衆議院

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第13号 平成13年5月30日(水曜日)

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平成十三年五月三十日(水曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      小渕 優子君    岡下 信子君

      河村 建夫君    砂田 圭佑君

      谷垣 禎一君    谷田 武彦君

      谷本 龍哉君    西川 京子君

      馳   浩君    林 省之介君

      増田 敏男君    松野 博一君

      水野 賢一君    森岡 正宏君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      牧  義夫君    松沢 成文君

      山口  壯君    山谷えり子君

      山元  勉君    池坊 保子君

      斉藤 鉄夫君    武山百合子君

      石井 郁子君    児玉 健次君

      中西 績介君    山内 惠子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 結城 章夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長

   )            工藤 智規君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月三十日

 辞任         補欠選任

  杉山 憲夫君     西川 京子君

同日

 辞任         補欠選任

  西川 京子君     杉山 憲夫君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)

 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)

 社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、学校教育法の一部を改正する法律案及び社会教育法の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省大臣官房長結城章夫君、生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷田武彦君。

谷田委員 自由民主党の谷田武彦でございます。

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を初め、いわゆる教育改革三法案につきまして、順次お尋ねをいたします。

 最近、私の手元に、教育改革三法案の廃案を求める要請が続々と来ております。事務所までわざわざ文書をお持ちいただく方や、はがき、お手紙の方、中にはファクスの方もあるわけでありますが、例えば、教育三法案は、教育の危機を打開しないばかりでなく、ますます受験競争を激化させ、父母と教職員の連携を困難にします、教職員同士を競わせることは、学校での教師の集団的協力を妨げ、教育に混乱をもたらします、さらに、奉仕活動の義務づけは、戦前の教育復活を懸念させるものであり、生徒の奉仕の精神や自主性を損なうものになるでしょう、したがって、教育三法案の廃案に御尽力をいただきたい。そういう事例なのですが、主として全国各地の教職員組合の皆さんからのものが多いようであります。

 昨日の本会議をお聞きいたしておりましても、野党の皆さんは反対の方が多いわけであります。

 そこで、まず大臣にお尋ねをしたいわけでありますが、今、小泉政権が、そして文部科学省が教育改革を必死になって進めていこうとしている中で、そういった流れに対して、抵抗をしている勢力が存在をするという認識をお持ちかどうか。そういった抵抗勢力があるとするならば、それは一体だれなのか。そして、そういった皆さんに対しては、今日まで文部科学省はどのように対応してきたのか、そして今後どのように対処していくのか、お聞かせをいただきたいと思います。

遠山国務大臣 お答え申し上げます。

 今御審議が始まりましたこの教育改革三法案につきまして、いろいろな団体がさまざまな意見を持っておりまして、その中には反対を鮮明にしている団体あるいは懸念を表明している団体もあると承知しております。

 その具体的な名前を申し上げますよりは、我が省としてどのように対処するかということでお答えをさせていただきたいと思いますけれども、このような団体に対しましては、さまざまな機会を通じまして、各法案の趣旨などをきちんと説明をして、理解と協力を得られるように努めてまいりたいと思っているところでございます。

谷田委員 なかなか大変なことだと思うのですけれども、誠意を持って論議をして、理解を求める努力をしていただきたいと思います。

 ところが、今、抵抗勢力という言葉を使ったのですが、ちょっと誤解を招くかもしれませんが、実は、本来は味方というと変ですが、御協力をいただくべき存在であると思われておる県の教育委員会がこの抵抗勢力となる場合も中にはある、このように思っております。

 具体的な事例で恐縮なんですが、昨年、愛知県の教育委員会と愛知県にございます犬山市の教育委員会とが、外部からの校長任用をめぐって大変な対立をいたしました。この際なんかは、愛知県の教育委員会がまさに抵抗勢力と言われるような存在になったと私は思っております。

 今回の法律改正で、校長のリーダーシップの強化が挙げられておるわけでありますが、昨年四月に施行されました学校教育法施行規則の改正により、校長の資格要件を緩和して、教員免許を持たない方でも校長に登用することが認められることになったことは御承知のとおりであります。

 そこで、犬山市の教育委員会が教育学専攻の私立大学教授をある小学校の校長に登用しようとしたわけでありますが、愛知県の教育委員会は、校長の職務を考えたとき、研究者を校長に登用するのは学校経営という点で難しいとして、これを認めなかったのであります。

 確かに、任命権者は各都道府県教育委員会であることは承知をいたしておりますが、国として、新しい発想に期待して、外部の方を校長に積極的に登用できるように校長の資格要件を緩和したにもかかわらず、県が市教育委員会からの要請をストップするというのは、改正の趣旨に反するものではないかと思います。

 教育に関する地方分権は、各都道府県教育委員会までは認められておっても、市町村の教育委員会には認められないものなのでしょうか。この愛知県教育委員会そして犬山市教育委員会の外部校長任用問題にはどのようなお考えをお持ちなのか、御所見を承りたいと存じます。

岸田副大臣 今先生の方から御指摘ありましたように、校長にリーダーシップを発揮してもらい、そして機動的な学校運営を行ってもらう、こういったために優秀な人材を確保することは大変重要であるというような認識から、平成十二年の四月から、教員免許を有しない者であっても校長に登用できるという制度をスタートしたわけであります。

 それに伴いまして、東京ですとか広島、埼玉、こうした地域におきまして、具体的に教員免許状を有しない者の公立学校の校長への登用が進んでいるところであります。

 ぜひこの制度をこれからも活用するべく環境をつくっていかなければいけないと思ってはおりますが、任命権者である都道府県の教育委員会の権限と責任によってこの登用は行われるということになっております。

 ですから、そういった制度の中で、これからその環境をつくっていくために、昨年から始まったばかりであります、この制度の意味、それから周知徹底、まだまだこれから図っていかなければいけないというふうに思っておりますので、まず文部科学省としましては、各教育委員会に対しまして、この制度の趣旨、それから意義、そして、実際に広島ですとか埼玉、東京ではスタートしているわけですから、その実績がどうなのか、このあたりをしっかりとPRして、徹底周知していく、ここをまず始めなければいけないというふうに認識しております。

谷田委員 失礼な言い方なんですが、それでは遅いのですよ。

 では、ちょっと聞き方を変えますが、今私が指摘した愛知県犬山市教育委員会の問題について、文部科学省は今日まで何の対応もしてこなかったのか、その点だけちょっと確認をさせてください。

矢野政府参考人 先生御指摘の犬山市の問題につきましては、これはまさに自治体の個々具体の人事の問題でございますので、私どもとしては、御指摘のように、全く関知をいたしておりません。

谷田委員 それでは本当に国がやろうとしている教育改革なんというのは全然できないんですよ。

 先ほど副大臣にお答えをいただきましたように、どうぞひとつ、今からでもよろしいですから、愛知県に対して積極的に適切な指導助言をしていただくよう、そして皆さんお考えをいただいている教育改革を少しでも実現をしていただくよう、御努力をお願いしたいと思います。

 次の問題に移ります。

 教育委員会の委員についてであります。

 委員の構成を多様なものとしたり保護者を入れることは大変大切なことだと思っております。ただ、今回の法案では、この保護者を入れるというようなことが配慮義務あるいは努力義務とされておるのは一体なぜなんでしょうか。私はこれはもう明確に義務とすべきだと思っております。そして、できますれば、望ましい委員構成を明確に示して、指導すべきであると考えておりますが、いかがでございましょうか。

 例えば、私の出身地であります名古屋市の場合でございます。従来、教育委員は五人だったんですが、今度六人になりました。新しい一人というのは、これは教育長がなることになったわけでありますが、従来から出ていらっしゃる五人の教育委員の出身母体というのが今日までほとんど変わることがないんです。

 ちょっと長くなって恐縮なんですが、具体的に指摘をいたしますと、一人は元校長、なおかつ教員組合の委員長経験者、もう一人の方は元教育長、あるいは名古屋市の幹部職員を経験された方、三人目は、これは現役の方でありますが、地元新聞社の幹部の方、四人目は大学の教授でなおかつお医者さんの方、五人目が大学教授、あるいは裁判所の調停委員の方。改選のたびに、人がかわるだけで、常に同じグループから選ばれておるという現実があるんです。

 こういったところを、今保護者の方を入れたらどうですかといったって、何か既得権のような意識を持っていらっしゃるんですかね、なかなかに新しく保護者の方が入るということは大変難しいと思うんです。ぜひともこれは義務化をすべきだと思いますが、御所見を承りたいと存じます。

岸田副大臣 今先生から御指摘いただきましたように、委員の構成、固定化しているあるいは偏りがある、実際現実だというふうに認識しております。だからこそ今回こうした改正を行うわけでありますが、その中にあって、配慮義務、努力義務ではなくして、もう義務とすべきだという御指摘だったわけですが、委員につきましては、知事や市町村長が議会の同意を得て任命するということになっているわけであります。

 まず、知事やその市町村長が地域の事情を配慮して判断すべきものでありますし、また、加えて、この委員の構成というもの、教育ですとか、学術ですとか、あるいは文化ですとか、さまざまな見識が必要でありまして、それをどんな構成にするかということはその地域の事情もさまざま絡んでくるわけであります。

 ですから、国が一律に義務という形で固定するということは必ずしも適当でないということで、今回、努力義務、配慮義務ということにしたわけであります。要は、地方分権、あるいはその委員の役割、そういった中でどこまで国として固定化するかという中にあって、今申し上げましたような配慮の中で、配慮義務、努力義務ということにした次第であります。

 しかしながら、この委員の構成につきまして、現実、どうだろうかと首をかしげるような構成になっている部分があるのは事実でありますから、今回こうした体制をスタートすることによりまして、より地方自治体に対してしっかりと指導をしていくよう努めなければいけないと考えております。

谷田委員 保護者を入れたからといって直ちに教育委員会が活性化するなんて思いませんけれども、やはり一つの私はいい方向だと思うので、ぜひとも今御答弁をいただきました方向で御努力をいただきたいと思います。

 次に、不適切な教員につきましてちょっとお尋ねをさせていただきます。

 現在でも、地方公務員法第二十八条を拝見いたしますと、勤務成績がよくない場合や、その職に必要な適格性を欠く場合には分限免職を行うことができるとされております。およそ指導が不適切な教員につきましては、まずこの分限制度を活用して、免職等の処分を行うべきではないでしょうか。ここ数年、分限免職された方は全都道府県を合わせましてもわずか十五名前後にすぎないと承っております。このことから見まして、この分限制度は十分機能しているとは言えないと思います。

 新しい制度をつくることも大切でございますが、分限制度にしろ、新しくつくる制度にしろ、実際に制度を運用する都道府県教育委員会が適正に制度を運用し、もっと活用するよう文部科学省は指導すべきではないでしょうか、御所見を承りたいと存じます。

岸田副大臣 指導が不適切な教員につきまして、指導に当たることがないように措置するということが必要であるというようなことで今回の法改正も行われているわけでありますが、御指摘のように、まず分限免職や分限休職に該当する者につきましては、当該処分をしっかり行うべきだというふうに考えております。

 ですから、今回の法改正は、その処分までに至らない者に対してどう対応するかというような中身になっているわけであります。それぞれの制度、しっかりとその意義を考え、そして活用して、成果を出していかなければいけないということ、今御指摘のとおりだというふうに思っています。

 分限免職につきましても、指導力不足等で処分を受けた者、昨年十四名、病欠等を含めましても十七名だというふうに聞いております。この数字が本当に十分かどうかというような議論もあるかと思いますが、この辺もしっかりと検討した上で、それぞれの制度をしっかりと活用していかなければいけない、おっしゃるとおりだと思います。

谷田委員 公務員制度改革におきましても、信賞必罰が基本的な考え方として挙げられているように、公立学校の教員につきましても、指導が不適切な教員については免職や転職等の措置を講じるとともに、その逆に、熱心に教育課題に取り組んでいる教員にはきちんと処遇し、より手厚い対応をすることが重要であると思いますが、いかがでございましょうか。

矢野政府参考人 先生御指摘の点は、教育改革国民会議報告においても指摘されているところでございまして、勤務成績が優秀な教員について適切な評価がなされるとともに、その勤務実績に応じた適切な処遇がなされることは重要であると私ども考えているところでございます。

 このため、さきに策定いたしました二十一世紀教育新生プランにおきましては、教師の意欲や努力が報われ、評価される体制をつくるための主要施策の一つとして、優秀な教員に対する表彰制度とそれに連動した特別昇給等の実施を挙げているところでございまして、私どもといたしましては、各都道府県におきまして、優秀な教員を対象とした表彰制度が整備されますとともに、このような教員に特別昇給等の措置を講じるようなシステムが設けられますように検討を促してまいりたいと考えているところでございます。

谷田委員 次に進みます。

 今度、青少年に社会奉仕体験活動の機会を与えていく、これは私は大賛成であります。ただ、例えば老人ホームで社会奉仕をしようといたしましても、余り経験のない、そして未熟な子供たちが一体どこまでやれるのであろうか。逆に、受け入れる側にとって大変な負担が生じ、かえって迷惑をかけることになるのではないかということが懸念をされるわけであります。

 そこで、社会奉仕活動を行う上での関連する領域の皆さんの理解と協力がこれはどうしても不可欠だと思います。果たしてそういった体制はできているのであろうか、具体的にどのように取り組んでいくのか、御所見を承りたいと存じます。

矢野政府参考人 学校において体験活動の充実に努めるに当たりましては、先生御指摘のように、社会教育関係団体あるいは社会福祉関係団体、さらには青少年教育施設、老人ホーム等の福祉施設など、関係の団体や機関との連携に十分配慮して、活動の場や奉仕指導者の確保を初め、体験活動が円滑に実施できるような体制づくりを進めていくことが大変大事でございます。

 このような地域における体制づくりに資する観点から、文部科学省といたしましても、平成十三年度から、新たに、地域の推進体制を整え、学校、教育委員会とPTA、青少年団体等が連携協力して、奉仕活動に取り組むモデル事業を実施することといたしているところでございまして、学校と地域の関係団体あるいは関係機関との連携が図られ、充実した体験活動が円滑に実施されますように、そのための体制づくりを進めますなど、施策の推進に努めてまいりたいと考えているところでございます。

谷田委員 ありがとうございました。

 次に移ります。

 三つ子の魂百までということわざがあるわけでありますが、まさにこのことわざのとおり、乳幼児期の親によるしつけはすべての教育の基礎であると私は思っております。

 ただ、最近の子供につきましては、あいさつもできない、整理整とんができない、食生活が規則正しくないなど、基本的な生活習慣に欠ける面、そして忍耐強さがない、お金や物を大切にしない、ルールを守るといった公共心や社会的規範に欠けるなど、多くの問題が出ておるわけでありますが、これはまず、子供に対する基本的なしつけの方法など、親の教育方法に原因があると言わざるを得ません。そういう意味で、親自身が子供のしつけのあり方について学ぶことが必要と思います。

 ただ、親自身のしつけのあり方についての学習は、現在決して十分だとは言えないと思います。今日まで行政が提供してきた、例えば家庭教育学級、講座というようなものは、結局は、参加者を募集して、子育てや家庭教育に興味や関心を持って、時間的に余裕のある親しか参加してこなかったのが実情であると思います。いわば、善良な親のみを対象として学習の機会が用意されていると言っても決して過言ではないと思います。

 問題は、このような学習の場へ出てこない親に対してどう対処するのか、この点であると思います。これはもう大変難しい話でございまして、ただ単に教育問題ではなくて、行政全般について常に問われ続けている問題でありますが、ひとつ御所見を承りたいと存じます。

岸田副大臣 今御指摘がありましたように、家庭ですとかあるいは親子の関係、教育におきましてもまず基本だというふうに思っています。また、親から子へ、教育あるいはしつけというもの、次々と伝えられるということを考えますと、しつけにつきましても、あるいは教育につきましても、親が学ぶということは大変重要なものだというふうに認識しております。子供だけではなく、大人も含めて、親も含めて、全体で学んでいく姿勢、これは何よりも大切にしなければいけないというふうに考えております。

 昨年の教育改革国民会議報告におきましても、「すべての親に対する子育ての講座やカウンセリングの機会を積極的に設けるなど、家庭教育支援のための機能を充実する。」という提言がされているところであります。

 そういった中にあって、今先生の御指摘の中で、今までの講座等がややもしますと一部の人間しか受けることができなかった、偏りがあったのではないかというような御指摘がありました。そういった御指摘等もありまして、今年度から新たに子育て講座というものを全国二万カ所、全国規模で実施することを始めたわけであります。小学校区で約一つぐらいの割合でこの講座は始めるわけでありますが、これは就学時健診ですとか乳幼児健診ですとか、あるいは学校説明会、あるいはPTAの会合等、対象とする親の大部分が参加する機会を網羅した形で子育て講座を実施するというようなことになっております。

 ぜひこのあたりを徹底するということ、今おっしゃった、一部の親しかこうした学ぶ機会が得られないということを考えますと、大切だというふうに思いますし、また今回の社会教育法の改正、これは家庭教育に関する講座の実施を促進するという中身になっているわけであります。この法律の成立によりまして、一層このあたりが充実することを期待しているところでございます。

谷田委員 よくわかりましたが、若い親御さんに対する対応は今の話でかなり網羅できていくと思うんですが、今私が指摘したかったのは、どんな問題でもそうなんです。例えば、青少年健全育成大会というのがありますね。ここへ来てくださる方に、いい子供たちを何とか育てましょうと言ったって、来ている人たちはみんないい親御さんばかりなんです。その方々に幾ら訴えたって、これはそれまでのことでございまして、問題はそういった場へ出てこない方、ここまで言うとちょっと問題かもしれませんが、そういった場へ出てくることのできないような御家庭の中でいろいろな問題のある子供が出てくる可能性がかなりあるわけでして、そういった人たちにどう対応していくのか。

 これはあらゆる行政での同じ話なんですが、そのあたりをしっかりとらえていかないと、場さえつくったからそれでいいよ、一応みんなに声をかけたからそれでいいよと言ったら、これは教育改革一つ、私は決してできる話ではないと思っております。何と言うのか、アウトサイダーと言うのか、そういった方にまでどのような形で声をかけていくのか、これは大変難しい話だと思うので、ちょっとくどくなりますが、もう一度御所見を承りたいと思います。

岸田副大臣 就学前の児童を持つ親ですとか、あるいは小学校、中学校に通っている子供たちを持つ親に対する対応は先ほど申し上げたわけでありますが、それにとどまらず、もっと広くという御指摘でございました。

 今回、法律の改正をお願いしているわけでありますが、その中に、家庭、学校、そして地域の連携ということで、体験学習の活用等さまざまな内容を含んでいるわけであります。広く、親に対してのさまざまな意識の啓蒙ですとか、あるいは学びということになりますと、一概にその一部分だけということにならないと思いますので、こうした家庭、地域、さらには学校の連携の中で何ができるのか。その大きな枠の中で、親もその重要性に気づいてもらう、こういったことを考えていかなければいけないのだなというふうに思います。

 具体的には、先生の御指摘等も踏まえまして、これからしっかりと検討していきたい、勉強していきたいと思っております。

谷田委員 まだまだお尋ねをしたいのですが、時間が参りましたので、以上で私の質問を終わります。ありがとうございました。

高市委員長 西川京子君。

西川(京)委員 谷田先生に引き続き、質問をさせていただきます。西川と申します。よろしくお願い申し上げます。

 今回、この教育改革三法案に関する質問の前に、気になる記事が目にとまりましたので、そのことについてちょっとお伺いいたしたいと思います。

 五月二十五日の朝日の夕刊の記事で、新しい歴史教科書をつくる会がつくった教科書が市販される動きがありますが、そのことについて、大臣も、法律で禁じてはいないということは御存じでいらっしゃると思いますけれども、こういうコメントをおっしゃっていらっしゃいます。遠山大臣が「違法ということではないのかもしれないが、採択に影響を与えるということもあるので、できれば、採択終了後が望ましいということでこれまで要請してきた」という発言をされていらっしゃいます。

 私は、この問題について、今かなり微妙な外交問題にもなっているということは十分に承知しておりますが、先日も馳委員がこの文部科学委員会で発言していらっしゃいましたが、また一方で、今の遠山大臣の御発言と比べて、検定中の白表紙本が流出して、それが大きな外交問題にも発展したという今までの経緯がございます。

 その中で、本来は外に出てはいけない、そういうものが出てしまったことに対しての、大変公正な判断を汚すということに関しての文部省側のコメントがなかったように思うんですけれども、その辺に関して文部省側の、公正を守るという立場でのこの問題についての御所見をぜひ文部大臣からちょうだいしたいと思います。

遠山国務大臣 教科書をめぐりまして国際的な問題にも発展をし始めているということは、大変憂慮をしております。ただ、このことについては、御存じのような検定制度の範囲内で今十分に専門家に精査をしていただいているという段階でございます。

 今先生の方の御指摘は、教科書が採択に至る前に市販するということの取り扱いについて私のコメントが出たわけでございますが、今はそこに申し上げましたとおりでございまして、法律上の違法ということではありませんけれども、できれば公正な採択が実施されるように、その辺については望ましい形でという希望を申し述べているところでございます。私どもとしましては、その要請を申し述べる以上に出て何かということは今はできないわけでございますけれども、そのような私どもの関心事と、それからあるべき方向性についての考え方が優先的に考えられればいいなというふうに考えております。

 白表紙の関係の点につきましても、あのような形で事前に漏れるというようなことについては、これもやはり憂慮すべき事柄でございます。そのようなことについても公正を欠くことのないよう、今後とも、私どもとしてもできるだけ注意を払ってまいりたいと思っております。

西川(京)委員 ありがとうございます。

 本来、日本は国定教科書というわけではないわけですので、いろいろな教科書があってしかるべきだと思います。そして、国情の違いで、どうしても中国側なり韓国側なりにそのあたりのことがいま一つ理解していただけないという現実があると思いますけれども、ぜひ、あらゆる教科書が自由に出版、もちろん検定を通った教科書が自由に出版できる環境が整ってほしいな、そういう願いを持っております。

 そして、教科書が子供たちに自由に使われるということに関しては、実際には採択という問題が一番大きくかかわってくることでございます。検定に合格した教科書が今展示会場あたりで公開され始めておりまして、八月の十五日までに全国市町村教育委員会で採択されることになるわけです。各教育委員会で教科書選定委員が採択を決定するわけですが、その前段階に、どういう教科書を採択の委員会に上げるかという教科書の調査員の人たちが何人かいらっしゃるわけですが、その方たちが教科書というものに対しての精査をするわけですので、どうしても学校の先生がほとんどであるという現実があると思います。

 その中で、いわゆる絞り込みという問題が出てくるわけですが、教科書の選定委員会に、これが適当であるという感じで実際には一冊か二冊しか上がってこない。それを、ある意味では選定委員会がそのまますっと通ってしまうという、大変教科書選定委員会、教育委員会の形骸化というのがちょっと懸念されるように思うのですが、その辺についての御所見をぜひお伺いさせてください。

矢野政府参考人 教育委員会が教科書採択の参考とするために、教科書を調査研究させる調査員、あるいは選定委員会などを置きまして、これらが数種の教科書について教育委員会に報告する、そういう実態があるわけでございます。

 その場合、調査員等からどのような形で報告を求め、またそれをどのように受けとめるかは、採択権者でございます教育委員会の判断にゆだねられているわけでございますけれども、文部科学省といたしましては、これまでも、採択権者でございます教育委員会の責任が不明確になることのないように、採択手続の適正化、透明化を図るように指導をしてまいってきているところでございます。

西川(京)委員 現実に、教育委員会に任せられているわけですから、文部省の方からああだこうだともちろん言える問題でないということはよくわかります。基本的には、その地域の教育委員会がいかに自主的にきちんと機能するかという問題にかかっているんだろうと思いますが、できるだけ公正にそういう環境が整うように、文部省の方からも指導を徹底していただけたらという願いを持っております。よろしくお願いいたします。

 続きまして、教育改革三法案についての質問に移りたいと思います。

 いわゆる不適切教師の配置転換なり解雇という問題についてちょっとお伺いしたいと思うのですが、これに先立って、新しい学習指導要領の中で、総合的学習の時間というのを、本当に寡聞にして、恥ずかしいんですが、実は私はよく知りませんでした。この総合的学習の時間というのが、幅広い、教科を超えた新しい学習の時間としてふえているんですが、この教科時間が思った以上に多くて、小学校で一年間に百五時間から百十時間、中学校で七十時間から百三十時間、週にしますと三時間ぐらいあるんですね。これは、社会科や理科の時間よりも多いということで、大変大きなウエートを占めてまいります。

 これは、ある意味で、すばらしい先生に受け持っていただけたら、まさに人生のさまざまな体験なり体験学習なり、非常に大きな意味を持つ教科になることは事実なんですね。それが大変プラスの方向に働くとすばらしいんですが、こう言っては失礼ですが、余り能力のない先生に当たった場合、これだけのウエートのある教科が毎週行われるということは、大変期待とともに危惧を持っております。

 そういう意味で、この辺についての文部省のこの教科に対する一つの指針なり対応なり、どういうふうになっていらっしゃるのか、ちょっとお聞きしたいと思います。

岸田副大臣 先生御指摘のように、総合的な学習の時間、大変重要であると考えておりますし、大切にしていかなければいけないというふうに思っております。

 各教科で学ぶ事柄を体験的な活動の中で実感を持って理解する、あるいは実生活において、さまざまな教科で習ったものを総合的に生かしていく、あるいはみずから課題を見つけて自分で解決していく資質や能力を育てる、こうした主体的、創造的に取り組む態度を育成する、そういったさまざまな意味合いから重要に感じているところであります。

 しかし、今御指摘ありましたように、だからこそ、この時間をどのように指導していくのか、大変重要なことだと思っております。

 この総合的な学習の時間は、決して担当の教員一人で行うことにはなっておりません。校長のリーダーシップのもと、複数の教員が協力して指導に当たったり、あるいは保護者ですとか地域の方々の協力を得ることが必要だというふうに思っております。

 新しい学習指導要領におきましても、「地域の人々の協力も得つつ全教師が一体となって指導に当たる」というように記しているところでありまして、こうした体制をつくっていかなければいけないというふうに思っていますので、この大切な総合的な学習の時間が生かされるような体制づくりを地域の方々の御理解もいただきながらつくっていくこと、さらには、実践実例集みたいなものを文部科学省としてつくって、例えばこんな形でやったらどうかというようなモデルをつくること、これも大切だと思っておりますので、このあたりをしっかり努めることによりまして、この総合的な学習の時間、しっかりと生かしていきたいというふうに考えております。

西川(京)委員 ありがとうございます。

 まさに今一番問われている家庭と地域の教育力、この問題がかかわってくる教科だと思います。

 それで、さらに、その問題と関連いたしますが、学校が週五日制になりますと、土曜日の子供たちの過ごさせ方というのが大変大きな問題になると思います。今の総合的学習、体験学習の時間と非常に関連すると思いますが、この土曜日の子供たちの時間の過ごさせ方ということで、ここのところにおいて、大いに家庭そして地域を巻き込んだ、本当に総合的な日本の教育力、社会の教育力というのを高める必要があると思います。

 その中で、こんな新聞記事が目にとまりました。

 広島県の神辺町立神辺西中学校では、廊下を走り回ったり、火災報知機が鳴ったりと大変荒れた学校だったそうでございますけれども、昨年、校舎の一階の空き教室がお茶の間に変身した、畳十八畳を敷き四脚のテーブルを配置、食器棚や炊事場も備えつけた、地域の人たちが会合や趣味の場としても自由に出入りし、将棋や生け花など、地域住民を講師に生徒向けの講習会も開かれている。

 これは、今、学校だけの対応では限界だという校長の大きな判断のもとに、校長先生が地域にSOSを発信して、学校を開放したわけですね。学校は託児所じゃない、地域で子供たちをみんなで見守ってくれというメッセージを校長先生が出したわけです。その中で、空き教室の開放はあくまで一つの仕掛けであったが、それが、学校にいろいろな人が訪れることによって、生徒の関心がさまざまな方向に向き始めた。そういう中で、子供たちにも大変新鮮に映ったようで、学校が新しい方向に向かう芽生えのきっかけになったような一つの例でございます。

 この週五日制の問題について、学校をもっとどんどん開放して、地域の親なりその地域の大きなリーダーなり専門家なりがどんどん子供の教育にかかわっていく、あるいは土曜日、学校の教室をお借りして、子供たちに合わせて自分の体験教育みたいのをするとか、そういう試みも大いにいいことではないのかなと思うんですが、学校の開放その他を含めたところの文部省側の御意見をお聞きしたいと思います。

岸田副大臣 ただいま先生の方から一ついい例を出していただきましたが、完全学校五日制に移行する、そして先ほどの総合的な学習の時間の導入が行われる、そういった中にありまして、学校、家庭、地域の連携、一体となって教育機能を発揮するということ、これは大変重要だというふうに考えております。

 そういった中で、例えば、文部科学省におきましては、平成十一年度より三年間で、地域で子供を育てる環境を整備し、親と子供たちの活動を振興する体制を整備することを目指した全国子どもプラン緊急三ケ年戦略、こういったのを推進しているわけであります。また、青少年団体が実施する地域における子供たちの体験活動への助成金の交付を行う子どもゆめ基金の創設、こういったことも行いながら、こうした完全学校週五日制へ向けた受け皿づくり、こういったものに取り組んでいるところであります。

 こうした家庭、学校、地域の連携の中で、御指摘がありましたように、学校の施設を使うということ、これも大きなポイントだというふうに思っています。学校教育に支障のない範囲で可能な限り多くの日数、時間を開放するとともに、開放する場所を広げていく、その地域のさまざまな活動の拠点に学校を使ってもらうということ、これは大変重要だと思っておりますので、方向としては、学校開放の促進、ますます広げていかなければいけないんではないかなというふうに感じております。

 今回の法改正を契機としまして、社会奉仕体験活動等も三者連携のもとに大いに進めていこうという趣旨をこの法改正の中に盛り込んでいるわけでありまして、こうした法改正の結果も加えながら、学校施設を活用し、こうした連携を深めていくように努めていかなければいけないと認識しております。

西川(京)委員 ありがとうございました。

 ある意味で、学校、家庭、地域がお互いのあら探しをするような、お互いに疑心暗鬼の中で本音のぶつかり合いがないという現実があると思います。本当にお互いが一緒の場で本音をぶつけ合って、いかに地域で、みんなで子供たちを育てていく、あしたの日本のために健全な子供たちを育てていこう、そういう一つの試みの方向として、ぜひよろしくお願いしたいと思います。

 次に、実は五月の二十五日に、日本教育新聞の中で、教育改革国民会議で先日、新しい時代を生きる日本人の育成、あるいは伝統、文化など次代に継承すべきものを尊重し、発展させる、理念的事項だけでなく、具体的方策を規定するという三つの視点から教育基本法の見直しの提言がなされておりますが、その折、遠山文部大臣も、この五月二十五日に、省内で専門的な角度から緻密な検討を進めている、その結果が出た後中教審に諮る、よく議論をし、変えるべきものがあれば変えると発言されていらっしゃいます。

 これは、前の町村文部大臣のときにも大変積極的に教育基本法の改正に向けての動きがあったと思いますが、町村文部大臣は、今回の改正は、むしろ改正というよりも新しい法律をつくるというぐらいの思いでこの基本法を見直した方がいいのではないかと考えているというコメントもおっしゃっていらっしゃいますが、このあたりの、教育基本法の改正に向けての省内の進捗状況、それをぜひお聞かせいただけたら、またどういう方向に持っていくような、その内容も少しお示しいただけたらと思います。

遠山国務大臣 今の話の中にも既に出てまいりましたように、教育基本法の見直しにつきましては、広く教育改革国民会議で議論をされまして、そして提言があったわけでございます。

 それを受けまして、今省内で、検討といいますか、準備を行っているわけでございまして、どういうことを勉強しているかと申しますと、一つは、教育基本法立法時の経緯ですね。まだ戦後の混乱期に、しっかりした日本の教育をということででき上がった基本法でございますが、そのときの経緯について。それから、外国における教育基本法の例などについても今サーベイをしております。また、日本の他の分野の基本法がたくさんございますけれども、基本法の持つ性格でありますとか、その意味づけでありますとか、その内容、そういったものの例を勉強してもらっております。それから、もちろん教育基本法に書かれている各条文の意味内容の研究など行ってもらっておりまして、お話にありましたように、それの準備段階が終わりましたら、中央教育審議会へ諮問をするということでございます。

 この問題につきましては、総理も所信表明の中で、「教育基本法の見直しについては、幅広く国民的な議論を深めてまいります。」というふうに明言をされております。そのようなことから、私どもとしては、教育改革国民会議のおまとめになった最終報告の指摘の中で、新しい時代にふさわしい法典として見直すべき点が三つ挙げられておりましたが、そのことを踏まえた上で今文部科学省内で検討を行っているところでございます。

西川(京)委員 ありがとうございます。

 こういう動きに対しての一つの反論として、教育基本法を改正しても、今少年非行が減少するわけでもない、教育荒廃が解消するわけではない、今必要なのは個別の対症療法だ、そういう批判も当然あるわけで、この教育基本法を改正したから一気にそういう新しいきちんとした流れができる、そんなことではないことは十分わかっているわけですが、やはり対症療法的でなく、国の理念として、国が、この国の子供たちはどういうふうに育っていってほしいのか、そういう一つの哲学のようなものはぜひ盛り込んでいただきたいと思います。

 特に、今の教育基本法、別に問題のない本当にすばらしい教育基本法なのですが、どこの国に持っていってもそのまま当てはまるではないか。やはり日本の国の、日本の伝統というようなもの、日本のにおいというようなもの、そういうものがある教育基本法にするべきだ、私はそういう思いを持っております。

 その中で、小泉総理も本会議場でまさに、公私相半ばする人間が望ましいという発言をされていらっしゃいました。私もやはりそのとおりで、今余りに自由というものを履き違え、本当に義務の伴わない権利だけを主張する人間が、そして人任せな、自分は何もしないで人に責任を転嫁する人間、そういう考えが本当に社会に満ち満ちてきたと思います。

 そういう中で、本当に長い歴史を持った日本人だという一つの誇りを持ち、そしてあくまでも、自分は何をやっても自由であるが、それはみんなに迷惑をかけない範囲でそのことはするんだ、そういう一つのメッセージのようなものが盛り込まれた新しい教育基本法ができたら、本当にうれしいと思います。

 その点について一言だけ、大臣、よろしくお願いします。

遠山国務大臣 今御指摘の点は、今、日本が抱えている教育問題の中でも、子供たちの心にかかわる問題の中で最も重要な点の一つだと思います。人間が社会の中で生きていく、その中において、もちろん権利を主張するということも大事でございますけれども、常に権利には義務を伴います、そして責任も伴います。それを忘れてしまいますと、エゴイスティックな行動に陥ってしまうというようなことが間々見られるわけでございます。そのような心の教育の問題、あるいは真に学力をつける問題、そういったことは今回の教育改革の総合的なねらいの中に十分織り込まれて、これからいろいろな形で実現をしていこうと思っているわけでございます。

 同時に、それらのいろいろな施策と並んで、これから検討すべきが教育基本法ということで今課題が残されているわけでございます。

 大きな方向としては、新しい時代に生きる人間としてどういうことが必要であるのかということ。それから、伝統文化をきちんと身につける、よきものを継承していく、そういう力を持っている子供たちを育てるにはどうしたらいいか。そしてまた、教育にかかわる条件整備も含めた、教育の基本計画といったようなものをどのように法令上位置づけていくかというようなことの角度から今御議論が行われております。

 全体の方向として、二十一世紀を担う子供たちを、本当の意味で力を持ち、かつ、心も豊かな子供たちにするにはどういうふうにしていったらいいかという総合的な議論の中で今の課題も検討されていくというふうに思っておりまして、先生の御指摘の点も、私としては大いに重要なことであると思っております。

西川(京)委員 新しい教育基本法が本当にすばらしいものになることを願って、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

高市委員長 松沢成文君。

松沢委員 遠山大臣、初めまして。民主党の松沢成文と申します。

 きょうは、一時間、時間をいただきましたので、じっくりとこの三法案に関連して教育改革について議論をさせていただきたいというふうに思います。

 今も議論になっておりましたけれども、教育基本法の問題をまず取り上げたいと思うのです。

 教育改革国民会議の最終報告が十二月に出た。その中には、教育改革の基本として教育基本法の見直しに取り組むことが必要であるというふうな提言が載っているわけですね。

 それで、今の質問で、大臣の教育基本法に対する考え方とかあるいは文部省内の協議の説明が今あったわけですけれども、端的に伺いますが、遠山大臣は、今の教育基本法の見直しに賛成ですか、反対ですか。

遠山国務大臣 教育基本法制定以来、半世紀を経過いたしまして、制定当時とは社会が大きく変化しているということは確かでございますし、教育全般についていろいろな問題が出てきている。その中で、教育基本法の見直しなどの教育の根本にさかのぼった改革を進めていくという姿勢であることは確かでございまして、そのために各般の施策を推進しているところでございます。

 今、教育基本法の改正について賛成か反対かということでございますが、私自身は、総理も言われましたように、広く国民的な議論を深めてその方向を探っていくということが大事でございます。そして、今までの取り組みの中で明らかなように、戦後のいろいろな変化を踏まえた上で、また、そこに新たに盛り込むべきような事柄についても提言が既にされております。その方向性を前進させながら、この教育基本法の見直しの問題について、私はしっかりと取り組んで成果を得てまいりたいと思っております。

松沢委員 議論を踏まえて判断するということだと思うのですが、それでは岸田副大臣、自由民主党の議員でもありますけれども、岸田副大臣は、教育基本法の見直しに賛成でしょうか、反対でしょうか。

岸田副大臣 二十一世紀を迎えまして、今の社会がドッグイヤーと言われるようなすごいスピードで変化しております。また、冷戦構造崩壊後、随分時間はたったわけですが、その後、世界の優秀な人材がしのぎを削り、各国とも新しい秩序の形成の中でそれなりのポジションを占めようと思い、大変熾烈な競争も行われている昨今であります。

 こうした激動する現代の中にあって、我が日本の国における教育の基本法がどうあるべきなのか、これは当然考えてみる必要があることだと思っておりますし、そういった中で教育基本法について議論をするということ、これは大変大きな意味があると思っておりますし、そして議論の結果、その見直しが行われるということはあり得るべきことだというふうに考えております。

松沢委員 やはり自由民主党から出ていた町村前文部大臣は、先ほどもクオートがありましたけれども、改正というよりも新しい教育基本法をつくるようなつもりでという表現も使っている。あるいは、この教育改革に熱心に取り組んできた森前首相も、新しい時代に対応した抜本的な見直しが必要だ、こうおっしゃっているのですね。自由民主党の政治家の皆さんは、教育基本法改正にかなり前向きであるというふうに私はとらえたいとは思うのです。

 そこで、池坊政務官、公明党は、例えば神崎代表が、今直ちに改正することは慎重に対処すべきだという意見が党内に強い、あるいは十分な時間をかけて慎重に行うべきだと、改正にはかなり消極的な発言を続けておって、また、公明党の重点政策の中にも、教育基本法の改正問題については十分に時間をかけた検討、議論の深まりが必要だというふうにおっしゃっています。池坊政務官個人の見解はいかがでしょうか、教育基本法について。

池坊大臣政務官 私は今、政府の一員でございますから、公明党の議員としてよりは、政府におります一員として私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 私は、教育基本法というのは、言ってみれば憲法に当たるものだと思いますから、そんなにすぐに変える必要があるのだろうか、もっと慎重に審議をすべきではないだろうかというふうに考えております。

 私は、教育基本法の十一条を大変好きでございますし、よくできていると思います。一条の人格の完成というのは、いつも私、自分の心の中で、ああ、この一条のようでありたい、教育というのはこれだというふうに思っております。もし教育基本法が現場に行き渡ってこのとおり行われたならば、今日の教育荒廃はなかったのではないかとすら私は思っております。

 教育基本法を変えたら教育の現場がよくなると考えたら、これは余りにも早計なのではないかと思います。政治家とか行政は、もっと現場の声を聞いて、現場でもっともっとしなければならないことがあるんじゃないかと私は思うんです。

 日本人というのは、一つ何かつくりますとすぐそれに安心して、もうそれで終わりということがございます。教育基本法に、確かに、自国への誇りだとか、伝統だとか、環境だとか、社会貢献が抜けている、あるいは教育振興基本法がないと言われておりますけれども、では、それを書きましたら、学校がよくなり、子供の教育がよくなるのでしょうか。私は、むしろ、書かれていなくたって、自国の誇りは先を歩んでいる人間が次の世代に受け渡していこうと思って毅然とそれを教えていったならば、それはきちんと教えることができるのではないかと思っております。

 それからまた、ついでに一分言わせていただくならば、政治家というのは、大きな流れやうねりがあるときには、何事においてもその流れにさお差すこと。これは本当に大切なんだろうか、次の世代にも大切だろうか、これはいい選択だろうか、そのように考えることが必要と私はいつも思っておりますので、そういう意味では、このような大切な問題は十分な審議を行うべきであるというふうに思っております。大きな流れでできるということには反対でございます。

松沢委員 大臣の所信表明演説の中でこういうくだりがありました。教育基本法の見直しについては、教育改革国民会議の最終報告を踏まえ、中央教育審議会等で幅広く国民的な議論を行うというふうになっています。

 それで、教育改革国民会議の報告にはこう書いているんですね。新しい時代にふさわしい教育基本法には三つの観点が求められるとして、要するに新しい時代にふさわしい教育基本法をつくるという仮定なんです。一つに、新しい時代を生きる日本人の育成、二つに、伝統、文化など次代に継承すべきものを尊重し、発展させる、三つに、教育基本法の内容に理念的事項だけでなく、具体的方策を規定すると列挙しています。先ほど大臣からもそんな御説明もありました。教育改革国民会議の報告の結論としては、「教育基本法の見直しに取り組むことが必要である。」と言っているわけですね。

 さて、その経緯から判断すると、文部省の中での議論を踏まえて今後中央教育審議会に諮問するとおっしゃっていましたけれども、要するに、教育改革国民会議の打ち出した教育基本法の見直し、それを具体化してもらうために中教審に諮問するんですねということをまず大臣に確認したいんです。

遠山国務大臣 教育基本法の見直しにつきましては、今後我が省内で検討を行った上で中央教育審議会等で幅広く、こういうお話を常にしておりますが、まさにその段階でございまして、それ以上のことも言えないし、それ以下のことでもないということでございます。

 では、具体的に中央教育審議会でどのような形で御議論いただくかということについては、現時点では未定でございます。未定ではありますけれども、新しい時代の教育基本法を考える際の観点を提言いたしました教育改革国民会議の最終報告を踏まえた上での議論がなされるものと考えているところでございます。

松沢委員 ちょっと今の答弁はわかりにくかったんですけれども、普通この文脈を判断すると、教育改革国民会議では、やはり新しい時代に向けての教育基本法が必要だ、要するに教育基本法の見直しをするので、その具体的なあり方を中教審にお願いしたいというふうに私は判断しちゃうんですね、こういう文面を見ると。

 池坊政務官、今、公明党そして政務官御自身の立場も、教育基本法は非常に立派な法律であって、もし見直すとしても十分な議論が必要だし、時期尚早な見直しはやるべきでないとおっしゃっていましたが、私は、中教審への諮問は教育基本法見直しという方向で具体案をつくってくれというふうにやっていると判断していますけれども、池坊政務官はどうお考えなんですか。

池坊大臣政務官 あくまでも全国にまたがっていろいろな人の意見を聞くということですから、出発からそのような方向でというふうには私は考えておりませんし、そうであったら、審議会とかさまざまな委員会の意味はなくなってしまうのではないかと私は思います。少なくとも、審議会というのは、透明な中でいろいろな人の意見を酌み取るべきと考えております。

松沢委員 としますと、大変なことも予想されるんです。

 総理の私的諮問機関である教育改革国民会議では、新しい教育基本法を模索すべきだ、要するに教育基本法の見直しに取り組むべきだという答申ですね。それを受けて文部省は、今度文部省にある中教審に新たに諮問するわけです。そこでは、見直しの方向での諮問ではない、教育基本法のあり方について御自由に議論して提言くださいというのであれば、メンバーが違うわけですから、中教審では、教育基本法は今のままでいいんじゃないか、見直す必要はないという答申が出てくる可能性もあるんですね。

 さて、大臣、もしそうなったらどちらを優先するんですか。

遠山国務大臣 今の段階でどのような議論が行われるか、それが中教審におきまして教育改革国民会議の示唆する方向と違うかもしれないがどうかという御質問でございますけれども、私は、やはり議論がまだ開始されていない段階でありますし、中央教育審議会にどのような形で諮問していくかということについてもまだ未定でございます。

 したがいまして、議論の結果、もし違った場合にはどうかというお問いかけに対しては、大変恐縮でございますが、お答えするのは適切でないと思います。

松沢委員 では、それは恐らく文部省の方針が変わったということと私は理解するんですね。

 といいますのは、町村大臣のことしの所信演説の中に、新しい時代にふさわしい教育基本法の見直しについては、教育改革国民会議の最終答申を踏まえ、文部省内で検討を行った上で、中教審に諮問すると言っているんです。見直しについて諮問すると言っているんです。

 ですから、文部大臣は、議論はこれからですからすべて中教審に任せる、見直すか見直さないかも任せるという判断であれば、これは文部省の考え方が大臣がかわることによって変わったと判断せざるを得ないんですが、そう考えていいんですか。

遠山国務大臣 そのことにつきましては、何ら変更はございませんということを私は明確に言いたいと思います。

 教育基本法の見直しについて、今省内で検討を行っていて、そして今後中央教育審議会等で幅広く国民的な御議論をいただくということでございまして、その方向性というものが、内閣がかわったということで変化するということはないわけでございます。ですから、これまでのプロセスを踏んで、きちんと省内で検討した上で、中央教育審議会にその見直しの問題について諮っていくということでございます。そして、その後に広く御議論をいただくということでございますから、何ら変更はございません。

松沢委員 総理の私的諮問機関として教育改革国民会議がある、そこで議論をしてもらって、教育基本法は見直すべきだという答申が出てきた。そして、それを受けて文部省では、もう一回やり直すということで文部省につくられている中教審に諮る、そこでまたもしかしたら違った結論が出るかもしれない。これは政治の責任放棄で、審議会にお預け政治じゃないでしょうか。

 あるいは、ここでまた違った結論が中教審から出てきた場合、これは可能性ありますよね、メンバーが違うわけですから、議論もこれからですから。そうなった場合は、教育基本法という教育改革のど真ん中にある重要な法案について、完全に政府の中でダブルスタンダードになってくるんですよ。私は、この審議会お預け型の政治というのは極めて無責任だと思いますけれども、大臣はいかがお考えでしょうか。

遠山国務大臣 今は、想定できる状況を想定されまして、それはダブルスタンダードではないかという御議論でございますけれども、やはりこの問題は非常に大事な、基本的な問題でもありますから、広く意見を求めるというスタンスをとるということは大事でありますし、また、大きな流れの中で、教育改革の中心的な問題であるということで、今見直しを検討するための準備が行われている段階でございます。その結果を待って諮問をし、そして広くということでございますので、今から、結果が違うのではないか、だからダブルスタンダードではないかというふうな御質問に対しましては、私としては、いかんともお答えするべきでないと思いますし、これはしっかりと議論を得た上で対処していきたいというふうに申し上げるしかないわけでございます。

松沢委員 今の大臣の答弁ですと、まだ見直すかどうかは決まっていないんだ、こういうことですね。今後また中教審にかけて幅広く議論をしていただくというふうに判断をしたいと思います。

 次に進みます。

 学校教育法、社会教育法の改正の中に、社会奉仕体験活動、自然体験活動についての法改正がございます。大臣は恐らくお読みになっていると仮定して、仮定といっては失礼ですけれども、質問させていただきますが、教育改革国民会議で奉仕活動の義務化とか、こういう問題で議論をしている中で、産経新聞の「正論」という紙上論争で、大変興味深いものがありました。これは、作家の曽野綾子さんと上坂冬子さんの論争でありました。テーマは、奉仕活動の義務化について。

 簡単に言いますと、すごく長い文章なんですが、曽野さんは、教育というのは強制から始まる、強制から始まって自発性というのを自覚させていく方向に持っていくべきだ、与える喜びを子供たちに知ってもらうためにもやはり奉仕活動の義務化というのは必要なんだ、要約に要約を重ねるとこんな形でありました。これに対して上坂冬子さんは、奉仕あるいはボランティアというのは、本来個人が自発的に行うものであって、国家が強制すればそれは苦役でしかない、まず個人の確立、個の確立が重要であるということで、真っ向から反論をいたしまして、紙上論争があったわけなんです。

 さて、奉仕活動の義務化とか社会体験活動の充実とか、こんな形になっていますけれども、この問題を考える上で、このお二人の論争、大臣はどのように評価をされますでしょうか。

遠山国務大臣 私も、産経新聞のみならず、奉仕活動の問題についていろいろな御意見が出ているのを興味深く拝見していた一人でございます。今先生御指摘のお二人の論争につきましても、興味深くフォローさせていただいたのでございますが、私、実は、曽野綾子先生もそれから上坂冬子先生も、いずれも大変立派な女性の作家であり、かつ評論家でもありまして、尊敬をしております。

 今ちょっと御質問の点で気になったんですけれども、上坂先生の方の御議論のスタンスは、ボランティア活動を義務づける教育改革案が出たということを前提におっしゃっているような気もいたしますし、逆に、曽野先生の場合には、やはり曽野先生の生き方といいますか、信念を反映した御意見であろうかと思っております。

 その意味で、私は、このような形でいろいろな御意見が出ること自体が民主主義国家の生き方でありまして、ただ、義務化をねらっていない奉仕活動の我々のスタンスでございますから、今あえてどちらがいいかとかについて、私からコメントを申し上げるべきことではないのではないかと思います。

松沢委員 今回の法案では「社会奉仕体験活動、自然体験活動」というふうになっているんですね。ただ、この社会奉仕体験活動というのは、言葉が、長いだけじゃなくて、非常にわかりづらくなっちゃっているんじゃないか。私自身は奉仕活動というのと社会体験活動というのは異なるものじゃないかという考え方を持っているんです。

 社会体験活動というのは、さまざま、企業に行って働く場を見てくるとか、あるいは社会の中のいろいろなところで体験をしてみる。私は、英語は余り得意じゃないんですが、英語で言うとソーシャルアクティビティーにコミットメントするみたいな、こういうことだと思うんです。

 ところが、奉仕活動というのは、私たちがお世話になっている国家や社会、あるいは共同体の人々に対してみずから献身してサービスをする。英語でもよく、軍隊に行ってくることをサービスと言いますし、あるいは公務員が社会に対して何年私はサービスしたんですよという言い方をするんですね。これはワークじゃない、働くというんじゃないんですね。そういう意味合いを持っていると思うんです。

 それで、今回のこの法案の言葉の使い方は、社会奉仕体験活動と両方一緒にしちゃっている。非常にこれはわかりにくくなっていると思うんですね。

 この法案は教育改革のための三法案だということで、教育改革国民会議の最終報告を受けてつくっているわけです。ただ、この最終報告にはこうなっているんです。「奉仕活動を全員が行うようにする」というふうなテーマで、その具体例が、具体的にどうやったらいいか書いてあるんですね。

 ですから、教育改革国民会議が言わんとすることは、やはり奉仕活動を全員が行うようにする、ですから言葉をかえれば義務化なんですよ。教育改革国民会議の報告というのは、奉仕活動の義務化を、やはりいろいろ意見はあるかもしれないけれども、日本の社会、日本の教育はやっていかなきゃいけないんだ。この提案が、法案になると、社会奉仕活動の充実に努めるになっちゃっている。何か教育目標、それも努力目標になっちゃっているんですね。

 私は、厳しい言い方をしますけれども、これは教育改革国民会議の言っていた提案の目的のすりかえだと思うんですが、大臣はいかがでしょうか。

遠山国務大臣 教育改革国民会議の提案をもう一度今読んでみましたけれども、「奉仕活動を全員が行うようにする」という提言ではございますけれども、このねらうところは、「思いやりの心を育てるためにも奉仕学習を進めることが必要である。」という表現でございまして、必ずしも私はこれを義務化するというふうなことが述べられているようには思わないということでございます。

岸田副大臣 済みません、大臣の答弁のとおりなんですが、先生御指摘ありました教育改革国民会議の最終報告の中にも、義務化という言葉は明記はされていないということをまず確認させていただきたいと存じます。それから、その報告の中には、奉仕活動のみならず自然体験などさまざまな体験活動の充実ということを提言しているわけです。

 それで、今先生から御指摘がありましたように、活動の分類というのは大変難しい部分があると思いますが、奉仕活動も、みずからが身をもって体験する活動という意味では、広い意味で体験活動の一部だというふうに理解しております。

 ですから、今回の法改正の中でも、体験活動の一層の充実を図っているわけでありますが、その体験活動の中で特に重要なものとして社会奉仕体験活動というものを挙げているわけであります。その中に、先生がおっしゃった奉仕活動と社会体験活動、両方ごちゃまぜになっているのではないかという御指摘があると思いますが、そういったものがやはり体験活動の中で特に重要だということでこれを例示として挙げているというふうに御理解いただければと思います。

松沢委員 四月十一日に町村前文部大臣がこの件についても中央教育審議会に諮問しているのです。青少年の奉仕活動、体験活動の推進方策等について具体案をつくってくれと言っているのです。

 ここも私は理解できないのです。私は、審議会に頼り過ぎる今の政治というのは問題があると先ほど言いましたけれども、今、中教審にその具体案をまずやってみてくれとお願いをしているこの時期に、なぜこうやって急いで法改正に持っていってしまうのでしょうか。むしろ、中教審の答申が出て、それを省内でもよく議論した上で、それできちっと法改正に持っていくというのが順序ではないかと思うのですが、文部大臣いかがですか。

岸田副大臣 先生から御指摘のあったような考え方もあるかと思いますが、ぜひ御理解いただきたいのは、中教審に諮っているのは、その体験活動等が是か非かということではなくして、具体的にどうあるべきかということを御検討いただいているわけでありまして、恐らく体験活動につきましては、その意味合いについてはかなりコンセンサスがもうでき上がっているのではないか。この教育的な意味合い等、多くの理解を得られた上で、この重要性にかんがみて法改正を行う。その具体的なやり方について中教審にお諮りするというような形で、分担してあるべき姿を模索している図式だということを御理解いただきたいと存じます。

松沢委員 先に進みますけれども、文部科学省は、五月二十一日の産経新聞で、児童生徒の奉仕活動のあり方を探るための新規モデル事業をスタートさせたという記事が載っていました。これは全部説明すると大変なので、例えばどんな事業をどんな自治体でやっていくのでしょうか。これは御説明いただけますか。

岸田副大臣 この社会奉仕体験活動等の充実のために、活動の場ですとかあるいはその指導者の確保、こういったことを行うためのシステムづくりが重要であるという認識のもとに、平成十三年度から新たに、教育委員会ですとか学校ですとかPTAですとか、あるいは青少年団体ですとか、そうした各関係者が連携して、青少年の社会奉仕体験活動の推進に資するモデル事業を考えるということで、学校と地域を通じた奉仕活動推進事業、こういったものを実施することとしているわけであります。

 この中身についてでありますが、具体的には、学校や地域の事情を踏まえた上で、年間七日間程度、福祉施設での高齢者介護や障害者への援助活動、河川や公園の清掃活動、里山の保全活動など、青少年が奉仕活動を身をもって体験する活動を行う事業ということになっております。

松沢委員 私もそれらの事業をちょっと見させていただきましたけれども、奉仕活動なのか社会体験活動なのかというのが非常にあいまいになってしまっているのですね。やはりこれは目的をはっきりしていかないと、子供たちにきちっとした意味での教育につながっていかないのではないかというふうに私は思っています。

 さて、その中で、教育改革国民会議の報告でも、奉仕活動を共同生活で行うことが重要だとしているのです。すなわち、その日に行ってちょっと手伝って帰ってくるというよりも、寝食をともにして、俗に言えば合宿生活、それぐらいのことをやって奉仕活動を経験させる。そうしないと、しっかり奉仕の意味が身につかないということなのでしょう。

 さて、このモデル事業では共同生活を行うということは入っているのですか。恐らく社会体験的なものだけになっていて、例えば中学生、高校生ぐらいでしたら、二週間とか一カ月という期間も明示されていますから、その中で共同生活を行えるような状況のものができているのかどうか、お聞かせいただきたいと思います。

岸田副大臣 共同生活の重要性につきましては、先生御指摘のとおりだと思います。互いの交流を通じて、社会のルールあるいは思いやり等を育成する上で大変効果が高いというふうに思っています。

 今、モデル事業の中に入っているかという御質問でありますが、モデル事業の中には入ってはおりません。しかし、今申し上げましたように、その効果の意味合いは大変大きいものがあるというふうに考えておりますし、学校や社会教育関係団体等がこれは適切に判断していただければというふうに思っておりますので、こういったものの重要性はしっかりと認識しながらこれからの方向を考えていくべきだというふうに思います。

松沢委員 私は、奉仕活動というふうなところに重きを置くのであれば、やはりこの共同生活というのは大変重要な部分になってくると思うのです。ただ、これは、例えば、一挙に中学生全員でわあっと行っても、受け入れ先もありませんし、どんなふうにやっていくのか、あるいは、どういう地域団体、地域の施設にも協力してもらってやっていくのか、ぜひとも、この点についてもモデル事業をつくって詰めていっていただきたいというふうに思います。

 この問題の最後に、教育改革国民会議の報告では、皆さんが奉仕をやるというテーマの一番最後のところに、「将来的には、満十八歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討する。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速やかに社会的な仕組みをつくる。」というふうに提言をしているのです。

 ここまで来ますと、この提案は、もはや体験活動の充実というところよりも、もっともっと超えています。これは十八歳になったら国民全員が、一定期間、議論の中では半年とか一年ということも出てきたらしいですけれども、仮に、半年、一年、十八歳の少年が全員でこういうことをやってもらうというのであれば、これはもう体験活動の充実ではなくて、ある意味では勤労奉仕の義務になってくるのです。そうであれば、これは教育基本法とか教育の問題を超えて、国民の権利と義務にかかわってくる問題、すなわち憲法の問題にかかわってくるのです。

 そこで、これはぜひとも大臣に見解をいただきたいのですけれども、国民の義務としてここまでやるのであれば、憲法の中にしっかり位置づける、そういう方向も考えていくべきだと私は思うのですけれども、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 今先生るるお話しの点でございますけれども、今回の体験活動、幅広い意味内容を含んでおりますけれども、体験活動を充実していくということは、やはり子供にとって、実際に実感できる体験を通して学ぶという意味で大変重要だということから発想されたことでございます。

 今回の社会教育法の改正も、青少年の体験活動の促進を図るために、青少年に対して社会奉仕体験活動を含むさまざまな体験活動の機会を提供するため、そういう事務を教育委員会が行うべき事務として規定するということであって、青少年に対してそのような体験活動を行うことを義務づけるものではないということを一つ申し上げたいと思います。

 また同時に、学校教育法の改正につきましても、教育指導を行うに当たって、体験活動を充実するよう努める旨を規定するものでありまして、児童生徒に対して体験活動を行うことを義務づけるものではないということでございます。

 そのような立法の趣旨からいいまして、憲法の規定に反するような、苦役を与えるとか、そういうことでは全くございませんので、そこのところは御理解をいただきたいと思います。

松沢委員 ちょっと今の答弁はわかりにくかったのですけれども、十八歳になったら青年が一定期間、半年や一年、こういうところできちっと奉仕をしなさいということを義務づけるのであれば、これは私は、憲法の問題にもかかわる問題だと思って、教育論だけではなく、もっと違った議論が必要だと思っておりまして、今後また議論していきたいというふうに思います。

 次に、ちょっと細かい議論に入っていきますが、教育委員会の活性化に向けての法改正があります。

 今回の法改正では、教育委員の構成が見直されているわけですね。つまり、保護者や地域住民の意向をより一層的確に反映できるように、委員の任命に当たって、年齢だとか性別だとか職業等に著しい偏りがないように配慮する、特に、委員の中に保護者が含まれるように努めるということなんですね。要するに、人員構成の質の改善ですね。

 ただ、私は、今の教育委員会の実態を見ていると、この質の問題とともに、これは言い方が難しいのですが、量の問題というのがあると思うのです。そこで、ちょっと例を出します。

 私は神奈川県選出の議員なんですが、神奈川県には横浜市という、鈴木理事もお住まいの、選挙区が日本で一番大きな基礎自治体があるのですね。これは、人口三百四十万です。学校数、公立の小中高数、幾つあると思いますか、五百七十あるのです。生徒数三十一万です。それで、教育委員六人です。同じく、私の川崎市というところは、人口百二十万で教育委員は五人。学校数は二百二校あります。生徒数十七万人。神奈川県で一番小さな基礎自治体は清川村というのですね。この村は、人口三千五百人。学校数は、公立学校がわずか六校。生徒数はわずか三百人。教育委員はちゃんと三人いるのですね。

 教育委員一人当たりの生徒数というのを割り算して計算しますと、横浜市は何と五万一千六百人です。縦に割ることが正しいかいいかわかりませんが、一人の教育委員が担当する生徒数ですね。川崎市が三万四千人、清川村は百人であります。

 皆さん、何を言いたいかといいますと、教育委員に、その基礎自治体の教育の現場の情報、親の意見あるいは先生方の意見、これがやはりしっかり入っていて初めて、この学校をどうするのか、この先生をどうするのか、あるいは教科書をどうやっていくのかという議論ができるのですね。

 これはもう本当に都市砂漠のようになってしまっていて、恐らく横浜市の教育委員なんというのは、鈴木先生でも全員の名前は言えないと思いますね。全く知らないような人が、事務方の資料が上がってきたのを、簡単に言えばほとんど判こをつくだけであります。実質的な議論は全くできないです。要するに、基礎自治体の規模が大き過ぎるのですね。私は、これをしっかり改革していかないと、大都市においては教育委員会は機能しない。教育委員会の活性化といっても、この問題を忘れてしまっているのですね。

 だから、私の提案としては、例えば、政令指定都市は行政区があります。行政区になると人口十万から二十万なんですね。ここは難しいかもしれませんが、教育委員会は各行政区でも持てるようにして、それだって清川村の何倍も大きいのですよ。その行政区域内の公立学校のさまざまな情報を集めて、教育委員会として方向性を見つけていく。こういう教育委員会の分権論や、あるいは、大都市であったら、人口三百四十万の横浜市であったら、横浜市の権限で、うちはこれだけ生徒も多い、学校も多いんだから、少なくとも教育委員は三十人ぐらいにしようとか、そういう権限を持たせる。これこそが私は地方主権だと思いますし、教育の地方分権だと思うのですね。

 今、私の川崎市でもそういう教育委員会の問題を抱えておりまして、今回の活性化案というのは質の問題だけですが、規模というか、この問題について、大臣は改革案をお持ちではないんでしょうか、ぜひとも改革をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 非常に御示唆に富んだ御意見を伺いました。

 ただ、現行制度の考え方を説明させていただきますけれども、今の制度のねらいといいますか、その性格上、教育委員の数は原則五人とされているところでありますけれども、教育委員会自身は、委員の合議によって教育行政の基本方針などを定める仕組みの、これは審議機関ではなくて執行機関であるわけです、これは地教行法の法律をお読みいただければおわかりと思いますけれども。

 それで、地方の行財政改革でありますとか、あるいは他の執行機関との整合性を図る必要があるということからできている執行機関でございまして、人口の増加に合わせて教育委員の数を増加させていくような性格のものではございません。

 ただ、先生がお話しのように、いろいろな教育の実態を調べたり、その情報をきちんと集めて、それを分析して、合議体としての意思決定をしていく必要があるのではないかということは、まことにそのとおりでございます。

 ですから、大規模な自治体でありましても、教育委員会が地域住民の多様な意見を把握して、それを教育行政に反映させていくために、いろいろな方式があると思います。

 一つは、例えば教育行政に関する相談体制の整備でありますとか、あるいは公聴会を開く、あるいは教育モニターの活用というようなさまざまな方法を用いて、広い区域内におきます教育の実態をしっかり情報として整理して、そして、執行機関である教育委員会において基本方針を定める、そういう教育委員会制度の本来のあり方というものを十分に執行していただきたいと考えております。

 したがいまして、教育委員一人に対して、幾つの学校があって、子供たちが何人いるか、そういう考え方にはなじまない制度でございます。執行機関でございます。

松沢委員 執行機関であるのはわかるのですけれども、そうであれば、国の法律で、おおむねですけれども、その人数まで決めるのではなく、むしろ地方自治体に、その教育委員会の構成については全権をゆだねる、地方自治体で議論してどういう教育委員会をつくるか、人数や質においても。それを任せるというのが教育の地方分権につながると私は思うのですけれども、そういう発想はございませんか。教育委員会の人数とか中身について、どうしても国が、中央で法律でコントロールしなければいけないのでしょうか、どうでしょうか。

遠山国務大臣 教育委員会の制度の中で、どういう人を教育委員に選び、どういう形で情報を集め、そして基本方針を決めていくかということについては、全く各地方公共団体に任されているところでございます。

 ただ、るるお話ししておりますように、この教育委員会制度というものが、諮問機関といいますか審議機関ではなくて、教育行政にかかわる中心的な事柄を執行する、そういう機関でございますので、それは、各地域においてきちんとした形で行政を行っていただくという角度から、基本的な枠組みについて国が定めているというのは当然の方向ではないかと思います。

松沢委員 次に、通学区域にかかわる規定削除についてお伺いをしたいのです。

 学区の自由化というのは、学校選択の幅も広がって、方向としては私は間違ってはいない、賛成なんですけれども、その一番大きなマイナス面として、学校間格差が広がるんじゃないかというところがあると思うのですね。

 例えば東京都では、今都立高校の学区を一つにしようという改革になっています。そうなると、例えば日比谷高校が復活できるとかいう一部の期待もあるのかもしれませんが、そういうトップ校が出てきて、受験も含めて東大に何人入ったかなんというような競争にも入っていけて、以前の日比谷復活だと喜んでいる方もいるそうであります。

 ただ同時に、かなり底辺校というのも決められてしまって、スクールのナンバリング、ナンバースクールができてしまうという弊害もあると思うのですけれども、大臣は、学校間格差が広がるという弊害については、いかがお考えでしょうか。

岸田副大臣 御指摘のように、今回の改正によって学校間格差が拡大したり、あるいは受験戦争が激化すること、これはあってはならないことだと思っています。

 その中にあって、今回、改正によってそういったことが心配されるんではないかということでありますが、この問題につきましては、例えば高等学校の入学者選抜等において、選抜方法の多様化ですとか評価尺度の多元化等によって、従来から、高校における格差というものに対してそれなりの対策が講じられてきたわけであります。

 加えて、昨今、それぞれの学校の特色を出していく、教育の特色を尊重していくというような方向、あるいは、学ぶ側にしましても価値観が多様化していく、そういった価値観をどう吸収していくのか、そういった施策や考え方の中で、必ずしも学区を撤廃したらかつての状況が復活するというような状況ではないんではないか。やはりこういった多様な選抜方法、学校のそれぞれの特色を尊重するあるいは学ぶ側の価値観の多様化、こんなものをしっかりと受けとめられる方向を、体制をつくることによって、学区の自由化によっていきなりおかしな方向に行くということは防げるんではないかというふうに認識しております。

 ぜひそのように努力しなければいけないと考えております。

松沢委員 ここ数年、小学校、中学校レベルでも学区の弾力化が、さらに自由化までいっているんでしょうかね、進んできていて、例えば品川区は、もう二年目になっていますけれども、小学校で隣接学区の小学校も選択できるというふうに学区を少し弾力化したわけですね。中学校も、ことしから品川区は始めた。それがだんだんと広がって、日野市とか足立区にも広がっていっていて、聞くところによりますと、足立区の場合は全区一学区にして、何十か小学校があると思うんですが、それを一応自由にしたということで、ここまで進んできているんですね。

 確かに、学区の弾力化というのは、生徒や親にとっては学校の選択の幅が広がるし、あるいは学校間に、やはり生徒をたくさん呼んでこなければいけないという意識が働いて、競争が起きて、今副大臣の御指摘がありましたけれども、逆に特色ある学校が生まれる。あるいは、学校の情報公開、やはり生徒たちが選択しますから、きちっと、我が学校はこういう学校でこういう教育をしているんですよということを情報公開するという開かれた学校になるといういい面もある。

 しかし同時に、先ほど申したように学校間格差が生まれるという弊害もあるんですね。特に小学校の場合で、足立区のように完全自由化までいっちゃいますと、小学校は、地域に根差した小学校をつくっていこうという一つ方向もあるわけですね。非常に地域との乖離が進んでしまうんじゃないかというデメリットもあるんですけれども、大臣、私は高校ぐらいまでくればかなり選択の自由を認めてやっていくのはいいことだと思うんですが、小学校段階でここまで自由化が進んでしまうと、地域に根差した小学校というのがなかなかできなくなってしまうんではないか、私はそう思っているんですけれども、大臣は小学校レベルでの学区の弾力化、自由化についてはどうお考えなんでしょうか。

遠山国務大臣 公立の小中学校の通学区域は既に市町村教育委員会がみずから定めることができるわけですね。その場合、あらかじめ地域の実情などに応じてみずからの権限と責任において定めるわけでございます。まさに先生御指摘のとおりに、広域の区域の中から選べるということで大変いい面もございます。開かれた学校になりましょうし、また学校もある程度競争力を持った形で、公立であってもお互いに競い合って特色を出していくということが大変大事だと私は思います。

 その意味で、少し広域の区域を定めるなどのメリットも大変多いわけでございますが、他方で、まさに御指摘のように、学校というのは地域に根差した、あるいは地域と密接に関連を持って、地域の総合的な教育力も期待するような存在でもあるわけでございますね。その意味で、広げ過ぎるとどうなのかなということは一つのデメリットとして言えると思います。

 ただ、文部科学省として、どうあったらいいとか、デメリットが多いからやめた方がいいというふうなことを申す段階ではもはやないと思います。これこそまさに地方分権でございまして、各地方教育委員会においてそれぞれのメリット、デメリットというものを総合的に勘案して、特に地域の実情でありますとかあるいは保護者の意見などを十分に踏まえて、私はこれはぜひとも適切に対処していただきたいと思っております。

松沢委員 昨日の本会議の質疑で、小泉総理の答弁の中に、学校間格差が生じないように配慮をするというふうな答弁があったんですけれども、これは法案になっている高校の方ですけれども、高校の方で学校間格差を生じないようにするため、広げないようにするためにどのような方策を講じていくのか、具体案がもうあるんでしょうか。

岸田副大臣 具体的な方策としましては、やはり入学者の選抜方法の部分になるかなと思っています。その多様化あるいは評価尺度の多元化、このあたりがまず具体的な部分かというふうに思っております。それに加えて、先ほど言いました方向性で努力をしなければいけないということかと思います。

松沢委員 最後に、大学の飛び入学の自由化についてお伺いをしたいと思うんですけれども、今回の法改正で文部省は、大学だけでなく短大、あるいは政令をつくって専修学校まで飛び入学制度を広げるということのように聞いております。それと、現行では数学と物理のみでありました。ところが、これをすべての科目に広げる、こういう方向に持っていくということでございます。

 ただ、これはいわゆる青田買いですね、学校が生徒が欲しい、今生徒数がかなり減少傾向ですから、大学もあるいは短大も経営が苦しいわけですね。一人でも生徒に多く来てほしい。そうであれば、極論ですが、この制度を悪用して、高校二年のときにどんどん引っ張ってきちゃえ、理由は後からつければいいというような青田買いに走る学校も出てくるのではないか、そういう心配も私はあるんですけれども、文部省はその辺どう認識されていますでしょうか。

岸田副大臣 飛び入学につきましては、能力、資質を伸ばすという意味で意味があるというふうに考えており、今回、今先生御指摘がありましたように、より範囲を拡大したわけであります。

 範囲の拡大の趣旨でありますが、例えば対象分野を数学、物理に限定されていたものを広げた意味合いにつきましては、やはり学問分野が複合化あるいは学際化している。例えば、バイオインフォマティックといえば生物学と情報学が一緒になるんでありましょうし、あるいはデリバティブといえば金融と数学なんかが一緒になるんでありましょう。そういったさまざまな複合化が行われている中にあって、さらには芸術やスポーツ、こういった分野においても資質を伸ばすことは考えるべきではないか等々、そんな判断のもとに対象分野を拡大したわけです。

 また、従来、博士課程を有する大学に限定されていた実施対象校の範囲につきましても、情報や芸術の分野においては、要は、大学院に進学する、研究だけが目的ではない学生がいっぱいいるわけですから、そういった学生の資質を伸ばすというようなことも考えるべきではないか等々、実施対象校の範囲も広げるということになったわけであります。

 しかし、その中で、今御指摘がありましたように、安易な学生集めに利用されることがあってはならないというふうに考えております。

 そこで、今度実施するに当たりまして、文部科学大臣が定める要件ということで、教育上適切な指導体制を整えることとか、あるいは二年間にわたり資質を見出し得る立場にある高校側の推薦を求めるなど、特にすぐれた資質の判定の上で適切な配慮を行うこととか、あるいは飛び入学に関して自己点検や評価を行い、その結果を公表すること、こういったあたりを盛り込んで、適切に指導していかなければいけないというふうに思っています。

 なおかつ、その辺の結果を公表することによって、今おっしゃいましたような、安易な大学の青田買いが激化すること、このあたりをしっかりとチェックしていかなければいけないと思っております。

松沢委員 私は、方向性はわかるのですが、なぜここまですべてに広げる必要があるのかという疑問があるのですね。

 例えば、高度な専門性を育てていくというのであれば、四年制の大学や大学院までつながっている大学に早く行って専門的な道を歩んでいくというのはわかるのですけれども、短大にそれが必要なのか、あるいは政令で専修学校にまでこういう需要があるのかどうかということ。

 あと、例えば、中学、高校から大学あるいは大学院まで継続して学ぶ数学とか物理とか、こういう問題で非常にすぐれているから早く育ててあげようといって飛び級をやるというのもわかるのですけれども、では、スポーツや美術で飛び級をやらなければ専門性は育たないのか。そこまで広げて、大学のスポーツチームの青田買いに遭うだけではないのかという心配もあって、現に千葉大と名城大というところで、現行では二校でやっているだけで、そんなに需要すらないのですね。

 私は、この状況をなぜそこまで今急激に広げなければいけないのかというのがわからないのですけれども、その点はいかがでしょうか。

岸田副大臣 基本的に、短大等まで広げたその思いは、要は、情報ですとか芸術の分野におきましては、研究のみが目的ではない、やはり実学という面でもこういった才能を伸ばすということは考える必要があるのではないか、そういったことが基本にあるのだというふうに思っています。

 そして、今御指摘がありましたように、現実は二つの大学でしか実績はないわけであります。これから、その辺の状況を見て、こうした対応が必要なのかという御質問でありますが、この辺はちょっと考え方なんだと思いますが、こうした飛び入学というものの意義は一面確かにあるというふうに思っています。ですから、このよさを伸ばしていくために、現実に即した対応をしなければいけないという考え方はあり得るのではないかなと思っております。

 ですから、ぜひこうした飛び入学の趣旨が生かされるように、こうした対応の中でしっかりとまた検討を続けていかなければいけないのではないか。そのために、先ほど申しましたように、実施状況等をしっかり公表していく、この辺の情報公開が大切ではないかなというふうに思っております。

松沢委員 時間ですが、最後に一点。

 飛び入学をするために高校をやめた方は、高校の学習の課程を修了していないので、中退という形になるんですね。日本は履歴書社会ですから、例えば履歴書なんかに高校中退ということになってしまうと、何かマイナスイメージにとられやすいと思うのですね。

 そこで、飛び入学をして早く大学に行った方には、中退ではないような、何か、肩書きではないのですけれども、呼び名を私は考えるべきではないかというふうに思うのですけれども、そこはいかがでしょうか。

岸田副大臣 御指摘のように、飛び入学した者は、高校を卒業せずに大学に入学するため、制度上は高校中退の扱いになります。

 こういうリスクは、本人の自覚はもとより、受け入れ大学においても、飛び入学を受け入れた以上は、責任を持って卒業させるような教育指導体制を整えるようにしなければいけないというふうに思っております。

 なお、高卒同等者を対象とするような各種国家試験等があります。これにつきましては、飛び入学した者が受験できるよう今回の法案の附則改正で措置しているほか、また、各省庁またがるような資格もありますので、このあたりは、ほかの省庁とも連携しながら善処を求めていかなければいけないと考えております。

松沢委員 時間をオーバーしてしまいましたが、済みません、ありがとうございました。

高市委員長 牧義夫君。

牧委員 民主党の牧義夫でございます。

 新しい内閣になりまして初めて質問に立たせていただきますので、改めまして、大臣、副大臣、御就任おめでとうございます。

 小泉改革断行内閣の中で、まさにその目玉でもございます教育改革、この二十一世紀百年の計でございますから、どうか抵抗勢力に対して、恐れず、ひるまず、とらわれることなく、この改革を断行いたしていただきたいとまずはお願いをしながら、そして、現在の公教育を取り巻く容易ならざる状況については、私も、あるいは大臣も副大臣も同じく認識をしているところであろうかと思います。

 そんな中で、教育改革も、まさに一刻の猶予もならないという意識は私も同じつもりでおります。

 ただ、だからといって、ここでいいかげんな議論だけで済ませていくわけにもまたまいらないわけでございまして、今回の教育改革と称されるこの関連の三法案、そういった意味で、三本一括ということ、また会期末をにらみながらの非常にタイトなスケジュールの中での審議というのは、ちょっとその辺のところを、意気込みがどうかなと多少懸念もされるわけでございますけれども、ともあれ、この法案については、多少実効性において懸念されるところ、また運用面でも多少懸念されるところもございますので、方向性としては私なりにそんなに違わない方向性かなという認識を持ちつつも、本当に実効ある改革を行っていただくために、若干内容を精査いたしていきたいと思うわけでございます。

 そんな中で、きょうは、特に教育委員会の会議の公開について、それから指導が不適切な教員の処遇について、主に地教行法の改正案について絞って御質問させていただきたいと思うわけでございます。

 まず、地教行法の改正案、「教育委員会の会議は、公開する。ただし、人事に関する事件その他の事件について、委員長又は委員の発議により、出席委員の三分の二以上の多数で議決したときは、これを公開しないことができる。」とありますけれども、「その他の事件」とはどのような事件のことを想定しているのでしょうか。

岸田副大臣 情報公開の重要性にかんがみ、教育委員会の会議を公開すべきということを規定したわけでありますが、人事に関する事件その他の事件について公開しないことができるものとしたわけですが、その「その他の事件」とは何かという御質問でありますが、例えば、個別の生徒指導上の問題に関する案件で、特定の児童生徒の氏名が出るような場合など、個人のプライバシーの保護の観点から、公開しないことが適当である場合等が考えられるというふうに考えております。

牧委員 私もそんなことくらいしかないのかなと思うわけで、まさにその事件の当事者の人権にかかわるような、そういうプライバシーのものに限ってというふうに私も考えたわけでございますけれども、であれば、その辺のところを明記した上で、この三分の二以上ということになると、これは三分の二以上の委員が賛成すればどんな案件でも非公開にできるということになってしまうという意味で、余り意味がなくなってしまうんじゃないかなというふうに思ったわけで、これはそういう書きかえ方というのはできないのかなと思ったんです。

 これは何を想定して言っているかというと、今まさに、夏に向けて教科書の採択の作業が始まっているわけですけれども、その辺の透明性がどのように担保されるかな、その辺の懸念も含めてちょっと聞いてみたんですけれども、いかがでしょうか。

岸田副大臣 この三分の二以上の議決がある場合は公開しないというのは、例えば地方自治法における地方議会の秘密会の規定等との比較もあるんだというふうに思いますが、どのような案件について非公開にするかは教育委員会の判断にゆだねられているものでありまして、それから、できる限り公開するような運用が望ましいというのは間違いないと思っておりますので、その辺は、その趣旨をしっかり体して、教育委員会の判断ということになると存じます。

牧委員 ちょっとしつこいようですけれども、その辺のところをもう一つ確認したいと思います。

 ここで言う教育委員会の会議とは、これは地教行法の十三条一項で言う会議のみに限定されるんでしょうか。

岸田副大臣 そのとおりでございます。

牧委員 であれば、先ほど文部科学省の局長もお話しされていましたけれども、まさに採択の公正化を図るために、より適正化あるいは透明化を図っていかなければいけない、そんなようなお話を聞きました。

 例えば採択に関して、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律というものがございます。第十条に、「都道府県の教育委員会は、当該都道府県内の義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択の適正な実施を図るため、義務教育諸学校において使用する教科用図書の研究に関し、計画し、及び実施するとともに、市町村の教育委員会並びに国立及び私立の義務教育諸学校の校長の行う採択に関する事務について、適切な指導、助言又は援助を行わなければならない。」となっています。

 また、同十一条、「都道府県の教育委員会は、前条の規定により指導、助言又は援助を行なおうとするときは、あらかじめ教科用図書選定審議会の意見をきかなければならない。」

 例えばこんなような条文がありますけれども、ここで言う援助ですとか指導、あるいは審議会の意見を聴取するといったような行為そのものは、ここで言う会議の範疇には入らないわけですね。いかがですか。

岸田副大臣 入りません。

牧委員 となると、教科書採択の教育委員会における透明性というのはどこで担保されるのか。まさに、会議は公開するといっても、全く言葉だけの話であって、実行を伴わない情報公開のように思えてならないわけで、まさにその辺の審議会とのやりとりですとか、あるいは都道府県教育委員会から市町村教育委員会への指導助言ですとか、あるいは採択県の中の教育委員会間の協議、その辺の透明性がどうしても担保されない、その辺で私は大きな懸念を抱くのですけれども、大臣、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 教科書の採択というのは本当に義務教育諸学校の教育にとりまして大変重要なポイントであると思います。そのことから、教科書採択に関する情報は、採択に支障のない範囲でできるだけ公開して、開かれた採択を進めるよう我が省としても指導しているところでありまして、各都道府県の教育委員会ではどのような取り組みが行われているかと申しますと、採択結果でありますとか、あるいは採択の理由、それから選定審議会の委員の氏名、こういった面で採択関係の情報の公開に向けた動きがあるわけでございます。

 私どもといたしましては、今後ともこの各教育委員会におけるこうした取り組みを進めてまいりたいと思っております。

牧委員 くどいようで申しわけないんですけれども、そういう指導を徹底していただきたいということと、地教行法の中でそういう処理ができないのであれば、あるいはこの義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律、これを一部改正するなりなんなり、そういう姿勢を示していただければありがたいなということを申し添えさせていただき、次の質問に移ります。

 指導が不適切な教員の転職について、先ほど別の委員からも質問があったと思うんですけれども、地方公務員法二十八条三号、「その職に必要な適格性を欠く場合」、これは免職にできるとあるわけですけれども、まさに今回の法改正、この法律の上に屋上屋を重ねるような感があるんですけれども、いかがでしょうか。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

岸田副大臣 分限免職や分限休職に該当する者については、まず当該処分を行うべきものだというふうに考えております。ですから、従来の仕組みはしっかりと徹底しなければいけないと思っております。

 今回の措置は、要は分限免職等までに至らない者についてどうするかということでありますので、これは重なる話ではないというふうに考えております。

牧委員 ちょっとその質問については後でもう一回触れたいと思います。

 次に、「児童又は生徒に対する指導が不適切であること。」非常に簡潔な表現なんですけれども、この「不適切である」というその具体的なイメージとして、この法律はどういうことを想定しているんでしょうか、大臣。

遠山国務大臣 指導が不適切な教員としてどんなケースが考えられるかということでございますけれども、おっしゃるように、非常にさまざまなケースがあり得るわけでございます。ただ、私どもといたしましては幾つかの具体的な例を考えております。

 一つには、教科に関する専門的な知識あるいは技術などが不足しておりまして、学習指導を適切に行うことができない場合、これは児童生徒に教える場合に、内容に誤りが多過ぎたり、あるいは児童生徒の質問に正確に答えられなかったり、いろいろなケースがあると思いますけれども、やはり教師たる者は専門的知識を持って、あるいは技術も持っていないといけないということでございまして、その点が一つでございます。

 二番目には、指導方法が不適切であるということで、学習指導を適切に行うことができない場合を想定しております。これは、指導方法が巧みですと子供たちは非常に意欲的に学ぶことができるわけなんですけれども、ただ単に知識を黒板に書いて、板書して終わりというようなことでは、なかなか子供たちは学ぶことに対する興味を持てないと思いますけれども、そういった面で指導の方法が不適切であるようなケース。

 それから三番目には、児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠けて、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合でございます。子供たちとのコミュニケーションをしっかりとっていただくことが教員としては不可欠のことでございますけれども、そのようなことができないようなケース。

 このような、今お話しいたしましたようなことは、例でございますけれども、不適切な教員として対象となるケースであろうかと思います。

牧委員 その判断の手続については、地方の教育委員会にそれがゆだねられているわけでございますけれども、その基準というのが、今のお話で、何が不適切なのか、その要件というものをもう少し明確に明示していただかないと、これは教員の身分にかかわる問題でございますから、そう簡単に処理できるものではないと思います。

 これは、多分これからもいろいろな方が質問されると思うんですけれども、そこら辺が、今の御説明でも、こういう指導で不適切だ、そもそもその不適切というのがこの法律だけではよくわからないと思うんですけれども、もうちょっと明確にしていただけませんか。

岸田副大臣 今、大臣の方から例としまして三点、知識の不足ですとか、方法の不適切あるいは意欲の欠如、こういった例を挙げたわけですが、この辺の具体例につきましては、施行通知等によって、より具体的に示すことは検討しなければいけないと思っております。その施行通知等の方法によりまして、このあたりはより具体的なものを示していきたいと考えております。

牧委員 確かに、問題教師の話というのは私もよく耳にするわけでございまして、そういう教師から子供を守るということも必要であると思います。そういう目的のみであれば賛成なんですけれども、この運用の仕方によって、それ自体、教師をただ萎縮させるだけに終わるような懸念もございます。

 私自身、地元でいろいろな親御さんのお話も聞く機会もあるのですけれども、ともすると、親のエゴともとれるような、そんな話も間々あるわけでございまして、そんな意味で、例えばこういう件で、大臣は一般の親御さんとお話をされた御経験はございますか、またその感想を、もしあればお聞かせいただきたいと思います。

遠山国務大臣 私自身の経験でありますとか、あるいは私の家族の意見ももちろん聞きましたけれども、それ以外に、保護者の方から折々に話を聞く機会がございます。幸い、多くの場合は、いい先生の例を聞くことも多いのでございますが、幾つかのかなり深刻な、教員の対応によって、子供たちの中に、非常に学習意欲が喪失されたり、あるいは学校に対する興味、関心を失いつつあるというような例も聞かされております。

 いろいろなケースがありますので、そのすべてを私が聞いているわけではもちろんございませんが、何かそのようなことを時折聞くこともありますということでございます。

牧委員 その不適格な教員の、ただ転職という安易な、ともすると安易ともとられる、そんな方法をとる前に、今、親御さんとのお話の件についてもお聞きしましたけれども、まずいろいろな角度から、では、どうして問題教員が生まれるのかということも当然究明されなければならないわけでございまして、その原因についての御認識というのはおありなんでしょうか。

遠山国務大臣 もちろんいろいろな原因が考えられると思います。もともと教員としての適性がない場合、あるいはいろいろな困難な教育課題が学校において起きた場合にそれに対応する力が不足している場合など、さまざまなものが考えられるわけでございます。

 それは、恐らく、教員として採用されて、そして学校現場に行って、そして適性がないというふうなこともございましょうし、現にいろいろな問題が起きる場合に、自分の力ではできないというふうなことで、力不足の点が明確になってくるような点もございましょうし、いろいろな原因はあろうかと思いますけれども、しかし、いわゆる不適切なケースというのがあるということは事実であろうと思います。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

牧委員 いろいろな原因があろうかと思いますというお答えなんですけれども、その辺のところ、きちっとした認識がやはり必要であろうかと思います。

 というのは、この不適切な教員の要件として、一、二とあって、児童または生徒に対する指導が不適切であることということと、必要な措置を講じてなお改善が見られない、この両方を満たした場合にということですけれども、その研修等必要な措置が講じられたとしてもなお生徒に対する指導を適切に行うことができない、その研修等必要な措置というのがどういうものなのか、あるいは研修期間というのはどれぐらい必要なものなのか。この不適切な教員が生まれる原因というものについてのきちっとした認識がなければ、必要な措置というものも出てこないと思うんですけれども、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 原因の中でいろいろなものがあると言い置きましたけれども、もう少しブレークダウンして考えますと、まずは大学における教員養成課程の問題があろうかと思います。教員養成課程におきまして、教職の意義でありますとか、教員の役割について十分修得できているかどうかというのが一つのポイントであろうかと思います。

 最近では、そういうことについて学ぶ科目や教育実習などの学習の機会が設けられて、かなり改善をされつつございます。こうした学習の機会というのは、学生が教員としての資質や使命感をはぐくむ機会でありますとともに、自己の教員としての適性の有無を考えることのできる極めて重要なチャンスであろうかと思います。したがいまして、各大学におけるこうした点の指導の充実が望まれるというのが一点ございます。

 同時にまた、初任者研修というのも大変大事でございまして、この初任者研修では、新規採用の教員に、教科指導でありますとか、生徒指導あるいは学級経営など、教職一般について求められる円滑な職務の遂行に必要な能力というものを身につけさせるために、採用後、一年間にわたって、学校内、学校外で研修を行っているところでございます。

 この初任者研修につきましては、一般論といいますよりは、個々の初任者の経験あるいは力量に応じたものにしたり、あるいは個々の学校の抱える課題に重点を置くというような形で、各教育委員会などにおいて、その内容の改善が図られているところであります。

 初任者研修の期間は条件つきの採用期間でありますから、各教育委員会におきましては、この期間内に、初任者の教員としての適格性について適切に判断することが必要であろうかと思います。適格性の欠如が明らかな者につきましては、進路を考え直す機会を与えたり、正式採用を行わないというようなことなど、その制度の適切な運用が図られることが望まれるわけです。

 したがいまして、まずは大学において、教職についてのしっかりした知識、技術を身につけること、と同時に、採用しても一年間の初任者研修の条件つき採用期間の中できっちり見ていく、そのようなことを重ねながら、しかしなおかつ、いろいろな問題が出てきた場合に対処するというのが今回の改正のねらいでございまして、文部科学省としましては、今後とも、こういういろいろな段階での大学なり教育委員会なりの努力というものをもちろん前進させていただいて、こうした問題の改善充実に向けた取り組みを進めてまいりたいと思っております。

牧委員 取り組みについては、その姿勢についてはわかったのですけれども、例えばの話なんですが、向山洋一さんという方がいて、今、教育技術法則化運動という運動を展開されている元教員の方で、我が党でも一度この方を呼んでヒアリングをやったことがあるのですけれども、この運動を全国各地で、向山先生が講座を開いて教育技術の教授ということで展開をされているのです。この講座が常に超満員で、遠くからいろいろな学校の先生が来られて受講されるというふうに聞いております。

 これは、皆さん、教員の方が、自分の財布からお金を払ってわざわざ遠方までこの先生のお話を聞きに行く、そういうお話を聞いているのですけれども、これはまさに公的な研修制度が実際のニーズに合っていないからこういう人たちのところに教師が集まるのじゃないかと思うのですけれども、御存じでしょうか、大臣は。

岸田副大臣 今、先生の方から、向山洋一さんの講座の例を挙げていただきました。その中身、詳しくは存じ上げておりませんが、そのお名前等をお伺いしております。

 教育公務員特例法におきまして、教員の研修については努力義務が課されておりますので、こうしたさまざまな民間の講座を利用すること、自主的に研修すること、教員にとりまして大いに奨励されるべきものだというふうに認識しております。

 ただ一方で、今初任者研修や教職経験者研修を初めとするさまざまな職務研修を行っているわけですが、それが十分要望にこたえていないのではないかという御指摘だったと思いますが、その辺の重要性は認識しながら、やはり多様な選択ができるような研修の導入等、内容の見直し、これをしっかりとしていかなければいけないというふうに思っています。

 ですから、自主的な研修とこうした職務研修、この辺が相まって結果につながるよう努めていかなければいけないと思っております。

牧委員 研修についてもそうなんですけれども、また、研修のあり方だけじゃなくて、もう一つは採用のあり方についてもやはり同時に問われなければならないと思います。

 今の不適格な教師というのを、例えば大阪府教育委員会では四つに分類をしているそうです。成果はあらわれていないが姿勢は評価できる、これは要支援というのだそうです。それから、専門性や社会性に欠ける、これは指導力不足。次の段階になると、勤務態度や服務上に問題がある、これが不適格。最後は、精神的疾患などが原因の要治療。例えばの話、こういう分類をしているのだそうです。

 ただ、こういう中で、下の方の不適格ですとか要治療という人は、これはまさに人間的に、人格的に問題があるわけでございまして、都道府県の職員になったからといって仕事ができるとはとても思えないわけです。これは民間企業であれば多分もうとっくに首になっている、そんな範疇に入る人たちであろうと思うのですけれども、こういう人たちも完全に免職という形じゃなくて県職に配置するような措置になるのでしょうか。

岸田副大臣 まず、考え方としまして、分限免職あるいは分限休職に該当する者については、当該処分をまずしっかりとやるべきものだというふうに思っています。

 ですから、そこに至らない者についてどうするのか。他の職に転職させる道を広げるというのが今回の趣旨であります。そういう整理で考えるべきものと認識しております。

牧委員 済みません。時間も余りありませんので、最後にもう一つ質問させていただきます。

 今の話に関連するのですけれども、採用時のお話をさせていただきたいと思うのです。

 昔は、私が子供のころ教わった先生方の年代というのは、当時、でもしか先生という言葉がございました。先生にでもなるか、先生にしかなれない、そんなような時代的な背景もあったと思うのですけれども、今は教員採用といっても本当に競争率が高いわけで、それだけ優秀な人材を集められる環境にあると思うのですけれども、そういう中で将来的に問題教員になるような方たちを採用してしまうというのは、これはまさに採用する側の責任も同時に問われなければいけないということが一つ。

 もう一つは、どんな人間を採用しても、今の教職員を囲む環境というのが余りに過酷で、どんな優秀な人を投入してもみんな途中でおかしくなっちゃう、そんなような環境なのか。

 どっちも考えられるわけですけれども、その辺、いかがお考えでしょうか。

遠山国務大臣 本当に教育の成否は教員にかかっておりまして、やはり教員は全人格的な角度から適切な対応をしていただきたいと思っております。

 そのために、教員採用というのは大変重要であります。

 教員としてふさわしい資質、能力を備えた人格を確保するために、各都道府県、指定都市の教育委員会に対しまして、教員採用、選考のあり方を人物評価重視の方向に一層移行させてほしいというのが一つでございます。また、面接の重視あるいは適性検査の実施など、選考方法を多様化させるということで、単に学力、知識の量ということではなくて、人物についてきちんと評価をした上で教員採用をしていただきたいということで、私どもは指導しているところでございます。

 どの組織でも、人物を本当にきちんと選考するというのは大変難しいことでございます。しかしながら、教員につきましてはより一層人物評価というのは大切でございますので、その点、各都道府県教育委員会におきましてきちんとした対応がなされるように、私どもとしても今後やりたいと思っております。

 同時に、採用後の職場環境のことも、いろいろな問題点を抱えていることも承知をいたしております。この面についても、私どももできる限り、教員が伸び伸びと教育に携わっていただけるような環境づくりについて、今後とも努力をしてまいりたいと思います。

牧委員 ありがとうございます。

 採用後の職場環境、もう大臣も御認識だと思うのですけれども、本当に親にもしつけられないような子供たちが三十人、四十人と教師を取り巻くわけでございますから、これは普通の人間にとっては非常に過酷であろうと思います。

 戦後の教育、まさにそういった公共心を培う意味でももう一度見直しが必要だと思うのですけれども、まさに教師もそういう過酷な環境の中に取り囲まれているということも御認識いただいて、ゆとりとか生きる力とかというのもいいのですけれども、もうちょっとリアリティーのある教育改革を断行していただきますようにお願いを申し上げ、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

高市委員長 山谷えり子君。

山谷委員 こんにちは。

 先週に続きまして、大臣、副大臣にお伺いしたいのですけれども、教育観あるいはまた現状認識について意見を交換させていただきましたので、本日は、教育三法の改正についてお聞きしたいと思います。

 まず、教育委員会の活性化でございますけれども、午前中にも話が出ましたけれども、保護者を入れるということが努力規定になっている。

 私も、レーマンコントロール、これから地域の中で保護者が的確なプログラムを展開していくためには、保護者を必ず入れるというような、努力規定ではなくて義務として明文化すべきだというふうに思いますけれども、その辺はいかがでございましょうか。

岸田副大臣 教育委員会の委員につきましては、知事ですとか市町村長が議会の同意を得て任命するということになっております。ですから、まずもって、どのような人選をするのかというのは知事や市町村長の判断ということになるわけですが、委員につきまして、やはり限られた人数の中にどういった人材を盛り込むかということ、その要素として、教育もありましょうし、学術あるいは文化、いろいろな要素の識見が要求されるというふうに思っておりますので、この辺の認識は、各地域によりましてさまざまではないかなという気がいたします。

 地方分権の趣旨も踏まえた上で、メンバーを一律に固定するのではなくして、判断は知事や市町村長に任せる、しかし、その中にあって、ぜひこういった趣旨を尊重してやっていただきたいという努力義務という形に今回させていただいたということでございます。この辺のバランスの中でこういった規定になったというふうに御理解いただければと思います。

山谷委員 平成十一年の教育委員のメンバーの構成なんですけれども、市町村レベルでは、男性の教育委員が八三・五%、女性が一六・五%と、男女の差が著しいという感じがいたします。年齢でいえば、市町村レベルで六十歳以上が七割、都道府県レベルで六十歳以上が八割という形で、非常に高齢化している。

 校長先生の退職後とか、あるいは先ほども紹介がありましたけれども、医者とかあるいはメディア関係者とか、ふだんの生活が非常に忙しい方を、兼務というかお客様扱いで、余りタフに行動していただけない方がむしろ都合がいいというような形で任命しているというところも多うございます。やはりそういう考え方では、これからの生涯学習社会、実のあるものをつくっていけないというふうに思います。教科書を選ぶ元気も、この方たちではないのかもしれません。やはりメンバーの構成というものに対して、もう少し新しい風を吹き込むような形をつくるため、義務として保護者をと明文化していくという方向は大切ではないかと思います。

 また、職業関係におきましても、都道府県レベルでは、農林漁業関係の従事者が一名、サービス関係に至ってはゼロ名という形で、やはりこれも、地域特性を生かして、あるいはまた生涯学習社会をつくっていくというような視点からではメンバー構成が著しく偏っているということでございますので、岸田文部科学副大臣のお答えはわかりましたけれども、現状を見ますと、とてもそのお答えで満足できるようなものではないというふうに私は認識しております。

 私自身も教育委員をやっておりましたときに、私は保護者の代表として入っていたんですけれども、私だけでは本当に十分でないと思ったものですから、中学生自身に教育委員を一日、二日やってもらって中学生教育委員会というような形をつくったりとか、あるいは地区ごとに出前で、地域のボランティアの方たち、教育関係者の方たち、子供たちを交えて地区教育委員会というような形でいろいろな意見を聴取してきたんですけれども、そのようなタウンミーティング形式の教育委員会活動というものでまた教育委員会の活動が活性化していくというようなことについては、いかがお考えでございましょうか。

岸田副大臣 まさに、教育委員会の歴史そのものがタウンミーティングから始まったというふうに認識しております。ですから、そういった要素は大変重要だというふうに思っております。今回、法改正をお認めいただけましたならば、保護者の委員への加入等、さまざまな形で教育委員会に新しい要素を盛り込んでいただきまして、そういった役割を果たせるように努めていかなければいけないというふうに考えております。

山谷委員 教育委員会というのはこれまで、本来、つくったときはそうではなかったんですけれども、教育委員会と学校の関係が管理というような形に進んできたというふうに思います。今回、法改正するならば、それが支援体制とか相談、サポート、応援団というような形に変わっていくんだろうというふうに思いますので、そのような地域とのネットワークというようなものの視点を入れながら教育委員会の活性化を考えていかなければいけないと思うんです。

 相談体制の整備を考えていくというようなことでございますけれども、この相談体制の整備というのは、例えばどういう形でどういう人が担当するというふうに想定していらっしゃるんでしょうか。

岸田副大臣 今回の改正で、多様化する地域住民の教育行政に対する関心や要求に的確にこたえるため、地域住民の個別の意見や苦情等のいわゆる行政相談を受けつけ、これに迅速に対応できるよう、教育行政相談に関する事務を担当する職員を指定し、そして公表するということになっておりますが、実際には、これは実情に応じて各教育委員会が判断すべきものだというふうに考えております。

 例えば、必ずしも具体的な職員を指定するのではなくして、職を指定するということでも足りるというふうに考えております。例えば広報課の広報担当あるいは渉外担当とかいう役職でこうした窓口を指定する、こういったことも考えられるのではないかな、例としてはそんなものを考えております。

山谷委員 広報担当、渉外担当、あるいは総務担当になりますでしょうか、そのような方を置く、しかも兼務という形で。きっと電話がかかってきたりすると、ほい、出てくれみたいな感じで、そしてまた首長部局等の人事の異動で、専門性が余りなくて、しかも短期のローテーションで動く、短期といっても一、二年かもしれませんけれども。

 そのような形ではなくて、深い専門性を持った方、場合によっては数年、十年というような形で、地域に根差して本当に現実をよく把握していらっしゃる方をむしろこれから育てていく。それは、何も正規の職員でなくてもいいかもしれません。生涯学習のプログラムを経て、普通の民間の方がそういうような窓口をきちんとやっていくというふうな形でもいいのかもしれませんが、とにかく、本当に教育行政に関する相談体制の整備をしようとするならば、専門性のある方、そして長く地元でできる方というような基準でやっていくように支援していただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

岸田副大臣 御指摘、ごもっともだと思います。しかし、現状、こうした窓口がある地方自治体自体が一割とか二割とか、大変数字的にお寒い状況であります。このあたり、まず窓口の存在自体を広げていくことに努めながら、今先生の御指摘がありましたように内容においても充実する、これは大切なことだと思います。

山谷委員 続きまして、学校教育法、社会教育法の改正の中で、体験活動の充実、それからまた、家庭教育の向上のための社会教育行政における体制の整備、社会教育関係団体等の関係団体、関係機関との連携に十分配慮するものとするというような改正が上がってきているわけでございます。私自身も、体験活動というのはスピードアップしながら、地域の中でプログラム、受け入れ体制をつくっていかなければいけないというふうに思っておりますけれども、体験活動にふさわしい場所をどのようにお考えでございましょうか。

遠山国務大臣 今回の改正によって推進しようとしております体験活動の内容は、社会奉仕体験活動、自然体験活動、勤労生産体験活動、就業体験活動、芸術文化体験活動など、さまざまなものがございます。

 今申し上げたような角度でふさわしい場所というものが選ばれるべきと思いますけれども、それは、それぞれの活動の種類、あるいは青少年の発達段階、興味、関心などに応じて、ふさわしい活動場所や施設をできるだけ多く確保していくことが大事ではないかと思います。

 さて、では、例えばどんなものがあるかということでございますけれども、もちろん青少年の発達段階、地域の実情に応じてではありますけれども、地域の身近な場所とか施設、あるいは地域の福祉施設や公共施設というのも対象になるでございましょうし、あるいは商店とか企業、こういった適切な活動場所を確保して体験活動が行われていくということが大事ではないかと思われます。そのためには学校と、これらの施設はもちろんのこと、地域社会との関係が大変重要でございまして、関係団体との幅広い連携を十分にとりながら、この体験活動が生き生きと行われるように推進体制づくりに努力してまいりたいと思います。

山谷委員 全国子どもプランなどもあるわけでございますけれども、今遠山大臣がおっしゃいましたように、地域の中でたくさん、細かく必要だというふうに私も考えております。

 そこで、現実問題として、一番使える場所は地元の公立の小中学校の教室あるいは校庭ではないかというふうに思います。

 先週、私は、世田谷区のBOPの例とトワイライトスクールの例を申しまして、放課後、子供たちが遊べるような、そして地域のボランティアがかかわれるようなプログラムというものを、三年以内ぐらいに全国すべての公立小学校でやっていただけないだろうかというような意見を申しましたら、岸田副大臣が、えっというような顔をなさいました。

 その後、私はいろいろな意見をいただきました。そこまでするのは過保護じゃないかという意見もございましたし、あるいはまた、いいわね、それはすばらしいという意見もございました。

 いろいろな、さまざまな意見を受けまして話をしていくうちに、現実認識に相当なずれがあるということがわかりました。今、放課後、五時半、六時まで子供が自由に学校に残れないということを知らない大人たちがいるということなんですね。今はほとんどの学校が、特別なプログラムがなければ子供たちを帰してしまう。共働き、そしてまた地域の中に空間がなくなってきている現状で、子供たちはどこにも行き場がないというようなことがございます。例えば図書室なんかも、かぎがかかってしまう。校庭で遊んでいれば、早く帰りなさいと言われます。

 校庭開放のデータを東京都からもらったんですけれども、校庭開放していますという学校がだあっと出てくるんですね、していないところもございますが。しかしながら、例えば八王子では校庭を開放している日数が平均十日間しかない、それから府中ではゼロです、調布は二百八十七日。十日間でも二百八十七日でも、校庭開放しているのところに丸がついちゃうわけです。

 文部省で全国の調査はありますかと言ったら、ないという答えでございましたので、繰り返し言いますが、今は共働きの時代ですから、全国で子供たちが放課後、もちろん帰りたい子は自由に帰ればいいんですが、五時半、六時まで学校にいたい子はいられるような体制づくりというものをぜひしていただきたいなと思います。

 そのための調査、それからいろいろな予算なんかの措置もお願いしたいわけでございます。現在、学校の改修の補助率は三分の一でございますけれども、主に学校の学習の用途で使うべし、生涯学習的に使う場合は補助が難しいというふうになっているようでございまして、その裁量は文部省が決める。できるだけ幅広く使わせたいという意思、思いはあるけれども、文部省が決める。

 実態調査もあるようでございます。平成十一年までに空き教室だけで十一万教室ある、九二%は活用されているということでございまして、社会教育施設や備蓄用、図書室などに使われているということでございます。

 これもデータではそういうことなんですが、私が実際に全国を歩きますと、倉庫になっていたり、図書室として使われているといいながら、もう本当にどうしようもない、ただ積み上がっていて、暗くて、北向きで、だれも入りたくないような空間だったりするわけでございます。だから、現実にどのような形で使われているかという、そこまで親切で愛情深いチェックをしていただきたいなというふうに思います。

 全国の公立の小中学校約三万五千校に百万円改修費を与えるだけで、三百五十億円でございますが、そこは地域の拠点になれるんですね。ボランティアの方たちがボランティアとして使える場所を公立の小学校、中学校に一教室ずついただけるだけで、どれだけ地域の教育力が上がるかということは、私も現実にいろいろこのようなプログラムに参加させていただいて感じていることでございます。

 例えば補助率の見直しとか、あるいは、とりあえずこの一、二年は構造改革でございますので、小泉総理とお話しなさって、公立の小中学校全校に百万円ずつの改修費用で、地域のボランティアと体験学習のネットワークづくりのための拠点を、スペースをつくろうじゃないかというような提案を積極的になさっていただきたいんですが、そのような考えについてはいかがお考えでございましょうか。

岸田副大臣 先生の御趣旨は大いに理解いたします。今お話がありましたように、財政状況等ともいろいろ検討した上で、研究してまいりたいと存じます。

山谷委員 お若くていらっしゃいますのに、随分後ろ向きのお答えでございます。

 地域で、ボランティアが活動できるスペースが学校にある、そしてまた、地域のボランティアの人をそこに登録できる。アメリカなどでは、新学期が始まりますと、地域の方とか父兄に、お父さんも含めて、得意わざを登録してくださいなんということを言います。私の知人なんかは、例えばお菓子づくり、ピアノ演奏、折り紙、パーティーデコレーション、写真撮影、日本文化紹介と登録したところ、山のように学校から地域から、ホームパーティーをやるからとか、いろいろな形で需要が来たというのですね。

 私自身も、インターナショナルスクールに通っている子供のお母様から頼まれまして、夏休み三カ月間、地域でできるボランティアを一件紹介してあげました。そうしたら、次から次とそのインターナショナルスクールのお母様から電話がかかってきまして、うちの子がこういうタイプのボランティアをしたいんだけれども、何かないかと。つまり、そういうようなコーディネーター、ネットワーカー、あるいはまた、だれがどういう得意わざを持っているか、どのぐらい一年間に時間として提供できるか、そのようなリストがあるとないとでは、もう本当に地域の教育力というのに差が出てくるというふうに思います。

 今、公立の小中学校にそのようなスペースをつくる、そしてそのような体制を教育委員会でつくっているところはございます。しかしながら、教育委員会では距離が遠過ぎるのです。公立の地元の小学校、中学校にぜひその場所とリストと、あるいは一人ぐらいボランティアで協力してくださる方を置いて、目標は一学校当たり百人ぐらいの教育ボランティアがいるといいと思います。百人というのは、そんなものすぐに集まります。百人のリストには、地元の芸術家の方も含まれると思います。美術家、演劇家、音楽家、舞踏家。それから、地元のいろいろな工場、あるいは和菓子づくりの人、銭湯の人もいいかもしれませんし、商店街の方、さまざまな協力者が出るというふうに思っております。

 このようなスペースをつくって、目標は一学校当たり百人教育ボランティア達成、これをぜひやっていただければ――法律を改正しても今のような副大臣の後ろ向きの答弁では進んでいくと思えませんので、もう一回、しつこいですけれども、積極的な答弁を大臣、副大臣にお願いしたいと思います。

遠山国務大臣 先般のお話を含め、本日も、学校の授業が終わった後での学校開放の重要性についてお話がありまして、私も大変同感をいたします。子供にとって学校というのは、学びの場だけではなくて、やはりそこを根拠にいろいろなことを学べる場所でございまして、そこがより広く開放されていくということは大変大事ではないかと思います。

 文部科学省では、学校の開放を促進するための施設整備への助成を初めとしまして、学校開放による地域住民へのさまざまな学習機会の提供等の事業への助成、あるいは学校開放事例集の作成などの施策を通じまして、この問題、学校開放の促進に向けて努力をしているところでございます。

 さらに、それをどこまで一気に進め得るかというのはなかなか難しい点もございましょうけれども、私は基本的には、学校は、学校教育に支障のない範囲ではありますけれども、可能な限り多くの日数、時間を開放して、そして、そういう開放する場所も広がっていくということは、地域のさまざまな学習活動拠点となっている学校にとって大変重要なことであると考えております。

 そのような考えの上に立って、今の御意見も参考にしながら、十分検討したいと思います。

岸田副大臣 あと、今の大臣の答弁に加えまして、先生の方から情報の提供、交換の御指摘がありました。それにつきましては、現在、全国に子どもセンターというのを三年間で千カ所を目標に設置しております。現在七百カ所ほどでき上がっておりますが、ここで親や子供たちにさまざまな体験活動に関する情報を提供するというようなことをやっておりますし、また、都道府県におきましては、生涯学習ボランティアセンター、こんな施設を利用しながら、情報提供につきまして行っているところであります。

 ただ、今は過程であります。まだ不十分なところもありますので、関連省庁、地方自治体あるいはその関係団体、さまざまな方々と連携できるような、情報提供が円滑にできるような、こうした機能を備えた体制はこれからつくっていかなければいけないと認識しております。

山谷委員 子どもセンターをこれから三年で千カ所と。私が申したのは三万五千カ所でございますので、とにかく百万円を三万五千カ所に、そしてそれぞれに百人のボランティアというような、このような数字を押さえていただければ、これから百年相当は大丈夫ではないかというふうに考えております。

 それから、子育て講座のお話もこの前ございましたけれども、今、保健所とかいろいろな家庭教育学級とか、私も経験しているんですけれども、これも一回こっきりで終わっちゃうんですね。ですから、やはり地域の中でネットワークをつくっていくためのまず最初の集まりだというような位置づけで、継続的に動けるようなシステムづくりのための一歩という形でとらえてプログラムを組み立てていただきたいなというふうに思います。

 最後に、時間がないんですが、不適切教員について意見を申し述べたいと思います。

 本当に教員に向かない先生、あるいは教育活動をしていく中で何かずれが生じてしまうような先生というのもいらっしゃるわけではございますけれども、そしてまた、子供の人権も守らなければいけませんけれども、ただ、恣意的な措置がなされないよう、そして公平で透明性ある基準と運用、先ほどの大臣の答弁では、ややというか、かなり心もとなく思いました。公平で透明性ある基準と運用、保護者や子供たちの声も聞く、あるいは本人の不服申し立てができる第三者による審査機関をきちっとつくっていって、事実確認の客観性、手続の厳格性、いろいろなことを考えながらやっていくべきと思っております。

 研修について、先ほど牧委員が向山先生のお話を出されましたけれども、私も講座を見に行きました。一回二万円で、毎月百人ぐらい、北海道から自腹で十数万かけてやってくる人もいるんですね。どういうことを教えるかというと、「はい、こっちを見てみんな聞いてください」というのじゃないんですね。「はい、手に持っているものを離しましょう、おへそをこっちに向けてちょうだい」という、そういう教え方をしているわけです。旧師範学校ではそのような実学、そういう教え方をしていた。それと、教育者としての全人格的な触れ合いの中で立派な教師をつくっていった。その両方があったというんですね。

 今の大学の養成課程ですと、機械的なカリキュラムで、専門性という意味では非常に欠けている部分がございますので、そのような形でやはり研修体制というものを見直す時期が来ているというふうに考えております。

 それから、養成も大学の教員養成課程と、実習の評価もしないわけですし、採用につながっていないんですね、今現状。そのようなこともきちんと組み立て直さないと、対症療法というふうにしかとられないような改正になってしまうというふうに思います。

 採用のあり方も、例えば平成十四年、石川県の教育委員会は、公立学校の教員採用試験に絵本の読み聞かせを導入する。先ほど遠山大臣も、採用に当たってはいろいろな多様性を持ってということでございましたが、この絵本の読み聞かせ、別にうまくなくたっていい、ただ、読み聞かせをしていく中で心の豊かさというのが感じられるからというようなことでこの絵本の読み聞かせをやろうとしているわけですけれども、例えばこういう中に、私は幼稚園、保育園にこの大学四年間で読み聞かせで百時間行きましたというようなことがあってもいいわけです。

 そのような形で、不適切教員の問題においては、支援策、研修のあり方、養成、採用、抜本的に見直していかないと、唐突にこれが出てきただけという形では、教育現場がよりよい形、教育環境がよくなるというような形にはならないというふうに考えております。時間が過ぎております、遠山大臣に、その辺、一言お伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 適切な教員を得るためには、今おっしゃいましたように、いろいろな、さまざまな角度での努力が必要だと思っております。

 ただ、私が先ほど具体的な例は何かと言われましたのでお答えしましたために、やや不明確な点があったというふうにおっしゃいましたけれども、私は、指導が不適切な教員の転職については、これは絶対に恣意的にわたらないように手続を厳格なものとすべきと考えておりまして、その内容につきましては、また追っての御質問の段階で御説明することもあろうと思いますが、先生のお話を十分に参考としながら、これからもこの問題に対処してまいりたいと思います。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

山谷委員 ありがとうございました。

高市委員長 西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 初めに、飛び入学制度について、今回改正がございましたので、そのことについて質問申し上げたいと思います。

 今回、大学並びに大学院への飛び入学制度について、対象分野それから対象教育機関の面で大きく規制緩和されることになりました。まず、基本的なことについて確認をしておきたいと思います。

 飛び入学制度で高校から大学へ入学した人の学歴、先ほど松沢委員からも御指摘がありましたけれども、高校中退ということになります。このことから生じる心配な点についてお伺いをしたいと思います。

 まず、飛び入学した人が途中で大学を中退して他の道を歩み始めようとして、あるいは在学中にさまざまな資格を受験したいと思った際に、受験資格がないとか、いろいろな不都合が生じるのではないか、こういうところの問題でございます。

 今回の法案では、幾つかの資格要件について、例えば学芸員補、あん摩マツサージ指圧師、診療放射線技師など、幾つかの受験資格に関して、飛び入学した者に受験資格があることを書き加えております。一般的に、受験資格に関する法律文で、こう書かれております。「学校教育法第五十六条第一項の規定により大学に入学することができる者」こういう規定で飛び入学者にも資格を与えよう、こういうことでございます。そういう解釈でいいのかどうか、また、本当に、受験資格がないと言われるなど不利益をこうむることがないのかどうかということをまず確認したいと思います。

 また、先ほどの法律部分ではなくて、高校卒業を受験資格の要件としている資格がほかにもたくさんあるのではないかと思います。このことに関して、早急に、こうした受験資格においても飛び入学者が不利益にならないように措置を講ずることが大事だ、こう思いますが、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 お話の中で、各種の資格の要件としまして、高校卒業を要件としているものがございますけれども、飛び入学は高校を卒業せずに大学に入学するものでございますから、高校卒業という要件を満たさないことになるわけでございます。

 この問題は我が省としましても考えておりまして、飛び入学した者が高校卒業者と同様の扱いとなるように、今の改正法の附則でございますけれども、例えば救急救命士の受験資格など幾つかの資格がございますが、そういう資格などにつきまして附則で措置をしておりますけれども、その他の資格についても、今後、各種資格の担当省庁に善処を求めてまいりたいと思っております。

西委員 二つ目の問題ですが、飛び入学した人が途中で他の大学に行きたい、こういう場合のことでございます。

 他の大学へ再び転入学ということが可能であったり、また、大学でも飛び入学、よその大学への飛び入学が認められた場合にはこれは問題はないのですが、一度大学をやめて再び違う大学に入学するということになりますと、高校卒業の資格が要ることになります。もちろん、大検試験を受けるという手もあるわけですが。

 そんなことを考えますと、この制度で飛び入学をする人は通常の高校卒業以上のすぐれた資質を基本的に有している、そういうレベルに達している人だというふうに私は考えるわけですが、そのような人に高校卒業資格を与えないでそのままにしておくのは、いろいろな意味で不備が生じるのではないかというふうに思います。大検の試験を受験しなければ大学受験をできないという不合理が生じないように、高校卒業資格を何らかの形で与えるべきではないか、こう思います。

 それは、在学した高校が責任を持って与えるということになるのか、または例えば、大学の場合ですと学位授与機構のような機関、仕組みがあるわけですが、こんな高校卒業資格を与える機関が設立されるのか、どういう形になるのかはわかりませんが、いずれにしても、同時に高校卒業資格を与えるべきだというふうに思いますが、この点についてはいかがでございましょうか。

遠山国務大臣 御心配の点はよくわかるところでございます。

 飛び入学した学生につきまして、その入った大学の他学部へ転学部することは可能でありますし、また、他大学への転学につきましても、その大学が特にすぐれた資質を有する者として受け入れを決定すれば転学はもちろん可能でございます。さらに、一般的な大学入学資格を取得すれば転学も可能になるのは当然でございますが、他大学に再入学する場合にも、いろいろ単位の点などで便宜を与えていく必要があろうかと思います。

 やはり高校を卒業せずに大学に入学を許すわけでございますので、受け入れ大学において責任を持って卒業させるような教育指導体制を整えるということがまず大事であろうかと思います。やむを得ない事情によって他大学等への進路変更を希望する場合には、できるだけそれが可能となるような仕組みとすることを予定としております。

西委員 どうぞ大臣、結構でございます。

 もう一度基本的なことに立ち戻るわけですが、飛び入学制度は、平成九年、学校教育法施行規則の改正を行いまして、要件としては、数学、物理の分野に希有な才能を有するごく少数の者に対して、その分野に関する専攻を置く大学院博士課程を有する大学で、教育上の例外措置として大学入学資格を認めたという経緯がございます。数学、物理の分野に限り認められた飛び入学制度から四年を経過して、その結果をどう見るかということをまずお伺いしたいと思います。

 同時に、現行の飛び入学制度は、希有な才能を伸ばすという目的が非常に明確でございました。昨日、文部科学大臣は、今回の飛び入学制度の目的に関して、提案理由の中では、「一人一人の能力、適性に応じた教育を進め、その能力の伸長を図るため、大学における飛び入学の促進等を図る必要があります。」と説明されておられましたけれども、もうひとつ目的がはっきりしないように思います。それは、すべての分野で、本当に飛び入学制度の導入による効果があるのかどうかという実証がまだ行われていないことも原因だと思われます。その意味で、今回提案の飛び入学制度は、現行の飛び入学制度と質的に大きく変わるものではないかと思っております。

 文部科学省は、入学生がどのような教育を受けることをイメージしてこの制度を設立されようとしているのか、お伺いしたいと思います。

池坊大臣政務官 委員がおっしゃいましたように、平成十年度から千葉大学では四年間にわたって十二名の学生を入れました。それから、今年度は名城大学において数学で四名が入学しております。

 十三年度からは、初めてでございますからどのような成果が出ているかはわかっておりませんけれども、まあ、四年間の千葉大学は、私も視察に参りましたけれども、午前中も出ておりましたような、大学の青田刈りだとかあるいは受験競争が過激になるんじゃないかとか、そのような悪影響は一切出ておりません。飛び抜けて物理がすぐれた学生を入れておりまして、懇切丁寧にその子の指導に当たっておりますので、ほかの子供たちもそれに刺激を受けまして、いい影響を与えているというふうな結果が出ております。

 ただ、今おっしゃいましたように、ちょっと枠を広げますので、これからは、まだそういう結果が見られない状態でございますが、午前中に専修学校、短大などにも広げるのは問題があるんじゃないかというお話でございましたが、専修学校でも今、コンピューターなどではすぐれた資質を有することが必要となってきております。ですから私は、何も大学だけではなくて専修学校においても、だれが見てもこの分野においてはすぐれているという子供が、自分の適性に合ったカリキュラムで勉強をしていってその才能を伸ばすことは大変いいことではないかと思っておりますし、そういうことが希有でなくて、むしろ周りも当たり前だと容認するような土壌をつくっていくことも、また大切なのではないかというふうに思っております。

西委員 今回の規制緩和は、先ほど政務官もおっしゃいましたように、いわばすべての専門分野にわたって、大学、短大、専門学校、すべての学校の入学定員について飛び入学が全面的に自由化された、こういうふうに言っていいと思います。

 制度というものは、決めたときの目標どおりにいけばいいのですが、残念ながら、必ずしもそういうふうにいかない場合もあるわけです。先ほどいみじくも言われましたように、青田刈りだとか、それから学生募集のための一つの方法として飛び入学制度が利用されるということがないとも限りません。こうしたケースは今回の法律の趣旨によらないことはもちろん明らかでございますけれども、それを規制したりまたは防止したりという歯どめの措置は特にとられていないというふうに思います。

 文部科学省は、実際の運用において、こうした過度の制度の行き過ぎを防ぐために、飛び入学による入学者数を制限するなど何らかの対応をお考えなのかどうか、お伺いしておきたいと思います。

岸田副大臣 飛び入学の制度につきましては、特定の分野にすぐれた資質を有する者にチャンスを与えるということで意義を感じるわけでありますが、先生御指摘のように、安易な学生集めに利用されるようなことがあってはならないということ、申すまでもないわけであります。

 そういった中にあって、例えば、適切な運用を図るという観点から、教育上適切な指導体制を受け入れ側の大学等に整えさせること、あるいは特にすぐれた資質の判定での適切な配慮を行うこと、あるいは自己点検、評価を行いその結果を公表すること、こういったものを省令に規定して、受け入れ側に求める予定にしております。加えて、高校、大学等の意見交換など積極的な連携に努めることを指導する、さらには、その実態を文部科学省としてしっかりと把握してそれを公表する、こういったことを予定しているところであります。

 今先生の方から、さらに人数を一律に制限したらどうかという御提案をいただきました。そういった考え方も一つあるかとは思いますが、ただ、これは一応、飛び入学で入ってきた学生も入学定員の一部になるというようなことでありますし、国として一律に制限するというのはどうだろうかなというふうに思っております。

 そして、一律に制限する場合、要は、飛び入学はまだスタートしたばかりであります。その実績は、先生御案内のとおりであります。その人数が多いか少ないかという判断も、またいろいろと意見等を見ながら判断していかなければいけないわけですから、今の段階で一律に人数を国として何人に制限するか、なかなか難しい議論もありますので、そういった御意見も踏まえながら、またどうあるべきか、積極的な議論をしていかなければいけないのではないか、そういった認識でおります。

西委員 副大臣から、実態を把握し、またそれを公表するということがございました。その辺は十分文部科学省として実行をしていっていただきたい、このように思います。

 続きまして、後半、教育委員会のことについて若干質問させていただきたいと思います。

 まず、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正案ということに関連してでございますが、文部科学省では、市町村の教育委員会、それから都道府県の教育委員会の組織及び活動の状況について基礎資料を得るということを目標にして、地方教育行政調査というものを実施しております。この結果から、文部科学省は、市町村の教育委員会及び都道府県の教育委員会の組織及び活動の状況についてどのような評価をされているのか、まずお聞きしたいと思います。

岸田副大臣 今先生御指摘の調査につきましては、見ますと、例えば委員の構成が、都道府県におきましては六十歳以上が八割を占めている、あるいは市町村におきましては六十歳以上が七割を占めているとか、あるいは委員に占める女性の割合が、都道府県レベルで二三・四%、市町村レベルで一七・八%。こういった数字を見まして、やはりその構成に偏りが見られるということは否定できないと思っております。

 さらには、苦情処理窓口の設置につきましても、都道府県におきましては設置しているところが二七・七%、市町村に至っては八・一%しかないというような状況であります。

 このあたりの結果を見まして、現実、なかなか好ましい状況ではないというふうに認識しております。このあたりの問題意識のもとに今回法改正を行って、多様な教育委員の構成に配慮するとか、あるいは相談窓口を明らかにするとか、こういった内容を盛り込んでいるということでございます。

西委員 今回の法改正以外にも、多くの問題点が今指摘されていると思います。その辺のことにつきましても、法以外のところにも充実のために努力をしていただきたいと思います。

 続いて、教育委員会の役割といいますか、そのことについて、ちょっと事前の通告から順番がずれるのですが、お願いをしたいと思います。

 いじめなどを理由とする不登校、それから自殺、学校、学校長の行政依存、学校の教育力や教師の指導力の低下、数々の問題がありまして、学校や教師に対する信頼が今失われていると思います。そうした状況に対応するため、学校への権限委譲を行って校長のリーダーシップを強化して、そして学校の教育力の向上を図るとともに、地域が支える学校づくりを今目指しているところだと思います。

 そうした議論の中で、教育委員会は、学校管理より学校を支援する、そして地域の教育力の育成に大きな役割が今後期待されていくのではないかと思います。学校管理から地域の教育力育成の担い手になっていく、こういう機能を今後教育委員会が目指していくべきではないか、こう思いますが、その点についての御見解をお願いいたします。

池坊大臣政務官 今、西委員がおっしゃったように、全くそのとおりではないかと思っております。

 今回の教育改革は、学校が変わる、教育がよくなるです。地域社会と学校と家庭とが連携をとって、特色ある学校づくりをいたしましょうということでございます。その特色ある学校づくりをするのを支えていくのが教育委員会でございます。ですから、教育委員会の活性化と開かれた学校づくりということで、その教育委員会の活性化の中には、PTAの保護者の代表を入れる、あるいは女性を入れる、幅広くいろいろな人の声を入れる、あるいはまた相談窓口をつくる等々のことになっております。

 それからまた、学校評議員制度というのをつくっておりまして、これは、地域社会の方や保護者の意見を校長が聞いて、学校運営に反映をするということでございます。それからまた、校長が使えるお金、その権限をちょっと広くする、あるいは学校の裁量の拡大、そのようなことをすることによって、それぞれの学校の特色が生かされていくのではないかと思っております。

 ですから、家庭、地域社会、学校の共生、連携の中に、その中心に教育委員会が座って頑張るというふうになっていくのであって、学校の管理だけということではなく、幅広い役目を果たすようになってまいります。

西委員 最後に教育長、学校長の人事について御質問申し上げたいと思います。

 中教審の答申では、専門的知識と行政的手腕を有する教育長にふさわしい人材を教育委員会内外から確保ができるように、教員や職員の人事異動において中期的な視点に立った計画的人事を行うなど地方自治体内部における人材育成方策にも配慮すること、こういう提言がなされております。一方、市町村の教育長は、教育長人事について首長部局や都道府県教育委員会から独立性を確保すべき、こういう意見が多い結果となっております。これは双方の意見が相反する意見のように見えるのですが、この点について、まず一点、お伺いをしたいと思います。

 それから、昨年の十一月、福島県の三春町では、全国公募により大学の教授が教育長ということになりました。さらに、昨年の四月、学校教育法施行規則が改正され学校長については教員免許を持たない人も公立の学校長に就任できるようになった、こういうことで東京の都立の高校で初の民間人校長、それから広島県立の高校では県の教育委員会の職員が、それから埼玉県立の高校では民間人が、それぞれ校長に就任をしております。愛知県の犬山市では、小学校校長に大学教員の採用の動きがあるというふうな記事もございました。

 こうした教育長、学校長の人事に関して文部省はどのように評価をされているのか、お伺いをしたいと思います。

矢野政府参考人 教育長の人事について、委員御指摘のように、中教審の答申では、「教員や職員の人事異動において中長期的な視点に立った計画的人事を行うなど地方公共団体内部における人材育成方策にも配慮すること。」こういう指摘があるわけでございます。この指摘のポイントは、中長期的な視点に立った計画的な人材を確保するということが教育長人事には大変必要である、こういう問題提起であろうかと思うわけでございます。

 一方、首長部局からの独立性を確保すべきと、そういう意見があるわけでございますが、これは要するに、単に首長部局人事の一環として安易になされるべきものではない、そういう考え方であろうかと思うわけでございます。そういう意味では、この考え方は、先ほど御紹介申し上げました中教審の考え方に通じる点もあろうかと思うわけでございます。

 また、具体的なお話といたしまして、福島県三春町等で行われている教育長の公募についての御指摘がございました。これはまさに教育長候補である教育委員を全国に募るものでございまして、教育長に広く人材を求めようとするそういう真剣な努力の一つとして私どもは受けとめているところでございます。

 さらに、校長の登用につきましては、校長に幅広くすぐれた人材を確保できますように、昨年に省令を改正いたしまして、教育免許状を有しない者であっても校長に登用できることとしたところでございます。その制度改正を受けまして、東京都や埼玉県、広島県等において行われました教員免許状を有しない者の公立学校の校長への登用でございますが、これは、すぐれた資質、能力を有する校長を確保しようとするそういう取り組みと受けとめておるところでございまして、当該校長を中心として特色ある教育活動が今後展開されることを期待いたしたいと思うものでございます。

西委員 中教審の答申の部分ですが、もう一つお伺いしたいと思います。

 権限の委譲の問題でございます。市町村の規模に応じた権限の委譲、それから都道府県の関与をできるだけ少なくするという項目のところでございますが、一つは、中核市の教育委員会に対して研修等に関する権限委譲、それから二つ目が、政令指定都市と中核市に関し、高等学校、幼稚園の設置、廃止等に関する都道府県教育委員会の認可事項について届け出にするという提言が中教審の答申で行われました。

 このうち、高等学校、幼稚園の設置、廃止等に関して今後どのように取り組んでいくのかということをお伺いしたいと思います。

 また、例示された検討事項のほかに、政令指定都市や中核市へ県の方から委譲すべきだと考えられる権限が何かおありなのかどうかも、あわせてお聞きをしておきたいと思います。

池坊大臣政務官 平成十年の中教審の答申において、都道府県教育委員会の認可を必要としております高等学校並びに幼稚園の設置、廃止などに関して、政令都市及び中核市の設置する高等学校及び幼稚園については、その行財政能力に応じて届け出制にしたらどうかというような考えが出されておりました。

 その見直しについては、検討されておりましたけれども、これは、高等学校とか幼稚園における教育水準の維持向上、それから設置主体の行財政能力との関連などについて、もうちょっと検討する必要があるのではないかということで、今継続的に審議しているところでございます。これに関しましては、継続して審議した結果、それがふさわしいということであったならば、そういう方向に持っていくこともあるいはあるのではないかと思っておりますので、大切な課題だというふうに考えております。

 また、それぞれの実情を踏まえて、今のところ、どのような問題を委譲すべきかということはまだ出ておりませんけれども、教育の地方分権と言われておりますので、そのようなことも検討してまいりたいと思っております。

西委員 以上で終わります。ありがとうございました。

高市委員長 都築譲君。

都築委員 自由党の都築譲です。

 教育改革関連三法案の質疑がきょうから本格的にスタートするわけでございまして、ぜひ実りある議論を尽くしていきたい、中身のない質問ではないというふうにやっていきたいと思います。

 まず、その前に、この間の文部科学大臣の御発言について、昨日の委員会で、冒頭、陳謝をしていただき、議事録の削除、修正ということをやっていただきました。

 ただ、私自身は、その文言の中で、極めて不適切な部分があった、こういう御発言でございましたが、一体本当にどこが不適切であったとお考えになっておられたのかと。それから、私は実はあのとき、民主代表政治に関連して質問を申し上げたわけでありまして、どうやって国民の皆さんの気持ちをくみ上げて政治、行政に反映をされるんだろうか、その選択肢の一つとして議会に席を求めていくというやり方もあるんではないでしょうか、こういう質問を私はしたわけでございます。

 大臣のあのときのお話を聞いておりますと、とてもそういった問題について正確な認識をお持ちになっておられるようには、私は聞こえなかったわけでございます。一つの価値観で割り切って、そしてその価値観に合わない意見というものは認められない、つまらないものだ、こういう感じで言われるのではないのか。そしてまた、同時に、そのことはほかの価値観の存在を認めないということになりますから、そうすると、民主代表政治といったものが今まで苦難の歴史の中で築き上げられてきた、そういったものも否定されてしまうのではないのか、そんな思いがしたわけでございまして、もう一度改めて大臣の御見解をお聞きしたい。

 それから、同時にまた、大臣というお立場でこれから文部科学行政を指導されていかれるお立場にあられるわけでございます。そして、教育の中身の大変重要なところは、例えば人間の尊厳を教えるんだ。きのう、私どもの代表質問を樋高議員がいたしましたが、小泉総理に対して、ハンセン病問題の解決、最終的な、全面的な早期の解決を願って総理大臣の決断についてただしたわけでありますが、そういった人間の尊厳といったものを教えていく、そういう立場の中で、あるいはまた、今問題になっているこの社会教育法の改正におきましても、学校教育法の改正におきましても、社会奉仕の体験活動、さまざまなものを取り入れて、一体何を引き継いでいこうとするのかといえば、日本人の本当に、礼節を重んじる、勤勉、あるいはまた正直とか、そういう日本人のよい国民性というか、そういったものを次の世代にもしっかりと引き継いでいこうということが教育の主眼になるだろうと思うのであります。

 実際のところ、私は、きのうの本会議での総理大臣の御答弁を聞いておりましても、またマスコミの皆さんの取り上げ方を見ておりましても、結局のところ、いろいろ法律上の問題はあるけれどもこうするんだと――現に国会の決議の問題もいまだにとんざしたままになっておりますけれども、それは、立法府の不作為の責任を認めることはできない、しかし、謝ることは謝りましょう、そんなにぐちぐち言うんだったら謝ればいいんだろうというような、まことにふてくされた、礼節を欠く態度ではないのか、こんなふうに私は思うわけであります。

 正直申し上げて、先週の文部科学委員会の審議の後、副大臣やあるいはまた文部省の役人の皆さんが、済みません、申しわけありませんと言ってこられたけれども、それは、副大臣の問題でも役人の皆さんの問題でもありません、大臣の問題ですよというふうに私は申し上げたわけであります。

 今申し上げた二点、民主代表政治についての御認識と、それから、礼節を本当に子供たちにしっかりと教えていかなければいけないという、行政を最高責任者として指導していかれる大臣のお立場で、どう御認識されておられるのかをまずお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 去る五月二十三日の都築議員の御質問に対する私の答弁の中に、国民の代表である国会議員に対する答弁としては極めて不適切な発言があったために、その箇所を取り消すとともに、おわびを申し上げた次第であります。

 既に取り消しをしていた私の発言が礼節を欠いたと都築議員が受けとめられるとすれば、大変残念なことでありまして、そのような気持ちも込めておわびを申し上げたところでございます。

 国会は国権の最高機関でありまして、国会議員の先生方は全国民を代表しておられるところでありまして、このことは、主権在民を基本とする民主主義国家にとって極めて重要なことでございます。私としましては、国会の場において、国民を代表する国会議員の皆様方が大いに議論を尽くされて、また担当大臣への質疑を通じて議員の先生方の御指導をいただくということが、民意を酌み取る上で極めて大切なことと考えておりまして、そのような考え方に基づいて今後の仕事を全うしてまいりたいと思っております。

都築委員 公式の見解として、また改めて出てきたような気がいたします。

 日本の人口が約一億二千七百万、赤ちゃんたちもおりますし、御老人の中には、痴呆が進んでしまって正常な判断がなかなかできなくなっているかもしれない、しかし、それでもほとんどの国民がいろいろな考え方、価値観を持ってこれだけの世の中を運営し、そしてまた豊かさを実現してきた。そこには本当に多様な考え方があって、そういったものを尊重しながら、しかしまた、力を合わせてこの国の社会をつくり上げてきたんだろうと思うわけであります。

 戦前の軍国主義に流れた時代、そういったものを振り返ってみると、武力によって領土を簒奪したり、あるいはまた武力によってよその国民を虐げたりするのではなくて、日本人自身が、資源も何もない中で力を合わせ、工夫を凝らし、知恵を出し、そしてお互いの立場を尊重しながらやっていくことでこれほど豊かな社会を実現し得たというのは、歴史の中でも、また世界の地政学的な状況の中でも、極めて希有なことだろうと思うわけでありまして、そういった根本に、実は民主主義あるいはまた民主代表政治、こういったものが大きな貢献をしてきたであろうということを私自身は痛感しておるわけでございます。

 ぜひ大臣も、今申し上げられたような御認識をしっかりと持っていただいて、また、礼節の問題につきましてはちょっと御答弁が余りなかったような気がいたしますが、私自身は、先ほど申し上げたような趣旨で、本当に問題があればお互いの意見の違いというものを出して、そして乗り越えることができれば乗り越えていけばいいじゃないか、そのためには、実は相手の言動を侮辱的な発言によって否定をするようなものは控えるべきである、こんなふうに思うわけでございます。

 それでは、法律案の内容に入っていきたいと思いますが、いずれまた私どもとしても十分な審議時間をお願いしたい、こういうふうに考えておるわけでございます。またそれぞれの法案について具体的な質問をさせていただきたいと思いますが、きょうは実は総論ということで、これまたちょっと抽象的な問題かもしれませんが、しかし、この三法案がなぜ一括して三本出てくるのか、そこのところも私自身は非常に疑問ですが、この文部科学委員会の理事会で決定をされた事項ですからそういった三法案を審議する、こういった状況の中で議論を進めていきたいと思っております。

 ただ、今回のこの改革関連三法案、昨年の十二月に出されました教育改革国民会議の答申といいますか、報告、これに十七項目の指摘事項があって、その中の項目を、政府としては、法案を提出し、または他の施策については予算措置を平成十三年度に講じ、そして実施をしていく、こういうことでございます。

 しかし、今こういった改革法案が出てきたところで、私自身がざっと見まして、本当に今のこの国の現状といったものを考えたときに、これが今の現状に対する処方せん、あるいはまた根本的な改革療法になるんだろうか、そういったことを実は疑問に思うわけでございます。

 だからこそ、そういったときはまず基本に立ち返るということで、さまざまな分野の問題があります、学校におけるいじめとか不登校とか校内暴力、あるいはまた青少年の犯罪、さらにまた、そういった状況の中で育った若い親御さんたちが児童を虐待する、あるいは、最近新聞やテレビで報道されておりますように、電車の中でちょっとしたいざこざで人を殺害してしまうような事件が起こる、あるいはまた、大変立派な経歴や学識を持った官庁の幹部の方やあるいはまた金融機関の幹部の方がさまざまな不祥事にまみれてしまう、そういった状況。

 片やまた、国際競争の中でIT革命というものを政府として進めようということでございますが、科学技術の進歩に日本がまた優位を維持するためにも、そういった専門性あるいは能力をしっかりと持った人たちがちゃんと実績が上げられるような教育をすべきだ。さまざまな観点が盛り込まれた提言であったのではないか、私はこんなふうに思うわけであります。

 ただ、振り返ってみれば、確かに私自身の個人的な考え方を申し上げれば、教育というのは、本人の持つ能力や個性、こういったものを最大限に開花できるように、発揮できるようにお手伝いをすることと同時に、特に義務教育学校ということであれば、社会に出て一人前の構成員として、まだ大人にはなり切れないかもしれませんが、社会のルールといったものをしっかりと覚えてもらって、みんなと仲よくこの社会を支えていけるような構成員として育ってもらうようにいろいろなことを教えていく、二つの要素があると思うわけであります。

 ただ、近年の学制というもの、明治の時代までさかのぼってよろしいのかもしれませんが、では、それ以前に、日本の社会はいろいろな問題があったんでしょうけれども、今日のような問題を持っておったのか、あるいはまた、あの当時の国民は、確かに経済的には非常に貧しかったかもしれないけれども、それでも十分人生を生き生きと生き、楽しむこともできたのではないか、そういったことを思うと、学校で今本当に教育をすることが何で必要なんだろうか。

 そして、一人当たり、例えば中学生あるいはまた小学生ですと七十五万から八十万ぐらい、高校生一人当たりですと大体八十三、四万円というふうに聞いておりますけれども、国民の皆さんの納める税金がそういった学生さんたちのために毎年使われているということを考えると、そういった金額を、それこそ実際には本人やあるいはまた家族に渡して、そこで教育をしてもらってもいいのではないのか、こんなことさえ思ってしまうわけであります。

 なぜ学校で教育をしていくことが必要なのか、そういったことを私自身は、実は今回の改革関連三法案といったものを見ますと、学校教育法、あるいはまた社会教育法、そしてまた地方教育行政法ということで、いろいろな組織を綿密につくり上げ、その中にがんじがらめになってしまって、その中の一部分を修正修正しながらやっていくということよりも、もう一度根本に立ち返って、本当に学校教育といったものを国が推し進めなければいけないんだろうかというところまで立ち戻って考えてみるのが必要なのではないか、こんなふうに思うわけでありますが、大臣の御見解を伺いたいと思います。

遠山国務大臣 いろいろな点の御指摘がございましたけれども、教育の原点に立ち返ってみれば、なぜ学校が必要なのかという点が御質問のポイントだったろうかと思います。

 子供が人間として生まれて、そして成長していく段階で、まず家庭において養育され、そして一定の年齢になったら学校に入るということで、一体それは何が期待されているのかと申せば、これは、一つはもちろん体系的な知識を学ぶということでありましょうし、それから、非常に大事なことは、子供たちが一人で学ぶということではなくて、学校という制度の中で、友人たちと生活をともにしながら学ぶ、また人生の経験者である教師からいろいろ教えられるということを通じて成長していくということが大変大事ではなかろうかと思います。

 したがいまして、今確かに情報化の社会でもあり、IT技術も発達してまいっておりまして、いながらにしていろいろな知識を学ぶということもできるわけでございますけれども、私は、やはりそれでは、十分な人格の形成なり本当の意味での生きる力を身につけるということはできないのではないかと思います。その意味で、学校教育の抱える問題はこれまで以上に難しい面もありますし、また新たに取り組んで、誤りなきように努力をしていくべき面もあろうかと思っております。

 そういう今日の教育が抱えるいろいろな問題と同時に、本来学校教育の中で子供たちに伝えるべきいろいろな知識なり、あるいは心の問題なりに十分に対応できているかどうかというようなことの観点に立って、今回の教育改革の一連の、法律もそうでございますが、二十一世紀教育新生プランの中でねらっておりますものは、そこのところを問い返して、今、国民的な合意を得ながら進めていこうという段階であろうかと思います。

都築委員 今大臣の御答弁の中で、学校教育の抱える問題はいろいろあるとおっしゃられましたが、たしかこの間も、社会の抱える問題、こういったところもお聞きをしたと思います。ただ、本当にそういった問題の本質が、私は、この間も御指摘させていただいたように、こういうものになってくるのだろうかという思いがあるわけでございます。

 この学校教育法あるいは社会教育法、社会奉仕の体験活動とか、自然体験とか、さまざまな新しい施策を講じていこうということでございます。また、後ほどちょっと戻ってまいりたいと思いますが、今の学校教育の抱える本当の問題、例えば学業成績の習熟度の問題、あるいはまた社会性の付与の問題、さまざまな分野があると思いますが、一体どこにその問題があるのか。そしてまた、今日のこの社会の中で本当に何が問題であるのか。そこのところをお伺いしたいと思います。

 それは、実は後の質問になります、また後に戻ってまいりますが、実は文部科学省の抱える行政分野の問題ではないのではないのかという思いが私はするわけでありまして、今大臣御自身、この三法案を提案されて、そして審議をされていく中で、実際に何が社会で問題で、何が学校教育の中で問題なのか、そこのところをもう一度ちょっと改めて御教示いただけますでしょうか。

遠山国務大臣 大変本格的な、本質的な御議論でございまして、今の抱える問題というのは、簡単に私が分析できるような問題ではなかろうかと思いますけれども、先ほど申しました中にも、やはり教育の抱える問題の中には、本来的な教育が目指すべきものについて、それが十分できているかどうかという問題と、それから同時に、新しい時代に対応してあるべき教育が行われているかどうかという問題と、二通りあろうかと思います。

 本来的な問題につきましては、もう御説明するまでもないと思いますが、今日、特に戦後の日本の経済発展の中で、都市化が進んでおりますし、また家庭は少子化を早めておりますし、同時に、そのようなことから、地域社会における人間関係というようなものの希薄化が進んでおります。同時に、いろいろな科学技術が発達をしていて、もう人間の予想を超えた進度でいろいろな事態が変化を続けているわけでございます。

 そんな中で、子供たちが、本当に将来きちんとした自分の存立の基盤を持って、そして時代の変化に対応できる、あるいは時代のいろいろな変化を乗り越えてきちんと人間として生きていけるかどうかということを考えますと、日本の今の状況というのは、必ずしも十分でない面が見られるのではないか。そのようなことから、今国民の皆様の間に、教育に対するいろいろな疑問でありますとか、あるいはもっと教育はよくなってほしいという願望が高まってきているのだと思います。

 その意味で、先生の御質問に十分答えられたかどうかわかりませんけれども、私としては、今日の問題が、確かに文部科学省の守備範囲だけで解決できることではないと思います。しかしながら、学校教育に対して責任を持っている省といたしまして、学校において今一体何ができるか、学校において展開される教育活動において何が不足であるか、そのようなことを考え、また、条件整備としてまた何かできることがあるのではないか。あるいは、地域における教育というものを実質的に指導し、助言し、あるいは主体的に運営をしている教育委員会の制度についてもどうであろうか。あるいは、教員の問題はどうであろうか。

 そうしたさまざまな問題に対応するために、今回取り組んでいる改革法案及びその他の総合的な対策というものを整理して、体系的に取り組もうとしているのが、二十一世紀教育新生プランでございます。そのような形で、文部科学省の方針というものを明確にして、これを前進させたいという気持ちで今進んでいるところでございます。

都築委員 今の御答弁をお聞きしておりまして、確かにそうだな、こう思うのでありますが、ただ、本当のところはどうなのか。

 例えば、先ほど、都市化とか少子化が進んで、人間関係が希薄化してきている。人間関係が希薄化してきたら何かいけないことがあるのですか。というのは、今、この自由主義経済のもとで、いわゆる金銭万能主義のような風潮が実は成り立ってしまった。だから、約百五、六十万人いると言われる引きこもりの青年、新潟の方では、少女を九年余も監禁をしていたような事件を起こしたり、いろいろな問題が起こっておるのかもしれません。

 親の全くすねかじりということで生活をしている、そういった人たち。自分の部屋に引きこもって、テレビを見て、雑誌を読んで、ときどき親からもらったお金でふらっとコンビニに行って、一言も口をきかずに、そして自分の好きな食べ物や飲み物や雑誌や、そういったものを買って、また自分の部屋に戻る。

 ただ、実は今、それで世の中が回っているところは回ってしまっているわけでありまして、では、なぜそれがいけないのか。そういった人たちは今ここに出てこいというふうなことをやるようになるのか。あるいはまた、そういう引きこもりにならないような教育をなぜする必要があるのか。引きこもる人は引きこもってもらったっていいではないかというふうな考え方も、片やあるのかもしれません。

 私自身は、それは大変なことだと。自分の専門分野の、例えば労働行政の観点からいったら、いずれそれは、親が亡くなったときは、ではだれのお世話になるのかとか、そういう話になるし、本人の本当に貴重な人生といったものを、そんな閉じこもったままではなくて、もっと外で伸び伸びと、生き生きと元気に生活を楽しんでもらった方がいいだろう、こんなふうに思いますけれども、そういった問題。

 それからまた、そういった人間関係の希薄化、こういったものが起こっておりますけれども、では、もしこういった改革関連法案の中身、施策を実施していったら、いじめが本当になくなるのですか。あるいはまた、不登校といったものもなくなっていくのですか。あるいは、犯罪者が減っていくのですか。一体何を考えてこの法案を御準備されたのか、そこのところがいま一つよくわからない。

 同時にまた、大臣が、本来の教育が、今までの教育、今の学校制度の中で十分できているか、こういう点も反省をしなければいけない、見直さなければいけないと言われましたが、その中では、では、そういう本来の教育が行われていたら、一体今の日本人はどういうふうに、若い方たちはどうなっていたのか、そんなことも実は思うわけであります。そこら辺のところも、本当のねらいのところを、どういうものを次の世代に、学校教育というのは若い人が大体入るわけでありますから、今まで日本人が築いてきたどういったものを引き継いでいくのか。それからまた、体系的な学習というのは本人の、個人の能力でありますが、今ちょっと社会的な側面に視点を当てれば、どういったものを本当に引き継いでいかなければならないとお考えになっておられるのかをお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 今回の教育改革を通じて何を子供たちに引き継いでいこうとしているのかということでございますけれども、私はやはり、総理も述べられておりますように、一人一人の人間が、特に日本人が日本人としての誇りと自信を持って生きていけるように、そのための真の力といいますか、真の生きる力を子供たちに与えることを目指しているというのが一番大きなねらいではないかと思います。

 しかし、それはちょっと抽象的過ぎるわけでございまして、それを学校教育の現場において少しブレークダウンをして、一体どういうことについて力を入れていくかということでございますけれども、そのブレークダウンの後に出てきたのが、体験活動の重視であり、あるいは一人の子供の挙動のために他の子供たちが勉強もできないような状況を解消するような問題でありますとか、あるいは教える者が本当にその力を発揮できないときにはやはりきちんとそれについて対処していく必要があるのではないか。

 そのような角度でブレークダウンをして、そして今回の法改正につながり、また、それ以外のことにつきましては、二十一世紀教育新生プランの中にちりばめられておりますような、そういうさまざまな施策を同時に進めることによって、大きな波として教育改革への胎動をつくり出そうというのが今回のねらいであると考えております。

都築委員 多分、大臣の言っておられることと私の言っていること、似ているのかもしれませんが、日本人の誇りと自信を持って一人で生きていけるように、一人で生きていけるようにというところが大事だ、私はこんなふうに思うわけであります。もちろん、日本人に生まれたわけでありますから、日本人の自信、誇り、こういったものを当然備えなければいけないと思いますが、一人の人間として、本当に自分の能力を十分に活用して、自分の足で一本立ちをして、他人様に迷惑をかけないように、そしてまた少しでも社会のお役に立てるように、そういう、社会のルールの中で生きていけるようにしていくことが何よりも大切ではないのかな、こんなふうに思うわけであります。

 そして、今のお考えをブレークダウンした中で体験活動とかそういったものが出てくる、こういうことであります。

 社会奉仕の体験活動については、この法案の中にございますが、聞くところによれば、具体的な青少年の奉仕活動や体験活動の推進方策については、先般、文部科学大臣、前任の町村大臣から中央教育審議会の方に諮問がなされた、こういうことでございます。

 ただ、そういった社会奉仕体験活動といった固まったものを受けていない、私も団塊の世代の最後、一九五〇年生まれでございますが、では、我々の年代あるいはその後の年代の人たちは社会性がないのかといったら、そんなことは実はないわけであります。

 私の記憶するところでは、たしか小学校、中学校のときに、例えば廃品回収、古新聞紙、空き瓶、空き缶、こういったものを、リヤカーをみんなで引いて、大人の人が先導して、家々を回って集めて、それを売ったわずかなお金を、また野球のバットとかグラブとかボールとかそういったものに充てるとか、そういった活動をやってきたことを思いますと、そういったものは社会奉仕体験活動とはちょっと違うのかなと言いますが、ただ実際には、そういった活動の中で大人の皆さん方が子供たちにどう接するのか、どういう言葉遣いをするのか、そしてまた一生懸命やったら、よくやったといって褒めてもらって自分の存在感といったものを認めてもらえる、本当に基本の基本のところで実は地域社会といったものがあった。

 ところが、最近ですと、私の地元でも、PTAの幹部の方かあるいは町の総代の幹部の方かわかりませんけれども、月に一度、日曜日になると自動車で新聞紙を回収に来たりしてしまって、子供たちがそんなところに出る余地はない。また、環境問題、ごみの分別ということで、空き缶とか空き瓶とかそういったものはちゃんと整理しましょうということで、総代さんあるいはまたその役割を担う方たちが、ごみの集積場所に立って、みんな目を光らせて整理をしている。

 子供たちが本当に社会参加をするというのだったら、そういったところから実はやってみたらどうですか。本当に身近なところにあるんじゃないのか。何もそんな社会奉仕体験活動などという大ぐくりのことを考えて、国の予算をどんとつけて、法律もつくってやっていくようなものじゃなくて、今までだってもう十分できるのじゃないか、そういう工夫が必要じゃないのか、こんなふうに私は思うのですが、大臣、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 確かに、私どもの幼いときなり、その後もしばらくの間は、私どもの周辺に、自然も豊かでありましたし、あるいは地域の人たちとの交流もありましたし、あるいは家族自体が幾世代もの人たちが同居していたりしまして、いろいろな形で学ぶこともできました。

 しかし、事態は二十世紀後半に入って、後半になるほどに、終わりに近づくほどにいろいろな問題を抱えてきたのが、日本のみならず先進諸国の問題ではなかろうかと思います。先ほども申しましたけれども、都市化の波が非常に大きく人々の生活様式を変えましたし、そんな中で、これまではぐくむことのできたいろいろな力をはぐくむこともできなくなってきている。少子化の問題も、核家族化ということで、世代を超えたいろいろな交流を通じて、それこそ礼節を学ぶでありますとか、思いやりの心を持つでありますとか、そういったことを学ぶ機会も減ってまいったわけでございます。

 では、今のままほっておいても、かつて周辺にいろいろあったのであるから、何も今さらそういうことをする必要はないのではないかという御意見もあり得るかと思いますが、私はそうは思わないところでございます。これは奉仕活動についてももちろんそうでございますが、特に私は、自然との触れ合いというのが人間の創造性を高めるという点については、大いにこれは注目していいのではないかと思います。

 かつてノーベル化学賞をおもらいになった福井謙一先生もおっしゃっておりましたけれども、小さいときに泥んこになって自然の中で戯れ、そして植物をよく観察した、それを背景に自分の今日があると仰せになりました。昨年十二月にノーベル賞をお受けになりました白川博士もまた同様のことを言っておられます。

 そういうようなことから、引きこもりになってしまったり、あるいは学校における、単に座学での授業を受けるということではなくて、広く、みずからの体を動かして体験できる、これは少しそういうことについて大きな重要性というものを広めていく、あるいはそういう活動をやりやすくしていくというのが今の時代に求められているのではないか、そのような認識から今回の法改正にもつながっていると思うのでございます。

都築委員 確かに一つの御見解だと思うのです。本当に自然と触れ合うことが大切だということは私も全く同感でありますし、やはり土とか草や木あるいは水のぬくもり、こういったものに触れていく、それは人間が自然の中で生まれてきた、考えれば、人間それ自体が実は自然の存在である、こんなふうに私は思うわけでありまして、そうすると、例えば他人の痛みをわかるとかそういった、礼節以前の問題になってしまうのかもしれませんが、自分が痛むのであれば他人も痛むだろう、自分が大切であれば他人も大切であろう、こういう発想になっていく。

 だから私は今本当に、この社会教育法、学校教育法、さまざまな法律の改正、新規施策、新規予算をつくってやっていくということの前に、もっと足元を見詰める必要があるのではないか。というのは、自分は一体どこから来たかといったら、お父さんお母さんから生まれた。そのお父さんお母さんにも当然お父さんお母さんがいて、そういった状況の中で三代、四代、五代とさかのぼっていったら、何十人という人たちの結晶が自分である。そしてまた自分から今度はたくさんの子孫が分かれていくということを考えると、いかに自分といったものの命が重要か。そういったことを昔は、また小さいころの話で恐縮でありますが、私も小学校のころは、御飯を食べる前に、まず仏壇にろうそくを上げて線香をたいて、そしてお供えをして、鈴をたたいてお参りをする、それが朝の日課であったわけであります。

 ところが、先ほど大臣が言われているように、都市化の波、あるいはまた住宅が高層化したり団地化したり、そういった状況の中で、今例えば東京の平均的なサラリーマンの家庭の中で、仏壇を持っている家庭が一体どれぐらいあるのだろうか。まず先祖に対する敬意を払う、これは日本文化として絶対失ってはならないものだろう、私はこう思うのであります。そういったものを頭から教えるのではなくて、日常の生活の作業の中から覚えていく、そういうものが大切だ、実は私はこう思うのであります。だから、今話が少し飛んでいるかもしれませんが、そういったものをもっと本当に活発にしていく。

 例えば、昔だと新家を出すときは、実はお父さんお母さんは、仏壇を結婚のお祝いの一つの品として与える。ただ、仏さんがいない仏壇を贈ってしまうと縁起が悪い、すぐにだれか入りたがる、こんなこともあって、ちゃんと先祖の位牌を入れて譲ってやる、こういう話があった。ただ、今の状況では、仏壇も大変高いものがあるし、きのうの新聞だと、東南アジアからの輸入品だと安く入るんだ、こういう話もあるようでございますが。

 私なんかはむしろ、キリスト教の皆さんとか、そういった皆さんには大変失礼でありますけれども、せめて仏教を信じる人だったら仏壇を子供たちに贈ってやるとか、そういった活動を展開していくことの方が、もっともっと、本当に先祖を大切にし、自分を大切にし、人の命も大切にする人たちが育っていくのじゃないか、そういうところに目を向けた方が、こんな大きな予算を組んで、大きな法律をつくってやっていくよりも、もっと地道な活動として成果が上がるのではないか、こんなふうに思います。

 今のは宗教の関係でありますが、また教育分野以外の分野でも、例えば企業の雇用慣行一つとっても、一家の団らん、やはり一緒に飯を食う、一緒に寝る、こういったことが、先ほど松沢先生が言っておられましたけれども、仲間意識を育てる。自分の仲間だと思ったら、すぐ刃物を出したり、突然殴りかかったり、そんなことをするわけはないわけでありまして、みんな敵だと思うからそういったことをやってしまう。だから、一緒に飯を食うとか、一つの屋根の下で寝る、そういった仲間意識を育てていく。そういった意味でいったら、今の企業の雇用慣行、単身赴任を平気でやったり、あるいはまた長時間残業をさせて帰さない、こういったことが家族の崩壊を実は起こしているのじゃないか。

 そういったことを考えたときに、私は、これはむしろ文部科学行政として、関連の経済産業省とか厚生労働省とかそういったところとしっかりとやって、まず家族の価値観といったものを、家族のきずなといったものを取り戻し、また地域のきずなといったものを取り戻していくことが何よりも大切ではないか、こんなふうに思うわけであります。

 ちょっと総論部分が長くなりましたが、時間が参りましたので、申し上げまして私の質問を終わらせていただきますが、大臣、何かございましたら一言。なければ結構です。よろしいですか。

 では、終わります。

高市委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 審議入りしました三つの法案ですけれども、教育改革国民会議の報告を受けてのものであります。首相の一私的諮問機関からの報告でありまして、いわゆる個々の委員の意見を聞くにすぎない懇談会の報告だというふうに思うのですね。こういう報告がなぜ法律化されたのでしょうか、その理由をちょっとお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 教育改革国民会議は内閣総理大臣のもとに設けられた懇談会でございまして、すぐれた英知を集めて、教育の根本にさかのぼって幅広く議論が行われたと承知しております。そして、昨年の十二月、その最終報告が提出されたところでございます。

 文部科学省といたしましては、この報告を踏まえまして、ことし一月二十五日、今後取り組むべき教育改革の全体像を示す二十一世紀教育新生プランを策定いたしました。これは、教育に対する国民の皆様の信頼にこたえるためには迅速な改革の実行が不可欠という考えに立ちまして、この新生プランを踏まえて、特に緊急に対応すべき事柄について教育改革関連法案として今国会に提出したところでございます。

石井(郁)委員 迅速というふうに言われましたけれども、私は、迅速ではなくて拙速だと言わなければならないというふうに思うのですが、昨年の十二月二十二日に最終報告がございまして、今お話しのように、それが一月に入って、一月弱の間に文部省として新生プランにまとめられたということなんですね。なぜ、公的審議機関である中央教育審議会にかけるなどして慎重な検討をしなかったのか、これはいかがでございますか。

遠山国務大臣 今のお尋ねでございますけれども、提言のありました中で専門的にさらなる検討が必要と判断される事項につきましては、去る四月十一日、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会に諮問を行ったところでございます。

 我が省といたしましては、今後とも、教育基本法の見直しを初めさまざまな角度から専門的な検討が必要な事項につきましては、審議会での検討を踏まえて適切に対応してまいりたいと考えております。

石井(郁)委員 今回の三法案は懇談会の報告を受けて法案化されたということですから、審議会を経ていないというふうに言っていいと思うのですね。私はやはり、今後どうなるかということもございますけれども、このやり方ですと審議会の形骸化が進む、審議会がいいかどうかという議論も別途あるわけですけれども、しかし、公的な機関を経ずしてこういう形でどんどん進められるというのは、懇談会政治というものを助長することになりはしないかという点で非常に問題があると考えますが、いかがでございますか。

遠山国務大臣 今回のよって立つ基盤は、内閣総理大臣のもとに置かれた極めて重要な懇談会の提言をベースにいたしております。同時に、中央教育審議会は、文部科学大臣の諮問機関として、教育の振興でありますとか生涯学習の振興、スポーツの振興に関する重要事項を調査審議する審議会でありまして、その審議に付すべきことにつきましては、大臣の責任において適切に判断してまいりたいと考えております。

石井(郁)委員 私は、教育改革国民会議の報告、十七の提言というふうにまとめられていますが、それについて本当はゆっくり議論をしたいという気持ちはございますけれども、もう法案の審議に入っていますので、残念ながらその時間を割愛しなければなりません。

 しかし、今大臣は重要な提言をいただいたというふうにおっしゃいましたけれども、国民会議の報告については、国民の中、各界からかなり厳しい批判が出ていると思うのです。これはもう文部省は承知のことだと思うのですけれども。ある学者はこの報告を独善と愚策だ、こういう言い方もしているところです。

 国民会議の報告は、このままでは社会が立ち行かなくなる危機だという認識でその提言をしたと言われるのですけれども、その危機はどういう危機なのか、その客観的なデータだとかが示されて議論された風というのはないのですよね。だから、それぞれの教育論は述べられたかもしれないけれども、非常に客観性、公平性を欠く報告だというふうに私は思うのです。

 そういう報告を、文部省が金科玉条のごとくレインボープランにまとめる。さらに今度は、パンフレットにもしてそれを国民にも訴える。そして今、この法案の審議にも入っていくわけでしょう。こういう教育改革を一大国民運動として展開していきたいということなんですよね。今までこんなことはあったでしょうか。こうした国民運動を呼びかけるというこんな教育行政のあり方というのは、私は、文部行政というか、教育行政のあり方を逸脱するものではないかというふうに思っているのです。

 教育基本法十条を出すまでもなく、教育は不当な支配に服することなく行われなければいけないということですが、これから審議されます三法案は、今日の教育危機をさらに深めるものだ、競争教育、管理教育を一層強めるものだという点で非常に重大な内容を含んでいるということを、私はまず最初に指摘させていただきたいというふうに思います。

 きょうはまず、地教行法の第五十条、高校の通学区域指定削除の問題でお尋ねをしたいというふうに思います。

 私、ここに高校の受験案内を持ってきました。これは書店にたくさん積まれているものですけれども、これを見ますと、本当に一点刻みで高校が序列化されている。表もグラフもたくさんありますから。これまで文部科学省などは偏差値はなくしたとか言われるけれども、偏差値は立派にあって、内申もあって、見事に高校が序列化されているでしょう。これはもう冷厳な事実だというふうに思うんですね。だから、このようにして、今どういうふうに高校入試でふるい分けるかというのが現実だというふうに思うんですね。

 このことに対して子供たちはどう言っているでしょうか。中学三年生の子供の声ですけれども、もう入試までは我慢の連続だと。ああしたら、こうしたら、ああしなきゃ推薦はもらえない。毎日、何か縛りつけられるような気がしている。勉強しなさい、服はきちっとしなさい、ルーズソックスはだめです、いろいろいろいろ、だめだめだめということで、毎日がこんなのでは何もかも嫌になってしまうという声なんですね。

 私はまず文部科学省に伺いたいのは、今の子供たちが置かれているこの厳しい受験競争の実態、これをどう認識していらっしゃるかという問題と、こういう現実から子供たちを解放するというか、競争教育から子供を解放するというのが、文部科学省の、行政としての今取り組むべきことではないのかというふうに思いますが、そういう認識はおありかどうか伺います。――ちょっと、済みません、これは大臣に聞いているんですよ。

高市委員長 石井委員に申し上げます。

 質問のときに大臣にとおっしゃっていただいたら大臣を指名いたしますので。よろしくお願いいたします。

石井(郁)委員 はい。これはもう基本認識ですから大臣にお願いします。

高市委員長 それでは大臣にお答えいただきます。

 遠山大臣。

遠山国務大臣 高校進学についての競争が行われているという事実もございましょう。学校段階を上がるに従って自分に適した学校を選んでいくというのも非常に大事なことでございまして、私は、若いときにある程度の競争なり努力なりというのは非常に大事だと思っております。

 それが過度にわたる場合、これはまことに危惧すべき問題であろうかと思います。ただ、すべて競争もなく希望のところにというようなことは、それは本当に教育的な意味もあるのかというようなこと、これは個人的な考えでございますが。

 したがいまして、今日の高校をめぐる問題について、いろいろな問題があろうと思いますけれども、過度にわたらない、本当の一人一人の能力を伸ばすような競争というものは健全に行われるようなことがもちろんふさわしい、あるいは望ましいことであろうと考えます。

石井(郁)委員 私は、大臣のそのような御認識では、本当に日本の子供たちの状態はどうなるのだろうかという心配をするんですけれども、先の方へ進みます。

 第五十条の通学区の規定の廃止ですけれども、これは全県一学区ということを可能とするものでしょうか。これは局長で結構です。

矢野政府参考人 今回の改正は、第五十条を削除いたしまして、公立学校の通学区域を設定するか否か、またどのように設定するかについて、各教育委員会にその判断をゆだねることとするものでございます。

 したがいまして、今後は、先ほど委員御指摘ございました全県一学区を設定することも含めまして、どのように通学区域を設定するかは、それぞれの教育委員会の判断によることとなるものでございます。

石井(郁)委員 私が先ほど、冒頭申し上げましたのは、やはり今日の高校受験競争の激化というのは学区の拡大とともに進んでいるんですよね。だから、そういう受験競争、これほどの過酷な競争をなくしていこうと考えたら、この学区制、小さくするのではなくてさらに拡大をする、今の答弁のように一学区制も可能だということですから、そういう方向に法改正を行うというのは、私は、子供の願いに逆行しているというふうに言わざるを得ないわけです。

 それでは、通学区域の指定というこの五十条は、そもそもどういう理由で設けられたんでしょうか。本当は大臣にお聞きをしたいところですけれども、それでは局長でも結構です。

矢野政府参考人 この規定が設けられた当時、通学区域を設定することの目的は、高等学校教育の普及と機会均等を図る、そういう意味合いでこの通学区域を設ける規定が設けられたものと理解しております。

石井(郁)委員 ちょっと矢野さん、いつも局長答弁では重要なところを抜かされるんですよ、私はいかがかと思うんですが。

 これは、一九五二年、文部省の解説で、都道府県教育委員会に対して出していますね。学区制の意義として四点挙げているんじゃないですか。一つは高校教育の機会の均等、今おっしゃったけれども。それから高校の地域化。それから入学競争の弊害排除ですよ。それから高校教育の普及。入学競争の弊害を排除するということをやはりちゃんとうたっている。このことは抜きにできないというふうに思うんですね。

 あなたは都合の悪いところは除いて答弁される。そういう文部省の態度というのは、私は本当にいかがかと思います。

 それでは、これは大臣に伺いますけれども、一九五二年当時の教育委員会法ですね、五十四条でそのようにあるわけですけれども、それがその後、地教行法に変わりました。私は、これは廃止すべきではなかったというふうに思いますけれども、この教育委員会法五十四条の趣旨は、今度、今の地教行法の五十条の学区指定になってどうなったのか。一体その趣旨は変わったんでしょうか。どうですか。

 そこで、大臣にも早速伺いますけれども、木田宏さん、遠山文部科学大臣は大先輩として当然御存じと思いますけれども、この地教行法をつくった立て役者の方なんですね。この方の「逐条解説地方教育行政の組織及び運営に関する法律」という本を読みますと、「本条の規定」、だから今の五十条の規定は、旧法五十四条の規定とその趣旨において全く同じだというふうに述べられているんですね。

 じゃ、この条文の目的、今の四点、教育の機会均等、高校の地域化、入学競争の弊害排除、高校教育の普及という目的は達成できたんでしょうか。これは大臣に、ぜひお答えください。

遠山国務大臣 高校教育の普及とそれから機会均等を図るという通学区域の意味は、今日においては制定当初と違って薄れてきているものと考えております。他方、高等学校教育におきましては、生徒の多様化が進みます中で、多様な選択の機会を確保することが重要でございます。

 このような観点から、このたびの改正によりまして、各教育委員会において通学区域のあり方や意義について見直しが進められていくのではないかと考えております。

石井(郁)委員 高校教育の普及という点ではかなり達成をしてきている、そして多様化が進んだと言われますけれども、それも文部行政が推進をしてきたところですよね。そして、そういう今の状況がつくられているわけですけれども。

 しかし、高校教育の機会の均等とか高校の地域化とか入学競争の弊害排除というのは、やはりいまだ残されているというか、課題じゃないでしょうか。しかも、一層競争が激しくなっている。これに学区の問題が絡んでいるということなわけですね。

 そこで、ちょっと具体的に伺いますけれども、学区ですけれども、一九五五年当時どうだったのか。それは今、四十数年ですけれども、今日どうなっているのか。

 ちょっと県の名前を出しますけれども、秋田とか茨城、愛知、三重、愛媛、香川、これは私たちにもわかっているものですから、学区の数あるいは全国平均の学区数、文部科学省、つかんでいらしたらお示しください。

矢野政府参考人 昭和三十年のときと四十年後の一九九五年の比較でございますが、秋田県が、昭和三十年には十二学区でございましたが、これが三学区、茨城が八学区が五学区へ、また愛知が四十三学区が二学区へ、三重が十七学区が三学区へ、香川が十四学区が二学区へ、また愛媛が三十一学区が三学区へとそれぞれ減少いたしているところでございまして、これを全国平均で見ますと、一九五五年が二十・五学区でございますが、一九九五年では十一・六学区へ少なくなっている、こういう状況にございます。

石井(郁)委員 今の数字のとおりでありまして、小学区が、学区が拡大をする。これは愛知では二学区ですよね、香川でもそういう状況なんです。だから、学区制が大変大きく変わってきたということだというふうに思うんですね。

 一九五五年当時というのは、高校は小学区制で総合制で男女共学だったわけですけれども、それを高校三原則として進めてきたわけですが、進めてきたというかその当時はそうだったんですが、今日では大学区となっているということです。都道府県、地方によっては、小中大いろいろまだ残っているところはありますけれども、やはり非常に大学区制に変わってきた。そういう中で、偏差値あるいは内申で一点ごとの序列化になっている。もうずっとこの間言われているのは、高校の受験、高校のランクというのはスライスハムのようだという有名な言葉がありますけれども、本当にその一点を目指しての厳しい受験競争が行われているのが現実だというふうに思うんです。

 さて、そこで、やはりこういう状況が、国連子どもの権利委員会からも大変厳しい指摘をされ、勧告を招くということになっているわけです。国連から寄せられている日本政府に対するこの勧告、高度に競争的な教育制度の改革や過度なストレスと不登校の防止についてどう闘っているのかという問題がありますよね。

 ちょっと読みますと、「貴国における高度に競争的な教育制度及びそれが子供の身体的健康に与えている否定的な影響にかんがみ、条約第三条、第六条、第十二条、第二十九条及び三十一条に照らし、過度なストレス及び不登校、登校拒否を防止し、かつ、それと闘うための適切な措置をとるよう貴国に勧告する」ということがございますけれども、今回のこの通学区規定の廃止というのは、この勧告に沿うものなんですか。沿うと思っていらっしゃるのでしょうか。それは明確にちょっと御答弁いただきたいと思います。大臣にお願いします。

遠山国務大臣 児童の権利に関する委員会での指摘と今回の改正との関係でございますね。

 今回の通学区域にかかわる改正によって受験競争の激化を招くことがあってはならないということは言えると思います。その意味で、高等学校入学者選抜のあり方は大変重要な意味があるわけでございます。

 高等学校の入学者選抜につきましては、選抜方法の多様化と評価尺度の多元化の観点から、工夫改善について指導してまいったところであります。文部科学省としましては、各都道府県に対し、今後とも一層の高等学校入学者選抜の多様化等に努めていただくよう指導してまいりたいと考えております。

 かつて一九五〇年代の高校進学者のリスト、現在は大変さま変わりでございまして、生徒の実態が大変多様化している。そんな中で、各都道府県においてはそういった実態を踏まえながら受験競争が激化することのないよう適切な対応がなされることを期待しているところであります。

石井(郁)委員 重ねて伺いますが、入試の方法を改善すれば受験は緩和するというふうな御答弁ですか。

 それから、最後に、いろいろ受験競争の激化を招かないように期待するということですが、それは期待をするんじゃなくて、文部省は今どうされるのかということをお伺いしているわけでして、再度、この学区規定の廃止は本当に、今国際的にも日本の教育が厳しい指摘を受けているわけですから、この勧告に合致するんですか、しないんですか。はっきりお答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 今回の改正といいますものは地方分権を一層進める観点に立っておりまして、通学区域の設定について、地域の実情を踏まえて各教育委員会の判断にゆだねるということでございます。ですから、通学区域の廃止でありますとか、あるいは通学区域はどうあるべきかということを示すことを意図しておりません。したがいまして、それぞれの教育委員会においてみずから判断をして、その地域の実情あるいは生徒の実態に応じて十分に判断していただきたいということでございます。

 ここのところ、ちょっと誤解が生じているのかと思いますけれども、そういう趣旨でございます。

石井(郁)委員 思春期にこれほど過酷な受験競争がある国、そして子供たちをそれに巻き込んでいる国は日本しかないんですよね。だからこそ、国連が厳しい勧告をしているんですよ。そういう状態を文部科学省がつくり出してきているわけですから、やはりその文部科学省の責任を私はまず問いたいというふうに思うんですね。今、都道府県の判断に任せますとか、それは先の話でございまして、そこら辺を文部科学省として、きちんと現実を見る、そしてその是正に取り組む、この競争教育の是正に取り組むという姿勢があるのかないのか、そこを私はお尋ねしたかったわけです。

 そして、この競争教育から解放するためにも、やはり小学区制にして希望する子供たちは高校に、今入れるし、受け入れる条件があるわけですから、そうしてこそ本当に手厚い教育ができるというふうに私は考えます。改革というんだったら、私はそういう改革こそ子供のための本当の改革だということを申し上げて、この質問、きょうのところはここまでにしておきたいというふうに思います。

 もう一点中身に入りたいのは、指導力不足教員の問題なんですね。同意なしに配置転換できるということに道を開くわけですけれども、この問題でございます。

 まず、今回の地教行法の対象とするこの指導力不足教員と、地方公務員法に定める「その職に必要な適格性を欠く場合」といういわゆる不適格教員、その違いはどこなんでしょうか。

 実は私は大阪なものですから、大阪府でもこういう問題の取り組みがありまして、教職員の資質向上に関する検討委員会の資料を見ますと、指導力不足に挙げられているのが三項目あります。専門性、社会性等の欠如が見られる者、二つ目、勤務態度、服務上の問題のある者、それから三つ目、疾病等により指導力が発揮できない者としているんですけれども、では適格性を欠く教員はというと、同じく三項目なんですね。同じ項目で、それぞれに著しい欠如が見られる者と、著しいということになっているわけですよ。

 では、この違いというのは何なのか、著しいが入っているかどうかしかない、内容的にはないのかということなんですね。文部科学省もそういう判断をしているのでしょうか。そこをお聞かせください。これは大臣にお尋ねします。――ちょっと、重大な問題ですから、大臣に。

高市委員長 副大臣でよろしいですか。(石井(郁)委員「では」と呼ぶ)

 岸田副大臣。

岸田副大臣 今先生の方から、大阪の教育委員会において、何らかの問題があると思われる教員の話、そして著しく問題がある教員の話の御指摘がありました。

 その資料を取り寄せてみまして、著しく問題がある教員〇・三%程度というその数字を公表したわけでありますけれども、これは、中身を聞きますと、教育指導等で著しく問題がある者、品行面で著しく問題がある者、あるいは職務権限違反など職務規律の面で著しく問題がある者ということを全部含めております。要は、懲戒処分に該当する者もこの数字の中に入っているということでありますので、今回の対応とは、線引き、範囲は大分違っているということだけちょっと確認させていただきたいと思います。

石井(郁)委員 それでは、指導力不足という定義はどのようにされるのでしょうか。それは文部科学省として持っていらっしゃいますか。

矢野政府参考人 今回の法案で想定しております指導力不足の教員でございますけれども、指導が不適切な教員として対象となる者には、これはさまざまな場合があり得ると考えられるわけでございます。

 具体的な例を申し上げますれば、一つには、教科に関する専門的知識、技術等が不足しているために学習指導を適切に行うことができないような場合、これは例えば、教える内容に誤りが多かったり、あるいは児童生徒の質問に正確に答え得ることができないようなケースが考えられるわけでございます。

 また二つには、指導方法が不適切であるために学習指導を適切に行うことができないような場合でございまして、例えば、ほとんど授業内容を板書するだけで児童生徒の質問を受け付けないといったような、そういうケースが考えられるわけでございます。

 三つ目には、児童生徒の心を理解する能力やあるいは意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができないような場合でございまして、例えば、児童生徒の意見を全く聞かないで、対話もしない、あるいは児童生徒とコミュニケーションをとろうとしないようなケース、このような場合が、指導力不足の具体的なケースとして、その対象として考えられるところでございます。

石井(郁)委員 今の御説明は、先ほど、前の委員の質問のところで大臣からも御答弁があったかとは思うのですが、これは、文部科学省の公式というか正式見解という形で何か文書としてあるのですか。

 この問題は、何が指導力不足教員なのかという判断基準の問題ですから、それは国会審議の中で明らかにするということを以前文部科学省から御答弁をいただいたというふうに思うのですけれども、今お話しのような基準というか、それは文書としてお示しになりますか。

矢野政府参考人 私どもといたしましては、この法律案が成立いたしました場合、都道府県教育委員会に対しまして、先ほど御説明申し上げましたような、指導が不適切であるとして対象になると考える具体例を施行通知等により示すことを検討してまいりたいと考えております。

石井(郁)委員 私は、今伺って、この三つの基準という点でいうと、これは本当に大問題だなというふうに思っているのですね。この中身についての議論を本当にしたいという気が今いっぱいしています。

 例えば、専門的知識や技術があるかどうかというときに、これは先ほど、大臣の御答弁だったのですけれども、専門的なことで答えられない教師だったら困るという例を出されました。それを聞いて私なんかは思うのですけれども、むしろ、教師は答えない方がいい場合だってある。子供の方がもっと知っている場合だってあるという関係はあるのですよ、教育には。だから、すべてについて教師が答えなければいけないということにはならないということだってあるでしょう。そうすると、その中身についての判断というのはとても難しい。本当に難しい。この運用というのは、こういう基準を決めたって難しい。

 それから、描く教師像がそれぞれ違う、教育についての教育観も違う、子供観がいろいろかかわってくるということになりますと、こういう基準だけを出されて、それで指導力不足だなんてことになったら、これは大変な混乱が起こるだろうというふうに思うのですね。それは今後本格的に、ここできっちり国会として議論しなければいけないということを申し上げておきたいと思うのです。

 少し先へ進んでおきます。

 今回法改正が出ているわけですが、あなた方がお考えになる指導力不足と言われる教員というのはどのぐらいいるとお考えなんですか。

矢野政府参考人 直接的なお答えにはならないわけでございますが、平成十一年度において、勤務実績不良や適格性欠如を理由として分限免職の処分を受けた者は十四名であるわけでございます。分限処分に至らない者を含めた、指導が不適切な教員の全体の実態は、事柄の性格上、私ども、把握していないわけでございます。

 ただ、都道府県教育委員会によりましては、指導力不足教員をそれぞれの教育委員会で対象を定義いたしまして、該当する者の実態を調査しているところもあるわけでございます。

 これは午前中の審議にも御紹介がございましたけれども、例えば大阪府教育委員会では、何らかの問題のある教員が約四%おり、その中でも、著しく問題のある教員が約〇・三%いる、そういうことを公表しているわけでございますが、私どもとしては、全国的な状況は把握いたしておりません。

石井(郁)委員 全国的な状況を把握しない、各都道府県ではそういうふうにしているところもある、それでどのぐらいかはわからないという中で、なぜこれが必要だという判断がされるのかというのが一つありますね。その辺の実態の把握の仕方の問題というのはあるのですけれども、先ほどの、基準というのが極めてあいまい、本当に幅がある、どのようにも考えられる、また観点や教師像によっていろいろ違うというような中身なんですね。

 先ほど、私は大阪の問題でちょっと取り上げました。大阪の指導力不足教員の例として、先ほど三つの項目が出されていますけれども、具体的にずっと挙げていきますと、自己を語れず、夢や希望を語れないだとか、授業中、自慢話や説教が延々と続く、そういうのは困るなと思うかもしれないけれども、ここだっていろいろな状況があるわけです、等々いろいろありまして、九十五項目なんですよ。九十五項目のチェックリストがあるということですね。

 私どもがつかんだところでは、高知県の場合ですと、例えば、教科書が終わらない、話し方に抑揚がない、話し方のことまで言われると私たちはお互いに困るのじゃないかと思うのですけれども、授業が退屈だとか等々が出てきています。

 それから、私が大変重大だと思ったのは、高知県には、家庭生活までチェックするリストが入っているのですね。家庭の不和があるのじゃないか、子育ての悩みを抱えているのじゃないかと。教師だって人間ですよ。家庭があって、子育てして、不登校、教師の家から不登校の子だって出ますよ。たくさんいます、私もよく知っています。こういうことがチェックの対象になるというのは、プライバシーの侵害も甚だしいし、教師の生活や人格を何だと思っているのかというふうに言わなきゃいけませんが、こういうことになっているのですよ。それを、ABCとランク分けするのですね。それでチェックをする。これは一体できるのかということです。

 だから、指導力不足に名をかりた、まさに勤務評定だ、人格評定だということになるわけですが、それはいかがですか。大臣、御感想を聞かせてください。

遠山国務大臣 何をもって不適切と言うかということについての基準は、おっしゃるように、私は明確にしないといけないと思います。その例として、先ほど来御説明をしているわけでございます。ただ、不適切という言葉から想定されるわけでございますので、法文上、具体的あるいは詳細に規定することは困難であるわけであります。

 分限免職の要件につきましても、勤務成績がよくない場合、あるいはその職に必要な適格性を欠く場合などと規定されているところでありまして、これと比較しても、今回の改正が法文上特に不明瞭な規定ぶりになっているとは考えないところでございます。

 今後は、しかしながら、その判断が公正に行われるように、本法が成立しました場合に、各都道府県教育委員会に対しまして、指導が不適切である場合として具体的に想定される例を施行通知等により示すことも検討してまいりたいと考えております。

石井(郁)委員 今の議論のように、やはり判断の基準そして手続、これは極めてあいまいなんですね。まだもことしているという中で、これは法案が通ってからやるという話じゃないんですよ。こんなあいまいな形で通していいのかという問題があるわけですよ。

 文部科学省が新しい教員の人事管理のあり方に関する調査研究をされていると思うのですね。三年計画で十六県、政令指定都市で行われている。ことしから全府県にこれを拡大しています。この調査研究をどのようにされているのか。三年計画はまだ結論が出ないと言うかもしれませんが、ここでも指導力不足教員の認定方法などが項目に入っているんですよ。これはぜひ、私は資料としてこの委員会にお出しいただきたい。各都道府県にどういう調査をされているのか、今どこまで進んでいるのか。やはりこれをお出しいただかないと、私は審議できないというふうに思います。それが第一点です。出なければ、法律を通すという前提の問題ですから、国会として到底責任を持てないということがあります。私は、これを強く要求します。

 それから、時間がありませんので、もう一点申し上げたいのは、やはり指導力不足教員と精神疾患との混同をしてはいけないと思うのですね。

 今、世の中全体がストレス社会で、企業社会でも、管理職の皆さんだってうつ病になったりいろいろ追い込まれたりするということがあって、若い人だって精神疾患にもなるという状況があるわけですけれども、学校現場も例外じゃないんですね。大変精神疾患の方がふえておられるわけです。こういう健康上の問題、一体文部科学省として勤務実態調査、健康調査というのを行っているでしょうか。それを御答弁いただきたいと思います。

矢野政府参考人 教員が心身ともに健康を維持して児童生徒の教育に携わることは大変重大な課題であるわけでございます。このため、私どもといたしましては、会議や行事の見直し等の校務分掌の効率化を図ること、さらには、教員が気軽に周囲に相談したり情報交換できる職場環境をつくること、また、カウンセリング体制を整備する、その際、早期発見、早期治療に努めることといったようなことを指導いたしているところでございます。

 それで……(「調査は」と呼ぶ者あり)後で申し上げます。

 そこで、まずお尋ねの公立学校の教員の健康状況の把握でございますけれども、これは基本的には服務監督権者でございます教育委員会の権限と責任において適切に行われるべきものでございますことから、今後とも教員の心身の健康の保持、増進について都道府県教育委員会等に対して指導助言を行ってまいりたいと考えているところでございます。

 なお、先ほどの調査の件でございますが、十二年度の調査はまだ調査報告が出てまいっておりません。したがって、私どもが承知している調査結果の概要的なものを整理したものならば、それを整理してお出しすることはできようかと存じます。

石井(郁)委員 私は、やはり本当に文部科学省の態度は無責任だと思いますよ。肝心なことになったら、都道府県にお任せします、都道府県でおやりくださいと。今重大なのは、こういう法律を決めて、都道府県にこれを押しつける、押しつけるというか、執行していくわけでしょう。私が健康実態調査や勤務実態調査をぜひやるべきだと言ったのは、まさにそれに関係している中身になってくるからなんですね。

 それから、指導力不足教員でいいますと、これは大阪でも、私はこれも許せないと思っているんですけれども、疾病等により……

高市委員長 石井委員に申し上げます。質疑時間は終了いたしております。

石井(郁)委員 はい。

 疾病等によって指導力に著しい欠如が見られる、これさえ大きな項目の一つに入っているんですよ。

 こういうことをどんどんとなし崩しにやっていいかどうかということがありますし、地方公務員の場合だったら、ちゃんと健康実態調査をしているんじゃないでしょうか。なぜ文部科学省は、これほど教員のいろいろな問題が起きているときにそういう実態調査をされないのか。これもやはり、こんな状態をつかまなくて、私は、この法律を通すことは絶対許せないというふうに思います。(発言する者あり)

 資料の提出を強く要求したいと思います。

 時間が参りましたので終わります。以上でございます。

高市委員長 中西績介君。

中西委員 私は最初に、文部科学委員会に所属される委員の皆さん並びに理事、オブザーバーの皆さん、ぜひお願いをしたいと思っておりますので、この点をぜひお聞きいただきたいと存じます。

 先ほどからずっと論議されておりますように、この教育三法は、内閣総理大臣のもとに置かれた私的諮問機関の教育改革国民会議の最終報告、提言によって、時の森総理より指示をされて、国政の最重要課題の一つに位置づけられて、教育改革の今後の取り組み、全体像と具体的タイムスケジュールを明らかにして取りまとめられた、二十一世紀教育新生プランに沿って提案されたことは間違いないと思います。

 そうであれば、国家百年の大計と言われる教育問題でありますし、国民の信頼を取り戻すために、これは大臣の所信表明の中にある言葉であります、取り戻すためにも、拙速主義を廃して、皆さんが指摘しておる教育荒廃の原因は何であったのかなど、欠けておる基本的論議を十分尽くした上で進めるべきではないかと思っています。可能な限り、できれば皆さんと一緒に、そうしたことを経て、認識の統一を図ってやるべきだと思っておるわけです。そうしないと、将来に禍根を残すのでなければと私は思いますので、この点はぜひ、委員長あるいは理事の皆さん、そして委員の皆さんにもお聞き届けいただければと思っています。

 特に、進行をやかましく言っておられる皆さんに私が指摘をしたいと思いますのは、今国会を始めるに当たって、私たちは要求をいたしました。一月の中旬から国会を始めるべきだということを私たちは指摘しました。申し入れをいたしました。しかし、これを排除されて三十一日から始められたという、この事実は消すことはできません。さらにまた、総裁選出についても約一カ月の空白、これは自民党の党内事情によるということなんですから、この点をひとつ十分御勘案いただいて、日数不足ということだけを主張してやられることについては、これは私たちは聞き入れることはできませんので、この点を十分配慮した上で、先ほど申し上げるようなことも含めて御検討をいただければと思っています。

 これは皆さんにお願いであるし、最後に、委員長はどういうおつもりなのか、この点についてお答えください。

高市委員長 お答え申し上げます。

 自由民主党総裁選挙等によりまして空白の時間ができたとの御指摘もございましたが、あの折も、自由民主党側から委員会を開かないでくれというような要望があったとは承知をいたしておりません。むしろ野党側から、近々かわる総理相手に質疑ができないというような事情からのことと私は理解をいたしております。

 今はただ、私たちは、文部科学委員会の一員として、非常に大切な日本の将来、未来に影響を与える大きな課題を抱えている者として、それぞれの立場を超えまして、一日でも多く、残された時間、真摯に議論を進めていくことが何より肝要かと私は考えております。

中西委員 自民党から空白期間に委員会を開かないでほしいとかいろいろなことを言った覚えはないというふうなことを言っていますけれども、これは論外じゃないでしょうか。これを皆さんがお考えになっておられるということであれば、常識的にちょっとおかしいのじゃないかと思いますよ。私は、委員長の感覚は非常におかしいと。

 こういうことを言われる委員長が指揮をする委員会ですから、このことは世論に問うてでも、なおさら委員の皆さんなりあるいは理事の皆さんがしっかりしていただかないと、これは大変な問題だと私は思いますよ。これは大変な問題です。特にこうした問題については、私たちは、今のような感覚で指揮をしていただくということになりますと、これは大変問題です。

 ですから、私はそのことを指摘し、特に先ほどから申し上げているようなことを皆さん方が十分御勘案いただくことで、今、日本の教育を拙速主義によって誤らせたというようなことにならないようにすることが大事ではないか、私はこう思います。

 では次に、大臣の所信表明、これは非常にこの法案とのかかわりがあるものですから、この点について聞いておきたいと思います。

 所信表明の中に、大臣は、「国民の学校教育への信頼を取り戻し、学校がよくなる、教育が変わることを目指して、国民が待望する教育改革を、より一層強力に実行してまいる決意です。」と述べられた上で、「その大きな道筋は、」「町村前大臣のもとで取りまとめられた二十一世紀教育新生プランに示されており、私としましても、みずから先頭に立って、その実施に取り組む所存であります。」と、この前所信を表明されました。

 そこで、私は二、三の点についてお聞きをしたいと思うわけであります。

 国民の学校教育への不信はなぜ起こったのか。特に大臣は、この前の答弁の中にもございましたように、三十年間にわたって十七部門を経験された、こういうことを申されておりましたし、自信を持っておられるようでありますが、この過程の中におられた御本人としてもそうですが、文部行政としての反省、総括、こういうものは果たしてなされたのかどうか。

 というのは、絶えず問題になるのは、肝心のそういう総括なり反省というものなしに審議会にゆだねられる、問題点としてゆだねられる。そこでもって論議をし、出てきた結果によってどうだこうだということを言うわけでありますから、その前に、この問題の起こっておる原因等についてみずからがどうするかということをやはりある程度持っておいていただかないと、これからまた再び過ちを犯すことが起こるわけであります。この点、どうでしょうか。

遠山国務大臣 日本の戦後の教育は、教育の機会均等の理念を実現いたしまして、国民の高い教育水準を招来して日本の経済社会の発展の原動力となってきたことは、どなたも異論がないかと思います。

 その一方で、いろいろな問題が時間とともに起きてまいったことも事実であろうかと思います。少子化、それから都市化の進展、家庭や地域社会の教育力の著しい低下、こういうことを背景といたしまして、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊など、深刻な問題に直面いたしております。

 同時に、教育の中におきまして個人の尊重を強調する余り、公を軽視する傾向が広がったことも否めません。あるいは、行き過ぎた平等主義による教育の画一化や過度の知識の詰め込みによりまして、子供の個性、能力に応じた教育がややもすれば軽視されてまいったことも事実であります。

 加えて、今日の科学技術の急速な進展、経済社会のグローバル化、情報化など社会が大きく変化する中で、これまでの教育システムが時代や社会の変化の進展から取り残されつつあるということが指摘できるかと思います。

 そのようなことから、今日の日本の教育は深刻な状況に直面していて国民や社会の教育に対する信頼が揺らいでいる、そういう認識のもとに、所信表明におきまして、「国民の学校教育への信頼を取り戻し、」という表現を使ったわけでございます。

 教育行政も、それぞれの時代におきまして、それぞれの時点において、それを改善すべく最大限努力をしてまいったと思いますけれども、今日の社会の変化の加速度が余りにも大きく、またその抱える問題が極めて大きいというようなことから、今日の教育改革に対する大きな国民の期待を背景に、教育改革三法を改正し、同時に、二十一世紀教育新生プランに練り込まれましたさまざまな施策を通じてその問題に対処をしていこうというのが今日のスタンスであるわけでございます。

中西委員 恐らく二十一世紀教育プランの前文か何かに書いておることは、そのとおりでありました。私は、そういうことだけで済まされる問題でない、文部科学省なり行政としての反省が今の中には全く入っておらないと言っても過言ではないと思います。

 特に私は、管理と統制の文部行政が余りにも強過ぎたということを実感しておるわけですね。

 私は、教育の現場におっていろいろ経験をしてきたのですけれども、例えば、この前、中央教育審議会などから指摘をされて、ある程度学校内に自主性を持たせるとかいうようなことがだんだん出始めてきたのですけれども、私がおるときには、文部省から直接県教委に派遣をされた人たちが、今まであったものを全部壊したのですね。

 一つの例を申し上げますけれども、私の学校で例を挙げますと、三十数校の大学区になる。小学区からだんだん拡大されて、三十数校の大学区になる。そして残念ながら、輪切りにして進学をさせるものですから、結果的にはどうなったかというと、一つのクラスを構成してもクラスとしての運営ができないような、本当に厳しい条件の中に子供たちがたくさんきている。

 そうしますと、これではいけないということで、全体を二つに分けて、四十人学級を二十人の学級にしたのです、一年生の一学期のとき。それで、一学期は小学校、二学期は中学校、そして三学期でようやく高等学校の授業をやった。そうすると、今までこんなに格差のある隣の学校と比べても、これを追い抜くような状況だって出てくるのですね。

 だのに、県教委はどうしたかというと、一学期、二学期の小中学校の授業をやるということは指導要領に反するといって指導が強くなされてくるのですよ。処分をちらつかせてやる、こういう状況まで出てきました。それを私たちはやりましたけれども、いずれにしても、そういう管理をするわけですね。

 それから、生徒指導なり進路指導なりをやる教師たちが、以前はどうやっておったかというと、全部集まって、各学校から代表者が出て、そしてその地域で次第、テーマを決める。どういうふうに運営するということを決めてやっておった。全県下集まって、福岡では四地区ありますから、そこでもって二つのテーマなら二つのテーマに絞る、みんなでですよ。それを全部ぶち壊すんです。そして、県教委が出席する人まで全部指名をするんです。テーマも全部県教委がこれをつくる。それで、強制的に宿泊してやらせる。そうしますと、地域の実態だとか学校の実態というのはそこには出てこないんですよ。何のためかというと、文部省から派遣された人たちが統制をしていく、その方向だけが明らかになって出てくる。強制ですね。言えと言えばまだたくさんあります。

 こういうふうなことを私は経験しておるだけに、管理と統制の文部行政としか言いようがなかった。そして、問題があると処分をするんですよ。懲戒免職を初めとして、次々にやっていく。自由なんというのは全くないですね。それを三十年間やったらどうなりますか。もうみんな意欲をなくしてしまいますよ。皆さん方はそういう経験があるかどうか知りませんけれども、こういう点が強行されていったというところ、これが一つ。

 だから、私はさっき、文部行政としての反省なりなんなりが果たしてあったかどうかと。ただ外的な条件だとか環境だとかいうことだけではない、一生懸命やろうとすればするほどやられるわけですから。時間表を組むについても、全部、校長に持ってこい。そして指導するんですよ、全部。ですから、現場を担当している担当者が行ってやると、現場の方が県教委の皆さんより中身をよく知っているから、これが通るわけですよ。そうすると、それがいけないから、来るのは校長でなくちゃならぬということで強制するわけでしょう。

 だから、ここ数年間言われておった中央教育審議会の答申なりなんなりが出て、いろいろ方針化されてきておったような状況が少しは見え始めたかなと私も実は喜んでおる一人だったんです。しかし、今度のこれを見たときに、私は決してそうじゃないなということがわかったものですから、皆さんに、どういう反省をなさっておられるのですかということをお聞きしたんです。しかし、みずからのものは余りない。

 そこでもう一つは、学歴社会を目指して受験競争に狂奔し、市場原理に基づく競争社会を教育現場に持ち込んだ基本的誤りを反省しておらないということを私は言いたいと思うんです。

 我々は、学歴社会をなくそうといって文教委員会でどれだけ論議をしましたか。このことなしに競争原理は消えていくということはありません。ですから、こうした誤った方向に奔走することを何としても改めよう、こういうことを含んで、こういう反省が十分なされた上で正しい改革とは何なのかということを追求しないと、私は十分ではないのではないか。

 そしてしかも、絶えず教育改革を進めるに当たっては教育をする側からの改革、このことは、誤りを犯しておるわけですから何としても、教育改革を私たちが論議するならば、少なくとも子供の立場に立って、教育される側に立ってどうするか。例えば、国連人権教育十年の問題にしましても、子どもの権利条約の問題にしましても、これらを受けてどのように私たちは対応していくかということを考えなきゃならぬと思いますけれども、この点については、私が指摘した点についてお答えがあればお答えしていただきたいと思います。

遠山国務大臣 今るるお話のありました点について、私はここで論評することは差し控えたいと思いますけれども、今回の教育改革におきましては、一律主義というものを改めて、一人一人の才能を伸ばして個性や創造性に富む人間を育成する教育システムを導入しようとしておりますし、少人数指導や習熟度別指導の推進など、きめ細やかな指導によって、授業を、子供の立場に立った、わかりやすく効果的なものにするということを目指しているわけでございます。

 このことは、児童の人格、才能の最大限の発達や、人権、基本的自由の尊重など、児童の教育の目的などを規定した児童の権利条約や、一人一人を大切にした教育の一層の充実などを目指します人権教育のための国連十年の趣旨に沿うものであると考えております。

中西委員 そうしますと、町村前文部科学大臣の言われておったことについては、これは否定をするわけですね。

 なぜかといいますと、関連六法のうちに予算関連の法案が二法案ありますね。これは成立をしています。そのことを指してあなたは、さっき言われたように、「基本的教科における二十人授業や習熟度別指導などのきめ細かな指導を推進する新しい教職員定数改善計画がスタートしました。」と、あなたの所信表明の中にこういう言葉が出ているのもそういうことだと思っています。

 ということになりますと、私がなぜ町村さんの例を挙げたかといいますと、あのときの論議の過程では、改善計画というのは、現場を全く知らない論議で押しつけたんじゃないかという感じが私はするんです。私はそのときからこの文部科学委員会に帰ってきましたから、もう鮮明に覚えています。なぜかといいますと、町村前大臣は、二十人授業、習熟度別指導の方が、三十人以下学級を要求する私たちの要求内容よりもすぐれておるという言い方なんです。むしろ三十人以下学級の方が悪平等云々だとか、いろいろなことを言われたんですよ。

 ですから、そうしたことを言うと、今先ほどあなたがおっしゃったことは、町村前大臣の言われたことと相反することになる。ですから、むしろ二十人学級というのは、三十人以下学級にして二十人台の学級をつくって、むしろ金の問題を言いなさいというぐらいに私は迫ったんですから、大臣に。金がないからできないんだということ、それの方がはっきりしているよということまで私は迫ったんです。

 ですから、そうでなくて、あくまでも二十人授業あるいは習熟度別指導の方がすぐれておると言うけれども、定数はそんなにふえるわけじゃありませんから、現場の中でそれなりに分けてやれということですから、判断してやれということでしょう。だから私たちは、あくまでも基準を三十人以下の学級にして、それに基づく定数配置をする、その中で今あなたが言われるようなことをやるということであれば、私はそれは納得しますよ。しかし、三十人以下の学級にしたときにはむしろ弊害があったじゃないかというような言い方をしてきた。このこととの整合性をどうなさるおつもりですか、大臣。

遠山国務大臣 既に法律が通っております定員の増強措置でございますか、教職員定数改善計画というものは、今国会においてお認めいただいて、平成十三年度から既にスタートしておりますが、これは、子供たちの基礎学力の向上ときめ細かな指導のために、教科等に応じて二十人程度の少人数指導を行うということを可能とするものでございまして、一律に学級編制を引き下げるよりも、個に応じた指導を効果的に実現する上でより適切なものであると考えて、こちらで成立させていただいたものだと思っております。

 一人の教員が固定的に同一の学級を担任するということよりも、教科等に応じて、基本的な教科が多いと思いますけれども、少人数指導を行って、複数の教員による多面的な指導や評価を行うということが効果的であるとの御判断で、先般、定数改善のための法律をこちらで成立させていただいたものと考えております。

中西委員 あなたが言われる二十人授業だとか習熟度別、これで徹底した基本教科を云々と言うけれども、それなら、三十人以下学級にしたときにはこういうことはできないんですか。定数配置の基礎的な数が違うんです。

 だから、そこを重要だと思い、今この学校で一番おくれているから何とかしてそこにということでやるんだったら、今の改善計画よりも倍以上ふえるわけですから、それだけのものを充てて、そこで今度自由にこういうことをやらせればいいことなんですよ。少なくとも、生徒指導をするに当たって、四十人学級で、じゃ、一人で生活指導から何からできますか。ただ複数で当たればいいという問題じゃないんです。中学校以上は全部複数で当たりますから問題ないでしょう。問題は小学校ですよ。

 だから、私は、あなたたちの論理というのは現場を全く知らない論理なんだ、こう言うんです。自由にさせるというのは、倍くらいにやっておいて、そして自由にさせればいいんですよ。あなたたちのは、四十人にしておいて重要な問題については二十人にしなさい、こう言っているわけでしょう。それでできるのは、私たちが言う三十人以下学級で人員配置したときよりも、半分の増にしかならないんです。

 こうした点をやはりちゃんと知った上で、現場でどのように苦労されているか、生活指導なりなんなりで苦労されているかという、このことがわからない人たちがこういうことを言うんですよ、私に言わせると。もしそう言う学者がおるんだったら、今度一遍習いに行きますから、お教えいただきたいと思います。

 いずれにしましても、そうしますと、最後に詰めを言いますけれども、町村大臣と全く同じだと言うんですか。そうすると、あなたが二番目に答えたところとはうんとまたかけ離れますよ、答弁が。違ってくるんですよ。

遠山国務大臣 なかなか難しいお話でございます。十分理解していないのかもしれませんけれども、私が申し上げましたのは、一人一人の子供たちの才能を伸ばして個性豊かな人間を育成する教育システムを導入するということと、それから、それをまた実現していくために、少人数指導あるいは習熟度別指導の推進によってきめ細かな指導が必要であるということを申し上げて、そのこと自体が子供の立場に立ったわかりやすい授業を展開する上で非常に効果的だということで申し上げたわけでございます。

 同時に、既にこの国会でお認めいただいた新しい教職員定数改善計画というものは、それを実施に移す場合に、教科等に応じて二十人程度の少人数指導を行うことを可能にするためのものであるというふうにお話ししたわけでございまして、町村大臣と意見が違うとかそのようなつもりは全くございませんし、制度の趣旨、そしてお認めいただいた新しい法律による教職員定数改善計画の趣旨についてお話し申し上げ、それ自体は、一人一人の子供たちがその能力を伸び伸びと発揮できる、そういうことを目指した改善であったということを御説明した次第でございます。

中西委員 あなたが二番目に答弁されたことは、大変私も納得いくお話をされたから、その点であれば、町村前大臣と違いますよということを指摘しているわけですよ。その点がどうなんだということを言っているわけですから、町村さんと同じだということになれば、前のものを訂正してもらうなりなんなりしなければ、私は納得できぬわけですよ。あいまいにしていくから、だからそこをちゃんと言ってもらわないと、そこが本当に私は大事なところだと思いますよ。

 きょうは、もう時間がなくなってしまっているんですけれども、入り口だけで終わっているんですけれども、非常に大事なところをあなたがおっしゃっておるから、というのは、なぜかといったら、あなたが、この法律案三法がそういう目的があってちゃんとやられているということを言いますから、であれば、その基本姿勢なりなんなりをちゃんとしておかないと、これは逆行しますよ。私たちが考えているような逆行するようなやり方じゃないかということを言わざるを得ないんですね。

 ですから、これは今詰めるとあなたの方も答弁がなかなかできにくいようですから、また後日やりましょうし、個人的にでも、徹底して私は話をしたいと思います、この点は。そうしないと、これはこれから後大変な問題を残していくことになるんじゃないかということを危惧します。

 そこでもう一つ、私は、子供の将来を考えたときに大変重大な影響があると考えて、この前当委員会で教科書問題を取り上げたわけであります。ところが、議事録を読んでも、町村前大臣は、答えの中には中国という言葉は一口も入れていないんです。そして、結局、侵略を進出というような言葉がなかったという言い方をするんです。ですから、私は、中国ということが入っておれば、そこだけについては十分だと思いますよ。しかし、そのことは入っておらない。

 ところが、この前も確認いたしましたように、文部省も文書にちゃんとして残しておりますように、東南アジアの場合にはちゃんと、侵略を進出と書きかえさせている。同時にまた、たくさんの例があるということをこの前私は挙げましたけれども、侵略を消していろいろな表現に変えておるというのは、これはもう十以上もあるんですね。

 ですから、そういうことが今度は、中国、韓国、北朝鮮、東南アジアの皆さんの大変な批判をあおって、結果的には近隣諸国条項というのを設置したわけですよ。ですから、侵略を書き改めさせたものはたくさんあるわけでありますから、ちゃんと国民にはその事実を正しく説明をしておかないと誤ると思います。今度また問題が出ているのは、どうもこの前の繰り返しみたいなことでやっているから、私はこのことを指摘するんです。

 ですから、いずれにしましても、このことは将来的に、国際的に共生の時代を迎える子供たちが、こういう状況では、またきのうも韓国から金大中大統領のそういう書信が総理の方に送られてきたということを言われておりますけれども、そういうことが依然として残っていくということになりますと、本当に私は、将来危惧しなきゃならないような状態が依然として出てくる。そうなると、今度は逆に、関係の諸国、例えばシンガポールの場合には、今まで小学校ではあの戦争中の日本の問題については触れなかった。しかし、これは危ないといって、今、小学校で歴史の中に多くこれを入れて教えるようになってきたということが言われているでしょう。

 そうすると、ここでいろいろ誤った、そういう教科書問題からするとどうなるかというと、結果的には、諸外国の皆さんはこれに対して物すごく反発をする。ですから、韓国等におきましても、ようやくやろうとしておった、日本の文化を全面的に受け入れようとしたものをストップをかけるようになってきたでしょう。というようなぐあいで、変なものが起こってくるわけですよ。そのことは、将来の子供たちの中で、今度は、国対国、いろいろ交際をする際にそうした問題が必ず問題になってくるんです。これは不幸なことですね。

 ですから、そういうことをなくすためにといって私はこの前指摘をしたんです。この点は何としても私はなくしておく必要があると思いますので、もしこれから発言なさる場合には、国民にその事実を正しく説明するように、一つのことに限って何かごまかすような発言はやめなくてはならぬ、私はこう思っていますが、この点についてどうなんですか。

岸田副大臣 済みません、先生の今の御指摘の中で、ちょっと確認だけさせていただきます。

 まず、町村前文部科学大臣の発言について御指摘がありました。御指摘は、本年三月十二日の参議院予算委員会における竹村議員の質疑に対する町村前文部科学大臣の答弁についてであります。

 この答弁は、昭和五十六年度の高等学校歴史教科書の検定結果が翌五十七年に発表された際に、日本の中国への侵略を進出と書き改めさせた旨の新聞報道がなされたこと、このことをまず踏まえた上で、それに対して、当初そのような報道がされたが、報道されたように書き改めた教科書はなかったことが後日判明したという答弁をしたということであります。

 ですから、その前段の部分も含めて理解するに、去る五月二十三日の本委員会で、昭和五十六年度に実施した高等学校の教科書検定では、日中戦争に関しては侵略を進出と書き改めた事例はなかったが、日本の東南アジアへの侵略を進出と書き改めた事例があったという答弁をしたわけですが、その五月二十三日の本委員会での答弁と、先ほど申しました町村大臣との答弁、矛盾はしていないというふうに理解しております。

中西委員 今あなたは中国云々ということをわざわざ言って、そうだと言う。そのことは大臣がそういうふうに答弁したんですよ、この前。だから私は言うんです。ところが、町村さんのものをずっと幾ら見てもそういうものはないんです。だから、あなたたちはそうだろうということでやっておるわけですから、この点を明快にしておかないといけない。

 特に私が今指摘をしましたのは、このことを将来的に、そういうごまかしだとかなんとかでなしに、ちゃんと、そういうものがほかにもあったというようなことぐらいは言っておかぬと、正しく伝えないと、隠すというやり方はだめだということを私は今指摘しておるところであります。

 非常に残念ですが、私は、二十一世紀プラン、これについては相当問題がありますし、それから、先ほども出ておりましたけれども、今度の二十一世紀プランの中で重要視される問題の中に、教育振興基本計画策定だとか教育基本法の見直しなどということが十七番目に出ているわけですね。ですから、そういう問題等について指摘をしながらやりたかったんですけれども、できませんでした。またこの次の時間にこの点について触れさせていただこうと思います。

 以上で終わります。

高市委員長 この際ですから、私の方から中西委員に一言申し上げます。

 委員会の開会日程及び審議時間、進行の方法等は、各党から御代表で出ていただいております理事会、またそれに先立ちます理事懇等で皆さんに真摯に御議論いただき、その御意見を受けながら、私は民主的に決定をしているつもりでございます。

 今国会、審議日程の設定やペースに関して御不満がおありのようでございますけれども、一つは、議運、議院運営委員会のマターでございますし、それでなおかつこの委員会の進行、運営に御不満でございましたら、社民党から理事会に御出席いただいております山内惠子委員とよくお話し合いをしていただけたらと思います。

 それでは、質疑を続行いたします。松浪健四郎君。

松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。

 長時間にわたり、大臣並びに副大臣、政務官、皆様に御苦労さまと一言申し述べさせていただきたいと思います。

 この教育三法を一括して審議するか、一つ一つばらしてやるか、いろいろな議論がございましたけれども、地方教育行政法、学校教育法、社会教育法の三法案は、昨日の本会議における一括した趣旨説明及び質疑を経て、きょうこうして本委員会で審議されるようになりましたことを大変うれしく思います。

 この法案を審議する、そういうふうになってきたころより、私の事務所にたくさんの抗議書あるいははがきが寄せられました。それは、この教育三法に断固反対する、こういう趣旨のものでありました。私自身も二十年教壇に立った経験がございます。教師をやって、そして教師の経験の中からこの三法を見たときに、私は、やはり一括して審議すべきではないか。家族と地域社会のかかわり、学校のかかわり、これらのことについて考えたときに、これはばらして審議することはできない、そういう思いでおりました。

 そこで、我が保守党としてはこのような考えを持っておりますので、冒頭発言させていただきたいと思います。

 教育改革を推進し、青少年の健全育成を図るためには、学校、家庭、地域が連帯協力し、その総力を結集して取り組みを進めていくこと、そして、教育委員会が地域住民の幅広い意見を反映し、それを支援していくことが不可欠であると考えます。

 この三つの法案は、おのおのが教育改革国民会議報告等を踏まえた教育改革を進める上で重要な改正を行うものであります。

 しかし、これらは、さらにそのことに加えて、豊かな心を持った青少年を育成するため、学校と地域社会の双方においてさまざまな体験活動を促進すること、教育委員会の支援のもと、教育の原点である家庭教育の向上を図ること、そして、これらを支える教育委員会について、地域に根差した主体的かつ積極的な地方教育行政が展開されるように活性化を図ることなど、相互に密接に関連を持っているものであります。

 これらは教育改革を進めていく上で早急に対応すべきものであり、我々は、これらの法改正を通じて、現在の教育が抱えるさまざまな課題に果敢にかつ適切に対処していく必要があると考えます。そのためには、この教育改革関連三法案を今国会において一括して速やかに成立させることが何よりも大切であると考えます。

 この思いから、きょうは地方教育行政法について絞って質問をさせていただきたいと思います。

 野党の皆様方からも、十分な審議時間をとるようにということでございましたので、私は、一つ一つの法案をばらして、きょうはこれに絞って質問をさせていただきたい、こういうふうに思うものであります。

 まず最初に、教育委員会の活性化についてお尋ねをしたいと思います。

 今回の法案の大きな柱の一つが、教育委員会の活性化であります。教育委員の構成への配慮や会議の公開、相談体制の整備等の措置が盛り込まれておりますけれども、そもそもこれまでどのような取り組みが行われてきたのか、まずお尋ねしたいと思います。

矢野政府参考人 教育委員会の活性化に関しましては、昭和六十一年四月の臨時教育審議会の答申などを受けまして、これまで、教育委員に若い人や女性を登用すること、また教育長の適材を確保すること、さらに教育委員会の運営の改善を図ること、さらには地域住民の意向の反映といったような点につきまして、教育委員会に対し指導をしてまいってきたところでございます。

 また、平成十二年四月に施行されましたいわゆる地方分権一括法によりまして、教育行政の地方分権を推進いたしますとともに、教育委員会の機能を充実し、主体的かつ積極的な地方教育行政の展開を図ります観点から、教育長の任命承認制度の廃止あるいは教育委員の定数の弾力化などの措置が講じられたところでございます。

 これらによりまして、例えば教育委員に占める女性の割合がふえるなどの成果も見られるところでございますけれども、必ずしも十分とは言いがたい、そういう状況にございますことから、今回の法案では、昨年十二月の教育改革国民会議報告を踏まえまして、地域住民や保護者の意見をより的確に反映させ、教育委員会の活性化を図るために所要の措置を講ずることといたしたところでございます。

松浪委員 これまでさまざまな取り組みが進められてきたという答弁であるわけですけれども、にもかかわらず、現在の教育委員会は活性化しているとは言いがたい状況にある、私はこういうふうに思います。その原因の一つには、やはり教育委員に若いやる気のある人が任命されてこなかったという理由があるのではないのか、こう思います。

 そこで、今回の法案では、教育委員の選任への配慮が盛り込まれました。年齢、性別、職業等に著しい偏りがないように配慮すること、保護者を少なくとも一人は入れるように努めることが求められております。一定の進歩になるかもしれませんけれども、現在の教育委員が名誉職化しているのですね。教育委員会が本来の機能を失っているのではないのかという強い批判がございますけれども、それらについてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。

岸田副大臣 教育委員会のあり方につきましては、先ほど御説明したように、さまざまな努力は続けてきたわけでありますが、残念ながら、今先生から御指摘がありましたように、現状の教育委員会、年齢ですとか性別等において偏りがある、委員が名誉職化しているのではないかという批判がある、おっしゃるとおりだと認識しております。

 その上で、今回の法案の改正におきまして、構成の偏りに配慮することの必要、あるいは保護者が含まれることの重要性、こういったものを盛り込み、それから、何よりも会議を原則公開するというようなことを通じまして、その地域あるいは多くの住民の皆さんの意向を反映させる中身をこの教育委員会において持てるように、充実に努めていくということを考えた次第であります。

松浪委員 委員にやる気のある若い人など、ふさわしい適材が得られたとしても、教育委員会の運営のあり方が現状のままでは、結局変わらないのではないのか。

 例えば、教育委員会の会議が開かれる回数も少ないのではないのか。事務局の提出する案件を形式的に承認するだけであったり、また、委員に対して、現下の教育課題や教育施策の状況などに関して十分な情報提供が行われていなければ、教育委員会が、教育が抱えるさまざまな問題に適時適切に対応し、積極果敢に取り組むことができないと考えます。

 こうした教育委員会の運営面においても大きな改革が望まれる、こういうふうに思いますが、いかがですか。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、構成が変わったとしても運営面で変わらなければなかなか教育委員会というものは変わらない、おっしゃるとおりだというふうに思っています。

 運営面におきまして、例えば、会議そのものの運営方法を工夫しなければいけないとか、あるいは、教育委員に対する情報提供の適切さを考える必要があるのではないか、そんな問題意識を持っております。

 ですから、今回、教育委員会の会議の原則公開を規定しているわけですが、これに加えまして、例えばその運営方法として、会議の方、定例会のほかに、臨時会とか委員協議会等の方式を活用する、その開催方法の工夫ができないか、あるいは、会議において委員が活発な意見交換を行う方式を考える必要があるのではないか、さらには、教育委員の視察、研修、こういったものを行ったり、教育課程等について情報提供を十分に行う方策を講じる、こんなあたりを頭に入れながら指導を行っていかなければいけないと思っております。

松浪委員 教育委員会の議論をどんどんオープンにしていくことが私は必要であると思います。そのためには、会議の公開を規定することはいいと思うんです。ところが、改正案では、三分の二以上の議決で非公開とすることができるとされているのです。そうしますと、実際上は多くの案件が非公開になってしまうのではないのか。これはややこしい案件だから非公開にしよう、簡単にできるわけです。そういう心配はありませんか。

岸田副大臣 三分の二以上の議決で非公開にするという規定を盛り込んだわけでありますが、このあたりは、例えば地方自治法における地方議会の秘密会の実施等の条項を参考にしながら、教育委員会、地方自治の考えの中でどうあるべきか、こういったあたりでこの規定が盛り込まれたのではないかというふうに思いますが、単に非公開にするというのではなくして、例示を設けまして、「人事に関する事件その他の事件」について公開しないことができるというふうになっているわけです。

 この「人事に関する事件その他の事件」ということの中身でありますけれども、取り扱いの案件によっては、児童生徒の個別の名前等が議論されなければいけない。そういった場合には、こうした人権、プライバシーに配慮して非公開にすることができるというような趣旨でありまして、こういった例示を設けることによりまして、無制限に非公開が進んでいかないように、このあたりはしっかりと注意をしていかなければいけないと思っております。その辺を教育委員会がしっかり判断していただけるように指導していかなければいけないというふうに思っております。

松浪委員 ともかく大切なことは、教育委員会の活性化でありますし、どのようにすれば活性化するのか。恐らく、いろいろな視点から考えられてこのように改められようとするのでしょうけれども、とにかくやってみてなおかつ活性化が図られないということであれば再度考える必要がある、こういうふうに思いますけれども、いずれにいたしましても、この法の改正は一歩も二歩も進んだものだ、こういうふうに私自身期待するものであります。

 次にお尋ねをしたいのは、指導不適切教員についてであります。

 私は長い間、スポーツの世界におりました。自分は強いと思っておりましても、下から強い選手が出てきたときには、おのずから試合に出ることもできなくなりますし、そのチームにおることもできなくなります。実力の世界、勝負の世界というのは厳しいものだな、こういうふうにずっと思い続けてまいりました。

 そして、教職についてから、なかなか立派な先生であっても、指導するということがなかなかうまくいかない、指導力不足の先生、これはまた人格と別問題であります。こういう先生方が出た、また、いろいろ問題を起こす先生方が出たということで、大阪府の取り組みは皆さんの御案内のとおりだというふうに思いますけれども、ここに踏み込んだということに私はまず敬意を表したい、こういうふうに思っています。しかし、反面、じくじたる思いがありまして、甘いのではないのか、こういう思いもあります。

 とにかく、不適切教員の転職についてお尋ねいたしますけれども、今回の法案には、児童生徒の指導に当たることが不適切であり、御丁寧に研修をやるのですね、それらを行っても不適切な状況が変わらないと考えられる教員について、本人の意思にかかわらず、物すごく甘いのですけれども、教員以外の職に異動させる措置が盛り込まれました。

 そもそも教員の職務の特殊性にかんがみれば、第一には、児童生徒への指導が不適切な教員は、これはもう分限免職すべきではないのか、そしてそれが一般社会のあり方ではないのか、こう思いますけれども、いかがですか。

岸田副大臣 御指摘のように、分限免職あるいは分限休職に該当する者につきましては、その当該処分、しっかりと行うべきだというふうに思っております。

 今回の措置につきましては、その分限免職等にまで至らない者につきまして他の職に転職させる等の道を広げるということでありますから、まずもってこれは従来の仕組みと変わっていないわけでありますが、しっかりと分限免職、分限休職に該当する者については処分をし、それに至らない者について今回の措置を講ずることによって、指導が不適切な教員が指導に当たることがないような結果に結びつけるということが肝要だというふうに思っております。

松浪委員 うまいこといけばいいというふうに思いますけれども、私のところにもたくさんのこの法案に反対するはがきや手紙がこれだけ寄せられるということは、相当、ある団体から反対論が強く出ているんだなという認識を持つものであります。

 だから、ちょっと心配するのですけれども、今回の措置が設けられることによって、本来分限免職となるべき教員の側から教員以外の職への転職をまず考えてほしいという話が出てくれば、本来の分限処分が進まなくなるのではないのか、こういう心配をしておりますけれども、この点についてはいかがですか。

岸田副大臣 これは説明の仕方でありますが、要は、本法案において転職の措置の対象になる者は、もともと分限免職等に該当する教員はもう除外されているわけであります。ですから、本措置が設けられることによって分限措置が進まなくなることは趣旨としてはないわけであります。

 しかし、運用上、今先生の御指摘のようなことが全くないとは言えないと思います。そのようなことが生じないように、各都道府県教育委員会に本措置の趣旨を周知徹底する、これは努めていかなければいけないと思います。

松浪委員 公立の学校の先生というのは随分優遇してもらっているのだなと私が思うのは、今回の法律案では、研修等必要な措置が講じられます。そして、「講じられたとしてもなお児童又は生徒に対する指導を適切に行うことができないと認められること。」とあるわけですけれども、指導が不適切な教員であれば、研修なんか行わずに直ちに転職さすべきじゃないんですか。そこまで甘やかすのですか。

岸田副大臣 児童生徒への指導が不適切な教員については、校長等による指導や研修が行われていることがまず一般的でありますから、本法律案に定める要件の一つである、研修等必要な措置が講じられたとしてもなお指導を適切に行うことができないと認められること、これに該当するかどうかは、通常、これらの指導や研修の結果に基づいて判断されるものというふうに考えております。これまでの指導等から見て新たな研修等の措置を講じたとしても効果がないと判断できる場合には、これはもう直ちに本措置を適用することも可能であるというふうに思います。このあたりで判断していくものと考えております。

松浪委員 指導が不適切な先生方と並んで、本委員会でもよく出てまいりますけれども、体罰やわいせつ行為など、教員として到底許されない行為に及ぶ教員が後を絶たない。このような教員に対しては厳正に対処すべきである、私はこう考えますけれども、文部科学省の見解はいかがですか。

岸田副大臣 制度の趣旨に基づいて厳正に対応すること、これは重要であると考えます。

松浪委員 そのように強く望むものであります。

 今回の措置は、指導が不適切な教員についての対応だけなのですね。そのような対応だけでなくて、勤務評定を厳密に行って、優秀ないい先生をきちんと評価しなきゃいけない、そしてそれも給与上きちんと処遇すべきじゃないのか。悪い先生だけを一方的に法の改正によって処罰するというのではおかしい、私はこういうふうに思うのですが、いかがですか。

岸田副大臣 昨年の教育改革国民会議報告におきましても、勤務成績が優秀な教員について適切な評価がなされるとともに、その勤務実績に応じた適切な処遇がされることは重要であるというふうに指摘されております。このことは重要であると私も考えます。

 このため、文部科学省としまして、さきに策定いたしました二十一世紀教育新生プランにおいては、教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくるための主要施策の一つとして、優秀な教員に対する表彰制度とそれに連動した特別昇給等の実施を挙げているところであります。

 各都道府県の教育委員会においても、優秀な教員を対象とした表彰制度が整備されるとともに、教員に特別昇給等の措置を講じるようなシステムが設けられるよう検討を促したいというふうに考えております。

松浪委員 大学の教員の採用に任期制というのができ上がりました。これで大学教員は必死にならなきゃいけなくなった、私は非常にいいことだ、こういうふうに思っております。

 現在、中央教育審議会に対して教員免許制度のあり方について諮問している、このようにお聞きしておりますけれども、このような指導不適切教員への対応についても、教員免許更新制度の導入による対処、これらを本気になって検討すべきではないか。教員免許を取った、それでずっと教員免許がある、おかしいんじゃないのか、こういうふうに思うものでありますが、いかがですか。

岸田副大臣 去る四月十一日に、中央教育審議会に対しまして、今後の免許制度のあり方について諮問したところでありますが、その中で、免許更新制の可能性についての検討もお願いしているところであります。

 その免許更新制の可能性の検討に当たっては、今先生から御指摘がありました点も含めまして、教員としての適格性の確保または専門性の向上という観点から、これを実施した場合の効果と問題点等を明らかにしたいと考えておりまして、その際には、不適格な教員に対応するための他の諸方策との関係も踏まえまして検討をお願いしたいというふうに考えております。

松浪委員 時間が参りましたので、これで終わります。どうもありがとうございました。

高市委員長 次回は、来る六月一日金曜日午後二時五十分理事会、午後三時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時五十二分散会




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