衆議院

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第6号 平成15年5月8日(木曜日)

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平成十五年五月八日(木曜日)
    午後二時三分開議
 出席委員
   委員長 鳩山 邦夫君
   理事 木村 太郎君 理事 久間 章生君
   理事 中谷  元君 理事 浜田 靖一君
   理事 前原 誠司君 理事 渡辺  周君
   理事 田端 正広君 理事 工藤堅太郎君
      浅野 勝人君    岩屋  毅君
      臼井日出男君    奥山 茂彦君
      左藤  章君    菅  義偉君
      中本 太衛君    中山 正暉君
      西川 京子君    萩山 教嚴君
      林 省之介君    原田 義昭君
      福井  照君    松島みどり君
      森岡 正宏君    山口 泰明君
      山本 明彦君    吉川 貴盛君
      吉野 正芳君    伊藤 英成君
      大島  敦君    大谷 信盛君
      大畠 章宏君    川端 達夫君
      桑原  豊君    玄葉光一郎君
      首藤 信彦君    末松 義規君
      筒井 信隆君    中山 義活君
      平岡 秀夫君    赤松 正雄君
      上田  勇君    中塚 一宏君
      樋高  剛君    赤嶺 政賢君
      木島日出夫君    今川 正美君
      重野 安正君    井上 喜一君
      宇田川芳雄君
    …………………………………
   参考人
   (元防衛庁統合幕僚会議議
   長)           西元 徹也君
   参考人
   (早稲田大学大学院教授) 小尾 敏夫君
   参考人
   (財団法人平和安全保障研
   究所理事長)       渡辺 昭夫君
   参考人
   (松阪大学政策学部教授) 浜谷 英博君
   参考人
   (青山学院大学法学部教授
   )            新倉  修君
   参考人
   (軍事評論家)      藤井 治夫君
   衆議院調査局武力攻撃事態
   への対処に関する特別調査
   室長           小倉 敏正君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月八日
 辞任         補欠選任
  荒巻 隆三君     左藤  章君
  近藤 基彦君     福井  照君
  大畠 章宏君     中山 義活君
同日
 辞任         補欠選任
  左藤  章君     荒巻 隆三君
  福井  照君     近藤 基彦君
  中山 義活君     大畠 章宏君
    ―――――――――――――
五月七日
 有事法制の完全な廃案に関する請願(大島令子君紹介)(第一九〇五号)
 同(大島令子君紹介)(第一九四〇号)
 有事法制の強行反対に関する請願(阿部知子君紹介)(第一九〇六号)
 同(今川正美君紹介)(第一九〇七号)
 同(山内惠子君紹介)(第一九〇八号)
 同(横光克彦君紹介)(第一九六四号)
 有事関連法案反対に関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第一九三六号)
 有事関連法の廃案に関する請願(木島日出夫君紹介)(第一九三七号)
 同(佐々木憲昭君紹介)(第一九三八号)
 有事関連法案廃案に関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第一九三九号)
 有事関連三法案の廃案等に関する請願(筒井信隆君紹介)(第一九五〇号)
 憲法違反の有事法制撤回に関する請願(生方幸夫君紹介)(第二〇一四号)
 同(金子哲夫君紹介)(第二〇一五号)
 同(日森文尋君紹介)(第二〇一六号)
 同(楢崎欣弥君紹介)(第二〇二五号)
 同(山元勉君紹介)(第二〇二六号)
 同(金田誠一君紹介)(第二〇三五号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 安全保障会議設置法の一部を改正する法律案(内閣提出、第百五十四回国会閣法第八七号)
 武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案(内閣提出、第百五十四回国会閣法第八八号)
 自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出、第百五十四回国会閣法第八九号)
 安全保障基本法案(一川保夫君外一名提出、衆法第一四号)
 非常事態対処基本法案(一川保夫君外一名提出、衆法第一五号)
 緊急事態への対処及びその未然の防止に関する基本法案(前原誠司君外三名提出、衆法第一八号)


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     ――――◇―――――
鳩山委員長 これより会議を開きます。
 第百五十四回国会、内閣提出、安全保障会議設置法の一部を改正する法律案、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案、自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案及び内閣提出の三法案に対する久間章生君外五名提出の各修正案、武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案に対する前原誠司君外一名提出の修正案並びに一川保夫君外一名提出、安全保障基本法案、非常事態対処基本法案及び前原誠司君外三名提出、緊急事態への対処及びその未然の防止に関する基本法案を一括して議題といたします。
 本日は、ただいま議題となっております各案及び各修正案審査のため、参考人として、元防衛庁統合幕僚会議議長西元徹也君、早稲田大学大学院教授小尾敏夫君、財団法人平和安全保障研究所理事長渡辺昭夫君、松阪大学政策学部教授浜谷英博君、青山学院大学法学部教授新倉修君及び軍事評論家藤井治夫君、以上六名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、西元参考人、小尾参考人、渡辺参考人、浜谷参考人、新倉参考人、藤井参考人の順に、お一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため失礼ながら申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないということになっておりますので、あらかじめ御承知をいただきたいと存じます。
 それでは、西元参考人にお願いいたします。
西元参考人 御指名をいただきました西元でございます。本日は、このような機会を与えられましたこと、大変光栄に存じます。
 私は、主として政策実行上の立場から、与党修正案を中心といたします武力攻撃事態等法案を主体といたします有事関連法制を支持し、これの早期成立をお願いするという立場から意見を述べさせていただきたいと存じます。
 まず第一に、武力攻撃事態等法案について申し上げます。
 我が国の一部には、武力攻撃事態等法案は、テロへの対処、あるいは国民の保護、さらには工作員、工作船の侵入といったことへの対処を欠いているということから、欠陥法案だという指摘が一部にございます。このような指摘は、武力攻撃事態法案の持っております一側面だけに光を当て、この法案の持っております非常に重要なもう一つの側面を見逃しているのではないかと考えております。
 と申しますのは、我が国の緊急事態等法制につきましては、個別の事態ごとに個別の法制をもって律しているというのが現状でございまして、緊急事態全般を律する基本法制を欠いているということは否定できないことだと存じております。ここに我が国の緊急事態等法制の最も根本的な問題があるものと認識いたしております。
 しかしながら、この問題は、憲法論議と絡んで非常に難しい解決上の問題をはらんでいるということも、また一面において事実でございます。そこで、武力攻撃事態等法案につきましては、第三条の武力攻撃事態等への対処に関する基本理念から、第十四条、第十五条の対策本部長、内閣総理大臣の権限、第十六条の損失に関する財政上の措置に至るまで、武力攻撃事態等には限っておりますけれども、基本的な事項を規定しているものと理解しております。
 これは、災害対策基本法で言うところの国の責務、それから都道府県、市町村、指定公共機関、指定地方公共機関などの責務、住民等の責務、各レベルにおける防災計画の策定、非常、緊急、各種災害対策本部の設置、緊急災害対策本部長の権限、災害緊急事態の布告、さらには緊急措置などとほぼ同様の規定だと私は理解しております。
 このことは、とりもなおさず、将来、我が国における緊急事態等への対応に係る基本法への発展につながる非常に重要な礎を築いたものと認識いたしております。したがって、欠陥法案という指摘は必ずしも当たらず、民主党、自由党御提案の法案と可能な限り調整を図っていただき、早期の成立を強く要望するものでございます。
 次に、武力攻撃事態等の認識について申し上げます。
 今日の武力攻撃事態等は、低烈度の事態から高烈度の事態まで、あらゆるレベルの事態が想定されます。
 具体的には、テロや工作船、工作員の侵入というような軍事と非軍事の中間にあるような事態は別にいたしまして、それに類する、それよりも烈度の高い事態が、明らかに、ある特定の国や地域あるいは非国家組織によって組織的に引き起こされる事態から本格的な武力攻撃事態に至るまで、その間には、あいまいなものから明白なものまで、非常に多くのレベルの武力攻撃事態があり得るものと考えております。最近の我が国を取り巻く情勢から、このような事態が起こらないという保証はなく、国民の多くがこのことを心配しているのが実情だと思います。
 以上のことから、武力攻撃事態等法案が専らありそうもない冷戦時代に想定された着上陸侵攻への対処を想定した法案だという指摘は、当たらないものと考えております。
 ここで、武力攻撃事態等に関連して、自衛隊法改正案について一言つけ加えさせていただきたいと思います。
 本改正案は、自衛隊の行動を無制限に認めるものではなく、我が国の独立・主権と国民の生命財産を守るための自衛隊の行動を円滑かつ効果的に実施するという観点と、国民の権利や自由を守るという観点とを調和するという基本的な考え方に立って規定されているものと理解をいたしております。したがって、武力攻撃事態等法案とともに、自衛隊法の一部を改正する法律案の早期成立をお願いするものでございます。
 第三に、事態対処法制の整備について申し上げます。
 事態対処法制は、国民の保護を中心として、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保のための自衛隊あるいは米軍の行動が円滑かつ効果的に実施されるための措置などを含んでおり、極めて重要であります。そして、その整備を急ぐ必要があることは申し上げるまでもないことであります。
 この際、国民の保護についてはもちろんでございますが、我が国の防衛のために行動する米軍に対して、対処すべき土地や施設をどのように提供するかという根拠、物品や役務を無償で提供できる枠組みの構築なども、日米同盟の信頼性のより一層の向上という観点から重要課題と認識いたしております。
 与党修正案の武力攻撃事態等法案には、これらの項目、整備のための期限を明らかにするとともに、整備の責任を負う国民保護法制整備本部を置き、内閣の総力を挙げて整備すべきことを規定しております。本法案を一日も早く成立させることがこれらの法制の整備を促進する上での早道だ、このように考えております。
 第四に、その他の緊急事態対処のための措置について申し上げます。
 近年の傾向として、軍事と非軍事のいずれの領域に属するか、国防作用と警察作用のいずれで対応すべきか、あいまいな事態が存在することは確かでございます。我が国におけるこのような事態への対応は、我が国の法制上、警察、海上保安庁、消防、自衛隊などのうち、いずれの組織が行動主体になるべきか、それぞれの組織の役割分担をどうするか、明確に整理することが難しいという事情があり、一方において、現行法の適用を工夫することによって対応が可能だというぐあいに理解いたしております。
 例えば、このような事態における自衛隊の運用については、その事態事態に応じて、自衛隊法の治安出動あるいは海上警備行動、警護行動、情報収集活動などを適時適切に運用するということが考えられます。
 このため、与党修正案においては、武力攻撃事態法案第二十四条において、当面とり得る措置として、第一に「情報の集約並びに事態の分析及び評価を行うための態勢の充実」、第二に「各種の事態に応じた対処方針の策定の準備」、第三に「警察、海上保安庁等と自衛隊の連携の強化」などが規定されている、このように理解いたしております。
 しかしながら、このような事態への対応に係り、将来、警察、海上保安庁、自衛隊等の役割分担のあり方の検討と相まって、総合的な法制を整備することの可否を検討し、あるいは事態によりよく対応できるようにするための現行法の改正を図ることは必要だと考えております。将来、できるだけ早い時期にこのようなことについて御検討賜れば幸甚に存じます。
 最後に、これは先生方に申し上げるのは大変失礼だと思いますけれども、国家安全保障、防衛の基盤は、みずからの国はみずから守るという意思と能力であり、有事関連法制は、国家の独立・主権と国民の生命財産に最も深刻にして継続的な影響を与える武力攻撃事態、そのような事態に断固として対処するという意思を最も明確にあらわすものだと考えております。それゆえに、世界のいずれの国もこのような事態に対処する法制を持っているわけでございます。
 このような観点からすれば、本法制は、このような最も深刻な事態の発生を未然に防止するとともに、日米同盟の信頼性のより一層の向上に寄与するものと信じております。
 以上をもって、私の意見陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、小尾参考人、お願いいたします。
小尾参考人 早稲田大学の小尾でございます。
 きょう、この場で私の意見を述べさせていただけるわけですが、国際情勢も大変変化しておりますし、また国会も大変忙しい時期でもあるようですので、この法案がどうなるか、関係する法案がどうなるかわかりませんけれども、私としましては、四つほどポイントを絞ってお話しさせていただきたいと思います。
 一つは、国際情勢の変化ということですけれども、冷戦時代からテロの時代に移り、そして九月十一日、九・一一の多発的同時テロ事件以降、世界情勢の力関係が大変変わりましたので、そういう意味では、アメリカの政府の行政組織等も、国土安全保障省というものが審議の対象になり、ことしの一月にできたわけですけれども、私、かなり前に国際連合の専門機関で仕事をしておりまして、要するに、国連という組織を内部で見ていますと、常任理事国の五カ国が同意しない懸案事項は何一つ通っていない、そういう国際機関の宿命というのがございます。ですから、各国が国においてどれだけ国民の生命、身体、財産を守るかということの法整備の必要性というのは、国連にいた人間とすれば、当然、日本にいる方よりも緊急の課題というふうに思っております。
 そういう国連との関係はともかくとしましても、国際情勢がこういう形で変化して、そしてイラクから今度は北朝鮮へという流れもございます。また、小泉内閣になって初めて有事法制法案が国会で上程され審議されているわけですから、これは画期的なことだなと思いますし、また、野党第一党の民主党が対案を出したということも非常に重要なことだというふうに認識しております。
 こういう状況の中で、私、あと三つの点について触れたいと思っております。
 第一点は、国会の関与という視点であります。
 日本は議院内閣制ですので、アメリカの大統領制と当然違うわけで、イギリス型の政治形態である。しかし、三権分立という点では同じなわけですから、非常事態、緊急事態において国会がどう関与するかということは、非常に重要な国民の最高議決機関としての権利だというふうに思いまして、現在議論をされている国会の関与に関しては、最大限の配慮をすべきだろうというふうに思っております。
 往々にして、有事の事態あるいは緊急の事態になりますと、国会というものが行政と、三権分立でありながら、何か軽んじられるようなイメージだけがありますので、国会がしっかりと国民を代表して、有事の際、緊急事態の際に監視し、また法案を見ていますと、中止をするような議決の権利もあるという内容もありますので、そういうことを徹底していただきたいというふうに思っております。
 三番目の点は、基本的人権の問題であります。
 憲法に書いてあるからいいじゃないか、一々また書く必要はないとか、いろいろな議論があると思います。しかし、日本の憲法は、有事、非常事態を想定しているとは私には思えないわけで、そういった事態において基本的人権をどう守るか、これは大変重要な国民の権利であるだけでなくて、行政、立法もそういうことに対する責任というものが十分果たせなければならないというふうに思います。
 対案等出ておりますけれども、幾つかの基本的人権に関して、今回の一連の法案が、しっかりと国民の納得のいく義務、権利を行使できるものにしていただきたいということを伝えておきたいと思っております。実際には幾つかの項目がございますから、それはもうお手元の基本法案の方に出ているようですので、それは御理解しておられるものと思います。
 最後の四番目、これは私がきょう一番主張したいことなんですけれども、国民保護という視点から、危機管理庁、アメリカのFEMAという役所がございますが、その日本版をぜひ創設していただきたいということをお願いしたいと思っております。
 FEMA、危機管理庁がアメリカでどういうものであるかは、釈迦に説法というか、もう委員の皆さん方は存じ上げていると思いますので、時間の制約上、細かい説明をいたしませんが、有事の際あるいは緊急事態、非常事態において、アメリカにおいてFEMAが果たしてきた役割、あるいは、現在、一月から創設された国土安全保障省が果たすべき役割というのは非常に大きいものがあります。これは、大災害、自然災害、人為災害、テロあるいは生物化学兵器を使った場合の被害、いろいろな事態が想定されますが、現在の日本のシステムの中で、そういうような、FEMAがアメリカで活動しているようなものが機能しているとは思えないわけです。安保会議とかいろいろ会議体はございますが、行政として、国難を乗り切るだけの、中央政府と地方政府あるいは民間を連携した、そういったネットワークというものが必要であると思います。
 御存じのとおり、テロとか大災害というのはもう瞬時に起きるわけで、その対策は、予防的なものから事後的なもの、二十四時間が勝負じゃないかと言う方もいらっしゃいます。そのときに、今のような国の体制で国民の生命、身体、財産が守れるのかということが国民にとって非常に不安な要因だと思っております。
 いろいろな議論を聞いていますと、例えば、何か、もう一つ役所をつくるのはけしからぬとかいう意見もございます。しかし、このFEMAのような危機管理庁というのは、有事ということを前提にした役所であって、平時にもう一つ役所をつくるという考え方ではございませんので、そこが一つ違うのかな。
 また、アメリカの国土安全保障省の創立経緯をいろいろ研究してきているわけですが、予算中立ということで、アメリカの役所は予算を全くふやさない。現在の、現在既にできていますけれども、現行の予算の中で百幾つの省庁、部署を統合する、それから人員は一人もふやさないということで、これは、私から見ると行革そのものだろう、小泉総理の言う構造改革だろう。あるいは、総理が言う備えあれば憂いなしという言葉の本当の中身からすれば、備えがどこまでできるんだろうかという国民の心配からする意味で、危機管理庁というものを、内閣府、総理のもとにつくっていただくということが必要であろうというふうに思っております。
 そのあたり、以前から多少の議論はあるようですけれども、往々にして、このような構造改革、行政改革は痛みを伴うものですから、やりたがらない、先送り的なムードもないとは言えないので、この際、改めて私の口からも、FEMAの日本版をぜひとも今国会で、何らかの形で、成立に向けて努力していただきたいというふうに思っております。
 以上、四提案、コメントを含めて申し上げましたけれども、今国会で、いろいろな議論を通しまして、国際的な信頼と国民の理解を得る、そういった結果としての法整備ができることを期待しております。
 以上です。(拍手)
鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、渡辺参考人。
渡辺参考人 平和安全保障研究所の渡辺と申します。
 平和安全保障研究所というのは、防衛庁と外務省の指導のもとに、関連の研究や世論活動をやっている民間の研究機関でございます。
 なぜそのことを申し上げるかといいますと、平成九年、今から六年ぐらい前に、私どもの研究所の前理事長の阪中友久理事長時代に、「有事法制についての提言」という文書をまとめて、世の中に問うたことがございます。この中には、その研究報告書や、あるいは阪中前理事長からのお話をお聞きになった方がいらっしゃるのではないかというふうに思います。
 それから六年がたったわけでございますが、現在、この委員会及び国会全体として、いわゆる有事法制という問題について真剣に御議論いただいているということに対して、心から敬意を申し述べたいと存じます。
 私は、時間の関係もございますので、個々の具体的な法案に関連してコメント申し上げるというよりも、非常に基本的なことについて三点ほど私の考えを述べさせていただきます。
 まず第一は、対象の限定といいましょうか、有事の定義。これは、国民緊急事態とか国家非常事態とか、それぞれの国の事情によっていろいろ呼び方があると思いますが、いずれにしろ、国民の生命財産の保護のために国家が強力な措置を直ちにとることが要請されている事態だというふうに私は考えます。
 そうしますと、いわゆる外部からの武力攻撃事態というのは、実際に発生する事態というのは余りにも明白であって、これはほとんど議論の余地がないんだろうと思います。一番難しい問題は、その外側にどこまで広げるのかということである。私は、あらかじめ申しますと、余り対象を広げないような限定が必要であるというふうに考えます。
 御議論いただいているいろいろな案によりますと、例えば、武力攻撃のおそれがある事態であるとか、あるいは武力攻撃予測事態というような、いろいろな言い方があると思いますが、私個人の好みからいうと、与党の修正案でございましょうか、武力攻撃予測事態というふうにまとめた方がすっきりするように思いますが、いずれにしろ、この場合は、急迫性とか緊迫性というものの判断というのが非常に重要になるわけですね。したがって、これは、一般的に言うと非常に議論のあり得る状態、非常に難しい状態であるということを理解しておかなきゃいけないと思います。
 それから、それ以外の緊急事態として、テロとか不審船などの、いわゆる国家以外の武力集団からの脅威への対処ということが今日ではますます重要になってきている。これは非常に悩ましい問題であると思うんですが、これを我々は無視するわけにはいかない。その場合に、まあ多くの場合は何らかの敵対的な国家の意思というものがかかわっているとは思いますが、その関連を明白に判定しがたい事態であっても、我々としては座視するわけにはいかない、こういうことになるだろうと思います。
 以上、申しましたように、対象というものを広げても、私はその辺だろうと思います。例えば予防外交とか、もっと、いわゆる広い、低いレベルという言い方がいいのかどうかわかりませんが、もっと広い意味で、紛争が激化しないように国際的にいろいろ協力しないといけない、こういうことは非常に大事な課題になっております。しかし、これは、いわゆる有事法制とか武力事態ということとは区別した方がいいように私は思います。
 以上が第一点です。
 第二点は、今度は権限の限定ということであります。
 これは、必ずしもこの問題だけに限らず、一般的に国家というものに、今日、現代の国家に要求されている機能というのはいろいろ複雑になってきております。経済的な運営というものもそうでございますが。そうしますと、能率的、効果的であるということが非常に要請されるわけですね。したがって、国家は効率的な仕事をしなきゃいけない。そのためには権限を与えなくてはならない。しかし、同時に、他方では個人の人権が守られなければならないという、この二つの要請というものに常に国家というものは直面するわけであります。ある人の言い方によると双頭の国家、二つの頭がある国家というふうに言うわけで、この二つを常に持っていなきゃいけないというのが一般論として言えると思います。
 緊急事態といいましょうか、武力事態に関してもそうでございまして、この事態に際して国家が求められる機能、仕事を効果的に遂行するためには強力な措置が必要である。しかし、不当に個人の人権を侵してはならない。これは憲法十三条に、公共の福祉に反しない限り国民の権利を最大限に尊重すべしに書いてございますが、これをひっくり返せば、すなわち、緊急の事態においてはある程度は国民の権利を制限しなきゃならないという認識が同時にあるということになると思うんですね。いずれにしろ、こういうのが必要である。
 この問題は、少し別の角度からいいますと、先ほど申しました、国家が何かの事態に対して効率的に機能しなきゃいけないという効率の視点からも実は大事なことであって、つまり国民の自発性を引き出すことが大事だと思うんですね。
 つまり、一方では命令ということがありますが、一方では説得ということがあるわけで、一方的に国家が何々しろというふうに国民に対して命令をしても、一つの組織の中で、例えば自衛隊なら自衛隊の中でもそうだと思うんですけれども、命令ということは非常に大事でありますけれども、それぞれの命令を受ける側が、それに対して積極的に支援する、目的を理解してそのために協力をするということが非常に必要なわけでありまして、そういう意味で申しますと、そもそも国民と国家が対抗関係にあるわけではないわけでありまして、それぞれの立場から、この共通の事態にどう対処するかという覚悟が必要であろうと思います。
 このことは、国民の協力ということは、現在御用意なさっている法文にあちこちに出てくるので、それは大変結構なことだと思うんですけれども、全体の精神として、その点はもう少しはっきりした方がいいように私は思います。
 最後の点は、包括性ということでございます。つまり、権限の集中でございますね。これは、先ほど申しましたように、国家がそういう事態に対して効率的に行動するための権限というのは集中しなきゃいけないということがございます。
 これは、個々のお役所はよく仕事ができる、つまり効率性の基準を満たしていると思うんですが、ただし、相互の関係が必ずしもよくないというのが、まあどこの国でもそうだといえばそうなんですが、我が国についてはしばしば言われることであります。つまり、全体としての政府の機能が低下してしまう。
 竹下登元首相が、回顧録の中でこういうふうにおっしゃっています。日本の官僚機構は基本的に世界に冠たる頭脳集団です、しかし、これには括弧があって、ただし縄張り争いをしなければという、その括弧の中でみんなが切磋琢磨している、それをどうコントロールするかが政治だというふうにおっしゃって、まさにそのとおりだと思うんですね。
 ということで、なぜこういうふうに申し上げるかというと、今議論しているのは、武力事態というのは、あるいは緊急事態というのは、もちろん自衛隊とか防衛庁が中核的な役割を果たすわけでございますが、防衛庁や自衛隊が活動できるようにどういうふうに邪魔をなくすかという精神ではなくて、国家の全機能がそこに総合的に動員されなければならない、動員されなくてはならないという意味でございますので、これは何か、どこか、あそこの官庁の仕事だろうというふうにほかの官庁が思ってはならないわけであります。
 そういう意味で、トップの政治主導というのがどうしても不可欠になるということを、この際、改めて確認しておく必要があると思います。
 以上でございます。(拍手)
鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、浜谷参考人、お願いいたします。
浜谷参考人 発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。時間も限られておりますので、早速本論に入らせていただきたいと思います。
 一般に、独立国家と申しますのは、国の主権というもの、それから国民の安全確保ということを目指しまして平和的外交手段を駆使するわけでありますが、それと同時に、不測の事態に対しても対応可能なような体制を平素から備えておくということは、これは崇高な使命でもあります。その意味で、我が国も、自国を取り巻く安全保障環境というものに配慮しながら、法治国家としての万全の体制を整えておくということは必要であろうと思われます。
 しかし、我が国のこれまでの安全保障政策というのは、特異な制定経過を持っている憲法の中に自衛権の規定がないであるとか、参議院の緊急集会条項を除けば緊急事態条項がないであるとか、そういうもろもろのことを理由にして、針の穴を通すような憲法解釈というものを積み重ねて現在まで来たということは、非常に憂うべきことだというふうに考えております。有事法制が喫緊の課題というふうに言われつつ未整備のまま今日まで放置されてきたということは、その一環であろうと思われます。
 もとより、自衛権の規定のなさというものが自衛措置を一切行えないということにはつながらないわけであります。自衛権はまさに国家の属性なのでありますから、そういうことはあり得ない。いわゆる憲法の欠陥部分、まさしく憲法のいわゆる空白部分というものを補てんする意味で、国家安全保障政策についての原理原則というものを確立する、制定するということで、基本法を定めるという基本法構想というのはそれなりに意味があるものであるというふうに考えております。
 そもそも、緊急事態対処法制というのは、国家や国民の安全に対して、いかなる法的根拠によっていかなる手段をとり得るか、またいかなる目的でいかなる方策をとるべきかということを平素から考慮して、その手続を策定しておくということにほかならないわけであります。
 つまり、有事関連法一般というのは、国家の独立確保、それから国民の保護を目的とした安全保障政策上の手続法なわけでありまして、シビリアンコントロールのツールであります。いわゆる手段というか、工具というか、道具であります。これは、民主国家であり、また法治国家であるがゆえの法体制でありまして、もとより、一人の意思がすべてであるというような独裁国家などでは論議の対象にすらならないということであります。
 その際、法案に盛り込むべき柱というのは二つあると思われます。
 一方の目的は、いわゆる軍事的合理性の追求による不法な勢力の排除ということであります。つまり、自衛隊を初めとする国の組織それから機能、この総力を挙げて対処すべきことはもちろんでありますが、米軍との防衛協力体制を整え、さらに国と地方自治体の役割を分担、調整し、さらに国際法の原則を遵守するということがあわせてとられなければいけない方策であろうと思われます。この点は、国家の自衛権に基づく具体的な実力行使というものを伴うものであるだけに、その実効性を担保する上で、集団的自衛権の解釈と安全保障措置の原理原則というものもそろそろ再検討を行うべきときに来ているのではないかというふうに思われます。
 いま一方の柱は、国民の保護法制であります。有事における国民の保護のために、国と地方自治体がおのおのの役割に基づいて相互に協力するということは不可欠な法案の内容であります。
 具体的には、危険度に応じた警報の発令、地域住民の避難、被災者の救助や治療、さらには、消防活動を初めとして、施設や各種整備など社会的インフラの復旧、さらに保健衛生の確保とか治安の維持等々、国民生活一般や経済の安定化策に関するものまで含めて法的な整備が必要であろうと思われます。
 これら国民保護の観点からは、二つの例外措置というのも必要であろうと思われます。
 一つは、有事対処の権限行使に関する手続的例外というものであります。
 緊急な時間的制約のもとでは、首相の緊急事態宣言によって通常の手続の省略、それから首相や地方自治体の首長さんへの一時的な権力集中など、いわゆる迅速な対応ということに配慮した被害の局限化というのが最優先の課題になるだろうと思われます。これら緊急権限の行使に対しては、国会など他の機関による強制的な終了措置、いわゆるチェック手段であるとか、緊急事態終了後の使われた権限に対する司法的な評価、要するに裁判所のチェックとか、さらには強制措置を伴う損害に対する正当な補償というものも当然不可欠な要素であります。
 首相の緊急事態宣言については、現在有効であります災害対策基本法や警察法というものにも緊急事態の布告規定というものがありますし、それらの法律には、国会の議決によってその布告自体を強制的に廃止できるという規定も既に制定されております。
 いま一つの例外措置というのは、憲法で保障された国民の権利に対する制約であります。
 緊急事態対処措置の性質上、多数の国民の安全確保という観点からは、一部の国民の私有財産、それから行動の自由といったものが制限される場合が想定されるわけであります。これら平和と安定を回復するための犠牲というのは、そもそも必要最小限にとどめるべきであるということは当然でありますし、それから、過剰な制約に対する歯どめというものも規定しておくことは重要であろうと思われます。
 その際、具体的な権利というものを明記するということについては、一面わかりやすい面もありますが、しかし、該当しない諸権利を逆に拡大させるということにもなりかねないという側面もありまして、ここは概括的規定による柔軟性の確保ということも配慮しておく必要があろうかというふうに思います。
 最後に、提案されている諸法案に関連して、シビリアンコントロールの観点から国会関与という問題について主に取り上げまして、ほかに若干の点を指摘して議論の参考に供したいと思います。
 まず、その国会関与でありますが、これは私のかねてからの持論でありますが、キーワードとしては、いわゆる有効期限つき国会承認制と、もう一つは国会拒否権というものであります。
 国会承認に関しては、いつの国会も、聞いておりますと、事前か事後かの議論が非常に盛んでありますが、これは、私に言わせますと、ほとんど不毛な議論であります。すなわち、実態的には、これは、国会尊重の建前からは原則事前承認、緊急時には事後承認、この結論以外には初めからあり得ないわけであります。時々刻々と変化する事態の推移にあっては、不足しがちで、かつ錯綜する情報のもとで事前承認を与えるなどということは政府に対する白紙委任的効果さえ生んで、逆に危険でもあるというふうに思われます。
 国会は、多数の情報に基づく議論によっていわゆる真実へのアクセスを可能にする、こういう場なのでありまして、即断を求められる政府判断とは意味も性質も異なるわけであります。したがって、事前、事後、いずれの国会承認であっても、それには有効期限を設ける。例えば、アメリカの戦争権限法などに倣いますと六十日間ですが、有効期限を設けて、承認効果の継続のためには有効期限の満了前に更新に対する手続をとる、すなわち更新に対する事前承認という制度を設ける方が、これは効果的であろうと思われます。国家の実力集団の行動には常に国民のシビリアンコントロールがかけられている、こういう事実が法治国家の基本的な要請でありますし、また民主制の基盤だからであります。
 同時に、更新を求める政府に対し、できる限りの情報開示を求めることによって国会が情報空白から脱するということも可能になる、副次的に可能になると思われますし、事態が泥沼化したときに、国会決議によってその泥沼から転換するということにも方法としては使えるだろうというふうに考えております。
 加えて、有効期限内にはいかなる時点でもその承認効果を取り消すことのできる国会拒否権条項というものを創設することも有効だろうと思われます。
 議院内閣制のもとでの後の承認取り消しというのは、通常は賛成に回った与党議員の同意も必要だということだけに、よほどの事態の急展開や事実の誤認、さらには、もろもろの前提や条件の重大な変更というようなものがある場合にこれは限られるわけでありまして、乱用というのは考えられないというふうに思います。アメリカの制度については、私は、大統領制のもとではこの議会拒否権は違憲の主張に立っておりますが、日本の議院内閣制のもとではこれは有効に機能するというふうに考えております。
 第二は、あとは簡単に申し上げますが、武力攻撃事態の定義に関してであります。
 一般的に、法律における概念定義というのは、これは、私も法学者の端くれである以上、非常に重要だということは理解しております。しかし、緊急事態関連法制というのは、そもそも本来予測不能な事態への対処法なのでありまして、詳細に規定すればするほど対象外の例外を多くするというようなジレンマがあります。したがって、そのことによって準備対応のおくれを招きかねないということは十分配慮する必要がある。ここは厳格な中にも柔軟性を失ってはならないわけでありまして、法の硬直化を防ぐ意味でいろいろな配慮が必要だろうと思われます。
 最後は、対処基本方針案の策定についてであります。
 緊急事態発生という時間的制約の中では、その中で作成をするということは、これは事実上不可能であります。そうである以上は、平時から緊急事態の程度に多段階で対応させた方針案というものがあらかじめ策定されていなければ、これは対応が不可能であります。同時に、緊急事態時の閣議決定についても、平時から指名されている数名の特定閣僚の合意に代替させること等々が検討されていいのではないかと思われます。
 そもそも、有事関連法の適用というのは、国家の存亡と国民の生死をかけた、いわば一度限りのものであります。そういう意味では失敗は許されないわけでありまして、実効性への疑義というのは完全に払拭されていなければならないというふうに考えます。
 いずれにせよ、不法な実力による国家国民への侵害行為に対しては、国際法を遵守しながら、国内法を根拠とした毅然とした姿勢を対外的に表明する、このことと国家の安全と国民の保護という、いわば国益の追求と国際社会との協調というものを内外に示す上で、緊急事態法制の整備というのは急務かつ重要であると思われます。
 与野党の合意に基づく法整備というものを強く求めたいというふうに思いますし、対案の提出ということでありますが、対案の提出というものが、いわゆる拒否することのハードルにだけ使われることのくれぐれもないようにお願いして、意見を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。(拍手)
鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、新倉参考人、よろしくお願いします。
新倉参考人 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。私は、今までの参考人とはまた違う角度から発言したいと思います。
 レジュメを用意しましたけれども、これを全部お話しすることは多分できないと思いますが、有事法と言われているものの中で一番重要なのは武力攻撃事態対処法案。これは、どういうふうに省略するかということはあると思いますけれども、そういう事態に対してどういうふうに対処するかということで、一種の基本法といいますか、枠組み法ということになっていると思います。
 しかし、武力攻撃事態というのは非常にいろいろなグレードに分かれていまして、今までの参考人の御意見でも明らかですけれども、それに対して、あらゆる事態に対処するんだ、あるいは、あらゆる事態とは言わないけれども、とりあえず今回はここまで対処する、さまざまな御意見があると思いますけれども、そこへ議論が行く前にもう少しやはり考え直すことがあるのではないかということを私としては申し上げたい。
 つまり、二つのギャップを私は感じていまして、一つは、法案というのは、何か全体像がまだ十分描き切れていないのではないか。大きな絵というふうに言いますと、その絵は戦争ということを想定しているわけですけれども、戦争のかなたに光があるのかということですね。その絵柄というのは非常に大事で、そこはやはり国会ではぜひ議論していただきたいと思います。
 その絵柄というのは、私が想定しているのは二種類あるわけで、一つは平和と人権というものでありまして、もう一つは、あえて言えば力による平和というものだと思います。法案はそのどちらに組み込まれていくのか、ここは非常に大事な点ではないかと思います。
 この二つのものをあえて今まで法規化されたもので示せば、一つは、憲法とユネスコ憲章。印象的な言葉を取り上げますと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」これは憲法の前文にある言葉でして、戦力を放棄して戦争を放棄したという国民の決意の中に、ただ何もしないというのではなくて、諸国民の公正と信義を支援するという、非常に大きな決意を我々は一九四六年にしたんだということを確認したいと思います。
 それから、ユネスコ憲章。それより一年前にできたわけですけれども、そこには、人の心の中に平和のとりでを築こうということがありまして、これは一種の平和教育が大事だということかもしれませんけれども、この構想から、実は人間の安全保障という新しい国際的な潮流が生まれつつあるわけですね。その点をやはり無視することはできないわけですし、この法案がその絵柄の中にぴったりはまるのか、はまらないのか、そこが非常に大きな問題だと思います。
 もう一つは、集団的自衛権の体制づくりという方向性があると思います。
 これは、日米安保条約とか日米新ガイドライン、それから、お読みになっていると思いますけれども、いわゆるアーミテージ報告ということに示されている内容でして、これを私は読みまして、ある意味ではそら恐ろしくなったわけですけれども、今日の事態ということをほとんど想定して、日本に対してはかなりはっきりした注文をしているわけですね。その中には、やはり国内法の整備という問題もありますし、情報機関の整備とか、パートナーシップを完全にするために日本の積極的な役割を期待するというようなのがありまして、そちらの方にもしこの法案というのが組み込まれていくということになれば、これは大きな進路の変更を我々に求めざるを得ないのではないか、そういうことですね。
 それをわかりやすく言えば、この法案では、武力攻撃事態というのを私なりに言いますと、ゴジラに例えて、それに対してどういう対処をしたらいいか、ゴジラをどうやって生け捕りにするのか、こういうことを問題にしているわけですけれども、ゴジラというのは突然発生するわけじゃありませんから、そういう発生する事態に対して我々は十分備えをしているのだろうか、そういう問いかけを切り捨ててこの法案がもし審議されるとしたら、ここは大きな誤りを犯すのではないかというふうに私は思います。
 そこで、最後に、私の意見としては、この法案で扱われているのは大きな枠組みの問題ですけれども、単に実際に日本が武力攻撃されるという事態じゃなくて、そういう事態だけではなくて、さらに非常にすそ野の広いところまで含めている、その先には周辺事態とか、ああいうものとの連続性ということをどうしても否定し切れないわけでして、そういう観点で見ますと、これはあえて例えて言えば、イラクに対する攻撃のような、国際の安全と平和のために同盟軍を派遣しよう、そういう動きと連動しかねないと言わざるを得ないのではないか。
 ここでの問題はいろいろとありますけれども、一番の問題は、国際の平和と安全に対する脅威があるということをだれが判断するのかということですね。イラクの攻撃については、国際法の仕組みですと、国連の安保理事会が判断するということになっていたはずなんですけれども、結局、その判断が回避されまして、実際は、アメリカの大統領がこれは危険だと宣言して事態が動いていった、こういうことがありますので、そういうことも今後大いにあり得るわけですから、この法案をつくったということは、そういう事態も当然前提にして、あるいはそういう事態を肯定して、日本をそういう方向へかじを切るんだ、こういうことなのかどうなのか、そこをはっきりさせていただきたいというわけですね。
 私の立場から言いますと、むしろそこには、国として優先すべき課題が転倒されているのではないかというふうに思うわけです。むしろ我々にとって大事なことは、平和への努力がまだまだ足りないのではないか。その平和のための課題というのを、もっと具体的にリアルに描いて、それに取り組むという姿勢を示すことの方が、日本が世界から尊敬されるのではないかというふうに思います。
 もう時間がありませんので、具体的に申し上げることはできませんけれども、私としては、まず四つ日本が取り組むべき問題があると。アジア地域における安全保障協力機構をつくろうということですね。それから、北東アジアあるいは東北アジアといっても同じですけれども、非核地帯条約を結ぼう。それから、国際刑事裁判所条約を批准しよう。それから、NGOや地方自治体の自主的な平和活動というのを支援しよう。
 これは標語的に言えば、第一は、対話と信頼の醸成の努力を怠ってはいけない。それから非核化、そして国際犯罪の処罰、これによって戦争はかなりの部分防げるわけですね。そして大事なメッセージとしては、我々は国益だけを考えて世界の中で名誉のある地位を占めたいと思っているのではなくて、まさに世界の平和を愛する諸国民と一緒に手を結んで共生する、こういうメッセージを日本の国として発していくということが大事ではないかというふうに思います。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)
鳩山委員長 ありがとうございました。
 次に、藤井参考人、どうぞよろしくお願いします。
藤井参考人 藤井でございます。
 毎年のことでありますが、夏になりますと、亡くなった友人たちの弔いの、追悼の集会が開かれ、お話をすることがございます。ことしも行ってまいりました。ことし弔った方は、昭和二十年六月、十六歳で沖縄戦の中で亡くなった、まさに少年のような兵士であります。特攻隊。
 特攻隊は志願でやったんだという説もございますが、十六歳の人々は、もうそんなものじゃない、先生に強制されて実際には行っているわけであります。そして、その人の周りにはたくさんの兄弟や友人がいて、数十年たった今もその人々を思い起こし、そしてどういうふうにすれば私たちの生活が幸せに、平和になるのか、こういう話し合いをするわけであります。
 さっきからのお話を聞いておりますと、全くそういうことと違うんですね。何をとんちんかんなことを言っておられるんだ、こういう感じがいたします。そんなことじゃありません。日本国民にとっての戦争体験というのは、そして平和への願いというのは、そういうものじゃないんです。
 きょうはうんとお話をしようと思って、立派な本をたくさん持ってきました。これは「戦史叢書」といいまして、防衛庁系の機関が三十年余りも前に発行された「沖繩方面陸軍作戦」という本であります。防衛庁防衛研修所戦史室著となっている。これは本当に立派な本ですよ。みんな読まなきゃいけない、必読の書です。そして、もう一つここにございますが、これはこちらの本の抄録のようなものでありまして、「沖繩作戦 第二次世界大戦史」陸戦史研究普及会編というものであります。
 私は、あなた方の本を一生懸命読んでいるんですよ。そして、その中でも立派なものは立派なものだと言っているんです。ところが、あなた方は私の本を全然読んでいない、それは冗談ですけれども。済みません。
 国会でそういうお話もすることはできませんが、ともかく、この「沖繩方面陸軍作戦」というものを読みますと、本当に、涙なくしては巻をおくことができないんですよ。
 ここにはどういうことが書いてあるか。沖縄の最後の戦いにおいて約一万の重傷患者が出ていた。そして、この重傷患者をどうすることもできなかったんだ、助けられなかったんだ。この重傷患者の処理が問題であった。そして「五月下旬首里、津嘉山付近の病院はもちろん、各隊も多くの傷者をかかえており、その数約一万と見込まれた。」この一万をどうやったのかといいますと、この人々に対して手りゅう弾や爆薬や薬品を提供して自決させたんだ、こういうことが書いてある。
 なぜ、この人々は、傷病兵として大事に看護される、そういうことが赤十字条約でも決まっていたにもかかわらず、日本自身がそれに加盟していたにもかかわらず、明治以降ずっとそれでやってきたにもかかわらず、このときだけ何で殺したんだ。そういう負の部分、やってはならないこと、これをやったということについて、例えば歴代の防衛庁長官は総括をやっているのか。こういうことが間違っていた、これからの国民保護というものはこうでなければならないということを言っていらっしゃるのかどうか。何にもありませんね。またやるんじゃないかと、私は本当に恐ろしい思いがします。
 こういう総括もやらないで有事法制だといって、どうして有事に国民の立場できちんと対処できるというふうに信頼できるのかどうか。できませんよ。だから、今の議論というのはだれかがつくってやっていることであって、本当にあなた方が防衛のことを考えて、間違ってはならない、そう思って打ち出してこられている議論ではないんですよ。少なくとも人間であれば、こういうことはもうあってはならないんだ、私としてはこう思うと、本当にまじめにそのことを議論して、そして、かつての犠牲者の皆さんと何よりもやはり話をしてほしい。そういうこともやらないで、何であんた、国会で空虚な議論をして、それでもって日本の政治を動かしていけると思うのか。とんでもない。大間違いですよ。
 そして、まだそういうことはたくさんあるんです。ここに防衛庁からいただいた資料がございまして、これを見てください。これは、日本軍が国外へ出ていって、どこでどれだけ亡くなったかということを、防衛庁の資料で私が整理をしてつくったものです。そして、これを見ますと、本当に、東南アジアにおいては百万人がむだ死にをしているということがはっきりわかります。そして、亡くなった方と生き残った人、大体同じぐらいの数なんですね。
 では、亡くなった方々は何のために亡くなったのかというと、飢え死にだから、全くのむだ死に。帰ってきて、我々はどういうことをやったかという報告もできない。もちろん、亡くなった方が帰ってこれるわけもありませんが。そういう現実を、なぜ皆さん方はよく議論をして、国会で討論をして、そしてそれを政策にして出してこないのか。何にも聞いたことがありませんね。
 私はここに「慰霊と不戦の誓いを」、こういう統計表をつくって、わかりやすいものを幾つも幾つもつくって配っているんですよ。だけれども、あなた方はそういうことを議論しない。ということは、これからまた百万、二百万、三百万とたくさんの人を殺すということですよ、教訓を学ばなかったら何をやり出すかわからないですから。その一番肝心なことを調べてもいなければ学んでもいないんですよ。何で、あちこちでたくさんの人が亡くなったら、それはどこの人々がどういうわけで亡くなったのかということを調べないんですか。DNAでちゃんと調べればいいでしょう。今まで何にもやったことがありませんね。みんなもう、東南アジアでも、あるいはシベリアでもほったらかしですよ。
 だから、こういう空理空論をやっておってもだめだというふうに私は思いますので、今後のこういうふうな安全保障、かけがえのないような大事な問題についての議論というのであれば、ちゃんとみんなで調査委員会か何かをつくって、データをそろえて、そして国民の前にそれを明らかにして、やってください。私は、幾らでもあなた方の本を読んで、そこで、あなた方が読んでいないところを全部こういうふうにして、ちゃんと読んでいますから。私は蔵書という癖はありませんから、本というものは読むものだと思っています。きちんと読んで作業をしてきますから、それで一緒に議論をしましょう。
 さっきからの話を聞いたら全然レベルが低い、率直に申し上げて。こんな議論をして日本のこれからの防衛政策、安全保障政策が出せる、そんなことはありませんよ。おわかりでしょう。立派な方がいっぱいいて、久間先生なんかすごいものですよ。力を発揮しないからだめなんですよ。
 終わります。(拍手)
鳩山委員長 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
鳩山委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。林省之介君。
林(省)委員 自由民主党の林省之介でございます。
 きょうは、参考人の皆様方におかれましては、大変貴重な御意見をお聞かせいただきました。まことにありがとうございました。
 実は、私は、この委員会に所属をいたしまして一年と、そしてこの通常国会ということになります。この席にも三度立ちまして、一度しか質問の機会がありませんでした。二度は、いろいろな事情の中で流会になったというふうなこともございました。大変な紛糾を繰り返しながら今日に至っているわけでございます。
 よく我々のところに、戦争ですか平和ですか、こうおっしゃるものですから、だれだってそれは平和ですよと。だれが好んで戦争をやりますか。ただ、我々が幾ら平和憲法を掲げて、じっと平和平和と言っていても、万一何かあったときにどうするんですか。日本の国として、どうして国家国民、生命、財産、身体を守っていくんですか。そんなことだって考えるのが当たり前でしょう。
 いろいろな議論をする機会がたくさんございました。時間が長かった分、私どものところには、実はきょう最終的に質問をするので、何通のファクスが来たか。きょうも既に八通参っております。これなんか随分、まあまあ優しく書いていただいているんですけれども、おれたちを殺すなとか、教え子を再び戦場に行かせるなとか、おれたちを殺す気かとか、戦争法反対だとか、そのファクスの数は、実に一千八百六十二通であります。
 そして、きょうもお二組の、これはいきなり来られるんですよ。全然下から連絡もない。本当は困ったことなんですけれども、多いグループは八名の女性でございます。東京の商店街の方だというんですね。そして、やってこられて何をおっしゃるかというと、私たちを戦争に行かせないでくださいと。女性ですよ。はっきり申し上げて、いささか何かにつかれていらっしゃるんじゃないかと思いたくなるような方々の陳情、要望が実は九十七件、きょう二件ございましたから九十九件でございます。さらに、嫌がらせの電話と言っていいような内容のものが五十八件。これが、昨年私がこの委員会に所属をいたしましてから今日までの現状でございます。
 ほかの先生方にお聞きしますと、いや、おれのところはそんなに来ないよと。多分、久間先生のところなんかはそんなに来ていないんでしょう。多分、来られたらぱちっと、こうだとおっしゃるから行かれないのかな、来ないのかななんて思うんですけれども、実は、私の事務所にはそれだけの抗議がございました。すべて抗議でございます。
 私も、当然、この委員会に所属をしているということは地元の皆様方も御存じでございますから、先生、ひとつ有事の問題について話を教えてくださいと言うんですね。いろいろな意見交換会を随分とやってまいりました。皆さん方がおっしゃる最終的なところは、どうもきょうのお二組の感じに分かれるわけですが、必要ですよとおっしゃる方、こんなのはとんでもありませんとおっしゃる方、どうも二つに分かれるわけです。
 そこで、きょうはその二つ、皆さん方がどちらかに分かれていく、どちらかといえば最初の方の、一点目の方の御意見が圧倒的に多いわけでございます。それは何かというと、このたびの有事法制によって我々国民の権利や自由が束縛をされる、拘束をされる、このことについて、戦前のような、あるいは戦中のような、そういう状況というのは困りますよと。だけれども、先ほど渡辺先生の方からのお話にもございました。憲法の十三条、中には二十二条、二十九条、結構勉強しておられるんですよ。公共の福祉という言葉をお持ち出しになって、こういうことから考えて、一定のいわゆる権利や自由がある程度制限をされてもそれはやむを得ないとは思うけれども、有識者の皆さん方はどういうふうにおっしゃるんでしょうかねと。
 きょうは質問に立つということをきのう申し上げましたので、ぜひそのことについて聞いていただけませんかということでございますので、大変失礼でございますが、こちらのお三方、西元参考人、小尾参考人、渡辺参考人に、私どもの選挙区の方々のその質問に対して、今回のこの有事法制がどれほどそれじゃ個人の自由やあるいは権利を制限するのか、基本的人権に照らし合わせてどうなのか、この範囲であればいいのじゃないですか、どんな御意見になるのかはわかりません、皆様方の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
西元参考人 お答え申し上げます。
 憲法第十三条の基本的人権について、「公共の福祉に反しない限り、」というこの言葉はやはり重い言葉だと私は受けとめております。基本的人権が尊重されることは当然のことだと思います。
 しかし、それはあくまでも公共の福祉ということが前提としてかぶらざるを得ない。その一つとして、我が国の災害対策基本法の第六十三条から六十五条にかけて、もう先生方は十分御承知だと思いますが、やはり国民の権利と自由を束縛する条項がございます。私は、災害対策についてはそのことが容認され、一方、我が国に対して最も深刻な武力攻撃事態において国民の権利と自由を束縛するということはぐあいが悪いという論理は、どのように考えても私には理解が困難でございます。
 したがって、武力攻撃事態等法案には「国民の協力」と書いてある、ところが、災害対策基本法には「住民等の責務」と書いてあるわけですね。これだけ違う、ある程度の配慮がなされているということははっきりと申し上げておきたいと思います。
小尾参考人 私は、先ほど基本的人権の問題でもうある程度お答えしていますので、そういうふうに御理解していただきたいと思います。
渡辺参考人 どうも御質問ありがとうございました。
 林委員のおっしゃることに異論はございませんので、私も先ほど申しましたけれども、平時であれば許されるようなこともある程度は制限しなければならないという事態に我々はどうするかということを議論しているわけでありまして、そういう必要がないときは必要がないわけであります。明白なことであります。
 しかしながら、我々が今想定しているような事態においては、何らかの形で、一時的にしろ自由、権利というものを制限しなければならないということを想定してやっているわけでありますから、そういうような事態がなくなれば、直ちにそれは解消しなければいけない。これは浜谷参考人もおっしゃいましたけれども、そういう事態が無限に続くわけではないわけで、終わったというときには明確に終わる。非常事態と非常事態でないということをはっきりさせるということは、私は非常に大事なことだろうと思います。
 そして、非常事態が起こっている最中であっても、それについて仮に何か権限の侵害があったときには、後からそれに対する補てんをするとか等々ということが当然考慮されなければならないわけでありまして、私が読む限りにおいては、用意されている法案の中には十分その考慮があるというふうに私は思っております。
林(省)委員 どうもありがとうございます。
 今のお三方のお話を、私もまた帰りまして、皆様方にこうでしたよという御報告を申し上げておきたいと思います。
 あと一点が、先ほど申し上げましたように、とにかく我々のところに来る抗議というのは、戦争法だ、政党によってはまだそういうビラが張られているわけです。戦争法反対、有事法制反対、まだ私の選挙区にもいささかは残っております。
 そこで皆さんがおっしゃるのは、何でこれが戦争法なんですかという疑問なんですね。何か外国から、不審船の問題だとかテロ問題だとか、いろいろな攻撃を受けたようなときに国家国民を守るべき法律であるんじゃないですか、そうおっしゃるものですから、それはそうなんですよと。なのに、なぜ一部の方々が戦争法だ戦争法だとおっしゃるんですか。きょうお見えになって私がたまたまお目にかかった方もそうおっしゃるんですね。私たちを戦争に行かせないでください、これは戦争法です、そう書いてあります、こうおっしゃるんです。どこにそんな条項があるんですかとお尋ねをするんですが、そう書いてあるの一点張りでございまして、とにかく聞く耳を持っていただけない、こんな状況であるわけです。
 そこで、お尋ねをしたいわけでございます。
 私の持ち時間はあと三分ぐらいでございまして、しかも、先ほど藤井参考人につきましては、随分とわかるように、藤井参考人のお話からすると、これはやはり戦争法なのかなというふうに私も理解ができましたので、浜谷参考人、新倉参考人にぜひお聞かせをいただきたいのですが、そういう懸念が次々と、それはもう広げていけばそれはあるのかもしれませんけれども、少なくとも現在審議をしている法律案の中から、どこをどう解釈すればこれが戦争法になる、国家国民を無理やり動員して戦争をしかける法律になるという条項があるのかないのか、そのあたりのところを含めた御意見を賜れば結構かと思います。お二人の方にお願い申し上げます。
浜谷参考人 私もその疑問はそのとおりでありまして、どこをどう読むとそういう解釈になるのかというのはよくわからないというのが率直な感想であります。
 強いて言うとすれば、それは、起こってしまった事態に対して対応している行為そのものが武力行使ですから、これが戦争だ、そういうことが戦争法だと言われることじゃないかと思うわけであります。そういう、実力を行使するということからいきますと、例えば警察が暴力団の取り締まりをするときに、暴力団の暴力も悪いけれども警察の暴力も悪いというのと理屈は同じになってしまいますから、そういう考え方はとり得ないということであります。
 ですから、国民の生命と財産を守るためにはどうしたらいいか。平和的手段が一番いいことはだれでもわかる。しかし、それが破綻した場合にどうするかということの究極の手続法を考えているわけであって、それを御理解いただきたいと思います。
新倉参考人 御質問ありがとうございました。
 戦争というのをどういうふうに定義するかということにもかかわると思いますけれども、法案にはっきりとは書いていないのかもしれませんけれども、要するに、武力攻撃を受けた場合にはそれに対処する、武力勢力を排除するというわけですから、今の浜谷参考人のお答えにもありましたとおり、平和的手段が尽くされた後に何ができるか。その何ができるかというところを定めてあるということですから、それは武力によって攻撃を排除するというわけで、そういう意味では、実力といいますか武力行使ということを想定しているものであるということははっきりしていると思うんですね。
 日本から出かけていって戦争するということをこの法案が考えているということは私は思いませんけれども、日本がそういう事態になった場合には、防衛のためということで武力行使をすることは当然予定されている。それはやはり公平に見て戦争、武力行使というのはやはり戦争だと思いますので、そういう点で戦争法と呼んでも、それはちょっと誇張がありますけれども、間違いではないんじゃないかというふうに思います。
林(省)委員 どうも皆さんありがとうございました。終わります。
鳩山委員長 次に、渡辺周君。(発言する者あり)いや、質疑の中でお二人の、浜谷参考人、新倉参考人に質問をされたので、私としては藤井参考人は指名いたしませんでした。
 渡辺周君。
渡辺(周)委員 民主党の渡辺周でございます。
 きょうは、参考人の皆様方、非常に貴重な御意見、御提言、ありがとうございます。限られた時間ですので、私自身の見解を申し述べながら、専門家の御意見を伺いたいわけでございます。
 今回のこの有事法制の議論、私、昨年からずっとこの委員会におりました。昨年の今ごろは、なぜ有事法制なのだという議論がございました。それは、米ソ冷戦のあのソ連の脅威論が言われているときですら有事法制などというものがなくてもよかったものが、なぜ今になって急に出てきたんだと。
 昨年の今ごろは、正直言って、小泉人気の大変高い支持率を背景にして、ほこりをかぶったお蔵入りした法案を、慌ててほこりを払って出してきた。だから、その内容もまだまだ不細工なものであった。そしてまた、答弁も何かつけ焼き刃的な答弁の中で、非常に私どもも納得がいかない。こんなものでは、とてもじゃないけれども、我々も前提で物を言えば、非常事態においての、これは法治国家としての最低限の法整備はもちろんやっておかなきゃいけないしということは前提でやってきたわけです。しかし、余りにもひど過ぎるということで今日まで来ているわけでございます。
 民主党は対案を出しました。基本法、つまり、平時を想定していた憲法、そして、国家緊急権なき日本国憲法の中で我が国は非常時にどのように対応をするのかということについては、個別法に結局飛ばなければ、個別法でそれぞれが規定をされていた中で、基本法というものが策定をされ、提案されているわけであります。そしてまた、自由党からも法案が出ているわけであります。
 そういう意味では、米ソ冷戦時代になぜ必要でなかったものがというふうに問われれば、これはやはり、昨年の九月の日朝首脳会談において、北朝鮮が日本人を国家ぐるみで拉致したということを認めた。そして、しかもそれがまだ続行中であって、昨日も東京国際フォーラムで、拉致はテロであるという国民集会が、六千人ほどの方を集めて開かれました。その中で、やはりこれは安全保障の問題である。何よりも、拉致が続いているということは、解決していないということは、これは続行中のテロである。ということは、我々の主権の侵害である。残念ながら、この国が隣のすぐ向こう側にある限りは、いつ何どき次なる国家に対する、まあ瀬戸際外交などという言葉がありますが、私に言わせれば、外交ではなくて、これはもう完全な一種の主権侵害の国家ぐるみの行為である、国家的脅威であると私自身は思うわけでございます。
 この問題がクローズアップされて、ある意味ではお茶の間の中でもこの問題が取りざたされたことによって、やはりこの国に、まだまだ周辺にはこういう脅威が存在しているんだということについて、先ほど自民党の林先生がおっしゃっていましたけれども、私自身が説明するとなると、これは攻める法律じゃなくて、守るための法律なんじゃないか。だからこそ我々は、いかなる事態においても国民をまず守る、国民の生命財産を守るという観点から、この法案を前提入りでつくったわけであります。
 その一つの政府案あるいは与党修正案の中でない概念として、危機管理庁という、先ほど小尾参考人の方からは非常に評価をしていただく御意見をいただきましたけれども、この危機管理庁という存在について意見があるのは、また新しい役所をつくって新しい予算をつくるのかと。そこについては明快に、平時の役所と有事の役所は違うんだ、現行予算の中で人員を一人もふやさないでやる、これはある意味では行革そのものではないかというような御指摘をいただきました。
 この点について小尾参考人に改めてお尋ねをしますけれども、では、例えば危機管理庁をつくった場合に、平時はどのような活動を我が国ではしておくべきか。アメリカでは、例えば連邦対処計画というものを立案して準備している、専門家の育成をやってその名を高めている、地位をあらしめているということでございますが、もし日本でFEMAを設置するということを今後考えていくとなれば、平時の役割をどのように考えたらいいだろうか。
 そしてもう一つは、西元参考人に、このFEMA構想についてはどのような御見解をお持ちか、お尋ねしたいと思います。
小尾参考人 お尋ねの件ですけれども、まだ日本にそういう機能が十分中枢的にないわけですから、考えられることは欧米を例にとるということだと思います。一つは、有事に対する専門家が、自衛隊等は別にして、国民レベル、つまり民間防衛という視点でのNPOとかボランティアとかネットワークですね、地方公共団体を含めてまだまだ十分なレベルに達していないわけですから、その教育訓練、国民啓蒙活動がまず一番大事だというふうに思います。
 それから、大災害とかテロとかその他、有事というのはいつ起こるかわからないわけで、平時と有事の活動という区分で、平時だけととらえるのであれば、私は、まず人材育成を大至急アメリカ並みの、アメリカのFEMAは五千人もいて、地方にいろいろ事務所もありますけれども、そんな大きなものを期待しないとしても、民間が協力できるネットワークの中での中枢的な役割をする教育訓練、啓蒙活動、あるいは研究活動の、例えば、FEMAも国土安全保障省ということであれば、生物、化学等の大量破壊兵器に対する対策も練っているわけですから、そういった研究開発も含めた人材育成をまず平時にやっていただきたいというふうに思っています。
西元参考人 お答え申し上げます。
 結論として、危機事態においては時間が勝負でございまして、そのためには一元的な指揮統制ということが非常に重要であるということは論をまたないと思います。私は、このことを、阪神・淡路大震災の際に、本当に痛切に実感として受けとめました。したがいまして、そのような組織が必要であるということは認識いたしております。
 一方において、我が国においては、内閣法、内閣府設置法、それから国家行政組織法並びに各省庁設置法などの規定とどのようにこれを総合して最終的に結論を出していくかということについては、私は法律の専門家でございませんのでわかりませんが、常識的にはそのように考えておりますので、どうかこの点も先生方でぜひ御議論の上、将来の方向として一つの方向を定めていただければ、このように希望いたしております。
渡辺(周)委員 やはりこの危機管理庁という概念が、当然のことながら、多岐にわたるさまざまな行政機構のいわゆる縦割りの弊害と言われて、例えば情報の伝達一つをとっても対応ができない。一つの例を挙げますと、今回の拉致問題をめぐっても、外務省と内閣官房では意見の相違があった、あるいは連絡が不十分であった。実際、先般もそういうことがあったわけでございます。つまり、後から気がついて修復する、あるいは何らかの形でリカバーできればまだいいのかもしれませんが、これは、まさに決断を求められたとき、対応するときに、各省庁からどうしたらいいのかということで、その協議をするだけでまた時間がたってしまう。この概念は、私どもはやはり必要だ。
 ただ、批判を浴びがちな、またここで新たな役所をつくって新たな予算措置を、どうせ、もし大きなことが起これば、国家的脅威が起きた場合には、これは、災害も含めて何らかの補正措置が行われるでしょうし、アメリカの場合は大統領権限で専決事項があるわけでございますが、地方自治体においては何らかの形で、例えば知事なりが、もし地方の機関に対して指示をするときには何らかの関与ができるのかなとも思うわけでございます。
 こうした中で、先ほどお話がありましたけれども、例えば、FEMAの地区運営局というところに正規職員が千人、しかし、四千人ほどのいわゆる臨時的予備職員やボランティアが対応、復旧に当たるというような仕組みになっているわけでありますけれども、今、我が国において、では、民間防衛、そのサポートする専門家をどのように育てるか。
 例えば阪神大震災を経験された方々が、私の出身地である静岡県にも災害ボランティアをつくられた方がいます。実際、蘇生処置のような応急手当を消防署なんかに行って実際に勉強して、何らかの救急救命的な基礎知識だけは持とうと。しかし、残念ながらそれは一部でありまして、なかなかまだ全国的な組織にはならないわけでありますが。
 そうした中で、例えば日本の場合、こうした緊急事態における民間ボランティアの育成というのはどういうふうにしたらいいだろうか。その点について、もし、アメリカの例にお詳しい小尾先生の方から、もう一言何か、我が国においてどのようにして育成するかということが御示唆いただければ、この場でお答えいただきたいと思います。
小尾参考人 一言で言えば、FEMAを先につくらなければ、日本の現状からすると、民間防衛のボランティア組織、NPO、ネットワークというのは簡単にはできないのかなというふうに思います。アメリカの場合は、歴史もありますし、また、テロ等に対する危機意識というのが非常に高い国民を擁していますので、その辺は、まずFEMAをつくるのが先かなというふうに思います。
渡辺(周)委員 もちろんそうなんですが、ただ、人材というのは突然出てくるわけじゃございませんので、日ごろから、自治体を含めて、そうした機運を高めていくことも必要だろうなというふうに思います。
 時間がもう五分を切ってしまいまして、ちょっと総論に、最後締めたいわけでございますけれども、先ほど浜谷参考人の方から、即断を求められる政府と、そして、多様な情報と多様な議論の中で真実へのアクセスをする議会とは違うのであるというふうな御意見がございまして、まさに、非常にわかりやすい言い方をされたわけでありますが、我が党の場合は、武力攻撃事態があって、それを中止する、あるいは国会が関与することによって、認定するに当たって国会に情報を提供せよ、国会で、当然のことながら、国民にも当然情報を提供するし、その明確な証左について出すべきである、そして、終わるときにも国会が関与するべきだというふうなことも、一つ、政府案あるいは与党修正案にない部分について盛り込んだわけですが、その点についてはどのように御評価をいただけるでしょうか。
浜谷参考人 その手続についてはおおむね了解しておりまして、私の理解するところと大体同じだろうと思います。
 ただ、出すべき情報というもの、今度は中身の問題になってくるわけですね。結局、情報によっては、要するに相手方を利するだけのものというのもございますし、そういうことを考えたときには、何から何まで全部開示せよということ自体は無理があるというふうに思われるわけであります。ただ、国民に開示するということは、これは民主国家としての当然の責務でありますから、そういう意味で情報開示というのを求めるということは妥当だろうと思います。
渡辺(周)委員 当然、いかなる手段を用いてどういう情報をどこから得たのかということについては、これははっきり言って、国家のまさに安全保障の根幹にかかわる部分として公開できない部分ももちろんあるということは百も承知でございます。
 ただ、その点について、昨年のテロ国会を思い出しますと、本当にビンラディンがあの九・一一に、一昨年ですか、関与したかどうか、その明確な証拠は、テロの首謀者であるという証拠は一体どこにあったのかということで国会に実は資料が提供されましたけれども、それも、正直言って、いかなるところからどういう形で来た証拠であるかということまでは我々ももちろん追及はしなかったわけであります。
 ただ、残念ながら、その中身が余りにもわかりにくくて、本当にこれが証拠と言えるものなんだろうかということは、当然国会でも質疑をいたしました。ですけれども、民主的統制ということが、やはり関与しないと、これは権力の乱用と暴走をしてしまうということを我々は非常に懸念しながら対案を作成したわけでございます。
 最後にもう一度小尾参考人、西元参考人に伺いたいわけですが、特に西元参考人には、基本法がないという中で民主党は基本法を出したわけでございます。そして、与野党でいいものをつくってくれというような御意見も、こちらのいただいた資料の中にございますけれども、改めて、民主党が出した法案についての御意見を西元参考人と小尾参考人に伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
西元参考人 お答え申し上げます。
 先ほど意見で申し述べましたとおり、国家緊急事態法制というのは、私はどうしても必要だと考えております。
 最も望ましいのは、ドイツの第十七次改正、一九六八年の基本法だと思いますが、これに類するようなものが我が国の憲法にきっちりと規定されているということがどうしても必要なわけでございまして、ここのところは、まず、憲法調査会の方で是が非でもそのような方向に御議論を持っていっていただくということが最も重要なポイントだろうと思います。
 現段階において、それを、それでは憲法まではまだ時間がかかります。したがって、そのもう一つ前の段階で基本法制を整備していただくということは重要な問題だと認識しております。それについて、時間がかかります。多分時間がかかります。ということは、もっと重要な問題が先送りにされるということだけは避けていただきたいという考え方でございます。
小尾参考人 民主党が対案を出したということは、大変高く評価したいと思っております。
 国家の危機とか安全保障、あるいは大災害を含めた有事に対する国民の願いを生かすということであれば、与党と野党第一党が十分議論をして、そして一つの法案にまとめるというのが、国際的に見ても常識的な範囲じゃないかと思いますので、与党に対する対案が出たということは評価する。
 要は、評価の次として、与党と野党がどうこれを上手に料理していくという、お互いの主張を生かしていくかということは、また国民が大変関心を持っていますので、その点については今後の趨勢を見守りたいなというのが感想であります。
渡辺(周)委員 終わります。
鳩山委員長 次に、赤松正雄君。
赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 きょうは、六人の参考人の皆さん、大変に貴重な御意見ありがとうございました。
 かつて、藤井参考人の書かれたものをよく読んだ私としましては、藤井参考人は長い間全然変わられないなという感じを強く持ちました。私の方は大分変わったのかなという意識を持って聞かせていただいたような気がします。
 まず、新倉参考人にお伺いしたいんですが、要するに、先ほどのお話の中で、優先されるべき課題が転倒している、こういう御指摘がございました。私は、先ほど参考人がおっしゃった四つの点、アジア地域における安全保障協力機構の設立、あるいは北東アジアの非核地帯条約の締結、非核化等々の四つの御提案というのは非常に意義のある提案だと思うんですけれども、先ほども、同僚の委員からの質問にも似たような角度の質問があったわけですけれども、そういったことは当然やっていかなくちゃいけないことで、私どもも、政府がやらなきゃいけない、そういう角度でしっかりと促進するというか、カバーしていきたいと思っておるんですけれどもね。
 ただ、問題は、先ほどの参考人の御意見をお聞きしていると、言ってみればアメリカの戦争に協力するための、私のとらえ方ですけれども、戦争協力法制だというふうなおっしゃり方なんです。そういう御認識は先ほどのお話でもわかるんですが、それはさておいて、要するに、純粋に日本の国が攻撃を受けたという形における、そのときにどう国民を保護するために対処したらいいのか、純然たるその部分。優先されるされないというのは、百歩譲りまして優先されるべき課題を転倒したとしましても、では、その次に来るべきものに対してどう対処したらいいと思っておられるんでしょうか。
 つまり、私が衆議院の憲法調査会で先生と同じような意見を持たれる方に質問を実はしたことがあります。そのときの答えは、そういう場合はどうするかというと、何もしない。要するに無抵抗だと。無抵抗であるということがより一層被害を少なくする、こう答えられた委員が一人いました。もう一方は警察力で対応すると。なぜか。それは自衛隊が憲法違反の存在であるからという答え方だったと思います。
 そういうふうな角度で、要するに、どういう形でアメリカとの角度、さっき先生がおっしゃったことはよくわかるんですけれども、そうではなくて、純粋に日本の国がある国から攻撃を受けたというときに対する国民を守るための法制度というものは、優先度は低くとも必要と思っておられるのか。それとも、そうじゃない、それはもう要らないんで、そういうふうな形でもってやるのはどうしてもアメリカとのかかわりがあるからまずいんであって、要するに、そうじゃない外交的手段の限りを尽くすということでとまっておられるのか、思考を停止されているのか、失礼な言い方ですけれども、その辺をお述べいただきたいと思います。
新倉参考人 御質問ありがとうございました。
 なかなか際どいところをついてこられたという感じがします、ある意味では真情告白みたいな感じがしますけれども。私としては、実際に攻められたときには何ができるかというふうに考えれば、何でもできるんじゃないかという感じはしますね。そこら辺については、あらかじめ法制が必要かといったら、現在の法制で十分間に合うんじゃないかというふうに私は考えているわけですね。
 それは多分、軍事力だけで武力攻撃に対して対処できるというのは、私なりに言えばちょっと甘いんじゃないか。国民の協力というのは、やはり法律をつくって協力を求めるというのは、そちらの側では筋だというふうに思いますけれども、私から言わせると、そうではなくて、もっと国民が、平和のための努力をこれだけやっているんだという納得の上で、その上で自発的に協力といいますか、協力よりも、やはりみずから国を守るという努力が出てくるんじゃないかというふうに思うんですね。そういう点で大分考え方にずれというか差はあるのかもしれませんけれども。
 そういう意味で、こういう形での法案をつくっているというのは、そういう国民の自発的な努力というのをむしろ封じ込めてしまうことになるんではないかというふうに私は思っております。だから、それは、さっき四つ挙げた課題というのは全部外交的努力の問題なんですけれども、そういう外交的努力をする中で、日本国民自身もみずからやはり平和を実現する力として実力を蓄えていくんじゃないかというふうに思うわけで、そういう国民が、本当に他国から攻められたとき、では何をやるのか。それはあらゆる手段をとるでしょう。私はそういうふうに信じております。
赤松(正)委員 ありがとうございました。参考人のお考え方がそれなりにわかりました。
 それでは、西元参考人にお伺いしたいんですが、一つは、先ほどいただいたレジュメの中で二ページの二番目の武力攻撃事態等の認識についてのくだりで2から3に移るところ。つまり、今、要するに伝統的な形の、国家が国家を攻める形というのが想定されていてずっと有事法制の議論が進められてきたわけですが、そこへ昨今の、昨今というよりも、淵源をたどれば二十世紀後半から始まってピークとしてのあの九・一一テロという形、あるいは日本が北朝鮮からのテロ工作船、こういう形のものの出現という形で、言ってみれば、日本人の関心が今まである意味で意図的に封ぜられていたというか、関心がいま一歩低かったという有事法制のところにテロという事態が起こって、両方同時に、その効果によって有事法制そのもの、伝統的な有事法制というか、国家対国家の紛争事態にどう対応するかという問題が惹起されてきたということだろうと思うんです。
 先ほどのお話、ちょっとお言葉足らずだったと僕は認識しているんです。2から3に至るくだり。要するに、国家対国家の伝統的な紛争、そしてテロと、いろいろなあいまいなものから明白なものまであらゆるレベルの武力攻撃事態があり得るものと思われるとおっしゃった上で、その後、最近の我が国を取り巻く情勢からもこのような事態が起こらないという保証はなく、国民の多くがそのことを心配しているというふうに言われて、結論として、ありそうもない冷戦時代に想定された着上陸侵攻への対処を想定した法案だという指摘は当たらない、こうおっしゃっている、ちょっと論理の飛躍というか、言葉が少し足らないんではないのかと思うので、もう少しそこのところを。
西元参考人 御指摘、大変ありがとうございます。そこのところは、確かに私も言葉足らずだったのではないかと思います。
 と申しますのは、専ら本格的な武力攻撃、いわゆる冷戦時代に想定されたような着上陸侵攻だけを目指した、それに対処するだけの法案というわけではないという理解でございまして、武力攻撃事態には、非常に低烈度のものから高烈度のものまで幅がございますということを申し上げたかったわけであって、そのすべてに私どもは対処しなければいけない、国家として。そして、武力攻撃事態等法案というのはそのすべてに対応するものである、このように理解しておりますので、専ら着上陸侵攻というようなことを想定したものではないと理解しております、こう申し上げたかったわけでございます。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 そして、さらに西元参考人に確認といいますかお伺いいたしますけれども、要するに私のとらえ方としましては、今おっしゃったようなことも私はとらえているんですが、まずは、今そのことが、つまり、参考人のお言葉を引用しますと、冷戦時代に想定された着上陸侵攻というものを今の時点で全否定するということは私は当たらないというか、つまり現在の時点で考えづらくても、これから先起こり得る可能性なしとしないという、そういった意味において、国家の基本的な構え方として、今それはテロという事態が起こってそちらに人々の関心が集まっていても、やはり主たる対応の土台というか基本は、国家としての基本的な構えとしての伝統的な有事対応、これをまず主力に置く。
 同時に、今、昨今の事態としてのテロにどう対応していくかというのは、私自身の今現在のとらえ方では、現行法であらゆる角度で対応する、そこを最優先させていく。つまり、どちらが主かといえば、そこを主にして、法案には、今参考人おっしゃったように全部ちりばめてあるんですけれども、同時に、国家としてテロにあらゆる手だてを尽くして対応していく、こういうとらえ方でいるんですけれども、何か御意見ございますでしょうか。
西元参考人 お答え申し上げます。
 確かに武力攻撃事態というのは、今御指摘の例えばテロ、一般的なテロをこれは意味しますが、テロ、武装工作員あるいは工作船の侵入といったものは、これは警察行為なのか国防行為なのか非常にあいまいな部分でございまして、必ずしもこの事態すべてを武力攻撃事態と言うわけにはいかないと思います。ここの区分けが非常に難しい点があることは事実であります。
 そしてもう一つ、先生のおっしゃいます最後の最も厳しい場面でございますね。これは、相手が強制的な意思を持って継続的に我が国の独立・主権と国民の生命財産に深刻な影響を及ぼすわけですから、それへの備えというのは、仮に今は想定されていなくても、将来のためにそこへの備えというものも十分に持っておく必要があるということは申し上げるまでもないと思います。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 渡辺参考人にお伺いいたします。
 先ほどのお話の中で、二つ目の権限の限定というくだりの中で、一番最後にすっと述べられたことについてもう少しお詳しくお考え方を聞かせていただきたいんです。
 国民の協力というくだりについて、全体の精神をしっかりと書き込んだ方がいいというふうなニュアンスでおっしゃったような、そういうふうに私には聞こえたんですが、この国民の協力のくだりについて、今の政府・与党が出している案、そして修正案の表現よりも、もっとさらにこうこうこういうふうな格好にすべきだというお考えをお持ちなんでしょうか。その点についてお考えを聞かせていただきたいと思います。
渡辺参考人 正直言って、私、それほど法案の条文が隅から隅まで頭に入っていないので、御質問に的確に答えられないのは大変申しわけございません。ですから、具体的にここをこうしたらいいというお答えができないということをまず告白しなきゃいけないんです。
 どうも一般の議論の仕方としては、先ほども申しましたように、国家が非常事態において権限を集中する、そのためには、平時には許されるような国民の自由というのがある程度は制限されなければならない、それはそのとおりだと思うんですね。そのとおりですけれども、それだけを言っていると、何となく、国家の必要と国民の自由というものが本来相対立しているというふうなとらえ方で、その上で、全体に立って、これ以上しちゃいけないとかいうふうな議論になっているような気がするので、本来そういう問題ではないのではないだろうか。国家と国民がそれぞれの立場で共通の事態にどう対応するかということであって、私も、自発的に国民がこのような事態でどうするかというふうに考えなきゃいけない。
 これは法律の中に書くとかいうような問題では多分ないだろうと思うんです。ですから、法律にこう書いてくれという注文ではなくて、全体に御議論なさるときの精神といいましょうか基本的な考え方として、皆さんがそういう認識のもとに議論していただければありがたいということ以上には申し上げられません。
赤松(正)委員 ありがとうございました。
 最後になりますが、浜谷参考人に、最後に先ほどのお話の中で締めくくられた、与野党合意に基づく成立をというお話で締めくくられたわけですけれども、先ほど、危機管理庁、日本版FEMAについてのお考えを述べられましたが、それ以外の点、例えば国会の関与ですとか、あるいは、私なんかも与党の一員でありますけれども、実際の細かい、今筆頭間協議でやられている協議の中身は存じ上げないんですが、幾つかのポイント、国会の関与あるいは国民保護法制ができるまで法施行は凍結するとか、幾つか、細かいものから大きいものまでありますけれども、その辺について、その辺について考え方を述べよというのも変な話ですが、ちょっと御意見を最後に聞かせてください。
浜谷参考人 その辺について申し上げたいと思いますが、FEMAの件は、私は今回は指摘をしませんでしたが、これは前から論文もしたためてその主張をしていたところでありますので、若干のコメントをしたいと思います。
 アメリカのFEMAのコンセプトというか理念というのは、いわゆる国民にとっての緊急事態というのは、起こった事態を問わない、要するに、有事であろうがテロであろうが大災害であろうが、国民にとっての緊急事態というのは生命財産が脅かされることすべてだ。それに対する対応を考えたときには、それに対するすべての対応ができるようなものとしての機関が必要であって、まさに縦割り行政の批判から出てきたんですね。したがって、いわゆる大災害に役立つものは有事にも当然役立つものだというのが理念としてあったんだろうというふうに思います。
 FEMAの特徴というのは、いわゆる縦割りを排するということですから、各省庁が従来持っている機能というものとそれから各省庁のいわば役割というものをマトリックスに仕上げて、そして、何かの機能を発揮するにはどことどことどこの省庁がかかわるということがあらかじめだれの目にも明らかなような、そういうシステムができ上がっているということなんですね。
 したがって、日本の場合も、そういう省庁を単に一省庁としてつくっただけでは、いわゆる縦割り行政の弊害がまたそこに出てくるだけであって、これは問題があるだろう。しかし、アメリカの機能重視という、機能横断的な、各省庁横断的な、そういうものの発想からするとすればこれは非常に役立つことがあるかもしれないという程度の感想であります。
 それから、修正協議については、いろいろな意味でハードルが高いとか低いとか、対案が出たことが、その対案自体がハードルだとか、いろいろな議論があるわけであって、先ほどの最後に申し上げましたように、対案をハードルだけに使ってほしくない。要するに、野党第一党と与党との合意でやるというのは、先ほどどなたかおっしゃいましたように、これはまさに近代国家、民主主義国家の当然とるべき道だと思いますので、その辺は十分に議論を詰めた上で成案を得ていただきたいというふうに思っております。
赤松(正)委員 ありがとうございました。終わります。
鳩山委員長 次に、中塚一宏君。
中塚委員 自由党の中塚です。
 参考人各位におかれましては、大変御苦労さまでございます。
 私ども自由党は、今回この委員会に、安全保障基本法と非常事態対処基本法という二つの法律を提出させていただいております。先ほど来、参考人各位の御意見陳述の中でもありましたが、我が国憲法が、自衛権の問題であるとか、また、非常事態、緊急事態ということについての明文規定を欠いているというふうなことがあります。
 私どもは、日本国憲法の三大基本原則というものがあるというふうに考えていまして、一つは国民主権、そして二つ目に基本的人権の尊重、三つ目に国際協調主義(平和主義)ということだと思うんですが、この三つの原則というものは最大限尊重をしていかなきゃいけません。理念を尊重していかなきゃいけませんが、その上で、明文規定にないものを基本法制定をして補完していく、この考え方について、浜谷参考人と小尾参考人の御意見を伺いたいんです。
浜谷参考人 御承知のように、日本国憲法の三大基本原理というのは、これは私が学生に講義をしていることでありますが、今挙げられた三点、それにほかならないと思います。
 ただ、その三点が全く同じように平等に扱われるかどうかということについてはいろいろ議論がありまして、本来は、国民主権という考え方と基本的人権の尊重ということを目的にして、そして国際協調主義と平和の実現ということはその手段であるというふうなことが言われます。すなわち、平和が手段であって、人権が犠牲になってもいいという感覚ではなくて、人権を保障するためにはその前提として平和が必要なんだという観念になりますから、当然、その平和をどうやって守るかということが人権を守るための必要な手段ということになってくるわけであります。
 そうしますと、いわゆる国には、当然国家の属性として自衛権というものがあるわけでありまして、その自衛権というものをどうやって行使するかというのは、各国々の主権に任されているということであります。その自衛権を全うするために、憲法の先ほど申し上げた空白部分というのを基本法としての理念に置きかえて、そしてこの理念に基づいて各法を整備するということは、それは憲法の理念に合致しこそすれ、反するものではないというふうに考えております。
小尾参考人 私も浜谷参考人とほぼ同じでありまして、憲法の空白部分を基本法で補うということは正しいと思っております。
中塚委員 ありがとうございました。
 私どもの提出しております非常事態対処基本法というのは、目的のところで基本的人権を守るということを明記いたしておりまして、やはり基本的人権を守るために国が何をするのかということを非常に重要な観点と考えております。
 次に、その基本原則のうちの国民主権ということなんですけれども、これは浜谷参考人の先ほどの御意見の中にありました有効期限つき国会承認制あるいは国会拒否権ということなんですが、そもそも、非常事態あるいは緊急事態、武力攻撃事態というときに、その布告なり対処というものが始まる、始まるのは、最高権力者であったり最高責任者である人が決めて始めるということなんだと思うんですが、それは、議院内閣制ですので、国会の与党の多数派の方がおなりになっているわけですから、始めるときはその最高責任者の方の御判断で始まるということだと思うんですけれども、事態が推移をしていく中にあって、やはりその事態に応じての判断というものをどういうふうにしていくかという意味で、国会が国権の最高機関ということでもあるわけです。
 この有効期限つき国会承認制、国会拒否権、私どもの案でも、国会が不承認という場合にはその布告を取り消すということを明記しておりますが、浜谷参考人、この点についてもう少し詳しくお話をいただけますでしょうか。
浜谷参考人 始まるときは時の政権の判断によって始まるというのは、その時の政権というものが、民主主義的な合理性といいますか、民主主義的正当性のもとで民主国家の中で選ばれている限りはその判断を尊重するというしか民主主義社会はあり得ないわけですね。
 ただ、その判断は往々にして誤る場合もある。それから、その判断の根拠にされた前提とか条件とか、そういうものが後に違うということも判明する場合もある。しかし、そのときに一切その承認を取り消せないとすれば、時の政権にまさに白紙委任した証文を持たせてしまうわけであって、そういうことのチェック機能が国会にしかないというふうに考えたわけであります。
 したがって、承認行為については、事前であろうが事後であろうが、事実上は、緊急の場合は事後承認というのはだれでもわかっていることなんですね。したがって、そういうことにこだわるということよりは、むしろそれに期限をつけて、そして自動更新はさせない。ですから、改めてその承認効果というものを継続させるためには、事前に、期間が満了する前に事前承認を求める、まさにこれは事前承認なんですね、求めるということによって国会のチェックが働くんじゃないか。
 したがって、国会のチェックというのは、それまでにいろいろな情報とか誤りとかそういうものが判明してくるでありましょうから、それに基づいて真実にアクセスする方法をとることが国会の本来の役割ではないかというふうに考えて、そのように提案させていただいたということでございます。
中塚委員 ありがとうございます。
 次に、西元参考人、小尾参考人、浜谷参考人のお三方に、自衛権の問題についてお伺いをしたいわけですが、現実問題、我が国に対する武力攻撃というものが起こった場合には、米軍、合衆国との共同の作戦というものが想定をされていくわけです。そのときにいつも集団的自衛権の問題がありますが、私どもは、そもそも自衛権というのは個別と集団とを分けるものではないというふうな考え方でおります。かといって、では、集団的自衛権を我が国が持っているからといって、それをフル規格の集団的自衛権で、例えば同盟国の国土が攻撃をされたからそこまで応援に行くんだということではなく、自衛権は、個別、集団に分けないけれども、抑制的に使っていくんだ。我が国に対して直接の攻撃があったり、あるいはその攻撃のおそれがある場合に限り自衛権を行使する。
 例えば今回のイラクの戦争についても、イギリスとアメリカは同盟国ということでああいうふうに共同で作戦をとりました、我が国は、支持をするといった割には何もしていないわけですけれども。加えて、ではドイツとフランスだって、アメリカとは同盟国といえば同盟国なわけですね。
 そういう意味で、集団的自衛権というものが行使できるからといって、常にフル規格的に使わなければいけないというものではなく、政策判断によって、この場合には集団的自衛権を行使すると。
 私どもの考えは、先ほど申し上げましたとおり、我が国が攻撃をされる、あるいはそのおそれがあるときに米軍と共同対処をするという意味においての集団的自衛権行使なんですが、こういった考えについてはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
西元参考人 お答え申し上げます。
 私は、憲法の上でも自衛権が完全に否定されていない以上、自衛権を持つということは自明の理だと考えております。したがって、その自衛権は、国連憲章に言う個別的、集団的とを問わず、国家として自衛権は保持している、このように考えております。
 ただ、その行使につきましては、今先生がおっしゃったことと私の考えは基本的には同じようなものでございます。ということは、例えばアメリカが攻撃された、アメリカにまで出かけていって集団的自衛権を行使するといったようなことは、それは常識でも考えられないことだと思います。
 ただ、私たちが国際協力、国際平和協力ということを考えますと、集団的自衛権の行使が余りにも厳密かつ狭過ぎた解釈がなされていて、それが我が国の国際平和協力を非常に大きく縛っているということもまた事実だろうと思います。これはこの武力攻撃事態等法案とは必ずしも関係ございませんが、基本的な法制の中でぜひ御検討をいただきたい事項だと考えております。よろしくお願い申し上げます。
小尾参考人 集団的自衛権という問題を考えますと、私としては、日本が攻撃される、あるいは攻撃されるおそれがある、そのためにアメリカ軍が守る、そのアメリカ軍が攻撃された場合は日本はそれに協力する、そういう義務があってもおかしくないだろうという考え方であります。
浜谷参考人 集団的自衛権につきましては、保持はすれども行使できずという有名な政府解釈がありまして、できずというところにちょっとひっかかるわけでありまして、行使できる、しかし、するかどうかはわからないわけであります。
 まさにおっしゃったように、フル規格で常に集団的自衛権は持っていれば行使しなければならないなんてことは全くございません。今の政府解釈でいきますと、行使できないとして、できる範囲を天井すれすれまで上げていくことの方が非常に危惧を持たれるわけですね。
 ですから、私は、できるとして、政策判断によってやるかやらないかを国会で決めていくことの方が合理的であろう。実は、できないといって天井すれすれまでやったことと、できるといって制約的に使ったこととはほとんど差がないんじゃないかと思うんですね。
 したがって、その辺を国会で十分議論して、やるかやらないかを決めていけばいいという感じがいたします。その場合に前提になるのは国会議員の先生方の正確な軍事知識でありまして、これをぜひ、軍事知識がなければ国会議員になれないぐらいの、そういうような事態に日本もなればもうちょっと真っ当な議論があるんじゃないかというふうに考えております。
中塚委員 次に、民主党の対案、緊急事態への対処及びその未然防止に関する基本法案ですか、先ほどから出ておりますいわゆるFEMAの問題がありますけれども、FEMAはアメリカがモデルなんだと思うんですが、私どもの非常事態対処基本法案というのはイギリスの方のウオーキャビネット、インナーキャビネットというのをモデルにいたしておりまして、あらかじめ内閣の中に、閣僚を限定した形でインナーキャビネットをつくっておいて、それに加えまして対処基本方針というものを常に策定しておくべきだというふうに考えております。
 この私どもの考え方と日本版FEMAということについて、小尾参考人と浜谷参考人、御意見がありましたらお聞かせをいただきたいというふうに思います。
小尾参考人 日本版FEMAについて先ほどから何回か私も答弁させていただいていますけれども、横断的なネットワークということが非常に重要なことでありまして、先ほどからいろいろな方が言う縦割りとか重複とか、そういうことがない、また、緊急という、非常事態という、時間単位で国民の運命が決まるようなことに対する行政的な中枢機能というのですか、そういうものができることは好ましいということで、今の御質問の趣旨も含めて、そういうことであれば、設立に向けて国会の方で大いに努力していただきたいと思っております。
浜谷参考人 FEMAというのがイメージで出てきますと、FEMAさえできればバラ色で、何でも解決するんじゃないかという、そういうまたイメージだけがひとり歩きしているわけですね。
 アメリカのFEMAをよく御存じの方だと思いますから、アメリカのFEMAの大きな一番の役割というのは、要するに、各省庁の持っている能力と機能をコーディネートするということなんですね。それで最大限の持っているものを発揮できるということですから、FEMAをつくって、そこが全部たちどころに何か解決ができるというようなことではないということを前提にして申し上げたわけであって、それには縦割り行政とかそういうものが最大のネックになるんじゃないか、それをクリアしているような組織であれば日本でも役立つかもしれない。
 ただ、それには底辺の組織が必要でありまして、いわゆる各地方自治体が持っている自主防災組織であるとか、そういうものの基盤整備とかいうものもあわせてやっていきませんと、FEMAというのが中央官庁でできればすべて解決することにはならないということを前提として考えていただきたいというふうに思っております。
中塚委員 ありがとうございました。終わります。
鳩山委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党衆議院議員の赤嶺政賢です。きょうは、参考人の先生方、大変ありがとうございました。
 参考人の先生方のお話を伺っておりまして、新倉参考人の方から最初に戦後の大きな決意ということを申されました。そして、藤井参考人の方からは沖縄戦のお話がありました。私自身が沖縄に生まれて、戦後の沖縄の荒廃の中で育ってきましたので、具体的なリアルな場面が思い出されながら、そして改めて戦後の大きな決意が本当に大事だということを先ほどのお話で感じているところでございます。
 そこで、きょうは、ただ、法案の参考人質疑ということになっていますので、少し法案に沿って質問をしていきたいんですけれども、結局、議論を聞いていますと、この武力攻撃事態法なるものはいわゆる守る法律なのか攻める法律なのか、こういうことが議論であったと思うんです。
 そこで、お話を聞いていますと、守るといっても、冷戦時代の着上陸侵攻というのは今直ちに想定できるものではないんだと。以前の内閣の話でいくと、万々が一に備えて、備えあれば憂いなしということになるんでしょうけれども、そこがいまいち、この法律の性格が非常にぼやけている。しかし同時に、私、今の国際情勢の中でこの法律を見ていった場合には、この法律が持っている本質的な面がすごくよく見えてくるんじゃないか、このように考えるんです。
 そこで、新倉参考人にお伺いをしたいんですけれども、参考人の方からはこの法律の絵柄というお話がありました。大きな絵の一部だということもありました。そして、その中で日米新ガイドラインだとかアーミテージ報告だとかということもお話としてあったわけですが、これに加えて昨年のアメリカの国家安全保障戦略ですね、先制攻撃戦略として今議論をされているわけですが、この法律が守る法律か攻める法律かということを見る前に、そういういや応なしにアメリカとの関係が問題になっていく、そのアメリカが今国家安全保障戦略という戦略を打ち出してきている、そのことについて先生の方の御意見というかあるいは所感というか、お聞かせ願えたらと思います。
新倉参考人 御質問ありがとうございます。絵柄というのは私が言い出したことですけれども。
 アメリカの戦略についてはもっと詳しい人がいるかもしれませんけれども、私の理解している限りでは、アメリカは、今回のイラクに対する戦争はどうして行ったかというと、最初は大量破壊兵器を蓄えていて近隣諸国を脅かす、こういう理由だったわけですけれども、その後、大量破壊兵器はどうも発見できないということで、イラク国民を圧制者から解放する、こういうふうに言ったわけです。同時に、ブッシュ大統領というのは非常に大事なメッセージを出しているわけです。つまり、それは他国のために介入するという論理でしかないわけですけれども、そうではない、まさにアメリカの国益が問題になった、国益を図るためにやっているんだという論理ですね。
 それは、だから、結局イラクが何らかの形でアメリカの国益を脅かす存在であるというふうに考えて、それが現実化する前にたたこう、こういうことで、それを先制的攻撃あるいは先制的防衛というふうに呼んでいるということですけれども、では実際そこで問題になっている国益は何なのかということは非常に不明確なんですね。
 よく言われていることは、石油のためだというふうに言われていますけれども、私の見るところは、石油のためだけではないんじゃないか、むしろ、あの地域にアメリカにとって親米政権をつくるということがやはり大きな目的ではないかと。さらには、中東という中でイスラエルの地位を確保する、これがやはりねらいだったのではないかというふうに思います。
 それと今回の法案と比べると余りにも落差が大きいように見えますけれども、しかし、私から言わせると、日本に対する武力攻撃というのは一体どういう事態であるのかという点はよくよくやはり議論を詰めていただきたいなというわけですね。
 つまり、先ほどからの議論ではっきりしてきたのは、日本の領域に直接武力攻撃がしかけられる、これはほとんどあり得ないだろうということですけれども、しかし日本に対する武力の行使の危険というのはやはりあるんだとおっしゃっているわけです。その場合、私の方から質問することはできないので、なかなか発言が微妙になりますけれども、アメリカが言っているような日本の国益もあちこちにある、それに対する攻撃が行われた場合、ではこれは日本に対する武力攻撃ではないか、こういう論理は十分考えられるのではないかと思うんですね。
 日本の企業はあちこちへ出ていますし、どこの国にも日本の大使館はあるわけですし、それから日本の飛行機はあちこち飛んでいるわけですね。それから日本のタンカーは世界の海にいるわけでして、それに対する攻撃も、日本に対する武力攻撃あるいは攻撃のおそれ、それにつながるようなものだというようなことにあるいはなりかねないんじゃないかというふうにも私は憂えているわけです。
 そういう点でいいますと、この法案が非常に不透明であるということは、一見すると、確かに、日本の国民あるいは国民の利益を、安全を守るための法案であるという形をとっていますけれども、アメリカの論理をそこにかぶせますと、そこは、日本の国益が脅かされる場合には、先制的にやはりそれを守るために遠くまで出かけていって攻撃をしかけることも可なんだということになりかねないんですね。
 もちろん、直ちにそういう事態を歓迎するというような空気は日本にはありませんし、この法案を提案されている方もそういう事態なんかは考えていない、あるいはそんなことを言うのは笑止千万という話になるかもしれませんけれども、しかし、事柄は動いていますから、今はそうじゃなくても、そういう事態にならないということは断言できないのではないか、これが私の意見です。
赤嶺委員 どうもありがとうございました。
 それで、再び新倉参考人にお伺いいたしますが、私は沖縄に住んでおりまして、沖縄の米軍基地の動きを観察していますと、やはりアメリカはアジアに対する警戒態勢を非常に強化しているなと。そこにアメリカの国益を守るという論理が結びついたときの沖縄の米軍基地が持っている不安というのをいつでも感ずるわけです。
 今度の法律というのは、仕組みの中に、アメリカが海外で仮に動いていた、その場合の日本の平和と安全に重大な影響を与える事態は周辺事態としてあり得るという過去の国会答弁も起きているわけですが、同時に、今度の議論の中で、周辺事態と武力攻撃の予測事態は重なるということも言われてまいりました。
 この法律は、予測の事態から動き始めていく、こういうからくりを持っているという点で、今度の法案が、言ってみればアメリカの先制攻撃戦略に引きずられていく、あるいは国家安全保障戦略で見られたような先制攻撃戦略というものを補完していく、それが日本の武力攻撃という事態につながっていくという不安を持っているんですが、その点は先生どんなふうにお考えなのか、御意見を聞かせていただきたいと思います。
新倉参考人 では、簡単に申し上げますけれども、私はそのおそれはあるだろうというふうに思うんですね。そういうことはあり得ないというならば、そういう事態はないということをもっとはっきりした形でやはり規定すべきだというふうに思います。法律というのはやはり言葉ですから、言葉がどの程度クリアになるかということが非常に大事なんですね。
 ところが、先ほどからいろいろと御発言のある中で、要するに、現在の戦争は非常に有事と平時というものの境目がはっきりしない、日本の国益に対する攻撃というのもさまざまな形態があり得る、その上でどこで線引きするのかが難しいということは終始言われているわけでして、そういう意味では、どこまで続くぬかるみぞという感じが私はしますので、その点強くやはり憂慮を表明したいと思います。
赤嶺委員 最後の新倉参考人への質問なんですが、きょう配付された参考資料の中に、「国際刑事裁判所の設置による新しい人類史の始まりを歓迎する」というものが配られておりまして、その中で、国連憲章、憲法九条とのかかわりで刑事裁判所の意義が言われているわけですが、憲法九条や国連憲章、戦争と平和との関係で、この国際刑事裁判所の持つ意義、意味、先生どんなふうにお考えなのか。よろしくお願いします。
新倉参考人 先ほどの発言でも申し上げましたけれども、国際刑事裁判所というのは、やはり戦争犯罪を裁くところなんですね。これは国内裁判所で本来は裁かれていたわけですけれども、それは不十分だと。特に、国ぐるみで戦争をやった場合に、勝った方は裁かれないという可能性があるわけですよ。やはり、国際の平和と安全あるいは人権という観点から、国際的な組織をつくってそういうものをできるだけ処罰することによって、そういうことをやる人をなくそう、これは要するに抑止力、そういう戦争犯罪の抑止ということが目的でつくられているわけですね。
 ですから、これを強化していくということは非常に大事なんですけれども、これに反対しているのはアメリカであるというところからも、軍事力に頼ってやっていくというのがいいというふうに思っている国と、いや、もうそれは限界なんだ、もっとやはり理性的な、あるいは平時からいろいろと我々持っている工夫とか知恵を使って、ある意味では穏やかな方法で戦争ということをなくす、あるいは戦争における残虐行為をなくしていこうという試みがあるわけで、ぜひこの国会でも早急にこの条約の承認をお願いしたい。
 やはりこれがないと、有事法制だけ先走っているというのは私はとても不安でして、議員連盟をつくっていただきたいということもあちこちでお願いして回っているんですけれども、その点が、有事法制が先なんですよというふうな反応があって、非常に残念に思っています。
 以上です。
赤嶺委員 どうもありがとうございました。
 藤井参考人への質問も考えていたんですけれども、もう残り時間がなくなってしまいましたので割愛させていただきますが、ただ、先生が先ほどから述べられていた平和への思い、それが、沖縄戦で同僚を失った、私も、本当に戦争で被害に遭って見捨てられた、看護できなかったという後悔の念を持って、今日、今、私の恩師がいらっしゃいますけれども、そういう思いを私も改めて込めて、またこの有事立法の成立を食いとめるために頑張りたいということを、これは藤井先生へのメッセージとして申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
鳩山委員長 次に、今川正美君。
今川委員 社会民主党の今川正美です。
 きょうは、お忙しい中に参考人の先生方おいでいただきまして、本当にありがとうございます。
 さて、最初に、質問に入る前に簡単に私の考え方を述べさせていただきたいと思うんでありますが、いわゆる今日有事法制は必要だとおっしゃっている議員の皆さん方のお考えの中には、そもそも有事法制がなかったのがおかしいだとか、あるいは我が国の憲法に国家緊急権の規定がないというのは何事だといったような御意見をよく聞きます。しかし、私はそうした意味で、先ほど藤井先生の方から過去の歴史に対する認識を示されましたけれども、私も常々、過去の歴史に対する謙虚さというものをなくしたままこういう議論はできないと思うんですね。
 つまり、半世紀前のアジア諸国に対する侵略戦争あるいは植民地支配を、我が国の国民は当時反省した上で今の新しい憲法を制定したはずだと思うんです。その憲法は、簡潔に申し上げて、天皇制を象徴制で残すかわりに第二章の戦争放棄を置いたと思うんですね。これは、やはり今は亡き昭和天皇の賢い意思でもあったと私は思うんです。
 つまり、では有事の際どうするかというのは、少なくとも当時この国会において吉田首相は、国連による集団的措置というものにゆだねたい、このようにおっしゃったはずであります。そういう歴史的な経過があるからこそ、これまで国家緊急権の規定もなければ、あえて欧米諸国のような有事法制の法整備を必要としなかった。それで、この半世紀以上、我が国は、専ら平和外交とさまざまなODAを含む経済援助を通して、他国には見られないほどの平和外交でそれなりの形をつくってきた、私はそのように歴史的な認識を持つわけであります。
 この有事法制の議論が一年前から始まって、私にもいろいろな激励のファクスや電話やメールが届きましたが、その中で、七七年から始まった有事法制の研究、このときに防衛庁の官房長でございました竹岡勝美さんから何度もお手紙をいただいたんです。
 その中では、あのとき自分は有事研究の中心にいたけれども、法制化をしないという前提だったから随分熱心にやったんだ、今ごろになって法制化をするということは、これは本当にもう裏切りじゃないかという怒りに満ちた手紙を何度もいただきました。
 さて、有事法制の原型は一九六三年のいわゆる三矢研究だと思うんですけれども、あのときは、朝鮮有事を想定した日米による共同作戦、それに必要な法整備だった。しかも、これを当時の制服組が秘密裏に研究をしていたということで問題になりましたし、そうしたことが二年後の六五年に発覚したにもかかわらず、やはり六七年から六八年にかけて日米の制服組は、日本有事を想定した日米共同統合緊急作戦計画というものを政府や国会の承認を得ないまま作成をしていたということも新聞で明らかになりました。
 私が思うのは、今回の有事法制も、いわばそのルーツといいますか、これは九年前の九四年、朝鮮半島の危機感が高まったときに、アメリカは既に周知の戦争計画、戦争プラン五〇二七号を策定しましたし、日本政府にそれに基づいて具体的な支援協力を要請した。しかし、日米両政府は、例えば有事法の整備が成っていないだとか、あるいは集団的自衛権を実質的に行使できないなどの要因から、日米共同作戦には実効性がないということを相互に確認をし合っている。
 その後は、もう先生方御承知のように、日米安保をグローバル安保へと再定義した九五年のナイ・レポート、それから日米共同宣言、さらに日米の新しいガイドライン、そして周辺事態法、さらに三年前の例のアーミテージ・レポートというふうに、一連の流れというのは、今申し上げたような、日米共同作戦に実効性を持たせるための共同作業であったというふうに私は認識をいたしています。
 そこで、私が常々尊敬を申し上げております藤井先生の著作を改めて読んでみまして、二つのことを藤井参考人にお尋ねをしたいと思うのであります。
 一つは、この法案に記載をされていない、武力攻撃事態の発生あるいはおそれ、あるいは予測の事態であれ、その事態を認定する主体というのが果たして日本政府であろうか。あらゆる軍事情報を握っているのは米国、米軍だと思うのですね。そういう同盟関係にある日米関係の中で、武力攻撃の発生、おそれ、予測される事態のいずれであれ、どこが最初にそういう事態を認定するのだろうかということが一点であります。
 それともう一つは、仮に、あってはならないけれども、そういう不測の事態が生じたときに、日米が共同作戦態勢をとる、その場合の指揮権の問題であります。この特別委員会の中では、このように答弁があるのですね。福田官房長官が、指揮権が統一されていなくても特段の問題はない。果たしてそうだろうか。いざ戦争だというときに、米軍の指揮権、自衛隊の指揮権ということで通用するのだろうか。
 この二つの点に関して、藤井参考人のお考えをお聞きしたいと思います。
藤井参考人 御質問、ありがとうございます。
 今お尋ねいただきましたことにつきましては、やはり相当詳しく、事実に基づいて分析をする必要があると思います。だから、簡単に申し上げるならばそれは簡単にできるのですが、余り意味はないでしょうね。だから、やはり正確に議論をしていただく。一番私が希望したいのは、この委員会で皆さん方が意見をどんどん出して討論をする、そこで解明をしていく、そういう姿勢が必要ではないかと思うので、お勧めしたいと思います。
 簡単に済ませようと思ったら、久間先生に教えていただいたらいいのです。ただ、彼が持っていらっしゃるものは防衛庁の秘密なんですね。ここに問題があるのです。秘密じゃない形でそれを出してくだされば、議論はどんどん深まっていくのですね。ところが、私の拝見したところでは、久間先生はこれを全部秘密にしている。つまり、防衛庁が明らかにしないのですよ。
 そこを超えようとしたらどういう手順が必要かといいますと、アメリカとの交渉の中で出てきた新しいデータを全部カードにして、そしてそれを全員の共通の財産にすることですね。そうすると、新たな変化がどこに出ているかということを発掘することができますから。それなしにやると、やはり大きな失敗をする。
 ということは、それをきちんと作業しないでやっていると、アメリカに乗せられるんですね。そのアメリカに乗せられる危険性大いにありというのを、「密約」という小さな本に私は書きました。これは、そのデータを幾つか並べてみせただけのことです。だけれども、そこで、アメリカの手というのは何であるか、これは読むことができる。そういう本は二、三年前に書きました。
 ということはどういうことかといいますと、軍事というのは最大限ここまで広がるという、それはもう当然にしてそうなるんですね。そういう要素を持っています。ですから、何か次から次へ起きてきて変化していっているように見えますけれども、それは起こるべくして起きていくんですね。そのことを全部知っているのは、アメリカの言ってみれば統合参謀本部議長とかそういう人はもう大体わかっているのです。つまり、その人は、私も最近書きましたけれども、やはりクラウゼビッツとかそのぐらいの軍事学の学問をしている人であると言っていいと思います。
 ですから、今川先生がおっしゃいましたことにつきましても、例えば、私の本でいいますと、シーエンジェルという、これがパターンとしてアメリカの海外における作戦のやり方、その一つの姿をシーエンジェルは示した。そのようなものを幾つも幾つも積み重ねていって、そしてこのシーエンジェルは太平洋でやっているものだ、しかし、その次に、中東でやっているものもある、あるいは北朝鮮を中心にした東アジアでやるものもある。そういうふうな作戦パターンをずっと積み重ねて研究して広げていっている。これをちゃんと見ていただかないと、防衛庁は大きな失敗をすることになると思います。つまり、手のひらの上で踊らされることになるんですね。このことを忘れてアメリカとの防衛交渉をやってはいけないと思う。
 そういう意味では、ひとつこの場で、アメリカにだまされないための戦術というものを皆さんで研究していただく必要があるのじゃないか、そう思います。いかがでしょうか。そういうことになりますと、今川さんのお力も非常に大きく日本の防衛に役立つことになりますから、一緒に協力してやっていく。
 それで、非常に軽く見過ぎていると思うのは、アメリカがみずからの国益に従ってやっているということを軽く見ていると、最後に大きく背負い投げを食らうことになるんじゃないか。決して話はついているわけではないのですよ。今どんどん変わっていっているわけですね。
 それで、非常に私が心配するのは、この方が非常にアメリカに対して好意的で、一方的で、ずっとそれで六〇年安保以後やってこられたんですね。やはりこれはちょっと問題がある。つまり、かつてもう大きな失敗をしたわけですよ。沖縄で大きな失敗をしている。この大きな失敗をしたということの事実の上に立って、どう日本の防衛をリードしていくかということをお考えいただくことが必要だというふうに私は申し上げたいと思います。
鳩山委員長 藤井参考人、認定主体とか指揮権のことを今川委員は質問されたのですが、少しお答えになったらいかがでしょうか。
藤井参考人 実は、データを全部そろえようと思ったのですが、何といってもきのうからきょうまでの話ですから、その作業をやる時間がなかったので、まことに申しわけないですが、これはこの次に出す本に載せたいと思うのですが、お許しをいただきたいと思います。
今川委員 時間がもうあと一分ぐらいですので、実は、私は先生の著作を随分読ませていただいて、今回のイラク戦争の場合も、米中央軍の前線司令部をカタールに置いて、米軍を支援している各国はその指揮下に入っているんですね。
 きょうは時間があれば西元参考人にもちょっとお聞きしたかったんですが、安保の委員会のときにも、私は防衛庁長官に日本の自衛隊も米軍の指揮下に事実上入っているんではないのかとお聞きをしましたが、作戦指揮下もしくは戦術指揮下、そういう概念そのものが、我が自衛隊、防衛庁にはないというふうな話でもありました。
 もう時間がありませんから、今、藤井参考人からもありましたように、政府が、こういう有事法制という非常に重要な法案を審議するときには、出すべき資料をもっとオープンにして、そして、これは与党、野党の垣根を超えて、やはり国民になるほどと言っていただけるような議論をした上で審議を進めていかなければならない、私は本当にそう思います。そういった意味で、まだこの審議というのは、来週も含めまして、十分に国民の皆さん方の目に届き、耳に届くような議論をしてまいりたいということを申し上げて、私の質問を終わります。
鳩山委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)委員 保守新党の井上喜一でございます。
 きょうは、参考人の皆様、御苦労さまでございます。私は、時間がありましたら、二つの御質問をしたいと思うんですが、まず最初の質問は、先制攻撃ということについてであります。
 戦争といいますのは、大体、受けて立つ戦争ですね。自衛権を発動して行う戦争というのは、そういうものが普通だと思うんでありますけれども、しかし、かつてのように、プロペラの戦闘機だとか戦車だとか、小銃とか機関銃というような武器体系のもとではともかくも、最近のようにミサイルというような武器が主体になってまいりますと、戦争のやり方なんかも大分違ってくると思うんですね。そういうことから、先制攻撃の必要性があるんじゃないかというような議論が生まれてきていると思うんです。日本におきましても、座して死を待つのか、こういう議論がございます。
 そこで、この先制攻撃についてお伺いしたいのは、だからといって何でもかんでも先制攻撃をすればこれでいいのかという問題が今ありまして、それには一定の制約といいますか、条件のようなものがないといけないと思うんですね。
 そこで、まず、これは順番にお聞きしたいんでありますが、先制攻撃の必要性を認められるのかどうかということが第一ですね。それから第二は、仮にそれを認めるということになれば、どういう条件のもとに認めていったらいいのか。これをお聞きいたしたいと思うんです。
 まず、西元参考人、お願いいたします。
西元参考人 お答え申し上げます。
 軍事的合理性からいけば、先制攻撃というのはオプションの一つだと思います。
 ただし、国家の政策としてそれを適用するかしないかという問題は、私は全く別問題だと考えております。少なくとも現状、我が国が先制攻撃をとるということは、私の常識からは政策的には出てこないというぐあいに考えております。
 あえて、そのやる場合の条件はどうかというぐあいに仮に問われれば、第一に、それ以外に防ぐ手段が全くない、そして、しかも、それを座して待つということは極めて甚大な被害をもたらすという明白な証拠があるという、少なくとも二つの条件は外せないのではないかと思いますが、後者を判定するということは至難のわざ、したがって政策的にとり得るものではないのではないか、このように考えております。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
 それでは、引き続きまして、小尾参考人、お願いいたします。
小尾参考人 先制攻撃という言葉が私たちの頭に入ったのは、イラクに対するブッシュ政権のいわゆるブッシュ・ドクトリンという、アメリカの安全保障上、非常に、百八十度とまで言いませんけれども、かなり大きな転換をしたということの事実関係からだと思うんですね。悪口を言う人はネオコン・ドクトリンとか、いろいろ言いますけれども。
 いずれにしても、自分の国民の生命、身体、財産が脅かされるという危険性が出たということであれば、それを客観的に判断できるというその情況証拠があるというのであれば、それなりの手段をとることもやむを得ないのかなというふうに思います。
 ただ、これが国是的になってしまいますと、これはアメリカに対しても非常に問題視するいろいろな国際的な意見がありますけれども、ちょっとそれはやり過ぎという考え方も持っております。
井上(喜)委員 次に、渡辺参考人、お願いします。同じ質問です。
渡辺参考人 先制攻撃という考え自体は、別に最近出てきたわけではなくして、前からあると思うんですが、それが非常に大きく問題になったのは、今まで御議論があったように、イラクに対するアメリカの攻撃であったと思います。
 そこで、私の考えでは、なぜそういうことが問題になるかというと、いわゆる大量破壊兵器というものが拡散しているという現実をどうするかということが前提だと思います、条件とおっしゃいましたけれどもね。そうすると、今までの考えですと、そういう物騒な兵器というものはまず国家が持っているものだ、そういう国家が持っているものに対してはいろいろな形の抑止というものがきくという前提であったと思うんです。
 その二つの前提が、崩れてきているとアメリカは思っているわけですが、もしそうだとすると、これは大変な事態だろうと思うんですね。国家以外のいろいろな集団、場合によっては個人でさえも、かなり殺傷力の高い武器を持つことが可能になってくるということになると、これは大変なことになる。
 そうしますと、そういうふうな事態に対しては、従来のような抑止というものがきかないだろう。従来の抑止は、御承知のように、向こうがそういう物騒なものを持っていても、こちらがそれに対抗するものがあれば、向こうはそのような危険を冒してまであえて攻撃をかけてこないだろうという論理の上に成り立っているわけですが、あちらが、自爆テロというのが典型的だと思うんですが、自分たちはどうなってもいいんだ、とにかく相手をやっつければいいんだという論理しか働かない場合には、抑止がきかないですね。
 そうすると、もしそういう認定が正しいとすれば、そういうものを持っているという疑いのある場合には、こちらから先に攻撃してそれを取り上げるということが必要になるというのが、いわゆる今の先制攻撃論だと思うんですね、一般理論として言うと。
 それが日本にどう当てはまるかというのはなかなか悩ましい問題だろうと思いますけれども、先ほどの御質問にあったように、どういう条件であるかというときには、西元参考人の御意見をかりると、ほかの手段がきかなかった場合というふうにおっしゃったわけですが、私の言葉で言いかえると、今申しましたように、そういう抑止というものがきかないという場合には、ぎりぎりそういう危険が目に見えているという証拠があったという場合には、これはやはり何かをしなきゃいけないだろう、そういうふうに考えます。
井上(喜)委員 どうもありがとうございました。
 次に、同じ質問でありますが、浜谷参考人、お願いいたします。
浜谷参考人 まず、座して死を待てというお言葉でしたけれども、座して死を待てなんということを国民に求める国家というのは、もう国家の機能を喪失しているというふうにまず思います。
 そうであるならば、では先制攻撃そのものを認めるかということになると、これは確かに悩ましい問題ではありますけれども、先制攻撃そのものを認めたということを国際社会に宣明したときの日本国の外交的デメリットということを考えますと、必ずしも日本のメリットばかりではないんではないかということが一点であります。
 それから、日本に、仮に先制攻撃というものを認めたとしても、継戦能力がないわけですから、そういう意味では、ただやっただけということで、結果的に何の意味もなかったということになるようなおそれもありますので、必ずしもそれは高尚な判断ではないんじゃないかということであります。
 それよりも、日本が今、防衛上の国是としております専守防衛という概念の見直しの方が、私はどちらかというと合理的ではなかろうかと。専守防衛というのは、要するに、やってこなければ何もできないということではなくて、その範囲を広げることによって対応可能な部分というのがまだ出てくるのではないか。
 それからもう一つは、どのような場合に認めるかというようなことでありましたけれども、過去には国会答弁の中で、それしか手段、方法がないという場合には外国のミサイル基地をたたくということもこれは自衛権の発動として認められるという答弁もあるわけですから、そのような形で専守防衛の概念の見直しというものがこれから行われるべきではないかというふうに思います。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
 また同じ質問でありますが、新倉参考人、お願いいたします。
新倉参考人 先制攻撃といいますか、これは国際法上違法なんですね。許されるはずはないんですけれども、事実上行われているというだけの話です。
 ちょっと参考のために申し上げますと、かつて私たちは、国際司法裁判所というところへ、核兵器の使用及び核兵器による威嚇というのは国際法に違反しないのかという問いを、勧告的意見を求めたことがありますけれども、そのときに、意見は割れるわけですけれども、一致して認めたのは、一般的には国際法に核兵器の使用というのは違法であるということですね。最終的に、ではぎりぎりの場合、その国家の存立にかかわるような場合に核兵器を使用するということは合法なのか違法なのかという点について、三名の裁判官は、これは違法である、国家が滅びても核兵器を使っちゃいかぬ、厳しく言えばそういう考え方を表明されたわけですけれども、多数意見は、そのときは私たちはもう判断できない、この問題は皆さんで考えなさい、こういうことですね。
 先制攻撃というのはいろいろな形態があると思いますけれども、一気に国土を壊滅させるような大規模な攻撃ということが予定されて、イラクに対する攻撃はそういうことを一応想定してやっているわけでして、全く無条件にやっているわけではないということは確かですけれども、そういう場合であっても現在の国際法の基本的な考え方としては違法であるということです。
井上(喜)委員 藤井参考人にもお尋ねしますが、その前に浜谷参考人に、ちょっと御答弁に関連をいたしまして御質問したいんですが、専守防衛の範囲を多少広げていけばいいじゃないかという、確かにそういう議論があるわけですね。だから、参考人の御意見としては、どの程度まで広げるのか、御意見があればお伺いしたいと思います。
浜谷参考人 それは私の役目じゃなくて先生そのものの役目だと思いますけれども、いわゆる過去の国会答弁は、そのあたりは十分詰めた上での答弁だと私は認識しています。要するに、それしか手段がない、そこをたたかない限りは永久に日本が攻撃を受けるなんという状況になれば、それは専守防衛ということ自体が意味がないということになりますから、その専守防衛という概念をしっかり守ろうとすればそこをやるしか方法がない、こういう意味で広がる部分はあるのではないかというふうに申し上げたわけです。
井上(喜)委員 どうもありがとうございました。
 最後になりましたが、藤井参考人にも同じ私の質問です。同じ質問というのは、最初の質問につきまして、御意見があればお伺いしたいと思います。
藤井参考人 戦略とかあるいは政策とかいうことに広げて申し上げることができたらいいと思うんですが、私の今の極めて素朴な、直観的な考えからすれば、日本として一番いい政策は、例えば一例で言いますと、国民保護法というのをつくると言っているんだから、つくったらいいと思いますね。これは非常に効果的な政策になると思います。そして、国民保護法というものをつくるつくると言いながら余り力を入れないで、実際また別のことをやり出したというのが、非常に危険な、マイナス効果が最も大きい政策展開だろうと思います。
 実際に今までやってきたことを見てみますと、明治以来、ずっとそんなに立派な防衛政策は出していないんですよ。ですから、この際うまいことをやろうなんということを考えないで、まず一年生からきちんと基本をやっていくということが大事だ、私はそう考えております。
鳩山委員長 藤井参考人、質問は先制攻撃についてですが……。
藤井参考人 それはわかっております。最初の質問はそこであったのはわかっていますが、ただし、問題を広げて答えさせてください、こう申し上げました。
鳩山委員長 はい、わかりました。
 井上喜一君。
井上(喜)委員 ありがとうございました。
 もう時間もありませんので、次は西元参考人だけにしか御質問できないと思うんですが、政府の方は武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案、これを出していますね。与党の方はその修正案を出した。これは御存じのとおりでありますが、この法律のほかに、もちろん民主党、それから自由党の方もそれぞれ出ています。私は一応、政府の案を中心にして御質問するのでありますが、この法律以外に法律をつくる必要、つまり有事の法律、あるとすればどんな法律なのか、どんな中身になるのか、お考えがあるんじゃないかと思うんですが、お聞かせいただきたいと思います。
西元参考人 大変難しい御質問でございますが、有事ということを、これまでの政府答弁のとおりに、我が国が武力攻撃を受けたような事態、いわゆる自衛隊に対して防衛出動が発令された事態というぐあいに限定いたしますと、私は、これまで出されている政府の案、それに与党修正案、並びに民主党と自由党の修正案、これで範囲はカバーしているのではないかと思います。
 それ以外にもっと重要なこととして、我が国が国際社会の平和と安定にどのように協力していくかという包括案、これはやや有事法制とは違いますけれども、このような包括法案をつくって、その都度その都度の事象にタイムリーに対応できるようにしておくということは非常に重要な事項だと考えております。
井上(喜)委員 どうもありがとうございました。終わります。
鳩山委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、また貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 次回は、明九日金曜日午後一時五十分理事会、午後二時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十八分散会


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