衆議院

メインへスキップ



第9号 平成15年7月24日(木曜日)

会議録本文へ
平成十五年七月二十四日(木曜日)
    午前九時三分開議
 出席委員
   会長 中山 太郎君
   幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
   幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
   幹事 保岡 興治君 幹事 大出  彰君
   幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
   幹事 赤松 正雄君
      伊藤 公介君    奥野 誠亮君
      倉田 雅年君    河野 太郎君
      近藤 基彦君    佐藤  勉君
      谷川 和穗君    谷本 龍哉君
      中曽根康弘君    中山 正暉君
      額賀福志郎君    野田 聖子君
      野田  毅君    平井 卓也君
      福井  照君    森岡 正宏君
      山口 泰明君    桑原  豊君
      小泉 俊明君    小林 憲司君
      今野  東君    首藤 信彦君
      末松 義規君    鈴木 康友君
      中川 正春君    中野 寛成君
      水島 広子君    山内  功君
      遠藤 和良君    太田 昭宏君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      藤島 正之君    春名 直章君
      藤木 洋子君    金子 哲夫君
      北川れん子君    井上 喜一君
    …………………………………
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
委員の異動
七月三日
 辞任         補欠選任
  近藤 基彦君     小西  理君
  中川 正春君     長浜 博行君
  藤島 正之君     藤井 裕久君
  金子 哲夫君     植田 至紀君
同日
 辞任         補欠選任
  小西  理君     近藤 基彦君
  長浜 博行君     中川 正春君
  藤井 裕久君     藤島 正之君
  植田 至紀君     金子 哲夫君
同月二十四日
 辞任         補欠選任
  大畠 章宏君     山内  功君
  山口 富男君     藤木 洋子君
同日
 辞任         補欠選任
  山内  功君     鈴木 康友君
  藤木 洋子君     山口 富男君
同日
 辞任         補欠選任
  鈴木 康友君     小泉 俊明君
同日
 辞任         補欠選任
  小泉 俊明君     大畠 章宏君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 日本国憲法に関する件
 小委員長からの報告聴取


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――
中山会長 これより会議を開きます。
 日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 本日は、まず、各小委員会において調査されたテーマについて、各小委員長から順次報告を聴取し、その後、今国会を振り返っての自由討議を行います。
 それでは、まず、前文について、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長から、去る三日の小委員会の経過の報告を聴取いたします。最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。
保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経緯及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、七月三日に会議を開き、参考人として、鹿島建設株式会社常任顧問英正道君をお呼びし、憲法前文について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 参考人からは、
 現行憲法の前文は、戦後の日本に国民主権の思想を定着させ、民主的な諸制度を確立したという大きな功績があったが、無国籍で政治的な蒸留水のようなものであることから、現在ではアイデンティティー危機を招いていると考えられ、したがって、憲法前文に日本の価値観や新しい理想を盛り込むことには大きな意味があるとの認識が示されました。
 次いで、憲法に正統性を付与するためにも国民の手による憲法改正の経験を持つべきであって、その際には、だれにでも議論のしやすい前文から始めることが最適であり、また、今後、憲法前文を改正する場合には、その作成過程に国民を最大限参画させてもらいたいとの意見が述べられました。
 その上で、参考人から、新しい前文が果たすべき役割として、
 一、日本の伝統と文化の上に立つこの国の形を示す役割
 一、将来に向けて日本の進路を示す役割
 一、現在の閉塞感を破らせる活力を与える役割
 一、世界の中で日本の座標軸を明らかにする役割
 一、包容力と普遍性のある日本の理念を掲げる役割
が挙げられ、それらを盛り込んだ前文試案についての説明がなされました。
 このような参考人の御意見を踏まえての質疑応答を通じて、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 第一に、憲法前文と各条文とは一体不可分の関係にあり、憲法の解釈とは両者を総合してなされるべきものであるということは、各会派に共通の認識でありました。
 第二に、現行憲法の前文が有する理念につきましては、国民主権や民主主義の概念を我が国に定着させた点についてはほぼ評価が一致するものの、平和主義についての考え方にはなお各会派の間に隔たりが存するようであります。この問題に関しては、同日の午後に開会されました安全保障及び国際協力小委員会におきまして、自由民主党の近藤基彦委員から、人道上の人間の安全保障という考え方を未来志向の平和主義として提示してはどうかという提起があったことを付言しておきたいと思います。
 第三に、近代立憲主義といった普遍性と歴史や文化に代表されるような我が国の独自性とについて、両者の調和をどのように図っていくべきであるかについては、なお残された課題であるということであります。
 最後に、今後とも、憲法の調査に当たりましては、前文と各条文との関連性に留意しつつ議論を深めていく必要があるということ、また、将来、憲法を改正することとなった場合、前文にどのようなメッセージを込めて国内外に発信すべきかがいかに重要であるかを改めて認識した次第です。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、憲法第九条について、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長から、去る三日の小委員会の経過の報告を聴取いたします。安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長中川昭一君。
中川(昭)委員 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会における調査の経過及び概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、七月三日に、委員近藤基彦君及び藤井裕久君から、自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題を中心とした第九条に関する基調発言を聴取いたしました。
 会議における両委員の基調発言の概要を簡潔に申し上げますと、
 近藤委員からは、
 国際情勢の変化に対応するためには、憲法改正を視野に入れた防衛体制の整備及び国際貢献の推進を図る必要があるとの認識のもと、第一に、九条一項の侵略戦争放棄の理念は堅持した上で、平和と安全を武力により担保することもあり得るとの立場から、人道上個々の人間の安全保障に着目する人道上の人間の安全保障という考え方を未来志向の強靱な平和主義の形として提示し、国際貢献を積極的に行う姿勢を示すこと。第二に、第九条二項を削除した上で、個別的、集団的自衛権の権利及び自衛隊の存在を明記すること。第三に、侵略、大規模自然災害等の非常事態への対応に関する条項を設けることを内容とする九条の改正に向けた具体的提言がなされました。
 また、二十一世紀にふさわしい国民のための憲法の制定に向けた議論を深めると同時に、憲法改正国民投票法等の整備を図るべきであるとの意見が述べられました。
 藤井委員からは、
 国家としての平和確立の基本については、憲法に明記するか、少なくとも安全保障基本法を制定することで国民に提示し、近隣諸国を初めとする国際社会の信頼を得る必要があるとの認識のもと、まず、個別的自衛権と集団的自衛権とを一体のものとしてとらえた自衛権を保持すること及びこれを抑制的に行使すべきであることとともに、首相が自衛隊に対し指揮監督権を有することを憲法に明記すべきであり、また、自衛権の抑制的な行使を前提として、日米共同防衛体制を重視すべきであり、さらに、日本及び国際社会の平和と安全の基礎となっているPKOを初めとする国連の平和活動に対し積極的に参加する旨、憲法に明記すべきであるとの意見が述べられました。
 その後、両委員の基調発言を踏まえて、質疑または発言及び自由討議が行われました。
 総括いたしますと、
 まず冒頭、中山会長から、党派を超えて九条問題に関する冷静な議論ができたことは大変意義深いものであったとの御指摘がありました。
 そして、この議論を見てみますと、各委員とも、侵略戦争を放棄した九条一項の理念を堅持していくことについては認識を共有しているものの、二十一世紀の我が国の安全保障及び国際協力の方向性を示すものとして、現行憲法の前文に掲げる平和主義や九条二項の戦力の不保持、交戦権の否認といった理念を今後も維持していくべきなのか、それとも、我が国をめぐる国内外の環境の変化等を踏まえ、生命財産を守るという国民に対する政治家としての最大の責務を果たすため防衛体制を整備するとともに、新たな国際協力に係る理念を打ち出していくのかといった点で見解を異にしており、問題の争点はこの点に絞られてきたのではないかと考えております。
 今後も、これまでの議論を踏まえ、我が国の安全保障及び国際協力等のあり方についてさらに議論を深めていくと同時に、急激な変化を遂げている国際情勢にかんがみ、この争点に関する憲法上の問題について早急に合意形成を図る必要があると考えております。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、社会保障と憲法について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、去る十日の小委員会の経過の報告を聴取いたします。基本的人権の保障に関する調査小委員長大出彰君。
大出委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、七月十日に会議を開き、参考人として、北海道大学長中村睦男君及び東京学芸大学教育学部助教授小塩隆士君をお呼びし、社会保障と憲法について御意見を聴取いたしました。
 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
 中村参考人からは、
 まず、二十五条一項の生存権規定は、GHQの草案にはなく、衆議院の審議段階で設けられた日本側の創意であること、及び国民の意識の中に定着してきたと言えるのではないかとの見解が示されました。
 その上で、学説上、生存権の法的性格については、プログラム規定説、抽象的権利説及び具体的権利説が主張されてきたが、朝日訴訟第一審判決等は抽象的権利説に立っていると考えられること、及び最高裁判決により立法不作為を含む立法行為の違憲性を国家賠償法上争うことが例外的場合に限定して認められているが、近時、生存権以外の事例について、下級審において最高裁の要件の弾力的解釈が試みられ、また生存権の事例でも立法不作為の違憲を争う余地があることが述べられました。
 さらに、二十一世紀の社会保障制度の理念として社会連帯は重要であり、社会保障制度の設計に当たっては、当事者たる国民ないし市民の参加と自治、さらには当事者の応分の負担による社会保障と社会福祉の充実がなければならないとの見解が示されました。
 小塩参考人からは、
 公的年金制度は、老後の最低限度の生活の保障という点で、二十五条を具体化する重要な制度であるが、少子高齢化に伴う財政悪化と世代間格差の拡大という二つの問題を抱えているとの前提のもと、公的年金を基礎年金に限定し、報酬比例部分を廃止するなどして年金制度のスリム化を図る改革が必要ではないかとの提案がなされました。
 その上で、この改革を実行するための課題及び解決策として、
 一、基礎年金の給付水準については、現行の生活保護支給額や基礎年金給付額を目安とする
 二、基礎年金の給付額については、所得水準とは無関係に給付額を一律とする
 三、財源の調達については、世代内公平のためにも、保険料を所得と連動させることにより高所得者ほど多くの負担を課すべきであるが、そのための所得の捕捉が困難であれば、次善の策として消費税を充てるという三点が提示されました。
 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
 まず、社会保障制度改革の展望として、国民負担率が七〇%を超えるかわりに充実した福祉サービスを受けることができる北欧諸国の社会保障制度について議論が行われましたが、その評価をめぐっては、意見が分かれるところでありました。
 また、国家が措置として国民に与える社会保障ではなく、社会連帯の観点から社会保障制度を再構築することの必要性を強調する意見がありました。
 一方、社会保障における財政危機の原因の一つとも考えられる少子化問題に関しては、育児を社会全体で支援する仕組みや男女共同参画の推進といった対策によって解決すべきであるとの意見のほか、北欧型社会保障制度が、高負担ながらも制度への信頼を得て少子化問題の解決となっていることから、これを参考にすべきであるとの意見があったほか、家族や家庭の価値を改めて見直すことが必要であるとの意見も見られました。
 社会保障制度は国民の生存権を具体化した重要な制度でありますが、少子高齢化の進展による年金財政の悪化や世代間の不公平の拡大が深刻になりつつある今日、国会の役割として、よりよい持続可能な社会保障制度の構築に向けて議論を深め、二十五条の実質的な保障を維持発展させていくことこそ求められております。
 その際、二十五条が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障している理念を踏まえ、人々が人間らしく生きがいと誇りを持って生きていくために、二十一世紀にふさわしいより高い次元の生存権の理念を議論していくべきであると考える次第であります。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 次に、国会と内閣の関係について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、去る十日の小委員会の経過の報告を聴取いたします。統治機構のあり方に関する調査小委員長杉浦正健君。
杉浦委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
 本小委員会は、七月十日に会議を開き、国会と内閣の関係に関して調査を行いました。
 まず、国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任高見勝利君から説明を聴取した後、委員古川元久君及び井上喜一君から基調発言を聴取し、その後、自由討議を行いました。
 会議における基調発言等の詳細につきましては小委員会の会議録を御参照いただくことといたしまして、その概要を申し上げますと、
 高見主任からは、
 まず、議院内閣制について、議院内閣制と大統領制を分かつ本質的基準は、立法府の行政府に対する信任の有無、あるいは行政府の立法府に対する責任の有無であるとし、日本では、首相が自由に解散権を行使し得る英国型に近いものとして運用されているとの説明がなされました。次に、両院制について、公選型上院を採用する日本では、参議院の正当性の根拠が衆議院と同じく直接選挙により国民から選出されるという選挙民主主義にあることから、参議院の役割をどう規定すべきか等が憲法制定以来の検討課題であるとの説明がなされました。
 古川委員からは、
 現行憲法が規定する議院内閣制の姿は首相主導型システムであるが、現実には、行政に対する政治の関与を極力排除する解釈、運用がなされたことなどにより、首相の政治主導は大きく制約されてきたとの認識が示されました。その上で、現代社会では、政治目的に向けて行政を指揮監督する執行権を持つ首相とそれを補佐する国務大臣で構成される内閣を政治の中心ととらえるべきであり、国会の役割については、内閣による政策決定のコントロール機能及び国民に対する争点提供機能の二つが重要となるとの意見が述べられました。また、権力分立に関する明示的な憲法上の規定の創設、参議院のあり方の大胆な見直し、政党を憲法上位置づけた上での政党法の制定が必要であるとの意見が述べられました。
 井上委員からは、
 国内外の環境変化に対処するため、あらゆる分野での制度的大改革と迅速な対応が必要であるとの認識のもと、内閣機能の強化(責任の所在の明確化、政治主導による政策遂行、政府と与党の一元化、政治任用制の段階的導入等)とこれに対応した議会機能の強化(委員会審議の充実、議院スタッフの機能強化、クエスチョンタイムのあり方の再検討、予備的調査等の活用等)及び政党の憲法上の位置づけの明確化。一院制の導入。政権交代可能な二、三の大政党の出現を志向する単純小選挙区制度の採用及び一票の格差の是正。統治行為を所管とする憲法裁判所の国会への設置。特別多数による再議決制度の見直し及び憲法改正手続の発議要件の緩和。危機管理組織の憲法上の明記などが必要であるとの意見が述べられました。
 このような両委員の基調発言等を踏まえて、質疑または発言及び委員間の自由討議が行われ、委員の間で活発な意見の交換が行われ、内閣と与党の一元化、首相のリーダーシップ、民意の反映と選挙制度、両院制の是非、政策秘書制度の拡充の必要性等についてさまざまな意見が述べられました。
 会議を通じての小委員長としての感想を申し上げますと、
 複雑な社会経済情勢に迅速かつ適切に対処する必要性から、さまざまな政策を適宜適切に実行していくことが求められる現代において、国民多数によって支持される政策を強力に進めていくため、民意の反映とともに民意の集約が重要であるということを改めて認識いたしました。
 このような観点から、両院制の是非、参議院のあり方、議院内閣制のあり方について検討する必要性を改めて強く感じました。また、社会に多様な民意が存在する現代において、民意の反映、集約という政党の役割が改めてその重要性を増しており、選挙公約、いわゆるマニフェストのあり方や党内の意思決定手続のあり方も含め、政党のあるべき姿を深く考えてみる必要を感じました。
 以上、御報告申し上げます。
中山会長 以上で小委員長の報告は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位による自由な討議を行います。
 本日は、今国会最後の調査会であることを踏まえ、先ほど各小委員長から報告された内容も含め、今国会を振り返っての自由濶達な御意見を拝聴いたしたいと存じます。
 議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分ずつ発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせをいたします。
 それでは、まず、葉梨信行君。
葉梨委員 本日は、憲法調査会における今国会での議論を締めくくる自由討議ということで、私の方からは、これまでの議論を振り返っての感想を述べさせていただくとともに、若干の問題提起をさせていただきたいと思います。
 本題に入ります前に、昨年十一月に中間報告が提出されて以降、憲法調査会本会そして四つの小委員会におきまして、国家としての基本的なあり方に関するさまざまな事項をテーマに非常に活発な議論が委員間で行われてきましたことについて、幹事の一人として委員の皆様方に敬意を表したいと思います。
 特に憲法第九条に関する問題や象徴天皇制に関する問題につきましては、議論することすらもタブー視されるような時期もございましたが、現在、このように各会派がその御持論を自由に展開し、有意義な議論を重ねてきていることに隔世の感を覚えます。そこで、この一巡目の発言では、憲法第九条と象徴天皇制、この二点に話を絞って申し上げたいと思います。
 まず、憲法第九条に関する問題であります。
 憲法九条に関する考え方といたしましては、先ほど中川小委員長からの御報告にもありましたとおり、七月三日の安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会において、自民党の近藤委員そして自由党の藤井委員からまとまった御意見を伺ったところであります。
 近藤委員は、防衛体制の整備という観点から、九条一項の侵略戦争放棄の理念を堅持しつつ、同条二項を削除した上で、個別的、集団的自衛の権利と自衛隊の存在を明記するとともに、侵略や大規模自然災害に備えた非常事態条項を設けるべきであるといった御意見をお述べになりました。
 北朝鮮は現に多数の弾道ミサイルを有し、近い将来には核兵器をも保有しようとしております。また、国民の生命財産を守ることは政治の最大の責務であります。これらの国際情勢の変化や政治としての責務を踏まえれば、私は近藤委員の御意見に対し全面的な賛意をあらわすものであります。
 しかしながら、このような九条の改正に向けた主張に対しましては、九条は、武力行使の禁止という国際的潮流を戦力不保持にまで高めたという意味で先駆性を有するものであり、二十一世紀の指針ともなるべきものであるとして、その改正に反対をなされる方々がおられます。
 そこで、このような御主張をされます委員の方々に対し、次の四点について問題提起をいたしたいと思います。
 第一に、いわゆる護憲派の委員の方々は、現在、平和主義を堅持する我が国に対し武力攻撃をしかけようとする国家など存在しないのであるから、防衛体制を強化する必要性はないとの御主張をなされますが、我が国が侵略を受ける危険性はないとする根拠は何なんでしょうか。現に、北朝鮮は何度となくミサイル発射実験を繰り返しております。また、核開発問題につきましては、再処理が進み核弾頭化にも成功したとの情報もあります。このような状況において、むしろその危険性は増大しているのではないでしょうか。
 第二に、平和を愛する諸国民の公正と信義に対する信頼だけで我が国の平和と安全を守ることができるとお考えなのでしょうか。国際社会の現実を見ますと、やはり平和と安全を維持していくためには、軍事力による裏づけを持ち、みずからの国はみずから守るという姿勢を内外に示すことが抑止力となるのではないでしょうか。
 第三に、現行憲法には、明治憲法下において軍部の独走を許してしまったことへの反省を踏まえシビリアンコントロールの規定が設けられ、これが軍事力の行使に対する歯どめとして機能しておりますことから、これが恣意的に行使されるおそれはないと考えております。この点につきましてどのようにお考えでしょうか。日本国民以外の他国民の公正と信義を信頼するならば、我が国の現行憲法のもとに設けられた諸制度をなぜ信頼できないのでしょうか。
 第四に、現行憲法は、自衛以外の戦争放棄を定めるだけでなく、対等な立場での集団安全保障体制に参加するなどの外交手段をとることを禁じております。このようにみずから外交の選択肢を狭めることは、特に冷戦構造崩壊後、地域的武力紛争の増加が見られる現在の国際社会におきまして、我が国に対する武力攻撃の可能性をむしろ拡大させることになっていないでしょうか。
 以上、四点の問題提起に対しまして、どなたでも結構でございますので、御意見をいただけたらと思う次第でございます。
 次に、象徴天皇制に関する問題であります。
 象徴天皇制につきましては、現在のままでよいとする御意見が会派を超えて多数を占めているようでありますが、私といたしましては、やはり天皇陛下が日本国の元首であらせられる旨を憲法に明記すべきであると考えます。
 天皇陛下を元首としていただくことに対しましては、一部に、戦前への回帰であるとか、前近代的な絶対専制君主を想起する方がおられるようでありますが、私が考えておりますのは、天皇陛下は、単に日本国の象徴というのではなく、我が国の文化、歴史、そして伝統といったすべてを象徴しておられる、その上で、国家の儀礼的な代表としてのお役目を果たしておられる元首ということであります。これは、現在の象徴天皇制のあり方を変えようとするものではなく、むしろ、我が国古来よりの天皇家の歴史に立脚しつつ、今の天皇陛下が果たしておられる役割の大きさにかんがみ、現実に即したお立場を確かにする趣旨であります。
 私が憲法調査会議員団の一員として訪問いたしましたイギリスやオランダでは、国王がみずから権力を振るうことはございませんが、国家元首として、儀礼的に国家を代表するお立場に立たれております。こうした諸外国の実例に照らしましても、天皇陛下を我が国の元首としていただくことは理にかなうものであると存じます。
 元首のあり方は、国の歴史や伝統を反映したものと思います。西洋諸国におきましては、近世に見られたいわゆる絶対王権というものが、議会政治や民主主義の確立の中で徐々に変質し、現在の、君臨すれども統治せずという体制に変化してまいりました。
 しかし、我が国では建国以来、ごくわずかの時期を除いて天皇親政がしかれたことはなく、御一身は日本国の象徴であられると同時に、対外的に我が国を代表する立場にあられました。確かに、戦前の一時期、天皇陛下が憲法上「神聖ニシテ侵スヘカラス」とされ、一部の極端な国家主義的勢力に利用されましたことは非常に残念なことでありますが、現行憲法は、まさにそのアンチテーゼとして、陛下の対外的な機能には触れず、あえて元首と明記することを避けた面もあったかと思います。
 しかしながら、戦後五十八年、我が国の民主主義は既に成熟しております。しかも、我が国の歴史と伝統に照らせば、現在の天皇陛下のお姿こそ、もともとの天皇制のあり方に近いわけでありますから、私は、日本国民がもっと自信を持つべきであると考えます。そして、憲法に元首と明記し、現実をありのままに表現することを避けるべきではないと思います。
 また、象徴天皇制は、国民主権と矛盾する存在であり、将来的には解消の方向へ向かうであろうとの意見が一部の委員からございました。仮に、憲法が人民主権という言葉を用いているとするならば、それは、天皇陛下とそれ以外の日本国民、すなわち人民とを対峙させたものでありまして、両者は相矛盾した存在であると言うこともできましょう。しかし、私は、国民主権と言う場合の国民は、当然のこととして、天皇陛下をも含めた日本国民のことを指したものであり、その日本国民を代表されるお立場にあるのが天皇陛下であると理解いたしております。そのような理解からは、両者は決してお互いに矛盾する存在とはなり得ないものと思います。
 以上を申し述べ、私からの発言を終わります。
中山会長 次に、仙谷由人君。
仙谷委員 民主党の仙谷でございます。
 今国会における憲法議論について感想を述べたいと存じます。
 今国会、この憲法調査会における議論も、大変精力的に、テーマ別審議という形で行われたわけでありますが、その他、各常任委員会、特別委員会の議論に参加し、もしくはある種横から見ておりまして、この日本の現在置かれた状況がいかにあらゆる意味で変革を迫られているか、別の表現をすれば、あらゆる改革諸課題はすべてこの日本という国家の将来のあり方、国の形、その論議を抜きにしては語れないところに到達をしているという感を強くするわけでございます。換言すれば、現在、日本がある種の閉塞状況あるいは行き詰まりということがよく言われておるわけでありますが、日本はどのような危機に直面しているのか、そのことは一体いかなる危機なのかということを絶えず頭の片隅に置いて議論をする必要があるなということに思い至るわけでございます。
 私は、東京大学の神野教授がおっしゃっていることに少なからず同意をしている部分がございます。神野教授は、結論から言いますと、財政の危機というのは社会全体の危機の結果であるということをおっしゃいます。社会全体という広い意味での社会のシステムは、政治のシステムと経済システム、それから狭い意味での社会システムという三つのサブシステムから成っている、しかし、この三つのサブシステム相互間の相互作用を調整する媒介のもの、媒介環が財政である、財政の危機というのは社会全体の危機の結果の表現であるというふうにおっしゃるわけであります。
 財政社会学の元祖というふうに言われておりますシュンペーターによりますと、現在の制度が崩壊し始めて新たな制度が生まれ始めているとき、そういうときにはいつも財政が危機に陥るという歴史的な事実があるということでございます。
 一九九六年に橋本内閣が六大改革ということを主張いたしました。まさに、一九四六年から数えましてもちょうど五十年目の節目に、あらゆる日本の諸制度を改革せざるを得ないという認識に当時の自民党内閣も到達したのでありましょう。しかし、その時点での財政危機宣言を出されたという事態もあったわけでありますけれども、財政を、増税や、要するに数量の問題だけで決着をつけようとしても、それは決して解決にならない。つまり、政治のシステム、経済のシステム、社会のシステムすべてにわたる改革が行われなければ財政の危機も解決できない。まさにそのことがあらわれているのが現在の事態だろうと私は見ておるわけであります。
 そして、今国会の議論を見ておりましても、非常に重要な国家論的、憲法論的争点が提起をされたわけであります。それは、この憲法調査会でも、一月から始まりました憲法調査会で、アメリカ、イギリス両軍のイラクに対する軍事的な攻撃とフセイン政権の打倒ということが結果として行われているわけでありますが、第二次世界大戦後のいわゆる世界秩序として構想され実践されてきた国際連合による安全保障というものが、この米英軍のイラク攻撃の中でどうなっていっているのかということが、まさに私どもが考える国家との関係において、主権国家の主権行使との関係において、非常なる問題として提起をされているというふうに考えます。
 私どもは、いわゆるみずからの領土あるいは国民というものをいかにして守るのかという議論に、必ずしも決着がつけられていない。つまり、専守防衛の自衛力というものを保有すること、国連憲章上でいえば、国連による集団的措置が行われるまでの間に行使が許される個別的、集団的自衛権というものを、憲法上いまだ位置づけられていないということでございます。
 そういう状態の中で、今度は集団的取り決めを超えた米英軍による攻撃、そしてまた一国の、主権国家の政権を、国連による取り決めではなくして、アメリカという極めて強大な国家による力で政権を倒してしまう。昔の言葉で言えば、これは明らかに内政干渉といいますか、軍事力による内政干渉であり、軍事力による主権国家の打ち壊しというものであろうかと思いますが、そのようなものが国際法秩序、そして主権国家の主権との関係で、いかようにして正当化、合理化されるのかという新たな問題に突き当たっているわけでございます。
 そしてまた、今国会では、緊急事態法というものが上程をされ、成立をいたしました。これは、古典的な意味での専守防衛というもの、あるいは自国の領土を守る個別的自衛権、あるいは集団的自衛権との関係で、どのような体制を基本的人権の保障との関係でつくり得るのか。あるいは、主権国家が個人や自治体を含めた団体にどこまで強制をし得るのかという問題でありますから、ある意味で、今度のイラク戦争が提起した問題とは質の違う問題でありますけれども、これも、憲法上の議論として、緊急事態権を基本的人権との関係で議論をし、そこに憲法的な規定として規定が存在することが、同時並行的に本来は行われなければならない問題であると私は考えているところでございます。
 今国会では、さらに、個人情報保護の問題、あるいは男女共同参画の問題、あるいは人権擁護法案の問題というふうな問題が提起されておりまして、これも考えてみますと、新しい人権や人権を実効的に保障するためにどのような仕組みが必要かということを考えますと、ヨーロッパ諸国が現在とりつつあるような、憲法上の機関としての人権擁護機関あるいは人権救済機関というふうなものが必要ではないのかという議論を生まなければならない、憲法上の議論を行わなければならないというふうに考えたところでございます。
 さらにもう一点、日本は、三位一体の改革ということで、今分権推進法との関係で分権論議がされているわけでありますが、よく考えますと、これはまさに国の形、中央政府と地方政府の権限分配と財源、税源、課税権をどのように規定するのか、まさに憲法上の問題であると思います。
 そして、与党と内閣の一元性、一体性の問題というのもまた、政治権力はいかにしてつくられ、それがいかにして組織されなければならないのかという総理大臣の権限問題であると同時に、行政各部と内閣の問題、さらには国家公務員の地位の問題という問題に行き着くはずでございまして、これを憲法上の議論として改めて行わなければならないと思います。
 私は、このことしの憲法議論をずっと拝見しておりまして、やはり憲法というのは、基本法のエキスを、あるいは基本法のさらに重要な諸原則を規定する基本法だなということを考えるわけでございまして、そういう憲法的な視点から、あらゆる改革論議、そうして基本法の論議をしなければならない。そしてまた、それを改めて構成し直すと、日本の二十一世紀の国のあり方というものが浮かび上がってくるのではないかというふうに考えているところでございます。
 まとまりのない話になりましたけれども、以上で私の発言を終えたいと存じます。
中山会長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 今、お二人の委員から、この国会における憲法調査会についての論議に対する感想を主軸にしたお話がありました。私の方からは、ちょっと角度を変えまして、この国会が終了されるに当たりまして、ここでの憲法論議に参画する委員は数が限られているわけですけれども、そうした憲法調査会以外の場面、つまり、私の党内の公明党におけるこの憲法をめぐる考え方についての現状を概括して述べさせていただきたいと思います。
 公明党は、御承知いただいているかと思いますが、平成十二年の党大会で、憲法九条は堅持し、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の保障の三原則は不変のものと確認した上で、衆参両院での憲法調査会での五年をめどにした論議の結果を踏まえ、次の五年で第一段階としての結論を出すべきであるとの考え方を明らかにいたしました。
 それを踏まえて、昨年、平成十四年には、今申し上げたようなそういった形を踏まえた上で、憲法のあり方について議論することを避けない論憲の立場をとる。その上で、国会の憲法調査会を初めとして活発な憲法論議が行われていく中で、現行憲法の制定時には想定されなかった視点での権利や考え方、システムの必要性が生じている今日、憲法の三原則や九条は変えることなく、憲法の精神を発展、強化させながら、環境権やプライバシー権などを憲法に明記して補強する、あえて言えば加憲を検討する時期が来ているのではないかと考えます。現在国会で行われている憲法調査会の議論の行方を見詰めながら、党内の意見を集約したいと考えますとしました。
 つまり、この憲法調査会が改定の必要ありとの結論を出せば、各政党、各界の合意の得られやすいところから改定に取り組むべきであって、まずは新しい時代に対応すべきものをつけ加えていこうという考えだと集約できるかと思います。合意が得られないテーマについては後回しにし、とりあえず一致するものから改めていこうという点で党内は一致しておると言えると思います。そういう意味では、改定を前提にした論憲を現在行っている、そういった状況であろうかと思います。
 さきに述べましたように、公明党は、憲法九条につきましては、いわゆる明文改定をしないで、削減も追加もなく堅持すべきだとの方針を明らかにしております。もちろん、党内には、この条項について、今申し上げたように一切さわるべきではないという意見と、やはり、変化し行く現実に対応するべく自衛のための力を持つことについてなどは、きっちりとわかりやすく規定し直すべきだとの主張に至るまで、多様なものがあります。しかし、現時点では、最終的にそのままにしておくとの意見が支配的であります。
 その背景の一つには、憲法九条をめぐっては、国民世論そのものの分布に極めて大きな相違がある、相違があり過ぎるという認識がまず前提にあります。戦争放棄、戦力不保持という、言ってみれば理想と自衛隊の現実というものをどうとらえるかというのは、戦後日本の政治史そのものと言っていいぐらい極めて厳しい論争を呼んでまいりましたけれども、理想部分を取り下げるには極めて抵抗が強過ぎるという見方が支配的だと言えようかと思います。
 公明党自身も、かつては自衛隊を違憲の疑いある存在として位置づけてきました。しかし、今から二十年前の昭和五十六年の党大会で、自衛隊を合憲の存在と認めると方針を転換しました。そこには、九条が自衛権までをも否定するものではないとの明確な解釈に立つとともに、自衛隊の存在を、日本の領域保全に徹して、水際で敵を排除するための自衛の能力を持つものに限定するとの強い意思が裏づけとしてあったわけであります。今もその姿勢に変化はございません。
 もちろん、自衛力の保持そのものを認めていないとする解釈すら生み出しかねない規定であること、すなわち理想と現実の大きなギャップ自体が、日本のある種混乱の要因になっていることは否定できません。このため、せめて文章を整とんすべきだとの意見があるということは、先ほど述べたとおりであります。ただ、であるがゆえに、今これをさわることによって、日本が長年培ってきた専守防御の姿勢に変化がもたらされるのではないかといった、周辺諸国に余計な誤解を与えることになるとの懸念を持つ向きが極めて強いわけであります。
 一方、国連の集団安全保障への取り組みをどうするかという課題や、あの九・一一以降の国際テロに対する対応をめぐる問題も、一段と重要なテーマとなってきております。
 PKO、国連平和維持活動については、積極的に参加すべしとの国民合意は十分に得られていると私たちはとらえております。さらに、国連安保理の何らかの決議の上に立っての紛争後の該当地域の後方支援にも、非軍事部門に限ってなら自衛隊が出動されるべきであるとの考えをとっております。これを専守防衛、防御の領域を踏み出すものととらえるのは間違っていると考えます。あくまで、国際協力のための海外での自衛隊の非軍事部門の活動は合憲であり、武力行使につながるという見方はとるべきではないと考えております。
 ともあれ、国連軍が現実性を帯びていない状況では、多国籍軍の結成が常態となっており、それへの参加はあくまで非軍事的手段によるべしとの姿勢を崩してはならないとの立場であります。
 そういった意味では、みずからを守る力としての自衛力及び国際社会における秩序維持をもたらす力の二つともに、現状の規定を改める必要性は積極的には認められないというのが、現時点における公明党の考え方であります。
 なお、私個人といたしましては、いささかこういった考えとは違うところを持っております。
 例えば、いわゆる自衛隊の役割を考えた場合に、実力部隊としての自衛隊という部分はあくまで専守防御ということでありますが、いわゆる人道支援という観点から、これは内における人道支援、災害救助、日本国内における人道支援と、外における人道支援を分けてとらえる必要性があろうかと思います。
 そういった場合に、日本国内における災害救助という名のもとにおける人道支援はともかくとして、外、海外における人道支援活動については、極めて、今、こういった活動をすること自体に専守防御、防衛の領域を超えているという批判があるということにかんがみて、何らかの明文化をする必要があるのではないか、そういったこと。先ほど来申し上げておりますような、さまざまな武力行使とのつながりといったことで危険性を指摘する向きがあるについて、しっかりと規定をする必要があるのではないかと考えております。
 現状、先ほど申し上げましたような、憲法の九条の堅持をしていくという観点に立つならば、せめて安全保障基本法というふうな形で、いわゆる憲法を下支えしていく、憲法を展開していく場面における国民合意を得るためにも、そうした安全保障基本法的なるものをつくる必要があるのではないかというふうに個人的には考えております。
 九条を堅持した上で、時代の間尺に合わないものは、合意が得られるなら改正しようという姿勢からすると、象徴天皇制の部分を除いて、あらゆるものが議論の対象となってまいります。公明党におきましても今その議論の真っ最中であるという前提で、時間のある限り、その方向性について若干触れておきたいと思います。
 まず、現行憲法が制定された時点では十分に予測されていなかったのが、環境権、知る権利、プライバシー権といった新しい権利と言われるものであります。これらは、現在、すべて十三条の幸福追求権の中に入れてとらえられておりますが、やはりそれには限界があるのではないかとの見方が一般的であります。
 ただ、環境権についても、盛り込むに当たっては、種々意見が分かれてくるものと見られます。人間の住環境を侵すものとしてのかつての公害から、今では、地球に生きとし生けるものを脅かす地球破壊へと、環境をめぐる問題も変化してまいっております。そこでは、人間中心の環境保護か、生態系中心の環境保護かといった議論があります。また、このテーマでは、請求権が生じる権利として扱うべきではなく、理念規定に位置づけることでよいとの意見も出されております。
 基本的人権をめぐる条項については、世界的な兆候として、極めて多様化の傾向にあることは周知のとおりであります。外国人の権利保護から始まって、心身障害者の保護などに至るまで、積極的に憲法に書き込むべきだとの意見が我が党にもあるということを指摘しておきたいと思います。
 とりあえず、以上でございます。
中山会長 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子です。
 昨晩、自由党は民主党と合流というニュースが流れましたけれども、私は、きょう、自由党の新しい憲法をつくる基本方針について述べたいと思います。
 まず第一に、国及び国民のあり方についてお話ししたいと思います。
 憲法に前文を設け、国及び国民のあり方について、基本理念を明記します。
 現憲法の基本原理を継承し、発展させるとともに、日本の文化、伝統を尊重し、自由で創造性あふれ、思いやりのある自立国家日本をつくることを宣言します。
 日本は、戦後一貫して経済発展を国家目標に掲げ、それに専念してきました。それによって失ったものも多く、いわゆる戦後政治は経済発展による利益の配分に終始しています。その結果、日本人は、社会共同体の構成員としての生き方、教育のあり方、安全保障の確保などをおろそかにしてきました。今、日本は方向性を失い、混迷のふちをさまよっています。一日も早く戦後政治と決別し、新しい国家目標を掲げて、自由で創造性あふれる自立国家日本をつくらなければなりません。
 次の事項を新しい憲法をつくるための指針といたします。
 まず第一に、日本人の心と誇りを取り戻す。自己中心的な社会から、規律ある自由に基づく開かれた社会に改める。経済の活力を回復し、だれもが生きがいを持って暮らせる社会をつくる。地球の平和と環境にみずから進んで貢献する。この指針に沿って、政治、行政、司法、地方自治、経済、教育等のシステムを抜本的に改革します。
 二、天皇について。
 天皇は、国民統合のための歴史的、文化的存在であります。国家元首として位置も定着しており、国政に関する機能を有しないこと、及び国事に関する行為の委任等について、現憲法の原則を変更する必要はありません。
 三、国民の権利と義務について。
 国民の諸権利と義務は、人類の普遍的原理に基づいて、日本のよき文化と伝統を踏まえるものです。公共の福祉の概念を明確にし、用語を見直します。思想、信教の自由は、政教分離の原則の意義を明確化し、価値多元化社会に適応する自由を確保します。自由で公正かつ規律ある経済活動を確保し、勤労者の社会的権利の拡大と経済的発展によって、国家社会の安定を図るものとします。主権者たる国民の納税の義務についての認識を高める。
 四、安全保障について。
 二十世紀に人類が起こした悲劇を繰り返さないために、現行第九条の理念を継承する。国家の責務は、国の名誉と国民の生命と財産を守ることであり、そのために必要な体制を整備します。同時に、新世紀において、日本が平和を維持し、存続していくためには、国際社会との真の協調を図らなければなりません。
 そのために、日本は外交努力に全力を尽くし、国連による集団安全保障体制の整備を促進し、国連を中心としたあらゆる活動に積極的に参加します。さらに、日本が率先して国連警察機構創設を提唱します。同時に、人類を破滅に導く大量破壊兵器の全廃を推進します。
 自衛隊の権限と機能、内閣総理大臣の指揮権を憲法に明記し、シビリアンコントロールを徹底させます。日本が侵略を受け、国民の生命及び財産が脅かされる場合のみ、武力により阻止することとし、それ以外の場合には、個別的であれ、集団的であれ、自衛権の名のもとに、武力による威嚇またはその行使は一切行わないことを宣言します。非常事態の制度を憲法に明記します。
 五つ目、立法権について。
 国会活性化法の制定は憲法慣例の改革であった趣旨を憲法に明記し、国民の選挙によって構成される国会が国権の最高機関として名実ともに機能するよう抜本的な整備を行います。代表民主制度の基本を維持し、社会状況の変化、進展に伴い、直接民主制度による補完によって、形骸化した議会制民主主義の真の民主化を図り、国民主権を確立します。
 現行の両院制は抜本的に改善します。両院の権限や機能の分担を徹底させ、参議院の役割を国政に対して大所高所から進言、指導するものとし、衆議院に対するチェック機能を発揮させることにより国政運営の民主化と効率化を図るものとします。
 議員の権限や責任、議事運営等について、二十一世紀の新しい社会状況を踏まえ、全面的に見直しを行い、政治倫理の確立については、議院の自浄機能として憲法上の制度を整備します。特定の要件に限定して国民投票制度を導入します。
 六つ目に、行政権について。
 首相、国家の最高権力者の選出は、代表民主制度によることが日本の歴史や民族性から適切です。
 国民の多く、そして国会議員自身が、行政権が国会より上位であるとの意識を持っています。これが日本の官僚主導の規制社会を形づくっている最大の要因です。いわゆるお上意識を打破するため、立法権優位の原則に基づいて、行政権の位置づけを明確にします。
 中央行政府の役割を国家の維持と発展に必要かつ最小限なものとし、大胆な地方分権を断行します。
 縦割りとしがらみによって硬直化した官僚支配体制を改革するために、内閣の総合調整機能を強化し、首相の行政各部に対する直接的指揮監督権を確立させます。
 司法権について。
 日本は現在、世界経済が全地球を統合する形で大競争の時代に入り、それに伴う法的処理の増加と多様化、また犯罪の国際化や凶悪化などに対して、従前の司法システムでは適切に対応できない状況です。真の司法権の独立と新世紀の法秩序を維持するための憲法の見直しを行います。
 憲法裁判所を設置し、形骸化した違憲立法審査権の機能を再生させるとともに、特定の行政訴訟等も担当するものとする。これにより、一般裁判所の業務を軽減することになり、迅速で適切な事案の処理が可能となります。
 八つ目、地方自治について。
 健全な民主主義の発展と豊かな国民生活の実現、そして日本人の伝統と文化の継承は、地方分権の推進と真の地方自治の確立によって可能になります。地方自治体が中央政府に従属する関係から対等となる関係に改めるために、憲法において、地方自治の意義と中央政府と地方自治体の役割を明確にします。
 地方自治体がその行政を一貫して自主的、自律的に企画、立案、調整するためには、行政基盤を強化しなければなりません。そのための整備は中央政府の責任であり、それに必要な根拠規定を設けます。
 九つ目、財政について。
 激動する内外の諸問題に対処するため、国の財政運営が公正で健全でなければなりません。現在の日本の無定見な財政・経済運営が原因です。また、予算の単年度制度による消化ノルマの弊害も原因の一つであり、単年度予算制度及び財政状況の報告制度について見直しを行います。公正にして簡素な新しい税体系を構築します。
 会計検査院を国会の機関とし、公正を確保し、責任の明確化により、国民の立場による検査を確保します。
 十番目、教育及び文化について。
 人づくり、国づくりの基本は教育にあります。教育及び文化の章を憲法に設けて、教育の基本理念と教育・文化行政のあり方について明記します。
 人間は、進化の過程で、長期間の教育としつけが欠かせない動物となりました。
 日本人の心と誇りを取り戻すことが必要です。その上に新たな文明を築いて、人類に貢献しなければなりません。祖国と世界の平和と繁栄に寄与する知識と志と活力を持つ青少年の育成が教育の目標です。家庭や郷土や国家共同体は、青少年にしつけを通して人間形成の基本を学ばせる場なのです。
 特に重要なのは義務教育であり、基礎学力を重視するとともに、日本人の伝統的な資質をはぐくみ、次の時代を担い得るよき日本人を育てる責任を持っています。
 環境、社会保障について――ちょっと時間が来てしまいましたので、最後にもう一つ、改正手続についてお話ししたいと思います。
 現行の改正規定は、制定過程の特殊事情により、異常な改正手続となっております。各議院の三分の二以上の賛成という発議要件を過半数の要件に改める。国民投票による承認制度は存続させる。なお、現行憲法の改正手続制度、国会法の改正、憲法改正国民投票法が整備されておらず、早急に関係法規の制定を行う。
 以上です。
中山会長 次に、春名直章君。
春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
 今国会は、イラク戦争と世界の平和のルールという問題が正面から問われて、当委員会でも幾度となく議論が行われました。
 今、イラク戦争の大義とされていたものが失われたことが明らかになってきました。もともと、国連決議もない、国連憲章に違反する無法な戦争でしたが、それを押し切って強行した最大の理由とした大量破壊兵器の存在を示す証拠が虚偽であったことが次々と明らかになっています。例えば、アメリカでは、テネットCIA長官がこの七月十一日、イラクがニジェールからウランを購入しようとした情報について、大統領のために書かれた原稿に含まれるべきではなかったと誤りを認める声明を発表いたしました。イギリスでは、ブレア首相の辞任を求める世論が急激に高まっています。
 こうした無法な戦争で、少なくとも六千名を超える罪のないイラク国民、子供たちが殺されているという事実、民間団体のイラク・ボディー・カウントの調査ですが、この事実を決して忘れることはできません。ブッシュ大統領の言いなりに保有を断定し、イラク戦争をいち早く支持した小泉首相自身の責任が、今厳しく問われています。
 イラク特別措置法の違憲性は明白です。正当性が疑われる占領行政を支援することはもちろん許されませんし、そもそも、占領地に出向き、占領軍の活動を具体的に支援することは、当然、国際人道法や武力紛争法上で規律されるような行為となり、それが交戦権行使とみなされることは、国際法上、常識であります。実際に引き金を引いていないから、武器を使っていないから交戦権の行使にはならないという政府の詭弁は通用しません。
 しかも、政府が憲法違反にならないためのよりどころとしている非戦闘地域で活動するとの詭弁も、もはや通用いたしません。アビザイド米中央軍司令官は十六日の会見で、イラク全土で戦闘行為にある、相手は典型的なゲリラ戦を展開していると言明いたしました。元防衛庁教育訓練局長で新潟加茂市長の小池氏は、「イラク全土がいまだ戦場」「このような地域へ自衛隊を派遣することは、明確な海外派兵であり、明らかに憲法第九条に違反する行為」と警告し、廃案を強く要請しています。
 さらに、朝日新聞の七月二十、二十一日の世論調査では、自衛隊派遣に反対が五五%で、賛成の三三%を大きく上回り、六月の調査からも反対が急増しています。他のマスコミの世論調査も同様の傾向であり、国民の多数が反対の意思を示していることを重く受けとめるべきであります。
 今、イラク国民が求めていることは、非軍事の巨大な人道復興支援であります。医療、雇用、職業訓練、農業支援、教育、水道整備などの支援に全力を挙げる必要があります。その際、国連が作成した人道支援に関する指針が、その原則として、人道、中立、公平を挙げていることは極めて重要です。軍隊を派遣し、米占領軍を支援することは、この中立、公平の立場が最も求められる人道支援に大きな障害をもたらすことになり、また、イラクと日本の友好関係に深刻な障害を生むことを改めて銘記すべきであります。
 幾重にも憲法を踏みにじるイラク特措法は、断じて成立させることはできないし、許されないと考えます。
 さて、自民党の葉梨委員から、周辺国に対する信頼だけで我が国の安全は確保できるか、軍事的手段という外交の選択肢を狭める規定はかえって危険ではなどの提起がありました。それらを踏まえて発言をさせていただきます。
 そもそも、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」との文言は、他力本願という意味では全くありません。国民の安全と生存を、戦争という手段ではなく、諸国民の公正と信義に信頼を寄せて、平和の手段で保持することを明記したものであります。
 国家の中には戦争を好む国家もあるかもしれません。しかし、諸国民は平和を愛しているのであり、信頼に足るものであります。それは、イラク戦争反対で盛り上がった世界の世論からも明らかだと考えます。
 そして、前文は、国民が生存していく上で平和を不可欠の権利として平和的生存権をうたい、侵略戦争への反省を含めて、それらを踏まえた第九条、この全体によって平和主義を確固としたものにしているのであります。
 日本が行うべきは、この憲法の精神に立ち、国連憲章を初め平和の国際秩序の擁護、軍縮と軍事ブロックの解体、外国軍事基地の撤去、災害、難民、飢餓など非軍事の分野での積極的な国際貢献、核兵器廃絶のイニシアチブ、テロ根絶のための世界の共同など、大いに平和の外交を展開することでありましょう。こうして安全と生存を保持することこそ、憲法の強い要請であります。
 一方、歴代自民党政治は何をやってきたでしょうか。
 今述べた努力も不十分なまま、この十年余り、自衛隊を海外に派遣することに大きな力を注ぎ、PKO協力法、周辺事態法、テロ特別措置法、有事法制を次々成立させ、今また、イラク特措法で戦闘地域に地上軍を送るところまで進めてまいりました。その目的は、日本の国民の安全と生存という枠では到底くくることのできないものであります。
 周辺事態法は、アメリカが起こす介入戦争によって日本の平和と安全に影響が出ると判断した際に発動され、海外での自衛隊の後方支援を可能にする法律であります。
 テロ特措法は、九・一一テロの脅威の除去を行っている米軍の軍事作戦なら、地球の裏側まで後方支援ができるという法律であります。
 武力攻撃事態法は、戦後初めて海外での自衛隊の武力行使に道を開き、無法なアメリカの戦争に罰則つきで日本国民を動員する仕掛けでもあります。
 そして、今度のイラク特措法であります。まさに先制攻撃、先制核攻撃すら戦略とする危険なアメリカの世界戦略に従い、自衛隊を海外に派遣し、後方支援するというものであります。
 今強調されている九条改憲の背景は、この上に一層の制約の突破、すなわち集団的自衛権の行使、自衛隊の軍隊としての認知によって、大手を振って、米軍支援を武力行使を含めて実行できる国づくりに進むというところに大きな目的があると考えざるを得ません。
 しかし、この道を進んで本当にいいのかが根本から問われていると思います。
 イラク戦争では、平和のルールを守れとアメリカの手を縛る世界の国民の声がかつてなく広がりました。政府レベルでも、国連加盟百九十一カ国中、実に百三十カ国がイラク戦争に反対あるいは憂慮を表明いたしました。イラク戦争後も、アメリカ一国主義への批判は根強く広がっているのであります。
 二十一世紀の日本の進むべき道は、憲法を変えてアメリカとともに武力行使に乗り出す、そういう国ではなく、国連憲章に基づく世界の平和のルールを守れという、この世界の流れを促進する先頭に立つこと。そのために、九条を今こそ守り生かす国づくりに邁進するというところに私は大事なポイントがあると考えます。
 なお、北朝鮮の脅威を理由にした九条改憲について一言申し上げたいと思います。
 先ほど葉梨委員が、日本が侵略を受けないとする根拠は何かとの問題の立て方がされましたが、それ自身、問題の立て方が間違っていると私は思います。
 これまで日本は、九条のもとで、武力によらない平和と安定、安全を追求してまいりました。それを変えて軍事力を持つべきというのであれば、日本が侵略を受ける可能性が出てきたという証明は、九条の改憲を主張される側の方が行うべきことであります。それを、現憲法を守り生かそうという側に説明義務があるかのように言うのは、私は本末転倒であると言わざるを得ません。
 さて、北朝鮮の核開発問題について、アジアが今どういう形でこの解決をしようとしているのかをよく見る必要があります。
 八日に盧武鉉韓国大統領と胡錦濤国家主席が発表した共同声明では、北朝鮮の核問題をめぐって、朝鮮半島の非核化を確保し、対話による平和的解決が可能との認識で一致をし、問題解決に向けて協力を強化することを明記いたしました。また、東南アジアでは、ARFなど、国際紛争をあくまで平和的に解決するという力強い流れも生まれています。
 北朝鮮問題もあくまで平和的解決を目指すのが基本であり、とりわけ北朝鮮の力による外交政策そのものが自身の平和と安全を損なうものとなっているということを道理を持って説得する日本外交の努力が極めて今重要になっているということを強く主張しておきたいと思います。
 最後に、新しい人権と日本国憲法について一言述べておきます。
 今国会は、個人情報保護法が審議されたこともあり、当調査会でも、知る権利、プライバシー権等の新しい人権について意見を述べられた参考人や地方公聴会の意見陳述人も少なくありませんでした。
 そこで表明された意見で特徴的であったのは、新しい人権は憲法に明文の規定がなくとも、十三条などをよりどころにし、立法によってその保障が可能であること、日本国憲法の人権規定は、今日焦点となっている新しい人権に対応できるのみならず、さらに将来生起するかもしれない新しい人権にも対応し得る、懐の深い構造を持っている、問題はこれを保障するための立法作業にあるということが共通して述べられた点にあると考えます。
 あと少し発言もありますが、後に発言することにし、この点だけ強調しまして、最初の発言とさせていただきます。
 以上です。
中山会長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子哲夫です。
 今国会の最後の調査会に当たり意見を述べたいと思います。
 私は、まず最初に、今参議院で審議をされておりますいわゆるイラク特措法について意見を申し上げたいと思います。
 イラク特措法では、安保理決議六七八号、六八七号及び一千四百四十一号並びに関連する決議に基づき国連加盟国によりイラクに対して行われた武力行使並びにこれに引き続く事態をイラク特別事態と定義し、米英両国のイラクへの武力攻撃を合法化しようとしていますが、これは大きな誤りであります。
 これまでも指摘してきましたけれども、これらいずれの決議も米英両国によるイラクへの武力攻撃を正当化するものではありません。そもそも、国連決議なき武力行使は国連憲章第四十二条に違反しており、今回のイラク攻撃を合法化すること自体が正当性を欠くものと言わなければなりません。
 まして、米英両国が攻撃の最大の根拠としたイラクの大量破壊兵器の保有という大義すら不確かなものであったということであれば、イラク戦争はまさに一片の正当性もない戦争であったということであります。
 にもかかわらず、イラクに核兵器が保有されていると断定し、この違法のイラク攻撃を支持した小泉首相の責任も厳しく問われなければなりません。
 このような国際法的正当性のない戦争を前提とした今回のイラク特措法が廃案とされることは当然のことであります。
 さらに重要なことは、憲法とのかかわりにおいてどのように検討されただろうかという大きな疑問であります。
 小泉総理は、自衛隊ができるのになぜ自衛隊がやっていけないのか、民間ならやってよくて自衛隊がやって悪いという理由はないと思うと言われています。私はこの主張には問題があると考えております。自衛隊が派遣される国または地域がどのような状況にあるかは極めて重要なことです。現在のイラクは米英両軍による軍事占領下にあります。この占領下にあるイラクに自衛隊を派遣するということですから、この問題は憲法とのかかわりにおいて検討することは当然のことです。
 従来、政府は、憲法第九条第二項において「国の交戦権は、これを認めない。」と規定されており、ここに言う交戦権とは、「戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であつて、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶のだ捕等を行うことを含むものであると解している。」としてきました。
 この見解を十分に検討すれば、今回のイラクへの自衛隊の派遣は、占領行政下の地域への派遣であり、当局の指揮下に入るものではなく我が国として独自の立場で支援を行うものであるということは通用いたしません。どのような理由をつけたとしても、実質上占領下にあるイラクでその占領活動の支援を行うことは明らかであり、この政府見解からしても憲法に違反していると言わざるを得ません。
 さらに、委員会質疑において、政府は、武力の行使に当たる行為を行うこともなく、我が国がこのような活動を行っても国際法上我が国が交戦国の立場に立つことはない、したがって、交戦権を行使するという評価を受けることはないとしていますが、現在のイラクの状況を考えれば、自衛隊による武力の行使がないとは到底言い切れません。その点からも、憲法第九条とのかかわりにおいて慎重に検討することは当然のことであります。
 自衛隊にも民間にもできることをなぜ自衛隊がやってはいけないかというようなレベルでイラクへの自衛隊派兵を決定することは、あってはならないことです。私は、イラクへの支援は、憲法の精神からいっても、民生部門を対象として文民による人道復興支援活動に限定すべきであると考えています。
 イラクでは、さきの湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によって、子供たちに放射線後遺障害による深刻な被害が出ています。それは、五十八年前に広島、長崎に投下された原子爆弾による放射能を浴びた被爆者と同じ症状があらわれているのです。この体験の中からつかんだ医療の知識や経験、そしてそのための医薬品というものを今イラクの人々は求めているということです。この劣化ウラン弾の被害者への支援活動は、まさに被爆国日本がやること、そして、ある意味では日本にしかできないことであります。こうしたことを最優先に取り組むことこそが、今イラクの人々に対する最大の支援活動です。とにかく自衛隊の派遣をということではなく、真の意味での憲法の枠内で行うべき支援活動というものを考えることこそが重要であると考えております。
 次に、人権の尊重、とりわけ労働の権利ということについて意見を述べたいと思います。
 今国会では、労働関係の三重要法案について改正案が提出されました。いずれもが、憲法第二十七条で保障された労働の権利を押し下げるものであったと言わざるを得ません。
 第一に、労働基準法の問題です。
 この法律は、第二十七条第二項に定める「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」という規定に基づいて定められたものです。ですから、当然のこととして労働基準法では、労働者の権利を守ることと同時に、使用者側に対しては、何々をしてはならないという禁止規定として条文が構成されています。
 ところが、政府が示した改正案の解雇ルールの新設では、使用者は、この法律または他の法律の規定によりその使用する労働者の解雇に関する権利が制限されている場合を除いて労働者を解雇することができるとしていました。これは憲法第二十七条、そしてそれによって定められた労働基準法の本質そのものを根底から覆す内容として、法律家、弁護士からも厳しい指摘があったのは当然のことです。幸いにして、野党の厳しい指摘によってその条文を、解雇してはならないと修正することができたとはいえ、なぜこのような、法律の本質そのものを変えるような改正案が政府によって作成されたのか、極めて疑問とせざるを得ません。
 また、三つの改正案に一貫していたことは、長期にわたる景気低迷を口実に、終身雇用制から、派遣労働や有期雇用労働など、いつでも首切りのできる不安定雇用へと雇用形態を大きく転換させようとしていることです。このことも、憲法第二十七条で保障された勤労の権利を拡大するというよりも、縮小していると言わざるを得ません。
 今政府が行うべきことは、中高年者の再就職の困難、失業の長期化に対する施策を早急に確立することです。労働者にとって働く場所がないということは、収入の道が閉ざされるということであり、生活そのものの基盤を失うということであります。もちろん、景気の動向によってやむを得ざる失業という事態は発生するわけでありますが、今日のように長期化している失業者に対して何らの政策も実施しないことは、憲法第二十五条の生存権規定からいっても許されないことであります。
 さらに、この生存権規定の問題で指摘しなければならないことは、年間三万人を超える自殺者の問題です。
 経済的理由による自殺の割合が年々増加していることは深刻です。さきに述べた中高年の再就職困難、さらには経済的理由による自殺者の増加などは、本来、政治によって解決できる問題です。このような状況を放置している政治の責任は、憲法第二十五条に規定した、すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するを実現しないものとして、厳しく問われなければなりません。
 さらに労働問題で付言すれば、公務員労働者の労働基本権問題も解決されなければならない憲法上の課題です。私は、憲法第二十八条で保障された勤労者の団結権及び団体行動権はすべての労働者に基本的に付与すべきであると考えています。その上に立って必要最小限の制約が加えられるべきであって、現在のように大きく制約ないしは禁止されている状況は、憲法上からも許されないことです。今回の公務員制度改革において、公務員労働者の労働基本権が基本的に回復されるべきであります。
 今回、私は、憲法で保障された基本的人権のうち、労働の権利を中心に意見を述べましたが、他の権利についてもさらに現状を調査していくことが求められていると考えております。今国会の最後に当たり、私は改めてこの憲法調査会が、現在の憲法状況について調査すること、こうした観点からも極めて重要だということを強調したいと思います。
 なお、葉梨委員からの指摘については、また後ほどの討論で機会があれば発言をしたいと思います。
 以上をもって私の発言を終わります。
中山会長 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守新党の井上喜一でございます。
 私は、憲法とはどういうものかということについて申し上げたいと思うのでありますけれども、国内的、対内的には、基本的人権というのがどういうものなのかということを明らかにする、そしてそれを守っていく、担保していく統治機構等について明らかにするということ、それから対外的には、国際的な平和や安全にどの程度、どのようにかかわっていくのかということを明らかにすること、この二つの対内的、対外的な事項につきまして実体的な規範を規定する、それが憲法だ、こんなふうに考えるわけであります。こういう視点から、今国会の憲法論議全体を振り返ってみまして、私の感じを申し上げるものでございます。
 まず、憲法の前文であります。
 現行憲法が明治憲法に比べて非常に大きな違いがある、根本的によって立つ理念が違うわけであります。そういったことで、私は、そういう歴史的な経緯なり、あるいはよって立つ理念について前文というふうに起こして、現行憲法の骨格といいますか物の考え方を明らかにする必要があったんじゃないか、こんなふうに思うわけであります。
 憲法自身は、やはり規範的なもの、それ自身が実効規定でないといけないと私は思うのでありまして、元来こういった規定は要らない、こんなふうに私は思います。簡潔にして規範となる、その部分、それを明確に書けばいいということであります。それの方が、憲法解釈上からいいましても明快である。前文を置くことによって、前文との関係がどうだとか、そういう無用の議論を引き起こすと思うのでありまして、そういう意味で、次の憲法におきましてはこういう前文は必要がないと思うんです。もう半世紀以上がたっておりまして、こういった原則自身は日本の社会に大体定着をしてきていると思うのでありまして、今さらこういった趣旨の前文を置く必要はない、私はそういうふうに思っております。
 次に、天皇制であります。
 私は、前にも若干申し上げたかと思うのでありますけれども、現行憲法というのは非常によく書かれていると思うんです。私は、天皇制あるいは天皇というものは日本国民の精神的な元首だと思うんですね。精神的にはやはり元首の地位にあると思うのでありますけれども、憲法の上では元首とはなっていないと私は思うのであります。象徴になっている。元首的な権限は内閣が持つということだと思うのでありまして、その長たる内閣総理大臣が元首的な地位にあるんじゃないか、こんなふうに私は思います。
 元首についての規定ははっきりとしておりませんけれども、私は、法律的といいますか、これにつきましては今私が申し上げたような理解でよろしいんではないかと思います。
 総じて天皇制につきましては、私はやはり現行憲法の、規定の仕方はいろいろあると思うのでありますが、実態的には今の象徴天皇制に賛成でございます。
 それから次に、安全保障につきましては、これは私はもう既に申し上げたのでありますけれども、自衛権、これは集団的自衛権を含む自衛権ですね、これがあることを明記していく、その範囲といいますか限度というようなものも明確にする、あるいは国際的な平和や安全に役立っていく、貢献していくような規定もあわせて入れていくということが必要だということであります。これはもう繰り返しになりますので、これ以上申しません。
 それから次に、基本的人権でありますが、現行憲法に規定されております基本的人権は今でも基本的人権として尊重していかなくてはいけないものだと思いますし、さらには、プライバシーの権利、その他幾つかの権利を基本的人権として考えた方がいいんじゃないかという議論がございます。これらについても私は賛成でございます。
 基本的人権についての問題といいますのは、やはり公共の福祉との関係、これをどう考えていくのかということだと思うのであります。基本的人権といいましても、権利のそれぞれにつきまして全く同じじゃありませんので、権利ごとに違っていると思いますけれども、それぞれにつきまして公共の福祉との関係をより明確にしていく、そういうことがよりいいんじゃないか、こんなふうに思うわけでございます。
 それから、あとは統治機構等でありますけれども、これも前回私が報告させていただきましたのでそれに尽きておると思うのでありますけれども、やはりこの基本的人権をいかに守っていくか、守っていくということから、あるいは国際的にも日本がそれ相応の国際社会に対する貢献をしていくというような点などを考えて、現実、非常に速いテンポで国内社会が、あるいは国際社会が変わっておりますので、それに即応するような制度が必要だと思うのでありまして、これは憲法の問題も多少あるかもわかりませんけれども、そういった問題よりも、むしろ運用の問題としてよく検討をしていくべき部分が多いんじゃないか、そんなことをこの前のレポートの中で申し上げたつもりでございます。
 以上でございます。
中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。
奥野委員 自由民主党の奥野誠亮であります。
 いろいろ御意見を伺っておって、だんだんと改正という方向では一致してきたように思うわけでございますけれども、やはりこの憲法がどういう関係でできたかということについて、もう少しお互いに意見が同じようになればありがたいな、客観的なことでございますから、これはもう当然一つになるはずだと思うのであります。
 日本の憲法は、マッカーサー元帥の三原則に基づいて占領軍が書いたものを、日本の国会がそれを議決した。衆議院の選挙に当たっては、立候補に当たっても資格審査があったんだ。また、主権は、天皇及び日本国政府の権限は占領軍の総司令部総司令官に従属すると決めつけられておったわけでございますし、憲法の中に書かれておりますような言論の自由も表現の自由もありませんし、占領政策の批判も許されませんし、また、占領軍は追放という武器も使ったりしておったわけでございました。マッカーサー三原則の一つには、日本国の安全を守るための戦争も許されない、こう書いてあるわけでございまして、大変失礼な原則だ、こう思いますけれども、それに従ってあの憲法ができていることは事実でございます。
 そんなこともございますので、私は、憲法は改正すべきだ、しかも全文改正すべきだと。部分改正ではなかなかつじつまが合わないところがたくさん出てくる。まさに、汚辱の憲法を、晴れて日本人自身が新たなる出発に当たって憲法を新しく持ったんだ、こういう姿にしたいな、こう思っておりますことを一つ申し上げておきたいと思います。
 もう一つは、国連重視、国連中心のお言葉が何人かから申されました。私も、国際協調が大事である、世界の平和を念ずる点においては人後に落ちない、こう思っておるわけでございます。
 しかし、御理解いただきたいのは、第一次世界大戦の後で国際連盟ができ、第二次世界大戦の後で国際連合が生まれました。そのときには、侵略戦争は許さない、この侵略戦争を起こさないためには国際連合みずからが軍事力を持たなければならない、そういう意味であの規約ができているわけでございます。やがて東西対決などもございまして、それはいまだに行われておりませんけれども、そういう事情でございますから、連合国の主要な五カ国が安全保障理事会の常任理事国になる、それぞれの国が拒否権を持つ、全部ほかの国が賛成であっても一国が反対すれば国際連合の意思はまとまらないということになるわけでございます。
 今度のイラクの問題に当たりましても、フランスは、最後は拒否権を発動する、こう言ったりしてアメリカの決断を早めたんじゃないかなと私は思っているわけでございます。
 その当時、今申し上げたような意味でできておりますから、日本は、敵国条項というのがありまして、もちろん常任理事国にもなれませんし、今日幾ら私が常任理事国に入れろと言いましても、五カ国全部の賛成を得ることはそんな簡単なものではない、こう思っておるわけでございます。
 しかも、当時とすっかり違いまして、当時は五十一カ国の構成でございましたけれども、今は百九十一カ国。しかもまた分担金は、アメリカが二二%、日本が二〇%、ドイツが一〇%等でございまして、常任理事国五カ国のうちのアメリカを除いた四カ国全部でもたしか一六%で、日本よりも少ないと思います。
 これだけの貢献をしておりながらも、その発言に当たっては、敵国条項というのがあって、いつまでも敵国、連合国というのは対立関係を持った国連でございますから、もうそろそろ国連批判もお互いがやったらいいじゃないか、国連の改革を求めていったらいいじゃないか、何で国連中心で、国連の決めたとおりでなきゃいけないと言わなきゃならないのか。少し私は、日本人もこの際自覚を持って、世界に言うべきことも言いたいなと。もう戦後六十年近くたっているわけでございますから、六十年前の事情で拘束されることは残念だな、少なくとも我々国会の中で、もうちょっと国連のあり方に対する批判も持つようにしたいなということを提言しておきたいと思います。
中山会長 ただいまの御発言は安全保障及び国際協力についての御発言でございましたので、議事整理上、これに関する御意見と議論を先行させていきたいと考えております。
中川(昭)委員 今の奥野委員並びに冒頭の葉梨幹事の提言を踏まえて御質問したいと思います。
 先ほど、葉梨委員からは、四つの疑問というものを安全保障に対して提示いたしました。これは専ら、主に共産党、社民党に対しての質問だと私は理解をしておりまして、この件については両党区別がつきませんから、どっちから答えていただいても同じようなものでございますからいいんですけれども。
 まず、一六四八年にウェストファリア条約という、ヨーロッパ中心ですけれども、いわゆる国民国家という体制ができ上がったわけでありまして、それが二度の二十世紀の大戦を踏まえるまで、第一次世界大戦で崩壊したという意見もありますけれども、何とかもっていた。しかし、その中にはいろいろな問題点が抱合されてきたことも事実であります。他方、戦後は、御承知のとおり、米ソ二大スーパーパワーが抑止という観点でやってきたわけであります。
 そういう中で、我々が一つ参考になるのが、ドイツが、戦術核をアメリカから導入して、それによって、万が一東からやられた場合にはこちらからも戦術核を撃つことによって相互確証破壊、MADという戦略をとりました。これが日本がとれるかどうかはまた別の議論ではありますけれども、常に世界の安全保障あるいは国際間の政治的な流れというものがあるわけであります。
 ただ一つアメリカの高官がデータをミスしたから、だからイラク支援がだめだとか、あるいは、イギリスで間違った情報がリークされて、それでもってこのイラクに対する制裁がだめだったとか、そんな、これが事実だとしても、これは正しくないという意味ではよくありませんけれども、しかし、全体から見れば、一つの細かい事実でもって全体を否定するような流れというのは、私は、国際社会においてはまことに、目的のために重箱の隅をつつくような議論にすぎないというふうに思います。
 そういう中で、我々は世界の平和と安全に少しでも貢献をしたい。それはいわば、ある意味では両党が信奉してやまない憲法の前文に書かれているわけでございます。しかし、現実問題を考えると、一つは、国家の問題というものがあります。国家意思としてどういう行動をとるのかということがあるわけでありますが、例えばユーゴの分裂、あるいはソ連の分裂によって、例えばコソボの問題あるいはまたチェチェンの問題、さらには、アフリカの貧困、飢餓という大変悲惨な状況の中でのリベリアやコンゴの内戦、こういったものを国際社会の中でどういうふうに解決していくのかというときに、さらには、パレスチナ、イスラエルの問題については二千年以上の歴史的な、宗教的な対立がある、あるいはまた民族的な対立がある。これはどっちが正義でどっちが悪だというふうに決めつけることはできない。しかし、現実には悲惨な戦いが行われているわけであります。
 他方、我が国の周りには、明らかに日本をターゲットとした、意思と能力を持った北朝鮮というとんでもない国が存在をしている。国家犯罪として、平和に暮らしている日本人を拉致、誘拐していった国家が、のうのうとしてアメリカとの交渉のみを訴えようとしているわけであります。
 これを憲法前文と照らし合わせたときに、果たして我々は、諸国民の正義と公正に信頼しなんていう絵そらごとのようなことでもって我が国の平和と安全が過去守られてきたのか、今後守られていくのかという保障がない以上は、我々は、先ほど委員長報告でも申し上げましたように、国民の平和と安全と暮らしを守るために最大限の努力をするというのは国家の責務であり、国会議員の責務であるというふうに私は考えざるを得ないわけでございます。
 そういう意味で、この戦後五十年だけでも大きく変化をしてきた世界情勢の中で、もっともっと理屈抜き、アメリカの言うことを聞けば、ソ連の言うことを聞けばという世界秩序の中で、民族とか宗教とか貧困とかいうものが、毎日毎日大勢、何万人という人たちが殺されている、他方、食料がない、薬がないということで、お年寄りや子供たちが死んでいっている状況に対して、ただお金を出せばいい、ただ平和的なところに、安全であるという保障のあるところに限って出ればいいということだけでは、真の意味の国際貢献にもなりませんし、それから、我が国の安全と平和にも、国民に対する責務が全うできないというふうに思います。
 改めて、どちらの政党でも結構でございますから、返答があればお願いをいたしたいと思います。
金子(哲)委員 社会民主党・市民連合の金子です。
 今、中川幹事からのお話は、私はちょっとお答えすべきかどうか疑問に思うぐらいの質問でございまして、私は、率直に申し上げまして、葉梨幹事から質問があった点についてはお答えをしたいというふうに思います。
 まず、この四つすべてをお答えすることはできませんけれども、侵略を受けないとする根拠は何かという話でありました。これは非常に難しい、根拠をすべて証明しろという侵略。では、逆に言いますと、今日の日本の政府の態度というのは、今侵略する国があるかという規定をしているかというと、それはないということを規定しているわけでありまして、政府の正式の見解で、我が国を攻撃する国がない、これはまさにそれが根拠と言わざるを得ません。
 二つ目の、周辺国に対する信頼だけで我が国の安全は確保できるかと。
 私どもは、何も信頼だけ、相手のことを信頼していれば、こういう日本の平和と安全が守られるということを言っているわけではありません。相手の信頼を得るためには積極的な我々の外交努力というものが、政治の努力というものがなければ、私は、相手の信頼も醸成できることはできないというふうに思います。
 今日の我が国の状況、特に我が国の周辺諸国を見ますと、かつて、これは侵略戦争の対象国であった国々であります。その国々との関係を、どう信頼関係を築いていくかということは、極めて一にかかって、私は日本の外交姿勢にあるというふうに言わざるを得ないと思います。
 今日、自民党の幹部とも思われる人たちが例えば創氏改名の問題で発言をされる、さらには、周辺国から大変意見の出る靖国神社への参拝が毎年のように小泉総理によって行われる、こういうことが本当に外交的な信頼関係をつくっていくための基本の外交姿勢としていいのだろうか、逆にそのことを問わなければならないというふうに私は思います。
 特に、我が国は、私はこの問題については被爆者問題と絡めながらよく言っているわけでありますけれども、戦前の例えば強制連行の問題などについて、個々の人々の問題について、本当に我が国は解決をしただろうか。確かに、国交回復をしたときに、その国家賠償としての整理はされたかもわかりませんけれども、個々の人々の損害というものに対して謝罪と補償というものがどれだけ行われたのか。これが今もって現実の問題として裁判などを通じて起きているという現実。例えばの話でありますけれども、こうした問題を誠意を持って我が国政府が解決をしていく、このことなどは、周辺の諸国に対する信頼をつくっていく、諸国民の信頼を得るということでは極めて重要なことだというふうに私は考えております。
 さらに、北朝鮮の問題についても若干触れたいと思います。
 特に最近の核開発の問題、私自身もこの核兵器開発の問題については、どの国であれ、どんな理由であれ、先ほど中川幹事はドイツの例を出されましたけれども、そのような選択そのものが、核兵器には核兵器で対抗する、せん滅を目指していくというような発想そのものが、核兵器の非人道性、大量破壊性を考えてみますと、そこに頼る、またそのことがさらに拡大をしていく、このような事態をつくってはならないと私は考えておりますし、北朝鮮の核開発は、仮にどんな理由があったとしても絶対に認めることはできないし、何としても国際的な力によってこれはとめなきゃいけないというふうに思います。
 同時に、南北の朝鮮が不幸にして分断されているこの歴史的な事実、だからこそ、そしてまた北朝鮮とは国交の関係がないという現実の状況、こういう問題を政治の力で解決しよう。だから、昨年の九月に小泉総理が北朝鮮を訪問されて平壌宣言を出されたのは、そういう国交正常化、国交がないという不正常な状況、国交正常化を通じて北東アジアの安定状況をつくろう、こういうふうに考えられたから、あの訪問があったというふうに私は考えております。
 そういう意味で言いますと、私たちは、少なくとも今の状況の中にあって、ただ単に信頼ということではなくて、その信頼をどのような努力、つまりは外交的な努力によってそれをやっていくということが重要だと考えております。
 私は、ヨーロッパの最近の状況を見たときに、先ほどお話がありましたように、第一次、第二次の大戦、その前の戦争と相次いだ戦争を体験したヨーロッパが、今EU統合という形で戦争の危機を回避している。そういう状況に進んでいることをこの北東アジアの地域でつくっていく、そのことこそが、私どもは日本の平和と安全を守っていく最大の役割、そして安全保障だ、このように考えております。
中山会長 金子君に対する反論が中川君からあれば発言を許します。
中川(昭)委員 諸国民との信頼をかち得るためには外交努力が必要である、信頼をかち得るための努力をすることが必要である、そのために創氏改名、靖国神社、強制連行についての発言が出ることはけしからぬということでありますが、あえて申し上げますけれども、これは歴史認識の違いというものも一つあるということであります。
 例えば、南京事件、南京のあの開城のときの戦争行為で、当初は数千人と言われたものが今や三十万、四十万というふうに教科書にすら出ている。根拠が全くない。私は、事実があればそれは受け入れることはやぶさかではありませんけれども、根拠がないままバナナの競り上げみたいなものでどんどんどんどん数字が上がっていく。これが、果たして歴史認識として我々が受け入れられるかどうかという学問的な問題が一つあるということでありまして、それを向こうの言うとおりにしなさい、それが信頼醸成措置であるということであれば、私は、主権国家日本の国会議員としては、その判断をするということはまことに無責任な発言かというふうにあえて問いたいのであります。
 戦前のことは、歴史認識ですから、これはきちっと共有の歴史認識ができることを私も望んでおる一人でありますけれども、ただ、その後の五十年における日本人の拉致問題、あるいはまた北朝鮮への日本人妻の帰還運動、これはまさに政治が関与したことでありまして、これは共産党さんが言い出しっぺで我が党も協力した九万四千人の帰還運動、さらには今十五人と公に認定されておりますけれども、大勢の皆さん方が拉致をされていった。日本の主権の範囲内で普通に暮らしている人間が、外国の、つまり北朝鮮の政府の意向によって、金正日の意向によって拉致をされていった。そして、その拉致問題の救出に国会議員が闘うどころか、それを助長するような一部議員、一部政党が現にあったことも我々は忘れてはならないわけでございます。
 そういう意味で、今、欧州の話をされましたけれども、私も、東アジアにおいて共同体あるいは地域的安全保障が完成すればそれはいいことだと思います。しかし、我々は努力をいたしますけれども、欧州は、基本的には、大ざっぱに言って一つの共通の価値観がある、これはキリスト教の価値観であります。それから、生活レベルも、少なくとも欧州の今のEU十五カ国の中には貧困も餓死も宗教的、民族的対立もない。これは、過去百年のクーデンホーフ・カレルギー以来の努力が今まさに結実したことだろうと思いますし、また、ほかにも、経済連携等でいろいろな世界じゅうの動きがありますけれども、日本がそういう信頼醸成のリーダーシップをとるためにも、我々としてはきちっとした外交と、外交だけではない、それを担保するための最後の手段としての、日本を安全に守る、地域を安全にするための軍事力と安全保障というものもセットで考えてこそ真の平和というものができ上がっていくわけでありまして、そのために諸国民の正義と公正を信頼しというのは、最終段階の、そういう一つの材料になるのではないか。
 北朝鮮はあくまでも日本を攻撃する意思があります。そして、能力も、既に九八年にミサイルを三陸沖に撃ったり、あるいはまた、今まさに核兵器を、プルトニウムをどんどんどんどん抽出してやっている、小型のミサイルの準備もどんどん進めている。そして、これはアメリカ、あるいはまた広い意味では韓国、日本というものを目標にしているのでありましょうけれども、しかし、その核兵器という観点に関して言えば、ねらわれているのは日本であり、その運搬能力は既にあるわけであります。問題は、核兵器をつくって、小型のミサイル搭載型の核兵器にして、そしてそれを装備したときにはまさに意思と能力がある、これがまさに侵略戦争のまず第一義的な定義だろうと私は思います。
 だからこそ、それを阻止すると同時に外交というものがあるのであって、そこにまさに政府、我々が言っているように対話と圧力というものがセットになるわけでありまして、金子委員の御発言は、今、対話のみを追求することでは決して日朝の間の平和的な関係というものは構築できないということを申し上げておきたいと思います。
    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕
今野委員 私は、基本的人権の保障に関する調査小委員会と安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会に所属しておりまして、この二つの小委員会での議論を中心に意見を述べたいと思います。
 まず、今国会では個人情報保護法や有事立法が相次いで成立しまして、国家による監視や主権の制限など、自由社会に対する国家の権限が強められることになるのではないかという心配が出てきました。時を同じくして、憲法調査会基本的人権に関する小委員会では、公共の秩序の維持に関しては国家はどのような関与をすべきなのか、そして一人一人の持っている基本的人権をいかに守っていくべきなのかということを中心に議論してきたと思います。
 社会全体が個人の権利と公の秩序とのバランスを模索しているときだと思うんですが、個人の権利の尊重と公共の秩序維持については、これまでのような、国家や官僚が市民の上に立って物事を一方的に決めてそして市民がそれに従うという公共概念では不十分だということは、恐らくどなたも認識していると思うのですけれども、なぜそうじゃない方向になかなか行かないのかということを常々思っているわけであります。
 これからは、より開かれた民主的なコミュニティー概念、そして、単に国家内部のことに収れんするのではなくて、国家や国境を越えた、地球規模でのコミュニティー概念へとシフトしている中で公共政策及び個人の権利の擁護を考えていく必要があるのではないでしょうか。現在の日本の憲法は、そのような思想と照らして、否定するものではないと私は考えております。
 安全保障についてですが、私はイラク特措法における自衛隊派遣の議論を通して、憲法九条の問題について意見を述べてまいりました。
 政府は、イラクの現地で小規模戦闘が多発している状態にもかかわらず、自衛隊のイラクへの派遣を可能にするイラク支援法を衆議院で可決しました。政府の現地情勢見きわめが不正確であったことは、七月十六日にアメリカの中央軍司令官、アビザイド司令官が、イラク駐留アメリカ軍が旧フセイン政権残党を先頭とした典型的なゲリラ戦に直面しているとの認識を示したことからも明らかであります。防衛庁も現在、支援計画の見直しを迫られている状況にあるわけであります。
 そうした中で、先ほど中川委員が、イラクの大量破壊兵器の存在について情報操作が行われていたのではないかということについてささいな問題だとおっしゃいましたけれども、米英議会が、この情報操作があったのではないかということで揺れております。イギリスでは、報道もされておりますが、当事者が自殺までしております。
 こうした問題をささいな問題だと言い切ってしまうことは、これからも情報操作を行ってもいいことになってしまうという、大きな問題発言だと思います。
 さて、イラクの現地情勢が十分把握できておらず、非戦闘地域を限定もしないうちに政府が今回のイラク復興特別措置法で自衛隊を海外へ派遣しようとしたことは、自衛隊の海外派遣など考えもしなかった憲法九条を歪曲して解釈して行おうとしているものでありまして、もはや政府による九条解釈の幅というのはもうぎりぎりまで来ているのではないかと思います。
 九条改憲の動きが出てきたのは、九一年の湾岸戦争のときから特にそうなってきたと思うんですが、アメリカの当時のブッシュ大統領の自衛隊派遣要請を断って百二十億ドルに及ぶ資金協力を行ったことに、国際社会からのそれだけではないかという批判があるという認識から起こった議論だと認識しています。しかし、そうした批判を口にした人たちは、日本の憲法のことを知っていた人たちなんでしょうか。私たちはあの機会をとらえて、むしろ日本の憲法をPRすべきだったのではないかと思います。現在の平和憲法に基づく外交政策を日本が確立し、国際社会に日本の憲法と独自の外交政策をアピールしていくことで日本の国際貢献は十分できるはずだと思います。こうなってきたときに、安全保障基本法的なものを整備すべきだという話もありますが、そうしたからといって、憲法と我が国の安全保障政策の間にあるゆがみは解決されるんでしょうか。
 私は、前の安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会でも発言しましたけれども、憲法九条を改憲するか維持するかについて発議をし、国民的な議論を巻き起こしていくときが来ているのではないかということを再び発言させていただき、今回の発言とさせていただきます。
 以上でございます。
    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕
中山(正)委員 自由民主党の中山正暉でございます。
 この中にももう戦争体験のないお若い先生方は大勢いらっしゃいますが、私ですら、ことし七十一、戦争が済んだときに中学一年生でございました。私は、大阪で、B29が頭の上から、一万メートルも上から爆弾を落として、そして焦土と化していくその町の中で、私は生駒山という山の下に疎開をしておりましたが、市内の中学校に通っておりましたので、焼夷弾が降ってくる中、爆弾が降ってくる中、スリルを味わうみたいな形で、空襲警報が鳴ると学校を出て家まで歩いて帰る、そういう生活をしておりました。
 私は、情緒論でまことに恐縮でございますが、私は自由民主党ではございますけれども、ここにおります者、まだ世界は一つ、平和な地球として一つになっていないわけでございますから、我々は政党を超越して、日本の国民をどういうふうにこの複雑な世界の中で守っていくかということを前提に考えなきゃいけないのではないか、かように考えております。
 私は、この中にも精神科の先生がいらっしゃいますが、脳生理学の権威の時実利彦、東大の教授、それから京都大学の教授をされて、日本霊長類研究所の所長をされた時実利彦という脳生理学の先生から、ある会合で、待合室でお話ししていると、向こうから、中山さん、日本国憲法には脳生理学的に見て認められないことが書いてあるよ、人間の脳の中には殺しの本性しかないんだ、それに愛とか、宗教とか、倫理とか、哲学、そういうものの光を一生懸命に当ててこそ、これがいわゆる愛を認めると。
 愛には四つの種類があるそうです。慈しむという慈悲の慈というのは、これは相手の持っていないものを与えてあげる愛。それから慈悲の悲というのは、これは相手の持っている苦しみ、悲しみをとってあげる愛。それから喜、喜ぶというのは、それは相手の喜びを自分のものにする愛。いわゆる随喜の心といいますか、随喜の涙。人の悲しみは一緒に泣いてあげると半分になるし、人の喜びは一緒に喜んであげると倍になるという話があります。それから、一番難しい愛が捨、捨てる、これは仏教用語でございますが、捨と書いて、これは相手の痛いところに触れない愛、そっとしておいてあげる愛という、この四つの愛の種類があるというお話を聞きました。
 考えてみると、今地球というのはどんな状態にあるかというその認識の中には、一神教の対立、これが大変なことでございますが、アメリカという一七七六年に独立した国、この国はいろいろな世界計画をずっと実施してきました。
 例えば、終戦のときに、ミズーリ号という、東京湾で、いわゆる連合国に対して日本の重光葵全権大使、全権がサインをされた、その頭の上に飾ってあった星条旗のことを皆さん御存じでしょうか。これは、実は、ペルリが日本に一八五三年に来たときにあの黒船にかけていた星条旗をかけていたんですね。いかに大計画が実現したかということを、マッカーサーはそれを示すために、わざわざペルリがかけていた星条旗をミズーリ号のあの降伏文書をサインする真上にかけていたという。
 やはり、アメリカというのはすごいなと思うのは、これは御承知のように、明治三十八年、いわゆる日露戦争、一九〇五年、その年にレインボー計画というのを立てています。レインボー計画というのは、アメリカ人は目の虹彩が薄いですから、にじは日本人のように七色に見えません。日本のカラーテレビが世界を制覇したのはそこに理由があるとかいいますが。アメリカ人は五色に分けています。その中で、英国との戦争計画をレッド計画、日本との戦争計画をオレンジ計画と言いまして、もうそのときに、明治、日露戦争が済んだ後に日本との戦争計画を立てていたということですね。
 先ほど奥野誠亮先生から、憲法がアメリカから与えられたという話がありました。日本が滅びたのは――この間、私は篠田監督の「スパイ・ゾルゲ」という映画を見てきました。それから、ヒョンジョンさんの韓国の「二重スパイ」というスパイの映画を二つ見てきましたが、日本の刑法の中には、終戦後の刑法改正準備草案の中にはスパイを規制する刑法上の規定が入っておったんですが、何とそれが刑法の中に今全く存在をしない。
 スパイによって、特に、近衛文麿という人は貴族でしたから東大へ行けたのに、京都大学の共産党教授河上肇に師事をしたいために彼は京都大学に移っています。その近衛文麿の側近であった尾崎秀実という、朝日新聞の記者でございましたが、この人がいわゆるコミンテルンに協力するために日本の情報を全部、ノモンハン事件のときから、総理大臣のかばんの中からソ連に全部提供をしていたという事実があります。
 こういうことを考えてみますと、日本というのはスパイ防止法もない。それは、占領をした国が、日本にいろいろな外国から私信が来る、その情報を全部、今ではECHELONといって、衛星から一日に百万通話の電話盗聴をやっているという話を聞いております。「ディクショナリー」というそれを解読するコンピューターの時代が来ているんですが、そういう時代の日本をどういうふうに安全なものにするか。
 これは、私は、もう時間が来ましたのでまた後で発言の機会がありましたら続けて発言をさせていただきたいと思いますが、一にかかって、国際犯罪を罰するのは、いわゆる東京裁判のときに東条英機以下が裁判にかけられましたが、これは罪刑法定主義から見ておかしいわけでございます。いまだに戦争犯罪に対する、いわゆる勝手な法廷をつくっているとしか言いようがない。国際的な、協調した裁判組織というのはないわけでございまして……
中山会長 中山君に申し上げます。
 申し合わせの時間が経過しておりますので、結論をお願いいたします。
中山(正)委員 そのときに日本国の憲法をどうするかということをきっちりと私どもは、政党を超越して考えなければいけない。
 後でまた発言をさせていただきます。
春名委員 先ほどの中川委員に意見を申し上げると同時に、御質問させていただきますので、よろしくお願いします。
 一つは、大量破壊兵器の断定の根拠となるその証拠が崩れたことが、重箱の隅をつつくようなものだという発言について、私は撤回をしていただきたいと思っていますが、真意を聞きたいと思います。
 世界は、常任理事国、フランス、中国、ロシアも含めて、あのイラク戦争について大きく意見が分かれました。査察を強化して、あと数カ月あれば大量破壊兵器の存在を確認し、平和的解決の道がある。しかし、その太い流れがある一方で、アメリカはあえてそれを断ち切って、三月二十日、イラク戦争に突入しました。その最大の根拠となったものが、大量破壊兵器をイラクは持っているという断定をしてあおったことであったというのはもう世界の共通認識であります。
 ですから、その断定の根拠が今次々と虚偽だったということがイギリスでもアメリカでも重大な問題になって、進退にまで及ぶような事態に来ているんじゃないでしょうか。そして、それをそのままうのみにした小泉首相自身の責任が今鋭く問われているという状況じゃないんでしょうか。ささいどころか、世界の平和のルールにとって、決定的問題じゃないですか。六千人の命も奪われて。それとも、戦争する根拠にすら、そんなものはどうでもいいというふうにおっしゃるんでしょうか。これだけは私は看過できません。はっきりお答えいただきたいと思います。
 二つ目に、北朝鮮問題についてであります。
 先ほど、帰還運動については共産党のリーダーシップが云々と言われましたが、これは歴史を誤っておりまして、政府の閣議了解と赤十字の運動を中心に、人道的な見地から取り組んでいこうと政府を挙げて取り組んだもので、私たち自身も、人道的見地から当然協力をするという立場で、一緒に努力をさせていただいたことであります。
 さて、北朝鮮問題で私が質問をさせていただきたいのは、一つは、先ほど私が申し上げた、韓国や中国などの平和的解決の努力という流れをどう見ていらっしゃるのかということ。二つは、軍事力の抑圧を強めれば北朝鮮問題は解決するのかということ。むしろ、それは逆の方向に行くのではないでしょうか。
 私が申し上げたように、今北朝鮮が、みずからの安全や生命が脅かされるという北朝鮮自身の安全にとって大きな問題は、自身が国際社会から孤立していることにあるわけです。昨年の九月のテロの認知ということは、もちろんまだまだいろいろな不十分さがありますが、そういう孤立の道を乗り越えるという意味で、私は小泉首相のやったこと自身には支持をしているわけでありまして、そこに一番の問題があるわけでして、そこをどう考えていらっしゃるのか。そのための説得的な外交というのを日本はどうするのか、そこを抜きに語れないんじゃないかと思うんですね。その点はどう考えていらっしゃるんでしょうか。
 最後に、国際貢献は、ただ金、ただ人と言えばいいというわけではないとおっしゃるんですけれども、これも私は容認できません。つまり、国際貢献は軍事貢献しかないと考えていらっしゃるのでしょうか。そんなことは決してないというふうに私は思いますが、その三点、お答えください。
中山会長 中川君に対する御質問がありましたので、中川君、御発言を願います。
中川(昭)委員 まず、私は、CIAのテネット長官が、大統領にあの間違った報告をして、それを公表したということ、これは間違っていると認めているんですから間違っているんだろうと思います。それから、イギリスでも、国務省ですか国防省ですか、顧問が何かBBCにリークをしたということも、リークをしたことはいけないでしょうし、その結果お亡くなりになったという大変悲惨なことで、これも事実としてそういうことがあったんだろうと思います。
 ただ、問題は、大量破壊兵器があって、そして自国民を抑圧していることに対して十数年間にわたって国連がいろいろとやってきた、そして、独仏は最後の段階で国連決議というものに参加をしなかったから、これはアメリカ、イギリスを中心とした多国籍軍といいましょうか国連のオーソライズに基づかない軍隊が攻撃したわけですけれども、あくまでもこれは大量破壊兵器を持つイラク政府の打倒であるということになったわけであります。その場合、独仏はそのやり方には反対したけれども、大量破壊兵器の存在を否定して反対したわけではない。ここにちょっと論理のすりかえがあるので、そのことは言っておきたいと思います。
 それから、北朝鮮に対して軍事力だけを使えばいいかというと、私は決してそうは言っていないんです。
 さっきも申し上げたつもりですけれども、対話と圧力ということが両方必要なんでしょう。ですから、米朝だけではなくて中国、韓国、日本も含めた五カ国協議、これが重要だ。なぜならば、その地域にとって最もバイタルな関係を持つ、しかも、さっき言ったように極めて危険な異常な国家でありますから、それに対して地域でもって、場合によってはロシアも含めて対話をしながら、しかし、食糧援助が軍人に回ったり、お金がなぜか民衆の貧困と生活の改善のために回っていないということであるならば、これに対してはやはり圧力というものも必要でしょう。我々も、同じ志を持つ議員たちと今いろいろな議員立法を出しておりますけれども、何も対話だ、圧力だじゃない。
 あるいは、さっきのイラクに戻りますけれども、ここでちょっとしたミステークというか間違いがあった、だからやっていることを全否定というような論理は私は決してとらないので、幾つものやり方の中での全体の流れというものを、目標達成のためにいかに効果的にやっていくかということだろうと思います。
 確かに、日本が今やろうとしていること、我々がやるべきだと思っていることとお隣の韓国政府のやり方とは残念ながら温度差があります。それはやはり、同胞意識だとかあるいはまた陸続きだとかいろいろな面があって、若干韓国と日本の間には温度差があることは私も承知しておりますけれども、アメリカと日本の間には温度差がないし、また中国も、きょうのニュースなんかを見ると、また北が四カ国とかわけのわからないことを言ってきたことに対しては、日本のプレゼンスも必要であるということを言っております。
 日本は何も、これから北朝鮮に向かって先制攻撃をするんだとか、アメリカがピンポイントで政権や軍事施設を攻撃することをどんどんやってくれと言っているんだということではなくて、圧力というのも何段階もありますけれども、とにかく対話と圧力をセットにしてやっていかなければならない。クアラルンプールの十月末の日朝の交渉というものは、向こうがやろうと言ったまますっぽかされているわけでありますから。交渉の窓口というのは日朝間では向こうにあって、向こうがすっぽかしているんですよ、十月の末以降、何だかんだ理由をつけて。
 それから最後に、軍事貢献というものが必要かどうかであります。
 これも私は、平和的なことも必要でありますけれどもとさっき申し上げたつもりであって、日本が出せるお金あるいはまた人的な資源、技術、こういうものも必要でありますけれども、例えば、イラク復興のためには、人民の気持ちもだんだんすさんできて荒っぽくなってきておりますけれども、とにかくこの人たちに少しでも早く食料や医薬品や生活インフラを提供することによって、人心の、生活が少しでもよくなって、そして平和の中で新しい国家づくりができるようにするためにアメリカとともにお手伝いをする。現時点ではひょっとして全く安全だということにはならないかもしれませんけれども、日本にとってこの目的達成は国際貢献のための大事な一つの仕事だろうと思っております。
葉梨委員 先ほどの私の発言並びに中川委員の発言、補足ということもございませんが、つけ加えてみたいと思います。
 ここにいらっしゃる与野党の委員の先生方はもちろん、日本国民、全世界の民衆は平和を希求しております。だれも戦争したいなんて思っている人はないわけなんです。問題は、それぞれの国家には国家権力というのがありまして、政治の主体として、権力の主体としていろいろなビヘービアをする。
 戦争直後、確かに、世界じゅうが平和一色に包まれ、日本とドイツだけが悪いという空気がありましたが、間もなく朝鮮戦争が始まりました。また冷戦が始まりました。それからずっとこの五十数年間、世界各地で大きな戦争また小さな戦争いろいろ行われてまいりました。そこで、我が国の国民の平和と独立、安全を守るためには、あのつかの間のいっときの平和のときにできた日本の憲法で防衛体制が十分であろうか、そこに着目してお互いに与野党が議論をして、世界の情勢の中の今の日本のあり方、日本の安全を確保するためには憲法はいかにあるべきかということをお互いに議論したい、こういうことを御理解いただきたいと思います。
 特に、日本の体制としては、国連の分担金が世界で一番多いとかODAも昨年あたりは世界一であったというように、外交的な平和な努力で世界平和に貢献したいという意思をはっきり示しているわけなんです。その上で、今中川委員からも言われましたように、また先生方もお気づきのように、それでも北朝鮮がああいういろいろなビヘービアをしていることに対して、黙って見ていて、そしてまた防衛体制をとらないでいていいんだろうか。
 防衛体制は、自衛隊がございますけれども、今の憲法が現実に合わないために手足を縛られております。いざというときにきちっとした、法律にのっとった対応をして国民を守るためには、憲法九条についてしっかり分析をし見直しをしていくことが国民に対する政治の責任ではないか、こういうことが私が申し上げたかったことでございます。
 もう先生方も我々もみんな、平和主義なんですね。平和主義だけれども、政治の責任を果たすためにはそれだけでいいだろうかということ、この問いかけを先ほど三つ四つ申し上げたわけでございまして、御理解をいただきたいと思います。
 国民があって、そして政府がある。政府のビヘービアというのは国民の意思と必ずしも直結していない、そういう国があるということを御理解いただきたいと思います。
中山会長 それでは、時間の関係もございますので、安全保障及び国際協力に関する御発言以外の議論、すなわち統治機構のあり方、人権保障のあり方等も含めて、御意見をいただいてまいりたいと存じます。
中山(正)委員 自由民主党の中山正暉です。
 先ほど、時実利彦先生がおっしゃったこと、ちょっと欠落いたしましたので申し上げておきます。
 人間の前頭葉の中に百四十億の細胞がある。それが、三歳から十歳までの間にその細胞の突起、五十本ぐらいが結びつく。その中で人に対する対応というのは決まってくる。このごろ、少年犯罪を見ましても、少年というのはなかなか残虐なところがあるということが証明されているわけですが、野蛮人から文明人になる過程みたいなものがあるわけでございまして、その中で時実先生がおっしゃったのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」中山さん、脳細胞の中には平和の原則なんてありませんよということを私におっしゃったということを先ほど欠落いたしました。
 それから、先ほど葉梨先生のお話の中に北朝鮮の脅威という話がありましたが、これは一九九八年の十二月二日に、北朝鮮スポークスマン声明という中で、アメリカの北朝鮮侵攻計画というのがもう漏れているわけですね。五〇二七作戦と言いますが、その五〇二七作戦というのを、北朝鮮参謀本部スポークスマン声明の中で、それに加担する日本を攻撃の対象にするということをはっきり言っているんです。これはマスコミに全く出てこないのが不思議なくらいでございますが、これが前提になっております。
 私も何回か北朝鮮に使いをさせていただきました。先ほどからお話のありますように、百九十一カ国国連加盟のうちで、日本は百九十カ国と国交がありますが、北朝鮮とだけ国交がない。それは、十六カ国が参戦したいわゆる朝鮮動乱のときの国連決議百九十五号の中には、朝鮮半島には北朝鮮は存在しないと書いてあったわけです。一九六五年の日韓条約の中にも、朝鮮半島には韓国しかないと書いてあるわけですから、北朝鮮と交渉できなかった日本の悲劇を話し合いするための仮事務所でも持たせてくれという話を私はいたしました。
 それから、一昨年の九月五日から七日に、私は、崔相龍大使の御要請で、韓国での国際フォーラムに出ました。そのときに、姜理事長から、なぜ小泉首相が靖国神社に参ったのかとおっしゃるので、冗談じゃないですよ。台湾出身者二万七千人が靖国神社に祭られている、朝鮮半島出身者二万一千人も同じである。昔の日本の政治家がばかだったから、皆さんに大変な御迷惑をかけましたといって総理大臣が靖国神社に参るのが何が悪いんだ。特に、日本はアメリカに負けたけれども、ほかの国には負けていないよ。だから、中華民国の何応欽将軍に降伏文書を提出したのは、上海で九月の十二日。八月十五日は関係がない。中国では戦争に勝っているから続けてやると言ったのが支那派遣軍司令官の岡村寧次将軍だったけれども、暴に報いるに徳をもってすると蒋介石が言ったから、それで仕方なしに、岡村寧次将軍は、本当は天皇を満州に移して最後まで徹底抗戦をしようという計画が陸軍にはあったけれども、それを断念されたのはそういう事情なんですという話をしました。
 前の席にいた中国の劉という中国外交学会の会長が手を挙げて発言されまして、何かおっしゃるかなと思ったら、中山正暉の言うとおりとおっしゃいました。
 考えてみれば、そういう国際会議というのは、はっきり物を言うべきで、特にアメリカはソ連とも組みましたし、毛沢東とも組みましたし、それから岡野進、カンエイジンという、いわゆる野坂参三という人が、アメリカの共産党員でしたが、これを毛沢東のそばに派遣して日本との戦いを展開していったという事情を考えると、それぞれの国の都合で物を考えているときに、日本の都合というものを余りにも早く、世界平和という言葉だけが先走る現世では、幽霊と平和というものは、つかまえた人はおりません。その影も形もない幽霊と平和、それに対して日本が勝手にいきがった憲法を考えるということは、私は大変問題があると思っています。
 以上でございます。
伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 この調査会もこの国会だと最後だと思いますので、イラク支援法、有事法制をめぐって、憲法というものをいろいろ基本にして、これほどいろいろな議論があった国会はなかったと思いますので、少し自分の考え方だけまとめて発言をさせていただきたいと思います。
 今度のイラク戦争に対して、もともとがどうであったかというのはいろいろ議論のあるところでありますが、少なくとも、その主力な戦闘が終わってから、これはもともとの戦争に反対をしたフランスそれからドイツも、人道支援をするということには国連安保理事会でも賛成をしているわけでありまして、恐らくどの政党、どの会派も、人道支援には反対をされないんだろうと思うんですね。
 既に十四カ国の国々が実際にそれぞれの国の軍隊を送っているわけですし、さらに十五カ国近い国々がこれから派遣をするということを決めていられて、その準備も進んでいるわけであります。そのときに、日本が一体この国際的な貢献といいますか役割をどのように果たすかということが一番問われてきたと思います。
 これは民間、ボランティアの方たちも行くわけでございますし、政府の要員も行く。そのときに自衛隊の派遣ということがどういう意味を持つかということが一番の争点になってきたと思いますけれども、私は、先ほども少し議論にあったように思いますけれども、民間やボランティアの人たちがイラクの主力な戦闘行為が終わった中に、人道支援に国連の決議に基づいて行くというときに、少なくとも日本の国内よりは現在のイラクというのは危険な状況にあると思います。そのときに、一定の武装をした自衛隊は派遣できない、しかし、民間、ボランティアの人たちは送れる、あるいは政府の要員は送るというのには、何かそこに私は違和感を感じざるを得ないのでございます。
 自衛隊をとにかく海外に派遣するということは絶対憲法違反だという呪縛から解放されるべきではないか、恐らく日本の憲法を曲げに曲げて我々は憲法解釈をしなければ、いわゆる国際的な日本の役割を担えない、ぎりぎりのところに私は来ているように思うわけであります。
 恐らく、これから憲法を見直していくという段階の中で、他国の紛争を解決するために、自衛隊が、これはあくまでも国連の決議に基づいて一定の武力行使ができるかできないかということが、私はこれからの憲法改正の中でも最も大きな争点になっていくだろうと思うわけですけれども、国際的なこうした現実に起こってきたことに日本が対応していくために、今の憲法の中ではもはや限界に来ているということを、私は、この国会のいろいろな議論、あるいは憲法調査会におきますそれぞれの政党や皆さんの立場での発言を聞いてきて、ますます我が国の憲法をできるだけ速やかに見直さなければならないということを大変感じてきたし、また、このことをしっかり議論を深めて、国民の皆さんにも深い理解をしていただいた上で、憲法というものを根本的に見直していかなければならないということを申し上げておきたいと思います。
谷川委員 本日は、朝から大変大事な審議が続きましたが、私はここで、きょうが本国会における最後の憲法調査会だと思いますので、次回さらに続けていただきたい議論を申し述べたいと思います。
 それは、井上委員も触れられましたけれども、憲法は国内法の最高法規であって、これ以外に統治機構について触れる法律というのはつくれません。この統治機構に関する問題について、両院制と議院内閣制のことについて触れておきたいと思います。
 両院制については、民意の反映にすぐれておるんだから積極的に維持すべきであるという一つの積極論があると同時に、いや、こういう時代になってきたら、むしろ、効率的な審議、政策決定の迅速性等の観点から一院制をとった方がいいんじゃないかという議論が二つあると思いますが、現実問題として、多様な民意の反映を図って、かつ国政の一層の発展に資する制度を構築するということを考えていくということになりますと、両院制の機能を十分に果たさせながら、同時に多様な民意を反映していくためには、衆議院と参議院の選挙システムの違いというもの、これをやはり工夫しなきゃならぬところに来ているんではないかと思います。
 日本が連邦制をとるということは、ちょっとこれは考えられないかもしれませんが、少なくとも、杉浦幹事が小委員長として議論してまいりました中には、やはり国の統治機構のあり方として道州制を含めた地方自治のあり方を考えていくときにもう来ているんじゃなかろうか。きょう、杉浦幹事は御自分でもそのことについて触れたいというお気持ちを持っておったんだと思いますが。
 参議院の構成メンバーの一部に有識者や都道府県議会議員の代表を加えるべきだといったような議論すら、今日出始めております。したがって、今後、いろいろな観点からこういう問題については検討する必要があると思うのです。かつ、さらに、参議院では、決算審査に重点を置く、院のあり方について改革を進めるという動きも出てきております。これもやはり、憲法上の問題として十分議論する必要があると思います。
 両院制について考えるときに、議院内閣制のもとにおいて、安定した政権運営を担保することができる憲法上の仕組みを講じていくことが必要であり、例えば、衆議院の総選挙があった場合に、その選挙の直後、新たな民意を酌んで誕生した新政権が議会に何か提案をしよう、あるいは提案した、それが仮に法律案だとします。解散の制度がない参議院ですから、あるいは何かの政治的な理由から、参議院においてこれを否決するというような、政党政治であれば当然起こり得る可能性がありますが、もしそういうことが起こるということになりますと、国政運営上著しい支障を来す可能性すらあります。
 このためには、二院制をとるならば、二院制をとる以上、両院の機能分担を明確化させると同時に、国政の安定の観点から、現行憲法五十九条第二項の衆議院の特別多数による再議決制度、あるいは両院協議会制度のあり方についても、果たして三分の二が妥当なのかどうかということも踏まえて議論をしておく必要があると思います。実はこれは、政権交代を可能にする制度を考えていった場合には大変大事な基本的なテーマであって、このことは今まで議論されてきておらない。
 それから、議院内閣制度の中における首相のリーダーシップの問題ですが、私は、先般、イギリス流の議院内閣制の運用は学ぶべき点が多々あるということを触れられた民主党の古川委員の御指摘に賛成、そのとおりだと思っております。そこで、考えなければならないのは、それでは日本の現在の制度に非常に適した制度はイギリス型だけなのか、それとも日本的なものがつくり得るのかということは、やはりこれは議論しておくべきことだと思います。
 最後に申し上げます。
 これは、自由民主党として長く政権与党におった身からあえて申し上げさせていただきたいのですが、総選挙を経て選出された与党党首による首相、これが次の選挙までの間、強力なリーダーシップのもとに中長期的な展望に立って政策を断行すべきであり、そのためには、実を言うと、議員の任期と首相のその政党の中における党首としての任期というのはできることならば一致しておいた方が好ましい。これがポリティカルレスポンシビリティーという一つの大きな問題点です。やはり、政権交代を可能にする制度をつくり上げていくことは非常に大事な憲法の議論の中の議論だと思っております。
葉梨委員 つけ加えまして、私は、基本的人権について申し上げてみたいと思います。
 既に国民に定着しました現行憲法の基本的人権保障の精神は、我が党といたしましても大いに評価すべきものと考えております。しかしながら、現在、我が国内外の環境は大きく変化しております。そして、安全保障の問題のみならず、少年問題等の教育の分野、年金問題等の福祉の分野といったあらゆる局面において、国民の一人一人が、個人の視点からのみでなく、家族、地域社会、さらには国といった公の視点から物を考え、行動する必要性が高まっているように思います。
 そして、これに加えまして、現行憲法制定後、半世紀以上経過する中で、実際の規定のしぶりがこの間の社会構造の変化に対応したものとなっているかという論点もあります。このような観点から、以下、国を守る義務と権利規定の見直しについて述べてみたいと思います。
 私は、憲法に国を守る義務を明記すべきであると考えます。もっとも、これは徴兵制の導入を意図しているわけでもなく、また、専ら安全保障上の義務について提案しているわけでもありません。先ほど申し上げましたように、昨今の家庭教育の問題、年金制度の問題、治安の悪化等の問題などに見られるように、我が国の社会は、国民の一人一人が、自分一人だけでなく、社会をどのように支えていくべきかということを積極的に考えていかなければならないところに来ております。
 このため、主権者である国民がみんなで国を支えるという国家共同体を形成していることに伴う、いわば当然の義務を、憲法の上でも明記することにより、国民の意識を喚起し、社会連帯の考え方を国のレベルで進めていくことが極めて重要と考えます。
 また、あわせまして、家族、家庭を通じて国民の間に社会連帯の意識、助け合いの精神を培ってまいりました我が国の歴史や伝統にかんがみますと、前文なりの部分で、家族、家庭の大切さを明記していくことも必要と思われます。
 また、戦後半世紀以上を経過いたしましたが、この間、国際的にも、世界人権宣言、国際人権規約、児童の権利条約等が整備され、諸外国も、国際的な動向を踏まえ、逐次自国の憲法を改正しております。ところが、我が国憲法は、御案内のように、制定後、権利規定も含め、一切の見直しが行われておりません。また、特に、新しい人権の分野では、我が国の対応が消極的と非難される例もあるようであります。このため、伝統的諸権利に加え、例えばプライバシー権、肖像権、知る権利、環境権等の新しい人権の積極的な採用につきまして検討を進めていくことを御提案申し上げたいと思います。
 以上であります。
仙谷委員 谷川先生の方から、いわゆる国会の一院制、二院制の問題、そしてまた内閣総理大臣と与党の関係についての御発言がございましたので、重ねて私からも、基本的に谷川先生の御意見に同意しつつ、お話をしたいと存じます。
 一方では、選挙を控えてマニフェスト論議が出ておるわけでありますが、与党が支える総理大臣、つまり与党の中で選ばれる総理候補者が、国会で国民の負託を受けた国会議員によって選ばれ、政治権力、内閣総理大臣ができるわけでありますから、ここは当然のことながら、選挙において、マニフェストであろうと公約であろうと、それを支持した国民によって政治権力がつくられるということでありますから、本来的には与党の政策と総理大臣の実行しようとする公約が異なるということはあり得ないはずであります。これが、ベクトルが反対の方に向くということでは議院内閣制は成立しないわけであります。
 衆議院ではありませんが、二年前の参議院選挙では、自民党を壊す、それから構造改革を行うという公約を掲げて、小泉さんが先頭になって走って選挙を行って、自民党の方々は、実はその政策には具体的には反対する人までもが小泉さんと握手をした写真を出して、多くの議員が当選をしたわけであります。当選した後に、これに陰に陽に反対に回るということが続いておると言っても過言ではありません。
 今、私のところに陳情に来る市町村長の方々や県市議会議員の方々、あるいは、地元に帰りまして、自民党の強い支持者の方々と話しますと、自民党支持の強さが強ければ強いほど、あるいは自民党政権が続いてほしいという気持ちが強ければ強いほど、大体小泉改革に対しては批判的であります。仙谷さん、小泉さんを早くやめさせてほしいと私に言う人が非常に多うございます。
 しかし、それは話が違うのではないか。小泉さんを選んだのはあなた方であるんだから、あなた方が、小泉さんが行おうとすることは、それは支持を基本的に与えているんだから、それは辛抱しなきゃいけないんじゃないの。次の選挙で、あなた方が小泉改革に反対するのであれば、自民党がもし小泉さんを総理候補として選挙をするときには、今の小泉改革に反対する方々は、自民党を勝たせた瞬間、みずからが反対したい政策を実行する総理、そしてまた、それは与党が支えなければならない総理が生まれてしまうよということを私は常に言っておるわけであります。
 こういう議院内閣制の理解、あるいは民主主義の理解、国民主権の理解というのは早急に是正をされなければならないというふうに私どもは考えておるわけでございまして、ここは、与党の先生方にぜひお願いしたいのは、小泉さんがおっしゃっているように、総裁選挙でもし小泉さんがある種のマニフェスト、公約を掲げて総裁になった瞬間に、これは当然のことながら、半ば自動的に次の選挙ではこれが自民党の公約になる、そういう一元的でなければならないと私は思っておりまして、もしこのことに、これを独裁者だとかファシズムだとか何とかかんとかわけのわからぬ議論をするぐらいだったら、もう早く小泉さんを自民党総裁からけ落とすか自民党を二つに割るか、どちらかにしていただかないと日本の民主主義というのは成り立たない、このことを申し上げておきたいと思います。
春名委員 葉梨先生の天皇元首化のことについて一言だけ発言させていただきたいと思います。
 御存じのとおり、日本国憲法は、天皇条項については、「国政に関する権能を有しない。」という制限規定を厳しく設けております。これを厳格に守ることが何より大事かと思います。
 この象徴天皇制なんですけれども、これは主権在民下の制度でありまして、天皇を元首とするということなど、この制度を固定化するという方向を展望するのではなくて、私は、主権在民、これが生きる方向でこれを展望するということが大事だと思います。
 なお、これは将来の問題になりますけれども、やはり主権在民との関係でいいますと、民主主義、そして人間の平等という原則から見て、一人の人間が、あるいは一つの家族が国民統合の象徴となるという制度は、そういう民主主義、人間の平等の原則からいっても、当然解決されていくべきものだと思います。ただ、これは憲法の制度でありますので、国民の総意、合意、これが何よりも大事だということは言うまでもありません。
 それから、権力との関係で、外国の国王を持ち出しておられるわけですが、イギリスの例などを見ますと、君主は何らかの形で統治権を有しておりまして、元首ということになりますと、天皇に統治権の一部が付与されていないことはおかしい、こういう議論にも当然なっていくわけでありますので、ますます国民主権とは相入れないものになりかねないというふうに思います。
 なお、天皇も国民に含まれるという議論については、憲法は第十条で、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」としておりまして、形式的にはこのもとで制定されている法律要件を天皇が満たしているかどうかが問われるものです。これは改めて吟味するまでもありませんが、天皇を国民に含めるのには無理があるということは自明のことではないかと思います。この点を申し上げておきたいと思います。
奥野委員 自由民主党の奥野誠亮であります。
 先ほど、金子さんの発言の中で、外国が反対しているのに総理大臣が靖国神社に参拝する、創氏改名についていろいろな意見を言っているという発言がございましたので、私の考え方を一つ申し上げさせていただきたいと思います。
 日本では、神道でも仏教でも、人が亡くなれば、肉体は滅びますけれども、その魂は永遠に生き続けているという考え方に立っていると思いますし、したがいまして、また慰霊の行事というものは、五年たっても十年たっても、努めて努力をして、みたまの平安を祈るわけでございます。殊に靖国神社には国のために命をささげた方々を祭っているわけでございますから、国を代表する内閣総理大臣が靖国神社に参拝することは当然のことではないだろうかな、こう思っているわけであります。また、このことを私は、今の憲法でもそれは合憲だとする解釈は当然成り立つ、こう考えておるわけであります。
 中共が、おっしゃいますように、靖国神社に参拝することは許されぬ、また、トウショウヘイさんは、かつては、そんなに参りたければ極東国際軍事裁判で処刑された方々をよそへ移せ、こう言うたこともあるわけでございます。私は、共産主義の国に、人が亡くなってもみたまは永遠に生き続けていくというような考え方があるんだろうか、ああいう唯物主義の考え方に立っている国において、宗教観が全く違うんじゃないかな、こう思っているわけであります。
 にもかかわらず、なお反対をし続けているということは、やはり国際連合が敵味方の考えになっているわけでありまして、連合国の主要な国が特別な地位を持っている、日本やドイツはいつまでまでも敵国だ、こうしている。やはり、日本人に侵略戦争をやったんだという自覚を持ち続けさせようという思いがあるんじゃないかな、そういう戦略があるんじゃないかなという疑問を持ったりするわけであります。
 いずれにしても、これはまさに私は内政干渉だ、こう思っているわけでございまして、内政干渉をするようなことをやっていたら、我々は幾ら日本と中共との仲が親しくなるように思っておっても、国民の中に潜在的に反発が高まっていくんじゃないだろうかなと言うたことがございます。
 もう一つ、創氏改名の問題でございますけれども、朝鮮や台湾を日本国に併合したわけでございます。
 日本になったんだから日本の姓を名乗りたい、日本風の名に変えたいと言うんならそれを認めていこうじゃないかというふうに当時の政府は判断をしたわけでございまして、言いかえれば、これは同化政策でございます。同化政策ということは、相手方にとりますと民族抹殺政策にまたとられるわけでございます。
 私は、立場はどういう立場で考えるかによっていろいろに変わるんですよと。私たちは日本人だけれども、明治四十二年にハルビンの駅頭で伊藤博文公を暗殺した安重根という方を韓国では独立の闘士として、神として祭っておられる、私には何の異存もありませんよ、こう申し上げたことがございました。しかし、私たちにも神と思えと言われても、それは無理ですよと、私にとっては殺人犯人ですよと、こんなことを言うたことがございました。やはり、黒い眼鏡をかけて社会を見れば黒く見えるんだ、赤い眼鏡をかけて社会を見れば赤く見えるんだと。そういう自覚のもとにお互いの国と国とがつき合っていこうじゃありませんかと言うたことはございました。
 ぜひ、そういう立場で、中共の反発や韓国の反発について御理解をいただきたいなと思います。
中山会長 予定の時間もございますので、御発言は、現在名札を立てておられる水島君、平井君のお二人の委員までとさせていただきたいと存じます。
水島委員 民主党の水島広子でございます。
 もう時間も残り少ないので簡潔に発言させていただきたいと思いますが、私、今国会から初めてこの憲法調査会のメンバーに加えていただきまして、ほかの委員会とは違ったやりとりを大変興味深く、新鮮な目で見てきたわけでございます。
 中でも、この議員同士の自由討議というものがあるというのはほかの委員会には見られないことでございまして、どうしても言いっ放しになりがちな議員の議論をちゃんとお互いに追求できるというやり方は大変よいのではないかと思ってきた一方で、せっかく参考人をお招きして参考人審議をやって、そこで一定の結論が得られたかなと思うようなことが、次の自由討議になるとまたゼロからスタートして、お互いが従来どおりのことを言っているというような構造も何度も繰り返されてまいりまして、一体何だったんだろうかと、時間のむだではなかったのだろうかと感じるようなことも、大変僣越な発言をしていることは十分承知しておりますけれども、そのようなこともこの新鮮な目で観察いたしまして感じたところでございます。
 例えば、先ほど、国を守る義務とか家族を大切にとか、そういうのを憲法で規定すべきではないかという御発言もございました。これに関しては、基本的人権の保障に関する小委員会におきまして参考人をお招きいたしましたときに、やはり道徳を法律で規定するとかえって逆効果になるというようなことも指摘され、過去の例も挙げられました。道徳というのは法律で規定するのではなくて、むしろそういう日常の意識の中からつくられていくべきだというようなことも指摘をされ、そのときには全くそれに対して反論という形で何も出てこなかったにもかかわらず、やはり本日になるとまた同じようなことが御意見として開陳される。もちろん御意見は御意見で、政治的信条としてお持ちになるのは結構なんですけれども。
 では、そうやって法律で規定してしまった場合、かえって逆効果になったら、国会議員としてどうやって責任をとるんだろうか。今、本当に社会が非常に大変な時期ですので、私は、ちょっとでも方向の選択を間違えるともうどうしようもないことになると深刻に感じておりますので、そんな中だからこそ、参考人の発言、参考人もいろいろなお立場の方がもちろんいらっしゃいますけれども、そういったこと一つ一つを丁寧に確認しながら進んでいかなければ大変なことになるのではないかと思っております。
 子供の問題、ここのところ国会の中でもあの大臣の発言も含めて、議論が大変混乱をしているわけでございますが、私は、今の子供たちは何が問題かといえば、先ほど何か脳生理学のお話も多少あったようでございますけれども、やはり、子供の脳を健全に育てていくには、小さいうちから、大人とまずコミュニケーションを十分にしていくこと、そしてさらに子供同士で試行錯誤をしながらいろいろなことをやっていくこと、その二つが子供の脳の健全な発育には必要であるということは、そろそろ常識ではないかと思っております。
 そういう中で、大人はもう、会社人間であったり、あるいは母子密室育児で、ほとんど実際にはコミュニケーションがなかったり、子供がほかの子供と試行錯誤し合う場がなかったりと、そんな中で子供を育ててしまっている今の日本の社会のあり方ということを、私たちは本当に真摯に反省して、すぐに変えていかなければいけないと思っております。
 そんな中、幾ら憲法の前文に家族を大切にとかなんとか書いたからといって、今、子供たちが置かれている状況を、なぜそういう状況に置かれてしまっているのかということを、現実を、また参考人の御意見を伺いながら検討していくことが大変急がれているのではないかと思っております。
 また、実際に今、憲法では二十五条で、生存権を定めたりとか、基本的人権を定めているわけではございますけれども、ここのところ、例えば、子供を産まない女性が税金で面倒を見てもらうのは何なのかという、憲法二十五条に真っ向から反対するような御発言がございましたり、あるいは集団レイプという、もう本当に、女性にとって、被害者にとって、その後の人生を完全にめちゃくちゃにされるようなことを正当化するような発言があったりと、幾ら法律で何を決めていてもそういう発言をぽろぽろしてしまうというところにモラルの問題があるのではないかなと思っておりますので、ちょっとそれは原則に返ってやっていただきたいと思いますし、また、幾らこう議論が進んでいってもまた振り出しに戻るということ、これは、ある程度、人間のさがとして仕方がないとは思うんですけれども、ぜひ会長にも、これからの憲法調査会の運営上、もしもお知恵がございましたら、いただければ幸いでございます。
 以上、大変僣越なことを申し上げまして、失礼いたしました。
中山会長 大変有意義な御意見をちょうだいして、ありがとうございました。
平井委員 私は、地方自治について、最後に少しお話をさせていただきたいと思います。
 この憲法調査会でも、地方分権、地方自治、地方自治の本旨についていろいろな議論がありましたけれども、ここに来て、三位一体の改革を進めようとする政府、それと、いろいろ行政のスリム化等々を図っている地方自治体、特に先進的な取り組みをしている地方自治体の出現が続いている現状で、いろいろな問題点が浮き彫りになってきたと私は思います。
 例えば、ニュー・パブリック・マネジメントによって財政改革に取り組んでいる足立区でありますとか、最先端のIT化によって、電子自治体によって行政効率を上げようとしている横須賀市であるとか、また総務業務の一括アウトソーシングに踏み切った大阪府であるとか、一番目立つところでは、地方自治解放特区計画を提出している埼玉県の志木市であります。
 このようないろいろな問題が出るに当たって、これはやはり憲法論議は避けられない。例えば、九十三条直接公選制というものと市町村長の廃止というこの志木市の特区のアイデアは、やはり相入れないものが現状ではあると私は思っています。これは、なぜこういうようなことが起きるかというと、この問題の根本は、地方自治体がやりたくてもやれない理由がある。
 もともと、地方自治におけるこの第八章は、今の国と地方の関係というものを想定していなかったと思います。これはアメリカのテーストが強い原案でありますから、国と地方というのは、どっちかといえば、アメリカの連邦政府みたいな形に近いものだったと思います。それを、地方の財政が厳しくなったり、これは中央集権にしようという官僚の考え方もあったと思うんですが、地方自治法と個別に出す通達によって国の権限を強くしてしまったと思います。
 ここで考えなければならないのは、地方分権にしていくところには、個別法令に基づく業務委託規制というもの、それと、地方自治法上の業務、事務の委任規定、また、私人による公金取り扱いの原則禁止規定等々、これは百五十三条の一項とか二百四十三条でありますが、こういうものと、本来この憲法を制定したときの趣旨がマッチしているのかどうなのかということを、もう一度ぜひ議論していただきたい思います。
 一方、地方分権を進める中で、それでは、ガバナンスの観点から見て地方自治体を再評価する必要があると思います。
 わかりやすく言えば、地方自治体は頑張っても頑張らなくても国が助ける度合いは一緒だというところが、これはある意味では、行政改革のインセンティブをだめに、なくしているというか、そういうこともあるわけでありまして、そこで考えなければならないのは、まず、地方の財政運営に関して、地方交付税等による財源の保障、いわば破綻させないような暗黙の政府保証というものの根拠は何かと考えたときに、これは憲法ではなくて、これは昭和三十年に自治省が出した通達を根拠にしています。
 つまり、本来、地方債というものも政府の保証がないんですが、それでもいろいろな理屈で地方を助けていこうというふうに今なっていますが、これは何が問題かというと、現状では破産法は地方自治体に適用されないと解釈されていますし、民事再生法の適用は全く明確ではありません。また、強制執行等は、行政財産以外は可能と思われますが、その範囲も明確ではありません。また、財政再建法というものに関しても、これは赤字団体しか申請できないし、一時借入金の政府資金のあっせん等の支援策のみであります。そのほか、住民、職員組合、その他の利害関係者の参加ができないとか、債務調整のリスケなんかができないというような問題があると思います。
 ここで私は、昭和三十年の地方財政再建促進法にゆだねられている地方の責任というものを、もう一度、地方自治の本旨という概念を整理する上で、私は新しいスキームも考えていかなければならないと思います。ですから、その新しい、例えば地方自治の破産というようなものの整理について考えるときに、まず八章の地方自治の本旨というものの意味を憲法論議の中でもう一度明確にしてほしい、するべきだと考えます。
 以上です。
中山会長 それでは、これにて自由討議を終了いたします。
     ――――◇―――――
中山会長 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 本日をもちまして、第百五十六回国会における憲法調査会は最終回となります。
 御承知のとおり、今国会におきましては、日本国憲法の前文及び百三カ条の全条章を網羅的に調査するため、調査会のもとに四つの小委員会を設置し、専門的かつ効果的な調査を進めてまいりました。すなわち、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会、基本的人権の保障に関する調査小委員会及び統治機構のあり方に関する調査小委員会の四小委員会であります。
 各小委員会における議論の概要につきましては、毎月、各小委員長より御報告をいただいておりますが、都合二十五名の参考人より意見を聴取し、委員間においても活発な議論がなされました。
 また、参考人からではなく、小委員二名から意見を聴取し、これに対して質疑または発言を行い、その後自由討議を行う調査方法も導入し、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会において、国際協力、特にODAのあり方を中心について及び憲法第九条、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認についての二回、統治機構のあり方に関する調査小委員会においては、国会と内閣の関係、国民主権と政治の基本機構のあり方全般についての一回、都合三回実施いたしました。
 小委員各位によるこれまでの調査を基礎とした大局的な議論は極めて有意義であり、調査に資すること大であったと感じております。
 一方、調査会におきまして、自由討議を中心にその調査を行いました。従前より節目ごとに自由討議を行ってまいりましたが、今国会はそれに加え、月ごとに小委員長から小委員会の調査の経過についての報告を聴取し、そのテーマについて全体で討議を行うことにより、調査をより一層充実させてまいりました。
 また、国際情勢が緊迫度を増す中で、国民的な論争の対象となっている時事的な諸問題につきましてもあわせて議論を行うことが日本国憲法についての広範かつ総合的な調査に資するとの観点から、幹事会の協議決定に基づき、イラク問題及び北朝鮮問題に関する憲法的見地からの自由討議を三度にわたり行いました。
 自由討議において、我が国を取り巻く不透明、不確実な国際情勢の中での安全保障のあり方や国際協力のあり方についてはもとより、日本国憲法とサンフランシスコ講和条約、国連憲章、日米安保条約との関係などについても非常に活発な議論が交わされました。
 サンフランシスコ講和条約第五条(c)項「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」との規定は、決して歴史的な意義のみを持つものでなく、今日の我が国の安全保障についての議論をする際には忘れてはならない前提の一つではないかと感じている次第であります。
 今国会における調査の特徴といたしましては、天皇制や憲法第九条といった、これまで議論すること自体が避けられてきた分野にまでその調査の範囲を広げたことが挙げられます。
 まさに日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査が行われたわけでありますが、そのような分野における調査におきましても、委員各位が終始冷静かつ熱心に討議を行っていたことが印象に残っております。また、各小委員会や調査会においてこのような議論を積み重ねる中で、各党の考え方の中で一致する点、合意できる点を見出しつつあるということは、今国会の調査における大きな収穫ではなかったかと感じております。象徴天皇制の存続について、また自衛隊の存在について、それぞれ各党の意見の一致が見られたことは大変喜ばしいことであります。
 さらに、今国会も、日本国憲法について国民各層の御意見を聴取し、憲法調査会における調査の参考にするため、五月十二日に石川県金沢市において第七回の、六月九日には香川県高松市において第八回の地方公聴会を開催してまいりました。
 両会議の概要は、五月二十九日及び六月十二日に仙谷由人会長代理から御報告をいただいたとおりでありますが、公募の十一名の意見陳述者から日本国憲法についての御意見を聴取し、私を含め延べ十五名の派遣委員が質疑を行い、八名の傍聴者から発言を聴取しております。
 申し上げるまでもなく、憲法は国民のものであります。しかしながら、我が国では、戦後間もなく始められました私学助成の問題と憲法八十九条の公の支配に属さない団体への公金支出禁止規定、昨年に行われた裁判官報酬の引き下げ問題と憲法七十九条及び八十条の裁判官報酬の減額禁止規定といった違憲の疑いが指摘される問題について、憲法の規定を正面から検討せず、いわゆる解釈改憲で問題解決を図るといういささか安易な対応がなされてきたことは否めないのではないかと存じます。
 国権の最高機関に設置された憲法調査会は、こういった諸問題について、憲法的観点から大所高所の議論を行うことができる唯一かつ最適の機関であります。国民の代表たる国会議員がさまざまな立場から討論し、一致点を見出していくという作業は非常に重要な意義を持つものであろうと思います。
 本調査会では、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならないという三つの原則を堅持しつつ、日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を三年半にわたって行ってまいりました。
 これまでの総調査時間は、小委員会を含めますと三百十時間を優に超え、この間に招致した参考人等も延べ八十九名に上ります。おおむね五年程度をめどとすることとされている調査期間も、あと一年半を残すだけとなっております。残された課題につきましても充実した調査を行ってまいりたいと存じます。特に国民的関心の高い年金、医療、福祉といった社会保障のあり方と憲法の問題、我が国でも構築が進められている電子政府化の導入に係る憲法上の問題につきましては、調査すべき点も多く、幹事会にて御相談の上、次期国会において調査を行いたいと存じております。
 会長代理を初め、小委員長、幹事、オブザーバーの方々、そして委員各位の御指導と御協力により、今国会もまた公平かつ円滑な運営ができましたことに対し厚く御礼を申し上げるとともに、改めてさらなる御協力をお願い申し上げて、閉会の辞とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時十分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.