなければならないのかは一目瞭然です。

 また、亡くなった親御さんへのメッセージを書く項目もカットされ、それどころか、調査する場合、親の承諾書がなければ調査はできないと、私たちの質問に文書で回答しており、調べた内容も遺族へそのまま知らせないということになっています。調査と情報共有を阻む、幾つもの伏線があったのです。

 ここで、例の大津の中学校にお子さんを通わせている方から私が伺った話を紹介します。

 子どもたちがうわさとして書いた部分の意味がとても大きかった、それがあったのでPTAの連携の中でその事実確認ができた、聞いたことを書く欄がなければアンケートの意味はなかったと思う、実際に見たことだけではちょっとね、調査が全員でよかったというものです。

 また、別の方ですが、学校は事実から逃げている、この姿勢は生徒を守っていない、この姿を子どもたちは見ているんですと言っていました。

 この声をどう感じられるでしょうか。

 まだ伝えたいことはあるんですけれども、以上が、いじめ自殺遺族となった私が、自分の経験を通し感じ、提案させていただくことです。

 配付資料にアンダーラインなど引かせていただきましたので、そちらで陳述内容を御確認いただけましたら幸いです。

 ありがとうございました。(拍手)

稲津委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終了いたしました。

    ―――――――――――――

稲津委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。竹田光明君。

竹田委員 こんにちは。民主党・無所属クラブの衆議院議員竹田光明です。

 水谷参考人、亀田参考人、小森参考人におかれましては、御多忙の中、国会までおいでいただきまして、御出席いただき、まことにありがとうございます。また、ただいま貴重な御意見を陳述いただきまして、心から御礼申し上げます。

 私は、選挙に出る前、議員になるまでは、地元で長く青少年活動をしていました。教育委員会の青少年委員、学校評議員、補導員、青少対の理事と、現場で多くの子どもたちと接していました。そして、その中で、いじめの問題、不登校の問題、多くの子どもたちを見て、苦しんでいる子どもたちを何とかしたいと、ずっと心を痛めて活動しておりました。

 きょう、専門家の皆様に私からも質問させていただける機会をいただいたことを、本当にうれしく思っております。

 時間も限られていますので、早速質問させていただきます。

 お手元の資料をごらんいただきたいと思います。

 児童生徒の自殺の状況、一、内閣府・警察庁調査結果。おめくりいただきますと、二、文部科学省調査結果。この資料にありますように、例えば二〇一〇年ですと、内閣府、警察庁の調査結果では、二百八十七名の児童生徒が自殺をしている、そういう結果になっております。おめくりいただきますと、文科省の調査では、二〇一〇年度、百五十六名。大きな数字の違いがあります。

 これは、先週金曜日の委員会で何人もの委員の方からも指摘がありましたが、どうして警察の調査と文科省の調査でこんなに大きな開きがあるのか。

 このことからも、学校は、隠していきたいものは、隠せるものは隠したい、また、文科省の隠蔽体質があるのではないかとも言われておりますが、参考人の三名の皆様は、この数字をどう思われますか。お聞かせください。

稲津委員長 それでは、順次参考人の方々に、このことについて一言ずつお話しをいただきたいと思います。

水谷参考人 一つ、お答えいたします。この数字は、全くのうそです。

 どういうことか。日本の自殺統計のとり方に根本的な問題がある。これはかつて内閣府にも指摘をしました。

 日本の自殺統計というのは、御遺体で見つかった場合には、法務省の嘱託医がその主たる死因を自殺と書いたもの、病院または家庭で亡くなった場合には、最後にその死亡状況を判断した医師が死亡診断書に自殺と書いたものです。

 実は、僕は、今から八年半前から、二十四時間体制の相談事務所、水谷青少年問題研究所を設立して、六名のスタッフが、一日二十四時間、一年三百六十五日、電話とメールに向き合っております。電話については相談は数え切れず、メールは記録が残っております。けさの段階で、六十九万七千二百件、かかわった子どもの数は二十四万三千二百人に昨夜達しました。その中で、残念ながら亡くなった子、百十二名ほどおります。

 でも、その子たち、例えば薬をいっぱい飲んで亡くなった子、オーバードーズというんですが、これは中毒死と書かれております。また、首をつって死んだのではない限り、リストカットで死んだケースは事故死と書かれています。亡くなった遺族のことを考慮して、なかなか医師というのは自殺と若い子の場合書けません。その数値が全く統計的に抜けております。

 ですから、それがない限り、この自殺統計そのものが全く意味がない。例えば、日本国において二万三千を超える方々が亡くなっている。これ自体も全く意味のない統計だと私は考えます。

 以上です。

亀田参考人 なかなか自殺の状況を正確に把握するということは、どのような機関であっても難しいというのがまず大きくあると思います。そして、それぞれの機関としてどう判断したかということが、こちらのデータにあらわれているかと思います。

 文部科学省については、学校を通じてということになるかと思いますけれども、その際に、そのときの状況、あるいは御遺族の御意向、さまざまな状況の中でこういった数字が出てきたのではないかと思います。

小森参考人 遺族の意向だけでこれだけの数字の差が出るとは、私は考えていません。やはり、真実をすくい上げるためのシステムというものを国のレベルでつくることが大切だと思っています。

 その部分が、今文部科学省が本気で取り組まなければいけない、そして、事実を前にして初めて再発防止策を立てられると思いますので、強くそのあたりを望んでいます。

竹田委員 ありがとうございます。

 水谷参考人からは、経験に基づいた御提案をいただき、ありがとうございました。

 確かに、自殺者の数が実際とは違うということは、かねてより言われていることでございます。そのことを踏まえて、またこの問題に取り組んでまいりたいと思います。

 また、小森参考人からは、おっしゃったとおり、意向だけでこんなに大きな開きがあると私も思いません。その意味も含めて、これから正確な調査をするように努めてまいりたいと思います。

 次に御質問をさせていただく件も、三人の方にお答えをいただきたいと思います。

 資料の最後、三枚目の資料に、児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査というのがあります。ちょっとそれをごらんいただきたいと思います。

 これは、先ほどもお話がありましたが、平成十七年に「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない」、平成十八年にこのいじめの定義を変え、アンケートの主体を変えることによって、今まで二万人だったいじめの件数が十二万件、十万件ふえたというデータです。

 この件につきましては、六月十九日の委員会で、文部科学省に私が質問させていただきましたところ、いじめに関しては、指摘のように、それに伴うさまざまな事件なども起きて注目を浴びると、その後調査をすると数がふえるという傾向もややもするとあるというような答弁がありました。

 何か事件があったから流行のようにいじめがふえているような、こういう曖昧な答弁で私もちょっとびっくりしたんですが、この文部科学省のするアンケートを含め、学校がやるアンケート、このことはとても重要だと思います。

 どういうアンケートが重要で、どういうアンケートをすべきか、御三人の方に御意見を賜りたいと思います。

稲津委員長 それでは、三名の方から順次お答えいただきます。

水谷参考人 お答えいたします。

 実は、このアンケートは、もう二十年ほど前、一九八〇年代から見ていただくと明確にわかるんですが、ある報道でも僕はお話ししました。事件が起きます、いじめで亡くなった今回のような事件が起きると、その直後に大きな数の報告がなされる。これは、全国的に、もう隠せない、一生懸命報告するからです。それが、どんどん少なくなっていく。学校もなれてしまい、いいかげんにしか対応しなくなるから。そういうふうな形でこういうむらができていると思います。

 ただ、先ほど僕の最初のお話の中でも申しましたが、いじめのアンケートを学校がとること自体の中に問題があるのではないか。果たして、学校が客観的なアンケート調査を行うことができるのか。できれば他機関が介入をしながら、実は、いじめが発生するということは、その学校自体、教員自体に問題があるということですから、そこも変えなきゃならないという意味では、内輪の調査ではなくて外部機関へ、特に、法務省人権擁護局傘下の人権擁護委員を使いながら、全国各地におるわけですから、対応ができればと私は考えております。

 以上です。

亀田参考人 これは学校がいじめと認知した件数でありますので、先ほど意見で申し上げましたように、子どもにとってはここに当てはまるかどうかということは余り意味がないと思います。これはあくまで行政上の、統計上のデータですので、学校や教育委員会としては、実態としてどうなっているのかということを把握することがとても大事かと思います。

 その上で、いじめについてのアンケートを多くの学校がとるようになったということは、一つ進歩になっているのではないかと思います。

 どういうアンケートがよいのかということですけれども、私が思いますには、本人が自分がいじめられているということを書くのはなかなか難しい面があろうかと思います。そういったことからすると、周りの友達を見て、そういったことを見たことがあるかということを、周りの児童生徒に聞いていくということがとても大事ではないかなと思います。

 そういった、周りの子どもたちに聞いた結果を公表するということも、一つの方法としてはあるのではないかと考えます。

小森参考人 文部科学省は、学校にとって都合の悪いことでも何でも上げなさいというふうには言っているんですね。そういう通知を何枚も何枚も今まで出していると思うんです。

 では何で数字がいつまでもそのままなのかというと、文部科学省から言わせると、先生の意識の問題ですということで、責任を現場の先生の方に持っていってしまっているんですね。そういう部分についての私たちの質問に対して、文部科学省は、だからちゃんと書かなきゃだめですよというような、そういう旨の内容を繰り返し周知することによって、教員及び教育委員会の意識の変化を促してまいりますというのが回答なんですね。

 では、今まで何十年も通知を出して変わらなかったことが、これからもまた通知を出し続けることによって現場の意識が変わったり、数字が変わってくるとは思えないです。通知を何枚出しても、いじめの定義をどこか手を加えても、そういうふうなことを何度やってもいじめの数、自殺の数が減らないというのは、今までの中ではっきりしていることだと思います。

竹田委員 ありがとうございます。

 今、小森参考人がおっしゃったように、促していくだけで全然変わらなかった、そういう実態があるのも、水谷参考人がおっしゃったように、内輪のことをやっているから変わらなかったんじゃないか、私もそのように考えます。

 次に、亀田参考人にお聞きいたします。

 今回の事件が大きな話題になる前、たまたま六月十九日の当委員会で、私がいじめに関して質問させていただきました。その中で、政府参考人から、いじめの問題につきましては、学校の中で、特定の教員が抱え込むことなく、学校全体で組織的に対応していくという答弁がありました。

 学校全体で組織的に対応していただくのは本当にありがたいですし、当たり前だと思いますが、責任の所在が不明確で、また、先生の、当事者の技術の差、それに対する経験の差というのも私は大きいと思います。

 私は、各学校に、これはマンパワーの問題もあると思うんですが、いじめの問題を専門に担当する、例えばいじめ対策マネジャーみたいな担当の先生を置いておいて、いじめに関してはその先生がとりあえず全部わかっている、その先生と相談しながらやっていくような専門的な人もいた方が、子どもたちにとっても、あの先生がいてくれるんだという安心感があると思うんですが、亀田参考人はどうお考えでしょうか。

亀田参考人 私もおっしゃるとおりだと思います。

 学校が組織的に対応するためには、やはりそういった学校全体を動かしていく教員、私が考えますには、授業を持たずにそういったことに専念できる教員が必要ではないかと思います。

 その際に、私としては、いじめも含めまして子どもたちの様子を把握したり、そういったさまざまな問題について把握し、学校の中の情報の共有を進めて子どもたちに対応していく、そういった教員を配置していくことが必要ではないかと考えます。

竹田委員 ありがとうございます。

 次に、水谷参考人にお聞きしたいと思います。

 私が子どものころは、広場があって、そこに行くと学校の違った友達がいて、それこそ泥んこになって遊んで、その子たちの中に人間関係ができていく、その中で、けんかしているのかいじめかわからないが、そういうことを経験しながら大きくなってまいりました。

 水谷参考人は長年にわたって子どもたちと直接に向き合って活動されていらっしゃいますので、水谷参考人から見て、時代とともに子どもたちがどのように変わってきて、またいじめは変わってどのようになっているか、その辺の変化について、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。

水谷参考人 実は、教育の現場におりまして、我が国の子どもたちが画期的にひどい状況に変わっていったのは、一九九一年秋以降です。

 九一年秋は、御存じのとおりバブル経済が崩壊した。それ以後、我が国は、二十年以上にわたる長期の不景気、いわゆる不況の中におります。その中で、会社では親が怒られ、叱られ、夢も見れず、給料は下がり、それが家庭の中で妻や子どもにぶつかっていく。母親のいらいらも子どもにぶつかっていき、また、教育環境の中でも、教員が、管理体制が強化される中で本当に身動きができなくなっていった。そのいらいらが、一番弱い子どもたちのもとにどんどん集約されています。

 それが端的に、一つのあらわれとしては、そのいらいらを大事な仲間にぶつけるいじめとしてあらわれたり、あるいは、心を閉ざして不登校あるいはひきこもりというふうに結びついていったり、あるいは元気のいい子は非行、犯罪、薬物乱用へと行ったり、あるいは心の病へと行ったりしていると考えております。

 あるテレビ番組で、水谷先生、どうやったらいじめはなくなりますかと。この国が、先生方が頑張って、本当にあすを夢見る景気のいい国になったらなくなるでしょう、私はそれを答えるしかないような気がします。

 また、その一方で、いわゆる電子機器の普及、特にゲームやテレビ、テレビゲームやインターネットの普及によって、人と人とが、今質問してくださった議員さんが子どものころ、僕の子どものころのように、本当に生で接して、けんかしてけがさせたらごめんねと謝りに行ったりとか、本当のノーマルなコミュニケーションがとれない子どもたちがふえてきています。

 ゲームをやったりインターネットの世界に入っても、都合が悪ければ切ればいいわけですから、決して心は強くならない。その意味で、子どもたちがどんどん弱くなっていったこともその一因だと考えております。

竹田委員 ありがとうございます。

 今、水谷参考人がおっしゃいましたように、私も、三十年代、子どものときは、日本はまだ貧しかったんですが、何となく希望があって、世の中はよくなっていくんじゃないか、きっと日本はよくなっていくという何となく明るさがあって、その中で活気づいていた、そういう思いがあります。その時代の、私たちの子どもの時代を考えると、今の子どもたちの、ある意味、現実感が強過ぎる、こういう状況について、よかったのか悪かったのか本当に考えなきゃいけない、そのように私も思います。

 次に、小森参考人に質問させていただきます。

 いじめの被害者のケア、これは当然重要でありますし、よく言われていますが、加害者が何度も同じことを繰り返す、そういう例もあるように思います。

 小森参考人は、御自身、大変つらい経験をされていて、その中で、多くの被害者、加害者といろいろなかかわりがあると思います。この加害者に対するケアということもどうしたらいいか、その点、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。

小森参考人 いじめ問題は、被害者問題ではなくて加害者問題だと考えています。いじめている子どもがそのいじめ行為をとめてくれたときに被害者は苦しみから救われ、そして傷ついた心を回復へと向かわせることができると思います。

 けれども、その加害者のいじめ行為をとめるというのは、口で言うのは簡単ですけれども、実はさまざまな、その子自身にも大きな悩みや苦しみやそういうものがございますので、その子どもが今何に苦しんでいるのか、そこを語れるような人間が一人、大切ではないかなと思っています。

 ですから、私、ふだんは学校で講演活動をさせていただいているんですけれども、校長先生には、いじめをしていた子は、あしたからいじめをとめることはできません、急にいい子になんかなれないんです、あしたから暴れるかもしれないけれども、そんな子を見たら、指導をしないで、何かつらいことない、いつでもおいでと声をかけてくださいというふうに言っています。

 いじめている子どもの心にどう寄り添うのか、そこのところをしっかり形をつくっていって、各学校、現場で対応して、だから、指導というのが子どもは嫌いなんですね、指導されるのではなくて、一緒に考えてくれる、そんな大人、そんな仲間を求めていると思いますので、そのあたりを確立できたらいいなと思っています。

竹田委員 ありがとうございます。

 もう時間が残り少なくなったんですが、水谷参考人にお聞きしたいと思います。

 いじめの実態をいろいろ聞いていますと、先ほど陳述されましたが、けがをさせる、お金をとるとか、もう一般社会でいったら明らかな刑事事件、大人ならふざけるなというようなことが、頻繁に、平然と行われている部分があるかとも思います。

 学校という教育の場で、ある意味、ある特殊な別の枠みたいなところに囲い込まれて、ブラックボックスとは言いませんが、教育という名のもとで社会に通らないことが割と行われていて、そのことに対する対応が弱いのではないかと私も思いますが、そのことを改めてもう一度お聞きしたいと思います。

水谷参考人 実は、私は仕事柄、全国各地の少年院や鑑別所、あるいは少年刑務所等を講演で回っております。

 実は、教育の現場では、非常に大きな誤解を持っている先生方が、文科省の方々を含めて多い。いわゆる法務省の管轄に自分たちの管轄の生徒児童を渡してしまうことは、何か自分たちの汚点になるんじゃないか、それは処罰であって、何かふさわしくないのではないかと。

 ところが、法務省傘下には法務教官というちゃんとした教員がいて、しかも日本の少年法の中で、少年は罰するものではなく、次の国民として立派に自立することができるように矯正をするんだ、いわゆる少年刑務所を除いた少年院等の機関というのは矯正機関である、その事実をもう少しつかんで、自分たちができないことに関して、特に犯罪を犯した子どもについては、彼らの力をかりてきちっと矯正をしていただく、そういう努力が必要だと考えております。

竹田委員 貴重な意見をどうもありがとうございました。

 時間が参りましたが、きょうお聞きしたさまざまな貴重な御意見を参考にしながら、子どもたちが安心して学校に行ける、この当たり前のことが今なっていない、そのことを強く心にとめて、今後の国会議員としての活動をしてまいりたいと思います。

 本当にきょうはどうもありがとうございました。

稲津委員長 次に、馳浩君。

馳委員 きょうはありがとうございます。よろしくお願いいたします。

 時間がオーバーしておりますので、私は二時十分までに終わります。

 まず、教育委員会が機能しているのかどうかということについてお伺いしたいと思います。

 亀田参考人、教育委員会は機能しているのでしょうか。

亀田参考人 私は、基本的には十分機能していると思います。

馳委員 そこで、やはり、こういう一つの事案があった場合に、教育委員会自体が機能していないんだから、どうかしろという議論も出てまいります。

 したがって、私は、そういう議論をすることも大事ですが、基本的に教育委員会という制度が機能しているということを前提に議論しないと、全てがひっくり返されてしまうのではないかなと思っているということをまず申し上げた上で、ただ、教育基本法や学校教育法、地方教育行政法など、法律に従って教育行政が行われているのであるならば、教育委員会の機能が首長の部局にあったっていいじゃないですか。公平性は法律によって担保されているんですから。その方がより実効性があり、このような児童生徒の命が脅かされる事案があったときに、やはり直接的に対応できるのではないかと思うんですね。

 今、地方自治体では、スポーツとか文化とか学校管理については首長の部局に置いているところもございます。そういった意味でいえば、地方自治体の首長によるある程度の裁量の範囲も持った上で、教育委員会の機能を首長の部局に持っていってもいいんじゃないかな。特に今回のような事案は、今後も私は起こると思います。そういったときにすぐ対応できるという体制が必要ではないかなと思うのですが、亀田参考人、もう一度お願いします。

亀田参考人 私も先生おっしゃるとおりだと思います。

 教育委員会は今十分機能しているわけですけれども、より対応を効果的にするためには、首長部局に権限と責任を集中するということも必要ではないかと考えております。

馳委員 水谷参考人にお伺いします。

 いじめは、少年少女にとって通過儀礼なんでしょうか。社会の責任によって、いじめの事案がふえたり減ったりするのでしょうか。

 いじめたくなる気持ち、私はよくわかります。人をいじめたくなるときがあります。それから、いじめられる人の気持ちもわかります。何となく、俺、いじめられているのかなというときもあります。したがって、いじめる側といじめられる側が行ったり来たりするような不安定な情緒の中に、やはり思春期の子どもたちはあるのではないかとも思われます。

 最初に申し上げました、いじめというのは、一つの少年少女の時代、思春期の通過儀礼のようなものがあるとするならば、私は、世の中全体にいじめというものはあるんだろうなというふうに思うんですね。したがって、私は、どの教員も、いじめの問題について、人と人のコミュニケーションについてとか、そして、いじめる人、いじめられている人の調整能力、こういったものの能力が、教員として、基本的な資質として、基本的な知識として、基本的な教養として、そういったコミュニケーション能力が教員には求められると思うのですが、いかがでしょうか。

水谷参考人 実は、先ほども申しましたとおり、いじめには私は二通りあると考えています。例えば、無視、シカトとか、あるいは悪口を言う、これは我々教員が絶対に防がなきゃならないし、やった場合には間に立ってやらなきゃいけない。

 この種のいじめというのは実は魚の世界でもあると、さかなクンがこの間お話ししたときに言っていました。狭い生けすの中にたくさんの魚を入れると、魚もつつき合いをやったりかんだり、いじめをするそうです。だから、環境的な要因が非常に多くて、家庭の中がいらいらしていたり、学校の中が本当に受験受験で追い込まれてくれば、そういうものが出てきます。

 ただ、今回の大津のようなケースは、むしろ僕は、いじめと呼ばない方がいいんじゃないか、犯罪と呼ぶべきじゃないかと。このケースに関しては、どんな状況であれ、あってはいけないことだし、それは防がなきゃいけない。いわゆる四十人学級だからこんなふうになった、二十人学級だったらそうならなかったろうという次元ではないし、むしろ社会全体の、先ほども言いましたが、一九九一年以降のこの国の経済状況あるいは社会状況の閉塞感、それがいろいろな意味で大きな影響を与えていると考えています。

 ただ、いずれにしても、いい生徒指導の教員は、僕は生徒指導を二十二年やりました、きちっといじめはわかります。いじめを予防するようにきちっと動ける。

 ただ、そういう教員の質自体も、ずっと何年も何年も現場を見ていまして、下がってきていることも原因の一つとしてあると思います。

馳委員 水谷参考人に改めてお伺いいたします。

 教員も児童生徒によって育てられるべき存在だと思います。したがって、教員の養成の段階、採用の段階、採用された後の研修、それから人事、管理職がこの人はどこに向いているかなといいながら人事をする、この四つの段階を通じて、教員は退職するまで育てられるべきものだと私は思っているんですが、そういった観点から、教員としての資質で、児童生徒の指導は避けては通れないと思うんですよね。

 このことについて、やはり研修であったり、養成のカリキュラムであったり、人事異動の際の配慮事項であったり、先生の長年の御経験から、こういうふうにあるべきだというお考えがあったら教えていただきたいと存じます。

水谷参考人 実は、教員というのは全てが優秀な教員では困るんです。よく生徒に言われました、うちの学校の先生が全部水谷先生だったら、息が詰まって俺はこの学校に来ないと。本当に向き不向きがある。僕には向かない生徒もいれば、僕しかできない生徒もいる。いろいろな先生がいていいと思うんですね。

 ただ、質問内容からずれるかもしれませんが、日本の教育がどうしてこんなにだめになったのか。教員の不祥事も続いております。その根幹にあるのは、先ほども亀田さんがおっしゃいましたが、教育は、もともと、信頼からしか成り立たない。でも、この国の教育に、今、信頼はありません。文部科学省は全く教育委員会を信じず、教育委員会は学校を信じず、校長は教員を信じず、親も教員を信じず。

 信頼されている人間は、その信頼を裏切らないように、きちっと自己に責任を持ってやる。我々、教員のときには、親から、生徒から信頼されているからこそ、日々の生活を正して、きちっとした形で模範になるように動いていった。

 僕は、むしろ逆で、研修をこうしろとか、もっと管理をしろというよりも、現場の教員で、熱い、立派な教員はたくさんいます。日本人で、七割が真っ当な人で、問題を超こす人が一割いるという比率がもし仮にあったら、教員も全く同じわけです。立派な教員はたくさんいる。もう一回信じてあげてほしいと思います。

 信じる、信じられた人間というのは強い。それこそ、汗を流して、自分の勤務時間を超えて、子どもたちのために生きていきます。ぜひ文科省に、もっと教員を信じろと御指導ください。お願いいたします。

馳委員 日本の教育がここまで悪くなったのかという言葉だけには、反論したいと思います。

 日本の教育は、すばらしいと思います。が、先生おっしゃったように、いろいろな現場があって、いろいろな先生がいるものですから、時にはひずみもある。それにもやはりみんなで協力し合っていく必要があるというふうに、ちょっとだけ反論させていただきたいと思います。

 さて、そこで、核心に入りますが、小森参考人にお伺いします。

 実は、私も長年こうして議員活動をさせていただいておる中で、いじめ問題が数多くございます。

 鉄道事故、飛行機事故などのときに、専門官による事故調査委員会が速やかに現場に入り、対応し、事実認定、事実認定があるからこそ再発防止措置をする、こういうふうになっております。

 私は、小中学校の設置者は市区町村ですから、市区町村には、基本的には学校事件事故問題の調査委員会、第三者機関、これは常設というか任命しておいて、いつ何どきでも動かせるようにしておくべきだと思っているんですが、小森参考人の長年の御経験からして、いかがでしょうか。

小森参考人 第三者の調査委員会というものは、私は必要ないのではないかと思っています。

 まず、何より大切なのは、直後の子どもたちから、事件が起きてしまったその学校の子どもたちから、見たこと、聞いたこと、感じたことをまず集めること、それは、できることだと思います。

 その初動捜査というものを基本にして、その後、どうしてももっとちゃんと因果関係を調べなければならないというふうな段階になりましたら、そのときにつくらなければいけないのは、第三者検証委員会になるのではないかと思います。子どもが亡くなって、一週間も十日も一カ月も、下手したら半年して第三者の調査委員会を立ち上げて一からの調査というのは、もうこれはできないと私は思います。

 大人からのいろいろな言葉がけによって、言いたいことも言えなくなってしまう子どもがいます。見たり聞いたりしたこと、自分がちゃんと見たこと以外はしゃべっちゃだめなんだよ、下手なことを言うとほかの子を傷つけちゃったりするよなんということを一言言うと、自分がうわさで聞いた話はもう言えなくなってしまうなんということが起きてしまいますので、基本は、初動捜査、先ほども言いましたけれども、そこをしっかり確立させること。その後、どうしても調査しなければならない、もう一回そういう場面があったらば、本当の意味の第三者の検証委員会が必要かなというふうに思っています。

馳委員 ありがとうございます。

 そうすると、小森参考人に改めてまたお伺いします。

 初動捜査という言葉をおっしゃいましたよね。初動調査と言ったらいいのかな、初動捜査と言ったらいいんでしょうか。小森さんがお求めになるのはどちらの方でしょうか、そして、それを誰にやってもらうのがベストだと思いますか。

小森参考人 無責任に言葉を言ってしまったかもしれません。調査と捜査というものは、捜査というのは警察の権限がなければもしかしたらできないことなのかなと、今、質問を聞きながら思っていました。

 直後にしなければならないこと、それは、やはりみんな一緒だと思います。それが、警察がかかわっていようが学校の先生であろうが、その事件に近い人たちから情報を集める、その情報の集め方、それを確立するということになると思います。

馳委員 水谷参考人にまたお伺いいたします。

 先ほどおっしゃったように、私も、今回のは、これはいじめじゃないですよ、犯罪ですよ。とすると、どうでしょう、全国の小中学校には、学校ガードマンじゃないですけれども、常に、何かあったときに対応できる警察とのホットラインがあるべきだと思いませんか。あるいは弁護士さん。よく学校医とか学校歯科医師とかありますけれども、学校警察官、学校弁護士がいたっていいんじゃないかなと思うんですが、いかがでしょうか。

水谷参考人 実は私は、今の前の盧武鉉大統領傘下のときに、青瓦台で、韓国の青少年問題の特別審議会の委員をやらせていただきました。

 あのときには、実は一九九〇年代の後半から韓国では、イルジンフェ、一陣会、これは日本の漫画から始まったようですが、暴力組織が小中高を覆い尽くしていました。数十万と言われました。小学校五年生から大体十日間に百円、高校三年になれば千円以上の上納金を納める。それを告発しようとした生徒指導の教員が家族全員皆殺しにされた、あるいは告発しようとした女子生徒が輪姦をされた。

 そういう事案も出てどうするかというときに韓国がとった方策は、レッドベレーといいまして、退職した軍人たちを、赤いベレー帽で、軍装です、銃は持っておりません、それを各学校に二名ずつ、小学校等は一名ですが、配置をした。それで画期的にそれが改善されたという成果が出ております。

 ただ、我が国は、そこまでいってはいないだろうと思いますし、それ以上に、例えば人権の問題として、もっとやわらかく捉えながら対処できる状況だと私はまだ判断しております。

馳委員 なぜ私がこのことを申し上げたかというと、教職員、管理職を含めて、極めて法令に、教育関係の法令も含めてですよ、極めて法令に無頓着、無知識、無教養と言わざるを得ない。普通そんな選挙運動を学校の教員はしないだろうということを平気でやっていますよね。やっているんですよ、私も事実をいっぱいつかんでいますけれども。

 だから、そういう意味でいえば、もっと法令に従って学校現場が運営されているということの認識を持つためにも、何かあったら弁護士さんに相談できる、警察にも相談できるというホットラインが必要なのではないのかなという観点から申し上げたんです。

 さて、出席停止措置について、これは文科省出身の亀田さんにお伺いいたします。

 いじめをしている方に出席停止措置をすべきだと誰もが思うと思うのですが、どちらかというと、いじめられている方が、しばらく来なくていいよなんてなっているんですね。

 いじめをしている方にこそ出席停止措置をし、教育現場を平穏にすることが責任なのではないかと思いますが、見解をお伺いしたいと思います。

亀田参考人 そこは、本当に出席停止措置をすることで、いじめている加害者の行動が変わっていくのかどうかということがとても大事かと思います。

 出席停止措置をとるかどうかにかかわらず、いじめている子どもをきちんと指導する。それは、出席停止措置をとったとしても、二週間かあるいは一定期間の後にはまた学校に戻ってくるわけでありますので、出席停止措置をきっかけにして指導するということはありますけれども、あくまでも、いじめた子どもに対する指導をどうしていくかというところがとても重要ではないかと考えます。

馳委員 私の質問の仕方が悪かったかなと思います。出席停止措置は、当然、今あなたが、君が行っていることはこれだけ相手に負担を与えているんだよ、やってはいけないことなんだよという指導とセットです。

 最後に、水谷参考人にお伺いいたします。

 実は、私、ネット中毒の問題にずっと取り組んでおりまして、韓国が二〇〇三年だったか四年に国家としてネット中毒対策に取り組まれて、もう十年近くたっております。

 やはり我が国の小中学校においても、私は携帯やパソコンを使うなと言っているのではありません、ネット中毒対策といったものは、国家の将来を脅かす問題であるという強い決意のもとに、この対策に本格的に取り組み、自然体験であるとかスポーツとか芸術とか、こういったことにももうちょっと力を入れていくべきではないかなと思うのですが、いかがでしょうか。

水谷参考人 実は、僕は学校で大体年間二百本ぐらいの講演を、中高を軸にやります。子どもたちに聞くんですね、君たち、携帯電話、メール、インターネット、ゲーム機がなかったら今より成績が上がっていると思う児童生徒、手を挙げなさい。八割以上の子が手を挙げます。ああいうものがあることによって自分の未来をだめにして、成績を下げているという事実は子ども自体がつかんでいる。でも、結局は、楽しいからやめないし、親たちは与えてしまう。何らかの規制はぜひしていただきたいと思います。

 少なくても、携帯電話、メール、インターネット、ゲーム機がなければ、いじめも大半減ってきますし、不登校、ひきこもりも退屈でいられなくなる。何より、成績が上がります。何も土曜授業や七時間授業をやるより、あちらの方を規制した方が、よっぽどこの国の子どもたちの成績は上がると判断しております。

 あと、もう一点だけつけ加えさせてください。余りにも今のネットの状況はひど過ぎる。

 例えば、我が国にはPL法というすばらしい法律があって、いわゆる商品については、欠陥があったりいろいろな問題があれば、確実にそれを出した企業が責任を問われる。でも、ネットに関しては、どんな悪意ある情報やうそを流しても、全く責任が問われていない。

 やはり、その意味でも、ぜひ議員の皆さん方には、PL法をもう少し拡大して、表現の部分、ネットの部分、ゲームの部分まで含むような、いわゆる製造物責任の方に、あるいは制作者責任の方に進めていただければ、この国の子どもたちはさらに救われると考えております。

    〔委員長退席、柚木委員長代理着席〕

馳委員 終わります。ありがとうございました。

柚木委員長代理 次に、小林正枝さん。

小林(正)委員 三名の参考人の方々、足元の悪い中お運びいただき、ありがとうございます。

 国民の生活が第一・新党きづなの小林正枝でございます。

 きょうは、三人の参考人の方々から非常に有意義なお話を伺いました。そして、水谷参考人からは、冒頭、いじめの定義についても御説明がございました。

 まず初めに、私、ある裁判の判決についての御見解を伺いたいと思います。

 それは、中野富士見中学でのいじめ自殺事件であります。一九九一年の三月、東京地裁の判決が出されました。それによりますと、葬式ごっこはいじめではなく、むしろ一つのエピソードと見るべきで、自殺と直結させて考えるべきではないという、全く驚くべきものでありました。

 私は、法務省の言うところの人権侵害という観点からいえば、これは明らかに人権侵害だと考えます。お三方の見解をお聞かせください。

水谷参考人 実は、人権侵害項目にいじめがつけ加えられたのは、申しわけありません、きょう資料を持ってきていませんが、わずか三、四年ぐらい前だったと思います。いじめの前に人権侵害に入れられたのが虐待ですから、非常に新しい。

 中野の富士見中の時期には、そういう人権侵害というものといじめとの関係は全く意識されていなかった。でも、今の目で見れば、あの事件は僕も教員でしたから知っておりますが、ひどい事件であるし、完璧な人権侵害、それどころか、刑事告訴すらできるものだと考えております。

亀田参考人 正確には覚えておりませんけれども、その保護者の方が書かれたもの、お話しになったことを読んだことがありまして、亡くなった生徒はとても悲しそうに保護者の方にその色紙を見せたということがありましたので、とても心の痛む事実であったと思っております。

小森参考人 そういう判決は、二十年前から、二十年前だけではなくて今も続いています。心や体を深く傷つけること、それは虐待だと思うんですけれども、今の虐待の定義は、家庭の中の人間からの行為が虐待であって、学校の中で起きたことに関しては、なかなかそういう定義が成立していないように思います。

 ことしも一つの判決がありました。埼玉の北本市で起きた中学生の女の子の判決だったんですけれども、本人が先生との交換日記の中にいじめの内容を一生懸命書いて、先生に助けてほしいということを書いてあったんですけれども、そして、いろいろないじめの内容も具体的に出てきたんですけれども、それでもやはり一審で全面敗訴という形になっております。

 ですから、やはり隠蔽というものに、ちょっと話が戻りますけれども、学校が情報を全てコントロールできるという中で、いじめによって我が子を失った親は、今も昔も同じように苦しみ続けています。

小林(正)委員 水谷参考人と亀田参考人にお伺いしたいと思います。

 水谷参考人は、逃げることでは問題は解決されないとおっしゃられました。一方、亀田参考人は、多様な学びを認めることが必要であるという発言をされました。私は、お二人の考えの違いについて異論を唱えるつもりはございません。しかしながら、子どもたちを取り巻く環境によってさまざまなケースがあるのも現実であります。

 そこで、それぞれお二方とも現場をよく知られていると思いますので、いじめの根絶のために何が今必要なのか、そして、我々に要望されることがありましたら、ぜひここで教えていただけますか。

水谷参考人 逃げるということ自体は絶対的に必要なことだし、学校においても、いじめられている子どもをその状況から一回逃がしてあげて、それで解決を図るという意味で、逃げるということは絶対必要なんです。ただ、逃げたままではだめだということを私は先ほど述べたので、必ず決着をつけておかないと、そのとき心の中についた傷を一生引きずってしまうことになる。

 私自身が二十四万二千人以上の子どもたちを相談で抱えておりますが、そのうちの八割というのは、何らかいじめ等により心に傷を持って、二十代になって引きこもっている、主に女の子たちが多いんですね。いじめがあった、なかったは、もう今さら、本当にそうだったのかを問うことはできませんが、本当に大きな傷の中で、精神科医療を受け、投薬を受け、社会参画もできないままに、生活保護を受けたり、働くこともできない、そういう現状を防ぐためには、いじめ事案が出たときには、逃げてもいいけれども闘ってきちっと決着をつけておきましょうということで発言をいたしました。

 あと、いじめをなくすことは、実は、完璧ではないけれども、九九%、そんなに難しいことではありません。

 先ほど私が言ったとおり、早急に、今、学校にはあいている教室が小中高たくさんあります。子どもの数が減っております。そこに、今、人権擁護委員、一万四千人ですけれども、全ての市町村におります。全ての学校の学区に複数で配置されておる。これを、例えば保護司の五万人ほど増員しろとは言いませんが、増員し、若い方も組み込んだ上で、事務所を学校の中につくる。

 そして、そこで定期的に子どもたちに対して、学校は関与しないままに、いじめの調査、見たことがあるか、聞いたことがあるか、あった場合には速やかに学校当局、教育委員会、事案によっては警察、家庭裁判所等と連絡をとりながら丁寧に丁寧に対応していけば、いじめは一瞬にして、さっき馳先生がポリスマンじゃないけれどもそういう警護の可能性もとおっしゃったけれども、そこまでいかなくても、今の日本の現状ではそこで十分にとめ切れると私は判断しております。

亀田参考人 私は、文部科学省で不登校を担当いたしましたときに、不登校のどういった点が問題なのか、どうすればいいのかということを知るために、フリースクールを訪問するようにいたしました。そして、何かフリースクールで特別な指導方法があるのであれば、それを学校にも取り入れたらいいのではないかという問題意識でございました。

 しかしながら、フリースクールのスタッフの方に、何か特別な指導はあるんですかと伺っても、特にそういった特別な指導と言われてもということでありました。ただ、共通していらっしゃったのは、頑張れと言わないということだったかと思います。頑張れない子どもに対して幾ら頑張れと言っても仕方がない。それよりも、その子のありのままを認めて、今何ができるのかということを認めていく、それがフリースクールに共通する考え方であったかと思います。

 しかしながら、今、フリースクールというのは制度の外の機関でありまして、フリースクールに通っている子どもたちに行政上のサポートというのは、制度的にはございません。実態としてはありますけれども、制度的にはない。

 したがいまして、学校以外の学びの場を選択できる制度、そして、それを選択した子どもや保護者に対して支援、サポートしていく制度ということが必要ではないかと考えております。

小林(正)委員 ありがとうございます。

 ここで、ジェントルハートプロジェクトの小森さんにお伺いいたします。

 私も、ジェントルハートプロジェクトのパネル展を先日拝見させていただきました。また、小森さんは学校でも講演なさっていると伺っております。その際に受けられた、御自身が感じられた子どもたちの反応、そして感想等、そこで得られた経験、また、具体的なジェントルハートプロジェクトで取り組もうとされている活動がございましたら、教えていただけますか。

小森参考人 私たちの活動は、学校に私たちが入っていって、一緒に子どもたちと心や命のことを考えるということです。

 その中で、講演者で約束していることがありまして、命は大切だよという言葉を講演の中に入れてはいけない、あと、いじめはだめだよという言葉も入れてはいけないことにしています。講演を聞き終わった後に、子どもたちが、命って何だか重たいものかな、あと、人を傷つけるってとてもいけないことかななんということをふっと考えるきっかけを置いてこられればいいなというふうに思ってやっています。

 そんな中で、子どもたちから教えてもらったことはたくさんあります。大人が、あるべき論と思って、今まで子どもたちに押しつけていた考えが、実はもしかしたら違っているのではないか。子どもたちの方が、命や心というものに対して、もしかしたらより近いところにいるのではないか。子どもと大人が一緒に命や心のことを考えるのが、人権というものについての活動の中心になるのではないかなというふうに、今、考えています。

小林(正)委員 ありがとうございます。

 今の御回答の中に、一緒に考えるというフレーズがございました。この一緒に考えるというのは、ともに、生徒もそして先生たちも一緒に、問題に面と向かって向き合うということだと思います。そしてそれは、今、亀田参考人がおっしゃられたこと、水谷参考人がおっしゃられたことにも共通すると考えます。

 特に、亀田参考人は、信頼関係を築く必要性について強く訴えられました。安心して学べる環境、確かに、それができている学校もあると思いますが、現実、それが十分でない学校も今あるのだと私は危惧しております。

 現場を見てこられた経験から、教職員の方々がどんなことに不安を持ち、また何が不足しているのか、どのようにお考えか、お聞かせください。

亀田参考人 先ほど申し上げましたように、学校にとっては信頼関係、そしてそれは、子ども同士、教師と子ども、教師同士の信頼関係があって初めて、学校というのは成り立つものだと考えております。それは、教師だけでなくて、我々大人、働いている人、主婦の方も含め、皆そうだと思いますけれども、誰かに認められている、そしてみんなでチームとなって仕事をしていく、そういった信頼感があればこそ、仕事に邁進できるものだと思います。

 したがいまして、学校の先生たちが、自分たちはチームだということを感じられる、認識できる、そういった学校運営というのが必要だと思います。

 それはどうすればいいかということですけれども、先ほどの、ともに話し合うということがまさに同じでありまして、先生たちが、自分たちの学校をどうするかということを先生たち同士で話し合って、そしてみんなで協力して取り組んで、そしてその結果を皆で振り返っていく、そういった先生たちの共同した工夫、それがチームワークを生んでいくものだと考えております。

小林(正)委員 ありがとうございます。

 ここで、今の亀田参考人の御回答を含めて、水谷参考人にお伺いしたいと思います。

 この信頼関係というのは、やはり、生徒が先生を信頼し、また先生も、その生徒を否定することなく、ありのままを受け入れることが私はとても重要だと思います。

 水谷先生は、長きにわたり夜回り先生として全国でも有名でありましたが、実際に、今と、そして夜回り先生を始めたころと申し上げてよろしいんでしょうか、もし子どもたちの変化が、これが今と昔と違うという点があれば、教えていただけますか。

水谷参考人 私が夜回り先生と呼ばれたのは、横浜市立港高校、今から二十一年前に赴任した高校が、生徒数八百名の全国最大の定時制夜間高校でした。口の悪い横浜市民が、横浜市立暴力団養成所と呼んだ学校です。

 入ってきた子たちの半数近くが学校をやめていき、夜の世界に沈んでいく。横浜の山手警察から、おたくの生徒を銃刀法違反でとった、来てくれ。刃渡り何センチだ、いや、中国製のトカレフ、チャカ、実弾つき。関東一都六県で三千万円の泥棒をやった生徒もいます。殺人事件以外の全ての事件を預かった。その学校に勤務したときから、夜回り先生と呼ばれるようになりました。

 でも、あの時代の子どもたちは、力があった。自分は勉強はできない、社会からも疎外されたけれども、それを力ではね返してという、その力が、生きる力がありました。彼らが集団で組織したのが、もう今は壊滅状況の暴走族。彼らは、一人で勝てませんから、集団をつくって大人や社会に対峙してきた。

 この二十一年、夜回りを続けてきて非常に感じるのは、その子どもたちの生きる力がどんどん奪われてきています。実は、もう暴れることもできず、暗い部屋で、ネットにはまりながら、リストカットを繰り返したり、死に向かっていく。

 今、例えばリストカッターというのは、二〇〇〇年以降、大体百万人を超えたと言われています。十代後半から二十代前半の世代人口の七%以上です。しかも、猛烈な勢いでふえていっています。リストカッターのいない中学、高校は、日本には存在しません。それ以上に、学校レベルからクラスレベル、クラス複数レベルへと猛烈な勢いでふえていっています。

 だから、非常に内面的な傾向が強くなってしまっています。ですから非常に難しい。外で暴れてくれる分には警察も関与できる、夜回り先生も会えるんですが、暗い部屋で苦しんでいる子には、それでは会えない。

 また、その理由については今説明する場ではないですけれども、このような形で子どもたちの生きる力が損なわれてきているという事実だけは、お伝えをいたしたいと思います。

小林(正)委員 実体験に基づく非常に生々しい御回答、ありがとうございます。

 私は、残念ながら、いじめというものは、世界各地で起こり、これから先も、根絶を目指すけれども、全くゼロにするということは難しいのかもしれません。

 特に、日本の場合、一番大きな原因というものが、異質なものを認めないという精神文化に根差しているのではないかと思います。これまでの偏差値教育や核家族化によって、性格や能力が集団と調和していない、たったそれだけのことで集団から排除されてしまう、そんないわゆる村八分のような意識がどうしても私たちの中にあるのだと思います。

 しかしながら、難しいから何もしないというわけにはいきません。全国各地で、大津の事件以降も、いじめに思い悩み、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている子どもたちがいるという思いを私は想像してみたとき、今ここにいる委員全てが、本当に子どもたちのために何か行動を起こさなければならない。

 時は待ってくれない。子どもたちが本当に安心して健やかに成長できるために、私たち全員、全力でこの問題に取り組んでまいることをお約束して、本日の私の質問にかえさせていただきます。ありがとうございました。

柚木委員長代理 次に、高木美智代さん。

高木(美)委員 公明党の高木美智代でございます。

 本日は、水谷参考人、また亀田参考人、小森参考人、大変貴重な御見識を御開陳いただきまして、心から御礼を申し上げます。

 まず、私は、何点か伺いたいのでございますが、水谷参考人に伺いたいと思います。

 実は、このいじめの本質とは何かというところなんですが、先ほど来議論も伺っておりまして、今、夏祭りが盛んですので、学校を開放して地域の夏祭りをやっていらっしゃる小学校の校長とか、いろいろな方がいらっしゃいます。その校長にお会いしましたときに、誰もが被害者にも加害者にもなり得る、また、我が校でもいつ起こるかわからない、こうした緊張感をお話ししてくださいまして、大変私は印象に残りました。

 確かに、一九九六年、当時まだ文部省でしたけれども、大臣の緊急アピールの中に、深刻ないじめはどの学校にもどのクラスにも起こり得る、こうした内容でございます。

 ただ、このいじめの内容につきましても、先ほど来お話がありましたように、いわゆる教育的解決でできるもの、それから他機関が関与しなければできないもの、この二種類に分けられるというお話ですが、そう考えますと、教育的解決が求められるもの、恐らくここが発端なんだと思うんです。

 この発端のところで、問題行動を起こす児童生徒を出席停止措置にしたところで、これで果たして問題は解決するかというと、決して問題児が引き起こすものではない、むしろ、いつ自分が被害者にもなり加害者にもなるかわからない、いつもそこが入れかわっている、こういう状況があります。

 さまざまなアンケートの中でも、典型的ないじめである仲間外れ、無視、陰口、こうしたことを小学校四年から中三まで、一回以上受けたことがあるというお子さんが九割、また、したことがあるという方も九割という状況でございます。

 こういう中で、追跡調査をした方がいらっしゃいまして、六年間ずっといじめられる、またいじめ続けるという場合はほとんど存在しない、入れかわっている、こういう状況で、最初の些細な行為、ここのところが私は大事だと思っております。

 そこで、特定の子どもを念頭に置いた対策ではなく、むしろ子ども全員を対象にした未然防止をどのようにこれから図っていくのか、ここが私は本質なのではないかと思っております。

 私は娘が二人おりまして、その娘たちが、一九九一年、おっしゃっていたとおりです、小学校に入ったばかりでした、そのときに、やはり少し学校が荒れ始めまして、父兄と、また学校と話し合いをしながら、いじめる側が一〇〇%悪い、これを我が校の一つの大きな理念にしていこう、こういうことをみんなで決めました。何かあったら厳罰に、みんなで集中的に、いじめられる側を守り、いじめる側には、精神的であれ身体的であれ、これはまさに暴力だ、これをはっきりさせよう、こうした校風をつくり上げ、瞬く間にそれがおさまりまして、今もその校風というのがずっと続いております。

 こういう状況を見ますと、いじめの本質とは何か、また、それに対してどのように対応すべきか。恐れ入りますが、水谷参考人、そしてまた亀田参考人、小森参考人、御指導をいただければと思います。

    〔柚木委員長代理退席、委員長着席〕

稲津委員長 それでは、順次お答えいただきたいと思います。

水谷参考人 実は、いじめている子にも、いじめられている子にも、共通している特質があります。それは、自己肯定感のなさ。もっと単純に言えば、自信がない。自信のある子は、いじめません。自信のある子は、いじめられても親や先生に伝えることもできるし、助けを求めることができます。その自己肯定感のなさというものが、いじめている子、いじめられている子、ともに私が現職で扱ったケースでは共通している特質です。

 実際に、今、実は私、学校を回りますけれども、子どもたちに、家で親から褒められた数、叱られた数、どっちが多いと聞きますと、まず九九%、叱られた数。子どもたちに、はい、君たち、この学校で、先生から褒められた数、叱られた数、どちらが多い。九九%、中高では叱られた数です。

 人は、評価をされず、叱られてばかりいたら、結局は、自分はだめな人間なんだ、いらいらする、あるいは負け犬的に弱くなる。そこに、いじめが発生する大きな要因があると私は考えています。

 私が夜間定時制高校に行ったとき、実は四年間、いじめが一件も起きなかったという奇跡的なことがあります。このとき、どういうふうに我々教員が動いたのか。

 我々は、もう社会からいじめられている、夜間定時制高校は、真っ当に教員の配当ももらえず、お金もろくにもらえず、就職の面でも一部の企業に差別されて、ただでさえ差別されていじめられている我々の社会でいじめがあったらどうするんだと言ったら、変に生徒たちが納得をしていました。

 でも、それだけではなくて、我々教員が、ともかく一人一人の子どもたちのいいところを認めるんです。おまえは、確かに数学はだめだけれども、ここはすごいよ。認められることの中で自己発現をしていって、そこから自己肯定感に結びついた子は、いじめないし、いじめからも逃れることができ、闘うことができる。

 それを、今、寄ってたかって、社会的、経済的閉塞性の中で、家庭や学校、地域、社会全体が、子どもたちにいろいろな意味で自己肯定感を奪うような状況になっている。それが原因なんだと考えております。

亀田参考人 いじめの本質というお尋ねでいらっしゃいましたけれども、私は、いじめの本質というのは、子ども同士のゆがんだ人間関係、不健全な力関係がもとになっているかと思います。

 したがいまして、学校、教員としては、子どもたちの人間関係をよく知る、子どもたちの様子をよく知るということが大事かと思います。その上で、今、水谷参考人からもお話ありましたけれども、一人一人のよさを見つけていく。先生たちに伺いますと、どんな子でもいいところがあるということを信じている先生が多いということがあります。

 したがいまして、子どもたちのことをよく知った上で、一人一人のよさを見つける。そのために必要なことは、そういったことができるだけの時間を教員に提供する、そのために教職員定数の改善を含めた教員の体制をつくっていくということが大事ではないかと思います。

小森参考人 あるいじめの加害者が、いじめた理由を言っていました。自分が強いということを周りに伝えたかった、自分の強さを示したかった。その子がなぜ自分が一番でなければならなかったのか、そこがいじめの本質になるような気がしています。

 そして、いじめというのは、自己肯定感も、考える力も、生きる気力までも奪って、人を最後、死へと追い詰めるような、それがいじめだと思います。今いじめを受けている子に頑張れとか自己肯定感の説明をしたとしても、きっとその言葉は心に届かないような気がしています。それほど、いじめは、人を苦しめる、死へと追い詰める、恐ろしいエネルギーが潜んでいると思います。

 そして、なぜこの問題がいつまでも解決できないのかといいますと、大人が子どもたちに、やり返せと教えています。やり返すぐらいの強さが大切だと教えています。そして、やり返すということを学校の中で実行し、学校の中では、やり返しながら問題が一瞬のうちに大きくなってしまい、そして、大きくなった問題を解決するためのすべは、残念ながら、専門の方でもなかなか難しいと私は思っています。

 いじめは、傍観者、加害者、被害者、この三つ。必ずどこかに所属した経験がみんなあると思います。そして、この三つともが全て被害者だと私は思っています。傍観者は加害者と同じだと大人は言うんですけれども、実は、傍観者の子どもたちは、自分がその子を守ろうとしたことによって被害が自分に及び、友達を守ろうとして、そして自分自身が自殺に追い込まれるという事件も、悲しいんですけれども実際に起きているんですね。

 ですから、大人が、やられたらやり返せ、そう教えていたこと、それを、自分がされて嫌だったことはほかの子にしちゃだめなんだよ、そんな教育を日本じゅうの親が子どもたちに徹底できたら、いじめは激減すると思っています。

高木(美)委員 今お話を伺いながら、それにしても、今回の大津市の問題の見方ですけれども、私は、学校の対応がもうお粗末という一言に尽きると思っております。いじめの存在を裏づける一定の情報が集まっていたにもかかわらず、その段階できちんとした対応がなされていれば、ある程度これは防げたのではないかと思います。

 隠蔽の風潮とか、いろいろ言われていますけれども、そうではなくて、私は、日ごろのいじめの実態を学校側が受けとめていなかった、軽んじていたということに尽きるのではないかと思います。本人に確認したらいじめを否定したとか、けんかだと判断したとか、こういう学校側の発言を聞くにつけて、基本的な知識が欠けていたのではないかと言わざるを得ません。

 今、団塊の世代が退職されまして、そことともに新しい教員がふえております。先ほど水谷参考人が、少し教員の力が弱まってきたのではないかというお話がありましたが、こういう従来蓄積されてきたいじめに対するノウハウが継承されていないのではないかという率直な気持ちがありますが、水谷参考人、どのようにお考えでしょうか。

水谷参考人 いじめについては、結局は端的な一つ一つの個別の事案としてしか動いていないというのが、今までの原因であり、それが解決されない原因の一つだと思います。

 それ以上に僕が訴えたいことがありまして、実は、いじめの事件が起きて、一人のとうとい命が今回もなくなっている。僕はあの場所も行ってまいりましたが、あの子がどんな思いで階段を上って飛びおりたのか、それを考えたときに、私もそのような教育の現場にいる一人の元教員、あるいは教職に大学でついている者として加害者だろうと、こうべを垂れて祈るしかなかった、謝るしかなかったという思いがあります。

 実は、今まで、いいですか、いじめでみずからを処した教員も教育長もおりません。例えば、山形で、高畠高校の事件のときに教育長がやめる羽目になったのは、亡くなったという報告を受けながらも酒席を続けて酒を飲み続けていた、これがマスコミの力によって公開されたからです。

 一人の子どもが亡くなった、当然ながら、教員にも、担任にも、いわゆる教育長にも責任がある、文科大臣にも責任がある。その責任のあるべき立場の人が、私に原因があったという形でみずからを処したら、例えば今回ならば、平野文科大臣が、みずからの至らぬところで学校教育がちゃんとできなかった、ついては、歴代五代ぐらいまでさかのぼって大臣がやめるどころか議員をやめるぐらいの思いがあれば、全く違うものになるのではないか。責任をとらない。大人が責任をとらないから、必ず子どもの責任という形でいくんですね。

 実は、瑞浪というところで、いじめの事件で中学生の女の子が亡くなりました。これに関しては、加害者の名前、七名ですか、きちっと残した上で亡くなって、大変な問題になった。僕も被害者側の親から相談を受けて、和解用の市民講演会というのをやりに行った。

 結局は、今度はいじめていた七人の子が逆に地域の中でいじめに遭って、もう学校に通えないんですね。今度は、その町の中では、いじめていた子側の人たちが、こういうことになったのはおまえが騒ぐからだと、いじめられて亡くなった子の家族をたたく。二万数千の町が二分して、いまだに混乱しているんですね。

 僕が呼ばれて行ったときに言ったのは、申しわけない、教育長、校長、市長、やめてくれと。我々が悪かったと。安全なきちっとした学校をつくれなかった。あなた方が責任をとれば、きっとおさまるでしょう、こんなことは二度と起きないのではないか。

 こういう見方もあるということを、厳しい見方ですけれども、言わせていただきます。

高木(美)委員 ありがとうございます。

 その中で、先ほど最終責任者というお話がございました。亀田参考人からは、首長に責任と権限を一元化すべきというお話がありまして、私は、首長にそこまで権限を、先ほど水谷先生もおっしゃったように、当然、市長、教育長、校長はやめるべき、そこに連なるのは当たり前の話であって、そこに責任と権限を一元化していくということは、むしろ教育の独自性といいますか独立性、ここと相入れないものがあるのではないか。

 また、首長にはさまざまな政治色もあります。そこで市の教育が左右されていいのか。やはり、教育基本法に基づいてそこは整然と、日本国の隅々どこにいても同等の教育を受けるべきという、この理念が守られるべきではないかと考えます。水谷参考人、これについてもいかがでしょうか。

水谷参考人 教育委員会制度について、一部の専門家の間でも、今回の大津の教育委員会の対応を見て、教育委員会に問題がある、制度的にもう要らないのではないかという過激な発言をする方々、専門家の中でもいられる。とんでもないことだと思います。

 教育委員会制度そのものが、確かにアメリカが戦後、日本の民主化教育を推進するものとして持ってきた。その持ってきた当のアメリカがもう既にとっくの昔にやめていて、学校評議員制という形で、地域に合った特質を持った学校づくりを、地域の有識者がつくっていくんだという形に切りかわっている。それはそれで立派なことですし、我が国でも、安倍内閣のもとで教育再生会議がその方向でいろいろやろうという思いをなさった。

 これは、それこそ皆様方国会の中で、この国の教育を民主的かつすぐれたものにするためにどういう制度が必要かという形で問われるべきものであって、単なる、ある教育委員会の失態によって教育委員会制度はという次元の問題ではないと思います。教育委員会制度があったおかげで守られた日本のいい風習、教育の慣習はたくさんあると思っております。

高木(美)委員 先ほど第三者機関のあり方につきまして、水谷参考人からは、むしろ、法務省の人権擁護委員を活用して、今の一万四千人をさらに五万人ぐらいにふやしてという御提案がありました。私も、それは実に貴重な御提言かと思っております。やはり、教育の世界に第三者の、国を挙げて子どもたちの人権を守るべき、こういうものは必要かと思います。

 また一方で、小森参考人からは、むしろ第三者調査委員会、最初の初動のときの調査をきちんとできる、そうした委員会を速やかに設置できるようなシステムが必要ではないか、このようなお話がありました。恒常的にはどのような委員会が必要とお思いなのか、簡潔にお伺いをしたいと思います。

小森参考人 先ほど申したとおりなんですけれども、とにかく今は初動捜査というものが確立されていないという現実があります。学校の中で起きたことに関して先生が調査をして、先生が因果関係まで決めてしまうというこのシステムがとてもおかしいというふうに申し上げました。

 その中で、もし学校と遺族側の家族が情報をしっかり共有することができたならば、裁判というような流れも減ると思いますし、そして、遺族はもちろん納得はできません、我が子が亡くなったことに対して納得できる親はおりませんけれども、それでも、こんなにつらいことがあったんだね、悲しかったね、よく頑張ったねというところで、親自身ももう一度生き直さなければならない中、とてもその部分が重要になると思っています。

高木(美)委員 亀田参考人にお伺いしたいのですが、先ほど、フリースクールに三十カ所視察に行かれたと伺いました。私も、先ほど来御議論がありますように、逃げる、単に逃げるのではなくて闘って逃げる、両方必要かと思います。そうでないと、やはりずっとそれが心のトラウマになり、今も脅かされている、そういう話は私も多く伺っております。

 その中で、ただ、フリースクールというこのシステム自体は私は必要だと思っておりまして、卒業資格とか公的支援とか、今何もない。本当にそれでいいのか。そこに発達障害とか多くのそうしたお子さんたちも行かれています。法整備が必要だというふうに思いますが、どのようにお考えでしょうか。

亀田参考人 おっしゃるとおり、何らかの法的な対応というのが今求められているかと思います。

 フリースクールに、全国でどのぐらいあるかというのは統計的にはわからないんですけれども、私が回った範囲内では、スタッフの方々、本当に自分の生活を犠牲にしても子どもたちのために活動しているということがとても印象に残っております。そして子どもたちは、さまざまなフリースクール、自分に合うフリースクールはどこかということを幾つか回りながら、自分に合うフリースクールを見つけて、そこに通う。

 そして、その中で、フリースクールで大事にしているのは、話し合うということです。自分たちがきょう何をするか、そして、フリースクールで問題が起きたとき、そういったときに、常に子どもたち同士、そしてスタッフの方も含めて話し合う。その話し合いの中で自己肯定感ということが育まれていくように見受けられました。

 そういったフリースクールに対して、今、学校で学ぶのか、フリースクールで学ぶのかということを選択できる制度にはなっておりません。運用上は認められておりますけれども、選択できる制度がない。したがって、フリースクールなどに対して公的な支援を行うシステムになっていない。その点についてぜひ委員の先生方のお力添えをいただきまして、制度化に向けて動きが進んでいければということを願っております。

高木(美)委員 最後に、水谷参考人にお伺いします。

 警察庁とそれからこうした教育との連携のあり方、今、学校安全協議会とかさまざまなものが地域で立ち上げられておりますが、今回は、むしろ捜査が必要だということで、警察独自の判断でそのようになりました。

 今後のあり方につきまして、何か御提案がありましたらお伺いしたいと思います。

水谷参考人 横浜の例を申し上げます。

 横浜は、前市長、中田市長のときに、教育委員会と神奈川県警の方で、学警連、学校警察連絡協議会が軸になって、神奈川県警は、小中高全ての横浜市内の子どもたちの起こした事件についての、いわゆる誰がどういう事件を起こしたという報告を全部教育委員会の方に報告いたしますと。そのかわり、そのことをもって、例えば市立高校が生徒を退学にかけるとか処分対象にはせず、お互いで協力をしながら、子どもたちを非行、犯罪から未然に防ぎ、起こした場合も矯正をさせながらいい子に育てていきましょうというのが、警察側からの対処としてありました。

 逆に、学校側から心を開いて刑事事件でというのは、非常に難しいんですね。

 でも、今回の件なんというのは、どなた、どの委員の先生方が読んだって、大変な犯罪ですよね、金とってこい、万引きさせたり。ああいうものに関しては、私が生徒指導ならば当然警察の方に伝えますし、それはもう義務として。今回の件はもう、犯人隠匿で僕は犯罪だと思っています、あの先生方は。そういうふうな形で、今回は特別だと思いたいと思います。

高木(美)委員 時間になりました。ありがとうございました。

稲津委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 三人の参考人の皆さん、本日は本当にありがとうございます。私からも心からお礼を申し上げたいと思います。

 まず、小森美登里参考人にお伺いしたいんですけれども、いじめを苦にしたこういう自殺事件が起こるたびに、学校現場や教育委員会による隠蔽的な体質ということが問題にいつもなっております。

 それで、子どもを失った御遺族の立場からいいますと、なぜこういうことがいつまでも変わらずに繰り返されるのか、隠蔽ということが繰り返されるのか、それについてどのようにごらんになっておられるか、少し御意見をお伺いしたいと思います。

小森参考人 毎日子どもが死に続けている、きょうも死んでいる、その現実に対して大人たちがいつになったら本当に向き合ってくれるんだろう、そんなふうにずっと思い続けながら生きています。大津のあの事件はただニュースになっただけで、あれと同じことが日本じゅうで起きています。

 なぜこれが改善されることがないのか。それは、やはり、国が主導権を持って何かに当たるということを今までしてこなかったからだと思います。できることはたくさんあるのに何もしないで、その問題に向き合わなかった、そのことが何より一番大きいと思っています。

宮本委員 ありがとうございます。

 実は、この前の金曜日に、この参考人質疑に先立って、当特別委員会で対政府質疑も行ったわけですね。そのときも、私、質問に立たせていただいて、既に文科省は、二〇〇六年に福岡で起こったいじめ事件、中学二年生の事件、それから北海道滝川市の事件、これを受けて、平成十八年十月十九日付で初等中等教育局長通知というものを出しております。

 この中には、まさに、「子どもを守るべき学校・教職員の認識や対応に問題がある例や、自殺という最悪の事態に至った後の教育委員会の対応が不適切であった例が見られ、保護者をはじめ国民の信頼を著しく損なっています。」こう述べた上で、その中には、「保護者や地域住民の信頼を確保することが重要であり、事実を隠蔽するような対応は許されない」ともはっきり書いているんですね。

 だから、ここまで書いた通知が出ていながら、しかし、相も変わらず同じことが繰り返される。私は、その背景にはシステムの問題があるんじゃないかと。文書を幾ら出してみたって、片方で、こういう文書を出しはしていますよと言うけれども、実際にそれが報告をきちっとするようなことができないシステム、やりにくいシステムになっているんじゃないかということを申し上げたんですね。

 それで、亀田徹参考人、先ほどの滝川の事件に、文科省におられたときに対応にかかわられたというふうに聞いております。

 それで、今度の大津市の事件でいえば、報道されるものを見聞する限り、まさにこういう基本が全然貫かれていないということは明らかだと思うんですけれども、これがなぜ現場で生かされないのか。亀田さんが滝川の事件でしっかりかつてやったにもかかわらず、またそれが生かされていないのはどこに原因があるとお考えなのか、お答えいただけますか。

亀田参考人 ありがとうございます。

 私は、二点あるかと思います。

 一つは、冒頭申しましたように、優先順位がつけられていない。子どもが安心して楽しく学べる場が大事だといいながら、同時にさまざまな要請をしている。その中で、私としては、この安心して学べる場づくりというのが最も大事な部分だと思いますので、そこの優先順位を国がつけることで、各地域、各学校にそれが浸透していくということがあるかと思いますので、その優先順位づけがなされていないということが一つあるかと思います。

 もう一つは、今先生おっしゃった、指導のあり方ということだと思います。教育行政は指導行政と言われておりますけれども、実態としては、通知、紙をまくことによって指導しているという実態がございます。紙は紙として、通知としてあるんですけれども、それをいかに具体化していくか、現場の学校の中で変えていくかというところにこそ、指導行政の本質があるはずであります。

 したがいまして、そのためには、実際に、教育委員会の事務局にいる指導主事が各学校を訪問して、各学校の状況を見て必要なアドバイスをする。また、文部科学省としては、都道府県や市町村の教育委員会に行って、その状況を実態として把握して、そして必要な指導をしていく。単に通知を配付するのではなくて、実際に現場、学校や教育委員会に行って関係者と話をして、そして把握をして必要な指導をする、そういった指導行政というのが本来求められているはずだと考えます。

 しかしながら、実際のところは、なかなか時間がなくてそういったことができないとか、幾つかの状況によって指導行政の本来の姿というのが進められていないというところに原因があろうかと思います。

宮本委員 実際にかかわった立場からの貴重な御意見だったと思うんです。

 私どもは、実は、この初等中等教育局長通知が出た直後に、国会でいじめ問題で論戦をさせていただいたんですね。そのときに、この通知はいい、通知はいいんだが、もう一方で、これを進める上で障害になる問題があると。

 一つは、学校の評価や教員の評価を、いじめの数の多いか少ないかで進めるということをやっているじゃないか、いじめが少ない方が評価が高いということになると、それは事実をちゃんと報告しないということになるでしょうと。だから、この学校評価や教員評価のシステムそのものを見直さなければ、幾らどこにでもありますよと言ってみたって、それはそういう隠蔽ということはなくならないというのが一点ですね。

 もう一つは、先ほど亀田参考人もお触れになったんですけれども、大変な教員の多忙化がある。だから、しっかり教員の数もふやして、そういうことをちゃんと丁寧にやれるだけの体制をとらなければ、それは幾ら口でやりなさいよと言ってみたって、実際に現場はそういう状況になっていない、こういうところにちゃんとメスを入れないと、片方で、こう出しているんですよと言っているだけじゃだめじゃないかという問題提起をした。

 残念ながら、そのときの政府答弁は、目標を持つことは必要なことなんだ、文書が出ているのに現場でやられないのは現場の教員の道徳規範が足りないのだという答弁に終始したんですけれども、私は、やはり今回の事件を受けて真剣にそこは反省をするというか、そういうことをずっと続けてきた文科省にも国の政策にも問題があったというふうに思うんですけれども、これは亀田参考人と、それから小森参考人にもお答えいただきたいと思います。

亀田参考人 学校の先生たちは非常にお忙しいということ、授業があり、子どもたちの掃除があって、あっという間に勤務時間は終わってしまう。その中で教材研究もやらないといけない、さらに、子どもたちの状況をしっかり把握する、家庭訪問する。そういったことを十分に行うためには教職員の数をふやしていくということが必要ですので、それはぜひ先生方にお力添えを賜れればと思っております。

 また、評価につきましては、恐らく各地域でいろいろな評価があるのかもしれませんけれども、私が認識しているところでは、教員がどれだけ頑張ったか、学校がどれだけその取り組みに専念して取り組んできたかというところがやはり評価されるものだと思っております。実際に入学してくる生徒は年によってさまざまですので、その生徒の状況に応じて、そういった問題行動の多い少ないというのは当然出てくるかと思います。

 したがいまして、単にそこで判断するのではなくて、教職員がどれだけの努力をしてきたかということを評価の中で判断していくということが大事かと思っております。

小森参考人 評価制度については、私は、正直、わからないんです。

 ただ、何年以内にいじめの数をこれだけにしなさいとか、不登校をこれだけにしなさいというような数字を設定されれば、その中に抑えなければならないというような意識は自然と出てくるので、それは隠蔽につながってしまうのは当たり前だと思います。

 あとは、それよりも、逆の発想として、どこかの自治体が勇気を持って、日本一いじめの報告数が多いというふうに誰か勇気を持って本当の数字を上げてくれるところが出てきたらうれしいなと思っておりますので、私は、会う学校、会う学校に、この地域で一番いじめの報告数が多い学校になってくださいと言って回って、講演しています。

宮本委員 ありがとうございます。

 聞くところによると、熊本県というのが全国でも特にいじめの報告数、認知数が多いということのようでありますけれども、しかし、それだけ対応も頑張っているというふうにも聞いているんですね。

 だから、やはり、そういう数の多少だけで評価をするということが非常に大きく現場をゆがめているということは間違いないことだというふうに思っております。

 お待たせをいたしました、水谷参考人にもお伺いいたしますけれども、あの大津市で起きたいじめは、亡くなった子の人格も尊厳も根本から否定する、かなりひどいものでありました。

 この間報じられているいじめの実態を見聞きするたびに、子どもたちを取り巻く状況が、先ほどももう随分お話がありましたけれども、年々深刻さを増してきている、そうしたストレスやつらさがいじめとなってあらわれている、これはもうたくさんの方が指摘をされているわけでありますけれども、参考人は子どもたちを取り巻く状況をそういう意味ではどう見ておられるか、もう一度お述べいただきたいということと、あわせて、この同じテーマを小森さんにもお答えいただきたいと思います。

水谷参考人 子どもたちを取り巻く状況は、最悪だと思っております。世の中、マスコミまで含めて、全てが子どもたちを悪くしよう悪くしようとしか考えていないんじゃないか。品のないテレビ番組から、いろいろな問題のある文章、漫画等、インターネット等を含めて、もう少し子ども中心の良識ある社会づくりをしていかなければ、どうしようもないと考えております。

 そんな中で、子どもたちが必死の訴えをしてきていますが、ちょっとケアしたいのは、どうも今回の件は、いじめたとされる子が、これ以降、多分刑事事件に発展をし、少年院等への送致になるのか、試験観察、保護処分になるのか、何らかの教育的配慮、矯正を含んだ、いわゆる法的な結果になってしまうだろうと思います。

 ただ、いじめている子もいじめられています。いじめを子どもだけの問題にするのはむごい。必ず、いじめている子の背後には、いじめにその子を追い込んだいろいろな状況があると考えています。

 そんな意味で、実は、これもぜひ先生方にお願いしたいのは、いじめが発生するのは中学校が非常に多いんです。実は、高等学校に行くと、先ほどいただいた資料にもあるとおり、激減します。

 なぜか。理由は簡単なんです。高等学校は輪切りですから、同程度の人間に勉強がついていけるように教えることができるわけです。夜間定時制は小学校まで戻って教えますし、今、文科省が必死になっているサイエンスハイスクールなんというのは、超高度な大学的な教養まで入れる。

 でも、逆を言えば、小中はそれができない。習熟度別授業を展開しようとすれば、それは差別だとおっしゃる方々もいる。でも、小学校四年で勉強がわからない状況で中学校に入って、四十五分、五十分の授業を六時間受けるというのは、もう地獄以外の何物でもない。

 だから、六三制を含めた、あるいは補習等を含めた、もう少しそういった、教育的に子どもたちが喜びながら成長して学んでいける体制づくりも先生方にお願いしたいと思います。

小森参考人 子どもたちは今、教室の中で自分が目立たないようにしなければいけないとか、周りのお友達と一緒でなければならないというふうに、とても気を使っているように思います。そういう部分で、昔とは比べ物にならないぐらい、緊張感があるのではないかと思っているんです。

 周りと同じでなければならない、それは、誰かからいじめを一緒にやろうというふうに言われたときに、自分は嫌だということが言えない、そんなところにもつながっていると思います。

 ですから、お互いの個性を認め合う、違いを知るというところを伝えなければいけないかなというふうに思います。

宮本委員 ありがとうございます。

 小森参考人が、二〇〇七年十一月、当委員会でかつて意見陳述をしていただいています。一応それも全て読ませていただきましたけれども、そこでは、ひきこもりや不登校やニートはいじめ問題と深くかかわっているというふうに指摘をされました。非常に大事な御指摘だと思うんですね。

 実は、先日の質疑でも、私は、文科省の調査でひきこもりの原因というものを聞いているんですけれども、不登校になっている子どもたちの原因で、文科省がその原因でいじめとつかんでいる分がわずか二・三%なんですね。だから、いかにもう現実とかけ離れているか。

 内閣府がやった別の調査、これは本人から聞いた調査では、四五・九%、ほぼ半分近く、こういうことになっているんですよ。これは、もうこっちの方が恐らく実態に近いだろうと。

 これは、結局、本人から聞けば半分程度、半分以上というふうに出てくるものが、文科省が学校や教育委員会を通じてつかむと二・三%になっているという実態があると思うんですね。

 ちょっとこの問題、不登校と、あるいはひきこもりといじめとの関係という問題について、小森参考人からお答えいただきたいと思います。

小森参考人 学校の中に問題があるからこそ、家の中に引きこもって、学校から逃げている状況だと私は感じています。

 よく学校の先生なんかは、家庭の中に問題があるんじゃないかとひきこもりの親御さんのことを言ったりするんですけれども、もしその子が家庭の中に問題があるのであれば、その嫌な家庭にずっと居続けるということは非常につらいことだと思いますので、そういう子は逆に、水谷先生の専門のそちらの方に出ていくんじゃないかなと思うんですね。

 そういうあたりからしても、やはり学校の中に問題があるから、そこに行けないから次の場所を探しているのは、先生方が言っている、家庭に問題があるのではなく、学校の中に問題があるというところで間違っていないと思います。

宮本委員 ありがとうございます。

 非常に私たちは、子どもたちが今引きこもったり不登校になったりという、その背後にある、おっしゃったとおりの、学校の問題、教育の問題ということをしっかり自己分析的につかまないと、非常に見誤ってしまうというふうに思うんですね。

 それで、次にお伺いしたいんですが、いじめで苦しんでいる子ども、あるいは傍観していると言われる子どもたちに対して、教師や親など大人に相談しなさい、相談すべきだというふうに言ってみたり、相談しない本人に問題があるかのように言ってみたり、それから、見ている者はけしからぬというふうに言ってみたり、さまざまな物の言い方があると思うんですけれども、これがさらに子どもたちを追い詰める結果になるに違いないと私は思うんです。

 その点での先生方の御意見をお伺いしたいんですが、では、最後に、三人の参考人全てからこの点をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。十分まで、どうぞゆっくりと。

稲津委員長 それでは、順次お伺いします。

水谷参考人 今回の事件を見てみれば明らかですけれども、いじめられて亡くなった子、もう取り返しがつきません。一つのとうとい命が失われました。

 いじめた子、それも曖昧なまま、これから法的制裁を受けるにしても、今現状、そのうちの何名かと私はかかわっておりますけれども、もう学校に行けない。親が離婚せざるを得なくて、もう夜逃げのように本当に別な県に逃げなきゃならない。今現にいる学校に通えなくて、夜間中学の方に何とか保護をしながら通わすしかない。これでこの子たちの一生にどういう影響が出てくるのか。

 また、いじめを傍観していた子の中でも、アンケートで書いたけれども、あの中学から僕にメールが来るんです、いじめたことを先生に知っていたのに伝えなかった、私は生きていてよかったんでしょうかと。ここまで自分が傍観者でいたことで自分を責めている子どもたちまでいます。

 もう取り返しのつかない状況になってきていますけれども、速やかにこれを健全化させないと、もっともっと重大な被害があの学校の内部で出てくると非常に憂慮しております。

亀田参考人 いじめられている子どもたちは追い詰められているかと思いますので、その周りの子どもたちにアプローチしていくということが有効な方法ではないかと思います。それは、やはり大人が気づく、教師が気づく、そして保護者、地域もそうですけれども、周りの大人たちが気づいてあげるということがとても大事かと思います。

 そういった意味では、我々大人の責任として、この問題をどうするか。先ほど幾つか提案させていただきましたけれども、現実を変えていくためには何をするのかということを考えていくことが必要だと思います。

小森参考人 先ほども、傍観者は加害者だと大人は言いますけれども、実は傍観者も被害者だというふうに私たちは認識しています。

 そんな苦しんでいる子どもたちに私たち大人が何ができるのかといったら、相談してもらえる大人になることだと思います。子どもたちに、何で相談できないのと聞いたら、どうせ相談したって解決できないでしょうとか、相談したことによって問題を大きくされるぐらいだったら、逆に現状維持のままの方がいいというふうにはっきり言われました。

 そんなふうに、子どもたちに相談しなさいと言いながら、相談されても実は頼りがいのない大人たちなんだなというふうに、まず大人が自分たちを反省したいと思います。

 そして、学校の先生は、学校の中のことは親はなかなか、外からボールを投げることしかできませんので、中での対応ができる学校の先生になっていただくように、夏休み中は頑張って研修していただくとか、あとは、今後は教職課程の中に、いじめというものに対する対応がきっちりできる先生を育てるような、そんなことをしてほしいなというふうに思っています。

宮本委員 ありがとうございました。

 以上で終わります。

稲津委員長 次に、吉泉秀男君。

吉泉委員 社会民主党の吉泉です。

 きょうは、先生方、お忙しい中御指導いただきまして、本当にありがとうございます。

 今でも、特に保護者、大人の方で、お父さん、お母さん、いじめている子を持つ親、いじめられている子どもを持つ親、また、そこを担任している先生、物すごい悩みが、まず三百六十五日、私はなっているんだろう、そして、その数は物すごく多くなっているんだろうというふうに思っております。

 冒頭、水谷先生の方から、いじめの定義、先般も自分自身も言ったんですけれども、いじめというものは何なのか。私は、もう犯罪だと。このことは、私は、やはり今の現状からいえばきちっと位置づける必要があるんだろうというふうに思っています。例えば、今、少年犯罪の万引きがふえています。万引きがなぜふえているのか。これはいじめなんですよね。持ってこい、盗んでこい。しかし、警察の段階については、盗んだ子が悪い、これで終わっていますよ。学校もそうですよね。

 その中において、私は、それぞれケース・バイ・ケースというものがあるんだろうというふうに思うんですけれども、特に水谷先生の方からお伺いをさせていただきたいんですけれども、親が、または先生が、そういういじめられている子ども、それからいじめている子、そういうものがわかったときの対処の方法。特に、親がどう対応した方がいいのかというのが非常に複雑で悩む、こういう状況がいっぱいあるというふうに思っていますけれども、その辺、先生の方で、経験から含めて少しお話ししていただければ、御指導いただければ大変ありがたいと思います。

水谷参考人 実は、私が管轄する、生徒指導部長をやっておる学校で、いじめ事案、これは恐喝に近い形でお金をせびっていたという事件が起きたことがあります。

 そのとき私がやったことは、まずは、加害者、お金をせびっていた子の家に、その子から事実関係を聞いた後、子どもと一緒に帰りました。そこで謝りました、我々生徒指導担当教員がきちっとしていないおかげで、おたくの息子さんにこういうことをやらせてしまった、我々にも責任がある。

 この旨をやると言ったときには、校長からどなられました。おまえが謝るということは、学校及び教育委員会が悪かったということになるから、それの返済をする場合には、何十万のお金でしたけれども、学校、教育委員会が責任を持たなきゃならなくなる。それは結果論で見てくれ、万が一の場合には僕の給料から払うと。

 謝りました。それで、すぐに、その加害者側の親に、相手の方に一緒に謝りに行きましょう、これは刑事告訴も十分にできることで、最終的には納得していただけなければ刑事事件として学校としても扱います。その親の方も焦りまして、僕と一緒にその加害の生徒を連れて、入れてもらえるかなと思いましたけれども、入れてもらえて、私とその親と本人と土下座です、本当に申しわけなかったと。お金を返してくれれば、それでその後いい友達になってくれれば、この件はこのままで終わらせましょうという形で、まとめたことがあります。

 こういう形で、初動の形で動くことが物すごく大事ですけれども、ただ、これは個人プレーと言われまして、私は、その後、横浜市の教育委員会から処分を受けました。覚えています。口頭注意。文書にはなりませんでした。

 以上です。

吉泉委員 大変ありがとうございます。

 実は、自分もそうした経験があるんです。自分の財布からお金がどんどんなくなるんですよね。子どもが持っていくんですよ。何で持っていくのか。教えませんね。

 最終的に、その子もやはり恐喝という部分があったわけですけれども、そのときに、自分自身、その相手のところにも行きましたのですけれども、それ以上にまた、子どもに対するいじめが数段上になってくるわけです。そのときに、やはり親として、そしてまた、いじめている子どもたちの親は絶対認めませんよね。学校とも話もしながらも、三者で話してもなかなからちが明かない。それはなぜなのか。

 だから、私から言わせれば、いたずらというのがある、いじめの前段の問題として。だから、いじめという言葉は、もう犯罪ではないか。いたずらはいたずらでいいんだろう、許せる、しかし、いじめという言葉ではなくて、もう犯罪だと。

 だから、犯罪であるという認識をそれぞれ、私は、学校も親も、それから子どもたちもやはり認識をしながら、そしてその中において、心の教育とかいろいろな学校現場での教育の仕方、そういうものがあるだろうというふうに思っております。そこのところをもっともっと学校内部の中において、低学年であろうが中学校であろうが、そのカリキュラムをきちっと中に入れていくというところが、今一番求められているのではないかなというふうに思っておりますけれども、そこの点について、三人の先生方からちょっとお伺いをさせていただきたいと思います。

水谷参考人 教育的なプログラムを配置することも大事ですが、やはり、責任をとらないから。

 だって、変な話ですけれども、僕は謝りました、うちの学校でいじめがあれば。例えば、生徒がたばこを吸った場合には、給料から一万円のお金を教育委員会に戻します、生徒指導部長として私の失態ですと。教育委員会は受け取りません、返ってきます。地方裁判所に供託をします。供託の紙を生徒指導室の外に張っておきます。卒業式のときに、これは俺のたばこだったな、俺三回やったなとか、いじめのときには僕は全額を戻しました。その子は、卒業式の後に、本当に卒業してから月一万円ずつ全部返してくれました。

 こうやって責任を教員がとっていけば、そのかわり市教委は喜びませんでしたが、きちっと子どもたちもわかってくれる。責任をとらず、頭や口だけで子どもたちを動かすことはできないんですね。

 ですから、先ほども言ったとおり、いじめの問題で生徒というとうとい命が失われながらも、いまだかつて、責任をとった教育委員会あるいは文科省の幹部及び文科大臣はいない。文教委員会までもとは言いませんけれども、その辺でやはり大人がきちっと責任をとっていくことが、次へと、いじめの予防に非常に大きく役立つだろうと考えます。

亀田参考人 きょうの御議論の中で、いじめの定義が何度か問題になっているかと思います。

 私も、いじめという言葉を使うことによって、実態を把握できる部分もあるかもしれませんけれども、実態をかえって見えにくくしている部分もあるのではないかと思います。先ほどのお話ですと、恐喝ですとか、あるいは、殴った、殴られた、暴力、そういった言葉を使った方がかえってより実態を把握できる面があるのではないかと思います。

 そういった意味で、今、文部科学省の調査上の定義としていじめの定義を使っておりますけれども、いじめという言葉にとらわれることなく、実態をきちんと把握するということがとても大事ではないかと思います。

小森参考人 大人は、いじめられる側にも原因があるというふうに知らず知らずに子どもたちにメッセージをしているというふうに思います。そうではなくて、そこに理由があれば人は人を傷つけてもよいのかということをみんなで確認すること、その作業が何より大切だと私は思っています。そして、人の心を傷つける行為、それは、人を死へと追い詰めてしまう、そんな可能性がある虐待であるという認識を全ての大人が持つこと、それが重要だと思います。

吉泉委員 このいじめというところについて、相当エスカレートしていくと、子どもは学校に行かないわけですね。必ず拒否しますよね。しかし、自分の経験も話をすれば、何で学校に行かないんだと、どうやったって学校に連れていく。しかし、校門まで行って、正面まで行っても戻ってくる。例えば、入っても戻ってくる。それだけ、いじめられている子から見ればもう地獄なわけですよね、学校そのものが。

 そういう状況に今ある中において、それぞれケース・バイ・ケースというふうに今言ったわけですけれども、この不登校の問題の対処の仕方なんかもやはり相当慎重にやっていかなきゃならない、出席停止、それだけで済むものではない、こういうふうに私は思います。

 そのときに、亀田先生の方からお話がありました、教育委員会、さらには市町村長のそれぞれの任務分担、責任、こういうふうな言い方で御指導いただいたわけでございますけれども、親からいえば、本来、学校というのは学ぶところだ、勉強するところだ、こういう認識は相当強いわけですね。そして、いじめられているというふうになれば、あんたが悪いからだとか、おまえが精神的に弱いからだとか、そういうふうに親が受けとめる。

 だから、会社と同じで、学校は学ぶところだから行かなきゃならない、そういう認識に親がなってきている中において、市町村長、教育委員会、さらには学校、こういうふうな一つの、不登校等も含めながら、いじめの前哨戦の問題があるわけでございますけれども、その辺の対応の仕方が、それぞれ権限なり責任分担みたいな話があったわけですが、その点、どういうふうに考えておりますか。具体的な事例に対する行政と委員会と学校、この辺についてお願いします。

稲津委員長 吉泉君に申し上げます。

 これは亀田参考人でよろしいですか。

吉泉委員 ええ、亀田参考人に。

稲津委員長 では、亀田参考人。

亀田参考人 私としては、責任と権限を一元化することで明確な決断ができると考えております。責任と権限が分散しておりますと、それは、この問題に限らず、どの組織でもそうですけれども、責任がないところは権限が行使できない。

 したがって、こういった事件に対して、学校で起きたことについては学校に責任があるということを明確に決断するためには、責任と権限を集約するということが必要ではないかと思います。そして、その明確な決断をした後で、具体的に、ではどういったことが起きたのかということで調査をしていくということが必要ではないかと考えております。

 それと、不登校の話でございますけれども、今おっしゃられたように、子どもが学校に行けない状態のときに、学校以外の別の居場所というものが子どもにとっては必要だと思います。それが今は、フリースクールであったり、あるいは家庭の中に居場所を見つける。その学校以外の居場所を制度的にも認めていくということが必要ではないかと思います。

 それはなぜならば、今そこが認められていないから、学校に通わないことに対して、子どもも保護者も何か罪悪感のようなものを感じてしまう。そうではなくて、少し休んでもいいんだよということを制度として認めてあげるということが、子どもや保護者の安心感につながっていくのではないかと考えております。

吉泉委員 ありがとうございました。

 ただ、今の、出席を停止する、別のところに行く、そういったところについて、それを誰が、両親が選ぶんですか、子どもが選ぶんですか。そのところについて、もう一回、亀田先生。

亀田参考人 それは、出席停止というのはどちらかというといじめた側の子どもに対する措置でありますけれども、私としては、出席停止とは別に、学校に通わない選択、そういった制度を認めてはどうかと提案しております。

 そして、それを判断するのは、保護者と子どもの話し合いの上で、制度的には保護者がということになろうかと思いますけれども、当然子どもと話し合いながら認めていくということになると考えております。

吉泉委員 最後に、水谷先生の方にお伺いをさせていただきたいと存じます。

 先生の、体を張って、まさに子どもたち、さらにはいじめに対応していることについては、本当に心から敬意を表させていただきたい、こういうふうに思います。

 今、間もなく甲子園が始まるわけでございますけれども、高校野球、集団的にいわゆる処罰をする。例えば、そういうクラブは大会に出場停止とか、そういうものがそれぞれ今少しの分野ではなされているというふうに思うんです。

 例えば、そういうときの処罰の仕方というものは、集団で対応するという、例えばあるクラスの中でそういうものが出てきた場合はその学級そのものが連帯責任みたいな、そういった考え方というのができるのかどうか。

 そしてまた、先生が対応してきた中においてうまくいった事例とか、そういうものがあったらば教えていただきたいと思います。

水谷参考人 甲子園の野球で、誰かがたばこを吸った、あるいは誰かが暴力事件を起こしたから、その学校は出場を自粛しなさいと。

 このところ大分緩くはなってきているようですけれども、これは僕は筋が違うだろうと。例えば、連帯責任という考え方は、何か軍国主義的な要素を感じて、非常に古い考え方ではないか。全くかかわりのない子までそこに巻き込む必要は、その子たちの日々の努力等を鑑みたときに、とてもむごいと感じます。

 むしろ、責任をとるべきは指導者なんじゃないんですか。ですから、そういう問題を起こした部長なり監督なりその指導者が、私は責任をとってやめさせていただきます、そのかわり、子どもたちは全く関係ないですよという形で守ることが軸なんじゃないかと思いますね。某大学は、ラグビー部で、僕もかかわっている、大麻を栽培しましたけれども、いろいろごたごたして、最終的には指導者が処分を受けましたけれども、やはり、その意味で、子どもに迷惑をかける必要はないと判断します。

 ですから、いじめのケースも、いじめが発生した学校の校長でも担任でも責任はあるんです。やめろとまでは、生活権を奪うとまでは言いませんが、やはりその責任のとり方を、文科の指導になるのか、あるいは教育委員会独自でどこかが考えていくのかを含めて、やらなきゃいけないと思います。

 あと、少しつけ加えさせていただくと、教育行政で一番困るのは、今回の事件、例えば大津のあの中学校の教員の人事権は県が持っております。教育内容については市がやるわけですね。教育委員会制度に対して、賠償は市当局、市長以下になる。それに今度文科省ということで、何どもえになっているかわからない状況で、実は県教委が全く身動きできなくなっています、文科省が先に飛ばすというふうに言ってしまったので。

 だから、亀田先生もおっしゃいましたけれども、このあたりはぜひもうちょっと明確化した形をつくらないと、大変なことになるなと思います。

 あと、たびたび、人権問題、人権擁護委員会を使え、人権擁護局を使えと言っておったのは、第三者機関を使わなくたって、人権擁護委員がいて、人権擁護局は各市町村にあるわけですね。人権問題として、彼らが第三者機関として正式に今すぐ動けるわけですよ、無理なお金も使わなくても。その意味でというのも含めて、提案をさせていただきました。

吉泉委員 どうもありがとうございます。

 本当に、私たち議員も含めて、責任のとり方。私、山形でございます。新庄の明倫中学校、さらには高畠高校の女生徒の自殺、いろいろなケースがございました。しかし、やはり、そういう意味では、いろいろなケース・バイ・ケースの中で、原因を追及するということについても非常に難しい。そんな面の中において、今先生からおっしゃられましたように、子どもたちが健やかに、やはり次世代を背負っていく子どもたちでございますから、その点、大人がしっかりしないとだめなんだなということを改めて教えていただきました。本当にありがとうございます。

 これで終わらせていただきます。ありがとうございます。

稲津委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言、参考人各位に御礼を申し上げます。

 参考人の皆様には、貴重な御意見を述べていただきまして、まことにありがとうございました。いただいた御意見をもとに、当委員会といたしましても、いじめの問題の抜本的な解決に向けて鋭意努力をしてまいる所存でございます。委員会を代表して心より厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 参考人の皆様はどうぞ御退席をいただいて結構でございます。

     ――――◇―――――

稲津委員長 この際、理事の補欠選任の件についてお諮りいたします。

 委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

稲津委員長 御異議なしと認めます。

 それでは、理事に池坊保子さんを指名いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時三十二分散会


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