衆議院

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第3号 平成16年10月28日(木曜日)

会議録本文へ
平成十六年十月二十八日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    大村 秀章君

      加藤 勝信君    河野 太郎君

      坂本 剛二君    柴山 昌彦君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      永岡 洋治君    野田  毅君

      葉梨 康弘君    平井 卓也君

      平沼 赳夫君    二田 孝治君

      松野 博一君    森山 眞弓君

      渡辺 博道君    青木  愛君

      稲見 哲男君    大出  彰君

      岡本 充功君    鈴木 克昌君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      辻   惠君    中根 康浩君

      長島 昭久君    馬淵 澄夫君

      松本 大輔君    笠  浩史君

      和田 隆志君    太田 昭宏君

      佐藤 茂樹君    福島  豊君

      山口 富男君    土井たか子君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月二十八日

 辞任         補欠選任

  佐田玄一郎君     松宮  勲君

  鹿野 道彦君     松本 大輔君

  古川 元久君     岡本 充功君

同日

 辞任         補欠選任

  岡本 充功君     古川 元久君

  松本 大輔君     鹿野 道彦君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、国民投票制度について自由討議を行います。

 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で御発言をいただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、保岡興治君。

保岡委員 自由民主党の保岡興治でございます。

 私は、今回のテーマ、国民投票制度に関して、まず日本国憲法九十六条に定める憲法改正のための国民投票制度につきまして所見を申し述べ、時間が許せば、一般的な国民投票の制度についても若干意見を申し述べたいと存じます。

 委員各位既に御承知のとおり、欧米諸国を初め成文の憲法典を持つ世界の国々は、例外なく、法治国家として憲法の最高法規性を維持するため、時代の変化に適応するように憲法を改正する努力を続けております。そのような各国の憲法改正手続を見てみますと、国民投票が行われる国というものがかなりの数に上っております。

 最近、外務省を通じて全在外公館に対して行ったアンケート調査の結果でございますが、回答のあった百一カ国のうち、憲法改正の際に国民投票が行われると回答した国は、約半数の五十一カ国に上っておりました。我が日本国憲法も、その九十六条において、憲法改正案は、両議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、発議し、国民投票に付してその承認を経なければならない旨定めているところであります。これは、憲法改正を国民代表機関たる国会と憲法制定権者である国民との共同行為と位置づけるもので、議会制民主主義と直接民主主義のバランスを基本的なところで定めた制度であると言うことができます。

 このような制度は、憲法七十九条に定める最高裁判所裁判官の国民審査にも見られるものです。これは、十五条の公務員の選定、罷免権の具体化という意味だけではなく、違憲立法審査権を行使する最高裁判所の裁判官について、民意による正当性を与える重要な制度でもあります。このような国政における重要な局面での国民の登場は、学者の言葉をかりれば、憲法の中に制度化された憲法制定権力そのものであり、国民主権の原理を高らかにうたう我が国憲法にとって最もふさわしいシステムであると考えられたからに違いありません。

 このような憲法九十六条の精神、趣旨に立ち返って考えてみるとき、憲法改正に関連する手続法は、最も重要かつ基本的な憲法附属法であって、憲法の根幹にかかわる、憲法と一体となすべきものであって、その整備は憲法の制定と同時期に行われてしかるべきものでありました。

 しかし、遺憾ながら我が国は、この憲法改正国民投票制度の構築を怠ったまま、戦後六十年近く過ごしてきたわけであります。このことの背景には、憲法が硬性憲法であることが大きな壁になってきたこと、最近では、具体的な憲法改正案が政治の場に提示されていないことなどが政治的理由とされてきたように思われます。しかし、このような理由によって、憲法改正が現実化していないから法整備は行わなくても支障はないのだというような理屈は、私は、国民主権原理に対する、あるいは憲法制定権力者、国民に対する冒涜であると言っても過言ではないと思う次第です。

 このようなことを踏まえるとともに、衆参の憲法調査会が設置されてから四年半以上経過し、また各党における憲法改正論議が活発化してきている昨今の状況にかんがみれば、憲法改正論議の土俵ともいうべき国会における憲法改正案の審議機関や審議手続の整備と、国民投票の実施手続を定める一連の法制度の整備は、これを早急に行う必要があると考えます。この点に関し、私が座長を務めております国民投票法等に関する与党協議会の実務者会議においても、冒頭で御紹介した世界各国の憲法改正国民投票制度に関する調査など、精力的に論議を進めているところでございます。

 それを踏まえて私見を申し述べさせていただきますと、この諸外国の調査結果から、投票の仕方や憲法改正案の周知方法など、国によって実にさまざまなバリエーションがあることがわかりました。それらを総合勘案してみますと、さきの通常国会における意見表明でも触れさせていただきましたが、平成十三年の暮れに、憲法調査推進議員連盟、中山先生が会長でいらっしゃいますが、作成した案、いわゆる議連案は、こうした世界各国の憲法改正国民投票制度と比較して極めて穏当な線でよくまとめられているのではないか、そのような印象を強く持った次第であります。

 同時に、二大政党が政権を争う国政選挙と、与党と主要野党間で合意した憲法改正案についての国民投票との性格の相違にかんがみれば、これらは別個に行うことが適当であり、それを前提に法案を作成すべきではないのか。国政選挙の投票権者と国民投票の投票権者は、実質的な観点からその範囲を同じくするべきではないか。

 前回の憲法調査会でも述べたように、本年の海外調査の際に面談した、EU議会の対日交流議員団長のヤルツェンボウスキー氏の発言に示唆を受けたことですが、国民投票を実施する際には、対象となっている憲法改正案の意義や趣旨、内容等を簡潔、平易な形で国民に情報提供するために、国会が憲法改正案を発議するごとにそれらを法律等で定めるなどの工夫が考えられるのではないかといった点も検討する必要があると考えております。

 今後、与党の実務者会議においては、これらの点について精力的に論議、検討を加え、早急に結論を得るように努力してまいりたいと存じますけれども、国家の基本法である憲法の改正手続法でありますから、これはやはりできるだけ早い機会に超党派で論議をし、制定に向けて一体的に取り組むことが肝要であると存じます。本調査会での議論を契機として、より活発な論議を進められんことを強く期待する次第です。

 次に、一般的な国民投票や住民投票の制度、すなわち議会制民主主義の補完制度として位置づけられている直接民主主義的な制度について一言述べさせていただきたいと存じます。

 私の理解するところでは、我が日本国憲法は、統治の原理として、代議制あるいは議会制民主主義というものを採用しており、個別の政策決定の場面で直接に国民が出てくるのは、憲法改正のような重要局面に限定しているものと存じます。国政の基本的方向性は国民が決めるけれども、場面場面に応じた適切な施策や具体的な制度設計については、国民代表である国会議員の真剣な討議とその総合的な政治判断にゆだね、その適切性については国政選挙のたびにチェックしていく、そういったシステムであります。このような統治機構の仕組みは、今後とも基本的に維持していくべきであると考えております。

 他方、地方政治の場面では、憲法九十五条に規定する地方自治特別法に関する住民投票の制度に象徴されているように、問題となる政策課題がより住民の生活に密接なものが多いでしょうから、直接に利害関係者である住民の判断にゆだねたり、その判断を参考にすることが適切な事項も少なくはないと思います。

 その限りでは、いわゆる住民投票のような制度が有効に機能するテーマもあるかと存じます。しかし、ありとあらゆるテーマが住民投票に適するわけではありません。いわゆる迷惑施設の建設の可否などの問題を考えればわかるように、テーマによっては、民意を問うというのは、一見民主的なように見えて実は大変な問題をはらんでいる場合があり得るからであります。特に、国家安全保障などの国家戦略や最低限守るべき国のガイドラインなどについては、地方の住民投票になじまない点は基本的にあると考える次第であります。

 逆に言えば、住民投票が有効に機能するテーマ、例えば特定の施策の効果を検証し、政策決定の参考に資するように目的や効果が限定されたテーマであれば、そこにこの制度を導入することは十分検討に値するものがあるとも考えております。

 時間が参りましたので、初回の意見表明はこの程度にさせていただきたいと存じます。ありがとうございました。

中山会長 次に、田中眞紀子君。

田中(眞)委員 無所属、民主党会派、田中眞紀子でございます。

 ただいま保岡先生から、九十六条の憲法改正をするべきであるというお立場からの自民党の御意見があったというふうに考えますが、私はもう少し総合的に、国家意思の形成の手段として政治がどのような方法をとるべきかという原点に立ち返って話をさせていただきたく存じます。

 申すまでもなく、代表民主制と直接民主制という二つの観念がございます。これが国家の意思の形成の手段として考えられることでございます。そのうち、日本憲法が採用する直接民主制的な手続は、以下の三つでございます。

 今ほど保岡先生も述べられました憲法九十六条、憲法改正に関することが一つ、二つ目は九十五条、地方自治に関すること、三つ目、憲法七十九条、これはいわゆる司法に関することで、公務担当者の罷免あるいは解職が目的でございます。前者の二つは国民表決、英語で言われるいわゆるナショナルレファレンダムというものでございますけれども、この二つは言ってみればポジティブな側面があるというふうに思いますが、憲法七十九条は、国民解職、リコールでございますから、ネガティブな側面があるというふうに考えます。

 直接民主制に関しましては、過去にこの調査会におきましても、憲法調査会で参考人の方々の意見を聴取し、そしてさまざまな討論がなされました。今までに国民投票の対象となり得ると想定されていた事案といたしましては、脳死問題、死刑制度、首都機能の移転、首相公選制、原子力発電等がございました。

 そして、国民投票をする場合のマイナスといいますか、国民投票が陥りがちな欠点といたしまして、例えば、政策の一貫性が保ちにくい、多様な、多数の人の支持を獲得するために扇動的言動とかあるいは論評が横行する可能性があるということ、少数意見の尊重が困難になる、重大な問題をイエスかノーかという二者択一で問うべきではない、衆愚政治に堕する危険性があるというふうなことが考えられました。したがって、結局は、議院内閣制の原則に例外を認めるべきではなく、間接民主制の育成と完成にさらに努力をすべきであるという意見もあったと承知いたしております。

 しかし、今日の私たちを取り巻く社会状況、国際環境、その変化はどうでございましょうか。日進月歩の科学技術、情報の大量化とそのハイスピード化、超高齢化社会、そうした社会での年代間での価値観やニーズの多様化、多極化と申しましょうか、その年代間での衝突、世代間の価値観の衝突ということもございます。そうした現実に政治が対応していく手段、それに対応する手段としての政治、私たち国会議員が議会政治を補完するためにも、私たちが行っているこの政治というものを補完するためにも、特定の法律や条約などに関して国民投票の制度を設けるべきであると私は考えております。

 より具体的に申します。

 現行の国会議員選挙制度では、候補者の個人的な色彩と政党の政策やマニフェストの評価や批判が混在したままでありまして、それが投票行動を起こさせているというふうに考えます。しかも問題は、選挙後に連立の組みかえがありましたり、あるいは選挙後に新しい政党ができたり、政党が消滅するという事実もございます。また、選挙を経た後、当選後に議員の党籍の移動ということも現実にございます。そうしたことが有権者の政治不信といいますか、混乱を招致している側面があると考えられます。責任のある政策決定を国民の方が安心して政党や政治家に任せ切れずにいられるという点は否めないと思います。

 そこで、先ほど述べました幾つかの国民投票が内包しているマイナス面あるいは危険性を十分に意識した上で、国民投票制度の管理や執行をどこにさせるか、投票にかける議題の決定はどのようにするか、国民の総意といいますか意思を正確に反映することを担保するにはどうあるべきか等々、要するに、具体的、技術的な問題もクリアしながら実現の方向性を考えていきたいと考えております。

 さらなる具体的な意見につきましては、今後の討論の中でお時間をいただければ具体的に述べさせていただきたく存じます。

 以上でございます。

中山会長 次に、太田昭宏君。

太田委員 私は、三点申し上げたいと思います。

 第一番目は、未来志向の憲法論議と住民参加ということでございます。

 かねがね私、明治憲法が欽定憲法、現憲法が平和憲法と言うならば、これからつくるべき憲法論議の方向というものは、国民主権というものをより明確にした国民憲法、あるいは人権というものをより明示する人権憲法、そして環境ということを重視する環境憲法の方向で議論をすべきであるということを申し上げてきました。

 また、別の角度からいいますと、権利があって義務がないというようなことが指摘をされますが、国家対個人という関係で構成されている現憲法の構成というものを維持すべきであるという上に立った上で、この権利と義務というのみでない、責任という概念を新しい憲法ということで論議の対象にする必要があるということについても申し上げてきました。

 また、未来志向の憲法論議と言うならば、二十一世紀で意識すべきそのキーワードとしては、これは、二十一世紀におきましても近いこの二十年とかいうスパンでありますが、一つはITであり、一つはゲノムであり、一つは環境であり、そしてもう一つは住民参加という四点を指摘しながら、憲法論議を未来志向で行うべきであるということを言ってまいりました。

 ITやあるいはゲノムや環境という点では、新しい人権というような項目の中で具体的提起をされているわけですが、住民参加という要素をどのように新しい憲法論議の中で持ち込んでいくのかという観点では十分な論議がされていないように思いますし、これから極めて必要なことだと思います。

 と申しますのは、今申し上げました責任の概念とか住民参加というのと同時に、これからの日本の社会というものを考えますと、やはり共生の概念というのは非常に大事だというふうに思うんです。

 自助、共助、公助ということがありますが、これからは、ボランティアとかNPOとかNGOということも含めた共生の社会あるいは共助という社会というものをどういうふうにつくり上げていくかという観点の中から、国の仕組みというものを考える場合でも、先ほどからありました、統治機構としての、選挙によって議員を選んでそれによってなしていくという参加の仕方という以上に、また、直接民主制というようなことだけでない、共助の概念や共生の概念、ボランティア、NGO、NPO、こうした角度が二十一世紀の日本で大事であるという観点での憲法論議というものをぜひともこれから繰り広げていかなくてはならないのではないかということを第一に申し上げたいと思います。

 第二には、憲法第九十六条にかかわる問題でございます。

 初めに二項から申し上げますと、この九十六条の二項は、「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」という表現がされておりますが、これもかねてから申し上げてきましたが、「この憲法と一体を成すものとして、」という表現は、現憲法というものをある意味では置いておいて、それに一体をなす条項を加えていくという、我が党が主張しております加憲という方式というものをある意味では暗黙のうちに想定している、下敷きにあるというふうに私は思うわけです。

 アメリカのアメンドメント方式というものがこの九十六条の二項というところに表現をされているという感じがするわけでありますし、あるいは、現憲法というものはすぐれており定着しているという国民感情からいきますと、それを置いた上で加えていくという方式はかなり具体的なものであろうというふうに思いますし、また現実的なものであろうというふうに思います。

 さらにまた、アメリカにおきましても、今申し上げましたアメンドメント方式というのがとられているわけでありますが、同時に、フランスにおきましても、一七八九年の人権宣言等が今もこれはそのまま用いられているというようなことの中で、非常に重要な、最重要の憲法ということにおいては、いわゆる連続性とかそういうことが極めて大事なことであろうということで、この九十六条二項の表現の内容ということについて私は吟味する必要があって、これは、我々の言っている具体的、現実的な加憲ということは一つのその表現であるということを思っております。

 第一項の「三分の二」ということと「国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」ということでございます。

 三分の二というのは、余りにこれは硬性憲法過ぎるということが時々言われるわけでありますが、物の考え方としては、憲法改正の重さにかんがみ妥当であるという考え方を私は少なくともしております。妥当としながらも、ただ、内容において検討事項というものはあろうというふうに思います。

 国民投票手続法というものを具体的に考えるに当たって、保岡先生からもお話がありましたが、世界各国は、どういう政治状況の中で、どういう提案、発議がなされて、国民に提示をされていって投票という行為が行われてきたかというような観点があろうというふうに思います。

 例えば、これは、フランスが必ずしも国民投票という形を規定しているわけではありませんが、第四共和制から第五共和制に移るときに、議院内閣制というものから大統領制に移るということを国民投票にかけたわけでありますが、これは、私は国民投票というものは不可欠であろうというふうに思います。ところが、大統領の任期を七年から五年にするというようなことが果たして、国民投票ということで行われることになろうかということについては、内容において検討するということがありますが、三分の二というこのことを原則にしながらも、若干内容においてこれから論議というものをしていく必要があろうかなというふうに思っております。

 第三に、国民投票手続法にかかわることでありますが、この国民投票手続法の前に、どういう発議がなされていくのかということが実は投票手続というものに極めてかかわってくることであろうというふうに思っております。

 非常にわかりやすく申し上げれば、全文を改正しようというような提起がなされた場合に、投票用紙あるいは告知の方法、周知というものが一体どういう形でなされるかということを、大学受験でもありませんから、国民全体にどういうふうに提起するかというような現実的な問題からいきますと、それらのことについては、発議というものが一体何を想定して、どういう提起の仕方ということがそのまま国民投票手続法というものの内容にリンクしますから、国民投票手続法というものをそのまま単独で切り取って論議をするというよりは、その前提としての、ある意味でのイメージの一致とか共有ということをある程度するということが非常に大事なことではないかというふうに私は思っております。

 発議がどのようになされるか、発議内容がどのようなものか、そうしたことのイメージの共有ということが極めて大事な上に立っての上で国民投票手続ということを考えていかなくてはならないというふうに思います。

 その意味では、国会法の改正、先般のこの委員会で出ておりました、この憲法調査会の後の機関というものをどのようにするかというようなことも極めて重要でありますし、発議の内容ということの中で、何人の国会議員の提起によってということについては、私たちは、かなり重きをなすものというようなことで数を多くした方がいいという考え方を持っているわけでありますが、そうしたことも含めた国会法改正や、そして具体的な国民投票手続ということの中におきまして、やはり国政の選挙というものとこれは一緒にするというのはなかなか難しいというようなことも含めて、これについてはまた機会を得てお話をしたいと思いますが、これからまた研究をしていきたいと思っております。

 以上でございます。

中山会長 次に、山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 まず初めに、日本国憲法と国民投票の位置づけについて述べてみたいと思います。

 国民投票、レファレンダムは、主権者の意思を直接に表明する民主主義の制度の一つです。この制度は世界各国で取り入れられていますけれども、その形態を見ますと、投票の対象、それが持つ法的な効果、そして投票の開始手続、発案者の性格など、こうした要素を組み合わせることによって実に多様なものになっています。そこには各国の歴史や政治状況も色濃く反映されていると思います。

 それでは、日本国憲法の体系は直接民主制の諸制度をどう位置づけているのか。

 既に指摘もありましたけれども、憲法は九十六条で憲法改正の国民投票を定め、九十五条で地方自治特別法の制定に際しての住民投票、そして七十九条で最高裁判所裁判官の国民審査を定めています。ここには、代表民主制を基本に置きながら直接民主制を取り入れて、ともに国民主権を実質化させるという日本国憲法の法規範が貫かれていると思います。

 国民投票をめぐっては、憲法改正の際の国民投票の整備を問題にする議論があります。しかし、主権者国民に憲法改定の具体的な内容についての合意もなく、憲法改定も求められていないもとで、法整備は今必要な課題ではありません。まして、憲法九条の改定を中心とした改憲への道筋をつけるという政治的な問題設定の中での議論となれば、これは主権者国民の意思に反したものとなります。

 私は、当委員会でもこの問題で繰り返し発言してきましたけれども、憲法改定を現実の政治日程にのせるための国民投票法の整備、あるいは国会法改正を含めまして、これはその必要はなく、反対であります。

 さて、第二に、きょうの発言では、九十五条に係る住民投票について中心的に述べてみたいと思います。

 憲法九十五条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」と定めています。

 憲法制定後の歴史を振り返ると、九十五条の規定が制定当初は極めて豊かな展開を示していたことが見てとれます。九十五条に基づく特別法は、一九四九年公布の広島平和記念都市建設法から一九五一年公布の軽井沢国際親善文化観光都市建設法まで、十五件に上っています。ところが、それ以降、特別法とその賛否を問う住民投票は実施されておりません。むしろ、特別法が適用されるべき事例でありながら、国政レベルでは九十五条がないがしろにされてきたというところに近年の特徴があります。

 その端的な例がいわゆる米軍用地特措法です。特に、一九九七年の改正は、事実上沖縄県にしか適用されない法改正でありながら、形式的に全国に適用可能として、政府は特別法の制定、レファレンダムを拒否しました。この点については憲法学界からも厳しい批判が上がっております。

 例えば、ある研究者は次のように述べています。

 今回の特措法改正は、そこに言う地方特別法に該当する。これは九十五条のことですけれども。続けてこういうふうに言っております。事実上特定の地方公共団体にしか適用されない法律、改正法律であっても、形式的にそれを日本全国に適用可能であるように定めを置けば、右のような地方特別法としての規律、住民投票による過半数の賛成票の獲得を免れるというのでは、憲法九十五条はざる法に堕することになる。今回のような場合に、同条を適用せずして、一体いつそれを適用するのかという感はぬぐい得ないのである。この批判は極めて重要な批判だと思います。

 この批判にあるように、憲法上明記され、戦後史の中で具体化されてきた制度が今日使われていないということになります。沖縄では、現在でも米軍基地問題が重大問題になっています。県民レベルでは、米軍ヘリの最近の事故問題での対応にも示されたように、米軍基地の県内たらい回しを許さない、そこの点での大きな一致があるわけですけれども、これは国の政治とは大きな矛盾を持っております。そして、この矛盾を埋める手だてとなるものが九十五条の規定であって、米軍用地特措法では、沖縄県民の意思表明としての住民投票が憲法上要請されていたはずです。

 一方、地方政治の分野では、住民投票はさまざまな経験をこの間積んでまいりました。地方自治体での住民投票は、現行制度上は住民投票条例の制定が必要となりますけれども、この住民投票条例に基づく初めての住民投票を実施したのが、一九九六年、新潟県巻町での原発建設の賛否を問う住民投票でした。その後、二〇〇三年に東北電力が原発計画を、いろいろな経過はありましたけれども、断念するということになりました。

 きょう配付されました憲資第五十九号、「「国民投票制度」に関する基礎的資料追補」というものの中に最近行われた住民投票の事例が紹介されておりますけれども、この巻町の住民投票に続いて、九七年に岐阜県御嵩町での産業廃棄物処理場をめぐる住民投票が行われる。同じ年の九七年、沖縄県名護市で米軍ヘリ基地の是非を問う住民投票が行われた。私は、これにはしばしば名護市まで直接足を運びました。二〇〇〇年、徳島市での吉野川可動堰問題での住民投票、こういう形で相次いできたわけですけれども、廃棄物処理場、原発、米軍基地の是非、空港、ダムなどの大型公共事業のあり方、最近は市町村合併、こういう住民投票が各地の自治体で実施されてきました。

 住民みずからの意思を直接投票という形で示すこのような運動の広がりは、住民の意思と要求を地方政治に反映する上で、極めて大きな意義を持つものと思います。現状では、住民投票条例が制定されなければ投票が実施できないこと、また、議会が条例を否決する場合があり、しかも、この住民投票の結果についての扱いも問題になっております。

 日本共産党は二〇〇〇年十一月に住民投票法案大綱というものを発表いたしましたけれども、これは、地域や住民生活に重大な影響を及ぼす問題について、住民が意思を表明する機会を安定的、普遍的に保障するための住民投票制度の制定を求めたもので、投票結果についての尊重ないし結果に反する措置をとらないとしております。

 このように、地方政治のレベルでは、住民投票について、その可能性について、さまざまな経験が積まれ、光が当てられてきたと思います。今日、国民投票制度を問題にするならば、このような地方政治の契機も踏まえて国政レベルで、九十五条の住民投票の意義と憲法の持つ可能性について、二十一世紀という時点での現代的な光を当てることが極めて重要であるというふうに考えます。

 以上で発言といたします。

中山会長 次に、土井たか子君。

土井委員 きょうは、国民投票制度についての討議をするということに相なっておりますが、一言、住民投票について申し上げた後、この国民投票のありようから、九十六条の憲法改正手続の中での主権者国民が直接投票をする、その問題についても触れていきたいと思っております。

 まず、近代国家は、一般的に議会を通じて国民の総意を具体化するというシステムをとっております。いわゆる代議制です。したがって、この代議制というシステムの中では間接民主制という形で事が行われますから、時に、住民であったり国民であったりする立場からすると、どうも私たちの意思が議会には十分に反映され得ていないというふうに思われるときに、どういう措置を講ずることができるかというのが常に問題視されてまいりました。そのために、直接参加という形はほかにもあるでしょうけれども、直接民主制ということで考えられるのが住民投票という問題でございます。

 直接民主制に反対する方々がやはりあります。それはやはり、間接民主制というのは初めからそういうことは覚悟の上で考えられているわけですから、改めて住民の意思を具体化することのための方策をとるということは間違ったやり方だというふうに反対をされる方が言われるのは、いわゆる直接民主制というのは間接民主制と全く相入れないものであるというふうな立論をされる方があるわけです。

 一方では、直接民主制を強く主張する方々、最近その傾向がいろいろな形でだんだん強まっていっているというふうに申し上げてもいいんですけれども、その方々の中にも、少数ながら、これは間接民主制に取ってかわるものであるという、この中身について、直接民主制に対して過大に重点を置かれているという方々があります。

 しかし、私は、この直接民主制に反対する方も、直接民主制を強く主張される方も、二律背反の存在ということを前提に置いて考えられている嫌いがあるわけで、本来二律背反の存在ではない、互いにやはり補完し合えるものだというふうに実は考えているんです。しかし、そのためには、一つ、私は、日本の現状を見て特に注意をしておかなきゃならないポイントがあるだろうと思うんですね。その一点をきょうは申し上げたいと思っております。

 少なくともまず、住民投票の中では、先ほど山口委員もここで取り上げて言われたんですけれども、かの九六年、新潟県の巻町での住民投票というのも随分これ、原発の計画が公表されましてから時間がたちました。二十五年間というもの、巻町ではこの問題をめぐって賛否両論渦巻き、反対の意見がどんどん強くなり、その中で、住民投票にこれは付すべきであるという声が強くなっていったということが総じて言えるわけですが、この巻町の原発の計画が公表されてから二十五年間、したがってその間は時間があった、議論をする時間があった、勉強する時間があった。住民の側も賛否の意見の中身に対してはやはり経験の中からそれを具体化していったということだと思うんですが、その住民投票に対して反対論というのが一方でその二十五年の間に随分渦巻いておりました。

 その中で、わけても、これは当時も大変問題視されたんですけれども、資源エネルギー庁のある幹部が、こういう住民投票というのが認められるのならば、原子力や基地問題だけでなくて、例えば地方税の是非まで住民の意思を問い始めたらどうなるのかということをしきりに言われたわけですね。新聞にも大きく載りました。これはしかし、ためにする典型的な議論だと思います。

 条例の制定、改廃について住民の直接請求権というのを決めているのは地方自治法でございまして、その第七十四条を見ますと、その請求できる範囲というのがそこに決められている規定がございます。地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料並びに手数料の徴収に関するものを除くと、ちゃんとこれは法文があるんですね。

 したがって、議会に制定を請求するというのは、条例の制定を請求するわけでありまして、その条例もしっかり、この住民投票が条例に基づいて行われる場合はその条例は憲法によって法律の範囲内と決められているわけですから、ここで具体的に、つまり地方税の是非を住民投票に問うということはできないと。なぜか。法律がそれを認めていないとはっきりそれを定めているからということなんですね。

 これは、だれしも少し調べてみればすぐわかる話でございまして、言ってみれば、今の地方税の是非を住民投票に問うことはできないというのが一般常識だろうと思うんですけれども、こうしたことを、一般人ならともかく、官僚が知らないはずないんです、優秀な官僚が。しかし、知っていて、これは一つの嫌がらせといいますか、おどしといいますか、そういう意味で言われているに違いないと私は残念ながら憶測するわけであります。ここで問題になるのは、したがって、その法律のありようなんです。法律を制定するのは、唯一の立法機関である国会以外にございません。

 したがって、こういうことを考えてまいりますと、地方自治のありようとか住民自治のありようということをしっかり、やはり憲法を生かすという立場で国会がどれだけ法律に対して議員立法という意味での責任が持てるかというところが私は問題だと思うんです。

 各官庁から出てくる法案を国会は受けてそれを審議するということは、本来、唯一の立法機関という憲法の四十一条の条文からするとその趣旨に反する、条文を厳密に考えたらその条文に反すると私は思っています。これは持論ですから、常にこの問題は私は取り上げて言うんですけれども、しかし大変この持っている意味は大きいと思うんですね。

 私は、これからも住民の直接投票という問題というのがいろいろなテーマについて出てこようと思います。例えば、今、巻町の場合は原子力発電所の問題でございましたけれども、沖縄であったような米軍基地の問題。さらには、産業廃棄物の処理の施設。それから、開発都市計画をめぐる問題。何といっても昨今大きいのは、市町村の合併についての問題。

 だから、これを取り上げて問題にするときに、法律の範囲内で条例というのは制定されるという大前提を考えた場合、そこに法律がどういう役割を持って今存在しているか、また、どういう法律が必要かということを考えなければならないのは国会なんです。国会の責務だと思うんですね。

 憲法の九十六条には、国民が直接憲法に対して国民投票するということが決められているわけですが、その九十六条の場合は、今の住民投票と違いまして、主権者であるがゆえに、憲法に対しては憲法の制定権というのを本来は主権者が持つという由来からこの九十六条の条文はあろうと思うんです。

 時間が来てしまいましたから、要点だけ申しますけれども、この場合にも憲法の九十六条に言う改正手続のための国民投票は前提条件がございます。それは何かというと、その前提条件の中には、国民から見て、国会が制定する種々の法律の中に憲法に違反していることを数を頼んで強行採決をやるということが相次ぐような状況の中で、どうしてその国会を国民は信頼できましょう。

 憲法の前文のまず冒頭に掲げられているのは、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」なんです。代議制のゆえんですね。この前文の冒頭のところからすると、この国会は正当に選挙された代表者の国会ですから、国会に対しては信頼がなければならないわけで、この九十六条の問題についても、国民投票ということの前に国会の三分の二、衆議院も参議院も総議員の三分の二の賛成でもって発議を主権者国民に対してするわけで、それに対して賛否を言う国民の側からすると、その発議をして自分たちに提案をする国会自身に信頼がないというときには条件がないと私は言わなきゃならない問題だと思っているんです。

 このことは、後また討議の時間でいただける機会がございましたら、申し上げさせていただくことに譲りたいと思います。

中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

枝野委員 民主党の枝野でございます。

 発言を許していただき、ありがとうございます。

 私は、まず、一般的な意味での国民投票についてお話をしたいと思いますが、我が会派の田中議員から幾つか御指摘をいただいた点に加えてもう一つ、今の政治、これからの政治を考えたときに、国政における国民投票制度の活用というのが必要ではないかという観点からもう一つの視点を申し上げたいと思います。それは、二大政党制による政権選択、そして、それがマニフェストによって国民にきちっと政策のメニューを示した上で選挙を戦う、こういう仕組みができ上がりつつあるということ、これが実は、国民投票を国政においても活用せざるを得ない状況を生み出すのではないかと思っています。

 それは、御承知のとおり二大政党で、そしてマニフェストでありますから、マニフェストのすべてに国民が賛同してどちらかの政党を選択するということにならない部分があります。八割、九割はこのマニフェストに賛成だけれども、一点、二点は反対である、だけれども、二つに一つを選ぶという中ではこちらを選ぶ、こういうような選択をせざるを得ないことが必ずこうした形では出てまいります。

 そのときに、マニフェスト選挙をしっかりやっていく上からは、多数派、つまり与党自身がみずから掲げたマニフェストと違うことを政権の中で行うならば、それはマニフェストに基づく政権選択という選挙の質を変えてしまうことになりますから、与党みずからが国民の意思がこの部分だけは違っていると思っても、みずから変えることはやはりやるべきではないだろうというふうに思います。

 しかしながら、国会で与えられた多数と国民の民意とのずれがそうした問題で認識されたときに、そのときには、この部分に限っては、国民の意思を問うことによって、マニフェスト選挙、二大政党で示された国民の意思と各論部分について、ここは違っているんだよという国民の意思とのずれを修復する民主的機会をつくるということの必要性が出てくるのではないだろうか。そういう観点から、二大政党、マニフェスト型の政治においては、マニフェストの八割、九割は賛成だけれども、一割、二割は反対だ、こういう部分のところをしっかりと吸い上げて、それを結果に結びつけている仕組みとしての国民投票制度というのは、一定程度の役割がこれから出てくるのではないかというふうに思っておりますので、そうしたことを憲法上しっかりと位置づけていく必要があるのではないだろうかと思います。

 ただし、この場合には、これは田中委員からも御指摘がありましたが、少数意見という問題もありますし、もう一つは、それ以上に少数者の人権にかかわる問題、この部分のところは、それが特に国民投票によって少数者の人権を侵害するような法制定が行われる、こういう場合には、なかなか憲法裁判所や最高裁なども動きにくいだろうというふうに思いますが、そこのところは、特に憲法裁判所などの機関が、そうした直接民主主義的手法であっても少数者の人権を侵害することはできない、この部分のところをしっかりと担保する仕組みが裏づけとして必要なのではないかと思っています。

 まだ五分になりませんので、憲法九十六条に基づく憲法改正の国民投票について一点、皆さんの議論に加えて申し上げたいことがございますが、それは、先ほど保岡委員からは国政選挙と同時にやるべきではないと。これは見識ある御見解だと私も思います。二大政党で政権を選択するという意思と、それから憲法を改正するという意思とでは、かなり意味が違ってくると思いますので、同時に行うべきではない。この部分は、憲法九十六条からも立法府の選択で決められることですので、そうすべきであろう、国政選挙とは一緒にやらないということをすべきだろうと思います。

 もう一つ、その活動であります。どうしても我々は公職選挙法というものが前提になっていてしまいますので、公職選挙法を引っ張ってくるような形で憲法改正の国民的議論を縛るようなことがあってはいけないだろう。公職選挙法は、まさに村会議員の選挙などだと百票とかそういうレベルで当選できる、あるいは国政選挙でも十万とかという数ですから、例えば買収とかという仕組みが可能であり得る仕組みでもあります。しかしながら、国民全体の過半数を得るための選挙というのは、そんなみみっちいような話ではありませんし、そしてもう一つは、何よりも政治そのもの、国民の政治活動そのものであります。

 したがって、もし憲法改正の国民投票法をつくるのであれば、その活動といいますか、国民の議論、その部分についてはほとんど規制をかけないというようなことの見識がないと、この部分のところでその議論が国民の間でできないということになりかねませんので、この点はきちっと留意する必要があると思います。

 以上でございます。

柴山委員 田中先生から大変個別の問題にまで踏み込んで詳細な分析がなされまして、従来の直接民主制か間接民主制かという抽象的な議論にとどまることなく、個別的な問題の事案ごとに、直接民主制を導入した場合どういう問題点があるかということまで詳細に分析をされた上での御発言だったと思います。

 その上で、あえて申し上げますと、まず私は、現在ハイスピード化されている、また高齢化しているということで行政に託される役割というものが非常に大きくなってきているというところから判断すれば、これはむしろ、先ほど委員から御指摘のあった、継続性に欠ける、また十分な政策決定のためのシンクタンク等を持たない有権者が、どれほど有意な提案なり投票というものができるのかということについて、若干危惧を抱かざるを得ません。

 ちょっと個別の事案で申しわけないんですが、かつて消費税を導入するときに、国民の大多数はだめなものはだめというお話の中で、厳しい御判断をされたと思います。しかし、今こういった高齢化社会が進展している中で、やはりそうした消費税の必要性というものがかなりの部分国民生活に定着してきた。

 そして、やはり税制等の専門的な分野については、国会議員がしっかりとした組織的な検討を加えるということが必要になってくると私は思っております。条約、そして税制等の専門分野について、継続性を欠く、また組織性を欠く国民の意思をどの程度反映させるかというのは、難しい問題ではありますが、必ずしも国民投票という形によってこれを解決するのがふさわしくない部分が、特に委員がおっしゃったハイスピード化している、高齢化しているという中では多々生じているのではないかなというように私は思っております。

 枝野委員から御指摘のあった二大政党制のマニフェスト選挙を補完する役割としての国民投票というのは、私は大変示唆に富む御発言であったかと思います。

 ただ一つ、公約を掲げて政党が戦って、それを国民が選択したということの重みというのは、やはり私は無視できないのではないかというように思っておりますので、その重みというものは、やはり国民投票という形で左右できるものなのかどうかということを、いま一度問い直さなくてはいけないのではないかなというように思っております。マニフェストというものは、単にきれいごとを並べるだけのものではなくて、一つ一つに政党の運命をかけた、非常に大きな力が注がれているわけですから、これについて、先ほど申し上げた組織性を欠く国民が、少なくとも国政レベルの選挙においてこれに異議を唱えるという機会を与えるのが本当に妥当かどうかということは、もう少し慎重に議論をしなければいけないのではないかなというように思っております。

 地方の問題についてはまた別の機会をいただいてお話をさせていただければと思います。

葉梨委員 三点について申し上げたいと思います。結論的には、先ほど保岡幹事がおっしゃられたことを補強するような内容になろうかと思います。

 一つは、憲法上、九十六条において国民投票が制定されているということが、比較的直接民主制的なものを日本に導入すべきという主張も片っ方であるやに聞いておりますけれども、先ほど土井委員がおっしゃられたこと、ある意味で私は賛成でございまして、明治憲法が欽定憲法という形で天皇大権で憲法をつくった。そして、輔弼するものとして国会、議院があったわけですけれども、その議院の力というのを代議制という形でうんと強めたのが新憲法ということになりますが、憲法を改正する、憲法を制定するということで、天皇にかわるものというのはやはり国民しかいなかったということで国民投票というのが位置づけられたというような形が、妥当、自然な形じゃないかと思います。ですから、そこで国民投票というのが定められたからといって、戦後は直接民主制でいくんだということではなくて、やはり欽定憲法から始まった大日本帝国憲法、その歴史との兼ね合いがあるんじゃないかなというふうに一つは思います。

 それから次に、マニフェストの話なんですけれども、具体的な政策をたくさん出すのがマニフェストであるというような理解が大分行われているようなんですけれども、少なくとも英国の、特に保守党においては、マニフェストというのは哲学を持った政策体系でございます。これから何年間の政権について否定する、肯定する、そしてこの国をどういう形で持っていくかという哲学をちゃんと前面に出して、その中で過不足なく政策体系を示すというのがマニフェストであるとすれば、そこの一つ一つの部分について、個々に国民投票で国民に信を問うというのは、そうではなくて、やはり総選挙の場で一つのパッケージ同士を戦わせるという形が英国においても行われている選挙ではないか。ですから、その意味では、ちょっとその面は枝野委員とは私は意見を異にしております。

 しかしながら、国民投票制度をしっかりとつくっていくということの必要性については、山口委員も、いらっしゃらなくなっちゃったんですが、というのは、今ポール、世論調査を行っても、六割の人が憲法改正を何らかの形で望んでいる、支持している。どういう形になるかわからないけれども、六割の国民が憲法を改正すべきというふうに考えているときに、憲法改正について何らの手続も示さないということは、やはり国会としての責任放棄ではないか。ですから、その意味で、妥当な形での国民投票制度というのは用意していく、そして、その中で国民とさらに議論を深めていくということが必要なのではないかというふうに考えております。

 以上でございます。

坂本(剛)委員 初めてこの調査会に参りまして、前後の関係もわからなく、今ただやぶから棒に手を挙げたわけでございますが、この調査会は憲法改正を前提に過去ずっと調査を行ってきたものと思っておりますし、国民投票制度という具体、個別のところまでやってまいりますれば、個々の国民投票をどう具体的に生かしていくか、そういう方向で議論がなされるもの、こう思っております。

 これから調査会に籍を置きながら、なお深く勉強させていただきますが、一点だけ、この投票の結果に対して、例えば投票総数が過半数、参議院の投票率が過半数に満たなかったとか、諸般の事情でこの憲法改正のための国民投票は無効であるという訴訟が出されて、決定が何年も何年も先送り先送りというようなことが行われるんじゃないかと私は思うんですね。しかも、あらゆる幾つもの団体から、矢継ぎ早にどんどんどんどん無効の訴訟が起こされる。いつまでたっても国民投票の結果が認定されないし、憲法改正の手続にも入れない、こういうばかなことが起こり得るんじゃないかな、こう思っております。

 そういうことに対しても、きちっとした歯どめ、制度をやっていくべきだろうと私は思うんですが、老婆心ながら、そんなことをまず一点として申し上げさせていただきます。以上です。

枝野委員 まず、ほかのことから申し上げようと思ったんですが、今の坂本委員の御発言のうち、この調査会が憲法改正を前提としてというのは、調査会設置のときの経緯、事実関係から全く違っております。自民党の皆さん、ぜひそうした前提事実をわかった方を委員に選んで発言をしていただくようにしていただきたい。

 念のため申し上げますが、民主党や私自身は今の憲法を変えるべき部分があると考えていますが、個人の変えるべきであるという主張とこの会の位置づけとは全く違うものでありますので、ぜひその辺の区別はしっかりとつけていただきたいというふうに思います。

 その上で、委員間に若干誤解をお与えしているかなと思いましたので、また札を立てさせていただきましたが、私も、マニフェストは体系的なものであって、マニフェスト対マニフェストでぶつかり合って、である以上は、基本的には一貫性を持って、部分部分を切り張りするようなことがあってはいけない、全く同じ立場でございます。

 ただ、もちろん一体性を持ったマニフェストの中にも、まさにその理念、哲学と真っ正面から結びついている部分と、どちらかといったら外周部のところで、この部分は違う選択肢もその哲学の中にもあり得る部分、こういう濃淡はあり得るんだろうと思います。そうした本質からちょっと遠い部分のところについて、実は、全体の体系はこれでいいんだけれども、この部分だけはというようなことはまれにあり得ることだと思いますし、またそれがポピュリズム的な観点ではなくて、実はマニフェストのこの部分は両方あり得たがこっちを選ぶべきだったかななどということを与党としても考えるようなケースというのは、まれにあり得るのではないだろうか。

 そういった場合に、逆にマニフェストというものの一体性から考えると、与党みずからが国会の中で、やはり我々のこの部分だけはちょっと変えたいとかということで物が決まっていくよりは、全体として信任を受けた部分の中でここだけは変える余地がある、もしここを変えた方がいいという国民の声があるならば、そこは国民投票でどうでしょうかということを問う余地があるということはあってもいいんじゃないかということを申し上げましたので、むしろ一体性を持たなきゃいけないということを前提で申し上げたつもりでございます。

 ですから、本当にレアケース、例外的なケースであり、またマニフェストの本質、中心部分に近いところの政策でそれをやったら、それこそむしろ内閣不信任をされなければならないケースだろうというふうに思っております。

 それから、先ほど来、ポピュリズム的にあるいは全体の整合性とか、そういう御意見が若干出ていますが、少なくとも国政についての国民投票を導入する場合においては、やはり何を国民投票に付すのかということ自体を国会が自律的に判断していくということが前提にならないと、要するに、国民にとって耳にいい話ばかりが継ぎはぎされて合成の誤謬が起きるということはあってはならない。

 しかし、この部分はどちらの選択もあり得るなという政策課題というのは十分あり得るし、先ほど田中委員からもありましたか、脳死の問題がかつてありましたけれども、あのようなケースなんというのは、やはり国民に問う仕組みがあれば、非常にいろいろな意味で前に進みやすかっただろうというふうに思いますので、そういうことについての余地は、議会の、国会自身の自律的判断ということを前提にして進めていくということは、この議論の当然の前提だというふうに私は思っております。

保岡委員 先ほど坂本委員から発言がございました、憲法改正における国民投票に瑕疵が生じた場合の効力の問題でございます。

 これは、国民投票のルールをどうするか、先ほど枝野委員からもその部分にお触れいただいたところでありますけれども、原則自由ということを考えて、いわゆる公職選挙法のようながんじがらめの規制をかけないという大きな方向性もありますが、やはり重要なルールというのも、検討すれば浮かび上がってくるのではないだろうかというふうにも思います。

 公正な国民投票を確保するためのルールの検討と同時に、それに瑕疵があって効力について否定をしなくちゃならないような重大な点も、抽象的、理論的に考えればあり得ることなどを考慮すれば、坂本委員が指摘されたように、一体、憲法の国民投票が過半数の賛意を得た結果は、選管か何かその過半数を決定する機関による認定で効力を生ずるものであるのか、あるいはその効力を争う訴訟が確定するまで憲法改正の効力は発生しないのかということについては、憲法の国民投票手続法の極めて重要なテーマだと思います。

 このように、憲法を改正するための国民投票法というのは、前広に、十二分に検討する重大な内容を持っておりますので、私は、冒頭に申し上げましたとおり、前広に、各党、超党派で議論を深めていくということが極めて肝要であると存ずる次第でございます。

 なお、憲法は、先ほど申し上げたように、国政レベルでは、国民の直接民主制というのは、憲法改正とそれから最高裁の裁判官の国民審査のみに限定しております。これを仮に、国会でこのテーマについては国民投票をしようということを決めて、諮問的であれ、国民に意見を問う、あるいは何らかの効力を持つ国民の直接の意見を問うというようなことは当然、憲法の改正テーマであって、憲法の事項なしに、私は、このような例外をさらに拡大する、憲法外で拡大するということは、これはあり得ない。

 要するに、憲法が憲法改正の国民投票と最高裁の裁判官の審査に限定されていることを拡大するには、憲法改正が必要であろう、そういう趣旨でございます。

山花委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。

 今までいろいろな議論を聞かせていただいて、まだ確たる整理した考え方があるのではありませんけれども、問題提起も含めて発言をさせていただきたいと思います。

 冒頭、田中委員から御指摘があったとおり、国民投票ということを考えるときに、レファレンダム、イニシアチブ、リコールという国民が政治過程にいかに参加していくかという中で個別のテーマを考えるという視点は、非常に重要なことではないかと思います。

 その上で、今、日本国憲法の中でということでいいますと、憲法改正の国民投票あるいは最高裁裁判官の国民審査が規定をされておりますけれども、このほかにこういった国民投票制度をつくることが、そもそも唯一の立法機関である国会との関係でどういうことになるのかということがあって、今保岡委員が御指摘をされた、諮問的なのかどうかというせりふがございましたけれども、それは非常に重要なことではないかと思います。

 つまり、イメージとして、既存の法的効果が伴っているものだけではなくて、ある特定のテーマについて法的効果がまるでないということであるとすると、何のためにやったんだという話にもなってしまいますが、諮問的なもので、かつ国民に広く意見を問うた方が参考になるというようなテーマもございますでしょうから、そういったものについての国民の意思を問うという制度は非常に重要ではないか。

 ただ、例えばの話、内閣の命運をかけるような事柄について国民投票を実施するということになり、かつ、それが国民投票で否定的な意見が多数であるということになりますと、最終的には、その法案なのか何なのかが通る、通らないという話になり、解散すべきだというところまで行ってしまう。そうしますと、事実上のこれはリコール制度に近くなってしまうわけでありまして、先ほど葉梨委員と枝野委員との間で議論がされておりましたけれども、何をテーマにするか、国民投票の対象とするかという設定は、非常にそれは政治的には慎重に検討しなければいけないことだとは思いますけれども、ただ、先ほど両委員の間で議論がされておりましたマニフェスト選挙で、二大政党化の中でどうテーマを設定するかということで、私は、ちょっと違った観点から必要となるケースがあるのではないかと思っていることがあります。

 つまりは、確かに、哲学なりあるいは政策体系について、本来的には政党同士が政権を争う中で信を問うという形が二大政党の姿でありましょうから、それはそれとしていいんですけれども、例えば、総選挙時に争点とはならなかったけれども、その後に新たに浮上してきた事柄については、これは二大政党だからということでもないんでしょうけれども、新たに争点となり、かつ党派的な拘束になじまないようなものについて、先ほど脳死の例が出されておりましたけれども、そういったものについては、やはり国民投票という形で、諮問的な形になるんだと思いますけれども、意見を問うということがあってよいのではないかと考えております。

 以上です。

辻委員 民主党・無所属クラブの辻惠でございます。

 三点、申し上げたいと思います。

 一点目。先ほど葉梨委員が、新聞の世論調査等で六割が改正に賛成だという引用をされましたが、新聞の世論調査というのは非常に、アンケート調査ですか、断片的で、系統的ではないんですね。

 例えば、新しい人権が必要だということで問われれば、それはそういうものもつけ加えていいかもしれない。今の司法権が本当に十全に機能しているかということについては、やはり憲法裁判所的なものも必要かもしれない。そういう意味においては改正の余地がある、そういう意見はいろいろいろいろ出てくるわけであります。ですから、それの総和として六割を達したから、だから憲法改正すべきだという話とは、また全然別の話であるというふうに思います。

 私は、憲法改正の問題をどうプログラムとして政治過程にのせるのかというのは、ある種、一種の政治的な選択の問題でありまして、現段階でそのことを政治的な過程に上せるべきではない、まだ熟していないというふうに私は考えております。これが一点。

 それから二点目は、保岡委員が、国政については、これは間接民主主義で、憲法上規定されるものに限定されるような御趣旨の発言をされ、また、地方政治についても、その目的とか効果を限定して住民投票というものを、これもまた限定的に解されているというふうに思います。これは、どうも直接民主的な要素を自由民主党の方々は恐れているのではないかというふうに思えてなりません。

 自民党の方々の研究会のいろいろな議論についてホームページで拝見させていただくと、例えば、九十二条の地方自治の本旨の点に関しては、住民自治、団体自治を挙げて、住民自治の要素が非常に最近強くなって、これはよくない、団体自治を強調すべきだというようなことをおっしゃっております。

 私は、やはり今の間接民主制がいろいろな意味で、田中委員もおっしゃいましたけれども、価値観が多様化する中で、いろいろなニーズを、いろいろな意見を反映させていくために、直接民主的要素を、やはりこれはいろいろなシステムを考えていかなければいけないということがありますけれども、導入する方向で制度改正をしていくべきだというふうに考えております。

 そういう意味で、きょうの議題である国民投票制度、そして、地方政治における住民投票制度ということの有用性、有効性ということをもっともっときちっと考えていかなければならないものというふうに思います。

 三点目に、非常に、自民党の中の論議の経過を見てみますと、地方自治についても、九十二条の地方自治の本旨から外れて、住民自治、団体自治が本質だと言われているのに、団体自治を強調するということ。そしてまた、前文の理解についても、日本の国柄ということで、非常に、きょう、太田委員が権利と義務の問題について、やはり国家と国民とは対立的な存在なんだから、基本的にはその憲法の立憲主義の建前ということはまず前提に理解すべきだというようなことをおっしゃったと思うのですけれども、それとは外れた議論がどうも自民党の中でなされている。非常に国柄を強調して、前文、そして権利義務の面については、義務、責務をうたい込まなければいけない。そして、九条の問題についても、今までの憲法論議、国会での論議を踏まえた議論が果たして自民党内でなされているのかどうなのか。

 自民党の側が、国民投票に憲法改正を、今の理論的な水準の状況でおかけになるとすれば、これは非常に国民からしっぺ返しを得るに違いないということを、老婆心ながら最後に申し上げておきたいと思います。

坂本(剛)委員 会長、先ほどの私の発言の中で、この調査会は憲法改正を前提とした調査会である云々という発言のくだりがございましたが、これは私の大変な勘違いでございまして、この点、訂正をよろしくお願いしたいと思います。

 以上です。

永岡委員 私は、国民投票そのものについてではなくて、これまでもいろいろ議論がありましたけれども、九十六条の改正手続について若干コメントさせていただきたいと思います。

 この憲法調査会で全条文、前文について検討を進めているわけでありますけれども、やはりこの改正手続が不明確である、そして改正手続がかなり厳し過ぎるということが、国民的観点から見ますと、本当に憲法改正について与野党ともに、いろいろ立場はありますけれども、議論をしているのかどうかということで、骨身にしみた感じで国民各位が受けとめていない面があるんではないかと思います。

 憲法改正にかかわる手続規定が現実的であるかどうか、これは非常に重要な問題でありまして、憲法制定後一度も憲法改正のもちろん実績はないわけでありましたけれども、その大きな理由が改正手続が厳し過ぎるということにあるのではないかと思っております。

 アメリカの専門誌であるアメリカン・ポリティカル・サイエンス・レビューという雑誌がありますけれども、ここでヒューストン大学のドナルド・S・ルーツという教授が研究をしておりまして、主要国の憲法の硬性度というのを出しております。世界三十二カ国について調査をしておりますが、日本は、その上位五位、つまり五番目に改正が難しい国になっておるわけであります。主要国で改正がないのは我が国だけでありまして、アメリカ六回、カナダが十八回、これは一九四五年から二〇〇三年までのデータでありますけれども、フランス十九回、ドイツに至っては五十一回改正をしております。

 現行憲法の九十六条は、定数の三分の二、各議院三分の二の発議、こう書いてあるわけでありますけれども、これは裏を返すと、三分の一が反対をすれば国民の意思にかかわらず発議ができない、極めて硬直的な規定になっているということで、国民の側から見ますと、冒頭申し上げたとおり、憲法改正の現実性がないという意識を強く持たせているのではないかと思います。

 改正発議の可能性はほとんどないという前提のもとで憲法論議を繰り返していること自体について、非常に大きな疑問を持っているわけでございまして、憲法改正を論議する最重要課題として、やはりこの改正手続の改正を先行させて議論をして、そこを改正していくということについて、我々はもっと真剣に取り組むべきではないかなと思っております。

 私としては、いろいろ考え方はありますけれども、発案者そのものも今の憲法では明確になっていないわけでありまして、この発案者がだれなのかということを、これは法律上明確にする必要がまずあると思いますし、憲法上の要件につきましても、私は、各議院の三分の二以上の出席により、出席議員の過半数の賛成で国会が発議し、国民に提案をし承認を得るということでいいのではないかと思っております。

 そしてまた、国民投票法におきましても、自民党内においていろいろ投票法案につきまして検討はされているわけでありますが、やはりこの投票法案についても、できるだけ早い機会に具体化をして、その態勢ありということを国民に示していく責任が国会にある、こういうふうに考えております。

 以上でございます。

加藤(勝)委員 自民党の加藤でございます。

 最初に、住民投票の件で、私、非常に身近なケースとして、今回の市町村合併の関係で、住民投票で市町村合併に反対という結果があって、その結果、その地域の首長さんの意向と違って、その首長さんがその結果を踏まえて辞職をして、再度、みずからは合併賛成ということで選挙に臨まれて、その結果、その首長さんが当選をされたという経緯を見ている中で、住民投票と、それからいわゆる選挙によって問われているものと、それをどういうふうに位置づけたらいいのかなというのを改めて思ったわけであります。

 どう考えても、住民投票の結果を優先してしまった結果、住民投票の結果で、その後の町長さんの当選とそれに基づく公約の履行というものは、当然縛られるわけではない。そういう意味では、いわゆる一般の選挙、そしてそれを通じて決められた公約というものの方が、多分優先的に適用されるべきではないか。そういう意味から考えると、やはり住民投票というものをかなり限定的にとらえていかないと、むしろ混乱を招いてしまうんではないかな、そんな思いがしております。

 そうした中で、先ほど脳死の関係で住民投票あるいは国民投票の議論があったわけでありますけれども、住民投票にかけるときに、あるいは国民投票にかけるときには相当議論が尽くされていて、その結果でないと、なかなか本来の意思というものは出てこないんではないか。特に脳死の段階で、議員のレベルにおいても、なかなかどっちがいいのかというのは判断できない、そういうものをそのまま国民投票に問うということはいかがなものかなというふうに考えるわけでありまして、それも相当の議論、整理がされた中で国民として判断ができる、そういう状況の中で初めて国民投票の意味があるんではないかなというふうに私は考えております。

 先ほど永岡委員から、憲法の改正の手続のお話がありました。私も、一刻も早く改正手続をむしろ国民に示していく、その法律を制定すべきだという考えに立っておりますし、同時に、現行の憲法で規定されている改正手続はいささか厳し過ぎるんではないか、少し緩和をしていく。また、そうした中で、むしろ憲法というもの自体が常に改正されていくんだという土壌が広がることが、逆に言えば、憲法に対する理解、あるいは憲法改正に対する土壌というものが一層広がっていくことにもつながっていくんではないかなというふうに私は考えております。

 以上でございます。

大出委員 民主党の大出彰でございます。

 前にもこの国民投票制度を憲法調査会で取り上げたことがございました。そのときに中曽根議員が、大勲位でございますがおられまして、今は引退なさっておりますが、この問題で昔中曽根さんが内閣総理大臣を国民投票でということをおっしゃったことがありまして、そのころ私は学生でございまして、反対をいたしました。

 というのは、そのときに私が感じたのは、あ、これはプレビシットだと思ったわけですね。プレビシット、民主制だと思ったわけなんですが、その後、今ここにいるわけですが、勉強を重ねながら、アメリカの議会制度を見ていますと、上院、下院になっていて、下院が二年の任期ということになっていまして、これを見たときに、あ、アメリカの制度というのはプープル主権的だなと実は思ったんですね。二年間でかえるということは、できる限り国民の意思を反映させよう、新しい意思を反映させようということででき上がっているんですね。

 それを研究しながら、やはりどこが一番重要なのかというところを考えたときに、日本の憲法は確かに間接民主制が中心で、直接民主制は限定的に解されておりますけれども、しかし本来は、国民主権という主権論でいえば、国家意思の最終決定権が国民にあるということでございますので、この制度が要請する要望とは何かというと、それは、できる限り国民の皆さんの意思を国政に反映するという制度を要求している、例えば選挙制度でもできる限り反映する制度が望まれているということが言えますし、また一方で、できる限り直接的な要素を持っているような制度も必要であるということなんだと思いますね。

 しかしながら、現実には、限定的に直接民主制が規定されている憲法の中で、例えば国民投票制度というのを設けて、これが議会以外に国民の投票があったからそれで決まりますよというのでは、これは日本の憲法体系が崩れることになりますので、これは憲法を改正しなければできないだろう。しかしながら、先ほどの国民主権の要請からしますと、できる限り国民の意思を聞きますという意味の制度としては、十分意見として聞くという制度としては成り立つと思って、必要なことだと思っています。

 ただ、問題は、そうしますと、先ほどから問題になっております、国民の意思が時の政府の意思と反するものになったときに国民の意思を無視して何かができるか、こういう問題が起こるんですね。これは、そうなると、やはり国民の意思を無視できないとなれば、事実上の拘束力があることになりますが、あえて、やはり国民の成熟度を考えながら、憲法改正ということであるならば、制度として必要でありましょうし、そうでないとすれば、事実上の拘束力はあるかもしれませんが、制度として国民投票は必要だな、そんなことを考えているところでございます。

 ただ、問題なのは、硬性憲法でございまして、この硬性憲法であるがゆえに救われている部分もあるわけですね。一つのとりでになっておりまして、そう簡単には変えられないぞというところがあって、それは、先ほどほかの国が改正回数が多いとおっしゃっておりますけれども、そういっても、ほかの国は基本的に重要な部分については変えていないんですね。むしろ、逆にマグナカルタ的なものがまだまかり通っているようなことがありまして、日本の場合にも、憲法改正の限界という三つの部分を守るかどうかはまた別といたしましても、そのとりでになっているのは硬性憲法である。

 だから、国民投票制度を、硬性憲法だからといって、それを変えるような形の、つまり脱法的な形で国民投票をやるというのはこれは論外ですが、まじめな意味での国民投票、多くの皆さんの意思を国政に反映するという意味では必要な制度だというふうに考えているところでございます。

 以上です。

葉梨委員 自民党の葉梨康弘です。

 二回目の発言になりますが、お許しいただきましてありがとうございます。

 先ほど辻惠議員からも話があったんですが、私の発言が、しゃべり方が悪かったのかちょっと誤解をされているような感じを持ったものですから、発言をさせていただきます。

 といいますのは、私が申し上げたのは、世論調査で六割が憲法の改正に賛成しているから憲法を改正すべきだというふうには一言も実は申し上げておりません。世論調査の六割が憲法改正に賛成している。その前提として申し上げたのは、いろいろな意見はあるけれども、つまり、具体的にいろいろなイメージはあるけれども、いずれにしても改正をするという一点においては六割は賛成している。その意味で、辻委員がおっしゃられたような、総論としてというか、各論ではなくて総論として、そういう趣旨でまた申し上げたんです。そして、だから改正をすべきだということではなくて、国会議員の責任としてやっていかなければいけないことは、であれば、改正の道筋、つまり国民投票の形ですけれども、その手続を示して、さらに国民とともに議論を深めていくべきであるということを申し上げたわけです。

 つまり、先ほど永岡委員からもお話ありましたけれども、改正の手続すら示されていないという段階で、国民とどう議論を深めるのか。それはできるということはあるかもわかりませんけれども、格段に、本当にもっともっとみんなが憲法のことを考えて、そして国民とともに議論を進めていくためには、具体的な手続としてこういう形なんだというのが示されないと、示されると示されないとではやはり大きな違いがあるだろう。ですから、そういう意味で、自民党と民主党、思いの違いはあるけれども、民主党の方も、国民投票の法制度についてはつくっていくということに賛同されたんだろうというふうに思っております。

 ですから、六割が賛成しているから改正すべきだ、つまり、具体的な六割じゃないわけです。そうじゃなくて、より議論を深めるためにも、国民投票の制度というものは国会の責任として提示していかなければいけないということを申し上げたわけでございます。

 ただ、発言の機会を与えていただきましたので、もう一点申し上げますと、改正手続を先行して改正すべきだという意見が自民党内にもございます。また、実は民主党内にもあります。せんだって、西岡武夫先生とあるディスカッションで一緒になったんですが、西岡武夫先生も同じようなことをおっしゃられておりました。ただし、そうじゃないというふうな意見も、自民党内にも民主党内にもございます。

 私は、個人的には、改正手続をある程度変えるということは必要かもわからないけれども、やはりこれからの国柄として、今コントロバーシャルな部分になっているところについて何らの結論も出さないで改正手続だけを変えるというのは、果たして国民がそれで納得するのかなというような意見を持っております。ただし、これは党としての意見でもありませんし、また、党内でもいろいろと議論があるということ、これだけは指摘をさせていただきたいと思います。

 以上です。ありがとうございました。

中川(正)委員 民主党の中川正春です。

 最近、選挙をするたびに私、国民意識の中に、これで私たちの意思が本当に反映されているんだろうか、あるいは、国会あるいは地方議会もそうですが、国民の意識形成というか意思というのを集約しながら国民に選択肢を提示していくということが実際できているんだろうかという、言いかえればそういうことですが、そのことについて非常に難しい局面に来ているのかなということを選挙のたびに実は痛感をしております。

 そんな中でマニフェストというものも出てきたんでありますが、それでもやはり問題はある。そのことの一つが、地方議会が総与党化しているという現象があるでしょうし、国会については、二大政党化ということの中で、シングルイシューで闘う政党というのが存在し得ないという状況。トータルで選択肢を問うていかないとだめ。この問題については賛成なんだけれども、この問題については反対なんだ、だけれどもどっちかの政党を選ばなければならないとすればという選択肢しか国民に与えられないとすれば、それは国民にとっては一つのフラストレーションにつながっていくんだろうということ、こんなことがあるんだろうと思うんです。

 そういう意味で、大枠で言うと、この日本の制度というのが間接民主主義で成り立っておって、しかも我々の目指すところが、二大政党制でいこうという方向性を出しているとすれば、やはり直接民主主義でそれを補完していく、筋は代議制であるけれども、その至らぬところを直接民主制ということで補完をしていくという考え方は、我々の中にしっかり定着させなければならないところに来ているんじゃないかというふうに思うんです。

 そんな流れの中で、実は民主党も、住民投票については住民投票法というのをつくりまして、もう既に提出して、これは何回も提出をしまして、ぜひ議論の俎上に上げていただきたいということを求めてきました。

 その骨子というのは、法律ですべてをがんじがらめに、方法論までやる、あるいは、住民投票で決めた結果を、法的拘束力を持つかあるいは持たさないかということ、あるいは、国に対してどういうスタンスを、その結果をもたらしていくかということ等々、これについては余り国の方が法律で縛らない。それよりも、そのことも兼ねて地方自治体の議会が判断をしていくという余裕を持たせていって、その上で、少なくとも選挙をしていくという、あるいは住民投票の手続ということについてはそれぞれの自治体でつくっておきなさいよ、少なくともつくっておきなさいよ、そういう意味合いでの住民投票法というものをつくりました。

 そういう意味でいけば、国民投票についても、これは何やかんや言っていないで、枠組みを早くつくってやるべきところはやっていくということでいいんじゃないかというふうに思うんです。それをやわらかいスタンスで国会が示すことによって、国民の方としても、政治というものに対してもう一回新しい見方、そしてそれを酌んでいく方法論というのが国会の中から出てきたんだという受けとめ方をしてくれるんじゃないかなというふうに思っておりまして、憲法にこだわった形の国民投票法ということじゃなくて、一般的な枠組みの中で、何をその投票にかけるかというのは、これは国会の議論ですから、これから具体的な話でそれぞれイシュー、イシューで出てくるんでしょう。しかし、その前の手続論としては、やはりつくっておくべきだというふうに思っております。

 以上です。

渡海委員 きょうは、国民投票ということで、住民投票まで含めて、さまざまな世論の形成にいわゆる国民なり住民がどういう役割を果たしていくかということの議論が行われておるわけでございますが、私はやはり、この中で、非常に私自身、何度も同じような発言をさせていただいたわけでありますけれども、九十六条に規定されている憲法改正にかかわる国民投票というものをどういうふうにこれから取り扱っていくかということについては、これは与野党、本当に一緒になって、国民に対して義務を果たさなければいけないとあえて言わせていただきたいというふうに私は思っております。

 現行憲法は、よく言われるように、平和主義、そして基本的人権を尊重するという精神、また主権在民ということを言われるわけでありますが、主権在民であれば、当然、国民の権利として、憲法に書いてあるこの国民投票が行使され得る機会、また手続について法律がつくられていて当然なはずなんですね。それが昭和二十一年以来いまだにつくられていないというか、このこと自身、私は大変疑問に思っております。

 そして、それをやはり立法府としてしっかりこの手続を法制上つくっておくというのは立法府の責務であるというふうにも考えておるところでございまして、まずこれは、何をかけるかかけないか、また何をイシューにするか、こういったことはさまざまな議論が行われてしかるべきでありますし、また今後そういった議論も深めていかなければいけないわけでありますが、まず手続の中での国民投票のやり方というものは、立法府としてしっかりと、国民の権利を守るという意味でもつくっておかないと、ある意味、これすら憲法違反ということになるのではないかな、そんな思いを持っております。

 先ほどから、同時に、これは永岡委員もお話しになりました改正手続の問題につきましては、これは保岡委員もお話しになりましたように、改正手続そのものが実は憲法の中身と絡むということでありますから、これは少し、やはり次元の違った話として議論はしっかりとしておかなければいけないんだろう。そして、その議論の方向というものが確かに見えてきたときに、憲法の議論というものがより国民の中に広まっていく。要は、自分たちが憲法の議論に参加できるんだ、投票ができるんだということをしっかり確保し、なおかつ、その改正というものについて、こういった議論がなされているんだということが見えてきて初めて国民的議論になるというのは、これは全く大賛成であります。

 そういったことも含めて、ぜひ、これは立法府の問題ですから、調査会の問題というより、国会として、改正手続の中における国民投票ということの方法論また法律論をしっかりと議論して、制度を整えていただきたい、整えていきたい、そういうことに議員各位の同意をいただきたいというふうに考えております。

園田(康)委員 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 私も今の委員の御発言に大賛成でございまして、やはり、憲法の中に書いてある条文の規定、これに対して、国権の最高機関である国会がその役割を果たしていないということは、いわば、もう一つ厳しい言葉で言えば、国会の不作為ではないかと私は思っているところでございます。

 そこで、この国民投票という観点と、それから住民投票という観点を私なりに整理をして発言をさせていただきますと、先ほど同僚の辻委員からも指摘がありましたけれども、九十二条に書いてある地方自治の本旨、あるいは九十四条、九十五条という形で地方自治に関して規定が書かれているわけでございますが、これは、いわば住民の自治というものと、それから、先ほど話がありました団体自治というもの、この二つ、両側面があって初めて地方自治の本旨というものが憲法の中で規定をされているわけでございます。すなわち、これは住民の主権の延長線上に国民主権というものがあるというふうに私は考えているところでございます。

 したがいまして、中央集権型の政治から地方主権の政治へと転換を図っていくという面においては、この九十二条以下の地方自治の規定、これが大変重要なものになってくるんではないかというふうに考えております。

 そういう意味では、住民投票がもう既に規定をされておりまして、さまざまな形で実効性を上げてきているというのは私も承知をしておりますが、まだまだ個別、具体的な課題においてはそれがなかなかされていないという部分もあります。したがって、この住民投票をもう少しきちっと精査をした上で、その延長線上に国民投票というものをしっかりと国会の責任として位置づけていく必要があるんではないかというふうに考えております。

 それから、九十五条の地方特別立法の話が先ほどありましたけれども、これはいわば国会の単独立法の例外的な部分としてとらえられるんではないかなという気がしておるところでございまして、いわば国権の最高機関である国会からしても、住民の意見というものをきちっとそこの主権の中で認めて尊重していく、そういう態度をやはりここの場でも行っていかなければいけないんではないかという思いがしております。

 それからもう一点、よく私もこの場で何度も発言をさせていただいておりますが、日本国憲法における改正手続の、硬性憲法であるという御指摘が幾つかあるわけでございますが、先ほどお話もありましたけれども、日本は五番目だということでございました。しかしながら、それは、アメリカの合衆国憲法の規定と、それから、今までの実績からいえば、いわば、日本の憲法の改正手続の規定よりも、アメリカの合衆国憲法の規定の方が厳しい状況で書かれているわけであります。にもかかわらずです、にもかかわらず、もう二十回以上の改正がアメリカでは行われているという現状からすれば、これはやはり、きちっとした形で今まで議論がなされてこなかったと同時に、国会の中でそれが積極的に、この改正手続の具体的な内容も含めて、国民に対して提示がなされてこなかったんではないかという反省が一つあるのではないかなという気が私はしております。

 そういう意味では、もっともっと、まあ諸外国に倣うということではありませんけれども、これからようやく、自民党の、与党の皆さん方、それから私たち民主党の中でも、今積極的にこの論議を展開させていただいておりますので、これからようやく国民の皆さんに、どういう具体的な形で将来における憲法の形というものを示すことができれば、もっともっと、今の日本国憲法の改正条項上でも、私は、国民の理解を得られる形での改正というものが実現できるのではないかなという気がしております。

 いずれにしても、この国会において、私たちがしっかりと国民に対しての提示をするということが必要ではないかと思っております。

 以上でございます。

土井委員 私は、今までも御意見を聞いて驚いていたんですが、きょうはさらに、御意見を聞いていて、黙っているわけにはいかない気になります。それは何か。九十六条の改正手続をまず改正するということを主張されている御意見です。まさか、この九十六条の改正手続を改正するために、今の憲法が決めている九十六条の改正手続によらない改正をやりたいと言われているんじゃないだろうと思いますが、その辺はどうなんですか。さっぱりわかりません。

 そして、しかも、憲法について、改正の手続がはっきりしないとおっしゃるけれども、その改正手続を決めている条文はちゃんと九十六条にあるんじゃないんでしょうか。

 だから、その中身について討議をするということは必要かもしれないけれども、今までは、きょうは、改憲の必要性ということを意識されている論点というのも、先ほどからいろいろ世論調査ということで問題視されておりますが、世論調査の中には、確かにいろいろな論点に対して、変えた方がよいという意見が過半数あるということはどの世論調査を見ても大体のところそうです。でも一点、憲法第九条というこの条文に対しては、変える必要なしという意見が半数を上回っているというのも世論調査結果としてはっきり出ているわけですから、その辺だけを作為的に変えて世論調査ではと言われたら、正確な世論調査に対しての対応ではないということに相なるのではないかと思います。

 そして、もう一つ言いたい。

 それは何かというと、きょう事務局の方から出されております資料の三十二ページを見ますと、「日本の憲法改正手続の硬性度はどれくらい高いのか」という項目がございまして、先ほど御発言では、硬性憲法の中では世界第五位というふうなことをおっしゃいましたけれども、ここでは第九位と書いてございます。いろいろ調査の内容によってこの辺は違いが出てくるというのも私は理解できるところなんです。それはもう許容限度の範囲内だと私は思っています。なぜかといったら、問題は、ここにも書いてありますけれども、改正手続に対しての単なる形式的なハードルの高い低いだけを問題にしたってだめですよ、むしろ、なぜこういう硬式憲法、硬性憲法ということがここに定められているかという意味というのを忘れちゃならぬと私は思っています。

 だから、日本国憲法が初めから硬性憲法として培ってこられたのは、やはり憲法というのは安易に変えるということができないというところが非常に大事なんじゃないでしょうか。そして、忘れちゃならないのは、お互い、議員一人一人は九十九条で憲法尊重擁護の義務があるわけですから、その点は基本だろうと私は少なくとも思います。

 むしろ、こういう硬式憲法、硬性憲法に対してまず改正手続を改正するところから始めたいとおっしゃるのは、これは憲法一体ですからね、この硬性であるというところ、非常にこれは意味があるわけで、これを変えるということになると、ある意味では憲法の自殺行為ですよ、私はそう思います。

山花委員 二回目の発言になりますけれども、先ほどの自身の発言に補足をさせていただきたいのと、脳死ということを例に出してどうだろうかという御意見もありましたので、その点について申し上げたいと思います。

 憲法改正の国民投票だけではなくて広く国民投票といったときに、先ほど少し舌足らずだったかもしれませんが、その結果に対して法的効果、効力を与えるかどうかということは非常に制度設計の上では考えなければいけないことで、もし法的効果を与えるということであれば、それはテーマあるいは設計にもよりますけれども、恐らく現行憲法の改正が必要だということになるのではないか、このように考えております。

 つまりは、先ほど、事実上リコールの効果が発生してしまうのではないかであるとか、あるいは現行憲法を前提にしますと、四十一条で国会が唯一の立法機関だと規定をされておりますので、国民投票の結果、ある議案ないしは法案に対して何らかの法的拘束力を与えるということであれば憲法の改正が必要になるということになるのでありましょう。ただ、私は、そこの点については消極的でありまして、そういった意味で、先ほど、せいぜい諮問的なものにとどまるのではないかということを申し上げたつもりであります。

 この委員会での議論を拝聴いたしておりまして、国民投票制度に積極的な御意見の方も、現行の枠内で評価するというお話なのか、あるいは、さらに一歩進んで、その点も含めて改正の議論にのせようというお話なのか、若干わかりかねるところもありましたので、その点の整理が必要なのではないか、このように思っております。

 その上で、民主党の会派の中でも、私は国民投票は積極的に評価はしながらも、その活用についてはもしかすると会派の中でも慎重な人間なのかもしれませんが、市町村合併のことであるとか、あるいは、そういう実は重要なテーマについては本来議会なり行政の側が責任を持ってむしろ説得なり説明責任を果たすべき事柄なのであって、そういうことは実は余り国民投票なり住民投票ということにはなじまないのかな、ある意味、そういう道ができるということになると、政治の側が無責任になるおそれというものは私は非常にあるのではないかと思っております。責任を持って政策形成をする道を断念して、これは国民投票ないし住民投票にかけてしまえということは余り好ましくないのではないかという意識を持っております。

 その上で、先ほど脳死のことを例に挙げさせていただいたのは、例えば、二大政党制であれ、そうでなかったにせよ、恐らくああいうテーマ、それだけではありません、総選挙のときに自分たちの政治哲学をかけて争うという話ではないけれどもということで、例えば総選挙の後に争点として浮上してきたりとか、問題解決が必要になるようなケースで、かつ、なぜ脳死を例として挙げたかというと、そこで、例えば政治決着を図るということになじむのか、なじまないのか。

 A案、B案あるときにそれを、例えば諮問的に国民投票にかけることによって、あるいは拮抗しているかもしれません、その結果を見た上で、例えば政党が、これだけ割れているのでうちの党としては党議拘束を解きますという決定をする政党があるかもしれませんし、そういう余地が、そういうアローアンスを持たせるという意味で国民投票というものの活用ということが考えられるということ。

 最後一点、仮にという仮定の話でありますけれども、そういった国民投票についての法整備をするとすると、候補者がいるわけではありません。自由な議論をさせるべきだと思いますし、いろいろな文書も出るでしょう。それに対して、文書規制だなんだというような現行の選挙の枠組みで、選挙の法制度の枠組みで考えるべきではないということを申し上げておきたいと思います。

田中(眞)委員 いろいろな御意見を二時間ずっと伺っておりまして、私も冒頭での発言に付言させていただきたいというふうに思います。

 皆さんの中ではかなり重大な問題で頻繁に出てきたテーマといたしまして、政府の意思と国民の皆さんの意思というものがかけ離れている場合どうするかというふうなことがあると思うんですけれども、先ほど、私が冒頭の発言のときに申し上げた脳死の問題でありますとか、死刑とかあるいは首都機能の移転でありますとか、あるいは首相公選制、原子力発電等は、言ってみれば国内の問題だと思うんですけれども、今、例えば現在進行している国会の状況を見ますと、多国籍軍への派遣でありますとか、安全保障に関する地位協定の問題とか、そうした外交、国際間の問題においても国内で、国民の代表である国会議員がいる国会で何ら十二分な討論及び説明がなされないでどんどんと決めていってしまうというふうなことに対して、国会議員はもちろんですけれども、国民の皆さんも得心がいかないということがあるわけでございます。

 したがって、これは裏返して言えば、内閣は絶対に発議者になるべきではないという結論なんですが、内閣は自分に都合の悪いことはテーマにしないだろうし、都合のいいことはどんどんと国民投票にかけたいということになると思います。したがって、発議者をどういう人にどういう機関にするかということ、これは大変悩ましいことではありますけれども、例えばですが、参議院改革あるいは参議院不要論ということが言われて久しいんですけれども、やはり参議院というものをもう少し整理して、中身、質というものをしっかりと考えて、そして発案権を与えるということも一考に値するのではないかなということを考えております。

 二つ目、市町村合併の問題。これは、私たち皆、地元に帰って、あるいは他府県に行っても感じることですけれども、これは本当にまさしくいい御指摘で、私も常に、首長さんとそれから住民の意見の衝突でこれが変わったりしたりいろいろするということをしょっちゅう見ております。

 そういう中で、これは九十五条の地方自治に関する法律の不備というか、矛盾が生じているというか、まだ未熟なんだろうというふうに理解した方がより客観的かというふうに思いますけれども、こういう問題もやはり、事前にどれだけ住民の皆さんに対する説明があったのか、首長さんも含めてどれだけの人たちが得心して、将来の展望がわかって、財政の問題も、国の将来の姿がしっかりわかった上で進めようとしているのか。現在も進行中のところもたくさんあるわけで、議論が起こっているわけですけれども、こういうときにこそ、やはり国会がもう一度原点に返って、憲法調査会はいい場所だと思いますけれども、ほかの機会をとらえて、原点に返って、それを国民の皆様、生活者に提示していくという努力はすべきであろうというふうに考えます。

 以上です。

柴山委員 土井先生が退席されてしまったのでちょっと残念なんですが、先ほど御指摘のあった、憲法改正手続自体を現行憲法手続によらないで行うなんていうことを考えてはいないでしょうねという御発言がありましたが、これは、私はちょっと筋違いの議論ではないかなと。

 もちろん、仮に改正手続を行うことになれば現行憲法の改正手続を踏むことは当然の話でございまして、その上で、今の憲法が、事実上、五十年全く手を加えられないで、解釈解釈の拡大でいかようにも運用されてきたというこの実態に懸念を示して、よりしっかりと時代の趨勢に合ったものに形を変えていけるものにすべきではないかということで、改正手続をより柔軟に認められる方向に進めていくべきではないかということが問題意識だと私は思っております。

 その上で、土井委員から憲法の最高法規性という御指摘があり、もちろん私もそれについては異論を唱えるつもりは毛頭ございませんけれども、だからこそ、通常の法律手続と違って、きょう議論のある国民投票制というものをあえて導入し、憲法制定権力の制度化された側面としてそれを要件としているわけですから、その点については、例えば憲法の発議要件を、両院の三分の二以上を二分の一以上とすることに何ら憲法的な理論上の制約があるものではないし、また、私はそうすることが望ましいのではないかなというように思っております。

 あと、住民投票の件について幾つか申し上げたいと思っていたんですが、国民投票のレベルの問題について、その後、幾つかお話がありましたので、一言だけ付言をさせていただきますけれども、何を国民投票の対象とするにふさわしいかというお話で、脳死のお話がありました。

 確かに、生命倫理に対する個人個人の信念というものはこの法案の重要なファクターではありますけれども、もちろんそればかりではないわけで、これについては最先端の臓器移植の問題等についても、無関係とはいいながら、やはりそういったものも視野に入れた考慮が必要なのではないかというような問題もございますし、その意味では、やはり専門的、継続的な検討というものが必要になってくるのではないかと思います。

 また、一点、この問題について、先ほど加藤委員からも御指摘がありましたが、やはり報道等によって、ねじ曲げられたような形で世論のあおりというものが生じるという懸念もあると思います。

 結論的に言えば、やはり、外交、防衛上の問題のみならずこうした問題についても、必ずしも国民投票を導入するのにはなじまないのではないか、現行憲法が七十九条あるいは九十六条以外に国政レベルでの直接民主制というものをあえて記入していないということに積極的な意味を見出すべきではないかというように私は考えております。

 現に、イタリアの憲法におきましては、法律の発案権で、国際条約批准の承認に関する法律については人民投票は認められないというような形で安全保障の問題に書いてありますし、予算、租税についての法律についても、これは日本国憲法上も当たり前のことだと思うんですけれども、人民投票は認められないというように書いております。

 ただ、その一方で、スイスでは、集団安全保障機構への加盟についてはそういった義務的レフェレンダムとして位置づけていることもありまして、必ずしも国際的な比較からは、この問題については一義的に結論を出せるものではないと思っております。

 しかし、やはり私は、現在の日本における民主制のあり方としては、こうした組織的、継続的な議論を必要とする問題については、直接民主制というものは、たとえ脳死といったような問題であってもなじまないのではないかなというように思っております。

 以上です。

伊藤(公)委員 きょうは委員会をかけ持ちしておりますので、討論に途中からの参加ですから、ちょっと重複をしていることがあったらお許しをいただきたいと思います。

 憲法九十六条のいわゆる憲法の改正手続について、先ほどからいろいろ御議論がございました。これは、この憲法をどうするかというときに、少なくともその手続だけは明確にしておかなければならないことは、もう当然だと私は思います。

 例えば、総議員の三分の二というのは一体何をもって三分の二とするのか。いわゆる法定で決まっている数の三分の二なのか、あるいは、今、例えば衆議院の数でも法定の数が足りない場合があります、それをもって三分の二とするのか、これも明確ではありません。それから、有権者、国民投票になるわけですけれども、その国民投票の過半数というのは一体何をもって過半数とするのか。それは例えば有権者なのか、あるいは有効投票数の二分の一なのか、あるいは投票数の二分の一なのか、いろいろなケースがあります。あるいは、内閣に発案権があるのかということも、発案権の有無についてもいろいろ議論のあるところであります。

 私は、日本のこの憲法を改正するのに、こんな大事なことを、その手続の上で明確にしなければ、できるだけ早く明確にしなければならないというふうに思っています。

 いろいろ議論を聞いていますと、首相公選のお話にも触れられたようでありますが、私はここできょう首相公選について深入りをしようと思いませんが、国民の意思を直接、ストレートに政治に反映できるという意味では、やはりこの首相公選というのは、例えば小選挙区を導入するときに政権が非常に交代しやすい、そういうことがかなり重要なポイントだと思いますけれども、昨今の政治状況をいろいろ見たり我々が経験をしてくる中で、首相公選制というのは、やはり国民の皆さんの意思をストレートに政治に反映できる、国民の皆さんが政治を変えなければと思ったときにはかなりそれがストレートに反映できるという意味で、私は、首相公選をこの調査会でも何回か賛成の立場から発言をしてまいりましたけれども、さらに首相公選制をこの憲法改正の折に検討の重要課題にしていくべきだということを改めて認識させていただきました。

 それからもう一点、住民投票の地方公共団体におけるテーマでありますけれども、実は既にいろいろいただいている資料にもございますけれども、例えば産業廃棄物の処理場をどこにつくるか、あるいは原子力発電所をどうするのか、あるいは空港、こういう問題については、住民投票したら、ここに示されている資料だけでなくて、まず賛成してくれるというところはほとんどないと思います。それは議会を拘束することには必ずしもならないと言うけれども、しかし、その首長は住民の皆さんのこの投票の結果を無視してやることが一体できるんだろうか。しかし、廃棄物はどこかで処理しなきゃなりません。原子力発電もゼロにするというわけにはいかない。空港も当然私たちのこの国土の中につくらなきゃならない必要性もあります。

 そういうことを考えたときに、住民投票は私も必要だとは思いますけれども、いわゆる公共の利益と、個人の人権とかあるいは個人の私有財産とか、そういうようなことの権利関係をどうしていくのかということも十分配慮して、この住民投票制というものを考えていかなければならないということだけはあえて申し上げておきたいと思います。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 私は、きょうもいろいろ皆さんの御意見を聞かせていただいたり、あるいは今までも、特に憲法改正のための手続法云々という話が話題になるたびに少し違和感を感じることがあります。それは、憲法改正のための手続法が未整備であるということについて立法の不作為云々ということを、きょうもそういう発言をなさった方がいらっしゃいましたが、そういう立法の不作為という言葉を聞くたびにちょっと違和感を感じる。

 なぜ感じるかといいますと、今の憲法ができてから来年で六十年になるわけですか、そういう流れの中で、ほとんど大半の部分は、今の憲法を全面的に変えるか、あるいは全く変えないか、いわゆるオール・オア・ナッシングで語られてきた、そういう側面から憲法というものが俎上に上ってきた、そんなふうに理解をしている私からいたしますと、その手続をどうするかということについての議論が出てくる余地がなかったというふうに私は思うわけです。

 私はあえて、護憲、改憲というかつてのそういう仕分けからしますと、自分自身かつて緩やかな護憲派だったと思っていますが、今緩やかな改憲派に自分が、個人としてなったというふうに思うわけです。なぜかつて護憲だったかというと、これは自由民主党の皆さんに言いたいんですけれども、少なくとも私のかつてのポジションからしますと三原理、三原則、とりわけ平和の原則について大きく変えようとしておられるというふうに私には思えた。そういう憲法三原則にまで至るような改革、改憲をしようとしておられるというふうに私にはかつて見えた。

 そういう観点からすると、いわゆる改正のための手続云々ということに言及する余地がなかったんではないかという印象を持っております。

 その証拠といったらおかしいんですが、保岡先生を前にして大変恐縮なんですけれども、いかにしてこの憲法改正のための手続法をつくっていくかという議論、冒頭に与党の中のお話がありましたけれども、長い間、憲法を変えようとしておられた自民党の皆さんなんだから、いかに、こういうふうにして変えるという手続のありようというものをぱっとこう出されるかと思ったら、それが出てこないというのは、私、厳密に言うと、手続法は立法の不作為じゃなくて、自由民主党の改憲しようとする人たちの不作為だったんじゃないのか、そういう印象を持つわけであります。

 翻って、現在どういう状況が生まれているかといいますと、さっき私、個人として緩やかな改憲派と言いましたけれども、今はオール・オア・ナッシングではなくて、部分的にどこをどう変えるのか、そういう部分が入ってきている。もちろん全面的に変えるという人たちが大勢いらっしゃることはわかります。そして、全く変えるべきじゃないという方もいらっしゃいます。それに加えて、部分的に変えていこう、とりあえず今二十一世紀の初頭に当たって緊急を要するテーマから、優先度の高いものから変えていこう、こういう立場が大きく出てきた状況の中で、ようやく憲法改正のための手続法というものが具体的な日程として上がってきたんじゃないか。

 なお、私の仲間の中には、やはり何をどう変えるのかということについてはもっと明確にしていかないと、それがやはり、前の、先ほど冒頭に言ったような印象をまだ引きずっておりますから、その辺をはっきりさせないで手続法を急ぐということについては若干まだ違和感というか異論がある、こういうことを申し上げさせていただきまして、私の話にさせていただきます。

 以上です。

坂本(剛)委員 先ほど来から国民投票に供する範囲等々の話もあったようでございますが、住民投票の実態を見ておりますと、賛成者、反対者が各戸戸別訪問を連日連日、繰り返し繰り返し、まあそれは大変な騒ぎをやって原子力反対であるとか、ごみ処理場の建設反対であるとか、賛成であるとかというものが行われているわけですね。それと国民投票を同列に扱うのはいかがなものかなと。

 私どもは、当然、国民投票に供する範囲というのは、先ほど保岡幹事も申し上げておりましたが、最高裁判所の判事であるとか、憲法改正の発議案であるとか、そういう問題に限定されるものであるべきだと思いますし、同時に、この国民投票の運動の制限も個別法として細かく規定をしていかないと、組織的な運動が行われたり、そういったようなことがなされない非常に公平な、そういうものが担保されるような国民投票制度というものをきちっと私は細部にわたってつくり上げていく必要があるだろう、このように思っております。

 以上です。

和田委員 民主党の和田隆志でございます。

 先ほど来各委員の御意見の中にも出ておりますが、私自身は、国民投票という制度が、憲法上は憲法改正にかかわって表現されておりますが、代議制と国民投票という観点から幾つか御意見を述べさせていただきたいと思います。

 といいますのも、国会議員になって以来、いわゆる議会制民主主義の中に身を置く人間として、常に国民の皆様の方を向いていなきゃいけないという自覚を持って取り組んでおるつもりでございますが、きょうの国民投票についても、幾つかメール上で有権者の方々の御意見を聞いてみました。その際に最も多かったのが、国民投票という制度についてはぜひ自分も臨んでみたいという方が多いんですけれども、その臨んでみたい要素というのは、憲法改正にかかわってというよりは、もっともっと自分たちの生活に密着したテーマについてやってみたいというのが、およそ三百本ほどメールをやりとりした中の過半数を占めました。

 そこで、私としては、今憲法改正についていろいろ御議論あるところでございますが、その他にもいろいろ、国民投票制度というのは各国で行われておりますので、いわゆる法令について、これにどのような国民の御判断をいただくのが本来あるべき姿なのかということについて意見を述べさせていただきたいと思います。

 先ほど、たしか中川委員だったと思いますが、国民投票というのは、代議制を補充する機能として、どの程度補完機能を果たすべきかは判断していくべきだというような御意見があったかと思います。私もこの意見に近いものでございまして、今現在、小選挙区制が導入されて、選挙のたびに政党と政治家の政策を掲げて、それぞれの主張がどの程度国民の皆様方に受け入れられるかということを判断しているわけでございますが、もう皆様御承知のとおり、小選挙区制については、最も死票がたくさん出る制度とも言われております。

 それを補完する選挙制度も考えられておるところではございますが、しかしながら、国民の御意思をもっともっと反映しなければならないんじゃないかという意識を私は持っておりまして、そういった意味では、国民投票制度をこの代議制の補完機能として、現代にあってはもっともっと取り入れるべきではないかと考えておる次第でございます。

 実際に、では、国民投票制度をどのようにその中に位置づけていくのかということになりますと、当然ながら、法令や政策は各時点でさまざまなものが実施されますので、それがどのような時点で、どのように国民の判断を求めていくことになるか、その判断そのものがこの国会の中で行われることになるんだと思います。それについてはさまざまな議論がございましょうが、相当限定的に絞っていかなければ国として機能していかないのではないかというふうに考える次第です。

 例えば、今まで国民投票について勉強してきた中では、やはり国民投票を多発すると、それだけのコストと時間的な制約もかかってまいります。

 そういった中で、私案でございますが、例えば、選挙の際にマニフェストのようなものを各党がきちっと掲げるというような制度をつくって、それについて、国民の皆様方は政党や政治家に対する支持と同様のレベルで、政策についても法令についてもどのようなものを望んでいらっしゃるかをお聞きするようなシステムをつくってもよいのではないかというふうに考えておる次第でございます。最終的に、国民の皆様方の御意見をどの程度正確にくみ上げるべきかという観点に立った国民投票制度の是非の議論にしていければなと考えておる次第でございます。

 以上でございます。

保岡委員 先ほど土井委員から、憲法擁護の義務と憲法改正の関係について御発言がございましたが、これはやはり、憲法を擁護するということと、憲法の内容として規定されている改正についていろいろと改正に向けて努力をしたり提案したりすることとは全然別の話だ、私はそういうふうに当然のことだと思うわけです。

 そこで、確かに土井委員が言われるように、憲法の前文の最初に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」と、民主主義の基本を代議制を基本として大切にする趣旨が明言されておるわけですけれども、この憲法は確かに例外として、先ほど私が冒頭で触れたように、憲法改正に係る部分、あるいは憲法判断をする最高裁の裁判官の審査、こういう制定権者が直接かかわらなければならないと思える部分に、特にそれを明示して、直接民主制を国政の場で認めているという体系だと私は思うんです。

 確かに、国会において、個別イシューについて諮問的な投票を国会の議決ないし法律でできるかということについては、先ほど田中委員から、参議院のあり方の一つとして、その権限として考えたらどうかという御趣旨に受け取ったんですが、そういう制度の設計もあり得るとは思いますが、それはあくまでも二院制のあり方、あるいは憲法の改正事項としてきちっと論議をして、慎重に判断していくべきものではないだろうか、そういうふうに思います。

 同時に、国民の意思を大切にする、憲法制定権者の意思を大切にするということであれば、私は、国会が国民の代表として、できるだけ国民に発議をして、憲法改正あるいは憲法の見直しの発議をして、そして、この憲法が認めた直接民主制である国民投票にゆだねるという仕組みが円滑に行われるような憲法改正の手続の緩和こそ、直接民主制の中でも根幹的な憲法制定権者たる国民に対する責任として検討すべきものではないだろうか。

 これは、憲法の保障をどうするかという意味で、最高裁判所が今のように、政治的な色彩の強い立法、行政の憲法チェックというものが非常に消極的であるということについては、この委員会でみんなのほぼ一致する考え方になってきていると私は承知しておりますが、その場合に、憲法裁判所の創設、あるいは今の最高裁に抽象的な違憲審査権を認めるかということなどの制度設計で、憲法保障を憲法改正のテーマとして検討していく場合に、違憲の判断をする一方で、それに対して、国会が迅速、的確に国民主権者を直接代表する立場でその最高裁の違憲判断について対応できる。そういった意味でも、今の憲法改正条項の総議員の三分の二の多数の要件は重過ぎはしないだろうか。

 そういった意味で、憲法全体の人権保障あるいは国民主権主義あるいは平和主義という憲法の価値観を保障していく全体の仕組みとして、憲法制定権者を基本に全体の制度設計を体系化するということが、今度の憲法改正の一つの重要な視点ではないだろうかというふうに思っております。

枝野委員 三度目になりますが、御指名ありがとうございます。

 先ほど坂本委員から、憲法改正国民投票についてかなり縛りをかけた方がいいという御発言がございました。その中で取り上げられた住民投票についての具体的な問題は、一定程度私も認識するところであります。非常に狭い範囲で、特定の非常に狭いテーマについて行われる住民投票については、完全な活動の自由ということが逆に私生活の平穏を脅かすというおそれがあるということに対応せざるを得ないということは、私も全く可とするところであります。

 しかしながら、まさに憲法改正国民投票は、そうしたミクロのレベルの話ではなくて、全国民が対象の幅広いものになります。しかも、まさにこの国の形をどうするのかということで、例えば、メディアであったり、憲法学者であったり、有識者であったり、この調査会でもそうした人たちからたくさんの意見を聞きながら議論を進めてきています。憲法改正の国民投票が行われるようなケースにおいては、そうした多様な立場からの多様な声が国民的な議論をつくり上げていく上で当然に自由に発せられなければなりません。

 今、公職選挙法ではメディアの報道について一定の制約がされておりますが、それは特定の人を選ぶという部分のところからの一定の制約としてやむを得ない部分がありますが、憲法改正については、そうした規制はかかるべきではないだろう。そして、メディアであったり有識者などが自由に憲法について議論するということを保障する以上は、個人が個人として周辺の皆さんに説得をする、あるいは意見を述べるということについても規制をすることは当然できないだろうし、個人に対して規制をするなら、メディアや有識者に対しても規制をしなければおかしなことになってしまうということにもなりかねません。それでは国民全体でつくり上げる憲法ということにはならないというおそれになってしまいます。

 したがいまして、例えば、脅迫によって投票とかあるいは買収そのものはということはあるかもしれませんけれども、普通の選挙あるいは非常にミクロで行われる住民投票と違って、憲法改正の国民投票法がつくられるのであれば、こうした投票についての政治活動の自由というのは相当広範に確保されることが前提でなければいけないと思いますし、私個人の見解から言えば、もし今おっしゃられたような相当限定的な現行の公職選挙法に準じたような改正手続に基づく改正国民投票を行うのであれば、私はそれには反対であります。きちっとした、オープンの国民投票が確保されることが憲法改正を発議する前提条件でなければいけないというふうに思っています。

 それから、改正手続条項九十六条についていろいろな御意見があります。日本の憲法が硬性憲法で、検討の余地があるということについては私も否定はいたしません。しかし、この戦後六十年近く憲法改正が行われなかったということの理由について、しっかりと歴史は、ここは認識をした方がいいんではないか。

 それは、やはり改正手続がハードだったからということよりも、この間、憲法を変えようよという世論が必ずしも過半数を超えているような状況でなかったという歴史的な背景があり、逆に言えば、ここ十年というべきなのか、このところいろいろな、憲法と社会の実態との乖離の中で、変えないといけないよねという国民的な空気がある程度上がってきたときには、むしろ、この国会、調査会での議論でも、どちらかといえば変えた方がいいんではないかという議論の方が多数を占めているという状況になってきている。そうした民意の背景、憲法制定権力である民意の背景が、この間憲法改正というものにつながってこなかった背景にあるのでありまして、手続そのものに求めるということは少し違うのではないだろうか。

 そして、私は、最後につけ加えますと、もちろんケースによっては、国民のぎりぎりの過半数でも変えなきゃならないというケースはあるかもしれませんけれども、憲法という国の基本にかかわる重要問題であります。国民投票をしてみないとどちらに転ぶかわからないというようなぎりぎりの国民投票というのは、できるならば避けた方がいい。本当にそれがやむを得ない、国際状況、社会状況の中でやむを得ないというケースであるならば、それはあっても、あることを否定しませんけれども、できるだけ国民的なコンセンサスをつくって、そしてその民意を確認する手続としての国民投票が行われるというようなプロセスを少なくとも努力する責任は我々にはあるのではないだろうか。

 そういうことを考えると、三分の二という条項は、私は絶対変えちゃいけないとは思いませんけれども、一定の合理性はあるということを前提に検討した方がいいんではないかと思っております。

土井委員 保岡委員が先ほど御発言になりましたことに関連して申し上げたいと思います。

 今、国民は日本国憲法が完全実施されているという実感があるんでしょうか。私は、少なくとも、改正手続を今問題にされて、もっとやりやすいようにというふうな提案をされていることをお聞きしますと、今まで、この硬質憲法、硬性憲法とも言いますが、この改正手続が非常に厳しい。しかし、その厳しいという手続もクリアできるくらいに、国民が変えることに対して熱意を持ち、そして変えなければならないという切実なその気持ちがあってこそ、憲法は変える意味があると私は思っているんです。

 そして、そこで要注意は、九十六条は「この憲法の改正は、」と言っているんですよ。「この憲法の改正は、」と言っているんです。少なくとも、日本国憲法の基本原則からいたしますと、平和主義というのは、全世界の中でも非常に一大特徴である日本国憲法のいわば原理でございまして、したがって、この点が毀損されるということに対して不安を感じている国民が数の上では少なくありませんよ。

 その中で、それでもこの改正手続をやりやすいようにして変えることが大事と言われることが、果たして国民の協賛を得ることができるでしょうか。これは主権者なんですからね。しかも、その主権者である国民が提案を受けて、そして過半数で賛成を意思表示しないと改正は実現しないんですからね。その国民に対して提案するのは国会以外にないわけで、国会が、少なくともこれは三分の二、衆議院、参議院も三分の二と言っているところが、どうもクリアは難しいという程度に自信がないと言うんだったら、これは改正の中身にやはり十分な条件を持っていないと言っていいんじゃないですか。そういうことを私はやはりもっと切実な問題として考えるべきだと思います。

 これをまず変えてどうこうと言われるより先に、本当に日本国憲法の改正を今問題にしているんだろうか。私は改正と思わない。今出てきている改憲論議というのは、むしろ今の憲法が持っている大事な三原則ということを毀損していっていますよ。それを是認せんがために憲法を変えなきゃならないというのは、主客転倒であると私は思っています。

 だから、現実を憲法に合わせるような努力こそ先決ではないか、それが九十九条だと思いますよ。尊重擁護の義務の中身をやはりしっかり培っていってこそ、国民はそれに対して信頼ができるということになるんじゃないんでしょうか。そういう条件がない限りは、国民の投票ということも、やはり実感の伴う国民投票ということであって初めて意味を持つと私は思っていますから。

 したがって、まだ条件は整っていない、そういう点からしても。そのように思います。

柴山委員 改正の条件については、ちょっと価値観の相違になりますので、もう繰り返しません。住民投票の問題について触れたいと思っております。

 先ほど来、皆様から御発言があったとおり、住民投票については、より国政よりも身近に、住民の身近な問題に関して、住民自治を尊重し、あるいは団体の自立ということをしっかりと考えるという観点から、私はこれについては、一定の重要なものについては採用することも合理性があるという立場でございます。

 その上で、やはりこの問題について、先ほど来いろいろな形で御指摘のある合併の問題、あるいは、特に今問題となっている迷惑施設の問題、このような問題について、必ずしも妥当な結論というものが得られていないんじゃないかという危惧を多く持っております。やはり、いかに九十五条がプライベートアクトを淵源にした文言を定めているとはいえ、あくまでも、地方のことについて、住民の意思を尊重するのは重要だけれども、一定の制約というものがある。例えば、原子力発電の場合には、国家のエネルギー施策ということを抜きにしては語れないわけですし、基地の問題についても、国家レベルの安全保障というものを抜きにしては考えられないわけでございます。

 そうした国家レベルの施策というものを考えるに当たって、もちろん、形式的な特例法というもので特定の自治体だけをねらい撃ちにしているような法律というものは、これはその自治体の承認というものを要件にしなくてはいけないとは思いますけれども、そういう形ではなくて、あくまでも形としては一般的な形をとっているのであれば、先ほど山口委員がおっしゃったように、事実上、例えば沖縄の基地について重大な利害関係のある問題についても、これを住民投票に付したものを唯一絶対のものとして、それに従って行動しなければいけないということは、私は行き過ぎなのではないかと思っておりますし、また、合併の問題についても同様のことが言えるのではないかと思っております。

 結論としましては、住民投票については、これは非常に重要なものであると私は考えますけれども、これを遵守しなくては違法となるとは必ずしも言えない部分が数多くあると思っておりますし、また、九十五条の解釈におきましても、この視点をしっかりと持つべきではないかなというように思っております。

 以上です。

保岡委員 土井委員に、再三で恐縮ですけれども、せっかくの機会ですから重ねて申し上げさせていただきたいと思います。

 憲法が規定していることが全き形で、完璧に、理想的に今の現状において国内で実現されているとは、そういうことを考えている人はだれ一人もいないんじゃないでしょうか。我々も、その理想に近づけて、例えば司法改革という点においても、例えば四十年ぶりの行政訴訟において、より国民が行政に対するチェック機能を果たせるように、いろいろな対応ができるようにかなりの改善をする努力もいたしましたし、裁判員制度とか、あるいは身近なところで法律の情報やサービスの導きの得られるような総合法律支援センター、法科大学院制度など、抜本的に司法全体の改革を構想するなど、やはり、個別の政策において、あらゆる分野で、日々憲法に近づく努力はしている。

 しかし、六十年前につくった憲法というものの理念は、確かにその後の日本の発展のために大きく貢献したと高く評価するものの、過去六十年を振り返り、将来を展望して、この理念をもっと充実強化することを明確にしていく、そこに工夫や努力があってしかるべきであって、そのごとに政府の解釈などで糊塗してきている点もたくさんありまして、憲法が軽くなっている、そういう批判もあって、法治国家の最高規範、これを見直す努力も一方で必要だということは、これまた厳然たる事実ではないだろうか、私はそう言わせていただきたいと思います。

 事実、国会におけるいわゆる護憲勢力としての社民、共産、これは、衆議院で五%、参議院でもこの間の選挙で五%程度になりました。国会議員の憲法改正のアンケート調査でも、ある種の調査でありますが、八割を超えております。確かに、イシューによっては、九条のような安全保障について国民がまだ五割に達していないという調査なども多いようですが、しかし、これもひところに比べたら全然さま変わりで、徐々に五割を超える理解が深まってきている現状にあると思います。

 先生がおっしゃられるように、将来の国家を思い、今の現状をどう改めるかということについて、本当に国民が歴史的に考えなければならない重大な時期を迎えているという意味では、国民が国民投票によってその意思を明らかにしていく道を、我々が内容においても手続においても努力しているということは高く評価されてしかるべきだし、この憲法調査会の五年の歩みも、私は、先生のような護憲の立場の御発言も、これは本質を深める意味で物すごくこの憲法調査会の議論に本当に貢献したと思いますし、国民もそのことを評価していると思います。

 いずれにしても、この五年の憲法調査会の歩みを大切に、将来に向かって国のあるべき姿、国民のあるべき姿、こういったものを求めて、引き続き我々は努力していきたい。

 そして、我々自民党の調査会、辻さんが何か、直接民主制に消極的だというような発言ばかりが目につくよと言われましたが、それは、そういうことはありません。先ほど私は、地方においてはかなり住民に意見を問う機会やニーズもあるのではないかと発言したとおりでありますし、第一、我が党のように堂々と議事録をインターネットで国民に公表している政党はありません。我が自民党の憲法調査会は、全部議事録を公表しています。堂々と国民に、いずれ来るであろう国民投票という国民が日本の将来を決める機会のために、そういう努力もしていることをあわせて表明させていただきたいと思います。

中山会長 他に御発言はございませんか。

土井委員 それでは、しつこいようですけれども、委員から御発言があったことをそのままで、それじゃ、もう黙って終わろうという気にならないんですよ、これは。

 国民投票というのは、国民がそこで意思表示することを受けるんじゃないんであって、国会が発議を国民に対してするわけでしょう。それを受けて、国民がイエスかノーか、その意思表示しかできないんですよ、これは、手続からいえば。したがって、この意思表示を求める舞台はどこかといったら、国会なんです。国会以外にないんですよ。その国会の認識というのが、少なくとも、今の現行憲法に対してどういうふうに思っているかということが基本でしょう。

 私は先ほど、この日本国憲法の三原則と言いましたけれども、その三原則は、言わずもがな、小学生でも知っております。平和主義だし、絶対的平和主義だし、それから国民主権主義だし、基本的人権主義じゃないですか。しかし、そのいずれもが衰弱していっていますよ、これは。隆々として、中身からすれば憲法の理念に近づこうと努力を、先ほども日々改革をやって努力してきたとおっしゃっていますけれども、しかし、その改革の中身によって憲法の中身というのが理念から現実の問題になるという状況にあるかどうかが、逆じゃないですか。むしろ逆じゃないですか。

 そういう状況で、主権者国民の方はどうかといえば、不安だらけだというこの声が年ごとに強いですよ。特に最近は、具体的には言いませんでしたけれども、あの九六年から七年にかけて、ニューガイドライン後ですね、具体的な法案が国会に出て、周辺事態法だってそうです。武力行使事態法だってそうですよ。そしてまた、有事法制、そうです。テロ対策特措法もそうですよ。イラク特措法だってそうです。みんなこれは、第九条から考えたら、憲法の条文にそぐわないというところが具体的に指摘されているじゃないですか。国民からすると、憲法に対して近づくんじゃないんであって、むしろ違反するという法律を、しかも、審議も尽くさないでですよ、強行採決でどんどん通す国会を、信頼してくださいと言ったって無理ですよ。

 だから、状況からしたら、国会の立場で何を一番大事に考えるかといったら、国会に国民の信頼を取り戻す方法は何か。やはり、憲法に対して、九十九条が言う中身を誠実に履行することだと私は思いますね、まず。そうでないと、逆立ちした状況で、恐らく出てくるのは、数を頼んでの中身でしょう、これも。

 そして、二大政党の問題も言われましたけれども、二大政党以外は数の中に入らない、物の数でないという取り扱いというのがもしありとするならば、それ自身が憲法の理念から違いますよ。

 だから、そういうことを考えてみると、今、まずは改憲のための手続を軟化させてやりやすいようにする、法律じゃないんです、これは。最高法規の憲法についての取り扱いですからね。一たんどうするかということは重大問題ですよ。

 そういう認識からすれば、私は、九十六条を硬式憲法から軟化させるという方向でまず手続を変えることだとおっしゃるのには、聞いていて、まあ本当に、憲法自身の自殺行為ということをみずから手を染めてやろうとなさることに等しいと思います、本当に。それは、護憲派だから言うわけじゃない。護憲の立場だから言うわけじゃないんです。憲法九十九条が社会民主党にだけ命じているわけじゃないんですよ。この「義務」というのは一人一人の衆議院議員すべてにあるんじゃないですか。そのことを切実に私は思いますね。

中山会長 それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、来る十一月十一日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時公聴会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時四十八分散会


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