衆議院

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第21号 平成26年6月4日(水曜日)

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平成二十六年六月四日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 小渕 優子君

   理事 中根 一幸君 理事 丹羽 秀樹君

   理事 萩生田光一君 理事 山本ともひろ君

   理事 義家 弘介君 理事 笠  浩史君

   理事 鈴木  望君 理事 稲津  久君

      青山 周平君    池田 佳隆君

      小此木八郎君    大見  正君

      鬼木  誠君    勝沼 栄明君

      神山 佐市君    菅野さちこ君

      木内  均君    工藤 彰三君

      熊田 裕通君    小林 茂樹君

      桜井  宏君    新開 裕司君

      武井 俊輔君    冨岡  勉君

      中谷 真一君    中山 展宏君

      永岡 桂子君    野中  厚君

      馳   浩君    比嘉奈津美君

      星野 剛士君    細田 健一君

      前田 一男君    宮内 秀樹君

      宮川 典子君    八木 哲也君

      菊田真紀子君    細野 豪志君

      吉田  泉君    椎木  保君

      三宅  博君    中野 洋昌君

      柏倉 祐司君    井出 庸生君

      宮本 岳志君    青木  愛君

      吉川  元君    山口  壯君

    …………………………………

   文部科学大臣       下村 博文君

   文部科学大臣政務官    冨岡  勉君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 戸谷 一夫君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            吉田 大輔君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        久保 公人君

   参考人

   (国立大学法人大阪大学総長)           平野 俊夫君

   参考人

   (早稲田大学理事)

   (早稲田大学政治経済学術院教授)         田中 愛治君

   参考人

   (名古屋大学名誉教授)  池内  了君

   文部科学委員会専門員   久留 正敏君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十七日

 辞任         補欠選任

  宮本 岳志君     志位 和夫君

同月二十九日

 辞任         補欠選任

  志位 和夫君     宮本 岳志君

六月四日

 辞任         補欠選任

  青山 周平君     中谷 真一君

  池田 佳隆君     中山 展宏君

  木内  均君     勝沼 栄明君

  熊田 裕通君     星野 剛士君

  比嘉奈津美君     鬼木  誠君

  宮内 秀樹君     武井 俊輔君

同日

 辞任         補欠選任

  鬼木  誠君     大見  正君

  勝沼 栄明君     木内  均君

  武井 俊輔君     宮内 秀樹君

  中谷 真一君     青山 周平君

  中山 展宏君     前田 一男君

  星野 剛士君     八木 哲也君

同日

 辞任         補欠選任

  大見  正君     比嘉奈津美君

  前田 一男君     池田 佳隆君

  八木 哲也君     細田 健一君

同日

 辞任         補欠選任

  細田 健一君     熊田 裕通君

    ―――――――――――――

五月三十日

 首長や国の権限を強め教育への政治支配を強化する地方教育行政法改正反対に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一〇五七号)

 同(笠井亮君紹介)(第一〇五八号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一〇五九号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一〇六〇号)

 同(志位和夫君紹介)(第一〇六一号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一〇六二号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一〇六三号)

 同(宮本岳志君紹介)(第一〇六四号)

 教育予算の増額、教育費の無償化、保護者負担軽減、教育条件の改善に関する請願(玉城デニー君紹介)(第一〇七七号)

 私立幼稚園教育の充実と発展に関する請願(吉川元君紹介)(第一一〇六号)

 教育費負担の公私間格差をなくし、子供たちに行き届いた教育を求める私学助成に関する請願(秋本真利君紹介)(第一一四三号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案(内閣提出第八〇号)


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     ――――◇―――――

小渕委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、国立大学法人大阪大学総長平野俊夫君、早稲田大学理事、早稲田大学政治経済学術院教授田中愛治君及び名古屋大学名誉教授池内了君、以上三名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。本案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位から一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御了承ください。

 それでは、まず、平野参考人にお願いいたします。

平野参考人 おはようございます。大阪大学総長の平野俊夫でございます。

 本日は、学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案の御審議に当たり、このような貴重な機会を頂戴し、まことにありがとうございます。まずもって、小渕優子委員長を初め、御列席の衆議院文部科学委員会の委員の皆様方に心より感謝申し上げる次第でございます。

 大阪大学は、今から十七年後の平成四十三年、つまり西暦二〇三一年に創立百周年を迎える国立の研究型総合大学でございます。本学の原点は、かの緒方洪庵が一八三八年に大阪の船場に設立した適塾であり、適塾は、福沢諭吉など多くの俊英を輩出し、近代日本の形成に大きく貢献いたしました。

 現在、本学は、十一の学部、十六の大学院研究科、五つの附置研究所、二つの附属病院などで構成され、学部学生数は一万五千名余りと、東京大学をしのいで国立大学最大であり、また、外国人留学生は約二千名、海外への留学者は年間一千名に上り、大学院生を含めて全ての学生数は二万四千名となっております。

 このような大きな組織を平成二十三年より預かっている私が日ごろ強調していることがございます。それは、二十一世紀における大学の大きな役割でございます。それは、グローバル社会に、学問を通じて物事の本質を見きわめ、調和ある多様性を創造し、もって心豊かな人類社会の発展に貢献することであるということでございます。

 そして、このことを着実に実践することにより、創立百周年の節目に当たっては、本学が二十一世紀の世界適塾として世界トップテンの大学に名を連ねることを目指し、日々積極的に改革に取り組んでいるところでございます。

 本日はこのような立場からお話を申し上げたいと存じます。

 私は、大学運営においても、学問を介した調和のある多様性が大学ガバナンスの基本であり、また、それによる多様性と持続性は、特に歴史ある国立大学においては生命線になると考えています。

 多様性とは、もとより大学の多様性であります。あるいは、部局の多様性、学問の多様性、人の多様性を意味します。多様性があるからこそ持続性が担保でき、また逆に、持続性があることにより多様性も確保できます。大阪大学は、二十二世紀に輝くという言葉で、学問の府としての持続性と、それと一体としての多様性の重要性を訴えています。

 多様性の基本は、もとより大学の構成員一人一人であります。すなわち、個人であり、その集合体である部局、あるいは教授会を意味するものであります。個の力の最大化は大学における多様性の基本ですが、この現代社会においては、社会から大学に対して、さらに、個の力の最大化にとどまらない、その集合体としての大学全体の最大化、すなわち、組織の力の最大化が強く求められているものと考えています。

 一人一人の構成員がそれぞれ自由闊達に多様な個性を発揮しつつ最大のパフォーマンスを上げることは、もとより組織の活力向上に資するものであり、組織の運営をしていく上で大変重要なことであります。しかしながら、それが行き過ぎると個の方向性がばらばらになってしまい、その結果、組織全体の方向性が定まらないどころか、厳しいあつれきすら生じかねない状況になります。

 大学の運営に当たっては、大学本部と部局、個人の間に適度な緊張関係を築くことも重要であります。しかしながら、この緊張関係を、対立ではなく、前に進むための駆動力に変換する必要がございます。これが大学運営の困難さですが、あるいは、困難さではありますが、大学運営の真髄でもございます。

 では、いかにしてこの緊張関係を前向きの駆動力に変えることができるか。そのためには、志、理念、戦略、戦術を明確にする必要があります。その上で、対話と恕の心、すなわち、相手の立場を思いやる心が重要であると考えています。

 大阪大学では、二〇三一年の創立百周年には、世界適塾として世界でトップテンに入る研究型総合大学になるということを志として掲げています。理念としては、グローバル社会に学問により調和ある多様性を創造すること、このことにより心豊かな人類社会の発展に貢献することを掲げています。そのための戦略として、大阪大学未来戦略、副題は二十二世紀に輝くを策定いたしました。また、戦略を達成するための戦術としては、世界トップテンを目指すさまざまなプログラムを策定し、実行に移しつつございます。

 以上に述べましたことに留意しながら、日ごろ、学内のさまざまな課題に取り組んでいるわけでございますが、本日は時間に限りがございますので、一つだけ具体例の紹介をさせていただきたく存じます。

 大阪大学未来戦略の中で、八カ条の改革の重点を学内に広く提示いたしました。その第一に掲げてありますのが、未来戦略機構の創設ということでございます。

 未来戦略機構と申しますのは、本学の戦略的司令塔としての機能を担いつつ、ともすれば縦割りになりがちな多くのいろいろな部局を横断するような教育研究を担当する組織であります。既に二年前にスタートいたしております。その長は、総長である私みずからが務めております。

 この未来戦略機構で部局横断的な異分野融合領域のインキュベーションというものに取り組んでいるわけでございますが、それを通じて大学全体の力を最大化し、さらなる困難な課題に臨んでいくことで、従来の発想にとらわれない新たな教育研究上の課題を見出すことを可能とし、本学が新たな教育研究領域へと将来にわたり持続的に発展していくことにつなげていこうと考えているわけでございます。

 こうした新たな取り組みに積極的にトライする中で、とりわけ、その基盤となる人事給与システムには特段の意を用いております。そうした基盤部分の柔軟化を積極的に進め、個々の構成員にインセンティブを付与し、対話を介して全学的な合意形成をしながら組織改革を進める、これが、先ほど来申し上げている、個の力と組織の力の最大化を通じて調和ある多様性の創造をなし遂げるための最良の方法であると私は確信いたしております。

 もとより、大小を問わず、どのような組織であっても、権限と責任が一致している必要があります。その上で大学運営を円滑に進めていくためには、トップダウンとボトムアップの双方からの発想が不可欠であります。すなわち、両者がよい意味での緊張関係に立ちながら、それを、対立構造ではなく、未来に向けての活力へと転換していくことが大学の発展のためには重要だと考えているのであります。

 このような発想を基本とすれば、今回の法改正の趣旨でございます、学長が、大学の構成員の一つの単位である教授会の意見を聞きながらリーダーシップを発揮して大学運営に当たるという点、さらに、社会の理解を得ながらガバナンス改革を進めていくという点、この二点において、今回の法案によってさまざまな点を改めていただけるということであり、その意味におきまして、志を持って積極的に未来を切り開こうとしている大学を後押しいただける、大変意義のある御提案と考えております。

 以上、必ずしも言葉を尽くし切れませんが、本法案について私の考えるところを申し述べさせていただきました。

 本日は、貴重な機会をいただき、まことにありがとうございました。重ねて御礼を申し上げます。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 次に、田中参考人にお願いいたします。

田中参考人 皆様おはようございます。早稲田大学の田中愛治と申します。

 本日は、参考人として意見陳述の機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。小渕委員長、委員会の皆様、本当にありがとうございます。

 恐縮ではございますが、誤解を避けるために、意見を陳述する前に一言お断り申し上げます。

 私は、現在、早稲田大学の教務部門総括の理事を担当しておりまして、また、昨年は中央教育審議会大学分科会の組織運営部会の委員を務めておりました。しかしながら、本日私がお話しいたしますことは、早稲田大学の理事会の意見を代表するものでもございませんし、また、中央教育審議会組織運営部会の意見を代表するものでもございません。本日は一大学人として私個人の意見を申し述べさせていただきますことを御理解いただければと存じます。よろしくお願いいたします。

 では、早速本題に入らせていただきます。

 大学のガバナンスにおける重要事項ということを考えさせていただいております。大学のガバナンスに関しましては、重要事項は主に三つあるというふうに存じております。

 第一に、高い教育研究の質を保つことでございます。すぐれた教育を学生に提供し、すぐれた人材を世に送り出すこと、また、すぐれた研究を生み出して、大学が社会、また世界に貢献すること、これが大学の一つ重要な使命であるというふうに存じております。

 第二には、学生の入学でございます。すぐれた学生を入学させることは各大学にとって重要なことでありますが、それにも増しまして、それらの学生に質の高い教育を提供し、優秀な人材として育成し世に送り出すこと、このことが非常に重要なことであるというふうに存じております。

 しかしながら、この二つの目的、第一の、すぐれた教育研究の質を保つということ、第二の、すぐれた学生を育成するということ、この二つとも、すぐれた教員がいればこそ可能であるというふうに考えておりまして、大学がいかにすぐれた教員を採用してその使命を果たすかということが重要であるというふうに考えております。

 その意味では、本日は大学のガバナンスについて考えさせていただきますが、特に教員人事に絞ってお話を進めさせていただきたいと存じております。

 私は、実は二〇一一年と二〇一三年にアメリカとイギリスの大学をヒアリングし、調査いたしました。私自身が大学院教育は全てアメリカで受けたということがございまして、アメリカの大学教育はかなり肌で知っているつもりでございましたが、改めて二〇一一年、一三年に、アメリカではハーバード大学、イエール大学、コロンビア大学、イギリスではオックスフォード大学、ケンブリッジ大学を訪ねまして、かなり多くの先生方のお話を伺いました。

 その中で、教員人事に関して欧米のトップ大学と言われているところがガバナンスというものをどのように維持しているかということを勉強させていただきました。そのことについて触れながらお話を進めさせていただきます。

 アメリカの大学の教員人事の審査過程でございますが、ハーバード、イエール、コロンビアともに、原則として、教員の採用は国際公募をしております。英語で授業をするということが原則ではございますが、全世界に募集を周知し、世界じゅうから、その公募している分野で教えられる方、また研究できる方を採用するということをしております。

 原則として、教員の採用は、各学部の学科でありますが、いわゆるデパートメントに委ねられています。もしくは、大学院でいえば研究科に委ねているということがあります。

 このことに関してはもう少し深く申し上げたいと思います。

 しかしながら、単にデパートメントにその人事の裁量権を全て委ねているのではなく、大学の中央の執行部、特に教学担当の副学長、アメリカではプロボストと呼んでおりますが、教学担当の副学長がモニターしております。もちろん一人ではなく、プロボストオフィスというものがあり、そのプロボストの下にバイスプロボストがいて、また、職員もいる中でモニターするわけでありますが、それで何をモニターするかと申しますと、各学科の人事選考の過程が透明性を保っているか、また、公平性が保たれているかということを見ているわけでございます。

 モニターする具体的な内容について申し上げますと、例えば、公募期間は十分に長く、世界じゅうに周知できているか。

 例えば、非常に短い公募期間でございますと、その大学の関係者、もしくはその選考委員の先生方のお弟子さんたちにはすぐに周知されますが、世界じゅうからの応募を得ることは難しいので、二カ月とか、ある程度長い期間をかけて周知する必要があるということ、そういうこともプロボストオフィスでは見るわけでございます。

 また、人事選考委員会の教員の構成も、それが妥当なものであるかということを見るわけでございます。

 例えば、人事選考委員会のメンバーである教員の弟子が応募している場合、その場合、自分の弟子の審査は、その担当教員は、公平な判断を下すに当たっては利益相反が生じるということになりますので、審査過程、その人事選考の過程から外れることが求められるということでございます。

 したがいまして、その人事選考委員会のメンバーの構成が公正で妥当なものかということを、そのデパートメントの中だけではなく、大学の中央のプロボストオフィスが見るというような、外からのチェックを入れて公平性、透明性を担保しているということがございます。

 教員人事の構成が、例えば性別、人種、国籍などに偏りがないか、また、学問分野も偏り過ぎていないかということもモニターいたします。

 例えば、私は政治学ですが、政治学のある分野、私ですと選挙の分析が専門でございますが、選挙研究の者ばかりで人事選考委員会が構成されれば、どうしても狭い分野の見方になりますし、その分野を知っている人間の弟子を採用する可能性が高くなってしまいますが、それをもう少し広い目で見るということで、その人事選考委員会の構成が妥当で、幅があるかということもチェックするということがございます。

 そのようなプロボストオフィスのモニターというものがございます。

 人事選考過程というものが不透明または不公正であると判断いたしますと、教学担当の副学長、プロボストからは、その学科にその人事の差し戻しを、審査をやり直すようにということを命じるということがあるというふうに聞いております。その回数は非常に少ないと聞いておりますが、ゼロではない、たまにそういう大なたを振るうこともあるというふうに聞いております。

 しかしながら、重要なことは、同時に、各学部の学科または各大学院の各研究科の専攻でございますが、その専攻、学科の専門的な判断を尊重するということもございます。

 例えば具体的には、学長や副学長がどの候補者を採用するようにというような指示は出さないというふうに聞いております。各学部の学科もしくは各大学院研究科の専攻が下す学問上の専門的な判断を尊重するということでございます。

 例えば、政治学を担当する学長が、もしくは副学長が、物理学の専門分野のこの人の方がいいんじゃないかということは言わないということでございます。これも大学によって少し差がございます。

 ただ、共通しておりますのは、手続の公正さ、透明性が担保されているかどうかというものを見きわめるというふうに、大学の本部と各学部、研究科との間に非常に緊張関係はございますが、過剰な干渉は行わないということが言われております。

 しかしながら、米国の中でも大学間の異なる差がありまして、イギリスとアメリカでも異なっております。例えば、ハーバード、イエール、コロンビアの三大学を比較いたしますと、コロンビア大学が最も中央集権的で、ハーバードが最も分権的、イエールがその中間のようになっています。

 例えば具体的には、コロンビア大学では、A候補、B候補、C候補と最後に三人の最終候補が並んで面接に来た場合に、Bという者をデパートメントが選んだ場合に、その推薦状のとり方は八通であるので足りない、十五通の推薦状を、物理なら物理の分野、全米、全世界から集めて推薦状を見直して、BよりもCの方がすぐれていないかということを、意見を突き返すということは聞いております。ただ、これもあくまでも最終判断はデパートメントに任せるというふうなことでありますが、その判断が正しいかどうかという意見を言うということは聞いております。

 しかし、ハーバードとイエールでは、どの候補者がどの候補者よりもすぐれているという判断はしない。そこは禁欲的に、手続の公平性が妥当かどうかだけを指摘するにとどめるというふうに聞いております。

 これに対しまして、イギリスの方はかなり分権的でございます。オックスフォード大学とケンブリッジ、ケンブリッジの方がオックスフォードよりも中央の力が強いというふうに聞いておりますが、オックスフォード大学ではかなり分権的でありまして、特に社会科学部門、ソーシャルサイエンスディビジョンでは徹底した改革をしております。オックスフォード、ケンブリッジともに、二〇〇〇年のころに大改革をしております。

 アメリカの大学は、一九三〇年に、ヨーロッパの一流大学に追いつくという決意を固めて、一九七〇年に追い越したと言われております。一九七〇年からは、アメリカの大学が世界のモデルとしてガバナンスの強さを示してきたと言われておりますが、九〇年から二〇〇〇年にかけて、ヨーロッパの一流大学、特にオックスブリッジの両大学はアメリカに追いつくということを決意し、二〇〇〇年に大改革をしたというふうに聞いておりますが、その結果、両大学ともに相当の改革をしております。

 その中で、オックスフォード大学の社会科学部門の改革は非常に際立っておりまして、ここでは、学生数、授業料、教員の人数、教員の給与など、各デパートメントに権限を与えるということをしております。

 イギリスは非常に複雑なので、また御質問があればお答えいたしますけれども、カレッジという縦割り以外にデパートメントという横割りの組織をつくっているわけですが、その中でデパートメントが研究者の人事を行うわけですが、そこにおいては完全な分権をしたということです。ただ、そのままでは済まないということで、権限と責任の一致を明確にしたというふうに聞いております。各学部、研究科が権限を持っている事項においては、責任を担うということを明確にしたというふうに言っております。

 このことに関しまして申し上げますと、日本の大学におきましても、学長のリーダーシップを高め、改革を進めていく必要が非常に叫ばれておりますし、私どももそのように考えておりますが、教授会の権限を制限する、もしくは学長の権限を強めるだけではなかなか改革は進まないということも感じておりまして、二つのことが必要だと思っております。

 一つは、今申し上げました、各学部、研究科の責任と権限を一致させるということ。各学部が権限を持っている事項に関しては責任もとるという覚悟も必要であると同時に、学長と教職員が価値観を共有することが重要であるというふうに考えております。

 本学早稲田大学では、創立百五十周年になります二〇三二年の早稲田の姿を描きましたワセダ・ビジョン一五〇というものを策定いたしました。これを二年前の二〇一二年に策定いたしまして、当時から見ると、二十年後の早稲田の姿というものを決めました。

 その中でそのビジョンを共有することに努めまして、現在何が行われているかと申し上げますと、各学部長また各研究科の長がそれぞれの改革のアイデア、アクションプランを出し合いまして、総長や理事とともに協議しております。このような意見交換をする中で、総長と各学部長たちが改革についての価値観の共有を図るということをしております。

 これが一つの形での総長のリーダーシップを強めるという努力でございますけれども、このような形で、私どもの考え、これは私個人の意見になりますけれども、二つのこと、繰り返しますけれども、大学改革推進のためにガバナンス強化が必要でございますが、その一つには、各学部、研究科の権限と責任を明確にし、それを一致させること、また、学長と教職員の価値観の共有というものが重要であろうというふうに考えております。

 そのような意味で、学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法案の御審議に何かお役に立てば幸いでございます。

 どうも失礼いたしました。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 次に、池内参考人にお願いいたします。

池内参考人 おはようございます。池内です。

 私は、ことしの三月まで大学に勤めておりまして、最後は総合研究大学院大学というところで理事をやっておりまして、幾つか、文部行政というのか、そういうことを直接扱う事柄が多くありました。かつ、私は、勝手に威張っておるわけですが、国立大学を五つ回ってきました。京大、北大、東大、阪大、名大と回ってきまして、いろいろな大学のいろいろなやり方、考え方、そういうのを経験してまいりました。その中で、大学というのはどうあるべきかということを常々考えてきたわけであります。

 私は、直接、今回提案されている学校教育法及び国立大学法人法を一部改正する法律案がこの委員会の主たる議案でありますから、それに対して、的を絞って私の思うところを述べさせていただきたいと思います。

 私は、今回の法律案、特に学長の役割の明確化ということですか、無論、そこに一応一番の焦点が当たるわけですが、ありていに言いまして、学長のリーダーシップとかガバナンス強化ということもいろいろ言われておりますが、要するに、学長の決定に少しでも影響を与えかねない教授会をおとなしくさせて、学長が今まで以上に思いどおりにできる、運営できる条件を整えようという意図が背後に隠れている、これはそういう印象が強いわけです。

 これまでの国会審議の速記録なんかを見ましても、学長に特別な権限を与えるわけではないとおっしゃっている。まさに私はそうであると思っております。権限を与えるのではなくて、周りの条件を、教授会が関与できる部分を縮小した結果として、学長の権限が自由に振る舞えるような条件づくりをやろう、そういうことでありますね。

 その結果としては、教授会がいろいろな問題に関与できなくなる、そして、教員は大学全体の運営に興味をなくして、個別化してばらばらになる、大学が一体として教育や研究あるいは地域貢献などを行う情熱を失ってしまう、その危険性が非常に高いと私は考えております。

 その結果として、本当に望まれている、知的基盤社会を構成し機能させる人材を養成するという、大学の非常に重要な社会的責務を全うできる条件がどんどん小さくなっていく、私はそのように非常に憂えております。

 大学は、そもそも知の共同体と言われております。インテリジェンスの共同体です。そこで自由な研究、教育、意見交換、それから自由な意見表明、これは不可欠なわけです。それが学問の自由あるいは大学の自治の根幹であり、現実に定着してきました。いろいろな形で、憲法にも「学問の自由」ということが明記されております。

 したがって、教育と研究にかかわる問題は、大学を構成する人間誰しもがいろいろな形で責任を持って、かつ、責任を持ってやるということにやりがいを感ずるものなんですね。まさにそこが、大学でいろいろ学び、あるいは教え、あるいは研究をし、それでいろいろな地域貢献を果たしていく、そういう、大学を構成する人間のやりがいがそこにあると思います。

 したがって、大学の自治というのは、大学を構成する人間、それは教員であれ、事務員であれ、院生であれ、学生であれ、それぞれの立場に応じた責任範囲で行うべきです。無論、いろいろな責任の幅があります。学長なら、学長というのは一番大きい幅が無論あるとは思います。

 教授会の自治というのも、当然ながら、非常に重要な側面をなしております。教授会の自治のみで全て決まるというふうなことは私は一言も申しませんし、教授会の自治が根幹をなすという意味で非常に重要であるというわけです。それは要するに、教授というのが教育研究の根幹にかかわることに主な責任を持っておるということです。それから、教育研究の内容をよく知っている、学生たちと日常的に接している、彼らの状況をよく把握しているというわけです。

 ということで、学生全体あるいは大学全体の事柄に関して最も状況を把握しやすい条件にあるのが教授である、その教授たちの自由な意見の交換こそが大学の自治を形づくっていく基本条件である、このように私は考えております。

 今回の教授会の役割の明確化という法案の中で、教授会が、学生の入学、卒業及び課程の修了、学位の授与、その他教育研究に関する重要事項で学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めるものについて、学長が決定を行うに当たり意見を述べることとするというふうに改正案がなっております。ここには、学生の身分にかかわること、それから教育課程の編成にかかわること、教員の研究業績等の審査もこの身分にかかわることであると思うんですが、そういう事柄に関しては一切規定されていないわけです。

 極論いたしますと、リーダーシップということをえらく頭に置いた学長さんが出たとしますと、教授会の意見を聞くことが必要であると認めなければ聞く必要がないわけです。あるいは、学長等の求めに応じて意見を述べることがある。求めがなければ教授会は意見を述べることができないわけです。

 ということは、極論しますと、教授会は、一年に一回、三月にだけやればよろしい、卒業と入学と学位の授与だけをやればよろしい、それ以外は、学長が求めに応じあるいは必要に応じということを認めなければ、教授会がたとえあったとしても、何ら意見を表明することはできないわけです、学長に対して。

 無論、そういう学長にはならないであろうとおっしゃるであろう。しかしながら、私自身が一番心配するのは、出発点においてはそうであったとしても、例えば、一人そういういわば変な学長があらわれましてそういう規定にしてしまったとすると、それを変えることは非常に難しくなる。それが当たり前のようになっていくというわけです。だから、私自身は、権限の濫用ではなくて、結果的に、学長が権限を強化していく状況が生まれていくというふうに思っております。

 私は、教授会の自治という言い方をいたしますと、教授会自身が、今の教育研究にかかわること、学生の身分にかかわること、教育課程の編成にかかわること等いろいろ、これは教育研究に密接に関連していることですから、当然、規定するならば規定すべきであると思っております。

 が、それ以外に、学長人事を含めて大学全体にかかわる人事、それから予算配分とか大学の運営方針、あるいは学部にかかわる部長、教授の人事、学部の授業等について審議し意見を交わすことが非常に重要な事柄であり、それが、大学運営全体に目配りして、特に教員や学生の立場からの視点を生かしていく、大学運営にそういう意見を生かしていく。私自身は、それを明文化しておかなければ、教授会の意見が聞かれなくなって、結果的には、教授がそういう意見を聞かれないあるいは意見が採用されないということは、狭い意味での教学事項の議論しかできなくなって、視野の狭い教員になってしまうというふうに思っております。

 その意味で、幅広い、まさに多様性と平野先生がおっしゃいましたが、多様性のある大学、それをいかにまとめ切ってガバナンスにつなげるか、リーダーシップを生かしていくかということが学長の腕の見せどころなんですよ。

 そういうことを全部排除していって、剥ぎ取って、学長さん、自由におやりなさい、それでは本当の大学の自治あるいは学問の自由というのは今後守られていくかどうか、私は非常に心配でありまして、この点に非常に大きな懸念を抱いております。

 以上であります。どうもありがとうございました。(拍手)

小渕委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

小渕委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。神山佐市君。

神山委員 おはようございます。自由民主党の神山佐市です。よろしくお願いいたします。

 各参考人の皆様には、大変お忙しい中御出席いただきまして、また、貴重なお話をお聞かせいただきましたことに、心より感謝申し上げる次第であります。

 特に平野総長には、自由民主党の日本経済再生本部、文部科学部会の合同勉強会の際にも講師としてお越しをいただきましたことに、心より感謝申し上げる次第であります。また、調和のある多様性の確立を基軸とした大学観やガバナンス、大学運営についての御意見など、日本でも有数の国立大学の学長として、世界トップテンに向けたさまざまなプログラムを策定されるなど、実際に大変意欲的に大学改革を進めておられる経験を踏まえた高い見地からのお考えを数多く賜り、非常に勉強になりました。

 では、限られた時間でありますので、質問に入らさせていただきます。

 大学改革においてしばしば指摘される問題として、権限と責任の一致という問題があります。例えば、大学運営に責任を負うのは法律上は学長とされていますが、実態としては教授会が意思決定を行っている場合も多く、その場合、学長は責任だけを問われることになりかねません。大学が責任ある運営を行っていくためには、権限と責任の一致という考え方は非常に重要であり、教授会についても、この観点から見直ししていくことが必要であると考えます。

 言うまでもなく、教授会には、やはり教育の専門家として、教育研究についての専門知識を持ってきちんと本来の役割を果たしていただくことは重要だと思いますが、権限と責任の一致の観点から、大学の最終的な決定権者として位置づけられている学長と教授会の関係をどのように考えていくべきなのか、どうあるべきなのかなどについて、まず平野総長、続いて田中教授、その後に池内教授の順番で各参考人の方々にお伺いいたします。よろしくお願いいたします。

平野参考人 ただいまの御質問に答えたいと思います。

 ただいま御指摘ありましたように、大学にかかわらず、どのような組織にあっても、組織を運営するときには、いわゆる権限と責任というのは一致していなければ、やはり組織は動きませんね。責任だけあって権限がない、あるいは権限だけあって責任ないんだったら、これはもう本当に無責任な組織の行動がとられる。そういう意味で、権限と責任はやはり一致するべきだと思います。

 学校教育法九十二条には、学長は校務をつかさどる、これは責任と権限、それと第九十三条に、大学に教授会を置かなければならない、重要審議をするということで書いてあるわけですけれども、この九十二条と九十三条、要するに、大学学長の責任、権限と教授会の関係が現在のこの法文では非常に不明確である。それがまた今回によって整理されたものと考えています。

 そうはいっても、先ほど来言いましたが、ほかの参考人の方も言われましたけれども、単に学長が強権を発してリーダーシップだけを全面的に出したら大学がうまくいくかといったら、それでは決してありません。必ず、トップダウン、ボトムアップ、それの協調関係が最も基本であり、さらに重要なのは、学長のリーダーシップというのは、結局、志とか理念を打ち出し、それをいかに大学構成員一人一人、教授会を含めて一人一人に、その理念、志、そういう意識を共有するか、そこが学長のリーダーシップなんですね。

 その裏に権限と責任というのが一致しているということはあったとしても、これを直接発揮するためには、やはりあくまでも意志、志、それを構成員といかに共有するか、いかに全体的な合意形成を形づくっていけるか、これが学長のリーダーシップであり、大学運営のやはり基本であります。

 そういう意味で、今回の法改正は、そういう学長と大学構成員の一つである教授会、教授会といえども、これは一つなんです。あくまでも個人が一つの単位でありますが、その関係が整理されたというふうに私は理解しております。

 それでよろしいでしょうか。

田中参考人 どうも、ただいまの御質問にお答えさせていただきます。

 私も、先ほど申し上げましたとおり、各学部、研究科の責任と権限の一致ということは重要でありますということは申し上げたとおりですが、具体的なことに踏み込みますと、例えば、ある学部もしくは研究科が人事採用して教員を雇った、その教員は非常に優秀であるというふうに期待しておりましたが、期待どおりの研究が進んでいないですとか、もしくは教育指導上問題があるということが判明した場合には、責任をとる必要がある。その責任は学長がとるのではなく、その研究科なり学部が責任をとる必要があるということが権限と責任の一致ということだというふうに考えております。

 例えばどういうことかといいますと、教授の身分はよほどの懲戒の理由がない限りは保障されておりますから、少々教育のレベルが低いでありますとか研究のレベルが低いということでその教授が失職するということはないというふうに考えておりますけれども、それが一つの、テニュアという、教育と研究の独立を守るために重要だというふうに考えられているわけでございますが、例えば、それが学部、研究科の本来の目的にかなっていないとなれば、その研究科なり学部の教員の数、定数を一時的に一つ減らすというようなことも必要だろうと思います。

 それはまさに学長と各学部、研究科との協議の中で価値観を共有していく中で起こってくることでございますが、すぐれた大学にして世界のトップレベルの大学になっていくんだという気概を各大学が持っている場合に、各学部、研究科ともにその価値観を共有し、そのために進むとなれば、失敗した場合には責任をとるということも必要であろうということでございます。

 それからまた、ある学部が新しい学科をつくる、大学本部がこれはシミュレーション上、経営上難しいのではないかというときにどうするかというのは、最終的な判断は学長が決めることになると思いますけれども、その判断は非常に厳しい判断だと思います。どうすれば成功するのか、どうすればうまくいくのかということを詰めた上で、最後に、権限を行使した側が責任をとる必要があろうと思います。

 ですから、学部の方である学科をつくり、どうしてもその学科に新しい学生が集まらないような場合には、その学科を閉じるということも責任の一環だというふうに考えておりますが、そのような覚悟を持って大学運営を進めるということが必要であろうというふうに考えている次第でございます。

 以上です。

池内参考人 端的に言いまして、権限と責任という場合には、権限は、ある種の、こういうことをやりたい、やろう、こういう事柄ですよね。それを実施するという途中のプロセスが必要なんですよ。実施するためには、いろいろな意見を徴収する、いろいろな意見を参考事例にする、平野先生もおっしゃいましたが、共有する、そういうプロセスが必要なんです。そういうプロセスを経た上で、実施主体が学長であるならば、それはそれで学長が責任を持ってやる。

 だから、権限を実行するためのプロセスにおいて全学的な意見が特に必要であると考えられる場合に、きちんとそれを共有していくシステムをつくるかということ、それを抜きにして、必要であるならばというふうなことだけで閉じてしまうというのは非常に危ないというふうに私は思っております。

 以上です。

神山委員 ありがとうございました。

 各参考人の方々でさまざまな御意見があることがよくわかりましたが、権限と責任の一致ということは、大学運営について非常に重要なポイントだと思います。

 そこで、次の質問といたしまして、大学の運営全体に責任を負う立場である学長の選び方についてお伺いいたしたいと思います。

 学長の選び方については、教職員による選挙が行われる場合も多いようですが、現職の国立大学学長として平野総長から、学長選考のあるべき姿についてお考えをお聞かせ願いたいと思います。よろしくお願いします。

平野参考人 御質問にお答えさせていただきたいと思います。

 学長をいかに選ぶかということですけれども、現在の国立大学学長は、校務をつかさどるということで、大学運営について非常に責任と、ある意味では権限を持っておるわけであります。

 そのときに、現在の法律では、学長は、大学に置かれた学長選考会議が選ぶ、その学長選考会議が文部科学大臣に申し出ることによって任命されるということになっております。それ以上のことは何も書いていないわけです。

 大学というのは公共のものであります。そして、その公共の学問の府である大学の学長、その大学の将来を非常に左右する一つのキーパーソンであります。その学長を選ぶ規定がたったこれだけでは、やはり不十分ではなかろうかと私は思います。なぜ、どういう理由でその学長を選考会議が選んだのかということをやはり透明にして、世の中に、パブリックに公表する必要があるのではなかろうかと思います。

 例えば、それぞれの大学に大学の多様性がございます。ということは、それぞれの大学によって、大学が目指す志であるとか理念はやはり異なるわけであります。そういう大学の志、理念、大学の使命を達成するためにどういう学長を選ぶべきか、どういう能力のある人を選ぶべきかということを、やはり学長選考会議が主体性を持って決めるべきである。決めたからには、その理由を世間に、社会に公表すべきである。そういうプロセスを得ることによって、学長の選考というのは今以上によいものになるだろうと思います。

神山委員 ありがとうございました。

 改革に意欲的な学長を後押しすることが本法律案の趣旨であることと理解しておりますが、学長選考のあり方が重要であるということが大変よくわかりました。

 最後に、参考人の方々に、日本の大学をよりよいものにしていく上で一番重要なことは何かについて、まず池内教授、その次に田中教授、最後に平野総長から御意見をお伺いいたします。よろしくお願いします。

池内参考人 私の案は非常に単純明快でありまして、現在、高等教育にかけられている国の予算はGDPに対して〇・五%であります。OECD諸国は一%以上であります。半分以下です。半分以下の予算しかかけずに、さまざまな事柄を大学に要求している。この点が一番問題でありまして、私は、予算を二倍にしなさい、それによって国際化もいろいろな事柄も、あるいは教職員の人もふやせるし、そういう状況が生まれる、それが改革の基本的な全くの第一歩であるというふうに僕は思っております。

 以上です。

田中参考人 大学にとりまして改革に最も必要なことと申しますのは、やはり学生の目線に立つということでございますが、学生が求めている教育と研究を維持する、それを提供することだと思います。それだけの人材を、すなわち、私どもは私立大学でございますので私立の立場に立てば、その授業料に見合うだけの教育の質を提供することが重要だと思います。

 ただ、もう一言踏み込んで申し上げれば、全国の大学の七三%は私立大学であり、全国の大学生の七三%は私立大学生でございますが、国庫予算の配分はそうはなっておりませんので、やはりその意味では、日本の大学の七割以上を占める私立大学の教育の質を上げていくということに関しては、それなりの予算的な措置というものも必要であるというふうに考えております。

 以上でございます。

平野参考人 私は、やはりいま一度、大学人が大学の使命とは何かというのを考え直すべきだと思います。

 大学はもとより学問の府であり、学問を通じていろいろなことに貢献する、そして、学問を通じて人材育成に貢献し、国のために、社会のために貢献しているわけでございますが、二十一世紀においては、私が先ほど言いましたように、学問による調和ある多様性を創造することが非常に重要である。

 つまり、このグローバル社会には、言語とか文化とか宗教とか政治体制とか、いろいろな多様性が存在します。こういう多様性というのは、人類が心豊かに発展するためには非常に不可欠なもので、もし均一なものであったら、味気ない世界になって、未来はありません。

 しかしながら、この多様性というのはネガティブな側面も持っておる。すなわち、多様性があることによってコミュニケーションが障害されたり、場合によっては紛争になったりもするわけです。そのときに、大学はもう一度学問というのを見直して、学問というのは、芸術とかスポーツと並んで人類共通言語であります、こういう多様性がもたらすネガティブな側面をオーバーカムする力を持っておる。

 大学人は、今改めて二十一世紀に、やはりこのグローバル社会において学問を介してこの地球上に調和ある多様性を創造する、もって人類の発展に寄与するということをもう一度考える必要があるのではなかろうか。そのためには、やはり学問レベルを上げる。そのために大阪大学は世界トップテンになるということを言っているのであります。そういう志、大学の使命というのをやはり大学人は今考える、それだけで大学は非常によくなると私は思います。

神山委員 ありがとうございました。学長のリーダーシップが大切だということがよくわかりました。

 時間です。終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、菊田真紀子君。

菊田委員 おはようございます。民主党の菊田真紀子と申します。

 きょうは、朝早くから三人の参考人の皆様にお運びをいただきまして、大変貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

 まず平野参考人は、多様性が非常に大切だというお話のもとで、権限と責任の一体化が重要ということをおっしゃいました。また、トップダウンとボトムアップのバランスが重要なんだというお話が大変印象に残っております。

 続きまして田中参考人でありますけれども、実際に欧米のトップ大学に足を運ばれて、教員の人事がどのように行われているのか、そうしたことを具体的に事例を挙げて御説明をいただきました。大変ありがとうございます。

 そして池内参考人でありますけれども、教授会の自由な意見交換が大学の自治を高めているのであって、学長が結果的に権限を強めて、その一方で教授会が大学運営に関与できなくなっていくことへの疑念というものが示されたというふうに認識をいたしております。

 今回の学校教育法改正におきまして、大学に対する国の関与が強まり、本来の自由な大学自治が脅かされるのではないかとの懸念が各方面から聞こえてまいります。そのような問題意識のもとで、以下、参考人に御意見を賜りたいと存じます。

 まず一点目、池内参考人にお聞きいたします。

 現行法のもとでも学長には強力な権限が与えられており、むしろ問題は、法律上の権限の有無ではなく、法律と実態が乖離していることにあるのではないでしょうか。

 例えば、意見が対立したときに学長が教授会を説得できないようでは、そもそも学長としての資質が欠けているのでありますし、また、教学に関すること、経営に関すること、何もかも学長一人で全部やる、全部意思決定をするということになれば、むしろ学長には大きな負担と、またプレッシャーと無理がかかるのではないでしょうか。

 そうだとすれば、今回の改正案が成立してもなお同様の事態が続くのではないかというふうに思いますが、御意見を賜りたいと存じます。

池内参考人 まさに教学と経営の事項というのは、実は、切り離せる部分と切り離せない部分があるわけです。切り離せない部分、例えば大学の移転問題なんというのは、それは実質的に学部教育にどのように影響を与えるか。教育にもえらく影響を与えるわけです。だから、両面から議論しなければならない。

 今おっしゃったように、学長に全ての権限を与えていくということは、あるいは、教授会の意見を余り聞かないでスムースに決められる条件をつくっていくということは、逆に言いますと、今おっしゃったように、何らかのトラブルが発生する、あるいは不祥事が発生する、そういうような事柄に対しては全く責任をとれない状況を生み出していく。

 むしろ、多くの人間の目が入り、多くの人間が意見を述べることによって、そこにどのような問題が発生するかということを明確にできる、それで一歩一歩間違いない方向を選んでいけるというプロセスが踏めるというふうに私は思っております。

 したがって、今おっしゃったように、現実には学長が全て決められるにもかかわらず、教授会が足を引っ張るからとおっしゃっているのは、私は、それははっきり申しまして、教授会が、きちんとしたリーダーシップ、意見をまとめるプロセスとしていかなることが必要であるかということをわきまえないで強引に進めようとする、あるいは自分の思いどおりに進めようとする、そういうことであると思っております。

 だから、全学協議会をきちんと設定するとか、いろいろなやり方があるわけです。それを工夫するということがむしろ学長のリーダーシップである、ガバナンスであるというふうに思っております。

 以上です。

菊田委員 ありがとうございました。

 政府案には幾つかの問題が指摘をされておりますけれども、とりわけ学校教育法第九十三条関係の改正について、今度は平野参考人と田中参考人に御意見を伺いたいと思います。

 教授会は、現行法では、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と規定されておりますが、改正案では、教授会が意見を述べることができるのは、学生の入学、卒業及び課程の修了、学位の授与についてに限定をされ、それ以外の教育研究に関する重要な事項については、学長が求めた場合のみ意見を述べることができるとされています。

 これでは、学長が諮問しない限りは、教授会は、例えば人事や予算など、大学の経営に関して意見を述べることができないというわけでありまして、ともすれば教職員の信頼と活力がそがれ、学長は真のリーダーシップを発揮することができなくなるのではないか。

 大学における意思決定の権限を全て学長に集中させることについて、これは先ほど池内参考人からは御意見をいただきましたので、平野参考人と田中参考人にお聞きいたしたいと思います。

平野参考人 お答えしたいと思います。

 今御質問がございましたように、この九十三条の改正というのは、先ほども言いましたけれども、これは九十二条と九十三条との関係を整理したものと私は理解しております。

 それで、確かに、今御指摘のあるように、ここには、例えば、「教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」とかそういう書き方がしてありますが、先ほど来私が言っていますように、あくまでも大学運営というのは、学長がトップダウンで全て強権的にやったら何でもいくというものでは決してありません。それは大学の崩壊につながります。

 学長たるものは、リーダーシップを発揮するために、先ほど言いましたように、志、理念をいかに全学的意見の合意を図るかということに努める、これが最大の任務であります。それがリーダーシップであります。

 そのリーダーシップを発揮するためには、教授会だけじゃだめですよ、教授会というのはあくまでも一つの単位でありまして、その中には多くの教員がおる。その一人一人の教員がおり、その上に教授会というものがあり、その上に部局長会議、そして大学本部というそういうことになっているわけでございまして、教授会は一つの代表でございますけれども、そういう大学構成員の意見を積極的に聞くということがなければ、結局、学長としては失格になるわけです。大学経営はうまくいかない。

 ということで、私はこの九十三条の改正につきましては、先ほど言いましたように、九十二条と九十三条の関係を明確にしたものである。今までだったら、この九十二条と九十三条は何かどういう関係になっているのかよくわからない状態だったんです。

 大阪大学では、現在の中でも、学長は校務をつかさどるということで、私が権限と責任を持って大学運営をしております。しかし、教授会というか大学構成員、教授会だけじゃないです、学生も含めて、事務の人、助手の人の意見を全面的に聞いてやっております。それを、こういうことになると、そういう意味ではクリアになるんじゃないかと私は思っております。

田中参考人 御質問にお答え申し上げます。

 学校教育法の第九十三条についての改正案を拝見しております。確かに、教授会の権限が、従来の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」というシンプルなものからかなり踏み込んだ内容になっているというふうには存じておりますが、ここは、日本の大学には非常に多様な大学がございまして、その程度も非常に異なっております。私も幾つかの私立大学で教鞭をとってまいりました。四つの大学で教えてきた経験がございますが、その中で、個々の大学がそれぞれ非常に違った問題を抱えております。

 その意味で申し上げますと、法改正によって画一的に全ての大学を同じように運営させるということは、かえってその個々の大学のよさを殺してしまうことにもなろうと思いますので、ある程度の幅というものは必要だろうと思います。

 それで、今回の改正の御提案を拝見しておりますけれども、教授会が意見を述べるものというので、「学生の入学、卒業及び課程の修了」、「学位の授与」ということが明示されておりまして、それ以外は、「教育研究に関する重要な事項」で、学長がそれが必要だと考えたものというふうになっておりますので、文言上は縛られている。教授会の決めることは学長が意見を聞かなければ決められないというふうに読めるわけでございますが、そこのところは、多分、大学ごとに異なる運用をすることになろうと思います。

 というのは、やはり、伝統のある大学で、教授会が教員の人事について意見を述べるのが慣例とされているところではそれは続けると思いますし、カリキュラムについても同じようであると思いますが、しかしながら、全ての教員人事、全てのカリキュラムを教授会が決めなければならないとなりますと、教授会のない組織、例えば全学に共通した教育組織、今、早稲田大学では、四月からグローバルエデュケーションセンターというものをつくりまして、それまでオープン教育センターと言った、全学の学生に教育を提供する組織というものを発展的に伸ばしてきておりますが、これらは、従来の教授会のある学部とは異なるわけであります。

 そこにおけるカリキュラムや人事をどこかの教授会が発議しなければ決められないというのではやはり困ると思いますので、その意味では、全てのカリキュラム、人事が教授会の決定がなければならないというのも行き過ぎることもあろうと思います。

 しかしながら、伝統的に教員の人事を行ってきた学部の人事、その手続の妥当性については、先ほど申し上げたとおり、学長のサイドからコメントをすることはあってよろしいと思いますけれども、人事の内容について、どちらがいいかということまで学長が決めるのは行き過ぎであろうというふうに考えますので、その意味では、伝統を守る場合もあろうと思います。

 しかしながら、大学によっては、非常に規模が小さくて、一学部の中に同じ専門の先生が非常に少ないような大学もおありになるわけです。その場合には、その学部の教授会を超えて人事を行わなければならないような場合もおありになると思います。

 したがいまして、その大学の状況によって適切な運用というものは非常に異なると考えておりますので、この法案の御審議は非常に難しいと思いますが、現在拝見しております法案はかなりその幅が持てるというふうにお見受けしておりますので、つまり、それをよりよく運用できるというふうにしていただければ大きな問題は起きないのではないかというふうには推測しておりますが、ここはもう少し御審議いただければと思っております。

 以上でございます。

菊田委員 私の質問時間は十時八分まででありますので、最後に一問だけ、お三人にお聞きしたいと思います。

 国立大学法人法の第二十条第三項、第二十七条第三項の関係についてでありますが、政府案は、これまで二分の一以上とされてきた経営協議会の外部委員を過半数とするというふうに改正しようとしておりますが、この点についてどのようにお考えか、お聞かせいただきたいと思います。

平野参考人 大学というのは公共のものでございまして、やはり、広く社会一般からの意見を取り入れるということは非常にいいことだと思います。

田中参考人 私立大学の人間でございますので国立大学法人法の改正については少し遠慮がございますけれども、平野先生のおっしゃっているとおり、社会の意見を広く入れるということは重要だろうと思っております。

 ですから、一大学の常識というものが世間の常識と異なる場合もあり得ますので、その意味では、このような方向というものが考えられるというふうに存じております。

 以上でございます。

池内参考人 経営協議会は、私が今まで経験してきた大学においては、経営協議会がそんなに機能的にうまくいっているというふうには思っておりません。

 やはり、外部に主な仕事を持っている人が、一年に四回とか五回とかぐらいあって、状況を聞くだけということですよね。その意味では、私自身は、過半数になったってそんなに変わらぬと思っているんですが、経営協議会の人々が世間の常識ということ自身は余り考える必要はない。それは、いろいろな意見があって、まさにいろいろな意見が聞ける場として機能するということで結構なんではないかと思っております。

菊田委員 質問を終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、三宅博君。

三宅委員 日本維新の会の三宅博でございます。

 きょうは、お三人の先生方、本当にどうもありがとうございます。

 それでは、今から質問をさせていただきたいと思います。

 今回の改正案、大学のガバナンスといいますか、学長のリーダーシップを確立しなくてはならない。それに対して、学長が余りに強大なリーダーシップをとり過ぎると独裁的な運営に陥るんじゃないか、やはり教授会の牽制といいますかチェック、こういったものが必要じゃないかというふうな部分がよく指摘されるんですけれども、しかしながら、どんな組織でもそうなんですけれども、やはりトップのリーダーシップあるいは経営方針、これが生きてこそ、組織というのは円滑に運営されるんですな。

 ところが、会社でいえば、経営者が、こういうふうな方針のもとで、我が社はこの目標、目的に向かって進むんだと言っても、組合の方で、いや、そんなのだめだとかいうふうなことになってきますと、組織の体をなしていない。まして、権限と責任が不明確な場合、所期の目的というのは達せられるはずがないんですね。

 阪大の平野総長、やはり今回のこの改正案によって、今までと違う大学の運営、経営が展開されるというふうに我々はとるんですけれども、そのあたりいかがでしょうか。今現在の支障なども含めてお答えいただきたいと思います。

平野参考人 今御指摘がございましたように、どのような組織であっても、トップの経営方針というか、それが生かされなければ、どういう形態であってもその組織は機能しないわけであります。

 そういう意味で、例えば学長のリーダーシップが強くなってチェック機能が働かないという御懸念もおありでしょうが、それは今御指摘ありましたように、大学の場合は、企業もそうだと思いますが、やはり志、理念、そういう大学の持っている、組織の持っている志であるとか理念をいかに構成員全体にその意識を共有してもらうか、そこに学長のリーダーシップというのは最も発揮されるべきだろうと思います。

 今回、こういう改正によって、例えば学長の選考が非常に透明な形で、ある明確な学長選考会議の自主性を持って行われるというプロセスが世に公表される、その理由が公表されるということ、それはとりもなおさずどういう人を選ぶかということであって、その人がどういう志、理念を持ち、その大学にどう対応していくかということの一つのよくなる方向だろうと思います。

 そういう学長が暴走しないかということに関しては、当然、学長のリーダーシップがうまく発揮されなければ大学自体が動かなくなるわけです。それは当然、学長そのものの評価、責任にかかってきて、学長がやめざるを得ない、それは責任のとり方でございますが、そういうことがございます。

 大阪大学の場合、現在そういう考え方で、私が先ほど言いましたように、構成員一人一人との対話というのを非常に重要視しております。対話の中で皆さんの意見を聞き、しかし一方で、志、理念をいかに共有するかということに苦心する。大きな集団でございますから、意見は当然全てが賛成するわけではございません。しかし、それは、そのときにやはり学長の権限と責任でもって、結果責任をもって、やはりある方向に、個の最大化だけではなくて、組織の最大化をいかにするかということに苦心しております。

 そういう答えでよろしいでしょうか。

三宅委員 今回の改正案、これが実現されますと、学長の権限が余りにも大きくなり過ぎて、学長の暴走やとかあるいは独裁的な運営ということなんですけれども、実際そんな可能性はあると思いますか。そんなことできないでしょう。

 そのあたり、もう一度平野総長にちょっとお聞きしたいんですけれども、ありもしない仮定の話の中で、今回の改正案に対していろいろな懸念が表明されている。しかしながら、その陰で、大学の権限といいますか、こういったものが不明確で、大学そのものが迷走してきている部分があるんじゃないかなと私自身が思うんですけれども、いかがでしょうか。

平野参考人 御指摘のように、このことによって学長が暴走するということはあり得ないと思います。仮にそういう学長がおったとしたら、その学長はすぐにやめざるを得ない状況に陥ると思うんですね、大学の性格からしますと。それ以上に、それに加えて、大学には例えば監事という法的なポジションがあります。監事が大学の運営を常に第三者的に監視している。文部大臣に報告する、そういう機能もございますし、学長は現在の国立大学法人法でも学長選考会議が選ぶということになっていますが、その学長選考会議は、やはりふだんの学長、執行部の評価をするということもありますし、場合によっては解任できるという権限もあるわけです。

 そういう法的なチェック機能に加えて、何回も先ほどから言っていますように、大学の性格上、学長が暴走するとその大学は絶対うまくいきません。できるだけ全学的な意思、志、理念、そういう意識の共有なくして大学のガバナンスは成立いたしません。これはもう私が日ごろ常に実感したことでありまして、先ほど来言いましたように、九十二条でも、学長は校務をつかさどるということで、私には、こういう意味では権限と責任が、あるいは権限があるわけですね。

 しかし、私が権限があるからこうしろと命令して動くものではありません。大学というのはやはり知の集団でありますので、私は、多様性というのを重視して、ボトムアップ、トップダウンの話し合い、それの相互作用、それをいかに前向きにドライビングフォースにするかということに注力しているわけでございます。

三宅委員 ありもしない可能性を殊さらに強調して危機をあおって、大学の自治あるいは教授会の自治が大切なんだと。それでは、その大学の自治あるいは教授会の自治が今までどのようなことをやってきたか、あるいはそれが大学に対してどのような影を落としてきたかという部分もちょっとお聞きしたいんです。

 早稲田大学の田中先生なんですけれども、大学の教員採用のお話をちょっと、アメリカやイギリスの例を挙げてお話をいただきました。今のお話をお聞きしていまして、日本の大学の教員採用の問題点というのは、やはりちょっとそこに閉鎖性といいますか、そういった部分が多少、アメリカあるいはイギリスのお話しいただいた例と比べますと、閉鎖性。そこには多少、教員の縁故とか、あるいは自分の弟子を引き上げるとか、そういうことが過去日本では常識的に行われてきた。結果的に、大学の競争力といいますか、こういったものが低下してきたんじゃないかな。

 そういうことがないように、アメリカあるいはイギリスの大学は、そこに公平性、公正性あるいは透明性、こういったものを取り入れると思うんですけれども、そのあたりいかがでしょうか。

田中参考人 日本の大学における教員採用の人事選考の過程でございますけれども、本日お話に伺っております大学、大阪大学、名古屋大学、早稲田大学のようなところでは相当内容が変わってきているというふうに存じております。ですから、もう世界と戦わなければならないという覚悟を決めている大学は相当公平性、透明性が高くなっておりまして、それはもう過去十年ぐらい相当な改革が進んできているというふうに存じております。

 しかしながら、まだ改革の余地はあるというふうに考えられまして、さらなる、例えばテニュアトラックというように、若手の教員を雇ったときに、五年間はお試し期間で仕事をしてもらって、研究業績、教育業績が非常に伸びた場合には専任の教員として最終的に定年までお雇いするというような制度は欧米にはあるわけですけれども、そのような制度というものが今後必要になるということもありまして、まだ十分とは言い切れませんけれども、しかしながら、先進的な日本の大学では相当の人事の開放性、透明性が高まってきていると存じております。

 片や、小さな大学とか、またもしくは古い体質を持った大学では、今先生が御指摘のような縁故でありますとか自分の弟子を入れるというような人事が行われているというケースがないわけではございませんので、改革が必要だと思っております。

 ただ、そのことが、何によってそれを打破できるのかというのは、やはり学長のリーダーシップもございますけれども、学長と教職員の価値観の共有ということだと思っております。それは平野総長先生もおっしゃっていたとおりですけれども、大学をよくするのだ、よい教育をし、よい研究をするのだということの決意を固めて、どのようにその仕組みを変えていくかということを一緒に考えるという意識がないとなかなか進まないと存じております。

 いま一つ申し上げれば、日本の大学は非常にさまざまございまして、千人に満たない学生数を持っている大学から一万人を超える規模の大学、また、それも一万人、二万人の規模でありながら非常にレベルの高い大学と一般的な大学というふうに幾つも、多種多様でございますので、実は法案の改正するしないとは余り関係なく、学長が暴走する大学というのはあるというふうに、私自身も経験しておりますが、あるというふうに存じております。

 ですけれども、そのことは、実は学校教育法の改正かどうかということではなく、やはり、大学の教職員と学長が改革に向かってその価値観を共有するか否かにかかっていると思うんです。そのことの方が重要でありまして、学校教育法がどうだからこうなるという短絡的な因果関係はないように私は思っております。

 しかしながら、ではなぜ学校教育法の改正が必要かというのは、今回御提示いただいている学校教育法の改正案は、私も中央教育審議会の大学分科会組織運営部会の中で議論させていただいておりましたけれども、やはり、大学人にとって大学のあり方を考える非常に大きなきっかけになっております。このことは非常に重要でありまして、法案の改正が一つの大きなきっかけとして、本当に日本の大学をどうするのかということを大学人一人一人が考えるきっかけになっております。

 しかしながら、法案がこうなったから暴走するとか、こうならないから暴走しないということではないと考えておりまして、それはやはり学長先生の個人の個性とか見識にかかわる部分が大きいと思っております。

 その意味では、法案の改正は重要ではございます、きっかけとして非常に大きな働きをしておりまして、大学人が本当に日本の大学をよくするということを考え始めたと思いますので重要でございますけれども、ここが一言足りないからこうなってしまうとか、ここがこう書いてあるからこうなってしまうというように、全ての日本の大学が同じような因果関係で結論が導かれるものではないというふうに考えておりまして、それは、大学人がどのような覚悟で大学を運営していくかというものの方が大きくかかわっているように存じております。

 以上でございます。

三宅委員 私が平素国立大学を見ておりまして本当に強く感じるのは、国立大学は国民の血税で賄われているんだという、この部分が余り自覚されていないんじゃないかなと。大学の自治だ何だ、教授会の自治やといって、余りにもやりたい放題と言ったら言い過ぎかもわかりませんけれども、そういった部分が過ぎているんじゃないかなと思うんです。国民の血税によって大学というものは運営され、経営されていて、教員の人件費等もそこから出ているんだというその自覚が余りにも希薄じゃないかなと。

 そういった中で、これは名古屋大学、池内先生に言っているんじゃないんですよ、国立大学の名古屋大学の一つの例を挙げ、平和憲章というのを定めているんですよ、名古屋大学なんか。

 ここは、

  わが国は、軍国主義とファシズムによる侵略戦争への反省と、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をはじめとする悲惨な体験から、戦争と戦力を放棄し、平和のうちに生存する権利を確認して、日本国憲法を制定した。

  わが国の大学は、過去の侵略戦争において、戦争を科学的な見地から批判し続けることができなかった。むしろ大学は、戦争を肯定する学問を生みだし、軍事技術の開発にも深くかかわり、さらに、多くの学生を戦場に送りだした。

と、極めて偏向したこういった憲章をつくっているんです。これは国立大学ですよ。こんなことをやっているんです。

 これは許しがたい。これは事実ですよ。そういうふうな、反対に、学長の暴走というよりも、教授会と言いましたけれども、大学の暴走こそ我々は厳しい目でチェックしなくてはならないというふうに思うんですけれども、平野総長、このあたりをちょっとお聞かせいただけたらと思います。

 もうこれを最後の質問といたします。

小渕委員長 申し合わせの時間が来ておりますので、簡潔にお願いいたします。

平野参考人 おっしゃるように、大学というのは個の力の最大化と組織の力の最大化。それで、組織の力の最大化というのは、やはり社会です。先ほど私が言いましたように、大学というのはもちろん学問の府であって、個々の研究者が学問を追求する、そのことによって科学技術の発展に寄与する、あるいは人材育成に行く。もちろん個々の研究者が知的好奇心でやっているという側面もございますが、やはり社会の中に大学はあるわけです。社会があって大学があるわけです。

 そういう意味で、私は先ほど、大阪大学の志あるいは理念というのは、学問、大学が持っている学問という人類共通言語を介して、調和ある多様性を創造し、人類社会の発展に貢献するんだという、そういう社会の中の位置づけというのが要るんじゃないかと思うんです。

 そういう意味で、単に個人、教授会、それだけじゃだめだと思うんです。それはもちろんそういう意思を教授会も含めて構成員がそういう価値観を共有していく、それが大学人の社会に対する責務だと思います。

三宅委員 終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、稲津久君。

稲津委員 おはようございます。公明党の稲津久でございます。

 きょうは参考人の皆様に大変お忙しい中お越しをいただきまして、ありがとうございました。

 まず、早速質問に入らせていただきますが、これは先ほどの意見陳述の中でも少しお話しいただきました、それから、これまでの審議の中でも二、三ございましたけれども、一番核心的な大事なポイントですので改めてお伺いしたいと思うんですが、それは、大学の意思決定過程における権限と責任についてということでございます。

 大学のガバナンスについて問題提起される際には、やはり一番大きなテーマとしてこのことが言えると思うんです。権限と責任をどう明確にしていくかということになると思うんですけれども、さきの地教行法の改正のときにも長時間にわたって議論のテーマになったのは、やはり責任の所在、明確化、権限、こうしたことについても大変な議論になったところでございます。

 プラスの方向に行く、あるいはマイナスの方向に行く、いろいろな議論はありますけれども、しかし、大学の組織のガバナンスを考えるときに、例えば学長と教授の権限のありよう、あるいは責任のありようについて、中には、本来審議機関として位置づけられている教授会というところが事実上議決機関として意思決定を行っているようなケースが散見された、こんな御指摘もありました。

 そういうことを踏まえた上で、権限と責任の明確化について、大変基本的な質問で恐縮なんですけれども、先ほどの意見陳述、御答弁の中でまだもう少しお話を明確にしておきたいこと、あるいは、再度確認ということで、お話しいただければと思います。

平野参考人 ちょっと繰り返しにもなると思いますけれども、責任と権限に関しましては、これは大学の問題じゃなくて、いかなる組織においても、責任と権限というのは一致していなければその組織は動かないというのが私は基本原則だと思うんです。権限だけがあって責任をとらない、責任はあるけれども権限はない、これではやはり組織は動かないわけであります。

 大学の場合は、現在、学長は校務をつかさどるという九十二条により、大学全体の責任と権限を有しておるということと私は理解しておりますし、現実はそうなっておると思うんです。だから、この原則というのがやはり非常に重要であろう。その上で、大学を運営していくにはどうだということになります。

 当然、大学というのは広いですから、教授会というのは部局教授会と言ってもいいと思いますけれども、それは、大学の中にはいろいろな専門分野、工学部もあれば理学部もある、文学部もある、そういうそれぞれの専門分野で、教育研究に関して、そういう意味で自覚を持って、いかにすればその専門分野の教育研究がちゃんといくかというようなものも真剣にディスカッションしていただく。

 ある意味では責任を持っておられるわけですけれども、ただ、大学全体となりますと、やはり部局縦割りという言葉がございます。それは、専門分野で、文学部なら文学部、医学部なら医学部となっていますが、今、大学全体をいったときに、やはり異分野融合というか、これは従来の工学部でもない、医学部でもない、理学部でもない、あるいは文学部でもない、それを全部、例えばどうやって脳が認知するかというような問題になったとき、心理学もございますし、情報工学であるとか医学とか精神医学とかいろいろな分野が入る。そういう新しい分野を大学全体として発展させようと思えば、これはやはり部局の責任あるいは権限ではやっていけないわけです。それはやはり全体を見渡していかなければならない。

 そういう意味で、先ほど田中参考人もおっしゃいましたけれども、権限と責任というのは、レベルはいろいろあると思うんです。ただ、大学全体の最終的なところに関して、やはり大学運営に関して権限と責任は一致すべきだと思います。

田中参考人 御質問にお答えさせていただきます。

 学部と研究科の権限と責任については先ほど少し具体的な例を申し上げましたので、このたびは、学長の側について考えていることを申し上げます。

 私立大学の場合は設置主体が理事会でございまして、国立大学、設置主体が国とは異なるので、若干形は異なりますが、議論の拡散を避けるために、学長側ということと、それから、学部、研究科の教授会というふうに少し単純化してお話をさせていただきますけれども、学部、研究科の側にも責任と権限の一致は必要でございますが、学長の側にも同じであろうと思っております。

 例えば、卑近な例で恐縮ですが、早稲田大学の総長鎌田のもとでは、財務担当理事がいて、今後の財務のことを考えております。現在、早稲田大学は、他大学もそうだと思いますが、よりよい教育と研究を進めるためには、教育研究費の支出は膨らんでいくわけでございます。

 しかしながら、二〇一一年の三・一一の東日本大震災、それから、その前のリーマン・ショック以降でございますけれども、経済の状況を考えると、そうやすやすと学費を上げるわけにはいかないということがございまして、学費の値上げは非常に限定的でございまして、約五千円程度の値上げに抑えてきておりました。

 その意味で、教育研究費は非常に高くなりつつあるんですけれども学生からいただく授業料は抑えなければならないというジレンマの中で、どういうことを行ったかと申しますと、教職員のボーナスをカットするということを行いました。これは学長側の責任であるというふうに考えております。

 それについて鎌田は、選挙で選ばれた総長でございますけれども、ことし再選を迎えるわけでございますが、それについて彼は一歩も引かないと。すなわち、教職員におもねって票を得るような政策をとらずに、大学の将来を考えて、二十年後の早稲田大学の将来、教育研究の質を維持するということを考えて、財務状況を考えるということをいたしました。その結果、現在総長候補は一人になっておりますけれども、どうなるかはまだわかりませんけれども、候補者の立候補者は一人にとどまりました。

 ということで、それなりの信頼というものが得られる、すなわち、リーダーシップを持つ者が責任を持って行うというのは学長の側でも必要であり、権限を行使するかわりに責任もとるという覚悟があったと思います。これは、学部、研究科においても同じような権限と責任が問われているというふうに考えております。

 以上でございます。

池内参考人 私は先ほども少し申し上げましたが、権限には行使するプロセスというのがあるわけです。そのプロセスにおいて、どれだけ豊かにいろいろな意見を徴しながらその権限を全うしていくか。どれだけ豊かにいろいろな意見を加えながら、しかし、最終的には、無論、全学の事項に関しては学長が責任をとる。それは当然です。学部に関しては学部長がとる。

 はっきりと区分けできないものに関しては、学長自身が、権限はどこまでがどこそこにあり、どこまでが学長にあるかということをそれぞれ明確にしていくプロセス、要するに、どれだけプロセスを明確にしていって、それで、その権限がどのように履行されていくかということを明らかにすることが学長のそれこそガバナンスでありまして、単にガバナンス、ガバナンスということではなくて、具体的に、ある種の事柄に対してどういう権限を行使していくか、それのプロセスを明確にして、お互いが協調し合って進められる体制をつくっていく、それがまさにガバナンスであり、それをスムーズにやれる腕を持っているのをリーダーシップと称すると私は思っております。

稲津委員 ありがとうございました。

 それでは、次は、国立大学法人化から十年経てきて、そこで、どういうようなことが現場で起きているかということを、これは平野、池内両参考人に簡潔にお伺いできればなと思っていますが、経常的な予算は、運営費交付金として国から一括で配賦をされるようになりました。そして、この運営費交付金が、少なくとも私の認識ではふえていない状況にあると思います。むしろ削減されてきたと言わざるを得ない。

 そうした中で、それぞれ国立大学法人がこの間どのような取り組みをしてきたのか、御意見も含めていただければと思います。

平野参考人 私ども、国立大学法人化になってちょうど十年であります。その十年のうちの最後の三年ほど学長を経験したわけでございますが、国立大学のときにどうだったかというのは私直接そういう大学の運営に関係していなかったので余り触れませんけれども、少なくとも、国立大学法人になって、大学の自由度は非常に高まったと思っています。もちろんいろいろな制約はあるにしても、その制約の中で、自由度は格段に高まったであろう。だから、いかにその大学を、学長がリーダーシップを持って全学的合意を図り、もってどのような方針で引っ張っていくかというのは、国立大学のときに比べて格段に重要になりました。それは一点言えると思います。

 もう一つ、先ほど運営交付金のことを御指摘されましたけれども、大学側から見ると、運営交付金が年々削減されていっておるということで、国立大学、大学人としては将来に対して漠然とした不安を持っているのは事実であります。

 その一方で、いわゆる競争的資金がふえたというか、いろいろなプログラムが出て、大学として、その競争的資金を獲得すれば運営交付金の減った分をある程度コンペンセートできるという状態でもございますが、運営交付金というのはやはり、競争的ではないけれども持続性があります。一方、競争的資金というのは、非常に競争的で、ある意味で理にかなっているんですけれども持続性がない。大学というのは、先ほどから言っていますように、やはり持続性というのがある程度担保されていないと、百年とか五十年とかの単位で、大学というのは、未来を見通す機関としてやはり持続性というのがある程度担保されていなければならないと思っています。

 もちろん競争的資金というのは非常に重要でありますが、できたら、やはり持続的資金である運営交付金の、ある水準を保っていただきたい。いつまでたっても減るんじゃなくて、ある水準でベースラインは保って、そのことによって、あとは競争的資金で各大学の工夫によっていろいろな方向に発展するということで。

 そういうことで、大学のかじ取りというのは、国立大学法人になって、国立大学のときに比べると恐らく格段に重要になったのではないかと思います。その意味で、大学が発展する余地もあるし、衰退していく余地もあるということだと思います。

池内参考人 私自身は、国立大学が法人化されて以来、この十年間なんですが、国立大学は疲弊しているというのが、もうはっきりした私の観察事例であります。

 この十年間で、いわゆる運営費交付金は一〇%削減されました。一千億円です。それは基本的には各教員の経常研究費として使われるのが多かったんですが、経常研究費がほとんどなくなる状態になったわけです。その結果として、今言われました競争的資金というものに頼らざるを得なくなっている。まさに、競争で資金をとらないと研究ができない状況に追い込まれている。

 無論、それだけではなしに、運営費交付金が減った部分は、実は、文科省の基本方針としては、特別運営費交付金と言われている部分に回したり、最近はまたそこから事業費あるいは補助金という格好で、三年ないし五年ぐらいの、改革強化費とかグローバル何とかとかGPとか、そういう、それこそ今度は大学の競争的資金ですね、大学自身が、いろいろな大学が競い合ってお金をとる。これは、目的が明確に決まっている、それから、先ほど言いましたように、数年、せいぜい五年とかそれぐらいの時限的な予算である。それだと、結局のところは、そういう事柄にどんどん人を投入してやって、それで五年で打ち切りでしょう。

 そういう状況で、どんどんどんどん大学が、僕は大学も悪いと思うんだけれども、文科省のお金に引きずられて、どんどんどんどんそういう格好のものに乗っていっている状況があります。その結果としては、教員の研究時間がどんどん削られていっているわけです。

 無論、法人化によって教育をより充実させる、少人数教育とか、セミナーをする、あるいは地域貢献をする、いろいろな新しい事柄を大学はやるようになった、これは非常に結構なことです。しかしながら、先ほど言いましたように、人はふやせていない、むしろ減らされている。そして、特任教授とか特定教授とか、新しいタイプの教授、任期つきの教授をどんどんふやしていって、その分専任教員に負担がどんどんかかるという状況で、教育デューティーとか国際化のためのさまざまな活動とか、そういうことにまさに時間をとられて、結局のところ研究力が非常に落ちている。これは僕は否めない事実であると思います。これは国立大学法人化のいろいろな白書等を見ていただいても、そういう実態が明らかにあらわれております。

 したがって、トップ何とかとかそういうふうにおっしゃるけれども、現実においては、国立大学の法人化以来、教員が疲弊し、より研究力が弱体化する傾向が私自身は目に見えているというふうに思っております。

 以上です。

稲津委員 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、柏倉祐司君。

柏倉委員 みんなの党の柏倉でございます。

 きょうはお暑い中わざわざ国会までお越しいただきまして、まことにありがとうございます。

 それでは、早速質問をさせていただきたいと思います。

 まず大阪大学の平野総長にお伺いをしたいと思うんです。

 平野先生自身、まず教授をなさっていて、それから総長になられたというふうに思うんですけれども、実際に、教授であったとき、教授会に当然お出になられていたと思うんです。そのときと、現状、総長になられて大学運営のトップに立たれたとき、ここでやはりそれぞれの大学の見方が違うと思うんです。そして、なおかつ、こういうとき、総長になられて、ここはちょっと教授会、教授の人たちとずれがあるなと、いわゆる相克が出てくると思うんです。手かせ足かせという、悪い言葉で言えばそういうことになるのかもしれません。この相克の部分、具体的にどこで一番お感じになったのか、まずお聞かせいただければと思います。

平野参考人 今御質問の点は、大学運営にとって非常に重要な問題であります。

 先ほど来言いましたように、大学というのは、個の最大化、個というのは教授も含めて一人一人です、それと全体の最大化というのがあるわけです。

 例えば、木を見て森を見ずという言葉がございますが、森の中に木が生えているときに、その木にとって非常にすばらしいことが必ずしも森全体にとっていいとは限らない。森全体にとっていいことがその木にとっていいとは限らない。当然、森全体のことを考えますと、間伐もしなければならないし、間引きもしなければならない。いろいろなことがあります。

 そういう観点から、私、大学人としてずっと四十年ほど過ごしてきましたけれども、当然、教員、学生の立場、助手の立場、教授の立場、そして部局長の立場、あるいは、本部、執行部、学長の立場で、それぞれ、どこを中心に見るかというのはやはり違うんです。当然、教授あるいは一人の教員のときは、やはり自分自身の学問領域、その学問領域に基づいた教育研究、それをいかに、まあ、森の中の木をいかに立派にするか、個の力を最大化することにやはり意識は全力投球するわけです。

 ところが、例えば、私は医学部長も経験いたしましたけれども、医学部長になりますと、医学部全体をいかに最大化するかということにやはり意識は行くわけですね。そのときに私、医学部長で医学部の教授会の皆さんに言ったことは、皆さんは教授としてそれぞれの研究室を代表しているので、それぞれの研究室を一生懸命しようと努力をしておる、しかし、医学部の教授会に出てこられた限り、ひとつそのことは一旦忘れてほしい、あくまでも医学部教授会のメンバーである一人として医学部全体のことを考えてほしいと言っていました。

 それが今度は総長になりますと、学部長に対して、学部長の先生方は、例えば医学部長にしても工学部長にしても、やはりそれぞれの部局はいかにすればよくなるかということを注力して考えておられるんです。私は大学全体ということになります。そうしますと、やはりそこで部局長の先生に言うのは、もちろん先生方は一生懸命部局のために働いている、それはすばらしいことである、しかし、部局長会議に出てこられた限りは、工学部長という肩書を忘れて、大阪大学の部局長会議のメンバーであるという意識で大学全体のことを考えてほしいと言っています。

 これは一つの例でありますが、なかなか難しいのでございますが、それが先ほど来言っている、いかに個の力の最大化と組織の力の最大化を図ることが重要で、その間には当然コンフリクトがあるわけです。そのコンフリクトをいかに、対立じゃなくて、足の引っ張り合いじゃなくて、前向きの駆動力に変えるか、これが大学運営の真髄であります。

 それの基本は、先ほども言いましたけれども、いかに大学人全体がその大学の志、理念、いわゆる価値観をどれだけ共有できるか、どれだけ共有することができるかということが学長のリーダーシップであり、部局長のリーダーシップである。あるいは教授も、研究室を引っ張っていくためには教授のリーダーシップがある。

 そういうことで、答えになっているかどうかわかりませんが、そういうことをやることがリーダーシップである、コンフリクトを乗り越えて、コンフリクトをいかに前向きに、全体のことを考えて前向きにするかということだと思います。

柏倉委員 どうもありがとうございます。

 なかなか具体例で御説明していただくのは厳しいのかなとは思っておりましたけれども、そういったやはり理念を共有していくという、その中の人間関係を土台にして、しっかりと大学人としての一体感を醸成していくということだとは思うんですが、なかなか、やはり大学というのも人間対人間の組織で、私も大学に勤めていたものですから、非常にやはり難しいなと。それをこれから体現される、現状、体現はもう既にされているわけですけれども、逆に言うと、本当に非常に難しい問題を一人で背負わなきゃいけないのは、これは学長、総長なわけでございます。

 それで、経営の部分や教学の部分、こういったところは、いろいろな制度改革も含めて、ある程度改革の方向性というのはあるんだと思うんです、選択肢というのは。ただ、私が今気になっているのは、倫理的な判断、これから大学自体が倫理的な判断を迫られることがあるかと思うんです。

 例えば、軍事研究をするしない、こういった選択、実際にこれはなかなか迫られるということがないにこしたことはないんですが、これもわかりません。あと、クローンビジネス、こういったものに積極的に参加していくかどうか、これを大学発のベンチャーとしてやっていくのかどうか、これも非常に倫理的な要素の強い判断になるかと思うんです。

 こういう倫理的な問題、これはやはり学長一人ではなかなか判断しづらいと思います。やはりこういう倫理的な問題に関しては、今までもそうだったと思うんですが、教授会や倫理委員会、こういったものの決断、決というのを尊重して今後もやっていくべきなのかどうか、そこに関しての御意見があれば伺いたいと思います。

平野参考人 御指摘のとおりでございまして、今御指摘された倫理的な問題、これは単に一大学にとどまらず国全体の問題でもあるわけです。国全体での、今、軍事とかクローンであるとかいろいろ例を言われましたけれども、生命倫理にしてもそうでございますけれども、やはり一番大きな枠組みは、もちろん物すごく大きく言えば地球上全体ということになりますけれども、日本の国の生命倫理、あるいはそういう軍事的なものも含めて、そういう大きな問題はやはり国のレベルだろうと思います。

 大学人は、もちろんそれぞれの意見がありますので、国のそういう方針に対していろいろな意見は当然言うべきだろうと思いますし、そういう国全体の問題と、仮に大学の中で、ある限られた中でそういうことがあったとして、当然、学長が勝手にそういうことを決めるというのは、私が何回も言っています学長のリーダーシップの方針に反するわけでありまして、専門集団の全ての意見を当然聞いて、やはり、いかに価値観というか、大学の中で合意形成をしていくか。

 これは国のレベルでも同じだと思うんです。国のレベルでいかにそういう倫理的なものの価値観を共有していくか、合意形成をしていくかというのは、国のレベルで重要だし、それは同じく、ちょっとスケールは小さくなっても、大学のレベルでも同じだと思います。

柏倉委員 ありがとうございます。

 非常に難しい問題ではありますけれども、やはりどこかでそういった議論を、大学の中でも恐らく避けては通れないときが来るのかなと思います。そういうところをぜひ、なければないにこしたことはないんですが、大学の中でもその問題意識は今からもう共有していただければというふうに思います。

 次は、早稲田大学の田中参考人にお伺いしたいんですが、海外で、中央集権的な大学、分権的な大学、その中間大学と、いろいろガバナンスにも種類があるということだったわけですけれども、それで一番おっしゃられたのが責任と権限の所在の明確化、これはもうほかの委員からも何回も質問されたと思います。

 私もぜひお伺いしたいんですが、今回、法改正で、具体的に学長の責任が何らか明確になったとか、要は賞罰の部分で定義されたということは全くありません。その一方で、学長の本来あるんだと言われる権限はしっかりとまた明記されているわけです。これは権限と責任の所在の明確化という観点から考えればややバランスを欠いているという指摘もあるんですが、これに関する先生のお考えをお聞かせいただければと思います。

田中参考人 今回の学校教育法改正の九十三条についての御質問だというふうに承りますが、確かに非常に難しいところだと思っております。

 教授会の権限が明示的になっているところとそうでないところがはっきりしてきたということで、その若干の違いがあるということは言えると思いますが、先ほど申し上げたとおりでございますが、実はいかに運用するかということが重要であろうと思っております。ですから、その運用をモニターするような制度というものは実は必要であろうという気がいたします。

 例えば、学長が暴走する大学がないわけではないというふうに存じております、現行の法制度下でもございますので、新しいこの法案がもし成立したとしても同じことは起きるというふうに私は存じております、幾つかの大学を見てまいりましたけれども。そういうことが現実に起きるということもございますし、それから、教授会が非常に伝統的に頑として動かないために大学改革が進みにくいということもあるというふうに、それも認識としては持っております。両方の問題があるというのはわかっておりますが、そのどちらもこの一つの法案で見事に解決するというのは非常に難しいというふうに考えております。

 やはり大事なことはチェック・アンド・バランスだと思うんですが、学長がリーダーシップを発揮できるようにしていくということも大事でありますが、暴走があった場合には、例えばオンブズマンのようなものを置いてそれをチェックできるような機能も必要である。教授会がイニシアチブを発揮できるようにするところも、必要な大学もあるわけです。

 ただ、教授会の権限が強過ぎて学長のリーダーシップを損ねる場合もないわけではない。そのときにも、それなりの、今回の法改正ではそれについてはかなり改善されると思いますけれども、先ほどにも御指摘ありましたとおり、逆のことは起こらないかというのは、全く懸念がないとは言えないと思っております。ですから、杞憂ではないというふうには考えます。日本の大学にはさまざまな大学がございますので、学長が暴走する場合もあり得るとは思っております。

 先ほど申し上げましたが、ただ、法案がこうなったから必ずこうなるということではないと思っておりまして、やはり、そうなった場合を是正するようなモニタリングのような制度、オンブズマンのようなそういう制度が必要なのではないかという気はいたしております。

 以上でございます。

柏倉委員 ありがとうございます。

 それでは、池内参考人にお伺いしたいんですけれども、教授会というものによる自治というのが、非常に歴史ある、伝統あるもので大切なんだという御意見だったかと思います。

 ある意味、この法案が出てきたのは、教授会では船頭多くして船山登るというところもある、やはり強力なリーダーシップを持って特にグローバル化を勝ち抜いていくんだというような、目的は同じでも方法論が全く違うという法案になったかと思うんですね。

 そこで、教授会がガバナンスをコントロールしている現状でもそういうグローバル化にしっかりと伍していけるんだというような、そういったお考えがあるかと思うんですが、具体的なところ、一例、二例で結構です、どういったような仕掛け、工夫があればこのグローバル化に対応していけるのか、もしお考えがあればお聞かせいただければと思います。

池内参考人 グローバル化といっても、いろいろなスタイル、やり方、それから方向があるわけです。いわゆる国際化という形で外国人教員を雇うとか外国人の留学生を多くとるとか、そういう面で、時間はかかっておりますけれども、いろいろな形で、数としてはふえていっております。

 しかしながら、私自身は、決定的な問題は、日本社会が外国人に対して寛容ではない、そういう状況が頑としてある。

 その中で、例えば私がおりました総合研究大学院大学では、もはや二八%が外国人留学生の比率になっております。それは、いろいろな意味で、各教員の、まさに教授会としての努力の積み重ねの結果であります。そのように、自由な発想で取り組んでいく。

 それで、日本社会の頑としてなかなか変わらない国際流動の壁をどう打ち破るかというのは、これはまさに一大学の問題でもないんだけれども、私たちとしては、常に要求を出していくという格好で、そういうことしか言えないといえば言えないんですが、そのような形で、つまり、グローバル化というのは学長がひとり旗を振ってできるものではないわけですよ。

 日本社会全体の雰囲気を変えていく、そのためには、大学全体が一体となって、まあ一体となってというのはちょっと言い過ぎかもしれない、大学全体が価値観を共有して、いろいろな形で外国人に寛容な社会を目指していく、つくっていく、そういうまさに根っこからの部分を強めていくということが必要で、そのためには、先ほど言いましたように、学長だけが旗を振っていて何にも変わらない、私はそういうふうに思っております。

柏倉委員 きょうは貴重な御意見をどうもありがとうございました。時間ですのでこれで終わります。

小渕委員長 次に、井出庸生君。

井出委員 結いの党、信州長野県出身の井出庸生と申します。

 きょうは、三人の参考人の皆様、本当にありがとうございます。よろしくお願いをいたします。

 冒頭私は、ちょっと荒っぽい言葉で言うと、教育、特に大学教育などにおいては、国はお金は出すけれども余り余計なことは口を出すな、そんなようなスタンスがいいんじゃないかなと個人的には思っておりまして、ちょっと荒っぽい表現ですので、きょうは忌憚のない御意見、御指導を賜りたいと思っておるんです。

 まず、きょう既にお話に出ております学長の責任、学長の暴走。端的に伺いたいのはその罷免にかかってくるところなんですが、相対的に、学長と教授会の役割が明確化されて、これまで以上に学長のリーダーシップが問われてくるというところは、この法案、賛否両論ある中で共通の認識だと思います。

 これまでの、例えば先日、二十三日に下村文部科学大臣が学長の罷免についてお話しされているところがありまして、まず、監事による監査がある、また、自己点検・評価、認証評価、また、学長選考会議による業務執行状況の評価等が可能になっている、そういう話がありました。

 一方、法律を見れば、国立大学の話をさせていただくと、国立大学法人法の十七条で、業務の業績の悪化があったときに、選考会議の申し出を受けて文部科学大臣が学長をやめさせることができる、そういう法律に今現行なっておるんです。

 まず、田中参考人にお伺いをしたいんです。

 先ほど、オンブズマン、モニタリングのような機能が必要だというお話がありましたが、今回の法改正で、現行の、学長の罷免、責任を問うところに係る法律、そこの部分も見直す必要があるかないかということと、あと、監事ですとか認証評価、また学長選考会議といったものがちゃんと機能を果たしているかどうかというところについて、御経験を踏まえて御意見をお聞かせください。

田中参考人 御質問は、国立大学法人法改正についての部分になるかと存じますので、私立大学の人間としては若干の遠慮もございますけれども。

 学長のリーダーシップについて、それから罷免に関してですが、現在の法案の罷免の条項が十分かどうかは、済みません、十分に私も検討ができておりませんので直接お答えできませんけれども、申し上げたかったのは、今回私学法の改正は一切ございませんのでそこに触れることはございませんけれども、私立大学におきまして、学長の暴走などが起こる場合があるというふうには認識しております。

 また、逆もあるわけで、学長のリーダーシップが発揮しにくいような慣習になっている大学もあるというふうには存じておりますが、それらについてそれなりのイニシアチブを発揮するための制度が必要だというふうに申し上げたにすぎないということで、これはまだ不勉強でございますので、今後の課題とさせていただければと思います。

 それで、学長の選考についてでございますけれども、これは、例えばアメリカの例などを見ながら少し意見を申し述べさせていただきます。

 アメリカの一流大学の場合には、総長選挙、いわゆる学長の選挙というものはほとんどなく、プレジデントを選ぶのは、サーチコミッティーと言われている選考委員会が立ち上がり、それがボード・オブ・トラスティーと言われている評議員会もしくは理事会の委託のもとに、サーチコミッティー、選考委員会が全世界から適任者を探す、それで、その適任者の候補者を絞るわけです。七人とか五人に絞りながら、それをボード・オブ・トラスティーにかけていく。最終的に選考委員会が一人に絞って推薦を出す。それが承認された場合にはその方が選ばれるというようなやり方になるわけであります。

 このやり方と、日本の多くの大学で行われている、学長が教職員の選挙によって選ばれる場合との違いでございますけれども、現在、日本国内で懸念されているのは、学長が改革を進めていくときに、良薬は口に苦しというような、教職員にとっては痛みを伴うような改革も中にはあるわけでございますが、そのときに、改革がとまるのではないか、つまり、選挙によって学長が選ばれるので、再選のためには遠慮が出るのではないかという懸念があるというふうに言われていると思います。

 そのことは確かにあり得ると思いますが、ただ、大学にもよると思いますし、さまざまな慣習というものがあるので一概には言えませんけれども、大学における学長の選挙というのは、ある意味では非常にレベルの高い知識人が有権者となって投票する選挙でございまして、いわゆるポピュリスト的な人気政策を打てば当選するというものではないというふうに考えております。本来、本当に将来を見据えた政策を推進する者が選ばれる、必ずそうなっているとは限りません、それが理想だと思いますけれども。

 ですから、そこも、あり方も学長本人のやはり覚悟の問題だと思うんですが、先ほど卑近な例を出させていただきましたが、例えば本学の総長の鎌田が行っているように、相当の覚悟を持って臨むという、政策の一貫性でありますとか理念がはっきりしている場合には、苦い良薬であっても教職員はそれを受け入れるということがあり得るというふうに考えております。

 なので、制度、どれがいいかというのはなかなか難しいと思いますが、一概にアメリカの方式の選考、サーチコミッティー方式が必ずよいというわけではないようには思っております。

 ただ、選挙における弊害というものがないわけではございませんので、そういう点については検討課題であろうと思いますが、何か海外の制度のこれを持ってくれば日本の大学が必ずよくなるという妙案があるわけでもないと思っておりまして、やはり重要なことは、教職員が価値観を共有する努力が必要であり、学長がそこでリーダーシップを発揮して、苦い良薬であっても改革のためには進めるというようなことが必要だろうというふうには存じております。

 以上でございます。

井出委員 ありがとうございます。

 冒頭にアメリカ、イギリスの大学のことについて詳しく伺ったことも、大変これからの参考にさせていただきたいと思います。

 同じ質問を平野参考人にも伺いたいのですが、これから学長のリーダーシップが発揮できるようにしていこう、その中で、現行の監事による監査、認証評価制度、また、学長選考会議による学長の評価といったものがこれまで十分果たされてきているのか、これからリーダーシップを強めていくのであれば、そこの学長に対するチェック機能というものを強める必要があるかどうか、御経験を踏まえた御意見をいただければと思います。

平野参考人 お答えしたいと思います。

 今御指摘がございましたように、現在、制度的には、監事による監査、自己点検・評価、認証評価、あるいは総長選考会議による業務執行状況の評価、そして、総長選考会議による解任の申し出ということで、解任のシステムはあるんです。

 今回、学長の選考に当たって、学長選考会議が、主体性を持って明確に、各大学の使命であるとか理念、あるいはどういう方向に持っていくか、そういうことを照らし合わせた上で責任を持って学長を選び、そして、文部科学大臣に報告するということになっておるわけです。しかも、その過程は全て公にしなければならないという透明性がある。すなわち、学長選考会議が学長を選ぶということに対して非常に説明責任が負わされているわけです。

 現在の法律でも、先ほど御指摘ありましたように、学長選考会議は解任をすることができるわけです。

 ということを両方考慮いたしますと、学長選考会議が今後そういう責任を持って、透明性を持って主体的に学長を選んでいくというプロセスが動けば、当然その裏腹に、現在でもある学長選考会議の解任というのが非常にやはり自主性を持って私はワークすると思うんです。

 もちろん、こういう制度以外に、先ほど来何回も言っていますけれども、大学の運営の性格上、学長が暴走したときに、構成員一人一人がやはり動いていかないと大学というのは全く機能しませんので、学長というのは自然にやめざるを得ない立場に私はなると思うんです。

 そういうことから、何回もディスカッションがありますように、やはり価値観をいかに共有できるか、そのリーダーシップがなければ、それがない学長というのはもう自然消滅、自然に退場ということに私はなると思います。その上でこういう法律的なものもあるということで、私は特段心配はしていません。権限があれば、当然責任がある。それは、学長選考会議がそれをするだろう、少なくとも最後のとりでというか。

 そういうことでございます。

井出委員 ありがとうございます。

 ちょっと重ねて伺いたいんですが、今、学長選考会議が主体性を持って、選考の説明責任も高まってくると。そういうプロセスが動いていけば、恐らく、任命責任も生じてくるから、学長の暴走ですとか、その解任に対しても責任が生じてくるというお話だと思うんですけれども、そうしますと、では、現行の学長選考会議の学長に対する任命責任を監視していくというところは、今回の法改正でその再認識にはなるかもしれないけれども、逆に捉えれば、学長選考会議の機能が少し不十分という御認識はお持ちでしょうか。

平野参考人 私は、先ほども御説明しましたけれども、現状で、学長選考会議の主体性が法律的に透明性を持ってとかいろいろなことで規定された以上、今まで以上に学長選考会議の機能というのは重要にもなりますし、今でも重要なんですけれども、やはり学長選考会議が主体性を持ってより機能していくんだろうと思っております。それは、任命だけじゃなくて解任につきましても。

井出委員 ありがとうございます。

 次に池内参考人にお伺いをしたいんですが、今お二方のお話の中で、学長の選考について、田中参考人からは、アメリカ式を入れること、また、選挙で決めていくということの一長一短のお話がありましたし、平野参考人からは、学長選考会議がより主体性を持ってというお話があって、これまでの審議の中で、学長選考の教職員による意向投票、これはこれからもやってもらっても構わないんだけれども、参考程度にしてもらわないと、意向投票イコール学長決定という仕組みにしてしまうと、学長選考会議をつくった意味がないんだ、そういうお話を文部科学大臣が私の質問での答弁の中でされているんです。

 私は、学長選考会議が学長の資質を明確にして、透明性のある選挙を実行していけば、大学の教授、職員、今多くの大学がやっている意向投票というものを尊重することも、一つ、大学としての主体のある学長の選考の仕方かなと。そこを劇的に変えてしまうのは私はいささか疑問を持っておるんですが、そこについての御意見を池内参考人に伺いたいと思います。

池内参考人 現行においても、意向投票に従わねばならないということにはなっていないわけですよね。選考会議で決めればいいわけです。

 その決める過程において、意向投票の中でさまざまな意見が表明されている。それをどう取り入れるかということの問題であって、それで決定的に意向投票イコール学長選出であるということにはならない。現実に、今までの国立大学のいろいろなケースがそれを示しております。

 私自身は、それよりも、学長選考会議、先ほど透明性と言われましたが、もう一つ必要なのは、学長選考会議で選考した結果として、例えば毎年一回ぐらい、それこそモニターする。学長が当初推薦理由としてこういうのを掲げたけれども、こういう状況が生かされているかどうかということを選考会議としてモニターする。選考会議として何らかのサジェスチョンを与える。こうせいとは言えませんから、サジェスチョンを与える、そういうプロセスは考えてもいいのではないかと思いました。

 つまり、選考会議で一方的に選考しましたということの結果を何も問わないというのは問題で、無論、選考会議の委員は経営協議会及び教育研究評議会のメンバーから選ばれておりますからそちらでやればいいというようなものだけれども、選ばれていない人もたくさんいるわけですから、やはり選考会議の責任としても、例えばそういうモニターをやっていく、そういうシステムを考えていいのではないかと私自身は思っております。

 そのときに、まさにこれは意向投票でやったとおりであったかどうか、あったねとか、そういう議論も当然されることになりますから、いろいろな材料を集めるための意向投票も生かされていいし、それで選考会議としてきちんと責任をとっていくというシステムを考える必要があると私は思っています。

井出委員 時間になりましたので終わります。貴重な御意見をありがとうございました。

小渕委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 きょうは、三人の参考人の先生方、まことにありがとうございます。

 まず、平野総長にお伺いしたいと思うんです。

 実は、ことしの二月にまとめられた中央教育審議会大学分科会の審議のまとめでは、九十三条にかかわって、教授会が審議すべき重要な事項の具体的な内容というのは、四つ挙げられておりました。学位の授与、学生の身分に関する審査、教育課程の編成、教員の教育研究業績の審査等について、これは、教授会の審議を十分に考慮した上で学長が最終決定をする。

 今回の法案九十三条では、そのうち、「学生の入学、卒業及び課程の修了」というのと「学位の授与」というのを明示しているほかは、今掲げられたものから抜け落ちているわけです。そしてそれは、「教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」というふうに落とされているわけです。

 そこで、現に総長でいらっしゃる平野参考人に、「学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」、先ほどの審議まとめが挙げたようなものがこの中に入ってくるんだろうと思うんですけれども、平野さんはどういうものが必要と認めるものに入るとお考えになるでしょうか。

平野参考人 今御指摘がありましたように、今御指摘に挙げたものは、全て意見を求めるようなものだと思います。

 それ以外にも、教授会というのは部局ですよね、部局というのはいろいろな専門性が違うわけです、その部局によって。当然、その専門性にかかわることは意見を求めないと学長が判断できるはずはないわけです。だから、一般的には、例えばいろいろな部局の人事とかそういうのも含めて、人事というのは、当然その専門分野の教育研究の専門領域の人を選ぶわけですから、それを学長がああせいこうせいと言うことは、能力的にもできませんし、それはやってはいけないことだと思います。

 そういう意味で、重要であるということを認めて意見を聞くということの中には、いろいろな大学運営に関することも含めて、大学の志とか理念を追求するために全構成員が価値を共有しなければならない。そのためには、いろいろな意見を聞く。それの中に、一言でここに入っている「教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要である」というのも、ほとんどに入ってくると思います。そういう合意形成をする上で重要であります。

宮本委員 ありがとうございました。

 それで、次に田中参考人にお伺いしたいと思います。

 私は、実は前回の文科大臣との質疑で、中教審に文科省自身が示した「外国の大学における教授会に相当する組織の状況」というものもお示しをして、イギリスやアメリカでも、アカデミックな事項については、教員を主たる構成員とする大学評議会やセネトというものが決定権を持っている、とりわけ、英国のオックスフォード大学それからアメリカのカリフォルニア大学バークレー校と二つの大学を挙げて、オックスフォードでは四千五百人から構成されるコングリゲーションが、大学の諸規定の承認やカウンシルからの提出案の修正、廃止、学長の承認、任命等まで行っていると具体的にお示しして、世界の大学の中に日本の大学が余り入っていない、これをふやしたいと言いながら、世界の名立たる欧米の大学が現に教員の参加という点ではこういう形でやっていることが参考にされていないじゃないか、今やろうとしていることは逆じゃないか、こういう御指摘をいたしました。

 そうしたら大臣からは、非常に都合のいいところだけとっているとしか思えない、一つ、二つの事例だけ挙げて、全てがそうであるかのように論じるべきでない、こういう答弁をいただいたので大変驚いたわけであります。

 先生は、先ほど来、欧米の、とりわけイギリス、アメリカの大学の事例をたくさん研究されてきたことを御紹介ございました。欧米の大学では、この教員の意思決定の参加という点で、今私が紹介したような例は一つ、二つの特殊な事例なのか、それとも一般的なのか、どうぞお聞かせいただきたいと思っております。

田中参考人 御質問ありがとうございます。

 今御質問の点、コングリゲーション、そのオックスフォード大学の例については、私も読み聞きはしておりますが、それがどのくらい一般的であるかということについては、実は不勉強で、存じておりません。

 ただ、オックスフォード大学がイギリスの中でも例外的に分権化が進んでいる、そしてまた、コングリゲーションという、多くの教員の参加というものが認められてきたという、そういう伝統があるということは存じております。

 それが、私の見聞きしている範囲では、ある意味では一般的ではないように伺っております。オックスフォードという、教員のレベルが非常に高い、世界的に最も高いレベルの教員を集めているところで行われてきた、長い伝統の、九百年の伝統の中で行われてきたというふうに存じておりまして、アメリカの大学とは非常にそこは異なっているんですね。

 異なっておりますが、先ほど申し上げましたように、アメリカの大学は、比較的トップダウン、トップダウンといっても緊張関係があるわけですけれども、その非常に健全な緊張関係が、部局、いわゆる学部や研究科と学長サイドの間にあるわけでございますけれども、それでもアメリカの方が、学長の方が発揮するイニシアチブというものが強く出ている。イギリス、特にオックスフォードは、それが非常に分権化されているということはあると思います。

 ですから、どちらをとってこれが一般的というふうに世界を決めるのはなかなか難しいと思いますので、日本には日本のやり方というものがあると思いますが、そのどこの部分が重要か、うまく機能した原因かというのを分析することが必要だろうと思っております。

 オックスフォードの場合は徹底的な分権化をしたわけですけれども、各部局に責任と権限の一致を明確にしたということで、失敗すればそこは潰れるという覚悟で自分たちで運営をしたというふうに聞いております。オックスフォードでは潰れたカレッジも潰れたデパートメントも一つもないというふうにおっしゃっていましたけれども、そこにはかなりの緊張した運営があったというふうに聞いております。

 それに対してアメリカの、例えばコロンビア大学などは、大学の方が相当モニターをして、失敗がないように相当注意をしているということですので、非常に対極的だと思いますが、ただ、その目的は、それぞれ教育と研究の質をいかに上げていくかということに注がれておりますので、全教職員が同じ価値観を持つということが大事だと思います。

 もう一点だけ申し上げますと、ハーバード大学で非常に感銘を受けた言葉が一つあります。ハーバード大学は、学部、ロースクールとかビジネススクールとかが非常に独立性が高くて、分権化している。総長、プレジデントの言うことは誰も聞かないが、プレジデントが何も言わなくても、二つの点だけは全教員が一致していると言っていました。それは、世界でベストの教員を採用すること、それから、世界でベストの学生を集めること、入学させること、この二つについては、妥協はせずに、どれだけのエネルギーと時間でもかけるということ、決意を全員が持っているということを言っておりました。

 そういうような価値観が共有されたところでは、例えばオックスフォード、ハーバードのようにかなり異なる制度でもうまくいくように思われますけれども、その価値観がうまく共有されていないところでは、ほんのちょっとしたことでも暴走が起こったり、それからまた停滞も起こるということがあるように思っております。

 一発のお答えができなくて非常に恐縮でございますが、欧米の大学を見てまいりますと、やはり、どうすればよくなるかということについては徹底的に考えていると思います。それで、そのための努力を惜しまないということであろうかと思っております。

宮本委員 ありがとうございます。

 アメリカにおいてもイギリスにおいても、そういう点では、本当に、共有するために民主的な議論が尽くされていると思うんです。だから、そういうものと比べても、私は、今回の改正案というものは、やはり、教授会の意欲というものをともすれば失わせることになるんじゃないかということを指摘せざるを得ないと思っております。

 次に、池内先生にお伺いをいたします。

 今日、世界と伍して、競争で日本の大学をとおっしゃるけれども、むしろ欧米では教員の参加を広げている。どうもそれが直接の狙いというか、思いではないのじゃないかと言わざるを得ないですね。私たちは、背景に財界や大企業の要望があるということを指摘せざるを得ないと思っているんです。

 学問の府たる大学を、目先の利益、成果優先、産業競争力に必要な人材づくりの場に変えていくのではないか、こういう危惧を私は持っているんですが、先生の御見解をお伺いしたいと思います。

池内参考人 私の考えを申し上げますと、やはり日本の方がいかにも底の浅い改革、要するに、手っ取り早くとにかく学長にリーダーシップを発揮させるように、ややこしいものは落としましょうなんというそういう発想ですよね。今言われたように、ヨーロッパ、アメリカでは、それなりに意見を徴収していろいろな議論を尽くすということが常態になっているわけです。日本は非常に安っぽい議論であると僕は思っております。

 その一例は、要するに、日本は今、国立大学等を初めとして大学は専門学校化しているんではないかと私は思っております。とにかく手っ取り早く企業に役立つ人間を育てよう。衆知を集めてじっくりと考えて、長い目で見て知的生産物をつくり上げていくという、そういう大学の本来の役割を放棄して、とにかく早く資格を取らせる、早く専門化させる。今、少しは揺り戻しがあって、教養部改革、教養部を復活させようなんという声も出始めておりますけれども、要するに、大学が本来つくるべき人材を忘れて、手っ取り早くとにかく使える人間だけをつくる。その場合は、ある意味では学問は死に絶えますよ。数年間はうまく回ったとしても、本当に根底から物事を考え改革する、変えていく、そういう人間をつくることができなくなるわけです。

 だから、その意味では、今の経済界等の圧力で文科省が変えていっているのは、安直に過ぎる。もっと衆知を尽くして、より大学らしいものを。それで、迅速ということを常に言われますが、無論、ある一定限度の時間的な制約は課して構わないとは思いますが、その間でどれだけ衆知を尽くすかということ、それを学長としてやっていくか、それこそがリーダーシップではないかと私は思っております。

 今、お答えになっているどうかわかりませんが、そういうことであります。

宮本委員 ありがとうございます。

 もちろん私どもも、日本の大学が大いに世界で評価されるということは必要なことだし、喜ばしいことだと思っているんです。

 それで、先ほど田中先生が御紹介いただいたような、ハーバード、オックスフォード、スタンフォード、あるいはMIT、ケンブリッジ、カリフォルニア大学バークレー校、イエール大学、コロンビア大学、全て日本の東大よりも上の順位に、ランキングを見ても行っているわけです。

 そういう点では、では、本当に日本がそういう立ちおくれた状態から国際的に通用する大学にしていくために、どういう改革が必要か。これは池内先生、どのようにお感じになりますか。

池内参考人 先ほどちょっと言いましたように、日本社会全体が、いわゆる国際化に対して寛容でないということが決定的に欠陥があるというふうに思います。

 しかしながら、そうは言っていてもどうしようもないので、大学自身がもし可能ならば、私自身は、特に外国人の教員とか学生を集めていく場合には、それなりの条件を、例えば学生に対しては、寮とか、生活の基本的な奨学金を、返さなくていいものをきちんと措置する、誰彼構わず希望者には措置する、そういう状況をつくる必要があると思います。教員に関しては、教員のしかるべき義務とともに、学生に対してどれだけのことを寄与できるかということをきちんと書いていただいて、それに応じて給与を認定する。

 教員とか学生とかそういう人たちが、気楽にと言ってはおかしいんだけれども、自分たちの力が発揮できる条件が整えられているということが見える大学でなければならない。そういうことであればどんどんふえてくると思うし、先ほど言いましたように、総研大では二六%以上になっているのは、やはり各研究機関がそれなりの奨学金等をきちんと措置して、学ぶ条件をまずつくってやっている。

 日本の高い物価の中で、アルバイトをしなければならない学生なんというのをつくらないということ、これは無論、留学生だけじゃなしに、日本の学生諸君全てに対して適用すべき事柄であり、私自身が先ほど言いましたように、高等教育に対して〇・五%しか出していないということがやはり決定的な問題であって、それはこの委員会としてきちんと政府に言っていただく義務があるんではないかと私は思っております。

 以上です。

宮本委員 時間が参りました。まことに貴重な御意見、ありがとうございました。

小渕委員長 次に、青木愛君。

青木委員 生活の党の青木と申します。

 きょうは、三名の参考人の皆様方に貴重なお時間をいただきまして御出席をいただき、ありがとうございます。

 まず私の方からは、今回の法案で、学長の権限が強化され、また責任の所在も明確になるということなんですが、今後この学長に求められるさらなる役割、どのようなことが期待をされていくのか。大阪大学の資料を拝見いたしますと、基金も創設をされておられまして、今後、学長が外に出て、資金繰りですとか、あるいは優秀な人材を集めてくるとか、具体的に学長に求められる役割はどういうものなのかということをお伺いをさせていただきたいと思います。

 やはり、この法案について経済界からの意向というものが強く反映をされた形になっているというふうに私も思います。今後、この学長の役割とともに、産業界と大学の産学の連携がどのような形でより具体的に推進されていくのか、その点をまずお伺いをさせていただきたいと思います。

 それぞれのお立場から、三名の参考人にぜひ伺わせていただきたいと思います。

平野参考人 御指摘ありがとうございます。

 このことによって、先ほどから何回も言っていますけれども、学長の役割というのは、やはり、志あるいは理念、そういう価値観を全構成員にいかに合意形成というか共通認識にしていくかというのが一番大きいと思います。

 今御指摘にありました、その上でどういうことが具体的にあるかと言われたときに、もちろん、そういう志、理念を持って大学をよくしていくんだという大きな目標があるとすれば、それにいきなり何かぱっと夢のようなことが実現するわけではありません。それは、その夢を実現するためには、やはり目の前の一歩一歩をやっていく必要がある。それは地道な努力です。ただし、その夢に向かってやっていくということが重要で、ばらばらに一歩一歩やっていってはいけない。

 そういう中で、当然、大学の使命を果たすためには、今御指摘のあったように、例えばお金の問題もあります。それはもちろん国から運営交付金もいただいておりますけれども、大学独自のそういう自助努力もしなければならないこともあります。

 それから、当然、その前に大学の構成員の意識改革をしていかなければならないし、それから、例えば教育環境にいたしましても、世界に開かれた大学になるような教育環境を、例えば学事暦一つとりましてもそうですけれども、いろいろな教育環境を整えていく、そういう地道な努力、もちろんその中には、世界に向かって教育の質を高めていくということもあります。

 それから、産学連携という御指摘もありましたけれども、産学連携も大学の使命の一つなんです。産学連携をしたらどうということはなくて、それは、大きな大学の使命の中に、大学は学問の府であり、人材育成を通じて社会に貢献するんだ。さらに私は、二十一世紀においては、学問を介して調和ある多様性をグローバル社会に創造することによって人類の心豊かな発展に貢献するんだと掲げていますけれども、その一環として、当然、社会に向いた大学として社学連携も積極的に進めていかなければならないと思いますし、産学連携も社会還元の一環として、それをしたら大学というものであります。

 ただし、大学の基本は、大阪大学は二十二世紀に輝くというのを掲げていますから、非常に長期的な展望に立って、単に専門家を育てるわけでもありません、やはり非常にアカデミックな、ベーシックな基礎学問を地道に追求していく、それが最も大事なことで、その中に産学連携というのも社会科目としてある。

 とにかく、いろいろありますが、これは学長一人でできません。大阪大学の場合は、それは当然、多くの副学長、財務担当であるとか研究担当、教育担当、産学連携担当とか社学連携担当とか国際問題担当とか、いろいろ連携してやっている。大事なのは、目の前の一つ一つの小さなことを目標に向かって統一的にやっていくということであると思います。そのための意識改革と価値観の共有、それが重要だと思います。

田中参考人 田中でございます。

 御質問の点にお答えできればと思いますが、私自身が学長を務めたことがございませんので限られた経験になると思いますけれども、日本の大学の場合、設置基準にかかわらず、その担うべき役割はさまざまに分かれていると思います。

 大きく分けて三つだろうと思います。世界のトップレベルの研究を推進していくという、研究を中心とするような、また、大学院生、研究者を育てる大学と、それから、全国の学生を丁寧に教育していくべき役割を持つ大学、そして、その地域に根差して、その地域の振興に貢献する大学というふうにあると思います。それは設置基準にかかわらずと申し上げておりまして、国立大学だから地域振興で、私立大学だから研究しないということはなく、私立大学でも、設置形態とは別に、役割というものがあると思います。

 したがいまして、学長もそれぞれの役割が異なると思いますが、それらの異なる役割を超えて共通する、学長に期待されるものというのは、学長のもとで仕事をしておりまして感じるのは、やはり、その大学の役割を明確に示してビジョンを示すことで、それは平野先生もおっしゃっているとおりだと思いますが、そのことをいかに教職員と共有するかというその説得力のあるビジョン、また、ぶれないということですが、大きな大局的な筋を示し、その大学が本来持つべき役割というものを明確に自覚、そして教職員にそれを自覚させて、それを掲げて進んでいただくということが重要だと思います。

 もちろんその中には、例えば研究を推進していく大学の場合には、産学協同により研究を協力して進める場合もあり、また、学生がインターンシップやフィールドワークに行って、民間の企業やもしくは公官庁の中で仕事をさせていただくことによって教育が非常に伸びる場合もございますので、そういうような役割も必要で、象牙の塔といいますか、学問の府に閉じこもらずに、多角的な外との交流を積極的にするというのも、それぞれの役割を持つ大学の学長としてそれなりにおありになると思います。そういうことも重要だと思っています。もちろんそれは、ファンドレージングという意味での資金集め、寄附を集めるということも含んでいると思いますけれども。

 ただ、やはり根幹は、その大学がどういう設置形態であれ、その大学が持っている目的を明確に自覚し、その方針のもとでのビジョンを教職員と共有していただくということが最大であろうと思います。

 そのことに関しては、妥協はせずに、しっかりと筋を通していただくということが学長に求められるものであろうというふうに存じております。

 以上でございます。

池内参考人 大学というところは、まさしく公共財ですよね。国民自身一人一人がこういうものを持つ、あるいは、そこから生まれたものを共有する、あるいは、それを将来への糧に伸びていく、そういう公共財である。公共財であるということをさまざまな形で国民の中に溶け込ませていくというのかな、そういうのが僕は学長の役割であると思っています。

 無論、公共財というのは学問に裏打ちされていて、そして、特に大学は、文化の基層を担う、長期的な視野に立って物事を考える、そういう先達の役割を果たす。まさに学長というのは、それを象徴する人間でなければならないというふうに思っております。

 産学の連携に関していいますと、私自身は、むげに全面的にそれを拒否するということにはならない。しかしながら、産業界というのは、どうしても近視眼的なというか、短い時間のローテーションで物事を考える。それがまさしく産業界としての役割でもあるんでしょうが、大学というのは、それとは違った論理で組み合わさらなければならないというわけです。つまり、近視眼的な成果を求めない。じっくりと物事をより次の世代に生かせるような技術の展開に持っていくとか、そういうものとして産学連携というのを考えていくということは僕はあり得ると思います。その意味では、大学がイニシアチブをとるということが非常に重要なわけです。

 ありていに言いまして、そんなに金をかけてやる産学連携なんていうのは、それこそ専門学校的にやればいいわけで、本当に知的に基本的な、基礎的なレベルからやる場合には、それはそんなに金はかからない。しかし、まさに知的な能力が必要である。そういうものをいかに生かしていくかということとして考えるべきであろうと。

 だから、それもその意味では公共財なんです、大学が持っている知的な生産物をいかに生かしていくかという公共財で。その一つの生かし方が産学連携であるかもしれないけれども、その別の生かし方は、無論、さまざまな教育の場、あるいは、博物館とか科学館とかそういう啓蒙の場で生かされていく、そういうものであるというふうに思っています。

 だから、そういうことを大学が、みんなの知的世界が豊かになるよということを示す、象徴するのは、まさに学長としての非常に重要な役割ではないかと思っています。

 以上です。

青木委員 時間でありますので、この学教法の改正については、国立大学、私立大学、公立大学、一律に改正をするわけなんですが、大学の規模も、また研究内容等々、異なるわけなんですが、この一律の改正について御所見がありましたら、一言ずつ三名の参考人に、簡単で結構ですので、いただければ助かります。

平野参考人 済みません、ちょっと質問の御趣旨がよくわからないんですけれども、一律の改正についての見解ということでございますけれども、今御指摘にありましたように、第九十三条関係は、これは私立大学も全て含んでいるわけですね。法人法というのは、これはあくまでも国立大学法人法の改正ですから、当然これは国立大学だけでありますね。

 一律の改正についてのコメントというのは、恐らく、私はよくわかりませんが、私立大学の場合に、国立大学法人法、今回の十二条に関係するようなことは、学長の選考ですね、ちょっと私は正確でないのでわかりませんが、多分、それぞれの私立大学の事情で決まっているんだろう、それが国立大学法人法で変えるというのは趣旨が合わないんだろう、だからこういうことになったんだろうと思うんですけれども、ちょっと済みません。

田中参考人 今の御質問でございますけれども、設置形態が異なる、また、その設置形態を超えて役割も異なるというのが、私も申し上げたとおり、日本の大学の多様性でございますので、今回の学校教育法の改正というものが、もちろん一律に施行されてそれが適用されることでございますけれども、そのことが問題であるとは特に考えませんが、ただ、それによって予測されている事態というもの、ある大学では予測されている事態はある大学では起こらない、もしくは、予測されていない事態がある大学では起こるということになろうと思っておりますので、それが先ほど申し上げた、何らかの歯どめが必要であるということだろうと思っています。オンブズマンでありますとか何かのモニターのような機関が重要だろうというのは、そういうところでございます。

 ただ、大事なことは、大学が設置形態また本来持っている役割をよく自覚しておれば、今回の学校教育法の改正または国立大学法人法の改正においてどのように自分たちがそれを運用していくかということについては、おのずと大学ごとに異なる運用の仕方が見えてくると思います。法の本来の趣旨をよく理解した上で、本来自分たちの大学の目的に沿った形で運用するということが重要だろうと存じております。

 一番怖いのは、法がこうなのだからこうしなければならないという形で強引な議論をされる方が出てくれば、それが教授会の側であっても学長の側であっても同じだと思いますが、それは非常にゆがむと思いますので、本来の大学の持つべき使命に対してこの法改正をどのように適正に運用するかということが肝要であろうかと存じております。

 以上でございます。

小渕委員長 池内参考人、時間が来ておりますので、簡潔にお願いいたします。

池内参考人 私自身は、私立大学に網をかけるという意味で、非常に危険であると思っております。私立大学へも一般化できる、それで、現実に例えば私立大学では、教授会を議決機関として定義しているところもあるわけです。そこは法律違反になっちゃうわけですよ。

 そういうふうに、まさに今言われたように、大学の設置形態ごとのさまざまな形態があるんだから、その多様性は認めるべきです。

 だから、こういうふうに一律に網をかけるという格好では、私自身は非常に反対の気持ちです。

青木委員 質問を終わります。大変貴重な御意見、ありがとうございました。

小渕委員長 次に、吉川元君。

吉川(元)委員 社会民主党の吉川元です。

 私で最後の質問ということになります。なるたけ重複しないように尋ねていきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 まず、平野参考人にお伺いをしたいと思います。

 大阪大学未来戦略を掲げてさまざまなプログラムを打ち出しておられ、大学改革を進める参考人の姿勢というのは大変示唆に富んでいるというふうに思います。きょう、冒頭の意見陳述の中でおっしゃられた中身も、本当に大変参考になるお話であったと思います。

 特に大事なことというのは多様性と持続性であり、これらは相互依存している、あるいは、トップダウンとボトムアップ、このバランスというのは大変難しいんだというふうにも言われておられますし、また、参考人が書かれている「大学ガバナンスの難しさ」の中でいいますと、多様性はトップダウンではなくボトムアップから生まれるので、大学にとってボトムアップは不可欠であるというような御意見も拝見をいたしました。私自身は、今回の法改正というのは、どちらかというとトップダウンの方に寄せているのかなという気がしております。

 きょうお聞きするのはそれに関連してですけれども、現在、大阪大学の方では、未来戦略ということで、その司令塔を担う未来戦略機構というものが置かれているというふうにも聞いております。これについて教授会というのはどのような役割を担っているのか、また、教授会とどういった意思疎通をされながら、また、教授会の役割についてどのように評価をされているのかについてお尋ねをいたします。

平野参考人 どうも、御指摘ありがとうございます。

 今言われましたように、私も、多様性、持続性、そしてトップダウン、ボトムアップ、これの相乗効果というのは非常に重視しております。

 その中で、大学経営をするときに、いかに個の力を最大化するか、その上で組織の最大化をするということを考えたときに、個の最大化というのは、例えば部局、あるいは個人になるんですけれども、それぞれの縦割り組織でそれぞれ最大化しようとするわけです。組織の最大化となったときに、いろいろな可能性がございますけれども、例えば、部局を横断するような新しい研究分野あるいは教育の仕方、そういうものを考えたときに、やはり、全体的な組織の最大化という観点から考えないと新しいものは出てこない。

 そういう観点で、未来戦略機構というのは、従来の部局による組織縦割り、専門分野縦割りに横串を入れたわけです。部局を横断して、その中から新しい部局横断的な教育あるいは研究、新しい異分野融合領域を育てていこう、そういうインキュベーション機能を発揮していく。

 そのときに、当然、ボトムアップ的にいろいろな部局の教授会あるいは教員のメンバーの意見を聞いて、それを大学の全体の運営に反映していくわけでございますけれども、こういう部局横断的な分野をインキュベーションするときには、やはり、部局単位あるいは個人レベルの意見を主にしておるとなかなか前に進まない。

 そういう意味で、未来戦略機構というのは機構長がイコール総長、学長になっておりますけれども、トップダウン的に、部局横断的な、異分野融合的な新しい学問をつくろうということをトライ・アンド・エラーしようという機能を付加しております。

 そういうトップダウン的な組織においても、当然、ここには未来戦略機構会議というのがあります。これは部局でいいますと教授会に相当するものでございますが、その機構会議で当然いろいろな皆さんの意見を聞き、そして新しいことにトライするわけでありますが、皆さんが一致するというわけではありません。いろいろな意見を聞き、その中から、機構長の責任のもとに、新しい分野、新しい異分野融合的な教育を進めていく。

 これはトライ・アンド・エラーの機構でございますので、その意味でインキュベーション機能と言っていますが、もしもうまくいかなければ、それはやめるわけです。うまくいけば、それをどんどん発展していって、また大学全体の合意のもとに、例えば新しい部局をつくるとか新しい研究科をつくる。そういう未来志向のあくまでも未来戦略機構、現状じゃない、未来を見据えた新しい領域を開拓するという意味で、私はこれは大学の中の大学と呼んでいるんですけれども、一応そういう試行、試み的な機関であります。

吉川(元)委員 ありがとうございます。

 続きまして、田中参考人の方にお伺いをしたいと思います。

 先ほどの最初の意見陳述の中でもお話がございましたが、アメリカやイギリスの大学のガバナンスのあり方について精通をしていらっしゃる、また研究をされているということで、この点に関して少しお聞きをしたいというふうに思います。

 先ほど、アメリカの改革あるいはイギリスの改革ということで、それぞれ改革の中身、具体的にお話しをいただきました。それを聞いておりますと、アメリカの場合は欧州に追いつけ、追い抜かれた欧州はアメリカに追いつけということでの改革だったと。

 紹介されていた中身を聞いておりますと、分権の方向に、例えばオックスフォードの社会科学に関して言うと、各部局に権限と責任をという形で改革が行われたということですので、恐らくそれぞれにまたいろいろな特徴は少しずつ違うとは思うんですけれども、この改革というものは、トレンドとしてはやはり分権ということ、部局への権限と責任の移譲というようなことで認識すればよろしいのでしょうかというのが一つ目。

 もう一つ、あわせまして、先ほどの質疑の中で、テニュア制度についてお話が少しございました。これの具体的な中身と、その意図するものというのは一体どういうところにあるのかということについて少し伺いたいと思います。

田中参考人 御質問、二点ございますので、それぞれにお答えしたいと思います。

 欧米の大学のガバナンスについてでございますが、オックスフォード大学の非常に徹底した分権化、特に社会科学部門の分権化というものが、必ずしも世界じゅうのトレンドというわけではないようにお見受けしております。

 逆に、一九七〇年代からは、アメリカの大学、特にトップレベルのイエールやコロンビア大学などが世界を引っ張ってきた、スタンフォードもそうですけれども、ハーバードとともに引っ張ってきた大学が世界じゅうの大学のモデルとなってきたと思いますので、そちらの方が、比較的トップダウンといいますか、強い中央の改革志向で大学を引き上げてきたということがあるので、オックスフォードの例を出しましたのは、必ずしもアメリカ型だけではないということを申し上げるために申し上げたことでございます。

 ただ、それぞれの大学において、やはりアメリカの中でも、東海岸のハーバードとコロンビアとイエールを比べているだけでもかなり違いがあるということ、また、ヨーロッパとアメリカでは相当の違いがあるということで、どれが正解というものは実はないのではないかと思っておりまして、ただ、そこでは、かなり明示的に、目的に合った形の改革をしている。

 ですから、何が一番重要なことかというと、本当に、大学が持っている使命を果たすべく改革をする、例えば世界の研究と教育を引っ張る場合ならば、そのレベルの教員とそのレベルの学生を入れる、獲得する必要がある。そのために何が必要かということを徹底的に考えていると思うんです。そのときにオックスフォードは徹底的な分権をとった。それは、名声もあり、ネームバリューもあるからできたことかと思います。

 そうでないところはどうしたかということになりまして、例えば私は、オハイオ・ステート・ユニバーシティーという州立大学に九年間おりました。修士、博士、助手もやりましたが、私が在籍している間に、私のいた政治学研究科は全米の二十三位から十八位、私が卒業するとすぐに十位になり、全米の四位まで参りました。

 その上がり方というものを見たときに、どういうことがあったかというのはわかっておりまして、それは、今日プリンストン大学にいる友人と話しても、ほとんど同じことを考えています。それは、学長やプロボストが何を考えているかということは別として、自分たちの所属しているデパートメント、研究科なり学科をどのように世界のレベルに引き上げていくか、どのようにすぐれた学生を育成して世界に輩出するかということを常に考えている。個々の教員がそう思っている。そのことについて学長と学部の教員が必ずしも距離が近いわけでないんですが、必ずしも対立構造でない。同じ方向を向いているように見えます。そんなにコミュニケーションがあるわけではなく、一心同体ではないんですが、同じ方向を向いているように見えます。それがオハイオ・ステートであってもプリンストンであっても同じように見えます。それが一九八〇年代であっても二〇一〇年代であっても同じように見えます。

 そのことが非常に重要だと思っておりまして、どのようにすれば自分の大学が持っている使命を世界的に果たすことができるのかということを一教員が一人一人考えるということが、それが学長と共有できるかということが重要なんだろうと思っておりますので、その意味で分権と中央集権の両極端な例を申し上げたわけでございますので、世界のトレンドがどちらかということではないかと思います。

 済みません、もう一点の御質問が……(吉川(元)委員「テニュア」と呼ぶ)テニュアトラック制度でございますね、失礼しました。

 テニュアトラック制度はわかりにくい制度でございますが、アメリカで教員人事のレベルを上げるために行われてきたことでありまして、雇ったときに、学問と研究の自由を守るためにテニュアを与えるというのが一般的であります。

 それは、権力などにこびずに自分の研究ができないといけないからでございますけれども、ただ、いきなりテニュアを与えてしまうと間違ってしまう。若手が採用されたときに、思ったほどの教育能力がない、思ったほどの研究能力がないということが出るということで、アメリカでは、長くて七年から八年かけて見きわめるということになっています。年限が五年がいいのか七年がいいのかは議論がございますけれども、いきなり最初に、例えば専任講師とか准教授で雇ったときから定年までその大学にいられるというテニュアを与えないというのが、アメリカの開発したテニュアトラックシステムであります。

 ですけれども、そのためにはそれなりの魅力的な研究環境を与えて、そこで頑張った、そうすると、テニュアで採用された者は、五年とか七年の任期が来たときに、ほかの者との競争はないわけです。自分との競争で、自分に課せられたゴール、これだけの毎年何本の研究論文を出す、レフェリードジャーナルに論文を出す、これだけの本を書く、これだけの教育をするというそのゴールを達成していれば、テニュアが与えられて、定年まで残れるということになります。

 ですから、その競争は、他との競争をもう一度やらせるのでなくて、自己との競争になるという制度でございます。それをうまく活用すると、若手の教員を採っても、間違いなく伸びていく。若手がお互いに競い合いながら、自分との競争に勝った者だけが残っていくということになりますので、よい人材が得られるという制度でございますので、以上のようなものとして御紹介申し上げました。

 どうも失礼しました。

吉川(元)委員 それでは、池内参考人にお伺いをしたいと思います。

 憲法の二十三条の「学問の自由と」いうのは大学の自治を保障するもので、その根幹を担っているというのは、やはり、教授会等々も含め学内の大学構成員だというふうに考えます。

 今回の改正、教授会を諮問機関のように位置づけてしまうということは、やはり大学の自治を損ねる危険性が高いのではないかという危惧を持たざるを得ません。また、権限が相対的に強化をされる学長、これがやはりどうしても、先ほども少しお話しがありました近視眼的なところで成果を追い求めたり、あるいは学外資金の獲得、競争資金の獲得に走ると、研究分野というものが、あるいは教育内容というものが偏ってしまうのではないかというふうにも思っております。

 といいますのも、これは、プリンストン大学で九〇年代半ばごろにフェルマーの最終予想というものを証明をされたアンドリュー・ワイルズさんという方がいらっしゃいますが、この方は、秘密裏に研究をして、数年間にわたって全く自分の研究を漏らさずに、しかも、まともに学会だとか国際会議にも参加しない。今の日本の大学の環境の中でもしこんな方がいたら多分はじかれてしまうんじゃないか。だけれども、プリンストン大学においてはこういう方もしっかりと包摂しながら、そして結果的には、世紀の難問と言われたフェルマーの最終予想を証明をしたということにもなっているというふうに思います。

 そういう面でいうと、先ほど産学のお話もありましたが、もちろん全く否定をするわけではありませんが、やはり、その多様性というものを保障していくということからいうと、今回の法案というのは若干危惧を持っておりますが、この点についての参考人のお考えを。

池内参考人 まさにおっしゃるとおりでありまして、既に、日本の大学においても分野の偏りというのは進んでおります。特に外部資金をたくさんとれる分野は、学内資金も多く供給されてより大きくなる。それで、例えば文学部関係はどんどん小さくなっていく。そういう状況は既に生まれているわけです。それはまさに日本の知的社会、知的なレベルをどんどんいびつなものにしていくという状況が生まれつつあると思います。

 そういうことを考えたときに、学内のそういうことをきちんと意見として出して、おかしいのではないかということを言えるようなシステムが当然必要なんです。教授会というのは、まさにそういう知的な連絡の場と同時に、やはり、日本全体の知の世界を担っているという誇りを持っている人たちの集まりですから、そういうものを単なる諮問機関、あるいはもう僕が最初に言いましたように、諮問機関どころか、全くネグレクトされてしまう危険性もあるということ自身、非常に懸念しております。

 それで、先ほどのプリンストン大学の例もありましたが、彼は成功した部類ですが、実は学問の世界というのは、成功だけじゃなしに、失敗もあるわけです。成功だけを狙うと小さな仕事しかできません。現実に今はそういう状況になりつつあるということです。本当に大きな仕事は失敗もあるわけです。失敗も成功もある、失敗からまた何かを学んでいく、そういうことが繰り返されることによって知的世界が広がっていくわけで、本当にちっぽけな仕事ばかり、今は論文数はやたらにふえておりますが、私に言わせると、どうでもいい論文ばかりふえているという状況。それはまさしく大学自身がだんだん知的な世界から取り残される兆候でありまして、今度の法改正は、それをより一層進めてしまうというふうに懸念しております。

 以上です。

吉川(元)委員 貴重な御意見、ありがとうございました。

 質問を終わります。

小渕委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時七分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

小渕委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 午前に引き続き、内閣提出、学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省大臣官房長戸谷一夫君、高等教育局長吉田大輔君及びスポーツ・青少年局長久保公人君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小渕委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

小渕委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。宮内秀樹君。

宮内委員 自民党の宮内秀樹でございます。

 午後も、皆さん、しっかり頑張ってまいりましょう。

 今回の法律案につきまして、さまざまな確認事項等々を中心にきょうは質問をさせていただきたいと思いますので、端的に御回答いただきましたらありがたいというふうに思います。

 大学のガバナンス改革についてでございますけれども、現在の大学のガバナンスにおいては、学長と教授会の関係における権限と責任の仕組みが曖昧であり不十分である、そこをしっかり整理して位置づけることが大変重要であるというふうに私は考えております。

 そこでまず、大学の教育研究に関する事務全般にわたりまして、決定権は法律上誰にあるかということをお尋ねしたいと思います。

 特に、現行の学校教育法第九十二条三項や改正法の第九十三条三項では、校務をつかさどるのように、つかさどるという用語が使われておりますけれども、これは学長等に決定権があることを規定している趣旨と理解してよいのか、お答えいただきたいと思います。

吉田政府参考人 お答えいたします。

 そのとおりでございます。

宮内委員 ありがとうございます。

 現在の大学ガバナンスの問題点は、教授会が強大な影響力を持ち、責任はとらないまま校務の多くを事実上決定してきたという多くの実態にそもそもの問題があったのではないかと考えております。

 そこで、現行法の第九十三条の「審議」という文言には決定権まで含まれているのか、含まれないのか。また、改正案では「教授会は、」「意見を述べる」と規定されておりますが、この言葉には決定権は含まれないと理解しておりますけれども、いかがですか。お答えください。

吉田政府参考人 お答えいたします。

 現行法の「審議」、それから、改正法におきます「意見を述べる」、このいずれにつきましても、決定権は含まれないと解しております。

宮内委員 一方、懸念を申し上げましたら、教授会は学長等に求められないときには意見を述べることができないではないかという、そのような心配の声があるとも聞いております。

 教授会には、それぞれの分野の専門家といたしまして、教育研究に関する事項にはしっかりと役割を果たしてもらわなければいけないというふうに考えておりますけれども、教授会は学長等に求められないときには本当に意見を述べることができないのか、改めて確認をさせていただきます。

下村国務大臣 学長や学部長等が決定を行う際に対して、各学問分野における専門的な知見を有する教授会の意見を聞くことは重要であるというふうに思います。

 現行法においては、学長や学部長等が教授会の意見を求める場合はこれに対し教授会が意見を述べるという関係が規定されていないということから、今回の改正において両者の関係を確認的に規定するものであります。

 なお、学長等の求めがない場合の扱いについては、改正案では規定はしておりませんが、改正案第九十三条第三項では、教授会は、教育研究に関する事項について審議するとされておりまして、その結果を学長等に対して伝えることは、これは差し支えないことであります。

宮内委員 つまり、教授会に決定権があるわけではないけれども、専門的知見とかを生かして、自主的に教育研究に関する事項について審議、発信することは妨げない、こういうことを明確におっしゃっていただいたというふうに思います。関係者の不安を十分取り除くことができたのではないかというふうに思います。

 その関連で、実は、先日、五月二十三日の本委員会におきましても、今回の学校教育法九十三条の改正と、その省令である学校教育法施行規則第百四十四条との関係についての御質問があった点につきまして、私からも改めてもう一度お尋ねさせていただきたいと思います。

 その質問については、今回の改正で、学生の退学とか転学とか留学とか休学につきましては、教授会の審議も経ずに学長が決定できることになるのではないかという御心配のお尋ねであったかと思います。よもや、学生の身分を学長の判断で、独断で左右するような改正ではないというふうに考えておりますけれども、法律と省令の関係はどう整理されておりますのか、改めて確認をさせていただきます。お願いいたします。

吉田政府参考人 お答えいたします。

 学生の退学、転学、留学、休学、それぞれ事情が違うわけでございますけれども、この中には本人の希望を尊重すべき場合などさまざまな事情があり得ることから、法律上、教授会が意見を述べることを義務づけるということはしていないことであります。

 ただ、改正法案が成立した際には、この学校教育法施行規則第百四十四条の見直しを行う必要があると考えております。

 ただ、退学の中ではいわゆる懲戒としての退学処分といったものもございまして、そういった場合には、学生に対する不利益処分という形になってまいります。これについては、学長が一人で決定すべきものではなくて、教授会ですとか、あるいは大学によりましては専門の懲戒委員会などを置きまして、多角的な視点から慎重に調査審議をするという実態もございますし、そのことについては尊重すべきであろうというふうに考えております。

 このため、学長が学生の懲戒に関する適切な手続を定めるよう、学校教育法施行規則で規定することを検討してまいりたいと考えております。

宮内委員 改めて、学長の独断でこのようなことが決められるということがないということを徹底していただけましたらありがたいというふうに思います。

 次に、教授会と大学との関係を既に規定しておる、今の内部の規則がある大学がたくさんあろうかと思いますけれども、今回の改正の趣旨にそのことが合わないまま内部規則がそのまま継続しては、この改正の意味がないのではないかというふうに思っております。

 その意味におきまして、この法改正後、このような内部規則があるということについて、文部科学省はどのように御対応をされる予定でありますか、お聞かせください。

下村国務大臣 今回の改正の趣旨は、学長が大学における最終決定権者であることを明確にするものであります。

 各大学において、内部規則やその運用の点検を行い、この法律改正の趣旨に沿った必要な見直しが検討されなければ意味がないわけでありまして、文部科学省としても、施行通知等により、確実に周知徹底をしてまいりたいと考えております。

宮内委員 周知徹底、よろしくお願いをしたいと思います。今回の改正が大きなきっかけとなって、実態上、実質上、しっかりとこの改正の趣旨が伝わるようにお願いをしたいと思います。

 次に、国立大学法人法の改正についてお尋ねをしたいと思います。

 重要な役割を果たすべき学長が、国立大学法人ではいわゆる意向投票という学内の教職員によります選挙で選ばれていることが多いという実態があります。法律で定められた学長選考会議が主体的に役割を果たすべきであるというふうに考えております。

 教授が多い学部の代表者が学長になるケースが多いという話をよく聞いております。本来の学長たらんとする才能といいますか、その能力といいますか、そういう方が学長になっていただかなければいけないのに、学校の中のそういう事情で選ばれてしまうということについて、私は好ましくないと思いますし、違和感を持っておるわけであります。

 そこで、学長選考の際に意向投票が行われないように、文部科学省からもこれから求めていくべきではないかというふうに私は考えておりますけれども、御見解をお尋ねしたいと思います。

下村国務大臣 国立大学法人の学長選考は、学内のほか、社会の意見を学長選考に反映する仕組みとして設けられた学長選考会議が、その権限と責任において主体的に行うべきものであると考えます。

 御指摘の、教職員による意向投票を実施するか否か、仮に実施する場合には、その結果をどのように取り扱うかにつきましては、学長選考会議の判断によるものではありますが、文部科学省としては、過度に学内の意見に偏るような選考方法は、学長選考会議の主体的な選考という観点からは適切でないものと考えております。

 こうした考え方については、法律の施行通知等におきまして、各国立大学法人に周知を図っていきたいと考えます。

宮内委員 ありがとうございます。

 まさに、意向投票につきましては、一律に禁止するものではないということでございますけれども、ぜひ文部科学省からは、ただいま御答弁いただきました、過度に学内の意見に偏った選考方法をするということは適当でないというような、そういう趣旨をこの際徹底させていただきたい。今も大臣の御答弁ありましたように、施行通知を出していただきまして、そういう趣旨を徹底していただければありがたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

 次に、私立大学についてのお尋ねでございます。

 私立大学は、それぞれの建学の精神のもとで、個性ある人間形成を目指すのが私立大学である。国立大学とはそもそもそのあり方が異なっているということは、私は十分理解しておるつもりでありますけれども、私立大学につきましても、国民の税金によって支えられているという存在であります。したがって、私立大学につきましても、学長の資質や選考方法につきまして、公明性、公正性、透明性、こういうこともやはり求められるのではないかというふうに思っております。

 そこで、最低限の理念は法的に規定すべきではないかというふうに私は考えておりますけれども、その点についてお考えをお聞かせいただければと思います。

下村国務大臣 学長の資格については、国公私に共通のものとして大学設置基準に規定をされております。第十三条の二の中で規定されております。

 国立大学の学長の選考については、文部科学大臣の任命権を前提として、その選考方法を法律で規定しているのに対しまして、私立大学における学長の選考は、建学の精神に基づき、最終的な意思決定機関である理事会が任命権者として責任を持って決定するものとされております。

 このため、中教審の審議まとめにあるように、私立大学においても、求めるべき学長像を明確に示し、候補者のビジョンを確認した上で決定することは重要でありまして、学校法人みずからが学長選考方法を再点検し、学校法人の主体的な判断により見直していくことを通知等で促してまいりたいと考えます。

宮内委員 ぜひこの点についても徹底を図っていただきたいと思います。

 今回の改正は、ある種歴史的な改正となって、我々が思う方向の大学ガバナンスが徹底して、いい大学をつくる、グローバル人材を養成するという結果が出るためには、改正だけにとどまらず、これからどのような形で文部科学省が文部科学省としての役割を果たしていただくかということが大変重要なことだというふうに私は思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

 さて、次に、学部長の件でございます。

 大学にとっての学部長という役割もまた大変重要であるというふうに考えております。学部長も教授会での意向投票で選出されているという実態が、これもまた多く聞かれます。

 そこで、学部長の任命権限は法律上誰にあるのかということをここでもう一度明確にしておきたいと思います。

 また、学部長の選考の透明化を図るように文部科学省からこれも新たに求めていくべきだというふうに私は考えておりますけれども、この点についてのお考えもお聞かせいただけましたらありがたいと思います。

吉田政府参考人 学部長の任命を含めました人事につきましては、学長や理事会が最終決定をするということが法律上明らかにされていることを受けまして、その趣旨を施行通知等で明確にしてまいりたいと考えております。

 また、国立大学の学部長は、法律上、学長が任命するものとされております。

 文部科学省では、国立大学法人の学部長の任命は学長が定めるところにより行うことを省令で明記し、選考の明確化を図ってまいりたいというふうに考えております。

宮内委員 省令ではっきりと明記していただきましたらありがたいと思います。

 今回の改正は、どうしても大学の社会が内向きの中で、外からの客観性が少し乏しかったんじゃないか、そういう問題意識の中で出てきたことでもあると思いますので、やはり外から見て客観的に、こういうふうに運営されています、こういうふうにマネージされておりますということが透明化する、そのことの手続が公正であり、そのとおりだな、この人材の、リーダーのいる学校に自分も学生として勉強したいというふうなことになるということが私は好ましいことだというふうに思いますので、透明性、公正性ということをひとつ文部科学省は強力に進めていただきたいと重ねて申し上げたいと思います。

 最後に、附則についてお尋ねを申し上げたいと思います。

 国立大学は、法人化いたしましてちょうど十年を迎えております。国立大学法人制度全般について抜本的な見直しということがささやかれておりますし、その検討を早急に開始すべきだと私は考えております。

 国立大学にとりましては、独法になったということは大きな改革だったというふうに思いますので、いい点、そして、うまくいかなかった点、それらのことをこの際しっかりと検証する時期がまさに今だというふうに思っております。

 特に、学長の選考会議の構成などにつきましては、学長選考会議の学外委員を過半数にすることなどの検討、このような話も出ておりますし、国立大学法人のガバナンスの仕組みについて文部科学省としてはどういうふうにこれから取り組んでいくのかというようなことを、下村大臣のもとでぜひ検討を開始していただきたいと思いますし、特にその点について下村大臣の御所見をお伺いさせていただきまして、最後の質問とさせていただきます。お願いいたします。

下村国務大臣 そもそも、今回の法律改正によりまして大学のガバナンスにつきましては相当程度改善するものと認識しておりますが、時代の変化の中で、組織運営について制度改革が強く求められてきた経緯がありますので、国立大学についても、今後の社会経済情勢のさらなる変化を考慮すれば、今回の改正でガバナンス改革が決着するということではなく、制度改正の実施状況等を踏まえ、今後一層の制度改善の検討が必要となるものも出てくるということも予想されるのではないかと思います。

 このため、この法案を成立させていただければ、その後速やかに、国会における御審議も踏まえ、省内に有識者会議を設置し、国立大学関係者の意見の聴取などを通じまして、国立大学法人における、法律の内容に沿った取り組みの検証を開始したいと考えております。

宮内委員 ぜひ早急に取り組みをお願いしたいと思います。端的な御答弁、ありがとうございました。

 以上で終わりたいと思います。

小渕委員長 次に、中野洋昌君。

中野委員 公明党の中野洋昌でございます。よろしくお願いいたします。

 今回の大学ガバナンスの改革、大変に重要な議論であるというふうに思います。やはりこれからの日本を支えていく高等教育をやっていく大学、それを一体どのように世界の中でも競争力のある形にしていくか、あるいは本当に底上げを図っていくか、非常に大事な議論になってくると思いますので、しっかりと質問をさせていただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 この学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案、先週も議論をさせていただいて、各条文の変更についていろいろな論点で議論がなされてきたというふうに思います。私は今回は、それぞれの改正した部分についてもある程度確認的に聞かせていただきたいと思いますし、そもそも今の大学の、どういった課題があって、どういう方向性で変わっていくべきか、こういう点についても質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず初めに、教授会、学校教育法第九十三条の規定についてでございます。

 さまざまな委員の方が質問をされましたこの教授会の審議の中身、審議事項について、もともとの条文は、重要な事項を審議する、これだけの条文でありましたので、今回、ある程度その役割を明確化する、このような趣旨で審議事項について条文の変更があった、こういう認識でおります。

 この変更された条文について、具体的に例示をされているのが、学生の入学、卒業あるいは課程の修了であるとか、あるいは学位の授与であるとか、学生の関係の話がございます。これ以外に、教育研究に関する重要な事項ということでございます。もともとの条文から、かなり限定的に記述をしているのかなという印象を受けるわけでございます。

 今回こういう変更がありまして、私も、では現行の大学でどういう規定がなされているのかなというのを幾つも確認をさせていただきました。いろいろな国公立、私立を含めて確認をさせていただきましたけれども、現状の教授会に関する規定というのは、やはり審議事項の中にこれ以外のことがかなり含まれている。もちろん、先週も議論になりました、例えば教員の人事に関すること、審議事項としてまさに教員の人事に関することと書いてある大学もございますし、あるいは、似たような意味で教員の採択及び解職、こういう人事的なものについて審議をするというふうに現行の大学の教授会の規定でも書かれている例というのは多々あるわけでございます。

 そこで、少し確認的な意味で質問なんですけれども、こうした現行の教授会に関する審議の規定について、今回こういう法改正がなされました、これを受けて各大学ではどういうふうに捉えていけばいいのかな。

 今、教授会で議論をしている中身はあって、もちろん大学の経営としてうまくやっている大学も多々あるわけでありますので、これについて現行の規定というのを必ず変えないといけないようなものであるのか、あるいは、そこは学長が最終的に決定をするということであれば、そこは各大学の判断に委ねられるのか。どういう形で考えているのかということを少し確認をさせていただきたいというふうに思います。

吉田政府参考人 御指摘の、改正法案の学校教育法九十三条の構造でございますけれども、第九十三条第二項におきまして、学生の入学、卒業及び課程の修了等の教育研究に関する重要事項につきましては、学長が決定を行うに当たり教授会が意見を述べるということを規定しております。

 一方、現行法では単に重要な事項として規定されております教授会の審議事項については、本来その審議事項として想定されていない経営に関する事項まで審議されている場合もあるとの指摘もあったところでございまして、教授会で審議すべき事項の内容は、これは九十三条の第三項におきまして、教育研究に関する事項という形で明確化をしたところでございます。

 この点に関しましての具体的な審議事項については各大学の実情に応じて御判断いただくべきものと考えておりますが、今回の改正の趣旨が、学長は大学における最終的な決定権者であるということを明確にするものであることを踏まえまして、各大学におきまして、内部規則やその運用の点検を行い、必要な見直しの検討がなされるものと考えております。

中野委員 ありがとうございます。

 最終的にやはり各学長が判断を、決定をするということがしっかり担保される。そして、その上でいろいろな、何を審議するのかというのはある程度大学に委ねられるというような趣旨であったかなというふうに思います。

 もう一点お伺いをしたいのが、今回のガバナンスの体制をしっかり整えるということで、とにかく学長がリーダーシップを発揮できるようにすることが大事だというふうな御指摘がなされてまいりました。私は、確かに学長がリーダーシップを発揮するということは非常に大事であるというふうに思いますし、そういった人材を選考していく、これが大事だなというふうに思います。

 他方で、先週の議論の中では、では、経営もできる、あるいは研究もできる、全部ができるスーパーマンのような学長、そういう人がいるのかという議論もありまして、必ずしも一人で全てができるわけではないんだろうというふうに思います。

 そこで、マネジメントというか、ガバナンスを支えるマネジメントの体制を全体としてやはり強化をしていかないと、幾ら学長がリーダーシップを発揮しようとしたところでなかなかうまく回っていかないのではないかな、こういう危惧を持っております。

 今回、学校教育法の中でも、総括的な立場で副学長が学長を補佐するという部分で、条文改正もなされております。海外の大学で言ういわゆるプロボストのような、かなり総括的に支えるような、こういう体制もつくれるようにという趣旨だというふうに思います。

 やはり、ほかの海外の大学の事例など午前中もいろいろなお話を伺いましたけれども、それだけではなくて、かなり専門的な人材群がこうしたマネジメント体制を支えているんだろうなというふうに私は思います。

 例えば、よく言われるリサーチアドミニストレーターですとか、研究面でしっかり管理をしていくような専門職の方がいらっしゃったり、あるいは、そういった採用であるとか運営的な部分であっても、例えばアドミッションオフィサーがいたりですとか、いろいろな意味で専門的なことをやっていく専門職、高度専門職と呼ばれるような人たちがしっかり大学を支える、こういう体制になっていかないと、幾ら学長が非常にリーダーシップを持った方が入られたとしても、やはりこれを支える体制をつくっていかないといけない、私はこのように思うわけでございます。

 今後、国としては、こうしたマネジメント体制というか、学長のリーダーシップを支える体制づくりというものをどのようにつくられていくおつもりなのか、お伺いをしたいというふうに思います。

吉田政府参考人 御指摘のように、学長がリーダーシップを発揮していくためには、学長を補佐する体制を充実させることが必要でございます。

 中教審の審議のまとめでは、御指摘のように、リサーチアドミニストレーターですとかアドミッションオフィサーなどの高度専門職の設置の提言がございまして、それに必要な制度の整備を検討する旨が記述されているところでございます。

 現在、文科省では、この審議まとめを踏まえまして、高度専門職を制度として明確化するために、関係法令の見直しなどにつきまして検討を進めているところでございます。

 なお、各大学の判断におきまして既に高度専門職を設置している場合もあります。特に、御指摘のありましたリサーチアドミニストレーターにつきましては、文部科学省としても、大学における研究マネジメント強化のために、研究大学強化促進事業などの事業を通じまして、その配置の支援を行っているところでございます。

 今後も引き続き、こういった取り組みを通じまして、大学におけるガバナンス体制の整備を支援してまいりたいと考えております。

中野委員 しっかりと体制づくりも含めてやっていくことがやはり大事だと思いますので、よろしくお願いいたします。

 先週でも、学長がリーダーシップを発揮するようにいろいろな制度を変えていくという議論があったときに、どうしても、学長が暴走をするんじゃないかというふうなお話がるるございまして、やはりチェック体制もあわせてやっていくことが大事だろうというふうに思います。

 例えば、国立大学法人でいきますといろいろなチェック体制がございまして、そもそも中期目標を立てているわけです。六年間、中期目標を立てて、それがどうなっているか、達成をしているかどうかというのを評価委員会でチェックをするという、そもそものチェック体制がございますし、監事もいる。今回、ほかの法改正の中でも、独法の関係の法改正の中でも監事機能の強化という議論もあるというふうに聞いております。

 先ほど来、権限と責任を一致という議論もございました。私は、学長を任命する学長選考会議が、おかしいんじゃないかというときに実際に学長を解職することもできるというふうに伺っております。

 やはり、学長選考会議が学長の業績評価をしっかりしていく、責任を持って任命もするし、どうやってちゃんと業績を上げているかというのもしっかりチェックをする。必要があれば、いろいろな形でチェック機能を働かせていく。こういう、学長選考会議における業績評価というものもしっかりと強化をしていけば、あわせて、リーダーシップの議論、チェックの議論というのは非常にバランスのとれたものになるのではないかというふうに私は思いますけれども、これについてはどう取り組まれるのか、お伺いをしたいと思います。

吉田政府参考人 今回の法律改正によりまして、学長選考会議が主体性を持った選考を行うことを促進しようとしているわけでございますけれども、御指摘の、学長の業績評価につきまして、これは中教審の審議のまとめにおきましても、学長選考会議が学長の業務執行状況について恒常的な確認を行うことが求められております。

 この点については、施行通知等において周知を図り、大学における取り組みを促してまいりたいと考えております。

中野委員 続きまして、私は、学長のリーダーシップを強化するという議論をしていく一方で、大学が、公共性の高い存在ですので、いかに社会の意見に応えていくのか、こういうこともあわせて体制を整備していかないといけないのではないかなというふうに思います。

 地方の大学とか自治体でいろいろなお話を伺うと、やはり、大学が地域活性化の核になってほしい、こういう要望が大変に強うございますし、地元の人材育成のニーズに応えてほしい、地域に貢献をしてほしい、こういう御要望も非常に強く伺うわけでございます。

 この地域であるとかあるいは地元の経済界であるとか、こうした声、学外の意見をしっかりと聞いていく体制というのをつくらないといけないのではないかというふうに思います。

 あるいは、大学内においても、教授会で教授の方の意見というのは上がっていくんでしょうけれども、私が学生と意見交換をすると、大学そのものについて学生の多様な意見があるわけでございますので、広くいろいろな声を聞いてほしいな、こういう声もやはり上がってくるわけであります。

 こうした多様な声を、大学の経営あるいは運営、こうしたものにどう取り入れていくべきなのか、あるいは今後どのように取り入れていかれるおつもりなのかという点についてお伺いをしたいというふうに思います。

吉田政府参考人 社会の変化に各大学が適切に対応していくためには、学長がリーダーシップを発揮するとともに、地域や社会の多様なニーズに応えた大学運営を行っていくことが重要であると考えております。

 大学には、幅広い意見を取り入れる仕組みとして、国立大学法人の経営協議会に学外者を加えることや、私立大学の場合には評議員会に卒業生を加えることなど、さまざまな仕組みが設けられておりますが、今回の改正案では、国立大学法人の経営協議会の学外者委員の割合を過半数に拡充することで、より多くの学外委員の参加を促進しようとしております。

 また、学生の希望や意見を取り入れる点でございますが、これも、大学の運営の改善を図っていく上では大変重要なことだというふうに認識をしております。

 授業の内容や方法の改善あるいは学習環境の整備などについて、既にほとんどの大学では学生による授業評価やアンケート調査が行われておりますけれども、それらの結果を生かした各大学における主体的な取り組みをさらに期待してまいりたいというふうに考えております。

中野委員 最後に二問、大臣にぜひお伺いをしたいというふうに思います。

 今まで学校教育法あるいは国立大学法人法の法律の改正についてお伺いをしてまいりましたけれども、そもそも大学は、今どういう現状で、またこれからどのようになっていくべきなのか、こういう問題意識、私、大学の関係者あるいは多くの学生の皆様と意見交換をしていく中で感じた部分でございまして、ぜひ率直な御意見をお伺いしたいと思うんです。

 一問目は、大学、研究という意味ではもちろん大学院という部分もあるんですけれども、学部の課程、学部段階における育成機能の強化というのはやはりやっていかないといけないと思います。これは教育再生実行会議でも、しっかりと学生を育てるということは提言をされておるというふうに思います。

 ただ、残念なことに、昔はよく大学というと、何かモラトリアムの時間というか、勉強をしっかりするというよりは、いろいろ自由にやっていけばいいじゃないかという雰囲気もかなりあったのではないかというふうに思うんですけれども、日本の大学でよく言われることが、学生が余り勉強しないということがよく言われるわけでございます。

 例えば最新の調査ですと、二〇一三年、全く勉強をしないという学生が一五・八%ぐらい、週で大体一時間から五時間ぐらいという学生が五五%ということで、要は一週間に六時間勉強しないという方が六割以上いらっしゃるという状況です。

 では、例えば優秀だと言われている東京大学の学生は勉強しているのかというと、東大の学生も実は勉強時間が余り変わらなくて、これもちょっと調査を見ましたけれども、ゼロ時間という方が一二%、一から五時間という方が四二%ということで、やはり五割ぐらいの方は余り勉強していないという状況にある。

 私は留学もしておりましたので、海外の学生が非常に勉強するなとは思っておりました。何で勉強するかというのをちょっと聞いたことがあって、成績がいいと就職に有利だということを聞いたことがあったもので、それで勉強しているのかなと思って聞いたら、大学で勉強することでしっかり力が身につく、その結果、いい会社に就職できるんじゃないか、こういうふうなことを言う方が結構いた。

 これは、要は、大学で勉強することに非常に価値があると学生も思っているし、会社も思っているし、社会も思っている、そういういい循環なんだろうなというふうに思うんです。何とか、日本の中ではこれをまだまだ変えていかないといけないんじゃないかなというふうには思います。

 こうした、学部の段階においていわゆる学生の勉強時間が少ないという問題、これは学生側の意識の問題もあるでしょうし、あるいは授業を改善していかないといけないという問題もあるでしょうけれども、大臣の現状の認識と、これについて今後どのように取り組まれていくのか、このお話をぜひお伺いできればというふうに思います。

下村国務大臣 御指摘のように、我が国の大学、今、アメリカに留学されたということをおっしゃっていましたが、アメリカの学生に比べても圧倒的に学生の学習時間が短い。

 これは私、二つ問題があると思っていまして、一つは、やはり大学の制度の問題で、アドミッションポリシー、大学入学試験のときが評価であって、後はもう誰でも卒業できるような、全て大学がレジャーランドだと思いませんがそういうふうに見られているところがあって、つまり、入ることは難しいけれども、後はそのまま卒業できるというような、出口管理を含めた大学の授業のあり方そのものの問題があるというふうに思います。

 これは二十三年度の新聞社の世論調査ですが、日本の大学が企業や社会が求める人材を育てることができていると思うかとの問いに対して、できているとの回答は二五%にとどまりまして、六四%の国民が、できていないというふうに回答しているんですね。

 その背景には、我が国の大学が社会の変化やニーズに対応できておらず、学生から見ても、大学での学習が社会で役立つ必要なものと感じられていない、先ほど御指摘があったように、そういう部分があるというふうに思います。

 最近は、各大学でも地域や産業界との連携を強化するなどさまざまな取り組みがなされ、大学教育の現状に対するこのような社会の厳しい評価を謙虚に受けとめ、一層の改革に努めるということが必要であると思います。

 そういう意味での、大学の、社会において何を学ぶような環境をつくっていくかということと、それから、アドミッションポリシーを含め、大学教育のやり方そのものがグローバル社会の中で通用するような、変化に対応した改革をしていかなければ、日本の大学そのものが相対的に地盤沈下してしまう、そういう状況があるのではないかと感じております。

中野委員 大臣、率直にいろいろ御意見をいただきましてありがとうございます。

 済みません、もう一問あったんですけれども、質問時間が終了いたしましたのでこれで最後にしようと思います。

 大学の関係者の方にお伺いをしても、何とか現状を変えていこうといういろいろな取り組みはなされているということはよく思いますし、実際に変わりつつある部分も多々あるんだろうなというふうには思ってはおるんです。

 全く何も現状は変わっていないと言うつもりは私もなくて、やはりそれをもっともっと後押しをしていかないといけないし、国も社会もしっかりとそれを応援していくということが、大学がよくなっていくことが、やはりこれからの日本の、これからの人材を育てていく本当に大事な部分であるというふうに思いますので、私も今後もしっかりと取り組んでまいりたいという決意を最後に述べさせていただきまして、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございます。

小渕委員長 次に、細野豪志君。

細野委員 本会議でも質問させていただきましたけれども、引き続いて質問を法案についてさせていただきたいと思います。

 午前中の参考人質疑も含めて、やはり九十三条が一番議題になっております。それは、学長と教授会の役割分担、大臣も所信の中で言っておられるように、権限と責任の一致を見て役割分担をしっかりしていくということですので、当然ここが肝になる条文になるわけです。

 冒頭、まず大臣に御所見を伺いたいのは、九十三条はもともと非常に曖昧な規定になっていて、これを書きかえることには私も賛成なんです。そして、その中身として、経営に関することというのは、これは学長がしっかりやる、教育研究に関することについては、これは教授会は意見を言う、そして最終的な判断は学長がしっかりしていく、このたてつけもいいんだろうと思うんです。

 ただ、ちょっと気になりますのは、この九十三条のところの教育に関する事項が非常に細かく分かれていまして、二項で三号まであり、さらには三項も加わることによって、私も条文をかなり読み込みましたけれども、正直、これはなかなかどういう構成になっているのか非常にわかりにくくなっている。

 大臣はこの条文についても全部全てかかわられたと思うんですが、当初考えておられた、中教審の中間取りまとめに出ているような並列の書き方ではなくて、こういう複雑な形になったことについて、当初ちょっとお考えになっていたこととやや違うのではないか。いろいろな御意見もあったんでしょう、そんなふうにも思うんですが、九十三条のこの複雑さについて、これに至った経緯についてどのようにお考えになっていますでしょうか。これは大臣に伺います。

下村国務大臣 御指摘のことしの二月の中教審の審議まとめにおきまして、教授会が審議すべき具体的内容として、一つが「学位授与」、二つ目に「学生の身分に関する審査」、三つ目に「教育課程の編成」、四つ目に「教員の教育研究業績等の審査等」を挙げまして、こうした事項について、「教授会の審議を十分に考慮した上で、学長が最終決定を行う必要がある。」というふうにしているわけであります。

 この点、改正案の第九十三条第二項におきまして、一つが「学位の授与」、二つ目に「学生の入学、卒業及び課程の修了」、これを厳密化したわけでありますが、それから三つ目に、教育研究に関する重要な事項で学長が教授会の意見を聞くことが必要と認めるもの、これも厳密化したわけであります。このように、学長が決定を行うに当たり教授会が意見を述べるものというふうにしております。

 つまり、中教審の審議のまとめ上げられた事項のうち、教育課程の編成、それから教員の教育研究業績の審査について、これは、各大学において多様な実態があることから、法律上規定せず、大学に対する新たな法律上の義務については限定的にしたということであります。

細野委員 今、大臣から冒頭で、中教審の中間取りまとめ、具体的な記述を御説明をいただきました。

 この中教審の答申の中では、今例に挙げた四つの項目を並列で、「教授会の審議を十分に考慮した上で、学長が最終決定を行う必要がある。」とされていたわけです。

 ところが、法案の中では、三項目め、すなわち「教育課程の編成」、四項目め、「教員の教育研究業績等の審査等」については、これは、学長が教授会の意見が必要であると認めた場合、それに限定をされた。ここが一つ中教審から変わったところなんですよ。

 ここからは少し細かい話になるので、局長に御答弁をいただきたいんです。

 ではもう一度確認をしますが、教育課程の編成と、そして教員の教育研究業績等の審査、教員の評価ということになるわけですが、これはこの第二項の三号の「教育研究に関する重要な事項」、ここに法文上当たる、この項目の中に入るということは間違いないですか。

吉田政府参考人 先ほど大臣の方から御答弁を申し上げたところでございますけれども、教育課程の編成あるいは教員の教育研究業績の審査につきまして、改正法案の九十三条二項の三号の、学長が教授会の意見を聞くことが必要と認めるものの中に含まれ得るということでございます。

 ただ、この一号、二号と比べまして、そこのところは大学側、学長の判断に委ねておりますのは、例えば学長の指導……(細野委員「そこまでで結構です」と呼ぶ)はい、よろしゅうございますか。

細野委員 今、二つについては「重要な事項」に当たるというふうに確認をされました。

 確認ですけれども、これは学長の判断で入るか入らないかと決まるのではなくて、今言われた課程の編成と教育研究業績については、法文上これは必ず当たるということでいいですね。学長が当たらないということは言えないということでいいですか。そこを確認させてください。

吉田政府参考人 これは、学長が教授会に聞くことが必要と認めるものに当たり得るということでございます。

細野委員 いや、ここは大事なところなんで、当たり得るんじゃなくて、当たるんですね。つまり、学長なり総長の判断で、ここに書かれているとおり、聞くことが必要であるかどうかの判断は法文上学長にあるというのは理解しますよ。ただ、この「重要な事項」に法文上当たるのかというのは、重要な法文の解釈そのものだから、確定しておかないと、「教育研究に関する事項」という三項もありますから、これはどっちなんだということになるわけですよ。

 局長の答弁は非常に重要なので、当たり得るという話ではなくて、当たるのか当たらないのかをしっかり答えてください。

吉田政府参考人 この三号のいわゆるスコープの中には、教育課程の編成や教員の教育研究業績の審査というのは入り得るのでございます。

 だけれども、法律のたてつけとしましては、三号のところで、学長が教授会の意見を聞くことが必要と認めるのは、そこは学長の判断を要するということでございますので、そのように御理解をいただければと思います。

細野委員 局長は私の質問を理解されていないと思います。

 学長の判断があるというのは認めているんですね、聞くか聞かないかは。でも、聞くか聞かないかの判断は学長に判断されるけれども、そもそも「重要な事項」に何が当たるのかということについて確定しておかないと、学長も判断できないじゃないですか。

 「重要な事項」に当たるんだけれども、これは学長が自分で判断するから教授会の意見を聞かないのかという判断をするのか、もしくは、そもそも「重要な事項」に当たらないのか。立法の、法律のたてつけ、前提そのものなわけだから、これは学長の判断事項じゃないんですよ、「重要な事項」かどうかというのは。それがどうなのかと聞いているんです。当たり得るかじゃなくて、当たるのか当たらないのか、これはどっちかで答えていただかないと、必ず混乱しますから。

 局長、きっちり答えてください。大臣の政治的な判断は後で聞きますから。

吉田政府参考人 これはあくまでも学長の判断にかかるということが前提でございますけれども、中教審のまとめの中では、その「教育研究に関する重要な事項」の中に御指摘の二つのことは含まれているというふうに考えております。

細野委員 いや、今の答弁はちょっとひどいと思いますよ。つまり、「教育研究に関する重要な事項」そのものが確定していないわけです。そうすると、意見を言う側は、それこそ、二項の三号に基づいて意見を言っているのか、もしくは三項に基づいて教授会は意見を言っているのか、それすら曖昧になるんじゃないですか。

 先ほど自民党の方が質問されていましたけれども、二項と三項は全く意味合いが違いますよ。二項は「意見を述べるものとする。」という義務規定になっていますね。義務規定になっていますから、意見については、少なくとも一定の尊重する責任は学長にあるでしょう。三項は「意見を述べることができる。」とされていますから、これはもうそれこそ任意で教授会が言うわけだから、勝手に言っているとまでは言わないけれども、参考意見にすぎませんよね。

 つまり、二項に当たるか三項に当たるかは極めて重要で、その前提を法文として解釈そのものを確定しておかないと、学長も判断できないし、教授会も何を議論しているのかわからないじゃないですか。ちょっと、ここはしっかり答えてください。お願いします。

吉田政府参考人 九十三条の二項の方は、学長が決定をする際に、教育研究に関する重要事項、ここで明確に書かれておりますのは、入学、卒業、課程の修了と学位の授与、それ以外の教育研究に関する重要事項ということですが、これについては、それが教育に関する重要事項に当たるかどうかは、その判断は学長に委ねられているということでございます。

 だけれども、その判断をするに当たりまして、当然、学長としては、中教審の中での整理といったものを、これは踏まえていただく必要はあるだろうと思います。

細野委員 教育課程の編成と教員の教育研究業績等の審査、これはもうどう考えても「重要な事項」ですよ。これが入らないのであれば、この二項三号なんて要らないですね。それすら恣意的に判断できるなんてことは、法案を出した側としては無責任だと思いますよ。

 これは委員長、どういう部分が当たるのか、この中教審の報告書、中間取りまとめの経緯も含めてしっかり共通見解を出していただきたいと思いますので、お願いします。

下村国務大臣 いや、これは、局長の今の答弁は、私は非常に適切な答弁だと思いますよ。恣意的ではなくて、九十三条二項の三号、「前二号に掲げるもののほか、教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」、この中の「教育研究に関する重要な事項」という中には、御指摘のように、教育課程の編成とか、それから教員の教育研究業績の審査、これは入ると思います。そもそも入ると思います。(細野委員「入るんですね」と呼ぶ)入ります、入ります。入りますが……(細野委員「答弁違うじゃないですか」と呼ぶ)いや、違っていないです。入りますが、学長が教授会の意見を聞くことが必要で、この事項の中で、学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めるもの、入りますが、実際に何を聞くかどうかは学長が決めるということでありまして、局長の答弁は、まさに法文の中でのそのとおりの答弁。

細野委員 大臣の答弁を了とします。局長は、当たるか当たらないかは学長の判断だとおっしゃったから。それは明らかに違うので……(下村国務大臣「いや、違わない」と呼ぶ)いや、違います、違います。それは明らかに違いますから、少なくとも、では、局長の答弁と大臣の答弁をしっかり確認をした上で共通見解を出してください。これは委員会としてお願いします。(下村国務大臣「もう一度答弁させますから」と呼ぶ)

小渕委員長 もう一度局長が、よろしいですか。(細野委員「わかりました、では局長が答弁してください」と呼ぶ)

 吉田高等教育局長。

吉田政府参考人 私の説明でちょっと誤解があったかもしれませんけれども、今大臣が整理されたとおりでございまして、教育研究に関するその重要な事項の中に、教育課程の編成やあるいは教員の教育研究業績の審査というものが入ると。だけれども、それを最終的に教授会が意見を述べるものとするかどうかということにつきましては学長が判断権を持っているということを言ったということでございます。

細野委員 そうしますと、前段で答弁をされた、当たり得るけれども、学長が重要かどうかを判断するんだという答弁は撤回するということでいいですね。

吉田政府参考人 当たり得るというふうに申し上げましたのは、三号の条文全体を通じまして最終的に学長の判断というものがかかってまいりますから、そこで学長が判断した結果としてどうなるかということはございますので、当たり得るというふうな言い方をしましたが……(発言する者あり)いえいえ、そういうことでございます。

細野委員 ここだけで時間をとるわけにはいかないので、大臣の答弁を了としますが、ちょっと議事録を精査してください。精査した上で、訂正するなら訂正するで、しっかりと次回にお願いしたいと思います。

 では次に、具体的な、この三号のところの、なぜ学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めるものに限定したのかというところなんですが、冒頭で大臣からも概略の答弁がありましたが、もう少し具体的に伺いたい。ここから局長に聞きます。

 一つは、教育課程の編成。これはもう教育研究の根幹です、どういう編成をするか。これを教授会として聞かなくていい、専門家の意見を聞かなくていいというのはどういうケースですか。

吉田政府参考人 教育課程の編成というのは、学部単位で行われるものもたくさんございますけれども、大学として、全学的な共通の教育課程を組むというふうな場合がございます。そういう場合には、教授会という単位ではなくて、もっと広い単位にいろいろと専門的な見地から御意見を伺うというふうなことがございますので、そういったことを考慮いたしまして、今回は二項の方にはそういうものを例示していないということでございます。

細野委員 そういうプロジェクトなり研究部門というのはあり得ると思います。つまり、学部に偏らずに、もしくは学部に入らずに、特別に学長が設けていて、それについて教授会が横からいろいろと違う意見を言うというのはむしろ混乱する可能性があるので、そこは私もわかります。

 そうしますと、逆に、それぞれの学部の中の具体的なカリキュラム、例えば法学部であればある学科をなくす、工学部であっても学科をなくす、いろいろな編成はあり得ますね。それについて学長が、もともと最終決定は学長なんですね、教授会の意見を聞かずにやるというのは、この条文では認めているんじゃないですか。それはどう排除するんですか。

吉田政府参考人 今回、二項の規定というのは、学長にある意味では義務づけをし、また、教授会に対しても意見を述べるということを義務づけをしている。ある意味では、一律にそういった仕組みをつくっていくというふうなことになります。

 先ほど申し上げたような事例、全学的な教養教育の課程をつくっていくとかということになりますと、これはもう必ずしも学部単位のものでもございません。

 ただ、ある特定の学部の教育課程の編成というふうなことにつきましては、これはまさに学長としても、教育研究に関する専門的な見地から教授会の意見を聞くということは十分あり得る話だと思いますので、そこのところは、三号の判断において学長が適切に判断されるものと思います。

細野委員 局長、確認ですが、学長の判断で聞き得るが、聞かなくても違法ではないわけですね。聞かなくてもいいんですね。お願いします。

吉田政府参考人 違法か違法ではないかというレベルであれば、違法ではないと思います。

細野委員 部門会議で文科省の方からいろいろな話を聞いた中で、何で九十三条のようなこういう大規模な改正が必要なのかというのを、立法事実として何があるんですか、どういうことを考えているんですかと私は質問したんです。大分考えておられて、その場でややアドリブ的に、学部や学科を廃止をするようなことというのはなかなかできないんですとおっしゃった。なかなか大変でしょう、それは。そこに教授もおられるし、当然、蓄積した研究もあるでしょうけれども、それがこの九十三条二項の三号でできる、しかも、学部の意見を聞かずにできるということですね。どうぞ。

吉田政府参考人 学部や学科の転換、これがもうまさにその大学の教育研究組織そのものにかかわってくることでございますから、そういう意味では、教授会の意見を聞くということは重要なことだと、こう思います。

 ただ、先ほど先生がおっしゃられた違法か違法でないかというレベルで考えれば、三号のところで必要と認めたにもかかわらず、意見を聞かずに学長が勝手に決めてしまった、これは違法でございますね。だけれども、そこのところの定め方によって変わってくるんだろうというふうに思います。

細野委員 ちょっと今の、皆さんもわかりにくかったと思うんですよ。

 つまり、学部の教授会の意見を聞かずに、ちょっと端的に例を挙げましょう。例えば、ある大学の、私は法学部なので、仮に私が犠牲になったとして、法学部はなくなりますという判断を、ある大学の法学部の教授会の意見を聞かずに、この法律はできるというたてつけになっているんですかということを聞いているんです、違法でないかどうかというレベルで。べき論で答えるのはもう結構だから、できるのかできないのか、そこを答えてください。

吉田政府参考人 九十二条の二項の三号の中で……(細野委員「九十三条」と呼ぶ)三号の中で、定めていないという前提でございますけれども、三号の中でその今の学部の廃止とかのことについては、学長は特に教授会の意見を聞くべき事項として定めていないという場合には、学部の教授会の意見を聞かなくとも違法ではないということでございます。

細野委員 ちょっとやや不明確ですが、学部の意見を聞かずとも廃止をできるという趣旨の答弁がありました。

 大臣、ちょっとここを考えていただきたいんですけれども、私も、時代の変遷で学部を廃止したり学科を廃止したりしなきゃならないことはあると思うんです。当然、そこの人は反対するでしょう。最後の判断は学長でいいと思っている。ただし、やはり少なくともそこの教授会の当事者としての意見は聞かないと、本当の意味で客観的に判断できるかという問題があるわけです。

 例えば私が勉強した法学部でいうならば、憲法とか刑法とか民法は人気があるわけですよ。廃止をされることはないでしょう。しかし、例えば法学部の中でも、例えばですよ、例として適切か適切でないかは別として、ローマ法とか、それほど人気はない。お金ももうからないし、余り企業への就職先もないかもしれないけれども、ローマ法というのは、法律の初めの根幹をなしたものだから、やはり専門的に残しておくべきだという意見がこれはあるわけですよ。

 では、それを、法学部ではない、違う学部の専門の先生が来て、そういう前提なしに、いや、ローマ法はもう学生も少ないし、レベルも下がってきたしとか、何か理由をつけて廃止をするということを判断したとしましょう。少なくとも、そのときは学部の教授会の見解を聞いて、社会もそれを見きわめた上で、では、もうその学部長の判断が正しいというぐらいのところはしないと、これは、学問の蓄積とか、積み上げてきたものに対するある種のちょっと冒涜じゃないか。そういうことが起こり得るんじゃないかと思うんですよ。うなずいておられるので理解されると思うんですが。

 すなわち、少なくともこの三号のところにそういう学部の存廃なんかがあるのであれば、この「教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」という、学長が聞かなくてもいいというこういう条件をつけるのではなくて、少なくとも意見は聞く、要するに、重要なことについては意見は聞くんだ、聞いた上で最終的な判断は学長がするというのが、これは多分自民党の皆さんも公明党の皆さんも、聞いていてそうじゃないかと思われるんじゃないかと個人的には思いますが、これぐらいはやはりしないと、私はそんなに勉強しなかったので余り言えないけれども、この間、大学の先生に随分聞きました。聞きましたけれども、余り声を大にしてはおっしゃっていないけれども、真面目に研究している先生の中でそういうことを懸念している先生が結構いるんですよ。

 大臣、ここはお考えいただきたいと思います、真面目なこれからの学問のために。お願いします。

下村国務大臣 結論から言うと、細野委員のおっしゃるとおりだと思います。

 そして、この九十三条の二項の三でありますけれども、「前二号に掲げるもののほか、教育研究に関する重要な事項で、」つまり、「教育研究に関する重要な事項」というのは、当然、学部の編制等は入るものであるというふうに思います。

 「学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」ということで今吉田局長が答弁したのは、聞かなかったとしてもこの法律上は違法とはならないということを言われましたけれども、聞く必要がないと答弁したわけではそもそもないわけでありまして、当然、これは聞く必要があると思います。聞く必要がありますが、しかし、最終決定においては、これは教授会が決定機関ではなくて、おっしゃるとおり、学長が最終的には判断する。

 しかし、利害関係者の方々なわけですから、当然、教授会の、あるいはそこの学部の教授会、今のお話でいえば法学部の教授会の先生方の意見を参考にしながら、最終的には学長が、大所高所に立って、将来のその大学のあり方はどうなのかという判断については学長がすべきことでありますが、しかし、教授会の話を聞かなくていいというふうには当然ならないわけでありまして、聞くことは、これは当然の話だと思います。

細野委員 大臣のお考えと私の考えが全く同じであることはわかりました。そこはよくわかりました。

 ただ、大臣、そういうことができないようにしておかないと、つまり、それは学長さんというのは、もう基本的には大変に学があって、見識があって、人格者がなっておられますよ。そのことを別に疑いませんよ。しかし、これからいろいろな時代の流れがあって、この法律を改正したら、それはもう五年、十年、変えないんでしょう。五年、十年、あらゆる大学で変な学長さんが一人も出てこないという保証はないですよね。いろいろな学長さんが出てくる可能性があったときに、それでもやはりせめて意見は聞くということにしておかないと、大臣の思いを実現できないじゃないですか。

 それを考えれば、この三号のところは、最終決定は学長ということはもう争いがないわけだから、少なくともそこははっきりさせましょう。それははっきりさせた上で、そういう重要な事項については、これは教授会の意見を述べるものとする、これは必ず意見を聞くということについては、法案にしっかり書くべきでしょう。

 大臣はさっき御自身のお考えをおっしゃったわけだから、閣法なので、はいそうですというふうには言いにくいかもしれないけれども、そこは法律の中にしっかり書くべきだと私は思います。お願いします。

下村国務大臣 それは法律のたてつけが違うわけでありまして、そういうふうな、学長が暴走することがあるかもしれないということの危惧だと思うんです。

 そのためには、そもそも学長はすぐれた人物が求められるわけでありますが、一方で、その学長をチェックする仕組みとして、監事による監査、これは今国会で国立大学法人の監査機能を強化する法案が今出されておりまして、多分成立させていただけるのではないかと思いますが、こういう形で監事による監査が強化される。それから、自己点検・評価、また、認証評価等の評価、それから、理事会や学長選考会議等の学長選考組織による業務執行状況の評価。

 しかし、これについては十分ではありませんから、こういうことをすることによって、学長の独断、偏見が結果的になされるということではない、しかし、適切な判断がなされるということについては十分チェックできる仕組みも同時に担保する予定であります。

細野委員 ほかの仕組みはよくわかっているんです。やはり、この法案そのものの、法文そのものの問題点を私は指摘をしました。

 委員長にお願いしたいんですが、私どもはガバナンス改革そのものには賛成をしながら、やはり、ここの九十三の条文について懸念を持っています。具体的な修正の中身について維新の皆さんとも一緒に案を出しておりますので、理事同士でしっかりそこは協議をしていただいて、委員長は教育について非常に見識を持っておられるので、これは委員会として、国会としてしっかりと協議するようにと促していただきたいと思います。いかがでしょうか。

小渕委員長 承りました。

細野委員 承りましたとちゃんと議事録に残しておいてくださいね。委員長が承りましたと言ってくださいましたので、理事会でしっかりと協議していただきたいと思います。

小渕委員長 理事会で協議いたします。

細野委員 さて次なんですが、もう一つやはり確認をしなければならないのは、教員の評価なんです。これも重要事項に当たるという答弁、大臣がありました。残り五分ですので、また舌足らずになりますので、もうちょっと簡潔にやりとりして、それできょうは終わりたいと思うのですが、これも大臣に聞きましょう。

 大臣、教員の評価は、よりこれは微妙な問題が含まれるわけです。さっき局長が答弁されたような、例えば学部に属さない特殊講義みたいなものがあって、カリキュラムがあって、そこについてのいろいろな評価を教授会の意見を聞かずに学長が、例えば外部の方の意見なんかも聞いてやるのは、あっていいと思いますよ。ただし、極めてまれですよね。ほとんどのケースは、それぞれの学部なり学科なりの中で教えておられる。当然、同じ専門の先生もいるでしょうし、類似の研究をしている人もいるでしょう。ということになれば、やはり専門家同士で、この研究はしっかり継続するに値をするかどうかとか、この教授の評価はどうかということについて議論するのが、これが村意識でやられたらいかぬのだけれども、基本的には、専門家同士で議論をするのが一番いいわけですよ。

 この教員の評価を、そういう専門家同士の評価を経ずに、つまり教授会の評価を経ずに、それこそ学長が意見を聞かずにやるということになると、教員の評価だから、最終的にいろいろな、例えば極端な話、教授に値しないとかいうことの評価も含めて、条文上は学長が勝手にやれるんですよ。これはまた使いようによってはすさまじいことになるんですよ。これはちょっとまずいと思いませんか。

 特殊な講義で、教授会の意見を聞かずに評価するというのはあっていいと思いますよ。しかし、通常のものについて専門外の学長がそれをぐっと踏み込んで判断するというのは、これは極めていろいろな意味で危ないことになる可能性があるというふうに思いますが、いかがですか。

下村国務大臣 教授の評価、これは個別具体的にちょっと言っていただかないと一概には言えないと思うんです。

 教授の例えば研究評価であれば、おっしゃるように、同じような分野における専門家、教授を含めた判断がなければできない部分がありますが、いわゆる一般論としての教授の評価ということであれば、それは必ずしもその教授会だけの評価ではなく、学生の評価もあるでしょうし、社会的な評価もあるでしょうし、トータル的にそれで最終的に学長がどう判断するかということもありますから、何の教授の評価なのかというその対象にもよる部分がありますから、必ずしも教授会の意見だけを聞けばいいというふうにもならないと思います。

細野委員 私も、教授会だけの意見を聞いて決める必要はないと思います。いろいろな意見を聞いた上で評価をしていただいた方がいいと思います。しかし、少なくとも専門家同士の教授会の評価は聞いた上で、学生であるとか、さらには外部の人間であるとか、さまざまなそういった評価を総合的にして、最終的には学長が判断をする、これが正しい姿だと思います。

 この部分についてさらに議論したいことがありますので、また改めて質疑させていただくとして、これ以上やってもちょっと時間が短くなりますので、私の質問はきょうはここでとどめたいというふうに思います。

 どうもありがとうございました。

小渕委員長 次に、鈴木望君。

鈴木(望)委員 それでは、引き続き質問をさせていただきたいと思います。

 私も、やはり九十三条の条文の解釈について主に質問をさせてもらわなければいけないかなというふうに思っております。

 最初に自民の宮内先生、また、今は細野先生が、いろいろと宮内先生は確認の意味で質問をされました。細野先生は、九十三条の具体的事例に伴って、解釈について質問をされました。私もダブりますけれども、よろしくお願いをいたします。

 その前に、先週土曜日に行われましたSAYONARA国立競技場セレモニーに私も参加をさせていただきました。非常に感動的なセレモニーで、私もある種の感慨というか感傷に浸ったわけでありますけれども、そこで大臣も御挨拶をされました。建設当時の時代状況の話をされるなど、聴衆の皆さんの心に響くような御挨拶だったかな、すばらしい御挨拶だったなというふうに思わせていただきました。

 そこで思いましたのは、国立競技場というのは単なる建物ではないんだな、そこでさまざまなスポーツ、イベントが行われまして、そういった国民共通の、また、参加した人はひとしおの思い出があるかと思うんですけれども、思い出であるとかそういったものの積み重ねという歴史とともに建物があるんだな、単なる建物だけじゃなくて、思い出、沿革、歴史、そういったソフトの部分と一体となって、日本のある意味では文化遺産になっているなということをしみじみ思わせていただいたわけであります。

 そういう意味では、新しくできる競技場も、さまざまな思い出を国民とともに積み重ねていくのにふさわしい建物にしていっていただければなと思います。

 それに引き続いて国立競技場の建てかえのことについて質問を続けようと思ったんですけれども、ちょっと質問の順番を変えさせてもらいまして、まずは、今言った学校教育法の関係、引き続いて九十三条の解釈等について質問をさせていただきたいというふうに思います。御容赦いただきたいと思います。

 今回の学教法の焦点の最大のものは、教授会のあり方だろうというふうに思うんです。そうした場合に、教授会というのは、過去、大学の沿革からさかのぼって、どういう意味合いを持っていたのかということを、温故知新ではありませんけれども、振り返って考えてみるということは非常に重要じゃないのかなというふうに思うわけであります。そういった観点で質問をしていきたいというふうに思うんです。

 大学の自治は、歴史的、沿革的には、学問の自由と密接な関係をこれは持っていたわけであります。残念ながら、現在の日本の状況では、大学の自治が、その美名のもとに、既得権の擁護や新しい変革を拒む理由に一つされているというのがあって、弊害が非常に目立ってきたのも、これも事実でございます。

 しかしながら、一方で、大学の自治が果たしてきた役割に重要なものがあって、今後も果たしてもらわなければならない役割もまた厳然と存在する。

 それは、やはり学問の自由を教授会の自治というものが守ってきたという側面にあるんじゃないのかなというふうに私自身は思っているわけでありまして、今回の改正、全体としては、維新の会としては方向性等については肯定的に受けとめているものでありますけれども、しかしながら、ちょっと荒っぽいんじゃないのかなと思うんです。学問とか教育とか研究とかというものについての大学の中の中核である教授会、その意見も聞かなくてもいいというような解釈もできるというのはちょっとおかしいんじゃないのかなというのが私の前提であります。

 その前提のもとに、まず最初に大臣に少し聞かせていただきたいと思います。

 歴史的、沿革的に、大学の自治は、具体的には教授会の自治を守ることによって学問の自由を守ってきたというような歴史があるんじゃないのかな、大学の自治ニアイコール学問の自由というような流れが一つあって現在に至っている、そういう側面もあるんじゃないのかなというふうに私は思いますが、その点について、大臣、どのように認識しておられますでしょうか。

下村国務大臣 大学の自治とは、大学における教授その他の研究者の研究と教授の自由を内容とする学問の自由を保障するため、教育研究に関する大学の自主的を尊重する制度と慣行であると理解されており、教育基本法第七条第二項においても、大学の自主性、自律性を尊重することが規定をされております。

 大学の自治について教授会は重要な役割を果たしております。今までの法律では、第九十三条におきまして、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」とありますが、これが、「審議」と書かれてあるのにもかかわらず、決定機関、最高決議機関のようにとられることによって、教授会そのものが大学の自治だというふうに間違った解釈をされてきた経緯がある中で、今回は、別に学長の権限が教授会に対して拡大というよりは、法律上の整理をするということでありまして、教授会は、重要な役割を果たすということはこれは変わらないわけでありますが、あくまでも審議機関であって、大学としての決定権は学長が有している、そういう整理をするというものであります。

鈴木(望)委員 ありがとうございました。

 私の考えとほとんど同じで、その考えをもうちょっと平たく言わせていただきますと、確かに、大学の自治、教授会の自治の美名のもとに、ある意味ではそれを非常に広く解釈して、いろいろなことが行われている。

 私も大学の教員の一端に入っていたというようなこともありますので、その中で例として言うと、やはりいい生徒をたくさん広く集めなきゃいけない、だから、試験会場をたくさん設けて試験をやりましょうと教授会に諮ると、教授会は反対してしまう。つまり、先生方の負担がふえるというようなことで反対をしてしまうとか、また、基礎学力の伴っていない、大学の大衆化でもってそういう学生も入ってくるわけですが、そういう学生に、高校レベル、場合によっては中学レベルの英語であるとか数学をきちんともう一回勉強させる、そんなこともしなきゃいけない。そういう必要性はわかっていても、では、いざ大学でそういうことをやるかというと、それは自分たちの役割じゃない、要するに高校だとか中学校の役割だろうみたいなことを言って、そういうことを大学でやるというのに反対する。

 でも、大学そのものの存在意義、またはその個別の大学にとってみればそういうことは非常に重要なはずで、そういうことも教授会の自治の美名のもとに拒絶をして、それで何の問題もないみたいな、それは事実として相当多くの大学でそんなことが行われているんじゃないかなと思いますが、それは確かにおかしい。

 おかしいと思いますが、大臣も最初にお認めになった教育研究に関する教授会の自治というものは、これはきちんと認めていかなくてはならないと私は思うんですが、その点について今まで当局はどのように考えていたのか。ちょっと時間の関係もありますので、歴史的、沿革的に、例えば大学が始まってきたヨーロッパ諸国の例も含めておっしゃっていただければ。

 一般論で言うと何だかよくわからなくなってしまいますので、例えば、イギリスであるんだったらオックスフォードとかケンブリッジはどうだったのか、フランスだったらパリ大学はどうだったのか、ドイツだったらどこそこの大学はどうだったのか、具体的に、スタンダードだと思われる大学の例を引いて、その中で教授会というのはどういう役割を果たしてきたのか、ぜひお答えをお願いいたします。

吉田政府参考人 教授会が大学における教育研究に関する事項につきまして重要な機関であるということは、もうおっしゃるとおりでございます。歴史的には、大学制度といいましょうか、大学という仕組みが発足をいたしまして以降、教授会がその重要な役割を果たしてきているところでございます。

 今御質問のございましたイギリス、フランス、ドイツにおきまして、アカデミックな事項につきましては教員組織に広範な権限が認められておりますけれども、その役割や権限は、我が国における教授会のあり方とは異なるところがございます。

 イギリスの場合、先ほどオックスフォードかケンブリッジかという話でございましたけれども、イギリス全般に言いますと、これは大学によって非常に多様でございます。理事会を中心として大学運営を行う大学もございますが、先ほど例にございましたオックスフォード大学の場合、これは午前中の参考人の方からも御説明があったかと思いますけれども、全教職員から構成されるコングリゲーションと呼ばれる組織が学長の任命や学内規則の承認等を含めた最高議決機関とされておりまして、日常的な運営につきましては、監事や学部長、教員の代表者などから構成されるカウンシルと呼ばれるものが行っているという実態がございます。

 フランスの場合、パリ大学というお話がございましたけれども、フランスの場合は、大学制度は少し均一化しておりますので全般的に話をさせていただきたいと存じますが、法律で大学の運営のあり方が定められておりまして、各大学共通という形になっております。各大学には、学長が議長を務め、大学の基本方針や予算、人事等に関する重要事項について決定権を有する管理評議会、また、教育課程や教員の資格審査、学生支援の諸方策等に関する審議機関である学術評議会が置かれております。いずれも主たる構成員は教員でございますが、職員や学生、学外者も参加をしているという実態もございます。

 それからドイツでございますけれども、これは、各州の法律、各州法で大学の運営を定めておりますけれども、ベルリン自由大学を例にとりますと、教育課程の編成や学生の入学、卒業等については、研究者、学生、職員から構成される学部会議において決定をしておりますが、予算や全学的な経営方針、組織の設置、廃止等については、学長部と呼ばれる組織や、あるいは大学評議会、理事会において決定されるなど、各機関が法律に定められたそれぞれの役割を果たしているというふうな実態にございます。

鈴木(望)委員 ありがとうございました。

 要すれば、教育研究に関する部分について教授会の果たしてきた役割は非常に重要であるということと、つまりそういう認識も、当然といえば当然だと思いますが、持っている。

 と同時に、歴史的、沿革的に、今は世の中がいろいろ変わっていますので一概にどうとは言えない面もあるのかとは思いますが、そういった歴史を背負ってきた大学においては、教授会を中心とする、また、そこに職員であるとか学生も加わったような組織が、事教育研究に関することについては決定権も持っているところもあるし、当然、審議をし意見も言うというところもある、そういう理解でよろしいですね。

吉田政府参考人 それはそのとおりでございます。

鈴木(望)委員 ありがとうございました。

 それでは、法文の個別の解釈について、私も重複するところがあるかもわかりませんが、お尋ねをしていきたいと思います。

 まず、現行の九十三条の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」この「審議する」というのは、決定権限まで含むというふうに解釈をするのかしないのか。聞かれておりましたので確認になりますけれども、お答えをお願いいたします。

 そして、多分含まれていないというお答えになるかと思うんですが、含まれていない、だったら今の改正法と同じじゃないか、その解釈については。多分同じだという、私も議事録を見させてもらいまして、大臣も変わっていないと。それならなぜ法律をわざわざ変えるのか。何か困った事例が多分あったからこそそこを明確にしたということで、困った事例というのは何なのか。いろいろな事例がいっぱい出てきまして、私もいろいろな事例を言わせてもらいました。それは、狭義の教育研究以外のマネジメントの部分じゃなかったんだろうかなと思うんです。

 それは私の質問の非常に核心的な部分ですので、そこについてきちんとお答えをいただきたいなと思います。

吉田政府参考人 現行法九十三条の「審議」の解釈でございますが、これは決定権限を含むとは考えておりません。

 ただ、この「審議」ということにつきましてさまざまな受けとめ方があったわけでございます。この教授会による審議が、審議した上で決議をする、そういったことまで含んでいるんだというふうな解釈をとられる立場もございまして、その延長線上で、例えば、キャンパス移転ですとか予算の配分などのマネジメント、経営に関するような事項についてまで教授会が何かしらの決定権を持つというような事例が見られるということ、それはやはり学長のリーダーシップを阻害をする要因になっているというふうに捉えられてきたというふうに思います。

鈴木(望)委員 私の理解した言い方で言うと、大学の経営、マネジメントの部分について、要するにこの条文が拡大解釈をされてきたという経緯もある。昔からの経緯もあわせて考えてみますと、そういう解釈が行われてきたというのもあながちうなずけないこともないわけですけれども、解釈としては違う解釈じゃない、決定権限はないんだ、それは理解をいたします。

 さて、今度は改正法の九十三条二項各号では、教授会は「意見を述べるものとする。」というふうに規定をしているわけでありますけれども、これは、一方の学長の側から見ると、必ず意見を聞かなければいけないということですか。確認的な意味も含めてお答えをいただきたいと思います。

吉田政府参考人 御指摘のように、九十三条二項は、学長が決定を行うに当たって教授会が「意見を述べるものとする。」というふうに規定をしておりまして、これは学長の側から見ますと、その二項各号に該当するものについては、必ず教授会の意見を聴取する機会を設けるということが学長に求められるということになります。

鈴木(望)委員 ありがとうございます。必ずこの規定に基づいて義務的に学長は意見を聞くという解釈というふうに承りました。

 そこで、その内容について御質問させてもらいたいと思います。

 ことし二月の中教審大学分科会の、例もいろいろ出ております審議のまとめでは、教授会が審議すべき重要な事項の具体例として、この九十三条第二項のところに該当するわけですけれども、一つは学位の授与、学生の身分に関する審査、教育課程の編成、教員の教育研究業績等の審査の四項目が示されておりまして、そして、これについては、「教授会の審議を十分に考慮した上で、学長が最終決定を行う必要がある。」というふうに書かれているわけであります。

 ところが、これを受けた条文であるはずの改正法案九十三条の第二項では二つしか書いていなくて、「学生の入学、卒業及び課程の修了」、それと「学位の授与」ということでありまして、もう細野委員がそこのおかしい点をさんざん言われましたので余り私も言うつもりもないんですけれども、教育課程の編成、教員の教育研究業績等の審査の二つの項目が法案では抜け落ちているわけです。

 これについては、本来的に言って、教授会の意見を必ず聞くべきことである。そこは、吉田参考人の答弁は私はどこかおかしい、詭弁のようなところが物すごくあるなということが、私自身の感想ですよ、それが詭弁だというふうに決めつけるというわけじゃありませんけれども、思います。

 私はそこの質問じゃなくて、今言った中教審の審議まとめで中教審が書いているわけですよ、教育課程の編成、教員の教育研究業績等の審査、この二項目をなぜ落としたのか。その点について、法案を作成した当局に御答弁をお願いします。

吉田政府参考人 中教審のまとめと今回の法案の中身につきましては、これまでも何度か説明させていただきましたけれども、四つの項目のうち、教育課程の編成と教員の教育研究業績の審査につきましては、これは先ほど幾つかの例を申し上げました。学長の主導によりまして全学的な教育課程をつくるとかなんとかというようなことがございますので、これは各大学においていろいろと多様な実態が存在いたします。

 九十三条の二項は、先ほど委員御指摘のように、ここは学長に一定の義務づけをしていくというものでございますので、そういう一律の義務づけに必ずしもなじまないということがございまして、今回、限定的な形で規定をさせていただいたということでございます。

鈴木(望)委員 前回の吉田委員の質問でも、答弁が、各大学において多様な実態があることから、法律上はあえて規定はしない、今お答えになったような御答弁をされているわけです。

 私はこれがよくわからないんですよ。何がわからないかというと、多様な実態があったら、それをまとめた教育課程の編成というその文言をなぜ入れられないんですか。そこのところがよくわからない。教員の核心ともいうべき教育研究業績等の審査、教授会がそういうことについてきちんと意見を述べるということがなぜ明示できないのか。大学が多様だから明示できないって、納得できないんですが。

 もう一度お答えをいただきたいと思います。多様な実態があるからなぜ書けないのか。

吉田政府参考人 大学は、非常に多様な実態がある部分がございます。

 それで、教育課程の編成ですとか教員の業績審査ですとか、そういったものについて、教員サイドの意見というものも十分取り入れなくちゃいけないということは御指摘のとおりだと思いますけれども、ここの九十三条の二項は、先ほど申しましたように、学長にも一定の義務づけをするというものでございます。

 その意見を聞く相手先が必ずしも、ある学部なりの教授会では不適当な場合もあります。そういったものについて、やはりそこは、大学側の自主的な判断の余地、そういったものをやはり設ける必要があるだろうということで、そのあたりは、必要性に応じて、三号の、学長が必要と認めるものの中で読み込んでいただきたいと思っております。

鈴木(望)委員 具体的な答弁を求めれば求めるほど疑念は深まっちゃうんですね。

 要するに、教育課程の編成、教員の教育研究業績等の審査、本来、当然その大学の教授会のやらなければならない事柄で、それについて最終決定権限は学長にあるにしても、そこに至るまでのプロセスは、これは教授会の業務そのものじゃないんでしょうか。それについて意見を聞かなくてもいいというような解釈ができるような法文というのは、ちょっと納得はできないと思います。私自身は納得はできません。

 ただ、この問題だけ言っているわけにもいきませんし、まだ細野委員も引き続きというふうに言っておりますので、私はやめます。

 次に……(下村国務大臣「いいですか、今」と呼ぶ)どうぞ、済みません。

下村国務大臣 納得できないというふうにおっしゃったものですから。

 具体的にこの教育課程の編成とか教員の教育研究業績の審査について、例えばでありますけれども、学長の主導により実験的な教育プログラムを策定して、そして、プログラム型の中でのプロジェクト授業の実施に伴う特任教授の採用とかいう、大学側が、ガバナンス側が何か新たな時代に対応した大学対応をしようと思っても、既存の教授会が、結果的に身分にかかわる部分については反対するということはあり得る話なわけです。

 先ほど細野委員からは法学部の話が出ていましたが、これは私立大学なんかは、その学部を廃止するというよりは、その学部を含めた、時代に合った学部編制にするというのは結構やっている話でありますけれども、そうすると、時代に合わせた新学科なり新講座が必要なために新たな人材が必要だ、一方で既存の教授を全部そのままプールしていると、大学改革そのものが成り立たないという部分があるわけです。

 ですから、意見は聞くにしても、最終的には学長が決定権を持たないと大学改革が進まないという部分もあるわけでありまして、意見を聞くということを否定するわけではありませんが、学長が最終的には決められるという意味での柔軟性を持たせているということが、各大学におけるさまざまな実態があるということで、法律上一律には規定しない、そういう趣旨であります。

鈴木(望)委員 大臣が挙げられた例は私も理解いたします。

 ただ、そういう例があるから規定しないということはちょっとおかしいんじゃないのかなと。本来的に規定すべきことは規定して、例外的に今言ったようなことがあるとしたら、それは通知なり省令なりで手当てをしていけば済む話じゃないのかなと私は思います。

 また、このことについて余り議論をする時間ももうありませんので、ちょっとはしょって、もう一つぜひとも聞いておきたいところですけれども、この条文に関連して、中教審の審議まとめでは、教授会の審議を十分に考慮した上で学長が決めるというふうに書いてありまして、それが、「意見を述べるものとする。」と今度の改正法案ではなっているわけです。

 私は、教授会の審議を十分に考慮してということと意見を述べるものというのでは、教授会の役割、位置づけ、重み、事実上のその果たしてきたものに対する認識が全然違うんじゃないのかな、そういうふうに思わざるを得ないんですけれども、なぜこのような規定にしたわけでしょうか。お答えをお願いします。

吉田政府参考人 委員御指摘のように、中教審の審議まとめでは、教授会が審議すべき重要な事項について、「教授会の審議を十分に考慮した上で、学長が最終決定を行う必要がある。」というふうにしております。これを今回の改正案の九十三条第二項では、学長が決定を行うに当たり教授会が意見を述べるものというふうな条文のつくりにしております。

 これは、学長と教授会の関係を今回明確にしようというものでございまして、そこでの教授会の意見というものについては、これはやはり、必ずそれについては教授会の意見を聞くということにしているわけでございますから、基本的にはこれは尊重されるべきものでございまして、中教審の審議まとめの趣旨を反映した条文になっているというふうに考えております。

鈴木(望)委員 それだったら、なぜ中教審の審議まとめの文言どおり、教授会の審議を十分に考慮してと書かないんですか。今はそういう御答弁をしたわけですね。それだったらそのとおり素直に書けばいいのに、なぜ書かないのか。もう一回ちょっと。

下村国務大臣 今回の改正の法の趣旨というのは、先ほど申し上げましたが、現行の九十三条は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」この現行の重要な事項の審議というのが、教授会そのものが決定機関のように扱われているという部分が大きい。しかし、法律そのものの「審議」というのは、決定機関まで入れているわけではないわけです。

 ですから、それをこの九十三条の改正案の中でわかりやすくするために、その中教審のような書き方はやはり誤解をされる……(鈴木(望)委員「どういう誤解か」と呼ぶ)誤解というのは、つまり、現行の九十三条と同様のような解釈がされるような書き方ではそもそも改正する意味がないというふうに、これは文部科学省の中、それから与党と相談した結果、よりわかりやすい、つまり、教授会そのものの存在はもちろん否定しているわけではありません。意見をお聞きする。しかし最終決定権は学長にするという今回の改正案のような整理の仕方が、一番法律の趣旨にのっとったわかりやすい表現になるだろうということで、政府案として国会に提出をさせていただいているわけでございます。

鈴木(望)委員 時間も迫ってきましたし、今言われたことは理解いたします。納得はいたしませんけれども、そういう趣旨でなってきたということは理解いたします。

 あと一つで終わりにしたいと思いますけれども、九十三条の第三項です。第三項の「教育研究に関する事項」とは具体的にどのようなものでしょうか。例えば大学の移転というようなものが入るのかどうか。もう具体的な話でいきたいと思いますが、大学の移転というのは、九十三条第三項に今までの議論を踏まえると該当するんじゃないのかなと思いますけれども、どうでしょうか。

吉田政府参考人 具体的な例でお示しいただきましたけれども、大学の移転ということで、その教育研究に関する重要な側面があると思います。

 そういう意味では、二項三号のところで、学長が必要と認めるものとして位置づけること……(鈴木(望)委員「二項三号で含まれるということですね」と呼ぶ)はい。(鈴木(望)委員「三項じゃない」と呼ぶ)二項三号。(鈴木(望)委員「二項三号ですね」と呼ぶ)はい。

鈴木(望)委員 ちょっと時間がなくなってきましたけれども、それでは、その九十三条の第三項を、どういう事例を考えているのか。

 私、ほかにもいろいろ例は持ってきているんですけれども、学長等の求めがないと意見も言えないということにこの法文のたてつけではなっておりまして、だから、具体的な事例でどういうものがあって、そういうものについては学長の求めがなければ意見が言えないというのはおかしいんじゃないのかなと。

 なぜそういうことを私が思っているかといいますと、大学の運営というものは、大学そのものは教育研究する場ですから、いずれにしても、大学の経営側面が非常に強いものであっても、必ず何らかの格好でもって研究とか教育に結びついている。だから、どこかで線を引いて、そしてこれは経営の話だということで、学長の求めがなければ意見が言えないというような解釈であっては、私はちょっとおかしいんじゃないのかなと。

 時間が来ましたので、では、私の意見を言わせていただいて、また次に質問させていただければというふうに思います。

 終わります。

小渕委員長 次に、柏倉祐司君。

柏倉委員 みんなの党の柏倉です。よろしくお願いいたします。

 先日の委員会審議で、医者が、医学部の教授が総合大学の経営にかかわれるほど余裕があるのか、いろいろなことを考える余裕があるのか、そして、その才があるのかという疑問を呈させていただきました。早速、怒られました。そんなことはない、しっかり俺も考えてやっておると。そういう自負はあるんでしょうけれども、やはり私は、どこまでいっても餅は餅屋、経営の感覚を持ち合わせる、それを涵養するにはなかなか時間がかかるんだというふうに思いますし、本当に、大学の小さな、ある限られた分野で事をなした方とはいえども、やはり経営というのは、研ぎ澄まされた感性、感覚、経験、そういったものが必要になると思います。

 ましてや国立大学になりますと、倒産というのは原則ないわけでございます。路頭に迷うという緊張感、切迫感のない中で、漫然とその椅子に座っている可能性もあるんじゃないかというふうに思います。もっとやはり危機感を持って、ひょっとして大学病院が赤字になったら自分の首は切られるんだというぐらいのそういうやはり危機感を持って、国立大学の人間といえども経営に臨んでほしいというふうに思います。

 そこで、ちょっと、先日の審議で、これは吉田政府参考人から発言があったことについてまずお伺いしたいんです。

 私、もっと経営協議会に学外委員をふやすべきであるという意見を申し述べました。そして、政府参考人から、国立大学の今後の運営については、これまで以上に、社会や地域のニーズを的確に反映した運営が強く求められる、そういう観点から、経営協議会の学外委員が、その経験や知見を生かして、より主導的かつ積極的に経営協議会での審議に参画する、それを促進するべきであるということを言っておりました。だから、この経営協議会については学外委員の割合を過半数にしたんだということでした。

 この主導的という部分についての確認なんですが、この経営協議会、これはあくまでも決定権は学長にあるということで、やはりあくまでこれは諮問機関としての位置づけなのか、それとも、これは多数決で決める決定機関なのか、そこの確認をまずさせてください。

吉田政府参考人 私が主導的と申し上げましたのは、それは、経営協議会に参加していただく委員が、みずから率先をして、より積極的な役割を果たしていただきたい、そういう意味合いで申し上げたものでございます。

 御質問の、経営協議会の役割といいましょうか権限でございますけれども、国立大学法人法上、経営協議会は「国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関」とされておりまして、決定機関ではございません。

 学外の有識者の意見を運営に適切に反映させつつ、経営に当たって学外の知見を積極的に活用する等の観点から経営協議会を法定している趣旨に鑑みますと、学長は経営協議会の審議を踏まえつつ意思決定を行っていくことが想定されるものの、国立大学法人の運営についての最終的な責任と権限は学長が有するという、その位置づけは今回も変わっておりません。

柏倉委員 あくまでも審議機関であるということだと思いますけれども、一番大事な、生き残りをかけた戦略をそこで練るわけです。自分たちの持っている学問的なツールをどうやって生かしてアウトプットを上げていくのか。大学病院の経営はまた別な話だと思いますけれども、そういう、自分たちの知財をどうやってビジネス化していくのかというところの戦略も、基本的な戦略もここで練り上げていくわけですね。

 その練り上げる中で、学長が最終的に判断する、合意を形成した後に判断するということが前提だと思いますけれども、なかなか、私は、先ほど申し上げたとおり、一つの領域で事をなしたという人でも、そういう総合的な大学の生き残り、この最終的な決断をここで求められるというのは、ある意味は非常に酷な感じもするんです。やはりここはある意味、経営協議会というものに一定限度の決定権も持たせるべきじゃないかというふうに思うんです。

 教学は別の部分です。教学というのは、やはり学問の自由、いろいろな自由度を担保するという意味での教授会。ですから分権的なものが望ましいとは思うんですが、経営となりますと、やはり一つ目標を決めたらそこに邁進していくということが必要になるわけです。大きな責任が乗っかってくる。

 国立大学のオーナーというのは、これは国ですから。学長じゃありません。ですから、そういった、学長に全てを任せて経営のところもイニシアチブをとらせるというよりは、経営協議会、これにある一定限度のやはり決定権を持たせる、そういった検討もしていただきたいと思いますが、それに関する何か、政府の所見があれば聞かせてください。

吉田政府参考人 経営協議会の審議事項といたしましては、まさに大学の今後のことを考える中期目標、中期計画、これが非常に重要な審議事項ということになります。ですから、大学の将来のことを考えて、さまざまな観点から、学外委員の方のいろいろな知見などもその中に取り込みながら審議をしていただくわけでございますけれども、ただ、今の国立大学法人法の立て方としますと、やはり学長が教学と経営と両方について最終的な決定権を持ってガバナンスを続けていくという、そういった仕組みになっておりまして、あくまでも経営協議会はそういった学長の決定について経営的な観点から参画をしていく、その位置づけは、それはまだ維持すべきだというふうに考えております。

柏倉委員 大学を企業に例えてはいけないのかもしれませんけれども、やはり営業と開発があって、最終的な戦略をトップが決めていくということが一番合理的だと思うんです。

 教学の部分が開発だとすれば、経営がもちろん経営協議会です、そういう、大学、学長の下に経営の担当者、そして教学の担当者、これが今回副学長という位置づけになるんだと思うんですが、そこは違うんでしょうか。

吉田政府参考人 国立大学の学長を補佐する体制といたしますと、いわゆる教学面につきましては、今回御審議をいただいております副学長というのが担当いたします。一方、経営面につきましては理事という役職がございまして、この両者がそれぞれ、教学と経営と両面から学長をサポートしていく、こういった仕組みになっております。

柏倉委員 経営の部分でもしっかりと、外部の人たちの意見がドミナントな状態で、そういう、今回理事が取り組むということですけれども、大学でずっと生きてきた人間が経営を最終的に決断する難しさ、そのリスク、それをやはり最終的にヘッジできるような仕組みに将来はしていただきたいというふうに思います。

 それでは次の問題に移らせていただきます。

 国立大学のグローバル化を促進していくというその土台づくりがこの法案の眼目の一つだというふうに思います。ただ、前回もお話をさせていただきましたこのグローバル化を目指す。文科省は、スーパーグローバル大学創成支援で、世界ランキング百位以内に十校、日本の大学を入れると言っています。

 ただ、現状、国立大学といっても、東大、京大という歴史がある大学から、地方の、私も地方の国立大学出身ですからあえて言わせてもらいますけれども、やはり地方の大学と役割も違えば知名度も違う。そういう中で、国立大学の各大学各大学のミッション、これをどういうふうに国が今定義をしているのか。そして、今後、国立大学全体、全部の大学を百位以内に入れる可能性を持たせるということなのか、それとも、ある程度セレクティブに可能性を持たせていくのか。そこのところの方向性、これがまだ漠として見えてこないところがあります。その方向性、政府の見解をお願いいたします。

吉田政府参考人 委員御指摘のように、我が国は、急速な少子高齢化、グローバル化、あるいは新興国の台頭による競争激化など、社会の急激な変化に直面しておりまして、持続的に発展する活力ある社会を目指して、さまざまな改革の実施が求められております。

 大学力は国力そのものでございまして、特に国立大学は、社会から、人材育成、学術研究、産学連携などを通じて、我が国の成長と発展に積極的に貢献することが強く期待されているところでございます。

 私どもとしては、国立大学につきまして、世界最高水準の教育研究の展開拠点、それから全国的な教育研究拠点、地域活性化の中核的拠点の形成など、それぞれの大学が有する機能の強化を図る改革にスピード感を持って取り組んでいく必要があるものと考えております。こうした背景を踏まえまして、各国立大学について、専門分野ごとにその強み、特色、社会的な役割を明らかにするミッションの再定義を進めているところでございます。

 また、文部科学省におきましては、昨年十一月に策定いたしました国立大学改革プランに基づきまして、国立大学の機能強化に取り組んでいるところでございます。第三期の中期目標期間が平成二十八年度から始まるわけでございますけれども、その中では、各大学の強み、特色を最大限に生かし、みずから改善、発展する仕組みを構築することによって、持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学を目指していきたいというふうに考えております。

柏倉委員 今、国立大学は八十六、公立大学は八十三あるわけです。その各大学各大学に必ずミッションがあって、国が主導的な立場に立ってゴールへ向かって連携をしていくのか、それとも、ある程度セレクティブにやっていくのかというところの答えを聞かせてください。

吉田政府参考人 先ほど三つの類型を申し上げました、世界最高水準の拠点、全国的な拠点、それから地域活性化の拠点。これはそれぞれの大学がその強み、特色をみずから認識をし、また、私どもともそのあたりは共通理解を深めながら、それぞれの大学の目指す方向といったものをこれからずっと探求していこうというものでございまして、そういう意味では、一つの選択的な要素は、これは入ってくるというふうに思います。

柏倉委員 地域地域に根差した、小さいけれどもやはり愛されている国立大学というところもあるわけです。ちゃんとそのミッションを明らかにしてもらって、独自性のある大学づくり、校風づくりというのに邁進していけば、私は、国立大学ももっともっと魅力が出てきて、もっと倍率が上がって、いい大学になっていくんだと思います。今回はガバナンスの問題ですけれども、そういう国立大学の最終的な方向性というのもしっかり見据えた戦略も打ち出していただきたいと思います。

 もう時間がありません。ちょっと最後は簡単に質問させていただきます。

 今度、学長のガバナンスが強まるわけですが、正直言って今、大学は順風満帆じゃなくて、学長が学部長に訴えられてしまったり、そういう混沌とした大学もあるわけです。こういうところのガバナンスというのは、やはり学長の権限を強めたからガバナンスが保たれるのかどうか。これはやはりいろいろな諸問題があります。パワハラですとかセクハラですとか、いろいろなそういう諸問題に端を発してこういう混沌が惹起されるわけです。

 今回、いわゆるハラスメントだけに絞って質問しますが、このハラスメント処理、そういったものに向けた国のガイドラインの策定もやはり必要なのではないかと思いますが、そこの政府の見解を聞かせてください。

下村国務大臣 学長は大学の運営全般に関して責任を負う立場であり、これはハラスメント事案の処理や防止においても同様であります。

 ただいま御審議いただいている法律案においては、学長を補佐する体制の整備や、学長の権限と責任の一致を明確化することを目的とするものでありまして、これにより、ハラスメント事案に関しても、学長の責任のもと、各大学における相談窓口や調査、対策機関の整備など、一層適切な対応がなされるものと考えております。

 仮に学長自身がハラスメント事案の当事者となった場合においても、相談窓口や調査、対策機関は各大学において中立的な立場で事案の対処に当たることになるというふうに考えております。

柏倉委員 答弁、ありがとうございます。

 やはり人と人がやることですので、予想外のシチュエーションも生まれてきてしまう。そういう中で、中立的な判断ができる処理の組織、これがしっかりとワークできていればいいと思うんですが、現実になかなかワークしない。その中でワークするはずの人たちも、いろいろなしがらみの中でやっているものですから、そういった統督の部分がやはりなかなか改善できないという現状も、地域をつぶさに見ますと散見されるようでございます。

 こういったハラスメント処理の迅速化、法案には直接の関係は薄いかもしれませんが、ぜひ政府としても前向きに御検討いただきたいという要望を述べまして、終わりにさせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

小渕委員長 次に、青木愛君。

青木委員 生活の党の青木でございます。本日もどうぞよろしくお願いいたします。

 まず、下村大臣に、この大学改革そのものの目的についてお伺いをしたいというふうに思います。

 安倍首相が五月六日、経済協力開発機構の閣僚理事会の基調演説の中で、経済発展とイノベーションのために高等教育改革を行うという立場を明確にされました。さらに、学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な職業教育を行う、そうした新たな枠組みを高等教育に取り込みたいと考えています、そう述べられておられました。

 この高等教育の新たな枠組みの中で、いわゆる高等教育段階における実践的な職業教育の充実ということを求められているんだろうというふうに思います。

 午前中の参考人質疑にもございましたけれども、手っ取り早く企業に役立つ人材育成を図ろうとしているのではないか、また、公立高校の無償化のときにも指摘をさせていただきましたが、自民党の憲法草案の中にもありましたように、いよいよ国の発展のために人材育成が行われるのではないかという危惧を私自身も持つわけでございます。

 やはり学生の求める学問の多様性というものは確保されなければならないというふうに考えますが、産業競争力のためだけの高等教育改革になりやしないかという危惧の声が上がっていることも事実でございます。

 これらも踏まえて、下村大臣が、現在大学を取り巻く社会情勢と大学に対する社会の要請の変化、これをどのように認識され、どのように変わっていくべきとお考えになっているのか、下村大臣の御所見をお伺いしたいと思います。

下村国務大臣 大学の自治そのものを否定するつもりはありませんし、これは法律で明確に書かれているものでありまして、それは当然尊重すべきものであるというふうに思います。ですから、実社会においてすぐにそれが実践的に役立つかどうかは別として、例えば文学分野とか哲学とかロシア文学とかフランス文学とか、そういうことを別に否定するつもりは全くないわけであります。

 安倍総理が、五月の六日にパリで開催されたOECD閣僚理事会での基調講演において、大学改革について、モノカルチャー型の高等教育では斬新な発想は生まれない、だからこそ教育改革を進めている、学術研究を深めるだけでなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な職業教育も行う、そうした枠組みを高等教育に取り込みたいと述べられたわけであります。

 これは、教育再生実行会議における学制改革についての議論を踏まえつつ、グローバル化の進展など社会が急激に変化する中で我が国が今後も世界に伍して発展し続けるためには、社会の多様な要請を的確に受けとめ、さまざまな分野で活躍できる人材の育成に大学が一層力を発揮すべきであるという認識のもとで発言をされたものというふうに理解しております。

 先ほども御質問の中にありましたが、今の大学は、学生が勉強していないというのは、学生が怠けているということもあるかもしれませんが、それ以上に、大学側が的確なカリキュラムなりあるいは編成なりをしていないために、そもそもそれほど価値を置いていないということを大学側は謙虚にやはり見直すべきではないかというふうに思います。そういう中で、大学で勉強したことがそのまま、もちろん多様な価値観がある中で、多様なニーズがある中ですから、一方で、社会に役立つための部分についてもより力を入れるべきではないかということであります。

 いずれにしても、大学の教育研究におきましては、量的な拡大と質的な向上をともに進めていくことが不可欠であると考えております。

青木委員 ありがとうございます。

 現在の社会経済あるいは自然環境、こうした変化に伴う、いわば地球規模の諸課題への対応、そのためのグローバル化あるいはイノベーションの創出というのは大変重要な視点であって、社会的要請に応えるための大学改革そのものの必要性は、私も同じように認識をしております。

 その認識の上で、このガバナンス改革がどのように機能していくかということについて伺っていくわけなんですけれども、今回、全大学一律にこの法律を当てはめるということが果たして適切なのかどうかというところをまずお伺いさせていただきたいというふうに思います。

 大学の枠組みを定める法律は大学の設置者により異なり、国立大学法人については国立大学法人法、公立大学法人については地方独立行政法人法、また私立大学については私立学校法でございます。また、それぞれの大学の沿革や規模、教育内容、研究内容も異なる中で、学長の権限やガバナンスについて、学校教育法の改正によって一律に規定しようという趣旨は何であるか、お伺いをさせていただきます。

吉田政府参考人 学校教育法は、国公私の別を問わず、全ての大学に適用される法律でございます。

 今回この改正内容としております学長と教授会の関係を明確化すること、また、副学長の役割を強化すること、これは、それぞれの大学の学長がリーダーシップを発揮しやすい環境の整備を目指すものでございまして、今、国公私の設置主体を問わず大学改革が求められる情勢の中で、これらの推進のためには学校教育法の改正が必要であるというふうに考えたものでございます。

青木委員 既に多様なガバナンスの仕組みの中で現に動いている大学を一律に縛るのは問題が大きいという声も上がっていることも指摘をさせていただきながら、法改正に至る経過の確認として、本来省令で定めるお考えがあったというふうに伺っておりますが、省令で定める場合はどういったお考え、構想であったのか、お伺いをさせていただきたいと思います。

吉田政府参考人 一時期、省令による対応というものも検討をさせていただきましたけれども、今回、大学のガバナンスの関係につきましては、権限と責任のあり方が明確でない、また、意思決定に時間を要し、迅速な決定ができない、学内の都合が先行し、十分に地域や社会のニーズに応えるような大学運営が行われていないなどの課題が指摘されてきたところでございます。

 このような課題を解決するためには、現行の学校教育法におきましては学長と教授会の関係が不明確となっているため、学長は決定権を有し、教授会は学長に対して意見を述べる立場にあることを明確化する必要があったこと、また、学長補佐体制の強化ということで、副学長の権限の拡充を行う必要があったこと、これらが学長のリーダーシップを確立する上で必要である、こういうふうに考えました結果、省令改正ではなく法律改正が必要であるというふうに判断したものでございます。

青木委員 ありがとうございます。

 省令改正でも済んだ可能性もあったということだというふうには思うんです。現行法でも徹底すればできたのかなというふうに思うのですが、法改正によってより権限と責任を明確化するに至ったということであります。

 これは産業界といいますか経済界の意向も大分影響しているというふうにも伺っておりまして、その是非ではなくて、法改正に至ったことで、これがよりよい産学連携といいますか、そうした形でその取り組みの改革の推進が進めばよろしいわけなんでありますけれども、そこに期待をしながら、また危惧の念も抱きながらというところで質問をさせていただいているところでございます。

 質問はかわりますが、今回、法改正に至ったその前提として、先ほども質問にございましたけれども、実際、どのような大学で、どのように教授会が関与したことで改革が阻まれたのか、その具体的事例を明確に教えていただきたいというふうに思います。

吉田政府参考人 今回の改正は、中教審の審議まとめにおきまして、教授会の審議事項が大学の経営に関する事項まで広範に及んでおり、学長のリーダーシップを阻害しているとの指摘があること、あるいは、教授会は法律上審議機関として位置づけられており、審議結果に対して直接責任を負わないものとされているにもかかわらず、事実上議決機関として意思決定を行っている場合も多いこと、こういうことなどの指摘を踏まえまして、教授会の役割を明確化しようとするものでございます。

 文部科学省におきまして全ての大学、学部を対象として行いました調査におきまして、次のように、さまざまな事項について教授会に決定権限があるとの回答を得ているところでございます。

 例えば、学内規程の制定、改廃に関しましては三七%、学部長や研究科長等の選任に関することにつきましては三七%、予算の配分、執行に関することにつきましては三三%、また、組織の編制に関することにつきましては一九%というような割合で教授会の関与が強い事例が見られるところでございます。

 また、教授会が反対したことによりまして学長による大学経営が阻害された事例としては、具体的には、キャンパスの移転計画や組織再編が教授会の反対によって実現できなかったり、実現まで非常に長い時間を要した事例、あるいは、学長が希望する副学長や学部長の人事が教授会の反対によって実現できなかった事例などを承知しているところでございます。

 中教審におきましては、こうしたデータ等も踏まえながら議論が行われてきておりまして、その結果に基づいて今回法改正をお願いしているところでございます。

青木委員 ありがとうございます。

 今回の教授会の役割の明確化ということについてでありますが、平成十六年の国立大学法人法制定の折には、この教授会の役割を明確化するところまでは不要だという判断があったかというふうに思います。それで、今回この法改正に至ったわけでございますが、先ほどもまた質疑の中でかなり詰めた議論がございましたけれども、私からも確認をさせていただきたいのは、改正案の九十三条の第二項と三項の関係でございます。

 まず、第二項の「教育研究に関する重要な事項」と第三項の学長等がつかさどる「教育研究に関する事項」、これはそれぞれどのようなものを想定しているのか、改めてお伺いをいたします。

吉田政府参考人 九十三条の二項のところで、入学、卒業、課程の修了と学位の授与の関係のほかに、三号では、学長が決定を行うに当たって、専門的な知見を有する教授会の意見を聞くことが必要であると認めるものというのを挙げております。具体的にこれにどういうものが当たるかということにつきましては、これはもう先ほど来の議論の中でも出てまいりましたけれども、具体例としては、教育課程の編成や教員の教育研究業績等の審査といったものがこれに該当するということでございます。

 一方、九十三条第三項として想定される事項としては、九十三条二項に規定する事項のほか、教育研究に関する事項として、これは各大学が実情に応じて判断をされるということになりますけれども、具体的な内容としては、例えば授業担当科目の決定を行うことですとか、共用設備の導入に関する検討をすることですとか、あるいは指導教員の変更、それから留学生の受け入れ等々、さまざまなものがここには入ってくるだろうと思われます。

青木委員 それでは、この二項に定める「意見を述べるものとする。」という義務的な事項と三項にまとめられました「意見を述べることができる。」という裁量的事項、この区分はどのような基準で検討されたのでしょうか。

吉田政府参考人 九十三条二項は、教育研究に関する重要事項のうち、学長が決定を行うに当たって、学長が教授会に意見を聞くことが適切であると考えられる事項、これが二項の三号のところに入ってくるわけでございます。三項の方は、もうこれはそれ以外の事項というふうに切り分けすることができると思います。

青木委員 そうしますと、教育課程の編成や教員の教育研究業績の審査は義務的事項であり、先ほどおっしゃった授業担当科目とか設備ですとか留学生等々の検討事項については裁量的事項という形になるということでよろしいんでしょうか。それぞれは重なることはないということでよろしいんでしょうか。

吉田政府参考人 三項の方は、法律上、前項に掲げるもののほかということになっておりますので、ダブることはございません。

青木委員 これは、そもそも決めておくことではなくて、大学側というか学長側というか、そちらの裁量に任せるということなんですか、それぞれの中身については。

吉田政府参考人 九十三条二項三号は、学長が必要と認めるものとなっておりますので、そこは学長で御判断をいただくということになります。

 三項は、二項に掲げております事項以外の事柄ということでございますので、教育研究に関する事項ということではございますけれども、特に誰かがそこで決めるというものでもございません。

青木委員 そうしますと、その内容については大学ごとに異なるということでよろしいんですか。

吉田政府参考人 そこは大学によって多様だと思います。

青木委員 ありがとうございます。

 そしてもう一点お伺いをしたいのですが、三項の、教授会は学長等がつかさどる教育研究に関する事項について審議しとございます。学長等が意見を求めないことについても、教授会の判断で審議することは認められるというふうな解釈でよろしいでしょうか。

吉田政府参考人 大学における教育研究の充実のために、学長等の求めの有無にかかわらず、教授会が教育研究に関する事項について審議をするということは、これまた重要なことでもございますから、学長等が意見を求めないことについても、教授会の判断で審議をすることは、これはもう自由でございます。

青木委員 ありがとうございます。

 この場合の「審議」というのと、現行法の「審議」ということの意味するところは同様に考えてよろしいということですか。

吉田政府参考人 審議という言葉は、「くわしく事の可否を論議・検討すること。」と広辞苑では書かれてございます。現行法の「審議」もこのような意味でございまして、本来、決定権を含意するものではございません。

 しかしながら、実態として、教授会による審議が決議を含むものとして運用されてきたという指摘も踏まえまして、今回の改正をお願いしているということでございます。

青木委員 先ほどの参考人質疑の中で、これは田中参考人の方から、それぞれの大学ごとに、この新しい法律を、その大学の目的に照らして運用すればよいのではないかという御答弁をいただいたのですけれども、この今の「審議」ということについても、教授会の判断で審議をすることは法律違反ではないし、それは、それぞれの大学がそれぞれの方針に照らしてこの法律を運用してもよいということでよろしいんでしょうか。

吉田政府参考人 今回の九十三条の改正は、学長が最終決定権を有するということを前提といたしまして、教授会との関係を明確にしよう、こういうものでございます。教授会がそれぞれの学部等の教育研究において重要な役割を果たしておりますから、その意味では、それぞれの大学の判断によって審議をされることについては、これはもう自由であるということでございます。

青木委員 ありがとうございます。

 それでは、副学長の職務の明確化とともに、学長の補佐体制も大変強化をされるということでございます。学長に対するチェック機能について、私からも確認をさせていただきたいと思います。

 今回の改正案で、教授会の権限の明確化、また、副学長にかかわる規定の整備を通じて、学長補佐体制が強化をされます。副学長は、学長の命を受けた補佐、特定の個人の学長を助ける意味合いが強過ぎて、全学の副学長としての機能を果たせるのかという心配の声も上がっております。

 そういう意味においても、学長の業務執行に対するチェック機能について、具体的にどのように構築されるお考えかを伺わせてください。

吉田政府参考人 学長に対するチェックする仕組みの御質問でございますが、まず、学長にはすぐれた人物が求められるということがございますが、学長をチェックするための仕組みとしては、監事による監査や、それから大学の自己点検・評価、また認証評価等の評価がございます。また、理事会や学長選考会議等の学長選考組織による業務執行状況の評価などの仕組みが存在をしております。

 中央教育審議会の審議まとめにおきましても、学長の業務執行状況について、学長選考組織や監事による恒常的な確認が必要であるという提言がなされておりまして、私どもとしては、この法律改正が成立した後に、施行通知等でその趣旨を徹底してまいりたいというふうに思います。

 また、こうした仕組みが十分でない場合につきましては、学長の任命権者である文部科学大臣や理事会が学長を解任することも制度的には設けられております。

青木委員 ありがとうございます。

 それでは、国立大学法人法の改正の方に移らせていただきます。

 国立大学が担う社会的な役割、個々の国立大学のあり方について、いわば文部科学省主導で、各大学の強み、特色、社会的役割、これを整理するミッションの再定義が行われました。国立大学の機能強化に向けた取り組みを促すように、国立大学法人の運営費交付金の配分方法等についても抜本的な見直しが図られるというふうに伺っております。

 今後の方針、見通しについてお伺いをいたします。

吉田政府参考人 文部科学省としましては、平成二十五年十一月に策定いたしました国立大学改革プランを踏まえまして、平成二十七年度までの改革加速期間において、各大学の強みや特色、社会的役割を明確にするミッションの再定義を踏まえた機能強化に取り組む大学に対しまして、重点支援を行うこととしております。

 また、平成二十八年度からスタートいたします第三期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金や評価のあり方につきましては、改革加速期間中における各大学の機能強化への取り組みの成果をもとに、平成二十七年度中に検討をし、見直しを進めていく予定でございます。

 具体的には、各大学が強みや特色、社会経済の変化や学術研究の進展を踏まえて、教育研究組織や学内資源配分を恒常的に見直す環境を運営費交付金の配分方法等において生み出すこと、また、新たな改革の実現状況を、その取り組みに応じた方法で可視化、チェックし、その結果を予算配分に反映させるPDCAサイクルを確立すること、こういったものを目指しながら、ただいま検討を進めているところでございます。

青木委員 最後の質問になりますが、先ほどの参考人質疑の中でも、OECDの中で日本が、高等教育の予算が対GDP比〇・五%と、平均の一%以上の半分だということの御指摘がありまして、まずは予算をふやすことがこの改革の第一歩ではないかという御答弁をいただいたところでございます。

 現在八十六校、国立大学がございまして、今後、総合大学、単科大学、さまざまございますが、全国的に均衡のとれた配置、教育の機会均等を保障するという国立大学のこれまでの趣旨、また、その政策の方針と逆行するのではないかという危惧を持つものでございますが、その点について下村大臣の御所見をいただければと思います。

下村国務大臣 国立大学は、全国的な高等教育の機会均等を確保するということについて重要な役割を担うこと、これは引き続き求められているところであります。こうした役割を果たすためにも、その有する機能強化、これを自主的、自律的に取り組んでいくことが必要であると考えます。

 ミッションの再定義は、各国立大学がこうした機能強化に取り組むための出発点として、各大学の強みや特色、社会的役割を明らかにしつつ、社会の要請に応えていくために行われるものでありまして、従来の政策と異なるものであるという御指摘ではありません。

 また、ミッションの再定義は、大学の自主的、自律的な取り組みを尊重しつつ、各国立大学と文部科学省が意思疎通の連携を行いつつ共同して行ったものでありまして、文科省のみの判断ということではありません。

青木委員 ありがとうございます。

 社会的要請に応えていくためには、大学がより一層社会に開かれたものとなることが必要でありますが、今回のこの法律改正は大変大きな改革だというふうに思っておりまして、もっともっと国民世論も踏まえた十分な審議が必要であることも申し述べながら、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

小渕委員長 次に、吉川元君。

吉川(元)委員 社会民主党の吉川元です。

 今回の法改正、どう考えましても、教授会が実際に担っている役割を縮小して、諮問機関化することに重点を置いているように思えてなりません。

 きょう午前中に行われました参考人質疑、田中参考人の方から、諸外国の大学改革についてお話を伺いました。いわゆるリーダーシップを強める改革もあれば、あるいは分権を強める改革、欧米では両方行われているというお話がありました。

 ただ、リーダーシップを強めるという、欧米、アメリカの方の大学の改革の中でも、今の日本の現行法よりもはるかに分権的な大学改革になっております。その前がどうだったのかというのは詳しくはわかりませんが。ですから、今回リーダーシップということを言われておりますけれども、国際的に見るとかなり異質な、特異な改革なのではないかというふうにも思っておりますし、また、多くの教育関係者の方から今回の法案について心配する声がたくさん上がっております。ぜひしっかりとした審議を保障していただくように、委員長の方にまずお願いをしたいというふうに思います。

 まず最初にお伺いするのは、文科省から国立大学法人に異動、これは正確に何と読むのかわかりませんが、人によっては異動官職というような言い方もされている方もいらっしゃいますが、出向に近い形だと思いますが、この実情について少しお聞きしたいと思います。

 さまざまなケースがあると思いますけれども、とりあえず、文科省から直接国立大学法人に異動している人の数、それから、国立大学法人で採用され、その後文科省に転任、移籍した後に、再び国立大学法人に異動している人の数、現在はどのような状況になっているのか、教えていただきたいと思います。

戸谷政府参考人 平成二十六年四月一日現在の数字で御報告させていただきたいと思いますが、国立大学法人の幹部職員、課長級以上ということでございますが、文部科学省から直接国立大学法人に異動している者、これは前職が文科省職員で、それから国立大学法人にそのまま異動している者ということでございますけれども、その数につきましては、八十六大学で二百三十九名でございます。

 このうち、先生今御指摘のございました、国立大学法人で一旦採用された後、文部科学省の職員となりまして、そこからさらに国立大学法人にまた異動している者というものでございますが、先ほど申し上げました数の内数で申し上げますと、八十六大学に対しまして二百八名ということでございます。

吉川(元)委員 それでは、引き続いてお聞きしますが、このように文科省から国立大学に異動している方、異動先の国立大学法人ではどのようなポストにつかれているんでしょうか。

戸谷政府参考人 幹部職員ということで、先ほども申し上げましたように課長級以上ということでございますが、異動先のポストといたしましては、副学長、理事、あるいは事務局が置かれているところにつきましては事務局長、さらには総務部長、財務課長等々の、ある種いわゆる事務系の管理職ポスト、そういったものが多うございます。

吉川(元)委員 非常にたくさんの方がいわゆる大学の主要な、副学長の方もいらっしゃるというお話ですけれども、ついておられる。

 ある方に聞いたところ、現在は少し減っているということですけれども、以前は十五人近くの方がさまざまな形で、理事だとか事務局長あるいは部長というようなポストについていた。結果として、大学の運営の事務に精通したプロパーの職員の方が管理職になっていくポストがそもそももうなくなっているというようなことも伺っております。

 異動という名称ですけれども、異動というか出向という形ですか。出向という名称ですけれども、これは形を変えた天下りなのではないか、特にキャリアの方についていえば天下りになるのではないかというふうに思いますが、これについては大臣の方に見解を伺いたいと思いますが、いかがお考えでしょうか。

下村国務大臣 文部科学省職員が国立大学法人の理事や副学長などに出向することについては、任命権を有する各国立大学法人の学長からの要請に基づくものであります。また、文部科学省から推薦された職員を実際に採用するか否か、あるいはこれらの役職員を経営協議会委員などに指名するか否か、これは学長の判断によって行われております。

 このように、文科省からの出向者の受け入れ及びその者の学内での活用については学長の権限と責任において行われておりまして、出向者は、大学の職員として、学長の指揮監督のもと職務を遂行するものであります。したがって、文科省からの出向に当たって、大学の運営に関し国の関与を強めるとか、大学の自主性を損なうとかいうことはないわけであります。

吉川(元)委員 文科省から出向で出ていく現状について、非常に強い危惧を私は抱いております。

 というのは、若いうちに人事交流のような形で実際の大学の現場の事務にかかわって、大学運営の実情を理解した上で、文科省に戻ってその経験を生かすというのであれば、これはあり得る話だろうと思います。ただ、大学側が求めているというふうに言いますけれども、それは大学と文科省の間の力関係も恐らく反映しているかというふうに思います。

 今言ったような非常に枢要なポスト、理事だとか事務局長だとかあるいは副学長といった、そういう非常に重要なポストに文科省の役人、キャリアの方がつくということは、大学側から言われたにしても、結果的にいえば、文科省が大学法人の経営や運営に文科省の考えを、間接的といいますか、直接的と言ってもいいかもわかりませんが、反映させるということにつながっているのではないかというふうに思いますけれども、この点はいかがですか。

戸谷政府参考人 このような交流人事につきましては、文部科学省側といたしましては、国立大学法人の実際の業務等の知見を文部科学省の行政に反映させることができる、それから、大学側におきましても、例えば国立大学協会におきましては、国立大学法人の幹部職員の人事交流によりましてさらに幹部職員の知見を高めていくということの意義が言われておりまして、そういった事柄につきましても、人事交流のルールの一つということで定められているということでございます。

 ただ、いずれにいたしましても、先ほど大臣が申し上げましたように、大学側からの要請に基づきまして、文部科学省といたしましてはその要請を踏まえた適切な者を推薦するということでございまして、最終的には学長の御判断によりまして、私どもの職員も大学側で活躍させていただいているということでございます。

吉川(元)委員 都合がいいところでは、学長が最終的に判断をしているとか学校側からの要請があるというふうに言って、他方で、教授会との関係においては、教授会がいろいろなことをやっている、勝手にやっていると。法的には、学長の方に、法文上は現行法でもそうなっているにもかかわらず、実態がそうなっていないから今回の法改正をするんだ、非常に都合のよい使い方をされているというふうにしか思えません。

 今回、法改正でいいますと、これはまた時間があればより詳しく、後ほど、次回にでもやりたいと思いますけれども、副学長について、これまでは「学長の職務を助ける。」というふうになっております。ところが今回は、「学長を助け、命を受けて校務をつかさどる。」というふうなところまでになっております。

 ちょっとお伺いするんですが、これまで文科省の方から副学長になった方がいらっしゃるというふうに言われましたけれども、今度、新しく、副学長はこれまで以上に大きな権限を、実際にはもう、例えば学長がいない場合であるだとか、あるいは海外に出張する場合であるとか、あるいは学長から依頼をされた場合には、校務をつかさどるという、ナンバーツーでありますけれども、事実上の実際の校務をつかさどるわけですから、この副学長についてまさか文部科学省の役人の方が天下るというようなことは、天下るといいますか出向されるというようなことはないんでしょうか。

戸谷政府参考人 今先生御指摘の副学長でございますけれども、現時点におきましても、文部科学省から副学長に出向している職員につきましては二十六名おります。これは、国立大学全体の副学長が今四百九十五名おりまして、その中での五・三%ということでございます。

 最前来の繰り返しで大変恐縮でございますけれども、やはり、副学長につきましても、各学長からの要請があって、適任と思われる者がいて、さらにそれを、副学長がその人が適切だということで判断があれば、このことにつきましては、今回の法改正後においても同様の推薦を文部科学省の方からまた行わせていただくということはあり得るというふうに考えております。

吉川(元)委員 やはり、文科省からの天下り先を新たに権限を強化してつくったというふうにしか私自身は思えないんですが、ちょっとこの問題についてはまた次回、時間があれば少しお話を聞きたいと思います。

 続いて、教授会の役割等々について少し質問させていただきます。

 学校教育法の改正、とりわけ教授会と大学経営に関する事項についての質問でありますけれども、二月に取りまとめられました中教審の審議まとめ、「大学のガバナンス改革の推進について」では、「大学の意思決定過程を外部から見た場合、権限と責任の所在が不明確ではないか、大学として意思決定するまでに時間がかかり過ぎるのではないか、といった疑問が、社会の各方面から寄せられ」ている、だから学長のリーダーシップ発揮が期待されている、そういうふうに出ております。

 理事会や理事長が暴走して学校の運営に大きな支障をもたらした事例というのは、これは当委員会でも少し議論させていただきましたが、堀越学園という顕著な例がございます。そういう事例は、逆の事例はわかるんですけれども、しかし、権限と責任の所在が不明確なゆえに学校運営が抜き差しならない事態になっている事例は、余り耳にしたことがありません。

 審議まとめでは各方面と言いましたので、それをよく見ますとそのところに注意書きがあって、どうやって書いてあるかというと、経済同友会からこういうお話があったというふうに出ておりますが、一体それ以外にどういったところからこのような指摘がされているのか。

 それから、あわせまして、前回の当委員会で、吉田局長の方から、教授会が、大学の経営に関する事項まで広範に審議しており、実質的に決定機関として運用されているなど、学長による大学改革の取り組みを阻害している場合もあると指摘されている、そういうふうに答弁されております。これも今の質問と同じですが、どのような案件で、どのような改革が阻害されているのか、また、指摘されているのはどのような方なのか、具体的にお答えください。

吉田政府参考人 お答えいたします。

 教授会を初めとした大学運営における権限と責任の問題については、教授会の審議事項が大学の経営に関する事項まで広範に及んでおり、学長のリーダーシップを阻害しているとの指摘がある、また、教授会は、法律上審議機関として位置づけられており、審議結果に対して直接責任を負わないものとされているにもかかわらず、事実上議決機関として意思決定を行っている場合も多いなどの課題が、中央教育審議会大学分科会の審議まとめにおいて指摘をされているところでございます。

 この分科会におきましては、国公私立の大学関係者はもとより、経済界出身の委員あるいは弁護士、公認会計士など、さまざまな階層に属する有識者に御参加いただきながら議論を行ってきたところでございまして、その審議まとめの内容は、参加していただきました有識者の方々の総意が反映されたものというふうにお考えいただきたいと思います。

 この分科会の議論におきましては、必ずしも個々の事例について取り上げて議論したわけでもございませんが、各有識者の経験や知見を踏まえた現状認識として教授会の問題点が指摘されたわけでございまして、それを踏まえて取りまとめに至ったものでございます。

吉川(元)委員 ちょっと具体的に言ってください。そこの委員の総意だと言いますけれども、どういう事実に基づいてそういうことを指摘して、それはもちろんまとめですからあれですけれども、この委員の皆さんの中でこういう議論になったというのはいいんですけれども、具体的な事例をちょっと言ってみてください。

吉田政府参考人 この審議の過程では、文部科学省におきまして、全ての大学、学部を対象にした調査も行いました。

 その中で、さまざまな事項について教授会に決定権限があるというふうに回答を得たものがございます。

 例えば、学内規程の制定、改廃に関することにつきましては三七%の大学において、また、学部長や研究科長等の選任に関することについては三七%、予算の配分、執行に関することについては三三%、組織の編制に関しては一九%というような数値が上がってきております。

 また、具体的な事例ということになりますと、教授会が反対したことで学長による大学経営が阻害された事例としては、具体的には、キャンパスの移転計画や組織再編が教授会の反対によって実現できなかったり、実現までに非常に長い時間を要した事例ですとか、あるいは、学長が希望する副学長や学部長の人事が教授会の反対により実現できなかった事例、こういったものが議論の俎上には上がってきたということでございます。

吉川(元)委員 そうしますと、今ほど、大学の移転について教授会が反対をして進まなかったというお話がありました。これは鈴木委員から先ほど質問があったと思いますけれども、大学の移転に関しては、九十三条の二項の三号の、ここに書いてある「重要な事項」に当たるというふうに答弁されておりましたが、それは間違いないですか。

吉田政府参考人 それは先ほど答弁したとおりでございます。

吉川(元)委員 つまり、「教育研究に関する重要な事項」に当たるものに教授会が意見を言うというのは、これはごくごく当たり前の話なんじゃないんですか。

吉田政府参考人 意見を述べるというのは、これは当然のことだと思いますが、結局、そのことについて最終的な決定権がどこにあるのか、そこのところが今回の法律改正の主眼でございます。

吉川(元)委員 では今のお話に関連して、少し方向を変えてお伺いします。

 先ほど、これは青木委員の質問に対してだと思いますけれども、九十三条二項三号と三項の関係についてお話がございました。その際に、この二つについては、そこで行われる具体的な事項に関しては重ならないというふうに答弁をされておられましたが、これは間違いないですか。

吉田政府参考人 そのように答弁いたしました。

吉川(元)委員 だとすれば、局長自身、大学の移転に関しては「教育研究に関する重要な事項」であるとしながら、ここに書かれているのは、学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めた場合というふうになっております。

 今ほども言ったとおり、学長と教授会で意見が対立した場合に、学長は当然、「教育研究に関する重要な事項」である大学移転に関して、教授会に全く諮らないということは可能なんですか。

吉田政府参考人 「教育研究に関する重要な事項」という中には、学部の移転ですとかキャンパスの移転ですとかということは、これは入り得ると思います。

 ただ、三号の方は、あくまでもそこの判断権を学長に委ねているという部分がございますので、先ほどの議論をまた繰り返しますけれども、学長が認めるものに含まれていない場合となれば、教授会に諮らなくても違法ではないということを先ほども申し上げたところでございます。

吉川(元)委員 ちょっとわかりにくいんですけれども、つまり、九十三条二項第三号、ここでは、「教育研究に関する重要な事項」、これは大学の移転は入ると答弁されました。先ほども言ったとおり、対立をしているわけですから、当然学長側は、教授会に諮ったって教授会は反対するんだからもう諮らないというふうになることは十分考えられるわけです。

 ところがもう一つ、局長が答弁されたのは、三項は二項三号とは重ならないと言ったんです、先ほどの答弁で。重ならないという答弁をされています。重なるんですかというふうな質問に対して、二項三号と三項の事項については重ならないという答弁をしています。

 とすると、移転に関して教授会は一切どこでも審議ができないということにならないですか。

吉田政府参考人 キャンパスの移転という重要事項については、本来的には二項三号の「重要な事項」ということだ、こう思います。

 ただ、そこのところで、仮に学長がその事項として取り上げなかった場合におきましても、三項の方は、これは、それ以外のことに関しまして、「教育研究に関する事項」について審議することはできますので、その中に入ってくるということは十分考えられると思います。

吉川(元)委員 そうしますと、二項三号に基づいて学長が意見を聞く必要があると認めなかった場合には、自動的にその他の項目は全部この第三項の方に移っていくということの認識でいいんですか。

吉田政府参考人 三項の方につきましては特に制限はございませんので、三項の世界で「教育研究に関する事項」について教授会は審議をするということについては、広範に認められるものだと思います。

吉川(元)委員 ちょっと、非常にわかりづらい中身でありますし、またこれも次回以降少し質疑させていただければというふうに思います。

 時間がもう余りないので、次に、お手元にお配りの資料に基づいて少し質問させていただきたいと思います。

 これは、昨年九月の二十五日、中教審大学分科会の第三回組織運営部会に文科省自身が提出された資料です。一枚目は、私立大学の意思決定について、理事長、理事会、学長、教授会等々のうちどの機関が強い影響力を行使しているかを示したものです。

 このうち教授会は、教学計画で四四%という数字になっています。これは、教育研究を進める上で教学計画は切っても切れない関係ですから、高い数字が出るのは当然なんだろうというふうに思います。

 ところが、問題なのは、施設計画あるいは財務計画です。教授会は、施設計画についてはわずか一%しか強い影響を与えていない。そして、財務計画については、何とこれは〇%。要するに、施設や財務という経営に関する事項で教授会が影響力を行使していない、あるいは行使できない状況になっているのではないんですか。

 学長のリーダーシップを発揮させる、そのためには、経営に口出しをしている教授会が関与してはだめだということが立法事実のはずですけれども、そのような事実は、これは文科省自身が出されたアンケートですけれども、表ですけれども、ここからは全く読み取れないんですけれども、どういうことでしょうか。

吉田政府参考人 御指摘の資料は、私立大学を設置する学校法人を対象として、学内の意思決定について最も影響力の強い機関を尋ねるアンケート調査の結果でございます。

 この調査では、委員御指摘のように、施設計画、財務計画については理事会が最も影響力が強い機関として挙げられております。一方、教学計画につきましては、委員御指摘のように、教授会が四四%という形になっておりますけれども、ここでの教学計画には、組織再編や定員等の経営に関する事項も含まれるということでございまして、そういったものについての意思決定への影響が最も強い機関として教授会が挙がってきているわけでございますから、審議機関である教授会が経営に関する事項に強く関与しているという事実が上がってこようかと思います。

 また、国公私立大学を対象といたしました私どもの調査においても、予算に関する事項や学内規程の制定、改廃に関する事柄についても教授会において審議、決定をされている実態が見られるということで、これは先ほど少し数値を挙げて御紹介させていただいたところでございます。

 さらに、一部の大学におきましては、キャンパスの移転や組織再編など、大学全体の経営に関するような事項まで審議されている実態が指摘をされているということでございまして、今回、そういった事柄につきまして学長と教授会の関係の明確化を図ろうという法改正をお願いしているところでございます。

吉川(元)委員 もう時間が来ましたので終わりますけれども、先ほど四四%の中には経営に関する事項も含まれている云々と言われましたが、審議まとめの中にこう書いてあります。「もっとも、大学の目的が教育研究そのものにあることから、教育研究に関する事項と経営に関する事項を明確に分けることは困難な面がある。」そういうふうに書いてあるわけですよ。なぜそれを、これを持ってきてそのような話になるのかというのは私は全く理解ができません。

 もう時間が来ましたのでこれで終わりますが、慎重審議を何とぞよろしくお願いいたします。

小渕委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時二分散会


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