衆議院

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第11号 平成14年5月22日(水曜日)

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平成十四年五月二十二日(水曜日)
    午前十一時開議
 出席委員
   委員長 河村 建夫君
   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君
   理事 田野瀬良太郎君 理事 増田 敏男君
   理事 平野 博文君 理事 山谷えり子君
   理事 斉藤 鉄夫君 理事 武山百合子君
      伊藤信太郎君    小渕 優子君
      岡下 信子君    近藤 基彦君
      左藤  章君    杉山 憲夫君
      高市 早苗君    谷垣 禎一君
      谷田 武彦君    谷本 龍哉君
      中野  清君    馳   浩君
      林田  彪君    松野 博一君
      松宮  勲君    森岡 正宏君
      森田 健作君    大石 尚子君
      鎌田さゆり君    中津川博郷君
      中野 寛成君    藤村  修君
      牧  義夫君    牧野 聖修君
      山口  壯君    山元  勉君
      池坊 保子君    白保 台一君
      西  博義君    佐藤 公治君
      石井 郁子君    藤木 洋子君
      中西 績介君    山内 惠子君
    …………………………………
   文部科学大臣       遠山 敦子君
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策
   局長)          近藤 信司君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長
   )            工藤 智規君
   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月二十二日
 辞任         補欠選任
  近藤 基彦君     谷本 龍哉君
  杉山 憲夫君     左藤  章君
  池坊 保子君     白保 台一君
  児玉 健次君     藤木 洋子君
同日
 辞任         補欠選任
  左藤  章君     杉山 憲夫君
  谷本 龍哉君     近藤 基彦君
  白保 台一君     池坊 保子君
  藤木 洋子君     児玉 健次君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内閣提出第三七号)


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     ――――◇―――――
河村委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、教育公務員特例法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 本案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
河村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
河村委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。牧義夫君。
牧委員 おはようございます。教育公務員特例法の改正案について質問をさせていただくわけでございますけれども、まず、本題に入る前に、本委員会の委員の皆様方にも一緒に考えていただきたい私なりの問題意識についてお話をさせていただきたいと思うわけでございまして、それは、今隣でも集中審議が行われております瀋陽の領事館における主権侵害事件についてでございます。
 この問題は、外交問題であり、また人権の問題として議論が進められているわけでございますけれども、ここで私なりに教育の観点からこの事件をとらえてみたいと思うわけでございます。これはまさに教育問題だと私は思うわけで、それが、これからの教育の基本にかかわるいろいろな議論の中でも、問題提起として、一つの材料として私はとらえていきたいなと思った次第で、あえてちょっと本題に入る前に、この問題について大臣なりのお考えをお聞きしたいと思うわけでございます。
 この瀋陽の事件については、皆さん御承知のとおりでございまして、我が国の領事館内に亡命を希望する北朝鮮の家族五人が、敷地内に入ったにもかかわらず、中国の武装警官によってそれを無理やり連行されたというのが表向きの事象でございまして、この事実関係については、いろいろ両国になお考え方に隔たりがあるわけですけれども、少なくともこのビデオの映像を通して見る限り、主権侵害に対するあるいは人権侵害に対する抗議の姿勢というのは、領事館員からは見てとることはできなかったわけで、まさにビデオに映し出された、音声は入ってきていませんけれども、ここに本当に領事館員が向こうの武装警官にありがとうと言ったようなそんな字幕が流れれば、それはすっぽりそこに当てはまるような、まさにそんな光景が私たちの目の前に展開をされたわけでございます。
 今回議題となっているのは教員の資質の向上の問題ですけれども、教師だけじゃなくて、本当に資質向上が急がれる人というのはあちこちにいるんだなと改めて実感をしたわけでございます。外交官の資質云々については、これは外務省のマターかもしれませんけれども、この事件を通じて、もっと根っこが深いものを私なりに感じたから、重ねて申し上げたいと思います、これは教育の問題であると。
 大使、総領事を初めとするエリート官僚の著しい国家観の欠如、それから、亡命家族の置かれた過酷な状況に思いをいたすことができない、まさに人の痛みを感じることができない極めて観念的な思考回路、そしてその人たちを育ててきた戦後の教育、今回の事件の根底にはそういったものがあると思うわけです。
 言葉をかえれば、一定のリアリティーを持ったイメージができないような、言葉はわかるんだけれども、その言葉の本当の、本質の意味がわからないような、そんな教育がなされているんじゃないかな。これはまさに、例えばマークシートで試験ばかりやってきた、あらかじめ解答が用意されたものの中から一つ選びなさいというような試験によって選抜されてきた人たちが今のエリート層だ、そういった教育の弊害も同時に言えるのかもしれません。
 また、さらに言葉をかえれば、これは教科書問題にもなるんですけれども、本当にどこの国の教科書だかわからないような、そんな歴史教科書で育てられたことによる弊害でもあるのかな、そんなようなこともあわせ私は感じたわけでございます。
 その辺のところを、大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
遠山国務大臣 瀋陽の事件は、委員御指摘のように、今特別委員会の集中審議の方でやっているわけでございまして、そのことについては申し上げるべきではないと思いますけれども、外交官のみならず、国家公務員、それから国民全体、今おっしゃいましたような意味におきまして、私は、日本の国民というのは、やはり四囲を海で囲まれて、余りにも平和な中で過ごしてまいってきていると思います。
 その意味で、私は外国におりまして、周辺を八つの難しい国々に囲まれているような国に滞在いたしました経験からいたしますと、まことに、国を守る、あるいはみずからが国家社会の形成者としていざとなったときにきちんと対応する、そういった信念なり、そういったことについてのそれぞれの自覚がなかなか足りないのではないかというのが私の率直な感じでございます。
 日本の教育そのものは、戦後の教育基本法の精神にのっとって、人格の完成を目指して、国家社会の有為な形成者としての国民を育成するということで、私はそれなりにきちんとした教育がなされてまいったと思っているわけでございますけれども、学校教育を通じまして、日本を担う公民として必要な資質を培いという面、あるいは日本の国民としての誇りあるいはアイデンティティー、そういったことについての自覚という面におきましては、これは必ずしも学校教育のみですべてを賄うことではないと思いますけれども、そういう面におきまして、今日のいろいろな国際的な情勢の中で、いろいろなまだ結果としての問題をはらんでいるなというようなことが私の感想でございます。
牧委員 ありがとうございます。いみじくも大臣から誇りとかアイデンティティーとかというお言葉が出たんですけれども、その言葉そのものも、やはり本当にリアリティーを持った言葉として私たちは理解しなければいけないし、例えば、国家の主権といっても、大臣も私もそうですけれども、サンフランシスコ講和条約以降に教育を受けた者として、本当に主権を失った状態というのがどうなのかということも実感としてわからないでしょうし、あるいは、人権が本当に侵害されている人たちの痛みということについても、本当のところ、言葉だけの話で終わってしまってはいけないな。
 そういうことで、言葉というものを、これは国語教育なのか、倫理の教育なのかあるいは社会の教育なのかわからないですけれども、本当の教育というのは、やはり言葉そのもののリアリティーを持ったイメージができる、そういう理解ができるような教育だと思うわけで、その辺のところを踏まえて、あえて教育基本法とは言いませんけれども、今後の教育の基本の問題の議論を深めていっていただきたいな、そんな希望を述べさせていただきたいと思います。
 さて、今回の教育公務員特例法の一部を改正する法律案でございますけれども、せんだって大臣から提案理由説明がございました。皆様のお手元にもあろうかと思うんですけれども、極めて簡単な文章で、大臣が読み上げられて二、三分で終了したわけでございますけれども、学校教育の成否はというところから始まると、直接の担い手である教員の資質の向上が極めて重要な課題だ、それから、特に、新学習指導要領のもと、これまで以上の指導力が必要とされている、それから個々の能力、適性等に応じた研修を制度化するものである、この三つが柱だと思うわけですけれども、これプラス、これには予算が伴うわけでございますから、その四つの部分について、ざっと見ただけで、これは十年で研修をやるんだな、それは結構なことじゃないかということで、その実効性がきちっと担保さえされれば、もうあえてそんなに長い質問をする必要もないというような感じも抱くわけで、できれば簡単に済ませて、皆さんにも早目のお昼休みをとっていただければと思うんです。
 ただ、これを見る限り、その制度導入の必然性ですとか、あるいは、みずから学び考える力の育成ということを言いながら、教師自身がみずから学ぶという研修ではないというようなシステム、あるいは個々の能力、適性等に応じた計画を、任命権者が、果たして本当に個々に応じたものができるのかどうなのか、それと先ほど申し上げました予算的な裏づけ、この四点を大きな柱として質問をさせていただきたいと思います。
 まず、今回の法改正の背景についてでございますけれども、今回の法改正というのは、中教審における教員免許更新制の可能性の議論の中から出てきたものでございます。その答申では、更新制導入は困難だ、更新制が教員の専門性向上のためという政策目的を達成するには必ずしも有効な方策とは考えられないとしているわけで、その免許更新制にかわる提案として今回の改正法案が出されたというふうに私どもは承っております。
 では、この研修でどれほどの、答申が言っている専門性向上という実効性が期待できるのか、まずはその辺からお聞かせいただきたいと思います。
池坊大臣政務官 今までの研修は、講義を受けるとか受け身の講習が多かった。みずから考える力を生徒たちに養わせるには、先生自身もまたみずから考える力を養うべきではないかと、牧委員今おっしゃいましたように。
 これは、一人一人のニーズに応じて、そしてその教員の適性、能力に応じた研修を受けるようになっております。教員自身が、研修計画を作成することを法律上義務づけております。二十日間の研修、外に行きます研修、それからまた学内においても二十日間研修いたしまして、例えば、ベテラン教員や指導主事によって少人数学級による模擬授業、あるいはケーススタディーなどを通じた研修をいたしましたり、あるいはまた社会体験研修とか、カウンセリングとか、情報教育とか、あらゆる分野でみずからが選び取って、自分が不適当、適していない、これからもっと勉強したいというものを選び取ることができますし、それを終えました後にはきちんと評価をするということもできておりますので、専門性が必ず上がるというふうに思っております。
牧委員 選択肢の中から選び取るというお話、それからその事後の評価について、また後ほどお聞かせいただきたいと思うんです。
 いずれにしても、今政務官からのお答えをそのまま信じさせていただきたいと思うんですけれども、何より、まず、専門性の向上ですとか、あるいは大臣の提案理由説明の中にもございました教員の資質の向上。向上、向上と言葉が来ているわけですけれども、それでは、向上させなきゃならないんだという問題意識が文部科学省の方にあるというふうに理解をさせていただいていいわけですね。
 では、今、向上させなければならない、現状は不満足であるということであれば、その基準になる何か客観的なデータというのが果たしてあるのかないのか、その辺のところもお聞かせいただきたいと思います。
矢野政府参考人 これまで教員の資質能力につきましては、養成、採用、研修の各段階を通じた各種の施策を体系的に実施することによりまして、その向上に努めてまいったところでございます。
 特に、現職の教員につきましては、それぞれの都道府県教育委員会等におきまして、初任者研修を初めとする教職経験に応じた研修、あるいは専門的な研修、社会体験研修等、各種研修の体系的な整備が図られてまいったところでございます。この結果、現在では、それぞれの教員に教職の全期間を通じて必要な研修を受ける機会が一応整備されているというふうに考えるわけでございます。
 そこで、教員の資質能力の状況をどう考えるかというお話でございました。教員の資質能力を直接的にお示しできるようなデータ等は、事の性質上、大変と申しますか、把握ができていないわけでございますけれども、あるいはそれはなかなか難しいわけでございますけれども、現在、教育現場では、多くの教員が使命感や情熱を持って教育活動に取り組んでいるわけでございますし、また、すぐれた教育成果を上げている教員も少なくないというふうに私どもとしては認識いたしておるところでございます。
牧委員 矢野局長にもう一度お伺いしますけれども、私が尋ねたのは、教員の資質が客観的に今不満足な状況なのか、あるいは昔と比べて質が下がっているのか、そういった認識があるのかどうなのかということをお伺いしています。もう一回お答えいただきたいと思います。
矢野政府参考人 それを相対として比べて、過去と比べてどうだということを、相対としてあるいは客観的なデータ等によって判断することは、事柄の性格上大変難しいということは御理解をいただきたいと思うわけでございます。
 私どもは、今申し上げましたように、さまざまな機会を通して資質能力の向上に努めてまいりました。そういう状況の中で、率直に申し上げまして、指導力不足の教員が存在しているといった一方、他面、大変努力をしている教員というのも現に少なからず存在するわけでございます。
 そういう状況を踏まえながら、今回、新しい学習指導要領の実施等を踏まえて、教員の指導力の一層の向上を、今以上に一層の向上を図るという観点から、今回、新しい制度を御提案申し上げているということでございます。
牧委員 何かわかったようなわからないようなお話ですけれども、今の言葉の中から拾い取れる部分というのは、やはり不満足な教員がいるということですね。そうじゃないと、これは、向上を図るという意味でこの制度を導入する必然性というのが、その意味がわからなくなるものですから、あえて確認をさせていただいた次第でございます。
 もう一つお伺いします。
 今、現状で十年研修に近いところ、例えば、私どもの地元愛知県ですと、十一年研修というのをやっているんだそうです。そういう十年研修に類するような研修をもう既に約八割の県が実施しているという状況なんだそうですけれども、そこで、あえてこの制度を新たに制度化する、義務化するという、その辺の理由についてお聞かせいただきたいと思います。
池坊大臣政務官 新学習指導要領のもと、基礎、基本をしっかりと身につけ、先ほども申し上げたように、みずから考え、問題提起し、解決する能力を養うような教育をしてまいりますには、先生自身がそのような資質能力を持っていなければならないと思います。
 今までも確かに八割程度の十年研修を受けておりましたが、そのうち受けております者は三分の二程度でございます。そしてまた、それは画一的で同じようなメニューであった場合が多かったので、先ほど申し上げましたように、そうではなくて、みずからが選び取る、そして成果を本当に実り多いものにするようなものをやっていく必要があるのではないかということで義務化いたしました。
 また、国は、教育制度の枠組みの制定や全国的な基準の制定等を行うことにより、全国的な教育水準の維持向上を実現する役割を担っておりますから、その責務を果たすためにもこのような制度をつくりましたし、これは初任者研修も同じ観点から行っているわけでございます。
 任命権者にしっかりと義務づけるということが必要だということで、このような教育公務員特例法の一部を改正した次第でございます。
牧委員 ちょっと質問の観点を変えさせていただきたいと思います。
 教務主任という制度がございます。学校教育法施行規則にもあるわけですけれども、教務主任の学校における役割について、まずちょっと教えていただきたいと思います。
矢野政府参考人 御指摘の教務主任でございますが、これは、調和のとれた学校運営が行われるためにふさわしい校務分掌の仕組みを整えるということを目的として、主任制というのが昭和五十一年に導入されました。
 御指摘の教務主任は、主任制の一つの主任でございますけれども、教務主任は基本的にはすべての学校に置くものとされておりまして、具体的な仕事といたしましては、教育計画の立案、実施、また時間割りの総合的調整、さらには教科書、教材の取り扱い等の広く教務に関する事項につきまして、職員間の連絡調整あるいは職員に対する指導助言に当たることとされているところでございます。
牧委員 今の説明でわかるわけですけれども、なぜ私が教務主任についてお尋ね申し上げたかというと、今回のこの法改正というのは教員の資質向上のためなわけで、教員の資質向上のためには、やはり現場で指導するあるいは助言をする、まさに今局長がおっしゃった指導助言に当たる、そういう人たちの影響力というのも多分にあろうかと思います。
 日々研さんを積む、日々修養をしていかなければならない教員でございますから、そのリーダー的な立場にある教務主任の存在というのは、日々の研修、資質の向上のために、その人たちの存在というのは大いに資するところがあるわけで、またなければならないわけでございます。
 ただ、ちょっといろいろ教務主任について、私の地元ではございませんけれども、東京都のさる方からいろいろなお話を聞いておりました。その話の裏づけとして、その新聞の記事もあるわけでございますけれども、これは平成十三年二月の読売新聞「展望室」という囲みの記事なんですけれども、ちょっと一部分だけざっと読ませていただきますと、
  昨年の四月、都庁の大会議場で、都教育庁の「教務主任辞令交付式」が行われた。
  主任になる教諭に職務の重要性を認識してもらおうと、都立高から約三百人を集めて、都教育長が辞令を直接発令しようという初の試みだった。
  ところが、演壇に立つ教育長を前に、名前を呼ばれても返事をせず、いすから立ち上がらない主任がかなりいた。それはまだましな方で、聞こえよがしに私語を交わし、新聞や雑誌を読み始める輩まで現れる始末。それが全員、生徒の模範になるべき教師である。
 これは、実際にその現場に居合わせた人からも私は聞いているわけでございますけれども、ここ二、三年、いろいろ、例えば成人式で若者が荒れるとか、そういったようなお話を聞きますけれども、教師が、そしてさらに現場で教師の指導助言に当たるような立場の人たちがこういうありさまだという、その辺のところについての現状の認識というのはあるのかないのか、ちょっとまずお聞かせいただきたいと思います。
矢野政府参考人 今、東京都のお話をされましたけれども、先ほど申し上げましたように、教務主任というのは、その学校の教務についての中心的な役割を果たす大変大事な仕事を担っているわけでございます。
 そういう意味で、この教務主任につきましては、教務主任に適任者を選ぶということが最も大事な、教務主任制度というんでしょうか、この制度を運営していく場合は大変大事なポイントになるわけでございます。私ども、そういう観点で、教務主任に適任者を選ぶということについて、制度発足以来、特に留意をして指導をしてまいったわけでございます。
 と申しますのは、残念ながら、一部の学校におきまして、適切な適任者を選ぶという観点ではなくて、例えば持ち回りでもって教務主任が選ばれるといったような、教務主任の趣旨を、教務主任というか、主任制度そのものを損なうような事例も残念ながらあったわけでございます。
 そういう意味で、私どもとしては、今申し上げたように、教務主任に適任者を選ぶということにポイントを置いてこれまでは指導してまいったところでございまして、その結果、私どもとしては、全国的にそうした適任者が選ばれ、学校運営、特に教務運営のかなめとして大きな役割を果たしてきているというふうに思っているわけでございます。
牧委員 ちょっとまたわかったようなわからないような御答弁をいただいたんですけれども、私は、まさにそういう人たちが指導助言に当たっているということの方が今回の法改正よりも重要な話だと思いますし、そういう人たちが野放しになっているというのは、これは研修もへったくれもないわけで、また逆に、そういう人たちがいるから、そういう人たちの性根をたたき直すんだ、そういう意味でこの研修をやるというんなら、それは理解できますけれども、そこら辺のところをもっと、こういう制度も大事ですけれども、きちっと対応をしてもらいたいと思います。強く申し入れをさせていただきたいと思います。
 次の質問に移ります。
 教員の採用についてですけれども、採用試験というのは、こういう不景気を背景にしてということもあるんでしょうけれども、年々その門が狭くなっている、難しくなっているというように聞いております。つまりは、より学力の高い人が公教育に携わるようになってきているんだなというふうにも理解できるんですけれども、その辺のところは実際どうなんでしょうか。
池坊大臣政務官 今委員の御指摘にございましたように、各都道府県の教育委員会等においての採用試験は、平均的に十一倍でございますから、大変難しいと言えると思います。
 もとより私は、教員というのは、生徒たちを指導するにふさわしい、指導能力の中には心の教育というか、その人間のすばらしさが入っておりますから、採用するときにもそのようなところの観点から採用していくことが必要だと考えております。
 学力試験については一定の水準を達しているというのはもとよりですけれども、それだけでなくて、実技試験の導入あるいは面接試験の重視などによって、より人物評価を重視する方向で採用選考方法の見直しをするようにというふうに今言っているところでございます。ですから、これからは、共通して求められる基礎的、基本的な資質能力の中に、その人間の人間性というものが高く評価され、採用のときにもそれが基準になってまいります。
牧委員 それが基準になってまいりますというお言葉はいいんですけれども、今までなっていなかった方が問題だとまずは思います。
 そして、おっしゃるように、問題なのは、やはり人間性ですとか人格あるいはやる気の問題だと思うんですけれども、これを具体的にどういうふうに採用の段階で取り入れていくのか。そういう方向性というのはわかったんですけれども、これは喫緊の課題だと思うんですよね。ちょっと、具体的にどういうふうにしていきたいという、そこら辺、大臣からでも力強いお答えをいただけるとありがたいんですけれども、どういう基準ですか。
遠山国務大臣 すぐれた資質能力を持つ教員を得るということのために、いろいろな政策がこれまでも講じられてまいったわけでございますけれども、それを現実に運用する場面におきまして、任命権者、これはしっかりしてもらわないとどうしようもないわけですね。いろいろと制度はつくり、あるいは考え方をつくっても、そこで採用の際にしっかりした、今政務官が答えてくれましたような、そういう基準をきっちりと守り、それこそすぐれた人格、それからすぐれた指導力を持った教員を選んでいくというのは本当に大事なことだと思っております。
 私たちといたしまして、もちろん評価といいますか、選考に際してどういうことに留意してもらいたいかということについても常に指導してまいっているところでございますが、殊に教員の影響力の角度からいいますと、人間性といいますか、その教員の全体の力が総合的に発揮されていく、そのことの影響力が非常に強いわけでございますから、例えば採用してもらいたいというふうに来た人たちがいろいろな活動についても能力を持つのか。例えばスポーツ活動でありますとか、文化活動でありますとか、あるいはボランティアの活動、そういった体験をしているのかどうか、あるいは民間企業での経験があるのかどうか、そういったようないろいろな角度も、それは周辺的なことではございますけれども、そういったことも加味しながら、私は、トータルとしてその人が、学校における児童生徒指導の任にたえ得るしっかりした人物であるかどうかということが非常に大事だと思っております。
 同時に、もちろん教科指導の専門的な知識、技術を持っているかどうかというのも大事でございますし、また、学校という一つの船のような多くの構成員によって運営されていく、そういう組織体の構成員として協調心も持っているかどうかとか、いろいろな角度があろうかと思います。
 どこに力点を置くかというのは任命権者のそれこそ知見によっているわけでございますけれども、私は、そういうこれまでいろいろな角度で指導してまいった、あるいは本来教員に求められている必要な条件というものを、しっかりと採用者側は判断をし、評価をし、それを実施に移してもらいたいと思っております。
 私どもは、この面につきましてさまざまな段階での指導助言というものを繰り返し行っておりますし、今後ともこの面についてはしっかりとやっていきたいと思っております。
牧委員 大臣がおっしゃるお話はよくわかるつもりでおります。これは一面から見れば正しいお話だと、全く異論を挟む部分はないわけですけれども、私が今申し上げた、本当に力強い具体的なお話をしていただきたいと申し上げたのは、例えば今回この研修制度にしても、私にはこれは、さきに申し上げましたように、免許更新制の代案みたいな、ある意味では取ってつけたような、思いつきのような、そんな感じがしないわけでもない。
 さっき教務主任のお話もしましたけれども、これは思いつきでどこか切り取ってやるものじゃなくて、やはり教員の最初の養成の段階から、それは大学の例えば教員養成課程、それから採用、そして採用後の研修というのが一体となった、一つの教員のライフサイクルまで全部考えて一体となった何か施策が必要なんじゃないかなと思うわけで、ところどころ思いついたように、取ってつけたような制度というふうに今回私感じたものですから、そういった意味でちょっとお伺いしたのですけれども、その辺どうでしょうか。
遠山国務大臣 教員につきまして、養成段階、それから採用段階、そして研修の段階におきますそれぞれの時点で、しっかりした内実を持つ教員を選び、かつ育成していく体系的な教員の資質の向上についての努力というものは、私は非常に大事だと思っておりまして、その角度からいろいろな施策がこれまで講じられてまいったわけでございます。
 それらの具体的な内容につきましてはまた別途お答えしたいと思いますけれども、ただ、政策の実施に際しましては、養成については、大学におけるカリキュラムをどうするかというその辺の改善が必要ですし、本来ならば、そのカリキュラムで教える先生方自体が本当にいいのかというところまで行かないと本当ではないと思うのでございますが、大学自体のあり方。
 それから、採用に際しましては、先ほど申し上げましたように、任命権者においてきちんとした視点で選ぶということについての、いろいろなそれを援助する施策も講じてまいりましたし、そして、研修、実際にその学校に配置されて指導を始めたところ、いろいろな能力における問題が生じている場合もあるわけですね。そういうときに、初任者研修のみならず、日常的な教務主任なり校長なり教頭なりによる指導だけでは十分ではない面もある。
 そんなようなことも考えまして、そして十年目という非常に大事な時期に、一斉に、それぞれの教員のこれまでの到達状況あるいは経験の状況あるいは能力の発揮の実態に応じて、一人一人のその実態に応じた研修というものを展開していこうということでございまして、私は、養成、採用、研修を通じて、すぐれた資質能力を持つ教員を本当に確保したいという点で、極めて一貫性のある政策をいろいろな角度から打っているというふうに思っているところでございます。
牧委員 今のお話の中で、十年目というのは非常に大切な時期だというお話がございました。この点については、後で時間があればお聞きしたいと思いますし、恐らく他の委員からも質問があろうかと思いますけれども、その十年目云々に限らず、まず教特法の十九条、これは今回改正部分ではありませんけれども、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」絶えずなんですね。
 だから、この十年目というのは、絶え間ない研修の中でまたとりわけ意味を持つものだということにとりあえず理解させていただきたいのですけれども、絶えず研修をし、修養しなければならない教員の皆さんの生活の中での自己研さんについてちょっとお伺いをしたいと思います。
 これは、私、ちっちゃいころから、小学校のころからの素朴な疑問だったのですけれども、今ようやくお聞きできることを喜びにたえないわけですけれども、学校の先生というのは一体夏休みは何をしているんだろうというのが、私子供のころからの素朴な疑問でした。今ようやくお聞きできるわけですけれども、教員は夏休み、冬休み、春休みをどういうふうに過ごしているのでしょうか。ほかの地方公務員の方と比べて年間の勤務日数ですとか、時間数というのは比較するとどうなんでしょうか。まずお聞かせいただきたいと思います。
矢野政府参考人 公立学校教員は、これは地方公務員と同様に地方公務員法等が適用されておりまして、一週間について四十時間という勤務時間は、他の地方公務員と基本的に同じであるわけでございます。
 したがいまして、勤務日数も基本的には年間を通じて他の地方公務員と同じということでございます。
牧委員 ちょっと、今のお答えはわかったのですけれども、そうすると、夏休みですとか冬休み、春休みの過ごし方というのはどうなのか。その辺、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
矢野政府参考人 教員たる公務員は、他の公務員と異なりまして、教育公務員特例法という法律で、先ほどちょっと御紹介がございましたけれども、職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなきゃならないということで、研修ということは大変大事なものとして位置づけられてございます。そして具体的には、同じ法律の中で、教員は、授業に支障がなければ、学校長の承認を経て、学校現場を離れて研修に従事することができるという、特別のそういう研修のシステムが教育公務員法上認められているわけでございます。
 したがいまして、夏休みあるいは冬休みの長期休業中におきましては、今申し上げたような、これは職専免除による研修でございますが、そういうものとして校長から認められれば、学校に来なくても自宅あるいはしかるべきところで研修に従事できるということになっているわけでございます。
牧委員 ということは、その職専免研修というのは、校長が認めればそして授業に支障がなければいいということですから、もっと平たく言うと、例えば夏休みが四十日間あって、この四十日を自宅研修に充てるということも校長が認めれば可能だということですか。
矢野政府参考人 その四十日について、まさに研修としてふさわしい内容のものとして校長が承認をするということになれば、そういうこともあり得るわけでございます。
牧委員 その研修の評価というのはどういうふうになされているのでしょうか。
矢野政府参考人 やはりそうした場合につきましても、これは承認を経て研修に従事するものでございますけれども、これは有給の取り扱いでございます。したがって、当然のことながら、まさに職務の遂行に資する、そういうふさわしい研修として実施される必要があるわけでございます。
 そういう意味で、この職務専免研修というのがより適切に運用されるために、私どもといたしましては、まずきちんとした適切な承認がなされること、同時に、先ほどお話ございましたような効果、評価といったようなこともなされることが職専免による研修としてより適切であるという観点から、私どもとしては、運用として、きちっとした報告等を出されるように、そういう取り扱いをするようにというような指導をしてまいっておるところでございます。
牧委員 職専免研修については、そのように信じさせていただきたいし、校長による評価もしっかりとやっていただきたいと思うわけでございますけれども、では、もう一つお聞きします。
 学校がこの四月から完全五日制になって、実態を言うと、例えば、夏休みの期間の中で教員の方がある程度まとまった休みをとるというのは、従来は、例えば、土曜日の出勤の分の代休、指定休というんですか、それと研修、自宅研修、そういうものを組み合わせてある程度まとまった休みをとってきたわけで、今、職専免研修についてはわかりましたけれども、いずれにしても、この四月から学校完全五日制になって、その指定休みたいな扱いというのはその分具体的には減るわけですね、実態としては。そうすると、その分、学校に教員の方が登校する日にちも、当然、例えば夏休み中でも数日間は多くなるというのが理屈だと思いますし、また、これは三月四日の事務次官通達で各都道府県教育委員会に、教員の勤務時間について、「各学校及び教育委員会においては、いわゆる「まとめ取り方式」の廃止により、長期休業期間に勤務を要する日が増えることを踏まえ、学校教育の一層の充実のため、長期休業期間中における教員の勤務時間の有効活用を図ること。」とあるわけでございます。
 そこで、もう一つ質問をさせていただきますけれども、そういうことによって、学校へ行った教員というのは一体学校で何をするんでしょうか。
矢野政府参考人 委員御指摘のように、今年度から完全学校週五日制になりまして、したがいまして、これまで夏休みあるいは冬休みの長期休業中にまとめ取りを行っていたわけでございますけれども、まとめ取りが廃止になるわけでございます。したがって、夏季や冬季の長期休業期間中の勤務を要する日がその分だけふえるようになるわけでございます。
 そこで、先ほど御紹介ございましたように、私どもといたしましては、そういう状況を踏まえまして、本年三月に通知を発出いたしまして、学校教育の一層の充実を図る観点から、長期休業中における勤務時間の有効活用を図るといったようなことについて、各都道府県を指導したところでございます。
 そして、今、ではこの長期休業中の勤務日についてどのような活用の仕方がという御指摘でございますが、私どもは、こういう状況を踏まえまして、今回提案申し上げました十年研修制度というのは、この長期休業中の勤務日がふえるといったような状況を踏まえまして、まさに長期休業中の勤務日を活用して研修に充てるといったような工夫をいたしたいと考えているところでございます。
牧委員 であれば、これは十年研だけじゃなくて、毎年夏休みが来るわけですから、それに該当しない教員だって当然それを有効利用しなければいけないわけで、今の御説明はちょっとそこら辺無理があるかな。十年研だけの人のためにという話とはこれは合わないと思うんですよね。だから、むしろ私は、十年研も大事かもしれないけれども、こっちの議論というか、その分長期休暇中の教員の研修というのを果たしてどうやってやっていくのか、その辺の検討が当然なされていてしかるべきだと思うし、ただ有効利用しなさいと言うだけじゃちょっと無責任に過ぎると思うんですけれども、いかがですか。
矢野政府参考人 今、十年研について、長期休業期間中にふえた勤務日を活用するということの一つの方法、工夫について御紹介を申し上げましたが、率直に申し上げまして、一般的に申し上げますれば、これまでやはり夏休みはまとめ取りという形で使われて、勤務日が非常に少ないわけでございます。そういう意味で、ほかの研修などもなかなか研修できなかった、研修できづらいというふうな事情もあったわけでございます。
 したがいまして、十年研修に限らず、こうしたことによって、まさに教員の資質向上のための職務研修、教育委員会による研修のみならず、さらには自主的な研修といったようなことに活用することも可能でありましょうし、さらにはもっと広く部活等々の指導にも十分充てることは可能というふうになるわけでございますので、そういう意味で、長期休業中にふえた勤務日というのは、十年研に限らず、さまざまな形で、より有効かつ積極的な活用ができるようになるというふうに思っているところでございます。
牧委員 本当に有効な活用をしていただきたいと今は申し上げるしかないのかもしれません。
 また、今のお話の中で、私も、一つの思いつきではございますけれども、完全五日制になって、月曜から金曜までが非常にタイトになっている、先生たちも大変だ、そんなようなお話もある中で、例えば、夏休みに学校へ来て何にもすることがない先生がいるのでは、これは余りに不合理だと私は思うわけで、例えばの話、それだったら、もう夏休みそのものをもっと短縮したっていいんじゃないかというようなことも、私ふっと思ったんですけれども、それは制度的に無理なんでしょうか。
矢野政府参考人 少し御説明させていただきますと、新しい学習指導要領のもとでは、完全学校週五日制の導入に伴いまして、授業時数を週当たり二単位時間、年間七十単位時間を削減いたしたところでございます。また同時に、新しい学習指導要領では内容を精選いたしまして、児童生徒に基礎、基本を確実に身につけさせるといったような内容に精選をいたしたところでございます。
 このような新しい学習指導要領の趣旨を実現するために、各学校及び教育委員会におきましては、学校教育法施行規則に定める総時間数というのがあるわけでございますが、その総時間数を確保した年間指導計画というのを長期休業日の設定も含めて作成をして、適切にこれを運用していく、実施するということが大事であるわけでございます。
 そういう前提のもとで、今、長期休業日に関してのお話でございますけれども、これは基本的には、公立の学校の休業日の取り扱いは、学校を設置する市町村あるいはその学校を設置する都道府県の教育委員会が定めることとされているわけでございますので、そういう意味で、それぞれの教育委員会におきまして、先ほど私がちょっと申し上げました完全学校週五日制、さらに、新しい学習指導要領の趣旨というものを踏まえながら、設置者である教育委員会が判断されるべき事柄であろうと考えております。
牧委員 わかりました。この辺については、また具体的にゆっくりとお話をさせていただく機会もつくっていただきたいと思います。
 また、今ちょっと、これは答弁の必要もございませんけれども、私、お話ししていて思ったんですけれども、例えば、今このIT社会の中で、あるいはいろいろな企業なんかも余計な仕事をアウトソーシングするような時代の流れの中で、教員の方が本来あるべき自己研さんを積んでいく時間というのは、やはりもっとそういう流れの中で時間をとっていただきたい、そんな気持ちから申し上げるんですけれども、よく教員の方が、何だかんだいっても忙しいんだ、資料づくりだ何だというお話をよく聞くんですけれども、そういった意味で、そういう余計な煩雑な仕事というのは昔と比べたら省力化されているはずだと私は思いますし、そういうところがもしおくれているのであればぜひ積極的に取り入れていただいて、教員の方が本来すべき教育、そして自己研さんに有効に時間を割けるようにしていただきたいな、そんな希望もあわせ申し述べさせていただきたいと思います。
 それから、もう一回、教師の自己研さんについて、その意味合いの部分をお話しさせていただきたいと思うんですけれども、この提案理由の中にもございますように、子供たちがみずから学び考える力というのを育成しなきゃいけないんだ、その子供たちを育てる教諭のこれまで以上の指導力が必要であると。提案理由にもあるように、みずから学びという部分、自主性について、それが一番大事だと思うわけです。
 先ほど政務官からもお話を伺いましたけれども、まさに教員だけじゃなくて、普通の会社のサラリーマンの皆さんも、行き帰りの電車の中で本を読んだり、あるいはカセットテープで英会話を聞いたり、本当に自分のキャリアアップのためにも自己研さんというのを日々やっているわけです。
 本当に、この自己の能力開発というのが、それは収入にはね返ってくるというのもあるんでしょうけれども、教員の中にも、意識の高い人は、民間が主催する教員向けの講座などに通ったりして頑張っているという人もいらっしゃる。中には、人気が高くてなかなか受講できない、そういった講座もあるというお話も聞いております。
 こうした努力が給与に反映する仕組みというのも私は一方では大事だと思うし、それだけじゃなくて、やはりみずから自己洞察して、自分には何が欠けているんだろう、今どういう勉強が必要なんだろうということを教員みずからが自己洞察、自己反省の中から、あるべき自分が受ける研修の姿というのを模索していかなければいけないんだと。そうしていかなければ、今回の研修の意味も非常に薄れてしまうんじゃないかなと。
 そうやって研修を受けた人が、本当に子供たちに、みずから学ぶ姿勢というのを教えられるんだろうか。まずは教師から、みずから学ぶ姿勢を身につける必要があるという意味からも、この研修というのは任命権者が一方的に押しつけるものじゃなくて、さっき政務官のお話だと、幾つかの選択肢から自由に選ぶみたいなお話がありましたけれども、そうであればいいのかなとも思いますけれども、その辺のところはどうなんでしょうか。当事者が全く不在のところで、ただ単に任命権者が、個に応じたとはいいながら、どこまでそれは個に応じたものができるかどうかも担保がないし、その辺のところをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
矢野政府参考人 今回御提案申し上げております十年経験者研修におきましては、能力、適性についての評価に基づきまして、研修計画書をそれぞれ各個々人について作成して実施するわけでございますが、その評価や研修計画書を作成するに当たりましては、私ども考えておりますのは、教員の自己評価あるいは教員の意見や希望等を聴取するということは、教員自身にみずからの課題や適性等を再認識させる、そして研修への主体的な参加を促すということも期待できますし、結果として研修内容がより適切なものになる。そういう意味で、私どもとしては、今申し上げたような、教員が自己評価をし、そして意見や要望を聞くといったようなことは望ましいことというふうに考えているわけでございます。
 ただ、この点については、あえて一言申し上げておかなきゃならないわけでございますが、基本的には望ましいわけでございますが、十年経験者研修というのは、基本的には職務命令に基づく、そういう職務研修であるわけでございます。それである以上、本人の自己評価あるいは要望等をお聞きするということは、今申し上げたように望ましいわけでございますが、その本人の意見や要望等がそのまま研修計画に反映するというのは、それは直ちに適切ではないわけでございます。最終的には任命権者の権限と判断と責任においてその研修の中身は決定されるべきものというふうに考えているわけでございます。
牧委員 私申し上げたのは、研修を受ける当事者が言うとおりにすべてやれと言っているわけじゃなくて、その人たちの、研修を受ける当事者の意見というのはどういうふうに反映されるのかということを言ったわけで、まずぜひともその辺はやはり自己評価に基づく研修プログラムということもあわせて検討していただきたいと、時間がございませんので、その要望だけ申し上げさせていただきたいと思います。
 それと、ではこの研修で、教員の資質の向上と最初にも申し上げましたけれども、資質の向上ということ自体には何と何が含まれるのか、ちょっと具体的に教えていただきたいと思います。教員自身の学力なのか、指導力、いろいろなことが含まれると思いますけれども、この研修を通じて何を向上させるんですか。
池坊大臣政務官 今お話しいたしましたように、十年の研修では、任命権者が内容を具体的に判断するものでございます。ですけれども、文部科学省といたしましては、通知やさまざまな会議を通じて、研修内容に関しては基本的な想定というのを行っております。
 何を学ぶかというと、それは学びました内容の結果だと思っておりますけれども、具体的な内容は、まず冬季とか夏季にわたっては二十日間、教科指導や生徒指導に関する研修として、先ほどもちょっと触れましたけれども、ベテラン教員や指導主事を講師として少人数形式による模擬授業、あるいは教材研究、ケーススタディー等を通じた研修、あるいはまた適性に応じた得意分野づくりなどの選択研修として社会体験研修、情報教育や環境教育、カウンセリングなどについての専門的な研究を想定いたしております。
 また、それは校外ですけれども、校内においては、校長のもと、実際の授業実習を通じた授業研究や教材研究、教程、課題研究などを想定いたしております。
 それらのことをいたしますことによって、例えば情報、ITのすばらしい使い方を学ぶこともできるでしょうし、またカウンセリングによって自分自身も自己啓発されるし、あるいは生徒との連帯もうまくいくことができるのではないか。そして、それが終わりましたら校長等が評価することになっておりますので、これだけを資質向上させたいということではなくて、全体的な教員の資質能力向上を目指しております。
牧委員 私も、この研修、せっかくやるんであれば、本当に実効あるものにしていただきたいなということでは全く異論を挟むつもりはございません。
 その意味で、今、校長先生による評価というようなお話が政務官からもございましたけれども、この評価というのは、やはり効果を上げるためにも必要欠くべからざるものだと思います。その評価というのはどういうふうに、校長がただ評価するんですか。具体的にどんな形でこの研修後の評価というのをなされるのか、実効性を高めるためにもそこら辺をきちっとしておくことが必要だと思いますけれども、お考えをお聞かせください。
池坊大臣政務官 これは校長だけではございません。教頭や主任等の協力も得ながらさまざまな角度から評価をいたしまして、それを教育委員会に提出するということになっております。ですから、一方的に勤務評価をつくるということではございません。
牧委員 時間がございませんので、あと一点だけ質問させていただきます。
 これが全国で実施されるということになると、これは十五年度四月からということでございますね。該当する教員の方々の人数というのももちろんあるんでしょうけれども、大体どれぐらいの予算が必要になってくるのか。これは早速この夏の概算要求の対象になると思うんですけれども、その規模がどれぐらいなのか。その研修プログラムの作成だとか、あるいは講師の費用、あるいは交通費だとか、そういったものでおおよその見積もりがあろうかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
矢野政府参考人 御指摘のように、今回の法律改正がお認めいただけますれば、平成十五年四月一日からこの新しい研修制度を実施いたしたいと考えているところでございます。
 このため、必要な予算措置につきましては、これは平成十五年度予算に盛り込まなきゃならないわけでございますので、そういう意味では、この夏の平成十五年度の概算要求に必要な予算を盛り込むべく今後検討をしてまいりたいと考えているところでございます。
 私どもが具体的に今考えておりますのは、教育委員会が実施する研修事業に対する補助金として、その内容といたしましては、研修事業に要する外部講師の旅費、謝金、あるいは研修の教材費、あるいは会場借料等々、広く研修に要する事業費についての補助を考えているわけでございますが、今の段階で具体的な金額等々について申し上げるのは、今の状況では難しゅうございますので、その点、お許しをいただきたく存じます。
牧委員 今お答えになるとこれからの財務省との折衝にも支障があるのかもしれませんから、私は余りそういうところで邪魔もしたくありませんし、その言葉をそのまま受け取るしかないのかなと思うんですけれども、ただ、この説明だけでは、本当に財政当局を説得するだけの説得力があるのかなという、老婆心ながらそんな心配もするわけでございます。
 この研修、せっかくやるんであれば、本当にきちっと費用もかけて実効あるものにしていただきたい。そのために、もうちょっと説得力のある説明を練って、財政当局とも折衝していただきますようにお願いを申し上げて、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
河村委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時一分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時二分開議
河村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。大石尚子君。
大石(尚)委員 午前中に民主党の牧議員の御質問がございましたが、教育公務員の特例法の一部を改正する法律案に関連いたしまして、私、大石尚子も引き続き質問をさせていただきたいと存じます。
 牧委員の御発言の、御質問の中にもございまして、既に大臣から御答弁もいただいておりますが、教員の資質を向上する上に、教員の研修ということは大変大事なことでございますが、初任者研修、十年研修あるいはまた二十年研修とか、そういう押さえるところだけではなく、連続性を持って個々人の方が研修を積んでいくということの重要性も牧委員から御指摘いたしたと存じます。
 そのときに、いわゆる大学とか大学院での教員の養成課程の問題と、それから教員の採用、地域の教育委員会、任命権者での採用試験による教員採用、それから実際に赴任される学校での活動と研修、これらが一連の流れとなって、そして連携を保ちながら進められていくことは大変重要なことだろう、そういう見解であったかと思います。それでよろしいですね。
遠山国務大臣 大石委員御指摘のとおりでございます。
大石(尚)委員 それでは、こういう考え方をしてまいりましたときに、今、文部科学省の方針として、昨今承っておりますと、全体的な地方分権の流れの中で、教育も地方分権、それから学校を地域に開かれた学校にしていこう、それから地域の教育力全体で地域の子供たちを育て、人づくりをしていこう、こういう方針のように理解できますが、それはよろしゅうございますでしょうか。
遠山国務大臣 もとより、学校がその本来の使命を十分に果たし、その機能をすべての教員の協力によって発揮できた上で、地域の中に開かれた存在として、今委員が御指摘のような、そういう存在であるということがこれから非常に大事だという意味で、そのとおりでございます。
大石(尚)委員 この地域に開かれた学校、それは、小中高等学校、幼稚園のみならず、大学もこれからは地域に開かれていかなければいけないと私は考えております。
 そして、地域の教育力を総合して学校の中にいただき、それを展開して学校を経営し、学校の子供たちのいい教育環境をみんなでつくっていこうという時代に、地域で教員が養成されるというその意味は、すごく、今まで以上、重要になってくるのではないかと私は理解しているんです。
 地域で人が育つということを考えましたときに、これはいろいろな意味があると思います。
 そこの大地の中で人が育っていくわけ、これは教員もそうですし、児童生徒、学生もそうでございますが、その地域の風土とか歴史とか、もちろん自然とか、あるいは風俗、習慣、言葉遣い等々いろいろな文化の中で養成される、育つ。それは、結局は、知的に理解するものではなく、体で体得していく。その土地土地の風土によって育てられるという面が、これは大変、否定できないし、地域でいい関係を持ちながら力を発揮していく。
 教員にとりましても、その地域で頑張るときは、その地域である時期自分も暮らしながら学んでみる、そういう重要性が大変これからは、特に地方分権の時代になりますれば重要なことだと思うのですが、いかがでございますか。
遠山国務大臣 学校のあり方自体は、それぞれの地域の実情に応じて、あるいはその学校が置かれた状況に照らして、最もふさわしい形で教育活動が行われていく必要があろうと思います。
 今委員は地域とのかかわりの重要性についてお述べになりましたけれども、確かにこれからの学校といいますものは、例えば地域のすぐれた人材に学校に来ていただいて、その識見を学校の教育活動に活用していくということも大事でございましょうし、学校の先生あるいは学校の児童生徒が外に出て、地域のいろいろな仕組みあるいは活動、伝統文化、そういうものに触れるという意味で、私は地域とのつながりというのは非常に大事だと思います。
 もちろん、先ほども申しましたように、しかし、その地域地域ということももちろん大事でございますけれども、学校が本来果たすべき基本的な機能ないし教育活動というものを十分に発揮して、それをさらによく地域の中で生かされていくために連携をとっていくという意味において、委員の仰せ、御指摘の趣旨というのは、私はそういうことであろうかと思っております。
大石(尚)委員 去年の十一月ごろから着手されまして、教員を養成する大学、あるいは教員養成学部を持っている大学の統廃合の問題が進められております。
 それで、これは教員を養成するいわゆる教育学部のような学部の中身、いわゆる新課程、それから免許状を取得する課程、免許状を取らずにその中で勉強していく課程、この二種類を、二つに分けてどちらかを選択する、そういう形で、数合わせになって今展開されている。
 これは、森内閣時代の一つの施策であったのではないかと思いますが、小泉内閣になられてから、施政方針演説の中に、米百俵の長岡藩のお話が出てまいりました。この精神というのは、私は大変大事なことで、教育における精神としても、本当に一番学ばなければならない、内容を持った一つの話題ではなかったかと思うのですけれども、機械的に地域の教員養成学部あるいはそれに準ずるものを統廃合して数合わせをしていくという方向というのは、地方分権の教育を考えた上でも、あるいはまた森内閣の施策を受け継がれた小泉内閣ではあっても、米百俵の精神とは矛盾するものではないかと私自身は考えております。
 どうしてもその中に経済効率を目指しての数合わせ、地域の実情というのを一つ一つどれくらい把握されてこういうプランニングをなさったのか、ちょっと疑わしくなることがあるのでございますが、その点につきましては、大臣のお考えはいかがでございましょうか。
遠山国務大臣 今の御質問、ちょっと明快にわからない面もございますけれども、国立大学の統合再編という政策についての御質問かと存じます。
 国立大学の今後のあり方を考えていくときに、法人化を控えて、本当の意味で国民の信頼にこたえる、内実の備わった大学でなくてはならないということで、大学改革の一環として、必要なところは統合再編というのを図るということでございまして、それは決して数合わせのために何かやるということではございません。まずそれについては明確にお答え申し上げたいと思います。
 それから、御質問の中に教員養成のお話も出てまいりましたので、恐らく国立の教員養成大学・学部のことについての御質問かと思いますが、そのことでよろしゅうございますね。
 国立の教員養成大学・学部といいますものは、御存じのように、戦前の旧師範学校を統合して各都道府県に配置されて、これまで教員養成の中核的役割を果たしてきたということは事実でございます。そして、今後とも教員養成についての中核的な役割を担っていくということも、これも確かだと思っております。
 しかしながら、御存じのように、近年、急激な少子化が始まりまして、そして、これまでの国立大学における教員養成、それから教員養成大学・学部といいますものは大きな影響を受けているわけでございます。
 例えば、一つには、そこを出た学生が教員になれる率が極めて少ないわけですね。平成十三年度で教員就職率が、教員に就職した人の率が三七・八%にすぎない、しかも正規採用が一三%であるという事態でございます。
 それから、小規模な教員養成課程がふえてまいっております。これは、児童生徒の数の減に従いまして、教員養成にかかわる定員の是正というものがずっと図られてまいりまして、平成十年から十二年にかけて削減が行われたわけでございますが、そういうこともありまして、それぞれの教員養成課程が極めて小規模になっている。したがいまして、余裕のない教員組織になっている。また、そういう中で、新課程、教員養成を目的としない課程もふえてまいっているということによりまして、教員養成学部の本来の機能を発揮するという点ではいろいろ問題が出ているなどなどのさまざまな問題がある。
 そういうことを踏まえまして、このままでは、むしろ本当の意味の教員養成、すぐれた教員養成をするという角度から見ると問題ではないかということで、これは審議会での緻密な議論もいただきました上で、私どもといたしましては、その本来あるべき機能を十分に発揮するために、あるいはパワーアップするという観点から今の再編の問題に取り組んでいるところでございます。その点についての御理解を賜ればありがたいと思います。
大石(尚)委員 パワーアップをしていくということは、やはり対象の、先生になりたい学生を集めて、そしてある一定の規模を保って、教授陣等もそろえて、それでいい教育をしていきたいというお考えなのかと存じますが、やはり全国幾つかの限られた教員養成大学というものが実現していくということは、これはやはり教育現場が欲する教師像というのは、いろいろ一人一人個性的であって、そして子供にとってはかがみとなるような先生方を、バラエティーに富んでいただくということがこれは大変大事なことでもございます。
 それと、先ほど申しました、地域の文化になじんだ、これは実はちょっと話がそれますが、もう二十数年以上前のことなのですけれども、私どもの地域でございましたことは、そのころちょうど先生が足りなくなりまして、そして大変採用することが困難になった時代に、あちこちの都道府県に神奈川県の教育委員会等の職員が出向かれまして、そして青田刈りと称していろいろな先生を集めてこられた。優秀な方を集めてまいったとは思いますが、方言のために、小学校一年の担任をなさったときに、子供が先生の言葉を聞いて笑ってしまって学級が崩壊していったという例、これはもう既に二十数年以上前からそういう例があったわけでございます。
 そこで、私は、特に小学校、中学校の教員養成というものは、やはり地域で学んだ先生方がその地域で頑張っていただけるということが大変重要なことだと理解しております。
 実は、一つの例を挙げて大変恐縮でございますが、私の住んでおります神奈川県には、横浜国立大学という教員養成学部を有している大学がございます。この大学に関連いたしまして、地元紙、これは神奈川新聞でございますが、去年の十一月一日にこういう記事を取り上げてございました。これは、横浜国大が教員養成課程切り離し、「学芸大と統合検討」という見出し、「改革に地域の視点を 教育の資質向上に期待」というような見出しで、大変紙面を使って取り上げておられました。
 ここの論調というものは、「単なる国立大レベルの統廃合論だけでなく、地域の実情に合わせた地域経営の視点からの大学再編論議が必要ではないか。」ということで結ばれているのでございますが、この新聞いろいろ拝見しておりますと、横浜国立大学が、教員養成課程を断念するというか、いわゆる新課程の方を取り上げて、そして教員養成の方は学芸大の方に任せるような方向に動いていると、私もそう聞いております。これは文部科学省が御指導なされてそういう方向を出していらっしゃるのですか。
工藤政府参考人 先ほど先生がおっしゃいましたように、学校現場にすぐれた力量ある先生を確保すること、それが養成段階、採用、研修段階を通じて、いろいろなステップでそういう対策、対応をとるということが大事なこと、それからさらに、その先生の資質として、地域の歴史や文化に通じて子供たちへの理解がすぐれていることなども一つの大きな要素かと思ってございます。
 ただ他方で、御承知のように、人の流れといいますか、交通手段、情報通信手段も随分発達しておりますし、単なる地域の将来を担うだけではなくて、子供たちには、日本人として日本全体の将来を担っていただかなきゃいけない、あるいは宇宙船地球号の一員としての自覚を持ってもらわなきゃいけないということから、先ほど大臣も申しましたように、これからますます教員養成大学の役割は大事なのでございますけれども、現状、少子化等の影響によりまして、大変厳しいものがございまして、それをもとにして、では、もっとパワーアップするためにどうすればいいかということで、再編統合というのも一つの方法として各大学に御検討をお願いしているわけでございまして、具体の御検討は、各大学が自主的に今検討の最中でございまして、まだ、横浜国大の帰趨につきましても、私どもがとやかく言う場面ではございません。
 ただ、いずれにしましても、各大学同士の御検討とあわせて、地域の教育委員会等々の関係者とも御相談しながら、これから、より大方の方々の御理解が得られるような方向で、私どもも相談に乗り、まとめてまいりたいと思ってございます。
大石(尚)委員 ただいま局長の御答弁をいただきまして、横浜国立大学が教員養成を離そうとしていることは文部省の御指導ではない、そういうふうに理解してよろしゅうございますね。
工藤政府参考人 特に、教員養成学部の問題点を解決するために今それぞれの大学・学部が頑張ってはいらっしゃるのですけれども、小規模でいわばちんまりしているのでございます。それをパワーアップするためのことを考えますと、今のままというよりは、やはり統合再編ということを考えざるを得ない。
 その結果として、仮に成案が得られますと、どこかにまとめるとなれば、どこかの都道府県では教員養成、いわゆる従来の教育学部がない県が生ずる可能性がございます。ただ、それはその方向の一つでございまして、横浜国大の教育学部をどうするかということについては、まだこれからの話でございます。
大石(尚)委員 今、少子化、確かにそうです。それから、地域によっては小規模学部になっている、これもわかります。
 しかし、神奈川県というのがどういう県かと申しますと、八百四十万県民を擁しまして、そして、これは昭和六十二年にかけて、正確に申しますと昭和四十八年から六十二年にかけて、四十八年当時、県立高校六十五校を六十二年までの間に、百校増設したのでございます。六十五校だった県立高校を百六十五校に増設した。その間、当然ピークがその時期でございますから、中学校のピーク、小学校のピークと前倒しであったわけでございますね。私は、そのときの教育委員会の苦労を目の当たりに見てまいりました。
 そして、今神奈川県がどういう状況に置かれているかと申しますと、ありがたいことに子供さんがふえてきておりまして、本年の正規職員の採用数は、これは神奈川県、横浜市、川崎市、それを合わせて神奈川県下で新採用、これは小中でございますが千二百九十六人、いわゆる千二、三百人の教員を採用した。それでも足りなくて、いわゆる非常勤の方でお願いしているところもあると聞いております。
 これは、年々これから上り坂になってまいりまして、年間やはり千三百から千五百の新採用、これは高を入れないで小中だけで見込まれている。そして、大体あと七年ぐらいたったときには、第一次のベビーブームで生まれた方で先生になられた方々がどっとおやめになる。そうすると、なお養成しなければならない、そういう先生方を必要としてくるという状況が目の当たりに迫ってきているわけでございます。
 そういうときに、もし横浜国立大学から教員養成課程がなくなるということは、今わずか定員二百三十きり先生になっておられない、免許を取っておられないわけですけれども、それでも本当に大事な定員でございます。
 ですから、これは横浜国立大学のように規模の大きいところは、他の養成学部に当てはめる、一律の規定というか、方針を当てはめることなく、現状のまま双方の課程を残すということもこれは視野に入れていいのではないかと私は考えております。
 それで、そういうことをこれから具体的に詰めていかれるのでございましょうが、先ほど申しました五月十四日の同じく神奈川新聞には、横浜国立大学再編問題、「九八%が教員養成存続望む 地域密着の教育へ不安」という見出しで、これは教員養成学部の存続問題で揺れる横浜国立大学のOB会が現、元教員や市町村教育委員会などを対象にアンケートをまとめたその結果が、こういう結果で報告されております。これは地域の要請、私も教育委員会の方々にお話を伺ってみましたが、どなたとて要らないと言う方はいないわけでございます。
 そうすると、こういう地域の要請とそれから大学の方針とどうもずれていきそうな、こういう問題はどう処理されるのでございますか。大臣、もう余り時間がないので、よろしくお願いいたします。短くて結構でございます。
遠山国務大臣 そういう御意見があることももちろん私どもは存じ上げております。こういう場で余り個別の大学のことについて申し上げたくないのでございますけれども、実は、厳然たるデータがございまして、神奈川県の平成十三年度の正規採用者数が千百十三名でございますが、そのうち横浜国立大学教員養成課程新卒者は五十一名にすぎない。要するに、地元占有率が四・六%という現実がございます。
 そういう中で、では今のその教員養成課程で十分に社会の要請にこたえているかという、いわば大学というものは地域の知的中心地、中心の役割もいたしておりますけれども、しかし、国というレベル、あるいはより広くこれからの日本を担っていく若人をどう教育していくかという観点も非常に大事かと思っております。
 ただ、個別の問題につきましては、先ほど局長も答えましたように、地元の意見あるいは各大学の意見を尊重しながら、しかし、あるべき方向に向かって一緒に私どもは考えていくべき時代に入ったというふうに思います。
大石(尚)委員 こういう地域の大学、いわゆるこれから地方分権で、大学も地域に貢献しながらそれぞれの能力を発揮して、優秀な個性豊かな大学に法人化の流れの中でそして育っていかなければならないという時代の要請がございます。
 そういう中で、文部科学省としての役割、いわゆる国の役割はどういうところにあるのかと考えるのですけれども、一つには、今神奈川の例で申しましたように、大学側の描いている青写真と地域の要請が食い違っている場合、これをやはり仲を取り持って、橋渡しをして、そして大学側も十分に地域の方々と情報交換しながら、情報提供しながら、いい青写真をつくっていけるようにすることが一つの役割ではないか。
 そしてもう一つは、これは人づくりのための人づくりのことを考えれば、小泉総理の米百俵の精神にうたわれますように、どんな状況下に地方が置かれようとも、例えば不況、財政困難、そのような状態で世の風波に教育がさらされようが、そこは国がきちっと守って、財政的基盤を裏づけていくこと、この二点が文部科学省の大きな役割にこれからなっていくのではないか、そういう感じが私はいたしております。
 そういうことを考えましたときに、これも神奈川の例で恐縮でございますが、去年の十一月一日の神奈川新聞によれば、国立大学法人化の波、それから、横浜市立大学も行く行くは法人化していくであろう、その二つを合体したらすばらしい大学になるのではないかという意見もあるという、これは県民の描く、それから大学当局の皆さんの描く青写真としては限りなく夢の膨らむ、おもしろい、ユニークな構想だと思うのです。
 これが今、実っているわけではございませんが、こういう将来性も含めて、ゆめゆめ、枠にはめて数合わせをして、そして一つ一つの大学の方向性を、法人化を前にしながら、ところてんのように、型にはめて押し出すことがないように私はお願いいたしたいと思っております。
 大臣の御方針を伺えますでしょうか。
遠山国務大臣 大学改革の一環として、国立大学、どのようにこれからしっかりした、中身を持った高等教育機関として伸びてもらうかということは、文部科学省自身も大変責任はございますけれども、やはり大学自体が、国民の要請にきちんとこたえて、みずからの案も出しながら、文部科学省との話し合いも進めて、また地元の意見も勘案しながらよりよい策を練っていく、非常に大事な時期に入っていると思います。
 しかし、決してそのねらいは、枠にはめるあるいは数合わせであるというようなものではない、大学の本来の使命をいかに達成していくか、あるいは二十一世紀を担うすぐれた人材をどのように育成していくかという角度から、私は、この問題は十分に検討していく必要があると考えております。先生からのお話は十分承りながら、しかし、本来あるべき、何を中心に考えるかということについて、いささかの揺らぎもあってはいけないと考えているところでございます。
大石(尚)委員 時間が参りました。
 私は、一つの働きとして、大学当局と地域の要請とのすれ違い、こういう問題が起きたときには、文部科学省、やはりひとつその橋渡しの労をとって、そして地域のよい大学づくり、これから日本の国の将来をしょって立つ人づくりのための、すばらしい大学の建設にこれからも尽力してくださるよう、ぜひお願いいたしまして、質問を終了いたします。
河村委員長 次に、武山百合子君。
武山委員 自由党の武山百合子でございます。
 早速、教育職員養成審議会、これは平成十一年十二月十日と書いてありますけれども、第三次答申の中で、いわゆる研修の見直しということで、教職経験者研修等の現職研修ということで、ここで実は六点の問題点が指摘されておることに対して、まず最初に押さえておきたいと思います。
 この中で、まず一点は、「平成九年度実績による教職経験者研修等全参加者数における講義形式の研修の参加者数の割合は八三・五%に上っており、ともすれば形態として講義形式による一斉研修が中心となりがちであったり、教員が受け身の立場で受講するものが多い。」というふうに指摘されております。
 これは平成九年度実績によるものですけれども、これから、今法律が改正される、今回の法案が改正されることによって、どこがどう変わるのか、お聞きしたいと思います。これは大臣に聞きたいと思います。
池坊大臣政務官 今武山議員の御指摘にありましたように、今までも、十年研修というのは八三・五%いたしておりました。ところが、今までの研修というのは受け身でございまして、どちらかといえば画一的、また、同じようなことの講義を受けるということでございました。
 今回は、そうではなくて、二十日間外に出て研修をする、あるいはまた二十日間、校内において研修を行うということでございまして、それぞれが自分の適性や能力を自分で見きわめ、また校長とも相談などいたしまして、幾つかある中のメニューを選ぶことができます。そしてまたそれは、カウンセリングを行ったり、そういう研修だとか、少人数学級の模擬教室を行う等々さまざまな、みずから問題提起し解決できる、そのような素地を教員自身が養える、そのような研修内容にいたしております。
武山委員 私の質問は、大臣に質問いたしましたので、大臣からお答えいただきたいと思います。
 今のお話の中で、外に出て研修をする、例えばどんなことなのか。やはり現場は、どんなことを文部科学省は青写真として示しているのかという、フォーカスを聞きたいわけなんですね。それで、外に出る、外に出て何をするのか、御説明いただきたいと思います。
池坊大臣政務官 例えば夏の間あるいは冬の間の長期休業期間中に二十日間、ベテラン教師や指導主事を講師として、先ほど申し上げましたように、少人数形式による模擬授業、あるいは教材研究、ケーススタディーなどを通じました研修、あるいは社会体験研修、情報教育、環境教育、カウンセリングなどについての専門的な研修を実施いたします。
 それで、その中でもし不足だと思います場合には、それを出まして、大学、大学院などの授業参観を研修に位置づけることも可能でございますし、また、民間組織等が開設する研修コースを選択しても、それは可能でございます。
武山委員 まず、外に出るということですので、外に出るというイメージを持ったら、今のお話の前段の部分は、ただ場所を変えるというだけのことで、講義とか、それからケーススタディーを学ぶとか、それは余り、学校でも外でもほとんど変わりないと思います。
 外に出るといった場合は、改めて、新たなユニークなまた内容のある、外でなきゃできないものをやるというふうに、普通はみんなとらえると思うんですね。ですからそこは、外に出るといった以上は、外に出て何をするかということが、その言葉に合ったものが行われないとおかしいと思います、その外という意味はですね。
 それから二点目に、研修が体系的に整備される一方、その内容、方法が画一化され、各教員自身が受講したいと考える、そのニーズに応じた研修の機会が少ないというわけですね。では、これは、そのニーズに応じた研修の機会をどのように、だれが画一的じゃないものを考えるのか。これは、私は大臣と議論したいと思いますので、大臣にお答えいただきたいと思います。
遠山国務大臣 我が省といたしましては、平成十一年の教育職員養成審議会第三次答申を参考といたしまして、研修内容、方法を見直しますように、平成十二年の二月に、各都道府県教育委員会などに対して通知を発しているところでございます。
 申すまでもないわけでございますけれども、教員の研修に当たるのは、任命権者が第一義的な責務を負っているわけでございまして、国が細々とどうしろこうしろと言いますよりは、むしろ、いろいろな例を示したり、基準を示したり、考え方を示したり、しかし、本当にやってくれるのは、それぞれの地域なり、その研修を受ける教員の実態に応じて、それぞれの責務がある研修権者が考えるべき問題かと思っております。
 したがいまして、私どもが出しましたそういう通知を受けて、研修の実施主体であります各都道府県教育委員会等におきまして、例えば、学校外の民間企業でありますとか、社会福祉施設における社会体験研修も充実してくれているわけでございます。これらいろいろな手法を使って、教員のニーズにも応じた多様な研修を実施する取り組みが進んでいるものと考えております。
武山委員 今の大臣のお話の中で、国がすなわち文部科学省が細々としたところに口出しをすべきじゃない、各都道府県に任せてやっていると。でも、今までそのようにやられてきて、その反省のもとに今こういうことが出てきていると思うんですよね。
 それで、今現場の声というのは、文部科学省がもっと内容を、この十年研修といったって何だかわからぬ、なぜ十年でやるのか、そういう現場の声はたくさん出ているんですよね。何をどう、なぜ十年と決めたのか、現場ではそれ自体もよくわからぬと。それで、今文部科学大臣のおっしゃったお答えですと、文部科学省は今逃げていると思いますよ。
 県が全部それを、任命権者といいますと県がやるわけですよね。それで文部科学省は一々細々としたところに口を出さない。でも、今まで口を出さないでやってこられなかったと思うんですよ。口を出してもやってこられなかったかもしれません。だから、今のような教育の現状というものが起きているわけですよね。
 ですから、それぞれの立場で、それぞれのやはり危機管理で、お互いに、ただ一方的にこちらは見守るというだけじゃだめだと思いますよ、文部科学省は。県がやることが、本当に、どういうふうに画一的な部分から脱皮して、個々のニーズに応じているかどうかまで、きちっとそこまで見ないと、危機管理、文部科学省の危機管理という意味では、危機管理体制がなっていないと思います。ですから、現場の声を聞いていない、研修の機会が少ないと言われているわけですよね。
 これは統計を調べてみましたら、今までほとんどの県が五年研修、十年研修を結構やっているんですよね。急にこのたび法律で規制してやるということも一つの手法ですけれども、調べてみましたら、今までもずっとやられてきている。でも、やられてきた中でも、今このように教育界における反省点がいっぱいある。その中で、今の大臣のお答えですと、相変わらずちっとも認識が変わっていないということを一言つけ加えておきます。
 それから、三つ目ですね。「各研修実施者が実施する研修の内容に重複が見られ、必ずしも効率的な研修体系となっていない。」というわけですね。これは、都道府県教育委員会や市町村教育委員会等が実施するわけですから、こういうことを言われている現場を、もうこちらは言うまでもなくなんてぽんと投げてしまって、私たちは言うまでもありません、そんなことは現場で当然やるんですというふうにとれるんですね、先ほどの大臣のお答えですと。でも、それが実際は、研修の内容が重複されたり、必ずしも効率的じゃないと言われているわけですから、では重複をしないでくれ、必ずしも効率的じゃないから研修体系をもっと変えてくれと言うだけじゃ終わらないと思うんですよ。そこで何をするかが問題だと思うんですよね。
 そこで、文部大臣は何を考えておりますでしょうか。
遠山国務大臣 後で政務官が補足してくれますけれども、先ほど申し上げましたのは、私は、言葉の、答弁の部分だけを取り上げていろいろ御批判いただきましたけれども、文部科学省としましては、いつもあらゆる政策を考えます際に、その考え方でありますとか、あるいは実施に移すときの必要な基準、あるいは事例等についても、きちっと指導しながらということをきちっと申し上げたわけでございます。そのことを前提の上で御議論を賜りたいと思っております。
 今の件につきましては、政務官の方からお願いいたします。
池坊大臣政務官 先ほど委員が、外でと。外でするというのは、私が申し上げました意味は、学校以外の場でという意味でございます。ちょっと、きちんと私補足しておかないと、誤解を生じたらいけないと思います。
 ですが、学校以外の場でやっても、研修内容が極めて大切なものをやるということでありますから、場等は問題ないというふうに思っております。
 先ほども申し上げましたように、個々の教諭が持っております能力や適性に応じて、教科指導や生徒指導に関する指導力をさらに向上させるということを目的といたしております。教科内容、研修内容については、先ほど申し上げたとおりでございます。
武山委員 今のお話ですけれども、場所を変えるだけで中身が変わらないのであれば、自分の学校で行ってもいいと思います。研修を、なぜそこの場所を使わなきゃいけないか、経費がかかるわけですから、経費をかけないという研修やら、自分の学校が使えるのであれば、それは細かい、本当に細かい重箱の隅の部分のようですけれども、学校を使えればその学校で十分使えると思うんですよね。
 ですから、それはその学校で十分できると思います。わざわざ外へ行って、いわゆる賃貸料を払ってまで研修しなければいけない、何か外にまで出ていかなきゃいけない、そういう理由があって行くのならそれはそれでいいと思うんですよね。ただ、学校でもできるものをわざわざ外に行ってやるということは必要ないと思います、十分自分の学校でできるわけですから。
 それから、その人数に応じて、たくさんいる、十年研修の方が十人とか二十人とかまとまる学校も出てきますし、時には一人か二人の学校も出てくると思います。それはケース・バイ・ケースで臨機応変にできるんだと思いますけれども、何しろ先ほどのお話で、外に出るという部分でちょっとひっかかったものですから言いました。
 それで、先ほど私の質問は、「研修の内容に重複が見られ、必ずしも効率的な研修体系となっていない。」という問題点が指摘されたということに対してどう思いますかと聞いたんです。
池坊大臣政務官 そのようなことを踏まえまして、これからはそのようなことがないように、私どもも一応の内容とかやり方を想定いたしております。それは教育委員会の方に提示をいたしておりますし、あらゆる会議を通じて、みんなに行き渡るような説明もいたしております。
 ただ、それを各教育委員会がそのままうのみにするのではなくて、地域のやはり特色というのがあると思いますので、その特色を生かしながらさまざまな研修内容をしたらいいのではないかというふうに考えております。それは教育委員会の自主だと思っております。
 また、さっきちょっと場所のお話になりましたが、外に出てやりますことと、課業期間中に二十日ほど学校内においていたす研修もまたございます。中と外と両方でいたすつもりでございます。
武山委員 それでは、この質問で一番大きな問題は、骨格は国がつくるけれども、その骨格の精神が本当に県の教育委員会にきちっといかないといけないと思うんですね。その精神自体が本当に何を目的としているのか、そしてそれがまた市町村の教育委員会に流れていくわけですよね。ですから、二段階にいくわけですから、そこでとる人、理解する人の、また任命権者の意思がきちっと伝わらないところに問題があると思うんですよ。
 ですから、そこを、きちっと精神を、そして内容を、本当に目的としているものが何かということがきちっと伝わるということは、ただそれを県に丸投げではなく、時には現場に足を運んでやはり実態を見るということも文部科学省の大切な重要な仕事だと一言つけ加えさせていただきます。
 それから、今、いわゆる教育課題が物すごく大きく数もふえているわけですけれども、年々研修の内容が増加しているにもかかわらず、研修の実施について必ずしも見直しが十分行われていないというわけなんですね。ですから、受講する教員の負担が大変大きくなっている、十分見直しが行われていないということが非常に問題だと思いますので、これはもう全部、この後三問ありますけれども、答申を受けての問題点、これは一つの基本的な考え方だと思うんですよね。十分、文部科学省で本当に青写真を描いたとおりに、目的から、理念から、哲学から、精神から、きちっと教員一人一人に行き渡らないと、それは成果として効率的にやはり働かないと思うんですよね。ですから、見直しが十分行われていないというところにどう答えますでしょうか。
遠山国務大臣 確かに、制度をつくりましても、そこで制度の、そもそも何のために、しかもどういうふうな方法でといったようなことについて徹底いたしませんと、制度は生きないわけでございます。今回の研修の実施につきましても、もちろんその点は大変大事だと思っております。
 十年研修の問題につきましては、教員養成審議会におきましても十分な議論がなされておりまして、その目的なりあるいはあり方なりということについて非常に豊富な指導内容が既に含まれているわけでございます。私どもといたしましても、そういうものを参考にしながら、さらに文部科学省としてしっかりした指導体制を組んでいきたいと思っております。
 平成十二年の二月に通知を発しまして、答申において示された具体的改善方策などが各地で活用されるようにしているわけでございますが、それを参考にして教員研修の見直しを行ってくれますように、各教育委員会等を指導しているところでございます。
武山委員 教育職員養成審議会では十分審議を尽くした、十分議論をしたということを今おっしゃいましたけれども、ぜひ今後考えていただきたいと思います。県の教育委員会とこの審議会の皆さんがお話しする機会、そしてまた、市町村教育委員会の皆さんとお話しする機会があったらもっといいかと思うんですよね。
 実際に幾ら十分国のレベルで教育職員養成審議会がお話をしても、報道されたり実際に伝わるのはほんの一部でございます。実際に、本当にどんな議論が細かくされたのか、どんな子供たちの未来を描いて議論されたのかなんて、ほとんどいっていないと思うんですよね。ですから、そういう審議会のメンバーの皆さんが、ぜひ県や市町村に行って現場の声を聞いて、実はこういう議論をしたんですというお話と同時に、また現場の声を聞くことによって、また一段と一歩進むと思うんですね。それを一言つけ加えさせていただきます。
 それから、研修についての評価が十分に行われておらず、受講者にどれだけ研修内容が受けとめられたのかが十分に把握されていない。この評価ですね。今まで私、五点質問してまいりましたけれども、このすべてに対する実効性の評価。本当に、口では何とでも言えると思うんですよ。そして、県にはきちっとやってくれ、やってくれと。県も、一生懸命やった、やったと。市町村も、私たちは誠心誠意体を張って、二十四時間体制でみんな教育委員会は頑張っているんだと口では言います。でも、現実には今、本当に教育界の問題、もう山積みなんですね。
 では、それをどう本当に十分把握されているのか、研修内容が受けとめられているのか、評価はどうなのか、それを実行した担保というのはどういうふうに考えているんでしょうか、文部科学省は。
池坊大臣政務官 十年研修を修了いたしました後には、受講した教諭等の教科指導や生徒指導等の諸活動において力量の向上が見られたかどうかには、しっかりと評価することといたしております。
 そして、その評価によってその後の教員に対する指導や研修計画に生かしますし、それらを踏まえまして、例えば、その得ました知識、技能が有効に発揮されるよう、またその後の勤務成績が優秀であると判断された場合には、特別に昇給や勤勉手当などに反映されることも考えております。
 また、その人間が自分の持っている適性を十分に蓄え、そしてそれを発達させ、その技量が著しくいい場合には、その専門性を十分に発揮できるような人事配置などを行うことも考えておりますので、ただ研修をしてそれで終わりということではございませんで、研修をいたしました評価が必ず現場にも反映するようにいたしていくつもりでございます。
武山委員 教育委員会が、今、私の地元でも形骸化されている、顔ぶれもいつも一緒だと。校長先生をやった人がみんな教育委員会のメンバーになって、そしてその中の一人がいつも教育長になっている。現実は本当に形骸化されている。その形骸化されているその人たちが十分評価ができるんだろうかと私は言われたんですよね。ではそれを十分評価できる担保というのは何なんでしょうなんて言われたんですけれども、これは情報公開するんでしょうか。それとも、こういう評価があったということは、どういうふうにしてそれを公開したり、透明だということが言えるんでしょうか。
池坊大臣政務官 教育委員会は、昨年の教育改正によりまして、PTAですね、保護者の代表を入れる、地域の人を入れる、教育委員会の活性化を行うということにいたしておりましたので、今まで学校の校長をしていた人間が教育委員会の長になって形骸化されているということは、これからはなくなっていくと思います。
 そして、形骸化されていなくなった教育委員会が評価することでございますし、また公表をするかということに関しましては、これは個々人の問題でございますから、個人の評価を公開するということは多分ないだろうと思います。
武山委員 去年、教育委員会のメンバーを、今お話しのように地元のPTAとか男女の比率とかという法改正をしましたけれども、急に去年から言ってことしから突然よくなるということはまずあり得ないと思います。時間のかかるものです、教育というものは、変えるときに、意識をまず変えていかなきゃいけないわけですから。今までの意識をぱっと一年で変わるなんということは、それだったらだれも苦労しないと思うんですよね。みんなが考えて、なかなかいいアイデアが出なくて、みんな今苦労しているわけですよ。ですから、去年決まったからことしそんなことはありませんなんて、立場上あるなんて言えないだけで、まずそれはあり得ないということは話しておきたいと思います。
 それから、先日、四月、NHKの特別番組で、イギリスの四十一歳の女性校長の教育の実績が評価されて、イギリスの女王から勲章をもらったわけですね。この人は三十六歳で校長先生になって、五年間の実績が評価されて、イギリスで最も優秀な教師の一人になったと認められたんですね。これはNHKで放映された部分です。
 それで、十年目研修で全員に義務づけるには、三十代には優秀な先生が存在しないと決めつけるに等しい研修だ、この問題の抱える課題は大きいと。例えば、このイギリスの四十一歳の校長先生は、予算、指導、経営においてすべて自分で認められている、いわゆる権限があるわけですね。そして、地域、家庭、子供たちに信頼されて生き生きと経営していたというわけです。
 きょうの法律の十年研修というのは、各任命権者が研修を行うとあるわけですけれども、現場では、責任者の、学校の校長の顔が見えてこないとか、それから個々の教師のニーズにおいていろいろとケース・バイ・ケースで考えるとかといっても、個々の教師を何でも取り入れたら力量の低下や資質の低下を招くことも考えられると、いろいろ現場では言っているわけですね。
 それで、まず私は、このイギリスのNHKの特別番組、びっくりいたしました。本当に、五年間の実績が評価されて、三十六歳で校長になる。そして、重複になりますけれども、予算も、指導も、そして経営もすべて認められている。日本ではまずあり得ないと思うんですね、こういう今の制度上では。これに対してどう思いますでしょうか、文部大臣は。
遠山国務大臣 私も、あの番組をたまたま見る機会がございまして、大変感動を受けました。
 ただ、私、よく考えてみないといけないと思いますのは、それぞれの国の教育制度のあり方、あるいは教員の資質あるいはその教育の実態、子供たちのあり方自体は、部分的なもので比較してはいけないのではないかと思います。
 イギリスは、御存じのように、今教育についての大改革に取り組んでおります。ブレアさんがあのような言い方をして、要するに、教育改革というのは国の基ということを何度も強調しておられるわけでございますが、私は、イギリスの場合に、以前聞いておりましたのは、教員になり手が少ない、あるいは教員に優秀な人が来ない、給与も低い、そしてそれぞれの学校におけるカリキュラムも十分に組めていない、教科書もない、そういう大混乱の事態というようなことを聞いたこともございます。そういう中における一人の非常にすぐれた校長先生の努力というものが、衆目一致するところ認められて、勲章につながっていった。それは大変感動的な話であったと思います。
 イギリスもそういう事態を受けて、非常に今制度的にも、日本の学習指導要領を見習って、国家統一的な共通のスタンダードも決めたりしておりますし、さまざまな努力がされております。
 それに比べまして、私は、日本はまことに明治維新以降、あるいはその前の江戸時代からも、教育に対する国民の関心が非常に強いこと、そして政府も時々に、教員養成、教科書のあり方を初めとするさまざまな努力を積み重ねてまいりまして、私は一概に、それぞれの国の部分的なケースだけを見取って、それでは校長にすべての権限を与えるという行き方で、今後の日本の学校教育というのはうまくいくのかということも考えてみる必要があろうかと思っております。ただ、なかなか示唆的な話でございましたし、今後の研修のあり方についても、ああいうようなことをよく念頭に置きながら考えていく必要があると思います。
 ただ、今回の十年研修というものは、それぞれの教員の個々の能力、適性等に応じてやるということを法律上明文化しようとしているわけでございまして、画一に全部同じように、十年たった人を、同じようなことだけを着目して研修をするという思想でないということは、法案上明確になっているところでございます。
 委員の御指摘というものは大変参考にはなりますけれども、私どもといたしましては、今回の法案は、日本における教員の資質能力向上という点において、一歩また前進する制度改正であると考えております。
武山委員 きっとそういう答えが返ってくるだろうとフォーカスしておりました。
 今までそういう考えで日本の教育はずっと来たものですから、だから、今こういう時期にあって、NHKがこういう視点もあるんだということで、何とか今の教育に新しい息吹を入れて、そして、あしたの日本の財産である子供たちに活力ある教育を、やはりそういう環境を整えたいという、国民全体が今思っているわけですね。
 ところが、今どうしたらいいか、いろいろと議論は百出して、答えも十分いろいろ出ているわけですね。それに優先順位をつけてやるだけだと思うんですけれども、やはりそれにかかわっている文部省のいわゆるお役人も含めて、大臣も含めて、政府側が優先順位をつけて、一歩の前進じゃなくて、今五歩も十歩も前進しなきゃいけない。何とか活力を見出して頑張っていきたいというその活力のもとをつくる、今本当に大事な法案なわけですね。それを、一歩ぐらいじゃ、もう手おくれも手おくれなんですよ。五歩も十歩もやらなきゃいけない。ですから、私は想像していたとおりの答えが返ってきたということを申し添えておきます。それでは全然活力にならないと思います。元気が出ないですよ、そういう発想では。
 それで最後に、ここの部分で、いわゆる養成審議会の答申の中の最後になりますけれども、幼稚園の場合、設置する市町村教育委員会が研修を実施することとなっていて、行財政的基盤の脆弱さから研修の機会が非常に少ないと。これはどのように研修の機会を多くしていくのでしょうか、政務官。
池坊大臣政務官 武山委員が御指摘のように、市町村教育委員会の行財政基盤が脆弱でございますので、幼稚園教員の研修の機会が十分ではないという現状がございます。各地域におきましては、複数の市町村で合同の研修を実施いたしたりする、そういう取り組みも行われております。文部科学省といたしましては、国や都道府県においても、幼稚園教育課程を推進する協議会を開催するなどの機会を提供してまいりたいと思っております。
 平成十三年三月に策定いたしました幼児教育振興プログラムに基づいて、平成十三年十一月より幼稚園教員の資質向上に関する調査研究を実施いたしております。この調査研究において協力者会議を設け、研修の充実を含め、幼稚園教員の資質向上のための具体的な方策を検討しているところでございます。
 私は、幼稚園教育は大変大切だというふうに思っておりますから、これからも力を入れて、さらに研修の機会をふやしていきたいと思っております。
武山委員 それでは、根本の議論をもう少ししたいと思います。
 まず、研修ですね。この十年という、十年にこだわった理由をもう少し、なぜ十年なのか。現場のお声を聞きますといろいろ言っておりました。いつでも研修だと。なぜ十年に決めたのか。それから、一年目でも二年目でも三年目でも五年目でも、いつでも研修なのに、十年にこだわったその理由が何なのかということを聞かれましたので、十年という期間はどのようにして決められたのか、まず期間ですね。それから、なぜ十年にこだわるのかということを聞かれたものですから、私も答えられませんでしたので、ぜひお答えいただきたいと思います。
遠山国務大臣 教員は一般に初任者段階から中堅教員段階に進んでいく期間におきまして、さまざまな経験を通じることによって、教科指導でありますとか、あるいは生徒指導などに関して、基礎的、基本的な資質能力を確保して向上させていくわけでございます。そして、そういうプロセスにおいて各人の得意分野をつくったり、あるいは個性の伸長を図っていくという経過をたどるのでありまして、また、そのこと自体が強く求められているということは申すまでもないわけでございます。
 通常、教員は在職期間が十年に達する時期までに複数の学校における教育経験などを積んでいる場合が多いわけでございますし、十年ぐらいたちますと、ちょうど教員等として、どの程度の指導力あるいは力量を持っているのか、また今後どの程度の向上が見込まれるのかということもわかりますし、また、どういう教科あるいは分野について適性を有している教員であるのかということもわかってくるわけでございまして、十年ぐらいというのが最も各教員の能力や適性が明らかになってくるときであろうかと思っております。
 このために、この時期に個々の教員などの能力、適性に応じた研修を実施いたしますことは、すべての教員に、基礎的、基本的な指導力でありますとか、あるいは力量を確保するということとともに、得意分野づくりをさらに進めていただくという意味で、極めて重要かつ時宜を得た時期ではないかと考えるところでございます。
 そこで、教諭等としての在職期間が十年に達した人たちに対しまして、個々のそれぞれの能力あるいは適性というものを十分に勘案して、それらに応じた研修の実施を任命権者に義務づけようとするものでございます。
武山委員 なぜ十年という期間か、それでなぜ十年にこだわったのかということを聞いたんですけれども、この研修というのは、本来あるべき研修、学校の教師はみんな本来あるべき研修というものをきちっと位置づけている方も多いわけですね。その中で、あるべき研修とは思えない、さらに、研修に熱心な教師からは非常に不満の声が出ている。そして十年研修は、十年目の教師は未熟だと決めつけているからなんだろうかなんというふうに、ある学校の校長先生がそんなことを言ったものですから、そうすると、三十代の教師には優秀な教師がいないという認識になっちゃうのかなというようなことも言っておりまして、現場はやはりよく理解していないと思いますね。ですから、現場にきちっと理解させるということは大事なんですよ。
 県から市町村にいって、また市町村から各学校にいくわけですから、もう一、二、三段階通っていくわけですね。そこに、その段階ごとにやり手の、本当に日本の教育を危機と感じて、一生懸命努力する人が大勢いればいるほど、下にいけばいくほど現場には声が届くんですけれども、そこのパイプもやはり詰まっている。やはり理解というのはなかなか十分にはいかないと思うんですね。
 この辺、十分理解できないでいる現場に対しては、やはりどのようなことをこれから心がけるか、またどういうことをやはり言っていかなきゃいけないか、その辺はどう認識しておりますでしょうか。
池坊大臣政務官 教員として至らない、十年をたたなくても、それぞれの場所において指導力不足の人間をどのように指導するかという御質問というふうに受けとめてよろしいのでしょうか。
 この指導力が不足しております教員に対しましては、十年を待たずして、それぞれに迅速に、かつ適切に指導を行っていかなければならないと思っておりますので、これは研修とは別に考えております。すべての都道府県教育委員会などに対して、指導力不足教員に対応するための人事管理システムの構築が促進されるよう、調査研究事業を委託しているところでございます。本事業等を通じて、指導力不足への適切かつ迅速な対応がなされるように指導しております。
 ですから、十年の研修が必ずしもいつもいつもそれだけなのかということでは決してございませんで、各教育委員会は、それぞれの教師に対して、どのような指導力がなされているかということに対しても、いつも調査研究をいたしております。
 現場を把握していないからこのような研修制度を設けたわけではございませんで、むしろ、現場を考えますと、何事も物事は、五年、十年という、期間というけじめというのがあるのではないかというふうに思っております。
 では、何で五年をしないのかということでございましたら、五年というのは、初めは初任者研修をして現場に行っております。五年ではまだ指導力等の向上を図っているちょうど最中でございます。それからまた、どの教科や分野に対して自分が適性を有しているかということもまだ自分でもわからないし、また、ほかの先生もそれを認識するにはまだ時間が、時期尚早なのではないかというふうに思っております。
 ちょうど十年たちますと、みんなそれぞれの段階を経まして、悩みを持ってきたり、これをどう解決していいかというようなことで悩むときがちょうど十年ということでございます。いろいろな先生とお話しするとき、十年がいつも節目だね、分岐点だねとおっしゃる方が多いので、やはり十年の研修は時宜を得ているのではないかと思っております。
武山委員 今のお話を聞いて、がっかりしました。
 まず私は、なぜ十年目の研修が、現場では未熟だと決めつけている先生もいるということで、現場にきちっと文部科学省が十年目で研修するという意味が伝わっていないんじゃないかということで、きちっと伝えるべきじゃないかということを質問したんですね。それで、それに対してどういうふうなことを対応として考えていますでしょうかと私は実は質問したんです。
 そうしますと、やはりこの十年研修というのは、教師が未熟だ、やはり極論すれば未熟だから、すなわち、不適切な、未熟な先生に対して研修をしようという意図ですよ。やはり現場の校長先生たちが、私がヒアリングした校長先生が思っているとおり、教師が未熟だから、だから十年目に研修しましょうというふうに今のお話ですと聞こえるんですね。
 私は別に、全体の、十年経験した、その中で一つの節目で、未熟な先生も、それから力量のある先生もやり手な先生も、全先生を対象にした研修というふうに理解していたんですけれども、今のお話ですと、いわゆる力不足の未熟な先生を対象にしているというふうに私は聞きまして、今、がっくりきました。文部科学省の政務官がそんなふうに答えるのであれば、やはり根本的にはそう思ってらっしゃるということじゃないかなと思いまして、ですから、なぜ十年にこだわるのかということを聞いたわけなんですね。
 現場の先生たちは、大体みんな今のお答えのように思っているんです。恐らく、力量のない、資質のない、不適切な先生を対象にするんじゃないか、大体みんな、この内容を読んで私のところへ言ってきたことはそうなんです。今政務官が答えたのは、やはりそうなんですよ。そういうことに対して、でも私は、十年経験した先生全体を対象にしている法律じゃないかというふうに私自身は解釈したんですけれども、この点について非常にがっかりしたというか、そういうふうに見ていたのかというか、地元の校長先生たちが見ている法律の内容の理解は政務官の理解と一緒だったなということで、やはりそこに一つのポイントがあるのではなかろうかと思います。
 それで、各任命権者が実際に研修を行うとあるんですけれども、現場の責任者である校長は、まず、どのような役割で、どのような責任を負うのか。校長先生のこの十年研修に対する、任命権者が行う研修の現場での責任者の役割とそれからその責任、これを具体的にお聞きしたいと思います。
遠山国務大臣 今の御質問の点でございますけれども、校長は、この研修について大変重要な役割を果たしてもらわなければならないわけでございます。
 それは、校長先生は、教頭先生あるいは主任などの協力を得ながら、それぞれの個々の教員の能力、適性等に応じて研修をするということでございますので、それぞれきちっと評価をした上で、研修計画書をつくって、そういう案を作成する、そういう責務があるわけでございます。
 この際に、指導主事などもあらかじめ十年経験者研修を受講する教員などの授業などをよく観察して、そして評価を行ってそれを校長に伝えるということにいたしませんと、校長一人でそれぞれの、十年たった先生のきちんとした能力、適性等に応じた研修案ができないわけでございまして、もちろんそういうプロセスは踏むわけでございますけれども、校長は、そういう研修指導計画というものを作成して教育委員会に提出する必要があるわけでございます。そして校長は、その対象となる教員に職務命令によって研修の受講を命ずるということでございます。
 先ほどちょっと、委員せっかくの御質問でございましたのですが、私の方から、恐縮ですが、お時間いただいて、きょうお答えしておいた方がいいと思うわけでございますけれども、今回、この法律を通していただきまして、十年研修というものをしっかりやっていくという段階になりましたら、それは私どもといたしましては、その趣旨を通達なりあるいは研修なり、あるいは、まずはオーソドックスな方法といたしましては、都道府県等の教育委員会を通じましてその趣旨を徹底する。同時に、資料も作成をし、通達もつくりということで、あらゆる手段を用いてこのねらいとするものを徹底していくということを考えているのは当然でございます。
 それから、政務官がお答えいたしましたのは、この前の改正による不適切な指導力しかない教員についての話とこのこととは別でありますよ、不適切な指導力の方のことについては、この十年研修とは全く別に、常にそれについては、学校としては前回の改正のとおりに制度を適用していくということであるという趣旨を話してくれたわけでございまして、私は、政務官のお話自体をもって、それで今回の十年研修というものが、未熟な人あるいはいろいろな問題を抱えた人だけに対するものであるというふうに御理解いただいたとすれば、その点については、ぜひとも私どもの趣旨をもう一度御理解し直していただけたらありがたいと思うわけでございます。
池坊大臣政務官 先ほど私がお答えしたことに関して、十二分に私の意が武山委員の方に伝わらなかったのではないかと思っております。
 もちろん、この十年研修はすべての先生方がお受けになる研修でございまして、これを、未熟な人とか不適当な教員を矯正するなどということは毛頭考えておりませんで、さらなる資質能力を、あるいはその先生が持っている力量を高めるための研修でございますので、それは強く強く私申し上げたいと思います。
 先ほど、もし誤解を与えたといたしましたら、そうではなくて、私が申し上げたかったのはそのことでございます。
武山委員 時間がなくなってしまいましたので、ちょっとまとめて、議題は別なものに入りますけれども、自主研修の活性化ということで、文部科学省が決めるいわゆる義務的な研修以外に、自主的な研修が非常に大事だと現場では言っているわけなんですね。
 それで、この自主的ないわゆる研修を活性化する部分で、実は先ほどある先生の質問の中にも入っておりましたけれども、夏休みを有効に使って、今、大変先生方、海外でいろいろ見たり聞いたり、いろいろな海外での研修だとかそういうことを視野に入れて、現実に行ったり、それからこれから行こうとか、そういう計画もあるようなんですね。
 そういう場合、夏休みの期間だということで、校長先生にその許可を得なきゃいけない、それからその市町村の教育委員会で許可を得なきゃいけない。ところが、ある地域はオーケーを出しても、ある地域はだめだと言う、実際にオーケーをもらえない地域があるということで、ぜひそういうところを、自主研修なので、ちょうどいい機会なので、ぜひ長期の夏休みを、市町村もやはり理解を示していただきたいと。そして、国際化、国際化といつも言いつつ、実際は、市町村の教育委員会、そして校長先生に話しに行くと、だめだと言って機会を閉じている市町村もある。
 自主研修は、国内だけに当てはまるものではなくて、海外の研修を踏まえていいんじゃないかということで、まず海外も踏まえてのことをぜひ聞いていただきたいということで、海外での研修が具体的にどのような研修として、もちろんこれは自主研修なんですけれども。それから、自主研修じゃなくても、それは大いに、ケース・バイ・ケース、これから研修の機会を自主的なものじゃなくてもつくっていいと思うんですよね。ある県単位でやってもいいし、市町村単位でもそういう研修をつくってもいいと思うんですけれども、実際に自主研修で海外に行くときに、なかなか理解が得られなくて研修の機会がないということに対しては、ぜひ文部科学省もこたえていただきたいということなんですね。それに対して、ぜひお答えいただきたいと思います。
遠山国務大臣 委員御指摘のように、私は、生涯、人間にとって、みずからを磨く、学ぶということは大事だと思いますが、特に教員につきましては、常に研さんを積むということはその職務の一環でもあろうかと思っておりまして、その意味で、自主的研修の重要性というのは言うまでもないわけでございます。
 海外に出て研修をしたいというような話についての扱いについての御質問でございますが、公立学校の教員につきましては、御存じのとおり、国家公務員法、それから地方公務員法の特例といたしまして、一つは授業に支障のないこと、それからもう一つは校長の承認を受けること、これによって勤務場所を離れて研修をすることができる。これが職専免研修と呼ばれているものでございますが、これは、通常の有給休暇以外に、こういう制度を教員に対して非常に優遇してつくっているわけでございます。
 ただ、この職務専念義務免除によります研修といいますものは、給与上も有給であるわけですね。したがいまして、その承認に当たりましては、その自主研修の内容が本当に研修としてふさわしいものであるのかどうか、あるいは効果を有するものがあるのかどうかということの検討が必要であろうかと思います。
 御指摘の、ただ海外へ行くというだけの話につきまして、それぞれのケースによって、非常に、海外へ行って、外国の学校も見、あるいは教員たちとも議論をしというようなことであるのか、それとも単に物見遊山的なものであるのかというのは、個々のケースによって違うと思いますね。したがいまして、一概に判断できないものでございます。そこを私は、校長は個々の、具体のケースに応じて、具体的な研修の内容を十分に把握した上で適正に判断してほしいというふうに考えているところでございます。
武山委員 終わります。
河村委員長 次に、石井郁子君。
石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。
 十年経験者研修を任命権者に義務づけるという今回の教育公務員特例法の改正案でございますが、それについて質問いたします。
 武山議員も触れていたところでございますけれども、現行でも教職経験者研修というのは行われているわけですね。十年研修、十五年研修、あるいは二十年研修というのもあるということでございますが、例えば、埼玉県では十年、東京都で十年以上十四年未満の者、富山県で十年経験者とか、愛媛県でも十年及び十五年次、大阪でも十年目と十五年以上というふうにあるわけで、まず、文科省にお伺いしますけれども、この十年、十五年を一回とみなして、教職経験者研修を実施している都道府県、政令都市、中核都市はどのくらいの数でしょうか。
矢野政府参考人 教職経験十年目程度ということで、若干の幅を持たせてお答え申し上げますと、そういう程度の時期における研修につきましては、平成十二年度の時点におきましては、四十七都道府県中四十都道府県、率にいたしまして八五・一%、また、政令市につきましては、十二政令市中八三・三%が十年目程度の時期における研修を実施いたしているところでございます。
石井(郁)委員 なかなか文科省は微妙に自分に都合のいいように答弁されるなといつも思うんですけれども、私はやはり十年、十五年、そうしたらあなたは十年程度というふうにそれをしてしまいましたけれども、私いただいた調査室資料では、十年目と十五年程度の研修ということで合わせてみると、すべてで行っているんじゃないですか。すべての都道府県、政令指定都市で行っていますよ。やはりきちっとそういうふうに、私の質問どおりにお答えいただかないと困ると思うんですね。私は、今回、いろいろなことで、ちょっと、大分、昨夜のレクを含めて、文科省はいかがなものかということがありますので、冒頭からそういう話になってしまいましたが。
 今わかりますように、だから、経験年数の差はありますけれども、幅はありますけれども、十年程度の、十五年含めて十年程度というふうにみなしたら、すべてで行っているんですよ。今回、それを改正して義務づけをするということが趣旨ですよね。なぜ義務づけなきゃいけないのか、ここがやはり大きな問題だろうというふうに思うんですね。
 それで、私は法文に即して申し上げたいのですけれども、十年経験者研修を受ける者の能力、適性などについて評価を行う、その結果に基づき当該者ごとに計画書を作成しなければならないというふうにあるんですね。能力、適性というのを一体どのように評価できるのか。その評価の仕方あるいは評価の基準ということについては、文科省はどのように示されるんでしょうか。
    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕
矢野政府参考人 十年経験者研修の具体的な評価方法等は、これは基本的にはそれぞれの任命権者が定めるものでございますけれども、この点につきまして、我が省といたしましては、まず、それぞれの任命権者が能力等を評価するための評価基準を作成すること、そして、校長が評価基準に基づきまして教頭や主任等の協力を得ながら、評価案またそれに基づく研修計画書案の作成を行い、これを教育委員会に提出すること、教育委員会は、校長から提出された評価案及び研修計画書案につきまして他の校長との均衡等の調整を行いまして、最終的に教育委員会が評価及び研修計画を決定するということをこの評価の方法等の一連の手続として想定しているわけでございまして、私どもといたしましては、これらの評価方法等に関する考え方につきましては、通知等を通じて各任命権者にお示しをしてまいりたいと考えているところでございます。
石井(郁)委員 やはり評価ですから、今御答弁のように、その評価方法、評価基準というのは任命権者が定めなければいけないということですね。
 文科省としては決めないのですか。決めないというか、事細かに私は決めるべきとは言っていませんけれども、こういう考え方で臨むべしとか、文部科学省としての評価基準というのは何らお示しにならない。それで、言われましたように、通知、通達というのは、今お話になったことが通達になるのですか。もっと評価基準の中身に入ったようなことが通達になるんですか。
矢野政府参考人 これは、事柄の性格といたしまして、評価基準あるいはそれに基づく研修計画書というのは、これは任命権者がするものでございまして、国、文部科学省として、そういうものをつくる、そういう立場にないわけでございます。
 私どもの立場といたしましては、そうした各任命権者が評価、評価基準あるいは研修計画書を策定する場合について、一つの参考となるものをお示ししたいというふうに考えているわけでございます。
 そういう意味で、まず、先ほど申し上げましたのは一つの評価の方法、方法として今申し上げたような評価方法に関する考え方を、今申し上げたようなそのままということではございませんけれども、そのポイントを押さえたものを一つの参考としてお示しすることになろうかと思うわけでございます。
 また、先ほど申し上げましたのは評価の方法でございますけれども、さらに、評価基準につきましては、これは、基本的には先ほど申し上げましたように任命権者が評価を行うものでございまして、それに当たって、任命権者は評価基準のベースになるものをおつくりになろうかと思いますが、その際に、私どもとしても、評価の基準の参考になるものをお示しいたしたいと考えてございます。
 具体的には、例えば教科指導について、これは御案内のように、教員の教科指導あるいは生徒指導等に関する指導力を分析し、そして当該教員の能力、適性に応じた研修、そういうもののために、そういう観点で評価を行うものでございますから、そういう意味で、具体的にその評価のあり方につきましては、評価の参考としてお示しするものとしては、具体的に、例えば教科指導について申し上げれば、教材解釈、授業における態度、生徒への発問また生徒の発言への対応、板書、授業の展開等、評価項目としてそれらが適切になされているかどうか、ポイントとなる具体的な実例を示しながら、評価を行う際の一つの参考例としてお示しすることを想定いたしているところでございます。
石井(郁)委員 私、実はそういう答弁をしていただいていいのですが、法案の審議ですから、まさにこの評価を行うということがこの法案の一つの重要なポイントですね。
 だから、どういうふうにその評価を行うのか、どういう基準で文科省は考えているのかと言って、きのうは全然、きのうの質問レクでは、そういう答弁はもう想定できないというようなことだったのですよ。しかし、きょう質疑に入ってみると、一転、踏み込んで局長の方から答弁をされているわけですけれども、何かちょっと法案の質疑に当たって、私たちの質問に対して、質問のレクの段階できちんと答えられないというのは、これはちょっと今までにないことだったんですよ。
 こういうことは、本当に改めていただきたいということを強く言いたいんですけれども、ただ、私は、そういうわけで、例えば今の、きょう答弁が出てくるということはきのうの段階でわからないわけですから、それがわかっていればもっと質問も違ったように展開しなきゃいけないでしょう。例えば、本当に板書の仕方とかかなり細かな評価の中身に、今ちょっと例示として挙げられましたね、指導についての中身が。そういうことが、細かな中身というのは評価としてどうなんだろうかという問題になるわけでしょう。
 だから、文科省がやはり何をこの法案で考えて、どういうことを都道府県に、今例示であってもあるいはどういう中身であっても、示されていくのかというのは、やはり国会がちゃんと把握をして、ここで審議を尽くさなきゃいけない問題でしょう。その審議の条件でできないのですよ。
 ゆうべの、私は、本当に質問レクで驚いて、今お話を聞いてさらに驚いているのですが、問題は、研修を受ける者の能力と適性、まさに教師の能力と適性を評価するというわけですから、この評価の基準というのは非常に重大なものになるわけですよ。その重大な中身を文科省がどこまで提示されるのかということについて、本当にきのうの段階でははっきりしたことが私聞くことできませんでした。今幾つかのことを言われたので、そのことについてかみ合って話はできないのですけれども、いずれにしても、かなりそういう具体的なことが出されるということなんですね。それがひとつ確認をしておきたい。
 では、そうしますと、私ども、私が把握しているところでは、既に都道府県レベルでもう教員の評価についての議論が始まっていますよ。あるいは、教育委員会が取り組んでいる。私はいつも申し上げる例ですが、大阪府の教員評価について聞いてきたのですけれども、こういう評価になっているのです。
 つまり、能力ですよ。能力、適性の評価をするというわけですから、この能力の評価、学習指導、学習指導以外、校務遂行ということで評価をする。学習指導では、授業を、五項目ありまして、授業の研究、準備、計画的、効果的な授業の展開、臨機応変な授業の展開、それから授業の改善、こういう五項目でそれぞれ満たしている、満たしていないと。評価だから、やはりできたかできないかということになるわけで、満たしている、満たしていないということでして、評定というのがあるのです。
 その評定では、S段階で極めてすぐれている、A段階は十分な職務遂行能力を有している、B段階は基本的な職務遂行能力がある。C段階では基本的な職務遂行能力を満たしていないところがある。Dは極めて不十分である。まさに五段階評価、評定になっているわけですね。それぞれ、学習指導以外でも校務遂行についてもそういう評定になっている。総合として、S、A、B、C、Dというふうになっているということなんです。
 今後の育成方針としては四項目がございまして、伸ばしたい能力と補いたい能力、従事させたい業務、受講させたい研修ということを校長が書き込むようになっているということで、校長が評価をするということになっているのです。
 現場ではこんなふうに動いていくのですが、こういうことなんでしょうか。
矢野政府参考人 十年経験者研修におきましては、先ほど申し上げましたように、それぞれの任命権者が評価を行うことになるわけでございますが、任命権者が行う評価は、これは個々の教員の教科指導、生徒指導等に関する指導力等を詳細に分析をいたしまして、当該教員の能力、適性に応じた研修としてどのような研修を行うべきか、そういう観点に立って実施されるものでございます。
 そこで、今委員は大阪府についての評価の例をお示しになりましたけれども、実は私ども、詳細を今の段階できちんと把握しているわけではございませんが、電話等でお聞きしている限りにおきましては、勤務成績、勤務成績評定ということのようでございまして、それは、まさに勤務全般を対象として、評価の結果を人事異動や昇給等の身分取り扱いの上で活用するために、そういうものとして実施されているようでございますので、そういう意味では、私どもが今回十年研修において行おうとする評価とは、目的や趣旨を異にするものというふうに理解をいたしているものでございます。
石井(郁)委員 大阪府の教育委員会は、昨年の七月にもう作成しているんですよ。指導力不足等教員への支援及び指導の手引きなどとして、もう下におりています。文部省が知らなかったらおかしいでしょう。
 それで、今大事なことを言われました、勤務評定的な評価と研修の評価は違うと。でも、目的は違うと言われたんであって、内容的に違うということは言われていないでしょう。だって、教科指導とか、授業の指導とか、評価とかということを先ほどあなたもおっしゃったじゃないですか。生徒指導、教科指導についても評価しますよとおっしゃったでしょう。ここでも、まさにこの観点、項目の例示というのは、学習指導、生徒指導、学級経営、ずっとありますよ。こういうことがやはり研修のときにも評価の項目になるんじゃないんですか。ただ目的が違うけれども、中身は一緒だということにもなりますよ。
矢野政府参考人 繰り返しになりますけれども、十年研の研修における評価というのは、要は、その教員にとってどのような研修を行うべきか、そういう観点に立って、例えば教科指導、生徒指導等に関する指導力がどうであるかということを詳細に分析し、そういう観点で行うものでございます。
 今お示しになりました大阪の例、これは、私はそのものを持っておりませんけれども、十年研の評価とは全く違うものとして、つまり、勤務評価としておつくりになったというふうに理解をいたしてございますから、その勤務評価というのは、それぞれの例えから申し上げまして、私が申し上げましたような指導力について状態がどうであるかといったような評価ではなくて、勤務成績を、勤務全般を評価するものとしておつくりになっているはずでございますから、今申し上げましたように、目的も違いますし、実態、具体的な中身においても、もちろん一部重なるものはあるかもしれませんけれども、基本的にはそういう視点が違うわけでございますから、違うものとして考えられるところでございます。
石井(郁)委員 研修を行うために計画書が必要だ、その計画書をつくるために個々の能力、適性についての評価をするというふうにおっしゃいましたけれども、では、その評価というのは十年目でしょう、その教師の一年間の能力ではかるわけにはいかない、多分、十年間トータルとしてはかるわけですよね。これも考えようによっては大変な話ですよね。
 というか、私は、現実的にそれはどんなふうになるんだろうとなかなかイメージがわきませんので、ちょっと具体的に申し上げますが、例えば、十年間一つの学校に勤務していらっしゃる方だといいかもしれないけれども、しかし、校長だってかわるでしょう。校長も、今、十年同じ学校にいるという保証はないでしょう。かわりますよね。校長もかわる。教員だってA校、B校と勤務がかわるという状況でしょう。そうすると、A校では大変学校はうまくいきました、いいクラス運営もできましたということがあるけれども、B校に行ったら、大変荒れた学校に行きました、そこでは本当にその先生の指導力をもってしてもクラスはまとまらなかった、そういうことってあるでしょう。では、C校に行ったら今度はどうなるのか。
 今、教員の指導力といいますが、本当に地域の条件、学校の条件によって違う。これは、先ほどNHKの教育番組の話もございましたけれども、そういう例はNHKでも放映になっていましたよ。ここでは本当にいい授業が実践できた、しかし、場所が変わったらうまくいかなかった、逆に言うと、変わったらまたもとのようにすごくいい実践ができた、そういうことが実態でしょう。
 そんなときに、十年間トータルでこの人にはどういう研修が必要かなんてことをどうやって評価するのか。では、この一点だけお答えください。
矢野政府参考人 具体的なイメージを申し上げますと、当該教員が今年四月から十年研の対象となったといたします。そうしますと、その教員につきまして、任命権者は評価の基準を当然のことながらお示しをして、そしてそれに基づきまして、その当該教員が属する学校長が、大体、イメージといたしましては一学期間ぐらいの期間を一つのタームといたしまして、その当該教員についての先ほど申し上げましたような観点、指導力の状態はどうであるかといったような観点から、教頭や主任等の協力を得ながら評価を行うわけでございます。そして、その評価に基づいて当該校長において研修計画書の案を作成する、こういう手続になろうかと思います。
 そういう評価案、またそれに基づく研修計画書案を校長においてつくり、この評価及び研修計画の作成の制度上の責任者である任命権者がそれをベースにして、ほかの校長等のバランス等を考えながら、校長等の均衡等の調整を行いながら、最終的に任命権者が評価を行い、その評価に基づく研修計画書を決定する、そしてそれに基づいて夏休みあたりから具体的な研修が実施される、こういうことになろうかと思います。
石井(郁)委員 今、校長が評価案を作成するというお話でございますよね。先ほどは勤務評定とこの研修の評価とは違うという話ですけれども、多分似通ったものになるだろうということは予測されるので、それこそ今、予測かおそれかのお話ですが、予測されるんです。
 この大阪の例で申しますけれども、観点、項目の例示というのは六項目にわたってその細かな内容があるんですけれども、私、全部ちょっと数えなかったけれども、恐らく三十項目以上になるんですよね。評価とかになると、大体細かく細かくしていくじゃないですか、でしょう。だから、校長先生がそういう細かな細かなことを一人一人見ていくということになると、私が心配するのは、評価に校長が追われてしまって、本当に今子供の方に目を向けなきゃいけないのに、その子供の方に目が行かないじゃないの。この観点はどうか、この観点はどうか、こういうことになっていきはしませんか。これは本当に、学校をよくする、教師の全体としての指導力を上げていく、学校の力をつけていくということにつながるのかというふうに思うんですね。
 さてそこで、大臣にぜひ伺いたいと思います、今ずっと局長とやりとりをしてまいりましたから。
 今回の十年経験者研修というのは、今ずっと議論になったように、研修を受ける者の能力、適性を評価する、そして計画書をつくって行うということになるんですけれども、そうすると、この先生はこの研修が必要、この先生はこの研修が必要、このランクの研修が必要、教師がランク別に分けられていくということに、そういう研修を受けざるを得ないのではないかということは、結局、現場ではランクづけで教師たちが振り分けされてしまう、教師の能力で振り分けされてしまうということにつながるのではないか。これは人事管理の強化にもつながっていくということになりはしないかということなんですね。
 そういう意味で、大臣の方にも、先ほど局長からは、一定、通達で、かなり細かな基準のように私は聞きましたけれども、基準を出されるということですが、その基準は出されるということは確認してよろしいですか。
遠山国務大臣 十年経験者の研修におきまして各任命権者が行う評価でございますけれども、その場合、教員の能力、適性等に応じて研修をするに際して、どのような研修を行うべきかという観点で実施されるものでございまして、私は、御指摘のような教員をランクづけすることを目的とするようなものでは決してないと考えます。むしろ、教員という職にある人が本当にいい教育をしているかどうか、あるいは今後もっとよい教育をしてもらうにはどうしたらいいかという角度から、こういう点についてさらに研修してもらったらいいというふうに見て、その研修計画を立てるのが校長であり、そういうふうに運営されていくと私は思うわけでございます。
 この評価の具体的な方法等につきましては、各都道府県教育委員会が実施します研修事業の内容などにおいて異なると考えるわけでございますけれども、先ほど来の御議論にもありますように、我が省といたしましては、評価の基準など、評価の具体的な方法について、一つの参考ですね、これは決して強制ということではなくて、一つの参考となるものを示したいと考えているところでございます。
石井(郁)委員 だから、評価と研修内容がセットなんですよね。私は、その研修内容についてもどういう研修内容を考えていらっしゃるかということも本当はお聞きしたいんですが、その前段の評価がまず行われるということですから、きょうはそれについて質問しているわけでございますけれども、有名な教員の地位に関する勧告、一九六六年のILO・ユネスコ共同の勧告でございますけれども、こういうふうにあるんですよね。「教員の勤務についてなんらかの直接評定が必要とされる場合には、このような勤務評定は、客観的なものとし、当該教員に知らされるものとする。」それから二項目に、「教員は、不当と考える勤務評定に対して不服を申し立てる権利を有するものとする。」これはいわゆる勤務評定に関する部分でございますけれども、今回も、研修の評価も私はやはり評価だと思うんですよ。
 だから、教員の評価を行うということなんですから、どういう基準でどういう評価になるのか。それから、その評価は本人にちゃんと知らされるのか。私は、先ほどの議論を聞いていまして、これは評価だから知らせないという話があってびっくりしたんですね。だって、子供だって成績評価、ちゃんと通知表を渡すじゃないですか。教員が、あなたにはこういう研修が必要だなんてことを、本人に知らせないで行うなんてことはやはりあり得ないですよね。その点はいかがですか。これも大臣にお伺いします。
遠山国務大臣 十年経験者研修におきます評価は、任命権者がその権限と責任において行うものでございまして、受講する教諭等への開示が手続上不可欠になるといった性格のものではございません。しかしながら、その研修がより一層実効あるものにするためには、教員自身がみずからの課題を認識して、その解決に向けて主体的、自発的に努力してもらうということが非常に大事であるわけでございます。
 そのような観点から、我が省といたしましては、十年経験者研修におきましても、各任命権者におきまして必要に応じて評価結果などを教員に示して説明する、そして教員自身がみずからの課題を明確に認識した上で研修に取り組むといった方向が望ましいのではないかというふうに考えております。
石井(郁)委員 先ほど来も本当に議論にありますように、研修というのは本来自主的にやらなきゃいけない。それから、やはり自分の力量というのは自分が一番わかっているんじゃないでしょうか、ある面で。もちろん、自己評価と、他己評価という客観的な評価はやはり必要ですけれども、何よりも本人が納得をするということが大事でしょう。そういう意味では、そういうことをちゃんと踏まえなきゃいけないということを強調しておきたいというふうに思うんです。
 ただ、私は、今回やはり評価の基準ということを、本当はこの委員会できちんと出すべきだと思うんですよ。先ほどは例示として幾つか述べられただけでしょう。だけれども、そのほかだってあるかもしれない。その程度で、そんなことで、この委員会でこの重要な法案を通していいのかという問題があるんですね。本来だと、都道府県に通達を出すその内容というのは、本当は文書にしてここへきちんとお出ししなさい、そうでなければ審議できないというぐらい私は言いたいと思っているんですよ、本心は。ちょっと失礼ですよ、委員会の審議に対して文科省は。こういうことはやっちゃいけませんよ。
 なぜ私こだわるかといいますと、これは昨年の国会の当委員会の審議で、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律がございましたね。いわゆる指導が不適切な教員の問題でした。あのときも、私は、この不適切というふうに認定をする基準というのは何なのか、出してくださいと言ったけれども、とうとう出しませんでしたよ。出さなくて、これはあくまでも例示ですということで三項目出されましたね、皆さんも覚えていらっしゃるというふうに思うんですけれども。だから、これは各都道府県委員会に後はお任せするという話だったわけです。
 でも、そうした中でも、昨年のこの委員会の審議の中で、指導力不足教員と疾病、精神疾患とは切り離すということがありました。これは遠山大臣が、「精神疾患である教員については、医療的観点に基づいた措置が講じられるべきものと考えておりまして、」というふうに、今回の措置の対象にはなりませんとはっきりお答えになりました。また、私生活の乱れや服装、言葉遣い、あるいはプライバシーに関係する、例えば借金はあるかとか、こういうことの問題についても、この不適切な教員という範疇ないし概念とは違うということで、不適切といわゆる不適格あるいは分限処分に当たる概念とは区別するということが確認されたというふうに思うんですね。
 では、こうした問題で、各都道府県に対して今どういう指導が行われているのか、どういうことになっているか、ちょっとお答えいただきたいと思います。
矢野政府参考人 委員が御指摘になりました、昨年の地教行法の改正の際の、児童または生徒に対する指導が不適切な教員についての扱いでございますが、これにつきましては、昨年の八月二十九日、事務次官名の通知を各都道府県教育委員会等に発出いたしまして、その中で、国会の議論の中で具体的にお示しをして、指導が不適切な教員の具体的な例としてということを国会の場において御説明申し上げました、その三つの例を各都道府県にお示しをしたわけでございます。
 繰り返して恐縮でございますが、改めて申し上げますと、指導が不適切な教員の具体的な例としては、一つは、教科に関する専門的知識、技術等が不足しているために学習指導を適切に行うことができない場合、また二つには、指導方法が不適切であるために学習指導を適切に行うことができない場合、また三つ目には、児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠け、学級運営や生活指導を適切に行うことができない場合、この三つを次官通達において具体の例としてお示しをして挙げてございます。
 あわせて、これも先ほど委員が御紹介になりましたけれども、指導が適切に行うことができない原因が精神疾患に基づく場合には本措置の対象にならないものであって、これは医療的観点に立った措置あるいは分限処分等によって対応すべきものであるということをこの通知においてお示しをしたところでございます。
 また、この趣旨につきましては、昨年九月及び本年一月の各都道府県教育委員会の教職員人事担当課長会議におきましても説明をいたしますとともに、地教行法第四十七条の二に基づく教育委員会規則の整備について指導を行うなどによりまして、国会で申し上げたその趣旨の徹底を図ってきたところでございます。
石井(郁)委員 そういうふうにあなた方はおっしゃいますけれども、現実には驚くべきようなことが進んでいるんですよ。
 私、ちょっと例を申し上げますが、新潟なんですが、指導が不適切な教員などの定義の中に、3として、精神疾患などで教壇に立つことがふさわしくない教員と挙がっているんですね。それから、当該教諭は以下の項目のどれに当てはまりますかという中で、私生活に問題がある、金銭感覚がルーズで、浪費、借金のトラブルがある、体調を崩してしばしば休暇、休養をとるとか云々、等々があるわけで、これはことしに入ってからだと思うんですけれども、私、調べてみましたら、大阪の場合でもやはりそうでした。指導力不足などの教員ということで四つの区分にして、四つというか、三つなんですけれども、疾病などにより指導力が発揮できない教員と挙げているんですよ。
 もうついでに言ってしまいますが、福島県、教員の資質向上に関する懇談会、第一回懇談会で、指導力不足教員の定義についてという検討で、疾病などにより指導力が発揮できない教員、これは指導力不足教員。愛知県、判定基準として、資質、適格性の中に、服装、言葉遣い、振る舞い云々、あるいは生活状態で、家庭問題、金銭感覚がやはり挙がっています。滋賀県でもそうです、疾病というのが挙がっている。岡山県でも、教員の人間性、社会性、資質などとともに疾病が挙がる。高知県でも、人間関係、私生活云々挙がってくる。
 これは、私がつかんだ、聞いた一部ですよ。文部科学省は、こういう事実をつかんでいないのでしょうか。つかんでいないとしたら怠慢だし、つかんでいて放置しているとしたら、これはもう本当に問題だというふうに私は思うんですが。
矢野政府参考人 これは少し御説明を申し上げなければなりませんが、先ほど申し上げましたのは、地教行法の改正によって、指導が不適切な教員の対象になるものとしてこういう例がある、こういう例だということをお示しをして、その中には、精神的疾患等病気を抱えた者は指導が不適切な教員、すなわち法律に基づいて転職の対象になる教員にはならないということを国会でも御説明申し上げましたし、その趣旨を次官通知においても御説明申し上げました。
 そこで、今委員が御指摘になりましたケースでございますが、もしあらかじめ御連絡をいただければ、どういう性格のものであるかということがチェックできたわけでございますけれども。
 と申しますのは、昨年の国会の審議におきまして申し上げましたが、平成十二年度から、十三年度は全都道府県におきまして、新しい教員の人事管理の構築に関する実践研究というのを全国の都道府県において行っているわけでございます。
 そして、その実践研究の中で、指導が不適切な教員をどうするかといったような問題以外に、県によっては、例えば心の問題を抱えた教員はどうするかといった、そういういわば人事管理上対応を必要とするテーマ、テーマと言ったら失礼でございますが、人事管理上対応を必要とするそういう事項なり事柄を県としてピックアップして、そしてそれについて人事管理システムとしてどう対応するかということを、実践的な研究をやっているわけでございます。したがって、県によっては、当然のことながら、地教行法の対象になる指導が不適切な教員以外に、精神的な疾患、心の問題を抱えた教員を人事管理上どうするかということを取り上げて研究をやっているわけでございます。
 したがって、そのケースとして取り上げているケースはあるわけでございますので、もし事前に委員が、例えば精神疾患を、地教行法で言うところの不適切な教員の対象、すなわち転職の対象として取り上げているというならば、あらかじめ教えていただければ我が方はチェックできたわけでございますが、当然、今申し上げたように、全国で、今人事管理上対応しなければならないテーマとしていろいろなものを取り上げているわけです。その一環として今のようなケースもあり得るわけでございますから、その点、誤解のないようにしていただきたいと存じます。
石井(郁)委員 私は今の答弁はとんでもないと思いますよ。あなた方が本来把握をし、チェックをしなきゃいけないことじゃないですか。それをサボっているんでしょう。何を言うんですか。こちらがレクをしなかったから悪いかのような、そんな答弁をされたら困りますよ、これは。
 それから、今私は聞いていて、つくづくわかりました。今文部科学省が進めているのが人事管理方針だ、それから指導力不足教員だ、それから研修だと。だけれども、そのどれにも評価が絡んでいるじゃないですか。これはクロスしますよ。このときの評価はこれで、このときの評価はこのシートで、こっちはこうだ。現場はそんなふうに分けられませんよ。だからそういう話になるんじゃないですか。あなた方が混乱しているんです。現場に混乱を押しつけているんですよ。そこのところの反省をまずしないとだめです。これはとてもひどい話だと私は思います。
 少なくとも国会としては、昨年こういう形で、指導力不足の定義は何だ、基準をどうするんだ、この委員会で本当に議論をした。だけれども、その議論が伝わっていない。だったら、国会の審議というのは何のために審議しているのかということになりますよ。大臣だってちゃんと御答弁になっている。その答弁が無視されている。こんなことというのはひどいんじゃないですか。だから、混乱しているんだったら、あなた方が整理してくださいよ。国会の審議は成り立ちませんよ、それは。
 そこで、ちょっと済みません、委員長にも、だからやはり法案審議は時間をとってやらなきゃだめだということも、これは私たちの問題でありますけれども、申し上げたいんですけれども、だから、法案を出す以上、ちゃんと資料が欲しい。資料も今回本当にないんですよ。これもひどい。そして、きのうのレクだって、答弁が、だってくるくる変わるんですもの。答弁というか、どういう答弁になるのかと聞いても、ああでもない、こうでもない、どうなんだろうか、戻って考えます。戻って考えて、何も伝わってこない。だったら私は質問をつくれないじゃないですか。こういう審議をしちゃだめだと思います。これは委員長にもぜひお計らいいただきたいと思います。
鈴木(恒)委員長代理 はい。
石井(郁)委員 それで、時間が参りますので先に進みますけれども、もう一点大事な問題は、今出たように、先ほども出ていますけれども、不適切教員にリンクするのかどうかということがやはりあるんですね。それははっきりしてもらわないと困る。先ほどの質疑の中でも、研修後に再評価をするというのがあったでしょう。あなたは、研修後にも再評価すると。では、この再評価でまた研修するということなんですか。それとも、もうおやめください、教員には不向きですということになるんじゃないですか。
 少なくとも現場にいる教員からしたら、研修後の再評価でもう一度研修なんて言われたら、普通はもう教員をやる気なくしますね。それはプライドとしてもそうじゃないですか。それはなくしますよ。あなたはもう教員だめですと言われたようなものでしょう。そういうことでしょう。では、こういう意味で、不適切教員の研修にリンクするのかどうか。
 それから、これも中教審答申では、免許状の更新制というのは今回見送りだと言ったけれども、これは事実上の更新制につながるんだということも言われているんでしょう。この二点について、はっきりお答えください。では、大臣。
遠山国務大臣 一点目のリンクするかどうかについては、リンクいたしません。
 二点目の免許更新制導入には、今回のは当たらないということでございます。
 結論はそうでございますけれども、リンクしないということについてやや付言させていただきますと、十年経験者研修は、教員の資質能力の向上を図る観点から、それぞれの能力、適性に応じた研修を実施するものでございまして、指導が不適切な教員へ対応することを目的とするものではございません。いわゆる指導力不足教員につきましては、教職経験が十年に達するか否かにかかわりなく迅速に把握して、直ちに指導力の改善等に向けた指導、研修を行うことが必要でございまして、この十年研修とは別途対応すべきものであると考えております。
 ということで、先ほどの免許更新制でないということにつきましては、先般の中央教育審議会の答申におきまして、免許更新制の導入については、現時点における制度上の制約などに加えて、その政策的有効性についても十分検討を進めたところ、導入にはなお慎重にならざるを得ないという結論をいただいているところでございます。
石井(郁)委員 ですから、今、評価や研修やということをめぐって、指導力不足等々をめぐって、大変な現場は混乱状態にあるというふうに私は思いますが、こんなやり方を続けていけば、結局、教師は伸び伸びした教育活動になるどころか、校長とか教育委員会の顔色をうかがうという教員をつくってしまうことになるんじゃないか、評価というのは大体そういう側面がありますでしょう。教員の本当の指導力の向上ということにつながらないんじゃないかということを私は一番心配するわけです。
 大体これは、きょうはうちの先生は研修に行っていると子供はわかりますし、父母だってわかるでしょう、保護者だって。ああまた研修だとか、そう言って、今情報社会ですから。そうすると、うちの担任はこういう研修をさせられているのよという話になりますよ、親の間だって。それは教師と親の関係だってよくしていかない、信頼関係をつくっていかない、子供と教師の信頼関係だって、私は断ち切ってしまう、そういうことだと思うんですね。
 だから、この問題は本当に現場では、やはり慎重にあるいは神経質に、大事に、丁寧にやっていかなきゃいけないということを強調したいと思いますし、何よりも私はこういうやり方を押しつけないことだというふうに思うんですね。
 最初に申し上げましたように、もう既に都道府県が必死になって、相当な資料を持って、十年研修、五年研修、十五年研修をやっていらっしゃるんですから、もう相当な蓄積ですよ、これは。だから、なぜわざわざ今義務づけるのかと。現在やっているのに、やっていないんなら必要だという話もあるけれども、なぜ義務づけるんだ、そんな必要はないじゃないかと。今都道府県のやっていらっしゃる研修で、現行でいいのじゃないか。これはぜひ大臣、いかがですか、いいとは言えないでしょうけれども。
遠山国務大臣 先ほど来御説明しておりましたように、確かに各任命権者は一生懸命研修に取り組んでくれていると思いますが、全体を見渡しますと、その実施状況は三分の二にすぎないというようなこともございますし、本当にすぐれた教員を得るというためにさまざまな工夫がなされるべきということで、今回、慎重な検討の結果、こういうことで法案を出させていただいているわけでございます。
 委員がいろいろ評価という問題について御心配というのはわからないでもないんでございますけれども、これからの日本の社会というのは、よい意味での競争というものがあらゆる場面で必要になってまいりますし、きちんとした評価のもとにすぐれた研修が行われていることについて、むしろ教員の方々は胸を張って、これからもっと自分たちはよくなるんだということを十分に認識された上で対応していただけるのではないかなと思うところでございます。
    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕
石井(郁)委員 現在の実施状況が三分の二というのは、私はちょっとこの答弁はもう一度検討していただきたい。これは調査室の資料によっても、全都道府県でやっていることになっていますよ、十年研修、十五年研修と見ますと。だって、これは資料をいただいているじゃないですか。だから、三分の二というのは、実質の数なのか、実施主体の都道府県の数なのかということがあるのかもしれませんけれども、もう少し現状を正確に言っていただかないと困るかなというふうに思います。
 時間ですので、最後になりますけれども、私は、先ほど、ILO・ユネスコ共同の教員の地位に関する勧告を引用させていただきましたが、教員の研修問題と、あるいは教員の職責とか職務上の身分の保障というのは、非常にやはり一体のものとしてつかまなきゃいけないというふうに思うんですね。
 これは、教育公務員特例法の第十九条も、その職責の遂行のために絶えず研究と修養に努めなきゃいけないということがあるし、教育基本法も、教員は全体の奉仕者だ、自己の使命を自覚して職責の遂行に努めるということがあるんです。ユネスコの教員の地位に関する勧告では、こんなふうにあるんですよね。いかなる指導監督制度も、教員の職務の遂行に際して教員を鼓舞し、かつ、援助するように計画されたものとする、教員の自由、創意及び責任を減殺、失わせないというか、しないようなものとするというふうに言っています。
 だから、やはり教員には自由とか創意とか、もちろん責任ということが課されるわけで、それらを鼓舞し援助する、これがやはり指導監督、行政の役割なんだということでありまして、私は、そういう観点からすると、今法案は教員の活動を萎縮させるものだ、この教育基本法にも教員の地位に関する勧告にも反すると言わざるを得ないわけですが、大臣のその点での御認識を伺っておきたいと思います。
遠山国務大臣 そういう御意見を承りながら、つくづく思うんでございますけれども、やはり教員は、それぞれみずからの力に自信を持って子供たちの教育に当たってもらいたいと思うわけでございます。今回の十年研修というものはしっかりした自信を持ってもらうために行うところでございまして、それは、教育についての実力を備えた、そして心情においても、生徒指導においても、十分期待される職務を達成できる、そういう資質を十分に持っていただくために研修するわけでございまして、まさにその研修以後の教員生活において、教員のあり方について、むしろ鼓舞をし援助する、そのための研修であるというふうにもとれるわけでございまして、私は、この研修自体は、個々の教員にとっても非常に大事でございますし、何よりも日本の学校教育の充実のためにまことに重要な内容であるというふうに考えております。
石井(郁)委員 自信を持ってもらいたいという大臣のお気持ちかもしれませんが、こういうことをやると現場はむしろ自信を喪失させていくというふうに私は一番心配をいたします。
 先ほど、教育公務員特例法ですが、この第二項には、教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を推奨するための方途その他研修に関する計画を樹立して、その実施に努めなければいけないということがありまして、評価して研修させるということが主ではなくて、研修に要する施設とか研修を推奨するための方途等々、その研修の条件を、やはり環境をつくるということだろうと思うんですよね。そこのところが、まず文部科学省が真っ先にやるべきことじゃないのかという点が一点。
 既に、研修について言えば、初任者研修、ちょうど私も初任者研修のときの国会におりましたけれども、初任者研修に始まって、三年次研修、五年次研修、十年次研修、十五年次研修、二十年次研修もあるんですよ、現場は。そして管理職研修がある、職能研修などがある。現場はもう研修漬けだ、研修で疲れてしまっている。
 だから、先ほど武山先生がおっしゃっていましたけれども、指導力不足ということが問題になるような現状というのは何で起きたのかと。研修、研修でやってきて、こういうことになったとしたらおかしいじゃないですかということがあるでしょう。だから、やはり文部科学省として、本当にこの間現場に対してどういう、それこそ援助するような、激励するような施策を行ってきたのかということが、私はやはり一番問われると思います。
 子供たちとのかかわりが少なくなっているとか、研修に追われて忙し過ぎるとか、こういう声が満ちあふれているんですよね。こういうそれこそ画一的な押しつけはやめるべきだということを強く強調いたしまして、時間になりましたので、終わりたいと思います。
 以上です。
河村委員長 次に、中西績介君。
中西委員 私は、研修問題に入る前に、学力問題と教員研修ということは極めて深いかかわりがあると思いますので、学力問題について一、二、整理をしながらお聞きをしたいと思います。ただ、時間が大変迫られておりますから、これで長時間やるということはできませんので、簡単にお答えをいただきたいと思います。
 そもそも教育行政の誤りもあって、加えて、学校五日制と教育改革の必要性に迫られ、週五日制を前提とした新学習指導要領が策定をされました。
 そこで、なぜ学校五日制というのは導入されたのか、そしてさらに、教育改革の必要性、何が問題であって教育改革をし、そして新指導要領などを策定したのか、この点について簡単にお答えください。
遠山国務大臣 学校五日制は、非常に長い論議の末に今日導入をされているわけでございます。世界のほとんどの国で実施されているということはもちろんあるわけでございますけれども、そのことにつきましては、昭和六十一年の臨時教育審議会第二次答申において提言されて以来、学校、家庭、地域社会におきます子供の生活全体を見直して、子供たちが主体的に使うことのできる時間を確保するという観点から、平成四年の九月から月一回、平成七年の四月から月二回という形で、段階的に実施されてきたところでございます。
 そして、その間、今日までのいろいろな工夫を重ね、また行政的にもさまざま受け皿をつくったりいたしまして、今回、新しい学習指導要領の実施と同時に、この学校五日制を採用するということにしたわけでございます。
 これによって、これまでの学力、受け身の学力といいますよりは、よりいろいろな、自然に親しんだり体験的な学習をしたりすることによって、本当にみずからしっかり大地に立って考えることのできる、そういう子供たちをつくりたいということが、その根本にあるのではないかと考えております。
中西委員 私は現場におった経験もありますので、しかも、学力からすると県下で最低の子供たちの多い学校であったわけですね。そういう経験を持っておるだけに、今あなたがおっしゃった、子供たちに主体性を確保させる、みずからの創造性だとかみずからの力というものを感じ取ったときに、その子がどれだけ大きく飛躍する、成長するかということを実感として持っているんですよ。
 それはなぜかというと、本当に、私は国会に来たときに、今、習熟度別で定員配置をしていますね、加配をしていますよ。あのときにあの論議を私が起こして、実現した一つの施策なんです。それは何かというと、子供たちに自信を与えれば、ヒントを与えれば、そういう子であっても物すごく伸びるということがわかったからです。点数はゼロだけれども、裏の計算式を見ると、全部簡単なものが間違っている。だから、これをちゃんとできさえすれば、表の点数は高い評価を受けたと思うんですね。そういうことを実際にちゃんと現場の中で見出し、そして具体的に対応していけば、今問題になっておるような事柄は、私はなくなってきておったんじゃないかと思うんです。
 ですから、そのことをあれしますと、全く本当にこの子がと思うような子たちが、三年を卒業するころには、全国大会に行って発表できるようになるし、自分で研究をして、例えばマスクメロンをつくる。普通は一個ですよ。それを温室でなしにビニールで、安上がりの中で、二個つけて、価格は安いけれども同じ価格になる、こういうことができる子たちになる、三年かかれば。私はそういうことをずっと経験をしてきたんです。ですから、今あなたが言われた主体性を確保するということの意味、これが物すごく重要であろうと思っています。
 ですから、そうした意味で、今までそうしたことが欠けておったということで教育改革がいろいろ叫ばれ、いろいろ手がけられてきた、こう私は感じます。このことについて、間違いであるかどうか、お答えください。
遠山国務大臣 今、大変興味深い例をお話しいただきましたけれども、本当に一人一人は大変な可能性を帯びてこの世に生まれてまいっているわけですね。それの可能性を伸ばすにはいろいろな方途があろうかと思いますけれども、やはり今回の新しい指導要領でねらっているような、実際にいろいろな体験をしてみて、自分はこういう手ごたえを得たというようなことで自信をつけてもらうというのが、一つ大変重要だと思っております。
 ただ、それは何でもやらせればいいということではございませんで、それは基礎、基本をしっかり身につけた上で、そして自分で考えるようなチャンスを与える、自分で体験するようなチャンスを与えていく、そういった総合的な教育のあり方、そういったものが効果を生ずるのだと思っております。
 私は、戦後の日本の教育行政、何か教育のあり方というものは、一つ大変な成功例でありましたし、今、各国が、日本が成功してきたその道筋をたどっていろいろ教育改革をやっているわけで、日本はむしろ追い上げられている実態であろうかと思っております。
 しかし、先般の国際的な調査のときも、結果が出ましたけれども、日本の子供たちは、成績はいいのですけれども、どちらかというと受け身でありますし、そして、自分で勉強したり、自分で何か問題を見つけてやるとか、そういった意欲の面で非常に欠けているということでございまして、まさに委員御指摘のように、子供たちに意欲を持たせ、自信を持たせ、そして伸びる子はもっと伸ばし、あるいは学ぶことが遅い子にはきちんとしてそれは繰り返し教えていく、そういうふうなことが非常に大事だと思っております。
 その意味で、戦後の教育政策は、私はそれぞれの時期において非常に真剣に取り組まれてまいったと思いますけれども、新たな世紀に向けて、今回、確かな学力ということで、本格的に教育改革を進めようというのが今日の動きであるというふうに考えております。
中西委員 ただ、まだ反論したいこともございますけれども、時間がございませんから、一応置きますが、いずれにしても、先ほどから出ておるような管理あるいは統制、そういう体制の中では教育体制というのはできないということだけは、ここで付言をしておきたいと思うんです。
 そうしないと、この研修問題についても、先ほどから言っているように、全国で八〇%以上、各県あるいは政令指定都市等でやっておるのに、改めてこれをまた国がやるというところに問題が一つあるということにお気づきになってないような感じが先ほどからの論議の過程の中ではいたしましたので、そうした点が、いかに現場における、地域における教育の体制をあやめておるかということを、これは私、実際の経験の中でそういうことを持っています。
 そういうできぬ子たちを、四十人学級を二十人学級にして、教師は倒れながら、もう過労で倒れるんですよ。そして、主要科目だけはやっていったんです。そうすると、隣の学校とうんと差があったって、逆転するんですよ、一年すれば。それは何かといったら、一年のときには小学校、二年には中学、三年で高等学校という、そうすると、指導要領に反しておるといって処分されたんです。減給処分ですよ、みんな、携わった教師たちは。それが実態だったんだ。
 ところが、実際に効果が上がっているのにそれを否定する、そういう体制を私は管理と統制の教育行政だと言うんですよ。だから、この点だけは一言言及しておきます。
 そこで、私は、この週五日制を前提とした新学習指導要領によって、教科内容の三割削減、授業時数の減少による戦後何度目かの学力論争が起きておりますけれども、文部科学省は、従来の反省の中から、中教審等で答申もあり、ゆとり教育の中で知識偏重を排し、生きる力、その目玉であった総合的学力、個性豊かな教育の中から確かな学力を目指すこと、基本に私は変わりないと思うが、今いろいろ言われているけれども、論争されておるけれども、この基本線だけは間違いなくこれからも堅持していくかどうか、この点をお聞きしたいと思います。
遠山国務大臣 この四月から全国の小中学校におきまして実施されております新しい学習指導要領は、教育内容を厳選して、一人一人の実態に応じたきめ細かな指導を行うということによりまして、児童生徒に基礎、基本を確実に身につけさせ、それをもとにみずから学びみずから考えるという、確かな学力をはぐくむということをねらいとしているわけでございます。
 こうした考え方につきましては従来から一貫しておりまして、今後とも、新しい学習指導要領のもとで、児童生徒の確かな学力の向上に努めてまいりたいと考えております。
中西委員 ですから、この前からずっと論議されてきた、そうしたことを堅持して将来もやっていただくということをここで確認しておきたいと思います。
 特に今、市場原理あるいは競争主義を教育現場の中に持ち込むことによって、むしろ私は混乱が起こっておると指摘をしたいと思うわけでありますから、この点だけはひとつ十分お考えいただきたいと思います。
 そこで、この文部大臣の提案理由説明の中に、「学校教育の成否は、その直接の担い手である教員の資質能力に負うところが大きく、」云々とありまして、実際には指導に当たる教諭等にこれまで以上の指導力が必要とされているということがうたわれています。教員養成課程から始まり、研修を含む体系的なものが今問われているんじゃないか、こう私は思います。
 そこで、教員養成課程、現状、肯定をされるんですか、改革をしなきゃならぬと思われておるかどうか、簡単に答えてください。
遠山国務大臣 教員養成につきましては、御存じのように、平成十年の教員免許制度の改正によりまして、大幅な改善を図りました。教員としての使命感でありますとか、あるいは教育実習の充実、カウンセリングに関する学習など、現に教員になったときに必要とされる資質を十分に備えるようにということで、新しいカリキュラムを組んで、それぞれの大学で今努力をしていただいているところでございます。
 ただ、教員養成の仕組みにつきましては、さまざまな問題点もあるというふうに指摘をされているところでございまして、今日、大学改革の一環として、その問題への対応について、大学の英知も集めながら、私どもとしても取り組んでいる状況でございます。
中西委員 今、私は、大学卒業、後でまた初任者研修等に触れていきますけれども、こうした問題を、実際に、卒業してもその職を得ることができないというのが八割以上おるわけでしょう。ですから、そうなると今度は、教員養成の大学なりこのあり方、そして、そこで存在する学生諸君の意欲、そういうのがまた大変問題になってくる。ですから、そこいらも含めまして、やはり私は、いち早く教員が採用できる体制をつくる。
 例えば、この前ちょっとある人から聞いたんだけれども、小中学校だけでも、今とっておる超過勤務、これはもう超過勤務手当は要求できぬようになっていますから、そこでやっておる時間を総合計すると、何十万という人の雇用ができるという状況が出てきていますよ。ですから、例えば、我々指摘をしてきたように、少なくとも、四十人学級を三十人以下学級にすれば、四十万人を超える雇用が生まれるんです。そうすることによって、本当に教育現場、これを皆さんが期待をする、皆さんと期待は違うかもわからぬけれども、そういうものがちゃんと施行できる体制をつくるということにもなる。
 ですから、そういうことも含めて、この内容ももちろんですけれども、そういう将来的なものを含めて今やはりやるべきではないか。これほど教育が問題にされておる。
 いい例が、自分の子供一人をうまく育てられないのに、六歳児、子供四十人を一つのクラスに置いて一人の教師がやるなんということは、だれが考えても困難だということはわかるでしょう。教師になるその意欲をどうしたら起こさせるかという、こうした問題も含めて総合的に私は物を発想しないと誤ると思いますよ。
 ですから、いち早く、財政問題とすぐ言いますけれども、これなしに日本の教育はあり得ないということをやはり中心的に据えて施策を展開すべきだと私は思いますから、こうした点について特に私は指摘をしておきたいと思います。
 そこで、教特法に、教育公務員はその職責を遂行するためには絶えず云々とありますが、指導力向上のためには体系的な研修が樹立されなければならないと言われておりますけれども、文科省の言う体系的な研修とはどういうものを考えておるのか。今次、十年研修、それに値する研修であるかどうか。教育改革国民会議の発言があり、中教審の答申があって、系統的なものではなくて、その場当たり的なものではないかと私は考えるんですけれども、この点どうでしょうか。
矢野政府参考人 研修のあり方につきましては、体系的な研修が大事であるということはそのとおりでございまして、そのことは、昭和六十三年に初任者研修制度が創設された際に、教特法の規定の中に、任命権者が初任者研修に関する計画を実施するに当たっては現職研修の体系の中に明確に位置づけなきゃならないという規定をわざわざ設けて初任者研修を位置づけたことにもうかがわれるわけでございます。
 私どもといたしましても、まさにそういう研修にとっては体系的な研修が必要であるということで、初任者研修制度を初めといたしまして、これまでも五年研あるいは十年研、十五年研等の教職の経験に応じた研修の体系的な整備に努めてまいったところでございまして、今回、その中で、初任者研修制度に続く教特法の新しい制度として十年研修というのも新たに設けるべく御提案を申し上げた、こういうことでございます。まさに体系的な研修の一環として新たな制度を設けたいということでございます。
中西委員 先ほど来ずっと、討論の過程の中でもいろいろありましたけれども、初任者研修あり、そして今度は十年研修。全国地方自治体の方では、既に幾つかの区切りを持ちながらやっておるという実態があるわけでしょう。ですから、私は、その中身がどうなんだということをやはりちゃんと体系づけていかない限りだめだと思いますよ。ですから、十年研修をあれしたから、何か体系的な中にそれを設けたんだというような言い方では済まされない。本当にもう指摘をされればすぐ飛びつく。特に近ごろは、教育改革国民会議から言われると、ぽんと飛びついてすぐ法律化するんです。中教審だって飛び越えてやるようになってきたんですね。極めて特徴的だ。そこが私は体系的でないと言っているんですよ。
 ですから、この点を、反論あるなら、今度は文章にして私はもらおうと思うんだよ。だから、この点はもうここでは追及しませんけれども、そうした問題があるということ。
 そこで、初任者研修。任命権者は実践的研修を実施しておるわけでありますけれども、従来型の一斉講義方式だとか行政の一方的メニュー提示による研修、これが突出をしておりまして、しかし、限界が露呈をいたしました。その結果、平成四年から、指導教員による校内研修、週二日、年間六十日程度、校外研修が週一日、年間三十日程度実施されていると聞いております。
 そこで、担任、学級を持っておる新採用の教員が、非常に問題が多く起こっておるわけです。これは何かというと、代替の教師、例えば教頭がやるとか教務主任がやるとか、いろいろなことをやって、熟練された人がやる場合と違いが出てくるんです。そうすると、新任者の場合、今度は生徒からいろいろな目で見られるようになってくるんです。その可能性があるでしょう。
 僕は、そういうことを考えたときに、むしろ、この研修というのは、このような週幾らとかなんとかやっているかどうかも、時間があれば細かく聞いて問題点を指摘したいと思うけれども、時間がありませんからきょうは飛ばしますが、一年間は研修生としての制度を導入して、そして、むしろ副担任だとかそういう形で、補助的なもので経験を積ませながらやっていくということが非常に効果的だと思うんです。そうすると、養成から採用、研修、こういうものがずっと一体的なものにつながってくる、こういうことになるだろうと私は思います。ですから、この点についてどういう考え方を持っていますか。
矢野政府参考人 御指摘の初任者研修は、指導教員の指導のもとで、一年間、教諭の職務の遂行に必要な事項に関し、実践的な研修を行うものでございます。初任者につきましては、現状は、学級や教科を担当させるなど、実際の教育活動や校務分掌に主体となって従事させているわけでございます。
 そのことにつきまして、今委員から、例えば初任者については補助的な教員としてのような、そういう扱いが初任者のあり方としてあるいはその研修のあり方としてどうかという御提言がございました。実は私どもも、そうした提案については、これまでも一つの考え方として検討したという経緯もあるわけでございます。あるわけでございますけれども、結論といたしましては、現状は今申し上げたとおりでございますが、このようなOJT、オン・ザ・ジョブ・トレーニングによって初任者に責任と自覚を持たせて力量をより高めることができるし、また、さまざまな状況を考えたときには、その方策が妥当ではないかということで今のようなやり方をして現在に至っているわけでございますが、先ほどの御提言は私どももかねてから一つの重要な提言として理解をし、受けとめているところでございます。
中西委員 特に今、少子社会になってまいりまして、生徒の数が減少している。そして、一つの政令都市で一教科に一人だとか、実際にその数が物すごい少ないでしょう。だから、財政的なものからいたしましても、そんなに大きな財政的な負担じゃないんですよ。これは計算をしてください。
 ですから、私は、本人が主体的にやるということと、今度は補助的と私が使ったのは、本人が担任あるいは主任としてやるのでなしにという意味で補助的という言葉を使ったのであって、本人が逃げて、絶えずついて回るような、そういうものであってはならぬわけですから、こういうものがあるという現実の中で、具体的に、一緒に討論の中に参加してやっていく、こういうことを考えればいいんです。
 我々、現場でやりますから、現場では全部そうですから。徹底した討論やるんですよ。ところが、今は討論やらせぬでしょう。職員会議は伝達関係やって、伝達だけしたら終わりになるんじゃないですか。だから問題なんですよ、今。だから、こういう研修というのが本格的になされているかどうかというのを、時間がないからきょうは言いませんけれども、あるということを指摘しておきます。
 そこで、その間、教員は、短絡的に研修日程をこなすことでなくて、現場での経験、生徒との触れ合い等を通じて成長するものだということはおわかりいただけると思います。したがって、形式的な、官製的なものでなくて、教養審答申に見られるように、教員の主体的、自発的研修の重要性、自覚を促す、教師としての生きがいをもたらすことが最も大事であるわけでありますから、私たち、今までの自分自身の経験を含めて、さっき申し上げるように、そういう期間をとっていただいて、本格的になって、現場で一人前として、一人の担任としてやった方が、むしろ子供に対する、あるいは本人に対しても私は親切だと思うんですね。
 ですから、先ほどから言うように、財政的な問題を考えても大した問題じゃないから、これをひとつ取り上げていただくということを、この点についてどうするかをはっきり言ってください。
矢野政府参考人 先ほど少し私ども触れましたけれども、今の御提言は、一つの重要な示唆に富んだ提言として、引き続き検討課題にさせていただきたいと思います。
中西委員 それじゃ、こういうことこそ中央教育審議会か何かに、あるいは教養審ですか、そういうところに提起をして論議してもらって、そして、強い発言をできぬなら教育国民会議か何かに頼んで言わせて、そうしたらできるんです。だから、それくらいの知恵を働かせなきゃだめだと僕は言っているんですよ。
 そこで、初任者研修、そしてさらに五年研修等で、かつて私たちが経験をしたことは、例えば五年研修やりますと、五年間経験をしてやりますね。そうすると、一定の主体性と自立性を持つようになってきているんです、教師は。
 ところが、指定された講師がやるその中身を聞くと、ばからしくてしようがない。だから、今度は討論になる。質問してやると、むしろそれを批判し始めると、今度は県教委の皆さんが来て抑えて、やめろ、こうやるんですよ。それをあえてやりよると、場外に連れ出すんです。
 それがかつての研修だったんですよ。直接僕らは見ておるんですから、うそを言っていません。そういうものがかつてあった。それくらいして官製の研修をやったということなんですね。その体質が本当に変わっておるかどうかを今問われておると私は思っています。
 ですから、この十年研修についてちょっと聞きますけれども、この二十条の三項にあるように、十年を標準として、十年に達した後相当の期間内に、個々の能力、適性に応じて云々とあります。能力、適性とは、先ほどからちょっと言っておりましたけれども、簡単にもう一回言ってください。
矢野政府参考人 個々の能力、適性等の能力とは、教科指導や生徒指導等、教員としての職務を遂行する上で必要とされる能力を意味しておりまして、適性とは、例えば数学や理科、あるいはカウンセリングや環境教育等、特定の教科や分野において特にすぐれた資質能力を有していることを意味しているわけでございます。
 なお、能力、適性等とございますが、等としては、経験が含まれておりまして、具体的には、個々の教員の採用以前の状況、あるいは採用後の研修履歴、さらには十年間に勤務した学校の状況等が含まれるものというふうに理解をいたしております。
中西委員 今は、もうこれに反論しません。わかりました。
 そこで、資質向上を図るための必要事項に関する研修を実施しなければならないとあります。
 研修の事項、では、どういうことをやるつもりなのか。私は、現場におるとするなら、その人の専門性だとかいろいろなものがありますし、本人が自分に欠けている面を、やはり自分でそれをどのように学んでいくかという自己流のものがあると思うんですね。そういうようなのを含めまして、研修の事項とありますけれども、この点は何を指していますか。
矢野政府参考人 先ほど来御説明申し上げておりますように、十年経験者研修の具体的な内容は、これはそれぞれの任命権者がその責任に基づいて創意工夫を凝らし決定すべきものではございますけれども、私どもといたしましては、私どもが初任者研の内容として想定しているものを御参考までにお示ししたいと考えているところでございます。
 そこで、今私どもがお示ししたいと考えている案を御紹介申し上げますと、十年研の内容といたしましては、一つには校外における研修があるわけでございますし、もう一つは校内における研修、この二つに分けて考えることができるわけでございます。
 まず、長期休業中に教育センター等において実施いたします校外の研修の内容でございますけれども、少しイメージを御説明申し上げますと、教科指導あるいは生徒指導等に関する研修として、指導主事やベテラン教諭を講師として、その指導のもとに少人数形式による模擬授業、あるいは教材研究等を通じた研修、さらにはケーススタディー等を通じた研修ということがございます。
 また、個々の教員の得意分野づくりを進めるというための研修といたしましては、選択制、オプションによりまして、環境教育、情報教育、カウンセリング等の特定の教科や分野に関する研修、さらには民間企業等における社会体験や介護体験を通じた研修というものが考えられようかと思います。
 また、それ以外にも、今日必要とされております説明責任やマネジメント等々、十年に達したすべての教員が習得すべき喫緊の課題に関する研修というものを一つの研修の内容として想定しているわけでございまして……(中西委員「はい、わかりました」と呼ぶ)時間に限りがございますので、長期休業中の研修としては、そういうものを想定しているということでございます。
中西委員 それで、研修の事項でございますけれども、そういうものを皆さんが示す、示したものを本人がどう選ぶかということですか。
矢野政府参考人 この十年研の具体的な研修の内容といたしましては、先ほど来申し上げてございますように、評価、そして評価に基づいて任命権者が研修計画を策定するわけでございます。その研修計画の中身におきまして、任命権者の判断でこれこれといった内容を研修として義務づけるものもあろうかと思いますし、場合によっては、研修受講者が選択をして研修の内容として位置づけられる、そういうものもあろうかと思います。
中西委員 そこで、先ほどからの論議になるわけですね。随分やられておりましたので、私は、これをまた今繰り返すということ、もう時間の関係もありますから、細かくはやりませんけれども、本人がやりたいというものがやはり中心になるべきだと私は思いますよ。
 そして、それを能力、適性等について評価をするという、これは任命権者がやるんでしょう。任命権者がやるというけれども、私たちの今までの経験からすると、県教委が任命した校長あるいは教頭、こういう人がこれをやられたのでは、たまらぬです。あるいは、地方教委、市町村の教委が任命した人がやるわけでしょう。これは危険だと思いますね。何かというと、先ほど勤務評定と仕事の面と研修の面という、こういうものの違いというようなことまで触れておりましたけれども、内容的には、現場では一緒になるんですよ、これは。
 だから、本当に僕らは驚いたんだけれども、自分の経験でいいますと、福岡県で初めて強制的に私は発令されて強制配転させられた一人なんですよ。それはなぜかというと、だれかが校長に何かを言って、それを県教委に伝えて、そして配転させろと言ったんです。それがわかったんですよ。それは何かといったら、研修とかかわりがあるんですよ。例えば、発表するとか、対外的にいろいろなあれをやるじゃないですか。それをやっている教師たちがみんな配転させられたんですよ。しかも、九州で一位になって全国大会に出るとか、そういうことを一生懸命やった連中がみんなやられたんです。
 なぜかというと、それは、校長だとかいろいろな人たちに対して、学校の運営だとか指導だとかいろいろなことで対立するんですよ、対立します。そうしたときに、今度は、評価はどうなるかというと、いい教師でなくなるんです。そして、自分が何をしているとおべんちゃら言うわけじゃありませんからね、みんな。だから、私が危険だというのは、そういう人に評価をさせることは危険だというのです。私は今の現場のあれも知っていますけれども、本当にそれは大変だと思いますよ。したがって、もうこの論議はいたしませんが、差別的な取り扱いだとか無用な混乱がないようにしないと、何のための研修かということになってしまうんですよ、最後は。
 ですから、こういうことを考えたときに、先ほどから私が主張しておるように、御本人が意欲あることが一番大事ですから、それによって自分の、みんなで討論をして、どこか協議会みたいなものをつくってそこで討論をし、そしてこういう研究を本人はしたいという、そういうものを全部やったらいいんですよ。そうせぬと、任命権者によってやられたんでは、私は絶対にこれは成功しないと思います。経験から言います。
 ですから、これについては、どんなことがあっても、少なくともそういう研修、対象教員の研究だとか研修歴だとかいろいろなものを見、そして日ごろのいろいろなものをあれした上で判断をするというその体制、何かの機関的なものか組織、そういうものをつくって、ちゃんと論議をして決定するということにしていかなくては、やるならそれくらいのあれをしなきゃいかぬということを指摘をしておきたいと思います。
 そのときに、今度は、先ほど言っておりましたけれども、まだ十分じゃないのは、環境を、本当にそういう条件整備をするのかどうか、これはどうなるんですか、研修のための条件整備。
矢野政府参考人 十年研の具体的な研修のイメージは先ほど申し上げたとおりでございます。そういう意味で、十年研の環境整備、条件整備というので、例えば人的な措置を新たに考えるということは、今御説明申し上げたような研修のあり方からすれば、特段に必要はなかろうかと思うわけでございます。
 ただ、この事業を行うについての財政的な条件整備、これは今後必要になろうかと思いますので、この点につきましては、これも御説明申し上げましたけれども、この法案をお認めいただければ、来年の四月から新しい制度として実施したいと思ってございますし、それにつきましては、当然のことながら予算が必要になるわけでございますので、私ども、この夏の段階におきましては、平成十五年度の概算要求にその必要な経費を盛り込むべく準備をいたしたいと考えているところでございます。
中西委員 少なくとも、私はここでこれは余り言いたくなかったんですけれども、環境整備までということは。というのは、国が管理をしてやることに対して、私はもう根本的に反対なんです。ですから、私は、環境整備をやるならばということを前提にして聞いたんです。そうしないと、本当に現場は困りますよ、今度はそのことによって。
 例えば十年で、だからそれとの関連で一つ言いますけれども、では、一年という期間がございますね、それを私は自由にしてやっていいと思いますよ、やるなら。なぜかというと、本当に本人がそれに到達したと思うならそれでよろしいし、そして、周囲からもう少し補足をすべきだというような論議ができるところであるならば、また別の意味がある。それから、それを今度毎年繰り返しやりたいという、ですから、十年ということを限定せずに、サイクル的にいろいろな研究をやるとか、もういろいろな多様な幅があっていいんじゃないか。そういうものを今度は現場ではどう保障していくかというのが環境整備ですから、この点は絶対に考えなきゃいかぬと思います。そして、研修の年限だとかあるいは時数だとかいうのは、これは現場でその人が必要だという、それをお互いにそうしたところで論議をした上で決めさせていく、こういうことをやはり発想をしなきゃだめですよ、あなたたちは。
 そこで、もう一つ聞きますけれども、計画書作成に関しては、またこれ、少なくとも当該本人でなしにどこかでやるわけでしょう。これもまた管理者の方がやるんですか。
矢野政府参考人 繰り返しになりますけれども、十年研におきましては、評価を行い、評価に基づいて研修計画書を策定するわけでございまして、その研修計画書は、任命権者が最終的な責任を持って策定することになってございます。
 ただ、実際には、評価及び研修計画書の案は、学校長が、教頭あるいは主任の教員等の協力を得ながら評価を行い、また研修計画書の案をつくるということになろうかと思うわけでございますが、その際、このことについても、先ほど来申し上げてございますけれども、当該研修を受ける教員の自己評価、あるいは研修についての希望や要望を聴取するということが研修計画書を策定するに当たっては大変望ましいというふうに考えているわけでございますし、私ども、この制度の運用については、その点はまた通知等において各県に指導いたしたいと思っております。
中西委員 ですから、その点で、大臣、先ほど私が申し上げましたように、管理者である者がこういうあれを全部評価をし、作成をし、そしてその中でやらせるという、この拘束された中でやるということを私はやめさせるべきだというんです。
 ですから、少なくとも、研修を実施する、だから国がやることに反対だけれども、地域でやっていますから、地方で。そこで、そういう環境を保障するとか、あるいはそういう形態が誤った形でやられておるものを管理するのでなしに、研修を実施するような協議会というか何かみたいなものをつくってでも、もしやるとするならそのようにして公平に、しかもみんなが、本人が自主的に積極的に参加する、そういう意欲的なものをやるということを前提にしてやりなさいということを、環境をつくったりいろいろなことをやるのが文部科学省じゃないかと僕は思うのです。そういう指導をする、このことに関してはどうでしょう、大臣。
遠山国務大臣 研修を行って、それぞれの教員が本当にしっかりした教育活動を行っていただくために支援をするというのが私どものスタンスであるということはもちろんでございます。十年研修という非常に大事な時期にやっていただく職務研修でございまして、教員がそれぞれ自主的に常にやる自主研修とはまた別の体系でございます。やはりこの十年という折り目にしっかりと、先ほど来説明しておりますような内容を体現する、そういう研修をやっていく必要があろうかと思っております。
 その際に、やはり身近にそれぞれの教員を見ている校長なり教務主任なり指導主事なり、そういったような人たちが、きちんとその能力、適性を判断した上で、あるべき研修計画についてしっかりと定めて、そしてやっていただくということでございまして、私は、自主的に行う自主研修と同時に、そういった職務研修でぴしっとまた十年という区切りに力をつけていただくというのは大変大事だと思っております。
 もちろん、研修計画をつくる際に、それぞれの教員のいろいろな要望でありますとか意欲であるとか、そういったものを十分勘案することは必要だと思いますけれども、しかし、今回、日本の教育を本当にしっかりしていくというために行おうとしております十年研修におきましては、私は、今回の法律に盛り込まれたその趣旨が十分徹底して、本当に意味のある研修であってほしい、またあるべきであるというふうに考えているところでございます。
中西委員 そのことについては反論します。
 そこで、こうした問題について、この研修というもののあり方、選び方、どこでだれがどうするというようなことについて、私は、国が余りにもマニュアルを示してこれでやりなさい、こうしなさい、こうしなさいというようなことについてはやるべきでない。あくまでも、やはり現地に、その学校の現場の、そしてその人の、そういうものを総合的に勘案できる組織をちゃんとつくらせる、そのことの指導を僕はやるべきだと思っています。
 そうしないと、今度は校内自主研修だとかこういうものを奨励することはもちろん、あるいは民間の教育機関だとか大学とか、いろいろなところを多様に使っていくとか、そういうのもあり得るでしょう。そして、本人がやろうとすれば、今度は自分で研究をという、場所はまたいろいろあるでしょうけれども、そういうものがいろいろあるわけですから、それを本人がある程度選んで、それに対して補助的にどういうふうにやるかということをやるようにすべきだということを、これは私提言しておきますから、後でまた聞きますよ、どうしたかと。だから、ちゃんとやっておってください。
 そこで、私は、最後になりますが、従来のようなあり方でなしに、学校教育では、全教職員の得意な面、あるいは専門分野を持つ者の共同作業によって学校の教育の効果というのは上がるんですね。学校の中がばらばらじゃできません。抑え込んで管理をして、管理強化で抑え込んだから効果が上がるとは限りません。ですから、こういう面を、主体的な力量をどう高めて向上させながらやるかということが物すごく大事です。したがって、教員のみでなしに、学校に所在する関係者も含めて、そうした専門性の向上だとかあるいは本人の意欲的なものの促進だとかを含めまして、こうしたことを徹底して研修する機会なり、そういう場を充実してやり、図るべきではないかと思いますけれども、この点どうでしょう。
矢野政府参考人 御指摘のとおり、学校におきましては、校長のリーダーシップのもと、専門性を異にする教職員一人一人がそれぞれの役割また専門性を最大限に発揮しながら、一致協力して学校運営に積極的に参加していくことが大事でございます。これは御指摘のとおりでございます。
 そういう意味で、近年、食に関する指導の充実、あるいは学校裁量権限の拡大等に適切に対応するために、学校栄養職員や学校事務職員等の教職員がその専門性を高めることが大変強く求められているわけでございまして、このため我が省では、各教育委員会に対して、そうした専門性を高めるための研修の内容の充実に努めるように指導いたしますとともに、国みずからも、独立行政法人教員研修センターにおきまして、指導的役割を果たす教職員についての研修を実施してまいっているところでございます。
 今後とも、こうした施策を通じまして、教員のみならず、委員御指摘のございましたすべての学校教職員の資質能力の向上を図ってまいりたいと考えているところでございます。
中西委員 終わりますが、最後に、先ほどから申し上げますように、研修そのものを国が管理するということについては、私はやはり、何回も申し上げたいと思います、反対です。そして、本当に本人が意欲的に、自主的に、自立的に、これをどうみんなが支えそして促進をさせるか、激励するかというのが、先ほどから論議もされておりましたけれども、そういうことこそが今一番問われておるんじゃないかと思います。
 終わります。
河村委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。
    ―――――――――――――
河村委員長 これより討論に入ります。
 討論の申し出がありますので、順次これを許します。石井郁子君。
石井(郁)委員 私は、日本共産党を代表して、教育公務員特例法の一部を改正する法律案に反対の討論を行います。
 今回の改正は、質疑でも明らかなように、現行法制のもとで、すべての都道府県教育委員会などが行っている教職十年経験者研修を法律で義務づけ、研修の本質を変えてしまうと言わざるを得ません。
 この十年経験者研修は、十年を経過した教員すべてに対して、能力、適性などについて評価を行い、その結果に基づき、当該者ごとに計画書を作成するとされています。この先生はAランク、この先生はCランクと評価し、ランク別の研修を受けさせることにもなり、これではまさに研修の名によるランクづけ、ふるい分けになりかねません。
 また、中教審で、研修後の評価によっては他職種へ配置転換もできるとしており、実際には、指導が不適切な教員とリンクするものと言わざるを得ません。
 教育公務員特例法第十九条の「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」と明記されていることは、教育基本法第六条二項の言う身分の尊重、待遇の適正が前提となっています。また、ILO・ユネスコ共同の教員の地位に関する勧告でも、「いかなる指導監督制度も、教員の職務の遂行に際して教員を鼓舞し、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意及び責任を減殺しないようなものとする。」と、教員の職業上の自由を明らかにしています。
 今なすべきは、初任者研修に始まり、三年次研修、五年次研修、十年次研修、十五年次研修、二十年次研修など研修に追われている教員の研修漬けという実態、その内容を見直すべきであり、多忙化の解消や少人数学級の実施による負担軽減など、研修条件を改善するための施策こそ求められています。教員の指導力の向上は、学校の教職員集団による教員の自主的、主体的な研修、教師、保護者などとの共同によって図られるものです。
 この法案は、研修の名をかりた評価によって教員をふるい分け、人事管理の強化につながるため、到底認めることはできません。
 以上、反対討論とします。(拍手)
河村委員長 次に、中西績介君。
中西委員 私は、社民党・市民連合を代表して、反対討論をいたします。
 今回の教育公務員特例法の一部改正、この内容をつぶさに検討いたしました結果、まず第一に、国が研修を規制し、そして各自治体あるいは各教育委員会等の主体性を拘束しかねないような内容になっておるということを指摘しなくてはならないと思います。
 二点目に、教育は、少なくとも自由で、そして本人が主体的に学ぼうとするその意欲をどうかき立て、そしてそれを援助するための学校における教師の役割、そして地域の多くの皆さんに支えられながら教育というものは成り立つものであります。それを文科省が、一定の方向性と、そして強い指導と言いながらも半強制的な内容のものが次々に出てきておることを考えますときに、大きな誤りを犯すのではないか、こう思います。
 三点目に、特に研修については、あくまでも私たちが推進をすべきは、本人の主体の中でどうその意欲を起こし、そしてそれを支え、多くの皆さんの期待に沿い得る教師像をつくり上げていくのか、こうした体制がやはり今一番問われておるのではないかと思っています。
 むしろ、中央教育審議会なり指摘をしておりますように、そうした環境なり、あるいはこの研修を実施させるための体制をどのようにつくり上げるかが義務づけられておるのがこの研修問題でございますので、この点が欠落をしておることを考えますときに、私たちはこの法案について今賛成することはできません。
 以上を申し上げまして、終わります。(拍手)
河村委員長 これにて討論は終局いたしました。
    ―――――――――――――
河村委員長 これより採決に入ります。
 内閣提出、教育公務員特例法の一部を改正する法律案について採決いたします。
 本案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
河村委員長 起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。
    ―――――――――――――
河村委員長 ただいま議決いたしました本案に対し、鈴木恒夫君外二名から、自由民主党、民主党・無所属クラブ、公明党、三派共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。
 提出者から趣旨の説明を求めます。山谷えり子君。
山谷委員 私は、提出者を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。
 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。
    教育公務員特例法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
  政府及び関係者は、本法施行に当たり、次の事項について配慮すべきである。
 一 十年経験者研修の実施に当たっては、教員一人一人の専門性の向上や得意分野を伸ばすなど、真にニーズに応じたものとなるよう、実施に当たる任命権者等においては、実施期間、場、実施方法等に関し様々な創意をこらすこと。
 二 国や任命権者等においては、研修の実施に伴って教育現場に支障を来たさぬような態勢の整備及び財政措置等の条件整備に努めること。
 三 任命権者等においては、十年経験者研修がその効果をあげ得るよう、研修企画の策定や研修内容の評価に当たっては、関係者等と連携し、教員のニーズや現場の意見反映などに努めること。
 四 十年経験者研修においては、自己評価を行うことなどによって、教員の自主的・主体的な研修意欲が喚起されるよう促すこと。
 五 これからの学校教育においては、様々な得意分野や専門分野を持った教職員が協働して教育効果等を高める必要があることから、教員だけではなく、様々な職種の専門性向上のための施策の検討や、研修機会の充実を促進すること。
以上であります。
 何とぞ御賛同くださいますようお願い申し上げます。
河村委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。
 採決いたします。
 本動議に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
河村委員長 起立多数。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。
 この際、ただいまの附帯決議につきまして、文部科学大臣から発言を求められておりますので、これを許します。遠山文部科学大臣。
遠山国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいりたいと存じます。
 ありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
河村委員長 お諮りいたします。
 ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
河村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
    〔報告書は附録に掲載〕
    ―――――――――――――
河村委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時十六分散会


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