衆議院

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第15号 平成26年5月7日(水曜日)

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平成二十六年五月七日(水曜日)

    午後一時開議

 出席委員

   委員長 小渕 優子君

   理事 中根 一幸君 理事 丹羽 秀樹君

   理事 萩生田光一君 理事 山本ともひろ君

   理事 義家 弘介君 理事 笠  浩史君

   理事 鈴木  望君 理事 稲津  久君

      青山 周平君    池田 佳隆君

      小此木八郎君    神山 佐市君

      菅野さちこ君    木内  均君

      工藤 彰三君    熊田 裕通君

      小林 茂樹君    桜井  宏君

      新開 裕司君    冨岡  勉君

      永岡 桂子君    野中  厚君

      馳   浩君    比嘉奈津美君

      福山  守君    牧島かれん君

      宮内 秀樹君    宮川 典子君

      村井 英樹君    菊田真紀子君

      細野 豪志君    吉田  泉君

      遠藤  敬君    椎木  保君

      三宅  博君    中野 洋昌君

      柏倉 祐司君    井出 庸生君

      宮本 岳志君    青木  愛君

      吉川  元君    山口  壯君

    …………………………………

   文部科学大臣政務官    冨岡  勉君

   参考人

   (奈良学園大学学長)

   (学校法人奈良学園理事)

   (学校法人聖ウルスラ学院理事長)         梶田 叡一君

   参考人

   (NPO法人地方自立政策研究所理事長)

   (元埼玉県志木市長)   穂坂 邦夫君

   参考人

   (名古屋大学大学院教授) 中嶋 哲彦君

   文部科学委員会専門員   久留 正敏君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月七日

 辞任         補欠選任

  菅野さちこ君     福山  守君

  桜井  宏君     牧島かれん君

同日

 辞任         補欠選任

  福山  守君     菅野さちこ君

  牧島かれん君     村井 英樹君

同日

 辞任         補欠選任

  村井 英樹君     桜井  宏君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第七六号)

 地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出、衆法第一六号)


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     ――――◇―――――

小渕委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び笠浩史君外三名提出、地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案の両案を一括して議題といたします。

 本日は、両案審査のため、参考人として、奈良学園大学学長、学校法人奈良学園理事、学校法人聖ウルスラ学院理事長梶田叡一君、NPO法人地方自立政策研究所理事長、元埼玉県志木市長穂坂邦夫君及び名古屋大学大学院教授中嶋哲彦君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。両案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位から一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御了承ください。

 それでは、まず梶田参考人にお願いいたします。

梶田参考人 失礼いたします。

 私は、以下の三点が非常に大事だし、そういう方向で地教行法の改正、審議していただきたいなということで、まず私の立場を申し上げておきたいと思います。

 一つは、地方教育行政、これを責任を持って推進する主体は合議制執行機関である教育委員会、こういうことでやっていただきたい、これが第一点であります。

 二点目は、これを効率よくといいますか、やはり責任の体制がはっきりするような形でやっていただくために、従来の教育委員長と教育長、これを一緒にして新しい教育長を置く、これは非常にいいことではないかというふうに思います。これが二点目であります。

 三点目は、総合教育会議という提案、これは首長さんとそれから教育委員会の相互の連携を強める、これも私は非常にいいことじゃないかな、基本的にはですよ、後でちょっと幾つか申し上げますけれども、と思っております。

 この三点に基本的に賛成だという立場でお話をいたしますが、私、二十年ぐらい前に、私が今住んでおります大阪北部の箕面市というところの教育委員を二期八年やりました。教育委員長もやりました。こういうこともありますし、それから最近でいいますと、兵庫県と大阪府の教育振興基本計画、これを策定する委員会、大阪の場合は途中から審議会ということになりました、それの委員長、会長をやらせていただいて、教育委員会と首長さん、教育振興基本計画の場合は、やはり都道府県の場合、知事さんの御意向も伺いながら、それから、教育長さんを初めとして教育委員の御意向も伺いながらまとめていかなきゃいけない。十年の見通しの中で五年の具体的な計画をつくっていく、こういうこともやらせていただきましたので、そういうことを背景にしまして、今のような三点、非常にいいんじゃないかなと思っております。

 この理由ですけれども、私は、この地方教育行政、二つ大きな原則があると思っております。

 一つは、政治的中立性、継続性、安定性と言われてきたもの、これが一つ。もう一つは、その地域地域の特徴をどうやって教育に反映させていくか。例えば、今の一番新しい学習指導要領でも、国で義務教育あるいは高等学校の、あるいは幼稚園もですが、中身の大筋は決めておりますが、やはり、地域地域で工夫できる余地を大幅にふやしております。これは両方大事だなと思っております。

 この二つということを申し上げますが、特に私は皆さんに申し上げたいのは、政治的中立性、継続性、安定性という話です。

 教育というのは、ほかの行政と若干違うところがあります。相手が子供だということです。ということはどういうことか。一方的に一つのことを教え込んで、インドクトリネーションといいますけれども、そうしたら、それで頭が固まってしまうことだってあるわけですよ、小さいときの考え方。やはり、小さいときから柔軟な、多様なそういう見方、考え方を養っていかなきゃいけない。

 そして、この子供たちが大きくなったときに、自分の責任で判断して、そしていろいろな選択をする。例えば政治的な選択もする。これがなきゃいけないんですけれども、ほとんどの首長さんは大丈夫だと思いますけれども、制度というのは、とんでもない人が出たときにも歯どめになるようなことを考えなきゃいけませんので、このとんでもないことというのはどういうことが考えられるかといいますと、やはり、自分が属する政治的党派が多数を占める方向で一方的に何か教え込むというようなことがあっちゃいけない。ですから、首長さんはかかわっていただいていいんですけれども、本当にここは慎重に慎重にかかわってもらわぬといかぬわけです。

 もう一つは、子供が大きくなっていって、自分の考え方をつくっていくというのは時間がかかるんですよ。首長さんが四年で、あるいは八年で、あるいは長い人は十二年になるかもしれませんけれども、おやめになるとしても、その間、子供たちはずっと自分なりに考えをつくっていかなきゃいけない。そのときに、例えば首長さんが四年ごとにかわったらどうなるのか、全く違う考え方を学校で言われたらどうなるのか、これも困るわけです。これが継続性、安定性ということになります。

 教育ということがほかの行政分野とは若干違う。つまり、非常に柔軟性のある子供というものを相手にしているということ、そして、それが時間をかけて成長、発達するということ、そしてもう一つ言いますと、この子供たちが次の時代のいわば主権者になるわけですよ。選択するわけですよ。ここで、子供の時代に偏った考え方を教え込まれてしまったらとんでもないことになる。これは、私は、本当にいつでも頭の中に置いていただかなきゃいけないと思います。

 ただ、こういうことを大前提にしながら、しかし、先ほどの三点はいいと思いますけれども、例えば新しい教育長、これは権限が非常に強くなります。これを任免するということを首長さんが直接にということになっております。これは議会の同意を得るということになっております。しかし、ここにもう一つ何か要るんじゃないか。

 地方の政治というのは二元代表制なんです。首長さんと議会が、両方が同じように責任を持ってやらなきゃいけない。首長さんの提案をそのままうのみにするような人事じゃ困るので、例えばアメリカなんかでありますように、新しい教育長の候補は議会で所信を表明して、質疑を受けて、その上で同意するかどうか議会で決めるとか、特に罷免の場合などは、やはり議会の方で首長さん側からの御主張も当然聞きながら、今度は、罷免されるということになっている教育長さんの弁明の場もなきゃいけないんじゃないか。そうしないと、教育長が首長さんの言うなりになっちゃうわけですよ。これが一つ。

 もう一つは総合教育会議。首長さんは大綱を決めるべくイニシアチブをとられるというのは、私はいいと思うんです。これはとってもいいんだけれども、余り細かいところに入り込み過ぎると、例えば、教育の内容あるいは人事、あるいは、地域のいろいろな文化的あるいは教育的なイベントというような細かいところへ入り過ぎますと、さっき申し上げたような、そういう狭い意味での首長さんの政治色が出過ぎることになります。ですから、ここは慎重に考えてもらわなきゃいけない。

 それから、もう一つ総合教育会議ということで私がお願いしたいのは、国に教育振興基本計画ができております。これとの整合性をやはり考えてもらわなきゃいけない。同時に、都道府県あるいは市町村でも教育振興基本計画をつくっております。十年の見通しの中で五年どうするか、これは、首長さんが交代してもこれで行こうということで有識者会議で決めていくわけですよ。こういう大綱との関係を十分に考えていただいた上で、しかし、自分の任期中にこういう地域の特徴を生かした教育をやりたいという、これは大胆に打ち出してもらったらいいんじゃないか。

 こういう慎重な慎重な慎重な姿勢で、三点の私が賛成だと申し上げたようなことを制度化していただけたら、そういうふうに思っております。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 次に、穂坂参考人にお願いいたします。

穂坂参考人 私は、現場の立場から意見を述べさせていただきたい、こう思っています。

 履歴は、若干配付をしましたが、私は、県の職員、市の職員、市会議員、県会議員、市長というふうに、ずっと地方を一回りしてきました。その経験から、今の教育委員会が、どこが欠陥があるのか、あるいはどうすればよくなるのか、常にいろいろな意味で挑戦をしてきたつもりです。教育委員会とも話し合って、それがいいか悪いかは別として、四十人学級を下回る二十五人程度学級やホームスタディー制度等々を初めて日本でもやりました。

 そういういろいろ経験した中で、幾つか皆さんに私の考え方を述べさせていただきたいと思います。

 まず一点でありますが、多分いろいろな改革、今度はありますが、一番やはり心を砕いているといいますか大事だなと思うのは、現場における政治的中立性をどうするか、この問題だと思います。この政治的中立性を担保するためにいろいろな意味で御苦労されて、ある意味では曖昧なままでおかないとどうも難しい、こういう難しさがそこにつきまとっている、こんなふうに思っています。しかし、この政治的中立性は私は担保する必要がある、こう思っています。

 二つ目なんですが、それにはやはり役割分担を明確にする必要があります。例えば、国と都道府県と市町村の役割をどうすべきか、あるいは、今度は首長と教育長、要するに教育委員会との関係をどうすべきか。役割分担が不明確でありますと、いつまでたっても実態的には変わらない、こう思っています。

 それからもう一つ、あえてつけ加えておくべきは、地方の自主性、先生方の創意工夫、こういうものをしっかり担保しなければこれもいけないと思っています。

 公立は私学と違いまして、皆さん御承知のように、まさに異質な集団です。私立は一定の試験等々を受けてきますから、同質の集団、こう言っても過言ではないと思うんですが、公立の場合には非常に異質な集団でありますから、これに対応するには、現場の創意や工夫が必要だというふうに思っています。

 そこから今度は若干具体的にお話を申し上げたいと思うんですが、まず、現行における欠陥です。

 これはもう御承知のように、首長が実態的にはもう支配者なんですね。私は、市長をやってそう感じております。もちろん、だからといって独走したわけではありませんが、例えば予算査定なんかありますと、幾ら教育長といっても、法令ではいろいろありますが、現実的には各部の部長さんと同じです。これこれこれこれを来年度したいんですけれどもよろしいですか、いや、これはちょっと待ってもらいたい、これはちょっといいんじゃないですかというような調子で、土木部とか総務部とか教育委員会、名前は法令ではいろいろありますが、実態的には首長が支配しているにもかかわらず、こういうふうなきちんとした法令になってくると、まさに首長はそこから除外をされている、ある意味では政治責任が全くない、こういうことになりますから、どうしても制度的な建前と実態が乖離をする。

 よく市民からこういうことを聞かれました。教育行政というのは誰が責任者なんですか。今度もそう変わらないと思うんですが、教育委員会という機関が責任者だとよく答えました。おかしいんじゃないですか、あなたも随分市長になるときにはいろいろ公約をして出てきたじゃないですか、らち外の人がそんな教育の理想論を述べたり、これは実現しますなんて言うのはおかしいんじゃないですかというようなことも言われたことがあります。

 やはり、現行制度の一つの大きな欠陥の中に、市民にわかりづらい、住民にわかりづらい、こういうことがあるのではないか、こう思っています。

 それではどうすればいいのかということになります。

 これらにつきましては、やはり、首長の実質的な支配というものをもっと明確にした方がいい、はっきり位置づけた方がいい、こう思っています。

 二つ目なんですが、冒頭申し上げましたように、それには政治的中立性をどういうふうに担保するか、これが大きな問題だと思っております。

 特に、政治的な中立性の担保でありますが、国は地方に政治的中立性を法令で義務づければいいと思うんです。地方には条例というのがあります。国会議員の皆さんには余りよくわからない条例だと思うんですが、条例というのは地域内の法令ですから、ある意味では、きちんと議会を通してきちんと決めなければいけないという、そんな仕組みになっております。

 こういうことで、なぜ地方の政治的中立性ばかりが問われるかというと、多分、現場を持っていますから、現場の中立性を維持しなければいけないというのが大きな問題だと思うんです。

 国会の場合には、政党政治ですから、時の政権政党が文部大臣としてそれぞれ全般的な教育行政を担う、こういうことになっておりますが、現場がありませんから、地方の場合には現場があるということで、その辺が大事なのではないか、こう思っています。

 最後になりますが、役割分担の明確化です。

 国は、例えばさっき言ったように、政治的中立性をきちんと法令で担保するとか、あるいは教科書検定をしっかりやるとか、あるいは、今までは出ておりませんが、地方における教育水準の確保を国がきちんとそれについては監視、評価をする、そういうような役割分担を明確にすることであります。

 特に都道府県、私は県の職員、県会議員もやったわけでありますが、なかなか教育行政というのは、特に義務教育については、都道府県は直接タッチしていないんですね、高等学校は別ですが。ところが、やはり上級官庁としてある以上、どうしても都道府県が介入をする。ですから、この辺の、都道府県はどういう役割、例えば補完的な事務に限定をするとか、そういうことが必要だよというふうに思っております。

 特に市町村につきましては、さっき言ったように、首長の政治的責任をしっかり担保する、このことが大事であろうというふうに思っております。

 ぜひ今回の改正が、屋上屋を重ねるようなものではなくて、やはり住民や市民にしっかり、教育というのは誰が責任者で、誰が決めて、誰が政治的責任をとるのかということを明確にする必要があるのではないか。

 以上申し上げて、私の意見といたします。

 どうもありがとうございました。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 次に、中嶋参考人にお願いいたします。

中嶋参考人 名古屋大学の中嶋と申します。よろしくお願いします。

 専門は、教育行政学及び教育法学をやっております。その立場から発言させていただきたいと思っています。

 前のお二人の参考人の御発言の中で、学習教育というものは自主性が重要であってそれを尊重すべきであるということが、梶田参考人から御発言がありました。それには全く同感であります。それから、穂坂参考人からは、首長の権限が強い、実態上の支配があるというふうに御発言なさった点についても、全くそのとおりだと思っています。ただ、それについては、結論としては穂坂参考人とは逆で、むしろ教育委員会制度の再生が必要であると考えています。

 それでは、レジュメを目で追っていただきながら、発言させていただきたいと思います。

 まず、冒頭にaからeまで項目を挙げておきました。読み上げさせていただきますが、職務権限なき首長による教育・教育行政に対する支配の可能性が強まるのではないか。

 具体的には、首長主導型地方教育行政制度、実質的には首長―教育長制とでもいうべき教育行政制度に変わってしまうことになるのではないかと思います。これは中教審のA案に非常に近いものである、法案は非常に近いものであると思っています。

 それから、それによって、教育委員会制度は形の上では残りますが、さらなる空洞化が起きるのではないかと考えます。

 四つ目に、教育振興基本計画策定の実質的な義務化、現在では努力義務ですが、実質的な義務化と首長主導型の策定手続、これが定着することになるのではないかと考えます。

 五番目に、教育・教育行政の政治的中立性確保に重大な懸念が生ずるのではないかと考えております。

 これを一つずつもう少し細かく、具体的な論点に沿って申し上げたいと思います。

 一つは、首長主導型地方教育行政への転換の問題です。

 現在、閣法では、第一章「総則」に一条の三、一条の四を置いて、大綱の策定及び総合教育会議の設置が定められています。これは、教育委員会による所掌事務の管理、執行に対して首長が割り込む形で基本的な方針を設定するというものであります。したがって、これは、現在定められている第一条の法律の趣旨にかなりたがうものになるのではないかと考えます。現在の法律は、教育委員会制度を基本として、教育委員会制度によって教育機関を管理運営するという仕組みが定められているわけで、もしも一条の三、一条の四を置くのであれば第一条も当然変えざるを得ないはずでありますが、これについてはさわらないということになっている、これは大変おかしなことだと思っています。

 それから、二つ目の点です。首長の大綱策定権であります。

 大綱策定に当たっては、まず、国の教育振興基本計画を参酌させることになっています。参酌させるというのは強制力を持たないわけですから、それを必ずしも全て受けとめなくてもいいということではありますが、実質的には振興基本計画に沿って地方教育行政を行うことを求めているという点では、教育事務が地方公共団体の自治事務であるという現在の地方自治法の定めとの間に矛盾はないのかということが思われます。これはそもそも現在の教育基本法の問題点としてある、それを受け継ぐ形になるというところに問題があると思っています。

 さらに、二の二つ目ですが、教育事務の管理、執行に権限を有していない首長に対して大綱策定権を付与するということにそもそもまた問題があると思います。

 本来であれば、こういった大綱をつくるのであれば、あるいは教育振興基本計画を策定するというのであれば、教育委員会が主導で行うべきであります。これは、地方教育行政法に、教育事務の管理、執行は教育委員会に権限があるとされているわけですから、長にそれを移動させるということは現在の法のつくりと矛盾するものであるというふうに思っています。

 三つ目です。大綱に記載する事項の無限定性というところに大きな問題があると思っています。

 これについては、お二人の参考人からも同じような御意見が出ていましたけれども、教育の政治的中立性に関して高度な配慮を要する事項についてまで書き込みすることができるんだということが、この間のこの委員会での大臣等の答弁によってなされていると思います。この点については極めて問題があるというふうに思っています。

 それから二枚目に行きますが、bのところですが、首長と教育委員会との間で協議が調わなかった事項についても、大綱に記載できないということが明確にはされていないと思います。首長が書いてしまうことはやはりまだ可能であるということであります。

 これも大変矛盾があることで、教育事務の管理、執行権が教育委員会にあるにもかかわらず、その意向を無視して首長が大綱にみずからの考えを書き込んでしまうという点は、これは仮に、教育委員会が管理、執行権を持っているのでそれに従わなくていいというふうに、御答弁はそのようになっていますけれども、記載することを許してしまうという点には大変問題があると思っています。

 その背景には、そこの二枚目のところのcとdにありますように、実態としては教育委員会と首長との間の実際上の権限あるいは力関係の違いがあって、両者の非対称性があるというところに問題があると考えています。

 次に、大綱に則して、教育行政を行うに当たっては意を用いなければならないというように、教育長及び教育委員に対して尊重義務、これは訓示ということではありますけれども、課しているところに大変これも問題があるのではないかと思います。

 そのうち、調整の結果、両者の調整が成り立った事項についてそれを尊重することを求めるのは、その協議、調整が適正に行われている限りにおいて妥当性はあると思いますけれども、協議の中、必ずしも両者の合意が成り立っていないことについても書いてよいということになっていながら、教育長及び教育委員に対してその尊重を求めるということについては、大変問題があるというふうに思います。

 これはそこに書いていませんけれども、協議の結果合意に至らなかった事項を明記、どれが協議の結果合意に至らなかったかということについては、もしもこの法案が通るのであれば、それを明記させるということを法案の中に盛り込むべきであろうと思います。

 それから、この協議の結果については教育委員会が拘束されないのだということについても、これは明記する必要があると思います。

 また、三つ目に、教育委員会が提案した事項について、これは今、多分この法案の前提は、首長が提案した事項について教育委員会と首長との間で協議をするということでどうも議論が進んでいるように思いますけれども、逆に、教育委員会が提案した事項について、首長と教育委員会とで協議あるいは調整を行うということも当然あり得るわけで、その際には、もしも協議及び調整が整わなかった場合には、その事項については書けるのかどうか、あるいは首長は書かなければならないのか否かということについても明確にすべきであると考えています。

 それから、三番目に参ります。総合教育会議であります。

 これは、表題のところに「非対称的関係における協議・調整」と書きました。これについては、今既にるる申し上げてきたとおりですけれども、首長と教育委員会との関係は必ずしも対称的な関係ではないというところです。これは、先ほど穂坂参考人もおっしゃっていたとおりであります。そのような関係において、対等な関係での協議、調整が成り立つのか否かということについて疑問を感じております。

 それから、二つ目ですが、総合教育会議における協議、調整事項の無限定性ということであります。これは、先ほど、大綱への記載事項の無限定性ということについても申し上げましたが、ここではもう一つ別の論点であります。

 この法案の第一条の四第一項に、一つは、教育、学術及び文化の振興に関する総合的な施策の大綱の策定に関する協議が一つ定められていて、それとは別に、この第一号に、教育を行うための諸条件の整備及びその他の地域の実情に応じた教育、学術及び文化の振興を図るために重点的に講ずべき施策、これが二つ、施策についての協議が二カ所にわたって記載されています。一つ目は、大綱を策定するための協議です。では、二つ目は一体何なんでしょうか。これが大変疑問に感じているところです。

 ここは、一番下のbに書いておきましたように、二つ目の、第一号の施策に関する協議を認めることによって、首長は、いつでも、どのような事項についても、三枚目に行きますが、協議という形で教育委員会に対して関与をすることができることになってしまうというふうに思います。

 つまり、大綱に関する協議とは別に、日常的な教育事務の管理、執行に関しても、首長が協議という形で教育委員会に対して関与するということができる。もしそういうことになれば、これは首長が教育行政のキーマンになってしまうということにもなりかねません。これは、現在の地方教育行政法の基本的な原則に反するものであると考えます。

 そのほか、三枚目には、首長による教育長の任命にかかわる問題及び教育委員会内部において教育長の権限が非常に強化されてしまうという二点について書いておりますが、時間がありません。最後の点だけ申し上げたいと思いますが、教育長の権限が強まる一方で、現行第二十六条、閣法第二十五条における、教育長に対して教育委員会の職務権限の委任を現行のままでいくということになっています。

 現在、教育委員会の事務の管理、執行は、教育長にかなり多くの委任を行っています。そのために、教育委員会の会議がなかなか成り立たない、教育長単独で行われてしまうという実態があります。そのような実態が、まさに大津の事件のようなさまざまな問題を生み出す背景にあると思っています。その意味では、教育委員会の合議をどのように復活させるか、再生するかということが、まさに重要な課題であると考えています。

 以上です。どうもありがとうございました。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

小渕委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。熊田裕通君。

熊田委員 自由民主党の熊田裕通でございます。

 初めてこの委員会で質問の機会を与えていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。

 参考人の皆様におかれましては、連休が明けてすぐの質疑ということで、大変お忙しい中、まげて御参加をいただき、幅広い、そしてまた、なかなか考えさせられる、経験に基づいたお話をいただきまして、本当にありがとうございました。

 もう既にこの教育委員会改革は、私があえて申し上げるまでもなく、閉塞感のある教育委員会、今の現状はだめだという中で、まず、この権限はどこにあるのか、そして責任は誰が持つのかという、ここをやっていかなきゃいけない、そういう思いで今回改正案が出されたわけでございます。

 先ほど首長さんにかかわる話を三参考人からいろいろ聞かせていただきましたが、特に私は首長さんにかかわる部分で参考人に御質問をさせていただきたいんです。

 今回、内閣が提出した案にも、そして野党案の方にも、これは深く首長さんがかかわるという項目がきっちりと明記されております。政治のまさに中立性という観点から、首長さんが今後この教育行政にどうかかわっていくのか、そして、それぞれの案においてどんなところが問題なのか、そして、これはいいだろうというお認めをいただけるところがあるなら御示唆をいただきたいと思いますが、これは三参考人からそれぞれお聞かせをいただきたいと思います。

梶田参考人 私は、首長さんが全体の教育振興ということをどういう形でやっていくかということについてかかわられるのは非常にいいことだと思うんですよ。こういうところに例えば人、金、物を回します、そういうことは非常にいいんですが、気をつけなきゃいけないのは、教育の内容にかかわること、人事にかかわること、それから、やはり、教育的なイベント、あるいは教育的な色彩を持つイベントにかかわりますと、自分の政治的なあれを宣伝広告するためにやっているんじゃないか、どうしてもそういう勘ぐりもあると思いますので、これは気をつけなきゃいけないと思います。

穂坂参考人 私の意見を申し上げたいと思うんですが、やはりどうしても、今の話の中でもそうなんですが、政治的中立性がひっかかるわけですよね。現場の政治的中立性をどう担保するかということだけがしっかりすれば、やはり首長の行政責任とか政治責任は当然問われていいわけです、今のやり方から言えば。

 どうしても法律で書いた理想論と実態がうんと違いますから、今委員がおっしゃるとおり、やはり首長が総括的な責任者というのはもう免れないと思うんです、予算を全部握っているんですから。これは予算が別々であればまた別なんですが、結局、予算の執行を首長が握っているとすれば、どう教育委員会の中立性とか独立性を担保しようにもしようがないんです、実感として。

 ですから、そういう意味では、今御意見がありましたように、それじゃ、政治的中立性をどう担保するかというと、例えば、役割分担を首長と教育委員会、教育長を含めて、それを明確にすると同時に、例えば中教審のように、要するに地方に中教審と同様の委員会をつくって、それを法律なりあるいは条例でしっかり政治的中立性を担保する。何かあれば首長にも、教育行政のこれはおかしいということを国が例えば正式に勧告をするとか、何でもいいと思うんです。権限と役割が明確になる、そういう方向でぜひこの法律をつくっていただかないと、またうやむやのうちになると、屋上屋を重ねる感じでよくないのではないか、こう思っています。

中嶋参考人 お答えします。ありがとうございます。

 首長が教育にどう関与すべきかということについては、教育条件の整備にこれはしっかり責任を持っていただくということが大事だと思っています。

 私は以前犬山市の教育委員をしていたことがあるんですが、その際には、首長が非常に大きなお金を教育のために出してくださいまして、それによって独自の少人数授業であるとか教材づくりが可能になりました。そういう意味で、大変重要なことだと思っています。

 もう一つ、教育委員会と首長との間の協議の場を設けるということは、それとして重要なことであろうと思っています。これはやはり、一つの自治体の一般行政と教育行政のそれぞれ責任を持っているわけですけれども、予算の配分を中心として、どのように市政を運営するかという点では協議が重要だと思います。

 ただ、今回の法案ではそれを公の場において行うということになっていて、首長と教育委員会との間で意見が違ってきたときにこれをどう最終的に調整するかということになると、首長は選挙で選ばれているという意味では、教育委員会の意見に従って自分の意見を引っ込めるということは、なかなか引っ込みがつかないことなんじゃないかなと思います。

 私が教育委員をしているときに、市長さんが学校選択制を導入したいということをおっしゃったんです。それに対しては、教育委員会と市長との間で一年以上にわたって非公式の場で議論を続け、その結果、最終的にはそうではなくて、各地域ごとの学校づくりをしていこうということになったんですが、ひょっとして、これを公の場で議論すると、首長としてもなかなか引っ込みがつかないということはあるんじゃないか。そういう意味では、非公式の場での議論というのは重要だと思います。

 ただ、今回出ているのは、逆に、総合教育会議ということで、公の場で議論するということになっています。その点ではそこに問題がある。ただ、こういう正規のものをつくるのであれば、もちろん情報はきちっと公開して市民が知ることができるようにするという、ちょっとジレンマがあるわけですけれども、そういうところが法案のいい点と問題点ということで申し上げておきたいと思います。

 以上です。

熊田委員 それぞれありがとうございました。

 私は、教育委員会のあり方を議論される中で一つ不安に思うのは、今までの制度がよくないから民意を代表する首長さんの考え方を入れるべきだ、ある意味、中立性を担保しながら入れるべきだということは私は否定するものではないんですが、やはり、政府案はあくまでも合議制の教育委員会は残しながらということ、野党案はもう完全にそれもなくして首長さんが権限を持つというところが少し不安になる。

 といいますのも、確かに首長さんは選挙で選ばれるわけであります。私も選挙で選ばれていますので、選挙で選ばれることを軽く見ているわけじゃありませんが、本当にその首長選挙、それぞれの選挙は教育問題が大きなテーマになっておるのか。ともすると、まちづくりの問題が選挙の争点になる場合もある。有権者の皆さんも、その人がどんな考え方、教育に対してどんな思いを持っているかということを本当にわかって投票しているわけでも私は決してないということを思うと、ある意味、首長さんに大きな権限を与えるということは非常に怖いなという気がするんです。

 実は、実際の例を申し上げさせていただきたいと思いますが、これは決して悪口でもありませんし、実際にあった例ですので、今現在市長をされておられる方でありますが、あえてどなたとは申し上げません。ちなみに、私は名古屋市の選挙区でございます。これは公の席での発言であります。首長さんが挨拶をされる祝辞の中で、子供たちを前にして、おお、ガキンチョどもと言って、開口一番御挨拶をされました。そして、その発言の中で、ええですか、大人の言うことは聞いちゃいかぬよ、聞いたらわしのようにはなれぬよ、こういう発言をされました。そして、ある場所ではこんなことを言いました。世の中には自分が思いどおりにならぬことがたくさんある、自分が間違っとったかなと思うときもたくさんある、こういうことが起きたら、これはあんたの責任じゃないよ、全て社会の責任だと発言をされる首長さんがおられるわけであります。

 私は何を申し上げたいかといいますと、教育委員会自体の今の現状は変えなきゃならない、しかし、やはり、政治の中立性ということを担保し、そして選挙で選ばれる首長さん、全ての方が悪い方とは言いません、立派な方もお見えになられますが、万が一そういったことが起きた場合、多分この委員会の中でも、それは特別だ、そんなことはあり得ないということをおっしゃられる方もおられるかもしれませんが、政治に携わる者の責任というのは、全ての可能性は否定はしてはだめだと思っております。いろいろなことの可能性を考えながら制度というものをつくっていかないといけないと思います。

 時間がなくなってきました。どうぞ、この点について、梶田参考人、もし御意見がありましたらお聞かせをいただきたいと思います。

梶田参考人 議員おっしゃるとおりだと思います。

熊田委員 もう少し長い答弁が来ると思っておりまして、まだ若干時間がありますので、この地方教育行政法にかかわることで一点だけちょっと質問させていただきたいと思います。

 我が党の義家委員からも、前回の委員会で質問がございました。政治の中立性というのは、時の為政者からの中立、これは大事なところであると同時に、教職員の政治的行為から子供たちを守るという意味での政治的中立、そして、組合との関係の政治イデオロギーからの中立という観点から、この教育委員会改革の後、こういったことの改革もする必要があるということの発言をされておりました。これは、我々の選挙をやりました、総選挙のときのJ―ファイルの中にもこの改革はうたわれております。

 三人の方にお答えをしていただきたいと思うんですが、時間がございませんので、もしお許しをいただければ簡単に、この観点から、私たちは、子供たちを守るためには、政治に携わる者以外にも、やはり教職員の皆さん、そして組合、こういった政治関係から子供たちを守るべきだというふうに思っておりますが、それぞれの参考人の御意見がありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

梶田参考人 おっしゃるとおりでして、やはり、地方教育行政の非常に大事なところは、時の権力、つまり地方権力、首長さんの権力からも距離を置かないといけないんですが、同時に、その地域にあるいろいろな政治的な動きからもやはり距離を置いて、先ほど言いましたように、子供たちが多様な見解、多様な事実、これに触れていって、そして自分なりの考えを練り上げていって、大きくなったときに本当に責任のある判断ができるようになる、こういうことが地方教育行政の非常に大事なところだと思います。

穂坂参考人 三点とも、全くそのとおりだと思います。

 それから、二つ目なんですが、首長の一つの言動とか、それはちょっと理解できないな、そういうことは言ったことも私はありませんし、ただ、そういうものをやはり教育行政の中にそのまま直接入れたくないという気持ちは、私もそのとおりです。それには、やはり地方議会を、議会にはいろいろありますが、地方議会の権限とかそのやり方とか意見というのもしっかり入れれば、例えばそんなことをめちゃくちゃ首長がやったとすれば、それはおかしいぞと議会の方から当然関与して、もっと厳しく監視をすると思うんですよ。

 その辺、議会とのかかわり合い、さっき条例という言葉で言いましたが、そういうこともしっかり担保していけば、私は、政治的中立性は担保できる、こう思っています。

中嶋参考人 教育の不当な支配の禁止というのは、これは、あらゆる者からの不当な支配の禁止です。したがって、あらゆる者が政治的中立性を担保する枠の中にいなければならないと考えています。したがって、そこには教職員もまた、党派的な教育を行うことについては、法的に禁止されていると考えています。

 ただ、気をつけなければならないのは、ここにいらっしゃる議員の皆さんの国会における法律策定もまた、教育の中立性について意を用いていただかなければならないわけで、法律を用いれば、あるいは法律に書いてあることが教育の中立性の基準であるというふうにみなすことはできないと考えています。

 以上です。

熊田委員 ありがとうございました。これで質問を終わります。

小渕委員長 次に、菊田真紀子君。

菊田委員 民主党の菊田真紀子でございます。

 きょうは、三人の参考人の方々には、それぞれのお立場、また経験、知見からさまざまな貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。

 まず、政府案について、御三方に御質問させていただきたいと思っております。

 今回の教育委員会制度改革は、教育委員の公募制を廃止したときからおよそ六十年ぶりの改革であります。私は、この教育改革が目指すべきは、一つは責任の所在を明確にすること、そして、直面するさまざまな課題や問題にすぐ対応できる執行、そして有効なチェックができる体制をつくること、そのために抜本的な改革が必要であるというふうに思っております。そしてもう一つは、教育の向上のための現場主義の推進にあるというふうに考えております。

 ところが、政府案では、結局、現在の教育委員会をそのまま残し、そして、教育委員長と教育長を一本化して新教育長を置くことになっています。機能不全で緊急時に対応できないということがたびたび指摘をされてきたこの教育委員会を残したまま、果たして六十年ぶりの教育改革にふさわしいのか、政府案は妥協の産物のような中身で、結局は何も変わらないのではないかというような懸念をするわけでありますが、まず、それぞれの参考人に見解を伺います。

梶田参考人 私、現場主義を大事にすべきだという点で、本当にそれは賛同いたします。これは大事にしなきゃいけない。

 ただ、今の教育委員会制度というのは、ちょうど警察行政だとか選挙管理委員会と同じように、やはりある種、そのときの権力から距離を置いてやらなきゃいけない、そういう分野があるのではないかということでできた、そういう合議制執行機関ですね。このことの意味はきちっと見なきゃいけない。例えば、教育委員会をなくして市長部局あるいは知事部局だけでやってしまえば、よらしむべし、知らしむべからずになって、中が見えなくなるのではないかということもあると思います。

 ちなみに、私、二十年前に箕面市の教育委員をやっていたときには、何か事が起こりますと、ゼミをやっていても、夕方、教育委員会から指導主事が車でばっと来られまして、途中で連れて行かれて、そして教育委員全部が集まって、それから関係の校長も来られて、そこで夕方からずっと議論して、当面何をすべきかと決めたものなんです。ですから、定例会以外に非常にたくさん会合をしておりました。

 教育委員会制度を今、何か大津のあの事件で、大津のあの処理の仕方が悪いということで、全部がそういうふうな目で見られておりますが、都道府県教育委員会、それから市町村教育委員会、多くのところは本当に責任を持ってやってきたし、迅速にも処理してきたと私は思っております。

 そういう前提で、今の政府案の方で私はやっていかなきゃいけないんじゃないか、そういうふうに思います。

穂坂参考人 私もそのとおりだと思います。

 ただ、政府案と野党案、今出ていますよね。できれば、教育というのは、それぞれができるだけ歩み寄って、しっかり多数、多くの人たちが合意してほしいと思うんです。

 ですから、もちろん今の政府案にも随分欠陥があると私は思います、屋上屋を重ねる危険性があるのではないか。あるいはまた、今言ったように、単独でもし首長だけがやるといえば、今多くの意見が出ているように、どうも首長の恣意的な姿勢が反映されちゃうんじゃないか、そういう心配があります。

 ですから、どうも突き詰めてみると、やはり責任の所在を明確にするのが一つ、これは皆さん合意だと思うんです。もう一つは政治的な中立性、さっき三つのと言いましたが、そのとおりだと思うんです。そういう政治的な中立性をどう担保するかということで、これからしっかり議論していただいて、お互いに歩み寄っていただいてそういうものができればいいな、こう思っています。

中嶋参考人 まず、責任の明確化というときに、責任という言葉は、日本語で責任なんですけれども、責任はいろいろな意味のある言葉だと思っています。政治家が、あるいは首長が政治的な責任を負うという意味で使うときの政治責任という言葉があると思いますが、そのほかにも、例えばアカウンタビリティー、日本語では説明責任と言われていますが、アカウンタビリティーという意味もありますし、それから、罪を犯したときの責任を負うというライアビリティーという意味もあります。

 ここで私たちが今問題にしなければいけない責任というのは、教育を受ける立場にある子供の学習要求に対して適切に応答するという意味での責任、これはレスポンシビリティーといいますが、その意味での責任が求められていると思います。その意味では、この応答責任、レスポンシビリティーを適切に果たせるような行政制度をどうやってつくっていくかということが課題になると思います。私は、その視点で閣法や民主党の出している案について考えていきたいと思っています。

 その意味でいうと、今回の閣法の問題というのは、教育委員会制度は残したものの、実質的には首長の権限を強めている、実質は首長の首長による教育行政でありながら、形の上では教育委員会による教育行政が行われているという形になってしまっている、オブラートに包んだような形になっています。そのことによって、かえって責任は不明確になるというふうに思っています。

 以上です。

菊田委員 ありがとうございました。

 穂坂参考人に御質問させていただきたいと思いますけれども、二〇〇一年に志木市長さんに御就任をされたということで、先ほどもお話がありましたが、全国初の二十五人程度学級を実施されたり、あるいはホームスタディー制度、それから中三チューター制度の導入など、非常に先進的な教育制度改革に取り組まれたというふうに伺っております。

 また、二〇〇三年には教育委員会の必置規制の廃止との構造改革特区の提案を行い、二〇〇五年には「教育委員会廃止論」という本を書かれて、その中で、戦後の義務教育を支えた教育委員会制度は明らかに歴史的使命の終えんを迎えているというふうに持論を展開されたわけであります。

 上意下達の中央集権教育システムの中で、一地方の市長にとっては大変勇気のある主張だったというふうに思うわけでありますが、当時、周囲の受けとめはどのようなものであったか、文部科学省、県の反応、あるいは市の教育委員会や市議会、そして市民の反応はどのようなものであったか、御紹介をいただきたいと思います。

 その上で、今回、我々民主党そして日本維新の会共同で、教育委員会を思い切って廃止をして、そして首長を教育行政の最高責任者とする案を提出しておりますが、この提出案に対する感想、そして御意見を伺いたいと存じます。

穂坂参考人 一つ目なんですが、当時市民の皆さんは、多分市長にはある意味で総体的な、教育行政も含めて全てという考え方の中で、大枠ですよ、そういう意味で市長を選んだという意識がありましたから、市長のやることは当然じゃないかなという、例えばうちなんかも市民委員会というのをつくってそこでもいろいろ議論をいただきましたが、首長がやりたいんだから、教育委員会が同意をしてやるというのはまさにいいんじゃないか。

 ただ、そのときに、間違った場合に誰が一体責任をとるんですかというのを言われました。例えば、二十五人学級もホームスタディー制度も予算がかかりますから、誰が責任をとるんですかというふうに聞かれたときに、首長はやるんだけれども、責任は教育委員会という機関が責任をとるという形になるわけですよね。それはちょっとおかしいねという話は聞きました。これが一点です。

 議会はおおむね賛成をしてくれました。決議までしてくれました。

 それから、三つ目なんですが、今の野党案で出ている、維新と民主党の方から出ているものですね、私はいいと思うんです。やはり一番大事なのは、市民、住民がわかりやすい組織体系というのが必要なんです。いろいろあるけれども、ずっと考えていったらどうもよくわからないじゃ困るわけです。わかりやすい制度として私はいいと思います。

 ただ、一つやはりどうしても心配になるのは、いろいろな意味での中立性をどう担保していくか。このことを、お互いがしっかり担保すべき仕方をきっちりすれば、曖昧や屋上屋を重ねるような形ではなくて、もっと明確に、市民や住民にとってわかりやすい、そういう法律ができ上がるのではないか、あるいは教育行政が展開されるような形になるのではないか、こう思っています。

菊田委員 今も政治的中立という話がありましたけれども、先ほど梶田参考人からも、政治的中立性、継続性、安定性が非常に重要ですというお話がありました。その中で、先ほど梶田参考人は、首長が四年ごとにかわって、政治的信条が、子供たちに教え込まれるものが、またその選挙によって首長がかわることによって継続されないというような懸念をお話しされたわけであります。

 梶田参考人は、中教審の委員でもあり、また、過去には地方教育行政の最前線でもさまざまな経験をお持ちでありますけれども、実際そういうケースがあるのかどうかということをお伺いしたいと思います。

梶田参考人 いろいろと固有名詞を出すと差しさわりがありますけれども、やはり例えば、一九七〇年代、京都府の知事さんが、西の文部省ということを言われて、独自にいろいろなことをやっておられた時期があります。

 私は当時大阪に住んでおりましたが、京都でいろいろな仕事をしておりましたので、そこでのいろいろなひずみを見てきました。非常に教育現場は大変でした。そして、ある一つの政治的な信条を持っていなければ、教育委員会の職員もやれないし、また校長たちもやれない、そういう時期があったんですよ。私なんかはそういうのをすぐ思い出します。

 もちろん、それほどひどいのはその後あったかどうかは知りません。だけれども、私も先ほど申し上げたように、制度というのは、やはり今うまくいっていても、万が一というときを考えてやらなきゃいけない。

 これは責任ということで一つだけ申し上げておきますが、責任というのは、誰かの鶴の一声で全部をやるようなのが責任でもなければ、迅速にというのは、それだから話が進むということではないと思うんです。民主主義というのはチェック・アンド・バランスなんですよ。国も三権分立でしょう。だから、若干手間暇がかかるんですよ。だけれども、独走しないで、いろいろなところで、予算をつける人と中身をつくる人が分かれていたらいいじゃないですかというようなことを考えて、これが私、大人の知恵だろう、そういうふうに思います。

菊田委員 それでは最後に、中嶋参考人にお伺いしたいと思います。

 先ほど来お話がありましたが、二〇一一年に、いじめを受けて自殺した大津市の男子中学生の問題がありましたが、当時の教育委員会が主体的に原因の究明や再発防止に取り組まなかった、そして、市長にもまともな報告を上げなかったとされているわけでありますけれども、我々は、この事件を教訓とすれば、首長が教育行政の最終責任者となって危機に際してもリーダーシップをしっかりと発揮すべきではないかというふうに思うわけであります。

 中嶋参考人は、首長が教育行政に介入する危険性についていろいろな場面でおっしゃっておりますけれども、では、大津のような緊急の事態に現行の制度で事足りるとの御認識か。先ほど来教育委員会制度の再生が必要だとおっしゃっていますけれども、私は既に形骸化しているところが多いんじゃないかというふうに思いますけれども、具体的にはどのように再生したらいいのか、少しお知恵をお聞かせいただきたいと思います。

中嶋参考人 大津の事件の場合に、恐らく教育委員会が十分機能しなかったというのは御指摘のとおりだと思います。

 それはなぜ機能しなかったのかというところですが、これは、多くの地方公共団体における教育委員会の内部の規則で、多くの事項について教育長に対して委任を行っている、代理執行を認めている、あるいは専決権という形で認めているという形で、教育委員が、委員でありながら、地域の教育及び教育行政の管理運営について情報が与えられていない、どういうことが今起きていて、自分の町の教育をどうしていくべきかということについての情報を持たない、したがって、それで動けないという状況にあると思います。教育委員会が五人の委員で構成されているというのは、そこに情報を与えていくことによって、複数の人の考えに基づいて教育行政が行えるようにする仕組みです。それがこの間適切に機能していないというところにあると思います。

 これは、二〇〇七年の地方教育行政法改正によって、教育委員会の職務権限の多くのものを教育長に委任できるという形の法律がつくられています。それによって、教育委員会における合議が適切に行われないという実態がつくられてしまっているというところがありますので、教育長に対する権限委任を、むしろ二〇〇七年の法改正とは逆に、もっと制限をかけて、具体的な管理運営について教育委員会の合議によって管理されるという仕組みに変えていくことが今重要だと思っています。

 以上です。

菊田委員 終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、鈴木望君。

鈴木(望)委員 参考人で来られましたお三方の皆様方には、本当にお忙しいところ貴重な機会を与えていただきまして、ありがとうございます。また、貴重なお話を聞かせていただきまして、大変参考になりました。ありがとうございます。

 今回のこの委員会の法案審議の主なテーマは、端的に言いますと、教育委員会をどうするのかというところではないのかなというふうに思います。教育委員会につきましては、もう六十年たって、制度が形骸化している、制度疲労を起こしているということが言われておりまして、私も穂坂参考人とともに地方自治体の首長をしておりまして、そのことは痛感をしておりました。

 さきのこの委員会でも言わせてもらったんですけれども、教育委員会会議というものが実際どの程度開催をされているのか。これは、教育委員会の現状に関する調査ということで、文科省が平成二十四年に調査した資料に基づいているわけですけれども、市町村で教育委員会会議が開かれた回数、年間に十五・四回、月に一回ちょっとですね。都道府県では、もうちょっと多いんですけれども、二十九・八、約三十回、それでも月に二、三回、または月に一回ちょっと。一回の時間はどの程度かといいますと、都道府県、指定都市の場合は一・七時間。二時間もやっていないんですね。市町村の場合は一・六時間。これも二時間やっていません。ということは、多くても月に二、三回、一回が二時間未満、そういう会議で教育委員会が現状行われているというのが実態です。

 そこで本当に意味のある決定ができるのか、また、大津事件のような事件に迅速に対応できるのか。私は、これは極めて難しいんじゃないのかなというふうに思わざるを得ないんです。

 そういった実態があることは事実ですけれども、その実態についてお三方はどのように思われているのか、御意見を聞かせていただければと思います。

梶田参考人 非常にばらばらなんですね、教育委員会を動かすやり方が。

 文科省が調べていますが、これは正式の教育委員会だろうと思います。そのほかに懇談会というのを、私が昔やっていたときはよくやりました。先ほど言いましたように、事が起こって、すぐ、ゼミの途中で連れていかれてというのは、基本的に懇談会です、そこで大体の方針、すぐ何をやらぬといかぬのかと決めて、手を打って、その一件の大体終了したときに、後でまとめて正式の臨時教育委員会を開いて、報告があって了承する、こういうのがありました。

 また、私のときは、月に何回か、あるいは一回ぐらいのことも多かったんですけれども、普通の教育委員会とは別に、市長、助役と教育委員の懇談会、懇談会といっても渋茶での懇談会ですけれども、お酒じゃなくて、がありまして、これは本当に、まさに懇談会ですから正式なあれじゃありませんので、腹を割った話が市長さんからいっぱいありまして、これも非常によかったと思っております。

 したがって、一つは、このやり方については今いろいろとあるということをぜひ頭に置いてほしいということ。もう一つは、しかし、そうやって、これが足りなければ教育委員会をやめてしまおうという方向じゃなくて、これを強化するにはどうしたらいいか、これをもう少し議論しなきゃいけないんじゃないか、そういうふうに私は思います。

穂坂参考人 今の教育委員会が形骸化しているというのは、全国的にはほとんどみんな形骸化していると思っているんじゃないですか。これはそのとおりだと思います。特殊なところでは、非常に熱心なところもあると思います。しかし、やはり法律とか制度というのは、普遍的に、どこでも同じようにしっかりできるというのが必要だと思うんですね。ですから、そういうふうに改革をしていかなければいけない、こう思っています。

 それからもう一つは、さっき「教育委員会廃止論」というのが、私、昔書いたことがあるんですが、それは本来は再生論ですよ。本屋さんが廃止論の方がいいだろうということで、そっくりその形を変えた新たな教育委員会でしたからそういう表現になっているんですが、内容はそうなんです。

 やはり教育委員会というのは私は必要だと思うんですよ。ただ、例えば教育委員会の職員だって、あれは全部首長の人事なんですよね、御承知のように。教育長が決めるわけじゃないんです。だから、そういう意味では、日本の場合にはほかにも例があるんですが、やっていることと、実態と法律的な決めの方法とが非常に乖離をしている場合が多いんです。

 やはりどう考えても一番大事なのは、誰が責任者なのかというのを明確にすること。それからもう一つは、誰が何をするかという権限を明確にすること。幾つかの明確にすることがあると思うんです。そういうことをやはりしっかりみんなで議論すれば、必ず私は一致点というのが出ると思うんです。

 最後に一つだけなんですが、この法律ができて、またぱたっと市民が、ああ、わかったな、誰が責任者でどうで、わかったなというような、そういうものにしてほしいというのが参考人としての願いであります。

 終わります。

中嶋参考人 御質問にありましたように、教育委員会が十分な会議を開いていないという点については半ば同意します。

 ただ、前のお二人の御発言にあったように、教育委員会の定例会議、あるいは正規の会議以外の会議がたくさん行われているということもまた事実でありまして、それについては数字にはあらわれてこないという点も十分注意する必要があると思っています。

 なぜこういう実態が生まれているかということについては、先ほども発言させていただいていますけれども、地方教育行政法第二十六条の委任の規定があります。これによって教育長に対して大幅な権限委任が行われていて、したがって、教育委員会の会議を開かずに多くのことが決められているという実態があります。

 私が犬山市で教育委員をしているときに、全国学力テストに不参加を教育委員会で決定しました。

 この決定に当たっては、恐らく数十時間の時間を費やして議論しています。その際に、私の同僚の研究者が調べたところ、他の地方公共団体では、報告事項にすら上がっていない、参加することを報告すらしていない、教育長の専決権で決めているということがありました。これはまさに今申し上げている教育長に対する権限委任の問題であると考えています。

 もう一つ問題があります。

 それは、国及び都道府県による教育行政への指導助言によって、市町村教育委員会の教育行政が大きく枠づけられてしまっているというところにあります。そのために、市町村教育委員会は、合議に基づいてみずから意思決定する余地が非常に狭く限定されてしまっているという点です。これは、仮に首長に教育行政権を移した場合でも、今のままであれば全く同じ問題が起きてくると思います。

 以上です。

鈴木(望)委員 ありがとうございました。

 今の話の続きがちょっとありまして、いろいろな問題が私の自治体でも起こりました。教師がうまく学級運営ができなくて自殺しちゃったりとか、そんなときがいろいろあったんですけれども、それなら教育行政のトップ、教育委員会の教育委員長さんに、議会に出てきていろいろと答弁したり、どういうふうにしていったらいいのかというようなことを答えてもらおう、そんなことを考えて、議会が中心になって呼ぼうとしたんですけれども、そうしたら、教育委員長はこう言ったんです、それなら私はやめる、そんなつもりで教育委員長になったわけじゃないと。その教育委員長さんというのは立派な方ですよ。地域の名士なんです、識見もあるし。ただし、自分もちゃんと職業を持っていて、要するに、四六時中教育行政にかかわっていないと議会の追及には耐えられない、本人も周りもそう思っちゃったんですね。

 一方で、議会の事務局の方も、もし教育委員長を議会に招聘して、そのためには四六時中勤務をするだとか、また、手当を出すとかというようなことも考えると、今の予算体系の中じゃ無理ですよというような話になりまして、その話は結局沙汰やみになってしまったんですけれども。

 私はそのときに、ああ、やはり教育委員会制度というのは一つのフィクションだなと。今は、教育委員になる人も、またその運営も、それをチェックするはずの議会も、別に教育委員会というのはもう何も大した役割をしていない、できないということが暗黙の前提にあるんじゃないのかなというふうに、私はそのときにはっきり言いまして確信したんですね。

 やはり、教育行政に責任を持つのは民意で選ばれた首長。ただし、政治的な中立性というのは当然必要ですから、政治的な中立性を担保するためには、議会があるじゃないですか。だから、私たちの法案では、議会に毎年首長が教育に関する基本方針を出して、そこでのチェックを受ける。それと、いろいろな問題に対して意見をやはり住民から言ってもらうということが重要じゃないのかなと私は思うんですけれども、教育監査委員会というような制度をつくって、もっと住民の人を入れて、住民から教育行政をチェックさせる。

 チェックさえあれば、責任の所在を明確にして、それが首長であっても政治的中立性というのは保たれるんじゃないのかな、それが私は民主主義だというふうに思いますけれども、そういった考えについて御意見がございましたら、お三方にお願いをしたいと思います。時間がありませんので、簡潔によろしくお願いいたします。

梶田参考人 まず、責任を引き受けるというのは、時間を幾ら使うかということでもなければ、幾らお金をもらうかということでもないんですよ。責任はそういうことと抜きで、だから、私は、議会に行くのは嫌だと言ったその委員長さん、この人は即、それは適任にあらず、そういう判断をしなきゃいけないと思っております。

 ですから、常勤にすれば責任が持てるとか、待遇を改善すれば責任を持てる、そういう話ではないということを私は大前提で考えなきゃいけない。

 もちろん、さっきの監査ということについては、その上で、問題があればまたそういう監査の仕組みもつくるというのは大事かなと思います。

穂坂参考人 御意見はそのとおりだと思うんですが、まず一つつけ加えておきたいのは、やはり透明性が担保されないといけないと思うんですね。首長と教育委員や教育長が住民の見えないところでいろいろ話し合ってというのは、だったらわからないですから、私はむしろ透明性を高めた方がいいのではないか、こう思っています。

 それから、地方議会が関与するというのは、まさに大事なことだと思います。地方議会が関与しないことが多くなると、一層地方議会が形骸化をまた逆にしてくるんですね。ですから、地方議会がある以上、やはりきちんと地方議会の監視機能といいますか、そういうのを発揮してもらう。

 同時に私は、国の方も地方に遠慮しないで、これとこれは国の権限だからしっかりやれ、ちゃんと守りなさいよというのは、やはりこの際きちんと、政治的中立性も含めて、しっかり国の役割、例えば教育水準をどう担保するかなんというのもしっかり国がやってもらった方がいいんじゃないか、こう思っています。

中嶋参考人 二点お答えしたいと思いますが、教育委員あるいは教育長が十分責任を果たしていないということでしたけれども、その議論の際には、教育委員の任命権者である首長がどういう人物を教育委員として任命したかという責任が問われるというところについてもお考えいただきたいと思っています。

 二つ目に、教育監査委員会を設けることによって教育行政が適切に行われているか否かをチェックするということでしたけれども、先ほどの委員の御発言の中にもありましたように、首長が適切な行政を行っているか否かというのを議会がチェックするという仕組みがあります。その上でさらにここに教育監査委員会を設けることになれば、この教育監査委員会は、教育行政の監査ではなくて、むしろ学校教育活動や教員の活動を監査するという役割を果たしてしまいかねないという意味で、この監査委員会も一緒になって教育行政による教育に対する不当な支配を及ぼす可能性があると考えています。

 以上です。

鈴木(望)委員 ありがとうございました。

小渕委員長 次に、中野洋昌君。

中野委員 公明党の中野洋昌でございます。

 本日は、梶田参考人、また穂坂参考人、そして中嶋参考人、大変お忙しい中来ていただきまして、また、それぞれのお立場から、それぞれの御経験も踏まえながら大変に貴重な御意見をいただいております。今後の国会の議論にぜひとも参考にさせていただければと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

 さて、まず、先ほど来、三人の参考人の皆様、今の政府案あるいは野党の案もございます、また、現行の教育委員会制度にどういう課題があるか等々も含めて、それぞれのお立場から御意見をいただきましたので、私の方からはもう少し掘り下げた議論をしていきたいと思います。

 まず、梶田参考人に、先ほどお話しいただいた中に、合議制でやっていく、また、教育委員長と教育長を同じ新教育長という形でやっていく、また、総合教育会議を開いて首長と教育委員会の意見交換をしていく、この三点については評価をする、こういう御意見をいただきました。

 私、この政府案、今、制度としては政府案としてあるわけでありますけれども、これから運用していくに当たっていろいろな点に気をつけていかなければ、いい方向にも行くし、あるいは余りよくない方向にも、これは運用によって大分実態が変わってくるんじゃないかな、こういう感想を持っております。

 そこで、この運用について何点かお伺いをしたいんですけれども、まず一つは、新しい教育長を今回、教育委員長、教育長、従来別々だったものを同じ人が教育長という形で新しい制度としてつくるわけでございますけれども、この新教育長制度をうまく機能させるに当たって、やはり運用が大事になってくるかな。例えばどういう人を選んでいくかであるとか、あるいは先ほど参考人がおっしゃった、任命するに当たっての手続をどうしていくかとか、何点かあるというふうに思うんですけれども、新しい教育長制度をうまく機能させていくためにどういう点に気をつけていけばいいか、どういう人を選んでいけばいいか、これについて梶田参考人にお伺いをしたいというふうに思います。

梶田参考人 今回のこの政府案がそのまま進んでいく場合に、これが制度化されれば一番キーになるのは、新しい教育長さん、これをどういう人になってもらうかだと思います。まさに私は、気骨があって見識があって、そういうことでなきゃいけない。そして、責任感。先ほど私が申し上げましたけれども、責任感を持つ、ある責任を引き受けるということは、本当に、何時間そこに勤務しているかとか、幾らお金をもらっているかということではないと思うんです。それをちゃんと考えなきゃいけないなというふうに思っております。

 時には、首長さんに公の席で、例えば都道府県の議会なんかで違う意見を言えるような人でなければ私は困るなと。これは、実際に大阪府で二年ほど前にありました。私は、非常にその教育長さんは偉かったなと思っておりますし、またそのときの知事さんも偉かった。普通だったら、議会で知事さんの教育の考え方について公に批判すれば、いろいろな形で、やめてもらうという形になりますけれども、そうでなかった。私は、大阪府で起こったことは、これからの首長さんと新しい教育長さんの関係を象徴する、非常にいいことだったな、そういうふうに思っております。

中野委員 ありがとうございます。

 責任感を持った人を選ぶ、どういう人を選ぶかという任命がやはり肝になってくる、こういうお話であったというふうに思います。

 そしてもう一点、今回新しく設けるものとして、総合教育会議、ここにおいて首長と教育委員会が議論をする、こういう新しい制度が入っておりますけれども、これについても、恐らく、どういう形の運用をするかによって、これがうまく機能したりあるいは余り機能しなかったりというふうになっていくかと思います。

 梶田参考人、この新しい総合教育会議、これを実際にうまくメリットを出していくためにはどのような運用をしていけばいいのかについて、少し御意見をいただければというふうに思います。

梶田参考人 これも本当にキーになることですが、形として言いますと、今は首長さんと教育委員会メンバー、教育委員がつくるということになっておりますが、私はそこに、若干書き加えてありますが、学識経験者、これをやはり入れていくことが非常に大事だろう。しかも多様な意見をいわば代表する学識経験者、一色でなくて、これを入れていくことが大事じゃないか。

 大綱を決めていくときにはいろいろな意見がぶつからなきゃいけないだろう、そういうふうに思います。これも二年前の大阪府の場合ですけれども、教育振興基本計画をつくる、そういう委員会がつくられまして、そのときに、先ほどの維新の知事さんと、議会でちょっと批判をした教育長さん、両方から、私、委員長の辞令をいただいてやらせてもらいましたけれども、そこに多様な人が出ておられたので、一つの政治党派のあるいは政治的なグループの主張でない、そういう、十年を見据えた五年間の具体的な大綱ができたと私は自負しております。

 ぜひ、去年の二月か三月に府議会を通りました大阪府の教育振興基本計画を見ていただきますと、知事さんの持論ともちょっと距離があって、といってそれを批判する側とも距離があって、私がまとめ役で口幅ったいですけれども、バランスのとれたものができている、そういうふうに思っております。

中野委員 ありがとうございます。

 総合教育会議、振興基本計画の話が少し出ました。私、最後にもう一点、梶田参考人に運用の点で、三点目で、実は振興基本計画の御自身の策定の御経験を踏まえてお話を伺おうと思っております。

 と申しますのも、今回新しく、大綱について、全ての自治体がこれを定める、こういうことになっております。それと、現行でも地方で教育振興基本計画を定めることができる、こういう形になっておりまして、実際に策定のプロセスをおっしゃられると、知事部局であるとかあるいは教育委員会サイドであるとか、どちらの意見も聞きながら策定をする、こういうお話でございました。

 その経験も踏まえて、今回新しく、大綱については首長が総合教育会議の中で教育委員会と協議をしながら策定する、こういうプロセスになってくるというふうに思いますけれども、御自身の御経験の中で苦労された点も踏まえて、先ほど少しお話もされましたけれども、どういう点に注意をしていけばいい大綱というものができていくのかというものを、少し御意見をいただければというふうに思います。

梶田参考人 これも政治的中立性という点から非常に大事なことでして、国の教育振興基本計画、これは十年の見通しの中で五年間のとりあえずの計画をつくることになっております。これと同じ考え方で、都道府県やらあるいは一部の市町村はつくっているわけです。これが大事だと思うんです。

 というのは、五年十年の中に、例えば都道府県議会の多数派が、あるいは知事さんやら市長さんの支持母体が変わることもあります。変わってもこれだけは大事にしなきゃいけないよねというのをやはりきちっとやっていかないと、継続的な教育の発展というのはないだろうと思っております。

 したがって、委員の選び方も、多様な人をというのはそういうこともありますが、同時に、運営の仕方も、首長さんの支持母体が変わろうと、あるいは議会の多数派が変わろうと、これだけは絶対にやらなきゃいけないという、そこに絞ってやはり大綱をつくっていかなきゃいけないんじゃないか、そういうふうに思います。

中野委員 ありがとうございます。

 やはり、先ほど御指摘のとおり、長いスパンの計画になっていくということで、ここだけはやはり変えてはいけない非常に大事な部分を議論していくのが大事なんじゃないか、こういう御指摘だったというふうに思います。

 三つ質問させていただきましたけれども、しっかりと踏まえながら今後の議論をしてまいりたい、このように思います。

 続きまして、穂坂参考人にお話を少し伺いたいというふうに思います。

 御経歴を拝見しますと、市の役所から地方議員、あるいは志木市長もされて、さまざまな地方行政の現場で大変御苦労されてきた、このように拝察いたしますけれども、先ほど来のお話の中で、やはり、国と地方自治体、あるいは、地方自治体の中でも市町村と都道府県とあるかもしれませんけれども、それぞれ役割分担をしっかり、権限を分担していくことが大事なんじゃないか、こういう御意見をいただきました。あるいは、地方の自主性というか、それぞれ特色を生かしてどうやってやっていくかということが大事なのではないか、こういう御意見もいただきました。

 こうした点について、穂坂参考人の今までの地方行政の御経験から、もう少し具体的に、どういうことをしていけばいいのか、あるいは地方にどういう取り組みが求められているのか、こういう点についてお伺いをしたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。

穂坂参考人 具体的には、例えば、私も親族にも教育関係者が多いんですが、志木市でもそうだったんですが、例えば、校長先生も一般の教員も県の人事です。私の同期が教育長をちょうどやっていた時期もあったんですが、県が全部、政令指定都市を除いては県が一〇〇%持っているわけです。ですから、何か起きても、県の人事ですから、市では、上申権みたいなものが法律には書いてあるんですが、現実的にはそんなにそれがそのまま使われるわけはないんです。全部が上申権が上がってきちゃったら、悪い先生は行くところがないですから。そういう意味ではこれも形骸化している。

 そういう中で、やはり、一つの例をとれば、都道府県は都道府県で何をするのか。それから、国も、例えば教科書の検定とかそういうのはしっかりやってもらったり、さっきも言ったように、教育水準をきちんとやっていない市町村がある、というのはなぜかというと、無償でやるわけですから、全部国の費用で義務教育をやれということになっていますから、そういうものを担保するかわりに、やはり国は市町村や地方に何を求めるのかというのもしっかり私は決めてもらった方がいい。

 そういう意味で、役割分担がおのずからあるでしょう。役割分担が明確になれば、今度は逆に、教育現場も、自己の創造性とかあるいは自主性とか、こうやらなくちゃいけないとか、いろいろな意見が出てくるんです。

 今、ほとんど上を見て、都道府県に聞いたり国に聞いたりして、逆に受け身の態勢で市町村の教育の現場の行政が行われている。もっと自主性を醸成できるような、そういうシステムがあればいい、それには役割分担が明確な方がいい、こういう意見です。

中野委員 ありがとうございます。

 時間ももう迫ってまいりましたので、最後に中嶋参考人に一点お伺いをしたいんですけれども、今回の政府案に対して、実質的には首長の権限が大きく強まってしまうのではないかという御懸念をお持ちだ、このような御意見かというふうに思いますけれども、他方で、今回、教育委員会制度改革をするに当たって、やはり、いじめの問題など緊急時にどうやって対応をしていくのか、あるいはしっかり責任を明確化させていくのか、こういう議論もあったかというふうに思います。

 中嶋参考人、緊急の対応であるとか責任が現在の教育委員会は不明確ではないかとかこうした指摘に対しては、では、どのような改善をしていくのがいいのか、これは最後に中嶋参考人に御意見を伺いたいというふうに思います。

中嶋参考人 これは先ほどお答えしましたけれども、教育委員会の委員に対する情報を適切に教育委員会事務局から委員に対して流すこと、それから、合議制の場を明確にしていくこと、設けていくこと、これが大事だと思います。

 それから、閣法の一条の四第一項の第二号が今委員が御発言になったいじめに関するもので、それがここに対応するものも入っていると思います。

 ただ、先ほど私は一号に問題があるというふうに申しました。一号は、どんな事柄についてもいつでも審議の対象にできる、協議の対象にできる、それが残っているところに問題があるということです。

中野委員 ありがとうございます。大変貴重な御意見となりました。しっかりとこれからも議論を深めてまいりたいというふうに思いますので、以上で私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

小渕委員長 次に、柏倉祐司君。

柏倉委員 みんなの党の柏倉でございます。よろしくお願いいたします。

 きょうは、ゴールデンウイーク明け、わざわざ当委員会までお越しいただきまして、どうもありがとうございます。

 教育委員会制度改革、我が党はずっと以前から、教育委員会の存続に関しては、廃止も含めて地方にその選択権を委ねるべきだという形で、穂坂参考人が一番最初にお唱えになったところから実は着目してまいりました。そういった形で、きょうは、穂坂参考人中心で非常に申しわけないのですが、質問をさせていただきたいと思います。

 穂坂参考人にお伺いしたいんですが、きょう配られている資料でも、教育委員会廃止論の提唱者という形で刷り物があるかと思うんですけれども、教育委員会存続を含めて地方がこれを決定すべきだというふうに一番最初に公的に、公式におっしゃったのが穂坂参考人だと思います。そこのところの現状認識、要は、その御主張に変わりはないかどうか、そして、どういう形での教育委員会制度の選択、具体的にそこの当初の念頭にあったところを敷衍して御説明いただければと思います。よろしくお願いいたします。

穂坂参考人 それぞれ基本は、地方の自主性とか創造性をやはりしっかり担保しなくちゃいけない。それからもう一つは、国や都道府県や市町村の役割をはっきりしなくちゃいけない。そういうものを合わせた上で、それぞれの行政責任を明確にしなくちゃいけない。それからもう一つは、市民、住民の皆さんにわかりやすいシステムをつくらなくちゃいけない。

 そういう意味を合算して、市長のときに教育委員会必置規定の廃止なんかも国の構造改革特区に出したことがあるんですが、教育の場合には国家百年の計という大事なこともありますから、それらをずっと考えてくると、今の教育委員会制度、もう六十年以上たっているんですから抜本的に変えて、今指摘したような四、五点をとにかく明確にする。その上で、十年も十五年も耐えられるようなそういうものをつくっていく。できれば国にそうお願いしたいという願いも込めて、教育委員会再生論なんですが、名称廃止論になっちゃったんですが、そういうことでやっていったらいいのではないかというのが一点です。

 それから、構造改革特区へ出したときは、やはり、必置規定というのは、基本的には全部ゼロではなくて、今のままでいいという市町村もあるでしょう、でも、もっと新しい教育委員会というものをつくりたい市町村もある。そういうものも両方あってもいいのではないか。

 ですから、あそこは部分的にというのが構造改革特区の特徴でしたから、志木市は一回実験でやってみる、もしそれがよければそういういろいろな制度を競わせてもいいと思うし、あるいは、だめだったらやはりだめだよ、そういう意見でもいい。ですから、抜本的な、新たな教育委員会制度をやってもいい市町村、特区、そういう意味で出したんです。

 ですから、うちでも、全部それがいいか悪いかというのは五年、十年たってみないとわからないものですから、そういうものでとりあえずやってみたらいいのではないか。現行は現行でやっている市町村がある、それから、新しい教育委員会制度をつくってみる、これが構造改革特区の一つの特徴でしたから、この辺もやってもらったらどうかということで出したんです。それが真意です。

柏倉委員 あくまでも、理想形に到着するまでにいろいろな試行錯誤があって、その中で、過渡的な位置づけとして、教育委員会を必置するしない、それも含めて地方に判断してもらうというような理解でよろしいんでしょうか。

穂坂参考人 それは、あくまでも私が出した真意は、構造改革特区でやる。今の現状でそれぞれ市町村が自由にやれといったらこれはめちゃくちゃになっちゃいますから、ある意味では、そういうものを申請する、うちのところでやってもらいたいというのを、あの制度自体が試行的な制度でしたから、試行的な制度でやってもらいたい、今でもその考えには変わりはありません。ばらばらでやり始めちゃうと、これはもう収拾がつかなくなっちゃうので。

 例えば、全然これとは違いますが、農業委員会も、うちなんかは調整区域が一つもなかったものですから、そういうものも、志木市の、ないところはないところなりの農業行政というのはどうあった方がいいのかということで国の方に出したものですから、その一環として、教育委員会も、その必置規定の廃止は、やはり構造改革特区、一つの自治体で実験的にやるべきではないか、今でもそう思っています。ばらばらで始めたら収拾がつかなくなる、今でも思っています。

柏倉委員 ありがとうございます。

 おっしゃることはよくわかりました。ある意味、いっせいのせで各地域がやりたいことをやる、これでは収拾がつかないというのはよくわかります。

 ただ一方で、現状、今回政府案が出てまいりました。こういった形で、全国一律、金太郎あめで現状やってしまっていいのか。今おっしゃりました農業委員会の問題、調整区域の問題、それとやはり同じような問題も地域地域に、教育に関してもあると思うんですね。執行猶予という表現は悪いんですが、やはりまだ何年かは大目に見て、こういう制度がいいんじゃないかと地方地方で何パターンかに分けて選んでもらって、それで最終的には何種類かに類型されると思うんです、収束していくと思うんですね。

 そういったことを、まだ試行錯誤をやる段階ではないかというような主張、我が政党はそういう主張なんですが、そういう考えについてどのようにお考えか、お聞かせください。

穂坂参考人 そういうふうに実験的にやってもらえればすごくいいと思います。

 私も、もともと、今の首長制度、これもたった一つしかないものですから、市町村長の必置規定の廃止も出したんです。何か契約という形で、何とか憲法をクリアできないか、憲法がクリアできれば一元制だっていいじゃないかということで出した経験があります。

 これはこれとして、やはり教育委員会の制度というのは大事なものが幾つかあると思うんです。それをしっかり踏まえた上でやるか、あるいは、どうもここのところが危険だから当面足して二で割ったところでやろうかというのは余りよくないんじゃないかと思うんです。

 だったら、今の御意見のように、幾つかの案を用意して、手を挙げさせて、それでもってやるというのも、新しい、おもしろい試みではないか、私はこう思っています。

柏倉委員 ありがとうございます。

 今回の政府案に関して、それをまたちょっとお伺いしたいんですが、一番穂坂参考人がおっしゃっているのは、とにかく責任の所在を明確にすることが教育改革の一丁目一番地だ、そういう言い方をしておられます。

 今回の政府案は責任の所在が果たして明確化されているかどうか、そのことに関して御意見があれば伺いたいと思います。

穂坂参考人 一応、全部読ませてもらいました。確かによくできていると思うんですね、透明性もかなり高くなっていますし。

 ただ、やはり心配なのは、今お話しのように、どこにその責任の所在があるのかということ。例えば市町村の教育大綱についても、全部教育委員会の事務局がやる。教育長はただ参加をして、首長主導でやる。首長主導でやるといったって、教育委員会の傘下の事務局が原案をつくる、そういうふうにもうやらざるを得ないです、現場では。そうなると、なかなか難しいんですね。

 教育長の下に執行機関として教育委員会の事務局がある。今度は逆に、多分、こういう教育大綱を市町村でつくるといったって一般行政じゃできませんから、どうしても教育長の下で大綱をつくる。それで、この原案が出てきますよね、そこに首長が主導でやるという、何かそこのところがわかりづらいというのが一点。あるいは、現実とちょっと離れているんじゃないかというのが二つ目。それから三つ目は、やはり最終的に、では、その大綱の責任者は本当に首長なのか、あるいは教育長なのか。今度は教育委員長と教育長が一緒になったというのは、私はいいことだと思うんですよ。今でも誰も責任者はいないわけですから。委員長さんは単なる座長で、教育長さんは事務局長ですから、今の立場上は。

 だから、そういう意味では実態とかけ離れているんだけれども、法令的にはそうなっているので、これからやる上でどうしてもやはり危惧感が残るのは、市民が見たときに、では、大綱の責任者は誰、首長だというふうに明確に言い切れるのかどうか、そこのところを私は心配しているんです。

 やはりそういうことをもっと明確に打ち出す、ところが、打ち出すと今度は、さっき言ったように中立性という問題がそこにひっかかってきちゃうのでなかなか難しいんだ、だったら、中立性をどういうふうに担保するかの上で、一歩進んでどうあるべきかということを考えてもらいたいな、私はこう思っています。

柏倉委員 ありがとうございます。

 教育委員会がもしもなくなっても、それは首長のもとで部局長のように教育長としっかりと議論をして進めれば問題ないんだというようなお考えもあったかと思います。

 そういったことが現実になった場合、我々として一番気にしなければいけないのは、やはりレーマンコントロールをどうやって反映していくかということだと思うんです。クローズドなサークルで教育というのを語り方針を決めるということでなくて、やはり民意をどうやって反映させるか。

 教育委員会をもし廃止した場合、最初の原点に立ち返っていただいたときに、どのようにレーマンコントロールを反映させていくか、そういった方策、お考えがあれば伺わせていただきたいと思います。

穂坂参考人 私の全く素案なんですが、「教育委員会廃止論」のところに書いたんですが、やはりレーマンコントロールをきかせるためには、できれば二十五、六人の人数。やはり五人ではとても無理なんですね、首長だけが選んでやるという形ですから。一つは、二十五、六人がいいだろう。それからもう一つは、では、それを選ぶのは、やはり議会の一つの意見が反映できるような、そういう制度だっていいと思うんです。例えば、政党から推薦をしてもらうのもいいでしょう、あるいは市民団体から推薦してもらうのもいい。やはり多様な意見をそこに入れる。政党代表だって私はいいと思うんです、それは議会構成によって多少の変化はあると思うんですが。やはりそういうふうに議会が関与しているのが三つ目の条件です。

 そういう意味で、二十五、六人程度、それから議会が関与をする、それからもう一つ、一番大事なことは、多様な人材から成って、さっき中教審という話をしましたが、例えば、強い監視とは言いませんが、地方教育審議会、仮称なんですが、そういう名称で、その位置づけは条例とかで地方がしっかり担保する、それから、国の方では法令でそういうものを地方に義務づける、そういう役割分担が明確になれば、別に今の教育委員会にこだわる必要はない、こう思っています。

柏倉委員 大変参考になる御意見をありがとうございました。

 お二方には非常に申しわけないことをしまして、本当に済みませんでした。我が党としては、穂坂参考人からきょう御意見を賜ったものを、修正案等をぜひ政府案に反映させていければなというふうに考えております。

 時間が参りましたので、これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

小渕委員長 次に、井出庸生君。

井出委員 結いの党、信州長野県出身の井出庸生と申します。

 本日は、三名の参考人の皆様、お忙しいところを本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願いをいたします。

 私からまずお伺いをしたいのは、教育委員会の制度改革からもう少し大きな、今の教育改革の議論でお話を伺いたいのですが、安倍総理が教育再生という言葉を第一次安倍内閣のときから掲げてこられて、きょう来ていただいている三名の皆様も、かつて、教育再生に関する特別委員会にも参考人として来ていただいたこともあるやに聞いております。

 私自身は、その教育再生の意図するところ、目的は何なのか、また、さきの衆議院選挙で与党自民党の掲げていた「教育を、取り戻す。」その目的、意図するところは何ぞやということをこれまで何度か、この委員会ですとか本会議でも伺ってきているんですが、三名の皆様の、教育再生、安倍総理の教育改革に対する評価というものをまずお聞かせいただければと思います。それぞれよろしくお願いいたします。

梶田参考人 私は、安倍総理の、教育を大事にしていこうという姿勢、これは高く評価したいと思います。ただし、その再生という言葉で、これはいろいろな見方がありますけれども、何か後ろ戻りの議論になっていくと困るなと思います。

 ただ、非常に大事なのは、やはり日本は教育でやってきた国だと私は思っております。江戸時代に庶民にあれだけの教育が普及していたから明治維新から後の発展もあったわけですし、そして、明治、大正とあれだけ短い間に欧米と伍してやれる、そういう力がついたのも教育の力です。それがいつの間にか緩んじゃっていた、非常に緩んでいた時期があると私は思います。

 それをもう一度やらなきゃいけない。例えば、科学技術の土台になるようなそういう力もつけなきゃいけないし、でなきゃ日本の国は食っていけませんから。あるいは精神性、これを安倍内閣がおっしゃっている道徳教育と同じようにとられては私は困るんですけれども、ちょっと違う面で申し上げておりますが、しかし、精神性ということを大事にしたそういう教育がなされなきゃいけないし、あるいは、今回の指導要領の改訂で伝統文化の尊重ということを言いました。日本は随分古くからすばらしい文化を持っているんですよ。これを次の世代にどうやって渡していくか、これも考えなきゃいけないし。

 こういうことを考えますと、今、私たち、とっても大事な教育の課題、つまり、次の時代をどういう人たちに担ってもらうかという課題を考えなきゃいけない時期に来ている。

 これについて安倍内閣がいろいろとおっしゃってくださっているのは、その個々の具体的なことにつきましては、これは国民的な議論をやっていかなきゃいけない面があると思いますけれども、そのこと自体は私は非常に大事だなと思っております。

穂坂参考人 やはり、いろいろな制度も、六十年も七十年もたてば変わってくる、あるいは劣化してくる。劣化の理由は、子供たちのそれぞれ考え方も変わってきます。それは、社会環境が大きく変化するから当たり前のことなんです。ずっと昔から同じ心というのは、もちろん道徳とかそういうものはあると思うんですが、しかし、全体的には社会環境の変化がやはり大きいんです。そういうものに対して、やはり制度とかそういうものは合わせたように変えていくということが私は必要だと思うんです。

 だからそういう意味では、安倍総理がいろいろなことで言ったことが、例えば教育委員会の制度も考えよう、新しくしていこうということですから、せっかくこういう機会なんだから、やはりもう少しできれば議論を重ねて、多くの国会議員の方々が賛同できるように、そういうふうにいいところ、悪いところを積み上げていただいて、せっかく六十数年もたったものを変えるわけですから、ある意味では、一回変えたらそう簡単には変えられないんですよ、こういう制度というのは。ですから、そういう意味では、もっともっと議論を積み重ねて、いいところ、悪いところいろいろ挙げていただいて、政党とかそういうものに余りこだわらないでやってもらった方がいいなと、真実そう思っています。

中嶋参考人 安倍教育再生をどう考えるかということですね。

 安倍教育再生の議論の中には道徳教育などもあると思いますが、きょうのこの教育委員会制度改革の議論との関係でいえば、道徳教育の強化というところとはまた違って、経済再生、そのための産業競争力強化と大変関連が深いと思っています。

 産業競争力の強化を図っていくということが非常に安倍政権の大きな主課題にしていると思いますが、教育制度もその一環として、戦後のこの六十数年にわたる教育制度は、言ってみれば再分配型の教育制度だったと思っています。つまり、再分配というのは富の再分配ですね。国で税を集め、その国費、公費によって教育を保障していく。それによって教育の機会均等を実現する。それは、できる限り平等な教育を国民に保障するという意味での、富の再分配型の教育制度がこの六十年にわたって行われてきたと思います。

 ただ、今考えられている産業競争力強化のための教育改革は、それとは違って、これは私の言い方なんですけれども、資本蓄積重点型の教育制度、要するに、産業競争力を強化していくためのグローバル人材や、あるいは競争力人材の育成に重点化した教育制度に転換していこうとしているのではないかと思っています。

 それはまさに転換でありますから、これまでの教育機会均等の原理、これは憲法で保障しているわけですけれども、これが今危機に立っているというふうに認識しています。教育委員会制度改革もこれに極めて深く連動していると思っています。

 教育委員会制度は、戦後の再分配型の教育制度を充実させていくということを使命にして生まれた行政機関の制度だと思っています。要するに、教育条件整備を任務とし、国民の教育を受ける権利を保障するという方向に方向づけられた行政機関として戦後つくられています。これを今日廃止する、あるいは首長主導型にするということによって、教育委員会がこれまで担ってきた教育条件の整備、機会均等、これが危機に立つんだというふうに思っています。

 先ほど、主として政治的中立のところに力点をかけて申し上げましたけれども、委員に今御質問していただいた文脈からすれば、この再分配型の教育制度が教育委員会制度改革と非常に深く連動しているというふうに思っています。

 以上です。

井出委員 ありがとうございます。

 安倍総理の教育再生の中で、この教育委員会制度の改革というのも一つの目玉である、そう述べられていますし、私もそうなのかなと感じておるのですが、しかしながら、そこの教育委員会制度のあり方を議論しようという大きな直接的なきっかけとなったのは、先ほどからも話に出てきています、あの大津のいじめの事件だったと思います。

 大津のいじめの事件、あの事件で問われたものは何かといえば、お子さんが命を落としてしまうような本当に重大、深刻な事態があったときに、では、誰がその責任をとるのか。逆に言えば、平時、ふだんの教育というのは、地域や学校が裁量を持って現場中心でやっていけばいいのではないか、そういう思いを持っているんですが、本当にもうこういうことがこれ以上繰り返されてはいけないと思っているんです。

 そういう大津のような、お子さんが命を落とすような重大事態があったときに、責任を持ってその対処に当たっていく、調査をしていく、再発防止に事実関係を明らかにしていく、その最終的な責任は、私はやはり自治体の長なのではないかなと。現行の制度においても、教育委員会、教育委員の任命の形式、任命責任というものもありますし、本当に最後の最後は、そういう非常事態は首長の力、裁量、能力が問われるのではないかと思うのですが、その点について皆さんの考えをそれぞれ伺いたいのですが。

梶田参考人 責任ということの意味を余り単純に考えちゃいかぬと思うんです。大津の、いじめで自殺した、まず最初に責任を感じていないといけないのは担任ですよ。次は校長ですよ。教育委員会ですよ。そして、それを管轄する市かもしれませんね。あるいは、その上の滋賀県もそうかもしれない。文部科学省もそうかもしれない。みんなが多層的に考えなきゃいけないですよ。それで、これは、一つのところが責任をとって、誰かが腹でも切れば済むという話じゃないんですよ。

 ですから、大津の事件をきっかけにこういうことが進んで、議論の仕方が余りにも単純化され過ぎた。私は先ほど、現場主義ということをとっても大事だということを申し上げました。非常に、私は民主党の委員の方の御指摘に賛同いたします。

 でも、これは、下手なことをすると、現場を全然すっぽ抜かして首長のところまで行かないと、結局、議論をして対応策がとれなくなっちゃうと思うんです。いろいろな問題が起こったら、まあ、担任はというのはいろいろな事情があるでしょうから、まず学校ですよ。学校というものがしっかりしなきゃ、何も結局は前進しません。

 それから、もう一つだけ申し上げておきますと、今の制度ですと、私は、調査をして、これが再発しないためにまずやるべきなのは教育委員会だと思っております。ただし、それがうまくいかないという、今回は、はっきり言いますと、報告も連絡も相談もどうも教育委員会の中でなかった、そういう報道がなされております。あるいは、連携していろいろと動くべき教育委員会の内部のあれもうまくいかなかったというふうに聞いております。

 こういうことであれば、その上の市が、それは口を出さないといけないこともあるかもしれない、県がということもあるかもしれない。だけれども、今の制度ですと、教育のまず責任をとらぬといかぬのは、設置者であるところの教育委員会なんですよ。そこのところを忘れてどんどん上に行ってしまえば、まさに現場主義ということが崩れていくだろうと私は思っております。

穂坂参考人 私は、責任の所在といいますか、権限の所在と言いかえてもいいと思うんですけれども、それをはっきりしておかなくちゃ、わからなくなっちゃうんです。担任は担任の責任があるでしょう。それから、学校は学校の責任がある。教育委員会の責任もある。首長の責任がある。そういうそれぞれ国や都道府県も一つの同じように責任の所在が明確でなければ、例えば再発防止をどうしていくか、うやむやになっちゃうんですよ。

 やはり責任上というのは、ただ腹を切らせるんじゃなくて、誰が主導的な立場に立って、これから先、二度と起きてはいけないようなことをしっかりその再発防止策をきちんとつくっていくか、対応策をどうつくるか、この辺が大事なんです。

 私は病院なんかも経営していますが、例えば、病院なんかも話は同じようなんですよ。例えば、病院に行けば、何かあったら医者が責任をとるんです、訴訟の対象になりますから。ただ、ぐるぐる回っているうちに大変不幸なことに亡くなっちゃうと、要するに入院患者のたらい回し事件です。そのときには誰も責任をとらないんですよ。

 と同じように、教育も、やはり誰かがその権限に応じた、そのセクション、セクションのしっかりした責任を明確にしておかなければ、再発防止はなかなかしっかりしたものはできない。一過性の問題で、しばらくたったらまた大津のような事件が起きてしまう。そういう危険性がある。このことを指摘しておきたいと思います。

中嶋参考人 二点お答えしたいと思います。

 一つは、委員が、首長が教育行政には最終的に責任を負う必要があるということをおっしゃったと思いますけれども、その根拠として、首長が教育委員を任命するということが多分あるんだろうと思います。ただ、首長が教育委員任命権を持っているということと教育行政に最終的に責任を負うということは、分けて考えるべきことだと思います。

 というのは、現行の地方教育行政法は、首長と教育委員会をそれぞれ独立した行政機関として設置しています。その上で、教育委員は、かつては住民による公選が行われていたわけですけれども、一九五六年の法改正で廃止されて、住民にかわって首長が任命するという形をとっただけなんですね。ですから、首長と教育委員会の間には上下関係はないわけです。その意味では、首長が最終的な責任があるということは、現行法上言えないと思います。

 また、二つ目ですけれども、大津などで教育委員会によるいじめの隠蔽ということが問題になっているのは、一つは、教育委員会が学校の管理権を持っていて、その管理権の行使の中で起きた事件を隠蔽してしまったということだろうと思うんですけれども、その構造は、首長に学校管理権が移った場合にも全く同じように起きる可能性はあると思っています。

 つまり、教育委員会だから隠蔽したのではなくて、管理権を持っている者は隠蔽する可能性があるということ、そういう権力に対する一定の不信は持つべきだと思っています。

 その意味では、教育委員会の権限行使に関しては、先ほど梶田参考人がおっしゃったように、教育委員会の学校管理の運営について、子供が死ぬというような事態に当たっては、議会や首長がそれぞれの立場でお互いをチェックし合うというように機能すべきであって、権限を首長に移せば問題が解決するわけではないと考えています。

 以上です。

井出委員 貴重な御意見ありがとうございました。今後の参考にさせていただきます。

 どうもありがとうございました。

小渕委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 きょうは、三人の参考人の先生方、本当にありがとうございます。

 三人の先生方のお話を聞かせていただいて、政治的中立性の重要さ、これはもう議論の余地なく、お三方とも冒頭にもお述べになりました。非常に大事なことだと思うんです。

 まず梶田参考人にお伺いしたいんですけれども、先ほど少し触れられた京都の革新府政時代のものについては、これは私は事実も見解も若干異にいたしますけれども、おっしゃるとおり、やはり首長に権限を集中するというのがいかがなものか、こういう問題意識は共有したいと思っております。私たちも、首長、政治家による教育への政治介入はだめだというふうに思うんです。

 それで、提出されている政府法案を見ますと、確かに、教育委員会制度は残りますし、教育委員会の職務権限もそのままになっているわけでありますけれども、首長が教育長を任命し、教育施策の方針となる大綱を定める、こうなっております。これでは、教育委員会は首長による政治支配をなかなか排せない、教育委員会は首長に従属する危険があるのではないか、私たちはそういうふうに感じております。

 それで、先ほど参考人も、梶田さんも、独走を許さないチェック・アンド・バランスが必要だ、それから、現場主義という点では教育委員会があって、大事だ、やめてしまえというのではなく、それを強化するにはどうしたらいいか、こういう御発言がありました。

 率直に、どういうふうに教育委員会を強化すべきだとお考えなのか、御意見をお伺いしたいと思います。

梶田参考人 一つは、やはりもう少し権限を明確にしなきゃいけないと思うんです。これは、権限をということは、逆に言うと、責任範囲をということになると思うんです。これが今の議論の中で、今の法案の中で少し明確になってきましたけれども、もう少し、もう一歩も二歩も明確にしていかなきゃいけないんじゃないか。それが一つあります。

 それから、教育委員やら新しい教育長の任免ということ、これは、実質的にはそれは首長さんが名前を出すというのはあってもいいけれども、先ほど私申し上げたように、議会で所信を表明して、議員さんとのやりとりをしながら、この人が委員にふさわしいかどうか、あるいは新しい教育長にふさわしいかどうかを議会としてやはりきちっと見ていく。同じことで、罷免の場合もそうです。これは最小限要るんじゃないかなということを思っております。

 もう一つ、もっと根本的になりますけれども、教育委員という方々を選ぶときに、かなりもっともっと広範に、その町に関係した人からいい人を見つけてほしいな。つまり、先ほどちょっとありました。常勤でないからとかお金が余り出ないからと言うようなそういう人はもう絶対これはいけないだろうと。そうじゃなくて、だから、本当に四六時中仕事をしている人にはなかなか頼みにくいですけれども、しかし、少し教育のためにボランティア的に走り回りたいというような方がおられたら、広範にやはり考えてほしい。

 最後は、これも人の問題があると思うんですよ。私は、大津の場合も基本的には人の問題もあったんじゃないかな、こういうふうに思っております。

宮本委員 ありがとうございます。

 次に、穂坂参考人にお伺いしたいんです。

 先ほど、現状はやっていることと建前との乖離が多い、こういうお話がありました。穂坂さんは著書などで、義務教育は中央集権的な制度だ、全ての権限が文科省にあると言ってよい、文科省という指揮官から現場の部隊にさまざまな形で指導助言が下される、しかも、指導助言は実質的に命令であり、反論はおろか、意見をさえ言うことができない、これらの副作用が現場の意思や創造性を奪い、実施主体全体を受動的機能に特化させている、こう述べておられます。

 この中央集権的な部分の評価、これは私もまさにそのとおりだと思いますし、その点で見れば、今回の改定案はこの問題を真に解決するものになっていないと言わざるを得ないと思うんです。

 この点で、中央の教育行政、これをどう見直すべきか、穂坂参考人の御意見をお伺いしたいと思います。

穂坂参考人 私の中央集権の定義といいますか考え方は、役割分担が不明確なんだというに尽きるんですよ。

 さっきも再三言っているように、教育であろうと何であろうと、国のやるべき仕事、都道府県のやるべき仕事、市町村のやるべき、仕事というのは役割と権限というふうに置きかえてもらっていいと思うんですが、が一つです。

 それからもう一つは、教育委員会、例えばもっと具体的に言えば、教育長と首長との関係、役割分担、こういうものがしっかりしていないと、建前では、お互いに平等な立場で、お互いにいろいろ話し合ってやっていきましょう、決して日本は中央集権的な制度ではないとは言いながら、役割分担が決まっていないと、やはり最終的な財源は、例えば学校を新しくつくるにも、例えば耐震の設計をするにも、やはり国にお伺いを立てなければいけないわけですよ。

 二十五人学級のときに、いいというのは教育委員会も物すごく賛成している。議会も賛成している。でも、みんな心配したのは、意地悪されるんじゃないか、例えば都道府県からですね、市町村の場合には都道府県が一番近い直近の上級官庁ですから。何でそういうことが起きるのかというと、結局、先生の人事権は全部都道府県にありますから、アンダーの中で意地悪をされるんじゃないか、あるいは、今度は国に箇所づけで、例えば何かの申請をしたときに、恣意的に、おたくはどうも余り言うことを聞かないからだめだと言われるんじゃないか、そういうことを言われたんです。

 ですから、そういうことを含めて言うと、やはり、分権とかよく言いますが、私は、そういう表現よりもむしろ、役割分担を明確にする。できるだけ現場の創意とか自主性とか、そういうものを大事にしてもらう。こういう制度が、この教育行政についてもそれはそうあってほしい、こう思っております。

宮本委員 ありがとうございます。

 教育の地方分権というのは一九四八年の教育委員会発足当時からの大原則でありますから、私たちも、上意下達で国から学校現場にあれこれ指示するようなやり方というものは大問題だというふうに思っております。

 さて、中嶋参考人にお伺いをいたします。

 現状の教育委員会に問題があるというのは、これはほとんどの皆さんの認識の一致するところであって、それをではどう改善するのかということが問題だと思うんです。

 中嶋参考人が犬山市の教育委員を務めておられたときの取り組みについては、先ほど、学力テストへの不参加問題、これは有名でありますけれども、このほかにもさまざまな取り組みがあったと思うんです。短い時間でありますけれども、二、三、例を挙げて御紹介いただけますでしょうか。

中嶋参考人 犬山市は全国学力テストの不参加でマスコミで大きく報道されたわけですけれども、一九九九年ぐらいから教育改革の取り組みは独自に行ってまいりました。私が教育委員になったのは二〇〇〇年からですが、その少し前から始まっていました。

 その中では、例えば愛知県では、各学校の教務主任あるいは校務主任というのが、校務主任というのは愛知県だけの制度ですが、があるんですが、これは本来校長が選任する職なんですけれども、都道府県教委があらかじめ予定者を決めて学校に配置してしまうということをしていました。その中で、市町村教育委員会が本来有している内申権、教員人事に関する内申権が実質存在していないような状況が生まれていました。

 これに対して教育委員会から、これは法に照らして問題があるんだということを提起し、内申権の実質化を図るということで愛知県教育委員会に対して申し入れをし、それを実現しました。

 これは、要するに、地方教育行政法が定めている教育委員会の権限が必ずしも市町村教育委員会によって十分に行使されていないという問題です。

 行使されていないのは、多くの場合、恐らく、教育長さんも教育行政についての専門性は非常に低いと思っています。つまり、教育行政に関する専門的な知識をどこで身につけているかといえば、例えば、校長先生として勤務していたときの経験、あるいは、指導主事として教育委員会事務局に勤務していたときの経験に基づいていると思うからです。

 今のことからいって、教育委員会を強化するという点では、教育長の教育行政専門性を担保する仕組みを確保するということが一つ重要だと思っています。

 今回の閣法の中では、教育行政に関する識見を有するものということになっていて、極めて曖昧な規定の仕方になっているんですけれども、例えばアメリカでは、教育行政学の学位を有している者を公募して教育委員会の教育長に選任するということを行っています。

 それから、もう一度犬山市に戻りますが、犬山市では、少人数授業を行ったり、あるいは少人数授業を行うに当たっては、習熟度別によらない共同の学習を行ってまいりました。これは、市町村として、自分たちの町の学校教育をどのように編成していくかということにかかわる問題です。

 基本的にはこれは学校の自主性に任されるべき問題であると思っていますけれども、犬山市教育委員会は、習熟度別ではない共同学習が重要であるということを学校教員に対して指導助言を行い、それに応える形で学校が授業改革を進めていったというものです。

 それに対して教育委員会として、教員を配置するであるとか、首長に対して予算を請求し、首長から予算を獲得するというような活動をしてまいりました。

 つまり、国や都道府県によって大きな枠組みがつくられている中で、市町村の教育委員会が自主的に教育をつくっていくことができるんだ、あるいは教育行政を地方自治的に行っていくことができるんだということが、必ずしも現在の教育委員会関係者によって適切には理解されていない。したがって、本来みずからが有している権限を十分に行使していない。そのために役割が十分果たせていないという問題があると思います。

 以上です。

宮本委員 非常に貴重なお話、ありがとうございました。

 今、そういう点では、教育委員会の役割というのはむしろ非常に大きいというふうに私も実感をいたします。

 それで、この議論なんですけれども、政府案、閣法にしても、それから野党案にしても、なぜそういう改定が必要なのかという点ではまだまだ議論がわかりにくい、尽くされていないという面があるわけです。それにはやはりそれなりの理由があって、狙いがあって、では、実際にこの教育委員会制度の改悪によって何をやろうとしているかというのがまだまだ見えてきていないからだろうと私は思うんですよ。

 先ほど中嶋先生は、新自由主義によるグローバル人材の育成ということにお触れになりました。もちろん、子供たちの間に競争を進めるためには、学力テストの結果の公表等々、教育委員会が抵抗しているという面もありますから、ここを取っ払って、もっと学力テストで競争させようという面がある。これは事実だと思います。

 同時に、やはり愛国心教育というものを今進めていこうとしているんじゃないかと。先日、文部科学大臣とも、大臣が教育勅語が至極真っ当と御発言になったことをめぐって随分激しい議論をやったんですけれども、こういう面で、やはり今の政府の教育政策、私は不安が大きく感じられるわけですけれども、最後に中嶋先生の御意見をお伺いして、終わりたいと思います。

中嶋参考人 今委員のおっしゃったとおり、愛国心教育であるとか、愛国心に限らず、特定の道徳を、これが国民としてあるべき姿なんだという形で国民に示すというような教育が行われるということは、あってはならないことだと思います。

 今は地方教育行政法が法案として出ていますけれども、この後、教育再生推進法案が準備されているということを報道で知っています。それらにおいても、この愛国心と、それから、先ほど私が申し上げましたような、教育制度そのものの基本的な新自由主義改革というものが準備されていると思いますので、そこに十分警戒をしなければいけないと私は思っています。

 以上です。

宮本委員 ありがとうございました。以上で終わります。

小渕委員長 次に、青木愛君。

青木委員 生活の党の青木でございます。

 きょうは、大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございます。質問は重なるかと思いますが、私からは、それぞれの参考人に二点ずつお伺いをさせていただきたいと思います。

 まず一点目でありますが、地方教育行政のチェック機能についてそれぞれの御意見を伺いたいと思います。

 まず、梶田参考人から、先ほどのお話の中で、合議制執行機関として教育委員会が地方教育行政の責任を持つというお話がございました。またあわせて、首長と議会の二元代表制ということの中での議会の役割についても指摘がございました。

 まず、教育委員会が執行機関として残ったということにおいて、これは自己責任で執行するということだと思いますが、みずからの活動状況をみずから点検、評価が行えるのかどうかという点と、議会の役割といたしまして、やはり議会も政治的色合いを持つものというふうに思いますものですから、その二点について、チェック機能という観点からぜひお伺いをさせていただきたいと思います。

 それから、穂坂参考人からは、首長と教育委員会を分けて役割分担を明確にという主張がございました。今申し上げたとおり、閣法ではともに執行機関となっておりますので、この教育委員会の役割というものを穂坂参考人としてはどのように捉えていらっしゃるのか、そのチェック機能という観点からぜひお伺いをさせていただきたいのと、我が生活の党といたしますと、やはり首長と分けて教育委員会をチェック機能機関とする方が、そこにチェック機能を持たすということを考えの中に主張いたしておりまして、そして、今回出されました衆法の教育監査委員会、これもやはりチェック機能を果たす機関だというふうに思いますけれども、この衆法の教育監査委員会の実効性についてどのように評価をされているか、ぜひお伺いをできればというふうに思います。

 そして中嶋参考人からは、やはり教育委員会の再生だというお話でございました。これまで適宜改革が進められてきたわけでございますが、平成十三年には、住民自治という観点から、保護者を教育委員に入れることになりました。また、平成十九年には、いじめ自殺の事案を受けて、やはり改正が行われております。そして、このたび再びいじめ事件が起こったわけでありまして、さらにどのようにこの教育委員会そのものの改革をすればこういうことが起きなくなるのか。やはり教育委員会のこれも自己点検、評価、これができるのかどうか。

 そうした観点から、地方教育行政のチェック機能ということで、ぜひ三名の参考人に御意見をいただきたいと思います。

梶田参考人 私は、合議制執行機関としての教育委員会、これの自己評価、自己点検、そしてそれを公表して、多くの、例えば市であれば市民の方、あるいは、都道府県であれば都道府県民の方の批判を仰ぐということは十分に可能だと思っております。

 今、大学はやっているんですよ。大学は、毎年、自己評価、自己点検をやって、それを公表しなきゃいけなくなっております。しかも、これはお手盛りになっちゃいけませんので、かなり厳しくこういう点についてはというのはあります。

 例えば、私が今おります奈良学園大学は、この三月までは奈良産業大学という名前ですが、これは惨たんたる実情です。ぜひホームページで見てください。自己評価、自己点検、どこがとんでもないことなのかというのをちゃんと公表しております。だから、これは教育委員会がやれないことはない。やれます。

 それから、これとまた別の意味での、ただ、大学でも、第三者評価ということで外側から評価もいただきます。これは、教育委員会であればまず議会からいただかなきゃいけないとは思いますが、しかし、それとまた別の、例えば、今後もし総合教育会議というのをおつくりになるんだったら、総合教育会議の中で議論して、特に、教育委員会関係者じゃない学識経験者と首長さんたちでこれを評価するというのも一つあり得るかなと思ったりしております。

 もちろん、それを全部公表して、それで、例えば市町村であれば市町村民の方にやはり見ていただいて、そこからまた意見を寄せていただくというそのフィードバックは不可欠だろう、そういうふうに思っております。

穂坂参考人 進める当事者が同様にチェック機能を持つというのは、どだい無理だというふうに私は思っています。やはり、議会なら議会とか、あるいは、条例上権限を持たせた市民のそういう審議会とか、別物じゃなければチェック機能は難しいですよ。

 例えば私も、もし首長でこういうような会議をつくってやったときに、自分のやったことが正しいか正しくないかとか、瑕疵はあるかないかとか、そういうものを自分自身でチェックするというのは、それは理論的にはできるかもわかりませんが、なかなかこれは実質的には難しいだろうな、こう思っています。

中嶋参考人 まず、事後チェックではだめだということです。現在の教育委員会についての評価制度は、教育委員会の自己評価制度がありますけれども、それは事後チェックになっています。事後チェックは、もちろん、事後チェックの機能としてはそれとしてあるわけですけれども、問題は、子供や若者たちが学んでいて、その学びを保障すること、あるいは命や身体をしっかり守っていくこと、これが課題なわけですから、事後的に問題があったということを評価しても意味はないわけです。

 そこをではどうしていくかということが課題で、そのためには、先ほどの発言の中で、責任、レスポンスということを言いましたけれども、現場で起きている問題に対して教育行政がどのように機敏にレスポンスできるかということだと思うんです。それは、トップが一人になればいいということではなくて、教育行政に対してレスポンスを返していくルートをたくさん用意するということだと思います。

 それは、学校の現場からのレスポンスもあるし、それから、保護者、住民からのレスポンス、今こういう問題が起きていて、これに対処してほしいんだということが教育行政機関に対して風通しよく通っていくということが重要で、それを確保することが課題だと思います。

 先ほど委員が、教育委員に保護者を入れるというようなところが加わったということがありましたけれども、それはお一人の方が入ればそれで済むという話ですね、法律上は。それでは今申し上げているレスポンスはきかないと思います。ですから、多くの人たちが教育行政に参加できる仕組み、これを考えていくべきだと思っています。

 以上です。

青木委員 ありがとうございます。

 時間もないのですが、梶田参考人、議会の役割についてもう少し具体的に教えていただければというふうに思うのですが。

梶田参考人 私は地方議会もいろいろとあると思いますけれども、私が見ているところでは、意外と、何というか、政党色は強くないと思っているんですよ、どこでも。ですから、住民目線で議論しておられるところは非常に多いなと。国会がしていないという意味じゃないですよ。だけれども、私が知っている、例えば私の地元の市議会もそうだし、大阪の府議会議員の方々ともおつき合いしていますけれども、やはり、これがこうだというふうに決め込んでやるんじゃなくて、かなり柔軟に議論しながらお立場を変えていかれるというところが、少なくとも、私のおります箕面市もそうですし、市会議員の方々もそうだし、大阪の府会議員の方々もそうだなというふうに私は感じております。

 したがって、これをもっともっと大事にして、首長さんも大事です、選挙で選ばれていますから、でも、二元代表制というのがあるということの大事さですね、やはり議会は議会できちっとした意思表示をいろいろな場合にやって、首長さんが独走しないように、あるいは首長さんを後押しするように時には後押しもせぬといかぬ、そういう形でいい緊張感をはらみながら、しかし、一度この立場を決めたらそれで何年間は変わらない、次の選挙まで変わらないじゃなくて、常に議会側は議論していただいて、いろいろなことを考え直していただいて、それで首長との対応をする、そういうことになると、住民の側からいうと非常に望ましいんじゃないかな、私はそういうふうに思っております。

青木委員 ありがとうございます。

 それではもう一点、三名の参考人にお伺いをさせていただきます。

 先ほど、穂坂参考人から冒頭、国と都道府県と市町村の役割分担を明確にすべきだという強い主張がございました。実は、前回の参考人質疑の際もやはり参考人の方々から、縦の行政系列の弊害という指摘がございまして、権力は曖昧性に宿るという指摘がございました。

 我が党としても、やはり国と地方の役割は明確にすべきだという問題意識をこれまで持ってまいりまして、これを議論する際には教員の人事権と給与負担が必ず議論になるわけなんですが、実は生活の党といたしますと、教師の身分は国が保障するということと、あと、教育水準の維持、大ざっぱに言いますとこの二点を国の役割として、あとは、カリキュラムだとか学級編制だとかいろいろなことは地方に任せるという整理をしているんです。

 これからもっと具体的にこの国の役割と教育の地方分権の整理が必要だというふうに認識をしておるところなんですけれども、この生活の党の考え方についての御所見をもしいただければありがたいですし、今後、この国と都道府県と市町村の役割分担というのを具体的にどのように捉えていらっしゃるか、ぜひ御意見を伺わせていただきたいと存じます。

梶田参考人 おっしゃるように、国とそれから都道府県、市町村、これの役割分担をもう少しはっきりさせなきゃいけないだろうと思っております。

 ただし、具体になると、例えば教員の人事権あるいは給与負担、これなんかの問題も非常に難しくて、私、中教審の教育制度分科会というので以前分科会長もやりましたし、だから、いろいろな御意見をまとめる役もさせていただきました。今も委員として出ております。

 なかなか難しいのは、例えば、給与負担をやめて地方に任せてしまうという議論が一時期あったんです。そうすると、とってもお金持ちのところと、それからやはり貧乏なところがあるんです。私のふるさとの山陰なんというのは本当にお金がないんです。やはり、そうしたらというところがあるでしょう。そういう問題。それからもう一つ、先生方が町には行きたがるけれども僻地には行きたがらないとか、それを、今は広域人事をある程度やっているからやれている。つまり、私、原理原則の問題も大分議論しました。しかし、なかなか進まないところがあります。

 ということで、私のあれは、生活の党が今お持ちのそういうお考えは非常に大事なことですので、じっくりいろいろな点についてメリット、デメリットを詰めていっていただけたらな、そういうふうに思います。

穂坂参考人 教育に関しては、その三者の役割、権限と、そこに今度は、やはり住民に近くなくちゃいけませんから、レーマンコントロールをどういうふうに生かしていくか。それからもう一つは、地方議会も教育に非常に熱心に取り組んでもらいたいなと思うんです、国会と同じように。

 ですから、そういう意味では、五つのそういういろいろな意味での役割分担が明確になって、どういうふうにチェック機能を発揮していくか。もちろんそれは、首長の恣意的な政治姿勢、そういうものもどういうふうに抑制していくか。そういうものをそれぞれきちんとやれば、できると思うんです。

 特例はいっぱいあると思うんですよ。例えば、非常に過疎で、これから過疎にどんどん向かうわけですが、物すごく小さいところで、とても無理だというのもあるでしょう。しかし原則は、例えば五万とか十万とか、その程度のところをどうするかというところからスタートして、それで特殊的な例外というのは絶対あるんですよ。ですが、例外がやはり原則になっちゃいけないと思うんです。

 ですから、そういうところをやはりきちんと整理をしてもらえればありがたい、こう思っています。

中嶋参考人 国の役割は極めて明確であると思っています。

 というのは、現在の憲法のもとにあっては、公教育制度は、先ほど申し上げたように、富の再分配型の教育制度です。国の役割は、その富の再分配としての教育が成り立つような条件整備をすることに国の主たる責任があると思っています。

 その意味では、給与負担について、それを全額国で行うのがいいかどうかとかいうのは今はすぐお答えできませんけれども、梶田参考人がおっしゃったように、地域によって教育の条件が違ってしまうといけない、貧しい、比較的財政の厳しい自治体でもそれが負担できるような仕組みをつくっていくということが国の責任であると思っています。

 ただ、委員がおっしゃった教育水準の維持ということにかかわっては、教育水準というものをどのような内容で捉えるかという問題があって、教育の具体的な内容についてまで、これは国が維持するんだということで内容にまでどんどん国が口出しをするということになると、これは地域や学校における自発的な教育改善の取り組みをかえってなえさせてしまうことになりかねませんから、そこについては国や都道府県は自制的であるべきだと思っています。

 以上です。

青木委員 大変参考になりました。貴重な御意見をありがとうございました。

 質問を終わらせていただきます。

小渕委員長 次に、吉川元君。

吉川(元)委員 社会民主党の吉川元です。

 私で最後の質問者ということであります。本当に貴重な御意見、ありがとうございました。

 まず初めに、三人の方にそれぞれお伺いをしたいということなんですけれども、今ほどこの当委員会の中でも議論がありました上意下達というような問題、私もこれは非常に大きな問題だろうというふうに思います。文科省から都道府県の教育委員会、そして市町村教育委員会、さらにはそこから学校、教職員といったように、ともすれば中央から学校現場まで縦系列で教育行政は管理統制をされているというのは、これは大きな問題だというふうに思います。

 あわせまして、もう一つ、三人の参考人の方にお伺いしたいんですけれども、地方自治と言った場合、よく議論されるのは、自治体の権限の問題がよく議論されます。ただ、地方自治の本旨と言った場合には、団体自治と住民自治というこの二つの両輪によって行われるというのが、これが通説といいますか、考え方の基本にあるんだろうというふうに思います。

 そういう面でいいますと、教育行政においても、もちろん団体自治というのもありますが、あわせて、住民自治というものをどのように実現していくのかというのも一つ大きな課題ではないかというふうにも思っております。

 そういう面でいいますと、地方に公聴会に行きました際にもコミュニティースクール等々も見させていただきましたが、こうした住民自治の観点から教育委員会制度についての御所見を伺いたいというふうに思います。

梶田参考人 幾つかあるんですけれども、まず住民自治の方から参りますと、住民自治だから、例えば義務教育をそこの住民で話し合ってそこで決めりゃいいというわけにはなかなかいかぬと思います。いろいろな国でそういう試みはありました。でも、うまくいかないから国レベルで、例えばイギリスなんかはそうですよね、あるいはアメリカでも、カウンティーぐらいでやっていた時期もあるんです。しかし、今は全国的にナショナルカリキュラムでやっています。

 つまりどういうことかというと、その国の子供たちが大きくなっていくときに、最低限こういうことはやはり身につけないといけないよね、それでないと、そこの社会の、全部手を結び合ってやっていくことはできないよねということがあるからです。そこで国のかかわりというのが出てくると私は思っております。

 したがって、住民自治ということは大事ですし、あるいはその町ごとの教育のあり方ということを考えていかなきゃいけないと思いますが、そういう教育ということの、つまり、次の時代の社会をつくるということで、ほかの行政分野とは違う長い見通しを持って、一つのビジョンを持って、責任を持ってある成果を出さなきゃいけない、こういう中で考えなきゃいけないのかなということをまず第一に思います。そういう中での中央集権をできるだけやめていくということなんです。

 今、国が言って都道府県が動いて、市町村が動いてというのは、私は、今の法体系ではこれは幻想だと思っています。

 私が箕面の教育委員をしていたのは、二十年前と言ったのはこれは間違いで、多分三十年前です、一九八〇年代の半ばですけれども、そのときに、象徴的なんですが、指導要録という、学校が持っている学籍簿みたいなものですね、当時はこれは本人にも親にも見せなかったんです、どこでも。これを、当時の委員長さんが弁護士さんで、地教行法からいったら、こういうこともやはり教育委員会、地教委で話し合って、これでいいのかどうか決めなきゃいけないじゃないかと問題提起されました。勉強会、これも、定例会じゃないですよ、みんなで集まって勉強会をやりまして、そうだよねと。

 当時は、大阪府の小中学校は指導要録をみんな書いていなかったんです。そういうものを書くのは選別、差別に加担することであるということで、名前を書いて、判こ一つ、特記事項なしという判こを押していたんです。これは、やはり住民に公にして、それでいいかどうかというのも判断してもらわぬといかぬという議論にもなりまして、指導要録を開示することにしました、全面開示を。

 そうしましたら文部省から私にも電話がかかってきまして、これはやめてくれと。いけないことなんですか、それは禁じられているんですかと言ったら、いや、文部省の方針としてはそうだけれども、地教行法上はということで、慎重にという言い方。府教委からも電話がかかってきて、慎重にということ。そういう電話があったけれどもというので教育委員で話し合ってやったら、まあ、慎重にだから、慎重に考えて結論を出そうと。町長さんにも意見を求めました。町長さんも、こういう問題は最終的には教育委員の責任だということで、結論が出たら全部あれすると。それで開示しました。

 それで、出して、親御さんが見て、大きくなった子供さんが見たら、ずっと自分の学籍簿というのは空欄なんですよ。これでいいのかということで、すぐにきちっと書き込むことが始まりました。そういうことがありました。

 そういうときでも、地教行法を勉強して、二十五年前であっても、国の意向とか府の意向と違う決定をして、違う行政実例をつくれたんです。それはすぐ八王子だとかいろいろなところに波及しまして、それで今は指導要録は見せるのが当然だという話になりました。そういうことはいっぱい私はあると思うんです。

 もう一つだけ簡単に言っておきますと、今、教育内容を、私が教育課程部会長というのを中教審でやらせてもらったときに、指導要録の性格づけを変えました。今までは指導要録は標準ということになっていました。この時間数だけこの中身はきちっと教えるのが当然ですよ、余分なことを教えなさんなよというような指導もあったりしたんですよ。ところが、最低基準だということにしました。この時間数、この中身を押さえていたら、あとは学校で、あるいは町でいろいろと工夫してやっていくのが当然じゃないですかということに、そういうふうに教育課程部会で決めまして、初中分科会でも、そのとき、それも私は分科会長をしていたんですが、了承していただいた形で文部科学省から通知を出していただきました。

 ですから、今、内容的にもそれぞれの町ごとにいろいろなことを考えて手は打てるんです。少しずつそういう方向に進んでいる。

 ただ、やはり昔からの上意下達的なものはあります、これは率直に言って。だから、混乱が起きないように一つずつどうやって不要なある種の規制をなくしていくか。まさに住民自治と言うとおかしいけれども、現場で一番近いところが工夫をして、それで子供のためによかれということがやっていけるようにするか、これが私は大事なことかなと思っております。

穂坂参考人 住民自治だからといって、地方が何でも好きなことをやればいいということじゃないと思うんです。

 私は、さっきも再三言っているように、役割分担の中でその裁量権を認めてもらえないだろうかというのが多分地方の願いだと思うんですよ。いや、法的には絶対そんなことないよと言っても、首長をやったり、何かそういう経験からいうと、やはり補助金に頼らざるを得ないというそういう部分が大変多いわけです。例えば、補助金が認められれば起債も受けられるわけです。補助金で認められなければ、自己財源で全部やらなくちゃならないんです。

 だから、そういういろいろな意味での仕組みの中であることは承知をしながら、でも、特に教育なんかは、国のやるべき仕事、そういう役割分担を明確にした上で裁量権をそれぞれ地方にも認める、実施主体にも認める、そういう姿勢が一番いいのではないか、こう思っています。

中嶋参考人 住民自治をどう確保していくかという御質問だったと思います。

 住民自治の確保のためには、住民や、住民というのは素人ですから、素人の議論をより活発にしていくためには、専門家も加わった形での教育委員会の諮問機関、あるいは、もっとオープンな自由なフォーラムといいますか、そういったものを自治体の中でつくっていく。これは自治体の単位であってもいいし、学校の単位でもいいかもしれません。中学校区の単位でそういった教育フォーラムをつくるというようなことも必要かと思います。

 そうすることで、地方教育行政の最終的な主権を持っている住民がみずから育っていくといいますか、住民が育つ環境をどうつくるかということが重要であろうと思っています。

 委員の御発言の中にコミュニティースクールということも少し出たかと思うんですけれども、コミュニティースクールも、一つの、住民が学校運営に直接参加する道としてはあり得るわけですけれども、これについてはやや懸念する点もあります。

 アメリカにおいてはこういった形での学校運営が幾つかの形で行われていますけれども、一番問題になるのが、学校管理のノウハウがどこにあるかということです。

 住民は必ずしも学校管理のノウハウを持っているわけではありませんので、しばしば見られるのは、民間の学校管理会社、民間の株式会社なんですけれども、民間の株式会社が学校の管理運営を実質的に下請してしまうというようなことがあって、住民自治的な学校運営に見えて、その実は民間会社による学校運営になってしまっているというケースもありますので、そのあたりは慎重に考えるべきことかと思っています。

 以上です。

吉川(元)委員 次に、中嶋参考人の方に伺いたいというふうに思います。

 先ほどの中でも、大津の事件というのを一つのきっかけにして今回の議論というのはスタートしたわけですけれども、先ほどおっしゃられていたのは、〇七年の改正によって教育長に権限が集中をした、それが非常に大きな問題の一つだったんだ、だからこそ〇七年以前の合議制に戻すべきだというお話がございました。

 私自身も同じような問題意識を共有するわけでありますけれども、そういう面で、一番最初の意見陳述の際に、時間がないのでということで四のところをはしょられまして、先ほどは教育長の要件ということで少しお話しいただいたんですけれども、改めまして、今回の改正についてどのように考えておられるのか、御説明いただければと思います。

中嶋参考人 今回の閣法にかかわって申し上げますと、首長による教育長任命、それから教育委員会による教育長の職務の指揮監督権の削除、それから首長の大綱策定権、それから、首長がいつでも協議を申し入れることのできる仕組み、こういう仕組みになっていますので、一方では、首長が実質的な教育行政の執行機関化してしまう可能性があり、教育長はその補助機関に近い実態が生まれるのではないかと考えます。

 その一方で、教育委員会内部においては、教育長に対して教育委員がその活動をチェックするこれまで根拠となってきた指揮監督権が失われてしまいますので、教育長が教育委員会内でワンマン化してしまうという可能性があると思っています。

 教育長のワンマン教育行政の問題点もこれまで多く指摘されてきたところで、大津事件が起きたことによって、議論が極めて単純化してしまっているというところに問題があると思っています。

 以上です。

吉川(元)委員 私も同じ問題意識を持つわけでありますが、引き続きまして、また中嶋参考人の方にお聞きしたいと思います。

 先ほど少し他の委員の質問の中でも出ましたけれども、全国学力テストの参加を見送った犬山市の教育委員を務められていらっしゃった。まさにその当時、犬山市の方で懸念をされていたような事態というのは、今実際に残念ながら起こっているというのが実情だろうと思います。過度な競争や学校の序列化、そうしたことが起こっているというふうにも思っております。

 これによって学校の序列化が行われ、また、ことしから市町村別、学校別の成績公表も教育委員会の判断で可能になっております。加えて、学区制の廃止や学校選択制に結びつくようなそういう主張も出ておりますし、また、先ほど少しお話しされましたが、公立学校を丸ごと民間委託、そういう検討も行われているというふうな話も聞いております。

 公教育、とりわけ義務教育の課程でこうした市場化というものは果たしてどうなのか、私も非常に危惧を持っておりますが、この点について最後お聞きして、終わりたいと思います。

中嶋参考人 二〇〇七年、全国学力テストが始まったときに犬山市がこの学力テストに参加しなかったのは、今委員がおまとめいただいたような理由によるものです。

 一つは、過度の競争を進めてしまうこと、もう一つは、これをきっかけとして、学校選択制の導入であるとか新自由主義的な教育制度への移行が主張される根拠になっていくと考えたからです。

 このことについては、犬山市においては、何度も学校説明会あるいはフォーラムを開催して、市民あるいは保護者を中心とする人々との間で教育委員会は合意を形成してまいりました。それによって、この全国学力テストは決して犬山の子供たちにとっていいものではないということを市民や保護者が同意をしながら、参加しないことを決めたものです。そのことについては文部科学省においても御理解いただいて、犬山市が参加しないことについては何も問題を提起されなかったわけです。

 ただ、犬山市が最終的に参加する経緯となったのは、首長がかわりまして、新たに首長になった人が、選挙期間中はどうも公約の中には入れていなかったんですけれども、当選した後に、自分が民意を代表しているんだ、自分は全国学力テストに参加することが必要であると考えるということで、教育委員会に対して参加を迫った。私は、任期が来たところで再任がなく、かわった。教育委員の人数もふやして、言ってみれば、多数派工作をとることによってみずからの主張を教育行政に押しつけたという経緯があります。

 その点から見ても、首長がどういう行為を行うかによって教育行政がゆがめられてしまう。住民との間でせっかく合意をつくりながら、犬山流の教育改革を進めてきたことが無に帰してしまうということ、このきっかけとなったのが首長の介入であったというふうに思っています。

 以上です。

吉川(元)委員 本当にきょうはありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

小渕委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 次回は、来る九日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時五十二分散会


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