衆議院

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第17号 平成13年6月8日(金曜日)

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平成十三年六月八日(金曜日)

    午前十時四分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      小渕 優子君    岡下 信子君

      河村 建夫君    杉山 憲夫君

      砂田 圭佑君    谷垣 禎一君

      谷田 武彦君    谷本 龍哉君

      馳   浩君    林 省之介君

      増田 敏男君    松野 博一君

      水野 賢一君    森岡 正宏君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      牧  義夫君    松沢 成文君

      山口  壯君    山谷えり子君

      山元  勉君    池坊 保子君

      武山百合子君    石井 郁子君

      児玉 健次君    中西 績介君

      保坂 展人君    山内 惠子君

      松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月八日

 辞任         補欠選任

  中西 績介君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  保坂 展人君     中西 績介君

    ―――――――――――――

六月八日

 小中高校生等の奉仕活動義務化、不適格教員排除等をねらう教育関係六法案反対に関する請願(植田至紀君紹介)(第二四一九号)

 同(原陽子君紹介)(第二四二〇号)

 同(保坂展人君紹介)(第二四二一号)

 同(山内惠子君紹介)(第二四二二号)

 同(植田至紀君紹介)(第二四七六号)

 奉仕活動の強制、出席停止措置の拡大などを内容とする教育関連法案反対に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第二四六五号)

 同(石井郁子君紹介)(第二四六六号)

 同(大森猛君紹介)(第二四六七号)

 同(木島日出夫君紹介)(第二四六八号)

 同(児玉健次君紹介)(第二四六九号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第二四七〇号)

 同(中林よし子君紹介)(第二四七一号)

 同(春名直章君紹介)(第二四七二号)

 同(松本善明君紹介)(第二四七三号)

 同(矢島恒夫君紹介)(第二四七四号)

 同(山口富男君紹介)(第二四七五号)

 教育改革関連六法案の廃案と教育基本法見直しの中止に関する請願(北川れん子君紹介)(第二五一四号)

 同(土井たか子君紹介)(第二五一五号)

 同(中川智子君紹介)(第二五一六号)

 同(保坂展人君紹介)(第二五一七号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)

 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)

 社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、学校教育法の一部を改正する法律案及び社会教育法の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 各案審査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 引き続き、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君及び初等中等教育局長矢野重典君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岡下信子君。

岡下委員 おはようございます。私は自由民主党の岡下信子と申します。

 私は、一年前までは一家庭人であり、そして母親でありまして、家庭教育にじかに携わっておりました専業主婦でございまして、二人の男の子を育て上げたずぶの素人でございますので、きょうの質問も非常にどきどきしておりますけれども、先生方、どうぞよろしくお願いいたします。

 我が国では、少し前まで、親子三代が同居して大家族がともに生活するのがごく当たり前のことでありました。子供は、両親が祖父母に孝養を尽くすのを見、そして両親が祖父母をいたわる、そういう姿を見て育ち、そして孫は祖父母からは昔話を聞きながら夢を膨らませ、知恵を授かり、それが心の糧となっていく、大勢の兄弟にもまれて、けんかもあったでしょうが、しかし、だれに教えられることもなく、我慢をしなくてはいけないということも自然に身についていったと思います。そして、外で友達とけんかをしても、家に帰れば家族がいやしてくれた、そういう生活環境にありました。

 しかし、残念ながら、昨今、その人間形成に非常に重要な時期に家族の愛情が不可欠であるにもかかわらず、少子化が進み、そして核家族化も進んでまいりました。子供は親の背中を見て育つということは以前から言われておりましたけれども、親が毅然と生活態度を持っていれば、子供はそれを見習うということであり、そして私は、アシの中のヨモギという教訓は非常に昔から親しんでまいりました言葉でございますけれども、ヨモギという植物は、道端に生えれば人の足で踏まれ、そして風雨にさらされてねじれ曲がって育つのですけれども、これがアシの中に生えれば、周りのアシと一緒に天に向かって真っすぐ伸びていく、そういう植物でございまして、これは周りの環境によっていかようにもなるという例であると思います。

 先ほど申しましたように、子供にとってその環境がいかに大切かということであるにもかかわらず、最近は、少子化あるいは核家族が進んでいきまして、そして地域におけるつながりも希薄になってまいりました。例えば、親が過保護で子供を甘やかす、そして教育に無関心であったり、教育に自信が持てない親、そして子供の教育の仕方がわからない、明確な方針を打ち立てられない親がふえているように私は感じております。こういう親御さんを教育するために抜本的な支援が必要ではないかと思いますけれども、文部科学省ではこの点についてどういう対処をされますか、大臣に見解をお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 今お話しのように、家庭教育そのものを実践してこられた岡下委員のお話は、大変心を打つものがございます。

 家庭教育はすべての教育の出発点であると思います。幼いときに、子供に基本的な倫理観でありますとかあるいは社会的なマナー、自制心なぞがきっちりと教えられていれば、その子にとってその生涯がしっかりとした揺るぐことのない人生を歩む基本を与えるのと同時に、親にとっても非常にそれは自分の子供について安心をして見守ることができるという点で大変大事なことだと思っておりまして、その意味で親の果たす役割というのは極めて重要だと考えております。

 しかし、今お話しのような現代の状況は、三世代そろって子供に対応するというようなことができずに、むしろ自信を失ってどうしていいかわからない親の増加がありまして、家庭教育の力が大変低下しているということが嘆かれているわけでございます。

 このために、文部科学省といたしましてもいろいろな施策を打っております。これは、平成十年六月の中央教育審議会答申におきまして、行政による家庭教育に対する支援の充実の必要性が指摘されております。

 当然ながら、家庭教育は親がもちろん主体的にやるものでありますけれども、それが円滑にあるいは内容深く行われるために支援をしているわけでございますが、一つは、家庭教育に関する学習機会の充実を図っております。二つには、個々の家庭の親に対して、家庭のしつけのあり方について助言をするために、家庭教育手帳でありますとか家庭教育ノートをつくり、配付をいたしております。三つ目には、子育てに関する親の悩みあるいは不安にこたえるための家庭教育相談体制を整備いたしております。そして、地域において子育て支援ネットワークを形成するようにということで、こういう施策を推進してまいったところでございます。

 こうした方策のほかに、今年度から新たに、小学校入学前の子供を持つ親が参加する就学時健診、これはだれもが参加するわけでございますが、あるいは、乳幼児健診などの機会を活用した子育て講座というのを全国的に開設する事業などを始めることにいたしております。

岡下委員 ありがとうございます。

 家庭教育に非常に不安を持っている親御さんのためにそういう企画があることは、大変ありがたいことだと思っております。どうか、今後とも推進していただくようにお願いをしておきます。

 次に、昨今、青少年の犯罪が続発しておりますけれども、私は、この一因に、子供たちの読書離れがあるのではないかと思います。

 幼児期に本を読む習慣をつけさせるということは、親の大切な課題であると思っております。活字の向こうに無限に広がる世界を想像して、考える力を身につけ、豊かな感性や情操、そして思いやりの心をはぐくむ上で、本に接する機会を与えるということは大変に重要なことであると思います。

 卑近な例で非常にお恥ずかしいのでございますけれども、私の体験を申しますと、私は、二人の男の子を育てましたけれども、長男は、小学校低学年のころに全く落ちつきがなくて、読書嫌いというか勉強嫌い。宿題もしないで遊びほうけておりまして、学校の担任から毎日注意のお手紙をもらってくるような状態で、さて困った、これをどうしようかと。

 私ははたと思い当たりまして、ある日息子に、もうきょうから勉強しなくていい、宿題もしなくていいよと、息子は喜んで、目がらんらんと輝きました。しかし、そのかわり本を読みなさい、本を読むことも勉強だからねと言って、その当時、小学校三年生ぐらいだったと思いますけれども、与えた本が「天下をとった日吉丸」という本でございました。息子は私の仕掛けにはまりまして、勉強するかわりに本を読めばいいんだと。この取り組んだ本が大変におもしろい、自分が日吉丸になったような気持ちで読み干した。私はそういう記憶を鮮明によみがえらせておりますけれども、それ以後、現在に至るまで、本を片手から離したことはございません。

 だから、どういう機会であれ、そういうチャンスを与えれば、子供は読書をするということに興味を持つ。そして、今は簡単にテレビやらゲームやら何かで、目からそういうものが映像として映ってまいりますけれども、これは瞬時なものでありまして、余り心にとどまらないということを思います。

 子供に積極的な読書を推進していくということについて、文部科学省は何かその手だてをお考えなんでしょうか、お伺いしたいと思います。

池坊大臣政務官 岡下委員のおっしゃるように、私は、読書が人間形成に果たす役割は大であるというふうに思っております。

 警視庁の一昨年の調査によりますと、補導、逮捕されました子供の八一%は、幼児期にいじめや虐待を受けていたという事実がございます。これは、裏を返せば、どれだけすばらしい原体験を幼児期に持つかによって、子供は問題行動を起こさなくなるのではないかと思っております。

 その一つに、私は読み聞かせがあると思います。社会教育法も変わりまして、地域の方々のお力もおかりするので、地域の方々あるいは家庭において読み聞かせをする推進というのを、いろいろな方面にお願いいたしております。

 それからまた、朝の朝礼の十分間に読書をする、この一斉の読書活動というのを推進しております。これによりまして、朝の遅刻が減ったとか、荒れていた学校が静まったという事例がたくさん出ております。ちなみに、小学校では五八・一%、中学校では四二・二%実施いたしておりますけれども、このパーセンテージの中には、年に数回、一、二回しかしたことがなくても一%の中に入っておりますので、私はもっとこれを推進するようにというふうに申し上げております。

 家庭教育ノートの中にも、本を読ますことは大切だということも皆様方に知っていただこうと思って書いてございます。

 これからITがますます発達いたしますと、ITというのは情報を得るだけでございますから、それを駆使するのは、その子供の思考力とか価値観だとか取捨選択する能力だと思います。そういうのは読み、書き、計算によって養われるので、昨日も新聞に載っておりましたけれども、子供、今の若者は言葉で表現が苦手だということです。言葉で表現が苦手というのは、やはり読書をしないからだと私は思っておりますので、私が大変力を注いでおりますのが、この読み聞かせと読書推進でございます。

 御存じのように、去年は子ども読書年でございましたので、ことしも引き続きそれを推進いたしまして、子どもゆめ読書フォーラムというのを六月二十四日に開くことにいたしております。また、ゆめ基金等で民間の読書活動をしていらっしゃる方々に助成をするようにいたしておりますのと、お願いいたしまして、町村前文部科学大臣にビデオを作成していただきまして、今実践したい三つのこと、これは、一つは読み聞かせ、読書推進、二つは朝の、朝だけじゃありませんけれども、あいさつ運動、それから三つ目には、これも町村大臣がおっしゃいまして、姿勢を正しくしようじゃないかということのビデオを作成いたしまして、これは家庭教育関係のところに配付しております。

岡下委員 どうぞ積極的に推進していただきたいとお願いをいたしておきます。

 さて、文部省の平成十年の調査では、自然体験が豊富な子供ほど正義感や道徳観が身についているという調査結果が出ていると承知しております。

 都市部の子と地方の子供では格差があると思うのですけれども、先日、松浪先生もおっしゃっておりましたように、今はまさに田植えのシーズンでございまして、私は、田植えはしたことはございませんけれども、小学生のころに先生に引率されて、苗代に生えている苗に害虫がついているのを駆除しに行った覚えがございます。苗の葉っぱの裏を見ると白い卵がついているのですが、これを取るとたくさんお米ができるんだなというふうに思いながら、その害虫を取った覚えがございますが、今の子供にも自然体験ということ、これは非常に有益なことであると思います。

 例えば、サツマイモは芋づるを挿し木して芋ができる、ジャガイモは種芋を植えて芋ができる。苗を植え、種を植えてから育てて収穫をする喜びとか、それから、そういうことを体験させて実感として子供たちの教育をする、あるいは野外のキャンプにおいて友達と共同生活をすることによって社会性を高めていく、そういう自然体験活動というものをもっと充実させる必要があるように私は思いますけれども、これについての取り組みも、文部科学省の先生にお伺いしたいと思います。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、子供たちが豊かな社会性あるいは人間性をはぐくむ上で、学校教育あるいは社会教育を通じまして、自然体験活動等の体験活動といったものを経験する、こうした機会を充実することは大変重要だというふうに思っております。

 そういった中にあって、まず学校教育においても、特別活動ですとかあるいは総合的な学習の時間等において自然体験を積極的に取り入れ、その充実が図られることを期待しておりますし、また学校外におきましても、さまざまな民間団体とか地方公共団体、こうした諸団体が夏休みや休日などに子供たちが自然体験活動に参加する機会を提供しているわけですが、こうしたさまざまな取り組みを、関係省庁とも連携しながら、全国子どもプラン等を通じましてしっかりと支援していかなければいけない、そして支援しつつあるところであります。

 また、民間団体が行う自然体験活動のリーダー登録制度に対する支援、こうした指導者の育成にも努めているところであります。さらに、本年度からは、子どもゆめ基金を設けて、青少年団体等が実施する子供の自然体験活動等に対する助成、こういったことも行っているところでございます。

 こうした支援をこれからもしっかり充実していかなければいけないと思っておりますし、また、今回の法改正を契機としまして、一段と自然体験活動に対する支援、あるいはその環境整備を図ろうとしているわけですが、こうしたこととも相まって、一層の支援の充実を図っていかなければいけないと認識しております。

岡下委員 そのようによろしくお願いをしておきます。

 自然体験を充実させるということに加えまして、子供というものは家庭だけで育つのではなくて、地域における人々のつながりの中で育っていく、そのことの重要性は言うまでもありません。現在は、プライバシーを重んじる余りに、近所のおつき合いも疎遠になり、それから地域の住民参加の行事というものにもなかなか参加してもらえない。私が今住んでいるところはそういうことはどんどんやっているんですけれども、例えば地域の住民参加の体育祭であったり、それから夏は盆踊りであったり、あるいは地域のお父さん、お母さん、お友達みんな含めた日帰りのバス旅行であったり、そういうことをやっております。

 そして、いろいろな交流の場や機会を、地域によって個性がございますけれども、行政においてもどんどんこういう機会を与えていくというか、地域の人々の交流を促進するというようなことについて、何かその方策を考えていらっしゃるのでしょうか、お伺いしたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 近年、都市化の進展等を背景といたしまして、地域社会の人間関係や連帯感が希薄し、子供たちと地域の人々との交流活動の機会が減少してきている、先生御指摘のとおりでございます。子供たちは、地域の人々との交流を通しまして、社会のルールを学んだりコミュニケーション能力を身につけるなど社会性を培うとともに、高齢者等から地域の伝統文化について学ぶことにより郷土意識をはぐくむことができるなど、子供たちと地域住民の交流による教育的意義は大変大きいものと考えております。

 このため、我が省におきましては、例えば学校の余裕教室でありますとか公民館などを地域ふれあい交流センターとして、このセンターを拠点として子供や高齢者を含めた地域の人々の触れ合い活動を推進する地域ふれあい交流事業、こういうものを本年度から実施しているところでございます。

 この地域ふれあい交流事業におきましては、子供が公民館等で寝泊まりしながら地域住民との交流を行う通学合宿でありますとか、高齢者の知識や経験を生かして昔の遊びですとか郷土の歴史等を子供たちに教える高齢者交流事業、こういったふれあい交流事業をモデル事業として実施しているところでございます。

 今後とも、私ども、こういった施策を通じまして、子供たちと地域の人々との交流をより一層促進するように努力してまいりたいと考えております。

岡下委員 私、それは非常に大切なことだと思います。例えば、自分の子供だけがよくて人の子供は教育をしないというような、そういう風潮もありまして、自分の子供はしかるけれども他人様の子供はしかっていいものかどうかという判断に苦しむときもあります。ですから、やはり家庭の周辺の地域社会のつながりというものが非常に大切だと思いますので、その点をよろしくお願い申し上げます。

 それから、私の質問の最後になりましたけれども、指導が不適切な教員の転職についての法改正のことについて触れさせていただきたいと思います。

 このことについて、私には非常に顕著な体験がございまして、私の次男が小学四年生のころでございましたけれども、担任の教師は定年前の女性の教師でございまして、小学校三年、四年の言えば元気盛りの子供にとっては、いわばおばあちゃん先生にしか見えなかったんですね。そういうこともありまして、いろいろと問題を積み重ねてまいりまして、四年生の二学期の終わりごろにこの先生は体調を崩して入院をなさいました。それから四年生が終わるまでの三学期の間もずっと、代用教員授業といいますか、学校の校長先生あるいは教頭先生、それから全然知らない非常勤講師というんでしょうか、そういう先生方が入れかわり立ちかわり、そのクラスの授業を受け持ちました。

 それで、子供にやはり非常に顕著にその影響があらわれまして、情緒が不安定になり、クラスのリーダー格である男の子がある日教室を飛び出して、それに机の上を走り回って授業ができなくなった。その子はリーダー格なものですから、それに続いて大勢の男の子が同じ行動をとった。女の子は怖いものですから教室の隅に座っていたというような状態が続きましたので、私はそのときPTAの役員をしておりまして、いかにその状態を打破することができるのか、私は、校長先生、教頭先生、父兄を交えていろいろ御相談を申し上げましたし、教育委員会にも申し上げまして、その相談をいたしました。

 しかし、入院なさっているのであれば、一学期であってもちゃんと朝から晩まで面倒を見てくださる先生が欲しいと要求しましても、それはかないませんでした。子供のことを思うと、教師が常に不安定であるということは明らかに子供の情緒が不安定になる。それで、幾ら陳情いたしましても、それは聞いていただくことはできませんでした。ですから、生徒が教師を選ぶ権利はございませんけれども、教師が一たん決まれば、じっと終わるまで生徒、親の方も我慢をしなくちゃいけないような状態でございました。

 ですから、五年生になりまして担任が若い男の先生にかわりましてからは、子供たちは見違えるようになりました。実はその先生は、若い、大学を卒業して間もない先生でございましたので、元気いっぱい、子供たちとドッジボールをしたり野外で遊んだり、あるいは子供たちとのコミュニケーションを持つ時間を非常に多くとっていただきまして、子供たちは次第に平静を取り戻して、これがあのクラスだったのかなと思うほどに見違えるようになりました。

 私は、教師が子供に与える影響はこれほど大きなものかということを肌で感じましたし、そういう問題に直面して、今この法改正ということに私は大いに賛成でございますけれども、適切な教師というか、非常に教師の資質というものが、子供に対する影響が大変なものであるということ。ですから、不適切である教師は、転職なり、今回法改正をすることには何か次の職を与えるとかいろいろと方策があると聞いておりますけれども、子供にも教師を選択する権利を与えてほしい、そして先生と、教師と、家庭、親とが、いわゆるPTAといいますか、一体となって子供を育て上げていく、こういうことを私は切に願っておきたい。

 そして、この法案には私は大賛成でございます。そのことを申し上げまして、文部省の御意見を伺って、私の質問を終わりにさせていただきたいと思います。

遠山国務大臣 まことに教師というのは学校教育を左右する一番の大事な職務を持っている存在であります。

 多くの教師は、情熱を持ち、また一生懸命子供たちを教えようとして努力をしてくれていると思いますが、お話のように、どういう教師であるかによって子供たちの生き方そのものにも影響を与える大変大事な存在でありますので、不適切な場合には、これは教育委員会としてもしっかりした判断をした上で、また措置もした上で、適切な方法によってその不適切な教員についての対応をしようというのが今回の法律のねらいでございますので、私どもとしましては、この措置が適切に運営されるように今後ともしっかり指導してまいりたいと思います。

岡下委員 そのお言葉を私はしっかりと受けとめておりますし、子供の教育について、家庭の教育が大切であるということ、それは、教師でなくて現場におります家庭の母というもの、そういう母の存在というものも大事でございますし、社会、家庭それから学校一体となって子供を育て上げていくということに、私は文部科学委員の一員として、これからもいろいろな面でお手伝いをしていきたいと思っております。

 きょうは本当にありがとうございました。

高市委員長 平野博文君。

平野委員 民主党の平野博文でございます。

 きょうは三十分しか時間がないものですから、絞って質問をさせていただきたいと思います。

 その前に、けさの報道さらには一部の新聞には、我が党が修正案を出して、それに政府・与党は合意した、こういう寛大なることが報道として出たわけでありますが、まず確認しておきたいのは、我が党は出しておりませんが、野党の方から修正案なるものは出ておるのでしょうか。

岸田副大臣 今の三法案については、国会で御審議をいただいているところでありますが、我々は、修正案ということについては何も承知しておりません。

平野委員 逆に言いますと、ああいう報道が出るということは、政府・与党も、この三法案についてはいろいろ問題があるから、もし出すならば受け入れる寛大なる気持ちを持っているというふうに受けとめてもよろしいのでしょうか。

岸田副大臣 修正等は国会で御論議いただくものだと思っております。それにつきまして、我々からどうこう申し上げることはないと思っております。

平野委員 それほど報道というのは、根も葉もない部分が報道に出まして国民の方々が混乱をする、こういうことで、私の宿舎の方に、きのうの夜からけさ、わんわんと問い合わせが来て、何のことかよくわからない、こういう状況でございますので、この審議の中で十分に国民の皆さんに知っていただかなければならない、こういう視点から私は問題を絞って質問をしたいと思います。

 ただ、問題点はあるわけですから、修正される、そういう謙虚な気持ちもぜひ持っていただきたいという気持ちは持っておりますので、よろしくお願いをしたい、このように思います。

 それでは、学校教育法の飛び入学に限定をして私は質問したいと思います。

 今日の学校教育における課題というのは、平等主義が余りにも行き過ぎているという見方も一つあります。したがって、優秀な人物にそれなりの機会を与えていくということもある意味では必要なのだと私は思うわけであります。特にすぐれた生徒に飛び入学の機会を与えるというそのこと自身には、私、個人的には反対するつもりはございません。

 しかし、一方では、飛び入学は学校教育を混乱させる大きな要因になることも私は事実だと思っております。したがって、飛び入学の門戸を拙速に広げていくということに対しては大きな課題がある、そういう観点で私は質問に入りたいと思うのであります。

 一つは、今、企業と大学生との関係を見てみますと、採用活動の現実におきましては、例えば今年度であれば、超一流大学の卒業見込み学生の相当数は既に内々定に入っている、こういう現状を私は把握しております。今日の学生は、四年制大学にもかかわらず、三年生のときからもう既に就職活動を展開しなければならない、こんな状況にあるわけであります。

 ここで、企業による大学生の青田刈りが大学教育に与える影響を文部省はどのように認識しておられるでしょうか。簡単で結構でございます。

岸田副大臣 学生の就職活動、年々早期化しあるいは長期化していることにつきまして、学生が一定期間授業に出席できないとか、あるいは卒業研究指導が十分できないなど、影響が生じていることを基本的に憂慮しております。

 それに対しまして、大学側の申し合わせあるいは企業側の倫理憲章、こういった中で慎重な対応が述べられているわけですが、ぜひこのあたりを周知して、そして秩序ある行動を望んでいかなければいけないと考えております。

平野委員 そこで、今副大臣がおっしゃるように、文部科学省は、大学教育においてすら、大学卒業予定者の採用活動については、早期選考が学校教育に及ぼす悪影響を防止する、こういう観点から通知を出しているところであります。まして、より低年齢であります高校教育における学生の青田刈りがもしされるとするならば、相当の措置が必要であると私は思うわけであります。特に、進学率が高校におきまして九七%とほとんどが義務教育化している現状においては、なおさらそういうことが言えるのではないか。

 そこで、お伺いしたい。今回、改正案では、条文上、飛び入学を実施する高校は全く限定されておらず、その対象分野も無限定であります。今日、多くの大学、学校が学生の確保に苦しんでいる、このような状況を踏まえますと、限定なしに飛び入学を解禁するということは、あらゆる大学、短大、専修学校、特に生徒の確保に困っている学校が大挙して生徒確保に動く可能性が十分に考えられるわけであります。

 そうした青田買いによる勧誘がごく一般のレベルの多くの生徒まで及べば、学校教育におけるさまざまなカリキュラムを中断させ、なおかつ学校教育の役割を果たせない結果となると私は思っております。

 したがいまして、このようなことを看過してよいと思っておられるのか。こういう点について、大学の企業に対するところでも、十分慎重にと言っておる。なおさら、高校の課程において、高校二年生から無秩序に、無制限に、結果的には青田刈りになる。こういうことを本当に看過してよいのか、こういうふうに思うわけでありますが、何らかの制限を私は加えるべきだと考えておりますが、いかがなものでしょうか。

岸田副大臣 まず、基本的な考え方としまして、大学におきます学生の就職活動というのは、広く一般的に行われる活動だと思っております。一方、今回の飛び入学制度は、特定の分野にすぐれた資質を有する者にそうした機会を与えようとするもので、一般の生徒を対象とするものではないというふうに考えております。基本的にその部分の違いはあると思っておりますので、その違いは勘案しなければいけないと思っております。

 しかし、これは安易な学生集めに利用されることがあってはならないのはおっしゃるとおりでありますので、慎重な運用というようなことから、教育上適切な指導体制を大学側が持っている、あるいは高校側において二年間にわたり資質を見出し得る立場にあるわけですが、こうした高校側の推薦を求めるなど、すぐれた資質の判定の上で適切な配慮を行うこと、あるいは自己点検、評価を行ってその結果を公表すること、こういったあたりは省令でしっかり規定をすることによって適切な運営を促していかなければいけないというふうに思っております。

 いずれにしましても、高校と大学との連携を図る、さらには、文部科学省としましても、こうした結果をしっかりと把握してこれを公表する、こういったこともすることによりまして、広く一般に学生を大量に集めるような青田刈りというものは、この制度において余り予想できないのではないか、そしてあってはならない、それは防がなければいけないと思っております。

平野委員 防がなければならない、そんなに大量にならないと言いますが、運用によっては、その結果としては、これは大量になるんですよ。ここをどうするかということが国会の議論で明確に、そうはいいましても、こういうところだということが明確にない以上、実際、文部省がこうだ、極めてまれなる優秀な人だという決め方が、どういう判断で決めるのか。この辺がない中で、もし分野、さらには短大、専修学校までやるということは、もうまさに何でもありですよ。何でもありの中に入るわけですよ。今は少なくとも千葉大学の物理、名城大学の数学というこの限定でやっているわけですよね。議員の質問を聞いておりましても、評価のシミュレーションがない、ないけれども大丈夫だなんて、だれが認めるんですか。

 したがって、私は、時期尚早であり、あくまでも特定の分野というものをやはり制限をしてやらなければ、ただ、今までは政省令でやれた部分を法律に明記をするということは私は評価をしたいと思うんです、ある意味では制限をするということですから。法律に明記するんです。ただ、法律に明記することで、何でもありということの明記をされることは極めて学校教育、特に高校教育においては混乱が起こると思うので、岸田副大臣、今のお答えでは納得できませんね、どうですか。

岸田副大臣 もちろんそういった問題意識は重要だというふうに思っています。しかし、この制度、先ほど申し上げましたように、特にすぐれた資質を持つ学生を対象とする例外的な措置だというふうに思っております。一般の試験で争ってこの制度を活用するというようなことではないというふうに思っております。

 ですから、極端な話、この二年間のカリキュラムを頑張って、終わったならばこの制度が利用できるというものではなくして、あくまでも特別な資質を有する学生、こういった生徒に機会を与えるというのがこの趣旨であります。この趣旨の中で、しっかりとした適切な活用ができるようにさまざまな省令等の整備をすることは重要だと思っておりますが、その中でこの制度は適切に運用できるものだというふうに我々は考えております。

平野委員 いや、運用というのは、今まで幅を残すという意味で運用になっているんですよ。これは運用に任せると大変おかしな問題が起こってくる危険性があるから、運用ではだめですよ、もっと明確に法律で規制をしてもらいたい、これは、委員会で質疑に立っている各議員の質問を聞いておりますと、ほぼ共通した部分です。余りにも拙速じゃないか。

 教育というのは結果責任をだれが負うんですか。そこにはまった学生が、結果が悪かったから、申しわけないねと言って、その人の一生を棒に振るんですか。そんなことでは許されないと思いますので、やはり慎重にこの分野、さらには専修学校、短大まで、すべての学校に広げていくということに対しては、文部省の皆さん、本当にいいと思っているんですか、いいと思っているから出しているということでしょうが。与党の議員の皆さん、本当にいいと思っているんですか。与党から出しているから黙っているというのじゃだめですよ。ここはしっかりと議論してもらわなきゃだめですよ。しっかりした答えを出してくださいよ。

遠山国務大臣 今回の制度は、再三御説明しておりますけれども、日本の教育の現状の中で、本当にすぐれた能力をもっと伸ばしていこうではないかという多くの国民の皆様の要望もあり、またいろいろな方々の御意見もあり、会議での反応もありまして、今まさに二十一世紀の初めに当たって、一人一人の能力を十分に伸ばしていく、そのことが大事ではないかとの観点に立って、これまで既に開かれている道をさらにもう少し拡充をして、そして本当にすぐれた能力、これはもうかなり例外的なものだと私も思いますけれども、「特に優れた資質」という表現で、現在の物理あるいは数学の人たちについても制度化されておりますが、その同じ用語を使って、他の分野にも道を開くということで、今の学校教育が抱えるいろいろな閉塞状況について、この角度でも新たな道を開こうということでございまして、同時に、もし御質問があればさらにお答え申し上げますけれども、それが安易に用いられることのないように、大学についてはこうしてくれ、あるいは国としてどうしていくかというようなことも十分考えた上で今回の提出をさせていただいております。

平野委員 すぐれて優秀な人、こういうことですが、例えば大学院でドクターコースであるとか、あるいは四年制大学であるとか、このところについても、まだその中でもやはりすぐれてそういう設備とか施設とか、四年制大学でもいろいろな大学がございます。その中でも、特にそういう受け入れが整っている大学と、整っていないけれども四年制と称している大学もございます。

 加えて、短大、専修学校、私は批判するつもりはありませんが、そういうふうにすぐれた人が本当に短大の中に、おられないという表現は私はいたしませんが、何でも広げていくという、これは私は、では、みんなすぐれているんだ、すぐれ者であればどこでもいいんだ、これは私はだめだと思うんですね。(発言する者あり)

 今、外野席から、ノーベル賞ものだ、こういうことが出ましたが、専修学校へ行ってノーベル賞、短大へ行ってノーベル賞、そういうとれる方も中には、それはゼロではないでしょう。しかし、少なくとも今までの経過でいくと、四年制大学、大学院、ドクターコース、それからさらに研究を積み重ねてそういう国際的評価が得られるんだと思うのであります。

 したがって、まだやっと千葉大で数年の実績として、まだ学生が学んでいる状況ですから、何としてもこれは、この時点で、この法案で広げてしまう、これは余りにも私は拙速であろうと思うのであります。改めて問いたいと思います。いかがですか、拙速ではございませんか。

岸田副大臣 今の御質問につきましては、要は受け入れる側の指導体制あるいはカリキュラム、そういった内容がやはり重要だというふうに考えております。

 ですから、短期大学におきましても、大学と同様、深く専門の学芸を教授研究する、学校教育法の第六十九条の二第一項に規定されているわけでありますが、こうした目的を持つ高等教育機関でありまして、大学と短大等を差別するということ、これは制度上に不均衡があるというふうに思っておりますし、また音楽とかデザイン、こういった部分において、特に優秀な、すぐれた資質を有する者の才能を伸ばすということは短大においても考えられると思いますし、またコンピューターですとか、専門学校においても資質を伸ばす可能性は十分考えられるのではないか。

 特に、昨今の世の中の動き、学際化あるいは学問の複雑化、こんなところを考える中にあって、こうした受け皿がしっかりしていたならば、そうした制度上の違いでもって区別をするというのは不合理ではないか、そのように感じております。

平野委員 どうも国会の審議の、議論の積み上げをもとに最終法案というのは成立していくのですが、これは何日もやっているのですが、議論が全く深まってこないですね。我々は国民の代表として審議に加わっているのですよ。文部省が決めたことが国民の代表の声ではないのですよ。我々の声をきちっと法案の中で、不備があると皆さん言っているじゃないですか、これに対して、そういう点はやはり素直に認めてもらわなければだめなんです。

 特に、千葉大でやっておる、名城大でやっておるわずかな実施例だけを参考に、では、シミュレーションがあるのですか、ありません、ないのにやるのですか、ノーベル賞のとれるような人をつくらなきゃだめだ、国際人として通用する優秀な人をつくらなきゃだめだ、それが専修大学、短大まで広げることになるのですか。この点、はっきりしてくださいよ、どういう根拠からそう言えるのか。

岸田副大臣 この制度は、そもそもこれだけ需要があるからこれに対応するというものではなくして、可能性を広げるというのがこの制度の趣旨だというふうに思っています。ですから、その間口を広げる等、可能性を広げることによって、これをぜひ活用していただいて、特にすぐれた資質を持つ学生生徒が大いに飛躍する機会を得ること、このことが大切だというふうに思っています。

 ですから、そのために、今までの積み上げを参考にして、そして考えられる手当てをした上で、適切な運用を図るべく、環境を整えていかなければいけない、これがこの制度の趣旨でございます。(発言する者あり)

平野委員 そういうノイズは私に入らない。

 では、もう一度聞きますが、これだけ広げますと、当然高校との連携というのがかかわってきますね。いろいろな大学、短大、専修学校が、全国にある高校に、こういうことでいきますと、当然現場の高校との連携というのは十分にとらないと機能しないわけであります。とらないままいきますと、推薦枠一名とか、いろいろな意味で混乱を起こして、一名は行けたけれども、もう一人優秀な人がおったら行けない。こういう意味で、各高等学校との連携がきっちりと具体的にとれなきゃだめだと思うんです。大学は当該大学一校でいいのですが、関連高校は全国にいっぱいあるわけですよ。これとの連携のあり方というのは具体的にどう考えているのですか。

遠山国務大臣 高校との連携は私も大変大事なことだと思っております。まず、大学自身がこの問題についてきちんとした判断をしてもらいたいと思うわけでして、そのためには、自己点検評価を行ってもらい、その結果を公表して透明性を高めること、あるいは適切なカリキュラムをきちんと編成する、あるいはその分野を専門とする教員がきちんと確保されていることなど、幾つか、大学側に期待といいますか、当然やるべきこととして、私どもは指導しないといけないと思いますが、同時に、委員御指摘のように、高校との関連が非常に大事だと思います。

 その意味では、一つは、特にすぐれた資質というものの判定あるいは実施状況の点検評価ということに当たりましては、高校側と実施機関との間で、きちんとした連携のための意見交換など、積極的な情報交換なり、あるいはお互いの合意なりというものがなくてはいけないと考えております。

 同時に、国としても、そういうことについては、飛び入学の実施状況を、きちんとその全体を把握して、その結果を公表していく、それによって安易な用い方がなされないようにすること、あるいは飛び入学の実施機関、高校代表者、有識者などを含めた全国レベルでの協議の場を設けまして、実施状況について検証するとともに、制度の趣旨に即した運用を確保するということに努めていかないといけないと思っております。

平野委員 ぜひ、関係高等学校と大学との密接な連携、これはきっちりと文部省が責任を持って、どんな仕組みでやるかということを明確にされないまま運用でやられてしまいますと大混乱を起こしますから、明確にそういうセクションなり機能をつくってもらいたい、これをまず強く要望いたすわけであります。

 そこで、また戻るのですが、では、スポーツとか芸術とか、そういう方が、とにかく大学に行かないとそのスポーツが磨けないということは私はないと思うのであります。したがって、改めて言いたいことは、もう少し今やっていることが本当によかったなと言えるようになるまでは、ある意味の、大学校も、分野も制限する、こういうことを強く私は求めておきたい。そうしなければ大混乱が起こる。起こってからでは、これは収拾がつかない。こういうことを最後に強く申し上げておきたいと思います。

 さらに、これは教育上の例外措置と称しているわけであります。逆に言いますと、これは極めてまれなる才能を持つ人ということでありますが、学習がおくれている子供、困難な子供への逆の立場の支援策というものも、一方、教育の平等性から見れば、極めてまれなる能力を持っている人、これに対する飛び級という、さらに伸ばしていこうという制度でありますが、逆に極めて学習がおくれている、困難な子供に対する特別措置というものも、この法案とは違うわけですが、そういう視点の救済措置、特別例外措置も一方で考えてもらってこそ、初めて教育の平等性という考え方になるわけでございます。したがって、そういう視点も強くこの機会に求めておきたいと思うのでございます。

 それから、時間がないものですから、次に申し上げますが、この飛び級で当該の大学に行ったといたしましょう。それで、その学生が、能力はあって飛び級で行ったのだという仮定ですが、途中で自分の進路を変更したい、他大学に私は行きたい、あるいは新たなる道を探りたいということでいきますと、この委員会でも出てまいりましたが、高校中退ということでしかないわけであります。

 しかし、極めてまれなる能力を持って大学に進学した、入学したということは、少なくとも高校卒業程度、こういう認定をしても間違いではないと私は思うんですが、そういうケース、要は飛び級入学をしたのだ、大学に入れるだけの能力を持っている人なのだというのを少なからず認めたわけですから、途中でやめるのですから、大学卒業の資格を与えようとは言いませんが、少なくとも高校二年生までの状態、中退という状態ではなくて、少なくとも高校卒業程度の学力はあるんだ、こういう認定を下す方法はいかがなものでしょうか。

岸田副大臣 今御指摘がありましたように、飛び入学した者については高校中退の扱いとなるわけです。リスクがあるわけであります。

 ですから、まず基本的に、その受け入れ大学におきまして、責任を持って卒業をさせるような指導体制がしっかりしているということ、このことが重要だと思っておりまして、まず、この体制を整えるよう省令等で求めることはしなければいけないと思っております。

 しかし、その上で、今先生が御指摘されましたケース等につきまして、まず、学生が他の学部へ転学部することは可能であります。問題は、他大学へ進路変更をする場合にどうかということでありますが、これも法令上できるだけ可能とするように取り扱っていかなければいけないと思っておりますので、そのように取り扱う予定にしております。

 そして、それ以外のケースとして、各種資格の取得要件について、法改正を要するものについては、本法案の附則で措置をして、こうしたさまざまな資格を取ることに不都合がないように最大限配慮しておりますが、一部高校卒業を厳格に要件としている資格があります。こうした資格につきましては、取得が今のままではできないということになりかねないわけでありますので、この部分につきまして、担当省庁と善処を求めるべく検討していかなければいけない、この部分をしっかりこれから検討課題として扱っていかなければいけないというふうに思っています。

平野委員 高校中退ということになっちゃったら、少なくとも飛び級に入れるぐらいの能力を持った人ですよ。たまたま、大学二年生になったときに、私は別のところに行きたいんだ、あるいは大学じゃなくて別のところで仕事をしたいんだ、そこで能力を持ちたい。結局、そこで中退すると、大学にも入って中退したにもかかわらず、高校も中退になってしまう。これはやはり、極めて能力のある人を大学に上げるんですから、せめて高校を卒業しているという資格は与えたっておかしくない。与えられないということは、逆に、物すごく広がるから、そんなことをすると高校中退ばかり出るから、そういうことは認めないということにもつながりかねないわけであります。

 したがって、ぜひ、そういう制度上の問題も、やはり高校卒業程度の資格を持つということで飛び級させるわけですから、少なくとも、その人が入学した以上は高校を卒業しているレベルにあるという認定を出すべきだと私は思いますが、いかがでしょうか。

岸田副大臣 先生の問題意識、理解いたします。ですから、先ほど申し上げましたさまざまなケースに対応できるよう、それぞれの対応をしっかりと充実することによって不都合が生じないように対応していきたいと思っております。

平野委員 時間が参りましたから、これで終わりますが、いずれにいたしましても、飛び入学、今副大臣、政府からの答弁がございますが、分野というのは、やはりある意味では制限すべき、少なくとも専修学校、短大まですべてに広げるということについては、極めて大混乱を起こすということで時期尚早である、こういうことを強く申し上げ、この法律の修正を強く求めるものでございます。

 以上でございます。

高市委員長 山元勉君。

山元委員 民主党の山元勉でございます。

 質問に入る前に、岸田副大臣に一言だけ申し上げておきたいんですが、今の答弁を聞いていて、私は、六月の五日にここで質問させていただいて、この法案は極めて中教審答申を軽視するものだということを重ねて申し上げたことが全然踏まえられていないというんですか、平成九年の中教審答申は、分野については数学、物理とする、分野の拡大については実施状況を踏まえて検討すべきだときっちりと書いてある。千葉大学でその明くる年から始まった。今四年目、まだ学生は卒業していないんです。ですから、しっかりと検討して、実施状況を踏まえてという中教審答申の言葉を大事にする。年齢の引き下げについてもそうなんです。慎重に検討するということが中教審答申に書いてあるわけです。そこのところを、やりました、こうなりますと、こうなりました、こうやりますということがさっきからの答弁では一向に出てこないんです。

 ですから、答弁は必要ないですけれども、もう一遍、この間の私の繰り返しての質問を思い返していただいて、私は大臣に、中教審答申と国民会議の報告とどっちを尊重するんですか、どちらが重いんですかということも申し上げました。ですから、ぜひそこのところは、きょう私は質問するつもりはありませんから御答弁はよろしいが、五日のときには私は繰り返して申し上げたということだけもう一遍思い出していただきたいということを申し上げて、質問に入りたいと思うんです。

 私は、きょうは社会奉仕体験活動について質問をしたいと思うんですが、これは、学校教育法と社会教育法と両方ともに出ています。確認をしたいんですが、これは、今まで私どもの同僚の委員も質問いたしましたが、改めてきっちりと確認をしておきたいんです。

 この十八条の二で、「教育指導を行うに当たり、児童の体験的な学習活動、特に社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の充実に努めるものとする。」と書いてあるんです。その「努める」というのは、これは努力規定であって、義務規定だとかあるいは強制にこれから入っていくということではないというふうにはっきりとしておきたいんですが、いかがですか、大臣。

遠山国務大臣 委員御指摘のとおり、これは義務づけではございませんで、「努める」と法文にも書いてございますように、活動の重要性から、これを充実することを義務づけではなくて努力をしてもらいたいという趣旨でございます。

 私どもとしては、児童生徒の発達段階あるいは自発性に配慮したり、地域の実情に応じて多様な形でこういうことへの取り組みがなされていくことを期待しているところでございます。

山元委員 最初のときの松沢委員の質問に対して、大臣は明確に今のようにお答えになっている。社会教育法の中に定めることについては、そういう体験活動のための事務を教育委員会が行うべき事務だというふうに規定しているんだ、決して青少年に義務づけるものではない、強制するものではない、こういう答弁をしていらっしゃるんですね。

 これは、国民会議の報告とは大分違うわけです。私は、これは大臣の姿勢として立派だというふうに思っています。ですから、ここのところは、この法がどういうふうに、成立するかどうかわかりませんけれども、施行される場合には、きっちりとしたそういう法の精神というものをぜひ確認して指導をしていただきたいというふうに思います。

 その中身ですけれども、来年度から学校五日制になって、指導要領が順次実施されて改訂されていくわけですけれども、例えば、特別活動における学校行事にかかわることだとか、あるいは指導計画の作成と内容の取扱い、こういうものがずっと指導要領の中に規定されているわけですね。

 そういうものを、例えば体験学習のことも書いてあるわけですけれども、もう一遍言いますと、特別活動における学校行事あるいは指導計画の作成と内容の取扱い、そういう項目があるけれども、この法はそこのところを変えていく、記述を変えていく、あるいは中身を変えていくということを意図しているものではない、そういうふうに解釈してよろしゅうございますか。

岸田副大臣 特別活動の当該部分の事項につきましては、変更はないと理解しております。

山元委員 今申し上げました、例えば指導計画の作成と内容の取扱いで、特に配慮するものというところに、こういう書き方がしてあるんです。今変えないとおっしゃいましたからそれでいいんですけれども、確認をしておきたいんですが、「学校の創意工夫を生かすとともに、学校の実態や児童の発達段階などを考慮し、児童による自主的、実践的な活動が助長されるようにすること。」こういう書き方がしてあるんですね。そういう計画を立てること。そしてその中に、学校行事のところでは、特に書いてあるんですが、「実施に当たっては、幼児、高齢者、障害のある人々などとの触れ合い、自然体験や社会体験などを充実するよう工夫すること。」こう書いてあるわけですね。そして、その計画をつくるときには、勤労のたっとさや生産の喜びを体得するとともに、ボランティア活動など社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動を組み込むこと、こういうふうに書いてあるわけです。

 そうすると、今申し上げました指導要領を変えないということになれば、今まで学校が努力をしてきた、そういうハンディを持った人たちと触れ合う、あるいはそれぞれの地域の実態に合わせて学校が工夫をする、こういうことが大事なんだという精神も変わらない、こう考えてよろしいですね。

岸田副大臣 そのとおりでございます。変わりません。

山元委員 そこで、問題の社会奉仕という言葉です。社会奉仕体験活動というのは指導要領の中にもあるのですが、勤労生産・奉仕的行事、ここのところでボランティアなどという言葉が出てきてあるのです。ボランティア活動など社会奉仕の精神を涵養する、先ほど言いました。ボランティアなど社会奉仕、こういう言葉が使ってあるわけですね。そこのところがつながった、ボランティアなどと社会奉仕ということは、一緒になってここへ出てきておる。

 だから、私は、法律の中で、今書いてあるような社会奉仕体験活動というのを強調するのではなしに、例えばボランティア活動など体験学習活動、こういうふうにすれば、すっと心の中に入ってくる。現に指導要領の中にあるわけですから、ボランティア活動など体験活動という規定の仕方をする、人々の心にすっと、先ほど言いましたような弱い立場、ハンディを持った人たちも含めて、ああそうだ、ボランティア、今だんだんと国民の中で広がってきた言葉、考え方です。それをすっと入っていくようにするとすれば、ボランティア活動など社会奉仕体験活動、そういう表現にした方が、学校の指導、この指導要領の面からいっても、すっと入っていくのではないかと思うんですが、大臣、どうですか。

遠山国務大臣 今の御意見も、一つ御意見と承りますけれども、従来から、学習指導要領におきまして社会奉仕の精神を涵養する体験を得られるような活動という用語を使っておりまして、学校現場におきましては社会奉仕という用語が定着いたしております。

 今回、平成十年の学習指導要領からはボランティア活動という用語を用いておりますけれども、これは社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動の例示として用いられているのでありまして、今回は、より広い概念の方の社会奉仕という用語を引き続き使っていこうということでございますが、そういう規定を重視して法案となっているようなわけでございます。

 したがいまして、ボランティア活動も包含される、そういう概念として社会奉仕という用語を使っているところでございます。

山元委員 学校教育法を変えるのです。その学校教育法の下にと言ったらおかしいですけれども、指導要領があるわけですね。ですから、指導要領が今現在、ボランティアなど社会奉仕活動というふうに書いている、そのことを学校の現場でも既に、何とかして特別活動の中にそういうものを入れなきゃならぬ、入れることが大事なんだという理解も広がっているし、実践も広がっているわけです。

 ですから、そういう今の指導要領を、先ほど副大臣は変えないということを繰り返し端的におっしゃる。変えないとすれば、私は、指導要領に使ってある言葉をきちっと使うことが現場の皆さんには一番わかりやすい。あるいは、社会一般的にもやはりボランティア活動など社会奉仕活動が大事ですよということは、今、大臣はひっくり返しておっしゃった、含まれるとおっしゃったけれども、そういうものも含めて、社会奉仕という今の指導要領の、しつこいですけれども、そこのところはなぜいかぬのですか。

岸田副大臣 学校におきまして、児童生徒がボランティア活動について学んだりあるいは体験したりしてボランティア精神を養い、あるいは将来、社会人としてボランティア活動に積極的に参加していく意欲とかあるいは態度を養っていくこと、こういったことは大変重要だというふうに思っております。

 こうした活動というのは社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動の一環として行われるものでありまして、そういった意味で、改正案におきましては、ボランティア活動という用語より、より広い概念であります社会奉仕体験活動という用語を用いたわけであります。

 そして、なお、学校におきましては、ボランティア活動のみならず、特別活動の学級活動ですとか児童会ですとか生徒会活動、あるいは学校行事全体の中で自主的な実践的な活動が助長されるというふうに考えております。

 そういったことも含めて、社会奉仕体験活動という用語を使った次第でございます。

山元委員 この奉仕については、例えばラオスだとかカンボジアだとかタイ、どんどんと自立のための支援に出ていっている人、奉仕活動で行っている、ボランティアで行っている、どっちの方が、行っている人が本当に、熱帯の病気を自分で克服しながらでもやっているのは、これは奉仕だ、奉仕だとは言っていないですよ。一般的に、やはり自主的で実践的なボランティアなんだというふうに考えるから、だんだんと日本人もボランティアという観念が入ってきて、広がっている。これは奉仕活動だ、奉仕しているのだというような言葉は使わないですよ。

 ですから、そういう価値観というものが新しくどんどん広がっていくときに、こういう社会奉仕体験活動というようなことをがちがちと書くことについては好ましくない。できたら、指導要領に書いてあるようなそういう言葉に変えていただきたいというふうに思います。これは検討してください。

 次に行きます。

 そうすると、例えばこの間のここの委員会でもありましたけれども、そういう社会体験をしようと思うと、例によく出てくるのが兵庫県のトライやる・ウイークですね。この間も局長から出ていましたけれども、四億七千万とおっしゃったのですかね、兵庫だけで四億七千万円の金を使って、大変なレポートも私は見ましたし、話も聞かせていただきました。けれども、兵庫の皆さんが、トライやる・ウイークをやるために四億七千万円の金も使ったし、先生方が大変な努力をして計画を立てた。子供たちの希望を聞き、そして受け入れてくれるところを訪ねてお願いをして、そして安全にということも考えて、これでやろうというのには大変なエネルギーが要ったわけです。

 そこで、こういうふうに奉仕活動とかあるいは自然体験学習をどんどんと進めようということで法改正されるわけですけれども、さあ、皆頑張りなさいよ、自治体頑張りなさいよ、先生頑張りなさいよということだけではいけない。文部科学省が予算の、お金のことと人のこととはやはり真剣になって努力をしますという担保がなければ、かけ声だけ、絵にかいたもちになると思うんですが、そういう努力についてどう考えていらっしゃいますか。

岸田副大臣 今の先生からお話がありましたように、兵庫県のトライやる・ウイーク事業等の例を見ましても、やはり生徒の希望、自発性に配慮した取り組み、これは重要なことだと思っております。

 しかし、こうした取り組みの結果、どのような授業を行うのか、どのような体験活動を行うのか、これはそれぞれの学校現場の判断にゆだねるということであります。そして、その経費につきましては、通常は、こうした体験活動の実施、通常の学校教育活動と同様、設置者及び児童生徒、保護者において負担されるべきものであります。しかし、そうしたさまざまな工夫によっていろいろな活動が行われるということになりますと、通常の教育活動より多く支出負担が必要になるということ、これもまた予想されるところであります。

 ですから、そういったところは、各都道府県の取り組み状況あるいはその予算措置等を参考にしながら、支援措置は検討していかなければいけないという意識でおります。

 具体的には、平成十三年度に実施します学校と地域を通じた奉仕活動推進事業等の結果、あるいは中教審におきまして青少年の奉仕活動、体験活動の推進方策等についての審議結果、こういったものを踏まえながら、各地域における推進協議会の設置等推進体制の整備や、学校における活動実施への支援策、こういったものを検討していかなければいけないというふうに思っております。

山元委員 絵にかいたもちと言いましたけれども、私は、こう言っているけれども、奉仕とかボランティアについて一概に否定しているわけではない。

 ですから、そういう活動を本当に子供たちに体験さそうとすると、今申し上げましたようなお金が随分要るし、前の三月に私も提案者の一人であった三十人学級もできて、例えば三十人の子供を地域へ頼みますよというのと、四十人頼みますよというのとは、これは大変な違いがあるわけでしょう。ですから、やはり本腰を入れた人の配置と、そういう予算については、これから、今審議中だと言うのですが、それだったら少し進むだろう、少しというのはいかぬかもしれぬけれども、進むだろうということがわかるような支援の方策をぜひ考えていただきたい、実現をしていただきたいというふうにお願いを申し上げておきたいと思います。

 それからもう一つですが、時間がないのですが、これはこの間私も申し上げましたが、高校の通学区の拡大の問題です。

 現在ある五十条を削除してしまうんだ、現にある五十条、これは今さら言う必要はないと思いますが、都道府県が決めると書いてあるわけですね。それを削除してしまって、ぱっとなくなるから、定められていないんだから、決めなくてもいいという極端な話になる。実際、この削除は、学区を定めなくてもいいというのか、あるいはどういう定め方でもいいですよという責任を放棄するものなのかどうか、私は大変この間の質問でも危惧をしたわけです。

 前のときに大臣は、失礼な言い方だけれども、おかしな答弁をしていらっしゃるんですね。前半では、五十条を削除したのは、五十条の規定がありますと都道府県ないし市町村は複数の学区をつくらなくてはいけないですね、だから、学区を定めろというものですから、それをやめるんだ、一学区でもよろしいですよと。ちょっとわからぬ。各都道府県の委員会が定めるとなってあった学区が、複数を定めよと書いてもない、これをやめにしたら一学区でもいいということにもならないんですけれども。そして、最後のところで少しきちっとしたお答えがあるんです。

 もう一遍、改めてこの五十条の削除というのは何を意図しているのか、教育的に何を配慮しているのか、おっしゃってください。

遠山国務大臣 確かに、先般の御説明は舌足らずだったかもしれません。

 今回の改正は、公立高等学校の通学区域の設定について各教育委員会の判断にゆだねることをその趣旨とするものでありまして、そのことが全県一学区にするというようなことでありますとか、あるいは学区を拡大するということを意図するものではないわけです。

 ちょっとこの背景についてこの機会に御説明いたしますが、平成十二年十二月に政府の規制改革委員会が「規制改革についての見解」を取りまとめたわけでございますけれども、そのときに、公立高等学校の通学区域について、第五十条を見直して、その設定等を設置者である都道府県などの自主的な判断にゆだねるべきであるという指摘がされたわけでございます。

 一方で、最近、各都道府県におきましては、生徒の多様な学習ニーズに対応して、単位制高校でありますとか、あるいは総合学科など、特色ある学校、学科などの設置が進んでおりまして、これに伴って多様な通学区域が設定されるようになってきている状況にございます。

 これらを踏まえて、今後は地域の実情などを適切に反映させながら、通学区域を設定するか否か、またどのように設定するのかについて、各都道府県、各教育委員会の判断にゆだねることが望ましいということから、わざわざ五十条を置いておくのではなくて、削除をするということで改正案とさせていただいたところでございます。

山元委員 地域の実情に応じた、あるいは高校教育の実情に応じた学区を設定していく、それは都道府県にゆだねる、そういう改正にすればいいじゃないですか。五十条がすぱっとなくなって、都道府県が定めると書いてあったのがなくなる、そうすると、定めても定めなくてもいいんだということに、この間私は文部科学省の幹部の人に聞いたら、それはそうですとけろっとおっしゃったから、びっくり仰天しているわけです。

 これは、やはり責任を持ってそういう設定をするんだ、学区を決めるんだということに明確にこの際していただきたいし、できたら条文についても修正を、五十条を修正して、今大臣がおっしゃったようなことをきちっと書き込むのであれば、私はわかると思うんですよね、高校教育のありようというのは随分と変わってきていますから。

 ただ、一学区にするとか拡大するとか、そういうことをお思いではないということをおっしゃいましたから、それはそれで私はいい。

 そこで、この決め方です。大臣がおっしゃるように都道府県が決めるとすれば、どういう決め方をするか。校長さんがぴゅうっと鉛筆引っ張って、こことこことにしようということではないだろうというふうに思うんですね。そうすると、実際に地域の実情を、事情を十分把握して、そして適正に決めなければいけない。その適正というのはどういうことかというと、やはり私は、文部科学省も使った、地域に根差した教育、高等学校もそういうことだというふうに思うんですけれども、学校評議員制度もできてきて、住民の皆さんの意見を聞いて学校をつくっていこうという流れが出てきました。これはだんだんと本物にしていかなきゃならぬと思うんです、それが地方分権の時代の教育だというふうに思いますから。

 そうすると、そういう教育委員会が決めるのではなしに、しっかりと保護者の皆さん、あるいは地域の皆さんにこの学区をどうしようか、どこからどこまでだという意見を聞いて、適切な判断をする、こういうシステムというのですか、きちっと聞きなさいよということを文部科学省としてこれから配慮される、指導されるというおつもりがおありかどうかです。

遠山国務大臣 どの教育委員会にとりましても、通学区域の問題は大変重要なことでありまして、それの判断をするには、きちんと生徒の進学動向でありますとか、あるいは高校の配置状況、それから保護者の要請など、地域の実情に応じて判断されることだと思いますけれども、私どもも、今回の改正が成立いたしましたら、このことはきっちりと、それぞれがきちんと実情に合った、あるいは保護者の意見などもきちんと聞いて実施してもらうように十分指導してまいりたいと思います。

山元委員 この学区の拡大というのは、よく言われます規制緩和だと。現に文部科学省がつくった資料、ビラにはそう書いていますね、このことについて。教育の地方分権化だとか、あるいは地域に根差したとは書いていない。規制緩和の一層の推進のためにこれを変えるんだと書いてあるんです。

 私は、規制緩和の流れが大きくあることは承知していますけれども、単に規制緩和という名で学区を拡大してもいいんですよ、とやかく言いませんと言うだけでは極めて非教育的だというふうに思います。確かに、学区を拡大することによって特色ある学校がつくれる、うちの学校はこういう学校だからといって広く募集範囲を広げるとか、あるいは、子供の側からいうとそれぞれの選択の自由化、自由になる、このことはあるだろう。

 けれども、大事なことはその反面のところです。これは語弊があるかもしれませんけれども、私も教師でしたから、もう痛いほど経験をしているわけですけれども、目の前にチャイムが毎時間聞こえる学校の門前に住んでいる子が、中学を卒業してあの高校入りました、けれども家の前の学校には入れませんでしたと。空を見て泣く泣く三年間別の高校へ行くんですね。私の地域では、上りのJRに乗る子と下りのJRに乗る子がどうだこうだとあるんです。これは現に学校間格差があるからだ、一流高がよく言われるように、ここは格差がある。それをなお広げるわけですよ、その危険性が一面あるわけです。ですから、そういう受験競争の激化と、そして学校間格差をつくることは、厳にこれは警戒をしなければならぬことだというふうに思うのですね。

 本当に私は三年間その子を見ていてかわいそうだった。人が自分の門前の学校に登校してくる。自分は遠いところへ行くのですから、この一流校へほかの子がざわざわと来る前に、ばあっと別の学校へ行かなければならなかった。そういうのを見ると、やはり自由化もいいし、あるいは特色ある学校づくりもいいけれども、きちっと、そういうことが起こらない最大限の配慮が要るだろうというふうに思うのですけれども、大臣、いかがですか。

遠山国務大臣 恐らくそのことは各都道府県が通学区域を定める場合に最も意を用いてくれるところだと思っておりますけれども、そのことの重要性、特に、今御指摘のように受験競争が激しくなるような形でこれが運用されないように、これは私どもとしても、十分この改正の趣旨を徹底してまいりたいと思います。

山元委員 今の大臣の御答弁で結構なのです。もしこれが成立して改正していくとすれば、地域にそれぞれいい学校をつくる配慮をすべきことは幾つかあるという中に、ぜひこのこともしっかりと入れておいていただきたい、お願いをしたいというふうに思います。

 あと一分残ったのですけれども、次の問題に入る時間がもうありませんから終わりますけれども、ぜひ先ほどの奉仕活動も、地域の皆さんが、あるいはそれぞれの自治体の皆さんが思い違いをしないように、先ほど大臣がおっしゃったような趣旨というのはやはり徹底していただきたい。私は、国民会議が義務化だというのをぼんと上げられて袋だたきに遭われたのをよく見ています。マスコミの皆さんも、それはということがありました。そのことが違うのだということの答弁がありましたから安心をしますけれども、ぜひそのことが今の学区の拡大の問題とあわせて指導されるように御要請を申し上げて、終わります。

 ありがとうございました。

高市委員長 葉山峻君。

葉山委員 御紹介いただきました葉山峻であります。

 今回は三法案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律案並びに学校教育法の一部を改正する法律案、そして社会教育法の一部を改正する法律案、いわゆる三法を質問することになりました。

 たまたま私には社会教育法の改正についてやったらどうかというお話もあり、また、私も衆議院に出てくる前は二十四年間湘南の市長を務めておりまして、社会教育の委員の皆さんを初め多くの教育委員の方々と一緒に、地域の文化活動やその他の活動に従事した懐かしい思い出がありました。その体験等もあり、それでは、ひとつ今回はこの社会教育法の改正について、その一部なりとも、二、三の問題について御質問を申し上げたいというふうに思いまして、引き受けたようなわけであります。

 まず最初に、社会教育法が施行されましてから既に五十余年間経過をしております。社会教育法が制定された趣旨は、社会教育は、本来国民の間で行われる自主的、共同的な営みであることから、国及び地方公共団体はその自由と自主性を尊重して、国民生活のあらゆる面でそれが奨励すべき事項としてうたわれていることと、そのための条件整備としての施策を実施するというふうに理解しておりますが、それでいいのかどうか、簡単にお答えいただきたいと思います。

岸田副大臣 社会教育法第三条におきましては、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務としまして、「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない。」と規定しておりまして、社会教育行政の基本的な任務は、住民の自主的な社会教育活動を尊重しつつ、それを奨励援助することにあるというふうに理解しております。

葉山委員 そうだと思います。社会教育は学校教育以上に個人の自発的な意思の尊重がされなければならない。というのは、そのことにより豊かな人間形成の育成を目指しているからであります。教育基本法も第七条で、社会教育の役割を奨励法として明確にしております。今回の改正によりまして、このことが変わるのか変わらないのか。

 また、改正案の第三条は、配慮事項であり努力規定と理解しておりますが、それでよいのかどうか、お答えをいただきたい。

岸田副大臣 まず、教育基本法第七条の趣旨は、社会教育が国民の間で自主的にかつ多様な形態で行われるよう国及び地方公共団体によって奨励されなければならないというものでございます。このような基本的な考え方は、今回の改正においても変わるものではないというふうに考えております。

 それから、先生、もう一つの御質問は、この三法案につきまして、義務化かどうかという御質問だったのでしょうか。済みません、ちょっと確認をさせていただけますか。二問目の御質問でございます。

葉山委員 親は子供を監護、教育する義務を負っております。したがって、家庭において親が行う教育は、最も自然な営みであり、人間形成の基礎的部分を担うなど、人間的な教育として重要な役割を持っております。そして、社会教育法の趣旨からも、家庭教育の基本は家庭の自律の保障が極めて重要である。したがって、法案改正に当たっては、前回も何か大分、パンフレットをつくって無料で配るというようなお話もいただきまして、そのときに私は、どうも官が一人一人の家庭にそこまで入ってくるのはいかがなものか、余りなじまないのではないかな、話を伺ってそう感じておったわけであります。すべて、国や地方の官側が口を出すような官製家庭教育に陥る可能性は、努めて排除しなければならないというふうに私個人としては思っております。文部科学省の家庭教育に関する考え方はいかがでしょうか、伺いたいと思います。

遠山国務大臣 まさに、家庭におきます教育といいますものはそれぞれの家庭の責任において実施されるものでありまして、各家庭の価値観あるいはそのスタイルに基づいて行われるべきであり、またそのことが豊かな社会人の育成に資するわけでございます。その考えはまことにそのとおりでございます。しかしながら、今のいろいろな家庭をめぐる状況から、行政に対しても何らかの支援をという声が非常に強いわけでございまして、そのために、行政の役割というのは、家庭の教育力の充実を助けていく、そういう姿勢で行われており、また今後もそうでなくてはならないと思っております。

 したがいまして、今手帳の話も出ましたし、いろいろな手だてを考えておりますけれども、それは、親が子育てに関して悩みを持っている、あるいは不安を持っている、そういうふうなときにどう対応したらいいかということについてのアドバイスをするわけでございまして、決してそれが、それぞれの家庭はかくあるべしというようなことを強制的に意図するようなものではないということは、もう委員十分御理解いただけると思っております。

 このような考え方に立ちまして、今回の社会教育法改正は、教育委員会の事務として、市民の要望がある、そういう家庭教育に関する学習の機会を提供するための講座の開設などの事務を明記いたしまして、各教育委員会における家庭の教育力の充実のための一層の支援ないしアドバイス、そういったものを充実していこうとするものでございます。

葉山委員 子供の育ちにとって家庭の果たす役割が大きいことは申すまでもございません。しかし、こうした状況にあるだけに、これまで以上に個々の家庭に、例えば精神訓話的に自覚を促して責任を押しつけることが、その責任を負い切れない親たちをさらに追い詰めることを非常に危惧しております。

 また、子供が事件を起こすのは家庭のしつけの責任だなどという世論の高まりが、事件を起こしてしまった家庭の親を孤立化させ、そうでない親たちも含め、我が子のしつけに悩み、不安を抱く親たちの分断につながり、問題状況の解決にはならないのではないかというふうに感じております。

 今社会に求められているのは、家庭のあり方の多様性を認め合い、親たちが子育てをキーワードにしてのネットワークをつくっていくことであり、その社会的支援であります。企業も、男女の性別役割分業的な風土を改めて、男女ともに子育てをしながら働けるよう条件整備、支援をすべきであると思います。

 具体的には、子育て不安、孤立が深まり、児童虐待がふえ、心に負った傷は、人間不信などに陥り人間形成にとって悪影響を与えている。児童虐待防止法が成立したけれども、連日のように悲しい児童虐待のニュースが流されております。こうした事態から、行政が家庭を支援する内容は子育て支援を中心に進めるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

 そして、この子育て支援は今全国で展開されていますが、子育てを終了した皆さんの知恵や助けをかりたり、NPOなども含めた市民レベルのネットワークを充実させることが必要と思いますけれども、文部科学省がこれまで取り組んできた施策や事業はどうなっておりますか。

 以上について。

池坊大臣政務官 昨年の今ごろは、私は児童虐待防止法の成立に全力投球いたしておりましたけれども、毎日のように児童虐待されております子供たちの暗い不幸なニュースを目にいたしますたびに、胸を痛めております。

 私どもは、子育て支援というのは大変大切なことだと思います。先ほど委員がおっしゃいましたように、お母様方は、核家族の中で、さまざまな悩みがありながら子供と二人だけで狭い壁と向かい合って、どうしていいかわからないという状況でございます。ですから、私どもも厚生労働省と連携をとりながら、例えば、先ほどもお話が出ておりましたけれども、親が自信を持って子育てを行うためのヒント、ヒントしか与えることはできませんけれども、家庭教育手帳また家庭教育ノートの作成、配付、これが隅々まで配付できるような工夫もこれからなお一層していきたいと思っております。

 それからまた、子育ての悩みを聞いてもらう相手がいないというのが一番の問題ではないかと私は思っておりますので、電話相談の二十四時間のネットワーク、また、子育てサポーターと申しまして、これは平成十二年度では千百十四人の配置等を行っております。

 また、先ほどおっしゃいましたように、私のように子育てを終わった人間の知恵をかりるということが大変大切だというふうに思っておりますので、これからも、そういうNPO等々の方々のお力をおかりできるような体制づくりに努めてまいりたいと思っております。

 また、公民館等では、家庭教育学習の拠点となるように私どもは推進をいたしておりまして、八年度では八千二百八十件の講座等をいたしました。ことしはそれが倍増できるように頑張っていきたいというふうに思っております。

葉山委員 池坊さん、いろいろ頑張っていただきたいと思います。

 今の子供や教育をめぐるさまざまな問題は、家庭の教育力や地域の教育力が喪失したことが指摘されまして、特に一九八〇年ごろから子供の社会的力の欠如が問題になりまして、依然として、今日においてもこのことが大きな課題になっております。子供が小さいときから、社会性を培うよう、家庭教育を個人だけに任せず、地域の遊び場や児童公園の設置を整備するとともに、人と人、人と自然とが触れ合うことができるよう、教育的なものとして支援体制を図ることが重要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

池坊大臣政務官 公園は、母と子、またいろいろな友人と触れ合う大切な場だと思いますので、公園の整備は国土交通省と連携をとりながらいい整備をしていただきたいと思いますし、文部科学省といたしましては、人と人、人と自然との触れ合いというのは大変大切と思っておりますので、そのような施策においては、地域で子供を育てる環境を整備し、親と子供たちの活動を振興する体制を整備するということを目指しまして、全国子どもプランの推進をいたしております。

 また、地域の教育力の再生を図るため、今少子化になって学校で要らない教室ができてまいりましたので、そこを地域ふれあい交流センターと位置づけまして、そこで、高齢者の方また若い方、いろいろな世代の方々が子供を中心としてみんなで遊んだり触れ合うということを大切にしております。

 それからまた、子どもゆめ基金というのは、スポーツだとか読書とかそういうことをやっていらっしゃる民間の方々の助成で、これとの連携もとり合いながら、私は、人と人、人と自然と子供が触れ合うことの大切さを推進していきたいと思っております。

葉山委員 地教委が開設する家庭教育に関する講座はどういう内容を想定しておるのですか。教育改革国民会議の報告を踏まえた内容で行われるとすれば問題でございます。

 例えば国民会議中間報告第一分科会報告、「日本人へ」という記述がなされておりますが、余り評判がよくないですね。「母は」とか、「父が」と、性別役割分担を想定している。こうした考えを前提とするならやはり問題になるのじゃないか。今日の家庭の現実を理解しておらず、良妻賢母養成の復活につながる危険性もございます。

 現在、政府は、男女共同参画型社会をつくるということで、基本法などを踏まえて、性別役割が固定化しないよう施策を進めておりますが、内容をどう考えているか。

 また、支援事業、講座等の内容指針を、地方分権の趣旨に基づきまして地方自治体の判断にゆだね、支援事業も法の趣旨から内容を子育てを中心に行えるようにすべきじゃないか、この点についてお答えをいただきたい。

岸田副大臣 男女共同参画社会を形成することは大変重要な課題でありまして、こうした社会の実現に向けて教育の果たす役割は大変大きいものというふうに認識しております。

 文部科学省としましては、昨年十二月に策定されました男女共同参画基本計画に沿って関係施策を推進するとともに、都道府県、教育委員会等を通じて、関係機関、団体に同計画の趣旨を周知しているところであります。そして、この計画の中には、家庭生活への男女の共同参画の促進が盛り込まれておりまして、文部科学省としましては、フォーラムや職場内での家庭教育に関する講座等を通じた父親の家庭教育参加の支援促進、こういったことを図っているところでございます。

 また、乳幼児や小中学生の子供を持つ親に配付している家庭教育手帳あるいは家庭教育ノートにおいては、夫婦が一致協力して子育てをすることなどを盛り込んでおるところでございまして、引き続きまして、教育委員会が開設する家庭教育に関する講座の内容、これは男女共同参画の趣旨を踏まえたものとなるように期待し、そしてそのように指導していかなければいけないと考えております。

 もう一問につきましては、池坊政務官からお答えをさせていただきます。

池坊大臣政務官 講座の内容というのは、地方自治体が主として、自分たちのいろいろな工夫をしながら創意工夫の中でやるべきだというふうに私は考えております。

 やはり北海道には北海道の子育てのいろいろなネットワークやらいろいろな特色があると思いますし、また、沖縄は北海道とは違ういろいろな子育てのやり方があって当然だというふうに思っておりますので、地方がそれぞれの特徴を出して講座あるいはネットワークをつくってほしいというふうに思っております。

 厚生労働省といたしましては母子保健部局というものがございます。私たち文部科学省は、それと連携をとりまして、さまざまな講座とか、あるいは作成いたしました資料の配付などを行っております。これからもそういうことを積極的にしてまいりたいと思っております。

葉山委員 先ほど山元議員からも御指摘がありましたが、第五条第十二号の、青少年に対する社会奉仕体験活動、自然体験活動等の機会提供と事業の実施及び奨励について御質問を申し上げます。

 教育改革を推進するためには、学校、地域、家庭の連携が一層必要であります。しかし、だからといって、日常生活に隅々まで行政が全面的に介在することは、制定当時の立法趣旨に反するし、管理社会につながるおそれがあります。

 子供たちによる暴力や犯罪の頻発、モラルの低下が大きな社会問題になっており、子供たちが、多くの人たちとの出会い、体験が少ないことから、人間関係が希薄になっております。そして、奉仕活動の義務化が強く唱えられておりますが、この社会教育法の趣旨、奨励法の性質などから、先ほどから再三問題になっております義務化、強制にはつながらないというように理解しておりますが、しつこいようですが、それでいいのかということであります。

 ボランティアと自然体験活動という御提案もありましたが、やはりこの問題は今回の中でも一つ大きな問題でありますが、ともあれ、本人の自発性を抜きにしてはこの奉仕活動というのはあり得ないわけでありますし、ボランティア活動は何よりも市民の参加を必要としておるわけでありますから、その活動、特に子供の人権の観点から、過ちのないようしっかりとこれを進めていただきたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。

岸田副大臣 今先生おっしゃったとおり、今回の法改正は、青少年に対して体験活動を行うことを義務づけるものではございません。青少年に対してさまざまな体験活動の場を提供し、そしてそれらを青少年や保護者がみずから選択できるような環境を整備していくこと、このことが重要だというふうに考えております。

葉山委員 他の法案についても私は申し上げたいことが多々ございますけれども、今までも相当問題になってきておりますので、どうか、生き生きとした教育が学校の現場で見られるような教育を進めていっていただきたいというふうに思います。

 恥ずかしいようですが、青春時代に読んだフランスの詩人の言葉が私は大好きであります。「教えとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」という一節がございますけれども、教育というのはあくまでも希望を語り続けることであり、そして学ぶとは、その誠、誠実さを自分の胸に刻みつけていくことだというこの詩の教えるところは真実であるというふうに思っております。

 どうか、明るい生き生きとした子供たちの教育のために一層前進されることを期待しつつ、質問を終わります。

高市委員長 この際、暫時休憩いたします。

    正午休憩

     ――――◇―――――

    午後二時六分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 再開に当たりまして、もう皆様も御存じかと思いますが、けさ、大阪教育大学教育学部附属池田小学校におきまして、大変むごたらしい事件が発生をいたしました。心を痛めております。委員の皆様とともに、被害に遭われた方々へのお見舞いの意を表したいと思います。

 質疑を続行いたします。都築譲君。

都築委員 自由党の都築譲です。

 今委員長からお話がございましたが、きょうの午前中、大阪池田市の大阪教育大学附属池田小学校で、大変残念というか、本当に悲しむべき事件が起こり、児童四人が亡くなり、二十五人がけがをしたというふうなニュースが入ってまいりました。お亡くなりになった子供さんたちには本当に、まことに心からお悔やみを申し上げ、そしてまた、事件に巻き込まれた皆様方にも心からお見舞いを申し上げたいと思います。

 今、心の教育、あるいはまた心の豊かな人間をどう育てるか、そういったことで教育改革三法がこの委員会で審議をされているさなかに起こった事件でありまして、しかも、全く関係のない子供たち、何の罪もとがもない子供たち、そして、最も安全と思われる、健やかに育つことが期待される学校という場所で、これほど残忍な事件が起こったというのは、本当に悲しむべきことだろうと思うわけでございます。既に政府は対策本部を設置されたというふうに聞いておりますが、現在まで、この被害の状況あるいは背景など、おわかりになったところをちょっと御報告いただけますでしょうか。

 あわせてまた、学校の安全の対策、今後の対策もございますが、当面の対策、そしてまた、被害に遭った子供はもちろんでございますが、包丁で子供たちが刺されるなんという大変残忍な場面を見た子供たちのショックは本当にはかり知れないものがあるわけでありまして、心のケアの問題、こういった問題についてどう取り組まれていくのか、そこのところを、大臣、ちょっとお聞かせください。

遠山国務大臣 ちょうど、私どもが午前中、これからの学校をよくするためにどうしたらいいかということで真剣に討議しておりましたときに、あのような事件が起きまして、私としても、大変心を痛めておりますし、今、沈痛な思いでございます。

 その後、当省といたしましては、岸田副大臣をトップとしまして、対策本部を直ちに設けまして、第一回の会合も開きました。

 それで、委員の御指摘でございますので、この機会に、大変恐縮でございますが、お時間をおかりしまして、大臣談話を発表させていただきたいと思います。

  この度の事件は、あまりにも痛ましく、決して許されない出来事であります。

  まずもって、今回被害にあわれた児童のみなさん、けがをされた方々に対し、心からのご冥福とお見舞いを申し上げます。

  子どもたちが楽しく安心して学べる場であるはずの学校で、このような多数の児童や教員が犠牲となる事件が起きたことは、誠に残念であり、二度と繰り返されてはならず、関係者が全力で再発を防ぐ必要があります。

  我が省としては、平成十二年一月に「幼児児童生徒の安全確保についての点検項目」を取りまとめ、各学校及び教育委員会に対し、学校の安全管理のための方策を講じていただいているところですが、この際、改めて、緊急の再点検をお願いいたします。

  また、保護者やPTAをはじめ地域の関係団体の方々におかれても、幼児児童生徒の安全確保について、地域ぐるみで取り組んでいただくようお願いいたします。

  最近、大人社会において、残虐な事件が頻発している風潮がみられ、学校だけでは対応できない事態に鑑み、社会全体でこうした卑劣な行為を断じて許さないとの思いを共有していただきたいと、この機会に強く訴えたいと思います。

これが大臣談話でございます。

 本部の活動状況及び学校の安全対策、そして心のケアの問題については、副大臣から答弁させていただきます。

岸田副大臣 今回の事件を受けまして、文部科学省におきましても対策本部を立ち上げまして、私自身、大臣から本部長の命を受けまして、本日一時に会合を開き、この本部としての対応をスタートさせていただきました。

 その際に、今回の事件、あってはならない事件でありますし、大変残念のきわみであります。改めて、亡くなられた児童の方の御冥福を祈り、家族にお悔やみを申し上げ、そしてけがをされた皆さん方にお見舞いを申し上げながら、我々は、やはりこの問題の深刻さ、この事件の重み、こういったものをしっかり受けとめて、こうした重みを共有しながら全力で当たらなければいけない、本部のメンバーに対しまして、そういった思いを申し上げさせていただきました。

 その上で、まず第一にやるべきこととして実態の把握、情報の収集ということで、午前中、この一報が入ったと同時に、高等教育局の係長を現地に派遣したわけでありますが、加えて、池坊大臣政務官を現地に派遣して、より一層情報収集に努めるということを確認した上で、安全対策につきましては、今大臣の方からもお話がございましたが、二年前の安全対策に関する通知、さまざまな項目を設けて徹底をしたわけでありますが、この徹底が本小学校におきましてどうだったか、そして、加えて、全国の学校においてどうなのか、これをしっかりと再点検することを指示したところであります。

 そして、心のケアとしましては、今回の事件は国立大学の小学校において発生いたしました。近隣の国立大学においては、こうした心のケアの専門家が多数存在するということでありますので、国立大学のこうした心のケアの専門家、スタッフを動員して、この池田小学校における児童の不安、心のケアに対応するべきだと考えまして、まず、その専門家の動員、いつどのような形でできるのか、すぐ確認をするようにと指示を出したところであります。

 本日の一時の会議ではそういった指示を出したところでありますが、また、この問題、大変大きな深刻な問題を含んでいると思います。今後、広い意味での心のケアも引き続きましてやっていかなければいけない、そんな問題意識を持っておりますので、このあたりも、情報収集とあわせていろいろ検討していくことが必要だという認識でおります。

都築委員 ありがとうございました。ぜひ、本当にしっかりとした対応をとっていただくように、お願いを申し上げたいと思います。

 そして、同時に、今回教育改革三法案ということで、子供たちが本当に伸びやかに、健やかに育つようにと、そしてまた、社会のルールといったものもしっかりと学んでいけるようにということでの取り組み、審議をしておるわけでありますが、昔、といっても、私自身もそうでございますが、やはり小学校のころなんというのは本当に思い出の場所として、大きくなってからも時々近くを通ればふっと立ち寄りたくなるような、そういう場所であったであろうに、どうも、きょうの事件もそうでございますが、去年たしか京都の方で起こりましたあの事件も、学校とかそういったものに対する反発とかそういったものがある。そういったことも真剣に考えて、この教育改革というものに取り組んでいかなければいけないんではないのかなということを、つくづく思った次第であります。

 それでは、三法案の各項目について、また質問をしていきたいと思います。

 きょうは、私は、飛び入学の問題、先々日、さらにその前の二日間続けて、社会奉仕体験、自然体験など体験活動のあり方について見解をただしてまいりましたが、今回大きく議論になっておりますもう一つのテーマが、飛び入学を認める、こういうことでございました。そして、この飛び入学の問題について、やはりいろいろな考え方の中で論点として出てきておりますのが、子供たち、高校の教育の現場を相当混乱させるのではないか、青田買いのようなものになるのではないか、こんな話があったわけであります。

 私自身も、本当におかしいな、こんなことでいいのだろうかというふうに思っておったのでありますが、きょうの午前中の質疑を聞いておりますと、実は、いや、一つの大きなアイデアなのかなというふうにも思ったわけであります。

 と申しますのは、今回の仕組み、また後ほど具体的に私が問題と考えるところを指摘し、お答えをいただきたいと思いますが、例えば、今の教育制度では、六・三・三・四と言われるようなこの教育制度では、若い優秀な方たちの才能がつぶれていってしまう、あるいはもう伸びていかないんだ、そういう仕組みだと政府、文部科学省は認識をしているからこそ、こういう飛び入学といったものを、対象分野を広げ、受け入れ大学も大幅に認めるような形で考えてきたのかなと。

 ということは、今の学校教育制度の問題、かねてから指摘されておりました受験偏重教育、こういったものを改めるんだ、改めるんだと言いながら、その抜本改革がなかなかできなかった。しかし、今回は、入学試験というもので受験入試戦争が起こる、だから、そういったものを実は、もし飛び入学という形で、優秀な才能がある、すぐれた資質があるということで、みんな大学と高校の生徒が一対一の取引みたいなことをやってどんどん入れていくというのを、人数をふやしてしまうんだったら、もう入試ではなくて推薦という形で、この受験偏重教育といったものを抜本的に壊していこうという考え方を文部科学省が持っておられるのか。

 そういった受験偏重教育の問題は、多くの科目を生徒たちに学ばせ、そしてまた、その中から相当数の科目を受験科目として指定することで、これも一つは全人的な教育、いろいろな分野に対して目を見開く、あるいは知識を身につける、そういったことでも意味はありますが、むしろ、本当に好きな科目だけしっかりやって、そして好きに人生を生きていけばいいんだ、こういう発想で教育も改革しようというふうに思って文部科学省は提案されたのかなと思うと、本当に革命的な改革案ではないのかなという気が実はしてしまうのであります。

 ちょっとこの点は、余りにも大きな問題でありまして、最後のところでまた時間があればお答えをいただきたいと思うのであります。

 具体的に少しずつ聞いてまいりますと、まず第一点は、受け入れ機関を短大や専門学校にも、そしてまた普通の大学でも、大学院教育の指導教官が充実しているとかそういった要件も外して、短大や専門学校にまで拡大していく理由というのは一体何なのか。

 それから、対象分野をこれほどまで大きく拡大していく。例示として、例えばデザインとか、あるいはまた情報とか、さらにまた医学や薬学までどんどん拡大をしていくというふうなお考えだ、こう思うわけでありますが、そこら辺のところ、どういうふうにお考えになって、どういう理由でこういうことをやられるのか、聞かせていただきたいと思います。

岸田副大臣 まず、受け入れ側の拡大の問題であります。

 まず短期大学ですが、短期大学も、大学と同様、深く専門の学芸を教授、研究するということを目的としております。学校教育法第六十九条の二の第一項にこう規定されているわけであります。今回の受け入れ先の拡大においては、要は受け入れるためのカリキュラムですとかあるいは体制、こうしたものが充実すれば、これは認めるべきだということにしたわけでありますが、短期大学も、今申し上げましたような目的を持っている以上、大学と区別をするということ、制度上扱いを異にするということは、制度上の不均衡になるのではないかということがまず一つあります。音楽とかデザイン等の才能を伸ばすことを考えた場合に、短期大学においても、カリキュラムですとかあるいは体制が充実していたならば、差をつける必要はないのではないかということがまず一つあります。

 それから、専門学校においても、やはり昨今、例えばコンピューター等において飛び入学の可能性あるいは必要性、これは大いにあるのではないかというふうに考えます。ですから、このあたりも、カリキュラム、体制の充実ということはしっかりと条件としてつけなければいけないわけでありますが、専門学校を外す必要性はないのではないかという認識を持っております。

 それから、分野を拡大するということについてでありますが、分野の拡大につきましては、現代社会におきまして、学問分野の複合化あるいは学際化、あるいは情報分野等新しい分野が次々と広がっている、こうした中にあって、特にすぐれた資質を発見し、さらに伸ばすということを考えた場合に、従来のように数学等に分野を限定していいのかという問題意識が出てまいります。

 また、芸術やスポーツ等においても、もちろん学校の外でもこうした資質は伸ばすことができるわけでありますが、学校の場において伸ばす可能性も、道を開いてもいいのではないかということ。さらには、大学と高校が連携することによってさまざまな取り組みが行われております。聴講生等を大学が受け入れる、こういった動きがあるわけですが、こういった取り組みの中には、情報とか芸術など、実際にそういった分野において取り組みが行われている、こういった実績もあります。こういったこと等を踏まえまして、可能性を、機会を与えることは必要なのではないか、こんな問題意識で分野の拡大も考えたところでございます。

都築委員 今のお話をお伺いしておりますと、先ほど冒頭に私が申し上げたような、本当に教育制度の抜本改革をこの仕組みで培っていくのかなあというふうな気がするわけであります。

 ただ、今おっしゃったようなお話、後ほどまた申し上げたいと思いますが、数学とか物理というようなものは恐らく天賦の才能というものがあるのかなと思うのでありますが、ほかの分野について、本当に明確に、はるかにすぐれた、日本でただ一人の傑出した才能だなんということが、一体そんな若い時代からわかるんだろうか。仮に持っているとしても、そういったものはやはり自分で本当に努力しながら、他人の力も得ながらしっかりと培っていく、そういったことで花開いていくんではないのかなと。逆に、ふわっと引き上げてしまって、温室の、しかも黒々とした花壇の苗床の中に置いたら、あっという間になよなよっとしたものになってしまいかねないんじゃないのか、そんな思いがするわけでありますし、また、特に優秀な、すぐれた資質ということの判定基準も、以前からお聞きしていますと、どうもはっきりしないわけであります。

 先ほど申し上げた数学とか天賦の才能、こういったものは、私の聞いたところでは千葉大学に数学で入った方たちは、国際の数学オリンピックとかコンクールというのがあるわけでありまして、そういったところで本当にトップで入賞したんですかと聞いたら、いや、受けたことはないみたいですというようなことを言っておるわけでありますから、一体どういうところで本当にその学生さんたちが選ばれたんだろうかということを思うわけであります。

 特に優秀な資質、数学みたいに量的に把握できるものだったらいいけれども、音楽あるいはまたスポーツ、デザイン、それからお医者さんとか歯医者さん、こういったところも可能だということになると、お医者さんの才能が、高校のときに、うん、聴診器の当て方がうまいとか、そんなことで本当にわかるんだろうか。あるいは、生物の成績がいい、化学の成績がいい、ただそれだけのことでお医者さんの方に行く、あるいは歯医者さんの方に行く、そんなことがあるんだろうかという気がするわけであります。すぐれた資質の判定の基準というのを具体的にどうお考えになっているのか、お聞かせください。

岸田副大臣 特にすぐれた資質というもの、特定の分野で他にぬきんでたすぐれた資質のことでありまして、総合化する思考力、構想力、斬新な発想や独創的な考えを提起する力などの点において極めて高い能力を有するなど、こういった才能であるというふうに理解しております。

 これを判定するということの難しさ、これは先生おっしゃるとおりだというふうに思います。その判定をする際にどういった判定をするのかということでありますが、例えば千葉大学の例でいきますと、出願の際に、調査書ですとか、ホームルーム担任教諭及び理科の教科担当教諭の推薦状とか自己推薦書、こういったものを出させているわけであります。こうした書類を出させた上で、千葉大学でどういった形で判断しているかということになりますと、例えば、提出書類に記載された成績や実績、これはもちろんでありますが、例えば火星からなぜ水が失われたかということを考えるというような、思考力、ひらめきを問うような小論文を課すとか、あるいは実験的なセンスなどを問うために七時間かけて実験をさせてみるとか、あるいは小論文、実験について一時間かけて口頭試問を行う、こういったことをやっている。こういったことを通じまして、総合的に判断しているということでございます。

 分野によりまして、これはさまざまだとは思います。おっしゃるように、判定はなかなか難しいとは思いますが、実際、こうした例も踏まえまして、さまざまな分野で特にすぐれた資質を伸ばしていくチャンスを広げていくよう努力をしていきたいというふうに思っています。

都築委員 きょうは時間が三十分しかありませんので、ちょっと手短に質問し、またお答えもいただきたいと思います。

 今のお話、正直言ってよくわからないんです。数学とか物理だったらそういったひらめきみたいなもの、そういったものがあるかもしれませんが、先ほど申し上げたいろいろな分野でそんなものが本当に具体的にできるんだろうか。ということは、もしできなければ、本当に不透明な、やみの中で入学が許可されるというふうな事態になっていくんではないのか。だから、一番心配なのは、逆に言うと青田買いの問題もございますが、飛び入学の利用の生徒数とか大学の受け入れ機関数の見込みがどれぐらいになると見ておられるのか、簡単にちょっとお答えください。

岸田副大臣 判定につきましては、各大学のそれぞれが工夫し、判断していくということになると思いますが、その見込みにつきましては、これはこの制度に対して現在これだけのニーズがあるからこれに対応するというのであれば見込みというのは立つかと思いますが、この制度の趣旨は、特にすぐれた資質を持つ学生が大きく伸びていく可能性を、チャンスを与えるというのがこの制度の趣旨でありますから、この制度をどれだけ大学が利用して門戸を開くのか、どれだけの学生がこれに応ずるのか、これによって数字が決まってくると思いますので、今の段階で、今チャンスを開こうという段階で実際どれだけの数字が見込めるかということは、判断することは難しいと思っております。

都築委員 そういうことで本当に済むんだろうかという気が実はするわけであります。今までは千葉大がやっていたということですが、東京大学、東京工業大学あるいは京都大学、こういったところは数学でも物理でもやってこなかったわけですね。そういったところが一番日本の物理学界やあるいは数学界をリードしてきた大学じゃなかったんですか。なぜそういったところが今までやってこなかったのか。そして、今後やるつもりがあるのか。

 それから、今お答えになった、どれぐらいの見込みになるかやってみなければわからないような状況と言いますが、実際に少な過ぎたらやれというふうに文部科学省は指導されるのか、多過ぎたらやめろというふうなことを言うことになるのか。そこら辺のところだって方針をはっきりさせておかないと、一体どういう状況になってしまうのかわからない制度を仕込んでいくなんということが、この立法府の行為として許されると思いますか。

岸田副大臣 今先生の方から、東大、東工大等の大学でやっていないではないか、あるいはこれからやる予定があるのかというような御質問をいただきました。

 基本的に各大学の判断に任せている、自主的な判断に任せるんだということを申し上げているわけでありますが、要は、自主的な判断の根拠としまして、飛び入学を受け入れるカリキュラムあるいは体制が整っているか、こういった判断があるわけであります。

 ですから、東京大学におきましては、入学者全員が教養学部に属してリベラルアーツ教育を受けた後、三年次に進学する際に志望と成績によって専門学部が決定されるという独自の教育制度をとっているわけであります。この制度の上では、飛び入学を円滑に受け入れるためには検討を要するということで、東京大学では飛び入学は今まで採用していないわけであります。

 そして、東京工業大学におきましても、現在行われている体制が飛び入学にふさわしいかどうか、これを検討しなければいけないということで、現実には今行っていないわけであります。

 かくのごとく、それぞれの大学で飛び入学を採用するかどうかは、各大学全体の教育体制あるいはカリキュラム、こういったものにおいてそれぞれの考え方を持っておられて、それが飛び入学にふさわしいかどうか、ぴったりくるかどうか、このあたりの判断によるというふうに思いますので、最終的には、それぞれの判断になってしまうのではないかというふうに思います。

 ですから、そういった結果、多いか少ないかということでありますが、これは、数を初めから文部科学省が指定をするというのはふさわしいものではないのではないかというふうに思います。

 ただし、自己点検、評価、その辺の実施状況、この辺を公表するとか、あるいは高校、大学関係者による連絡協議の場を通じてさまざまな意見を聞く等、適切な運用を確保しなければいけない、そういったことは努めていかなければいけないというふうに思っています。

都築委員 今のお話を聞いておりますと、本当に、仕組みとしてもともといびつなものとして仕込んでいってしまいかねない。

 例えば、私これは勝手な推測でありますが、飛び入学を千葉大学がやったから四人だったのではないのかなと。むしろ、先ほど申し上げたように、今までこの学界をリードしてきた東大とか京大とか東工大とか、こういったところがやっていたらもっとたくさんの応募といったものがあったのではないのかなと。本来、本当にすぐれた資質の人を実は育てなければいけない大学機関といったところに行かなくて、逆に、別のところに回ってしまう。もともといびつなものとして仕込むことをお考えになっているのかなということを不思議な思いで実は今聞いたわけでございます。

 そしてもう一つ、実はもう時間がかなり短くなってまいりましたが、こういったことを考えますと、昔の旧制中学の四年次修了で高等学校の入学試験を受ける、こういった仕組みのようなものをお考えになっているのか。それは、先ほども申し上げたように、今の学校教育といったものを抜本的に根本から変えていこうという発想で、もっと好きな学科だけやっていればいい、こういう発想になるのかなというふうな感じもしないではないのです。

 時間があとちょうど二分ということになりましたので、お答えを聞いておりますと時間がなくなってしまいますので、恐縮ですが、私の指摘したいことは、一つは、例えば専門学校の方に認めるということですが、学校教育法の施行規則第七十七条の五を改正しなければならないということですから、この法律をいじったからといって成るわけではないわけです。むしろ専門学校は専門学校として、各種学校の、高等学校修了者を受け入れる機関として、もっと実務的な、技術的な面をやるということであれば、それは何もそんな研究機関のような形で教えていく必要はないんじゃないか。直す必要はない、私はこんなふうに思うわけであります。

 それからもう一つ、こういった若い方たち、昔から、伏すこと久しければ飛ぶこと高しと言われるように、じっと地面で我慢して力を蓄えている時間が長いほど、実は後々になって大きく高く飛ぶことができるという事実もあるわけでありまして、早くからぽんと引き上げてしまってやることが、一体それでいいんだろうか、才能を逆につぶすことになるんじゃないのか、こういう点。

 それから、先ほども申し上げたように、選考過程が非常に不透明な、それこそ本当に何か裏口入学を公然化するような仕組みに実はなってしまうのではないかということを私は大変懸念するわけであります。

 それからまた、規模が大きくなってまいりますと今度は高校教育の混乱を引き起こすということは、かねてから各委員から指摘をされておりますが、混乱だけではなくて高校教育の否定ではないのか。何のために六・三・三という形でやっているのか。本当に特に希有なすぐれた資質を持ったごく少数の人を何とかしようというんだったら話はわかるけれども、これほど広範に認めていくということになったら、もう高校は三年は必要ないんだ、二年間やる。それから、全人的な教育で、算数、国語、理科、社会、こういうような形でやっているけれども、好きな科目だけ一生懸命勉強していろ。それで、あなたは才能があると認められたら大学入試を受けずに行けるんだということになったら、高校教育そのものを否定することになるんではないか。

 それからまた、不公平感といったもの、生徒の間でも、また受け入れた大学の側でも、なぜこの子だけ特別に手厚い講義が与えられ、施設の利用が認められるのか、そういった不公平感というものが出てくるのではないか。

 こういう点を指摘いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

高市委員長 児玉健次君。

児玉委員 日本共産党の児玉健次です。

 私は、きょうの昼前に起きた大阪教育大学附属池田小学校における極めて痛ましい事件、亡くなられた方々に心から哀悼の言葉を贈ります。そして、負傷された皆さんの速やかな回復と、その方々に対して、同様お見舞いの言葉を贈ります。そして、文部科学省に対しては、速やかに適切で十分な対応措置をとっていただきたい、そのことを要望しておきます。

 さて、きょうは、地教行法四十七条の二、子供に対する指導が不適切である教師と皆さんが提起されている問題について述べたいと思います。その後、時間があればさらに発展させたい。

 この六月一日、本委員会で、私は教育という営みの特性について触れました。非常に多面性があり極めて高度である、そして集団的営みという性格が強い、その効果は年月を経て初めてあらわれる、こういうふうに指摘したのに対して、大臣は、会議録の未定稿によれば、今御指摘のような点というのはそういうことであろうと思いますと答弁されました。そこを土台にして議論を進めます。

 現在、学校では、教師の孤立化の問題、職場における同僚性の喪失――大学を出て学校に赴任した若い教師がどうやって教師として生き生きとその力量を発揮するに至るか、その点については、先日、同僚である山内委員が御自身の経験を御紹介なさいました。非常に私はそれを興味深くお聞きをした。そういったことが今、日本の学校、職場で喪失している、こういう指摘がされています。

 そのような状況の中で現在何が求められているか。教師が同僚とともにみずからの授業を示し合って、そして互いに批評し、支援し合う、こういう取り組み。お茶の水大学の勝野正章先生は、この五月に発刊された「教育」という専門誌の中で、子供を中心に教員も親も一緒に学び合い、育ち合っていく、そのような学校づくりが今各地で進んでいることを紹介されて、このような努力の中から教師の力量が集団的に、全体的に生き生きと発揮されていることを紹介されています。

 大臣は、このような努力をどのように受けとめていらっしゃいますか。どのように評価しているかというよりは、あなた御自身がどのように受けとめていらっしゃるか、お聞きしたい。

遠山国務大臣 学校におきます教育に十全の責任を持つのは教師でありまして、学校教育の成否はまさに教員にかかっているわけであります。そして、教員は全人格的な能力を発揮して子供に対応すべきと思っております。

 今のお話でございますが、学校においては、多様な資質、能力を持つ個性豊かな人材によって構成される教員集団、これが校長のリーダーシップのもとに連携協力することによって、学校という組織全体として充実した教育活動を展開することが必要であります。

 しかしながら、当然のことではありますが、教員一人一人については、それぞれが児童生徒に対して適切に教育を行うことのできる資質、能力を有していることが求められているのは当然のことであります。

児玉委員 文字どおり、すぐれて集団的である。クラスで何人かの子供とある授業で対面しているときは、その教師は個として子供に対面しているかのごとくであるが、先ほど勝野先生の言葉を紹介したように、教師の力量が前進していくためには、同僚の教師と一緒に切磋琢磨していく。そして、子供、親に学び、その人たちと一緒に努力をしていく、そういうことで教師の力量は前進する。

 そのような教師を、集団的な営みのそこから切り離して、一人一人別々にして、しかも長年月ではなく、例えば一年という短い期間を単位にして、指導が不適切であるとだれがどのようにして判断できるのか。判断するのかと私は聞いているんじゃないんです。だれがどのようにして判断できるのか、この点、お答えください。

遠山国務大臣 学校の教員のまとまりを構成する一人一人の教員の切磋琢磨というのは非常に大事でありまして、教員同士なりあるいは子供とのやりとり、あるいは周辺のいろいろな状況の中で自己を磨いていくというのは当然のことでありまして、そういうみずからの指導力を高める努力を進めることも大事であります。

 このような角度から、文部科学省におきましては、教員の自主的な研修活動を奨励、支援するために、中央教育研究団体の研修活動を助成したり、あるいは平成十二年には、教員が休業して自発的に長期間大学院で学べる大学院修学休業制度を創設したところであります。また、学校教育への父母等の参加につきましては、各教育委員会や学校において、学校開放、授業公開あるいは特別非常勤講師等としての地域の方々の授業への活用等、開かれた学校づくりの取り組みが進められているところであります。

 今のようなバックを持ちまして、それぞれの教員がぜひ研さんを積んでいただきたいというのは前提でございますけれども、今回の法案で提示しております不適切な教員をだれが選ぶのかということでございますが、これは、校長が日々の授業状況等からそれぞれの教員の実態を把握しているのでございまして、市町村教育委員会も、校長の報告に基づいて、必要に応じて指導主事等を派遣したり、みずからも状況を把握していることが通常であると考えられます。

 いろいろな情報がありましょうけれども、そういった情報を公正に分析した上で、市町村教育委員会の報告に基づいて、任命権者である都道府県教育委員会が、指導が不適切であるとの要件に該当するかの判断を、教育委員会で定めた手続に従って十分に検討した上で判断するということになるわけでございます。

児玉委員 今のお話の中で、あなたは、教師が切磋琢磨することの重要性、それはお認めになった。ただ、あなたの今の答弁の中で、みずからの指導力を高める努力も必要だと。もし私の聞き間違いでなければ、あなたは、努力も必要だと言われた。私は、それは違うと思う。努力が必要なんですよ。そして、それは個としての努力と集団としての努力ですね。そういう中で、校長も一定の役割を果たさなければならないでしょう。

 私が聞いているのは、指導が不適切であるとだれがどのようにして判断できるのか。今のお話では、校長が日々の授業の状況から把握している。そうですか。例えば、都会の、教師が三十人いる学校、僻地の、教師が数人の学校、大きな高校の場合、七十人、八十人教師がいることもある。そういう中で、日常の授業の状況から教師の指導が不適切であると判断できるような校長がいたら、私はお目にかかりたい。そんな人はいません。

 問題なのは、今あなたが言ったことの中で、市町村が定める手続、規則に従ってという、結局そこに依拠していくことになる。

 私は同僚の議員の皆さんに率直に言いたいんだけれども、誠実で真摯な教師ほど、みずからが教師として持っている力量が現在の子供たちの求めにたえ得るのかどうかということを日々真剣に悩み、不安を感じ、そして、そういう思いの中から、まさに切磋琢磨して教師として成長していくんです。その点、あなたは文部科学大臣としてお認めになるでしょう。いかがですか。

遠山国務大臣 教員一人一人が切磋琢磨しながらみずから努力することが、これは確かにがでございますね、が大切ということは当然のことであります。そして、大事なことは、教員が子供たちに対して十分な指導力を発揮できるか、それが今望まれている教育の実態、ねらいと合致しているのかどうか、そういうことを常にみずからに問い直しながら教育をしていただきたいと思っております。

 また、教員の皆さんが情熱を持って、子供たちに教えるべきことをきちんと教え、そしてみずからも全人格的な角度からきちんと対応されていれば、ほとんどの方がそうだと思いますが、そのような人が今この法案でねらいとしている不適切な教員に当たるということは考えられないと思います。

 既に、どういう場合が不適切であるかということについて、るる何度も何度も御説明いたしておりますけれども、それらを総合的に考えていただければ、私は、教員の努力ないしその意欲、そしてみずから研さんする姿勢、そして、現実に豊かな、あるいはすぐれた教育がなされていれば、今回の不適切な教員というふうなことには当たり得ないと考えております。

児玉委員 指導が不適切だとあなたは判断できると考えているようですね。しかし、今世界各地の教育事情、そして教育の専門家たちのさまざまな研究の中で、教育という営みを客観的に的確に評価することの難しさがどんなに甚だしいものであるか。もし一歩道を誤れば、その国の教育自身を困難に追い込んでいく。この点については、この後石井議員が皆さんに提起をすることになるけれども、そういう重要な問題ですよ。

 私は、この際明確に、あなたに改めて問いたいのだけれども、誠実で真摯な教師ほど、教師としてのみずからの力量に不安を感じ、そして悩みながら、苦しみながら努力をしている。そういう教師には、指導が不適切、そういうレッテルがいつ自分に降りかかってくるかもしれない、あすは我が身というおそれが、今あなたが言った、ほとんどの教師の抱く共通のおそれになる。そして、熱意のある教師を萎縮させ、伸び伸びとした教育力の発揮を阻害させないか。これはそのまま子供の不幸せにつながり、日本の教育の荒廃につながる。

 先日、あなたは、こういった危惧が広がっているという私の指摘に対して、教師を「萎縮をさせるようなことにはならないというふうに私は信じております。」と。信じておりますと答弁された、そのように信ずる根拠を具体的に示してください。

遠山国務大臣 その判定において公正かつ客観的な視点で行われなければならないというのは当然のことであります。

 本法律案におきましては、この措置が公正かつ適正に運用されるように、対象となる教員を、児童または生徒に対する指導が不適切であること、そして、研修等の措置が講じられてもなお適切に指導を行うことができないことのいずれの要件にも該当する者に限定する。この限定は内容が深いものでありますが、しかも、その要件に該当するかどうかを判断するための手続については教育委員会規則で定めることとしているわけでございます。その内容についても、判定委員会を設けることなどのきちんとした内容で今後指導していくということを考えておりまして、この法律案は、このように児童生徒に対する適切な教育を確保することをねらいとするものでありまして、教員を萎縮させるものではないと考えております。

児玉委員 あなたがそのように信ずる根拠は、今は一つも具体的には示されていませんね。そして、あなたがおっしゃるその法律案がどんな過程で準備されたのかということも、出自の経過はその法案の中身を示しますから、その点をちょっと私は吟味してみたい。

 大臣、ぜひ、文部科学省がことしの一月二十五日に出された二十一世紀教育新生プラン、私の部屋まで持ってきてくださった、それを手にとってください。八ページを開いてください。「主要施策及びタイムスケジュール」という欄があって、そこに地教行法の改正「通常国会に法案提出」と太い矢印がある、説明に何と書いてあるか。「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員を教員以外の職員へ円滑に異動させるための方途の創設等」こう書いてありますね。そのとおりですね、大臣。では、そのことを確認しましょう。

 そこで、先日のあなたと私との議論、地教行法四十七条の二、あなたは私に対してこう答弁された。「この法律案」すなわち地教行法四十七条の二です、「この法律案におきます転職の措置というのは、児童生徒への指導が不適切な教員のうち、分限免職」これは地公法二十八条における分限免職ですね、「分限免職などまでに至らない者」であると答弁された。そのとおりですね。

遠山国務大臣 分限免職なり分限休職に至らない者すべてが当たるわけではもちろんございません。要件がつきますけれども、そういう前提であればそういうふうな内容で答弁したのであろうと思います。

児玉委員 その点は会議録を確かめればはっきりします。会議録ではそのようになっています。

 そこで、地公法二十八条の分限免職についても私はお尋ねした。あなたはこう答えた。地公法二十八条、「指導の不適切という範疇ではなくて、既に授業などの指導が放棄されていたり」として、もう一つのケースをお挙げになった。

 大臣、もう一遍これを見てください、この新生プラン。あなたの今の二つの答弁に照らしてみて、この文章をどう読めばいいのだろう。ここに書いてある「指導力が不足し」というのは、明らかに地教行法四十七条の二のカテゴリーですね。そして、もう一つここに書いてある言い方「十分な適格性を有しない」というのは、地公法二十八条のカテゴリーではありませんか。あなたの答弁でも、今の二つは範疇を異にするということを明らかにされている。それをこの新生プランでは一体にし、ごちゃまぜにして、「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員」。最も肝心なところでごちゃまぜになっているではありませんか。どうですか。

遠山国務大臣 御指摘ではございますけれども、この項目は、左の「主な政策課題」に対応したタイムスケジュール及び主要施策になっております。左側の「主な政策課題」の方をごらんいただきますと、十一の「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」の中の二つ目として「効果的な授業等ができない教師を他職種へ配置換えできる途の拡大や免職などの措置」ということでございまして、その内容が、今お読みになったことも含む二つの事柄に該当しているわけでございます。

 それで、今の「指導力が不足し十分な適格性を有しないと認める教員を」云々ということでございますけれども、このことをねらいとしながら、左の目的の主要な政策課題を達成するために今法案を提出しているわけでございまして、その法案自体、お読みいただけば、不適切な場合ということに限定されていることはおわかりいただけると思います。

児玉委員 答弁はぜひすりかえないでいただきたいのです。私が言っているのは、指導の不適切というのは地教行法の世界である、そして、十分な適格性を有しないというのは地公法二十八条だ。わきのことをいろいろ言っているけれども、それを最も見事に示しているのがこの文章ですよ。色刷りのものが大量に学校に配られている。「教える「プロ」としての教師を育成します」。三行目に何と書いているか。「不適格教員への厳格な対応(教壇に立たせない)」このカテゴリーから地教行法が出てきますか。答えなさい。

遠山国務大臣 これは、内容を短く表現した場合の表現であって、「教える「プロ」としての教師を育成します」という中の三つの柱の一つとして述べたものだと思います。

児玉委員 短くするときには正確に短くしますよ。これは全くばらばらに、あなたたちの混乱とごちゃまぜを、ある意味では非常に的確に表現していますね。私が聞いているのは、「不適格教員への厳格な対応」というのは、これは地公法からしか出てこない概念、地教行法からは出てこない。

 そこで、私はあなたに聞きたい。あなたは、法案について言えば一定の整理がされているというふうに今述べたけれども、それはそれで私は議論するけれども、今問題にしているのは、法案準備の過程です。準備の過程で明らかに、この「指導力が不足し」という概念と、「十分な適格性を有しない」、この「十分な適格性を有しない」という点でいえば、地公法の世界でもないんです。地公法が問題にしているのは、十分な適格性があるかどうかの問題じゃない。適格性に欠けるかどうかが問題なんですよ。そういう勝手放題な言い方でもってこういうものを出す。この部分は明らかに混乱し、誤っています。削除してはどうですか。

遠山国務大臣 この文章もよくお読みいただいたらわかりますように、通常の日本語の解釈としては、「指導力が不足し十分な適格性を有しない」ということは、指導力について十分でないという意味と解するのが普通ではないでしょうか。私はそのように解しまして、これを削除するとかなんとかということに当たらないと思いますし、今大事なのは、法律案でどのようなことが提起されているかということではないかと考えます。

児玉委員 委員長に求めますけれども、この文章というのは、今大臣が言った、短くしたらこうなるという性質のものじゃないですよ。「不適格教員への厳格な対応(教壇に立たせない)」、これは明らかに地公法二十八条の世界であって、その法律は出されていないし、私たちは今それを審議しているわけではない。準備の過程でこんなでたらめな、ごちゃまぜの、混乱した中身で皆さんがこの法案を準備して、しかも、これは全国の学校や関係者に配られているじゃありませんか。

 こういうミスは改めるべきですよ。そして、この部分は削除すべきだ。その点について、私は速やかにこの文部科学委員会の理事会で協議をしていただきたい。どうですか。

高市委員長 当委員会で現在審議しておりますのは、でき上がってきた三本の法律案についてでございます。その前に使いました資料につきまして、これをまた理事会で取り上げて、その文言についての扱いを決定するということに関しては、私はお受けできません。

児玉委員 常任委員長の職責というのは、公正に審議を進めることですよ。理事会でどういう議論になるかというのは、私は理事の皆さんの良識にゆだねたい。問題は、法案が出される準備で、こういう混乱した、ごちゃごちゃのことがあっていいのか。さっき言いましたように、出自の誤りはできた法案に大きく影響するんですから。ですから、私は、理事会で検討していただきたい。重ねて言います。

 そこで、続けて、このようなずさんさ、法案としての重大な欠陥はなぜか。前首相の私的諮問機関でしかない教育改革国民会議の報告を受けて、性急、拙速なやり方で事を進めたからです。

 この五日の委員会で石井郁子議員は、一九六三年の行政管理庁の「審議会と懇談会の差異について」、これを具体的に皆さんに論議の中でお示しして、審議会とはその意思が公の権威をもって表示されるものだ、懇談会は出席者の意見が表明されるにとどまるものだ、こういうことも紹介をした。

 遠山さんは何と答えたか。総理のもとで持たれた懇談会は省庁の懇談会とは違う、こういう趣旨の答弁をされた。

 それならあなたに聞きますが、一九八三年、中曽根元首相のもとで、文化と教育に関する懇談会、座長は井深大ソニー会長です、これが発足した。あなたも御存じだろう。この懇談会は、翌年三月二十二日に教育改革の方向と課題に関する報告を中曽根首相に提出した。まさに総理大臣のもとでの懇談会が報告を首相に提出した。

 その翌日三月二十三日に開かれた衆議院の文教委員会、私たちのこの委員会の前身ですね、そこで森喜朗元文部大臣は何と述べたか。昨日総理の私的諮問機関から出ております文化懇の問題を、その意見に耳を傾けようと傾けまいと、これは臨教審の委員の皆さんのお考えになることでございます、全く拘束されるものではありません。これが最低の良識じゃありませんか。当時の森文部大臣は、私的機関である文化と教育に関する懇談会の報告は審議会を全く拘束しない、まして審議会の審議を行わずに拙速に法案化するなどということは、ここからは到底出てこないですよ。

 その八三年に文部省がやった最低の進め方が、なぜ今できないのか。大臣、答えてください。

遠山国務大臣 これにつきましては、これまでも御説明しておりますように、総理のもとに日本の英知を集めた教育改革国民会議が開かれて、そしてその結果を、最終報告を昨年の暮れに受けて、その後に、ことしの一月に二十一世紀教育新生プランということで、これは行政府としてそれを実現化するためのプランをつくり、そして今日の法案になったわけでございます。

 それは突然出てきたわけでございませんで、これまでも、何度も申し上げておりますように、不適切な指導の教員について十分に対応するようにというような御指摘が、中央教育審議会等の審議会でなされてまいってきているわけでございます。したがって、突然浮上してといいますよりは、私は、これまで審議会が重ねてきた論議もベースとしながら、今臨まれる問題に新たに取り組んで、そして今日の法案という形で御議論に供しているというものであると考えております。

児玉委員 時間が来たから最後に言いますけれども、今の答弁も先ほどと同じように全く答えになっていないですね。あなたはこの前、首相の私的な懇談会が一般省庁のものとは違うと答えた、それで私が述べたのに対して、今度は経過を持ってくる、こういうやり方にこの法案の本性がよく示されていますね。この法案は撤回される以外にない、そのことを厳しく言って、私のきょうの質問を終わります。

高市委員長 保坂展人君。

保坂委員 社会民主党の保坂展人です。

 きょうの午前中に起きて、八人の児童が亡くなったそうですけれども、大変痛ましい事件が起きたことについて、私も心より哀悼の意を表したいと思いますし、また、これだけの大きな事件、恐らくその背景もまだわかりませんが、しかし、こういうことが繰り返されないように力を合わせて万全を尽くしていきたいということを申し上げて、質問に入りたいと思います。

 私は、時間も限られていますので、きょうはワンテーマで簡単にと、質問を絞りました。しかし、事は簡単ではないんです。

 ここは、先ほどお間違いになりましたけれども、文部科学委員会ですね。私はこの名前はおかしいなと思っているんです。これはもともと、長いこと文教委員会だったんです。自民党でも文教族なんというふうに言われたぐらいですから。中央省庁再編に伴って、政治主導で国会が変わるというときに、省庁が合併したから文部という名前になってしまう。これはほとんど納得できないです。したがって、文教科学委員会に改めていただきたいなと思います。

 おかしな話は山ほどあるんです。奉仕という言葉がこの教育改革国民会議で出てきました。先ほどの議論でも触れられていましたけれども、中曽根内閣当時の臨教審、これは、当時の中教審をきちっとストップして、設置法をつくって議論してと、そういう経過を踏んでいますけれども、この中で、奉仕活動という言葉が突然浮上してきた。この奉仕活動の奉仕という言葉、今日これがもう一回よみがえってくるのに一体どういう意味があるのだろうかということを少し考えてみたいと思います。

 遠山大臣、奉仕というのはどういう意味ですか。

遠山国務大臣 奉仕というのは、自発的な意思に基づいて行う場合ももちろんのこと、みずからの時間とみずからの身体的なエネルギーを用いて、他者のため、あるいは社会のために何かをなすということではないでしょうか。これはいろいろな学説があるのかもしれませんけれども、突然のお尋ねでございますので、奉仕ということについて申し上げるとすれば、私としてはそういうイメージを持っております。

 ただ、さらに厳密な意味で御答弁が必要であれば、機会を改めさせていただきたいと思います。

保坂委員 突然のお尋ねではないんです。昨日、政府控室の方に、本日の質問は奉仕活動とボランティアの共通点と相違点についてのみ掘り下げる、こういうふうに予告しているんですからね。これを突然だと言うのなら、随分準備がないんだなと思いますけれども。

 今大臣のおっしゃった自発的にという意味は余りないんです、奉仕という言葉の中には。これは、「献身的に国家・社会のためにつくすこと。」と広辞苑にあります。対して、ボランティアを引くと、「自ら進んで社会事業などに参加する人。」こういうふうに書かれています。今の大臣のお話だと、隣の人に手を差し伸べること、これも奉仕だ。あるいは、子供たちが隣のクラスを助けること、これも奉仕だ。それでは、ボランティアと余り変わらないですね。同じですか。

遠山国務大臣 奉仕活動とボランティア活動はどのように異なるのかという御質問かと思います。

 共通点としましては、労働の対価を目的とせずに、自分の時間を提供し、他人や社会のために役立つことを行うという点が挙げられると思います。

 一方、相違点としては、ボランティア活動は個人の自発的意思に基づく活動であるのに対しまして、奉仕活動は、自発的意思に基づく活動はもとよりでありますが、非自発的活動も含まれるという点が挙げられるというのが私どもの解釈でございます。

保坂委員 それでは、その奉仕という言葉は一体日本語の中のどの辺から来たのかというと、これはいろいろな方が調べ、私が調べたところでは、どうも仕え奉るというあたりが語源なんではないかと。つまり、皇居の奉仕活動というのがありますね、これが一番、割とすっきり、当時の皇室なりあるいは天皇に対して奉仕をするというように使われ始めた、これが語源だと思いますけれども、今大臣が、自発的な部分も含む、しかし非自発的な部分も奉仕活動にはあるというふうにおっしゃいました。むしろ、この国民会議の議論が奉仕活動の義務化という言葉まで含めて議論されてきたことを思うときに、ここはやはり決定的に違うと思うのです。

 それでは、その奉仕活動、そしてボランティア、これを比べてみたときに、どうでしょうか、例えば奉仕活動という中身、学校でも、あるいは社会教育でもというふうにいろいろ御提案されていますけれども、どんなことが想定されますか。どうでしょう、どのようなことが想定されますか。どんな活動が想定されますか。

岸田副大臣 例えば学校の清掃から始まって、地域の清掃、さらには花壇の手入れ、あるいは老人施設等で交流を図る、あるいはさまざまな幼稚園等の施設において手伝いをする、そういったこと等々、さまざまな活動が想定されると思います。

保坂委員 そのような活動は、例えばボランティア活動の範囲でもあるわけですね。つまり、何年何組これをやりなさいと言われたときには奉仕活動になるんだけれども、何年何組に属する生徒一人あるいは二人、三人が、きょう老人ホームに行くよという場合にはボランティアになる、こういうことですね。

 そうすると、社会参加というふうにあえて私は呼びたいと思いますけれども、社会奉仕活動というふうに何であえてこの時期に銘打ってくるのかと。社会参加活動でいい、これで全く構わないのではないか。これまでの八〇年代からのさまざまな提言、そして、つい最近まで文部省でまとめていたいろいろなプランは、社会参加活動であり体験学習、そうであったと思います、奉仕という言葉はそんなには出てこなかった。

 私のよく知る中教審の委員だった牟田悌三さんは、中教審答申から奉仕という言葉を思い切って取ろうじゃないかと。当時の文部省の事務方と随分議論して、つい最近これが取れたよというのを聞いたのが二年前です。どうして奉仕活動というふうにあえてくくらなければいけないんでしょうか。どうぞ。

岸田副大臣 ボランティア活動といった場合に自発的な意思が重要な要素であるということ、それはおっしゃるとおりであります。ただ、学校教育及び社会教育における体験活動ということになりますと、自発性の低い活動も含まれると考えます。それがために、ボランティア活動も含めて、ボランティア活動より広い概念である社会奉仕体験活動という言葉を使ったということであります。

 また、奉仕ということですが、その社会奉仕という言葉、例えば日本赤十字社法あるいは民生委員法あるいは学習指導要領にも使われております。こうした法令上用語としても定着しているというふうに考えております。

保坂委員 それでは、遠山大臣に聞きます。

 日本青年奉仕協会というのがありますね。御存じだと思います。この日本青年奉仕協会が毎年大々的に全国ボランティア研究集会というのを開いています。全国ボランティア研究集会、相当大規模に、いい議論をされています。これを見ると、一九七〇年の一回目のテーマは奉仕活動の展望です。二回目のテーマは奉仕活動とその課題です。ところが、一九七二年、時に公害問題やいろいろな社会環境問題が出てきて、第三回からは社会変動とボランティアになって、その後、奉仕活動、奉仕という言葉が出てこなくなってしまった。こういう経過は御存じですか、遠山大臣。

遠山国務大臣 個別の団体の詳しいことについては存じません。

 ただ、社会奉仕という言葉があらゆるところで使われなかったかのような感じでございますけれども、これはもう厳然と、今も学習指導要領の中にきちんと定められておりますし、いろいろな法律の中でも定められているところであります。

保坂委員 個別団体といっても、文部科学省は生涯学習ともかかわりが深いでしょう。知らないんですか、これ。知らないんですか。知らないならいいですよ、本当に知らないんなら。本当に知らないんですか。関心ないですか。

遠山国務大臣 今確かめましたところ、御指摘のとおりだそうでございます。

保坂委員 それでは、岸田副大臣に聞きたいと思います。政治家同士として議論をしたいんですけれども、今、大事な転換期だと私は思うんですね。子供たちが学校を出て、いろいろ危険もありますけれども、しかし、社会に参加していくことは私は大事だと思います。その際に、では、奉仕の対象は何なのか。それは、公の意識が足らぬということを言われていますよね。町村大臣もそのようにおっしゃっていました。私の権利主張ばかりが多くて公の概念がないんだ、そこでこの奉仕活動が出るんだと。

 私は、その公という概念をもっときちっと定義していただきたいと思うんですね。私は、あらゆる、この日本なら日本に住む人たちが、地球上の人たちが、あるいは地域の人たちが、健康で安全で、そして命や暮らしが守られる、お互いが助け合う、そういうところを共通の土台として置きたいと思うんです。

 そこでなんですけれども、例えば、今PRTRなんという、化学物質の総合排出規制の問題なんかが出ていますね。水道局に行くと、従来どおりというか、これまでの形で水質検査をやっていますよ。しかし、今までにない化学汚染物質が出ているかもしれないじゃないですか、ゴルフ場もあるし産廃もあるし。そうしたら、子供たちが、上流から下流まで継続して水質をチェックしていこうじゃないか、ぜひそれをやろうじゃないかと。そして経年して、半年、一年とチェックすれば、いろいろなことがわかるかもしれない。水道局が把握していなかったデータが出てくるかもしれないですね。これは、命を守ることに直結します。そういう活動をもっと奨励すべきじゃないですか。そういう活動は奉仕活動になりますか。

岸田副大臣 奉仕活動を含めてどんな体験活動をするのかということにつきましては、学校教育におきましても生徒の自主性というものをしっかりと尊重していかなければいけないと思っておりますし、また、社会教育においてはより一層自主性というものは尊重されなければいけないと思います。ですから、どんな体験活動をするかということについては、それはいろいろな意見もあるでしょうし、そのときの環境、条件等、その辺を踏まえて自主的に判断されるものだというふうに思います。

保坂委員 ちょっと本質的な議論にしていきたいんですよね。つまりそういう活動は、やれと言ったから、先生がやりなさいと言ったから、しようがないなと言ってやるものじゃないんです。やはりこれをきちっとやろうじゃないかと、三人なら三人の子供がやれるんですよ、やろうと思えば。そういうことを我々の社会は大事にしていこうという時期に入っているんです。

 そのときに、奉仕活動の時間、みんなメニューが貧困ですよ、はっきり言って。空き缶拾い、河原の清掃。清掃もいいんですけれども、例えばゴールデンウイークの後に、高速のインターの手前、ひどいですよ、空き缶や弁当の食い殻が。そういうものを子供たちが拾って歩く。これは、捨てている側の問題はどうなんだということも出てきますよね。実際には、やはり子供たちが選んでこれをやろうといったときに、選べる選択の幅をきちっとつくるのかどうか、これは大事な点なんで、答えてください。

岸田副大臣 ですから、そうした選ぶ自主性ということは尊重しなければいけないと思います。しかし、そうした学校教育等で体験活動をやる際に、やはり子供たちにとりましても初めての経験ということは随分あるのではないかというふうに思います。その中に、学校の中で指導という形でヒントを与えたり、さまざまな情報を提供する、話し合う、こういったことは十分必要なことではないかなというふうに思います。

保坂委員 では、遠山大臣に聞きますけれども、例えば空き缶拾いがいいだろう、空き缶がありますからね。それをやりますと言ったときに、しかし何人かの子供は、いや水質検査をしたいんだ、あるいは大気汚染のチェックを僕らはやりたいんだ、それで社会全体にかかわっていきたい、参加していきたいというとき、どうしますか。それはだめですか、いいんですか。

遠山国務大臣 それをどのように効果ある指導の一環として考えるかは、私はまさに教員の指導する力、指導力にかかっていると思いますし、そのこと自体で、では、空き缶拾いであるよりはそちらをやろうというときに、強制的に空き缶拾いということをやらないでも、今おっしゃったような趣旨で広く社会に貢献する、あるいは他者に貢献するという趣旨が酌み取れるのであれば、恐らくその教師はそれを認めるかもしれません。

 いずれにしましても、それは現場で、きちんと学校教育の中で位置づけられて、そして奨励されるということだと思います。社会教育の場合は学校教育の範疇ではございませんけれども、私はそのように考えます。

保坂委員 では、こういう方向でやるべきだということをもう少し言いたいと思います。

 私はずっと交通事故の問題に国会でも取り組んでいるんですけれども、同じ事故で年に何回か死亡事故が起きるという交差点があります。どうして事故が起きるんだろうかと。警察も忙しい、なかなか調査分析センターだってそんなところまで手が及ばないというときに、では子供たちが、もちろん、危険な交差点ですから安全な場所で、毎日車の動きを記録したとしますよね。そして、それらの記録をもとに、今度はそういう専門家のもとに持っていったりとか、あるいは教室に持ち帰ったりして、どうしてここの交差点は事故が多いんだということを考えていく。これは命を守る活動ですよね。こういう活動を本来やるべきだと思うんです。

 ですから、奉仕活動だけでくくるんじゃなくて、奉仕活動というよりは、社会参加活動じゃないですか、これから必要なのは。その点、いかがですか。

岸田副大臣 ですから、そういった自主的な取り組みは重要だと思いますし、そうした自主的な取り組みも含めて社会奉仕活動という定義になっているというふうに思っております。

保坂委員 それでは、阪神大震災がありました。日本海重油の事故もありました。高校生、中には中学生でも、もうじっとしておれない、助けに行きたいということで、実際動いた子もいましたよ。そういうときに、学校を休んで救援活動に現場に行きたい、こういう場合は奉仕活動の範疇に入るんですか。

岸田副大臣 今、学校を休んでというお話がありましたが、学校教育における社会奉仕体験活動というのは授業時間内での対応でありますので、それはその範囲をはみ出してしまうのではないかなと思います。

保坂委員 遠山大臣に伺いますが、やはり混乱があると思うんですよ。最初、ボランティアの義務化なんということが言われて、それはさすがにおかしいということで、かなりボランティアと奉仕活動というのは峻別されてくるわけです。

 ボランティアは自発的だ、奉仕活動は非自発的、つまり、やりなさいという強制もこれは含んでいくんですね。それから、奉仕活動と言われる場合には、いわば社会的な規範の枠の中にしっかり入っていなければいけなかったり、契約を意識したり、制度の中で行う。今岸田さんがお答えになったとおりですよ、学校という枠の中でやるわけです。ところが、それに対してボランティアは、規範や契約、法的、制度的な制約ということよりは、相互扶助、お互いが助け合っていくという横の関係。奉仕活動というのは、やりなさい、はいやりますという縦の関係なんです。ここは混同しちゃいけないんですね。

 私が求めたいのは、奉仕活動でくくるんじゃなくて、ボランティア活動を基軸にした、縦の関係ではない横の関係、お互い助け合いの相互扶助の方に、やはりこれからの子供たちについてのメニューはそちらの方に開くべきじゃないかということを言っているんです。いかがですか。

遠山国務大臣 社会奉仕体験活動の中の主なものがボランティア活動だと私は思います。ですから、ボランティア活動というのは社会奉仕体験活動の大きな部分を占める具体例だと考えております。ですから、学校教育でその活動が展開される場合に、単なる奉仕活動という言葉ではなくて、社会奉仕活動という言葉で、もうこれまでもほとんどの学校で努力されて実行されておりますそういう活動について、さらにこれからも力を入れてもらいたいという趣旨でありまして、ボランティア活動と社会奉仕活動とを対立させて、だから、ボランティアはいいけれども社会奉仕体験活動はだめというのは、今回の法案の提出のねらいとちょっと違っているので、その点だけ申させていただきます。

保坂委員 こうやって国会で議論しているときに、例えば国旗・国歌法の議論が非常にわずかながらありましたよ、学校現場には絶対にこれは影響はないんだと。学校現場における自主性は全部尊重していくんだということでしたが、今起きていることは大分違っていますよ、これ。相当程度影響が出ている。

 やはり日本社会は、もともと根っこは画一的ですから。みんな一緒がいいんですから。そうすると、せっかく八〇年代からつい最近まで個性の尊重だとか脱画一主義だとかいうことを、恐らくそれなりに文部省も模索してきたんでしょう、少しおくれながらも。しかし、今ここで教育改革国民会議というものが出てきて、ある方が現場教師ただ一人の代表で、学校現場の状況を語って、それで、嫌でもやることが教育なんだ、ああ、そうでございますかということで奉仕ということがはまってくる。僕は時代錯誤も甚だしいと思っていますよ。

 今遠山大臣がおっしゃるように、今文部科学省はこういうふうに言っているけれども、社会的奉仕活動と言っているけれども、例えばそれは一律同じことを同じ時間に子供に押しつけるということじゃないんだということだったらまた話は違うんですけれども、どうなんですか。多様なメニューはあり得るわけですか。

 先ほど同じことを聞きましたよね。空き缶拾いと決まっているんだけれども、水質検査に行きたいという子供の自発性やそこで頑張りたいという部分は、教育的に生かしていこうという判断もあり得るというふうにおっしゃったように思いますけれども、そこはどうですか。

岸田副大臣 内容は、その現場、学校の判断でありますが、そうした自主的な取り組みは当然許されるものだと思っております。

保坂委員 もう一歩欲しいんですね。許されるものではなくて、我々はやはりそっちを引き出してほしい。

 例えば、アメリカにチルドレンズ・エクスプレスという子供だけの通信社があるんですね。その子供たちが来ましたよ。私の部屋にも来ましたし、超党派の議員でもお会いして話をしましたけれども、アメリカの政治家にもインタビューする。あるいは、いろいろな企業にも出ていく。そして、おもしろいのは、その子供たちは記者ですから、共同通信とか時事通信のように、ニュースを発信するんですね。それを一般紙も採用するわけです。そのかわり、豆記者というんですか、小学生、中学生ぐらいの記者の上に、高校生ぐらいのデスクがいて、ちゃんと体験が継承されていく。その中から、ジャーナリストになる者もいれば、いろいろな道を選択していく。

 僕はすばらしい活動だと思います。これは社会参加活動に間違いないですよね。でも、ちょっと奉仕活動とは言いにくい。こういう活動をもっと積極的に僕は道を開くべきだと思うんです。いかがですか、遠山大臣。

遠山国務大臣 まさにそういういろいろな工夫がなされることが期待されているわけであります。それぞれの地域の実情、それから子供たちの状況などを踏まえて、学校の判断でいろいろな工夫を凝らしながらやっていただくということでありますが、そのやり方自体について、具体的にどうしろとか、それこそ画一的に何か基準を示すというようなことは全く考えておりませんし、その条文の最後にもございますように、「努めるものとする。」ですか、要するに努力義務であるわけでございますので、ぜひとも、強制することを考えている、あるいは画一的なことを考えているというような御理解というのは考え直していただきたいと思います。

保坂委員 先ほど児玉委員がお触れになったプラン、あれを私も見せていただきました。それを見ていますと、やはりここ五年、十年かけて議論されてきたことが入っているわけです。その五年、十年の中には、私が個人的にも当時の文教委員会で実現を求めてきた二十四時間子供のためのホットライン、実はこういうものも入っているわけですね。子供センターとかいろいろなものが入っている。

 実はそういう方向でつい最近まで来たことに対して、奉仕という言葉が突然浮上してきた。どうでしょうか、生涯学習政策局長に聞きたいんですけれども、かつて、先ほど私が指摘したように牟田悌三さんと、奉仕という言葉は思い切って削ろうじゃないかというようなやりとり、これは本当にあったのか。そして、今奉仕という言葉が再登場してきたことにどういう受けとめ方をしているのか。今までの議論を踏まえて、生涯学習と初中局長とお二人から聞いてみましょう、せっかく来ていただいているので。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 確かに最近の中央教育審議会の答申等を見ますと、子供たちに思いやりの心や社会性など豊かな人間性をはぐくむ観点からボランティア活動を充実させていく必要がある、こういった提言もなされているわけでございますが、先ほど来、大臣、副大臣からお話を申し上げていますように、ボランティア活動とは参加者の自発的意思に着目した用語でありまして、また、学校教育や社会教育として行われる体験活動の中にはそれ以外のいろいろな活動もあるわけでございます。そして、今回は、この社会奉仕の精神を涵養するために行われる体験活動という意味で、より広い概念である社会奉仕体験活動、こういう用語を用いることにした、こういうことでございます。

矢野政府参考人 せっかくでございますから、私の方から学校教育における取り扱いについて御説明申し上げたいと思います。

 学校教育の教育内容の基準は、御案内のように、学習指導要領によって決められているわけでございますが、奉仕ということにつきましては、昭和三十三年に、「特別教育活動」の中で「校外における奉仕活動が行われる」といったことが、そういう形で初めて出てまいりまして、それ以後、昭和五十二年の改定では、「奉仕の精神などが体得できる」ようにするといったこと、さらには、平成元年でございますけれども、「社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動を行う」というようなことが指導要領に規定されてございます。

 それを受けまして、一番最近の指導要領の改定は平成十年でございます。御案内のように、特別活動のあり方として、「ボランティア活動など社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような活動を行う」というふうに規定されているところでございまして、学校教育におきましては、社会奉仕の精神あるいは社会奉仕活動といったようなことが学校教育に大変大事である、そういう考え方で今日まで来ているところでございます。

保坂委員 まとめるに当たって、ボランティアと奉仕という言葉がほぼ同じような意味で語られた時期がありました。先ほど奉仕協会の話をしましたよね。それで、ボランティアという言葉になっていくここの何十年かには、ボランティア活動のすばらしい積み上げがあったんです、日本社会に。すばらしい積み上げがあって、それは、言われて、命令を受けてやるというのじゃないんです。お互いが助け合う。そして、一方的にやってあげるということじゃないんです。お互いに得るものがあるわけです。それがボランティア活動。それが広がってきた。これだけの社会基盤が、私はあると思います。

 したがって、今教育の場面でも、つい最近まで体験学習、そして社会参加、これが言われてきた。そこのところを、ここが本当に大事な点なんですが、このメニューしかできませんよ、月曜日の二時間はこのメニュー、空き缶拾いしかだめですよというようなことは絶対、時代に対して逆行です。その中で子供たちがどういうことをやろうか、どういうふうにと、やることが決まらないから二時間議論しているというのもいいじゃないですか。子供たちがみずから発想して、そして自分で決めて、失敗したり、成功したり、成果を得たり、だめだったりする。これが必要な方向なんですよ。だから、それを絶対に誤らないでいただきたいし、奉仕という言葉は削るべきです。

 以上、終わります。

高市委員長 次回は、来る十二日火曜日午後二時三十分理事会、午後二時四十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時三十九分散会




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