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第9号 平成14年5月22日(水曜日)

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平成十四年五月二十二日(水曜日)
    午後二時一分開議
 出席委員
   委員長 瓦   力君
   理事 衛藤征士郎君 理事 金子 一義君
   理事 久間 章生君 理事 米田 建三君
      石破  茂君    岩永 峯一君
      岩屋  毅君    大野 松茂君
      嘉数 知賢君    熊谷 市雄君
      小泉 龍司君    近藤 基彦君
      斉藤斗志二君    桜田 義孝君
      田中 和徳君    中山 利生君
      西川 京子君    浜田 靖一君
      林 省之介君    増田 敏男君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      上田  勇君    白保 台一君
      田端 正広君    井上 喜一君
      宇田川芳雄君
    …………………………………
   参考人
   (元防衛事務次官)    秋山 昌廣君
   衆議院調査局武力攻撃事態
   への対処に関する特別調査
   室長           鈴木 明夫君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月二十二日
 辞任         補欠選任
  小島 敏男君     小泉 龍司君
同日
 辞任         補欠選任
  小泉 龍司君     小島 敏男君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 安全保障会議設置法の一部を改正する法律案(内閣提出第八七号)
 武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案(内閣提出第八八号)
 自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第八九号)


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     ――――◇―――――
瓦委員長 これより会議を開きます。
 開会に先立ちまして、所属委員に対し、事務局をして御出席を要請いたさせましたが、御出席が得られません。
 再度理事をして御出席を要請いたさせますので、しばらくお待ちください。
 速記をとめてください。
    〔速記中止〕
瓦委員長 速記を起こしてください。
 理事をして再度御出席を要請いたさせましたが、民主党・無所属クラブ、自由党、日本共産党及び社会民主党・市民連合所属委員の御出席が得られません。やむを得ず議事を進めます。
 内閣提出、安全保障会議設置法の一部を改正する法律案、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案及び自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。
 本日は、参考人として元防衛事務次官秋山昌廣君に御出席を願っております。
 秋山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 これより秋山参考人に対して質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。久間章生君。
久間委員 秋山参考人におかれましては、本当にお忙しい中に当委員会に御出席賜りまして、ありがとうございます。
 実は、これも、武力対処法案の審議をやっております過程で、委員の中から突如として、秋山参考人がハーバード大学に留学しておられた当時の資金が台湾当局から出ておったんだというような発言がございました。
 これに対しては、その後、ほかの委員から、防衛庁の官房長等にどういう経緯なのかということの問い合わせ等もございましたし、また、当該発言をされた委員の所属する会派からは、理事会で協議していただきたいという話がございまして、参考人としてぜひ出席を求めるという、そういう話があったわけであります。
 しかしながら、ほとんどの委員の中からは、あるいは理事の中からは、これは官房長の答弁で大体要領は得ておるので参考人としての招致はする必要はないという意見が大半でございましたけれども、秋山参考人の話を聞いてこの問題についてきちんとしないと法案の審議に入らないという、そういうような話がございましたために、法案の審議をするために、やむを得ず参考人として来ていただこうと。
 それと同時に、また、秋山参考人も、この場できちっと話をしていただいた方が、何か、さも疑惑があるかのようなことを言われると大変御迷惑もかかるということで、最終的には当委員会において秋山参考人を招致するということを決定していただいて、きょうのこの委員会の質疑になったわけであります。
 しかしながら、残念なことに、秋山参考人の招致を非常に強く望んでおられた会派の方々が出席しておられないというのは大変腑に落ちない点もございますけれども、せっかくお越しいただきましたので、これまで議論のありましたことについて、これを機会にお尋ねをいたしたいと思っております。
 まず、ハーバード大学に行かれた経緯等をお尋ねいたしたいと思います。
 防衛次官をやめられましてから、学究肌のあなたは、いろいろな研究をすべく、客員教授として招請のありましたハーバード大学に行かれたわけでございますけれども、ハーバード大学を選ばれた経緯等について、もし差し支えなかったら御報告していただきたいと思います。
秋山参考人 私は、一九九八年の十一月に防衛庁を辞しました。その直後から、ハーバード大学のケネディ・スクールの学長をしておりますジョセフ・ナイ博士、それから同大学のアジアセンターの所長をしておりましたエズラ・ボーゲル博士、いずれも私が防衛庁で仕事をしているときに、ジョセフ・ナイは国防総省で国防次官補、エズラ・ボーゲルもそれに協力をして仕事をするということでございましたので、仕事の上での関係があった御両者でございますが、両博士から、退官後ハーバード大学で安全保障の研究活動をしないかというお招きをいただきました。私は、翌年の一月に米国に参る機会がございまして、両博士にお目にかかって、いろいろお話をしました。そこで私も渡米を決断いたしました。
 その後、大学といろいろ打ち合わせをいたしました後、一九九九年の四月から、ケネディ・スクールとアジアセンターに所属する形で客員研究員として研究活動を始めました。研究活動は約二年三カ月に及びましたが、昨年帰国したということでございます。
久間委員 あなたがハーバード大学に客員教授として行っておられたときに、向こうでの滞在に要する、例えば部屋の提供その他いろいろな便宜を大学側は図ってくれたと思います、また、研究活動費等についても出してくれたと思いますけれども、おおよそどのような内容のハーバード大学からあなたの方に提供があったのか、もし差し支えなかったら、わかっている範囲で教えていただきたいと思います。
秋山参考人 先ほど申し上げましたように、一九九九年の一月、二月ごろから大学側と調整をいたしたわけでございますけれども、四月からの研究活動に当たって、大学側から、宿舎の提供とそれからオフィスの提供、そして研究活動経費の一部の支援というものをしていただくことになりました。私が実際に研究費として大学からいただいたお金は、全部で、私の記憶するところ、七千数百ドルであったかと思います。
 なお、私自身は、大学がこれをどのように資金手当てするのかということについては、関知するあるいは関与する立場でなかったということを申し上げたいと思います。
久間委員 私どもも、ハーバード大学というところは、いわゆるフェローシップ制度をとっており、大学は各民間企業あるいは世界の各国のいろいろなところから資金を集めて大学の運営をしている、そういう中から、客員教授に対して不動産の提供といいますか宿舎の提供をしたり、今言う研究費を支給したり、そういうこともやっているというふうに、そういうことは存じ上げておるわけでございますけれども、あなた自身、そういうフェローシップについてどの程度御存じなのか、もし御存じでしたら教えていただきたいと思います。
秋山参考人 ハーバード大学にもいろいろなフェローシップの制度があるということは私も知っておりましたが、私は、行く前の調整で、大学側のフェローシップには、既存のフェローシップには乗らない、しかし、何らかの資金手当てをするので、宿舎の提供、オフィスの提供等々をしていただけるという話がございました。したがいまして、私が行った後から宿舎もオフィスも提供を受けたわけでございますけれども、その後、大学が資金の集めをしているということは存じておりました。
 この件につきましては、最終的に、アメリカの大きな研究所の一つでございますCSIS、戦略国際問題研究所という研究所がハーバードの方に資金の提供をする、あるいはしたということを私も承知いたしておりました。
久間委員 先般の委員会における質疑の中で議論がされましたときに、私が腑に落ちなかったのは、その質疑者が、あたかも、あなたが在職中に台湾当局といろいろな意を通じてガイドラインの取りまとめその他に前進した、その事後のお礼にフェローシップに献金をして、それであなたが留学したかのような、そういう発言があっておりましたので、これはあなたの名誉のためにも、そういうことは一切なかった、そんなことは、在職当時も、そんな話は台湾当局から語りかけられたこともなければ、そういうこともなかったというのを、きちっとやはり何かの席で言われた方がいいんじゃないかと思っておりました。
 こういうせっかくの席であります。あなたが在職中に、台湾当局から、少なくとも日米のガイドラインに関して、さも何か働きかけがあって、それであなたが一生懸命動いたというようなことは、私は、当時私も在職しておっただけにわかるわけですけれども、やはりあなた自身も、そういうことがなかったというのをはっきりおっしゃっていただいた方がいいんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。
秋山参考人 私も、この三月以来、台湾その他アジアの各地域でいろいろと報道されたことについて、すべてではございませんけれども、読みあるいは人に聞いて、実は大変驚いた次第でございます。
 今御質問にございましたように、私、在職中に、いわゆる日米安全保障の再確認、あるいは再定義、あるいは周辺事態への対応、日米防衛協力の見直しといったような仕事をやってまいりましたけれども、報道されているような台湾からの何らかの働きかけがあったのかという点については、全くそんなことはなかったということを申し上げたいと思います。
 いろいろ書かれていることにつきまして私が持つ印象は、少なくとも私が当時認識しておりました北東アジアの安全保障情勢、特に日米、それから台湾と米国、あるいは日本と台湾、その関係の状況から判断いたしまして、とても信じられないようなことが書いてあるという印象を私は持っております。
 いずれにいたしましても、今御質問がございました点につきまして、私、台湾から何か働きかけがあったのか、何かその話をしたのかという点については、全くなかったということを申し上げたいと思います。
 それと、今の御質問に関係すると思いますけれども、やはり報道の一部に私は非常にある意味で驚きを持ったわけでございますが、先ほど申し上げましたように、私は、一九九八年の末から九九年の初めにかけてハーバード大学で研究活動をするという調整と決断をいたしたわけでございますが、このプロセスで台湾がどんな形であれ何か関与したのかということについては、全くなかったと、私の知り得る状況から判断いたしまして、全くそんなことはなかったというふうに、これはもう確信しております。
 ちなみに、その今報道されていることでございますけれども、その真偽のほどは私もわかりません。わかりませんけれども、今報道されていることは、大体一九九九年の末から二〇〇〇年の一月ないし二月のことが報道されているわけであります。私がハーバード大学に参りましたのは一年前。一年前の決定であるということを付言させていただきたいと思います。
 それから、私が訪米をする、あるいはハーバード大学で研究活動をするということについて、私が直接台湾と何か話し合ったことがあるのか、あるいはコンタクトをとったことがあるのかと、そういう点につきましては、後にも先にも全くないということを申し上げたいと思います。
 この米国への留学といいますか、研究活動の問題につきまして、もちろんその資金手当ての問題も含めてでございますけれども、私が台湾と何か話をしたのかということは、後にも先にも現在も全くございません。
 ただ、これは二〇〇〇年の二月だと思いますが、報道の中に、今秋山とコンタクトをとっているというくだりがあったように記憶いたしております。
 私は、一九九九年四月からハーバード大学で研究活動をしておりましたが、ほぼ毎月のごとく外国に研究活動の一環として旅行しておりました。二〇〇〇年も、一月にはインド、二月には韓国、三月にはサンフランシスコでの日米会議、そして四月に台湾を訪問しました。ついでに申し上げれば、五月に中国に行っております。
 私は、二〇〇〇年四月に台湾を訪問いたす計画を持っておりましたので、ちょうどその二カ月ぐらい前から台湾側と日程調整あるいは面会その他の調整を始めていた、そういう意味では、台湾側とコンタクトをとり始めていたというのは事実でございます。
久間委員 今のお答えでよくわかったわけでございますけれども、委員会で聞いておりましたときに、あなたが台湾の関係者と電話で話してありがとうと言ったというようなことから、さもそれがあなたに対して便宜を図ってくれたお礼としての電話だったんだというような、そういうような印象を強く与えるような質疑のやりとりだったわけであります。
 今の話を聞きますと、要するに、四月に台湾に訪問する予定があったので、その二カ月前にそういう段取りをしてくれた人と連絡をとり合ったときのその会話がそういう形で報道されたのかなと、そういうふうに思いましたけれども、今私が言ったような、そのとおりでありますか。
秋山参考人 報道そのものの真偽は私はわかりませんけれども、報道された、あるいはその新聞内容、これはたしか香港の新聞だったと思いますけれども、その新聞内容を読んだときに、率直に言って、巧みに書かれているなという気がいたしました。
 確かに、私は、二〇〇〇年の二月ごろから四月の台湾の訪問の日程について調整を始めておりますので、そういう意味で台湾側とコンタクトをとり始めております。しかし、繰り返し申し上げますけれども、私が訪米をするとか、私がハーバード大学で客員研究員をするその資金手当てといったような問題について、後にも先にも、またその二〇〇〇年の二月以降も、そして台湾を訪問したときも、現在も、一切そんな話は台湾側としたことはございません。
久間委員 それからもう一つ、この間のやはり委員会等で、あなたが今後大学を出られて民間人に、大学の客員教授も民間人でありますけれども、民間人で活動するときに、いわゆる台湾のロビイストとして日本国内でこれから活躍されるんだというようなことをお約束されたというふうな、そんな話がございましたので、私は、あなたがいかに日本と中国のためにも防衛交流を初めとして大変尽力してこられたか、また、それと同時に、しかし、台湾についても関心を持ってこられたか、それはわかりますけれども、台湾のロビイストとして活躍するかのような、そんな一方に偏ったような、そういうことをされる方ではないというふうに思っておりますだけに、何を言っているのかなと、そう思って聞いておりました。
 これも、そういうことはないと思いますけれども、こういう機会に、これから先の、あなたのいわゆる民間人としての活動においても、そのようなことではないということを、ぜひはっきりとおっしゃっていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
秋山参考人 私は、日本の安全保障、特に日米関係、そして日中関係、それから朝鮮半島、台湾問題を含む北東情勢に絡む安全保障の問題を考えたときに、実は私は、日本と台湾の間のコミュニケーションが非常に少ないということについて、率直に言って懸念を持っているものでございました。
 したがいまして、報道にもあったと思いますけれども、台湾の駐日代表部の代表者が私に面会を申し込んできたときに、これは防衛庁では幹部が会うのは初めてだったそうでございますけれども、私は、当時の政府の台湾政府当局者とのつき合いのルールに従いまして、外部で食事をともにするという格好でお会いをいたしましたが、私はそもそも、台湾と日本とのコミュニケーションが余りにも薄いという、そういう問題意識を持っておりました。したがいまして、役人をやめた後、そういうルールの適用がございませんので、台湾に旅行することもできましたし、私なりに、民間人として台湾とのコミュニケーションのパイプをつくる、意見交換をするということに、ある意義を持って、感じて仕事をしてまいりました。
 しかし、今御質問にあるように、台湾がどういうふうに私のことを思ったのか、それは私は全く判定することはできませんけれども、私自身は、そういう意味で、日本の安全保障、あるいは日米関係、日中関係、北東アジアの安全保障について、それなりに日本が役割を果たしていくためには、台湾とのコミュニケーションがより充実されなければならないという考えを持っていたわけでございまして、報道されるようなそういう視点で活動したということは全くございません。
久間委員 大変ありがたいことでありまして、国家公務員をやめられましてからも、やはり日本の安全保障の問題については絶えず関心を持ちながら、そういう中で、市井の人間としてもどういう役割を果たしたらいいかということを絶えず考えながら行動しておられるようでございまして、どうかひとつ、これから先もそのようにしていただきたいと思います。
 今おっしゃられましたように、確かに台湾は我が国との関係では非常に微妙な位置にありまして、中国の国家、国土の、領土の一部であるという中国の主張をやはり理解するというような、そういう形に置いておる関係上、なかなか政府の一員としては台湾に行きにくいという、そういうこともございますために、台湾の情報がなかなか我が国に入ってきにくい、本当に正確な情報が入ってきにくいというのも事実でございます。
 そういう意味では、秋山参考人が、これまでのいろいろな研究を踏まえながら、これから先も我が国の安全保障の問題について関心を持つ一環として、台湾のそういうような情報等、非常に入ってきやすいような、パイプの役割をしやすい立場に立たれておるということは私どもも大変心強い限りでございますけれども、また一方、台湾は台湾で、必死になって自分のパイプの強化を図る余りに、いろいろなまた宣伝もするかもしれません。どうかひとつ、そういうときに誤解の与えられることのないように、絶えずガードを固めながらやっていかないと、私たち知っている者については、全く今度のことはおかしい、そんな見方が見れば見るほどできるんだなというような、そういうふうに思いますけれども、どうかひとつ、これから先のあなたの御活躍を祈りながら、私の質疑を終わらせていただきます。
瓦委員長 白保台一君。
白保委員 公明党の白保台一でございます。
 秋山参考人には、大変お忙しい中をおいでいただきまして、御苦労さまでございます。
 初めに、台湾の新聞等による報道について確認をしたいと思いますが、三月二十一日付台湾誌、「壹週刊」というんでしょうか、李登輝元総統が、国家安全局機密予算を非合法に流用して対日・対米秘密外交等に充当しており、日米台間で明徳グループと呼ばれる組織が形成されている旨を報道しておりますが、参考人は明徳グループというのは御存じでしょうか。
秋山参考人 私は全く存じません。
白保委員 台湾の駐日代表と、台湾と日本の関係がこのような状況になってから初めて会見した日本の軍事関係高官、こういうふうに言われているわけでありますが、その事実がおありでしょうか。
 それと同時に、この事実があれば、目的と、また内容はいかがなものだったのか、お聞きしたいと思います。
秋山参考人 私が、台湾の駐日代表部の代表、所長というんでしょうか、林さんだったと思いますが、お目にかかったのは、一九九六年の一月であったと記憶いたします。したがいまして、台湾海峡の緊張事態が起こる前でございまして、もし報道が、こういう関係になったから会いに行ったんだと書いてあるんだとすれば、全くそれは誤りであります。
 私が台湾の駐日代表部の代表者とお目にかかったのは、先方から面会の申し入れがあったということと、私自身は、台湾と日本のコミュニケーションが極めて少ないことをある意味で懸念をしておりましたので、台湾の日本に駐在する代表者が面会を申し込んできたということでありますので、これはお受けしなければいけない。もちろん、いろいろルールがございましたので、オフィスの中では面会をいたしませんでした。結果的には外で食事をともにするという格好でお目にかかりましたが、食事をするということでもありましたので、どういう話、どういう目的でというのは、実は余り、もうほとんど記憶にありません。ただ、先方が面会を申し込んできたということと、私の印象は、先方はとにかく防衛庁の防衛局長と会うということに目的があったように印象としては残っております。
白保委員 では、ハーバード大学に留学されるその経緯について、若干ダブるかもしれませんが、お聞きしておきたいと思います。
 先般の外務委員会における質疑の中で、防衛事務次官経験者が外国で研究活動を行うようなことはほかには例がないという防衛庁側の答弁があったというふうに聞いておりますが、参考人は、どのような考え、目的で留学されたのか、また、留学によってどのような意義があったと考えておられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
秋山参考人 私も、調べたわけではありませんので正確なお答えになるかどうかわかりませんが、次官、局長クラスで、退官した防衛庁のOBが外国の研究所で研究員になる、あるいは大学で研究員になったという例は、私も聞いておりません。
 私は、実は、退官してからもちろん先方から話があったわけでございますけれども、少し正直なことを申し上げますと、在職時代から、できれば、退官した後、一回外国の研究所ないし大学で勉強してみたい、研究してみたいという気持ちは持っておりました。したがいまして、米国などに出張いたしますときは、大学とか研究所の研究者と、それはそのときのカレントトピックスでありますけれども、日米の安全保障問題などにつきまして議論をするという機会をつくったりして、意見交換をしておりました。
 そういう意味では、ハーバード大学も、ジョセフ・ナイがケネディ・スクールの学長になってから、たしか私は一回訪問をして、学長の主宰のもとでラウンドテーブルのディスカッションをしたと記憶しております。
 私は、日本の安全保障にとって、日米安保体制がやはり根幹にあると思いますし、そうであるとすれば、アメリカの安全保障政策あるいは世界戦略というものを研究してみたいということを考えていたわけでございます。
白保委員 それで、私の方でまたお聞きしたいんですが、先ほどたしか、経緯についてはいろいろとお話がございました。
 それで、どのような形の留学だったのかということで、いろいろなシステムがある。いろいろな企業からお金を集めて、そして運営していく、いろいろな形があると思うんですが、そういう中で、既存の制度ではなく、他の方法でやるんだというふうに伺っておられたと。
 後に、CSISですか、そちらの方からの提供があった、こういうことがわかったということなんですが、私はこのことについて、初めにどういうシステムだということを知らなかったということ自体が、この辺がいろいろと言われているんだろうと思うんですが、その辺のことについてお聞きしたいと思うんです。
秋山参考人 正直言いまして、私は、ハーバード大学のフェローシップ制度については知りませんでした。詳細を知らないというよりも、ほとんど知識がありませんでした。しかし、先方と話をしているうちに、既存のフェローシップにはなかなかうまく乗らない、したがって、別途、個別に資金を集めて対応するという話を聞きました。そういうケースは、大学側の説明でいろいろあると。
 例えば客員研究員、ビジティングスカラーとか、ビジティングフェローとかいう人、たくさんいますけれども、実際に勉強する人、実際にクラスに入る人、実際に、場合によったら教える人、その場合には大体、客員教授という名前がつきますけれども、いろいろなタイプのいわゆるビジティングフェローがおります。
 私は、もちろん、ジャパン・USプログラムというクラスになるべく出てほしいということで、それには出ておりましたが、私自身が教えるとか、私自身が何かクラスに入って教わるとか、そういうことではなくて、全く自由に研究活動をしてほしいと。そういう人たちはハーバード大学に、世界各国からたくさん来ている。実際、私も知っております。
白保委員 時間が参りましたので終わりますが、いずれにいたしましても、いろいろと言われておりますけれども、きちっと説明をされて、そういう疑惑のないような形にしていただきたい、こういうことを申し上げて、終わりたいと思います。
瓦委員長 井上喜一君。
井上(喜)委員 保守党の井上喜一でございます。
 きょうは、秋山参考人、お忙しいところお越しいただきまして、本当にありがとうございます。
 今、台湾の国家安全局なるものの極秘文書が、台湾とか香港の方の新聞等に出て、この国会でも取り上げられて問題になっておるのでありますが、私は、そういう極秘文書なるものの真偽のほどとか、あるいは中に書かれておりますことの真偽は全くわからないのでありますが、それを判断する立場にありませんけれども、秋山参考人のことが出てくるということでありまして、私は、こういうことにつきましては、やはり秋山参考人の名誉にも関係することでありますから、きっちりとさせておかなくてはいけないことではないかと思うのであります。
 秋山参考人、私よく存じ上げませんけれども、経歴を拝見いたしますと、防衛庁の方には平成三年から十年まで約七年間、御在職のようでございますが、それ以前、大蔵省のときには、余り防衛庁と関係があったようには見受けられません。防衛庁在職中のお仕事は、本当に大切な仕事に取り組まれておりまして、大きな仕事をされた方だと私は考えます。また、退官後も、恐らく防衛関係の仕事をしておられるのではないかと思うのでありまして、そういったことで、またそういった経歴がいろいろなことを、問題といいますか波紋を呼んでいるのではないか、私はそんなふうに思うのであります。
 そこで、このハーバード大学のフェローシップの話でありますけれども、これは、今お話を聞いておりますと、向こう側から研究に来ないかと勧められて行かれた、こういうように伺いました。
 そのとき、研究のテーマというのは向こうの方から指示されるんですか、それとも秋山参考人自身が決められたんですか。それから、そのときの研究テーマはどういうものであったのか、お伺いします。
秋山参考人 ハーバード大学で研究活動をする考えはないかというお招きは、先方からございました。
 私も、いろいろ考えるところがありまして、一月に渡米して両博士にお目にかかって、米国に行くことを決めたわけでありますが、その過程で、研究活動をするに当たって、どういうことをやるのかということは先方から聞かれました。それで、私の方から幾つかテーマを出しました。
 一つは、私の仕事にも関係したわけでございますけれども、冷戦後の日米安保体制の再確認作業あるいは再定義のプロセスをもう一度トレースしてみたい、そしてそれをフォローしてみたいというのがまず最初のテーマでございました。二番目のテーマは、アジア太平洋地域における安全保障問題、それと日米安保の関係というテーマ。そして三番目に、先ほども申し上げましたけれども、アメリカの世界戦略、アメリカの安全保障戦略といったようなものを研究したいと。それ以外に、海洋問題ですとか、あるいはサイバーセキュリティーの問題ですとか、そういう細かい問題も、多分、議論の途中か後で出したと思いますけれども、そういう研究テーマは先方に提示いたしました。
井上(喜)委員 主として、この経費のことが問題になっているようでありまして、先日、柳澤官房長が国会で答弁されているんですけれども、これは、秋山参考人もつい最前言われましたけれども、研究費としては八千ドル弱ですね、七千数百ドルの研究費だということでありました。そのほか住居費だとか、研究室は貸与された、それからあと、研究活動の旅費のようなものまで支給されている、こういう答弁をされているんですが、大体、それぞれどれぐらいの経費だったんですか。支給されてないからよくわからないかと思うんですが、トータルどれぐらいの、あるいは旅費だとか研究費、住居費ですね、どれぐらいのものだったのか、ちょっとお伺いします。
秋山参考人 私も正確にはわかりませんが、まず、わかっているところから申し上げますと、研究費として支給されたのは全体で七千数百ドル、八千ドル弱であったと記憶します。
 それから、わかっている方から申し上げますと、旅費につきましては、私の記憶では五千ドルという上限で、その範囲内で必要なものを支給するということでございましたので、大体が私もディスカウントチケットで動いておりました。たしか、上限が五千ドルというふうに大学側から言われたと記憶しております。
 なお、宿舎その他、オフィス、特にオフィスの経費については私はわかりませんが、ハーバード大学は、この問題が報道された後、CSISという研究所から約四万ドルの資金を受けたということを発表しております。したがって、ハーバード大学は、私の研究のための外からの資金を、少なくともCSISからは四万ドル受領したということを発表しております。
井上(喜)委員 そうしますと、大体アメリカの滞在費といいますのは向こう側の負担で、余り自己の負担なしにそれは生活できたように私も理解をいたします。
 それから、中国と台湾の方に行かれておりますが、これも研究活動の一環として行かれたように理解をしたんですけれども、それでよろしいのかどうか。それと、向こうでは、もしよろしければ、どういう目的でどういう人と話をしに行かれたのか。これは、そこはちょっと言えないということだったらそれはそれでよろしいんですが、もしできましたらその点を伺いたいと思います。
秋山参考人 まず、中国の方から申し上げますと、二〇〇〇年の五月に参っておりますが、これは、実は一九九九年から日米中の安保対話、三国安保対話というのをやっておりまして、いわゆるトラック1・5、純粋にトラック2ではございません、政府の人も入る日米中三国安保対話、これを、五月に北京で開かれたのに参加したということでございます。
 それから台湾の方は、これは全く、私が先ほどもちょっと御説明しましたように、日本と台湾の間のコミュニケーションが非常に少ない、あるいはパイプ、いろいろな意見交換をするパイプが少ないということを非常に意識していたものですから、民間人になりまして、もちろん大変制約はありますけれども、他方で、日台間であれば民間人の方が逆に言うと制約もないということもありまして、自分としては、およそいろいろな問題について議論をするパイプをつくりたいという気持ちで参りました。
 二〇〇〇年四月に参りましたときは、李登輝、当時まだ総統でございましたけれども、李登輝総統。それから唐飛、当時は国防部長ですが、その後行政院長になられた方であります。あと、大陸委員会の幹部ですとか、あるいは外交部の幹部ですとか総統府の幹部。あるいは国防部、安全保障関係の幹部。さらには、新しく総統に当選された陳水扁の一番のバックボーンになったと言われております中央研究院、行政研究院だったかな、研究院の院長をされていた李先生。そのほか、台湾総合研究院あるいは中央研究院の部長、所長、あるいは研究員の方とのラウンドテーブル。そういうことで、さらに言えば、日本でいうところの海上保安庁ですとか水産庁ですとか、そういう幹部。
 大変欲張って、いろいろな方とお目にかかって意見交換をして、今後ともそういう意見交換の場を維持していきたいという考えで参ったものでございます。
井上(喜)委員 ちょっと時間が来たのでありますけれども、秋山参考人、大変なこの安全保障に造詣の深い方でありますので、一言感想をお伺いしたいんですが、日本の安全保障あるいは北東アジアの安全保障につきまして、台湾との関係について若干の言及がありましたけれども、どういうような今お考えなのか。若干検討するんだったらこの点だ、こういう方向で検討すべきじゃないかというような御意見があったら、ぜひお聞かせいただきたいと思うんです。
秋山参考人 大変大きなテーマで、一言で説明しにくいわけでございますけれども、やはり私の今一番頭にあるのは、九・一一テロに代表される新しいタイプの戦争あるいはテロの撲滅といいますか、抑止というものについて、世界がどう取り組んでいくのかというのが大変大きな課題だと考えております。
 それと、日本の周辺で考えれば、相変わらず朝鮮半島の問題が日本の安全保障あるいはこの地域の安全保障にとっても大きな課題だと思っております。と同時に、それと同じぐらい台湾海峡の緊張の問題あるいは台湾問題について、私はやはり大きな注目をしていかなければならないし、日本はそのためにやり得ることをやっていかなければならない。その場合、日米と日中の関係、そして日本のある意味でのパイプの太さというものがないと、そういうことができないのではないかというふうに考えております。
井上(喜)委員 どうもありがとうございました。
 それでは、これで終わります。
瓦委員長 以上をもちまして秋山参考人に対する質疑は終了いたしました。
 秋山参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 次回は、明二十三日木曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後二時五十八分散会


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