衆議院

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第4号 平成16年3月12日(金曜日)

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平成十六年三月十二日(金曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   委員長 池坊 保子君

   理事 青山  丘君 理事 伊藤信太郎君

   理事 遠藤 利明君 理事 渡海紀三朗君

   理事 川内 博史君 理事 平野 博文君

   理事 牧  義夫君 理事 斉藤 鉄夫君

      今津  寛君    宇野  治君

      江崎 鐵磨君    小渕 優子君

      奥野 信亮君    上川 陽子君

      城内  実君    岸田 文雄君

      近藤 基彦君    鈴木 恒夫君

      田村 憲久君    中谷  元君

      西村 明宏君    馳   浩君

      古川 禎久君    山際大志郎君

      加藤 尚彦君    城井  崇君

      小林千代美君    古賀 一成君

      須藤  浩君    高井 美穂君

      土肥 隆一君    鳩山由紀夫君

      肥田美代子君    牧野 聖修君

      松本 大輔君    笠  浩史君

      富田 茂之君    石井 郁子君

      横光 克彦君

    …………………………………

   文部科学大臣       河村 建夫君

   総務副大臣        山口 俊一君

   文部科学副大臣      原田 義昭君

   文部科学大臣政務官    田村 憲久君

   文部科学大臣政務官    馳   浩君

   政府参考人

   (総務省大臣官房審議官) 岡本  保君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          近藤 信司君

   参考人

   (社団法人日本PTA全国協議会常務理事)     小野田 誓君

   参考人

   (国立教育政策研究所名誉所員)

   (国立学校財務センター名誉教授)         市川 昭午君

   文部科学委員会専門員   崎谷 康文君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月十二日

 辞任         補欠選任

  加藤 紘一君     中谷  元君

同日

 辞任         補欠選任

  中谷  元君     加藤 紘一君

    ―――――――――――――

三月九日

 父母負担の軽減、私学助成の拡充に関する請願(古川元久君紹介)(第七七四号)

 同(赤松広隆君紹介)(第八〇六号)

 同(岡本充功君紹介)(第九三六号)

 行き届いた教育の実現に関する請願(筒井信隆君紹介)(第七八一号)

 豊かな私学教育の実現のための私学助成に関する請願(横光克彦君紹介)(第八〇七号)

 同(井上和雄君紹介)(第八五一号)

 同(石毛えい子君紹介)(第八八五号)

 同(渡海紀三朗君紹介)(第八九九号)

 すべての子供に行き届いた教育等に関する請願(石井郁子君紹介)(第八五〇号)

 三十人以下学級実現・私学助成などに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第八七一号)

 私学助成の抜本的拡充等行き届いた教育に関する請願(石井郁子君紹介)(第八七二号)

 同(穀田恵二君紹介)(第八七三号)

 同(吉井英勝君紹介)(第八七四号)

 小中高三十人以下学級実現、行き届いた教育に関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第八七五号)

 私立専修学校の教育・研究条件の改善と父母負担軽減に関する請願(石毛えい子君紹介)(第八七六号)

 同(松原仁君紹介)(第八七七号)

 同(中津川博郷君紹介)(第九〇一号)

 すべての子供たちへの行き届いた教育に関する請願(石毛えい子君紹介)(第八七八号)

 同(小宮山洋子君紹介)(第八七九号)

 同(松原仁君紹介)(第八八〇号)

 同(山口富男君紹介)(第八八一号)

 同(海江田万里君紹介)(第九〇二号)

 同(手塚仁雄君紹介)(第九〇三号)

 同(中津川博郷君紹介)(第九〇四号)

 すべての子どもに行き届いた教育、私学助成大幅増額に関する請願(志位和夫君紹介)(第八八二号)

 すべての子どもに行き届いた教育を進め、心通う学校に関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第八八三号)

 行き届いた教育、小中高三十人以下学級の早期実現に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第八八四号)

 小・中・高三十人学級実現、私学助成の抜本的改善、障害児教育の充実に関する請願(後藤茂之君紹介)(第八九五号)

 同(下条みつ君紹介)(第八九六号)

 同(羽田孜君紹介)(第八九七号)

 同(後藤茂之君紹介)(第九三七号)

 同(羽田孜君紹介)(第九三八号)

 すべての子供に行き届いた教育を進め、心の通う学校に関する請願(渡海紀三朗君紹介)(第八九八号)

 行き届いた教育を進めるための私学助成の大幅増額等に関する請願(穀田恵二君紹介)(第九〇〇号)

 私立学校の保護者負担の軽減、教育条件改善のための私学助成の充実に関する請願(町村信孝君紹介)(第九三五号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案(内閣提出第四五号)


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     ――――◇―――――

池坊委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、参考人として社団法人日本PTA全国協議会常務理事小野田誓君及び国立教育政策研究所名誉所員・国立学校財務センター名誉教授市川昭午君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として総務省大臣官房審議官岡本保君、文部科学省初等中等教育局長近藤信司君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

池坊委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。平野博文君。

平野委員 おはようございます。民主党の平野博文でございます。

 私も、昨年の選挙以来、初めての質問でありますので、非常に緊張しています。そういう中で、新しく河村大臣が誕生されましてのことでありますし、しっかりと質問をさせていただきたいと思いますので、時間が余りないものですから、簡潔にお答えをいただきたいと思います。

 冒頭、義務教育の国庫負担法の改正法案でございますが、この法案に入っていく前に、何点か大臣のお考えを聞きたいところがございます。

 まず、小泉内閣が誕生したときに、小泉総理の所信表明のところに、米百俵という言葉を最初に述べられて小泉内閣が誕生したわけであります。その所信を、米百俵の重みをどのように考えるかということを実はきのうつらつら考えておったのですが、改めて、河村大臣、この米百俵の持つ意味、重み、新潟の今の長岡高校ですか、この学校をつくり上げてきた米百俵の重み、これは今の現在に焼き直したときにどういうふうに理解をしたらいいのか、この点、大臣にまずお聞きをしたいと思います。

河村国務大臣 国づくりは人づくり、こう言われてきております。私は、米百俵の精神にはその原点があるというふうに思っておりまして、そういう意味で、総理がお使いになった米百俵のねらい、我慢をして、そして人づくりにした、こういうことでございます。

 私は、この精神というのは、これからの日本の教育行政を進める上でも大事にしなきゃいけない考え方であろう、このように思っておりまして、私はじきじき、副大臣当時でありますが、小泉総理にも、小泉改革の終結のところ、起承転結のところはやはり教育改革にすべき問題である、総理の所信はそこにある、このように思っているということを強く申し上げてきたところでございまして、そう申し上げた私を大臣に指名されたわけでありますから、この精神を貫いてまいりたい、このように思っております。

平野委員 当時、大変厳しい藩の運営の中で百俵を贈られたわけでありますが、そういう意味で、即食料に使ってしまう、そういうことではなくて、将来の、あるいは人材を育成していくために、まず優先してこの百俵を学校建設に投資をした、こういうことだと思うのであります。現在版に焼き直したときに、この精神が今どう生かされているかという視点では、どうなんでしょうか。

河村国務大臣 今国の財政も厳しいところにあることは我々も承知をしているわけでありますが、しかし、やはり教育を考えたときに、財政論が優先するわけにはいかない、こう思っておりまして、教育予算にシーリングを設ける考え方そのものが間違っておるのではないか、私はこういうことをこれまでも強く言ってきたところでございます。

 やはり教育は大事である、こうおっしゃるならば、教育予算ということについてはきちっと確保していく、それでなければならないと思っておりまして、それでは現状に私が満足しているかと言われて、決して満足という状況にはない、こう思っておりまして、さらに、私自身含めて、皆さんの御協力をいただきながら努力をしなきゃいかぬ、こう思っております。

平野委員 大臣、そうはおっしゃいますけれども、ずっと一連の流れを見ていますと、教育論に基づく、こういう国、こういう人を育てていくんだという議論以前に、まず財政論から物事が進められているように思えてならないから、あえてこの米百俵を言ったわけであります。

 そういう視点でこの義務教育の国庫負担法の問題に具体的に入っていきたいわけでありますが、なぜ国が教育について責任を持っていかなきゃならないのか、これは憲法二十六条、教育基本法という法律、国家の、国の責任においての領域であるわけですね。その責務を放棄しようとしているのではないかと思えてならないんですが、そうではございませんか。

河村国務大臣 そういうふうにとられては困るわけでありまして、財政論で進めるということはそういうことにつながる危険がある、私自身もそう政治家としても思っておりますので、財政論ではなくて教育論を優先させるべきだということ、これは私は経済財政諮問会議に臨みましてもそのことを強く訴えたところでございます。

 しかし一方では、教育に対する期待といいますか、そういうものもその裏側ではそれだけ高まっておることも間違いございません。それにやはりこたえるだけの教育をきちっと国が責任を持ってやっていくということをもっと前面に強く押し出してこれからも取り組んでいかなきゃいかぬ、このような議論があるということを踏まえて、それにきちっと対応していかなきゃいかぬ、そういう強い思いで臨んでおるところです。

平野委員 大臣のお答えになっている言葉と実態とは私は随分乖離しておるように思えてなりません。それは大臣だから言いたくても言えないでしょうけれども、きょうは文部科学委員会ですから、本当はそうなんだよと思っていませんか、本当に。教育論を中心にやっておられますか、この部分について、どうです。

河村国務大臣 いや、ほっておきますとそういう懸念がなきにしもあらずと私も感じておりますから、臨むべきところへ臨んでは、問題はまず徹底的に教育論でいくべきだ、こういうことで、実はあの三大臣合意の中におきましても絶えずそのことを強く主張してきたところでありまして、これからもそれを貫いていかなきゃいかぬ、こう思っています。

平野委員 ほうっておくとそういう方向に行くということは、小泉さんは、米百俵というのは何を意味して言ったのでしょうか。ほっておくとそういう方向に行っちゃう、今大臣が発言されましたが、では、小泉さんが言った米百俵というのは、財政論だけで教育を語っちゃだめですよ、もっと人のために教育の施設を充実しなきゃ、将来のためにというのが米百俵じゃないんでしょうか。いみじくも大臣少し吐露されましたけれども、ほうっておくとだめだから私は頑張っているんだ、このことは非常に評価をいたしますが、しかし、小泉さんの進めていこうという方向は、米百俵とは全然違う方向にやろうとしているんじゃないんでしょうか。

河村国務大臣 小泉総理の方向がその方へ引っ張っていく、私はそうは思っておらないのであります。ただ、今の改革というのは、聖域なき構造改革に取り組まなきゃいかぬという方向づけがあるわけであります。その聖域の意味についてもいろいろあると思うのでありますが、あらゆる改革の中でどうしても経済構造改革というのが非常に大きなウエートを持っておりますから、その中に、どんどん深みにはまらないようにという配慮を、私の責任においてやらなきゃいけない課題だ、このように思っておるわけであります。

 総理は、全体を見ながら、教育はいかにあるべきかということを考え、また地方分権の視点からも考え、あらゆる面から宿題を投げかけ、課題を投げかけてきておりますから、それに私がきちっとこたえていくということが教育論を全うすることにつながっていく、このように思っているわけです。

平野委員 そこで、少し具体的に入っていきたいと思いますが、今回の義務教育の国庫負担法の改正に当たる背景というのは経済財政運営と構造改革に関する基本方針に基づいているわけですが、この改革というのは国と地方公共団体の役割分担の見直しなんだということなんですね。役割分担の見直しということは、仕事の役割の分担の見直しと財政の見直しというのがしっかりとリンクされての見直しでなきゃならないと思うんです。ところが、僕、ずっと見ておりますと、財政の見直しだけが先行して、役割がどう見直されているのかというのがどこかとんざをしている。

 私どもも、地方分権というのは非常に大事なことだ、こういう考え方でありますが、今の小泉内閣がやっている地方分権というのは、権限、責任を渡すけれども財源は渡さない、役割分担の見直しと言うんだけれども、役割はどういうふうに見直しているのかわからなくて、財政負担だけを分け合っているというふうに見えてしようがない、私はこういう視点に今立っているわけであります。

 そういう中で、先ほどなぜ米百俵かと言いましたのは、義務教育の水準確保にかかわる国の責務というのは、憲法二十六条、教育基本法、これによってしっかりと担保されていることでありますね。このことが今日までも、大臣、再度聞きますけれども、この考え方に立って守られているというふうに認識をされますか。

河村国務大臣 私は、今日の日本の教育水準、いろいろ今問題点が指摘はされておりますけれども、豊かな国づくりのために、この考え方、御指摘の考え方というものがあって、義務教育の水準を全国津々浦々高いレベルに保つ努力をしてきた、そのことが今日の日本を築いておりますから、その精神はこれまで十分生かされてきた面がある、しかし、いろいろな見直しの中でこの見直しも指摘されておりますから、いま一度原点に立ち返って、教育論でこの問題をさらに進めていくという立場に立たなきゃいかぬ、このように思っておるわけです。

平野委員 義務教育の中で、教育基本法という法律が、私の知る限りでは基本法の第一号が教育基本法だと思っています。今、十七本ぐらいあるんでしょうか、基本法。その最初にでき上がった基本法が教育基本法だと思っていますが、これはまだ十分今の時代の流れにしっかりと担保された基本法であるとお思いでしょうか。

河村国務大臣 基本的な理念は、これに沿ってこれまでも行われてきたし、守られているというふうに思いますが、個々について見たときにいろいろな問題点が今指摘されておるわけでありまして、そういう中で、基本法の見直し、改正という問題が出てきた、こう思っております。

 しかし、教育基本法がうたっている人格の完成である、あるいは個人の尊厳を重んじる、そうした基本的な考え方、普遍的な考え方、これは私は基本法の理念として大切なものである、このように思っておりますし、これからもそれは守られていかなきゃいけない課題だというふうに思っております。

平野委員 そういう中で、今回の義務教育費国庫負担法の改正で、これは設立当初、ちょうど昭和二十八年に、私は新制義務教育費国庫負担制度というふうに勝手に呼んでおりますが、その時代の中で、そのままではだめになるということで、過去廃止をし、改めて昭和二十八年に再度新制の、今現在の負担制度ができ上がったわけであります。この当初の制度の趣旨という観点から見ますと、創設当初よりさらに今回の改正により国庫負担が減額をされる、こういうことになっているわけでありますが、これは、当初この法律をつくった、制度をつくった趣旨から逸脱する方向に行っているのではないかと危惧をいたしますが、その点についてはどうでしょうか。

河村国務大臣 御指摘のように、確かに当時の金額、数字的に、財政的に見たときに金額が減っているという感じからいけばそういうふうにとられないこともない、私もそう思います。しかし、この義務教育費国庫負担法の精神といいますか、「教育の機会均等とその水準の維持向上とを図ることを目的とする。」という基本的なところはきちっと根幹を守りながら今日まで来ておる、このように思っております。

平野委員 基本的なところを守っている、こういうことですが、もともとこの設立の趣旨は、給与本体のほかに退職手当、旅費、教材含めてこれが国庫負担の対象枠の制度として創設されたのであります。しかし、今回の改正法は、既に国庫負担から外されている旅費、教材費に、さらに加えて退職手当までを対象から外そうということであります。

 もともとの設立の趣旨は、旅費、教材費、これが入っていたのを、もう既に外されてしまっている、今回さらに退職手当まで対象から外そうということですから、基本的理念は損なっていないと言うけれども、私は基本的なところはもう損なっているというふうに思っていますが、基本的なところは損なっていませんか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 先ほど来大臣からも御答弁をさせていただいておりますが、義務教育費国庫負担制度は、義務教育の水準を全国的に確保するため、義務教育を担う教職員の給与費について国が一定の負担をすることによりすぐれた教職員を必要数確保するための制度でございまして、今回の改正は、昨年六月の基本方針二〇〇三等を踏まえまして、義務教育に関する国と地方の役割分担、費用負担のあり方の見直しを図る観点から、国庫負担の対象経費を国が真に負担すべきものに限定する、そういう観点から行ったものでございまして、先生御指摘のように、確かに昭和二十八年当時は給料・諸手当のほかに退職手当、旅費、教材費について国庫負担の対象にしておったわけでございますが、その後の社会経済情勢の変化等を踏まえまして、この旅費、教材費あるいは恩給費等、これまでも必要な見直しを適宜行ってきたわけでございます。

 そういう観点から、今回、退職手当、児童手当について国庫負担の対象から外すということをしたわけでございますが、制度の根幹は引き続き維持され、創設の理念は堅持をされている、このように私どもとしては考えているところでございます。

平野委員 真に負担すべきもの、こういう言葉が実は出てきたわけであります。では、今までの負担は真に負担すべきものでないのか、こういうことになるわけでありまして、文科省が真に負担すべきものでないことを今まで負担しておったのかと逆説に私はとるわけですよ。文科省が、間違ってもこういう言葉で、真に負担すべきものなんという言葉を使って出されることに対しては極めて私は怒りを覚えます。どうでしょうか。

河村国務大臣 これは、言葉として表があれば裏があるわけでありまして、そう言われれば、今、根幹を守ると言えば、ほかのものは根幹でないのか、こう言われるということになってくるわけでございます。

 義務教育費国庫負担法の法律の第一条にございます、先ほどもちょっと触れたのでありますが、義務教育について、義務教育無償の原則にのっとって、国民のすべてに対してその妥当な規模と内容とを保障するために、国が必要な経費を負担することにより、教育の機会均等とその水準の維持向上を図ることを目的とする、こうなっておるわけでありまして、その部分で、国と地方の役割分担等々をしたときに、できるだけ地方でやれるものは地方にということでありますから、国がどこまで責任を持つか、それが真にという言葉に私はつながっておると思うのでありまして、国民サイドから見たら、金がどっちから出ようとそれはどっちでもいいんです、受ける方の側にしたら。きちっと出さえすればいいわけです。

 これは役割分担の話になってくるわけでありますから、そういうことを言いますと、つじつま合わせにやったかとまた指摘を受けるかもしれませんが、これはだんだん地方にできるだけ役割を担ってもらいたいという方針がありますから、文部科学省として、いろいろ考えて、ぎりぎり考えながら、根幹を守る、本当に守らなきゃいけないところはどこなのかということも考えながらこれに応じてきたというのが、これは全部文部科学省の予算でやりますということでやったって教育そのものに大きな影響はないし、またしかし、逆に、守るべきところを守らないと教育の根幹が崩れるおそれがある、それは我々がちゃんとしなきゃいかぬという観点から立ったときに、真にという言葉が使われておるんだろう、私はそう思っておるんです。

平野委員 大臣、そんな開き直ったらあかんわ。そんな、これはもう今大臣の心と口とは全然違うことを言っているような気がしてなりません。

 そこで、総務省に、きょうは副大臣お越しでございますが、三位一体ということで、総務省の立場で、副大臣の立場で、この同趣旨の質問に対して、総務省としてはどうお考えでしょうか。

山口副大臣 先ほど来、平野先生と大臣とのお話を聞いておりまして、なかなかごもっともな御議論だな、こう思っておったんですが、もう先生も御案内のとおり、二〇〇三で一つの方向性が出されております。地方分権を推進して義務教育に関する地方の自由度を大幅に高めるというふうな考え方のもとで、実は検討が進められてきたわけでございます。

 そうした中で、確かにこれまでは、地方自治体において、果たして教育というものに対して首長の皆さん方がどういうふうなお考えを持っておられるのか、あるいは住民の皆さん方がどういうふうな意識を持っておられるのかということでは、いろいろと問題もあったんだろうと思いますが、しかし、今の社会状況の中で、やはり教育をないがしろにするということはもう自治体として成り立たない、そういったことを考えておられる首長の皆さん方はおいででないだろうし、もしおいでても、あっという間に交代させられてしまうというふうな状況下の中で、やはり地方自治体もしっかりと教育を担っていくことができるんじゃないかという思いで、今回の三位一体改革の中で文科省に対しましても種々お願いをしてきたわけでございます。

 先ほど来の御議論のように、やはり教育というのはまさにこれからの国の根幹であるというふうな思いは私どもも同じように持っておりまして、そうしたことを考えながら、しっかりとこの三位一体改革、間違いない方向に進めていきたいと考えておるような次第でございます。

平野委員 なかなか本音をしゃべってくれないので議論がかみ合いにくいわけですが、では、さらに具体的なことを申し上げます。

 では、義務教育の根幹というのは、教員の給与本体だけが根幹なのか。これは基本的に私は間違っていると思います。私は、教員の給与だけを見ることが国の負担すべきことなのかと。この点については、具体論で言ったらどうでしょうか。

河村国務大臣 私もできるだけ本音で話したいと思いますが、本音で話すと開き直ると言われても困るのでありますけれども。

 これはなかなか、考え方によってはいろいろあると思います。しかし、さっきも私申し上げましたように、義務教育費国庫負担法の精神であります義務教育の機会均等とその水準を確保するという、この制度の根幹を守っていくという考え方に立ったときに、それはその部類に給与に関するもの全体、すべて含めて考えることもできると思います。

 しかし、その一番根っこのところということになれば、これは私は給与だという考え方に立っておるというふうに思っておりまして、給与本体だけがその根幹なのかと言われると、制度全体を維持するという意味において根幹という意味に私は考えておるわけでありますから、給与だって、本体だというのは狭い意味の給与であって、給与全体は手当とかなんとかも皆含めて給与だと言われれば、そういう考え方もあるでしょう。しかし、この給与を根幹と考えることによって、この制度、義務教育費のあり方、水準を維持して、そして立派な人材をつくっていく、そして教育の機会均等を守るんだ、このことはこれによってきちっと維持される、そういう意味で、義務教育の根幹は給与本体だ、これまでこういう考え方に立って今日進めてきておる、このように思うんです。

平野委員 水かけ論みたいになりますけれども、大臣、こういうことじゃないんでしょうか。中身のことは別にして国庫で負担する制度だけは残した、中身は何ぼ減らそうが、負担をする制度だけは残したから根幹は残っているんだという。

 私は、制度はどうでもいいんですわ。要は、国の責務においてやらなきゃならぬことをきちっとやっていますかと。義務教育費国庫負担制度、私はもうずっとこの制度が大事だということではないんです。実質、本当に真の意味の教育論に立った財源をきちっとキープでき得る制度設計が大事なんだ。

 今のをずっと聞いておると、聞いておるとというよりも、これは、過去の設立当初から、創設からずっと来て、昭和二十八年からずっと改正してきたこのグラフがあって、その都度膨れ上がっていっているときと昭和六十年から段階的に下がっていっているところとずっと分析しますと、これは、高度成長時代にはぶうっと水膨れのように上がっていって、だんだんと厳しくなったらどんどんずっと切っていっているんですよ、この制度上における負担の部分が。これは文科省、銭があるからどんどん上げるわ、銭がなくなったから下げていくわみたいなグラフですよ。これは違うんです。こんなやり方は、逆に言ったら、水増しして上げていったときの方が、文科省、無責任な処し方ですよ。

 当初決めた二十八年のところがしっかり、どんな状態でもこれが本来の趣旨なんだということで創設したんですから、これが、金額の大小は別にしても、こういう趣旨で設立したんだからこれをもってやっていくんだ。お金があるから、じゃぶじゃぶあるからどんどんふやしてあげましょう、なくなったから減らしていきますわ、設立当初よりもさらに減らしていく、それで根幹を守っている、こんな理屈はこのトレンドを見る限り絶対に言えないと私は思うんですが、どうでしょうか。

河村国務大臣 そういう御指摘、考え方、私もそれがわからないわけではありません。そういう考え方をする、そういう考え方に立てばされるだろうと。

 しかし、当時それからバブルのときとか、いろいろな状況があって、国の財政状況から地方自治体の体制、こういうものもどんどん変わってきておるわけでありまして、その都度いろいろな見直しをやってきたわけでございますので、この制度をつくったときの基本的な理念といいますか、教育の水準を維持しよう、それからすぐれた教職員を確保しよう、この考え方が一番基本にあってこれまでやられて、その後いろいろな見直しが行われてきて、今ここに至って、さあ根幹どうするんだ、こう言われております。

 この給与本体を初めとする根幹のところ、これはやはり、これまでのこの負担法の精神、これを創設した当時の理念を守っていくために必要である、守っていかなきゃいかぬということから今日に至っておるわけでありますから、大きな広い意味の考え方、しかし、一番詰めていったときの考え方、そういうことからいけば、私はこの理念というものはきちっと守ってきておる、このように思うんです。

平野委員 守っている、こちらは守っていないじゃないか、この溝はおさまりそうにありませんが、もう一つ言います。

 守っているということでありますが、では、この法案における費用負担の見直しを導いていくための役割分担の見直しは、どのような役割分担をしているのか。すなわち、自由度の拡大や権限移譲に伴って実施される費用負担の見直しになっているのか。費用負担の見直しはこういう提起がありますからわかりました。役割分担の見直しというのはどこから引っ張ってきているのでしょうか。私はやはり財源と役割とが一対でないと本来いけないものだと思っておりますから、役割分担の見直しというのはどういうふうに見直されたのでしょうか。

河村国務大臣 今回の見直しで一番求められておるのは、地方分権に対応して地方の自由度をいかに高めるかということにあるわけですね。

 そこで、今日のこれまでの義務教育を含めて教育のあり方、特に国立大学を法人化したというのも一つの大きな見直しでありますが、それに伴いまして、義務教育費の給与のあり方についても、これまではすべて国で細部にわたって計算をしたという面がありましたが、今度はいわゆる義務教育費国庫負担法の根幹を守りながら、地方において都道府県が裁量を発揮できるようにということで、今回、この見直しに当たって総額裁量制という考え方を入れた。これによって、根幹を守りながら、そして、役割分担といいますか、自由度を増すということで役割分担を見直していこうという考え方に立っておるわけでありまして、こうした見直しによって、私は、御指摘のように、費用の分担のあり方と同時に役割分担の見直しということも一体となって今回まさに取り組もうとしておる、こういうことだと思います。

平野委員 今、自由度ということで総額裁量制、こういうことも御発言ありましたが、これは本法律案の成否にかかわりなく、政令事項で決めることですから、全くこの法律の改正に基づく部分での役割分担でも何でもない。政令で変えられるんですから、この法律に関係なく。政令事項ですよ。この法律案とは違うんです。したがって、また退職手当と児童手当を国庫負担から削る、こういうところと総額裁量制とのかかわりというのは、私は、そういう意味ではかかわりのない議論だと思います。

 したがって、役割分担の見直しに伴う費用負担の見直しというのは、大臣おっしゃいましたけれども、地方分権改革の一環であると。こういうところは私は否定はしませんが、しかし、本質論は、結果的にはそういう理屈づけをしているだけにすぎないと私は思うのであります。

 この国庫負担の削減は、結局のところ、教育の役割分担、地方分権の姿を本当に描いて、それに基づいて、教育の負担はこうあるべしという理念に基づいて描かれた制度設計になっていないと私は思うのであります。いわゆる三位一体改革という流れの中での補助金の削減のつじつまを、どのような理屈づけをして削減してつじつまを合わせるか、こういうことだと私は思うのであります。すなわち、数字を合わせた財政論が今日のこの法案の改革になっていると思えてならないのであります。

 改めて、教育論から本当に検討してもらったのか、総務省と文部大臣、両方お聞きをしたいと思います。

河村国務大臣 総務省もそのことをお考えと私は思っておりますから、また後ほど副大臣の御意見を聞くとして、文部科学省、文部科学大臣といたしましては、やはりこの義務教育費国庫負担法のあり方、この基本的な根幹をきちっと守るという観点に立ってやっておるわけでありますから、当然、退職金等、児童手当も含めて移譲するということであれば財源が確保されるという前提に我々は立っておるわけであります。

 それが崩れたなら、これは、地方負担がそれによってふえるということであったら全く意味がなくなるわけでありまして、こういう前提に立って、それでないと実際に我々の考えている負担法の精神も生かされないことになっていくわけでありますから、それは当然のこととして、地方分権のあり方として国の全体で考えるということであれば、総務省また財政当局も含めて、その前提に立ってこれは行われるということで、我々は、そういうことであればこの国庫負担法の精神は守られていくだろうということでこういう方向を打ち出した、こういうことであります。

山口副大臣 今、河村大臣の方からもお話がありましたが、私どももそうした思いは同じなんですが、同時に、先生御指摘の例えば退職手当等々ということになりますと、必ずしもこれは地方の自主性を拡大するというふうなことにはなかなか直結をしない。同時に、御案内のとおり、我々の年代が退職をするにつれて金額がまた大きくなってしまうという問題もこれまたありまして、特に、こうした問題に関しては、地方の方から、これは負担転嫁じゃないかというふうなさまざまな御意見等々もございます。

 そうした状況の中で今回のさまざまな措置に至ったわけなんですけれども、結局は、十八年度末までに給与費全額の一般財源化について検討を行うというふうなことにもなっておるわけでございまして、今回のさまざまな措置というのも、もろもろの思いはあるんですけれども、やはり三位一体改革という意味では一定の前進をしたものじゃないかなというふうには思っております。

平野委員 総務省の立場では、もともと退職手当については含めるべきでないと麻生大臣が発言をされているペーパーもございます。しかし、妥協の産物として今回含んだということは、結局は、三位一体改革、一体どれだけ削減するかということが先行しての財政論の数字合わせではないんでしょうか。もともと、自由度を増さないからこんなのだめよと言ってきたのが総務省の立場だと僕は思うんです。だけれども、結果的には、結論としては十八年度というところに先送っちゃって、今年度は数字を合わせてこういうふうに決着を見たということじゃないんでしょうか。真の教育論から出てきた財政確保の議論では私はないと思いますが、その点どうでしょうか。

河村国務大臣 今回の国庫負担制度改正、数字を、退職金、まあ、そういう意味ではつけかえになるんでありましょうけれども、しかし、この場合に、この見直しによって退職金がああいう形になっていく、そうするとこれを一般財源化するということになる、そういうことによって、国庫負担制度の目的に照らしたときに支障が生じるかどうか。私どもの方は、これは支障は生じない、こういう判断をしたものでありまして、そういう観点から、根幹を守りながら、そして同時に地方分権の方向にも我々は、協力といいますか一緒に考えて、地方分権の重要性をかんがみてその方向にとっていくということで、この負担制度の根幹は支障は生じないのだという考え方に立ったということであります。

平野委員 そうおっしゃるならば、もう少し深めていきましょう。

 制度の見直し、これは六十年以降ずっとやってきている、十回の制度見直しをしているんですね、こういう段階的ですから。したがって、平成元年ぐらいからずっと来て、こんな古い話まで持ち出すととんでもないことになりますから、ここ一、二年のことでもう少し現実論を御質問したいと思います。

 過去の改革の現状でいきますと、段階的に縮小されてきた、しかし、何らかの格好で措置をしている。これは多分交付税で措置をして補ってきているだろうと思うんですね。昨年度の場合におきましても、二千四百億円の国庫負担削減分、これについては、暫定措置によって結果的には八分の七までですか、財源手当てをされたということでありまして、かわりに、その結論としては、非常にわかりにくい所得譲与税が二千五十一億手当てされた、こういうことになっているんですね。

 そうすると、交付税措置で対応したということでありますが、昨年あるいはその前でも結構ですが、積算根拠をどういう形でもって交付税措置で対応したのでしょうか。交付税措置でやっていますから具体論はわからないということになりませんか。

岡本政府参考人 お答えをいたします。

 共済の長期の費用につきましては、昨年の取り決めに従いまして交付税で一般財源化をし、半額を特例交付金、半額を交付税で対応いたしておりますが、この分につきましては、教職員数を単位費用といたしまして、そこに共済の長期の費用をカウントして入れております。

平野委員 そうすると、これは、地方自治体によってでこぼこ起こらずに、結果としては完全にその部分が確保されているというふうに認識できますか。

山口副大臣 お話しの件は、保育にかかわる所得譲与税の件でも各地方団体からさまざまな御不安が出ておりまして、そこら辺は、確かに人口によって予定特例交付金も配分をされていくわけでありますけれども、その退職手当等にかかわる国庫負担金の減少額とは、各団体、これはどうしても多少の違いが出てまいります。その分に関しましては、しっかりと地方交付税の基準財政需要額に入れさせていただくということで担保させていただきたいと思っております。

平野委員 そういうスキームでやるんでしょうけれども、例えば教材費でありますとか教職員の旅費の問題でありましょうとか、こういうことを合わせてみますと、措置率というんでしょうか、これが非常にばらつくわけであります。

 そうすると、一〇〇%行くところと行かないところと、地方公共団体によって物すごくばらつく。これは本当にしっかりと減額した部分を担保したということになっていくのでありましょうか、実態的に。

岡本政府参考人 お答えをいたします。

 先ほどお話ございます、過去の例えば教材費でございますとか旅費でございますとか、そういうものの費用につきましては、先ほど申し上げましたように、交付税の基準財政需要額の算定の中で、平均的な、標準的な団体をベースに算入をいたしているわけでございます。

 また、今回の退職手当の額につきましても、先ほど副大臣からお答えさせていただきましたように、その全額それからその所要額を、職員の退職数に応じまして、現在の特例交付金の額を差し引いて、その分を交付税の基準財政需要額に算入いたしますので、退職手当の所要額はそれぞれの団体で確実に措置されるということに相なるわけでございます。

平野委員 措置されると言われていますが、実際、措置率が変わるということが、私、でこぼこになっているんじゃないかということなんですよ。算定基準が変わるんですから措置率が全部変わるじゃないですか。一〇八措置しているところや七〇で終わっているところや、いろいろでこぼこ起こるじゃないですか。

 交付税交付金で措置をする、こう言っておるけれども、本来だったら、そんなでこぼこ起こらずにきちっと担保されて送られるものが、画一的にぱたっと措置されるんじゃなくて、でこぼこでされるわけでしょう。金額がばらばらになりませんか。金額の絶対値はばらばらでもいいんだけれども、措置率が一〇〇%でないと本来いかぬのじゃないでしょうか。

岡本政府参考人 先ほどお答えいたしましたように、交付税で措置をする場合は、標準的な団体の退職者数を踏まえてやるわけでございますので、年度によっては個々の団体ごとにはばらつきは多少は生じます。しかし、それを全体として平均で見れば、それは一〇〇%措置をされているというふうに言えるのではないかと思います。

平野委員 そこで、もう少し別の観点で質問します。時間が押してきましたから入ります。

 附帯決議をずっとつけてきているわけですが、私、平成元年からの附帯決議すべてを掌握したわけでありませんが、附帯決議の持つ、委員会で一致をして附帯決議をつけていくこの重みは、大臣含めて、この法律を、実際、施行、実施をしていく文科省としての附帯決議に対する認識は、どういう認識なんでしょうか。

河村国務大臣 平成十五年三月十四日に、この委員会で附帯決議をいただいております。「義務教育について国はその責任を適切に果たすため、地方の自主性の拡大という視点に配慮しつつ、義務教育費国庫負担制度を堅持し、地方の財政運営に支障を生じることのないよう適切な措置を」講じよ、こういうことでございまして、私もこの立法府としての決議というものは重く受けとめております。

 今回、国庫負担の対象経費を国が受け持たなきゃいけない部分に限定するということで、今日こういう法律を出させていただいておりますが、これも、国庫負担対象外としても、ここに御指摘がありますように、義務教育費国庫負担制度を堅持するという点において支障は生じないという判断をいたしたものでございまして、ただ、地方の自由度といいますか、地方の自主性の拡大という視点に配慮しろ、これは、総額裁量制という考え方でこれにきちっとこたえていきたいということでございます。

 地方の財政運営に支障のないようにということは、総務省おっしゃるように、交付税の中できちっと措置をしていただく、これはその前提に私自身立っておるわけでございまして、この決議をきちっと重要に受けとめて対応しておる、このように考えております。

平野委員 附帯決議というのは、やっぱり有効に働いているというふうに理解していいんですか。過去、これはずっと附帯決議がついているんじゃないでしょうか、平成七年、六年、五年、四年、三年、元年。これは、全部附帯決議、私、検証しておりませんが、文科省、一番わかっておられる人、附帯決議、ついていませんか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 今、手元に全部を持ってきておりませんけれども、これまでの法改正等におきまして、当委員会におきまして附帯決議がついている、このように承知をいたしております。

平野委員 それでも、大臣、制度は堅持されて今日まで来ている、なし崩し的に崩れていって荷崩れを起こしているけれども、制度は根幹を守られているというふうに認識をしますか。附帯決議のついている流れの中でも、そういう認識に立ちますか。

河村国務大臣 この附帯決議の精神というものは、私は守られてきておるというふうに思いますね。

平野委員 精神論で言われると、河村大臣の人間性、僕は嫌いではありません、好きですからいいですけれども、今は現実の問題を言っておるんですからね、大臣。

 文科省のやってきたことは、決して僕は正しいとは思っていません。しかし、少なくとも、この委員会で附帯決議をする、このことを、委員会で法案修正されるよりも、附帯決議でお茶を濁したらもういいんだろう、議員の自己満足さえそこにあらわしておいたらいいんだろうという、附帯決議に対する軽視をしている傾向があるんじゃないでしょうか。

河村国務大臣 過去のいろんな附帯決議について私もつまびらかに覚えておりませんが、今回の附帯決議、これについては、私は、その精神といいますか、その考え方に沿って対応しておるというふうに思うわけであります。

 一番問題は、こうした制度をいろいろ見直していくことによって、教育を受ける子供たちといいますか、そういう教育の現場に支障を生じさせないということは、これは非常に大事なことでありますから、それを念頭に置きながら、我々としても、国の財政方向あるいは地方分権の考え方、いろんな考え方を取り入れながら、判断といいますか決断をしておるわけでございまして、そういう意味では、私は、決して、この附帯決議によって、本音を申し上げますと、文部科学省が考えている、この国庫負担制度を守っていかなきゃいけないということをむしろ支えていただいているという思いで、この決議に沿っているというふうに思っております。

平野委員 時間が来ましたから、少しポイントを絞ります。通告をしている部分は飛ばしますが、附則の第二条についてお聞きをしたいと思います。

 この法律案の附則第二条について伺いたいわけですが、義務教育費国庫負担のあり方について、平成十八年度末までの検討の状況並びに社会情勢の変化を勘案し、必要があると認めるときは、必要の措置を講ずる、この条文がございます。

 これは、義務教育費国庫負担制度をさらに削るという意味なのか、あるいは廃止をするということなのか、あるいは、もっと逆に言えば、もとへ戻すという意味なのか、この附則の持っている意味合いの解釈が非常にわかりにくい。改めてすっきりした解釈を出してください。

近藤政府参考人 お答えをいたします。(平野委員「簡単でいいです」と呼ぶ)はい。

 これは、今回、本則におきまして、退職手当、児童手当を国庫負担の対象から外したわけでございますが、昨年十二月の三位一体改革に係る政府・与党協議会の決定を踏まえまして、今回の退職手当、児童手当に係る措置につきましては、政府として、義務教育諸学校の教職員の給与等に要する経費負担のあり方に関する平成十八年度末までの検討の状況並びに社会経済情勢の変化を踏まえつつ、必要に応じ、その時点で適切な措置を講ずる、こういう趣旨を規定したものでございます。

平野委員 質問に対して答えてくださいよ。

 要は、この附則の意味は、さらに削ることも含んだ附則なのか、廃止をするということも含んだ附則なのか、さらには、もっと逆に言ったら、カレンダーを後ろに戻してもとのところにもっとふやしていくということも含めた附則なのかがわからない、読めないと言っているんですよ。

 だから、どういうふうに読むんですか。文科だけではなくて、総務省にも、この附則の持つ意味はどういうことなのかということを聞かせてください。

近藤政府参考人 この附則第二条は、「政府は、第一条及び第二条の規定に基づく措置については、」これは、退職手当、児童手当に関する今回の措置についてでございますが、これは、政府・与党の協議会の決定で、暫定的な措置とする、こういうふうに決められたわけでございまして、そういうことから、今後の義務教育諸学校の教職員の給与に要する経費の負担のあり方については、平成十八年度末までに検討することになっておるわけでございますから、そういった検討の状況あるいは社会経済情勢、国、地方の財政状況とか、税制改革の状況とかが想定されるわけでございますが、そういったものの変化を勘案し、そのとき必要があると認めるときには、この退職手当、児童手当に係る措置について所要の措置をその時点で講じていこう、こういう内容でございます。

平野委員 ちょっと時間がないんだけれども、では、私が言うから、イエス、ノーで答えてよ。

 理論的には、退職手当経費等を国庫負担に戻すということもこの附則の中にはあるんですか、そのスキーム、考え方は。イエスかノーかでいいです。

河村国務大臣 そのことは、戻すということは想定をしておりません。しかし、これも、考え方によっては、まだ経過措置ですから、そういう考え方も、それはとれないことはないと私は思います。しかし、我々は、これを踏み切ったことについては、それは想定しないでやっているということだけは申し上げておきます。

平野委員 総務省。

山口副大臣 先ほど来お話がありましたように、基本的に、昨年六月に閣議決定をした二〇〇三にこれは書き込まれております。

 実は、十八年度末までに所要の検討を行うということが閣議決定されておりますので、それにのっとりまして、そういった検討結果が明らかになった時点で、当該結果を踏まえて具体的対応を決定いたしたい、先ほど先生御指摘の、減らすのか全廃するのか云々というふうなことも含めて検討いたしたいという意味合いでございます。

平野委員 時間が参ってきておりますからあれですが、最後に一つ。

 東京都の場合には財源調整措置というのをやっているんですね。国庫負担二分の一を国がするということでなくて、東京都のときには、これを二分の一渡さずに調整しているんですね。これはどういうことなんでしょうか。財政力が一を超えているから二分の一せずにカットしている、こういうことなんでしょうか。簡単に答えてください。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 義務教育費国庫負担法は、基本的に教職員給与費等の実支出額の二分の一負担を原則としておるわけでございますが、特別の事情があるときには各都道府県ごとの国庫負担額の最高限度を政令で定めることができる、こういたしておりまして、東京都につきましては、義務教育費国庫負担制度の創設以来、財政力の格差を勘案いたしまして、ほかの道府県とは別の算定方法で国庫負担額の最高限度を定めている、こういう趣旨でございます。

平野委員 時間が参りましたので終わりますが、私は、今回のこの法律の改正につきましても、本当に義務教育は、国庫負担制度でやろうがどうかは別にしても、しっかりと国が守っていかなければ、あるいは財政についても担保していかなければならないと思うんですね。それを余りにも財政論からやり過ぎている。真の意味の教育論から、あらゆるものを削っても、これからの二十一世紀の日本の国を育てていく、その人材を教育していく、そういう基幹からすると、私は、今回の制度設計、スキームはとんでもないことをしているような気がしてなりません。百年の大計を考えますと、もっとこれからの日本の国のあり方をしっかり考えた上で、人についてもっと投資をしていく、米百俵の精神が本当に生きていない、三位一体ではない、三位ばらばらの改革である、私はそういうふうに認識をしているところであります。

 私は、そういう意味では、尊敬する河村大臣でありますから、もっと体を張って、今までの考え方ではなくて、しっかりと教育に費用も人材も充てていく、こんな教育政策を遂行していただくことを心よりお願いをし、私の質問を終わります。ありがとうございました。

池坊委員長 山際大志郎君。

山際委員 どうもありがとうございます。自由民主党の山際大志郎でございます。

 基本的には、文部科学行政は、野党とか与党とかという枠にはとらわれないものじゃないかなと、私も今、平野議員のお話を聞いていて思いました。

 ちょっと毛色を変えて、御質問というか提案をさせていただきたいんですけれども、きょう、委員長がきれいな赤い服を着ていらっしゃって、後ろのつい立てが白だから言うわけではございませんけれども、国旗・国歌法がございますね。これは、学校では国旗を掲揚して国歌を歌うということが行われているわけですけれども、国会の委員室を見ても、どこにも国旗はないんですね。やはり立法府として、日本の国の最高の機関なんですから、これはどこかにしっかりと掲げるということはやるべきなんじゃないか、このように思いますので、まず冒頭に提案させていただきたいと思います。

 それから、その次に、今問題になっております鳥インフルエンザの問題に絡みまして少し御質問させていただきたいと思います。

 実は、この鳥インフルエンザの問題は、風評被害も非常に大きな問題になっていることは皆さん御存じのとおりですけれども、事学校、特に小学校におきましては、学校飼育動物として鶏、チャボ等々を飼っているという現実があろうかと思います。そして、この学校で飼育されている鶏、家禽が、今、風評被害に遭って非常に危機的な状況に陥っているということは、新聞等々でも報道されておりますし、私が地元に帰りましても、各学校の先生方から相談を受けるような事案でございます。

 一番たちがいいのは、生徒が今まで世話をしていたのをやめて、これを先生が世話をする、このようなことになっていますけれども、一番たちの悪いところでは、率直に、殺してくれとか、あるいは保健所に引き取ってくれとか、このような要請が、事実、出されているという現実がございます。これを何とかしなくてはいけないわけですけれども、実際には、正しい知識を教師も持っていない、もちろん生徒も持っていない、学校の長たる校長先生も、恐らくこの鳥インフルエンザのことに関してはほとんど知識がない。となると、これは専門家からちゃんとしたレクチャーを受ける必要がある。

 ところが、この専門家は、私が獣医出身だから言っているわけじゃないですけれども、学校と獣医師とかがかかわり合いを持つ、そういった法整備があるのかというと、今現在ないのが現実です。ですから、個々の学校が、鳥インフルエンザの問題に限らず、地元の獣医さんとコネクションを持って、それでいろいろなことを相談しているというのが現実なわけです。

 これは非常に危ういんではないか。やはり今回の一件を機に、しっかりと、学校と、それから学校が飼育している動物を管理する専門家である獣医師とをつなぐ法整備というものをするべきではないか、このように私は思うんですけれども、その点についての御所見をお伺いしたいと思います。

河村国務大臣 山際先生、さすがに、獣医師だから言うわけじゃないとおっしゃいましたけれども、その見地に立って、私は、非常に今の時期に大事な御指摘をいただいた、こう思っております。

 子供たちにとって、動物を飼って、そして、いわゆる生き物に対する慈しみといいますか、そういうことを通じて豊かな人間性をはぐくんでいく、そういう意味で、私は、ほとんどの学校が何らかの動物を飼っていると思いますね。これを大切にしていくということをきちっとやはり教育の中に生かしていかなきゃなりません。

 こういう事件、こういうことが起きたものでありますから、鳥なんというのはもう全部大変なんだ、こう思い込んで、過剰反応してもらっても困るわけでありまして、こういうときにどういうふうに処置をするかということもやはり一つの教育になるわけでありますから、先生方はそういう思いでこの問題に対応していただく、そのためには、おっしゃるように、専門家である獣医師、動物病院等々とも相談をしながらやっていただくのが大事じゃないかと思います。

 これは、おっしゃったように、ちゃんとやっているところ、そうでないところがありますから、ちゃんとやっているところの例をもとにしながら、全国でそういう対応をしていただくように、我々としても、全国の教育委員会に改めてそういう通達なりを出して、そうした取り組みをやっていただくようにしたい、こう思っております。

 獣医師と学校の連携をとることは私も必要だと思いますし、私の方にも、ちゃんとやっているところはいいけれども、ウサギなんかを飼っているところはもう非常に汚くて臭くてというところがある、あれでは逆効果だ、こういう指摘も受けておりますので、こういうことをこの機会にといいますか、災いをもって福となすといいますが、こういう機会にそういう対応をちゃんとしてまいりたい、このように思います。

山際委員 ぜひお願いしたいと思いますが、それに絡みまして、もう一歩踏み込んで、二十一世紀ということを考えますと、あらゆる意味で生き物が共生をする世紀であることは、これは間違いないわけです。この共生というものがうまくいかない限りは、二十一世紀、人類だってうまく生きていくことはできないわけです。

 となると、この共生の中のキーワードとして、私はやはり命だと思うんです。命の大切さというものがきちっと認識できる、そういった人間をつくっていくということが教育の根幹にあると私は思うのです。ところが、今核家族化というのが随分進んでいて、そして、この核家族化に従って命というものに直接触れる機会というのが非常に減っている現実があります。

 一つだけ例を挙げますと、昔は、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、あるいはまた兄弟もたくさんいる中で子供は育つわけです。当然、同じ家の中でお年寄りがいれば、いずれそのお年寄りはお亡くなりになる。そのお亡くなりになったお年寄りのことを見て、初めて、命というものはどういうものなのか、あるいは死というものはどういうものなのか、こういうことを自然に人間は体感して、実感して、それを身につけてきたんではないかと思うのです。

 ところが、今核家族化が進んでいますから、当然、おじいちゃん、おばあちゃんとはそもそも一緒に暮らしていない。おじいちゃん、おばあちゃんは、元気なときは別々に暮らしていて、少し年をとってくると老人ホームに入ってしまう、施設に入る、病気になれば病院に行く、それで病院でお亡くなりになる。そうすると、子供たちは命というものにじかに触れる機会が余りに少ない、私はこのように思います。

 さらに言うと、食べ物にしてもそうです。例えば、狂牛病の問題や鳥インフルエンザの問題等々が今出ておりますけれども、牛を見たときに、牛から牛肉がちゃんと連想できるか、鳥を見たときに、鳥から鳥肉が連想できるのか。今の子供たちに聞くと、恐らく連想できないです。肉はどうやってつくられるか知っているかい、お肉屋さんがつくるんでしょう、スーパーがつくるんでしょう、こういう答えが普通に返ってきます。

 これはやはりおかしいわけでして、こういうところもしっかりと教えていかなきゃいけない。私は、こういうことも包括的に見たときに、やはり命の大切さを教えるのに動物を介在させた教育というのはこれから絶対に必要になってくると思うんです。

 そこで、先ほどの質問とリンクするんですけれども、動物介在教育をやろうとするならば、当然、その動物が適正に飼われなくてはいけない、それも管理をしていかなくてはいけない、あるいは動物とのかかわり方というものも教えていかなきゃいけない。先ほどの話と同じで、通達とかというレベルではなくて、やはり獣医師と学校とがしっかりと結びつけられる、そういった法整備を早急になすべきだと私は提案させていただきたいと思いますので、どうぞこれはお考えになっていただきたいと思いますが、何かありましたら。

河村国務大臣 大変大事な御指摘だと思います。そのとおり我々は努力したいと思います。

 文部科学省が、委嘱研究といって、日本初等理科教育研究会というところが出しているんですが、「学校における望ましい動物飼育のあり方」、こういう手引も出しておりまして、これはどうももう一つ関心が低かったと言われておりますが、今回のインフルエンザの問題でこれが必要になってきているというので、非常に引っ張りだこになってまいりました。

 さっき申し上げましたように、この機会にそういうことを徹底していきたい、こういうふうに思います。

山際委員 ぜひよろしくお願いいたします。

 それと、肉の話ばかりで恐縮なんですけれども、今度は学校給食の話です。

 実は、これは通告で出していないんですけれども、きのう、地元の方と少しお話ししていましたら、学校給食の中でいまだに牛肉を使っていないと言うんです。もちろん、鳥インフルエンザが出ましたから、鳥肉も使っていない。それじゃ、どうやって給食をつくっているの、いや、豚肉ですと平気で言うわけですね。

 狂牛病の問題、BSEの問題では、あれだけ全頭検査をやって、安全だ、安全だと。今、消費のグラフを見たって、牛肉の消費量というのはもとに完全に戻っている。アメリカでBSEが出ましたけれども、少しダメージがあるとしてももとのレベルには戻っている。それで、聞いてみましたら、全国でまだ八百校も牛肉を給食に使っていない、そういった学校があるんだという話ですよ。鳥インフルエンザに関して、また出ましたから、これまた鳥肉も使わない。こんなような話になってくると、幾ら何でもそれはないんじゃないかと。

 やはり、きちっとした科学的なデータに基づいて安全だということを政府が言っているのであるならば、当然、給食の中にもこういったものも使うように徹底的に指導していく必要があるんじゃないかと思いますし、またそれを使って食の安全というものを子供たちに教えていくということも必要なんではないかと思うんですけれども、この点について何かございましたら、よろしくお願いいたします。

河村国務大臣 鳥の問題、また牛肉のときもそうでありますが、その都度、我々としては的確な情報を各県の教育委員会に出しておりまして、特に鳥について言えば、食物を介して人に感染した例はありませんよということ、それから、七十度以上加熱すれば安全であるというこれまでの厚生労働省から来ております知見をもとにして、あとは各教育委員会がどういうふうにされるか。

 PTAの皆さんとも相談されたりしてどうしてもという地域もあるように聞いておりますが、できるだけこの情報に基づいて判断をしていただこう、こういたしておりまして、今なお牛肉をまるでということが子供の健康上考えてどうなのかとかいうことについても、それぞれの県の教育委員会、さらに市町村の教育委員会で適切に御判断をいただきたい、こう思っております。

山際委員 現実問題として、給食に牛肉も鳥肉も使っていないという学校が厳然としてあるわけですから、これはしっかりとやっていただかないといけないんじゃないかな、このように思います。

 少し話題を変えまして、今の日本の教育のあり方というもので、財政論が随分と今言われておりましたけれども、そもそもの財政論の中で、諸外国の中において日本の教育費というのは決して高くない、要は一国の予算に占める教育の割合というのは決して高くないということは、これは皆さん御存じのとおりです。

 私、ここに持ってきたデータを見ましても、これは対GDP比ではありますけれども、イギリスとアメリカとドイツとフランスと韓国と日本、このように並んでいて、殊に高等教育でいうと、GDP比でアメリカの半分、アメリカが一・一%、日本は〇・五%、これがデータとして出ているわけですね。

 それで、河村大臣もおっしゃっているように、これから日本の生き残っていく道は一体どういう道なの、こういうふうに話をすると、日本は国土は狭いし、資源もほとんどない、そうすると、人的資源、我々人間以外には資源と呼べるようなものはほとんどないじゃないか、だから人間をきちっと育てていく、人材育成が必要なんじゃないか、教育が一番重要だというのはそこにあるんだ、これは皆さんおっしゃっているわけですね。

 実際にこれが数字に全然あらわれていない現状があって、日本がアメリカぐらいに豊かに何か資源でもある国ならいいですけれども、何にもないのに、なおかつ教育費には余りお金が使われていない。そして、義務教育費の国庫負担金を今度一般財源化しちゃうかもしれないという議論が今起こっているわけでして、ここでまたそんなことをやってしまって、本当に、二十一世紀、国際競争社会をきちっと生き抜いていく日本人をつくることができるのか。これはもう与党とか野党とか関係ないと思うんですね。本当に、これは危機感を持たない方がおかしいと思うんですよ。

 この現実を目にして、同じような質問になってしまうんですけれども、もう少し財務省にかけ合って予算をとってくるというようなことは現実問題としてできないのかどうかということ。GDP比で少ないじゃないか、やはり国際比較としてもう少しふやすべきじゃないか、これぐらいまではできないものかということを少しお伺いしたいんです。

河村国務大臣 日本の義務教育、特に初等中等教育、これをこれまでも重視してきて、今日の国づくりに大きく貢献してきた。しかし、現実にこうした数字が出ているということを私も承知をいたしておりまして、おっしゃるとおり、財政論ではなくて、むしろ教育論から予算を確保しなきゃいかぬと常々思っておるところでございます。

 財務当局とこの問題も当然そういう観点に立ってやるのでありますが、もともと国によってさまざまな条件が違うんだ、公財政支出のあり方あるいは教育制度のあり方が違うんだ、一概にそのとおりにはなりませんという話がいつも出ます。出ますけれども、しかし、諸外国との比較を考えればそういう数字になっておりますから、やはりもっと我々が重視をしていくという姿勢、私は非常に大事だと思いますし、この点については、この委員会の皆さんにも御支援をいただきながら最大努力をしてまいりたい、こういうふうに思います。

山際委員 大臣、ありがとうございました。

 次に、総務省の方に質問したいんですけれども、先日、本会議の中で総務大臣から、平成十八年度までに義務教育の国庫負担金の給与の本体部分についても包括的に検討するんだというような発言がありました。これを聞いて私も非常に暗い気持ちになったんです。

 その後、二月の二十六日の衆議院の総務委員会の席での麻生総務大臣の発言の中に、「そもそも義務教育はというそもそも論からちょっとやっていただかないと、ただただ銭金だけの話だけでやるのは極めて危険という形になろうと思いますので、この点につきましては、慎重に検討を重ねていってしかるべきところだと思っております。」こういった、聞くと余りよくわからないような発言が出ているわけですね。

 その後にも、「やっと義務教育についての意見がいろいろなところから出始めたところだと思いますので、これはことし一年かけて、文部省等々いろいろなところでこれは検討をされてしかるべき問題でして、何となくお金の話だけで義務教育に手を突っ込むというのは危険かなという感じが私は実感としてはございます。」こういう答弁でございます。

 そこで、私は、これを文部科学省に聞けば、当然返ってくるのは、根幹は堅持しますという答えしか返ってこないので、総務省にあえて聞きたいんですけれども、総務省はこの大臣の答弁というものを受けて、ここの部分は一般財源化しない、このように明言できるのかどうか、あるいはどういう方針なのか、これは重ねての質問になるかもしれませんけれども、これをはっきり答えていただきたい、このように思います。

岡本政府参考人 お答えをいたします。

 義務教育費の国庫負担制度につきましては、先ほども山口副大臣からもお答えさせていただきましたが、骨太の二〇〇三におきまして、「地方分権を推進し義務教育に関する地方の自由度を大幅に高める」という考え方に立って検討するというふうに決定されているところでございます。

 その際、昨年の経済財政諮問会議でも、麻生大臣から、全国知事会の税源移譲の上全額を一般財源化するというような提言も踏まえまして、国は教育制度の根幹や全国的に確保すべき大枠を定めて、具体の実施は地方団体がそれぞれの地域の実情に照らして創意工夫を凝らす、そういう具体の教育サービスを提供していくという地方の自主性を拡大するという観点から、全額税源移譲によって一般財源化を図ることが必要だというふうに、諮問会議でもペーパーを出して表明をさせていただいているところでございます。

山際委員 恐らくこの議論はしていても不毛なものでしょうからこの辺でやめますけれども、しかし、知事さんの中には、今回総額裁量制が行われることによって随分地方も自由度が増してきたじゃないか、だから何もやみくもに地方にすべてを移譲してもらう必要はないよ、このようなことをおっしゃっている知事さんも何人かいらっしゃると思いますし、そういった考えもしかるべきかなと私は思っておりますので、ぜひこの問題、本当に国の根幹にかかわりますから、総務省の今のお答えで納得できるようなものではないですけれども、強く働きかけを大臣初め文部省の方にはしてもらいたい、このように思う次第でございます。

 次に、三位一体の改革というのが地方の自由度を増すんだということでいえば、まさに今回の、財政論ではなくて、総額裁量制という形で地方に自由度を持たせるというのは、私は非常に評価をしたい、このように思うわけですけれども、実際にこの制度の中で具体的にどこの部分をこうするからすごく自由が増すんだよというのが、いま一つぼけちゃっている部分があると思うんです。なので、ここの部分、ポイントとしてこれが目玉だよというようなのをもう一度説明していただければと思います。

原田副大臣 総額裁量制の話でございますけれども、その前提として、義務教育費国庫負担制度、これについては先ほどの平野議員の議論のときにも掘り下げて議論されたところでございます。義務教育費国庫負担制度は、教育の機会均等、教育の水準をしっかり確保する、そういう観点から、戦後、昭和二十八年にでき上がった制度でありますけれども、それよりもはるか早く、戦前から、国がしっかりその部分を負担せにゃいかぬ、こういうことから確たる教育制度としてでき上がっておるところであります。

 私ども文科省としては、当然のことながら、先ほどの議論がありましたように、この義務教育費国庫負担制度の根幹をきちっと維持しながらも、なお時代の流れでございます地方の自由度を大幅に高めるという観点から、この制度を新しく導入することとしたところでございます。

 具体的には、義務標準法、これに基づいて職員の数をしっかり確保する、また、人材確保法等に基づきまして給与をしかるべき水準に維持する、こういう観点から、従来はそれはきちっと決まっておったわけでありますけれども、その総額は国からきちっと確保する、あわせまして、その使い道については都道府県の裁量を十分に確保する、こういうことでございます。教職員の給与やその職員の配分、こういうものについて裁量を拡大する、こういうことであります。

 我が省としては、それぞれの要請、すなわち教育の水準を維持する、あわせて地方の自由度を高めるという観点から、この制度をしっかりと運用していきたいな、こう思っております。

山際委員 ポイントとしてどういうものなのかというのが、まあくっきりとは見えない気がするのは、私が頭が余りよくないからなのかもしれませんが、給料を少し下げて人数を多く雇えるとか、そういったようなことなのかなという理解でおります。

 ただ、こういった制度改革をしようとすると、当然これは混乱が起きることは必至でありまして、それでまた、特にお金を、下手すると丸投げじゃないかというような批判を受ける部分もあるわけで、それは人確法やら何やらで規定されているから大丈夫だという話であったとしても、これとセットとして、報告義務といいましょうか、きちっとした透明性を持った情報公開というものがセットとしてない限りは、やはりこれは私は危険だと思うんです。

 ここの部分についての説明というのが、どうもいつも説明を聞いていると出てこない部分があるような気がするんですけれども、この情報公開に関しての具体的な手だてというか方法はどのような形でやろうとお考えになっていらっしゃるのか、お願いいたします。

原田副大臣 先ほどの総額裁量制の具体的な活用でありますけれども、例えば、給与費を全体的に抑制して、その財源を活用して教職員を多く配置する、これによって少人数学級を実施するとか、非常勤講師、再任用教員等を多く配置することによって習熟度別少人数指導を充実させる、こういう意味で地方独自の学力向上が実現できる、こういうことを自由度を拡大するということで考えておるわけであります。

 あわせて、そのことがしっかり広報されなきゃならないというような観点から、総額裁量制の事前説明については、何度にもわたって、もう既に各都道府県教育委員会に対し具体的な内容について周知徹底を図ってきたところでございます。また、教育関係団体に対してもいろいろな会議等を通じまして総額裁量制についての説明を行ってきたところであります。まだまだその理解が進んでいない部分も現実にあるようでありますから、そのことについてはさらに努力を続けてまいりたい、こういうふうに思っております。

山際委員 済みません、質問の趣旨は実はそうではなくて、実施する地方自治体の方が情報を公開しないと、そうじゃないと、本当にそれが丸投げだという批判を受けないかということでございまして、実施する地方自治体にどうやって情報を公開させるかという方法論を教えていただければという質問なんでございますが、よろしくお願いいたします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 先生御指摘のとおりかと思っております。今回、地方公共団体の自由度を拡大するわけでございますが、当然それは責任の増大を伴うものであろうかと思っております。総額裁量制の導入後も、各都道府県におきます適切な教職員配置でありますとか給与水準が確保されるためには、やはり都道府県がみずからこの国庫負担金の使い道について説明責任を果たし、県民の理解を得ることが重要でございますので、私どもといたしましては、今後ともさまざまな機会を通じまして、積極的に情報公開を行うよう促してまいりたいと思っておりますし、文部科学省自身が得た情報につきましても積極的にできる限りのことはしてまいりたいと思っております。

山際委員 時間がなくなってまいりましたので、今の点、もう少しだけ。

 今のお話だと、地方公共団体は、これは文部科学省にはどういう形で総額裁量制の中身を使っているかということは報告の義務はないということなんですか。

近藤政府参考人 もちろん報告はあるわけでございますけれども、例えば、現時点におきましても、幾つかの県では、例えば教員の給料表別ですとか年齢別の教職員の数、あるいは平均給料の月額でありますとか平均経験年数等をホームページで公開をしている、こういうようなこともございます。

 さらに今後は、そういう意味で、自由度が拡大をするということは責任の度合いも拡大するわけですから、まずは都道府県においてそういった国庫負担金の使い道について十分県民の理解を得るように努力をしていただきたいと思っておりますし、また、私どもが得た情報の中で公開できるものにつきましては、また私どもの方もホームページ等において情報提供していきたい、こういう趣旨で申し上げております。

山際委員 わかりました。

 実は、池田小学校の後、いろいろな学校の現場での問題等々ありまして、それで、監視カメラをつけようじゃないか、監視カメラをつけました。でも、監視カメラを見る人がいないんですね。特に小学校の場合は、先生方が全部教室に出払っちゃっているので、監視カメラがついていたって、それを見ている人がいないなら何にも意味がない。そういう意味では、この総額裁量制を取り入れることによって少しそういった余裕も出てくるのかな、このように期待をするところでございます。

 いずれにせよ、一歩一歩でしょうけれども、先に進んでいかなくちゃいけない現状があると思いますので、これからもぜひよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 本日は、本案審査のため、参考人として、社団法人日本PTA全国協議会常務理事小野田誓さん及び国立教育政策研究所名誉所員・国立学校財務センター名誉教授市川昭午さん、二名の方々に御出席をいただいております。

 この際、お二方の参考人に一言ごあいさつさせていただきます。

 本日は、大変お忙しい中、本委員会にお出ましいただきまして、心よりお礼申し上げます。本案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序でございますが、小野田参考人、市川参考人の順に、お一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言はすべてその都度委員長の許可を得てお願いいたします。また、参考人は委員に対し質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、まず小野田参考人にお願いいたします。

小野田参考人 私は、社団法人日本PTA全国協議会で常務理事をしております名古屋市立小中学校PTA協議会会長の小野田と申します。よろしくお願いいたします。

 本日は、義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案に関して、私たちの意見を述べさせていただく機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。

 私たち日本PTA全国協議会は、子供たちの健やかな成長を図るためには、家庭、学校、地域がそれぞれの教育機能を十分に発揮し、ともに手を携えて連携していくことが不可欠との認識に立って、全国の一千百万会員が力を合わせて、二十一世紀を担う心身ともに豊かな青少年の育成を目指し、さまざまな活動を行っております。

 現在、国や地方にあっては、教育の構造改革の名のもとに、戦後最大とも言われる教育改革が進められており、私たちPTAも、このような取り組みに大きな期待を寄せるとともに、家庭や地域の教育力を高めるため、PTAとしての役割を果たそうと努めているところでございます。

 しかしながら、その一方で、一昨年来、いわゆる三位一体の改革として国庫補助負担金の見直しが行われており、義務教育費国庫負担金についても、この廃止をめぐる議論が行われていることに対しまして、大きな不安を持っております。

 きょうは、この義務教育費国庫負担制度についての私たちの基本的な考え方を述べさせていただきながら、この法律案に対する意見を申し上げたいと思っております。

 まず、義務教育費国庫負担制度についてでございますが、申すまでもなく、教育は国家の礎であり、その中心となる学校教育においてしっかりとした教育が行われることが大切であります。とりわけ、義務教育は、憲法上の重要な国民の義務であり、また同時に、憲法がすべての国民に対して保障している重要な権利でもあります。憲法第二十六条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とし、教育を受ける権利及び教育の機会均等、義務教育無償の原則を定めていることは御承知のとおりです。

 すなわち、この憲法の要請に基づいて、義務教育については、全国のどの地域でも、山間部や離島でも、人口の密集した大都市でも、すべて子供たちに無償で一定水準の良質な教育機会が保障されていなければならないものと考えております。

 このため、全国のどの地域の学校にもすぐれた先生が必要数確保され、子供たちにしっかりと向き合ってきめ細かい指導が行われるように、国が教職員給与費の二分の一を負担する義務教育費国庫負担制度が設けられているものと考えております。

 しかしながら、残念なことに、現在、この義務教育費国庫負担制度が危機にさらされております。この制度は、義務教育の実施主体である地方を国が支える制度であって、決して国が地方を縛る制度ではなく、実際にどのような先生を何人採用し、各学校に何人の先生を配置するかはすべて地方の判断にゆだねられていると聞いております。なぜか地方を縛るむだなひもつき補助金として一くくりにされ、さらにその金額が最も大きいことなどから、補助金廃止の議論の焦点になっております。

 この制度が廃止されれば、地方財政における義務教育費の確保が困難になり、教員数の削減による教育水準の低下や地域間格差の拡大のおそれがあり、特に財政基盤の弱い地方にしわ寄せが行くことは必至です。改革は大切でありますが、初めに廃止、削減ありきではなく、日本の子供たちの未来にとって何が大切であるかを大人の責任としてきちんと議論しなければならないと考えております。

 私たち日本PTA全国協議会といたしましては、義務教育費国庫負担制度をぜひとも堅持していただきたいと考え、昨年六月には、内閣総理大臣を初めとする関係者に対し、この制度の堅持を求める要望を行うとともに、十二月には、他の教育関係団体とともに緊急要請を行っております。

 義務教育費国庫負担制度に係る今回の見直しにつきましては、昨年六月に政府が取りまとめた経済財政運営と構造改革に関する基本方針二〇〇三を踏まえたものであり、政府全体として、国庫補助負担金について国として真に負担すべきものに限定していくという方針により、国庫負担の対象経費から退職手当と児童手当を除こうとするものと承知いたしております。

 この退職手当と児童手当につきましては、その性格において他の給与と異なるものであり、これを国庫負担の対象外としてもすぐれた教職員を必要数確保できるという判断をされたと聞いておりますが、一つだけ懸念されたことは、退職手当等に見合う分につきましてきちんと財源措置がなされるかということでございます。

 しかしながら、退職手当や児童手当に要する経費については、総務省が創設する税源移譲予定特例交付金によって、都道府県が支給するために必要な額の全額が措置されるということでありますので、その適切な運用を信じ、今回の法案につきましては、政府全体の方針に沿った措置として容認できるものと考えます。

 また、義務教育費国庫負担制度の改革として、平成十六年度から総額裁量制という制度が導入されると聞いております。説明を伺う限り、教職員給与費の二分の一を国が負担するという制度の大枠はあくまで維持した上で、負担金総額の範囲内でその使い道を都道府県にゆだねるものであります。これにより、教職員の給与や配置についての自由度が高まるとのことであり、私たちも、地方の実情に合わせたきめ細かな教育ができるということについて大きな期待を寄せております。

 鳥取県の片山知事が、これまで地方の自主性を阻害するとして批判してきた義務教育費国庫負担制度が総額裁量制により非常によいものになった、廃止にならないから改革が進んでいないというのではなく、本当に地方の自主性を増すような改革であればそれを評価して受け入れたらいいという旨の発言をなさっていると聞きました。まさにそのとおりだと思います。

 昨年十一月に、全国知事会として、この義務教育費国庫負担金の廃止を含む提言を取りまとめられました。私たちは、そのことに対し、強い危惧の念を持ったところでありますが、その後、総額裁量制の導入が明らかにされ、各都道府県知事のお考えも昨年とは大分変化してきたのではないか、片山知事の発言はその一つのあらわれではないかと少し安心しております。

 もともと三位一体の改革は、地方がみずからの創意工夫と責任で政策を決め、自由に使える財源をふやし、自立することができるようにすることにその目的があります。その意味においては、総額裁量制はまさに三位一体の改革の目的に沿ったものと言え、改革の名に十分値するものと考えられます。

 ぜひ、義務教育の水準に必要な教職員給与費の総額を確保しつつ、使い道を地方にゆだねるという総額裁量制を実現し、制度の充実を図っていただきたい。そうすることによって、義務教育費国庫負担制度の必要性について、都道府県知事、市町村長の理解が得られるものというふうに考えております。

 最後になりますが、現在、義務教育費に係る経費負担のあり方については、中央教育審議会において義務教育制度のあり方の一環として検討が行われているとのことですが、私たちが望むことは、中央からの高みに立った視点、統計上の数字だけではなく、離島や僻地の学校で学んでいる子供たち一人一人のことも忘れずに、慎重に検討を行っていただきたいということでございます。

 もとより、全国組織であります日本PTA全国協議会の立場からも、現行の仕組みを完全と言うつもりはなく、地域や学校の創意工夫を生かした教育をより一層可能にする柔軟な負担金制度に改革していくこと、そして教員の資質を一層向上させることは必要と考えますが、義務教育費を確保するという国の責任を放棄し、すべてを地方の責任に押しつけてよいというのは大きな問題ではないでしょうか。

 子供たちは、育ち学ぶ場所をみずから選ぶことはできません。教育政策を選択することもできません。夢ある子供たちの未来へ責任を持つことは、私たち大人の義務です。我々日本PTA全国協議会としては、義務教育費国庫負担制度をぜひとも堅持していただきたいと考えております。

 昨年十一月、全国知事会が三位一体の改革に関する提言を取りまとめるに当たって、梶原会長から、拙速でまとめなければならない旨の発言があったと聞いておりますけれども、国においては、決してそのようなことがないように、慎重に慎重を重ねて十分に議論をしていただいた上で結論を出していただくことを切に要望申し上げまして、私の意見を終わらせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

池坊委員長 小野田参考人、ありがとうございました。

 次に、市川参考人にお願いいたします。

市川参考人 ただいま御紹介いただきました市川でございます。

 本日は、義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案につきまして意見を述べる機会を与えられましたことを大変光栄に存じております。

 早速でございますが、最初にまず義務教育費国庫負担制度について私の基本的な考え方を申し上げ、次に法改正の目的であります国庫負担対象経費の見直しについて私見を述べさせていただきます。

 まず、義務教育費国庫負担制度でございますが、近年、この制度に関して各方面からさまざまな見直しの意見が出されていることは承知しております。私も私なりにいろいろ思案をめぐらせてきたわけですが、結局のところ、この制度は維持さるべきであるという結論に達しました。

 その理由は、改めて申し上げるまでもなく、憲法に規定されております義務教育を遺漏なく実施するためには、この制度が不可欠だと考えるからであります。それだけではなく、地方自治や思想、信条の自由などをあわせ考えますとき、この制度が適切と判断されるからであります。

 御案内のように、近代国民国家が円滑に機能しますためには、すべての国民が一定水準の教養を身につけることが必要であります。特に、自由主義的、民主主義的な国家であります場合には、このことが絶対必要条件となります。そうした国民的な教養を形成するためには、すべての国民に一定水準の教育を提供することが前提となります。全国どこでも、すべての国民に無償で一定水準の教育を提供するためには、国が義務教育のすべてを直接提供することが最も手っ取り早い方法であります。

 しかし、現在の制度は、教育の本質と地方自治の本旨を尊重して、国民の生活に最も身近な市町村が提供することを原則としております。また、思想、信条の自由に配慮して、私立学校による提供も認めております。すべて人間がつくった制度に完璧を期することはできませんから、義務教育費国庫負担制度に対してもいろいろ注文はありましょうが、一方で義務教育の水準維持と機会均等を確保すると同時に、他方におきまして地方自治や思想、信条の自由をも尊重する仕組みになっている点で、現在の制度はなかなかよくできており、これまで半世紀にわたって続いてきた、昭和十五年のいわゆる旧法から計算しますと六十年以上続いてきたわけでございまして、そういった永続性もこの制度がそれなりに安定性を持っているという証拠ではないか、こう思うわけでございます。

 次に、今回の義務教育費国庫負担金の負担対象の見直しについて意見を述べさせていただきます。

 今回の法改正では、国庫負担金の対象経費のうち、退職手当及び児童手当に要する経費を国庫負担の対象から外すこととしています。私は、今回の改正が苦渋の選択であるということはお察しするわけでございますが、率直に申し上げて、賛成はできません。

 その理由は、義務教育費国庫負担法は学校教職員給与国庫負担法ではないということであります。そもそも義務教育費国庫負担制度は、本来義務教育に要する経費全体を対象とすべきものであり、教職員の給与だけを対象とするものではありません。教職員給与は、金額的にも義務教育費の大部分を占めておりますし、教育は人なりという見地からいって最も重要な経費であることは確かです。しかし、現在の学校教育は教員だけで成り立っているものではありませんで、さまざまな職種の職員が必要とされております。また、施設設備や教材なども欠くことができません。

 義務教育費国庫負担制度は、これを鉛筆に例えますと、教員給与はしんの部分であり、その他の経費はしんを包んでいる木部の部分であります。しんさえあれば鉛筆でもボールペンでも書くことはできます。しかし、使いにくく、簡単に折れてしまいます。義務教育費もまた同じでございます。教員給与さえ確保できれば授業はできるかもしれませんが、決して満足のいくような学校教育はできません。これは、教室もなく教科書もなかった戦後のいわゆる青空教室のことを思い出していただければ明らかであります。

 義務教育費国庫負担については、諸般の事情から、枝葉の部分を切り落とすことはやむを得ない、根幹部分だけを死守すればよいという見解もあります。しかし、問題なのは、何が枝葉であり、何が根幹であるかということが明確でないことであります。現に、教材費や旅費などは枝葉であり、教職員給与が根幹だという説もありました。しかし、私は、義務教育費国庫負担制度本来の趣旨からいって、根幹と枝葉を分ける考え方には反対であります。

 八〇年代からこれまで、四半世紀にわたって続いてきましたこの制度の見直しの本当の論点は、制度そのものを廃止するか否かであります。制度を廃止しようとする側からすれば、教職員給与半額国庫負担の廃止こそが目的であり、その他の経費の削減はそのための手段にすぎません。それらは、いわば本丸の周辺に配置された出城でありまして、この出城が次第に攻め落とされて、今や本丸が裸同然になっているわけであります。本丸を守り通すために出城は必要であり、出城を捨てて本丸を死守すればよいという考え方は誤りであると言わざるを得ません。

 以上で私の意見を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)

池坊委員長 市川参考人、ありがとうございました。

 以上でお二人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。遠藤利明君。

遠藤(利)委員 自民党の遠藤利明です。

 三年四カ月、浪人をしておりました。そこで、ここ四カ月間、教育のいろいろな話を聞かせていただいて、大変変わったなと思っております。それは、教育国民会議、あるいは財政諮問会議、規制緩和と、多くの流れが平成十二年以降ぐらいにスタートして、それをもとにいろいろな改革がなされる。それは時代の要請でもありますし、また、どうしても東京ですべて物事を決めるということに対する地方の反乱といいますか、地方からの要請を受けての大きな流れではないかなと思っております。ある意味では、文部省の行政が余りにもがんじがらめになってきた、そういうことに対する批判も多分あったろう、また、我々国会議員含めて、そうしたことに対応する、夢を教育の中に持たせることができなかったということの反省でも多分あるんだろうと思っております。

 今、小野田参考人あるいは市川参考人からお話を伺わせていただきました。十五分しかありませんので、早速質問に入らせていただきます。

 まず小野田参考人にお伺いしますが、公教育、いわゆる義務教育は、国の役割として、あるいは責任として、何をどこまでなすべきか、簡単にお伺いをしたいと思います。

小野田参考人 先ほども申し上げましたように、義務教育というのは、国として国民に義務を課しているものと認識しております。そのために必要な環境整備は国として責任を持たなければいけない分野であるというふうな認識をいたしております。教育に関して言えば、教育を受ける権利、教育の機会均等、それから義務教育無償につきましても憲法に定められておりますので、このことを実質的に保障する制度を整備することはまさに国の責任だというふうに考えております。

 具体的には、国は、教育制度の大きな枠組みの設定や学習指導要領などの教育内容の基準づくりを行うなどとともに、教育の水準維持のため、あるいは教育の機会均等についても財政的に担保をする責任を負っており、そういう制度を整備することが必要ではないかというふうに認識しております。

 以上でございます。

遠藤(利)委員 不易流行という言葉がありますが、正すものはそれは変えなきゃなりませんが、しかし根幹といいますか、国として、あるいは人間として必要なものについてはむしろしっかりと支えていく。その意味で、明治十九年に小学校令ができて、それから延々と義務教育を日本という国は続けてきて、戦前戦後、世界の中における日本という役割を担ってきた。そういう意味で、私は、この学校教育制度というのは、あるいは義務教育制度というのは、大変世界の中でも評価をされるべきものだろうなと思っております。

 ただ、先ほど言いました、いろいろな怠慢があった、時代の流れに乗れなかった、そういうふうな中で、今いろいろな改革を進めようとしております。

 改めて小野田参考人にお伺いしたいんですが、最近、チャータースクールあるいはコミュニティースクール、運営協議会という形で、これからこの委員会あるいは国会の中でも議論をして、場合によっては制度を導入しようというふうな話をしておりますが、実は我々は、PTAもそういう活動をされてこられたんだろうなと思っておりますし、思っておりました。私立学校なんかですと、PTAというよりは、どちらかというと保護者会とか父兄会とか、いわゆるPの部分だけでやってきた。しかし、大半の公立学校は、PとTが一体となって学校を運営しましょう、そんな活動をされてきたんだろうと思います。

 そういうふうな中で、今回、チャータースクールあるいはコミュニティースクール、いろいろな議論をされておりますが、地域と学校、開かれた学校をつくろうという形の中で今いろいろな議論をされておりますが、この地域と学校の教育のあり方、それについてPTAがどういう役割を担うのか、あるいは新しい仕組みについてどのように考えていらっしゃるのか、お伺いしたいと思います。

小野田参考人 もちろんPTAというのは、家庭と学校と地域の連携のもとに活動しているわけでございまして、まさに昨今いろいろな子供たちをめぐる事件、事故が非常にたくさん起きておる。そういう部分でも、特にやはりこれからのキーワードとして連携するということの必要性を、私どもPTAとしても非常に痛感しているところでございます。

 もちろん、家庭の教育力、地域の教育力とありますけれども、まさにこれからは、学校を中心として、それこそ三位一体ではございませんけれども、家庭と地域が一体になっていかなければいけない。そのためには、例えば、今制度としては学校評議員の制度ができております。これは御承知かと思いますけれども、開かれた学校づくりを推進していくための制度でございまして、保護者ですとか地域住民の意向を学校の運営に反映していく、校長先生が推進していくという、その意見を聞くための組織、機構というふうに聞いております。

 そんな中にもPTA、特に保護者として積極的に、今まではどちらかというと子供が学校へ行っているうちは学校の言うことだけ、学校の方針に従わざるを得ないということだったと思いますけれども、今後は保護者としてあるいは地域住民として、やはり学校はこうあるべきだとか先生はこうあるべきだとか、そういった議論を進めていくような必要性は私も痛感しております。

 そういった意味で、今の学校評議員ですとか、先生おっしゃられたコミュニティースクール等々へ、コミュニティースクールにつきましては、まだ制度が完全なものではございませんので、どうなるかわかりませんけれども、新しい形の学校という面では、我々保護者も学校の先生も地域の方もやはり一体となって子供を育てていく。子供を健全に育てるというのは皆さんの共通の願いであり、目標、目的であると思います。そういう共通理解のもとで子供たちを育てていきたいというふうには考えておりまして、積極的にそういう部分にはPTAとしても保護者としても参画していきたいというふうに考えておるところでございます。

遠藤(利)委員 市川参考人にお伺いしたいんですが、今、教育は人なりと言いながらも、鉛筆のようなもので、しんと包んでいるものは変えられない、枝葉と根幹については、これは一体となってこうしなきゃならない、そういうふうなお話がございました。国庫負担、この制度は維持すべきだし、今回の法案は反対だとおっしゃられましたが、総額裁量制についてどうお考えなのかお伺いしたいと思います。

市川参考人 総額裁量制につきましては、正直申しまして、よくわからないのでございます。

 一方では、要するに、面積だけを国が決めて縦横どういう長さにするかは地方に任せる、そうすると、地方の自主性が大幅に高まるということになります。しかし、それではどういうことが予想されるか、そう考えますと、私が地方の理事者であったならば、大体やりますことは、教職員の給与単価を引き下げて人数を増やす。それで、学級規模を小さくするとか、一学級複数担任制とかすれば、選挙民の御好評をいただくということが期待できるのではないか、こんなふうに思うわけでございます。しかし、そうなりますと、短期的にはいいでしょうけれども、長い目で見ますと、そういう給与単価の低い教職に有為の人材が入ってくるか。そうすると、だんだん入ってこなくなるわけです。今でも入ってこなくなっておりますけれども、これからますます入ってこなくなる心配もございまして、そういう点で、いろいろ考え方もあり、議論もあり得るわけでございます。

 そういうことを申し上げますと、いや、縦横自由とはいうけれども、そこにはおのずから一定の基準があって、歯どめがついているんだという御説明もあるわけでございます。それで果たしてどの程度地方の自由になるのか。地方の自由になるということは、国の基準がそれだけ緩むわけでございますが、他方では、いや、やはり基準はあるんだ、残るんだというお話もございますので、実際問題としてどうなるかというのはやってみなきゃわからない。

 ですから、私の判断も、その結果を見ないと、どのように判断していいか、正直言ってわからないところでございます。

遠藤(利)委員 私の地元山形県では、「さんさん」プランという、三十三人の小規模学級といいますか、こういう制度をつくって、それが今回の国のいろいろな制度のある部分の参考になったというふうなことも承っておりますし、また、地元の山形大学の教育学部の存続問題の議論の中で、教員の資質向上、それには四年制の教員でいいんだろうかと。薬剤師も、あるいはいろいろな師という方は皆さん方、今回の法案の中で六年制にしましょう、そんな議論をしている中で、学校の先生がこれだけ専門性を問われ、そしてこれだけ社会の中で必要とされている学校の先生を、果たして四年制でいいんだろうか。実習をしっかり踏まえた六年制の教員、私は、いわゆる教職大学院をつくるべきだというのが持論でありますが、そういうふうな形を、県の教育学部の議論の中でいたしました。

 そこで、これから日本の教育を考えていくときに、いろいろな人が必要だ、あるいは制度が必要だ、施設が必要だということになると思いますが、市川参考人に、義務教育の条件整備として、今後どのようなものが必要なのか、どのような取り決め方をすべきなのかについてお伺いをしたいと思います。

市川参考人 義務教育の条件整備については、教職員の資質向上から始まりまして、施設の整備あるいは教材、補助教材等の開発など、さまざまな分野について必要性があろうかと思います。

 ただいまお話しの教員の養成年限の延長問題でございますが、今日、御案内のように少子化ということがございまして、少子化が進めばどうなるか。これは当然学生が減る。学生が減れば教職員も減る。そうすると、当然、教職員のリストラが行われるわけでございますけれども、これを防ぐにはどうしたらいいか。

 要するに、学校の在学年限を延ばせばいいわけでございまして、そこで御案内のように、幼稚園の就学の年齢は、今まで四歳児、五歳児だったのが三歳児に延びる。それから短大は四年制になる、四年制大学は大学院をつくる。それで、最近は大学の先生の肩書を見ますと、みんな何々大学何々学部教授じゃなくて、何々大学の何々研究科教授というふうになっているわけでございます。この全部とは言いませんけれども、少なくとも一部の理由は少子化にあるんだろうと思うわけでございます。

 もう一つの理由は、ゆとり教育で学力水準が低下してきたということもあろうかと思います。大学の先生にお伺いしますと、最近の大学院学生は以前の学部の学生よりもレベルが低いというようなお話も聞くわけでございますが、そういったことなどいろいろございまして、修学年限がどんどん延長されています。それで、これは高学歴化ではなくて長学歴化、学歴が長くなる。高くなるんじゃないんです。長学歴化と言われております。こういった傾向は好ましくはないわけでございます。私は、修学期間をそんなに延長せずに、中身をもっときちっとやるのが本人のためでもございますし、日本経済のためでもあると思います。

 しかし、長学歴化がどんどん進んでまいりまして、昔は医学部だけだったのが、その後、獣医学部、最近は薬学部というようなのがみんな六年制になってきておりますし、理学部、工学部も実質的に六年制になってきております。

 そういうことがございますと、これはバランスの問題でございますから、教員の基礎資格が大学卒、学部、学士課程卒ということでありますと、やはり社会的評価が問題になるわけでございまして、そういうことを考えますと、全体的に考えて、決して好ましいことでないと思いますけれども、教員の修学年数を、教員養成学部の修学年数を延長するということは、これは避けがたい方向じゃないかと思うわけでございます。

 ただ、その場合に大切なことは、ただ延長するんじゃなくて、そこでの学習の内容、それから教員を養成する先生の資質の向上、学習内容の改善と教員の資質向上というのがありませんと、ただ延長をするだけ。すると、延長すれば当然給与水準も高くしなければならなくなるわけでございまして、中身が伴わなければこれは全くの時間的なむだ、金銭的なむだになるわけでございますので、ぜひ、教員養成課程の内容の改善と、そこで教える先生、先生を教える先生をどうするかというのは非常に重要なことでありまして、これが伴いませんとむだになるんじゃないか、こんなふうに考えております。

遠藤(利)委員 ありがとうございました。

 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございます。

池坊委員長 高井美穂君。

高井委員 民主党の高井美穂です。

 本日は、小野田参考人、市川参考人、本当にお忙しい中ありがとうございます。先ほどお二人の御意見をお聞きしまして、私自身も、特に市川参考人の御意見に対しては大変共感を覚え、共鳴するところでありました。

 私が義務教育を受けたのは、ちょうど一九七〇年から一九八〇年代で、今で言われるところのいろいろな教育上の問題が一番噴出してきたころであります。ただ、私は徳島県の三好郡の三野町という小さい五千人足らずの町に生まれたんですけれども、そこでもきちんとした義務教育を受けられたおかげで、大変私は今の国庫負担システムというのに対して感謝というかありがたく思っているところであります。

 そういう中で、今お二人の参考意見の御意見がございましたけれども、私は、今行われている議論がどうしても、地方分権、教育の分権と義務教育の充実というのが本当ならば対立するものではなくて、分権を進めることによって教育の改革と充実につながると思うのです。

 今の三位一体改革の議論の中では、義務教育について国庫負担か一般財源化かということだけが論点になって、ある意味で文科省対総務省という省庁間の対立、駆け引きのような、お金をめぐる争いに近いものが繰り広げられているのではないかというふうに懸念しておりまして、この議論が一体、国民の皆様、つまり国会の外におられる方々から見てどのように映っているのか、参考人お二人からの御意見をお伺いしたいと思います。

小野田参考人 おっしゃる意味は非常によくわかりまして、いずれにしても、我々PTAの立場から言うわけではなくて、すべての人間として、大人として、親として思うのは、まず初めに財政論ありきではないということを強く訴えたいわけでございます。

 やはり、私たちの愛してやまない子供たち、愛すべき日本を将来背負ってくれるのは、本当に私たちの子供が二十一世紀を担うわけでございますので、その彼らに対して何をすべきかということがまず最前提であって、そこで国がどうだ、地方がどうだという議論は、その次に出てくる議論じゃないかなというふうに思っております。

 または、そうはいっても、国と地方それぞれ組織、役割がございますので、その中で、じゃ、国は何をやるべきか、地方は何をやるべきかというところをしっかりとこれから議論していく必要があるというふうな形でおります。

 そのためには、先ほど来申しますように、国の責任という形では、私も受けてきた義務教育、これは世界に誇る制度だと思っておりますので、この制度は堅持していただきたいし、そういう面では、例えば先生の質も、もっともっといい先生に子供たちを教えてほしいし、そういったことで、とにかく初めに金銭部分を抜きで本来の国家百年の計である教育論を語っていくことが一番大事じゃないかなというふうに今も強く感じるところでございます。

市川参考人 この問題が財政論だけでいいのか、分権論だけでいいのか、もっと教育の本質論にのっとって議論されるべきじゃないかということはおっしゃるとおりでございます。しかし、ただいま既にPTAを代表してお話ございましたので、私はそれと重複しないように、財政論としても教育にお金をかけるのが一番いいんじゃないかということを申し上げたいと思うのでございます。

 九〇年代以来、長期の経済不況でございまして、どこの企業もそれほど大きな利益は期待できない。したがいまして、我々が銀行に金を預けましても、利子がついたんだかつかないんだかわからないようなものである。つまり、いろいろな物づくり、サービスの提供にお金を投じましても、収益率は極めて低いわけでございます。

 ところが、教育はどうか。教育の収益率の計算というものは、これは義務教育はもちろん、今日九七%の進学率であります高校についても計算が困難となってきているわけでございますが、大学や短大について見ますと、つまりこの収益率というものは、高卒との比較でございますが、一時期より下がってきたとは言われておりますけれども、それでも六%とかそのぐらいの高さでございます。

 今日、六%の収益率があるなんというのは、これは民間の企業であれば大体インチキ商法でありまして、そういうところに投資すると大変ひどい目に遭うわけでございますが、教育の場合にはその程度の高い収益率があるのでございます。

 したがいまして、国民経済という点から見ましても、収益率が高いということは生涯所得が大きいということでございます。生涯所得が大きいということは納税額が大きくなるということでございまして、ですから、教育にお金を投じるということは、将来の我が国の経済生産性を高めるだけじゃなくて、国及び地方の税収入をふやすことにもなる。

 そういう点で、最も効率的な投資は教育であり、したがって、財政論からいいましても、教育にお金をかけることは賢明な策である、こう申し上げたいのであります。

高井委員 ありがとうございました。全く賛同するところであります。

 私は、昔はよかったというふうな、川で遊んだり山で遊んだりした経験があるんですけれども、昔がよかったと言いたいのではないですし、今の若い人たちや子供たちが決してだめになっているとは私は思っておりませんで、何というか、むしろ教育政策というものをきちんと研究して、それに時間をかけて研究して、観念論、情緒論から脱して、目標を決めて研究して実施して検証するというようなことを、やっぱり国として、時間をかけて、お金をかけてやらなければいけないというふうにも思っております。やはり時代に合わせたシステムを取り入れていく努力というのは、私たち政治家がしていかなくてはならないんではないかというふうに考えております。

 そういう中で、大変これは難しい質問になるかもしれませんけれども、教育政策の目的というものを一体どこに定めていくのか。要するに、だれに、どこに実地させるのか。こういう問題、本当であれば、時間があればもっとゆっくりお聞きしたいんですけれども、もし御意見があれば、市川参考人、お願いいたします。

市川参考人 教育政策の目的をどこでだれが定めるかということは、教育政策をどんなように定義するかによって違ってまいります。よく私のポリシーとかいう言い方、あるいは、ある企業のポリシーという言い方をします。ですから、政策というものは、政府関係だけじゃなくて、民間企業や個人についてもあり得る、そういう使い方もございます。

 お尋ねの意味は、恐らく狭い公共政策の意味だと思いますが、これも国の教育政策、それから都道府県の教育政策、市区町村の教育政策、いろいろあろうかと思います。

 それぞれ、国の場合であれば、内閣の総合的な指導のもとに文部科学省がおつくりになるんでしょうし、それから都道府県でありますと、公共部門につきましては主に教育委員会が、それから民間部門、つまり私立学校及び公立の大学、短大、高等専門学校につきましては知事が責任を持っておつくりになるんだろうと思いますし、それから市町村の場合には、市町村の教育委員会が主たる責任者となっておつくりになるんだろうと思います。

 ただ、実際には、これにさまざまな影響を与える団体、例えばここにいらっしゃる日本PTA協議会のようなものを初めいろいろな教育関係の諸団体というのがございまして、そういうものが大きな影響を与えましょうし、それから日本経済団体連合会を初め、経済界の影響というものも極めて強力でございます。これは結局、学校教育を終えた人の行き先というのは、ほとんどが雇用労働者でございますので、そういった企業経営者の意向を無視できないということもございますし、それから人権問題などですと、日本弁護士連合会初めいろいろな団体がある。

 ですから、政策決定過程というものは、ある日、文部大臣が一人でこうするというふうに決めるんじゃなくて、要するに、文部科学省内でいろいろ政策が積み上げられていくんでしょうし、その過程で与党の先生方との折衝もございましょうし、それから文部科学省以外の総務省とか財務省とか内閣府とか、あるいは法制局とかいったようないろいろなところとの折衝もございましょうし、そういう積み上げでできていく。

 それで、その過程、法案をつくるような場合には、中央教育審議会を開きまして、委員の意見を聞くと同時に、関係団体の方をお招きして、関係団体の御意向を伺うというようなことでございまして、極めて多様な意見を反映し、また、幾つかのステップを踏んで政策形成がされますので、形式的には、文部大臣なり都道府県知事なり市町村長なり、あるいは地方の教育委員会が決定することになっておりますけれども、実際には、非常に多くの関係者がこれに影響を与えている、そうしたいろいろな結果を踏まえて政策というものは形成されていくのではないか、こう考えております。

高井委員 ありがとうございました。

 最後にもう一つだけお聞きしたいんですけれども、義務教育を一般財源化した場合の問題点として、先ほど市川参考人も、教員の単価を切り下げる可能性があるのではないかということをおっしゃいました。今の法律では、義務教育標準法、人材確保法という縛りがございますけれども、そういう縛りがあったとしてもそういう問題は出てくるとお考えになられておりますでしょうか。また、教育のナショナルミニマム、何をすれば、どういう基準があったり法令があったりすればナショナルミニマムが確保されるかということを、簡単にお答えをお願いしたいと思います。

池坊委員長 質疑時間が過ぎましたので、参考人の方、申しわけございません、簡潔にお述べいただけたらと思います。

 市川参考人。

市川参考人 どのようになるかということは、今の、おっしゃいましたような人確法あるいは給特法が続くかどうかという問題もございますし、それから、義務教育の標準法というものがございますが、こういったものが維持されるかどうかといったことによっても違ってくるだろうと思うのでございます。ですから、これは不確定な要因が多くて、これからのそういったものがどうなるかということによって決まってくるんじゃないかと思います。

高井委員 ありがとうございました。

池坊委員長 斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。きょうは、お二人の参考人、本当にありがとうございます。

 まず初めに、小野田参考人にお伺いさせていただきます。

 多くの方と教育についてお話をしましての私の一つの結論は、教師こそ教育環境という言葉になろうかと思います。教育、学校に対しての感謝の念も、最終的には先生への感謝の念、尊敬の念、また、自分の人生の恨みや教育に対しての恨みも、突き詰めていくと、先生に対しての恨みというところにすべての人が行き当たります。

 そういう面で、本当の教育の機会均等を言うのであれば、先生の、担任の当たり外れということもなくしてほしいという率直な皆さんの声を聞くところでございますけれども、この国庫負担制度と直接関係ないかもしれませんが、本当に頑張ってくださっている先生、みんなが感謝するような先生と、そうではない先生も現実にはいらっしゃる。そういう先生が、根底にはこの国庫負担制度があるのかもしれません、何ら評価がされないという今の教育制度の根底に、一つの大きな問題があるのではないかという声を聞きます。

 この声に対して、この声に対してといいましょうか、PTA協議会として、小野田さんとしてどのようにお考えになっているか、お伺いできればと思います。

小野田参考人 まさにそのとおりで、もう本当に共感の至りでございます。

 確かに、義務教育の成否というのは、直接の指導者であるところの先生、教師のそういったところが非常に大きいものですから、最低限、やはり義務教育の水準を維持するためには、先生の資質を確保すること、これに尽きるということかと思います。

 ただ、現在、実は私もPTAはボランティアという形で、公認会計士というのが職業でございまして、確定申告が忙しいのでちょっと大変なんですけれども、それはおいておいて、我々専門家という立場では、例えば何か不祥事が一つ起きると、それを次に起こらないようにするためには、業界の中でいろいろ自浄的な作用が働いて、そういう努力をしていっております。それは私どもだけではなくて、弁護士さんでも医者の世界でも同じような形でそういう努力、いわゆる職業倫理的なものをきちんと考えながら、ステップアップさせながら、職業としての、社会に認知される職業として、やはり皆さんが頑張っているというところかと思います。

 そういう面につきまして、先生においても、これは私も希望という形の発言になってしまうかもしれませんけれども、採用されるとき、それからその後、採用されてから現場でのいろいろな研修ですとか、例えばほかと、民間との交流にしてもそうですけれども、最終的に教師というのは子供に信頼され、親に信頼されて初めて教師だというふうに、ちょっと偉そうなことかもしれませんけれども、そういうような認識でおります。

 したがいまして、やはり先生もプロとしての、教師、教えるプロとしてのプライドをもっともっと持って、言うことをしっかり言って、議論すべき人としっかりと議論をした上で、自信を持って教師ですというふうに言ってほしいと思っております。

 そういう面でも先生を応援したいことは事実でございますけれども、おっしゃるようにいろいろな先生がいらっしゃるものですから、どうしてもそちらの方ばかりに光が当たってしまうものですから、ほかの一生懸命やっている先生には非常につらい思いをさせているのかなというのもあります。ただ、それもやはり先生の集団としてやっていかなければいけない使命かと思いますので、その辺もしっかりとPTAとしてサポートできることはサポートして、やはり言わなければいけないことはどんどん言って、そういういい関係を、議論できる関係をつくっていきたいというふうに考えております。

斉藤(鉄)委員 もう一問、小野田参考人に、その件に関して、評価する制度をつくって待遇に差をつけるというふうな考え方もあるんですが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。

小野田参考人 あくまで私見という形でお答えさせていただきます。

 私は、やはり最終的にはそういうことは必要だというふうに考えております。では、それをいかに、どの物差しがいいかというのは、なかなか一概に、教育というものは形として目に見えないものが成果でございますので、これができたから、これは幾らで売ろうとかそういうことではないと思いますので、では、この先生は幾らの価値があるということは一概に言えるものでもないし、やはりもっともっと上を目指していこう、そういう気持ちを持っていただくのは大事かと思います。

 やはり何らかの形で自己研さんを積んでいただきたい、それが評価なのかどうかわかりませんけれども、評価されてもいいような、職業として、教師としての立場を貫いてほしい、そういう気持ちでおります。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。

 次に、市川参考人にお伺いします。

 市川先生は、まさにこの分野の日本の碩学でございますが、この義務教育費国庫負担制度をいわゆる法的な側面から見た場合、つまり憲法があり、教育基本法があり、そしてこの義務教育費国庫負担制度がある、その法的な枠組みの中から見たときに、どのように解釈されるのかということを教えていただければと思います。

市川参考人 御案内のように、日本国憲法では、教育の機会均等と義務教育の無償について規定されているわけでございますが、これを受けまして、教育基本法で、義務教育を九年にするということと、国公立の義務教育学校では授業料を徴収しないという規定をしているわけでございます。

 ただ、義務教育費国庫負担法が大変重要だと思いますのは、地域による教育機会の不均等をなくすことを目的としている点でございます。教育の基本原則は教育基本法にうたわれているはずでありますが、教育の機会均等を定めております第三条には、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって差別されてはならないと書いてありまして、不思議なことに、地域による教育機会の差別についての禁止規定が欠けているわけでございます。

 それで、私は、中央教育審議会で教育基本法問題を審議しましたときに、この教育基本法ができたころには、確かに門地というものがありました。今の若い人は、門地なんという言葉は全く知りません。ただ、この教育基本法が審議されたころは、国会ではありませんで帝国議会、帝国議会で、貴族院の議長は徳川公爵、当時の議員さんはみんな伯爵とか男爵とかいう肩書を持っておられたわけで、明らかに門地というものが厳然としてあったわけでございますが、今日、門地なんというのはございません。そういったものよりも、一番大きなのは、経済的な地位と並んで、地域的な、どこに住んでいるかということによって教育機会が大きく違うと思うのでございますが、なぜか、教育基本法にいろいろな差別禁止規定が並んでいるんですが、地域による差別だけがないんですね。

 それですから、やはり地域による差別をなくすということが非常に大事でございまして、義務教育費国庫負担法によってこれが相当程度実現しているわけでございますが、なお、都道府県間に、一学級当たりの支出額で一・五倍程度の差がございます。地方交付税や義務教育費国庫負担法がありませんでした戦前は、この格差がもっとひどくて、例えば昭和三年度は、在籍小学校児童一人当たりの教育支出には、府県によって四倍の差がありました。これは今日では一・五倍であります。

 四倍も差があったということは、決して低い府県が努力しなかったかということじゃないわけでございまして、主に府県間の富の格差に起因しているわけでございます。当時、富の水準を示すとみなされていたのは直接国税調整済み額でございますが、これを児童一人当たりにしてみますと、府県間で実に四十七倍の差がございました。それで、当時は義務教育費は主に市町村が負担していたものですから、市町村の財政力の格差によって財政負担に大きな不均衡があったわけでございます。

 これは昭和七年度の数字でございますが、市町村経常費に占める小学校経常費の割合が二五%以下の町村が五十五、市が十ありました。その反面で、教育費の支出が市町村支出の七五%以上という町村も四十四もあった、このように甚だしい格差というものが存在したわけでございます。

 もし、義務教育費国庫負担制度が廃止され、地方交付税総額が大幅に圧縮されることになれば、そうした戦前に似たような状況が生まれかねません。四倍もの支出格差があれば、義務教育費の機会均等にとっても、名目だけになります。よく、衆議院、参議院の選挙区につきましても、二倍以内なら仕方ないけれども、四倍、五倍というのはおかしいという考え方がありますけれども、実に一人当たりの教育費が府県間で四倍の差、市町村で計算すればもっとこんなものじゃないわけでございますけれども、府県で計算しても四倍の差になるという。

 こういったことが復活してまいりますと、教育機会の均等といっても、これは法律上の言葉だけのことになりまして、実質を伴わないことになるわけでございます。そういう意味からも、やはり義務教育費国庫負担制度の維持、さらには充実ということが大事じゃないかと思います。

斉藤(鉄)委員 市川参考人にもう一問。

 明治の初期は義務教育も有償だったということで、ある意味では、無償の義務教育、そして、この義務教育費国庫負担制度というのは歴史的にかち取ってきたものではないかというふうに認識をしておりますが、歴史的に見てこの制度がどういうふうに位置づけられるのかということを、あと三分しかないんですけれども、端的に教えていただければと思います。

市川参考人 義務教育費国庫負担の歴史というものは非常に長いわけでございまして、この運動が始まったのは明治十年代のことでございます。それで、長い間、国立学校運動というのが教育界を中心に展開されまして、その結果、明治二十九年になりまして、ようやく教職員に対する年功加俸、年功加俸というのは、長年勤めた場合に給料が上がるということであります。

 当時は、比較的給料が固定されておりまして、これは市町村によって違いますけれども、経験を積んでもなかなか給料が上がらなかった、そういう時代でございましたので、まず、この年功加俸の分を国庫が負担しようということから始まってきたわけでありまして、その後、議員立法となりまして、国庫補助が次第に拡充されまして、大正七年に実質的な半額国庫負担というものが実現するわけでございます。

 それで、御案内のように、昭和十五年に、現在と全く同じ名前の義務教育費国庫負担法が成立しまして、それが戦後の地方財政改革におきまして一たん廃止されて一般財源化されたわけでございますが、三年間の実施だけで、やはり地方自治体間の格差が大きくなったということで、再び二十七年に現在の法律ができて、二十八年度から実施されておるわけでございます。

 この義務教育費を国庫で補助する、負担する制度というのは非常に有効に作用したわけでございまして、その結果、明治から大正、昭和の初めにかけまして、我が国の教育費というのは、国民所得水準に比べまして極めて高いものがあったわけでございまして、国際的に公教育の支出水準と国民の所得水準とを相関させた研究などを見ますと、スウェーデンと日本だけが際立って所得水準の割合に教育支出が高いということが言われてきたわけでございます。

 しかし、日本が教育に大変熱心にやってきたのは戦後の一九五〇年代まででございまして、六〇年代になりますと、ほかの先進諸国もみんな教育にお金をかけるようになりましたので、日本が特に傑出した存在でなくなり、七〇年代以降は、日本はむしろ下位グループに、例えばOECDの諸国と比べてみますと、日本は、国民所得水準は高い割合に余り政府が教育にお金をかけていない、そういう下位のグループになってしまったわけでございます。

 ですから、戦前の日本というのは、非常に貧しかったわけでございますけれども、教育にはお金をかけている。それで、今日の日本は、豊かではありますけれども、教育にお金をかけない。

 私が子供のころには、我々の町で一番大きな建物というのは小学校でした。ところが、現在では、市役所や町役場、村役場というのは驚くほど立派な建物がそびえ立っておりまして、昔のように小学校が一番大きな建物ではなくなりました。それから、民間でも、駐車場つきのショッピングモールみたいなのがたくさんできておりますように、財政も、国民の生活も、戦前よりずっと豊かになってきたわけでございますが、遺憾ながら、豊かになった割合には教育にお金をかけなくなった、つまり、よく言われます米百俵の精神が失われたわけでございます。

 財政が苦しいということは一つの考慮すべき理由ではございますけれども、戦前の我が国はもっと財政が苦しかった、その中から、世界各国が驚くような割合で教育費にお金をかけてきたということを改めて我々は反省すべきじゃないか、こう思います。

斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。終わります。

池坊委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 参考人として貴重な御意見をお述べいただきまして、本当にありがとうございます。

 義務教育費国庫負担制度は、一九七二年には、給料・諸手当以外に、旅費、退職手当、教材費、恩給費、共済費、公務災害補償基金、児童手当も対象とされておりました。その後、臨調行革、そして今回の三位一体改革によって、国庫負担の対象が給料・諸手当のみとなっているわけであります。

 両参考人にまず伺いたいと思いますけれども、三位一体改革は、ここにもメスを入れようということが今回提出の法案の中の附則に、教職員の給与等に要する経費の負担のあり方に関して平成十八年度末までの検討の状況並びに、必要があると認めるときには、所要の措置を講ずるというふうにあるわけです。事務職員、栄養職員あるいは教諭の給与本体にまでメスを入れる方向ということが打ち出されているわけでございます。そのときにあわせて、地方の自由度を高めるためにこれが行われるんだということもつけ加わっているわけですが、こういう議論について両参考人のまずお考えをお聞かせいただきたいと思います。

    〔委員長退席、渡海委員長代理着席〕

小野田参考人 今回の三位一体改革の理念というのは非常に十分理解できるわけでございますけれども、その中で、国庫負担制度の中で、負担金の中で、なぜ義務教育費が真っ先に議論の対象になっているのかということに関しては、ちょっと理解しがたい部分でございます。

 というのは、例えば家庭に帰りますと、やはり子供の教育費は、こういったデフレ状況下でございます、非常に厳しい。ほかを切り詰めても、子供の教育費だけはやはり統計的には上がっている。教育費を切り詰めることは決してないわけでございます。

 そんな中で、そういう議論がある中で、全体から見て、国として、教育予算を削るということではないにしても負担を廃止するということに関して、なぜそういう議論が出てくるのかというのに関して、ちょっと疑義を持っておるものでございまして、やはり先ほど申しましたように、財政論の方がどうも先行しているというふうに考えざるを得ません。

 したがって、もっともっと子供を視点にとった議論をしていく必要があるのではないか。本当に将来を担う子供たちのための議論をこれから先生方も含め、我々も含め、国民全体で議論していく必要があるというふうに認識しております。

 以上です。

市川参考人 今回の法改正の一つの理由として、地方権限の拡大が挙げられております。しかし、退職手当及び児童手当を対象経費から外すことが直ちに地方分権の強化にそれほど役立つと思いません。

 と申しますのも、児童手当の額は児童手当法第六条で決まっておりまして、退職手当の額は各地方公共団体が条例で定めることができますけれども、地方の裁量の余地は限られております。であればこそ、総務省は、退職手当だけならば地方移管は要らないとおっしゃっているゆえんだと思います。

 もう一つの改正の理由としまして、国及び地方を通じて財政負担の低減ということがうたわれておりますけれども、退職手当及び児童手当を対象経費から外すことが直ちに財政逼迫の緩和に役立つとは思いません。

 と申しますのも、先ほどもお話ありましたように、退職手当及び児童手当を国庫負担の対象から外すことによって地方の財政運営に支障が生じないように、特例交付金の中に税源移譲予定特例交付金を新設して、減額分を全額措置することになっております。そうすると、国庫負担は実質的には減らないということになります。

 それでは、このように地方の権限の強化にも国の財政の緩和にも直接役立たない法改正をなぜ行うんでしょうか。これを考えてみる必要があると思います。それは、義務教育費国庫負担制度の改正は今回で終わりというものではなくて、あくまでも一つのステップにすぎず、いずれは抜本的な改正が予定されているからだと思います。

 法案の第二条に、義務教育費国庫負担のあり方に関しては、平成十八年度末までの検討の状況及び社会経済状況の変化を勘案し、必要があると認められるときは、所要の措置を講ずるものとすると書いておりますが、また、税源移譲予定特例交付金によって国庫負担の減額分を全額措置すると申しましても、これはあくまで当分の間の暫定的な措置でございまして、いつまでも続くわけではございません。だからこそ、法案説明にもありますように、「地方の権限と責任を大幅に拡大するとともに国及び地方を通じた行政の効率化を図る」ことになるわけでございます。

 このすぐに地方権限の拡大や国の財政緩和に役立つと思えない法改正をなされるゆえん、それをまた総務省及び財務省が納得したゆえんというものは、その辺にあるのではなかろうか、このように推察するわけでございます。

    〔渡海委員長代理退席、委員長着席〕

石井(郁)委員 この義務教育費国庫負担制度というのが、教育水準の維持向上のためにそれは必要だということなわけですけれども、先ほどから議論のように、本当に日本の隅々までというか、地方でどういう教育の水準が維持されるかということがやはり大変重大な問題だというふうに思うんです。

 既に今、自治体間で学級編制の基準がさまざまになってきている、これをどう評価するかという問題もありますけれども、また、非常勤の臨時教職員が、一方で大変ふえているところがございます。そういうさまざまな状況がある。既に、もう県ごとに教育水準がばらばらになってきつつあるのではないかというふうに見られるわけですね。こういう状況が一層これからも拡大していくということが予想されるわけでして、この点について、これは小野田参考人の御意見を伺いたいと思います。

小野田参考人 そういったいわゆる特徴ある教育、特色ある教育というのは、やはりどんどん進めていっていただきたいというふうに考えております。

 ただ、その前提として、最低限必要な部分の教育、全国どこへ行っても、例えば東京からどこか地方へ転勤したとしても、同質の教育が受けられるような体制だけは国としてやはりとっていただきたいということであって、それは、地方でそういった特色ある、習熟度別であるとか少人数とか、そういったものを私どもとしても否定しているわけではございません。それはそれで地方でやっていただければいいということであって、少なくともそれ以前の最低限のレベルだけは、全国どこへでも、どこに住んでいても受けられるだけの権利を維持させるような制度であってほしいというふうに思っているところでございます。

石井(郁)委員 市川参考人に伺います。

 中教審で教育基本法の見直しが行われて、答申も出されました。市川参考人もいろいろこれにかかわってこられたと思いますけれども、この中の論点に、教育振興基本計画をつくるために基本法を変えなくてはいけないということが出されていたわけでございます。そして、そこで出てきている答申の中身等々を見ますと、教育振興基本計画は、やはり政策目標として国が決める、その政策目標は評価もするということになって、幾つか例示も出されているわけですね。

 こうなりますと、国の財政的な負担というか財政規模だとか、これはもう撤退する方向で今出されてきている、しかし一方で、国は政策目標を出し、評価もする、こういうことがあり得るのかということなんです。

 実際、こんな方向の中で、教育の振興基本計画を本当に必要なんだ、つくるんだというようなことが、どういう議論の中でどのようにされたのかということについて、もしお述べいただけたらと思いますが、いかがでしょうか。

市川参考人 どういう必要から教育基本計画をつくるかという議論というのは、中央教育審議会ではほとんどなされなかったと思います。

 これは、教育改革国民会議が、つくるべきだ、教育基本法の見直しをすると同時に教育基本計画を策定すべきだという報告を出したわけですね。それを受けまして文部科学大臣から中教審は諮問があったわけですから、もうそれは既定の事実でございまして、なぜつくるかじゃなくて、どのようなものをつくるかということだけが審議の対象になったと思います。

石井(郁)委員 どうもありがとうございました。

 私の考えをこの機会にちょっと申し上げますと、国は教育の機会均等や水準の維持ということについての本当にしっかりとした負担をするということではなくて、そこはどんどんと何か負担を外しながら、一方で政策的な計画、目標だけは定める。そのために基本法まで変えなければいけないというような議論というのは、どうも本当に何かつじつまも合わない。どうやってそういう政策の目標も、また評価もできるのか。本当に財政的な基盤がなくて何ができるのかということがありますので、こういう議論、私は、教育基本法の見直し、教育振興基本計画などはこういう中でやるべきではないという考えを持っているということもこの機会に申し上げたいと思います。

 もう大体時間が参りましたので、以上で終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

池坊委員長 横光克彦君。

横光委員 社民党の横光克彦でございます。

 小野田、市川両参考人、きょうは本当に御苦労さまでございます。また、貴重な御意見、御提言、本当にありがとうございました。

 お二方の御意見を聞いておりますと、この義務教育費国庫負担制度、これは維持、堅持されるべきである、そういう御意見でございました。そしてまた、その理由として、子供たちが平等に教育を受ける権利があるじゃないか、そういったものが憲法に保障されているじゃないか、こういった理由でもございました。小野田参考人は、二十六条を引用されて御説明もございました。その子供たちが平等に教育を受ける権利が保障されている、いわゆる担保というべきものが、私はこの義務教育費国庫負担制度だと思うんですね。

 そこで、お二方に単刀直入にお尋ねいたします。もし仮に、この義務教育費国庫負担制度が廃止ということになれば、これは憲法違反に当たるというお考えでしょうか。

小野田参考人 そういう解釈をしております。

市川参考人 それは、その代償としていかなる措置がとられるかということによって決まってくるだろうと思います。

 ですから、現行法の廃止、存続ということと、それから、実質的に憲法及び教育基本法にうたわれておりますような教育の機会均等が保障されるかどうかということとは別の問題でございますので、現行法が廃止されても、それにかわるような、あるいはそれを上回るような措置がなされるならばこれは違反にならないし、そうでなければ、ただ廃止しっ放しということであればこれは問題になろうかと思います。

横光委員 どうもありがとうございました。

 教育を取り巻く環境が大きく変化するに伴って、教育改革というのがさまざま今進められております。学校週五日制、あるいはきょうの議題となっておりますこの義務教育費国庫負担制度の見直し、さらには教育基本法の改正の動きも始まっております。

 しかし、よく考えてみれば、これはよく考えてみなくてもそうなんですが、こういったさまざまな改正の対象はだれであるか、その対象、主人公、中心は一体だれなのか、子供たちなんですよね。子供たちの教育環境がよかれと思って、いろいろな改正や改革に取り組んでおる、そのことを私たちはもう決して忘れてはならない。しかも、子供たちは何らそのことに対して意見も言えない、選ぶこともできない。要するに、二つの法案があったとき、大人が勝手にどちらかを決めるが、子供はその二つの法案に対してどっちがいいんだという意見さえも言えない状況にある中で我々は改革を進めている。

 いかに大人の責任というものが重要なことであるかということは、今さら申すまでもございませんが、要するにPTAの皆様方の立場からしても大変大きな責任の一端もあろうかと思うんですが、そのあたりどのようにお考えか、ちょっとお聞かせいただけますか。小野田参考人。

小野田参考人 一連の教育改革に伴って、私どもPTAにとっても、以前のようなPTAの活動でいいかどうかという議論はもちろんさせていただいております。教育環境の変化に伴ってPTAも変わらなければいけない、変えなければいけないという意識を親は非常に強く持っております。

 もう御承知のように、PTAというのは末端といいますか、単位PTA、各学校が一番底辺で基礎、基本であるわけでございますので、では、本当に子供と向き合ったときに親として何をやるべきか。もちろん、そこには先生の存在もあるわけでございますけれども、親としてどうあるべきかということはやはり真剣に考えていかなければいけないし、週五日制とか制度が決まったからということではなくて、そういう状態の中でいかに子供たちを育てていくか、そういう感覚で我々は考えていきたいし、そこの段階において試行錯誤は決して恐れてはいけないというふうに思っております。

 とにかく前向きに、いろいろな方と議論をする、いろいろな方と連携をする、情報交換をする、いろいろなステップをして、試行錯誤を重ねながら少しでも前に向いていければいいかなというふうに、そんなような感じで今進めております。

横光委員 教育は、要するに中心は確かに学校でしょう。しかし、いわゆる地域あるいは家庭、こういった三者がやはり一体となって連携を図っていって初めて子供たちの健全な育成、成長につながる、このように私は思っております。よく今三位一体改革と言われておりますが、私は学校、家庭、地域、これが三位一体となって取り組むのが教育の大きな課題であろうと思っております。

 そういった意味で、必要性をお二方訴えておられたんですが、この制度が徐々にいわゆるひずみが出てきております。

 市川参考人のお話では、非常にわかりやすい、本丸と出城というお話もございました。要するに、二年連続で義務教育制度の矮小化がなされた、これは我が国の義務教育制度の根幹を揺るがす突破口、これになる危険性を感じざるを得ないわけですね。

 仮に、この制度が全額住民税に移譲した場合、この義務負担金に相当する額を確保されるのは、ある調査ではわずか九都府県しかない。三十八道県はマイナスになる。地方分権どころか、マイナスになる。このしわ寄せというものはいろいろなところに出てくるでしょう。各自治体が努力しております少人数学級の取り組みを後退させかねない、あるいは悪影響、教材や教具費などの教育予算全体の攪乱要因となり、私は保護者負担の増額にさえつながるんじゃないかという気さえいたしております。

 非常に今そういった動きが、これからこの制度での、出城が一つ一つ埋められていっているような状況であるんですが、このことに対して、危機感をお持ちだと思いますが、どのようなお考えでしょうか。小野田参考人、お聞かせください。

小野田参考人 根幹部分に関しては、義務教育費の国庫負担制度を維持してほしいということでございます。

 冒頭の意見にも言わせていただきましたけれども、今回の法案の対象となっております退職手当と児童手当につきましては、その性格において他の部分、給与本体部分とは異なるということで、これを外したとしても、我々が一番求めていきたい優秀な教員を必要数確保していくということの直接的なマイナス要因にはならないんじゃないかという判断をさせていただきまして、そういう意見を述べさせていただいたところでございます。

横光委員 国庫負担金の改革が今行われようとしているわけですが、私は補助金と負担金、これは性格がそもそも異なるものだと思っているわけでございます。

 負担金は、国がいわば地方と割り勘的に当然の義務として負担するもの、しかし、補助金というものは、国が地方公共団体に対しいわば奨励的ないし援助的に交付するもの、全然性格が違うんです。これが、今回財政論ということで同じどんぶりの中に入れられて、一緒くたに縮減、廃止に向かおうとしている、そういった意識がするんですが、市川参考人、このことについてどのようにお考えでしょうか。

市川参考人 おっしゃるとおり、地方財政法にも負担金の種類は列記してあるわけでございまして、補助金と負担金は基本的な性格を異にしていると思いますが、負担金の中でも、数年前に地方分権委員会が、生活保護費と義務教育費だけは例外的に削減対象から外すということを、数年かけた審議の結果、報告しているわけでございます。

 ところが、その地方分権委員会があれだけ熱心に議論した結論、つまり負担金の中でも生活保護費と義務教育費国庫負担金だけは残すという話がいつの間にか雲散霧消してしまって、その補助金と負担金の違い、あるいは負担金の中でもなぜ生活保護費と義務教育費が格別重要視されなきゃならないか、国が責任を持たなきゃならないかという点の議論が最近は全くないようなふうに思えるわけでございますけれども、財政難であればあるほど、何が国庫負担の対象として残さるべきか否か、何は廃止してもいいかという議論が大事だと思います。

横光委員 どうもありがとうございました。

 いま一問、市川さんにお聞きしたいんですが、先ほど市川参考人は、今回のいわゆる出城をつぶすものですね、この改正に対しては反対だと。要するに、義務教育に関する費用は全体として維持、確保していくべきだという趣旨のお考えを述べられました。いわゆる根幹と枝葉を分けることには反対であるということを言われたんですが、例えば、学校の教育というものは、さまざまな職員がその専門性を発揮しながら、教員とともに、学校運営を円滑に進めるために協力してともに働いているわけでございますね。そこに事務・栄養職員という皆様方も一緒に頑張っているわけでございます。

 市川さんがおっしゃったような、根幹と枝葉、これを分けることには反対というお考えですが、ここは、こういった皆さんが一体となって初めて子供のよりよい学ぶ環境ができるのであって、要するに、枝葉と根幹を分けるような動きが今出てきているんですが、ここはあくまでも学校栄養・事務職員も一体となって、教員とともに一体となって義務教育費国庫負担制度の根幹になるんだというお考えでよろしいんでしょうか。

市川参考人 おっしゃるとおりでございまして、私は中央教育審議会でも、教員が全体の奉仕者で、公の性質を持って、したがってまた研修に努めなきゃならないという規定がございますけれども、ここに一字だけ、教員の間に職というものを入れまして、教職員というふうにしたらどうかということを提案しました。事務職員、栄養職員はもちろんですけれども、ほかにさまざまな職員がおられるわけでございまして、そういったものも含めて学校教育に欠くべからざるものであると。

 それからまた、この法律が学校教員給与費国庫負担法であるならば教員給与費だけでいいということになります。だけれども、これは義務教育費国庫負担金ですから、教員以外の職員の給与費はもちろん、施設費、教材費その他を含めて保障するべきだ、こう思っているわけです。

横光委員 終わります。どうもありがとうございました。

池坊委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、当委員会を代表いたしまして、お二人の参考人に心よりお礼申し上げます。お二方は大変お忙しいと伺っております中、私たちのために時間を割いていただき、有意義かつ貴重な御意見を伺うことができ、大変勉強になりました。ありがとうございました。(拍手)

 次回は、来る三月十七日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十三分散会


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