衆議院

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第19号 平成17年5月20日(金曜日)

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平成十七年五月二十日(金曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 橘 康太郎君

   理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君

   理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君

   理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君

   理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君

      岩崎 忠夫君    江崎 鐵磨君

      江藤  拓君    木村 隆秀君

      河本 三郎君    櫻田 義孝君

      菅原 一秀君    高木  毅君

      武田 良太君    中馬 弘毅君

      寺田  稔君    中野 正志君

      二階 俊博君    葉梨 康弘君

      林  幹雄君    保坂  武君

      松野 博一君    森田  一君

      菅  直人君    下条 みつ君

      高木 義明君    樽井 良和君

      中川  治君    長安  豊君

      伴野  豊君    古本伸一郎君

      松崎 哲久君    三日月大造君

      室井 邦彦君    和田 隆志君

      若井 康彦君    佐藤 茂樹君

      谷口 隆義君    吉井 英勝君

    …………………………………

   国土交通大臣政務官    中野 正志君

   国土交通大臣政務官    岩崎 忠夫君

   参考人

   (政策研究大学院大学教授)            森地  茂君

   参考人

   (法政大学法学部教授・弁護士)          五十嵐敬喜君

   国土交通委員会専門員   亀井 為幸君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十日

 辞任         補欠選任

  玉置 一弥君     古本伸一郎君

  穀田 恵二君     吉井 英勝君

同日

 辞任         補欠選任

  古本伸一郎君     玉置 一弥君

  吉井 英勝君     穀田 恵二君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 総合的な国土の形成を図るための国土総合開発法等の一部を改正する等の法律案(内閣提出第五六号)


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     ――――◇―――――

橘委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、総合的な国土の形成を図るための国土総合開発法等の一部を改正する等の法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、政策研究大学院大学教授森地茂君及び法政大学法学部教授・弁護士五十嵐敬喜君、以上二名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人の皆様方に、本委員会を代表し、一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、大変御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。本案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、森地参考人、五十嵐参考人の順で、それぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言をいただきますようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御了承をお願い申し上げます。

 なお、参考人及び質疑者におかれましては、御発言の際は着席のままで結構でございます。

 それでは、まず森地参考人にお願いいたします。

森地参考人 森地でございます。

 こういう機会を与えていただいて、大変光栄に存じます。時間が短く、テーマが広うございますので、資料を用意いたしました。かいつまんで意見を申し上げたいと思います。

 各ページに四枚の資料を入れてございます。それぞれの下に一、二、三、四と振っております。これをページと呼ばせていただきます。それから、右下にまた一と書いてございます。これを一枚目、二枚目、こんな格好で話を進めさせていただきます。

 内容は、三月の末に出しました私の図書、「国土の未来」という中からほんの一部を取り出して持ってまいったものでございます。お時間がございましたら、ごらんいただければと思います。

 さて、一枚目の右上でございますが、戦後の国土計画の課題を私なりに整理すると、この五点にあろうかと思います。需要追随、災害対策、経済効率性向上、環境対応、地域格差是正等でございます。例えば一番上の都市化にしましても、一方で人口の都心回帰、同時に都心の商店街の空洞化、あるいはヨーロッパで非常に今議論になっております逆都市化、日本と違って、地方に住む人たちが希望を持つ人たちがふえてきた、こんなことも日本でちらほらとその兆候が出ております。このように、新たな課題がそれぞれの項目について出ている、こういうことと認識してございます。

 その下でございますが、世界各国は、地域づくりのシナリオ、これは複数ございますが、それを模索して、当然、不確実性のもとでの意思決定でございますからリスクが伴うわけでございますが、そのリスクを乗り越えて、一つのシナリオを選択して、一定期間それを追求したところだけが成功する、こういうことでございます。日本の場合は、地域づくりが単純に見えた幸せな時代が戦後長く続きました。社会資本を整備すれば、民間投資も誘発し、製造業も農業も漁業もあるいは観光業も、それぞれが付加価値を高める、こういう時代でございました。ただ、今後もそれでいいのかというのが現代でございます。

 二枚目に行っていただきます。

 右上に、横軸には各県の人口をその横軸の長さで示してございます。縦軸は一人当たりの所得でございます。上から一九七〇、八五、二〇〇〇年でございます。それから、右一番上〇・二七、それからその下〇・一九、〇・一六、これは所得格差をあらわす一つの指標でございます。ごらんいただきますように、所得格差はこのような格好で着実に減少してまいりました。

 左下を見ていただきたいと思います。青い折れ線グラフは三大都市圏への人口の純流入量でございます。それから、オレンジの曲線は所得格差をあらわす指標でございます。大体、所得格差で人口移動の説明ができてきたわけでございますが、八〇年後半からこれが乖離してまいりました。

 その原因の一つとして、右下を見ていただきたいんですが、これは、オレンジの色は、左側のオレンジの色の所得格差指標でございます。その下の青い線がブロック内の格差でございます。例えば、福岡と九州のその他の地域というような格差でございます。それから、紫色はブロック間の格差でございます。ごらんいただきますように、ブロック間格差は着実に減少してございますが、近年の問題は、むしろブロック内の格差にいろいろな問題があって、これも左の乖離の一つの原因だということが言えます。

 それから、次のページに行っていただきたいと思います。ここでは、三枚目では、アジアの状況を二点示しました。

 一つは人口減少でございます。人口減少といいましても、労働生産年齢人口の比率が低下するという問題でございまして、つまり、働く人の比率が低下する。右上のグラフを見ていただきますと、東アジア諸国が、日本に引き続いて、間もなく労働生産年齢人口が低下をいたします。そのことは、貯蓄率の低下あるいは財政支出、財政需要に対する変化をもたらして、必ずしも高度成長が永遠に続く、こういうことではないということでございます。時間は限られているわけでございます。

 それからもう一点は、左下でございます。水平分業ということでございます。長年、開発経済の専門家は、雁行型の産業移転、つまり低技術、低付加価値の産業から順次発展途上国に移転するんだ、こういうのが常識でございました。今、アジアで起こっていることは全く違う状況で、水平分業の進展でございます。右下をごらんいただきますように、一九九〇年と二〇〇〇年で、対日本だけ見ても、このように水平分業がどんどん進み、先端的な工場も発展途上国に行く。かつては、雁行型だから、重厚長大はもう日本はというような議論もあったわけでございますが、必ずしもそうではなくて、大きな傾向として、それが全く間違っているとは申しませんが、もう少し複雑な様相を呈している、こういうことでございます。

 次に、そういう時代に向けて、では、我が国はどういう国際戦略をとっていけばいいのかということでございますが、まずは、全国一律から地域ごとの戦略展開が必要だと。もちろん、財政制約、人口減少下での国土形成をいかにやるべきか、地方分権の世界的な潮流の中でこれをどう考えていくべきか、国土制度の見直しとか、今勉強しております二層の広域圏の議論とか、もろもろございます。

 右上に、財政的にも、あるいはそれぞれの地域が国際社会の中で発展していくためにも、地域自立への道というのが大変重要でございます。今までどちらかというと、外部からの財政的な支援を受けて成り立っていると一般的に言われてきたものに対して、これからどうするかということでございますが、一つは、アジアの中で地域の個性と魅力を持って、海外からの直接投資ですとか観光ですとか、あるいはそういうところのマーケットを見たそれぞれの地域の人々の努力ですとか、こういうことが大変重要でございます。特に、政府主導、要するに行政中心から、多様な主体がある目標に向かって地域づくりに努力する、努力を結集するということは大変重要でございます。

 しかしながら、努力をするするといっても、なかなか抽象的でございます。ここでは、三つの問題を挙げました。これから大きく展開する新たな市場に向かって、これはすべての地域が用意ドンと、そういうところに対応していくということでございますが、非常に大きいのは、アジアの経済圏が非常に大きくなってくる、ここに生み出される市場でございますし、もう一つが、価値観の変化に対応する市場でございます。環境とか高齢化とか安全、安心とか、それぞれに産業展開がなされます。それから、もう一つが、技術革新が開く市場。バイオとか情報とかというふうな議論がございます。こういう対応の中で、特にアジアの経済圏のマーケットというのは非常に大きな影響を地域に及ぼすと思います。

 その際考えておくべきことが、左下でございます、広域ブロック圏。人口六百万から一千万、大体ヨーロッパの一国に当たる規模でございます。もう一つが五・二の広域生活圏。最後が五・三の自然共生地域。この二つについては後ほど申し上げます。

 広域ブロック圏につきましては、右側にヨーロッパと東アジアの一人当たりの所得を現在と将来であらわしたものがございますし、次のページの左上を見ていただきますと、GDPそのものをあらわしてございます。基本的に、近間に同じような豊かさの国があったときに、国単位の交流とか競争ではなくて、地域単位とか都市単位での交流とか競争とか連携とかというのが起こるというのがヨーロッパの現実でございます。もちろん政治体制は違いますが、今はFTAその他の議論も進んでいるところでございます。

 そういう中で地域が自立していこうとすると、一定の要件が必要でございます。それを書いたのが右上でございます。広域ブロック圏の要件。これは全く私見でございますが、一つは財政規模でございます。村単位でお金を幾ら結集しても国際空港をつくることはできないし、二番目の国際機能集積、例えば国際空港を仮につくってもそこに飛行機が飛ぶわけではない、こういうこと。あるいは、交通施設だけではなくて、いろいろな外国の人たちの教育施設がどれぐらいの人がいればそれが成立するのか。こんなことを考えますと、ある広さ、あるいは規模が必要でございます。

 地域の魅力の多様性、あるいは自立経済圏としての産業の多様性と市場規模。これも、企業城下町的なものは、非常に長い歴史で、動きの速い中では危険でございますし、それから、いろいろな産業があるからお金がぐるぐる回って、その中で所得を生み出す、こういう構造でございます。

 五の、歴史、文化の一体性とか、海外からその地域がどう認知されるとか、あるいは、最後は、少し言い過ぎかもわかりませんが、アジアの時代に向かって、太平洋側のみならず日本海側へも展開可能な、そんな規模が一つの考え方ではないかと私は考えてございます。

 現実に、右下の絵にございますように、これは航空路線をかいてございます。日帰りができる、行った先で六時間いられるような、そういう地域が、都市がどれぐらいあるかということで、ヨーロッパは百四十一都市、五百五十都市ペアでございます。右側はアジアの状況。こんな状況でございますが、近々左のようなことになるのは間違いないわけでございます。

 同じ、例えば年間十五万人の航空旅客がいると、日本では一便とか二便でございますが、ヨーロッパでは五便とか六便飛ぶ、こういう小型機を使って高頻度に動くということでございます。そのことは、各地方のある一定規模を持つような、国際集積を持つような都市からは、アジアの飛躍的に多くの相手都市との交流が始まる、こういうことを考えます。

 次のページに行っていただきまして、五・二、広域生活圏。ここでは人口三十万から五十万人、一時間圏程度、つまり県庁所在地程度でございますが、これぐらいの都市で、みんな小さな規模のサービスをそれぞれ持つのではなくて、ある一定の規模のものを持って都市的なサービスを確保してはどうか。

 先に右下を見ていただきますと、これは医療の例でございます。左側は市町村単位で、Aが大都市、Eが中山間地だと思っていただきますと、各地域で都市規模について一人当たりどれぐらいの医療施設があるかということでございます。過疎地には余り医療施設がない。折れ線グラフはそれの増減率でございます。それがどんどんつぶれていっている、こういう状況でございます。しかしながら、それを一時間圏単位で見ますと、右側のように大体平均した格好で行われます。農業人口が激減する中で都市的なサービスを確保して何とかしていくことが大変重要でございます。

 次のページの左側上でございます。この白地で残ったところがこの広域生活圏に入らないところでございます。こういうところも大変重要でございまして、この地域をどういうふうに手当てしていくかということが大変大きな課題になります。

 次のページの右上を見ていただきますと、そういうところをただ支援をしますということではなくて、そういう中のそれぞれの特性をもう一度分析し直して、どういう施策が必要かということの体系を組み直す必要があるのではないか、こう思っている次第でございます。

 左上の絵は、存続困難見込み集落数、これは、それぞれの市町村長さんたちが、うちの集落、この集落はもうつぶれるかもしれないというのは約二千ございます。しかしながら、既存の研究によりますと、大体二十戸から四十戸ぐらいになると消滅する、そういう論文もございます。そういうことから考えますと、その欄の左側、二十から四十九、一万八千ぐらいございますので、その約十倍ぐらいの集落が消滅の危険にさらされる、こういうことでございます。

 こんなことも含めて、どういう国土にしていくのかということを考える必要があるわけでございます。

 八ページ目の左下でございますが、国土計画の必要性は、今申しましたようなこと、新たな課題、あるいは従来から積み残された課題をどういうふうに考えていくかということに明らかに地域ごとの戦略展開が自立に向けて必要でございますし、それから、その議論をそれぞれの地域で活発にやっていただく、その議論の過程に非常に大きな意味があろうかと思います。その過程を通じて、いろいろな主体が、地域をどう向けていこうか、どんな努力をしようかというふうになるのではないかと思います。

 最後でございますが、新しい国土形成計画制度では、全国計画では、もちろん、今申し上げましたような大きなトレンドとか、あるいは大きな方針、国の方針ですとか、こういうことが重要でございますが、広域地方計画は、広域地方圏の経済圏としての課題対応、言ってみますと、外に向かってどういう戦略をとるかということのみならず、当然でございますが、生活圏とか自然共生地域の課題をどういうふうに解いていくのかということを、あわせて議論していただくことが大変重要かと思います。もちろんその部分は都道府県とか市町村の計画でもございますが、この全体のバランスの中でどういうふうに考えていくのかということが大きな課題ではないかと思います。

 最後に、全く今まで経験したことがないようなこういう状況、しかも、その動きが非常に速いこういう状況、人口が減り、あるいは経済的にも産業構造がどんどん変わっていく中で、国土の計画を新たな枠組みの中で議論することの意義が大変大きい、こういうふうに考える次第でございます。

 以上でございます。

橘委員長 ありがとうございました。

 次に、五十嵐参考人にお願いいたします。

五十嵐参考人 五十嵐です。きょうは、お招きいただきましてどうもありがとうございました。

 今回の法案は国土総合開発法のいわば修正版として出ておりますので、今回の法案を考えるに当たりまして、国土総合開発法にどういう問題点があったのか、それが是正される可能性があるのかどうかという観点から少し意見を述べさせていただきます。ただ、時間が非常に短いので、要点だけ述べさせていただきまして、後で質問等があったら詳細についてはお話しさせていただくという形にしたいと思います。

 御承知のとおり、表でもついてありますけれども、今回まで、二十一世紀の国土のグランドデザインを五全総と言うのかどうかわかりませんけれども、五回、全国総合開発計画がつくられてきました。言ってみれば、これはあらゆる開発計画の頂点にありまして、法的に言いますと、それをトップからずっと整合性を持って都市計画法等まで、ある種のヒエラルキーを持ってこの総合計画のあり方が隅々まで貫徹されるという構造になっております。

 これを端的に言いますと、私自身は、公共事業計画としての全国総合開発計画の意義という観点からきょうはお話しさせていただきたいんですけれども、この公共事業計画としての最大の計画がこの計画でありまして、社会資本整備重点計画法ができる前までは、各種五カ年計画のいわば頂点に存在していたということであります。この全国総合開発計画に基づきまして、道路、港湾、治水等の五カ年計画が立てられていくという構造になっていたと思います。

 その中で一番今になって目につくのは、膨大な投資額というのが想定されてこの計画が立てられてきたということであります。きょうレジュメで出しております全国総合開発計画の概要の比較というところの一番下を見ますと、二全総、新全総で約百三十兆円から百七十兆円、三全総で約三百七十兆円、それから四全総になりますと千兆円程度というふうになっておりました。

 五全総、二十一世紀の国土グランドデザインでは投資額が書いてありませんが、なぜ書いていないかを少し調査しましたところ、多分、千兆円もしくはそれを超えるぐらいの額がやはり投資額としてなる。しかし、全体的に、この平成十年三月三十一日というのは、もうバブルが崩壊して低経済成長に入った時期でありますから、莫大な投資額と低経済成長でのミスマッチが起こるかもしれないということで投資額を外したというふうに聞いております。

 そこで、これだけの巨大な投資額が何を一体意味するかといいますと、率直に言いまして、やはり公共事業にまつわるさまざまな弊害というものがこの投資額と結びついて日本社会に起きてきたんだろうと私は考えております。

 一つは、やはりどう見ても過剰な投資計画が全国至るところに蔓延してきた。非常に端的に言いますと、むだな公共事業というものが目につくようになってきたというようなことが一つです。

 それから、むだな公共事業が財政的に非常に困難をもたらしまして、国の財政の大きな要因になっておりますし、特に地方自治体の財政の中の逼迫要因の大きな原因になっているというようなことであります。

 三番目は、これに基づきまして、非常に端的に申し上げますと、至るところにコンクリートの事業が蔓延いたしまして、環境破壊というものがかつてなく進んだというふうに言われておりまして、公共事業の見直しというものが全国で沸き上がるようになってまいりました。

 この計画を見ますと、なぜこういう計画がつくられるかということを言いますと、この決定方法の中に幾つか問題点があったんだろうというふうに私は思っております。

 一つは、全国総合開発計画を策定するに当たりまして、国土審議会というのがありまして、これは一応学者さんとか国会議員の方とかから成っている委員会でありますけれども、ここで本当に今後の国土のあるべき姿についてきちんと議論したんだろうかということを見ますと、必ずしもそうではないというふうに聞いております。

 特に、二十一世紀の国土のグランドデザインなどを見ますと、膨大な大きな報告書でありますけれども、一部、二部、三部に分かれておりまして、一部を見ますと、今後のあるべき姿に、主として学者が執筆したと言われておりますけれども、ある種の日本の国土のあり方について理念的なことが書いてあります。

 二部は、主として、これは主たる官庁が企画立案したというふうになっておりますけれども、学者の考えるような国土に向かいまして、それを事業計画としてまとめるとどういう形になるかという形がありまして、それぞれの事業別に計画が盛られております。

 三番目に、自治体ごとにどういう公共事業があり得るかということがありまして、ここにいろいろな公共事業が書かれているんですけれども、徐々に見ていきますと、ありとあらゆる公共事業が全部この中に列記されるということになっております。特に、自治体側から聞きますと、この全国総合開発計画に記載されるか記載されないかによって今後の事業計画の実施のめどが立つかどうかが決まるというふうに考えられておりまして、あらゆる公共事業をここに盛り込むということになっていて、私どもの間では、公共事業の玉手箱といいますか、何でもここに入っているものだというふうに理解しておりました。

 これがどうも、時代の変遷に従って、やめるべきはやめなきゃいけないし、新しく起こすべき事業は起こさなきゃいけないと思うんですけれども、これがごちゃまぜになっておりまして、ほとんど費用対効果などを含めたある種の評価なしにこの五全総の中に全部盛り込まれるということになっておりまして、これが現在の大きな修正をもたらさざるを得ない大きな要因になっていたのではないかと私は思っております。

 そこで、これがどうして決まるかのもう一つの問題点は、国土審議会で、いわば要望、陳情の集まりというだけじゃなくて、国会でちゃんと議論したのかどうかというところがもう一つの問題点だったと思います。

 なぜこうなっているのかよくわかりませんけれども、公共事業計画のこの全総を含めたすべての計画、漁港法に基づく漁業計画を除きまして、すべての計画の最終決定者は閣議決定というふうになっておりまして、国会でこれを討論し議決するという形にはなっておりません。膨大な、一千兆を超える投資額を予想し、かつ、公共事業のあり方は、御承知のとおり、国民の生活の隅々まで影響を及ぼすはずでありますし、現に及ぼしてきましたけれども、それがなぜ国会で議論されないんだろうかということが非常に不思議でありました。

 この点について、なぜ閣議決定なのかということを調査しましたところ、どうも明快な答えが見えてまいりません。非常に俗っぽく言いますと、国会などで公共事業について、この計画がいいとか悪いとか議論すると、むしろ国会がある種の利権の場になってきて、中立性や公平性が守れない。それよりは、中立を守る官僚さんが、行政が決めて、そこで実施する方が公平だというようなことが聞こえてまいりましたけれども、本当にそうだろうか。むしろ、逆から言いますと、国会議員さんは、これだけの大きな事業について討論し議決する権利をなぜ放棄するんだろうかということが非常に不思議でありました。

 同じようなことが、つい最近制定されました社会資本整備重点計画法にも書いてありまして、ここも依然として閣議決定になっているということでありました。これは一体、今後また何十年か、全部閣議決定という形で継続していくんだろうかということが非常に問題だと私は思っておりました。

 さらに問題なのは、ある種のこれは十年単位の計画でありまして、その間、先ほど森地先生も言っておりましたけれども、非常に社会変化が激しいときに、こういう計画について絶えず見直すとか評価することが必要だと思いますけれども、この修正方法が法案上は少なくとも見当たらないというような問題があります。私自身も、全国総合開発計画はこの五全総でピリオドで、全く新しい計画論をつくらないと問題が多いのではないかというふうに思っておりました。

 その意味で、今回の法案についてはある種の必然だというふうに思いますが、しかし、なお依然として幾つかの問題点が残っているというふうに私は思っております。

 名は体をあらわすわけですけれども、今回の法案の名前が国土形成計画法であります。この国土形成計画法の以前に、非常に新しい、時代にふさわしいものとして、政府は地域再生や都市再生や自然環境の再生法というものを出してまいりました。そういうものと比べますと、この形成というのは一体何だろうかというのが、日本語として区別がよくわかりません。再生は、中身はいろいろ問題があると思いますけれども、ある種の今までの過去を総括して新しく再出発するということがイメージできますけれども、この形成計画というものは、何をどうするのか、前の開発計画とほとんど区別がつかない、やや焦点ぼけじゃないかなという感じがいたしました。

 あわせて、その内容を見ますと、理念とシステムについて、確かに少し、従来にない新しい方法が入れられています。とりわけ、広域計画、地方の計画が割と前面に出ておりまして、この辺は新しいと思いますけれども、しかし、これによって今までとられてきた公共事業が変わるかといいますと、ほとんど変わらないというふうに私は見ております。なぜならば、五カ年計画に基づいたさまざまな数値目標がありまして、これらがこの国土形成計画法によってどう変わるか、その道筋は何も見えてこないというふうに私は思います。

 私自身は、社会変動が非常に大きいということを感じますので、従来の計画については一たんサンセットにして、改めてそれを行うべきかどうかについて国会で審議をするというのが正しい姿だと思いますけれども、そういう方法はこの中には見えておりません。

 それから、決定方法についても、依然として閣議決定をファイナル決定者にしておりまして、国会が除外されております。

 それから、この計画のよしあしに関する評価方法について見ますと、確かに第七条で、行政評価法に基づく評価の対象にはなるようになっておりますけれども、果たして閣議決定がなされた計画について、ある種の行政評価法に基づく評価という方法でこれが修正可能かどうか、やや行政法上の整合性からいっても難しい点があるのではないかというふうに私は思っております。

 それから最後に、広域地方計画でありますけれども、これも地方という名も入れますと、やや分権的なことがありまして、歴史の方向性を示しているようにも見えますけれども、実際、この運用方法を想定すると、いわば国土交通省の地方整備局を中心として案が練られるようなにおいがいたします。これは本当に分権的なものなのかどうかについてやや疑問がありまして、もう一度、この国土形成計画法については、従来の反省を踏まえて審議し、もっと抜本的な法律をつくるべきではないかというのが私の意見であります。

 どうもありがとうございました。

橘委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

橘委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。櫻田義孝君。

櫻田委員 皆さんおはようございます。自由民主党の櫻田義孝でございます。

 本日は、お忙しいところ両先生に早朝よりおいでいただきまして、本当にありがとうございます。

 早速ですが、総合的な国土の形成を図るための国土総合開発法等の一部を改正する等の法律案に関連して幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。

 これまで、国土計画は、昭和二十五年に制定された国土総合開発法に基づいて順次策定されてまいりました。その評価については多々あると思いますが、戦後の荒廃と高度経済成長期を経て今日まで、何より国民が全国的に豊かな生活を送れるようになったということについては高く評価していいのではないだろうかと私は考えております。

 ただし、高度経済成長から安定成熟期へ移行した、また、国境を越えて、人、物、金、その流れが激しくなってきた今日においては、国土のあり方、国土形成に求められる国民のニーズもおのずと変わってきていると考えております。特に、この激動の十年間で国土計画も大きな転換が求められているということを私は認識しているところであります。

 そして、足元の大変な財政難と少子高齢化社会というものを考えたとき、私としては、これから、全国くまなく人が住むという思想ではなく、ある程度居住の集約を行い、人が住むところと住まないところのめり張りをつけることが大事なのではないだろうか、こんなふうに考えております。今までのようにあれもこれもという発想ではなく、あれかこれかの選択をし、集中するということが不可欠ではないだろうかと考えております。

 そこで、私としましては、そうした選択と集中のためにも国が引き続き何らかの全体方針を示すという国土形成計画が必要であると考えておりますが、この点についてお二人の御所見をお伺いしたいと思います。

 まず最初に、森地先生の方から順次お願いできればありがたいと思います。

森地参考人 住むところと住まないところを分けなきゃいけない、これはおっしゃるとおりでございます。先ほど申しましたように、中山間地についてもあるいは自然共生地域についても、いろいろな地域がございますので、よく見ていく必要があろうかと思います。

 一点だけ重要なことは、昭和三十年代から四十年代に集落再編ということが行われました。その一番典型的なのは、小学校の分校の移転とか閉鎖とかでございます。逆に言いますと、小学生の親御さんでございますから三十代あるいは四十代、そういう人たちがどこでどういう生活をするかということでございまして、したがって、移転ということも政策の対象になり得たと思います。しかしながら、今の非常に人口が減っているところは、大変お年寄りの多いところでございます。お墓をどう守るのかとか、あるいは親御さんのためにお子さんがリタイアした後戻るのか、こういうことでございますから、政策的に強引にどうこうするという対象ではないと私自身は認識しております。

 ただ、それにしても自然共生地域をすべてくまなくというのはとても財政的に無理でございますので、ここのところをどう考えていくかというのは大変重要でございます。

 同様に、広域地方ブロックの広域地方計画の中で、大都市それから広域生活圏、自然共生地域の投資をどういう配分にして選択と集中をしていくのか、こういうことが極めて重要なのはおっしゃるとおりかと思います。その手段としては、大きなフレームとしての、あるいは大きな方針としての国の政策提示と、それから広域地方圏の中での調整、この二つが相まってそれが成立していくんだろうと思います。すべて国が決めるということでもないし、すべて地方で責任を持ってやれるということでもない。

 ちょっと抽象的でございますが、そんなことを考えてございます。

五十嵐参考人 地域の居住についてめり張りをつけることについてどうかということでありますけれども、これは自然についていくと私は思っています。

 問題は、自然についていくとき、この傾向に対してどのような対処をするかということでありまして、実は公共事業というのは、道路を中心として、自然にある種の安楽死をしていく集落に対して、この人たちの生活環境を守るために、むしろそれを重点的にとは言いませんけれども、私から言わせますと、そこに無理やり事業投資をしてきたのではないかというふうに私は思っております。これは変えなきゃいけないというふうに私は思っています。

 そのことは実は、五全総の二十一世紀の国土のグランドデザインの中にも、地域の選択と責任に基づく地域づくりの重視ということをずっと言われておりまして、平成十年から実施されているわけですけれども、これがうまく進みません。田舎に行けば行くほど、やはり道路を中心として公共事業を持ってこいというのが進んでいるのではないかということであります。少しむごい言い方かもしれませんけれども、私は、ここを少しアクセントをかけて、やはり安楽死するものはするということを覚悟すべきであるというのが一点です。

 それから二番目は、全国計画をどうすべきかということについて、非常に論理的に言いますと、全国のちゃんとした整合性ある計画があった方がいいということはすぐ浮かびます。しかし、アメリカやイギリスやフランスやドイツなど、いわゆる成熟した資本主義国家で、日本のような、すべてのことを書いたような計画があるかどうかについて、私も何回かヒアリングしたことがありますけれども、必ずしもそういうものを見つけることはできませんでした。

 今、あるとすれば、発展途上国と言われるところは、全国的なこういう計画をつくって重点的に公共事業を投資して、そうやってある種の産業や経済や人々の生活を豊かにするということがありまして、これが錦の御旗になって使われるということはあると思いますけれども、成熟した国家に、こういうのを隅々まで書いた公共事業を含めた全国計画が絶対必要かと言われると、私は必ずしもなくてもいいのではないかと実は思っております。

 以上です。

櫻田委員 森地先生に今の質問についてですが、選択と集中という中で、都市計画区域というのが各自治体でなっているわけですけれども、市街化区域と市街化調整区域というように大概分かれております。過疎地の地方の場合には市街化調整区域というのは非常に大きいと思うんですけれども、さらにそれを細分化して、より選択と集中ということで、居住性を高めるところと高めないところというのが必要ではないだろうか。特に、過疎というか人口流出地域のところ、まして財政基盤の弱いところを対象とした質問なんですが、私自身はそういう考えを持っているんですけれども、いかがでしょうか。

森地参考人 中山間地は都市計画の網もかぶってないところが多いと思います、もちろんかぶっているところもございますが。静岡のように、非常に地方部まで、中山間地まで都市内になっているところもございますので、一概には言えませんけれども。

 問題は、例えば椎葉という熊本と宮崎の間の村がございますが、この中で、山間地にたくさん集落があったわけですが、その山間部の集落がだんだん消滅をしていったり人口が減っていって、一番中心のところにだけ人が住んでいる、こういう構造になっている。しかも、そういうのをもうちょっと広域で見ますと、ちゃんとした道路施設があるところだけは人が住みついて、ほかのところはもうお年寄りが後継者がいなくて耕作放棄地が出てくる、こういう構図でございます。

 おっしゃるように、そういうところにどんどん公共事業をやってその集落を維持しようにも、ほとんど意味のないことでございますから、それは五十嵐先生のおっしゃるとおりなんですが、では、一体そういうところにどういう支援があり、トランジェントな状態でどういう支援があるのかということを考えていくこともまた国の責務ではないかと思います。

 そのときに、区域設定で全国一律にやっていくべきなのかどうかというと、私は、それは非常に難しいので、先ほど御提示しましたように幾つかの類型化。つまり、中山間地だけれども中心都市が相当カバーできる、例えば北見市、これは人口十万でございますが、県庁所在地ぐらいの都市的なサービスを持ち、非常に広域の人たちがそこに買い物に行き、病院に行き、こんな構造になってございます。あるいは十勝平野、ここは非常に人口の少ない、密度の低いところもございますが、農家の収入は粗収入で二千万とか、こういうところでございます。こういうところは別に人口規模が問題ではない、こんなことを考えます。例えばニセコ、これは人口一万でございますけれども、オーストラリアの人たちがどんどん投資を今している、こんな構図でございますので、地域を幾つかに類型化して、そういうところに国はどういう支援をするかということを方針として決めてきて制度設計を見直す、こんなことが必要か。

 もうちょっと申し上げますと、条件不利地域の半島法とか離島振興法とかいろいろな法律がございますが、ああいうのを私自身はもう一回再構成し直して、新しい類型のもとに政策体系をつくった方がいいかな、常々そういうことを思っております。

櫻田委員 では、今の先生の言い方だと、やはり地域地域に合ったプロジェクトというか一定の目的を設定して、それに見合うような都市政策が充実していれば、それでほぼ満足、カバーできるのではないだろうか、こういう考えと承ってよろしいですね。

森地参考人 説明が足りませんでした。

 おっしゃるように、地域を幾つかに類型化して、一例が先ほど挙げたものでございますが、それぞれに対してどういう政策体系をつくるかということをお国は考えた方がいいのではないか、こう思っております。ただし、それをゾーニング、つまりここが市街化区域ですとかここは何とかですとかというふうに、すべて細かいところまでゾーニングで決めることが適切かどうかというと、そこには少し段差があるような、こんな気がするということでございます。

櫻田委員 ありがとうございます。

 五十嵐先生にお伺いしたいんですけれども、先ほど、全国の方向性ということについては余り必要ないというようなお考えで、何か、自然に人がいなくなるときは安楽死という言葉がついたんですけれども、私自身はちょっとびっくりしたんです。やはり私は、国として一定の方向性を出さないと、国土形成というもの、国の方向性、目指すものが明確になっていないということは国として間違っているように思うんですが、再度この辺についてお伺いしたいなと思っております。

五十嵐参考人 五十嵐です。

 一つ一つの都市は、今後、コンパクトで持続可能な都市になっていくということだろうと思います。今森地先生もおっしゃっていましたけれども、このコンパクトで持続可能な都市をつくるときに従来のような国家の関与のあり方でできるかというと、ほとんどもうできないということだと私は認識しています。従来の国家の関与の仕方というのは、補助金とかその他公共事業でこういうことを守る、あるいはゾーニングという形でこれを守ったり区切ったりするということでありますが、それはほとんどできないだろうというふうに思っています。

 それで、私自身は、都市計画を含めて、思い切って分権化をしてくださいということなんですね。分権化をした上で、今度の市町村合併を含めて自治体の数でいきますと大体二千ぐらいですけれども、それらが自分たちの持続可能でコンパクトな都市を自由に設計して、その集合体が国土計画になる。

 私自身が一番思っているのは、今後は美しい日本にしていただきたいと思っておりまして、そういう意味での全体的な発想はありますけれども、国の方が定めてそれをブレークダウンしていく、こういうやり方での国土計画はもう機能しないし、不必要だし、かえって害悪の方が大きいというのが、過去の五つの計画の結果ではなかったかということを言っているわけです。

櫻田委員 さまざまな御意見がある中で、私としては国土計画の制度改正を行うべきであるという考え、立場に立っております。昭和二十五年につくられた制度が現在では古過ぎる、抜本的に改革を行うことが社会的ニーズにこたえる道であると考えておりますので、今の改革はむしろ遅過ぎたのではないだろうかという基本的な考え方を持っておりますが、こういった点で、どういった視点での改正が必要なのかなということを森地先生にお伺いしたいなと思っています。

 また、五十嵐先生には、この計画性というものが余り必要ないということになりますと、何か今回の法律の改正案に対しては立場を異にするのかなというような所感がしているんですけれども、その件についてもお伺いしたい。順次お伺いしたいと思います。

森地参考人 この制度をつくるときに、国土省の中にその制度を検討するような小委員会が設置されておりまして、私もそのメンバーでございまして、小委員長を務めておりました。そこでの議論がすべてこの中に入ってございます。審議会には提出してございますが、すべての委員が言われた意見を反映する格好で今回の法律改正案がつくられたと理解をしてございます。そのメンバーの多くは、今までの全総法を変えるべきだ、今五十嵐先生おっしゃるように今までの方針を変えるべきだというところから立って、どこを変えるべきかということで議論した結果でございます。

 例えば、国土の開発ではなくて、利用、整備、保全というところに重点を置きましょうとか、あるいは、地方ブロックのことも今までの全総で書いてございますが、実は審議会の中の重点としてはその部分は非常に少なくて、やや、金額がすべてある格好ではなくて、いろいろな提案が全部入っていて、そこの部分は審議会にもかかっていない、たしか閣議決定でもないのではないか、大きな方針だけが閣議決定だというふうに理解をしてございます。そういう意味で、今回はそうではなくて、広域地方圏の中で県を超えたところでいろいろな調整をしないと選択、集中ができないわけでございますから、そういうことをやりましょうとか、あるいは、明らかに各地方が違う計画、違う目標で違う方法を考えていくような機会をつくった。

 あるいは、行政がどうするか、国が何に投資するかだけではなくて、そこの産業界、NPO、住民、あるいは大学の人たち、いろいろな人たちが地域づくりに計画だけではなくて実行段階でも参画できるような、そういう指針性を持つようにしようとか、国と地方が階層構造ではなくて協議をしながらやっていくんだとか、あるいは、圏域の外側の人たちも議論に参画するとか、市町村長、政令指定都市の方々も入ってくるとか、いろいろな意味で新しい方向が出てきて、そのターゲットは、よりいい国土はどういうふうになるかというために何を変えればいいのか、そんな意味で今回の改正の方向が法案の中に入っている、こういうふうに理解をしてございます。

    〔委員長退席、望月委員長代理着席〕

五十嵐参考人 ちなみに、皆さんのところにも配られております、国土総合開発法と国土形成計画法のどこが変わったかというところを対照して見ていただきますと、ほとんど変わっているところを見つけ出すことはできません。

 強いて言いますと、先ほど言いましたように地方計画のところが少し新しいというふうに思いますが、しかし、全国総合開発計画でもこの地方計画についてはもちろん規定してありまして、過去の第八条などには「地方総合開発計画」とありまして、ほぼ似ています。審議会もほぼ似ています。閣議決定もほぼ似ています。変わっているところはどこなんだろうかといいますと、一般的国民の目で見ますと理解することはほとんど不可能です。ネーミングが国土総合開発から国土形成計画に変わったという程度で、システムも理念もほとんど変わっていない。

 これは、先ほど言いましたように、政府の方も、いろいろな諸状況の変化に応じまして、自然環境とかあるいは地域とか都市について再生法というのをつくっておりまして、それから比べても、政府が今までつくってきた法律から比べても、この修正はほとんどどこが変わっているかよくわかりません。つまり、逆から言いますと、この国土形成計画法で今までできなかったことが何ができるようになるのかということが見えないのです。

 中身で申し上げますと、一番重要なことは、まさに、二十一世紀の国土のグランドデザインにありました地域の選択と責任に基づく地域づくりということが重要でありまして、ある種の住民の参加だとか、あるいはNPO等を含めた住民の参加する事業、これを私自身は、従来の公共事業にかえまして、市民が参加するという意味で市民事業が今度は必要だ、地域づくりにとってそれが非常に重要だということを言っているわけですけれども、これが入る余地がこのシステムから見ると全く見えないということです。

 計画そのものが閣議決定でありますし、それから修正の方法についても、評価は行政評価法に基づく評価でありますし、唯一、少し自治体が新しく提案するときの措置が入っていますが、これは従来の法律でも、この程度のことは法律になくてもできたはずでありまして、最も重要な、参加とか自治とか、みずから事業を行うということについての重要性についてこの法案は全く吸収していないというふうに思っておりまして、いかにも中途半端な、何をするためにこの法律を変えるのかということについてほとんど読み切れない法律だというのが私の意見なんです。

櫻田委員 五十嵐先生の今の発言ですと、地域、市民の声が反映されていないということになりますと、この計画を改正するに当たっては、行政の方でも市民レベルの、あるいは民間人の意見を十分取り入れて公聴会だとか審議会なんかが当然行われた結果、満遍なくいろいろな意見を取り上げた形というふうに私自身は意識しているんですが、そういう市民レベルの考えは審議会の中では全然反映されていない、こういう考えと承ってよろしいですか。

五十嵐参考人 この法案の策定プロセスについては承知しておりません。しかし、このでき上がっている、提案されている法案を見ると、そういうプロセスを踏んだとは到底思えないです。

 もっと言いますと、国土計画の中にそういうもろもろな住民の要望とか民間企業の要望そのものを入れるのは計画論でありまして、これは手続論なんです。今後、この手続に基づく新しい計画の中にそれが取り入れられるという保証もシステム的には何もないということです。

櫻田委員 わかりました。我々の認識とは大分かけ離れているような認識だと承知しておりますが、これは価値観の違いというものもありますので、次に行きたいと思います。

 私としては、先ほど述べましたように、選択と集中の中に、国土計画で国が音頭をとってめり張りを実現する必要があると考えております。また、一方でやはり地域性というものを十分考える必要があるなというようなこともあわせて考え方を持っておるわけですが、私も自由民主党の中で道州制推進議連の幹事長を務めておりますので、今度の制度改正に当たっては、全国計画に加え広域地方計画を設けて、国と地方が連携協力してやっていくことが盛り込まれている点についてはまことにすばらしいことだというふうに思っておるところであります。

 また、道州制論議では、全国を七から十くらいに区分するイメージが一般的であるというふうになっております。今回の改正でも、広域地方計画の区域は多くても十程度にすると聞いておりますが、これまた時宜にかなったものであると私自身は思っております。

 しかし、実際、地方の意見を取り入れるといっても、多様な主体が参加する仕組みで、いろいろな利害が対立し、意思決定の手続次第ではうまくいかないこともあるのではないだろうかと思っております。

 事実、私の地元では、千葉県の国道十六号のバイパスの整備事業については、市民参加のパブリックインボルブメント手法を取り入れて、大学の先生方や市民代表を入れた協議会をつくって、非常によいものだというふうに認識しているんですが、議論が一向に進んでいないのが、一向に進んでいないと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、余り効率よく進んでいないということで、意見の取り入れ方を工夫するとかデッドラインを設けるなど、どこまで法的制度で担保できるかという問題があろうかと思います。

 そこで、御意見を伺いたいんですが、本案にあるこの広域地方計画の仕組みを成功裏にするためには、必要なポイントは何であるとお考えになっているか、どんなところに留意して住民参加を盛り込めばよいのか、ぜひお二人に御意見を伺いたいと思います。まず、森地先生の方からお願いしたいと思います。

森地参考人 圏域については、自立可能という一つの大きな目的からいうと、どれぐらいの大きさにするか、ここが非常に重要だろうと思います。

 特に、先ほど言いましたように、アジアの中で大きなマーケットができるときに、そういうのをうまく生かせる、あるいはそれに対していい戦略がとれて、それが経済的にも自立の方向に向かえる、そのために一体どんな規模でどんな多様性を持った地域にするべきなのか、これは大変重要なことではないかと思います。ただ、独立国をつくるわけではありませんから、その中のある都市が独自の戦略をとることももちろんありますし、あるいは、一つの今までの県単位でもそういう戦略をとっているところがあるわけでございますが、長期で見たときに、そちらに向かうのにどういう単位が一番効率的か、ここが相当重要だろうと思います。

 ただ、地方自治の観点から、国でこうだと決めるのではなくて、それはこれから議論しながら決めましょう、そういう法律になってございます。これは大変適切ではないかと思います。このゾーニングが大変重要でございます。

 もう一つは、先ほど申しましたように、いろいろな主体が努力を結集できるために、どんな指針性を持って、あるいはその計画を納得していただいてやっていけるのか、こういうことが計画のポイントになります。

 私ごとで恐縮でございますが、全く個人的に私は北海道の人たちに、北海道の目標を、アジアの宝北海道、こういうキーワードですべてを見直したら一体どういうことが起こりますか、こういうことを申し上げてございます。

 北海道のあの風景とか自然とかあるいは食とか、こういうことについては、日本の多くの人があそこに非常に夢を持ったと同様、アジアから見ても、大変季節性があり、違う、異質な魅力を持ってございます。観光としてはもう既に大変な人が来ておるわけでございますが、食についても安全な食とか、あるいは教育についても、いろいろな面でそういうことが可能になる可能性はないのか。製造業についても、そういうターゲット、つまり、東京を見るのではなくて、新しいマーケットを見たときにどんなことがあるでしょうか、こんな議論を始めてみませんか、こんなことを申し上げてございます。これはほんの一例でございます。

 各地域がどういう戦略、あるいは、余り複雑でいっぱい同じようなことが書いてあるのではなかなか努力が結集できませんので、割合明快で、なおかつみんながそうだと思うような格好のまず全体方針を決めて、それのために、じゃ、どういうことをやればいいか、それにおさまらないことについてはどうすればいいか、これが実際の計画ではないかと思います。

 それから、住民参加をどういうふうにやるべきかということは、二つございまして、そういう計画づくりとか地域の将来に向かっての努力の結集という意味、例えば、かつて平松知事が大分でやられたような一村一品、あれも一つの例かもわかりません。もっといろいろな対応があろうかと。

 そういうことと別に、今おっしゃったような道路整備についての反対運動、こういうことについてはまた別のことを考える必要がございます。これをこの法律の中でやるかということについては若干問題がございますが、アメリカのある州ではこんなことが起こっておるわけです。

 道路をつくるといったときに、つくる方針はもう決まって、じゃ、そこの具体のデザインはどうすればいいかということで現場に落ちてきている。にもかかわらず、市民からは、それは環境上どうなのか、本当に要るのか、あるいは財政上大丈夫か、またバックした議論が起こる。この繰り返しが起こると、非常に意思決定が明快ではなくなって、結果的に税金のむだ遣いが起こったり効果が早く出なかったりという、市民全体にとってもデメリットが来る。

 そこで、アメリカのある州では、地域計画の中で、どういう道路をつくるべきかということについて、つくるべきかつくらざるべきかというシミュレーションモデル、ゲームみたいなものでございます、それを用意して、そこで納得をして、ここはもう決まりましたねと。こういうふうにこことここをつくることは決まりました。それが財政上大丈夫かという議論も終わりました。その中で、その次のステップとして、じゃ、現場でどういう路線がいいのか、あるいはこの用地はどうするのかというようなたぐいの議論をしましょうというふうに、意思決定を区分けしたような、そういうことも現実に起こってきてございます。

 結局、住民参加というキーワードがありましたように、参加することだけに意味があるのではなくて、いろいろな意見を集約することにも大変な意味がございます。どうも、その集約する方についての制度設計がまだ今模索中で、やっとパブリックインボルブメントとか、あるいは評価の制度とか社会実験とか、こういうことが随分進み出した、こういう時期にあるんではないか。それを地域計画とかこういうものとどこまでくっつけたらいいのかというのは、まだこれからの議論かと思います。

五十嵐参考人 先ほど先生は、国が音頭をとって国土形成計画をつくるべきであるということを申しておりました。国が音頭をとるというのはどういうことだろうかということを過去の例でいいますと、国がやるべき事業を定め、かつ自治体がやるべきことについて補助金等によって実施していくというのが国が音頭をとるということであります。

 問題は、今ちょうど森地参考人と非常に似たような感じもあるんですけれども、これがやはりうまくいかないというところに来たというのが今回の大きな修正、パラダイム転換の修正地点にあるわけですね。なぜうまくいかないかというのは森地さんと同じなんですけれども、これをやめるという選択肢がなかなか見つからない、なかなかできないということなんです。

 私としては、一つは、この国土計画に基づく例えば道路なり飛行場なり埋め立てなりをやめるかやめないかについて、国民の代表者である国会でまず決めるべきではないかということが一つです。国会でだめなら地域自治体で決めるというのが二番目です。それでもだめなら裁判所で決めるということもあるかもしれないというふうに思っているんですけれども、これはことごとく、日本の場合には、事公共事業に関してはうまく機能いたしません。

 問題は、これ自体を、この決め方自体を、中止という選択肢も含めて変えることが今回の一番大きな法案の宿題だったと思うんです。なかなか難しいこともありますけれども、国と自治体の協議や関係を含めまして、この法案で見ると、そのパラダイム転換の方法論が見えてこないというのが問題だということなんです。先ほども言いましたように、この上段と下段の比較表を見ていただきますと、ほとんどそれが見えてこない。

 だから、そういう意味では抜本的な、非常に過渡期の部分的な改正でありまして、今現実に問題になっている、現地もしくは国が抱えている問題に正面から対応するような法案にはなっていないというのが私の意見です。

櫻田委員 どうもありがとうございます。

 時間が参りましたので終わりにしたいと思いますが、先ほど、最後に五十嵐先生の方から、国会が利権の場になっているのではないかという御発言がありましたので、すべての国会議員を代表して、そういうことは全くないということを申し添えて、終わりにしたいと思います。

 どうもありがとうございます。

望月委員長代理 若井康彦君。

若井委員 おはようございます。民主党の若井康彦です。

 森地先生、そして五十嵐先生、きょうは朝早くから私たちのためにお運びいただきまして、大変ありがとうございます。先ほどからさまざまな有益なお話を聞かせていただき、大変にうれしく思っております。

 私は、三つの質問についてお二人に教えを請いたいと思います。

 第一に、そもそも国土計画とは何なのかという問題です。それから第二に、公共事業と国土計画との関係です。それから三番目に、国土計画、本来、計画の主体はだれであることがふさわしいのか、つまりだれがだれのためにつくる計画なのか。この三つについて教えていただきたいと思っています。

 まず第一の国土計画とは何かの話ですけれども、よく国家百年の計という言葉がございます。二千年前の九州から始まって、千年かけて関西に到達をし、さらに千年かけて東京まで軸が伸びてきた。これをだれかが決めたのか、あるいは見えざる国民の総意というような形でこういうふうに進んできたのか。そうしたものをだれかが本当に計画という形で表明できるのかというようなこともございますし、また、半世紀前に計画をされた新幹線があって現在が成り立っている。同じ線路の上を、四十年前には四時間かかっていたものが二時間半になったということは、恐らくこの五十年でできることの一種のシンボリックな変化だったと思うんです。

 こうした意味で、国土百年の計みたいなものを考えてみますと、いかにもこの間行われてきた五つの国土計画というのは、計画の期間というような面からいっても余りに短く、そして余りにその時々の事情に振り回されてきた計画のようにも思われますが、お二人の御感想はその点いかがでしょうか。では、森地先生からお願いいたします。

    〔望月委員長代理退席、委員長着席〕

森地参考人 若井先生はまさに地域づくりの御専門でございますので、釈迦に説法かと思いますが、国土計画の意義は、私、先ほど御紹介した冒頭にこういうふうに書いてございます。一は、国際情勢の洞察と歴史観、それから二は、国土の自然状況、そこでの諸活動、人々の価値観等のモニタリング、三が、この国の向かうべき方向と課題の特定、四が、国土の土地利用と社会資本の計画、五が、それらの実現のための諸政策、諸制度の提示であって、国土計画の意義は、国土の将来像を描き、そこに向かう道筋を計画することにある、教科書的で恐縮でございますが、そういうことを考えております。

 歴史的評価がどうだったかといいますと、多くの方は、今申し上げた五つの中で、ある人は、例えば三全総からは社会資本の計画がクリアじゃない、こういう批判をします。また、五十嵐先生なんかは、そこから先の話も公共事業の計画ではないかと、こういうふうに見方が分かれます。

 ただ、明らかにそれぞれの時代に、国際化ですとか情報化ですとか、あるいは生活圏、身近なことが重要ですとか、いろいろな議論が分かれる中で、ある方向を提示して、それに従ってという言い方はちょっと強過ぎるかと思いますが、そういう提示があったときに、それにヒントを得て、それぞれの知事さんなり市町村長さんたちが、自分たちのまちづくりとかはどっちの方向に向かうべきかということの大きなきっかけになることは随分起こったような気がいたします。

 例えば、四全総の中で多極ネットワークということがありましたが、同時に、それぞれの地域が国際的に開かれた格好にしよう、こういう提示があって、その後、物すごい勢いで地方空港の国際化が起こった、こんなこともございます。

 時間がございませんのでこれ以上は避けますが、そういう意味で、それぞれの時代にいろいろな効果を持ってきて、それが百年だったのか、あるいは五十年の意味があったのか、ここはもう、国民といいますか、それに関与する人たちの文字どおりの能力にかかわるのかもわかりません。ではプラザ合意が三十年前に想像できたか、こういうことともかかわりますので、必ずしも全部が全部、百年見えて計画ができる、そんな単純なものでないのは当然でございます。

五十嵐参考人 今の質問との関連で、この法案を見ていただくとわかりますけれども、要するに、今後の国土がどうあるべきかということを百年を見越して書くとすれば、この「目的」というところに書いてあることしか書けないんですね。非常に単純に言うと、国民の福祉を図るためにいろいろなことをやりますよと書いているだけで、具体的に何をするかなんてことは何も出てこないんです。出てくるとすれば、まさにこれの法律に基づく具体的な計画をどうするかということがありまして、一全総から五全総まで見ると、おおよそ十年単位ぐらいで日本を区切って見てきたということなんだろうと思いますね。

 私の率直なこの十年単位の区切り方と評価を言いますと、一番最初の全総及び二全総ぐらいまでは、ある種の国民のニーズと国土の計画の目標というものが一致していたというふうに見ています。三全総は実はもうちょっと深く根をおろして、全体的に五つの全総計画は全部開発計画なんですけれども、三全総は少しニュアンスが違っておりまして、やや安定的な、低経済成長の中での国民の安定的な生活をデザインしたものだと思いますけれども、これは高度経済成長に切りかえると、当時の大平内閣が、大平さんが途中で亡くなられたと思います、余り定着しないうちにまた四全総、五全総になって開発に戻ったということだろうと思うんです。

 問題は、ほぼ約五十年、こういう全総計画で何が残ったかといいますと、やはり累々たる借金と荒れた国土と、国を愛する、地域を愛する人たちの意識が非常に薄れてきたということなんだろうと思います。百年とはよくわかりませんけれども、もし五十年間かけて日本国土をつくっていくとすれば、キーワードをもっと、開発とかスピードとか効率とかいうよりも、安心で安定して美しいというものにすべきであるというのが、抽象的に言えばそういうことです。

 十年単位でいいますと、安心とか安定とか安全とか美しいというものはどうやってつくるかというと、やはり国が先頭に立ってという、そういうある種の発展途上国的な発想はやめましょう。成熟社会というのは、国は引っ張らないんですよ。いろいろな人々、いろいろな地域が集まったものを合体して、調整するという限度が国の役割だというふうに思うんですけれども、先ほどからの話を聞いていると、やはり国が先頭に立って引っ張るというようなイメージがこの国土形成計画に入っていると思うんですよ。これが本当に成熟社会の姿なのかということを問いたいわけですね。現に、先ほど言いましたように、世界の成熟したと言われる資本主義国では、国が全国計画を定めてこれを引っ張るなんというようなことはもうやっておりませんよ。

 したがって、発想を含めて全体的に変えるべきで、そういう観点から見ると、この国土形成計画法というのは非常に中途半端で、まだ少し、地方分権的な言葉は入れていますけれども、国が先頭に立って引っ張るということが全部残されている、温存されている法律ではないかというふうに思っているということです。

若井委員 今、両参考人の、ある意味でいうと異なった御意見だと思いますけれども、共通をしていると思われるのは、やはりこの国土総合開発計画、初期の全総と新全総、要するに、限られた資源をどうやって集約し、それを有効に投資していくか、そういう意味では、ある程度の成果もあり、わかりやすい方向でこの計画が進められたのではないかというお話だったと思うんです。

 問題は、三全総以後、先ほどプラザ合意のお話もありましたけれども、ある程度社会資本の整備が行われていった後で、例えば先ほどお話に出た田園都市構想にしても、あるいは定住圏の構想にしても、次の時代の日本の社会のあるべき姿というようなものが提示されているにもかかわらず、もしかすると、具体的にそれを背景として行われたさまざまな事業がそれと乖離をしていった歴史じゃないか。

 私は、確かに、この国土形成計画の形成という言葉には違和感が大変強いです。例えば都市整備等でいえば、もともとは都市開発だったものが十年ごとに、整備になり、そしてあるときには活性化になり、今は再生という言葉が使われている。結局、開発も整備もできなかった、あるいは達成できなかったものを活性化という一種の、カンフル剤と言うと問題があるかもしれませんけれども、一九九〇年代のそういうプロセスを経て、商店街なんかでもそうですが、それがまるでうまく生きてこなかったから、瀕死の商店街を再生させようというところまで来たんじゃないか。要するに、かなり難しい問題がたくさんその間に生まれて、それをもう一度二十一世紀にどうやって再生をするかというシナリオをつくるということに今主眼がある。そうだとすれば、これは国土形成計画じゃなくて国土再生計画じゃないですかね。

 だから、私は、そういう観点から、もう一度この総合開発法の改正については抜本的な議論をする必要があるのではないか、今回のこの余りに短い審議期間の間にこういう大事な法律を変えてしまう、いとも簡単に変えるというようなことはあってはならないことだというふうに思っておりますが、そのことはまた後ほど審議をさせていただくことにいたしまして、次に、今申し上げた国土計画というのは、本当に公共事業の総合プランなのかどうかというところをもう一回ここで明らかにしておいた方がいいんじゃないかと思います。

 先ほど来、五十嵐先生は、この総合開発計画が公共事業を主導してきたというお立場で発言しておられると思いますけれども、私は、ちょっと先ほどから申し上げているとおり、その乖離が激しくなっていくというプロセスにしか見えない。そして、その総合計画に言われている目標を達成するという上で、公共事業は本当にそういう役に立ったのかという点から、もう一回議論をする必要があるんじゃないかと思います。

 実は昨年、道路公団の民営化の議論の中で、こういう御証言をいただいているんですね。つまり、国土のうちの何%が高速道路で一時間以内にアクセスできないところなのか、そうしたらお答えは、国土の四分の一はまだ一時間でインターチェンジにアクセスできない国土ですよというお答えがあったんですよ。私はさらに、国土の状況はもうちょっと違う様相を呈しているんじゃないかと思ったので、重ねてお聞きをしました。国民のうち、何人が一時間で要するにアクセスできないのか。そうしたら、九四%の人は既に一時間の中に入っていると。残りの六%が一時間以上のところだ。むしろそういう人たちは、遅れているんではなくて、ある意味でいうと、とても地域特性を持った人ではないかとすら私には思えてしまうわけですけれども。

 そういう意味で、いまだに機械的に、毎十年ごとに二千キロを高速道路に投資していくというような公共事業の推進計画というのは、国土計画の理念から反しているんじゃないかとすら私は思ってしまいます。

 そんなことも含めて、森地先生、私が考えていることは間違っているでしょうか。

森地参考人 まず抽象的なことから言いますと、ある都市をつくるときに、下水道の計画があり、道路の計画があり、公園の計画があり、学校施設の計画があるから都市計画は必要ないか、こういうふうに議論を展開すると、そうではなくて、やはり空間計画としての意味合いは非常に重要である、これは明らかでございます。そのときに、先生御指摘のように、国土計画と各社会資本計画がだんだん乖離していったのではないか、私もその感が強うございます。

 意味合いは、国の社会資本計画は、いろいろ議論しなくても、とにかく何をやってもそれが非常にいい効果を出した、そういう時期が約三十年、七〇年代の後半までございました。

 実は、先ほどから全総の評価についての御議論がいろいろございましたが、今から七、八年前に「社会資本の未来」というやはり同じような本をつくったときに、そのベースの勉強として、戦後の公共投資を分野別あるいは地域別、あるいはよく言われる産業オリエンテッドなものと生活オリエンテッドなもの、身の回りのものとそれからもう少し骨格的なものと、そのシナリオを違うように投資をしたら何が起こるかという膨大なシミュレーションを若い経済学者とか計画を専門にする人たちにやってもらったことがございます。

 私自身、非常にびっくりしたんです。もう奇跡としか思えなかったんですが、八〇年代の前までの計画で、違うシナリオをやって、現実に起こったことよりいいシナリオは見つかりませんでした。つまり、奇跡的に非常にうまく投資をしてきた。ただし、これは、効果が、所得ですとか格差ですとか、社会的構成と呼ばれる指標化可能なもので評価してございますので、美しさがどうだったかとか、もう少し違う指標でいうといろいろな議論がもちろんございます。ただ、そんなこともございました。

 ただし、不況対策としていろいろなことが行われたり、あるいは地域の再生のために、いわゆる公共事業オリエンテッドな、公共事業依存型の経済になったり、こういうところにいろいろな問題があったこともまた事実でございます。

 御質問の、公共事業と国土計画の関係についてどうかと言われると、私自身は、社会資本の計画と国土計画はたて糸とよこ糸の関係で、それを重ねていく。しかも、かつてのように何でもつくっていけば効果が出るというものではなくて、やはり集中と選択で、しかも、つくることが目的ではなくて、地域をどうするか、生活をどうするかということが目的でございますので、そこと、たて糸とよこ糸があって初めて答えが出る。

 ただし、高速道路のお話のようなことを言いますと、例えば九州。先生が昔いらした九州の面積はオランダと同じでございますが、仮に、あそこで意思決定したときに、本当に東側のラインに高速道路は要らない、それはむだだ、こういう議論があるんだろうか。あるいは北海道で、北見だとか釧路だとか、こういうところが、物流がみんな苫小牧に行って釧路港が使えないという構図が本当にいいんだろうかといったときに、人口があと六%だから、あとはむだでという議論ではなくて、それぞれの地域で当然必要だというところは、ちょっと先生と僕は感覚が違っているかもわかりません。

 多分、それぞれの地域でプランニングをしてみて、限られた財源があったとしたらそれを何に使っていこうか、こういう意思決定をしたらおのずから答えが出てくるんだろうと思います。

五十嵐参考人 全国総合開発計画とは何であったかということでありますけれども、確かに、社会資本整備計画を含む、いわばソフトの部分を含めた全体的な計画、それをたて糸とよこ糸と言ってもいいと思いますけれども、仮にたて糸を公共事業としますと、公共事業だけが突出したというのが私の認識です。

 これはおっしゃるとおり、三全総の定住圏構想を含むあのときに、従来の五カ年計画を含む公共事業の理論が修正される、あるいは計画が修正されればよかったんですけれども、これがほとんど修正されないままに、しかも四全総、五全総になりまして、特に五全総の最中のバブル崩壊以降に公共事業に重点的に投資されまして、非常にハードの部分だけ目立ってきたということです。これが第一点ですね。

 第二点は、今までつくられた全国総合開発計画に基づいて、この突出した公共事業について修正が可能かというふうに見ていただくと、ほとんど、抽象的には美しいとかをとれば別ですけれども、具体的な計画のレベルで、全国総合開発計画の論理から公共事業を修正する論理は出てまいりません。

 例えば道路でいいますと、今一時間以内にインターチェンジにおきまして到達できる距離は、空間的にも四分の一がまだできていないといいますけれども、実際上、人口的に見ると本当に九十何%の人が一時間以内に到達できるようになっています。

 本当ならば、価値観の相違もありますけれども、本当に莫大な投資額をして、一〇〇%の人が全部一時間以内に到達できなきゃいけないかという議論をしなきゃいけないと思うんです。地域によっては、先ほど言いましたように、これはいい悪いは別にして言葉はちょっと激しい言い方で言っているんですけれども、やはり自然消滅する地域というのはたくさん出てきておりまして、この人たちが全部一時間以内に到達しなきゃいけないという、ある種のあしき平等だというふうに私は思っています。

 そういう地域はそういう地域の特性があって、それを強化する方向で考えなきゃいけないというふうに思うんですけれども、これが、全国総合開発計画の論理から修正するモメントは何も出てこないということです。逆に、継続するという方向にのみそれが働いてきたのではないかというふうに思っているんです。

 それで、今回の国土形成計画法に基づいて投資した公共事業について、これを修正するモメントがどこから出てくるんだろうかと見ますと、計画の策定スキーム、それからここに書いてある理念等々から見て、ほとんど修正の余地が出てこないだろうということです。お題目としていろいろなことが書かれますけれども、実際の事業官庁は、これに基づいて本当に計画を修正する、先ほどよりもっと極端に言いますと、一たん全部新しい法の理念に基づいて公共事業をやめて、必要な公共事業だけをもう一回取り出してみて、それがなぜ必要かを議論してみるというサンセット法の論理は全く働かない。

 多分、これはいずれ検証の機会を持ったらいいと思いますけれども、十年後に、この新しい計画がつくられて何と何が変わったかというと、具体的に道路、港湾、その他等々の公共事業を見ているとほとんど変わらないということになるんじゃないかというふうに思っております。

 その最大の欠点は、先ほどから何回も言っていますけれども、だれが議論するか、だれがつくるかということです。国会の皆さん方が法律上は全く決定に参加できないということが一つです。それから二番目には、住民の方も参加できない。この二つの致命的な欠陥が直されていないからだというふうに私は思っている、そういうことです。

若井委員 私は、この国土計画の前期の成果として、先ほどお話がありました、地域格差のある程度の是正が実現したというのは確かにそのとおりだと思います。ただし、ブロックの中の格差は拡大をしているというのも本当に今一番の大きな課題になっていると思います。

 先ほどのお話で申し上げますと、九州も北海道も、新幹線や高速道路はつながっていないけれども、先行してたくさんの空港がつくられているわけですね。それから、この十数年の間一貫して、例えばトラックの交通量は減っております。私は、それは不景気のせいではなくて、情報化という時代には余計なものはあっちこっち余計に動かさないで済む時代だと思いますので、そういうインフラの需要というのはこれまでに対して非常に落ちていくだろう。

 特に、これから五十年で、まあ二千万とか三千万とか言っていますけれども、本当のところは四千万か五千万、人口が減るだろうと思います。そうした中で、いよいよ長物の計画、高速道路やあるいは新幹線というようなものの整備の段階は二十世紀の話であって、これについては当然国の計画として日本列島に絵をかいておかなければいけなかったけれども、今課題なのは、先ほどからお話あるとおり、地域のブロックだと思います。私もそのとおりだと思います。

 それに対して、今回のこの国土形成計画は、建前上はこういう地域ブロックのことをクローズアップして言っておるんですが、条文を読みますと、この計画の決定権者は国土交通大臣だということになっている。都道府県はどういうふうに参加するのか、協議会の一メンバーだ。そして、市町村は意見を提案することができるとしか規定していないわけでして、単純に言えば、自立した地域が自分たちで自分たちの計画をつくれない、そういうふうに規定しているんですね。

 国は、要するに、もうこれまで国土全体としてやるべき基盤整備の仕事を一段落しているので、次は広域ブロックに入っていこうとしているのかとすら疑いたくなるような法律の構成になっている。そういう意味では逆行しているのではないかと私は思うわけですけれども、両先生、その点についてはどのようなお考えでしょうか。

森地参考人 先ほど言いました、この法律をつくる段階での制度設計の会議の場でも、それから私と同業だったり近い専門の、主として経済とか都市計画とか地域計画、あるいは交通の専門家と議論しまして大変おもしろいのは、あるいはびっくりするのは、地方の研究者たちは、それは地方では調整は不可能だから、もっと最終の意思決定を外の人ができる、調整をする、外の人がやるべきだ、こういう主張をする人が圧倒的に多いです。ところが、東京に住んでいる学者たちは、地方分権の時代にそれはけしからぬ、こういう議論をすることが多いです。これは事実でございます。

 何を考えていけばいいかというと、結局、今の行政体をまたがって意思決定をするときに、どのレベルまでなら割合ノーマルに、あるいは妥当に意思決定ができ、どういうときには絶対のとり合いになって譲らないというようなことが起こるか、こういう問題かと思います。

 若井先生がいらした九州で、かつて国際空港の機能を一空港だけすごく強化しようという議論がございました。これは将来を向いて当然出てきた議論ではないかと思います。福岡空港にヨーロッパ便が飛んだりアメリカ便が飛んでは、お客が少なかったからといって撤退をする、こういう時期でございました。もう間もなくそういうレベルのことが起こるだろう。

 では、どう対応しようかといった途端に、各県の知事さんたちが集まって、最終的にみんなが意思決定をできるような別のチームをつくって、そこに検討を依頼しました。結論が出ました。結論が出たら、ある知事さんが拒否をされて、すべてそこでまたもとに戻ってしまいました。そんなことが起こりますし、最終的にだれがだれのために意思決定をしていくのかというこの問題を、ではどうやって解けばいいか、こういうことかと思います。

 今のスタイルは、国が最終的に決定するといって、では強引に決定するというふうには私自身は解釈しておりませんで、その中で可能な限り調整していこう、こういうことではないかと思います。もっときついルールの仕方は、この期間に意思決定ができなかったら、もうそれでギブアップして、だれかが決めますよというような、そういう制度をとっている国すらございます。

 したがって、そこまで極端なことをやらないで、何とか調整をして決めていくけれども、どうしても決まらないときに最終的な意思決定がこうなるというのはやむを得ない格好かと思います。

 それからもう一つは、そのときにどの細かさのところまで決めてしまうのか、こういうことがもう一つでございます。

 計画論でございますから、当然、例えばこの国土計画の中ですべての、どこに港で、どの道路は何車線でというようなところまで決めたら、一遍に決まって整合性があっていいじゃないか、こういうことを言う机上の空論もございますが、現実には、その勉強をだれがし、その間のシナリオをだれがつくり、利害調整をどうやってやり、詳細に順序を決定していくようなプロセスをどう管理していくのかというようなことを考えますと、そう全部のことを一回の場でばさっと決めるというのは不可能で、非常に効率が悪くなります。

 したがって、ある階層で意思決定をしていくということになりますので、恐らく、この議論が始まったときに、広域計画はどのレベルまでやっていくのか、国の計画はどのレベルまで意思決定をしていくのか、そこの議論が大変重要であって、計画のルールを決めたところの問題で、そこのことをルールとして全部決めていくよりは、むしろ、今申しましたように、それ自身が計画の内容だ、こういうふうに理解した方が計画論としては正しい、こういうふうに理解をしてございます。

五十嵐参考人 これまでの新全総から五全総まで、基調になっていたのが東京一極集中を是正するということであります。これは四全総、五全総でも強く打ち出されておりまして、そういう計画には一応なっておりますけれども、現実にはますます一極集中が加速しております。今日もいよいよますます加速するんじゃないかと思います。

 その場合、加速したときどうするかというと、今までのロジックでいいますと、まさに地方が東京に頼らなくても生きられるように社会資本をつくりましょうということでありまして、だから空港をつくり、道路をつくってきたわけですね。しかし、今、どこかでその議論が食い違っておりまして、つくればつくるほど東京一極集中が進むということになってきたんだろうと思います。

 私自身は、これに対応する方法としては、地域格差は悪いことではなくて、格差というのは、便利さとか効率性だけを見ると格差がありますけれども、自然とともに生活するとかいろいろな方法でいいますと、環境のいいところで生活するとかいいますと、これは個性だというふうにとらえるべきだと思っておりまして、その個性を主張する地域については、全国的な、それこそ国が音頭をとった公共事業をストップするというのがまず前提だと思っているんです。

 ここが問題でありまして、実は、地方自治体がそういうことを体現した組織でありまた決定機構であればいいのですけれども、従来のところ、今までの長年の、何十年かの経験が積もり積もっておりまして、地方自治体の首長さんとか議会というのは住民とかなり意思が乖離していることがございます。最近、公共事業に関して住民投票が行われるのは、まさに地方自治体の首長さんと議会と、さらに住民との意見が違っているということで、住民投票等が選ばれるようになってきたということです。

 その住民投票の現場に行ってみますと、やはり、例えば吉野川でいいますと、吉野川は洪水の危険よりも美しい吉野川でいてほしいということを言っておりまして、この意思がどのように計画論に反映されるかといいますと、理論的にはみんなそういうことは必要だということを言いますけれども、現実には、今まで一度も住民投票について道を開いた計画論というのは策定されませんでした。むしろ、吉野川の住民投票の結果などを見ますと、当時の建設大臣などは民主主義の誤作動みたいに言っておりまして、とにかくダムをつくることは正しいということをずっと言ってきたわけですね。

 そういうことが、いわばパラダイムの転換がこの国土形成計画法の中で見られるかということが問題で、やはりない。若井先生が言っているとおりでありまして、中止があり得るという選択肢がどこかで見えないと、これは、従来の総合開発計画に基づく総合開発方法をそのまま論理的にも実態的にも延長するだけではないかというふうに私は思っています。

若井委員 時間が来ましたが、要するに、三全総以後、実はもう地方のブロックの問題だということはコンセンサスになっている。それで、先ほど森地先生がおっしゃったように、地域がまだそこまで熟していないという議論はありますけれども、それをいつ、どのような形で具体化できるかということを決めることが国土形成計画の一番の私はねらいだと思うんです。そのためには、計画の決定権者が国土交通大臣であるということは、もうこの法律が欠陥法であるということの一番の根拠だと私は考えております。

 そのような立場で、さらにこの法律の審議に当たってまいりたいと思います。また、今後とも御指導よろしくお願いいたします。

 質問を終わります。

橘委員長 谷口隆義君。

谷口委員 おはようございます。公明党の谷口隆義でございます。

 きょうは、森地先生、五十嵐先生、御多用な中、出席を賜りましてありがとうございます。

 私の方は、新しい国土形成計画案の中で、国の国土計画のあり方についてお伺いをいたしたいと思うわけでございます。

 今までのこの全総計画、経済成長を支えるための列島改造計画と言えるような部分があったわけでありますけれども、その一定の効果はあったと評価をいたしておりますけれども、一方で、本来、国土計画は国家百年の大計として保全を基本に考えるべきである。今までの全総計画は、そういう意味では十年先、二十年先程度しか見てこなかったということで、また一方で、国土を経済成長の手段として見てきたというところがあるわけで、そういうところもあり、今回のこの法案に至るということになったんだろうと思うわけでございます。

 また、全総の考え方の基調にございました国と地方との間の国土の均衡ある発展ということも、ほぼ格差が是正をされた中で、今現在起こっておる問題は、国家の中の財政の悪化だというような問題だとか、少子高齢化だとか、また、先ほど森地先生のお話の中にもございましたけれども、大変厳しい国際競争の状況があるわけでありますけれども、そういう状況の中でお伺いをいたしたいと思います。

 国のあるべき姿を考えた場合に、先日、今いらっしゃいませんけれども、自民党の森田先生の質問にあったわけでありますけれども、従来、二眼レフ構想という考え方がございまして、関東と関西のこの二眼で国の全体の活性化を図っていくというような考え方があったわけでありますけれども、その後、交通網の状況だとか、先ほどの五十嵐先生のお話のように、東京の一極集中がより一層進んでおるというような状況もありまして、この考え方が最近非常に薄れてきたわけであります。

 しかし、私は、一方で大変心配しておることがありまして、それは、国家の中のバックアップというような考え方が一体どのような議論がなされてきたのかということであります。

 経済の拠点が、我が国の中に、西日本、東日本の中に中心があるというようなことは、経済の局面から見たところであります、行政の局面のところもあるんだろうと思いますけれども。しかし、今心配をされておるのは、一つは、関東大震災というのがあったわけでありますけれども、その震災がかなりの確率で起こるのではないかということが危惧をされておりますし、また、テロの危険性もあって、国民保護法制といったような法律の制定もあったわけでございます。

 そんな状況の中で、仮にこの東京で、行政の中心、経済の中心の東京で、自然災害であるとか、また大変に心配されるテロが起こったといったようなことになりますと、我が国全体が大きな混乱を生じるわけであります。かつて関東大震災の折には、経済がもう大混乱の中で、震災手形というものを発行し、この割引をめぐって、その後大恐慌に突き進んでいくといったようなことがありました。

 そういう考え方からいたしますと、そういう見方からしますと、やはり、関東また関西という、バックアップという観点からの二つの大きな経済圏また行政の中心地があるということが望ましいのではないかと私は思うわけでございます。

 まず初めに森地参考人に、このバックアップという観点でのお考えをお聞きいたしたいと思います。

森地参考人 二眼レフ構造が妥当かどうか、それからバックアップが必要かどうか、この辺については、バックアップの話、あるいは首都直下の地震にどう対応するか、今、中央防災会議でその議論をしている途中でございまして、私もそのメンバーの一人でございます。

 バックアップが、では大都市で、大阪、近畿圏が東京のかわりにそうするのかというものが一カ所あって、それがバックアップする、そういうものなのか、あるいは、こういうものについてはどこどこの地域がバックアップするかというのは、この設計思想の問題かと思います。したがって、必ずしも、地震があるからもう一つ首都が要るかという、昔、第二首都論というのがございましたが、そういうことではないかもわかりません、と私は思っております。

 それから、地方ブロック圏の話については、もっといろいろな意味合いがあって、極めて住民に近いところで意思決定しようとすると、非常に小さな単位、町内会ぐらいだと直接議論ができます。しかしながら、それでいろいろな集積がとれるか、先ほど申しましたが、いろいろな要件を満たせるかというようなことになりますと、ある一定の大きさが必要だろう。今、何とか地方とかと言っているよりもう少し大きい方がいいかなという印象を私自身は持っております。これについてはいろいろ議論があるところでございます。さっきの要件から見ると、もうちょっと大きくした方がいいかなと。

 しかも、それは、例えばその中にある非常に中山間地、そこに住んでいる人たちをもう安楽死だからとほっておいていいかというと、決してそうではなくて、そこにはそれなりのバックアップが当然必要でございますが、そのバックアップの、その地域の中で何とかできるぐらいの規模を持っているというのが自立という意味ではないか、こんなことを思いますので、もう少し二眼レフよりは多い格好かなと。

 それから、あと一つは、では国がそういう地方の計画にどう関与するべきかというときに、当然、国家としてどういう方針を出すのか、指針性をどう持ち得るのかという問題がございます。

 それから、インセンティブを与える。今までの国の地方に与えるインセンティブの主たるものはお金であったわけですが、実は、それについてはいろいろな議論もあって、単なるお金ではなくて、あるいは割合公平なお金ではなくて、むしろインセンティブが働くような格好でいろいろな補助制度も変えていった方がいいんじゃないか、こんな議論が海外でも現実に起こってきてございます。健全な地方間競争をうまく引っ張り出してきて、地方がよりいろいろな努力をしたり工夫をするようなその枠組みをうまくつくる、そういう役割がある。つまり、行き先を決めるのではなくて、そういうインセンティブを与える、そういう行動を盛んにやるように与える、これも重要な国の役割だろうと思います。

 具体的には公共事業も一つの手段にすぎなくて、むしろそのときの制度設計ですとか、あるいは意思決定の枠組みをどう決めていくとか、いろいろなバックアップシステムがある。これは国とのかかわりで、最初から二つ、二眼レフをつくって助けるというよりは、もうちょっと何か計画の中身に入ったときに議論があろうか、そんな考えでございます。

谷口委員 同じく、ちょっと時間が、私、十五分で、もうないわけですので短くお話しをいただきたいんですが、五十嵐参考人、今私が申し上げたことについての御答弁をお願いしたいと思います。

五十嵐参考人 先ほど国が音頭をとるということについて割と否定的な意見を述べましたけれども、一つだけ国が絶対に音頭をとらなきゃいけない分野があります。それは、災害を含めた危機管理だと私は思っております。危機管理の中には人為的な危機管理もありますし、自然災害的な危機管理もありますけれども、これについては日本は極めて弱いというふうに思っています。

 国土計画論の中で、仮に関東大震災的な大きな直下型地震が首都東京に発生した場合どういうことになるかとか、あるいは人工的な危機であるテロが発生した場合どうなるかについて、私どもの範囲内でシミュレーションをしてみました。

 東京でいいますと、極めて脆弱であります。恐らく、エネルギーとか食料とかあるいは避難計画は、ほとんどパニック状態になるだろうということで、多分もう耐えられないのではないか、私はここについては非常に悲観的な意見を持っています。これがなぜこういうふうになったかというのは、やはり効率性とか便利さを非常に追い求めた結果がこういうことになったのではないかと思っていますけれども、それはちょっと別にしまして、それでもやるとすればどういうことかということがありまして、一つは、もちろん、首都の機能をいろいろ分散するということであります。

 ただ、この関係からいいますと、例えば今度の国土形成計画で首都移転などというのをどうするのか。ほとんど幻のようになっていますけれども、法律もあって、あるところまで決議しているんですけれども、何か雲散霧消になっているように外から見ると見えますけれども、これらをどう扱うのかが見えてまいりません。

 私自身は、ある種の場所を決めていわば三権をそこに集中して移動するよりは、前から言っているように、一番重要なことは分権と自立だと思います。首都一極集中を防ぎ、かつ有事を含む災害に強い都市というのは、それぞれの地域が自立して決定できることだと思います。

 国土形成計画法なるものがもしあるとすれば、その危機に対応できるシステムを本気で考えること、これが国の固有の役割で非常に重要な役割だ、それに尽きるのかもしれないというふうに考えています。

谷口委員 今、両参考人からお話をお伺いしたわけでありますけれども、東京に一極集中しておりますので、経済はもう七割、八割、東京がつぶれちゃいますと経済がパンクしちゃうというところであります。ですから、五十嵐先生がおっしゃったような危機管理という観点が非常に重要で、これは経済も含めての危機管理でありまして、それを自然発生的に、いや、何とかこちらでバックアップできるだろうということではなくて、むしろ私は、健全な国土形成という観点では、国の力で経済の大きな集積地を複数持つということが一つ必要なんだろうと思うんです。

 それにつけ加えまして、最近はシステム社会でございます。民間の企業でありますと、大体、システムの中心地が、東京に企業があれば東京と大阪にまたバックアップを持っているわけですね。そのような考え方が民間一般にはあるわけですけれども、どうも国の方ではバックアップの考え方が非常に弱くて、私も財務省の副大臣をやっておりましたけれども、いろいろ見たところ、そういうような危機管理が十分でないのではないかということを感じるわけです。

 そういう観点で見たときに、今もう既に経済の集積地として関西が、国際空港もあり、私ちょっと、時間があればもう一問と思っておったんですけれども、余り時間がないものですから、例えばアジアの経済圏、今森地先生がおっしゃったように非常にこれは重要です。これからもう最後のマーケットだと言われておるところに我が国がどのようにかかわっていくのかというときに、いろいろ産業のかかわり方があるんだろうけれども、私は、一つはやはり金融のあり方、金融のないところに産業の活性はありません。この金融の拠点を我が国にやはりつくっていく必要があるんだろう。そのためには、国際空港があり、そういう集積、金融にかかわるものの集積が必要なんだろうし、また国際機関もそこに集積していく。

 例えば、ロンドンのシティーでは、大体半径二キロ以内に集積しているわけです。また、アイルランドのダブリンでは、ドックランドのところに金融センターができました。これを見ますと、三百金融機関、五百プロジェクトが今あるというような、これは国家的な事業なんですね。そういう観点も私は必要なんだろうというように思っておるわけでございます。

 質問の時間が参ったようでございますので、簡単で結構でございます、私が今申し上げたことについて両参考人にお伺いいたしたいと思います。

森地参考人 おっしゃるとおりで、例えば、フランスでEコマースの拠点をつくったわけです。ドーバー海峡を出てきた。ヨーロッパじゅうの拠点、九百社ぐらい、一、二年で集まりました。こういうふうにいろいろな集め方があります。そういうときに、大阪、近畿圏が非常にストックがございますから、今おっしゃったような例で言いますと、そのチャンスは物すごく多いだろう。私が今言ったようなことは、神戸ならできるんじゃないかということを神戸市の方に提案したことがございます。

 したがって、それぞれの地域がどういうことについての拠点性を持つのか、それ自身がこの計画の一番重要なポイントかと存じます。

五十嵐参考人 おっしゃっていることはよくわかります。

 問題は、だれがどこでそれを決めるかということだと思いますが、その点に関して、先ほどからの繰り返しでありますけれども、今回の法案と前回の法案との間では差異が見られない。したがって、今までのような決め方になって、うまくいかないのではないかと案じているということです。

谷口委員 では、時間が参りましたので、これで終わります。

橘委員長 吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝でございます。両先生には、きょう、お忙しいところ大変ありがとうございます。

 私は、まず、新しい法律に変えていくときに、これまでの全総に対する評価、反省、総括というのが出発点の一番大事なことだというふうに考えておりますので、最初にお二人の先生に伺っておきたいことは、まず、これまで国土計画の中では、東京一極集中とともに国土幹線を考えて、同時に、コンビナートの配置だとか、あるいはその背後地としての新しい大規模ニュータウンをつくっていくとか、これは六〇年代からずっと進められてまいりましたけれども、やはりこのときに大型公共事業の発想というものが非常に強くて、地域の研究とか地域の声というものがよく入っていないということが矛盾を生み出したのではないか、ここは今よく吟味しなければならないところじゃないかと思っております。

 一例を挙げますとコンビナートがそうですが、これは、その地域の地域経済なり地域産業と余り連関性を持たないもの、素材供給型産業を大都市部に持ってくる。その結果どうなったかといいますと、このコンビナートと地域経済とばらばらなものですから、地域の発展にとっても余りプラスにならないまま、結局、素材供給の場合ですと、コストを下げるために、大阪のコンビナートから九州の方のコンビナートに移っていく。しかし、それがやがて海外の方へ移るものですから、広大な空地ができてくる、空洞化してしまうという問題がありましたし、同時に公害という環境問題が生まれました。

 ですから、いわば植民地型コンビナートとでもいうべきものですね、そういうものにならない、そこはやはり地域の研究とか地域の声をどう取り入れるかということなしには、先を見通したり地域とうまくなじんだものにならないというのが総括の中で必要になってくるんじゃないかと思うんですが、この厳しい総括が必要じゃないかという点について、両先生から伺いたいと思います。

森地参考人 総括については、毎回の計画の中でレビューをされ、いろいろな議論が出てきていたと理解しております。

 一全総、二全総がコンビナートとかあるいは東海道軸だとか、あるいは三全総で、もっと生活圏の中に着目しましょう、流域圏とか生活圏。四全総で、少し狭いところに行って、長期的な計画が足りないのではないかとか、もう少しブロック単位ぐらいのことを議論するべきじゃないか、社会資本ABC論なんという議論が当時ございました。それから、直近のものでは、美しい国土。

 こういうように、中身がそれぞれ変わってきていて、これについてはたくさん本も出ていると思っております。あるいは、議論もされていると思っております。当然、国土計画の、社会資本をどうするかとかという投資対象としての意味合いは、一全総、二全総までが非常にそれが強くて、その後は、国全体の方向転換をどうしようかという議論の方がむしろ重要な意味合いを持っていたと理解してございます。

 それから、その段階で住民が、人々がどれぐらいコミットしたかということについては、先ほど申しましたが、日本は欧米から比べると参加の度合いが、住民参加、外国ではパブリックでございますから、必ずしも住んでいる人だけじゃない、いろいろな人がそれに参画するということがややおくれました。昭和四十年代の半ばに、都市計画法の中にそれが初めて入ったわけでございます。その後、この十年ぐらいはそっちにずっとシフトしてきていて、政策が、単なる参加だけではなくて、社会実験ですとか情報公開ですとかあるいはパブリックコメントのやり方ですとか、いろいろな格好で来ていますので、この新しい計画をつくるときにも、当然そういうのはもっと進んだ形で入ってくるだろうと理解をしてございます。

 ただ、問題は、参加するというのは、計画づくりに参加して意見を言うだけではなくて、むしろ、政府あるいは自治体だけではなくて、いろいろな人たちが地域づくりにどれぐらい具体的に努力をするか、ここが全く今までと違う重要なポイントかと私は思っております。意見を言ってもらったり計画に参画してもらうのは、むしろ、そちらのことにどれぐらい理解をいただき、ある方向性を向いていただけるかというところに意味がある、こういうふうに思っております。

五十嵐参考人 もちろん、総括といいますか、現代風な言葉での評価は絶対に必要です。そうでなければ、今後に進むことはできないと思います。

 それで、今回の法案を含めて、そういう評価を政府自身はしてきたかどうか。もっと具体的に言いますと、国土交通大臣あるいは国土審議会はしてきたかどうかといいますと、国民の目の前に非常にわかるやり方というのは、この事業についてはこうこうこういう理由でやめる、これまでの事業についてはこうこうこういう理由で促進するというようなことが、めり張りが見えることが評価をしたということだと私は思います。

 しかし、一々名前は挙げませんけれども、例えば整備新幹線あるいは道路などについて、政府の方からやめたという話は一つも聞いておりません。それから、港湾等々その他についても、政府の方からみずからやめたということは一つも聞いておりません。聞いておりませんので、今後もそれをそのまま続行するんじゃないかというふうに思います。結果的に見て、従来の事業や計画について、おっしゃる意味での評価をしたとは到底思えないということです。したがって、新しい法案でも、このまま事業計画は全部、言葉はいろいろ変わっても、具体的中身はそのまま続行されるのではないかというふうに思います。

 問題は、それがないということがわかりながら、なぜ直す方法を一体この法案で決めないのだろうか。とにかく、先生方、皆さんは何で閣議とか大臣に全部任せちゃって国会で議論しないのかというのが、私は今でも全く理解できないということです。

吉井委員 今の五十嵐参考人の御発言にもう少しかかわって、もう一問伺っておきたいんですけれども、選択と集中とか重点化という、言葉は時代とともにいろいろ出てくるんですが、法律を変えても、それが新たな理由づけになって、巨大開発、公共事業が継続されていくということになると、これは総括の上に立つ新しいものへの転換ということにならないんじゃないかと思うんですが、この点、いかがでしょうか。

五十嵐参考人 この間、たまたま諫早湾の干拓をめぐる福岡高裁の決定というのが出ました。その中でも、明らかに、諫早湾干拓事業については費用対効果が合わないということを裁判所は認めております。しかし、国会での議論やその他の報道を見ますと、あれはますます干拓事業を最後まで進めるべきだという議論になっておりまして、結論は住民からいえば却下決定なんですけれども、中では費用対効果に全く合わないということを裁判所も言っているんです。そういうことをちゃんと認めていくというのが評価だと思うんですけれども、それが認められない、今後も認めないだろうということが具体的に実証されているということです。

吉井委員 次に、両先生に伺っておきたいんですが、全国計画は閣議決定、そして広域地方計画は国交大臣、こういうふうになってくると、結局、地方住民はどうかかわってくるのか。

 けさほど来お話も伺いましたが、地方分権と一方で言いながら、実は地方分権というより、やはり形を変えたトップダウンになってくる形ではないか。本当に新しい法律を考えるとなれば、そこのところを切りかえないとこれは従来型ということになるのではないかと思うんですが、両先生から伺いたいと思います。

森地参考人 極めて単純な例を申し上げたいと思います。

 各県が、あるプロジェクト、計画やプロジェクトだけではございません、例えば国際空港を持ちたい、こういう議論をしたときに、その計画をつくる広域地方計画の事務局に各県の人が来ていたとします。そのときに、その事務局の方は、県議会で決まったこと、知事さんが思っていることと違って、調整をして、では私は向こうに譲りますなんということは言えっこないわけです。これは一つの例でございます。

 意思決定はだれがやるかという問題、あるいはそのプロセスはどうやってやっていくのかということをきちっと考えて、こういう制度設計はする必要があろうかと思います。みんな知事さんが集まって広域計画を決めればいいという、何か総論としてそういう議論が出てまいります。では最終的に、その意見が分かれたとき一体どうするのか、こういうことを考えますと、だれかが最終的にそこについて意思決定ができるというルールを持っていない限りは、実態の社会的な意思決定のシステムとしては成立しないわけでございます。

 こういうことを考えたときに、そういうのが最終的な意思決定だから、独裁であって住民と無関係な意思決定、そういう話ではなくて、計画のプロセスとしてどういう仕組みをつくっておくのが一番妥当なのか、こういうふうなことを考えましたときに、こういうやり方がいいのではないか、私自身はそう思っております。

五十嵐参考人 だれが決めるかというときに、なぜ国土交通大臣なんでしょうか。なぜ主権者である国民じゃないんでしょうか。それが私にはわからないんです。国土交通大臣が決めることにして成功したらいいんですけれども、今までは、一全総から五全総までことごとく成功しなかったという事実があって、なお国土交通大臣にしているということが私にはわからない。主権者である国民に戻すべきです。

 とりあえず、しかし主権者が全員集まって決めるわけにいきませんので、国会で決めるべきなんだと思うんです。国会の意思に反したら、即国民投票で国民の意見を聞くべきだというふうに私は思います。

吉井委員 もともと地方自治というのは住民自治の上に立つ団体自治ですから、やはり一番その根底にある住民自治、住民参加、住民の声がどう届くかという、それをどう上げていくかということが一番大事で、この点では、戦後のドイツの空間整備計画のように、やはり中央政府レベルの計画というのは基本的な指針の条項にとどめておいて、計画の基本ベースは住民の生活領域に最も近い地区詳細計画に置いて、住民が地域住民主権を発揮してみずから策定し、実際に参加するというボトムアップ型の計画体系に日本もやはり変えていかないといけないのではないか。

 その点では、今度の法案とドイツの進めているようなやり方とは随分違いがあるんじゃないかと思うんですが、この点について伺いたいと思います。

森地参考人 具体的な制度を、フランス、ドイツ、日本、こうやって比べて勉強したことがございます。それぞれの国情にあって違いがございます。

 例えばドイツでいいますと、住民があることに反対したときに、一定量が賛成したらもう事業は遂行してしまう、あとは金銭補償をする、それからゆっくり裁判所でやっている、こういうやり方をとっている。フランスの場合は、そういうときに第三者を置いて、事業役所と住民の言い分を聞いて、それが公正に意見交換がなされていて、公正に意思決定がなされているかということを審判する。そういう組織を別途持っていて、この組織は、事業官庁の大臣なら大臣なりにそれに対して勧告を出す、しかしながら最終意思決定者は事業大臣だ、こんな制度を持っているところがございます。

 それぞれ、その国情にあって、あるいは今までの住民参加の仕組みがどうだったかというのに応じて制度が行われておりますから、それぞれの国が違うのは当然でございます。

 では、今この国で、おっしゃるように、すべての国民が参画できてというのが理想ではございますが、そういう格好でやっていったときに、例えば、同じ市の中で、市議会で集中的にやればいいのに、いろいろなところにばらまきが起こったりというようなことは往々にして起こるわけでございまして、意思決定がどういう格好でやれば一番うまくいくか、こういうことが重要でございます。

 この法律の中で最終的に非常に重要なのは、モニタリングという項目が入ってございます。計画のレビューじゃなくて、国土の状況を常にモニタリングして、それを情報公開していく、それによって、人々がここはおかしいじゃないかということをすぐ判断できるような仕組みをこの中に埋め込んでいる、ここは大変重要なポイントかと思っております。

五十嵐参考人 おっしゃるとおり、世界各国それぞれのやり方がありますけれども、それを全体的に見て、裁判所が余りこういうことについて機能しないということを含めまして、今の新しい法律でも、日本は世界でも飛び抜けて中央集権官僚制の強いシステムだと私は思っています。

吉井委員 時間が参りました。どうもありがとうございました。

橘委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人の方々に一言申し上げます。

 本日は、貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時八分散会


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