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第7号 平成15年4月2日(水曜日)

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平成十五年四月二日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 古屋 圭司君
   理事 奥山 茂彦君 理事 鈴木 恒夫君
   理事 馳   浩君 理事 森田 健作君
   理事 鎌田さゆり君 理事 山元  勉君
   理事 斉藤 鉄夫君 理事 佐藤 公治君
      青山  丘君    伊藤信太郎君
      小渕 優子君    大野 松茂君
      岡下 信子君    岸田 文雄君
      近藤 基彦君    佐藤 静雄君
      谷田 武彦君    中谷  元君
      林田  彪君    松野 博一君
      森岡 正宏君    柳澤 伯夫君
      大石 尚子君    鳩山由紀夫君
      肥田美代子君    平野 博文君
      藤村  修君    牧野 聖修君
      松原  仁君    山口  壯君
      池坊 保子君    東  順治君
      黄川田 徹君    石井 郁子君
      児玉 健次君    中西 績介君
      山内 惠子君    松浪健四郎君
    …………………………………
   文部科学大臣       遠山 敦子君
   文部科学副大臣      河村 建夫君
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   文部科学大臣政務官    大野 松茂君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策
   局長)          近藤 信司君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育
   局長)          矢野 重典君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長
   )            遠藤純一郎君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青
   少年局長)        田中壮一郎君
   文部科学委員会専門員   柴田 寛治君
    ―――――――――――――
委員の異動
三月二十七日
 委員松沢成文君が退職された。
    ―――――――――――――
三月二十五日
 義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案の廃案に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一〇三八号)
 同(石井郁子君紹介)(第一〇三九号)
 同(小沢和秋君紹介)(第一〇四〇号)
 同(大幡基夫君紹介)(第一〇四一号)
 同(大森猛君紹介)(第一〇四二号)
 同(木島日出夫君紹介)(第一〇四三号)
 同(児玉健次君紹介)(第一〇四四号)
 同(穀田恵二君紹介)(第一〇四五号)
 同(佐々木憲昭君紹介)(第一〇四六号)
 同(志位和夫君紹介)(第一〇四七号)
 同(塩川鉄也君紹介)(第一〇四八号)
 同(瀬古由起子君紹介)(第一〇四九号)
 同(中林よし子君紹介)(第一〇五〇号)
 同(春名直章君紹介)(第一〇五一号)
 同(不破哲三君紹介)(第一〇五二号)
 同(藤木洋子君紹介)(第一〇五三号)
 同(松本善明君紹介)(第一〇五四号)
 同(矢島恒夫君紹介)(第一〇五五号)
 同(山口富男君紹介)(第一〇五六号)
 同(吉井英勝君紹介)(第一〇五七号)
 日本育英会奨学金制度の廃止反対に関する請願(中川智子君紹介)(第一一一八号)
四月一日
 私立専修学校の教育・研究条件の改善と父母負担軽減に関する請願(石井郁子君紹介)(第一二六二号)
 同(児玉健次君紹介)(第一二六三号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 文部科学行政の基本施策に関する件


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     ――――◇―――――
古屋委員長 これより会議を開きます。
 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長遠藤純一郎君及びスポーツ・青少年局長田中壮一郎君の出席を求め、説明を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
古屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
古屋委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岸田文雄君。
岸田委員 おはようございます。自由民主党の岸田文雄でございます。
 本日の一般質疑、特に教育基本法についての議論を中心に一般質疑をするというのが趣旨だとお聞きしておりますので、まず最初に、私も教育基本法をめぐる議論につきまして御質問をさせていただきたいと存じます。
 教育基本法、昭和二十二年三月に制定されましてから、ことしで五十六年を経るわけであります。その間、制定の経緯ですとか、あるいは基本法の内容はもちろんのことでありますし、憲法との関係等々、教育基本法をめぐりましてさまざまな議論がさまざまな場で行われてきたと認識しております。近くは、平成十二年に教育改革国民会議で教育基本法についての議論も行われ、平成十三年に遠山大臣から中教審の方に諮問が行われ、そして、先日、平成十五年三月に中教審の方から答申が行われたということであります。その教育改革国民会議から数えましても、足かけ四年にわたりまして教育基本法をめぐりましてさまざまな議論が行われているわけであります。
 本当にいろいろな議論がこの一つの法律をめぐって行われてきたんだなというふうに思うわけでありますが、現状は、あくまでも、中央教育審議会の方から「教育基本法の改正に取り組むことを期待する。」という答申が出た段階であります。審議会の方からそうした答申が出た段階でありますから、今後この答申を受けてどのようにするのか、改正に向けて議論をするのか、どうするのか、これからが問われているわけであります。
 まず最初に、確認といたしまして、文部科学省としまして、この中教審の答申をどのように受けとめられ、そしてどのように考え、どのように生かしていこうと思っておられるのか、今後の手順とかスケジュール等も何かお考えがございましたら、お聞かせいただけますでしょうか。
河村副大臣 岸田委員も私の前任の副大臣でおられて、この中央教育審議会に対する諮問におきましては、副大臣でいらっしゃったわけでありますから、そこまでの事の経緯については今お話しのとおりでございます。
 文部科学省といたしましては、先ほど委員御指摘のように、教育基本法の改正を期待するという答申を踏まえて対応していかなきゃならぬわけでございます。これは、教育基本法、法律そのものでございますから、法律改正ということになるわけでございます。このいわゆる法律改正によって日本の教育がうんとよくなるという期待感があるわけでございまして、その方向に向けてこれからの改正に取り組んでまいりたいと思っておるわけでございますが、これは法案化のことも含めるわけでございまして、当然、与党の皆様との十分な協議の上、文部科学省としてはその上に立って法改正といいますか、それに取り組んでまいりたい、このように思っておるわけでございます。
 当然、国会に法案をいつ出すかとかそういう問題もあると思いますが、そういうことも含めて、与党とも十分御協議を申し上げながら方針を決めていきたい、このように思っておるところであります。
岸田委員 ただいま河村副大臣の方から、答申を踏まえて、法律改正によって日本の教育がよくなることを期待しつつ、与党とも協議しながら改正に向けて努力をするという御答弁があったと思います。
 この教育基本法という法律、実に戦後さまざまな教育の議論の場に引用されまして、そしていろいろな議論が行われてきました。教育基本法の重みあるいは意義等を考えますときに、この法律を改正するということでありますならば、やはり、今までもいろいろな議論が行われたわけでありますが、文部科学省におきましても、引き続き丁寧に繰り返し、教育基本法に関する議論あるいは改正に向けての手順をしっかりと説明していく責任を果たしていかなければいけないというふうに考えます。
 その際、いろいろな議論があります、いろいろな論点があると思いますが、まずもって、なぜ教育基本法を改正しなければいけないのか、そしてなぜ今教育基本法を改正しなければいけないのか、この問いにはしっかりと繰り返し丁寧に答えていかなければいけないというふうに私は思っています。
 なぜ教育基本法を改正しなければいけないのか、そしてなぜ今改正しなければいけないかという問いに対しましては、例えば、私は、現代の日本というのは、子供たちに対しまして、なぜ学ばなければいけないか、あるいは何を学ばなければいけないかということを説明することが大変難しい時代になっているなということを感じています。これは、教育の専門家の議論ではなくして、一般の家庭においてであります。一般の家庭において子供たちが、お父さん、お母さん、私たちは一体何のために学ばなければいけないんでしょうかという質問をした際に、はっきりと明瞭に答えられる親がどれだけいるんだろうかなという気がしています。
 これは、一般の家庭において、例えば、貧しい時代であったならば、生きていくためとかあるいは食べるためにというような答えもできた時代があったのでありましょう。しかし、今の日本、こうした答えも難しくなるほど豊かになってしまいました。こういった悩みというのは、日本だけではなくして先進国共通の悩みかもしれません。
 加えて、現代の日本の状況を考えますときに、大変不透明な時代だというふうに言われています。右肩上がりの時代どころか右肩下がりの時代を迎えるのではないかというふうに言われています。そして、そういった中にあって、現代を見回してみますと、子供たちにとって、また大人にとりましても、大変世の中刺激に満ちあふれ、誘惑に満ちあふれ、そして楽しい事柄に満ちあふれている我々日本の国の社会であります。こうした楽しい現代の時代を我慢して、あるいは透視して、未来、右肩下がりになってしまうのではないかと言われるような不透明な時代に向けて勉強するということ、このことの意味を子供たちに説明することは大変難しい時代ではないかなという気がいたします。
 現代の日本というのは、なぜ学ばなければいけないか、そして何を学ばなければいけないのか、これを改めて問い直さなければいけない時代を迎えているのかなという気がしています。そして、こうした理念的なものを法律の中に書き込むとしたならば、日本の国には教育関係の法令がたくさんあるわけでありますが、やはり教育基本法において正面から受けとめるということがあるべき姿ではないかなというふうに思っています。
 また、別の例としましては、今、日本のみならず世界じゅうの国々が、二十一世紀、この不透明な時代に立ち向かうに当たりまして、やはり人材育成が重要だということで、教育改革に血眼になっています。
 一九九九年の、ケルン・サミットというサミットがありましたが、このサミットは、サミット史上初めて教育を主要テーマに取り上げたサミットであります。この教育をメーンテーマに据えたサミットにおきまして行われた教育の議論の中で、特に大きな議論となり注目を集めたのは、一つは、IT、情報通信機器の教育への活用であり、そしてもう一つは生涯教育でありました。今、ドッグイヤーとかマウスイヤーとか言われて物すごい勢いで変化していく現代社会にあって、人生の一時期、学校教育において学んだことをもって一生その惰性で過ごしていくということは許されない。絶えず学んでいく、生涯教育というものが重要だという認識が確認されたわけでありますが、こうした世界の教育をめぐる議論の趨勢の中にあって、我が国の教育基本法の中にこの生涯教育というものが取り上げられていないということ、大変寂しい思いもいたします。
 また、今日本の国は、二十一世紀、この不透明な時代に立ち向かっていかなければいけないわけでありますが、未来に立ち向かうに当たって、我々はゼロから、全くすべてを自分でつくり出して立ち向かうということは不可能なわけであります。先人あるいは過去の積み重ね、こういったものをしっかり踏まえた上で、その上に我々の、自分たちの努力を積み重ねて、未来に立ち向かっていかなければいけないわけであります。
 未来、未知なる未来への挑戦と、過去の蓄積、歴史とか伝統とか文化とかいった過去の蓄積、これとのバランスというものがこの不透明な時代に立ち向かうに当たって大変重要だというふうに思うわけでありますが、我が国の教育基本法においては、条文を見ましても、歴史とか伝統とか文化、この過去の蓄積の部分に対しての記述がどうも不足しているんではないかという気もいたします。
 さらに言うならば、今、この現代社会、もちろん一人で生きていくことはできないわけでありますが、日本において、人と人とのつながりあるいは人間関係というものが大変希薄になっている。そのことによって社会全体の教育力が低下しているというふうに指摘されています。個人と共同体、家族とか地域、社会あるいは国家、こういった共同体との関係、バランス、こういったものをここでしっかり見詰め直すことによって、我々は幸せというものについて考え直さなければいけない時代なのかなという気がいたします。
 こうした共同体ということになりますと、我が国の教育基本法の中に、七条で一カ所、家庭教育というのがその他の教育とあわせて用語が出てまいりますが、その内容については論じられていないわけでありますし、地域とか社会とかあるいは国家というもの、こうした共同体と個人との関係については論じられていることがないのではないかという気がしています。等を考えますと、このあたりも議論をしていかなければいけないのではないかと思います。
 今、思いつくままに四つほど、今どうして教育基本法を論じなければいけないかということについて、私自身思うところを申し上げたわけでありますが、このなぜ教育基本法を論じなければいけないか、改正しなければいけないか、あるいはなぜ今論じなければいけないかという問いにつきまして、遠山大臣はどのようにお答えになられますか、御所見をお伺いできますでしょうか。
遠山国務大臣 今岸田委員から、現時点において教育の中でしっかりと考えられなくてはならない四つほどの例をお挙げいただきましたけれども、私もそのいずれも大変大事だと思っております。
 御質問は、教育基本法をなぜ今という非常に根本的な御質問でございますので、それについてお答えしたいと思いますけれども、教育基本法は、申すまでもないことでございますが、戦後の日本の教育の基本理念を確立するために、教育の根本を定める法律として、昭和二十二年に制定されたものでございます。制定から半世紀以上を経まして、その間に社会が大きく変化をいたしました。その中で教育も、さまざまな努力は行われてまいりましたけれども、現時点で見るといろいろな課題を抱えているわけでございまして、そうした現状において、教育の根本にさかのぼって改革を行う必要があると考えるわけでございます。
 同時に、現在日本が直面する危機的状況というのを脱して、長期的に日本が本当に成熟した社会として栄えていきますためには、政治、行政、司法あるいは経済構造などの諸制度にかかわります抜本的な構造改革というのが今進んでいるわけでございますが、それを支えるのがまさに教育であり、教育においてもしっかりした改革というものを進めて、それらを支えていかなくてはならないわけでございます。
 そのように考えますときに、今の時点において、教育の根本を定める教育基本法というのが、現代のあるいはこれからの日本を支える人材を育てるのに十分であるかどうかという角度から見直していただきたいということで、中教審にお諮りをしたわけでございます。
 その結果、先般得ました答申におきましては、教育基本法の高い理念といいますか、戦後定められた幾つかのすぐれた価値というものはもちろん前提としながらも、今委員がおっしゃいましたような幾つかの点については、新たな角度からこれをつけ加えるなどして改正をしてはどうか、そういう答申を得たわけでございます。今日の時点で極めて重要と思われる理念なり原則なりというものを明確化する必要がある、もちろん、既存の、現行法にある普遍的な理念というものは前提としながら、それに加えてはどうかという答申をいただいたところでございます。
 私といたしましても、まさにこれからの日本の教育というものを考える際に極めて重要なポイントをついた、そういう御答申をいただいたと思っておりまして、その意味におきまして、先ほど副大臣もお答えしましたように、今後、それをベースにしながら、基本法の改正についてしっかりと取り組んでいきたい、そのような心境でございます。
岸田委員 ありがとうございました。ぜひ、こうしたなぜ今教育基本法なのかという基本的な問いに対して丁寧に御説明いただきますとともに、中教審におきまして取り上げられましたさまざまな論点、国を愛する心、これは愛国心という言葉と何か使い分けの議論が行われたように聞いておりますが、こういったことがどういうことなのか、あるいは宗教教育におきましても、宗教的な寛容の態度と、あるいは宗教的情操を涵養するということ、さらには特定宗教のための宗教教育、こういったものがどう違うのかということについて、またしっかりと確認をしておかなければいけないと思いますし、先ほど言いました生涯教育、歴史、伝統、文化等々、こうした具体的な論点につきましてもしっかり御説明をいただきたいというふうに思います。
 そして、そのことによって、かつての富国強兵の時代でもなく、右肩上がりの時代でもなく、現代のこの不透明な時代にあって、人口もどんどんふえていくことはない、少子化、高齢化社会によって人口構成も変化していっている。そして、かつての冷戦構造も崩壊してしまって、世界じゅうが新しい国際秩序を模索している。日本の国際的な位置づけも、五十年前と言わず、十年前と比べましてもどんどんと変化している。こういった時代にあってどんな日本人が求められるか、こういったものについて国民にヒントを与えることができたならば、教育基本法を議論し、そして改正するということ、これは教育において大変意義あることだというふうに思っています。ぜひ、文部科学省におきましても、こうした説明責任を先頭に立って堂々と果たしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 かつての、二十一世紀教育新生プランとか新しい学習指導要領、あるいは大臣が打ち出されました学びのすすめ等々において教育フォーラムを展開するような形で、ぜひこうした議論を国民の中に巻き起こしていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 そして、残り時間、あと一点、別の点でお伺いしたいことがございます。といいますのは、最近行われておりますインターナショナルスクールをめぐる議論についてであります。
 私は、今、日本の国が元気がない、停滞していると言われている中にあって、さまざまなことを考えていかなければいけないと思っていますが、その中にあって、海外の優秀な技術者あるいはビジネスマン、こうした人材を日本の国に招き入れて、そしてそのことによって日本の国の技術革新ですとかあるいは日本の市場を活性化するということ、これは大変重要なことだというふうに思っています。
 しかし、海外の優秀な外国人技術者あるいはビジネスマンを日本の国に招くに当たって、日本の国は、まだまだいろいろなインフラを整備しなければいけないというふうに思います。そして、その整備しなければならないインフラの一つとしまして、その外国の優秀な技術者、ビジネスマンの子弟の教育施設の充実というものが大変重要だというふうに認識しまして、昨年来、外国人の短期滞在者の子弟に対する教育施設を充実しなければいけないということで、インターナショナルスクールに対する税制優遇、あるいは大学入学資格の授与等々において支援をしていかなければいけないと考えまして、この問題に取り組んできた次第であります。財政的支援ということで税制優遇を考え、また制度的な支援ということで大学入学資格の授与というようなことを関係者の皆様方にお願いして、整備を進めようとしてきたわけであります。
 しかし、今、この問題につきまして、議論が少しおかしな方向に行っているんではないかと戸惑いを感じております。
 この問題は今申し上げたような趣旨で取り組んできたわけですが、特に大学入学資格の授与という部分につきまして、この議論を広く外国人学校全般に広げることによって、この資格を受けられるのが特定の国に限られるとか特定の国が外されるというようなことで、これは差別、区別につながってしまうんではないかという議論が沸き起こってしまって、それがためにこうした施策が進まないという状況が起こっているというふうに聞いております。どうも、何か当初の趣旨とは違った方向に議論が進むことによって、こうした施策が進まないことになってしまっている。大変戸惑いを感じているところであります。
 ぜひ、文部科学省におきましては、当初この議論が起こってきた趣旨をいま一度しっかりと踏まえていただき、そして、この議論を外国人学校全体の議論にするというのであるならば、やはり日本国の大学入学資格を与えるわけでありますから、どんな内容の学校の修了者に与えるのがふさわしいのか、内容によってぜひ判断していただきたいと思いますし、それを客観的に判断できる基準というものがあるかどうか、このあたりをしっかり確認した上でこの大学入学資格の授与ということに当たっていただきたいというふうに思っています。
 この点につきまして、その現状はどうなっているか、どういった思いでいらっしゃるのか、ひとつ御答弁いただけますでしょうか。
遠藤政府参考人 御指摘の件でございますけれども、対日投資の視点から、総合規制改革会議の答申を受けましての閣議決定におきまして、インターナショナルスクールにおいて一定水準の教育を受けて卒業した生徒が希望する場合には、大学や高等学校に入学する機会を拡大すべきであるという閣議決定があったわけでございますが、その対応につきまして検討を重ねてきたということでございます。
 その際、大学入学資格は、我が国の学校教育制度の中で大学教育の水準を確保するために必要なものであり、高等学校卒業または大学入学資格検定の合格等一定の要件を必要としているものでございますから、教育内容について法令上特段の定めのない外国人学校の卒業者に大学入学資格を付与する場合は、客観的に一定水準の教育が担保されているということを判断できることが必要であるという視点に立って検討を行ってきたわけでございます。
 この点につきまして、国際的な実績が認められる評価団体により評価を受けているということをもって一定水準にあるというようにとらえまして、このような評価を受けている外国人学校の卒業者について入学資格を認めるという対応案を公表したところでございます。
 この対応案につきましては、各方面から、結果的にアジア系等の外国人学校が対象とならなくなるということで、何らかの対処をすべきであるという意見が寄せられ、さらには、パブリックコメントにおきましても同様の意見が多く見られたところでございます。これらの意見を踏まえまして、当初の対応案に加えまして、アジア系等の外国人学校の取り扱いについても、どのような対応が可能かということにつきまして検討する必要があるということで、引き続き検討を進めていくということにしたわけでございます。したがいまして、当初の対応案による平成十四年度中の措置については見送ることとした、こういうことでございます。
 御指摘のように、この問題を検討するに当たりましては、客観的に学校教育法体系の中でこれをどう位置づけるのか、一定水準をどう確保していくのかということが課題になる、こういうふうに今とらえているところでございます。
岸田委員 ぜひ、当初の趣旨と、そして内容をしっかりと把握するということ、この本筋を外さないようにしっかりとした御対応をお願いいたします。
 質問を終わります。
古屋委員長 斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。よろしくお願いいたします。
 教育基本法の議論に入る前に、先ほど岸田委員から話がございました外国人学校卒業生への大学受験資格付与の問題について、私も一問、大臣に質問させていただきたいと思います。
 今回、当初、米英両国の三認定機関の認証を受けた外国人学校に大学受験の資格を付与するということでございました。一つの基準かとは思いますが、結果としてアジア系排除、そういうふうにもとれることになったわけでございまして、私どもも、ちょっとこれは考える必要があるのではないかということで、先日、幹事長の冬柴、政調会長の北側、そして私が、大臣に、もう一度考え直していただけないかということを直接申し入れたところでございます。
 その申し入れに対しまして、私、大変な政治決断だったと思うんです。平成十四年度までに措置という閣議決定、ある意味ではこの閣議決定に違反をするわけですから、大臣としてはそうしたくなかった、そういう中で、あえて大決断をされて、白紙撤回でもう一度考え直すという決断をされたことは、我々の要望に対して深く、それを重く受けとめて考えていただいたということで大変感謝をし、評価をしているところでございますが、今回そのような大決断をされた大臣のお心、お考えについてお伺いをしたいと思います。
遠山国務大臣 これは、先ほど政府参考人の方からお答えしましたように、日本の法体系の中で一定水準の教育を受けた者について考えるようにという、それをどこで確保するかということで、認証機関の認定を経たということは、私は極めて妥当な線であると思っております。したがいまして、白紙撤回ではなくて、それで対象にならなかったところを何か救う方法があるかどうかということを今後もう少し考えてみようということでございます。
 したがいまして、一定水準の教育というものをどういうふうに考えていくかということを検討しなくてはなりませんので、やや時間がかかると思いますけれども、私といたしましては、やはり日本の学校制度の中での取り扱いでございますので、制度について論理的に説明ができる必要があるわけでございますし、しかもいろいろな御要望とも対応しながらやっていくということで、これからこの問題については検討を重ねてまいりたいというふうに思っております。
斉藤(鉄)委員 先ほど岸田委員がおっしゃった今回の趣旨、これも大変大切だと思います。
 また同時に、私も今回の件でいろいろな方とお話をしたんですが、例えば台湾系の中華学校などの方がおっしゃっていたんですが、台湾の高校を出たらそれだけで日本の大学の、留学という形になりますけれども、入学資格はあるわけでございます。日本の学校、本当にきちんとした学校で、実はその地域の日本人の方も、こんな言い方はちょっとよくないかもしれませんが、地域の公立高校に入れるよりその中華学校に入れた方がはるかにいい教育をしてくれるということで、日本人の子弟も大変たくさん通っている、そういう学校。しかし、その学校の卒業は大学受験資格がない。確かにこれはおかしい、本当に庶民の感覚としておかしいなということもございます。
 その点、先ほどの岸田委員がおっしゃった本来の筋、これも大切ですし、またこういう一般的な国民が感ずる公平感ということも大切だと思いますので、どうかその点に配慮して、私も勉強しましたけれども、大変難しい問題だというのはよく承知しておりますけれども、今後よろしくお願いをいたします。
 それでは次に、教育基本法の質問をさせていただきます。
 今回のこの答申、読ませていただきました。教育改革国民会議以来、中教審で大変な議論がされてきたことについて敬意を表したいと思いますし、大変よくできた答申だと思います。
 最初の「第一章 教育の課題と今後の教育の基本的方向について」というところをざっと読みますと、いろいろなことが書いてあるんですが、一つは、今教育に大変な問題がある、だから基本法を変えなきゃいけないんだ、それからもう一つは、この五十五年間大きく時代が変わった、だから基本法を変えなきゃいけないんだ、主にこの二つかと思うんです。
 まず、今教育がここまで悪くなったから基本法を変えなきゃいけないんだという点についてですけれども、確かに教育の荒廃のことが書いてございます。いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊などの深刻な問題、それから規範意識や道徳心、自律心の低下、凶悪犯罪の増加、学ぶ意欲の低下、こういう現在の教育が抱えている問題が書かれているんですが、私は、読んでみて、これが教育基本法と直接結びついているのがいま一つわからないんです。
 教育基本法のここが悪いからこういう今の問題が起きているんだ、だから教育基本法を変えなきゃいけないんだ、こういう論理だったら非常にわかりやすいんですけれども、その最も大切な、今教育基本法のここに問題があるからこういう教育荒廃が起きているんだという点が私は明らかにされていないように思います。
 その点、非常に重要だと思うんですが、この点についてはいかがでしょうか。
遠山国務大臣 今委員が御指摘ございましたように、今日の日本の教育につきましては、関係者が非常に努力をしてくれておりまして、すぐれた成果を上げている面もあると思いますけれども、しかし、おっしゃいましたようないろいろな問題があるということも確かでございます。いじめの問題、不登校の問題あるいは学級崩壊、こういったことがこのままの状況でいってもなかなか改善できるというふうに見られない点もあるわけでございます。
 同時に、特に規範意識、道徳心あるいは自律心の低下というあたりは、子供たちばかりではなくて大人の世界もそうだと思いますし、大人の生き方そのものが反映しているという面ももちろんあるわけでございます。同時に、学ぶことについての意欲の低下ということも非常に大きな問題だというふうに思っております。
 そうした問題については、個々にいろいろ政策を打って、私どもも真剣に取り組んでおりますので、もちろんそういった政策も推進をしていくということは当然でございますけれども、同時に、そういった状況の背景にある、あるいは教育の根本のところといいますか、そこのところも見直していくことによって全体をさらによくしていく必要もあるのではないかという考えに基づいての諮問であり、また今回得た御結論ではないかと思うわけでございます。
 いろいろな問題について対応していく個々の対応策のみならず、いわばその根本にさかのぼって教育のあり方というものをいま一度見直して、二十一世紀というものをしっかり生きていく子供たちにしていこうということにおいて、私は、今回の答申で示された幾つかのポイントというものは大変重要なポイントであるというふうに考えるところでございます。
 したがいまして、今回出されたものは、教育基本法のすぐれた理念というものはベースにしながら、さらに加えて今後重視すべきいろいろな理念、原則というものをもう少し明確化しろという御答申であろうかというふうに考えているわけでございまして、その意味において、私は、大変意義のある答申であり、かつまた我々もそれを実現すべくこれから力を尽くしてまいりたい、そのような考え方でございます。
斉藤(鉄)委員 いろいろな具体的な問題に対しては個々具体的な法律がある、しかしその具体的な法律の理念を今回の基本法でうたっているんだ、物すごく要約するとそういう御答弁だったかなと思いますが、今後その具体的な法律を変えていく、そのための理念が今回の基本法なんだ、そこの間の説明がいま一つ少ないのかなという気がします。一般国民としては、現在教育がこれだけ問題を抱えている、だから基本法を変えなきゃいけないんだ、これはよくわかるような気がするんです。ただ、その間をつなげる説明が、先ほどの大臣の御説明ではまだちょっとするっと落ちないなという気がしますので、この点もう少し議論していかなきゃいけないのかなと思っております。
 もう一つ同じような問題なんですが、時代が大きく変化したと。「国内的、国際的な大きな変化の中で、国民の意識も変容を遂げ、教育において重視すべき理念も変化してきている。」だから基本法を変えなければならないという論理なんですが、これについても、先ほど大臣がお答えになりましたけれども、私は、同じようなことが言える、私の立場というか批判的な立場からすると、同じようなことが言えるような気がします。
 つまり、そういう個々別々の変化については、個々別々の法律の改正で十分対応可能であって、教育基本法、非常に普遍的な理念が書かれている現在の教育基本法に特に問題はないのではないかという気がしますが、時代の変化とそれから基本法ということについてはどのようにお考えでしょうか。
河村副大臣 確かに、時代の変化といいますか、あの終戦直後の状況と今の状況を考えたら、大きく変化していることは国民の皆さんも承知しておられるわけですね。あのときの日本を、新しい国づくりをしようという形でこの基本法が設けられたんですけれども、さっきの議論でもありましたように、現実問題として、教育基本法の中の崇高な精神は精神として十分尊重すべきものと思いますけれども、ではあのときに、例えば男女共学をしなきゃいかぬとか、またあの当時生涯教育の考え方というのはすっぽりなかったとか、具体的にそういうことが現実にあるわけですね。
 今回の教育基本法の見直しは、もちろん二十一世紀を担うこれからの子供たちのためにではありますけれども、我々大人社会も一緒になってこれを考えていこうということが私は大きな視点にあると思うんですね。その中に、一つは家庭教育の問題もあろうと私は思います。家庭教育というのは、教育基本法では社会教育の一環の中でもちろんありますけれども、やはりそれをもっと前面に出す必要があるんではないかという議論もあるわけでございます。
 そういう面からいって、私は、時代が大きな変化の中にあって、そして今の教育基本法の崇高な精神はそれとしても、具体的に教育でやっていく上に、もちろんこれまでも教育改革についてはいろいろな形で取り組んできたけれども、それをもう一度根本から見直していく。もちろん、それに見習う諸法律についても、新しくつけ加えるべき理念があれば、それをさらに教育現場に敷衍をしていくということの法改正的なものも必要になってくるであろう、こう考えておりますので、当然、今の時代に合ったものに考えていくという形で諮問をされて、それに答申が出てきたということでございますので、これを尊重してまいりたい、このように思っておるわけです。
斉藤(鉄)委員 ちょっとまた別な観点から質問をさせていただきますが、国を愛する心、郷土愛、それから伝統を尊重する心、これらは非常に重要な徳目だと私は思いますし、大切なものだと考えております。しかしながら、既に小中学校の学習指導要領の中にある意味では規定されておりますし、現在の基本法、現在の法体系からも導き出されるもの、このように思います。ですから、わざわざ基本法という非常に重たい法律の中に、ある意味では心の自由、人間の心の内面の自由にかかわる事柄をわざわざ規定しなくてもいいのではないかという気がするんですが、これは愛国心とは非常に重要だということはわかった上でこのように思いますけれども、この点についてはいかがでしょうか。
河村副大臣 卑近な例であれでございますが、確かに学習指導要領等では道徳教育のことも含めてそういうことが書いてあることは承知しておりますが、では、具体的にどうしていくかというときに、私は、今斉藤委員がこれが大切なことだということはわかるとおっしゃるならば、大切な、これはこれから教育を考えていく上で非常に大事なことだろうということをやはり基本理念にうたった上で教育の現場でそのことをとらえること、これは指導要領であることではないかということと、国の基本理念の中にそういうことは大事だということを踏まえてやることとはおのずから違ってくるのではないか。
 もちろん、そんなものが、昔の国家中心主義的な、至上主義的な、ああいうものになるんではないんだという指摘もあるように、そういうことは十分配慮しなきゃならぬけれども、こういうことは大事なことなんだよということが理念の中にあるということは、そういうことは大事だとおっしゃるならば、やはりそこからスタートすべきではないか、私はそう思います。
斉藤(鉄)委員 答申の十一ページにも、最後に「国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならないことは言うまでもない。」こう一文ついているんですが、一文ついているということは、わざわざここにつけたということは、何かそういう心配があるということなんですよね。
 私も、党の文部科学部会長をしておりますので、いろいろなところに行ってお話を聞いたりするんですが、明らかに今回の教育基本法の改正を、ここまで言うと言い過ぎかもしれませんけれども、今の日本人には核がなくなった、その日本人としての核、これは戦前の教育に戻すんだ、そのための教育基本法だとはっきり言う人たちもいらっしゃるわけでして、ごくごく一部の考え方とは承知しておりますけれども、そういう人たちに利用されるのではないかという素直な心配もございます。また、そうすることによって、また教育の現場を不毛なイデオロギーの対立に戻したくないという率直な気持ちもございます。
 この点については、いかがでしょうか。
河村副大臣 私も、中教審にも参加といいますか、意見を拝聴しておったのでありますが、委員の中には、そうしたことに対して、今このときにもうそんなことを言うのはやめようじゃないか、もうそれは乗り越えたんだという意見と、今斉藤委員がおっしゃったような意見があって、やはりこれはそういうことを十分配慮しなきゃいかぬという観点からここに書いてあるわけです。
 それは、教育現場が、そのことを踏まえてきちっとした対応を、自信を持って取り組んでいただかなきゃならぬことでありまして、そのことについてはさらに、これはどういう形で法改正の中でうたっていくかというようなこともありますが、そういうことを、我々は戦争の反省に立った上で新しい国家づくりをやる、それで、戦後ここまで来てもう一度日本を見直すんだという起点に立てば、私は、今日まで日本がつくり上げてきた平和国家というものに対して自信と誇りを持ちながら教育現場でやっていけば、そういう問題は十分クリアできる、そのように感じております。
斉藤(鉄)委員 この点については、いろいろまた議論を深めていきたいと思います。
 最後の質問です。
 現教育基本法の前文に、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、」云々、このようにあるように、今の教育基本法はまさに憲法と軌を一にしてつくられた準憲法とも言うべき大変重たい法律だという認識でございます。
 憲法については、今我々、衆議院、参議院に憲法調査会を設けまして、私も憲法調査会の委員ですけれども、かなり徹底した議論を行っております。憲法については、我々国民の代表たる国会議員がみずから議論をしていこうということで、五年をめどにということで、今約三年が過ぎましたけれども、議論をしております。
 そういう意味で、準憲法とも言うべきこの教育基本法について、学識経験者の審議会の答申を受けて法改正をするという一般の法律の改正の手続でいいのかなと。もう少し、今憲法調査会で憲法について国会議員がけんけんごうごう議論していると同じように、この教育基本法についても、我々国会議員みずからがこの改正等についてけんけんごうごうの議論をするということが必要なのではないかという、改正手続の問題も話題に上がっているわけですが、この点についてはいかがでございましょうか。
河村副大臣 委員御指摘のとおり、教育基本法が教育にかかわる基本的な根本法であって、憲法にのっとってとこうある、その趣旨というものは、我々も理解をしておるところでございます。
 ただ、教育基本法は、さはさりながら教育の全体に及ぶ問題でございますから、やはり文部科学省に責任がある法律だ、こう考えておるわけでございます。この委員会あるいは国会の場もこれからあるわけでございまして、そこでやはり十分議論をしてもらわなきゃいけない問題で、当然気持ちの上では、もちろん法律はいろいろありますけれども、いわゆる閣法で出す今までの法律とはやはり重きは、非常に重いものだという意識は十分持っておるわけでございます。
 もちろん、これからの国会のあり方いかんにもよるわけでございますが、ここまでの手続はそういう形で今進めてきておるということでございまして、国民の皆さんの広い意見をさらに聞く必要もあろう、こうも考えておりますので、そうした広範な議論の中で改正の方向を目指してまいりたいと考えております。もちろん、委員御指摘のとおり、この改正については当然慎重な議論が必要である、このように考えております。
斉藤(鉄)委員 国民の関心もまだまだ高くなっていないような気がいたします。国民も巻き込んだ広範な議論が必要だなということを申し上げまして、質問を終わります。ありがとうございました。
古屋委員長 松浪健四郎君。
松浪(健四郎)委員 おはようございます。保守新党の松浪健四郎でございます。
 平成十三年十一月に文部科学大臣は、教育振興基本計画の策定と新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方について中央教育審議会に諮問をされました。まず、中央教育審議会の委員の皆様方に敬意を表しておきたいと思います。そして、平成十四年の十一月に中間報告を取りまとめられて、このほど答申が出たわけでありますけれども、もう既に識者やあるいはマスコミで、この答申についていろいろと語られております。
 そこで、今回の中央教育審議会の答申について、大臣自身はどのような感想をお持ちであるのか、まず最初にお尋ねしたいと思います。
遠山国務大臣 私は、世紀の変わり目を経まして、二十一世紀の冒頭に当たって、これからの日本あるいはこれからの世界の中の日本というのをどういうふうにつくっていくのか、それを支える人材の育成というのはどうあったらいいのかという角度から、さまざまな政策は展開をしながらも、しかし、その根本法である教育基本法、いわば教育の基本理念を定めた法律もこのままでいいのかというような気持ちを込めて諮問をいたしたわけでございます。それを、新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方あるいは教育振興基本計画のあり方ということでお諮りをしたわけでございます。
 その結果、先般お出しいただきました答申は、メンバーの方々の非常に精力的な御審議、しかもこれからの日本ということを考えられた大所高所に立ったすぐれた御議論がなされたというふうに考えております。私としましては、そこで得ました御結論というものは私どもがしっかりと尊重して、これからそれの実現に向けて努力をすべき内容だというふうに考えております。
松浪(健四郎)委員 次に、河村副大臣にお尋ねをいたしたいと思いますけれども、十四年十一月に中間報告が取りまとめられて、そして公表されました。今回、答申が出たわけでありますけれども、中間報告と今度の答申、どのように変更された点があるのか、また、それらについて河村副大臣はどのような印象をお持ちであるのか、お尋ねしたいと思います。
河村副大臣 中間報告においては、まだ意見が集約されないで引き続き検討するというところがあったわけでございます。その後、公聴会等も行われまして、国民の意見を広く聞く、あるいはパブリックコメントを求める、いろいろなことをやりながら来たわけでございます。
 具体的には、その前文のことにつきまして、中間報告では、法全体の見直しの考え方が決まった上で改めて検討とされておったのでありますが、答申では、引き続き前文を置こうということが一つはっきりしたということ。現行法の前文に定めた基本的な考え方は引き続き規定をするとともに、新たに規定する八項目の理念を前文あるいは各条文にわかりやすく簡潔に規定することが適当とされたことがまず一点でございます。
 それから、宗教教育のこともさまざまな意見を併記するにとどまっておったわけでございますが、答申では、宗教に関する寛容の態度とかあるいは知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要である、そのことを適切に規定するべきである、こういうふうに言われております。
 それから、学校教育についても、基本的な役割を規定する提言があったわけでありますが、あわせて教育を受ける権利、子供の責務というようなことについても、中間報告では検討しようということがあったわけでありますが、今回、答申に結論をまとめていただいておりますので、そういう面では明確になってきた、こう思っておるわけでございます。
 前文をどうするかというようなことも、ある程度方針があった上で、これは法体系にも大きく影響することでございますから、そういう意味で、委員の皆さんが真剣な議論の中でこのようにおまとめいただいたと、私も心から敬意と感謝を申し上げているところでございます。
松浪(健四郎)委員 どの委員も質問されることで、私も質問させていただいて恐縮に存じるわけでありますけれども、日本の伝統文化の尊重、郷土や国を愛する心、これは目玉であるのか、あるいは深い議論を必要とするのか、いろいろなことが考えられますけれども、この国を愛する心、これは一言で言えば、やはり私は愛国心である。そうすると、これはパトリオティズムという意味なんでしょうけれども、民主主義、個人主義、これがある程度確立しておらなければ、なかなかこの考え方というものに到達しないのではないのか、こういうふうに思います。
 私自身を振り返って、このような国を愛する心を持っているのかどうかと自問自答したときに、余りよくわからないんですね。しかし、長い間発展途上国で生活をしておって国旗を見たときに、ああ、自分は日本人だ、そしてすごくうれしくなる、これはもしかしたならば帰属意識を認識するからなのか。
 あるいは、ワールドカップを見ておって、若い人たちが顔にペインティングを、日の丸をかいて必死になって応援をしている、選手と同じユニホームを着て観戦しておる、このようなさまを見ておりますと、今の若い人たちだって、国を愛する心を持っているのではないのか。そして同時に、韓国チームの応援を日本の若い人たちも一生懸命やっておったということは、ある程度隣国との相互の理解も進んでいるのではないのか。隣国との相互の理解が進んでおるということは、私は、愛する心を持っているのではないのか、こういうふうに思いますし、またその姿を見てほほ笑ましく思ったものでもあります。
 確かに、国を愛する心を持たなければいけない。そして、私自身はいろいろなところで、今申し上げたように、自分も持っているなということを認識したものでありますけれども、まず河村副大臣に、副大臣の人生の中で、愛国心についての考え方、これをどのようにお持ちになられたかということをお尋ねしたいと思います。
河村副大臣 私も、親からあるいは学校現場で直接愛国心の定義について学んだ覚えはございませんけれども、いろいろな人生の社会体験を通して、これだなと思うことが一つ二つあるのであります。
 一つは、私は教師像のときにもちょっと申し上げたのでありますが、私のふるさと萩には、明治維新の先覚者、吉田松陰先生がおられる。吉田松陰先生の生きざまを見ておりますと、やはり、あの情報の少ないときに、日本の国はどうあったらいいかということを考えて、特に中国はアヘン戦争で大変な思いをしているような時代、日本がああいうふうになってはいかぬという思いで、竜飛岬まで行ったり長崎に行ったりされて、情報を求めて、日本の国のことを心配された。それはやはり非常に大きな愛国心のあらわれだろうなという思いを私は一つは感じました。
 また、私も外国に行ったときに日本に生まれてよかったという思いをいろいろ感じるわけでございまして、日本の四季の豊かな自然、そういうものにはぐくまれると、やはり日本というのはすばらしい国だと思う、そういうところにあると思いますね。
 例の、本居宣長が「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」、こう歌っておりますが、そういうものに接するときに、やはり日本人でよかった、日本の国がもっともっと豊かであってもらいたいという思い、それはやはり愛国心のあらわれだろう、こう思っておりまして、今の子供、たまたまああいうワールドカップサッカーがあってそういう思いに目覚めたというのは非常にいいことなんですが、そういうものに導いてやる、これは大人の責任もあろうと思いますし、それを強制的ではなくて自然に生まれてくるようにしてやる、そういうものがやはり教育にも必要ではないか、このように考えておるわけでございます。
松浪(健四郎)委員 大臣におかれましては、終戦のときは小学生であったかなかったか存じ上げませんけれども、同じ質問を大臣にさせていただきたいと思います。人生の中で愛国心というようなものをどういうふうに感じてきたか、また体験したかということをお尋ねします。
遠山国務大臣 こういう委員会の場でみずからについて語るというのは余り私の生き方の美学には沿わないのでございますが、御質問でございますので。
 振り返ってみますと、私はやはり小さいときに両親に連れられてよく山野を跋渉いたしましたね。その中で、郷土を愛するといいますか、日本の自然の美しさ、風土の美しさ、これが郷土を愛する心につながっていったと思います。
 その後に、人生の中で大きな、職業を選ぶときに、これも親から小さいときから繰り返し言われたことは、世の中のお役に立つ人になりなさい。そういうところで、その教えを実現するために公務員の道を選んだわけでございますけれども、そのときに、やはり社会とか国とか、これをどうしたらいいのかということを常に考えるようになりました。それが第二弾でございます。
 さらに、トルコに大使として赴任をいたしまして、この経験が私は国を愛する心について本当に自覚をしたときではないかなと思うわけで、松浪先生も同じ御経験をアフガニスタンでなさったんだと思いますけれども、それは二つございまして、一つは、外交官は国を代表して、相手国と対峙しながら、しかし日本についてはきちっと論を立てて説明をし、かつその国と友好を保ち、他国についても理解をする、そういう立場にあるわけでございますので、まさに国を背負って生きるわけでございますから、国を愛する心といいますか、その自覚がなければ外交官というのは務まらないと思いますけれども、それが一つ。
 同時に、いたトルコにおける国民の皆様の国を愛する心の強さ、そのすがすがしさ、その堂々たること、それを見まして、日本の場合にはやはり島国でもあり、トルコのように幾つか、八つ以上の敵対する国々に囲まれている国民との違い、このことを深く感じました。
 日本は余りにも恵まれているがゆえに、しかも日常的にそういうことを自覚しないでも済んでいく国であるわけです。ところがこれからは、グローバル化した社会の中で本当に日本人がしっかりと国際社会の中で生きていくには、日本の国、自国というものをしっかりベースに置いた上で、その教養というものを持った上で対峙しなければ尊敬される日本人ではあり得ないわけでございまして、その意味でも、私は、国を愛する心ということについて国民みんなで考えてみる大変大事なときではないかなと思ったわけでございます。
松浪(健四郎)委員 今大臣のお言葉の中から風土という言葉が出ました。私は、この風土、これは子供たちには地理という中で教えるのかもしれませんけれども、日本の伝統であるとか文化というのはやはり我が国の風土に根差しておる、そして世界の国々の文化も伝統も同じであります。そういう意味では、風土をきちんと教えて、また理解をさす必要がある、そういうような思いもします。
 この風土が思想、哲学、これを生みますし、そして砂漠の国であれば砂漠の国に合った宗教というようなものも生まれてくるように、我々の国の風土に合った宗教、こういうようなものも生まれてきた、そういうような思いもいたしますけれども、とにかく、豊かな心をはぐくみながら有為な人材をつくる、そのための教育基本法であってほしいということをお願いして、私の質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
古屋委員長 鎌田さゆり君。
鎌田委員 おはようございます。民主党の鎌田さゆりです。きょうはよろしくお願いします。
 私は、きょうは、先日出されました中教審の答申、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」、これをもとに質問をさせていただきたいと思います。
 まず初めに、民主党といたしましては、この教育基本法の見直しも含めて、基本問題を検討、調査をする全議員を対象にした部門の会議がございまして、今そちらの方でも議論を進めているところで、私は、その議論のさなかにありますので、ニュートラルな立場できょうは質問をさせていただきたいと思います。
 初めに、私が申し上げるのも非常におこがましい気持ちがございますが、今からおよそ半世紀前にマハトマ・ガンジーが唱えた二十世紀末における資本主義七つの大罪と題した七つの項目をちょっと読ませていただきたいと思います。一つ、原則なき政治、二つ、道徳なき商業、三つ、労働なき富、四つ、人格なき教育、五つ、人間性なき科学、六つ、良心なき快楽、七つ、犠牲なき宗教、これを改めて今読んでみまして、私は、まさにこれらすべて、我が国の今の現代社会に実は半世紀前にもう警鐘を鳴らしていたのではないか、そのような思いでこれを読みました。
 きょう及び今後、この委員会を中心にして全国会議員が議論をする教育基本法、この問題につきまして、このテーマも公正に、そして丁寧に進めていかなければ、まさに半世紀前に指摘したガンジーから今のこの時代に再び指摘をされる、七つの大罪の一つに当たるのではないかということをあらかじめ申し上げた上で、まず大臣にお伺いをしたいと思います。
 平成十三年の十一月二十六日、中教審に遠山大臣のお名前のもとで諮問をしました「教育振興基本計画の策定」と「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」、ここのところから伺ってまいりますけれども、冒頭に「理由」として書かれてございます。ここに書いてあることが、基本計画策定が必要である理由であり、また教育基本法見直しの理由であるというふうに読み取ってよろしいですね。確認させていただきます。
遠山国務大臣 諮問をいたしますときには諮問理由を書き込んで諮問いたしますので、どの部分を指していらっしゃるかわかりませんけれども、そこに書かれている諮問理由として明示されているものが私が諮問した理由でございます。
 一言で申せば、制定以来半世紀を経た今日、いろいろ社会が変化をしてまいりました。しかし、日本の教育の中には、さまざまな努力もなされたけれども、問題も明らかになってきている。そんな中で、教育の根本を定める基本法というものはこのままでよいのか、あるいはさらに、これを教育の改革なり改善のためによくしていくいろいろな施策を盛り込んだ計画というものをどのように立てたらいいのかということについて諮問をさせていただいたところでございます。
鎌田委員 私は、理由はここに書いてあるもの全部を指して申し上げたつもりでございます。
 今大臣がお述べになった改めての理由は、先ほど来質問が続いておりますのに対しての御答弁と同じと思いますけれども、この理由の中には、大臣がおっしゃいますように、世界情勢の変化とそれに伴う我が国の変化による新しい時代に対応するための人材育成、そしてまたここ数年、もう十年以上と言ってもいいと思いますが、深刻な状況が続いておりますさまざまな問題が挙げられています。
 この中で特に「一方、教育の現状を見ると、」というところからの二行半なんですけれども、「子どもたちの問題行動や不登校などの深刻な状況、」云々、そして「教育全般について様々な問題が生じている。」というふうにも書かれてあるわけです。私はここを読みまして、特にこの二行半については、大臣及び文部科学省に対してぜひ一言申し上げたい気持ちを持ちました。
 というのは、私にはこれはもう評論家の論評、物言いに聞こえてしようがありません。責任の所在地として、まず反省の弁というものはないのだろうかと。こういう問題がまさに地方の毎日の学校現場で起きているということ、ここ一、二年で発生して続いている問題ではないわけですから、この間の文部科学省としての取り組み、あるいはそれに対する責任というものに対しての文部科学省の思いというものがない。何か評論家気取りで、ここにただあげつらっているんじゃないかというふうに私は読みました。
 その点について、いかがですか。
遠山国務大臣 いろいろな問題を掲げておりますけれども、それらはそれぞれ原因があり、そしてそのそれぞれの時点において対応策がとられてまいりました。私も、振り返ればさまざまなことが思い出されます。その時点その時点において真剣に、行政担当者あるいは学校現場の方々、そして世論も、そうした問題をどうしたらいいかということで対応してまいったわけですね。しかし、今日見てみると、なおいろいろな問題もあり、あるいは、今日のまま続けばさらにそれが改善されるかどうかというと、問題は続いている、そういう認識のもとに出したわけでございまして、さまざまな努力というのを前提とした上で、なおかつ問題点は何かということで洗ったのがその文章であろうかと思います。
鎌田委員 では、これらの問題に対してどのように文科省が取り組み、そして、その成果と現状というものをきちんと調査結果としてまとめていらっしゃるんでしょうか。そこら辺はどうなっていますでしょうか。
遠山国務大臣 これは毎年文部科学白書なども出しておりまして、いろいろな政策について敷衍をし、かつその進捗状況についても述べ、さらに問題は何かというようなこともきちっと各年次においてやっておりますし、また、それぞれの問題の中においてそういったことも常に分析をしながら、さらに何をしたらいいかという姿勢で施策に取り組んでいるというのが私どもの立場でございます。
鎌田委員 確かに、白書を出して、いろいろな統計をとって分析をしてというふうには、私もそれを読めばわかります。しかし、もうずっと長く続いているこれらの問題に対して、では、ここで計画を策定して基本法を見直せばそれらが解決されるというふうに考えているんだろうか、ここに理由として挙げられるのを見ますと、そのような気持ちになりますけれども、いかがですか。
河村副大臣 教育の成果といいますか、一つの方向に向かって、成果というのは、きょうやったらあしたできるものではないということは鎌田委員も御承知のとおりで、我々もそう思っております。いろいろ御指摘をされておる教育上の問題というのは、やはり長い時間かかって今日までできてきたものですから、それを断ち切るにはどうしたらいいかということをもう一回ここで考えようというのが今回のこの教育基本法の見直しであり、同時に、それにあわせて、個々の問題については、諮問にもあり、また答申にもありますように、教育振興基本計画の中でもっと具体的にやっていくべきだろう、私はこう思っております。
 私も、不登校の問題、いじめの問題、まさに喫緊の課題でありますし、それはそれで、これは文部科学省としても重大な責任があるし、その責務を感じてもっと真剣に取り組む、教育現場の皆さんもそのことを極めて重要な問題だとして取り組んでもらう、それは今やらなきゃいけないことだ、こう思っております。
 ただ、おっしゃるように、では、これを変えたら即よくなる、そんな簡単なものならもう今までにもできていたはずでありますから、それをもう一回国民的な課題としてみんなで一緒に考えていこうということは、これは何も文部科学省が責任をそっちにのけてという意味じゃなくて、やはり我々政治家が考えていく問題だ、したがって教育基本法の見直しというのは国会がやるべきことだ、私はこう思って今取り組んでいるところであります。
鎌田委員 冒頭、私は、ニュートラルの立場でというふうに申し上げました。それには偽りはございません。ですけれども、そういった問題もあるということも理由の一つに挙げて、そして計画を策定し、基本法を見直すというふうにつながっていくことが、どうしてもそこが、どうしてつながっていくのかなということがまだ今の時点では大きな疑問としてあるということも正直なところです。
 私は、教育基本法の前文を読めば読むほど、すばらしいなと率直に、正直に思います。特に前文にあります一言一句、また第一条の目的、そこに書かれてあるそういったものがすべて、教育の現場で、また国民生活において、しっかり根づいて浸透してこなかったから生じた問題でもあるんじゃないかなというふうにも私は思います。
 先ほど来、大臣は、今こそ教育の根本に立ち返ってという言葉がございました。同じような言葉ですが、私も、今こそこの教育基本法の原点に立ち返って、この理念が反映された教育となっているのか、そちらを検証する方が急務ではないのかというふうに考えますが、いかがでしょうか。
河村副大臣 さっきも触れましたように、私は、教育問題というときには、御指摘のような喫緊の、今の当面の課題と、そしてその根本的な理念、そういうものが相まっていくと思うんですね。だから、この答申を拝見いたしましても、この基本理念というものは大事にしながら、そしてやはり今の時代に合うものにしていこうということですから、この前文だけが、ここのところに問題があるなんて、だれも考えておるわけではございません。
 ただ、現実にこの後の条文を読んでいきますと、教育の機会均等とか、それは憲法にうたっている、そのままがこっちに来ていることで、そのこともいいんでしょうけれども、男女共学のこととか、社会教育の中の一つとして家庭教育が挙げられているけれども、このぐらいの重きを置いたものでいいだろうかとかいう議論、それから、宗教教育のあり方、学校現場での今の現状、そういうことを考えたときに、もっと根本的な考え方に戻って今の教育現場に臨むことが必要ではないか。
 それには当然、これまでのいろいろな国の基本法を見ますと、それに伴う基本計画というのがあって、そこでもっと詳細について議論をしてまとめていって、今の教育に、直接的な問題にも当たっていくということが必要になってきておるというふうに考えますので、この問題を考えるときには、やはり基本理念に立ち返るということは当然必要になってくることではないでしょうか。
 もちろん、その理念は大事にすると言っているわけでありますから、それで一緒に考えていこうということ、国民的議論を起こそうということを、これは今の教育の現状を考えたときに、やはり立法府におる我々として考えるべきことじゃないかな、こう思うのであります。
鎌田委員 今、副大臣の御答弁の中に、ほかの国の基本法を見ますと、ともに計画をつくりというふうなくだり……(河村副大臣「日本の国、国内」と呼ぶ)日本の国の、国内のほかの基本法を見るとと、私もちゃんとそのように理解して……
古屋委員長 指名があってからお答えください。
 河村副大臣。
河村副大臣 失礼しました。
 日本の最近の環境基本法を初めとする基本法についてと言ったつもりです。失礼しました。
鎌田委員 ちゃんとそのように受けとめて、理解して聞いたつもりです。ほかの国内の基本法を見ますと、計画がともにあって、そして確実に進めていくというふうな御答弁、くだりがありました。
 後ほど触れたいとも思いますけれども、まず今ここで申し上げたいのは、私の認識では、教育基本法の問題と、副大臣が今頭で描いていらっしゃるほかの基本法、男女共同参画とかスポーツ云々とか道路云々とかありますけれども、私は、はっきり申し上げて、そういったものと同等に並べていいものかどうかという疑問を大きく持っている一人でございますので、それは、ちょっと、後ほどまた触れたいと思います。
 さらに、一昨日でございますけれども、夕刊紙です。与党公明党の神崎代表が、実は私は拍手をしながら読んだのですけれども、夕刊紙の中に、このように書いて述べていらっしゃいます。
 「大部分の保護者は基本法の内容をよく知らず、改正議論には関心が低いのが現状です。」「「なぜ今改正が必要なのか」その理由をわかりやすく説明する必要があると思います。」「基本法の前文や教育の理念は現憲法の精神と軌を一にするもので、時代は変わっても普遍的なものとして極めて優れていると指摘したい。」「議論は慎重にすべきで今国会の提出にはこだわるべきではありません。」「私は教育基本法を改正すれば直ちに現在の教育の諸問題が解決すると考えていません。」与党公明党代表の神崎先生がこのように書いて述べていらっしゃいます。
 私は、政党や会派は異にいたしますが、現時点では全くもって同感の思いでこの記事を読ませていただきました。ぜひこれは同党同会派の池坊政務官に伺います。どのようにお聞きになりますか。
池坊大臣政務官 先日の新聞で神崎代表が述べられたことは、私は全くそのとおりだというふうに思っておりますし、この問題については、私もいろいろな意見を代表にも述べさせていただいておりますので、それは私の意見でもございます。
鎌田委員 ありがとうございました。私と意見は同じだなということを確認させていただきました。
 なお、同じ質問を遠山大臣、お願いいたします。
遠山国務大臣 今お伺いいたしましたけれども、それも一つのお考えではございましょう。
 しかし、私といたしましては、今日の状況をさまざまに勘案し、新しい時代にふさわしい教育のあり方ということを考えて諮問をいたし、その諮問にこたえて、中教審の委員の方々が真剣に御議論をされた結論を得たところでございます。私としては、その答申の中身を十分尊重して対処するというのが役割であり、考え方でございます。
鎌田委員 ただいま中教審という言葉もございましたけれども、確かに、中教審に諮問をして、そこからの答申あるいはその以前の報告というもの、重いものだとは思います。
 ですけれども、大臣、この中教審からの報告や答申というもの、国民すべての声を反映しているというふうにお考えですか。
遠山国務大臣 すべての声を反映というのがどの程度のことを指しておられるのかでございますけれども、審議会における答申というものは、私は、そのメンバーの方々の御意見、そしてその審議のプロセスにおいてさまざまな方の議論を聞いてつくられていると思っております。
 中央教育審議会におきましても、この件については、中間報告を出した後に、一日中教審の会合をやり、あるいはパブリックコメントにかけ、あるいはさまざまな方から意見聴取をされたと聞いております。同時に、メンバーの中にさまざまな資格あるいは経験の方を任命いたしておりまして、その方々の御議論そのものが、かなりの部分、国民の意見を反映しているとは思います。
 私といたしましては、得ました結論をさらにこれからも国民の皆様に広く知らせていくというのが我々の役割だと思っておりまして、これからも、そこで得られました内容について、全国的なフォーラムでありますとかあるいは広報紙等によりまして、少なくとも答申の中身について、広く国民の皆さんにお示ししていくというのが役割ではないかなというふうに考えております。
鎌田委員 確かに、中教審のメンバーの方々は、まさに国民各層、広い範囲の方々のところを代表していると受け取ってもいいと私は思います。しかし、それであっても、やはり国民のごくごく一部の方々の声である。これは、全国の自治体にあるさまざまな審議会、あるいは国においてもそうですけれども、まさに今、国会の中でも地方議会でも多くの審議会の形骸化等が指摘をされているとおり、もちろん、すべてとは言いません、すべてとは言いませんけれども、やはり、それありきであるかのような、そういったものが伝わってくるようではいけないというふうに私は思います。
 現に、この教育基本法の認知度、こういったものも、保護者の方々の間では八五%の方々が不認知という統計結果が出ているのも明らかです。それから、平成十三年十一月に諮問してからわずか一年と少しの時間であるということ。
 さらに、二十日の中教審の答申が出てから各新聞の論評を見ますと、一様ではありません。時代にふさわしい理念の再構築を通して日本の教育の混迷を打ち破るべきだとか、答申を生かして改正案の提出を急ぐべきだとか、あるいは大筋で評価できる答申だというふうに評価をする新聞もあれば、一方で、改正論議は不毛だと言い切った上で、現在のこの教育基本法は世界に通用する理念だと評価をしている哲学者の声を紹介しながら、やはり教育現場で起きているさまざまな問題の現実を基本法に近づける努力がされてこなかったんだというふうにはっきり指摘をしている新聞もあります。
 また、改正は喫緊の課題ではない、戦前の理念との決別を宣言する意味合いを持ち、戦後教育の背景となってきたんだ、政治に引き回され、結果的に問題を拡散し、現実の問題を隠ぺいするおそれがある、改正が喫緊の課題とは言えない、優先的に取り組むべきことはほかに多々あるのではないかというふうに指摘をしている新聞もあります。
 最後の新聞ですけれども、まさに今必要なのは、国民みんなで議論することだと。私は、そのように思います。この間、結構長い時間において、自民党のいわゆる大物と呼ばれる議員さんの方々を初めとして、この教育基本法に関して発言があり、議論というかお話があったことは事実ですけれども、いわゆる議論というものが国会において始まるのはやっとこれからだと思うんですね。まさにこれからがこの問題について国民の目に見える形で議論をしていくのだと思いますので、私は、この準憲法とも称されているような教育基本法の改正云々の議論は、これから充実をしていくその地点に今立っているのだと思います。まだまだ国民の間にその認知というものが足りないし、国民的議論が必要だと思います。
 そのことを申し上げた上でですが、率直に、ずばりお聞きをいたしますけれども、遠山大臣に、この基本法の改正というもの、議論を含め、作業はどの程度進んでいるんでしょうか。
遠山国務大臣 今は答申を受けたところでございまして、私自身としてはその答申についての吟味をしている段階でございます。
鎌田委員 答申を受けて吟味をしている段階ということは、わかるようでわからないのですが、漏れ聞くところによると、今国会に出されるというような話も伝わっています。報道を通してもそうです。今国会ということは、会期延長がなければ六月までには。
 では、吟味という言葉も非常にニュアンスが難しい、あいまいだと思いますけれども、遠山大臣の中で、この吟味は最低どのくらい必要だとお考えなんでしょうか。
河村副大臣 このことは先ほど岸田委員にも御答弁申し上げましたが、その整合性もありますから私が答弁させていただきます。
 これは、答申を受けて、法律のことですから、立法化の方向というのは我々考えておりますが、このことについては与党がまず先議になりますので、与党と十分協議の上で、ひとつ慎重に対応してまいりたい、こう思っております。文部科学省としては、答申を受けた、それを法案化したい、そのことは我々の中にあるわけでございますけれども、先ほど来御指摘のように、非常に重要な法案であることをかんがみながら、与党の協議を待って方針に沿ってまいりたい、このように考えております。
鎌田委員 慎重にということは、慎重の結果、今国会で出てくるということもあり得るわけですか。
河村副大臣 与党の御協議の中で方向づけはされるものであろう、こういうふうに思います。
鎌田委員 与党が先議で、協議が大事だというのはわかりました。
 そうではなくて、大臣及び副大臣、文部科学省としてのお考えは、それでは大臣、副大臣のところでは、やはり今国会中に出したい、慎重に吟味をして出したいということですか。
河村副大臣 そういうことであります。
鎌田委員 与党協議の方がどのように進むのかはわかりませんけれども、今国会、六月までに出されるということが、私の中では、少なくとも慎重にとかよく吟味をしてとかいうふうな言葉にはとても当てはまりません。そこから議論が進んでいくかとは思いますけれども、答申の中でいろいろ出されております、そのことについては、またこれからの委員会の質疑の中でぜひ議論したいなというものもありますし、ただしていきたいと思っております。
 私は、先ほど来重ねて申し上げますが、やはり慎重とかよく吟味をしてということにはとてもならない。それプラス国民に対して広く周知をしていくという作業も膨大にあるわけです。全国五カ所での一日中教審でしたか、公聴会の全国五カ所の議事録、こんなのを、まとめたのはないんですかと言ったら、はい、これを読んでくださいといってどんといきなりよこされましたけれども、読めばわかりますが、全国五カ所でやって、そして国民の声を聞いた、あるいは、中教審からも再三にわたる議論をして答申が出たから、聞いた、そして広めていったというふうには決してならない。
 私は、この教育基本法は、まさに準憲法、五十年後、百年後の日本人のあるべき姿というものを大議論して、大議論した結果、例えば与野党間で意見が食い違って、大きく食い違って多数決でもって与党側の声におさまる、それならそれでいいと思うんです。それがそのときの政権の、政府の意見として多数決でもって決まっていくわけですから。でも、その後の議論によって、あるいはその後の政権の行方によってまたそういったものも見直す、見直していける、それが民主主義の、変えていけるところのすばらしさです。
 だから、私は、もっと言ってしまえば、今回出された答申のいろいろな項目を見ますと、国を愛する心ですとか、愛国心ですとか、こだわりがある人にとってはすごくアレルギー反応を示す方もあるでしょうし、あるいは、また一方、違う意味でのアレルギーを示す方は弱いなと感じるかもしれませんし、私はどちらでもないんですけれども、何てあいまいな言葉で済ますんだろうと。国を愛する心や郷土を愛する心、そういったものをもっとはっきりと文部科学省が、答申を受けた上でこういったものを盛り込んでいきたいんだ、ここだけはこだわりで譲れないんだというものを示した上でこの国会に議論を喚起していく、そういったことがあってもいいんじゃないかと私は思うんですけれども、私の中では正直、非常にあいまいな思いを持ってみたりもしておりました。
 これは、今後の委員会で議論したいと思いますので、御答弁はいいのでございますけれども、先ほど申し上げたように、やはり慎重に吟味をしてということでは、私はとても今国会というのはまだ疑問符が残るなということを申し上げた上で、基本計画の方にも触れていきたいと思うんです。
 遠山大臣のお考えの中では、基本法の見直しと基本計画の策定、これは、それぞれどのような位置づけ、性格づけあるいは相互関係をお持ちでいらっしゃるのでしょうか。
遠山国務大臣 教育振興基本計画といいますものは、これからの日本の教育について総合的な角度から重点として挙げるべきものをきちんとした議論の上でおつくりいただく、あるいはつくっていくということになるんだと思いますけれども、私は、その場合に、教育の根本理念といいますか、基本理念というものを明確にした上で目標を立て、その目標に照らして必要な政策を考えていく、そういうふうな基本計画になるのではないかと思います。
 その意味では、これまで、いろいろな法律で基本計画というものを法律上規定して、根拠法を置いて、しかもその計画の立て方の考え方を法律の中に書き込んでいるものでございますから、私といたしましても、教育振興基本計画につきましては、基本法というものをしっかりと改正して、その上で、思想を明らかにして、根拠を明らかにして、また目標も明らかにしてやっていくものではないかなというふうに考えているところでございます。
 したがいまして、その前後ということになりますと、私としては、やはり基本法の改正を前提とした上で、根拠を基本法に置いて立案していくというふうなものだと考えております。
鎌田委員 すごく御丁寧にいろいろお答えをいただきまして、わかりました。
 理念を明確にした上で計画をと。前後関係でいうと、基本法改正が承認を得た後に計画が策定されるということでよろしいんですね。
遠山国務大臣 そういうことでございます。
鎌田委員 私は、今の御答弁を確認したんですけれども、私なりにすごく問題があるなと思って今の御答弁はお聞きをしたわけです。
 確かに、昨年十一月の中教審の中間報告、これを見ましても、第三章のところに、基本法改正後速やかに計画を策定することを期待というふうにもございます。それから、今回の答申の、改正の視点、七つ目のポイントのところに「教育振興基本計画の策定」というものが挙げられています。
 基本法改正の視点のポイントとして七つ目にこの計画の策定というものが挙げられているということは、そして今の御答弁で、改正がなされた後計画がつくられるということは、改正案が国会に出されるとき、そのときに計画はでき上がっていないということですか、でき上がっているんですか。
河村副大臣 教育振興基本計画については、これから早速中央教育審議会の専門部会にそれぞれおろしまして、さらに深めた議論をしていただきますので、並行的にこういうものはできていくと思いますね。この基本計画そのものは法律ではありませんけれども、当然それと並行してできていくものである。
 だから、今鎌田委員の御指摘であれば、法案を出す際には、基本計画というものは、細部についてどうかと言われるとあれでしょうけれども、基本的なものはもうできておる、こういうことであります。
鎌田委員 いろいろ聞きたいことがいっぱいあって、何から聞いたらいいかわからなくなるくらい、今のほんの少しの答弁の中では感じるのですけれども、並行的に議論が進められていって、改正案が出されるときに、最後まで全部ということはわからないけれども基本的なところは決まっていると思うというような御答弁でした。
 まず伺いますが、御答弁にも、計画の方は法律云々ではないんだというふうにありました。つまり、基本法改正の案文の中に、一行か二行かわかりませんが、計画を政府が策定するというふうな条項が盛り込まれるということですよね。
河村副大臣 そういうことです。
鎌田委員 ということは、基本計画についての最終的な承認、決定の場というのは、これはやはり閣議になるわけですか。
河村副大臣 これを言うと先ほどのいろいろな基本法との兼ね合いが出て、それと重きが違うというお話になりましょうが、これは基本法に、それぞれの基本法、今十六ぐらいありますか、閣議事項であるものとそうでないものがございます。これからの検討事項であるというふうに思います。
鎌田委員 遠山大臣が諮問をしたペーパーの中に、計画策定に当たっては、計画に盛り込むべき内容として、次の事項について検討する必要があるというふうに考えを述べていらっしゃるんですが、その第二のところに、「政府が総合的かつ計画的に実施すべき施策として、例えば、以下のような事項について、国民に分かりやすい具体的な政策目標を示すとともに、それを実現するための主要な施策について検討する必要があると考える。」と。(1)から(5)まで挙げていらっしゃって、これは(1)から(5)を全部読みますと、日本の教育全般にわたる、また家庭、地域の教育力の向上も含みますから、地域の国民生活全般にもわたるものですよ。
 こういう計画が基本法改正のときに、全部はでき上がっていないけれども、基本的なものはできている、しかも最終的な決定、承認は閣議になるんだと。その理由は、法律が、基本法がもう根拠法になっているんだから国会で議決をするものではない、基本法の中にこれが入っていれば認められるんだと。「教育財政の充実にも資するもの」だというふうにもはっきり書かれてありますから、予算措置がなされて、予算審議で通っていくと。おかしいんじゃないでしょうか。私は、こういう手順というものはおかしいと思いますが、いかがですか。
河村副大臣 手順のどこがおかしいと言われるんですか。教育投資のことも含めて、これは法律には書きませんから、やはり基本計画の中にこういう形でやっていくというふうに入っていくだろうというふうに思いますから、手順としては別におかしくないと私は思うんですが。
鎌田委員 ある手順を、基本法に盛り込まれればそこがスタートですから、そこからの手順をお考えになっているのはまさに正しいと思います。私が申し上げたのは、日本の教育全般にかかわるこの計画の内容、また、ひいては国民生活、家庭、地域、すべてにかかわる改革の計画内容、あるいは国と地方公共団体の役割等についてもと。もう本当にすべてなんですよね。これらすべての計画を文部科学省が、国が計画をつくって、そしてそれの最終的な決定の機関が閣議になっているようなやり方で進めていくということ、これがおかしいんじゃないですかということを申し上げたんです。
 私の気持ちが伝わっていないのかなと思いながら、それを申し上げた上で、この基本計画なんですけれども、非常に重要なものですし、先ほど来申し上げているように、もしかしたら、これは少し過度な危惧かもしれませんが、義務教育のときにも議論になりました、国が関与し過ぎているんじゃないかというふうにとられるような計画内容が出てくることも懸念をしている声があるということも理解をしなくちゃいけないと思うんです。だからこそ、私は、これは基本法同様に、教育振興基本計画推進法とでも位置づけて、名づけて、きちんと国会で議論をして、国会において議決を行っていく、そして毎年きちんと中身を精査して、はっきり法律で位置づけて、まさに正攻法で財政的なそこのところもとっていく、質をとっていくというようなやり方にしていくべきではないでしょうかということを提案したいと思いますが、いかがでしょうか。
河村副大臣 私も、今鎌田委員のお話を聞いていて、この教育基本計画そのものが閣議決定になじむことなのかどうなのか。まさにおっしゃるように、教育のあり方を、上からというんじゃなくて、今は地方分権の時代でもありますし、基本計画が決まったらそれにのっとってやるということ。これまでも教育はそういう形でやってきておるわけですから、今回、根本理念を見直しますから、それに伴っていろいろな動きが出てくる、具体的なことがかなり細部にわたって教育基本計画の中に入っていくであろうということでありますから、そのことをどうするかについては、今の委員の御意見も踏まえて検討させていただく、こういうことを申し上げておるわけです。
鎌田委員 時間が終了しましたので、最後に一言だけ申し上げて終わります。
 いろいろ伺ってまいりましたけれども、教育基本法という重い重い理念法です。これを見直す議論を腰を据えてなさろうとしているというより、もうまさに予算獲得のための基本計画を、はっきり申し上げれば動機不純、そういったところで法的根拠でもって策定したくてしようがないというようなものばかりが今のところは伝わってまいります。
 ですから、基本計画は非常に重要です。財務に弱い文科省というイメージを払拭してきちんと、本当に、小泉総理にうそをつくな、そんな気持ちでもって日本の教育を考えるというところで、それにはやはりかかるものはかかるわけですから、先進諸国、世界各国を見ても、かかっていないわけです、日本の教育予算。そこのところをもっと、遠山大臣、政治家になっていただいて、もう一丸となってこの委員会を初めとして取り組むためにも、この基本法の改正というならば、やはりきちんと腰を据えて議論をする必要があると思いますし、そして計画策定についても、きちんと国会で細部にわたって、文科省が決めて、それを文科省で決定して決まっちゃったというものではなくて、ちゃんとここの場において議論ができるように、そういう環境づくりをしていくことを、大臣初め副大臣、政務官に要望して、質問を終わります。
 ありがとうございました。
古屋委員長 肥田美代子君。
肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 去る三月二十日の中教審答申に関連いたしまして、まず不登校問題についてお尋ねしたいと思います。
 平成四年三月、当時の文部省の学校不適応対策調査研究協力者会議は、不登校問題につきまして、学校生活への適応を図るために多様な方法が検討されるべきだとして、児童生徒の立場に立った指導、教育相談など、具体的な提言を行っております。この提言が行われましてから約十年がたちました。十年前の平成二年度に三十日以上欠席した不登校児童生徒は、小中合わせまして四万八千二百三十七人でした。そして、十年後の平成十三年度には、小学生だけでも二万六千五百十一人、中学生は十一万二千二百十一人を数え、合計で十三万八千七百二十二人となりました。
 不登校児童生徒が急増した原因はどこにあって、どんな反省をされ、そしてどんな対策をとられたか、お示しをいただきたいと思います。
遠山国務大臣 不登校問題につきまして、平成十三年度の不登校児童生徒数は、今委員から御紹介がございましたように、約十八万八千人と、過去最多となっておりまして、さまざまな施策を打ってきたのにむしろその数が伸びているということは、大変憂慮すべき状態にあると私は考えております。
 もちろん、こうした状況に対しまして我が省といたしましては、これまでさまざまな施策の充実を図ってきたところでございますが、一つは、わかる授業の実施あるいは心の教育の充実、それからスクールカウンセラーの配置などによる教育相談体制の充実、また学校、家庭、地域の連携の推進といったようなことをやってまいったわけでございます。例えば、その中のスクールカウンセラーの配置校におきまして不登校の状況の改善が見られまして、一定の成果を上げてまいってはいるわけでございますが、本当に憂慮すべき事態であると私は考えております。
 不登校の原因につきましては、もちろんさまざまな要因が絡んでいるというのはもう御承知のとおりでございまして、学校の問題、家庭の問題あるいは本人のいろいろな資質の問題というようなことがあるようでございますが、一つには、やはり学校現場におきます不登校児童生徒へのかかわり方、あるいは学校からの登校への働きかけのあり方ということについて理解あるいは取り組みが十分でなかったのではないかという面も考えられるわけでございます。
 我が省におきましては、そのような事態を踏まえまして、専門家による協力者会議を急遽つくりまして中間報告を取りまとめたところでございまして、今後、これまで現場で見られました不登校の事態をただ待つという状況から、早期の適切な対応というところへ大きく踏み出そうといたしておりまして、これによりまして、不登校児童生徒の社会復帰でありますとか社会的自立、必ずしも学校へ来いというだけではなくて、社会的な自立が可能になるようにいろいろ手を尽くそうと。特に、学校というのは専門的な知識を持った方々の集団でございますので、その力も活用しながら、学校内外でそういった支援体制を強化しようということで、今大きく踏み出そうとしております。
 本年度から、学校、教育委員会と地域の関係機関あるいはNPO等から成る地域ぐるみのネットワークを整備いたしまして、不登校への早期の対応、それから家庭にいる児童生徒や保護者への支援というものを推進してまいりたいと思っております。さらにまた、いろいろな資料もつくったりいたしまして、この問題について本格的に取り組んでいきたいというふうに考えているところでございます。
肥田委員 今大臣がお答えいただきましたように、本当にこの十年間、これでもかこれでもかと言えるほどの手を尽くした教育改革をしていらっしゃるということは私も承知いたしております。ただ、これほど努力しながら様子が一向に変わらないというのは、その教育改革、つくった文科省から現場までの間の道筋が、どこか何か回線がよくないんじゃないかというふうに私は思うんです。
 もう一つ、事例を挙げてお尋ねしたいことがございます。
 平成九年八月に改訂されました教育改革プログラムでは、教育内容の厳選とゆとりある教育活動の展開が提唱されました。それから五年後の平成十四年八月にまとめられました「新しい時代を切り拓くたくましい日本人の育成」では、確かな学力の教育が提唱されております。この二つの行政方針、これがどうつながるか、私は明確に感じられないんですね。ゆとりの教育を展開したけれども学力低下が社会問題になった、そこで確かな学力の教育に転換したのか。転換されたのか、それとも転換していないのか、その辺を伺いたいと思います。
遠山国務大臣 先ほどのお答えの中で、十三年度の不登校児童生徒数、私は十三万と言ったつもりですが、どうも十八万と聞こえたかもしれませんので、十三万に訂正させていただきます。失礼いたしました。
 ゆとり教育から確かな学力の教育へと方針転換をしたのかというお尋ねでございます。これは、明確にお答えするチャンスを与えていただいてありがたいと思いますけれども、私といたしましては、方向転換ではないわけでございます。
 つまり、今新しい学習指導要領に基づく教育が学校現場でなされておりますけれども、新指導要領のねらいといいますものは、時間的、精神的な余裕を持った上で、基礎、基本をしっかり身につけ、そしてみずから考え、みずから行動できる、そういう力をということでございまして、私といたしましては、その後段の部分の、基礎、基本を大事にして、みずから考え努力する、あるいは行動できる、そういう力を身につける、これを確かな学力と名づけたわけでございます。その意味で、もともと新しい学習指導要領のねらいそのものを敷衍するために明確にしたわけでございます。
 といいますのは、基礎、基本を徹底しと一言で言いましても、そんなに楽なことではないんですね。いろいろな角度から真剣に取り組んで初めて、基礎、基本というのは身につくわけでございまして、そのことにおいて十分であるか。また、みずから考え、みずから行動する力といっても、ただ課題を与えて子供たちにやらせておけばいいというようなものではございません。そのときにどういうふうにやったらいいかということも十分考えなくてはいけない。そういうことは十分各地の学校現場においてやられているとは思いますけれども、それをさらに確実にするために、確かな学力という角度から真剣に取り組んでもらいたいということで、そのやり方を明確化したわけでございます。
 そのときの取り組み方を学びのすすめという形で明示したわけでございますが、それは一人一人の子供たちの状況に合わせてきめ細かく指導していく必要があるということ、それから学ぶ習慣を身につけさせるということ、さらには学ぶことの楽しさを身につけさせること等々のことでございまして、要するに、新指導要領のねらいとしていることを実際にやって、それが、一人一人の子供の状況に合わせて、確かな学力として身につけさせるためにしっかり自覚をしてくださいということで出したわけでございます。
 その意味で、世上いろいろなことを言う方もあるようには聞きますけれども、私といたしましては、方針転換ではなくて、新しい世紀を担う子供たちが本当に必要な確かな学力というものを身につけていくための大きな歩みを今一歩踏み出したところだというふうに考えております。
肥田委員 今大臣がおっしゃったことは私も理解します。ただ、教育現場はちょっと違うんですね。どうも、方針転換と受けとめる先生方もいらっしゃって、混乱を招いているということもあるわけです。それで、今大臣がはっきりおっしゃっていただいた。そうしますと、確かな学力教育は、学力低下は認めておるけれども、それはゆとり教育が原因じゃないということを今おっしゃったわけですね。それでよろしいですね。
 そうしましたら、私は学力低下の原因はどこにあるかということをお伺いしたいと思ったんですけれども、今、学力低下の端的な原因というのは、大臣はおつかみになっていらっしゃいますか。
遠山国務大臣 学力低下というのが何を指していらっしゃるのか、これは相当議論した上でないと大きな影響があると思います。
 御存じのように、これまでの国際的な調査あるいは全国的な調査の結果を総合的に分析いたしますと、日本の児童生徒の学習状況というのは、国際的に見て上位にあるということは確かでございます。しかし、問題点もなきにしもあらずということで、よく見てみますと、学習内容を十分理解できていない子供が少なくない。それから、高いレベルの学力を持つ子供の割合が、日本は他国に比べて少ない。あるいは、勉強は大切と考えているけれども好きではないと感じている子供が多い。さらには、学ぶ習慣が必ずしも身についていなくて、自分で勉強する、そういう時間を比べますと、諸外国の中で、調査対象国の中では最も低いといったようなこと。さらには、自然体験でありますとか社会体験などの子供の学びを支える体験が十分でないというようなことも明らかでございます。そういうふうな課題を踏まえまして、そういうことであってはいけないということで大きくアピールをしたのが学びのすすめであるわけでございます。
 つまり、ゆとりというものが緩みということになってはいけないということで、本当にやるべきことは確かな学力を身につけさせることである。そのときに、もちろん精神的あるいは時間的な余裕というものを与えた上でやっていく必要がありますということでございます。
 その意味では、これまではどちらかといいますと、クラスの真ん中辺を対象にして、一律に、画一的に、あるいは教え込んで受け身にというふうな教育が先行していたのではないかと思われまして、そうではなくて、一人一人の状況に合わせてやると。したがって、習熟度別の学級編制でやったところ、大変な効果を上げ始めているというようなこともあるわけでございます。
 そのような意味で、新指導要領そのものは今本当に厳然としてあるわけでございまして、それにのっかってやっていただいているわけですし、私どもとしてはそれをバックアップしていく。しかし、大事なのは、本当に何をねらいとしているかということを正確に受け取ってもらいたいということで打ち出したものがあのアピールであるわけでございます。
肥田委員 さて、新しい中教審答申が出されましたので、そこに話題を移したいと思いますが、教育現場で起きている教育病理現象、また教育行政につきまして、恐らくたくさんの検証と分析が行われたと思いますけれども、中教審ではどんな議論がございましたでしょうか。
河村副大臣 答申に至るまでの過程においてさまざまな議論がされたわけでございますけれども、戦後の教育改革というものが国民の教育水準を大いに上げた、そして日本の原動力になったんだということをまず評価しながら、一方では、しかし現実に、今委員も学力低下というような御指摘がございましたけれども、また大臣の答弁の中にもなぜそうなったかという御指摘がありましたが、やはり今の日本における環境の中で青少年が夢や目標を持ちにくくなっている。規範意識や道徳心や自律心が低下しているということ、それからいじめや不登校、学級崩壊等々、学校現場で深刻な問題も出ておる、また青少年の凶悪犯罪も出ておる。
 それから、特に今家庭や地域の教育力の低下が著しいということ。それから、大臣も御指摘ありましたように、アンケートをとってみると学ぶ意欲の低下がある。こういうようなことが指摘をされて、そして、この危機的な状況、直面をしていることに対して、いかにこれを真摯に受けとめて、この課題を取り上げて、これを克服する努力をしなきゃいかぬということが審議の中でかなり議論をされたところでありまして、それが今回の答申になって出てきておるというふうに受けとめております。
 文部科学省としても、これは謙虚にこの御提言というものは受けとめて、さらにこれは不断の教育改革の中で、教育基本法を見直すという大きな課題を抱えておりますが、取り上げるものはどんどん取り上げていかなきゃいかぬ、このように考えておるところであります。
肥田委員 ただいまの副大臣のお答えを聞いておりますと、要するに、八方手を尽くしたけれども、もはや制定後半世紀を経た教育基本法改正以外には子供たちを取り巻く状況を好転させる道はない、そういう結論に至ったということですか。
河村副大臣 教育基本法を見直したら今のこの事態がすぐ好転するという結論にはなっておりませんし、私もそう思っておりません。
 しかし、この戦後の半世紀を振り返ってみて、社会全体も大きく変わっているこの変容の中で、教育の根本から見直していく、これはやはり重要な課題だという認識のもとに立っておるわけでございまして、この教育基本法を見直そうということは、まさにこれからの子供の教育をということでありますが、やはり我々大人社会も一体となって教育のことについて取り組んでいくということでなければならぬと思っているんです。
 先ほど鎌田委員の御指摘にもありましたけれども、要するに、教育基本法なんというのは全然国民に周知していないじゃないかという議論がありました。認知されていないんじゃないかという議論があった。私はむしろ、今回、この事態に至っている今日、まさに教育基本法を見直すことによって国民の皆さんにこれを認知していただく、そのことだ、こういうふうに思っておるわけでありまして、これをやったら即ということじゃないけれども、教育の効果というのは、今決めたことは三十年、五十年先にあらわれるものでありますから、そういう視点に立って今こそ取り組むべき課題であるというふうに思っているわけでございます。
肥田委員 答申では、第一章で教育の現状と課題について記述をしております。私も読ませていただきまして、おおむねそのとおりであろうと思います。文章もよくできていると思っております。
 しかし、疑問に思いますのは、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊など深刻な問題、これを教育基本法で解決しようという発想、今河村副大臣はそうじゃないとおっしゃいましたけれども、その間にやはりとてつもない飛躍があるように思うんですね。この両者をどこでどうつなげて埋めていくかという大きな課題があると思うんです。
 私は、きょう池坊政務官においでいただきましたのは、青少年問題の特別委員会で一緒になって児童虐待防止法を制定いたしましたが、池坊政務官の子供に対する発想、思いに私はとても共感を持っておりますので、では、この教育基本法で解決しようという発想はとてつもない飛躍であるかどうかについてお尋ねしたいと思います。
池坊大臣政務官 私は、教育基本法を改正したからといって、確かに今教育現場が抱えておりますさまざまな問題が解決するというふうには思っておりません。むしろ、先ほどから審議されております教育振興基本計画、あれの方がいいのではないかと私は思っているんですね。つまり、目標を掲げまして、教育現場がそれぞれ、学級崩壊をなくそうとかいじめをなくそうとか、あるいはまた不登校の子供たちにはどういう手当てをしたらいいか、私はそういうことが必要なのではないかというふうに考えております。
 今肥田委員がおっしゃいましたように、確かに第一章では、教育の現状と課題を分析した上で、現在直面する危機的状況を打破し、新しい時代にふさわしい教育を実現するためにはどうしたらいいか、それには、今日的な視点から教育のあり方を根本までさかのぼり、我が国と人類の未来への道を開く人間の育成のために今後重視すべき理念を明確にすることという理念を打ち出しております。そして、それとともに、その理念を踏まえて、家庭教育、学校教育、社会教育等の各分野において改革を進めていくことが必要である、それは二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指しているからだということでございます。
 二章では、一章で提言されました教育のあり方を根本までさかのぼった検討を行った結果、教育の根本を定める教育基本法について、現行法を貫く個人の尊厳、人格の完成などの理念は普遍的なものとして今後とも大切にしていくとともに、今日極めて重要と考えられる理念や原則を明確にするため改正を行うことが必要という提言が行われておりますね。
 私は、むしろ三章に、さかのぼりまして三章に行きますと、では、一章に示された教育の現状と課題をどういうふうに解決したらいいのか、理念だけじゃなくて、その理念を踏まえながら具体的にさまざまな計画をしていくことが必要である、それは教育振興基本計画の策定なんだということで、私は、むしろこの三章によって、青少年が抱えている問題あるいは子供たちのいろいろな、児童虐待等々も含みまして、そのような問題の解決に当たることができるのではないかというふうに考えております。
肥田委員 私は、やはり学校の主人公は子供であるという、これは池坊政務官とも全く意見を同じにしていると思っております。
 それで、教育基本法の理念に盛り込むべき課題が列挙されておりますけれども、私は、はっきり申し上げて、この課題を入れたところで教育の深刻な事態は克服できると思えない、それも、私も池坊さんも考えは一緒だと思っております。
 ですから、この教育基本法の改正にエネルギーを今この段階でそれほど注ぐ必要があるのかどうかということに疑問を感じるわけですが、私は、一つお尋ねしたいのは、教育基本法の前文とか教育理念があるがゆえに実践できなかった教育課題があったのかどうか、そこのところをお尋ねしたいと思います。
河村副大臣 教育基本法改正にエネルギーを注ぐことにどれだけの意味があろうか、こうおっしゃっておりますが、教育問題に取り組んでおられる肥田先生の御意見としては、私もちょっとがえんじ得ないところがありますけれども、教育基本法そのものの、特に前文の項目については、先ほど来御答弁申し上げておりますように、この基本理念は普遍的なもので、これは大切にしながら具体的なことをやっていこうということを言っているわけであります。
 今おっしゃったように、何か教育基本法が障害になって教育現場でできない、教育基本法そのものは根本の大枠を定めたものでありますし、そういう性格の法律ではありませんから、そういうことがあったということは私も全く承知しておりませんし、そういうことはあり得ないというふうに思っております。ただ、教育基本法を現実に見ているときに、今の時代において、まだこの中に書き得ないものといいますか、そういうものがあるという指摘が今回提言されておるわけでございまして、そういうことを踏まえてやることによって、今の教育がさらによくなるというふうに思っておるわけでございます。
 教育基本法が直接障害になったということはないと思います。ただ、一般的によく指摘されることとしては、例えば宗教教育の問題等にしても、第二項が余りにもかぶさってきて、そして教育現場で全く宗教に手を触れられないというようなこと。卑近な例としては、学校給食のときに、日本人は仏教徒が多いものでありますから、家でやっているように自然に手を合わせると、これは仏教だというような話とか、クリスマスツリーが出てくると、これはもうキリスト教だというようなことになって、教育現場ではそういうことが、ややもすると第二項が勝ち過ぎたというようなことも指摘がありますから、やはりそういうものは見直していきながらという議論があることも事実でございますので、基本理念は確かにそのとおりでありますが、個々にわたった場合には、その解釈について、過大に解釈されたりとかいうことで、若干そういう問題もあるやに聞いておるようなわけでございます。
肥田委員 私は、今可及速やかにしなければいけないことは、教育基本法の改正ではなくて、もう一つ、もう二つかもしれませんが、まだあるんじゃないか、そう思っているんですね。そのことはまた最後の質問にさせていただきたいと思いますけれども、男女共同参画社会、こういう言葉などはやはり新しい時代のテーマといたしまして必要でありますけれども、愛国心という言葉、国を愛する心というのは、一九五〇年代から言われている古いテーマでありますね。ですから、例えば公共心教育とか道徳とか愛国心を基本法に規定するというのは今の時代に本当に必要なのかどうか、これから五十年、百年に向かって本当に必要なのかどうか、私はちょっと首をかしげるんですが、大臣、どう思われますか。
遠山国務大臣 国を愛する心、これは私は、先ほど松浪委員の御質問にもお答えいたしましたけれども、一国の国民が持つ感情として、郷土を愛し、あるいは国を愛する心というのは、必然の、あるいは自然の感情ではないかなと思います。
 それは、一人一人の個人というものは人格の完成を目指しての教育というものをしっかり受けるわけでございますけれども、一人一人が伸びやかにその才能なり力なりを発揮していくのと同時に、社会の形成者の一人、国家の形成者の一人としてしっかりした役割も果たしていく、そのことが必要であるわけでございまして、それを実現していくには、国を愛する心というのは国民にとって当然の感情ではないかなと思うところでございます。このことについて、今回の答申においても明記されておりまして、その考え方を尊重するというのが我々の立場というふうに思っているところでございます。
肥田委員 そうしますと、先ほど申し上げました道徳教育、愛国心、それから男女共同参画とかそういう教育課題がありますけれども、これは法的根拠を与えられた場合と与えられなかった場合、法的根拠を持たない場合とでは、教育行政のあり方が違ってきますか。
河村副大臣 答申においては、教育基本法の改正に取り組む、そして教育基本法の改正の趣旨が教育制度全般に生かされるように、学校教育法、社会教育法などに定める具体的な制度のあり方やそれから学習指導要領、そういう教育全般にわたって見直しを行うことが必要であるというふうに提言をされておりますので、教育の根本法でありますこの教育基本法を見直すという、これは今後重視すべき教育の理念とか原則を明確に規定をすることの意義というものはあるのではないか、私はこう思っておるわけでございます。
 それだけに、さらにこの答申を踏まえて、国民的な議論も踏まえながら、基本法の改正に取り組んでいかなきゃいかぬ、こう思っておりますから、委員の御指摘のように、やはり法的根拠を持つということは、教育全般に影響を及ぼすことになるというふうに思います。
肥田委員 国を愛する心という言葉でございますが、ジャパン・タイムズはパトリオティズムと英訳して、中国の人民日報では愛国と訳しております。これは愛国心とか愛国ということになりますが、中教審で言うところの国を愛する心というのは、愛国心とどう違いますか。
河村副大臣 中央教育審議会でもこの議論はあったわけでありまして、これはおっしゃるとおり、英語に訳したり、中国語もそうだという御指摘でありますが、私もそのように思っております。
 ただ、この教育基本法の見直しが、我々の苦い経験になった全体主義、国家主義的にならないようにという御指摘もあるように、やはり国民の上にまだ誤解があるのではないかということを委員の皆さんが心配をされまして、この方が国民にとってはわかりやすいといいますか、そういう思いもあるのではないかということでこのようになったと思います。
 例えば、国民の祝日に関する法律についても、建国記念日というのは、「政令で定める日」「建国をしのび、国を愛する心を養う。」こううたってありますので、そういうことも踏まえながらこういう言葉になったというふうに私は理解をしておるところでございます。
肥田委員 ということは、言葉としては同じだというふうに理解していいんですね。ですから、今おっしゃいましたように、国民に受け入れられやすい、そういうお考えですね。――わかりました。
 それで、その中教審答申の中で、要するに、国家至上主義的な考え方とか全体主義的なものになってはならないとあえて記述していらっしゃいます。先ほどからも答弁がございましたけれども、ここまで書かなければならないということは、この愛国心、国を愛する心に少しやましさがあるからですか。今ちょっと河村副大臣がおっしゃいましたけれども、やましさがあってのただし書きでございますか。
遠山国務大臣 国を愛する心にやましさがあるというのはよくわからないのでございますけれども、そういうことでは全くなくて、恐らくいろいろな論議が出るであろう、しかし、そのときに陥りやすい議論としまして、そこに書いてあるような議論があってはならないということで、念のために書かれた文章であるというふうに私は考えております。
肥田委員 郷土や国を愛する感じ方は、やはりその人によって違うと思うんですね。日本の風景や美しい言葉が好きだから日本を愛するという人もいる。そしてまた、おじいちゃんがいる郷土だから郷土が好きなんだとおっしゃる方もいらっしゃる。国や郷土に対する愛情も、それから人間に対する愛情も、他者から強制されるものでないということは申し上げるまでもないと思います。人それぞれの内面で育つものなんですよね。そう私は思っております。
 つまり、個人の自由と民主主義を基盤にした極めて自主的なオプションだ、そう思うわけです。それが国を愛する心であるべきだと思うわけですが、答申があえて、国家至上主義的な考え方、全体主義的なものになってはならないと記述していらっしゃることを私は肯定的に受けとめたいと思います。しかし、これだけで不信を払拭することはまだできないんですね。戦前の反省に立つということもございましょう。
 ですから、国家至上主義、全体主義につなげないようにするというのであれば、どこかにそれを明確に担保する必要があると思うんですけれども、そういうお考えはありますか。
河村副大臣 これは、中央教育審議会の方でこういう形で出てきておりますから、どのような形で担保すればいいかということになろうというふうに思いますが、今後これをさらに深めていく中で十分意を用いてまいらなきゃいけないことだというふうに思っております。今どういう形で、こうしたら担保されるという形にはなっておらないわけでございまして、この答申を踏まえて、どのような形でこれを表現していくかということになろうというふうに思っております。
肥田委員 一部の国会議員の中には、教育基本法の改正とそれから教育勅語をダブらせて発言していらっしゃる向きもございますけれども、教育勅語では道徳教育についてどう記され、学校ではどう指導されていたのか。それからまた、今回の答申で言う道徳心と教育勅語の道徳は同じですか、違いますか。
河村副大臣 今の教育現場で教育勅語と比較して教育をされているとは思いませんから、私も教育勅語で学んでおりませんので言葉の上からでしか考えられないのでありますが、同じかと言われるその趣旨が、道徳心そのものだけをとらえたら、道徳心に三つも四つもあるわけがありませんから同じものだと思いますけれども、しかし、我々が今考えているのは、教育勅語を復活させようというようなことでこの問題を取り上げているのでは決してない。
 ただ、誤解なきように申し上げておきますが、例えば自民党の議員の皆さんのおっしゃる中には、あの教育勅語の中にも「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ」とありますね。そうしたことは人間が生きていく上での普遍的なものではないか、このことは間違っていないのではないか、ただその使われ方が残念ながらああいう形になったんだということを我々反省するけれども、そういう普遍的なものは大事じゃないかというふうにおっしゃっているわけでありまして、そのことをもって教育勅語の復活と結びつけるのはちょっとうがち過ぎた話ではないか、私はこのように考えます。
肥田委員 それから、日本の伝統とか文化について私はこういうふうに考えるんですけれども、日本の伝統文化は、いろいろなお祭りとか祝い事に見られますように、一木一草にも、それから鎮守の森とか畑や田んぼにもさまざまな神々がいる、仏たちがいる、そういうふうに多神教に基づいていると思うんです。ですから、伝統とか文化を否定されるべきものではなく、継承されるものだと思います。
 ただ、今回の中教審の中にあります伝統文化というのはどういう意味で使われているのか。私が今申し上げたと同じ意味でよろしゅうございますか。
河村副大臣 今委員御指摘のことも、それがそのままストレートということにはならないにしても、私はやはり、日本人がこれまでつくり上げてきた蓄積といいますか、歴史的につくられてきたもの、そして蓄積されたもの、あるいはさっきの、お祭りとかおっしゃった、ああいうような社会において共有されているもの、あるいは世代を超えて受け継がれているようなもの、そういう精神的な遺産とか慣習とか生活様式、そういうものの総体を示して、これを伝統文化というふうに位置づけている。また、これも中教審でも、中間報告でもそういう形で出ておりますので、そういう形で議論をされて位置づけられたというふうに思います。私もまたそう思っております。
肥田委員 そこで、最後の質問に入らせていただきます。
 とてもささやかで小さなことに見える改革でも、実は少し長い目で見ますと決定的な成果を上げるということを、私たちは幾つか経験いたしてまいっております。
 本委員会で、超党派の議員立法で子どもの読書活動推進法が制定されました。その後どういうふうになったかというと、地域や学校の読書活動が刺激されて盛んになりました。子供の読書量が増加しました。かなりの成果だと私は思うんですね。そればかりではなく、朝の読書を実践している学校が本当にたくさん出てまいりましたけれども、学級崩壊を食いとめ、不登校児童生徒、そしていじめが減少する、そういう報告もあるわけですね。まさに、いろいろな教育改革プログラムやプランがなし得なかったことを読書という行為がなし遂げていることを、私は軽視してはいけないと思っております。
 私は、本当の教育改革は、子供たちに添って小さな改革をいかに根気よく積み重ねていくか、それがとても大事だと思うんです。だから、ここで申し上げたいのは、私はまだこの教育基本法の改正につきまして是とも非とも決めた立場でないことを申し上げながら、しかし、それでも時の政治家が大声で方向を決めるような愚は避けたい、ましてや政争の具にしてはいけないと思うんです。大臣も、もちろん副大臣、政務官もそのようなお考えだと思いますけれども、そのあたりをきちっと聞かせていただきたいと思います。
遠山国務大臣 今お話しになりましたことは、本当に説得力があると思いますね。教育の本当の成果というものは地道なものだと思いますし、直ちに成果が出るものではないと思います。
 ただ、一国の教育の将来というものを考えたときにどうあるべきかという角度も、やはり今、この混迷した社会あるいは世界の中で、日本の将来あるいは世界への貢献というものを考えていって、そして、そういう世紀を担う人材育成という角度も十分検討した上で、必要なものについては必要な手を打っていくということが大変大事ではないかと思います。
肥田委員 終わります。ありがとうございました。
古屋委員長 山元勉君。
山元委員 民主党の山元でございます。
 大変空席が目立つ中ですけれども、午前の質問をさせていただきますが、事は、先ほどから出ておりますように、本当に重要な課題、日本の二十一世紀の教育を決める課題ですから、我が党も出席については努力をしたいと思いますけれども、やはり、熱が感じられるような委員会審議にしていただきたいなというふうにお願いを申し上げたいと思います。
 基本法の前に、先ほど斉藤委員もお触れになりましたけれども、私自身もきょうの前の委員会で、外国人の大学受験資格の問題についてお尋ねをしました。お願いもしました。そして、二十七日でしたか、大臣に直接お会いしに行って、これはやはり再検討すべきだということを申し上げました。その結果といいますか、多くの国民の皆さんからの意見もあって、二十九日になって文部科学省が、検討をし直すといいますか、さらなる検討をするというふうに決断をしていただきまして、斉藤委員と同じようにその決断に対しては私どもも評価しますし、ありがとうございますというふうに、お願いした立場からいうとそういう気持ちを持っています。
 しかし、幾つかの問題が残っているというふうに思います。
 制度を変更するとなると、最初、十四年度中にというのは、来年の卒業生に対してきちっとこれを適用しようということだったわけですから、早く結論を出さないと、ことしの卒業生の一生にかかわる問題です。ですから、進路を決める、あるいは大検を受けるとか、いろいろなことを考えなきゃならぬ若い青年諸君に、一日も早うこうしますよということが伝わらないけないというふうに思うんです。新聞でも早く結論を出すと見られるというふうに書いてあるんですが、一体この結論はいつ出されるか。例えば、極端に言えば何月ごろ、これは今申し上げましたように当該人にとっては大変な問題ですから、今どういう計画になっているか、お答えをいただきたいと思います。
遠山国務大臣 年度内ということを延長いたしまして、さらに検討を加えるということでございますが、御指摘のように、なかなか難しい課題がございます。日本の法制度との関係、それから一定水準の教育というものをどう見るかというようなこともございまして、これはきちんとした検討が必要だと思っておりまして、今、いつというふうには申し上げられないところでございますけれども、努力を続けるということでございます。
山元委員 難しい問題と、余り難しく考える必要はないというふうに思うんですよ。大学へ合格させてあげます、させてあげませんという問題と違って、試験を受ける資格があるかどうかでしょう。試験を受ける資格を平等に与えて、できるだけ広い範囲の中で与えて、そして学力検査をやればいいだけのことですから。ですから、そこのところは余り難しく考えないで、評価の機関というんですか、そういう手続は必要だというふうに思いますから、ですから、そこのところは一日も早く、一月も早く結論を出していただくようにお願いをしておきたいと思います。
 もう一つですが、今、朝鮮民主主義人民共和国との関係においては、望ましい関係にないというふうに私は思います。何か漏れ聞こえてくるところでは、感情的になって、これだけでも外そうかというような声もなきにしもあらずだと聞きました。私はやはり、前の委員会のときにも申し上げたと思うんです。今日本で生活している外国の子供たちが、日本っていい国だ、僕もアジアとのかけ橋になるんだというようなことがきちっと将来的に持てるような青年を日本で育てるということであれば、こんなことは論外だというふうに思うんですけれども、よもやそんな論がはびこっているんではないでしょう。
河村副大臣 大臣が決断をされて、もっと機会を拡大する方法はないかということで結論を出された、そのことは特定の外国人学校を排除するというものではない、これはもう当然のことでございまして、そんな議論が文部科学省の中にあるわけでもございません。
 ただ、この問題点を整理したときに、いずれにしても課題になりますのは、やはり一定水準の教育といいますか、これをどういうふうに確保されているかということがやはり課題になっておるわけでございまして、この点についてもうちょっと時間をかけて検討しなきゃならぬということでお時間をいただきたい、こういうことになっておるわけであります。
山元委員 その一つの物差しというのは必要だというふうに私も思いますから、ぜひ早く、あるいは最大限広い幅で御検討をいただきたい。
 もう一つですが、きのうの新聞を見て驚いたんですが、欧米系の外国人学校に優遇税制、寄附をしたときに所得税が優遇される。こういう優遇税制が、調べてみたら、三十一日の官報にも載り、新聞でも、欧米系の学校だけにそういう優遇税制と。これは、今現在私学に対するそういう寄附の優遇税制がありますけれども、それをここだけに当てはめるというのは、これはセットだったのと違うんですか。なぜ税制だけはこの三つの機関を通じたものが、インターナショナルスクールだけが当てはまるのか。これも一緒になってやはりストップをかけないかぬのと違うんですか。
 外国人学校というのは、非常に苦しい、それなりに苦しい経営をしていますよ。だから、金を集めたいというのは同じことです。先ほど意見がありましたけれども、私も、そのことについては大事にせないかぬ。けれども、これは文部科学省として、財務省との協議の末なんでしょうけれども、けれども、これは二十九日にストップをかけるべきやった。いかがですか。
河村副大臣 この問題は税制改正の視点からきたものでございますが、対日直接投資を促進して海外の優秀な人材を呼び込みたい、在日外国人の子女に対する教育上の環境整備を行うことは非常に重要であるという閣議決定も踏まえた形でこういう形になってきたわけですね。これは、このような観点で、政府の対日投資会議とかあるいは総合規制改革会議、あるいは日本経団連等々からこの問題について指摘がされて、文部科学省としても、昨年の八月に、特定公益増進法人の範囲に追加するという税制改正をやったわけでございます。
 これは経済産業省と財務省に一緒に提出してこれが決定をされたということでございまして、これは今回の税制改正の対象となる法人が各種学校を設置する学校法人、準学校法人であって、かつ、家族滞在等短期の在留資格で滞在する外国人子女に対して教育を行うことを目的とするものであって、国際バカロレア事務局などの国際的な機関が認定するということを要件としたわけですね。
 したがって、これは関連法令において定めたものでございますので、いわゆる入試資格と全然別次元でこの決定がされたということでありまして、新たにアジア系のことについて今後我々検討していくわけでありますが、そうした場合になった場合にこれをどうするかというのはまた別次元で考えないと、一緒にはできない。ただ表面だけ見ますと、また差別したんじゃないかと言われますが、これはやはり国策といいますか、その政策に基づいていわゆる財務省当局が税制改正の中に必要だと判断するかどうか、そこで決定をしたわけでございます。
 我々文部科学省も随分税制改正の要望をしておるわけですね、寄附をもっとしやすくと。なかなかこれは財務省はうんと言いません。そういう問題もありまして、この問題は国策上必要だということで最終決定がなされたものでありますので。
 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、ここでストップすればよかったという、一緒に考えるとそうですけれども、これは入試資格と一緒に考えていただくとそこに混乱が起きると思いますが、これは我々、別次元の課題だというふうにとらえております。
山元委員 結果から見て、諸外国の人たちが、うちはこうだ、うちはこうだ、差別されたということを新聞の見出しに書かれて、また差別するということが出ていますよ。それは、日本の外国人学校について、どういうふうに日本の政府が責任を持つか。入学資格について、税制について、補助金について、どういうふうにそこを育てるんだ、守るんだということについての責任は文部科学省にあるんです。
 だから、財務省がここだけはしましたと言っても、いや、それはやはり平等を欠くということで、日本の国内の教育全体について責任を持つ立場で、こういう優遇については、これは日が二十九日に決断されて、もう三十一日の官報に出ましたから、そういう点で言うと、今まで誤ってセットになってやったんでしょうが、これは一遍検討して、例えばことしの夏に全体の入学資格について考えるのであれば、そこのところでさかのぼって考えるということはできるはずですから、そこのところは、やはりまた日本は差別をするということにならないように努力をお願いしたいと思いますが、大臣、いかがですか。
遠山国務大臣 これは税制改正の問題でございまして、特に特定公益増進法人に入れるかどうかというのは、日本のさまざまな法人もなれないんですね、大変厳しい枠でございます。そこの非常に狭い門をあけてとにかく対日投資をふやそうということで、今回、政府として決断をしたところでございまして、これは我が省単独ということでは全くないわけでございまして、政府のさまざまな角度から検討した結果でございます。
 これは子供たちという、私どもの守備範囲の子供たちの状況をどうするかということではなくて、一つの事業体といいますか、特定公益増進法人という、日本の法人格を持っているところでもほとんど認められていない、そういうものにどう特典を与えるかということにおいてさまざまな角度から検討してきた結果でございまして、私はその点で、今回の税制上の改善というものは先般のものとは別個の問題と考えております。
山元委員 大臣、違うと申し上げているんですよ。財務省がこういう物差しを当てたとしても、これはやはり入学資格について再検討する、今までも明らかにセットになってやったと私は理解します。ですから、そこのところは踏みとどまって検討をするということでないと、これは財務省がやったことなんだと。事教育にかかわっては、文部科学省がきちっと責任を持つ立場で論議して、検討していただきたいとお願いをしておきたいと思います。
 この問題については、言うたら金の問題ですから、それぞれ難しい経営をしているそれぞれの学校がやはり差別感を持つのは当たり前のことだというふうに御認識をいただきたいと思います。
 それでは、基本法についてですが、今まで与党の皆さんの御論議、あるいは我が党の二人、それぞれ大事なところの問題点というのは指摘されていますから、繰り返しはできるだけ避けたいと思いますけれども、国民会議、中教審、そして今受け取った文科省のずっと流れを見ていると、やはり私自身、危ないという感じがします。肥田委員、鎌田委員も、まだニュートラルだとおっしゃっていましたけれども、私はやはり危ないという側に立つ。さまざまな意見の中で、岸本先生は、なぜ改正か、なぜ今かということを説明すべきだというような意見もありました。あるいは、池坊政務官あるいは神崎代表の意見もありました。そういう今の状況を見てみると、本当に国民が、わかった、これから日本の教育はよくなっていくということにはならない今の流れだというふうに思います。
 まず最初に、やはり今の子供たちの状況、例えば不登校だとかいじめだとか、いろいろあります。荒廃とも言われる。そういう状況は、教育基本法に欠陥があって起こったというふうに考えられるんですか。こういう状況だから、あるいはもっと積極的に言うと、少子高齢化だ、グローバル化だというふうに書いてあります、その諮問の文章にも。けれども、今の教育がこういう状況になっているのは基本法の責任が重い、だから変えたらよくなるんだ、こういう立場に立たれるんですか、文科省は。
河村副大臣 教育基本法改正に伴う諮問に対する答申に提言されておりますように、これはおっしゃるように、教育基本法を変えたら即教育がよくなるという考え方に立っていないと私は思いますけれども、しかし、今の教育のいろいろな現状を踏まえながらこれを改革していく、少しでもいい方に持っていきたいということになれば、当然教育の根幹から見直しながら、そして振興計画もあるわけでございますから、そういうものと相まって教育を改革していこうという一つの大きな試みをしようとしている。やはり教育基本法の精神の重要な部分は残しながら、足らない部分を補って、まさに国民に認知をしていただく方向へ持っていかなきゃいかぬ、こう考えておるわけでございます。
 即効薬ではないと思いますけれども、しかしこれを変えることによって、そしてそれに伴って教育全般を見直しながら、学校教育法等々、指導要領等々の手直しをしながらやっていくことによって教育はよくなっていく、このように私は確信をいたしております。
山元委員 先ほども少し出ましたけれども、教育基本法は、「憲法の精神に則り、」ということで、前文が書いてあるわけですね。そして、その基本法の前文は、すばらしい前文ですよ。完璧なと言ってもいいくらいの前文ですよ。「憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」「個人の尊厳を重んじ、」とか「真理と平和を希求する人間」を育成するとか書いてあるんですね。だから、そこのところを大きく書いてあって、戦後日本の国民がこういう教育で日本を再興しようという気持ちがしっかりとあらわされている前文だというふうに思うんです。
 そして最後に、十一条に、「この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。」と書いてある。「適当な法令が制定されなければならない」と書いてあるこの規定に従って今まで五十年近く努力をしてくれば、今の状況というのはうんと違うだろうと思うんです。
 確かに、この教育基本法の中にあるように、ひとしく教育の機会をとか、あるいは条件整備、例えば学級定員を減らしていくとか、さまざまな条件整備をしてきた。盲・聾・養学校のそういうところも力を入れてきた。けれども、そこのところがもっとしっかりとしていれば、私は、こういう状況というのは随分と違っただろうというふうに思うんです。
 そういう意味でいうと、教育基本法を変えるということについて、河村副大臣はよりよいことにとおっしゃるけれども、私はそうでない。ちょっと極端な話ですけれども、衣の下によろいという言葉があるけれども、この間、朝日新聞ですけれども、見てびっくりしたんです。自民党の大ボスの方が「教育があまりにひどくなっており、その惨状を是正する緊急の必要性がある。その改正と同じ精神に立って憲法改正も行われることになるでしょう」と。これは、憲法と教育基本法は上位下位の関係で逆さまではないかという記者の指摘に対して答えていらっしゃる。「三者三論」というので、顔も出ている。中曽根さんです。
 衣の下のよろいというのは、やはりここのところで憲法改正ということが如実に出ているような、今副大臣がおっしゃるように、変えたらよくなっていく、よくするために改正をするんだということをおっしゃるけれども、私は違う、やはり邪念を持って考えている人もあるというふうに思うんですが、的が外れていますか。
河村副大臣 私、この問題について、中曽根元総理とも若干話したことがございます。しかし、中曽根元総理の言われることの中にも、やはり日本の教育をよくしなきゃいかぬという思いはあるわけであります。ただしかし、憲法を見直すということは、これは憲法調査会でも真剣に今議論をされておるところでございますから、当然それとの関係もあるわけですね。
 私は、これは後か先か、こう言われるんですけれども、もちろん今回の答申も憲法の精神を逸脱したものでは決してございません。それができるわけもございませんし、その中の範囲で答申をされておりまして、その精神はきちっと受け継がれておるものでございます。
 そして、私がむしろ中曽根さんに申し上げたのは、いや、それは後か先かの議論は私はこう考えると。これから憲法改正がされたときに、教育の問題についても当然あるでしょう、しかし、今までの基本的なことは残っていくでしょう、しかし、教育基本法が先に決まれば、この精神こそやはり今度は逆に憲法の中にも当然必要なものは入っていくでしょうというふうに私は申し上げたぐらいでありまして、ただ憲法改正のためにこれをまずやるんだとか、そういうことで考えておるわけでは決してないわけであります。
 ただ、連動はありますからそういう議論になるかとも思いますけれども、そんな思いでこれに取り組んでおるわけではございません。
山元委員 特定の意見について余りここで論議する必要はないと思いますが、今申し上げましたように、新聞の一面を大きく使って「三者三論」と。私は委員部にこれをと言っておきましたから、大臣も恐らく目を通されたのではないかと思います。
 この「三者三論」で、今申し上げました中曽根さんの見出しは「改憲と連なる取り組み」と書いてある。辻井喬さんは「「伝統」をはき違えるな」と書いてある。佐藤学さん、東大の教授は「現場の未来は開けない」と書いてある。これが見出しです。三者三論で済みません。私はずっけりと大臣に、この三論のうちどの論に立たれますかということをここで聞くのもなんですから、やはり世論は大きく基本のところで分かれているということを十分承知してほしいと思うんです。
 もう少し申し上げますと、マスコミの論調は割れています。割れていますけれども、大きな新聞で、きっちりとした論をいつも書いていらっしゃる新聞でいうと、「改正論議は不毛だ」とか、改正にぬぐえぬ違和感だとか、「政治主導、現場とは距離」だとか、「改正審議中止を」というような見出しがついている新聞もあります。ですから、そういうマスコミの論調というのは、やはり国民の皆さん、読者の皆さんに支持してもらえるような社説なり論を張っていらっしゃるということは考えなきゃいかぬ、受けとめなきゃいかぬと思うんですね。
 そういうマスコミの皆さんの意見とあわせて、文科省はどういうふうに受けとめていらっしゃるか。パブリックコメントでしたか、七千三百ほど国民の皆さんから意見が集まったというふうに聞いていますが、どういう意見が主流であったのか、どういうふうに受けとめていらっしゃるのか。
河村副大臣 この新聞は私も拝見いたしましたし、それから社説等も見てまいりました。先ほど鎌田委員もその点を御指摘なさったんですが、ニュートラルだと言いながら反対の意見だけを取り上げられたのでありますが、この社説の中には、この際、教育を根本から見直すべきだという意見もあるし、日本の最大部数を誇っている新聞もそういうふうに言っているわけでありますから、国民はやはりいろいろな角度からこの問題については考えておられると思いますし、これこそまさに、見直すことによって、今の教育をやはりもっとよくするために国民全体で考えようという機運を大いに私は盛り上げていく必要があろうと思います。
 だから、三者三論、いろいろな御意見があって私は大いに結構だと思いますし、そして、さらに議論を踏まえていかなきゃいけませんし、この国会の議論も踏まえた上で決めていかなきゃいかぬ、そう思っておるわけでございまして、さまざまな議論があることをしっかり受けとめながら、答申をしっかり踏まえて改正に取り組んでいくというのが文部科学省の姿勢でございます。
山元委員 意見でいえば、例えば大きな塊でいうと、国民的な意見の中で、例えば日弁連、日本弁護士連合会、大きなきつい意見を出していらっしゃる。法律の専門家、あるいは高いレベルの知識を持っている日弁連の皆さんが、きちっとした意見を出していらっしゃる。これは大臣のところへ届いているはずです。
 そしてまた、地方議会も、これは難しい問題で、それぞれの地方議会が、この間の義務教育費国庫負担制度についていろいろ意見を出す、これは直接的に財政とも関係があるから出している。教育基本法問題で、地方自治体がいろいろの決議を上げて、意見書を出している。これは議長やあるいは大臣のところに届いている。ただ見出しだけ言うと、例えば村議会、「教育基本法の改定ではなく、その理念の実現を求める意見」だとか、あるいは「教育基本法の堅持を求める意見」、これは市議会ですね。
 そういうさまざまな意見を自治体が出していらっしゃるのは、切実に、やはり自分たちの地域の子供を守るのには、教育基本法改正なのか、あるいは国庫負担法の問題なのか、あるいはその教育の中身なのか、いろいろ考えてこういう意見を議会として出されるんだというふうに思う。そのことはしっかりとやはり受けとめる必要がある、目に見えるように受けとめる必要が文部行政にはあるんだというふうに思います。
 もう一つだけ、意見として、これも中教審会長と大臣あてに行っています。二十五団体、例えば大学教育学会の会長、日本保育学会、あるいは日本教育学会、生活指導学会とか公民教育学会とか、二十五団体、大臣のところに行っていますね。そういう、日本の本当の教育の幾つかの面で、これは二十五の面ですが、活躍していらっしゃる、あるいは責任を持っていらっしゃる方々から意見が出ている。要望の第一は、国民的合意が欠けています。二つ目が、審議手続が不備です。三番目が、審議の低調さや偏りがあります。審議内容への疑問や懸念があります。これがこの二十五団体の意見です。
 これはやはり、先ほど河村副大臣が、国民的な世論をだっと盛り上げていく必要があるんだ、こうおっしゃいましたけれども、こういうしっかりとした意見を今既に持っている人と、しっかりとした協議が必要だというふうに思うんですね。ただ、ああ来たなといって、この大臣あてに来た要望書をただ一枚の紙として、そういう扱いは絶対にないようにして、この問題についてこれから文科省としては挙げて取り組むという決意が必要だというふうに思う。大変なエネルギーが要ると思うけれども、どうですか。
河村副大臣 委員御指摘のとおりだと私も思います。
 いろいろな意見を踏まえてやるということが必要でございますし、中央教育審議会においてもいろいろな方々の意見を踏まえて答申をおつくりになったと承知もいたしておりますし、さらに、今、計画を今から立てるわけでございますが、全国においても、この問題についてのシンポジウムを文部科学省主催で行いたい。そういう場においてもいろいろな意見も拝聴いたしたい。また、そのシンポジウムに立ち会っていただいた方と討論をしていただくような機会をつくりたい、こうも考えておるわけでございまして、委員の御指摘をしっかり踏まえた上で、この答申の改正に取り組む、こういうことが大事なことだというふうに思います。
山元委員 もう一つ、ちょっと難しい問題を申し上げたいと思いますが、私は滋賀出身で、京都新聞が主なんですが、ある日、京都新聞に、ここにいらっしゃるお方二人、奥山さんと池坊さんの記事が顔入りでどかっと出ました。これは、大事な文科委員会の理事さんと政務官との、見出しで言いますと、奥山先生の方が、「宗教的情操の育成を」、そして、今国会で改正案を成立させるつもりで作業している、こうおっしゃっている。池坊政務官の方は、変える理由はない、不明確だと。さっきも出ていましたけれども、保護者の八五%が教育基本法の内容を知らない、私は政務官として、幅広い国民の意見をまとめていく、その仕事がある、役目を果たしていきたい、こうおっしゃっている。
 私は、この新聞を読んだときに、この委員会の様子と遠山大臣の顔を思い浮かべました。政務官と一緒に仕事をしていらっしゃって、こういうふうにはっきりと一つの考えを持っていらっしゃる。私は、奥山先生には悪いけれども、こちらの方に拍手をするわけですが。
 ですから、そういう際立って意見が、これはもう恐らく、ローカルの新聞ですから、そういうことを池坊政務官も奥山理事も考えて出されたのと違うと思いますけれども、ことほどさように、やはり国民の世論というのは、思いというのはさまざまあって、極端に分かれていると言ってもいいくらいです。
 ですから、そこのところはしっかりと受けとめていただいて、しこきめて論議をするということが大事なんだと思うんですが、大臣、どうですか。
遠山国務大臣 それぞれの政治家が、その信念に基づいて御発言されたことだと思います。
 宗教をめぐる問題につきましては、その点ずばりお答えするのは、ちょっとこの機会には避けたいと思いますけれども、私の経験から一言申し上げますと、今、国際的に大きな問題になっておりますイラクをめぐる問題にしても、日本人あるいは西欧の教育を受けた人たちというのは、イスラームについての知識は必ずしも十分でないと思っております。
 私は、トルコにおりまして、アラブではないわけですけれども、そこでイスラームの思想を身につけた人たちとつき合うことができましたけれども、これは、私は現地に行っていて、初めてその宗教の持つ偉大さなり、あるいはそれを信ずる人々の心、また、それを信じることによる心の安寧の度合い、それによる社会の安定等々をさまざまに見てまいりました。
 そのことを考えますと、私は、日本の中におりますと、なかなか宗教について十分な知識を得られないわけでございますが、一つの知識として、世界にはいろいろな大事な宗教がある、それで、それらが何を考えているか等について考えるということは大変大事だなというふうに思ったわけでございます。
 長々とやるのは控えまして、それだけを申し上げたいと思います。
山元委員 いや、私が申し上げているのは宗教の問題ではなしに、きのう、質問を委員部の方がとりに来たときに、池坊政務官にお答えをいただきましょうかと言うから、いや、池坊さんにお答えをいただいたら奥山さんにもと、それは三者三様の意見ということになってきて大変だから、御遠慮を申し上げたんですけれども。
 私が申し上げたいのは、宗教教育をどうするのかということじゃなしに、事ほどさように論があって、そのことをしっかりとまとめていく責任を大臣にお持ちいただきたいということを申し上げたかったんです。
 それでは、最後もう一つだけですが、私は、やはり振興計画についてきちっと文部科学省が責任を持つべきだというふうに思うんです。今の教育基本法の問題については、国民的な論議を、この国会で上げていこうというようなことはとんでもない話だと私は思います。これからの五十年、百年のという言葉がさっきありましたけれども、しっかりと論議をしようということですが、教育振興基本計画については、一日も早う文部科学省の計画を出すべきだ。これは、さっきも言いました教育基本法の十一条や十条に書いてあるわけです。やらなきゃいかぬわけです。
 だから、今まで、三十人学級だとか、あるいはいろいろな条件を私どもは提起をしてきたけれども、金がない、財政的に何だとか、あるいは、この間のところでは、大人数学級の方がいいんだというような論まで出て、振興計画は作成されていない。
 だから、急ぐべきだというふうに思いますが、きょうの新聞を見て驚いたんです。「少人数学級を「全面解禁」 都道府県負担で」と書いてある。これはどうなんですか。振興計画とは本当にほど遠いでしょう。これだったら、無責任な丸投げじゃないですか。本当に、文部科学省が、あるいはこの委員会が、日本の教育をこうするんだ、こういう計画で、こういう金が要るんだ、こういう人が要るんだということをきちっと論議をしなきゃならぬ。けれども、まず「少人数学級を全面解禁」と。
 この新聞記事も、きちっと問題点を、心配を指摘していますよ。文部科学省は「「地方の自由度を高めるための措置」と説明している。」と書いてあるけれども、その後にすぐに、「都道府県ごとの教育への対応の差が広がるきっかけになりそうだ。」と心配している。これはいわゆる地域間格差。それは、振興計画を立てようという立場と全く違う、そういう思いがしたんですが、まず最初に、一言で結構です、これは事実これをやるんですか。丸投げをやるんですか。
遠山国務大臣 これは、教育につきまして、これからは、各地方なりあるいは一人一人の子供たちなり、それぞれの力に応じてやっていく必要があるということで、特に地方分権の角度から、どこまで地方が独自性あるいは自由度を持ってやってもらうかということについて考えた結果でございまして、それぞれの地域において、もし、それぞれの地域の負担において、よりよい教育を実施したい、あるいはよりよい条件でやりたいというようなことがあれば、それをとどめるというのはどうかという考え方に基づきまして、長い検討の結果、今回、そういうふうな結論を出したところでございます。
山元委員 いや、大臣、振興計画の立場でもないし、機会均等という立場でもないですよ。これは明らかに地域間格差が出るのは当たり前です。義務教育国庫負担制度をだんだんだんだんと細らせていって、細らせていって、そして、都道府県負担でやりたかったらやりなさいよ、認めますよというようなやり方は、今すべきことでないというふうに私は思います。
 第一、文部科学省、どういうふうにお考えになって諮問されたのか。例えば、大臣から中教審に諮問されたときには、「教育振興基本計画の策定」と「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」と諮問されたんです。諮問文はそうなっている。今度出てきたものは、また逆転して、「計画」は後の方になって、「新しい時代にふさわしい教育基本法と」と書いてある。文部科学省の思いとは逆でしょう、これは。
 文部科学省は、ここのところにも書いてあるけれども、「これからの教育の目標を明確に示し、それに向かって必要とされる施策を計画的に進めることができるよう教育振興基本計画を策定するとともに、」ともに、基本法の新しい時代にふさわしいあり方についてお尋ねをすると書いてある。答えが返ってきたのが、教育基本法を変える、そして振興計画をつくりなさいと。この答申の中には、何カ所か、基本法の改定後に計画をと書いてある。これは文部科学省の思いとは違うのと違いますか。文部科学省の本音は初めからこうやったんですか。どうです、それは。
河村副大臣 基本的な認識は、教育基本法の改正が先にあって、それと並行して教育振興基本計画があるということ、理念が先だという基本でありますが、この問題に入るに当たっては、委員の御質問があるということですから、後先の問題、確かに諮問とひっくり返って出てきているな、これは事実でございますが、やはり基本理念というのがあった上で基本計画はあるというのが自然な姿だ、私はこう思っておりますから、これは並行してやらなきゃいけないことでありますけれども、どっちが基本になるかといえば、基本理念であるわけであります。
 中教審の方では、ああいう形で議論をしていただく中で、これはやはり基本理念をきちっと前面に出していきましょうという形で返ってきたものでありますから、それを尊重するということでいいんではないか、こう思っております。文部科学省の方がそのことを押しつけてしたわけではございませんし、順番を、一に来たからそっちが優先とか、二に来たからということではないので、並行して出せば、そういうことで。
 私の個人的なあれで言えば、まず個々の問題について議論をしていただきながら最終的に基本理念を、こう考えたんだろうと思いますが、しかし、中教審の皆さん方が検討すると、最終的にはやはり基本理念が優先するんだということになって、そういう形で出てきた、このように私は理解をしております。
山元委員 それでは、文部科学省が中教審の皆さんに意見を言ってもらわないかぬですよ。
 先ほども言いましたように、今、立派な教育基本法があるんですよ、憲法の精神にのっとって。憲法は変えられていない、その憲法の精神にのっとって立派なことがずっと書いてある、それの理念、現行の教育基本法に基づいて基本政策をきっちり出していくのが文部科学省の責任です。
 そのことについて、今こういう状況になっている、もう喫緊の課題、子供たちが荒れている部分はあるし、グローバル化も少子高齢化社会もあるし、いろいろなことがある、だから基本計画を策定せないかぬのやと。いつ、文部科学省は現在の教育基本法を廃棄してしもうたんですか。あるわけですよ。守る義務があるんでしょう、文部科学省には。だから、現在あって、そして守る義務がある文部科学省として、しっかりとした基本計画を出す。この諮問の文章は明らかにそうですよ。とともに基本法のあり方についてと書いてあるわけです。だから、そこのところは、順番を間違えないようにして作業を急いでほしい。日本の教育をこうしていくんだということについての基本計画を本当に急いで策定をしてほしい。
 そして、もう一つは、教育基本法の改正問題については国民を挙げて論議ができるように、私は、別に調査会を設けてもいいと思うんです。教育の憲法と言われるぐらい、教育憲法調査会でもいい。さっき河村副大臣は、こだわるわけじゃないけれども、与党の皆さんにしっかりと相談をして、相談をしてと二回ほどおっしゃった。それは、与党として、法案をつくるにはそうかもしれぬけれども、法案をつくる前に、やはりぜひ、繰り返してしつこく言いますけれども、国民的な論議をしていただくように御努力をお願いして、終わります。
 ありがとうございました。
古屋委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時七分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時一分開議
古屋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。児玉健次君。
児玉委員 日本共産党の児玉健次です。
 教育基本法と教育振興基本計画に関して中教審の答申が出ました。きょうは、とりあえず何点か質問をします。この答申は昨年十一月の遠山大臣の諮問にこたえたものですから、きょうのところは遠山大臣に答弁をしていただきたい、こう思います。
 さて、最初の問題ですが、教育における理念、教育の原則、これは非常に重要なものだと私は考えます。国際的に見て記念碑になる一つは、一九四八年十二月に国連の第三回総会で採択された世界人権宣言だと思う。もちろん、これは人権全般にわたっていますが、委員の皆さんの机の上に資料を配っておりますけれども、その冒頭のところ、第二十六条の二、「教育は、人格の完全な発展と人権および基本的自由の尊重の強化とを目的としなくてはならない。」以下、こういった規定がされています。
 そして、これを受けてさまざまな粘り強い努力がありましたが、国際人権規約、A規約、B規約、これについては、日本は一九七八年の五月に署名して、翌年国会が承認し、批准しました。
 そして、もう一つ非常に大きな記念碑は、一九五九年、第十四回総会で採択された児童権利宣言だと私は思います。
 これは宣言ですから、各国を拘束する条約にしようじゃないか、そのための努力が始まって、子どもの権利宣言が、児童の権利宣言が出されてからちょうど三十年後、本当に三十年後です、十一月二十日という日をわざわざ選んで、この日、ニューヨークの国連総会はどんな状況だったか。午前十時に、国連総会は全会一致で子どもの権利に関する条約を採択しました。その日の午後の国連総会の状況は、今でも話題になっています。
 ニューヨークに住む五百人の子供が広い国連総会の場所を埋めて、そこでオードリー・ヘップバーンが、子どもの権利条約の母体となった子どもの権利宣言を、当時の文章によれば、美しい英語で一字一字かみしめるように読み上げた。その後、五百人の子供たちの何人かはざわついていたけれども、それはそれで和やかな雰囲気だった。何人かの子供たちが質問をして、条約作成に努力したグラント・ユニセフ事務局長やポーランドの担当者などが真剣に回答した。
 さて、その後どうなっているか。この子どもの権利条約の締結国は急増して、今、百九十一カ国です。そして、条約締結国の教育状況を権利条約に基づいて審査し、そして所見、勧告を示す、それが仕事の子どもの権利に関する委員会は、これまでの十人の委員ではもうとても足りない、十八人に増員しよう、そのための条約改正案が今この衆議院で外務委員会にかけられています。
 大臣に伺いたいんだけれども、国連を中心としたこのような教育の理念の世界的な広がりとその内容の豊かな発展について、大臣はどのように受けとめていらっしゃるか。
遠山国務大臣 国連という場におきまして、加盟国、二百に近い国々が、皆が納得するようなすばらしい条約案をつくったりあるいは宣言をしたり、そういう役割を持つ国連の場におきまして、子供のことについても、今御紹介がありましたような宣言でありますとかあるいは条約というものが確立されていったというのは、これはすばらしいことだと思います。
 私もたまたま、先般、子供サミットが国連で開かれましたときに、日本政府代表で行きまして演説をする機会がございました。そのときにひしひしと思ったわけでございますけれども、その場に来る各国を代表する子供たちの状況というのは、日本の子供たちの状況から見ると、本当に貧しく、条件が悪く、しかし、その中でも生き生きと生きて、さらによくなりたいという意欲に満ちた子供たちに出会うことができました。そのことを比べますと、私は、日本の子供たちは、本当にいろいろな意味で恵まれているわけでございまして、国連の宣言なり条約、子供についてのそういったものの中でも、目的に照らして、あるいはその内容に照らして、日本の子供たちは大変恵まれている面が多いなというふうに思ったところでございます。
 いずれにしましても、お話しのように、国連の持つ役割というのはその面でも大変重要なものであるというふうに認識をいたします。
児玉委員 この国際的な教育の理念に関する流れといいますか発展は、半世紀にとどまるものではありません。
 第一次世界大戦が終わった後、一九二四年九月に国際連盟が採択した子どもの権利に関するジュネーブ宣言にこういう一節があります。皆さん聞き覚えがあると思う。「すべての国の男女は、人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負うことを認め」云々です。「児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」。
 それから六十五年たって、先ほどの子どもの権利条約第三条の一に、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、」ちょっと略しますが、「児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と明確に言っています。
 国際的な教育の理念、原則に関する流れの発展にはしっかりとした一貫性がこの一世紀近い年月の間見事に貫かれている、私はそう思うんですが、大臣の見解を聞きたいと思います。
遠山国務大臣 私は、主として国際連合、今の国連におけるいろいろな条約なりあるいは宣言なりというものをある程度フォローしてまいりました。今お話しの点についてきちんとサーベイした上でのお答えはできませんけれども、国際機関としての思想というものは、それなりに貫かれたものがあるのではないかなと推察をいたします。
児玉委員 全体を議論するにはもちろん時間がありませんから、たまたま私は、人格という、教育基本法第一条でも問題になっている、そこの部分を抜き出してお示ししたのが先ほどの資料です。世界人権宣言についてはもう触れました。国際規約、A規約、その第十三条の一で、六六年十二月十四日のものですが、後に日本が批准した、「締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。」抜き書きです。子どもの権利宣言第六条、子供は「その人格の完全な、かつ、調和した発展のため、愛情と理解を必要とする。」そして子どもの権利条約、八九年十一月、先ほどのもの、二十九条の(a)、子供の「人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。」
 これらの国際的な流れより一歩先行しているのが日本の教育基本法です。一九四七年三月三十一日、世界人権宣言の半年ぐらい前に出されていますね。第一条「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、」云々、こういうふうになっています。
 私は、日本の教育基本法の理念は、国際的な教育に関する理念、原則の流れと見事に深く結びついて、そしてお互いに補完し合い、共鳴し合って大きな役割を果たしている、そういうふうに理解します。大臣のお考えを聞きます。
遠山国務大臣 今配られました資料を見ておりますと、確かに、一九四七年の三月三十一日に制定された教育基本法、その第一条において、「教育は、人格の完成をめざし、」云々ということで条文が成り立っているわけでございますけれども、その後の世界人権宣言なりあるいは子どもの権利宣言、子どもの権利条約、いずれも冒頭に子供の人格の完成を目指すという点におきまして、私は、日本の教育基本法の理念、特に人格の完成を目指すということは、日本にとって基軸となる教育の理念でありますのと同時に、世界的な子供の教育について考えるときの非常に枢要な理念の一つであるということが言えると思います。日本の教育基本法におきましては、それにとどまらず、国家及び社会の形成者としての資質についても書いております。
 私は、国際連合のようなところで書かれますいろいろな条約ないし宣言というのは、万国に共通してあるべき姿を描き出すという役割を持つと思います。それぞれの締約国なり条約の批准国というのは、そういったものも前提にした上で、それぞれの国が何に力点を置いて考えていくかということをさらに付加して、そして国内法を整えていく、そういう関係にあるのではないかなと思うところでございます。
児玉委員 教育の理念の枢要なところで共通点があると、まさに私もそう思います。
 そこで、この答申に入りたいんですが、第一章のところで、三ページですけれども、「教育基本法制定から半世紀以上の間に我が国社会は著しく変化しており、」と述べて、「国際社会も大きな変貌を遂げ、」と述べています。
 確かに国際社会は大きく変貌した。その中で、先ほど資料でも皆さんにお示しした教育の理念、原則に関する大きな流れ、これは国際社会の大きな変貌の中で見事にその内容を豊かに発展させている、私はそう理解します。これは、私だけでなくて定説にもなっていると思います。この理念の発展を変化、変質ととらえることができるだろうか。私はできないと思う。いかがでしょうか。
遠山国務大臣 この答申の中にも、教育基本法を貫く基本的な理念そのものについては引き続き基本法の骨格として考えていくということでございまして、私は、人格の完成等の、そこに挙げられておりますさまざまな理念、原則といったものは今後も大変重要なものだと思っております。
児玉委員 国際的な教育の理念の一貫性、そして、一貫しておるだけではなくて、大きく発展し、広がっている。
 私たち日本の問題、先ほど大臣はそれぞれの国のとおっしゃる、それは私は重要な要素だと思う。日本に関して言えば、戦争に対する痛苦の反省というのが教育基本法制定のときの重要なモメントだった、そう思います。そして、教育基本法の冒頭で言っているように、日本国憲法が掲げる、以下引用ですが、「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」教育刷新会議の皆さんたちの見識がここにあらわれていると僕は思いますね。教育の力によるべきものであるとは言っていないですよ。それは、教育の持っている非常に重要な特質が教育の力にまつべきであるという言い方をさせていると思う。そして、そういう教育基本法を今こそ豊かに発展させて、日本の教育のすべての場で生かすことが問われていると考えます。
 そこで、先ほど遠山大臣もいみじくも国家及び社会の形成者と言われたので、そこに入りたいと思います。第一条ですね。
 「平和的な国家及び社会の形成者」、このことに関連して答申では、「新たに規定する理念」として「社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神」云々と言っています。九ページの部分です。
 まず伺いたいんですが、公共という言葉にわざわざかぎ括弧をつけたのはなぜだろうか。公共というのは、国家社会とどのように相違した概念を中教審は提起しようとしているのだろうか。そして、その前後に涵養という言葉が多用されています。涵養、さんずいに函館の函ですね。北海道だから函館と言わせてください。これは常用漢字にあるのかどうか、その二点伺わせてもらいます。
河村副大臣 まず私から答えさせていただきますが、答申における公共という言葉は国家社会とほぼ同様に使われている、私はこう思います。
 民主主義社会における国家社会、これは、国民にとっては好むと好まざるとにかかわらず受け入れざるを得ない存在として存在するという形ではなくて、国民一人一人の生命の安全や生活を守るために国民の信託に基づいて存在するものであるというのが基本的な考え方だと思います。国民は、それを維持して、さらによりよいものにしていくために主体的に参画する義務を果たしていくべきである、このように思うわけでございます。
 このために、国家社会の一員として、法や社会の規範の意義とか役割について学んで、またみずから考えて、そして自由で公正な社会の形成に主体的に参画する公共の精神を教育を通じて一人一人に涵養していくことが求められる。特に日本人にとっては、国や社会のことは自分がやらなくてもだれかやってくれるという意識が伝統的に強い、近年、個人主義と利己主義とが取り違えられて社会規範意識が低下する傾向がある、こういう御指摘も審議会でもあったわけでございまして、改めて公共の精神の意義を強調する必要性が高まっているので今回の提言においてもこの点が強調された、このように理解をいたしておるところであります。
児玉委員 涵養という言葉は、調べてみたけれども、常用漢字表にはありませんね。随分懐かしい言葉で、私など、昔、修身で、徳を涵養するという形でよく使わされました。
 今、河村副大臣のお言葉で非常に重要だったのは、かぎ括弧つきの公共というのは国家社会と特別な意味の違いがないと。そうだとすれば、わざわざこういうふうに言いかえる必要はない。
 それから、「主体的に参画する」という言葉に私はやはりこだわるんです。というのは、この点に関して立法者の意思がどうなのかということが問われる。これは、字句の問題じゃなくて、教育基本法の理念の核心に触れる問題ですから私はこだわるんですが、立法者の意思が重要です。
 教育基本法が成立するわずか十一日前、一九四七年三月二十日、貴族院の教育基本法案特別委員会、高橋誠一郎文部大臣が、今の、国家及び社会の形成者ということに関連してこう答えています。「此の形成者と申しまする文字は、単なるメンバーと云ふだけでなくして、実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味も含まれて居る」。ギルダー、多分中世の同業者組合のギルドのことだろうと思うんです、そのギルドの構成員。御承知のように、ギルドというのは一定の厳しい技術水準が求められていて、その水準を満たす者でなければ、そういう資格がなければギルダーにはなれませんね。そういうものとして立法者は形成者という言葉を言っている。主体的とか積極的というのは当然含意されています。
 十二月のこの論議のとき私が引いた、当時の東京大学の田中二郎教授とそれから文部省調査局長の辻田氏が書いたものの中で、こうも言っているんです。「形成者というのは、単なる成員、構成者という消極的なものでなく、積極的に国家及び社会を形づくって行く者という意味である。」これで言い尽くせているじゃありませんか。大臣、どうですか。
河村副大臣 先ほどの答弁と続きますので私が答えさせていただきますが、私、先ほどの御答弁の中で、今の日本社会においては、公共的なことといいますか、国家社会とかそういうことに対しては、だれかがやってくれるんだという意識が非常に強くて、自己主義が非常に蔓延している傾向が高い。ここでそのことをあえて強調して、この教育基本法の理念というものをもっと強く押し出すべきであろうというふうに、委員会の議論の中ではそういう形でこの答申になった、このように理解をいたしております。
児玉委員 恐らくこの議論は、先ほど皆さんに見ていただいた各宣言、各条約、規約、そういったものの議論の中で論議を経てきているものです。そして先ほどの「消極的なものでなく、積極的に国家及び社会を形づくって行く」、立法者はそういうふうに考えている。
 そこで、大臣に伺いたいんですが、文部省が、一九四七年五月の三日、これは憲法施行の日です、高橋文部大臣の名前で発した「教育基本法制定の要旨」、この文部省訓令第四号は生きているでしょうか。
遠山国務大臣 この訓令は、現在も生きているはずでございます。
児玉委員 当然そうでしょう。
 この教育基本法制定の要旨の中に、次のような一節があります。「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的に発展せしめることである。」そのあたりが全体として、教育基本法第一条における、国家及び社会の形成者としての資格、それは真理と正義を愛すること、個人の価値をたっとぶこと、「勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」、これが国家及び社会の形成者として見事に言い当てていて、そして、しかも、文部大臣高橋誠一郎氏はこういう訓令を出して、その訓令の終わりのところでこうも言っているんです。「この法律によつて、新しい日本の教育の基本は確立せられた。今後のわが国の教育は、この精神に則つて行われるべきもの」であると。
 そうであれば、今何が一番厳しく求められているかといえば、そのような形で、日本のすべての学校やすべての教育の隅々に、日本のこの教育基本法の理念、原則を満ち渡らせることではないか。そこが今一番肝要ではないか、私はそう考えます。いかがですか。
遠山国務大臣 今回の答申におきましては、教育基本法の精神にのっとって制定された学校教育法を初めとする法体系のもとで進められた戦後の教育改革といいますものは、国民の教育水準を向上させ、日本の社会の発展の原動力となったということがしっかりと評価をされています。
 しかし、その一方で、教育基本法の制定から半世紀以上が経過をして、そして社会の状況も大きく変化する中で、今日、日本の教育はさまざまな問題を抱えているということでございまして、教育基本法の制定の理念というのは、先ほど紹介のありました内容で立法されているわけでございますし、その後もそれをもとに諸法規ないし諸施策が講じられてまいったわけでございますけれども、現在余りにも多くの問題を抱えている。そのようなことから、教育行政を含めまして、教育関係者はその現状を真摯に受けとめて、課題に向けて一層の努力を重ねる必要があるということを指摘しているわけでございます。
 こうした状況を打破して、新しい時代にふさわしい教育を実現するためには、教育の根本を定める基本法について、いろいろな角度から見直しを行っていただきました。そして、新しく構築される教育理念の基盤に立って、家庭教育、学校教育、社会教育等の各分野にわたる改革を進めていく必要があるというふうに提言されているわけでございます。
 私は、その答申というのは、そういうこれまでの制定の経緯なり趣旨なり、そしてその後講じられたさまざまな施策についてのレビューをした上で、今どうなのか、これからの日本を形成していく人材育成にとってどうであるのかという角度から十分に議論をされて今回の答申を得たものというふうに考えております。
児玉委員 今の遠山大臣の答弁に触れて、私は二つのことを改めて聞きたいんです。
 先ほど議論してきたように、世界も大きく変貌しています。世界の変貌がどのくらいドラスチックであるかというのは、幾つかの国に関して言えば、日本よりはるかにドラスチックですね。そして、国連自身が、百九十一カ国が先ほどの子どもの権利条約の締結国になる。そういう中で、もちろん困難はあります、その困難を乗り越えていくときに、言ってみれば指針になるのが教育の理念であり、原則です。そして、その教育の理念と原則は、大きな変貌の中で豊かになり、発展をし、見事な一貫性を示しているんです。
 そういうときに、日本でさまざまな問題があるからというので、それではこの機会に教育において重視すべき理念も変えていいのかという問題ですよ。しかも、これは議論の問題じゃなくて、教育基本法が制定された後、例えば一つ、一番重要な点としては、教育委員会法が、地方教育行政の組織及び運営に関する法律と、教育委員の公選制が任命制に変わってしまう、教科書その他でどんどん、教育基本法が盛り込んだ豊かな理念が教育の現場においては無視されて、空洞化されて、そこから離れていく。
 遠山さんはレビューと言われた。その日本の教育の現状を国際的な理念、原則がどのようにレビューしているか。それが、一九九八年の子どもの権利委員会が日本政府に出した最終所見であり勧告じゃありませんか。世界の高度に発達した国の中で、極度に競争的な教育制度のために、子供たちの発達障害、読んでみたら、発達障害というところはディベロプメンタルディスオーダーとまで言っていますよ。そういう状況に、言ってみれば、世界の教育の一貫した豊かな発展の理念から乖離してしまっている。そして、乖離して、そちらに近づけるのでなくて、ますますそこから遠ざかる方向で逆にばく進する。これが今度の教育基本法の改正、見直しの趣旨だ。こういうやり方で国際的に評価にたえるのか、これが一つです。
 もう一つ、あなたがレビューとおっしゃったから、その点について触れたい。
 十一月の十四日に出された中間報告、これと今度の本報告を読み比べてみました。いろいろなところがありますけれども、そういう中で、私はこの部分がどうしてもわからなかった。
 中間報告の十六ページに次のような一節があります。「現行法には、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分であり、それらの理念や原則を明確にする観点から見直しを行うべきであるとの意見が大勢を占めた。」そういう意見が大勢を占めた、ここはこの委員会で何回か議論があった。最終的なこの議論の場で、中央教育審議会の委員諸君が多く欠席をして、定数に達しないままの議論が続く、そういう中で、この文章が中間報告では出てきた。
 今度の答申にはその記述が消えています。見事に消えている。なぜだろうか、いろいろ調べて、よくわかりました。この記述に触れて、鳥居会長が、一番大事なところで私たちの本意でないところが残っていた、こう述べて、そこのところを手直ししたんでしょう。
 そこで、私は、中教審の事務局を担当した文部科学省に聞きたいんです。
 鳥居会長にとっては本意でない、そういうふうに述べられたと私は承知している。ところが、消えた記述というのは、最も核心に触れた部分ですね。現行の教育基本法の教育の理念や原則が不十分だという評価です。この評価をだれがしたのか、そして、それらの意見が大勢を占めた、この判断はだれがしたのか、はっきり答えていただきたい。
古屋委員長 きょうは、事務方が、政府委員の登録がございませんので、遠山大臣あるいは副大臣からお答えください。
 遠山大臣。
遠山国務大臣 今、御質問は二つあったと思います。
 最初の方は、世界の変貌がいろいろあって、しかし、国連におけるいろいろな宣言等は一貫をしておるんではないか、それから日本の教育基本法もそれと軌を一にしている、そんな中で改正というのはむしろそこから離反していくのではないかというお話でございます。
 これは私は、答申を丹念に読めば、世界の趨勢と、先ほどおっしゃいましたような人格の完成、ないし国家、社会の形成者として必要な資質を養うために何が必要かということについての真理及び正義以下のさまざまな価値というものはしっかりと継承をする。その上で、さらに今の日本の現状を解決するための、あるいは乗り越えるためのものとして、付加すべき理念、原則としてこういうものがあるということで示されたものが今回の答申の提言内容だと思っております。
 その意味では、国際的な動向というものから離反するということではなくて、むしろ、その理念というものを日本の角度からさらに深め、そして充実していくという角度から御議論がされたものだと私は思います。
 鳥居会長のお話の件は、私は、実は中教審につきましてずっとフォローしておりませんので、答申はいただきましたが、お時間をいただければ改めて調べてあれいたしますし、今わかっている範囲で副大臣の方から答えさせていただいても結構でしょうか。
河村副大臣 中央教育審議会において不十分という言葉がなくなって、だれがそれを決めたのかというお話でございました。
 私も就任以来、審議会に大部分出させていただいた中で、もともと、この中央教育審議会に諮問して教育基本法を見直してもらいたいということは、今の時代に何かまださらにこの基本を高めるものはないのか、また必要とするものはないのかという観点に立ってやっていただきたいということであったわけであります。
 これに対してあの答申も、御案内のように、教育基本法の理念といいますか、前文にある崇高な精神は引き続き前文として残すべきであるというふうになっておりますから、あの議論を聞いておりますと、不十分という言葉は、むしろ、これでは何か後ろ向きであって、そしてさらによりよいものにするということからいえば、こういう言葉はやはりこの際は不適切であるということで削除されたというふうに私は伺っておるわけでありまして、さらに教育基本法をよきものにするにはどうしたらいいかという方向へ我々は考えていくべきだ、そういうふうに推敲をしようということでこの言葉が削除されたというふうに理解しております。
児玉委員 この点は事務方は要らないので、皆さんの会議録ですか、それを拝見して私はなるほどと思ったんだけれども、「「理念や原則が不十分」という記述があるが、」というある委員の発言があった。それを受けて鳥居会長が、一番大事なところに私たちの本意でないことが残っていた、こういうふうに述べているようですね、私が承知しているところは。
 そこで、河村さん、私の質問に答えていないんですよ。現行法に不十分なところがあるというのは評価です、これは。まさにレビューですよ。委員以外のだれがそのレビューができるんですか。そして、そういう意見が大勢を占めたというのは、単なる発言の、こっちが七人でこっちが三人というだけでなくて、説得力の問題も含めて、その意見が大勢を占めた、こんなまさに枢要に関する評価をだれがしたのか。そして、それが鳥居会長にとっては、私たちの本意でないと、見事に記述が消えたじゃありませんか。
 教育基本法を見直し、改正するという皆さんの判断の一番核心になる部分が消えているんですよ。だから、答申が出た後、なぜ見直さなきゃいけないのかというのをどこを読んでもわからないというのは、当たり前の話ですよ。これは、もしかしたら事務局の自作自演かもしれませんね。勝手に自分で判断して書いておいて、たまたま委員が少ないからよかったというようなことになりはしなかったかということさえ私は危惧します。
 教育基本法改正の必要性を示す根幹の部分についてそういうことがあったわけですから、これは教育基本法見直しの根拠そのものを失わせるものです。どうですか。
河村副大臣 先ほど御答弁申し上げたわけですけれども、あの諮問によってもおわかりだと思うのですけれども、戦後の大きな変革の中で、これから日本の教育はどうあったらいいかということを踏まえて議論をしていただきたい、そしてその改正の方向を示してもらいたいということで述べたわけでありまして、諮問の仕方はいろいろあったと思いますよ。こういう点が問題点だからこういう点でやるべきだと、はっきりある程度文部科学省が方針を示してやるべきだという考え方もあると思いますけれども、この諮問においては、新しいあり方について、今の二十一世紀にふさわしいあり方についてどうであろうかという形で諮問をしたわけであります。
 そういう意味で、諮問の中では、これが後ろ向きに、これとこれはノーだからというような形ではなくて、さらに必要なものがあるのじゃないかという議論をしてもらいたいというふうにしたわけでありまして、そういう議論を、後ろ向きの議論をするためにこれはあるのじゃないんだというのが会長が言われた本意という意味だというふうに私は思うのであります。
児玉委員 時間がありませんから、最後に一言だけ言って、続けましょう。
 私が問題にしているのは、現行の教育基本法の根本に触れた評価がだれかによってなされているということです。もう一つは、中央教育審議会の審議の状況を見て、こういう意見が大勢を占めたという状況判断をだれかがしているのです。しかも、そのことについて会長は自分たちの本意に反すると言うのだから、答えになっていませんよ。
 続けて質問します。
古屋委員長 佐藤公治君。
佐藤(公)委員 自由党の佐藤公治でございます。
 本日は、教育基本法関係の質問の前に、二つの点だけ質問をさせていただければありがたいかと思います。
 まず一点は、前の委員会でも何回かお話しさせていただきましたけれども、子供たちの万引き、窃盗。前の委員会でお話をさせていただいたのは、本の万引きや何かによって、換金目的によっての犯罪がふえている、こういうのにどう対処していくべきか、また対処していく方向があり得るのか、こんなことの話をさせていただきましたけれども、その後、文部科学省といたしまして、その点に関して、どういう問題意識を改めて持たれて、また対策なり、また方向性を考えられているのか、お願いを申し上げたいと思います。
河村副大臣 さきの委員会で委員御指摘いただきました、青少年の万引きの問題でございます。
 これが非常にふえておって、ややもすると社会の中に万引きぐらいなんというような風潮があることを私は大変ゆゆしき問題だと思っておりまして、これは、金額の多寡とかなんとかじゃなくて、そのことそのものが社会的に許されない犯罪だということをきちっと教育の中で指導していかなければいかぬ。この基本認識に立って、子供たちに、善悪の判断、倫理観、規範意識、正義感、これをきちっとやっていくということは、これからよりまだ強く指導していかなければいけない観点だと思います。
 さきに御指摘がありましたように、その点で、学校での指導を徹底させる、あるいは関係機関、警察等ございますが、そういうところとの会議を、実は二月、その直前に既に一回開催をいたしておりまして、警察庁あるいは経済産業省から提供いただいたデータ、資料、そういうものを活用して、児童万引きの防止について各教育委員会が指導するようにということで、教育委員会に対して文部科学省としても通達をし、指導したわけであります。
 また、各地域においても、警察と教育委員会と連携をいただきまして、学校警察連絡協議会における情報交換、あるいは児童生徒を対象とする非行防止アンケート調査を実施する、あるいは商店街との協議をする、それから非行防止教室を開催する、さらにそのための啓発資料をつくる、そしてそれを配付、そうした取り組みを行っておるところでございます。
 こうした関係者、関係機関、この連携をしっかり図って、学校現場はもちろんでありますが、地域社会が一体となって少年非行の防止に努めていく、このことに文部科学省としてもさらに努力をしていかなければいかぬ、このように思っております。
佐藤(公)委員 事前に防止をしていくということで、徹底教育、こういうことをしていく、これはありがたいことであり、より強化をしていくべきだと私も思います。
 しかし、現実、その数がどんどんふえている中、業界の自主的ルールの作成、もしくは新たな古物商法関係の改正、または連携の中での新たな仕組みなどをつくる、そこまでの議論または考えというのはお持ちになられていますでしょうか。
河村副大臣 少年非行の問題あるいは少年犯罪の問題、この問題については、かねてから警察庁との連絡をとってやってきているわけで、定期的な場を設ける必要があるというのは御指摘のとおりでありまして、これはやはり、警察庁と今相談をしておりまして、きちっとした協議の場を持つべきであるというふうに私も考えております。
 青少年行政を総括的に、効果的にやる、内閣府が主宰をするわけでありますが、関係省庁の局長クラスの会議でございますが、青少年育成推進会議、またその下に課長クラスの各種連絡協議、そうしたもので連絡、情報の交換や協議等も今なされておるわけでございます。
 また、この青少年育成推進会議においては、国の青少年行政の基本的方針等を織り込んだ青少年育成推進要綱というのがありまして、この申し合わせ、それから有害環境対策として青少年を取り巻く環境の整備に関する指針、あるいは出会い系サイトに対する児童買春等の被害から年少者を守るために当面すべき課題、ここまで広げながら、青少年の非行問題について対応を今図っておるわけでございます。
 そうした一つの機関といいますか、協議連携機関、こういうものを設けながら、絶えずそのことに警鐘を乱打し、対策をとっていかなければいけない。委員の御指摘を踏まえて、そういう方向で進めてまいりたいというふうに思っております。
佐藤(公)委員 よろしくお願いをいたしたいかと思います。
 そしてもう一点は、三月末に出ました、私もこれも委員会で何回も取り上げております、ADHDやLD関係の特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議の最終報告が出されたわけでございます。これを読ませていただきますと、私たちも考えていること、やはり推進してもらいたいことというのがかなり盛り込まれている最終報告にもなっている部分があると思います。
 こういった最終報告が出たのですけれども、では、これをどういう形で現場へ早く手当てをしていくのか。これが今後の課題であり、早急な対策を講じるべきだということもここにも書かれているわけでございますけれども、この最終報告が出され、今でも多少、文部科学省また厚生労働省の方でも協力しながらいろいろと方法論を講じていただいておりますけれども、まだまだの現場の状況があります。
 こういう最終報告を受けまして、今後の時間的、一つの期間的なこと、もしくは内容的段階を説明願えればありがたいと思います。
河村副大臣 三月末といいますか、二十八日にいただいたばかりでございますけれども、委員御指摘のように、できるだけ早く現場がこの報告を受けて対応しなければいかぬということでございます。
 その前段として、既にそういうことも想定し、予算におきましては、実は倍増といいますか、昨年度、十四年度五千五百万を九千九百万に上げておりまして、これはやらなければいかぬということで、今月十五日には、本事業の実施内容等について都道府県教育委員会と協議を行う、この予算の執行等も含めて協議を行うことにしております。そしてさらに、各都道府県においても、LD、ADHD等の対応に主導的な役割を果たしておる教育委員会における指導主事の方々にお集まりをいただいて研修を実施する、これは四月十六、十七日、準備を今いたしておるようなわけでございます。
 そういうことで、文部科学省としても、都道府県、教育委員会等々と連携を図りながら、学校やそれぞれの地域で総合的な体制整備ができるように、さらに推進をしてまいりたい、このように考えております。
佐藤(公)委員 前向きな御答弁ありがとうございます。
 前からお話ししているように、本当に、地域における連携、学校そして医療機関、親御さん、PTA等々の関係を一刻も早く前に進めて、そして皆さんの意識を高め、対応していくことを望んでおりますので、お願いを申し上げたいと思います。
 そしてまた、この中でも、LDやADHDに関してはまだまだ不明確なところ、わからないところが多くございます。そういう意味で、研究所、または大学の附属校における研究というものをもっと熱心に、一生懸命やっていただいて、早くいい方向への道筋を見出していただくことをお願い申し上げたいと思います。
 では、教育基本法の方に関して幾つか質問をさせていただきます。
 教育基本法、今回改正を考えていらっしゃるということで今進んでおり、中教審からも最終答申が出たような状況ですけれども、これはもう毎回毎回同じことを言っていますけれども、やはり国のあるべき姿の流れの中での一つのあらわれだというふうに考える部分があります。
 今回の中教審の答えというものに関しては、私たちは一定の評価をすべきところがあり、私たちの思いも入っている部分もあるのかなということもあります。しかし、私がきょう幾つか聞きたいことの中で、本当に、小泉総理が所信表明でもおっしゃられました。小泉内閣、小泉総理として、一体全体教育基本法、教育というものをどういう方向に持っていこうとしているのかを、確認も含めて、もう一度御答弁願えたらありがたいと思います。
遠山国務大臣 教育は国の基であるという考え方のもとに、教育をしっかりするということが日本の未来につながるという点では、恐らく委員も同じお考えではないかと思います。総理もその点につきましては同じでございまして、私どもが今進めている新しいいろいろな教育改革について、さまざまな角度から御支援をいただいているところでございます。
 そのときに、今日本が置かれている状況それから国民が置かれている状況、世界の中でどのように二十一世紀、日本が存在感を持ってさらに成熟した国として繁栄していくのかという点について、さまざまな思いがあろうかと思いますけれども、私どもとしましては、教育行政を預かるという立場から、そこについては一つの考え方を持っております。そのことを示したのは、昨年夏の人間力戦略ビジョンでございますが、それも視野に入れながら、新しい今回の中央教育審議会からの答申におきまして、これからの教育を考える際に、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成という角度から御議論をいただいて、そして今日の答申に至っているわけでございます。
 それらを分解しますとさまざまになるわけでございますけれども、現在置かれている状況の中で、二十一世紀というのはそんなにクリアカットに、こういうふうにいくからしたがって教育はということの明示できる状況ではなくて、いろいろ不透明な中、あるいはさまざまな困難がある中、本当に子供たちがしっかりした考えを持ち、たくましく、いろいろな問題を乗り越えて、新しい時代を切り開いていく、そのような人間の育成ということから、今回の答申というものはお取りまとめいただいたと私は考えているわけでございまして、そのこと自体は、今の内閣が進めようとしております構造改革と軌を一にしているというふうに思うところでございます。
佐藤(公)委員 人間力戦略ビジョンというお話も出ました。先ほど、何人かの委員とダブる部分もありますけれども、そういう流れの中で、今回の教育基本法の改正ということになっているんですが、私もちょっとわかりにくい部分が幾つかあり、先ほど児玉委員もおっしゃられた部分にもなるのかもしれません。一体全体、現行教育基本法のどこを評価し、どこを否定し、どこに問題があり、どこをどう改正していく、そして今回に至ったという部分の流れが、非常に不明確なまま進んでいるのかなという気が私もする部分があるんです。
 私たち、評価する部分は十分あります。しかし、今回の改正に至るまでの今回の最終答申、これから文部科学省さんはそれをもって教育基本法の改正となっていくことになると思いますけれども、一体全体、どこに現状の問題点があるのか、ここらあたりをより詳しく、明確に御説明願えますでしょうか。
遠山国務大臣 今答申をいただいたところでございますので、答申を読み込んで、その中で伝わってくるこれからの行く手という角度からお話しさせていただきたいと思います。
 教育基本法のもとに構築された学校教育制度を初めとする教育諸制度というものは、これまでの日本の国民の教育水準を向上させて日本社会の発展の原動力となる、そうした大きな役割を果たしてきたという評価のもとに、教育基本法の定める個人の尊厳、人格の完成あるいは平和的な国家及び社会の形成者などの理念は、今後とも大切にすべき普遍的なものと考えているわけでございます。
 しかし、その一方で、教育基本法制定以来、半世紀以上が経過をして、社会も大きく変化する中で、今日、日本の教育は大きな問題をさまざまに抱えているわけでございます。今後、その新しい時代にふさわしい教育を実現いたしますためには、今日的な視点から将来を見据えて、教育のあり方を根本までさかのぼって見直す必要があるわけでございまして、今回得ました中央教育審議会の答申におきましては、教育の根本を定める教育基本法について、簡潔に規定することが必要という提言が幾つかなされたわけでございます。
 幾つか申し上げますと、一つは、現行法の定める普遍的な理念は大切にしながら、現在及び将来の教育を展望した場合、特に強調すべきと考えられる理念の趣旨、それから学校の基本的な役割、家庭教育の役割、学校、家庭、地域社会の連携協力、宗教に対する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義の尊重、そして教育振興基本計画の策定などでございます。
 今回、提示されたこれらの提言は、いずれも我が国の教育をよりよくしていく上で重要なものと考えているところであります。
佐藤(公)委員 すべて書かれていることを読まれているというような感じで、まさにそれに集約されるというふうにおっしゃられるのかもしれません。
 これから、副大臣、よろしくお願いいたします。
 今までは大臣とお話をさせていただきましたけれども、今大臣がおっしゃられたことは読めば大体わかることだと思います。本音の部分で話をさせていただければありがたいと思いますけれども、何で今、改革なんでしょうか、改正ということになるんでしょうか。逆に、なぜもっと早く改正しなかったのかという思いも副大臣はお持ちになられていると思いますけれども、今なぜこれを改正しなくてはいけないのか、いかがでしょうか。
河村副大臣 教育基本法の見直しの問題については、既に十五年以上前、臨時教育審議会のときにも、文部省内あるいは政党間等々、いろいろ議論があったところだと伺っております。先ほど新聞の記事もございましたが、中曽根元総理あたりのお話をお伺いしても、あの時点でもう当然取り上げるべきであったけれども、まだそれに先立ついろいろな大きな改革もあったし、そこまで踏み込めなかったという話も伺いました。
 そういう観点からいけば、そのことがずっと課題になっておったわけでございますが、特にこの問題については、小渕内閣において、当時の小渕総理がそのことを強く示唆されまして、まずは私的諮問機関である国民会議で議論をしていただいてということで、そこからスタートした、そして森内閣、そして現内閣において諮問するところまで来たというのが現状でありまして、おっしゃれば、特にもっと早く、当然課題であったろうと思います。しかし、事が準憲法的な意味も持つし、大きな課題でありますから、やはりきちっとした手順を踏む必要があるということで、小渕内閣からスタートした。しかし、その以前の内閣、橋本内閣についても、教育改革というのは一つの大きな改革の中の議題にはもうなっておったわけでございますが、これが具体的に教育基本法の問題について踏み込んできたのは小渕内閣からということでありますから、私は、そこからスタートしているというふうに考えております。
佐藤(公)委員 まさに小泉総理もおっしゃっていました。これは厚生労働委員会のときですけれども、政治的意思が足りなかったがためにやれることもやれなかったという部分があったように話を聞きます。これは違う話ですけれども、まさに政治家における政治的意思が今まで弱かったのかな。また、副大臣の本にも書かれているように、まさにその努力を政治家が今まで怠ってきた部分が多々あったのかな。これは、国会、国会議員みんなが反省すべきところも多々あると思います。
 そこで、先ほど、今お話が出ました、準憲法というような言い方を副大臣はされました。前もいろいろな議論がございましたけれども、憲法とのかかわり合いということを考えていかなきゃいけない。一部の教授の方、評論家の方というのがおっしゃられている部分には、まさに今の現行憲法を意識することなく進めるべきだというふうにおっしゃった方もいらっしゃいました。しかし、憲法とそして今回の基本法、これはやはり一つのセット論で論じていくべきところが私はあると思います。
 また、私は、改めてきょうここで副大臣にもお尋ねしたいんですけれども、今、基本法というようなことが軒並み、急遽、たくさん、ここ数年の間に出てきている。今、基本法と言われているものが、私が数えているだけでも二十四本あり、しかも、平成に入ってからは十五本にもなっている。この基本法ということ自体も、実はその基本法という意味合いが随分おのおのによって違うようにも思える部分があります。とある学者さん、大学教授は、まさに教育基本法以外の基本法なんというのは基本法とは言えない代物だというような言い方もしております。
 そういう部分からしたらば、基本法というのが一体全体、まさに戦後日本においてどういう経緯、経過をとってきたかということを簡単に話をさせていただければ、まさに教育基本法的な、準憲法的な、まさに理念法である部分と、昭和三十年代に第二期目として、高度成長期における経済構造や働きかけによって生まれている保護的な要素における基本法、第三期におきますのは、昭和四十年における一つの社会的なゆがみや弊害や対処的な性格を持った基本法、そして、現在また第四期として、戦後のシステムの新たな構造的な、技術的な変化によっての基本法。基本法の意味合いが随分変わってきているのかなという気がいたします。
 そういう意味で、今回の教育基本法というのは、まさに憲法と準憲法ということの、大変重きのある、補完的な、補足的な、大事な法律だと私は思いますが、憲法とこの基本法との関係、もしくは基本法のあり方というのを、副大臣、考え、御見識があれば御答弁願いたいと思います。
河村副大臣 御答弁申し上げます。
 その前に、ちょっと訂正させていただきます。先ほど、特別支援の問題で、LD児予算を、私、五千五百万円を九千五百万と申しましたようでありますが、これは、五千百万円を九千九百万に拡大したということでございます。倍増に近いものでございますが、訂正させていただきます。
 今委員御指摘の、憲法と教育基本法の相互関係でございます。御案内のように、憲法の精神にのっとって、その成果は教育の力にまつ、こうなっておるわけでございまして、そして中を見ても、教育基本法の第三条の教育の機会均等というのが、憲法第二十六条第一項の教育を受ける権利、それから憲法第十四条の一項の法の下の平等の規定を教育の分野において具現化するという形で、この二つの、憲法二十六条と十四条のものが教育基本法第三条に入っておりますし、それから、教育基本法の義務教育の部分、第四条でございますが、これは憲法二十六条の第二項の規定の趣旨を具現化した、こういうことでありますから、非常にかかわり合いの深いものでありまして、今の基本法の中に、これほど憲法とのかかわり合いの深いものはほかにない、御指摘のとおりだと私も思います。
 今回、この見直しをするにおいて、この議論を突き詰めていきますと、まず憲法が変わらなければ教育基本法に手がつかないんじゃないかという議論が当然あるわけであります。しかし、この議論をしていただく場合に、憲法の今の精神の中で議論をしていただくということが大前提になっておるわけでございまして、前の、山元議員のときに申し上げたのでありますが、私は、ここによって教育基本法を国会で定めていただくことによって、今度いわゆる憲法見直しという問題が出てきたときに、当然それが一つの方針になって、その中に逆に入っていくべきぐらいの価値を持つものではないか、このように考えて、見直しについてはそういう方向で今検討いたしておる、こういうことでございます。
佐藤(公)委員 副大臣は、憲法の方にこれが、この議論からでき上がって、それで憲法の方に入ってくるということですけれども、では、大臣は、憲法における改正を望むということになるんでしょうか。
河村副大臣 憲法改正全体の問題について、私は、見直すべき点が多々あると思っております。ただ、教育基本法に関する部分の、教育の機会均等であるとかそういう部分については、私は、恐らく、この教育に関する理念というものは普遍的なものだというふうに思っておりまして、この教育基本法の中にもうたわれている。それは、今の憲法見直しの中にも当然入ってくる。ただ、八十九条の私学の問題等々はわかりやすくした方がいいとか、いろいろな改正はあると思います。しかし、今、教育基本法でうたっているような理念はそのまま生かされていくべきものであろう、このように思っております。
    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕
佐藤(公)委員 副大臣の教育に対する思いは、まさに出身地からくるものがあるのかなと。山口県萩というところで、高杉晋作、吉田松陰、まさに伊藤博文さんという大先輩の方々、こういう方々の思いを持って教育改革をされているのかなと感じるところがございます。
 そういう中で、私がこういう場でこんなことを言うと批判も浴びるかもしれないんですけれども、私は、戦後教育を受けて、全く戦前教育というのは知らない、まして教育勅語なんというのは全然経験したこともないような教育を受けてきた状況です。しかし、さかのぼっていろいろなものを見ますと、教育勅語ということに関して、戦後におけるきちんとした議論をされていないように思える部分があります。教育勅語というのが、いい面と悪い面があった。まさに副大臣がおっしゃったように――済みません、これは事前に質問をそちらの方に上げておりませんけれども、教育勅語というものに関して、いいものと悪いものがある。まさに、僕は、副大臣がさっきおっしゃられた、使われ方によって大きく世の中と国が変わってしまっている部分というのがあり得るのかなという気がする。
 そういう部分で、教育勅語というものを、私からすれば、それをもう一度真正面から受けとめて、そのいい面、悪い面、または、それをどう使ったことによって国が間違った方向に行ったのか、いい方向に行くのかということを議論するようなことも大事だと私は思いますけれども、いかがでしょうか。
河村副大臣 私も、教育勅語のもとで育った者ではありませんけれども、これをまた読み返してみますと、確かに、この中に、人間が生きていく上で普遍的な真理といいますか、また、それを修養しなきゃいけない言葉があるわけですね。特に、父母に孝行を尽くして、兄弟姉妹仲よくして、夫婦互いにむつみ合って、友達と信義をもって交われ、こういうようなこと等は普遍の真理だと私は思うんです。これは、勅語といいますか絶対主義者の言葉という形でおりてきた。
 そして、この中で最大の問題とあれば、全文通釈のところを見ているものですからもっと原文を読めばあれですが、万一危急の大事が起きたときは、大義に基づいて勇気を奮って一身をささげて皇室、国家のために尽くせ、こういうふうなところですね。これがやはり、第二次世界大戦のときにそういう形になっていった。
 我々にとって、まさにそこのところの間違いといいますか、今の独裁国家を見ていると、最近の戦争の状況等々を見ていると、まだ現実にそういうことが行われている。それを踏まえて敷衍すれば、やはり教育の力というのは、ある意味では非常に大きいものだというふうな思いもするわけでございます。
 そこのところを除けば、委員がおっしゃるように、教育勅語について議論をすることはやぶさかでないと私は思いますし、肥田議員からも、当時の道徳心と今の道徳心と違うんですか、同じですかという議論が出たように、我々はやはり率直にそういう議論をすべきだ、こういうふうに思いますね。
佐藤(公)委員 私は、本当に、今この国の教育関係が問われているというのは、大人社会が問われている。まさにこの教育勅語というのは、まるではれものにさわるようにみんなが避けてきてしまった。常に、いろいろなことに何か問題があると、それにふたをしたり、避けてきて通ってきちゃったことが今の日本のこの形になってしまっているのかな。
 私は、今回の教育基本法の改正というものに関しては評価すべきことがある。私が思うことは、まさに今回の改正ということをしていくのであれば、時代に適合した明確な国のあるべき姿の発展的改正というような意味合いがあるのかなと思える部分があります。そういった、はれものにさわるように事なかれ主義で来てしまった。それがもうまさに大人社会全体になってしまった。それが子供たちにも当然伝わっていくような状況になっていると思います。
 まさに、私が言いたいことは、こういった国会での議論に関しても、タブー視ということをできるだけやめて、真正面から避けることなく議論していくことが、これからの日本をつくる上で、また子供たちにとって変なことを残さず、私たちの責任としてやっていかなくてはいけないかと思いますが、副大臣、いかがでしょうか。
河村副大臣 私も、委員の御指摘のように思います。
佐藤(公)委員 そういう中で、これはどちらかといえば委員長の方にお聞きした方がいいのかもしれませんけれども、自民党の中でもいろいろな議論があったということを聞いております。まさに、教育者を労働者として位置づけるべきではない、こんな議論も出ている。
 やはり同じく、自民党さんの中では、終戦当時の状況が反映されている現行の基本法を引き継ぐのか脱却するのかを、態度を決めた上で条文作成を行うべきだということの話も出ております。これは他党のことであり、あれでございますけれども、自由民主党の中に河村副大臣もいらっしゃる中で、こんな議論が出ておりますけれども、党として、これに対してどういう姿勢でどう臨んでいこうとしているのか、もしもおわかりになればお答え願えればありがたいと思います。
    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕
河村副大臣 私は今、党の方の特命委員会に直接入っておりませんので、その後、党がどのような方向でいくかということについては定かでございませんけれども、特命委員会の議論からいきますと、さまざまな意見があることも事実でございます。抜本改革、全然白紙にして全く新しい更地でつくるべきだという意見、それと、今の答申の中で必要なものを補いながらやっていこうという議論、さまざまな議論があると私は思います。
 文部科学省の立場としては、ここで答申をこのような形で出してきておるわけでございますので、それを踏まえて改正に臨みたい、こう思っております。さらに党内の議論もございましょうし、与党三党の議論もある、そういうものも踏まえなきゃいけませんし、この問題はまさに国家百年の大計でございますから、野党の立場にいらっしゃる皆さんの意見も十分踏まえなきゃいかぬことは当然でございます。
 事教育のことでございます。私はいつも申し上げておるんですが、みんな教育を受け、子供に教育し、教育についてはみんな評論家でもあるし、本当にさまざまな意見があるわけでありますから、そういうものを踏まえるというのはなかなか容易ではないけれども、事ここに至って、ここまで議論を積み重ねてきておる、さらに積み重ねをしながら改正の方向へ持っていくというのが今私どもに与えられた使命である、このように思っておるところでございます。
佐藤(公)委員 教育基本法一つの改正ということもあり得るんですけれども、一つの方向性として、教育基本法からもっと大きな形での、人間力戦略ビジョンというのを掲げて、まさに大人社会も全部巻き込んだ上での構想を持って打ち出されているのであれば、教育基本法というよりも、人間をつくり上げるもっともっと大きな基本的な法律に改組または変えていくというお考えはありませんでしょうか。
河村副大臣 教育ということを考えたら、そういう大きな広い視野からこの問題を考えていくという考え方というのは当然あり得ると思いますが、今、文部科学省として取り組んでおりますのは、現行の教育基本法の見直しという形で来ておるわけでございます。この見直しが制定されるならば、それを踏まえて、さらに大きな形で、これをでは理念としてさらにどういう点をやっていくかということが、その上にいろいろな形で出てくる。
 特に、世界における日本の位置とかそういうことも踏まえ、また世界的に働ける日本人はどうあればいいのかとか、日本の二十一世紀はどうあればいいかという議論に立った教育のあり方というものは、経済界からの要請もあるでしょうし、あるいは倫理社会といいますか、宗教的な方からの要請もあるでしょう。そういうものを踏まえた形で構築していくということは大事なことではないか、私はこう思っておりますが、今、即法律としてそうしたものをという考え方は持っておりません。
佐藤(公)委員 僕は、なぜ今本当に改正かというと、やはりこの国のあるべき姿が見えない、方向性がわからないがために、今改めて改正をしていかなくちゃいけない。また、新たなものを求めて新たな形で国民にそれを示していく必要性が今はかなりあるんではないかなという気がいたします。そういう意味で、もっと早く出さなきゃいけなかったものですが、いろいろな経緯、経過の中で今日に至った。今必要なことは、本当にこの国のあるべき姿、方向性というのを明確にするために私は改正が必要だと思っている部分があります。しかし、いろいろなお答えの中では、そういう部分のあるべき姿というのが、それは基本というものがもっとあってのことですけれども、そこら辺をもっともっと政府として明確にしていかなきゃいけないと思います。
 それで私は、またこんなこと、言葉のことで細かいこととお思いになるかもしれませんけれども、先ほどほかの委員の方も質問いたしました。その議論の中で、国を愛する心と愛国心で議論があった。愛国心というのがよくないというか表現としては余り適切ではないので、国を愛する心というふうな言い回しになったとかいうことをよく聞きます。先ほどの質問に対して、副大臣は同じだというふうにおっしゃった。同じなのに、何で、結果的にこんな議論がこの言葉においてあるのかなというのを不思議に思うんですけれども、副大臣、いかがですか。
河村副大臣 そういう議論があることを承知しておりますし、党内からもそういう話を聞いております。
 ただ、さきの答弁、肥田委員のときにお答えを申し上げたのでありますが、これは、中央教育審議会の中で議論をしていただく中で、やはり愛国心という言葉にまだ戦前戦中の国家至上主義的なニュアンスがあって、国民が誤解をされるんではないか、あるいは心配されるんではないかと。先ほどの議論でも、まだこういうことをやるということは、何か日本がまた軍国主義といいますか全体主義に戻るんではないかとか、そういう御心配がない方が、そういう言葉は用いない方がいいだろうという観点でこういう言葉になったと聞いております。それは、さきの国民の祝日に関する法律にも、「建国をしのび、国を愛する心」、こうありますので、そういう形におさまったものだ、こう理解をいたしておるところであります。
佐藤(公)委員 皆さん方はどう思うかわかりませんけれども、私は単純な人間です。そういった言葉のごまかしが今まで積み重なった国がこの国なんですよ。自衛隊にしたって、世界各国から見たって軍隊ですよ。何かあると、言葉をかえながら、ごまかしながらやってくる。僕は、こういう国に今後したくないというふうに思います。
 はっきり、きちんと、愛国心が正しいのであれば、僕は愛国心でいいと思っています。ただ、それを、何か言葉のさわりが悪いから、昔のイメージだから、それを変えていく、ちょっとずつ変えながら、結局何かごまかしていこうとする。僕は、これが大人社会の一番悪いところであり、子供はもっとまじめだし、誠実だし、実直に物を見ていると思います。そういったごまかしをせずして、この改正も含めて、文部科学委員会がきちんとした議論ができることを望み、私の質問を終わらせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
古屋委員長 山内惠子君。
山内(惠)委員 山内惠子です。
 今回の中教審答申、現行の教育基本法を貫く個人の尊厳、人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者などの理念は、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後も大切にしていく、きょうは何度も何度もこのことを繰り返しおっしゃられていましたので、その観点にかかわってなんですけれども、きょうは遠山大臣にお聞きしたいというふうに思います。
 そのことについてということではなくてなんですが、イラク戦争が始まって二週間が過ぎました。このことにつきまして、内閣の一員としてということではなくて、遠山大臣の言葉でお聞きしたいんですが、この戦争をどう見ていらっしゃるのか。
 私は、昨年十二月の十六日ですが、イージス艦がインド洋に出発したあの日、市民グループの方たちと一緒にイラクへ行ってきました。なぜ行ってきたかというと、一九九一年の湾岸戦争の結果、三歳、四歳、五歳の子供が劣化ウラン弾の後遺症に大変苦しんでいるという写真展を見たのがきっかけです。十二年も前の湾岸戦争です。それが、三歳、四歳、五歳の子供が末期がん、白血病に襲われている。言ってみれば、一九九一年の戦争には全く責任のない子供たちです。
 小児病棟、がん病棟を訪れたんですけれども、四歳までの誕生日の写真を持っている母親が言うには、こんなにかわいかったんですよと。ところが、私の目の前にいる子供は、放射能の結果、頭がはれ、目がはれ、口はもう水を飲むこともできなくて、管で飲むことしかできない、そういう状況にありました。そして、母親は祈るばかり。なぜ祈るばかりかというと、薬が経済制裁の結果、輸入できないんだ、なぜ輸入できないかというと、化学兵器に転用されるからだ、このようにおっしゃっていました。
 つい最近、また、今回のイラク戦争で劣化ウラン弾が使われたというニュースがありました。この近代戦争は、犠牲になる方の九割は民間人だと言われています。バグダッドには五百万人の市民が住んでいます。
 そういう状況の中で、大臣、このイラク戦争をどうお考えになっているのか、イラク戦争をどういう戦争だと思って見ているのか、お聞かせいただきたいと思います。
遠山国務大臣 戦争の惨禍というのは本当に悲惨なものです。それはすべての人たちがそういう悲惨な状況に陥りたくないし、そういった状況というのはできるだけ早く終結させたいというのはだれしも思うことだと思います。
 今回のイラク紛争といいますか、イラク戦争につきましては、これはもう既にいろいろ御議論がありますとおり、九・一一のテロ事件なぞも機縁として、いろいろな国連を通じての議論、あるいはそれ以前にイラクが犯してきたいろいろな国際的な約束事への対応のなさ等々のさまざまな経緯があり、そして国連の議論もあり、なおかつ、それで不十分ということで始まった戦争でございまして、そのこと自体の理論的あるいは発端について私が説明するまでもないと思っておりますが、そういうことで起きた戦争でございますけれども、できるだけ早く終結をしてもらいたいというのは、私はどなたとも同じ感情を持っているところでございます。
山内(惠)委員 悲惨なものである、早くやめてほしい、だれでもが思うと、そこのところまでは同じかもしらないんですけれども、このたびのイラクへの戦争というのは、かつての戦争と少し違ったんじゃないでしょうか。
 国連査察をあと何カ月か続けることができれば、大量破壊兵器のすべてをあそこで人的な被害なしに壊していこう、そういう声が高まっていたのを、アメリカが一方的に中止して、しかも、今まで国連決議が必要だと言っていた小泉総理初め日本は、そのことがないにもかかわらず、アメリカの戦争を支持していった。このことにつきまして、私は、自分は学校現場にいた者として、この戦争を、大臣だったら、子供たちに、だから武力によってするしかない戦争だと言うときの、だからの部分をもう少しお聞かせいただけませんか。
遠山国務大臣 私は、学校現場においてこういう問題を扱うときに大事なことは、一つは、非常に客観的な事実をしっかり押さえてもらいたいということであります。そして、いろいろな問題の社会的事象の取り扱いにつきましては、学校として十分に判断をした上で、教育の場において十分な指導力を持った人がしっかりした形で取り扱うことが大事だというふうに考えているわけでございます。
 戦争のことについて、これ以上私からは申し上げる場でもないというふうに思うところでございます。
山内(惠)委員 あえてきょうこのことをお聞きしたのは、前の、アフガニスタンでのときにも大臣に質問したんですけれども、あのときは副大臣しかお答えいただかなかったので、改めて、もう一度言いますと、大臣はユネスコの総会に出席されてごあいさつをされているわけですね。このユネスコ憲章のことでいうと、戦争は人の心の中に生まれるものだから、人の心に平和のとりでを築かなければならない、これがユネスコ憲章で、その精神であの総会は成り立っている。
 そして、私は、学校現場にいる者として、中立であるということを本当に日常的に忘れてはならないと思ってきています。それだけに、ユネスコの総会に参加された大臣には、この、人の心に平和のとりでを築かなければならない、そして戦争を始めてはいけないという側に立っていただきたいんですけれども、始めるときに、小泉総理は戦争を支持するという形でおっしゃられたんですけれども、お一人、文部科学大臣としても、そこは支持するということで受けとめてよろしいですか。
遠山国務大臣 これは、政府の一員として、総理の宣明された方針というものは、私どもは、それはもちろん支持する立場にあります。
山内(惠)委員 内閣の一員として支持するとおっしゃることと個人の関係ということを問われるんですけれども、戦前のところでいえば、なかなか個人の意見が主張し切れなかったところがたくさんの悲劇を生んだんじゃないかと思うので、今回、川口大臣と比べるわけにはいきませんけれども、あのテレビの惨状を直視することができないという肉声でお話しされているではありませんか。私は、遠山大臣にも、もう少し肉声で子供たちに語りかけられるような、平和のとりでを築くような御発言がいただきたかったものだというふうに思っていますので、そこのところは残念なお答えというふうに受けとめて、次の質問に行きたいと思います。
 中教審に諮問した教育基本法の改正については、国民的論議を巻き起こしてほしいと大臣はかつておっしゃっていたと思いますが、十分にそのことがなされていたようには私は思えません。
 実は、資料をいただきました。三つの皆さんのまとめられたものを見ました。中間報告に対する主な意見、それから一日中央教育審議会のヒアリングの問題、それから有識者からのヒアリングの概要、どれを見ても賛否両論書かれています。ここの分析の仕方としては、積極的というのと消極的という表現がなされていることについては、何か意図的なように思うんです。改正することに賛成という方と、改正に反対という方がいると思うんですけれども、これは十分な論議と私は思えません。それは声を集めた。なぜかというと、今回の答申の中に反対の人たちの声がどのように反映されたのか、中間報告からこの最終答申に至るまでのところに、なかなか反対の方の声はこの中にあらわれているようには見えません。
 公聴会、一日中央教育審議会、これも北海道でも沖縄でも開かれていませんでしたし、公聴会で発言を希望した方たちの意見も、この中で、どの方がという名前までは言いませんけれども、項目によって分けられているせいか、あの日参加して発言したかった人は一まとまりの文章として出されていたと思うんですけれども、その文章はどこにも見当たりません。
 一部の方ですけれども、自分も参加したかった、あの十人のように意見表明する機会が欲しかった、しかし、そこに選ばれなかった、しかし、自分が書いたものは公表してもいいと思って書いたんだけれども、そのことが出てきていない。なぜここのところは、それぞれの御意見として公表するような形をとらなかったんでしょうか。
近藤政府参考人 お答えをいたします。
 一日中央教育審議会でございますが、昨年、全国の五会場で行われ、意見発表に御応募をいただいた方々が合計三百五名いらっしゃったわけでございますが、四十六名の方に御意見を発表していただいたわけでございます。
 なお、私ども、意見発表者を募集する際に、応募いただく方のプライバシーを保護する、そういったような観点もございまして、意見発表者に選ばれた方以外の応募者の意見書等は公表することはしない旨を募集要項に明示いたしたわけでございます。
 そういったことから、意見発表希望者から寄せられた意見について、具体に会場で発表になった方以外の方でございますけれども、公表することは差し控えさせていただいているわけでございます。
山内(惠)委員 氏名を報告せいということを今言ったのではありません。書かれた文章、お一人の方が、前段、後段があって、この項目でこういう意見を述べたということが見えることの方がよかったという意味で、この質問をさせていただいたんですが。
 この教育基本法を扱うに当たって、これは理念法ですから、これだけの理念、戦後五十何年間を見直すと考えられるに当たっては、教育現場の方の声もそれなりに聞いてほしかった。それは、ただ声を集めた、そういう形ではなくて、やはり討論する場所というのが必要じゃないでしょうか。それから、保護者の声もしっかりと集める必要が、それが公聴会がたった五会場だったということの問題点の意味で言っています。
 それから、審議委員も欠席が多くて、あるときは懇談会と変更してやるしかなかった。私は、これは何度も言いますけれども、学校現場にいる子供たち、教職員、保護者に本当に顔向けできないふまじめさだったということを、何回もここのところは申し上げたいと思います。しかも、今回の答申が出るに当たって、委員の方からさえ、いつも初回のようだった、初めての回のようだった、同じことの繰り返しだったと言われている。
 このような状況であったということの問題点は大変大きいと思いますので、今回の答申に当たっては、ぜひぜひ公聴会なり、多くの国民の論議を巻き起こすという方向でやっていただきたいというふうに思いますが、それはいかがでしょうか。
近藤政府参考人 お答えをいたします。
 中教審の委員は、大変お忙しい方々ばかりでございますけれども、その中で、大変熱心に精力的に御議論をいただいたかと思っております。委員の中には、小学校、中学校、高等学校の現場の先生もいらっしゃいますし、また、教育委員会の関係者あるいはいろいろな方々から、特にパブリックコメント等では、実際に現場の教員の方々からも多く意見が寄せられたわけでございます。また、関係団体等からもできるだけ、もちろん時間に制約はございますけれども、御意見を承ったつもりでございます。
 なお、答申をいただいたわけでございますから、今後とも、私どもにおきまして、例えば教育改革フォーラムを実際に開催するとか、あるいは各種媒体等を使いまして、いろいろな形での中教審の答申の広報活動にできる限りの力を尽くして、努力をしてまいりたいと思っております。
山内(惠)委員 ここに寄せられた声を見るだけでも、新聞紙上のことを先ほど山元議員もおっしゃいましたけれども、賛否両論、三論、いろいろあるわけですから、単なるPRのためにするんではなくて、やはり反論にもしっかりと耳を傾けるような計画を立てていただきたいし、また、こういう委員会の場も、集中審議で時間をかけていただきたいというふうに思います。
 そして、今回の答申の最大の問題点は、今いろいろな方からお聞きになったとおっしゃっているんですけれども、どう考えてもこれは政治主導で行われていると私は思います。改正問題が学校現場、教育現場から起こってきたということではなかったと思います。新聞の社説を見ても、過去を検証し、子供の現実を踏まえての論議を尽くす必要があったのではないか、「盛り上がりを欠いた議論」、「改正は喫緊の課題ではない」、改正の展望が見えてこない、このように書かれているということから見ても、まだまだ多くの皆さんの声が反映していないわけですから、ぜひぜひ、賛否両論闘わせる場所の保証ということをやっていただきたいと思います。
 ところで、今回の中教審のまとめに当たってなんですけれども、文科省の諮問が最初から改正を前提として議論を進められた背景に、人事上の仕掛けもあったと書いた新聞もありました。その一例なんだと思いますけれども、小野元之元文部科学省の事務次官が、中教審の臨時委員として発令された、このことは一体どういうことだったんでしょうか。一月の十日に辞職をして、二月の一日に中教審の臨時委員として発令されたというではありませんか。役人OBの審議会委員の就任は、政府の方針で抑制的であることとされている、そのことに反するのではないでしょうか。これは大臣、お聞かせください。
遠山国務大臣 中央教育審議会の臨時委員は、特別の事項に関して学識経験のある者のうちから文部科学大臣が任命することとされております。
 御指摘の小野臨時委員は、長年文部科学行政に携わりまして、教育基本法を初めとする教育行政に精通いたしますとともに、中央教育審議会の審議の状況についても熟知をしているところでございます。中央教育審議会におきましては、学識経験者としての立場から審議に参画をして、専門的かつ高い識見を持って審議に寄与していただくことを期待して、二月一日付で任命したところでございます。
 この点は、確かに、審議会等の運営に関する指針におきましては、府省出身者の審議会の通常委員への選任については厳に抑制することとされておりますけれども、属人的な専門的知識経験から必要な場合には、府省出身者の通常の委員への選任についても指針において認められておりますが、今回の件は、臨時委員でございますので、この規定が直接及ぶものでもないわけでございます。仮に本委員であっても、そのような狭い道ではございますけれども、属人的な知識、経験に基づく任命もできるということでございまして、そういう意味で私といたしましては任命したところでございます。
山内(惠)委員 今の説明で納得できるような内容ではないんじゃないですか。文部科学省でずっとこのことにかかわってこられた、諮問した側のトップの本人ですよ。その方が、幾ら臨時委員といえども、審議の中心の中に入っていっているんじゃないですか。臨時委員は、全く中心ではないとしても、今回の取りまとめにかかわっていたんじゃないですか。
 しかも、これは新聞報道に書かれている部分にありますけれども、宗教教育について口火を切って誘導したのもこの小野委員ではありませんか。諮問した側ですよ。諮問した側が諮問された中に入っていって、そしてやりたいことをやっていく、これというのは全くおかしいと思いませんか。
遠山国務大臣 先ほどお答えしたとおりでございまして、専門的知識に基づく活動であるというふうに考えます。
山内(惠)委員 今のお答えを聞いても、やはりおかしいじゃないですか。新聞にまで書かれています。結局かじをとったのは文科省の事務局だとある委員が言っている。これは別な委員がそのように言っているんですよ。これも新聞の活字になっています。諮問をする側のトップにいた人が諮問される中にいて、そして諮問に都合のよい内容をまとめていく側にいる。これは本当に問題ではないですか。
 それでは、今後もこういうことはあり得るとおっしゃるんでしょうか。今回は最終答申ですけれども。
遠山国務大臣 臨時委員の選任につきましては、規定に従いながら、何を議論するかということをしっかり見きわめた上で臨時委員の選任に当たるわけでございます。今後のことについては、どういうケースが出てくるか、今から予想することはできないわけでございますけれども、小野委員につきましては、臨時委員としての仕事は終わっておりますので、他の臨時委員とともに、三月、答申が終わりました直後に解任をいたしております。
山内(惠)委員 解任したかどうかが問題だと私は思いません。そうじゃなくて、幅広く有権者から意見を聞き、公正に意思決定するのがこの審議会の役目じゃないですか。それを、諮問する側の方、しかもそれが単なる一般的にいた担当者じゃなくて、この諮問をする中身に精通した方、そちらのお言葉でいえば精通した方が入っていったんですよ。これはどう考えても納得できる中身ではないじゃないですか。そのことについて、大臣もう一度、そこのところ、どう思われますか。
遠山国務大臣 私としましては、臨時委員の役割ということを考えて任命したところでございますし、今の問題というのは、委員もまさしくおっしゃいましたけれども、いろいろな方々の、いろいろな学識を備えた、あるいは体験を持った方々の意見を集約しながらまとめていくというのが審議会の役割でございまして、私は、その意味において、今回の答申というのは十分に尊重できる中身だと考えております。
山内(惠)委員 結局かじをとったのは文科省の事務局だと委員が言っている、強引に改正へのレールを敷いたのは文科省だったと。しかも、最初のところに戻りますと、諮問する中身も大変きめ細かく、初めに改正ありきだと言われている、その中に人まで配置してまとめていったと。しかも、毎回シンポジウムか何かのようであったり、放談会であったり、放談というのは、まあ後でいいでしょう、放談会であったと言われています。
 関係することをもう一つ。鳥居中教審会長の発言についても、きょう申し上げたいと思います。
 実は、憲法調査会の基本的人権小委員会に参考人としてくださったときに、私が鳥居会長にいろいろお聞きもしましたけれども、実は、別々な方に発言された言葉が三つとも私にとっては大変大きな問題だと思いました。
 一つは、今野議員の質問が、日本は青少年の犯罪率が外国に比べればまだ低い、それはなぜかと聞きましたら、鳥居会長は、これは言われたとおり書いてあるんです、「日本が、住民が比較的日本人で構成されている、単一民族の国だ。要するに、ほかの人種の人たちが非常に少ないということ」であると。これが一つ。
 二つ目。武山議員の質問に対して、サッチャーの言葉を引用して、「女性が家庭のことを考えない限りイギリスの将来はない」とイギリスの例で言っているんですけれども、これをあえて日本の例に引きかえてもう一度言っています。「母が自分のお乳で子供を育てる期間、その間も同じことを男にやれというのは絶対に無理」という発言をしています。男性も育児休業をとれる時代になっています。鳥居会長は、そのことさえも御存じなくて、断定しておっしゃっています。
 三つ目。水島議員の発言なんですけれども、「国連の子どもの権利委員会も、学校忌避の事例が相当数に上ることを懸念」というふうに言って、これはこの委員会の中で児玉議員も私も何度も使った言葉を、水島議員は憲法調査会で発言なさったんです。そのことをどう考えるかというのは、不登校のことについてお聞きしたんですよ。ところが、お答えは全くすれ違っていました。一つ目、中央政府の方針が国の隅々まで浸透していないからだ。二つ目、教員組合がもっと学校の教育に集中してほしい。三つ目、イギリスは子供の自由を言い過ぎたからだ。このような言い方をしています。
 私、ここで間違って受けとめられたら困りますので、鳥居会長が言ったという事実をお知らせしているんですけれども、鳥居会長にはまた別なチャンス、もし参考人として来ていただければそのときお聞きしようと思いますので、ここは任命された大臣に、そのことについてどう思うかをお聞きしたいんです。実は、この三つ目のところは子どもの権利条約にかかわって、三十一条、休息する権利、これが保障されていないからじゃないかということを水島議員が言ったのに対して、この三点、全く回答がなっていないんですね。
 まず、私が聞きたいのは、鳥居会長がどういう人かとかそんなことは全く私はきょう質問いたしません。そうじゃなくて、日本が単一民族の国だとおっしゃったことを大臣はそうだと思うのか、違うと思うのかお聞きしたい。それから二つ目、男性も育児休業のとれる時代であるにもかかわらず、鳥居会長が母でなければできないとおっしゃっていることについて。三つ目、子どもの権利条約にある三十一条、休息の権利の、子供たちができていない。この三点について、大臣はどう思うかお聞かせください。
近藤政府参考人 ちょっと事実関係の問題があろうかと思いますので。
 私も、その憲法調査会における発言について、必ずしも詳細を承知しているわけではございませんけれども、当の単一民族発言につきましては、恐らく鳥居会長は、日本の犯罪率が低い理由の一つとして、日本における住民が比較的日本人で構成されている状況を述べられた、その中での、むしろ我が国に多様な人々が存在することを前提として考えていらっしゃるのではなかろうかと思っております。
 それから、女子差別撤廃条約との関係でございますけれども、これもまた、委員ちょっと御指摘ではございますが、鳥居先生がおっしゃりたかったことは、母親が自分のお乳で子供を育てる期間は、その間も同じことを男にやれというのは難しい、そういう事柄を申されたのであって、必ずしもそういった父親の養育を、責任を否定する、そういう趣旨ではないんだろうと。これは直接いったわけではございませんけれども、そういったようなことでないかと承知をいたしております。
山内(惠)委員 鳥居会長がどういう趣旨で言ったかを私は質問したのではありません。それは、御本人が参考人としていつかここに来ていただくチャンスを私たちがつくって、そのときお聞きすればいいことです。
 それで、改めてもう一度聞きます。
 単一民族の国だということについて、今のやりとりをお聞きした上ででも結構です、私たちのこの国は単一民族の国なんでしょうか、大臣。
遠山国務大臣 厳密な意味では、単一民族でないと思います。
山内(惠)委員 厳密な意味でということでいえば、調査した人がいましたので、ちょっと調べたのですが、日本に居住する外国人登録者数は百五十万人と書いています。国籍、民族も数十カ国から成り、客観的には、この国もエスニック集団から成る多文化共生社会になっている、そのように押さえるべきだと思います。教育の学習指導要領にもその辺は書いてあると思います。
 しかし、残念ながら、一九八六年十一月、十二月に、中曽根さんは単一民族国家だということを言って物議を醸されたことがあったことをも鳥居会長は御存じないのか、またこのような言葉を発せられている。
 私たちの国は単一民族の国ではありません。アイヌの方も住んでいるし、それから在日の方もいらっしゃるというこの国において、このような言葉を何げなくなのか意図的なのか、今回の中教審の答申の中に何度も日本人よという言葉が出てくるところを見ると、もしかして意図的なのか、そういう文言が出てくるような方が会長になるということを、ふさわしくないと私は思います。
 それから、もしできれば、このようなことを発言する方じゃない方を会長に選んでいただきたかったんだけれども、それが無理であれば、私はやはりこういうことに対して、少なくとも、日本人よとあえて書くんですから、だとしたら、日本人とは何なのかという定義も本当は書かなければならないと思います。日本国憲法には日本人という言葉はない。そういう意味でも、定義がなされていないです。
 それから、差別撤廃条約を批准した国ということでいえば、この方は御存じないわけですから、この条約がどういうものなのか。性別役割分業の変更ということをしっかりうたった条約を我が国も批准したんですよ。ところが、その批准したこと自体を御存じないのか、なぜあの条約が必要だったかという趣旨を御存じないのか、今回の内容を見ますと、男女共学は既に実現しているから、この言葉は削除すると。男女共学というのはただクラスに男女がいればいいという発想でしか読み取っていないから、こんなことを言っているんじゃないんでしょうか。
 女性差別撤廃条約は、本当に、人々の心の中にまである文化的、社会的につくられた性差というものの問題を指摘しながら、子供の養育は女性と男性、そして社会の責務であるというところまで書いており、また、差別とはどういうものかということを書いている条約です。しかし、残念ながら、私は何回もこの条約についてもここの場を使って発言していますけれども、この中央教育審議会でこの条約のかかわりで発言されたという例はありません。
 それから、子どもの権利条約も、子供観について大臣にお聞きしたときにも、戦後ずっと子供観は変えていないというお返事をなさっているぐらいですから、今回の国連の子どもの権利委員会の指摘というものについても、この後も同じような指摘がなされ続けるのではないかということを私は大変心配します。
 その意味で、このような会長を任命した責任、それから、この中央教育審議会の中で、人権にかかわる批准した法案、それから子どもの権利条約、女性差別撤廃条約、教育にかかわって大変重要なものをしっかりと論議をした形跡がないということが問題だということを指摘しておきたいと思います。
 次の質問に行きます。
 今回の答申を出すに当たって、答申を出すのはいいけれども、中身について同意しかねる、改正というよりはこれは改悪だと言われた委員がいるというのが報道されています。しかも、議論を尽くせていない。なぜ見直すのか、幾ら読んでもはっきりしない。これはきょうたくさんの方たちが、幾ら読んでもなぜ改正するかわからないというふうに言われていますが、私も、今回の答申の最大の欠陥は、今なぜ改正なのか、明快な回答を示せなかったことだと思います。諮問の段階からこのことは指摘されていたにもかかわらず、根本的問題に答えていないのが大変問題だと思います。
 青少年の規範意識や道徳心、自立心が低下――私は時間を少し見間違っていたんですね。わかりました。あと五分ありますので、では、少し急ぎます。
 教育基本法に欠陥があるからこれを直さなければならないのかということについて、多くの皆さんが質問していますので、私もここは質問したかったんですけれども、現行の教育基本法が荒廃を克服するための妨げになるようなところはあるのかという質問をしたかったんですけれども、議事録を読んでもそういう論議がなされていなかったように思いますので、次の問題に行きます。
 制定から半世紀、新しい時代にふさわしい基本法のあり方ということで基本法を改正したいというふうにおっしゃっているんですけれども、これは基本法ですから、時代が変わったからといって、ころころ変えるものではないのが理念法であり基本法だと私は思います。あえてここのところを短くお答えいただきたいんですけれども、そこは端的に言って、どこのところが時代にそぐわないのか、お聞かせいただけないでしょうか。
近藤政府参考人 お答えをいたします。
 例えば、一例を申し上げますと、先ほど委員も御指摘になりましたように、男女共学の規定などは、男女共同参画社会への寄与という理念は一つ大切にしていこう。しかしながら、現行法の、「男女の共学は、認められなければならない。」このような規定は、もはや趣旨が普及してきているから削除することが適当ではないであろうか、こんなようなことが一例かと思っております。
山内(惠)委員 時代にそぐわないというのは全く見当違いです。男女共学というのは、男女がともにいればいいという話ではないんです。三点あると思います。そこのところを解説しているとまた時間がかかりますので、この男女共学の削除ということには私は強く反対します。なぜ世界の人たちが女性差別撤廃条約を批准しなければならないと考えたのか、このことが背景にあることをぜひ受けとめておいていただきたいと思います。
 ところで、中間報告には、基本法の見直しに当たって、「現行憲法を前提として見直すこと」ということを明記されています。これは単なるまくら言葉のようなものであってはならないと思いますが、大臣、このことをどう思いますか。
遠山国務大臣 そこに書かれているとおりであります。
山内(惠)委員 まくら言葉であってはならない。ところが、現行理念をのみ込む追加理念の危険性というふうに指摘された方がいるんですが、前段としてこの理念は尊重すると言っていながら、一たび国家がこのような言葉をつけたとき、次の行で、「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人を育成する観点から」というふうに追加されていくわけですね。そうすると、「たくましい日本人」という特定の人間像を教育理念として挙げた途端に個人の尊厳はのみ込まれてしまいます。どう思いますか。
遠山国務大臣 「心豊かでたくましい日本人」というのが個人の尊厳に反すると私は思いません。
山内(惠)委員 ここで論議する時間がなくなりましたから、この続きは、いずれ論議する場所をいただいてまたやりたいと思います。
 憲法の二十六条、教育を受ける権利を保障しているんですが、国家が教育に関して規範的な枠組みをつくっていくというやり方に二つの方法がある、これはもうだれでもわかっていることなんですけれども、確認をしたいと思います。一つは、教育を目的論的に考える立場、もう一つは、教育を、それ自体として、教育を受ける権利を有している人本位にとらえる考え方です。今の教育基本法は、教育を受ける権利、受ける側の教育それ自体として、自分が学びたい、成長したい、変わっていきたい、この願いにこたえるのが教育だというふうに考える後者の観点に立っています。
 しかし、今回の改正する文章、「たくましい日本人」というのは、愛国心、「国を愛する心」というふうに皆さんは使われて言われているんですけれども、これは、教育を目的論的に考える立場になっているから、両論併記には無理があります。前段を大事にすると言いながら後段が結論ですから、下の方に引きずられていきます。のみ込まれていきます。そのことを多くの人は指摘しているんですね。その意味で、これは、現憲法をまくら言葉にしておいて中身が変えられるという大変欺瞞性のあるやり方です。うまい、本当にうまいと、ある意味で皮肉を込めて言った方がいます。
 ところで、最後の質問です。
古屋委員長 山内委員におかれましては、質疑時間が終了しておりますので、簡潔にお願いします。
山内(惠)委員 そうですか。では、わかりました。結構です。またこの次に続けて質問したいと思います。終わります。
古屋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後三時二分散会


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