衆議院

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第4号 平成18年11月8日(水曜日)

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平成十八年十一月八日(水曜日)

    午前九時四十分開議

 出席委員

   委員長 桝屋 敬悟君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 平田 耕一君

   理事 松浪健四郎君 理事 藤村  修君

   理事 笠  浩史君 理事 遠藤 乙彦君

      阿部 俊子君    井脇ノブ子君

      飯島 夕雁君    江崎 鐵磨君

      小川 友一君    小渕 優子君

      加藤 紘一君    小島 敏男君

      佐藤  錬君    柴山 昌彦君

      鈴木 俊一君    西本 勝子君

      馳   浩君    平口  洋君

      福田 峰之君    藤井 勇治君

      藤田 幹雄君    二田 孝治君

      馬渡 龍治君   山本ともひろ君

      奥村 展三君    小宮山泰子君

      田島 一成君    田嶋  要君

      高井 美穂君    寺田  学君

      野田 佳彦君    松本 大輔君

      松本 剛明君    横山 北斗君

      赤松 正雄君    吉井 英勝君

      菅野 哲雄君    日森 文尋君

    …………………………………

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 玉井日出夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月八日

 辞任         補欠選任

  秋葉 賢也君     藤井 勇治君

  牧  義夫君     小宮山泰子君

  横山 北斗君     寺田  学君

  西  博義君     赤松 正雄君

  石井 郁子君     吉井 英勝君

  保坂 展人君     菅野 哲雄君

同日

 辞任         補欠選任

  藤井 勇治君     秋葉 賢也君

  小宮山泰子君     田嶋  要君

  寺田  学君     横山 北斗君

  赤松 正雄君     西  博義君

  吉井 英勝君     石井 郁子君

  菅野 哲雄君     日森 文尋君

同日

 辞任         補欠選任

  田嶋  要君     牧  義夫君

  日森 文尋君     保坂 展人君

    ―――――――――――――

十月二十四日

 高等教育予算の大幅増額、私大経常費補助二分の一の実現、父母・学生の学費負担軽減に関する請願(田島一成君紹介)(第一八八号)

 同(藤村修君紹介)(第一八九号)

 父母・学生の負担軽減、私立大学の充実に関する請願(田島一成君紹介)(第一九〇号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 文部科学行政の基本施策に関する件(児童生徒のいじめ・自殺問題及び高等学校における科目未履修問題)


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     ――――◇―――――

桝屋委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件、特に児童生徒のいじめ・自殺問題及び高等学校における科目未履修問題について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として文部科学省大臣官房長玉井日出夫君、初等中等教育局長銭谷眞美君及び高等教育局長清水潔君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

桝屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

桝屋委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。馳浩君。

馳委員 おはようございます。自民党の馳浩です。

 まず文部科学省に伺いますが、いじめの定義をどう位置づけておられますか。

銭谷政府参考人 いじめの定義についてのお尋ねでございますが、文部科学省におきましては、いじめに関する調査の中で、自分より弱い者に対して一方的に、身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものと定義をいたしまして調査をいたしております。

 なお、その際、平成六年に調査方法を見直しまして、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的、形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場を尊重して調査をするように求めているところでございます。

馳委員 私も現場で教師をしておった立場から改めて申し上げるんですが、いじめと受け取る側、また、教師の目の届かないところで同級生や、部活動でいえば先輩や後輩がこういった事態に直面してどう対処するかということを考えると、教師は、何となく煩わしいことには余り触れたくないな、それから学校内の人事でいえば、校長は、力のある教員には問題行動の多い生徒をできるだけ担任させようとするわけですね。そうではない、ちょっとこの先生には任せられないなというと、担任から外すということでうまく人事の妙をつけるのでありますが、そもそも、このいじめの定義ということを位置づけたことから、これに当てはまらなければいじめではないのだから見て見ぬふりをしようというふうな心理が働く傾向があります。

 そういう観点からいえば、改めて、このいじめの定義ということについて、教師の立場から、また子供の立場に立って、またいじめの現場における周囲の子供たちにとって、いろいろな観点からの見直しをすべきではないのかな、そういう時期ではないのかなと思われますが、どういうふうな見解をお持ちでしょうか。

伊吹国務大臣 これは先生、いじめの定義というのは非常に難しいですね。現場で生徒を預かっておられたお立場でも、これがいじめだというのは受ける人によってみんな違うと思います。それで、やはり行政をやっていく上では、ある程度の基準というか定義みたいなものをつくらねばなりません。確かに、先生が御指摘になったような欠点があるわけです。ですから、今文部科学省においても、池坊副大臣をトップにして、もう一度、いじめというものはどういう定義であるべきか、今先生がおっしゃったことの検討を始めておりますが、新しい定義をつくっても、やはり今おっしゃったような同じ問題が起こるんです。

 これは、受けとめる側の、いじめられている方の心のあり方というか、受けとめている方の心理の状況にもよりますね。ですから、定義いかんにかかわらず、子供が苦しんでいる、つらい思いをしているということを先生が見抜いて、先生だけじゃなくて特に親ですね、親に話せずに学校を一方的に責めても、これはなかなか難しい問題もあると私は思います。ですから、今の御注意も踏まえて新しい定義を検討しておりますが、それだけではやはりすべての問題は解決しないだろうという気がいたしております。

馳委員 きのう未明に異例の記者会見で、自殺予告の伊吹大臣へのお手紙を公表していただきました。早速遺漏なきような手当てはしていただいておると思いますが、その後、報道ではけさも、豊島区ではないかというふうな報道のされ方もしておりました。その後どういうふうに対応しておられるか、伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 私に私あての手紙が届いたのがお昼だったと思います。教育特に張りつけになっておりましたので、終わった時点でその手紙を拝見いたしました。

 率直なところ、使っている漢字とか、あるいは教育行政をかなりよく御存じというのか、知っておられるような内容ですので、私はいろいろな可能性があるなとは思ったんですが、教育委員会や学校にいじめや何かの訴えが来たときに、これは隠してはならない、先ほど先生がおっしゃったように、自分の身を繕うために教師や学校がそれを隠す、教育委員会が隠すということがあってはならないという指導をしておりますので、我々はやはり率先して、命にかかわることだから公表しようと。

 ところが、名前も住所も何も書いていないわけです。手がかりになるいじめた生徒の名前も、何も書いていないわけです。ただ一つ手がかりは、消印のところに豊という字は読めたわけです。その後が読めないんです。ですから、いろいろな専門家に尋ねまして、島という字じゃないかという鑑定結果がありましたので、一応、豊という字のつくところを所管している集配局があるところの教育委員会にすべて、お願いをして調べております。当初、小中を中心に調べておりましたのですが、文意その他から見て高校生である可能性もありますので、これも調査をいたしております。

 調査をした具体的な内容は、先生に訴えたのに何もしてくれない、保護者が校長先生と教育委員会に言ったのに何もしてくれない、だから、きょうですね、水曜日までに変化がなければ、土曜日に学校で自殺する、こういうことが簡単に書いてあった。そこで、各教育委員会も使命感を持って、今回は、各教師にそういう訴えがあったか、教育委員会にそういうものが来ているか、校長先生がそういうことを受けているか、これはみんな当たってくれましたが、相談を受けたりした事例はかなりあるようですが、それを手繰っていきますと、今回この手紙をよこしたようなことには行き当たらないというのが今のところでございます。

馳委員 きょうも集中審議をしていただいたことは非常にタイムリーであったと思います。社会問題となっております。きのうの産経新聞の朝刊にはヤンキースの松井選手からメッセージが出されておりましたし、伊吹大臣からも、いじめで自殺をと考えている子供たちに対して、そういうことはするべきではない、迷惑をかける親、友達、そういったことも考えて思いとどまり、しっかり生き抜こうというメッセージを出していただきました。このいじめ問題への対処策というのは、やはり不断の努力が必要であると我々は思っております。文部科学省として、できる限りのことをやっていただきたいと思っております。

 出席停止措置といったものは、いじめられている方も、いじめている側に対しても対応しながら、出席停止措置の間に、事情を酌んでクラスを平穏にするということもあれば、伊吹大臣おっしゃったように、保護者の方が日ごろから気をつけていただくということもあれば、また、ホームルームなどを通じて、クラスにおいてそういった兆候がないか、改めて話し合ってもらうとか、また、先般、社民党の保坂議員からの提案もありましたが、チャイルドラインといったようなNPO団体の活動を通じて子供たちの声なき声をすくい上げる、そういった仕組みもとるなど、総合的な対処策が必要というふうに考えております。

 私は、これといった処方せんというのは難しいと思います。それぞれの立場で社会全体が、いじめている人、いじめられている人の気持ちを酌んで、そういうことはいけないよ、また、みんなで支え合おうよ、やはりこういう取り組みを続けていく必要があると考えております。

 改めて大臣の見解を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 私が出しましたメッセージは、記者会見で手紙を出した方に何か訴えることがありますかと言われまして、実は何の準備もしていなくて、とっさに申し上げたことでございますので、もう少しあれを加えておいた方がよかったかなとか思うことが後でございますが、先生がおっしゃったように、これは学校の問題であると同時に社会の大きな、豊穣の中の精神の貧困というんですか、豊かな中に、近代社会ではどうしても出てくる全社会的な問題の一端が学校にあらわれているというとらえ方をやはり私はすべきだと思うんですね。

 ですから、今、先生の御指摘のとおり、文部科学省として受けとめねばならない、また責任を持つ分野においては全力を挙げて国民の負託にこたえたいと思いますが、社会現象の一端であるだけに、すべての人がやはりそのことを考えて、いじめというのは実は学校だけじゃないんですよね。会社でもありますし、自民党の中にだってあるんじゃないんですか。だから、やはりみんなで助け合っていかないといけないということだと思います。

馳委員 先般、福岡の筑前町に大臣の命を受けて小渕政務官が調査といいますか、聞き取りに行かれましたが、そのときに現場で、亡くなったお子さんのお父さん、お母さん、また教育委員会、町と県、それぞれ事情を聞いてこられての感想をお伺いしたいと思います。

小渕大臣政務官 お答えいたします。

 私が調査に参りましたのは福岡県の筑前町というところでありますけれども、こうしたことは、決してこの地域だから起こったということではなく、やはりどの地域においても、どの学校においても、またどの子においても起こり得ることであるということを考えていかなければならないと感じております。

 その中で、何よりも、子供がサインを出しているということを事前に把握をしなければいけない。いじめの早期発見、早期対応が何よりも大事ではないかというふうに感じた次第であります。そのためには、やはり学校と地域、そして親御さん、家庭とがしっかり連携をして、こうした問題が起こったということを決して隠すことなく、しっかり表に出して、子供たちのサインにこたえていけるようにしていかなければならないというふうに思っております。

 また、学校で子供たちと一番近くで接する先生というものも大変重要であるというふうに思います。学校での生活の中で、子供のそうしたサインを一番見ることができるのがやはり学校の先生であると思いますし、そうした学校の先生が責任を果たすとともに、また教育委員会ともしっかり連携をとって、この問題は小さなことではなく、しっかりみんなが同じような責任を持ってとらえていくのだということでやっていかなければならないと思います。

 その中で、文部科学省といたしましても、そうした指導を徹底していけるようにやっていかなければならないと思いますし、現場としては、私が一番思った印象は、何と現場が混乱をしていることかというふうに思いました。ほかの生徒さんもいらっしゃることですし、まずは日常の生活を取り戻すということに大変必死であるというふうに感じました。そんな中で、子供たちが相談ができるように、また心のケアができるように、心理カウンセラーなども含めてしっかり対応していかなければならないと感じております。

馳委員 私、二つ申し上げたいと思うんですね。私も教員をしておって薄々わかるんです。あの先生にこの子供を任せたらこの学級はむちゃくちゃになるなということを校長もわかっていて、やはり寝食を忘れて取り組むような先生に問題児を結構預けるんですよ。そして、そういう預けられた先生方は本当に一生懸命やっておられるんですね。

 そういうことを考えると、やはり教職員の皆さんが研修において、いわゆるロールプレーとよく言うんですけれども、ケーススタディー、こういう事態にどういう対処をしたらいいか。そのときに、クラスの仲間、部活動の仲間、保護者の皆さんに具体的にどういう声かけをしたり、どういう支え方をしてもらうか、そのコミュニケーションのとり方、私はこれも一つの研修のあり方として今後考えていただきたい。また、教職員を評価するときに、数字ばかりで評価するのではなく、こういう事例にこういう対処をした、そういう報告を上げさせて、常にコミュニケーションをとりながら頑張っている先生をしっかり評価するということを、文部科学省にもより一層考えていただきたいと思います。

 次に、単位不足、未履修問題について伺います。

 旭川の学力テストの最高裁判例から、学習指導要領に法的拘束力があると言われておりますが、にもかかわらず、こういう問題が起きてしまった。そもそも、学習指導要領における法的拘束力とは何なのか。そして、一皮むけば、では、それを守らなくても罰則はないのか。やった者勝ちではないか、やはりこういう感覚を私は持ちました。いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 これは先生、二つの面があると思います。

 学校教育法に基づく政令、それに基づく大臣の告示によって学習指導要領というのは決めておるのは御承知のとおりです。学校教育法という法律の性格からいって、この法律に罰則を置くというのは、やはり立法政策上非常に難しいと思います。であるとすれば、この法に基づく告示、つまり、法の一部をなすものを的確に実行しなかった場合のペナルティーというか、いわゆる罰則に当たるものは何をもって行うかといえば、これは人事権であり、あるいは管理権をもって行うというのが通常でございます。

 したがって、私の気持ちとしては、非常に残念な気持ちで今おります。というのは、人事権と管理権がございません、今の法体系のもとでは。したがって、人事権を持っております教育委員会等にいずれこのことはお話をしなければいけないと思いますが、今は、三月までの受験を控えて、現場はこのことの収拾に大混乱というか、てんてこ舞いをしておるというのが実態です。ですから、先生のお気持ちと私は気持ちを共有しておりますが、まず、困っている子供たちを次のステージへ無事送り出すということだけはしっかりした後で、そのことは考えさせていただきたいと思います。

馳委員 次に、学習指導要領って何なのと。

 高校教育の現場では進路指導の先生の力が結構強いんですよ、教務の先生よりも。つまり、この学校の方針として何人、どのレベルの大学に進学をさせたかということに意識が行きがちで、生徒指導とか、日々の教務のこまを動かすこととか、そういう地道なことをする先生方の評価というのは意外と低いんです。まずここを押さえておいていただきたいと思います。

 その上で、この年代にこういうことを勉強してほしい、そして、高等学校は単位制ですから、この単位を取ってほしい。必修と選択必修という枠の中で選んでもらうわけですけれども、現実は大学受験のための受験予備校化をしているということが、今回の未履修問題の全国実態調査でうっすらと浮かび上がってまいりました。なぜか。地方が多い、公立よりも私学が多いということを考えると、一年生、二年生のときに学ばなければいけないような保健とか音楽とか情報とか、こういった科目を何となくすっ飛ばしておいて、裏番組をつくって受験のための主要教科をやっていた。

 私、ここも実は現場にいた教員としてわかるところがあるんです。中学校から上がってくる生徒の基礎的学力が、残念ながら期待している部分よりも落ちております。これを補ってやろうという親心も高校の先生方にはあるということも、私はあえて言いたいと思います。

 そこで、今現在ある学習指導要領で求めているレベルの学んでほしいことと、高校の先生方が、また保護者が求めている大学受験へ向けての予備校化した中での学力のギャップをどう埋めていくのか。ここに手をつけなければ、残念ながら、文部科学省としても肝心な議論が抜け落ちてしまうことになると思います。この辺を今後どう考えていかれますか。

伊吹国務大臣 今回の残念な未修事件の裏には、まさに、先生がおっしゃったことはそのとおりだと思います。

 巷間、大学入試に合わせて学習指導要領を見直して、そして不必要なものを落としていけという意見がありますが、私は、これはとりません。これはおかしいんじゃないかと思います。例えが適当かどうかわかりませんが、耐震偽装の強度を守っていないところがどんどん出てくるから建築基準法を変えろというのは、やはり本末転倒の議論だと思います。学習指導要領は、高等学校で実社会に出る人もおります。そして、大学に行った場合に、確かに中学校からの基礎学力が不十分だという御指摘も踏まえなければなりませんが、やはり必要最低限の学力と教養のレベルというものを学習指導要領で示しているわけですから。

 大学の入試は、大学で教育をするために必要な科目を押さえるという面が非常に強いです。しかし、大学生になる一番大きな条件は、高等学校を卒業しているということなんですね。卒業予定だということで試験を受けておられるわけです。そして、大学入試に見事に合格すれば、校長の認定した卒業証書を条件として入学するわけですから、これが守られないんじゃどうしようもありません。

 ですから、私は、学習指導要領というのは、もう少し広い立場で、もう少しここを、こういうものが高等学校卒業生としては必要じゃないかというものは必修に入れてくる。そして、まあここは高等学校でやらなくてもいいものは外していくということはぜひやらねばならない、学習指導要領の見直しとして。

 そして、それを前提に、例えばセンター試験では、必修科目をやはりすべてきちっと、一定以上の点数があるかどうかということを確認するために使うべきだ。もちろん、今、私学でセンター試験を利用しておられない学校もございます。けさも担当者と話しておったんですが、世界史は必修になっていますね。日本史と人文地理がどちらかの選択になっておりますね、高校では。ところが、世界史と日本史の試験が同時期にある、同時間にあるということであれば、日本史はとらなくなりますよ、これは。そういうセンター試験のあり方もやはり変えなくちゃいかぬ。

 だから、少なくともどこかで、先生がおっしゃったように、予備校じゃないんですから、高等学校を出た、ある程度の習熟度をチェックする。それを校長の認定の卒業証書だけに任せておくというのは、私はちょっと考えなくちゃいかぬなと。今、私は、先生のおっしゃったのと全く同じ問題意識で、高等学校までを所管している初中局と高等教育局に、今の私の言ったことを踏まえて、少し結論を出しなさいということを指示したところでございます。

馳委員 最後に、ちょっと組織の話を提案ないしは意見を求めたいと思います。

 高等学校までは公教育というふうに私たちは判断しておりますけれども、私学は知事部局が担当し、現実的には私学助成の金の割り振りで手いっぱいなんですよ。今回の問題が出てきたときに、教育内容についてどうなんですかと。

 実は私の母校が石川県の星稜高校なんです。未履修の問題もありましたが、どうだと、そういう教育課程の編成権は校長にありますが、報告をしたときに、それに対しての指摘とか、今回のことでも相談に応じてくれましたか、日ごろからどうなんですかと聞いたときに、石川県の私学を担当する総務部には教育のより深い専門家はおりませんし、日常的に人事交流はなされていません。これは各都道府県も皆さんお調べいただければわかると思いますが、私学の担当で教育について、高等学校もある意味ではいわゆる公教育ですよ、教育について非常に詳しい、教育課程の問題、内容の問題、いじめの問題等、連携がとれておりません。

 私学は経営という問題もありますが、経営の問題、私学助成の問題はさておき、今後、教育内容の問題、特に大事なのは、情報がほしい、でも情報はなかなか回ってこない、日ごろから相談に乗るようなカウンターパートもいないというのが、全国の私学関係者の一つの本音なんですよ。とすると、都道府県の教育委員会において私学を所管するという組織のことも考えていただきたいというのが、私の考えの一つ。

 もう一つは、これは小中学校の校長、教頭、教職員と私が日曜日に話してきましたときに、疑問が一つ出たんです。教育委員会の中に児童生徒課があって、教職員課があって、それぞれ課長がいるんですよ。そのそれぞれの課長のもとに指導主事などいるんですが、児童生徒課のことを調べに来る、教職員課は教職員課の所管する事項を現場に調べに来る。

 ところが、現場の先生からすれば、児童生徒にかかわることは教職員にもかかわることなんですよ。だったらば、学校教育課というふうな一括した中で来てもらわないと、情報が、児童生徒課から上がっていく情報と教職員課から上がっていく情報と、教育委員会の中で縦割りになっていて、おいおい、同じことを二回も言わせるのか、やらせるのかよという不満が実は現場の先生方にあるんですよ。

 こういった組織について改めて見直していただきたいということを申し上げて、私の質問を終わりますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 先生は文教行政に大変御造詣も深いんですが、今回の未履修の問題を体験してみて、私が考えていることと同じことを先生が今おっしゃっていただいたと思います。

 私学は、まことにこれは問題があると思いますね、今の行政のあり方は。ただ、戦後のいろいろなやりとり、反省の中で、教育委員会に所管をさせるか、それとも独立をさせるかというのはやはり当時大きな議論があったようです。そして、今回の教育基本法にも、私学という一項を政府案でもつくっておりますし、民主党案でも建学の精神の尊重というのを書いておられるわけですよ。

 今先生がおっしゃったように、情報が欲しい、もっとしっかりとやってほしいから教育委員会の所管にしてほしいという声を私学の皆さんからどんどん出していただければ、私はその方向も一つの考えだと思います。

 しかし同時に、私学というのは、できるだけ教育委員会行政の制約を外れて自由度を大きく持って、私学の本来の建学の精神を実現していきたいという思いの方もおられるわけです。

 ただ、今回は、学校教育法というすべての学校をカバーする実質的な法律違反を犯されたわけですから、これも人事権がありませんので、学校の設置者がやはりこのことは十分反省をしていただかねばいけないことだと思います。

 後の方の問題は、国がどの程度教育委員会に関与できるかという、今非常に大きくクローズアップされてきた問題の一環でございますので、これは各党で少し深く掘り下げた議論をぜひしていただきたいと思います。

馳委員 終わります。

桝屋委員長 次に、遠藤乙彦君。

遠藤(乙)委員 おはようございます。公明党の遠藤乙彦でございます。

 私は、いじめの問題からお聞きしたいと思っております。

 今回、いじめ問題が発生をして、いろいろ調査をしている中でふと思ったのは、これだけ重大な社会現象、どこでもいつでも起こり得る、しかもかなり恒常的に起こってきている話でありますので、このいじめの防止対策にかかわっていくに当たって法的基礎が果たしてあるのかどうかということをちょっと考えてみたら、余り見当たらないという感じがいたしまして、これでいいのだろうかという問題意識を持った次第でございます。

 そこで、まずこれは文科省にお聞きしますが、いじめ防止対策にかかわる法的基礎は何かあるのかどうかということを改めてお伺いしたいと思います。

銭谷政府参考人 いじめ防止対策にかかわる法的な基礎というお尋ねでございますけれども、まず、いじめの中でも、例えば暴力を伴うようないじめというものにつきましては、いわゆる暴行罪等の刑罰法規に触れるという行為になりますので、こういうものは当該法規に基づいて処罰がされる。同様に、金銭の強要といったようないじめがある場合も、法規に基づいた処罰等がなされるものと認識をいたしております。

 それから、学校教育上の体系といたしましては、こういういじめがあった場合には、児童生徒の懲戒処分ということの対象になるわけでございますけれども、高等学校はともかく、公立の義務教育諸学校におきましては、いわゆる退学等の処分ということがございませんので、実質的には、子供に対して訓戒をするというような対応をせざるを得ない。

 ただ、学校教育法におきまして、他の児童生徒、いじめられる児童生徒、こういった児童生徒の学習の権利を保障する観点から、いじめを行っている児童生徒に対して出席停止という措置はとれることになっております。現実に、この出席停止制度によりまして、いじめる児童生徒に対してこういう法的な措置を講じているという例もあるわけでございます。

 私ども、こういったいろいろな制度の適切な運用を含めて、学校としてこの問題に毅然として対応していく必要があると思っているところでございます。

遠藤(乙)委員 私も、このいじめ問題を少し調べるに当たっていろいろ資料を読んだ中で、一つ参考になったのはスウェーデンのいじめ対策なんですね。

 これはスウェーデン在住の日本女性の書いた本で、「福祉先進国スウェーデンのいじめ対策」という本が出ております。二〇〇〇年に出た本でちょっと古いんですけれども、やはりスウェーデンも御多分に漏れずいじめが大変深刻である。家庭の崩壊、特に離婚が、二組に一組が離婚、最近では特に十組に六組が離婚というような、ますますひどくなっている。ほとんどが、片親の家庭が多くなっている。核家族すらも崩壊しているという状況。またあるいは、連れ子同士で再婚してまた子供が生まれて、非常に複雑な家族になっているということで、家庭環境が一般的にちょっと悪くなっているという状況があります。

 したがいまして、非常にいじめも深刻な事態になっているということでありまして、そういった中で、スウェーデンとしても、ここ二十年ぐらい一生懸命対応してきて、特に九〇年代に入ってさまざまな抜本的な施策を打って、これはかなり効果を上げているということで、非常に参考になったわけなんです。

 そういった意味で、まず法的な基礎を明確にしていくというのは非常に大事なことではないかと考えておりまして、例えば、このいじめ問題は、まず子供の人権問題として把握する必要があると思っております。

 特に日本の場合も、いわゆる国連の子どもの権利条約に参加し批准もしております。ここの第十九条に、締約国は、あらゆる形態の身体的、精神的な暴力、傷害もしくは虐待、不当な取り扱いまたは搾取などから児童を保護するためのすべての適当な立法、行政、社会教育上の措置をとると規定してあるわけですね。

 既に児童虐待防止法等もできておりますし、また、自殺防止法等も最近できたわけでありますけれども、こういった中で、特に子どもの権利条約に明確に規定されているわけでありまして、まさにいじめ問題はこれに該当するものではないかと思っておりますので、むしろ、本格的にいじめ対策、これほど深刻な社会問題を解決していくためにはやはり国がしっかりとリーダーシップをとって、法的な基礎、例えばいじめ防止対策基本法のようなものを制定していくことがまずは重要な取っかかりになるのではないかと私は考えております。

 この件につきまして、大臣の所感をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 いじめ対策基本法的法律を例えば議員立法等でおつくりいただくということは、非常に有意義なことだと思いますが、先ほど馳先生の御質問にもありましたように、いじめをどう定義するかというのは、これは先生、やはり非常に難しいんじゃないでしょうか。特に、受けている方がそれをいじめと認識しても、いじめている方はそれをいじめと実は認識していないというケースがございますね。

 ですから、やはり一種の刑罰的犯罪を構成するためには、両者の間で暗黙の加害、被害の認識が共通をしておりませんと、罰則をつけた法をつくるというのは立法政策上非常に難しいということは我々大学のときに習ったことなんですが、防止のための基本法をつくるという今の御示唆は、大変私は有意義なことだと理解しております。

遠藤(乙)委員 そこで、例えばスウェーデンのケースですと、幾つか法的な基礎があるんですが、まず教育法第一章二条に、校内に働く職員は、ある生徒が他の生徒を侵害するような行為に対しては絶対阻止しなければならないという規定があります。

 また、九四年度に制定された学習プラン、これも法律の一種だと思いますけれども、学校においていじめは絶対にあってはならないし、そういう傾向に対しては、積極的に対処しなければならないという規定があるほか、特に校長の責任、校長は学校の最高責任者であり、特に校内で働く職員や生徒に対するいかなる嫌がらせやいじめも阻止しなければならないし、自分の学校のいじめ対策プランを作成する責任がある、こういった規定をしております。

 また、そもそも労働環境法令の中で職場におけるいじめが禁止されておりまして、それが学校、児童にも適用されるという構造になっております。

 また、いじめに関する法令として、特に、九三年に子供オンブズマン法という法律が国会を通りまして、まさにいじめに対する組織、機関として政府のもとに子供オンブズマンというのができて、これが中心になって全国的にいじめ問題を総括し対処するという形になっておりまして、こういった法的、制度的枠組みまた組織がつくられることによって、かなり前進があったということであります。

 そういった意味では、我が国もこういったことを参考にしながら、ぜひいじめの問題、確かに、おっしゃるように定義は非常に難しいし背景は非常に複雑でございますが、拙速なことは慎むべきだと思いますけれども、十分な調査研究、実態調査を踏まえた上で、これだけ子供たちが悩んでいる問題に対しては国としての何らかの明確な姿勢を示すことが必要だと思っておりまして、ぜひとも、そういった点でまた御検討を賜ればと思っているところでございます。

 そこで、次のテーマになりますが、法的な枠組みとともに組織ですね、具体的に行動する組織。やはりいじめの問題は、いろいろな方がおっしゃっていますけれども、早期発見、早期対処ということが何よりも大事であって、そのために、いじめというものを把握し、またすぐに対処してくれるような行動する組織、これは公的機関であれ、あるいはまた私的なNPO等であれ、そういったものがしっかりとできて、連携をしながらいじめ対策にすぐに手を打つ、これが何よりも今求められていることではないかと思っております。

 特に、今御紹介しましたスウェーデンの場合には、子供オンブズマンというのができて、これが中心になって、事務局があり、またアドバイザリーグループがあるわけですけれども、そのほかさまざまな、警察や厚生労働省関係あるいは赤十字、いろいろなところが連携して、民間も連携した上で地域のネットワークをつくり、対処していく、これが非常に効果を上げつつあるというふうに聞いております。

 そういった意味で、そういったさまざまな官民の組織の連携を促す意味からも、ぜひ政府の機関として子供いじめ防止対策本部なり、あるいは何かそういったものをつくることが、実際にいじめ対策を推進する一つの重要な推進力になるのではないかと考えておりますけれども、この点についてはいかがでしょうか。

伊吹国務大臣 社会が随分変わってまいりましたから。私は、やはり本来は、家庭というものが子供の変化を見抜く一番スタートだと思いますね、それから地域社会。ところが、残念ながら今、この二つが時代の変遷とともに大きく崩壊を始めてきていて、学校に大変重荷がかかっているのが現実ですね。

 ですから、先生がおっしゃったように、いろいろな手だてを講じなければなりませんが、我が省においても、地方の教育委員会にお願いをして、そして、公明党さんなんかも非常に熱心にこれを推進しておられますが、学校の協議会、学校を取り巻く地域の人たちが学校を支えていく組織、こういうものを充実させていく。それから、馳先生なども非常に熱心にやっておられる電話ですね、電話で子供の悩みを聞いてやる。いろいろなことを御指摘のように複合的にやっていかないと、家庭の力、地域社会の力が非常に落ちてきておるだけに、子供の、早期発見、早期対処と今先生おっしゃったことが非常に難しくなってきておりますから。

 御指摘は、もう全くそのとおりだと思います。

遠藤(乙)委員 それから、いじめの把握なんですが、これがなかなか難しい状況があるわけでございます。特に、子供の目から見たいじめというものの実態を正確にキャッチすることがやはり大事だと思うわけなんです。

 そういった意味で、例えば、さっきのスウェーデンのケースでも、子供オンブズマンが九五年に、十三歳以上を対象に五万人のアンケートを一斉にやっているんですね。非常にいじめの実態また具体的な提言も出てきて、非常にこれは参考になったということでありまして、やはり、大人だけが議論して、大人が分析して、大人で決めるだけではなくて、実際に子供の目で、いじめがどうなっているのか、どうしたらいじめはなくなるのか、そういう声を聞くことは非常に重要ではないかということであります。

 スウェーデンの場合、人口九百万人で五万人ということですから、日本でいえば五十万人以上に当たるんでしょうけれども、そこまでやるかどうかは別として、かなりの広範なそういった調査、アンケート、子供の声に直に耳を傾けるということ自体が、いじめに対する重要な解決のステップになるんではないかと思うんですね。

 特に、子供から見ると、大人が信頼できない。親も理解してくれない、学校も受け付けてくれない、仲間もだめ。そうなると、いじめられている子供にとっては、まさにそういった狭い世界、生活世界の中すべてが否定される。孤独感、孤立感、それから無意味感、無力感、そういったものにさいなまれて自分自身が嫌になって、それで自殺に追い込まれるということが、そういったいろいろな例だと思うんですね。

 したがいまして、ぜひ、子供の立場に立った実態把握、また子供の参加というものを逆にこれから促進していく中でいじめを解決するという姿勢が非常に大事じゃないかと思っておりまして、この件につきまして、大臣の所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 先生のおっしゃっていることはそのとおりだと思いますし、予算あるいは調査の機関等を考えて、有用な御提言として受けとめさせていただきたいと思います。

遠藤(乙)委員 それからもう一点、早期発見、早期対処が重要ということを皆さん言っていらっしゃるわけですが、やはり早期発見、非常に重要だと思います。

 実際、今のいじめが非常に陰湿化している、大人の目に触れないようにやるわけです。学校の先生の目の前でいじめをやる子はいないわけですし、また、人にわかるような形でいじめをやるわけじゃなくて、陰湿になっていて、またいろいろな手段も進んでいる。例えば、携帯電話のブログを使って集中的に書き込みをしていじめるようなこともあるらしくて、大人が知らないようなところでいじめが進行しているという実態があるわけでして、ぜひともこういったことの把握が必要だと思っています。

 そこで、今のいじめの把握は、実際に子供から訴えがあったときに初めて、それも何度も何度も訴えがあったときにやっとそれを取り上げるような状態になっておりまして、極めて受け身になっています。カウンセラーも配備されておりますけれども、それも相談があって初めて動くという状態でありまして、なかなかいじめに対して実効性のある解決ができないんじゃないかと思っておりまして、むしろ、能動的ないじめ発見システムということをしっかりとつくることが、いじめ対策の先決じゃないかと思っております。

 例えば、いじめを見るには授業中ではわからないわけであって、休み時間とか放課後とか、そういうところにむしろいじめの端緒が見えるわけであって、そういったところを先生が巡回するとか、何らかの形でウオッチするようなシステムがあってもいいかもしれません。

 そこで、またスウェーデンのケースなんですけれども、スウェーデンでは、このいじめ対策の一環として、フレンドサポート制というのを導入したそうでございます。これは、簡単に言いますと、十八歳から二十五歳ぐらいの若い青年男女ですね、人物、識見もしっかりしている人たちを学校の職員として採用しまして、大体生徒七、八十人から百人に対して一人ぐらいの割合でフレンドサポーターというのを採用して、その人たちが休み時間などに校内を監視していじめが行われていないかどうかを見る、ひとりぼっちの子がいたら声をかけて、ちゃんと居場所づくりをしてあげる、またいろいろな問題に相談に乗ってあげる。これが非常に好評で、また功を奏して、いじめがかなり減ってきたというふうに言われております。

 特に、年とった教頭先生なんかが対処するよりも、やはり年の近いお兄さん、お姉さんみたいな人たちが相談に乗ることが非常に話しやすいし、そういった意味で、何でも相談できるお兄さん、お姉さん、あるいはまた、時にはびしっと物を言ってくれる存在があった方が子供たちにとっても非常にコミュニケーションがしやすいということがあって、これがかなり効果を上げているということだそうであります。

 こういった、能動的に子供たちに話しかけ、また、いじめの実態をキャッチし常に行動できるシステムを導入することも、これは当然予算がかかりますけれども、非常に効果のあることだということがスウェーデンの例から報告されておりまして、いわばフリーター対策にもなるかもしれませんし、いろいろな意味で、これは子供たちにとっても、また、そういったフレンドサポーターになる青年にとっても非常にいい経験を得るチャンスじゃないかというふうにも考えられますので、ぜひこれも検討課題として今後ひとつ考えていただければと思っております。

 この件につきまして、もし大臣、御所見があれば。

伊吹国務大臣 一つの有用な御提言だと思いますが、私も、現場の先生の何人かの方とお話をしてみました。子供の兆候をできるだけ早くつかむ、子供が話しやすいような雰囲気をつくる、随分努力をして、そして、その兆候をつかんで、いじめている方の御父兄に話すと、大体、大変な批判を受けて、人権問題その他ということになって、教師の立場としてはまことに困るという声が結構あるんですね。

 ですから、昔ということを言っちゃいけませんが、終戦直後だったですが、私たちは体罰をよく受けたりしまして、当時もそれは人権侵害だとかどうだとか、いろいろなやりとりがありましたけれども、いじめている方の親御さん、あるいはいじめられている方の親御さんも、教師をどの程度やはり信頼してあげるかという素地がございませんと、今の先生のおっしゃった、ボランティアの方を使って発見をして防止に入ろうとすると食ってかかられちゃうというのでは、これはなかなか制度がうまく動きませんので、そういうところの御父兄たちへの啓発活動もあわせてやる必要があると思いますね。

遠藤(乙)委員 その点も、いろいろなマニュアルが経験を通じてできているそうで、すぐに親に話さない方がいいというのがどうもスウェーデンの例らしいですね。

 要するに、そういったフレンドサポーターが見つけた場合、それをいわば極秘にしておいて、直接個別に子供たちにすぐにやると。もし、そういう何か相談があるみたいなことが事前に漏れると、必ずそうじゃないということを言い張ることになるので、そういった意味で、いじめ対策の戦略、戦術が必要だということで、すぐに親に話さない方がいい、子供たちの間に直に話をして、お互いに率直に話し合ってやった方がいいということがマニュアル的にも出ているらしくて、そういった非常に参考になるケースなんですね。

 ぜひ、こういったほかの国の例も研究していただいて、何か我が国の参考例にもしていただければと思っているところでございます。

 もちろん、一番大事なのは、何よりもやはり教師だと思います。現場の教師が一番大事なんですが、ただ、教師の人たちもいろいろ、経験の不足の問題もあれば、また、いろいろな雑務に今の先生方は追われておりまして、子供と向き合う時間がそもそも少なくなっている、これが非常に背景にあると思いますので、そういった意味でも、これも予算が伴う話ですが、定員増とか、そういったことも含めて検討することが非常に大事じゃないかと思っておりますので、総合的にぜひ大臣の今後のリーダーシップを期待したいと思っております。

 続いて、時間が余りありませんが、未履修の問題につきましてお聞きしたいと思っております。

 今回、とりあえず三年生について現実的な対応が迅速に図られたことは評価をしたいと思っておりますが、ただ、こういった問題が起こってくるに当たっては、やはり責任の所在あるいは処分といったものが当然あるかと思うんですね。これはおろそかにすべきではない話なんであって、きちっとした対応をしなければ今後再び起こってくるであろう。履修漏れというよりも履修逃れという状況の方が当たっているというふうに言われておりまして、やはりそこら辺はきちっとする必要があるかと思っております。

 責任の所在、また処分の問題につきまして、大臣はどのようにお考えか、お聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 未履修の問題は、一つは、先生の御指摘のとおり責任問題をどうするか、もう一つは、先ほど馳先生がおっしゃった、大学入試との関連において高校に課している学習指導要領をどう考えていくか、この二つだと思います。

 先生の御指摘の部分については、まことにこれは残念なことなんですが、私には何の権限もございません。人事権は、高等学校の教師については、基本的には都道府県教育委員会と政令市の教育委員会、それから、私学については、これは都道府県にもございません、私学の設置者にあるわけですね。ですから、どこかで私どもの考えていることを一般に明らかにしなければならないと思います。

 既に未履修の処理案を各都道府県に通知いたしましたときに、都道府県の教育委員長と政令市の教育委員長に私が私信という形で、率直に言えば、もう少し使命感を持って教職員を指導していただきたいという手紙を出しております。どう受けとめておられるかをこれからちょっと拝見したいと思っておるわけですが。

 ただ、先ほど来申し上げておりますように、現場が今非常にこの問題で混乱をしておりますので、一段落をいたしました段階で、文部科学省としての考えは明らかにしなければならないだろう。それまでに軽微な処分まがいのことでお茶を濁さないようにという事務的な御連絡はしてございます。

遠藤(乙)委員 当面の混乱の収拾が第一ということは当然でございまして、ぜひ、そういったステップを踏んで、きちっと対処をお願いしたいと思っております。

 それから、もう一つの問題として、今大臣も御指摘になりました、この未履修問題が発生している構造がやはりあると思います。特に指導要領と入試制度の関係、あと、ゆとり教育といった考え方、この間にそごがあるためにこの未履修という問題が発生してくるという構造的なゆがみがあるのではないかと思いますので、当然、今後の課題として、ここら辺の整合性をどう考えるかということは、先ほど大臣の御答弁にもあったように、センター試験のあり方等も含めて十分に御検討いただきたいと思っております。

 そもそも、必修という考え方ですね。これをどう位置づけ、考え、また社会としてコンセンサスを持って、必修ということを本当に重要なものとして受けとめているかどうかということが大事だと思うわけであります。

 そういった意味で、もし時間が限りなくあれば、必修をたくさんふやしてどんどんやらせれば教養のある人間になるかもしれませんが、限られた時間の中で必修という非常に重いものをやらせるためには、ある程度これは厳選していく必要があるのではないかというふうに私は実は思っております。逆に、もっともっと選択の幅を広げて、生徒の関心、意識に従って、自由な将来のキャリア形成に向けて選択の幅を広げてあげた方が現実に合っているのではないかと私は思っております。

 特に必修については、私は、広い意味の言語能力、これをきちっとつけておくということが、将来的にも、どんな分野に行こうが、何をやろうが非常に大事なことであると思っておりまして、自分で時間があるときにやれる問題、あるいは意識があればできる問題、生涯学習の中でやっていけばいいことについては、それはおいておいて、非常に時間のかかる、非常に大変な、広義の言語能力の習得ということをぜひ深掘りした方がいいのではないかと思っております。

 そういった意味では、国語、これは大変重要でございます。それから数学ですね。これも、数学もまた言語なりということであって、国語とは違いますけれども非常に重要な、自然界あるいは宇宙というものを把握していくための重要な一つの言語であって、これを知らないと大変損をすると、私は今になって思っております。「博士の愛した数式」という本が話題になり、映画にもなりましたけれども、ああいう授業をやってくれたらもっと数学よかったのよと、非常に今悔やんでなりませんけれども。

 さらにまた、英語ですね。インターネットの世界、また現実の世界において、いろいろな情報の最大の一つのベースである英語というものを知らないと、これはやはり日本人として現実に損をするだろう、また視野が狭くなるということで、これも大事な必修ではないか。特に、コミュニケーション能力ですね。教養としての英語というよりも、実際に使える英語をどれだけ国民の多くの人が蓄積するかということが、今後の日本の情報化にとって非常に重要なテーマになるかと思っております。

 あるいはまた、情報言語ですね。インターネットやコンピューターの情報言語、これもしっかりと学んでおくことが、これからの情報化社会、知識社会にとって大事なことであります。

 なかなか時間がかかり、大変な基礎作業で、しっかりと高校時代につくっておいて、将来どんな分野に進んでもその世界に入っていけるような能力をつけることこそがむしろ必修ではないかと思っておりまして、そういった意味では、学習指導要領のあり方、必修の考え方についても、中教審だけではなくて実社会の意見も聞くなどして、ぜひ幅広い視点から日本の将来を見据えて検討していただければと思っております。

 この件につきましても、大臣の所見をお願いしたいと思っております。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃったことは、総論としてだれも反対はしないと思います。ただ、高等学校のお話をしていらっしゃると思いますので、プラグマティカルに言うようなものはどうなんだと。しかし同時に、人間としてリベラルアーツ的な深み、これをどういうふうにつけていくかということは、やはり高等学校を出て実社会に出る人もおるわけで、大学へ行って専門的なことを勉強してしまうわけですから、ここのところは広く意見を聞いて、先生のおっしゃったことも参考にして、学習指導要領を考えていくということだと思います。

遠藤(乙)委員 私の意見も一つの意見であって、決して自分としても結論を得たものではありません。ぜひそういう幅広い視点から、特に日本の将来、世界のあり方、人間のあり方を深く考察した上で、必修というものをコンセンサスを持って決めていく、そういうことをお願いしたいと思っておりまして、ぜひとも大臣のリーダーシップに期待をしたいと思っております。

 以上で私の質問を終わります。ありがとうございました。

桝屋委員長 次に、笠浩史君。

笠委員 民主党の笠浩史でございます。

 きょうは、いじめと未履修の問題ということなんですが、実は、ちょっとそれに先立ちまして、昨日、教育特別委員会の理事会の方に、九月二日に青森県の八戸で行われたタウンミーティングの件についての調査報告が内閣府の方から出されましたけれども、大臣、これはお読みになりましたか。

伊吹国務大臣 拝見をいたしました。

笠委員 私、この件が特別委員会で出てきたとき、最初、内閣府がこのタウンミーティングを主催いたしておりますので、内閣府がやったことかなと正直思っていたんですね。しかし、昨日の報告書だと、文部科学省が、いわゆるやらせと受け取られるような質問の依頼、その文書を作成した。当初、内閣府の方では呼びかけをして、大体こんな質問が出てきますよというものが文部科学省の方に報告をされて、そして、それを目にした文部科学省の方からつけ加える形で、この教育基本法、政府の改正案というものに沿った形の、問題になっていた下線を丁寧に引いてあるような依頼があったということで、それがまた教育委員会を通じて流されていくという、これは本当に大変なことだと思うんですね。

 これは当然、伊吹大臣が大臣のときではございませんから、過去のことではございますけれども、やはり国民の意見をしっかりと幅広く聞く、あるいは政府の考え方というものをしっかりと説明していく場であるべきタウンミーティングが、こういう意図的に、やらせミーティングと言われてもおかしくないような状況を生んでしまった原因が文部科学省にあるということについて、大臣の御所見をお伺いいたしたいと思います。

伊吹国務大臣 基本的に、私たちの国は、選挙による代表制によって、多数決原理で動いて意思決定が行われているわけですが、同時に、何度かに一度の選挙で選ばれた者が選ばれたから何をしてもいいというおごりを持ってはいけないわけですから、おっしゃったように、タウンミーティングその他において、しっかりとその時々の有権者の声を聞いていくということはなければなりません。

 同時に、先生もテレビ局におられましたが、やはり大衆の声を報道する報道機関にもある程度の報道機関としての責任があるのと同じように、タウンミーティングにおいても、やらせなどということはあっては、全く私は不適当なことだと思います。

 事実関係は先生がおっしゃったとおりでほとんど間違いはないと思いますが、あえて若干の文部科学省としてのコメントを申し上げますと、当初の質問が出てきた、そしてその質問について、これは教育基本法についてのタウンミーティングをやる、教育再生についてのタウンミーティングをやるということだったんですが、教育基本法についての御質問がほとんど、直に結びつく御質問がなかった、だから、こういう質問をぜひしてもらいたいということを書いて、内閣府にお返しをしたという経緯があるようです。

 それが結果的に、今先生が御指摘になったようなやらせという結果になっているわけですから、これは謙虚に反省をして、内閣府からの問い合わせに対する答え方等については十分謙虚に対応をしていかねばならないと思いますから、御指摘のことは決していいことであるとは私は思っておりません。

笠委員 大臣、教育基本法について、その賛否も含めてもっといろいろな意見を伺いたいということを言うのは私、いいと思うんですよ。ただ、問題は、この「時代に対応すべく、教育の根本となる教育基本法は見直すべきだと思います。」とか、「個の尊重が「わがまま勝手」と誤って考えられているのではないかという気がしてなりません。教育基本法の改正を一つのきっかけとして、もう一度教育のあり方を見直し、みんなで支えあって生きていく社会、思いやりのある社会の実現を目指していくべきだと思います。」とか、こういった、まさに教育基本法の政府案、この改正案というものが必要なんだということを言わせていくということは、私は、やはりこれはやってはいけない。この部分がまさにやらせだと言われている点なんですよね。

 ですから、この教育基本法の問題に限らず、これまで行われてきた過去のタウンミーティングについても今、調査が行われていると思います。そうした中で、やはりこれは文科省としても、なぜこういうことが起こったのか、あるいはこういうことがいつも行われてきたのか、その点は、まさに今の大臣が最高責任者でございますから、しっかりとその指導、事実関係を積極的に明らかにしていただいて御指導を、二度とこういうことが起こらないようにその力を発揮していただきたいと思います。

 そのことについて一言お願いします。

伊吹国務大臣 責任者として拳々服膺させていただきます。

笠委員 きょうは、このことをずっとやっているとすぐに持ち時間が参りますので、また別の機会にこの点については改めて、すべての調査結果が出てきた時点で伺いたいと思います。

 まず、きょう資料をお配りしておるんですけれども、文部科学省が九月の十三日に発表している「平成十七年度 生徒指導上の諸問題の現状について」という冊子がございます。これは、いじめの発生件数でありますとか、あるいは高等学校における不登校生徒数であるとか、中途退学者あるいは自殺者数といったものが毎年公表されているわけでございますけれども、実は、小中高校生の自殺者数の推移というものが警察庁からも発表されているわけですね。これがお手元の資料の表一というものでございます。そして、表の二が文部科学省発表の公立学校の自殺者数の推移。つまりは、警察庁の発表の方には私立学校が含まれているということなんです。

 ただ、私、これを見てちょっと驚くんですけれども、圧倒的に私学に通う児童生徒さんというのは少ないわけですよね。しかし、これだけの数字の開きがあるということは、これはどういうことなのか。

 例えば、中学生、高校生について、この文部科学省の公立学校の自殺者の数がもし正しいとすれば、私立学校の中高校生の方が公立学校の生徒よりも二倍、三倍の自殺者がいるということになるわけですね。一方で、私立の学校に在学する生徒さん、これは中学校で六・七%、高等学校で二九・六%です。

 公立に比べて私立に通う生徒さんがこれだけ少ない中で、自殺をする人だけは飛び抜けて多いというのは、これはどういうことなのかなと本当に疑問を感じるわけですけれども、大臣、いかがですか。

銭谷政府参考人 ただいま先生から、警察庁の自殺の数と文部科学省の調査の自殺の数について大変そごがあるというお話がございました。

 私どもの調査というのは、児童生徒が亡くなった場合に、学校が把握をして、その亡くなった原因が学校として自殺である、こう判断をしたときに教育委員会を通じて報告をしていただいている、そういう数字でございます。これに対しまして、警察庁の調査は、捜査権限のある警察による検視、事情聴取の結果を集計しているということでございますので、調査のシステムが違うということを申し上げざるを得ないわけでございます。

 学校は、児童生徒が亡くなった場合に、遺族から聞き取るなどをして、児童生徒の亡くなった事情の把握に努力をしているわけでございますけれども、学校として自殺であることの裏づけを確認できず、自殺であるという判断ができない場合とか、遺族の申し出によりまして報告されない場合もあるというふうに思われております。

 ただ、数が違うということは、これは厳然たる事実でございます。私ども、今後、この児童生徒の自殺の調査につきましては、やはり学校と警察の連携を密にするという観点や、学校の把握のあり方等につきまして実は今、児童生徒の自殺予防の取り組みに関する検討会という専門家の会議を設けておりますので、そういった検討会の議論を踏まえながら、より正確な調査になるように考えていきたいというふうに思っているところでございます。

笠委員 だったら、学校発表のとかそういうのを入れてもらわないと。

 まさにこれは文科省が発表して、政府の発表ですよね。そうしたら、多くの方々が、今自殺するお子さんがどれぐらいいるんだろうとか、そういったことに関心を持ったときに、この政府のデータ、これは間違いのない数字だと。しかし一方で、警察庁から発表されている数字とは倍違っていたり、場合によっては三分の一だったり。逆に、そういうことであれば、無理して発表する必要はないんですよ。例えば、児童生徒の自殺者数は一六・七%減っています。減っていないんですよね、この警察庁の数では。そういうふうになると、同じように書かれているいじめの発生件数だって、七・一%減となっています。しかし、これも本当かなと。

 ですから、こういうデータ、数値というもの、今の現状、実情というものをもし政府として、文科省として発表されるのであれば、それなりの責任を持ってしっかりとやっていただかなければ、これまでもさまざま指摘されている、いじめの原因による自殺というものは九九年以降、七年間ゼロ件である。でも、ほとんどの国民の皆さんは、そんなことはあり得ないと。連日のようにいろいろな形で報道に接する中で、もう学校だって認めている場合もある、あるいは教育委員会が認めているケースだってあるわけですよね。

 ですから、恐らく、学校から報告を受け、あるいは教育委員会を通じて上がってきた数字をそのままに集計した結果がこのデータになっているんだと思うんですけれども、やはりこういうデータというものについては、今後責任を持って、当たり前のことですね、ずっとこれだけのそごが出ているわけですから。

 局長、ずっとこれを毎年見ていますよね。何でこんなに開きがあるんだろうと、正直、感じられたことはないですか。いや、今になって、今から警察ともよく連携してとおっしゃいますけれども、かつて、そういう疑問を持たれたことはないですか、いかがですか。

銭谷政府参考人 警察の発表の自殺の数と、文部科学省に学校が、これは自殺だということで教育委員会を通じて上がってきている数、この差があるということは認識をいたしておりました。

 それで、どうしてこういう数字になるんだろうかということをいろいろ聞いてみたわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、子供が亡くなった場合に、学校としてこれは自殺であるということがなかなか確認ができないとか、あるいは御遺族の方がこれは自殺ではないといったふうに言ってくるケースもあるといったようなことを聞いておりまして、そういう状況なのかなと思っておりましたが、いずれにしても、警察の数字と学校からの報告の数に差があるということは、繰り返しになりますけれども、私は感じておりましたので、調査の方法については検討を加えなければいけない、こう思っておりました。

笠委員 このデータは、別に遺族の方を公表するとかそういうことじゃございませんから。

 要は、隠しておきたいわけですよね、何でも。何でも改善していますよと。そういうふうに思われたって仕方ないじゃないですか。私は警察庁の発表の方が正しいと思いますよ、間違いなく。そういった点で、やはりずっと放置してきているんですよ。これからお伺いしますけれども、問題が起こったときにしっかりとした対処ができていないから、この未履修の問題だって今回これだけの広がりを見せているわけです。

 次に、その点についてお伺いいたしますけれども、この未履修の問題についても、文科省のこれまでの対応について、私もきょう質問するに当たって改めてお伺いをさせていただきました。必修科目の未履修問題、今回じゃなく、過去のケースで文部科学省がどれくらいこれまで把握していたのか、何件ですかということを聞きましたら、大体報じられている件数でしたね。一九九九年、二〇〇一年、四件ですか、起こっているということです。

 そのときに、どうして今回のような全国的な調査を行わなかったのか。その点について、これは局長にお伺いいたしたいと思います。

銭谷政府参考人 高等学校における必履修科目の未履修の問題でございますけれども、ただいま先生からお話がございましたように、私どもが過去に把握をしておりますのは、長崎県、熊本県、広島県、兵庫県の四県においてそういう事例があったということでございます。

 過去において判明をした事例につきましては、それぞれごく一部の県における事例であったということから、当該都道府県においてこの問題について処理が行われておりまして、私ども、それでその県におけるこの問題への対応は済んでいるということで、ごく一部の県における事例であったことから、全国的な実態調査というのはその時点で行わなかったものでございます。

 ただ、これらの事例が判明をした際に、文部科学省としては、判明した学校以外に同様の事例がないか県内の学校を調査すること、それから当該学校において必修科目の履修について適正を期すということと、指導の徹底ということをそれぞれの教育委員会にはお話をしているところでございます。

 また、各都道府県の教育委員会に対しましては、全国の教育委員会の高校担当指導主事の会議におきまして、これは何回かやったわけでございますが、一部の県でこういった不適切な事例があったことを示した上で、各県におかれても適切な教育課程の編成、実施がなされるように指導を行ったところでございます。

 こういった指導によりまして、私どもとしては、各県においては必履修科目の履修についてはそれぞれ適正に行われているというふうに考えていたわけでございますけれども、今回の状況にかんがみれば、これまでの取り組みが十分であったかどうか、結果的に反省せざるを得ないというふうに思っているところでございます。

笠委員 十分であったかどうかじゃなくて、十分じゃなかったんですよ、結果として。このときは、兵庫県では五十九、後に一件加わって六十件、まさに組織的に行われてきていたわけですよね。

 では、聞き方を変えますけれども、今回この問題が最初に、富山県立高岡南高校でこのケースが内部告発によって発覚をしたわけです、それが報じられて。そして、同時に文科省の方にも連絡が入った。では、今回はなぜ全国調査をするということになったんですか。

銭谷政府参考人 過去に判明した事例については、ごく一部の県における事例でございましたので、全国的な実態調査は行わないで、その県に対して指導を行うことにより対応してきたわけでございます。また、全国的な会議を通じて指導するという措置だったわけでございます。

 これに対しまして、今回は、十月二十四日に富山県教育委員会から高校の必履修科目の未履修について報告を受けた後、一部の地域や学校にとどまらず、他の複数の県においても相当数の学校において同様の事例があるとの状況がだんだん判明をいたしてまいりました。そこで、大臣からも厳命を受けまして、これは全国の高等学校の実態を至急把握する必要があるということで、緊急に全国調査を行うこととしたものでございます。

笠委員 過去のケースのときは、恐らく大臣にそういう危機管理がなかったんでしょうね。よく言えば今回は伊吹大臣だったからということを今おっしゃったんですけれども。

 実は私どもの党で、やはりこれは大きな問題だということで文部科学省の担当の方に、お名前は申し上げませんが、部門別会議に御説明に来ていただきました。そのときに私は同じ質問をしたんです。そうしたら、報道されたからと言っていましたよ。

 要するに、今回もそうなんです。富山県、最初は一ケースなんですよ。ケースとしては一県だった。しかし、当然ながらマスコミもいろいろ調査をしたりする中で、もう二十五日の朝刊では岩手だ福島だ、いろいろなケースが出てきたわけですね。

 それを受けて、これは大変だということで恐らくこれは、それでいいんですよ、対応するのは。しかし、そういうふうに表ざたになって、これは大きな騒動になりそうだぞというようなことがなければ調査を本格的にやろうとしない、そういう体質が、一番大きな問題につながっているんじゃないかと私は思っているんですね。

 ですから、今回のケースを機にして、やはりしっかりとした文科省としての体質改善を行っていただかなければなりませんし、教育特等々でこの質問、大臣にもかなり集中しましたけれども、大臣も、もちろん文科省の責任もあるとおっしゃっているけれども、ただ、どちらかというと学校長、わかるんですよ、権限があるのは学校長であり教育委員会であると。そこの規範意識の低下が一番大きいんだと、それはよくわかる。

 しかし、文科省の規範意識の低下というものも、先ほどのタウンミーティングの件でもそうですけれども、この危機管理、あるいはそういう教育の最高の責任省庁である文科省としての対応というものには、やはり今後しっかりと当たってもらわなければならないと思っております。

 大臣、いかがですか。

伊吹国務大臣 従来のケースは、例えば兵庫なら、非常に多くの高等学校でこういうことが起こったわけですが、当該県に集中をしておったわけですね。ですから、先生のお言葉をかりれば、感度が少なかったということだと思います。

 今回は、富山から発しましたけれども、これは確かに報道されたからというのは間違っていないんですよ。富山から発しましたけれども、マスコミもいろいろな関心を持って調査をしたために、複数の県でこのことが報道された。そこで私は、これは私学を含めてすべて調査しろということをそのとき厳命いたしました。

 同時に、何度も前に起こっているじゃないか、そのときになぜやらなかったんだということを私は言ったんですよ。しかし、文科省の諸君の気持ちを考えると、大臣、後講釈としては何でも言えますよ、しかしそのときは一つの県のことであったから、県の教育委員会に厳重に注意をして措置をさせたんだと、多分こういう気持ちでいたと思いますよ。だから、後講釈とは言わなかったけれども、大臣は後でそういうことを言っておられるが、そのときは一つの県だったからということを思っていたと思います。しかし、今から考えれば、そのとき一つの県で起こったことでこれほど今広がりを見せているんだから、幾つかの県であったと私も思います。

 だから、やはり感度がなかったということですよね。そのことを厳重に反省をして、私が文部科学大臣をお引き受けしている限りは、緊張感を持ってやらせますし、また私もやりますから、どうぞひとつ御了解をいただきたいと思います。

笠委員 では、例えばこの兵庫県のケースで、兵庫県については五十九校にも上る学校が当時あった。先ほど局長のお話を伺っていて、そこについてはきちっと指導もし、あと全国にも呼びかけをしたということでしたけれども、実は今回この未履修が発覚した中に、当時の兵庫県で、この五十九校の中で、未履修を行っていたところが、また今回も七校も含まれているんですよ。ということは、では文科省の指導というのは何なんだ、あるいはそういう都道府県はどうすればいいのかということになるわけですよね。

 ですから、そのとき、一度ちゃんとそういうことで手続踏みました、指導もしました、後はやってくださいよ、そして、もう後はほったらかすだけだと、同じことを残念ながら起こすところも出てくるわけです。今回これだけ大きな騒動になったので、数年は大丈夫かもしれない。しかし、このまま再発防止へ向けたしっかりとした対策をつくっておかなければ、これはまた十年ぐらいたったら、ひょっとしたら同じようなことが起こる可能性だって否定はできないわけですね。

 ですから、我々は、やはり責任の所在というものをしっかりと明確にしていかなきゃならぬということで、この形骸化した教育委員会というのはもう廃止をして、新しい形での地方における教育行政のあり方というもの、どこにどういう権限があるのかを明確にしていくべきだということも教育基本法の質疑の中でも申し上げてきているわけですね。

 それで、大臣は、我々の考えとはちょっと違って、教育委員会の権限をもっと強くするというような発言をされているんですけれども、こういったことが起こらないために、ではこれからの教育委員会のあり方、下村副長官なんかは都道府県教委は要らないじゃないかということを公式に先般も発言されていますけれども、この教育委員会のあり方について、どういうイメージで改編をされていこうとするのか、その点をお伺いいたしたいと思います。

伊吹国務大臣 むしろ、私は笠先生にお聞きしたいんですが、今も高等学校については都道府県教育委員会に権限があるんですよ。あるけれども、こういうことが起こっているわけでしょう。都道府県の教育委員会じゃなくて、都道府県に権限を渡したらこういうことは起こらないという保証はありませんよね、それは。(笠委員「今よりいいですよ」と呼ぶ)いや、今よりよくなるかどうかは、それは、どれだけの権限と、それから指導権をどういうふうに付与していくかという方向性によって決まってくるんです。都道府県に渡したからといって決まってこないですよ。ですから、都道府県に渡しても、どれだけの法的根拠を渡しても、やはりそこに携わる者の規範意識がなければだめなんですよ。

 ただ、先生のおっしゃっているやり方をすれば、国が指導をする教育委員会の指導権というものがどうなるかという、これはまた一つ問題があります。しかし、全国統一的に学習指導要領というものを決めないで、何をやらせてもいいというのなら、知事にお渡しになっても、それは一つの考えですよ。

 しかし、今と同じように全国統一的に、やはり高校を卒業する場合にはこうしなければならないということを、教育権は国にあると基本法に書いていらっしゃるわけでしょう。だから、それを国に残しておいて、結果的にそれの執行を教育委員会に渡すか都道府県に渡すかということになりますと、結局、教育委員会であれ都道府県であれ、同じように地方議会の監視を受け、知事部局の予算統制に服しており、人事権は今も教育委員会にあり、多分そうすれば都道府県に人事権はあり、どこが違ってくるんですか。私は、むしろそのことをお伺いしたいです。

 都道府県に教育委員会の権限をすべて移管すれば今のような問題が起こらないというのは、私はちょっと理解ができませんね。

笠委員 大臣、それは私お答えしますから、それよりもまず大臣が、では教育委員会をどういうふうに強化するのかということを答えてください。

伊吹国務大臣 私がお伺いしたことについて、質問の形で結構ですから、ぜひ見解を明らかにしていただきたいと思います。どのような制度改革にも必ずプラスとマイナスがあります。ですから、私は、教育委員会は今のまま残すべきだと思っています。

 そして、あと、都道府県の教育委員会と市町村の教育委員会の関係、それから国と教育委員会との関係、これは今のままではいけないと私は思っていますが、私は今、文部科学大臣という責任ある立場ですから、安倍総理が責任ある立場で言えないこともたくさんあるのと同じように、やはり教育委員会のあり方についてはいろいろな方の意見を聞いて、もう少し国の関与を強くする、それから同時に、地方の教育委員会の中で、都道府県の教育委員会と市町村の教育委員会の関係をもう少し見直していかねばならない、これが私の大きな流れです。

笠委員 私はちょっとわからないんですけれども、国の関与を強くするというのは、例えば都道府県教育委員会に対する国の関与を強くするということでよろしいですか。

伊吹国務大臣 私の理解からすると、これは国会で議決をされたことですから、私自身がそのことについて批判をするということはいたしませんが、十一年の地方分権法のあり方がよかったのかなという感じは私は持っております。

笠委員 いや、大臣、私はいいと思うんですよ。今まさにこういう問題が起こって、要するに、今の教育委員会はそのままだ、ただし、例えば都道府県と市町村の、それぞれの教育委員会の権限のあり方とか、そういうものについてはいろいろと検討の余地があると。一番問題なのは、文部科学省というか国がもう少し、現行の教育委員会制度を残したままで、そこに対して、よく大臣おっしゃいますよね、なかなか指導しようと思ってもできない、実態はと。だから、そういった関与をもっと強くしていくというイメージでお答えになっているのかどうかということを私はお伺いしたいんです。

伊吹国務大臣 私が申し上げていることを言葉どおり理解していただけば、おわかりになると思います。

笠委員 私、よくわからないわけですよ。私は、教育委員会制度そのものを、その権限もそうですし、いじらなければ、ここでこれを見直していかないと、恐らく今の教育委員会の形のままでは実態として機能しないんじゃないかと思っております。ですから、あえてこだわってこういう質問をさせていただいているんです。

 先ほど大臣が私どもの民主党の考え方に対してるる申されましたけれども、随分誤解もされているな、あれだけせっかく特別委員会で質疑をした割にはと思っておるんですけれども、何も私たちは、国でしっかりとした学習指導要領であるとか、何度も申し上げています、一定水準の確保あるいは財源、そういった最終的な責任は国が負っているんですよと。しかし、都道府県の例えば今回のようなケースがどうやったら出てこないのかというときに、今の体制のままだと、行政のままだと、結局はみんな隠したがるだけなんですよ。学校も隠す、校長も隠す、そして教育委員会も隠す。

 一つお伺いしますけれども、今回この未履修の問題で一番多いのは、学校長が偽りのカリキュラムを教育委員会に上げていた、そしてそれをそのまま教育委員会は信じて国の方に、文科省の方に報告していたケースが一番多いんだと思いますけれども、教育委員会が知っていて黙認していたケースも、みずから教育長が記者会見をしておっしゃったりというケースがあるわけですね、幾つか。

 局長、そこは何件ぐらいありますか。教育委員会がわかっていて意図的に隠していたというケースを何件把握されていますか。

銭谷政府参考人 まず、公立の高等学校について申し上げますと、公立の高等学校で未履修のあった学校のうち、二校を除きまして、学校から教育委員会へ届け出をしていた年間指導計画といいましょうか、教育課程表が実際のものと異なっていた、つまり、偽りであったということが今回の調査の結果、明らかになっております。

 それで、そのことを教育委員会が知っていたかどうかということについては、まだこれから確認をしていかなければならない事柄がございますので、今、何件と言うわけには、ちょっとお答えできない状態でございます。

笠委員 私は、今回の、今いろいろな調査を大臣の方でもこれからしていくんだという中で、ぜひやっていただきたいことは、学校長の責任のもとでの結果責任、学校長の範囲でやっていたものと、教育委員会も含めた関与があった、それを構造的に隠していたというものとは、しっかりと分けてこれは結果を出していただかなければ、当然、その後の処分であるとか責任のとり方ということについても、もっと大事なことは、だれかがやめればいいというそんな話じゃなくて、二度とこういうことが起こらないということのためには、そこまでの徹底的な調査をぜひやっていただきたいと思っております。

 大臣の方にもう一つ念を押しておきますけれども、我が党の野田委員の方からもありますけれども、過去にさかのぼっての調査ということとあわせて、指示を、確かに今は現場は当面のことで頭がいっぱいでも、恐らくこういった過去のケースというのは、やっているところはずっとやっているところが多いんですよ。わかるはずですよ、すぐに。だから、やはり大臣としての指示をできる限り、いつまでにこっちに上がってくるか、文部科学省としてまとめることができるかは別として、早急にこの調査の指示を出していただきたい、そのことを要請いたしたいと思います。

伊吹国務大臣 二つ申し上げたいと思います。

 今の件については、先ほど来お答えを申し上げているように、現場は率直に言って非常に手が足らないほど、各都道府県の教育委員会はこの問題で混乱をしていると言ってもいいと思います。できるだけ早くこれを収拾して、そして、例えば未履修の七十時間以上のものをどうするかという課長通知をすぐに出すように今準備しております。二百十時間のものについてはどうするかとか。これが終わらないと、なかなかそこへ率直に言って取りかかれないんですよ、現実からいうと。

 だから、いろいろな御注文をいただいているのはよく承知いたしておりますから、これは理事会においてまたお諮りをいただいて、特にこの理事会と教育特の理事会と双方でいろいろ御注文がありますから、ひとつそこで御調整をいただいた上でそれにおこたえをしていきたい。

 それから、なかなか国会の質問というのはディベートができませんので、残念なことですが、先生が私におっしゃった教育委員会の強化のイメージが先生になかなか伝わらないのと同じように、都道府県知事に権限を渡したら今のような隠し事が、例えば、都道府県知事に渡して、都道府県教育部にしますか、そこで起こらないんだということが私よくわからないんですよ。そのイメージがわかないんです。なぜ、教育委員会だったら隠し事が起こって、教育部なら隠し事が起こらないのかがわからない。

笠委員 時間が参りましたので最後に申し上げておきますけれども、大臣からの御質問でございますから。

 要するに、私は少なくとも今よりは格段よくなると思う。それはなぜかというと、今のこの教育行政のあり方、学校現場があって、学校現場は隠そうとする。教育委員会は、また文科省に対して隠ぺいをしようとする。そして、文科省もまた隠そうとする。今のこの行政の仕組み自体を変えていくためには、国の関与というのは最終的な責任にとどめておいて、あとは選挙で選ばれる首長のもとでしっかりとやっていった方がはるかにいいわけですよ。

 一方で、今、手間もかかっていますよ。報告、報告、報告。指導、指導、指導と。それが機能していればいいけれども機能していないから、私たちは教育行政のあり方を根本から変えていくんだということで、この点についてはまた教育特でも、私も時間をいただきまして議論を改めてさせていただきたいと思います。今度教育特で、ぜひ、大臣はあれでしょうけれども、また質問をしていただければお答えをいたしたいと思います。

 どうもありがとうございました。

桝屋委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時二十三分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

桝屋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。寺田学君。

寺田(学)委員 民主党の寺田学と申します。

 まずは、質問の機会をいただきましたことを皆様に心から感謝申し上げたいと思います。そしてまた、伊吹大臣、よろしくお願いいたします。

 少しだけ自分の過去の経験を話しますと、小学校高学年生のときは、本当に今でも恥ずかしいことなんですが、いわゆる私はいじめっ子であったと自分でも今振り返っております。多くの仲間を傷つけた過去があるなということは本当に今真摯に反省をしておりまして、だからこそ、このいじめの問題というものにもまじめに取り組みたいとも思っております。そして、中学校の半ばでしたけれども、今度は逆に結構深刻ないじめも受けました。無視されるどうこうということは本当に朝飯前で、死ねと書かれたりクラスの写真に画びょうを刺されたり等々、結構つらい思いをして、実際に今生きているわけですが、死ぬということも正直まじめに考えたときもありました。

 そういう過去の経験を踏まえて、本当に今回の自殺、いじめからくる自殺ということに関しては、他人事ではないような気がしてなりません。そういう意味でいろいろ御質問させていただきたいと思いますので、何とぞよろしくお願いします。

 まず、伊吹大臣自身、いじめた、いじめられたというような御経験をお持ちでしょうか。

伊吹国務大臣 当時、意地悪をされたなとか、けんかをしたなとか、そういう思い出はたくさんございます。後で考えると、いじめをされたのかなとか、今先生のおっしゃったように、逆にいじめをしたのかなということがありますが、当時は、意地悪をしたとか、けんかをしたという思いの方がむしろ強かったと思います。

寺田(学)委員 ちょっと根本的なお話をお伺いしたいんですが、このいじめという問題に関して、根絶できるというふうにお考えになられているか、それとも根絶は無理だというふうにお考えになられているか、いずれでしょうか。

伊吹国務大臣 まず、午前中の質疑でもございましたが、いじめというのは非常に定義のしにくいものでございます。だからこそ、私も最初の御質問に対してやや自信なげに答えたということでして、別にいじめというのは学校に限ったことじゃございません。実社会でも、会社でもどこでもあることでございますから、私は、人間という弱いものが形成している社会というのは、残念ながらいじめというのを根絶することはできないと思います。

寺田(学)委員 私も大臣と同意見で、いじめというものは、なくそうという努力はできると思いますけれども、根絶ということは、本当に残念なことですが、できないのではないかなと思います。

 だからこそ、長期的にいじめをなくすように頑張っていくことは続けながらも、今回のようにいじめを苦にした自殺という最悪の事態だけは何とも、国を挙げて、地域を挙げて、学校を挙げて取り組まなければいけない問題だと思っています。

 いじめのことについての集中審議ということでお時間いただいて、いじめというものを総体的に質疑するのもいいんですが、余りにも広範なことだと思いますので、私としては、いじめをなくすことといじめによる自殺をなくすことというのは、対策がやや違うものだと思っています。前者の方は、本当に長期的な時間がかかると思いますが、後者のいじめによる自殺をなくすということは、努力次第で私はゼロにもできる問題だと思っています。

 そういう意味を含めまして、今回、北海道、福岡、岐阜、表になっていないだけでまだまだあると思います。そしてまた先日、大臣あてに自殺を予告するような手紙が届いたということがあります。自殺、そしてまた自殺予告に関して、なぜにこのようなことが起こってしまっているのか、大臣自身どのようにお考えになられていますか。

伊吹国務大臣 大変難しい御質問だと思いますが、午前中にもお答えしたように、豊かになる社会の中で必然的に起こってくる人間の病理のようなもの、それが小学校、中学校、高等学校にもやはり噴き出しているというのが総論的なことだと思います。

寺田(学)委員 そういう総論的な理由はあると思うんですが、私自身、報道を通して今回の自殺ないしは自殺の予告を考えてみるに、私は理由が二つぐらいあると思います。

 まず一つは、自分がいじめられているんだということをだれもわかってくれない、ある意味そういう告発的な、自分の命をかけた、死という本当に重大なものをかけて自分を知ってほしいという告発的な動機、それが一つ今回の自殺ないしは自殺予告につながっている。

 そしてもう一つは、学校に行っていじめに耐えるか、それとも死を選ぶか、その本当に究極的な二者択一しかないような環境に置かれているということをもって、残念ながら死を選ぶ。学校に行っていじめられるぐらいだったら死を選ぶんだということが起きたのではないかな。個別的に判断すると、私はそういうふうな思いがあります。

 ですので、その深刻な状態、自殺も含め未遂も含め、あとは、本当に自殺する決心がなくて、精神的に非常に病を持って、内にこもって何もしゃべれなくなるという本当に深刻な状態もあると思います。そういうような状態になる前に、学校側、そして文科省側、家庭でもいろいろやれることはあると思うんです。二つの理由に挙げたうちの一つの、自分がいじめられているんだということをわかってほしいということは、本当に痛切な叫びであると思います。

 今回、自殺予告がありましたけれども、その中で、なぜ親がずっと前から校長先生にいじめのことを言ってもずっと何もしないんですかという声がありました。福岡に関しても、遺書の中で明言的にいじめが原因ですと言っている。本当に悲痛な叫びだと思います。わかってほしいという叫びだと思うんです。

 このことに関して、まず大臣自身、どのようにお感じになられましたか。

伊吹国務大臣 私は、それを理解したからこそ、新聞に報道され、テレビで報道されているような行動を文科省にとらせたわけでございます。

 それで、あれは日曜日だったですか、民放の番組に私が依頼をされて出ましたときに、小さなときにいじめを受けていた作家の方と、それから現に児童を預かっておられる学校の先生、両方のお立場の方が来ておられて、やはりいじめを受けている子供にもプライドがあるんですね。自分はいじめを受けているということを言いたくはない、だけれども、やはりそれをだれかに察してほしいという立場と、先ほど先生がおっしゃった予告も、これはいろいろな過程があると思いますが、もし書いてあるとおりの児童がいるとすれば、この児童はむしろプライドを捨てて自分のお父さんやお母さんにそういうことを訴えたがゆえに、お父さんたちは教育委員会や校長に話をした、それにもかかわらず何もしてくれないという構成になっているわけですね。

 だから、いじめを受けている子供が、自分はプライドがあるから腕を切ったりして何となくそれを表示しているんだけれども、だれもその異変に気づいてくれないというケースと、いろいろ言っているんだけれども何もしてくれないというケースと、やはり二つケースがあると思います。

 いずれにしろ、兆候をできるだけやはり早く見つけて、そして、家庭なのか地域社会なのか、あるいは放課後のいろいろな活動の場なのか、特に学校なのか、これは命の大切さを思うときに、大人として早く兆候をつかんで対処をしてやる、これが一番大切なことだと思います。

寺田(学)委員 大臣のおっしゃられることは本当に全面的に賛成いたします。いじめを認めて、まずつらさをわかってあげるということだけで、どれぐらいのお子さんが助けられるのかなということは痛切に思います。

 しかし、現場を見てみれば、北海道の件を挙げるのもなんなんですけれども、無視が即陰湿ないじめに結びつくとは思わない、遺書の中身自体は学級でよくあること、原因は今も調査中だと、以前こういう話をされているんですよ。正直言って、ふざけていると思うんです。無視が即陰湿ないじめに結びつくとは思わない、無視の時点でいじめですよ。

 そういうことに関して、いじめの存在を認めない風潮というのは私は少なからずあると思うんですが、そういう風潮はあると大臣自身御認識されていますか。

伊吹国務大臣 北海道の件で問われているのは、一般のいじめによる自殺と少し違った面があると私は思うんです。

 これが実は問題になったのは、命を失った子供が、命を失って、一年後にこのことが発覚しているということです。つまり、子供は、その間、命と引きかえに自分の思いを書いたものを出しているんですね。自殺したところへその自分の思いを書いた封筒を置いているわけです。ところが、それを学校当局、そして学校当局から連絡を受けた地元の教育委員会、そしてさらにその上の教育委員会、北海道の教育長が、それを持っておりながらそのことに対して十分な対応を行っていない。

 まあ、何というか、感性のなさというのか責任感のなさというのか、もっと早く事実を正確につかまえて、それは自殺の原因が一〇〇%いじめであったかどうかにはいろいろ見方があるでしょう。しかし、子供が命を絶ったその遺書を、次の事件が起こらないように、自分たちの管理、自分たちの指導が不十分であったということを隠すことを優先せずに、公表しなかったという無責任さに北海道の問題は一番大きな私は問題があると思います。

寺田(学)委員 私も公表しなかったことは問題だと思いますけれども、私が一番問題視しているのは、勝手に教師並びに教育委員会がいじめは何たるものかということを考えているわけですよ。この教育委員会の方々にとってみれば、無視はいじめじゃないと言っているわけですよ。しかし、受けている側にしてみれば、いじめなわけですよね。後でいじめの認定に関しては質疑させてもらいますけれども、はっきり申し上げて、自分が受けているいじめというものを認めてくれる人がだれもいないんだ、たとえ言ったとしても全然相手にしてくれないと。

 今回、いじめ予告というものがありました。大臣が、そのいじめ予告があったことに関してテレビで、正確な言葉ではないですけれども、だれか近くの方に詳しく話しなさいと諭されました。正直、単純な疑問があるんですけれども、だれも聞いてくれないから大臣に手紙を出したんですよ。それを、彼を信用していじめを認めることもなく、まずは近くの人間に話しなさいと言っている時点で、この自殺予告をした子供は恐らく孤独感がありますよ。だれに言ったって相手にしてくれないんだ、だからこそ大臣に手紙を出したんだと。大臣に手紙を出すことの是非とかいろいろあると思いますけれども、相手にしてくれないからこそ、一番わかりやすい教育のトップである大臣に出したわけですよ。

 だから、私は、この自殺予告に関しては、大臣自身、だれがいじめに遭っていてどのような状況かはわからないにせよ、予告している彼が言っているわけですから、いじめがあったんだと認めてあげて、そして、その周りの環境がふぐあいだった、全然いじめを解決するような態度になっていないということはその手紙を信じて認めてあげるべきだと思うんですけれども、大臣、いかがですか。

伊吹国務大臣 私が周りの人にぜひお話をしなさいと言ったのは、先生がおっしゃっているのと少し違うんじゃないでしょうか。

 私が言っているのは、お父さん、お母さんに、お母さんという言葉があったかどうかわかりませんが、話しているわけですよね、子供は。そして、いじめられているということを、手紙どおりであれば、校長先生あるいは教育委員会に話したのに何もしてくれません、こう言っているわけですよ。だから、自分はもう、水曜日までに特別の動きがなければ土曜日の十一日に命を絶ちます、こう書いているわけですから、命を絶つというその今の気持ちをお父さん、お母さんに話せれば、お父さん、お母さんはそのことに対して、自分の子供が命を絶つと言っていることに当然対応されるだろうと思ったから私はああいう発言をしたわけです。命を絶つということをお父さん、お母さんに言っていて、それをとめないお父さん、お母さんがいますか。命を絶つと言っているからといって、校長先生や教育委員会に言っただけで責任を放棄する両親というのはいるでしょうかね。

寺田(学)委員 自分の子供が命を絶つと言ってからじゃないと動いてくれない親というのは、大抵動きませんよ。どうやったって動かないから、苦し紛れだと思います、大臣に手紙を書いたんですよ。それを、いや、まずは一回親に話しているんだから、今度は命を絶つということを添えて言ってみたらどうだと。それって非常に寂しくないですか。

 別に、どなたと特定しているわけじゃないですよ、だから直接的に何かをできるわけじゃないですけれども、大臣自身がその子に対して、いじめがあったんだ、しかも、周りには聞く状況がなかったんだねと、聞いてくれるような環境がなかったことを言ってあげるだけでも、さっき言いましたけれども、死をもって自分がいじめられていることをみんなにわかってほしいという人は、少しは心を落ちつけますよ。

 認めてあげてくださいよ。いかがですか。

伊吹国務大臣 それは先生、ちょっと違うんじゃないですか。もしも周りの人に話しなさいというだけしかやっていないということであれば、なぜ文部科学省は、あれだけの方に御迷惑をかけながら、社会のあらゆる場面の人に協力を求めて、君の言い分、気持ちを私は受けとめているということを表に出しているんですか。

 それは、いろいろな立場でいろいろな御批判はできますよ。しかし、逆の言葉で言えば、今先生の寂しいという言葉で言えば、自分の子供が、死ぬと最初にお父さんかお母さんに言ったかどうかはわかりませんよ、いじめられていると言ったから、あの手紙どおりなら、お父さん、お母さんは教育委員会や校長のところへ飛んで行かれたんでしょう。だけれども、もう僕は、これ以上学校も何もしてくれないから死ぬよといったときに、先生の今の、そんな親はとめませんよというのは、少し寂しいんじゃないでしょうか。

寺田(学)委員 いや、親がとめないことは別に確定的に言っているわけじゃないですよ。ただ……(伊吹国務大臣「いやいや、そうおっしゃったから」と呼ぶ)いや、だとしたら、それは削除してもらって結構ですよ、訂正しますよ。ただ、本当に周りに相談するような人がいなくて困ってやっているんですから、別に批判しているわけじゃないんです、大臣自身も、本当にそういうような環境にあるんだねと、その子の立場に立って考えてあげるのをより一層出していただきたいということをお願いしたかったんです。

 時間も限られているので質問を移りますけれども、いじめが存在すると認めることに関して、私自身、今の認め方には不備があると思っています。

 いじめの調査のいろいろなやり方みたいなものを役所の方からいただきました。個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的、形式的に行うのではなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことと。いじめられているかどうかに関して、周りから聞く、本人からも聞く、いろいろな状況を含めた上で、認定という言葉はおかしくないですけれども、教師として学校としても把握するということなんですが、私は、言い方は悪いですけれども、こういうふうに先生の主観が入っている間は正確にいじめの実態というものはつかめないと思うんです。

 後々お話ししますし、大臣がいじめの過去の経験があるかどうかというお話をしたときに、いじめていたかもしれませんという話をされました。まさしくそこが大事で、自分がいじめようとしていたかどうかにかかわらず、いじめられている方は、いじめられてつらいと思うわけですよ。

 はっきり言って、いじめの認定の仕方というのはいろいろあると思います。大臣自身、いじめの定義はさまざまだと言われていますけれども、まさしく何をもっていじめかというのは難しいので、いじめられていると感じた人間が周りの方にいじめられているんだねと素直に認められるようになれば、いじめの実態というのは、もちろん被害妄想的なことも含まれるでしょうけれども、最低限把握できると思います。

 ですので、文科省を含めて、教育委員会がこれからいじめの実態を調べられるときに、生徒本人、児童本人がいじめられているんだと訴えた場合は、原則としていじめだと認定して、その子にいじめに対しての対策を打つ、そういう責任を負うべきだと私は思います。こういうふうに、先生の主観があって、いや、いじめている人間がいじめていないと言うということにしていじめの実態が見逃されたら、非常に残念なことだと思います。

 いじめられている人がいじめられているんだと感じたときに、もうそれはいじめだと学校自体が把握するような指導というのはしてくれないでしょうか。

銭谷政府参考人 いじめの認識につきまして先生からお話がございましたけれども、文部科学省は、いじめの調査というのを実は昭和六十年ごろから実施してまいったわけでございます。そのころは、まさに今先生お話がございましたように、いじめについて学校としてその事実を確認しているものというようなことで、いじめを上げてほしいというふうにしていたわけです。

 つまり、学校側が、いじめというものを、関係児童生徒あるいはいじめの内容等について確認しているものを上げてほしいということで上げてもらっていたわけですけれども、平成六年にそのやり方を変えまして、まさに個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を、そういう表面的、形式的に行うのではなくて、いじめられた児童生徒の立場に立って、そしていじめられた子供たちの立場を尊重して報告をするようにということで、いわばいじめの報告の基準といいましょうか、それを変えたわけでございます。基本的には、子供たちから自分はいじめられているということで話があったり、あるいは学校の方で、いろいろな子供の様子を見て、子供たちの立場に立てばこれはいじめだなというふうに感じたものを報告してもらうというふうに変えたわけでございます。

 その結果、平成六年のときに報告件数は物すごくふえたのでございます。ただ、残念なのは、その後また少しずついじめの報告件数が減ってまいりまして、多少のでこぼこはありますけれども、平成六年ごろに比べると、全体として余りいじめの件数の報告が上がってこなかった。

 ですから、私ども、今ちょっと考えなきゃいけないなと思っておりますのは、この問題についての学校側あるいは教育委員会の、あるいは私どもも含めてですけれども、少し認識が緩くなっているとか甘くなっていることはないかということをやはり省みなきゃいけないんじゃないかと思っております。

寺田(学)委員 端的にお伺いしますけれども、児童生徒が、子供が、いじめられているんだと先生ないしは学校、教育委員会に伝えた場合は、それは正式にいじめられているものだとカウントされる仕組みに今なっているんですか。

伊吹国務大臣 いじめによる自殺の統計が非常に少ないじゃないか、あるいはいじめの把握が不十分じゃないかというおしかりは、再三いろいろな場で受けているんです。今政府参考人が申しましたように、今の文部科学省の各教育委員会への数字を上げてくださいという指示は、今先生がおっしゃった根拠で指示を出しているんです。

 しかし、なぜ数字が上がってこないかといいますと、これは北海道の例に端的にあらわれているわけですが、この前のテレビ番組でも現場の先生がおっしゃっていたのは、やはり自分をよく見せたい、これはもう教師にかかわらず我々一人一人だってそうです。選挙区へ行ったら、自分が措置したんじゃないことをいかにも自分が措置したような演説をする政治家だっているのと同じで、自分の学校にはそういういじめがないんだという姿を見せたい、自分の担当しているクラスはそういう生徒を出していないんだという姿を見せたい。これはもうまさに隠ぺい体質というか、子供のいじめを前に出して対策を打つよりも、学校あるいはクラス、自分の立場をよく見せたいというところで数字が上がってこないんですよ。

 これが問題の一番大きなところだと私は思います。

寺田(学)委員 学校自体、また教育委員会自体が隠ぺい体質にある場合があるというお話がありました。

 そういうようなことを踏まえられているのであれば、本当にいじめられて苦しんでいる人間が大臣に手紙を送らなくとも、いじめを受けているんだということをちゃんとわかってくれる公的な、公的じゃなくてもいいですよ、ちゃんといじめの認定をしてくれる、あなたはいじめをされているんだね、それで、何かしらこっちが対策を打つよと言ってくれるようなところがあって集計がちゃんとまとまるんだったらいいです。

 僕は、いじめの数が多いとか少ないとかどうこうということにこだわる気はないです。本当にいじめられているんだという声を上げている人が、公の機関、国でもいいです、地域のNPOでもいいです、いじめられているんだねとちゃんと認められることが大事だと私は言っているので、そのことに関しては、学校が隠ぺい体質にあるとお感じになられるならそれ以外の何かを、教育委員会も隠すんだというならそれ以外の何かを、新たにしっかり政策として設けて、いじめというものに対して死をもって告発するような深刻な状態になる前に受けとめてほしいというふうに思います。

 まず、この前段の部分はこれぐらいにして、岐阜の件ですけれども、今度は遺書の後段の部分に、もう何もかもが頑張ることに疲れましたという話をされています。この一言からすべてを読み取るわけにはいかないんですけれども、恐らく、もう学校に行っていじめられるのもつらい、だから、もう疲れたから死ぬ、そういう論理立てになっているんだと思うんです。

 冒頭申し上げましたけれども、学校に行っていじめに耐えるのか、それとも、いっそのこと死んじゃってすべてをリセットするのか、本当に不幸な二者択一だと私は思うんです。もし私自身がその近くにいるとしたら、単純な発想ですけれども、じゃ、学校へ行くな、そんな、死ぬ覚悟まで持って行くものじゃない、そう言ってあげて、緊急避難的にでもいいから学校に行かずして死をとめるのがだれから見ても正しい判断だと私は思います。

 しかし、結局、この岐阜の件に関しては、頑張ることに疲れたということで学校に行かないという選択肢をとる前に死を選んでしまった、非常に残念な結果だと思うんです。学校へ行かない、学校には通わないというような選択肢が何でとれなかったのか。大臣自身、どのようにお考えになられますか。

銭谷政府参考人 岐阜の件につきましては、遺書については、今先生の方からお話があったとおりでございまして、何もかも頑張ることに疲れましたというのが遺書に書かれているわけでございます。それで、現在、私どもといたしましては、本当に、学校はいじめられている児童生徒の立場に立って対応するということがやはり何よりも重要だと思っております。ですから、いじめの状況によっては学校により欠席が弾力的に認められてよいということも、従来から周知をしているところでございます。

 やはり大事なのは、とにかく学校が事実を把握して、そしてその子をしっかり守ってあげるということが一番大事なわけでございます。岐阜県の事例については、部活動の関係でいろいろと担任の方にも相談があったらしいんですけれども、そのことについて、担任の方がその子に指導あるいは対応が十分できていなかったということはあったわけでございますので、やはり、こういういじめの相談があったときにしっかりそれを受けとめてやるということが大事だったんじゃないかというふうに思っております。

寺田(学)委員 生徒の立場に立ってとか受けとめてあげるとか、そういう美辞麗句を並べるのはいいですけれども、実際それができなくて死に至ったわけですよ。その部分に関してもう少し深刻に考えてほしいなと思うんです。

 私自身が質問したのは、何で学校に行かないという選択肢をとれなかったのかということをお伺いしたんです。もちろん、今御答弁の中で、いろいろこれからもそういうところを徹底していきます、緊急避難として学校に行かない、不登校ということも認め得るんですということを徹底していくと言っていますけれども、実際できなかったわけですよ。

 大臣が発言したからどうこうというわけじゃないですけれども、大臣自身からも言っていただくことによって、何かあったら緊急避難的にでもいいので、自分自身を守るために学校に行かなくていいんだというふうに思えるような学校環境がなければ、結局、学校に行っていじめに耐えるのか、それとも死なのか……(発言する者あり)黙らせてください。そういうような二者択一になるわけですよ。

 そこら辺、大臣が発言するのは難しいのかもしれませんけれども、本当に死ぬほどつらいのであれば学校に行かなくていいんだと大臣自身から言っていただくことはできませんか。

伊吹国務大臣 それは先生、少し違うんじゃないですか。やはり一人一人の子供の兆候を見つけて、そして本当にこの子は学校にずっとおらせればいじめのために追い詰められてどうなるかわからないということを的確に判断されるのは担任であり、学校の先生でなければならないんですよ。

 私が今、文部科学大臣という立場で一般論としてそういうことをもし申し上げたら、いじめというのは多様なものだ、だから私はお尋ねがあったときに、意地悪をした、したのかな、された、けんかをした、あるいは意地悪をされたと、言葉を選んで一番最初に言っているわけです。だから、私が、つらいと思ったときに学校へ行かなくていいよ、文部科学大臣がそう言っちゃったら、主観的に、本当に一般の方が考えたときに、これはいじめじゃないんじゃないかという子供も学校へ行かないという選択肢をとりますよ。それはやはり学校でもう少しきめ細かく対応するというのが本来の学校のあり方だと私は思いますがね。

寺田(学)委員 僕も、本来であるべきことはいろいろ議論したいですよ。ただ、冒頭申し上げましたけれども、いじめをなくすということ、まさしく本来的に対処するやり方と、現にこの数カ月で三人落としているわけですよ、ニュースに載っただけでも。だからこそ、いじめをなくすということではなくて、いじめによる自殺をもうきょうから、あしたから出さないために、どうしたらいいですかという話をしているんです。

 行きたくない者は学校に行かなくていい、別にそういう野方図なことを言うつもりはないんです。いじめられて本当につらくて、この和歌山の子は頑張るのに疲れたと言っているわけです。学校に行っていじめられて、それでも耐えて学校に通うのに疲れたわけです。だから死ぬんですよ。何でそこで学校に行かないということが守られないのかな、自分自身として考えられなかったのかなというのは、その子本人でもなくて、先ほどから、担任の先生が気づいてあげるべきだというのは、本質的には気づいてあげられなかったわけですよ、死に至ったわけですから。

 だからこそ、本当に死ぬほどつらいのであれば学校に行かなくていいよ、文科省としても緊急避難的にそれはいいんだと言っているので、私は、それをもう少し実質的に、制度としてということもありますけれども、逃げるという言い方はよくないですけれども緊急避難的に学校に行かないということを担保するために、生徒の意識と両親の意識と先生の意識と地域の意識というものを持たなきゃいけないと思うんです。そうでない限り、学校に行っていじめられるのがつらいのであれば、やはり死しかないと思ってしまうんですよ、子供ですから。

 だから、私自身は大臣に、別に野方図に学校に行きたくない者は行かなくていいと言わせるんじゃなくて、死ぬほどつらい、自殺をすることまで考えるぐらいだったら、文科省の今の施策にあるとおり、学校にはひとまず行かなくていいということをお認めになる、それが必要だと思っているんです。大臣自身、何とかお願いします。

伊吹国務大臣 何度も申し上げているように、そういう立場に追い込まれたけれども、教師が多分気づいて、そしていろいろな配慮をしたりあるいは転校させたりして、自殺の数字として表に上がってこない人もたくさんいるんですよ。それだけの努力をしているんですよ、現場は。

 だけれども、それは、たくさんの人がいますから、政治家もこれだけいればいろいろ特色のある人もいますよ。だから、その中で、どうしてもうまく指導のできなかったケースをとらえて、一般論として学校へ行かなくてもいいということを文部科学大臣が認めてしまったら、義務教育とか学校教育とかというのは根底から崩れるんです。先生がやはりしっかりして、進路指導をしていただかないといけないんですよ、これは。

寺田(学)委員 もうおっしゃるとおりなんです。それはごもっともだとわかるんですけれども、実際、学校に行くか死しかないような子供たちがいたわけじゃないですか。大臣が言われるとおり、まだまだいっぱいいるんですよ、いじめられて苦しい人たちは。まさしく局長も言われていましたけれども、調査のあり方というものはまだまだ不十分であるという話もされました。だからこそ、表に上がってきていないようないじめられている子供もいるんですよ。

 その子にとってみれば、自分だけで自分を守れる方法としては、いじめの場から去ることなんです。転校をお願いするとかクラスがえをお願いするということは、親に迷惑をかけちゃいけない、先生がそれを理解してくれるというハードルがある、そういうことがあって、自分自身の身を守る方法としてはハードルが非常に高いんですよ。学校に行くのがつらいのであれば学校にひとまず行かない、死ぬほどつらいんだったら行かないというのは、私はあるべき姿だと思うんです。

 ただ、本当に今回残念な結果になったとおり、先ほど岐阜のことを和歌山と間違えてしまいましたけれども、この岐阜のことがあるように、やはりいじめられている子供にとっても、恐らく親にとっても、僕自身もそうでしたけれども、学校に行きたくないと言ったら、学校は行くものなんだよという話をされました。まさしくそうなんだけれども、自分自身が死を覚悟し、あんないじめの状況にもう戻りたくないというときに、素直に学校に行かないという選択肢をとれるようになれば、少なくとも、自殺は根本的には減らないと思いますけれども、いじめによって自殺するような子は減るものだと私は思っております。

 学校に行かないということが、ある種、物すごく異常であるかのとおり、普通になっていないというふうに今社会一般にはなっていますけれども、そして、文科省の方からレクを受けたときに、不登校に対してどのような対策をとっているんですかという話を聞きました。そうしたら、適応指導教室、今は名前を変えたみたいですけれどもそういうものがあって、その場で学校に通い直す、そのような施策をとっていると。そこにも通えない子供、選択肢としてそこじゃなくて違うところの民間施設に通うという子供に対しても、実際のところ、単位認定というものは実質的に認められていないと私は思っています。単位認定は、一応制度としてあるんですが、学校へ復帰をする懸命の努力をしている者が、学校復帰を前提としてそこで努力したのであれば単位を上げるという話なんです。

 私自身、一瞬不登校にもなりました。不登校のときに、学校に行きたくないときに、学校に行かせるための施設なんて行きたくないと思いました。だって、学校に行きたくなくて学校に行かなかったわけですから。そのときに、いじめの件にも絡みますけれども、学校に行かないということ、まさしく大臣がおっしゃられるとおり、本当は行くものだという部分はあるかもしれませんけれども、自分自身としていじめられてつらい、そのときに、緊急避難として学校に行かない、それが特段恥ずかしいことでもないし、もしそれが深刻化したとしても、自分にとって教育の機会というものは当該学校に通わなくてもしっかりあるんだという安心感があって初めて、学校に通わずに、命を絶たずに済む人だっていると思うんです。ですので、私は、この不登校の問題に関しても、今回のいじめには結構かかわってくる問題だと思うんです。

 学校に通わないのはおかしい、そういう発想、そして、学校に通えなくなった子供たちの施設に関しても、学校に復帰することを前提としている。そういうことに関して、文科省としても考え方を一歩進めて、学校に行けないんですから、前提として学校に行くことにするのではなくて、教育の機会の場はいろいろな機会として与えるんだということを政策の基本理念にしっかりと据えてもらいたいと思うんです。

 局長でも大臣でもいいです、どうですか。

伊吹国務大臣 ですから、いじめで大変つらい思いをしている子供、その他の事情で不登校になっている子供、その子供たちについては、今先生が言っておられるようなことは法制的には可能なんですよ。しかし、それは例外的に可能なのであって、教師の指導の中でその例外規定を使っていかねばならないので、それを文部科学大臣が、つらくて大変だったら学校へ行かなくてもいいんだよということを公言しろということは、申しわけないけれども、できません。つらいとか大変だというのは非常に主観的な判断が入りますから、その現実を見つけるのが教師の役割なんですよ。

寺田(学)委員 おっしゃられることはわかりますけれども、一般的に、やはり主観的に判断するんですよ。形式的にはいじめというのは判断できないんですよ。いじめられていると思ったらいじめなんです。そのために、しっかり認定してあげる。本当に死ぬほどつらいんだったら学校に行かなくていいんだということをしっかりと、適応指導教室でも、NPOの団体に単位を上げるでも、そういう前提に立ってやっていただきたいと思います。

 お時間をありがとうございました。

桝屋委員長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。

 きょうは、私はいじめと未履修の問題について質問したいと思いますが、最初に未履修の方の問題を伺いたいと思います。

 せんだって、十一月六日に、日本共産党の石井郁子議員の質問に対して銭谷政府参考人の答弁がありました。そこから伺っていきたいと思いますので、最初は政府参考人の方に幾つか伺います。

 事実関係を申し上げますと、かつて、長崎、熊本、広島、兵庫において未履修の事例があったのは事実でございますということですから、未履修というのは今回初めてわかったような問題じゃなくて、かなり以前からこれはあったんだということ、これをまず冒頭確認しておきます。

銭谷政府参考人 高等学校における必履修科目の未履修の問題につきましては、長崎県、熊本県、広島県、兵庫県において、かつてそういう問題が生じたことがございます。

吉井委員 それで、二〇〇一年度の段階では、この間の答弁でも、広島、兵庫の問題は平成十三年度のお話と。ですから、広島、兵庫で問題が発生したことを確認して、未履修があってはならないということをきちんと指導したほど、この問題は深刻な問題だ、そういう受けとめ方といいますか考え方をしていたことは間違いないですね。

銭谷政府参考人 平成十三年度について申し上げますと、兵庫県と広島県におきまして、必履修科目を履修させていなかった事例があったわけでございます。この未履修問題については、県として措置をして、関係者の処分等も行って、それぞれの県において問題の処理がなされたわけでございます。そのことは文部科学省にも報告があったわけでございます。

 なお、文部科学省としては、同様の事例が他県でも生じないように、例えば、平成十四年に高等学校の各教科等の担当主事研究協議会、こういったような会議がございますけれども、そういった会議、あるいは翌年も同じ会議でこういう広島県、兵庫県の事例を紹介して、未履修といったようなことが生じないように指導したということでございます。

吉井委員 それで、広島県で未履修が発覚したときの二〇〇一年度の広島県の教育長、きょうお手元に資料を配らせていただいておりますが、ここに出ておりますが、文部科学省から出向していた辰野裕一さんで、文部科学省へ戻ったときのポストは、初等中等教育局にまず戻られたわけですが、高校の未履修など、再発させないよう徹底させるように報告して、次にもまた文部科学省からこのポストへ、広島の教育長に行っておられるわけですから、後継者にもきちんと伝え、同時に、未履修問題については全国にも徹底する、この取り組みを初等中等教育局の方できちんと行ったんでしょうか。

銭谷政府参考人 平成十三年度、広島県におきまして未履修の問題が生じたときの教育長は、文部科学省から出向といいますか、文部科学省出身者が広島県の教育長をしておりました。

 ちょっと申し上げますと、当時、広島県は学校運営についていろいろな問題がございまして、文部科学省として広島県に対して強い指導をしていた時期でございました。御案内の国旗・国歌の問題等いろいろあったわけでございますけれども、そういう時期に未履修の問題も生じた。広島県教育委員会といたしましては、この問題については県としてきちんと処理をしたわけでございます。その上で、その結果は文部科学省の方にも報告があったわけでございますので、先ほど申し上げましたように、平成十四年と十五年におきまして、全国の指導主事を集めまして、集めた会議でこういった広島県の事例も紹介をして、必履修科目の未履修ということがないように指導を行ったということでございます。

吉井委員 せんだっての答弁で、かつて、長崎、熊本、広島、兵庫において未履修の事例があったことは事実でございますという答弁だったんです。その後、これらの県では未履修問題は一件も発生していない、そういう状況にありますか。

銭谷政府参考人 私どもとしては、かつてこういう未履修の事例があった県では、その後の指導によりまして未履修はないものと思っておりました。

 今回、未履修の問題の全国的な状況というものが明らかになったわけでございますけれども、まず長崎県について申し上げますと、当時未履修があった九校のうち、今回また未履修問題が生じた学校は一校もございませんでした。熊本県につきましては、三校、未履修の問題があったわけでございますが、今回は一校もございませんでした。広島県につきましては、当時十五校あったわけでございますが、広島県における指導の結果、私どもゼロだと思っておったのでございますけれども、実は一校、未履修があるということがわかっております。なお、兵庫県につきましては、五十九校、当時未履修の科目がある学校があったわけでございますが、今回、本当に残念でございますけれども七校、未履修の学校がございました。

吉井委員 それで、〇一年に問題があって、〇二年から〇四年度までは常盤豊さんが広島県教育長で、この方は戻って初等中等教育局の教育課程課長さんですね、その後、関靖直さんが広島県教育長を務めているわけですが、つまり、〇一年度の未履修発覚後も広島県では未履修の問題というのが続いてきた、広島も同様だというのが今の話なんです。

 やはり未履修問題というのは非常に深刻で大問題だと思うんですが、私は、これは辰野さんが後継者にきちんと伝えて取り組むということにならなかったのか、あるいは、文部科学省として、その問題が出たときにはこれは大変だといってやるんですが、またあいまいになってしまって、未履修問題は大したことないと考えて問題解決になかなか真剣に取り組むということにならなかったのか、ここはどうもよくわからないんですね。

 これはどういうことだったんですか。

銭谷政府参考人 広島県におきましては、先ほど来お話し申し上げておりますように、過去に未履修ということが生じたわけでございますので、歴代の教育長はこの問題にしっかり取り組んできていたものと私は考えております。

吉井委員 そこで、大臣、今お聞きいただきましたように、かつて〇一年に広島、兵庫で問題があって、広島は数は減っているといえども一校、やはり調べたらわかったわけですね、続いてきたわけですよ。それから、私立の高校の場合、またいろいろあるわけですが、兵庫県では五十九校だったのが十七校、依然として未履修問題を抱えている。だから、この高校の履修単位不足問題というのは、発覚して問題になったのに、なかなかそれが解決されていない。しかも、今回明らかになったように、全国で見れば、トータル五百四十校でしょう。物すごく拡大しているわけですね。

 私は、問題があったときに、一回や二回の指導する人たちの会議をやるだけじゃなしに、やはりそれを徹底してやっていって、本当にこれを根絶する。今のこの競争主義の中で、受験教育の中で、特に進学校ほどこういう問題を持っているんですが、文部省の責任、こういうものはやはり非常に大きかったと思うんです。現場だけの問題じゃないと思うんですね。

 これは大臣に伺っておきます。

伊吹国務大臣 この点については、けさほどの審議でも各党からいろいろな御意見が出ております。

 一つは、大学入試と高等学校の指導要領との関係。それからもう一つは、教育委員会、当該学校の教職員の規範意識。それから三番目に、これは今先生がおっしゃっていることを、私がまさにこの問題が発覚したときに事務局に言ったわけですよ。事務局は、私には、はいはいと言って、申しわけありませんと言ったが、多分、心の中で思っておったのは、後講釈では何でも言えますよ、だけれども、そのときはきちっと指導していました、そしてそれを信頼していました、後で大臣はそうおっしゃるけれども、あのとき大臣じゃなかったからそうおっしゃるけれどもと思っておったのに違いないんですよ。

 私は、叱咤激励をして、すぐに全部調べろということを言ったわけです、私立も含めて。ですから、文部科学省の責任があるとすれば、もう教育委員会や校長先生は信用ならないという気持ちを忘れていたということだと思います。

吉井委員 大変思い切った発言なんですが、この問題が起こったころは、大臣も、教育委員会がだまされていたのか、それともだまされたふりをしていたのか、文部科学省がだまされたのか、そういう発想でいらっしゃったと思うんですね。

 しかし私は、問題が起こって、徹底解明するとともに、全国的に教訓を広げて二度とほかへ広がらないようにやるのが本来の文部省の役割であって、そこをやっていなかった文部省の責任というものは、非常に強くやはり問われるところだというふうに思います。

 島根県教育委員会の高校教育課長さんというのを見てみますと、二〇〇〇年度の加藤弘樹さん、二〇〇一年から三年の谷合俊一さん、二〇〇三年から二〇〇六年度の松永さん、松永さんは文部科学省に戻って初等中等教育局教育課程課課長補佐に今なっておられるんですね。だから、二〇〇一年度の広島で発覚した未履修問題を、このときに文部省から島根の高校教育課長で行っているわけですからね、この人が島根できちんと指導しておったら、島根は約四五%が未履修問題を起こしているわけですね。だから、うそついた校長が悪い式の扱いでは絶対ならないと私は思うんです。やはり島根県で高校教育課長がきちんと指導したかどうかということ、これが問われてくると思うんですよ。この点、伺っておきます。

伊吹国務大臣 これは先生、おっしゃるとおりだと思います。

 ただし、出向者であろうとなかろうと、その任にある各教育委員会の担当責任者は同じようなそしりを受けなければなりません。

吉井委員 当然そうなんですけれども、文部省の方で情報を、まず初等中等教育局は〇一年度の広島の事例をもとに取り組んだわけですから、取り組んで指導しておった人が、現場へ行ったら、わしは文部省からちょっと離れて、今度は地方教育委員会ですといって、そんな気楽なことは言っていられないわけですから。高校長が教育委員会にうそをついたとか、あるいは教育委員会がだまされたというふうな問題じゃなくて、私は、文部科学省から出向して高校の指導に当たった高校教育課長がきちんと調査、指導しなかったことがまず問題だと思っているんです。

 さらに、資料にお示しいたしておりますが、島根県から本省へ戻った松永さんは、現在、初等中等教育局教育課程課課長補佐ですね。広島から戻った常盤さんは、同じく初等中等教育局の教育課程課長さん。福岡から戻った合田さんは、同じく教育課程企画室長。福岡では高校教育課長であった今泉さんは、戻って初等中等企画課課長補佐。だから、みんな行く前も指導する立場で、戻ってきたらそういう情報を全部つかんでおる、指導せにゃいかぬ人ですね。みんな教育課程に直接かかわるポストについている人なんですよ。

 だから、それを文部省が知らないではやはり済まない問題で、私はこの未履修問題については、長年これだけ問題があったのに、なぜ、これがなくなっていくんじゃなくて、むしろ拡大されてしまったのか。いろいろ受験の問題とかその背景はこの前うちのほかの議員も議論させてもらっていますが、やはり根本にあるのは、役人の方は、いや、あれは校長がうそをついた、そんな気楽な話じゃないんだと。これは文部科学省が知らなかったじゃ済まない重大な問題なんだというところが私は一つの大きなポイントだと思うんですが、大臣に改めて伺います。

伊吹国務大臣 出向者が当該県において未履修の事態に直面をして、指導して、帰ってきて、そして今先生のおっしゃっているようなポストについた場合、常に、言葉は適当じゃないかもわかりませんが、そういうことが公立の高等学校では起こりがちであって、そして、それを管轄する教育委員会はよくそのことがわかっていたのか、わかっていて知らないふりをしていたのか、そういうものであるということを念頭に行政をしていなかったというおしかりは、私はそのとおりだと思います。

吉井委員 公立だけじゃなくて、受験専門のといいますか、私学の方はさらに激しいものがありますね。高校二年生までにみんなもう終わっちゃって、あとはもう高校三年生は予備校と同じ、そういうところは非常に未履修もやはり問題があるわけですね。

 そういう点では、〇一年度に広島で未履修問題が発覚したときに、現場へ行って教育課程表が偽りか否かの確認をきちんとしなかったこととか、やはり高校教育課長など、行かれた人の責任、特に一番のプロ中のプロが行って見過ごしているんですから、私は非常に問題だと思うんですが、同時に、文部科学省の出向者で高校教育課長は島根、香川、高知、福岡などにいるんですが、出向させるときに文部科学省は何も指示しなかったのか。これは政府参考人に伺っておきます。

玉井政府参考人 お答えを申し上げます。

 都道府県教育委員会あるいは知事部局の場合もございますけれども、要請があって出向させるわけでございますので、その要請に基づいて、それぞれのポジションにふさわしい者を私どもとしては適材適所という形でお送りし、そして、その者は、行ったところでその県の職員として努力をした、かように思っているわけでございます。

吉井委員 期待して送り出すだけじゃなしに、これだけ問題が起こっていることについては、やはりきちんと徹底して指導するべきだ。要するに、虚偽のものが出てきているかどうかを見抜く目を持つか、調べに行くか、やはり徹底しなきゃいけないわけですから。そういうことをやってこないで、これは文部省の官僚の皆さんがやっていたから大臣も多分おっしゃったんでしょうけれども、下へ責任を転嫁するような形ですね、校長が悪いとか、そんなことで済む問題じゃない。私は、その問題は本当に徹底しなきゃいけないと思います。

 それでちゃんとしなかったら、出向した文部科学省の官僚の調査や指導力に問題があるのか、あるいは、把握しながら文部科学省にきちんと報告していなかったんだったら、それ自身が問題ですし、報告の中で未履修の事実を隠したら隠したとして、これは公文書偽造にわたるぐらいの問題になってきますし、あるいは、文部省本体が黙認していたのかということだって問われてくるぐらいの、これは本当に深刻な問題だ。

 私は、そういう点では、虚偽報告したり、誤りをただす取り組みをしなかったり、不正を黙認するようなことになってしまったら、とてもじゃないが、教育の省たるものが子供に手本を示せない、規範意識を持っていない省だと言われても仕方がない、それぐらい深刻な問題だということを指摘いたしまして、時間が来たということですから、質問を終わります。

桝屋委員長 時間が来ておりますから、簡略に。

伊吹国務大臣 先生、最後のところは、文部科学省が黙認をしていたと言い切られて、そのまままたどこかの記事になると困りますから率直に申し上げておきますが、失敗や何かはいろいろあったと思いますが、文部科学省が事実を知っていて黙認したということはございません。

吉井委員 黙認するなどということになっちゃいけないよということを言っているだけですから。

 終わります。

桝屋委員長 次に、日森文尋君。

日森委員 ピンチヒッターで参りました日森でございます。大臣にはよろしく御答弁いただきたいと思います。

 基本的なことで、重複があるかもしれませんが、お聞きをしたいと思います。

 いじめについては、私どももプロジェクトチームをつくって、調査をしたり、現地に行ったり、さまざまなことをこれからやって、その上で一定の方向性を打ち出して文科省なりにきちんと言おうということなので、きょうは未履修問題で質問させていただきたいと思います。

 学校数で一〇%、生徒数で七・二%、驚くべき実態が明らかになったということだと思うんです。文科省は十一月二日に通達を出して、この内容は時間がありませんから触れませんが、通達を出しました。その中では、高校生に責任はありませんということを明確におっしゃっていて、ただし、履修した人と不公平がないようにしようじゃないかということですから、この通達そのものは私どもも当面の対処として理解をしたいというふうに思うんです。しかし、これで問題が解決したわけではありません。これは大臣も共通の認識をお持ちだと思います。

 今度の事態は、日本の教育界に極めて大きな汚点を残したというふうに言っても過言ではないと思いますし、同時にこの問題は、我が国の高等学校教育が一体どうあるべきものなのかということを改めて突きつけたのではないかという思いがしてなりません。

 その意味で、大臣、日本の高等教育といいますか高等学校の教育というものは一体どうあるべきものなのか、最初にお考えをお聞きしたいと思います。

伊吹国務大臣 私は先生と全く認識を同じゅうしております。今回のことは、とりあえず火事を消したということでして、出火の原因がどこにあったのか、その他この消火活動の中でいろいろふぐあいがどこにあったのか、これはこれから検証しなければなりませんし、ぼやを出した責任はどこにあるのかということも、やはりきちっとしなければならないと思います。

 高等学校は、基本的には大学の予備校ではございません。大学に入りたいだけの人は予備校へ行かれたらいいわけです。高等学校は、高等学校を終わって社会に出る人たちもいます。その中で、六年制、三年制、その後の三年制を終わって、日本人として必要な知識、規範、それから、すぐにプラグマティカルに役には立たないかもわからないけれども大切な教養、それをどこまでつけていただくかということで必修科目その他のカリキュラムが組まれているわけですから、やはりそれに従って教育をしていただくというのがあるべき姿だと私は思います。

日森委員 全く同感でございまして、人格形成上まさに不可欠の履修科目であったという意味でそうおっしゃっていらっしゃると思うんです。

 さっきの通知の話に戻りますが、確かに未履修者本人には責任はない。とすると、だれが一体責任をとるのか。先ほど、校長や教育委員会は信用できないと大臣はおっしゃって、確かに校長あるいは教育委員会に責任がないとは私も思いません。思いませんが、しかし、そういう問題でもないのではないかというふうに思うんですよ。なぜかといえば、一県を除いたすべての県でこれが発生している。構造的な問題じゃないか。

 話は別になりますが、私はもともと国土交通委員会に所属しているものですから、例の耐震偽装問題がありました。最初、これは姉歯という一人のふらちな建築士がおやりになったことでというような話があったんです。しかし、ふたを開いてみると、どこにでも出てきた。これは個人の問題じゃない、構造的な問題ではないかということで、いろいろな法改正が行われたりという努力があるわけですね。それと同じような構造的な問題があって今度の問題があるというのが共通の認識だと思うんですよ。

 そういう意味では、私たちは、先ほど文科省の役人の方の問題も出ましたが、と同時に、文科省が確立をしてきた、これまでこれが正しいぞと言ってきた大学受験のシステムや、あるいは高等学校の教育体制そのもの、そこに構造的な問題があったのではないかという思いがしてならないんですよ。

 これについて大臣、どういうふうにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 この点は、午前中、自民党の馳委員から同様の御質問がありました。高校の学習指導要領と受験科目の問題は裏腹の問題で、先生御指摘のとおりだと私は思います。

 ただ、ぜひ御理解をいただきたいのは、先ほどのような共通認識を持っているがゆえに、受験がこうだから指導要領をそれに合わせて変えろという考えは私はとらないんです。指導要領が現実に合わなくなっている部分があれば、これは、あるものを加え、あるものを少なくするということはやってもいいですが、また、やらねばならないと思いますが、大学受験の科目に合わせて指導要領をつくれというのは、これは私は本末転倒の議論だと思います。ですから、午前中もお話があったように、例えばセンター試験などでは、やはり高校で必修としているものについては、一応すべて、習熟度がどこかということをきちっと把握できるようにしておかねばならないと思います。

 それから、ちょっと話がそれて恐縮ですが、やはり未履修の問題も、学校数で言うと一〇%。ですから、すべての校長先生が信頼できないと言っているわけじゃないんですよ、一〇%の校長先生は困ったものだということを申し上げたわけです。

日森委員 構造的な問題だと一〇%で済まなくなるかもしれないということがあるんですが、それはともかくとして、具体的な話として、大学受験の場合、世界史が受験科目にないからということで、受験科目になっているものをそれに振りかえちゃうというようなことが行われていたわけですね。しかも、その一〇%というのがすべて進学校かどうかはわかりませんが、世間一般で進学校と言われるところでこの未履修の問題があったということもまた事実だと思うんです。未履修であっても何でも、ともかく大学に一人でも多くの生徒を送り込んでしまうことが自己目的化されているような、そういう傾向が今度の未履修問題の背景にあったというふうに思えるんですよ。

 実は、こういう傾向を助長させる理由の一つとして、これも出たかもしれません、学校評価システムがどうもその背景にあるのではないかという声が実際あるわけです。学校設置基準、これは〇二年ですかね、ここで文科省は、教育活動や学校運営を自己点検、評価し、結果を公表するように努めるとかいうことが決まっていますし、〇四年には、調査した結果、校長などによる自己評価、これは九六%で、保護者などによる外部評価が七八%という数字もあるようです。

 それで、ことしでしょうか、これは百二十四の小中学校ですが、試験的に第三者評価を導入しようというような試みがあって、学校評価制度がその背景にあるのではないかという声が実際にあるわけです。ことしの三月に、文科省ですが、義務教育学校における学校評価ガイドラインというものを公表いたしました。また、都道府県の教育委員会も、都道府県立学校の学校評価制度を積極的に導入しているということもあるわけですよ。

 後でもう少し具体的に触れたいと思いますが、この学校評価制度の位置づけというものについて大臣はどうお考えなのか。どうも私は、サッチャー時代のあの教育ではないですが、学校間に競争を導入していく、大臣は競争は必ずしも悪いものではないというお考えだと思いますが、これを導入して学校に優劣をつけちゃう、結果としてそうなっちゃうということであったとしたら、これは問題だと思うんですよ。

 この評価制度について、お考えをお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 先ほど来から、先生と認識をともにしているというので、和気あいあいと議論しているように見えますが、実は私たちは、現場の校長先生や学校の先生方の置かれている立場と少し離れて、格好いい議論をしているかもわからないんですね。これは、よほどよく私たちも自戒して議論しなければならないのは、やはり御父兄は、何としても自分の子供を進学させたい、しかもいい大学へ入れたい、それでいいところへ就職させたいという思いで、学校にいろいろなことを期待しておられるわけですよ。その中で、学校の先生や校長先生は、一方で我々が言っているような学校教育のあるべきものという、はざまで随分苦しまれたことが今回の問題であったと思います。

 そこで、学校の評価というものを、進学率だとかそういうことで評価をする風潮をやはり助長させてはいけないと私は思いますね。だから、足立区が、これは高等学校じゃありませんけれども、ああいうことをやめたということは、私は非常によかったと思います。ただ、社会主義計画経済で発展をした国は世界の歴史でやはりないんですよ。歴史が証明しているのは、市場経済という言葉は私は余り好きじゃありませんが、すべて自由競争原理のもとでやっているわけです。

 ただ、教育とか社会保障というのは、率直に言えば、株式会社の参入を認めていないという事実そのものがこれを市場経済の対象にしていないということです。それは、市場でやりとりされる利潤だとか金だとかというものを超えた価値を教育だとか社会保障の共生というものは担っているからなんです。ただし、それをいいことにして、十兆円という義務教育費、二十兆円という国と地方と合わせた教育費を使っている教育が納税者の負託にこたえているのかということを、やはり一人一人が自覚をしてこの問題は扱わないといけないと思うんです。

 ですから、私は、競争原理という言葉よりも、やはり国民の税金を預かっている限り、効率的にこの国民の税金を使って、国民の期待しておられる日本人像に合う日本人をつくり上げるという意識だけは持っていていただかないと、ここに妙な、いろいろ競争原理だとか市場経済だとかどうだとかという話がどうしても入ってきちゃうんです。だから、そのことから失うメリットと、現在国と地方と合わせて二十兆円の国民負担を動かしていることの中で生じている非効率と、このバランスを考えながら政策の選択をしていくというのがやはり私は現実の立場だと思います。教育の分野に競争原理というか、特に市場原理を入れた場合の欠点というのは私はよく理解しております。だから、そういう議論が起こらないように、効率的に税金を使うという感覚を教育に携わる者全員が持つべきだと私は思っております。

日森委員 教育と市場原理というのはなじまないということは、私も大臣と同じ立場で、そう言いたいと思いますが、これは直市場原理ではないんですが、学校評価制度の場合、数値目標というのが随分出されていまして、これは客観的に評価を行う場合、数値目標というのはある意味では避けられないのかもしれないけれども、ある教育委員会が学校経営計画の概要を説明した文書があります。

 その中で、数値目標の特徴という項目があるんですが、ちょっと紹介しますと、各学校は個性化、特色化を図り、教育サービスの質を向上するため、多岐にわたる数値目標を設定している。

 例えば、国公立大学現役合格七十名以上という数値目標を掲げる学校があるわけですよ。あるいは、就職希望者内定率一〇〇%達成という数値目標を掲げるんです。こういう具体的な数値目標を掲げた学校が過半数ある。そのほかに、もっとおもしろいのもあるんですが、学校説明会、見学会参加者二千名以上、これを学校評価の数値目標に掲げた学校もある。涙ぐましい感じもするんですが、そういう学校もあるし、それからさらに、中途退学率前年度比二〇%減という数値目標を掲げた学校もある。それぞれ特色があるし、自主的に目標を達成するという意味でいろいろなものが出てくるんです。それから、生徒、保護者の満足度九〇%以上を獲得しようという数値目標を掲げた学校もあるわけですね。

 これは全部し終えたらもっとおもしろいのがたくさんあるかもしれませんが、それぞれ一生懸命頑張ってやっているんですが、こういう具体的な目標になると、自主的に設定したとはいえ、どうも教育委員会の指導がその背景にあるんじゃないかという気がしてならないんです。そういう目標をきちんとつくって、できる限り達成率を高めていくということになれば、学校評価の中で校長や教員の評価につながっていくということで、さっきのいじめの話でいうと、うちの学校はいじめはこんなにいっぱいあるということを報告したら、評価が下がっちゃうわけですよ。だから、校長はだめかもしれないけれども、しかしそういう体制がある、構造的な問題がある。同じように、こういうふうになっているわけですよ。学校も、なりふり構わずこの目標達成のために邁進していくということが出てくるわけです。

 具体的な例を幾つか挙げましたけれども、こういう数値目標の設定の仕方といいますか、これについて、一つは、大臣がどういうふうにお考えなのか。それから、一番でかいところでいうと、今度の未履修問題もそうなんですが、高校の評価で進学の実績というのは大きな意味を持っているものなのかどうなのか。この二点、ちょっとお聞かせをいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 今の、目的を各学校がお立てになって努力をされるということを、とめるということはやはりできないと思いますね。しかし、その目標を達成するために法令を破ったり、あるいは、やや反社会的な裏づけによってその目的を達成しておられれば、その学校の評価が落ちていくという社会でやはりなければなりませんね。これが自由社会の基本なんですよ。

 ですから、今、日本全体が、ライブドアや村上ファンドじゃありませんけれども、あれは法違反ですよね。法違反をしなくても、恥ずかしいことをしても目的を達成すればそれが認められるんだということを、ここにいる国民に選ばれた全員が、そんな日本じゃないんだよという意識を持ってやれば、私は、目標を立ててやらなきゃ人間は努力しないと思いますよ。目標がいけないんじゃなくて、その目標を達成するためにおかしな手法を使うという規範を直さなければなりませんね。

 私は、先生のおっしゃっていること、おおむね意見は同じゅうしますが、目標を立てちゃいけないということはどうかなと思いますね。

日森委員 その信用できない教育委員会の問題についてこれからちょっと質問しようと思ったんですが、時間がなくなりました。次の機会があるかどうかわかりませんが、教育の問題、この国の根幹にかかわる問題ですから、ぜひ、これからも機会があれば論議に参加をさせていただきたいということを申し上げて、終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

桝屋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後二時二十三分散会


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