衆議院

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第2号 平成15年2月26日(水曜日)

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平成十五年二月二十六日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 古屋 圭司君
   理事 奥山 茂彦君 理事 鈴木 恒夫君
   理事 馳   浩君 理事 森田 健作君
   理事 鎌田さゆり君 理事 山元  勉君
   理事 斉藤 鉄夫君 理事 佐藤 公治君
      青山  丘君    伊藤信太郎君
      小渕 優子君    大野 松茂君
      岡下 信子君    岸田 文雄君
      近藤 基彦君    佐藤 静雄君
      谷田 武彦君    中谷  元君
      林田  彪君    松野 博一君
      森岡 正宏君    柳澤 伯夫君
      大石 尚子君    木下  厚君
      肥田美代子君    平野 博文君
      藤村  修君    牧野 聖修君
      松沢 成文君    松原  仁君
      山口  壯君    池坊 保子君
      東  順治君    石井 郁子君
      児玉 健次君    中西 績介君
      山内 惠子君    松浪健四郎君
    …………………………………
   文部科学大臣       遠山 敦子君
   文部科学副大臣      河村 建夫君
   文部科学副大臣      渡海紀三朗君
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   文部科学大臣政務官    大野 松茂君
   政府参考人
   (内閣府男女共同参画局長
   )            坂東眞理子君
   政府参考人
   (警察庁長官官房審議官) 堀内 文隆君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策
   局長)          近藤 信司君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長
   )            遠藤純一郎君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青
   少年局長)        田中壮一郎君
   政府参考人
   (農林水産省大臣官房審議
   官)           山本 晶三君
   政府参考人
   (経済産業省大臣官房審議
   官)           松井 英生君
   文部科学委員会専門員   柴田 寛治君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月二十六日
 辞任         補欠選任
  鳩山由紀夫君     木下  厚君
同日
 辞任         補欠選任
  木下  厚君     鳩山由紀夫君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 文部科学行政の基本施策に関する件


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     ――――◇―――――
古屋委員長 これより会議を開きます。
 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、政府参考人として内閣府男女共同参画局長坂東眞理子君、警察庁長官官房審議官堀内文隆君、文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長遠藤純一郎君、スポーツ・青少年局長田中壮一郎君、農林水産省大臣官房審議官山本晶三君及び経済産業省大臣官房審議官松井英生君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
古屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
古屋委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。肥田美代子君。
肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。
 文部科学大臣の所信表明に関連しまして質問させていただきます。
 私は、今世紀を子供たちの命が輝く世紀にしたいというふうに考えておるわけでございます。子供たちの命が輝くためには、子供たちの体がまず健康に輝いていなければならない。そのためには、食文化を豊かにすることが求められております。豊富な食品に恵まれている子供たちでございますけれども、食によって子供たちは健康が損なわれている、そういう矛盾を早急に解決すべきだと私は思っております。
 いま一つは、子供たちの心の問題でございます。心が輝いていなければ、やはりどうしようもない。そのためには、子供の内面から紡ぎ出される言葉を充実させなければいけない。そのためには、子供が本に親しむ環境をより一層整備しなければいけない、そういうふうに考えております。
 そうした立場から、きょうは本と食の二つのテーマに絞って大臣にお尋ねしたいと思います。
 去る二月十三日でございますが、文部科学省の協力者会議は、「食に関する指導の充実のための取組体制の整備について」、いわゆる第二次報告でございますけれども、これを発表いたしました。
 報告書は、栄養教諭の創設を提言した平成十三年七月の第一次報告からさらに踏み込んで、具体的な職務内容や配置、身分の取り扱いまで提示した内容になっておりますが、大臣は、協力者会議の報告をどのように評価されておりますか。
遠山国務大臣 委員御指摘のように、食というのは大変大事な、人間の存在の根本にかかわる問題だと思っておりまして、特に、子供たちが健やかに将来成長し活躍していくためには、食の充実というのは大変大事だと思っております。
 食に関する指導の充実のための取り組み体制について、専門家によって調査研究がなされておりまして、それの第二次報告をいただきました。これにつきましては、いろいろ今の食にかかわる、あるいは健康にかかわる問題が指摘されておりまして、大変有意義であり、かつ時宜にかなったものだというふうに考えております。
肥田委員 食の問題に文部科学省が取り組み始められたことを、私は大変評価しております。
 子供たちの食生活は、コンビニの加工食品やファストフードの利用による偏食、家庭の孤食、朝食の欠食、過度のダイエットなど健康に影響を与えることが指摘され、体力低下もかなり心配されております。育ち盛りの子供たちの食生活に看過できない事態が今起きている、そういうふうに考えられますが、大臣は、子供たちの食生活についてどのような懸念をお持ちですか。その対策も、もしお考えならばおっしゃっていただきたいと思います。
遠山国務大臣 子供のみならず大人、特に勤労者のことも含むのかもしれませんけれども、子供たちが朝、朝食をしっかり食べない、あるいは子供だけで食べる、孤食といいますか、そういったこともございますし、それから、きちんと栄養バランスのとれた食事が用意されないということで、偏った栄養摂取の問題などが生じていると思います。
 こうしたことが、肥満であり、あるいはある種の栄養素の欠落ということで、健康に極めて問題になっているわけでございますし、しっかり食をとらないということが、やはり精神活動あるいは身体的活動あるいは知力にも影響してくるのではないかと思っております。そういう意味で、食の問題というのは非常に大事なことだと思っております。
 本当は親がしっかりやってくれればいいんだと思いますけれども、その問題が本当に各家庭も十分でないというところもございまして、学校としてはそれに対するいろいろな対策を考えていかなくてはならないと思っているわけでございます。
 学校栄養について考えてくれる職員、そういう人に対する研修会を行ったり、食に関するシンポジウムを行ったり、それから食生活についての学習をするための教材あるいは指導者用参考資料を作成、配付もいたしました。さらに、現在、学校栄養職員とかあるいは学級担任などが子供たちからの食のいろいろな相談に答えられるように、答える際の個別指導事例集の作成にも取り組んでいるところでございます。
 平成十五年度予算案におきましては、食に関する正しい知識を身につけさせますとともに、それを望ましい食習慣の形成というものに結びつけていくために、小学校低学年から継続した食に対する指導を行うための食生活学習教材の作成、配付というようなことも予算計上して、今取り組もうとしているところでございまして、こういった総合的な各種の施策をきちんと実施することによって、今の子供たちの食生活の乱れの問題に対して、私どもとしても最大限対処していきたいなというふうに考えております。
肥田委員 昨年、学校給食に使われます食材の偽装表示が相次いで発覚しました。給食の分野でも安全神話が崩れました。しかし、学校給食会に納入される食材は、産地偽装を禁じたJAS法の適用対象外となっております。これはJAS法の不備だと私は思うわけでございますけれども、学校給食の食材の偽装表示につきましてどのような対策を考えておられるのか、農水省にお伺いしたいと思います。
山本政府参考人 ただいま御指摘のございました学校給食向けの食材の偽装表示の件でございますが、御案内のように、JAS法につきましては、専門的知識を必ずしも有さない一般消費者が商品を購入する際、その商品を正しく選択するための情報を得ることができるようということでございまして、そういう観点から法律を出しておりますので、御指摘のような学校給食に納入するような業者の場合には対象となっていないわけでございます。
 しかしながら、食品の安全、安心というような問題につきましても大切な問題でございます。私どもとしましては、この業者というものを一般的に学校給食に納入するような場合につきましても含めまして、例えば原産地とか規格とか、そういうふうなことについて具体的な指定をする上で納入させるというのが一般的だと承知しておりますので、そういう意味での契約を守る、もしくはそういう意味での法令を遵守するというようなことにつきまして、一般的な観点からではございますが、指導をしてまいりたいと考えております。
肥田委員 今のお話で、かなり前に進んでいただけるという話でございますけれども、要するに、学校給食に食材が納入されますと、子供たちが消費者でございます。しかし、偽装表示で入ってきた食肉等に関しましても今は業者が処罰されないということになっておりますが、学校給食に関しては具体的にどういうふうにお考えなんですか。もうちょっと詳しくお話しください。
山本政府参考人 ただいまも御説明申し上げましたように、JAS法の規定につきましては、一般消費者の選択に資するためという観点からの法律でございます。学校給食向けということで、特定のものについては対象になっておりません。
 しかしながら、やはり一般的な意味で、食の安全、安心というものにつきまして表示を正しくするということにつきましては、私ども、大切なことだと思っておりますので、そういう観点から、その法令の遵守もしくは表示の適正化に努めてまいりたいと考えております。
肥田委員 これは大臣にもお聞きしたいんです。確かに今遵守に努めるとおっしゃいましたけれども、これは、ひょっとすると法整備の不備だというふうに私は考えるんです。大臣、これは子供たちが消費者ですから、もう少し進んだ形で何かお考えはございませんか。
遠山国務大臣 学校給食におきます食材の安全確保ということは大変大事でございまして、児童生徒の生命あるいは健康に直接かかわるわけでございますから。
 委員も御存じだと思いますけれども、我が省といたしましては、学校給食用食材の購入に当たって、「学校給食衛生管理の基準」というものを文部省の体育局長から、当時、文部省でございましたから、平成九年四月に通知を出しまして、その基準を明らかにしまして、その中では、内容表示あるいは製造年月日、製造業者などが明らかでない食材等については使用しないようにするということなど、食材の安全性の確保に努めるよう指導をいたしております。
 さらに、平成十五年度の予算案におきまして、食品の偽装表示などが社会的な問題となっておりますことから、学校給食における安全性をより一層高めるための方策について調査研究をさらに行っていこうというふうに考えているところでございます。
肥田委員 学校給食の食材は地方自治体で決めることでありますけれども、食が子供の心と体に重大な影響を与えることを考えるならば、やはり地域でとれた安全な食材を学校給食に活用する、そういういわゆる地産地消が理想的だと私は思いますが、大臣はどう思われますか。
遠山国務大臣 一言で申せば同感でございます。地域の産物を活用しますことは、子供たちの食材に対する関心もふえますし、地域への愛着というものもふえるわけでございますし、何より子供たちが安全でおいしい食事を得ることができるわけでございますので、その地域の食材を使うということは大いに奨励されていいと思います。もちろん、給食などにおきましては、栄養上のバランスもありますから、すべてのものが地域でとれるとは思えませんけれども、しかし、そういうものを十分活用しながらおいしいものをつくっていくということ自体は、それは地域の産業にも結びつきますし、地域文化への理解ということもふえると思っております。
 我が省といたしましては、「学校給食指導の手引」、これは平成四年でございますが、さらに通知、平成七年におきまして、郷土食や地場産物の導入について工夫するよう指導をいたしております。また、昨年度作成いたしました食生活学習教材の中におきましても地場産物を取り上げておりまして、地域の特産物の活用あるいは郷土料理の導入につきまして、その推進を図っているところでございます。
肥田委員 かなり努力していただいておることは私も認めます。
 そこで、地産地消の学校給食に努力しているところはたくさんありますよね。ですから、学校給食自給率調査というようなものを実施なさったらいかがでしょう。それもまた推進する一つの大きな歯車になると思いますけれども、いかがですか。
遠山国務大臣 そういうことも援用しながらこれを推進していくというのは大事だと思いますし、これは全く個人的な思いつきでございますけれども、そういうことに努力している学校をまたよく見て、よく評価していくということも大事かなと考えます。
肥田委員 大臣も、食文化、子供の食について大変大きな関心を抱いていただいていることに私は感謝を申し上げたいし、また一緒に頑張ってまいりたいと思いますが、実は、この食生活を指導できる人、最初に質問いたしましたけれども、栄養教諭の設置なんですが、相当急がれると私は思うんですね。ですから、文科省の方で多分決心はしてくださっていると思いますけれども、栄養教諭の配置はもうまさに時代が求めるものであると思います。
 ただ、残念なことに、今、栄養職員は三校、四校に一人の配置でございます。そうなりますと、子供たちの体の状況を見詰め、そして子供に寄り添った食の指導ができる、そういうことにはなかなかならないと思うんですね。ですから、もちろん今の先生方が頑張ってくださっているのは評価するにしても、三、四校に一人の栄養職員、栄養教諭ではどうにもならないというふうに私は思うんです。
 財政困難な折でございますが、しかし、子供の体がぼろぼろになってしまってはもう遅い。何か知恵の出しどころはないかと思うんですけれども、大臣、何かいい知恵はありませんか。
遠山国務大臣 新たな知恵ということではないのでございますが、先ほどの御指摘のありました報告の中で、いわゆる栄養教諭制度など、栄養にかかわる職員に新たな制度の創設というようなことについて御提言をいただいているわけでございまして、このことについては、今御指摘のようないろいろな問題もございますけれども、その報告書の指摘も踏まえまして、今後、中教審においてさらに専門的それから具体的な検討を行っていただいて、そしてその審議を待って、これの新しい制度の導入について適切に対応していきたいというふうに考えております。
肥田委員 くどいようでございますけれども、大体いつごろをめどにというふうに考えたらいいでしょうか。
河村副大臣 食に関する指導の充実のための取り組み体制、二次報告ですね、これをいただいたいわゆる研究グループがおられますが、その中でいろいろ協議をいただいて、この手順といたしましては、それを受けて今度は、これは新しい制度をつくっていくわけですから、大臣の方から中央教育審議会に諮問をしていただくという形になろうと思います。私どもで考えておりますのは、十七年度から導入する方向でお願いをしたい、こう考えております。
 ただ、いろいろ御指摘がありましたように、これはこれから増員の問題もございましょうし、それから、栄養教諭となっていけば、いわゆる給与の問題等も出てまいります。いわゆる財務当局との折衝等、まだ一壁、二壁、壁はあるように私は思いますが、これは文部科学省も頑張らなきゃいけませんし、また、これをしていただく皆さん方の御協力もいただきたい。これがいかに子供たちにとって大事なことなのかということをもっと広く理解を求めることも必要であろう、このように考えております。
肥田委員 ぜひ私どもも応援団になっていきたいと思っております。
 次に、本の方に移ります。
 大臣も所信で読書活動について触れておられました。子どもの読書活動推進法が成立した後、いろいろな読書活動が市民社会でも広がっております。また、ことしの四月一日以降、十二学級以上の学校には司書教諭が配置され、子供の読書の道案内人がたくさん誕生いたします。
 そこでお尋ねしますが、その司書教諭は四月一日にどのぐらい配置されることになっておりますでしょうか。
河村副大臣 御指摘のように、十五年四月から学校図書館法の規定が発効するわけでございまして、十二学級以上の学校には必ず司書教諭を置く、こうなってきたわけでございます。現時点で司書教諭が発令している学校の割合は、全体で今一〇・三%という状況下にございます。十二学級以上の学校数の二倍以上の方が今司書教諭の免許を持っておられますので、必要数はまず確保されている、このように考えております。
 全国の十二学級以上の学校数は、小学校が一万一千四百二十、それから中学校が五千七十三校ございますが、小学校の一万一千四百二十校に対して免許を持っておられる方が三万一千三百七十、二・七倍おられる。それから、中学校が五千七十三に対して一万二千七十三ですから二・四倍おられるということでありますから、それは重複したり一つの学校に固まったりとかいろいろなこともあろうと思いますが、おおむね間違いなく全員きちっと発令されるものだ、このように考えておりまして、本年一月にも、各都道府県の委員会に対しまして、必ずこれをきちっとやってもらいたいということで周知徹底を図っておるところでございます。
肥田委員 四月一日が待たれるところでございますが、今、二・五倍ぐらいの有資格者があるというふうにおっしゃってくださったんですが、それならば、ついでのこと、十二学級以下はほうり出さずに、十二学級以下も以上も設置しようという方向に行きたいと私は思うんですね。
 と申しますのは、調べ学習の広がりがございます。それから、総合的な学習時間もある。この中で、学校数でいいますと、十二学級以下と以上がちょうど半々なんですね。そうすると、日本に住む子供たちの半分は読書の道案内人の恩恵に浴することができるけれども、あとの半分は全くその恩恵に浴せないということになるわけですね。
 ですから、できれば、この法律は十二学級になっておりますけれども、これから少しそのたがを取っ払っていくような方向に行ったらどうでしょう。
河村副大臣 御指摘、全部するのが望ましいことは私どもも承知しております。ただ、当面まず導入をこういうことでしようということでやってきたわけでございまして、これを全部義務づけるとなると法律改正にもなるわけでございますが、これは、市町村、設置者の方が一つの基準を超えて発令されることについてはむしろ奨励すべきことであろう、このように考えております。
 さらに、司書教諭の免許についてどんどん獲得していきながら、確実にできるように、全学校にできるような方向へ持っていきたい、このように考えておりますが、まずは、これを発令してということを第一義的に考えて、きちっとそのことを果たしていくということを考えていきたい、こういうふうに思っております。
肥田委員 昨年、文部科学省は、司書教諭の職務内容のあり方等について調査研究を進め、指導資料を作成するとして、学校図書館の活用に関する調査研究費を計上されました。その指導資料がまだ作成されていないやにお聞きしておりますが、指導資料もないままに司書教諭が任命されるわけでございまして、これは少しいかがなものか。再研修なんかもなさるのか。その辺の、司書教諭の資質についてきちんとしたことがなされているのかどうかを伺いたいと思います。
河村副大臣 御指摘の点は急がなきゃいけないことで、確かにまだできておりません。
 それで、早急にということで、協力者会議を初中局長のところに置きまして、まだこの人選を検討しているような状況でございますが、これは少し急いで、早く指導資料の作成が必要であろうと考えておりますので、今の御指摘はきちっと受けとめさせていただきまして、発令に応じて、即きちっとした資料に基づいてやれるようにと考えております。
肥田委員 大臣にお尋ねしたいと思いますが、昭和二十八年の学校図書館法が成立しまして以来、初めて設置が義務づけられるわけでございますけれども、司書教諭にどんな役割を期待していらっしゃいますか。
遠山国務大臣 司書教諭は、肥田委員先ほど御自身でもおっしゃいましたように、子供たちに読書についての指導をしていく、そういう大変重要な役割を担っていると思います。本とか読書活動、だれでも手軽にそれを取り出して読むことはできるわけでございますけれども、すぐれた水先案内人がいれば、子供たちの興味の持ち方、あるいは本を読んで得る成果というものも格段に違ってまいると思います。
 そういう意味で、司書教諭の役割といたしましては、専門的な知識それから技能を備えて、本に親しみ、学校図書館の活用それから読書活動における校内の協力体制を推進していく大変重要な役割と考えております。
 一人の司書教諭がいれば、大規模校であれ、すべての児童生徒が本に親しめるようになって成果が出るとは思えません。それぞれの教諭がそれぞれの場で、読書活動なり本に親しむことの重要性を子供たちに伝え、また、本に触れる機会を与えていく、そのようなことについて企画をし、そして連携をとって実施に移していく、そういう大変な役割だと思っております。
 この司書教諭を中心にして、ほかの教職員が一体となって、学校図書館の充実、あるいは全校一斉の読書活動といったようなさまざまな活動が展開されて、児童生徒が主体的に、かつ積極的な学習活動あるいは読書活動が行われるようになっていく、そのためのキーとなる存在であるというふうに考えます。
肥田委員 今大臣がいみじくもおっしゃってくださいましたように、大変な役割なんですね。キーとなる役割、まさにそうなんですよね。その大変な役割、職務を遂行するためには、どうしてもやはり司書教諭の専任化が必要だと思うわけでございますけれども、これもまた、この財政からすぐには専任化は無理だということも少々はわかります。
 そこで、担当授業の軽減でありますとか、何か校内で司書教諭が十分に活動できるような、そういう補助的なというか、司書教諭の役目を十分にしてもらえるような、そういう校内の努力というのはこれから進めていかれるおつもりですか。
河村副大臣 今の御指摘、まずは司書教諭は専任化でございません。理想はそこにあることはわかりますが。せっかく発令をした以上、その職務がうまくいくように、補助的なということは当然考えていかなきゃならぬだろうと思います。
 これは人頼みと言われて怒られるかもしれませんが、最近はそういうことに父兄の方々も随分関心をお持ちいただきまして、ボランティア等も随分養成されつつございますので、そういう方々の御協力もいただかなきゃなりません。それから、学校事務員の方が司書業務を今やっておられますが、そういう方々の職務も少しは軽減になるかもしれませんが、一緒になってやっていただくという今の体制は引き続いてお願いをしなきゃいかぬだろう、こうも思っておりますので、学校を挙げて、子供たちに本をということの意義をしっかり学校全体が理解をいただいて体制づくりをやっていくということが必要であろう、このように思っております。
肥田委員 平成九年の五月の文教委員会でございますけれども、文科省は、司書教諭と学校司書は二人三脚の関係にあると位置づけられまして、司書教諭が配置されることで学校司書を解雇することは遺憾であるという趣旨の答弁をされております。また、学校図書館法改正に伴う附帯決議では、「学校司書がその職を失う結果にならないよう配慮する」、そういうふうに書かれております。
 司書教諭の四月配置を前に、改めてそうした趣旨を自治体に徹底すべきじゃないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
河村副大臣 肥田委員御指摘のとおりだと思います。
 したがいまして、学校司書が、これによって、もうそのことはやらなくていいんだということにならないように、一体となってやっていくという附帯決議等々のことは、改めて今後、配置については留意するように、各学校といいますか各教育委員会に徹底いたす必要があろう、このように考えますので、その方向でやってまいりたいというふうに思います。
肥田委員 平成九年の学校図書館法の改正のことを思い出すんですが、そのときに附帯決議で、「職員配置を含めた、学校図書館整備のための地方公共団体独自の施策を、より一層充実するよう配慮する」としておりますけれども、地方自治体におきまして、職員配置を含めた施策の進捗状況、これをどのように把握されていらっしゃいますでしょうか。
河村副大臣 せっかく学校図書館法ということで、さらに地方公共団体がこのことにもっと力を入れていただく必要があるということでございます。
 私もその点については、今後それがやりやすいようにということで、文部科学省としても、地方交付税措置がございますが、それによってちゃんと学校図書の整備がされていることをもっと促進しなきゃいかぬということで、この整備に力を入れているということと、さっきの司書教諭の養成、発令ということによってこれが促進されるであろうと。それから、最近は余裕教室等をさらに図書館に改修するというようなケースもふえてまいりましたが、そういう場合に国が補助金という形で支援をするというようなこと。それから、学校と地域が連携して、読書活動とか、学校図書館の蔵書をデータベース化する、あるいはオンライン化するということもございますが、これを、共同利用を進めるためのモデル事業を進めていくとか、そういうことでやってきたわけでございます。
 昨年八月、肥田先生が中心になっていただいて、子どもの読書活動の推進に関する法律、それからそれに対する基本計画というものができてきたわけであります。これからはそれを、今度は学校図書館の充実ということを視野に入れて、子どもの読書活動の推進に関する計画というものを、これは地方公共団体においてもしっかり立てていただいて、そしてその結果、学校図書館が充実されるようにということを、我々の方も努力いたしておりますし、そういうことを大いに期待いたしておるところであります。
肥田委員 地方自治体に、交付税措置で事務職員としては一名配置していらっしゃるんですよね。それが学校図書館の事務職員として使われれば一〇〇%万歳なんですけれども、どうもそれがほかの事務職員に使われているという傾向になっておるようでございますが、その点、やはりもう少しチェックしていった方がいいのかなと思うんですけれども、どうでしょうね。
河村副大臣 御指摘の点、せっかくの交付税がきちっと活用されているかどうかについて、今文部科学省の方も調査をいたしておりますが、学校図書館協議会の方からも、この流用がないようにということで調査をいただいたりしながら、これは各自治体の首長さん方の姿勢もあるものでありますから、そういう方々に、ぜひきちっとやっていただくようにということで、今お願いといいますか、督励をといいますか、奨励をかけておるようなわけでございます。
 これは、文部科学省としては、地方交付税そのものには色がついておりませんから、最終的には自治体の長のということでありますけれども、政策官庁としてはこれをぜひやってもらいたいということで、強くそのことを求めながら、この趣旨が生かされるように最大の努力をしていかなきゃいかぬと思いますので、今の御指摘の点については、もっともっとその実態も調査をしながら、不備な点があれば強くこれを求めていくという努力は当然しなきゃいかぬ、このように思います。
肥田委員 先ほど河村副大臣からもございましたけれども、法律に基づいて、地方公共団体の子どもの読書活動の推進計画がそろそろ出されてきておると思いますが、現在のところ、どのぐらいの提出状況でございますか。
河村副大臣 子どもの読書活動の推進に関する法律の結果、国が基本計画を立てる、今度はこれを地方が立てていただくということになっておりますが、平成十四年十月で調べましたところ、十四年度中にきちっと立てた県が八県、それから十五年度中には三十三県、それから十六年度中にやりますというのが二県、策定でございます。
 これは義務ではございませんで、努力目標になっておりますので、ぜひ全県でやっていただくようにという思いでおるわけでございますが、秋田県と大阪府はきちっと策定をされているということでございますが、これをぜひ全県がやってもらわなければと思っておりますので、これを促進するために、この三月に、今、市町村を含むすべての地方公共団体を対象にして推進計画状況について調査をやっておりまして、この調査は、結果が出ましたらこれを公表して、そして、取り組んでおられるところとまだですよというところを天下に示して、まだのところはそれでやっていただくということも考えておるところでございます。
肥田委員 大賛成です。ぜひお願いいたします。
 それで、もう一つ、先ほども出ましたけれども、交付税措置でございますが、学校図書館図書標準を平成十八年までに達成するためには、自治体に交付税措置の予算化を積極的に進めなければいけないわけでございますが、五年間で六百五十億円というこの交付税措置、これがなかなか本に行かないで、道路になったりコンクリートになったりするわけでございます。これも、文科省の方でも本に向かうように一生懸命努力をしてくださっております。
 現在のところ、調査段階ではどのぐらいの達成率でしょうか。自治体の実行率。
河村副大臣 これは、学校図書館協議会の報告と我が省が調べた報告と若干差異がありまして、学校図書館の方でお調べいただくと、まだ達成率が非常に低いように言われておりまして、私どもは心配をして調査をしたのでありますが、その結果によりますと、大体百八億の時代があって、それで今百三十億の交付税ということになりますが、既にその部分については、いわゆる図書館の図書購入費あるいは教材費における図書購入費という形で、平成十三年度あたりも全国で大体百三十億ぐらい、図書館の整備のために使っておられるという現状があるようでございます。
 ただ、問題なのは、せっかく皆さんの後押しによってさらにこれを、年間百八億だったものが、百三十億掛ける五年の六百五十億にふやしていただいた。このいわゆる百八億から二十二億ふえたわけでありますが、その分がまだふえていないというのが現状にございますので、せっかく今度ふえたのでありますから、その分をふやしていただくように、現状に満足せずにもっとふやしていただく必要があるということで、このことをもっと強調する必要があろうと思っております。今、その調査を進めながら、とにかく六百五十億ということになったんだから、今の達成率は一応の目標に行っておるようでありますけれども、さらにそれをふやしていただくということで督励をし、お願いをし、先ほどちょっと触れましたように、各市町村長さん方に対しても政策官庁として督励を申し上げたいというふうに思っておるわけでございます。
肥田委員 各地の学校図書館なんかに伺いますと、お金を出しているのにもかかわらず、何となく古い本が寂しく並んでいたり、総合学習に必要な辞書でありますとか、そういう基本的な情報をキャッチするための蔵書が本当に少ないんですね。ですから、これはよほどしっかりとチェックしていただかないと、子供たちのための本にはならないのかなというふうに危惧をいたしております。
 総合的な学習の導入とか調べ学習の広がりで、公共図書館が随分と役割を果たしてくださっております。学校図書館に調べ学習用の辞書とかそういう基本的な本がない場合、公共図書館が役目を果たしてくださっている場合も多いんですが、その公共図書館に、財政難を理由に図書資料代の削減を行う自治体もふえておりますけれども、これはやはり、公共図書館の図書整備につきまして、文科省が大きな支援体制をつくっていかなければいけないと思うんですが、いかがでしょうか。
河村副大臣 学校図書館はもとより、やはり公共の図書館が充実されるということが非常に必要なことだろうと考えます。その充実には、やはり内面の充実ということで、図書館に行けば非常に質の高いサービスがあるというふうに図書館の活性化を図るということが必要でございます。これも、文部科学省としては、各自治体がそれぞれ設置についてはおやりになることでありますが、その中身を高めるということは、やはり我々がしっかり督励をしていき、取り組んでいかなきゃいけないだろうと思います。
 そういう意味で、図書館の職員の資質、能力の向上を図る。それから、司書を養成する講習において、特に情報化時代でありますから、こういうものにも対応できるようにやっていかなきゃなりません。現職の研修といいますか、そういう方々の研修も、まず三年以上を有する司書を対象とする研修とか、あるいは七年以上の方々の研修とかということで、きめ細やかな研修も実施しておるところでございます。
 さらに、移動図書館のことをもっと充実させるとか、それから、公立図書館の図書購入費はやはり地方交付税措置がまたございまして、これは学校図書館の倍以上の措置がされております。これがきちっと増額されておるわけでありますが、そのことの徹底化とか、それから、特に公立図書館の健全な発展のために、平成十三年の十二月に、「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」というのを設けまして、公立図書館の一層の整備充実ということに力を入れておるところでございます。
 特に最近は生涯学習ということも、非常に図書館がその中心的な役割を果たすようになってきておりますので、その点も含めて、中央図書館、いわゆる公共図書館の充実ということは文部科学省としても十分支援をしていきたい、このように思っております。
肥田委員 終わります。ありがとうございました。
古屋委員長 松原仁君。
松原委員 きょうは、私、最初の質問でありますので、特に教育全般について議論をしていきたいと思っております。
 今、教育は最大の危機を迎えていると言われておりまして、学級崩壊その他、かつてないほどの、だれが見ても危機的な状況にあろうと思っております。
 いろいろなアンケートが行われているわけでありますが、前にも一度どこかの分科会で私は大臣に質問したかもしれません。日本では七〇%近い子供が自信を持っていないというふうに答えている。何に対しての自信ということではないけれども、みずからの行動やその展望を含めてでありましょう、自信を持っていないという子供が大変に多いわけであります。この数字は、アメリカや中国に比べてはるかに高い数字になっております。こういった自信のなさは一体何が原因なのかについて、大臣の御所見をお伺いいたします。
遠山国務大臣 教育というのは国の基盤でございますし、何より、一人一人の子供たちが伸びやかに育ち、しっかりした知力、そして精神力、人間性、同時に、豊かなしっかりした体、そういったものを備えて育ってくれることが大事でございます。その子供たちが、今おっしゃったように、自信を失っているというふうな調査があったとすれば、これは私はいろいろなことが原因になっていると思っております。子供あるいは教育というのは、社会の実態を反映している面もございます。それは、今の日本人自身が本当に自信を持って、将来に向かって確信を持って歩んでいるかといえば、そうでないという人も多いわけでございます。
 そんな中で、さりながら、子供たちには、未来のある存在でございますので、自信を持って取り組んでもらうということが大変大事だと思います。それには、家庭における親の態度、しつけ、その生き方、それから学校における教育の目標なりそれを具現化する教員の姿勢、そして同時に、地域社会のいろいろな問題をいかに解消しようとする大人の努力が目に見えているかどうか、あるいは、社会でのいろいろな生起する問題に対してすべての責任ある者たちがしっかり取り組んでいるかどうか、また、未来において自分が一生懸命勉強してきちんとした職が得られるだろうか、そういったことがすべて複雑に絡み合って、そういった実態が、子供たちに確信を持ってしっかりやっていれば未来があるというふうになっていけば、私は自信が持てるようになると思います。
 そういう意味で、家庭、学校、社会、そういったもののすべてにその自信のなさの原因があると思っております。さりながら、学校教育という教育の専門の組織、存在において、自信を子供たちに持たせるようなよい教育を展開していく、そのことが教育にかかわる者あるいはすべての大人の責任であるというふうに考えております。
松原委員 私も大臣の認識と大変に似通ったものがあります。自信がない子供が多いというのは、それはひとり教育の問題にとどまらないわけであります。広い意味での教育ということを考えれば、人間の対話を通じての社会そのものも教育というふうに見れば、それは教育の範疇に入ります。
 私はしばしば申し上げるのでありますが、かつて古代ギリシャのプラトンという哲学者が「国家論」の中において言った言葉があります。国家は大文字の個人である。私は、極めて吟味するべき、深い含蓄に富んだ言葉だと思っております。国家は大文字の個人である、つまり国家に自信がなければ個人に自信がない。結局、今の教育の問題は、教育現場だけではなくて、日本の国がやはり自信を失っている、そういったところにも理由があるのではないかと思っております。
 日本の国が自信があるかないか、例えば日本の国の象徴というのは、私は、具体的にはそれは国旗であり国歌に象徴されると思っております。そういったものに対する国民一般の大きな自信、例えば、場所によっては国旗を掲揚することを拒否するような地域があるとするならば、それは自信を国家が持ち得ない理由になってしまうだろうと私は思っております。そういった意味では、国が自信を持つことが個人が自信を持つ大きな大きな背景をなすという点において、私は、この自信のなさというのは、ひとり教育の問題にとどまらないと思っております。
 しかし、もう一つ、今大臣が言った中で、一番大事な部分は何だろうか。私は、そこは一つ、愛情の問題というものもあるんだろうと思っております。今の日本の教育の中でこの愛という言葉が余りにも語られていないのではないかというふうな気がしてなりません。国家に対する愛情、社会に対する愛情、この愛情という表現こそが、ある意味で人間の感覚の中にある大きな能力を開花させるものではないかと思っております。
 例えば他の国の憲法というか、教育に関してのさまざまな徳目、ここにありますが、例えば韓国の国民教育憲章の中においては、国家愛、民族愛ということも書かれている。韓国の青少年基本法の中においては、国家に対する誇りということが書かれている。中華民国においては、国家意識ということが書かれている。
 そして、アメリカのニューヨーク州教育法においては、国を愛する公民としての奉仕と義務の精神を高めるために、また、平時及び戦前における公民としての義務を満たすために不可欠な道徳的、知的特質を州内の子女に植えつけるために、ニューヨーク州教育委員会は、州内のあらゆる学校の守るべきものとして、愛国心と公民精神についての教授計画を規定しなければいけないと書いてあります。
 日本と同じようにいわゆる第二次世界大戦を起こした敗戦国でありますドイツ・バイエルン州憲法においては、精神と人格の陶冶、神に対する畏敬、信仰心の尊重、人間の威信の尊重、克己、責任感、進んで他人を助ける気持ち、真善美に対する感受性の啓発、民主主義精神、バイエルン祖国及びドイツ国民への愛、こういったものが書かれております。
 私は、こういった愛というものに対して我々はもっともっと喚起をするべきではないかと思っておりますが、こういった他の諸国において愛情というものが教育の大原点におかれているという実情を見て、大臣の御所見をお伺いいたします。
遠山国務大臣 私は、国民がみずからの国に対して誇りを持ち自信を持たないような国が他国から尊敬をされたりあるいは他国から信頼されるということはないと思うんです。その意味で、私は、一人一人の日本国民の心をたどっていけば、それはやはり日本に対する誇りも持ち、日本に対する愛情もあるというふうに考えます。ただ、それが明らかな形で国家の大きな趨勢として語られるかというと、委員御指摘のように十分ではない面があると思います。
 それから、日本の国民の中における愛というものの存在については、今はかなり個人的なレベルにおいて愛というものが語られつつあるというふうに思います。それが家族、親、地域社会、学校、そして国というところに広がっていくと同時に、その愛というものの密度といいますか、感情の中におけるウエートというものが薄まってきているのではないかというふうに思います。これは、委員の御指摘のように、国民が本当にみずからの存在に自信を持って、また、社会、国に対する愛着を持つということは極めて大事だと私は思っております。
 ただ、少し心が和むのは、昨年のワールドカップのサッカー大会のときに、日本の国民があのように真っ青なユニホームを着て、みんなが国旗を振って、そして日本頑張れと言っていた。青少年も、国旗・国歌などはどうかと言っているような青少年が、むしろ率先して、国を愛する心、あれはチームではありますが、日本のチームということで応援したと私は思います。またオリンピックの場とか、スポーツの場におきましては、かなり日本の国民は積極的に国を愛する気持ちをあらわしていると思いますけれども、より自然にそういった心情というものがもっと養われていくということは大変大事だと思っております。
 私自身も外交官としての仕事を何年か外でやりましたけれども、外に出て、海外に出ていくと、そういう心情というのは大変養われるというふうにも思っておりますが、日本自体の物理的な存在が海に囲まれて孤立した、そういう状況の中で、そういう大切な、本当に国際社会に日本が存在感を持ってこれからあり得るというためには、委員の御指摘のような、国民自身がそういう感情をしっかりと持っていくということは大変大事だというふうに思うところでございます。
松原委員 こういったそれぞれの国が、教育の基本的な物の考え方で愛情ということを言っている。極めてこれは大事なことであって、昨日の大臣の所信の中に、地域と学校は連携協力というような、ある意味で極めて社会教育的な要素が今の日本では欠けているから、これをきちっとやっていこうというその方法論、技術論というのは、私は間違っていないと思っているんです。例えば、ボランティア教育を授業の中に取り入れるとか、大学でもそういったものをカリキュラムに入れるとか、就職の際にそれを一つの条件づけにしようとかという試み自体、私は大変に評価をするべきだと思っております。
 しかし、画竜点睛を欠くという言葉がありますけれども、形はあるけれども、情念がなければそれがすばらしいものに開花しないというふうに私は思っておりまして、私は、今つらつら世界の他の国、第二次世界大戦で日本と同じような悲惨な境遇にあったドイツを含め、こういうふうな教育に対する基本的な認識を持っている。ぜひとも、私個人は、日本の教育でも、そういった観点というのはもっともっと語られるべきだというふうに思っております。
 大臣の御所見をお伺いします。
遠山国務大臣 一人一人の国民の存在そのものを守るのは国でございます。国それから社会、あるいは地域社会、そういったものへの愛着なり、そういったものの重要性について、しっかりと心の中に持ち、そういう感情を育てていくということの重要性につきましては、まことにそのとおりだと思います。子供たちの毎日の学校教育の中において、どのような形でそういう国家社会の形成者として持つべき必要な資質を養っていくかということは大変大事だと思います。
 同時に、私は、親の立場としても、みずからの生き方においてそういう心情をはっきり持つことによって子供に影響を及ぼしていくということも大変大事だと思っております。
 そして、情念というお言葉をお使いになりましたけれども、確かに、あることをなすのに情熱を持つということが大変大事だということは言うまでもないわけでございまして、正しいこと、あるいはこうあるべきことに向かって情熱を持って取り組んでいく、そういうことの大事さというものを大人たちが子供に伝えていく、それが大変大事だと思うところでございます。
松原委員 先ほど申し上げたように、国家は大文字の個人だという言葉をある程度考えるならば、もちろん、例えば、きょうは委員会は全く違いますが、外務省も毅然とした態度をとって自信を持たせる外交を展開するということは、結果としてそれが一人一人の個人に反映をするんだろうと思っておりますので、それは、大臣一人の責任というよりは、全体で取り組む問題だと思っております。
 次に、客観性という問題についてお伺いしたいわけでありますが、実は私は、先般、拉致被害者のお兄さんである蓮池透さんと話をする機会があって、彼が言っていたのは、日本のマスコミは日本と北朝鮮に関して極めて客観的な報道をする、むしろ日本側に立った報道をするのが当たり前だろうというふうな話を彼はおっしゃっていた。私は、それは一つの正論だと思っております。
 私がまず申し上げたいことは、例えば親が子供を愛するというのは、客観的に愛するのか、主観的に愛するのかという議論であります。恐らく、親が子供を愛するときには極めて主観的に愛するのであります。自分が自分を愛するというのは、客観的というよりは、客観の存在する前の主観としてみずからを愛しているわけであります。つまり、それは極めて自然な人間の感情だろうと私は思っております。
 そういった意味では、私は、自分の国に対して客観的、第三者的な態度をとるのではなくて、自分の国に対しては、ある意味で主観的に愛情を持つべきだというふうに思っているわけであります。
 私は、その意味において、今の日本の教育は余りにも客観的に流れ過ぎていないか、このことについてお伺いいたします。
遠山国務大臣 私は、教育の場面において伝え得るのは、やはり教員がどのようにそのことを考え、そして、どのように教えようとしているかという気持ちが大変大事だと思うんですね。ですから、一般論として、日本の学校ではそういうことが教えられていない、あるいは、すべての学校で問題だというのは、そこの辺は教員によっては大変努力をして、本来、大人が子供に伝えるべきものをしっかり伝え、そして国民としてあるべき資質というものを考えながら教育をしてくれていると私は思います。
 しかしながら、そういうわけにいっていないような実態を聞くことも間々あるわけでございます。その意味で、客観性と主観性というのでございましょうか、私は、教育ないししつけ、あるいは子供を育てていく基本というのは、委員おっしゃいますように、十分な愛情がなくては、決していい教育、いいしつけというものはできないという点において、まことにそのとおりだと思っております。たっぷりした愛情があれば、子供たちが何か問題を起こしたときにしかっても、それは子供たちにはずんと心の奥に響くんですね。
 そういう愛情を持った上で、時に、大事なときにしかり、導く、そういったこと自体をやれるというのが大人の自信で、自信がある人はそういうことであると思いますけれども、そういう愛情というものをベースにしながら、特に子供たちを扱う人たちというものは、時に応じ、あるいは事柄に応じてしっかりと教えるべきものは教えていく、それが本当の愛情ではないかなと思うところでございます。
 その意味で、主観、客観、ベースにおいて、心の中において、主観的と申しましょうか、そういう情熱を持ちながらも、子供たちに時に発する言葉、あるいは社会について考えたり国について考えたりするときは、ある程度その客観性というのも必要だと思います。
 ちょっとお答えにならないかもしれませんけれども、そのように考えております。
松原委員 大臣も言わんとするところは同じだというふうに理解をしていきたいわけですが、私は、例えばフランスは、フランスの教育においてフランスの文化を主観的に、これはすばらしいというふうにして教育をしていくんだろうと思います。ドイツもそのような、それは主観的という響きの中に間違いがあってはいけませんが、もちろん客観性を持ちながらも、やはりドイツ文化は誇りを持てるんだということを主観的に教えていくんだと思います。
 私は、そこにおいて、親が子供に対する愛情においては、自分の子供に対しては極めて主観的な、主観的というのは悪い意味ではなくて、非常に高い意味での主観的な思い入れがあって、そこに子供の教育もあり得るんだと思っておりますので、日本の教育においては、冒頭国の誇りということも言いましたが、日本の教育なんだ、どこにでも通用する教育である必要はないのであって、私は、日本で通用する教育なんだというふうな教育を展開するべきだというふうに思っております。
 次に、未成年、教育の対象は基本的に未成年になるわけでありますが、この未成年というのはいろいろな特徴があると思うんです。私は、未成年の一番大きな特徴は、権威に流されやすいというのが大きな特徴であろうと思います。だから、いいものに染まることもあれば、悪いものにも染まりやすいと思っております。
 この未成年について大臣がどんなお考えか、お伺いいたします。
遠山国務大臣 未成年という言い方はどの程度の、法律上のことをおっしゃっているのかあるいは一般的なことであるのかによるとは思いますけれども、未成年、成年でない、二十未満ということで考えますと、これは教育の対象でもあるわけです、多くの場合。私は、そういう未成年という存在、これは、年齢で区切るだけでは個人によって随分判断力なり知力も違うとは思いますけれども、やはり、委員御指摘のように、まだ、これからどんどん学んでいくべき、いろいろな社会規範というものも身につけていくべき、そして大人たちのモデルを求めて、そしてみずから磨いていくべき、そういう年齢段階の存在ではないかと思います。
 その意味では、私は、未成年者といいますか、みずからすべて自分で判断できるという状況でない、あるいは、多くの場合、社会的な責任を負うわけでもない、最近は少年法の改正ももちろんございますけれども、そういった存在に対しまして、一体、大人社会なり学校なりあるいはいろいろなメディアも含めた情報の状況なり、そういったものはどうあるべきかという角度から考えていくということは大変大事だと思っております。
 私は、今の教育改革で進めようとしておりますのは、一人一人が基礎、基本といいますか、知力においてもあるいは人間の生き方においても、基礎、基本というのをしっかり学んだ上で、自分で判断できるようになっていく、将来自立できる、そういう子供たちをつくるというのが大変大事だと思っております。そういうことで、今進めております教育改革におきましては、基礎、基本を徹底した上で、みずから学び、みずから考え、みずから行動することができるそういう子供たちをつくっていこう、それを大きな目標にして進めているところでございます。
 これは、特に新しい世紀、今世紀において、社会がどのようになるかわからない、今の未成年の子供たちが大人になり、自分たちで社会を築いていかなければならない、そういうときに、前例がある、あるいは既に解決法が示されていることばかりではなくて、むしろ未知のいろいろなことが起きてくる。それを乗り越えて、分析をして、そして自分たちでみずから判断をして、そして解決策を見出し、それを実施していく、そういう力を持った子供たちをつくり上げていく、そのような気持ちをすべての教育にかかわる者は持ってほしいなと思っているところでございます。
松原委員 論語の中に「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し」という言葉がありますが、結局、「学びて思わざれば則ち罔し」というのをどう解釈するかですが、知識はたくさんあるけれども、それが消化をされて、一つの意思決定をするときの世界観というか、一つの彼の中における哲学になっていないというケースが間々あるのではないかというふうに私は思っているわけであります。
 そういった意味では、決断力、決断するためには当然知識も必要でありますが、知識がごった煮の知識ではなくて、それが体系的に、経験の中で一つの判断の材料にまで高まっていなければいけない。そういう意味では、今の教育のあり方というのはまだまだ不十分だろうというふうに思うわけであります。
 私は、そういった意味で、決断力をつける教育ということも大事な教育だと思っているんですね。しばしば比喩的に健全なる精神は健全なる肉体に宿るというふうに言われたわけであります。もちろん、決断力をつけるというのは、今言ったように知識もあって経験もなければいけないけれども、同時に、決断力をつけるためには、今言った社会経験、そしてやはり肉体的にそれなりに元気である。肉体的なひ弱さというのは、時には決断をするときのひ弱さに結びつかないとも限らないわけですから、そういった意味では、体育の教育というのは大変大事だというふうに思うわけなんですね。
 それはおいておきまして、今私が申し上げたのは、教育の舞台において今欠けているものが二つか三つある。一つは、愛情ということをずばり表現することが欠けている。もう一つは、権威というものが欠けているのではないかというふうな気がしているんです。
 権威というものは、私は、人間が進歩するときの大きなエネルギーのもとになると思っております。今の教育現場においては権威が欠けていると思うんですが、これについて大臣、どうお考えでしょうか。
遠山国務大臣 権威という意味、どのようなことをお考えになっているか、ずばりわからない面もあるわけでございますけれども、私は、それぞれの存在というものは役割を持っていると思います。親であれ、あるいは教師であれ、あるいは社会的な、政治家の皆さんもそうでございますけれども、それぞれの役割というものをしっかり果たしていく、それに伴ういろいろな責任なり、あるいはその人たちが醸し出すいろいろな知識なりあるいはリードする力なり、そういったものが権威といいますか大事なものだというふうに思います。
 その意味で、私は、権威というよりは、非常に大事なのは、親が子供に尊敬される存在でなくてはいけないと思います。これはある意味でいえば権威だと思います。
 それを最近では、どちらかといえば友達的なつき合いということが望ましい親であるかのような雰囲気もございます。それはもちろん、それぞれの家庭において家族関係というのは自在にあっていいとは思うわけでございますけれども、しかし親というのは、やはり未成年の子供をしっかりと育てる責務もあるわけでございまして、その責務に基づくさまざまな考え方なり生活態度、そういったものが醸し出すものが、子供にとって、ああ自分はその親によって十分な愛情をもって育てられている、また、その親がしっかりと生きている、その生き方を学ぼうではないか、そういうふうに思うこと自体がある種の権威のあらわれではないかなと思います。
 教師もしかりだと思います。教員というのは、やはりいろいろな意味で知識、経験を積んで子供たちに教えるたくさんのものを持っているわけでございます。その先生方が子供たちに十分な愛情を持ちつつしっかり教えていく、そのことが、教員としての、先生のおっしゃるところの権威を示すということになるのかもしれません。
 同時に、社会を構成するいろいろな場所におけるそれぞれの存在というものが、みずからの役割というものを十分に発揮していく、そのことが、教育において効果をあらわすある種の権威であるのかもしれないというふうに思うところでございます。
松原委員 私は、この権威というのは極めて大事だと思っているんですよ。どうも大臣の御認識は、もちろん大事だと思っておられるようですが、私は極めて大事だと思っております。
 これは全然事例が違うわけですが、例えば、上野動物園の話で恐縮なんですが、猿を調教する人間の話がありまして、猿を調教するときに、猿を教える調教師が一番世の中で偉くなければいけないというんですね。上野動物園の園長さんが来ても、その調教師の前で、猿が見ているときは頭を下げなければいけない。そうしなければ、猿は、言うことを聞き、そして彼によって芸を教え込まれることはできないという話があります。
 私は、やはり権威というのは、ある種の、人間にとって根本的な要素だと思っておりまして、今の学校教育の舞台では、私は十分に存在をしていないというふうに思っております。そういった意味では、ぜひこの権威を高めるということも考えていただきたいと思います。
 そして私は、国に対する愛情も必要だということを先ほど申し上げました。結果として、人間が何によって情熱を持って行動するのかという議論があります。
 私はこの間、中西輝政さんという大学の先生ですが、勉強会で会って話したときに、彼が、伝統文化というものを前提にして、それを自分の血や肉として行動するときに、人間はその内面の大きな力がわいてくるんだということを言っていた。もちろん個人は個人で経験をしておりますが、やはり、個人というのは社会や歴史や文化の上に乗っているわけであって、我々、日本に生まれてこうやって生活しているからこういう人間であって、我々が違うところにいれば全く違うわけであります。ですから、我々は、自分の経験だけではなくて、日本が経験してきたことや文化、精神的な風土の蓄積の上に立って行動している。これを強く認識することによって、やはり生きる情熱や大きなエネルギーがわいてくるというふうに中西さんはおっしゃっていた。
 私もそれには極めて賛同するわけでありますが、大臣はそういったことについてどうか、お考えをお伺いしたい。
遠山国務大臣 それぞれの地域なり国が過去の歴史においてはぐくんできた伝統なり文化というものは、その地域社会なり国を成り立たせるために、いわば一番の基本ではないかと思います。したがいまして、その中に住む個々の人間にとって、その文化なり伝統なりというものを身につけるというのは、人間としての一番大事なものの一つであると思います。
 伝統文化、いろいろなその概念はありますけれども、我が省におきましても、文化庁において、伝統的な、さまざまな日本人が築いてきた英知というものを存続させるにはどうしたらいいかというようなこともいろいろ施策で展開いたしておりますし、また、そういったものは、単に固定してそれをずっと伝えていくというだけではなくて、新たに異文化というものを創造していく必要もある。そういったものをいかに創造していくかということも大きな政策課題にもなっているわけでございます。
 そういう伝統文化の重要性というのは、国にとっても大変大事でございますし、また、今のような地球規模ですべてが語られ始めた時代において、それぞれの国の存在、あるいはそれぞれの国民の存在、一人一人の国際的な場における存在というものを考えてみますときに、それぞれの人間というものが、いかに伝統文化なり風土なり、そういったものの英知といいますか、蓄積というものを体現した存在であるかどうかということによって、私は、インターナショナルな面においても、かえって尊敬をされ、活躍ができるというふうに考えております。
 そういう意味もありまして、伝統文化というものの重要性というのは、国のレベル、地域社会のレベル、個人のレベル、いずれにおいても極めて大事な要素であるというふうに考えております。
松原委員 この伝統文化を重んじるという方向に、今、学校教育の中でも一つの方向が出てきている。例えば和楽器を勉強するとか、そういうのもあるけれども、やはり、そこのベースにも基本的に他の先進諸国でもあるような地域に対する愛情というものがなければ、私はこれもまた画竜点睛を欠くことになるというふうに思っております。
 そういった意味では、ぜひとも教育の原点において、もちろん、冒頭申し上げたように、教育は教育現場だけではない、国全体の自信のなさが悪い意味では反映するし、国全体の自信が非常に高まってくれば、それがいい意味で反映する。今は大変に不景気な状況の中ですから、そういった意味で、日本の国の自信のなさというものがさらに助長され、教育の現場に出ているわけでありまして、だからこそ、こういうときに国家百年のとりでをどうやって守るかということを真剣に考えてもらわなければいけないというふうに思うわけであります。
 時間もあと少しなんですが、そういう中で、今の公立教育ですよね、特に文科省が中心で指導しているのは。この公立が大変に、率直に言えば、忌憚なく言うならば、私立に対して人気が落ちているというのが今の例えば中学校、高等学校における現状ではないかと思っております。一般的になぜ私立が人気が出てきているのか、この辺の大臣の御所見をお伺いいたします。
遠山国務大臣 学校制度において、国立、公立、私立があって、それぞれ特色を持っている日本の教育の現状というのは、私はこれはこれで大変意味があると思っております。その意味で、私学において建学の精神に基づいてしっかりした教育をしていただく、これは大変結構なことだと思います。
 それはそれで振興していく必要があると思いますが、同時に、公立は、大変大事なのは、特に義務教育段階におきまして、小学校は九九%の児童が公立に通っております、全国で見ればですね。東京の場合はかなり私学が目立っている面がございますけれども。そして、中学については、全国で見れば九四%の生徒が公立の中学校に通っているわけでございまして、その公立の部分が仮に保護者から信頼されずということになれば、これは国の骨格が揺らぐわけでございます。
 その意味で、私どもとしましては、公立というのは、きっちりとあるべき教育というものを展開し、地域の中の大事な存在として地域の住民からも愛され、そして学校としてすぐれた教育を展開することによって信頼を得ていくということは大変大事だと思っております。
 その意味で、一昨年来、二十一世紀教育新生プランというのをつくりまして、学校がよくなる、教育が変わるという信念のもとにさまざまな政策を展開しております。また、今年度からは、新しい学習指導要領によりまして、本当に、冒頭から委員が国を愛する心なり人間の生き方というものについて御意見を開陳されましたけれども、そのことを目指したような教育を今展開しようと思っているわけでございます。
 そういう意味で、私は、公立学校というものが、常に国民がそこで安心して預けられる、そういう存在でなくてはならないという信念のもとに、今さまざまな政策を展開しているところでございます。
松原委員 非常に、現実をやはり知っておかなけりゃいけないと思うんですね。
 私が知っている都内のある中学校は、正門がずうっとあいていない、あかない。何であかないのか。それは、正門をあけることによって、そこの学校の卒業生であるけれども、どちらかというと非行に走ったような人を含め、来て問題を起こす。細かいことは今申し上げません。ずうっとあかないまま二年、三年経過している。裏門しかあいていない。そのことは親はみんな知っている。そういう現実があるとかいうことを知ったときに、権威も何もない。近くの親が聞いたときに、そういう学校に子供を通わせようとするだろうか。それは私の極めて身近な学校の話だ。
 私は、申し上げたいことは、時間がないのでその他の事例は余り言いませんが、結局そこに、言葉は悪いけれども、その子供たちと対立し、対立じゃなくて和解をしてもいいですよ、そして正門をあける努力をなぜしないのか。三年間も閉まっている。そんなのが一つや二つじゃない、たくさんある。こういう実態をどう思っているかということですね。私は、言葉で言うのは簡単だと思うんですよ。現実がそうなっているということはみんな知っているんですよ。学校の先生もそれ以上は何もできないなというのをみんなわかっているんですよ。それはもっと荒廃している学校もあるでしょう。
 私は、私立が何で人気が出るかというと、そういうふうなことは余り行われないだろうということです。もちろん、例えば公立に行って、現実に多くの子供たちの親は学習塾に通わせている。学習塾に通わせて、一年間で例えば三十万なりのお金がかかる。であれば、もうちょっとお金を出して私立に通わせた方が結局いいじゃないかという発想もあるかもしれない。費用対効果ですら、私立の方がメリットを感じてきている。今でも、ある中学では、中学校三年で二次方程式に入るかどうかという段階であります。もうそれでは到底高校入試は受からないレベルであります。そういう事例というのは枚挙にいとまがない。そういう事実を大臣はどの程度御認識か。そういう話、耳に痛い話がどれだけ頭に入っているのか。そういったことがなぜ起こるのか。
 やはり一番原点に、学校の教員も、それは自分の身もかわいい中で、それを超える使命感がそこに存在しなければいけない。もちろん、何人かは使命感を持っているでしょう。しかし、一つの学校としていまだに門があかないでいるとかそういうことは、それでもよしとするというわけにいかないだろう。私は、そのためには大きな真剣なる教育の転換が必要だと思います。
 時間が参りました。私は、きょうは最初の機会ですので私の持論を展開させていただいたわけでありますが、最後に、大臣のこれからの、教育基本法も出てくるかもしれません、そういう中での熱い、愛情こもった、教育に対する抱負を聞かせていただきたいと思います。
遠山国務大臣 今お話しになりましたような学校の存在を地域が許していること自体が私は問題だと思います。大人社会がもう少ししっかりと、そのような学校については、学校だけではもし対処できないのであれば、地域社会、あるいは必要とあれば警察力もかりて、子供たちが伸びやかにその中で育っていくようにするというのが学校の使命だと思います。校長先生がかわったらすぐに学校が変わってしまったというようなこともございますし、私は、教育行政の中でそういった問題を一つ一つ解決していくということが大変大事だと思います。
 それはさておき、これからの教育ということで、さまざまな理想が語られております。私どもも、そういった理想にいかに近づけていくかということで日夜努力をしているわけでございますが、私は、子供たちが将来新しい世紀を生き抜いていく、そういうときに際して、しっかりした知力、体力あるいは精神力というものを持った子供たちをしっかり育てていくということをそれぞれの学校段階の教育に携わる者が共通して目標としていく、そのことが非常に大事だと思っておりまして、昨年出しました人間力戦略を初めとするさまざまな政策というものを明らかにし、またそれを具体化するための制度の整備、あるいは予算が必要であれば予算をつけてというふうなことで展開していく。
 教育というのはすぐに成果が出るというものではございませんけれども、今方向を間違うと将来大変な禍根を残すわけでございまして、日々、また年々、地道ながらよい方向にやっていくというのが私どもの責務であるというふうに考えておりまして、先生方も恐らく同じ思いでいらっしゃると思いますので、ぜひとも御協力、御指導をいただきたいと思うところでございます。
松原委員 終わりますが、今、地域の教育力ということをおっしゃった。その原点にあるのは、今言った愛情だと思います。そういった大原点があれば、地域の人間ももっと立ち上がりやすい。今の状況で個人個人でということであれば、私は、おのずから危険を負担しない人間が多いと思います。私は、根本的に、そういった意味では教育の抜本に愛情を置いて立て直すべきだということを申し上げて、終わります。
古屋委員長 佐藤公治君。
佐藤(公)委員 自由党の佐藤公治でございます。
 きょうは、所信に関します質疑ということなんですが、その前に何点かお伺いをいたしたいと思います。
 きのうの報道で、北朝鮮から二十四日の午後にシルクワームという地対艦ミサイルが発射されたということが報道されました。このミサイルが報道されたこと、総理及び各大臣に連絡がおくれた、遅かった、また、いや、これはそんな大したことじゃない、いろいろな報道がきのうの夜ぐらいから多くされているわけですけれども、まず、このミサイルの発射ということに関して、大臣は内閣の一員として、二十四日の午後発射されたわけでございますけれども、いつお知りになりましたでしょうか。
遠山国務大臣 この問題に関しましては、当省に対して事務的に連絡があったわけではございませんで、きのうのテレビなどの報道によって初めて知ったというところでございます。
佐藤(公)委員 まさに危機管理体制のあり方ということにもなってくると思うんです。
 これは、六十キロ射程圏内ということで、余り日本に直接的な被害、危害、そういうものがないであろうというミサイルだったから、また失敗したからよかったのかもしれませんけれども、私が考えるに、こういったミサイルが、もしもですけれども撃ち込まれるようなことがある、もしくは撃たれるようなことがあった場合に、そのとき、その発見、また政府における危機管理体制もあると思いますけれども、文科省として、ミサイルの発射が確認をされた段階、その話が大臣のところに伝わる、もしくは文科省の幹部の方に話が入った場合に、文科省としては一体全体どういう対応で自分たちの所管のところに対しての生命と財産を守っていくのかということに関して、初動もしくは対応というのがどういったものになるのか、簡単に教えていただけたらありがたいかと思います。
遠山国務大臣 ミサイルの発射ということを前提としてということではございませんけれども、私どもといたしましても、何か危機が起きたときにどうするかということについては常に考えております。
 これは、我が省の所掌として必要な措置を講じますと同時に、政府一体として適切に対処する必要があるわけでございますが、例えば、私どもといたしましては、学校も所管しておりますし、あるいは原子力の施設も所管しておりますし、あるいは、仮に負傷したような人を受け入れるための病院のこともございます。そんなことで、常にどういうふうに対処するかということは私どもの危機管理の思考の中に入っております。
 例えば、付近の学校におきます児童生徒の避難、その安全確保に最大限努めること、あるいは当省所管の原子力施設に関しましては、十分な注意喚起、あるいは状況の確認、さらに、原子力施設に不測の事態が発生した場合にどういう措置をとるべきか、あるいは負傷者への対応をするなど国立大学附属病院の協力要請、そういったことについて時を移さず対応できるように、危機管理についてのことは常に考えているわけでございます。
 特に、一昨年テロがございました。これは不特定多数の者を対象にするテロということで、一昨年以降、緊急テロ対策を実施いたしますために、事務次官を本部長といたします文部科学省緊急テロ対策本部を設置いたしておりまして、これに対して迅速かつ的確に対処し得るものというふうに考えております。
佐藤(公)委員 対応等をとるように常日ごろ考えているということなんですけれども、ミサイルということを想定した場合に、まさにこれを防御できる、できない、物理的に可能、不可能、これは今大変な問題となっているわけでございますけれども、実際、向こうから撃ち込まれた場合には、七分から十数分というような時間で、そういう時間において、物理的にできる、できないということがあると思いますけれども、そういう情報が入ってからの十分、三十分の間は、そこだけをとらえた場合にはどういう対応をとられるんでしょうか。
遠山国務大臣 そういう事態にならないようにする、安全を確保するというのが私は国の役割だと思います。仮にそういう問題が起きたときは、今申し上げたようなことを駆使しながら、最善の対応をしていくというしかないのではないかと思います。
佐藤(公)委員 最善の対応は当然のことなんですけれども、例えばマニュアルとか、学校関係または科学技術関係、原子力関係、大変大事なところを所管している。
 つまるところ、私が言いたいことは、それは文部科学省のところで緊急事態においての対応ができないので、政府から、総務省もしくは防衛庁の方からの対応がきちっとこういう形になっている、もしくは、ミサイルというのは一発だけじゃなくて、次に十分後、二十分後、二発目が撃ち込まれる可能性もあるかもしれない、こういった状況の中で具体的にどういう対応があり得るのか、そこを教えていただきたいということをお願いしているんですけれども、いかがなんでしょうか。
河村副大臣 危機管理の問題だろうと思います。
 文部科学省としては、第一義的には、これは政府のいわゆる危機管理本部からの情報を待つしか、文部科学省独自がそういうものを持っておりませんから、それに向けて対応を図っていくということだろうと思います。具体的には、さっき大臣が答弁されたように、原子力施設に対する要注意とか、対学校とか、あるいは大学病院とか、そういうことはそれからやっていかなきゃなりません。
 しかし、総体的には、今国民保護法案等の話も出ておるようでございますが、具体的にどうするというのは、危機管理本部で今後もっと国民にわかりやすいマニュアルというものが必要であろうというふうには感じております。
佐藤(公)委員 物理的にできることできないことがありますから、それは本当に、何分という間、何十分の間はこれは無理だ、それはそれでわかるんです。だけれども、今きちっとそういうものに対して答え切れないこの状況というのは、まさに危機管理体制が全くなっていないのではないか。まさに、国民の生命と財産を守るという、政府、国の役割、私たち国会議員の役割としての責務を果たしていないことになるのではないかと思いますが、大臣、いかがでしょうか。
遠山国務大臣 今回のようなことをきっかけにして、再度こういう危機管理のあり方そのものを考えていく。ただ、私どもといたしましては、文部科学省として事実を知り得た範囲においてどう対処するかということは常に考えているわけでございます。私は、今の状況というものを、さらに何かできるかどうか、もちろん考える必要はあろうかと思いますけれども、現時点において、危機管理についてしっかりと認識を持っていく、そのことをそれぞれのところに周知していく、それが大変大事だと思うところでございます。
佐藤(公)委員 これは、本当にたまたまこういうことがあったので、こういう議論をきょうの委員会の冒頭でさせていただいておりますけれども、大変な問題だと僕は思います。やはり、この意識を私たち政治家はみんな持たなきゃいけない。この問題意識または問題というのは、今後またいろいろなところでお話をさせていただくことになるかもしれませんが、大変な問題を抱えているということで、とりあえずこのたびの質問は終わらせていただきます。
 続きまして、所信の中での質問を幾つかさせていただきますけれども、小泉総理の所信表明演説の中でも「豊かな心」、今までも豊かな心、心という言葉を総理も何回もお使いになられている。そして、このたびの所信の中でもやはり心という言葉、「豊かな心」「公共心」「思いやる心」、本当、いろいろな心という言葉が出てきます。そして、先ほどから委員会の中でも心ということの話も少し出てきているかと思いますけれども、これは大変な大事なことだと思います。
 ただ、こうやって議論をしている中で、ふと自分が原点に立ち返って考えたときに、まさにその心という言葉の定義が一体全体どういうことで使われているのかな。非常にきれいでいい言葉なんです。だけれども、このきれいでいい言葉が非常に抽象的であり、あいまいであり、問題を、議論をうまくかみ合わせていない部分もあると思います。
 まず、基本的なことですけれども、大臣の心の定義、心の意味は、どういう意味で遠山大臣もしくは内閣、そして小泉総理はお使いになられているんでしょうか。
遠山国務大臣 心の正確な定義等につきまして、私はこれは哲学的な、専門の方がしっかりとおやりになるのかと思いますけれども、私といたしましては、心という言葉を単独で使ったのではなくて、豊かな心でありますとか、あるいは日本人の心と、通常使われております用語として使ったわけでございます。
 それは、学校においては、知徳体といいますか、知力あるいは体力のみならず、心、精神、知をつかさどる根源としての精神活動といいますか、そういったものを重要視していくことが大事であるわけでございます。そのようなことを「豊かな心」ということで表現をしているところでございます。
佐藤(公)委員 あいまいな中で抽象的でわかりにくいんです。本当に、この心という定義をどう使うかということによっては、いろいろなとり方ができる部分があると思います。
 では、今遠山大臣はそうおっしゃられましたけれども、所信表明の中で最後の部分、「「日本人の心」が見える協力・交流に力を入れるとともに、」と、「国際化等への対応」というところなんですが、「「日本人の心」が見える」というのは、こういう場合は何を指して、何を言っているんでしょうか。
遠山国務大臣 これもよく使われている表現だと思います。
 論者によっては日本人の顔という表現もあろうかと思いますが、日本人の顔なり日本人の心ということは、日本人がその協力の中身においてどういう気持ちで、あるいは、日本人がやっているということを示す、そういうような交流なり協力でありたいという趣旨でございます。
佐藤(公)委員 こういう所信に関しては役所の方々が書かれているんだと思いますけれども、確かにきれいな言葉で、いい言葉です。だけれども、やはりもう少しわかりやすい表現を使って、皆さん、役所の方々、書かれた方がいいんじゃないかなと私は思います。
 心の教育ということが大事であり、それに力を入れていく。小泉総理、内閣、遠山大臣、全力でそれに向けて頑張っていくということを述べられているわけでございますけれども、先般行われました小泉総理大臣の所信表明演説、またそれに対する代表質疑の中で、私たちの小沢党首が最後にこういうことを言っているんです。
 思い出されているかもしれませんけれども、小泉総理は、日本人の心の蘇生を図るどころか、みずから、心の大崩壊を先導しているのであります。公約は何一つ守らず、そのことを指摘されると、平然と開き直って、公約なんか守れなくても大したことではないと言い放つ。小泉総理の言動には、日本人の伝統的よき資質である、自分の不明を恥じる心や、間違いを率直にわびる良心と誠意のかけらも見られません。日本の指導者、政治家である以前に、日本人、社会人としての資質を問われると思います。
 つまり、心の教育を、心を豊かに、心が大事だと言っているのに、そういうことを言っている御本人がそれを壊すようなことをされているようにも思えるんですけれども、大臣、これに対していかがお感じになられますでしょうか。
遠山国務大臣 今おっしゃいましたように、ように思えるという、思え方というのは人それぞれだと思います。
 その言葉において総理みずから再三お答えになっておりますように、総理御自身は、御自身の考え方にのっとってそうした言葉を使い、あるいは信念のもとにいろいろな政策を展開されているんだと思います。したがいまして、そのことについて私自身どうかと、あるいは、しかも両党首の公開の場における御議論でございまして、それはまさに拝聴させていただくということだと思います。
佐藤(公)委員 大臣が一生懸命心の教育を今文科省でやっているんですから、こういうことを総理大臣に言ってもらっちゃ困ると思いますよ。やはりこういうのは、大臣、副大臣、よく注意された方がいいんじゃないんですか。
 これはまた後でも話しますけれども、本当に、今子供たちのことのいろいろな話の中で問われているのは大人社会なんですよ。その大人がこういうことをしていて、子供たちに何が言えるんですかと思うことが皆さん方もあると思います。やはり私たち大人が、特に政治家がこういうことであってはいけないのではないかと私は思います。
 全体の、抽象的な議論を毎回しているんですけれども、なかなか歯車が合わない。所信の中でも、総花的にいろいろなことが並んでいるんですけれども、全体の青写真というものが見えづらいというように私には感じられます。
 そういう中で、大臣は、ことしの一月二十一日に川崎区で起きました事件、十五歳の男子生徒が漫画本を万引きし、川崎署員が駆けつけ、任意同行を振り切って逃げ、電車にはねられて死亡した痛ましい事件を御存じでいらっしゃいますでしょうか。
遠山国務大臣 報道等により、そういう事件があったということは承知いたしております。
佐藤(公)委員 全体的な、抽象的な話というよりも、一つの事件を取り上げて、そこから膨らませていろいろな話をさせていただければと思います。
 こういった事件が起きたことに関して、大臣はこの事件を、どういう社会的背景なり、どういう問題があってこういったことが起きているのか、大臣の御認識をお聞かせ願えればありがたいと思います。
遠山国務大臣 この事件、考えてみますと、事件の発端というのは、亡くなった少年が万引きをしたということにあると聞いております。
 万引きといいますのは、金額が多い少ないにかかわらず、私は社会において許されない犯罪行為だと思います。これは、たとえ軽微であっても、青少年はそういったことに手を染めることのないようにしていくというのが大変大事でございまして、その意味で、万引きのようなものがかなりあちこちで行われているということは、大きな社会問題ではないかなと思っております。
 もちろん、結果として、追われて、そして命を失ったというのは、本当に気の毒でございまして、その意味では残念である面もございます。
 しかし、青少年による万引き行為が最近大変数が上がっているということは深刻な状況でございまして、こうしたようなことが再び生じないためにも、少年犯罪あるいは少年非行の防止に私どもとしてもさらに一生懸命取り組んでいく必要があるというふうに考えます。
佐藤(公)委員 万引きという、まさに犯罪件数がふえているということも言われているわけでございますけれども、本当に、物を盗んではいけない、とってはいけない、これは当たり前なことです。でも、どんどんこういう窃盗、万引きというのがふえて、当たり前なことがきちっと守れない、できない。これはある意味で大変な問題だと思います。
 普通だったら、こんなことはもう当たり前なことで、教えるまでもないというものの、これだけ社会的問題になってくる中、文部科学省として、万引き、もしくは物をとらないというか、倫理というか道徳というか、こういったものに対してどういう考え方を持っておられるのか、また、どういう指導をしていこうと考えているのか、お聞かせ願えればありがたいと思います。
池坊大臣政務官 人間として守るべき道徳観、倫理観というのは、人々が生きていく上の極めて重要な基礎になると思っておりますから、学校現場においても、新学習指導要領の中でも、あるいは心のノートというのも昨年作成いたしました。それぞれの子供の発達状況に応じて、社会生活上のルールとか善悪のけじめというのはしっかりと教えております。
 それからまた、実際に学校現場の中で物が盗まれるということもございます。そういうときには、ホームルームなどでみんなが考え、みんなが意見を出し合って、納得して議論をするというようなこともやっております。
 また、これは学校現場だけではなくて、私は家庭教育にも問題があると思っておりますので、PTAと連携をとりながら、人間として道徳観、倫理観がすべての柱だと私は思っておりますので、それに対してはきちんとした指導を学校現場で文部科学省は行っているところでございます。
佐藤(公)委員 しているということでございますけれども、実際、犯罪はふえているような傾向にある。きょう、経済産業省、そして警察庁の方もいらっしゃっておりますので、その辺のことを少し聞かせていただければありがたいと思いますけれども、やはり、社会的背景というのが万引きを増殖させているということがあり得るというふうに考えられます。
 御存じかと思いますけれども、経済産業省の方では、今、書店における万引きの現状調査ということをされていると思いますけれども、ふえているであろうということの話で来ておりますけれども、実態はどうなのか。また、その原因というのが調査データの中ではどうなっているのか。いかがでしょうか。
松井政府参考人 お答えいたします。
 書店における万引き調査の内容についてお尋ねでございます。
 当省におきましては、昨年、日本書店商業組合連合会及び社団法人日本出版取次協会の御協力を得まして、全国の書店約二千五百店舗にアンケート調査を実施いたしました。十月にその結果を公表いたしました。
 調査結果の概要でございますけれども、まず第一点目は、万引き事件一件当たり漫画本であれば平均六点盗まれております。また、万引き事件一件当たりの被害金額が約九千円に上っております。万引きをした者は、圧倒的に中学生、高校生が多いといった万引きの実態がわかりました。
 二点目は、各店舗が万引きをした者に対して万引きの目的を聞いた結果、約半数が自分で読むためと回答しているほか、換金するためという回答が約一四%ございました。
 三点目は、各店舗の一年間の被害金額が平均約二百十万円に上っているなど、万引きが書店の経営を圧迫していると考えられます。
 第四点目は、書店に対する意識調査では、八割以上がこの数年で万引きがふえた、こういうふうに回答をしております。
 これが調査結果の内容でございます。
 こうした結果を受けまして、経済産業省といたしましては、いわゆる新古書店による買い取りルールの厳格な運用、学校教育におきます指導の強化につきまして、警察庁、文部科学省などの関係省庁に対応をお願いするとともに、書店自身の防犯体制強化に資するため、商品の個別管理を可能とするICタグの実用化に向けて現在検討を行っているところでございます。
佐藤(公)委員 大臣、副大臣、政務官、今お聞きになられましたように、これは本当に、本ということをとらえた場合に、今大変社会的な問題になってきていると思います。
 一店舗頭の被害金額でいうと、平均すると二百十万円。これは小さい書店にとってみれば大変なお金であり、まさに経営がやっていかれない状態になっていく。当然、この万引き、悪いこと、これに関しては、道徳、倫理、善悪の区別ということ、これをきちっと教育、啓蒙していくことが最も一番基本的に大事です。
 しかし、これがどんどん今ふえ上がる中では、まさに今お話しされた中で、自分で読むためというのが半分というふうにお話をされたんですけれども、私の違うデータ、いろいろなところから現場調査をしてデータをとっていくと、換金目的がほとんどなんです。
 まさに、新古書店の方々を悪いと僕は言うつもりはございません。まじめにやられているし、一生懸命やられているところもある。ただし、新古書店、これが経済的な構造の中で、新古書店の買い取りというものがある程度簡単にできるようになったことによって、換金を目的にした万引きが非常に多くなってきた。自分だけで読むためという、昔はそういう方々が大変多かったようにもデータが出ているんですけれども、非常に悪質な、また計画的な犯罪になってきているのが事実でございます。やはり、これを本当に考えて、これにおける対応、対策をとっていかなくてはいけない。
 そして、もう釈迦に説法になりますけれども、まさにこの万引きというのは、初発型犯罪もしくは非行ということで、入り口から大きな重大犯罪を犯す可能性というのが大変に多いとも言われております。そして、再犯率も非常に高い分野。ここを今のうちに早く抑えておかなきゃいけない。
 当然、文部科学省としても、やはり今後より一層の、学校関係もしくはPTA関係での強化を図り、善悪、倫理ということは当然ですけれども、それだけを待っていたのであれば、なかなかこれは減ることもない、また逆にどんどんどんどんふえてしまう。そういう状況からすれば、かなり極端な方策をとっていかないといけないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
池坊大臣政務官 今委員がおっしゃいましたように、青少年の問題は、万引きだけでなく、あまねくすべての人々が協力をしなければならないというふうに思っております。昨日も、出版社の方とお話をしたときに、今委員がおっしゃいましたのと同じ問題を指摘されまして、子供たちは二、三万ぐらいの本をばっと持っていくんだそうです。そしてすぐそれを換金するという事態があるようでございますので、やはりこれは、出版社、書店、そしてまた警察、文部科学省、私どもが中心になりまして、地域社会の中で書店とも連携をとりながら、この問題の解決に当たっていきたいと思います。
 今のところ、この間教育委員会の人たちを集めましたときは、生徒指導の人たちに、この万引きについても、今経済産業省からいただきましたデータの資料を配付したり、あるいは、警察の方々と連携をとりながらこの問題に対して特に喚起するようにということもいたしておりますし、今後、力を注いで、そういう初歩的なことの根をやはりとめることが、子供たちが健全に育っていくことの大きな礎になると思っておりますので、努力していくつもりでございます。
佐藤(公)委員 これは、やはり具体的に早急に対応をとらなきゃいけないことだと思います。当然、学校側、PTA側との話し合いによって、地域における連携もとりながら。
 そして、先ほど経済産業省から、その防止策ということでセキュリティーシステムも一応いろいろと考えてくださっておりますけれども、やはりお金がかかることです。余り小さいところではそれに対してお金はかけられない現状からすれば、やはり一番大切なことは、物の善悪、倫理観、ちゃんとしたものを教えていって、そういうことをしないようにすることですけれども、現実問題として、やはり具体的にこれに対して文科省としても取り組むようなことをぜひお願いしたいと思います。
 しかし、それでもやはりこの状況というのが変わらないということもあり得ると思います。きょう警察庁の方もいらっしゃっていると思いますけれども、こういう現実、実態をごらんになりまして、現行の古物営業法においては、実際問題、一万円以下の取引については、相手方の住所、氏名、職業、年齢を確認する義務が免除された状態でございます。そういう中でも、犯罪性の高いもの、バイクとか自転車というものに関しては、この緩和要件から外されているようなことがある。実際、本も、金額としては一冊が何百円という単位かもしれませんけれども、まさに池坊政務官がおっしゃられましたように、まとめてかばんの中にがばっと入れる、そういった本当に悪質な状況での万引きがふえている。
 こういうことを考えていくと、バイクや自転車と同じように、こういったことに関しても、一万円以下であっても、実際、新古書店においても自主的にやられているところもあるんですけれども、やはり法律的にこういう改正をしながらこれを食いとめなきゃいけないのではないかと思いますが、警察庁の方、いかがでしょうか。
堀内政府参考人 お答えをいたします。
 古物営業法につきましては、古物の取引が大量かつ迅速に行われるようになり、このため、関係業界から規制の緩和の要望がなされたことを踏まえまして、平成七年の法改正によりまして、一万円未満の取引については一定の物品を除いて本人確認義務が免除されているところであります。
 委員御指摘の万引き問題につきまして、警察庁が過去に都道府県警察を通じてサンプル調査等を実施したところ、換金目的の万引きにより、大手新古書店等が処分先となっていた事例が一定程度見られましたことから、平成十二年十一月、大手新古書店等に対し、買い取り時の本人確認義務、不正品の申告義務等を確実に履行するため、社員等に対する指導教育を徹底するよう行政指導を実施したところであります。
 その後、新古書店業界におきましては、平成十三年十二月に大手三社で、万引き商品買い取り防止等のため、リサイクルブックストア協議会を設立いたしまして、業界として取り組んでいるものと承知をしております。具体的には、大手の新古書店では、書籍を買い取る際に、その総額が一万円未満でありましても、店の所定の用紙に相手方の住所、氏名等の記入を求めており、業者によっては身分証明書の提示により本人確認を実施し、また社員教育も充実するなど、盗品流通防止のための諸対策を実施しているものと承知をしております。
 警察といたしましても、新古書店の店長に対する講習等の実施に当たって、必要な協力を行っているところであります。今後とも、引き続き関係業界と連携をとりながら適切な指導に努めてまいるとともに、一万円未満の書籍の買い取りの際の本人確認については、新古書店業界で現在進めております対策の効果や、盗品としての処分の実態等を踏まえまして、その必要性について検討をしてまいりたいというふうに考えております。
佐藤(公)委員 今説明をいただきましたけれども、実際、その効果というものが、私も新古書店の未成年に関しての一万円未満、いろいろと歩いてその状況を聞いて回りましたけれども、一生懸命やろうとしておるものは見えます。でも、実際、逆に言えば、万引きが今どんどんどんどん増加して、余りその効果というのがあらわれていないのかなと。
 実際、若い方々、やり方が非常に賢くなり、こういうことがあっても、とある学生さんなどは何枚も親の承諾書を持っているとか、または身分証明書をお互い交換しながらアリバイ工作をするとか、非常に知的に、または計画的に、悪質になってきているのかなと思うと、現状、単純な規制、指導だけでは、なかなかこれを抑えることができないのかなと思います。今後、文部科学省さん、連携をとられてやっていただかなきゃいけないかと思いますけれども、業界においても自主規制、またはより強固、強化な状態、また新たな制度をつくっていかなきゃいけないというところまで来ているのかなと思います。
 警察庁の方にもう一回お伺いしますけれども、まさに現行の古物営業法、このままその効果が上がらないということであれば、一万円以下ということで、本ということもその緩和要件、バイクや自転車と同じような扱いに今後切りかえていくとお考えになられているんでしょうか。
堀内政府参考人 先ほど申しましたように、新古書店業界での自主規制あるいは盗品としての処分の実態、そうしたものを踏まえまして、その必要性について検討してまいりたいということでございます。
佐藤(公)委員 これは、大臣、副大臣、政務官、大変な問題だと僕は思いますので、この一回では全部まだまだ聞き切れないことがございますので、また次回にもさせていただきます。
 ですが、やはりこの辺は連携をとって、かなり対応を早めないと、小さい出来心みたいなことがどんどん大きくなっていくというのは、本当にこれは、できればそこで未然に防げることが大事ですので、これは新古書店の方にもある程度の御迷惑をおかけするかもしれません。けれども、やはりかなり強制力を持ったものをつくっていかなければいけないかと思いますので、今後より一層の御検討とお力添えをいただけたらありがたく、お願い申し上げたいと思います。
 もう最後になりますけれども、所信の中で、現行の経済状況の悪化、厳しい状況というようなお話がございました。でも、経済の悪化というのは、実際、天から降ってきたものでもなければ自然発生的に出てきたものでもない、まさに政党、政治、政治家の失政、失策、そういったものになっていっていると思います。
 でも、経済や何かが現状悪化しているのは、現在やられている政治、政党、しかるべき方々だというふうに思いますけれども、実際、世の中全体、日本全体がいろいろな意味で経済が、または金融が、また投資というものが成熟していっている、環境、社会全体がなっていっている、でも、それにまだまだ日本人がついていき切れていないところがあると思う。大人にそれを勉強しろ、あれしろ、もうこれは自立している大人ですから、そういうことを強制、強要するというのはおかしい部分もあるかもしれません。しかし、今後よりよい経済をつくり上げるためには、そういった国民の意識または知識というものをより豊富に持ってもらうことが大事だと思います。
 社会全体でいえば、まさに厚生労働管轄でいえば、年金といったことに関しては確定拠出年金ということが出てくる。まさに投資のこと。または、常に、社会人である以上、財政もそう、やはりお金の全体の流れということをきちっと把握しておかなきゃいけない。まだまだそういう意味で、今の日本人がそこにつき切れていない部分もあるのではないかと思う。
 若い方々にそういった知識なり考え方を教えていく、または意識づけていくということは、私は大事なことだと思います。ただし、文科省としては、また小学校や中学校では、全体の中では、そこまではというところも今の方針ではあるかもしれません。ただし、今いろいろな、民間が小学生に対してまさにその資料となるような、例えば漫画本、またはインターネットでも検索をして見れるように、子供たちにおもしろく、また興味を持ってもらうために、各民間が努力しながらそういった資料をつくって、または各学校に、教育機関に配付をしているような状況がたくさん出てきております。
 こういったことを民間がやられるというのは、まさに日銀さんも金融広報中央委員会、こういったものによって、子供たちに対しての興味、教育ということを一生懸命やられております。こういうものに対して、文部科学省も、当然それを足どめするようなことはなさらないと思いますし、前向きにそれはお互い話し合ってやられていると思いますけれども、いま一つまだ皆さん方が積極的に動いていないように私自身思う部分があります。民間の方々がせっかくつくられて、いいものであるのであれば、どんどん小学校、図書館等に積極的に流す、こういった推し進めがより一層必要だと思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。
河村副大臣 佐藤委員の御指摘、私も大変大事なことだというふうに思っております。
 日本人は、何か貯蓄が美徳のようにずっと言われ続けてきて、とにかくお金をため込んでいけばいいんだと思って我々も来たような嫌いがありますが、むしろお金をいかに経済の中で血となり肉となって回していくかということ、そしてまたお金の大切さとか、お金というのはやはり努力して、汗を流して得るものだとか、いろいろな学び方があろうと思いますが、特に、今御指摘のような副教材等々についても、今の経済活性化という面も含めて、また需要を伸ばすとかいろいろなことからいっても、そういう勉強というのは必要だと思います。
 さっき委員御指摘のように、日本銀行情報サービス局から、このような「高校生のためのファイナンス入門」とか、それから「中学生のためのマネー入門」とか、あるいは「学校における金銭教育の進め方」、これは貯蓄広報中央委員会から出ておる。こういうものを大いに活用して、生きた教育をそういうところではやる必要があろう、このように考えております。
古屋委員長 佐藤公治君、質問時間が終了しておりますので。
佐藤(公)委員 もう時間でございますので、ぜひとも民間の、せっかくいい材料、意欲が民間の方にある部分を活用していく、これの後押しをぜひ大臣、副大臣、政務官にお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
古屋委員長 石井郁子君。
石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 まず私は、中教審の中間報告と教育基本法問題でお聞きをしたいと思います。
 昨年の十一月十四日に、中教審は「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」という中間報告を提出いたしました。この報告書では、「本審議会としては、「二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」を目指し、」としたわけでございます。
 そこでお聞きをしたいのでございますけれども、「二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」というのは、この中間報告のキーワードだというふうに思いますけれども、そのように受けとめてよろしいかどうかということでございます。
    〔委員長退席、馳委員長代理着席〕
遠山国務大臣 今、中央教育審議会におきましては、新しい時代の我が国を担う日本人に必要な資質は何か、また今後どのような日本人を育成すべきかという観点から御検討いただいているわけでございます。その結果、中間報告におきまして、これからの教育の目標を端的に表現したものとして、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成というものを目指すべきということを御提言いただいたというふうに考えております。
石井(郁)委員 キーワードかどうかということにまだ直接お答えにはなっていらっしゃらないんですけれども。
 中間報告では、教育基本法を改正する論拠としてこのように書かれていました。「現行法」、教育基本法ですね、「現行法には、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分であり、それらの理念や原則を明確にする観点から見直しを行うべきであるとの意見が大勢を占めた。」というくだりがございます。ですから、「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」というのは、私は、最大のキーワードとなっているというふうに考えるわけですが、中教審ではこの部分がどういう議論がされたのかということなんですね。基本部会がずっとございますけれども、いつの基本部会でこれが最初に出されて、どういう議論になってこれが出てきたのかということを伺っておきたいと思います。
遠山国務大臣 中央教育審議会の中間報告におきましては、今のフレーズといいますよりは、これからの我が国の教育の目標として五つの目標が位置づけられているところでございます。一つは、自己実現を目指す自立した人間の育成であり、二つには、豊かな心と健やかな体を備えた人間の育成であり、第三には、「知」の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成、そして、新しい「公共」を創造し、二十一世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成、そして五つ目に、国際社会を生きる教養ある日本人の育成という、五つの目標が位置づけられているところでございます。
 その上で、これらの新しい時代の教育目標を端的にわかりやすく表現するものといたしまして、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指すということを御提言いただいたと考えております。したがいまして、キーワードといいますかどうか、そういう五つの目標をまとめた一つの言い方として取り上げられたものではないかと思っております。
 いつ出されたかどうかについて、ちょっと私は中教審に出席しておりませんで、諮問した立場としてフォローはいたしておりますけれども、もし必要であれば政府参考人等からでもお答えさせていただきたいと思います。
石井(郁)委員 そういう幾つか目標があって、最終的に、端的に「「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人」の育成」というふうにまとめ、くくられたということでございます。
 でも、私、きょう、質問の通告といたしまして、こういうフレーズが出てきたのはいつですかということは通告しておりますので、答弁が別にされるんじゃなくて、当然大臣にはそういう説明があってしかるべきだというふうに思いますので、ぜひ明確にお答えいただきたいと思います。つまり、それはいつの基本部会だったんでしょうか。
遠山国務大臣 今もらいました資料によりますと、九月三十日ですね、第二十四回の総会、ここで、新しい時代の教育の目標を示す端的な表現として今の言葉と、それから「日本再興の基盤づくり」という言葉が提示されたということでございます。
石井(郁)委員 今月十三日に衆議院の憲法調査会の基本的人権小委員会がございまして、そこに中教審の鳥居会長が参考人として御出席されています。そこで教育基本法問題が議論されていましたね。我が党の春名議員が、私どもはキーワードと考えておりますので、たくましい日本人の育成ということでは、議事録を見ると議論された形跡がない、どういう過程でどういう議論でこれが教育の目標になったのかと。何しろこれは教育の目標として出されているわけですから、そのようにお聞きしたわけでございます。
 そうしますと、鳥居会長はこういうふうにおっしゃっておりました。大臣もお答えになりましたように、幾つか目標が出された中で、その五つの目標を一言であらわす言葉を考えましょうとして出てきたのが「二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」ということでありましたと。ただ、次に、これは基本問題の初期の段階で出されましたということを明言されたんですね。ちょっと今の御答弁と違いますよね。初期の段階で議論されたということなんです。これはどうなんでしょう。
遠山国務大臣 私はそれぞれの議論を克明に、フォローしているので、わからないわけでございますけれども、初期の段階でそういう議論がなされたということは、それは議論があったということでございましょうね。まあその辺は議事録を確かめれば出てまいることだと思いますけれども、会長がそのように御記憶になっているということであれば、初期の段階ということだと思いますが。
    〔馳委員長代理退席、委員長着席〕
石井(郁)委員 今ここに中教審会長いらっしゃらないわけですから、その真偽はちょっとあれですけれども、中教審の議事録も精査したらわかる話かとも思います。しかし、国会で参考人として御出席されて、これは初期の段階ですと明言されると、いかがかなということがあるんですね。先ほど大臣がおっしゃったように、これが出されたのは九月二十日の基本問題部会だということだと思いますし、私もそうだというふうに理解をしております。
 ここには、「自己実現を目指す自立した人間の育成」、これが「自ら考え行動するたくましい日本人の育成」につながるということになっているわけですね。
 さらに、十月の十七日の基本問題部会に新たな素案が提出されまして、そこに「新しい時代を切り拓くたくましい日本人の育成」という文言が出てくるわけでございます。
 そうなりますと、これは中教審の論議の中から出てきたんではなくて、文部省側というか官僚が素案をつくって中教審に認めさせたんじゃないかというふうに言わざるを得ないんですね。それが一つ重大な問題なんです。ですから、今、重大なこの新しい教育基本法を考えるに当たっての教育目標にするんだ、こう言っているキーワードが、結局中教審の中できちんと議論されてきていないということが私は重大だというふうに思うんです。
 十月十七日の基本問題部会に出された素案で、またこういう修正も出てきているんですね。このときの素案では「新しい時代を切り拓くたくましい日本人」なんですよ。ところが、その議論の中では、これでは経済原理しか働いていないような感じがする、教養豊かな、心豊かな日本人の育成も必要ではないか、こういう意見が出された。それを受けて、今問題の「心豊か」という言葉が入ったということのようなんですね。
 しかも、この部会というのは成立もしていなかった、正式な部会ではなかった、懇談会だったということなんですね。だから、こういう形で官僚の側が作文を示して、若干のそこで修正的な議論があって、そしてこの中間報告案が示されているということです。最終の中間報告案が示された十月二十四日の基本問題部会も成立していませんでした。ですから、結局、基本問題部会としての議論というのは、この問題についてはきちんとされていないということなんですね。
 だから、私が問題にしたいのは、中教審の議論というのは一体何だったのかと。今重大な教育基本法見直し、これは準憲法的な教育基本法ですよ。そういうものを審議する機関として余りにもこれはお粗末過ぎないかという問題なんですが、大臣はどのような御見解でしょうか。
遠山国務大臣 これは先ほどお答えいたしましたように、中教審としては、長い御議論、衆知を集めた御議論のもとに先ほどの五つの目標を明確にされて、では、それをひっくくるわかりやすい表現は何かということでお探しになったのが先ほどのフレーズだと思います。
 その意味で、中央教育審議会としては、それ以降も何度も会議を重ねられ、またいろいろな意見も聞きながらやっておられるわけでございまして、九月の三十日ですか、そこで提言され、初めて提出をされ、御議論され、また次の機会に「心豊か」というのがつけ加えられた。それはまた議論が深まったからであろうと思いますし、中央教育審議会はみずからの意見でフレーズを直すことは、常にその権限の中でございます。それをたどってまいりますと、官僚がそれをつくったというようなのは、いささか私は理解できない御解釈だというふうに思います。
石井(郁)委員 私は、きょうは、その「「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人」の育成」、これがやはりキーワードになっているわけですから、このことにこだわっているんですが、実はもう一つ重大な問題を感じているからでございます。
 それは、昨年の八月三十日に遠山文部科学大臣名で経済財政諮問会議に、人間力戦略ビジョンですね、これは所信表明でも述べていらっしゃる、これが提出されました。この表題も「新しい時代を切り拓くたくましい日本人の育成」でございますよね。これは全く同じだということなんですよ。
 つまり、先ほどは九月二十日に基本問題部会にこのフレーズが出されたと言われましたけれども、八月三十日に人間力戦略ビジョンが出されて、それを受けて九月二十日の基本問題部会にいわば官僚が原案をお示しになったんじゃないですか。しかもこのときには「心豊か」が入っていなかったんですよ、八月三十日、九月二十日段階では。ところが、きのう、私、大臣所信をお聞きいたしまして、まさにその「心豊か」というのが加わっている。だから、中教審の中間報告で加わった「心豊か」と符合するかのように、最終的にこういうふうになっているのかなというふうに見たわけでございます。
 それで、きょう問題にしたいのは、この表題だけじゃないんですよ。人間力戦略ビジョンと中教審のこの基本問題部会の素案の審議とが見事に重なるんですね。
 それで、私、ちょっと御了解を得てこのパネルにしてみたんです。大変簡単なものなんですけれども、言葉で言うとわかりにくいかと思いますので、ちょっと並べてみました。八月三十日の大臣の人間力戦略ビジョン。これは中教審の素案と比べますと、先ほど五つの目標と言われました。まさにその五つの目標も見事にフレーズは一致している。ほとんど重なる。「自ら考え行動するたくましい日本人」、ここも「自ら考え行動するたくましい日本人の育成」。「知の世紀をリードする」「人間の育成」、ここが「トップレベル」か「創造性」ということだけは違いますけれども、ほとんどそう。あと、「豊かな心と健やかな体を備えた人間の育成」ということ、「国際社会を生きる教養ある日本人の育成」、これは見事に一致しているでしょう。こういうことなんですね。
 それで、伺いたいんですよ。大臣が提出した人間力戦略ビジョンをいわば一部手直しをして中教審にお示しをして出したんじゃないか、つまり、中教審に押しつけたんじゃないか、押しつけたというか出したということじゃありませんか、これは。
遠山国務大臣 人間力戦略ビジョンというのは、私は、小泉内閣において進めようとしている人間力戦略、そして、技術力戦略の中の人間力戦略については我が省がきちんと責任を負うべきということで、あの時点で明確に出したわけでございます。
 その背景には、御存じのように、義務教育費国庫負担金制度そのものを揺るがすような御議論があったわけでございまして、私としては、我が省は人間力戦略ビジョンというしっかりしたビジョンを持って今教育改革を進めている、その根本になる義務教育について一般財源化するということでいいのかという問題提示として出したわけでございまして、今思えばあれですが、八月三十日というのは経済財政諮問会議の席上であったわけでございます。
 私は、そのビジョンというものが示した我が省が取り組んできているもの、そして取り組んでいこうとするものを整理したものとして広く受け入れられて、一つのクリアをしたというふうに思っているわけでございます。
 当然そういうビジョンを出していくには、いろいろな英知を集めた上で作成をしてまいっているわけでございます。これを作成する直前には、何人かの日本の英知と思われる方々とも相談をいたしました。その中には、中教審の会長もおられ、何人かの方々、野依先生も含めておられるわけでございます。そのベースとなった原案そのものも、もちろん私どもとしては、中教審の御議論というものも参考にしながらつくり上げてきているものでございます。
 我が省の基本を定める人間力戦略ビジョンというものをつくるのに際して、すぐれた英知を結集し、また、これまでの蓄積というものをベースにしてつくり上げるというのは当然だと思います。それというものと、それから今表につくっていただきましたけれども、なるほど符合している面もあると思いますけれども、それは中教審がみずから選ばれて、みずからずうっと蓄積されたその五つの目標というものを、しっかりこれは中教審自身で考えてこられ、また、それをかぶせる新しい概念といいますか、そういったものについてもさまざまな議論が行われている中でそれを使おうということになったのではないかなと私は思うわけでございます。
 それは、私は、官僚がリードしたとか、そういうふうにとられると、中央教育審議会の委員の方々に、それは余りにもとらえ方が表面的ではなかろうかと思います。審議会というものは、それぞれのメンバーが力を尽くし、論を尽くし、そしてまとめられたのが中間報告だというふうに考えております。それが、人間力戦略ビジョンというものが若干の参考になったかもしれませんけれども、最終的にその中間報告をまとめられたのは中央教育審議会のメンバー及び会長の意思そのものであろうと考えております。
石井(郁)委員 私は、大臣がおっしゃったように、人間力戦略ビジョンを文科省の責任においてつくるのは、それはあっていいと思うんですよ。そのことは何も否定していません。
 それから、中教審は中教審としての主体性、自主性があって、中教審として審議をされる機関だということもそのとおりですが、しかし、きょう申し上げたのは、中教審としてこういう結論に至る議論がどこでされたのか。だって、鳥居会長の認識と文科省の認識とが違ったわけじゃないですか。どこで議論されたのかという形跡がないんですよ。そして、出てきたのが文科省のビジョンと全く同じものになってくるということはどういうことなのかという問題なんですよ。
 だから、私は、もう一度、中教審がどういう議論だったかというのはそれとしてきちんと見なきゃいけないし、公にもしてほしいと思いますけれども、やはり、大臣が諮問をしておいて、まさにみずからこういう答えを出したというようなことになっていませんかという結論なんですよ、この結論は。そこが大変問題だと。
 だから、中教審の審議が本当にどういうものだったのかということについては、私は、その審議をちゃんと精査しなきゃいけないということがあると思います。つまり、中教審としての主体性、その審議が大変問題ではなかったのか、これとしてやはり取り上げなければいけないというふうに思います。
 それから、中間報告ではいろいろなことが述べられていますけれども、教育基本法を変えるんだ、その根拠にこのフレーズが上がっているわけですから、こういうフレーズからして、現行では足りないんだ、見直しが必要なんだというから私は問題にしているんですよ。唯一の根拠になっているんですよ。二十一世紀の日本の教育のために今の教育基本法では困るという根拠になっているわけですよ。だけれども、その根拠というのはどうなのかという問題があります。
 それから、教育振興基本計画などがいろいろありますし、評価目標、教育目標ということもいろいろ出ておりますけれども、そういうことについての吟味も非常に必要だというふうに感じております。
 そういう意味で、これはぜひお願いをしたいところでございますけれども、徹底して審議をしたいんですけれども、きょうはもう一点ございまして時間がありませんので、先ほど来、中教審の会長と大臣との御答弁、違う点もございますので、鳥居会長らを参考人としてお呼びして、やはり集中審議が必要だというふうに思います。
 これは、委員長、ぜひ、いかがでしょうか。
古屋委員長 理事会にて協議します。
石井(郁)委員 私は、きょうはもう一点、国立大学の法人化問題でお聞きをいたします。
 この国立大学の法人化につきましては、これも文科省による大学人に対する幾つかの裏切りが続いてきたというふうに私は思います。当初、教職員の身分は公務員でいくと言っておりました。それが、昨年三月に出された「新しい「国立大学法人」像について」という調査検討会議の最終報告、ここで突如、非公務員型というふうにされたわけです。
 それからまた、この最終報告では、法人化後の大学の設置者についてはこのように書いていました。「中期目標・中期計画や業績評価等を通じた国の関与と国の予算における所要の財源措置が前提とされていること、」「などを考慮し、学校教育法上は国を設置者とする。」とあったわけですね。
 ところが、内閣から出されました、通常国会提出予定法案等件名・要旨調ではこういうふうになっています。「国立大学及び大学共同利用機関を独立行政法人化するため、」「これらの法人が設置する国立大学及び大学共同利用機関の設置等」というふうになっているわけでしょう。つまり、「これらの法人が設置する国立大学」ということですから、国が設置する大学ということにはなっていないわけですね。そのとおり理解していいのかどうか。つまり、法人が設置する国立大学ということになるわけですが、これはいかがでしょうか。
遠山国務大臣 まだ、国立大学法人法について、その法案が閣議決定もされておりません。したがいまして、私としては、法案の文言にかかわることについて、きょう詳しい御議論というのはなかなか難しいかと思います。
 ということでございまして、これは、法案が提出されて、ぜひともこの委員会で迅速に御議論を賜りたいと思っておりますけれども、その段階で明確にしていくことではなかろうかと考えております。
石井(郁)委員 確かに、法案がまだまだ提出されないということで本当に困る、困るというのは変なんですけれども、議論がしにくいんですけれども、しかし、内閣提出の予定法案等の件名ですよ。そこにある文言です、私が引用したのは。「これらの法人が設置する国立大学」と。これをどう読んだらいいのかということをお尋ねしているんですよ。だから、法人が設置する国立大学ですから、設置者は法人ですねと。そういうふうにしか読めないんじゃないですか。何でこういうふうに書いているんでしょうか。今このことをお聞きしているんです。
河村副大臣 これから法案をまたお出しするわけでございますが、今検討中であることは、今大臣お話しのとおりでございますが、法令上の設置者というのは、設置する学校の土地や建物、財産を所有、管理して、当該学校を直接運営する者を指す、こういうふうになっております。したがいまして、国立大学が法人化されますと国の行政組織から切り離されることになります。国から財産の出資を受けて、それをみずから所有して管理するとともに、法人が直接大学を運営する、こういうことでありますから、法令上は、国立大学の設置者は国立大学法人、こういうことになるわけであります。
石井(郁)委員 それでは、もう一点伺いますけれども、学校教育法上はどうなるんでしょうか。国が設置するのか、法人が設置するのかということを明記しなきゃいけないと思うんですけれども、それはどうなるんでしょうか。
河村副大臣 今、この点については最終検討に入っておるわけでございますが、法令上、国立大学の設置者は国立大学法人となるわけでありますけれども、法人後も、引き続いて国は国立大学の教育研究に一定の責任を果たしていかなきゃなりません。
 このような観点から、学校教育法上の位置づけとしては、国立大学法人が設置する大学を国立学校という形で検討を今いたしておるところでございます。
石井(郁)委員 ちょっとはっきりしていただきたいと思うんです。
 というのは、やはり、学校教育法第五条がこういうふうにありますよね。「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する。」と。だから、これを素直に読みますと、学校の設置者は国立大学法人であって、その国立大学法人はその学校の経費を負担するということになりますけれども、この問題はどうでしょうか。
河村副大臣 法令上、今国立大学の設置者は国立大学法人になるということでありますから、今御指摘ありました学校教育法第五条の規定によりますと、直接学校を管理して、そしてその費用を負担するのは国立大学法人ということになるわけです。
 ただ、その際に、国立大学法人は、国立大学の教育研究という公共上の見地から、確実に実施されることが必要な国の事務事業を担うということでありますから、運営費交付金等の交付など、国立大学の教育研究に対して国として所要の財源措置を行うということになっておりますから、これまでどおり国は財政措置の面でもきちっと責任を果たすということになるわけでございまして、このことにつきましては、大学協会の方でも、そういう意味でこの国立学校に対する国の責任が担保されているという理解をいただいておるところであります。
石井(郁)委員 何かどうもあいまいにしか私にはまだ聞けていないんですけれども。
 端的に重ねて伺いますけれども、国立大学の設置者というのは、国ですか、法人ですか。これをもう一度はっきりお答えください。設置者は国なのか法人なのかという問題。財産はとか、予算はどう措置するとかなんとかという御説明はいろいろありましたけれども、設置者の問題、もう一度端的に。
河村副大臣 設置者は、法令上、国立大学法人であります。
石井(郁)委員 やはり私は、大変重大な変更というか内容になっているというふうに思いますね。だって、国立大学設置者が法人となりますと、その学校の経費負担というのは、設置者である法人ということになるわけでしょう。国がきちんと財政責任を負うというこの大原則は崩れるわけですよね。そこは私は、学校教育法五条で申し上げましたけれども、それとかかわってくるわけですから、やはり国の財政責任の放棄につながるという意味で、大変重大な内容になっているというふうに思うんです。それはまた別途議論をしなければいけないと思うんですけれども。
 きょうは、もう一点、そういう国としての財政責任という問題を一方で放棄しておきながら、学生の負担、あるいは学費についてはどうなのかという問題なんですね。これもぜひお聞きしておきたいと思ったわけです。
 この調査検討会議の法人像では、このように書かれていました。「各大学共通の標準的な額を定めた上で、一定の納付金の額について、国がその範囲を示し、各大学がその範囲内で具体的な額を設定すること」としたというのですね。
 では、その範囲、具体的な額はどのように考えていらっしゃるのか、お聞かせいただければと思います。
河村副大臣 御指摘のように、国がその範囲を示して、それによって各大学がその範囲内で具体的な額を設定するという、その方向で今考えておるわけでありますから、私は、現在の授業料、これが一つの標準的なものになっていくのではないかと思いますが、この点については、やはり大学の自主性、自律性といいますか、これに十分留意しなければいけませんし、各大学、国立大学校が担ってきた役割を果たしていく上で、どの辺が適正であるかということは、その範囲内でやはり各大学の自主性にお任せする。極端に非常に高い、うちはこうするんだと言われたときに、それで学生が来なくなるかもしれませんし、そういうことについてはまた評価を受けるわけでありますから、おのずから私は適正な価格というものが生まれてくるのではないかというふうに考えております。
石井(郁)委員 私は、その御答弁では満足できないので、確かに、大学の自主性、適正な額ということで今後は考えていかなければいけないというお話ですけれども、しかし、文科省としては各大学に既に一定の範囲、額を示しているんじゃありませんか。やはりそういうことをきちっと言っていただかなければいけないと思うんですよ。
河村副大臣 今シミュレーションはいろいろあると思いますけれども、この範囲でこうしなさいということはまだ明確に出しておりません。
 ただ、今私が申し上げたように、今の授業料というものが一つの標準になるのではないかということは言えると思います。
石井(郁)委員 残念ながら、この点でも文書があるんですよ。法案も成立していない、これからだというのに、各大学にこういうのでシミュレーションしてくださいというのをあなた方はやっているじゃないですか。
 これは、昨年十二月に、国立大学協会の国立大学法人化特別委員会に文書が出されています。「法人化後の学生納付金の標準額及び幅の設定方法(検討試案)」でございますけれども、出されているんですよ。こういうのを出しますと、各大学はそれで走りますよね。そうでしょう。これがもう今までの大学行政じゃないですか。
 ちょっと申し上げますと、これによりますと、標準額の幅を設ける考えとして、こういうふうに書かれています。国立学校特別会計の国立学校における授業料負担割合程度を「最大二五%を上限とする場合」と。そして、現行より十八万六千円増の七十万六千八百円ということで、こうなりますと、現行の授業料の三五%値上げを上限ということになるわけです。だから、三五%値上げということを見越しているというか、奨励するということになるんですよ。これは重大な問題ですね。
 今河村大臣は、なるべく現行に据え置きたいというお話をされましたけれども、これはいろいろな大学が試算もしております。現在、国立大学の入学料が二十八万二千円ですから、それに授業料七十万六千八百円で初年度というふうになりますと、その納付金は九十八万八千八百円ですから、私立の文科系を超えるものになるんですね。
 だから、こういうことを認めるということになりますか。大臣は、現行に置くという話をしていらっしゃいましたけれども、これはどうなんですか。こんなことはないということでございますか。
遠山国務大臣 先ほど来、国立大学の経費負担につきまして御心配いただいているということ、私もよくわかります。しかし、国立大学の法人化といいますものは、現在国立大学に対して支出している額を減らすためのものということではございません。したがって、これは私、法案の正式提案の後に御議論された方がいいと思うのはそういうことなんでございます。
 つまり何のために法人化するかというところは、もっと高い理想といいますか、日本の大学の活性化のため、大学の構造改革のため、そして日本の知力をさらにつけていくためということでございまして、各国から比べれば日本の高等教育に対する支出といいますものは、私立も含めて大変低いわけでございます。そんな中で、国立大学について法人化をし、その教育研究活動を活性化するということを目標にいたしているわけでございまして、御心配のような面はなるべくしない、むしろ、しっかりと財政面それから学生の納付金等についてもやっていくというのは、これからの課題でございます。法人化した法制度を整えていただきました後に、来年度以降、再来年度以降の予算について考えていくというのがこれからの手順でございます。
 御心配はあろうかと思いますが、今御指摘になりましたのは、極端な例、シミュレーションの最も高い例だけをお挙げになって、そうなるんではどうだということでございますけれども、その資料の性格そのものは、それでいこうということでは全くございません。そのことを御理解いただきたいと思います。
石井(郁)委員 重ねてですけれども、もう一点、学部別の授業料ということも言われ出しているんです。ですから、残念ながら、法人化に伴って授業料が上がるんじゃないか、学生の負担がふえるんじゃないかという話にやはりなっていくわけですよ。だから、そこのところの問題なんですが、この学部別授業料についても慎重に検討を進める必要があるということですけれども、一部には、医歯学系が百三十六万円とか、自然科学系が八十三万円、教育系では四十八万円、人文系では三十四万円などという概算が示されているわけですね。
 それでは、こういうこともあり得ない、勝手なシミュレーションですということをちょっと言ってください。
遠山国務大臣 その辺も、これからの法案の審議の際に明らかになっていくものだと思っております。
 国立大学の使命というのは、それぞれの地域における存在ということで、学生たちがその負担においてもできるだけ志望に沿って選べるように、たくさんの資力のある者だけがある学部に行けるということではなくて現在推移してまいっているわけでございますので、そういったことももちろん保障しながらやっていく必要があるのではないかと思います。
石井(郁)委員 きょう、私は、法人化の問題では設置者の問題と授業料、納付金の問題に絞ってお尋ねさせていただきまして、これから本格的な審議が必要かというふうに思いますけれども、日本の高等教育のあり方、そして国のそれに対する責任という問題が問われる、本当に大きな問題だというふうに思うんですね。
 とりわけ学生の教育という面から見ると、教育の機会均等の原則というのを崩してはいけないというふうに思いますので、その点で、高等教育に対する国の責任というのをやはりきちっと果たしていくことが非常に大事だということと、今の経済状況やこういう不況の中では、学生、国民への負担をかけてはいけない、そして、すべての高等教育を望む学生に高等教育の機会を保障していくということは、本当に国として、文部科学省としてきちんとやっていくべきだということだけを申し上げまして、質問を終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。
古屋委員長 山内惠子君。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子です。遠山大臣に質問いたします。
 所信表明をなされました八ページに、男女共同参画社会の形成について述べていらっしゃいますが、実は、きのうの質疑の際に配付されました資料の「自己決定から子供救え」という記事とその発言に私は驚きました。また、性と生殖に関する権利が男女共同参画社会基本法の趣旨から逸脱しているという報道も一方にありました。
 その意味で、大臣にお聞きしたいと思いますが、自己決定から子供を救えという、この自己決定に私はこだわるんですけれども、すべての教育は、自己決定できる子供を育てるということが基本にあるのではないかと私は思います。その意味を込めて、性の自己決定権についてどう考えられるか、まず最初にそのことをお聞きしたいと思います。
遠山国務大臣 昨日山谷委員の方から提出されました、これは新聞に載った論説でございますね、「自己決定から子供救え」、私は、この主張というのはよく理解できますね。
 性の自己決定権なんていうのがよくわからないんでございますけれども、私は、子供たちにとって大事なのは、人間としての尊厳をしっかり守れるかどうか、そして、みずからの将来にとってマイナスになるような行動をしないようにするかどうか、そういったことをきちんと学校教育においても支え、指導していくということが大事だと思っております。
山内(惠)委員 今回の、性と生殖に関する権利が男女共同参画社会基本法の趣旨に逸脱しているという報道ともあわせてお聞きするともっとよかったかと思うんですけれども、先日、福田康夫官房長官が、十七日でしたかの記者会見で、性の自己決定の規定を盛り込んだ条例について、男女共同参画社会基本法や同基本計画の趣旨に照らして問題はないと述べていますが、その意味でいうと、この逸脱しているという文言は間違いですね。その念押しだけさせてください。
古屋委員長 田中局長。(山内(惠)委員「違います。大臣に質問です」と呼ぶ)
 まず田中局長が答弁してください。その上で大臣に答弁をいただきます。
田中政府参考人 委員御指摘の性の自己決定権については、その概念が明確でないと考えております。ただ、男女共同参画基本計画におきましては、リプロダクティブヘルス・ライツの視点から、女性の生涯を通じた健康を支援するための総合的な対策の推進を図ることが必要であるとされておるところでございまして、文部科学省におきましては、この計画に基づきまして学校における性教育の充実に努めているところでございます。
山内(惠)委員 ただいまのお答えは大臣のおっしゃられたことの趣旨とニュアンスが違うと私は思います。
 私がきょう、たくさんの方に来ていただいているところに丸をつけているのは、具体的にどうなっているかということをお聞きするときにどうしても呼びたいとおっしゃったことを、それではというふうに善意でお答えをして来ていただいているのですけれども、今回は大臣所信ですから、大臣のお答えが聞きたいというのが主ですから、そのことをぜひ重く見て、私はよりすぐってお願いをしようと思っていましたので、ここはやはり大臣にお答えをいただきたいと思います。
 男女共同参画社会基本法の趣旨から、この性と生殖の権利に関してですけれども、逸脱していないですね。
遠山国務大臣 冒頭の御質問は、自己決定権はどうだという御議論でございましたから、私の考えを述べたわけでございます。
 そのことと男女共同参画基本法の趣旨との関係ということでは、これは先ほど局長もお答えいたしましたように、男女共同参画社会基本法の趣旨というのは、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮できる社会の実現を目指すことにあるということでございまして、これはそのとおりでございますし、昨日の山谷委員の配付資料におきましては、性教育の場面での性の自己決定ということについての取り扱いについて触れられていたと理解いたしております。
 学校におきます性教育というのは、人間尊重を基盤として、児童生徒の発達段階に応じて性に関する科学的知識を理解させる、これに基づき、みずから考え判断する能力を身につけて望ましい行動をとれるようにするということをねらいとしているわけでございまして、その行動自体が望ましくないような場合には、これは十分指導することは当然学校の責務でございますし、そのことは、保健体育科、それから特別活動、道徳等を中心に、学校教育全体を通じて指導すべきものと考えております。
 各学校におきましては、こうした指導要領の趣旨を踏まえて、児童生徒の発達状況あるいは受容能力というものを十分に考慮し、かつ保護者の理解も得ながら、適切に実施していただくべきものと考えております。
山内(惠)委員 最初から大臣お一人にお聞きするというふうに絞った方がよかったのかということを今あえて思いました。
 私が質問したのは、きのうの議員の見解についてどうなのかなんということを一つも聞いておりません。そのことと全く別に、私は、この基本法と照らして大臣がどう考えるかをお聞きしたんです。
 確認をさせていただきます。福田康夫官房長官が十七日の午後の記者会見で、性の自己決定権の規定を盛り込んだ条例について、男女共同参画社会基本法や同基本計画の趣旨に照らして問題はないと述べていますが、そのことは間違いありませんねという念押しをさせていただいたんです。間違いありませんね。
遠山国務大臣 官房長官のお話でございます。そういうことでございましょう。
山内(惠)委員 性の自己決定権というのを盛り込んだ規定がこれに逸脱していないということを大臣が今おっしゃってくださったということで確認をしたいと思います。
 それで、内閣府の男女共同参画局長に質問いたします。
 文科省としては今のようなお答えだったんですけれども、これらの報道や地方議会での解釈に対し男女共同参画局として、男女共同参画社会基本法の理念を定着させるために、先ほど言ったようなさまざまな論が社説などで書かれるような今日、各地域でこれを条例化するのに大変苦労しているという状況がございますので、男女共同参画局としては、どのような啓発、教育を推進する立場から対策を行っているのかということをお聞きしたいと思います。各地での条例づくりが難航している状況に対して、内閣府からの支援ということでお聞きしたいと思います。
坂東政府参考人 お答えいたします。
 平成十一年、衆参両院で全会一致で男女共同参画社会基本法が成立しておりますが、その基本法の中では、男女の人権の尊重、政策等の立案及び決定への共同参画、家庭生活における活動と他の活動の両立など、五つの基本理念に基づき施策を実施するということによりまして、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会を形成することを目的としております。
 この目的や理念を広く、誤解なく国民に理解していただくため、内閣府では、基本法が成立した日でございますけれども、六月二十三日から二十九日まで実施される男女共同参画週間に合わせまして全国会議を開催する、また標語あるいはポスター等を作成する、また、日常的に広報誌あるいはホームページによる情報提供など、いろいろな機会をとらえて広報啓発活動に努めております。
 また、地方公共団体に対しましては、特に、一般的な広報誌、ホームページ以上に情報の交換が必要だというふうに考えておりまして、男女共同参画主管課等課長会議、あるいは政策研修といったような研修の場等で直接職員と質疑や意見の交換を行っております。また、昨年は国会におきまして男女共同参画に関する質疑がございましたので、政府としてはこういうふうに答弁をしているんだという資料を都道府県の担当課に送付するなど情報提供に努めまして、政府の考えていることと都道府県の方で考えておられることができるだけそごがないようにしたいというふうに努めております。
 地方公共団体における条例の策定は、あくまで地方自治、地方議会で住民の方たちの意見を聞きながら進めていかれますが、例えば基本法の考え方等についての問い合わせ等があります場合には、誠実に対応をしております。今後とも、基本法の目的や理念があらゆる場で誤解なく理解されるように努めてまいりたいと思っております。
山内(惠)委員 ただいまのお答えのとおり、やはり各地で相当苦労していらっしゃいますので、ぜひ支援をしていただきたい。基本法はこの精神でいくんだという先ほどの確認を、全国の皆さんに知っていただきたいというふうに思います。
 昨日の議員の発言の中で、出会い系サイト関連事件が相当ふえている、その部分については私も大変胸を痛めます。また記事のことにちょっと入りますけれども、この記事は、子供を守るために法律で規範を示して犯罪を防止し、失敗したら教育的配慮ある指導で生き直すチャンスをというふうな順序で書かれていたと思いますが、文科省としては最初に法律ありではないと考えます。子供を守るために何が有効だとお考えになりますか。
田中政府参考人 出会い系サイトに関する御質問でございますけれども、インターネット上の出会い系サイトの利用を通じて子供が児童買春等の被害を受ける事例が急増していることは極めて憂慮すべき状況でございまして、その対策につきましては、社会全体で幅広い取り組みを推進していく必要があると考えておるところでございます。このため、昨年十月には、出会い系サイトに係る児童買春の被害から年少者を守るために、関係省庁におきまして、広報啓発活動等の推進、事業者等に対する協力要請、取り締まりの強化、法整備の検討を内容とする当面講ずべき措置を申し合わせたところでございます。
 これに基づきまして、我が省といたしましては、子供や保護者などに対して出会い系サイトの問題性や注意すべき事項などについて指導や啓発を行っていくこと、二つ目には、性的な関係を持つことによって金銭を得ることは法律で禁じられている売春にほかならない人間として恥ずべき行為であることを子供にしっかりと認識させるなど、規範意識の向上に向けた指導の一層の充実を図ること、三つ目には、子供が情報社会の中で必要な情報を選択し、性の問題も含め望ましい行動をとることができるようにするため、情報活用能力の育成を図ること、こういった教育の充実に努めておるところでございます。
山内(惠)委員 ただいまの言葉の中に何回も買春という言葉を使われていますが、実は今回の、出会い系サイトというのは十八歳未満の子供が随分対象になっているということを憂慮している、私もそのことは憂慮しているわけです。
 そのことで、国会では、子供買春・子供ポルノ禁止法というのを、これは皆さん、児童と多く法律で使われていますが、子どもの権利条約と同じように、児童の範囲は小学生にのみ使う言葉ですから、子供と使う方が幅広くいきますので、私はそのように使わせていただきますが、子供買春・子供ポルノ禁止法というのは、子供を罰する法律ではありません。このことをする大人に対しての罰則規定が書かれています。その意味で、この法律ができたということを、地域の皆さんや父母の皆さん、保護者の皆さん、そして子供自身に、文科省としてはどうPR、宣伝なさったのか、お聞かせください。
田中政府参考人 御指摘の、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が平成十一年五月に成立し公布されたわけでございますけれども、これを受けまして、文部科学省といたしましては、教育関係者等に対しまして、本法律の趣旨、内容等を周知するとともに、関係施策に取り組んできておるところでございます。
 児童買春問題の背景の一つとして、先ほども申し上げましたけれども、子供たちの側にも性を売買することを安易に考える傾向が見られることも踏まえまして、子供たちに性に対する正しい知識を付与するとともに、自分自身を大切にする心、みずからの人権はみずから守るという態度をはぐくむ教育の推進に努力するとともに、さらに、保護者に対しましても、家庭教育ノートの中で援助交際について取り上げまして、その防止のため子供たちに家庭が積極的に働きかけるよう呼びかけるなど、家庭教育の支援を通じまして、児童買春の防止あるいは児童の保護者等への啓発に努めてきているところでございます。
山内(惠)委員 何回も申し上げますけれども、過去、現在も売春防止法という法律がありますが、売る春と書く言葉とはあえて変えて、買う春と書いてカイシュンと読むんだという造語をこの国会で決めたんです。そのことをお間違えになられること自体に私は大変問題があると思いますので、今後、お間違えにならないようにしていただきたいと思います。
 今おっしゃられた、性に対する正しい知識、性の教育、このことが大変重要であって、文科省としては最初に罰則ありきではないということが今のお話にもあったかと思いますが、その意味でいえば、前国会に、「ラブ&ボディBOOK」を回収されてしまいましたが、私は、子供たちにとって、これは大変有効であったというふうに思います。かけがえのない自分の人生の主人公になるためにと最初に書かれています。かけがえのない自分、自分を大切にする、その自分の体を知る、名称のことなども新聞で取り上げられていますけれども、自分の体であって、名前も知らないというのが、多くの子供たちもそうですし、もしかしたら大人の中にもそういう状況があると思います。
 それをいつ教えるかということはそれぞれの担任が考えることであって、それは学校状況によります。例えば、高学年で初めて性の教育をやられたら聞くのを恥ずかしがってできないけれども、小さなときから男女共学で、例えば男の先生のクラスに保健の女の先生が入ってきてと、本当に学校ではよく努力をしてやっています。その意味でいえば、性の教育をするに当たって、援助交際はこんなふうにと。家庭ノートは全く、ほんの一行か二行、または一ページありましたでしょうか。しかし、自分の体をしっかり知ろうという言葉でいえば、大変有効だったと思います。
 国連の合同エイズプログラムの文書というのがございます。大変厚いものなんですけれども、訳しました一部の説明をいたしますと、さまざまな国で性に対する教育、エイズの関係も含めて教育をなさっているんですが、性の教育をしっかりすることによって、「性教育は性交開始時期を遅らせたり、セックス・パートナーの数を減らしたり、望まない妊娠や性感染症の割合を減らす傾向があり、性教育は若者の性行動を活発化させる要因とはならない」と報告をされています。
 そのことでいえば、前回の国会で、寝た子を起こすなという声がありましたが、一方で、出会い系サイトの問題を考えれば、世の中には性情報が相当あふれてあります。でも、何が自分にとって大事なのかという情報をしっかりと教育されていない状況があるわけで、そのことをしっかり学校教育が取り上げてやることによって今のような報告につながる状況にありますので、これをしっかりと御検討いただいて、見直しをして、もう一度配付するというようなことを考えているのかどうか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
田中政府参考人 御指摘の「ラブ&ボディBOOK」につきましては、例えば、ピルのメリットについて説明している一方、デメリットについて説明がない等、避妊法の選択のための基本的な説明が十分になされておらず、この本を読むだけでは適切に理解できない部分があったと考えておるところでございまして、文部科学省といたしましては、各学校において生徒の実態と教育上の必要性を勘案して当該冊子については慎重に取り扱うよう、各都道府県教育委員会の指導主事に対して、各学校への指導を要請したところでございます。
山内(惠)委員 子供がどれだけの情報を持っているか、子供たちが何を望んでいるかということを考えると、慎重にということはよくわかりますけれども、回収をするような問題ではなかったというふうに思います。
 それで、買春防止ということは、大人の意識を変えなければ、こういう情報を出会い系サイトで出せば買う大人があふれているのが日本の社会であるということは、本当に恥ずべきことだと思います。出会い系サイトが三千五百もあるという情報のことを考えても、子供を罰する前にすることがあるということを訴えまして、次の質問に行きます。
 男女共同参画社会基本法についてなんですが、ジェンダーフリーという言葉の定義について、基本法の中に、性別に基づく固定的な役割分業意識にとらわれずという趣旨で書かれていますから、この趣旨であれば、地方自治体の条例が使うことを国としては歓迎すべきではないかというふうに思いますが、いかがでしょうか。
坂東政府参考人 お答えいたします。
 ジェンダー、中でもジェンダーフリーという言葉につきましては、公的な文書、例えば基本法ですとか基本計画の中で使っておりませんので、私どもとしては、それについて責任を持ってこれはこういう定義でありますということをお答えする立場にございません。
 前の国会で私どもが申しましたのは、ジェンダーフリーの定義が使われる方によりましていろいろ違っておりまして、ある方たちはジェンダーフリーを性による抑圧からの解放とか差別をなくすことだというふうな意味で使っていらっしゃいますし、ある方たちは男性と女性の区別をなくして全く同じにしてしまうんだという意味で使っておられる。そういうふうにして定義が大変多様な中で、我々国としては使っていないというふうに申し述べております。
山内(惠)委員 ジェンダーフリーということは、ジェンダーということを世界的に人口会議などで規定して、一、二、三と書いているわけですけれども、今申し上げました、性別に基づく固定的な役割分業意識にとらわれずという趣旨で使っていくということであれば理解できますねという質問をしたわけです。それで、国としてはそのことを否定していないというお答えを本当はいただきたかったんです。
 せっかくですからここでもう一つ言いますと、ジェンダーというのは、男と女のすべて何もかもなくせということのために言ったのではなくて、第一次性差、第二次性差、第三次性差というふうに性差もしっかり分析しておりまして、生まれたときの男の子、女の子の違いを第一次性差と申します。そしてその後、第二次性差、第三次性差というのは、社会的、文化的につくられた性差です。
 こういうふうな質問ではありませんでしたけれども、昨年十一月二十七日に、女性差別撤廃条約について差別と平等のことをお聞きしたときに、遠山大臣が、男らしさ、女らしさということを強調する余り、特定の形にはめ込んで、本来持っている可能性を狭めることがないようになさるとおっしゃった。その男らしさ、女らしさと言われるものと男と女の違いが違うので、らしさがついたときは第二次性差、第三次性差にかかわりがあります。
 そして、社会的につくられるとはどういうことかというと、ちょっと実例に使わせていただいて恐縮ですけれども、河村副大臣、先ほど父兄という言葉を何げなく使われました。実は、父兄、父と兄と書いてなんですけれども、これは、今の保護者会に父、兄がかわって来ることは本当にまれなことでして、なぜ父兄という言葉が使われた時代があったかというと、母に親権のない時代に使われた用語である。
 その意味で、私たちは父母という言葉を使おうとしましたら、クラスにはさまざまな子供がいて、お父さんのいない、お母さんのいない、それは、使えないという禁止用語なのではなくて配慮しようということですから、保護者という言い方をしたりします。事実、私のクラスに、お父さん、お母さんどころかおじいちゃんもいらっしゃらなくて、おばあちゃんだけが保護者としていられたうちもありました。
 そのことで言えば、ジェンダーに敏感な視点ということが大変重要になってくると思います。その意味で、女性差別撤廃条約が中教審にしっかりと押さえていられたか、子どもの権利条約はどうだったかと、先日の憲法調査会の中で発言をしたんです。鳥居会長は子育ては母の役割ということを力説されましたが、女性差別撤廃条約は、子の養育は男女と社会の責務と書いています。そのことを、この社会は一生懸命、保育所だ、幼稚園だとやっている時代じゃありませんか。そのことを考えると、言葉だけではなく、私たちが批准した条約ぐらいは文科省が具体的に子供たちに説明できるようなことをしていただきたいと私は思っています。
 それと、次の問題も、ほとんど時間がなくなりましたが、北鮮という言葉を使われたことについておわびをするというふうに文科大臣、この間言われた記事がありました。読みましたら、オリンピックのところで朝鮮民主主義人民共和国の方が来られることを歓迎するという趣旨で言われていましたので、ああ、そうだろうなというふうに思いましたが、差別して使ったのではなくて使われたとしたら、これもまた刷り込まれた用語だったのかな、しかし、それはおわびという形で解決しておりますので、そのことは結構です。
 しかし、それであれば、なぜ民族学校の卒業生にほかのインターナショナルの卒業生と同じように受験資格を与えるということをなさらなかったのか、お聞かせいただきたいと思います。
遠山国務大臣 今のもよくわからない御質問なんでございますけれども、昨年三月に閣議決定されました規制改革推進三カ年計画におきまして、「インターナショナルスクールにおいて一定水準の教育を受けて卒業した生徒が希望する場合には、我が国の大学や高等学校に入学する機会を拡大する。」こととされているところでございます。具体的措置の内容につきましては、平成十三年度中の措置を目指して現在省内で検討しているところでございます。したがって、まだ具体的な内容をお示しする段階ではございません。
 なお、御存じと思いますけれども、大学入学資格につきましては、平成十三年に大学入学資格検定規程を改定いたしまして、外国人学校等の卒業生も含めて、満十六歳以上の人は広く大学入学資格検定を受験できるようになっているところでございます。その意味では、すべての十六歳以上の方々には機会が開かれているということでございます。
山内(惠)委員 すべてということは、民族学校の卒業生も年齢が来れば認めているということを今おっしゃったんですか。(発言する者あり)失礼しました。大検は開かれているとおっしゃったんですね。わかりました。
 それで、インターナショナルスクールの卒業生に対しては大検を受けなくても大学資格を与えることを検討中、まだ最終結論は出ていらっしゃらないとおっしゃいましたので、では、なぜそこから民族学校を外す方向が検討されているのか、まだ検討中であるから認めることも含めて検討中か、お聞かせください。
遠山国務大臣 今のお答えは別途いたしますけれども、先ほど、ちょっと私も読み間違えまして、平成十四年度中の措置を目指していると言うべきところを十三年度と言ったようでございます。それから大学入学資格につきましても、平成十一年に規程を改正いたしました。おわびいたします。
山内(惠)委員 今のお答えは、検討中ということでよろしいんですね。
 朝日新聞の二月二十二日の社説だったんですけれども、朝鮮学校や韓国学校など民族学校には従来どおり受験資格を認めない方向でと書かれていたことを私は大変心配していますので、ぜひこの方たちにも同様の措置を与える方向で検討していただきたいと思います。
 現在、朝鮮学校に通っている生徒や児童は約一万一千人ぐらいで、ほとんどの卒業生が日本に永住するという状況じゃありませんか。日本社会の一員として普通に暮らしている。そういう状況の中で、先日は、日朝の平壌宣言、この文章の中にも、あらゆる努力をすることが書かれていますよね。過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からおわびをし、そして最後のところで、双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくというふうに確認されたと。
 国会だけじゃなくて世論の中にも、今回の拉致の方たちの問題があるだけに、やはり風はそこのところに大変厳しいかもしれません。であれば、では、北朝鮮はだめだ、朝鮮民主主義人民共和国はだめだという理由がそこにあるのですか。それから、韓国や中国に対してはどうなのですか。日韓首脳会談における総理のお言葉も、あえて今回は靖国問題には触れずとありますけれども、北東アジアの平和と共同の繁栄という視点からアプローチしたいとおっしゃっている。せっかくこういう状況にある中で、民族学校は排除するというこの論については問題があると思いますので、含めて検討されるのかどうか、お聞かせいただきたいと思います。
遠藤政府参考人 先ほど大臣から御答弁申し上げましたように、昨年三月の閣議決定でこうすべしと言われておりますのは、インターナショナルスクールにおいて一定水準の教育を受けて卒業した生徒が希望する場合には、大学や高等学校に入学する機会を拡大すること、こういうことでございますので、その内容について今具体的に検討しているということでございます。
山内(惠)委員 どういう人を入学させて教育するかというのは、本来大学が判断することだと思います。その意味では、最初から窓口を制限してハードルを高くしてということのないように、ぜひと思います。
 新聞報道によれば、こんなことも書いてありますよね、「学生の人生を左右する教育上の判断を、時の政治情勢で決めるべきではない」。私も、ぜひそのことを受けとめていただきたいと思います。今、北東アジアの平和ということを考えたときに、あえてここでハードルを高くすることをしてはいけないということで、私は、検討の中に民族学校の問題もぜひ入れていただきたいというふうに思います。
 あと時間が五分しかなくなりましたので、心のノートの問題は次のときにやりたいと思います。
 教育基本法の問題について質問いたします。簡単に申し上げます。
 憲法調査会に鳥居会長が来られたときに会長に直接お聞きをしたんですけれども、鳥居会長がおっしゃっていたんですが、文科省でも認められたのが、今回の部会の出席者が、大変悪かった。しかも、中間報告のまとめの案を出されるというときにそれが成立していなかった、それで懇談会に切りかえたということがございまして、前にも申し上げましたが、最後のそれを決める二回のところは両方とも懇談会であった。その懇談会で十分ではなかったまま中間報告を総会に出すというやり方は本当に間違いじゃないか。一九四七年から、教育基本法が制定されてからたっているこの五十数年間の期間を見直していくに当たって、正式の会議でもない懇談会で話されたことで結論を持っていくというのは間違いではないかと思いますので、そのことについてお聞かせください。
近藤政府参考人 お答えいたします。
 中央教育審議会の中間報告につきましては、平成十三年十一月の諮問以来、総会で十一回、基本問題部会で十六回、これは今委員が御指摘の懇談会を含むわけでありますけれども、大変に精力的な審議を経て、昨年の十一月に中間報告が出されたわけでございます。
 御指摘の第十五回と十六回の基本問題部会は、確かに出席委員が定足数に満たなかった。これは大変残念なことでございますが、基本問題部会は、そもそもそれ自体で案を議決して総会に送る、こういう任務を負っているものではないわけでございますから、手続上の問題はなかったと考えております。
 その後もまた中教審は、大変精力的な御審議をいただいているわけでございまして、国民の皆様方の幅広い御意見を参考としながら、今、答申に向けて精力的な御審議をいただいている、こういうふうに理解をいたしております。
山内(惠)委員 鳥居会長がこの二回のことについて、二度とこのようなことのないようにしたい、指摘のとおりだとおっしゃったんです。こういう出席すべき人が過半数に満たなかったという状況で論議をしたものが中間報告にいくということ自体、国民に顔向けのできないふまじめさであった、私はそのように思っていることをお伝えしておきたいと思います。
 ところで、この中間報告をまとめるに当たって、ほとんどが教育改革国民会議の、私的諮問機関の考え方をそのまま中教審という公的なルールに乗せられていってしまったんではないかということを私は何度も指摘しているんです。
 私は、鳥居会長にこのように言ったんですね、鳥居会長の先輩であられる高村象平先生は、中教審のあり方について、時の政権の言うようにふらふらすることは私は残念なことなのでしないと。時の権力の中でふらふらするというのは、私の最も嫌いなやり方でございまして、したがって、私自身、時の権力のもとでふらふらしたくないと常に自戒している。そして、その中でもう一つ言っています。中教審などあらゆる審議会の隠れみの論があるけれども、隠れみのにしてはいけないというふうに言っています。
 そのことでいえば、遠山大臣が諮問した諮問文自体がもう本当に隠れみのにしているんじゃないでしょうか。それの証拠に、今回の教育基本法の改正がなぜ必要かということを市川委員が質問されましたけれども、このことについてきちっと、教育基本法のどこが問題だというお答えは、担当の方からも委員の中からも全くなかったというふうに言われています。このようなあり方で今既に最終報告をまとめていらっしゃるだけに、大臣、そのことについて一言お聞かせいただきたいと思います。審議会を隠れみのにしないでいただきたい、このことについてどうお考えでしょうか。
遠山国務大臣 中央教育審議会は、大変大事な審議会でございまして、各般にわたる教育政策の基本を御議論いただいております。しかも、それは常にオープンでございまして、毎回毎回その内容というものは、皆さんもフォローできるわけでございます。これらは、決して、私どもは隠れみのにしたりあるいは行政が何かというようなことではございません。そのことは毎回毎回の議論でおわかりと思います。
古屋委員長 質疑時間が終了いたしております。
山内(惠)委員 オープンであることについては、オープンではありません。私たち議員が傍聴することはできていません。最終報告の前に、しっかりと参考人として呼んでいただくという石井議員の発言に私は賛成ですので、集中審議を御検討ください。
 ありがとうございました。
古屋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時二十五分散会


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