衆議院

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第6号 平成17年10月25日(火曜日)

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平成十七年十月二十五日(火曜日)

    午前九時三分開議

 出席委員

   委員長 鴨下 一郎君

   理事 石崎  岳君 理事 大村 秀章君

   理事 北川 知克君 理事 長勢 甚遠君

   理事 宮澤 洋一君 理事 仙谷 由人君

   理事 山井 和則君 理事 福島  豊君

      新井 悦二君    井上 信治君

      上野賢一郎君    岡下 信子君

      加藤 勝信君    上川 陽子君

      川条 志嘉君    木原 誠二君

      木村 義雄君    河野 太郎君

      清水鴻一郎君    菅原 一秀君

      戸井田 徹君    冨岡  勉君

      中山 泰秀君    西川 京子君

      林   潤君    原田 令嗣君

      福岡 資麿君    松浪 健太君

      御法川信英君    吉野 正芳君

      内山  晃君    菊田真紀子君

      五島 正規君    郡  和子君

      園田 康博君    田名部匡代君

      村井 宗明君    柚木 道義君

      古屋 範子君    桝屋 敬悟君

      笠井  亮君    阿部 知子君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   厚生労働大臣政務官    西川 京子君

   参考人

   (名張市長)       亀井 利克君

   参考人

   (社会福祉法人コミュニティーネットワークふくい専務理事)         松永 正昭君

   参考人

   (さいたま市手をつなぐ育成会会長)        浅輪田鶴子君

   参考人

   (福島県精神障害者家族会連合会会長)       相澤 與一君

   参考人

   (全国心臓病の子どもを守る会事務局次長)     水谷 幸司君

   参考人

   (精神医療サバイバー)  広田 和子君

   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君

    ―――――――――――――

十月二十五日

 医療等の制度改革に関する請願(野田聖子君紹介)(第二三号)

 ホームレス対策予算確保に関する請願(近藤昭一君紹介)(第二四号)

 同(寺田学君紹介)(第四〇号)

 同(北橋健治君紹介)(第一一〇号)

 同(藤村修君紹介)(第一一九号)

 同(石井郁子君紹介)(第一四二号)

 同(泉健太君紹介)(第一四三号)

 同(笠井亮君紹介)(第一四四号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一四五号)

 同(辻元清美君紹介)(第一四六号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一四七号)

 中小自営業の家族従業者等に対する社会保障制度等の充実に関する請願(篠原孝君紹介)(第三一号)

 同(森本哲生君紹介)(第三二号)

 同(川内博史君紹介)(第四一号)

 同(北神圭朗君紹介)(第四二号)

 同(園田康博君紹介)(第四三号)

 同(平沼赳夫君紹介)(第四四号)

 同(松本龍君紹介)(第四五号)

 同(市村浩一郎君紹介)(第五四号)

 同(平岡秀夫君紹介)(第五五号)

 同(馬淵澄夫君紹介)(第五六号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第八四号)

 同(石井郁子君紹介)(第八五号)

 同(笠井亮君紹介)(第八六号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第八七号)

 同(穀田恵二君紹介)(第八八号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第八九号)

 同(志位和夫君紹介)(第九〇号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第九一号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第九二号)

 同(横光克彦君紹介)(第九三号)

 同(吉井英勝君紹介)(第九四号)

 同(北橋健治君紹介)(第一一一号)

 同(田村謙治君紹介)(第一一二号)

 同(達増拓也君紹介)(第一二〇号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第一二一号)

 同(吉良州司君紹介)(第一二六号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第一四八号)

 同(石井郁子君紹介)(第一四九号)

 同(笠井亮君紹介)(第一五〇号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一五一号)

 安心できる介護制度など社会保障の拡充に関する請願(吉井英勝君紹介)(第七七号)

 患者・国民負担増計画の中止に関する請願(穀田恵二君紹介)(第七八号)

 最低保障年金制度の実現に関する請願(志位和夫君紹介)(第七九号)

 障害者自立支援法案反対に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第八〇号)

 障害者の福祉・医療サービスの利用に対する応益負担の中止に関する請願(石井郁子君紹介)(第八一号)

 精神障害者通院医療費公費負担制度に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第八二号)

 利用者負担の大幅増など介護保険改悪反対に関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第八三号)

 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(吉良州司君紹介)(第一二五号)

 同(笠井亮君紹介)(第一五二号)

 在宅酸素療法の健康保険適用と生活保護者の一時扶助支給に関する請願(笠井亮君紹介)(第一四〇号)

 最低保障年金制度創設に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第一四一号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 障害者自立支援法案(内閣提出第一一号)(参議院送付)

 障害者の自立の支援及び社会参加の促進のための身体障害者福祉法等の一部を改正する法律案(山井和則君外五名提出、衆法第一〇号)


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     ――――◇―――――

鴨下委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、参議院送付、障害者自立支援法案及び山井和則君外五名提出、障害者の自立の支援及び社会参加の促進のための身体障害者福祉法等の一部を改正する法律案の両案を一括して議題といたします。

 本日は、両案審査のため、参考人として、名張市長亀井利克君、社会福祉法人コミュニティーネットワークふくい専務理事松永正昭君、さいたま市手をつなぐ育成会会長浅輪田鶴子君、福島県精神障害者家族会連合会会長相澤與一君、全国心臓病の子どもを守る会事務局次長水谷幸司君、精神医療サバイバー広田和子君、以上六名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、参考人の方々から御意見をそれぞれ十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際は委員長の許可を受けることになっております。また、参考人は委員に対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず亀井参考人にお願いをいたします。

亀井参考人 おはようございます。御紹介いただきました三重県名張市長の亀井利克でございます。

 きょうは、この厚労委員会に御案内をいただき、意見を述べさせていただく機会をいただきましたことをまず御礼を申し上げさせていただきたいと存じますし、また、委員先生方には、日ごろから地域福祉の充実、進展のために格別なる御指導なり御高配をいただいておるわけでございまして、この席をおかりいたしまして、重ねて厚く御礼を申し上げさせていただきたいと存じます。

 それでは、早速でございますけれども、この自立支援法につきまして、当方の意見を十分から十五分以内の間で述べさせていただきたいと存じます。

 一九八一年に国際障害者年がございました。以来、ノーマライゼーションの理念が浸透する中で、施設から地域への流れが本格的なものとなってきておるわけでございます。我が国におきましても、一九九〇年、平成二年でございますが、福祉八法の改正が行われまして、以来、制度改正等が行われる中で、大きくは十年後の二〇〇〇年、社会福祉事業法が社会福祉法に改正され、その年に介護保険法がスタートしたわけでございます。

 これら一連の流れは、社会福祉というものはこれから基礎的自治体である市町村が主体的に担っていくものだ、こういうふうにされたわけでございます。権限移譲、サービスの一元化が進められる中で、措置から契約へ、そして地域生活支援へと、その福祉の体制として地域福祉というものが位置づけられたところでございます。

 私ども基礎的自治体からいたしますと、本当に市民の皆様方に最も近い位置で行政を担わせていただいておる、最も現場を熟知している、その私どもが福祉を主体的に担わせていただくこの方向性につきましては、私どもは願ってもないことだ、こんなふうに思わせていただいているところでございます。

 二〇〇三年から支援費制度がスタートいたしたわけでございます。これは自立支援という切り口からいたしますと、まさに制度導入においてはすぐれものであったのかな、こんなふうに思っております。使い勝手がよろしいわけでございまして、利用者が急増していったわけでございます。大体平均をいたしまして一・五倍ずつぐらい伸びていっている、そんな状況でございますし、障害者の自己実現を図っていくに大きなインパクトを与えた、そんな制度ではなかったのかな、こんなふうに思っているところでございます。

 ところがでございますけれども、三年経過する中で、課題も多く出てきておることは確かなことでございます。

 それは、大きく一つには、私ども、頑張れば頑張るほど、頑張っておる自治体ほど財政的に非常に厳しく窮屈になってきた、こんなふうなことがございます。よって、持続可能な制度とは言いがたいというふうに私どもは今思っているわけでございます。そして、国の費用負担も明確ではないということが言えます。

 それから大きくもう一つは、これはそれ以上に残念なことなんですけれども、この制度がありながらサービスが提供できていない自治体、それは例えば精神、これはまだ入っていませんけれども、知的にいたしましても四〇%から五〇%の自治体がサービス提供ができていないという、非常に残念な現実もあるわけでございます。

 小規模自治体からいたしますと、施設がない、よってマンパワーがいない、財政も非常に厳しい。そこにお住まいいただいている方の比率というのは五%ぐらいですから、大きな声にもなっていかない。そんな中で、取り残されていると申しましょうか、そういうサービス提供ができていない自治体が多いという厳しい現実があるわけでございまして、地域間格差というものがどんどんどんどん大きくなってきておるということでございます。それと、サービスの一元化が進められる中で、精神が取り残されてきたな、就労の対策も弱いな、こういうふうなことを感じているところでございます。

 そんな中で、持続可能な制度としていただかなければならない、全国のどこでお住まいいただいておりましても、生活をしていただいておりましても、一定水準のサービスが提供されていく、そういう環境を整えていかなければならない、その一つのツールとしての法ということについて大変意義があるのではなかろうか、こんなふうに思っているところでございます。国の負担を義務的経費に明確にすることによりまして安定した財源が得られる、あるいはまた、支給決定の透明なルールができることによりまして全国どこででも公平公正なサービス提供がなされていくということでございます。

 それから、私ども基礎的自治体からいたしますと、高齢者の方でございましても、あるいはまた障害をお持ちの方でございましても、自立支援という一つの切り口からいたしますと同じものであるというふうに思っているわけでございます。つまりが、医療が終わりますと、自立支援が必要な方、介護が必要な方につきましては、やはり介護保険でもよろしいですし自立保険でもよろしいですけれども、そういう保険で後はカバーしていける、フォローしていける、そういう状況が欲しいな、そうしていかなければならないな、こんなふうにも思っておるわけでもございます。私ども自治体は、やはりこれまでの縦割りを横割りにすることによって、地域福祉にかなう、そんな制度としていただきたいなと思うわけでございます。

 私どもの地域福祉計画というものは、御案内のとおり、住みなれた地域社会の中で生涯を通じて健康で活力に満ちた、そんな生活を送るためのものでもございますし、また、障害をお持ちの方も、あるいはまた高齢者の方々も、その住みなれた地域の中で普通の暮らしができる、そんな環境を整えていこうとするものであるわけでございます。

 この地域福祉計画は、高齢者計画あるいは障害者計画、子育て計画そして健康づくり計画、こんなものとリンクさせながら今取り組んでいるところでございますけれども、国にございましても、ゴールドプランがあったり、あるいはまた障害者基本法による計画があったり健康日本21があったり次世代育成推進の行動計画があったり、そういうふうなグランドデザインを描かれた中で、今それを現実のものとする一つの法律が自立支援法ではなかろうか、こんなふうに思っておりまして、早く法案を通していただく中で地域福祉計画の追い風としてまいりたい、こんなふうに思わせていただいているところでございます。

 しかし、スムーズな運営に向けまして、導入に向けましては、課題もあることは確かなことでございます。私どもは、条例の制定であったり支給決定の事務に加えまして、負担軽減の措置が手厚く、いろいろ網がかけられている状況にあるわけでございますけれども、事務がかなり煩雑になることも予測されているわけでございますから、もっとシンプルなものにしていただけないかというふうにも思わせていただくわけでございます。

 また、地域生活支援事業というものはまだ補助事業として残されておるわけでございます。これは県が行うこともできるわけでございますけれども、義務的経費にしていただきたいなと。このしわ寄せがやはり市町村に来るのではないか、こんなふうにも思っているところでございます。

 それから、サービス単価が今、示されておりません。これは、介護以上のものでなければ法人事業者は手を引かれることもあり得るわけでもございますから、それを自治体が担うということになってくると、大変なことになってまいります。地域福祉計画というのは、法人事業者、市民の皆様方、そして私ども行政が三位一体となって進めていこうとするものでもございますので、何とかこのサービス単価というものが介護以上のものにされるように願っているところでもあるわけでございます。

 それから、負担軽減の選択肢が示されております。扶養その他でございますけれども、その中で、子供というものは、それは選べないわけでもございます。さきの国会で、議員立法によりまして、発達障害者の自立支援法が成立を見たわけでございまして、私は、さすがの感がしきりといたしているところでございますけれども、今後、これはサービスの一元化というものを図っていただかなければならぬ部分でもございますから、その辺も課題があるのではないかというふうに思っています。

 それから、今、私どもの担当者に県の方からいろいろな経過等の説明が行われているわけでございますけれども、県の担当者でございますと、質問をしても、国へお伝えします、こんなことでしかないわけです。ですから、私どもは、これからやはり国みずからがブロックごとに出向かれてそういう担当者との議論をしていただく中で、それを政省令に反映させていただければなというふうに思うわけでございます。介護の包括支援センターについても、かなり温度差があるのかなというふうに私も思っているわけです。それと、自立支援センターというのは将来的にはやはり関連するものでもございますから、そんなことがきちっと説明できる方が出られて説明されるのがいいのではないか、こんなふうに思っているところでございます。

 平成十二年の四月に分権一括法が施行になりまして、以来、私ども基礎的自治体、これは都道府県も一緒でございますけれども、自立に向けた努力を余儀なくされるところとなったわけでございます。

 そんな中で、自立の定義ですが、いろいろあろうかと思いますが、私、三つぐらい重要なことがあると思います。

 それは、一つには、財政的な自立でございます。そして二つ目には、市政に対して、市民の皆様方が参画共同の仕組みがきちっとできておらなければならないということです。そしてもう一つは、住民自治の熟度が高まらない限り自治体の自立もあり得ないのかな、こんなふうに思っているところでございます。地域福祉計画というのは、共助の社会を築いていくため、住民自治の熟度を上げていく一つのツールともなってくるものでございます。それを支える、地域福祉を支える一つの法律が自立支援法である、こんなふうにも思っているところでございます。格別の御理解を賜りたいなと思っておる次第でございます。

 以上でございます。よろしくお願いいたします。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 次に、松永参考人にお願いいたします。

松永参考人 皆さん、おはようございます。

 ただいま御紹介をいただきましたコミュニティーネットワークふくい、通称C・ネットふくいの松永でございます。

 本日は、諸先生方に私の障害者雇用と地域生活の体験をお話しさせていただきますことは大変光栄に存じておる次第でございます。

 先生方には資料をお届けしてございますので、その中に骨子を示してございます、ごらんいただきながらお話をお聞きいただければと思っているわけでございます。

 まず最初に、自己紹介でございますけれども、私には、現在、三十三歳になる重度の知的障害を持つ男の子がございます。知能指数は二六、療育判定はA1の重度、職業能力判定は重度でございますけれども、養護学校を卒業いたしまして二年間通所の授産施設で訓練を受けた後、福祉工場に就職いたしました。十三年が経過をいたしているところでございます。現在は、一級障害基礎年金と勤労所得で手取り約百五十万程度でございますけれども、そのお金で地域生活、グループホームで暮らしているものでございます。

 日々、生き生きと働きながら明るく元気に暮らしている姿を見ますとほっとするわけでございますが、これが今後も継続するために、ぜひとも今回の障害者自立支援法についてよろしく御検討いただき、よき方向で御決裁いただくことをひたすら願っているものでございます。

 また、私は、障害のある人の就労、雇用に携わりまして四十年を経過したわけであります。最初は、聴力障害の方の雇用をするに当たりまして、当時、労働組合の執行委員長をしておりました関係から、この方々の労働条件を策定する、これが最初の仕事でございました。そして、昭和四十四年に倒産企業の再建を担当することになりました。行ってみますと、従業員は二十四名、そのうちの八名が知的障害、精神障害、そして身体障害の方たちでございました。三分の一の方々がハンディキャップをお持ちでございましたけれども、その人たちから私はいろいろなことを学びました。そして、その人たちの真摯な努力によって、四年後にその倒産企業を再建することができたわけであります。

 時は、昭和四十九年を境といたしまして、第一次、第二次のオイルショックがございました。産業界は大きく急激な変化をすることになりました。倒産企業を再建したという実績を評価されたのでありましょうか、現在の会社もそうでございますけれども、七つばかりの会社の経営に参画することになりました。どの企業へ参りましても、やはり障害のある方々が在籍しておられるわけであります。ハンディキャップを持ちながらも明るく元気に働く。その人たちから、物の考え方によって心が豊かになるということを感じさせていただくことができました。そして、何よりも、何事に対しても決意を持って取り組むことの大切さを学んだわけでございます。私の今日あるのはその方々のおかげだと、日ごろ感謝をしているわけでございます。

 また、C・ネットふくいという社会福祉法人は、福井県の育成会、いわゆる親の会の施設運営部門を分離独立した法人でございます。昭和五十年末期から六十年ころ、養護学校の教育が義務化されました。そして、だれもが教育を受けられるようになりました。私の子供も養護学校に学んでおりまして、その進路先について、各企業や施設を視察に参りました。そこで感じたことは、この施設のあり方というのは一体何だろうかと、私は障害者の雇用を進めている中で大変疑問と不信と不満を持ったわけでございます。そして、それらにつきまして御意見を申し上げますと、学校の先生からは上着の後ろを引っ張られるわけであります、言わないでほしいと。そういったことを言うとうちの子供の行く先がない、こういうことでございましたものですから、こんなことではおかしいじゃないかと。では、私たちは私たちの子供の進路先をつくろうじゃないかという形で、各養護学校のPTA連合会をまとめて、いわゆる二十一世紀までの長期ビジョン、だれもが地域の中で当たり前の生活をさりげなく暮らせる社会の創造として発表したものであります。

 ところが、当時といたしますれば、親に何ができるかと、当時の愛護協会長からは恫喝を受けました。しり込みする親たちを前にいたしまして、こんなことはだれでもできる、私なら十年でやってみせるというたんかを切って、その切ったおかげで決意を持って臨んでまいったわけでございますけれども、平成三年に通所の授産施設を開設し、翌年に福祉工場を創業いたしました。以来十五年でありますけれども、現在、知的障害児者の登録数は八百三十七名、障害者の雇用数は百七十一名、授産施設での職業訓練中の者が二百十四名でございます。特に授産施設での二百十四名の者たちの能力評価をいたしますと、約七割の方は雇用に移行ができるという判断をいたしているところでございます。そのことから、今年度から五カ年計画で第六次の事業計画を進めるわけでありますけれども、最終年度には障害者の雇用目標数を三百五十人に修正したところでもございます。現在、この具現化に向けてさまざまな取り組みをしているところでございます。

 次に、私たちの目指す方向でございますけれども、私たちは今日まで人としての尊厳にふさわしい処遇の確立を運動の柱としてまいりました。しかし、この権利獲得運動に対して、少子高齢化が進み、国と自治体の財政が困窮する中で、国民の一部からは福祉亡国論がささやかれ、その声は年々大きくなりつつあると感じているわけでございます。

 私は、障害者も可能な限り働き、社会保障費の負担金を納め、誇りを持って暮らす、その具現化への支援が、福祉関係者の責務として、改正前の障害者基本法第六条に示されております、「障害者は、その有する能力を活用することにより、進んで社会経済活動に参加するよう努めなければならない。」この文言を重視いたしまして、障害者に働く機会を与えない、働きたい人を働かせないのは基本的人権の侵害との考えで、重度障害者の就労、雇用に取り組んでまいりました。

 昨年度の福井県の障害者雇用率は一・八%でありますが、そのうち〇・四%を当法人が占めております。これは、現場の職員が障害者一人一人の個性を尊重して誠実な支援に取り組んだ成果でありまして、私が特別な雇用対策を講じたわけではございません。ただ、指導する立場の者は、教える心と技術、活力と思いやりのバランスを身につけることと、だれにも信頼される人間になれ、この二つを繰り返して言い続けてまいりました。

 年二回、職員の総合研修会を行っております。ここでは、小集団活動を発表いたしまして、保護者を初めとする各関係機関の方に事業評価をしていただいておるわけであります。この評価をもとに、私どもは給与体系は年俸給を導入しておりますものですから、プロ野球ほどではございませんけれども、活動のプロセスとその成果を参考にして昇給、昇格をしているわけでもございます。

 一昨年、障害者の住居と経済活動の実態調査をいたしました。その結果、障害者の約四〇%が働いて生きがいのある暮らしを希望しております。また、親は一生涯を安心して暮らせる社会の持続を願っているものであります。私たちは、これらの願望を具現化するためには、互助の精神を養い、まずは自助努力に励み、届かない部分を公助が補う、この仕組みを整えることの必要性を感じているわけであります。

 このたびの障害者自立支援法案に記されております応分の自己負担について、支払いが困難との意見を耳にいたしますけれども、私は、障害者福祉は住民福祉の一部である、老人福祉と同様に市町村が障害者の諸事情を考慮して、働ける人には働く環境を支援しての所得保障と公営住宅の提供などで地域生活をより可能にする、また、働くことが困難で所得の少ない人には、現在示してありますように自己負担の減免をするなど、住民の合意を得られるような施策をお願いするものであります。

 町を歩きますと、放置された空き店舗や施設、農耕地や果樹園等の資源が目につきます。仕事のネタも情報もたくさん転がっております。これらを有効に活用すれば、障害者に適したさまざまな仕事が創造できます。だれもが誇りを持って働き、生き生きと暮らす、これは万人共通の願いでもあります。障害者福祉に携わっている人の考えも制度もリフレッシュの時期が来たと感じつつ、障害のある人の未来が自由で安心して暮らせる仕組みと仕掛けを皆さんにお願いするものでございます。今回の支援法にぜひとも参考にしていただきますことをお願い申し上げまして、私のお話を終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 次に、浅輪参考人にお願いをいたします。

浅輪参考人 御紹介いただきました浅輪でございます。

 私には二人の子供がおりますが、その上の四十七歳になる娘が、重度の知的障害と右半身麻痺、身体障害三級をあわせ持つ障害者でございます。

 娘が生まれたのは昭和三十四年、精神薄弱者福祉法、今でいいますと知的障害者福祉法が制定される前の年でございました。何を言いたいかといいますと、このころ、知的障害をめぐるいろいろな法律は全くなかったと言っていいほどであったと思っております。

 私は、学校を卒業しましてから出版社に就職し、雑誌の編集をしていたんですが、娘が障害児であるということがわかったところから、会社勤めはできなくなりました。フリーの編集者をやりながら生活をしておりました。

 東京の下町に住んでおりました私は、子供の就学期になりまして、周りに特殊学級と言われる学級さえもないことに気がつきまして、そして、学校を求めてあちこち探し回りました。そして見つけたのが、埼玉県与野市に住むことによって通う学校でございました。ここで、親の会とのかかわりができていったわけです。

 娘が養護学校の中学部のころ、先ほど松永さんのお話にもありましたが、オイルショックのころだったと思いますが、特殊学級を卒業して就職した卒業生が解雇されて、町のあちこちで見かけるようになりました。そして、そのころに与野の親の会で作業所づくりを進めようという話が出てきまして、私はそこにかかわるようになったわけでございます。

 最初は、ただ単に会員になるということでかかわったんですが、気がついてみましたら、いつの間にか先頭に立って旗を振っていた、そういう関係でございまして、昭和五十三年に埼玉県に小規模作業所の援護事業というのが始まりまして、埼玉県に初めてその制度を使った作業所として四つできたうちの一つ、これはかやの木作業所といいますが、そこの施設長になりました。

 施設長になったんですけれども、私は仕事を持っておりましたので、一週間に一回ぐらい顔を出せばいいわと思いながらなったわけですが、それが、やってみましたらとんでもないことでございまして、毎日毎日顔を出さなきゃいけない、お給料はただでございましたが。それをずっとやりながら、これはもう仕事なんかしていられないという感じで、仕事の方は全部やめまして、そして施設長になって、ずっとそれを続けておりました。その後十九年間、このかやの木作業所の施設長を務めておりました。

 無認可の作業所をやっていたわけですが、ここがいっぱいになりまして、次の作業所をつくるということで、その活動を始めたわけですが、これがなかなか大変で、例えば、その当時の埼玉県の制度では、一つの市に二つの作業所があってもそこは補助金の対象にならないというようなことがございましたものですから、二つ目の作業所は一〇〇%自主運営から始まっていった作業所でございます。

 そういう活動をしながら、法人格を持つ施設をつくり、そして、その次にかやの木作業所を定年で退職し、五年間の休息期間を持ち、そしてまた現在は、元気工房というデイケア、小規模作業所を立ち上げまして、そこでまた施設長をしている、そういう関係でございます。

 私の娘は、昭和五十四年に養護学校を卒業いたしまして、そういう重度の障害がありながら、運よく一般の会社に就労することができました。しかし、自動車の部品をつくる生産工場でございましたが、十八年間そこで働いておりましたが、障害が重くなったということで退職を勧められまして、現在は鴻沼福祉会という新しくつくりました法人のところの授産施設で働いております。そして、埼玉県の制度で運営されております生活ホームに住んでいるという関係です。

 経歴としてこのようなことを申し上げましたが、以上のような経歴でおわかりのように、私は専門職でもないし、企業家でもないし、ただ単なる親でございます。親として周りの家族を見ておりまして、障害本人を見ておりまして、私たちが一緒に生きていくこの人たち、家族として一緒に生きている人たち、それから障害のある人たちの上に、何らかの形でマイナスの要素をやはり持ってはいけないのではないか。障害を持っている人と一緒に住むことが、家族の生活の中にも、本人の上にも重くのしかかってくるような、そういう生活を何とかして取り除いていきたい、そういう感覚を取り除いていきたいというのが私の願いでございました。

 施設づくりを進めていたころ、これは、法人をつくるために苦労した方は皆さんおわかりかと思いますが、当時でもやはり一億近いお金を集めなければ法人格はとれませんでした。私は、人の顔さえ見れば、ねえ、お金出してくれない、お金寄附してもらえないというようなことを言っていたと思います。

 ある日、私は養護学校の同期会に出席しました。そのときに、これはお父さんでしたけれども、ある方が、あ、浅輪さんが来たから帰ろうと言うから、何でと言ったら、浅輪さんが来るとお金取られるからと言って帰られてしまいました。とっても悲しかったです。でも悲しい顔なんかしていられないんですよね、何とかお金を集めなきゃならないんですから。私は平気な顔をしておりましたけれども、本当に悔しかったですね。なぜこんなことをしなきゃいけないんだろうかということをつくづく思いました。

 ホームをつくるときとか、それから鴻沼福祉会という法人が施設を、いっぱいになると次から次へとつくっていかなきゃならないような状況に置かれたときに、私たちは一生懸命その応援をいたしました。埼玉県では、その当時、半径三百メートルの住民全部の同意をとってこいというような話がありまして、私たちは一軒一軒回って同意書に判こを押してもらいました。これは大変なことでした。そのころ、やはりそういう施設をつくることに対する住民の恐怖感みたいなものがあったのかもしれませんが、面と向かって、そんな人なんかに周りに来られたら困るんだよというようなことを言われたりして、私は泣きませんでしたけれども、泣きながら訴えた人はいっぱいいただろうと思います。

 私たちは何のためにこんなことをしているんでしょうか。自分に何も返ってくるものもないような環境の中で、一生懸命人に頭を下げ、そして自分の思いを訴えていくことの中身は何だったんだろうかと思うんですね。

 私は、親として、親亡き後という言葉は余り好きではありません。しかし、現実に親は先に死ぬものだと思います。死んだときに、私にももう一人息子がおりますが、残された息子や親戚の者、私の兄弟たちに余り大きな負担はかけたくないと思っておりました。できるだけ、身内として最低限度のことはしてもらいたいと思いますが、でも、この子を丸抱えで見ていてくれということは言って逝きたくないと思いました。そのためには、やはり障害のある人たちには自立のためのスキルを獲得していてほしいと思いました。その上に、国による制度の助けがあれば、何とかこの人たちは自立して生きていけるのではないかと思ったんですね。そういうことをするために私たちが努力してきたんだと思っていただきたいと思います。

 支援費制度が始まりました。このことは、私たち親子の生活にやはり画期的な便をもたらしてくれました。つまり、私はジェットコースターが大嫌いですし、年からいってもそんなものに、例えばディズニーランドに行って、一時間、二時間待って、そういうおつき合いをすることはとてもできません。しかし、娘は、若い女性のガイドヘルパーさんと一緒にディズニーランドに何回も行きましたし、ジェットコースターにも乗りました。初めて私は娘がジェットコースターが好きだということに気がついたんです。これはとてもすばらしいことだと思いました。これは感動するようなことだったんです。私ができないことは娘にしてやれなかった、こんな狭い人生であっていいんだろうかといつも思っていたことがあったんですが、でも、こうやって世界が広がっていくということはすばらしいことだと思っています。

 こういう支援費制度が始まって、それで私たちの考えている国の考え方というのが少しずつ広がっていった、障害に対する理解が広がっていったかなと思っていたときに、このグランドデザインの案が浮上してきたわけです。私たちはうろたえました。こうなったら、この先自分たちの生活はどうなっていくんだろう、話を何度聞いてもわからないんです。言っていることが変わります。変わっていく中で、何か前言ったこととちょっと違うなと思ったことが出てきたり、これは大変だなと思ったところは何となく改善されているふうに見えたりするんですが、しかし、よくわからないことがいっぱいありました。

 私は自分の目で、よくわからなさに対する世の中の反応といいますか、私たちは知的障害の分野でしか知らないわけですけれども、ほかの方たちがどんな反応をしているんだろうかと思って、団体が主催している集会に行ってみました。そこには、自分たちが生きていくためにこんなことがあっては困る、こんなことがあっては自分たちは生きていけないと訴えている人たちがたくさんいたわけですね。私は余りそういうところに出て行く方じゃなかったんですが、これを見まして、やっとつかんだ幸せのしっぽみたいなものがするするすると逃げていくのが見えたんですね。これをやはり取り戻したいと思いました。

 私たちが考えている幸せというのは、負担金を一銭も払いたくないとかそんなことではないんですよね。でも、払うためには、やはりそれに相応した収入がなければならない。働ける人は働く、それはもうもちろんだと思いますが、働けない人はどうやって生きていったらいいのか。

 それから、集会で訴えている方たちの話を聞いてみますと、働く以前に、生きていくためにお金がかかるというような話が出ておりました。こういう形で私たちの生活や社会が狭められることは、やはり私は許してはいけないのではないかと思ったわけです。

 私たちの子供というのは、今まで生まれてから、障害が重いとやはり社会で生きていくことが難しいということで、施設の中でしか生きる場を与えられなかったという環境が随分長いこと続いておりました。ですけれども、今はこの人たちが自立支援法の中で日中活動の場を与えられ、そして、その中で生きていくことができるかもしれません。ですけれども、ほとんどの人たちが、その障害の重い人たちが今かかわっている小規模作業所と言われるところが、この制度の中でどのような位置づけをされているかと考えたときに、私は、やはりこれは、決して、明るい未来というのが見えないような気がしたんです。

 日中活動の場の地域活動センターというものが、事業のレベルでいいますと一番下のところにあるわけですが、それは支援費の対象でもないし、それから、この運営に関しては地方自治体に任されているというようなことを聞いておりますが、これはどう見ても、やはり組織のらち外に置かれているような、何かそういう印象を受けました。しかし、私の周りを見てみますと、私も小規模作業所の施設長ですが、この人たちが行っているところというのは、やはりその地域の中で大部分の人が行っている、ほとんど半数以上の人たちが通っているところなんですね。

 その人たちはこれから先どうやって自分の暮らし、自分の生きがいを見つけていったらいいのでしょうか。こうやって、今、地域で生きていくということがどんどん進められようとしておりますが、働ける能力を持っていないというか、働くことになかなか結びつかない人たちの生きざまというのをどう考えたらいいのだろうかというふうに私は思っています。

 しかも、何とか働くところにこぎつけたとしても、いつまでたっても親や兄弟やそういう人からの支援を必要とするような扶養の義務が課せられているようですし、一人一人の所得の保障というのもなかなか難しいという状態が私はあるのではないかと思います。

 私はこの間の国の動きと私たちの叫び声の関係をずっと見てきまして、私は昭和八年の生まれですので、終戦のときに六年生でした、終戦というものや、それから戦争というものを実感してきた一番最後の世代かなというふうに思っています。どこへ行っても兵隊さんがいて、兵隊さんが一番偉くてというような時代を過ごしてきています。何か言おうとすると、余計なことを言うんじゃない、黙ってついてくればいいんだというような雰囲気の社会で生きてきたんですね。その雰囲気というのを、私は今何となくそう感じるんですよ。国は確かに大きな目でいろいろなことを見ようとしているでしょう。しかし、そこにいろいろな人の意見が確実に反映されているんだろうかということを私は思います。

 全日本育成会が主催している全国大会というのがありまして、この全国大会で本人部会というのがあります。知的障害本人が、今までこの人たちは何も言えない人たちだというらち外に置かれていた人たちなんですが、本人部会というのを形成しまして、そこで自分たちの要望というのを上げております。決議文というのを上げております。その中に、自分たちに関することを自分たちを抜きで決めないでくださいという要望がありました。

 それはもう随分前に、六、七年前にその要望が出されて、それは拍手をもって全国大会のときに承認されているはずなんですね。しかし、その思いがどこまで生かされているかと考えたとき、私はさっきの、聞くだけ聞くけれどもそれが全く反映されていない環境というのを感じます。

 私たち、先日、五月二十一日ですが、緊急東京集会というのがありまして、東京都の知的障害者育成会が集会を開きました。そのときに、ゆうあい会という本人の会があるんですが、そこでこんなことを本人たちが述べています。

 「私たちに関することは私たちを交えないで決めないでください。」「私たちの生活支援の内容を決める大事な法律などを決めるときは、私たちの声を十分聞いてから決めてください。」「自立支援法・グランドデザインの内容を、私たち本人にわかりやすい形で情報提供してください。このまま法律にされてしまっては私たちとして納得できません。」「小規模作業所・通所施設など、この法律でどのように変わっていくかがよくわかりません。利用している私たちによくわかるように説明してください。」としっかり意見を述べておりました。

 こういう声を大事にしていただきたいと思います。

 本日は、私にこのような意見を述べさせてくださる機会をくださいましたことに感謝して、終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 次に、相澤参考人にお願いいたします。

相澤参考人 相澤でございます。

 きょうの私の立つ立場は、県の家族会連合会会長というよりは、むしろNPOの福島・伊達精神障害福祉会の理事長という実践的な立場から意見を申し述べたいというふうに思います。

 自己紹介が始まっているわけでございますけれども、私は現在七十二歳でございます。今も学校の教員を続けております。収入は専らそちらから調達しておりまして、十一年前に地域包括的な家族会を立ち上げ、それからそれをNPOにし、その理事長として活動しておりますけれども、完全に無給で、一銭ももらっておりません。

 十一年前に、福島市と周辺の精神障害者のすべての住民に開かれた家族会ということで立ち上げに参加して以来、福祉活動を続けているわけでございます。最近、家族会的な活動のほかに、地域の仲間たちと一緒に、福島駅のすぐそばに地域生活支援センターを開設することができました。以前からの二つの小規模作業所を拡充、移転するとともに、ことし、もう一つ作業所をふやし、グループホームも開設するということなどの活動をしております。その傍ら、連合会の会長を引き受けている、こういう立場でございます。

 私たちは、したがいまして、あくまでも超党派で、すべての県民、すべての住民、市民の理解と協力を求めながら、精神障害者とその家族への励ましと学び合いに努めるとともに、絶対的に欠乏している彼らの福祉の向上、増進を求め、障害者とともに共生する町づくり、障害者とともに共生する社会づくりに励んでいるつもりでございます。ですから、くどいようでございますが、我々は、あくまでも超党派の立場ですべての人々に呼びかける立場でございます。

 さて、地方における精神障害者とその家族の近況でございますが、関連して、精神障害者の保健福祉の基盤整備が決定的に立ちおくれているということをまず申し上げたいと思います。

 市部に偏在して、病床数だけは多いわけでございますけれども、入院医療の条件も決してよくありません。そしてまた、地域で生活するのに必須の精神科の救急医療体制が整備されておりません。これは当面する緊急課題でございます。また、県全体では病床数が多過ぎるという中で、香川県に相当する広さの南会津の圏域では、自然はすばらしく豊かでございますけれども、県立病院を含めまして精神科医が一人もおりません。作業所やグループホームさえ一つもございません。

 それで、県全体を見てみますと、以前には精神保健の前線にあった県の各地の保健所は広域的に統合されまして現場から離れ、前線に出るはずの市町村では、一部の市を除き、まだ多くの市町村が数値目標のある障害者福祉計画さえ立てていないという現状にございます。

 地域生活に欠かせない精神障害者の福祉は全国的にも低劣でございますが、人口約二百万人で日本で第二番目の広さの県である福島県では絶対的な欠乏状態にあります。地域生活支援センターがたったの七つ、そして通所授産施設がたったの三つ、多くの町村には小規模作業所さえありません。それなのに、当事者集団などが大変な無理をして法定事業をやろうとしても、最近は新規の設置が認められない状況です。

 国は障害者計画で当面七万二千人の社会的入院患者の退院促進をうたっていますが、その一方で、財政上の都合からでしょうが、地域生活に欠かせない地域の受け皿づくりを厳しく制限しております。身体障害者及び知的障害者の福祉も十分だとは言えないようでございますけれども、精神障害者の福祉はそれらと比べ物にならないぐらい低い水準にございます。

 精神障害者が最も苦しんでいます。彼らは、病理さえも定かでない例えば統合失調症のような場合など、病状が悪いときには、天地が裂け、揺らぐほどの苦しみに遭っております。そのほかに、依然として社会的偏見が強く、低福祉であるこの国の地域に生まれ、暮らすという二重の苦しみを続けているわけであります。

 彼らの親たちや兄弟たちも苦しんでいます。子供の発病と障害の確定が遅く、それを受け入れ、適切に接することが大変な親たちの心労は重く、高齢化は早く、多くが低所得です。精神障害の子供が親を介護している家族も珍しくない状態でございます。

 私の所属する会の役員には九十代の元郵便局長さんもおり、また、みずからがんを病みながら四十代の子供さんとのつき合いに苦労している母親の役員さんもおります。親亡き後の心配がしきりでございますが、そのたびに私は、みんなで力を合わせ、安心して死ねる環境、福祉生活条件をつくろうと励まし続けてまいりました。しかし、当面する事態は、決して安心して死ねる状態にはほど遠いものがあります。

 障害者自立支援法案についてですが、期待すること以上に心配することがございますが、まず、障害者自立支援法案について大まかに述べますと、この法案が、障害者基本法の第三条、個人の尊厳尊重と完全社会参加という基本理念の実現を目指し、障害者がこの日本社会で独立して安心して暮らせるように、すべての障害者に差別なく、安心して医療も福祉も活用できるようにしましょうというのなら大賛成です。現行法では、障害者福祉法が継ぎはぎで整合性もなく、特に精神障害者の福祉立法は、精神保健規定にごくわずかな福祉条項がつけ足されているだけでございます。こういう不備が法律上もございます。さらに、障害者福祉の実際の水準はといえば、法律上のそういう差別をはるかに上回って分立、分断され、差別されています。三障害の一元化、包括化それ自体は、全体的なレベルアップを保障するものなら大賛成です。

 また、この法案は就労支援を強調しています。確かに、意識調査にもあるように、精神障害者もその家族も、就労によって稼ぐとともに社会参加できることを熱望している人が多いです。精神障害というだけで門前払いが圧倒的な現状を変えるために、法律を変えて状況を改善する役割を果たしてくれるならば、大いに歓迎すべきことです。

 ただ一点、この法案は、このような期待をひっくり返すほどの心配事を含んでいるというふうに考えています。もう結論を申しますと、要するに応益負担の原則でございます。しかも、家族ぐるみで応益負担せよということでございます。

 ちょっと立ち入りますと、障害者自立支援法案は、自立支援給付とうたっています。自立支援というなら、障害者本人が親兄弟に気兼ねなく独立できなければなりません。ところが、法案は、特に保護者という役目を、精神保健福祉法第二十条で課せられる親たちの世帯収入を含めて定率の負担を負わせるものとしております。応能負担の原則から応益負担への原理的な大転換です。これは、障害者の自立、すなわち独立を原理的にも侵すものであるというふうに考えます。

 実際に、そうでなくても親兄弟に大いに気兼ねして暮らしている精神障害者に、ますます大きな気兼ねと負担を課すものになることを心配しております。また、乏しい年金などで暮らす親、老いた親に、本人が四十、五十になっても経済負担を負わせ続けるということは非人道的でございます。

 そもそも、利用者による応益負担というのは、「利用」には広辞苑を引きますと二つの意味がございますが、第一の意味では、要するに、それを使うことで利益を得ること、もうけを得ることの意味がございます。第二の意味が、活用するという意味でございます。我々は、障害者福祉に関する利用というのはあくまでも活用ということでなければならないというふうに考えております。

 利用には、公平の原則から応益負担と言われているわけでありますけれども、障害者には不公平で原理的に矛盾する理屈だと考えております。イギリスなどで公平という、フェアという言葉を使うときには、必要に応じて給付を受け、そして能力に応じて負担すること、これがフェアである、公平であるというふうに、これが定説になっております。今回の説明は、こういう国際的なフェアの原理に反するものだと私は感じております。

 当面一割だけの応益負担とされていますけれども、定率負担は、大方が平均より低所得の障害者家族の生活を損ないます。特に重度の障害者には負担不可能なものです。命綱の医療と福祉を断ち切る危険があります。いや、貧困世帯、生活保護受給世帯には負担を免除し、年収八十万円、つまり障害基礎年金二級程度の収入しかない生活保護基準を下回る世帯には月間で負担を一万五千円に軽減するなどの軽減措置を講ずるから大丈夫だと言われております。しかし、おかしな話です。生活保護基準をはるかに下回る収入でも収入があれば負担を課すというのでは、保護受給世帯と逆転するわけです。つまりそういう段階的な負担上限を設定する、せざるを得ないということ自体が、応能負担の原則が必要だと認めているということだと私は考えます。

 こういう矛盾は、先ほど言いましたように、本人の負担能力だけではなくて、同一世帯の収入を勘案して負担を課すということに由来しているわけであります。本人が経済的に独立して暮らせる限りでの応能負担に限定しなければなりません。そして、気兼ねなく医療と福祉を活用できなければならない。親兄弟への経済負担を撤廃するということを求めるわけであります。

 稼働ができない、あるいは稼働がほとんどできない重度の障害者でも、自立するためには今述べたような観点からの所得保障が必要ですし、現状では、低過ぎる障害者本人の所得から定率の負担を差っ引くということになりますと、これは人間的に最低限の生活もできないということになります。それを避けようとすると、医療も福祉も受けられず、病気は重くなり、社会生活ができなくなり、かえって社会的損失がふえるということを心配しています。

 心配は尽きませんが、最後なんですが、この定率負担という原則をすべての分野に適用しますと、例えば、精神障害者の福祉分野で圧倒的な役割を果たしております小規模作業所はどうなるんでしょうか。

 福島県では、Aレベルの作業所でさえ、県と市町村の双方から合わせて六百万円程度の補助で活動しています。水光熱費などの運営費は別に調達しなければならないので、私らの作業所では一人月額一千円とか千五百円程度の負担をお願いしています。スタッフはボランティア的な低賃金が多いのです。通所者の工賃は多くて一万円、近年は仕事もない日が多い状態ですから、幾らにもなりません。

 議員の皆さんには想像しにくいでしょうが、通所者にとっては、千円とか二千円多いか少ないかというのが大きな関心事なんです。今でさえ工賃収入が通所負担を幾らも超えないと、通所する意欲をなくし、引きこもり、病気を再発しやすくなっています。今回の法案で運営費や人件費の負担の一割を通所者に負担させることになれば、通所の意欲を失い、病状が悪くなるおそれがあります。

 そういうことは、通所授産施設への通所ということになると一層負担が重いということになります。また、生活支援センターなどは期間限定で現行の補助を続けるということになっておりますが、その先のことは全く見えません。どうなるんでしょうか。低賃金でも、その仕事に熱意を持ってその生活をかけて頑張っている職員の意欲と将来生活はどうなるのでしょうか。大変心配でございます。

 もちろん、そういう心配だけしているわけじゃなくて、私たちは自発的に日夜創意工夫を凝らして努力しております。例えば、仲間でのヘルパー事業、ピアヘルパー事業もこの四月から始めるために準備をしておりますし、あるいはピアサポート活動なども、家族及び本人たちのピアサポート活動も続けておりますが、これを事業としても本格化させていきたいというふうに考えております。

 そういう努力をしながら、こういうことで、ただ一点、修正をお願いしたいということを申し上げて、私の意見陳述といたします。失礼しました。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 次に、水谷参考人にお願いをいたします。

水谷参考人 全国心臓病の子どもを守る会の水谷と申します。

 先生方には、何かと心臓病児者と御家族のために、これまで御支援、御協力いただきまして、本当に感謝申し上げます。また、本日はこのような機会を設けていただきましたことに、本当に厚く御礼申し上げたいというふうに思います。

 私は、全国の数多くの母親や心臓病児者の思いに沿いながら、きょうは、自立支援法案、その中の自立支援医療、その中の育成医療について、絞って発言させていただきます。ふなれなためにあらかじめ原稿を用意してきましたので、ちょっと読むことになると思いますけれども、お許しいただきたいというふうに思います。

 私たちの会は、今から四十二年前、一九六三年の十一月に結成されました。育成医療制度は一九五四年に創設されておりますが、結成当時はまだ心臓病には適用されておりませんでした。まだ、国内で初めて心臓にメスを入れる手術ができるようになってから、十年にもならない時期でした。手術の受けられる病院は限られており、また健康保険制度も家族は五割給付という時代でした。そういう中で、当時のお金で五十万、百万という負担が直接私たち心臓病児者に降りかかってきたのです。

 当時、私たちの先輩に当たる親や心臓病の本人たちは、手術を受ければ助かるという思いと、また、どこに行けば助けてくれる病院があるのか、手術のためのお金をどう工面すればよいかとの悩みをみんな持っていました。結成総会では、手術を受けるために内職をしてお金をためたとか、土地や家まで売ってしまってお金を工面したという話が涙ながらに語られました。

 そして、会として初めて取り組んだ陳情が、育成医療に心臓手術を適用してほしいという陳情でした。小さい子の手を引きながら、あるいは乳児を背負いながら、当時の厚生省や国会議員の先生方にお願いをして歩きました。そして、会結成翌年の一九六四年、多くの先生方の賛同とお力添えをいただき、先天性の心臓手術にようやく育成医療が適用になったのです。

 その後、四十年以上にわたり、本当に多くの心臓病児たちがこの制度により命を救われました。心臓病児の多くは、適切な時期に手術をすることで健常者と同等の社会参加ができるようになり、たとえ重症な心臓病児であっても、この制度を利用して障害の程度を軽くすることで、ある程度自立した生活を送れるようになってきています。

 しかし、今回の障害者自立支援法案で示された育成医療の見直しは、私たちがいわば心臓病児者の命を守るかなめの制度としてつくっていただいた制度であるにもかかわらず、大幅に縮小され、心臓手術には事実上適用されなくなってしまうということがわかりました。

 特に、グランドデザイン案の段階では全く配慮がなく、心臓病は初期のうちに手術をすれば治るというイメージで、いわゆる所得負担の中間層と呼ばれる対象からも外されていました。その後、私たちも具体的な事例を示しながら繰り返し厚生省にお願いをして、少し理解していただいて、法案提出の時点では、若い親の世代の医療費負担の激増に一定の緩和策が盛り込まれました。

 また、今国会においても、参議院の審議で、大臣がさらなる緩和策として負担上限を設定してくださいました。この緩和策のために御尽力、御努力くださいました諸先生方、厚生労働省の担当の方々には、この場をおかりして心から感謝申し上げたいというふうに思います。

 しかしながら、そういう御尽力には本当に感謝しつつも、この障害者自立支援法案には、依然として納得のできない問題点、疑問点がございます。

 その第一は、一割の定率負担による負担増の問題です。お手元に配付した資料をぜひごらんいただきたいというふうに思います。

 レジュメの一枚目をめくっていただきまして、最初の資料は、自立支援医療になった場合の現行制度と見直し後の負担額の一覧表でございます。

 二枚目は、医療費の実額と負担額との関係をあらわした資料です。

 三枚目以降は、私たちが試算した影響額を示してございます。育成医療で、Dの一ランク、所得税年額四千八百円以下の世帯で、緩和策をとっていただいたとしても、なお十二・一倍の負担増。これはその月内の負担上限でありますから、翌月にまたがると負担は二十・九倍にもなります。このような負担増は非常に問題だというふうに私たちは思います。

 この資料の最後に、私どもの会報「心臓をまもる」からのコピーの資料があります。この方の娘さんはことし二十になりましたが、小さいころに手術をして以降、数回の治療を繰り返して、この八月に大動脈弁の置換手術を行い、人工弁を装着しました。レセプトを見ると、手術代は約四百万円かかっています。今は更生医療で二万円程度の負担で済みましたが、これが自立支援医療の案で計算をすると、月にまたがる入院なので月ごとに計算、新たに食費が加わるということになりますと、約十四万という金額になります。長野の病院で手術を受けていますので、今後も定期的に長野まで通わなきゃいけない、医療費以外の負担も大変になってきます。

 このように、育成医療で新しく緩和策をとったとしても、なおかなりの負担増が残る。私たちの多くは、一回の手術では済まず何回も手術を繰り返します。また、手術のために遠くの病院まで行かなければならないケースも珍しくありません。

 福岡の病院で出産をして、御主人が何度もその間東京との間を往復したという母親は、育成医療のおかげで助けられたということで、こう話しています。

 「わが子に手術、入院など、そんな辛い思いを本当はさせたくはありません。でもこの子たちは、手術をしなければ生きていけないのです。心臓病で今後どうなるかはわからないという不安のなか、ただ、わが子がみんなと同じ普通の生活をしていけるよう望んでいるだけなのです。一番弱い立場の病児の医療費を削減したりしないでください。育成医療をこのまま存続していただける事を強く願います」と。

 第二の問題点は、負担増による受診抑制の影響です。

 私たちだけでなく、心臓病の治療に携わってくださっている循環器の先生方もこのことを一番心配しています。しかも、医療費の抑制という点でも、むしろ後になって医療費を増加させる可能性が高いのではないかというふうに考えます。

 心臓病の場合、応急に処置をした後、何年か経過を見ながら適切な手術時期を判断して処置をするのが通常です。その際に受診抑制が起きれば適切な手術の時期がおくれてしまいます。この点を私たちは大変危惧をしているところです。重度化すれば命にかかわることはもちろんですが、それだけたくさんの医療費や支援のための費用がかさむことになります。また、適切な医療が与えられなかったことで障害の程度が重くなり、社会的支援を多く必要とする障害者となってしまいます。そのような状況を考えると、今わずかばかりの医療費を抑制することが将来の医療費負担や福祉的費用の負担増につながりかねない問題だというふうに思います。

 第三の問題点は、厚生労働省が負担軽減策として提案している、重度かつ継続についてです。

 現在までのところ、この重度かつ継続の適用範囲については、育成医療の場合、腎臓機能、小腸機能、免疫機能と、障害種別によって定めています。毎月確実に治療が欠かせず医療費もかかる疾患というのがその理由です。確かに、心臓病の場合には手術を初めとする治療の時期と経過を見る時期とがありますが、その割合は病状によってかなり違います。

 医学の進歩によって、昔なら亡くなってしまっていたような重症の子供たちも、外科的、内科的な治療の組み合わせで生き長らえるようになり、学校に行ったり社会参加ができるようになってきています。先天性心疾患のうちの生育歴の全国的な統計というのはまだありませんけれども、重症者の割合がふえていることだけは確かです。無論、そういう人たちほど社会的な支援を必要としています。手術を何度も繰り返しながら大きくなり、大人になってからも手術が必要になる人は今後もふえていきます。なぜそういう人たちがこの重度かつ継続の範囲に入らないのでしょうか。

 厚生労働省は、育成、更生医療については詳細なデータがない、二年以内に実証的な研究を行った上で考えるとしていますが、それならば、少なくとも数回以上手術をしていて将来も手術の可能性があるという患者についてはまず対象に入れていただく、そして実証結果が出た時点で外すのであれば外していただくというのが筋ではないでしょうか。この点についても、この委員会でよく御審議をお願いしたいというふうに思います。

 第四には、理念の問題です。

 現行の育成医療は児童福祉法に基づく制度で、障害者対策とは異なります。児童福祉法は、国民は児童の健全な育成に努めること、また、児童はひとしくその生活を保障されるとの理念のもとで、現在は育成医療は、身体障害児以外に、放置すれば将来障害を残すおそれのある児童も対象にしております。胆道閉鎖症など先天性の内臓疾患児や口唇口蓋裂などの外科的治療にも適用されていますが、これが障害者自立支援法案では、法案の中にそれを担保する規定がどこにもありません。このことは第四に指摘しておきたいことです。

 そのほかにも、新たに食費が自己負担になる問題、厚生労働省の公平、不公平という考え方への疑問、育成医療の緩和措置が低所得者層への軽減策などの恒久措置でなく、なぜ経過措置になっているのかという問題、自立支援医療が給付されない場合の高額療養費の立てかえ払いの問題、さらには心臓病を含めた内部障害者への理解と社会的支援策の検討が立ちおくれている問題など、審議していただきたいさまざまな論点があります。

 これから衆議院でも十分な審議をしていただけるというふうに私ども大いに期待しておりますが、自立支援医療の場合、生活の質の向上を目的としている福祉サービスとは異なり、命を救うための医療を障害者自立支援法案に組み込んだことにそもそも無理があるのではないかと私は考えます。

 また、自立支援医療の三つの公費負担医療制度についても、目的も対象も違う制度を一くくりにするのは余りにも拙速で無理なことだったのではないか。前の国会で問題になった基礎的データ資料の誤りや、自立支援医療制度運営調査検討会で精神の障害範囲の決め方に異論が出ていることなどは、それを端的にあらわしているのじゃないかというふうに私は思います。

 今、日本は国を挙げての少子化対策、子育て支援に取り組んでいます。若い人たちが安心して子供を産める環境をつくっていく、心臓病児を授かっても育てていける、その環境づくりの一つが医療費への負担軽減策だと思います。内閣府の最近の調査でも、少子化対策として何が重要かという設問で、保育・教育、医療費への補助など、経済的支援を挙げた人が七〇%で、最も多かったという結論が出ています。育成医療の見直しをするなら、制度拡充の方向で、医療制度とも絡めた政策づくりが必要と考えます。

 最後に、一通のメールを紹介します。厚生労働委員の先生方のところに直接送られたものですから、お読みいただいている先生も多いかと思います。

  息子は今まで三回の手術を受けました。赤ちゃんの頃は乳児医療、五歳の時は育成医療で手術費用を助成していただき、命を助けていただきました。思いもかけず病気の子が生まれ、子どもが生きるか死ぬかの状況の中、親は様々な不安でいっぱいになります。そんな時、手術費用の心配をせずにいられて、なんて日本は良い国なんだろうと思い、大変感謝致しました。

  息子は近々四回目の手術を受けることになっています。東京に住んでおりますが、病院は関西にあるので交通費、親の滞在費もかかります。私の知る限り心臓病の子どもの多くは、複数回手術を受けていますし、先端医療を受ける為、遠方の病院に通院、入院することもめずらしくありません。

  子どもたちは、「手術を受ける」という選択をして、手術を受けているわけではありません。「生きる」ために、「死なない」ために、大変なリスクがあるにもかかわらず、何回も手術を受けなければならないのです。どうか、そういう子どもたちと、その子どもを守っている親たちがいることを知っていただき、助けていただきたいのです。

  どんな境遇に生まれたこどもでも命を助けていただける、「育成医療」の存続を希望します。今までのように、日本に生まれてよかったと思える国であり続けられますよう、心よりお願い申し上げます。

 育成医療のことに限っても、まだまだ審議してほしいことはたくさんあります。衆議院ではまだ審議が始まったばかりであり、どうか拙速な結論を急ぐのではなく、慎重に審議を重ねて、私たちの疑問や不安に丁寧に答えてほしい、そういう国会、委員会であってほしいということを強くお願いして、私からの冒頭の陳述とさせていただきます。

 どうも御静聴ありがとうございました。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 次に、広田参考人にお願いいたします。

広田参考人 おはようございます。広田和子です。

 私は、一九八三年に精神科に通院しました。当時、夫なし、子なし、職なし、金なしで、ニートのような状態でした。それまでに自殺未遂も何度もやっています。そして、五年後、通院中に働けるようになりました。かわりに母親に通院してもらいましたら、本人をよこすように言われて、翌週会社を休んで行きました。そうしましたら、医者が怒っていて、あなた、たまに薬を飲み忘れるんじゃないかということを、早口で、強い言葉で言いました。私は飲んでいませんでしたから、全く何のインフォームド・コンセントも行われておりませんでしたから、ええと答えましたら、注射を打ちますと。私はアレルギー体質だから困りますと言っていすを引きましたけれども、看護師さんが先生のおっしゃるようにするのということで、注射を打たれてしまいました。その結果、一番大変なときには一日二十二時間、アカシジアといって、座っていられない、立っていられない、横にもなっていられない、じっとしていられない、いろいろな言い方を患者が言います、そういう状態になりました。視力も〇・一から〇・〇一に下がり、そして御飯を食べても、今「お〜いお茶」を持ってまいりましたが、お茶を飲んでも鉛のような味がする幻覚を体験しました。

 そして、もうこの病院は信頼できないから横浜市大に行きたいと言ったときに、医者が、今のあなたの状態はどこへ行ってもだれが診ても手の施しようがありません、私に任せていただきたい、私のミスでした、緊急入院してくださいということで、私は入院しました。ところが、そこはかぎと鉄格子のある閉鎖病棟でした。私は一カ月入院して、薬の調整で約八時間横になれるようになって退院しました。

 そういうふうな思いで、病気ではなくて注射の副作用で入院した人間として、精神医療サバイバー、精神医療からの生還者という呼称を現在使っております。そして、私よりもっとひどい体験をした仲間が全国にたくさんいるということを、ぜひ議員の方々にわかっていただきたい。つらい体験をしながらも、つらい体験をしたということを言えない仲間がたくさんいます。そして、この瞬間にも、三十四万人の入院患者がいます。

 私は、その注射を打たれて、退院後も、現在も多量の薬を飲まないと一睡もできなくなっています。ということで、途中何度も口が渇きますのでお茶を飲ませていただきます。

 私がきょうここへ来ましたのは、もちろん自立支援法案の審議の過程ですが、こういうふうな体験をした人間がいる、病気ではなくて注射の副作用で入院した人間がいると。そして、その人間が入院した精神病棟に、今は三十四万人入院している。そのうちの七万二千人は、私たちの厚生労働省社会保障審議会障害者部会で社会的入院という数字を位置づけましたが、私は外国に行ったりしていろいろな人に話を聞いたりして、また日本の中で話を聞いて、二十万人ぐらいは社会的入院ではないかと。そして、これを放置したのは国の不作為だと。私は、自分の体験を含めて、立法府並びに厚生労働省に謝罪していただきたい、尾辻厚生労働大臣に謝罪していただきたいというふうに思っています。その謝罪は、お金を下さいという謝罪ではなくて、これから私たちが、この国に生まれてよかった、この国で暮らしてよかったと思えるような施策に転換していただきたいと。

 では、自立支援法案はそういう法案なのか。

 私は、きのう早く寝て、きょうここに来ようと思いました。大体十二時間ぐらい横になっていられないと生活が成り立ちません。夜中に寝て、お昼ごろ起きる生活です。ですから、きょうここに九時に来るということは、私にとっては年に一度の大変なイベントのような感じで来ています。

 そういう中で、三十四万人入院している患者のところにぜひ行っていただきたい。皆さんは選挙のときにあちこち動き回ります。それは票が欲しいからです。でも、票にもなります、精神病院の中も。投票が行われているかどうかわかりませんけれども。そういう中に一日行って、例えば、山井さん、京都の方ですけれども、京都に行くと顔が知られているから、全然関係のない北海道の病院に行くとか、そういうふうなところに行って、議員ということを名乗らずに一日いて、三食お食事をともにして閉鎖病棟にいると、この国の精神障害者の一部分が理解できるということです。

 そして、私は、きょう傍聴されている方、それからテレビを見ている仲間たちにお願いしたいんです。きょうお手元の「二十四時間」の冊子に出ていますが、各新聞が「人」欄で取り上げていただいています、それは日本の精神障害者が精神医療サバイバーという呼称で厚生労働省の委員会に私が入ったということで「人」欄で取り上げております。二〇〇一年のことでした。しかし、厚生労働省はその前から精神障害者本人を委員に入れたかった。これからが大事です。だけれども、関係者や精神科医が、もし精神障害者をだれか入れると、みんなでたたいてつぶれちゃうよ、だから入れない方がいい、こういう歴史が続いていました。

 ですから、私もきょうこの場を出ればまたたたかれる。ふだんから足を引っ張られたり、たたかれています。それは、当事者本人だけではなくて、関係者も含めて本当に大変な世界です。精神障害者を取り巻く業界の中で、自分の発言をしようとすることは命がけです。私は一度精神医療で殺されていますから、あとは寿命が来るまで殺さないでと、生かしておいてと。こういうことを私は仲間たちにお願いしたいと思います。

 そして、自立支援法案の精神保健福祉法三十二条、通院公費負担です、この問題で全国の仲間が署名活動をやったりして、三十万人弱の署名が集まっています。ただし、私は、今お手元に配りましたように、国会議員の方も七百二十人おられれば、十六人ぐらい精神疾患の方がおられても不思議ではないと。この中にもおられるかもしれないと。厚生労働省なんか、国会があるときにはほとんど精神障害者状態だと。そのぐらい大変な思いで、後ろに来ている方もきょう六時に寝たそうですから、その辺はお手やわらかにしてあげていただきたいというふうにお願いしておきます。

 私は、昔は、とにかく謝罪してほしいということと、厚生労働省に対していろいろ言いたいことがたくさんあった。ところが、実際に厚生労働省の委員になってみて、ラジオに出ていますから収録が終わって時々夜中に寄りますと、何日も徹夜した人を見るわけですよ。そうすると、これは厚生労働省に言う騒ぎじゃないんだ、これはこの国の国民を代表して選ばれている国会議員たちに知ってもらう問題なんだということできょうは来ています。

 通院公費の三十二条、あれは社会防衛上できたものです、決して精神障害者を守るためにできた法律ではありません。昭和三十九年にライシャワー駐日大使がアメリカの大使館をジョギング中に太ももを刺されました。そして、その刺した人が結果的に精神障害者だったということで、きょうマスコミも見えていますが、世論が精神障害者を野放しにするなということで通院公費負担という制度ができています。しかし、その制度を、今仲間がこれが唯一の国家保障だと言っている人もいます。ただ、精神疾患は、去年の三月二十五日に、心の健康の正しい普及啓発の私は副座長として小泉総理にその報告書をお届けしましたので、皆さんもぜひ読んでいただきたいのですが、人は生涯五人に一人精神疾患にかかる。精神疾患にかかる人が五人に一人。三十二条だったらどうなんだ、この国は破綻するんじゃないかというふうに考えるのは、私ではなくて皆さん方なんです。私は一国民なんですから。皆さんは代表なんです。私はそう思っています。

 必要なのは、さっき相澤さんが定率負担の話をされていましたけれども、必要なのは所得の保障です、所得の保障です。私はいろいろな活動をやっていますが、個人的にもやっています。そういう中で、仲間が例えば五カ月ぐらい入院してきて、退院して、医者がホームヘルパーと生活支援センターに行ったらどうだという話をしたときに、本人はどこがいいか、生活支援センターよりドトールコーヒーがいいと言うわけです。これも社会資源なんですよ。そうすると、お金をもらってみずから消費する、それが医療なのか福祉なのか、ドトールコーヒーなのか和民なのか、またカラオケなのか、いろいろなことがあると思いますが、そういう選択肢、それが地域で暮らす一住民だと思います。

 すべてが医療や福祉で完結する、それは違うと。もっと生活の幅を広げるというふうに思いますと、私は、与野党で、超党派でいわゆる所得の保障を議員立法でつくっていただきたい、それがまず一点です。

 そして、障害者のこと、障害者のことを差別だというふうに相澤さんは言っていますが、私は町の中で差別されないで育っています。何でそんなに堂々と生きているのと言われちゃうぐらい、ちょっと体が堂々としているだけの話なんですけれども、そういうふうに言われています。私自身は、なぜかといえば、好きでなったわけでないですからね、たまたま精神科に行ったらば、それが病気であったか病気じゃないかわからないけれども、そこでひどい目に遭って入院して退院してきているわけですから、全くこちらに落ち度はないわけですから堂々と生きているわけです。

 でも、実際にはどうでしょう、堂々と生きられない環境があり、実態があります。そこで、もう一つ議員立法をお願いします。十二月九日は障害者の日です、この日を国民の休日にしていただきたい。私は自分の身近な人を含めて障害者のことを理解してくださいと言っても、自分のことさえ理解できないぐらい忙しい人が世の中にはいっぱいいます。年に一度、十二月九日ぐらいは、障害者の日にしていただいて考えていただきたい。

 何を考えるか。何も精神障害、知的障害、身体障害のことを考えるんじゃないんです。性同一性障害とか、例えば若いママさんが子育てでノイローゼになっているような、そういうふうな生きづらさを感じている人とか、または高齢者が障害を伴うような、そういうふうな広い意味での障害を考える日を年に一度ぐらいつくっていただいて、これは皆さん、さっきの所得の保障とは違ってお金はかかりませんから、ぜひ超党派で、福島議員もよろしくお願いします、阿部議員もよろしくお願いします、超党派でやっていただきたい。そういうことをしていただきたいというふうに思います。

 しょっちゅう私は委員会で座長の方から話は短くと言われていますので、ちょっときょうはこれからメモを見させていただきます。

 それで、例えばスウェーデンの教科書には障害者のことが社会科で出てくるんですよ。日本でも保健体育とか社会科で、そういうふうな障害者が社会の中の構成員だと、障害者がいるから理解しましょうねということではなくて、あなたも障害者になるかもしれませんねということで、社会の構成員ということで入っています。そういうものもぜひお読みいただいて参考にしていただきたいと思います。

 それから、例えば精神障害者が町の中に出てくるときに、いろいろなものが必要です。例えば援護寮とかグループホームとか作業所とか生活支援センターとか。または、当事者が、当事者による、当事者のための相互支援活動や、それから当事者の人権擁護活動、そういうものの拠点になるピアサポートセンターとかいろいろなものが必要になってきますけれども、そういうときに、ぜひそこのお金をとりやすいようにしていただきたい。皆さんが障害者のことを考えるんだったら、厚生労働省をたたくんじゃなくて、厚生労働省を応援していただきたいというふうに思います。

 その中でぜひお願いしておきたいのは、援護寮とかグループホームをややもすると精神病院の敷地内に建ててしまっている。私はあるところに招かれて行きました。援護寮でした。敷地内に建っていました。そうしましたら、援護寮に住んでいる精神障害者が、広田さん、私はいつ退院できるのと聞いたわけです。あなたはどこにいるのと言ったら、あそこと言うから、あそこって援護寮じゃない、あなたは退院しているのよと言ったら、でも、御飯も病院から出てくるし、だから入院しているときと同じだと。その人は開放病棟に入院していました。だから、そういうことがないように、ぜひ敷地の外に出して、町の中で、村の中で、市の中で、いろいろな形で本当にその人が退院できたというふうに思えるようにしていただきたいと思います。

 二例、えっ、そんな人が世の中にいるのというお話をさせていただこうと思います。

 一人は、三十二年間、精神病院に入院していました。石川県の方です。その人が援護寮を見て退院する気になりました。そして、今、ひとり暮らしをしています。退院して本当によかったと。可能性です、精神障害者の。

 もう一人は、三十一年前にある事件を起こしてしまった。大した事件ではありません、私から見れば。ある事件を起こしてしまったことを契機に措置入院、措置入院といえば一番厳しい強制入院ですか、措置入院になった。それをきっかけに十五年間入院していた。それで、病院が退院させた。そうしましたら家族が不安になって、今度は家族の同意のもとによる医療保護入院で入院させちゃった。そしてまた十五年です。三十年たって退院しました。その人は何と言ったか。広田さん、援護寮はバス、トイレつきのホテル並みですということです。

 私自身は生活保護で暮らしています。生活保護で暮らしながら、グループワークでなじまないようないろいろな人がうちに泊まっていきます、駆け込み寺です。そういうふうに活動している人もほかにもいます、たくさん。

 ですから、所得を保障していただいて、また、ピアサポートセンターに勤めたりいろいろなことをする可能性がある、ピアヘルパーもさっき出ていました。そういうふうな生き方とともに、生活保護とか年金でそういうふうな活動をして生きていくことが社会的に認知されるような、いろいろな生き方が認知されるような社会であってほしいということで、くれぐれも所得の保障と障害者の日を休日にしていただきたいということを議員立法でお願いして、広田和子のお話を終わらせていただきます。

 御清聴どうもありがとうございました。(拍手)

鴨下委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

鴨下委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石崎岳君。

石崎委員 自由民主党の石崎岳でございます。

 きょうは、六名の参考人の皆様方に貴重な御意見を拝聴する機会をいただきまして、本当にありがとうございました。障害者自立支援法、こういう法律を審議する場合には、現場で御苦労されている、頑張っておられる方々の御意見あるいは御苦労、悩み、そういったものを聞いた上で審議をしていくというプロセスがどうしても必要でありまして、そういった意味で、きょうは本当に貴重な御意見をいただきました。ありがとうございました。

 六名いらっしゃいますが、順次いろいろな御質問をさせていただきたいというふうに思います。

 亀井参考人から、地方自治、市長さんという立場できょうは御意見をいただきました。先ほどの亀井参考人のお話の中に、地域福祉ということで、やはり現場を一番よく知っている基礎的自治体がこの障害者福祉を担うということがどうしても大事である、そして、地域福祉計画というものをつくって、市民、住民を巻き込んだ形で福祉を推進していくということ、こういうことが大事なんだというお話がございました。

 そして、先ほどの御意見の中で、現在の支援費制度の中では、頑張っている自治体ほど財政的に窮屈になっていく、厳しくなっていく、そういった御苦労のお話もございました。そういった観点からこの自立支援法というものも提案をされているわけでございますけれども、地方財政を預かる市長というお立場から、この自立支援法そして今までの支援費制度、地方財政面から見てどういう点が評価をされるか、その点についてお聞きしたいと思います。

    〔委員長退席、大村委員長代理着席〕

亀井参考人 石崎議員の御質問にお答えをいたしますが、私は、先ほど申し上げたとおり、支援費制度というのは、障害がある方が社会参加していく、自己実現を図っていく、その中で、導入の段階として非常にすぐれた制度であったな、こんなふうに思わせていただいているところでございます。ただ、これも先刻申し上げたとおりでございますけれども、頑張っている自治体にとっては非常に財政的に厳しくなってきたなということが上げられますし、また、私ども同じ自治体でも、この制度がありながら提供できていない、そういう部分も非常に残念だな、こんなふうに思っているところでございます。

石崎委員 ありがとうございます。

 もう一点、今この法案の審議では、地域格差、自治体間格差、つまり亀井市長のように頑張っておられる自治体、それからサービスの程度、普及ぐあい、これが不十分な自治体というものもあるだろう、そういう地域間格差、自治体間格差、こういったものをならしていこう、どこへ行ってもしっかりとしたサービスが受けられるような日本の障害者福祉というものをしっかりやっていこう、そういう精神があるというふうに思います。

 そして、しっかり積極的に取り組んでおられる市長のようなお立場から見て、この地域格差、自治体間格差、この法律でそれを少しならしていこう、どんどんならしていこうという発想でありますが、この自治体間格差を解消する方法というものを市長なりにどういうふうに考えておられますでしょうか。この法律とそれから市長独自の何かお考え、御意見というものがあれば、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。

亀井参考人 再度の質問でございますけれども、この地域間格差、でこぼこをなくしていく、このことは私も先ほど申し上げたんですけれども、小規模自治体は、やはり施設がない、そしてマンパワーがいない、財政的にも非常に厳しい、こういう厳しい現実があるわけでございます。

 そんな中で、規制緩和をしていただくことによって、あるいは小学校とか、そういう学校の地域資源、いろいろありますけれども、そんなものを活用するとか、あるいはまた空きテナント、空き家を活用する、空き倉庫を活用する、そんな中でいろいろな事業展開が図っていけるというふうに思っているんです。そして、そういう事業は、単に社会福祉法人だけではなくしてNPO法人とかでも参画できる、そういうことになってまいりますと非常にそういうでこぼこが解消されていくのではないか、こんなふうに思っております。

 私はかねてから思っていたんですが、高齢者は広域連合でされているわけですよ、ところが、なぜ障害者をそういう組織的なものに乗せていただけないのかな、こういうふうにも思っているんです。それはやはり、今後、私どももそういうふうな働きかけをしていかなければなりませんし、また、国御当局にあってもそういう説明をされていく方がいいのではないかな、こんなふうに思わせていただいているところでございます。

石崎委員 先ほどの亀井参考人の縦割り行政を横割りにというお話、本当に福祉という分野においてもそういうことが非常に大事だなということを痛感しております。

 続きまして、松永参考人にちょっとお聞かせをいただきたいと思います。

 非常に長い間、福祉の現場におられて、就労という意味でも大変な成果を上げておられるという事例を拝聴いたしまして、本当にすばらしい取り組みを長年にわたって続けておられることに敬意を表したいというふうに思います。

 先ほどの御意見の中でも、町を歩けば、例えば障害者就労福祉について、仕事のネタも情報もたくさん転がっている、障害者に適したさまざまな仕事が創造できる、そういう御意見がございました。これは、全国でいろいろな、そういう意味で障害者に対する就労の機会をつくるということで御苦労されている方々がたくさんいらっしゃると思うんですが、そういった方々にとっては、その種は転がっているという松永参考人の御意見を聞いて大変力強く思っておられるのじゃないかというふうに思いますが、どういうことなんでしょうか。どういうところに創意工夫の種が転がっているのか、どういうふうに取り組んでいけばいいのか、その点についての何かアドバイス、お考えをお聞かせいただきたいと思います。

松永参考人 私たちの就労への取り組みでございますけれども、決して特別なことをしているわけではございません。授産施設は、職業を訓練して社会自立を図るという目的が示されているわけでございまして、私も長年この仕事に参画いたしまして全国各地を回ってまいりました。

 授産施設の取り組みは、平成四年に全国社会福祉協議会に事務局を置く全国社会就労センター協議会が、その機能を三つに分けることを研究報告書にまとめております。いわゆる就労訓練をして雇用に結びつけることですが、そのことは、資料の八十四ページにありますように、一般就労に向けた支援。企業で雇用が困難な者は一定の支援のもとで就労する、いわゆる福祉工場であります。そして、就労困難な者は日中活動にする。これは平成四年に決められたわけでございまして、これを真摯にやれば私どものようなことになることは事実でございます。

 私があちこちを回ってまいりまして、職員にも言っていますことは、そうした授産施設本来の目的をやっているのは約二割、あとはほとんどの方が日中活動を重視した混合型の施設でございます。私は、当法人の職員には、それはずさん施設だ、こういうように言っているわけでございますけれども、目的をはっきりしろ、こういうことを明確に言っているんです。

 それと同時に、授産施設の職員や福祉工場の職員というのは、私は、例えて申しますと、町に出れば犬棒係だと。犬も歩けば棒に当たるという言葉でございまして、全国どこを歩いても仕事になるネタはあります。例えば、きょうお示しさせていただきました「高齢者と障碍者のいきがいづくり推進事業」のパンフレットでございますけれども、日本財団の曽野綾子さんの御支援をいただきまして、僻地での遊休施設の活用や田畑を使った仕事づくりをやっておるわけであります。

 これによりまして、お年寄りも元気になって医者に行かなくなった、わずかですがお金もいただけて非常に助かるとのことでございますし、お年寄りの有技能と経験を生かして障害者と一緒に働き職業指導をやっているとのことでございます。一般的には、福祉大学を出て資格はお持ちの人でも、働く能力と体験は意外と少なく、この人たちの指導効果は弱いということでございます。

 こういったことを活用してまいりますと、この資料の百八ページにございますように、現在、私どもでは五十五の業種を担当しているわけでございます。言うなれば、その人に合った仕事をどうつくるか、ここが職員の仕事でございます。そういったことを考えますと、一日に七百三十円しか稼げなかった、それも重度の人が三人でやっていたものが、ちょっと器具を開発することによって、今現在、本当に重度の障害の方が七千個を二人半でやっております。そういったことをするのが職員の仕事なんだ、ここを明確にするだけでございます。決して特別なことをやっていることではないということを、ひとつ先生方に御理解いただきたいと思うわけでございます。

 以上でございます。

石崎委員 今のお話、浅輪参考人も同じくそういう作業所ということで御苦労されているわけでありますが、今の松永参考人のお話を聞いてどのような感想をお持ちでしょうか。ちょっとお聞かせ願えますか。

浅輪参考人 私がいるところは小規模作業所と言われているところで、資本形態からいいましたら、全く松永さんのところとは比べ物にもならない小さなところです。しかし、基本的に考えることは私は同じだと思っております。

 私のところは清掃作業の請負をやっております。病院と老人ホームと契約をいたしまして、企画書を出し、企画書に基づいて契約をして作業を請け負う、そういう形でやっております。相当障害の重い人がおりますが、その人たちに何をさせるかといったら、その人に合ったスキルを工夫し、その人に合った場面を工夫し、その人が、自分たちがお掃除してきれいになったという完成感を持つこと、達成感を持つこと、そのことによって自分の意欲を高めていくこと、それが指導員の役割ですよということを言っております。

 そういう形での作業に取り組むということは、この人たちの意欲がどんどん育っていくということであり、今おっしゃったようにずさん施設ではないと私は思っておりますが、確かに、今あることだけをやっていて、向上心を持たないというような施設がないわけではないと思っております。そこをやはりしっかりやっていかなきゃならないということ、その監督をしていき、それから松永さんのところのような資本を、資本というか原資を与えていくこと、それは行政の役割ではないかというふうに思っております。

石崎委員 松永参考人にちょっともう一度お聞きしたいんですが、「障碍者」という、松永参考人の資料の中に、障害のガイの字が、通常の「害」じゃなくて違う字を使っている。最近では平仮名を使うケースも多いんですけれども、違う漢字を使っているというのは何か特別な理由、思いがあるんでしょうか。ちょっとお聞かせいただきたいと思います。

松永参考人 私どもは、障害を持つ子供の親でございまして、障害を持つ子供の親と申しますと、常に斜め四十五度下を向いてぽそぽそと歩いてくる、こういう思いで生活をしてきたわけでございます。

 ちょうど平成十年、一九九八年の六月三日、地方新聞でありますが、「二十世紀 未来への記憶」という記事がございました。この中に、ドイツ中西部の小都市ハダマールという絵にかいたような美しい町、ここで障害者の人たちがガス殺されたという記事が載っておりました。いわゆる知恵おくれや精神病などで医師から価値のない生命と判断をされた人たちが一万七十二人も殺されたということであります。これに対して、医師がこのことを断行したということでありまして、ヒトラーが知的障害者らの安楽死を医師に許可する極秘のT4作戦を準備したというような記事でございます。

 この中で、私はなぜこういうことが起きたのか。以前は、障害のガイは、今私が使っている文字を使われていたそうでございます。今は知的障害でございますが、明治時代は白痴と言われる、また障害においてもいろいろな言われ方をしていたそうでございます。それが国民優生法が公布された一九四〇年ごろから、繁栄を阻害する邪魔者として、現在の公用語である「害」の字が使われ出したという事実を知ったときに、私は、ぜひとも、この子供たち、いわゆる障害を持つ人たちが繁栄を阻害する邪魔者として今もってこの文字が使われていることに深い悲しみを持っているわけでございます。このことにつきましては、先ほど広田参考人さんからお話がありましたように、超党派の皆さんで、議員立法でこの障害の文字を変えていただけないか、このようにお願いをするわけであります。

 以前には精神薄弱という言葉がございました。平成八年に、当時の厚生大臣でありました、今の小泉さんが、まだこんな言葉を使っているの、この一言で知的障害というようになった事実もございます。いわゆる先生方のその思いと決意でこのことは改善されるわけでございます。どうぞひとつこのことを切にお願い申し上げる次第でございます。

石崎委員 今の障害者の表記の問題については、政治的に議論すべき大きなテーマだというふうに思います。

 ちょっと時間がなくなってきました。松永参考人に最後もう一点だけ、先ほどの話の中でちょっと気になったことがありまして、松永参考人は、国民の一部からは福祉亡国論がささやかれ、その声は大きくなりつつあるという御発言が先ほどございました。何々亡国論というのは時々いろいろ出てくるわけでありますが、福祉亡国論、その声が大きくなりつつあるという御認識を現場におられて感じておられるということでしょうか。その中身、具体的にちょっとお聞かせいただきたいと思います。

松永参考人 全国重度障害者雇用事業所協会、全国からの重度障害者を雇用する団体約三百社の方々が加入している団体でございます。年に数度、研修会がございますし、いろいろな集まりがございます。

 その中で、障害者を抱えながら一生懸命に雇用、事業の運営をなさっているわけでございますが、その方々から見ると、福祉に対する物の考え方、これだけお金が出ているのに、なぜもっと就労、雇用が進まないのか、所得保障ができないのかというようなお言葉が出てくるわけであります。そうして、我々福祉という分野の中で一生懸命にやっているつもりではございますけれども、その方々から見ると、税金の使われ方が余りにもおかしいではないか、これは、私も最初、施設をつくるというときに、施設を見学した中で感じておったことでございます。それが、年々、たびたび聞かされることに私は危機感を持っているわけでございます。

 以上でございます。

石崎委員 そのほかの参考人の皆さんにもお聞きしたいことがあったんですが、時間が来たようであります。本当にきょうは貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。

 終わります。

大村委員長代理 次に、福島豊君。

福島委員 本日は、参考人の皆様には、大変お忙しいところ、国会にお越しいただきまして貴重な御意見をいただきまして、本当に感謝をいたしております。

 まず初めに、名張市長の亀井参考人にお尋ねをいたしたいと思っております。

 この法案の審議に当たってさまざまな指摘がなされておりますが、この特別国会での審議におきましては、障害程度区分の判定の問題、これがスムーズにできるのか、こういう指摘がなされております。先般、国としてもモデル事業を行わせていただきまして、それに応じて、従来の介護判定だけでは足りない項目についても追加をして、新たにそのプログラムを組み直して、そして適切な判定ができるようにということを整えたいと思っております。この点について、実際に現場でその事務に携わる市長の立場としてどうお考えか。

 そしてまた、もう一つは、障害当事者の審査会への参加という問題でありますけれども、これも、必ずしもそのモデル事業の中ですべての自治体で行われたわけではありませんので、こういった点についてもどうお考えかということについてお聞きしたいと思います。

亀井参考人 判定の問題は、私ども直接この事業に携わる者にとりまして、最も悩ましい問題であるわけでございますけれども、この部分がきっちりできていないと、この法案も進化していかないというふうに私どもは思っているところでございます。

 そこで、私ども名張市では、今モデル事業としてこれをテストケースとしてやらせていただいているところでございます。ドクターの方、あるいはまた発達障害を含む関係の大学の教授の方々であったり、県の認定を今までされておった方々でございましたり、そしてその中には、そういう当事者と申しましょうか、そういう方々も当然ながらお入りをいただいて、その事務を進めていくというふうにしているわけでございます。その中でも、精神がちょっと難しいのかなとは思っておりますけれども、これは克服をしていかなければならないわけでございますから、この部分は頑張ってやっていきたい、こんなふうに思っています。

福島委員 ありがとうございます。

 発達障害の点についてもお触れいただきましたが、私の子供も発達障害なんですけれども、大阪から名張に移った方がいまして、名張の教育と福祉の連携が非常にすばらしいということで市長のお名前をお聞きいたしておりますので、感謝を申し上げたいと思っております。

 そしてまた、もう一つは、地域生活支援事業の話なんですが、これが要するに義務的経費ではない、そしてまた、地方自治体の一般財源だからどの程度サービスが確保されるんだ、こういう指摘があるわけです。

 私が思うのは、国がすべて、あれをここまでとか、どれをそこまでとかということではなくて、むしろ地域が、自治体が地域福祉計画をつくる中でどこまでやるのかということを、やはりその地域の特性もありますし、みずから判断をして、それに必要なことは財源を自分のところも確保する、それにちゃんと国もつき合ってよ、こういう話なんじゃないかと逆に思うんですね。

 基礎的自治体であるところの、まさにその市町村で、自分のところの障害者施策をどうするのかということをきちっと議論せずに国が補助制度ということでやってきたというところに限界があるのであって、その発想を大きく転換しなきゃいけない。だから、地域生活支援事業の中に位置づけられているから不安だ、不安だというのではなくて、まずみずからの現場で頑張るということが私は必要だと思っているんですけれども、この点についての市長の御見解をお聞きしたいと思います。

亀井参考人 委員御高承のとおりでございまして、そのようでなければならないというふうに思っています。

 まず国の制度があって、それを拾っていくというか選んでいくということではなくして、私ども自治体の目指す福祉の理想郷をまず描かせていただいて、それに向けての地域福祉計画があって、そしてこの障害者福祉がその一翼を担っていただいているということでございまして、まさに今の委員の御所見のとおりでございます。我々がまずつくって、そして県と協議を重ね、この部分はやはり国にお願いしていかなければならぬな、こんなことで進めていきたいというふうに思ってございます。

福島委員 そして、サービス単価の問題ですとか、そしてまた、国みずからがしっかり説明しろと、私はそのとおりだと思います。

 この後、国会はもう間もなく閉じますけれども、やはりこの法案の立案、その検討の過程、非常にスピードが速かったということはあると思います。それは、支援費制度そのものが財政的な危機に端を発しているということからやむを得ない部分も当然あると私は思いますけれども、しかしながら、当事者の方々にしっかりと説明するということは、国においても大変大切なことだと思っておりますので、督励をしてまいりたいというふうに思っております。

 引き続いて、松永参考人にお尋ねいたしたいと思います。

 大変感銘深く私はお話を聞かせていただきました。率直な感想は、すごいなと思いました。こうした取り組みをやはり全国各地で進めていかなきゃいけない。

 そしてその中で、ここは議論が分かれるところなんですが、私もこの法案をめぐって、障害者の方々に求める負担というのはいかにあるべきなのかということは、ずっと悩ましく考えてまいりました。いろいろな見直しを政府にも求めてまいりました。最終的に応能負担に近づいた形になっていると私は思いますけれども、サービス利用についてその負担を求める、そういう言い方もあるんですけれども、障害者の方もともに参加をして一つの障害者を支えるサービスの制度というものを担っていく、こういう観点がやはり要るんじゃないかというふうに、最終的にこれは私ずっと悩んで到達した結論なんですね。

 その中で、いろいろな御指摘がありますけれども、就労してわずかばかりの工賃しか得られないじゃないか、その上でなぜ利用者負担なんだ、こういう意見があるわけです。むしろ、私は、就労支援というものを今回の法案で大きく見直しをして、一つ一つの事業が安定した事業になっていただいて、そしてその上でさまざまな工夫をして工賃も引き上げていく、そしてその中で御負担いただけるところは御負担していただく、やはりこういうことなのではないかというふうに思っているわけでありますけれども、就労支援の事業を幅広く行っておられる参考人の御意見をお聞きしたいと思います。

松永参考人 先ほども私がお話し申しましたけれども、就労には幾つかございます。この資料の中にも書いてございますけれども、私は、就労というものに、やはり雇用契約ということを重視するわけであります。それは、国民として大人になれば働くことは当たり前だ、このような思いを持っているわけでございます。このことにつきまして、やはり就労、働くということはありましても、その中でけがをしたときに、労働災害として国民として救われるか救われないかは、雇用契約を結んでいるかいないかでございます。また、その人の労働の正しい評価をするということで雇用契約を結ぶわけでございまして、私は、就労を促進するという形の中で、やはり第一は雇用である。

 そしてもう一つは、私どもの授産施設、就労の形態につきましては、福祉工場というものは、やはりプロ野球の機構でいいますと一軍選手であります。授産施設というのは二軍選手、いわゆる一軍に上がれるように訓練をする、調整をする、これが授産施設の役割であり、そしてそこから一般企業に行く、これはメジャーだ、このような位置づけをしているわけであります。極力、一般企業へ、メジャーへ送り出していくというようなことをしていくことが私たちの仕事であるということで考えているわけでありますけれども、授産施設におきましての目標は、私どもは月額二万九千円を目標にしているわけであります。これは満金、月額であります。

 これらにつきまして、どういうことが難しいのかと言われますけれども、通所される方々でいわゆるケアが必要な人は約一五%であります。そのケアで必要なことは、大概、家庭の中であったトラブルを調整する、ここが一番ポイントであります。ここをきちっとやれば大概働ける、元気で働けます。そして、私のところでも、働いている人と訓練している人は一八%が強度行動障害、自閉症の方であります。自閉症だからできないというのは間違いであります。この事実だけは、ごらんいただければおわかりいただけると思っているわけであります。

 そして、今お話がありましたように、所得保障は二万九千円あると申しますと、最低賃金の約五〇%の賃金で雇用契約することは可能であるということでございます。そういたしますと、月額約五万円から六万円程度のものは十分可能でございます。

 そのうちから、資料三、配付させていただきましたので、見ていただきますと、私どもの福祉工場での賃金手取り額は年間約六十万円程度になっております。そういったことを現にやっておりますが、昨年は、その昇給率は七・八%でありました。下がっているところは、できる人はメジャーに行ったものですから工賃が下がっているということがございます。そして、その人たちが一人当たり年間に支払った公的な社会保険等の負担額は二十八万八千四百六十七円であります。それも、安全衛生対策をしっかり本人たちに教え込むことによって、四・九%労災保険金が減額になっている。働く選手として十分可能である、そしてその所得保障の中から負担は可能であるということも、私は実績を持ってお話を申し上げたいと思います。

 以上でございます。

福島委員 大変力強い発言をありがとうございます。私も親として、だんだん希望が出てきたような気がいたしております。

 次に、浅輪参考人にお尋ねしたいんですが、私の地元でも、小規模作業所がなくなるんじゃないか、こういう心配の声がたくさん寄せられておって、このことはこの国会できちっと議論して明確にしなきゃいけないというふうに私も思っています。

 これは先般から委員会で質疑がありまして、小規模作業所がどういう事業を担うのか、こういうような話でありますとか、そしてまた、従来の法定外の施設として法定内の事業ができなかったものを、法定内の事業所としてきちっと位置づけて、今まで以上に経営基盤というものをきちっと強化してやっていくことができるようになるというような方向も示されているわけであります。

 私は、現在の、法定外の立場に置かれていて、さまざまな御負担を実際親の方がされて担っているこの事業というものを何とか安定した事業にして、そして、非常に膨大な六千を超える数の施設がありますから、そういうものが今後もきちっと地域の資源として活用されていくということが大切だと思うんです。そのための道を開くものになるというふうに思っております。思っておりますが、その点について、やはり御心配だという声があるわけであって、参考人からまた簡単にコメントいただければと思います。

浅輪参考人 現在の小規模作業所というのは、実に複雑な、種々雑多な仕事をしている。一生懸命就労支援をして就労させようと思っているところもある一方で、やはり日中活動の場として、生きがい対策のようなものをやっているところもあるわけですね。そこを一くくりにして同じ方向に向けていくというのはとても難しいことだと思います。

 ですから、この複雑さというか、方向がいっぱいあるということをどう生かしていくか。それは、なぜそうなったのかというと、やはり障害を持っている人たちがそれを求めているからそうなったんだと思うんですよ。

 例えば、私のところは就労継続支援のところを目指していこうと思っておりますが、そんなこととてもできないと言っている人たちがたくさんいるわけですね。そこに対して、しかし、先ほどから松永さんがおっしゃっておりますように、だれでもそこの職員ができるかというと、そうではないわけです。障害をちゃんと理解した上で、そこにやはり専門的な見方ができるような人が必要なわけですね。ところが、そういう人を雇うようなお金はありません。ですから、はっきり言ってしまうと、私のようなおばさんがいっぱいいるわけです。そういう人たちが見ていて、中身の濃いもの、いいものができるわけがないだろうと思います。そういう意味での支援の仕方というのはあると思うんですね。

 ですから、お金がどうのこうのという前に、やはりそこを利用している人の立場をどう見るかということ、そこが必要だから行っているのであって、そこにポイントを据えた運営の仕方を考えていただきたいと思っております。

福島委員 これは、先日の、この前の委員会におきましても、小規模作業所がどういう事業を担えるか、例えば生活介護であるとか、それから就労移行支援であるとか、就労継続支援であるとか、地域活動支援センターであるとか、そういう多様な事業を担っていくということが考えられます、こういう答弁が政府から示されていて、そこのところはもう少し、現場の方が御安心できるように具体的な姿をきちっとやはり政府も示していかなきゃいけないというふうに思っております。

 それは、マンパワーからいってもいろいろな限界もある、その中で、その一つ一つの器に合ったといったらいいんでしょうか、そういう事業が成り立っていく。しかも、今まで以上に安定して、必要であればもう少しいろいろな専門的なことができる人も雇えるような。そのためには、安定した事業基盤というものをつくらなきゃいけないし、一方で、地方自治体からの補助金も出ていますから、そういうものも、できれば今までと同じようにやはり継続していただきたいということも、これは総務省の管轄になりますけれども、要望していかなきゃいけないと思っておりますし、できるだけ安心していただけるように、この国会での審議でももう少し深めさせていただきたいというふうに私は思っております。

 それから、時間も限られておりますので、広田参考人にお聞きしたいんですが、この国会での議論で、通院公費の制度がなくなると自殺する人がふえるよ、端的にそういうふうにおっしゃられる方がおられて、私は身近で聞いていると、そうでもないよ、そういうことはないんじゃないか、こういう意見もあるんです。ここのところは、先ほどのもともとの由来が何かということ、そしてまた、当然精神障害の方は、所得保障が大事だ、こういうふうに参考人はおっしゃられましたけれども、やはり所得が少ないわけですから、それに見合った負担でなければ到底耐えられないと思いますし、見直しがどういう影響を与えるんだ、こういうあたりについてお聞きをしたいと思います。

広田参考人 御質問ありがとうございます。

 一つには、三十二条というのは社会防衛ですけれども、もうほかの病気と同じように、普通の病気並みにしてもらいたいなというのが私の気持ちなんですね。

 私が精神科に行ってから二十二年間、残念ながら二十数名の仲間が自殺しています。その中で、いわゆる薬を飲まなくて自殺したという人はいないんですね。

 例えば、薬を飲まないというのは、医者がインフォームド・コンセントをきちんとしていないがために本人が病気の自覚ができていなかった。または、私の場合の自殺未遂は生きる目的を失っていたんですが、今この国は三万人超がリストラや不況のために死んでいますが、仲間たちが死ぬときは、例えば、あしたから作業所を出て働きに行く、チャンスだと思ったときに、本人が不安になって自殺していくとか、それから、やはり社会の中で孤立していく、社会の中で孤立している人が自殺に結びついているということで、今までの私の体験の中では、お金がなかったから、薬を飲まなかったから直接的に死んだという人は一人もいないんです。ただ、多くの仲間がそれを危惧しているということはあります。

 それと、所得の保障ですが、やはり働ける人は働きたい。障害者雇用率に確かに入るんだけれども、パーセンテージが伸びない形で入るということは、既に企業の中にもういますから、手帳をとれるような精神障害者が。厚生労働省にもいますから。そういう意味ではここにもおられるかもしれませんけれども。そういう意味でいうと、やはりパーセンテージが上がって、入れていただく。働ける人は働く、でも一人では働けないところを二人で行くとか、一日を三人でやるとか、またはフレックスタイムとか、いろいろな方法があります。そういう中で、やはりそういうことができない人のために、きちんとしたいわゆる所得保障、本人に対する所得保障で、本人が消費者としてサービスを使うということです。

 ですから、薬を飲まなかったために自殺したという人はいないけれども、薬を飲まなかったために悪化して、再発して入院した人はいます。でもそれは、自分がその薬についての必要性を認識できていなかった、その背景には医者がきちんとしたインフォームド・コンセントをしていない現場があるということを私はお答えします。

 御質問ありがとうございました。

福島委員 どうもありがとうございました。

 ですから、この見直しに当たって留意しなければいかぬことは、そのことによって精神障害を持つ方が疎外されていると受け取られるようなことはやはり避けていかなきゃいけない、こういう話なのかなというふうに理解をいたしました。

 残り時間がもうなくなってしまいました。

 最後に、水谷参考人に申し上げておくだけでありますけれども、育成医療の件、いろいろと御意見いただきまして、子供の方が将来に向かって健やかに成長していくための支援というのはやはり国としてもしっかりしていかなきゃいけない。今までもできる限り努力させていただいたつもりでありますが、立てかえの問題でありますとか、いろいろと残っている課題もあります。引き続き努力していきたいというふうに思っております。そのことだけ申し上げまして、御質問といたします。

 どうもありがとうございました。

大村委員長代理 次に、郡和子君。

郡委員 民主党の郡和子でございます。

 参考人の皆様方、きょうはお忙しい中を遠くからおいでいただき、それぞれのお立場で、現場の、そしてまたさまざまな問題について貴重な御意見をいただきました。大変ありがとうございます。

 皆様方のお話を伺っていて、我が国の福祉行政というのは皆様方のお働きによってどんどん前に進んできたのだな、引っ張られる形で進んできたのだなということを改めて認識させていただきました。そしてまた、きょうお話しいただきました皆様方の福祉行政に対する御期待と願いというのを大変重く受けとめさせていただきました。

 まず、浅輪参考人にお尋ねをいたします。

 お話を伺っておりまして、小規模作業所で、障害を持っておられる方々、それからその御家族の方々を支えるお立場で、今回の自立支援法に対しての不安ですとか、それからまた不信、憤り、危機感というものがお話の中ににじんでいたように私は受けとめさせていただいたわけですけれども。

 今回、この自立支援法につきまして、全日本手をつなぐ育成会では、早期の成立を強く要望いたしますというふうに書面を出されております。これは、浅輪参考人のお話を聞いておりますと、育成会の総意ではないのではないかというふうに受けとめさせていただきました。

 この要望書を出すに当たりまして、全国でのお話し合いというのが持たれたのか、あるいはこの要望書が出されたいきさつについて、御存じであればお話をお聞かせいただきたいと思います。

    〔大村委員長代理退席、委員長着席〕

浅輪参考人 最初からきついお話で、ちょっとどうお答えしたらいいかわかりませんが、事実だけを申し上げたいと思います。

 ここに全日本育成会の速報二十八というのがありまして、そこに「全日本育成会に、さまざまな意見・要望・抗議が寄せられています。」というような文章が載せられています。確かに、私が知っている限りでも、全日本育成会に向けて、このやり方はひどいのではないか、もうちょっと地方の意見を聞いてくれというような要望書が上げられているということを聞いております。

 しかし、ここの中には、全日本育成会は組織として統一した見解を持っている組織ではない、地方の団体が御自分の意見を持つことは当然である、ですからそこに統一した意見を求めるのは間違いであるというようなことが書かれています。私は、ある意味でいうと、拘束をしないという意味ではないかと思いますが、しかし、それでは全日本はだれのための団体なのかという疑問を感じている。事実だけを申し上げたいと思います。

郡委員 先ほどのお話の中でも浅輪参考人は、せっかくつかんだ幸せのしっぽが逃げていくようだ、この自立支援法に対してこういう御感想を述べていらっしゃいました。改めてその辺のところをお聞かせいただきたいと思います。まずどの点に一番御不安を感じていらっしゃるんでしょうか。

浅輪参考人 先ほども申し上げましたが、私たちは永久に生きているということはあり得ないわけですね。そうすると、自分が死んだ後のことというのはどうなっていくのかということを考えなきゃいけないと思います。

 親の立場からいいますと、普通の子供であれば、ほっておいても自分で自分の生きざまを見つけ、そしてその中で結婚をし子供をつくり、そしてその世代を次に伝えていこうという行為ができるわけですが、この人たちはそれができません。ですから、どこかでだれかの手が必要なんですね。そのだれかの手というのは、未成年の場合ではやはり親とか学校だろうと思います。そういうことを段階を経て考えていきますと、この人たちが自分の力で生きていくということを自分でしてほしいと思います。それで、親というものは、やはりそれを後ろから支えていく、そういう力ではないかなと思うんですね。

 ところが、こうやって、年金とか、それから県や市がつけてくれたいろいろな基金制度というのがありまして、それを一生懸命計算して、私は国がやっている共済制度に二口入っていまして、うちの亭主が死ねば四万円入ってくるわけです、そういう計算をずっとやりまして、ああ、これなら何とか生きていけるなというところまでいったわけですよ。

 ところが、この制度が始まって、年金から何々引かれます、ホームにいるから何々引かれますというと、例えばの話が、入所施設に入っていますと二万五千円のゆとりがありますよとおっしゃいますが、二万五千円という金額を一カ月で割ってみてください。七百円とか八百円ですよ。映画一本、見に行けません。お菓子も、高いお菓子は買えない。そういう状態の保障しかされていないということなんです。

 そういうことの中で、私たちは、今まで築いてきた、どうやってこの人が生きていくための基盤をつくるかという考え方というのが何か足元から崩れていくような気がするんです。決してぜいたくをしようと思っているわけではありませんが、皆さんがなさっているのと同じように、好きなときにテレビを見に行きたいし、たまにはファミレスにも行きたいと思います。やはりそういう生活を保障できるような制度にならなければいけないんだろうと思います。

 皆さんのお話からありますように、所得保障もちゃんとしていただきたいし、その中で扶養義務もちゃんと外していただきたい。親は一生懸命お金をためていますが、そのためたお金まで持っていかれそうな雰囲気の制度であると私は思っております。

郡委員 生きる権利も剥奪されるのではないかといったような御不安、よくわかりました。

 かわっての質問は、自立支援法では、浅輪参考人がかかわってこられました小規模作業所、これが新事業への道というのが切り開かれることになります。先ほど福島委員からもお尋ねがありましたけれども、この小規模作業所のこれからについて、先ほど浅輪参考人は、日中活動の場のらち外風の位置づけで語られているというふうにおっしゃって、大変な不安をやはりここでもあらわしておられました。具体的にこれはどういうことをおっしゃっているのか。

 それからまた、小規模作業所というのは、どこでもそうだと思いますけれども、大変貧しい資源と貧しい人材で運営をされているところでございます。これからの展望というのを浅輪参考人はどのようにお考えになっていらっしゃるのか、お尋ねします。

浅輪参考人 小規模作業所というのは、成り立ちからいいまして、自分の家から歩いて行ける距離に、自分で通える、親の力をかりなくても行ける距離にという形での発生があったと私は思っています。私が最初につくった作業所は、そういう概念でつくってきました。

 しかし、これはいろいろな作業所がありますので一概には言えないんですが、自分に合ったところがここだと思うと、親御さんはそこまで、バスを使いそれから電車を使って通ってくるんですね。こういう形は、私は本来的なものではないと思っています。ですから、どこにも質のいいレベルの高い作業所がなければいけないと思っているんです。

 ところが、なかなかそうならない。それはどういうことかといいますと、今おっしゃっていただきましたように、補助金が少ない。地方によって、県によって随分格差があるようですが、それにしても、やはりそこの中でやるしかない、そういう現実があるわけですね。そうすると、そこに集まってくる職員も決してレベルの高いものではなくなってしまう。

 志が高い人が何人かいてくださると、本当にうれしくて、その人はしっかり放すまいと思って、その人のためにみたいな形で何とか手当をつけてみたりなんかするわけですが、私が初めにやっていたころには、社会保険も何もない、そういう状態で職員を採用しておりました。今はそんなことを言っていたら職員は来ませんので、社会保険を全部つけております。事業主負担というのが発生します。その中で、私たちは、どういういい職員を育て、そのいい職員が育っていくことによって、その見返りとして、そこに通っている人たちにいい処遇ができるわけです。そういうことを目指しているわけですね。

 ところが、成り立ちからいって、行政があなた方が勝手におつくりなさいといってつくったような作業所というのは、やはりそこには、質が悪いと言っちゃきっといけないんでしょうね、要するに日々楽しく暮らしていけばいいよというような形の作業所が発生してしまっているということがあります。私たちは、このことをいいとは思っていません。ですから、ここにある程度のしっかりしたお金をつぎ込んでいただいて、そしてその中で日中活動の場という活動支援型というものを考えていただけるのならば、日々毎日楽しく過ごすことというのも大事なことだと私は思います。

 私の娘は十八年間働いておりましたが、四十になる直前に解雇されました。私は、この人がもう一度職場に、一般私企業に戻ることは難しいと思いました。ですから、そこからリタイアした人たちが日中活動をして過ごす場というのは必要だと思っているわけです。しかし、いきなりどんと落ちるのではなくて、ソフトランディングと言われているように、徐々に徐々に環境を変えながら生きていくことが必要だと思うんですね。ですから、いろいろな形の場が必要だと思います。

 しかし、ここを運営するについても、法人格がなければできないと言われているわけですね。法人格というのは、そんなに簡単にとれるものではないと私は思っています。NPOにしても、それから例えば有限会社にしても、そんなに簡単にとれるものではないと思っているんですよ。そういう困難なものが目の前に見えますと、今の小規模作業所の人たちというのは、これは無理かもしれないというふうに思ってしまって、自分の方向が見えなくなってしまうということがあると思います。

 それから、今いる人たちをそのまま、解雇しないで、要するに抱えたままの活動というのを続けていかなきゃいけないのではないかというような義務感みたいなものもやはりあるわけですね。そうすると、そこの人に合わせた活動をしていかなきゃいけない。

 それから、場所的にも、一軒家の古ぼけた家を借りまして、そして運営しているところがあります。先ほどどなたかがおっしゃいましたが、空き教室でも空き家屋でもいいじゃないかとおっしゃいますが、全日本で説明会がありましたときに、長崎の方だったかと思いますが、今学校は部外者を入れない、だから学校に部屋があいていたとしてもそこを貸すなんということは考えられないということをおっしゃっていました。

 そういう意味でいうと、環境として整えていく条件というのは、そんなによくはなっていないという気がいたします。そこをやはり見ていただいて、方向づけがちゃんとできるようなもう少し細かい指針が出てくると、私たちは考えていけるよすがができてくるかなと思います。

郡委員 ありがとうございます。

 質問を変えまして、娘さんがガイドヘルパーでディズニーランドでジェットコースターを楽しまれたというお話に大変感動されたとおっしゃいました。私も、ああ、そうなんだろうなと深く心にしみ入りましたけれども。今回は、この法案では、これまでの重度の肢体不自由を伴った常時介護の方々でなければ、このガイドヘルプ、移動支援というのが個別給付ではなくなってしまいますし、またその負担も義務的経費ではなくて裁量的経費に変わってしまいます。この点については、親御さんの立場でいかが思われましょうか。

浅輪参考人 障害が軽いから支援が必要じゃない、薄くてもいいという考え方は、ぜひ改めていただきたいと私は思っております。身体介護が必要な方には、確かに、車いすを押したり、それからほかの形でも必要だと思いますが、例えば私の娘はなかなか移動が難しいんです。私は、うちの娘を連れていくのはとても困難です。駅からうちまで歩くのに、次の日は休まないとだめだというような状態になってしまうわけですね。そういう意味では、軽いとか重いとかの区分ではなく、その人に必要な援助をするという視点というのを持っていただきたいと思うんですね。

 私どもは、障害のある人と一緒に暮らしておりまして、非常に世界が狭くなっていると感じることがあります。親の行動範囲とか、それから子供の持っている障害に合わせた行動とか、そこから出ていくことがなかなか難しいわけですね。

 今おっしゃっていただきましたように、私の娘は、全く知らない人と、できるのかと思うような行動ができたわけです。そうやって世界を広げていくということは、その人の人生にとってとてもいいことだと思います。こういう視点を持った制度が生きていくようにと願っております。

郡委員 ありがとうございました。

 かわっては、水谷さんに御質問をさせていただきます。

 先ほど、育成医療の自己負担の激変緩和策についてお話がございましたけれども、具体的な資料も配付いただきました。これについてもう少し詳しくお尋ねしたいんですが、これはかなり負担が大きくなるという御説明がありましたけれども、この点をもう少し詳しくお教えいただけませんか。

水谷参考人 お答え申し上げます。

 手元の資料の一枚目、「公費負担医療制度見直しによる負担」というふうな資料を私ども作成させていただきました。この中の、先ほど福島先生からも緩和策ということでお話をいただきましたけれども、緑で示しておりますところが十八歳未満の育成医療該当者。市町村民税課税世帯で所得税非課税世帯の場合一万円プラス食費、それから、所得税三十万円までの世帯は四万二百円プラス食費ということで、上限を先日参議院で設けていただいたんですけれども、そういう負担上限というふうな形なんですね。

 それで、私ども、この資料、二枚めくっていただきまして、育成医療の試算というのを、ちょっとカラーじゃないので見づらいんですけれども、つくらせていただきました。負担増の緩和策をとった後で、また再計算をさせていただいたものでございます。

 先ほども申し上げましたけれども、この現行のランクのDの一階層というふうなところを見ていただきましても、まだなお十二・一倍。C一という市町村民税均等割のみの課税世帯で計算をしましても八・五倍というふうな数字になります。

 これは食費の負担額を含んでおりますので、上限額は一万円とか四万二百円でございますけれども、例えば二十日間入院をすると、一日七百八十円掛ける二十日分ということで一万五千六百円が加算される。月額の上限ですから、例えば月半ばに入院をして翌月の退院というふうになりますと、上限をそれぞれで見るわけですね。ですから金額もより負担がふえる。これは月内の負担額ですのでこの金額ですけれども、月にまたがればさらにふえるというふうなことが言えると思います。

 先ほど、心臓手術に四百万、五百万かかるというふうなお話があって、四百万、五百万かかれば、数万円の負担、十万円ぐらいの負担はやむを得ないんじゃないかというふうな声もあるかと思います。

 ただ、私たちが言いたいのは、手術をするためのお金というのは、保険の中で払っているお金だけではありません。もちろん病院の中では差額ベッドですとか保険外負担もありますし、手術に対して付き添いのための負担、そういうふうなもろもろの負担がかかってくるんですね。ですから、せめて保険診療内の負担については、親御さんが心配しないでかかれるように、患者が心配しないでかかれるようにということで、これまで数千円とか数万円の負担で済んできたわけです。

 ですから、ここのところは、何とぞ国の方で理解していただきまして、負担の増、この辺のところを何とか御理解いただきたいというふうに思います。

 以上です。

郡委員 もう一点お尋ねさせていただきます。

 厚生労働省は、更生医療それから育成医療に関して、所得に応じた応能負担となっているために医療費の額の多寡が利用者負担に反映されていない、これが同じ所得層での負担率の不公平があるというふうにしているわけなんですけれども、これについての御意見、お聞かせいただきたいと思います。

水谷参考人 私どもも、この文書を見まして非常に憤りを感じているところでございます。

 先ほど、その他の意見の中で公平、不公平論というふうな話をしましたけれども、私たち、医療は欲しくて買っているサービスではないわけですね。先ほどの手紙にもありましたけれども、手術を受けたくて受けているわけではない、生きるために、命を守るために手術を受けざるを得ないわけです。

 ですから、そういうところで、高い医療費を使うことが利用者負担に反映されていない、そのことが、確かに同じ所得層でいけば負担率の点では違いがありますけれども、それをもって不公平というふうな言い方については、これは本当に、あたかも心臓手術を受ける私たちとか、あるいはその手術をされるお医者さんが医療費を使い過ぎているんじゃないかというふうに言われていると受け取られても仕方のないことだと思いますので、厚労省は、みんなで支える社会保障というふうな言い方をしていることからも、こういう言い方で、不公平だという理由で、応能負担は非常にだめだ、課題だというふうに言っているのは、極めて遺憾なことだと思います。

 つけ加えて言いますと、育成医療、更生医療は非常に公平な制度だと私たちは思っています。例えば、先ほど言いましたけれども、同じ日数入院をして同じ治療を受けても、月初めから月半ばで、その月の間で退院をする人も、それから月半ばで入院をして翌月で退院をする人も、今の更生医療、育成医療は日割りで計算しますから、同額なんですね。それが自立支援医療になりますと、月決めの上限額ですから、同じ治療を受けて同じ日数入院しても、月初めに入院される方と月半ばに入院してまたがる方では医療費の負担額が違う、こういう患者間の不公平が新たに生まれるというふうに考えます。

 そういう点でも、不公平、公平というふうな視点で考えるならば、むしろ患者の立場でどうなのか、国民の立場でどうなのかという点を御理解いただきたいというふうに思います。

郡委員 貴重な御意見、どうもありがとうございました。

 時間が過ぎてしまいました。ほかの参考人の皆様方にも御意見を伺いたいところでしたが、これで質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

鴨下委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、六人の参考人の方々に貴重なお話を伺いました。本当にありがとうございました。

 それぞれお話があった中で、大変な御苦労をされ、そしてつらい思いをされてこられたということを伺いまして、やはり今、障害者の皆さんに対する真の自立支援と社会参加を前進させるという点での抜本的な施策の必要性ということを改めて痛感いたしました。

 限られた時間ですので、幾つか伺いたいと思いますが、まず相澤参考人に伺いたいと思います。

 先ほど、今回の法案について、期待をひっくり返すほどの心配事ということで応益負担の問題を強調されました。私もまさにここが最大の問題点だというふうに思っておりますけれども、相澤参考人は、長年、それこそ超党派の立場でということを再三言われましたが、とりわけ精神障害者の家族会の運動に携わってこられたということでありますけれども、障害者とともに家族の皆さんの御苦労もいかばかりのことかと思います。その点で、家族の方々の悩みや願いについて、この法案とのかかわりでどのように感じていらっしゃるか、伺いたいと思います。よろしくお願いします。

相澤参考人 御質問ありがとうございます。

 ただいまの御質問は大変広い範囲にまたがりまして、的を得た答弁が困難なのでございますけれども、私らの周りで、家族たちは、この法案について説明いたしますと、確かに精神障害者というのは特別視されてほかの障害者から差別されている、その差別を法律上なくすあるいは軽減するという方向は、これは結構なことだというふうに言われます。私もそう思います。

 その上でなんですけれども、家族たちが一番心配なのは、私はそう言うなというふうに言うんですけれども、生きている間はとにかく死に物狂いでつき合ってきているけれども、死んだ後どうなるんだろう、今のこの日本社会で生きていけるんだろうかということをこもごも言われるわけです。

 そこで、具体的には、やはり一つは親が死んだ後でも最低限の所得が確保されること、これがどうしても必要だというふうに皆さん言われます。

 それからもう一つは、働ける者は働かせてほしい、要するに精神障害があるからといって門前払いにしないでほしいと。職業訓練センターなどに行きましても、精神障害者というのは、例えば知的障害者などとは障害特性が多少違いまして、やはり長時間働き続けるといいますか訓練を受け続けることが困難な方が多いです。そういう点では例えば短時間就労というようなことが望ましいですし、またジョブコーチなり、それから付き添いの人がなれるまでついてくださると、そういうことがあれば乗り越えられる人たちも結構多いというふうに親御さんたちは考えております。

 ただ、これは配付されている意識調査を見てもわかりますように、他の障害に比べて精神障害の本人及び親御さんたちは、働きたい、働かせたいということを言われる人の割合がずっと高いです。これは、そのとおりでございます、働かせたい、働かせてほしいという熱望が非常に強いです。

 ただ、ここであえて申し上げますと、精神障害の場合、特に統合失調症などの場合、やはり障害特性からしまして認知の上での障害という問題がございます。ですから、本人の思いや、これができる、あれもできる、そういう思いと実際にできるかどうかという現実とのギャップは結構大きいものがあるわけであります。この問題は、病気についての理解が親御さんの場合も必ずしも十分ではないということもありまして、そういうことも含めてそういう意識調査にあらわれているという問題はもちろんあるわけです。だから、差っ引いて考えなければならないということはあります。

 しかし、多少なりともとにかく働ける人には、あるいは働きたいと思っているわけですから、やはり働く場を開拓してほしい。これはハローワークも含めて、ハローワークについても、何十回行ったってとにかく紹介してもらえないんだ、たまに紹介してもらっても、精神障害があると言うとその場でお払い箱なんだ、こういうふうに言われます。そういう面からいいますと、やはり働くといいましても、当然のことながらかなり時間をかけて就労のための準備、訓練、あるいは現場での訓練、こういうことが必要だということを私たちは考えております。

 以上です。

笠井委員 ありがとうございました。

 今の関連もあると思うんですが、さらに相澤参考人に伺いたいんです。参考人は施設の運営にも深くかかわってこられたということでありました。私も現場に行って話もいろいろ伺ってきたことがあるんですけれども、この法案でいきますと、わずかな工賃を利用料という形で払わなきゃいけないということで、利用者の皆さんに大きな不安があるということが大問題になってきていると思います。

 それでぜひ伺いたいと思いますのは、精神障害者にとって施設というのはどういう意味があるのか、いろいろな複合的な意味合いがあると思うんですけれども、その施設ということについてどんな意味があって、それに通えなくなるということが障害者の方々にとってどういう意味を持ってくるのかということについて少し詳しく、限られた時間ですが、お願いできればと思うんですけれども、いかがでしょうか。

相澤参考人 施設を活用する、通って活用するということがどういう意味を持つのかという点でございますけれども、例えば、私の息子は精神障害者でありました、ありましたというのは、五年前に急死してしまいまして、私は家族でなくなりました。私の息子はついぞ施設に通うことができませんでした。それは、要するに彼にとって施設というのは大変抵抗感が強い。そう言ってはなんですけれども、本人は大学を出、外国にも留学をし、とにかくそれなりのプライドを持っているものですから、作業所に通うなどというようなことは自分にとっては考えられない、そういう自分のいわば状態と、それから施設を利用する、施設に通所するということへの抵抗感が非常に強かった、そういう失敗をしているわけでございます。

 そのことにも関連して申し上げたいのは、精神障害者にとって施設に通うということは、そこで働いて稼ぐということはもちろんありますけれども、それ以上に大事なことは、要するに生活を整えるということでございます。障害者が引きこもりますと、体内時間と自然時間というのは一時間ずつずれていきまして、完全に昼夜逆転してしまうわけであります。そういうことで生活が昼夜逆転して夜型になってしまう。そのことによって生活が乱れ、病状が悪化するということで、施設に通うということは、病状を安定させ、回復、安定につなぐことをサポートする、そういう役割が非常に大きいということをまず申し上げたいということでございます。

 そのほかに、もちろん施設に通うということは、施設に通うことで仲間ができる、仲間と交流し生きがいを、喜ぶことができるということが大きいわけであります。このことがあって生きる意欲を持つことができるわけです。ですから、働いて稼ぐということ以上に、今申し上げた第一点、第二点が大きいわけであります。

 もちろん第三点としまして、その上で、できればやはり自分も認められたい。要するに、働いて収入を得て、あなたはこういうふうに働く能力があるんだということを評価されたいということですね。そのことによってもちろん生活をエンジョイしたいという欲求はあるわけですけれども、そういうふうに社会的に認知されたい、評価されたい、こういう欲求が強いわけであります。

 工賃が余りにも低過ぎると、自分は何て低く見られているんだろう、苦労して通っているのに、とにかく通う費用よりも得られる収入が、ほとんど差がないとかあるいは逆転してしまうというようなことでは、これはもう元気が出ないということになる、そういうことを申し上げたわけでございます。

 以上です。

笠井委員 ありがとうございました。

 水谷参考人に伺いたいんですけれども、参考人はきょうは時間の関係で育成医療に限ってということでお話がありました。

 それで、心臓病の場合は、子供から大人になっていくという中で更生医療に移っていくということだと思うんですけれども、その場合に費用負担の面でどのような影響が出てくるのかということについて少し詳しくお話しいただければと思うんですが、いかがでしょうか。

水谷参考人 ありがとうございます。

 限られた時間の中だったものですから、育成医療に限って先ほどはお話しさせていただきましたが、実は、心臓病、特に重度の心疾患を持っている方については、幼いときから何度も手術を繰り返した上で成長するわけです。当然、その成長は大人になっても続くわけですね。大人になっても手術の必要があるというふうなお子さんは出てきます。そうしますと、十八歳以上になりますと、これは育成医療の対象ではなくて更生医療というふうな制度になります。

 お手元の資料の中に、見ていただければと思うんですが、先ほどの一覧表の次のページに少しグラフのような資料が入っていますが、これは、横軸が医療費の実額で、縦軸が負担額ということで、心臓手術のように高額に医療費がかかった場合に、どういうふうな場合の対象になるかということを示したものでございます。

 真ん中に七万二千三百円ということでずっと横に右上がりの線がありますが、これが高額療養費の還付後の負担上限なんですね。ですから、これよりも幾ら、四百万、五百万かかったとしても、まず医療保険の中でこの負担上限の幅まではカバーされるというふうな医療保険の制度になっています。この制度で自己負担になっている自己負担分を、実はこの育成医療、更生医療はカバーする制度になっているわけです。

 育成医療の場合は緩和策をつくっていただけていますので、この四万二百円というふうに書いてあります負担額の横線、平行に走っている横線、これが負担上限でございます。更生医療の場合はこの緩和策がありません。ですから、この縦の一般医療三割負担の上限額、実線の部分と、それから自立支援医療一割負担の負担上限額、点線の部分、これに挟まれた黄色い三角の部分、ここの部分のみが更生医療の負担の対象者という形になるわけです。

 ですから、これを見ていただくとわかりますけれども、月額の医療費が約八十万円を超えますと、もう既に医療保険の負担上限額を自立支援医療の負担上限が超えてしまいますので、事実上更生医療は適用されない。育成医療についても、激変緩和措置ということで、この激変緩和措置が過ぎれば適用外というふうな形になるわけです。ですから、私たちは、心臓手術については事実上この自立支援医療から外されるというふうなことを申し上げた次第です。

 ですから、こうなりますと、丸々医療保険の負担上限がそのまま負担になってくる。さらに、先日発表されました厚生労働省の医療制度構造改革試案、これによる負担以上の負担上限もここに示しましたけれども、この負担以上に、高額療養費の額が上がればますます負担になるわけですね。三百万円医療費がかかりますと、今は大体十万ぐらい。それが医療保険改革試案に基づきますと十三万五千円、これにプラス食費がかかるというふうな負担増になるわけです。ですから、そういう点では、保険診療分の中の医療費については今までは非常に低額で済んでいたものが、この部分が非常に激増するということでおわかりいただけるかというふうに思います。

 以上です。

笠井委員 もう一つ水谷参考人に伺いたいんですが、きょう具体的に述べられた課題以外にも、陳述の最後の方で審議すべき問題として幾つか項目的に上げられました。その中で、育成医療の緩和措置が恒久措置じゃなくて経過措置になっているという問題を、問題の一つとして指摘されておりましたけれども、具体的なそれについての御意見を伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。

水谷参考人 ちょっと簡単に申し上げたいと思います。

 先ほどもちょっと申し上げましたけれども、育成医療については激変緩和措置という形になっています。低所得世帯、あるいは重度かつ継続については恒久措置ですね。激変緩和にする理由として、若い親の負担軽減というふうに厚生労働省は言われています。ただ、そう考えますと、私たち、五年たっても十年たっても手術を受ける若い親は若い親であって、十五年たっても若い親なんですね。ですから、若い親の負担の激変に対して緩和をするというのであれば、これはぜひ恒久措置にしていただくべきだと思うんです。

 ただ、制度改正によって負担増が出るからそれの激変だというふうに言われるのであれば、制度がある程度落ちつくまでということを言われますけれども、若い親の負担軽減ということであれば、やはりこれは恒久措置だと私たちは考えています。

笠井委員 最後に、時間がちょっと限られてきましたので、浅輪参考人に一言伺いたいんですけれども、私もデイケア施設を訪ねて、障害のある方々、そして若い方もたくさんいらっしゃいました。自分の人生を自分らしく生きられるようにということで懸命に頑張っている姿に触れました。そういう人たち自身が、この法案に対していろいろな思いで、もっとこうしてくれればと、あるいはともかく当事者や関係者が納得いくものをということで、強い意見も伺ってきたわけであります。

 それで、先ほど、お金を集めるのに苦労して本当に悔しい思いをされたというふうに言われたんですけれども、いわゆる基盤整備について、先ほどからも質疑があったんですが、参考人が今一番これは必要だと端的に思われていることがあったら伺いたいんですが、よろしくお願いします。

浅輪参考人 所得保障をするということは、何度も私いろいろな場面でお願いしたんですが、年金制度を変えることは難しいとおっしゃっていました。ですから、それじゃ、ほかにそれにかわるものは何があるんだろうかと考えたときに、やはり働いてそれを得ることが一番いいのではないかと思うんですね。

 しかし、今の社会の現状の中で障害の重い人を雇用してくれるところはかなり難しいですし、そうすると、例えば作業所に公的な仕事をおろしていただくとか公の施設の清掃を任せてくださるとか、そういう形で仕事をおろすこと、それをしっかりやっていただきたいと思うんですね。私たちは何度もそういうことをお願いしましたが、既に業者が入っているからだめだとか、そういうものはないとか、そうじゃなくて、役所の中を横断的に見て、こういう仕事はこの人たちにできるんじゃないかというような、仕事を探してくれるような目を持っていただきたい。

 その中で、私たちは、自分たちが生き生きとした活動ができていく場面というのをたくさんつくっていく中で、例えば、親が、もううちの子はいいですと言っている親を何とか説得できる種になっていくのではないかと思っております。やはり角度を変えて、所得の保障をどうしていくかということの、ほんの狭い、確かに年金を上げていただければ一番いいですけれども、それは無理だとするならば、では何があるのかということを一緒に考えていただきたいと思っております。

笠井委員 時間が来ましてきょう伺えなかった参考人の方々にも、ありがとうございました、皆さんの思いを、そして御意見をしっかり受けとめて私どもも審議をさらにやっていきたいと思っていますので、本当にありがとうございました。

鴨下委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日の参考人の皆様には、本当にお運びいただいてありがとうございます。いろいろな観点から、また、私どもが現在審議しております法案の問題点のみならず、日本の障害者施策の根本的問題についても新たに御指摘いただいたように思います。

 きょう参考人にお越しの皆さんももう既に重々御承知と思いますが、実はこの法案は、さきの国会で二回にわたり参考人にお越しいただき、今回また第百六十三国会ということで新たにお願いしたわけですが、例えば御自身が障害のお子さんを抱えておられる経験のおありの方、きょうもお四方、四人おられましたでしょうか、そしてまた当事者の広田さんという、皆さんにお話を伺えば伺うほど、やはり通算すれば三回目であっても本当に問題点がさらに浮き彫りになるということを、冒頭お礼とともに申し上げさせていただきたいと思います。

 きょう、お話の中で、浅輪さんや相澤さんは親御さんとして、特にこの間の負担の軽減策が世帯ということに着目しているがゆえに、親が多少なりとも本当に生活のために蓄財してきたものも全部吐き出さないと減免措置も受けられない問題、特に相澤さんは、これは本当に子供が一人で生きていくため親とどうやって分離していくかということが最大の眼目であるところに真っ向から反しているという御指摘も強くいただいたと思います。

 そして、広田さんがおっしゃった所得保障という問題は、日本のいろいろな政策の審議の中で所得保障すべしとか検討すべしというけれども、十年、二十年、一九八六年の障害者の今の年金制度が本当にやっと日の目を見てからいっかな全く動いていないという意味で、御指摘の点も本当にそのとおりと思います。さきの国会では、附帯決議の中に所得について検討するとありますが、検討する前に負担を求めたら、これはもう逆さと思いますので、この点は私ども立法におる者の責任と本当に思っております。

 きょうの私に与えられた時間の中で、私自身はぜひ、本当にこの問題だけはというと恐縮ですが、ほかにも多々根本的な問題はございます、しかし、本当にきょう来ていただいた参考人の中でぜひ皆さんに再度再度、この法案の抱える大きな問題の一つである、医療ということを福祉の中に投げ込んでしまって、そのことが逆に、人の生きる権利を、子供たちのみならず、心臓病を抱えて成長されて、そして手術が必要なのに受けられなくなる、先ほどの笠井委員と水谷さんの質疑の中でも出てまいりましたが、そのことも含めて、果たして医療をこの法案の中に取り込んでいっていいのか、最初から私はこれを上げさせていただきました。

 逆に、広田さんの思いも一緒なんだと思います。医療に過剰に取り込まれるところに福祉は充実しない、これも事実です。一方で、逆に、医療を福祉に解消したら命が支えられない、私はそのことを、きょう参考人で来ていただいております水谷さんが数値で具体的にお示しいただき、また、ここには応能負担と応益負担の抱える大きな差も私は上がっていると思います。

 水谷さんが、お時間の関係もあり、資料としてつけていただきましたことの御説明も専ら本文の中で引用される形をとられましたが、まず、恐縮ですけれども、前提として第一点、医療と福祉というのは違うのじゃないか、お話の中でも述べられました、私もまさにそう思います。その点について、再度お話をお願いいたします。

水谷参考人 ありがとうございます。

 先ほども述べさせていただきましたけれども、医療は、福祉も買うものではありませんけれども、医療こそ選択をして買うサービスではないというのはもう当然ですね。福祉というのは、やはり社会参加であるとか日常生活をやっていく上で必要な、生活をしていく上で必要なものです。同じように、医療については、生活をしていく上でというよりは、これは本当に命を守るために、生きるために必要なわけですね。ですから、生きるために必要で手術を受けるものですね。それが果たして応益、定率というふうな言い方をしてもいいですけれども、その医療費の量によって負担をしなきゃいけないというふうなことに値するのかどうかということは、私も非常に疑問に思います。

 それと、今回、障害福祉サービスの見直しの中で、やはりこの医療という分野を入れたことについては、そういう点からいっても少し違うのではないか。やはり医療は、かたく言えば日本国憲法二十五条、健康に生きる権利、健康権というものを本当にまさに国民だれもが保障されている、そういう中で、やはり心臓病のように生きるために必要な医療については国が保障をしていただく、公的な保障をしていただくということが筋ではないかというふうに私は思います。

阿部(知)委員 きょう、参考人の中で自治体の首長である亀井さんのお話の中にもちょっと触れられたんです。医療が終われば、あとは御高齢者の介護や障害者の福祉というのは同じようにやれるのじゃないか、そういうふうにお述べいただきまして、本当に医療の部分がきっちりされないと、その後受け取る首長としても大変になってくると私も思うのであります。

 例えば今、後に質問させていただきますが、いろいろな高額医療費で、自己負担の限度額で、しかしまだまだ払い切れない、大変だという場合に、自治体もそれなりの負担、援助をしていかなきゃならなくなるということも、当然このとおりでいくと私は多々生じてまいるように思います。その辺で、受け取る自治体とされてのお考えを一言ちょっと教えてください。

亀井参考人 お答えいたします。

 私は、その部分というのは継続していく部分であるというふうに思っております。ですから、その境というのは非常に専門的な判断が要るのではないかと思っているわけです。ただ、基礎的自治体からすれば、そんな縦割りを横割りにしていろいろな施策を推進していける、そのための法の整備がぜひ必要であるということで、私はこの自立支援法について支持する立場で申し上げたところでございます。

 ですから、例えば、それは発達障害一つとりましても、医療の分野と教育の分野とそして福祉の分野が三位一体となってその子に一番今適切な対応を進めていく、こういうことになるわけでございまして、私が申し上げたのは、どこまでがどうだということの、そういう境は非常に難しいのではないか、こんなふうに思っているわけでございます。

阿部(知)委員 私がお尋ね申し上げたかったのは、今、自治体も個別に医療費助成制度というのをお使いで、例えば更生医療の透析の場合もそうですし、育成医療も何がしかある場合もあると思います。このままで進むと、今の公費、国の割合ががくんと減ってまいりますから、あとは自治体がかぶるか患者さん御自身がかぶるかという形になり、そして特に命にかかわるような医療の分野、今例示された発達障害等々も、別に命にかかわらないとは言いませんが、そういうこと以上に手術とか火急的なものというもので、絶対必要な透析もさようでございます。そこの医療費負担というものがこのまま進めば、私は自治体もまた大変になろうということを案じての御質問でありましたので、申し添えます。

 実は私は、今から二十五年ほど前に、国立小児病院という日本で初めてできた子供のための専門病院に勤めておりました。水谷さんのお話の中にあったように、育成医療という医療制度が一九五四年にでき、六四年に心臓病の方たちも育成医療でやれるという状態になりました。ちょうど小児病院が始まったのが一九六五年で、実は小児医療にとっては、特に難治で、難しい手術、先天的な重い病気を支えていくためには、小児病院と育成医療というのは車の両輪でございました。小児病院のような高度な技術を提供できるところがあって、そしてそのお支払いを親御さんたちが本当に不安なくやれて、初めて私は日本の子供たちの医療というのはここまでやってきたんだと思います。

 ですから、この育成医療をやめて自立支援医療にしよう、そして、ましてきょう水谷さんが計算してくださったように、こんなにだれが負担できるんだろう、どうやって子供たちは、親御さんたちはこれから生きていくんだろう、多少の減免措置をされたといっても、私は今も不安でなりません。

 と申しますのは、水谷さんがおつくりくださった所得階層別に負担の金額が並べてある二枚の参考資料の中、先ほど水谷さんのお話では、何倍になる、何倍になるということで強調してくださいましたが、何倍になるというその倍、倍、倍の重みもさることながら、実際にお払いになる方にとっては、額、幾ら払うんだ、幾らの収入の人が幾ら払うんだという、現実には払える額なのかどうか、すごく問題になると思います。

 例えば、子供を抱えた親御さんで子供さんが心臓疾患でという場合に、このDの十二の二の所得階層では、まず窓口で九十一万五千六百円、約百万円を用意しないとなりません。もちろん後々還付、いろいろな払い戻しがあるとして、私の経験しますところ、本当に最近若い親御さんの所得も下がってきております、その中で百万円まず準備しないと医療が受けられない、それでは本当に親御さんたちがどこでお金を工面してくるやらと、もう目に浮かぶようであります。手近なところでサラ金に行かれるかもしれません。

 そして、皆さんよくこれを見ていただきたい。今までだったら応能負担なので、そうした場合も四万四千円の負担でありました。Dの所得階層十二の二、これは後ほど水谷さんにお願いしたいですが、大体このDの一からDの十二くらいまでが私は若い親御さんの世帯と思いますが、その次のDの十二というところにもなるかと思います。これは年収に直してお幾らぐらいの方の負担なのか。

 そして、もっと本当に子供たちの自立を妨げるのが次のページ、十八歳以上です。先ほど笠井委員とのやりとりにもありましたが、ここでは何と所得税の年額が四千八百円以下の方も当座九十一万五千円を用意しなければなりません。大体、心臓病の子供が大きくなり、やっと就労できた。でも、そんなにフル、満額お金がもらえるような仕事にはなかなかつけません。私が考えるに、本当に大半の子がこのCの二かDの一、二くらいでしょう。しかし、働き出して、やっと自分で歩み出して、そのやさき、手術が必要だ、十八歳過ぎて二十歳である。果たして百万円を用意してやっていくのか、やれるのか。その子の自立を妨げる、これこそ大きな問題だと私は思います。

 今度新たに発生する十八歳以上の自己負担額十一万五千四百九十円だってさようでございます。子供たちがやっと育ってくれた、やっとやっと生き延びてくれた。そして、今度は自分で働き出した、うれしい、頑張りたい。そこにこんな負担をかける法律というのは、私は小児科医を長年やってきた経験から、どうしても子供の、子供というか成長していく子たちにマイナスとしか考えられないのです。

 恐縮ですが、水谷さんにはこの二枚の、私は一時金、当座のお金のお話をしましたが、それだけじゃなくて、この負担額の多さということと、大体どのくらいの年収の人にそれを求めているのかがおわかりでしたら、ひとつお願いします。

水谷参考人 大変説明いただいてありがとうございます。

 まさに今委員がおっしゃっていただいたように、大変な負担になります。それで、私ども、今、阿部先生が上げましたDの十二の二ランクから、所得税額三十万円以上は適用外なんですが、これは厚労省の自立支援法案の資料で見ますと、年収が約六百七十万の世帯というふうに聞いております。

 私どもも確かに、六百七十万というふうな額が高いか低いかなんですけれども、やはり今の社会の中で、非常に物価も高くなって、生活をしていこうと思うと、若い世帯、勤めてすぐ、数年であればそこまではいかない方もいますけれども、本当に、五年、十年、子供たちの教育費もかかるような年ごろになってきますと、そういう年収というのはほぼ、あり得るというかたくさんいるのじゃないかと。私どもの会の中では、全体の中での会員数というのは捕捉している数が少ないものですから、実際にどの程度ということは申し上げられませんけれども、やはりかなりの方がひっかかるのではないか。

 先日の緩和策の中で、世帯合算というものを個々の医療保険で見ていただくというふうに大臣もおっしゃってくださいました。それで、共働き世帯の合算ではなくて、御夫婦どちらかの、障害児がいる方の医療保険で見るんだということは多少緩和されたかもしれませんけれども、そう見たとしても、この年収六百七十万というのは、やはり一定の、中堅といいますか、働いた方についてはこれを超えてしまうのではないか。教育費だとか、そういういろいろな生活にお金がかかる時期に、先ほど阿部先生がおっしゃっていただいた百万近くのお金を立てかえてまず払わなきゃいけない、これは本当に大変なことだろうなと私どもは思っております。

阿部(知)委員 私は、親御さんといるケースも、同時に、本当に働き出して、やっと例えば十八、二十で働き出して、決して多くはない収入で、しかし手術が必要、親からも離れて自立していきたいときの、特にこの更生医療の方の廃止というのも、先ほど来笠井委員との御質疑の中で大きく問題になっていましたが、皆さんもこのグラフを見ていただければわかるように、この自立支援医療にかかる人は本当に少ないのです。そうなると、もうCの一ランクから自立支援医療の負担はゼロ、ゼロ、ずらっとゼロが並んでいきます。

 ここは、水谷さんが今前者の方をお述べくださいましたが、同時に大きな問題として、これからの皆さんの審議の中でもぜひ取り上げていただけますことをお願い申し上げて、私が一方的にしゃべって恐縮ですが、それだけの思いとお受けとめいただいて、皆さんがよい審議と、また参考人の皆さんの重ねての御意見をいただければと思います。

 ありがとうございます。

鴨下委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党・日本・無所属の会の糸川正晃でございます。

 参考人の皆様におかれましては、本日、お忙しい中お越しいただきまして、ありがとうございます。

 私が今週末福井の方に戻りました際に、コミュニティーネットワークふくいに行きまして、田中理事長にお目にかかる機会がございました。そこで少し施設内の様子を見たり、私、国会議員として初めて視察をしたということでございましたので、その熱い思いをお聞かせいただくという機会もできました。

 このC・ネットふくいは、地域の知的障害者雇用に取り組んで十五年目を迎えたということで、これまで試行錯誤の中から就労支援に一定の成果を上げるに至っていると聞いております。私は、福井に事務所を構えてまだ間がないものですから、C・ネットのことを知ったというのはつい最近のことなんですけれども、実際に地域の現場で努力されている方に接してみて、改めて日々の御苦労や志の高さに感銘をいたしました。そして、C・ネットのような取り組みをこれからもぜひ、障害者の種別を超えて、また、福井だけでなくて、全国各地でチャレンジしていただけるように政治の立場から応援していきたいなというふうに考えております。

 さて、現在私の地元が福井ということでございますので、本日は、福井から参考人としてお越しいただいております松永専務理事に主としてお話を伺ってまいりたいと思います。なお、時間が許せば最後に参考人の皆様からぜひ一言お伺いしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 では、今回の障害者自立支援法案の関連において、就労支援の現場からの御意見を伺ってまいりたいというふうに思っています。松永参考人、よろしくお願いいたします。

 まず、C・ネットにおいては、就労支援の実績を上げておられ、また高い工賃を実現して障害者の自立を助けておられますが、そのポイントを一言で言いますとどういうことになりますでしょうか。松永参考人、お願いいたします。

松永参考人 一言で申しますと、やはり本人の願い、そして、安心して一生涯を送らせたい、私たちがその熱い思いをどう具現化するか、そのために私たちはいろいろな活力を持って臨まなきゃならない。それと、それを御理解いただける地域の皆様方、そのことがございますし、行政の皆様方の調整能力、これに負うところが多いわけでありますけれども、最もこういったことが進んでくることには、やはりその地域の政治家の皆様方、その政治力が大きいと思っているわけでございます。

 できないのではなくて、それらが車の両輪のごとく、いわゆる四輪駆動の自動車のごとく、調和のとれたものでなければならない、こう思っているわけでございます。

 以上です。

糸川委員 障害者の方が、その熱い思いということで、自立をしたいという思いの中で、施設の方でそれを酌んで一般就労させていこうというふうになっていくんだと思うんですけれども、障害者の方が施設で能力を伸ばして、手に職をつけて一般就労に移行する、いわば卒業というんでしょうか、というふうにされていくんだろうと思うんですけれども、そうなると、その後の事業運営というのは支障がないのかなと。

 それから、今回私も視察をいたしまして、クリーニングとかパンの事業とかコンビニの事業とか、いろいろやられているなと感じたんですけれども、そこで人手が足りなくなって事業を一たん閉じるとか、それから、例えば知的障害者の方々を多く雇用されているということですけれども、その方々が一般の企業に雇用された場合、退職率も非常に高いというふうにも聞いているんです。そういう方々がまた戻ってこられると、今までせっかく営業してとってきた事業というのを一たん閉じてしまうと非常に影響が大きくなるんじゃないかな、もう雇用できないという、いわば共倒れのような形になってしまう可能性もあるのかなとも思っているんですけれども、その辺どういうふうに対処されているのか。

 また、今回の法案を機に、何か経営戦略を組み立て直すとか、国や自治体に経営の観点からまた求めたいなという支援策というのはございますでしょうか。

 松永参考人にお願いします。

松永参考人 今の御質問でございますけれども、確かに、就労を一般企業に送り出していく、戦力が外へ出ていくわけであります。ちょうどプロ野球で申しますと、イチローが、また松井秀喜がメジャーへ行くようになります。施設とすれば、惜しいな、やっとできたのになという思いがありますけれども、これが施設経営者としての仕事であります。そのようなことから、それを阻止するということはあってはならないことでございますし、また、そこに合った仕事に次の人たちを適職として育てていくのが施設の経営のあり方でもございます。

 確かに、就労支援を、実績を上げていくと施設経営が苦しくなるというような声を聞くわけでありますが、私どもも、今度の支援法が実施されるということを予測いたしまして、もう既にいろいろな事業構築をやっております。

 そうなりますと、職員は今百七十五人おりますが、六十人、約三分の一は資格その他のことで変えていかなければならない、いわゆる首にするわけじゃございませんが、この能力というものを磨いていかなきゃいけないということであります。職業指導員は、ジョブコーチとして雇用の定着を図るために移行しなきゃならないだろう、雇用定着支援要員をやらなきゃいけないということで、二月ごとに研修をやっているわけであります。

 また、生活支援におきましては、こちらの方が非常に多くなってくるわけであります。福井県は、私ども施設整備率が比較的高いわけでございまして、今までは居宅支援事業等につきましては無料で施設の運営の中でやってまいりました。これが今度、居宅支援事業という事業ができるわけでありまして、端的に申しますと、グリコのおまけが事業になる、お金になる、私なりにこういう考え方を持っているわけでございまして、職員には生活支援に十二分に対応できるように全員ホームヘルパー三級は義務づける、この研修もやって今着々と進んでいるわけでございます。

 そのような中で、事業というものは常に変化します。例えば、創業当初は電子部品が花形でございました。ところが、上海にその仕事が移りますと、私どもの障害者一人の賃金で向こうでは十五人の女性が雇用できるとして、すべて向こうへ行ってしまいました。しかし、その加工技術を持った障害のある人としてはその仕事が生きがいですから、収益はマイナスでも、今もって継続し生きがいを提供しています。そのカバーをほかの事業でしているわけでございます。

 そのようなことから、事業を常に創造していく姿勢が必要でございます。それには設備の近代化等の支援等が必要でございます。一般の中小企業対策では設備の近代化資金等の支援がありますが、社会福祉法人にはこうした制度が適用できないというバリアがあるのでございます。この点を少しお考えいただければ、さらに進んでいくことは間違いない、このような思いを持っております。よろしくお願いしたい次第でございます。

糸川委員 政治の立場から、足かせにしないように努力していきたいなというふうに思っております。

 質問を変えますが、就労支援を論じるときに、重度の障害を持つ方の不利、あるいは都市に比べて、私なんかもそうですけれども、地方におけるその就労機会の不利が言われているというのがあるんですけれども、この点松永参考人はどのようにお考えでしょうか。

松永参考人 よくローカル、田舎では仕事がない、こういうようなお話が聞こえてまいります。また、東京では非常に物価が高い、こういうことで生活がしにくいというようなことも聞くわけであります。しかし、その土地にはその土地の仕事が必ずあります。それを拾い上げていくのが施設経営者の仕事でありますし、そして職員の仕事である、それができない職員を雇用しているところに問題がある、私はそう言い聞かせてまいりました。

 そもそも、先ほど浅輪さんのお話にありましたように、清掃事業などは官からの直接受注も考えられますけれども、そのメンテナンスのあり方についてはいろいろな測定をしなきゃならない、その器械、資格を持つことが義務づけられることもあるわけでございます。私どもは、それらについては当然のこととして、一般の企業と協業化し受注をした中からできることを下請をさせていただきながら、できる範囲の仕事を拡充していくことで共存共生の事業所づくりを進めているわけであります。

 そして、重度の方のというお話がございましたけれども、ごらんいただきますのは、この資料の百四ページから、私どもの福祉工場の全従業員、これはもう二年前の資料でございますけれども、重度であるか軽度であるか、全部載っております。重度であっても最低賃金をクリアしている人もおりますし、軽度であってもいわゆる半分以下の能力しかない人もおるわけであります。要は、どのようにして意欲を持って働く環境を整えていくか、この環境整備が重度障害者の雇用につながっている、この実績だけは、きょうここで先生方によく御理解をいただいて御審議していただきたいと思うわけであります。

 以上であります。

糸川委員 本当に、そういう思いというんでしょうか、非常に伝わってくるんですけれども。

 市町村が策定する障害福祉計画というものについて、国としては数値目標などを盛り込んだガイドラインを示すなど水準の低い市町村の底上げを図るというふうにしているんですけれども、市町村の計画策定過程において、障害を持つ当事者の声を反映させるとともに、社会福祉法人とかNPOとか小規模作業所とか、そういった事業者側の実態も踏まえた作業が必要かなと思っているんですけれども、松永参考人はこの辺をどのようにお考えでしょうか。

松永参考人 この障害者の問題、これはいろいろなことを策定するに当たりましては、やはり当事者が自分たちの暮らしのことを、自分たちの一生涯のことをどう考えるかというのは本人が考えるべきことなんですね。そのことを提案していき、行政とのお話し合いの中でよりよい方法を策定していかなきゃならないという思いを持っているわけであります。

 したがいまして、障害者基本法第九条第六項には「障害者その他の関係者の意見を聴かなければならない。」こう書いてあるわけでありますから、当然、各市町村におきましては、それらのことを実施していただくように御指導をしていただきたい、こう思っている次第でございます。

糸川委員 今の松永参考人の御意見を聞きまして、亀井参考人はどのようにお考えでしょうか。

亀井参考人 当然ながら松永参考人と同意見でございます。

 また、松永参考人あるいはまた浅輪参考人の方からも発言ございましたけれども、その地域に合った地域の就労、地域でなければできないというふうな、そういう部分も多くあるわけでございます。私どもは、今、そういう場を三年以内に百カ所ぐらいつくっていこうかということの中で計画をしているわけでございますけれども、それは、例えば地産地消なんかでも、農業等もそういうことで貢献していっていただけるのではないかな、こんなふうに思っておりますし、また、病院なんかでいろいろな、クリーニングであったり、そんな部分もお任せをしていけるようなそういう団体等もつくる仕掛けをしていきたいな、こんなふうに思っておるところでございます。

糸川委員 大分時間もなくなってまいりまして、私のこの質疑が参考人に対する質疑の最後でございますので、ぜひ皆様に一言ずついただきたいなというふうに思っております。

 最後に、この法案について、審議が足りない、さらに審議を重ねた方がいいんじゃないか、また今回の国会で通さないで後にずれ込ませた方がいいんじゃないかといろいろな意見があるんですけれども、皆様、各参考人にお聞きしたいんですが、どのようにお考えでしょうか。

 亀井参考人からお願いいたします。

亀井参考人 法案の熟度の問題かと思うわけでございますが、ただ、私が思いますのは、法案であっても条例であってもそうなんですけれども、これは、それでコンクリートするというわけではないわけでございます。そうしますともう劣化しかないわけでございますけれども、これからより進化させていく、そういう思いの中で、法案を早期に通していただいて、そして今私どもが取り組んでいる地域福祉の追い風となっていったらいいのに、こんなふうに私は思っているわけでございます。

松永参考人 私は、先ほど浅輪さんがお話しになりましたように、小規模作業所、私は実は、平成九年までは全日本育成会の常務理事、副理事長を合わせて六年間やっておりました。そのときに、小規模作業所とは何やと、国といろいろ協議をさせていただきました中で、これは国の補助基準というものは、法内施設への助走期間として三年をめどに助成をするということでございました。ですから、この小規模作業所というのは、本来ならば法内施設に移行しなきゃいけないんですね。ところが、法内施設には、設置基準、先ほどお話がありましたように、お金の問題だとか平米数だとか、いわゆる福祉工場でも保健婦を置けとか、しようもないことがいっぱい書いてあるんです。これをやはり規制を緩和しなければできないわけでありますので、一日も早くこの法律を通していただいて規制緩和をしていただくということを私はお願いをしたいというわけでございます。

 もともと、私の法人で申しますと、一番施設で金もうけしているのは障害者なんです、支援費が入ってくるわけですから。だから、お金をいただいて、社会自立、所得保障するための職員を雇うわけでありますから、そんなできない職員を置いておくこと自体がおかしいんじゃないか、いわゆる施設職員の失業対策事業で障害者福祉があるわけじゃない、こんなことも思っているわけでございますので、ぜひとも、その点を皆様方御検討いただいて、一日も早くこの法案が成立することを望んでおります。

 以上であります。

浅輪参考人 私は少し違うんですが、施設職員というものは、怠惰な人もいるかもしれないけれども一生懸命頑張っている人もいます。その中で、自分の能力を超えるような活動をしている人もいます。ですけれども、そこから先がどうしても切り開けないというときにどうしたらいいのかということで、非常に悩んでおります。

 それで、私が思いますのには、そういう人たちの声も一緒に、もうちょっとよく聞いていただきたい。目の前にあることをどうやって解決していったらいいのかわからない人たちがいっぱいいるわけですが、もちろん親もそうですし、それから当事者である本人もそうなんですが、そういう人たちの意見をよく聞いてほしいと思っております。

 私は、骨格的にはこの自立支援法は決して悪いものではないと思いますが、細かいところがわからないままに、白紙委任状のような形で通してしまうのはちょっと心配です。このまま、自分の子供がどうやって生きていくのかわからないままにそれをお預けすることはできないと思っております。

相澤参考人 審議が早く進むことはもちろん期待しているわけですが、それを前提にして、やはり重大な問題で、まずこの法案には未解決の問題が幾つも含まれているというふうに感じております。

 その一つは、まず、応益負担への大転換というふうに言いながら、当然のことながら応能負担の原則を上限措置という形で盛り込んでいるわけであります。なぜこの応益負担と応能負担との大転換がどうしても必要なのか、それが国際的な基準に照らしてまたどうなのかということについて、私は大きな疑問を持っております、根本的な疑問を持っております。そのことは繰り返しませんが、その点について未解決だということ。

 第二点としては、やはり応益負担、一割負担ということがまずあって、そのために性質の全く違う、医療も福祉も児童福祉も込めて一緒に一括してしまうという方法がこの法案においてはとられているというふうに感じております。これは大変危険なことだと私は思っております。その点について十分な説明が欲しいと思います。

 第三点は、今でさえ市町村間の格差というのは、これはもう天と地ほどあるわけであります。今度の法案で、確かにグランドデザインを描いて全体的な推進を図るという、そういう風としては結構なことだと思うわけでありますけれども、今ある市町村間の天と地ほどもあるようなその格差を、どうやって、どういう手順で、また経済的にどういう手だてで是正していくのかということについての見通しはこの法案には示されていないと感じております。

 以上、とりあえず三点だけ申し上げて、それらのことについて至急議論を進めていただきたいというふうに申し上げます。

水谷参考人 私は、自立ということを考えた場合に、障害者が、経済的にも精神的にも、やはり人として、働いて収入を得て、社会の一員としての役割を担っていくことが自立だと考えております。

 そういうふうに考えた場合に、先ほど医療に限って申し上げましたけれども、例えば心臓病で施設を利用する場合もあります、補装具を使う場合もあります。その場合の、今回の自立支援法案の一番の問題点は、上限というのは、そのそれぞれの利用料で上限、医療で上限ということを加えていますけれども、例えば、そういうふうに重なってきますと、人としての自立と考えると、医療は別、それから補装具の費用も別ですね、そうすると、では果たして生きていけるのかどうかと不安になるのは当然だと思います。

 ですから、そういう点も含めまして、先ほども何点も上げさせていただきましたけれども、まだまだ審議は足りないと思います。もし必要であれば、次の国会でも十分審議していただきたい、拙速な採決は避けていただきたいというふうに思います。

広田参考人 親の方たちのお話を伺って、思いが深いなと思いますが、安心して死んでいただきたい、安心して死んでいける日本の医療、福祉であってほしいということで、前向きに検討していただいて、所得の保障は、阿部議員がおっしゃったように、三年ではなくて、来年度で補正予算を組むぐらいの勢いでやっていただきたい、本人の所得に着目したいということです。

 それと、やはりいろいろな問題があります。精神障害者の区分などは、とても精神障害者の特性に合わないような問題がありますから、そういうことは今後随時論議していただくとして、皆さんが、皆さんの家族が精神障害者になったときに、三十四万人がまだ精神病院の中にいるということを考えたときに、本当にこの国に生まれてきてよかったと、大正年間のこの国に生まれたるの不幸ではないけれども、この国に生まれてきてよかったということを思えるような施策をぜひグローバルに展開していただきたい、細かいことは私たちが考えますから、グローバルに展開して、どこからお金を持ってきてこういうふうな障害者の施策に使えるのかということを、国会議員らしくやっていただくことを期待して、きょうの参加に感謝したいと思います。ありがとうございました。

糸川委員 済みません、時間を超過いたしました。

 きょうは、大変貴重な意見をありがとうございました。また審議を進めたいと思います。ありがとうございました。

鴨下委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。

 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。

 次回は、明二十六日水曜日委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時四十五分散会


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