衆議院

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第4号 平成14年12月12日(木曜日)

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平成十四年十二月十二日(木曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
   幹事 西田  司君 幹事 葉梨 信行君
   幹事 保岡 興治君 幹事 大出  彰君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 中川 正春君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    伊藤信太郎君
      石川 要三君    奥野 誠亮君
      倉田 雅年君    近藤 基彦君
      佐藤  勉君    谷川 和穗君
      谷本 龍哉君    中曽根康弘君
      中山 正暉君    額賀福志郎君
      平井 卓也君    福井  照君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      枝野 幸男君    小林 憲司君
      今野  東君    首藤 信彦君
      筒井 信隆君    中野 寛成君
      中村 哲治君    永井 英慈君
      伴野  豊君    山田 敏雅君
      江田 康幸君    太田 昭宏君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      春名 直章君    山口 富男君
      金子 哲夫君    山内 惠子君
      井上 喜一君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月十四日
 辞任         補欠選任
  谷本 龍哉君     山本 明彦君
  井上 喜一君     松浪健四郎君
同日
 辞任         補欠選任
  山本 明彦君     谷本 龍哉君
  松浪健四郎君     井上 喜一君
同月二十八日
 辞任         補欠選任
  野田 聖子君     伊藤信太郎君
  金子 哲夫君     山内 惠子君
同日
 辞任         補欠選任
  伊藤信太郎君     野田 聖子君
  山内 惠子君     金子 哲夫君
十二月十二日
 辞任         補欠選任
  野田 聖子君     伊藤信太郎君
  土井たか子君     山内 惠子君
同日
 辞任         補欠選任
  伊藤信太郎君     野田 聖子君
  山内 惠子君     土井たか子君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 派遣委員からの報告聴取
 小委員長からの報告聴取


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     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 去る九日、福岡県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。仙谷由人君。
仙谷委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
 派遣委員は、中山太郎会長を団長といたしまして、幹事葉梨信行君、幹事保岡興治君、幹事大出彰君、委員江田康幸君、委員武山百合子君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、それに私、仙谷由人を加えた九名であります。
 なお、現地におきまして、小沢和秋議員が参加されました。
 地方公聴会は、十二月九日午後、福岡市のホテルニューオータニ博多の会議室におきまして、二十一世紀の日本と憲法をテーマとして開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、地方公務員日下部恭久君、弁護士後藤好成君、会社員西座聖樹君、元九州産業大学教授林力君、主婦宮崎優子さん及び福岡大学名誉教授・元長崎県立大学学長石村善治君の六名から意見を聴取いたしました。
 その意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
 日下部君からは、自治体職員としての経験を踏まえ、生存権や労働権等の人権規定を有する憲法を暮らしの中で生かすべきであり、また、九条の理念を宝として大切にしたいとの意見、
 後藤君からは、国民の裁判を受ける権利を実現するために、裁判官の大幅な増員による裁判の迅速化や裁判費用の法律扶助制度の大幅な拡充が必要であるとの意見、
 西座君からは、国民の生命財産を守るために、自衛隊を国を守る防衛軍に改めること、道徳性等の人間性をはぐくむために、地域の歴史、文化に合った独自の教育を行うこと、さらに、九州全体として町づくりへ取り組むことが必要であるとの意見、
 林君からは、平和が人権保障の前提であることから、九条改正には反対であり、また、現憲法下で起きた部落差別やハンセン病患者への差別といった事実を踏まえ、人権保障に対する国や国民の努力が十分でなかったことに対する国民的な論議を期待したいとの意見、
 宮崎さんからは、憲法調査会の中間報告は、何が議論されているのかがわかるのでぜひ読んでほしいが、国民がより理解しやすい内容とすべきではなかったか、また、地方公聴会という国民の声を直接聞く機会を生かし、一般の人々の思いに寄り添った政治を行うべきであるとの意見、
及び
 石村君からは、平和主義の理念を掲げる前文及び九条は改正すべきでない、また、十三条の個人の尊重は、その対象として国民と規定するが、これを、「すべて人は、」と改正すべきであり、知る権利を憲法上明文化し、さらに、第一章を国民主権とすべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
 意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国の安全保障や国際協力のあり方、核兵器廃絶に対する政府の姿勢、ハンセン病患者への差別などの人権侵害を繰り返さないための方策、違憲審査権行使のあり方、地方分権改革の方向性、米国の対イラク戦争への我が国の支援と憲法との関係、新しい人権を憲法上の権利として規定することの是非などについて質疑がありました。
 派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、北朝鮮による拉致問題にかんがみた前文及び九条改正の必要性、憲法の平和理念の重要性、憲法を現実に合わせるような改正への危惧等についての発言がありました。
 なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
 以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、円滑に行うことができました。
 ここに深く感謝の意を表する次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
 お諮りいたします。
 ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕
    ―――――――――――――
中山会長 この際、基本的人権の保障に関する調査小委員長、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員長、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員長及び地方自治に関する調査小委員長から、それぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。基本的人権の保障に関する調査小委員長大出彰君。
大出委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、十一月二十八日に会議を開き、参考人として東京大学大学院教育学研究科教授苅谷剛彦君をお呼びし、教育をめぐる階層差の拡大と基本的人権について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 まず、憲法や教育基本法に定められた、能力に応じて教育を受ける権利の保障の意味を検討する際には、能力の内容だけでなく、どの時点での能力を問題にするのかを明確にした上、教育現場の実態を踏まえた議論をする必要があるとの指摘がなされました。
 その上で、ゆとり教育を重視した一九九二年の学習指導要領の改訂を契機として、
 一、小中学校での基礎的学力の習得はその後の学習や生活の能力にとって極めて重要であるにもかかわらず、成績下位層の生徒の基礎的学力は一層低下している、
 二、高学歴家庭の子は高学歴という、教育の階層差が生じているという状況を来しており、結局、ゆとり重視のこれまでの教育方針は、統計的データを踏まえないまま、基礎的学力の定着をないがしろにし、子供の能力格差を拡大するものであったとの意見が述べられました。
 さらに、結果の平等とは、均等な機会を活用できるように、できるだけ能力格差を拡大しないよう努めるという意味に解すべきであり、子供が義務教育終了時点でフェアな競争ができる能力を可能な限り保障するようにすべきであるとの意見が述べられました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、ゆとり教育の導入が学力低下、学級崩壊等の昨今の教育現場での問題の一因となっているのではないかという懸念を表明する意見が多く見受けられましたが、他方で、学力の視点からのみ教育問題を考えるべきではなく、ゆとりや生きる力の観点も重要であることを指摘する意見もありました。
 そのほかに、教育基本法の改正に関する問題、現行の学習指導要領の是非、教育における平等の意味等を初めとして、教育に関するさまざまな問題点について意見が表明されました。
 今後は、このようなさまざまな観点から、教育及び人権保障のあり方について、さらに議論を深めていく必要があると考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、政治の基本機構のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。
保岡委員 政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、十一月十四日に会議を開き、参考人として京都大学総合人間学部助教授高田篤君をお呼びし、憲法と政党について御意見を聴取しました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照していただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 高田篤君からは、
 政党は、多様性に立脚し、民主制に合理性をもたらす不可欠な存在として積極的に基礎づけられ、また、争点化、選択肢の形成・提供、暫定的決定、決定の受容といった、多段階から成る民主制システムの各段階において重要な役割を果たし、政治リーダーのリクルート・育成、政策の策定等といった民主制に不可欠な前提条件の形成に当たり、決定的な役割を果たすものであるとの指摘がなされました。
 その上で、現在、社会や個人の複雑化、断片化が進んだことにより、政党の影響力が低下し、我が国においても、政党が市民の政治的見解を十分に反映しなくなり、かつ、特殊個別利害に定位しがちになるという病理が拡大しているが、これに対処するために、政党・政党システムが十分な複雑性と断片性を備えることが必要とされているとの認識が示されました。
 さらに、今後の政党法制でできることは、政党の果たすべき役割の遂行に当たって、
 一、それを妨げる障害の除去、
 二、その不可欠な前提条件の形成であり、
 具体的には、
 一、政党による人材発掘・育成に当たっての障害の除去、
 二、政党の透明性、開放性の確保である。
 ただ、政党規定の憲法への明記については、立法者による政党法制の乱用防止のための司法的コントロールの確保等を考慮した場合、むしろマイナスに作用する可能性が高く、慎重な対応が求められるとの意見が述べられました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われ、政党法制や選挙制度のあり方、党議拘束と議員の自由な政治活動との関係等についてさまざまな意見が述べられました。
 会議を通じての小委員長としての感想を申し上げれば、国内外の新たな課題に国民の意思を反映しつつ迅速的確に対応することが必要とされる現代社会において、議会と国民の間をつなぐパイプともいうべき政党の役割がますます重要なものとなっており、選挙公約のあり方や党内の意思決定手続のあり方も含め、これからの政党のあるべき姿を深く考えてみる必要性を強く感じました。
 今後は、これまでの議論を踏まえつつ、二十一世紀の日本、そこで活躍する次世代の日本国民のための憲法論議という大きな目標を見据えて、統治機構のあり方について議論を深める必要があると考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、国際社会における日本のあり方に関する調査小委員長中川昭一君。
中川(昭)委員 本小委員会は、十一月十四日に会議を開き、参考人として政策研究大学院大学助教授岩間陽子君をお呼びし、ドイツの再軍備、非常事態法制の経緯と背景について御意見を聴取いたしました。
 参考人の意見陳述の詳細につきましては会議録を御参照いただくこととし、その概要を申し上げますと、
 ドイツにおきましては、
 敗戦後、ヨーロッパ統合の枠組みの中で再軍備を行うに当たって、一九五四年には連立与党により、また、一九五六年には与野党協力により基本法の改正がなされたこと、
 一九六八年の大連立政権下において、基本法の大幅改正により非常事態立法が整備されたこと、
 冷戦下においては、西ドイツ軍はNATO領域内の活動しか想定されていなかったが、冷戦後の国際紛争に対処するため、議会の同意を前提に軍隊の域外派兵を合憲とする一九九四年の憲法裁判所の判決以降、ドイツ軍の海外活動が広く展開していること、
 冷戦後の安全保障環境の変化に対応し、ドイツ軍は、危機管理や紛争予防のためのNATO域外展開を新たな任務とする方向で改革を進めていること等について参考人から説明がなされました。
 その後、この御説明を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われました。
 小委員会における質疑及び自由討議において表明された発言を総括いたしますと、今回は特に、委員間の自由討議において、我が国の安全保障のあり方や緊急事態への対応に関する活発な意見の交換がなされ、大変有意義なものとなりました。このような委員間の自由な意見交換を今後も調査会の議論において生かすことによって、より実りのある調査が可能になるものと考えます。
 我が国の安全保障のあり方や緊急事態法制の整備につきましては、各会派の見解の違いが見られることから、国民の生命財産を守ることが政治の責務であることを踏まえ、引き続き議論を深め、党派を超えて合意形成を図る必要があると感じました。
 今後も、これまでの議論を踏まえ、冷戦の終結、グローバル化の進展等、急激に変化する国際情勢に我が国が主体性を持って対処していくという観点から、国際社会における日本のあり方について、さらに議論を深めていくことが必要であると考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、地方自治に関する調査小委員長西田司君。
西田委員 地方自治に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告いたします。
 本小委員会は、去る十一月二十八日、参考人として志木市長穂坂邦夫君をお呼びし、地方分権における基礎的自治体の役割及び志木市における取り組みについて御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 穂坂参考人からは、
 地方自治に携わってきた経験を踏まえ、憲法第八章に関して、
 一、国と地方の役割分担を明確にし、それぞれの主権を認めること、
 二、現在は地方自治法等により地方の裁量は狭められているが、今後は明確化された権能に基づく自由な行政運営を認めてもらいたいとの意見が述べられました。
 その上で、地方分権を進めるに当たっては、国と地方の役割分担を明確化することが先決であること、地方自治体への税財源の配分は業務量に応じて機械的に行うべきであり、単純さや透明性が重要であること等の指摘がなされました。
 さらに、
 一、基礎的自治体の使命としては、コミュニティーを通じた人と人との触れ合いの醸成や地域の文化や自然環境の保護等が重要である、
 二、各地方が自己責任に基づく多様なあり方を目指すべきである、
 三、市町村合併については、市民参加や市民の意思の尊重が重要である等の認識が示されました。
 そして、そのような認識のもと、志木市においては、行政運営を市と市民とが協働して行う地方自立計画の推進等、二十一世紀型の新しい自治体を目指した取り組みがなされているとの説明がなされました。
 参考人の御意見を踏まえた質疑及び委員間の自由討議では活発な意見の交換が行われましたが、そこにおいて表明された委員及び参考人の意見を小委員長として総括するとすれば、日本国憲法が保障する地方自治のさらなる充実のため、現在進められている地方分権改革を一層推進していくべきであり、その際には、現行の地方自治に係る諸制度のあり方や基礎的自治体の役割についての再確認が必要であるということでありました。
 また、市町村合併のあり方や今後の地方分権の進め方等についても多くの意見が述べられました。
 今後は、これらの指摘を踏まえて、二十一世紀における我が国の国家像をにらみつつ、地方自治制度を一層充実させる観点から、さらに議論を深めていく必要があると考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 以上で小委員長の報告は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 これより委員各位による自由な討議を行います。
 本日は、年内最後の調査会であることを踏まえ、この一年間を振り返っての自由濶達な御意見を拝聴したいと存じます。
 本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
 御発言は五分以内におまとめいただきますようお願いいたします。
 それでは、まず、杉浦正健君。
杉浦委員 自由民主党の杉浦正健でございます。
 一年五カ月、外務省の方に行っておりましたが、また調査会に戻ってまいりました。そして、地方自治に関する調査小委員会に所属させていただきました。理由は、地方自治について、憲法改正が行われる際には、簡単な四条ほどの規定しかございませんが、これを抜本的に検討する必要があるんじゃないかという立場からでございます。
 私は、自由民主党に三年ほど前立ち上がりました道州制を実現する会という、九十三名ほどの議員が参加しておられますが、議員連盟の活動に参加いたしております。新しい国家像、新しい時代を迎える国、地方のあり方を考えるときに、都道府県もその聖域ではないという立場からでございます。道州制を実現する会では、二年越し議論いたしまして、一応の成案を得ております。
 小泉総理誕生と同時に、総裁のもとに国家戦略本部が設置され、小泉総裁が本部長でございますが、その戦略本部でも、八本ばかり立っております検討項目の一つに、地方分権、地方活性化というチームがございまして、そこでもこの道州制の導入を視野に入れた議論をしていただいております。
中山会長 どうぞ、御着席になって御発言いただいて結構でございます。
杉浦委員 はい。
 私は、現在、その国家戦略本部で、保岡事務総長のもとでこの問題を担当いたしております。先日、その本部の国家ビジョン策定委員会におきまして、道州制導入の問題を検討していただきまして、国家戦略本部としては、道州制の導入を視野に入れた検討を行うべきだという結論を出していただいております。また、自由民主党全体としてもこの問題について検討すべきだということで、現在、政調会内部において御検討を賜っております。
 道州制の導入という問題は、現在進められております市町村合併、かなり各地で進んでおりますが、その市町村合併が一体どのような基礎的自治体を目指すのかということによっては、例えば政令指定都市とか中核市並みの権能や財源を保障されるものであれば、一方においては、都道府県は不要であるという議論もございます。一方において、小泉総理がおっしゃっておられる、地方でできることは地方で、民でできることは民でという理念に基づく国家像を追求する場合に、基礎的自治体をきちっとした自治能力のあるものに編成していくと同時に、国の事業を大幅に地方に引き渡す受け皿として道州制を検討すべきだという意見もあるところでございます。
 目的は明確でございまして、広域行政、介護保険の導入等、地方住民のニーズにこたえるには、やはり基礎的自治体がしっかりし、地方分権を進める必要があるんじゃないかということでございます。
 加えまして、大幅な行政経費の節減が可能となるという点もございます。私どもの試算では、私どもの考えている道州制が実現しますと、国、地方を通じて十兆円ぐらい行政経費が節減される。首長が減る、議員が減る等々で、そういう試算が出ておるところでございます。
 憲法学界は、この地方自治の問題を進める場合に、道州制の導入について、憲法の改正が必要であるという見解と、法律に基づいてできるという見解と二分されておりますので、今後、この調査会あるいは党内における検討におきましてこの点を十分詰めまして、新しい日本のあり方について、日本の姿形を変える、根本的にメスを入れるという点から検討してまいりたいと思っておるところでございます。
中山会長 次に、中川正春君。
中川(正)委員 民主党の中川正春でございます。
 きのうのワシントン・ポストを見ておりますと、アメリカのブッシュ政権が、大量破壊兵器に対して核兵器をもって先制攻撃を行う権利をアメリカは有するというふうな、もちろんこれは一方的な宣言でありますけれども、そういうことがなされております。
 冷戦時代が確実に変貌して、一国が世界を支配していくようなそういう新しい世界秩序の構築に対して、最近のイラク情勢あるいは北朝鮮の日本にとっての状況を考えていきますと、その新しい世界秩序に対して日本としてどういう主張をしていくのか。この世界秩序というものを受け入れながら、それに合わせていく形をとっていく行き方をするのか。それとも、この世界秩序自体がおかしい、本来、憲法の中では国連主義と言われていますが、このことをもっと主張しながら、重視しながら、もう一方で、日本の自立、日本の意思を固めていく、そういう精神に基づいて日本の形を論じていくのか。そんなことをしていかなければならない時代なんだろうというふうに思うんです。
 それに対して、今の日本の状況を見ていますと、余りにもその議論が基本的に腹を据えて行われていない。どちらかというと憲法論に埋没をしまして、イージス艦一つとってみても、あるいは後方支援等々の議論を見ても、憲法に対してそれが抵触するのかしないのかというところでもし日本の議論が終わってしまうとすれば、それは世界の大きなうねりに対して余りにも内向きな議論になっているのではないかということ、このことを非常に大きく危惧いたします。
 そういう意味で、この憲法を柔軟に、私たちの意思を、国家の意思を表現していく手段として据えていきながら、憲法議論をしていくことがいかに大切かということを、今私は痛感をしております。そうした意味で、中間報告が出ましたが、この憲法調査会が、もっと大きく国民的な議論を巻き起こしながら、私たちの国家の意思をここで定めていくんだという気概を持ってさらに進めていきたいというふうに思っておるわけであります。
 さはさりながら、現実的にもっと動かしていけるところがあるんじゃないかというふうに私は思っているんです。三つぐらいこれからの課題を提示して、皆さんの意識の中にひとつ置いていただきたいというふうに思うんです。
 一つは裁判所の役割。これが、憲法裁判所というと、憲法の中で規定をしていかなければ積極的な違憲立法審査権が発動できないという先入観を一遍取ってみたらどうかと思うんですね。今の法律の中で、裁判所に対して、大法廷で憲法議論を積極的にすべきだ、そういう工夫ができないかということ。それによって、立法府は、どうしても違憲だと言われれば、私たちは憲法を議論していかなければならないということになるわけですから、この工夫が一つできるんじゃないかということですね。これがまず一つ。
 それからもう一つは、国民投票なんです。新しい理念として、いわゆる参加をしていく形の自由民主主義、このことから考えていっても、あるいはこれからの憲法議論の中でも国民投票というのは大切なんですけれども、これを、憲法だけじゃなくて、例えば国会移転なんかで事前にやってしまうというふうな試みができるんじゃないかということ。
 それから、三つ目は、それぞれの小委員会に分けてあるんですけれども、これからの議論の中でコンセンサスが生まれてくるものは、新しい形の憲法の改正、具体論、そういうところまで入っていっていいんじゃないか。やれるところからやっていくというふうな、緊急性といいますか、私たちの腹の据え方ができてくれば、国民もこの委員会ももっと濶達な議論の展開ができていくんじゃないかということ。そんな前提でぜひ進めていただければありがたいというふうに思っております。
 以上です。
中山会長 次に、斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 私は、二点申し上げたいと思います。一点は現在の党の立場の報告、二点目は私個人の意見でございます。
 まず、第一点の現在の党の立場の報告でございますが、これまで我が党は、国民主権、恒久平和主義そして基本的人権の保障、この三原則は不変なものと確認した上で、憲法のあり方について議論することを避けない論憲という立場をとってまいりました。
 先日、十一月二日、二年に一度の公明党全国大会がございまして、全国大会の基本方針をずっと議論してきたわけですけれども、党内に憲法調査会、隣にいらっしゃる太田さんがその会長ですけれども、議論を積み重ねてまいりまして、全国党大会に運動方針という形で提案をいたしました。
 それをちょっと読んでみますと、
  公明党は、憲法第九条は堅持し、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の保障の三原則は不変のものと確認した上で、憲法のあり方について議論することを避けない「論憲」の立場をとっています。国会の憲法調査会をはじめとして活発な憲法論議が行われていくなかで、現行憲法の制定時には想定されなかった視点での権利や考え方、システムの必要性が生じている今日、憲法の三原則や九条は変えることなく、憲法の精神を発展・強化させながら、環境権やプライバシー権などを憲法に明記して補強する、あえていえば「加憲」を検討する時期が来ているのではないかと考えます。現在、国会で行われている憲法調査会の議論の行方を見つめながら、党内の意見を集約したいと考えます。
という運動方針を提案いたしまして、これが了解されました。
 したがいまして、現在の党の立場、論憲という立脚点に立ちながら、先ほど中川委員もおっしゃいましたけれども、コンセンサスの得られるものについては加憲という立場で議論をしていっていいのではないかということになったわけでございます。
 これをまず報告申し上げます。
 次は、私の第二点目、個人的な意見でございます。
 その加憲の一項目になろうかと思いますけれども、人類の知への貢献ということも憲法の中に入れるべきなのではないかと私は思います。
 先日、衆議院の文部科学委員会で、岐阜県のスーパーカミオカンデ、小柴先生のノーベル賞の対象となりましたニュートリノ天文学を生み出したあの装置を見学いたしました。小柴先生ともいろいろ話をさせていただきました。
 このニュートリノにかかわる学問、宇宙は膨張しているのか、また、宇宙は有限か無限か、また、物質はそもそも壊れるものなのかどうか、こういうまさに宇宙の存在そのものに迫る研究で、大変大きな意義があると思います。
 委員の中には、こういう研究をやって何の役に立つんですかという質問もありましたけれども、しかし、片一方で、私は、ある天文学者が書いた、人間が存在する理由は、それは宇宙の認識にあるんだというふうな論文を読んだことがございます。宇宙が誕生し、そしてその中に生命が発生し、人間まで進化をしてきた。その進化の過程を見ると、到底これは神の存在なくしては考えられない。確率的にはほとんどあり得ない現象の連続であって、人間がここまで進化をしてきた。その進化を説明するには、その生命が宇宙そのものを認識するためにこのような進化を及ぼしたと考えない限り説明がつかない。このような論文を読んだことがございます。
 そういう意味で、私たちが存在している一つの理由として、我々が存在しているその根本的な本質について貢献するということも、我々が今この日本国に生きていることの大きな意義ではないか。小柴先生は今回その一つの大きな業績を立てられたわけですけれども、あれは何十億円という税金を使っているわけですが、そういうことに対して、我々は存在意義があるということも、我々の基本法である憲法の中に入れるということは大変重要だなということを感じて帰ってまいりました。
 以上です。
中山会長 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子です。
 私は、憲法調査会に今臨時国会から二年ぶりに参加いたしました。地方公聴会、札幌と福岡と、二回出席いたしました。公聴会に出席しまして、公聴会のあり方というものをやはり考えるべきではないかと実は感じました。
 多種多様な代表が公述人として選ばれた経緯があるということはわかりますけれども、実際にこちらが質問するときに、実態は、例えば福岡の地方公聴会ですと、憲法に対する考え方が基本的に、もちろん九条を堅持する、そして今の憲法をきちっと生かすという意見が大勢を占めまして、一人だけ、憲法を改めた方がいいという方がいたのは事実でございます。しかし、それですと、私の党を初め、私自身は新しい憲法をつくるという考え方に沿っておるものですから、なかなか多種多様な質問ができなかったという点が大変心に残りました。
 そのために、公聴会のやり方をぜひこの憲法調査会の方で検討していただきたいと思います。公述人をどのように選ぶか、各党で推薦するか、あるいは本当に公募で選ぶか。それも、いろいろな視点を中心に、よりよい方法で、よりよい、多種多様な、バランス感覚のとれた人にぜひ公述人として出ていただきたいと思いました。
 それから、私自身は、公述人の意見は、憲法九条をほとんどの人が述べられた、そして憲法を生かすということに対してそれぞれの思いを述べられたことは、それは真摯に受けとめましたけれども、実際にこれでいいのかなという部分で、憲法に対して、本当に憲法が身近であるかどうかということに大変疑問を持ちました。憲法に対して、国民の中に憲法が本当に身近であったかなと思うと、それはどうかなというところが大変感じられました。憲法というものは、私たち日本国民全員がわかる、わかりやすい、身近なものだ、身近な言葉で書かれているものだということを視点に、今後は議論を深めていくべきではなかろうかと思います。
 それから、我が党は、新しい憲法をつくるということで、今後は、憲法と教育基本法、憲法と環境権とか、条文ごとに議論をぜひ深めていっていただきたいと思います。
 以上です。
中山会長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 まず、福岡地方公聴会の感想についてであります。
 第一に、今度の地方公聴会では、意見陳述者の全員が九条の問題について触れました。アメリカが起こそうとしているイラクへの戦争に対して日本がイージス艦を派遣する問題、それから国民の世論に反して政府が今なお有事法制に執着しているという状況も反映しまして、こうした政府の行為に対する危惧と抗議の声が寄せられました。憲法九条を持つ日本として、軍事的関与ではなくて、平和的な関与に力を尽くせという意見が大多数の陳述者から出されたことは、非常に印象的でした。九条を守るとともに、九条を生かした国づくりをという声であります。
 日下部意見陳述人からは、イージス艦の派遣はアメリカの戦争にくみする危険なことであって、その決定過程が有事法制の先取りであって、厳重に抗議するという発言がなされました。
 石村陳述人からは、イージス艦だけでなく、自衛艦の派遣それ自体が他国からは戦争行為に加担していると見られることになり、こういう行為は避けるべきであると発言がなされました。
 後藤陳述人からは、世界の世論が、戦争はやむを得ないとする世論とあくまで平和で徹底して話し合いで解決すべきとの世論に分かれたときに、世界に誇るべき平和憲法を持つ日本がとるべき立場は、平和でいくというアピールであって、しかもそれは、今日、世界にも通用する時代になっているという発言がなされました。
 NHKがことし三月に行った世論調査でも、九条が日本の平和と安全に役立っていると考えている方が七三%、九条改正は必要なしと考えている方が五二%であり、今度の地方公聴会はこうした国民の意識をも反映したものであったと私は実感をいたします。
 第二に、職場や生活の現場から憲法に反する実態がリアルに告発されると同時に、人権を獲得していく運動に取り組むときに憲法が力になったとの発言を新鮮に私自身受けとめました。
 日下部陳述人は、薬害スモン被害者や障害者とともに、人間としての復権と薬害の根絶、障害者の働く権利の保障に取り組んだ運動、職場の過労死を根絶する運動に取り組むとき、その力とも武器ともなったのが憲法であったということをお述べになりました。
 林陳述人は、自身の父親がハンセン病患者であったことに触れて、差別や偏見、無知と闘ってきたことへの実感として、基本的人権についての誠実かつ不断の努力はまだ十分であったとは言えないということをお述べになりました。
 後藤陳述人からは、憲法三十二条の裁判を受ける権利の実現のためには、司法制度改革の中で、裁判所体制の充実と法律扶助制度の抜本的拡充こそが必要だと訴えられました。
 最近、ILOが、憲法で保障された公務員への労働三権を保障する方向で法律の改正を行うべきとの報告、勧告を採択したことも極めて重要だと思います。これも、憲法と現実の乖離への鋭い告発の一つだと思います。
 こうした発言や情勢の変化を見るにつけて、改めて、国民の実生活と憲法とのかかわりについての調査こそ本調査会に与えられた重要な課題であって、来年の調査会では真っ先に取り組むべきテーマだと思います。
 次に、政治の基本機構小委員会及び地方自治小委員会の調査について感想を述べます。
 政治の基本機構小委員会では、高田篤参考人から、九〇年代の日本の政治改革が、ドイツを参考にしたといいながら、既成大政党に有利で、おいしいとこ取りの改革であり、現行憲法の原則と整合性がとれているのか議論のあるところと指摘されたことが印象的でした。小選挙区制、政党助成法が憲法の平等原則、結社の自由、国民主権、議会制民主主義などに照らしてどうなのか、調査する必要性を改めて感じます。
 地方自治小委員会では、穂坂邦夫参考人から、はしの上げおろしまで法律、通達、行政指導で細かく規定されていることが窮屈で、地方の自主性が発揮できない旨の発言がありました。地方自治の原則に照らして、下位の法律がふさわしいものになっているかどうかの調査が必要であると感じます。
 今臨時国会で行われた福岡地方公聴会、二つの小委員会の調査、この間に起こった現実政治の変化に触れて共通して実感したことは、この国では憲法の運用実態が一体どうなっているのかということであります。その理念から外れた運用、現実との乖離がさまざまな角度から浮き彫りになってきつつあります。このテーマ、角度からの調査はまだ本調査会ではほとんど行っておらないと思いますので、来年からの調査会では真っ先に取り上げていただきたいということを申し述べまして、私の発言といたします。
中山会長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 私は、これまでの論議を含めながら、憲法調査会の今後の調査活動に関しながら、意見を述べたいと思います。
 私は、これまでも憲法調査会の中で、本調査会は、憲法の理念がどのように国民の中に定着し、生かされているのか、また憲法と現実の乖離があるとしたら、なぜ乖離が起こったのかを調査すべきであるということを述べてまいりましたけれども、その活動を今後も強めるべきだと考えております。
 一、二、その点に関して指摘をしたいと思います。
 本調査会でも、憲法でうたわれている基本的人権の尊重は重要な課題であると指摘をされており、共通の認識になっていると思います。しかし、残念ながら、現実の状況は憲法で保障された基本的人権が余りにも損なわれていると考えております。
 御承知のように、近年、三万人を超える国民がみずからの命を絶つという自殺者が出ています。そして、その多くがリストラによる失業した労働者や、不況のあらしによって倒産に追い込まれた中小企業の経営者などであります。極めて深刻な事態と言わなければなりません。
 憲法は、第二十五条で、生存権及び国民の社会的進歩、向上に努める国の義務を定め、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とし、さらに「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」としています。つまり、憲法二十五条を見る限り、この条文が生かされた政治が行われておれば、少なくとも経済的理由によって自殺をするような事態はあってはならないということになると思うわけであります。
 また、第二十七条では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」としていますが、現状はどうでしょうか。完全失業率は政府の統計でも五・五%、完全失業者は三百六十五万人を超えると言われております。現実には二けた台の失業率とも言われております。失業者に対する雇用保険制度でも、雇用保険の給付期間が過ぎても再就職先が見つからないという人たちが多くなっております。その多くが世帯主だということも深刻であります。これでは、政治が勤労の権利を保障しているということにはなりません。
 さらに、第二十八条では「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」としていますが、公務員労働者にこれらの権利が長年にわたって奪われたままであることは御承知のとおりであります。
 この問題では、今進められている公務員制度改革でも大きな議論となっているところですが、去る十一月にILO結社の自由委員会は第三百二十九次報告を行い、消防職員の団結権の保障、国家の運営に直接関与しない公務員に、結社の自由の原則にのっとって団体交渉権とスト権を与えることなどの勧告を行っております。
 これに対して、総務省は、「未だ実施途上である公務員制度改革の具体的内容を決めることは、純粋に国内問題であり、先に閣議決定した公務員の労働基本権制約を維持するとの政府の方針に対しこれを再考すべきとしたことについては、不適切なものであると考えている。」と、極めて許されざる態度を表明しています。
 例えば、消防職員の団結権は、先進国はもとより、日本を除くほとんどすべての国が認めているものであります。ですから、この問題は、さきに述べました憲法二十八条のみならず、憲法第九十八条の二項で、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」という内容にも違反するものと言わざるを得ません。
 こうした憲法と現実の乖離の問題について、なぜそのようなことが起き、また、どう現実を憲法の理念に近づけるべきかを今後さらに調査することが本調査会の任務であるということを改めて強調して述べ、私の発言を終わります。
中山会長 ありがとうございました。
 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 私は、これからの憲法調査会の調査の進め方といいますか、調査の中で重点を置いてきちっと整理をしていくべき事項について意見を述べたいと思います。もう本調査会も三年を経過しようといたしておりまして、具体的にこれはまとめの段階に入るべきだと思います。そういうことを前提に申し上げたいと思うのであります。
 まず、基本的人権の保障に関することでありますけれども、現行憲法の基本的人権につきましては、特に今問題にすることはないと思うのでありますが、最近、環境権とかプライバシー権というようなものも出てきておりますので、そういうものを新しく加えるということも必要になってきていると思います。
 それから、政治の基本機構のあり方につきましては、これはいろいろな問題がありますが、私は参議院のあり方、これが一番大きな問題だと思います。参議院のレーゾンデートルは一体何なのかということでありまして、衆議院と全く同じような権能を持つということでいいのかどうか、これは問題だと思います。
 あるいは、国際社会におきます日本のあり方、これについても、既に意見の表明もございましたが、憲法九条をこれからの日本の生きように即して改正していくということは当然のことと私は思います。
 地方自治につきましては、今憲法上の規定については特に変えないといけないような規定はないと思うのでありますけれども、その中身については、基礎的な自治体をもっと大きくしていくとか、あるいは県レベルの連合体をつくるとか、県を解消して統合体をつくるとか、あるいは道州制という議論もあろうかと思うのでありますが、そういう改革を通じまして地方分権のさらなる徹底をしていくべきだろう、こんなふうに考えます。
 あと、私は、議題としてさらに議論を深めるべきは、危機管理の体制として今の憲法の規定のままでいいのか、あるいは政党のあり方、あるいは家族のあり方、あるいは憲法裁判所のこともちょっと議題になっておりましたけれども、こういうこと、あるいは憲法の改正手続が極めて改正を困難にしているといいますか不可能にしているようなことがありますので、こういった、すべてではありませんけれども、私が考えますような事項について、具体的に論議を深めて取りまとめていく、そういうような調査の進め方をぜひお願いいたしたい、こういうことであります。
 以上であります。
中山会長 ありがとうございました。
 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、御発言が終わりましたら戻していただくようお願いいたします。
 議事整理のため、御発言は、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名をお述べいただきたく存じます。
 なお、本日は、討議をより一層充実したものとするために、一回の発言は五分以内とし、公正を確保しつつも、委員相互のやりとりが成り立つよう運営をいたしますので、御了承をお願いいたします。
 発言時間の経過についてのお知らせですが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いいたします。
伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 きょうも道州制の御発言もございました。これまで憲法調査会の中でも、この問題に触れられた経過が数々ございました。今私は、党の道州制を実現する会のメンバーの一人でありますが、日本の国の二十一世紀というものをどういう骨組みにしていくかという上で、国と地方、中央と地方との役割分担をどうするかということが大変大事な問題だと思います。
 特に最近は、地域で、例えば産業廃棄物、産廃をどこでするか、あるいは原子力発電の問題、空港の問題、そういう問題が、自治体にとっても、例えば非常にそれが選挙に影響する。
 最近、東京のかなりの部分が、一番東京の奥の日の出町の第二処分場に処理場ができて、しかし、ここは法廷闘争にもなるという状況でございました。首都圏では、そうした産廃の処理場が全くなくなるという状況です。これは、これからどこでこういう問題を責任を持ってやるかということは、非常に大事な時期に差しかかってきている。
 そこで、今、町村合併もいろいろな形で進んでいますけれども、国の骨格を将来どういう形にするかということを我々はきちっと議論をしておかなければならない。ある意味では、議論というよりも、きちっとした形を示さなければならないときに来ているのではないか。
 三千二百の市町村、中には二百人しかいない村もあるわけでして、そこに廃棄物の処理場をつくったり体育館をつくっていったら日本の財政は成り立たないということも指摘されているところであります。
 道州制を含めまして、町村合併も、全国を三千二百から千にしようという意見もあるようですし、五百という提案をしているところもあります。あるいは、現在の我々衆議院の小選挙区制度では三百の選挙区になっているわけですが、むしろ三百の自治体にしていく方がいいのではないかといういろいろな考え方もあるようです。
 そういうことを含めて、これから自治体が取り組んでいかなければならない公共的な仕事をいろいろ考えますと、その骨組みをしっかりと結論づけていくことが大変大事ではないかというふうに考えます。そうした議論をぜひ深めたいというふうに思います。
中山会長 ありがとうございました。
 ただいま、道州制、市町村合併に関する御発言がありました。これに関連する御発言を優先させたいと存じますが、どなたか御希望の方いらっしゃいますか。
仙谷委員 道州制あるいは連邦制といいましょうか、いわば、日本では地方分権の推進あるいは強化というカテゴリーで議論をされてきたわけでございます。
 私は、先般の地方分権改革推進会議だったでしょうか、その報告書もざっと拝見をいたしまして、議論としては、いよいよ、財源といいましょうか、地方自治体の課税自主権というふうなものが本格的に議論をされざるを得ないというふうな感を強く持ちました。
 そして、この憲法調査会で、分権論議あるいは道州制あるいは分権連邦制というふうに語られることを議論するとすれば、つまり、憲法という眼鏡をかけて現在の分権論議を改めて論議をするとすれば、これはまさに中央政府と地方政府の権限の整理の問題としてやらなければならないというふうに考えているところでございます。ということは、もう少し大きく言えば、国家主権の中身で、つまり中央と地方の役割、権限のいわば設定であるというふうにも考えられるかもわかりません。
 そして、実は、分権論議というのは、そういうふうに考えていきますと、まさに統治機構をめぐる国家主権の議論抜きに行われることが本来的にはないはずなのに、現在は、憲法上の問題としては議論をされていないところが問題なのではないかというふうに私は考えております。
 私は、この調査会の仙台の地方公聴会だったと思いますけれども、分権を強く主張する首長さんに、町長さんであったと思いますが、やはり課税自主権を憲法上規定する、憲法上それを確立するということがまず物事の基本になってこなければ、税源、財源の譲与というふうなことを議論していても、いつまでたっても財務省と、現時点では総務省の綱引きの中で議論が埋没してしまうのではないかという意味のことをお伺いいたしましたけれども、憲法をいじらなくてもそれはできるんだというのがその公述人の答えでございました。
 いじらなくてもできるけれども、そういう議論を進めていくと、日本国憲法であれどちらの憲法であれ、憲法は必要ないという議論になってくるわけであります。つまり、下からといいましょうか、各制度や法令の方から物事を帰納法的に考えてみますと、刑事訴訟法の重要な諸原則のエキスが、例えば刑事訴訟制度の重要な諸原則が憲法三十一条から四十条までに規定されている、これは人身の自由というふうに一般的には言われるわけでありますが、そのように規定されている。先ほど議論に出されました憲法二十七条、二十八条の労働権の問題は、それを受けて各労働法令が日本国の中で定められているということだと私は考えております。
 したがいまして、分権論議に引き戻しますと、分権の重要な諸原則、とりわけ最も重要な課税自主権の問題を、憲法上の議論として、つまり憲法に規定するという方向で議論をしなければならないというふうに考えているところでございます。
中山会長 ただいま、伊藤君また仙谷君の発言を踏まえて、補足発言がございましたらどうぞ、お願いいたします。
中川(昭)委員 今の道州制あるいは連邦制、それから仙谷先生の課税自主権の話なんですけれども、連邦制というのは、例えばドイツにしてもアメリカにしてもあるいは旧ソ連にしても、かなり歴史的な、いろいろな長い間の民族の問題とか、スイスもそうだと思いますが、スイスに我々も行って、千二百何年ですか、スイスが連邦にやっとこぎつけることができた。しかし、その根っこには国民投票があるということでありまして、連邦制というのは、ある意味では、みんなで約束をして、それぞれの国が、みんなで一つのより大きな国にしようという長い歴史的な経緯があったわけです。それを日本が、単一国家、単一民族とは言えない状況だということもあるわけでありまして、そう簡単ではないと思いますけれども、少なくとも道州制に関しては、より、かなり技術的にクリアできる議論かなというふうに思います。
 それを前提にして、今の仙谷さんの、国家の主権あるいは国民の義務の基本の一つである課税自主権を地方に明記させるということの根本は、やはり憲法上の地方自治、そしてその一番最初にある、地方自治は地方自治の本旨に基づくという言葉が極めて抽象的であって、したがって、そこに課税自主権という大きな主権行為あるいはまた義務的行為を根拠させるための文言の明記というものをしない限りは、私は、課税自主権という、より義務あるいは地方自治にとっての権利というものの議論に進んでいかないんじゃないか。
 私は、仙谷先生の議論を否定しているんじゃなくて、憲法の構成上の問題として、地方自治の本旨とは一体何なんだろうかということを、もう少し議論を煮詰める必要がその前提としてあるんじゃないかというふうに感じます。
 以上です。
中川(正)委員 連邦制の議論が出ておりますが、考え方として、今の基礎自治体、市町村合併が行われている、その関連の上で、例えば、県を統合していく形で道州制あるいは連邦制という議論があるとすれば、私はそれは基本的に間違っているんだろうというふうに思うんです。
 今の市町村合併もそうですが、本来は、先ほど仙谷幹事から御発言のありましたように、地方分権の中で国が担う役割を限定させておいて、その他の分は地方がやる。もっと具体的に言えば、例えばの話ですが、今、国で地方支分部局におろしてやっている仕事があるわけですけれども、あれを道州なり連邦なりというところでつくり上げていって、今県がやっている仕事は本来は基礎自治体になるべくおろしていくというような前提があって、市町村合併があり、道州制がある。そういう議論がなければ、ただ大きくしたらいいという中で、将来なし得るそれぞれの基礎自治体のイメージというものがわいてこない。そこに今の市町村合併の限界があるんだというふうに思います。
 そこのところを本来は議論していくべきだということと、その前提となるまず第一歩として、私たちができることは、国の権限を限定するような法律をつくってしまうということではないかというふうに思うんです。
 それと同時に、課税自主権の議論がございましたが、課税自主権というのはいろいろなレベルがあると思うんですね。国とは違った形で、国は国で国税としてあって、それと違った形でそれぞれの課税自主権を認めていくという枠組みで議論する場合もあれば、例えばドイツのように共同税のような形で、まず基礎自治体あるいは連邦が取っておいて、それから上納する形で、調整逆交付金みたいな形で国へ上げていってそれで調整資金とする、そういう意味での課税自主権というものがあると思うんです。これは基本的に考え方が違うところでありまして、そこのところの議論を具体的に進めていくということが大事だと思うんですね。
 今、日本の地方分権の議論というのは、そういう意味では非常に抽象的で、念仏を唱えているだけの地方分権ということになっている、このことが問題なんじゃないかというふうに思っております。
杉浦委員 先ほどの意見、ちょっと時間が短かったので、補足する形で申し上げさせていただきたいと思います。
 仙谷議員、中川議員、伊藤先生がおっしゃいましたが、私は基本的には賛成でございます。
 我が国の場合、歴史的に見ますと、基礎自治体、今合併を議論していますが、その背景には日本の歴史があると思います。江戸時代、三百諸侯と言われ、天領がございました。江戸幕府も一大名にすぎなかったわけですが、巧妙な統治をやったわけです。
 明治維新になりまして、明治政府は廃藩置県を敢行し、強大な中央集権国家をつくりました。これは、日本が近代化するために、富国強兵、文明開化、国が先頭に立って強力な近代化を推進したわけです。中央集権というのは、日本が近代化して発展するという限りにおいては、非常に有効に機能したと思います。今の状況を見ておりますと、どうもそれが桎梏になってきているんじゃないかというふうに思うわけでございます。
 基礎自治体の議論をいろいろ各地で聞いておりますと、突き詰めていくと、江戸幕府のときの藩、あの藩は一種の国家ですね。国家連合みたいだったわけです。その長い歴史と伝統の中に、市町村合併が集約されているところに必ずそういう根っこがございます。
 こういう民主主義あるいは資本主義、市場経済へと、江戸時代、いわゆる封建時代から一歩も二歩も発展した段階で、しかも歴史、文化の固まりもあるわけです。お城があって、一つの社会があった、言葉もいろいろと違いました。そういうものを踏まえながら、自主的な基礎的自治体をしっかりしたものをつくっていく、その上に国家統治のあり方、主権のあり方、中央政府と地方のあり方を考えていくということが、歴史的に見ると大事なことなんじゃないだろうかというふうに思っております。
 それからもう一つは、先ほど言い忘れましたが、国民の生活に関係した仕事は七割が地方自治体が負担し三割が国、しかし、お金は国が七割とって地方には三割しか来ない。これは戦後五十年形成されてきたわけでして、この根本を正さない限り、地方自治といっても始まらないと思うんです。この根本を、国民生活にとって大事な、地方が負担していることはもう自主的にやってもらうというふうに構造を変えることが大事だ。それを抜きにしてこの国の姿とかあり方を考えても、今の時代とてもだめではないかという認識も持っていることを申し添えさせていただきます。
 以上でございます。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 私、この問題を考えるときに、きょう中川幹事の方から、憲法を調査したり考えるときの気概の問題が出されました。それは、地方自治をめぐる問題を考えるときも大切だと思うんですけれども、その際に、私は、足場は二つあると思うんですね。
 一つは、現実に起きている問題。先ほどごみ処理の問題も出ましたし、税金をめぐる問題もありますし、いろいろな問題が出ているわけですけれども、一体、その現実に起きている問題は何なのかということを深くとらえることが一つの足場だ。
 もう一つの足場は、やはり憲法の原則は何だったのかということだと思うんです。その場合の憲法の原則というのも、五十数年前につくられたときの、文面上は変わっていないわけですけれども、その後、いろいろな憲法運動や専門家の方々、それから住民の方々によって中身が豊かになっている面もありますから、それを踏まえた憲法原則をとらえるということが大事だと思うんです。
 それで、地方自治の問題でいいますと、憲法は第八章でこれを定めているわけですけれども、先ほど中川委員が、九十二条の「地方自治の本旨に基いて、」というのはやや抽象的じゃないかという御指摘がありました。
 私は、これは根拠があると思うんですね。明治憲法下では地方自治の定めがありませんでしたから、新たに日本国憲法で、現行憲法でこの定めを持ったときに、これ以上書けなかったという面もあると思うんです。しかし、日本の憲法は、国と地方自治を明確に区別して、地方でやるべき仕事は地方の責任で住民密着型でやりなさいという方向はきちんと出してあると思うんです。それ以降、法律の中でいろいろな定めがありまして、今、実際には地方自治体でも税金を徴収できるわけですけれども。
 ですから、そういう憲法がつくられてきた歴史的経過と、それから現実に起こっている問題というのは、いろいろな側面から光を当てていく必要があるんじゃないかなというふうに思っているんです。
 きょうは、政策論的な話は各党の幅が余りにも違い過ぎますから踏み込まないつもりなんですけれども、私は、合併問題でいいますと、やはりそれは住民の意思を大事にして考えるべきだと思いますし、幾つにするかという方向づけがあって物事を考えるという発想はとらないということだけ、最後に申し上げたいと思います。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。短くこの討論に参加をしたいと思います。
 私は、先ほどお話もありましたように、地方自治の本旨とは一体何かということだと思いますけれども、基礎自治体が一体何をやるべきかということが、では全体のコンセンサスが得られているかというところが、福祉の問題とかいろいろなことが言われておりますけれども、そのことをまずコンセンサスを完全に得ることが重要だというふうに思っております。
 これからの時代、特に高齢化の時代を迎えて、福祉という問題が非常に大きな重要な課題になってきます。これが地方自治が担うべき大きな課題になってまいります。そうしますと、例えば合併の問題でもそうですけれども、財政上の問題だけでなくて、広域化することの問題性はないのかというような問題も、これは前にも私指摘した点でありますけれども、つまり、これから基礎自治体が最も重要な課題として担うべき課題は何か、そのためにはどういう単位、どういう行政のあり方が重要かということの論議がなければならないのではないか。
 それからもう一つは、地方自治の場合には、先ほどもお話がありましたけれども、重要な課題について、今、例えば合併の問題でもそうですし、原子力発電所の問題などでも住民投票というものがいろいろ論議をされております。住民の意思の決定をどれだけ直接的に尊重していくことができるか。特に、首長が直接選挙で選ばれるという地方自治の中にあって、地方自治体の中における民主主義をより確立していくという中には、どれだけ住民の意思というものを反映していくのか、そしてまた住民参加をどうかち取っていくかという視点が極めて重要だと思うわけです。
 その点について、今までの制度でどうなのか。首長が直接選挙で、議会を通じて間接的に政策を決めていく、二つの方法があるわけです。そういうときに、私たちは、重要法案については、合併も含めて、住民投票を行ってでも決定していくということがより民主的だというふうに考えておりますけれども、それは、地方自治体というものがより住民と身近なところで活動するという原点に返れば、おのずとそういう方向をつくっていくということになるのではないか。
 私は、道州制とかいろいろありますけれども、まず基礎自治体の任務とは一体何かということをもっと合意を得る努力というものが必要ではないか、その上に立って財政の問題も、それであれば財政はどう必要かというような論議に進んでいくということになるのではないかというふうに考えております。
中山会長 地方自治の本旨に関して、中川昭一君、補足発言があれば、どうぞお述べください。
中川(昭)委員 さっき山口委員から、歴史的経緯があって、明治憲法には書かれていなかったけれども、書かれたんだからそれなりの意味があるのじゃないかということですが、先ほども申し上げたように、連邦制と、それから中央集権で来て道州制なり地方自治を考えていくということと、手法は似ているようで、私は、極端に言えば全く逆ではないかと。ましてや、今の憲法が制定されたときには占領下にあったわけでございますから、そういう中での地方自治というものが一体何なのか。
 確かに、おっしゃるとおり十分議論がされなかったし、されるような状況じゃなかったからこそ、今、世の中の要請として地方自治というものの重要性がこれだけ議論されているわけです。極端に言えば、まさに憲法九条の議論と同じように、一体この条文は何を目指しているのかということを明確にこの場で議論するということは極めて大事なことであって、それを前提に、さっき仙谷さんが言われたような、その中の主権であり、国民から見れば義務の一つである徴税というものに発展をしていくべきだというのが私の考えなんです。
中山会長 他に地方自治に関する御発言はございませんか。
山口(富)委員 繰り返しで申しわけありません。
 中川委員の御趣旨はわかりました。私が言いましたのは、実は、憲法制定の際に地方自治は一歩先行するんですね。それで、四六年に既に地方自治体ごとの地方議員の選挙が行われておりまして、憲法の制定過程より前に地方自治の成り立ちというのは先行していくんです。ですから、これをもって、占領下の憲法制定過程との関係でいいますと、これはまた違う問題があるということだけこの問題では指摘しておきたいと思います。
中川(昭)委員 形式論としてはそうだと思いますけれども、実体論としては、私は、あくまでも占領政策の一環としての憲法という位置づけで考えるべきだと思っています。
葉梨委員 先生方からいろいろな観点から地方自治についてのお話があり、特に道州制をめぐっての御意見の御開陳がありました。
 地方自治を重視しなければいかぬということを戦後の現行憲法ではっきりうたったということは大きな意味があったと思いますが、同時に、中央政府対地方政府というあり方、協調の仕方は、戦前の日本と戦後の新しく生まれ変わっていくべき日本のあり方を指し示す道標であったと思います。
 戦後六十年近くたちまして、日本の社会が非常に変わってまいりました。交通通信手段が飛躍的に発展しまして、東京とかその他大都市に人口もあるいは経済力もいろいろな機能が集中してしまって、中央と地方、これは北から南まですべてについて言えることでございますが、格差が大きくなり過ぎているという点、私は、その点に着目しまして、かつて国土政策上からも道州制というものを考えてみたいということを申し上げたことがございます。
 ですから、地方自治の基本的な理念をどう貫いていくかという観点が一つあると同時に、各地方地方に住んでいる我々の同胞、日本人がその活力を十分に、それが経済力になり、あるいは文化に花咲くわけでございますが、それらについて非常にいびつになっているのではないだろうか。持てる活力をそれぞれの、道州制と言われるのは、北海道とか東北とか関東という、大きく、大まかに地域を区切って考えていくことであろうと思いますが、その地域地域の国民生活の向上とか活力をどうやって向上させるかという観点もまた、この道州制をめぐるあるいは地方自治をめぐる議論で忘れずに議論を進めていきたいな、こう思っております。
中山会長 時間の制限もございますので、地方自治に関しては、最後に、仙谷由人君、御発言を願います。
仙谷委員 ありがとうございます。
 いろいろな観点からの主張、御指摘があるわけですが、私は今、日本の置かれた地方の実態あるいは中央政府の財政という観点から見て、そういうまどろっこしい議論をしている暇はないのではないかという危機感を持っているわけであります。
 つまり、補助金と地方交付税を軸にした中央による地方支配というものが戦後長らく続いてきたという認識がまず一点必要だろうと思います。地方の方はある意味でこれをよしとして、陳情を繰り返すことによって、財政的な負担あるいは財政責任は中央に任せてしまう。こういう自治とはほど遠いような現実が日本に存在する、存在してきた、そして続いている。この認識が一番重要なのではないかというふうに私は考えているところでございます。その矛盾の現象が、まさに中央も地方も、世界一、歴史的にも類例を見ないような財政破綻として表現をされているというふうに考えるしかないのではないかと私は思っております。
 もう一点は、グローバリゼーションの中では、中央政府が資源をマーケットあるいは民間、地方から吸収して、これを一元的に配分するという、このやり方が既にヨーロッパ各国でも限界に来ている。つまり、経済政策として、ケインジアンポリシー、そして福祉国家論と結びついたある種一国繁栄主義といいましょうか、豊かさの中での一国福祉論というふうなものがとても維持できない。それを維持しようとすれば、中央政府の財政は甚だしく膨大になるということであります。多分そこは、地方において、自己責任において、自律において、あるいは徴税も自律的に行うことによって賄っていただくしかできないというのが現代国家の極めて大きい矛盾だろうと思います。
 そういう観点からも、地方分権あるいは地域主権、どういう名前でもいいわけでありますけれども、要するに地方政府がみずから財源を調達して、その地域の福祉、全般的な生活向上については責任を持っていくということが、法制上も、そして憲法上もその原則が定められない限り、日本は早晩非常に悲惨なところに行き着いてしまうんではないか。そういうふうに考えているから、先ほどから、その根幹の課税自主権の問題を提示したところでございます。
中山会長 それでは、地方自治に関する御発言はこれくらいとし、次のテーマに入りたいと存じます。
赤松(正)委員 せっかく地方自治に関する具体的なテーマに入ったところで、何か大味な逆戻りの議論のようなことになって恐縮ですが、実は先ほど私どもの同僚の斉藤委員の方から、公明党がさきの党大会で加憲という方向性を決めた、そういう形で意見集約をするというふうなことを発言いたしました。これは、みずからがそういうことを言うのもいかがかと思いますが、かなり大胆な方向性指示だと思っております。
 といいますのが、当憲法調査会がスタートした時点で、公明党と民主党を除く他の政党は、憲法に対する基本的な姿勢というものをきちっと決めておられてスタートした。つまり、旧来的な意味における改憲とか、旧来的な意味における護憲という立場ははっきりしている。そうではなくて、タブーを設けない、論憲という格好でスタートしたのは民主党と公明党であったと私は思います。
 公明党は、二年半という経緯の中でそれなりにいろいろ苦労をし、かつ、まだこれからも議論は続けていくわけですけれども、加憲という格好で新しい人権ということについて考えていこう、こういうふうなことをしたわけですが、民主党という政党にあっては、私たちよりももっと早くに党内議論をかなり活発に進めておられたと認識しているんですけれども、現時点で憲法論議を政党としてどう位置づけておられるのか。
 つまり、先ほど来聞いていますと、それぞれ党の立場と個人の立場、今日までこの憲法調査会の議論では、私ももちろん党とすべて意見が一致しているわけではありませんが、党の意見と個人の意見、こういう格好でかなりその辺は強く意識してきているつもりですが、民主党の場合はいささかその辺が、先ほど中川委員のお話を聞いていましてもかなり大胆なことをおっしゃっていて、イージス艦にしても、後方支援にしても、世界に対して余りに内向きになっていないかという御発言、私は大いに賛同するものですが、例えばそういう問題について、一つの政党としての意見の集約というものについてはどういう状況にあるのか、現状をお聞かせ願いたいと思います。
    〔会長退席、葉梨会長代理着席〕
葉梨会長代理 民主党の委員、どなたか御発言ございますか。
仙谷委員 五分でお話しするのは大変だと思うんですが、論憲という立場で、いわば日本国憲法下で制度化され、あるいは生きた憲法事実として日本に存在する諸現象を分析しながら、憲法的な観点から論議をしてみようということでここまで進めてきたわけでございます。
 ことしの七月には一応の報告書を、最終という名前は打っておりませんが、中間報告書がその前にございましたので、一定程度まとまった報告書を作成しております。ホームページ等々でも出ておりますので、詳しくはそちらを参照していただきたいと存じます。
 問題は、一つは、統治機構については、日本の中央集権的な官僚制国家というふうに言われている実態を、より民主主義的に、国民主権を付加されるように考えなければならないのではないかというのが民主党の大きな関心でございます。
 つまり、我々から申し上げますと、憲法六十七条の「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。」という規定がございますけれども、これがある種、行政権の構成の仕方というふうに考えられるような書き方になっている。あるいは、項目としても、内閣の第五章に入れられているというところが極めて問題ではないか。
 つまり、内閣は政治権力でありますから、政治権力は国民主権に基づいて、国会によって、つまり国権の最高機関によってつくられる。例えばこの原則をもう少し明らかに書く。それに従って内閣法の相当部分も改正を免れざるを得ないような、つまり内閣と与党の一元化、一体化ということを明らかにするような法規制にすべきだ。つまり、内閣の政治的なリーダーシップが明らかになるような、そういう政治制度といいましょうか、行政運営制度といいましょうか、そういうふうに変えなければならないというふうな議論が大変強うございます。
 それから、人権については、新しい人権ももちろんのこと、人権保障をどうやって担保するのか。今、日本では人権擁護推進委員会というものが法案として国会にかかっているわけでございますが、各国の調査に行かれた方々はお気づきになっていらっしゃる、あるいは感得されていらっしゃると思いますけれども、歴史的に、今の時点で各国が工夫をし苦労しているのは、司法裁判所だけで人権保障が実体的に保障できるのかという観点ではないかと私ども思っておりまして、この点についても、憲法裁判所で行うのか、あるいは人権救済機関を改めて独立の行政委員会、準司法機関として確立するのか、ここについても積極的な考え方を持っております。
 ちょっと一分だけください。
 取りまとめて申し上げますと、民主党の場合には、技術的には憲法条項の修正というふうな格好になる場合もある。あるいは、公明党さんのおっしゃっている加憲というのが、その修正のことをおっしゃっているのか、書き加えるということなのか、もう少し議論をしてみないとわからないわけでありますが、書き加えて事が済む場合もある。
 あるいは、考え方を根本から、先ほど内閣制度とか分権のところでも申し上げましたけれども、そういう新たな構想のもとに憲法上の定めを考えなければならない問題もある。
 あるいは、私は後で、安全保障と憲法九条の問題であれば、もう少し金子さんや山口さんにも質問して議論をしたいわけですが、その種の問題についても、国際社会における我が国の役割の果たし方という問題として、それと専守防衛の問題とはきちっと整理して考える必要があるだろう。
 こういうふうなところで議論を煮詰めております。
 以上であります。
葉梨会長代理 各会派の憲法論議に関するスタンスについての御発言が開陳されておりますが、これに関する御発言があればお願いをいたします。
 そこで、まず加憲の内容につきまして補足説明がございましたらば、赤松君、どうぞお願いいたします。
赤松(正)委員 特にございません。
中川(正)委員 仙谷委員の発言に少し補足をさせていただいて、私たちの党の内部といいますか、憲法調査会の中での議論をもう少しお話しさせていただきたいというふうに思うんです。
 私は、特に安全保障の分野で中心になって議論を進めてきたんですけれども、とにかく、まず現実の問題を取り上げながら、さっきお話が山口委員から出ていましたが、それが、民主党として実際何をすべきなのか、いわゆる党としてのあるべき姿の議論をしていこうじゃないかということ、これを出発点にしております。特にその中で取り上げたのがPKOの問題でありまして、これについては、党としては、基本的にはフルフレッジでやはりコミットをしていくべきだ、こんなコンセンサスを求めていくというスタンスに至っております。
 そうすれば、例えば、そのときに起きてくる憲法問題としては、憲法を超えていく場合には憲法の改正を議論しなければいけないのか、あるいは憲法の解釈ということでクリアできていくものなのか、そこのところの論点の整理をしていこう、そういうスタンスで一つ一つ固めていきたいということで、中間報告が出て、そして最終報告に至ったということであります。
 例えば、具体的なPKO活動をとっていく、その次は後方支援の問題をとっていく、そういう形で、一つ一つ党自体の政策をまとめていきながら、憲法議論の論点を整理していくというふうなプロセスに入っておるということでありまして、これが全体的に、体系的にこれからの議論の中でまとまっていく過程で、まさにその論憲というのが具体的な姿として出てくるんじゃないかということ、このようなスタンスで今進めておるということであります。
赤松(正)委員 先ほどの私の質問に対して、仙谷幹事また中川幹事から丁寧に答えていただきまして、ありがとうございました。
 そこで、今、中川さんの方から、安全保障ということに関して御自分が取り組んでおられた話があったんですが、ここで一つ、私は従来、小委員会の方で、日本共産党の山口委員そして社会民主党の金子委員に、具体的なテーマとしての有事法制に、いわば万が一の事態が日本に起こった場合にどう対応するんですかという考え方について、極めて簡潔に両党のお二人が答えていただいて、私は非常にわかりやすかった。安全保障、特にいわゆる有事法制に対するスタンスが、一部ちょっとまだわからないところがあるんですが、わかった、こう思っておるんですが、実は、民主党の態度について私は少し不可解に思っていることがありますので、またこれも端的に教えていただきたいと思います。
 それは、ことしの通常国会において、政府・与党として、いわゆる有事法制関連三法案を出した。それに対して、武力攻撃事態特別委員会で、民主党の岡田委員の方から非常に大事な質問があったわけですけれども、その流れの中で、与党案に対して具体的に、質問として、十項目でしたか、正確な数字は忘れましたけれども、提示があった。それに対して、我々は、どうしたらいわゆる政府案を、より合意を形成していける方向になっていくかということについて、党内それぞれ、与党三党が検討したあげくに、議員修正という格好でこの国会に提出をした。そういう、言ってみれば、合意を形成したいという意思を強く表明した。
 ほかの政党はスタンスがはっきりしています。自由党は対案を出されておりますし、社民党、共産党については、またこれも立場がはっきりしておられる。民主党については、その辺についてどう考えておられるのか。御自分たちがこれについて答えろということを言っておられながら、答えがあっても、それに対して、では合意を形成していこうという意思が見られないというのは、ちょっとどういうことかなと思うんですが、有事法制に関する、具体の話になっちゃいますけれども、その辺の取り組み方について、民主党からお答えいただきたいと思います。
葉梨会長代理 有事法制に関する御発言に移りたいと存じますが、その前に、中川昭一君から発言希望がありますので、簡潔にお願いいたします。
中川(昭)委員 加憲だとか論憲だとか改憲だとか、あるいは新しく憲法をつくるというのは、大くくりで言えば、この憲法を議論して、そして漸進的な議論をしていこうということでくくれるんだろうと思います。他方、事情は一部変わったけれども、憲法は守っていって、条文等をいじる議論はしないんだという一部の政党というのは、これは墨守主義というふうに私は言わざるを得ないと思っております。
 そういう中で、民主党の中川さんの方から、世界の安全保障に対して日本がどういうふうなコミットをしていくかという、非常に前向きの提案がありました。
 時代が変わって、安全保障とは一体何かというと、国家が国民の生命財産を守っていく、そして発展をさせていくということだとすれば、これはもう、一国に対する、戦争法規に基づいた、きちっとしたルールに基づいた戦争もあれば、あるいはまた、多国間の集団的自衛権の問題、さらには、世界じゅう至るところに起こっている紛争の解決、そして、最近大いに問題になっております北朝鮮の拉致事件、これは最高責任者が拉致を認め、謝罪をし、処罰をしたということでありますから、これもある意味では国家に対する、国民に対する安全保障上の侵害だというふうに言わざるを得ないと思います。
 他方、先ほど御報告申し上げたように、ドイツは再軍備をきちっとした手続でやった。日本は、再軍備をしているのかしていないのかも、憲法九条を読む限りはよくわからない。そしてまた、政府解釈なるもので、厳然として自衛隊は存在をしているわけでありますけれども、湾岸、カンボジア、あるいは有事法制、そして今回のイージス艦等々でなし崩し的にやっていくというのは、ある意味では非常に危険なことではないか。
 ドイツの場合には、あくまでもNATOとかEUとかいったきちっとした枠組み、さらには憲法裁判所の積極的な関与等もあるわけでありますから、この安全保障の問題については、どこまでやらなければいけないのか、どこからができないのかということが議論され、そして、きちっと基本法の中に明示されるべきではないかというふうに思います。
 他方、この危険というのは、必ずしも自主的に何かを起こそうということではなくて、特に日本の場合には、ほかの要因によって判断を迫られるということが、過去の例においても、戦後、ほとんどそういう場合が多いわけでございます。
 先ほど民主党の中川さんの方から、一国秩序、パクス・アメリカーナ的なお話がありましたけれども、今後も、当分の間、あるいは永久にそういう状態が続くのか続かないかということも我々は議論の中に、視野に入れながら、ひょっとしたら、アメリカに対抗する、あるいはそれ以上のパワーを持った国がこれから出てくるかもしれないということもこの場で自由に議論をしながら、この安全保障の問題、十件十五人の議論から、何万人、何十万人という議論まで含めて、今後あるべき日本の安全保障、そして、その基本としての、ルールとしての憲法問題を大いに、自由に議論すべきだというふうに思います。
 以上です。
葉梨会長代理 それでは、有事法制に関する民主党の基本的考え方につきまして、どなたか、御発言願います。
中川(正)委員 有事法制についての民主党のスタンスにお話が及びましたが、基本的には、これまで表明しておるとおり、有事法制そのものの必要性を認めるというスタンスであります。しかし、具体的に出てきたものは、二つの点で不十分であったということ。
 一つは、想定される有事というものが、現実、私たちが今の国際秩序の中で受け取っている有事の中身と、何年か前の冷戦構造の中で想定された有事というもの、これの順番が違うということが一つ。
 それからもう一つは、法の体系が、肝心なことは二年かけて議論をします、その後でないと具体的なものは出てきませんという体系がほとんどでありますから、こんなものは議論の対象にもならないじゃないか。その具体が必要であって、特に、それぞれの有事の中での国民の権利、基本的人権というものを重視していく立場からいうと、議論の対象にもならない。その中身が出てこないということについて、私たちは十分でないという結論を得たということであります。
 それから、先ほどの全般的な国際秩序の話なんですが、私も、特に冷戦構造の中では、アメリカとの安保条約を中心にして、日本が実際自分で物を考える必要もなかった、その秩序の中で恐らく甘んじてきて、日本の繁栄があったということだと思うんです。
 この冷戦構造が崩れて、アメリカが自分を中心にした新しい秩序をつくり出そうとしている中で、ソ連が崩壊をしていった中で、日本だけじゃなくてそれぞれの国に今問われているのは、自分で一遍物を考えてみよう。この新しい、アメリカがつくり出そうとしている秩序に対して、私たちがどういう考え方を持つのかということをまとめなければならない、それが今日本に問われているんだろうというふうに思うんです。
 そこのところが踏み出せないで、いまだに冷戦構造の中で、世界秩序をその中でしか議論ができないというこのことに私は危機感を覚えている。そこのところも強調して、今私たちが頑張らなきゃいけないんだという意識を持っているということであります。
赤松(正)委員 私の質問に答えていただきましたので、簡単に感想を述べさせていただきます。
 今、中川委員の方から二つについて、いわば民主党のお考えが述べられました。想定される有事は、冷戦構造と、それから、国家間の枠組みにおける紛争と違う、いわゆるテロ等々の緊急非常事態というテーマを先にすべきだ、こういうお話だろうと思うんです。もう一つは、いわゆる国民保護法制等にまつわる問題だろうと思うんです。
 今御指摘されたことについては、十分に私たちとしては意見を闘わせる姿勢があるわけで、この二つが大問題だから、いわばどういう方向で議論をまとめていくのか。僕は、民主党は合意形成をしていこうという意思を強く持った政党だ、こういうふうに思っているんですが、今のお答えではいささかちょっと、合意形成を最初から何か否定しておられるなという印象を受けてしまう、そういう感じがいたします。
 時間はどんどんたっちゃいますので、さっき仙谷委員がまどろっこしいということをほかのテーマでおっしゃっていましたけれども、私は、まさにこの問題についてまどろっこしいということを仙谷さんに申し上げたいんですけれども、私は議論をしっかり詰めていく姿勢はあります。こちらの考え方に固執するつもりはありませんので、ぜひそういう場を持つということについて前向きであってほしいという要望を申し上げまして、終わります。
葉梨会長代理 有事法制あるいは安全保障と憲法に関する御意見が開陳されておりますが、これに関連する御発言がありますれば、どうぞお願いいたします。
中山(正)委員 まず、私はお願いをしておきたいことがあるんですが、昭和三十九年まででしたか、内閣に憲法調査会というのができまして、倉庫いっぱい資料がある。その資料が欲しいのです。
 私は、国会で論憲という不思議な委員会ができまして、そんなのんきな世界情勢じゃないんじゃないか。特に、「超限戦」という、中国の王湘穂という人と喬良という空軍の大佐がオサマ・ビンラディンの事件を六カ月前に予言したという、その予言の根底というのは、これからは世界じゅうが戦場になる、それから軍人以外が軍人になるという本を書いたんですね。これは日本でも出版されています。最近本屋へ行ったら、もう姿を消していますが、実に、現役の中国の空軍大佐が本を書いた。
 その中で、我々は、きのうもイエメンというところに北朝鮮の船が十五本のスカッドミサイルを運んで、そしてそれがスペインの船に、監視の網にかかって捕まえられて、どんなことになるのか、没収するのかなと思ったら、何とすぐにイエメンに送り出した。これは、陸揚げそれから運搬、どこへ運ぶのか、アメリカのCIAあたりは、それを追跡するためにわざと帰したんじゃないかと私は思っています。イラク攻撃が目睫に迫るなんていう話もあります。これは本当に、どんな結果になるのか、我々、予測もつかない。
 その中で、北朝鮮との交渉、私は自民党の治安対策特別委員長というのを今でもやっていますが、その間、横田めぐみさんを安明進という工作員が北で見たという話から、桜井新先生が私のところに飛んでこられて、治安問題として拉致問題を扱ってくれとの話があり、私が北朝鮮問題にかかわる最初でした。
 私が平成九年の十一月に交渉したときに、一時間半ばかり、通訳が入りますから倍になりますが、交渉したときに、その拉致の七件十人を私は一人一人説明しました。その資料を私は向こうへ渡そうと思ったんですけれども、日本で課長を相手に、局長に渡しておいてちょうだいといって渡すような形で渡そうと思ったら、顔色を変えてみんな拒否されたんです。
 私は、金容淳という人と、帰ってくる前の日の昼飯で隣の席だったものですから、ちょっとあおったんです。今、日本で周辺事態法というのをやっているのはあなたが怖いからだよという話をしたら、何でおれが怖いんだと言うから、それはあなた、ノドンという千キロ飛ぶミサイルを持っている。潮岬が射程に入る。その中で、東京は射程に入っておらぬけれども、大阪の私はあなたにねらわれておるという話をした。
 そんなことせぬよという話ですから、そんなことせぬよと言ったって、あなた、テポドンは千五百キロ飛ぶぞ。アジアで最大の軍事基地、沖縄の基地が射程に入る。そのために、周辺事態法というので今日本の国会では議論をしている。あなたのためにやっておるんだという話をした。
 そんなことせぬよと言うから、そんなことせぬよと言ったって、TMDなんて構想があるけれども、これは二兆円もかかって、特に北朝鮮とは距離が近いからうまく迎撃ができるかどうか、これは難しいと言うと、金容淳さんが、私に、いや、あれは人工衛星を打ち上げたんだという話をしました。人工衛星を打ち上げるのは、秒速七・八キロ以上ないと地球の磁場を抜け出せない。あなたが岩手県の上に撃ったものは秒速四キロで飛んでくる。間違いなしにミサイルだという話をしました。
 そんなことせぬとおっしゃるが、しかし、あなたがボタンに手をかけたら、日本には八分で飛んでくる。四分で見つけて四分で撃ち落とすのは不可能という話をして、そうしたら、そんなことせぬと言うから、それじゃこれを見てくれと、野中さんにも森喜朗団長にも私は相談せずに、相談したらやめておけと言われたらいかぬと思って、私は背中に挟んで持っていた資料をわっと出したんです。
 これが、五年前に拉致の資料が初めて北朝鮮に渡って、明くる日私がタラップで上がってこようとしたら、審議官の黄哲さんが私のところへ来て、初めて拉致の資料を見ましたとなったのです。こういう話でしたが、今、テレビを見ていても、何にも知らない人が毎日テレビでしゃべっています。
 だけれども、アジアには、朝鮮半島、台湾海峡、それから、ミンダナオにはオサマ・ビンラディンの組織アブ・サヤフという組織があって、ルソンはキリスト教で、ミンダナオはイスラムですね。マレーシアのサバ、サラワクからボルネオ、ミンダナオまでイスラムですから。アジアには一万五千の島のあるインドネシアもあります。アジアには地雷が四カ所埋まっている。その中で防衛をどうするかという――ビービー鳴っていますから長い話はできないということでしょうけれども。
 アメリカは賢くて、二〇〇八年オリンピックを北京に抱かせました。不思議なことに、仲の悪い台湾までが大阪のオリンピックに投票せずに北京に投票していますね。上海が二〇一〇年に今度は万博。アメリカはなかなか賢い。この二〇〇八年から一〇年までは中国を動けなくしている。その間に、百九十カ国とおつき合いはあって、一カ国だけ北朝鮮と国交がない日本。北朝鮮は孤立しているように見えますが、百五十四カ国と国交があります。韓国は百八十四カ国とあります。この問題をどういうふうにするのか。
 特に防衛の問題には、今までの、三十九年の資料の話をしましたが、これは先ほどの冷戦構造の中の話であって、今世界じゅうが戦場になる、軍人以外が軍人になるという時代の日本国憲法を早くやらないと、憲法の改正を見てもだれが提案するのかわかりません。国会の三分の二以上の賛成とか国民投票なんといったら、その間にミサイルが飛んできたらどうするのかな、そういう気持ちで焦燥感にさいなまれています。その中でのこの憲法調査会の議論というのは、先ほど中川先生がおっしゃったように、早く具体的に、この条は、こういうものは入れよう入れようというものを積み上げていく必要があるんじゃないか。
 何を対象に議論にしているのか、何を対象に公聴会をやるのか。イスラエルとか英国みたいな憲法のない国……
葉梨会長代理 時間が参りましたので。
中山(正)委員 憲法のない国家に何のために調査団を出すのか。そんな、よそへ調査に行かなくても、日本で勝手に考えたらいいことで、個性を持った日本としての憲法をどうつくるかというのは、これだけ賢い人の多い国家で、日本で独自に考えて、早く案をそれぞれに出していただいて、私は、それこそ国会議員にアンケートもとっていいと思うんです。この条項はこうすべきだというような具体的な案を私は出すべきだと思います。
 悠長な世界の情勢ではない。来年正月早々に戦争が起こるかもわからないという状況に、こんなのんきな話をしていたら、日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識というのを地でいっているような気がして、老婆心でなくて、じじいでございますのでいささか老爺心になるかもわかりませんが、私の考え方、こうして憲法調査会に入って、いろいろな議論を聞きながら焦燥感にさいなまれていることを申し上げておきます。
葉梨会長代理 中山君、時間が参りましたので、議論をやめていただきたいと思います。
 ほかに有事法制に関する御発言はございませんか。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子です。
 基本的人権に関しまして、先日、小委員会で苅谷参考人の階層格差が学力の格差を拡大させているというお話に質疑をさせていただきまして、きょうは教育問題を中心に基本的人権について私の意見を述べさせていただきます。
 戦後、改憲論が出されたときに丸山真男さんが語った言葉が先日新聞に紹介されていました。日本人が新しがり屋なのは、現在手にしているものに含まれている可能性を利用する能力に乏しいからであるという言葉です。この言葉は、教育基本法を変えたいと考えている人々、中教審に諮問をした文部科学大臣に言いたい言葉です。
 文部科学省の諮問文には、我が国の教育は五十年以上にわたって教育基本法のもとで進められてきた、しかし社会が大きく変化した、だから新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方について改正しなければならないという短絡的な諮問です。改正を考える前に、この基本法がどう実施されているのか分析される必要がありました。
 教育の現状について、中間報告には、子供たちの問題行動、不登校など深刻な状況、社会性の規範意識の希薄化等々述べられていますけれども、これらの子供の状況は、教育基本法のどこに問題があるのかという論議が全くされないままの改正に向けての中間報告であったことが大変問題だと思っています。子供たちの諸問題の原因を教育基本法の改正に求めるのは筋違いだと思います。基本的人権を保障し、個人の尊厳を重んじていれば、そして我が国も批准した子どもの権利条約を具体化していれば、いじめとか不登校など、このような深刻な状況にならなかったのではないかと私は思っています。
 憲法は会社の門から中に入れない状態にあると言った人がいます。それを裏づけるように、先日テレビでは国境なき医師団が取材を許してくれる国のランキングを発表しました。上位にオランダ、ノルウェー、スウェーデン等々北欧諸国が並び、カナダ、ニュージーランド、そしてアメリカは十七位です。日本は百三十カ国中の二十七番目です。日本が二十七番目というのは大変恥ずかしい状況だと思います。外国人記者の取材についても、記者クラブを通さなければ取材ができないというのも問題だと思います。
 このことを学校現場の問題でつないで考えてみますと、新学習指導要領に国際化を重要なテーマに挙げています。しかし、これに反する状況が学校現場で起こっています。
 福岡市内の小学校で通知表に国を愛する心情や日本人の自覚を三段階で評価する項目が今年度から盛り込まれたことがわかりました。この福岡では、校長会がこのモデルをつくったそうですが、既に市内で百四十四校のうち六十九校が通知表にこの項目を入れたということを、在日コリアンなどでつくられている市民団体の人が人権救済を申し立てているという状況にあります。
 申し立ての中身は、日本人の自覚を通知表で評価するのは見逃せない、国籍や名前を理由に差別や偏見にさらされるおそれがあるということなど、これは通知表のコピーなんですけれども、「我が国」で始まる三項目の削除を求めています。話し合いの場所でこのことを、日本人というのを国際人に変更してほしいと申し入れましたけれども却下されたということです。そして、今これを人権救済申し立てというところに上がっています。
 大変時間がありませんので、端折って次の問題に移りますが、この項目にあるような愛国心問題のことでいいますと、教科書予算が削減される中で、「心のノート」というのを七億三千万円もの予算をかけて出しています。この無償で配付したノートの中に「権利と義務ってなんだろう?」という項目があって、中央に男の子が、左手に義務を果たし、右手に他人の人権の尊重とあって、自分の権利というのを書いていない。本当にこれは、子供たちが自分を愛するよりも、公という方を、国を愛しなさい、お国のために命を捨てられるあなたになりなさいと言っているようなものです。自分が自分であることを愛せなくてどうして他人を愛することができるでしょう。
 教育基本法の制定当時、文部大臣であった高橋誠一郎さんは――あと残りもう少しですので最後言わせていただきたいと思います。我が国において最も欠けていたのは、個人の覚せいがなかった、この点が国を誤らせたのではないかと言っています。
 その具体例として、東京の小学校の音楽の先生が君が代のピアノ伴奏をしなかったということで、地方公務員法違反で戒告処分がされています。このときの言葉を紹介したいと思います。
 御本人です。公教育に……
葉梨会長代理 時間が参りましたので、発言をおやめいただきたいと思います。
山内(惠)委員 教員だからこそ、学校教育の中で憲法を尊重した教育をしたい。戦争への反省から生まれた憲法と教育基本法がつくられたのであるから、教育行政による人権侵害の片棒を担ぎたくはないということを言っている。これこそ個人の覚せいここにありの訴えだと思います。
 どうかこの調査会で、基本的人権が学校現場でどのようになっているか調査をしていただきたいということを申し述べまして、私の発言を終わらせていただきます。
中川(昭)委員 今の委員の発言に一々反論する気はありませんが、国際人だか個人だかわかりませんけれども、ここは日本の国会ですから、日本国のことについて議論をしたいと思います。今の発言はどこか別の国でやっていただければ結構だと思います。
葉梨会長代理 ただいま基本的人権に関する御発言がございました。これに関する御発言を優先させたいと存じますが、どなたかいらっしゃいますか。
山内(惠)委員 多文化共生という思想から考えて、私たちの国だけの問題で我が国の教育を考えることこそ間違いだと思います。私たちがこの国に住んでいること、地球上の人々とどのように連帯するかということこそ重要な、私たちの子供たちの二十一世紀をつくる教育思想でなければならないという点で、ただいまの御意見に私は反対したいと思います。
 終わります。
    〔葉梨会長代理退席、会長着席〕
仙谷委員 今の御意見もそうなんですが、それから、先般の博多における議論の中でも、私感じるのはこういうことなんですね。私どもも平和を希求するという点においては人後に落ちない。あるいは、人権保障をどうやれば実体化できるかということについても私は人後に落ちないつもりでおるわけでありますが、憲法を守るというふうに一言で言われるときに、金子委員あるいは山内委員の中の守るべき憲法というのは、例えば自衛隊を憲法上の存在として認めるということが含まれるのかどうなのか。
 つまり、村山内閣がお認めになった自衛隊を合憲的存在として認めると。これは憲法上規定がないわけでありますけれども、ありていに言えば、軍事的組織を憲法上規定なく保有しているのが日本という国家であるというふうに私見ておりますが、これを憲法上の存在である、つまり違憲の存在ではないと。
 違憲の存在であれば、これは当然のことながら解体とか、自衛隊をどうやって解消するのかというのが政策方向の議論になると思いますけれども、それを憲法上の存在であるというふうにお認めになって、その前提で憲法を守るというふうにおっしゃっておるのであれば、いかにすればこの本質的に危ない存在を議会があるいはシビリアンがコントロールするかという観点に政策の方向が向かわざるを得ないというふうに思うわけであります。その憲法を守る中身を山内委員あるいは金子委員に、つまり教育上の観点からもこの点をひとつ御説明いただければありがたいと思います。
山内(惠)委員 社民党は、武力によらない平和構想ということで、武力によっては平和は実現しないという根本的な考え方を持っています。アジアとの和解もなくして平和は実現しないという意味で、北東アジア平和構想などを打ち立てています。その意味で、私たちは外交によって平和を実現したい。
 先ほど言われました自衛隊というのも、この憲法論議の長い歴史の中でさまざまなゆがめ方をして今日に至っているんじゃないでしょうか。私は、軍縮に向けてこそ実現していくべき道筋を私たちは大事にしているという意味でお答えをしたいというふうに思います。
仙谷委員 山内委員の御発言はすべて同意いたします。あなたがおっしゃった限りではすべて同意いたしますが、しかし、現実に自衛隊は存在している。これについて、憲法上の存在だというふうに村山内閣では認めた。憲法上の存在であるのかないのか。このことは、事実を憲法的に評価する、法律的に評価するという面では大変重要なことでありますから、出発点をそこに置いて議論が進められるのか、それとも今のような、それは棚上げというかアンタッチャブルの存在として議論を進めなければならないのか、これが私は今のこの憲法調査会の議論でも非常に大きな分かれ目になっていると思います。その点いかがですか。
金子(哲)委員 仙谷幹事も御承知のとおり、その時代に社会党は、村山政権が誕生して連立政権に入り、その連立政権を担う中にあって、あの党が憲法合憲論を出したことは間違いありません。そのことはそのとおりでありますから。
 ただ、今我々が党内で論議をしていることは、もちろんそのことを認めつつ、これからの社会の中にあって、自衛隊の位置づけをどうするかということを論議しているわけでして、私はそのことを否定しておりません。
 個人的な見解は個人的な見解としていろいろありますけれども、今党に対してお聞きでありますから、党の現状についてお話をさせていただきたいと思います。
 そして今、そういう前提に立ちながらも、憲法のより理念に近づける努力というものを日本の政府は行うべきだという立場に立って、自衛隊の例えば国土防衛隊への改組であるとかいう具体的なテーマを出しております。
 ですから、自衛隊を今すぐになくすというような政策もとっていないわけでして、ただ、将来にわたっては非軍事の国家になるということを目指していくべきだということを、今党の見解として持っているということを申し上げておきます。
中山会長 今の御発言に関連してほかに御意見ございますか。
山内(惠)委員 党の見解は今のとおりです。そして、教育問題で答えたいと思います。
 ユネスコ憲章にこのような前文があります。戦争は人の心の中に生まれるものだから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。その意味で、憲法の第九条の精神、そして平和への道筋というものを具体的に十年間かけてこのことをやろうというのがユネスコの方針に今、今年度もたしかその意味の取り組みの中にあると思います。取り組みの題名ちょっと今失念しましたけれども、ユネスコ憲章の精神で教育を進めていきたいと私は思っています。
中山(正)委員 先ほどお話の中に冷戦構造の中での日本という話がありました。あれは終戦から五年たって、昭和二十五年の六月の二十五日に朝鮮動乱が起こって、二十八年の七月の二十七日に終わりました。
 しかし、アメリカはその一年前に、日本の経済力で中国を大きくしてソ連と分断するという大変すごい計画を立てていたんですね。マッカーサーはそれを知らずに、満州に、朝鮮動乱を解決するためには、二十六発の原子爆弾、それから台湾軍の朝鮮動乱投入ということを、上院の外交委員長と下院の軍事委員長に手紙を出したために、リッジウェーという将軍に途中でかえられました。
 そのころは米軍が日本にいたから、朝鮮半島から直接の被害はありませんでしたが、四年前に、一九九八年の十二月の二日にアメリカの北朝鮮侵攻作戦五〇二七作戦というのが秘密が漏えいしまして、それに対して、北朝鮮は、これは余り世間に出ていないんですが、その舞台となる日本を攻撃の対象とするということをちゃんと九八年の十二月二日に声明を出しているんですね、北朝鮮軍参謀声明。
 昔は、吉田茂が日本の経済発展を遂げるために軍事力は持たない方がいいというので、アメリカも、日本は二度と再びアメリカに逆らうような国にしないためにいいというので、相互利害が一致したために、今の自衛隊も、その発足は警察予備隊・保安隊でした。
 「毛沢東語録」の中にはおもしろい言葉があります。戦争には二つの定義がある。一つは正義の戦争で、共産主義が世界じゅうに広がる戦争は正義の戦争であり、共産主義が世界じゅうに広まる戦争を阻止する戦争は不正義の戦争であって、我々は正義の戦争によって不正義の戦争に反対する。だから、反戦、戦争に反対するという人が火炎瓶投げて歩いたときがありました。
 それから、愛国主義と国際主義というのが「毛沢東語録」の中にありまして、日本でいえば野坂参三という人が、日本人でありながら日本と戦った。これこそ大変な愛国者であって、国際主義と愛国主義が同時に一致したものが野坂参三であると書いています。ところが、この人はCIAのエージェントだということがわかって追放されて、中国時代には岡野進、カンエイジンという名前で、毛沢東と日本解放戦線をつくったのが私が生まれた昭和七年のことでございます。
 それが、世界情勢がぐるっと一変したわけでございます。武力の武という字は、これは戈を止めると書いてありますから、戈を止めるのが武力ですから、自衛隊というものは、アメリカが、二度と再び日本が立ち上がらないために、軍隊を持たせない方がいいという方針と、そして、自分が後ろにいるから、日本人は心配するなと言いたかったのでしょう。
 ところが、アジアでは、よく集団安保なんという話がありますが、日本とアメリカ、アメリカと韓国、アメリカとフィリピン、アメリカと台湾という、一つ一つぷちぷち切れるようになっています。この危ないアジアの中にあって、日本が、先ほども申しましたように、日本を守る勢力、私らが子供のときには、ミカン箱の上に立って、出征してまいります、行ってまいりますと言って海外に出ていって、海外で戦争したから、日本国内は全く安全でしたが、今度は、専守防衛というと国内が戦場になりますから、そういうことを根底に考えながら、どんなふうにそれに対処していくのか。いわゆる軍事力というものはどういう感覚で持つのか。
 それもしかし、瞬間の勝負で決まります。昔みたいに、私ら大阪で子供のときに爆撃を受けたわけですが、警戒警報が発令されてから空襲警報が発令するまで二時間ぐらいかかってやっと来ましたが、今度のミサイルはあっという間に飛んできます。
 そういう新しい事態に対する新しい憲法の防衛のあり方を考えねばなりません。これは日本で自衛隊に反対している人の頭の上に爆弾が落ちないのならいいですけれども、そんな見分けつかずにどこにでも落ちるわけですから、ここでしっかりとそういうものに対応するための、いわゆるアメリカが世界戦略の中で冷戦構造を根底にしていた時代と、何でもありという時代に対する日本独自の考え方というものを早く確立する必要があると私は思っています。
中山会長 地方自治、各会派の憲法論議のスタンス、有事法制、基本的人権、そして自衛隊の憲法適合性と議論が進んでまいりましたが、他のテーマに移りたいと存じます。
 どなたか御発言御希望ございますか。例えば、政治の基本機構のあり方とか首相公選制、両院制等に関する御発言ありませんか。――他に御発言がないようでございますから、それでは、これで自由討議を終わらせていただきます。
     ――――◇―――――
中山会長 本日をもちまして、本年の憲法調査会は最後となります。
 そこで、本年中の調査会の活動につき、改めてその経過を御報告したいと存じます。
 本年一月からの第百五十四回国会及び十月からの第百五十五回国会では、日本国憲法に関する個別の論点についての専門的、効果的な調査を行うため、調査会のもとに四つの小委員会を設置し、調査を進めてまいりました。先ほど小委員長から報告がございました四小委員会でございます。
 各小委員会における議論の内容は、去る七月二十五日及び本日、各小委員長より御報告いただきましたが、都合二十四名の参考人より御意見を聴取し、熱心な議論が行われました。
 各参考人からの意見を聴取したテーマといたしましては、新時代の人権保障、外国人の人権、新しい人権、労働基本権と雇用対策、教育をめぐる階層差の拡大と基本的人権、議院内閣制のあり方、統治機構を再検討する視点、両院制と選挙制度、司法審査制度のあり方、明治憲法体制下の統治構造、憲法と政党、PKO、PKFを中心とした国際協力のあり方、FTAを中心とした国際社会における日本のあり方、日本の安全保障のあり方、EU憲法の動きと各国憲法、ドイツの再軍備・非常事態法制の経緯と背景、地方分権改革と道州制、市町村合併を初めとする分権改革の課題、地方自治と地方財政、地方分権を実現するための諸課題、三重県における生活者起点、地方分権における基礎的自治体の役割及び志木市における取り組みなどがありますが、これらの諸問題に関し、憲法との関係あるいは憲法のあるべき姿について、多岐にわたって熱心な議論がなされました。
 また、本年においても、衆議院から、本調査会委員をメンバーとする調査議員団が海外に派遣され、九月末から十月上旬にかけて、イギリス、タイ、シンガポール、中国及び韓国並びにフィリピン、マレーシア及びインドネシアの八カ国の憲法事情について調査をしてまいりました。
 その調査内容につきましては、去る十一月七日の調査会においてその概要を御報告いたしたとおりでありますが、調査内容を一部御紹介いたしますと、イギリスにおける人権保障の実情、上院改革の現状、政官関係のあり方及びブレア労働党政権の地方政策、タイにおける憲法裁判所の活動状態、政治腐敗防止のための方策、フィリピン、マレーシア及びインドネシアのアジア三カ国の憲法の特徴及び憲法をめぐる政治社会情勢、シンガポールにおける人種的融和という観点からの選挙制度のあり方、中国における社会主義市場経済の概念、憲法改正の動向、韓国における憲法裁判所及び国家人権委員会の活動状態、議員立法の状況などであります。
 これらの調査を経て痛感いたしますのは、各国において、社会情勢が急激に変遷していく中で、それらの諸情勢に応じて、随時、憲法のあり方に関する国民的論議がなされ、それを踏まえて憲法改正がなされてきているということであります。
 本調査会の調査期間は、議院運営委員会理事会の申し合わせにより、おおむね五年程度を目途とすることにされておりますが、第百五十四回国会をもちまして、その調査期間の折り返し点となる二年半が経過いたしました。
 そこで、去る十一月一日、本調査会として、これまでの調査の経過及びその内容を取りまとめた中間報告書を作成し、同日、議長に提出いたしました。そして、同月二十九日には、中間報告書の提出の経緯及び概要について本会議にて報告をいたしました。
 さらに、本年においても、日本国憲法についての国民各層の意見を聴取するため、地方公聴会を開催いたしました。
 本年は、四月二十二日に沖縄県名護市、六月二十四日に北海道札幌市、そして十二月九日に福岡県福岡市において、それぞれ二十一世紀の日本と憲法をテーマに、都合十八名の意見陳述者から意見を聴取し、質疑を行い、また、十一名の傍聴者からも意見を聴取しております。このように国民から直接に意見を伺う機会を持つことは、我々国民の代表者である国会議員にとって非常に重要であり、さらにこのことは、我々が現在行っている調査活動とその内容に対して国民の信頼を得ることにつながるものであります。
 しかしながら、各地方公聴会におきまして、一部の傍聴者より、執拗な発言要求など議事運営に支障を来す行為が時折なされました。このようなルールを無視した行為は、国民とともに憲法について考える場にふさわしいものでないと考えておりまして、まことに残念であり、遺憾に思うところであります。
 このような調査活動を経て、本日は、この一年間積み重ねてまいりました議論を振り返りまして、本調査会の活動を総括する締めくくりの自由討議を行いました。
 来年以降の調査につきましては、より一層専門的かつ効果的な議論を行う必要があると存じますが、本日の各委員の御意見も参考にさせていただきながら、今後、幹事会において協議をしてまいります。
 今後とも、憲法は国民のものであるとの認識のもと、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという三つの原則を堅持しつつ、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査がなされていくものと信じております。
 最後になりましたが、本日までの調査会におきまして、会長代理を初め、幹事、オブザーバーの皆様、そして委員各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことに厚く御礼を申し上げます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時二十八分散会
     ――――◇―――――
  〔本号(その一)参照〕
   派遣委員の福岡県における意見聴取に関する記録
一、期日
   平成十四年十二月九日(月)
二、場所
   ホテルニューオータニ博多
三、意見を聴取した問題
   日本国憲法について(二十一世紀の日本と憲法)
四、出席者
(1)派遣委員
    座長 中山 太郎君
       葉梨 信行君   保岡 興治君
       大出  彰君   仙谷 由人君
       江田 康幸君   武山百合子君
       春名 直章君   金子 哲夫君
(2)現地参加議員
       小沢 和秋君
(3)意見陳述者
    地方公務員       日下部恭久君
    弁護士         後藤 好成君
    会社員         西座 聖樹君
    元九州産業大学教授   林   力君
    主婦          宮崎 優子君
    福岡大学名誉教授・元長
    崎県立大学学長     石村 善治君
(4)その他の出席者
                多久 善郎君
                出利葉誠治君
                小原 藍子君
     ――――◇―――――
    午後一時二十四分開議
中山座長 これより会議を開きます。
 私は、衆議院憲法調査会会長の中山太郎でございます。
 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 本調査会は、平成十二年一月二十日に設置されて以降、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を進めてまいりましたが、憲法は国民のものであるとの認識のもとに、広く国民各層の皆様方から日本国憲法についての御意見を拝聴し、本調査会における議論の参考にさせていただくため、昨年四月以降、宮城県仙台市、兵庫県神戸市、愛知県名古屋市、沖縄県名護市及び北海道札幌市において地方公聴会を開催してまいりました。
 そこで、本日は、御当地にて地方公聴会を開催することになった次第でございます。
 ここで、意見陳述者及び傍聴者の皆様方の御参考のため、本調査会の現在までの活動概要を簡単に御報告申し上げます。
 本調査会は、平成十二年に設置されて以降、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決及び二十一世紀の日本のあるべき姿をテーマに、日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を進めてまいりました。
 そして、本年二月からは、本調査会のもとに、基本的人権の保障、政治の基本機構のあり方、国際社会における日本のあり方及び地方自治の四つのテーマに関して、それぞれ専門的に調査を行う小委員会を設置し、今国会においても引き続き議論を重ねているところでございます。
 また、本調査会のメンバーをもって構成された調査議員団が三度にわたり海外に派遣され、本年は、英国、タイ及びシンガポールを初めとする東南アジア五カ国、中国及び韓国の憲法事情について調査をしてまいりました。
 そして、先月一日には、この間の調査の経過及びその概要につきまして取りまとめました衆議院憲法調査会中間報告書を衆議院議長に提出して、さらに同月二十九日には、中間報告書の提出の経緯及び概要について、衆議院本会議において報告を行ったところでございます。
 本調査会におきましては、今後とも、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないとの三つの原則を堅持しつつ、新しい日本の国家像について、全国民的見地に立って、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を進めてまいる所存でございます。
 意見陳述者の皆様には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようお願いを申し上げます。
 また、多数の傍聴者の皆様方をお迎えすることができましたことに深く感謝をいたします。
 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。
 会議の議事は、すべて衆議院における議事規則及び手続に準拠して行い、衆議院憲法調査会規程第六条に定める議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたしております。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願い申し上げます。
 なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 また、傍聴の方は、お手元に配付しております傍聴注意事項に記載されているとおり、議場における言論に対して賛否を表明し、または拍手をしないこととなっておりますので、御注意をお願い申し上げます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 意見陳述者及び委員の発言時間の経過のお知らせでありますが、終了時間五分前にブザーを、また、終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、委員からの質疑終了後、時間の余裕がございましたら、ここにお集まりいただきました傍聴者の方々から、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと存じますが、その際の指名は座長の私にお任せ願いたいと思います。
 それでは、御出席の方々を御紹介いたします。
 まず、派遣委員は、民主党・無所属クラブ仙谷由人会長代理、自由民主党葉梨信行幹事、自由民主党保岡興治幹事、民主党・無所属クラブ大出彰幹事、公明党江田康幸委員、自由党武山百合子委員、日本共産党春名直章委員、社会民主党・市民連合金子哲夫委員、以上でございます。
 なお、現地参加議員といたしまして、日本共産党小沢和秋君が参加されております。
 次に、御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。
 地方公務員日下部恭久君、弁護士後藤好成君、会社員西座聖樹君、元九州産業大学教授林力君、主婦宮崎優子君、福岡大学名誉教授・元長崎県立大学学長石村善治君、以上六名の方々でございます。
 それでは、日下部恭久君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
日下部恭久君 公述人の日下部です。
 私は、福岡市役所に勤める地方公務員です。私は、一九四六年、昭和二十一年生まれでありますから、憲法が公布された年に生まれた者であります。五十六歳の今日まで、いわば日本国憲法とともに成長し、歩んできたと言うことができます。
 さて、憲法を論ずるときに、理念的に論ずることも極めて大切であり、日本国民のみならず、世界の人々が平和的に生存する、そのことができるような、そんな立場から論ずることが求められていることもよく承知しています。そして、極めて大事な観点だと思います。しかしながら、憲法を改正しようとする人々や憲法に異議を唱える立場の人々は、ややもすると観念的な議論が多いように思います。
 私は、二十一世紀においても、憲法が暮らしに生かされる、人々の現実の暮らしの中でどのようにとらえられてきたか、自分の人生に照らして意見を述べたいと思います。
 私が市役所に入って、命や健康の問題、そして障害者の働くことの問題など、具体的にかかわってきた事例を踏まえ、憲法を考えてみたいと思います。
 一九七四年に薬害スモン被害者と出会いました。健康を保つために飲んだ薬、キノホルムという薬ですが、飲んだ薬によって健康を奪われた、青春を返してほしい、十五歳のときの顔しか覚えていない、薬で視力を奪われたと真剣に訴えられる姿に、どうしてそんなことが起こるのだろうかと思ったものです。
 しかし、その被害者の一人が、「こわれたるこの身が役に立つという薬害訴え今日もまちゆく」と、人間としての復権と薬害の根絶を訴え、大きな運動の先頭に立たれました。その運動は国民的運動となり、ついに、司法、行政、立法を動かし、被害者救済の道が一つ開かれたものでした。その力の背景となったのは、健康で文化的な生活を営む権利を有すると規定されている憲法二十五条を初めとする人権規定でした。
 また、一九八一年、国際障害者年の前後に、障害者に働く場という願いで、共同作業所運動が展開されてきました。福岡市でも、最初の共同作業所がスタートしました。しかし、民間のアパートの一室だけの作業所でした。私の職場がちょうど地域の公民館でありましたので、援助することになりました。障害を持つことでなぜ仕事ができないのか、障害を持っていても地域の中で生活をしたい、働きたい、その願いは切実でした。その主張の根拠に、労働権は障害者にも保障されるべき、憲法の人権規定を具体化するものとして障害者の人たちは主張し、運動を進めてこられました。
 しかし、現実にはわずかな収入、月千円か三千円でした。しかし、みずから働く場であるということ、憲法の人権規定を具体化しようという障害者たちの願いは、やはりそこに憲法がありました。その後、福祉作業所の設置は、全国的に広がり、つながっていきました。
 次に、労働者の過労による健康破壊や死亡、いわゆる過労死の問題があります。
 国際用語にもなったジャパニーズ・カローシは、働き過ぎによって、いや、働かされ過ぎによって命をなくすという許されない事態でありました。今日では、全国で一万人とも二万人とも言われているこうした過労死は、運動によって救済の認定基準は次第に緩和されてきましたが、依然として放置されていると言っても過言ではありません。しかも、今日では、リストラ合理化が一方的に進められ、解雇がまかり通る中、新たに、過労自殺という事態も増加しています。
 過労死の被災遺族の救済を求め、再び過労死を発生させない、過労死を根絶しようとする運動が全国的に展開され、私の福岡市役所においても、二人の過労死認定と救済、そして過労死根絶の運動を進めてきました。この運動は、健康で安心して働くことができる、そのことを含めた幸福追求権や労働権などの人権規定を、私たちは憲法を武器に運動を進めてきたものです。
 そのほか、人間が人間として人間らしく生きることを求めてきた運動や事例は数限りなく存在します。私は、地方公務員として、憲法を暮らしにということに、このことを今こそ大切にすべきだと考えます。
 また、私は、先ほども申しましたように、自治体職員であります。住民の揺りかごから墓場までと称されるように、住民のすべてと言っていいほどの生活に関係した仕事についている職員たちを見てきました。
 自治体は、現在のように、金持ちが金持ちになる、余計もうける、あるいは、得をしたい人がより得したいということを援助する自治体ではなくて、地方自治は、人類が生み出した財産、宝だと思います。地方自治は、暮らし、福祉、安全、直接住民の顔を見、接していく、そのことが日本国憲法に明治憲法と違って明確に規定をされ、その具体化が図られていることに、自治体職員として誇りを持っています。
 しかし、現実には、憲法の規定と現実のギャップを指摘されることがあります。しかし私は、憲法の規定と現実の隔たりは、憲法の規定をより具体的にどうするのか、政治的な課題であり、政策的な課題だと思います。憲法の規定が現実に合わないから憲法を変えるべきだという主張には、私はくみすることはできません。
 さて、私は、最後に、憲法改正論議の最大の中心課題である第九条に触れてみたいと思います。
 今日の憲法改正論議がこの憲法第九条にあることは、周知の事実であります。私は、憲法九条を改めることに反対です。
中山座長 御静粛に願います。
日下部恭久君 私は戦後生まれですから、灯火管制などは体験するはずはありません。しかし、板付米軍基地の近くに生まれ育ったこともあって、たしか四歳になる前の三歳のときだったと思います、灯火管制があったのをしっかり覚えています。それは、朝鮮戦争の折に、事実、灯火管制があったのです。そして私は、そういうこともあってか、小学生のとき、戦争をしないことを憲法で決めた、憲法第九条を学んだときのその鮮烈な印象は、今なお残っています。
 そして私が、今日、自治体職員の労働組合の役員として、住民の命と福祉を守る、その原点は、まさにこの憲法であり、憲法第九条でありました。戦争をしないことを憲法で決めた、戦争をするための軍備は持たないと決めた、このことはすごいことだと思い、憲法九条の意義を宝のように今日まで大切にしてまいりました。
 憲法九条の意義については、これまで地方公聴会でも繰り返し述べられているようですし、改めて強調するまでもないと思いますが、私は、世界から戦争をなくし、平和な世界をつくり出すためにも、日本の憲法第九条は、先駆性、普遍性を持っているものと考えます。
中山座長 拍手は禁止をいたします。
日下部恭久君 その証拠の一つとして、一九九九年にハーグで開催された平和市民会議でも、決議で、第一項目に、憲法九条を世界に広げようとうたわれているではありませんか。日本は、憲法九条で孤立化しているのではなく、憲法九条で世界の人々から敬意を表されるべき、そのように考えています。
 有事法制について、自治体職員としての立場から意見を述べます。
 戦前、赤紙によって国民を戦場に送り出しました。戦後、日本国憲法のもと、自治体職員は再び赤紙を配らないと決意しました。しかし、有事法制では、再び自治体職員が赤紙配りするのでしょうか。戦争することを否定し、戦争に協力することを否と言えば、強制することになるのでしょうか。私は、自治体職員として、戦争に協力させることをどうして言うことができましょうか。私は、反対の立場で、自治体職員として誇りを持つ者であります。
 三年前の周辺事態法の際に、私は、女子高校生の発言を、今なお宝のようにしています。この法律が通れば、つまり周辺事態法が通れば、実際に駆り出されるのは若い青年の私たち、友人や知人です、絶対に戦争に行かない国会のおじさんたち、もちろんすべての国会議員ではありませんが、なぜ勝手にどんどん決めていくのでしょうかという発言は、まさに憲法を無視し、否定をする人たちへの、二十一世紀を担う若者の大多数の意見であり、声であることを強調し過ぎるほど強調していきたいと思います。
 日本国憲法にうたわれた人類普遍の原理を現実の暮らしの中にどう生かしていくか、私は、自治体労働者として、このことに命もかけてみたいと思います。日本国民の憲法問題における最大の課題ということを発言し、陳述を終わらせていただきます。
 御清聴、ありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、後藤好成君にお願いいたします。
後藤好成君 今、紹介にあずかりました意見陳述者の後藤でございます。
 私は、現在、宮崎県弁護士会の会長をさせていただいておりますが、その会長として、司法改革問題に取り組んだ経験から、述べさせていただきます。
 現在、この二十一世紀全体を視野に入れると言われる司法制度の大改革が進められております。
 憲法は、第三十二条で、国民の裁判を受ける権利を保障していますが、私は、このような憲法が保障する国民の裁判を受ける権利が、今日の司法改革においてどのように実現されていくべきかについて、改革の重要な論点でもある、迅速で充実した裁判の実現をするための裁判所体制の充実、裁判費用の公的援助制度としての法律扶助制度の抜本的拡充の問題の二点に絞って意見を述べさせていただくとともに、最後に、憲法九条に対する私の考え方も一言述べさせていただきたいと考えます。
 まず、裁判の迅速で充実した実現という問題ですが、今日、小泉首相は、すべての第一審裁判を二年以内に終わらせることを目指す裁判迅速化の法案の考え方を示し、話題となっております。裁判の目的が国民の正当な権利の擁護である以上、それがより迅速になされることが重要であることはよく理解できます。しかし、迅速さを追求する余り、裁判において必要な審理が十分になされずに、裁判の結論に誤りが生じるなどして、本来守られるべき正当な権利が守られないような裁判になってしまっては、何のための迅速化かということになってしまいます。
 一口に裁判といいましても、当事者の話し合いや法律の簡単な当てはめだけでは解決しない、複雑な事件が裁判所に持ち込まれます。ですから、簡単な審理で裁判官に事の真相がわかるとは限りません。紛争当事者からそれぞれの主張や証拠を繰り返し出させ、法廷での当事者の供述を裁判官が直接聞き、また、それぞれから出される証人を何人も聞いて初めて事の真相がよくつかめてくる、こういう裁判も少なくないのです。
 この二十年間で、地方裁判所の民事事件の提訴件数は二倍以上になっています。資料一をごらんいただくとわかりますけれども、たしか二倍になっております。しかし、これを裁く裁判官の数は一割ぐらいしかふやされていません。これは資料二をごらんください。
 このため、現在の裁判官の一年間の持ち事件の数は一人平均二百件近くあると言われ、多い裁判官は一人で年間三百件を超える事件を持っていると言われております。このため、裁判所も少ない裁判官で早く事件を処理しようと必死になっており、どれだけ多くの事件を迅速に処理できるかが裁判官の成績を評価する重要なメルクマールになっているというのが実情なんです。
 このため、裁判の現場ではどういうことが起きているか。当然、一件当たりの審理時間をどれだけ少なくするのかということが重視されることになります。そのためには、証人を減らす、場合によっては証人の証言を聞かないで済ます。そのために、実際に証言を裁判官が直接聞くことにかえて陳述書という書面を出させて、それで判断してしまおうというのです。また、裁判を途中で早目に終わらせるために、無理な和解を裁判所が強引に勧める場合もあります。
 一言で言えば、裁判数はふえていくのに裁判官の数は余り変わらない中で、裁判官は迅速処理を求められる余り、事件の把握と解決にとって十分に必要な審理ができていないことがあるのです。これでは裁判の結論が誤ることもありますし、仮に誤っていなくても、当事者を十分納得させる裁判ができなくなってしまいます。
 すべての一審裁判を二年以内に終わらせることを目指す裁判迅速化法案の提起がなされたとき、多くの国民の皆さんは素直に歓迎されたかもしれません。しかし、毎日のように裁判にかかわっている私からすれば、今の裁判所の体制のままで迅速化法案だけが先に立法され、ひとり歩きしていったら、我が国の裁判は一体どうなっていくのだろうと、正直暗たんたる気持ちになりました。
 裁判の最大の役割は、何といっても、訴えられた紛争に対し公正、適正な結論を下すということにあることを考えれば、常に十分にして必要な審理が保障されていなければならないのです。その上での迅速さの実現をしようと思えば、これは裁判官の数を大幅に増大させることしかないと思います。私自身の経験からしても、今日の裁判所の体制では長期の事件は四年から五年ぐらいかかるものもあります。このようなものも含めてすべて二年以内に終わらせようとすれば、最低でも今の体制の二倍の数の裁判官が必要だと私は考えています。現在の状況でも、事件数の増大に比べ、裁判官が約四百五十人から五百人程度不足しているということは、最高裁自身が言っております。
 これは私たち法曹実務家共通の認識と言うべきものでしょう。飛躍的に裁判官を増大させ、十分に体制の整えられた裁判所において、審理を十分に尽くした、当事者の納得のいく内容の迅速で適正な裁判を受けられること、このことこそが、この二十一世紀に実現すべき、裁判を受ける権利とも言えると思います。
 次に、だれでも弁護士に依頼して裁判を受けることができるようにするための法律扶助制度の抜本的拡充の問題です。
 裁判によって権利を実現したいと考える人は、所定の裁判手数料を支払い、裁判所に訴え出れば、だれでも裁判をしてもらえるというのが、現在の民事裁判の仕組みです。しかし、現実には、裁判によって紛争が解決し、自己の権利を実現しようとすれば、裁判にかかる費用を自分で準備し、法律の専門家である弁護士に依頼しないと、裁判を通じた適正な権利の実現は困難であるというのが実情です。しかし、それでは、その裁判の費用を準備できる経済的余裕のない者には、裁判を受ける権利と憲法で言ってみても、絵にかいたもちになってしまうという不都合な結果になってしまいます。
 そこで、経済的余裕のない人も安心して裁判ができるように、その費用を公的に援助する法律扶助制度があるのですが、近年、増加する訴訟事件の中で、法律扶助の公的扶助を希望する人が多いために、その希望にこたえた法律扶助が十分にできていないというのが実情なんです。
 お手元のパンフレットをあけていただければ、左の方に書いてございますが、このグラフを見ると、不況による自己破産申し立ての事件の増加もございますけれども、扶助申し込みをする人は、平成十一年度で約三万件近くあった。緑のグラフの方です。しかし、平成十三年度は七万件と、急激に増加しています。このような法律扶助の申込者の急増の中で、パンフの右欄の新聞記事にも書いてございますが、法律扶助事業は財政的にあっぷあっぷの状態で、途中で受付の窓口を閉鎖したり利用に制限を設けざるを得ない状況となっております。
 司法改革は、より国民が裁判を利用しやすく、また、裁判の内容もより充実し、司法が国民の権利の擁護に役立つことを目指してもろもろの改革がなされることになります。しかし、司法改革でいかに見事な司法制度をつくり上げても、経済的余裕がないためにこれを利用できない者が続出するというのでは、裁判を受ける権利も、そのための司法改革もまさに絵にかいたもちに帰することになるのは明らかです。特に、司法の重要な役割が社会的弱者の権利の救済にもあることを考えると、経済的余裕がないゆえに司法による救済を受けられない国民をつくり出すことは、憲法の精神からも許されないはずです。
 パンフの最後のページを見ていただくと、法律扶助の年間の国庫補助金の国際比較が出ていますが、日本は二十八億五千五百万円であるのに対し、アメリカは八百十一億円、ドイツが三百六十三億円、フランスは百八十二億円、イギリスは千五百四十四億円となっています。これを見ると、他の先進諸国に比べ、我が国がいかにこの点でおくれているかがよくわかります。
 このように考えると、司法改革の諸成果を本当に国民すべてに行き渡らせ、国民の裁判を受ける権利をより実効あるものとするためにも、国が民事法律扶助事業に対して抜本的かつ大幅な財政措置を講じることが極めて重要と思われます。
 最後に、今日の憲法をめぐる問題につきましては、憲法九条を改正すべきかということが大きな論点になっておりますので、これに関する私の意見を述べさせていただきます。
 第九条については、戦争も戦力も放棄してしまって外国から侵略されたらどうするのかとか、第九条は理想にすぎないとの批判があります。しかし、何と言われようと、この五十数年間、日本が戦争を一度も起こさなかったし加わらなかった、そして他の国の人をだれも殺さなかったという事実は、だれも否定できない厳然たる事実であります。これは、我が国の過去の歴史から見てもすごいことなのではないでしょうか。
 私は、一九四七年の十一月、憲法施行の年に生まれました。私を生んだ私の母、父、さらに祖父母たちは、私が生まれる前までその人生の大半を戦争の惨禍の中で過ごしてきました。日清戦争、日露戦争、一九一四年の第一次世界大戦、そして日中戦争を経て、一九四一年に始まる太平洋戦争を国民は経験しました。こうして日本人が二十世紀最後の戦争が終わったとき、国土は焦土と化し、三百十万人の国民と二千二百万人の世界の人々の命が奪われていたのです。
 戦争が終わり、新憲法が作成されつつあった当時の東京の写真を見ると、幾重ものバラックの掘っ立て小屋の間に国会議事堂が見え、人々はそこで軍服、もんぺを着て畑を耕すなどして懸命に働いております。他方では、復員兵を満載した引き揚げ船と何万人ともつかぬ出迎えの人々の群れがあります。もう二度と戦争を繰り返したくない、これは私の両親たちも含め、当時の圧倒的多数の国民の正直な願いであったことは想像するにかたくありません。
 戦争の放棄は、列強の侵略戦争の舞台にされてしまったアジアを初め、全世界の人々の何物にもかえがたい願いでもあったでしょう。この意味でも、第九条は、学者や政治家が頭の中で考え出したような理想や政治の産物では決してないと思います。
 新憲法が登場し、我が国が戦争をしなくなってからもう五十四年になります。「戦争を知らずに僕らは生まれた」という歌がありますが、私を含めて、戦争を知らない世代はもう五十歳を優に超えてしまい、この記録は今も更新され続けております。
 このような平和の時代の確立がすべて憲法の力というわけではないでしょう。しかし、二度と戦争をしないという世界の願いを私たちの憲法に定めて、国民同士で誓い合い、これを世界に宣しているという事実こそ、その力の源泉となっていることをだれが否定できるでしょうか。
中山座長 静粛に願います。
後藤好成君 私は、このような考えから、憲法九条は私たちが世界に誇り得る平和条項であり、二十一世紀を通じて少しも変えられることなく、ぜひともこのまま我が平和憲法の柱であり続けてほしいと願っているものです。
 以上で、私の意見陳述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
中山座長 ありがとうございました。
 この際、改めて傍聴人の方に注意を申し上げます。
 議場における言論に対しまして拍手をしないこととなっておりますので、御注意をお願いいたします。
 なお、本調査会の公聴会は、衆議院憲法調査会規程第六条並びに国会法第四十八条、衆議院規則第六十六条によって運営されております。場内が混乱した場合は、座長によって退場を命じることがありますので、その点、御留意願います。
 次に、西座聖樹君にお願いいたします。
西座聖樹君 御紹介いただきました意見陳述者の西座でございます。
 私は、余り憲法ということにも深く勉強しておりませんが、若干、自分の意見としてきょうは述べさせていただきたいと思います。
 現在の憲法は、国民の生命及び財産を守るため、時代背景をかんがみた改憲が必要であると考えます。特に、九条においては、昨今の国際情勢の中、早急に解決すべき問題であります。
 日本国の独立と平和を維持するための憲法ではありますが、現状では、テロ対策や隣国の脅威に対してどこまで自衛隊が対処できるのかは疑問であります。
 第九条においては、護憲、改憲で意見は分かれますが、護憲論者は、憲法がそれを禁じているということだけの反論であり、日本国の平和維持にはほど遠く感じます。改憲論者も同じく、自衛隊の存在を理由に認めろというのはいささか疑問であり、国民の理解を得るまでには至らないというふうに思います。
 古くは非武装中立論というものがありましたが、それはその時代の中で国を守る一つのアイテムだったというふうに思います。しかし、今や時代は大きく流れ、日本の立場も国際的に変化した今、改憲の時期に来ているはずです。
 この国を守るという改憲論でいうと、国民の平和維持をするためには、その裏づけとなる軍事力が必要ではないでしょうか。隣国の脅威が現実と化した今、果たして自衛隊で国民を守ることができるのかは疑問であり、現憲法でのあやふやな解釈をするのではなく、この国を守る防衛軍として改めるべきではないでしょうか。
 ここで軍と言うと誤解を招くおそれがありますが、あくまでも我が国を守るだけのものでありますので、誤解をしてほしくないということでございます。
 また、教育に関しまして述べたいと思いますが、教育は国家百年の計であり、教育が国家の未来を長いスパンで左右することをかんがみると、早急に改革する必要があります。
 これからの社会は、より一層国際化、情報化、科学技術の進展などさまざまな変化が予想されますが、だからこそ、忘れてはならない生きる力をはぐくむ教育が必要となります。その生きる力は、感性を鍛えることによりはぐくまれるものと考えます。人を思いやる心、善悪を考える心、正義感や道徳観を身につけることは、人間性の基礎を確立するためにとても大切なことであると考えます。
 子供を取り巻く教育環境は新たな展開を見せようとしています。教育基本法の見直しや共同生活における奉仕活動の実施などはその典型であり、その背後には、道徳性、社会性の低下や増加する少年犯罪に対する危機意識が存在しています。また、二〇〇二年度から導入された総合的な学習時間では、みずから学び考える力を育てるというメリットの反面、学力低下や二極化の懸念も取りざたされています。
 これからの日本の教育の向かう方向性は、道徳性、社会性を持って生きる力、人間力をはぐくむことに重点を置くべきであります。それは、日本全国一元化の教育ではなく、それぞれの地域の歴史、文化に合った独自の教育が望ましいと考えます。子供を一律に考えるのではなく、それぞれの個性が輝く教育の実現こそが、人間力あふれる者たちが近未来の日本を支えることとなるでしょう。
 また、現在多くの国民に愛国心がないように思います。自分の住む国、地域を愛してこそ周りの人を愛せると思います。愛国心と言うと違った解釈をされる方もおられるかと思いますが、私は、当然のこととして、今の子供たちには愛国心と日本国に誇りを持って生きていただきたい、そう思います。
 次に、九州に住む者として少し述べさせていただきます。
 今、地方分権、地域主権が現実のものとなりつつあります。二十世紀の終わりに国や各団体において地方自治のあり方が議論され、その後の地方分権一括法の施行や市町村合併の議論にあらわれるように、まさに二十一世紀の地方や地域のあり方を決めるときに私たちは生きています。これからの地方や地域には、国の政策や財源に頼らず、その実情に応じた政策を実現していく責任とそれを果たすだけの活力が求められます。また、地域の再編は市町村合併だけにとどまるものではなく、近い将来においてさらに地域の再編が進み、九州全体としての町づくりのあり方が現実に問われています。
 九州全体としての町づくりの問題は、市町村合併の問題や高速道路、空港などの交通網整備の問題に見られるように、住む地域を超えた広域的で専門的な知識が必要となるテーマです。これらのテーマについて解決の方策を見つけ出すためには、九州全体の視点で、国とともに取り組むことが必要であると考えます。
 九州では、空港の機能分担の問題、東九州自動車道の未整備の問題など、九州全体として取り組み、早期に解決されるべき交通網整備の問題が議論されています。九州における交通網の整備は各地域住民の長年の願望であり、また、議論されてきたテーマでもありますが、近年、この議論の中で、国や地方自治体の財政危機を背景に、公共事業のあり方そのものが厳しく問われるようになっています。
 このような中で、公共事業のあり方は、その地方や地域で議論、決定すべき問題と言われるようになってきました。私たちの九州においても、九州各地域を一体のものとして結び、日本国内だけでなく、世界、アジアに向けてこの九州を発信していくための町づくりのビジョンが求められています。九州における交通網のあり方を議論し、そのあるべき姿を決定していくことは、近い将来の九州の町づくりにおいて大切なことだと考えます。
 二十一世紀になって、法定合併協議会が全国の各地域で設置されるなど、地域住民の間でも市町村合併の議論が盛んに行われるようになりました。今後、地方自治体間の競争とともに広がっていく地域間の格差を是正し、国や地方自治体の危機的な財政状況を打開するための方策として、地域の再編はさらに進んでいくと言われています。
 このような地方自治の範囲、規模は自治の根本にかかわる問題ですが、将来の地方自治のあり方をめぐっては、都道府県の枠組みをなくす道州制論、地域主権論に基づく連邦制論、都道府県と市町村を廃止して全国で三百程度の市に統合する一層制論など、目指す方向や考え方もさまざまです。
 このような中で、既に公の場でも道州制や地域の再編についての議論が行われるようになってきました。私たちの九州においても、既に県域を越えた市町村合併の議論が行われています。これからの地方自治のあり方、地域の再編について議論し、そのあるべき姿を決定していくことは、近い将来の九州の町づくりにおいて大切なことだと考えます。
 九州全体を一体のものとして考える道州制論や県域を越えた地方自治体の再編の問題についての研究を行い、九州においてあるべき枠組みの実現に向けて国家として取り組んでいただきたい、そのように思います。
 以上で終わります。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、林力君にお願いいたします。
林力君 失礼します。私は七十八歳であります。
 私の人生の支柱、背景となった四つの事柄がありますので、そのことにかかわりながら、憲法について陳述をいたします。
 私は、戦前戦中の天皇制絶対主義の教育を受けました。旧制中学校の校門には「学窓は戦争に通ず」と大書され、職員室には教員の思想統制と軍事教練のための制服の将校が配置されていました。次いで、義務としての兵役が待っていました。一年有余、大西巨人の小説「神聖喜劇」の世界でした。すべてが天皇に帰結した暴力の世界でした。
 一九四五年八月、敗戦。生き延びた。国破れて山河ありの実感がありました。平和、人権、民主主義をうたった憲法に心躍りました。しかし、人々は、焦土の中、食べることで精いっぱいでした。生存不明の人たちの名前を呼ぶラジオの尋ね人の時間に耳を傾け、肉親を手繰り寄せようと必死でした。無我夢中で働きました。政府が、昭和三十一年、経済白書で、戦後は終わったと言ったとき、私の青春も終わっていました。戦争を憎み、平和を希求する思いは身にしみています。
 一九四六年に、いわゆるユネスコ憲章は「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」と述べています。一九四八年、第三回国連総会で集約した世界人権宣言は「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」とうたいました。まことに、平和なくして人権なし、テロを含め戦争こそ最大の差別と確信いたします。
 今、核の拡散の危機、地球環境破壊の進行、人類の生存すら危うくなった今日、改めて現憲法の意義の重大さを確認するものであります。第九条の改正については反対せざるを得ません。
中山座長 静粛に願います。
林力君 私は、一九四六年以来今日まで、小学校、高等学校、大学の教壇に立ち続けてきました。そして、人権、同和教育運動のかかわりを続けてまいりました。その立場から陳述いたします。
 私は、憲法第十四条の精神は、まだ十分に国及び国民のものとなっているとは言いがたいという認識を持っています。例えば、一九九六年、日本政府が国連人権委員会に報告したこの国の人権状況について、国連は、翌年、日本政府報告に対する国連人権委員会の総括所見なるものを送り届けていますが、それによると、積極的な側面として評価したものはわずかに三項目にすぎません。主な懸念事項及び勧告としたのは実に二十八項目にも上ります。恥ずかしい限りであります。
 ところで、昨今の社会状況とりわけ子供や若者たちの中に、自由と人権を履き違え、まさにわがまま勝手であるとする傾向が見られることは極めて残念であり、長年教壇に立ち続けてきた者の一人としても責任の一端に思いをいたすものであります。だが、安直に家庭の責任を問い、国の側から道徳を強制し、教育の現場の管理をさらに厳しくするという風潮に対してはにわかに賛成いたしません。この時点においてこそ、私ども、改めて、人間とはという教育の構築に迫られていると思います。
 子供や若者たちの変貌は、物の豊かさだけを追い求めてきた日本社会の矛盾の反映そのものであります。目の輝きを失い、自信を失い、人間や社会に対する愛着を感じないかに見える者たちが多いのは、この国が未来への希望や展望を失ったかに見えることと決して無縁ではありません。
 私たちは、今こそ、本当の意味での個の確立とは何か、自由とは何か、命の限りない尊厳と平等とは何か、そして、社会的存在としての自己の確立とは何か、自他の共存ということは何か、ひいては人間の誇りということ、実はこれらは長年積み上げられてきた人権、同和教育の遺産と教訓でもありますが、その正当性をより多くの実践として保障していくことこそ緊要なことと考えております。
 憲法第十四条が、社会的身分または門地による差別を否定して半世紀を経ました。出自を問うという我が国固有の差別、いわゆる部落差別は、一九六五年の同和対策審議会答申以来の取り組みにより一定の前進をいたしました。だが、二〇〇二年の同和対策事業の法切れをもって、同和問題そのものが終わったという認識は明らかに誤りであります。
 住環境は一応整ったとしても、就労状況、進学率などにはなお大きな格差を残していますし、結婚問題を初め、さまざまな差別事象も後を絶ちません。特に憂慮していることは、インターネットを媒体とした差別表現の深刻化であります。
 一、二の例を申し上げます。
 「二〇〇一年六月九日、ロイター通信によると、宅間守氏(三十七)に包丁で刺された小学校の児童八名はえた、非人であることが明らかになりました。これにより、宅間氏は国民栄誉賞を受賞することに正式に小泉首相が発表しました。包丁一本でよく頑張った。感動した。ありがとう。これからもえた、非人を処分してほしい。感きわまった小泉首相と宅間氏はかたい握手を交わした。宅間氏の勇気ある行動に感動した国民から出張依頼も殺到しており、年内の宅間氏による小学校訪問予定はいっぱいとのこと。」大阪教育大附属池田小学校のあの忌まわしい事件についてであります。
 同年の七月二十二日、「祝明石花火大会で将棋倒し。どうせ死んだのは明石の部落民である、大阪のチョンだ。韓国の洪水同様いい間引きができてよかったね。久々によいニュースでした。」暗たんたる思いをいたします。
 ここに、古い伝統的な差別意識が継承されているとともに、マイノリティーに対する殺りくの論理が展開されています。福岡で検索されたものによりますと、同和地区住民をどのようにして見分けるかという手法が露骨な予断と偏見に基づいて書きつづられています。社会に展望がない、行く先不安な中では、差別が深刻、悪質化することの証左でもございます。
 この観点から論議されている人権擁護法案の内容が、一九九三年の国連総会で採択されたパリ原則を踏まえた有効、適切なものであることを期待いたします。
 最後に、私の父親はハンセン病患者でした。二十八年にわたる隔離政策の中で、鹿児島県鹿屋市の国立療養所敬愛園で終生を終えました。私は、七四年以来そのことを明らかにして、世の差別と偏見、無知と闘ってまいりました。
 一九九六年のらい予防法廃止、熊本地方裁判所の判決、小泉首相による控訴棄却によって事態は大きく変動しました。だが、九十年の隔離政策のうち五十年余は、基本的人権をうたった現憲法のもとであったことを忘れることはできません。憲法の基本的理念を無視し、事実を隠ぺいし、国民を無知の状況に置いたことは、まさに国挙げての憲法違反でありました。このことは熊本地方裁判所の判決に譲るとしても、法廃止後、判決確定によって、まさにこの問題が終わったかの印象を持つ人の多いことは残念であります。
 現在、全国十三の療養所の入所者は約四千人、判決後の退所者は百九十人余りありますが、多くの人々が療養所を死に場所と定めております。退所した人々の退所先の大部分は、希求してやまなかったふるさとではありません。一たん社会復帰した人々の中には、余りの差別と偏見にいたたまれず、再び療養所に帰ってきている人もいます。いまだに遺骨の引き取り手はなく、かつての病友とともに納骨堂に眠っているのが現実です。これ以上の憲法違反はありません。
 こうした認識の上に立つとき、まずは現憲法、特に基本的人権について、国及び国民の誠実な、そして不断の努力が十分であったとは、私には言いかねるのであります。こうした具体的事実を踏まえて、現憲法への関心をさらに深め、暮らしの中の憲法について国民的な論議を起こさなければならないと思っております。
 以上であります。
中山座長 拍手は御遠慮ください。
 ありがとうございました。
 次に、宮崎優子君にお願いいたします。
宮崎優子君 宮崎と申します。
 最初に、皆さんにお断りしなきゃいけないことができてしまいました。
 皆さんのお手元に私の「日本国憲法について」という資料があるんですか、ないんですか。私の公述人として応募したときの「日本国憲法について」というのが資料の中に入っていたものですから、皆さんのところにもお手元にあるのかなと思ったのですが、これを私、きょうお話しするつもりだったんです。母が満州から引き揚げてきていますし、そのときどんなつらい思いをしたか。最近、七十代、八十代、九十代の戦争を体験してきた方々のお話を伺って、その方たちが憲法九条をどんなに大事に思っているか、そういう思いをここできょう皆さんにお話しするつもりだったんです。でも、これは全然なしで、ぶっつけ本番で話をしようと今思っております。
 私の立場は、憲法九条、日本国憲法、すべて変えないでほしいという思いです。
中山座長 拍手は御遠慮ください。
宮崎優子君 私がなぜ、母がどんなにつらかったか、母がずっと、憲法九条に出会ったときにどんなにうれしかったかわからないよという話をしてくれて、あんな苦労をもう二度としなくていいんだと思って本当にうれしかった、涙出たよという言葉をずっと小さいときから聞いてきたものですから、きょうの公聴会にも、私、とても期待して来たんです。
 なぜそんなに期待をしていたかというと、この前、ある新聞に改憲派が五四%というのが出ていたんですね。世論調査をした。世論調査というもの、それは新聞社が出すんですから、数字としては本当なんだろうなと思うのですけれども、疑問に思ったのは、私、二つ新聞をとっていますけれども、片や五四%、片や四十何%、同じ憲法九条についてのアンケートなんですけれども、数値が微妙に違うんですね。何で違うのかなと思うじゃないですか。
 世論調査というのにちょっと私が疑問に思っているのは、私は苦学生でしたから、学生時代にアルバイトをたくさんしました。ある新聞社のアンケート調査、選挙なんかのときのアンケート調査ですけれども、そういうのも三つか四つやったんですけれども、各地域の無作為抽出でだれだれ、だれだれというのがあって、その場に行くんですけれども、お留守の方が多いんですね。お留守の場合はまた行きます。何度でも行きます。私は小心者ですから何度でも行きましたけれども、私の友人は行かないんですね。自分で書いちゃうんです。そういう現場を見ているものですから、世論調査、本当かなというのがいつもあるものですから、私がアルバイトをしていたのはウン十年前ですから、今はそんな原始的なやり方はやっていらっしゃらないんだろうけれども、疑問がありました。
 だから、日ごろ、間接民主主義というんですか、そういうのはちょっと歯がゆいなという思いがあって、公聴会というと直接じゃないですか、自分が。政府が国民の声を広く聞く、みんなどんなふうに考えているのかじかに聞いてくれる、こういうチャンスは絶対生かさなきゃと思ってすごく期待していたんですね。でも、くじ運が悪いものですから、多分当たらないだろうなと思ったんですけれども、八百字、一生懸命書いて送りました。そうしたら、当たっちゃったんですね。だから、多分、大分から応募したのは私だけだったのかなと思ったんですけれども、張り切って原稿を書いていました。
 そうしたら、木曜日ですか、資料が送られてきました。お見せしましょうか。見えますか、後ろの人。これは何かわかりますか。よく御存じですね、すごいな。これは衆議院憲法調査会中間報告書です。ごらんになった方、いらっしゃいますか。今の方は御存じなんですよね。ほかの方はお読みになっていないですか。ぜひお読みください。メモしていただけますか。これは、衆栄会というところにお電話したら、これを送ってきてくれるそうです。〇三―三五八一―五一一一です。
 これが送ってきたんです。何ページあるか。七百六ページあります。私、友人に、こんなの送ってきたんだけれどもと言ったら、そんな、あんた、読まぬでいいよと言われたんですね。でも、私、そこで、不思議だなとまた思ったんですけれども、私たちは全く政治の素人です。憲法に関しても、よく知らないことがあります。でも、知りたいじゃないですか。好奇心があったり、意欲があったり、それを、この厚ぼったい、これはすごいんです。
 だから私、皆さんにここで愚痴を言うわけじゃありませんけれども、木、金、土、日、四日間ほとんど徹夜なんですよ。理解したかったんです。後でゆっくり読めばいいわとも思ったんですけれども、やはり、公聴会に行くまでに、憲法調査会というのは一体どんなものなのかな、皆さん、どんな話し合いをしているんだろうと興味がわくじゃないですか。それで、一生懸命読んだんです。
 主婦は、昼間は忙しいです。だから、夜です。子供が寝るときに絵本を読んだり、昔話したりして、十時ごろ休みますね。その後からです。だから、ほとんど徹夜なんですね。だから、きょうはちょっと頭がぼおっとしていますし、原稿はありませんし、ぶっつけ本番ですし、多分ろれつもちょっと変になっていると思いますので、お聞き苦しい点があると思いますが、勘弁してください。
 それで、送ってきてくださったのは、憲法調査会会議録、これは、地方公聴会のことが全部書かれています。おもしろいんですよ。臨場感があって、生き生きしていて、会場の熱気なんかも伝わってくるようだし、委員の方の表情とか、発表の、公述している方たちの本当に表情まで見えるようなおもしろい読み物でした。
 片や、こちらですね、大変な労作だと思います。今までの憲法調査会の中での議員さんたちの発言とか、全部種類別にしているというんですか。だから、これを読んで、例えばだれだれ議員さんが憲法についてどんな考え方を持っているのかなというのは、その議員さんが発言したところが、それぞれの項目に入っていますから、この議員さん、こんな考え方を持っているんだなとかいうのがわかりますし、今の日本国憲法のどんなところが議論されているのかなというのもよくわかるんです。だから、ぜひ皆さんに、ちょっと大変ですけれども、ぜひ読んでいただきたいと思います。
 でも、私が思ったのは、公聴会というのは、普通の国民の声を聞くところじゃないんですか。ああ、すごいですね、主婦はしゃべり出したらどこに行くかわからないですからね、もう十分もたったんですか。
 ですから、私、思ったのは、ちょっと優しくないんじゃないかなと思ったんです。私は、人が生きていくのは、どうせ人は、どんな生き方するかというのは、いろいろな生き方があるだろうけれども、優しく生きていかなきゃ意味がないんじゃないかなと思っているところがあるものですから、だから、偉い学者さんが、小さい子供に、小さい子供たちといっても小学校ぐらいです、そういう子供たちにわかりやすく御自分の専門のことを話す、そういうことが、日本をとても住みやすい国にするだろうし、地球環境とかいろいろなこと、そういうことに一番大事なことなんじゃないかと思っているんです。だから、これに出会ったときに、ちょっと優しくないなと思ったんですよ。
 ずぶの素人が、でも日本のことをとても愛していて、憲法のことも知りたいな、今の政治がどんなになっているか知りたいなと思った普通の主婦が、張り切って一生懸命来るじゃないですか。これは、あんたたち素人にはこんな難しいことはわからないだろうって、そんな言われているような気がしたんですね。
 それじゃ一般の国民が、憲法に対して、今の日本の政治に対して、どんなふうな、憤りとかいろいろな思いがあるでしょう。それが、今日本の政治を動かしている方々、そういう方々にはきちんと伝わっていかないんじゃないかな。もっと、何もわからないけれども、今こんな苦しみがあるんだよ、悲しみがあるんだよ、そういう人たちに寄り添ったような政治がなされていけば、日本の国はもっとよくなって、それこそお上が上から、ほら、国を愛せよとか言わなくたって、一般の庶民が、日本を守らなきゃ、日本を愛しているよと、どんどんそういう声が出てくるんじゃないかと思います。
 時間がないから、私、いろいろな方が、若い友達もいます、今四歳の子供さん育てている方で、おなかに赤ちゃんがいて、宮崎さん、公聴会に行くんだったらこんなことも言ってくださいといって書いてくださった紙も持ってきているんですけれども、そういう思いを私、全部ここで申し上げようと思って来たんですけれども、何か、自由、民主主義というものが、今変なんじゃないか、私が今度ぶつかったこの公聴会というのは一体何だったんだろう、今すごく悩んでいます。そういう悩みというのは、政治家のプロの方たちにこれから解決していっていただきたいことだと思っています。
 戦争というのは、最近、本当に世界じゅうが強いもの、そういうものの方になびいている気がしてしようがないんですよ。私は、それはおかしいと思う。悲しみとか苦しみとか、そういうのに寄り添って、弱いものに寄り添っていく人たちがどんどんふえていってほしいと思うんです。
 大分県で偉人伝とかいうと出てくる福沢諭吉という人がいるじゃないですか。福沢諭吉の「学問のすすめ」の中に、自立の心なき者は、だれか知っている人いませんか、助けは来ないかな。自立の心なき者は人を恐れる、人を恐れる者は人にへつらう、もうちょっと何かあったような気がするんですけれども。何でも強いものになびいたり力のあるものになびくというのは、そういう社会はおかしいと思います。弱いものを大事にする社会になってほしい。
 こういう集まりでもそうですけれども、みんな、日ごろ、うっぷんがあるんです。だから、言いたいこといっぱいあると思うんですね。だから、どんどん、後でお時間あると思いますけれども、発表してください。
 今のアメリカを見ていますと、私、アメリカという国は、今、世界で一番力を持っている国じゃないですか。だけれども、一番エネルギーも使っている国ですね。一番食料も食べている、消費している国なんです。そういう強い強い国が、片やすごい貧しい国を、ごめんなさい、時間配分が悪かったですね。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、石村善治君にお願いいたします。
石村善治君 ただいま宮崎さんの優しいお話の後で、私、ややかた苦しい話になるかと思いますので、御了承ということはないと思いますが、前もって申し上げたいと思います。
 私は、一九二七年、昭和二年に福岡市に生まれまして、太平洋戦争敗戦時、一九四五年は旧制の福岡高等学校の文科の二年生に在学中でした。軍役には服していませんでしたけれども、明治憲法下の戦前と日本国憲法の制定並びに日本国憲法下の五十五年をみずから体験しました。
 本日は、憲法研究者、特に言論の自由あるいは思想の自由、マスメディア法の研究者として、日本国憲法のいわゆる三原則と言われる平和主義、基本的人権の尊重主義、国民主権の基本理念にかかわる問題について公述をしたいと思います。
 まず、日本国憲法の平和主義について。
 日本国憲法は、前文第二文の後段で、平和の維持、専制と隷従、圧迫と偏狭の地上からの永遠の脱却、全世界の国民の恐怖と欠乏からの脱却、全世界の国民の平和のうちに生存する権利、こういった言葉を並べ、そしてそれを望み、確認しました。これらの一つ一つは、まさに現在の世界の状況に対応する最大の指針として保持すべき規範であると私は思っております。一方、いまだ完全には実現されるに至っていない、至らなさの悔悟と反省と行動のための積極的な規範という性質を持っておると思います。
 第九条に掲げる戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認、これは原爆の体験を持った日本国民の、核時代における全人類、全地球の破滅を防止するための悲願であると思います。同時に、現在、ますますその意義と光を放つ憲法規範でもあると思っております。
 そもそも国連憲章は、サンフランシスコで一九四五年六月二十六日に作成され、署名されました。片や、日本国憲法の公布は一九四六年十一月三日であります。この時間的差というのは、広島、長崎への原爆投下の前と後という世界史的差であることに注目すべきであります。
 その意味では、日本国憲法は、核戦争の始まりを知った憲法であり、核時代、核世界を指導するガイドライン、先駆的にして誇るに足る憲法、あえて言うならば、国連憲章をも指導する世界的意義を持つものとさえ私は考えております。
 先ほども日下部さんが触れましたが、一九九九年の五月のハーグ市民社会会議の閉会集会の中で、十の基本原則があるんですが、その一番最初に、日本国憲法第九条が定めるように、世界諸国の議会は、政府が戦争することを禁止する決議を採択すべきであると述べております。これは、世界の市民が、日本国憲法の平和主義をあこがれておる、あるいは規範とするということを表明したものとして注目したいと思っております。
 日本国憲法の平和主義の真価はまさにこれから発揮されるべきであり、そのための積極的な努力がなされなければなりません。何よりも、前文で、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こす行為、あるいは、それに加担する一切の行為を行ってはならないと思います。
 むしろ、政府は積極的に、戦争の原因となる可能性に対して、武力による行使や威嚇ではなく、政治的、経済的、文化的方法を模索し、実現する努力をしなければなりません。具体的には、特に非核三原則の厳守、遵守、さらに、それを進めるための非核法の制定、国際的には、非核地帯条約、特にアジア地域非核条約の締結など、思いつくだけでもすぐに浮かぶものがあります。
 また、最近、憲法、国際法研究者の中にも、安全保障のパラダイム転換という構想がございます。安全保障を、国家の安全保障から、人間の安全保障、そして環境の安全保障へと積極的に転換する構想も主張され、多くの憲法学者、国際法学者の支持を得ておると私は思っております。このような意味からも、日本国憲法の前文並びに第九条を改正する必要もないし、改正すべきではないと考えております。
 第二番目に、個人の尊重ないし人間の尊厳について申し上げます。
 日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。」と定め、国民を対象にする文言となっています。もちろん、憲法学者の見解には、「すべて国民は、」とは、主として日本国民を眼中に置くが、事情の許す限り外国人にもこの規定を準用する趣旨であるとしております。そして、解釈上その範囲を拡大しておるわけです。
 私は、解釈論としては妥当だと考えますが、この個人の尊厳という理念を、一つは内容の面から言ってみても、基本的人権の中心的部分、中核にあるものと位置づけることができるし、必要があると思います。それから第二には、人的適用範囲の面からいっても、二十一世紀の国際社会の中での日本国憲法の基本的人権の位置づけを明確にする。そういう内容面及び人的適用範囲の面から、「すべて人は、」という言葉に改正することが望ましいと考えております。
 国際連合憲章の中には、「基本的人権と人間の尊厳」という言葉が出てきます。それから、世界人権宣言も、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」という言葉が出てきます。それから、国際人権規約においても、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳」という文言が述べられております。
 条約だけではなくて、憲法としては、これもよく知られておりますドイツ連邦共和国の憲法、これは一九四九年に公布されたものでございますが、憲法の第一章の第一条に、人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、及び保障することは、すべての国家権力の義務であると定めています。
 これらから見ても、日本国憲法の個人の尊重は、二十一世紀の国際社会の憲法規定の条項として、国民のというのではなくして、すべての人を対象にすることが望ましいと思います。
 内容の面からいっても、日本での個人の尊厳が、これは憲法学者の説の大部分がそうだと思いますが、この個人の尊厳というのは、個人主義原理、個人主義的国家原理の宣言であるという言い方があるわけですが、私は、国連憲章や世界人権宣言の人間の尊厳というのは、そういった基本的人権のさらに奥にある、あるいは高度にある価値として、世界の憲章の中ではとらえておると思います。
 そういう意味で、世界的な憲法、これからの憲法として、すべての人という言葉に改めるのが望ましいのではないかと思います。
 それから、このような高度な価値としての個人の尊厳を主張する、あるいは人間の尊厳を主張する理由は、現代の高度に発達した技術社会において、人間の創作物による人間存在そのもの、人類そのものへの侵害ないし逆襲の危機、これが深刻になっておると思います。その最大のものは核兵器であります。さらに、環境汚染物質あるいは高度情報通信技術も私はそれの一つに数えたいと思いますが、さらに、現在の状況からいえば、国民総背番号制につながる懸念を十分に持っておる住民票コードをマスターキーとする、いわゆる住基ネットワークの稼働もそうであると言わざるを得ません。
 これら高度の技術による、肉体に対しては核兵器だと思いますが、それから精神に対しては、端的には思想の自由、これは端的には住基ネットに関すると思いますが、こういったものに対して、日本国憲法が断固として人間の尊厳を守るんだという意味を掲げていただきたいと思うわけであります。
 それから次は、知る権利でございますが、この知る権利という文言は、憲法二十一条には存在しません。ただ、最高裁判所の判決の中で、報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するため、そういう文言がある。この判決がなかなか法律の中でうたわれようとはしないわけであります。現に、現行の行政機関の保有する情報公開法では、この言葉がありません。自治体の条例の中に知る権利がうたわれているのがありますが、残念ながら、法律の中にはないということになっておるわけです。
 しかし、知る権利というのは、私の見解によれば、近代国家の基本的な原則である国家行為の公開原則というのは、近代国家を証する一つの基本的な理念であるというふうに思っております。
 思想史の話をすると長くなりますが、一六八九年のジョン・ロックの「統治論」などにはそのことを言っておりますし、憲法典としても、アメリカの州憲法あるいはフランスの人権宣言にもそういうものが述べられておる。これは近代国家の基本的な原理だというふうに考えられます。
 それからもう一つは、単に行政だけが情報公開するというのではなくて、立法及び司法も包括した全体の国家行為について知る権利があると私は考えております。
 そういう意味から、憲法の中で知る権利という条項を、どの条項の中に入れるかは問題があるとしても、例えば二十一条などではっきりと知る権利をうたう必要があろうかと思います。
 そして最後に、国民主権について申し上げますが、日本国憲法は「第一章 天皇」と定めています。これは、日本国憲法を大日本帝国憲法の改正という法形式をとったことに由来しているわけですが、他方では、天皇と国民主権との関係を、可能な限り天皇の地位を強化しようとする、そういう制定者の意図があったかもしれません。しかし、日本国憲法の前文には、そもそも天皇についての言及はありません。「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と明確に述べておるわけであります。
 私は、戦後を振り返ってみて、戦後の憲法最大の焦点は天皇制の問題であったと思います。平和主義については、我々は当然だと思っておった。憲法の最大の焦点は天皇制の問題だったと思うんですが、この問題について、もう一度私どもは振り返って考えるべきではないかというふうに思います。国民主権を明確にうたうことによって、天皇の政治的行為の拡大、あるいは天皇を名とする、あるいはその他の、天皇を一つの理由とする思想の自由あるいは信条の自由あるいは信教の自由を侵す、そういうものを防ぐためにも、私はこの際、第一章を国民主権という章に改めるのが当然ではないかというふうに思っております。
 以上の四つの点、三原則に即してそのような意見を持っておることを申し上げて、陳述を終わりたいと思います。
中山座長 ありがとうございました。
 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中山座長 これより意見陳述者に対する質疑を行います。――ちょっと待ってください。議事運営は衆議院の規則でやっておりますから、発言はお控え願います。――余りにも不規則発言されますと、先ほど申し上げたように、憲法調査会規程第六条及び衆議院規則によって退場を命じますよ。――静粛に願います。――静粛に願います。
 まず、派遣委員団を代表いたしまして、私から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。
 まず、冒頭に申し上げましたように、当憲法調査会は、この調査会の運用の原点として、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという三つの理念のもとに、広範かつ総合的な憲法の調査を行うということを申し上げております。
 私どもは、先ほどから、憲法についての認識はないという参考人のある方からも御発言がございましたが、どうぞ憲法の条文を改めてお読みいただきたいと思います。憲法九十六条は、「この憲法の改正は、各議院」、つまり、皆様方が主権者でありますから、総選挙の際に皆様方が主権者として選ばれた国会議員の「三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。」つまり、主権者の合意がなければできない。「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」こういうことが憲法九十六条に明記されております。
 つまり、主権者は皆様方であります。だから、皆様方が選ばれた国会議員が発議をする、その発議が三分の二に達したときに、改めてもう一度主権者である国民の意向を確かめるということが決められているわけでありますから、どうぞその点誤解のないようにお願いをいたしたいと思います。
 さて、先ほどからいろいろと御意見ございましたが、我が国の九条の問題を皆さん、おっしゃった方が多うございました。私も戦争で被害を受けた一人であります。第九条に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」二、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」こういうふうに書かれていることは御案内のとおりであります。
 さて、この九州地方も日本海周辺の各地域の方々も、今回の北朝鮮の不審船の問題、拉致問題、こういう問題について、やはり国民としていろいろとお考えをお持ちになったと思います。これは改めて申し上げるまでもなく、北朝鮮という国家の犯した国家犯罪であります。この点を国民は十分認識しておかなければなりません。
 私どもは、今まで北朝鮮の方々に食糧援助もいたしてまいりましたが……。おかしいことありません。発言中だ。――退場を命じます。退場を命じます。退場を命じます。静粛に願います。最後まで御聴取願います。
 私どもは、この国家の中に住む国民の安全と財産の保全というものに対して、国家というものが責任を持たなければなりません。そういう意味で、国会議員は皆様方から選ばれた立場でそれぞれ努力をしているわけであります。
 こういった中で、私は、きょうの参考人の方々に、どうしたら日本の平和を守れるかどうか、この点について――退場を命じます。
 それでは、日本の安全保障に関していかなる態度をとるべきか、この点、改めて日下部参考人にお伺いいたします。
日下部恭久君 私は、先ほど述べたように、戦後憲法世代の一人として、次のように考えます。
 安全保障を考える際に、私たちの未来を担う子供たちに再び戦争せよと言うのか。私は、戦争せよという立場には立ちたくありません。
 戦前も、自衛の名において侵略していったではありませんか。私は、憲法世代として、未来を担う子供たちに再び銃をとるな、再び赤紙によって戦場に行くな、その立場を二十一世紀にも堅持したいと思います。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 次に、後藤参考人にお伺いいたします。
後藤好成君 お答えいたします。
 日本国憲法の前文を見ていただくと、こういうふうにあります。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」こういうふうにございます。私も、基本は、この前文のとおり、やはり「諸国民の公正と信義に信頼し」ということが大事だと思います。
 そういう点では、そういう信頼関係をどれだけつくるのか、それから、安全の問題はあるんですが、こういうことがいかによくないことなのか、人権に反するあるいは国家の主権を侵す、反するのかということをまさに国際的に訴えながら、こういう行為を二度とさせないようにしていくという国際世論をいかに高めていくかという努力が大事だと思います。今の国際世論は、情報が一日で全世界を回り得るほどの情報網を持っておりますので、そういう意味では、本当に訴えていくならば、これは全世界の声になり得る。そういうことに信頼して、私どもの安全の問題も守っていくべきだというふうに考えております。
中山座長 ありがとうございます。
 林参考人にお尋ねいたします。
林力君 安全保障が武力であるという時代は終わったのではないかという気持ちを持ちます。というのは、余りにも多くの課題を私たち地球は持っております。それは環境の問題、災害の問題、人口の問題、食糧の問題、貧困の問題、疫病の問題、資源の問題、科学技術の問題、挙げれば切りがないんですけれども、そういうものは国際連帯と協調の中でしか解決ができないことであって、そうであれば、平和憲法を今日まで維持してきた私たちが新しく国際的なリーダーになり得る可能性というのは、そこに秘めているというふうに私には思えてなりません。
 以上です。
中山座長 ありがとうございました。
 順序が少し逆になりましたが、西座参考人。
西座聖樹君 まず、やはり人の命は何物にもかえられない、とうといものである、または、世界の恒久平和はだれもが願っているということを前提にいたしますが、この国を守るという視点からいいますと、先ほども意見の中で言いましたが、だれが守るんだろうというところが問題なのかなという気はしております。世界から武器がなくなれば、何もこういう問題は議論する必要がないわけであります。
 今現在、何が起こるかわからない、こういう情勢の中だからこそ、やはりこの国を守る、平和を維持する平和維持軍的なものが必要なのではないのかな。これはあくまでも、過去のいわゆる軍隊というものとは全く違うものであるべきだと思いますし、今必要なものということではないでしょうか。
 以上です。
中山座長 静粛に願います。
 宮崎優子さん。
宮崎優子君 私は、テロとか戦争とかいう、どっちがしかけるかというのは、ちょっとその場でわからないんですけれども、貧困、貧しさからくるんじゃないかと思っているんです。ですから、安全保障というのは、武器、力のぶつかり合いではなくて、食料とか水とかそういうものをできるだけこっち側と向こう側の人、貧富の差がなくなるようなそういうやり方。
 お金をいっぱい持って、食べ物もたくさんある国というのは、自分たちがちょっと辛抱すればできるわけじゃないですか。今、全世界の軍事費が、全世界の人たちの収入の半分までなってしまっているんですね。それは、やはりちょっと、だって貧困がなければいいですよ。でも、食べられない人たちがいっぱいいる中で、軍事費が収入の半分になっているというのは、これは異常だと思います。
 ですから、全世界の軍事費の二%あれば、今飢えている人たちが、そんなに十分ではなくても食べていけて、安全な水が手に入って、初等教育が受けられて、家族計画なんかもきちっと、人口がばっとふえないようにできる。そういう統計も出ているわけですから、日本が今から安全保障を考えるんだとしたら、そういうことをやった方がいいんじゃないですか。
 お金持ちの国に幾らいっぱいお金を出しても、お金は要らない、人を出せというふうに言われるわけですから、お金とか食料をもらって喜んでくれる国にそういうのを上げるということが、私たちの感覚では安全保障になると思います。
中山座長 ありがとうございました。
 最後に、石村参考人。
石村善治君 既に、話の中で申し上げたと思いますが、今の議長からの質問に対しては、一つは、積極的な戦争への参加とか、戦争に加担する行為をやめるというのが第一だと思います。
 それからもう一つは、現在の戦争の原因というのは、基本的には経済的問題、文化的問題だと思うので、その経済的、文化的問題について日本が積極的に模索をする、そして、それに対して行動するということが我々の安全をも確保するということだと思います。
 先ほども言いましたように、パラダイム転換といいますけれども、国の安全保障という問題の奥に、個人のあるいは人の安全というのが、私は、全世界をかけて考える時期に来ているのだというふうに思っております。
中山座長 ありがとうございました。
 以上をもちまして、私の質疑は終わります。
 次に、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。保岡興治君。
保岡委員 それでは、私から質問させていただきたいと思います。
 本日は、九州、私も鹿児島ですが、地方に出てこういう憲法論議が皆さんと一緒にできるのは本当にすばらしいことだと思って、きょうは、先ほどのお話がありましたけれども、こういう皆さんとの対話はとても大事だなと改めて思いました。そしてまた、公述人の皆様方にも貴重な御意見の開陳をいただいて、本当にありがとうございました。
 まず、私もやはり、憲法九条、日本が平和な国であるべきだ、そして世界のどの国よりも先駆けて世界平和を実現することに全力を挙げて努力すべき国である。そういうことは、私は、我が自由民主党初め国民みんなの願いだ、それは共通だと思います。
 我々、九条というものの存在、これは守るべきだという御意見の方がきょうは多かったように思いますが、その九条の第一項、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇」「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、」これは、国際的にこの言葉は定着していて、侵略戦争を意味するわけです。侵略戦争としては、「永久にこれを放棄する。」このことは、私たち自由民主党でもこれを変えようと思っている人は恐らくいないと思います。侵略戦争は絶対に否定し、そしてあくまでも自衛と、自分の国を守る……
中山座長 静粛に願います。
保岡委員 国民の生命や財産、これを守ることは、国家の最低限の義務である。私は、国家の役割とはそういうものだと思います。
 私は、そういう意味で、西座さんにまず、憲法九条第一項、二項、これはそのまま守るべきだと思いますか。それとも、こういうふうにしたらもっといい、日本が平和で、国を自分で守って、そして世界平和のために頑張っていく責任を果たせる国になる、先ほどの御主張はそうだったと思いますが、どういうふうに変えたらいいか。日ごろ考えていることを率直におっしゃっていただければありがたいと思います。
西座聖樹君 先ほどから何度も申し上げますが、あくまでも私は、戦争に行きたいわけじゃございませんし、それがいいということでも思っておりません。誤解はしてほしくありません。
 いずれにしましても、本当に今思うのは、例えばアルカイーダとかああいうテロ組織が日本を集中的に攻撃した場合、そういういろいろな他国からの脅威が、記憶に新しい中ではテポドンというものが飛んできたりしたわけですけれども、そういったものが頻繁に起きてくるような事態があれば、これはやはり、自分の国は自分で守らなくちゃいけないんではないかな。
 今日本は、私もそうなんですけれども、何となく、アメリカに守っていただいているという気がしておるんですけれども、お金を出して守ってもらっているというのも、いささかどうなのかなという気はしております。やはり、自分のことは自分で守る。
 ただ、侵略戦争、これは絶対に行うべきではありませんし、そういうことは、これはだれもが思っている常識的なことで、今さらする必要も逆にないのかなという思いでおります。
 ただ、何度も言うように、日本も貧しい時代からはい上がってきたわけでございますし、そういう財産を他国の方に脅かされたり、損害を与えられたりすることはないわけでございまして、そういうものをみずから守るべき憲法であるならば、私は変えた方がいいのではないかな、そのように思っております。
保岡委員 ありがとうございます。
 それから、冷戦構造が崩壊してから、民族紛争とか国境紛争とかいろいろな紛争が、世界で残念ながら起こっていますね、武力による解決ということで。世界平和を願う、だれよりも日本はそのことに対して責任を持っていこうという姿勢であれば、やはり各国と協力して、PKOとかPKFとか、こういった国連の平和維持活動、世界の安全保障の一つだと思いますが、こういうことについては、皆さん、組織された、しっかりした防備をして、そういったところに出かけた自国民が殺されたり傷つかないように、正しいルールの中できちっとそういうチームに参加して国際的な秩序を維持する、このことは日本の責任とお考えでしょうか。
 それぞれ簡単に、日下部さんからお話しいただければと思います。
中山座長 静粛に願います。
日下部恭久君 私は、国家間の問題を例示されますけれども、石村先生もおっしゃったように、世界の市民レベルでは、日本国憲法九条を世界に広げようと言っているではありませんか。なぜその場に立とうとしないのかが不思議でなりません。
 二点目は、私は、先ほど申しましたように、女子高校生が発言したことを真摯に受けとめてほしいと思います。戦争に行くのは一体だれなんですか、そして戦争に行って殺されるのはだれなんですか。このことを抜きにして……
中山座長 静粛に願います。
日下部恭久君 自衛というのはあり得ないと思います。
 制定時に、自衛のための戦争論議がありました。私は、そういう意味では、吉田茂首相が当時答えた、自衛の名において戦争をしてきたではないか、これを一切否定するという憲法九条の立場に立ちたいと思います。
 以上です。
保岡委員 ちょっと、後藤先生、恐縮ですが、お待ちいただきまして、私は、戦争とかそういうことじゃなくて、国際平和維持活動をどう思うか、それに対して日本はどう備えるべきか、貢献すべきかということを聞いたんです。
中山座長 静粛に願います。
保岡委員 それで、先ほど来の九条改正反対論はよくわかりましたのでいいんですが、その点について、どなたか、どうしても発言したい、私はこう思うということを言いたいという方がおられたら、手を挙げて発言していただければと思います。
 では、後藤先生、お願いします。
後藤好成君 国際平和維持活動といいましても、現実には戦争の問題と切り離して考えられないと思います、現実の世界では。だから、そういうものに参加するのか、要するに、外国で行われている戦争に、日本がほかの国と共同して戦争に参加できるのかという問題にとらえれば、これは憲法に明記してありますように、私どもはそういうやり方は放棄したわけですね。
 それからもう一つは、そういう国際的な戦争が起こる場合に、世界には二つの世論が出るわけです。要するに、戦争で解決すべきでないという論と、戦争はやむを得ないという論がございます。日本はどうすべきなのか、これは憲法に書いてございます。
 憲法の精神で言ってみれば、我々はこういう戦争というやり方で問題は解決しちゃならぬ。要するに、平和を愛する諸国民の信頼に依拠して安全と生存の問題を片づけよう、こういうことを言っておる。これは世界に誇るべきことだと思いますし、これが私は二十一世紀の国際的な世界の趨勢になるべきだと思うんですね。我が国は、こういう立派な憲法を持っているわけですから、それを前面に出して堂々と主張していって、それを世界の世論にしていく役割があると思うのですね。それが私どもの憲法の精神の生かし方だというふうに思っております。
保岡委員 私は、世界の秩序の中には、安全保障の観点で、国連の平和維持活動と戦争とはまたはっきり違うと思います。しかしながら、武力による、あるいは武力の衝突というのを一切否定していくという考え方からいけば、そういう考え方もあるのかなと思いました。
 したがって、これをずっとやるわけにもいきません、もう少し聞きたいことがあるので、次の質問に移ります。
 私は、国内でも、やはり人間社会というのは、悪いことをする人がいて、暴力行為があって、そういう人たちに対しては、実力組織としての警察というのがあって、ちゃんと、身の危険を冒しながら世の人のために秩序を守っている。国際社会も、思うように……
中山座長 静粛に願います。
保岡委員 社会をよくする運動あるいは貧困をなくす運動、貧しい家庭に育った子供に犯罪人の道を歩かないようにみんなで助けていきましょう、こういう努力は物すごく必要だし大切ですけれども、現にある社会の秩序を守るということも大事だと思います。
 私は、今や日本は、世界でアメリカとともに、世界の半分とは言わないけれども、四割の経済を担う国際的な経済国家になって、他の国にも責任があると同時に、その経済を国民のために守る責任もあります。これは、さっき宮崎さんからお話がありましたけれども、日本は今、世界で一番いいものを着て、いいものを食べている、そういう国民の一つであることは間違いありません。そういったことからも、日本は世界に果たすべき役割がある。世界の秩序維持に、武力という実力を持たないで世界の平和が守れる、そのことに、日本は決めたんだからといって、背を向けなければならないと思うでしょうか。宮崎さん、いかがでしょう。
宮崎優子君 女性は平和主義者だということもありますし、私は、子供たちのことをすぐ考えるんですね。
 アフガニスタンが空爆をされたときもそうなんですけれども、あの爆弾の下に子供たちがたくさんいるんだということを考えたら、いても立ってもいられなくなって、私が、では今アフガニスタンの子供たちに何ができるだろうと考えて、世界食糧計画というところがまだ食料をそっちに運べないからということで、ペシャワール会の中村哲さんというお医者様がテレビに出ていらっしゃって、ペシャワール会が、アフガニスタンで一家族十人、一カ月二千円で食べていけるようになるんですよ、一人二百円でというお話をされているのを聞いて、何かできることをというので、募金箱を持って繁華街に行って立っていたんですね。
 そうすると、みんな通り過ぎていくんですけれども、一生懸命思いを伝えたビラも持っていったんです。雨が降って、どうしようかな、みんなしてくれないなと思っていたら、茶髪の子が、普通ならちょっとよけるんですけれども、その子がズボンの中に手を入れて……(保岡委員「少し短目にお願いします」と呼ぶ)ごめんなさい。小銭をいっぱい入れてくれたんです。それで、二百円ぐらいだったんですね、それが。おばちゃん、一人分ぐらいしかないけどと。
 だから、人を動かしたり、そうするのは、やはり出会いとかいろいろなことがあると思うんですけれども、武力というのはたたくだけですからね。たたかれたときは、そのときはいいと思うんです。多分十年ぐらいはいいんじゃないかな。でも、それは、多分憎しみが、たたかれたときはみんなじっとしていますよね。でも、たたかれたことを忘れないと思うんです。例えば、東京の人が、三月十日に大空襲、アメリカから空襲を受けて、たくさん亡くなったんですよね。アメリカへの恨みというのがずっとあると思います。恨みが残っちゃいけないと思います。
保岡委員 わかりました。
 それでは、もう時間がないので、先ほどからお話があった地方分権ですね。道州制というものを考えて、基礎自治体で恐らく住民に身近なことは全部決定できる権限と財源というものを保障して、そうすると、ある程度の規模が必要ですから、町村合併などがあって、その広域の調整がやはり必要だから、国との間にもう一つぐらいは必要だ。だけれども、県は、大きくなった基礎自治体と重なってくるので、要らなくなるだろう。
 だから、九州ぐらいまとまって、戦略的に、国際的に、経済もその単位で競っていったらどうだろうというような、そういう道州制。そういった自主決定権、透明な自治の国日本、こういったものは、これからの憲法の基本理念の改正の一つの大きな項目になると思います。日下部さんや、それぞれ皆さんおっしゃいましたいろいろなことは、そういう中で実現できていくんじゃないだろうかな。情報公開も、そういう中から行政を国民のものにして、国民に責任のある形で対応していって、そこに未来を開く大事な制度じゃないかなと思ったりしました。
 天皇制についても聞いてみたかったな、女帝の可能性についても聞いてみたかったなという思いもしますけれども、時間がありませんので、以上で終わります。ありがとうございました。
中山座長 意見陳述者の方々にお願いを申し上げます。
 質疑時間が限られておりますので、その点十分御理解と御協力をお願いいたします。
 また、再三注意申し上げておりますが、発言中、会場で不規則な拍手あるいは発言等は御遠慮願いたいと思います。注意にかかわらず、さらに継続される場合には、座長によって退場を命じることがありますので、その点御留意をお願いいたします。
 次に、大出彰君。
大出委員 民主党の大出彰でございます。
 陳述人に御意見を聞くために公聴会に来るというのは初めてでございますので、少し話をしまして、すぐに陳述人の皆さんに御意見を承りたいと思います。
 九条の話がきょう多かったものですから、そこから始めますが、私は、今の時代になって、国際紛争解決を戦争で行うのはどうかしているんではないかと思うところがございまして、環境だ、環境だと言っているとすれば、最悪の環境問題が戦争ですよ。最悪の人権問題が戦争でしょう。そして、最悪の女性差別も戦争でしょう。最悪の公共事業も戦争でしょう。これはどう見ても、なぜそうなるのかという、これは直していく方向で全世界が考えなければ、技術的には核兵器なんかあるわけですから、破滅の道を選ぶな、そんなことを思っていますので、九条一項、二項は改正しない方がいい、こんなことを思っているんです。
 そして、議会でいろいろ質問するんです。一年生ですので、余り有名新聞なんかには載らないかもしれませんけれども、この間、第三次厚木の爆音訴訟の質問をしたんですね。その前に、同じ厚木で、株式会社エンバイロテックというところが、米軍にダイオキシンを煙で垂れ流していたんですね。ちょうど相反する立場になるんですね。米軍住宅が、米軍の軍属の方、家族の方が、その株式会社エンバイロテックでは実は被害を受けたものだから、米軍が政府に、直せ、直せ、こう言ったわけですね。八年間かかって、六十八億円の補償金を使って、いわゆる煙突とか建物を全部撤去したわけなんです、六十八億、八年間。
 ところが、厚木の第三次爆音訴訟というのは、この間、横浜地裁の判決が出たんですね。二十七億円という賠償金なんです。片や六十八億ですよ。片や二十七億。それで、何年間かかったかというと、爆音訴訟をやっていた方、四十年やっているわけですよ。始めてから二十六年かかっているんですよ。何で米軍に言われたら八年で解決して、日ごろずっとうるさい日本人がそこで救われないのかということを私は質問しました。今新しくかわった防衛庁長官ですが、いや、米軍が必要だからと、こう言うわけですね。
 私は、ここのところで思うのは、日本の主権をしっかりしなければ、これは九条の問題と同時に、主権の問題だったのだと思うんです、戦後一貫して。この部分をやはりはっきりすべきだという主張を持っているんですが、すべての陳述人の方々にお尋ねをいたしたいと思います。最初は日下部さん、お願いします。
日下部恭久君 ちょっと質問の趣旨に沿わないかもしれませんが、私は、主権の問題で日米安保条約との関係でいえば、さきに憲法判断で出された伊達判決の趣旨を支持する立場です。
後藤好成君 主権の問題についていえば、アメリカの、要するに、国連の決議などいろいろなことについても、日本は追従的な態度が私は多いというふうに思っておるんですね。そういう点では、やはり主権をきちっと確立しないといけない。特に、今安保条約というのがありまして、日米共同作戦ということで、もしアメリカが戦争に入るということになって、日本が巻き込まれる、そういう危険が私はあると思うんですね。
 そういう意味でも、日本の主権を確立するという意味では、私は安保条約はなくした方がいい、こういうふうに思っております。
西座聖樹君 日本は、国民の意思を反映して、はっきり、それはそれ、これはこれとして主張するべきだというふうに思います。
林力君 私は、こういう点から主権というものを考えます。
 くどいですけれども、私は同和問題にかかわり続けてまいりましたので、福岡が生みました解放の父松本治一郎という人が、侵さず侵されずということを言っております。これは、命の限りない尊厳と平等なるがゆえに、侵さず侵されずということだと思うんですけれども、これは個人の社会関係においても国際関係においても同じことだ、アジアの隣人に対してももちろん同じことだというふうに心得ております。
宮崎優子君 今、日本が主権を持っているというか、アメリカとの関係ですけれども、見ていると、主権を持っている国家に時々見えないときがあります。イラクのときもそうなんですけれども、あれはやはりアメリカの戦争なんじゃないだろうか。日本の基地から、今米軍が五万いるというのをこの前本で読んでほおと思ったんですが、出ていっているわけですね、アメリカの戦争のときに。イラクのときは日本も後方支援やったわけですけれども、ああいうのは同盟国ということでやるけれども、では憲法九条の日本はどうなんだといつも不思議に思います。
 ですから、政府がきちんと、自分たちの理念、憲法というのは国の決まりですから、それをきちっと、私たちはこういう国なんだから、ここまでしかできないよと言えるのが主権国家だと思っております。
大出委員 ありがとうございます。私もそう思います。
石村善治君 憲法と安保条約とが相入れるか入れないかという議論が憲法学界でもあるわけですが、少なくとも、憲法で定めておる、憲法九条が非武装、非軍備、交戦権を持たない、そういう理念であるとすれば、日米安保条約はこれに反することは言うまでもないわけなんですね。
 ただ、それに対して、では、何でそこを歯どめがきくのかということになれば、それは裁判所による違憲立法審査権だと思うんですね。
 ところが、違憲立法審査権について、裁判所が十分な判断を下していないというのが法的には一つの大きな問題になっているんだろうと思います。
 法理論的には、私は、日米安保条約は、憲法九条あるいは前文に違反する条約だと思います。それを確認する手だてをまだ行使していないというふうに考えております。
大出委員 ありがとうございます。
 もうちょっと時間がありますので、もう一つの命題といいますか、今アメリカが戦争の戦略を変えてきまして、昔ならば、核の問題でいえば、同時確証破壊というのを、今度は、先制核攻撃もオーケーになるという戦略に変わっているわけですね。
 そのときに、私はつくづく思うんですが、戦後、日本の広島、長崎に原爆を落としたことは本当は誤りであったということを、私たち日本人がアメリカにずっと突きつけてこなかったことが、使える兵器として核を残してしまったんではないかと実は思っているんです。そういう意味で、陳述人の皆さん、時間があと六分ぐらいしかありませんけれども、どのようにお考えになるか、お答えをいただきたいと思います。
 日下部さんから。
日下部恭久君 誤りであったと言うことも必要でしょうけれども、やはり戦争をなくすという立場からの発言にしないと、逆に、そのことだけが浮き立つことになるかもしれない。
 時間がありませんので、ちょっと言いにくいのですが、以上です。
後藤好成君 時間もありませんので、簡単に。
 やはり核廃絶、これを、原爆は誤りだったと言うことももちろんのことなんですが、今は核大国になっているわけですね。こういうところに向かって、今、核廃絶を堂々と被爆国の日本としては言っていくべきではないかというふうに思います。
西座聖樹君 それはもう、もちろん、核を使ったことは間違いであったということはしっかりと言うべきでありますし、やはり、核そのもの自体をなくすような努力を日本はするべきだと思います。
林力君 御質問と同意見でございます。
宮崎優子君 私は、アメリカは人種差別国家だと思っております。あれは多分、原爆は日本だから落としたんじゃないだろうか、ヨーロッパのドイツとかだったら多分落とさなかったんじゃないだろうかと思っています。
 それと、広島や長崎の原爆を浴びた人たちを治療しているんですけれども、その治療の仕方がとても、研究者の目というか、原爆を落としたときに人間はどんな被害が出るだろうという感じで治療しているという印象を持っております。
石村善治君 私、三つ言いたいんですが、一つは、基本的には広島、長崎の原爆投下という問題の視点は、やはり人間の尊厳を侵したんだという点です。だから、これは科学者を含めて責任を持つべきであるというふうに思います。
 それから第二番目は、広島、長崎を考える場合に、戦争の被害者である日本国民の立場、これはもちろん重要なんですけれども、それだけではなくて、かつてアジアに向かって、あるいはアメリカの国民に対してもそうかもしれませんが、加害者であったという反省をやはりきちんと持つべきである。そして、それを加害者でないように、あるいはこれから被害者でないようにするために、では、どう核廃絶をやるのかという形でアメリカの皆さんと話し合いをすべきではないかというふうに思っております。
大出委員 ありがとうございます。
 もう時間的に少なくなりましたので、一言申し上げて質問を終わりにしたいと思います。
 先ほども、環境の話から始めましたけれども、国内で人を殺せば殺人罪、しかし国際政治はパワーポリティックスであるから殺人罪にならずに褒められてしまう、勲章をもらってしまうというようなことが現実に起こるわけですね。これはおかしい。国内で人を殺したら殺人罪になるんですから、それが国際的にそうなる方向で人類は考えていかなければいけないんだろう、私はそう思っております。
 以上をもちまして、大出彰の発言を終わります。ありがとうございました。
中山座長 次に、江田康幸君。
江田(康)委員 公明党の江田康幸でございます。
 私は、選挙区は熊本でございまして、五月十一日に熊本地裁で行われましたハンセン病の判決、これに対して我が党の坂口厚生労働大臣が控訴を断念するという英断を下され、それを支えた者の一人として、きょうは林先生が、ハンセン病でお苦しみなされたお父さんを持たれる、そういう非常に大変な御経験を持たれておりますので、林先生に、まずは、なぜ九十年もの長き間隔離政策が続けられたのかという点についてお聞きしたいと思っております。
 先ほど、先生は、時間がないせいか余りお話しになられませんでしたので、私の考えをまず言わせていただきながら、憲法における保障された人権というものを探ってみたいと思っております。
 このハンセン病というのは、皆さんも御存じのように、非常に伝染力は弱くて、私も医療関係に長くおりましたのでよく知っておりますが、遺伝もしない、そういう病気でございます。しかし、この病気ほど偏見を持たれて差別された病気はないわけでございまして、九十年間隔離政策が続けられたわけであります。
 これは、憲法に保障する人権侵害も甚だしい結果でございまして、しかし、なぜこの病気だけが偏見を持たれて差別されたのか。このことについて、私、坂口厚生労働大臣があのように決断をされるその背景に、大谷藤郎先生との会談でこのようなことを教えていただきました。
 それは、明治から一つの社会的思想があった、国家主義、民族主義、すなわち大和民族の血を汚すようなものは排除すべきであって、ハンセン病はその最たるものとしてこれを一掃するために隔離をしてきたというものでございます。問題なのは、戦後のこの民主憲法が制定された後においても、らい予防法は廃止されずに、ずっと九六年まで続いたわけでございます。
 こうしたことの背景に、国家主義、民族主義という問題がございますが、私は、この問題が残った背景は、やはりハンセン病への国民の無知がまずあったのではないか、これははっきりしたことであるかと思っております。それと、日本人の人権意識の低さが、こうやって民主憲法の中に基本的人権を明らかに制定されてもなお人権意識の低さがある。それは、欧米では、何百年もの間、人民の闘争の中でかち取ってきたという非常に強い人権意識がございますけれども、日本人には、命をかけてかち取ってきたという人権意識がございません。
 このようなことがその根底にあって、医者も、それから政治家も、国会も、国民も、すべてがこういう人権に鈍くなっていたということが、私、考えるわけでございますが、先生はこの問題についてどのようにお考えなされるか。また、二度と繰り返さないために、憲法の人権保障を実効力あらしめるためにはどのようにしていかなければならないかということに関して教えていただきたいと思います。
林力君 多くを語る時間もございませんので、簡単に私の考えを申し上げたい。
 これは、熊本地裁の判決にもございますように、基本的にこの政策が始まりましたのが、病気を治すとか、患者の人権を守るとか、そういうことではなくて、まず、一九〇七年の国辱論でございました。外国人が多く日本に来るようになった。日清、日露の戦争を通じて世界の五大強国になった。そういう国の中に、汚れ、ただれた人間がうろうろしているということは、この国の不名誉であるというところからまず隔離政策が始まったのが不幸なことでございました。人権論なんというのは全くございませんでした。
 その次に、これも熊本地裁の判決が述べておりますので、政府が認められたことでございますけれども、先生がおっしゃいましたように、大和民族の血の浄化作戦、これは一九三一年、まさにあの満州事変が起こって日本の軍国主義がいよいよ台頭してくるというその年に合わせて、この隔離政策がさらに強化されていきました。このことを熊本地裁は、大和民族の血の浄化作戦と言っております。
 天皇絶対主義のもとにおける天皇は神であって、その神の子としての国民であったことはだれでも認めざるを得ませんけれども、そういう選民意識というものが私たちの国が戦争を拡大していったということにつながるわけですけれども、アジアの盟主たらんとする日本、大和民族の中に血のただれた者がいるということは、これはどうかしなければならないということが、簡単に言えば、大和民族の血の浄化作戦であったと思います。
 どうして私たちがこのことに気づかなかったのかというのは、いろいろお互いに勉強しなければならないことで、こんな場で簡単に言えるものではございませんけれども、御指摘のように、私たちは、人権感覚が本当にシビアなものではなかった。闘い取ったものでもなかったし、それを利用する形で、国家権力が私たちを無知の状況に置いて、その意思を貫徹しようとした。我々も、どこかでそういう人たちがいる、そういう病気があるということは薄々知っていたけれども、それに関心を持とうとすらしなかった。簡単に言えば、そんなことではないかと思います。
 特に今、検証されなければならないのは、私の父親もそうであったと思いますけれども、我が国は、二回にわたって、戦後も無らい県運動をやっております。各県知事に命じて、その県から一人のらい患者もいないように強制収容するということをやりましたけれども、そのことを通じて、国民にらい患者のいびり出し運動を強制した。私たちはそれに何か協力をしてきたというものがございまして、本当に、この問題一つ見ても、先ほど申しましたように、私どもの人権意識というのは鋭敏なものではないということを改めて思いますし、組織を挙げて二度とこういうことがないように検証をされなければ、無念の中で死んでいった多くの人々は救われない、このように思っております。
 多くを申し上げる時間もありませんので、お許しください。
江田(康)委員 全く同感でございます。この控訴断念で、それから補償法も成立させてきたわけですけれども、残るは差別意識、日本人が持つ差別に対して、どのように教育を通じながら、ハンセン病の歴史を、人権侵害の歴史を反省材料として持っていくかということだと思います。
 憲法十二条でも、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とうたわれているわけでございます。我々国民は、その不断の努力というものをやっていかなければ、この憲法に書かれた基本的人権も形をなさないということで、もちろん法律だけの問題ではない、そのようにきょうは勉強させていただきました。
 時間がない中で、もう一つお尋ねしたいんですが、きょうは人権についてお話を進めさせていただいております。
 新しい人権ということについてお聞きをしたいと思っております。できれば、石村参考人並びに林参考人、御専門であるかもしれませんので、お二人にお聞かせいただきますが、いわゆる環境権とかプライバシー権、知る権利などの新しい人権というのは、五十年前の憲法制定当時には予想されていなかったものでございます。したがって、これらの権利を保障するために、憲法に新たな明文規定が必要ではないかという議論があります。
 我が党でも、党内に憲法調査会を設置いたしまして、こういう新しい人権について論議を今しているところでございますが、この憲法調査会に、かつて参考人としてお呼びいたしました棟居先生という方がいらっしゃいまして、その著書の中でこういうことをおっしゃっておられます。
 新しい人権のほとんどは、もともと個人の尊厳といった憲法上保障されている基本的な価値を実効的に保養するために新たに考案された司法的救済手法といったものである。新しい人権は、実は侵害の態様が新しいだけで、侵害から守るべき価値までが新しいわけではないと述べられております。すなわち、これは、新しい人権の明文化が必ずしも問題ではなくて、新しい侵害態様から、いかに憲法で保障する基本価値を保護していくかが大事であって、現憲法の枠内で、司法による自由な法の創造にゆだねられた分野であると難しい言葉で言われております。
 すなわち、この新しい人権は、態様が、形が違うだけであって、中身は、その価値は、制定当時に言われた人権の中に酌み取ることができるということをおっしゃっておられるわけでございます。このことについて、新しい人権の中身を十分吟味した上で果たしてそのように言えるかどうか、そこのところを両先生に聞かせていただきたいと思うんですが、いかがでしょう。
石村善治君 憲法論みたいな話で、これはちょっと簡単に申し上げることはできないかとも思いますが、私は、知る権利については、公述をしましたように、今の憲法二十一条それ自体が、発表する権利ではあっても、知る権利という言葉は書いてないわけですね。それで、最高裁判所はこれを知る権利まで拡大するという努力をしたわけですが、しかし、最高裁の判決だけでは、法律の中にも採用されていかない、それから条例の中でもそれが生かされてこないという状態でここまで来ているわけですね。
 それからもう一つは、私言いましたように、人的適用範囲からいっても国際的なものになっておる。それから、内容の面からいっても、知る権利というのは、単に行政だけではなくて、国会、司法、全国家行為を含めてということでございますので、これは必ずしも、私の解釈では、日本国憲法の二十一条の中には読み込めないものとして残っているのではないか。可能であれば、私は、それをうたうことによって、内容上あるいは国際的に有意義なものにするということは、これは可能性としてはあり得るし、望ましいのではないかというふうに思っております。
 環境権については、ちょっと私今のところ勉強しておりませんので、差し控えます。
江田(康)委員 一言、林先生、お願いいたします。
林力君 私は憲法学者ではございませんので全くわかりませんけれども、プライバシー権とか環境権とか知る権利とかというものが浮上していることは存じておりますが、まさにこういうことこそ国民的な論議を投げかけていくということがまず前提ではないかというふうに思います。
江田(康)委員 ありがとうございました。
 時間です。終わらせていただきます。
中山座長 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子でございます。きょうは参考人の皆様、長時間ありがとうございます。
 それでは、早速、弁護士の後藤参考人の方にお聞きしたいと思います。
 まず、日本は、先ほどハンセン氏病の裁判の件もお話出ましたけれども、私も実は最終解決をする議員連盟の会で、ハンセン氏病に対しては胸を痛める思いでともに闘ってまいりました。あれで終わったわけじゃないわけですね。今後も、過去の責任に対する反省、また、今後どのように皆さんをバックアップしていくかということは、我々議連の方でずっと続けていこうという申し合わせでもありますので、それはきちっと見守って、前向きに進んでいこうと思っております。
 実は、先進諸国の中には憲法裁判所というものがあるわけですけれども、日本では、憲法裁判所というものがありませんために、いろいろな点で憲法に対する違憲審査ということができない状態でおるわけです。この憲法裁判所に対する意見、日本は二十一世紀、どのような憲法に対しての違憲審査をしたらよろしいでしょうか。
後藤好成君 憲法裁判所という、憲法判断の問題ですが、違憲立法審査権というのは最高裁判所は持っておりますので、これは最高裁の方で現状でも十分憲法判断はできるはずだと思っております。
 ただ、問題なのは、先ほども石村先生がおっしゃいましたけれども、最高裁の方が憲法判断を避けていってしまっている。例えば第九条問題とかそういう問題では、避けていくような傾向が結構あるわけですね。回避の理論という議論まで出ておりまして、このあたり石村先生の方がお詳しいと思うんですけれども、そういう点では、私は、それはやはり不当なことだと思います。最高裁判所に期待されているのは憲法の判断、まさに違憲というのは上告理由になっているんですね。これについて堂々と、憲法判断を避けないで、正面からしていただきたいというふうに思います。
 もちろん、地方裁判所、高等裁判所も憲法判断はできるわけで、いろいろなところで憲法判断も出ておりますけれども、そういうのも裁判官がもっと積極的にしていただくということ自身が、憲法に関する国民の関心と議論、そして憲法をこういうふうに守っていくという意識も高まっていくし、裁判に対する、憲法を判断してもらえるという信頼も高まっていく。そういう点では、一層裁判所の努力を求めたいというふうに思っております。
武山委員 石村参考人に同じ質問をしたいと思います。
 憲法裁判所について、うまく運用されていないという現実をどう思われますでしょうか。
石村善治君 先ほど私述べましたように、憲法の中では違憲法令審査権を明確に定めておるんですが、それを、私から言わせると極めて消極的ではないか。学界でも、司法消極主義、司法積極主義という二つの考え方があって、積極的に違憲判断をすべきであるという考え方もあります。それから、消極的にやるという判断もあるんですが、私は、日本国憲法の中にわざわざ違憲法令審査権をつくっておるわけですから、積極的に判断をすべきであるというふうに思います。
 それからもう一つは、最高裁判所の裁判官の任命方法について、もう少し民主的といいますか、そういう方法を考えるべきではないかというふうに思っております。最後の、国民審査が形骸化していることは、もう皆さん御存じのとおりなんですが、任命の過程においてもう少し民主的な方法を考えるべきではないかという考えを持っております。
武山委員 それから、今、夫婦別姓、選択的夫婦別姓とかいろいろ言われておりますけれども、一人っ子同士の結婚等ございまして、この夫婦別姓についての御意見を、それぞれ一人ずつ、日下部さんからお聞きしたいと思います。
日下部恭久君 憲法二十四条にあるように、両性の合意ということが基本ですので、別姓は賛成の立場です。
後藤好成君 私も、夫婦別姓は賛成です。個人の尊重ということが憲法に規定してありますし、全く平等ということですが、現実的には、夫の姓を結局名乗るということが多い。そういう中で、私は、本当の個人の尊厳というか、男女平等を現実的にするためにも、夫婦別姓を選択できるというふうな制度にすべきだ、これは世界の趨勢ですね。
西座聖樹君 個人的には余り別姓というのは理解できないんですけれども、皆さんそれぞれ個人の意思でよろしいんじゃないでしょうか。
林力君 賛成でございます。
宮崎優子君 本人たちの話し合いで自由に決められるようになったらいいと思っております。
石村善治君 憲法二十四条は、両性の合意のもとにということになっているんです。それは、単なる結婚ということだけではなくて、名前というのは本人の人格にかかわる問題でありますから、基本的にはお互い自由な意思で名乗るというのが当然だろうと思います。
中山座長 静粛に願います。
武山委員 もう一つ突っ込んでお聞きしたいんですけれども、子供の姓の決め方、そこで一つ議論があるんですけれども、親が決める、もちろんそうなんですけれども、二十歳になって決める……
中山座長 静粛に願います。
武山委員 ある程度の年齢になって決めるとか、小さいうちに決める、生まれたとき決める、そういう議論がありますけれども、いつ姓を決めたらいいか、皆さんにお聞きしたいと思います。
 まず、女性の宮崎さん、いかがでしょうか。
宮崎優子君 御質問の意味がちょっとよくわからないんですけれども。
武山委員 夫婦別姓でお子さんが生まれたら、父親と母親が別姓をとりますね、そのときに、子供の姓はどのように、いつごろ決めたらいいですかという質問です。
宮崎優子君 はい。わかりました。
 子供が自分で判断できる年齢というのがあると思うんですね。だから、その子供さんによって違うと思います。親御さんが子供さんに相談をしてということを、自由に幅を決められていた方がいいんじゃないでしょうか。小さいときに決めなきゃいけないというと、また、子供にとってとてもそれが不自由なときがあると思いますので。
武山委員 弁護士の後藤参考人、お子さんが二人、三人いるとき、男の子、女の子なんというときに、兄弟で姓が違うとか、いろいろ議論があるんですけれども、その辺、お聞かせ願いたいと思います。
後藤好成君 現実に、夫婦別姓をされている方は、戸籍上は現行法ではできないんですけれども、お子さんが違う姓を名乗っておられるという方はおられますね。これはそれぞれの問題ですから、先ほどありましたけれども、お子さんが自分で判断できる年齢になって、自分がこの姓を名乗りたいということであったならば、実際は違ってきてもよろしいんじゃないかというふうに思います。
武山委員 それでは、西座さん、先ほど、余り個人的には賛成じゃないということでしたけれども、もし、夫婦別姓を名乗りたい、そして、なおかつお子さんが生まれましたら、どのように思いますか。
西座聖樹君 やはり同じく、個人的にはよく理解できないんですけれども、生まれてすぐどちらかに入れておいて、本人が、いや、こちらの方がいいと希望するときがあれば変えられるようにすればいいんじゃないですか。すぐにないというのも変かな。
武山委員 どうもありがとうございました。
 それでは、林参考人にお聞きしたいと思います。
 今の憲法ができて半世紀以上たっておるわけですけれども、この戦後五十数年という激変の中、制定当時と今の社会は、大変大きな変化の時代でございます。その中で、この憲法に対して、先ほど議論にもありましたように、環境権とか入っていない、今の社会に合わない、すなわち欠けている部分というものはやはり入れていくべきだと思うんですけれども、特に憲法と教育基本法というところを視点に入れて、お考えをお聞かせいただけたらと思います。
林力君 先ほども申し上げましたような私の経験とか生い立ちというものの中から申し上げますけれども、別に今の教育基本法を変更しなければならないという考え方には立っておりません。あの理念を国も国民ももっともっと大事にして、そこから新しい価値観を持った子供たちを生み出すことは十分可能だというふうに思っております。
武山委員 同じ質問に対して、石村参考人にお聞きしたいと思います。
 憲法と教育基本法という点で、何か感じることがございましたら、お聞かせいただけたらと思います。
石村善治君 教育基本法は、御存じのように、憲法の精神を盛り込んだ法律であるわけですね。私は、憲法の中での教育の自由あるいは言論の自由等々、それから教育基本法の中には、「われらは、個人の尊厳を重んじ、」という、こういう高い理想を掲げて定めておるわけで、むしろ、教育基本法は憲法を保障しようという精神でつくったと思うんです。現在、これについて改正の動きがあるようですけれども、私はむしろ、教育基本法をしっかりと守るということが望ましいというふうに思っております。
中山座長 静粛に願います。
武山委員 それでは、地方主権、地方分権について少しお聞きしたいと思います。地方公務員をされていらっしゃる日下部さんにお聞きしたいと思います。
 地方主権という形で、地方が活力を持って、自分たちで権限と財源を持って町づくりをしていくというのは、欧米先進諸国ではほとんどそういう国になっておるわけですね。日本は、戦後五十年たって、市役所、県庁それぞれの行政の部分で、市民に対するサービスに対して、私なんぞ、例えば町役場に行ったり市役所に行きましたりして、煩雑なわかりにくい申請の仕方だとかそういうものがありまして、もっと簡潔でもっと時間のかからない、そしてわかりやすいサービスというものは、今日本の場合は、行政は中央省庁で全部決めている、そして県に行き市町村に下がってきて、それを機関委任事務でやっているというのが現実なんです。
 これから、分権分権とずっと言われてきて、主権主権と言われてきてなかなか進まないわけなんですけれども、それを市でも、それから日下部さんがいらっしゃるところで、権限と財源がありましたら本当に主権でできますでしょうか。
日下部恭久君 私は、地方分権という上からの議論にはかなり疑問を持っています。むしろ、地方自治という立場から考えるべきではないか。それが憲法に規定されている地方自治の精神に基づくものだと思います。
 そしてまた、地方主権という場合は、もちろんその根幹をなすものは住民自治でありますし、住民主権だと思います。自治体が自治体たり得る場合は、やはり財政主権、財政も同様にそれなりの主権として活用できる体制になければ担保できないと思います。
 現在の地方分権議論は、制度的議論だけが先行していまして、財政上は依然として集権主義になっているのではないかというふうに思います。地方自治を考えていく上では、冒頭の意見陳述でも申しましたように、戦後の日本国憲法にうたわれた地方自治は、私は、人類が築き上げてきた宝に基づくものだと思います。
 憲法九十二条に載っている地方自治の本旨というのは、これはやはり国民主権に基づいた制度をせよ。最後になりますが、それを阻害しているのは地方自治に関する諸法律だと思います。とりわけ地方公務員法等についても、その弱点があると思います。
中山座長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 六名の陳述人の皆さん、きょうは本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
 戦争と平和の問題が熱い議論になっておりますので、最も大きな話題の一つであるイラク戦争の問題について、まず日下部さんと石村さんにお伺いしたいと思うんですが、先日、イージス艦の派遣を決定したんですね。これは御存じのとおり、数百キロメートル先の物体を瞬時に捜索して探知して識別して、アメリカの軍艦、艦船にその情報を提供する、つまり戦争体制に組み込まれるという性格のものなんですね、これは。
 ですから、これは武力行使と一体化する危険が高いので、政府自身、集団的自衛権の行使につながるということで自重してきたものでした。これが今、強行されようとしている。こういうなし崩し的な、政府が言ってきたこと自身にも反するような憲法理念のなし崩しということが、それをまず正さなければならないんじゃないかというのが私の考えなんですが、日下部さんと石村さん、今大変熱い問題になっておりますので、その点についてお伺いしたいと思います。
    〔座長退席、保岡座長代理着席〕
日下部恭久君 平和を前提に国防を考える、自衛を考えるという議論があります。しかし、私は、憲法の立場に立つなら、平和を論じるなら、戦争をしないこと、戦争のための軍備を放棄することの議論がなぜ展開できないのかと思います。
 それから、イージス艦の問題は、もちろん、アメリカの戦争にくみするという危険な面は御指摘のとおりだと思いますが、有事法制がさきの通常国会と今臨時国会においても、今なお強行成立化されていません。その意味では、先ほども申しましたように、戦争に行かない国会のおじさんたちが勝手に決めたと言った、あの女子高校生の発言をもう一度思い起こしたいと思います。戦争に行かない国会議員の一部、なぜ戦争をする法律を通すのでしょうか。そこに問題があると思います。
 しかも、今回のイージス艦は、首相が最終的に決定したと聞いています。与党の中には反対もあると伺っています。そうした中で、首相が権限を強行発令するというのはまさに有事法制の先取りではありませんか。そのことについても、私は、有事法制に反対する立場から、そして子供たちを再び戦場に送らない立場から、このイージス艦については厳重に抗議をしたいと思います。
 以上です。
石村善治君 イージス艦の派遣だけではなくて、現在の自衛艦の派遣それ自体が兵たん活動だということで、私は、戦争に加担しておる具体的な姿だろうと思います。近代的な戦争では、そういう兵たん基地こそが大事な役割を果たしておるわけですので、現在の状況においても、これは戦争の加担行為に当たるというふうに考えます。イージス艦は、さらにその上に、近代戦争の一番中枢を占める情報の、高度な情報協力をするということで、これは他の国から見たら、完全に戦争行為に加担しておるというふうに思うのではないか。あるいは、必ず思っているだろうと思うんですね。そういう意味で、私は、こういう行動は避けるべきであるというふうに思います。
 それからもう一つは、先ほど日下部さんも言いましたけれども、イージス艦の派遣についての決定過程が極めて不明朗であるという点があると思います。こういう憲法それ自体の問題になる場合に、なぜ国会のコントロールができないのかというふうにすら思っておるところであります。
春名委員 ありがとうございました。
 それだけではなくて、御存じのとおり、PKO法、周辺事態法、そしてテロ特措法、今議論されている有事法制、それぞれ大きな国民的な危惧の広がりの中で議論され、採決されてきている中身があります。つまり、七〇年代、六〇年代と違うのは、今、九〇年代、二〇〇〇年代、二十一世紀に入って、自衛隊という軍隊が海外で日常的に派遣されて行動するという体制になってきているわけですね、この憲法のもとで。そのときに、九条の二項をなくすということは一体どういう意味かということを考える必要があると思うんですね。
 それは、軍隊を軍隊として位置づけてしまって、そして、そのことによって自由に海外で行動できるようにしていくという道を開くことに、今の政治情勢から見て、到達から見てなるわけですので、九条の一項、二項は一体ですし、前文も一体ですから、平和共存の道を歩んでいくという道以外にないというのを強く私は言っておきたいと思うんです。
 そこで、憲法は、ただ九条を守るということではないんですね。平和の外交によって積極的に平和をつくり出していく、そういう能動的なものだと思うんですね、日本の憲法というのは。その点で、この平和外交、日本が九条に沿ってどういう努力をこれから国際社会にやる必要があるのか、今、どこが足らないのか、そういう点についてぜひお伺いしたいと思います。
 これは、林さん、後藤さんにまず伺ってみたいと思います。いかがでしょう。
林力君 申しわけありませんが、ちゃんとお答えする考えが今まとまっておりません。お許しをいただきたいと思います。
後藤好成君 先ほども申し上げましたように、我が国が平和憲法を持っているというのは本当に世界に誇るべきことである。先ほども言いましたけれども、大きく世界の世論は、戦争はやむを得ない、ある程度の実力で問題を解決すべきなのか、それとも、あくまで平和で、徹底して話し合いでやるべきなのかというふうに、そういう世界の世論があるわけですね。私たちはどちらの立場に立たなきゃならないのかという問題だと思うんです。
 やはりこれは、それこそ唯一の被爆国であるし、第二次大戦で莫大な死者も出したし、侵略もした、こういういろいろな反省のもとに平和憲法がつくられているわけです。そういうのを前面に出して外交をしなきゃならない。ところが、片手で平和を言いながら、片手でイージス艦派遣するとか、アメリカ軍の後をついて応援していくというのは、これでは説得力がないわけですね。一体、日本はどっちなんだと。私は、やはり率直に、そういう軍事的なことは一切やめて、あくまで平和でいくというアピールをやっていくべきだと思います。
 もう一言言わせていただくと、では、そんなことを言っても、本当にそれは世界に通用するのかという議論ですね。しかし、私はすると思うんです。昔と今は時代が違います。本当に、前日に起こったことが、翌日には全世界の世論になってしまうんですね。こういう時代なんです。そういうときに、どういうことを私どもが言い、どういうことを主張し、そしてどういうスタンスを持っているのか、これを全世界の人は見ている。そういう点では、先ほども出ましたけれども、イージス艦派遣だとか、有事法制の立法だとか、そういうことは私はやるべきではないというふうに思います。
春名委員 どうもありがとうございました。
 基本的人権の問題についてですが、きょうの陳述人の皆さんの中で、ハンセン病の問題、薬害スモンの問題、部落差別の問題、さまざまな今の日本社会の抱えている問題が鋭く告発されました。非常に深く胸に刻みました。
 ところで、第十四条には、法のもとに平等、人種、信条、性別、門地、身分によって差別されない、それから十三条には、個人としての尊重、そして幸福追求権、こういう、日本国憲法は、御存じのとおり、三十条にわたって基本的人権の条項を大変豊かに規定しています。その日本でこういう告発を今受けなければならない、このことを今、憲法調査会は調査しなければいけないと思うんですね。
 その点で、そういう問題提起をされた日下部さん、林さんに率直にお聞きしたいと思いますけれども、なぜ三十条にわたるこういう人権条項が、もちろん十分生かされたところもあるかもしれませんが、生かされずにこのような事態になっているのか、どうすればこれを克服できるのか。私たち国会議員の責任も大きいと思っていますが、その点での御感想をお聞かせいただきたいと思います。
日下部恭久君 私は、人権の問題で、新しい人権があるので改めろという議論がありますが、それは議論としては成り立つかもしれませんが、先ほども言いましたように、やはり九条が基本だと思います。それから、国民の不断の努力によって維持していくという点については、国民の責任も否定はしません。しかし、政治をつかさどる政治家の皆さんや国会議員の皆さんや、そして、子供たちを政策によって直接教育する、そういう立場の人たちが、本当に憲法を遵守しようという精神で来られたのかどうか、私は、甚だ疑問だという点を述べておきたいと思います。
林力君 私どもが、長い、半世紀以上にわたるこの憲法のもとで、生活の中で憲法をどうとらえるかという感覚が本当に鋭敏であったかということが一つ問われていると思うんです。どこかやはり、憲法というのは遠いものだ難しいものだというところから、なかなか我々が離れ得なかったという一つの課題を持っていると思う。生活の中でどう憲法をとらえ生かすか、これが大きな問題だと思う。
 それからもう一つは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、国連の人権委員会の指摘の中に、ほめられたところは三つで、問題視されたところは二十八と言いましたけれども、その二十八の中の非常に多くの部分が、公権力における人権侵害ということが出ているわけですね。これは、今論議されている人権擁護法ともかかわっているわけですけれども、公権力がさまざまな人権侵害をしているということに対して、これまた我々は余り敏感ではなくて、そういうことを言ったら、我々が日常生活で不利益な立場に立たされるような、そういう感覚もどこかに残っていて、そんなものが憲法の人権条項を空文化してきたものではないか。まず、私は、公権力における人権侵害というものについては、国際的な指摘もあることですから、もっと我々は敏感にならなければならないと思っています。
春名委員 ありがとうございます。
 最後に、後藤さんに、人権を守る弁護士としての御感想をお聞きしたいと思いますが、新しい人権の問題がきょうも議論になっています。知る権利、あるいはプライバシー権、あるいは環境権、憲法は五十六年たっていますので、そのときにはそういう新しい概念はなかったかもしれません。しかし、今、そういう概念が議論されているのはなぜかといえば、国民の運動によってそれをつくり出してきたんですね。十三条、二十五条、こういう豊かな人権規定を使って、公害訴訟の闘い等々の中でこの概念を生み出してきて、そして裁判でそれを確定していくという歴史だと思うんですよ。
 したがって、私は、新しい人権の規定を憲法の規定の中に入れればひとりでに何か人権がうまくいくとか、そういうことには決してならないと思いますし、同時に、そういう人権を軽視している方々が新しい人権と口走るものですからこっけいだという面もあるわけなんですね。その点、一言、後藤さん、新しい人権問題についてどういうお考えかを聞かせてください。
保岡座長代理 時間が来ていますので、手短に。
後藤好成君 今おっしゃったとおり、今までのいろいろな人権規定の中で、この戦後六十年近くの期間でいろいろな憲法裁判がございまして、そういういろいろな裁判の中で人権規定が本当に磨かれてきたというか、あるいは新たなものが主張されてきた、確立してきたというのが現実だと思います。
 そういう点では、憲法に人権規定があるというだけではなくて、問題があれば、そこから人権を生み出していくという、本当にいろいろなところの闘いといいますか努力が大事だと思います。
 以上です。
春名委員 どうもありがとうございました。
保岡座長代理 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。きょうは、六人の意見陳述者の皆さん、ありがとうございます。
 この九州は長崎に原爆が投下され、私も、最初の原爆が投下された広島でいろいろ活動してきた者の一人として、九州でいえば沖縄も含めてそうでありますけれども、まさにそうした悲惨な体験の中から、きょう、六名の陳述者のうち五名の方が、この平和憲法というもの、とりわけ九条に対しての熱い思いを語っていただいたことに、まず感謝を申し上げたいと思います。
 私は、核の問題について少しだけ私の意見も述べさせてもらいたいと思います。
 アメリカの加害責任を問うということも言われておりますけれども、石村さんもおっしゃったように、核兵器というものが人間の尊厳を一瞬にして奪う非人道的な兵器であるということを身をもって体験した人々は、その怨念というか恩讐を乗り越えて、つまりは再び核兵器を使用させてはならないという、その非人間性というものを世界に訴えていき、そして、それを世界の人々が知ることによって、再び核兵器が使用されない、核兵器のない世界をつくりたいということを強く求めてきたと思うんです。
 私は、その中でも、加害、被害の問題がありますけれども、石村さんの方から被害のお話もありましたけれども、少なくとも、これまでこの広島、長崎の被害の体験を訴えてきたのは、実は広島市や長崎市そして被爆者であって、国は残念ながらこの被害を世界に訴える努力を全くしていなかったと言っていいというふうに思うんです。
 その被害を一番受けた被爆者が、その被害の実相について訴えるときに、加害の問題にまでということは、私は、もちろんその精神というものは必要だと思いますけれども、今、被爆者にそこまで多くを求めることはできない、むしろ、そのことは日本の政府がその役割を果たすべきだというふうに感じております。
 そういう意味でいいますと、核被害につながる戦争を否定した憲法九条が今大変危うい状況になっているというのは、憂慮すべきことだというふうに思います。
 一つは、去る十一月十八日、この九州の大分県日出生台の演習場前で起きた出来事です。日米の共同演習が行われる、それに反対する地元住民の反対集会に、事もあろうに、そこに通りかかった陸上自衛隊西部方面総監部の松川総監、陸将という非常に高い地位の方でありますけれども、ジープから戦闘迷彩服の姿で突然おりてきて、集会参加者に、どうして訓練に反対するのか、訓練は北朝鮮の抑止力になる、これはちょっと、ここのところの部分はやや、マスコミ報道等もありますから、正確性を欠いておるかもわかりませんけれども、そういうことで集会の参加者に詰め寄ったというような事態が実は起きております。
 私は、先ほど話もあったように、この今の状況、自衛隊が海外に派兵をされていくような状況の中で、いわば戦前回帰とも言えるような、自衛隊といえども軍隊の性格を持つということを、自分たちがやっていることに何が間違いがあるのかというような姿勢がどんどん出てきているのではないかという危惧を持っておりますけれども、石村陳述人にまずその点、お伺いしたいと思います。
石村善治君 ただいまの御意見は私そのとおりだというふうに思うわけですが、要するに、先ほどから、人権が何で定着しなかったかという点でいけば、一つ具体的な問題としては、私はこういうふうに思うんですね。警察のいろいろな人権侵害、あるいは自衛隊のそういった憲法違反と考えられる行為、あるいは自衛隊の中で最近注目されている自殺者が非常にふえておるというような問題、そういった問題について、これは外からわからないんですね。どういう状況の中で行われているということがわからない。
 私は、こういう公権力の人権侵害等については、独立した第三者機関をきっちりと設けて、そして監視すべきだというふうに思うんです。そういう監視の制度が日本では非常に手薄になっている。私は、ドイツの憲法を研究しながらいつも強調しているんですが、ドイツでは、国防軍に対して軍事オンブズマンが国会の中にきちんとありますし、それから情報公開法あるいは個人情報保護法等に関しても第三者の監視機関がしっかりしたものを持っておるわけですね。日本ではそういうものは全くなくて、しかもマスコミの皆さん方も余りその辺に目が届かないということで、我々は五十年間知らなかった部分がそういう面からもあるのではないかという感じを持っております。
金子(哲)委員 西座さんにお伺いしたいんですけれども、戦争というものの持つ性格というか、戦争というものの実際の状況というのは、実は、国民の生命や財産を守るためのということで自衛権の問題でお話しになりましたけれども、一たび戦争が起きた場合、特に近代の戦争は、圧倒的に被害を受ける人々、戦争の犠牲になる人たちは、軍人よりもむしろ民衆の方が多いわけですよ。例えば、日本のことで考えれば、自衛権を行使するということになると、日本が戦場になるということをある意味で想定しなければならないと思うんですけれども、そのときにどのようなことが起こるかという一つの私たちが体験した例を言えば、残念なことですけれども、さきの大戦による沖縄の体験だと思うんですよ。
 その体験で、私ども、沖縄の地方公聴会でもお話が出たわけですけれども、まさにそこで行われたことは、軍隊によって守られるべき住民が疎外をされていったり、そしてまた犠牲になって、半数を超える、六割近い人たちが住民被害者だったということを考えてみますと、自衛権の名による戦争といえども、戦争が一たび起きたときの、いわば守られるべき市民が犠牲になることについてはどのようにお考えでしょうか。
西座聖樹君 当然守られるべき市民が守られないというのは、これはよくないことでありますし、例えば、現実に戦争が起こった場合ですけれども、自衛隊と今おっしゃった軍隊との差というのは、私は、余りないような気がします。
 ただ、これは日本という国を守るために、はっきり軍と言うとあれですけれども、そういった防衛軍的なものがそこにあるかないかというのは大きな違いがあると思うんですね。今の自衛隊は、確かに自衛するためのものではあるんですけれども、有事が起こったときに果たしてどこまで国を守れるかというのはよく私はわからないんです。そういうことを考えますと、今言う、戦争が起こったときに、もちろん市民、いわゆる守れないとおっしゃっているんですよね、今の現状で。
金子(哲)委員 守れないのではなくて、戦争が一たび起きた場合には、その戦争の行為によって犠牲になるのは、軍人だけではない、自衛隊員だけではない、そこで犠牲になる数よりもはるかに多くの市民が犠牲になることがあるという現実の姿だということです。
西座聖樹君 だから、それは自衛隊であろうと軍であろうと、起こった後にはあるんじゃないですか。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
 つまり、私は、近代の戦争というものが、自衛隊で国民の生命や財産を守ると言いつつ、自衛権の行使ということを言われるけれども、結局のところは、戦争による自衛権の行使というのは国民の生命や財産を犠牲にすることになるんだということを、それがかつての戦争の反省の中にあって九条につながっているということを言っているわけであります。
 さらに、日本の政府の場合は、かつての戦争について、いわば生命と財産を守るための戦争であったかもわかりませんけれども、その犠牲になった一般国民の被害については、実は全く補償していないんですね。軍人軍属に対してはかなり手厚く補償がされておりますけれども、それがやられておりません。
 それが、今また、例えば従軍慰安婦の問題とかさまざまな形になっておりますけれども、残念ながら、戦争というものが一たび起きたときに、そういうことに対して、真の意味の国民の生命や財産を守ることが本当にできるだろうか。やはり私は、平和のうちに生存することによってのみ、国民の生命や財産を守る、そのための努力というものがこの憲法の前文と九条ではないかという思いを持っております。
 次に、後藤さんにお伺いしたいんですけれども、実は、これまた原爆と関係ありますけれども、昨年の六月大阪地方裁判所、そして昨年の十二月には長崎の地方裁判所、そして、先ほどですけれども、十二月五日に大阪高等裁判所で在外被爆者に日本の被爆援護法を適用すべきかどうかということで判決が出まして、いずれも国側が敗訴して、今のような日本の国内にいるときだけ援護法を適用するのはおかしいという判決が出たわけです。
 私などから考えますと、幾ら地方裁判所とはいえ、また高等裁判所とはいえ、三度も同じ判決が出れば、そろそろ国は従ってもいいんではないかという思いを持つんですけれども、どうも国は、最高裁の判断を最終的に仰ぐというのが大体これまでの国にかかわる裁判のことのようです。迅速化の問題とあわせて、同趣旨の裁判でこのような判例が出た場合の国の対処の仕方、弁護士さんの方から見れば当然のことだということかもわかりませんけれども、御意見をお伺いしたいと思います。
後藤好成君 三回続けてそういう在外被爆者の方にも援護法の適用をという判決が出たということですが、これは簡単な裁判とか簡単な議論でそういう結論が出たということじゃないと思うんですね。かなり長い期間、いろいろな証拠、そういうものを見て裁判所が判断を出されたという点では、非常にその重みは大きい。そういう点でも、被爆者の方の救済というのは、在外者であろうが国内の方であろうが、これは差別しちゃいかぬというふうに思うんです。そういう点では、私は、国の方は、最高裁上告とか、そういうことはやるべきではない。
 例えば、ハンセン病の、先ほどから出ております熊本地裁の判決が出て、国はそこで控訴を断念した。勇気ある決断だと思うんですね。そして、多くの国民は、何で国はそんなことをしたのかとだれも言わなかったんですね。これは、多くの国民が歓迎したわけなんです。国の政治に対する国民の信頼というのは、そういう中ででき上がっていくと思うんですね。
 そういう点では、今度もまたそういうことで控訴して、また最高裁で負けて、これでは本当に、国の被爆者問題に対する態度というか、政治に対する信頼というのはかえって失われると思いますので、私は、上告とかそういうことはしてほしくないなというふうに思います。
金子(哲)委員 それでは、最後ですけれども、宮崎さん、先ほど時間がなくて途中で消えたと思うんですが、お話の途中で、四歳の子供を持つお母さんから意見を聞いておみえになったということですが、時間がある範囲でそのお聞きになったお話をしていただければと思います。
宮崎優子君 済みません、それと、私が言い方がちょっと足りなかったかなという点があるので、それを言わせてください。
 調査会の方からこの大きな中間報告が来たのは木曜日だと申し上げました。衆議院議長の方にこれを提出したのが十一月の一日なんですね。もっと早く私たちのもとに送ってくだされば、もっとじっくり検討して勉強できて、きちっと理解できたんじゃないかなということを申し上げたかったんです。
金子(哲)委員 ありがとうございました。
保岡座長代理 これにて委員からの質疑は終了いたしました。
    ―――――――――――――
    〔保岡座長代理退席、座長着席〕
中山座長 この際、暫時時間がございますので、ここにお集まりいただいた傍聴者の方々から、本日の公聴会に対する御感想を承りたいと思います。指名した方にマイクをお渡しいたしますので、お名前と御職業をおっしゃった後、御感想をお述べください。発言者は二人ないし三人という範囲で、会場の都合がございますので、そういうふうに御協力を願いたいと思います。
 それでは、発言希望者は手を挙げてください。はい、どうぞ。
多久善郎君 多久善郎と申します。団体の役員をやっております。
 私は、きょうの六名の方の発言を聞きまして、平和憲法病というか、憲法を守っておけば国が守れるという、その病にかかっている人が五人もおられるので非常にびっくりしたんですが……
中山座長 静粛に願います。
多久善郎君 私は、やはり現実問題から話したいと思うんです。
 今、北朝鮮に拉致された方々、五名の方の家族が捕らえられているわけです。彼らをどうすれば私たちは取り返すことができるのか。そして私は、拉致問題について五年間取り組んでまいりましたけれども、あなたたちは……
中山座長 静粛に願います。不規則発言をされる方は退場を命じますから。
多久善郎君 人権に対しては、当然義務が伴うわけです。義務というのは秩序があって守られるわけですから、人権人権と言いながら、こういった秩序を破壊する人は退場させていただくようにお願いいたします。
 私の意見を続けて述べさせていただきますが、家族会の方々がこの五年間、北朝鮮と、家族の人たちの団結だけで闘ってこられたわけです。今の憲法には……
中山座長 静粛に願います。だれですか。退場を命じます。――それでは、発言を継続してください。
多久善郎君 今、拉致問題と憲法問題といいますけれども、二十五年間、拉致された方の家族の方々は闘ってきました。そして、日本の政府も、何の罪もない人たちが拉致されたにもかかわらず、北朝鮮から取り戻すことはやってくれませんでした。
 そういう中にあって、私は、今の憲法の中に、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して武力を放棄するとありますけれども、我々の国の周りに平和を愛する諸国民ばかりだとは決して思わないんです。
 さっき、自衛の戦争の問題がありましたけれども、あの満州で戦争が終わったときに、一番悲惨だったのは、満州に残った日本人です。そこから残留孤児の問題だって出てきました。今、外国がさまざまな悪意を持っていたときに、どうやって国民を守るのか。
中山座長 静粛に願います。
多久善郎君 そこに自衛権の問題があるだろうし、二十五年間、横田早紀江さんや横田滋さんたちが泣いてきた。この問題を解決し切れなかった今の憲法というものに対して、私は、満腔の怒りを感じます。
 今の憲法というものが今の国民の体質となって、政治家の体質となって、ただ話し合いだけですべてが解決するならばいいですよ。しかし、金正日に米をやったって、いろいろなものをやったって、二十五年間、解決してこなかったじゃないですか。
中山座長 静粛に願います。
多久善郎君 私は、この政治の問題、外交の問題の背景に、現在の憲法の前文の精神、そして第九条の精神があると思います。日本の国が国家主権を取り戻すためには、やはりこの憲法の前文と憲法第九条を見直すべきだと考えます。
 よろしくお願いいたします。どうか頑張っていただきたいと思います。
中山座長 そこの方、どうぞ。
出利葉誠治君 私は、地方公務員を長いことしておりまして、三年前に退職いたしました出利葉誠治と申します。嘉穂郡から参りました。
 憲法全体の改正に反対するという立場ですが、特に九条の関係について申し上げたいと思います。
 先ほど、自衛権は認められているんだ、国際紛争を解決する手段としては侵略戦争だけが禁止されているんだというような論議がありました。これは全くそういうことではないと思います。
 先ほどから陳述人の方も申されていたように、さきの戦争で大陸に出かけていったのは、そういう自衛の名のもとではなかったのか。
中山座長 拍手は御遠慮願います。
出利葉誠治君 そして、今の現状を考えてみても、PKO、PKFといいながら出かけていく。さらに、自衛艦、これは軍艦と言った方がいいと思いますけれども、インド洋、アラビア海まで制圧するような行動をしている。これが自衛の名のもとか。備えあれば憂いなしというようなことなのかというふうに思います。
 私は、今、昭和二十三年の文部省発行の「あたらしい憲法のはなし」というのがここにありますので、非常に短い文章なので、ちょっと読ませていただきたいと思います。
 これは文部省が発行したものであって、労働組合でも何でもありません。
  戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。(中略)
  そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
  もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
  みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
 これは、二十三年に文部省発行の「あたらしい憲法のはなし」ということなんです。こういうことが小学生、中学生に教えられたんだと思います。それを一切忘れながら、自衛艦を派遣したり、あるいはPKOに出ていったり、さらに今イージス艦まで派遣する、こういうことは断じて許すべきではないと思います。
 ぜひ、憲法改正には、先ほどから人権の話なんかはありましたけれども、全体に私は反対の立場を表明して、時間がありませんので、終わりたいと思います。ありがとうございました。
中山座長 それでは、最後のお一人、女性の方、どなたか。
小原藍子君 私は長崎の出身で、大学では法律を勉強してきました。
 私の経験から、私の考えを述べたいと思うんですが、私は、憲法の九条を変えることには絶対に反対です。
 私は、長崎で戦争を体験された方の話を聞いたり、被爆者の方から実際に話を聞いたりしました。自分の母親を自分の手で焼かなければならなかった話とか物すごく悲惨な話を聞いて、こういう体験を二度と繰り返してはいけないという実感を込めたお話を聞いてきました。特にそういう方々がおっしゃるのは、今の時代が物すごく戦前の状況と似ているということを強くおっしゃられています。このような時代に憲法を合わせなければならないというような改憲の議論には、非常に疑問を持ちます。とても危険なことなんじゃないかなと思います。
 今、国際平和と秩序を守るために日本も何かしなければいけないというので自衛隊を派遣したりとか、そういうことが言われていますけれども、この国際平和というのは一体どういうものなのかということを考えなくちゃいけないと思います。実際にはアメリカのための世界秩序であり、その名のもとにアフガニスタンの何十万という子供たちが殺りくされたり、パレスチナでイスラエル軍が殺していることには、アメリカは何も言わなかったり、そのようなことが実際の国際平和という名のもとで起こっていることではないでしょうか。
 私は、こんなものが平和だとは絶対に言えないと思います。このようなものに日本が今実際に参戦していますし、これからイージス艦を出したりしてまた加担していくということは絶対におかしいと思います。そのようなものに道を開くための憲法の九条の改憲ということには、絶対に反対です。そして、もう既になし崩し的に、このような憲法の内実をひっくり返してしまうような有事法制にも、絶対に反対です。
中山座長 これで三人の方の御発言は終わりました。
 ここでこの公聴会を終わらせていただきます。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 意見陳述の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。
 また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心より感謝を申し上げ、御礼を申し上げます。
 それでは、これにて散会いたします。
    午後四時四十七分散会


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