衆議院

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第14号 平成13年6月1日(金曜日)

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平成十三年六月一日(金曜日)

    午後三時開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      岩崎 忠夫君    小渕 優子君

      岡下 信子君    河村 建夫君

      北村 直人君    砂田 圭佑君

      谷垣 禎一君    谷田 武彦君

      谷本 龍哉君    馳   浩君

      林 省之介君    増田 敏男君

      松野 博一君    水野 賢一君

      森岡 正宏君    大石 尚子君

      鎌田さゆり君    武正 公一君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      松原  仁君    山口  壯君

      山谷えり子君    山元  勉君

      池坊 保子君    斉藤 鉄夫君

      石井 郁子君    児玉 健次君

      中西 績介君    山内 惠子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長

   )            工藤 智規君

   政府参考人

   (厚生労働省職業能力開発

   局長)          酒井 英幸君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月一日

 辞任         補欠選任

  岡下 信子君     岩崎 忠夫君

  杉山 憲夫君     北村 直人君

  牧  義夫君     松原  仁君

  松沢 成文君     武正 公一君

同日

 辞任         補欠選任

  岩崎 忠夫君     岡下 信子君

  北村 直人君     杉山 憲夫君

  武正 公一君     松沢 成文君

  松原  仁君     牧  義夫君

    ―――――――――――――

六月一日

 奉仕活動の強制、出席停止措置の拡大などを内容とする教育関連法案反対に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第二三四二号)

 同(石井郁子君紹介)(第二三四三号)

 同(木島日出夫君紹介)(第二三四四号)

 同(児玉健次君紹介)(第二三四五号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第二三四六号)

 同(志位和夫君紹介)(第二三四七号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第二三四八号)

 同(中林よし子君紹介)(第二三四九号)

 同(春名直章君紹介)(第二三五〇号)

 同(松本善明君紹介)(第二三五一号)

 同(山口富男君紹介)(第二三五二号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)

 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)

 社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、学校教育法の一部を改正する法律案及び社会教育法の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君、厚生労働省職業能力開発局長酒井英幸君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鎌田さゆり君。

鎌田委員 こんにちは。民主党の鎌田さゆりでございます。遠山大臣、初めまして。どうぞよろしくお願いいたします。

 教育三法案、幾つか御質問を進めていく前に、小泉改革断行内閣の女性閣僚のお一人として、聖域なき改革ということに関連してちょっとお伺いをします。この聖域なき改革というものにはもちろん教育という分野も含まれると思うんですけれども、地方交付税の削減等、歳出大幅見直しの中で進められる改革、この改革で、財政難を理由に教育にもその影響が及ぶのではという懸念があることは現実否めないと思うんですけれども、そのことに対して、文部大臣としてどのように受けとめて、どのような姿勢で臨まれていくでしょうか、お伺いします。

遠山国務大臣 小泉総理は所信表明演説におきまして、今御指摘のように、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めるということで、「聖域なき構造改革」に取り組むと述べられております。このことは、教育の分野においても例外ではないと考えております。

 現在進めております教育改革、これに取り組んでいくことが一つの構造改革に当たろうかと思っておりますが、一方で、改革のための投資につきましては、教育への投資を惜しんでは改革は断行できない、これは教育改革国民会議の報告でも述べられておりまして、教育改革のための必要な投資を行うことは大変大事だと思っております。私は、未来への先行投資である教育の改革に向けて、全力を挙げて取り組んでまいりたいと思っております。

鎌田委員 今の答弁で若干懸念は払拭できたのかなと。少なくとも、人材への投資、未来への投資というところで、大臣としての今のおっしゃった意気込みはお忘れにならずに、財政難が理由で教育にマイナスの影響が出るようなことが決してないようにお取り組みを進めていただきたいと強く要望したいと思います。

 ところで、地方教育行政の法律の一部を改正する法律案についてお伺いします。

 不適切教員について伺いますけれども、改めてお伺いします。何ゆえにこの法改正が必要だと大臣はお考えですか。

遠山国務大臣 申すまでもありませんけれども、学校におきます教員と児童生徒のかかわりというのは、これはいわば宿命的な関係でもありまして、もしある子どもにとっていい先生でなければ、大変その影響力は大きいわけでございます。児童生徒への指導が不適切な教員の存在といいますものは、児童生徒、保護者、さらには地域社会の、学校や教員に対する信頼を大きく揺るがすというようなことであることから、このような教員への対応は重要な課題でございます。

 既に、平成十一年の教育職員養成審議会答申などにおきましても、そのことの重要性が述べられておりまして、各都道府県教育委員会に対して、適格性に問題のある教員について継続的に指導、観察、研修を行う体制を整備するとともに、必要に応じて、分限免職等の分限処分を迅速かつ適正に行うよう指導してきたところであります。

 また、昨年十二月の教育改革国民会議報告におきましては、効果的な授業や学級経営ができない教師については、他職種への配置がえを命ずることを可能にする道を広げ、最終的には免職の措置を講ずるというような提言があるわけでございます。

 今回の法律改正は、この報告も踏まえまして、児童生徒への指導が不適切で、かつ、研修等の措置を講じても適切に指導することができない市町村立の小中学校等の教員について、分限免職等までに至らない者であっても都道府県の教員以外の職に転職させることができるという道を開こうとするものでございます。

鎌田委員 大臣、改めてお願いします。今の最後の、多分行数で言うと二行ぐらいが、私の質問への答えだったと思うんですね。最初から途中まではほとんど今日までの経過の御説明で、最後の、分限免職に至らないまでも云々の、そこがお答えだったと思うので、三十分しか私は時間がないものですから、済みませんが、よろしくお願いいたします。

 平成十二年度、昨年度一年間、十六都道府県の指定都市教育委員会が実施した、指導力不足教員に関する人事管理のあり方、これの報告は出ていますでしょうか。

 さらに、この調査研究ですけれども、十三年度、今年度は全都道府県指定都市教育委員会に拡大して行うということですが、それぞれの報告やその姿というものはいつ見えてくるのでしょうか。

岸田副大臣 指導力不足に関する調査研究は、平成十二年度から原則として三年間で実施することとなっておりまして、現在、その調査研究を進めている過程にあります。

 ただ、その調査研究の現状を見た場合に、一部におきましては、指導力不足教員に対する校内、校外、こうした研修等のやや実践的な調査研究を実施しているところや、あるいは有識者等による検討会等を設け、これらの意見をまとめているところもあります。今、六教育委員会におきまして、まとめまで行われているという現状にあります。今そういう過程にあるということでございます。

鎌田委員 今二つ御質問をしたんですけれども、まとめの過程に六あるというのは初めの質問で、では二つ目の、十三年度、今年度、全都道府県指定都市教育委員会がやる報告の姿というものは、いつ見えるかは見通しが立っていないというふうに解釈をして、次に進みます。

 昨年、大阪府の教育委員会が、これは多くの人が新聞等の報道で、あるいはテレビなどで知るところとなりましたが、指導力不足と不適格教員の実態というものを公表したものがあります。それを、私もインターネットでちょっと拾ってまいりました。

 読み上げますと、指導力不足教員、雨が降ったら休む。遅刻や早退が多い。急に大声を上げたり、泣き出す、笑い出す。実験、実習、実技ができない。教室の後ろまで声が届かない。生徒から取り上げた物品をなくした後、事後対応をしない。

 不適格教員に至っては、生徒が嫌いで話をしない。体罰を振るってけがをさせる。授業をすっぽかしてパチンコ屋やスポーツクラブにいる。飲酒運転をする。アルコール中毒がひどくて授業ができない。

 もう聞いてびっくり見てびっくりなんですけれども、ただこれは、中には、指導力不足や不適格というよりも、むしろ心身いずれかが病んでしまっている、そのように思われるケースが多々あるように思うんです。

 そこでなんですけれども、これは、各地方の教育委員会によっていわゆる不適格教員とは何ぞやというものを定義づけるときに、ギャップが生じると思うんですね。そのギャップを文部科学省としてどのようにとらえ、あるいは集約か何かをしていくのか。あるいは、このことが非常に私は危惧している最大のものなんですが、人格上のラベリングにつながるおそれがあるのではないかというふうに考えるのですが、いかがでしょうか。

岸田副大臣 まず、先ほどの質問の残りの部分ですが、今年度委嘱した残りの教育委員会につきましては、二年をめどにその結果を得たいというふうに考えております。

 それから、ただいま幾つか御質問をいただきました。

 まず、不適格教員の定義はだれが決めるのか、それから、ばらつきがあるのではないかという点についてでありますが、不適格であるかどうか、最終的には都道府県の教育委員会において認定するものであります。そして、そのばらつきという点につきましては、まず、最終的には都道府県の教育委員会において認定されるものでありますが、文部科学省としまして、具体的な例といたしまして今検討しておるものとしまして、三つ、施行通知において示すことを考えております。

 一つは、教科に関する専門的知識、技術等が不足しているために学習指導を適切に行うことができない場合、あるいは、指導方法が不適切であり学習指導を適切に行うことができない場合、あるいは、能力や意欲に欠け学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合、こういった例示を行って、これを施行通知において示すことを検討していきたいと思っております。

 さらに、具体的には教育委員会の規則でこの手続を決めることになるわけでありますが、この手続において、例えば必要な手続といたしまして幾つか想定したものを施行通知において示したいというふうに思っております。例えば判定委員会等を設けて判断すること、あるいは精神疾患等に起因する場合は精神科医に意見を聞くこと、あるいは必要に応じて校長等から授業状況等の様子を報告させること、あるいは当該教員に意見を述べる機会を与えること、こういったものをその規則の中に盛り込むものとして施行通知において示す、こういったことを行うことによって、できるだけそうしたばらつきということに対する懸念にこたえていきたいというふうに思っております。

 それから、最後にラベリングの御質問がございました。

 その御質問につきましては、今申し上げましたような、規則を決める、その手続を明らかにする、それから対象となる教員の要件を定めて限定する、こういったことによって恣意的な運用がなされないということをまずしっかり確定した上でこの制度を実施するわけでありますが、この制度自身、本人の能力をより発揮できる職に転職することがこの制度の目的であります。決して、ラベリングというようなマイナスなイメージにはならないというふうに考えております。

鎌田委員 政府側のお考え、お気持ちはよくわかりました。

 ここで、またインターネットをちょっと活用して、皆さんに御紹介をしたいんですけれども、今、とにかく小泉総理の人気もこれありなんですけれども、政府あるいはこの国の政治の中で、何か新しい制度ができそうだ、あるいは問題になるようなものが何かありそうだというと、テレビやラジオ番組でいち早く取り上げて、そして、視聴者あるいはリスナーからの意見をインターネットを通じて応募させるというか、集めている、そういうものが非常に多いんです。

 実は、某テレビ局と連動しているラジオ放送局のラジオ番組の中で、これは公表されているから大丈夫だと思うんですが、「アクセス・バトルトーク」というページがありまして、そこに、十一月九日のテーマだからこれはもう昨年ですね、十一月九日の段階で、共通のテーマとして「「適性に欠ける教員は、事務職に異動してもらいます!」文部省のこの方針にあなたは賛成?反対?」こういうページがあって、これに対して全国からいろいろな人が書き込むわけですね。

 そこで、見ていますと、非常に生々しい、今副大臣は、こういうふうにと具体的なものとして例示を挙げられましたけれども、これを読んだら、あるいはこれを聞いたら、ほとんどそれは具体的になっていないというふうにきっと感じていただけるのではないかなと思いまして、ちょっと読みます。

 今回の文部省のこの法改正、賛成ですか、反対ですかということで、賛成です、ただし、適性に欠けるからといって事務職なのはなぜだ、これでは職業の差別になります。

 あるいは、どうしたら問題教員をつくらないで済むか考えられないのですか、その場しのぎの対策案に見えてなりません、問題教員をつくるのは、大なり小なり文部省の皆様御自分もかかわりあるという反省をしてほしい、その上で議論してほしい。

 あるいは、客観的に適性を判断する方法として、四、五年に一度適性試験を受けなければならないとする制度を採用するのはいかがでしょうか、免許をそのスパンで更新するという制度も考えるべきです、議員においては選挙という洗礼があるから必要ないと思うけれどもと。

 こういったものもありまして、やはり、今副大臣はそのようにおっしゃいましたけれども、お聞きをいただいたとおり、あなたは不適切な教員です、そういうことで免職をされるということは間違いないわけですから、いや、いわゆる異動なんですよと言っても、教員本人、そしてその家族周辺でも、そんなふうに簡単に受け入れられるものではないと思うんですね。

 だからこそ、この問題というのは、より丁寧に手順を踏んで、そして、先ほども御紹介がありましたけれども、原則三年、去年十二年度から始まったその三年間の調査研究結果を重んじた上で国としてのガイドライン的なものを示すことと、徹底した研修体制の充実を図るということの方が大切だと思いますが、改めて伺いたいと思います。

岸田副大臣 まず御理解いただきたいと思いますのは、これは、本人の能力をより発揮できる職に転職ということであります。何もその人物評価が低いから転職するという趣旨ではないということを御理解いただきたいのと、それから、事務職とおっしゃいましたが、事務職に限ったものではないということをまずちょっと御理解いただきたいと存じます。

 そして、丁寧にやるべきであるという御指摘、それはそのとおりでございます。ですから、その手続につきましては、丁寧に、手続の作成等々、手順を踏まなければいけないと思っております。

 ただ、今先生の方から、要は、先ほどの調査結果、三年でやる調査結果について、その辺が全部出てからというお話がございましたが、これは法律の改正として、その方向としてこれを歩み出すということと、この調査は並行してやることについては問題はないと思っております。ですから、その調査結果は、これから十六につきましてはもう出てくるわけですし、あと残りにつきましても、今調査をお願いしているわけであります。これは、法律ができ、そしてそれを具体化する中にあって、その辺の成果は十二分に吸収した上でその結果に反映する、こういった形によって全体をつくるということ、こうした並行した作業が行われることは別におかしいことではないのではないかなというふうに考えております。

鎌田委員 分限休職処分で、平成十一年度、病気休職の先生四千四百七十名、うち精神性疾患によるものとして一千九百二十四名、全体の数として、四千四百を超える数というのは非常に多い数なんですけれども、ただ、これは平成二年度からの統計資料をいただいておりますが、きっと年度をダブって同じ人が重なっているのかしらとも思いながら、その辺、ごめんなさい、読み取る力が不足していたら逆に指摘をしていただきたいのですけれども。

 この分限休職処分の方々の原因あるいは背景というものをどのようにとらえていらっしゃるかということと、それから、私はこの中の先生方の症状というか、それは今みんなが感じている、イメージとして持っている不適切教員、不適切な方のそういう症状、様子、状態と重なるところが大いにあるのではないかなと思うのですが、いかがでしょうか。

岸田副大臣 平成十一年度の分限休職者数は四千五百二十一人であり、最近五年間で八百八十四名増加しております。休職者数の内訳は、心身の故障のため長期の休養を必要とする、いわゆる病気休職が四千四百七十名と全休職者数のほとんどを占めておりまして、そのうち、精神性疾患によるものが一千九百二十四名で、病気休職者数の四三%を占めております。

 このような精神性疾患に陥る要因としては、さまざまな原因が考えられますが、生徒指導上やあるいは教科指導上の心身の疲労や悩みも、その要因、背景の一つとなっていると考えております。

 それから、今回の措置との重なりの話でありますが、精神疾患である教員については、医療的観点に基づいて措置が講じられるものであり、今回の措置の対象にはならないというふうに考えております。この点につきましては、今後、先ほど申し上げました施行通知において、心身の故障については分限休職、免職で対応すべきであること、そして、児童生徒への指導が不適切である原因が精神疾患等の病気に起因するおそれがある場合には、判定のための手続の過程で精神科医の意見を聞くこと等を、教育委員会が定める手続に盛り込むようぜひ指導したいというふうに考えております。

鎌田委員 今の御説明を聞いていて改めて思ったのは、心身の疲労という言葉が入っておりましたけれども、今回の問題は、結局、不適格だとみなされた先生を現場から外せばそれで済むというような、正直まだそういう懸念というのがあるということで、逆にこちらからもぜひ御理解をいただきたいというふうに思うのですけれども、それで済むというような問題ではなくて、今、学校の教職の現場にある先生たちが、やはり余りにも環境的に忙し過ぎる部分、そしてストレスを多く感じざるを得ない部分、先生方を取り巻く環境実態などをさらに改善を進めていくということも、これはお金が必要であればお金もかけなきゃいけないし、先ほど大臣もそういう答弁がありましたし、そういうことも同時に考えていかなければいけないのではないかと思うのです。

 実は、今回、これをいろいろ見たり聞いたり調べたりしていて思ったのは、忙しいという言葉にたどり着くんですね。もちろん多くの人が忙しい中なんですけれども、子供たちが非常に個性が激しくなってきている中で、先生たちはやらなくちゃいけないことが山ほどあって、私の中学生の息子が通っている学校の先生は、寝ないで生きられる薬があったら欲しいと。その人ももちろん子供を育てながら中学校の先生をしているのです、私も同じですと言ったぐらいなんですが。

 忙しいという文字なんですが、りっしんべんに亡びると書きます。本当に先生方が、心が亡びるかのような、そんな忙しい状況にあって、ストレスを感じたり悩みを感じたり、心身の疲労を訴えて、そして本当に医療機関のケアを受けなくちゃいけない状態になる。あるいは、機関のそれを受けないまでも不適格だとなってしまうというのでは、これは国として、そこにきちんとしたサポートを、光を当てていかなければ責任を果たしたということにはならないと思いますので、そういう点の御認識はお持ちかどうか、お伺いしたいと思います。

岸田副大臣 不適切な教員が生じる原因につきましてはいろいろなものがあるとは思いますが、今先生御指摘がありましたように、学校現場が大変忙しいということ、現場におきまして多忙感を感じておられるということ、これも一つの大きな要因だというふうに認識しております。

 そういったことから、従来からも、一部の教員の皆さんに過重な負担がかからないようにということで、適正な校務分掌を整えるというようなことやら、あるいは学校行事の見直し等校務運営の効率化、こうした指導を行ってきたところでありますが、この辺の実態把握につきましてはこれからもしっかり努めた上で、この辺は問題意識を持って対応すべきものだというふうに思っております。

鎌田委員 今、副大臣から校務分掌というお話が出ましたけれども、今手元に資料を持っておりませんが、私の記憶で申し上げます、その校務分掌あるいは学級事務とか、そういったもので非常に多くの先生方がもう忙殺されているというアンケート結果も出ております。各方面で行っているアンケート結果、教員の方々に行ったもので出ております。そういったものに、より現実に即した形で目を向けていただく。

 私は、自分が去年の六月の選挙のときに、子供たちが少なくなっていく今だからこそ、なおのこと先生の数をふやすべきだというふうに訴えて、それに支持をいただいたとも思っているのですね。アメリカのクリントン大統領が、何年か前になりますけれども、財政難、非常に厳しいときに、逆に教職員を十万人ふやした、そういう政策を実行したことがありました。それから、小学校三年生以下の学級には十八人学級を実現させたりと、ありました。私は、一番初めに大臣に先ほどのようなことを申し上げましたのは、財政難の今だからこそ、そして子供が少なくなってきている今だからこそ、教育に光を当てる、そういう発想をぜひ持っていただきたくて、また、今先生方を取り巻いている環境では、やはり先生の数がどんどん子供の数に比例して減っていくという現状、私はこれに歯どめをかけたい、そういう思いを持っている人間として要望として申し上げたいと思います。

 それはそれとして、要望としてお聞きとめいただきたいのですが、平成十年の免許法改正に伴って大学での教員養成カリキュラムの改善を行ってはいるようですが、その全面適用は平成十二年度の入学生からになるということをお知らせいただいておりますけれども、例えばアメリカの例で見ますと、教職につく前に三年間現場で研修が実施されたりという例があるのです。

 つまり、日本のようにある短い一定期間での実地の研修では、面接官との試験でのやりとり、あるいは論文など、いろいろな採用に至るまでのプロセスはあるかと思いますけれども、先日松浪さんもおっしゃっていましたが、大学四年生を卒業して、そして二十二歳で試験に通って、採用に受かって、そして、突然先生と呼ばれてベテラン教師の先生方の間に入っていって、さあ、教壇に立ったときに、果たして自分がこの個性の激しい子供たちと向き合えるのか、自分が本当に教員として適性なんだろうか、向いているんだろうかということを、実際教壇に立って何カ月かした後に悩み始める、そしてストレスを感じて、結果として不適格だというふうになるのでは、私はもっと、その前の採用の段階あるいは教員養成カリキュラム、その過程の段階での工夫、改善がなされれば、そういったことにつながるケースというのは少なくすることができるのではないだろうかというふうに考えております。

 ですので、そういう実践的な、もっと現場を体験できるようなプログラム、時間的に、物理的に長い時間を用いていくということを検討する気持ちを持っていただきたいのですが、その気持ちを持っていただけるかどうかということと、あわせて、現行教員免許制度の中で、先ほどのインターネットのメールの中にもありましたが、すべての都道府県においてその免許で終身有効という仕組み、そういう仕組み自体も考え直さなければいけない時期に来ているのではないでしょうかということ、二つをお伺いしたいと思います。

 ストレスを感じながらもずっとそこに居続けていくというよりは、やはり何年か置きごとに、果たして自分は今この仕事でどうなのだろうか、自分の精神状態あるいは身体状態はどうなのだろうか、いろいろな角度から立ちどまって見詰め直す、自分を見詰めてみる機会というものは必要なのではないかなと。そして、それがもし更新制度というものになるのであれば、新たな展開というか、教員の免許を更新するという制度にまでつなげて考えていくことができれば、また新たな角度からの見方もできますし、この二点についてお伺いをしたいと思います。

遠山国務大臣 平成十年の免許法改正によりまして、学習の機会あるいはその内容がかなり改善されたと思っております。

 大学の教員養成課程におきまして、教職の意義でありますとか教員の役割について学ぶ科目や、教育学習などの学習の機会が設けられているわけでございますけれども、そういうチャンスにやはり学生が、教員としての資質でありますとか使命感をはぐくむということができるのと同時に、自分が教員として適格性、適性を持っているかどうかということも考えてもらう、そういう機会でもあると思っております。

 この改正で、中学校の免許状には実習の時間をふやしまして、それまで二週間であったものを四週間にふやすとかということで、実際に体験してみて、本当に自分が合っているかどうかということを考えてもらう、そういうチャンスがふえたと思っておりまして、こういうような機会を通じて学生が適切な進路選択を行えるように、各大学における指導の充実が望まれるところでございます。

 後段の御質問の件でございますけれども、終身どの県にも通用する、そういう資格でいいのかということでございますけれども、今の教員免許のあり方について、御指摘の点も含めまして、教員としての適性、適格性の確保、あるいは専門性の向上という角度から、そういう免許更新制の可能性の問題について、教員養成課程の改善充実に向けた取り組みについて今問題点を検討し始めているところでございます。

 そういう中央教育審議会での検討を通じて、今のようなお話も含めて、今後検討してまいりたいと思います。

鎌田委員 国語の先生を希望している学生が、担当になった教授というか先生から、毎日毎日というか、授業のあるたび、講習のあるたび、紫式部の話ばかり聞かされて、これで中学校の先生になったときにどうやって国語の先生になってやっていくのだろう、そういう不安を抱きながらその養成カリキュラムを受けている学生もいる。そういう人もいるということを記憶にとどめていただきたいと思います。

 以上で終わります。

高市委員長 武正公一君。

武正委員 民主党・無所属クラブの武正公一でございます。

 まずは、委員長を初め委員各位におかれましては、質問の機会をいただいたことに感謝を申し上げる次第でございます。また、大臣、副大臣におかれましては、小泉内閣の文部科学大臣、副大臣ということでの御就任、おめでとうございます。

 さて、まず初めに、学教法改正についてお伺いをさせていただきます。

 こちらに、「社会奉仕体験活動、自然活動等の体験活動の充実」という項目がございますが、社会奉仕体験活動ということでございまして、小学校の学習指導要領では「総合的な学習の時間の取扱い」で、「自然体験やボランティア活動などの社会体験、」というような記載。

 あるいはまた、総理の私的な諮問機関である教育改革国民会議最終報告では、「子どもの自然体験、職場体験、芸術・文化体験などの体験学習を充実する。」これが一項目。二項目めが、「小・中学校では二週間、高校では一カ月間、共同生活などによる奉仕活動を行う。」ということで、分けて書かれているわけでございます。

 何ゆえ社会奉仕体験活動と一緒くたにしてしまったのか、あるいは、ボランティアという言葉を使わず奉仕という言葉を使ったのか、御所見をお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 もう申すまでもないかとは思いますけれども、児童生徒に社会性や思いやりの心など豊かな人間性をはぐくむという観点から、児童生徒に対して社会奉仕の精神を涵養するということを目的とした体験活動を行うことは極めて重要であるわけでございます。

 今回の改正におきまして、このような活動を法律上規定するに当たりまして、社会奉仕という言葉を用いたわけでございますが、これは、従来から、学習指導要領におきまして、社会奉仕の精神を涵養する体験を得られるような活動の用語として用いてまいっておりまして、学校現場においてはその言葉が定着している用語でございます。

 なお、平成十年の学習指導要領におきましては、「ボランティア活動など社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動」ということで、むしろ社会奉仕という用語の一つの例としてボランティア活動を位置づけているわけでございます。したがって、より広い概念でありますところの、「社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動」という用語を引き続いて使用しているところでございます。

 したがいまして、社会奉仕体験活動という用語を使用することが適当であると判断したものでございます。

武正委員 先ほど私は、小学校の学習指導要領と総理の私的な諮問機関、教育改革国民会議の最終報告を例に引き出したわけでありまして、それぞれそういった例があるということでございますが、今の、大臣は大臣としての御所見ということでございまして、やはり、奉仕、ボランティア、いずれの用語を用いるのか、あるいはまた、社会奉仕体験活動ということで何ゆえ一緒くたにするのか、これが非常にわからないというふうに思います。教育改革国民会議で書いてありますように、体験活動と奉仕活動ということで分けて書けばよいのではないかなというふうに思うわけでございますが、再度御所見をお伺いします。

岸田副大臣 何ゆえに一緒にするのか、社会体験、奉仕体験、分けたらどうかということですが、今回の改正によりまして、要するに体験活動の重要性を強調しているわけでありますが、広い意味で、奉仕活動、社会活動、すべてこの体験活動の一部だというふうに考えております。その体験活動の中で特に重要な例示としましてこういった形で挙げさせていただいたということでございます。そういった趣旨で、こういった言葉を使ったと御理解いただければと存じます。

武正委員 過日の委員会でも、副大臣からモデル事業などの例示もあったわけでございますが、同僚委員からも、里山での作業あるいはごみの清掃など、いろいろとモデル事業が示されております。今は、モデル事業ですから一週間とかいう形でございますが、奉仕の体験ということで、果たしてそれが子供にとっていかがなものかなということで、やはり疑念が呈せられているわけでございます。

 私は、社会体験と奉仕活動はやはり分けてきちっと取り組むべきであって、拙速に社会奉仕体験ということで一緒にするのはいかがなものかと考えるわけでございます。

 先ほど例示を出しましたが、小中学校二週間、高校一カ月というようなことでございます。まだこの法文にはそういった期間を明示はしておりませんが、こういったことがもしそういう期間でということで進むとすれば、夏休みをまとまって利用しなければ、例えば高校生一カ月はとれないだろうというふうに考えるのですが、この期間についてはいかがでございましょうか。

岸田副大臣 先生御指摘のように、期間につきましてはこの法文の中に何も触れていないわけであります。そして、これからのあるべき姿としましても、体験活動というものはいろいろな形が想定されます。それぞれの地域におきましてどんな体験活動をするのか、さまざまな体験活動のバランスですとか、あるいは、何よりもその受け入れ体制の状況、こんなことによりまして、いろいろなケースが考えられると思っておりますので、このあたりは柔軟に対応するのが適当であるというふうに考えております。

 ですから、今回は、その期間等は明示することなく、要はその体験活動を促進するという理念を明らかにする、このことに力点を置いております。

武正委員 柔軟にというお言葉が出ましたので、一つ安心をするところもあるんですが、このようにどうしても期間がひとり歩きしまして、そうしますと、やはり夏休みをということになりまして、体験といいながらも、ある面強制ではないか、本当にそれが子供の奉仕という意味でよいのかどうか、拙速を心配する声がやはりあるわけですね。

 ということですので、既にモデル事業とかいろいろ示されておりますが、やはりそれは、地域地域、あるいはそれぞれの教育委員会教育委員会、あるいは学校学校ということで活動をこれからやっていこうとするのであれば、それぞれの状況に応じて任せていくということでございまして、やたらモデル事業というものを提示しないといったことが必要ではないかなというふうに思っております。

 次に移らせていただきます。

 平成十二年度からもう始まっておりますが、先ほど大臣から平成十年度の教員免許法の改正というお話がございました。特に、小学校の教員免許の改正では進路指導を二単位加えたということは、過日、同僚の山谷委員と大臣とのやりとりでも出たと思います。二単位ぐらいでは少ないわよというようなお話がありましたが、これも大変な議論で、審議会で入れる入れないで大変な議論があって、やっと入れることができたということでございますが、私は大変大事なことだなというふうに思っております。

 進路指導を小学校段階から、あるいは職業についての意識づけを小学校段階から進めていくということが大事なんだなというふうに思っておりまして、そうなりますと、今回の学教法の十八条を見る、そして三十六条を見たときに、二号を読みますと、中学校における「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。」という記載がありますが、ここまで全部書かなくても、少なくとも小学校段階でも、学ぶことと、そして働くことの意義を結びつけるようなことというような書き込みがあってもよいのではないかなというふうに思うのですが、その御所見をお伺いします。

岸田副大臣 学校教育におきましては、児童生徒の発達段階に応じて適切な目標とか内容を設定し、かつ適切な方法が行われることが肝要だと考えておりますが、小学校段階においては、日常生活において必要な基礎的な事項についての知識、技能を身につけさせることが重要だと考えておりまして、要するに、何らかの職業を前提とした具体的な知識、技能について指導することまでは適切ではないのではないかという認識でおります。

 ただ、その一方、児童に勤労の価値あるいは働くことの必要性、すばらしさ、こうした喜びを体得させる、このことは大変重要なことだと思っております。ですから、働くことの意義を理解させる、この部分を小学校段階においてはしっかりと強調して学んでもらう、このことが大切だというふうに考えております。

武正委員 半歩前進したのかなというふうに思っておりまして、ありがとうございます。

 さて、兵庫県でトライやる・ウイークという事業が進められておりまして、よく多くの議員の方々が引き合いに出される事業でございますが、このトライやる・ウイークの意義について、評価をどのようにされているか、御所見をお伺いします。

遠山国務大臣 私もこの事業につきましてつぶさに知っているわけではございませんけれども、資料を通して拝見いたしますと、生徒が五日間、実社会において、学校ではできないさまざまな活動に挑戦できるということを通じて生きる力を育成するということでございまして、一週間、これは中学校の二年生全員でありますけれども、そういう年齢段階の人たちが、いろいろ自分の目指す研修先でボランティアの指導のもとに活動ができるということはすばらしい体験であろうと私も考えております。

武正委員 このトライやる・ウイークについてでございますが、やはりこの研修先、場所をいろいろ見つけていく、あるいは交渉というのがなかなか大変だというような現場の教員の声が上がっております。

 また、この分野を見てみますと、平成十年度七二・一%、平成十一年度七一・一%が職場体験活動ということでございまして、ボランティアあるいは文化芸術創作活動、勤労生産活動もあるのですが、やはり七割を超える内容が職場体験といったことになっているわけなんですね。これがやはり小学校段階から、先ほどの副大臣の言葉をかりれば、働くことの意義というものを実体験を通して学んでいく、体験をしていく、これが非常に有用であろう、あるいは子供たちもそれを希望している、あるいは先生もそういった手配をした、コーディネートをしたということの実態でございます。

 さて、先ほど、教師の方がなかなか大変なんだというお話を挙げましたし、先ほど同僚の鎌田委員も、先生は忙し過ぎるんだよというお話がありました。例えばクラブ活動なども含めて、そしてまた今回、地域の皆様が学校の運営に参加をしていく。私もよく青少年育成の活動でいろいろな方々とお会いしますが、先生方もそういったところへいろいろ出てこられます。

 ですから、ますます先生がいろいろな活動にかかわらなければならないということの中で、私は、やはり教師、教諭の方々との連携を前提として、外部の専門家を小中高で、特に今言いました、例えば職業、働くことの意義づけ、あるいは今のようなトライやる・ウイーク、そしてまたこれからの体験学習、さまざまなところでいろいろな活動をしなければならない、どこで活動をしたらいいのか、どこの会社、あるいはどこの職場がいいのか、いろいろな交渉もしなきゃいけない、そんなときに外部の専門家が非常に有用ではないかなというふうに思っております。

 特に、今回の改正で、まず学教法では、関係機関との連携を挙げております。さらにまた、これは今度教育委員会にまで広がりますが、地教行法では、相談体制というものも打ち出しております。さらに、社教法では、体験活動の機会を提供する事業の実施ということも教育委員会に明示しているということで、教師そしてまた教育委員会に課せられた仕事が非常にこれから多くなっていく。そのときに、外部の専門家の果たすべき役割というものが期待をされるのではないかというふうに思うのですが、この点の御所見をお伺いします。

岸田副大臣 今先生が例示として挙げられました職業とかあるいは進路ということを考えましても、日ごろのこうした指導を通してそれぞれの生徒の特性をよく把握している学級担任ですとかあるいは進路指導主事が中心となって、教育活動全体を通して計画的、組織的に行うこと、これはまず大事だというふうには思っておりますが、ただ、今御指摘がありましたように、こうした職業等につきましては、外部の人材を活用する、やはりいろいろな経験を積み、さまざまな見識を持った外部の人材を活用するということ、これは大いに有効だというふうに思っております。

 ですから、地域の企業の実務経験者等をキャリアアドバイザーとして活用する方法ですとか、あるいは、今スポーツ等のお話もございましたが、外部の人材を活用するということ、これは大いに検討すべきものだというふうに認識しております。

武正委員 そういった中で、きょうは厚生労働省の方もお見えでございますが、厚生労働省では、第七次職業能力開発基本計画の中で、キャリア形成支援を担う人材育成ということを挙げております。

 実は、スクールカウンセラー制度というのは、もう既に平成四年度から導入されておりまして、これも財団法人の認定ということで資格も与えているのですが、職業を含めた進路指導についてのコンサルティングあるいはカウンセリング、これについての資格がまだ日本にはございません。民間では幾つかあるのですが、まだまだ公的というか、あるいは多くの広がりを持った形では、特に厚生労働省さんあるいは文部科学省さんがかかわる形でもまだつくられていないということでございますが、厚生労働省さん、このキャリア形成支援を担う人材育成の資格要件の創設について、どのような御所見をお持ちでしょうか。

酒井政府参考人 先生今御指摘になりました第七次の基本計画、先般、都道府県にもお示しをいたしたわけでございますが、実は先生御案内のように、労働移動が大変頻繁な時代になっておりますから、事業主主導の職業訓練に加えまして、自発的に職業能力開発を進めるということを実は今国会でも法改正させていただきました。その趣旨を含めまして五カ年計画を示したわけでございます。

 その際に、やはり御自身でキャリアを形成していく、職業生涯を形成していくという場合には、これを裏づけるところの、あるいは支えるところのコンサルティングが必要だということで、今その点を先生御指摘になったと思います。

 十月から、全国の都道府県のセンターにおきまして、私ども、キャリア形成支援コーナーというものを設けて、スタートさせることにいたしております。十月でございますので、公的なものとしてはそういう経験をどんどん進めていく予定にしております。恐らく先生御案内と思いますが、キャリアシートを使ってのコンサルティングということでございます。

 今先生おっしゃった、民間におきましてキャリアコンサルタントあるいはコンサルティングということでいろいろな取り組みがなされているのも、私ども存じております。それから、各党でも、あるいは先生の御党でも、キャリアコンサルタント制度を制度化すべしというようなお声もあるのも存じております。私どもといたしましては、これからスタートさせるような事業の推移を見ますとともに、民間の方々のお取り組み、そういうものを見ながら、このキャリアコンサルタントといいましょうか、こういうことの専門に当たられる方の社会的位置づけについて十分検討していきたいと思っておるところでございます。

 今先生おっしゃいました教育の場での話につきましても、いずれ私ども、そういうことで鋭意急いで取り組みたいと思っておりますけれども、教育の場でもお取り組みになる場合には、またその際に連携をすることも必要になってくるのではないかというふうに思っておるところでございます。

武正委員 中教審では、各学校段階及び大学などで、卒業後における社会との接続をも視野に入れて、キャリアガイダンス、ガイダンスカウンセリング、これについての提言が出ているわけなんですが、今厚生労働省さんから、そういった資格要件について、文部科学省さんと一緒にというか、連携という言葉が出たのですが、これについての文部科学省としての御所見はいかがでしょうか。

岸田副大臣 ただいま厚生労働省の取り組みについてお話があったわけでありますが、一つ考えなければいけないこととして、労働者を対象とする場合と生徒を対象とする場合、その支援方法とか内容の相違については考えなければいけないというふうに思っております。このあたりは検討しなければいけないとは思っておりますが、ぜひ、今厚生労働省で検討している事柄につきましては、文部科学省としても積極的に協力していきたいと考えております。

武正委員 ぜひ共同での資格要件の創設についての積極的なお取り組みをお願いしたいと思います。まさに、今はやはりこれからの、職業について、あるいは雇用についての心配がたくさん出ておりますし、よく就職の七五三というようなことも出ておりまして、やはり小学校段階から職業についての意識づけが始まり、そして、中学、高校と進むにつれて、自分がどういう職業にという意識づけをよりはっきりさせていく、これが教育段階で求められ、そして卒業後についての厚生労働省との連携もまた密にということを願うのは私一人ではないと思うからでございます。

 さて次は、今回法案に出されております飛び級についてでございます。

 私どもの党の部門会議で、同僚議員、特に理数系出身の同僚議員からこんな意見が出されました。飛び級ということで、これまで物理、数学に限定をしていた。彼いわく、彼女でもいいのですが、同僚議員いわく、やはり物理、数学というのは、それこそ学問で言うと非常にスポーツに似たようなところがあって、よく八歳とか九歳くらいで大学レベルの天才があらわれるといったことで、千葉大、名城大では、物理、数学ということで限定したのだろうということです。この飛び級について今回すべて開放しようということを進められようとしておりますが、やはり限定というものは必要ではないのかなと考えるのですが、この点の御所見をお伺いします。

岸田副大臣 今先生御指摘ありましたように、この制度は数学、物理に限定してスタートしたわけですが、今二十一世紀を迎えまして、我々の社会は大変なスピードで複雑化し、そして変化をしております。ですから、学問分野自体も、従来の仕切りの枠を超えて複合化あるいは学際化というのでしょうか、こういった動きがどんどん進んでいると思います。

 先日も、委員会で、例えばバイオインフォマティックあるいはデリバティブ、あんな例を挙げて御説明したかと思うのですが、こうした生物学ですとか、あるいは情報学、あるいは金融、あるいは数学なんかも融合してくる。こうした学問の状況を考えますと、数学と物理学というようなことで、単純に線を引いて枠をはめていいのだろうかというような問題意識が、まず一つあると思います。

 また、今現実の動きとして、高等学校と大学の連携、高大連携なんて言われておりますが、こうした聴講生の受け入れ等もどんどん進んでおりまして、これは現実問題として、物理や数学以外の分野においても行われてきているところであります。

 こうした現実を見るときに、この制度がどうだろうかということを考えるわけですが、やはりこれはいろいろな考え方があるのでありましょう。やはり自主的な判断、現場の判断というものを尊重することが大切ではないか。

 そして、何よりも、さまざまな分野で才能を伸ばせる機会を学生生徒に与えるということ、これが大切ではないか。こういったことで、とりあえず自主的な判断に任せるという意味で、今回その分野の限定を外したということでございます。

武正委員 先ほど、幾つかの例示を副大臣は出されましたが、それも、ある面かなり限られた、物理、数学を駆使したような分野がかなり多かったように私は受けとめたのですが、そういった意味では、この限定というものをすべて外してしまうというのはいかがなものかなというふうに考えるわけでございます。

 さて最後に、教育委員会の活性化についてお伺いしたいと思いますので、ぜひ、まず大臣から御答弁をお願いしたいのです。

 今回の地教行法の改正で、教育委員会の委員に保護者を加える。これは保護者と同年齢の方というようなエクスキューズも、ただし書きもちょっと聞いたのですが、要は、教育委員会の活性化ということは大いにやっていただきたいというふうに思うわけでございます。

 現状が出されておりますが、すなわち、都道府県では二九・四%、市町村では三四・四%が教職経験者ということでございますが、この教育委員会制度というのは非常に、まだまだ改革をしなければいけないのではないかなというふうに私は思っております。

 そもそもが、戦後はまず公選ということで、委員は公選、教育長は任命と。ある面、委員はそれこそ広く、教育のプロでなくてもいいよ、しかし教育長はプロだよといったことが途中で法改正になったわけですね。ですから、私は、教育委員が必ずしも教職出身、あるいはプロでなければならないということはないだろうということで、今回の改正を是とするわけでございます。

 そういった中で、全国市長会から要望が出されている。まず人事について、県教委の人事が強いのではないか。これは、教職員について県教委でそれこそ決まってしまうといったことが一つ。それから、やはり文部科学省の縦系列の指導が強いというのが市長会から出されております。そして、できれば、今市長さんたちが力を入れている生涯学習分野、やはりこれを市町村長の所管にしてほしいというのが三つ目。そして最後に、そうはいっても、やはりしっかりと教育委員会と首長の連携を図っていくべきだろうというようなことを出しております。

 既に御案内だと思いますが、この全国市長会からの要望「学校教育と地域社会の連携強化に関する意見 分権型教育の推進と教育委員会の役割の見直し」、本年二月十九日付でございますが、これについての御所見をお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 全国市長会がことし二月十九日にまとめました「学校教育と地域社会の連携強化に関する意見」におきまして、学校と家庭、地域が一体となった地域連携型の教育を目指して、現在教育委員会が担っている事務のうち、学校教育に関するものを除き市町村長の所管とすることなどが提言されているのは承知いたしております。

 しかしながら、教育委員会は、教育行政の中立性と継続性を担保するという観点から、市長とは別に合議制の執行機関として設けられているものでありまして、そうした要請というのは学校教育には限られないのではないかと思います。また、学校、家庭、地域が一体となって教育、文化、スポーツ等の振興を図っていくためには、教育委員会において統一的にこれらの事務を行うことが必要と考えております。さらには、さまざまな分野についての知識や経験を有する教育委員が合議によって意思決定を行うことによって、教育行政に住民の多様な意向や価値観を反映させることができると考えます。

 こうした観点を踏まえますと、今後とも、生涯学習や文化、スポーツを含めて、教育委員会制度の果たす役割は大変重要と考えられます。

 ただ、私は、教育委員会の仕事が本当の意味で活性化をし、生き生きとした実績を上げていくには、首長部局との十分な連携をとっていかなくてはいけないと考えておりますので、地域に根差した主体的かつ積極的な教育行政を今後とも展開していただきたいと考えております。

武正委員 私は県議会議員を五年やっておりまして、そのときに感じたんですけれども、何か教育の独立性、教育委員会の独立性ということで、どうも知事部局なりが教育について物申すのに遠慮しいしい言っている。知事がそういう姿勢ですから、それに対して議会もやはりなかなか物が言えないようなところを感じておりました。

 昭和二十三年、当初の教育委員会法には、「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、」という書き込みがございました。昭和三十一年、地教行法にはそれらの書き込みがなくなりました。

 今も大臣から御答弁があったような中立性ということでございますが、国民あるいは県民、市民から選ばれた首長あるいは議会、こういったものとの連携というものは、やはり地元の多くの声を代表しているということからいうと、そこで余りに中立、中立でいってしまうと本末転倒になるのではないかなということを思うわけでございまして、再度この点だけ、御答弁があれば。

高市委員長 武正委員の質疑時間は終了いたしております。

武正委員 そうですか。では、最後に意見表明ということで終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 私は、引き続きまして、地教行法の教員の問題で質問をいたします。

 教員の指導力不足について、その判断基準につきましていろいろ議論になっているところですけれども、専門的知識、技術が不足して学習指導が適切でない場合、指導方法が不適切だ、生徒の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行えないという答弁でございます。

 法案成立後、都道府県教育委員会に対し具体例を施行通知として示していくということが答弁されているわけでございますが、なぜこの三つが基準たり得るのでしょうか、またどこでこれは検討されたものなのか、お答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 前回の文部科学委員会において御説明いたしました三つの場合といいますのは、児童生徒に対する指導が不適切であることとの要件に該当すると考えられる具体例として示したものでございまして、基準そのものではないわけでございます。

 この指導が不適切であるとの要件に該当する場合としては、さまざまな場合が想定されますので、法律案で規定した以上に具体的な基準として示すということは困難でありますけれども、こうした具体例を示すことによって都道府県教育委員会の適切な判断に資することになる、そういうふうに考えております。

石井(郁)委員 もう一点をお答えいただいていませんけれども。

 こういう三つを一応基準にされて具体例を示されるということは、どこで検討されたんでしょうか。

遠山国務大臣 今の御質問の中で、これ自体が基準ではございません、基準ではなくてその具体例としてお話をしているわけでございまして、これは、文部科学省といいますか、いろいろな意見を集約した上で、こういう具体例があるのではないかということで御説明をしているところでございます。

石井(郁)委員 しかし、この三つでそれの具体例が示されていくという話なんですよね。だから、この三つというのがなぜそういう枠組みになるのかということを私はお聞きしているわけです。

 こうして見ますと、まだ極めてあいまいでありまして、私は、こういう今の三つの枠組み、このこと自身が、基準たり得ないし、いわば極めて不適切だというふうに考えているわけであります。

 例えば、専門的知識、技術が不足といいますけれども、教員養成大学を卒業されている、高い競争率の採用試験も受けている、また一年間の初任者研修もある。だから、それぞれのところでいわば高いハードルで教師になっていらっしゃるわけですよ。何をもって、じゃ、それ以上専門的知識不足だというふうに言うんでしょうかという問題が一点。

 それから、私は、指導方法について言われたのも大変驚きなんです。指導方法こそ、創造的で極めて多様だと思うんですね。また、そうであるべきだと。だから、その指導方法が不適切かどうかなんということになると、これはまさに、画一的な指導方法を決めていくのかということにもつながるわけですよ。

 それから、生徒の心を理解する能力といいますけれども、教師だったら、みんな生徒と心を通い合わせたいと思っているわけですよ。しかし、今はそれがやはり大変難しいということですよね。なぜ難しいのか。忙しい、子供とゆっくり話し合う時間がありません。これは、現場へ行っていただいたら本当によくわかります。クラスの人数も多い。仕事が次々ある中で、子供とゆっくり話す時間がない。だから、子供からいうと、先生から一日も声をかけてもらえなかったという声もあるでしょう。そういう状況。

 教師の皆さんは、やはり教職につくということは、教育の仕事に情熱と夢を持っているわけですよ。だれだっていい教育をしたいと思っている。それがなぜ困難なのか、そのことを考えるのがやはり教育行政ではないのかというふうに私は思うんですね。いかがですか、大臣の御答弁をお願いします。

高市委員長 大臣ということですので、遠山大臣、お願いいたします。

遠山国務大臣 具体例のエグザンプルとしてお話ししているわけでございまして、そのこと自体で不適切と判定していくということではなくて、いろいろな手続も厳密に規定をしてもらって、そういう手続の上で本当の意味で不適切であれば、今回の対応すべき枠組みの中でやっていただくということでございます。

 今のようなお話は、もちろん私も、教師の方々はそれぞれ情熱をかけて教育の道に進み、そして少しでも子供たちをよく導きたいということで日夜頑張っておられる、そういう方がほとんであるということは承知いたしております。しかしながら、一人一人の子供にとっては、本当に自分が教えてもらう先生というのは唯一一人であり、あるいは二人であるわけでございますね。そういう方が本当に、じゃ、常にその子供たちの欲している学ぶ心にこたえているか、あるいは自分についてきちんと関心を持ってくれているか、あるいは十分なそういう指導方法が考えられた形で教育されているかということは、その子供たち、一人一人の子供たちにとってかなり決定的なことであるわけですね。だから、そのような観点から、そういう教えを受けていない、あるいは豊かな学ぶ機会として体験することができない子供たちがいた場合に、ではどうするかということが、今回の不適切な教員についての方策をとろうとしている、そういう背景にあるわけでございます。

 この問題は、今回直接出てきた、急に出てきたということではございませんで、長年、この問題についていろいろな審議会ないし英知を集めて考えてきて、やはり、そういう不適切な教員がいた場合には、それは直ちに分限免職ないし分限による降任ということではなくて、他の職へ転職していただくような形で別のチャンスを与える。

 私は、教員になるような方は大変すぐれた能力をある意味で持っておられると思うんですね。そういう人がいざ教壇に立ってみたら、どうも十分適応できない、あるいはそこでは適正に自己の能力が発揮できないなどというときには、きちんとしたプロセスで、本当にそれが不適切ということがわかった場合には、その人に合ったような職に転職していただこうと。

 これは長年の検討の結果でもありますし、また、先般の教育改革国民会議での提言にもあったわけでございまして、そのようなことをバックにしながら、今この制度について御議論をいただいて、私としてはこの方向というのが、日本の学校がよくなり、また教育が変わるということの一つの重要な柱であると考えているところであります。

石井(郁)委員 大変御丁寧にお答えいただきましたけれども、私は指導力という問題について軽々に言うべきではないというふうに思っているんですね。なぜなら、本当にまさに状況はそれぞれいろいろでありますし、子供と教師の関係ですから、本当にそこにあらわれるのはさまざまなファクターがあるわけですし、また、教師の人間あるいは人格全体の評価にもつながるという問題で重大なんです。

 それで、こういうように行政の側が、これが指導力、こういうふうにして見ていきますというようなことになると、本当に現場では伸び伸びとした教育活動を抑えることになる、このことが大変重大だというふうに考えているんです。私は、今教師の皆さんがいろいろ悩んでいたり、こうやりたいと思ってもやれない、こういう状況、条件を改善する、力量を上げていくための条件づくり、このことこそ教育行政がまさに今最もやらなければいけないことだということをまず強調しておきたいと思います。

 それで、言われています具体例、基準と言わないという話ですから、幾つかの具体例を出すということですが、それはぜひこの審議中に出していただかなくては困ります。いかがですか。

岸田副大臣 具体例をもっとはっきりさせろということの御指摘でございますが、法律論としまして、例えば、本法律案の措置に類似したものとしまして、地方公務員法の第二十八条一項、分限免職等の基準となる要件というのがありますが、この要件にしましても、勤務成績がよくない場合あるいはその職務に必要な適格性を欠く場合というような規定になっております。ですから、法律としまして、今回お願いしている法律案と比較しましても、決して具体性に欠けるというような法律ではないというふうに認識しております。

石井(郁)委員 私は法律の文言にどう書いているかという話をしているんじゃないんですよ。そうでしょう。生徒指導が不適切であるということで免職、そのほか転職というふうになるわけですから、それをどう判断されるのかという一定の基準があるわけでしょう。法律にも、その判断についてはいろいろ、各都道府県の教育委員会規則などで定めるとか等々、やはりその手続、事実確認の方法、それは確定しなければいけないとなっているわけでしょう。文部省も今検討されているということですから、それはぜひ出してください。出さなければ、この法律はどういうふうに執行されるかどうかという判断ができないじゃないですか。そこらが大変無責任ですよ、あなた方。きちっと出してください。

矢野政府参考人 少し制度的なものでございますから、私から御説明させて……(石井(郁)委員「もうはっきりしていますから、出す、出さないでいいです」と呼ぶ)

 結論として言いますが、これはあくまでも各県が具体的に、制度といたしましては、人事権者である都道府県の教育委員会が、教育委員会規則で定められます手続規則に従いまして個々具体のケースに即して適切に判断されるべきものでございます。

 その判断される場合において、その参考となるものとして、私ども三つのタイプのものを参考としてお示ししたものでございますから、そういう意味ではそれをさらに詳細にお示しすることは必要ないと考えますし、またそれは適切なものではないと考えるものでございます。

石井(郁)委員 では、この三つの、先ほどから出ていることのさらに詳細という形では示されないということですね。それで確認してよろしいですか。――はい。では、次に行きます。

 もう一点、私は資料要求していたところなんですけれども、既に都道府県に対して、新しい教員の人事管理の在り方に関する調査研究、十六府県・政令指定都市でされているはずですけれども、現段階での検討内容はどうなっているのかということをぜひお示しいただきたかったわけであります。

 それで、お願いをしましたら、こういう資料が配られてまいりました。もう、ただこれだけなんですよ。それぞれの県でこういうことをしているというだけなんですが、それぞれの県も、この三年計画の一年を過ぎまして、一年ごとに新しい教員の人事管理のあり方について報告書はもうまとめていると。それはそうでしょうね。だから、そういう報告書はあるわけですよね。その報告書を出していただきたいというお願いをしたんです。問題はやはり審議の中身なんですから、こういうことをやっているというだけでは審議にならないわけです。どういう人事管理あるいは評価をしているのか、その中身を知りたいということなんですね。ところが、全然持ってこられないわけです。

 私は、本当にこれはいかがかというふうに思うんです。既に調査室は、どういう調査研究をしているかという一覧がありますから、最初持ってきたのはこれを持ってこられたんですよ。調査室でもう配られているじゃないですか。だから、この指導力不足教員に関する人事管理、ずっと十六教育委員会が行っているんですよ。その中身を、その報告書を出してくださいということです。

高市委員長 矢野局長、報告書を出せるか出せないかについてお答えください。

矢野政府参考人 ちょっと一言コメントさせていただきたいのでございますが、この報告は三年計画でございます。したがって、最終報告は、十二年、十三年、十四年度にならなければ上がらないわけでございます。そういう意味で、中間的なものをお出しすることは可能でございます。

石井(郁)委員 それはすぐにも出していただけますね。

 例えば、これはちょっとあるところからのものですけれども、こういう形での提言とか報告というのはきちっとあるんですよ。あるでしょう。こういうものをぜひ出してほしいということですから、この十六府県についてお出しいただけますね。それをちょっと確認させてください。

矢野政府参考人 基本的には今年度報告をいただいたものはすぐ出せるわけでございますが、すべての県で報告書をつくっているわけではございませんので、その分を除いて私どもに報告されたものはお出しすることはできます。

石井(郁)委員 それは審議のためには不可欠ですから、ぜひお願いをしたいというふうに思います。

 私は、もう一点やはり資料要求をしているのでございます。先ほど来、子供と心を通わすとか、そういう意味での現場の困難がいろいろあるわけでしょう。それもあなた方、三つ目の一つの項目に挙げているわけですから。だとしたら、教師が今どのような勤務実態にあるのか、この実態をぜひお示しいただかなくてはなりません。

 それから、先ほど来、いろいろ病休とか休職等々の身体的、精神的な疾患等々のことがありますが、健康調査ですね。本当に教員がどういう健康状態にあるのか、これも文部省としてそういう調査をされているのかいないのか。どうもいないようなんですけれども、しかし、それを把握するという努力はどういう形でされているのか、お答えいただきたいと思います。

矢野政府参考人 先日も御質問ございましたけれども、改めて申し上げるまでもないわけでございますけれども、国と地方はそれぞれの立場において役割と責任を有するものでございます。

 そういう意味で、先日の本委員会でも御説明申し上げましたように、私どもとしては、教員の健康状況の把握を含め、教員の心身の健康の保持増進等は、基本的には、服務監督者でございます教育委員会の権限と責任において適切になされるべきものというふうに私どもとしては考えているわけでございまして、私どもの立場といたしましては、今後とも、そうした教員の心身の健康の保持増進につきまして、都道府県教育委員会等に対し指導助言を行ってまいりたいと思っておるわけでございます。

 なお、我が省におきましても、病気休職者の数等必要なデータ等につきましては、私どもとして調査をいたしているところでございます。

石井(郁)委員 では、その調査についてもぜひお出しください。それもお願いしておきたいと思います。

 私は、どういう実態かというのは都道府県の服務監督だ、本省としては何もしなくて済むかのような、これでは文部科学省としての責任もまた果たせないというふうに思うのですね。例えば、どういう都道府県でどこまでそういう調査をされているのかということをちゃんと集約することは、当然あなた方の仕事の範囲じゃないのでしょうか。

 私は、今回、今の学校の現場、先生方の実態、それをきちっと把握しないと議論できないわけですよ。こういうことだろうというそれぞれの思い込みの前提でやるわけにいかないでしょう。だから、きちんと出してほしいということで要求しているわけであります。本当にこの問題は重大だというふうに思います。

 さて、少しの時間なんですけれども、少し中身に入ったことでお伺いしたいのです。

 これは広島県ですけれども、小中高、盲、聾、養護学校の全教員、二万一千人いらっしゃる。その二万一千人を対象にして調査を行った結果を報告する、指導力、不適切かどうかについて、そのチェック項目で調査をするということが言われています。一体、この不適切というのは、全教員を対象としてされるものですか。そしてまた、一体、だれが調査をして、まただれが不適切だという判断をされるのでしょうか。お答えください。

矢野政府参考人 今お尋ねの調査は、私ども、今初めてお聞きするわけでございまして、具体的に、広島県におけるだれがどういう形でというのを承知してございませんので、今の御質問には、にわかにはお答えできかねるわけでございます。

石井(郁)委員 今広島というふうに特定しましたが、では、一般的にでもいいです。ほかの県でもいろいろ行われていることがあるかもしれません。文部科学省として、その辺はどう考えていらっしゃるのかということをお聞かせください。

矢野政府参考人 一般的に、今回のようなケースを念頭に置いて考えますれば、一定の手続を経て、それは最終的には人事権者である都道府県教育委員会が判断するものでございます。

石井(郁)委員 一定の手続じゃわからないですよ。それぞれ現場の教師一人一人について不適切かどうかというのを見ていくというわけでしょう。それをだれが見るのですかと聞いているのです。そして、それがどうやって集計されるのですか、判断されるのですか。

矢野政府参考人 ですから、一般的なお話として申し上げますれば、基本的には、勤務評定は、市町村立学校の教員につきましては一義的に勤務評定者は校長でございます。校長を経由して、市町村教育委員会の内申という形で、その人事に関する意見が都道府県教育委員会に上げられるわけでございます。それを踏まえて、先ほど申し上げましたように、それは県によっていろいろな手続があるかもしれませんけれども、一定の手続を経て、最終的には、人事権者である都道府県教育委員会が判断するものでございます。

石井(郁)委員 もう時間になりましたけれども、県によっては、全教員を対象として不適切かどうかをはかるというところも、広島のようにあるようですね。しかし、そうでなくても、いろいろな形があるかもしれませんけれども、教育委員会が最終判断をする。

 それでは聞きます。例えば、東京の教員は五万二千九百人というふうに私どもは聞いていますけれども、では、五万二千九百人の教員を教育委員会がどうやって判断するのですか。これはちょっと私は不可能じゃないかというふうに思います。

 それから、もう時間がありませんので言ってしまいますけれども、やはり校長が教育委員会にいわば上申するという形になるわけですけれども、校長先生にしても、毎日の授業、先生方の教育活動をこういう項目でどうやってチェックをするのか、これ自身が、とても把握できないし、私は不可能じゃないかと。やるとしたら、まさに恣意的なことにならざるを得ないし、学校での管理、そういうことに使われる。まさに勤務評定的に使われるということにしかならないし、これはまさに恣意的なものになるということが大変大きな問題だというふうに思うのですね。

 そういう点で、まだまだ問題がたくさん残っています。研修をしてもなお戻れないという方についてもどうするかという問題がありますね。その研修問題でもぜひ私は伺いたいことがあるのですが、もう時間が参りました。

 それから、今回は、配置転換に当たって当該教員の同意がない場合ということで、教員本人の同意を経ないで行うのですよ。こういうことというのは、私は、やはり人権上の重大問題ではないかというふうにも思いますし、たくさんの問題がございますので、引き続いて質問させていただきたいということを申し上げて、きょうのところは終わります。

 以上です。

高市委員長 児玉健次君。

児玉委員 日本共産党の児玉健次です。

 私は、最初に大臣に申し上げたいけれども、今度の三つの法案は、教育基本法を中心とした日本の教育法体系の中心をなす重要な法案ですから、答弁は大臣に求めていきたい、そのことを最初に言っておきます。

 さて、地教行法の四十七条の二に関連してですが、幾つかはっきりさせておきたいことがある。例えば、教師の反社会的行為、これは先日の本会議の質問でも私は聞いたことだけれども、金銭上の不正や飲酒運転その他、こういった反社会的行為や学校教育法の第十一条で厳しく禁じられている体罰、これらは現行法で対処すべき問題だ、この点どうですか、大臣。

遠山国務大臣 今回新たに設ける措置は、児童生徒の指導に当たらせることが不適切と認められる教員を教員以外の職に異動させるための措置でありまして、地方公務員法上の懲戒処分とは異なるものです。(児玉委員「聞いていることに答えてください」と呼ぶ)結論と連動していることをお話ししております。したがって、懲戒処分の対象となるような教員に対しては、これまでと同様に懲戒処分を厳正に適用すべきものと考えております。

児玉委員 教師の間の健康上のさまざまな問題がありますね。この問題も、簡単に分限とかなんとかというのはおかしいですよ。

 例えば、結核に教師がかかる場合、戦後それが重要な問題になったし、そして今でも、残念ながら、まれに教師の結核が数十人の児童生徒の罹患を招くことがあります。分限で対処しますか。違うでしょう。教育公務員特例法十四条でこれはきちんと定義されています。

 先日もあなたと議論した、教師の間に近年急増している精神疾患等の問題、これは、早期の適切な治療によって回復することが可能です。立派に教師としてその指導力を回復して、職場で大いに力量を発揮することができる。そのことと指導力云々の問題は混同すべきではない。いかがですか。

遠山国務大臣 今の点は、私は、御指摘のとおりだと思っております。

 精神疾患である教員については、医療的観点に基づいた措置が講じられるべきものと考えておりまして、今回の措置の対象にはならないと思います。

 この点につきましては、今後の施行通知などにおいてはっきりしたいと思っておりますが、一つは、心身の故障については分限休職、免職で対応すべきであること、それから、児童生徒への指導が不適切である原因が精神疾患等の病気に起因するおそれがある場合には、判定のための手続の過程で精神科医の意見を聞くというようなことも含めまして、都道府県教育委員会が定める手続に盛り込むように指導していくことを予定いたしております。

児玉委員 その点は、後からもう一回議論しますが、大臣、要するに、疾病の問題というのは医療の範疇として回復を図る、そうですね。

遠山国務大臣 そういうことでございます。

児玉委員 そこで、教師の反社会的行為や体罰などについて、今国民の間で教師の問題が非常に強い関心を集めています。こういったことについてはあいまいな態度をとるべきでない、私たちはそのように考えている。

 そこで、この五月二十三日、国連子どもの権利委員会の日本政府への最終所見四十五、体罰を根絶するための包括的プログラム、そのことについてあなたと議論をしたとき、大臣は、速記録はまだ未定稿ですが、厳密な意味での体罰は許されないと答えた。これは地教行法の問題のときに議論しなければいけないと思って、私はそのときそれ以上は言わなかった。厳密な意味でない体罰がありますか。そして、厳密な意味でない体罰は許されるのか。

 そこを一つはっきりさせていただきたいのと、もう一つ、同じ答弁の最後のところで、あなたはこうも言った。子供たち自身の行動なり態度なりというものをどうしていくかというものもあるかと思いますと。子供たちの態度によっては体罰が認められることがあるのか。

 皆さんが出しているさまざまなものがありますけれども、例えば、厳密云々という点でいえば、昭和二十四年八月二日の法務府の発表や、昭和二十三年十二月二十二日の文部省の学校教育局あての法務庁の回答があります。その中で、体罰というのは単なる身体的性質を持つものだけではなく、端座、直立等、特定の姿勢を長時間にわたって云々と、非常に具体的に厳格に規定していますね。そこは改めてはだめだ。

 そして、文部省自身が昭和三十二年七月十六日の初等中等局長通達の中で、教職員は児童生徒の指導に当たり、いかなる場合も、子供が少し騒いでいるとかなんとかということで、感情の激発で体罰を行っていいはずがない、いかなる場合においても体罰を用いてはならない。

 この前のあなたの答弁と比べてみて、どうしても理解ができない。いかがですか。

遠山国務大臣 申すまでもなく、体罰は法律により厳に禁止されているところでありまして、これはいかなる場合にも体罰を用いてはならないというふうに解しております。

児玉委員 そのことをはっきりさせて、次に進みます。

 さて、先ほどの疾病の問題というのは、これは医療の領域の問題である、私はそのとおりに思っています。ところが、先ほど石井議員の触れた各都道府県が既に始めている、文部省の求めによる指導力不足なるカテゴリーのもとでの教員等の手引を幾つか私は見てみた。例えば神奈川、埼玉、高知、東京もそうですね。

 神奈川ではどう書いているか。

 指導力不足等の原因が精神疾患等の病気と疑われる場合は、(1)、(2)というのはその前に書いてあることなんだけれども、継続して指導、研修を行えと言っているのです。

 うつ的な症状が出てくる。私はこの問題で精神科の専門家としばらく議論をしてみました。知的な領域の仕事をしている人にとって、特に責任感旺盛で頑張り屋のタイプにうつ的な症状が出ることが多い。まず家族においてその変化に気がつかれる。少しおくれて職場で同様のことが出てくる。そのとき、医学的に一番やってならないことは、もっと頑張れと励ましたり、あなたの指導力が不足しているからその点の研さんを積めと言ったり、あれこれ注意をする。それは、少なくとも精神疾患に関して言えば症状を増悪させる、これが今日の精神医学の到達点ですね。

 その到達点に照らせば、先ほどの神奈川の、指導力不足等の原因が精神疾患の病気と疑われる場合、継続して指導、研修を行い、そしてあわせて、受診を指導し治療への導入を図る。この人がもしうつ的な症状であれば、増悪させるだけじゃありませんか。

 私が聞いた専門家は、そういう場合は速やかに職場から切り離して適切な医療を受けていただく、数カ月ないし一年で立派に回復して見事にもとの力量を発揮できると。この点で、神奈川のこれは、明らかに医学の常識を逸脱していますね。

 同じことが大阪でも言える。大阪で、指導力不足教員について三項目を挙げているけれども、その三項目めに、「疾病等により、指導力があるが発揮できない者」とある。こんなものをそのままにしておいていいですか。答えてください。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

遠山国務大臣 具体に、今御説明のありましたそれぞれの県の取り組みについて、詳細を承知しておりませんけれども、精神疾患である教員についてどのように対処すべきかということは、先ほどお答えしたとおりでございます。

児玉委員 それでは大臣、こういうふうにしましょう。今私は具体的に言いましたから、神奈川、大阪、次の質問の機会までにそこのところを確認していただいて、そして疾病は疾病としてきちんと医療をする、その方向を貫くということが必要なので、その点を求めておきたいと思う。いかがですか。

遠山国務大臣 その点、私ももちろん、どういう内容であるのかというのを調べさせていただきたいと思います。精神的な疾患であるのか、あるいは指導上の不足によるものであるのかというあたりは、きちんと精神科医の意見を聞くというようなことを徹底していただきたいなと思っているところでございます。

児玉委員 そこで、事柄の是非は別として、そのことに対する私自身の意見は別として、この法案は非常に重要な法案だから、そこで提起している中身を正確に私たちがつかんでおく必要があります。そういう意味で、若干詰めておきたいことがあります。

 その一つ、先ほど大臣も口にされたわけだけれども、地教行法、今度の法案の第四十七の二における「児童又は生徒に対する指導が不適切であること。」指導が不適切であること、この概念と、地公法二十八条の三に言う「その職に必要な適格性を欠く場合」、必要な適格性を欠く場合、この二つの概念の区別、相違はどういうものですか。

遠山国務大臣 この法律案におきます転職の措置というのは、児童生徒への指導が不適切な教員のうち、分限免職などまでに至らない者について他の職に転職させることとしております。

 分限処分に該当するかどうかというのは、これはなかなか、それぞれの個人にとりまして身分上の変化にかかわる大事なことでありますので、児童生徒に対する指導の不適切さだけでなく、公務員一般に当てはまる勤務状況全般について判断されるものでございます。

 これに対しまして、本法案の措置に該当するかどうかというのは、児童生徒に対する指導が不適切か否かのみに基づいて判断されるものでありまして、この点、分限処分とは異なっております。

児玉委員 この分限の問題、言ってみれば有権解釈を行い得る官庁と何回か議論をしました。そこで、総務省の担当者は、地公法の概念というのは公務能率に着目した概念であると。そして、あといろいろなことがありますが、それは省きましょう。

 今あなたの御説明によると、こういうふうに理解してもいいですか。適格性欠如とまでは言えないが、子供の指導において不適切である、そういう概念と考えていいですか。

遠山国務大臣 逆に、分限免職となる場合というのはどういうことかと申しますと、指導の不適切という範疇ではなくて、既に授業などの指導が放棄されていたり、あるいは児童生徒が授業中に騒いでも全く指導を行わない、そういう場合と考えられておりまして、指導が不適切ということと分限免職の対象となるケースというのは別のものであるというふうに考えております。

児玉委員 別のものであるという点は、私もそう思います。そして、この法律の書き方自身が、地公法のどれとどれを除いてという書き方をしていますから、そこの部分とは別の概念であるということはここからも明白です。

 それで、今のお話なんだけれども、こういう適格性の欠如、私がさっき冒頭に是非は別としてと言うのは、分限の問題自身が大きな争いになることが多いわけですから、その是を私は述べるつもりは全くない。しかし、それの持っている客観的な意味についていえば、かなり長い期間を経過しておりますから、行政的には相当概念が確立しています。

 例えば、勤務成績がよくない場合という二十八条の一項、それは適格性とも関係することがあるが、肉体的、精神的な条件を満たしていても、飲酒、かけごと等のための出勤、勤務不良というふうなコメンタールがありますね。これは若干の判例にも裏づけられている。

 それから、心身の故障のためというのは、まず出てくるのは、分限ではなくて病気休暇、そして病気休職等ですよ。さっきの結核が教特法によるというのはそれですね。

 そして、適格性を欠くというのは、これは素質、能力、性格ですよ。これも幾つかの判例がある。

 そこで言いたいのだけれども、大臣、さまざまな日本の法律の中で、指導力という極めて抽象的な概念でもってその人物の適性云々を判断するような法律というのは、他にどんなものがあるでしょうか。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

遠山国務大臣 他にどのようなものがあるか、すべての法律を調べたわけではございませんけれども、私は、学校教育という、教育という指導を主たる内容とする作用が行われている場における今回の措置ということで、他の法律云々のことでありますよりは、学校自体をよくする、あるいは教育力を増すという意味で、今回の法案、一部改正法ができ上がっているというふうに考えております。

児玉委員 これは、この後の審議で核心に触れる問題だと私は思う。

 あなたたちは、「児童又は生徒に対する指導が不適切であること。」これが一つ提起されていますね。「研修等必要な措置が講じられたとしてもなお児童又は生徒に対する指導を適切に行うことができないと認められること。」二つ挙げて、そのいずれにも該当するもの、どっちかだけでなくて、二つを満たすという形で提起をしてきている。

 本会議で、私は、だれがどのようにしてそういう判定ができるのかとお聞きしたら、あなたは、都道府県教育委員会の規則にゆだねているというふうに答えられた。これでは事柄の審議が進みませんね。

 そこで、私は別の観点からちょっとお聞きをしたいと思うのです。

 教師の仕事というのは、どんな中身を持つだろうか。教育基本法で明示されているように、子供の人格の完成を目指して行われる極めて高度で多面的な性格、内容を持つものだと私は感じます。

 そして、学校の教育は、一人がやるものじゃありません。数人ないしは数十人の教師が集まって、子供のために何が自分たちにできるかということを真剣に考えて、そして情熱的、献身的に教育に当たる、すぐれて集団的な営みだと私は考える。

 しかも、その効果は短いスパンでは出てきません、年月を経てその効果があらわれる。

 大臣、このことをお認めですか。

遠山国務大臣 学校の作用が、学校における教育作用でございますか、そのことが単に一人の教師がすべてを賄って完了するというものでないという点では確かでございます。

 ただ、今回の改正は、何度も申しておりますように、子供たち一人一人の教育を受けるという立場から見たときに影響力のある先生というのは、身近にいる担任であり、あるいは直接指導していただく、他の人もおりましょうけれども、そういう人であるということの観点からでございまして、集団的な、学校教育全体がすべての教師がかかわっているという論理と、今回のねらっているすぐれた教育力を持つ学校にしていきたいという考え方というのは、私は、必ずしもその論理だけで今回の考え方を批判されるというのは当たらないのではないかと思います。

児玉委員 議論は皆さんも避けずにやりたいとおっしゃるから、大いにやりましょう。

 そこで、今度のこの法律案のことについて聞きながら、今私が聞いたのは、教育という営みの特性です。多面性、高度である、集団的な営みという性格が強い、そして年月を経て効果があらわれる、このことについて文部科学大臣としてお認めかどうかとお聞きしているのです。

遠山国務大臣 教育の営みが、一人一人の子供の全人格的な完成を願いながら、いろいろな角度からの指導が行われて、それの成果があらわれるのは確かに年月を経てからかもしれません。その意味では、今御指摘のような点というのは、そういうことであろうと思います。

児玉委員 大変恐縮ですけれども、私自身は、宮沢賢治という詩人を非常に尊敬しております。

 彼が花巻農学校の教師をやっているときに、一九二七年のことです、まさに昭和の初年ですね、最初の卒業生を出すとき、「生徒諸君に寄せる」という詩をつくりました。これは未完の詩で、全集にさまざまな形で収録されています。その冒頭、何と書いているか。

  この四カ年が

  私にとってどんなに楽しかったか

  私は毎日を

  鳥のように教室で歌って暮らした

  誓って言うが

  私はこの仕事で

  疲れを覚えたことがない

こう言いまして、そして農学校の子供たちに、昭和の初年、未来のコペルニクスよ、未来のダーウィンよ、そして未来のマルクスよと呼びかけた。

 私は、大臣は長い間教育の分野に従事されてきているから、私が御紹介するまでもなく御承知だと思うけれども、この言葉の中に、賢治が、みずからが教師であることに対するたぎるような誇り、そして彼自身が正しいと思っている自然と科学についての知識を存分に子供に伝えられることの喜び、これがこの言葉の中に横溢していると思う。もし日本の教師があちらこちらの学校で毎日を鳥のように歌って暮らしたら、日本の子供がどんなに幸せになるだろうか。その点どうですか。

遠山国務大臣 そのような教師の方々ばかりであれば、随分すばらしいであろうと思います。

 私自身も、小学校、中学校を通じて、本当にそのように思っておられるのではないかと思うような先生方に次々にお目にかかって、そして自分自身を啓発され、そして今日があるというふうに思っておりまして、まことに教師の力というのは偉大であるなという点は納得でございます。

児玉委員 こういう教師が本当にふえていく必要がある。排除するのでなく、包み込んで励まして、そういう教師になってほしい。

 率直に言いますけれども、指導力の問題について誠実で真摯な教師ほど、みずからの指導力について不安と疑問を持っています。自分の指導力が子供が求めているものに足り得ているだろうかという悩みと不安をいつも持っています。そういう教師は、きちっとみずからの研修と同僚との話し合いの中で高められていきます。タイプによってさまざまだし、その教師は都会では大いに力量を発揮するかもしれないけれども、学校をかわって小さな学校に行った途端に先ほどの精神疾患になったケースというのを私もよく聞きます。極めて多様ですよ。

 そこで言いたいのは、全国すべての教師を対象にして、私がいる北海道の教職員の数は数万人です、校長、教育委員会が、指導が適切か、不適切かを一年単位で判定する。あなたは指導が不適切だと烙印を押されはしないかという恐怖にとらわれない人がいるだろうか。その恐れが熱意のある教師を萎縮させて、そして伸び伸びとした教育力の発揮を阻害しないか、そのことの危惧が広がっているのではないかと私は二十九日の本会議であなたに聞いた。

 お答えを聞いていて、私はやはり率直に言って驚いた。大臣は何と答えたか。いたずらに教員を萎縮させたり、伸び伸びした教育力の発揮を阻害することはないと思いますと答えた。もし、いたずらに教師を萎縮させ、教育力の発揮を阻害するようなことをねらう人が文部科学省にいたら、きょうすぐやめてほしい。

 私が議論したいのは何かというと、教職員、父母、国民が今一番恐れているのは、指導が不適切という、極めて広範で抽象的でつかみがたい、製造工場のある労働者が一日、部品を五十つくるか五十五つくるかは計量可能です。しかし、算数の授業で子供たちに分数の計算をどれだけ確実にある日伝え、翌年また別の領域を伝え、六年生になってまた伝える、それらがどのような効果を発揮しているか、これは定量的につかむことは極めて困難ですよ。そういう中で、あなたが吐露された、いたずらに教員を萎縮させることはない、いたずらにそんなことをされて許せますか。問題は何かというと、結果として、このような教育政策が教師を萎縮させ、伸び伸びとした教育力の発揮を阻害することを恐れている、そのことが子供の不幸せにつながり、日本の教育を荒廃させる。

 私は、もう一遍、本会議の私の質問に対してあなたに答えていただきたい。

遠山国務大臣 今回の改正のねらいはるるお話ししているとおりでありまして、一人一人の子供たちが学校において伸び伸びと力を発揮し、そして心の面でも十分に受け入れられていく、そのような状況というのが今国民が一番望んでいるところではないかと思います。そのようなことから、その指導力において不適切であるような教員について、その能力、資質に応じながら転職をしていただくというのは、これは私は国民の声ではないかと思います。

 このような観点から、この法律案におきましては、対象となる教員を、児童または生徒に対する指導が不適切であること、そして研修等の措置が講じられてもなお適切に指導を行うことができないことのいずれの要件にも該当する者に限定しておりまして、また、その手続についても、きちんと幾つかの具体的な手続の考え方も示しながら、各教育委員会において規則で定めることといたしておりまして、そのような今回の姿勢を考えれば、萎縮をさせるようなことにはならないというふうに私は信じております。

児玉委員 あなたが信じるのはあなたの自由です。問題は、子供に責任を負わなきゃいけない。

 今あなたがいみじくもおっしゃったけれども、首相の私的諮問機関でしかない教育改革国民会議の報告を受けたのは去年の十二月の末ですね。その席上で森首相から督促されて、町村前文部大臣は速やかに関連法案を取りまとめるように指示された。

 文部省が慌ただしく作成した文書、これを拝見した。一月二十五日、二十一世紀教育新生プラン。あなたは今、教師の指導力云々について、手続も示しているし、提起していることも明確だという趣旨のことをおっしゃったけれども、私はそうは思わない。これを読んでみても、例えば皆さんがつくったこの冊子の中に何て書いているか。こう書いているじゃないですか。指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員を教育以外の職員に円滑に異動させるための方途の創設等、そして矢印で、通常国会に法案提出とある。まさにそうなさっている。

 先ほどの地公法の概念と、皆さんが今出そうとしている地教行法の概念が一緒になって、混在しているじゃありませんか。指導力が不足、十分な適格性を有しない、あなたたちがこの文部省の文書で言っているのは、適格性があるかないかではなく、十分な適格性があるかないかですよ。このくらい場当たり的なことはないじゃありませんか。どうですか。

遠山国務大臣 そのあたりのきちんとした法的な解釈をした上で、今回の提案をいたしております。

 また、今のお話で、教育改革国民会議、確かに去年の十二月でございましたけれども、その後、直ちにこういう方向性をとったのではないかというお話でございますけれども、この問題につきましては、本当に長年、中央教育審議会なりあるいは教育職員養成審議会においても議論をされてまいりまして、教員としての適格性を欠くと認められるに至った者についてはどういうふうにしてほしいというふうなことが書かれておりまして、そういうものもベースにした上で今回の措置をとっているわけでございまして、急に思いついてというようなことではございません。

児玉委員 その議論はまたゆっくりやりますが、今私が言っているのは、指導力不足という概念と、そして十分な適格性云々と、明らかにこれは概念が違いますよ、さっきの議論の中でも明らかになったように。それを一緒にしてしまって、そして皆さんのこの色刷りのチラシの中で何と書いているか。「不適格教員への厳格な対応(教壇に立たせない)」と書いていますよ。まさに排除ありきではないのですか。不適格というのは、これは地公法第二十八条の規定です。指導力の問題について、そのことを今法律では、皆さんいろいろ言っているけれども、もともと出発になるこの文部省の文書の中ではそこのところをごっちゃにして、どうして適正な努力がされていると言えますか。この点は続いて議論をしたい。

 もう一つ、きょう聞いておきたいことがある。それは学校教育法第十八条の二における社会奉仕体験活動についてです。この点についても非常に多くの国民の厳しい批判が寄せられています。

 そこで、遠山さんに私お聞きしたいのだけれども、何といっても、奉仕活動というものは本人の自発性を抜きにしては、これは苦役に転じてしまいますね。私だけの考えではありません。

 例えば、去年の十二月十五日に日本ペンクラブは、その声明で「もともと奉仕活動はボランティア、すなわち自発的意思にもとづいて行われるべきことであり、法により義務づけられるべきものではない。」こういうふうに述べていらっしゃる。

 日弁連はどうか。ことしの三月十六日の会長声明、声明の表題は極めて具体的です。「学校教育法「改正」法案に関する会長声明」。その中で何と言っているか。

 今回の法案が十八条の二として新設した「社会奉仕体験活動」は、「奉仕活動」を義務づけようとしている教育改革国民会議の最終報告を法制化したものである。「奉仕活動」の強制は、任意参加を前提とするボランティア活動とは異質なものであって、子どもの人権の視点に鑑みても様々な問題があり、その法制化を拙速に進めるべきではない。

 日本ペンクラブそして日本弁護士連合会、それぞれが率直に、具体的に皆さんに提起されたこの中身を、あなたはどのように真剣に検討されたか、そして今どのようにお考えなのか、検討の経過と今のお考えをお聞きしたい。

遠山国務大臣 奉仕活動の義務化ということを前提にしての御議論かと思います。しかし、今回の改正は、学校に対して、教育指導を行うに当たって、社会奉仕体験活動等の体験活動を充実するよう努める旨を規定するものでありまして、児童生徒に対して社会奉仕体験活動等の体験活動を行うことを直接義務づけるものではございません。

 また、今回の改正は、学校の取り組みが充実することを意図するものでありまして、児童生徒の社会奉仕体験活動への参加が促進、充実することを目指すものでありまして、このことをもって直接義務づけるということを前提とした議論にはならないと思います。

児玉委員 私が聞いているのは、今の議論はこの後ゆっくりやりますが、ペンクラブと日弁連の声明に対して、文部科学省はそれをどのように受けとめ、どのように検討したかをお聞きしているのです。

遠山国務大臣 恐らく、この問題について議論をされたプロセスにおいて、教育改革国民会議におきましても、あるいはそれ以外の場におきましても、そういういろいろな考え方を前提とした上で、なおかつ今日の学校で最も欲せられるもの、あるいは子供たちが本当に心の問題にも充実して、身につけるものは身につけ、そして体験できるものは体験していく、そして社会の一員としてしっかりしたルールというものを身につけていく、いろいろなことを考えた上で、私は、奉仕活動というものを取り入れるということが今の学校教育の中で重要という前提に立って、これも義務化するということではなくて、そういうことを取り入れることに努めるという言い方において、それを実現するということを目的としたというふうに考えております。

児玉委員 今のお答えで明らかになったことは、大臣はこの二つの重要な声明についてはお読みにもなっていなければ検討もしていないということがわかりました。それが一つ。これはぜひあなた、真剣に読んで、重要な社会的影響力を持つ団体の意見ですから、真剣に検討してください。

 二つ目。今のあなたの答弁、二十九日の本会議でこの問題に触れて、あなたは何と私に答えたか。社会奉仕体験活動については教え導くという指導の姿勢で臨むとあなたは述べた。教え導く、これは上からの教化ですね。そして同時に、あなたは同じように本会議で私にこう答えた。各学校の教育活動として体験させるものであります。

 教育改革国民会議の中間報告には、人道的作業に当たらせる、どうも皆さんは使役の表現を使うのがお得意みたいですね。何々させる。そこには全員参加と強要しかないではありませんか。そのことを答えておいて、今の答弁は余りにも白々しいです。

 この議論は続けてやります。終わります。

高市委員長 中西績介君。

中西委員 私は、一昨日の討論の中で、基本的な問題について残っている分野がございますので、その点について質問をしたいと思います。

 二十一世紀教育新生プランについてお聞きします。

 教育改革関連三法案は、首相の法定外諮問機関と言われる教育改革国民会議の報告を受けまして、文部科学省は二十一世紀教育新生プランにまとめたわけであります。これに沿って提案されたと思いますが、一九九六年中教審答申と異なる重要な法案であるのに、中央教育審議会には諮らず、直接法案策定をするということは、手続上、極めて重要な問題があると思いますけれども、どのように考えておられるのか、さらにまたこの法的根拠はどうなっておるのか、お答えください。

遠山国務大臣 教育改革国民会議は内閣総理大臣のもとに設けられた懇談会でありまして、すぐれた英知を集めて、教育の根本にさかのぼって、幅広く議論が行われて、昨年十二月、報告が提出されたところであります。

 文部科学省では、この報告を踏まえて、本年一月二十五日に、今後取り組むべき教育改革の全体像を示す二十一世紀教育新生プランを策定したところであります。これは、教育に対する国民の信頼にこたえるためには迅速な改革の実行が不可欠であって、このプランを踏まえて、特に緊急に対応すべき事項については、教育改革関連法案として今国会に提出したところであります。

 なお、中央教育審議会は文部科学大臣の諮問機関として、教育の振興、生涯学習の推進、スポーツの振興に関する重要事項を調査、審議する審議会でありまして、具体的にどのような事項を諮問するかについては、大臣の責任において適切に判断するということにしているところでございます。

中西委員 私が先ほど申し上げましたように、これはあくまでも首相の私的な諮問機関、法定外諮問機関であり、先ほどお答えにありましたように、懇談会、こういうことになっています。今言われましたように、文部大臣の法的に決められた諮問機関としてある中教審で、もし懇談会のいろいろな指摘なりなんなりが出たといたしますと、このことを今度は文部科学省としてどう受けとめ、どのようにするかという場合に、このような重要な法案であるだけに、教育国会と言われるぐらいに重要だと言っているわけですから、そういう問題については、少なくとも中央教育審議会に諮った上でどうするかについて決定づけていかなくちゃならぬと私は思うんですね。これが従来のやり方だったと思っています。

 ですから、この点について、法的な件はどういうふうにお答えいただけますか。

高市委員長 中教審の法的位置づけということのお尋ねでしょうか。

中西委員 そうです。国民会議と両方あわせて。

岸田副大臣 質問の趣旨を十分に把握しているかどうか定かではありませんが、ちょっと、もう一度お願いできますか。済みません。

中西委員 私が申し上げましたのは、この法定外の諮問機関であり、大臣が言われましたように、懇談会だと言われる教育改革国民会議なんですね。ですから、ここでいろいろ提言をするということについて、私たちが制限をしたり、いろいろこれについて指摘をするつもりは何もありません。十分やっていただきたいと思いますけれども、それがこういう報告を出した途端に、文部省としては直ちにそれに沿ったプランをつくり、そしてこういう法律をつくってきたという経緯があるわけですね。

 そうなりますと、私は、少なくとも文部科学省の行政としては、文部大臣を頂点にして、そこで具体的にそうした問題等についてやっていくだろうと思うんですね。そこに、なぜそういう意見があり、この種問題についてどのようにしていくかということを従来は諮ってきたと私は思っているんです。ところが、それを手を抜いて、今度は半年かからずに直ちにそういう案をつくって提出をしてきたという経過があるんですね。

 教育という問題は、そういうふうに短時間でどうだこうだという問題じゃないと思うんです。この前から私が指摘したように、従来からの長い間の反省なりいろいろな問題が、かつての文部省そして今の文部科学省にはあるはずですから、そうした上に立ってこの懇談会の提言について論議をしていくという、このことの方が私は大事じゃないかということを指摘しているんです。

 ですから、そういう手を抜いておる、手続上問題があるのではないかということとあわせて、こういうやり方が、法的にはどういうふうに理解をすればいいんですか。私的なものでやったものを、わざわざある、法的に認められておる審議会には全くかけずにやるということについて、どのようにとらえ、そして今回の場合措置をしたのか。これは、残念ながら、あなたたちの時代にやったんじゃないんですね。ですから、その点は大変気の毒だけれども、行政は継承性があるわけですから、その点でお答えください。

岸田副大臣 教育改革国民会議の議論、そして最終報告を踏まえてこうした動きが続いているという御指摘でございますが、おっしゃるとおり、教育改革国民会議の議論も踏まえた上で、今までの議論の蓄積の上で、ことしに入って二十一世紀教育新生プランが策定されたわけでありますが、このプランは、あくまでも文部科学省、政府の責任で策定したものであります。ですから、教育改革国民会議等の議論はもちろん踏まえ、そしてさまざまな議論は頭にあるわけでありますが、あくまでもこれは政府の判断で作成されたプランだというふうに思っております。

 ですから、先ほど大臣の答弁の中で、中央教育審議会にどのような事項を諮問するかについては大臣の判断で行うというお答えをさせていただきましたが、政府の判断でつくったこのプランの中で緊急を要する部分を、特に今回三法案という形で審議をお願いしているわけでありまして、それ以外の部分につきましては、中教審において議論していただくことも考えなければいけない。こうしたさまざまな動き、並行して進めていくことは、法律上問題はないのではないかというふうに考えております。

中西委員 私がなぜこのことを指摘するかといいますと、これは後との関係がございますけれども、戦後教育の病弊と改革の方向を端的に示して答申をいたしました一九八六年の臨教審答申があります。この中には、今問題になっておる個性重視の原則を掲げまして、画一よりも多様を、硬直よりも柔軟を、集権よりも分権を、統制よりも自由・自律を重んじる制度、施策を求めたのが、この一九八六年の臨時教育審議会の答申であったと思うのです。

 そして、これを受けまして、二十一世紀の教育の指針となっておる、ゆとりの中で生きる力をとの九六年中教審答申、これも、この延長線上に今文部科学行政はあるんだと私は思ってずっと信じてきました。

 ところが、今言われるように、法的には云々ということを言っておりますけれども、少なくとも、先ほど来申し上げるように、文部省における今までの過程からいたしますと、たとえ総理といっても、あくまでもやはり諮問機関、総理が意見を聞くところなんですね。そして、それを今度受けて、総理が直ちに法律をということを文部省に言ったと思うのですけれども、こういう状況があるということが、まず第一に、今までこれまでのことはなかったですね。少なくとも、そういう問題があれば中教審に諮って、個々の今までの方針からしますと、私たちがこれならと思うような中身になっておるのですけれども、まだ不安はありますけれども、今までの八六年あるいは九六年のこの内容というのは、不満はあっても、これならまだしも従前からの反省の上に立ってこれをやっておるな、こういう感じがしてきたんですね。

 ところが、今度は全く、私は異質的と申しますけれども、そういうふうな私的な諮問機関である国民会議、これを受けて直ちに、総理が言った、首相が言ったということで、手がけて法律をつくるなどという、これほど中教審というものが今まで長い間、問題があるものをやってきたのに、それを全部無視するようなやり方でやっておるから、私は大変これは問題じゃないかということを言っているんです。

 ですから、そうした点を考えたときに本当に、私は、もう少し慎重に法的措置というものを考えて、行政のあり方というものを考えてやるべきではなかったかと思うのですけれども、そこいらが非常に欠落をしておったのではないか。ですから、私が改めて法的にどうなんだということをお聞きをしたのも、そこにあったわけであります。

 そこで、もう一つあれします。

 教育新生プランは、新世紀が始まる本年、二〇〇一年を教育新生元年と位置づけまして、このプランに基づいて改革を断行していく決意と言われております。改革の内容を含め、先ほど申し上げましたように、八六年あるいは九六年の答申があるのに、こうしたものを無視したこのやり方というのは、私が指摘をしたいと思うのは、森総理の短命であることの自覚の中から、教育改革を一大国民運動にするといって拙速に進めてきたとしか思われません。特に、資質を問われた森総理の神の国発言、あるいは国家主義的思想と感覚で、画一的、集権的改革を強行されることには、私は大変問題があると思うんです。

 この点、慎重にやるべきであったと思うんですけれども、これに対するとらえ方は、どのようにとらえておるのか。至上命令だということで、もう内容的なものは問わぬ、何でもやります、こういう立場に立ったかどうか、この点をお聞かせください。

岸田副大臣 まず、先ほどの先生の御指摘で中教審の話がありましたが、過去の歴史を振り返りましても、すべての案件を中教審にかけて、その結果に基づいて物事が決まったというものではないというふうに思っております。これは御理解いただけると存じます。ですから、中教審の関係につきましては、先ほど申し上げたような道筋で物事を考えて、あくまでも政府の責任でこのプランができておるということで御理解賜りたいというふうに思っております。

 そして、昨年来、いろいろな議論があった。その議論の中で、拙速ではなかったかというお話でありますが、さまざまな議論を踏まえて、文部科学省、政府の責任でこの二十一世紀教育新生プランができ上がったわけであります。

 その中身、さまざまな内容を含んでおります。その中には、大変長い時間のかかるものもあれば、具体的にすぐ手のつけられるもの、いろいろなものがあると存じます。この内容につきまして全部一律に対応するというのでは、これはちょっと現実離れではないかなという気がいたします。

 そういった中にあって、具体的にまず手をつけるべきものとして今回三法案をお願いしているわけでありますし、それ以外、さまざまな事項については、中教審の答申をお願いする等々、さまざまな対応を講じて、それぞれ適切に対応していく。それぞれの内容、性格に応じて対応することによって、全体の二十一世紀教育新生プランができ上がっていく、現実化していく、このことが大切だというふうに思っております。

中西委員 余りこれに時間をとりたくないんですけれども、時間が本当に足りないですね、こんな論議をしていくと。

 なぜ、私がこのことを申し上げるかといいますと、今、中教審にかけずに法律をつくったということを言っておられましたけれども、それは当然でしょう。私は当初から、今度の教育改革については、教育改革国会と名づけてやるくらいに重要な中身だと言っておる問題について触れておるから、わざわざ中教審の議を経なくちゃならぬのじゃないかということを言っているんです。それはたくさんありますよ。中教審に一々かけて法律をつくるということにはなっていないと思う。しかし、あなたたちが言っておる、森総理が所信表明のときやったじゃないですか、教育国会にするということを、重要な国会なんだということを指摘するくらいに、重要な案件として私はとらえておる。

 ところが、残念ながら、今言う八六年、九六年との整合性、そこら辺をあれすると、相当な違いがある。先ほど言うように、画一的で集権的な体制がその中に入ってきている。前のは全然違うんですよ、今までの流れというのは。このことを私は指摘をしておるんです。だから、そのことが許されますかということを言っておるのですから、今答弁されたように、全部かけてやっておるわけじゃない、わかった話なんです。

 ですから、私は、やはりこの点は慎重にやるべきだと思いますので、この点についてのお答えだけください、そうしないともう時間がありませんから。

遠山国務大臣 今回の教育改革といいますものは、一律主義を改めて、一人一人の才能を伸ばして、個性や創造性に富んだ人間を育成する教育システムを導入するということを目指しております。そして、授業を子供の立場に立ったわかりやすく効果的なものにするということをねらいとしているところでありまして、個性重視から画一へというのとは全く逆と私どもは考えております。

 そういうことへの国民の期待が極めて大きいということで、迅速に今回の法改正を取りまとめてこちらに御審議をお願いしているところでございまして、その点は御理解をいただきたいと思います。

中西委員 私がなぜこのようなことを言うかといいますと、画一的で集権的ということをあえて私がつけ加えたのはなぜかといいますと、少なくとも、内容的に、どうも文部省が昔返りして、みんな網をかけるというやり方になりつつあるんじゃないかという感じがするからです。

 この前、私が子どもゆめ基金問題で指摘をしましたように、この基金問題だって今度の法律改正の中に入っているんでしょう。これ一つ例にとってわかりやすく言うならば、少なくとも、地方分権だ地方分権だというのに、第一、基金のあり方そのものがおかしいんですよ。百億をとって二十億の事業費までつけた基金なんて今までありませんよ。そして、その金を今度は、百万から百五十万くらい、それぞれグループだとか、いろいろな地方のそういう組織に助成としてやるというんでしょう。そして、今度は、オリンピック記念青少年センターがいろいろなところのマニュアルをつくって示す、こういうんでしょう。いろいろな、読書会にしても書道に関する集まりにしても、各集まりのマニュアルを一々何で示さなきゃならぬのだ。あなたたちの説明の中には、地方の人から要求されたからそれをやるというんですよ。こういうことをいつまでやる。

 だから、あなたたちがマニュアルを示してやらせる、その人たちには百五十万だとかやるということになってくると、これでは地方分権なんか、また完全に昔に返って文部省の囲い込みだ、こういうことを私は指摘しました。ところが、そのことについては全く答弁がないんですよ、この前も。

 それから、基金の運営だってそうでしょう。バイパスをつくってわざわざする必要も何もない。やるんだったら、百億のあれをつくらずに、二十億要るんだったら二十億のものをちゃんとあれすれば何でもないんですよ。しかも、それを発想した者はどうかといったら、今検挙されている人たちが中心になってやったじゃありませんか。

 私がここで指摘しました、例えば資質的な問題ということを指摘した森さんの場合だって、KSD問題がなかったらまだ大きな問題になっていたでしょう。ゴルフクラブの会員権の問題にしましても何にしても、考えられないですよ。

 そういうような人が昔返りを願ったような形で、本当に子供たちの個性をということになり得るかというと、今までの体制からするとなり得ません。すべて国が、公がということを、枠をはめて物を発想する、こうした状況があるから私は言っているんです。今度の場合だってそれに近いものが入っているから、分権どころではありません。

 ですから、私は、この点で今こそ慎重にやって、内容的にもう少し十分な時間をとって、国民の皆さんがこれほど教育問題に非常に関心を持っているときですから、本当に呼びかけてやるべきではないか。こう見ますと、文部科学省の方から各県に行って、一カ所か二カ所ずつずっと今説明して回っているでしょう。あれは行政の皆さんだとかなんとかを中心にして集めるわけですよ。そうでなしに、本格的に教育改革をやるとするならば、そうしたことを含んで。

 ですから、今言う二十一世紀云々を見ますと、十七項目めか何かには、教育基本法、教育基本計画、こういうものについては中教審にということを言っているでしょう。ところが、この種問題については中教審と言っていない。抜いてやっているから、私は言っているんですよ。

 だから、何か知らぬけれども、どうもあなたたちの説明なり答弁を聞いておりますと、非常に内容的に私は疑問を感ずるものですから、このことを指摘しました。これはまた後刻やりたいと思います。

 そこで、時間がありませんので、もう一つだけ。この十七項目につきまして、内容的には、主な政策課題十七項目の中に、今申し上げました教育基本計画と教育基本法があります。改革に当たってはどのようなイメージを持っておられるのか、全くないとは思いませんから。なお、現行教育基本法は何が問題として論議されているのですか。その点をお答えください。

岸田副大臣 教育基本法につきましては、再三答弁させていただきますように、制定以来半世紀たつ中にあって、大きな時代の変化、教育全般についてさまざまな問題、こういったあたりを念頭に、見直しの必要があるかどうか、議論が進んでいるわけであります。

 そこで、どこが問題かということにつきましては、これは教育改革国民会議の中で三つ指摘されている点、新しい時代を生きる日本人の育成という点、あるいは伝統、文化など次代に継承すべきものの尊重、発展という点、そして教育振興基本計画の策定等を規定すること、こういった点を指摘されているわけでありますが、このあたりを議論のポイントとして考えていかなければいけないと思っております。

中西委員 これは中教審にかけるんですね。

岸田副大臣 今現在、文部科学省の中で検討しておりますが、中教審に御議論いただくつもりでおります。

中西委員 今私が聞きました、何が問題かということを指摘はしていただけませんでしたが、この点はどうなんですか。

岸田副大臣 今お話ししました三つの点につきまして、現実我々が生きている社会の状態と教育基本法の中身、十分一致しているのか、そのあたりが議論をされなければいけないと思っております。

中西委員 この前、政務官そこにいらっしゃらないけれども、答弁にありましたように、むしろ問題なのは、この教育基本法を本当に守らなかったから問題があったんじゃないかということを指摘されましたね。答弁の中にありました。だから、この内容というものは、本当に今、憲法とこれに沿ってつくった教育基本法、そのことを、今度は今の社会に具体化して適用できる法律というものをつくるんだったら、私は何も問題にならぬと思いますよ。

 いろいろな問題はたくさんあるでしょう。この時期というのは、もう御存じのとおり一九四七年ですから、教育基本法が制定されたのは。だから、もう五十年を超えていることは事実です。しかし、基本的なその中身については、私は間違いがあるということはちっともないと思っています。ですから、それは法律なりなんなりで補えば幾つもできるじゃありませんか。基本的なものを今までやらずにきたところに大きな問題があったわけでありますから、そのことの方をむしろ責めるべきではないかと私は思います。

 そこで、私は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律について、そしてその内容等について一、二聞こうと思っておりましたけれども、この部分については、時間がまだまだかかりますので、きょうはやめにして、後日、十分時間をいただいてまた論議をしていきたいと思っております。

 以上です。終わります。

高市委員長 山内惠子君。

山内(惠)委員 社民党の山内でございます。

 私は、今回の法案につきまして、特に、指導が不適切な教員の問題について絞って質問をさせていただきたいと思います。

 初めに、先ほど児玉議員が、指導の不適切の問題と指導力の不足の問題をお聞きしていたように思いますが、私は、指導力の問題と教育力という言葉があるので、このことをどのように使い分けていらっしゃるか、お聞きしたいと思います。大臣にお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 ちょっと恐縮ですが、御質問の意味がわからない面もあるのですけれども、今回ここで御議論をお願いしておりますのは、指導力の面で不適切な教員についてどう対応していくかということでございます。

 教育力というのは、どうでしょう、まあそういうことでございまして、ちょっと御質問の趣旨がよくとれていないかもしれませんが、今回の改正の御議論の中心は指導力ということであります。

山内(惠)委員 この言葉につきましては、後ほどいろいろな形でまた質問させていただきたいと思います。

 今回基本に据えていらっしゃる教育改革国民会議の報告は、「危機に瀕する日本の教育」というふうに書かれていて、あたかも日本の教育が青息吐息の状況下にあるようにとらえられるような記述で、ネガティブな側面を意識的に強調しているような文章に思います。しかし、この危機的な状況と言われる問題の羅列の中に分析がなく、分析というのは、なぜそうなったかの分析もなく、また、この教育改革国民会議が何の調査もしていないと私は思います。

 問題が現在も発生したり、学校が困難な課題を抱えているということは理解できますけれども、でも、今の日本の子供たち、それから教職員、学校は、この青息吐息というほどだめになっているのでしょうか。多くの教職員は、困難が増している、そういう状況の中でも、全力を挙げて解決に向けて頑張っているという状況があると思いますが、いかがでしょうか。

 恐れ入ります。これは大臣に質問したのでございます。

遠山国務大臣 確かに、私も多くの教員の方は、日々の課題に積極的に取り組んでおられて、一生懸命やっていただいていると思います。ただ、今、世上を見ますと、必ずしもそういう学校だけではない、いろいろな問題を抱えているということも事実であります。

 そのようなことを前提にして、今後どう取り組んでいくかというようなことから、危機に瀕するという言葉があったと思いますし、また、それぞれのすぐれた指導を受けている子供たちにとっても、本当の、真の学ぶ力でありますとか、あるいは体験に基づいたしっかりした学力でありますとか、あるいは豊かな心を育てるという意味で、なおそれ以上に改善する面もあり得るわけでございます。

 そのようなことから、二十一世紀の戸口に立って、今日、日本の学校が抱えるいろいろな問題を解決することを目指して、今回の教育改革の流れがつくられているというふうに思います。

山内(惠)委員 国民会議の報告書の中には、いじめとか不登校とか、それから引きこもりの子供たちの問題も含めて、深刻な状況にあるということが書いてありますけれども、例えば学校で何かトラブルが起こったりという意味で、そちらでおっしゃられるような危機に瀕する状況が実際に起こっています。起こっているというのは、いろいろな今言ったいじめとか不登校問題ですね。そういう問題の解決のために、教職員はどんな時間帯を使って解決しているというふうに把握していらっしゃいますか。

遠山国務大臣 学級崩壊のような状況については、その学級の指導に際して指導を行っておられますでしょうし、それから、それぞれの問題行動の実態に応じて、いろいろな機会を通じて指導をいただいていると思います。

山内(惠)委員 状況をどのように把握しているのかということは、もうちょっときちっとお聞きしたい部分なのですね。例えば、私は小学校に三十年間勤務しましたが、授業を持っているクラスの子供が三十人ではなくて、四十人がほとんどの体験です。

 そういう状況の中で、何か一つ事件があったりすると、家庭訪問もし、保護者の方に学校に来ていただいて放課後話をしたり、参観日でまたその時間をつくったりと、いろいろなことをしています。それにもう一つ、本業というのは、あしたの授業準備ということがあるのですね。

 そのことでいえば、子供たちの問題が起こっている背景、要因、いろいろ問題はありますが、今学級崩壊の形も言われましたけれども、その子供たちも、いろいろな種類の幼稚園や保育所から来るというだけではなく、育ち方も随分違う子供たち、それから、孤立した子育て中という、虐待問題もこのごろありますし、そういう状況の中であれば、教職員の悩みはますます拡大されている状況にあります。学校と家庭の連携というのも大変難しい状況にあります。そのようなことも起因して、教職員の精神疾患がふえているのではないかというふうに思います。

 その意味では、カウンセリング云々ということでは済まされない、ある意味では、一人の担任ではできない部分を学校現場にいる先生方が協力してという解決ではありますけれども、できれば一クラスにもう一人先生がいてほしいという状況もあるだけに、具体的な環境整備、どのようなことに一番力を入れていこうと思っていらっしゃるか、お聞きしたいと思います。

岸田副大臣 今先生から御指摘ありましたように、平成十一年度に精神性疾患により休職となった教員の数は一千九百二十四名でありまして、年々増加している状況にあります。

 こうした状況については、真剣に受けとめなければいけないという認識のもとに、今までも、校務分掌のバランスを整えるとか、会議あるいは行事の見直し、効率化、こういったあたりの指導を行ってきたわけでありますが、やはり個人的に日ごろから教員一人一人にどのような対応が行われるかというような部分、この辺の重要性にかんがみて、今言ったような対応に加えまして、相談や情報交換ができるような体制をつくらなければいけない、カウンセリング体制を整備しなければいけないという指導を行っているところであります。

 その結果、各教育委員会の方では、相談室の設置あるいは電話相談などにより、専門のカウンセリングが受けられる体制、こういったものを少しずつ整えているというのが現状であります。こういった方向で、引き続きまして、体制を整えていくことの重要性を認識しながら充実に努めていきたいと思っております。

山内(惠)委員 ただいまのお答えは先ほどもお聞きしましたので、そういうことではなくて、少人数の指導のよさということで、前にお話があったときには、お勉強がどういうふうに進むかという点のみに力が入っていましたので、私としては、クラスの規模の縮小ということも大変大きな課題として受けとめておいていただきたいなと思いましての質問でした。

 次の質問に行きます。

 今回の法案が提出されたことで、学校現場の皆さんが大変不安に思っているということが、皆さんのところにも行っているかもわかりませんけれども、たくさんのおはがき、お手紙、それからファクス、署名、さまざまなものがこのところ日々来ています。ここで、どのような形で指導力が不適切であるという評価がされるのかということが、ある意味では、学校現場にいる人たちにとっては管理職の方からのおどしとなるのではないか、処分行政ではないかという疑問も寄せられているところです。

 こういう状況では、自分たちが日常にやっていることがこの項目のどこに当てはまるのか、本当に萎縮することを、先ほどの児玉議員もおっしゃいましたけれども、そんな萎縮することがないように信じているとおっしゃいましたけれども、文部省は、このような恣意的な運用、恫喝ということのないための措置などをお考えでしょうか。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたような、恣意的な判断が行われないためにも、手続の明確化、これが何よりも大切だというふうに考えております。そして、手続を教育委員会の規則で定めるということになっているわけでありますが、この手続につきましても、文部科学省としましては、必要な手続に、こんなものを盛り込むべきだというような内容を施行通知という形で徹底したいというふうに思っております。

 例えば、判定委員会を設けて判断するというようなこと、あるいは、先ほど来話が出ておりますが、精神性疾患等の病気に起因するおそれがある場合には精神科医の意見をしっかりと聞くこと、さらには、校長から授業状況等の様子を報告させるということ、さらには、当該教員に意見を述べる機会を与えるということ、こういった内容を施行通知という形で手続の中に盛り込むというようなことを徹底していきたいというふうに思っています。

山内(惠)委員 次の質問に行きます。

 今回の改正案、事務的なことですので、ちょっと急いで読み上げますので、御確認いただける部分かと思いますが、児童または生徒に対する指導が不適切で、研修等必要な措置が講じられたとしてもなおその指導が適切にできないというようなこと、そういう場合には、市町村立学校の教員を都道府県の身分に移して教員以外の職に採用するというふうに書かれているのですが、この場合、本人の同意によることなくというふうに書かれているのですが、そしてその後に、人事の決定を行う、このような確認でよろしいですか、今回の法の改正内容。短く一言で結構です。

岸田副大臣 もちろん、先ほど規則の中で申し上げましたように、本人の意見を述べる機会は与えるということでありますが、同意までは必要ないと考えております。

山内(惠)委員 今回の法案の中に、市町村学校の場合も都道府県に身分を移して、異動するということも含めて、この念押しをもう一つお願いします。異動に当たっては、市町村教員でこの対象者になった人を都道府県の身分に移してということでこの法案を読んでよろしいですか。

岸田副大臣 そのとおりでございます。

山内(惠)委員 もう一つなのですけれども……

高市委員長 山内委員に申し上げます。許可をとってください。

山内(惠)委員 済みません。

 これは、そういう不適格と言われた方の場合ですね。では、本人が希望して、自分は教職員に合わなかった、だから異動したいという場合にも適用されるのですか、それは。

矢野政府参考人 技術的な話でございますが、その場合も、人事権者が適当であるという判断をしてそういう措置をすることも可能でございます。

山内(惠)委員 次に行きます。

 このような場合、人事ですから、本人のプライバシーというのはどうなるのかということが大変心配です。いわゆるだめ教員としてレッテル張り、先ほどレッテル張りはないとおっしゃいましたけれども、この守秘義務に関してはどのような措置があるのでしょうか。

矢野政府参考人 そもそも人事にかかわる事項でございますから、当然教員のプライバシーに配慮することが必要であるわけでございます。特に、この法律案におきましては指導が不適切であるかどうかが判断されますことから、判断の対象となったことが外部の者に知られることは、当該教員のプライバシーの大変重大な侵害になりかねないわけでございます。

 そういう意味で、個々の教員に関する具体的な判断につきましては、当該教員のプライバシーに配慮することが大変必要なわけでございまして、各都道府県においてそういう意味で適切に対応されるよう、私どもとしては指導をしてまいりたいと考えているところでございます。

山内(惠)委員 指導というのは文書によってでしょうか。その部分を、済みません、急いでそこのところをお願いいたします。

矢野政府参考人 法律が御了解いただきますれば、施行通知、施行通達を出す予定でございますので、そういう中で今御指摘の点も検討してまいりたいと思っております。

山内(惠)委員 わかりました。

 次なんですけれども、本人の同意によることなくということについて、もう一度、今言われましたけれども、本人に同意することなくとなれば、当然本人に不服が生じることがあり得ると思うのですけれども、この不服審査はどのようになさるのでしょうか。

矢野政府参考人 地方公務員法による不服申し立てができるわけでございます。

山内(惠)委員 地方公務員法でということで受けとめさせていただきますが、これは配転職種ですので、本人の同意を得ることが私は基本的な人権として重要だと思います。その意味で、このことは本人の同意を盛り込む努力をされるおつもりがあるかないか、お聞かせください。

矢野政府参考人 これは、市町村に身分を有する者が都道府県の身分に変わるわけでございますが、実質は、同じ公共団体でございますれば転任処分でございます。そういう意味で、これは本人の同意をもともと要するものではございません。

山内(惠)委員 これは、基本的にはやはり本人の同意ということをきちんと文章化する、法律化することを、私としては必要なことではないかというふうに思っていますが、次に行きます。

 指導が不適切という問題は、できればそういう状況は最初から起こらないことが望まれると思うのですね。特に、大学で教員養成課程を勉強してくるわけですから、そういう状況の中で、教育実習のことをさっきお答えいただきましたけれども、教育実習は、子供たちとの関係で、自分がこの仕事をしていけるかどうかを本当に自分が結論を出す大変重要なときだと思います。その意味では、採用とも関係があると思うのですね。その意味で、ここのところは重要な場所ですし、それから初任者研修というのも現在行われていますし、現職研修というのも行われているのですね。

 その部分の中で、皆さんが先ほど言われましたけれども、子供の心を受けとめられないというようなことがその中にあるのですけれども、確かに私も、教育実習、大学の学生を私の教室で受け入れて、一月一緒に授業をしてもらった体験を持っています。事実、指導案を書くというのは大変上手です。学校で勉強してきた成果があって、あしたの授業に対しての準備もなかなか見事です。私が自分で勤めたときのことを考えれば、はるかに今の学生の方が立派だと思うような学生に私は会うことができました。

 でも、たまたまちょっとした子供たちのトラブルがあったとき、もう自分はどうしていいかわからないという状況でした。私が見に行きましたら、その子は、実はきょう学芸会があって、緊張きわまりない状況で、涙を流して騒いでいた状況でした。それは、私が手をつないであげるだけで落ちつくようなことでした。そういうようなことは、できれば教員養成の段階でしっかりとそういうことを体験してくるなりするような研修であれば、後からこんな処分なんて必要ない社会になるというふうに思います。

 その意味で、教員養成の段階での子供との対応、先日聞きましたが、板書一辺倒だとか、あんなものは、もう学校で指導しておけば十分できることじゃないでしょうか。

 それから、声の出し方に何か抑揚が云々と言われたのがちょっと頭に残ったのですけれども、私はどちらかというと抑揚があってしゃべる、自分の感情がこもる方なんですが、勤めたときに先輩は何と言ったかというと、特に国語の授業をするときは、一度目は淡々と読んであげるのが一番いいとおっしゃったのですね。それで、それはどうしてかと先輩に聞きましたら、担任の感想を押しつけるのではなく、子供たちが真っさらな気持ちでこの物語につき合うのには、淡々とした読み方がいい。ある意味で、私は現場の先輩から指導方法も習いました。

 でも、今回の場合は、初任者研修もあるわけですから、この研修がどのような内容で行われているか、お聞かせいただきたいと思います。

矢野政府参考人 御指摘のように、指導力を含め、教員の資質、能力の向上を図りますためには、養成、採用、研修それぞれの段階を通じた施策の体系的、総合的な推進が必要であるわけでございまして、これにつきましてはさまざまな施策を講じて、そうした事業の充実に努めているところであるわけでございます。

 そこで、先ほど初任者研修についてのお尋ねでございましたが、初任者研修につきましては、これは平成元年度から、小学校から始まって段階的に実施しているものでございまして、御案内のように、公立学校の新任教員に対しまして、採用の日から一年間を実施する、そういう実践的研修であるわけでございます。

 具体的には、学級経営や教科等の指導につきまして、指導教員が中心になって、学校内の研修として指導助言を行うという形態が一つでございます。週二日、年間六十日以上という形で行われているわけでございます。もう一つは、研修センター等におきまして講義等を受講する、そういう校外研修の形で実施されているものでございまして、週一日、年間三十日以上実施されているわけでございます。

 このような初任者研修を通じて、採用から一年間を実施する実践的な研修としてこの事業を実施しているところであるわけでございます。

山内(惠)委員 その研修を何度も何度もしても、なおかつ指導に不適格とおっしゃられるまでの過程の部分についていえば、このことが、私は本当に教職員を萎縮させなければいいなというふうに思います。

 それで、私は、私のクラスでちょっと問題が起こったときに、隣の先輩が私に言ってくれた言葉を今も忘れないのですけれども、担任はこの子がいなければいいと考えることだけはするな。私は、あのアドバイスは生涯忘れない言葉です。先日、西議員もおっしゃっていた、褒めることから始める、ここの重要性をおっしゃっていました。教職員もそうだと思います。

 例えば、立派な授業をしていたから表彰なんて、そんなような褒められ方が必要なのではないと私は思います。私が新卒のとき、公開授業を引き受けるときに管理職の方が言ったのは、いい授業をしようと思う必要はない、初めに材料をどうやって準備するか知っておくといい、そう言ってアドバイスをいただいて、私は忘れもしない、理科の授業で万華鏡をつくる授業をした日のことを思い出します。三枚のガラスをガラス屋さんで切ってもらって、それから子供たちに、あのとき西洋紙という言葉を使っていましたけれども、自分の墨で真っ黒に塗った、その墨の乾いたこの紙を合わせて三面の万華鏡をつくりました。

 そして、授業をしたあの日のことを私は思い出しますが、決して私は、そのときいい教員、指導力を持っていたとは自分で思いません。もしこういう項目があったら、三年もしないうちに私はこの場から消えなくちゃならないような要素をいっぱい持っていたような気もします。しかし、当時、私の自分の力のなさとは相反して、この三十年間の中で一番悩んだ時期でありながら、子供たちとのパイプは今も続いています。先ほど言ったのは、指導の力だけではない、教育の力というのは、ほかの魅力その他にもあると私は思います。

 実は、この万華鏡の授業をしたときに、校長が私に言ったせりふは、これも私は自分でうれしかったからなんですけれども、授業は下手くそだったけれども笑顔がよかった。本当にそれを言われることが、私は、次の日から、先生をやめたいと思わない日々を何日間も過ごすことができました。

 でも、三年間ぐらいやはり悩みましたから、そのことでいえば、ちょっとここで、重松さんという作家の方がおっしゃっていたんですけれども、さっきの指導力と教育の、教育者という言葉が世の中にはありますけれども、それは違うんだということを説明しておきたいと思います。

 小出監督があのマラソンの選手を指導した、あれは指導者であるけれども教育者ではないんじゃないか、それは教育者の要素もありますけれども、大きく分けたらの話です。学校の指導力がないというような発想よりは、これだって欠けているのは指導力ではないんじゃないかなということをこの方は言っているんです。そして、もし担任に求心力がないとしたら、体罰などということで抑えつけてしまうんじゃないかという心配をこの方はなさっているんです。

 今回の処分行政は、ある意味で、この自分の力の問題を、強制的に学校現場をつくっていけない人の処分という発想に来てしまっていないかなというのもちょっと懸念しているところです。

 例えば、指導力というのなら、陸上部の才能ある選手を伸ばすような力を指導力、しかし、教育力ということでいえば、「マラソンなんてかったりィーよォ」と書いているんですが、そう言いながらだらだら走っている人を最後まで走らせるような力をいうのだ、例えば英語を得意にさせるだけなら指導力でいいのだ、しかし、英語を好きにさせようと思ったらこれは指導力だけではだめだとこの方は言っています。

 それで、もう一つなんですけれども、これは全部が全部ではないですけれども、この方の印象でいうと、管理教育の問題がこのところ取りざたされているけれども、なぜか管理教育をしている県が高校野球が強いんだよね、これは全部がではありませんから誤解のないようにお聞きください、それから、卒業式などに警官を導入した割合が高いんですよねとおっしゃっているんです。

 私は、日本で、スポーツで鍛えた、そしてその子供たちが大きな試合に行って、せっかく持っている力を発揮できないことが随分あったように思うんです。そのときに私は、ニュージーランドのオールブラックスチームのラグビーの監督が日本に来て、日本の選手の、それこそ指導の仕方が違ったんです。日本は過程ということ一本やりで言っていく方向がとても目につく、でも、子供の心を解放してあげなければだめなんだ。その意味では、もしかしたら、あの小出さんもあの高橋選手の心を解放させる力を持っていたと思うので、ある意味では教育をなさったんじゃないかというふうに思います。

 その意味で、指導力というここの点だけで判定をするというやり方に間違いがあると私は思っています。

 それで、最後なんですけれども、危機に瀕する日本の教育と言うのであれば、今回の教育改革国民会議の底流を流れている思想こそ、私は、今後の日本を危機に瀕する状況にするのではないかと思います。子供たちの伸びようとする力に対して本当に優しいまなざしがない。

 私は、今、これは新聞からいただいた記事なんですけれども、現代の指導者層に決定的に不足しているのは、各審議会答申に出てくる創造力でも独創性でもなく、他者の心や境遇に対するごく常識的な想像力と、人間としての最低限の優しさですと言っているんです。

 私は、今、学校の教職員にももっと励ましの、今こんな難しい時代だからこそ、教職員の皆さんがこんなふうに頑張っていることをもっとくみ上げて文部行政は進めていただきたい。

 私は、処分や子供の問題行動の排除などで、それから押しつけの奉仕活動では、子供たちはよみがえらないどころか、不登校もいじめももっと深刻化するだろうというふうに思います。

 あえて質問は最後しないで、私の意見として終わらせていただきます。

高市委員長 次回は、来る五日火曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後六時五分散会




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