衆議院

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第11号 平成15年5月7日(水曜日)

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平成十五年五月七日(水曜日)
    午後一時一分開議
 出席委員
   委員長 古屋 圭司君
   理事 奥山 茂彦君 理事 鈴木 恒夫君
   理事 馳   浩君 理事 森田 健作君
   理事 鎌田さゆり君 理事 山元  勉君
   理事 斉藤 鉄夫君 理事 佐藤 公治君
      青山  丘君    伊藤信太郎君
      小渕 優子君    大野 松茂君
      岡下 信子君    岸田 文雄君
      近藤 基彦君    谷田 武彦君
      中谷  元君    林田  彪君
      松野 博一君    森岡 正宏君
      柳澤 伯夫君    大石 尚子君
      鳩山由紀夫君    肥田美代子君
      平野 博文君    藤村  修君
      牧野 聖修君    松原  仁君
      山口  壯君    池坊 保子君
      黄川田 徹君    石井 郁子君
      児玉 健次君    中西 績介君
      山内 惠子君
    …………………………………
   文部科学大臣政務官    池坊 保子君
   文部科学大臣政務官    大野 松茂君
   参考人
   (味の素株式会社技術特別
   顧問)          山野井昭雄君
   参考人
   (前鹿児島大学長)    田中 弘允君
   参考人
   (広島大学長)      牟田 泰三君
   参考人
   (教育ジャーナリスト)  山岸 駿介君
   文部科学委員会専門員   柴田 寛治君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国立大学法人法案(内閣提出第五六号)
 独立行政法人国立高等専門学校機構法案(内閣提出第五七号)
 独立行政法人大学評価・学位授与機構法案(内閣提出第五八号)
 独立行政法人国立大学財務・経営センター法案(内閣提出第五九号)
 独立行政法人メディア教育開発センター法案(内閣提出第六〇号)
 国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(内閣提出第六一号)


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     ――――◇―――――
古屋委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、国立大学法人法案、独立行政法人国立高等専門学校機構法案、独立行政法人大学評価・学位授与機構法案、独立行政法人国立大学財務・経営センター法案、独立行政法人メディア教育開発センター法案及び国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案の各案を一括して議題といたします。
 本日は、各案審査のため、参考人として、味の素株式会社技術特別顧問山野井昭雄君、前鹿児島大学長田中弘允君、広島大学長牟田泰三君及び教育ジャーナリスト山岸駿介君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。各案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。
 次に、議事の順序でございますが、山野井参考人、田中参考人、牟田参考人、山岸参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、御発言はすべてその都度委員長の許可を得てお願いをいたします。また、参考人は委員に対し質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。
 それでは、まず山野井参考人にお願いをいたします。
山野井参考人 味の素の山野井でございます。
 私は現在、日本経団連の産学官連携推進部会の部会長を仰せつかっております。この部会は、我が国産業の発展や経済の活性化を目指しまして、産業界と大学、政府との連携強化を目的とするものでございます。この部会の活動をベースに、なぜこの法案に対して賛成か、賛成の意見を申し上げたいと思います。お手元にございますキーワードについては全部触れる予定でございますけれども、順番等が少し変わるかもしれませんので、御了解いただきたいと存じます。
 今回、六つの法案が出されてございますけれども、その中核は国立大学法人法案と考えますので、この法案に焦点を絞って、今申し上げましたように、日本経団連での部会活動を通して、産業界の意見を申し上げたいと存じます。
 結論から先に申し上げます。この法案の基本的な考え方、思想につきまして、私どもは賛成でございます。競争原理の導入、強化やあるいは非公務員型をベースにしまして、大学の自主性、自律性、あるいはこれと表裏の関係にあります自己責任の原則を強めるということ、また、学長を初めトップの権限の強化に基づくリーダーシップによって個性化、多様化を図っていくための今回の法案の必要性につきましては、私ども産業界の望むところと一致しているからでございます。
 ただし、こういう大きな法案の場合は必ずあると思いますけれども、運用の仕方によっては、留意すべき課題がないわけではございません。これにつきましては最後の方で触れさせていただくことにいたします。
 ただいま申し上げました産業界の賛成意見の背景を、部会の活動を御説明する中で申し上げたいと存じます。
 部会は、今まで二回にわたって意見書をまとめて、日本経団連会長名で建議させていただいておりますけれども、これはお手元の資料の、棒グラフが書いてあるものが二枚ございますが、それぞれ一枚ずつにまとめているものでございます。
 まず、二〇〇一年十月公表の最初の意見書でございますが、これは大学との連携を通して見たところの研究開発力及びそのあり方についてでございます。それから、本年三月公表させていただいた二回目の意見書でございますが、これは人材育成に関する問題でございます。
 ちなみに、グラフがございますので簡単に御説明申し上げますと、この部会を構成する企業は三十社でございまして、十一の業種にわたっております。それぞれの業種を代表する、我が国を代表する企業によって構成されております。
 この二回の意見書につきまして、それぞれ、テーマは違いますけれども、まず構成企業にアンケートを行いました。そのアンケートの結果をもとに論議を進めてまいりました。棒グラフはそれぞれ、アンケートの結果の一部を表示しているものでございます。
 まず、最初の意見書でございますけれども、ここに大学との連携の成功例と失敗例の要因が出ております。実はこの成功例のほとんどは海外の大学との連携のものでございまして、国内大学との成功例は、もちろんございますけれども、例が大変少なくて、大部分が不満足な結果に終わっているというのが実情でございます。ただし、これは二〇〇一年十月でございますから、その以前において産学連携において出てきた結果に対する評価、こういうことでございます。
 海外の大学がすぐれていると判断される点につきましては右下の方に簡単にまとめてございますけれども、この一つ一つについては、それぞれ内容がございますが、本日はこれは省略させていただきます。
 ただ、ここで一つだけ申し上げるのは、各社が連携成功と言っております中身でございますけれども、これは単に事業化に成功して売り上げ計上に結びついたということだけを言っているわけじゃございませんで、例えば、高度な技術が習得できて、その過程で多くの優秀な論文とか特許が出せたとか、あるいは、すぐれた多くの研究者との交流を通じて自社の研究開発あるいは生産技術等のポテンシャルが非常に大きく伸びた、こういう、一言で申し上げますと技術ポテンシャルの大きな向上に有用であったということを、単なる事業化だけではなくて、海外の大学との連携の中で得た成果としてうたってございます。
 ただ、これではまるで産学連携中心の大学、このように受け取られるかもしれませんが、海外の大学とコンタクトをとりました各企業の担当者は、この部会のメンバーの、大体、取締役さんとか部長さんが中心でございますけれども、大学の最も特徴とする真理追求のいわゆる純粋基礎研究について、決してこれらの大学は、産学連携に偏るがためにそちらの方のリソースが減っているということは全くない、これもまた世界トップレベルであって、ノーベル賞の候補者になるような人をたくさん抱えている、こういうことを言っております。
 つまり、私は大学の中に入って大学のマネジメントをやったことがございませんのでよくわかりませんけれども、研究について言えば、この二つについてうまくアレンジしている、恐らくトップダウンの非常に強いリーダーシップの中で、その大学の中でバランスをうまくとっている、このように判断できる結果が出てきているということでございます。
 最近のデータで言いますと、産業界から国内及び海外の大学中心の研究機関への研究開発投資につきまして、御存じかと思いますが、例えば二〇〇〇年の実績を見ますと、国内の大学等に対しては六百七十億から七百億円、これに対して、海外の大学に対しては千五百五十億から千六百億円となっておりまして、二・二倍ほどになります。こうした状況について、産業界として非常に大きな問題意識を持っております。これについて一言つけ加えさせていただきます。
 我が国の企業は、遠く海外の大学との連携を決して好きこのんでやっているわけではもちろんございません。ただ、企業は、自社の目的にできるだけフィットする相手を、国内だけではなくて、視野を広く世界に広げて選定することになります。いわゆる費用対効果の極大を求めるわけであります。その結果として今申し上げた状況に今なっている、こういうことでございます。
 ただ、このことは産業界として決していいことだと思っておりません。短期的には確かに大きなメリットがあることは今申し上げたとおりなんですが、長期的に見ますと、逆に我が国の企業とか産業界を圧迫する要因になる、そうとらえております。
 なぜかといいますと、海外の大学の技術ポテンシャル、産学連携のポテンシャルがどんどん上がっていく。それから、それにかかわる研究者あるいは大学院生等のこういう面でのポテンシャルもどんどん上がっていく。そして、我が国の企業とは違って、まさにその国の企業、私どものライバルになりますけれども、その企業は、彼らにとっては自分の国の地元の大学になるわけですが、ますますポテンシャルの上がっているこうした大学と我々よりもはるかに濃密な人事の交流も含めた連携をやっておりますし、また、そこで鍛えられた若者というのは、決して日本の企業に入ってくるわけではなくて海外の企業に入るわけですから、長い目で見た場合に、我が国の企業の産業競争力ということを考えますと、今申し上げたこういう状況は非常にまずい。短期的にはいいんですが、非常にまずい。これが私ども産業界の強い危惧感でございます。
 したがって、私どもといたしましては、こういう姿を変えまして、我が国の大学と相互に向上が図れるようなメリットのある連携を早くつくり上げたい、また、海外の大学へ今多く流れておりますところの研究開発投資を国内の大学中心の方向に逆転したい、これを強く望んでいる次第でございます。それには、企業側の多くの努力が必要になることはもちろんでございますけれども、大学に対しましては、特に国立大学でございますけれども、ぜひ国際競争力の強化を図っていただきたいというのが願いでございます。
 次に、簡単に二回目の意見書について御説明申し上げます。
 これは、産業の国際競争力の核になります技術力を担うために、ここ数年から十年の間に入社した技系の学生を対象としたアンケート結果でございます。中身につきましては、大変恐縮でございますが、味の素社の例で申し上げますと、学士がほぼ二五%ぐらい、修士が約七〇%、博士が約五%という比率になっておりまして、修士中心型の形になります。このアンケートのグラフにございますように、入社してくる我が国の若者に対してメンバー各社の忌憚のない認識が示されておりますが、これはいずれも各社が将来の国際競争力をにらんだ場合に大変強い危機感を持っているということのあらわれでございます。
 先ほど申し上げましたように、メンバー各社は十一の業種にわたっておりますので、入社する若者の専攻は学部も専門分野も大変広い範囲にわたるわけでございますけれども、そういうことは全く関係なく、この傾向は共通の現象としてとらえることができます。今申し上げたのは、メンバー企業のデータでございますが、これとは別に文部科学省さんの方で数百社に対しても同様な検討をされておりますけれども、驚くほど一致した結果が出てきております。
 以上申し上げましたように、日本経団連などの部会の活動をもとに、産業界は、教育及び研究に関しまして、国立大学の現状に強い問題意識を持たざるを得ません。法人化、非公務員型という大きな変革を契機にこれらの課題を順次解消して、国際競争力ある姿へ変貌していくことを強く望んでいる次第でございます。
 次に、国立大学に対する期待と改革への産業界としての意見を若干申し述べたいと思います。
 改めて申し上げるまでもなく、大学の機能は三つだと考えます。一つは教育、つまり人材育成であります。研究につきましては二つに分かれると思います。一つは、真理探求の純粋基礎研究、あるいは学術研究という言い方もあると思います。もう一つは、産業化への出口が見える、あるいはそれにつながる可能性のある研究、ただし大学の場合はその中でも基礎的段階の研究になりますけれども。大学の先生といろいろお話ししますと、知の伝承ということもおっしゃいますが、教育等の中にこれを含めると考えれば、私どもはこの三つかなと考えます。
 以上申し上げましたことの中で、特にこの三つの機能について産業界としてはっきり申し上げたいことは、これら三つの機能について、すべて産業界の要望に合致させてほしいなどということは一言も言っておりませんし、全くそのように考えておりません。
 例えば、真理探求の基礎研究というのは我が国が文化国家として世界の尊敬を集める上で極めて大切な機能でありますし、また、歴史というものを振り返って見てみますと、極めてすぐれた独創的な純粋基礎研究の成果というのは、時期は特定できません、いつとは特定できませんけれども、何らかの形で必ず産業に対して大きな発展のインパクトを与えていることは間違いない事実だと考えております。
 それから、教育につきましても、産業向けの人材教育を求めているわけでは決してございません。将来にわたって我が国のさまざまな分野で国力、国際競争力の強化につながるような人材育成が極めて大切でありまして、それを産業界は求めているのでございまして、そのような全体のレベルアップが図れるのであるならば、必ずその中に産業に有用な多くの人材が含まれているはずである。これが私どもの人材育成に対して期待する構図の内容でございます。
 ただ、これらのことを実現してまいりますためには、大学の中に今までよりももっと競争原理を導入していくことが必要であろうと考えます。これまでの国立大学は文部科学省監督下の一組織でありまして、はっきり申し上げて、競争原理が働いてこなかったのではないかという危惧がございます。底辺の水準維持型の護送船団方式ではなくて、大学間のできるだけ自由な競争の中で個性の輝く大学が生まれて、頑張った大学は伸びるし、工夫の足りないところは衰退するという世の中の当たり前の流れが不可欠であると考えております。
 大学における競争というのは、先ほど申し上げました三つの機能のそれぞれのフィールドでの競争であって、企業の言うような利潤追求の競争とは異なるのは当然のことでございます。
 ただし、競争原理の導入には、公正にして透明な評価体制の導入が不可欠でございます。先ほど運用の中で課題と申し上げたのは、一つはこれでございます。さまざまな面からの多様な評価が必要になります。多面的な評価をするということは大変な労力を要することになります。したがいまして、労力をできるだけ軽減する工夫が必要でございますけれども、ただ、そうした中で、評価基準が画一化されたりあるいはワンパターン化した尺度にならないよう、私ども産業界も含めまして十分ウオッチすることが必要であると考えております。
 そのほかにも大学に対していろいろ要望点はございますけれども、棒グラフの書いてあります中に文言で幾つか述べておりますので、ここでは省略させていただきます。
 最後になりますが、今回の国立大学法人法案は仕組みの問題でございまして、改革の成否はいかにこの仕組みを運用するかにかかっていると思っております。その意味で、法案が本当に効果を上げることができるか否かは未知数である、そのようにとらえております。
 しかし、産業界のみならず、我が国の将来にとって、今や大学改革は一刻の猶予も許されない時期に来ていると考えております。産業界と大学が豊かな経済社会実現のためのよきパートナーとなるように、本法案の早期の成立と諸先生の引き続きの御尽力をお願い申し上げまして、私の陳述とさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)
古屋委員長 山野井参考人、ありがとうございました。
 次に、田中参考人にお願いをいたします。
田中参考人 御紹介いただきました田中でございます。
 私は、平成九年一月に鹿児島大学長に就任いたしまして、ことしの一月まで六年間、国立大学協会のさまざまなこれに関する委員会の委員並びに文科省国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議のメンバーといたしまして、国立大学の独法化問題に深くかかわってまいりました。
 本日は一学徒として意見を申し上げたいと存じますが、時間の関係もありまして、内容を書いてまいりましたので、読み上げさせていただきたいと思います。お手元にあるかと思いますが、それを参照しながらお聞きいただくとありがたいと思います。
 現在国会で審議されています国立大学法人法案には深刻な矛盾が幾つか含まれており、意に反して、意図する目的とは正反対の結果を生じるのではないかと思われます。
 以下、その理由を述べます。
 一、国立大学の法人化の中心目的は、自主性、自律性の拡大にあります。ところが、本法案は、予算、組織、人事等に関する運営上の裁量は拡大いたしますが、大学の本来の任務である教育研究の自主、自律は逆に大きく失われます。なぜなら、独立行政法人通則法を基本とする本制度においては、従来大学が一体となって持っていた企画、立案、実施の機能は分割された上、企画、立案は文科省の権限に移されまして、大学には実施機能しか割り当てられないからであります。しかも文科省には、大学が実施した業務の成績評価と予算配分や大学の改廃を決定する権限までも与えられています。したがって、この制度は、政府や官僚が、強力な権限を持ち、国立大学を直接統制することができる仕組みを内包していると言うことができるのであります。
 具体的に見ますと、文科省は国立大学に対し、六年間の教育研究等の目標、計画を指示、認可いたします。そして、六年後の成績評価、これは達成度評価でございますが、と予算配分、それから次期の目標、計画の指示、認可あるいは大学の改廃までも取り仕切ることができるのであります。これを改革サイクルというふうに言っております。換言いたしますと、大学は文科省の指示、評価、予算配分等に従って教育、研究、運営等を実施しなければならないということになるわけであります。
 大学に対するこのような国の縛りは、我が国において存在したことはなく、もちろん現行制度にもありません。従来、「文部省は、その権限の行使に当つて、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。」文部省設置法第六条二項、とされてきたのであります。したがって、この制度は、大学に対する規制強化を意味しておりまして、構造改革の旗印である規制緩和と明らかに矛盾するものであります。
 また、大学本来の学問的使命に対する以上のような歪曲は、世界に例を見ないものでもあります。これはまた、憲法二十三条の学問の自由の保障や教育基本法十条の教育の不当な支配の排除に反することは、既に多くの識者が指摘しているとおりであります。
 大学の現場で教育研究に従事しておれば、この仕組みが大学に適合しないことは容易に理解できると思います。
 まず、教育について見ますと、その目的は、学生個人の能力を伸ばし、人生途上での困難に際し創造的に自己を形成する能力を養成することにあると思います。学生は単に知識を習得するだけではなくて、自分の頭脳で考えることを学ばなければなりません。また、さまざまな機会をとらえて人格の形成を図ることも必要であります。人間の本質にかかわるこれらの部分について、目標を指示し、それに従って計画を立てることや、特に数値化することは到底不可能でありまして、もしそれが強要されるならば、教育の本質は大きくゆがめられることになるでしょう。
 一方、未知の学術的価値の発見や創造を目指して行われる研究は、ノーベル賞受賞者の経験談に示されているように、まず研究者の自由な発想から始まり、試行錯誤を繰り返しつつ進行し、当初の予定から大きく外れることもしばしばであり、また、偶然が大きな役割を果たすこともよく知られています。したがって、六年間の目標を指示され、計画の認可を受け、それに従って研究を行うことは、無意味であると言わざるを得ません。もしこの制度が実施されるようなことになるとすれば、真に独創的な創造的研究の芽が摘み取られることになり、我が国はいつまでも基礎研究ただ乗りの国、これはサッチャーが言ったわけですが、から脱することはできないでしょう。長い目で見た場合、国際競争力はむしろ低下するのではないかと危惧されます。
 いずれにいたしましても、本制度のもとでは、真の教育研究を行うことは困難であり、もしそれが強要されるならば、教育研究の本質はゆがめられ、我が国の学問は衰退を余儀なくされることは明らかであります。このことは、文部大臣の当初の反対声明に的確に述べられているわけでございます。
 次に二番目ですが、法人化は、行革の一環として始められた以上、行革としての意味も持たなければなりません。行革の目的はスリム化、効率化でありました。したがって、政府の業務も権限も縮小されねばならないはずであります。ところが、さきに述べたサイクルにおける各業務、策定、認可、評価、査定は、新しく発生した膨大で煩瑣な事務量を含み、しかも、それらはすべて政府のもとに集中化されています。したがって、その業務も権限も現在よりも増大、強化されることになります。少なくとも縮小されることは困難であります。
 この矛盾は、各大学においてもあらわれます。さきに述べた改革サイクルにおいて、中期計画の作成、年度計画の公表、各種の評価書類の作成とやりとり、財務諸表の提出、決算報告書の提出等、各大学でも膨大で煩瑣な事務量が発生し、それに応じて多くの人員と財源が教育研究以外の業務に費やされることになります。それにも増して、新しく二名の監事、多数の役員、学外者を雇用しなければなりません。これらはすべてスリム化、効率化を目指す行財政改革の本来の意図に矛盾します。それはむしろ、教育研究から大学経営への人員と財源のシフトと言うべき事態でありまして、教育研究の高度化という大学改革の本来の趣旨に根本から矛盾し、壮大な浪費と言わざるを得ないのであります。
 三番目、競争原理導入による大学の活性化という発想には、根本的なパラドックスが潜んでおり、慎重に対処しないと極めて危険な事態に陥る可能性があります。この発想は、学問の内実に即して内発的に教育研究に従事している人々に対しては必要ではなく、否、むしろ迷惑で有害ですらあるのに対して、そうでない人々に対してのみ多少有効に機能するという逆説があるからです。それは、日本の大学の最低水準を引き上げるのには役立つかもしれませんが、逆に最高水準を押し下げ、全体としても水準を低下させる可能性が極めて高いと考えられます。
 なぜなら、それは教育研究の外面的評価、特にその数値化と相まって、熱心で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的、発見的エネルギーを攪乱し、低下させるからであります。イギリスの大学は既にそれによる多数の頭脳流出を経験したのです。競争原理による活性化は、一時的な効果を生むかもしれませんが、たちまち息切れし、全体として日本の高等教育を凡庸な水準に収れん、停滞させると思われます。中長期的には、意図した活性化ではなく、停滞が結果として生ずることになります。日本の企業の幾つかの経験はそれを暗示しています。
 四番目、行革には二つの手法があって、一つは市場競争原理導入であり、他は地方分権であります。前者は人、物、金の流れを大都市に集中化させる働きをし、後者は逆に、過度の大都市集中に伴う政治経済のゆがみ、文化の一様化、平板化、社会問題の噴出といった事態を回避し、全国的に多様な活力ある地域社会を発展させる役割を果たすべきものであります。
 ところが、国立大学の法人化は、競争原理に強く依拠して制度設計されております。したがって、すべての国立大学への一様な本制度の導入は、国立大学機能の集中化、拠点化のみを推進するものであり、最近の展開はそれを証明しておりますが、地方の国立大学と地域社会にとって極めて憂慮すべき制度設計と言わねばなりません。市場競争原理のみでは、企業立地の実情や県民所得の格差、さらに既に存在する大幅な大学間格差等に照らして、さきに触れた大学経営の自由は地方では実効を伴わないのであります。この制度設計が地方の衰退を招き、全体として日本の国力の地盤沈下を招くことはほぼ確実と思われます。したがって、それは地方活性化をうたう地方分権に矛盾しています。
 このことが意味するのは、行革に二つの手法があるように、大学改革にも二つの手法があるべきであって、産業競争力強化を担う大都市圏の大学への拠点化、集中化の方向とは別に、日本全体の地域活性化を担う地方国立大学についてはあくまでも分散化を維持し、一方向的に集中化のみを図るべきではないということであります。大都市と地方は相互に支え合っており、地方の活性化なくして大都市の活性化もあり得ないからであります。
 現在、国立大学に対してさまざまな批判があります。今ここでそれらに対して十分な検討を加えることはできません。しかし、暫定的に次のように言うことはできると思います。
 日本の大学は、世間で思われているほど業績水準が低いわけではありません。むしろ、かなりの業績と潜在能力が隠されているとさえ言えます。ただ、それらを一般社会と結びつけるチャンネルが欠如しているのであると思うわけであります。大学の学問研究を地域社会現場と全面的、根本的に結びつけることによって、両者を相互的に活性化させるような社会空間、この関係を全国的に展開することによって二十一世紀のグローバルな大問題に各大学が相互補完的に協力して対応し得るようなネットワーク、このような社会空間、ネットワークが形成されるならば、日本の大学はよみがえるはずであります。
 このことは、競争原理による活性化のみではなく、協力原理による相互活性化もまた必要だということであります。したがってまた、この理念に基づく大学群も国家にとって必要不可欠だということを意味しています。
 今日、日本の文教政策が念頭に置くべきは、グローバル化に伴う二十一世紀前半の巨大な経済的、社会的変動であり、考察さるべきは、いかにしてそれらの変動に柔軟に対応し得る多様で豊かな構想力を培い、日本の社会全体を支え得るかということだからであります。
 以上述べましたように、本法案は多くの致命的な矛盾を内包していますので、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るという目的とは反対の結果を生むことになると思われるのであります。我が国の未来を見据えた理性ある判断を期待いたします。
 ありがとうございました。(拍手)
古屋委員長 田中参考人、ありがとうございました。
 次に、牟田参考人にお願いをいたします。
牟田参考人 御紹介いただきました広島大学長の牟田でございます。よろしくお願いします。
 本日は、この文部科学委員会で意見陳述をする機会を与えていただきまして、ありがとうございます。私は、この陳述の中で、基本的には本法案に賛成という立場で意見を述べさせていただきます。もちろん、部分的にはいろいろ批判的なことも申し上げるかもしれません。
 さて、私がここで申し上げますことは、世界的に現在大学改革は急速に進んでおりますが、まず、この世界の大きな流れということについて申し上げた上で、その中で我々がいかに国立大学を変えていくべきか、その変える一つの方向がこの国立大学法人法案が示していることであるというふうに考えております。この点について、きょうは申し上げたいと思っております。
 まず最初に、世界的な大学改革の流れについて簡単に申し上げます。もちろん、ここにいらっしゃる皆さん方にとっては当たり前のことかもしれませんが、そういう意味で釈迦に説法かもしれませんが、お聞きいただきたいと思います。
 最近、大学間でも、大学のマネジメントをつかさどっている人たち、学長とか、副学長とか、学長補佐とか、そのレベルの人たちの往来が非常に激しくなっております。これは国際的な意味で申し上げております。そういう海外からの表敬訪問とか、我々が海外へ出かけていって表敬訪問するときの話題なんですが、以前はこういうときの話題に非常に困りました。それで、いろいろなよもやま話をして時間をつぶして帰ってくるようなこともあったんですけれども、最近は一言、おたくの大学の改革状況はどうですかと聞いたら物すごく盛り上がるんですね。それで二時間、三時間はたちまちたってしまいます。昼食の時間もこの話ばかりしているということはよく起こるんです。そういう意味でも、世界の大学関係者にとって、この大学改革の問題というのは重大関心事となっております。
 どうして世界じゅうの大学が一斉に大学改革に関心を示し、またやっており、やらざるを得なくなっているのかということをよく考えてみますと、これはやはり十三年余り前のベルリンの壁崩壊にさかのぼるのではないかと思っております。このときに冷戦構造が崩壊して、そして世界的に一つの、資本主義という格好での流れになってきたわけですが、この流れの中で競争社会が出現し、そこの中で生き残るためには常に変化に対応していかなければならない、変化に対応できるもののみが生き残る、そういう状況になっておるわけですね。
 どのような組織であってもこの競争の中にほうり込まれているわけですから、この競争に打ちかっていくためには、変化に対応する、すなわち改革を進めていく必要があるわけです。大学も組織の一つでありますから、改革は必然であるというふうに考えられます。ベルリンの壁崩壊という出発点を同一にしておりますから、世界じゅうの大学はほぼ同じフェーズで改革を進めているというのもうなずけることではないかと思います。
 そこで、お手元に私の話のレジュメを差し上げておりますが、そこの中に、一覧表として、各国の大学の改革状況を書いております。これも御存じの方が多いと思いますが、しかも大学の設置形態については非常に大ざっぱな書き方をしておりますから、この国には私立もあるじゃないかというような御意見もあるかもしれませんが、その辺は大目に見ていただきたいと思います。
 そこに書いておりますように、アメリカとイギリスが十五年ほど前に、レーガン、サッチャーの時代に大学改革を大幅に進めたのは御存じのとおりです。ほとんどの国がこのアメリカ、イギリス・モデルに立脚して改革を進めているところでございます。そこにありますように、フランスでもドイツでもオーストリアでもロシアでも、日本、中国、韓国、オーストラリア、そういったところでは、まさに改革進行中でございます。
 もちろん、大学の設置形態は国によって幾分か違っておりますが、この形態が、特に国立大学の形態をとっていたものについては、日本の法人化に似たような形態に進んでいっている。アメリカの州立大学は、まさに我々の法人化後の形態に似た格好をしているわけですね。
 もちろん、こういう道をとっていない国もあります。そこに書いておりますように、下の二つ、スウェーデンとフィンランドについては、これは国立、すなわち政府機関のままでおりまして、例えば学生の授業料は徴収しておりません。そういうわけで、我々の国立大学よりはるかに国立大学であると言ってもいいかもしれません。
 そういう大学の構造改革、カリキュラム改革とかなんとか、そういったものについては常時あちこちでやっておりますから、きょうはこの点には余り言及しません。構造改革に問題を絞って考えますと、その表の中でスウェーデン、フィンランドを除いては、ほとんどが改革を大規模に進めていっております。
 もちろん、大学の当事者たちと会って話しますと、いろいろな不満が聞こえてきます。それは、日本の現状と全く同じです。しかしながら、大学を動かそうとしている人たちにとっては、これは重大関心事でありまして、押しつけられた改革であろうが、自分らが自発的にやった改革であろうが、何らかの方法でよい方向に持っていきたいと努力しているのがうかがえる状況でございます。
 さて、目をヨーロッパ全体に転じてみますと、ヨーロッパは現在、御存じのように、ヨーロッパ連合、EUを形成しておるんですが、そこの中で、各国の教育制度が非常にまちまちです。例えば、三年で学部を終えるところもあるし、そうでないところもあります。そういった教育制度について、できるだけ共通化を図ろう、基準を同一にしようという方向の議論がありまして、これが一九九九年にボローニャに集まった大学関係者の会議でまとまって、ボローニャ宣言という形で報告が出ております。これはもう御存じの方が多いと思います。
 このボローニャ宣言を読んで、またその背景を考えてみますと、大きな改革の流れ、グローバルな改革の流れの中でブロック化というのが起こっていることがわかるんですね。ブロック化した中では共通性を保とう、協調していこう、そしてそのブロックの外に対しては大きな競争力を持とう、そういう意図がうかがえるわけですね。
 それで、これは現在やっている話でも何でもないんですが、東アジア地域でもこのブロック化による共通基準化、標準化というようなことを私は早急に検討すべきではないかと。例えば、日中韓ぐらいで高等教育関係者が集まってこういう議論をすべきなんじゃないか、一部やっている方もいるとは思いますが、そういうふうに感じております。
 国際的な高等教育のマーケットシェアというものがそういった形で、ブロック化であれ個別であれ、争奪戦が起こっているわけですが、例えばの話でいいますと、中国で伺いますと、既にアメリカ、イギリス、オーストラリアの大学関係が参入してきておりまして、そちらの方に相当数の学生が流れていっているということを聞いております。これは事実として聞いております。
 日本でも、皆さん御存じのように、アメリカの大学が学生募集に来ておりまして、特に大学院の学生に対する説明会などが東京で行われております。学部を出た学生がかなりアメリカの大学にも行っている。もちろん、高校を出た学生がアメリカの大学にも行っている。しかも、優秀な方の学生が行っているというのは非常に憂慮すべきことではないかと我々は思っております。
 私はここで、高等教育のマーケットとかなんとか、そういった俗な言葉を使っておりますので、非常に批判されるかもしれませんが、ただ、私がここで申し上げたいのは、こういった世界的な状況を、好きとか嫌いとか、いいとか悪いとか、そういうことを言うんじゃなくて、現在そうなんだよ、事実だ、その事実を直視しましょうと言っているだけです。事実を直視した上でどう乗り切っていくかというのを考えればいいんだというふうに考えております。
 さて、その事実を直視した上で、我々はどうしていくかというのを考えてみますと、日本は既にキャッチアップの時代は終わっていると私は認識しております。それで、フロントランナーの時代に入っている。では、フロントランナーとして何をすればいいか。キャッチアップの時代は、フロントランナーという目標があって、それを追っかければよかったんですが、フロントランナーになれば前はありません。では、何に向かって走るのか。それは、自分で目標を決めて走っていくわけですね。そのためには独創性が必要です。リーダーシップが必要です。そういう人材が今欠如していると私は思っております。
 これからの日本に必要な人材を育てるためには、大学が特色あるカリキュラムを用意して、そういう人材を育てるようにしなければならない。変わっていかなければならない。だから、大学が変わっていくというのは必然でありまして、特に国立大学は、ぬるま湯と言っては語弊を生むかもしれませんが、今までのような形でやっていてはいけないのではないか。我々は新しい展開をすべきであろうと考えております。そういう時代に、国立大学を変えていく上で、この国立大学法人法案というのは時宜を得たものではないかというふうに私は考えたわけで、それで賛成の立場をとっているわけでございます。
 次に、大学の運営について話を移させていただきます。
 大学の運営について考えてみますと、これまで国立大学は、国からすべてのお金をもらって、それをどういうふうに使うかということだけが問題でした。したがいまして、大学経営という観点は欠けていたと言わざるを得ません。大学を運営する上で国立大学の場合は、完全なボトムアップ方式で十分やっていけたわけです。したがいまして、学長の役割というのは、各部局の教授会から上がってくる案件を取りまとめて、取りまとめた上でそれを実施するという役割だけを担っていたわけで、大学をうまく経営していくという役割は比較的弱かったんですね。
 今後、国立大学法人法案で述べられているような大学運営の形態に移っていくとすれば、トップダウンの方式が幾らか強くなってくると思います。私は、トップダウンそのものについては幾らかの疑念を抱いております。トップダウンだけではだめであろう。偉大な企業などを眺めておりますと、明らかに、最近の傾向は完全なトップダウンではないんですよね。トップダウンにうまくボトムアップの味を加えた新しい形をとろうとされているのが伺えます。このトップダウンとボトムアップの両方がうまくミックスしたような運営形態を今後大学にも取り入れていく必要があると考えております。
 では、どういうふうにやっていくのか。まだはっきりしたアイデアを私自身持っているわけじゃありませんが、やはり、個々の大学を運営していく基本的な理念を明確にすること、そしてその明確にした理念を堅持しながら、向かっていくべき到達目標をはっきりさせること、その大学の到達目標に向けてすべての教職員を導いていくのが学長の役割であろうと思っております。その上で学長は意見を十分に聞いて回って、そして大学全体が成長する組織となるようにしていくべきであろうと考えております。
 このような考え方に立ちますと、やはり、今回の国立大学法人法案は、そういうことができる余地を残してくれていると私は判断して、これに賛成の立場をとっているわけでございます。
 さて、時間がありませんので、最後、基礎的な学問分野について簡単に申し上げたいと思います。
 大学が果たすべき使命というのは、知的文化の継承であって、創造であって、そして活用です。このことを別の言葉で言えば、教育、研究、社会貢献と言うこともできると思います。大学は、この三つの柱の上に乗っかってやっていくんだというふうに考えますが、国立大学を法人化して市場原理を導入して経営合理化が図られれば、すぐには役に立ちにくい基礎的な学問が衰退するというような危惧の念がしばしば表明されております。私もよくわかっております。そういう危惧は全くないわけではございません。
 基礎的な学問というのは、確かに、長期にわたって継続的にかつ地道に続けることが必要で、ややもすれば、実用に重点が置かれる場合は無視されやすい部分であります。経営の効率という点からは無視されてしまいやすい。だから、これは守っていかなければならないという論理が成り立つわけで、私もその意見には賛成ですけれども、ただ、そのために法律をつくるとか、組織をつくって守るとかいうことではなくて、これはむしろ、ある自由度を残した中で学長が見識を持って守るべきものではないかというふうに考えております。
 要するに、実地でこれは守っていけばいいのではないか。それを守れないような学長の大学は衰退するんだ、そういうふうに考えるべきではないかと思っております。私がそれだけの実力を持っているかどうかは別としまして、考え方としてそうではないかというふうに思います。
 そこで、そういう基礎的な学問をきちんと守って、大学の根幹、特に国立大学の根幹である基礎的ですぐには役に立たないかもしれない学問を守っていくということを学長がやれるような余地をきちんと残した法案にしていただきたい。現在の国立大学法人法案の範囲内であれば、私はその後の省令等できちんとしていただければ守れるのではないかと判断しております。
 国立大学法人法案ができることによって、日本の大学は国立大学と公立大学、それから私立大学という分類になりますが、この国立大学というのは基本的には運営費交付金という国費で賄われることになるわけです。これは部分的ではあるにせよ、そうなります。これはアメリカの州立大学だって同じです。そのためにも、国立大学は計画的な人材養成の実施、重要な基礎的学問分野の継承、それから先導的、実験的教育研究の実施など、国費によって運営されている責任を果たす必要があります。そのためには国策が反映される必要があるわけです。したがいまして、国策を反映する中期目標については、文部科学大臣の権限があってしかるべきではないかと私は判断しております。
 もちろん、実際にこれを実施する面においては、文部科学大臣と大学関係者の間でやりとり、情報交換があった上でできていくものだと思いますが、国策を提示するものとしては、文部科学大臣の権限内であろうというふうに考えております。
 以上、いろいろなことを申し上げましたが、私は、これから高等教育にも市場原理が持ち込まれることはいたし方ない。しかしながら、市場原理と大学が昔から持っているアカデミズム原理のバランスをとりながら、絶妙のバランスポイントの上に大学を運営していくということは、これからの大学関係者に課せられた課題であろうと思っております。
 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
古屋委員長 牟田参考人、ありがとうございました。
 次に、山岸参考人にお願いをいたします。
山岸参考人 山岸駿介と申します。
 時間の関係もございますので、いきなりでございますが、本論に入らせていただきます。
 国立大学法人法案についての問題点、これは多々あると思います。これまでも私は、傍聴はしておりませんでしたけれども、本委員会での質疑は国会図書館のホームページで見ましたし、さらに、前回の参考人意見もレジュメ等を拝読いたしまして、大体そこで問題にされていることは、やはりそれぞれの理由があることだと思います。ただ、ここで私はいろいろな問題の中で二点に絞って申し上げますれば、そこの最大の問題は、やはり中期計画、中期目標にあるのではないかというふうに考えております。
 これは、中期という言葉はともかくとして、この目標、計画というのは、実は今始まった話ではありませんで、何十年来です。私が知っている限りにおいても、何十年来大学に求められていた、やるべき事柄であった。それをすべて無視してきた。それで、やっと今回、この法案によって中期計画、中期目標というのが登場してきた。
 その意味においては、目標や計画を立てるということは決して悪いことではないと私は思っております。ただ、中期目標を大臣が定め、国立大学法人に提示する、さらに、大学法人は中期目標に基づき中期計画を作成し、文部科学大臣の認可を受けるというところは、恐らく文部科学省の立場に立てば、これは国家資金を管理する責任があるわけですから、やむを得ないということがあるんだろうと思うんですけれども、ここは、大学としてはやはり受け入れがたい一点なんだろうというふうに思います。
 ここの部分の解決は極めて難しい問題だろうというふうに思いますが、さらに、この結果どういうことが起きるかというと、今度の法案によって、今までも国立大学に対する文部科学省の管理、権限というのは極めて強いものがありました、しかし、場合によってはそれ以上の強さを持つかもしれないという印象を得ます。これは、実際に文部科学省がどんな行政的な運営措置を講じるかということと関係をすることではありますが、この不安というか心配というようなものはやはり残るであろうというふうに思います。
 しかも、これは国立大学に限りません。今回の政府の構造改革によって、国立ももちろんそうですけれども、私立大学も含めて大学の設置認可を、完全に外さなかったわけですけれども、できるだけ外して、そして、完成した後のチェックを厳しくする、そこのところで大学の改革を図っていくんだというシステムは、考え方としては悪いものではなかったのですが、その結果、私立学校法を改正し、さらに学校教育法を改正した結果出てきたものは、やはり大学セクターに対する行政権力の強さ、拡大というものは否めない事実だというふうに思います。これもどういうふうな運営結果になるか、今現在のところではわかりませんけれども、そういう問題が残ります。
 いずれにしても、どこまで計算した結果出てきたものであるかはわかりませんけれども、行政権力が大学に対してコントロールする、やろうと思えばできる権限というのは非常に強まってきたというふうに解釈せざるを得ないのではないかと私は思っております。
 それでは、独立行政法人法案に絶対反対なのかというと、私は必ずしもそう思っておりません。なぜかと申しますと、この法案のメリットは何かということになれば、やはり大学が法人格を持てるということだと思います。そして、これはほかのジャーナリストも書いておったようですけれども、日本でいえば東京大学も、そうした法人格を持てるチャンスを得ながら、みすみすそれを使わなかったというか、実現しなかった。それで、いまだに国家機関として法人格は持てない。法人格が持てないというのはいろいろな問題がある。私が知らないこともたくさんあると思いますけれども、ともかく、自分の力でもって自分の大学を運営していくということなんだと思います。
 御承知のように、独法化に反対しますと国立大学に戻ってしまうんですが、この国立大学は、どう考えても私は大学として自立した組織ではないというふうに考えざるを得ない。なぜか。それは、財政権を完全に文部科学省に握られている。それで、新しい組織一つつくるにしても、大学は今まで全く自由にならなかった。教養部改組において、某旧帝国大学の教養部は、新しく学部をつくることに成功しましたけれども、そのときの責任者、学部長が、自分の新しくつくる学部の名前が十何回変わった、すべて旧文部省との折衝の段階で、きのう決まったはずの名前がまたきょう違うように変わっていたということを自嘲ぎみに語っておりましたけれども、そういったような形になっている。
 それは、しかし、文部科学省の立場に立てば無理もない話でありまして、大学の設置者は文部科学省でありますから、それがけしからぬということは多分言えないんだろうと思うんですね。そういうところに大学が安住していた神経がわからないというふうに私は申し上げます。
 ですから、国立大学に戻ることが必ずしもいいというふうには言えませんが、しかし、私はここのところで考えなければならないのは、実はここで御紹介したいのは、この法案ができるときになって急にいろいろな大学人の間でまた名前が出るようになりましたけれども、元文部大臣であった永井道雄先生の労作の中に大学公社案というのがあります。これは、大学公社案とこの国立大学法人案が似ているとか似ていないとか、そういうようなことを言いたいのではありません。ただ、ぜひ注目していただきたいと私が願うことが一つあります。それは、どういうふうにしてそういう制度をつくるかという考え方であります。
 私は、大学紛争華やかなりし直前ぐらいから永井先生の授業を受けまして、以後ずっと、亡くなるまで師事していた者でありますが、そのときに「大学の可能性」という吉野作造賞を受賞した本に、これは東京工業大学の講義の一部でございますけれども、挙げたところで、彼は、大学公社案を提案するに当たってのやり方を書いている。
 永井は、なぜ日本の教育制度の改革というのは、現行制度をすべて破棄して新しい制度にしないといけないのかと聞いているんですね、疑問を呈している。それで、明治以降、日本の教育史の特色は、中央集権的な画一性にあった、これはだれでもが言うことでありますけれども。行き詰まると新しい制度をつくり、これまでと同じようにまた画一的に新しくつくり直した制度を実施する。変わらないのは、画一的に物事を実施するという行政のシステムであります。そうしたようなやり方からもう一度脱皮すべき時期に来ているのではないかというのが私の考えであり、永井は二十数年前にそういうことを言っておりましたけれども、彼の言は入れられませんでした。ほとんど大学人からも問題にされなかったと思います。私は改めて、不肖の弟子ではありますけれども、今ここで皆様方に訴えたい。
 そして、永井はこうも申しております。二つ以上の制度が並列、競争することこそ大学にとって最も重要なものではないかと。大学公社がいい、独法化がいいというふうに思った大学は手を挙げればよろしいじゃございませんか。どうしても国立大学として残りたいという大学は残してやっていけないことではない、そういうふうに私は考えます。
 とりわけ、教育制度というのは、結果がすぐには出にくいものでありまして、どうしても政治的に対立せざるを得ない、そういう宿命を背負っているものだと思います。であれば、なおのことです。実験が許されない制度でありまして、枠ということはできても、それがどのように運営されるかというのは、実際にやってみなければわからないということがあります。それならば、二つ並行に走らせてやらせてみたらどうかというのが考え方です。
 私がこう申し上げるのは、永井の論文を利用して適当に申し上げているわけではありませんで、行政改革会議の事務局長をされている水野清先生も、かつて、東大、京大だけを独立行政法人化してはどうかというようなことを、アドバルーンを打ち上げられたことがあったと思います。これは文部省の反対もありまして消えましたが、この考え方は、国立大学と独立行政法人東京大学というものがあるという考え方だと思うのです。二つの制度が並走するということだろうというふうに思います。
 こういう事柄からして、私は、この問題、国立大学として残しておいても、やはり大学の自治、大学の自治というのは自分の力でもって自分をコントロールすることですから、財政権も握らなきゃならないだろうと思います、事務職員の人事権も学長になければおかしいと思います。その二つを文部省の自由に取り上げられている制度というのが適切だとは私は思いません。ですから、国立大学制度も変えるべきだと思いますけれども、差し当たっては、こういうような二つの事柄を並行して走らせるということは悪いことではないんではないかと。
 それと、もう一つ、ぜひ考えてほしいというふうに訴えたいのは、私はやはり異常ではないかと。私は、三十八年間新聞記者をやっておりまして、地方紙と全国紙の二つをまたがりまして、ほとんどその大半を教育担当記者として過ごしております。今は、高等教育をフィールドとして、この七年間評論とかルポルタージュを書いてきておりますが、国立大学法人法案についてマスメディアのこの無関心ぶりはいかがなものですか、皆さん方。ほとんど何も書かない。
 委員会や何かでこういう審議に入るということは確かにべた記事で出ますけれども、事柄の重要性というようなものをわかりやすく、対論の形でも何でもいいですけれども、あるいは、詳しい説明で連載で本格的に書く、この法案のやり方によって国立大学は期待されるほど変わるのかどうなのか、あるいは変われないのかどうなのか、どっちでもいいんです、私は答えはどっちでも構わないんですが、そういうことは一切ない。ですから、国民にはない。この情報化社会においてマスメディアが報道しないものは存在しないと私は学生たちに教えております。残念なことですが、そういうことなんです。
 さらに、もう一つ。つまり、それは何かというと、マスメディアと国民はこの法案の事柄について、何も知らないというか、非常に無関心というような感じで見ておるんだろうと思います。
 それから、もう一つ。これは、無関心は通り越したというか、無関心はある程度克服できたと思いますが、冷たい目で見ている。それが、「非国立大学」と私はレジュメに書かせていただきましたけれども、私立大学だというふうにお考えになっていただいていいと思います。
 私立大学にも二つあります。今度の二十一世紀COEでもって、私立大学は、大手の私立大学は健闘しました。国家の税金をじゃぶじゃぶ使って運営できていた国立大学よりも私立大学の方のCOEの成績がよかったということは、国立大学の存在理由を疑わせるに足るものだと私は書きましたけれども、それだけで結論が出る話ではありませんが、相当頑張った。しかし、そういう大学は何を訴えているかというと、国立大学と同じような教育研究費を我々の方にも回してくれればもっとやれるんだという意識であります。これに対して、我々は何も答えておりません。
 もう一つは、残念なことに、日本の大学は何十となく倒産するというふうに言われております。これもやはり教育関係者にとっては重要な話でございます。
 事実、倒産した大学で、事実上最後に近い形の理事会が開かれて何の方針も出せなかった晩、そこの大学の財務担当の事務局長が自殺した。私は、実はその一週間前に、その財務担当事務局長、四十年間実直に銀行に勤めていたバンカーに、三時間にわたってインタビューをして、実に暗たんたる思いをしたことがあります。そういう人たちから見ると、国立大学は実にうらやましい。しかし、我々とは違うよな、全然縁のない世界の話だよなということで見ております。
 つまり、大学といっても、これは雲の上の話なんです、こういう人たちにとっては。しかし、それは大学という制度の中でいいでしょうか。私は、それについて出すべき答えは何もありませんけれども、しかし、そういう状況の中で、国立大学がひっくり返るとあすにでも日本の大学が全部だめになるような、そういう印象で語られたり何かというのは非常に不本意でありまして、あすにでもひっくり返りそうな私立大学はいっぱいあるわけです。こういう問題も、全体の中のある部分に、ランドスケープの中に入れておいていただきたい。答えは何も出るとは思いませんけれども、そういう問題でもあるんだということをやはり我々は認識しないといけないのではないかというふうに考えております。
 勝手なことを申し述べました。御清聴ありがとうございました。(拍手)
古屋委員長 山岸参考人、ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
古屋委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。
森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏と申します。
 ただいまは、四人の参考人の皆さん方から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。賛成論、反対論、半ば賛成という、いろいろなお話があったわけでございます。今回の法人化法案、国立大学に競争の原理を取り入れる、そして、それによって個性豊かな大学づくりができる、そんなことで活性化が図られていくんじゃないか、高等教育がレベルアップするんじゃないかと私は大変評価しつつも、しかし、これまで当委員会でもいろいろな点が御指摘ございましたし、きょうも参考人の皆さん方からいろいろな御意見があった。そんなことで、運用についてはいろいろ考えていかなければいけない点もあるんだなと思いながら聞かせていただいたわけでございまして、そんな思いをしながら質問をさせていただきたいと思います。
 私は、まず初めに、牟田参考人にお尋ねしたいと思います。
 広島大学では、牟田学長さんの陣頭指揮のもと、精力的に今法人化に向けた準備を進めておられると伺っております。長期ビジョンの策定とかユニバーシティ・アイデンティティなんというような活動も取り組んでおられる、そして世界トップレベルの特色ある総合研究大学をつくるんだ、大変な意気込みを持っておられるということに私は敬意を表しているわけでございます。
 広島大学、我が国有数の規模と伝統を誇る地方大学でございます。それでありますだけに、この法人化が実現しましたら地方大学にとっては不利じゃないかというような意見も一部にあるわけでございますけれども、この点をどう考えておられるのか、また、その前提として、地方の国立大学の役割、これについてどういうお考えをお持ちなのか、まずお尋ねしたいと思います。よろしくお願いいたします。
牟田参考人 お答えさせていただきます。
 私どもの長期ビジョン、ユニバーシティ・アイデンティティの試み等々、多分ホームページでごらんいただいたんだと思いますが、評価していただいてどうもありがとうございます。
 私たち、法人化に向けていろいろと準備を進めておりますが、その中で、今御指摘いただいた、法人化というのが地方にある大学にとって不利な点が多いのかどうかということでございますけれども、これはやはり運用の問題にかなり帰する部分があると私は考えております。法人化自体がいいか悪いかということは言えないと思っております。
 法人化しようがしまいが、現在我々が置かれている状況を申し上げますと、大学院の、いわゆる重点化といいますか講座化といいますか、大学院に教員の組織を上げてしまった、十年ぐらい前から行われている制度ですが、これが進んだ結果、学部から大学院に進む学生たちの志向が非常に変わってきております。現在、大学院の収容定員が非常にふえたために、ほとんどの学生が中央へ向かっていく傾向が出てきておりまして、十数年前まで広島大学でも、中央から我々の方へ大学院を目指して流れてきていた学生の流れが最近とまったという印象を受けて、これは非常な危機感を持っております。これは法人化とは何の関係もございません。
 今後、法人化したらそれが一層加速するかどうか。これはむしろ、我々の努力次第であって、こういう状況を逆転する引き金として使うことは私は可能じゃないかと。
 それはどうしてかといいますと、法人化することによってかなり、カリキュラム上の自由度とか、そういったいろいろな自由度が出てきます。それから、産学連携等々、特色を出すことができます。そういう特色を打ち出していって、そして皆さんにわかってもらえば、むしろ受験生諸君はその点に目をつけて、地方の大学にも目を向けて、やってくるようになるであろうというふうに考えております。
 したがいまして、私のお答えは、法人化そのもの、法人化という制度そのものは地方の大学にとって有利か不利かというと、どちらとも言えない、使い方次第であるということでございます。
 このときに、地方の大学が果たすべき役割についてはいろいろあると思いますが、私は、今後、二十一世紀の半ばに向けて、学生たちがこれまで大都会の大学へ大学へと行った時代、これはそろそろ終わりを告げるころではないかと思っております。むしろ内容次第、どの大学に行けばこういうことをちゃんと勉強できるぞ、どの大学に行けばノーベル賞がとれるぞ、そういうことの方が大事な要素になってきて、地方であろうが中央であろうが、そういうことを目指して大学へ学生は入ってくるようになる時代が来るでしょうから、だから、中央の大学がこれまで果たしてきた役割とは違った役割を地方の大学は果たすべきであろうと思います。
 それからもう一つは、地方の大学からの希望としては、中央の大学は大学院の定員を余りにふやし過ぎないで、地方の大学と同程度にして、そして均等にしていった方が、むしろ日本全体の発展につながるのではないかというふうに考えております。
 以上でございます。
森岡委員 ありがとうございました。
 先日私は、私の選挙区、奈良でございますのですが、奈良には、国立奈良女子大学、国立の教育大学、また国立の高専、そして奈良先端科学技術大学院大学というのがございますが、この先端大の鳥居学長先生に、法人化になったらどんなことになるでしょうねというお話を聞く機会がございました。
 この方のお名前を出していいのかどうか、私、別に許可をいただいているわけじゃございませんのですけれども、このときに、鳥居学長は、この法案は大変よくできているということを評価しておられました。ところが、そういう前提を置きながらも、あえて懸念すれば二つあるんだ、こんなふうにおっしゃったんですね。
 第一は、先ほど牟田参考人から御指摘がございましたけれども、基礎的な学問分野についてのことでございました。高等教育機関、特に国立であることの大学の使命として、基礎的、基盤的な研究の重要性が損なわれないだろうかということを心配しておられるようでございました。つまり、十年以上も長いスパンで研究しなければならないような基礎的な研究がおろそかにされて、六年という中期計画、これが義務づけられるものですから、目標達成度を評価して、それがすぐ予算、お金につながっていくということだけに、だんだんスパンの短い研究にシフトしていくんじゃないかという懸念を持つんだということをおっしゃっていたわけでございます。
 先ほど、牟田参考人はこのことについてお触れになったわけでございますが、この点の評価についてどんなふうにお考えになっているのか、牟田参考人と山野井参考人にも、このことについて御意見をお伺いしたいと思います。
牟田参考人 大変重要な御質問だと思います。
 基礎的な学問については、私も先ほど触れましたけれども、これが衰退しないようにしていくということ、これは、法人化した後も国立大学に課せられた重大な使命だと考えております。
 そのときに、今おっしゃった中期目標、中期計画という六年単位のもので評価が加えられて、そしてその短期的な評価で予算配分という査定につなげられると、基礎的な学問という長期スパンで地道にやっていくようなものは浮かび上がれないんじゃないかという御心配、これは大変ありがたい御心配だと思いますが、私は、これはむしろ大学側の戦略の問題ではないかというふうに考えているのです。
 どういうことかといいますと、評価というのは、一つ一つの分野について評価して、では、この分野には金を上げないよというふうになるのではないわけですよ。評価というのは、もちろん一つ一つの分野すべてのものを我々はオープンにするわけで、それについて評価が加わりますが、その評価の結果大学に来る予算、運営費交付金というのは、これは全体として来るわけです。それをどう配分するかは、むしろそれこそ学長の見識になるわけですね。そのときに学長が、先ほど申し上げましたような判断をもしすれば、そうすれば、大学の共通経費としてリザーブした分から、基礎的な、基盤的な分野へきちんと配分すればいいわけです。
 それからもう一つは、研究面では、外部資金をこれからたくさんとってこないとやっていけなくなると思うんですね。外部資金というのは、科研費とかなんとか、公的資金も含めたものですけれども、そういう外部資金をたくさんとってくるときに、御存じのようにオーバーヘッドというのがつきます。オーバーヘッドは、現在では科研費では三割となっております。将来的にはこれはふえる可能性もあるし、どうなるかわかりませんが、それがつく範囲も広がってくると思うんですね。
 このオーバーヘッドというのは、大学の自由裁量で使える部分です。これを大学当局が全部取り上げてしまうことはできないにせよ、例えば、半分は当該研究者が光熱費等に使って、残りの半分を大学全体に使いましょうねという話し合いをすればいいわけです。そうしますと、それを集めますと結構大きなお金になります。
 例えば、広島大学の場合ですと、今、科学研究費と外部資金を五十億ぐらいとっておりまして、そのうちオーバーヘッドがついているのはまだ一部ですけれども、数億のオーバーヘッドが確保されております。この数億のオーバーヘッドのうち半分を使えば、結構基盤的な学問分野を助けることは可能なんです。
 基盤的な学問分野というのは、長期的スパンでやる必要があると同時に、そんなに、例えばある一つのグループがすぐに二億も三億も要求するようなものは余りないんですよ。だから、そういうところに小規模ながらきちんと予算を配分しておけば十分やっていける。だから、これは大学の戦略としてやれば十分克服することは可能だというのが私のお答えでございます。
山野井参考人 お答え申し上げます。
 先ほど申し上げましたように、基礎的研究は非常に大事であるということは、私どもも、産業界だからといってそれを軽んずるつもりは全くございません。
 もしこれが衰退といいますか、今おっしゃるような危惧があるとすれば、これは二つあって、一つは評価の問題、それからもう一つは、その大学のマネジャーといいますか学長さんの考え方、この二つだと思うんです。
 評価については、何となくお金につながるようなものが高い評価を受けて、こういう研究がおろそかになるということのないように、恐らく評価を分けなきゃいけないんじゃないか。同じ評価で、同じ基準でこれを両方評価することは多分難しいと思います。私どもの考えとしては、これはこれで大事なんで、ただし、この分野に競争がないということはあり得ないんですね、国際的に見れば当然激しい競争場裏にありますから、それはそれでやるのですが、同じ評価体系であることに問題があるんじゃないか。きちっとした評価が必要である。
 それから、あとは、もし少なくなるような危惧があるのであれば、やはり大学のお考え、これからのまさに法人化の大きな特徴ですけれども、そこできちっと主張していくということによって、私はそうならないんじゃないかというふうに思っております。
 以上でございます。
森岡委員 今、評価のお話でございましたけれども、先ほど申し上げました奈良先端の鳥居学長の第二の懸念が、評価が多くなることによってコストパフォーマンスが悪くなるんじゃないかということを心配しておられました。この点について、これも牟田参考人にお伺いしたいわけでございます。
 それともう一つ、奈良先端のことばかり申し上げて恐縮なんですけれども、位置が、山一つ越えたら大阪市というところの生駒市に位置しているんですね。そんなことから都市手当のことを心配しておられたのです。大阪市は一〇%、山一つ越えた生駒市は三%、こんなことで、非公務員型という形にはなりますけれども、公務員制度がそのままに残って、給与はそういう形で積算される。そんなことから、地方の大学はますます不利になるんじゃないかなということを心配しておられたわけでございます。都会の大学に言わせると、いや、それは物価が高いから当然じゃないかという話にもなるのでしょうけれども、この辺、財政的なことでございますけれども、非常に難しいなというふうに思うわけでございます。
 私、広島の状況をよくわからないのですが、この点について御感想があればちょっとお聞かせください。
牟田参考人 第一点の評価の問題ですけれども、確かに、文部科学省の中にできる評価委員会と、それから第三者評価機構、学位授与機構ですね、そこにできる評価機構と、それからさらに屋上屋を重ねて、総務省の中にも評価機構ができる。この三つが寄ってたかって評価をするという構造になっていまして、大変不経済だとおっしゃる点はよくわかりますし、僕もそういう印象を持たないと言ったらうそになります。
 ただ、現在説明されていることを聞きますと納得できる部分もありまして、文部科学省の中にできる評価委員会は主として経営面を評価するんだ、全体としての経営を評価するんだ、学位授与、第三者評価機構の方では教育研究を評価するんだ、これを尊重しながら文科省の委員会が全体の評価をするんだということですから、それはそれで納得できます。ただ、そのためにわざわざ二つでやらなければならぬかどうかと言われますと、僕もそこについては何とも言えません。
 この上に総務省がまたなぜやるんだと。これも私はちょっと、個人的には意見もありますが、やはり文科省の委員会でやった評価をさらにチェックするという機構も要るでしょう。その評価したこと自体が無批判のままに実行される、査定につながっていくというのはフェアじゃないではないか。そうなると、やはりその上のダブルチェックがあってもいいのかなという程度でございまして、これは余り明快な答えはできません。
 それから、もう一つの手当の件でございますけれども、実は広島大学も、広島市内ではなくて、東広島市というすぐ隣の小都市の中にあります。広島市内にいたときに比べると、東広島市に移ったためにこの手当は大幅に減っております。そういうわけで、不公平である、実際要る費用も、また通勤に要する費用などもほとんど変わらないし、むしろ余計かかっているんだから、フェアでないのではないかという御意見はわからないでもないのですが、やはり東京、大阪に住んでおられる研究者の方々はそれなりに大変な、住環境等々も悪いようですし、これについて、我々としては是正すべきであるとまではちょっと言い切れないなというふうに感じております。
森岡委員 どうもありがとうございました。
 時間が参りましたので、終わらせていただきます。
古屋委員長 牧野聖修君。
牧野(聖)委員 民主党の牧野聖修といいます。
 参考人の皆さんには、大変お忙しいところ国会までお越しいただきまして、実にいい御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。この法案の審議に当たりまして、皆さんの意見を本当に心から参考にさせていただいて、いい結論が出るように努力していきたい、こういうふうに思っております。ありがとうございます。
 それぞれの参考人の皆さんからはそれぞれの立場での見識、参考意見を聞かせていただいたわけでございますが、この法案が出されましたその目的は、大学人のための法案でもなく、産業界のための法案でもないと思っております。これはあくまでも国民のために法案が出されているわけでありまして、この出されました法案の第一条に、「国民の要請にこたえる」と「目的」の中にありますね。
 大変素朴な質問で恐縮でございますが、それぞれの参考人に、この大学改革を求めての国民の要請とは一体何なのか、そういうことをどういうふうに認識されておるのか、まず最初にお聞かせをいただきたいと思います。
古屋委員長 全員ですか。
牧野(聖)委員 全員。
古屋委員長 はい。それでは、まず山野井参考人。
山野井参考人 お答えを申し上げます。
 やはり我が国が世界で尊敬を受ける、名実ともに尊敬を受ける国になるためには、大学、特に国立大学の役割というのは極めて大事でありまして、そういう面からいうと、例えば、先ほど申し上げたように、経済界から見れば競争力上問題がありますし、人材の問題についても問題があります。ですから、非常に大胆な面がございますけれども、今回のこういうドラスチックな改革を契機として、運営上いろいろ問題があることはよくわかりますけれども、それを乗り切っていくというのが、国民の全体の負託にこたえる一番大きなポイントなんじゃないか、こういうふうに私どもは考えております。
 以上でございます。
田中参考人 大学の役割というのは、教育、研究、社会貢献でございますが、もう一つこれに加えて、社会に対して、社会から少し離れたところから社会の行く末をきちんと示し、警鐘を鳴らすという役割が一つあると思います。
 その際にどんな視点が必要かというと、恐らく短期的な視点だけではなくて、長期的に未来をにらんだ視点が一つ必要だと思いますし、それから今、世界は資本主義システムそのものの存在価値が再検討されておるわけでありまして、いろいろな意味で国際社会が大きな変化をしておりますが、そういった国際社会あるいは地球全体を見た上で、そしてまた日本国を見た上で、しかも、短期的なことだけではなくて、長期的な視点で見て、この国がいかにあるべきかを考え、それに対して、教育、研究、社会貢献というのをそれに対応した形で大学はきちんとやっていく、そういうことが大変大事でないか、そんなふうに思うわけです。
 独立行政法人につきましては、国際競争力の問題もいろいろありますが、短期的な視点だけでは決してよくないであろう。つまり、長期的な視点が非常に大事であって、それも国際的な視野での長期的視点が大事ではなかろうか、そんなふうに私は思います。
 以上です。
牟田参考人 国民の要請とは何かということですが、もちろん、国民がそれぞれの国立大学に対してどういうことを望んでいるか、それに対して国立大学がどうこたえていくかということは、各大学がやっていることでございます。ですが、この法案の中で述べられているという趣旨から考えますと、それは、国民全体の最大公約数が希望することを国としてどうやっていくかということだろうと私は思います。
 そうしますと、これは国が、それこそ国会で皆さんが御議論になって、そうして、どういうことが国民が望むことであると判断されたことを、それを例えば中期目標等に反映させて、そして法人となった国立大学がそれを受けとめて、国民の要請にこたえていくということが必要になってくるだろう。この国立大学法人法案はそういう仕組みを持っていると私は判断したものですから、賛成の立場をとっております。
山岸参考人 なかなか難しい質問をいただいて……。
 私は、こういう場合に使われる言葉だから云々ということで突っ放したような答えをするのはやはりいけないことだというふうに思いまして、多少前に申し上げたものと関連させて申し上げますと、広く国民の要請にこたえるということはやはり極めて重要なことなので、それには何が求められるかというと、国立大学とは何だということの定義が国大協や何かの資料を見ますとありますけれども、あれは、国立大学はという言葉を私立大学はと置きかえてもちゃんと成立する定義なんです。ですから、これはやはり僕はないと思っているんです、国立大学の定義は。それが苦しいところです。
 ですから、これを機会に、国立大学とは何かということを、私立大学の人たちが納得するようなことも含めて議論できれば一番いいんだなというふうに僕は思います。そうすれば、私立大学が国立大学になりたいとは言わないと思います。しかし、納得できない形での国立大学の存在、それをひたすら産業基盤の整備とか高度の研究能力だけでもって持っていっても、それはそれでそういうやり方はあり得ると僕は思いますけれども、それは、国立大学が広く国民から認知されるものにはならないんではないかというふうに考えております。
 そういうことになりますと、ああ、そうか、国立大学は授業料の安い大学なんだという認識で終わってしまうんではないか。それだけでは余りにも国立大学がかわいそうでありまして、そのためにも、やはりこの際、国立大学の存在理由と、我々が国の税金でバックアップしなければならないということを、私立大学も含めて広く国民に納得させることができる答案を書くべきではないかというふうに思っております。
牧野(聖)委員 私の素朴な質問に対しまして、本当に多角的な立場からそれぞれの御意見を聞かせていただきまして、本当に勉強になりました。ありがとうございます。
 私の個人的考え方としては、閉鎖社会の中であった大学が自由競争の荒波の中に出ていって、ある程度の効率を求めてそういう新しい時代に対応していくということはこれまた必要だろう、でも、哲学や宗教や倫理だとか芸術だとか、そういった効率でははかれない学問の分野も今まで以上にやはり充実させて、学の独立は守っていかなければいけないだろう、そういう考え方を持っておりまして、今度の法案を見ました。
 文科省からある程度独立して、自由裁量、自主的に新しい境地でもってエネルギッシュにできるというふうに私は思っておりましたけれども、法案を読みましたら、文科省の衣の下によろいが見えてきて、読めば読むほど、やはり、コントロールといいますか、支配といいますか、そういうものが今まで以上に強くなるという感じを受けてきたんです。ですから、今、私は、この法案についての疑問を持っております。
 その趣旨は、先ほど来問題になっているように、中期目標、中期計画の策定と認可のその関係、それから、評価の機関の委員が、どなたがなって、どういう基準で、それからどういうふうにこれからやっていくかというのが、この法案をこれだけ審議している中にもいまだに見えてこないんです。知っている人がいたら答えてほしいんですけれども、我々議会人としてはまだ聞いていない。それでその法案を審議しろというのはどだい無理なんだ、僕はそう思っているんですね。それから、その評価によって運営交付金の多寡が左右されるということになってくるわけですよ。
 では、どなたがどういうふうに審議をして、どういう基準でそれを決めてやっていくのか、この時点でいまだにわからない。その現実の中でこの法案を審議しているということを、簡単にお答えください。四人の参考人、どう思われますか。
古屋委員長 牧野委員、どなたを指名されますか。
牧野(聖)委員 全員の方にお願いします。
古屋委員長 全員ですね。わかりました。
 山野井参考人。簡潔にお願いいたします。
山野井参考人 お答え申し上げます。
 私は、こういう大きな変革というのは必ずプラスとマイナスがある、もろ刃の剣である、そう思っております。
 問題は、ポジティブの方は別として、ネガティブをどうとらえるかという話だと思うんですけれども、先ほど陳述の中で申し上げましたように、運営によって危惧感がないと私ども経済界は考えているわけじゃございませんけれども、例えば、今もございました中期目標、中期計画について、文科省さんが非常に……(牧野(聖)委員「簡単にお願いします」と呼ぶ)はい。
 というふうになりますと、これは、ここの法案で言っている多様化とか個性化とは逆に、一つのフィルターを持って判断することになりますから、そうすると、私どもの、ささやかではございますが、日本経団連でやっておりますアンケートの中身、あれじゃ困るよ、こうしたいと申し上げたことがいつまでも変わらない。
 あるいは、もっとひどくなって、これはもうとても国立大学法人の大学にはお金は出せないとか、あるいは、新しい学生はむしろ日本人じゃなくて外国から持ってきた方がいいんじゃないか、こういうことになれば、一体それは、法案はいいわけですが、どこが違うんだということが明確に出てきますので、そういったウオッチの体制がありますので、私どもは、リスクがあることはわかりますけれども、これを乗り切らなきゃいけない。世界がどんどん動いていますから、このままいったら非常に危ないんだという危惧の方が強いものですから、あえてそれを乗り切っていきたい、こういうことでございます。
田中参考人 私、先ほど申し上げましたとおり、この国立大学法人法案のエンジンの部分というのが、中期目標を文科省が決めて、それに計画を持っていって、それを認可してもらう、しかも、それに基づいて仕事をし、成績評価をして、あと、予算配分までそれが決めてしまう。つまり、一つの大きなエンジンなわけですね。これが基本なわけですよ。
 そういたしますと、やはり、評価の基準の部分がどうなっているかというのがないと、これ全体に対する我々の評価はできないわけでありまして、今御質問にありましたように、こういうことはあってはならないことではないか、そんなふうに思っております。
 以上です。
牟田参考人 文科省のコントロールが強まるのではないかという危惧を持っていらっしゃるのは、よくわかります。
 それで、中期目標、計画については、先ほどから申し上げておりますように、やはり、国立大学法人をつくるんだ、この原点に立ち返れば、国の政策を反映する部分がどこかになければならない。そうしますと、やはり中期目標というのは、ある意味で文部科学大臣の意見がある程度反映される方がいいであろうというふうに私は考えます。それから、中期計画については、これは各大学が出していくものでありまして、従来から概算要求として出していたもの、これと基本的には同様の考え方でいいのではないかと思っております。そういうわけで、文科省のコントロールがより強まるということは、この部分だけでは必ずしも言えないと思います。
 それからもう一つ、評価についてですが、ここは、やりようによっては確かにコントロールが強まると思います。しかしながら、現在でも文部省は事前認可というのをやっているわけですよ。それで、この認可で我々はどれほど苦労しているか。ある一つの組織をつくろうとしたら、もうすったもんだ、五年ぐらい七転八倒の苦しみをしてやっと通してもらう、そういうことをやって、つくってしまったらもうこっちの勝ちだのような、いや、そんなつもりではやっておりませんが、そういう格好になるのはむしろよくない。それよりは、認可の時点では割合たやすく認めてくれて、そのかわり、後、ちゃんと評価するよ、それで、評価した結果うまくやっていないんだったらもう取り消すぞと言ってもらった方がよっぽどいいのではないか。だから、評価の方がいいと私は考えます。
山岸参考人 今、御質問でおっしゃったのと、私は認識が全く同じでございます。
 つまり、評価は反対できない、評価を反対することはできないんですけれども、評価がちゃんとやれるかといったら、やれません。それは、私が取材をして、評価の専門家の何人にも会って、皆さん答えは同じなんです。しかし、やらなければならないということで突っ走るのか、あるいは中身がある程度わかるまで待つのか、今の段階ではその答えしかできない。評価への反対のしようが実はないというところにつらいところがあります。
牧野(聖)委員 本当はたくさん質問したかったんですけれども、時間が短いから基礎的なことだけお聞かせいただいて、ありがとうございました。
 一点だけ申し上げさせていただきますと、この前、大学人に私聞いたんです。学生が、あるいは研究員が主体的にこのテーマを勉強したいと言ったら、学校側で、それではいい評価が受けられない、お金がたくさんもらえないから、もっと近視眼的に、いい評価を受けやすいようなテーマにしろという力学が大学の中では働くんじゃないかと言ったら、働くと言ったんです。僕は、働く、これが事実だと思いますね。経営者とか運営する人はそれを考えるでしょう。それは、学の独立とか学問の神聖さというものを侵すことになる。この法案を進めていくと、そういう事態が来ますよ。だから、そういうことがないようにしたいということで、意見を聞かせていただきました。
 ありがとうございました。
古屋委員長 斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 きょうはどうもありがとうございます。時間がありませんので、早速質問に入らせていただきますけれども、まず最初に山野井参考人と牟田参考人に二つの質問をさせていただきますので、お願いをいたします。
 これまでの議論を通しまして、二つの大きな論点が浮かび上がっております。先ほどの牧野委員の質問にもございましたとおり、一つが、中期目標、中期計画によって文科省の関与が強まるのではないかという点、それから二番目が、やはり評価、この評価が本当にできるのか。まさにこの二点が大きな論点として浮かび上がってくると思います。
 先ほど牧野委員も同じ質問をされましたけれども、山野井参考人と牟田参考人、この点につきまして、賛成の立場ということでございますので、より詳しくお答えをいただきたいと思うんですけれども、まず、中期目標、中期計画、これによって文科省のいわゆるコントロールが強くなって、我々が意図するところ、要するに大学の独自性を強めるんだというその意図するところと別な方向に行く可能性があるのではないかという点について、どうお考えになっているかという点。
 それから、質問二の、特に学術評価、一応ピアレビューということにはなっておりますが、評価の難しさ、特に基礎研究、レンジの長い基礎的な研究についての評価は難しい。前回の参考人の中にも、そんな難しい評価だったらしない方がまだいいという意見も研究者から出ておりましたが、この点についてのお考え、より詳しくお聞かせ願えればと思います。
山野井参考人 お答えを申し上げます。
 まず最初の、中期目標及び中期計画を文科省さんが最終的に認可するというこの仕組みでございますね。
 私は、要するに自主性、自律性、それからその表裏一体にございます自己責任というものを強めていく以上は、しかも国のお金を使うわけでございますから、何のチェックもない形で存在するということはあり得ないと思います。そのチェックが、一つが計画であり、もう一つは評価なんですね。
 確かに、先ほど陳述で申し上げましたように、考え方によっては非常に危険な部分があることは事実なんですけれども、ウオッチをする。つまり、文科省さんがもしそういうお考えでそれを運用しようとされれば、文科省さんのフィルターを通した価値観で、評価なり計画なりが認可されたり、だめだったり、こういうことになりますね。そうすると、先ほどちょっと申し上げましたけれども、この法案の一番いい点だと思うのは、学長さんのリーダーシップのもとに個性化、多様化というものを追求していくんだ、この形とは別な、ワンパターンの大学がだんだん出てくるということになりかねない。
 そうすると、先ほど言いましたように、私どもはそういうことは最悪だと考えていますから、いろいろな形でこれをウオッチせざるを得なくなってくるんですね。さっき言った、ささやかですが、私が今担当しております部会でも明確にその答えが出てくるはずなんです。いつまでたってもちっとも変わらないじゃないかといったとき、一体これは何が原因なんだと。明らかに原因がはっきりしてくると思うんですね。
 そういうことが行われるかどうかということについては私は疑問がありまして、少なくとも、今、世の中が大きく動き、どんどん変わっていく中で、そんなことをやっていたらどんどんおくれるだけでございますから、私は、その危険性なしとは言いませんが、そうならないだろうということを、我々産業界は期待をしておりますし、またそう考えております。それが最初の部分の、お答えになるかどうかわかりませんが、考え方でございます。
 それから、評価の問題でございますが、先ほど申し上げましたように、いろいろな行動といいますかアクティビティーを、最終的にはトータルとして評価するということになりますが、個々について全く同じ基準で評価することは私はできないと思っています。
 今先生の御質問にございます基礎研究、これは大学にとって最も大事な研究活動の部分になりますけれども、例えば、今、私はバイオ関係に多少関係がありますけれども、非常に有名なのは、アメリカのNIHが大学に対して出しているファンド、これはファンドをもらっただけで大変な権威になるわけですが、それは物すごく厳密に、ピアレビューを含めて行われています。私は実際NIHに行ってNIHの担当官に聞きましたけれども、これは物すごいものですが、彼らははっきり誇りとして、だからアメリカのバイオは強いんだ、こうはっきり言っているわけです。
 それで、アメリカでできることがなぜ日本にできないのか。これはあり得ないのでありまして、そのとおりやればいいかどうかは別ですけれども、そういう評価というのはなれておりませんから、試行錯誤があって、最初は相当そごを起こすということはあると思いますけれども、必ず進化していい形になっていく、産業界はそう信じております。
 これがお答えでございます。
牟田参考人 中期目標、計画について、文科省のコントロールが強まるのではないかという御心配の点については、確かに目標は文部科学大臣が出すものと法案に書いてあります。先ほどから私申し上げますように、これは国の政策を反映する部分であるから、それは当然であろうと考えます。
 しかしながら、実際に運用するときには、大学の側からも情報提供をして、中期目標をつくるときには、こうこうこういう配慮が必要ですよというようなことは申し上げるわけです。それを受け取った文科省側が、それも参考にしながら、では、例えば広島大学についてはこういう中期目標が妥当ではないかという判断をしていただくようになって、相互情報交換がありますから、私はそれほどこの点については心配しておりません。
 それから、中期計画については、これは従来から単年度の概算要求をしてきているわけですね。それが六年単位になったということで、みんなちょっと、非常に面食らっているわけですが、それは努力すればできる話で、六年単位の計画を出すことによって、その年の概算要求がどういう背景を持っているかまで見えてくるわけですから、むしろいいのではないかと私は考えておりまして、この点は、それほど個人的には心配しておりません。
 それからもう一点、評価についてですけれども、先ほどおっしゃった学術評価は難しいのではないかということですが、私は、学術評価の方が教育評価に比べるとはるかに易しいと思っております。
 といいますのは、学術評価というのは、あなたがどんな研究をしたんですかというのを数値的に評価できるんですよ。論文を幾つ書いたか、その論文がどのぐらい話題になっているか。話題になっているかどうかは、これはサイテーションインデックスというのですぐわかります。それから、その論文が、どういういい雑誌に載ったのか、しようもない雑誌に載ったのか、それも判断できます。それで数値化できるんですね。数値化がいいとは言っていませんけれども、少なくとも、そうやってある程度公正な評価ができるんです。だから、学術評価の面では、私はそれほど自覚症状と違った評価を受けて、おれの評価はおかしいということは比較的少ないんじゃないかと思っております。
 ただ、教育評価は難しいんです。教育評価というのは、その方がどういういい授業をやったか、どういう学生を育てたか、そういったような総合点で決まってくるわけですね。それをだれがどうやって評価するのか、これは非常に難しい問題で、現在大学の中でもいろいろな大学で教育評価をどうやるかというのは大問題になっております。
 例えば、学生による授業評価、この先生の授業はどうでしたかというのを学生にアンケート調査して、それをもとに評価点を出すというやり方もあります。アメリカの大学等では現にそれをやっているわけですね。それでそれが給料に反映したりしているわけですが、それがそれでいいのかどうか、その辺の教育評価こそ、もっと開発すべき部分がたくさん残っていると思っております。
斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。
 次に、田中参考人に御質問させていただきます。
 反対の立場ということで、そういう意味では、そもそも、では大学改革は必要ないのか、そうは思っていらっしゃらないと思いますけれども、では、端的にどういう改革があるべき姿かということ。
 それから、先生のレジュメの三ページ目に、今の日本の国立大学について、世間で思われているほど業績水準が低いわけではない、むしろかなりの業績と潜在能力が隠されている、ただ、それらを一般社会と結びつけるチャンネルが欠如している、こういうふうにお述べになっているんですけれども、我々は、この一般社会と結びつけるチャンネルが欠如しているということも含めて、やはり大学の努力がこれまで足らなかったのではないか、仕組みも少しおかしかったのではないかということで今回こういう法案が出てきた、このように理解しておりますけれども、この点についての先生のお考えもお聞かせ願えればと思います。
田中参考人 大変重要な御質問だと思います。
 大学改革が必要であるというのは当然のことでありまして、私どもも、特にこの十年間は国立大学においても、皆さんからどの程度評価されているかは別として、随分大きな変革をして、改革をしてまいりました。しかしながら、十分でないのは事実であります。
 今からこれはさまざまな改革をしていかなきゃいかぬと思いますが、大学改革そのものというのは、やはり大学の中から自主、自律でもって改革していくというのが私は本来だと思います。国立大学法人法というのは、経緯から見ますと、これは決して大学の中から出たものではないというのは御存じのとおりでありまして、一九九七年にこの問題が出たときに、時の文部大臣が、かくかくしかじかの理由でこれは適合すべきではないということをはっきり言ってあるわけであります。そのときに、国立大学協会を初め、私どもの鹿児島大学も同じような理由で反対をいたしました。それがだんだん変わってきてこんなふうになっているわけで、これはやはり政治改革の力でもって大学改革が外からゆがめられたのじゃないか、そんなふうに思っているわけであります。したがいまして、繰り返しになりますが、大学改革はそもそも自主、自律でもって大学の中からやるべきであるということを私は考えております。
 それから、次の問題ですが、社会とのチャネルの問題ですね。大学改革をいろいろやっていて、皆さんから必ずしも評価を受けない一つの大きな理由は、社会との接点が極めて少ないということだと思うんです。社会が大学に何を期待しているか、大学は何をなすべきか、そういったことなんでありますが、社会に根差した大学というのはやはり国立大学の役割でありますし、先ほど国立大学の役割は何かと言われたときに私ちょっと申し上げるのを忘れておりましたが、やはり公共的空間、公共的な使命を果たす、社会におけるいろいろな公共空間においてさまざまな要請にこたえて教育、研究、社会貢献をすべきだというのが私の考えなわけです。
 そういった意味で、社会との接点をつくる。つまり、私どもが提言したものがありますが、それの基本は、大学と社会との接点をつくる、相互の交流を図る、そのためには、社会を大学のキャンパスと考えて、現場に赴いていって、そこのところで、社会的課題が今たくさんありますが、そういうことを地域の人たちと一緒になって、問題の共有化をし、解決を図るということがやはり非常に大事なんじゃないか。そうすることによって、地域も活性化いたしますし、それから大学そのものも、学生そのものも非常に相互活性化を図れるわけであります。
 そういった意味で、大学改革の一つの方法としては、大学が社会の方へ出ていく。社会のさまざまな、今グローバルな問題が社会に降りかかってきております。グローバルな問題のローカルな現場に地域社会全部がなっておるわけですが、これの解決は恐らく国だとか地方自治体だけではできる問題ではありません。そこに住んでいる住民全体がこれに向かって解決していかなきゃいかぬわけですが、その中で、国立大学は地域の拠点大学として、知的な部分においては中心的な役割を果たすべきである。
 そのためには、今の産学連携という形で、地域共同研究センターという特定の部分があって、そこを介在していろいろやっているわけですが、それだけではだめであって、教育研究のできるだけ多くの部分、多面的あるいは根本的な知的交流関係をいろいろな面で、産学連携だけじゃなくて、例えばいじめの問題とか、BSE、つまり狂牛病の問題とか、いろいろな問題がありますが、そういった問題解決を、大学が地域に出ていって、そこでやるということ。そうすることによって、相互活性化が起こるということ。しかもその関係を、日本全国の各大学をネットワークで結びまして、お互い競争ではなくて協力関係でもってお互いの地域を活性化し、それでもって日本国全体を活性化する。そういうことが私は非常に大事じゃないかということで、そこに書かせていただいたわけです。
 私どもの提言の名前は、「《国立大学地域交流ネットワーク》構築の提言」というので、平成十三年の九月十一日、同時テロの日でございますが、そのときに文部科学省に提出してある提言がそれであります。基本的な考えを今申し上げました。
 以上です。
斉藤(鉄)委員 山岸参考人、時間が切れて質問できなかったことをおわびいたします。
 ありがとうございました。
古屋委員長 佐藤公治君。
佐藤(公)委員 自由党の佐藤公治でございます。
 参考人の皆さん方には、きょうこのような時間をいただきましたことを心より御礼申し上げたいと思います。
 私、時たま突拍子もない質問もしばしすることがあります。非常に失礼な質問もあるかもしれませんが、そういうことを質問する前に、まず私の考えだけをちょっと先に話をさせていただきます。
 私は、この法案にしてもそうです、何の法案にしてもそうです、やはり内閣なり小泉総理というものが、国のあるべき姿という大きなビジョンの中から、教育がどうあるべきか、またその中で大学がどうあるべきか、そしてそこで国立大学がどうあるべきか、枝葉のようになった一つの考え方を持っていること。しかし、それが今現状、私はわからないというのが実情です。この国のあるべき方向性というのがわからないまま、場当たり的になっている。ないのかあるのかがわからない。
 そして今回も、構造改革、構造改革とはいうものの、やはりそういったビジョンの中で問題点がどこにあるかということを明確にし、それをどういう方法論によってどうしたいのかということをきちっと論理立てたものがない。場当たり的に物事が出ている。そして、先ほど山岸参考人もおっしゃられました、非常に言葉においての定義というものがあやふやな中、ごまかしの中で、無責任な状態で国会なり議論が進んでいるように私は思います。
 そして四点目は、規制の緩和とか撤廃、私たちもよく言いますけれども、そこには必ず、表裏一体、裏表で、強化をしなくちゃいけない、また弱者を守っていかなきゃいけない、こういったものが常に規制の緩和とか撤廃にはやはり反面あるというふうに思える部分がある。そういう中で、ないよりあった方がいい、一歩前進だといったことの法律がやたら多い。だけれども、それは十年後、二十年後を考えた場合には、悪法となり得るケースというのが非常に多い法律にもなるんじゃないかと僕は思っています。
 そういう中で、きょういろいろなお話を聞かせていただく中、山野井参考人にまずお伺いをしたいんですけれども、先ほどの国民の要請にこたえてという部分にも関連するかもしれません。先ほど山野井参考人のお話しされたのは、あくまでも産学官連携の部分が主体的な理由においてのこの法人化ということの理由が多かったように私は受け取りました。
 ただ、学校というもの、大学というものがどうあるべきかということは、少しお話をされていたので、そういう部分もお持ちだと思うんですけれども、今あるところの問題点が、これがすぐ法人化ということが一番いいベストな方法論だということに結びついてしまっているように私は思えるんですけれども、この法人化をしなければ、まさに産学官の連携というのはとれないんでしょうか。ほかに方法論が、私は今、現状でもあり得るんではないかというふうにも思う。
 ここにはいろいろな問題点があります。官僚組織の問題、政治の、この国会における問題点、委員会における問題点もあると思いますけれども、現状においてやるべきことはまだまだあると思います。それがなぜすぐさま法人化というのが産学官連携になっていく、その改革の手法論になってしまうのだろうかと思う部分があるんですが、いかがでしょうか。
山野井参考人 お答え申し上げます。
 まず冒頭、先生のおっしゃられた産学官連携を中心にということでは決してございません。私どもは、先ほど申し上げましたように、産学官連携という日本経団連における部会を通じて、我が国の国立大学の現状に問題があると。その一つの形が産学連携なんですが、それだけを言っているわけじゃございませんで、例えば、先ほど申し上げましたように、大学には三つの機能が必要である。教育の問題、純粋基礎研究の問題、それから産学連携的な研究の問題、その三つをそれぞれのフィールドでもっと競争してくださいと。産学連携のために教育だとか純粋基礎研究のリソースを回してくれなんということは一言も言っておりませんで、それぞれ一番大事なんですね。
 それから、人材についても、産業界に向いた人材を集中的に教育して出してくださいよということは一言も言っていないわけであって、あらゆる領域における我が国の若者のレベルアップを図っていただいて、その中には必ず産業界に対して有用な人材もいるはずである、こう申し上げたわけでございます。
 つまり、私どもの認識は、全体に劣化している、若者のレベルが落ちている。これは、象徴的には産学連携に出てきていますけれども、これだけじゃないんですね。それに対する危機感なんです。
 よろしゅうございましょうか。(佐藤(公)委員「基礎研究の問題は」と呼ぶ)
 ですから、基礎研究の問題も、先ほど申し上げたように、そのリソースを絞って産学連携に回してくれなんということは全く考えておりませんで、これはつまり文化国家としての象徴的な一つの仕事なんですね。先ほど田中先生のお話の中に、決してレベルは低くない、こうおっしゃいました。私も、基礎研究、純粋基礎研究のレベルにおいて我が国の大学のレベルが低いと思っておりません。この部分については相当に高い。それはノーベル賞の受賞者が年々出ているがごとく、私はこの分野は高いと思っています。
 問題は、それが産業とか社会のプラスになかなかつながらないんですよ。ここに大きな段差があります。これは実は大学だけの問題じゃなくて、企業側に大きな問題があるんですけれども、それをどうやって引き出してくるかという仕組みが必要なんですが、今の文科省さんの一組織としての国立大学と私ども法人との間のやりとりでは、なかなか限界があって難しい。そういうことが、先ほど申し上げた全体のレベルアップと両方含んで、私どもは、これしかないんじゃないかと。いい方法があればぜひ教えていただきたいんですが、今の状況であれば、このままというのは全くあり得ないんじゃないか、こういうふうに考えております。
 以上でございます。
佐藤(公)委員 いい方法があればといえば、それは、もう時間がないので、また一回ゆっくり話をさせていただければありがたいと思いますけれども、先ほどのデータを見させていただいて、学力の部分、いろいろな部分が不足している。これは僕は現状でも補おうと思えばやれることだと思いますけれども、それが結局、今の官僚システム、政治システムの中ではでき切れない中で、丸投げ状態で法人化にしているように見える部分がある。まさに、財務省の財政的な帳じり合わせの部分、もしくは経済産業省の競争原理の中での話、総務省からの立場論、こういったものの中で、一番大事な教育というものが、非常に、悪く言えば犠牲になっているのかなという気がする部分があるんですね。
 そこで、経済界ということで山野井参考人にもう一つ、お願いでもあり、聞きたいことでもあるんですけれども、私は、出口論、入り口論ということをよく考えることがあります。どういうことか。教育のことを論じてこの内部を変えることもさることながら、その出口論、出口論はある意味で入り口論、経済界でいえば採用のことです。採用のことによって教育なんというのは百八十度変わっちゃう可能性がある。
 今、大学、まさに学術懇談会での議論、僕、議事録を全部読ませていただきました。その中でも大学の定義というもの、今現状、現実を見た場合には、まさに、いいところに就職するべき一つの登竜門でありパスだという部分が大半を占めている。これが現実の家庭、母親、子供たちの見方なんです。教育そして研究なんということはほとんど考えていないのが実情です、現実の家庭や何かは。そういう中でいえば、採用一つ変えることによって教育が変わってくる。そういう部分で財界の方々も考えるべきところは僕はすごく大きいと思います。
 そしてもう一つは、やはり研究に関する寄附、お金の出し方、これも学術懇談会でもいろいろと出ておりましたけれども、アメリカに、どんどん海外に研究費を出していくのであれば、それは向こうの大学、学校をどんどん強くすることになり、それを逆に日本の方にどんどん投資をしてもらう。これによってやはり大学というのも、国立大学も含めて、随分変わってくるはずです。
 つまり、経済界の方々のやり方と考え方と意識によってこの教育改革というのは随分変わってくる可能性がある。ここの意識をもっと持って実効性の高いものにしていただくことが僕は一つ大きな柱だと思うんですが、いかがでしょうか。
山野井参考人 お答え申し上げます。
 まず、先ほど、寄らば大樹の陰的な就職、若者、これは母親もそうだというお話がございました。そういう風潮があることは間違いなく事実だと思っています。ただ、企業の場合は、一方では、今申し上げたように完全に今国際場裏の競争の中に入っておりまして、先ほど申し上げましたように、人材の問題についてあえて言わせていただいたのは、ロングに見た場合にこれは非常に大きな問題だと。
 実は、きょうは出ておりませんけれども、部会の中のエレクトロニクス関係のある会社の方は、大企業ですけれども、複数名、海外の大学院、アメリカの大学ですが、インターンシップで受け入れているわけですね。同時に、日本の大学の一流大学のマスターの人を同じように受け入れている。余りにもレベルが違ってびっくりしたと、問題意識にしても、論文を書かせても、その起承転結を含めて。非常に愕然としたということを言っているわけですけれども、そういうことを含めまして、今私どもはやはりいい学生を採らなきゃいかぬという問題があって、これはロングに見た場合のまさに死活問題なんですね。
 したがって、寄らば大樹の陰かどうかということについてはこちらはちょっと言えませんけれども、とにかく我々の目で見ていい学生を採るんだ、それでも、さっき言ったようにたくさんありますけれども、ということになっていること自体はぜひ御理解いただかないとちょっと困ると思うんですね。
 それから、お金の問題、現状はそうなっていますが、私はこれがいいことではないと先ほど申し上げました。ロングに見たらこれはマイナスです。
 今度の法人法案が実際にいい形の運営の中でいくかどうかは確かに未知数のところがありますけれども、私ども産業として、それがいい方向に行くようなことに対して必要であれば幾らでも努力したい、私どもは利害一致しておりますので。
 企業の国際競争力というのは、イコール大学の国際競争力なんですよ。企業だけが国際競争力をつけろといってもこれは無理です。一体なんですね、学生を受け入れるわけですから。そういう意味では、いかようにも利用していただきたいし、また我々もかかわっていきたい。主体は大学ですから、余分なことをやるつもりは全くありませんけれども、そういうふうに今念じているわけでございます。
 以上でございます。
佐藤(公)委員 実際、お金を出すと同時に、国自体もそうですけれども、研究や何かを守る姿勢、またはそういったものが国としてもっと必要だという部分があり得ると思います。
 もう時間があっという間に過ぎてしまったんですけれども、田中参考人にお伺いをさせていただきます。
 先ほど僕も言いました、まさに潜在的なものがかなりある、それを表に出していくことが大事だということ。法人化というものがこういった形でなされなかった場合に、それを表に出す方法論として、先ほどもお話の中でネットワーク化とかいろいろなことがありました。どうやって表に出す方法論が具体的に今の現状であり得るのかということと、先ほどもお話の中で、やはり本来は自主、自律で改革すべきこと、果たして今のままでできるのかなという部分というのが、結局できないからこういうことになっちゃっているんじゃないかなと。
 先ほどお話ししました規制の緩和、撤廃、これはある意味で、自由ということから考えれば、そこには責任と義務というものが伴ってくると思う。今の国立大学に関して、その責任と義務というものが本来どういうものがあるんだろうか。もしくは、今の大学の職員の方、学校の方々、教授の方々がそれをきちっと果たしているのだろうか。いるところといないところがあると思いますけれども、その辺の御意見はいかがでしょうか。
田中参考人 潜在的な能力、そういう知的資源、それを社会にいかにオープンにするかというところだと思います。
 先ほどからお話が出ておりますが、これは両方の問題であって、産学連携につきましては、地域共同研究センターという名前のものがあって、そこでもって、社会と、あるいは企業の方々と、それから大学におけるシーズ、企業の方々のニーズ、そういうもののマッチングをやっているわけですが、やはり大学の敷居が高いというのがあります。
 しかしながら、やり方次第だと思っておりまして、私どもは、鹿児島県内に九十六市町村ありますが、その中の八十近くの市町村を大学の側から手弁当で回ってまいりまして、今地域にいかなるニーズがあるかということをずっと見てまいりました。そういたしますと、やはり、我々が今すぐできる部分、あるいは組織をつくってしなきゃならない部分、そんなのが目に見えてくるわけですね。つまり、大学側の意識改革をすることによって十分可能であろう、私はそう思うわけです。
 先ほどから、制度を変えなきゃいけないぐらいに大学が衰退しているのか、知的衰えがあるのかということでありますが、私は決してそうは思わないので、今の制度の中で大学自身が自主、自律でもってやれるべき部分はまだまだたくさん残っている。この十年間、どんどんどんどん大学の中身が進んできております。それを一々申し上げる余裕はございませんが、これは確実でありまして、あと一息頑張れば済むのではないか、そんなふうに思っております。
 それから、責任と義務の問題ですが、当然これは社会的、公共的使命を果たすのが少なくとも国立大学の責任である。社会的、公共的空間の隅々まで自分たちが研究し、教育をし、そこでもって貢献していくということが非常に大事なわけでありまして、そういう義務は当然持っているべきでありますし、私自身はこの六年間そういう方向で引っ張ってまいりまして、大変変わってきたというのは事実であります。
 繰り返しになりますが、今の制度を変えなきゃならぬ理由はないんじゃないか、そういうふうに思います。
佐藤(公)委員 もう時間が来ました。牟田参考人には、広島の方ではいつもお世話になりまして、ありがとうございます。実は、牟田参考人と山岸参考人には、小泉総理には本当にこの国のビジョンがあるのかどうかをお聞きしたかったんですけれども、それはまた追って時間をいただいて聞かせていただきたいかと思います。本当に質問できなくて申しわけございません。
 ありがとうございました。
古屋委員長 石井郁子君。
石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 参考人の皆様には、本当に意見陳述、ありがとうございました。きょうは、聞くところによりますと、議面、議員面会所なんですが、百人近い大学関係者、国民の方々がいらっしゃって、院内テレビでこの参考人質疑の模様を傍聴しておられるということでございます。きょういただいた参考人の御意見を、この大学法人法案の審議はまだ始まったばかりでございますので、これからの委員会審議に大いに生かして、また私ども徹底審議を進めてまいりたいというふうに考えているところでございます。
 さて、最初に田中参考人にお聞きをいたします。
 これまで国立大学協会は、独立行政法人の通則法に基づく国立大学の法人化に反対を表明してこられました。文部科学省も同様の態度をとってきたと思うんです。しかし、提出された今回の国立大学法案はこの通則法の枠内のものでありまして、先ほど来問題になっておりますように、中期目標を文部科学大臣が定める、中期計画は大学が定めたとしても認可は大臣がする、変更命令もあるということなど、世界に例のない法人像になっていると思います。しかも、国立大学の評価委員会のみならず、総務省の評価委員会の評価を受けるという点になりますと、学問の自由、大学の自治にとって私は重大な問題をはらんでいると言わざるを得ません。
 そこで、この法案について運用次第だという意見も聞かれることがございますので、法律の運用で一体本当に大学の自主性、自律性という問題が確保されるのか、運用で済む問題なのかという点をお聞かせいただきたいのでございます。
 また、この法案について国立大学協会の合意があるのかどうかという問題について、あわせてお聞かせいただければと思います。
田中参考人 ポイントをついた御質問でございます。
 まず第一点は、運用でうまくいくのか、先ほどの中期目標、中期計画、それから評価、予算配分、改廃まで、こういう部分を運用でうまくやるのかというお話でございますが、これは法律のしかも根幹部分なんですね。ある意味では運用というのは裁量に通じるんだと思うんですが、法律の根幹部分を裁量でやるなんというのは、これは法治国家のやるべきことじゃないと僕は思うんですね。したがいまして、運用でこのエンジンの部分をやるということについては、私はそういう法律をつくるべきではない、そんなふうに思っております。
 それから、国大協の問題でございますが、これは前の参考人として石副会長がいろいろなことをおっしゃっておられるようでございますが、私の判断は特に申し上げませんけれども、判断していただきたい事実を申し上げたいと思います。
 一つは、国大協には、賛成、反対いろいろな方々がおられるわけですが、最初から最後までこの線だけはというのがございまして、一つは公務員型ですね。公務員型はもう最初から最後まで国大協として守るべきだというのが一つ。それから、経営と教学の一体化、これも最初から最後まで守るべきだということがあったわけですが、御存じのとおり、この二つともほごになっているわけですね。ということは、国大協の中のメンバーの学長さんがどんなふうに思っておられるかということは御推察いただきたい、そんなふうに思います。
 以上です。
石井(郁)委員 ありがとうございました。
 同じ関係の質問でございますけれども、牟田参考人にお願いをいたします。
 この法案が出てから国立大学協会の総会は開かれていないと思うんですね。四月十七日には国立大学の法人化特別委員会が行われたというふうに聞いておりますが、そこではこのようなことになっている。
 法案については、当面、国会における審議を見ることとし、本委員会としては、六月の総会に向けて国大協としての総括的見解を取りまとめる方向で検討を進めることにした。
 何か非常にいろいろ含みのある表現になっているように思うんですけれども、これは、やはり法案についての国大協の合意は得られていない、あるいは得ていないというふうに考えるわけですけれども、そういうことでいいのでしょうか。
牟田参考人 法案については、現在おっしゃったとおり、特別委員会で議論している最中でございます。法案のもとになる国大協としての見解、これは一冊の本にまとめてあるわけです。特別委員会の検討の中では、国大協が提案したものと法案との間に違いがあるかどうか、これを議論いたしました。そうして、それについて一点だけ違いがある、基本的には違いはないという見解をとろうとしているところでございます。
 一点だけと申し上げましたのは、法案の中では学部、研究科、研究所等については文章の中には言及されておりません。したがいまして、この点については我々は中期計画の中で言及するという方向で考えております。その点を除いては一応我々の提案した国大協としてのものは反映されているという理解をしております。
 さて、法案について、では国大協として合意するかしないか、これは国大協総会を開かないといけないわけですね。それは、現在国会でこの法案が議論されている最中に、例えば国大協の臨時総会を開いて賛成か反対かということをする段階ではないと判断しているわけでございます。
石井(郁)委員 いろいろと尋ねたい面もございますが、この点はこれまでにしておきまして、また少し角度を変えて質問させていただきます。
 今回の大学法人法案問題は、やはり日本の大学のあり方、高等教育のあり方、二十一世紀日本社会のあり方にまでかかわる本当に大きな問題をはらんでいるわけでございまして、本当はそこをきちっと議論するということも必要なんですが、それはこの参考人の質疑の中ではそこまでなかなか入り込めないということがあるかと思います。しかし、私は、きょう意見陳述を聞かせていただいた中で大変重要な指摘がされたというふうに思っておりまして、そこで少し突っ込んでお聞きしたいのでございますが、この点も田中参考人にお願いしたいと思います。
 先ほどの陳述で、「本制度のもとでは真の教育研究を行うことは困難であり、もしそれが強要されるならば、教育研究の本質はゆがめられ、我が国の学問は衰退を余儀なくされることは明らかです。」と述べられました。私は、やはり高等教育あるいは学問の発展こそ大学の使命でありますから、学問が衰退を余儀なくされるということは本当にゆゆしき事態になるわけでありまして、大変厳しい御指摘だったというふうに思いますが、もう少しその辺を具体的にお述べいただけたらというふうに思います。よろしくお願いします。
田中参考人 具体的に話すとなるといろいろなことがたくさんあるわけでございますが、まずは、教育なり、研究なりというのが、研究者、教官あるいは学生の自由な発想というのが基本的になければ進まないというのが一つあります。それを、外から目標を与えられ、それから評価まで加えられる、しかも報酬目当ての評価という可能性が出てくるわけですね。そういたしますと、やはり純粋に学問をし、好奇心に駆られて研究をするということ自体がゆがめられてくるであろうということが一つあります。
 それから、評価に関連して、中期計画に数値化を要求されるわけで、どれだけ達成されたかという数字をまた六年後に出さなきゃいけないわけです、評価のときに。そのときに、教育の成果、あるいは研究の成果をどのようにして点数化するのか、数値化するのかという問題が出てくるわけです。
 先ほどちょっとお話ありましたが、研究の場合にはある程度やりやすいところもありますが、教育の部分はなかなかそうはいかないという部分もあります。そういたしますと、やはり研究の方にエネルギーが行ってしまって、教育が非常におろそかになるといったこともございますし、そういったもろもろのことを考えますと、やはり教育、研究の本質はゆがめられてくるのではないか、そんなふうに思うわけであります。
 先ほども申し上げましたが、ノーベル賞受賞者の方々が、自由な発想でもって、知的好奇心である仕事を始めた、途中で全く違った結果が出た、それを追いかけていったらすばらしい結果を得た、そういう場合に六年間の目標をどんなふうにして定めて、定めた以上はそれじゃないと評価されないわけですが、そんなことがシステムの中に入っているということ。途中で計画変更ということはあり得るわけですけれども、それにしても、やはり今度はそれを認可してもらわなきゃいかぬ、そのためにはまた膨大な資料をつくらなきゃいかぬというのがあります。
 教育にしろ研究にしろ、目標、計画、評価、その部分については、自分自身で、研究者自身が書類をつくらなければいかぬわけですね。書類をつくる、そういうことがやはり研究者、教育者の内発的な精神を明らかに抑制するのははっきりしているわけでございまして、そういうような点で、やはり私は、学問の衰退が来る可能性がかなり強い、そういたしますと、国際競争力も当然長い目で見ると落ちるであろう、そんなふうなことを考えるわけでございます。
 以上です。
石井(郁)委員 ありがとうございました。
 確かに、日本の大学にとって、自己評価とか、みずから目標を立てるとか、研究者はそれぞれしていると思いますけれども、外から枠を決められる、こういうことは初めてですから、本当にこれでいいのかどうかということについては慎重にも慎重を重ねて考えなければいけない、あってはならないというふうに私は考えているわけでございます。
 最後になりますが、山岸参考人に伺いたいと思います。
 参考人の方からいただいた資料を読ませていただきまして、「大学改革の潮流」というのの中にこういうくだりがございました。「平成の大学改革の嵐が吹き荒れた後、残ったのは研究水準の低下と大学の混乱、退廃だったということにでもなれば、その責任はどこにあるのだろうか」ということです。
 山岸参考人は、いろいろ現場取材もされていらっしゃるわけでして、そういう中でのこういう警鐘かなというふうに伺いましたが、私どもも今回の改革はそのように思えてならないわけでありますので、この国立大学法人法案は大学に混乱と退廃をもたらすのかどうかという点でのお考え、御見解を伺っておきたいと思います。
山岸参考人 そういうふうに書いた根拠は、国立大学法人法案だけではございませんので、ちょっとお答えするのがややこしいんですが、一点、現象だけ申しますと、ことしの年賀状を見て、ほんの数通ですけれども、しかし三通か四通あるということは、これはやはり非常に印象的でした。
 というのは、大学に勤めている私の知り合いが、全員国立大学の、しかも若いと思っていた人たちが僕と同じようにだんだん年をとってきて、かなりの幹部になってきている。一人の人のあれは、今我々がやっていることは国立大学の改革なのか、それとも崩壊に直面しているのを何とか支えているのか、まあ年賀状ですから一行ですけれども、そういうのが三通ほどありました。
 これは、国立大学の内部がどうなっているかなんというのは外部の人間にはわかりません。私は東京大学に恐らく何百回も行っておりますけれども、東京大学の姿は全く見えません。中でやっていなきゃわからないわけですから、何とも言いようがないんですけれども、そういう状況。これはしかし、大学というのは、常にいろいろな問題を抱えていることで、これからだめで、今まではよかったというわけにもいきませんし、一概には言えないんですが、どうもそういうところがある。
 それと、もう一点だけ申し上げますと、ここにいらっしゃる方は別といたしまして、実感するのは、国立大学に限らず、私立大学も含めて、リーダーシップを握っている人たちが、これで大丈夫なのかと私が思うほどの存在であります。
 御承知のように、大学の自治が非常に悪口を言われておりますけれども、大学の自治というのは実は今まで機能していなかったのではないかと。国大協のあの姿を見ればわかるように、大学の自治というのは団体の自治を最高とすべきものなのに、団体の自治ということについては、無能とは言いませんけれども、非常に弱い。これは私立大学も全く同じで、結局、皆さん方、自分の背後に抱えている大学を大事にせざるを得ないために思うことが言えないという状況があるんではないかと私は疑っております。
 それ以上は勘弁してください。
石井(郁)委員 山野井参考人には、時間が終わりまして、どうも失礼いたしました。
 どうもありがとうございました。
古屋委員長 山内惠子君。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子です。
 参考人の方々には、大変貴重な御提言をありがとうございました。
 私は、小学校の教員を三十年しておりましたので、大学問題といえば一番関心が強くあるのは、入試はこれで変わるのかということがあるんですけれども、そのことは法案とちょっと離れるかもしれないので、またいつかのときにしたいと思います。
 初めに、牟田参考人にお聞きしたいと思います。
 「新しい国立大学では、トップダウンとボトムアップの両方の長所を備えた運営方式をとるのがいい」、それも「実行する余地が残されている」と。「余地」という言葉がありますが、余地でしかないんじゃないかなと私は思っています。
 また、大学経営について、事後評価をする。自由裁量、事後評価、査定、改善というサイクルが機能すれば、改革、改善が促進されると。先ほどもおっしゃった中に、大学の使命を果たすためには、法人化によって大学の自由度が増すことを希望されていますよね。その意味では、学長の見識でできることを法整備せよとおっしゃっているわけですから、きっとこの法案に問題ありと思っていらっしゃるんじゃないかと思います。
 私は、ここのところで本当に一番問題なのは、このすべては、文部科学省の介入がなければ牟田参考人がおっしゃっていることを実現するのは、道が早いんじゃないかと思います。中期目標にかかわっても予算の配分にかかわっても、文部科学省が認可した評価機関が評価するとなれば、このことは、書かれている中にある「市場原理とアカデミズム原理の絶妙のバランス」など無理じゃないかと私は思っていますが、いかがでしょうか。短くお願いいたします。
牟田参考人 非常にいい御質問をありがとうございますが、答えるのを短くというのは非常に難しい注文なのでどう答えていいかわかりませんが、私の理想としております運営形態は、御指摘のとおり、フラット型と申しますか、トップダウンでもないボトムアップでもない、その両方のいいところをとったものでありたいと思っております。
 では、国立大学法人法案の範囲内でそれは無理ではないかという御指摘なんですが、私は可能だと考えております。それは、国立大学法人法案そのものが、例えばアメリカのカリフォルニア州の州法と同じだとは言いませんが、似通った部分があるわけです。カリフォルニア州の州立大学の典型的な例として、バークレーのカリフォルニア大学を例にとりますと、そこでの運営形態は、私が理想とする形に実は近いんですね。そういうことがカリフォルニア州法のもとで州立大学の中でできているということは、私は、この国立大学法人法案にそういう意味での希望を託したいと思っているわけです。
山内(惠)委員 ありがとうございました。
 本当に大学の自由度が増すということを私は願いたいところですけれども、今回の法案を見る限り、そこは大変難しいのではないかというふうに思っています。
 時間も短いので、次に山岸参考人にお聞きしたいと思います。
 先ほど御提言いただきました中に、実験が許されない制度は問題だという趣旨の御発言がありましたが、今回の文部科学省が法人化を打ち出した理由、背景を山岸参考人はどのようなことだと押さえていらっしゃるかということをお聞きしたいと思います。
 まとめてたくさん質問したいと思います。時間に限りがありますので恐れ入ります。
 ただ、私も改革は必要だというふうに思っています。税金を払っている国民の視点から見れば、国立大学の現状を見るとき、大学が国民の願いにこたえていない部分をとても大きく感じます。閉鎖的な感じさえもいたします。それで、大学が国民に開かれるために、また国民の理解を得るために、山岸参考人は、何が問題でどう解決していけばよいとお考えなのか。
 次の質問にも行きたいと思います。
 中期計画は大変問題だとおっしゃいましたが、私も問題だと思います。もしこの中期目標、計画を立てるとしても、企業に都合がいいところはお金が入ってくるということがそれなりに見えるわけですから、文部科学省や企業に都合のよいように自己規制してしまう可能性が私は心配されます。
 例えばなんですけれども、古代サンスクリットの研究とか人文系の哲学とかいうような、本当に生産性となかなかつながらないあたりなんかは、研究してもお金が入ってこないんじゃないかなということが心配されます。その意味で、法人化した場合、大学の研究のための財政は、国家がどれぐらい出し、それから大学みずからはどれぐらい出したらいいというふうな、そんなバランスをお考えでしたらお聞かせいただきたいと思います。
 三番目の質問としては、きょう国立大学の法人化の問題でありながら私学に触れられたということを私は大変うれしく思って聞きました。山岸参考人が編集された「未完の大学改革」、一夜漬けですけれども読ませていただきました。元文部大臣の永井道雄さんの言葉を紹介されていまして、ここの部分で教育を富士山に例えて、
 富士山は広い裾野があるから美しいのだが、しかし本当に優れた教育は富士山ではだめです。我が国の教育状況が非常に困ったことになっているのは、峰が一つしかないことです。それは東大の峰です。そうすると他の小さな大学はみんな東大を真似ます。小さな筑波山をつくったり、大岡山に立てこもります。もっとも望ましいのは、広い裾野が大事ですから、今後つくるべき教育は、富士の峰ではなくて八ヶ岳でなくてはなりません
私はここのところに大変共感いたしました。その意味で、国はもっと財政負担を私学に対してするべきであり、出しているお金が少な過ぎる。
 これは永井元大臣がおっしゃっているんですけれども、先生も先ほどCOEの例で言われましたけれども、私学に対して法人化後同じように出せという趣旨でおっしゃっているのか。私は同じように出してもいいのではないかと思っていますが、そのことをお聞かせいただきたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。
山岸参考人 余りいっぱい聞かれてよくわからなくなっちゃったんですけれども。
 最後のところですけれども、最初に私が申し上げたように、この問題が私学にもその他の問題にも全部広がっていくことが本当は望ましいわけなんですね、なかなかできないんだろうとは思いますけれども。
 しかし、そうした場合において、私は私学にお金をもっと投じるべきだという立場に立って物を書いている人間ですけれども、そのためには、今でいうならば、国立学校特別会計に一般会計からどのくらいお金が行って私学の補助金が幾らだから私学の補助金をたくさんにしろということではないんですね。もう国公私立の設置形態を変えて、国のお金の出し方を抜本的に変える。そのことによって、国立に余りにも偏重し、そして私立には余りにも極端に配分が少ないという状況を変えていく。やはり競争的な関係というのは個別大学においても重要ですから、そういうようなことは考えなければならないというふうに僕は考えておりますけれども、それはもう、ちょっと長過ぎますからあれです。
 それから、八ケ岳は永井先生の持論でありました。それは、だれも反対する人がいないと思います。その説明はそのくらいで。
 あと何でしたか。
山内(惠)委員 何か大分たくさん御説明をお願いしたんですけれども、開かれた大学をどのようにつくっていくのかということ、それから、なぜ開かれていないのかも含めてお聞かせいただきたい。
山岸参考人 大変難しい問題でありますけれども、大学を開くということは、独立行政法人にしようと今までの国立大学のままであろうと、やろうと思えばできたことでありますから、これはただやらなかったというだけの問題でありまして、これからはもう少し進んでいくのではないかというふうに期待をしております。
 それから、独法化をすることによって、基礎的な非常に地味な研究がだめになるのではないかという御質問は別な委員さんからも先ほどあって、牟田先生から何かお答えになっていましたけれども、私も、牟田先生の意見プラスもっと楽観的でありまして、余りそれは心配する必要はないと思っているんです。なぜかというと、国立大学の時代に、国立大学の人たちはそんなに基礎研究を熱心にカバーしていましたか。そんなことないですよ。随分ひどい状況だったですよ。
 例えば、東京大学の国文学科ですか、国史、国文、その系統がドナルド・キーンさんに頼んで、ほかの二、三人の超有名な研究者に頼んで初めて文系で外部評価をやったときに、何を東大の人たちが言いたかったのかといえば、いかに自分のところの研究室がひどいかということをドナルド・キーンさんに言ってもらいたかったんですよ。
 キーンさんが言ったことは、東大のそこの学問レベルがどうこうなんということではなくて、自分が所属する、あの人はプリンストンでしたか、あの大学の日本語、日本語文学の教授の数よりも東大の日本文学の教授の数の方が少ないと。この一言でもう大体東京大学のそういう基礎的研究のレベルがわかるわけでしょう。日本を代表する、文部省から一番お金を突っ込まれている大学がその程度のことですから、独立行政法人になれば、もっとすばらしいこと、さっき牟田先生がおっしゃいましたような、学長がリーダーシップのもとでそういうものを面倒を見てくださるようになるだろう、そういう点では僕は物すごく期待しております。
山内(惠)委員 どうもありがとうございました。
 本当に、もう少しいろいろお聞きしたいことがありますが、先ほど、大学セクターへの行政権力の介入が強くなるだろうということを山岸参考人はおっしゃられたわけですから、そこの部分でいえば、ますます富士山化して中央集権化するということを心配なさってのことかなと思うんですが、そういうふうにとらえてよろしいでしょうか。
 それから、大学には守るべき自治があったのかということでおっしゃられたんですが、永井元大臣がおっしゃっていた中にも、大学には集団的自治が必要だという言葉でおっしゃっているんですけれども、この二点について、追加でお願いしたいと思います。
山岸参考人 実は、私が憂えているのは、さっきリーダーシップのことを申しましたけれども、余り率直に人のことをあげつらうのは、私は自由な身ですから何でも言えるわけですけれども、学長や何かの立場にある人はそう言えないので、その人たちをこういうところで余り非難してはいけないんだと思うんですが、なぜ私はそういうことを言ったかといいますと、国立大学の授業料が長い間上がらなくて、私立大学との間の格差がどんどん広がっていった。あの大蔵省がじたばたして毎年のように文部省に対して授業料を上げろと言い続けながら、文部省が守り切れたのは何だと思いますか。学生たちが授業料を上げるとストライキするからですよ。それを押し切ってまで、さすがの大蔵省も文部省を押し込めることができなかった。それが、学生運動が衰退したら、二年に一遍必ず上がっているでしょう。それで大体答えがわかるでしょう。
 僕は、国立大学協会や私学団体がもっときっちり自分の言うことを言えば、あるいは、ストライキはできないかもしれないけれども、もっとしゃんとしていれば、文部科学省が政府の中において発言する立場だって変わっていたんだと思うんですよ。
 僕が非常に今興味を持っているのは、さっき質問にもありましたけれども、あれほど反対していたものがなぜ賛成に回ったのか、何の判断だったのかというのは、私はわかりません。それから、何のメリットでもって、そこのところで引き受けることに踏み切ったのか、これもわかりませんけれども、私は、その意味においてはしようがないことなんだろうなと一方では思いながらも、それは、政府の一員としてはそういうことはどういう行動かというのは、非常に関心があります。
山内(惠)委員 ありがとうございました。
 私は、今回の改革案のいろいろを考えたときに、地方の国立大学と私学は財政力が違うので、私学に行く子供たちは高い授業料を払わなければならない、しかし、その保護者は、それだけではなくて、国立大学への税金をも払っているということを考えるとき、暗たんとしたものがありました。
 四人の方に来てくださいましたのに、二人のみで終わりましたことをお許しください。また改めてお聞かせいただけるチャンスをつくりたいと思います。きょうは本当にありがとうございました。
古屋委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人の皆様には、貴重なあるいは率直な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く感謝、御礼を申し上げます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後三時四十四分散会


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