衆議院

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第8号 平成18年12月7日(木曜日)

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平成十八年十二月七日(木曜日)

    午前十時二分開議

 出席委員

   委員長 佐藤  勉君

   理事 岡本 芳郎君 理事 谷  公一君

   理事 谷畑  孝君 理事 葉梨 康弘君

   理事 林  幹雄君 理事 武正 公一君

   理事 寺田  学君 理事 谷口 隆義君

      あかま二郎君    井澤 京子君

      石田 真敏君    今井  宏君

      岡部 英明君    鍵田忠兵衛君

      川崎 二郎君    木村 義雄君

      木挽  司君    実川 幸夫君

      篠田 陽介君    関  芳弘君

      田中 良生君    土屋 正忠君

      とかしきなおみ君    土井  亨君

      萩生田光一君    萩原 誠司君

      橋本  岳君    原田 令嗣君

      福田 康夫君    福田 良彦君

      馬渡 龍治君    渡部  篤君

      安住  淳君    逢坂 誠二君

      後藤  斎君    佐々木隆博君

      田嶋  要君    長妻  昭君

      西村智奈美君    福田 昭夫君

      森本 哲生君    江田 康幸君

      谷口 和史君    吉井 英勝君

      阿部 知子君    重野 安正君

      亀井 久興君

    …………………………………

   議員           宮路 和明君

   議員           衛藤征士郎君

   議員           宮下 一郎君

   議員           桝屋 敬悟君

   議員           長妻  昭君

   議員           田嶋  要君

   議員           鳩山由紀夫君

   議員           渡辺  周君

   議員           吉井 英勝君

   議員           阿部 知子君

   総務大臣         菅  義偉君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   総務大臣政務官      谷口 和史君

   総務大臣政務官      土屋 正忠君

   政府参考人

   (総務省大臣官房審議官) 綱木 雅敏君

   政府参考人

   (外務省大臣官房審議官) 八木  毅君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 梅田 邦夫君

   政府参考人

   (財務省主計局次長)   松元  崇君

   政府参考人

   (厚生労働省大臣官房審議官)           荒井 和夫君

   参考人

   (財団法人全国強制抑留者協会会長)        相沢 英之君

   参考人

   (全国抑留者補償協議会会長)           寺内 良雄君

   参考人

   (全国恩給欠格者連盟会長)            宮下 創平君

   参考人

   (日露歴史研究センター代表)           白井 久也君

   総務委員会専門員     太田 和宏君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月七日

 辞任         補欠選任

  石田 真敏君     篠田 陽介君

  実川 幸夫君     木村 義雄君

  萩生田光一君     原田 令嗣君

  萩原 誠司君     とかしきなおみ君

  橋本  岳君     馬渡 龍治君

  安住  淳君     長妻  昭君

  福田 昭夫君     佐々木隆博君

  重野 安正君     阿部 知子君

同日

 辞任         補欠選任

  木村 義雄君     実川 幸夫君

  篠田 陽介君     石田 真敏君

  とかしきなおみ君   萩原 誠司君

  原田 令嗣君     萩生田光一君

  馬渡 龍治君     橋本  岳君

  佐々木隆博君     福田 昭夫君

  長妻  昭君     安住  淳君

  阿部 知子君     重野 安正君

    ―――――――――――――

十二月五日

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案(第百六十三回国会衆法第二号)の提出者「宮路和明君外二名」は「宮路和明君外三名」に訂正された。

同月六日

 平成十九年度軍人恩給の改善に関する請願(村田吉隆君紹介)(第九一五号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案(宮路和明君外三名提出、第百六十三回国会衆法第二号)

 戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案(長妻昭君外六名提出、第百六十三回国会衆法第一八号)

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案(長妻昭君外六名提出、第百六十三回国会衆法第一九号)


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     ――――◇―――――

佐藤委員長 これより会議を開きます。

 第百六十三回国会、宮路和明君外三名提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案、第百六十三回国会、長妻昭君外六名提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案及び独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案の各案を一括して議題といたします。

 提出者より順次趣旨の説明を聴取いたします。宮下一郎君。

    ―――――――――――――

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

宮下議員 ただいま議題となりました独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案は、自由民主党及び公明党で共同提案したものであります。提出者を代表して、提案の理由及び内容について御説明申し上げます。

 平和祈念事業特別基金は、今次の大戦におけるとうとい戦争犠牲を銘記し、かつ、永遠の平和を祈念するため、いわゆる恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者等の関係者の労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉の念を示す事業を行うことを目的としたものであり、これまでに、関係者の労苦に関する資料の収集、保管や調査研究、平和祈念展示資料館を中心とした展示や講演会、戦後強制抑留者等に対する銀杯、書状などの慰労品の贈呈及び慰労金の支給などの事業を行ってきたところであります。

 しかしながら、長きにわたってその解決が求められてきた戦後強制抑留者、恩給欠格者及び引揚者の問題、いわゆる戦後処理問題の解決について、戦後六十一年を経過し、関係者の著しい高齢化の状況等にかんがみ、最終決着を図る必要があります。

 また、平和祈念事業特別基金は、今般の特殊法人等改革により行政の効率化が求められる中、独立行政法人となったものでありますが、役職員の人件費や展示資料館の維持などの費用が負担となり、折からの低金利も重なり、基金の運営は大変厳しいものとなっております。

 以上のことから、平和祈念事業特別基金を解散することとし、それまでの間、その資本金の一部を取り崩し、新たな慰藉事業を行うことができるようにするため、本法律案を提出するものであります。

 次に、その主な内容について申し上げます。

 第一に、行政の効率的実施の観点から、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止することとしております。

 第二に、独立行政法人平和祈念事業特別基金は、関係者に対し慰藉の念を示す事業を行う業務に必要な費用に充てるため、その資本金の一部を取り崩すことができるものとし、当該取り崩した額に相当する金額については、基金に対する政府の出資はなかったものとし、基金はその額により資本金を減少するものとしております。

 なお、関係者に対し慰藉の念を示す事業といたしましては、戦後強制抑留者、恩給欠格者及び引揚者で現に生存している方に対し、慰労の品を贈呈する特別記念事業を予定しております。

 第三に、この法律は、平成二十一年九月三十日までの間において政令で定める日から施行することとしておりますが、資本金の一部を取り崩すことができるものとする規定につきましては、公布の日から施行することとしております。

 以上が、本法律案の提案の理由及び内容であります。

 何とぞ、御審議の上、御賛同くださいますようお願い申し上げます。

佐藤委員長 次に、鳩山由紀夫君。

    ―――――――――――――

 戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

鳩山(由)議員 抑留された皆さん、長い間まことに御苦労さまでございました。

 私は、民主党・無所属クラブを代表して、民主党、日本共産党、社会民主党提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案並びに独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案の趣旨を説明いたします。

 第二次世界大戦後、旧ソ連軍によりシベリアやモンゴル等に抑留され強制労働を強いられた方は五十七万人に上ります。そのうち、長期間にわたって極寒の地における過酷な労働に耐え、帰国された方は約四十七万人と推計されています。しかし、強制労働に従事させられたにもかかわらず、強制抑留者に労働の対価は支払われていません。これに対して、南方で捕虜となり帰国された方に対しては未払い賃金が支払われており、それぞれの問題の対応に大きな差が生じてしまっております。

 こうした問題に対して、日本政府は、昭和六十三年度から、強制抑留者のうち、恩給欠格者には書状、銀杯と一律十万円の国債、恩給受給者には書状、銀杯を支給したにすぎません。抑留された方々は、政府に対して、人として働いたあかし、人間としての尊厳のあかしを認めるように長年訴えてこられました。しかし、政府がその声を真摯に受けとめ、抜本的な対応策を講じることはありませんでした。

 戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案は、こうした特別の事情にかんがみて、戦後シベリアやモンゴル等に強制的に抑留された方々に対して、その労苦を慰労するため、国が帰国時期に応じて特別給付金を記名国債として支給するものであります。帰国時期を五つの区分に分け、三十万円から二百万円を支給いたすことにしております。

 また、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案は、行政の効率的実施の観点から独立行政法人平和祈念事業特別基金を解散する必要があるため、基金の根拠法である独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止するものです。

 なお、基金に関しては、現在の贈呈事業について未申請者の方への呼びかけを集中的に行い、事務処理を進めた後、遅くとも平成二十一年三月三十一日までには解散することといたしております。

 抑留が始まってから既に六十一年、鳩山一郎訪ソにより日ソ共同宣言が結ばれ、最後の引き揚げ船が到着してから五十年の歳月が既に流れております。生存しておられる方々の平均年齢も八十四歳前後となっており、一刻も早く本法案を成立させなければなりません。

 委員各位に対し、本法案に御賛同いただくようお願いを申し上げ、私の趣旨説明といたします。

佐藤委員長 これにて各案についての趣旨の説明は終わりました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 各案審査のため、本日、参考人として財団法人全国強制抑留者協会会長相沢英之君、全国抑留者補償協議会会長寺内良雄君、全国恩給欠格者連盟会長宮下創平君及び日露歴史研究センター代表白井久也君の出席を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、大変御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、各参考人の方々からそれぞれ十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、相沢参考人、お願いいたします。

相沢参考人 抑留者の団体を代表いたしまして、参考人としてお話を申し上げたいと思っております。

 戦後処理問題の一環として、ソ連抑留者の問題につきまして与野党とも熱心にお取り上げをいただきまして、今回、法案の提出の運びに、そしてまた審議に至りましたこと、感謝を申し上げております。また、十分間という非常に限られた時間でありますので非常に申し上げにくいのでありますけれども、簡潔にお話しいたします。

 我々、昭和二十年の八月十五日、終戦後に、旧満州、北鮮、樺太、千島において、将兵が一部民間を含んで抑留をされました。そして、ソ連の領深く、言うなれば拉致されたわけであります。日ソ間に不可侵条約があり、そしてまた、ポツダム宣言によりましては署名国それぞれ将兵を速やかに日本の内地に送り返すという、それに違反をいたしまして、ソ連は六十万人という大勢の将兵を抑留し、六万人をいわば死なせるということになったわけであります。

 私どもは、この事実に対して、まずソ連が我々に対して謝罪すること、そしてまた抑留間の賃金を補償すること、このことを要求してまいりました。ゴルバチョフ大統領そしてまたエリツィン大統領にも、私ども団体の代表としてお会いして、このことを要求いたしました。いずれも果たされておりませんが、エリツィン大統領は来られたときに宮中晩さん会で大変に申しわけないことをしたということを言われ、私どもに対しても謝罪の言葉がございました。イズヴィニーチェということです。これはしかし、考えてみれば軽いことで、しかもそれは処遇問題について言われておるので、抑留した事実については何も発言がなかったわけであります。

 その後、私どもは日ソシンポジウムを持ちまして、ソ連側の有識者に対して我々の見解を述べ、そしてまた働きかけをしておりますけれども、依然としてソ連は、また今ロシアは態度を改めておりません。

 この補償問題については、昭和三十一年、日ソ共同宣言、この第六項において、相互に請求権を放棄するということがあります。そこで、ソ連側、今ロシア側は、そういう宣言において決められている以上、我々としては補償問題を論ずることはできないという態度で一貫しているわけであります。しかし、私どもは、日ソ共同宣言の第九項において、北方四島の問題について、歯舞、色丹二島は平和条約ができたときに引き渡すという規定がありますけれども、国後、択捉については規定がないにもかかわらず、日本は四島一括返還を請求している。つまり、共同宣言と平和条約と違う、共同宣言そのものが平和条約になるんじゃないという見解をとっているんだろうと思います。ならば、請求権の問題についても今後精力的に折衝していただきたいというふうに思っております。

 それはそれといたしまして、国内的には、やはり抑留者に対する慰藉の事業を進めてもらいたいということで、五十四年に我々の団体が組織されたわけでございます。そしてまた、五十五年にはソ連抑留者の処遇改善のための議員連盟が設けられて、斉藤邦吉先生に会長になっていただいて運動を展開してまいりました。五十六年に、当時、総務長官の諮問機関として戦後処理問題懇談会が設けられ、そして答申が出されました。これでは、個人補償を見送る、しかし特別基金をつくって、戦後処理の問題としてこういうことがある、そしてまた長くその事実をとどめるための慰藉事業を行う、そういう形で慰藉事業を行うということになっておりましたが、我々としては、やはり個別の補償を求めてまいったのであります。

 六十一年には各党の了解も得ました。その抑留者に対して、抑留期間に応じて一人五十万円から百万円を支給するという法案が提出をされることになりました。委員長提案であります。しかし、提出の間際に至りまして政府側の反対があって、それは成立をいたしませんでした。その後、六十一年に戦後処理問題に関する政府・党合意がございまして、皆さん御案内のように、抑留に関しましては、十万円の慰労金、そして銀杯、書状を支給するという法案が成立し、実行されてまいったわけでございます。

 その後、当初二百億、後に増額されて四百億をもって設立された平和祈念基金がその運用益及び政府の補助金をもって事業を運営してまいったわけでありますけれども、大体、所期の事業は終わった、行革の関係もこれあり、平和祈念基金を解散するというような話が出てまいりまして、私どもとしましては、この四百億というものをぜひ我々にとって有効に使って、もう一度慰労金の支給をしてもらいたいという運動をしてまいりました。

 平成十五年には、自民党の五役の了解のもとに、この四百億を使って、抑留者に関しましては二十万円、そして恩欠関係は十万円の慰労金等々を内容とする法案が了解されたわけでございますが、その後、これが実行されずに今回の提案になったというふうに承っているのでございます。

 この法案につきましては、我々としては、せっかく金があるんだから、四百億の半分を使うというようなことではなくて、十万ではなくて二十万を支給してもらいたい等々の要求は依然として持っておりますけれども、いろいろな経緯があってこういうことに至りました以上、できるだけ早くこの法案の成立をしていただきたいというふうに思っているのであります。何せ平均年齢八十数歳ということになってまいりまして、まさにいわば余命幾ばくもないのであります。できるだけ早くこの法案を成立させていただきたい、このことを重ねてお願い申し上げまして、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

佐藤委員長 ありがとうございました。

 次に、寺内参考人、お願いいたします。

    〔委員長退席、谷畑委員長代理着席〕

寺内参考人 全国抑留者補償協議会の会長、寺内良雄でございます。宇都宮市に住んでおります。

 まずもって、臨時国会終盤に当たり、理不尽にもソ連軍によってシベリア、モンゴル地域に強制連行されて、飢餓と寒さと重労働の三重苦の中で極限の抑留生活を長きにわたって強いられてきた多くの仲間を代表する形で、懸案となっているシベリア法案について参考人として意見を述べる機会を与えていただきましたことに対しまして感謝を申し上げますとともに、改めて、法案が審議入りしたことにつきまして率直に歓迎の意を表したいと存じます。

 当時のつらい、暗い忍従の暮らしに思いをはせるとき、あれも述べたい、これも述べたいと次々にさまざまな体験が浮かんでまいりますが、時間の関係もありますので、大筋次の三点について陳述をさせていただきたいと存じます。ぶしつけな発言も間々あろうかと存じますが、高齢のゆえをもって御容赦賜りますようにお願いをいたしたいと存じます。

 第一に、私どもの主張の基本は、補償か慰藉かという対比の問題ということよりも、まず、シベリア抑留の発生は、ずばり申し上げまして、ポツダム宣言を受諾し、すべての戦闘行為が終息をした後の戦後に生じた特別の出来事、被害であったということであります。改めてそのことをきちんと御認識いただき、一般の戦争被害、損害とは明確に一線を画していただきたいと訴えたいと思います。

 この主張、認識に沿った形での補償に相当する立法措置を強く期待してまいりましたが、残念ながら、今回与党案として提起されている内容は、平和祈念事業特別基金の解散に伴い、基金への政府出資金を取り崩し、慰労品としての十万円の旅行券の交付をもって懸案のシベリア抑留に係る戦後処理問題に幕を引きたいという意向が大きく示されておりまして、私どもといたしましては、にわかに賛意を表するわけにはまいりません。

 まして、当初、自民党五役による了解事項の骨子となっていた、資本金四百億全額を取り崩し諸般の慰労措置を講じたいという案からも大きく後退をしておりまして、この変わりようについて強く疑問を呈する次第であります。

 この点、野党提出法案、まず、法案の趣旨について、特別の事情にかんがみ、補償にかわる措置として提起した点を評価すると同時に、帰国の時期に応じ、五段階の特別給付金の支給が明記され、評価をいたしたいと存じます。

 さらに付言をすれば、所要費用三百九十億円も出資金相当額の充当によって可能であることを示唆しており、この線での法案実現を大きく期待いたしたいと存じます。

 積年の懸案事項であるシベリア抑留に対する処理の幕引きを宣言するのでありますならば、超党派の考えにのっとり、せめて野党提出法案を軸に十分な検討を行うように要請いたしたいと存じます。

 第二に、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案については、与野党同様の趣旨であり、廃止に異論はありません。ただ、一点、私どもといたしましては、特別基金が抑留者にも提供を呼びかけ運営してきた資料館にある重要な資料や収集品などの保存や記録作業が、今後は国の直轄の事業としてきちんと継承され、シベリア抑留の全容解明、検証作業に大きく貢献できるよう措置されることを切望いたしたいと存じます。

 第三に、シベリア抑留の特殊性、特別性を十分に検証、吟味していただき、この際、直接法案とは関連はありませんけれども、シベリア抑留の出発点となったのは、一九四五年八月二十三日にソ連国家防衛委員長スターリンの名前で発せられました、健康な日本人兵士五十万人を選別し、ソ連実効支配地域に移送せよとの極秘指令ですが、その指令発令日である八月二十三日に、政府が主催、主導いたしまして、ソ連、モンゴル抑留の犠牲者を追悼、慰霊する国民的な式典が行われることを強く望み、その実現を期待いたしたいと存じます。

 以上三点でございますが、この際、最後に申し上げておきたいと思います。

 私どもは、政府の発表によりますると、四十七万三千人が帰還をいたしましたが、そのうち八割が亡くなっておりまして、現時点で十万人しか生きていないという実態であると思います。したがいまして、その年齢も八十四歳を超えているという実態でございまして、もはや人生の最終期に入っております。この者たちが願っておりますのは、何とか生きているうちに、存命中に問題の落着を見たいと。我々は奴隷労働をしたという記録だけを残してあの世には旅立ちたくありません。したがって、この際、名誉回復を含めた立派な法案をぜひひとつまとめていただきまして、我々の意に沿うような形で御提示をいただきますように、慎重な御審議を心からお願い申し上げまして、私の意見陳述を終わらせていただきます。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

    〔谷畑委員長代理退席、委員長着席〕

佐藤委員長 ありがとうございました。

 次に、宮下参考人、お願いいたします。

宮下参考人 御指名をいただきました、参考人の宮下創平でございます。

 私は、本日議題になっております戦後未処理問題の一つである、恩給欠格者連盟というのが全国にございます、それの会長を仰せつかっておる者でございます。したがって、その立場から意見を申し上げたいと思いますが、まずもって、参考人としてお呼びいただき、この権威ある委員会で審議をいただくということに対しまして、恩欠連を代表いたしまして、心から厚く御礼を申し上げます。よろしく御審議のほどをお願いします。

 さて、本問題は戦後未処理問題と言われますが、その内容は三つに分かれております。ただいま相沢参考人等から御説明のあった抑留者問題が一つ、私どもがタッチしております恩給欠格者、恩給がもらえないための不公平さの是正という問題と、それから引揚者という三つのグループに分かれて、平和祈念基金法でも、この三つのグループに対する慰藉事業等が規定されているところであります。

 それぞれ皆、歴史ないし考え方も違います。したがって、それに対応する対策も当然主張が違ってしかるべきでありますが、今回、戦後未処理問題を処理しようということで御決断をいただいて、法案が提出されることになったわけでありまして、私どもとしては、大変感謝を申し上げております。

 さて、この問題がなぜこのように長期にわたって最終的解決がおくれてきたかといいますと、まず第一に、私も政治家を二年前までやっておりまして、この問題の取り組みをしておりましたのでありますが、政治家は、やはり物事の解決に公平公正でなけりゃならぬという視点がどうしても必要だと思うんですね。

 その意味で、公平公正という点から見ると、第一は、恩給法の中で受給資格年限が原則十二年以上に限られるということでありまして、十一年十一カ月でも、私の選挙区でもそういう方が一、二名おられましたが、絶対にこれを回復できないんですね。そういう受給者と未受給者との不公平。受給者の方は、申し上げるまでもなく、恩給の内容を国家公務員の給与改定等があるたびに改定をしてまいりましたから、その所得の累積額はかなりなものになります。しかし、未受給者の方は何ら措置されなかったという、恩給法上の不合理。

 それからもう一つは、国家公務員及び地方公務員と、軍人恩給を支給されていない民間の方々との関係であります。

 余り長くなっても恐縮ですから簡単に申しますと、国家公務員については、共済年金法上、軍人恩給期間というものが受給資格を得る年限の中に通算されております。それからまた、受給額についても反映する仕組みになっております。国家公務員がそうでありますので、地方公務員も当然それに倣って行われておるということでありまして、民間の恩給未受給者のグループは何らその点の恩典に浴していないという不公平感があります。

 したがって、本件は、大変かわいそうだという問題はあります。平均年齢八十四歳になって、足も不自由なのにかかわらず、我々のところへ本当に何回も何回もおいでいただくということで、我々国民の一人としても、軍に参加した人たちに、その政策の正否はともかくとして、理解を示し、応分の何か感謝の、慰藉の気持ちをあらわさなければならぬということでございます。

 したがって、まず不公平感がありますから、これを是正したいということで、いろいろ我が党においても、五十年代、私は五十四年の当選でありますが、当選した年月の二、三年前から、先輩諸兄がこの問題を提起しておられました。私も、大蔵省の主計局で退職金あるいは年金の問題を扱いまして、国家公務員、地方公務員の退職金も軍人恩給期間を通算しておる事実を知っておりますし、私もやりました。そんなことで、直ちにこれは不公平だなということはわかったのでありますが、いかんせん、制度を定立するときは、では軍人恩給ももうちょっと下げたらどうか、三年ぐらいまで下げてやったらどうかなという検討もいたしました。

 それから、国民皆年金時代で、国民年金、厚生年金も国民皆年金に三十六年ごろからなりましたので、その上乗せでみんなに均等に少しでも気持ちをあらわせないかとかいう検討をいたしましたが、これは、恩給よりも後で国民皆年金、国民年金法というのはつくられたわけでありまして、そういうわけにはいかぬという激論をやったこともあります。

 また、それでは、仕方がないから独自の一時金の支給案を段階的に設けて支給すべきではないかというような考え方もありまして、かなり党の幹部等で議論したこともございます。しかし、いずれも、なかなかそういうわけにいかない。

 そこで、ただいま相沢参考人から御説明がありましたように、平和懇というところで基金をつくったらどうかという話がございまして、我々も、とにかくできることは何でも、筋の立つものであればやりたいということで、基金法の成立に賛成いたしました。そして、二百億、次いで四百億の累積額を目指して、その基金を運用して、その利回りによって慰藉事業をやろうということで開始したわけであります。

 したがって、御承知のように、恩給欠格者、これはシベリア抑留も及びますけれども、三点セット、つまり、書状、総理大臣の感謝状と、銀杯、それから旅行券その他のサービス券の支給、金額は大したことはありませんけれども、これの支給を続けてきたわけであります。

 そして、現在は、支給率、申請率もありますけれども、おおむねこれが山を越しました。そして、高齢化が進んでおる。それからまた、これを扱う総理府の機構も、利潤のうちの半分くらいを事務費で使ってしまうような状況になってきて、私から言うのもおかしいですけれども、いわば行政改革の一つとしても、この際幕を閉じた方がよかろうと。私どもとしても、八十四歳の高齢者を抱えて、皆さんの真剣な気持ちを全く無にしてここで解散というわけにいきませんので、何らかの国の真摯な気持ちをお示しして、そしてこの際幕引きを図りたいというのが率直な気持ちでございます。

 そういう意味で、これ自体は、整合性に欠けているとか理論的にどうだとかいろいろ議論はございますけれども、どうか、恩給欠格者の方々が今日まで本当に真摯な努力を続けていることに思いをいたされまして、御理解を賜り、本法案を速やかに成立していただきますようにお願いを申し上げまして、簡単でありますが参考人の意見とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

佐藤委員長 ありがとうございました。

 次に、白井参考人、お願いいたします。

白井参考人 日露歴史研究センターの白井と申します。

 私が主宰する日露歴史研究センターというのは、一九九七年に設立された民間の任意の研究団体であります。主に明治以降の日露関係並びに日ソ関係の歴史研究をやっています。それで、私のきょうの発言は、歴史研究をやった者の立場から、戦後未処理のシベリア抑留並びにその補償問題について意見を述べたいと思います。

 きょうは、権威あるこの委員会にお招きいただいて、私の意見開陳の機会を与えていただいたことに対して、深く感謝申し上げます。

 事の起こりは、一九四五年の八月九日、太平洋戦争の末期にソ連が突如対日参戦して、満州を初め、朝鮮、南樺太、それから千島、こういうところに攻め込んで、日本の軍隊と戦闘をやって、それで、わずか一週間足らずの戦争で日本は負けるわけですけれども、そのあげくは、投降した日本軍の兵士六十四万人をシベリアなどソ連各地に、二千カ所に抑留して、それで強制労働を課した、こういうことが問題の発端なんですね。私に言わしめれば、ポツダム宣言の第九項によって、連合軍に投降した者はできるだけ早く、速やかにそれぞれの家庭に帰す、こういう規定があって、当時のソ連はこれに調印したにもかかわらずこれを犯して、短い人でも二年、長い人は十一年も抑留させた、こういうことであります。

 しかも、その強制労働に対して労働賃金は支払わなかったわけですね。国際人道法によりますと、軍人捕虜を労働の使役に抑留国が使うことは認められているわけで構わないんですけれども、しかし、その対価として労働賃金を支払わなければいけないということが明記されているわけです。しかし、当時のソ連は一円も払わなかったのです。そのことによって、非常に大変な試練、苦難を経て帰ってきたわけですけれども、大変なことになったわけですね。

 そういうことで、元のシベリア抑留者たちは日本政府に対して、労働賃金を支払えと要求しました。というのは、一九五六年の日ソ共同宣言の第六項によって、お互いに、相手国に対して国家、団体、個人が請求権を放棄しているから、今さらソ連に対して労働賃金を請求することはできないわけですね。それで、日本政府に払えと言ったわけですけれども、日本政府はこれを拒否したので裁判になりました。その結果、十六年間続いた結果、原告側であるシベリア抑留者たちが敗訴したわけです。

 それで、政府・与党の方は、八八年に平和祈念事業特別基金をつくって、これで十万円の慰労金、それから総理大臣の書状とか銀杯とかを渡したわけですけれども、これは労働賃金とは全く関係のないものですね。だから、元の抑留者たちはそれではだめだと言って今も要求をしている、それでここの委員会でその法案が審議にかかっている、こういう状態であります。

 私の考えからすれば、やはりこの際、もう戦後六十年以上たったわけですから、それに決着をつけるためには、最高裁の判決があって労働賃金は払うことはできないけれども、それに相当する特別給付金をやはり支払うべきではないかというのが私の意見であります。

 提案された法案によりますと、抑留の年限によって五段階に分けて三十万から二百万を払う、こういう法案でありますので、私は、今申し上げたような事情を委員の皆さん方が考慮されてこの法案が通るように、ぜひお願い申し上げたいわけであります。

 それから、財源の問題は、日本は御存じのように今非常に国家財政が破綻していまして、国、地方を合わせると九百兆以上の借金がある、こういう状態であります。しかし、年間の予算は、来年度はどのぐらいになるんでしょうかね、八十一兆以上になるわけです。それで、抑留者に対してこの特別給付金を払っても大体三百五十億円ぐらいでいくわけですから、それは全体の国家予算から比べれば私は微々たるものだと思います。

 戦争に参加した、第二次大戦で勝利をおさめたアメリカ、イギリス、オランダ、こういうところも自国民の捕虜に対してちゃんと処遇していますね。日本と同じように戦争に負けたドイツ、ここも、当時の金で一万二千マルクですから、日本円に換算すると八十万円ぐらいの給付金を払っている。

 では、なぜシベリア元抑留者だけに払わないのか。南方地域から帰還した元の兵士に対しては、国はちゃんと払っておりますよね。しかし、シベリア抑留者だけには払っていない。これは抑留者の立場から見れば明らかな差別待遇じゃないか、こういうふうに受け取るのは当然ですね。だから、私は抑留者たちの言い分には非常に理があると思うんですよね。先生方には、やはりこういう問題についてもよく留意されて、抑留者たちの希望を満たしてあげてほしいと思います。

 元の抑留者は、今、平均年齢は八十五歳です。もう老い先は短いわけですからね。一銭五厘の赤紙で引っ張られて、戦死した人もいますが、帰ってきて非常に困難な道を歩んで、その人たちの労苦に報いるためにも、一人当たり三十万から二百万円の金というのは、私は今の貨幣価値からして決して高いとは思えないんですよね。そういうようなことで、これからの審議、採決に当たっては、抑留者たちの希望を入れた法案が通るように、私の方からお願い申し上げたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

佐藤委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 これより質疑に入ります。

 まず、参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木村義雄君。

木村(義)委員 まず、参考人の皆様方におかれましては、きょう、大変お忙しい中わざわざこの委員会に出席をいただき、それぞれの皆様方の本当に長い間の御苦労のこもった御発言をいただいたわけでございまして、心から敬意と感謝を申し上げる次第でございます。

 大変長い間、この解決の処理に時間を要してきたわけでございまして、今国会でこれのまさに最終処理ができるということが恐らく皆様方の総意ではないかな、そう思えてならない次第でございます。

 せっかくでございますから皆様方にお尋ねをしたいんですが、先ほどのお話を聞いております中で、不公平感という御指摘が実はございました。今度、与野党がそれぞれ法案を出しておるわけでございますけれども、戦後処理問題を早く終わらせたいという気持ちは与野党ともに強いものがあるのではないか、私はそのように感じるわけでございますけれども、不公平感という観点から見ますと、与野党の中で大分相違があるわけでございます。

 まず、四人の皆様方にお聞かせをいただきたいのは、基金の資本金四百億円は、恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者を慰藉するためのものであるわけでございますが、にもかかわらず、野党案には恩給欠格者、引揚者に対しては何らの記述もございません。まさに不公平感という観点から見て、それぞれの参考人の皆様方の御意見をお聞かせいただければと思います。順次お願いをいたします。

相沢参考人 抑留者の会の代表としましては、ただいまの御質問にはいささかお答えしにくいところがありますが、戦後のソ連における強制抑留というのは、私自身も抑留者の一人でありますけれども、大変に厳しい体験をしたわけでありまして、御案内のように、抑留者の一割が亡くなっております。一割が死ぬというのは、戦争でも激戦地であります。戦後、戦争が終わった平和の時期に一割も死ぬ。その大部分はもちろん病気でありまして、発疹チフス、栄養失調、TB。それらは、いずれにしましても、非常に悪い環境のもとで、非常に食料も乏しく、しかも酷寒の地で強制労働をさせられたということがその原因であることは明らかでございます。

 したがいまして、私どもは、戦後処理問題の中でも、やはりソ連の抑留者に対する処遇問題はまず第一に取り上げてもらわなきゃならぬというふうに考えておりました。したがいまして、昭和六十一年でございましたか、この問題について政府・与党で取りまとめをいたしました際に、平和祈念基金が設けられたわけであります。

 この平和祈念基金は、三団体の問題、三つの問題に対する処理が目的でございますけれども、その基金の設立と別に、ソ連の抑留者に対しては、極めてわずかな額ではありますけれども、十万円の慰労金、銀杯、書状というものを支給するということ、これは法律で決めたわけであります。ですから、その点は、それぞれの問題について一般的に認識の差があったんじゃないかというふうに我々は思っておりますが、ただ、それは、恩給欠格者とか引揚者に対しては何らの処遇もしなくてもいいということにはならないというふうに考えております。

 したがいまして、若干ウエートの差がある今度の与党提案の案にいたしましても、ソ連抑留者に対しては慰労金品が十万円、それから、恩給欠格者に対しましては五万円というふうに差がついておりますけれども、それはそれなりに一応説明は通っているものじゃないかなというふうに私どもは考えております。

 ありがとうございました。

寺内参考人 お答えを申し上げたいと存じます。

 私たちは、戦後強制抑留者だけを主張すればいいということではありませんで、排他的な考えは持っておりません。無論、この範疇には、恩給欠格者の問題、引揚者の問題等ございますけれども、特に、きょうは引揚者の団体の参考人は参っておりませんで、宮下先生がおられますように、恩欠者の団体からは参考人が見えております。

 私どもの仲間のうちで比較的年齢が高い者は兵役も長く、しかも恩給加算もありますので、年齢の高い者については恩給の受給者でございます。ただ、兵役の短い、恩給加算を入れても恩給の年限に達しないという者が大半でございまして、これが主流でございまして、私どもの運動が即恩給欠格者運動にも連動をする、こういう認識でございますので、差別をするつもりは毛頭ありませんし、その差についても私たちは全く排他的な考えを持っておりません。そういう認識で進めておりますことを御了承賜りたいと存じます。

 以上でございます。

宮下参考人 冒頭申し上げましたように、政策が公平公正でなけりゃならぬというのは、これは、諸先生方、もう政治哲学として皆さんお持ちだと思います。

 制度をつくるときには、やはりどこかで線を引かざるを得ませんので、恩給法の問題もお話し申し上げましたが、十二年以下は恩給の恩典に浴さないという制度をつくってしまったんですね。ですから、つくるときはつくれつくれと言っていて、それの余波をどう始末するかということまでなかなか話が及ばない、結論が及ばないというのが普通でございます。

 まさに恩給欠格者の問題というのは、そういう意味で、本当に、国民的に見ても、去る大戦に参加され非常に苦労された。特に抑留者の問題は、極寒の地で大変苦労された事実もございますが、おおむね皆さん、みんな苦労されているんですね。そこで、私どもとしては、恩給法の適用が受けられないか、あるいは国民皆年金法の一部に組み入れられないか等々、公平の見地から検討いたしたところでございますが、制度の問題は、後でこれを直すというのはなかなか容易じゃありませんし、財政的な問題もございまして、今回、御裁断をいただきましたこの案は、私どもとして、団体としては、必ずしも満足できるものではありませんが、この際ひとつ、基金の取り崩しということをもってやる、基金も税金の一部でございますが、過去にこういった未処理問題のために積み立てられた基金でありますから、それをある程度使わせていただきたい、こういうつもりでお願いを申し上げているところでございます。どうか御理解をいただきたいと思います。

白井参考人 私は、政策にはやはり重点政策というものがあると思うんですよね。あらゆる政策を全部カバーするということはこれはできないわけでして、今問題になっている、元のシベリア抑留者の補償問題、それから恩給欠格者の問題、引揚者の問題、これを三つ並べた場合、何が一番政策として急がなければいけないかということを考えた場合、私は、やはり元のシベリア抑留者に対して特別給付金を出すということが一番かなえられるべきであると。それは、原資となるお金も基金に四百億円あるわけですから、これを充当するのが適当だと思います。

 それで、恩給不適格の場合は、やはり制度の改正ということが伴うので、これは今すぐというわけにいかないんですね。だから、とりあえず抑留問題を片づけた後この問題を取り上げるというふうに考えては、先生、いかがでしょうか。そういうふうに思います。

木村(義)委員 本日は、御参考人の中に我が党の大先輩がお二人おられるわけでございまして、それぞれ財政の大変な専門家の方々でございます。

 野党案は、実は、基金は取り崩す、一方で国債を発行する、こういうちぐはぐなように見受けられる中身になっておられるわけなので、ぜひ、我が党の大先輩お二人に財政の専門家の立場から、この基金を取り崩す一方で、今、国債発行けしからぬという大変な流れがあるわけでございますが、国債発行をする、こういうことに対する御見解をお伺いさせていただければと思うわけであります。

相沢参考人 財政の専門家というふうにおっしゃっていただいて大変恐縮していますが、そもそも、基金という名前のついているものは過去にもいろいろありました。私どももいろいろつくってきました。金を出して、その運用益でいろいろな事業をする、そしてそれが終わったらば、基金としての役目を果たしたんだから、それはもう国庫に返還するというような形のものから、基金という名前はついているけれども、それはだんだんと取り崩して使っていくという形のものもございました。そんなのは基金じゃないじゃないかという考え方もあるかもしれませんけれども、事実、そういうような形のものもあったわけですね。

 今回、自民党の案は、三団体といいますか、三つの問題に対する処理に充てた分だけ出資を減らしちゃう、基金を減らしちゃうという考え方、野党案は、一遍返還をして、そして新しく支出をする、国債をもって支出する、交付国債をもって支出するということになっている。結論的には同じことなので、どっちのやり方も私はあるだろうというふうに思っていますが、一般会計から一遍出た出資金を返してまた出すというような面倒くさいことをしないで、自民党にもそういう案がありましたよ、一遍出した金だからそこから使った方がいいという方がわかりやすいんじゃないでしょうか。

宮下参考人 お答えします。

 今、相沢参考人から、わかりやすいということでありますが、本件は、不公平是正のための莫大なお金が要るんです。しかし、現下の財政事情からして、それを直ちに行うことは不可能です。したがって、財源があるのかないのかという検討が必要でございましたが、私どもとしては、四百億を積み増して、この積み増しが完成しております。一方、三点支給その他はおおむね山を越して、なおかつ恩欠者が非常に期待を持っておるということでありますので、せっかく税の支出によって多年にわたって積み上げたこのお金を、基金を返上させれば通常は国庫に納めることになりますが、それをしないでこれを使わせていただくというのは、現下の財政事情から見て、この問題に幕引きをしようとする場合に非常に適切な処理ではなかろうかと。

 したがって、限度はあります、その範囲内で処理をするということであろうかと思います。よろしくお願いします。

木村(義)委員 以上で終わります。ありがとうございました。

佐藤委員長 次に、谷口隆義君。

谷口(隆)委員 公明党の谷口隆義でございます。

 本日は、大変大きな問題と申しますか、戦後未処理の三つの問題ということでありますけれども、参考人の皆様には早朝から当委員会に出席を賜りまして、ありがとうございます。また、特に相沢先生、宮下先生には、議員在職中にも大変お世話になりまして、大変お元気なお顔を拝見し、かくしゃくたるお話を拝聴して、大変感銘を受けたところでございます。

 皆様方の今おっしゃっておられた戦後強制抑留者、また恩給欠格者、引揚者、この三つの大きな問題が、本日、法案が与党から、また野党から出されまして、採決をされようとしているわけでございます。

 非常に重要な問題なものですから、私も非常に言葉を選んで話をしなきゃいかぬと思っておるわけでありますが、皆さん方のおかげと申しますか、今、戦後の日本が大変な繁栄ぶりでございます。基礎を築いていただいたということに、本当に敬意を表し、感謝を申し上げたいと思う次第であります。

 それで、今回法案が与党から、また野党から出されておりますが、一つ共通しておることは、基金を取り崩すということであります。大きく言えば、政府案の方は基金を取り崩して慰労品を支給する、野党の方は基金を取り崩して特別給付金を支給する、こういうような法案の中身になっておるわけでありますが、その基金が、先ほど宮下参考人からもおっしゃっておられましたように、収益状況を見ますと、利潤の半分程度が事務費に行っておるというような状況もある。

 こういうことで、この基金を、もう一度見直さなきゃいかぬということで、今回廃止するというような方向に至ったんだろうと思いますが、まず、基金の廃止につきまして、参考人の皆様方に御見解をお伺いいたしたいと思います。

相沢参考人 提案の理由にもあったかと思いますが、基金としては当初の目的をおおむね達成した、そしてまた、取扱件数も減ってきた。いずれにしても、そのときの制度としては終期のある問題でありますから、私は、それが終われば基金はこれを廃止するということもやむを得ないと思っています。

 ただ、私どもの方の抑留の関係で申しますと、いまだ、抑留地の慰霊巡拝とか遺骨収集、それからまた、ソ連の各地に慰霊碑を建てていますが、その仕事とか、それから国内におきましても、慰霊祭を行う、あるいは、まだできていません、懸案の中央の慰霊碑をつくるとか、あるいはまた抑留関係のいろいろな記念となる物を、これは現在新宿のビルにありますけれども、それを今後も保管、維持をしていくという問題とか、いろいろと今後も引き続き残されて継続していく事業がございますから、それと基金の廃止との関係がどうなるかということが問題であったわけです。

 しかし、その点に関しましては、基金は基金として、今提案をいただいています事業が終わったときに一応店じまいをするけれども、私が今挙げたような問題については、今後基金とは別に一般会計をもって対処していくというようなお考えになっていますから、それはそれでよろしいんじゃないかなというふうに思っております。

寺内参考人 私の方では次のような考えをきちんとして持っているわけでございます。

 一つには、特殊な、特別な戦後の問題であるというふうに認識をいたしておりますけれども、かつて、相沢先生おっしゃいますように、六十一年には、被抑留者等に対する特別給付金の交付に関する法律案を提起いたしました。それから、その後、六十三年には、平和祈念事業特別基金に関する法律案が出てまいりましたが、いずれも、法律案を提出する際には、自民党の主要な幹部がそれぞれ調印をいたしまして、この法案の提出をもって戦後処理は一切終わったものとするという覚書を取り交わしておるというのが実態でございまして、片や政府・与党の方では、いつもながら、戦後処理は既に終わった、もう補償はしない、慰霊・慰藉事業はするけれども補償はしないという一点張りでございます。私どもの方では、補償は困難にいたしましても、補償に適するものについては何らかの措置を講じてもらいたいという主張で、平行線をたどってまいりました。

 いつまでも平行線をたどっているうちに、平均年齢八十五歳でございますから、ついに我々が目の黒いうちに問題を決着することはできない、そういう立場に立つものでございますから、せめて存命中に問題の決着を図りたい、こういう観点から、たまたま今回出ました案につきましても、四百億の問題につきまして、半額に削られてみたりなんかするような経過もございましたけれども、ぜひ私どもの意を酌んでいただきまして、問題の決着を図っていただくためにも、この四百億の基金の扱いについてぜひ存分に御検討いただきたい。かつての案といたしましても、もう既に内閣委員会で意思統一をして、あわや委員長報告のとおり議決をする寸前で、政府の強い抵抗で没になったという経緯もあるとおりでございまして、これは相沢先生の発言のとおりでございますから、私どもは認識をいたしております。

 不幸にいたしまして、相沢先生のグループと我々のグループというのは二つに分かれておりますけれども、底流は全く同じでございまして、この際、私どもは、自分たちの主張だけを、我を通すというのではなくて、積年のこの問題について決着をつけるならば、せめて四百億の有効な活用をぜひお願いいたしたい、こういう一点から申し上げておりまして、その点に即応いたしたのが今回野党の提案ではないかというふうに理解をするものでございますから、その点は重ねて強調させていただきまして、本案につきまして十分な御検討を賜りたい、このことを特に申し上げまして、御回答にさせていただきたいと存じます。

 以上であります。

宮下参考人 お答え申し上げます。

 基金につきましては、今国会で今御審議中の本法律案が成立いたしますれば、我々が最小限度希望していた給付が実現できます。したがって、それが実施が担保されれば基金を廃止するのは当然かと思います。行政改革の一貫としても、私どもは、そういう時期に来ているんじゃないかなという思いであります。

 しかし、内容が伴いませんと団体の皆さんは納得できないわけですね。したがって、その点をよく御理解賜りまして、早期に実施できるようにお願いしたいと思います。

白井参考人 基金については、これを廃止する法案が出ているわけですから、私は、先生方の賛同を得て廃止した方がいいと思うんですね。

 というのは、一般会計は財政の困難な折であって、そこからシベリア抑留者に対する特別給付金の原資を求めることはもともと不可能な話であります。では、どこから持ってくるかというと、基金に残っている資本金を四百億取り崩すのが一番実現性のある近道でないかというのが私の考えであります。

 それでは、平和祈念事業特別基金でやっていた慰藉事業、慰霊事業はどうなるんだと。これは、今相沢先生がおっしゃったように、一般会計で面倒を見てくれる話でありますので、この点についても、基金を取り崩すということについての整合性は存在するんじゃないかというのが私の意見であります。

谷口(隆)委員 ありがとうございました。

 先ほど申し上げましたように、与野党とも、今回、この基金を廃止する、取り崩すというようなことになるわけでありますけれども、先ほど寺内参考人が、戦後強制抑留者が、帰ってこられたときには四十数万人が今十万人程度になったということで、お年も大体八十四、五歳というような状況でございますので、一刻も早く皆さん方に、未処理のままじゃなくて、この処理をしていかなきゃいかぬというように考えておるわけであります。

 今おっしゃっていただいた基金は、「基金の目的」として掲げられておるのが、「今次の大戦における尊い戦争犠牲を銘記し、かつ、永遠の平和を祈念するため、関係者の労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉の念を示す事業を行うことを目的とする。」ということであります。

 それで、この慰藉の念、慰藉事業でございますが、これが主なる目的であったわけでありますが、この基金廃止後の慰藉のあり方と申しますか、こういうようなことについての御意見を持っていらっしゃるようであれば、各参考人にお伺いをいたしたいと思います。

相沢参考人 お答えいたします。

 いろいろと考えられるわけでありますけれども、我々の団体としては、先ほども申し上げましたように、戦争が終わったにかかわらず、ポツダム宣言にも違反をして、本来ならば日本に直ちに帰すべきものをシベリア奥深く連れていって、一割も死なせちゃう。そういった歴史的な事実をやはり後世に長く伝える、そして、我々の後の人が、我々の先祖といいますか先輩たちがこういう苦労をしたんだということをやはり長く長く知って、そして、言うなれば慰めていただく。そのためにはどうしたらいいのか。

 一つは、慰霊碑の建立。これは、各県には一つずつ、私どもの団体から一カ所五百万の補助金をもってつくっていますけれども、まだ四十七都道府県全部できていないんです。半分もいっていない。これを継続してやらなきゃいけない。それから、中央慰霊碑の建立の問題があるんですけれども、これも、一応、千鳥ケ淵が候補になって、そこへ建てるというようになっています。それからもう一つ、そういう抑留関係のいろいろな物、記念物、現在展示していますが、あれをどこに保管するか、そのことも含めた記念館をつくっていく、これも課題になっているわけです。抑留史は一応つくりました。

 そういったような形で、何とかいろいろな事業を継続してやっていただきたいなというふうに思っています。

寺内参考人 私どもの見解といたしましては、平和祈念事業特別基金の持っている存在感の問題についてでございますが、一つには、官僚の天下り的なという、温床だという批判もございます。

 ただ、基金の持っている使命であります貴重な資料の保管あるいは資料の収集等の業務につきましては、かつてシベリア抑留等につきまして五万五千人もの仲間が亡くなっております。一般的な戦争損害というのはせいぜい二%、多くても五%と言われているわけでございますが、それをはるかに上回る一〇%もの仲間が命を失っているわけでございます。これは抑留中だけの死亡でございまして、そういう面で、これらの事実についてしっかり検証し、きちんとした史実を後世に伝えたい、こういう思いが私どもの組織の創立当初からございました。そういう面に即しまして、平和祈念事業特別基金がしっかり頑張ってもらいたい。

 それからまた、厚生労働省におきましてもその作業をきちんとやってもらいたいという希望を常に持っているわけでございますが、どうも今までの経過からまいりますると、ソ連側から持ってまいりました、ゴルバチョフが携えてまいりました名簿、死亡者名簿、これが週刊アサヒグラフ等に掲載されまして大変な話題を呈した、関心を深めたわけでございますが、この名簿とても、全体の検証さえできておりません。これは全部片仮名名でございまして、重複も多くて、なかなか容易ではないということでございますが、たまたま、吉川英治文化賞を受賞いたしました我々の仲間の糸魚川市の村山さんが、こつこつと自分でパソコンをたたきながら、四万七千人に上る名簿を漢字に全部直しました。これは厚労省が持っている名簿よりも多いと思います。そういうような問題につきましても、これは個人の問題じゃなくて、厚労省や平和祈念事業特別基金が行うべき業務ではないかと私は認識をしているわけでございますが、こういう点につきまして検証する業務につきましても、ぜひ今後とも進めてもらいたい。

 基金がなくなりましても、きちんとやってまいりました資料収集、貴重な資料の保管等につきましては、今後ともしっかり国できちんと継承いただきまして、平和祈念事業を今後は国の直轄事業として具体的に進めてほしいという要望を今も持っているわけでございまして、今後はぜひそれを継承いただきまして、国の事業としてしっかり把握をし、同時に進行していただきたい。こんな思いでいっぱいでございます。

 したがって、平和祈念事業特別基金がなくなりましても、その重要な部分につきましては今後とも継続をしていただきまして、しっかり検証し、あるいはまた記録を残してほしい、後世にきちんとした史実を伝えてほしい、こういう願いでいっぱいでございます。

 今のことは直接質問に関係あるかどうかわかりませんが、私の気持ちを申し上げまして、答弁にかえさせていただきます。

 以上でございます。

宮下参考人 お答え申し上げます。

 恩欠連は、金よこせと言うだけではなかったんです。その間、去る大戦に参加されて、いかに苦労があったか。戦争というものは大変だ、平和を我々は肝に銘じてこれから日本のために尽くしていかなきゃならぬという意識のもとに、各種の体験談の集会とか、それから戦争を語る会を、一般の人たちも来ていただいて、そういうものをしばしばずっと行ってきております。

 それは出版もされ、集大成されてはおりますが、まだ恩欠連だけの分野で十分かどうかの問題はありますが、恩欠連としては、そういう真摯な態度で臨んでおりますので、これは今基金が展示をして一般の方々に公開をしていただいておりますけれども、基金が廃止になっても、何らかの意味でこの保存を考えていかなきゃいかぬというように考えております。

白井参考人 基金が廃止になった場合、国が平和祈念事業の一部を引き継いで慰霊・慰藉事業をやってほしいと私は思います。

 それで、今相沢先生の方から、国内の慰霊碑の建設という話が出たんですけれども、私は、シベリアを初め各地に国がやはり慰霊碑を建てるべきじゃないか、こういう考えを持っています。日本民族は古来から、死者の霊を弔うことについては人後に落ちない、こういう歴史的な伝統があるわけです。

 私は、いろいろな機会で、シベリアの日本人の墓地ですね、元抑留者が亡くなってそこに葬られているところを何カ所も行きましたけれども、例えば、人の往来が激しい、ウラジオストクとか、ハバロフスクとか、イルクーツクとかあるいはウランウデとか、こういうところは立派な日本人墓地があるんですよ。しかし、一歩シベリアの奥地に行きますと、何にもないんですよね。それで、ロシア人の案内で、これが日本人の墓地ですと。慰霊碑も何もないです。あるのは土まんじゅうだけですよね。これじゃやはり本当に、向こうで亡くなった人も死んでも死に切れない思いでしょうね。遺族は、お参りに行くといったって、どこへ行っていいかわからないわけですね。

 だから、そういう意味で、ロシアの政府間あるいは地方団体と交流をやって、協力して、その地の日本人収容所はどこにあったか、どういう人たちがいたか、そういう名簿もそろえて、どこに葬られたか、こういうことを探し出して、そういうところに土まんじゅうじゃなくて慰霊碑を建てて、遺族の方がお参りに行ける、そういうことを国でやっていただいたら非常にいいんじゃないか、私はこういうふうに思っております。

谷口(隆)委員 時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

佐藤委員長 次に、長妻昭君。

長妻委員 民主党の長妻でございます。

 本日は、かなり遠くからいらしていただいた方もいらっしゃいます。朝から国会にお越しをいただきましてまことにありがとうございます。本日は、傍聴の席にも朝から全国から体験者の皆様方がお集まりをいただいております。どうもお疲れさまでございます。

 まず、シベリア抑留体験というのは、特に若い方などはどういう状況があったのかということを御存じない方も多いと思いますので、寺内会長の方から、御自身のシベリアで抑留されていたときの御体験などを簡潔にお話しいただければと思います。

寺内参考人 御指摘のありました事項につきまして、端的に発言をさせていただきたいと存じます。

 今の問題につきましては、一九四五年八月九日にソ連軍が侵攻してまいりました。しかも、中立条約を無視いたしまして、国際法をじゅうりんいたしまして侵攻してまいったわけでございますが、それはその後、ポツダム宣言の受諾によりまして終息を見たわけでございます。一斉にみずから武装解除をしてソ連軍の軍門に下る、こういうことでございまして、屈辱的ではございましたけれども、そういう方向で終息を見たわけでございます。

 その後、私どもにつきましては、それぞれ武装解除ができた部隊から逐次中間地点に集結をいたしました。その中間地点に集結した部隊をそのままそっくりソ連軍は使役に使い、同時に、その延長線上でシベリアに運んだわけでございます。そのときに発せられました命令がいわゆる八月二十三日のスターリンの秘密指令でございまして、この指令も、四十七年間を経まして、一九九二年に初めてそれがマスコミの報道によって明らかになったという事情を知っているわけでございます。

 したがいまして、その当時はダモイ東京という言葉に操られながら、我々は家畜同様の輸送をされながらシベリアにおろされたというのが実態でございまして、それから全く想像も絶するような悲劇を味わったわけでございます。当時は、祖国に帰れるという言葉に操られながらそれぞれ見てまいったわけでございまして、卑近な例を言いますと、バイカル湖を見まして、ああ、海へ来たと言って錯覚する者もいたくらいでございまして、その当時は操られながら実は帰ってきたということでございます。当時の状況は悲惨、凄惨そのものでございまして、言葉にすることはできません。

 したがいまして、当時は粛々と武装解除を行い、ソ連軍の軍門に下った、そういう状況下にありながら、そのまま内地へ帰すという言葉に操られながら実は参ったということです。

 ただ、私どもは、率直に申し上げますと、この悲劇を生んだ最大の原因は戦争でございます。そしてまた、戦争にルールがあると私は思っています。しかも、人権あるいは人道等を決めたジュネーブ条約について、日本は一九二九年のジュネーブ条約を批准いたしておりません。同様に、抑留国でありましたソ連側も条約を批准いたしておりません。したがって、批准していない国同士がお互いに争ったわけでございまして、捕虜の人権あるいはその他のものにつきましては、国際法規を全く無視してやってまいりました。言うならば、ソ連の経済復興、戦後復興について我々の兵力をそのまま充当いたしまして、捕虜の労働によって得たものによってロシア側が復興したというのが実際のいきさつでございます。

 したがいまして、私たちは当然ロシア側にも反省を求めたいわけでございますが、その後、大統領が何遍かお見えになりました際に、日本の墓地に参りまして、不明でありましたということを率直に反省いたしているわけでございまして、そういう言葉を日本側からもお聞きいたしたいという気持ちでいっぱいでございます。

 とにかく、混乱をした中でございますが、粛々と兵の武装解除が行われました。その上で、ソ連軍の方で一方的に、スターリンの極秘指令によりまして我々を輸送したというのが実情でございます。私たちはほとんど丸腰でございまして、全く何も持っていない、したがって、引揚者あるいは開拓民の皆様方を守るすべもない、こういう実態が当時の実情でございまして、まことに残念きわまりない次第でございます。しかも、その上に、強制労働によって一〇%に及ぶ犠牲者を出したという、万斛の涙をのみながら我々はこの際引き揚げてまいったというのが実情でございます。

 そういう実態でございますから、今かれこれ十万人しかいない、その私どもの思いをぜひこの法案の中へ託していただきまして、実り多い成果をいただければまことにありがたい、このことを重ねて強調申し上げまして、長妻先生の御質問にお答えする意味で見解を申し述べさせていただきました。よろしくお願いを申し上げます。

長妻委員 どうもありがとうございます。

 きょうは抑留体験の相沢会長もお出ましをいただいておりますので、相沢会長の方から、このシベリア抑留、御自身が抑留された体験の一端を、ぜひこの議事録に残す形でお話しいただければと思います。

相沢参考人 戦後長らくこの運動が起きなかったのは、やはり抑留体験というのは、思い出しても嫌だ、人に話すのも嫌だという思いがあったからであります。

 私自身のことをお尋ねでありますが、手短に申しますと、私は当時、昭和二十年の八月、北鮮の咸鏡南道の県都といいますか、咸興に駐屯していました第三十四軍軍司令部の経理部の将校をしていました。終戦になりましてから、我々の軍の軍司令官とソ連軍の何とかという大将の間に交わされた文書では、在留邦人が内地に引き揚げていくまでの間、鉄道沿線の警備を担当する、それが終わったら日本へ帰す、こういうような話になっておったと聞いているんです。我々もそのつもりでいました。

 ところが、それはうそでして、間もなく定平というところの収容所に入れられました。それから、興南の港から船に乗って、日本へ帰す、ダモイ東京だと言いながら、実は船はポシェットに入っちゃった。それで、クラスキーノというところで約一カ月過ごして、それからシベリア鉄道の貨物列車に乗せられて二十三日間、キズネルというところでおろされて、そこから、真冬であります、十二月の終わり、粉雪の降る中を百キロ歩かされ、その間に犠牲者も出しました。エラブガという収容所に着いたのが、私は昭和十二年の十二月三十一日でありました。それから二年数カ月、収容所の生活を送ったわけであります。

 当初は、特に糧秣のノルマがきちっとあるんですけれども、それを果たさない。どうも、私らの先住民としてドイツの連中がいましたが、これはスターリングラードのまさに捕虜ですね、この連中はソ連側と結託しまして糧秣の横流しをしておった。それは後に発見されたわけですけれども、そんなこともあって、皆平均十キロやせましたね。

 強制労働ということについては、我々は、五千人ほど、将校集団でありました。ですから、将校は強制労働に服させないということになっているんですけれども、進んで五カ年計画に協力してほしい、全員署名をしてくれということを向こうから要求されて、我々は絶対にそれは署名しまいというので全員拒否したわけですね。その報復を受けました。私自身は、二十年の春に、これはまさに誤解ですけれども、戦犯容疑でカザンの監獄へ四カ月ほどほうり込まれまして、調査を受けたわけであります。それは後に全く事実に反するということがわかって、私は最終梯団の一人として帰ってきたわけであります。二十三年の八月十四日に舞鶴に上陸しました。

 その間、思いましたことは、我々は戦争が終わってから、ということは、八月十五日に天皇陛下の命令でもって戦争をやめろということになったんだから、戦争中に捕まったんじゃない、つまり、ロシア語で言うと、ヴオンヌプレンヌイじゃない。彼らは、捕虜だと言うんですね。我々は、捕虜じゃない、抑留者である、インチェルニーロバンヌイということを言っておったんです。収容所の中でその論争もしました。でも、やはり鉄条網の中にこっちがあるわけですから、幾らやっても話がつかぬし、これは帰ってきてからもソ連側、ロシア側ともいろいろやりましたが、彼らはやはり依然として、我々は捕虜だ、こう言っておるんです、今でも。

 やはり我々軍人であった者は、生きて虜囚の辱めを受けないという戦陣訓が頭にありますから、捕虜と言われることに対して大変な恥辱を感ずるわけです。ですから、そういうことでは絶対ない、抑留者ということを主張してきているわけですけれども、要するに、肉体的に非常にひどい目に遭ったということはもう言うまでもありませんが、やはり精神的に、さっき家畜のように扱われたということを言われましたけれども、まさにそういう思いをした、屈辱であります。これはなかなか忘れることのできない思いであります。

 いささか長くなりましたけれども、一言申しました。

長妻委員 最後に、抑留御体験のお二人に、寺内会長と相沢会長にお伺いいたしますけれども、我々もいろいろな方々のお話を聞き、党内であるいは野党間で議論をいたしまして、今回、法案を提出させていただいた、実現性の高いものをぎりぎり検討して出させていただいたと思っておりまして、改めて一言ずつ、寺内会長、相沢会長から野党案についてコメントをいただければと思います。

寺内参考人 重ねて申し上げたいと存じます。

 私ども、再三主張いたしておりますように、補償にかわるものという要求をずっとしてまいりました。ただ、政府・与党の側では、補償はできない、慰霊・慰藉事業はするけれども補償はあり得ない、既に戦後処理は終わった、こういうことを繰り返し申しておりまして、常に平行線をたどって今日に至ってまいりました。したがって、シベリア問題は積年の問題であるという理解をいたしております。

 したがって、このままでまいりますると、私どもは存命中についにらちが明くということはできないというところまで追い詰められたわけでございまして、この際、やはりいつかはこれは議論をまとめなきゃいけない、そういう点で我々は考え方を一致いたしまして、せめて補償にかわる代案というようなものを求め続けてまいりました。

 したがって、その点につきましては、金額的にもあるいは内容的にも若干不備はございますけれども、いろいろ議論はありますけれども、とにもかくにも、五段階に分けて、抑留の年限に応じまして特別給付金を交付する。その発案というのは、六十一年に、相沢参考人が申しましたように、内閣委員会で全体で一致をしてあわや成立というところまでまいりましたところ、政府の強い抵抗に遭って没になったといういきさつもあるものですから、そこのところをしんしゃくしながら、せめてこの案につきましてぜひ賛同いただきまして、我々は奴隷労働で過ごしてきたという記録を残してあの世に旅立つわけにはまいりませんで、せめてこの辺の問題で、ぜひひとつ参考にしていただきながら、実り多い名誉のある解決策を講じていただきたい、それが私どもの心情でございます。

 長妻先生がおっしゃるように、この野党案がすべてではございませんが、今考えられるベターであろう、こういうような感覚を持っているわけでございます。ぜひこのことを参考にしながら取りまとめをいただければまことにありがたい、このことを最後に申し上げまして、私の見解とさせていただきます。ありがとうございました。

相沢参考人 率直に申しますと、補償というようなことでいえば、大変失礼なんですけれども、今の時代に何十万ぐらいの金をもらって補償だという気持ちにはなれません。なれませんが、しかし、今の野党の案は、かつて我々がつくった案と非常に似ているわけですよ。ですから、そういう意味からいえば野党案に賛成したいけれども、しかし、私もいろいろと立場がございますし、自民党の皆さんと現在提出の法案について話し合いもしてきた立場でありますから、できれば、今の十万円というのを二十万にしてほしい、こう思っているんですよ。旅行券なんていいましても、行けない人もいますし、やはりお金で配った方がいいんじゃないかというふうに思っていますが、そういうところで御勘弁を願いたいと思います。

長妻委員 どうもありがとうございました。

佐藤委員長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。きょうは、四人の参考人の皆さん、ありがとうございます。

 私、やはりこの問題は、一つは、日本の戦後処理の問題がまだまだ幾つも課題として残っているというふうに思うんです。シベリア抑留の問題もそうですし、恩給欠格者問題もそうですし、従軍慰安婦問題とか、中国人、朝鮮人の強制連行の問題また強制労働の問題、それから中国残留孤児の問題とか民間被災者問題など、戦後処理の問題というのは、六十年余りたっても解決されていない問題が数多くありますし、やはり一つ一つきちっとしていかなきゃいけない。

 とりわけシベリア抑留者の問題としては、皆さん本当に長年御苦労いただいて御高齢になってきておられますし、速やかに解決すべきものと考えております。

 その中で、一つには、抑留の真相の解明とか日ロ政府の被害者遺族への真摯な謝罪というものをどういうふうにきちんとしていくのかとか、未払い賃金を含めた国家としての補償をきちんと行う、それから、追悼や慰霊事業と歴史の継承、これらが忘れられることのないようにきちんとしていくことが大事だというふうに考えております。きょうは、そういう立場から参考人の方にお伺いしたいと思います。

 最初に、寺内参考人にお伺いしたいと思います。

 同じ元捕虜、抑留者でありながら、南方から帰還した元捕虜とシベリア抑留者と、労働賃金の支払いでも、帰国後の就職の問題とか、さまざまな扱いで差別的な問題があって御苦労いただいたということを多くの方たちから伺っておりますし、先ほどは宮下参考人の方からも、公平公正でなければならないと。本当にこれらの問題というのはそうだと思うんです。法律が不備であるためにシベリアでの労働賃金が未払いで南方と差別が生まれてくるならば、まず法律によって政治的に解決をする、この立場をきちんと貫くことが大事だというふうに思っておりますが、この点についてのお考えを伺っておきたいと思います。

寺内参考人 ただいまの御質問についてお答えをいたしたいと存じます。

 差別ではないかという認識を私は持っているわけでございまして、連合国の捕虜になりまして南方での作業をした兵士については、それぞれ、帰国に際しましてしかるべき責任ある証明書を持参いたしまして、それと引きかえに大蔵省で労働賃金を支払ったという事例がございます。そのことにつきましては、ソ連の場合には、身ぐるみをはがされて全く何も持たないで帰ってまいりました。逆に身ぐるみをはがされてきたという実績があるわけでございまして、この差につきましてそれぞれ疑問を呈してきたわけでございます。

 裁判の中でもいろいろ議論がございました。南方から帰った者につきましては、労働証明書があったので支払いをいたしました。その前段では、GHQの指示により日本政府で肩がわりをしたということになったわけでございますが、どうもいろいろ聞いてまいりますると、それらを取り決めたジュネーブ条約ではもともと抑留国が支払うべきものでございますけれども、時代の変遷で自分の国の法貨を持ち出すことができないということで、かわりに証明書を持たせて、捕虜の属する国、つまり日本政府がそれを支払ったという経緯があるわけでございますが、ソ連の場合には全くそれが通用しない。したがって、そういう点で差別が生まれてまいったわけでございまして、その辺の差については法廷でもいろいろ明らかにしてまいりましたが、どうもその辺については定かではありません。

 結局、我々の主張は棄却されてしまったわけでございますが、ジュネーブ条約を批准した段階ではほとんどの抑留者が帰還してしまったということや何かもありますし、労働証明書を持参いたしましても、政府がこれを発令し受け取ったわけではないので、民間人の要求により出された労働証明書を政府が認知するわけにはいかない、こういうくだりもございまして、ついに日の目を見なかったわけでございます。ソ連も慌てて後で労働証明書を発給いたしましたが、これは全く紙くず同然の存在でございまして、今もなおその点についての矛盾が残っているという実態でございます。

 南方の兵士には払った。ところが、ソ連の抑留者については全く支払っていない。しかも、労働証明書が発給されたにもかかわらず、それは全くほご同然である。こういう実態が今もなお解消されていない。こういう問題を含めて私たちはいろいろ争ってまいりましたけれども、我々の命にも限界がございますのでそろそろ幕を引かなきゃなるまいという考えを実は持っているわけでございまして、そういう面で、たまたま今回の特別基金の解散に伴う出資金の扱いの問題につきまして、片や慰労品、片やいろいろなことが宣伝をされておりますけれども、少なくとも、その出資金について適正な措置をいただきながら、我々の気持ちを酌んでいただいて、少しでも我々の気持ちに沿っていただくような取り扱いをしていただきたいというのが精いっぱいの願いでございます。

 今のことの繰り返しをいたしますと、南方には支払い、ソ連邦から帰った者には払っていない、この差は依然として我々の疑問として残っておりますけれども、それを繰り返してみてもらちが明きません。そんなことから、我々は意を決しまして今回の野党案について賛意を表したわけでございます。

 しかも、前例がございます。かつては超党派で内閣委員会で可決をする寸前まで行ったという経緯もあるわけでございまして、内容は、相沢参考人御指摘のようにほぼ同様の趣旨でございまして、それを再現させていただいているのが今回の法律でございます。

 したがいまして、差はありますけれども、この辺で結論を出したい、私どもこういう願いがございまして、年齢的なものを含めて率直な意見を述べさせていただきました。差があることは承知をいたしておりますが、いつまでもこのことにかかずらっているわけにはまいらない、時が流れて私どもの命も限りがある、こんなことから我々は今回の措置について決意をさせていただいているのが心情でございます。よろしく御理解を賜りますようにお願いをいたしたいと思います。

吉井委員 相沢参考人と寺内参考人のお二人に伺っておきたいと思うんです。

 先ほど相沢参考人の方から、シベリア抑留は言ってみれば拉致事件のようなものであったという趣旨のお話がありました。この間、ちょうど中国残留孤児の神戸地裁の判決の後、自民党の皆さんも私たちも超党派的に集まりに寄せていただきましたけれども、中国残留孤児訴訟の神戸地裁判決では、原告らに北朝鮮拉致被害者が法律上受け得る支援措置と同等の自立支援措置を受ける権利がある、こういう判断が示されております。

 私は、そういう拉致とか拉致に近い状態に置かれてきた人たちの場合について、法律上、この面でも大きな格差といいますか差別といいますか、それを設けない、神戸地裁が言っているように拉致被害者と同等に扱う、そういうことをきちっと考えていくことがやはり大事なのではないかというふうに思うんですが、お二人の方から伺っておきたいと思います。

相沢参考人 私は、判決を新聞で見まして、あれだけのお金が出るなら、率直に言って、我々ももっともらったっていいじゃないかというふうに思いました。

 ただ、またほかの団体とちょっと違うところは、ほかの団体は、日本政府に補償の義務ありとして訴訟を起こしてやったわけですね、結局最高裁まで行って敗訴になりましたけれども。私どもは、そこは、賃金補償は抑留したソ連側の責任なのであって、我々はそれを、日ソ共同宣言第六項によって請求権を放棄したんだから放棄した日本政府に責任あり、当然それは日本政府が払わにゃならぬのだという論理に必ずしもならないので、やはりソ連政府に対して補償を要求すべし、日本政府に対しては要するに慰藉事業として何がしかの慰労金を支払ってもらいたい、こういう立場で私は来たわけでございます。

 ですから、今おっしゃるところは、その辺の不均衡じゃなかろうか、多分こういうことだと思うんです。それは、私どももそう思わぬでもありません。ありませんけれども、私どもの立場としては、そういう考えでございます。

寺内参考人 ただいま御指摘の事項でございますが、拉致の問題とダブらせて考える認識が我々は非常に強いわけでございまして、言うならば、ソ連側の我々の抑留につきましては、いろいろ説はありますけれども、二月に行われましたヤルタ会談の結果、日本軍を攻めてもらいたい、こういう要請がアメリカ・トルーマン大統領からソ連側にあったということが、つまりこれが発火点でございまして、それに基づいて日本に侵攻したということでございます。しかも、終戦の詔書につきましては、あれは単なる天皇のコメントである、そういう主張を繰り返しながら、なお八月十五日以降も彼らは北方四島や千島列島等の方に攻めていったという事例があるわけでございまして、まさに言語道断だというふうに言わざるを得ません。

 ただ、私たちは、捕虜という立場について日本の戦陣訓が強調されましたけれども、日本の指揮官である将校にすら、ジュネーブ条約、人道国際条約等について余り深く普及をしていなかった。したがって、シベリア抑留で一〇%もの被害が出たということにつきましては、我々は、やはり中身について、もっとこれを低く抑えることができたのではないかという反省もあります。ということは、ジュネーブ条約を遵守すれば、八時間労働したら我々は職場を放棄する、強制労働に服さなくてもよろしい、これくらいの認識は持っているんですが、そういう教育は全く受けておりませんで、日本には捕虜はいない、生きて虜囚の辱めを受けずという戦陣訓だけが横行しているという実態でございますので、そういう点で被害を多くもたらしたものと言えると思います。

 私どもは何と六十万人で一番多く抑留されたと思っておりますところが、全体の総数は四百万を超えたと言われております。そのうちの半数は当時の西ドイツでございまして、特に直接戦闘いたしましたソ連側の戦時賠償としてドイツの兵士は連行されたわけでございますが、私たちは、言うならば北朝鮮の問題とダブらせていただきまして、拉致の問題は組織的、計画的犯罪である、そういう面で拉致問題を例えるならば、我々がむしろ拉致の元祖ではないか、こういう気持ちさえ持っているわけでございます。

 そういう面で、いろいろ適切な措置を講じていただくのには、拉致の方々や何かを含めて見て、あるいは漁船の拿捕等を見て、国家的な命令に基づいて出撃をしたわけではありませんけれども、それなりに国家補償を受けている。そういうものを見てまいりますると、政府の命令によって出撃をし戦火の中に飛び込んだ我々に対しましては余りにも行政のやり方が冷たい、我々はこういうことを言わざるを得ないというのが実態でございます。

 そういう面からも、いつまでもそのことにかかずらっているわけにはまいりませんから、今回の措置の中でせめて野党案ぐらいのものについてはぜひ我々は受領いたしたい、こういう気持ちでいっぱいであるというのが現在の心境でございます。

 特にそのことを申し上げまして、御答弁になるかどうかわかりませんが、見解を申させていただきました。よろしくお願いを申し上げます。

吉井委員 最後に白井参考人にお伺いしたいんですが、戦後処理の解明もこれからのずっと大事な点ではないかなというふうに思っております。

 一つは、ポツダム宣言等違反のスターリンの戦後処理の重大な誤りは明白だと思います。もう一つ、その当時の日本の対応ですね。参謀本部の方針を受けた関東軍の対ソ処理方針、その中には、例えば瀬島氏の陳情起案文なんかで、極力貴軍の経営に協力するごとくお使い願いたいというふうにある文ですね。つまり、皇軍兵士六十万人を差し上げますからどうぞお使いくださいという趣旨のことですね。そういうところについての解明というのはやはりこれからもきちんとやっていかなきゃいけないのではないかと思いますが、この点についてのお考えを伺って、質問を終わりにしたいと思います。

白井参考人 御指摘のとおりであります。

 ただ、現在のソ連の公文書館政策というものがプーチン政権になってから非常に大きく変わりました。エリツィンの時代からそうなんですが、要するに、公文書の管理が厳重になって、外国人に対してはこれをなかなか公開しない。もちろん、内国民のロシア人に対してもそうであります。それで、参謀本部とか国防省とか、そういうところにはシベリア抑留に絡まるいろいろな歴史文書が存在することは私たちも確認しているんですけれども、それを見せろと言ってもなかなか見せないんですね。そういうようなことで、この抑留問題の歴史的な解明というのはもうひとつうまくいかないというのが現状であります。

 しかし、私たちはそれをあきらめているのではなくて、我々が言うよりもロシア人の研究者が言った方がやはり公文書館に入りやすいし、また資料もとりやすいというようなことで、日露歴史研究センターといたしましては、シベリア抑留問題だけではないんですが、いろいろな問題について、ロシア側の研究者、それからロシア国防省の戦史研究所、こういったところと活発な交流を行っていまして、今後の新しい資料発掘のため努力しているということを御報告申し上げたいと思います。

吉井委員 終わります。どうもありがとうございました。

佐藤委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日は、四人の御参考人の皆様、また、傍聴席にもたくさんの傍聴の皆さんが恐らく日本全国からお越しくださっていることと思います。参考人のお話を伺いながらも、戦後六十一年、そして日ソ共同宣言から五十年たって、私の率直な感想としては、まだまだ事実、実態は解明されていないんだなということと、私ども戦後に生まれまして、いわば皆さんの御尽力や御苦労の上に成り立つ戦後の日本社会が、本日、与党の提案並びに野党の提案によって、本当に皆さんの御苦労に報いる一端なりとも果たせるかどうか、それすらまだ定かでなく、膨大な事実の深遠さ、深みにはどのように迫っていけるんだろうかという思いを改めて強くいたしました。そういう観点から御質問をさせていただきます。

 そして恐らく、きょう御出席の相沢先生やあるいは寺内さんは、長いことこの問題にかかわってこられたと思いますが、おのおのが納得しているわけではなく、年月とそして年齢と、皆さん御高齢になられたということで、ここでとりあえずの決着をということであれば、残された世代への宿題がすごくたくさんあるんだということも、身の引き締まる思いで聞いております。

 私は、この問題をきょう質疑させていただくに当たって、改めて、少ない私の知識を補強すべく、いろいろなところで資料を参考にしてみましたが、いわばシベリア方面の抑留問題、捕虜となり抑留され強制労働に至った、その抑留問題の全貌が少しなりとも公的な文書によってつまびらかになってきたのは、平成三年の四月、ゴルバチョフ大統領が死亡者の名簿と埋葬地の地図を持って来日をされた、平成三年からだと思います。そして平成十二年になって、四十七万人の抑留者の名簿というもの、これは死亡された方を除くというものがロシア側から提供されて、そしてつい昨年だと思います、平成十七年には、シベリアから北朝鮮に逆に送られた方々の二万七千人余の名簿が明らかになった。この一つを見ても、まだまだこれから実態というのは明らかにされねばならないし、その緒についたばかりかもしれないと思います。

 そこで、長年この件にかかわってこられました寺内参考人にお伺いいたします。

 果たしてこれまで、政府の側、主に救援、援護事業は厚生労働省でございましたが、どなたがどのような形で抑留され、どのような経過をとられたかということについて、先ほどお話の中では、個人個人が必死に名簿のロシア語からこちらに移し、あるいは片仮名から日本語に起こしながら確定をしているというお話をいただきましたが、政府側の取り組みがどうであり、今後どう進められるべきかということでの御意見を賜りたいと思います。

寺内参考人 ただいまの御質問にお答えさせていただきます。

 一つには、今のシベリア抑留の問題についての解明につきましては、厚生労働省の社会・援護局の資料室で担当しているわけでございますが、これもごく限られた人員でございまして、なかなか遅々として運んでこない。しかも、死没者の名簿等につきましても、なかなか管理がうまく行き届いていない。厚労省の名簿と私どもが検証した名簿とでも差異がある、こういう実態もございます。引き取ってまいりました遺骨についても、せっかく引き取ってまいりましても、遺族に返還をするにも名簿の公開もない。したがって、我々が生きているうちに名簿等を公開いただければ、仲間の言い伝えによりまして少しでも発見が早まるのではないかという意見がありますけれども、個人情報保護法によりまして公開はできないということ等もございまして、なかなか障害があるようでございます。

 やはり片手間にやるような話ではなくて、国家的事業として、シベリア抑留の全容解明、それからもう一つ、検証についてはきちんとしていただきたい。つまり、その全容について明らかにいたしまして、後世にきちんとした事実を伝えていただいて、もって平和祈念の念を多く国民の皆さんに持っていただきたい、こんな気持ちでいっぱいでございますが、まだまだ進んでいない。

 しかも、後々になりまして、ソ連側から、現在のロシア側からもたらされる情報によって明らかになります、例えば、シベリアにおりました抑留された人員の中で二万七千名もの人員が、病弱のゆえをもって労働力に値しないということで、内地へ帰るという名目が、いつの間にやら北朝鮮に上陸をして、そこに抑留されてしまった、逆に北朝鮮にいる労働力を改めてシベリアに送ったという事例もあるくらいでございまして、どんどんどんどん果てしなく事態が広がってまいります。

 そういう面では、日本の政府の側のソ連に対する具体的な要請、あるいは国と国との間の交流というようなものが極めて希薄ではないか、そういう面で、もっと内容を広げ、しかも資料室の人員等もふやしてきちんと対処をすれば、予算的裏づけを持てばもっと問題が広がっていくのではないかというふうに考えますけれども、なかなかそれは進まないので、その辺の内容についても精査をいただきたい。

 ところで、今回の平和祈念事業特別基金の解散に伴いまして、基金としてやっておりました平和祈念事業の調査や資料収集等の問題につきましても、これらを全部一元化してきちんとした検証をしていただきたいということが願いでございまして、そういう面で、厚労省や外務省やいろいろなところにまたがっておりますが、一元的に管理をいただきまして、今後の対応をぜひ急いでほしい、このことを特に強調し、答弁にかえさせていただきたいと思います。

 以上でございます。

阿部(知)委員 本当に御指摘のごとくだと思います。シベリア方面に限らず、日本が、あの大戦で海外で戦没された方の御遺骨の収集も、実はまだまだ国家レベルのきちんとした対応がとられていないということを私は日ごろ大変に問題に思い、取り上げさせていただきました。

 そして、昨日も実は厚生労働省の援護局からいろいろお話を伺いましたが、おっしゃるように、人員も少なく、寄せられた情報の処理にもなかなか手間取り、私から見れば、そうしている間にも、お一人お一人、亡くなっていかれる方、御家族、御遺族も亡くなっていかれるという状態が重なっていて、本当に胸が詰まる思いでありましたので、これは与野党を問わず努力していかなきゃいけない、新たな決意で臨まねばならない全貌解明だと思いますので、また午後の質疑で明らかにさせていただきたいと思います。

 もう一点、白井参考人にお願いいたします。

 お話の中で特にポイントと承りましたのは、いわゆる労働対価、労働に対しての債務を国はどのように受けとめ、どのように対処すべきかということであったと思います。この点は、いろいろ戦後の処理の中で、いわゆる戦後補償をどうするかという個人補償の問題とは私は一定切り離してでも、債務、働いたことへの労働対価を、相沢参考人がおっしゃいましたが、本来であればソビエト側の問題でありますが、それが現実に放棄された状態の中でどのように取り上げていくかという問題に、極めて重要なポイントがあると思います。

 その点についての歴史研究と、今後いろいろ進められると民間サイドの力強いお話も伺いましたが、きょうの御参考人の御発言としては、この労働対価の問題でもう一言二言お願いいたします。

白井参考人 労働対価の問題の根拠になっているのは、陸戦の法規に関する一九〇七年のハーグ条約、それから軍事捕虜の人道的な取り扱いを定めた一九二九年並びに四九年のジュネーブ条約、その他国際慣習法があるわけであります。これはそういう法律に立脚した問題であって、本来、ソ連ないしは日本政府が債務負担を持っているわけですね、払わないということは。だから、これは当然払うべきであるんですけれども、実際、最高裁までやった裁判が原告側の敗訴に終わっちゃったわけですから、裁判の司法の面でこれを実現することはできない。そうすると、行政は労働賃金を払わないと言っているんですから、国会の場でこれを実現するよりほかにないわけですね。

 そういうようなことで、現在、法案の御審議をいただいているわけですから、これは単に旅行券十万円払ってそれで終わりだ、こういうことではなくて、やはり労働対価である労働賃金に見合うぐらいなものは出さないといけないというのが私の意見ですね。

 それで、それは何も日本だけでやっているんじゃなくて、戦争に参加した戦勝国、それから負けた国、それもみんな自国の軍事捕虜に対してはちゃんとそれぞれ立法措置でもって弁済しているわけですから、なぜ日本だけがそういうことができないのか。私はやはり不思議でたまらないんですよ、これが。だから、外国から見ると、日本は何をやっているんだ、こういうふうに見られかねないですから、やはり人道的な立場に立って、元の抑留者の希望をかなえてやるのが国家の責務であるし、または立法府の責務であるというふうに私は考えております。

 以上であります。

阿部(知)委員 恐らく、先ほど来、相沢参考人やあるいは宮下参考人のお話を伺っても、お立場は本質的には同じであろうと私は勝手に推測しているわけであります。しかしながら、与党案がこれありということもあって、ここでは寺内参考人に最後に、今お立ちくださいましたので、今の問題で、やはり銀杯や記念品じゃないというところの思いがお強いと思いますので、お一言あったら、お願いいたします。

寺内参考人 重ねてお答えをさせていただきたいと思います。

 日本政府では今のシベリア抑留の検証について遅々として進んでいないということを指摘いたしましたが、旧ソ連、今のロシアには資料はまだ無限にあると思います。そういう点を引き出すためにも、もっともっと積極的にアタックをすべきであるというふうに理解をするわけでございますが、なかなか腰が持ち上がらない。それは既に、原点として、シベリア抑留の問題等を含めて戦後処理は一切終わった、こういう認識が政府にあるからでございまして、補償はしない、もう戦後処理は終わったという認識を改めなきゃなりませんけれども、これは百年河清を待つに等しいというふうに言わざるを得ません。

 したがいまして、私たちは、そういう主張をしながらも、どこかで折り合わなきゃなりませんので、せめて今日の抑留に対する補償的な意味合いを持つ野党案について、これが適切ではないかという表意をしたわけでございます。

 そういう面で、もともと元来が、この抑留につきましては、日本政府では戦陣訓は教育したけれどもジュネーブ条約は一切教育をしていない、こういうところに問題がさらに加速をしたというふうに私は認識をするわけでございまして、今後の課題といたしましては、シベリア抑留を検証すると同時に、その原点となりましたジュネーブ国際条約、特に人道、人権を定めた条約について、国内定着についてもっともっと政府は力を入れてほしい、こういう願いでいっぱいでございます。

 単に日赤に任せる、あるいはそういうことを主張する団体に任せるというのではなしに、国が一番この問題、人権、国際人権、人道に即したジュネーブ条約を国内に定着する、そういう具体的な行政指導をすべきではないかという認識を強く持っておりますので、そのことを最後に申し上げ、今の阿部先生からの御質疑がありました点につきまして、私たちは、今後の課題といたしまして、そういう点について一層の努力を政府に払ってもらいたい、このことを特に主張いたしまして、私の答弁にかえさせていただきます。

 ありがとうございました。

阿部(知)委員 厳しい御体験とそして貴重な参考人の御意見、本当にありがとうございます。午後の審議に生かさせていただきます。

 終わります。

佐藤委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げたいと思います。

 参考人の皆様には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。

 この際、暫時休憩いたします。

    午後零時十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時十八分開議

佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 第百六十三回国会、宮路和明君外三名提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案、第百六十三回国会、長妻昭君外六名提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案及び独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として総務省大臣官房審議官綱木雅敏君、外務省大臣官房審議官八木毅君、大臣官房参事官梅田邦夫君、財務省主計局次長松元崇君及び厚生労働省大臣官房審議官荒井和夫君の出席を求め、説明を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木村義雄君。

木村(義)委員 午前中の参考人質疑に引き続きまして、午後にこのような機会を得て、大変光栄に思っております。

 と申しますのは、この戦後未処理問題に関しましては、きょう午前中に提案者であります宮下先生のお父上がお越しでございまして、まさに親子二代にわたり大変な問題に取り組んでいただいておるわけでございますが、実は私も、この問題、私の父であります木村武千代から引き継ぎまして、地元の恩欠連の井原九八会長等と長い間取り組んできた問題でございまして、きょう、このようにして決着への大きな第一歩を踏むということは、感無量の思いでございます。

 そして、これは大変長い間の多くの方々の取り組みがあったわけでございますけれども、ここに、地元の井原会長から託されました、元軍人軍属恩給欠格者の長崎県連の会長であります元島和男さんという方からお手紙をいただきました。ちょっとこのお手紙を読ませていただきますと、

  私達は、祖国防衛の為、家を忘れ、家族を忘れ、凡てを捧げ日本の国のために尽くして来ました。にも拘らず、兵役年数が十二年に不足するの一言で、何一つ国の恩典を頂くことが出来ず、無念の涙を流して来ました。日本の将来のことを考え、昭和五十五年から恩給欠格者にも国の恩典を与えて下さいと、全国的運動を起してやつと、外地含めて三年以上の者に内閣総理大臣の書状と銀盃と記念品、外地含めて一年以上、内閣総理大臣の書状と銀盃、内地一年以上の者に内閣総理大臣の書状のみの、まことに憐れな恩典ではありますが、辛抱して来ました。

  この度、私達恩欠者の願いによつて設けられました基金二〇〇億を取り崩して、これまで頂きました書状・銀盃の受領者の中の生存者に僅かの金品を下さる法案が、種々の事情で審議が遅れておりますことにまことに残念でございます。

  私達仲間は平均年令八十六才でございます。折角の僅かの国の恩典をたのしみに待ち乍ら、次々とこの世を去つて行きます。一日も待てません。不満足乍らも、一日も早くこの法案を審議して通過させ、この恩典を与えて下さい。

  日本国の為に凡てを捧げて国を守つた恩欠者に、先生方のご協力により喜こんで恩典を与えて下さい。長崎県の恩給欠格者を代表して伏してお願い申し上げます。

  元軍人軍属恩給欠格者長崎県連合会長

                 元島和男拝

 まさに悲痛な叫びとも言えなくもないわけでございまして、恐らく、この方を初めとして、戦後未処理に関係されている多くの方々の思いがこの手紙に凝集されているのではないか、そんなような感じがいたしましたものですから、大変恐縮でございますけれども、ちょっと御披露させていただいたような次第でございます。

 そこで、この法案に関しまして、提出者の方々にまず御質問をさせていただきたいと思います。

 まず、与党案についてでございますけれども、この法案の概要についてお示しをいただければと思います。

宮路議員 木村先生から、元島さんからのお手紙を引用されまして、今日に至るこの問題の処理、そして法案の提出、審議、そのことについてお触れにあったわけでありますが、我々与党として、自民党、公明党一緒になって提案しております法案には、大きく言って二つの点があります。

 一つは、戦後六十年を既に経過いたしまして、恩給欠格者そして強制抑留者及び引揚者の方々も大変御高齢になってきておられるわけであります。そういう中で、何としてもこういった方々に対してこれまでの事業とは別に新たな対応措置を講じてもらいたい、こういう要請が強くこれまで行われてきたわけでありまして、それを受けて、与党としてもこの問題に長きにわたって一生懸命取り組んでまいりました。そして、五十九年暮れに一たん対応措置というものを取りまとめさせていただいたわけでありますが、その結果、平成十七年の八月に法案を提出させていただいた、こういうことであります。

 その二つの主なポイントでありますが、こうした御高齢となられた関係者に対して、新たな慰藉の事業を行うということが一点であります。そのためには、平和祈念事業特別基金を取り崩してその財源として新たな事業を実施するということであります。そして第二点は、この新たな慰藉事業が完了の暁には、行政改革の観点も踏まえつつ基金を解散する、そして残余の基金についてはこれを国庫に納入する、こういうようなことになっております。

 これが基本的な内容であります。

木村(義)委員 それでは、なぜこの法案を今このタイミングで提出されるのか、少し突っ込んだお考え等をお聞かせいただければと思います。

宮路議員 いわゆる戦後処理問題、木村先生もよく御存じのとおり、政府・与党間において決着をするという形で、これまで何回かそういうことでやってきたわけでありますけれども、関係者の皆さん方にはだんだんと加齢が進んでいくという中で、先ほど申し上げましたように、なおやはりさらなる新しい対応を求める声が大変強かったわけであります。

 そこで、戦後六十年を迎え、そしてきょうの参考人の方からもお話がありましたように、こういった関係者、平均年齢八十四、五歳というような大変な御高齢に達しておられるわけでありますので、そういったことを総合勘案させていただきまして、先ほど申し上げた五十九年の暮れあたりから急ピッチで我々としてはその対応をどうすべきか議論させていただき、取りまとめを行って、去年の八月四日だったと思いますが、法案を与党として提出させていただいた。しかし、その後、去年の通常国会は突然の解散ということになりましたので、ここで廃案となり、改めて総選挙後の去年の特別国会に提案をして今日に至っている、こういうことでございます。

木村(義)委員 多くの方々が大変御苦労されているわけでございますけれども、本来であれば、こういう法案は政府提出法案としても決しておかしくはないと思うわけでございますけれども、従来の経緯もあるのでしょうか、今回も議員立法でございます。

 今回も議員立法として提出された趣旨のほどをまたお示しいただければと思いますが、いかがでございましょうか。

宮路議員 先ほどから検討経過も申し上げさせていただきました。これは、あくまで我々としては、与党のリーダーシップを発揮するという形で内容の詰めも行ってまいりました。そして、独立行政法人たるこの基金の解散ということにも思い切って踏み込む、そういう決断を与党として行ったわけでありまして、そういった高度な政治判断というものが背景にあった関係から、この法案も議員立法という形で提案をさせていただいた、こういうような次第でございます。

木村(義)委員 今の高度な政治判断という御判断に心から敬意を表する次第でございます。

 与党案の中身を見させていただきますと、現行の慰藉事業から新たな慰藉事業に切りかえるというような中身になっているわけでございますけれども、御意見の中には、現行のままでも継続させればよいのではないか、こういうような御意見もあるところでございまして、新たな事業として展開させるというその御趣旨を御答弁いただければと思います。

宮路議員 これまでの慰藉事業につきましても、書状あるいは銀杯、そしてまた慰労の品の贈呈ということをやってきたわけでありますが、先生も御承知だと思いますが、最近数がだんだんと少なくなってまいりまして、平成十五年で見ますと、申請者数が一万二千八十五人、平成十六年が八千三百四人、そして十七年が五千二百四十二人と、このように急速に減少をいたしておるわけであります。

 そういう中にあって、先ほど申し上げたように戦後六十年がもう既に経過いたしまして、この戦後処理三問題、これも、関係者の方々の高齢化が進む中にあって、与党としてもこれに最終的な決着をつけるということにしてはいかがか、そういう思いに立ちまして、新しい形での慰藉事業を基金に行わせよう、そして関係者の方々に対して慰藉の念をしっかりと示していこう、こういうことで、新たな事業を行うことが必要と考えて、それを、財源を基金の取り崩しというところに求めて法改正を行う、こういうことになったわけであります。

木村(義)委員 今、宮路さんから、基金の資本金部分を取り崩すというようなお話がありました。これは地方では、基金をためておいて、どんどんどんどんと使っていってすぐゼロになってしまうような例があるのでございますけれども、今回、このような形で法律でもって基金の資本金部分を取り崩すということでございますけれども、国におきましては、資本金部分を取り崩す、過去においてはどんな例があるのか、お示しをいただきたいと思います。

宮路議員 もともと平和祈念事業特別基金の事業の進め方は、出資された四百億の運用益を用いて事業を展開していく、こういうことであったわけでありますが、最近の超低金利の時代に入りまして、とてもその運用益では賄い切れないということがずっと続いておりまして、一般会計から交付金あるいは補助金という形でこれを補うということで事業をやってきたわけであります。

 今回は、それを、先ほど申し上げたようなことでもう最終決着を図るという観点から取り崩しをして、いずれ解散ということにするわけでありますが、そういう取り崩しをした事例といたしましては、私どもが調べた範囲では、平成十六年の第百六十一国会におきまして、これも議員立法において行われた法改正でありますが、独立行政法人福祉医療機構法の一部が改正されまして、当該法人が障害者スポーツの支援のために資本金の取り崩しを行ったという例があるところであります。

 以上であります。

木村(義)委員 独立行政法人福祉医療機構法の障害者スポーツ支援のため、こういうことでございますが、それ以外には例はなかったんですか。

宮路議員 私の知る範囲では、その一件ということでございます。

木村(義)委員 政府参考人で、この辺いかがですか。

綱木政府参考人 お答え申し上げます。

 必ずしも私の方から政府のことをすべて語る立場にないわけですが、残念ながら、私ども総務省につきましても、こういう事例をちょっと存じ上げない次第でございます。

木村(義)委員 わかりました。

 そこで、資本金の取り崩しということでございますけれども、どの程度の額を取り崩す所存であるのか、お示しをいただきたいと思います。

宮路議員 先ほどの基金の取り崩しでありますが、法人としては先ほど申し上げた法人一件なのでありますけれども、その助成の対象としては、NPO法人スペシャルオリンピックス日本というところに八億円を助成する、それから財団法人日本障害者スポーツ協会へ、これまた取り崩して十二・九億円を支出した。件数としては法人は一件でありますが、その助成の件数とすれば二件あるということであります。

 それから、今、どの程度の額を取り崩すつもりか、こういうお尋ねでありますが、これは、法施行時における対象者の員数だとか、あるいは先ほど申し上げた過去の書状等の贈呈の事業の申請率、そういったものをいろいろ勘案いたしまして、約二百億円程度の取り崩しになるのではないか、そういうぐあいに今想定をいたしております。

木村(義)委員 昭和六十三年の基金創設時のシベリア抑留者に対する慰労金の支給は恩給受給者は対象外であったと承っておりますが、今回はその対象外であった恩給受給者も対象としている理由をお聞かせいただけないでしょうか。

宮路議員 先ほどの数字がちょっと間違っておりましたので、訂正させていただきます。

 NPO法人スペシャルオリンピックス日本への助成は八億円、そして財団法人日本障害者スポーツ協会への助成は五・一億円のうち四・九億円でありまして、合計で十二・九億円というふうに訂正をさせていただきます。

 それから、六十三年の基金創設時の慰労金の支給は恩給受給者は対象外であったけれども、なぜ今回は恩給受給者も対象としているのかというお尋ねであります。

 この六十三年のときの慰労金の支給は、言ってみれば、シベリア抑留者のうち恩給欠格者に該当する方に慰藉の念をしっかりとあらわすということで、恩給受給者以外のシベリア抑留者を対象として行ったわけでありますが、今回は、もう戦後六十年を経て、そして今日生存していらっしゃる、そういう方々に対して慰藉の念をあらわす、本当に気持ちとしてそういう気持ちをしっかりとあらわしてこの問題に決着をつけよう、そういう趣旨の新たな慰藉の事業ということにかんがみまして、そこは分け隔てすることなく、恩給対象者も非恩給対象者もあわせてその新しい慰藉事業の対象にすることが適当ではないか、こういうような観点から双方を対象とさせていただいている、このように御理解いただきたいと思います。

    〔委員長退席、谷委員長代理着席〕

木村(義)委員 恩欠者の方は、先ほども長崎県の会長さんの話がありましたように、年数によって分け隔てがあったわけでございますが、恩欠者の方々に関しましては、できればこれは、もう全員必ず支給はされる、その中身によって多少の差があるかもしれませんけれども、とにかく生存者は漏れがない、こういう点は保証されておられるのでしょうか。

宮路議員 恩給欠格者の取り扱いにつきましても、そこに、外地と内地の経験、外地の経験があるかないかという観点から、一定の差と申しましょうか、違いを設けるというようなことにしてあります。そして、内地経験の方につきましては、加算を加えても一年未満という方については対象としないということにいたしております。これは、そのレベルの方々については従来の慰藉事業においても対象としておりませんでしたので、その点は、延長線上のものといいましょうか、そういう従来の手法を踏襲したという形にそこの点はなっているということでございます。

木村(義)委員 すると、今の御答弁だと、少なくともさきの慰藉事業において受給している恩欠者においては全員に支給できるということは間違いありませんね。

宮路議員 従来の受給資格を持った恩欠者については、今回の新たな事業においても同様であるということでございます。

木村(義)委員 ありがとうございました。

 次に、大変多くの方々が熱心にそれぞれの地域で頑張っていただいて、御協力いただいているわけでありますが、基金による展示事業等は、関係者の労苦を後の世まで伝えるという点では大変重要であると思いますので、この辺は引き続いて行うべきではないかという意見が大変多く寄せられているところでございますけれども、その点につきましての御提案者のお考えを聞かせていただければと思います。

宮路議員 まさに御指摘のとおり、現在基金が行っております展示事業、それは、関係者の労苦が時間の経過とともに国民の記憶の中から忘れ去られて風化していくといったようなことを防いでいく、そして後世の国民に語り継ぐという点で大変意義深いものがある、我々もこう考えておるわけでありまして、今後、基金が解散した後であっても、こういった事業については政府の一般会計においてしかるべく措置してもらいたい、こう思っております。そして、具体的な実施方法についてはまた今後詰めてまいりたい、こういうように思っておるところであります。

木村(義)委員 今の点につきましては関係者の方々の思い入れも非常に深いわけでございますので、どうぞ宮路提案者また宮下提案者におかれましてはしっかりと取り組んでいただきますように、この場をかりまして私からもお願いを申し上げる次第でございます。

 同様な点でございますけれども、現在基金が行っておりますシベリア抑留者の方々への追悼事業に対する助成金は基金の解散後はなくなってしまうのではないかという不安を寄せられる方が多いわけでございまして、この辺についてはどのようなお考えか、お聞かせをいただければと思います。

宮路議員 これも先ほどの恩欠者にかかわる展示の事業と同様に、慰霊の事業につきましても、今後これを継続実施していけるように、基金解散後にあっても一般会計においてそういう措置を講ずるといったことを考えていきたい、このように考えておるところであります。

木村(義)委員 ところで、タイミングの話でございますけれども、もし何らかの形での支給が決まるということであれば、その支給のタイミング、どういう日時なのか。これは基金解散の時期とも非常に密接に関係してくるんだろうと思いますけれども、むしろ大勢の関係者にとっては、いつのタイミングで支給等が行われるのか。その具体的な時期を御明示いただければ、こう思うわけでございますが、いかがでしょうか。

宮下議員 お答え申し上げます。

 まず、一つお断りしておきませんといけませんのは、今回の法案で、基金の解散時期、二十一年九月三十日という明示がございますけれども、これは昨年提出された法案であり、提出から約一年経過していることを踏まえまして、当初考えていたスケジュールを一年ずらしまして、実際のところは、平成二十二年九月三十日までの間において政令で定める日と修正することを想定していることをまずお断りしておきたいと思います。

 その上で、タイミングということでございますけれども、現行事業の受け付けは来年の三月三十一日までこれを行うということで、来年の四月一日、平成十九年の四月一日から新事業の受け付けを開始いたしまして、二年間の間に受け付けをしていただくということでございまして、これにより、新事業の受け付け終了は平成二十一年の三月三十一日となります。

 新事業は現行事業と切りかえになるわけでございますので、まず、現行事業をまだお受けになっていない皆様は、そこのところ、来年の三月までにしっかり御申請をいただいて、できるだけ漏れないように現行事業も受けていただいた上で、新規事業の御案内も申し上げるということになろうかと思います。

 この二年間の申請受け付けは、受け付け次第、事務手続を行いまして、そして、新規の慰藉事業については順次これをお受けいただくということを考えております。

 その後、平成二十一年の三月三十一日、受け付けが終了して以降は、それまでに受け付けを行ったすべての件につきまして慰藉事業をお渡しする、そういった事務手続を行い、また基金解散に向けての事務処理等も行って、その上解散ということでございまして、この事務処理に最大一年六カ月という余裕を見ております。

 しかしながら、この事務処理はもっと早く終了する場合も考えられますので、その場合には、すべての処理を終えた後、速やかに解散すべきだというふうに考えておりまして、実際にはそれは政令によって決めるというタイミングになろうかと考えております。

    〔谷委員長代理退席、委員長着席〕

木村(義)委員 全部を受け付けてから事務処理を開始して、それで金品等のお渡しをするのか。先ほどの宮下先生の御答弁によりますと、同時並行的にやっていくというふうにも受け取れたのでございますけれども、その辺はもう少しはっきりと、あくまでも同時並行的にやって、できるだけ速やかにやっていくんだ、そして、事務処理が全部終わった段階で基金を解散するということでございますね、その辺も含めて。そうすると、早く済めば基金の解散も早くなる、こういうことでよろしいのかどうか。重ねてお願いします。

宮下議員 改めて御回答申し上げます。

 委員おっしゃいますとおり、新規事業につきましては、受け付けと同時に事務処理を行いまして、できるだけ速やかに受けていただけるような処理を考えておりまして、もちろん、二年間、まず受け付け期間を設けて、その後に、二年後に渡し始めるということではなく、同時並行でどんどんお受けいただく、そのことを考えております。

 また、受け付け終了後も、速やかに受け付けられた皆様全員に慰藉事業が行き渡るように、速やかな事務処理を心がけていただき、すべての事務が終わった後に、一年六カ月余裕は見ておりますけれども、できるだけ前倒しで基金の廃止ということができるように処理を進めていただきたいと考えております。

木村(義)委員 その事務処理でございますけれども、相変わらずお役所仕事だったというような話がありまして、以前の事業でございますけれども、受け付けから実際に書状とか金杯をいただくのに、もう首を長くして待って、その間にお亡くなりになった方々もたくさんいるやに承っておるわけでございますので、要するに、役所の事務処理に任せておいていいのかどうか、その辺、提案者の御意見等がありましたら、ぜひお聞かせをいただきたいと思います。

宮下議員 そうしたお声も含めまして、まさに今回の基金の廃止は行革の観点もございますので、与党としてもこれを注視し、速やかな事務処理が行われるようにしっかりと配慮していきたいと考えております。

木村(義)委員 それに関しましては、何か具体的な方策等のお考えをお持ちであれば御披露いただきたいと思うのですが、いかがでございますか。

宮路議員 今直ちにここで御披露するものは特に持ち合わせておりませんが、木村先生のそうした御指摘をしっかりと踏まえまして、法成立の時点におきまして準備も怠りなくやっていく、そして円滑な事務の推進をしっかりとやり遂げていくということで取り組んでまいりたい、このように思っておりますので、木村先生のまた格段の御指導を賜りたいと思っているところであります。

木村(義)委員 その点に関しましても、宮路、宮下両先生の御活躍を大いに期待してやまないところでございますので、くれぐれもよろしくお願い申し上げる次第でございます。

 ところで、この法律の第二条及び附則の第四条がございますが、この点に関しましては、公布の日から施行させるということで書いてございますが、この辺の御趣旨をお聞かせいただければと思います。

宮下議員 第二条及び附則第四条を公布の日から施行させるということになっておりますけれども、これは、本新規事業がスムーズにスタートし、また現行事業から新規事業に移行できますように、この公布の日からすぐに新規事業への準備に取りかかれるように、また、そのためにも基金の取り崩しの権能を基金側に与える。その上で、例えば現行事業をしっかり広報する、また新規事業の受け付けについても周知させる等々の活動が速やかにできるような、そういう体制づくりのために、こうしたことを今回、法に盛り込ませていただいているということでございます。

木村(義)委員 今回の戦後未処理問題、大変長い間、さまざまな方々の艱難辛苦、御労苦の末、今日まで至ったわけでございます。そこで、今回の慰藉事業をもちまして戦後の処理問題はすべて終了し、今後新たな財政措置は全くない、このようなお考えでいるのかどうか、御提案者のお気持ちをお聞かせいただければ、このように思います。

宮路議員 与党といたしましては、先ほど申し上げましたように、今回の新たな慰藉事業は、これをもっていわゆる戦後処理問題の最終決着を図りたい、こういうことで決意をいたしたところでありますので、関係者、恩給欠格者あるいは抑留者、そして引揚者の皆さんの個人に対する慰藉の事業ということはこれをもってもう幕を閉じるということでありますが、先ほど御指摘のありました、関係者の皆さんによる慰霊の事業だとかあるいは展示や資料の保管を通じて、こうした問題が後世に語り継がれていく、風化しない、そういう事業については引き続き実施をしてまいりたい。これは一般会計の中において措置して、政府の責任でやってもらう、こういうことを考えているところであります。

木村(義)委員 大変な御英断だ、こう思うわけでございますので、ぜひそのようにまたお取り計らいのほど、お願いを申し上げる次第でございます。

 ところで、基金の解散があるわけでございます、すべて事業の処理が終わった後で。基金が解散した後はこの基金の業務はどのようになるのか、お考えをお示しいただければと思います。

宮路議員 先ほど宮下先生からお話ありましたように、今回の新たに行う慰藉事業は、平成二十一年三月三十一日まで申請を受け付けまして、その申請の審査及び支給に要する期間として最大で一年六カ月の期間をとることができる、そういうふうにしてありまして、その間に事務を終了することとしておりますが、さらに、先ほど来お話し申し上げておりますように、基金が現在行っている展示の事業やあるいは慰霊の事業ですね、シベリア抑留者に係る慰霊の事業、こういったことにつきましては、基金の解散後においても、しかるべく一般会計において手当てをして、そして引き続き実施していくようになる、こういうふうに考えているところであります。

木村(義)委員 その際におきまして、今までどおりの、官の方のお役人がそのまま、基金のお役人がそのまま残ってそういう事業を引き継いでいくのか。それとも、民間等、アウトソーシングの点もあると思うんですが、その事業の継続に当たってさまざまな方法があると思うんですね。慰霊の事業だとか展示の事業だとか語り部の事業だとか、さまざまあるので、その辺の事業の方法については、これからいろいろな検討の余地があるのかどうか。その辺のことは、何か腹案等がおありでしたら、お示しをいただければと思うんです。

宮路議員 実は、今も、この基金、独法法人である基金には、国の方から職員も、十五名だったかと思いますが、出向をして、今の基金の事業運営にも当たっているという状況であります。したがって、基金解散の暁は、これは出向者でありますので、恐らくまた役所の方へ戻ってきて、そして役所としての仕事をする、こういうことになるでありましょうから、その辺との兼ね合いもいろいろあると思います。

 いずれにしましても、効率的な事業の実施が確保されるように、我々としてもその点は、先ほど先生から御指摘のありました、とにかくスムーズに物事を進めていく、そういう観点から、どういったやり方がいいのか、そこも与党としてしっかりと、監視をしながらと言ってはちょっと言葉がよくないかもしれませんが、見きわめながら対応して、そして関係者の期待と信頼にこたえていかなきゃならぬ、このように思っているところであります。どうぞよろしくお願いいたしたいと思います。

木村(義)委員 ぜひ、その点に関しましても、宮路、宮下両提案者の知恵と本領を発揮していただいて、御活躍のほどをお願い申し上げる次第でございます。

 それでは次に、大変恐縮ですが、野党の提案者の方々に御質問させていただきたいんです。

 野党の方の提案で一番特に感じるところは、特別給付金の支給に要する経費として三百九十億円、こう書いてございますので、その三百九十億円の積算根拠についてお示しをいただければと思います。

田嶋(要)議員 お答えいたします。

 三百九十億円の積算根拠でございますが、平成十七年の十月時点におきますところの戦後強制抑留者の推計の人数が十一万人、そのように見込まれておるところでございます。したがいまして、その十一万人全員が一人残らず特別給付金を申請するという想定のもとに算出した数字が、約三百九十億円ということでございます。

木村(義)委員 戦後強制抑留者の数でございますけれども、これは平成十六年三月末の資料なんですが、恩給等を受給していない方が二十八万四千人、恩給等を受給している方が十八万人、この時点だと四十六万人ぐらいの方がおいでだったわけでありますけれども、これが今の段階ではもう十一万人になった、こういうぐあいに見てよろしいんでしょうか。

田嶋(要)議員 お答えいたします。

 今お出しになった御数字は遺族の方をお含みになった数字でございまして、御本人様だけということでございますと、徐々に数字は小さくなっておるところでございますが、昨年の十月時点では十一万人ということでございます。

木村(義)委員 たしか野党の皆さんの案では、とりあえず生存者ということで、後の附則の方ではそれじゃない方々も含むような法案になっていますね。その点も含めてはどういうような積算根拠かをお示しいただけますか。

長妻議員 今御説明いただいた与党案も御存命の方に限定しているというふうに我々も考えておるのでございますけれども、我々も、戦後強制抑留者御本人、御存命の方ということで、今言われたのは附則の方のお話でございまして、これは、附則として検討するということです。

 本則では、先ほど説明がございましたように、これは五つの段階に分けておりまして、例えば、帰国の時期でございますけれども、昭和二十三年十二月三十一日まで、対象者が八万七千三百八人、この方が三十万等々、五つに刻みを、三十万、五十万、百万、百五十万、二百万となっておりまして、トータルで、申請が一〇〇%の場合、御存命の方のみでございますけれども、三百八十四億円になっているということでございます。

 附則の点に関しましては、これは、御遺族全員とかその範囲は附則にも書いてございませんで、今後の検討事項として附則に書かせていただいたということでございます。

    〔委員長退席、谷畑委員長代理着席〕

木村(義)委員 そうなりますと、附則の方は腰だめということなんでしょうか。

長妻議員 この附則の条文でございますけれども、これはいろいろな調査ということも含んでおりまして、今、シベリアでの抑留の実態というのが、これは外務省も御努力いただき、あるいは抑留者の方々も、ロシアまで訪問をしていろいろ実態調査もされておられますので、そういうもろもろのことも含んで、附則として検討事項ということで書いてあるわけでございまして、もちろんこれは、その後予算が、実際にお金が発生する場合は、別途立法措置等々が必要になるというふうに承知しております。

木村(義)委員 そうすると、この附則の方は、もう見込みなしということで、一応書いておった、こういうことでしょうか。

長妻議員 そういうことではございませんで、まず、先ほどるる委員からもお話がございましたように、恩給欠格者の方も、例えば今御存命の方の平均年齢が八十五、六歳、シベリア抑留の方も平均年齢が今八十五、六歳ということになっておりまして、御存命の方に関して本則で対応させていただく。そして、御遺族等々の方々に関しては、実態の把握も含めて、あるいはそれだけではございませんで、現地での抑留実態の調査も含めまして附則に書いてあるということで、これはただ書いたというわけではございませんで、この法案が成立後、速やかに対応していくということでございます。

木村(義)委員 そうなると、今度は、三百九十億円という数字がまた違ったものになってくるのじゃないんでしょうか。その辺はいかがでございましょうか。そこを含めると、どういう金額が予測されるわけでございますか。

長妻議員 これは我々も、先ほど与党の方からも御答弁があり、あるいは参考人の方々からも御要請がありまして、この基金を廃止するというのを我が党、野党も出しておりますけれども、廃止しても、基金が行っていた事業、慰霊事業や、遺品、情報収集あるいは記録、日記等の保管等の事業というのは続けるわけでありまして、その予算というのも、これは一般会計で今後実施をしていくわけでございます。

 ですから、我が党が出しているこの本則に限っては、予算措置ということで、後ろに明確に、最大で三百九十億円ということを法案の附則資料として書き込んでいるわけでございまして、そういう意味では、これらの検討事項を実現する際には、先ほども申し上げましたけれども、さらなる立法措置が必要になるというふうに承知をしております。

木村(義)委員 今回のこの野党案では、国債で支給するということになっているわけでございますね。そうなると、これは、今御答弁の中であくまでも生存者というような話でございましたけれども、生存者の方々に三十万から二百万というような金額でございますと、既にお亡くなりになった方々からの請求というのも出てくるのではないか。あるいは、単なる司法の場での決着をしてくれというような話も出てくるのではないか。そういうようなところはどのように予測されておられるのか、対応されておられるのか。その辺のお話も聞かせていただければと思います。

長妻議員 お答えを申し上げます。

 今、御遺族の方のお話だと思いますけれども、我が党案、これは与党案もそうだと思いますが、御存命の方に限定をしているというふうに承知をしておりまして、御存命の方に関して、先ほどの繰り返しになりますけれども、今、平均年齢がかなり高いということで、その方々への対応をした後、我が党、野党案では、その御遺族等に関して調査をして、速やかに検討していくというようなことを明記しておりますので、法案成立をいただいた暁には、その部分も早急に検討を進める必要があるのではないかというふうに考えているところでございます。

木村(義)委員 与党案と野党案との最大の差の一つはそこなんですよね。与党案では生存者の方々に対する対応でございますけれども、野党案ですと、非常に財産権的な色彩が濃いわけでございまして、その点で、遺族の方、つまり亡くなられた方々からの例えば請求訴訟等がありますと、それにたえられるのかというような問題が出てくるのではないか、こういう御意見もあるわけでございます。

 その辺のことをお考えになってこの案をつくられているのかどうか、その辺のお考え方を聞かせていただきたいと思います。

長妻議員 財産権的な色彩が強いというのがどういう御趣旨かというのは、一概に私も理解をしておりませんけれども、基本的に我々は、この特別給付金の支給に関しまして、戦後強制抑留者の方々、シベリアの方あるいはモンゴルからの方もいらっしゃいますけれども、そういう方々に関しまして、南方の捕虜の方々には国策で未払い賃金が支払われている、あるいは、ジュネーブ条約でございますけれども、国際法の考え方として、抑留国が賃金を払わない場合、その未払い賃金は所属国が払う、こういう国際法上のルールがあるにもかかわらず、日本は、政策として未払い賃金が残ったままである。

 あるいは、同じように二百万人以上の方々がシベリアに抑留されたドイツにおきましては、元ドイツ人捕虜の補償に関する法律が一九五四年に制定されて、捕虜の方々には抑留期間に応じた月単位計算の補償金が支払われるようになった。

 こういうもろもろの理由で、ある意味では、記念品等々ではなく、実際にそれに見合う、労苦を慰労するため、国として、そういう意味では国債という形でございますけれども、現金に似た見合いの性格のものをお支払いしていく。私は、立法機関としてこういう非常に強い要請を受けているというふうに考えまして、本則でこの法案を出させていただいた。

 そういう意味では、先ほど与党の御答弁がございまして、これで戦後の補償問題、六十一年間、これで終わりである、こういうある意味で明確な御答弁がございましたけれども、我々といたしましては、いろいろ不十分な部分がまだあるのではないか、こういう問題意識の違いというのもあるのだと思います。

木村(義)委員 先生の言うとおりだとすると、ソ連に裁判で訴えなければいけないというような場面も出てくるんじゃないかと思うんですが、もうソ連という国もなくなってしまったものですから、その辺はなかなか不可能なんじゃないかなと思います。

 時間の関係で、最後に一問。

 基金の資本金四百億円は、恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者の慰藉のためのものでございます。ところが、野党案は、引揚者とか恩給欠格者には何もしない、そして抑留者だけを対象としています。だからこそ、恐らく、基金をなくして新たに予算措置でというような中身になったのだろうと思うんですが、この辺は、午前中の参考人でもありましたように、やはり著しく均衡を欠くものではないかという御意見もありますので、その点についてはどのようにお考えかをお聞かせいただきたいと思います。

長妻議員 お答えを申し上げます。

 我々野党案、野党の考え方といいますのは、そもそも、やはりこういう事業に関しましては、基金という独立行政法人というものではなくて、国が直接そういう方々に誠の心をささげる、そういう必要があるのではないか、基金でこういう事業をやるというのではなくて、国がやるべきではないかという問題意識を持っておりまして、そういう意味では、与党に比べても、我が党の基金の廃止というのは時期が一年半前倒しになっているところでございます。その意味では、我が党は、その基金の四百億円を全額国庫に返還する、そして、その基金とはまた別に、国として直接必要な経費を支出していく。こういう、全く基金のお金をそちらに使うという発想ではございません。

 そういう意味で、これは誤解があってはいけないので申し上げておきますけれども、恩給欠格者や引揚者の皆様方に対して、大変な御労苦があるというのは我々も承知をしておりまして、その方々に何もするなというふうにもちろん我々は言っているわけではございません。我々の野党案が通れば、恩給欠格者、引揚者の方々に対しましても、慰藉の事業等々をきちっと国が直接していく、速やかにしていくということは、これはもう検討に値するというふうに考えておりますので、誤解なきようにお願いをしたいと思います。

木村(義)委員 そういう答弁でございましたけれども、野党案におきましては、恩給欠格者や引揚者に対しては何も書いてございませんものですので、そのことを強く訴えさせていただきまして、時間となりましたので、終了させていただきます。

 ありがとうございました。

谷畑委員長代理 次に、谷口隆義君。

谷口(隆)委員 公明党の谷口隆義でございます。

 本日は、午前中に参考人の質疑に立たせていただきまして、シベリア抑留のお話であるとか、基金の解散、また、その後の慰藉事業のありようの御自身の考え方だとか、いろいろなお話を聞かせていただいたわけであります。私も、戦後生まれで、その本当に切実な状況はわかりませんけれども、お話を聞いておって、過酷な強制労働の状況等々、もう本当に我々国民が慰藉の念を持ちながらこれからもやっていかなきゃいかぬ、こういう思いに立ったわけでありますけれども、昼からは、この法案に対して、三法案出ておりますけれども、この三法案の質疑をさせていただくということであります。

 政府案の方は、今の基金を解散して慰労品を支給するといったような案、これは午前中も申し上げましたけれども、野党の方は、基金を解散し、その後はまた別の法律で特別支給金を出す、先ほども出ておりましたが、三百九十億程度の支給金を出すというような、この違いがあるんだろうと思うわけであります。

 そこで、まず初めに、与党の提案者の方に、この野党案と与党案の違いについて、どういうような観点でこの政府案は野党案と違うんだということの御説明をお願いいたしたいと思います。

桝屋議員 それでは、私の方からお答えをさせていただきます。

 先ほどからの質疑で随分今のお尋ねの件は明らかになったわけでありますが、野党三党が提出をされております法案を拝見させていただきました。また、今、趣旨の説明や御答弁を聞きながら思っているわけでありますが、基金を廃止するということ、それから関係者の労苦に報いていきたいということ、これは基本的には全く同じ志であろうというふうに思っております。

 ただ、その実施方法について、今委員からも御指摘がありましたけれども、一つは対象者の違いがある。野党案が戦後強制抑留者のみであるのに対しまして、与党案は、恩給欠格者、それから戦後強制抑留者、引揚者、この三者を対象とするというふうにしているわけであります。もちろん、与党案におきましては、戦後強制抑留者あるいは引揚者で既にお亡くなりになった方に対しては、慰霊碑を建立して慰藉の念を改めて示していきたいということも入っているわけであります。

 それから、違いの第二点は実施主体であろうというふうに思っております。先ほど野党の方からも御説明がありましたけれども、野党案は国が実施をするというお答えがありました。我々与党案では、やはり基金の今日までの役割というものに思いをいたしまして、基金が資本金を取り崩して行うということであります。これが第二点。

 そして、第三点目が、野党案は交付国債、いわゆる現金を支給するというものに対しまして、与党案はあくまでも慰労の品を支給するという点でございます。

 以上、この三点は大きな論点であろうというふうに理解いたしております。

谷口(隆)委員 ありがとうございました。

 昨年、この法案が提出されました。もちろん、昨年は戦後六十年というような大変意味のある年でありまして、野党も共同提案ということでこの法案を出したんですけれども、審議ができないという状況で今に至ったわけであります。

 きょうの午前中の審議の折にも出ておりましたけれども、シベリア抑留者、帰還された方はもう既に十万人程度になっていらっしゃる、平均年齢も八十四、五歳ということで、御本人が余命幾ばくもなく今おる、早くこの問題を処理してもらいたいという考え方もある、こういうことであります。それで、私ども、一刻も早くこの法案を成立し、すべてこの問題で戦後処理ができたとは私も思っておりません。ところが、この三関係者、強制抑留者、また恩給欠格者、また引揚者といった方のこの問題を一刻も早く解決しなきゃいかぬ、こういうように強く思う次第であります。

 そこで、この審議に入ることができて大変喜んでおるわけでありますけれども、しかし、提出したのが昨年でございますので、昨年を前提にしたこの基金の解散であるとかスケジュール観、全体のスケジュール観がそのように進んでまいったわけであります。それで、一年おくれたわけでありますけれども、このことによってどのような影響が出るのか、全体のスケジュール観を教えていただきたいというように思う次第であります。

桝屋議員 今委員がお話しのとおり第百六十三国会に提出をされた法案でありまして、私自身も、今回、野党の皆さんの御理解もあってこうしてきょうを迎える、この審議ができるということを、多くの傍聴者の方もいらっしゃいますが、本当によかったなというふうに思っているわけであります。

 そこで、先ほどの質問でもお答えがありましたけれども、与党としては、残念ながら全体的に一年ずれたわけでありますから、すべてのスケジュールを全体的に一年後倒しをするということでございまして、基金の解散時期についても一年程度おくらせるという修正を今想定しているわけであります。

 先ほど宮下提案者から詳細に御説明がありましたからもう繰り返しませんが、二十一年三月三十一日に受け付けを終了する、そして一年六カ月の経過を経て、遅くとも平成二十二年九月三十日までには解散をするというふうに想定をしているわけでございます。

谷口(隆)委員 本当に大変重いことであります。

 この法案を採決していただきたいと思うわけでありますけれども、先ほど野党の提案者の御答弁も聞いておったわけでありますが、与党提案者からの野党案に対する違いを先ほど述べていただきました。今度は私の方から野党の法案についてお伺いをいたしたいというように思っております。

 この野党案は、戦後強制抑留者が、戦後、酷寒の地で強制労働に従事され、それにもかかわらず強制労働の対価が支払われていないという特別の事情にかんがみ、戦後強制抑留者に対する慰労のための特別給付金の支給に関し必要な事項を規定したものである、このようなことであります。

 先ほどの木村委員からの質問のところにもあったわけでありますけれども、若干重複するところがあるかもわかりませんが、私は、野党がおっしゃっておられる、既に基金は四百億あるわけですね、この四百億の中で、野党案は三百九十億という話です。これを、帰国の時期、昭和二十三年十二月三十一日までは三十万円、二十四年一月一日から昭和二十五年十二月三十一日までは五十万円、二十六年一月一日から昭和二十七年十二月三十一日までは百万、二十八年一月一日から昭和二十九年十二月三十一日までは百五十万、昭和三十年一月以降は二百万、こういうように給付の額を抑留期間の長短に応じて決定されておられる案であります。

 この根拠がちょっと私はわかりませんので、まず初めに、野党の提案者の方に、この特別給付金の算定の基礎、根拠、これについてお伺いをいたしたいと思います。

田嶋(要)議員 お答えをいたします。

 先ほどもございましたが、まず人数に関しましては、十一万人というのが昨年の十月時点での御存命の方々でございますので、その方々全員が申請をするという前提に立ちますと、先ほど申し上げた約三百九十億ということでございます。

 今、谷口委員からのお尋ねは、さらに長短という点がございますが、まず申し上げておかなければいけないことは、今回のこの特別給付金の法的性格でございます。これは、未払い労働賃金の補償という性格のものではございませんで、戦後強制抑留者の方々が酷寒の地で強制労働に従事させられ、それにもかかわらず労働賃金が支払われていない事情を加味した見舞金的な性格を有するものであるというふうに私どもは考えております。

 そして、その見舞金的な趣旨にかんがみまして、では具体的に幾らお支払いをするか、そのときに、他の見舞金的な性格を有する過去の立法事例を参考といたしました。そしてさらには、先ほど申し上げた十一万人の支払い対象の人数、それから御帰国をされた時期、そして必要となる財源、それから、皆様方の、関係者の直接のお声を聞かせていただきながら、総合的な判断のもとに支給額を設定いたしたということでございます。

谷口(隆)委員 現行法の独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律では、恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者などの戦争犠牲による労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉の念を示す事業を行う独立行政法人平和祈念事業特別基金の名称、目的、業務の範囲に関する事項及び戦後強制抑留者に対する慰労品の贈呈等を行うことに関し規定したものであるということで、この関係三者のことを念頭に入れた基金であるわけですね。

 野党の方は、この基金を取り崩して、先ほども若干触れておられたわけでありますけれども、戦後強制抑留者の皆さんにのみ特別給付金を支給するといったような状況を考えますと、どうも一つ筋が通っておらないといいますか、そういうように考えるところがあるわけであります。これに対してどのようにお考えなのか。さっき木村委員のところで若干答弁されたと思いますが、もう一度よろしくお願いいたしたいと思います。

長妻議員 お答えを申し上げます。

 当然、今までも独立行政法人平和祈念事業特別基金というのは、三者に対して、強制抑留者、引揚者、恩給欠格者の皆様方に対するいろいろな事業をされてこられたというのは承知をしております。

 ただ、我々といたしましては、それが決して十分ではないのではないかという問題意識と、かつ、この独立行政法人が、無駄遣いの巣窟とまでは言いませんけれども、天下り、そして事務室の家賃が一カ月一千万近い、展示フロアを除いた事務室だけでそれだけ豪華なテナント代を払っている等々、もう挙げれば枚挙にいとまがないほどの無駄遣いだらけ。それに対して慰藉される側の皆様方からも怒りの声が大変上がっておるということもかんがみ、我々は、与党に比べて一年半前倒しで速やかに廃止をしよう、そして四百億円は全額を国に返還する、そして、我々のもともとの持論でございます国が直接事業をしていく、こういうことで、基金とは全く切り離した形で、あるべき姿を模索しようということの結果でございます。しかし、あるべき姿といっても、当然、財政的な制限等々を総合的に勘案しなければいけない、そのぎりぎりの中でいろいろな皆様方とも協議をした結果、こういう案を提出させていただいているということでございます。

    〔谷畑委員長代理退席、谷委員長代理着席〕

谷口(隆)委員 きょうの午前中の参考人の方からも、基金の利潤の半分程度が事務経費に持っていかれるということは好ましくないと。私、確かにそういうように思うわけであります。今、長妻提案者がおっしゃったのは、こういうことをおっしゃったんだろうと思います。ですから、与野党とも、この基金は廃止をする、取り崩しをするということは変わらないわけであります。

 取り崩しをしたものを、今おっしゃったのは実態的に慰労金というようなことなんだろうと思いますが、いわば未払い賃金の支払いみたいな形のことであれば、先ほども申し上げた、この基金そのものが、関係三者のところの慰藉の念、どういう形でその事業を行っていくかということを言っておるところとはどうもしっくりこないところがあるわけであります。

 おっしゃるように、四百億は戻すんだ、戻して、三百九十億はその分で使ったらどうかというお話でありますけれども、そこはやはりこの関係三者の間の状況も十分かんがみてやっていかなきゃいかぬというようにも思うわけでありますけれども、もう一度御答弁をお願いいたしたいと思います。

長妻議員 関係三者の皆様も、本当にこれで多くの方が納得されているとは我々も承知をしておりませんで、基本的には我々は、繰り返しになりますけれども、引揚者や恩給欠格者の方にもうこれ以上何もしないでいいということを言っているわけではございません。

 先ほどの与党の方の質問と今回の谷口委員からの質問で、逆に、答弁者は質問してはいけないということではございますけれども、では、本当にシベリア抑留をこういうような措置で、これでもう終わりだというふうにしていいのか、これをぜひお考えいただいた質問もいただきたいというふうに思っております。

 非常にほかとのバランスというか、では、恩給欠格者とか引揚者は、あるいはシベリア抑留はどうなんだ、バランスだという。当然バランスも重要でございますけれども、我々といたしましては、そういうシベリア抑留の、先ほど申し上げました、国際法上あるいは南方の捕虜の問題あるいはドイツ等々海外での諸事情の問題等々がございます、未払い賃金の問題もございまして、そういうところではこのままでいいのかという問題提起をさせていただいておりまして、ぜひそのことに関して、本当にこの案でいいんでしょうか、多数決でそれが可決されて本当にいいんでしょうかということを逆に我々は言いたいわけでございます。

谷口(隆)委員 今、長妻提案者がおっしゃったこと、私、ここで何回も繰り返しをしても仕方ないわけでありますけれども、現行の基金の関係三者の方、確かに、シベリア抑留された方が大変な状況であったということは、きょうの午前中の参考人のお話を聞いても十分わかることでありますし、いろいろなところからそういう状況も聞いておりますけれども、この三者の中で一体どういうように考えればいいのかということも考えていただく必要があったのではないかということも申し上げたいと思います。

 それで、今度は政府案の方にまた戻りまして、政府案についてお伺いをいたしたいと思いますが、関係者に対して慰藉の念を示す事業とは一体どういう事業のことをおっしゃっておられるのか。今、書状等の贈呈事業が行われておりますけれども、既存のこのような事業との関係は一体どういうことになっておるのか、お伺いをいたしたいと思います。

    〔谷委員長代理退席、委員長着席〕

桝屋議員 新しい慰藉の念を示す事業について、既存の書状等の贈呈事業との関係はどうなのか、こういうお尋ねであっただろうと思います。

 今回の我々の案の慰藉事業につきましても、これは、性格としては基金法第十三条第一項第四号の慰藉事業として位置づけられるというふうに考えております。しかしながら、既存の書状等贈呈事業とは全く別のものでありまして、既存の書状等の贈呈事業の申請受け付け終了後、新たな事業として行われるというふうに理解をしております。

 その具体的な内容につきましては基金の業務方法書で決められることになるんだろうというふうに理解をしております。我々としては、恩給欠格者、戦後強制抑留者及び引揚者の生存者のうち申請期間内に申請のあった者に対しまして、先ほどからずっと説明がありますように慰労の品を支給するというふうにいたしているわけであります。内容までは申し上げませんが、そうした整理をいたしているわけであります。

谷口(隆)委員 それで、新規のこれから行うという慰藉事業でありますけれども、この慰藉事業について、与党の法案の中に内容が具体的には明記されておりません。関係者の方はそのことも大変関心を持っていらっしゃるわけであります。このような新規の慰藉事業について、内容はどういうものを考えていらっしゃるのかお伺いをいたしたいと思います。

桝屋議員 やはり具体的な中身をきちっと答弁した方がいいだろうというふうに思っておりますが、今委員からも質問がありましたように、法案にその内容が具体的に入っていないということで、そういうお尋ねになったんだろうと思います。

 もう一度申し上げますが、基金法第十三条第一項第四号は「関係者の労苦について国民の理解を深めること等により関係者に対し慰藉の念を示す事業」として行われることになるわけでありますが、具体的には、さっき申し上げたように業務方法書で規定をされるということでありまして、恩給欠格者のうち、外地等勤務経験を有し、かつ在職年が加算年を含めて三年以上の者または実在職年が一年以上の者に対しては五万円相当の旅行券など、それから、外地等勤務経験を有しないが、在職年が加算年を含めて三年以上の者または実在職年が一年以上の者に対しては三万円相当の旅行券等、そして戦後強制抑留者に対しましては十万円相当の旅行券等、そして引揚者に対しては銀杯というような慰労品を考えているわけでございます。

谷口(隆)委員 新規の慰藉事業、これを行う場合、申請をいつから開始して、いつまで受け付けるのか。また、旅行券等の支給はいつまで行うのかというようなことに関してお伺いをいたしたいと思います。よろしくお願いいたしたいと思います。

宮下議員 具体的な日程につきましては今後の基金の中期計画等で定められることとなりますけれども、我々提出者といたしましては、新規の慰藉事業、すなわち基金の行う今回の特別祈念事業につきましては、来年四月、平成十九年四月一日から申請受け付けを開始して、平成二十一年三月三十一日まで二年間申請を受け付けさせていただく。ここで、二十一年三月三十一日に一たん申請受け付けを終了ということでございます。

 先ほどお話にありましたように、来年四月から、申請を受け付けした者につきましては順次審査及び支給をさせていただくということで、二十一年三月三十一日に申請を受け付け終了し、その時点での受け付けた者すべて審査及び支給を行って、さらにこの廃止手続、事務手続等々を行った上で、平成二十二年九月三十日までに基金を廃止する、こういった全体のスケジュールになっております。

 ちなみに、もう一度明確化のために御答弁申し上げますが、現行の書状等の贈呈事業との関係ですけれども、来年の三月三十一日をもって現行の事業は終わって、新規事業に切りかわるということになります。なお、現行の受け付けが三月三十一日まで行われますので、その支給については四月一日以降も行われるということになりますけれども、受け付け時点ということでははっきり明確に切りかわるということを申し上げておきたいと存じます。

谷口(隆)委員 その法施行時における新規の慰藉事業の対象者、大体人数はどの程度になるのか、このことをちょっとお答えいただきたいと思います。

宮下議員 これは全体の対象となる皆様ということでございまして、実際にどれだけの方が御申請いただくかというのはまた別の話でありますけれども、新規の慰藉事業の対象となります方々は、まず恩給欠格者の皆様でございますけれども、外地等勤務経験を有する皆様が四十四万二千人、外地等勤務経験を有しない方が二十五万九千人、合計恩給欠格者七十万一千人ということでございます。また、戦後強制抑留者の皆様については、先ほど来十万人程度というお話がございましたけれども、一応この法案をつくる前提では十一万人という数字で置いております。また、引揚者の皆様については百二十四万六千人という想定になっております。

谷口(隆)委員 そうなりますと、これは、すべての対象者が請求すると基金の資本金の額を超えてしまうというような場合も想定されるわけでありますけれども、その場合は一体どのようにされるわけでありましょうか。

宮下議員 実際、今も申し上げましたように、過去にもこうした慰藉事業等については申請ベースで実施をさせていただいておりますけれども、過去の慰藉事業等の申請率、これを見ますと、まず戦後強制抑留者の皆様に対する慰労金の支給が過去には行われましたが、このときは六四・五%の皆様方が御申請になりました。また、恩給欠格者の皆様のうち外地三年以上の勤務経験を有する方に対する慰労品等の贈呈が四五%、外地一年以上の勤務経験を有する方に対する書状、銀杯の贈呈は二一・二%、また内地勤務者に対する書状の贈呈が六・一%、それから引揚者に対する書状の贈呈が四・一%ということになっております。

 こうしたこれまでの慰藉事業の申請率から、およそすべての方が申請するということは事実上想定しがたいということでございまして、設計上も二百億円前後という設計になっておりまして、かなりそこのところはフレキシブルに対応でき、この基金を超えるということはまずあり得ないというふうに考えているところでございます。

谷口(隆)委員 この法案、現に生きている人だけに支給して、もう既に亡くなった方には支給しないといったようなことは、一体どういう観点でこのようになったのか、教えていただきたいと思います。

宮路議員 今回の新たな慰藉事業の実施でありますけれども、これは、戦後六十年を経過して、改めて我々として、関係者の皆さんに、大変な御苦労をされたことに対する思いを深くいたしまして、そして、関係者の方々も大変御高齢になっておられる、そういった現状を踏まえて、まさにその御苦労をされて今なお生存していらっしゃる御本人に対して慰藉の念を改めて表しよう、こういうことが必要ではないかということで、今回の慰藉の事業を新しく起こしてやっていこう、こういうことにいたしたわけであります。

 そして、既に亡くなられた方に対しましては別の方法で慰藉の念を表することにしてはどうかということで、今までやってきております慰霊事業とか、あるいは風化させないための展示、資料の保管、そういった事業をやっておりますが、あわせて、強制抑留者や引揚者の皆さんのためには、場所としては千鳥ケ淵を考えておるところでありますけれども、それにふさわしい立派な慰霊碑を建立して、そうした亡くなられた方に対する慰藉の念を改めて表するという仕組みにいたしたい、このように考えておる次第であります。

谷口(隆)委員 時間が来ましたのでこれで終わりたいと思いますが、先ほどから申し上げておりますように、この戦後処理の三問題、非常に重要な問題であります。この委員会でぜひ採決を早くしていただいて、関係の方に幾分なりとも報いることができるようにしていただきたいということを申し上げまして、終わらせていただきたいと思います。

佐藤委員長 次に、長妻昭君。

長妻委員 民主党の長妻昭でございます。

 私も提案者の一人でございますので、野党には質問できませんのでいたしません。与党の提出者の方と政府の方に、きょうは菅総務大臣、下村官房副長官も来られておられますので、両者に質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず、この野党案を作成させていただき、私もその中の一人のメンバーとして携わったわけでございますけれども、私自身の思いといいますのは、当然、シベリア抑留者の皆様方、これは大変な御労苦でありますから、それにきちっと国として報いる、これはもちろんであります。そしてそれは、同時に、日本の未来のためにも大変重要なことではないかというふうに考えたわけでございます。

 国の命令で出兵した兵士が海外の地等で捕虜になり、強制抑留等々がある、そういう方々に対して国は帰国後どういう対応をするんだろうか、こういうことを、私は、実は若い人も含めて、国民の皆様方というのはじっと見ておられる方も多いのではないか。国の命令で戦った方にその後国はどういう対応をするのかというのを見る。それが余りにも対応が不十分であると、今後日本の将来の安全保障という根幹も揺らいでくる危険性もあるんじゃないかな、そういうような問題意識も背景にはあるわけでございます。

 まず、菅大臣と与党提出者にお伺いしたいんですが、今与党が出されておられる案、そして戦後六十一年、もうこれで個人に対する補償は打ち切りだ、終わり、こういうことで本当にいいのかというのを、これはもう政治家個人としてでも結構でございますので、本当にこれで、与党案で十分なのかというのを菅総務大臣と与党提出者にお伺いしたいと思います。

菅国務大臣 酷寒のシベリアにおいて、満足な食料もなく過酷な強制労働をさせられた方々の労苦を思うと、まことに心が痛む思いであります。

 しかしながら、さきの大戦では国民すべてが何らかの損害をこうむったところであり、そうした全体のことを考えたときに、やはり私どもとしては、強制労働者の方々の労苦を衷心から慰藉することが重要と考え、今日まで行ってきたわけでありますけれども、今回このような形で終了する、そういうことであります。いずれにしろ、戦後六十年という今日までの経緯の中で、そろそろここに終止符を打つべきときに来たのではないかな、そういう思いで今回このような措置をとられた、こう思っております。

宮路議員 今菅大臣からもお話もありましたように、およそ戦争は国民すべてに対して何らかの損害を与えるものでありまして、言ってみれば、全国民がその意味では戦争被害者とも言えるというふうに思います。これまでの戦後処理問題あるいは戦後補償問題が論議される中でも大体そういったような議論がなされてきているというふうに受けとめております。

 したがって、そうした中で、戦後処理問題あるいは戦後補償問題、これをどういうふうにやっていくか、措置していくか。これは、戦争損害を国民の納得の得られる程度において公平化するために国はいかなることをやったらいいのか、そういう観点からずっと論議がされ、また措置がされてきた、こう思っております。

 したがって、例えばシベリアの抑留者につきましても、復員時までの期間を軍歴と計算して扱って、そして恩給の対象にする、また抑留加算もそのときにしっかりとさせていただく。また、軍人でない方、軍属、準軍属につきましても、援護法をもってこれに対処するということをやってきておりますし、その後、きょう議論されておりますこの特別基金におきまして給付金、慰労金を交付するということもやってきたといったことでありまして、その段階その段階で我々与党としても精いっぱいのできることをやっていくという観点から、精いっぱいの努力をさせてきていただいている、政府・与党一体としてやらせてきていただいている。

 そういうことで、今回も、平和祈念特別基金の事業の中において、新たな観点から慰藉事業というものを起こして、そして、これまでずっと活躍をしてこられた生存者の皆様方に新しい慰藉事業というものを行って、そして慰藉の念をしっかりと表していこう、こういうことでやらせていただいているわけでございます。

長妻委員 与党提案者にお伺いいたしますけれども、ドイツも二百万人以上の方がシベリアに強制抑留された。何でも海外と同じにしろと言うつもりはございませんけれども、海外の事例というのは非常に参考になると思います。

 このドイツで、あるいは西ドイツ時代でも結構でございますが、シベリア抑留者に対してどんな補償がなされたのか、そしてそれを見てどうお考えなのかというのをお聞かせ願えればと思います。

宮路議員 今長妻先生のお尋ねの件、ドイツにおけるシベリア抑留者への補償、どういうことだったのかと。率直に申して、我々この法案の提案者としての守備範囲と申しましょうか、それを超えているのではないかな、こう思って、能力の限界を感じているところでありますが、あえて、私もちょっと勉強させていただいた限りで申し上げさせていただきますと、ドイツでは一九五四年に、これは西ドイツの措置でありますが、元ドイツ人戦争捕虜補償法のもとに抑留補償等の措置が講じられたというふうに承知をいたしておるところであります。

 しかしながら、こうした戦後処理あるいは戦後補償、こういった問題は、それぞれ国情というものがあるわけでありまして、我が国においても、先ほど申し上げましたような観点から、どういうぐあいにこういった問題への対応をしていいか、政府・与党しっかりと議論を進めさせていただき、また国民の皆さんの御議論もいろいろいただく中で、その段階その段階でしっかりとした対応をとらせてきていただいて今日に至っているということである、このように思っております。

長妻委員 少々驚くわけでございますけれども、与党が法案を作成するときに、私は当然、海外のいろいろな事情、例えば海外にも恩給欠格的な方もいらっしゃいますし引揚者的な方もいらっしゃる、どういう対応をなされたのかを綿密に調べた上で提案されたというふうに思っておりましたが、ちょっとそうではないような話でございまして、やはり戦後六十一年、これで決着という、ある意味ではそういう意識で出されたのであれば、私は、大きな、大法案だと思いますので、非常に心もとない感じがいたします。

 確かに、言われたように、西ドイツでは、抑留補償は一九五〇年に始まりまして、帰還者の救護措置に関する法律がまずできて、これで釈放金が支給されたり、移動援助、就業、住宅、社会保障等を含む帰還者援助がなされた。そして、今言われた一九五四年、元ドイツ人捕虜の補償に関する法律が制定され、抑留期間に応じた月単位の計算の補償金が支払われるようになった。同時に、生活基盤確立、住居入手、家財調達のための貸付制度、扶助金交付の制度があるということでございまして、余りにも、国情の違いということだけで片づけられるのかどうか。

 そして、その背景に見逃せないのが、西ドイツ政府は、政府そのものがさきの大戦をきちっと分析して、そして資料を収集して、捕虜史委員会というのを政府の中に設置して、シベリア帰国者を含む四十万人の復員兵の証言を活用して、全二十二巻のドイツ戦争捕虜の歴史ということで、政府が、これはどこかの財団ではありませんで、政府そのものが捕虜はこういう実態でありましたという実態をきちっと掌握したということが背景にはあると思います。

 私も、先日の外務委員会で、日本国政府にさきの大戦の政府としての公式資料、公式資料集みたいのはあるんですかと聞きましたら、一切ございません、こういう答弁をいただきまして、愕然としたわけでございます。

 そういう意味で、やはりそこのもとのところから、政府が正面からさきの大戦の資料収集や分析や実態調査というのを怠っていたツケが、今回、言葉は悪いですけれども、小手先の対応が与党から出てきたというふうに私は言わざるを得ないわけでございます。

 そして、南方の捕虜だけに支給された、賃金が払われたということでございますけれども、これは政府では官房が御担当ということで、きょう下村副長官に来ていただいておりますけれども、これは、南方の捕虜の未払い賃金は日本国政府が払ったわけですけれども、この支払い根拠というのはどんなようなもので、そしてなぜシベリアには日本国政府は払わなかったのか、その二点をお教え願えればと思います。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 南方からの帰還捕虜につきましては、昭和二十一年三月十日付、当時占領下におきまして、GHQの覚書、それを受けた大蔵省告示がございまして、捕虜としての所得を示す証明書の提示を要件として、GHQ覚書によって日本銀行による支払いが行われた事例がございます。

 本支払いに関する政府の立場は、本支払いは、本来は抑留国が行うべき捕虜に対する支払いを我が国が立てかえ払いにする、そういう認識のもとに行われたものでございまして、我が国政府による法的義務としてなされたものではないわけでございます。

 また、シベリア抑留の問題でございますが、私の父もシベリアに抑留されていたということで、もうとっくに亡くなりましたが、酷寒の地において過酷な強制労働に従事されたことに対しては、本当に大変な思いであったというふうに思います。

 今御指摘の賃金未払いのことでございますが、このことについて、同様に、抑留者の属する我が国としては、いわゆるシベリア抑留者に対して労働賃金の支払いを行う法的義務を負うことはないと考えております。

 また、一九五六年、日ソ共同宣言第六号におきまして、「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」このような規定をしておりまして、このことによって、我が国において法的な補償の責任はないというのが従来から政府の見解でございます。

 以上につきましても、平成九年の最高裁の判決においても同様の見解が示されていると承知をしております。

長妻委員 最高裁の判決は、立法措置がないからということも判決にはございまして、立法措置をすることを当然最高裁は拒んでいるわけではございません。

 今の御答弁でも、南方捕虜への未払い賃金は連合国の占領政策に従った、GHQから日本に発せられた覚書で大蔵省告示ということでございまして、これは、その意味では、シベリア抑留問題以降、政府もやる気になれば、立法措置をして、未払い賃金あるいは未払い賃金見合いの措置をするタイミングというのは何度もあったはずだ。先ほども、内閣委員会でかつて超党派でもうちょっとで成立する法案の話もございましたけれども、しかし、どんどん機会を逸して、そして最後、六十一年、戦後すべての総括をするという法案、与党から出てきた中身を見ると、すっぽりとその部分が、かつて内閣委員会等でも議論された部分が抜け落ちてしまっているということでございまして、非常に納得できないというふうに言わざるを得ないわけであります。

 そして、きょうは財務省も来ておられますけれども、この支払いというのはどんな要領で南方捕虜の方にはなされたのでございますか。

松元政府参考人 お答えいたします。

 戦後、オーストラリア、ニュージーランド及びアメリカ合衆国の管轄地域を除きました東南アジア地区から引き揚げてこられた捕虜の方々に対しましては、連合国発行の当該地区通貨表示の現金預かり証につきまして、当時の一般持ち帰り金限度の特例といたしまして、この限度額を超えて輸入、交換することを認め、昭和二十三年六月以降、日本政府が連合国にかわって支払いを行ったものと理解いたしております。

長妻委員 ですから、そういうことを南方ではやっておられて、シベリアではやらない。先ほど最高裁判決の話がございましたけれども、ここに判決文の一部がございますけれども、この判決文でもこうあります。南方地域から帰還した日本人捕虜は国からその抑留期間中の労働賃金の支払いを受けることができたのに、シベリア抑留者はその抑留期間中の労働賃金が支払われないままであることにつき、不平等な取り扱いを受けていると感ずることは理由のないことではないということもこれあり、心情は理解できるけれども、法律がないから、最高裁は判決で、支払わないということになったわけでございまして、ぜひ、いま一度お考え直していただきたいということをお願いするわけであります。

 そしてもう一つ、私も、これも毎度のことで、独立行政法人の無駄遣い、この戦後処理の独立行政法人まで無駄遣いに汚染をされていたというのは本当にとんでもない話だというふうに思うわけでございます。

 ちょっと調べてみますと、このオフィスが新宿にございます。ここで働いておられる基金の方々は二十一人、二十一人の事務スペースが千二十二平米、これの家賃が共益費も含めて一カ月九百五十五万円。湯水のごとくという言葉がございますが、一カ月の家賃が一千万円近い事務室で二十一人の方が仕事をされておられる。そして、天下りが例によって役員にはおられて、内閣府から年収一千五百万円。そして職員十九人、中央省庁等の出向者が十五人。この十五人の給料は当然基金が持つ、そして天下りの職員も二人おられる。

 いろいろな団体の方々にお伺いしますと、いや、自分たちは、遺族の方も含めて、ボランティアで手伝いたい、自分たちがこういう業務をボランティアで手伝わせていただければ大変効果が上がるんだということを何度も私は言われておったわけでございますが、いや、ボランティアは雇いません、こういう基金のかたくなな態度で、どんどんお金が減ってきているのではないかということです。

 これに関して、総務大臣来られておりますので、管轄だと思いますけれども、何でもっと早くこんないいかげんなところを是正してこなかったのかということを非常に強く申し上げたいわけですけれども、これは本当に、どうしてこんなほったらかしで、こんなむちゃくちゃやらせていたんですか。責任はないんですか。

菅国務大臣 今委員御指摘のとおり、事務所の金額はそのとおりであります。恥ずかしい話ですけれども、私、実はきょう、このことを、初めてこの金額を知りました。そして、なぜこんな金額になっているかということをすぐ調べさせました。それで、今、私のところに来ているのは、職員のほかに非常勤の職員が約五十八名、学芸員だとかそういう非常勤の人がいるのでこの金額になったということでありましたけれども、しかし、どう見ても、余りにも高過ぎますので、私は、このことについては、早速、もう一度見直しをすべく先ほど指示をしたところであります。

 ただ、その言い分によりますと、展示施設、これについて、やはり多くの人に来ていただく必要がありますので、新宿のいい場所であると。しかし、事務所を同じフロアに置く必要はないというふうに私も考えておりますので、そのことの責任については痛感いたしております。

長妻委員 そしてもう一つ、与党案では、今後この基金に仕事をさせる、最後の仕事をさせるという案が出ておりますけれども、これは本当にさせていいのか。私は、また問題が起こるんじゃないかと思うんです。

 といいますのは、今までの実績を見ますと、例えば、シベリア抑留の方々に対して、かつて、シベリア抑留者かつ恩給欠格者には十万円と銀杯、恩給受給者でシベリア抑留者には銀杯のみという支給事業をこの基金がやりましたけれども、この申請率というのを調べさせていただきますと、トータルで六四・五%なんですね。つまり、対象者のうちの六四・五%は申請をして、既に今の銀杯とか十万円を受け取っておられる。しかし、差額の三五%ぐらいの方は、対象者で、それを支給しているにもかかわらず全く請求がない。

 これはいろいろな理由があると思いますが、私は、ほかのいろいろな事業に比べて低過ぎるんじゃないのかと。つまり、PRを本当にきちっと、こういう制度があって、対象の方はこうで、どうですかということを、先ほど申し上げましたように、ボランティアとかいろいろな団体との連携とかそういうものが不十分で、お役所仕事で、これだけ低い請求率になっているのではないかというふうに推察いたします。

 その意味で、その基金にさらに仕事をさせるというのは、また非常に低い請求率で、本当に慰藉事業になるのか、あるいはまた無駄遣いをしないのか、こういう非常に大きな懸念を持つわけでございますが、これは与党提出者、どうでございますか。

宮路議員 今長妻先生のお尋ねの、基金における、大変非効率な、無駄の多い、そういう事業運営、実は私も、率直に言って、そのことが最も関係者の皆さんに申しわけないなと。先ほど、この戦後処理問題を処理する基金においてそのようなことがなされてきている、まことにもって、お亡くなりになったみたまにも、また御苦労をされた生存されておる皆さんに対しても、心からこういうことでは申しわけない、このように私も思ったわけであります。

 したがって、我が党としては、平成十五年の暮れの段階における取りまとめの時点でも、まずは基金の解散ありということから対応をしていこうということで、十五年十二月十九日、取りまとめを、我が党五役そろって、きちっとサインもいたしまして、そして政府に対して申し入れをしていく、そういう中で長年の懸案でありますこの問題に最終決着を図っていこうじゃないか、こういうことにさせていただいたわけであります。

 ですから、私も、だれにも負けずというか、だれよりも、基金のそういった運営について深く反省して改善を施していかなきゃならぬ、そのためにもまずは解散だ、こんなことで進めてきたわけでありまして、したがって、今度の新しい事業をやる中におきましても、先ほど宮下委員からお話があったように、新しい事業についてPRを、これは法が成立すると直ちに法施行ということになっておりますので、したがって、新しい事業について徹底してPRもやりまして、そして、おっしゃるような、せっかくの新しく生まれる事業が申請率が低くて、そして関係者に対する慰藉の念が中途半端なものに終わるというようなことのないようにしっかりとやっていかなきゃならぬ、提案者としてはこう思っておりますので、そこは政府の方にも、また基金の方にも強くそのことを求めて、しっかりとした対応がなされて、先ほどのような御批判のないようにひとつ持っていきたい、このように思っているところであります。

長妻委員 そういう御決意は承りましたけれども、二十年ですよ、基金が生まれて。二十年間、初めは今よりもっと天下りの人が多かったというふうに聞いておりますけれども、そういうことを今気づいたような言い方でございますけれども、もっと早くいろいろな手が打てたのではないか。

 最後に、我が党も、野党案も与党案も、この基金を解散するという点においては同じでございますけれども、そうしますと、例えば資料、あるいは遺品、あるいは展示事業あるいは慰霊事業等々いろいろな事業がございますけれども、これはきちっと国が責任を持って引き継ぐということが重要だというふうに我々も考えておりまして、総務大臣からその御決意と、それと、今遺骨収集がなかなかシベリア抑留の方は進んでおりません、死者の名簿も一万三千人分ぐらいがいまだ日本にないということもございますので、その二点につきまして、国としてきちっと今後やっていく、もろもろの事業は継承して責任を持ってやる、そしてさらに深くやるというような御決意をお述べいただきたいと思います。

菅国務大臣 関係者の方々からの寄贈を受けた貴重な資料等については、基金解散後における保存、利用方法等について、しっかりと今の御指摘をも踏まえながら行っていきたいと思いますし、シベリア抑留者の皆さんのことについても国として取り組んでいきたい、こう思っています。

長妻委員 これで質問を終わりますけれども、この法案で戦後六十一年の補償全部終わり、最終決着、こういうことで本当にいいのかというのをぜひもう一度お考えいただきたいということを多数派である与党の皆様方に強く申し上げまして、質問を終わります。

 ありがとうございました。

佐藤委員長 次に、西村智奈美君。

西村(智)委員 民主党の西村智奈美でございます。提出者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 私は、戦後生まれ、高度経済成長期に生まれて育った者の一人でございます。戦争の足跡というのは、自分で意識して探そうと思わないとなかなか触れることはできません。日々、社会も変わっておりますので、そしてまた、今長妻委員が御指摘になられたように、日本の中で戦争中の資料というものはまとめられていない、散逸している、こういう状況でもありますので、本当にこれは心して見ていかないと、戦争というのは一体何だったのかということはわからない、そういうふうになっております。

 ですけれども、やはり私たちがこの戦後六十一年を振り返ってみるときには、いろいろな意味での遺産が私たちのもとに置かれているんだろう。つまり、これほど日本が豊かな国になって発展してきたという正の遺産。それと同時に、いろいろな意味での負の遺産もある。これは今の時代においても正と負と両方の遺産があるんだ、そういうふうに私は思っておりまして、いろいろな中身のものがありますから一口では語り尽くせませんけれども、それを引き継ぎながら私たちの世代がこれからやはり生きていかなければいけないんだろうと思っております。

 これから戦後六十二年目に入るというときに、その戦後のプラスの遺産も負の遺産もやはりきちんと整理をしておかなければいけない。特に、このシベリアでの強制抑留の問題は賃金の未払いという問題を含んでいるわけでありますし、またそのほかにも、この前神戸地裁で判決が出ました中国残留日本人孤児の問題や従軍慰安婦の問題、そしてまた硫黄島で大変多く眠っている遺骨の問題等々もありますけれども、そういったものを一刻も早く明らかにしていく、そのことが、これからの時代をつくっていくためにも早急にやらなければいけない政治の課題だろうと私は思っております。

 それで、今回のシベリア強制抑留に関する法案でありますけれども、私はやはりここできちんと整理をしておきたい、きちんと解決をしておきたいというふうに思っております。ですので、もちろんのこと、野党案に賛成をし、そして与党の皆さんからもこの野党案にはぜひとも賛同していただきたいと思うわけであります。

 まず、その議論に入ります前提として、政府がこれまでシベリアの強制抑留、モンゴル含めてですが、強制抑留の実態把握に関して何をしてきたのか、どういう取り組みを行ってきたのかということから確認をしたいというふうに思っております。

 最近、大陸から永住帰国された方々の中に、強制抑留者、民間人が含まれているというケースが多くなってまいりました。先ほど、午前中の参考人、相沢参考人もおっしゃっておられましたけれども、民間人を含めて強制抑留者であった方々がいらっしゃる、こういうケースが出てきております。そういう人たちが強制抑留者として平和基金の実施する事業、平和祈念事業に申請をした場合に、その判断というのは一体どういうふうに行われてきたのか。名簿の調査を含めて、その事業の対象認定についてどういうふうに取り組んでこられたのか、厚生労働省の方に伺いたいと思います。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 旧ソ連抑留中の死亡者名簿につきましては、まず、平成三年のソ連政府との協定の締結後に、ロシア政府などから約四万人分の名簿が提供されてございます。

 また、そのほかに、私ども自身といたしましては、ソ連地域で抑留された方々の人数について、ソ連から帰られた皆様方等の情報を収集した結果、現在、五十七万五千人の方々がモンゴルも含めて抑留をされたというふうに認識しております。そのうち、現在までに四十七万三千人の方が帰還し、死亡と認められる方々が五万五千人という数字を把握してございます。

西村(智)委員 名簿が今までどういう種類のものがあるか、そしてどういった調査を行ってきたかということについて今お答えいただいたんですけれども、私は、民間人の強制抑留者についてはどんなふうに調査が行われ、この事業の対象とされることになるのか、そのことについて伺いたいと思っておるんですけれども、どうでしょうか。

荒井政府参考人 私どもの方では、具体的に、恩給の手続についての事前の調査、それから援護年金などについての審査を行った上で支給の決定をするということを行ってございます。そういう観点から、旧軍人軍属の皆様方のうちで、どういう形で軍に勤務し、また抑留されたかという観点で調査をし、それについての情報を得ているということでございます。

西村(智)委員 そうしますと、民間人の強制抑留者の事実確認については、どこがされるんですか。

佐藤委員長 ちょっとお待ちください。

西村(智)委員 委員長、時計をとめていただけますか。

佐藤委員長 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

佐藤委員長 速記を起こしてください。

荒井政府参考人 先ほどの数字の中に満鉄に勤務された関係者が入っていることは把握してございますけれども、民間の方がその中にどの程度入っているかということについては、必ずしも今情報として持ってございません。

西村(智)委員 では、どこが認定をされるんですか。例えば、民間人の方で何人か、私の手元に、全くの民間で、いわば動乱の中で巻き込まれたりして強制労働を強いられたというケースが幾つか届いているんですけれども、そういったことについては事実確認はどこでされるんですか。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 海外の混乱の中で日本に帰れなくなったケースについて、日本にいる御遺族等から情報をとりながら、なおかつ、まだ帰れていない状況が把握できたときには、その調査を行いながら日本に戻るという援護業務は行ってございましたが、今御質問のような形で、民間の方が強制労働をさせられたという事実の確認については、私の知る限り、私どもの方で把握はしていないと思います。

西村(智)委員 ですから、確認されていないから、ではどこが確認するんですかということなんですけれども、今まで、例えば在外公館でそういったことについての事実確認について支援を行ったことがあるというふうに聞いておるんですけれども、それでは、外務省レベルで、例えば外交レベルでそういったことの事実確認について協力してくださいというようなことはこれまでもされたことがあるし、そして、例えばそういったケースが出てきたときには、また同じように外交ルートなどを通じて対応されるということの理解でよろしいんでしょうか。

八木政府参考人 お答え申し上げます。

 御指摘のケースは、シベリア抑留者を初めといたします方々が、関係の機関に対して国内措置に係る申請をなされたものの、資料、情報等がなくて抑留等の事実が確認されないために国内措置を受けられない、こういう事例であるというふうに考えられます。外務省といたしましては、このような事例が生ずる場合には、関係機関と連携しつつ、個々の状況に応じて真摯に対応したいというふうに考えております。

 なお、シベリア抑留者につきましては、日ロ間で平成三年に締結されました協定がございますので、これに基づきまして、これまでも資料調査を初めとするさまざまな取り組みが行われております。外務省といたしましては、抑留問題については、この協定に基づき、引き続きロシア側に対して協力を求める、同時に、関係省庁と協力しながら取り組んでまいりたいというふうに考えてございます。

西村(智)委員 ありがとうございます。

 午前中、寺内参考人が、例えば北朝鮮に移送された人たちの名簿を調べようとしたところ、実際に個人情報保護法の関係で公開されないということで、非常に調査に手間取っているというお話がありました。今ほどのお話を伺っておりましても、やはり厚生労働省がこれまでシベリア抑留の名簿を本当に努力して調査されようとしてきたのかというのは、私は疑わしいと言わなければいけないと思います。ぜひこの名簿の公開、本当に残り時間も少なくなっておりますので、そしてまた、個人情報保護法というのは、死者はたしか対象外ですよね。公開できないんですか、どうでしょうか。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 シベリア抑留の対象になった方々の中で、死亡された方につきましては、もう既にいろいろなところで数字または名前を出して、一般の国民が見られる形になってございます。

 なお、先ほど御指摘のありました、シベリアから北朝鮮に送還された方々の名簿は平成十七年三月にロシア政府から約二万七千人分という形で提供されてございますが、この名簿は、基本的には、生きて日本に戻られたという生還者の名簿が中心になってございまして、これを公開することは先ほどのまさに生還者の個人情報になるということで、私どもの取り扱いとしては、かなり内部で検討いたしましたが、結局、本人もしくはその親族の方から御要望があったときに個別に回答いたすという形で現在対応しているところでございます。

西村(智)委員 しかし、いろいろなところで、各民間の団体の皆さん、そして個人の方々が、それこそ私の地元の新潟県の方が、七十の手習いでパソコンを初めて、四万人以上の名簿を全部打ち込んで、いよいよ来年春は出版されるそうでありますけれども、そうやって本当に個々の努力をされておられるわけですよ。ぜひ厚生労働省からは、そういった皆さんの御努力に任せるとかいうことではなくて、より積極的な調査を行ってくださるように強く要望したいと思います。

 時間が押してきましたので、続いて法案の方に移りたいというふうに思いますけれども、まず、野党案の方から伺っていきたいと思っております。

 午前中の参考人の皆さんからの御意見、大変参考になりました。四人の方の中で、野党案に反対される声は一つもなかったというふうに承知をしております。むしろ過半数の方々が積極的にこの野党案を支持するというふうにおっしゃっていたかと思うんですけれども、与党案と比べて、野党案のすぐれている点、特徴は何なのか、そのことを端的にお答えいただきたいと思います。

長妻議員 お答えを申し上げます。

 まず、一番重要なのは、国の命令で出兵した兵士の皆様方に対して誠の心をささげるということが一番重要だというのが柱でございまして、その中で、我々としては、基金という形ではなくて、国が直接その事業をきちっとするということが非常に大きな違いではないのかということで、個々の三者の皆様方、戦後の強制抑留者あるいは引揚者、恩給欠格者の皆様方、それぞれ御苦労というのが、また種類の違う御労苦がございます、それぞれについて国がきちっと対応をしていく。

 それは、皆様方への報い、国の誠の心をささげることにもなると同時に、日本の未来にとっても、それをじっと見ている若い人や、日本国民の皆様方が国の対応というのをじっと見ているということを我々も考えて、日本の安全保障もきちっと議論できるような地盤をつくっていくということも一つ大きな趣旨であるというふうに考えております。

西村(智)委員 また後で時間がありましたら野党案について伺っていきたいと思いますが、与党案について続いて伺いたいと思います。

 基金を解散する、私たち民主党の案は与党案よりも一年以上早く解散するということになっておりますけれども、約半分の二百億円を取り崩して、慰労の品、旅行券を配付して幕引きを図ろうということのようでありますが、この案に多くの元抑留者の方々が反発しておられると承知をしております。

 そういう方々の御意見というのはどのように聴取をされて、そして、この法案のどこに、どういうふうに反映されたのか。やはり多くの方は、賃金なしで働いてきたということについてその正当な対価を求めたい、こういう意見が非常に多かったのではないか、こういうふうに私は承知をしています。この法案のどこにそういった意見は反映されているのでしょうか。

宮路議員 我々与党といたしましては、今回のこうした取りまとめを行うに当たりまして、関係三団体あるわけでありますが、シベリアの抑留者、恩欠の皆さん、そして引揚者、三つのそれぞれの団体があるわけでありまして、そういった方々からも我が党として、与党としていろいろ御意見をお聞かせいただく中で、今提案をさせていただいておりますこういうものを取りまとめたわけであります。

 その中で、戦後強制抑留者の方々は大変御苦労をされた、酷寒の地にあって強制労働に従事させられて大変な苦労をされた、そしてさまざまな思いを抱いておられる、先ほど相沢先生からもそうした御指摘がございましたが、我々としても十分承知をいたしておるところであります。

 そこで、我々としては、そうした団体の皆さんの御意見もいろいろとお聞かせいただく中で、政府・与党、今度のそうした新規の事業の実施につきまして議論を積み重ねて、そして合意を得たわけであります。確かに、これで大して、あるいはシベリア抑留者の中からまだ満足じゃないという御意見が一部あるかもしれませんけれども、我々としては、大方の御理解はいただけるもの、こういうふうに承知をいたしております。

西村(智)委員 まだ満足じゃないという御意見がまだあるんですよ。まだ満足ではないということは、ではいつ満足すればいいんですか。今回の法案、今回の立法で幕引きを図るというふうにおっしゃっておられますよね。では、いつまで待ったら、本当の意味でのそういった声は満足させられるのでしょうか。

 私は、やはりここでしっかりと決着を図っておくことは必要だというふうに思います。先ほどいろいろな御意見を伺ってきた中で、政府・与党で平成十七年八月四日の了解事項が取りまとめられたということなんでしょうけれども、私も、この内容、要するにその合意の内容、いわゆる特別祈念事業と言われているものですけれども、この中身については大変大きな疑問を持っております。

 旅行券、なぜ旅行券なんでしょうか。銀杯、一体なぜ銀杯なんでしょうか。もう既に十数年前に同じような事業はやられているわけでございます。十数年たったから、また同じことの繰り返しなのか。旅行券も、これはもう既に御高齢の方です。今回の旅行券の配付については、申請者本人に限り利用できることとなっております。今までやられている旅行券等の配付事業はどういったものか、もしできたら後で総務省の方にも確認させていただきたいと思いますけれども、申請者本人に限るようなものではありません。本当にこれでよろしいのか。

 やはり私は、ジュネーブ条約などに基づいて、未払いの賃金に見合うものを日本政府としてここは支払っていくということが必要だと考えるのですが、与党の提案者はいかがお考えでしょうか。

宮路議員 実は、この戦後処理問題それから戦後補償問題といいますか、これは本当に長い長い歴史があるわけですね。政府・与党としましては、昭和五十七年に、当時、水上達三さんを座長として、学識経験者七人だったかと思いますが、戦後処理問題懇談会というものを総理府に設けまして、そこで議論を二年半にわたってずっと積み重ねてきたわけであります。

 そういう中で、その懇談会の結論は、「恩給欠格者問題、戦後強制抑留者問題及び在外財産問題を中心に」、つまりこれは引揚者の問題でありますが、「中心に種々の観点から慎重かつ公平に検討を行ってきたが、いずれの点についても、もはやこれ以上国において措置すべきものはないとの結論に至らざるをえなかった。」ただし、「今次大戦における国民の尊い戦争犠牲を銘記し、かつ永遠の平和を祈念する意味において、政府において相当額を出捐し、事業を行うための特別の基金を創設することを提唱する。」そして、この基金において先ほどのような趣旨の事業をやっていく、慰藉の事業あるいは戦争犠牲を銘記して永遠の平和を祈念する事業をやっていくことを提唱する、こういう結論をいただいておるわけであります。

 この平和祈念基金も、この結果を待って、そして政府・与党として基金をつくった。四百億の出資を行って今日に来ておるわけでありますので、我々の今回の新たな慰藉の事業も、いわばこの延長線上において、これまでの歴史をしっかりと踏まえながら今回の我々の検討も行ってきた、こういうことであります。したがって、平和祈念基金を取り崩して慰藉の事業としてやっていこう、こういう結論を得たわけであります。

 その事業の内容をなぜお金にしなかったか、旅行券にしたかということでありますが、これはあくまで生存していらっしゃる方、もう御高齢になって大変御苦労されている、御高齢で今も生存していらっしゃる、そしてなお、やはり国からそうした慰藉の念を表することを期待しておられるといいましょうか、そういった方々に対して慰藉の念を表するための慰労の品をお贈りするということになったわけであります。

 現金ということになりますと、あるいは野党の皆さんが言っている交付国債ということになりますと、生存者のみならず、亡くなった遺族の方々にもこれを提供しないと、財産権からいって憲法違反の問題も起こってくるということでありますので、生存者に限ってその方がお使いできるものということになりますと、旅行券だとか、あるいはそれにかわるものとか、そういったことに限定されてくるわけでありまして、したがって、そういうような方法を選択することにいたした、こういうことであります。

 なお、旅行券は、私の知る限りでは、これまで基金の慰藉の事業として旅行券を支給したことはないというふうに思っております。

西村(智)委員 恩欠の方に配られたんですね。これはちゃんと汎用性のあるものだと承知をしております。旅行券等引換券ということになっておりまして、デパート共通商品券としても使える、レストランお食事券としても使える、全国レジャーランド券としても使える、そういう種類のものであります。記名がありません。ですので、だれでも使える、無記名のものということになっております。

 提出者に重ねて伺いたいと思いますけれども、しかし、いろいろな団体の御意見を幅広く聞いた上で、こういった慰藉の品という結論が果たして本当にそういった意見の中から導き出されるものだったのでしょうか。やはり国際法上、ここはきっちりと、日ソ共同宣言で請求権を放棄した日本政府がかわって支払うというのは、これは国際法上のルールですよね、そこは納得してくださると思います。それは日本だけが今世界じゅうでできていない。このことについての立法府の責任というのはやはり重いのではないでしょうか。そこのところをどう考えるかということだと思います。

 確かに、財産で、遺族の方の関係と言われれば、もしかしたらそういった問題が出てくるのかもしれません、私には今にわかには理解できませんけれども。しかし、そういったことを置いておいても、では、今まで労働の賃金、対価、これを全く未払いのままにしておいていいのか。

 重ねて伺いますけれども、提出者はこれで本当に戦後六十一年目の幕引きだというふうにお考えになっておられるのでしょうか。まだ満足されていないという声はまだあります。どうでしょうか。

宮路議員 重ねてお答えいたしますけれども、我々の今回の対応、どうあるべきか、相当長期にわたって議論をしてきたわけでありますが、先ほど申し上げた我が国としてのこれまでの戦後処理問題のそういう流れ、そういう経過、その中でどういうことが本当にできるか、それを考えてこうした結論を得たわけでありまして、御指摘のようなことは、我々としては、まず議論の過程においても、少なくとも与党・政府の議論の過程においてはそういうものは全くございませんでした。

西村(智)委員 議論も長期であっただろうけれども、外で活動されている方々の闘いもまた長期にわたっているわけでございます。提出者の方はその点をお忘れになっていらっしゃるんじゃありませんか。そこのところをぜひよく考えていただきたいと思います。

 野党の提出者に最後に伺いたいと思いますけれども、今回の特別給付金、三十万円から二百万円までということで、五段階で分かれております。この理由について伺いたいと思います。また一方では、労働の対価としては額がいささか少ないのではないかという御意見も聞かれるようでありますけれども、その点についてもあわせて伺いたいと思います。

田嶋(要)議員 お答えをいたします。

 三十万円から二百万円でございますが、まず一点御確認をいただきたいのは、私ども野党の法案におきましても、今回お支払いをする交付国債、これは未払い労働賃金の補償という性格ではございません。その法的性格は、そういった労働を強制的に一定期間強いられていた、そのことの御苦労に対して、そういった事情を加味した見舞金的な性格を有するものであるということを、先ほども申しましたが、確認をさせていただきます。

 その前提で、しかし、それぞれの方が受けた御苦労、そういったものはやはり強制労働の期間に左右される点があるだろうということで、三十万円から二百万円というふうな金額上の差をつけさせていただいたということでございますので、労働の対価として少な過ぎるという点は、先ほど申し上げた未払い金を支払うという形ではございませんので、当たらないかというふうに考えます。

 以上です。

西村(智)委員 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。

佐藤委員長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。

 私も野党提出法案の提案者の一人ですから、提案者が提案者に聞くというわけにはまいりませんので、与党提出者の皆さんと政府参考人に質問をしたいと思います。

 まず、昨年八月四日に、政府と自民党、公明党の了解事項によって平和祈念事業を廃止することを決めたわけですが、法案はこの了解事項に基づいて提出されています。了解事項では、戦後六十年を迎える節目に当たりという文言で始まっているわけです。

 そこで、提案者に伺いますが、いわゆる戦後処理問題、私たちは戦後補償問題と言っておりますが、戦後六十年、日本政府及び与党の皆さんがこの戦後補償問題に真摯に向き合い、誠実に対応してきたというお考えを持っておられるのかどうか、これをまず最初に伺います。

宮路議員 お答えいたします。

 先ほど申し上げたように、我々政府・与党はこれまで、戦後処理問題あるいは補償問題、いろいろな角度から、国民的な議論もいただきながら、これにどう対応するかやってきた。そして、先ほど申し上げたように、恩給という対応、あるいはまた軍属、準軍属に対する援護法による対応、あるいは原爆による傷病者への援護対策、そしてまた今の平和祈念基金による各種の慰藉の事業等々、私は、誠心誠意、その段階その段階で精いっぱいのことをやらせてきていただいているというふうに考えております。

吉井委員 今日、戦後補償問題というのはまだまだ山積しているというのが現実ですね。シベリア抑留問題もそうですし、恩給欠格者問題、従軍慰安婦問題、中国人や朝鮮人の強制連行・強制労働の補償問題、在外被爆者問題、中国残留孤児問題、民間被災者問題など、数多くのものがずっと山積されたままであります。

 この間、十二月一日の神戸地裁判決の中でも触れられておりますが、残留孤児の問題とシベリア抑留の問題、判決文の中で別に結びつけているわけじゃありませんけれども、非常にかかわりのある部分があるんですね。

 例えば、重要な国策として、大量の開拓民を満州に送出し、要するにソ満国境のところへ配置したわけですね。それから、開拓民が唯一頼りであった関東軍というのは、昭和十八年には戦局全体の弱体化の中で南方等へ多くを移しましたから、著しく弱体化したという問題。昭和二十年春にはソ連の満州侵攻が決定的となった、しかし、政府は、朝鮮半島及びその近隣地域を絶対的防衛地域、その他の満州地域を持久戦のための戦場とすることを決定して、多くの開拓民らの犠牲を伴う作戦を立てたということなども判決文の中で触れられております。それから、政府は、静ひつを装う方針を堅持することにして、開拓民に関東軍やソ連の動向に関する情報を伝えず、開拓民をあらかじめ避難させる措置を講ずることもなかった。昭和二十年七月には、弱体化した関東軍の人員補充のため、いわゆる根こそぎ動員を実施し、開拓民の青年・壮年男子全員を徴兵し、無防備な状態に置いたと。

 つまり、これらのことはその後、満州での多くの悲劇も生まれれば、残留孤児の問題にもつながっていきましたし、一方、関東軍に徴兵された人たちの中からシベリア抑留の問題なども出てきたわけで、いろいろな問題が絡み合いながら出てきていることについて、本当に戦後六十年過ぎても戦後補償問題というのが解決されないまま、多くの裁判その他の問題は今も起こっているのが現状だと思うんですね。

 そこで、提案者に伺いますが、こうした問題がいまだに解決されないで次々起きている原因をどのように考えておられるか、伺います。

宮路議員 吉井先生の今御指摘の点、私どもここに参っております提案者、今回のこの平和祈念事業特別基金の法案の提案者からしますと、ちょっとこれは守備範囲を大分超えておるような問題でありまして、ここに政府が来ておりますので、政府から答弁をしてもらいたいと思います。

吉井委員 提案者の方自身が戦後補償の全体の中できちんとしたことをつかまないで出しておられるというところに、私は非常に違和感を感じております。

 では、政府参考人に来ていただいておりますから伺っておきますけれども、戦後補償でよく出されるのがドイツの施策ですが、例えば外国人の強制労働問題は日本にもドイツにもあったわけですが、ドイツでは政府と企業がほぼ二分の一ずつ出資して基金をつくり、今でも支払い続けていますね。日本ではこうした措置がまだ全くとられていない。だから、基金という名前は同じであっても内容が全く違うという問題があります。

 こういう一つの例をお話ししたわけですが、一般的に言って、では、ドイツと日本の戦後補償の施策を比較して、どういうふうに認識をしているのか、これを政府参考人に伺っておきたいと思います。

八木政府参考人 お答え申し上げます。

 ドイツの場合は、戦後東西に分断されたということがございまして、平和条約を締結できませんでした。したがいまして、ドイツは、我が国のような平和条約に基づく国家間での賠償や財産請求権の問題の一括処理の方式はとることができませんで、国内法等によりましてナチスの被害者等に対する補償等を行った、こういうふうに承知しております。

 これに対しまして、我が国は、賠償あるいは財産請求権の問題につきましては、国家間で一括して最終的に処理をしてまいりました。我が国は、サンフランシスコ平和条約及びその他関連する条約等に従いまして誠実に対応してきておりまして、これら条約等の当事国との間においては法的に解決済みであるというふうに考えております。

 このように、ドイツと我が国では戦後置かれていた状況がそれぞれ異なっておりますため、戦争中の行為に関する戦後の取り組みに関して、それぞれの対応を単純に比較するということは適当ではないのではないかというふうに考えております。我が国としては、自国の置かれた状況の中でできる限りの対応を行ったというふうに考えております。

吉井委員 それだけきっちりしているんだったら、今、戦後補償問題が、先ほど挙げましたようなものが次々と出てきて問題山積ということはもうなくて、解決しておるはずなんですね。

 例えば、今の未払い労働賃金の問題にしても、国際的には請求権放棄で解決したということにして、もう請求しない。では、国内ではどうかといったら、九七年の最高裁判決では、戦争損害の一つだから補償しないということが一点と、もう一つは、労働賃金支払いには総合的政策判断に立った立法措置を講じる必要がある、立法措置がないから補償しないということでやっていないわけですね。ですから、これは、対外的なものにしても国内的なものにしても、やはりきちんと戦後補償というものが解決されていないというのが現実であって、ドイツは分割状態だったから解決して、日本はそうじゃないという話とは全く違うと思うんですね。

 どうしてこういう違いが出るかという点では、その根底には、やはり戦争責任とか歴史認識の問題があると思うんです。これは両国の歴代首相の演説内容の違いを見ても明らかだと思います。戦後補償に対するドイツ周辺の国々のドイツに対する認識、それから日本に対するアジア諸国の認識の違いに差が出ておりますが、日本の対応が、やはり貧弱な対応とか、あるいは全く対応すべきことを軽視ないしは無視してきたという問題が今出ていると思うんですね。

 日本国内はもちろんですが、アジア各地からの戦後補償要求に対してもきちんと向き合い、日本国憲法の基本理念、平和主義、基本的人権の立場から補償を検討する、こういう真摯な姿勢がやはり政府にも与党にも欠けてきていた、だから戦後六十年たった今日でも問題が山積しているというのが現実なんじゃないですか。これは政府参考人に伺っておきます。

梅田政府参考人 お答えいたします。

 まず、歴史認識、戦争に関する認識についてでございますが、これはもう先生よく御承知のとおり、村山総理の談話それから昨年の小泉総理の談話で、我が国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたということは、もう内外にはっきりさせております。また、先ほども答弁がありましたけれども、賠償とか財産及び請求権の問題につきましては、条約に基づいて誠実に対応してきておるということは間違いのないことであろうかと思います。

 いずれにしましても、我が国は戦後六十年、平和国家として歩んできたということ、それからやはり、先ほど申しましたように、誠実に戦後処理に対応してきたということは、我が国がさきの大戦を誠実に反省した上で行ってきた行動であるというふうに考えております。

吉井委員 村山談話を引き継ぐというお話がありましたけれども、問題は、実質が伴うかどうかというところが大事な点なんですね。ですから、強制連行の問題にしても従軍慰安婦の問題にしても、今もずっとこれが続いて出てくるというのは、きちんと解決はされていない、だから戦後六十年たった今日でも多くの問題が解決されないで山積をしているというのが現実であります。

 今回の了解事項の方に戻りますが、これは提案者に伺いますが、最後の項目には「以上の措置により、戦後処理問題に関する措置はすべて確定・終了したものとする。」としているんですね。この了解事項、つまり戦後処理は確定・終了という、これは国民一般を拘束するというものになってくるのかどうか、伺います。

宮路議員 お答えを申し上げます。

 これは、政府・与党で、十七年の八月四日の第九項において、吉井先生御指摘の点はこの九項でございますね、御指摘のようなそういう項目が了解事項の一つとして入っておるわけでありますが、御承知のように、政府・与党のこういった申し合わせといいましょうか、了解事項といいましょうか、これは政府と与党間において、政策あるいは行政、そういう面で意思の疎通をきちっとやって、そこにそごが生じないようにという観点からこういう了解事項あるいは覚書とか申し合わせとかいうのはやってきておるわけでありまして、今回のこの了解事項についてもそういった趣旨のものである、政府と与党間のそういう意思の統一を図ったものである、このように思っております。

 したがって、これが直ちに国民を拘束するというものではないけれども、政府と与党間においては、そうした意思の統一を図って、今後の政策あるいは行政の運営に誤りなきを期していこう、こういう趣旨である、このように理解をいたしております。

吉井委員 与党提案者に引き続いて伺いますが、政府・与党の合意や了解で、いわゆる戦後処理終結宣言、これは何回か行われてきましたが、戦後処理終結宣言というのは何回ぐらいやってこられましたか。

宮路議員 これまでの過去の長い歴史の中で、この戦後処理問題、政府・与党でその段階その段階で必要に応じて対策を打ってきておるわけでありますけれども、その長い歴史をひもといてみますと、私の知る限りでは、五回か六回そういう申し合わせをしているというふうに理解しております。

吉井委員 何回も戦後処理終結を宣言しても、結局、実際戦後処理が解決することに至っていない事態が続いてきたということが今の五、六回の話だと思います。

 私の知っているところでは、一回目は一九六七年の六月に、引揚者の在外財産に対する特別交付金の支給をもっていわゆる戦後処理に関する措置は一切終結、これが一回目ですね。二回目が一九八六年十二月に、特別基金を創設し、関係者の労苦を慰藉等の事業を行うことですべて終結させる。それから、三回目が今回です。

 私は、この戦後処理終結宣言というのは、もうこれで終わりなんだぞ、もう後は考えるなということを国民に言っているのと等しいと思うんですね。前の二回の経過から見ても明らかなように、戦後補償は終結するどころか新たな施策をとらざるを得なくなってきたというのがこの間の事実だと思うんです。こういう意味を持たない終結宣言というのは撤回するといいますか、やめるべきじゃないかと思いますが、どうですか。これは提案者の方に。

宮路議員 先ほどから申し上げているように、長い歴史の中で、その段階その段階、その時点その時点でどうあるべきかということをお互い議論し合って、検討し合って、そして政府・与党がこういう申し合わせをして進んでいくということでやってきたわけであります。

 しかし、先ほど申し上げたように、今回につきまして、前回の申し合わせ以降また相当歳月もたった、そして戦後六十年という節目を迎えた、そして関係者の皆さんも大変御高齢になって、本当に余命幾ばくもというような状況になっている。そういうような諸々の情勢を判断いたしまして、今回の措置は、これまでの措置の延長線上のものとして、新しい慰藉事業ということでこれを打ち出すというようなことにして法改正をさせていただこう、こういうことになっておるわけであります。

吉井委員 それで、基金設立のころの議事録を見返してみてわかったんですが、戦後補償問題がある意味では自民党の選挙対策として扱われてきたという問題があります。

 これは、一九八六年の衆参同時選挙の前に、シベリア抑留者に五十万円から百万円を支給する特別給付金法案を自民党総務会で決定されて、選挙前にこの法律案を関係団体に配っているんですね。このときは法案を持って我が党にも協力要請に来られましたが、恩給欠格者の問題もそうでした。選挙公約でもこれをやると随分吹きまくったわけですが、ところが、選挙が終わったら公約不履行となり、関係団体の間で随分不満が爆発したということが当時ありました。

 それをなだめるために特別基金を創設したものですが、実は、こうした経過を当時の内閣委員会で指摘した我が党の柴田議員に、担当大臣の小渕官房長官が、それは十分承知いたしておりますと、これは八八年四月二十六日の会議録に出てきますが、認めておられます。

 提案者はこうした経過を御存じなのか、伺っておきます。

宮路議員 私は、率直に申し上げて、そういう事実は承知いたしておりません。

吉井委員 実は、その基金というのは、シベリア抑留者や恩給欠格者の願いであった個人補償要求を実施すると言ってきた約束を破って、自民党の公約違反を背景にして出てきたものでした。今回は、その基金さえ戦後六十年を機会に廃止しようというものですから、これはある意味では戦争被害者に対する二重の背信行為と言われても仕方がないことになってくるんじゃないか。私は、ここに政府や与党の戦後補償に対する基本的な姿勢というものが出ているのではないかというふうに思います。

 さて次に、旧西ドイツで、先ほどお話ありましたが、ソ連に抑留された自国の兵士たちには住宅が補償され、抑留期間に応じて補償金が支給されています。抑留された国で強制労働の対価としての賃金が支払われなかった場合には、その労苦に報いるために自国の政府は何らかの補償金の支給をするということは諸外国では通例のこととなっておりますが、日本では六十万人に近いシベリア強制抑留の実態があるにもかかわらず、同じ戦争捕虜でも、南方から帰還した人たちには政府から労働賃金の支払いはあったけれども、シベリア抑留者に対しては慰藉事業で糊塗して、それに報いる賃金の支払いも補償もないままずっと来たというのがこれまでの経過であったと思います。

 問題の本質は、強制労働の対価が払われていないこと、そして、抑留された国で賃金が支払われなかったならば自国で未払い賃金またはこれにかわる補償金を払う、これは進んだ多くの国では国際的な常識になっているにもかかわらず、シベリア抑留者に対して日本政府はそうしなかったわけですね。これではシベリア抑留者が自分たちは差別されていると思われるのは私は当然のことだと思うんですが、与党提案者の見解を伺っておきます。

宮路議員 お答え申し上げます。

 私ども政府・与党として、今回の措置を打ち出すといいましょうか、提案するに当たって、率直に申し上げて、未払い問題と称されるそういうことについては、それは視野の中に入れて検討するというような状況ではございませんでした。率直に申して、先ほどお話し申し上げたように、やはりこれまでの戦後処理問題、その経過の中で、その路線をしっかりと踏まえて、そしてこういう新規の慰藉事業というものを提案申し上げているということであります。

 御指摘の強制労働に伴う賃金の未払い問題、これは、先ほどから議論がありますように、また政府の方から下村官房副長官がお答えになったように、この問題は、最高裁判決においても、平成九年三月十三日、この判決においてもそこは、南方から帰還された抑留者の皆さんとシベリアから帰還された抑留者の方々との違いという点については、それは当時の、一方では、GHQとの関連において大蔵省の方が告示を出してその労働証明書に基づく支払いを行う、一方では、そうした証明書もソ連の方にGHQが要求したけれどもそれは出なかった、そういうことも含めて先ほど答弁がありました。また、この最高裁の判決においても、そうした違いを認めて、訴えた皆さんのその主張が採用されなかったというふうに理解をいたしております。

吉井委員 最高裁の判決は、そうじゃなくて、戦争損害の一つだから補償しないと。もう一つは、労働賃金支払いには総合的政策判断に立った立法措置を必要とする、ところが立法措置がないから出さないということであって、逆に、立法措置をきちっとその後やるべきであったものであります。

 それで、特別事業で戦後強制抑留者には十万円相当の旅行券が支給されるということですが、旅行券というのは申請者本人限りですから、平均年齢八十四歳と言われるシベリア抑留者の人たちにどれだけの利用があるというふうにお考えになっておられるのか。病気、歩行困難等の方たちには旅行券をどうするつもりなのか。提案者に伺います。

宮下議員 実際に慰労の品として何をお渡しするかについては、今後、基金内において業務方法書等を策定の過程で検討されるものと承知しておりまして、旅行券というのは一つのアイデアでございますけれども、先ほどもございましたように、例えば食事券という格好でも可能でございましょうし、今後、皆様方の御意見も伺いながら、ほかにも選んでいただける品があれば、そういったこともメニューに加えた上で選んでいただけるようにしようというふうに考えているところでございます。

 いずれにしても、まさに御苦労された御本人を慰藉しようということで何らかの品を贈りたい、そういう気持ちで企画したものでございます。

吉井委員 次に、旧ソ連での抑留死亡者数、五万三千人と推計しているわけですが、要するに、結局、実態が未解明という状態が続いていますね。この未解明の状態をやはりきちんと明らかにしなきゃいけないと思うんです。

 ところで、九一年に旧ソ連のゴルバチョフ大統領が来日した折にシベリア抑留者に関する協定が結ばれてから、十二年後にやっと日ロ双方の関係者合同協議会が開かれました。この間、関係部局での情報のやりとりはあったと思うんですが、関係者の合同会議というのは十二年後なんですね。なぜこんなに時間がかかったのかということが一つ。

 同時に、個別の打ち合わせでは前進しないということで、日本政府からロシアの方に申し入れをして合同の協議会ができたわけですが、それならば、シベリア抑留者の実態解明にはこの合同協議会をどう活用していくかということが重要な課題になってくると思うんです。

 約四万人の抑留死亡者が旧ソ連の名簿から把握されたわけですが、まだ約一万三千人も死亡者の名簿がわからないという状況ですね。当然、協議会を通してロシア側に要求することになりますが、協議会は、調べてみると、二〇〇三年十月の十二年後の開催以降、昨年二〇〇五年二月、それから開かれていないんですね。だから、三回目はまだ開かれてもいない。だから、実態をつかまなきゃいけないのに実態をつかむ努力もされていないわけです。

 関係者の合同会議がなぜこんなに時間がかかってしまったのか。そして、昨年二月以降開かれていないわけですが、一体どういうふうにするつもりか、どうして実態把握をやっていこうとしているのか。これは政府参考人に伺います。

八木政府参考人 お答え申し上げます。

 日ロ間では、御指摘の九一年の協定に基づきまして、この協定が九一年に発効して以来、資料調査でありますとか遺骨収集、慰霊巡拝、慰霊碑建立など、さまざまな取り組みが行われてきております。

 これらの取り組みは、日本側の関係省庁とロシア側関係機関との間で個別に随時協議を行いつつ進めてきたものでございますけれども、このような日ロ間の取り組みをさらに効果的に実施するという観点から、日本政府の方から日本側関係省庁とロシア側関係機関のすべてが一堂に会する協議を行うことを提案しまして、その結果、先ほど先生おっしゃいましたように、第一回の協議が平成十五年十月、第二回協議が平成十七年二月に実施されたところでございます。

 外務省といたしましては、次回の協議を早期に開催したいと考えておりまして、この旨ロシア側にも伝えてきておりますが、現在、ロシア側が関係の国内体制の見直しを行っているというふうに申しておりまして、私どもといたしましては、その見直し作業の進捗を考慮しながら、次回協議の開催をロシア側に求めていく考えでございます。

 なお、この抑留問題への両国による真摯な取り組みが不可欠であるということは、これは私ども前から申し上げてきているところでございまして、日ロ首脳会談を含めまして、さまざまな機会にロシア側の一層の協力を求めているところでございます。

吉井委員 十二年間も開かれぬ、開いても二年ぐらい飛んでしまったり、昨年の二月からまた開かれないとか、関係者の協議が全然進んでいない。これでは実態解明は進まないわけですね。

 私は、平均年齢八十四歳ということになってきておられる時期ですから、これはもう時間との勝負だ、その時間との勝負という中で、速やかに関係者の協議会を開いて実態解明に力を尽くす、このことを求めて質問を終わります。

佐藤委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日は、午前中、四人の参考人の方から、シベリア抑留のつらい体験や、また戦後のお取り組みについて、貴重なお話を伺いました。

 そして、そのお話を伺えば伺うほど、午前中も申しましたが、一体なぜこの壮大な拉致、六十万人にも及ぶ国家拉致が起こり、いまだにそのことにきちんとした補償がなされず、とりあえず御年齢が八十何歳かになられる皆さんに対して何かせねばならないという、とりあえず解決が語られ、しかし、もし本質的な解明はなされずにこの審議が終わるのであれば、やはり余りにも皆さんの求めるものとは遠いものになるように思いますので、私はそうした観点から質問をさせていただきたいと思います。

 ちなみに、私も野党側の提案者の一人でございますので、私の質問は与党提案者と政府関係の皆さんにお伺いいたします。

 きょう、午前中の相沢参考人初め、一九四五年八月九日、ソビエト側が日ソ不可侵条約を犯して一方的に南下し、そのときにたくさんの日本人が捕虜になり、そしてその後、きょう相沢参考人がおっしゃいましたのは、八月の二十三日にスターリン発令として、いわば捕まえた日本人捕虜を今度は強制的な労働に、ソビエト全土に分散させるというような形の発令がおろされた、そのことによってたくさんの、六十万人近い方々が抑留という事態と強制労働に付されたということをお話しいただきました。

 あわせて、私は与党提案者にお伺いしたいですが、多分ことしになりましてであろうと思いますが、旧ソビエト、現ロシアがお持ちのさまざまな文書の中で、実は、この八月二十三日のスターリン発令を受けて、我が国の大本営並びに関東軍でしょうか、その担当の皆さんがこの発令に呼応する形で、八月二十六日付で大本営並びに関東軍司令部から旧ソ連軍に提出されたという文書に、抑留邦人と武装解除後の軍人はソ連の庇護下で土着させるようソ連側に依頼する、帰還までは極力ソ連軍の経営に協力するようお使い願いたい、日本国側からそうした土着と使役ということをお願いしたという文書が、最近になり、つい最近のことだと思います、私も原典に当たっておりませんのですが、見つかったという報道がございます。

 といたしますと、この強制労働と抑留という問題は、もちろんスターリン自身が、八月十五日のポツダム宣言、日本が敗戦ということになった以降に発令し、日本側も大本営と関東軍の司令部が使役をお願いするという形で言ったということは両国の犯罪に当たると思いますが、今回、与党の提出者の皆さんにはそのような御認識がおありかどうかというのが一点。

 また、もう一点、こうした情報、事実についてお調べになったかどうか、あるいはこれからお調べになるかどうかについてもお願いいたします。

宮路議員 お答え申し上げます。

 今、阿部先生の御指摘の点、私は提案者の一人でありますが、寡聞にしてそういう報道に接しておりません。したがって、その報道された内容について、真偽がどうであるかということも確認を現在のところいたしておりません。

阿部(知)委員 私は、やはり事の本質を見るために早急に確認をしていただきたいと思っております。

 もちろん、私も野党案の提案者でございますから、とりあえず、私どもの野党案の提案は、労働の対価として、やはりせめて国の責任を認めた上での労働対価をお支払いするという形を三十万円から二百万円という形に決めたわけです。与党案は、残念なことに、国の責任ということは先ほど来の御答弁で既に最高裁でも指摘されておるからということですが、それは先ほど吉井委員もおっしゃったように、立法にのっとって行うべきであるということでありますので、むしろ、与党はその点は立法作業をお進めになるのが本来の姿かと思います。

 歴史は、特にこの戦中戦後の歴史はまだまだ未解明で、実は今、旧ソビエトから多くの資料が見つかってございます。私どもはそうした資料にのっとって実態を解明していかなければならない。それがまた国の政治をあずかる者の責務と思いますが、もう一点、私の後段のお願いでございます、お調べになるお気持ちがあるのか、また調べるための機関を我が国はどこに持っておるのか。

 きょう、午前中の参考人の白井さんは御自身がつくっておられる日露歴史研究センターにおいていろいろな情報をお調べでございますが、私は、この間いろいろ調べましたが、日本の国内においてこうした歴史的事実を、特にこの問題に関して、どこでどう調べて情報化されているのかを寡聞にして見つけることができませんでした。恐らく与党の委員もそうであるからこそ、宮路先生も御存じないし、その次どうすればいいのかもお考えが定まらないと思います。

 こうしたことは次々起こると思いますから、どの場でどういうふうにして歴史的な事実を究明し、いわば実際の施策に反映していくのか、この抑留問題で今どのように与党側はお考えでこの提案をなされているのかについて、お願い申し上げます。

宮路議員 お答え申し上げます。

 先ほど御指摘のあった、そういう報道の有無、また報道されている内容の真否のほど、どういうものであるか、私も、提案者ということでは、提案者としてこれまでそこまで思いも及ばなかったわけでありますが、政治家宮路和明としては、そういう問題も調べて勉強をしなければならないな、こう思っておるところであります。

 そして、今回の措置と戦後強制抑留者とのかかわりでありますけれども、これは先ほど来申し上げておりますように、我々政府・与党としては、昭和五十九年に出されました戦後処理問題懇談会における報告の結果、これを重く受けとめて、それを尊重して、昭和六十三年に平和祈念事業特別基金というものをつくって、そして関係者に対して慰藉の念をささげていく。また同時に、こうした皆さんの御苦労が戦後の長い歴史の中で風化してしまって後世に引き継がれていかないといったようなことがないように、それにふさわしいといいましょうか、そういう風化を防止し後世の世代に引き継いでいく、そういう事業をやっていくようにということで平和祈念事業特別基金をつくってやってきているわけでありますので、その延長線上のものとして今回のこの慰藉の事業も新しく立てることにいたしたわけであります。したがって、御指摘の強制労働に伴う労賃の未払い問題とのかかわりということは、我々のこの検討の過程においては遮断をさせていただく、そこは結びつきを持っていない、こういうことであります。

 そして、それを今度は立法でやるべきではないか、最高裁も立法でやることを何も禁じているわけではないので、立法としてやる分には別に構わない、そういう判断であることは私もそうだと思いますが、そこは、我々として、政府・与党として、強制労働させられたソ連抑留者の皆さんにつきましても、恩給の世界においてしっかりと、復員されるまでの間は軍歴の中に組み込む、そして抑留加算というものをつけるといったような措置を初めとしていろいろな対策をやってきておるわけでありますので、したがって、今の段階で我々与党として、立法措置を行ってこの賃金の未払い問題に対処していくということは現在の段階では考えていない、こういうことであります。

阿部(知)委員 私がお尋ね申したのは、宮路議員の個人的に歴史をちゃんとしていこうというお気持ちに私は疑義を差し挟むものではありません。ただ、政府の機構の中にあるいは我が国の何らかの取り組みの中に、何度も申しますが、一体なぜこんなことが起きてしまったのかと。

 私は、きょう恐らくたくさんの傍聴人の方が見えていますが、一番知りたいのは、なぜこんなことが起きて、自分たちがその被害を個人としてこうむって、国家は何も問題がなかったのかどうかという一点に尽きると思います。

 そして、与党案の誠意もまた疑うものではありませんし、野党案もまた、それに対しては極めて不十分なものでしかないということも、野党の提案の中でも思います。しかし一方、私たちは、そこのことにおいて、国がやったことに対しての、本当のある意味での、些少な額なりともおわびをしたいということも組み込んでの提案でございます。

 いずれにしろ、何ら歴史の事実を検証する仕組みがないということが最も根本で、先ほど申しました日露歴史研究センター、民間のものと私は理解しておりますが、あるいはまた、舞鶴港にございます抑留者のための展示館も、これは何ら国の補助のもとに行われているものではないというふうに聞いております。となれば、全く民間任せ。本来最も大事な、やはり私は、戦争というのは国家と国家の問題ですから、そこで起こったことについて、歴史も慰藉もそれから展示も民間に任せていっては、皆さん御高齢になり、本当にこの後がもつかどうか、そしてすべてがやみの中では、余りに私どもは歴史に学ばなかったということになると思います。

 与党の提案者にお伺いいたしたいのですが、五十年前の十二月二十六日という日は、舞鶴港に引き揚げの最後の方が来たという日でございます。例えば、今、提案者の側として、このことをきちんと歴史に忘れさせないためにも、何らかの行事のお取り組みをお考えであるのか。法案には直には書いてございませんが、その点はいかがでしょうか。

宮路議員 お答えを申し上げます。

 舞鶴市に引揚者のための引揚館といいますか、それがあって、そしてそこでは引揚者にかかわるいろいろな資料等が展示をされている。そして、その引揚者の中には、戦後の強制抑留者、シベリアからお帰りになった、帰還された皆さんも含めて引揚者としての取り扱いがなされているということは、私も承知をいたしております。

 したがって、市が独自に設置し、運営しているというふうに承知をいたしておりますが、私はまだそれも見たことはありませんけれども、またしかるべき機会をとらえてそういうものもひとつ拝見させていただいて、そういうものを積極的にまたサポートしていく、そういう手だてがあるものかないものか、その辺も検討をしてまいらなきゃいかぬなと、これは提案者としてそのような思いを持っておりますが、今回の事業の中においては、今のところそういうものを取り込んでいくということは特に予定をいたしておりません。

 ただし、戦後の強制抑留された方々に係る慰霊の事業につきましては、今後とも実施していくという方針を打ち出しておりますし、また、慰霊のための慰霊碑を中央につくる。これは引揚者そして抑留者両方の方々の慰霊碑を、それは別々にではありますが、千鳥ケ淵を想定しておるのでありますけれども、そこに立派な慰霊碑をつくって、そして皆さんに対する慰藉の気持ちをしっかりと表する、そういう場をつくりたい、こういうふうにも考えておるところであります。

阿部(知)委員 この法案が通りました後に、いわゆるこうした抑留問題について政治の側の動きが全くなくなるということをきょうお越しの皆さんも大変御心配されていると思いますから、今の宮路委員のお気持ちも、与野党問わず取り組みとしていくということを、私も野党側の提案者の一人として気持ちを申し添えたいと思います。

 引き続いて、先ほど西村智奈美委員の御質疑の中で、私は、厚生労働省の御答弁についておやと思ったことがありましたので、ちょっと通告外ですが、聞かせていただきます。

 厚生労働省の荒井審議官にお伺いいたしますが、ここに私がきょうこんな厚い本を持ってきたのは、「援護五十年史」という、これは厚生労働省が平成九年に出された本であります。先ほど審議官は、西村智奈美委員の御質疑に対して、一体抑留者の総数五十七万五千人のうち民間人はどうだったんですかということにほとんどお答えにならないお答えでありましたが、この本の百三十三ページ、これは厚生労働省がじかにおつくりになったものですが、「五十七万五千人と推定され、その大部分は軍人軍属であったが、相当数の一般邦人も含まれていた。」と既に平成九年に記載されております。ということは、厚生労働省としてもそうした実態は十分把握しておられるのではないか。

 なぜ、あのようなあいまいで、そして確信のない御答弁であるのかが一点、冒頭お伺いしたいです。なぜなら、これから私が伺いますことは、今ここで法律が通過した以降、一体この抑留問題をどこが責任を持ってきっちりやっていけるか、体制が極めて不安な中で、厚生労働省には多大なお働きをしていただかねばならないと思うからです。今のが一点。

 それから二点目は、私は特に、今回恐らくこの場に最も来たくて来られなかった人、すなわち赤紙一枚で極寒の地に行き、強制労働の中で亡くなっていった方たち、いろいろな思いがあると思います。また、ここに来られた方も、そうして亡くなっていった方たちの思いを背負ってこの場に来ておられると思いますから、一体そうして亡くなっていった方たちの全貌や御遺骨の収集がどのように進んでおるのかということをぜひ質疑させていただきたいです。

 皆さんのお手元には、厚生労働省の社会・援護局からいただきましたもので、平成三年から平成十八年までのいわゆるソ連抑留中の死亡者の遺骨収集の実施状況がございます。ここでは、全体の死亡者数のうち収集された遺骨の総数は一万六千五百七十七とございます。死亡総数は幾らでこの収集数か、これからどんなことをしようと思っておられるのか、この点についてお願いいたします。

 ちなみに申し添えれば、実はこの収集の中で特に収集が多いのは、森総理大臣が号令一下お決めになりました、平成十二年度に厚生労働省にお働きかけで、十三年度、十四年度、集中的に遺骨を収集しようという年は、二千二百七十一体あるいは二千三百十一体と、しかるべく収集されていると思います。しかしまた、その前後は大変に心もとなくなっておりますので、そうした趣旨の質問と御理解の上、御答弁をお願いいたします。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 まず、遺骨収集の件でございますが、シベリア抑留に伴いまして亡くなられた方の名簿でございますが、旧ソ連邦・ロシア及びその関係の国から出てまいりました総数は約四万名でございます。ただ、先ほども説明申し上げましたが、私どもが抑留されて戻られた方々等の皆様方から情報を集めたところでは、モンゴルも含めると五万五千人の皆様方、ロシア地域ですと五万三千人の方々が亡くなられているということで、その差が一万以上ございます。

 これにつきましては、私ども、ロシアとコンタクトをするたびに、はっきりときちんと情報を出していただくようにお願いしておりますし、また、昨年も、森元総理大臣がロシアの大統領と会われたときにこのことを強く申し上げ、それなりに積極的なお答えをいただいております。つい最近も、私どもの担当の室長がロシアに参りましたときに、外務省に強くこの旨申し上げているところでございます。

 そのうちの遺骨収集の数でございますが、平成十八年十一月までで一万六千五百七十七柱収集してございます。全体の亡くなられた方との関係でいくとまだ少ない数になってございます。

 これにつきましては、多くの問題として、強く資料を要求しておりますが、ロシアから出てきた資料が極めて不正確な資料でございます。例えば、ある場所だということで行ってみると、そこはお墓とは全然関係ないような場所であったり、また、お墓らしいところがあっても、そこを掘っても御遺骨が出てこない。また、出てきた場合でも、その方々がロシア側の資料で出された墓の位置と違う形で出てきておりましてだれか特定できない、そういった問題がございます。

 そういう意味で、私ども、過去、先生が申された時期につきましては、集中的にその資料を活用して探し出しておりました。引き続き、その努力はいたしたいと思っております。今後の見通しにつきましても、かなり発掘しやすいところにつきましてはやっていますので、これからはなかなか難しいところを中心にやらざるを得ないのかなと思ってございます。

 あと、先ほどの民間の抑留された方々の問題でございますが、私どもの先ほどの説明は、抑留者のリストがあるかどうかということにつきましては、少なくとも軍人それから軍属の方々の場合には、恩給だとか、それから援護年金の関係できちっとした資料を集めておりますので、もし仮に担当されているセクションからこの方が抑留されたかどうかということを聞かれれば、私どもはその限りで答えられますという形でのお答えでございます。

 そのほか、そもそも抑留者の中に一般の方々が入っていたかどうかにつきましては、先ほど先生が御指摘されましたように一定数の方がいらっしゃるものというふうに認識しております。

阿部(知)委員 認識したら解明する努力をしていただかないと、先ほどのようなあいまい答弁になるんだと思いますね。

 あともう一つ、では、ことしになってウクライナから約二百名の方の死亡リストというのが上がってまいっております。ことしの調査にはそれが入っておりませんし、全体、ウクライナ側で旧ソビエトにおられた方が調査されたのですが、八百名くらいは亡くなった方がおるんじゃないかという報道でございます。これについては厚生労働省としてどのようにお取り上げであるのか。

 さっきから伺いますと、とにかく情報は受け手の一方で、こちらからやはり踏み込まないと、何せ六十年もたっております。ちなみに、遺骨収集は、実は南方方面に比べれば北方のものは個体性が高く、まだ正直言ってわかりやすい。いろいろ困難はありますが、何せ戦後が長く経ましたから。しかし、例えばウクライナの情報はどう処理されているか、あるいは、もっと綿密に、例えばまだ百九十六カ所くらいしか墓地として挙げられたところの調査は進んでおられませんよね、それを加速させるためには何をすればいいか。

 そして最後は、大体平成十五年度からDNA鑑定というのが導入されました。しかし、これもまだまだ遅々として、もちろん進んでいるとはいえ、進んでおりません。今、御遺族が高齢になって、自分が本当に先に、御遺骨が出てくる前に亡くなることもあるかもしれない。とすれば、厚生労働省とすれば、なるべく多くの方にシベリア抑留の御遺族や御家族に、もし遺骨が見つかったときにDNA鑑定ができるような体制を整えるべきではないか。

 三つお願いいたします。ウクライナ問題と、それから、どのようなこれからのこちら側から働きかける体制かということと、それからDNA鑑定の働きかけの三点でございます。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 ウクライナの関係につきましては、ウクライナにとどまらず、遺骨の情報がございます場合にはきちんとその事実確認をロシア政府に対して情報を出す形でお願いし、また国内のその当時の状況を御存じの方々にも情報をいただいて、その確度についての精度を上げた上で、まずその実態調査を一度し、そこで可能性が高い場合には本格的な遺骨収集作業に入るという形で対応をすることになるだろうと思います。これは、ウクライナに限らず、一般的に遺骨情報があった場合のという扱いでございます。

 その情報につきましては、これは先生の御指摘のとおり、待っていてもなかなか情報は入ってこないことは事実でございまして、ロシアに行くたびに、まずロシアがきちんと情報を持っているはずですし、またそのロシアから正確な情報が上がってこなければどこに遺骨があるかもわからないという状況でございます。したがって、きちんとロシアから情報を集めるということを徹底してやっていきたいというふうに思っております。

 DNAの問題につきましては、現在約千二百人の家族から鑑定の申請を受けておりまして、順次鑑定を進めてございます。平成十八年十一月現在で六百四人について鑑定結果が出ており、そのうち三百五十八人については遺骨の身元が特定できたという状況でございます。現在のロシアにおける遺骨収集においては個人の特定がなかなか難しゅうございますので、このDNA鑑定によって決めなければいけないケースが非常に多くなるだろうというか現在も多いんですけれども、そういうことになるだろうというふうに思っております。

阿部(知)委員 平成三年の時点でゴルバチョフ大統領からもたらされたいわゆる埋葬地地図は五百三十七カ所ございます。先ほど申しましたように、まだ厚生労働省は百九十四とか百九十六。もちろん地形も変わり時代も変わっていますが、しかし、これはやはり可及的速やかにお調べいただくということと、DNA鑑定のために今厚生労働省の四階に七千八百体の御遺体がございます。わかった数が六百幾つでございます。

 それから、私が申しましたのは、御自身の御家族がシベリアで抑留され亡くなったかもしれない、でもDNA鑑定という手法を御存じない、あるいはどうすればいいかわからない御遺族が多数おいでです。今やっていることは、遺骨が見つかったらその地区のその名簿で当たるだけです。もっと広く、待ち望んでいる御遺族全体に対してDNA鑑定という道をきちんと広報していただきたいと思います。

 以上で私の質問を終わります。

佐藤委員長 これにて各案に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 この際、宮路和明君外三名提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案に対し、谷公一君外一名から、自由民主党及び公明党の共同提案による修正案が、また、長妻昭君外六名提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案に対し、寺田学君外二名から、民主党・無所属クラブ、日本共産党及び社会民主党・市民連合の三会派共同提案による修正案がそれぞれ提出されております。

 提出者より順次趣旨の説明を求めます。谷公一君。

    ―――――――――――――

 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案に対する修正案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

谷委員 ただいま議題となりました独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案に対する修正案につきまして、提出者を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。

 修正の要旨は、原案において「平成二十一年九月三十日までの間において政令で定める日」となっている施行期日を「平成二十二年九月三十日までの間において政令で定める日」に改めるものであります。

 何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。

佐藤委員長 次に、寺田学君。

    ―――――――――――――

 戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案に対する修正案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

寺田(学)委員 ただいま議題となりました戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案に対する修正案につきまして、提出者を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。

 修正の要旨は、原案において「平成十八年一月一日」となっている施行期日を「平成十九年四月一日」に改めるものであります。

 何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。

 以上です。

佐藤委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 この際、長妻昭君外六名提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案について、国会法第五十七条の三の規定により、内閣の意見を聴取いたします。菅総務大臣。

菅国務大臣 戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案につきましては、政府としては反対であります。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 これより各案及び両修正案を一括して討論に入ります。

 討論の申し出がありますので、順次これを許します。谷口隆義君。

谷口(隆)委員 自由民主党及び公明党を代表して、与党提出の独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案及び同法律案に対する修正案に賛成、野党提出の戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案及び同法律案に対する修正案並びに独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案に反対する立場から討論を行います。

 さきの大戦の終結から既に六十年余りが過ぎ、戦後強制抑留者、恩給欠格者及び引揚者問題のいわゆる戦後処理三問題は、関係者の方々の高齢化が進んでいる状況にかんがみれば、一刻も早く、我が国のために多くの犠牲を払い、辛酸をなめてこられたこれらの方々の心情にひとしくおこたえをする措置を講ずることが必要であります。

 与党案は、新たな慰藉事業の費用に充てるため、独立行政法人平和祈念事業特別基金の資本金の一部を取り崩すことができることとし、さきの大戦により筆舌に尽くしがたい労苦をこうむった方々に対し、衷心より慰藉の念を示す道を開き、本事業の終了を待って基金を廃止するものであり、戦後処理三問題の最終的な決着を図るため、ぜひとも必要な措置と言えます。

 一方、野党案は、独立行政法人平和祈念事業特別基金を廃止する点につきましては与党案と同様の内容でありますが、特別給付金の支給につきましては、戦後強制抑留者の方々に限るという内容であり、公平性に欠け、恩給欠格者及び引揚者問題を含めた戦後処理三問題の完全な解決となっていないと言わざるを得ません。

 関係者の方々の高齢化が進んでいる状況にかんがみ、数多くの犠牲、労苦をこうむった関係者の方々にひとしくその心情にこたえる慰藉事業を行おうとする与党案及びその修正案に賛成し、野党案及びその修正案に反対することを再度申し上げ、私の討論といたします。

佐藤委員長 次に、長妻昭君。

長妻委員 私は、民主党・無所属クラブを代表して、ただいま議題となりました民主党、日本共産党、社会民主党提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案に賛成の立場から、自民党、公明党提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案に反対の立場から討論を行います。

 まず、野党三党提出の二法案に対する賛成理由を申し述べます。

 戦後シベリア等に抑留された方々は、酷寒の地で強制労働に従事させられたにもかかわらず、労働の対価が支払われておりません。本法案は、こうした特別の事情にかんがみ、その労苦を慰労するために国が特別給付金を支給することなどを内容とするものです。

 人として働いたあかしを得たいという抑留者の方々の思いに真摯にこたえるものとして高く評価することができます。したがって、野党三党提出の二法案に賛成いたします。

 次に、与党提出の法案に対する反対理由を申し述べます。

 本法案は、平和祈念事業特別基金を解散し、慰藉の念を示す事業を行うものであり、自民党は、十万円相当の旅行券等を支給するとしています。しかし、抑留された方々は非常に高齢であり、旅行券を利用できない人も数多くいることは想像にかたくありません。

 また、本法案は、事業の実施主体を平和祈念事業特別基金としており、国に労苦を慰労してほしいと望んでいる方々の思いにそぐわないものです。したがって、与党提出の法案には反対であることを申し上げると同時に、これで戦後六十一年、戦後処理問題にふたをしてはならないと強く申し上げ、私の討論を終わります。

佐藤委員長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 私は、日本共産党を代表して、与党提出の独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案と同修正案に反対、野党三党提出の戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案と同修正案及び独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案に賛成の討論を行います。

 与党提出法案に反対する理由の第一は、特別基金の廃止は、政府・自民党の戦争被害者に対する二重の背信行為だからであります。

 一九八六年の衆参同時選挙で自民党は、シベリア抑留者や恩給欠格者などの個人補償の要求を実現するという公約を行いましたが、その公約を踏みにじって、シベリア抑留者にわずか十万円の慰労金を支給するなどの特別基金を設立し、幕を引こうとしたのが現在の基金です。それを、今回の基金廃止は、このわずかな基金事業さえも廃止するもので、戦争被害者への二重の背信行為と言わなければなりません。

 第二の理由は、この基金の廃止にあわせて、戦後処理問題に関する措置はすべて確定・終了したものとするとして、未解決の戦後処理問題を一方的に切り捨てようとしているからであります。

 戦後六十年たった今なお、戦後補償問題は、シベリア抑留問題、恩給欠格者問題のみならず、従軍慰安婦問題、中国人や朝鮮人の強制連行・強制労働問題、中国残留孤児問題、民間被災者問題など山積しています。こうした未解決な戦後補償問題を確定・終了したものとして切り捨てることは認められません。

 シベリア抑留者団体からは、シベリア、モンゴル抑留の真相究明、日ロ両政府の抑留被害者及び遺族への真摯な謝罪、未払い賃金問題も含めた国家補償、国の責任で行う追悼・慰霊事業と歴史継承事業をとの声が上げられております。

 元抑留者の方々は高齢化しており、私は、この問題の一刻も早い解決のために政府が真摯に取り組むことを強く要求するものです。

 野党提出法案は、質疑の中で明らかにしましたように、シベリア抑留者の期待にこたえるものとなっているものであり、賛成することを述べて、討論を終わります。

佐藤委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 私は、社会民主党・市民連合を代表して、与党、自民党、公明党提出の独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案と同修正案に反対し、野党、社民党、民主党、共産党提出の戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案と同修正案及び独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案に対して賛成の討論を行います。

 戦後六十年を経て今なおシベリア、モンゴル抑留に関する基本的な情報である抑留者の総数、死亡者数、名簿などが不明確なままです。日本政府は、相手国からの情報提供をひたすら待つだけで、送り出し国としての責務にかけて強制抑留、奴隷労働の被害の実態を何としてでも究明をしようという姿勢に欠けています。また、遺骨の調査、収集も全く不十分と言わざるを得ません。

 元抑留者の皆さんの平均年齢は既に八十四・五歳に達しています。もはや一刻の猶予も許されません。その意味で、社民党、民主党、共産党提出の二法案による戦後強制抑留者に対して特別給付金の支給は、これまでの御苦労に対してせめてもの報いとなるものと言えます。

 しかし、既に元抑留者が再三再四政府に対し要請しているように、平和祈念事業特別基金を廃止し給付金を支給することをもって戦後強制抑留者問題にふたをするようなことがあっては断じてならないと考えます。

 最後に、政府は、予算も人員も大幅にふやし、民間の協力も得て、関係各国に対して調査団を派遣するなどして最大限の情報を集め、一刻も早く戦後強制抑留の全容解明を急ぐだけでなく、亡くなられた方々の遺骨収集のスピードを上げる必要があることを強く訴えたいと思います。

 以上の立場から、野党提出の二法案に賛成し、与党、自民党、公明党提出の法律案には反対することを明らかにし、私の討論といたします。

佐藤委員長 これにて討論は終局いたしました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 これより各案について順次採決に入ります。

 初めに、第百六十三回国会、長妻昭君外六名提出、戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。

 まず、寺田学君外二名提出の修正案について採決いたします。

 本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

佐藤委員長 起立少数。よって、本修正案は否決されました。

 次に、原案について採決いたします。

 原案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

佐藤委員長 起立少数。よって、本案は否決すべきものと決しました。

 次に、第百六十三回国会、長妻昭君外六名提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律を廃止する法律案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

佐藤委員長 起立少数。よって、本案は否決すべきものと決しました。

 次に、第百六十三回国会、宮路和明君外三名提出、独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律の廃止等に関する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。

 まず、谷公一君外一名提出の修正案について採決いたします。

 本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

佐藤委員長 起立多数。よって、本修正案は可決されました。

 次に、ただいま可決いたしました修正部分を除く原案について採決いたします。

 これに賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

佐藤委員長 起立多数。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。

 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました各法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

    ―――――――――――――

佐藤委員長 次回は、明八日金曜日午前九時二十分理事会、午前九時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時十四分散会


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