衆議院

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第3号 平成13年2月27日(火曜日)

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平成十三年二月二十七日(火曜日)

    午前十時三分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 岩永 峯一君 理事 鈴木 恒夫君

  理事 田野瀬良太郎君 理事 渡辺 博道君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      青山  丘君    小渕 優子君

      岡下 信子君    嘉数 知賢君

      杉山 憲夫君    谷垣 禎一君

      谷田 武彦君    谷本 龍哉君

      馳   浩君    林 省之介君

      水野 賢一君    宮澤 洋一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      牧  義夫君    松沢 成文君

      山口  壯君    山谷えり子君

      山元  勉君    池坊 保子君

      斉藤 鉄夫君    武山百合子君

      石井 郁子君    児玉 健次君

      中西 績介君    山内 惠子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       町村 信孝君

   文部科学副大臣      大野 功統君

   文部科学副大臣      河村 建夫君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (内閣府政策統括官)   江崎 芳雄君

   政府参考人

   (外務省アジア大洋州局長

   )            槙田 邦彦君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長

   )            遠藤 昭雄君

   政府参考人

   (文化庁次長)      銭谷 眞美君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 文部科学行政の基本施策に関する件




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として内閣府政策統括官江崎芳雄君、外務省アジア大洋州局長槙田邦彦君、文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、研究振興局長遠藤昭雄君、文化庁次長銭谷眞美君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田野瀬良太郎君。

田野瀬委員 自由民主党の田野瀬良太郎でございます。トップバッターの御指名をいただいて大変光栄でございます。数点につきまして、町村文部科学大臣にこれから質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。

 平成十三年度の文部科学省予算の中の初等中等教育局の、基礎学力の向上ときめ細かな指導を目指す教職員定数の改善、これにつきまして私は了とするものでございますし、採用をとめてしまうということになりますと、学校現場に若さがなくなって、ひいては活力がなくなるということで、一定の採用をこれからもずっと続けていくということにつきましては賛成でございます。とはいえ、これによって少人数学級ができるということ、これが一つの十三年度以降の目玉的施策のようにお見受けいたすわけでございますが、ただ、私は、少人数学級がすべてであるのかどうかということにつきまして、いささか疑問を覚えておるものでございます。

 先生と生徒のかかわりの中で生徒がいろいろな能力を開発されるという部分、これも確かにありますでしょう。事実、私も経験がございますけれども、ある先生の教え方、情熱、あるいは我々も、アプローチによって大いに引かれて、そしてひいては成績が上がったという経験がございますし、どうしてもこの先生にはなじめないということになりますと、やはり成績はよくない。

 先生の生徒へのかかわりの中で子供たちが開発されるという部分、確かに私はこれは否定するものではございませんが、一方では、子供たちの能力開発の非常に大きな部分を占めておると私は思うのですが、子供たち同士の切磋琢磨、あるいは競争原理の中で競争心を醸成するというところから能力を開発する、あるいはまた、よくできる子とか人格の進んでいる子への一種のあこがれの中で能力開発される部分等々、子供同士のかかわり合いの中で能力開発される部分も非常に多くある、私はこのように思うわけでございます。

 特に、文部科学省の生きる力をはぐくむ教育、私もこれに大いに賛成でございますが、少人数学級をどんどん進めていくということになりますと、どうしてもそういった競争社会でなくなる。あるいは、生きる力というのは、言いかえるならば激しい競争社会の中でどう耐えていく精神力を養うかという意味も大いにあろうかと思うのですが、どうしても、少人数学級ということになると、競争力がなくなる、子供同士の切磋琢磨がなくなる、教室に活気がなくなるという部分も生じてくるということからいきますと、そのたくましい精神力を養うという、すなわち生きる力をはぐくむという教育から相矛盾することになってくるのではないか、このように思うわけでございます。

 ですから、冒頭申し上げましたように、教職員の定数改善は了とするものでありますが、そこの運用ですね。すべて少人数に向かうことが正しい、適切な教育につながるのだということでは決してないというふうに私は思う一人でございまして、その辺のところをよく考えてこの運用をしてもらいたいという思いを持っておるものでございます。その辺のところを、どうぞひとつ大臣、ちょっと見解をお聞かせ願いたい、このように思います。

町村国務大臣 ただいま田野瀬委員の方から、少人数学級の是非といいましょうか、効果といいましょうか、これについてのお尋ねがございました。

 御指摘のように、今回の定数改善の中では、教科等に応じて、どうしても理解するぐあいに早い遅いが生ずる、差がつきやすい、例えば小学校でいきますと国語、算数、理科、中学校でいきますと英語と数学と理科、こうしたものについては二十人程度の少人数による指導もできるようにしたいということを考えておりますし、また、各都道府県の判断によって、必要に応じて、例えば低学年、一年生とか二年生は、一遍に四十人が難しければ二十人でもいいですよといったような弾力的な学級編制を行うことを可能にしようということを考えているわけでございまして、これらによりまして、児童生徒や各学校の実態を踏まえた指導方法の工夫改善、こうした努力を支援していこうということであります。

 したがいまして、今委員御指摘のように、一律に三十人とか一律に二十人ということを私どもは考えているわけではございません。なぜかといいますと、まさに委員御指摘のように、集団の中での人間形成、人間関係をつくっていく、切磋琢磨という面から、やはり一定程度の規模というのは必要なんだろうな、こう思いますし、また、教科等に応じて、今言ったような少人数による指導の方が、あるいは複数の教員によるきめ細かな指導、チームティーチング、こう呼んでおりまして、一つの教室に二人の先生がいる、かえってその方が、教壇に立つ先生と、個々の生徒のところを回って、ああこの子はここでつまずいているのだなといって個々の指導もできるというTTというやり方、こうしたものの組み合わせの方がいいのではなかろうか、こう思っております。

 したがいまして、一律に少人数学級ということを私ども今考えているわけではないという意味では、委員の御指摘のとおりの考え方に沿って今回の定数改善等を行うというふうに考えているわけであります。

田野瀬委員 今大臣からチームティーチング、一定のクラスの人数を確保しながら複数の先生で教えるという方法、私もむしろこの方法の方がふさわしいのではないかなという思いを持っておる一人でございまして、どうぞその辺のところ、都道府県の教育委員会に、少人数がすべてである、どんどん少人数を進めなさいという指導ではなくて、多様な、しかも教室には、クラスには一定の生徒数が必要なんだというようなことも、ひとつそこは適度に指導してやっていただくようによろしくお願い申し上げたい、このように思います。

 アメリカが三、四年前に大変大胆な教育改革をした。まさにアメリカは、数年前二十人学級をやり切っておりますね。クリントンさんは随分教育改革に力を入れられて、その目玉商品にしておったやに私は見受けるわけでございますが、その二十人学級になってからのアメリカの成果、これを一遍しっかりと見届けるのも一つの方法ではないかなと思います。

 ちょっとこれも仄聞で確たる話ではないのですが、あれは何という表現だったのでしょうか、子供たちの学力の世界コンペがございますね、アメリカのクリントンさんはこのたびのそれに随分期待を寄せておったわけでございます。しかし、その二十人学級の成果が上がっておらないということも、これは確たる話じゃなくて仄聞の域でございますけれども、その辺の二十人学級を完全施行したアメリカの様子も一遍よく見ながら、これを慎重に進めていくのも一つの方法ではないか、私はこのように思いますので、その点も申し添えておきたいと思います。

 さて、結局、尽きるところは、二十人であれ三十人であれ四十人であれ五十人であれ、私は、先生の資質によるところが非常に大きい、このように思っております。先生に資質があれば、三十人であれ四十人であれ五十人であれ、私学の世界ではクラスの生徒数が多いほど成績が上がるという、それがまことしやかに、常識的のように流れておるのも事実でございます。クラスの生徒数を減らせば減らすほど成績が落ちてくる、そういう実態もあるということを言われておる状況の中で、私は、結論は、結局は先生の資質によるのではないか、そのように考えておるところでございます。

 生徒が一言先生に訴えたことを、びんびんと感受性を発揮し、感性豊かにして、何を訴えておるのかということをすぐ把握してその問題を処理するとか、クラスを見渡して、あの辺の二、三人おかしいな、あれはひょっとしたらいじめじゃないかというぐらいのことはびんとくる先生であってほしいと願うわけでございます。

 繰り返しになりますが、大いに先生の資質、どうも最近の先生の中には少子化の中で育って人と人とのおつき合いが下手なというか、まさに教育の世界というのは対人間でございまして、相手が機械でもコンピューターでも何でもないわけでございます、一〇〇%対人間関係のかかわりの中で成り立っておる職場でございまして、人と人とのおつき合いの下手な先生、あるいは社会性が非常に劣る先生等々、これはやはり不適格者である、このように思うわけでございます。

 ただ、二十二歳にして大学を卒業して、すぐ教育の世界に入って、そして言うなれば小さな組織の中で長年おりますと、それはその社会だけの社会性が常識になってしまう、こういう傾向はなきにしもあらずだ、このように思うわけでございます。

 私は、長い先生人生の中で一遍は二年や三年、短期の研修制度あるいは長期制度もございますが、まあ今の制度は半年から一年ですね、私は、精いっぱいやっても半年や一年ではなかなか、社会性をつかんでくるというには余りにも短過ぎると思うのですね。長い先生人生の中で二年や三年、できたら三年ぐらい、一遍、人と人とのかかわりの激しい競争社会、例えば一般企業の営業部あたりに先生に身を置いてもらう。一カ月や二カ月、半年の研修ということになりますと、どうしても横から眺めての研修になってくる、見学するというような研修になってくると思うのですが、自分みずからその中に入って、そして、一般社会の状況あるいは激しい人と人とのかかわり、競争社会に身を投じて、責任のあるポストについて、そして二年や三年研修してくるということになりますと、私は、先ほどから申し上げておるような懸念が非常に少なくなるというか、まさに先生にとっては非常にいい研修になるのではないか、このように考える次第でございます。

 そんなことで、私は大臣に、ぜひこの機会に、研修制度に力を入れるという方針に文部科学省があることは重々承知いたしておりますが、さらに長期の、二年、三年にわたる長期研修制度をひとつぜひ導入してもらいたい。そして、それこそ激しい人間社会の中に一遍身を投じていただくという研修、できるだけそういう研修の場を選んでいただきたい。

 私、さらに提案でございますが、ということになりますと、その先生の給料を全部国費で、あるいは地方自治体の経費で賄うということになりますと、これは大きな負担が伴います。私は、責任のあるポストにつくということになりますと、企業側も一定の負担をすると思うのですね、その給料の負担を。できれば半々でいこうじゃないか、国あるいは地方自治体半分、そして企業半分、半々の給料でいこうじゃないかというようなことは私は十分可能ではないかなと思うのですね。そうすることによって、その負担を少しでも軽減できるのではないか。

 繰り返しになりますが、二、三年の研修で、しかも激しい人間社会の中で、競争社会の中で、しかも給料を企業と国あるいは地方自治体と半々でいくというような研修制度をひとつぜひ導入してもらったらと、このように提案するわけでございますが、いかがなものでしょうか。

町村国務大臣 教員が立派であるかどうかということで教育の成果が大きく左右されるというのは、委員の御指摘のとおりだろうと私どもも思っております。その上で、幅広い視野を持つ、民間企業等で長期の社会体験研修をするということは、対人関係をより上手につくっていったり、今委員が御指摘のようなさまざまなメリットがあるだろう、こういうことで、文部科学省としても大いにこれを進めているところでございます。

 必ずしも十分な予算ではないかもしれませんが、例えば平成十三年度予算の中でも、学校と社会の相互交流事業という形で、新たに都道府県教育委員会等が、長期社会体験研修を実施する費用を補助するとともに、その必要な教職員定数を措置するということにしたわけであります。

 ただ、その期間が今どうかというお話で、御指摘のように、平均すると大体半年、あるいはそれより少し短いかもしれません。二年、三年という御指摘がありました。これも、国にお金がいっぱいあればぜひそれは実現できたらいいなと思うのでありますけれども、今の財政状況の中では、二年、三年というのはなかなか容易ではないのかなという気もいたしますし、したがって、また教職員の定数が、逆に言うと膨大に必要になってくるというようなこともあると思います。

 したがって、今でも数が少ないのですから、私は、仮に期間が半年であれ何であれできるだけ多くの人に体験をしてもらった方が、少数の人が長期間行くよりは、多くの人がたとえ半年でも、限られた予算の有効活用という面から見たらむしろその方がいいのではないのかな、こう考えているわけであります。

 なお、給与を民間企業に負担させればいいではないかというお話がありました。そういうおおらかな企業があり、先生を三年間置いてやろう、大いに営業もやらせてやろうというふうに温かい気持ちで受けとめてくれる企業があればいざ知らず、なかなか今の厳しい人件費削減状況の、リストラが進んでいる企業で、そこまでやってくれるのかなという率直な疑問を持ちますし、また、現在の公務員制度のもとで、教員の長期社会研修に当たって、研修先企業から給与を受け取るということはなかなか難しいのではなかろうか、こう思ったりしておりまして、大変貴重な御提言でございますが、なかなか難しい面もあるということについて御理解を賜れればと思います。

田野瀬委員 大臣、そういう民間企業があるかどうか御心配の節の今の御答弁でございました。半々でいけば、私は間違いなしにあると思います。全部その企業が負担するということになりますと、それはやはり各企業も、それに見合った採用試験をやって、やっておるわけでございまして、ということになると、なかなか困難を伴うかと思うのですが、半々でいこうではないかということになりますと、企業側にもメリットがございますので、またこちら側もメリットがございますので、僕は必ずそういう企業はあると確信をいたします。私はちょいちょいそういう打診もしてある企業もあるのですが、それは半分ずつでいくのだったら、幾らでも採用しようではないかというような答弁がおおむね返ってきますね。

 それで、先ほど大臣に御心配いただいた非常に財源が伴うということもそれで解決できる。しかも先生は、一般企業の非常に激しい競争社会の中で対人関係のしっかりした研修もできるというようなことですね。しかも、この定数改善によって、先生の定数において若干、今までと違って余裕が出てきます。要は私は、教育現場は先生の資質だ、そういうふうに思うわけでございまして、一気に結論は出ないと思うのですが、ひとつぜひその提案を一遍御検討いただきますように。

 それと、答弁はもう結構でございますが、この機会に、これはもう私のみならず、国会議員の先生方ですとどなたもよく経験しておると思うのですが、先生の採用試験、これはおおむねどこの都道府県も最終採用決定が八月末から九月なんですね。民間企業はほとんど終わってしまっているのです。ほとんどというかとっくの昔にもう終わっていますね。

 先生の採用試験を受ける受験生からいつも相談を受けることなんですが、私は先生になりたいんだ、しかし非常に厳しい状況の中で、九月までその合否を待たなければならない。ということになると、民間企業はもう四月五月、三月四月と、どんどん早くなっていますね。もう終わってしまう、どうしたものだろうかと。先生になりたいけれども、民間で内定が決まったところへもう確約しておくべきかと。ひょっとして先生にお願いしたら採用試験がうまくいきますかという相談を受けるわけでございますが、はたと我々もそこで悩んでしまうわけですね。

 先生の採用試験を一般の民間企業と同じような時期に早めることができないのかどうか。これは物理的に不可能なのかどうか。すなわち、四月、五月ぐらいに内定を出してしまうというようなことはできないのかどうか。その辺のところも、一遍ぜひ御検討いただく大事な点ではないかなと思いますね。

 それと、あと一つ、これは御答弁は結構でございます。

 先生の異動。これはもう我々も反省しなくちゃなりませんが、先生の異動に割合政治家の介入が多いのではないか、現地の先生の異動に対して。おおむね職住一致というか、居住地の何らかの学校施設に勤めたいという先生方の傾向が強いし、教育の現場はそういうことになっておるのではないのか。住んでおるところへ設置されておる学校にどんどん移ってくる。

 私は、あくまでもやはり適材適所に先生は配置するべきであって、そういうファクターを重要視して先生の異動を考えることはよくない、このように思っておるのですが、私の経験から行きますと、あるいは、いろいろな話を聞くところによりますと、どうもそういう傾向にあるやに思うわけでございます。これも私、確たる調査、資料に基づいた話ではございませんのですが、一遍こういうことも調査していただいて、果たして先生方が適材適所に配置されておるのかというようなこともよくチェックしてやってもらう必要があるのではないか、このように思いますので、採用時期と先生の異動ということにつきましても、どうぞひとつ。

 もう半時間になってしまいましたか。ちょっと飛ばさせていただきます。

 スクールカウンセラーの先生の数もどんどんふやすやにこの予算ではなっております。スクールカウンセラーの先生は必要とは思うのですが、これも、どんどんふやすことによって、担任の先生が非常に気楽になっておるという傾向にあるやに私は思えてならないのです。

 学校にそれぞれ生徒指導部長というのがおります。進路指導部長もおりますが、特に生指という問題になると、ちょっと子供に問題が起こって父兄といろいろ対応しなくちゃならぬというようなときに、生指部長が出てきて、担任はもうよそごとのような感覚になっておる傾向にあるのですね。

 私、教師というのは本来カウンセラーである、担任の先生が十分カウンセラーができ、そして進路指導もでき、生指もできということが本来の姿だろうと思うのです。それが、カウンセラーの先生をどんどんふやしていくことによって、そういう生徒へのアプローチあるいは相談事で担任の先生を気楽にしていっていないか、そういう危惧をするわけでございます。こっちから一方的に言うばかりになってしまいますが、この辺のところも重々ひとつ配慮していただきながら、スクールカウンセラーをふやしていただきたいというふうに私は願うものでございます。

 私は、現在党の科学技術専任部会長という立場で、これから科学技術創造立国へ向けて若い研究者の、さらに若い卵をどう育てていったらいいのかというところに視点を当てて活動させていただきたいと思っておるものでございます。

 実は、大臣、生徒たちの進路は高一、おおむね私学は高一の秋ごろに決めさせるのです。県立高校は高二の秋ごろに、しっかりとおうちで相談して、理系で行くのか、文系で行くのか、しっかり考えて進路を決めなさいということで、高二あるいは高三から、選択教科が理系であれば数学あるいは理科に傾いていきますし、文系であれば数学、理科というようなことはほとんどもう授業を受けないということになっていくんですね。私は、高一、高二のこの時点が大きな分岐点、科学技術者をふやすかふやさないか、科学技術創造立国をどんどんますます進めていくか進めていかないか、ここに大きな要因が絡んでおる、このように考えておるものでございます。

 調べてみますと、センター試験の七百点以上とる超優秀な人は、ほとんど医学系でございます。現時、ほとんど医学系。それも東京大学の理3は、高三生の進路として、超優秀なトップ、それはそれはもう気の遠くなるような優秀な連中が集まるところでございます。

 ところが、この子たちはほとんど大学院に行かない。勤務医になったり、あるいは、それこそ将来、町医者と言えば失礼な表現なのか、そこを目指していくわけでございます。要は、生活が保障されておるんですね。勤務医になっても三十歳で大体一千万取れるというんです、あっちこっちでアルバイトできますから。それで、超優秀なのがほとんど医学部志望なんです。

 あるいは、国公立あるいは一部の私立の医学部も、それはそれは優秀な生徒たちが集中しておるところでございますが、この子たちも医学部。これから遺伝子の組み換えの基礎研究も大事でございますが、そういった優秀な人が大学院に行かない、研究者にならないんですね。お医者を目指していくわけでございます。

 そうしたら、東大の医学部の大学院生はどんな生徒が多いかというと、東大へを果たせなかった、地方の国公立から大学院に行く、それで研究者になるというような、どうもそういう傾向にあるやに仄聞するわけでございます。

 この超優秀な、センター試験七百点以上とるような生徒を、宇宙工学であるとかあるいは原子力であるとかいろいろなところへ振り分けていくという進路指導、これが私はこれからの科学技術創造立国の大変大事な、余りわかっておらない部分ではないかな、このように思うわけでございまして、高一、高二の進路指導に照準を合わせた文教行政を一遍ぜひ考える必要があるのではないか、このように思うわけでございますが、なかなか答弁してもらいにくいと思うんですが、ちょっと大臣、所感があれば。

町村国務大臣 その子の適性、本人の適性を見抜くというのはなかなか難しい仕事かなとも思います。

 実際、文部科学省は各都道府県の教育委員会に対して、高校一年、二年からインターンシップという形で、自分には一体どういうものが向いているだろうかという、現場を少しく見てもらうということを大いに進めておりまして、やはりそんな形で自分の適性を見きわめるということをできるだけ早く心がけて、意識を持って高校生活を送ってもらうというふうにしたいな、こう思っております。

 もっとも、どんなに頭がいいか知りませんが、例えばお医者さんになって血を見ただけで卒倒してしまうような人は、幾ら優秀か何か知りませんが、やはりそういうのはお医者さんに不向きなんだろうと思いますから、そういう意味で、何が何でもお医者さんになるのが一番いいことではないんだろうと私も思っております。

 いずれにしても、その一人一人の適性をしっかり本人も周囲の人も見きわめる努力、その一助としてのインターンシップの活用ということかな、こう思っております。

田野瀬委員 ちょっと御答弁いただいたかどうか……。時間がなくなりましたので、大臣、この議論は我が党の文教部会で進めていきたいと思いますので、また一遍いろいろと議論させていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。

 どうやら時間が来たようでございますので、終わらせていただきます。ありがとうございました。

高市委員長 渡辺博道君。

渡辺(博)委員 おはようございます。自由民主党の渡辺博道でございます。

 町村文部大臣におかれましては、新しい二十一世紀の幕あけの時代に……(発言する者あり)

高市委員長 御静粛にお願いいたします。

渡辺(博)委員 新たに省庁再編後の文部科学大臣ということで御就任をいただきました。大臣、ひとつ、これからの文部行政、そして科学技術の関係につきましても、ぜひとも全力を挙げて取り組んでいただきたい、そのように思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、質問に入る前でございますが、去る二月十日、ハワイのホノルル沖で発生しました愛媛県立宇和島水産高校のえひめ丸と米海軍の原子力潜水艦の衝突沈没事故におきまして、大変痛ましい事故が発生しましたけれども、被害を受けられました生徒の皆さん、そして家族の皆様、そしてまた関係者の皆様方に心からお見舞いを申し上げる次第でございますとともに、いまだに行方がわからない皆様方の安否を心から案ずるところでございます。そしてまた、海底深く眠っておりますえひめ丸を一刻も早く引き揚げていただくよう、強く要望するところでございます。

 文部科学省としましては、事故発生後、早急の対策をいただいております。いろいろな形で今対応を練っているというふうに思いますけれども、まだまだこれから大変な時間と労力も必要だというふうに思います。ぜひとも、まず、事故に遭った学校関係者や生徒の皆さん、また在校生の皆さん、こういう人たちが大変心に痛手を負っているのではないか、そういった意味においては、大臣所信の中でもお話がありましたけれども、心のケアを十分にしていただきたい、そのように思っております。

 例えば、ハワイといえば、日本でも観光地として一番人気の高い地域であります。みんな喜んで行くところでありますが、この人たち、関係者の皆様方にとりましては、まさにこの事故によって、ハワイというところは大変暗い思い出の地となってしまったというふうに思います。水産高校の実習活動につきましても今後どのような形で影響が出てくるか、はかり知れない部分があろうかと思います。こういった諸点を踏まえまして、若干この関連について質問をさせていただきたいと思います。

 先ほど申しました心のケアでございます。この問題につきましては、既に文部省としてもその対策を練っているところでありますが、より具体的に、どのような形でケアを行っているのか、これをお知らせいただきたいと思います。

町村国務大臣 御指摘のように、事故に遭った生徒たち、あるいは遭わなかったけれども学友が行方不明になった等々で生じた周りにいる生徒たちへの心の影響、そのケアをしていくことは大変大切なことだ、御指摘のとおりだと思っております。

 愛媛県の教育委員会は、早急に生徒たちの心のケアに対応するために、臨床心理士等を宇和島水産高校に常駐を今させております。そして同時に、同校の養護教諭とかあるいは保健所等の関係機関と密接な連携をとりながらいろいろな対策を講じているということでございまして、文部科学省としても、教育委員会とよく連絡をとっておりますが、さらに必要あらば今後迅速に対応していくということにしたいと思っております。

 あるいは、心の相談員というのを全国の各地に置いているわけでございます。これは、先生方のOBが通常週二回ぐらい勤務をしているわけでございますが、現地では、この方々に毎日学校に行っていただくというような形で、ありとあらゆる形の心の相談を受け持つといったようなことをしておりまして、一応そういう体制で万全の態勢にはなっているのではないかとは思いますが、さらに高校の実情を見ながらきめ細やかに今後とも対応していきたいと思っております。

渡辺(博)委員 今回の事故で水産高校の実習という実態が一つあるんだなということを実感させていただいたわけではございますけれども、この実習制度、これは、全国で水産高校は一体幾つあるのか、そしてまたどのような実習をしているのか、これをちょっと具体的にお話を聞かせていただきたいな、そのように思っております。それは、この事故に遭ったときに、当初に、なぜハワイまで行く必要があるんだというふうな質問もあったと聞いております。こういった中で、実習の実態をぜひともお知らせいただきたいというふうに思います。

河村副大臣 お答えいたします。

 全国には、私学は一つあるそうでありますが、四十八の水産高等学校がございます。県立が四十七でございます。そのうち実習船を持っているのが四十隻というふうに報告を受けております。

 どのような実習をやっているかということでございますけれども、もちろん水産高校でありますから、いわゆる水産関連、水産業そのもの、あるいは水産関連業、加工水産とかそういうのがありますが、そういうものとか、それを主として、そういうことができるような基礎的な、基本的な知識と技術を身につけさせる。また、当然船にも乗るわけでありますから、機関士とかあるいは航海士、こうした免許も取れる、こういうこともあわせてやっております。

 そのために実際の航行体験が必要になってくるわけでありまして、えひめ丸の場合も四百九十九トンですから、約五百トンという大きい船でございます。そういう船で実際に漁業の体験をしたりとか、あるいは船舶の運航、機関、あるいは通信、そうしたものの訓練を受けるわけですね。もちろん船そのものは、機関長、船長、皆相当な経験を持った方々に採用して乗ってもらっておりますから、国際ルールに乗っかってきちっと運航されておる、こういうことでございます。

 そのための事前の脱出訓練であるとか、いろいろな訓練をきちっともちろんやっておるわけでございます。安全あるいは衛生、すべての面にわたってきっとした訓練をして出かけていく。これは水産高校ができて以来ずっとの伝統を皆持っております。そして、彼らにとっても船に乗って実習に行くというのは一つの大きな目標でございまして、まさに体験学習の総仕上げがこの航行実習にあるわけでございます。

 日本海を含めて、インド洋の方まで行くのもあり、一番安全な地帯があの太平洋ハワイ沖周辺、こう言われております。波の関係あるいは漁業の魚の問題、マグロ等をとる場合の実地体験にあのあたりが一番いい、これまでの各実習船の体験に基づいて、そういうことであの方にたくさん行っておるようでございます。

 このえひめ丸が沈没したときも、かなりの実習船が周辺におりまして、助けに行こうとしたんですが、アメリカの方から、海軍、軍港の近くでもございますのでストップがかかったという報告もあったということであります。当時もあの周辺に二十隻近い船が、太平洋ハワイ周辺に行っておったというような報告も、二十隻までいかなくても、十七、八隻ですか、そのぐらい行っておった、こう言われておりますので、今までのずっと体験的なものからあのあたりが一番安全であるということで、あのあたりで実習をしておるようでございます。

 ただ、こういうことがございましたので、さらに、国際的なルールの原則にのっとってきちっと航行できるように、あるいは緊急時の対応とか、改めて点検をさせる。それから、全国水産高等学校実習船運営協会というのが全体の船の協会として団体の中心になっておりますが、そこを通じて、今回のような事故にかんがみて、入出港の際、外国に行った場合の沿岸航海の航行には特に注意するようにという通達を出したようなわけでございます。

 今回の事故は皆さんも御存じのとおりで、実習船側に何ら落ち度のない、まさに突発的な不幸なことでございます。こんなことが二度と起きてはならぬわけでありますが、事故というのはいつ、どういうことで起きるかわかりませんから、万全の対応といいますか、絶えずそういうことに気をつけるようにという通達をいたしたような次第でございます。

渡辺(博)委員 次の質問に既に答えられていましたので、私の方からは質問は割愛しますが、要は、大海原、太平洋とか大西洋とかそういった中で実習するわけですから、まずは安全管理、万が一そういった事故が起きたときには危機管理体制としてしっかりと取り組んでいただきたいということはもう申すまでもありません。

 ただ、その上で、こういった実習活動というのはどうしても必要であるということでありますから、この事故をもとに実習が萎縮することのないようにしていただきたいな、そのように思っております。やはり体験学習、体験することの重要性というものは何よりも貴重でございますので、ぜひとも、実習活動は今後しっかりとやってくれ、ただし、安全管理、危機管理、そういったものに十分対応してくださいということで推し進めていただきたいな、そのように思っております。

 別の質問に入ります。

 今国会は、教育改革国会とも言われております。教育改革の視点は、それぞれいろいろとあろうかと思います。教育改革国民会議で十七の提言が出されております。そういった一つの方向性がこれからの二十一世紀の日本としての教育のあるべき姿として提言されたというふうに思うわけでありますが、実は教育基本法の中に、既に大臣や副大臣も御案内でありますが、第一条「教育の目的」というものがございます。読むまでのこともありませんが、あえて読ませていただきます。

 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」というのが第一条であります。

 極めて抽象的な表現かと思いますけれども、この教育基本法の問題についても一つの改革の視点という形であろうかと思います。私はこの中で、現行法前提でお話をさせていただきます。

 それは、人格の形成ということは、もちろんこれはすべての子供たちにも大変重要なことでありますが、さらに、人はそれぞれ顔が違うと同様に個性がある、これもしっかりと評価しなければならないというふうに思うんですね。それはまさに「個人の価値をたつとび、勤労と責任」、この部分にどのように今まで文部科学省としては対応してきたのかということをちょっと考えてみたいな、そのように思っております。

 昭和四十一年、既にかなり前、三十年以上前の「後期中等教育の拡充整備について」という答申がございます。この答申の中に、既に皆さん方御案内だと思いますが、「期待される人間像」というものがあります。その中に「個性を伸ばすこと」ということがうたわれております。「人間は単に人格をもつだけではなく、同時に個性をもつ。人間がそれぞれ他の人と代わることができない一つの存在であるとされるのは、この個性のためである。」というふうにうたわれております。人格という点では人間すべて同一であるが、個性の面では互いに異なる、お互いにその個性を尊重し合おうということであります。そういった表現が三十年前にされております。したがって、こういった人間を目指していくんだということがこの答申の中でうたわれております。

 さらに、これは臨教審における「教育改革に関する第四次答申(最終答申)」昭和六十二年八月七日でございますけれども、その中にも「教育改革の視点」というのがあります。「個性重視の原則」、今次教育改革において最も重要なことは、これまでの我が国の「画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則、すなわち「個性重視の原則」を確立することである。」というふうにうたわれております。

 さらにもう少し読ませていただきますが、「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」、平成八年七月十九日の答申です。骨子でありますが、「今後の教育では学校・家庭・地域社会全体を通して、「生きる力」をはぐくむことを重視。「生きる力」をはぐくむためにも、個性尊重の考え方は一層推進されるべき。」というふうにうたわれております。

 もう一つ、同じことでございますけれども、今回の教育改革国民会議の報告の中にも、「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」「一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する」ということをうたわれております。

 いかがでしょうか、大臣、昭和四十一年に、個性を尊重する、伸ばす、こういうことを言っていながら、本当にこれが実施されてなかったというのが現状じゃないかなというふうに思うんです。したがって、この問題についてはやはり、答申が出たからそれでいいというのではなくて、具体的にどうするか、これを明確に打ち出す必要があるのではないか、そのように思うわけであります。

 現在の学校の状況を見ますと、個性重視、個性重視と言いながらも、例えば運動会においては、徒競走において一緒にゴールに着こうとか、こういったいわゆる平等主義、間違った意味の平等主義が余りにもはびこっているのではないか、そのように思うわけであります。子供の得意分野や能力を積極的に評価して、スポーツ、芸術、技能、こういったものは一人一人違うわけでありますから、そういった教育の充実が求められているというふうに思います。

 その結果として、進路が、それぞれの個別の進路に結びついていけばそれが一番望ましいのではないかなというふうに思います。大学に進学するだけを目標とするのではなく、技能を身につけ、いち早く社会に出て働き、そしてスペシャリストとして自分の才能を伸ばしていく、こういったことも考えていかなければならない、そのように思います。

 そのためには、今現在文部省の方で手がけておるのは、小中学校から仕事について学んだり、職場体験を通じて働くことの大切さ、こういったものを学ばせようとしております。そうした中で、工業や商業、農業、水産業、林業などの職業教育を専門とする高校や短大、こういったものも、時代に合った形で転換していくことによって一つの受け皿になっていくのではないかな、そのように思っているわけであります。

 さらには、こういった多様な才能をはぐくむためには、今までのように相対的評価ではなく、個人個人が一人一人学んだことを評価できる絶対評価に結びつけることが大事じゃないかな、そのように思っております。

 教育は、子供のそれぞれの自己実現のためにあるわけであります。自己実現ということは、例えばの話でありますが、花が独自にその花を咲かせる、そのようなものではないかというふうに思います。大きな花は大きな花として美しいし、小さな花は、かわいいけれどもそれまた美しい、その美しさには変わりはない。こういった、お互いに尊重し合う、すばらしい能力を醸し出す、その実現する手段がまさに教育ではないか、そのように思っております。

 そこで、長々とお話をさせていただきましたが、まずは、大臣が小さいころ、自分は一体何になりたいんだろうということを思ったそのきっかけ、そしてまた、その後どうなったか。その後は、大臣になられましたからもうわかっております、思った方向にいったと思います。思ったとおりにいかれたとは思いますけれども、まずは、小さいとき何になりたかったのかな、その辺を、大変個人的で申しわけございませんが、お話をしていただきたいと思います。

町村国務大臣 今渡辺委員の方から平等の問題、私は、これは本当に大きな問題だと思っております。今次教育改革、一月二十五日に教育新生プランというものを出したわけですが、そこの前文をちょっとお読みいただきたいんです。私の問題意識はまさにそこにありまして、やはり戦後の平等はよかった点はあるわけです。しかし、平等が行き過ぎて、機会の平等から結果の平等になって、これがまさに悪平等を生んでいる。どんどん社会全体、そして教育の現場で平等の行き過ぎ、悪平等、弊害が非常に顕著になってきていると思います。

 そういう意味で、私は、今次教育改革はその悪平等を打破する、教育の現場から日本の社会を変えていくといったような思いを持ちながら、今回の教育新生プランをつくらせていただいたところであります。

 さて、私個人のことをお尋ねをいただきまして大変恐縮でございますが、小学校を出るころは、私はプロ野球の選手になりたいと思いました。中学校を出るときは、実は学校の先生になりたいと思いました。高校二年のときは、ダムの技術者になりたいと思いました。どうも何の脈絡もなくころころ変わっていくわけでありますけれども、結果的には、一番無難な文科系の大学に入り、たまたま外国に留学をしたとき、やはり国家のために働きたいと思って公務員になり、そして現在は政治家、こういう経緯をたどっております。

渡辺(博)委員 ありがとうございました。

 子供のころから大人になるまでの心の変遷というか、それは当然だれしもが持っていると思いますが、大臣も、やはり職業に対しての意識はそれぞれの年代によって変わってきたなというふうに思います。

 そこで、高等学校の学科別生徒数や学校数についてちょっと調べさせていただきました。現在、普通科に通っている生徒は三百四万人ほどでございます。学校数が四千二百八十六校。職業教育を主とする学科に通っている生徒さん九十三万五千八百四十三、学校数二千九十九。比率としまして、普通科が七三・三%、職業教育を主とする学科の方は二二・五%であります。この事実をもってしても、やはり基本的には、職業というものに対する認識がこの教育の分野において極めておくれているのではないかというふうに思います。特に、職業的な専門性を高める教育を行う職業高校が私は今後本当に必要ではないかと思うんですね。

 ただ、現実的には、学校のイメージ、例えば落ちこぼれが行くとか、そんなイメージがとかくあるようでございますが、進学の面においても普通高校との格差が見られます。今後、私は、こういった職業高校のあるべき姿にももう少し光を当てるべきじゃないかな、そのように思っております。この点、大臣の所見をお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 渡辺委員から大変貴重な御指摘をいただきました。

 実際、今七割が普通高校になっておりますが、ちなみに、昭和三十年のときはそれが六割ぐらいなんですね。そのシェアが一〇%以上普通高校が上がり、逆に職業高校は、昭和三十年のとき四割、今が二二・五%ですから半減近くにもなっているということで、いかにこの普通高校化というものが進んでしまったかということだろうと思います。

 一つは、私は中学校の進路指導に問題があると思っているんです。というのは、本人の適性とか本人の希望を無視して、どこまで露骨にやるかは別にして、君の偏差値はこのぐらいなんだからここに行きなさい、いや、自分は例えば農業高校に行きたくないと言うと、いやいや、君、ここに行かなければおっこちるんだよと言って無理無理行かせるというようなこと。それで、結果的には、その高校の受験倍率というのは一・〇一とか、うまく、見事なほど進路指導ができる。

 私は、生徒の数も減っているんですから、自由に本人の行きたいところに行かせる、それが本当の意味の進路指導だと思っているんですが、どうも中学校の進路指導というのは、全員がうまく高校に進む、適性を無視しても高校にうまくはめ込むというような進路指導の実態があるんだろうと思いまして、この辺は強く、ひとつ中学校の関係者に正しい認識を持ってもらいたいと思っているわけであります。

 その上に立って、今御指摘のような専門高校の重要性というものにもう一度光を当てていく。いろいろな政策をやっておりまして、全国産業教育フェアというものをやったり、あるいは専門高校というのはこういうふうにすばらしいんだということをパンフレットをつくってPRしたり、あるいは専門高校から特別選抜とか推薦入学で大学にも進めるんだよということで、数は微々たるものでありますが、現在一・二%ぐらい、大学に推薦等で入れるようにしたりとかいうようなことでやっております。

 ただ、おっしゃるとおりイメージが、何となく国民一般にとって余りぱっとしないというようなイメージが確かにあるのかもしれない。そこをどう変えていくのか。やはり、今御指摘のようなことで、正しい職業観を持つ。どうも最近フリーターがこんなにふえているというのは、やはり一人一人が正しい職業観を持っていないから、とりあえずモラトリアムでフリーターになっていくとかいうようなことがあるんだろうと思います。

 そうしたことをいろいろな方面からやっていって、専門高校がやはりもう一度光が当たるように、そして希望する子供たちがふえていくように努力をしていく必要がある、かように考えております。

渡辺(博)委員 まさに、最終的にはみんな何らかの職業について、それも情熱を持って仕事につけるような体制づくりというのは、これは本当に必要なんですね。ところが、今までの教育というのは、何か現実の社会とは遊離した、全く別の世界のような形で教育が行われているような気がしてなりません。

 そういった中で、受け皿として例えば短期大学、こういったものも、現実的には地域コミュニティーの学習ニーズにこたえると同時に、時代のニーズに即応した職業教育も行っております。また、短大や職業高校と並んで、多様な職業教育を担っている専修学校というものもございます。これをやはりもう少し活用し、そしてもう少しPRしていくことが大事だというふうに思います。

 ところが、現実に一番職業教育を担っている専修学校なんですけれども、国の助成の割合は、これは経常費助成が出ておりませんので、単純に平均しますと、一人頭一万九千円という数字なんですね。これはやはり、国としては私立専修学校に対する助成が余りにも少ないのではないか、そのように思います。これはやはり、とりもなおさず、職業に対する受け皿としての学校、これに対する認識が文部科学省そのものに低いのではないかというふうに言われてもしようがないのではないかと思います。この点について、河村副大臣、いかがでしょうか。

河村副大臣 渡辺委員御指摘のように、やはり専門的なスペシャリストですか、その養成をもっとしなきゃならぬという世論もあることも承知しておりますし、その方向へ向けて努力をしなければいけません。

 専修学校については、特別に今回IT等々については補助をかなりつけておるわけでありますが、一般の経常費については、まだその枠の中に入っておりません。これについては研究課題だとは思っておるわけでございますし、専修、専門学校については、ダブルスクールといいますか、短大生がそっちに行ってみずから学んだりとか、そういう利用のされ方も今広がっておりますので、実態調査も含めて、今後の課題として研究しなければいけない課題である、このように認識をいたしております。

渡辺(博)委員 ぜひともよろしくお願い申し上げます。

 今、職業に関してのお話を私自身の認識の中でお話しさせていただきましたが、この職業の専門的な教育の成果を社会が正式に認知、評価することが本当に必要だと思うのですね。その中で参考になるのは、私は、ドイツのマイスター制度ではないかというふうに思います。

 ドイツにおいては、マイスターの称号というのは国家資格ではなく、職能団体が認定、授与されるわけですが、社会的に完全に評価されております。というのは、例えば、同じ年代において職業訓練している者は百六十万人おりまして、該当年齢層の四割が職業訓練を受けているわけです。そして、マイスター試験は、それぞれの分野によって違いますが、手工業の分野では、受験生五万三千人に対して合格者四万二千人、商工業分野では、一万九千人に対して合格者一万五千人、結構厳しい試験だというふうに思います。

 こういった中で、やはり日本も技術を持っている人に対してきちんとした評価をしていただけるようにしていただきたいな、そのように思っておりますが、この点について、大臣、御所見をお願いしたいと思います。

町村国務大臣 マイスター制度、大変に有益な、有意義な制度であると私も伺っております、そう詳しくはありませんけれども。

 ものつくり大学の折に、大勢の方がマイスターの制度の調査に行かれた。それがいけないと言われて、何かマイスター制度そのものにまで傷がつくような議論さえあるのは大変残念なことだと思っておりますが、私は、こうした職業に誇りを持つ、また多分それは給与の面まできっとプラスになってくるんだろうな、こう思います。

 どういう形がいいのか、日本は日本なりのいろいろな資格認定もありますし、専門高校を出ればこれこれの国家資格が取れますという制度もあるわけでございますけれども、さらに、こうしたマイスター制度なども参考にしながら、やはり職業に誇りが持てるような、そういう各般の施策、これは厚生労働省等とも連携をしながら努力をしていく必要がある課題だ、こう思っております。

渡辺(博)委員 ぜひともよろしくお願い申し上げます。

 質問を終わります。

高市委員長 山谷えり子君。

山谷委員 民主党・無所属クラブの山谷えり子でございます。

 平成九年、第二次橋本内閣で、町村文部大臣は心の教育の重要性を訴えられました。黒磯で先生がナイフで刺された不幸な事件もございました。そのとき緊急アピールを出されまして、広く訴えられた。当時、私も、PTA会長をしていたり、あるいはまたジャーナリストとして取材をしておりまして、非常に重く受けとめました。学校が安全、安心の場ではなくなっている、あるいは、しっかりとした学びの場ではなくなっているということを感じまして、そのためにも、教育関係者、親、地域の人々が一つにならなければならないことなど、多くの人があのとき危機意識を持って立ち上がったということを記憶しております。

 その町村さんが初代文部科学大臣になられまして、二十一世紀教育新生プランを掲げ、全国行脚をなさって議論を起こしておられること、行動力のある大臣として期待しております。

 学力低下、いじめ、不登校が十三万人、高校中退十一万人、引きこもりはもう八十万人を超えたのではないかということ、御家族の御心労を考えますと本当に何百万人の方々が苦しんでいるわけでございますけれども、さまざまな教育をめぐる問題の背景に、学校、家庭、地域社会の教育力の低下があるということは、本当に多くの者が皆考えていることでございます。

 また、私などはいわゆるゆとり教育に不安を持っておりましたけれども、ゆとりと緩みは違うんだと大臣は最近おっしゃられて、強調されるようになりまして、基礎学力はしっかりとつけさせる、そういう点では私も危機意識と問題意識をともにする者でございます。

 ことしの予算で、全国学力調査テスト、小中高、三億円、それから、教師の資質の向上の施策の充実ということも大臣おっしゃられましたけれども、今国会ではきっと恐らくそのようなことが大いに議論されていくことだろうというふうに期待しております。

 二十三日の大臣の所信の演説にもございましたけれども、各学校で特色ある教育を展開していきたいというようなことがございました。個性のある学校あるいは情報公開、それから、教師の質を評価する場合にも、その評価体制づくりというのが非常に大事になってきますけれども、そういうときに学校評議員制度というのは非常に大きな意味を持ってくるのではないかと考えております。

 平成八年に中央教育審議会の答申で、「学校・家庭・地域社会が、それぞれ適切な役割分担を果たしつつ、相互に連携して行われることが重要である。」ということが言われまして、学校評議員制度などということも言われたわけでございます。

 私は世田谷区で教育委員をしておりまして、平成九年に、世田谷区の全公立小中学校に学校評議員制度のような学校運営協議会というのをつくりました。地域の子供たちは本当に地域で育てるんだ、ビッグファミリーだということで、親、先生たち、地域住民、それから地域に企業の方がいらっしゃればそのような方たち、あるいはいろいろな専門の方たち、商店街の方たち、さまざまな人々が学校運営協議会をつくって、学校の教育のあり方、それから地域の教育のあり方を語り始めました。

 最初のうちは、学校教育について素人が口を出すのはおこがましいのではないかというような、非常に遠慮ぎみの引いた方もいらしたんですけれども、だんだん議論を重ねて問題意識を共有していくうちに、いや、そうではないんだ、自分たちがやれることはたくさんあるんだということで、例えば、ボランティア活動や人材活用のための協力者名簿というのもできました。ゲストティーチャーは千人登録しております。

 今回の予算で、特別非常勤講師配置事業費補助制度四千九百五十六人、全国で四千九百五十六人。世田谷区だけでもうゲストティーチャーは千人の登録があるんですね。この四千九百五十六人も、IT関係に千三人、小学英会話学習千三人と、こういう形で出てしまいますと、ああ、総合学習の時間というのはパソコンの前に座らせておけばいいのか、あるいは英会話、英語の外国の先生に来てもらえばいいのかというふうに、安易にというか、場当たり的に考えてしまう現場も多いのではないかというふうに思うんですね。

 そのようなことでは不安でございますので、総合学習の時間というのが現場でどのように把握されて、どのようにこれから展開されていくかというのはきちんとフォローしていただきまして、先生たちはむしろ、自分たちが教えるということも一つでございますが、自分たちはコーディネーターである、むしろ地域にいる人材を活用していくコーディネーターである、そういうセンスを育てるというようなことも大切でございますので、そのような仕組みづくり、データ収集あるいは情報発信ということをしていただきたいと思います。

 文部行政というのは、これまで本当に、データの蓄積、蓄積されたデータを分析して足りない部分をきっちりと研修体制なりあるいは仕組みを変えていくということが足りなかったように思いますので、総合学習の時間でその失敗を繰り返さないようにしていただきたいというふうに考えております。

 ちょっとまた戻りますけれども、学校運営協議会では、そのほかにも、教育計画の方針について理解を深め連携がつくれたとか、商店街の協力で職場体験学習が実施できた、地域に住んでいる高齢者、障害者とのかかわりが豊かになってお互いの協力態勢がつくれた、あるいはまた、地元の有害な雑誌あるいは立て看板などの撤去ができた、それから、サバイバルキャンプとか、お父さんたちがおやじの会というのを各学校につくってくれまして、オーバーナイトウオーク、もうどこで地震があっても一晩かけてもおまえたちは一人で歩いて自宅まで帰れるんだなどということをおやじたちが引っ張ってやってくれたり、あるいは町の銭湯にみんなで行ったりというようなことで、地域というものを肌で、それこそ裸のつき合いをしながら感じることもできました。

 また、教職員が地域というものを今まで以上に理解できるようになったなど大変大きな成果を出しておりまして、私は、学校運営協議会、学校評議員制度を抜きにしては、これからの地域の教育力やあるいは総合学習の充実などというものは望めないというふうに考えております。

 しかしながら、平成八年、九年からそのような議論が起きていたにもかかわらず、学校評議員制度は、例えば平成十二年一月の学校教育法施行規則の改正によりまして、設置者の定めにより評議員を置くことができる。ちょっと遅いんですね、これができたのも。でも、まあよしといたしますけれども、それができまして、規則が変わりまして、しかしながら、学校評議員を設置しているところというのは、全部のところに設置しているというところが、群馬、岐阜、三重、滋賀、大分と、まだ非常に少ないわけでございます。

 文部省の方とお話をいたしまして、平成十四年から新学習指導要領が始まるとすれば、ことしじゅうに全国の全公立小学校、中学校にこのような制度を導入していかなければいけないのではないかというふうに私は思います。戦後、PTAが設置されたときも、たしか一、二年で全所に設置できたというふうに記憶しておりますけれども、どのようにやっていらっしゃるんですかと聞きましたところ、一層の取り組みを指導しているということなんですね。

 これで、一年間でどのぐらい評議員が、あるいは学校運営協議会的なものが導入されていくのか不安なんでございますけれども、町村文部大臣、その決意、あるいはまた全国行脚しながらそのことを説いていらっしゃるのかどうか、お聞かせいただければと思います。

町村国務大臣 先ほどの世田谷区のお話、教育委員として大変な御努力をされたというふうに拝察をいたしましたし、また大変な成果も上げられたということを伺いまして、大変に心強く感じているところでございます。

 今まで学校の存在というのは、学校の先生たちの、言うならば独占物として抱え込んできたわけですね。外には一切見せない、さわらせない、保護者にさえも学校は閉ざされた場所という感覚でやってきた先生たちが非常に多いと思うんです。そういう意味で、私は、今のお話を聞いて、世田谷区は大変画期的な取り組みをされたんだなと思います。しかし、まだまだそういう意識の学校の先生たちが非常に多い。したがって、今こうやって導入を勧めてもなかなか進まない原因は、その辺にやはりまだまだあるんだろうと思います。

 しかし、この学校評議員制度を初めとして、あるいは一つの例として言うならば、品川区が学校選択の自由を小学校に平成十二年度から認める、中学校の段階は平成十三年度から、さらには十三年度から東京都内の他の区でも幾つかそれが始まるというような形で、学校の選択を認めるということは、学校の情報が十分発信されていなければ選択できないわけですね。そういう意味で、開かれた学校に今急速に変わりつつある過程なんだろうと思います。

 ただ、なかなか人間の意識はそう急には変わりません。でありますから、今ありとあらゆる機会を通じて、もちろん教育委員会を通じて文部科学省の指導助言もやっておりますけれども、それだけでも十分かどうかわかりませんので、今御指摘のとおり、私も今全国、私一人ではなくて、両副大臣、両大臣政務官あるいは役所の人間を含めてあちこち出向いていって、特に開かれた学校、学校評議員制度の有用性ということを声を大にして言っております。

 行って話してみると、PTAの方々で、え、そんな制度があるんですかと言って、知らない地域も実はあるんですね、本当にびっくりしてしまうんでありますが。そういう話をすると、じゃ、うちの学校でも、うちの市でもそういうのを始めようというような、事後的なお話を伺ったりしております。

 先生の御指摘の方向で、これからも専心努力をしていきたいと思っております。

山谷委員 よろしくお願いいたします。

 けれども、世田谷区でも、意識が高いと言われればそうなのかもしれませんけれども、やはり学校の校長先生にも戸惑いがございましたし、それからPTA側にも戸惑いがございました。しかし、自主性に任せていてはとても豊かになれないということで、一大決心を持って、とにかく一斉にやろうということでわっとやったわけですね。

 やっていく中で、一年間も会議を開いていけばだんだん盛り上がってきますし、みんなが今地域で非常にいろいろ多様なセンス、本当に芸術家もいらっしゃるわけですし、それから、自動車の整備会社のおじさんがエンジンを持ってきてくれて、あ、こんな授業できるんだねなんて、とにかくやればできるわけでございますから、新学習指導要領が導入されるまでに、私は、やってやれないことはない、それは町村初代文部科学大臣だからこそできるわざではないかというふうに思っておりますので、しつこいですけれども、いま一度、タイムスケジュールその他、目標をお聞かせいただければと思います。

町村国務大臣 なかなかこれは、文部科学省というのは何か、何でもかんでも文部科学省が一言言うとぱっと全国に伝わるという、今まではそういうふうに確かにやってきたかもしれませんが、私は三年前に文部大臣になってから、余り文部省がいろいろなことを言うのは、必要なことは言います、しかし何でもかんでも上意下達的にやるのはやめよう、それが地方分権ではあるまいかというようなことを考えたりし、また、個々の学校の特色あるものをつくっていくためには、余り文部省が型にはめたりとかそういうことはやめよう、こういうことでした。

 しかし、さはさりながら、必要なことはやはり私どもも言っていかなければなりません。そのうちの一つが、間違いなく、今言われた学校評議員制度あるいはそれに類似するような機関の設置ということであろうと思いますので、これから、春から夏にかけて、いろいろな教育委員会の集まり、学校長の集まり等々がございますので、そういう場を通じ、あるいは私どもが出向いていって強力に指導をしていきたい、かように思っております。

 できれば、本当に十三年度末までにはすべての学校にという御報告ができるように、その方向で努力をしていきたいと思います。

山谷委員 期待しております。そうでないと、総合学習の時間が本当に変に教科に流用されたりというような形で十分な、最初の趣旨とは、思っていたこととは違うような形で流れていく危険性を今非常に私は感じております。

 続きまして、ちょっと、少子化と学校の統廃合などの問題について質問をさせていただきたいのでございますけれども、栃木県の足利市、千年の歴史を持ちます日本の教育の原点、足利学校があるこの町で、今、小学校の統廃合反対、廃校に関する条例の廃止を求めまして、千六百人の地域住民が原告となって訴訟が起きております。千六百人の廃校をめぐっての原告というのは、これは珍しいことではないかと思います。

 私も統廃合はいろいろな問題を体験いたしまして、確かに地域住民のエゴというようなこともないわけではなくて、それは聞き入れられる場合もあるし、ない場合もあるというふうに考えているものではございますけれども、この場合、よく話を聞いてみますと、古くから住民と学校の関係が細やかで、この西小学校というところでは、週に三日以上、継続的に地域のボランティアの方々が子供たちに音楽とか読み聞かせ、書道、体操などを指導している、そういう学校なんです。

 そんな学校が、生徒総数二百名は少ないということで廃校になるということなんですけれども、これは足利のちっちゃな学校の問題じゃないのというふうなことではなくて、恐らくこれから全国でいろいろな形で出てくる問題ではないかというふうに思いまして、ちょっと気になって調べてみました。

 昭和二十二年、学校教育法で、小学校で十二から十八学級を標準とするということが出まして、昭和三十三年、統廃合補助のため、学校施設の整備について、十二から十八学級が小学校の適正規模である、その場合国が費用の二分の一を負担するというようなことがございました。昭和五十五年に新過疎法、小規模学校の教育の充実を明記してはいるんですけれども、この昭和二十二年の学校教育法、小学校は十二から十八学級が適正規模であるということと、昭和三十三年、統廃合のためにはこの適正規模、国が費用の二分の一負担、これが生きているのではないかと思うのですね。

 果たして十二から十八学級というのが今もってまだ適正であるのか、昭和二十二年にできたこれがまだ適正であるのかというのは、もう少し調べてみたり議論してみていいことではないかなというふうに思うのですね。

 アメリカなんか、百数十人とか二百人の学校は当たり前でございますし、それから、学校というのが地域のコミュニティーの中心である、それは地域の教育力を高めるというだけではなくて、高齢社会で生涯学習社会に日本が移ったこの時代にあって、また新しい意味を地元の学校施設というのが持ってくるんだろうと思います。学社融合とかあるいはいろいろな形での参加の仕組みをつくっていくという意味で、やはりこの施設というのは有効である。

 どんどん適正規模をもとに統廃合を進めていくと、この足利の場合なんか、そうすると通学時間が子供の足で一時間というふうになるんだそうでございまして、そうしますと、きっとマイカーで送り迎えを親がする。今、小学校の子供のお母さんの五割六割が働いているときに、そのようなことも大変でございますし、やはり歩いて通える学校、地域の教育力があるならば、この適正規模というものの見直しということも必要でしょうし、それから、これは文部省の昨年の調査なんですが、小規模校の方が大規模校よりいじめや不登校の発生が少ないというようなこともございます。一体、今の時代あるいはこれから先、適正規模というのはどういうふうに考えていったらいいんだろうかという問題があると思いますが、その辺はいかがお考えでございましょうか。町村文部大臣、お願いします。

町村国務大臣 昭和三十一年、できるだけ統合しましょうということ、いろいろな理由が当時としてはまたあったんだろうと思います、大変当時は小規模校が多かったとか、あるいは市町村合併がそのころ進んでいたとかいうようなこともあったのでしょうが、昭和四十八年に、余り無理な統廃合をしなくてもいいんですよという軌道修正を実はやっておりまして、地域住民の十分な理解と協力を得て、そして行えるように努めてくださいということになっております。

 ただ、さはさりながら、今御指摘のように、学校教育法施行規則で、標準を一学年二学級を基本として、小学校の場合は十二学級というふうに決めていることも事実ですが、同時にただし書きもあって、「ただし、土地の状況その他により特別の事情のあるときは、この限りでない。」というふうに書いてあって、言うならばどっちともとれるようにはなっている。

 最後の判断は、それぞれの地域の市町村教育委員会あるいは都道府県の教育委員会でそこは御判断をいただくということでありますから、今御指摘になった足利のケース、文部科学省、どう考えますかと言われても、最後は地域事情の詳しいところまで私どもも全部把握できませんから何とも申し上げかねますけれども、基本的にはそれぞれの地域で適切に御判断をいただく、しかし、余り無理に統廃合を今進めなければならないということではないというふうに私どもは理解をしております。

山谷委員 ありがとうございました。

 本当に地域の問題でございますので、地域の住民と、それから自治体、教育委員会の関係者が考えることだというふうに思うのですけれども、文部省の方ともお話をさせていただきまして、無理に統廃合を進めているわけではもちろんないということなんですけれども、現場の自治体はどういうわけか、いや、文部省が十二から十八学級を適正と言っているんだというような説明をやはりしているようでございます。

 今、全国の五二%の小学校がむしろ十一学級以下というような状況で、やはりもう少し地元の自治体は丁寧に考えた方がいいんじゃないかというようなメッセージというのは大切ではないかというふうに思います。

 それともう一つ、本当は民主党は三十人学級を主張しておりますので、空き教室というのはなくなるはずなんでございますけれども、今の状況では、平成十一年で十一・五万教室の空き教室がある。それで、九八%は活用されているということなんですけれども、主に図書スペースとか郷土資料室とか、備蓄、会議室、PTA室などということなんです。

 私、全国を取材してまいりまして、とてもとても有効活用とは言えない状況なんですね。もう本当に、ただ幽霊部屋みたいになっているような、学校図書スペースといってもただ古い本がだあっと倉庫状に置いてあるとか、そのようなことになっておりまして、有効活用はされておりません。

 適正規模に変える場合、国が費用を二分の一負担する、余裕教室のリフォームの場合は補助が三分の一だというようなこともございまして、これを、例えば補助を二分の一まで引き上げるとか、何かもっと学社融合という視点から、むだなお金を使わないで、最もよくコミュニティーの方たちが学習施設として子供も大人も使えるような、そのような何かインセンティブを高めるような施策というものをお考えということはございませんでしょうか。町村文部科学大臣、お願いいたします。

河村副大臣 山谷委員、いろいろ実態をお調べの上の御質問でありますから、かなりそういう点があるんだろうと思います。

 我々が聞いておる範囲では、今も御指摘ありましたように、九二%、かなり有効に使われている、こういう報告であったわけでございますが、実態はもうちょっとはっきりさせなければいけません。

 それからさらに、社会福祉施設等にも転換をしていきたいという要望がありまして、今まで、文部省の補助金が入っている、これを社会福祉施設に変えるには非常に手続がうるさいということもありました。こういうものを簡素化を図ってもっと有効利用を進めてまいらなければならぬ、こう思っております。

 御指摘もございました実態ももうちょっと調査をする必要もあろうか、こう思っております。

 それから、補助率を上げるとこれがもっと進むのではないかというお話もございます。

 確かに御指摘のことはわかるのでありますが、むしろ、いろいろ補助率がございまして、一つの横並びの補助率を持ったりなんかしているものでありますから、この部門だけを上げるということができるかどうか研究をしなければいけないし、今の財政状況では三分の一というのが全体の原則になっておりますので、もうちょっと実態も調べる必要もあろうと思います。さらに、これを促進しなければいかぬということも進め、必要性をもっと高めるということもあろうと思いますが、今の時点では補助率を引き上げるのはちょっと難しいのではないか、こう思っております。

山谷委員 社会福祉施設など学校施設以外の施設に転用することを促進するための財産処分手続の改正なども行われたということは存じ上げております。実際にデイケアになったりあるいは保育園の分室ができたりというところも、私、現場を歩いておりますけれども、それは何かすごくモデルケース的です。超立派過ぎて、超お金がかかって、余りにも何かモデルケース的過ぎる。やはりこの辺が進まないというのは、厚生労働省との連携とか、何かやはりまずい部分があるのではないかというふうに思います。

 本来は、やはり学校施設は学校施設として利用するのも筋だというふうには思うんです。ただ、私が回りまして感じましたことは、やはり保育園の分室をつくってみたりデイケアをつくってみたりしたところは、非常に異世代交流とかいろいろな体験学習も進んで、また別の形の本当の教育の効果というのも上がっているような気がいたしまして、これはポジティブに考えていいのではないかというふうに思っているのですけれども、その辺、厚生労働省との何かデータのやりとりとか話し合いの進みぐあいとかいうのはどうなっているんでしょうか。

河村副大臣 実態の数字を私はまだ聞いておりませんけれども、この点については、今の施設の承認事項を報告事項にするというのに変えるときには、厚生省と、当時の厚生省でありますが、十分話し合いの上で進めておるわけでございますし、この問題はしっかり連携をとってやらなければなりません。

 それから、御指摘のように、教育的見地からいっても、例えば特別養護老人ホームをつくるときはできるだけ学校の近くを勧めるとか、そういうことをしながらやっておるようなわけでございますし、今の複合施設なんかでは、幼稚園とそういう福祉施設を一緒に持っていくようにする、そういうふうなことを厚生労働省側とも絶えず連携をとってやっておるところでございます。

町村国務大臣 この余裕教室の活用は、三年前に私が文部大臣のときに大分お声がありまして、先ほど委員からも御指摘のあった、十年を経過した学校施設を無償で転用できるというような仕組みをつくったり、あるいは平成十年三月に、文部省と厚生省で共同で、余裕教室の社会福祉施設等への転用に関するパンフレットをつくって、教育委員会、それから福祉担当部局に配付して周知徹底を図ったりというようなことをやったりしております。

 ただ、実績はどうかというと、委員御指摘のようにまだ大変少のうございますから、できるだけこれが進むように努力をしていきたいし、厚生労働大臣ともまたよく相談をしてまいりたいと思います。

山谷委員 平成十一年度段階で、児童福祉施設に転用されたケースが九百二十、社会福祉施設が百十五と、十一万五千の中で千というのはやはりいかにも少ないのではないかというふうに考えておりますので、もう少し前向きな、インセンティブを高める施策をお考えいただきたいというふうに思います。

 最後に、もう少し時間がありますので先生の問題に話を進めさせていただきたいのですけれども、今、なかなか若い先生が入れないというような状況になっております。東京都でいえば、五十代の先生が五に対して二十代の先生は一というような割合でございます。少子化だからしようがないんじゃないかというふうな言い方ではなくて、やはり採用とか、あるいはまた、新しく途中採用でも、何か子供の立場に立ったビジョンがなさ過ぎるのではないかというような気がいたします。

 本当に、どこの運動クラブも衰退していくというのは、やはりそれをやってくださる若い先生がいらっしゃらないということにも大いに関係しているようなことを思いますので、先生の採用をもう少し教育的な観点から考えていく。あるいは、先ほど先生の転勤の問題がございましたけれども、やはり、これから地域の教育力を高めるためには先生というのはそこそこ地元民、そのそこそこがいろいろ場所によって違うとは思うんですけれども、やはりそこそこ地元民であるとか、採用のあり方あるいは転勤のあり方などを考えていかなければいけないというふうに考えておりますが、その辺は町村文部科学大臣、いかがでございましょうか。

町村国務大臣 確かに、若い先生の比率が減っていくという問題は大きな問題だと私どもも思っております。

 そんなこともありまして、今までの定数改善では、児童生徒の数の減少に対応した形で先生の数もやはり減らしていくということであったんですが、今次、十三年度から始まる第七次の定数改善では、これを横ばい、要するに、減る分とふえる分とを相殺してプラマイゼロにするという形で、新規採用の人の割合もふえていくということを考えております。そんなことで、年齢のバランスということも一つの大きな要素だろう、かように思っております。

 また、教員採用の仕方というところも、ややもすると、学校の成績あるいはペーパーテストの成績だけがいい人がうまく合格をする。確かに、どういうんでしょうか、何か縁故採用したんじゃないかとか情実ではないかという批判がやはり怖いんですね、教育委員会も。

 したがって、どうしても点数主義になってしまうんですけれども、私ども、点数というのは、ある一定水準を確保するために一応ペーパーテストをやってもいいんですが、そこから先はむしろ、面接を重視したり、あるいは実技を重視したり、あるいは情熱があるかどうか見きわめたり、そんなようなことを、あるいは既に一定の社会体験があるならそれもまたむしろプラスアルファとして考えたり、海外青年協力隊に行った人を優遇したりとか、そういう要素を加味して教員採用をやってくださいねということを随分いろいろお願いをしたりしております。

 現実はどうかというと、どうしても点数主義になりがちな嫌いがあるのは残念なことでありますけれども、いずれにしても、でも、大分工夫されているようになっておりますし、都道府県なりあるいは政令市、すべてやはり面接というのはやっているようでございますから、さらなる工夫を、これも教育委員会の方にお願いをしていきたい、こう思っております。

山谷委員 特別非常勤講師とか、これから雇用の形態の多様化ということも先生の世界で進んでいくだろうというふうに思うんですけれども、そうした場合、もっとある一定の枠組み、校長に人事権を持たせるというような形を考えていけばさらに有効性は高まるというふうに思うんですけれども、その辺はいかがお考えでございましょうか。

町村国務大臣 完全に校長に人事権を与えるというのは、現実問題、難しいと思うんですね。要するに、自分の学校にいい先生を集めて絶対放さないということになってしまいますと、余りにもそれは固定化を招くという面もある。先ほど委員御指摘のように、やはり住んでいるところ、本当は家が近い方がいいとか、いろいろな要素もあると思います。

 ただ、今まで校長先生の人事に関する権限というのがほとんど無視をされていた状態でありました。したがって、今回、地教行法改正案をお出しいたしますけれども、その中で、市町村の教育委員会から人事権者である都道府県教育委員会に意見を上げるときに、校長が意見があればそれを添えて出す。今までは、校長が何を言ってもそんなの無視したわけですけれども、今回からは、校長がこの人はこうしてほしいという意見がある場合には、その意見を付して都道府県の教育委員会に意見を上げるというようなことをしていいんですよという法律改正を、今度御審議いただこうと。こんな形で、少しでも校長の人事の面、あるいは都道府県によっては校長裁量経費というようなものを持たせるようにしておりまして、予算の面でも校長先生の権限をふやす。さらには、先ほど申し上げましたように、教科によっての二十人学級とか、あるいは学年によっての二十人学級、それも校長先生の裁量で、もちろん教育委員会と相談をしてですけれども、できるようにするというような形で、できるだけ校長先生の実力を発揮できる環境を整備して、特色ある学校づくりに取り組んでもらうようにしたい、こう考えているところであります。

山谷委員 特別非常勤講師の標準時給というのは二千九百円ぐらいだそうでございますけれども、今おっしゃいました校長先生に幾らかのお金というのは、具体的にはどのぐらいの予算なのでございましょうか。

町村国務大臣 それは、都道府県、市町村によってまちまちであるし、やっているところもあるし、余りやっていないところもありますので、今ここで、幾ら校長先生が使えるんですというお答えは、ちょっと難しいかと思います。

山谷委員 私が現場で知っている感じでは、大した金額じゃなくて、とてもそれで人が雇えるような金額ではないというふうに考えております。

 町村文部科学大臣は、大臣の所信表明演説でもコミュニティースクールなどの検討ということもおっしゃいましたけれども、地域によって特色ある多様な教育をしていくためには、校長を公募で、あるいは校長が人事権を持ったコミュニティースクールという考え方というのも、本当に必要な時代になっているのではないかというふうに私は思っております。

 民主党はコミュニティースクールをつくっていきたいというふうに考えておりますけれども、町村文部科学大臣はどのような形でと、あのような演説をなさったんでしょうか。

町村国務大臣 コミュニティースクール、またアメリカではチャータースクール、いろいろな言い方があるようであります。教育改革国民会議の場でも大分議論があって、慶応幼稚舎の舎長である金子先生あたりからもかなりいろいろな御提案があったと聞いております。

 一言で言うと、公設民営みたいな形になるわけですね。お金は多分都道府県なり市町村なりが出す、あるいは国もまた補助を出す、しかし、その運営の仕方あるいは人事はそこの地域の人たちがやるということになるものですから、ある意味では大変おもしろいアイデアだと思うんですが、逆に言うと、そんなにうまいぐあいにいくのなら、では私立学校はどうなるんだと。私立は民設民営で、お金も、若干の助成は出るけれども、基本的には民間でやっている。そんなにうまいぐあいの公設民営ができるなら全部の私立学校を同じようにしてくれとか、いろいろな意見も出てくるだろうと思いますし、その辺、まだもう少し詰めなければいけないと思っておりますので、中央教育審議会の方でこの問題は少しく専門的に詰めてもらおう、こう思っております。そんなに遠くないうちにこれを諮問して御議論を詰めていただきたい、ただ、前向きに御議論をいただきたいな、こんな感じでおります。

山谷委員 これまでの文部教育行政は、個性重視というような臨教審以来、十分なデータと分析、評価、そして問題があるところにきちんと手を打ってこなかった。あるいは、硬直した部分、管理的な部分、中央集権的な部分、あるいはまた事なかれ主義的な部分、いろいろあって、本当に待ったなしの教育改革をしなければいけない時期であるというふうに思います。本当に、基礎、基本はしっかりと、骨組みはしっかりしながら、しかも多様性、自主性の中で、地域に任せる部分は任せていくという中で、二十一世紀にふさわしい教育改革をしていきたいというふうに思いますので、今国会、議論が十分起こるように、お互い頑張っていきたいというふうに思います。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 鎌田さゆり君。

鎌田委員 鎌田さゆりでございます。よろしくお願いします。

 まず、町村文部科学大臣にお伺いをいたします。

 二十一世紀最初の文部科学大臣として、これからの二十年、五十年、我が国の教育をどう思い描いて、そのために今、今の大臣として何をし、どんな準備をなさろうとお考えでしょうか。改めてお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 鎌田委員から、二十年、五十年という大変長いスパンのお話をいただきました。五十年先まで考えて今回の教育改革プランをつくったかといえば、率直に言うと、そこまでは考えておりませんが、しかし、方向性だけはしっかりと定めたかったな、こう思っております。

 いろいろなポイントがあろうかと思います。若干長い答弁になって恐縮かもしれませんが、当面いろいろな、先ほど諸先生からお話のあったさまざまな課題、不登校等々があります。そうした問題に何とか対処したいというのが一つありますが、それと同時に、やはり戦後の教育の中で、私どもが、あるいは戦後の日本社会全体かもしれませんが、少し行き過ぎてしまった部分を、方向を転換したいというものがあります。

 例えば、これも先ほど御議論があった、平等の行き過ぎはやはり悪平等になるだろう、むしろその弊害が大きくなるだろう、特に教育面ではそうした面が強いというふうに思います。

 あるいは、個人の権利、個人の自由を主張する、これもまた大切なことであったと思いますけれども、無制限の権利の主張であるとか無制限の自由の主張というのがややもすると見られる。憲法を見ても、個人の権利は公共の福祉にかなう場合に最大限尊重と書いてあるんですけれども、その公共の福祉というのがもしかしたら忘れ去られているのではなかろうかという感じさえいたします。したがって、小渕前総理が教育改革国民会議をつくる際に、公と私というものをもう一度見直すようなことをこの国民会議に期待をするということを言っておられたのもそうしたことなんだろう、こう思っております。そういう観点。

 それともう一つは、これだけ急速にIT化でありますとかグローバル化が進んでいるときに、今までの教育制度がもしかしたら時代おくれになるかもしれない。知識の受け渡しということだけで言うならば、必ずしも学校という場が必要なんだろうか、どうだろうか。これは森総理も予算委員会でたしかそういう趣旨のことを言われましたけれども、学校という場は私は必要だという結論なんですけれども、知識の受け渡しだけならば、場合によればインターネットで個人授業みたいなことでやった方が、もしかしたら効率的に進む場合もあるかもしれない。全面的にインターネットにゆだねるというわけにはまいらないと思いますけれども、そういうやり方だって出てくるかもしれない。そうした新しい時代の変化に対応できるような教育ということもやはり考えていく、そういう視点で考えました。

 ただ、その場合に、よく、教育のあり方を考えるに当たって、不易と流行、変わるものと変わらないものというのもまた大切な視点だということを多くの方々がおっしゃいます。変わるものというのは、さっきのグローバル化とかIT化とかそういうことですが、やはり変わらないものもしっかりと守っていくということが必要だろうと思います。例えばセルフコントロール、自分自身を律する力をつけるとか、あるいは他人を思いやる心、いたわりの心、豊かな人間性、こうしたものは多分いかなる時代であっても人間として持つべきものであろうし、教育の中で尊重されるべきもの、これは多分二十年たっても五十年たっても変わらないのだろう、そういう要素を加味しながら今回の教育新生プランというものをつくらせていただいたわけであります。

鎌田委員 ありがとうございました。

 大臣が政務次官を連続二期お務めになられた十数年前、私は学生をちょうど終えたあたりで、子供を一人目を出産したあたりで、自分の子供をこれから育てていくに当たって、大臣がその御活躍のスタートを切られたあたりをテレビで拝見していたころを今思い出しておったのですが、そういう方と今やりとりをするのは何かちょっと不思議な感じをしています。

 政策というのは、常に正しい現状認識と、そして先見性、それから速やかな実行、これが大切だと私は常に信じているのです。つまり、今大臣もちょうどおっしゃったように、子供たちにとって夢の持てる教育の将来像を具体化させるために、これからの社会情勢の変化というものを先取りしながら現状を変えていく、こういう努力と、そしてまた同時に、今行っていることが、過去にさかのぼって、どの時点の現状認識に立って、どのような検討を行って、どういう具体策を講じてきたのか、そういった検証というものも常に繰り返し繰り返し行われなければいけないのではないか、そんな気持ちもあって、まず冒頭、大臣にお伺いをしたのです。

 そこで、先ほど来議論もなされておりますように、ゆとり教育について私もちょっとお伺いしたいのですが、昭和四十年代前半、まさに私が小学校五、六年の時期なのですけれども、これも社会情勢の変化に呼応した中で、教育内容の一層の向上、いわゆる詰め込み、これを行った結果、昭和五十一年の教育課程審議会の答申を受けてゆとりある学校生活の実施へとこの国が動き出した、そのスタートであったと思うのです。この三十年前時点の現状認識で、そして二十年前に具体化され始めたこのゆとり教育、これをさらに進めようとする意義、それはどこにあるのか。

 先ほども申し上げましたように、検証し続けることが大切だと思います。ですから、旧文部省がこのことについても検証を常に行ってきた、その行い続けてきた結果、その必要性をさらに訴えていくのだというのであれば、何をどのように検証なさったのか。二十年前、三十年前の子供たちと、そして今を生きている子供たちのさまざまな違いをきちんとわかった上での判断なのか、これらについてお答えをいただきたいと思います。

町村国務大臣 正しい現状の認識、分析の上に立って政策を展開しなさいという委員の御指摘はまことにごもっともでございまして、行政というのは常にそういうものでなければならないし、政策もまたそういうものでなければならないだろうということについては、私も全く同感でございます。

 確かに、御指摘のように、四十年代、詰め込み教育、受験戦争の過熱等々のことからゆとりある教育という言葉が出てまいりまして、昭和五十二年の学習指導要領の改訂以降、そういうことがうたわれ続けているわけであります。

 大分時代が変わったじゃないかということも確かにあろうかと思いますが、例えば平成十年に文部省が行った「学校教育に関する意識調査」というのがございまして、これで見ますと、恐るべき七五三という数字が出てくるのですね。学校の授業がよくわかる、あるいは大体わかるという子供の割合、小学生で約七割、中学生で約五割、高校生で約三割、これはもうある意味では愕然とする数字なわけですね。ゆとりある教育ということで、新学習指導要領も教育内容を約三割減らすということで、余り瑣末な知識を頭に詰め込み、暗記させなくてもいいんだよという趣旨で、私は前回、文部大臣当時にその指導要領の方針を決めたわけであります。

 それだけ今、昔と比べてかなり減ってきています。しかし、それでもなおかつ七五三という実態でありますから、これがもし従前どおりのかなりボリュームの多い学習指導要領であれば、七五三がもしかしたら五三一とか三一〇とか、極端なことを言えばそんな数字になっていたかもしれない。

 でありますから、私は、例えばこの七五三という一つの数字、これだけが論拠ではございませんが、そういった状況を見たときに、もう一度改めて基礎、基本というものを厳選し、それはもう一〇〇%わかる、大体わかるという水準に持っていきたいということで、今回の学習指導要領、それに基づいたいろいろな時間割り編成等を決めたわけでございまして、決して二十年前、三十年前のそのとおりに、無反省に踏襲しているわけではないということはぜひ御理解を賜れればと思います。

鎌田委員 今学校の現場や子供たちとその周辺で起きている現象、これと照らし合わせて見きわめるとするならば、これは百五十回、前回の国会で、我が党の山谷委員も指摘をしていますけれども、教える量、学ぶ量、これを減らすということよりも、もっと大切なものが実は一方にあるのではないかということをあえて私も指摘を申し上げたいと思います。

 つまり、詰め込むという方法を変えるための取り組みが結局はなされてこなかったのではないか、それが、今大臣も御指摘をなさった平成十年の統計の結果からも明らかだと思います。文部省としては、子供たちに自主的に学びたいという意欲を培わせるためにいろいろなことを行ってきたつもりであった。子供たちが問題解決能力をみずから養えるためにいろいろなことを努力してきたつもりであった。しかし、結果として、先ほど渡辺委員も御指摘なさっていました、結果としてそうあらわれてきていない。そういうものをきちんと検証するならば、今ここで量を減らすということと同時に、もう一方で実は大事なものがあるということに気づかなければいけないのではないかなというふうに思うのです。

 そこで、私も参考として申し上げたいのが「国際数学・理科教育調査」、これを見ますと、順位も平均点も確実に、これはだれしもが認める下降の、下下がりになっている傾向にあると思うのですけれども、このことについては、文部科学省、当時の文部省の見解に、国際的に見て、過去と同様トップクラスであり、正答率も落ちていないと。

 こういう御見解をなさったことに対して私自身は違和感はありますけれども、やはり先ほど来申し上げているように、もっと残念なのは、理科や数学が好きか嫌いか、楽しいか、将来その分野の仕事がしたいか、あるいはその勉強が生活の中で大切と感じているか、こういう部分については、いずれもポイントが下がり続けています。そして国際平均値との比較をとってみると、もう倍以上の開きがあるものがあります。

 つまり、やはりこの二十年、何をしてきたのか。結果として子供たちは量が減らされて、文部省がこれでゆとりです、子供たちが楽しさ、おもしろさを感じるように、みずから学ぶ意欲が養われるようにと思っていても、結局は子供たちはそのようにも反応していないし、そして、このような結果にあらわれてくる。ですから、これまでのようなゆとり路線を少なくともここで大きく変える必要性があるのではないか。

 そして、やはりここで皆様に大切ではないでしょうかと御提案申し上げたいのは、量を減らすということではなくて、教え方、内容、つまり量ではなくてハウの方に、先生が子供たちにどうやって教えるのか、伝えるのか、そのハウの方にこれから先、力点をぜひ置いていただきたいというふうに思います。

 教科書もそうなのですけれども、例えば歴史をお考えいただきたいのです。年号や事象、いつ、だれが、どこで生まれたか、どことどこが戦争してどっちが勝ったか、そういったことの暗記の繰り返し、こういうことをいまだに繰り返していますから、ですから、暗記をすればもう忘れて当然。ですけれども、歴史というのは、それぞれの国々において、もう何かしら背景には物語のような、小説のような、非常におもしろいものがたくさんあるということを子供たちにきちんと伝え切っていない。

 地方にはよく、神楽などという伝統芸能がありますけれども、あの神楽を見ますと、言葉なんて何にもわからないのですね。意味もわからない。だけれども、その言葉言葉のいろいろなところに出てくる日本古来の言葉や、あるいは話の流れ、そういったもので、日本に古くから伝わるお話、神話といったようなものまでも何となく理解できる。そして、ああ、これってあの話のことなのということを改めて気づかされて、おもしろいものを感じることができる。

 しかし、今、子供たちが学校現場で学んでいる歴史の時間あるいは社会の歴史の時間といったものでは、少なくともそういうことは余り感じることができないということを、私は、短い時間ですけれども、子供と歴史の勉強をする中で、すごくそういうことを感じております。

 そしてまた、英語についてもそれが言えると思うのです。覚える単語を減らすという、それだけではなくて、単語を自然に楽しく覚えられるように、身につけられるように、ALT、外国語指導助手、こちらを全小中学校に最低でも一校一人配置するとか、こういう効果の上がる、子供たちが楽しさを感じられるというようなものはどんどん実践して、実行に移していっていただきたいということを思うのです。

 このALTというのは、皆様も御存じだと思いますが、社会教育あるいは人間関係の醸成という点では、子供たちにとってとてもよい刺激になっています。もちろんそれは、独特な、外国の若い先生方が醸し出しているユーモア、笑い、ウイットに富んだ会話、それから全身を使ったコミュニケーション、私は、そういったものというのは今の子供たちにとってとても大切なものであって、自分自身を発見して表現をする力に結びつくと思いますので、ぜひ御検討をいただきたいと思います。

 ぜひ、量云々ではなくて、勉強しなくてもいい、あるいは学校は勉強しなくてもいいんだ、そういう錯覚を抱きかねないような改革ではなくて、学校は勉強をするところである、しかし、その勉強は実はとてもおもしろいし、楽しいし、そしてためになるものなんだということを、先生たちが自信を持って、そして文部科学省が自信を持って、国民に向けて発表し、リードをしていける、そんな改革が大切だと私は思いますので、ぜひ、改めて御見解をお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 英語あるいは歴史というケースを引いてのお話、私どももまことにもっともだと思っております。

 ちょっと量的な面だけが強調された説明になったことでもし誤解があるとすれば、それは訂正をさせていただきたい。

 もちろん量というのも一つの要素ですけれども、要は、教える先生の意欲とか、教え方の工夫でありますとか、あるいは今言われた外人教師のALTの採用とか、教えるサイドのいろいろな工夫というのもあろうし、また教える環境、昔と比べれば教室あるいは理科の実験設備等々も大分よくなったと思いますが、そういうものをより整備していくといったようなこと、いろいろな面からやはり工夫をしていく必要があるのだろうな、こう思います。

 あるいは、総合学習の時間も既に先導的、試行的にやっているところもあります。私も先般、たまたま仙台で小学校を見てまいりましたが、子供たちの目が大変に輝いているのですね。それはどうしてかなと思ってよくよく聞きましたら、一人一人に何でおもしろいのと聞いたのですが、そうしたら、一年間の自分のやることを自分たちで考えて、もちろん先生とはよく相談をしながらですが、自分たちでフィールドサーベイをやったり、商店街に行ったり、広瀬川の水質を調べたりする。そして、自分たちでレポートをつくって、自分たちで発表をし、さらには市長に町づくりの提言をしたり、商店街にお花を寄附したり、一年間のサイクルで、ある意味で自分で全部組み立てることができる。

 こういうようなことをやると、先生方も最初は非常に戸惑う、生徒たちも戸惑うけれども、やはりそこに自分の頭で考えて行動するという、そのことの楽しさというのが総合学習の時間で見てとれたというのですね。

 私は、それはとてもいいことだし、それは総合学習の時間だけではなくて、他の科目においても同じような工夫が実は可能なのだろう、こう思っておりまして、そういう意味から、今委員が言われた、量だけではなく、まさに質、教え方、学び方ということは、大いにまだまだ工夫の余地があるというのは御指摘のとおりであります。それは、文部科学省はもとよりですけれども、現場の学校の先生、教育委員会、あるいは、先ほど山谷委員からあった、保護者の皆さん方も参加し、あるいは部外の専門家が参加した形で、いろいろな学校づくり、授業づくりをやっていくことが大切なのだろう、こう思っております。

鎌田委員 ありがとうございました。

 続いて、競争についてもちょっと一つだけ触れたいと思うのです。時間も余りありませんので、初めにお知らせを申し上げてありました質問ですけれども、続けてお伺いをしますので、お願いいたします。

 どちらがお答えになっても結構でございますけれども、最近、最近といっても十年ぐらい前は絶対だめなんですけれども、子供さん、あるいはお孫さんでも結構ですが、小学校の運動会、学芸会にお出になったことが、見に行かれたことがおありになるかどうか。

 その質問とあわせて、先ほどもお話に出ました、運動会ではとにかく子供たちに勝敗の差をつけて傷つけたくないという、これは全く誤った心配りだと思うのですね。全員が手をつないでゴールに行って、全員一緒に一等賞。あるいは学芸会に行けば、主役のシンデレラの役の女の子がぞろぞろぞろぞろ、十人もそれ以上も出てくるのですね。自分の子供が主人公だと思って一生懸命衣装を縫ったと思ったら、同じような衣装を着ている子供がほかにも十人も、もっと出てくる。

 つまり、今大臣がおっしゃった光の部分も確かにあると思うのです。すばらしい取り組みをして、そして子供たちが生き生きとやっている部分もある。しかし一方ではやはり、学校の教育の現場で、ゆとり教育とあわせてなんでしょうか、競争というものが、いかにも競争悪、受験戦争、受験競争に代表される競争というものが競争悪かのようにして、どんどん排除されていっている。こういったことはやはり子供たちにとっては決していいことではないと私は思うのですね。

 私たち大人が子供たちの可能性を、無限の可能性を信じて認めてやることができれば、こんなことは起きないと思う。その無限の可能性の中に、負けたときに、失敗した悔しさとか、そういったものから自分で立ち直る自助力も含まれているんだということもきちんと認めてあげることができれば、こういうことも起きないと思う。だから、私たち大人がまだまだ子供たちのことを信じ切れていない、子供たちの能力を認め切れていない、それがこんなところにもあらわれてくるんだと思うのですね。

 ですから、これから先のこの国の教育行政をつかさどるところで、ぜひその競争というところについてもひとつお考えをお聞かせいただきたいと思います。

河村副大臣 鎌田委員のお説にうなずきながら、そのまま促されるようにここへ立ちましたが、私も、もう小中学生はおりませんが、まだ高校生が、最後のがおります。

 私は山口県ですから、山口県でも、私の周辺にはそういうことはございませんでしたが、御指摘のような運動会がかつてあったそうであります。まだそういう県が少しはあるように聞いておりますが、これは確かに委員御指摘のように、行き過ぎた平等主義といいますか、その弊害がそういうところへ出てきて、これは、かねてから大臣が所信表明の中でも言われておりますが、やはり画一的な、余りにも画一的な教育を進めたそのツケといいますか、後遺症が今日そういうところへ出てきた、これをもう一度きちっと見直していかなければいかぬということを絶えずおっしゃっておるわけであります。

 本人がそれぞれいろいろな能力を持っていますから、運動会へ行ったら目を輝かす子、音楽会に行けば目を輝かす子、やはりそういう人たちのよさをしっかり認めてやりませんと、せっかくのそういう芽を摘んでいくことになりかねない。このことはやはりきちっと教育の中でうたっていく必要があります。また、実社会へ出てまいりますと、やはり競争もあるわけですね。それに耐えていかなければいかぬ、そのことを小さいときから学んでいく必要がある。そういう面では、スポーツ選手なんかになっていきますと、そういうことを学ぶ機会があるのですが、そういうことを学ばないままに社会へ出ていって、生きる力を失うということもありますから、御指摘は非常に大事な御指摘だ、私はこう思っております。

 そのかわり、教育の中でいろいろな選択肢をたくさんつくってやる、大臣もよく言っておられるのでありますが、今度、飛び級制度もできました。本当にどんどん勉強ができる子は進ませてあげる、しかし、この子はもうちょっとゆっくり時間をかけて勉強させた方がいいのじゃないかという子には時間をかけて勉強できるようなそういう教え方、教室の二十人学級をつくろうというのも、むしろそういうことで使っていくという方向が必要であろう。

 先生方のそういう気持ち、またそれを受け入れる社会というのも私は必要と、昔から大器晩成と言われたこともありますから、最初はゆっくり教えているうちにだんだん早くなっていくということもあろうと思います。やはり個々人それぞれ個性がございますから、そういうことを非常に大事にしていく教育をこれから展開していこうというのが町村文教行政の一番の中心になっている、私もそういうふうに理解をしております。

鎌田委員 すごくアバウトなやりとりをさせていただきましたけれども、私はぜひこのことを、十数年前からテレビを通してその御活躍を拝見している町村文部科学大臣、そして関係の皆様とやりとりしたかったものですから、もう光栄でした。ありがとうございました。御期待をさせていただきまして、ぜひ御健闘をお祈りいたします。

 それで、続きましての質問に入る前に、委員長に、大臣そして副大臣、そして、きょう政府参考人として内閣府から政策統括官をお呼びいたしておりますので、ぜひ見ていただきたい資料がございます。質問に関連するものです。お配りしていいでしょうか。

高市委員長 はい。答弁者三人につき許可をいたします。

鎌田委員 はい。

 残りの時間、今お配りをしました資料をもとに質問させていただきたいと思います。

 大臣のさきの所信の中にもきちんとうたわれてありました、青少年を取り巻く有害環境への対策について取り組んでいくと。私は実はこの有害環境の問題に地方議員をしているときから、地方議員をしていたのは三年しかないんですが、その前から含めて約十年以上取り組んでいるものですから、有害環境のその最たるものだと思って、特にこれは法律も関係するものですから、国会議員になったらぜひ取り上げて、そして、ましてやこの国の教育行政を論じ合うところ、いわゆる崇高なお話というか、美しい話とかそういうのがたくさんあるところで、こういうものがこの国の青少年、子供たちの周りを取り巻く実態なんだということをわかっていただきたい、目を伏せることができない実態なんだということで取り組み、あるいは皆様に紹介をし、そしてぜひわかっていただきたいということもありまして、きょうは質問させていただきたいと思うんです。

 これは、御存じだと思いますが、デートクラブにアクセスするための電話番号がそのカードの下に書いてある、いわゆる通称ピンクチラシと呼ばれているものであります。この東京都内でも、あるいは全国各地にも、特に電話ボックスを中心にまかれているものなんですが、私が比較をしてみると、東京都内のはまだ、アイドル歌手のブロマイド系で、かわいい子が写っている写真だなというものが結構多いなと。しかし、地域によって差があると申しましたのは、ここなんです。

 今大臣にお配りをした中にも、もう三秒として見ていられない際どい、どぎつい、そういうものが、私が三十分回収して町中を歩けばあっという間に大きいごみ袋が二つ、三つになっちゃうんですけれども、平均で一日四万枚から五万枚回収されています、よくまかれているところでは。そして、まき屋と呼ばれているそのまく係の人は、ほとんど十四、五歳、十六、七歳。一晩四、五千円のバイト料でやるんです。

 ですが、これは、捜査の先鞭をつけている地域では、全国的ではありませんが、売春防止法の違反で摘発されています。つまり、そのカードが売春を誘引している道具だ、そういうふうに、警察もその理由で摘発をし、そして裁判所も、司法の判断、刑を確定するときにそういう判断に基づいて刑が確定されています。

 ですから、十四、五歳のバイトの子たちは、一晩四千円か五千円のバイト料のためにそれをまいて、警察に現行犯で摘発されて捕まって、それでもって自分を雇った経営者も一緒に摘発、電話番をしている番頭さん役みたいな方も一緒に摘発。この三位一体、三つの人たちが一緒になって摘発されて、カードや電話機も押収されて、刑の判断、刑の確定されるのを待つ。こういうふうに、結果として明らかに売春防止法違反で司法の判断が下り、そして刑が確定をし、罰金あるいは懲役という結果になっているんです。

 実は、この問題でぜひ考えていただきたいのは、何でこの商売がもう十年も十五年も地域で、言葉は悪いかもしれませんが、はびこっているか、ここに関係する人たちが後を絶たないかというのは、この商売が実はやはりもうかっているからなんです。これを利用する全国の諸男性の方々が多い。それから、これによってもうける若い女性が多い。そして業者も多い。もうかるんです。

 そういう実態にぜひ目を向けていただいた上で、時間もありませんけれども、大臣、このことは非常にゆゆしき問題だと思います。心美しき豊かな日本の国家をつくっていかなくちゃいけない私たちの子供たち、孫たちがこんな状態に日々さらされている。通学途中の中学生はこれを拾って学校に行きます。学校の教室の自分の机の上でカード半分で遊んでいます。私たち大人はこれに目を背けてしまう。恥ずかしくて見られない。でも、今の小中学生は平気のへっちゃらです。そんな状態にまでなっているという実態をどういうふうにお考えになるか、ここについての取り組みの改めての決意のようなものをぜひお聞かせいただきたいと思います。

町村国務大臣 こういう実態というのは、仙台のみならず私の地元の札幌すすきのにも本当に数多くありますし、多分、全国の繁華街は似たり寄ったりなんだろうと思います。

 こうしたピンクチラシ以外の面でも、子供の、青少年の健全育成の面から見て非常に有害な情報というのが満ちあふれております。私は数年前、自民党で、子供向けポルノコミックというのが余りひどいものですから、これの関係者に来てもらって話をしました。しかし、そのとき、例えば出版社の皆さん方は、何でおれたちが自民党に呼ばれるんだ、こんなのは憲法違反だと言うわけですね。出版の自由あるいは表現の自由を侵害するものだと言って、もう物すごく居丈高なやりとりをせざるを得なかった記憶もあります。あるいは、テレビでもそうです、最近はインターネットの画面、いろいろな形で出てきます。

 それぞれ皆さん、心ある人は自主規制をすると言われます。ところが、自主規制を幾ら待っても実態はよくなりません。

 そこで、今こういう余りにもひどいケースについて、これはこれで、今おっしゃったような売春防止法等の既存の法律で一定程度は対処できるんでしょうけれども、また新たなものについては、参議院の自民党の皆さんあるいは最近は民主党の中にも、もちろん報道、出版の自由等々は大切だけれども、こうしたものは余りにもひどいものについては法規制をすべきではないかという御意見があることもよく承知をいたしております。

 その辺について、この国会の中で十二分の議論がされて、もちろん取り締まりは取り締まりとして関係当局がしっかりとやって、本当に一日も早くこういうものが国内から追放される日が来ることを心から期待しているものであります。

鎌田委員 最後に。

 今の大臣の御答弁を、きょう政府参考人としておいでをいただいた江崎政策統括官、お聞きをいただいたと思います。

 昨年十一月の青少年問題特別委員会でもこの問題を取り上げました。その際の御答弁で、やはり大臣と同じような認識に立って、重要な問題なので今後議論を進めていくというお答えでした。

 何の議論かといえば、私があのとき御指摘をしたのは、この電話番号が明らかにシロクロはっきりした、グレーの状態じゃなく、刑が確定して司法の判断が下ったものなんだから、この商売が一時的にでもできなくなるように、この電話番号が使えなくなる、利用できなくなるように、電気通信事業法の視点から御検討いただけないかどうか、そういったことについての議論をということへのお返事だったんです。

 今の大臣の答弁は、この問題がこの国からなくなるようにとまでも言及なさいました。それを受けて、そして昨年からの議論もあったと思いますけれども、改めて御答弁をお願いします。それで私の質問は終わります。

江崎政府参考人 先生から御指摘のございました、特に電話の関係でございますけれども、これは、電気通信事業法の運用と申しますか、そういう問題でございます。昨年の委員会での御議論でも総務省が、当時郵政省でございますが、いろいろ御説明をしておったかと思います。まずはそこで、法の運用としてどういう形であるべきなのかという御議論をいただくということが必要かと思います。

 ただ、内閣府といたしましても、関係省庁、関係団体とも連携をいたしまして、青少年の健全な育成が阻害されることのないよう一段の努力をしてまいりたいと考えております。

高市委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時二十分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時四分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。肥田美代子君。

肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。省庁再編後初めての質問をさせていただきます。

 まず、私は、子どもの権利条約につきまして、大臣の見解をお伺いしたいと思います。

 御承知のように、十年前の一九八九年、この条約は国連で全会一致で採択されました。この子どもの権利条約は、一言で言えば、子供にも尊厳ある権利の主体者としての立場を認めよう、そういう内容でございます。この条約は、これまでの子供の歴史とか子供たちが置かれた状況から見ますと、画期的な内容を持っていると思っております。大臣はこの子どもの権利条約についてどのような見解をお持ちでいらっしゃいますか。

町村国務大臣 平成元年に国連総会で採択され、平成六年に日本が批准をいたしました、今先生御指摘の児童の権利に関する条約、世界を見渡しますと、非常に多くの児童が今日なお、飢えや貧困やさまざまな困難な状況に置かれております。こうした状況はなかなか改善をしてこないわけでありまして、先般も森総理がアフリカの方に行かれてそうした実態などもまた見てこられたようでございますが、こうした状況にかんがみまして、広く国際的な協力によって児童の権利保障を推進することを目指したもの、かように認識をいたしております。

 もとより、学校現場の中で、児童生徒の人権にも十分配慮をして一人一人を大切にした教育が行われなければならないのは当然でございまして、今後とも、より適切な教育指導、学校の運営が行われますように、一層の指導に努めることが重要であろう、そのことが、この権利条約を批准した国として、また当然の務めであろうと思っております。

肥田委員 この子どもの権利条約の理念を実現するために、一九九〇年に子供のための世界サミットが開かれました。十年間の行動計画が発表されたわけでありますが、あれから十年たちました。あのサミットに私も同席させていただいたのですが、日本からは海部総理が御出席をなさいました。そして、あのときには、識字基金につきまして提唱されたと覚えております。あの提唱はその後どのように実施されたか、把握していらっしゃいましたらお知らせください。

河村副大臣 一九九〇年に識字教育信託基金、それから一九九六年からコミュニティー識字センター信託基金、これはユネスコに出しておるわけですが、アジア太平洋地域の開発途上国の識字教育協力を日本が先頭に立ってユネスコの中でやっているわけでございます。そして、識字教育信託基金が四千万、それからコミュニティー識字センター信託基金の方へ二千万、毎年約六千万出していることでございます。

 これらの信託基金によって、コミュニティー識字センターを設置するとか、あるいは識字要員研修をやるとか、識字教育パイロット事業あるいは教材の開発等をやって、地域としては非常に高い評価を受けておる、このように聞いております。

肥田委員 ことし九月に国連子ども特別総会が開催されます。この総会では、子どもの権利条約に基づいて、十年前の子供のための世界サミットで約束された行動計画がどこまで実行されたか、このことを厳しく検証するということになっております。さらには、今後の十年間の行動計画をまとめて、それを達成するための期日を決めた具体的な目標を定める総会だということも伺っております。

 森総理は、二月二十一日、ベラミー・ユニセフ事務局長と首相官邸でお会いになりました。この際、特別総会の首相の個人代表として有馬真喜子さんを指名されました。私も有馬さんに大きな期待を持つものでございますけれども、総会の当日は、例えばブッシュ大統領でありますとかシラク・フランス大統領が出席の予定というふうに伺っておりますけれども、我が国の首相の参加はあるのかないのかを含めて、政府がどのように対応されるかを伺いたいと思います。

町村国務大臣 まだ九月のことでありますので、どういう政治状況になっておるか、私も定かではございませんが、総理大臣ができるだけ参加できるように、政府全体として、外務省を中心に検討を進めていきたい、できれば参加をしてもらいたいという希望は私も持っております。

肥田委員 この国連子ども特別総会では我が国としてどのようなことを提唱される予定になっているか、もしそういう情報をお持ちでしたら、お知らせいただきたいと思います。

町村国務大臣 この特別総会でどういう決議が採択をされるか、どういう内容を盛り込むべきかということで現在協議が行われている最中で、まだ詳しい中身について必ずしもわかっているわけではないと聞いております。

肥田委員 二〇〇〇年四月にダカールで世界教育フォーラムが開催されました。この会議におきまして、六つの目標が採択されております。その中で、二〇一五年までにすべての子供の無償初等教育へのアクセスの確保、それから、二〇〇五年までに初等教育における男女格差の解消などが挙げられているわけですが、現在、初等教育を受けられない子供たちの中で、女の子の数がその三分の二に上るんですね。とりわけ南アジア、オセアニアではそういう数が厳しく挙げられております。文部科学省は国際教育協力懇談会におきまして、経済開発から人間開発をしよう、そのように報告をされておりますけれども、教育立国にふさわしい教育協力をすべきだと私も思います。

 そこで、我が国のODAの実績は、昨年で一兆七千億円、九年連続世界一でございます。その中で、先進国では教育、人づくり分野のためにODAの一〇%程度が充てられておりますけれども、我が国では、ODAのうち教育分野に占める割合は六%となっております。その大半が、国費留学生の受け入れでありますとか、その留学生の交流に要する経費でございます。これを除いた開発途上国の教育事業に対する直接的な支援は、ODAの中のたった二%にすぎない。

 これは、我が国が昔から教育を重視した国づくりによって発展してきたその歴史を考えますと、やはりここで大臣が大きな声を上げられて、ぜひこの国連子ども特別総会に向けて、ODAの中の教育部分につきましてのパーセンテージを上げていただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。

町村国務大臣 近年の開発途上国への協力に関して、今委員御指摘の人間開発という考え方が大変強くなってきております。それ以前は、どちらかというと経済開発、大規模なプロジェクトというのが多かったようでございますが、最近は、そういった分野の協力をより強化していこうという流れがあるのは御指摘のとおりでございます。

 そんなことから、昨年の十一月、今御指摘をいただきました国際教育協力懇談会、これは文部省につくった懇談会でございますけれども、この報告におきましても、今後、人間を重視した経済協力を実践して、関係援助機関と連携し、教育、人づくり分野の比率を大幅に高めていく努力が必要である、こういう御提言をいただいたところでございまして、私どももこういう方向に沿って努力をしていきたい。

 現に、私も大臣になってから、開発途上国の大使あるいは教育大臣、こういう方々とお会いをいたしますと、やはりそういう声が大変強く出されております。あるいは、先般おやめになりましたけれども、UNHCRの緒方貞子前難民高等弁務官は、中等教育の拡充のため、難民の中等教育基金というものをつくって、それでよりすぐれた人材の発掘に努めていきたいんだというお話もしておられ、我が国としても、この分野でもまた協力をしていく必要があるだろうなどなど、やるべき分野はたくさんあるだろう、こう思っております。

 これからの経済協力のあり方については、もちろん主管は外務省でございますけれども、文部科学省としてもできる限りの努力をして、今委員御指摘のような方面での充実を図っていきたい、かように考えております。

肥田委員 先ほど、まだ日本からの提唱内容については具体的に決まっていないという御答弁でございましたけれども、私は、今大臣のお言葉を聞いておりまして、ぜひ文部科学省の方から積極的に提案していただきたいと思いますのは、やはりオセアニア、それから南アジアの子供たち、特に女の子の教育に力を入れる、そういう提言ができないかと思うわけです。児童買春の話なんかが出てまいりますと、あの女の子たちに教育を受けさせてあげられれば本当に変わるんじゃないかと思うことが間々あるわけでございますけれども、ぜひそういう初等教育のチャンスを与える、そのための提唱をしていただきたいと思います。そして、とりわけ女の子たちが人間として堂々と生きていける道を保障するためにも、リーダーシップをとっていただきたいと思いますけれども、大臣、いかがでございましょうか。

町村国務大臣 委員御指摘のような方向で外務省とも話をしたいと思います。

肥田委員 次に、校庭の芝生のことについて質問をさせていただきます。

 元日本代表のサッカー選手が、こういうふうなことを話しておりました。中学生のときですが、占領下で、ナイル・キニック・スタジアムというんですが、今の国立競技場のことですね。あそこでボールをける機会を得たそうです、まだ中学生だったそうですが。その当時、自分たちの校庭は焼けた校舎の焼けくぎなんかが落ちていて、石ころもごろごろというグラウンドだったので、傷んではいたけれども、ナイル・キニック・スタジアムの芝生が何とも言えず感動的だったというんですね。その後、その深い感銘でサッカーの魅力に取りつかれて日本代表選手になっていかれるわけです。

 Jリーグのチェアマンの川淵さんもやはりそのようなことをおっしゃっておりまして、Jリーグを設立するときに、自分がドイツで経験したグリーンのグラウンドのすばらしさ、それが地域の生活の拠点になっていることを熱っぽく語っておられました。

 また、日本に来た外国の選手が、実はこれは妙なエピソードなんですけれども、駅前のグリーンの広場に入ろうとしたら、あなた、芝生ですから立入禁止ですと言われてびっくりしたという話がございます。

 それから、外国の研究者が成田空港から東京都内に向かうときに、車の中から一生懸命シャッターをおろしていらっしゃるんだそうです。何をしているかと思ったら、世界一豊かな経済大国の学校の校庭が泥で埋まっているというわけですね。土のことをおっしゃったんだと思いますけれども、泥だったので珍しくて思わずシャッターを切った。

 ということは、ヨーロッパあたりでは恐らく校庭のグリーンというのは常識ではないかと思うわけです。外国では、スポーツは芝の上でというのはもう常識なんですね。一方、日本では立入禁止で札がかかっている。しかし、もうぼつぼつ日本も芝生に対する考え方を、発想を変えなければいけないときに来ているのかなと私は思っております。

 それで、旧文部省の委託を受けた学校施設の屋外運動場の緑化に関する検討会議がありまして、学校施設の緑化は環境教育の教材となって、創造性や人間性豊かな子供に育てる有効な手段であると報告していらっしゃいます。そして、私、最近見つけたんですが、こんなすばらしい冊子もおつくりいただいているわけです。

 そこでお尋ねしたいと思いますが、平成九年の屋外教育環境整備事業開始以降、全国で実施した学校数はどのぐらいございますか。

河村副大臣 御指摘の屋外教育環境整備事業で芝を張られた学校は、全国で百三十七校あるということでございます。

肥田委員 全国公立小中高を合わせると四万校近くあるんですが、その中の百三十七校ですか。随分と驚くほど少ない数でありますけれども、三年間、これほど遅々として進まなかった理由というのはどこにあるとお考えでしょうか。

河村副大臣 私も今御報告を申し上げながら、この数字を聞いたときに本当に少ないなと思ったわけでありますが、今まで学校の運動場というのは、土の上をはだしで歩け、どっちかというとこういうような感じで今日まで来たと思うんですね。日本の中では、どうも芝生というのは観賞用だというような嫌いもありましたし、先ほどお話があった、芝生に入るべからず、こういうことでやってきたものでありますから、屋外の運動場を芝生にしようという発想が最初のスタート時点で少なかった、なかったと言ってもいいぐらいだろうと思います。

 私も、肥田委員も御指摘ありましたように、外国あたりへ行きますと、特にイギリスなんというのはきれいにみんな芝が張ってありますが、あれを見て本当にうらやましいなと思ったわけでありまして、サッカーくじができたときに、もっと予算がふえればこういうこともできるんじゃないかなと頭の中の隅に最初にそう思った経験がございます。

 そういう意味で、確かに芝生というのは管理も非常に難しいものですから、制度は、これは三分の一の補助率でもございますし、やはり、一平米張るのに三千円、四千円ですから、大体一つの平均の一ヘクタールぐらいの運動場、二百メーターの運動場ができるような校庭ですと大体三千万ぐらいかかるだろうというようなことで、予算的な面もあるのだろうと思いますが、ぜひ理解をいただいて、そしてこれをしっかり広げていかなければいけない課題だ、このように感じております。

肥田委員 補助金は三分の一だということではなく、何か知恵が出せると思うのですね。ぜひ、三分の一はせめて二分の一の補助金ということに努力をしていただきたいと思うし、我々国会議員が総意を結集してやっていけば必ずできることではないかと思うのです。

 今、ちょっとサッカーくじの話が出ましたので、ちょっとそれについて私も感想がございますので、申し上げたいと思います。

 あの法案ができるときに実は、その当事者であります長沼健さん、サッカー協会の会長でありましたけれども、彼が、外国ではtotoが緑のグラウンドをつくる資金になっているとおっしゃっているのですね。日本でも子供たちが走って遊べる芝生のグラウンドをつくる資金になるといいなとおっしゃったのを私は覚えております。それで、サッカーくじの法案ができるころには、みんなが、子供たちに緑の校庭を、緑の芝生をということを描いたのですね。そのうちにサッカーくじの話が進んでまいりまして、だんだん話が変わってきてしまったという状況がございます。

 ですから、国庫に納めるのもよろしいでしょうけれども、私は、やはり最初の私たちの願いどおり、子供たちの緑の芝生のためにサッカーくじが使えるようになれば、子供にうそをつかなかったなということになると思うのですけれども、いかがでしょうか。

町村国務大臣 きょう委員が御質問されるということで、ちょっと調べたら、これは二月十九日の新聞、全面広告で明石家さんまさんのこういうtotoの宣伝のあれがありまして、ここに、芝のグラウンドとか、近所にスポーツセンターとか、できるんやったら、悪くないんちゃうやろか、こう書いてありまして、このtotoの成果、収益、これは余り計算しても現状ではまだとらぬタヌキの皮算用ですが、大きなタヌキを想定すれば、かなりいろいろなことに使えるのだろうと。

 そういう意味で、今御指摘の地域レベルあるいは国際的なレベルのスポーツ施設、設備の整備事業というのは対象になっておりますので、芝生化のためにもこのスポーツ振興くじの収益を活用できればいい、こう思っております。この使い道については、今後、これから中央教育審議会の中の分科会等で検討することにしておりますが、委員の御指摘の方向で、ぜひこれは私どもも前向きに考えたいと思っております。

肥田委員 先ほどの予算の配分の仕方でもうちょっと伺いたいのですが、維持費は出されませんね。芝生を維持するお金はどうですか。

河村副大臣 最初の整備だけでございまして、維持費については対象になっておりません。

肥田委員 このこともやはり、多分この事業が進まない一つの理由になっていると思うのです。維持費というのはかなりかさむものでございまして、ですから、やはり初期のそういう事業の中に維持費も込めた形で算定していただくとありがたいなと思うのですけれども、そういうことというのは不可能でしょうか。

河村副大臣 最初の整備をするときに補助金が出ておるわけでありまして、これを含めてということになりますと、毎年ずっとということになっていくわけでございます。

 そこで、あと、やはりこの問題は、広まってまいりますと、当然芝の管理というのは非常に大事になってまいりますから、これをどういうふうに事業化するかというのはこれからの検討でございます。これはまだ内部できちっとしたわけではありません。例えば、そういうものを今後の交付税の中に入れていくとか、特別交付税で考えていくとかいう方法は考えられる、文部省の補助金じゃなくてもほかの方法で全体として。これは学校ですから、どっちにしても国あるいは地方自治体が責任を持って、つくれば管理していかなければなりません。それで、補助金を上げる、上げないという御指摘もありましたが、あとはそこの首長さんの、設置者のこのことに対する理解度いかんであろうと。もちろん文部省としては、これは大変いいことでありますから、この事業を進めてまいるわけでありますが、そういう気持ちでおります。

肥田委員 ぜひ首長さんたちの御理解も十分に得ていただきたいと思うのですね。

 私は、この冊子をつくっていただいたのは本当にありがたいと思いますが、これはどのぐらいのところにまで渡っておりますか。

河村副大臣 もちろん全都道府県に行っておるわけですけれども、もうちょっと周知徹底させる必要があるなというふうに私も感じております。

肥田委員 それももちろん大事です。この内容も十分に精査されたいいものでございますけれども、例えば一枚のパンフレットでもいいと思うのですね、芝生がどんなに子供たちの感動の場になるかということは、写真一枚でも伝わるわけですね。

 ですから、本当に文部省がそういうことを進めたいとお思いになるのならば、一人ずつの子供たち、そしてお母さん、お父さん方、そして教育委員会、学校の先生方にも伝わるような、そういうパンフレットづくりをしてみてくだされば、恐らく首長さんの考え方も変わってくるし、日本全体の芝生に対する考え方も変わってくると思うのですけれども、いかがでございましょうか。

河村副大臣 御指摘のように、サッカー熱心なお父さん、お母さん方も、国の事業で学校の芝生が張れるんだということをまだ知らない方もたくさんあろうと思います。そういう動きが高まってくれば、当然首長さんあたりも予算措置を考えていかなければなりません。そういう動きになっていくであろうということを私も推察できますので、努力してみたいというふうに思います。

肥田委員 助成措置が平成十三年度で一応切れることになっておりますけれども、その後、延長していただけますね。

河村副大臣 これは、せっかくの事業でございます、継続していく方向で今検討いたしております。

肥田委員 「葉っぱのフレディ」という絵本がございます。恐らく大臣も副大臣もごらんになったと思います。あの「葉っぱのフレディ」という絵本の中で、一枚の葉っぱの一年間の変化によって人生が語られているわけですね。たくさんのページを重ねた哲学書よりもあの一冊の絵本がどんなにか、年齢を超えた人々に人間の生き方、それから人生の深さみたいなものを感じさせるかというのを、私は感動を持って拝見したのです。

 学校に木があり、芝生があり、その木の葉っぱたちが子供たちに伝えてくれることは大変大きいと思うのですね。子供たちが芝生の中で日を浴びながらひっくり返る様子なんかを思うと、私なんかもうわくわくするわけです。木もたくさん校庭に植えたら、恐らく子供たちは、自分たちだけの小道をつくる、自分の隠し小道をつくってみんなに紹介する、そんなこともすると思うのです。

 そのように、やはり学校というのはある意味で感動の場所でなければいけないし、今文部省も一生懸命心の教育ということを考えておられます。きょう、ちょうど作曲家の遠藤実さんが国会に来られまして、おっしゃっていたのです、感動すれば心は豊かになると。本当にそうなんですね。私は、何よりも学校が感動の場所になることが子供たちの心を豊かにする、それに尽きると思うのです。ですから、ぜひそういう感動の場所にしていただきたい。

 もう一つお願い申し上げたいのは、これまでも何回もこの委員会でやらせていただいたのですけれども、学校図書館の問題でございます。

 昭和二十八年に学校図書館法ができまして、全校に学校図書館があるわけですが、調査してみますと、今もなお、北向きにあるところ、かぎがかかっているところ、だれもいないところ、本がほとんど色あせて何の使い道もないところ、いっぱいあるわけです。しかし、その中でも、文部省も一生懸命努力してくださいまして少しずつ、新しい学校に行きますと、学校図書館が南向きの暖かい日差しの中にありましたり、子供たちが出入りする玄関のそばにつくられているという様子もこのごろ時々見受けられるようになりました。

 私は、やはり学校図書館も子供たちの感動の場だと思うのですね。そういう感動の場を一つ一つ大人の知恵でふやしていく、その努力が大変必要だと思うのですけれども、大臣、いかがお考えでしょうか。

町村国務大臣 先週の週末に、私は横浜のある私立の小学校に行ってまいりました。それは、なぜ行ったかといいますと、大変図書館がすぐれているということでございましたので、どういうふうにすぐれているのかなといって行ってみたのです。

 まず入り口が、無味乾燥な四角い入り口ではなくて、保護者の皆さん方が協力してかいたというのですが、絵がかいてあるのですね、壁にずっと。何か入るだけで楽しそうな、まずそんな入り口からしゃれておりまして、子供が利用しやすいように本が並べてあり、かつ図書館の中にこたつがあるのです。こたつの中で本を読むというのはなかなかこれは楽しい、僕も自分の記憶でも。あるいは、部屋の中にまた小さい部屋みたいなものをつくって、そこに大きな縫いぐるみがあって、それに寄りかかりながら放課後本を読めるとか、なかなか工夫がある。

 もちろん、そこにはパソコンも入っていて、検索も自由にできたりということで、図書の数も生徒さんの人数に比べれば非常に多かったというようなことで、そこの学校では一人当たり、月に大体小学生は今六冊ぐらい読むと言われておりますけれども、それをはるかに上回る本を読む。委員がいつも前から言っておられる、朝定期的に読書の時間を持つ、そんなような工夫ももちろんある、こう言っておりました。

 いずれにしても、そういう形で、本を通じて子供の豊かな心を養う。そして、あわせて漢字も覚えるだろうし、物事の読解力も進むだろうし、いろいろな多面的な効果もある、こう思いますから、読書の重要性、その意味でのまた図書館の大切さというものは、これからますます重要になってくると思いますので、できる限り、先生の問題も含めて、しっかりとこれは充実強化をしていくべき施策の対象であろう、こう思っております。

肥田委員 今、大臣がとてもうれしい御感想を述べてくださいました。

 それで、学校図書館図書整備費ですが、交付税でことしは予算化されることが決定いたしましたか。

河村副大臣 交付税の措置のことであろうと思いますが、毎年要望をいたしておるところでございまして、この決定は、大体五月を過ぎて、六月前でないと決定しないと思いますので、まだ今の時点で定かではありませんけれども、毎年百十億ということで要望をいたしておりまして、一度また確認をして、ぜひ実現をいたしたい、このように思っております。

肥田委員 突然の質問で恐縮です。大体決定したというふうにも伺ったのですが、いかがですか。

河村副大臣 決定時期を私五月ごろと言いましたが、四月中には決定するということでございます。

肥田委員 大臣、あともう一つは人の問題でございます。

 平成十四年までに全校に司書教諭が充て職で配置されることは法律改正で決まっておりますけれども、充て職で本当はできる仕事じゃないのですね。ですから、ぜひ専任の人を置きたい、置かなければ学校図書館は再生しないと思うのですけれども、それに向かっても、ぜひ大臣の積極的な御決意をお願いします。

町村国務大臣 ちょっと先ほど例示に挙げました、これは私立ですからちょっと違うかもしれませんが、専任の司書教諭がおり、かつその補助役の人もいるということで、常時二人そこにいる。さらにそこにお手伝いをされる父兄の方々もいるということで、その辺からして大変充実した人員配置だなと思って感心をいたしました。

 現実には、今、講習を受けたりして通常の先生が司書、図書館担当もするというような形で、兼ねてやるというふうになっております。この辺、これからの定数改善計画の中でどうこれを考えていくのかというテーマだろうと思いますが、だんだんその辺は充実をしていかなければならない。一遍になかなか進まないかなと思いますが、取り組むべき課題の一つだとは認識をしております。

肥田委員 ぜひよろしくお願いします。質問を終わります。ありがとうございます。

高市委員長 藤村修君。

藤村委員 民主党の藤村修でございます。

 町村大臣におかれましては、きのうは朝早く大阪で、オリンピック、IOCのメンバーの歓迎のセレモニーでごあいさつもいただいて、またあしたは歓送の方に、ぜひとも時間をつくって何とか行っていただきたい。本当に御苦労さまでございますが、北京も一生懸命、日本も、大阪も一生懸命にこれはおもてなしをするということ、本当にこの機会しかどうもなさそうでございますので、ことし七月の招致先決定に向けて、引き続きの御努力をぜひともお願い申し上げたいと思います。

 さて、私はきょうは、全般的には初等中等教育の問題が多く出ておりましたので、観点を主に高等教育に関する事項ということで、大きくは二つ質問をさせていただきたいと存じます。

 それで、まず最初には、国立大学の独立行政法人化に関する検討の現状、こういうタイトルで通知しましたその中の三つの順番をちょっと変えて恐縮ではありますが、まずはそもそも論というところから大臣の所見などをお伺いしたいと思います。

 昭和二十四年、いわゆる今の新制大学ができた。そして、これはGHQのもとの民間情報教育局、CIEから相当ないろいろな指導もあった中で、例えば一府県一大学などという割に基本的な大きな原則があったりして、しかし、それを日本側の当時の文部省の中でも検討した結果として、相当短い期間に、それも戦後のまだ復興間もないころに、何と昭和二十四年、一斉に全国で六十九の国立の新制大学がスタートしたわけでございます。

 それで、国立大学というのは、当時というか、今もそれは多くは共通するのでしょうが、その経費の大部分を国庫から受けるものとして、そして国民の一般、専門教育、職業人、専門人の養成、基礎研究及び応用研究などとした目的を持ってスタートいたしました。また、私学の多くが都市にどうしても集中しているということもありまして、一府県に少なくとも一大学以上という方針、それを当時の文部省が認可をして六十九になったわけですが、それは教育の機会均等を目指したということ、これらのことを過去の資料から認識しております。

 私自身も地方の国立大学でありまして、昭和四十四年の入学ですが、大臣と余り変わらないかもしれませんが、何と授業料が一カ月千円でありました。当時、私立の幼稚園が多分二千五百円、三千円でしたか、それよりもうんと安い。それは、貧しくてもやる気があればという教育の機会均等の分野もあったわけであります。

 そういうころからもう半世紀、五十年を経ました。そして現在、言ってみれば、交通はもう戦後のその時期からいえば飛躍的に、日本じゅうある意味じゃもう本当に短い時間で移動ができるという交通網の整備、あるいは情報通信、これはまた驚異的な発達であります。あるいは、何よりまたその間に、私立大学そして地方の公立大学も含めた大学の激増ということがいいのかどうか、とにかくたくさん大学はできてきた。そして、大学進学率のまた飛躍的な向上ということで、まさに今や大学というのは大衆化時代を迎えている。

 そういう現時点において、昭和二十四年の当時から半世紀を経たこの時点においての国立大学の役割あるいは存在理由というのをどのように考えているのか。非常に基本の問題ですので、まずお答えを願いたいと存じます。

町村国務大臣 先ほど、むしろ委員の方から、戦後間もなく発足した国立大学の意義、役割というものについてお触れをいただきました。そのとおりだろうと思います。現在もなおかつ重要性といいましょうか、意義は、当時と全く同じ部分があります。

 例えば、研究あるいは研究者養成という面については、国立大学はやはり主要な役割をいまだに相当程度担っております。特に人材養成に、一人当たり大変コストがかかります理工系の人材の養成、この辺はどうしても国立大学に依存せざるを得ないという部分があろうかと思います。

 それから、確かに私立大学あるいは公立大学、県立大学等々ができておりますから、各県一大学という部分は若干意義が薄らいできたかとは思いますけれども、それにしても、やはり依然として地域の活性化に向けての貢献という役割もあろうと思いますし、さらには、これだけ、五割を超したからもうその辺の意義は薄らいだとはいうものの、一定程度はやはり機会均等への貢献という役割もあるのだろうな、こう思っております。

 これから先どういうことになるかというのは、またよく考えてみなきゃならないと思いますけれども、今申し上げたような幾つかの理由は、今日もなおかつ有効な存在を説明する理由になっているのではなかろうか、こう思います。

藤村委員 町村大臣、今御説明の中で、割に薄らいできたとか、でも今でも、やはり五十年、半世紀の年月を経たというのは、それはほかの議論でもよくされますよね。町村大臣は、例えば教育基本法についても、五十年たった、当時の社会情勢と今では大きく違う、子供をめぐる環境も大きく違う、教育環境も全然違うという言い方ともし共通して言うならば、いわば国立大学をめぐる環境も五十年、半世紀を経たこの今、さっきいろいろなことを幾つか例示しましたが、相当違うわけです。もちろん、その中に今でも意義のある、でも大分薄らいできたなとおっしゃったわけですね。

 そういう意味では、そもそも国立大学、当時六十九であったのが今たしか九十九ありますね。その間ずっとふやしてきたわけですが、この九十九国立大学全体について、一つ一つ一遍見直すような時期に来ているのではないか、そういう一つの原点に戻った認識のもとに独立行政法人化というものも考えていかねばならないと私は思うのです。

 そこで、平成十一年四月の閣議決定で「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成十五年までに結論を得る。」とされました。ここで、その後の検討というものについて、現時点で町村文部科学大臣の独立行政法人化についての見解をお聞かせいただきたいと思います。

町村国務大臣 前段のお話で、国立大学の役割、おっしゃるとおり、やはり相当変わってきているとは思っております。有効な部分、意義が薄らいだ部分は相当あります。特に、例えば一県一国立大学というのは、これだけ今児童生徒数が減っているにもかかわらず、県立大学というものをさらに新設する動きがあるというのは、正直言って、私はいかがなものかとさえ思っておりますが、それぞれの首長さんのお考えで新しい県立大学あるいは市立大学ができてくるという状況の中での国立大学の位置づけというのは、確かにいろいろ考えなきゃならないと思います。

 例えば、教員養成の大学というものもあるわけですけれども、現実にこれだけ教員として採用される数が減ってきているときに、これだけの専門の教員養成大学あるいは教員養成のための教育学部というものが必要なんだろうかどうだろうかというあたりも当然見直さなきゃならない。

 私は、国立大学の関係者の皆さん方には、これだけ国際競争が行われている時代なんだから、国立大学といえども未来永劫存続できるものではない、納税者の立場から見て存続の理由がないものは、国立大学といえども存続し得なくなる事態が当然あり得るという話をして、皆さん、一生懸命大学改革に取り組んではいただいておりますけれども、大学改革への取り組む姿勢というものは、学校によって相当差があります。

 それは、学長のリーダーシップの差もあると同時に、個々の学部の状況、あるいはその学部に属している教授あるいは助教授の考え方が、全く現状維持のままでいい、改革、一体どこの世界の話だと言わんばかりの反応をするような大学も、あるいは個々の先生もいらっしゃるわけであります。私は、そういうのを見たときに、およそそういう自己改革努力をする気のない大学は、当然廃校されてしかるべきとさえ思っております。しかし、大なり小なり一生懸命大学改革の努力をやっていることも事実なので、それはそれとして大切にしなければいけないと思っております。

 そういう中で、大学の活性化あるいは国際競争力を強化するための一つの方法として、独立行政法人化の話というのがあり得ると思います。先ほど御指摘のあった閣議決定を受けて、今いろいろな検討が進んできております。各国立大学長との意見交換を経まして、昨年の五月の国立大学の学長会議では、まず独法化をする方向で検討に着手するということが決められまして、さらに今、調査検討会議というのをやっておりまして、十三年度中に取りまとめをお願いするということを文部大臣から説明をいたしました。

 昨年の七月に調査検討会議がつくられまして、現在四つの柱に分けて、四つのテーマでその中の委員会がまたできております。例えば、独法化後の組織とか業務というものはどういうものなのかという委員会、あるいは目標を立ててその目標を評価するということがあるものですから、目標評価委員会というものができております。あるいは、人事のあり方というものも相当変わってくるはずですから、人事制度委員会というものもありますし、今までの国の全面的な補助という姿から財務のあり方というものを、単年度主義を見直すとか、いろいろなやり方が変わってくる、そういう意味での財務会計の委員会。四つの委員会に分けて具体的な検討が進んでおりまして、ことしの夏から秋ごろまでには中間まとめをしていただきたいな、こう思っているところでございます。

藤村委員 前段でおっしゃったことは非常に重要なポイントを含んでおりまして、努力をしない、あるいはある意味では存続意義のない国立大学は廃止するというお考えを示されたわけですね。その後段では現時点でのお話を伺いました。昨年五月の二十六日に、国立大学長・大学共同利用機関長等会議における文部大臣説明ということでその趣旨が述べられて、このときは中曽根大臣だと思います。

 そこで、町村文部科学大臣になって、今前段でおっしゃったようなことも一つお考えの中にあるとすれば、私は、冒頭でも言っておりましたけれども、新制の国立大学発足から半世紀を経て、日本の経済あるいは社会情勢の大きな変化や国際環境、国際関係などの劇的な変容の時代に、国立大学そのもののあり方をある意味では一度白紙で考え直す必要がないものかどうか、つまり、今現在九十九の国立大学一つ一つについて見直すことから始める必要はないのかなという疑問を持つわけです。

 どうも九十九の国立大学は、国大協という大学間の組織があって、これはまさに護送船団方式じゃないでしょうか。ところが、今やかつての護送船団方式でやってきたことは大きく失敗したわけです。銀行にしても証券にしても、生保、損保にしても、つぶれることがないと思っていたところが、今つぶれたり合併したりしているわけであります。そういう大きな、劇的な今の社会情勢の変容の中で、国立大学九十九を一括して独立行政法人化の議論に導いていくというのはまさに護送船団方式ではないかということを一つ指摘したいわけでありますが、御意見ございましょうか。

町村国務大臣 藤村委員の御指摘、私も賛同する部分がかなりあります。したがって、本当に危機感がない大学はあるのですね。驚くべきことだと思います、おれたちは国立なんだから絶対つぶれないと。

 しかし、これは、私がつぶすとかつぶさないとか、そういう僣越な話をするのではなくて、まさに納税者が、そんな大学に税金を使うことはまかりならずという声が実はあるわけですね。そういったことをやはり危機感として大学関係者はまず持ってもらって、今、自己改革努力というものを迫っているところでございます。

 しかし、恣意的な判断もどうかということで、今度は大学を評価する機関というものもできましたし、これによって自己評価あるいは第三者評価というものをやり、そういう評価の積み重ねの中から、なるほど、これはもう存在意義がないということになれば、それはやはり廃止するしかないのだろうと思います。

 そういう危機感のあらわれなのでしょうか、現在、いろいろな大学間での統合とか再編成とか、実際どこまでそれぞれ進むかどうかわかりませんけれども、幾つかの、同じ県内あるいは同じブロック内での再編統合というようなことも現実に検討がされ始めているところでございまして、こうしたことなどは、私は大変いい動きだと思って歓迎をしております。

 いずれにいたしましても、個々の大学の存在、あるいはそれぞれの大学の中にある学部、学科等々が本当に社会的存在の価値があるかどうかということについては、やはり十二分の自己検証と同時に、第三者による評価、検証というものが行われなければならないだろう、こう思っております。

 ただ、なかなか大学で難しいのは、世の中に受け入れられやすいITとかこういう分野だと、みんな、そうだそうだ、こういうことになるのでありますけれども、例えば、大変地味で社会的には余り目立つことは少ないけれども、しかし長い目で見ると大変有意義な学問をやっている、研究をやっているというところもありますので、その辺をどう冷静、客観的に実務評価をしていくのかというあたりもやはりあわせて考えていかなければならないので、一概にそのときのファッションというか、そのときの非常にニーズが強いところだけで考えてもいけないというのもまた一面の事実であろうかとは思っております。

藤村委員 私もそういう考え方で、ぜひ、去年の五月二十六日の文部大臣説明に余りこだわらずに、やはりここは、まさに世紀がかわりました、あるいは文部科学初代大臣でありますから、相当柔軟に考えていかないといけないんじゃないか。

 つまり、九十九の今の国立大学を一括で独立行政法人化に向けて検討し、十三年度内に中間報告でそれなりの結論をなどという仕組みでなしに、ある意味では、今ちょっと進み始めたとおっしゃった、こことここを統合して一つの大学にするという話は少し今聞こえてきていますよね。あるいは、こことここはもうある意味では役割を終えたのではないか、そういう見方も一つあるかもしれませんし、場合によって、こことここについては私立大学化に向けてひとつ検討に入ってもいいんじゃないか。あるいは、地方立といいますか、都道府県が、ではぜひそれをよこせというふうな、つまり九十九護送船団一括方式ではなしに、相当これは一つ一つの大学を検証しながらやれる、あるいはやらねばならないと私は考えます。

 特に、独立行政法人にしてしまいますとできませんよ。今は文部科学省直轄の機関ですから、むしろ今ならできる、あるいは今から五年ぐらいの範囲ならできる、こういうことでありますので、新しい世紀を迎えて、新しい文部科学大臣、町村大臣には少し柔軟に考え始めていただいて、今の九十九全部がいわゆる国立大学法人などということにならないようにぜひともしていただきたいなということ、これは答弁は結構ですので、要望だけにさせていただいて、きょうはちょっと短い時間で一つだけ、頭出しをしないといけないものですから。

 もう一つは、今度は私立大学であります。私立大学全般の話ではなくて、これは具体の話でございまして、私立大学、ものつくり大学に関する件。これは、町村前文部大臣のときは平成九年九月から平成十年七月でした。この件は、当時の文部省が扱い始めたのが平成十一年からですので、町村文部大臣当時は、多分この話はまだ文部省に直接に、正式に来ていなかった話ではあります。

 それで、平成十一年の初めごろにたしかこの設立準備財団ができた。言うまでもなくKSD問題が絡んでおりますけれども、設立準備財団ができた。それが文部省の財団に認められた。そこから、いわゆる大学申請、多分平成十一年九月末ぐらいに申請がされたと思うのですね。それで大学審議会等で慎重に検討されて、昨年の後半になってから例のいろいろなKSD問題が出てきて、これはちょっといろいろ考え直さないといけないというので、我が党も、当時の大島文部大臣にもいろいろ御意見を申し上げたわけですが、昨年十二月の末にいわゆる文部大臣認可ということで、本年四月から大学は開校される、こういうことであります。

 その生まれ出た大学についての種々の問題というのは、これは相当時間をかけてやらないといけないので、改めて私はつまびらかにしていろいろお聞きしたいと思っております。

 ただ、この四月からスタートする大学あるいはそこに入ろうとする学生たち、何の責任もないわけです。この人たちは、やはりそういうものを勉強したいということで入ってくるわけで、この四月に技能工芸学部の二つの学科で、多分三百六十人定員だと思いますが、そこで入学者を迎えて、そして新設ものつくり大学がどんな形でこの四月からスタートするのか。

 どんな形というのを、少しイメージできるようにいただきたいのですが、概要のペーパーによれば、設置者というのは学校法人国際技能工芸機構、会長はトヨタ自動車の豊田さん、理事長は元労働省事務次官の清水さん、総長はかの有名な梅原猛先生、学長は前横浜国立大学の野村さんなどとなって、ペーパーでは見ておりますが、この四月から、どんな大学でどんなふうにスタートするんだろうかというイメージがわかるように簡略にちょっと、これは、ちょうど申請時期に総括政務次官であられた河村副大臣にお答えいただきたいと思います。

河村副大臣 この大学の概要については、むしろ藤村委員が今御説明なさったとおりでありますが、学校法人国際技能工芸機構というところでございまして、ものつくり大学という名前になったのは申請の直前であろうと思うのです。総括して、わかりやすい名前、国際技能工芸と言ったってなかなかイメージがわかないということで、そうなったと思います。

 ここには、製造技能工芸学科と建設技能工芸学科というのが置かれておる。日本の物づくりの一番もとだ、日本はそういうことを少しおろそかにしてきておるのではないか、科学技術創造立国とはいえども、そうしたものがまず根幹にあって、その基礎があって初めてそういうことが言えるんだという広い意見。それから、小渕総理のときも、よく懇談会等々でも、最終結論でもそういう形になっております。

 そういうものの中で、物をつくっていく大事さを、そうした人材をつくっていこうという形でスタートすることになったわけで、学校施設なんかを見ても、そうした形のイメージがわくようなものに設計をしていただくということも話を聞いておりますが、そういう形で募集をされているわけで、こういう事件が起きたものでありますから、実際そのイメージが非常に悪くなって、応募をされる学生がいないのではないかという心配もあったわけでございますが、現時点では応募者がそれを上回って、一応人員も確保されつつあるというふうに聞いております。

 ということは、物つくり、いわゆる技能工芸的なもの、建設技能的なもの、そういう日本の製造、この日本の発展は製造業を中心に発展してきた、その基本というものの理解がされておるのだなという思いをいたしておりまして、そういう意味で、まさに物つくりというイメージを大学の中できちっと定着をさせていく、それは今からの努力にかかっておるというふうに思っております。

藤村委員 設立認可の経緯とかその正当性は改めての機会に問うとして、とにかく認可した文部科学省としては、この四月から学生も入ってくるし、ちゃんと当初の目標に向かって歩み出さねばいけないということは責任があると思うのです。

 特に、これは設立の認可のときに、去年暮れの十二月十二日ですか、大学設置・学校法人審議会が、多分これは過去に例のない、認可に当たっての条件などというものをつけて、すごい内容の条件をつけて、さらにこれを約束しますという確約書までとったという非常に異例な認可であったわけですが、その経緯はいいとして、一番重要なのは、この四月からちゃんとやっていけるのでしょうか。確約書を見ますと、すごいことが書いてありまして、要は金が来なくなっちゃうんじゃないかという心配があるわけです。

 平成十三年度、この四月から一年間の大学経営について、収支見積もり、例えば、入学金はこれだけ入ってくる、授業料はこれだけ入ってくる、寄附金はこれだけだという収入の部、それから人件費はこれだけかかる、あるいは運営費はこれだけかかるという大まかな見積もりというのは当然あるでしょうし、新設大学の場合は、多分文部科学省は四年間、つまり完成するまでは相当の責任を持って指導されるわけですから、平成十六年までちゃんと考えられているのかということをお聞きしたいと思います。

河村副大臣 同大学から出てきた創設後の運営費について、これは今委員も御指摘ありましたが、当初三年間の収支を見ますと、まだ支出が収入を上回る赤字状況でございます。しかし、四学年の受け入れが全部、これはあくまでも予定どおりということになりましょうか、完成年度におきましては、学生納付金を中心とする収入が約二十億円入るということになっておりまして、そういうことでいきますと、人件費や教育研究経費などの支出が約十八億四千万円という計算でございますので、収支の均衡が図られるということであります。

 ただ、当初三カ年の支出超過分が累計で六億六千万円出ることになっていますが、これについては、大学が設置認可時に保有している資金というのがございます。初年度の経常費相当額は約九億七千万円ありますが、これで賄うことができるという報告でございまして、そういうことでいけば、この大学はやっていけるということで、そういうふうに我々としては、大学側の努力を待って、学生をきちっと、しっかりPRもしていただいて、物つくりの必要性もしっかり強調していただいて学生を確保していただく、それによってこの大学の経営は成り立つ、このように理解しております。

藤村委員 河村副大臣、今お示しいただいたのはどの時点での計画ですか。つまり、確約書を出したのはつい先日の話ですね、年末の話ですよね。それで、十二月二十六日にそれを受けて文部科学大臣が認可されたんですね。それよりも前の時点の話ではないですか、今のお話は。それとも、その後に提出された三年計画でしょうか。

河村副大臣 私が聞いておりますのは、確約書と同時期に出たものである、今申し上げた数字です。そういうふうに聞いております。

藤村委員 この四月に、三百六十人定員ですね。学生の負担は私立大学ですからそれなりに高いのですが、学生は年間百二十万円の自己負担ですね。大ざっぱな計算をして、確かに年間で五億ぐらい学生から入ってきて、四年積み上げれば二十億だ、それはそれで大体合っていると思う。問題は支出です。支出見積もりがそれで大丈夫なのか。

 つまり、昨年の七月時点で、当時労働省でありますが、平成十三年度の概算要求において十四億六千万円を同大学に向け予算として計上したわけです。ところが、暮れになりまして、それも十二月二十日ですが、暮れの十二月二十日になってこの予算要求を取り下げました。だから、十二月二十日の時点で、それまでは、おおむね十四億六千万がこの四月から労働省予算で面倒を見て、それをそれなりに補助できるという見通しがあったのが、いきなりそこでなくなったわけです。それで、二十六日に確約書を出してきて、認可したわけでしょう。その間にそういう計算ができたのですかね。ちょっとそこをもう一回、収支の見積もりといいますか、大丈夫かということです。

河村副大臣 今藤村委員御指摘の約十四億五千万、引き下げた、これは、さらにこういう施設が欲しいということで、文部科学省は、認可基準規定外の、例えば総合教室等であるとか共同研究所であるとか、ものつくり研究情報センター等々のそうした基準をさらに超えた施設の要望でございましたから、それがもしできなくなるということによっても大学の施設としての欠格条件にはならないし、運営には支障がない、こういうふうに思っております。

藤村委員 ただ、募集要項には、こういう施設の概要から何ができます、何ができますとあって、これとこれはできませんという話は、応募した学生さんにとっては、ちょっとごまかしたような、だましたような、結果としてはそういう話になってしまいますよね。

 それともう一つ、確約書で言われているとおり、KSD関係からの助成が封じられました。一連の事件が解明されるまでの間は、KSD及びその関連団体からの助成及びものつくり大学における教育研究活動への協力や参画は受け入れないこと、これを確約したわけですね。それも十二月の話ですから、十二月十二日の答申の際に出てきたわけですから、それに答えて。

 そうすると、まだ今二月ですけれども、この四月からの開校、これは内部の方は、どうしようかというか、本当にえらく大変になっていないか、あるいはそういう声は聞こえてきていないのか、文部科学省として、大丈夫、やっていけると胸をたたいておっしゃるのかどうか。

河村副大臣 私学のことでございますから、胸をたたいてという、それが言えるかと言われると私も確信を持てないのでありますが、もちろん、今の収支計算、それから学生の確保という、それは大学側の自助努力にもまたなければいけませんし、それによって四年間頑張っていただいて、後は完成すれば私学経常費助成の対象にもなってまいりますから、そういうことによって大学の運営の確保というものはできるであろう、こういうことで認可をしたわけです。

藤村委員 今ちょっと重要なポイントに触れられました。経常費補助の対象になってくるというふうにおっしゃいましたね。

 これはもう一つの例が、町村大臣も予算委員会で答弁されておりましたけれども、もう二つあるわけですね。自治医科大と産業医科大ですね。労働省ということでいけば産業医科大ですよね。産業医科大は、日常のというか、年々の経営について毎年労働省が予算措置をして、それを助成の財団に出し、その財団が学校運営に出していますよね。つまり、このスキームがあってこそ産業医大はちゃんと動いているわけです。

 当然、このものつくり大学もそういうスキームのもとに想定されているわけですね。そのことは、つまり、それがなくなる、さっきの話、平成十三年度、少なくとも労働省は十四億幾らの予算措置は取り下げた、それからもう一つはKSD関係からは一切封じられたとなったときには、これは立ち行かなくなるんじゃないですか。

 つまり、私立大学とおっしゃいましたが、そもそもは全く民間の資金というのは四億か五億の範囲ですからね、つくるに当たっては。だから、当然、毎年の経常費も労働省が、今で言うと厚生労働省が手当てをし、財団をつくり、それでその財団を経由して送るという仕組みを想定していたと思うのですね。

 ちょっと二つ答えていただきたいのは、それがなくなって、では本当に文部科学省は私学助成の対象にして考えるのかということと、いや、そうじゃない、あくまで厚生労働からそれなりにちゃんと年間予算をつくってやるんだ、それが当然だと文部科学省の立場で考えるのか、どっちですか。これは大変な問題になりますよ。

河村副大臣 このものつくり大学が自治医科大学あるいは産業医科大学と違う点は、産業医科大学、自治医科大学は自治省なんかの補助金ということを当時あったと思うのでありますが、これは、労働省は、設立時のことはありますが、それ以降のことについては労働省はしないという方針、そのかわりKSDということがあったと思いますが、今これは閉じております。

 しかし、これは、今から四年間のうちに、一応条件としては、今のこの関係が全部排除されるということが前提ですね。多分、経営の確定した時点では私は可能性としてはある話だろうと思いますが、当面、大学側としては自助努力で頑張っていくということであろうと思います。

藤村委員 ちょっと常識的に、頑張るといっても大変危険性がありますね。

 それでは、そういう話が厚生労働と文部科学の間であるとしたときに、文部科学の範疇の私立大学だとなれば、それなりに私学助成は考えられるけれども、ポイントは、じゃ、いわゆる今までのスキームの私学助成の事業団からやるのか、それとも、大学設立準備財団がありますけれども、これは設立してしまえば一応解散ですよね、改めて支援財団のようなものをつくってそこへ支援する形になるのか。これは全くのほかの普通の私学と同じように文部科学省は考えていらっしゃるのかどうか。

河村副大臣 これは、ほかの私学と同じように、この学校法人に対して経常費を助成する、こういうことになると思います。

藤村委員 済みません、時間がどうも来てしまって、改めてちょっとこれはやらないと心配になってきます。四月から大丈夫かということであります。そこで、非常に性格が今はっきりしてきたのは、産業医科大学のような労働省の所管の私立大学とは違うんだということははっきりしましたので、その線で今後ちょっと質問をしていきたいと思いますが、時間になりましたので、以上で終わります。

 ありがとうございました。

高市委員長 西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 昨日は、予算委員会で教育関係の質疑をさせていただきました。たまたまといいますか、大臣には、大変重要なIOCの視察団に対するごあいさつということで大阪におられましたので、主に森総理に直接お聞きをさせていただきました。大臣は大阪からまたわざわざ部屋にまでお電話をいただいて、恐縮でございました。

 きょうは、実は、昨日時間があればやりたかった部分が若干残っておりまして、その部分と若干のこと、教育改革の関連のことについて御質問を申し上げたいと思います。

 初めに、従来から文部省がずっと唱えておりました教育改革プログラムと、今度新たに出されました新生プランとの整合性について、若干前提を御質問申し上げたいと思います。

 総理の私的諮問機関である教育改革国民会議の報告が昨年末に出ました。それを受けて、一月の二十五日でしたか、文部科学省がすぐに、二十一世紀教育新生プラン、こういう七つの重点戦略を策定いたしました。いささか私どもとしては唐突な部分があるな、こういうふうに思っているわけですが、これまで教育改革の具体的な課題やスケジュールはこの教育改革プログラムで示されてきました。数回の改訂がなされていまして、私が今持っているのが一番新しい改訂で、平成十一年九月の改訂でございます。

 この新生プランとその前の教育改革プログラムとの間にどのような関係、関連性があるのかということを御説明いただきたい、こう思います。また、教育改革プログラムを発展的に新生プランに移行させた、もしくは若干の修正も含めて移行させたということであれば、この整合性について問題がないのかということをまず大臣にお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 教育改革プログラムの方は、当時の橋本総理、六大改革という中の一つとして平成九年一月策定されたわけでございます。当時は小杉文部大臣でございました。これは、内容をごらんいただきますと、教育はもちろんでございますけれども、文化のことあるいはスポーツのこと等々、非常に幅広く触れられておりまして、それを私の大臣のときに四本柱という形で若干集約をさせてもらったわけでございます。

 今回の新生プランでございますけれども、これは、もちろん教育ばかりではございませんが、中心は教育、ほとんどは教育に関することということで、今後のあるべき教育の姿ということで、若干その性格とか位置づけが違っているのかなと思います。

 それから、中身をごらんいただきますと、かなり実は、この教育改革プログラムの方は、当初考えた政策課題が達成をされている部分もございます。例えば、心の教育という中では、心の教室相談員とか、あるいは教科書を新しい指導要領に基づいて編集をしていくとか、あるいは教職員の養成の問題、こうした問題は実はかなり済んできております。

 ただ、全部済んだかというと決してそうじゃございませんで、例えば家庭教育の支援でありますとか、あるいは道徳教育の改善充実、この辺は、指摘はしてあるけれどもまだ道半ばというか、ようやっと緒についたぐらいということで、そうしたものは、引き続きというか、発展的に教育新生プランの方でもう一度取り上げて、大きな政策課題ですよという形で盛り込んできております。

 そのほか、例えば中高一貫教育といったようなものも、プログラムの方には書いてありますけれども、現実はまだ数が至って少ない。これもまた引き続き推進しなければならないということでプランの方に盛り込んでありますとか、あるいは大学・大学院入学資格の弾力化、これはかなりできてきておりますとか、あるいは地方分権の方も、これは分権一括法等でかなりこれも進みましたとか、大学の関係も、できたものできないものいろいろございます。

 そんな形で、かなりの程度済みになったものは落として、重要なもので今後とも引き続きやらなきゃならないものを教育新生プランの方で受け継いで、さらに、教育改革国民会議で御指摘をいただいた十七の大きな項目を、かなり忠実にこのプランの方に受け継がせて、引き取らせてもらった、こういう関係に立つわけであります。ちょっとごちゃごちゃしているかもしれませんが、そういう整理でございます。

西委員 今の大臣の説明、大体わかったんですが、流れとしては、そのままというわけではなしに、特に重要なことは、国民会議の議論がこの新生プランの中にかなり盛り込まれて、新しい項目、もちろん完成したものはそれで落としていくというのは当然のことなんですが、そういう形のものであるというふうに受けとめさせていただいております。そういう意味では、引き継ぎつつも新しい流れが入っている、こういう性格であろうというふうに思います。

 そんな意味で、この新生プランの問題点、まだ十分議論が行き届かない、もちろん、大臣も先ほどから御自身が現場の声を十分政府一丸となって聞きながらというお話をされましたけれども、私どもも与党としてできるだけの努力をしていきたい、こう思っております。

 きのう予算委員会において、総理から、幅広く国民の声を聞いて教育改革を進める、こういうお話をちょうだいいたしました。また、教育改革の方向性としては、地方分権的なシステムを目指すということについて、河村副大臣からも、総理からももちろんお話をいただき、確認をさせていただきました。

 きょうは、教育改革を進めるに当たって、できる限り実態調査、実証的な研究の上に施策を行っていただくこと、そして、その教育改革のあるべき方向性として、学校の教育力の向上を目指すという観点から残りの議論を進めていきたいと思っております。

 アメリカ連邦政府の教育省のホームページがございます。きょうはちょっと一部持ってきたんですが、こんな何枚か、分厚いものなんですが、その中に、クラスサイズ・リダクション・プログラム、学級規模縮小計画という、これがたまたま学級規模縮小計画のホームページなんですが、情報が提供されております。

 これを一例として取り上げたわけですが、そこには、この下にまたずっと項目がございまして、申請方法、国の研究報告、ガイダンス、法制度について、QアンドA、それから、リサーチですから研究報告、こういうふうなそれぞれの項目が、クリックするとそのページに飛ぶという形になっておりまして、その施策の意図それからその実践上の問題点、長所、短所等が非常にわかりやすく資料として提示をされております。また、その施策が非常に合理的に取り扱われている、こういうふうに思います。

 例えば、学級規模縮小の場合には、低学年である一年生から三年生の縮小が有効である、こういうことを実証的に打ち出したりということをしているわけでございます。そういうことについては日本でもぜひ見習っていただきたいというふうに思います。

 さらに、一年生から三年生が有効であるというその効果としては、こういうふうに書かれています。先生から個人的な配慮を受けられる少人数教育をすることによって、三年生までにおいては、一つは、確かな学習基盤を形成できること、二つ目は、自力で読むことを学ぶこと、こういうことがはっきりと効果がある、こういう研究結果がこの中に記されております。

 ちょうど二年前、文教委員会で、今日の教育が抱える課題に対して、国の研究報告をつくって積極的に教育施策に生かしていただけるように提言をさせていただきましたが、それは、さまざまな施策を企画する場合に、文部科学省の説明が実態や研究成果に基づくということがまだまだ少ないというふうに私は思っております。

 特定の学校、特定のクラスを特殊な環境下に置くような研究というのは難しいという考え方が今までにはあったのかもしれませんけれども、そういう意味では、逆に、非常にあいまいな形での政策決定といいますか、方針が打ち出されてきているというふうに思うわけです。先ほどからも、クラスのサイズは小さい方がいいという意見もあれば、大きく、切磋琢磨する方がいいという意見、双方の話があるというようなことを一つ見てもわかるんではないかと思います。

 これまでの教育改革プログラム、今回また新生プラン、こういうことが策定されていくわけですが、本当に実態調査とか研究成果というものが生かされているのかというふうなことを考えますと、十分わからない面がたくさんあります。例えば、一年後に迫ってきている週五日制について実施の環境が本当に整っているのか、また、出席停止という問題が今回の法案にまた出てまいりますけれども、その実態も十分はっきり調査が本格的にできているかといいますと、そうではなさそうな気もいたします。

 現在、私どもも、この児童生徒に大きな影響を及ぼす出席停止について、文部科学省に対して、実態調査を、明らかにするようにということで要請をしているところですが、いずれにしても、文部科学省では、もっとやはり実態をしっかりと把握して、それから研究成果に基づく政策決定、こういう体制をとっていただきたい。また、もしそういうものがあるんであれば、どうしてこの情報が外に出てこないのかということが私は不思議でならないわけでございます。今後そういう方向に努めるつもりなのかどうか、大臣から御答弁をお願いしたい、こう思います。

町村国務大臣 公明党の皆さん方が現場の声、若い方々の声を一生懸命把握する努力をしておられることを、先般も会合で御教示をいただきましたが、そうした御努力に対して、まず心から敬意を払いたいと思っております。

 調査研究が不十分ではないか、また、その内容を公開して政策に結びつけていないんではないかという御指摘をいただきました。先ほど鎌田委員からも同趣旨のお話をいただいたところでございます。

 もとより、きちんとした政策を打ち出すためにはその背景としての実態調査あるいは実証的な研究が必要であることは、これはもう西先生の御指摘のとおりだと思っております。

 私どもも随分いろいろな調査をやっておりまして、例えば、学級崩壊に関する実態調査でありますとか、チームティーチングによる指導効果に関する研究でありますとか、理科離れ、科学技術離れへの対応に関する調査研究、こうしたものは、当然ですが結果を公表しておりまして、こういう形でそれらがまた施策にすべて生かされてきているところでございます。このほかにも数多くございます。

 また、調査研究協力者会議という文部科学省独特の名称で、こんなにつくっていいんだろうかと思うぐらい各局、各課にこの協力者会議がございまして、少し整理合理化したらどうかと私はいつも口を酸っぱくして言うほど調査研究が好きな役所でございますから、かなりそこはやっているつもりでございます。

 さらに、ことしの一月、新しい省庁発足時に、国立教育研究所を改組いたしまして国立教育政策研究所という形にいたしまして、政策の企画立案に資する調査研究機能の一層の充実を図ろうという体制整備も図ったところでございます。

 いずれにいたしましても、先生からの御指摘はまことにごもっともでございますので、今後とも一層調査研究をし、それをまた政策に実現できるように、先ほど御指摘のあったアメリカのケースなど、さすがにプレゼンテーションが上手だなと思って今感心をしていたところでございますが、そうしたことなども大いに参考にさせていただいて、しっかりとやってまいりたいと思います。

西委員 次に、出席停止の問題についてちょっと御議論申し上げたいと思います。

 今回の出席停止の明文化、法律化につきましては、教育改革国民会議で議論がまずなされた、それを受けて法改正を行う、こういうことですが、余り短絡的なことではだめではないか、こう実は私どもは思っております。

 今も党内で種々議論を続けておるわけですが、何よりもまず、学校が出席停止措置を講ずる事態に至らないように一人一人の児童生徒に対してできるだけの予防的な努力を尽くしていただく、ここに主眼がある、こう考えております。したがって、問題行動を起こす児童生徒への対応に懸命に取り組んでいる学校に対して、まず教育委員会、文部科学省がどういう支援策を講じることができるか、ここがやはり肝心なことではないか、こう思っております。

 そういう意味では、新生プランでもこの点に対して、どちらかというと学級崩壊とか、いろいろ学校の問題のすべてが出席停止にどうも集約されているような、法律的にはそうなんでしょうけれども、どうも議論がそこに集約されているような気がしてならないわけでございます。

 例えば、学校が少人数教育をまず実施してみる、個人的なチューター制度を導入する、スクールカウンセラーを活用して児童生徒に相談の機会を与えていく、学校や教育委員会は都道府県の教育委員会に対して教員加配の要請を行えるようにする、また、学校はその加配の教員を活用して個別指導またはチームティーチングなどにより問題解決のために最大限の努力をする、学校評議員を中心に地域の協力体制をまずつくっていく、それから、都道府県の教育委員会は教育相談センターにスタッフを置いたり、NPO法人等の教育相談に取り組む民間組織の支援を積極的に活用する、そんなことなどが具体的に考えられるのではないかというふうに思います。そのことについて、まずお伺いしたい。

 時間の関係で次に行きます。

 同時に、その上で、学校が最大限の努力を払ってもなお出席停止にせざるを得ない、こういうことが起こり得ると思います。そのときには、安易な排除の論理、もう外に出せばいい、こんなことで出席停止が行われたり、または恣意的なことにならないように、市町村の教育委員会や学校の説明責任を明確化するとともに、出席停止要件だけではなくて、出席停止に関する手続についても法律に明記すべきである、こう考えております。

 また、出席停止を超えた場合には、個別指導計画を策定するなど、具体的な対応について明確にすべきである、こう考えておりますが、政府のお考えをお聞かせ願いたいと思います。

河村副大臣 問題を起こす児童生徒への対応についても、今度法律化をするという方向が出ておりますが、法律も出しておるわけでございますが、今、西委員が御指摘いただいたこと、非常に重要な点でありまして、校長がリーダーシップをまず発揮していただいて、各教職員一致協力して、学校運営、生徒の指導に当たっていただく、これはもちろんその前提でございますけれども、今委員が御指摘になりましたように、そのためにまず少人数学級で、やはりわかりやすい授業をやるということが大事だろう。

 それから、やはり少し学習の進度がおくれている人たちには、そういう人たちを中心にしてしっかりやる、それから進んでいる人たちはどんどん進ませるというふうにしませんと、どっちもだめになってしまうということも起きるわけでございます。そのことが、子供たちが不登校になったりとか、あるいはキレるとか、こういうことが指摘されておりますから、そういうことの定数改善をやるということ、これも今回の標準法ということで、法律化させていただく方向でお願いをいたしております。

 また、当然、スクールカウンセラーの配置も必要になってまいります。十三年度予算では、昨年度よりも千五百校ふやしまして、三千七百五十校配置して、教育相談体制を充実させるという方向でございます。これをさらにまだふやしていかなければいかぬ方向であろう、こう思いますし、それから、各学校で、生徒指導教員あるいはチームティーチングのための加配、各県から出てまいります。これは各学校の実態に合わせて加配を決めていかなければならぬ、こう思っております。そのことは、当然進めていかなければいけないことでございます。

 先般の予算委員会、西委員が質問されたときに、森総理が三ツ沢小学校の話を結構時間をとってやられて、先生の時間がなくなった。私もそばにおったのでありますが、あのときは、やはりあの学校は、地域の支援体制が非常によくできているということであったと思います。西委員が御指摘いただいた学校評議員制度、これも地域の協力体制を強めるという意味で大きな意義があるわけでございます。

 それから、教員や学校などが相談できる仕組み、教育センターなんかに専門員を置いたりいたしておりますが、もちろん今、西委員が御指摘になりましたNPOの協力をかりる、そういうものをまたしっかり支援をしていくということも必要になってくるだろう、こう思っておるわけでございまして、今、西委員が御指摘いただいたような総合的な施策の中で学校を支援していく、このことが非常に重要なことだ、こう思っておるわけであります。

 あわせて、もうどうしても出席停止にせざるを得ないという状況が起きたとき、現実には、学校教育法でそれはできることになっておりまして、全国でも何十校か例があるわけでございますが、これはもうどうしてもやらなければいけないときは、その手続等を明確にしていこうということで、今回、学校教育法の法律もお願いしておるわけでございます。

 この場合も、全部排除して、それきりというわけにいきません。その子供たちに対して、もちろんそこに至るまでの経緯というものをやはり公開もすべきところ、また父兄の納得というものも必要であろうと思いますし、やはり要件の明確化、あるいは出席停止期間中の学習をどういうふうに確保していくか、これはきちっとやらなければいけません。そして、今父兄の納得と言いましたが、手続をきちっと明確化する、当然のことだろうというふうに思いますし、また、この出席停止の問題を含めて、学校運営全体をやはり地域や保護者に理解していただくということが必要になってまいります。今申し上げました学校評議員制度もそのためにあるわけでもございます。

 いずれにいたしましても、これからは、ただ学校だけということではなくて、地域全体が学校を守り育てる、地域の教育力といいますか、そういうものをもっと上げる方向で施策を展開していかなければいかぬ、このように考えておるところでございます。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

西委員 続いて、学校教育の縮小化といいますか、難しい言葉でそういうことなのですけれども、ゆとりのことについて御質問申し上げたいと思います。

 近年打ち出されている改革の一つの柱として、週五日制の導入に代表されるゆとりの回復を目指すという方向があります。詰め込み教育の反省に立っているわけでございますけれども、十分な受け皿が考慮されないまま、一方的に改革が先行していくということになりますと、子供たちの自助努力のみに今度は任せていく、こんな制度になりかねないわけでございます。

 ちょうど三年前に、文教委員会において、町村大臣に、週五日制について私が質問させていただいた機会がありますが、大臣も、学校や家庭サイドあるいは地域社会にどのような備えがあるかについて、受け皿の準備をしっかりと充実していかなければならないという御答弁をされました。あれから三年たったわけですけれども、この受け皿をつくっていくというか、支えていく、例えば、ことしの予算に入っております子どもゆめ基金の問題、また子どもプラン、それから先ほど若干totoの事業化の話も出てまいりました。

 そんな意味で、社会における子供たちの受け入れといいますか、学校、社会、家庭が支えていく体制というものが週五日制を目指してぜひとも必要であろう、こう思っているわけですけれども、現在、この地域の受け皿がもう整ったというところまではまだまだいかないというふうに私は考えております。

 予算面でも、今年度からといいますか、この四月からという執行ですし、社会の意識もまだまだそこまではいっていない、こんな気持ちでございます。週五日制がスタートする一年後には、どういう形で整うというふうに見通しをお持ちなのか、大臣の御意見をお聞かせ願いたいと思います。

町村国務大臣 週五日制の受け皿、特に土曜日、日曜日の活用の仕方、大変重要なポイントだと思っております。いろいろな政策が今進んでいる最中であると今先生からもおっしゃっていただきましたとおりでありまして、平成十一年度から三年間で、全国子どもプラン緊急三ケ年戦略という形で、これは関係省庁と連携しながら、地域で子供たちを育てる環境を整備したり、親と子供たちの活動を振興する体制の整備をやっております。

 また、この国会では、社会奉仕体験活動とか自然体験活動、こうしたものの一層の充実を図るための所要の法改正等も準備をさせていただいております。さらに、今御指摘のあった子どもゆめ基金、十三年度発足でございますが、青少年団体が実施をします、地域におきます子供たちの体験活動を促進するための助成金の交付、あるいは読書活動を活発にする、そういう活動をやっている青少年団体への助成などなど、幅広くバラエティーに富んだ施策を展開しております。

 では、それなら一年後に完全に準備できるかと言われると、ちょっと完全とまでは私も言い切るだけの自信はございませんが、引き続き鋭意努力をしていき、一応これならばやれるのかなという姿にまで持っていきたい。

 ただ、それが平成十四年、十五年、十六年かかるかもしれませんが、どんどん整備をしていく。特にスポーツ施設などは、先ほどお話しのスポーツ振興くじの活用といったようなことも、これも十三年度販売して、十四年度から収益金の活用ということになってまいりますから、その分若干時間がかかりますが、しかし、それもまたスポーツという面に関しては一つの有力な手段であろう、こんなふうに考えております。

西委員 時間がなくなってまいりましたので、ちょっと順序が逆転するのですが、最後に一つだけお伺いをしたいと思います。

 先ほどのその件につきましては、もうあと一年というところまで来ております。実際に、子供たちが社会に、土曜日に飛び出すという体制になってまた充実されてくるという側面と両方あるのではないかと思います。いずれにしても、これは非常に大切なことでございますし、社会の形を変えていくというぐらいの取り組みがやはり必要ではないか、大人の意識も変えていくというところで初めて成り立つ話ではないかと思いますので、ぜひとも、大臣におかれましては、精力的に取り組んでいただきたい、このことを御要望申し上げたいと思います。

 最後に、スクールカウンセラーのことについて、一言だけお聞きしたいと思います。

 学校の支援策の関連で、スクールカウンセラーについては、本年度予算で各都道府県、政令指定都市に対して予算補助を行って、この充実に努めようとしております。

 しかし、スクールカウンセラーというのは、臨床心理士、精神科医、心理学等の大学教員という三つの資格を持つ人のだれかが対象になっている、こういう資格要件があります。そう考えてみますと、比較的大きな都市以外はこうしたスクールカウンセラーの資格を持った人が実際にはいないという過疎地の問題がございます。文部科学省としては、この問題についてどのように対処していこうと考えているのかということをお伺いしたいと思います。

 私は、若干資格を拡大していただいて、緩和していただいて適用できないかということを御提案申し上げたいと思います。心理学専攻の大学院生、学校心理士、元先生で適性のある人、こういう人たちがとりあえずは有資格者として支えていただけるようなこと、もちろん若干の講習等も要るかもしれませんが、そんなことで現実のスクールカウンセラーの体制をつくっていただけないかということを最後に御質問申し上げたいと思います。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

町村国務大臣 スクールカウンセラーは大変注目を浴びておりまして、最近これになりたいという方が何か非常に多くなってきたということのようでございます。個々の先生方も、カウンセリングマインドといいましょうか、こういうものを持っていただくことが大変重要だと思いますし、また最近は、大学で教員養成に当たって、そういうカウンセリングの授業を受けて教員免許を取るようにというようなことにもなってきておりますので、大分改善してくるかと思います。

 ただ、当面どうかというと、数が足りない。今全国で六千七百三十二名、臨床心理士の有資格者がいる。現在、スクールカウンセラーを配置している学校数が二千二百五十、一人で何校か持っているようなケースもありますけれども。したがいまして、おっしゃるように、圧倒的に足りないです。

 したがいまして、経過措置として、現在の三つのタイプ、この要件を満たさない方であっても一定の専門性なり経験があればいいのではないかということで、例えば、臨床心理士の資格は有していないけれども、教育や医療その他の関係機関において心理臨床業務や児童生徒に対する相談業務を経験した者など、児童生徒への教育相談とかカウンセリングに関して必要な知識経験を持ち適任と思われる、こういう方については、このスクールカウンセラー事業に携わってもいいですよというふうに少し要件を緩めて対応していきたい、こう思っております。

西委員 以上で終わります。ありがとうございました。

高市委員長 都築譲君。

都築委員 自由党の都築です。

 まず、質疑に先立ちまして、先般の宇和島水産高校のえひめ丸、原潜との衝突事故で被害に遭われた皆様方にお見舞いを申し上げると同時に、まだ行方不明の皆様方やあるいはまた海底に沈んでいる船体の一日も早い回収を祈りたい、こんなふうに思います。

 きょうは青少年の健全育成の問題について文部科学大臣の御見解をお伺いいたしたい、こんなふうに思っておりますが、その前に、実は、総理大臣の、例えば二月六日の施政方針演説に対する代表質問における御答弁の内容とか、あるいはまた文部科学大臣のこの委員会におきます所信表明演説、こういった点について基本的なところを一、二、まずただしてから、青少年健全育成の問題に移っていきたい、こんなふうに思っております。

 一つ、私自身が大変納得できないな、こう思ったのは、総理自身の他党の質問者の方に対する答弁でございましたが、歴史教科書の関係だったと思いますが、その中で、児童生徒が我が国の歴史に対する理解と愛情を深める、そしてまた、民主的、平和的な国家社会の形成者として必要な資質を身につけることを目指して行っている、こういうふうな御答弁がありました。

 この議事録も、実は今のところまだ大分もめているようでございまして、正式に確定したものではないというふうに承知をしておりますし、私自身の受けとめも、ここまで総理大臣がきっちり言われたのかなというふうな、実は記憶違いをしておらなければよいのだがというふうな印象で受けとめました。

 と申しますのも、実は、かなり国家主義的な色彩が前面に出ているのではないか。教育というものが国家を担う人材を養成する、それは一つの真実であるかもしれませんが、その前に、まず人間の存在、人間の発達、こういったものがあって、そして民主的な社会として形成されていく、そういうふうに考える考え方もあるわけでございます。

 私ども自由党は、自由、自立、そしてまた同時に自己責任と連帯ということで、社会的な責任もまたしっかりと果たしていっていただく必要がある、こんなふうに思っておるわけでありまして、そういったことを考えておりましたら、町村大臣の所信表明の冒頭の箇所でございますが、「我が国が目指すべき方向は、主体性を持って国際社会に貢献し、世界から尊敬される、心の豊かな美しい国家の実現であります。」と。

 小渕総理は富国有徳ということを言われていたわけでございますが、今度はまた心の豊かな美しい国家の実現ということで、じゃ国民はどうしたんだ、個人はどうしたんだというふうな思いが私はするわけであります。国家というのはあくまで人工物、この社会全体をどう運営していくのか、そしてそのための手続として、国民主権とか基本的人権、こういったものがまず個人の問題として与えられて、社会運営をどうするかという手続として民主主義といったものがあるわけでございまして、何か国家優先の思想に立っておられるのかなというふうな気がしてならないわけでございまして、まずその点について、大変基本的なことでございますが、文部科学大臣の御見解を承りたい、こんなふうに思います。

町村国務大臣 国家の構成要素というのは、国民と国家主権とそして領土、こう伝統的には言われております。そういう意味で、国民のない国家はないし、また国家のない国民はない、私はそう思っております。

 そう考えたときに、ちょっと森総理の正確な施政方針の言葉を私も今記憶はしておりませんけれども、心豊かな美しい国家を目指そうということはある意味では当たり前のことでありまして、これをもって直ちに国家優先の思想ではないかというのは、ちょっと御指摘が私には納得できないものがあります。

 いずれにしても、教育の目標というのは、創造性に富んだ、豊かな人間性を備えた、体育、徳育、知育のバランスのとれた人間を育てようということを常日ごろ森総理も言っておられますし、私もそう思っております。

 ですから、むしろ、戦後の日本の教育の中で、多分これは、戦前の余りにも国家優先の姿の一つの反作用として、国家あるいは地域社会、いわゆる公というものが非常に後退をして、個人の権利、個人の自由というものがどんどん表へ出てきた。そのことが逆に、国家とか地域社会とかそういったものを、どっちでもいいとは言わないけれども、いわばうんと軽く見ていいんだという、少し行き過ぎた、振り子の振れが少し大きくそっちに振れ過ぎているのではないかと思っております。

 そういう意味で、私は、今回の教育新生プランの中でも、公というものについてもう少しきちんと考え直そう、そういうことをあえて触れているのはそういう意味合いでありまして、別にこれが国家主義であるとか国家優先であるとかいうことではなくて、当然すべての世界じゅうの国民が持っているであろう、バランスのとれた個人と国家の関係を築いていくという観点で基本的に考えていきたい、こう思っております。

都築委員 御趣旨もよくわかるわけでありますが、確かに公の部分が後退し過ぎているということは、私も大変同感だと思いますし、何か自分さえよければよい、あるいは金さえもうかればいい、今さえよければよいという発想でこの世の中を生きていこうとする人たちがふえてきているのではないかということを常に私どもは反省をしなければいけないし、また、特に政治家自身が、国民の代表として選ばれて、この社会全体の運営をどうするのかということを議論する立場であればこそ、そういったものに率先してみずから襟を正していく必要がある、こんなふうに思うわけであります。

 同時に、教育の問題、知育、徳育、体育、こういうふうなお話がございました。バランスがとれるというのは確かに大変いいことでございますけれども、基本的な考え方は、やはり教育というのは、私自身が考えておりますのは、本人が持っている能力とか才能とか、そういったものを最大限に発揮できるように手伝ってやることと、同時に、大人になったときに社会の一員として恥ずかしくないように振る舞える、そういうルールを、学校教育、地域の教育あるいはまた家庭教育、こういった中で教えていくことではないのかな、こんなふうに思うわけであります。

 そういうことを考えますと、先般の成人式の日に随分各地でいろいろな問題が報道されまして、成人式のあり方自体が問われるようなことにもなりました。しかし、子供たちも結局大人の姿を見て育っているのだという意見を言われ、大人たちの姿の反映だと。今学校崩壊、学級崩壊ということが言われているけれども、成人式崩壊というのはもう既に十年ぐらい前から実は起こっておった。私自身も政治家になって成人式に呼ばれて行きまして、本当にびっくりするぐらいがやがやにぎやかであったわけでありまして、そういったことを思うと、今の日本の社会をこれから担っていく若い人材が、皆さん方が、大丈夫なのかなという思いを実はするわけでありまして、そういった意味で、本当に教育の問題を真剣に取り組んでいく必要がある、こんなふうに思うわけであります。

 今、文部科学大臣のお考えを聞かせていただきましたが、同時にもう一つ、私が少し国家主義の色彩が強いのではないかという印象を受けた文言は、所信表明の中におきます中で、「激動の時代の中、子供たちに夢を与え、我が国の明るい未来を切り開いていくことが、新しい文部科学省の使命であると考えております。」と大変立派な文言が並んでおるわけでございます。

 しかし、私自身、子供たちに夢を与えるというのが文部科学省の役目なのだろうか、夢というのは、やはり子供たちが、自分がこうなりたいというものを自発的に心の中ではぐくんで、そしてまたその実現のために努力していく、そういう人間に育っていってもらうように力添えをするのが教育の役目ではないのかなという気がするわけで、これがお国が肯定する夢だからこれをどうぞというふうな発想では、ちょっと違うのではないのかなという印象があったわけであります。

 ちなみに、ちょっと余分なことかもしれませんが、小説で村上何とかさんという方が書かれた「希望の国のエクソダス」というのがありました。今の日本の社会には何でもある、しかし希望だけがない、こういうことで、今の大人の社会を批判する小説を書かれておるわけであります。しかし、希望がないなんということを子供たちが言う、それで学校の反乱が起こるという小説の筋書きであったわけでありますが、希望というもの自身、本当に自分たちが、生活の中で、勉強する中で、遊びの中で、自分たちの希望、あるいはまた夢と置きかえてもいいのかもしれませんが、そういったものを探してくる人間に育ってほしいな、人から希望を与えられ、人から夢を与えられるような人間づくりをまさか文部科学省は目指しているのではないというふうに私は思うわけでありまして、その点について、これは本当に基本中の基本でございますが、町村大臣のお考えをお聞きしたい、こんなふうに思います。

町村国務大臣 今、村上龍さんの「希望の国のエクソダス」のお話がございました。私もあの本を読んで大変、ある種の刺激を受けたものですから、私ごとで恐縮ですが、若干の感想を文芸春秋に書かせていただきました。

 ある意味では、そういう状況が子供たちの中にある、希望を持ち得ない今の日本の国家の姿というものも一面の事実だろうと私も思っております。

 だからこそ、私どもは、個々の子供たちに、あなたはこういう夢を持ちなさいと言うことはもちろんできないし、やるべきでもないと思いますが、夢を持てるような環境づくり、社会づくりというものを心がけていくことはやはり私ども大人の責務であろうし、特に政治家の責務であろう、こう思っているわけであります。

 例えば、毛利さんや若田さんのような宇宙飛行士と話している子供たちは、やはりそこで間違いなく大人によって夢が与えられる。でも、その子たちがみんな宇宙飛行士になるかどうかは別にして、ああ、こういうすばらしい世界があるんだということに気がつくことの重要さ。あるいは、スケートの清水選手であるとかジャンプの船木選手であるとか、あるいは高橋尚子さんのように、こういうスポーツ関係も夢を与える、そういうすばらしい特性を持っておりますし、あるいは芸術なんというのもそうだろうと思います。あるいはノーベル賞をとるというのも一つのシンボリックな意味かもしれません。

 やはりいろいろなところに生きがい、夢というものが感じられる、ただひたすら記憶力、暗記力だけがいいことが何か幸せの一本道だということではないんだということを、いろいろな可能性があるんだよということを子供たちに大人がいかに的確に示すことができるのか、これが大切だろうと思っております。

 したがって、私ども文部科学省だけが唯一夢をはぐくむ機能を持っているというおこがましいことを言うつもりもありませんが、たまたま私どもの所掌分野の中には、科学技術とかスポーツとか芸術とか学問とか、そういうことを担当しているものですから、そうしたことを一生懸命皆さん方に頑張っていただくことが、多分子供たちに夢を与えることにつながるであろう、そういう思いを述べたわけでございます。

 決して国家主義的意識でこの文章を書いたことではないということは御理解いただきたいと思います。

都築委員 御答弁を聞いて安心をいたしました、大変失礼を申し上げましたが。

 それで、夢を自分で見出して、そしてはぐくみそれを実現するために努力をしていく、そういう動機をしっかりと踏まえた子供たちは、それでいろいろな人間の関係を築きながら自分で自分の人生を切り開いていくことのスタート台に立つことができるだろう、こう思うわけであります。

 ただ、一方で、そういったものに十分恵まれない子供たちもいて、問題を起こす行動に走ってしまう、そういった子供たちもおるわけでございます。そういった問題行動が最近の新聞報道でも連日のごとく非常に取り上げられておるわけでございまして、心を痛める大人の皆さんたちがたくさんいる。

 同時にまた、本当に青少年が健やかに育ってもらうためにはどうしたらいいのだろうかということで、行政も真剣に取り組んでいかなければいけない課題だろう、こう思うわけであります。

 私自身の大変つたない経験でありますが、実は、地元の西尾市という町がございますが、そこは以前から剣道で有名でございました。先般、中部日本剣道大会というのが、全国から百二十七チームばかり参加をいたしまして盛大に開催をされました。私も、来賓ということで呼ばれて出席をして、入場行進などを見ておりましたら、実は女性のチームもあって、それで片や屈強な男性のチームもずらっと並んでおって、一緒にやるんですかと役員の人に聞いたら、一緒にやるんです、こういうお話でございましたし、また、壮年の部それからまた青少年の部というふうな形で、随分いろいろな年齢層で構成されるチームもある。

 こんなことを見ておりますと、そしてまた非常に大切なことでありますが、その準備の段階なども、会が始まるまでの動きなどを見ておりますと、非常に皆さん礼儀正しく、また誠実できびきびとしておりまして、大会に出てくるに当たって大変な修練をし、刻苦勉励をしてこられた方たちばかりなのかな、こう思うと、何か今の日本の社会で失われつつある日本人のよい特質、国民性といいますか、そういったものがここにはあるのではないのかなということに思い至ったわけであります。

 そうすると、あたりを見回してみると、今申し上げたようにお年寄りの方がおられるし、また壮年、若者がいるし、さらにまた子供たちもお手伝いという形で入場行進を手伝ったりしている。そして男の人も女の人もいる。これが実は社会の当たり前の姿でありまして、そういった当たり前の中で今までは日本のよい文化あるいは伝統、国民性、こういったものが引き継がれていったのかなということを思い起こしました。

 剣道ということですから、あと柔道とか茶道とか華道とか、あるいはまた書道、こういったものはどうなのかと思えば、大体そこには社会をそのまま縮図にしたような老若男女のグループがいて、いろいろなものが文化として、伝統として、経験として、知識として上の世代から若い世代に引き継がれていく。そしてまた、そんな中で、若い世代が上の人に対して、年長者に対して、あるいはまた他人に対して礼節を持って接していく、そういうものが自然に営まれているのではないのかなということを感じたわけでございます。

 文部省の方にお聞きをいたしましたら、そういった伝統的なスポーツ、剣道はやはり百十五万人の剣道連盟の競技人口がある、柔道の場合は約十八万人、空手道の場合は約三万人というふうなことのようでございます。それからまた、茶道、書道、華道ということになりますと、もうそれこそ百万人とか一千万人とも言われる単位になるということを聞きますと、今まで日本の文化、芸術あるいはまたスポーツ、こういうふうに言われていたものがもっとしっかりと教育の中で取り上げられていく必要があるのではないか。

 例えば、父親が一つのことをやっていると、それを子供に引き継ぐのは大変自然なことであります。同時に、母親がお花やお茶をやっていたら、娘さんがそれをやっていくというのも非常に自然なことです。ただ、世の中にはそういったことを習わなかった、そういう家庭環境に育たなかった人たちが父親になったり母親になったりしているケースも間々ある。そんな中で、その家庭に生まれた子供が一体どういうところでそういう新しい文化とか芸術とかスポーツに触発をされるのか。なかなかそれは機会がないわけでありますが、一番身近にあるのは学校教育の中の例えば部活とかそういった活動、あるいはまた、企業の中に入って企業の中の余暇活動としてのスポーツ部、あるいはまた茶道部、華道部、書道部、こんな活動もあるだろうと思うわけであります。

 こういった問題について、ぜひもっとたくさんの人が、何でも強制的にというわけではないんですが、結局、触発をしてそういったものに関心を持ってもらうということが教育としては何よりも大切ではないのかな。本人があとやる気を出す、出さない、それは本人の問題であろう、こう思うわけでありまして、そういった問題について文部大臣がどうお考えになっておられるのか、それから、これからまたどういうふうにお取り組みになっていかれるのか、ぜひその御見解をお聞き申し上げたい、こんなふうに思うわけであります。

町村国務大臣 都築委員御指摘の日本古来からの伝えられております礼儀とか勤勉とか思いやり、こうしたものをしっかりと次の世代へ伝えていくこと、この重要性は御指摘のとおりであろう、こう思っております。

 例えば、お茶、お花、柔道等の例示がございましたが、柔道や剣道などの武道は、これは中学校、高等学校の体育の時間でやっておりますし、また多くの学校では部活動もございます。また、中学校、高等学校では茶道、華道の部活動というのもかなり見受けられるところであります。また、文部科学省では、従来から運動部の活動への指導者派遣というのはお手伝いをしておりましたけれども、十三年度からは、新たに茶道等の文化活動についても指導者を派遣する事業に若干の補助を出すといったようなことも始めたいな、こう思って予算審議をお願いしているところであります。

 さらに、文化庁でありますけれども、十三年度の予算の中では、拠点の地域で伝統文化活動、お神楽でありますとかいろいろありますが、そうしたものを支援して、ふるさと文化再興事業という形で地域における伝統文化の活性化を図るというようなことも始めたいな、こう思っております。

 さらに、これは後援、支援ということですが、書道とか茶道の全国大会あるいは展覧会といったようなものについて後援名義を差し上げるといったような、ささやかではございますがお手伝いもする。

 いずれにいたしましても、できるだけこうした伝統的な茶道、華道、書道、柔道、剣道、こうした道と特につくもの、単なるフラワーアレンジメントではなくて華道というところにやはり独特の意味合いがあるんだろうな、それをぜひ大切にしていきたい、私はこう思っております。

都築委員 フラワーアレンジメントというのが、それも私は正直申し上げて、お年寄りから子供まで、また女の子が多いのかもしれませんが、男性も一緒に参加してやるというようなことであれば、そういう活動は非常にいいだろう、こう思うわけです。

 私がこの質問を申し上げた趣旨は、今子供たちが、先ほどの夢とか希望、将来に対する不安、こういったもので犯罪に走ったり非行に走ったり、いろいろな問題が指摘をされております。同時に、ふだんの生活の中でも、例えば電車の中で大またを開いて座っていたり、お年寄りが来ても席を譲らなかったり、あるいは道路につばを吐いたり、いろいろな本来人間としては守らなければいけない最低限のルールさえ、道徳さえ守られていないのではないか、こういう状況がいろいろと指摘をされておりますが、一番大切なのは、今、何か子供たちが子供たちの世界だけで成熟をするような家庭環境、地域の環境、あるいはまた教育の環境といったものがあるのではないのかなというふうな気がいたしております。

 私の、それこそ四十年、あるいはもっと前かもしれませんが、思い起こしてみますと、やはり家庭の中では、それこそ貧しい時代でありましたから、母親の買い物を手伝ったり、あるいは掃除を手伝ったり、洗濯を手伝ったり、御飯をつくるのは余り手伝ったことはありませんけれども、あるいはまたふろのまきをくべたり、そういう家庭の中で家事手伝いというのがいろいろな作業としてあった。あるいはまた地域でいってみますと、学校ぐるみで、廃品回収とかいって、リヤカーを引っ張って新聞紙を集めたり古瓶を集めたり、そういったことをやって、大人の皆さんと一緒に話したり作業をする機会があったわけであります。

 一番大切なのは、やはり大人の人と子供が一緒に作業をやって、お互いに力を合わせて実はこの社会をつくっていく、そういう中で、子供は大人から、言葉遣いをどういうふうにするのか、あるいはまたどういう礼儀を持って接するのか、そして同時に、逆にいい仕事をすると、よくやったねといって褒めてもらって、その存在感をわずかでも認めてもらう。これが実際に、例えば農家の皆さんあるいはまた商店の子供たちであれば、それこそ当然、六月の農繁期とかそういった時期には、自分もある程度大きくなったら労働力として、また商店でも、お父ちゃん、お母ちゃんが食事をしているときは自分が店番をするとか、そういう形で手伝いながら大きくなっていったんだろう、こう思うわけであります。

 ところが、今や、何か受験勉強さえやっていればいいんだ、あと外へ出て問題を起こさないように、家の中に入ってテレビを見るか、漫画を読むか、あるいはまたゲームでもやっているか、こんな感じで、余りにも人間の関係がまず家庭の中でも非常に希薄になっているのではないか、ましてや地域だと物すごく希薄になってきているのではないか、実はそんな思いがするわけです。だから、そういったものをすべて学校教育が責任を持ってやれなんということはとても言えるわけではないし、学校教育の役割の限界といったものもあるだろう、私はこう思うわけであります。

 今回、家庭や地域の教育力の向上のために法改正をするのだ、こういうお話がございました。本当に文部科学省として、あるいは学校教育行政を預かりながら、あるいはまた地域の社会教育、こういったものを担当しながら、具体策としてどういう取り組みをされていくのか。その中で、大人と子供の共同作業というか、共同の体験の中で交流をしていく、そういうものにどれだけの重点を置いて取り組んでいかれるのか、その点についてお考えをお聞かせいただきたい、こんなふうに思います。

町村国務大臣 家庭教育また地域における教育の重要性の御指摘をいただきました。

 私も三年前、文部大臣を務めたときに、どれが重要だと比較することはできないのですけれども、家庭教育の重要性が言われている割にはほとんど何もやっていないなということを改めて認識いたしました。実際、家庭の中にまで政治やら行政が土足で入っていくということは避けなければならない、そこはやはり最もプライベートな部分であろう、そういうことで、余りにも何もしてこなさ過ぎたのではないのかなと思うのです。

 そう思ったものですから、実は補正予算までお願いをしまして、家庭教育手帳とか家庭教育ノートというのをつくりまして、女性が妊娠をしたときに母子手帳を保健所へ行ってもらいますが、そのときに一緒に手帳を渡してもらう。あるいは、一歳半の健診、三歳の健診、就学前健診、こういった折にその家庭教育手帳を渡し、それから小学校、中学校のすべての保護者にそれを渡して、もちろんそれを全部そうしなさいというわけではないけれども、御家庭で、お母さんだけではなくてお父さんも一緒になって、その中に書いてあることを自分の育児に照らしてみて考える材料にしてくださいということをやったのです。

 別にそんなに難しいことが書いてあるわけではありません。子供を悪くしたいのならば子供が欲しいというものを全部買い与えなさいとか、朝起きたらちゃんと一緒に家族で朝御飯を食べて、みんなであいさつしてから学校に行こうとか、そんなことは文部大臣に言われなくたってわかっていると言われても、現実に朝御飯も食べずに、家で一言も言葉を交わさずに学校へ行ってしまう子が二割も三割もいるといったような事実があるものですから、そういうごくごく当たり前のことを書いたものを今お配りするということにしております。

 どうも配るだけでは不十分だろうということで、平成十三年度予算の中で、子育て講座、子育て学習というものを、各市町村の教育委員会と厚生省と一緒になりまして、それを少しく人生の先輩あるいは青少年のリーダー格の人がそういう若いお父さん、お母さんにそうしたものを少し考える材料をちょっと話をしてもらう、こんなことまでやろうとしております。

 また、法改正のお話に触れていただきましたけれども、家庭教育に関する学習機会の提供の充実あるいは社会奉仕体験活動など、地域における青少年のさまざまな体験活動を充実したりすることができますように、家庭や地域の教育力向上に関する社会教育行政の体制を整備するための法律案をこの国会に出そうということにしております。

 ただ、法律を改正したから急にそういうものが目に見えて飛躍的によくなるというわけではなくて、要は、それに携わるお父さん、お母さんあるいは地域社会の人たちの気持ち、意識というものが一歩でも二歩でも前進すれば、きっと少しずつ家庭の教育力、地域の教育力が向上してくるのではなかろうかなということを期待しての政策であることは言うまでもないことであります。

都築委員 私も、質問をしておりまして、大変自己矛盾に陥っているなという思いがしてしまうわけでありまして、今大臣が言われたように、やはり個人の自由とか個人のプライバシーとか、そういったものを考えると、本当に行政がそんなに心の中や家庭の中にまで入っていっていいのかという思いもするわけでありますが、そういった難しい状況の中であるいはまた条件の中で、ぜひお取り組みをお願いしたい、こんなふうに思っております。

 もう一つは、実は、大人と子供の共同作業という観点からいくと、それぞれに宗教というものは違うわけでありますが、それでも宗教といったものが、人間の命のとうとさや、あるいはまた祖先に対する尊敬の念や、そういったものをはぐくんでくることは事実でありますし、私も小さいころ、御飯が炊けたら小さな御飯を仏壇に供えて、ろうそくを立て、線香を上げて、そして鈴をたたく、こういうことが日課でありました。

 都市化とかあるいはまた核家族化とか、そういう中で、今そういう活動を、例えば東京とか名古屋とか大阪とか、そういう人口が過密な地域、大都市地域では、そういった作業を毎日毎日やっている家庭というのはほとんど少ないのではないのかなという思いがいたしますが、そういったものをはぐくむ意味でも、私は、宗教といったものを大切にしていく必要があるのではないか、どの宗派とかそういった問題は全く別でありますけれども。

 そういう点について、これまた本当に、心の問題、価値観の問題、あるいはまた自分の信教の自由の問題、こういうことにかかわってくるわけでございますが、こういった問題について、本当はもっと民間の団体の中で大きな動きといいますか、そういったものがあればいいのですが、これまた、先ほど大臣が言われたように、戦前の反省が余りにも大きくて、何か失われてしまったものもまた大きくなってしまったのではないか、そんな思いがするわけであります。

 この宗教の問題、教育基本法の中に書いてございますし、私ども自由党も、この教育基本法のあり方を、伝統的な価値観とか、あるいはまたそういった問題について含めて取り上げていきたい、こんなふうに考えております。

 大臣の御見解を、もしおありでしたらお聞きして、質問を終わりたいと思います。

町村国務大臣 教育基本法の中にも宗教に関する規定がございます、ごく当たり前のことですが、公教育の場で特定の宗派のプロパガンダをやってはいけませんと。

 しかし、宗教に関する理解を深めたり、宗教的情操を養ったり、あるいは、自分よりもはるかに超越したものが世界にはあるんだ、世の中にはあるんだということを身をもって感ずるということはとても大切なことでございまして、そのようなことを、学校教育の中で宗教には触れてはいけないということで、余りにも、あつものに懲りてなますを吹くというような感じで、およそ宗教的なことを一切話題にもしないというのは、私は、今の学校教育、そこは少し行き過ぎた部分じゃないのかなと思っておりまして、適切な宗教に関する学習というものはやはりそれぞれの学校教育の中でも行われてしかるべきであろう、私はこう思っております。家庭の中においてはもとよりでございます。

都築委員 終わります。

高市委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 まず、ハワイ・ホノルル沖で発生しました、愛媛県立宇和島水産高校実習船えひめ丸が米原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、沈没したという痛ましい事故について、被害を受けた皆様及び関係者の方々に心からお見舞い申し上げますとともに、今なお行方不明となっておられる方々の早期発見を願うものでございます。

 米原子力潜水艦側の理不尽さが次々明るみに出ておりますから、原因究明とともに、えひめ丸の引き揚げに全力を挙げていただくことを、まず町村文部科学大臣にお願いいたします。

 この件につきましては、本委員会において集中的な審議の機会があろうかと思いますので、具体にはその際質問したいと思います。

 最初に、一問、大臣にぜひ伺っておきたいことがございます。

 父母、祖父母を敬愛し、進んで家事の手伝いなどをして家族の役に立つ喜びを知る、約束や社会の決まりを守り、公徳心を持つ、このように道徳教育のあり方を説き、現場で道徳教育がなされていない、道徳教育省をつくれと迫ったのが、KSD汚職で逮捕された小山孝雄前参議院議員でした。

 国会で道徳教育の強化を説き、一方で、KSDからわいろを受け取り受託収賄罪で逮捕される、これこそ不道徳きわまりない、教育を語る資格なしと断ぜざるを得ないと思いますが、文部大臣、どのような感想をお持ちでしょうか。

町村国務大臣 小山議員の行動について、もう既に司法の段階に入っていることでありましょうから、私があれこれ申し上げるのは避けたい、こう思いますが、彼がどういうことをやったかというのは、もちろん、それは逮捕されるという事態だから、不適切だということはもう言うまでもないことだと思いますが、彼が道徳の重要性を説いたからそこに大変な矛盾があるだろうと言われればそのとおりですけれども、しかし、道徳教育の重要性が、小山さんが言ったから道徳教育が何かどうでもよくなったのだということとはまた話が全然別なんだろうな、こう思います。

石井(郁)委員 どうも歯切れの悪い御答弁かなと思いますけれども、実はその小山氏が道徳教育の強化とともに熱心だったのが、今問題となっている新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の検定と採択問題だったのです。小山氏は、自民党の教育改革実施本部の教科書に関する分科会の座長を務めていました。また、つくる会と一体となった日本会議国会議員懇談会の事務局長でした。

 そこで、私はこのつくる会発行の教科書をめぐってお聞きをしたいと思っているのです。

 まず見過ごせないのが、教科書の採択をめぐって、小山質問に対する文部省の迎合的とも言える答弁があります。これは、昨年の八月の八日に、小山議員はこういう質問をされています。教科書採択に関しましては平成二年の文部省通知が出されており、これは教育委員会の専権事項であると、こういうふうにしているわけでございますが、実際は学校票であるとか、あるいは単なる諮問機関にすぎない選定委員会による絞り込み等、こういう用語ですが、教育委員会の権限を空洞化させる慣行がまかり通っている、教育委員会の権限において、責任において作業が進められるように願うという質問なんですね。

 それに答えて、当時大島文部大臣はこういう御答弁でございます。教科書選定については、毅然として教育委員会の判断で行うことが当然だろうと思いますし、間違っても組合の意見によってとか、そういうことがあってはならぬことだと思っております、平成二年の初中局長の通知がございます、この基本は一切変わっておりません、こういう御答弁が、現場の教員をこの選定作業から排除していくという運動の根拠になっているのですね。

 そこで、お聞きしたいのです。平成二年以降、実は平成九年、一九九七年九月十一日には「教科書採択の改善について」という通知が出されているわけです。それによりますと、教科書選定に当たっては教員のかかわりについてはどう述べているのでしょうか、ちょっとお聞かせください。

町村国務大臣 何か小山さんが言ったことはすべて悪いことだという前提に立っての御意見のようにもうかがえるのですが、小山さんがやったことを私は何ら正当化するつもりもありませんが、しかし、だからといって、国会の中で小山さんが言ったこと、発言したこと、それが全部間違っているというのはちょっといかがかと思います。

 そういう前提の上に立って、平成九年の通知のお尋ねがございました。

 これは、行革委員会の平成八年の意見を踏まえた上で、その行革委員会の意見というのは何かというと、結論的に言うと、当面、現在の共同採択制度においても、教科書の採択の調査研究に当たる教員の数がふえることは望ましく、各地域の実情に応じつつ、現在三郡市程度が平均となっている採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善を図るべきでありますということを、この平成九年九月十一日の局長通知では引用しているところでございます。

石井(郁)委員 肝心の内容のところが言及されておりませんので、ちょっと私の方から述べますと、この教科書採択の改善という通知では、今大臣が、行革委員会「規制緩和の推進に関する意見」で提言されているという、その行革委員会の意見の趣旨を踏まえて教科書採択制度の改善に引き続き努められるようにということなんですけれども、この行政改革委員会の教科書採択制度による意見、ここが重要だと思うのですね。

 それは九六年十二月十六日に出されていますけれども、こう述べています。公立学校においても学校単位でみずからの教育課程に合わせて教科書を採択する意義をより重視すべきである、将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要がある、このような観点に立って、当面、現在の共同採択制度においても、教科書の採択の調査研究に当たる教員の数がふえるのは望ましい、採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善を図ることとしている。

 ですから、この九七年通知の立場に立てば、現場教員をやはりもっと関与させるべきだというか、関与させていいのだということを言っているのじゃありませんか。この点をまず明確にしていただきたいというふうに思います。

町村国務大臣 ただ、大島大臣が、八月八日、小山議員の質問に対して答えたこと、すなわち、教科書の採択は教育委員会の判断と責任で行うという、この基本はもちろん踏まえなければならない、組合の意見などによって決まるようなことがあってはならないという趣旨の答弁を当時の大島文部大臣がやっておられるわけでありまして、私も、教科書採択に関する教育委員会の責任が不明確になるようなことがあってはならない、こう考えている次第であります。

石井(郁)委員 今そのことを尋ねているのじゃないのですよね。

 では、もう一つ申し上げましょう。同時に、九七年三月二十八日は「規制緩和推進計画の再改定について」という閣議決定がなされています。ここでも教科書の採択制度をどのように述べているでしょうか。

町村国務大臣 平成十年三月三十一日閣議決定、規制緩和推進三カ年計画、教科書採択について、措置内容は、「将来的には学校単位の採択に向けて法的整備を含めて検討していくという必要があるとの観点に立ち、採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について、フォローアップを図りながら都道府県の取り組みを引き続き促す。」こう書いてございます。

石井(郁)委員 私はやはり肝心のことをきちっとお述べになっていらっしゃらないと思うのですけれども、ここでも、将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立って、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化、採択方法の工夫改善について都道府県の取り組みを促すということなんです。

 私がお尋ねしているのは、もう大臣はよく御存じのとおりでありまして、より多くの教員の意向が反映されるように、学校単位の採択も将来必要なんだ、そういう方向に進めなきゃいけないんだ、こう言っているわけでしょう。この閣議決定からしますと、昨年の小山議員に対する大島大臣の御答弁というのは全然違うじゃないですか。この趣旨に反するじゃないですか。

 私は、教育委員会がやるべきことを否定してはいません。問題は、より多くの教員の声がどう反映されるか、その道を開くのかどうか、その閣議決定どおり、九七年の通知どおりに文部省がちゃんと指導されるのかどうか、ここをお尋ねしているのです。

町村国務大臣 したがいまして、教科書の採択の調査研究に当たる教員の数がふえるのが望ましい、こう言っているわけですが、そのことと、採択の権限、今まさに委員がお触れになったように、教育委員会が採択の権限を持っているということとはやはり分けて考えなければいけないということを申し上げたわけであります。

石井(郁)委員 大島文部大臣は、本当に違うのですよ。平成二年の初中局長の通知でやりなさいと言っているのですね。しかし、その後、九七年、新しい通知になっているじゃないですか。また、閣議決定の方向で事が進んでいるじゃないですか。だから、この立場に文部省が立つのか立たないのかということを私は尋ねているのです。ここは大事なところですよ。

 それで、さっきの小山議員の質問に戻りますと、要するに、学校票なんかをまとめるのは問題だ、やめるべきだという質問なんですよ。そのように促しているわけです。学校票というのは、学校単位あるいは現場の教員の意見が反映される、そういう問題でしょう。だから、こういう文部省のスタンスというか、お考えを今後おとりになるのかどうか、ここは大変大事なところだと思うのですね。

町村国務大臣 いや、大島文部大臣は何ら間違ったことを言っているわけじゃなくて、組合の意見によって教科書が決定されてはならない、決定権限は教育委員会にあるのですよということを言っているのであって、別に大島さんが間違ったことを言っていると私は思っておりませんし、平成二年の考えも間違っているとは思っておりません。

石井(郁)委員 私は、九七年の通知と九七年の閣議決定からすると、大島大臣の答弁というのはその趣旨に反するというふうに考えるわけですが、そのことではもう言いません。少なくとも、九七年の通知、この実施の方向で文部省は進みますか、これだけははっきりお答えください。九七年の通知の方向で実施されますか、今後教科書の採択について。あるいは、閣議決定の方向で進みますか。閣議決定まで否定されたら大変だと思うのですが、そこははっきり御答弁ください。

町村国務大臣 九七年というのは平成九年ですね。先ほど来申し上げておりますように、大島さんが言ったのは、決定権限は教育委員会にありますよという、そのことは石井委員もお認めになった。ただ、その際にどういう形で意見をいろいろな方から聞くかということについて閣議決定がある、こういうことでございます。

石井(郁)委員 私は、教科書を使うのは教員ですから、現場の意見を尊重する、反映させるというのが本当に教科書採択の上で必要なことだと思うのですね。その道をちゃんと保障するのかどうか、それは九七年の通知の精神、趣旨でもあり、閣議決定でもある。皆さん、閣議決定じゃないですか、それをきちんとやってもらいたい、ゆがめては困るということを申し上げているわけであります。

 さて、次の問題は、この新しい教科書をつくる会の検定問題なんですね。この教科書の検定をめぐっては、中国外務省報道局長の二月二十二日の記者会見というのがございました。侵略の歴史を美化するいかなる教科書も登場することを阻止し、切に中日関係の大局を希望する。また、韓国放送公社によると、外交通商相は二十一日、この問題の処理を間違えば、韓日友好関係に大きな傷をつけるおそれがある、正しい歴史認識をもとに、必ず円満に解決する必要があると強調したと伝えられています。何か韓国では、公式見解としてこういう教科書問題にこのような見解を発表したというのは初めてだというふうに言われています。続いて、二十一日には韓国国会の教育委員会が、歪曲された教科書とそれを支持する一部日本の政治家のたび重なる妄言がアジアと日本の新世代の間に新たな葛藤を呼び起こすことを憂慮する、この声明を採択しています。

 教科書問題でいえば、一九八二年、大変な問題になりました。国会でも議論になりました。このときに、検定基準に、近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていることという一項、有名な近隣諸国条項というのがあるのですけれども、私は、今の事態というのは、まさにこの検定基準に反しているから、アジア諸国から批判が上がっているというふうに思うわけであります。

 これは外務省に伺います。こういう意見について、内政干渉だ、つまり、中国、韓国などから寄せられる意見に対して内政干渉だと書いている新聞も一部ございますけれども、これは一体内政干渉と言えるのかどうか、外務省の見解。

槙田政府参考人 内政干渉というものについては、いろいろな経緯もあるのだろうと思いますけれども、一般には、国際法上、他の国家が自由に処理し得るとされている事項に立ち入って、強制的にその国を自国の意思に従わせようとすることというふうに解されておると思います。命令的な関与であるとか命令的な介入であるとかというふうにも言うのかと思いますが、そういう概念に照らし合わせまして、最近、中国あるいは韓国から表明されておりますところの関心あるいは懸念といったものを内政干渉と断ずることができるかということにつきましては、私どもとしましては、これが内政干渉であるというふうに認識するには無理があるというふうに考えております。

石井(郁)委員 歴史認識の問題ですから、各国でいろいろ違うこともあるだろうと思うのですね。しかし、今起こっている問題というのは、日本の侵略戦争、それからこの戦争がアジア諸国に与えた影響、これをどう見るのかという問題をめぐって起こっているわけです。だから、こういう問題は、本当に各国の話し合いが大事だし、きちんとそういう議論の上で解決していくということが大事であります。

 重ねて、最後に大臣に伺いますけれども、教科書検定に当たっては、先ほど申し上げました近隣諸国条項、繰り返しますけれども、近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史事象の扱いには国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること、これを今後とも、まさに今が大変重要な瞬間なんですけれども、尊重して厳正に対処していくということでよろしいですね。大臣の明快な答弁をお願いしたいと思います。

町村国務大臣 教科書検定というのは常に厳正に行われているものでございまして、その検定基準の中に、今御指摘の近隣諸国条項があることもまた事実でございます。現在、その厳正な検定を今まさに行っている最中である、かように現状を認識しております。

石井(郁)委員 どうもありがとうございました。見守りたいというふうに私は思っています。大変重要な瞬間です。

 きょうはもう一点、学力の危機的な状況と私たちは認識していますけれども、この学力問題、各方面から指摘をされ、文部省の側からもいろいろな見解、一定の見解が述べられておりますので、少し確かめておきたいというふうに思います。

 午前中に鎌田委員からもこの問題での言及がありましたし、一定の回答もあったかというふうに思うのですけれども、今国会に出されている教育改革関連法案、この法案は、教育改革国民会議に基づいて出されてきたというふうに伺っていますけれども、この教育改革国民会議では、学力問題を本当にそのものとして議論したという形跡はどうもうかがえないわけですね。

 そういう中で、これはぜひ、今の問題そして今後の問題として、重ねて文部大臣の認識をまず伺いたいのですけれども、先ほども、今の子供たちは、本当にわからない、それから嫌いだ、そういう子供たちが多数だという、七五三という数字やらいろいろありましたし、これは文部省自身の調査でもあり、国際的な調査でも裏づけられていることでもあり、やはり本当に深刻な実態だというふうに思うのですね。そういう点で、まず大臣の御認識を重ねて伺っておきたいと思います。

町村国務大臣 これは、学力低下が本当に起きているのかどうかということを今の時点で実証するものが必ずしも十分ではないと思っております。IEAの国際調査でも、確かに順位は若干下がってはきておりますけれども、同じような設問についての正答率が下がってきているわけでもないといったようなことはあるのです。

 ただ、さはさりながら、いろいろな点で心配があるよと言われれば、私もそれは心配だと言わざるを得ませんし、そんなに安閑としていられる状態でもないだろう。だから、まず実情をきっちり把握しようということで、平成十三年度、十四年度に、全国的なかなり大規模な学力の調査をしようということをまず考えております。

 しかし、いずれにしても、今委員御指摘のように、まあまあの成績かもしれないけれども、その科目が好きではないとか、それに関する職業につきたくない、なぜそうなるのだろうかというあたりは、今追加的に調べなければと思っております。

 例えば、理科とか、数学もそうでしょうが、ある意味では、理科の実験をやると、この薬品とこれを二つ入れると色がぱっと変わるとか、そんな単純なことを言っちゃいけませんが、おもしろいんですね。本来おもしろいんだけれども、それをペーパーワークで暗記しようと思うと、これはなかなかおもしろいとは言えない。何と何をまぜればどうなるなんということは、暗記しようと思ったら、とてもおもしろくない。生物でも、なぜ球根を冬に植えると春先に花が咲くかと考えたら、こんな不思議なことはない。やはり、そういうことに素朴な疑問を持ちながら学んでいくということで、初めて楽しさというものもわいてくるんだろうと思うんです。

 こんなにおもしろいことが、なぜ、つまらない、嫌だ、嫌いだということになっていくのかというあたり、本当にもう少し詰めて考えなければいけないと思いますし、大変大きな問題で、率直に言って、なぜ嫌いになるかというところをよくよく解明をする努力もしていかなければいけないな、こう思ってはおります。

石井(郁)委員 日本数学教育学会が行った調査がありまして、それによりますと、算数が好きな子供、小学校一年では五五%なんですね。学年が進行するにつれて下がって、六年生になりますと三四%だと。それから、逆に嫌いだという子供は、小学校一年で九%だったのが、六年生になりますと三一%ですね。だから、やればやるほど嫌いになる、一生懸命勉強すればするほど嫌いになる、点数がよくても勉強は嫌いだという問題が一つ、今の日本の子供の学力の実態があるんですね。

 私も、算数などの教師、現場の先生からもちょっと伺ってみたんですけれども、やはり、日本の子供は計算はよくできるけれども応用力がつかないという話もありますけれども、深刻なのが文章題だと。文章題、つまり、文章で説明してある問題を数式化する、あるいは、ある事柄を文章であらわすとかいうことなんですけれども、そういう文章題の正答率は三九%だということで、極端に低くなっているわけですね。文章を読むとか場面について考えるということ自体を拒絶している。だから、本当に能力としてないとかあるとかじゃなくて、もうその問題はあきらめてしまう、やろうとしない、どうもそういう傾向があるんじゃないかというふうに言われているんですね。

 それはいろいろなことから出てくることだとは思うんですけれども、これについて、ある学者が、好きでもないし大切とも思えないけれども、今はただ試験のためにやるしかない、ましてや将来科学を仕事になどしたくもないというのが日本の子供の姿なんだと。ここまで言われると大変だと思うんですけれども。

 だから、こういう問題について、午前中大臣からは、本当に、わからない子供が、やればやるほどたくさんつくり出されているという状況について、愕然とする思いだというお言葉もたしかいただいたかというふうに思うんですが、そういう認識に立ちますと、一体これはどうするのかの前に、どうしてこうなっているのか、この責任というのはどこにあるのか、やはりここをまず明らかにしなきゃいけないんじゃないかなというふうに私は思うんですが、大臣としまして、そういう原因とか責任という問題については、どのようにお考えになっていらっしゃいますか。

町村国務大臣 それは文部大臣が悪かったと言ってしまえば、話は簡単でしょうが、実態はそう簡単なものでもまたないんだろう、こう思います。いろいろな要素がやはり絡み合っているのかなと。

 先ほど御指摘のあった、例えば文章になるとというのは、多分、午前中に肥田委員がおっしゃった、国語、読むことの好き嫌いみたいな部分からまず出ているのかもしれない。そういう意味で、読み書きの時間、特に読む時間、読書の時間みたいなのを充実していくというのは、迂遠なようでももしかしたらいい答えなのかもしれないなとか、あるいは、科目によって、数学とか理科とか、やはり理解の早い子、遅い子に相当ばらつきが出やすい科目というのがあるということは、これはかなり前から言われております。

 そこで、今回、そういう科目については二十人のクラス編制にして、より少人数でよりきめ細やかな指導ができるようにするというのも一つの方法かな、こう思ったりもいたしますし、あるいは、今までは反対があってなかなかできなかったんですけれども、習熟度別クラス編制、これをやると、すぐ差別だといって柳眉を逆立てる方もいらっしゃいますけれども、私は、その子供に合った教育というものをどう進めるかというふうに考えたときに、早くわかる子は小学校三年でももう中学三年のことがわかるかもしれない、しかし、逆に小学校六年でも小学校二年ぐらいのことがまだわからない子もいるかもしれない。とするならば、その子の進みぐあいに応じた、より個に近い指導を進めるためには、例えば習熟度別のクラス編制ということもやっていくことが、ただ差別だどうだとかいう一面的な議論ではなくて、本当にその子にふさわしい学び方というものを工夫して考えていくというようなことも大切なことなのではないだろうか。それを四十人で、大体中の上ぐらいに照準を合わせて授業をやると、上の子はつまらない、下の子はわからない。そうすると、三割、五割の子供がわからないということになってしまうのではないだろうか。

 この辺も一つの答えではないだろうかと思っております。

石井(郁)委員 答弁の中では、原因の問題と同時に、これからどうしようかということまで含めて御答弁いただいたかというふうに思うんですが、私は、やはり日本の子供たちは、大変過密な内容で、しかも速いスピードで、画一的に教えられてきた。学習指導要領のもとでそういうことが進められてきた。この問題にやはりきちんとメスを入れるというか、考えなければ、本当の解決の方向は出ないと思うんですね。つまり、子供たちが学ぶ内容とは何なのか、そしてまたどういう段階を追って学ぶのかだとか、今の時点に立ってみますと、もう一度ここの検討が要るんじゃないかと私たちは考えているんです。

 その点で、町村大臣自身も最近いろいろインタビューに、大変精力的というか、積極的に出ていらっしゃいますから、その中から一つ二つ、私の方で大変大事な指摘だなということも含めて、あるいはこれはどういう意味なのかということも含めて、ちょっとお尋ねさせていただきたいのです。

 学習指導要領について、これは来年から始まる新しい学習指導要領ですけれども、基礎、基本をしっかりやる、瑣末な知識の詰め込みはやめよう、これが三割削減の意味だというふうにおっしゃっています。また、別な新聞では、学習内容が削減される新しい学習指導要領は、断片的な知識を暗記するような部分はスリム化しようとしているというふうにおっしゃって、やはり断片的な知識は削ろうということをおっしゃっているわけでしょう。

 そうしますと、どうしても私が気になるのは、この十年来進めてきた学習指導要領、一九八九年から始まっていますけれども、今の学習指導要領の三割というのは瑣末な知識で満ちている、満ちているというか、瑣末な知識がちりばめられているということになるわけですね。では、それを子供たちに暗記せよというふうに教えてきたのかというふうになるわけですよ。この問題はどうなんでしょう。

町村国務大臣 指導要領の一行ずつを点検して、これが瑣末であるかないかという検証は、ちょっと今この場ではできませんが、たまたま個人的な経験を申して恐縮ですが、三年前に文部大臣のときに、ある都内の中学校の社会科の授業を参観に行ったんですけれども、先生がこういうことを教えていました。日本では小選挙区で三百人、比例区で二百人、この三百、二百というのはよく試験で出るんだから覚えるんだよと。これに私はまずびっくりしてしまいました。だって、こんなの、三百、二百なんて、幾らでも、国会議員の都合で法律を変えれば変わる。案の定、もう二百は百八十に変わっているわけですよね。だから、一生懸命覚えた子は、今どきあれは何だったんだろうときっと疑問に思っているのに違いないので、それは、大体、三千人でなければ三十人でもないぐらいのことがわかっていればいいので、こんなことを、例えばよく試験に出るから覚えなさいという教え方が、瑣末な知識の、断片的な知識の詰め込みという例えに、私はよく使わせてもらっているわけであります。

 でありますから、現在の指導要領から今度新指導要領に移るときに大体三割ぐらい減らそうというのは、基礎、基本に厳選した、基礎、基本にどうしても必要なものを残して今度の新しい学習指導要領が形成されているというふうに御理解をいただきたいので、今回、最低限という表現もとったりしますけれども、ここだけは絶対にみんな押さえてくださいねというものに絞って現在の学習指導要領を構成させてもらっているということであります。

石井(郁)委員 最近、そういう基礎、基本ということを大変文部省の側から強調されるのですけれども、実は、これは何も新しいことじゃないのですね。昭和三十三年、一九五八年の指導要領のころから毎回、基礎的な知識の習得、基礎的な技能の習熟ということで言われてきて、もうずっと六〇年代、七〇年代、八〇年代も基礎、基本の内容の指導を徹底しろと言ってきた。臨時教育審議会の第二次答申は八六年ですけれども、ここでも初等中等教育では、基礎的・基本的な内容の修得の徹底を図る、これは文部省、ずっと言ってきたのですよ。ずっと言ってきて、今子供の学力はこんな状態だ、一体これはどうなんだと。これは文部省がつくった目標自身が達成できなかったということにもなるわけでしょう。

 私は、きょうはもう時間がありませんので、この問題は今後本当に深くぜひ解明したいと思っているのですけれども、この点でいうと、文部省、新しくこうやりますという話を今するのじゃなくて、本当に今真摯な自己反省というのが求められていると思うのですよ、指導要領を押しつけてきた、やってきた内容は何だったか、わからない子をたくさんつくってきたと。

 だから、先ほどの、午前中の討議でも、学校にあるいは大学に自己評価とか、評価を盛んに言いますよね。やはり評価と言うんだったら、文部省自身がまず評価をしてもらいたい、みずからがどういう点で反省をし、どういう評価をしているのか。十年ごとの指導要領なんですから、十年ごとに変えてきたのですから、そのたびに、精選です、基礎、基本ですと口を酸っぱくして言ってきた。しかし定着していない。これは一体何なんだということになるわけでしょう。そういう点で、今求められるのは、文部省自身の自己評価と自己点検だということをあえて私は申し上げなければなりません。いかがですか。

町村国務大臣 真摯に反省すべき点はそれは私どもも大いに反省しなければいけないと思っております。率直に言って、行政の仕事で、えてして先の話はするけれども、過去のきちんとした総括、評価をやっていないという嫌いがあったことは、私はそれは率直に認めざるを得ないと思っております。

 そういう意味で、これから行政の評価というものを、法律をつくって各省一斉にやろうということにしておりますので、これなんかも、おくればせながら、一つのやはり反省の上に立って、今回新しい省庁再編を契機にそういうことをやりましょうということになってきているわけであろうと思っております。

 したがって、私は、文部省がやってきたことは一〇〇%全部正しかったと言うつもりもございません。やはり、例えば画一的な教育という批判があり、それが戦後の、さっきちょっと申し上げましたけれども、悪平等というものに結びついていって、教育の画一化が進んできた、その一端を文部省が担ってきたであろうという指摘は、それは私は率直に認めたいと思います。しかし、だからといって文部省が、では教育に関して一切何も物を言わないでいいのだということにもまたならない。やはり必要なことは必要なこととして押さえていきたいけれども、余りいろいろなことを文部省がすべてにわたって上下関係みたいな感じで流してきたことが画一的な教育を生んだ面もあるではないかと言われればそこは率直な反省もしたい。

 いずれにしても、これからは、特に行政の評価、自分たちが進めてきた政策の評価というものはきちんとやりながら前に進んでいくという姿勢が極めて重要であろうと思っております。

石井(郁)委員 もう時間が参りましたので、一言だけですけれども。

 しかし、来年から始まる新しい学習指導要領は、現在の子供たちの学習状況についておおむね良好という認識のもとで進められるのです。これは私はとんでもないと思っています。だから、今あちこちから、この学習指導要領はもう中止だ、もう一度考え直せという声はいろいろな、数学界、いろいろな団体、関係方面から起こっているでしょう。これは大変な事態だと思うのですけれども、しかし、そのぐらい重要な問題なんだ、これをやはり学校と子供たちにこのまま押しつけるわけにいかないのだという点では、私たち、本当に真剣に考えなければいけないということでございます。そのことを申し上げまして、質問を終わります。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 山内惠子君。

山内(惠)委員 社民党の山内惠子でございます。

 質問させていただく前に、今回の所信の内容は、大変内容の多い、膨大なものだったということがつくづくと感じられる中身でした。私に与えられている時間は三十五分なのですけれども、二つの省庁が一緒になったということでいえば、本当は倍の時間がいただきたい。しかも、今国会は、首相がおっしゃっているような教育国会と名づけるのであれば、三倍くらい欲しいものだというふうに私は思います。教育の基本を語るのにたった三十五分ということでは本当にひどいというふうに思いますので、今後の委員会の運営の中で、ぜひこのことを委員長には頭に置いておいていただきたいというふうに思います。

 それでは、質問に入りたいと思います。

 初めに、ものつくり大学の設立の経緯について大臣にお聞きしたいと思います。

 質問したいことがたくさんありますので、時間も短いので、どうか短くお答えをいただきますようによろしくお願いいたします。

 このものつくり大学の件ですけれども、大学の設置者別に三つに分けられると思いますけれども、このものつくり大学は国立、公立、私立のどれであるかということ、済みません、こんなことを、お聞きしたいと思います。

河村副大臣 私立でございます。

山内(惠)委員 わかりました。

 その確認をさせていただいたのですが、私立大学に対して国がお金を出すときには、どんな手順で、何を、これは法律ですけれども、基準に決まるのでしょうか。

河村副大臣 文部省が出す場合は、私学助成という形で経常費助成を中心に、特別助成もございますが、予算化して、これを出しております。

山内(惠)委員 私立大学が設立をするに当たって、寄附行為ということで、財源を寄附その他で賄うというのが基本にあると思います。しかも、それは設立前にしっかりと準備をしておく必要があると思うのですけれども、今回は、九八年に一億四千万円それから九九年には十二億三千万円、二〇〇〇年には七十一億三千万円、総額八十五億円が国から出されているというふうにお聞きしています。しかも、これは設立の前にというふうにお聞きしていますが、実は、私学には、大学の開校から四年経ないと補助金は出されないというふうに私は読んでいたのですけれども、なぜものつくり大学には設立の補助金が最初からというか、以前に出されていたのか、その意味での根拠も含めてお聞きしたいと思います。

河村副大臣 四年制の大学の場合、四年後、私学助成をいたしております。これは大学設立後、途中で、私学でありますから大学の運営上に問題があるということになりますと、これを確立してから出しますということ、したがって、私学は設立の段階において、いわゆる借金ではいけません、みずからの資金を確保してくださいということでございます。

 そういうことですから、今回のものつくり大学については、それを支援する財団をおつくりになって、そこが国から助成を受けられて、私学の方へ寄附行為をおとりになるという形をとって、そしてものつくり大学、そこの学校法人は、一応自己資金という形で申請をされた、それを認可基準に合っているものとして、大学として認可していった、こういうことでございまして、直接国から助成を受けたわけではありません。

山内(惠)委員 国から直接ではないとしても、まだ設立の準備金がしっかりなっていない段階で、国がその財団にお金を出すということは、何の法律によってなされたのでしょう。

河村副大臣 大学等の設置の趣旨というものが特定の政策目的に沿ったものであれば、これは国または地方公共団体も出せる、大学設置のために助成することは問題がないと考えておるわけでありまして、既に自治医科大学あるいは産業医科大学については、自治省を中心にして国からお金が出た例がございます。

山内(惠)委員 地方自治がお金を出すということはそのとおりだというふうに思いますので、よくわかります。

 ところで、今回のものつくり大学、埼玉県の知事が初めにこの大学の設置をするということを知ったのは、労働省の担当審議官が来られて依頼されたので知ったというふうにお聞きしています。本当は、設立する当事者が行ってお話をしてからというのが手順だと思いますけれども、このことにつきまして、国が私立大学の設置依頼に直接自治体に行った例はほかにあるのでしょうか。

河村副大臣 産業医科大学、先ほど申しました自治医科大学の場合には、これは自治省が中心になって設立したものでございますが、これについては、産業医科大学は北九州市だったですか、そういうところと協議をしたことはある、それ以外はほかにございません。

山内(惠)委員 自治省が地元の意向でと、これは公立学校と言っていいのですか、産業医科大学、これは私立でよろしいですか。それにしても、自治体がお金を用意してということだと思います。

 どの時点でお金を出したのかということ、ちょっときょうは私もほかに質問がありますので、後でそのことをと思いますが、大学などの高等教育の管理監督の省庁として、文部科学省の責任ということ、この部分ではこれだけのお金を設立前に出すという意味では、異常なことだというふうに私は受けとめています。その意味で、KSD事件になっている中でどのような責任を感じていらっしゃるのか、ちょっとお聞きしたいというふうに思います。

河村副大臣 ものつくり大学については、労働省の方が政策目的に沿ってお出しになるということでございまして、その資金の運営の仕方、資金計画等々を見て、大学設置基準にのっとって認めたものでありまして、それは、たまたまKSD事件が起きましたからいろいろ言われておるのでありますが、その政策目的そのものは国の方策に従ったものであるということで、文部科学省としては、きちっと基準に合ったものとして設立したものでありますから、責任を持ってそれは今後きちっとやられることを、もちろん私学でありますから、その中で自助努力等も含めて、私学助成も含めて、これから支援すべきことは支援していく、こういうことであろうと思います。

山内(惠)委員 これからもう少し詳しく追及をし、中身が明らかになってくるときがあるというふうに思いますけれども、設置者が奔走し、お金を集めて、そして県にお願いに行くという手順ではなくて、だれの目から見ても労働省がKSDの使い走りのように見える依頼の仕方をして、そして私立大学をつくっていたということは、私はさまざまな法律の関係からも間違っているというふうに思いますので、ここは指摘をするだけにおいて、この件については終わりたいというふうに思います。

 次に、大臣にお伺いしたいと思いますが、いじめ、不登校の原因と背景の分析についてです。北海道新聞の記事がきっかけで、大臣にはお忙しい中、資料をいただきまして、ありがとうございました。読ませていただきました。大臣が今回引用されている「希望の国のエクソダス」というのも、実は私も引用しまして、前の文教委員会でも私も教育に関して発言をしたところです。

 高度経済成長の入り口のとき、何もなく、希望だけがあった戦後教育、そのシステムがこれほど今耐用年数を切らして、当の子供とミスマッチになっている状況は、本当に厳しい状況だというふうに思います。この国には何でもある、だが、希望だけがない、子供たちは希望を持てないでいる。今の国会状況、政治は最大の教育と言われますけれども、この政治、子供たちに希望を与えられるような社会のあり方と本当に矛盾する問題が日々出ています。

 ところで、学校といえば子供たちは何をイメージするのか。小学校の子供であれば、残念だけれども、テストとか通知表を思い出すそうです。中学生や高校生は、入試、校則というのを思い出すそうです。こういう学校に対するすくみ現象が、登校拒否、不登校の最大の原因ではないかというふうに私は思っています。学校が子供にとって仲間のいる楽しい学校になっていない。たくさん時間があれば説明をしたいところなんですけれども、学校は今社会の階層配分の機関になっているのではないかというふうに言っている人もいます。

 ところで、私は、大臣と同じ北海道の出身です。子供に元気ということを公約に当選をしてきました。大臣とは、今の子供たちが希望を持っていない、希望を持てない社会である、それから教育改革が必要であるという点での認識では私と一致しているというふうに思います。しかし、原因の分析と処方せんをどう書くかというところで、私は大臣と認識が違っているように思います。

 今回、大臣の書かれた不登校に対する考え方なんですけれども、いじめの原因、それに対して問題を起こす生徒、その出席停止のこと、それから、短く言いますので省略していますけれども、対友人関係、対教師関係、この問題についてはスクールカウンセラーや心の教育相談、それから授業がわからない子供には少人数による指導、それから自己コントロールというのですか、自己統制力のない子供たち、これは個人の自由や権利を強調してきた結果だというふうに短く言えば言える大臣のお考えだというふうに思いますが、私は、子供たちのこの不登校の背景に、石井委員も先ほど指摘されていましたけれども、この間の学習指導要領に大きな責任があったのではないかということを指摘したいというふうに思います。

 先ほど言われましたように、過去の教育の中で、深刻な状況で、七五三という、落ちこぼれという言葉が出てきたのはたしか一九七一年、中教審の答申が出た以降だったというふうに私は思っています。落ちこぼれが出たのではなくて落ちこぼれさせられてきたと私は思っています。

 資料をお配りしてありますのでごらんいただければ、これが一九七一年前までの漢字の数を書いたものです。それから、七二年以降、実は今回三割削減したものをここにつけておくとよかったのですが、つけていませんが、七一年から七二年に移るときに、プラスしたところとマイナスしたところがあるのですが、小学校の一年生で三十字ふやしているのです。二年生で四十字ふやしているのです。このことが、私たちは子供たちが落ちこぼれさせられたというところを指摘しておきたいと思います。

 実は、三枚目の資料の資料5のところにあるのですけれども、二年生のところを見ていただければわかりますが、この年、百四十五字、二年生で覚えなければならない。この線の下のものは全部三年生からおりてきた漢字です。これは国語の例です。ところで、今三割削減というのは、最近の学習指導要領の改訂の結果三割かもしれませんが、結果として千六字教えなければならない数になっていることを言っておきます。

 算数、小学校の四年生が嫌いになる瀬戸際なのです。ところで、難しい算数になったこの一覧表、九九は小学校の二年生で完全に覚えておかなければならない。不等号その他、中学校、高校からおりてきたものです。

 次のページを見ていただきたいと思います。小学校四年生の子が算数嫌いになった典型的な表ですのでよくごらんください。ちょっと数字のところで昭和の数字が書いてありますが、左側が一九七〇年以前、それから右側は七一年の中教審のときです。ここで単元数が十七単元から二十五単元にふえています。ページ数は逆に減っています。そして、掛け算でいうと、五十二ページ扱ったものがたった八ページになりました。これは二年生におろしたということもあるかもしれませんが、これだけ単元がふえてページ数が減れば、子供たちに説明するページ数が減ったということに関係あります。

 ところで、割り算を見てください。七〇年までは、四けた割る一けたのこの六は、掛け算さえできれば割り算は割と簡単に子供はやっていけるようになります。しかし、七一年から概数が入ってくるのですね。割られる数、割る数、割る数が五百三十七、これは五百に近いのか六百に近いのかという、概数がわからなければできないのです。六の段で割っていくのか、五の段で割っていくのかということです。ここのところで、子供たちは概数を理解していなければ割り算はもういけません。

 そして、説明のページ数は減っていく。万だったのが兆の位まで、五十兆割る一万は暗算でやれという教科書になっています。しかも、単元がふえたところに集合が入ってくる。四角を使った式が入ってくる。これはXを使えば簡単な問題ですから、何も小学校の四年生でしなくてもいいのにと思います。

 このことで授業についていけない子供たち、だれが落ちこぼれになりたいでしょう。子供たちは決して落ちこぼれたくはないというふうに思います。これらの問題、学習指導要領に問題がなかったのかということをお聞きしたいというふうに思います。

町村国務大臣 大変長い御質問だったので、ちょっと何を御質問されているのか必ずしもよく理解できなかったのでありますが、不登校、落ちこぼれの原因が、今のこの資料のとおり、難しくなったといいましょうか、それが原因ではなかろうかという御指摘かと受けとめました。

 こうやって改めて資料を拝見すると、そういう面があったのかなという率直な印象を持ちます。その辺を今回一つの反省材料として、学習指導要領の内容を三割程度削減しよう、さらには、きめ細やかな指導もできるように、今までTTでやってきたことに加えまして、今言った算数とか国語とか、比較的進みぐあいに差のつきやすい科目については二十人のクラス編制にしてもいいですよ、あるいは習熟度別のクラス編制にしてもいいのですよというようなことを、こうしたことの反省の上に立って今回の法律、予算の面で対応していこう、こう考えたわけでございます。

山内(惠)委員 この学習指導要領の中身を三割削減した、これは単に減らしていくということではなくて、基礎、基本でというふうにおっしゃっているのですけれども、子供たちがどのようにわかって、どのように次のステップに進むかということを頭に置いて減らされているかということでいえば、私は、この概数の問題一つとっても、解決されない減らし方をされているように思います。

 漢字のことでいえば、木の次に森を教えて、森の次に林が出てきた時代があります。そのことがちょっと直っていて、しかも、直って、前は林は三年生のところにあったものが、今、木も林も森も一年生のところにあります。その意味でいえば、もう一度、学習指導要領が子供たちに系統的にわかっていけるのかという形で、内容をぜひ見直していただきたいと思います。

 子供たちにとって、受験勉強はすべてはげ落ちる学力という言い方を私たちはしてきました。丸暗記してペーパーに書いて百点とっても、何日かたてばそれは忘れていく学力である。その意味で、生きる学力ということを言い続けた私たちの声は受けとめられて、今生きる力ということで方針としてなっているのですが、それにしても、子供たちは遊びを失っています。その中で多くの問題が上ってきていると思います。

 ところで、もう一つ資料を用意しましたが、一番後ろのところに「教師の一日」という一覧表があります。これは、ある県の新しく先生になられた方に配った、こういう努力をしなさいというものです。ここまで管理をしたというふうに私はこの文書を読みました。管理される教師は子供を管理していくことになります。

 ところで、下から二番目に行っていると思いますが、「中学生の一日」をちょっと見てください。5「先生が来られるまで無言で待つ(その間、教科係りは、先生をかならず迎えに行く。)」それから、「先生が入口をくぐった瞬間、日直はできるかぎり大きな声で号令をかける。」15「先生が来られるまで無言で待つ。」17「清掃は一言も口をきかずに無言で専念する。」ずっとこの調子です。最後、「手はひざの上に置いて無言で待つ。」……(発言する者あり)不規則発言、ちょっと御遠慮いただきたいと思います。

 このように子供たちが管理されている中で、学校が楽しいと子供たちは思えるでしょうか、人間関係が育つと思われるでしょうか。そこのところで、大臣のお言葉をお聞きしたいと思います。

高市委員長 委員の皆様に申し上げます。静粛にお願いいたします。

町村国務大臣 本当に、例えば初任の先生方に、管理をされていると思えば、それはそういう意識になるかもしれないけれども、こんなことは当たり前のことが書いてあるのだと私は思いますよ。社会人として学校の先生はこのくらいのことはある意味じゃ当然やっていただきたいと思います。

 それから、生徒たち、口もきかずに掃除をするかどうかは、これはちょっと私も、我が身の体験からしても、おしゃべりをしながら掃除をしていたような気もいたしますが、どこかここかできちんきちんとけじめをつけるということは、私はそれはそれで大切なことなんじゃないのかな。だから、逐一、これがいい悪い、別に査定をするつもりもございませんけれども、どこかできちんきちんとけじめのある生活をするということは、それがやはり大切なことではないかと思います。

山内(惠)委員 今当たり前のことが書かれているとおっしゃったのですけれども、そういうことを新任の先生に言わなければならないことは大変情けないことだというふうに思いますが……(発言する者あり)ちょっと、私も発言におたおたっとなりますので、恐れ入りますが御遠慮願いたいと思います。

 人間関係のできなくなった子供たちに対して、初めて来られた先生に言うとしたらこんなことをといって書いた方がいます。君は何がしたい、僕はこれがしたいんだ、だったら言わなきゃ、言わなきゃ周りに伝わらないよ、周りが何かをやっていても、自分がやりたいこと、言いたいことを言える、これが自立というんだ、これは日本では全く教えられてこなかった。この次があるのですね。でも、一人じゃできないよ、だれかに助けてもらわなきゃ、どうすればいい、友達をつくらなくちゃ、君が魅力的な人間じゃないと友達はできないよ、友達がしてほしいことをしてあげなくちゃ、おまえがしてほしいことをしてもらえないぞ。

 こんなようなことを新任の先生に、子供の言葉に耳を傾ける、悩みに耳を傾けるという意味で、もっと別な形の新任の先生へのアドバイスが必要じゃないかというふうに思っています。

 ところで、大臣は、自己統制力のことを、個人の自由や権利を強調してきたからだという分析、これは直接文章を丁寧に読まなければどうかと思いますけれども、このつながりは私はちょっと違うと思います。学校文化と子供の願いがすれ違っているという現状を私は受けとめてもらいたいと思います。

 調査をしたものがあります。学校として子供たちに決まりだから必ず守るようにと強く言っているものの一が服装、二に頭髪、これは中学校です。それで、中学生や高校生がこれだけは生徒の自由にしてほしいというのは、一にまたこれも服装、二に頭髪、三に持ち物検査をしないでほしい、そういうことを言っているのですね。

 ところで、かつてこんなことがありました。怒りがあったとき、腹が立つ、頭にくる、この二つの言葉は、感情のコントロールをすればできることだというふうに私は思います。しかし、最近、ムカつくとかキレるという言葉、これは、もうここまで来てしまえば、生理的なところまで行ってしまっているので、このことをどうしたらいいかということは大変難しいことだと思います。

 ところで、時間も余りありませんが、先ほどの一枚目の資料のところをちょっと見ていただきたいのですけれども、自己肯定意識という調査をした大阪の研究がありますので、ごらんください。自分のことが結構好きだと言っている小学生、二年生、五年生、そして中学三年生、男子、女子、ずっと見てきて、なぜか高校二年生になるとぐんと減っているのです。このことを文部大臣はなぜだとお考えですか。それで、ムカつくところまで来てしまっている子供たちにもっと別な形で自己肯定意識を持たせるのはどうしたらいいとお考えですか。このムカつく子供たち、学校で勉強がもうわからない、どうせもうおれたちはだめなんだというところに来ているだけに、自分を愛せないというふうに私は分析しています。お聞かせください。

町村国務大臣 これまたなかなか難しい御質問でございますが、一つには、やはり学校に行くというのは、授業がわかるというのは大切な要素だと思います。そういう意味で、わかる授業を実現していくということ、これはいろいろな方法がまたあろうと思いますけれども、やはり努力をしてまずやっていくということが大切なのだろうと思います。

 ただ、授業がわかればそれでみんな自分が好きになるかというとそうでもない。子供たちはよく言います、みんな、自分は認められたいと。自分はこういういい点もあるとか、こういうことができるのに認めようとしない。だから、今の子供、あるいは人間全体がそうかもしれませんけれども、要するに、成績というか、偏差値という言葉に置きかえてもいいのかもしれませんが、ただ一つの物差しで子供をはかってしまう。要するに、人間の評価、子供の評価が非常に画一的になっているという問題。足の速い子もいれば、音楽が上手な子もいれば、お掃除が上手な子もいれば、心の優しい子もいれば、いろいろいる。そのよさというものをやはり総合的に見て、光るものは大いに光っていくということなのだろうと思います。

 しかし、とにかく、人と違ってはいけないということを余りにも意識する。これは日本人、日本の社会全体がそういう面もありますけれども、特に学校現場が平等、平等と、何か人と違うとそれは差別だというようなことが学校現場で言われ過ぎてきたことが、要するに、成績がよくない、成績という唯一の価値基準から見て、あとはだめなんだというふうに変わってきちゃったところが問題なのじゃないのでしょうか。

 だから、さっき例えに出ておりましたけれども、徒競走で順位をつけないなんというのは、せっかくスポーツで光り輝ける、生きがいを感じられる子供の生きがいを奪ってしまっているという意味で、ああいう徒競走に順位をつけないというやり方は大変間違っていると私は思います。

山内(惠)委員 今、成績だけで、たった一つの物差しで見ては、やはり学校は残念なものになってしまうよという意味で私は受けとめました。徒競走の例は、どのやり方がいいかいろいろ御意見はあると私は思いますけれども、自分との闘いということももう一つあるかなというのもあります。それは後にします。

 中学生に質問をしまして、人間として大切にされるということはどういうことかと聞きましたら、今大臣のおっしゃった成績というのが大変大きくて、成績で差別されないというのがトップに挙がっていて六一・五%です。中学生にとって成績の二文字がどれだけ負担になっているかというのが現在の学校の大きな問題の一つだというふうに思います。

 ところで、いじめの問題なんですけれども、自分を愛せなくなってしまった子供たちがほかの子供も愛せない状況にある中で、攻撃される子供は、いじめる者との関係、この二つだけでは自分で死を選ぶことはしないという分析をされた方がいます。これはどういうことかというと、クラスの中で多数を占める傍観者が暗黙の支持を、そのいじめる側の支持をしているという言い方があります。異性を含む傍観者や仲間の前で屈辱感で自我がずたずたになって、自分みずから命を絶つという状況にあるというふうに言われています。

 ところで、今回の二十一世紀教育新生プラン、レインボープラン、七つの重点戦略、私は、今学校で起こっているさまざまな問題を、このような戦略で本当に子供は元気になるのだろうかというふうに思いました。本来自発的であるべきボランティアの部分も、強制ではなくて、自発的に自分がやれるような方向にぜひ検討し直していただきたいというふうに思っています。

 私は、今回の七つの重点戦略の中で、我が国も批准した子どもの権利条約の精神、特に十二条、子供の意見表明権、それから子供に対して最善の利益を与えるという姿勢、それから休息の権利の三十一条など、どこにこの具体化をされたのか。もしお答えいただければ、ちょっと短い時間でお願いしたいと思います。

町村国務大臣 直接子どもの権利条約の条項を引いた部分はないかもしれませんが、一人一人を大切にした教育ということで、その子供に合った教育ができるようにという意味では、この権利条約の精神は十二分に反映されている、こう私は考えます。

山内(惠)委員 本当に一人一人を大事にする教育ができる、私は、飛び級ではなくて、もっと別な形であってほしいと思います。

 大臣のおっしゃるように、若者が希望を抱けない国は国家として死んだも同然だという文章、私も本当にそう思います。子供は、本来輝く目を持っているし、感受性も持っています。その子供たちすべてによりよき人生のあこがれを送りたいなというふうに私は思います。それは、強制的にではだめだと私は思います。一度、子供たちを表現者として見る視点から、子どもの権利条約第十二条の子供の意見表明権を重視して、子供の声に耳を傾ける、そのことがキーワードになって、二十一世紀、子供が希望を持てる社会につながるのではないかというふうに思います。

 一人一人が大事にされる教育をということで、大臣と私もきっとそこのところは同じだと思いますので、教育改革、本当にしばらくたって見てみたら、もっと不登校の子がふえたということにならないでほしいし、子供たちが夢を持って生きている、目を輝かせている社会であってほしいというふうに望みますので、ともに子供たちにあこがれを送れるような教育を考えていこうではありませんか。

 きょうはどうもありがとうございました。

高市委員長 松浪健四郎君。

松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。長時間にわたりまして、大臣並びに副大臣、そして委員長、御苦労さまでございます。

 質問をさせていただく前に、一言おわびを申し上げたいと思います。

 さきの国会では、文教委員の一人として、国会の品位を汚し、混乱をさせたことに対しておわびを申し上げます。心を入れかえて、新たな政治家として出発をさせていただきたい、このように考えておるところでございます。

 過日、百五十一回国会における文部科学大臣の所信表明をお聞きいたしました。そこにはこのように書かれてあります。

  二十一世紀は生命科学の世紀と言われるように、生命についての理解は、医療、食料、環境等の分野に大きな変革をもたらすものです。我が国がこれらの分野でリーダーシップを発揮し、健康で活力ある社会を実現するため、ゲノム科学、免疫・アレルギー・感染症研究、脳科学等のライフサイエンスを重点的に推進してまいります。なお、生命倫理の問題について、人の尊厳の保持等に重大な影響を与えるクローン人間の産生の防止を初めとして、国民の幅広い意見をくみ上げつつ、慎重に取り組む所存であります。

 科学創造立国として私たちは何をなすべきか、そしてまた、この委員会が、文部省そして科学技術庁が一緒になった新しい委員会として、幅広くいろいろな面で私たちは議論をしていかなければならないわけであります。

 平成十二年の三月、ヒト胚研究小委員会は、ヒト胚性幹細胞を中心としたヒト胚研究に関する基本的な考え方をまとめられました。そして、このほど文部科学省研究振興局は、ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針案についてまとめられたところであります。

 ヒトES細胞は、ヒト受精胚から取り出したあらゆる細胞、組織に分化可能ないわゆる万能細胞であります。そして、医療応用が期待されるものでありますが、反面、ヒト受精胚を研究材料にする面で、倫理的な問題がございます。

 科学技術会議生命倫理委員会ヒト胚研究小委員会の報告やクローン技術規制法案にかかわる国会審議を踏まえて、その取り扱い方針が検討され、このほど指針案としてまとめられたと承知しております。二月の十七日から一カ月間、パブリックコメントをする、そして、終了後、総合科学技術会議においてさらに御議論をいただくのでしょうが、私自身も、このエンブリオニック・ステムと呼ばれるヒトES細胞についての知識が豊富ではございませんので、極めて単純で初歩的ではございますが、幾つかの質問をさせていただきたい、こういうふうに思うわけであります。

 そこで、まず最初に、ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針と人クローン胚等に関する指針との相違点についてお尋ねをしたいと思います。いずれもヒトの受精胚を使う研究である、それでいて指針案を分けなければならない、その辺がちょっとわかりにくいので、御説明いただきたいと思います。

遠藤政府参考人 お答えいたします。

 文部科学省が現在パブリックコメントの手続を行っておりますヒトES細胞の樹立、樹立というのは作成することですが、及び使用に関する指針案は、ヒトの受精胚から取り出されますいわゆる万能細胞でございますヒトES細胞の樹立及び使用、これを対象としております。

 一方、昨年十一月に成立をいたしましたヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律第四条に規定する指針、これはこれから検討されていくわけでございますが、例えばヒトの体から取り出した細胞を用いまして、無性生殖により、そのヒトと全く同じ遺伝子を持つ胚、いわゆる人クローン胚、こういったものをつくり出すなど、既に存在する特定のヒトと同一の遺伝子構造を有するヒトとか、あるいはヒトと動物のいずれかよくわからない、そういった妙な個体などを生み出す可能性のある九種類の特定胚の取り扱いを対象としている、そういう対象の点で、これらは違っているというふうに考えております。

松浪委員 とにかく専門家でなければわけのわからない話でございまして、おおむね、私の後ろにいらっしゃる委員の先生でだれ一人わかっていないと思いますが、質問者もよくわかっておらないことを御承知おきいただきたいと思います。

 いずれにしましても、体外受精させたものからヒト受精胚の一部を取り出して分裂させる、そして培養させてその一部分を取り出す、それがES細胞である。このES細胞を、これは全身の細胞となるがゆえに、もちろん一つ一つ分化させての話なのですけれども、ある一つ分化させたものは脳になったり、肺になったり、筋肉になったりあるいは心臓になったりするというものであります。

 これは既にマウスにおいていろいろな形で研究をされておりますけれども、ES細胞をきちんと研究し、これを再生医学としてあるいは医薬品の開発等でやれば、既に、パーキンソン病、それから心筋梗塞、心筋症、脱髄疾患、白血病というようなものにおいては有効である、こういうことは現在研究され、そしてそれら以外にも多くの難病に対してもこの研究は効果がある、こういうふうに言われておるわけであります。

 この指針を読んでみますと、ヒトES細胞の樹立及び使用は、当面、基礎研究に限られると書かれてあります。なぜ基礎的研究に限られるのか、大野副大臣にお尋ねしたいと思います。

大野副大臣 私も松浪先生以上の知識も何も持っておりませんけれども、考え方だけは明確にさせていただきたいと思います。

 ES細胞、エンブリオニック・ステム・セルでございますけれども、この問題を考える場合に、やはり基本的に三つばかり考えておかなきゃいけないのじゃないか。

 第一は、このES細胞のもとをただせば、受精卵、受精胚でございます。受精胚というのは、言うまでもありません、とうとい命の根源でございます。したがいまして、大変慎重に考えていかなきゃいけない、これが第一だと思います。

 それから第二には、先生御自身、今御指摘になりましたように、これは万能細胞であります。外胚葉、中胚葉、内胚葉、全部、どんなものにでも分化していくものでありますから、今、臓器移植を考えてみましても、臓器移植の材料が足りない、あるいは臓器自身もつくれるかもしれない、こういうことを考えますと、これはもう人類の未来に大きな幸せをもたらす可能性が大なものである、だから積極的に取り組んでいかなきゃいけない、真剣に取り組んでいかなきゃいけない、こういう考え方だと思います。

 しかし、そこにやはり安全ということを考えなきゃいけない、この第三が私は安全という考え方だと思います。例えば、これはいつまでも分化していく、不死性と呼ばれておりますけれども、分化していく。だとすれば、副作用はあるんだろうか、ないんだろうか、あるいは非常に重病の場合はどうなるんだろうか、臨床利用する場合に、やはりそういう安全性を考えなきゃいけない。

 そういうことから、今先生御指摘のございましたヒト胚小委員会におきましても、基本的な考え方として、臨床利用のルールができるまでは臨床研究というのはちょっとストップしておこうじゃないか、ただ、基礎研究だけは、これまでの日本産科婦人科学会のように、不妊治療とか生殖関係の基本的研究とかこういうところに限らずに、幅広くやっていこうじゃないか、こういうことで考えておるわけでございます。

 私は、遠くない将来に、このES細胞の樹立あるいは利用が人類の幸せにつながっていくように期待しておる者の一人でございます。

松浪委員 大野副大臣の見事な答弁に感心をいたしましたし、敬意を表させていただきたいと思います。

 既にアメリカでは、平成十年の十一月に樹立をしておる。我が国の研究はどの程度進んでおるのか、私自身承知はいたしておりませんけれども、おくれをとってはならない、そういうふうに思っております。

 そこで、ヒトES細胞を臨床研究その他の医療及びその関連分野において使用することは、別に基準が定められるまでの間は禁止されることになっております。それでは、その基準はいつごろできるのか、そして、この指針違反の場合、公表されることになっておりますけれども、どのような形で公表されるのか、参考人にお尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 お答えします。

 厚生労働省は、このヒト幹細胞を用いた臨床研究の適正を確保するというために、厚生科学審議会科学技術部会の中に、ヒト幹細胞を用いた臨床研究の在り方に関する専門委員会というものをことしの二月に設置いたしております。この場におきまして、ヒトES細胞の臨床研究あるいは臨床応用についても、安全面などの観点から、基準について検討を始めているというふうに聞いております。

 これらの検討の結果でございますが、まとまりましたら、当然適切な方法で公開されるということになると思いますけれども、具体的にどういった形で公表するのか等々につきましては、関係機関において今後十分検討されるというふうに考えております。

松浪委員 第四条に、「ヒトES細胞の樹立のためにヒト胚を取り扱う際には、ヒト胚が人の生命の萌芽であることに配慮し、人の尊厳を侵すことのないよう、誠実かつ慎重にこれを行うものとする。」こういうふうに書かれてあるわけですけれども、「人の尊厳を侵すことのないよう、誠実かつ慎重にこれを行うものとする。」これを具体的に説明していただきたい。参考人、お願いします。

遠藤政府参考人 お答えします。

 この指針案のもととなりましたのが、科学技術会議生命倫理委員会の報告書がございます。この報告書の中におきまして、「ヒト胚はヒトの生命の萌芽としての意味を持ち、ヒトの他の細胞とは異なり、倫理的に尊重されるべきであり、慎重に取り扱わなければならない」という考え方が示されておりまして、ただいま御指摘いただきました規定は、このようなヒト胚に対する基本的な考え方を表現したものであるというふうに理解しております。

 では、具体的にはどういった措置とか事柄を定めるのだということにつきましては、この指針案の中で、例えば七条で、研究材料として使用するために余剰胚ではなくて新たに胚を作成するようなことはしないとか、あるいはヒトES細胞を樹立するためのヒト胚は無償で提供されるというふうなこと、これは五条でございます。それから、二十二条、二十三条などでは、提供者からインフォームド・コンセントをきっちりととるというふうなこと、あるいは二十五条では、提供者の個人情報の保護等々、そういった形で具体的に規定をいたしておるところでございます。

松浪委員 公表の仕方は。

遠藤政府参考人 済みません。

 厚生省の公表の仕方で、違反した場合の公表の仕方ですか。それはこれから、先ほど申しました委員会の中で、それも含めてどう対応するかは検討されるものと理解しております。

松浪委員 次にお尋ねをしたいのは、インフォームド・コンセントに基づいてヒト胚が提供者によって医療機関に提供されるわけです。

 それで、この提供者の条件であるとか資格といったものがあるのか、それをお尋ねしたいことと、同時に、海外から分配を受けるヒトES細胞を使用できるようになっておりますけれども、その海外の提供者の個人情報、これはどのようになっているのか、お尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 この指針案におきましては、ヒトES細胞の樹立に使用されますヒト胚は、生殖補助医療に使用する目的で作成されたヒト受精胚であって、廃棄が予定されているもの、これは第七条第一項に書いてあるのですが、いわゆる余剰胚のことでございますが、これに限るとされておりまして、したがいまして、ヒト胚の提供者は不妊治療の患者に限られるということになります。

 それからまた、ヒト胚の提供を受ける際には、ヒトES細胞の樹立に使用されることについて十分な説明に基づく提供者の、この場合は御夫婦でございますが、自由な意思による同意を受けることを条件としております。これは二十一条から二十三条にかけて規定しておりまして、提供の意思がある患者に限られることになります。そういったことが条件というか、要件になるわけでございます。

 それから、海外からヒトES細胞の分配を受けるということも可能になっておりますが、このような場合も、今申し上げたような条件を満たすなど、この指針案に定める提供とか樹立の基準に合致していると認められる場合に限り分配を海外から受けることができるということになります。

 それから、御質問ございました、こうした場合の、海外から来た場合のヒト胚の提供者の個人情報につきましても、この指針に当然従っていただくことになりますので、ヒトES細胞を樹立する機関には当然提供されないということになります。海外から分配を受けるES細胞につきましても、日本の機関に対して個人情報が伝えられることはないというふうに考えております。

松浪委員 第八条には、「樹立機関におけるヒト胚の取扱いは、医師又は医師の指導により適切に行うものとする。」こういうふうにあるわけです。

 提供者から提供医療機関がヒト胚を無償提供を受ける、その医療機関には当然医師がいるわけで、そしてその医師がこのヒト胚を樹立機関に移送させるわけですが、これを取り扱うここで言う医師というのは、我々の言う医師というのは非常に幅が広いわけですが、どういう医師を指して言っているのか。極めて素朴な質問ですが、お尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 八条の規定は、樹立機関におきますヒト胚の取り扱いに当たって、医療行為に求められる倫理的配慮と同等の配慮がなされるよう、一般の研究者ではなくて、医師免許を持った研究者またはその指導により適切に行うこととしたものであると理解をしております。

 さらに、医師免許を持っているだけではなくて、それにとどまらず、樹立機関の要件として十分な技術的能力を有することということが挙げられておりまして、その樹立機関の中に置かれます倫理審査委員会の審査の過程で、ヒト胚を取り扱うそれだけの技術的能力が十分あるかどうか、医師免許を持った上にそういう能力があるかどうかということを十分審査して、行われることになっております。

松浪委員 次に、大野副大臣にお尋ねいたしますけれども、樹立機関は、ヒトES細胞使用機関に対して無償で分配することになっております。

 ヒト胚の提供も無償であった、だから、樹立機関で樹立させた、それを使用機関に分配するのも無償だというふうなことなんでしょうけれども、それにしても、大変な労力と時間をかけて研究をされ樹立する、それを無償で分配するというのはちょっとよくわからないのですが、御説明いただきたいと思います。

大野副大臣 無償の問題でございますけれども、先ほど御答弁申し上げましたことと若干重複いたしますけれども、やはり考えなきゃいけないのは、第一には、受精卵というものはとうとい命の芽生えである。仮にこのES細胞というものが、受精卵を育成してその細胞を取り出して、それを培養してつくっていくものであるとしても、やはりとうとい命の芽生えと関係しているのだ。一体命を売買していいのだろうか。これはもう人間の命のとうとさ、倫理観として絶対譲れるものではない、私はそのように思っております。

 さらに、その受精卵を今度は提供するわけですが、それはインフォームド・コンセントに基づいて行われておる、つまり納得の上に提供しているわけですね。納得の上に提供するということは何を意味するかというと、善意に基づいているわけです。自分たちの受精卵を人類の幸せのために役立ててほしい、こういう気持ちで提供されているのではないか、私はこのように思います。そういう善意の上に商取引行為のようなものがあっていいのだろうか。私は、その善意を無にするような行為は絶対やるべきじゃない、このように思う次第でございます。

 したがいまして、これは無償である。

 ただ、経費はいいと書いてあるわけで、どういう場合が経費か。これは、例えば患者さん、受精卵を提供される患者さんの交通費とか、あるいは医療機関から樹立機関へ輸送する運賃とかいうものがこの経費に当たるかと思います。患者さんの不妊治療の費用というのはこの経費には入らないことは言うまでもありません。

松浪委員 大変よくわかりました。

 ということは、医療機関にいたしましても、樹立機関にいたしましても、使用機関にいたしましても、莫大なお金がかかるということであります。そのためには、文部科学省は、十分な予算を組んで、そして他の国々にこれらの研究の分野が負けることのないようにお願いをしておきたい、こういうふうに思うわけであります。

 そこで、「第三十八条に定める文部科学大臣の確認を受けた使用計画を実施する使用機関がヒトES細胞の分配を要求した場合には、やむを得ない場合を除き、分配すること。」つまり、分配する義務があるわけなんですね。ところが、やむを得ない場合を除きと、やむを得ない場合というのはどういう場合であるのか、参考人にお尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 指針案の第十一条の三号の規定は、ヒトES細胞の分配が、樹立機関の恣意的な判断によることなく、公平に分配されるべきものであるということからこのような規定を定めたものでございます。

 御質問ございました、やむを得ない場合というのはどういった場合かということは、網羅的に申し上げるのはちょっと今できませんが、例えば、樹立機関で機器の故障が急に起きた、思わぬ事故で使用機関に対して分配するだけの十分なヒトES細胞が確保できないというふうな突発的な場合等々が想定をされております。

松浪委員 次にお尋ねしたいのは、このガイドラインは非常によくできておると私は思っております。それは、どの機関にも倫理審査委員会が設けられて、二重、三重のチェックがきくというような形になっておりまして、安心できる、こういうふうに思うわけでございます。

 そこには、まず樹立機関にありましては樹立責任者がおるわけなんですが、この樹立責任者になる、つまり適格者、この適格者というのは我が国に一体現在どれぐらいいるのか、また、幾つぐらい樹立機関がこの国でできるだろうというふうに予想されているのか、お尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 お答えします。

 指針案の十三条におきまして、これは樹立責任者、一番最初に計画を立てる人ですが、この方についての規定がございます。この樹立責任者につきまして、「ヒトES細胞の樹立を総括し、研究者に必要な指示を行うこと。」などの樹立責任者が行うべき業務というものが十三条に列挙されております。これらを的確に実施でき、しかも、十分な専門的知識とか技能を持つことというふうにされております。

 そこで、我が国の現状ですが、我が国におきましてはマウスあるいは猿を用いたES細胞研究というのが進んでおりまして、かなり高い研究ポテンシャルを有していると考えております。したがいまして、当該業務を的確に行うことができる研究者は、正確ではございませんが、大学等において十名前後はいらっしゃるんじゃないかというふうに考えております。

 一方、樹立機関の数でございますけれども、生命倫理委員会の報告書におきまして、ヒトES細胞の樹立、分配などの状況を国がやはり適切に全体を管理している必要がございますので、そういった観点から、樹立機関は限定されるべきである、当面の間は数機関を目途とすべきであるという考え方が示されておりますので、文部科学省といたしましても、こうした指摘、さらに指針に基づく厳格な要件により何段階かで審査を行いますから、そういったことから考えて、この樹立機関というのは数機関に限られてくるんではないかと予想しております。

松浪委員 いずれにいたしましても、諸外国と激烈な競争をしておるわけでありますから、国が本格的に力を入れて取り組んでいかなければならない重要な分野である、こういうふうに私は認識しております。

 次にお尋ねしたいのは、先ほども申しましたけれども、各機関には倫理審査委員会というものが設けられてありまして、何重にもチェックするようになっておるわけですが、第十四条二項の三「委員のうち二名以上は、女性が含まれていること。」これは樹立機関だけにとどまらず、提供医療機関及び使用機関も同じなんですが、なぜあえて女性を二名以上含まなければならないのか、このように記されているのか、お尋ねしたいと思います。

遠藤政府参考人 ヒトES細胞の樹立につきましては、先ほど来話が出ておりますように、ヒト受精胚の提供を受けて成り立つものでございますが、そのヒト受精胚というのは、男性の精子と女性の卵子、これを体外受精させて得るということになりますので、やはり両性の視点が適切に反映された形での検討が望ましいということなどから、樹立機関等の倫理審査委員会には女性委員が少なくとも二名以上は含まれていることが適切であるという考え方からこのような規定がなされたというふうに考えております。

松浪委員 次に、第二十条のことについてでありますけれども、複数の機関が連携してヒトES細胞の樹立機関の業務を行うことができます。「機関ごとの役割分担及び責任体制に関する説明を行うものとする。」というふうにあるわけですが、この樹立計画書において説明をするわけですけれども、どこに説明するのかということがちょっとよくわからないんですが、よろしいですか。

遠藤政府参考人 この二十条では、複数の機関が連携してヒトES細胞の樹立機関の業務を行うことができるという規定が設けられております。この場合には、機関ごとに役割分担とか責任体制についての説明を行うべきこと、樹立計画書に記載すべきことが二項に書いてございます。この樹立計画書に基づいて、連携するそれぞれの機関における倫理審査委員会による審査、それから文部科学大臣がその当該樹立計画が指針に合っているかどうかという確認を行うんですが、その際に、科学技術・学術審議会の意見を聞くということになっております。

 したがいまして、先ほどの倫理審査委員会での審査、それから専門家の科学技術・学術審議会での審議の場、そういった場におきましてその説明内容を検討しまして、必要があれば説明を求める、そういった形で説明内容をきちんと押さえていくということになると思います。

松浪委員 最後に、大野副大臣にお尋ねをいたします。

 ヒト受精胚取り扱いに関しまして、十分な実績及び能力を提供医療機関の基準の一つとしておられますけれども、それらをだれが、どこで認めるのか、お尋ねしたいと思います。

大野副大臣 一連の手続の中で中核となりますものは、文部科学大臣の確認という行為であります。いずれこの問題は文部科学省の告示ということになりますので、例えば新たな権利義務を付与するような認可とか許可という概念とは違うものでございます。

 では、一体何を確認するのか。これは先生御存じのとおりでございますけれども、一体、人的、施設的にどうなっているんだろうか、技術的、財政的基盤がはっきりしているんだろうか、あるいは、技術的なルール、倫理的なルールができているんだろうか、そしてまたもう一つ、先生おっしゃっておられました、倫理審査委員会があるのだろうかどうだろうか、これをしっかりと確認する。そして、文部大臣が確認するに当たりましては、やはり科学技術・学術審議会の意見を徴して行う、最終的にはその結果を総合科学技術会議に報告する、このような手続でございます。

松浪委員 時間が参りましたので、これで終わります。どうもありがとうございました。

高市委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時散会




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