衆議院

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第3号 平成15年5月15日(木曜日)

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平成十五年五月十五日(木曜日)
    午後二時九分開議
 出席小委員
   小委員長 杉浦 正健君
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      谷川 和穗君    額賀福志郎君
      野田  毅君    葉梨 信行君
      福井  照君    島   聡君
      末松 義規君    中川 正春君
      伴野  豊君    古川 元久君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      山口 富男君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   参考人
   (前内閣法制局長官)
   (弁護士)        津野  修君
   参考人
   (前最高裁判所長官)   山口  繁君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    ―――――――――――――
三月二十七日
 小委員中川正春君同日委員辞任につき、その補欠として伴野豊君が会長の指名で小委員に選任された。
五月十五日
 小委員末松義規君及び山口富男君三月十八日委員辞任につき、その補欠として末松義規君及び山口富男君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員額賀福志郎君三月二十日委員辞任につき、その補欠として額賀福志郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員金子哲夫君四月三日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員井上喜一君四月十七日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員島聡君同日委員辞任につき、その補欠として中川正春君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員葉梨信行君同日小委員辞任につき、その補欠として野田毅君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中川正春君同日委員辞任につき、その補欠として島聡君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員野田毅君同日小委員辞任につき、その補欠として葉梨信行君が会長の指名で小委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 統治機構のあり方に関する件(司法制度及び憲法裁判所)


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     ――――◇―――――
杉浦小委員長 これより会議を開きます。
 統治機構のあり方に関する件、特に司法制度及び憲法裁判所について調査を進めます。
 本日は、参考人として前内閣法制局長官・弁護士津野修君及び前最高裁判所長官山口繁君に御出席をいただいております。
 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 本日の議事の順序について申し上げます。
 まず、津野参考人、山口参考人の順序で、司法制度及び憲法裁判所について、特に憲法の有権解釈権の所在の視点から御意見を三十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いを申し上げます。
 それでは、津野参考人からお願いいたします。
津野参考人 ただいま御紹介にあずかりました津野でございます。昨年八月まで、約三年間にわたりまして内閣法制局長官を務めておりました。このたびは、このような機会を設けていただきまして、大変光栄に存じているところでございます。
 さて、本日のテーマでありますけれども、これは司法制度及び憲法裁判所、特に憲法の有権解釈権の所在とその実情というようなことと承知いたしておりますが、内閣法制局が憲法解釈につきまして政府部内におきまして一定の役割を果たしていることから出席を求められたというようなことであろうと思いまして、そのようなことを中心に御説明をさせていただきたいと存じます。
 なお、政府見解等につきまして、必ずしも正確でないあるいは正確さを欠くこともあろうかと思いますけれども、その点につきましては御理解を賜りますようにあらかじめお願い申し上げたいと存じます。
 さて、最初に、内閣法制局の所掌事務とその内部組織についてお話しいたしたいと存じます。
 お手元に数枚にわたりまして資料をお配りしてございますが、その最初の資料一「内閣法制局について」というところの一ページをごらんいただきたいと存じます。ここにおきまして、内閣法制局設置法に定められております同局の所掌事務が簡単にまとめられてございます。
 簡単にこの内容を申しますと、「内閣法制局は、次の事務をつかさどる。」ということで、第一といたしまして「閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。」二番目といたしまして「法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。」三番目といたしまして「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。」第四番目といたしまして「内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと。」五番目に「その他法制一般に関すること。」というふうに定められております。
 内閣法制局は、以上の事務を所掌する機関といたしまして、その一番上に「内閣法制局の設置」ということで書かれてありますように、内閣に直属して置かれているものでございます。この点につきましては、内閣官房とともに内閣を直接補佐する機関であるということでありまして、内閣の統括のもとにある他の省庁と若干異なった性格を持っているものと思われます。
 すなわち、憲法におきまして、第一に、内閣総理大臣が内閣を代表して法律案等を国会に提出し、内閣がその職務として法律を誠実に執行し、条約を締結し、政令を制定することとされておりますことが一つと、第二番目に、国務大臣等公務員がその職責を果たすに当たりまして、憲法尊重擁護義務を課されているということ等にかんがみまして、法治主義の観点から、これらが適切に行われることを確保するために、法律問題に関する専門的立場において内閣を直接補佐することなどを主な任務としているということであります。
 次に、資料にはございませんが、若干、内閣法制局の沿革について触れておきたいと存じます。
 法制局は、明治十八年に内閣制度が発足いたしますとともに設けられました大変古くからある機関であります。これは、フランスのコンセイユ・デタを範としてつくられたと言われております。国会議員の先生方のフランスの訪問の際にもそういうような記述が見られたと存じますが、そういったことで、フランスのコンセイユ・デタを範としてつくられたということであります。
 当時から、今申し上げましたような事務、法律案等の審査、立案事務あるいは法律問題に関する意見具申の事務等を担当いたしておりましたが、これらの事務のほかに、当時は、各省官制の審査、つまり国家機関の組織や定員がすべて大権事項として勅令で定められることとなっておりました関係から、定員その他行政機関一般に関する審査立案権というものを法制局で持っておりました。
 戦後に至りまして、新しい憲法の制定に当たりまして法制局が深くかかわったことは御承知のとおりでありますが、昭和二十三年に至りまして、当時のGHQから内務省などとともに解体をさせられまして、法令案の審査事務、法律問題に関する意見事務等は法務庁に引き継がれ、法務総裁のもと、法制長官と法務調査意見長官とが置かれたというようなことになっております。
 その後、昭和二十七年に平和条約の発効、独立の回復に伴いまして、内閣における法制の整備統一に関する機能を強化するためということで、内閣直属の機関として再び法制局が置かれ、その後、昭和三十七年になりまして、議院法制局との名称が紛らわしいということで、内閣法制局というふうに名称を改めまして現在に至っているということでございます。
 次に、お手元にあります先ほどの資料の二ページをごらんいただきますと、内閣法制局の内部組織についての図が掲げられてございます。内閣法制局の内部組織といたしましては、ここに書かれてありますように、第一部、第二部、第三部、第四部、それから長官総務室というふうに、四つの部と一室から成っているわけでございます。
 第一部におきましては、第一部の図の下の方に書かれてありますように、法律問題に関する意見陳述事務、これを所掌しているわけであります。これは、わかりやすく言いますと、憲法その他の法令の解釈を主として行う事務を担当しているということでございます。もちろん、憲法その他の法律、法令の解釈につきましては、法令の立案の前提となる必要不可欠のものでありますし、その立案の過程においてこういった解釈が行われることはもちろんでありますが、現実の法令の執行に際しても必要なものでありまして、内閣法制局の事務のこれは中核ともいうべきものであります。
 それから、第二部から第四部までの各部におきましては、御承知のとおり、法律案、政令案、条約案の審査の事務と申しまして、法律案を立案するとか政令案を立案するとか、あるいは条約案を国会に提出するとかいう場合に、各省庁別に分担してそういった事務を担当しております。この審査の事務もまた内閣法制局のもう一つの中核ともいうべき重要な仕事でございます。
 また、この資料の一番左の方に司法制度改革法制室というのが設けられておりますが、最近、中央省庁等の改革とか司法制度の改革等、膨大な法整備を要する案件が出てまいりまして、その事務処理のために、中央省庁等改革法制室、これはもう現在役目を終えてなくなっておりますが、そういったものとか、あるいは、現在ありますのは司法制度改革法制室ということで、その事務処理のために臨時の組織を設けまして、集中的に対応できるという体制を整えているところであります。
 そして、その資料の一番上に、内閣法制局というところの下に七十七人と書いてありますが、これは定員でありまして、定員は総数七十七名という大変小規模な役所でございます。そのうち参事官二十六人と書いてございますけれども、本省課長相当職に当たります内閣法制局参事官が各部にそれぞれ五、六名程度ずつ配置されておりまして、事務の中心的役割を果たしているところであります。これらの参事官は全員他省庁からの出向者で占められておりまして、実務経験の豊富な人たちであります。
 そこで、以上のような事務処理についての実績、状況というようなものを少し見ていただきます。三ページを開いていただきますと、「最近における法律案の提出・成立件数」というタイトルで一覧表が設けられてございます。最近におけるこういう法律案の提出、成立件数でありますが、これは通常国会ベース、常会ベースで挙げております。十年ぐらい前までは大体八十五、六件の法律案が提出されておりましたけれども、最近に至りましては約百件前後というふうにふえてきているわけであります。
 また、その資料の右の方に参考として掲げておきましたが、これは通常国会ベースではありませんけれども、条約の公布件数あるいは政令の公布件数ということで、これに対応して審査をするということでございますので、そういった条約が、年によって違いますけれども、約十件から二十件、あるいは政令でありますと四百件から五百件というふうに審査がなされているという状況になっております。
 通常国会に提出されますこれらの法律案と申しますのは、通常、一月から三月までに殺到するわけでありまして、この間は、担当参事官等職員の仕事は深夜勤務から休日勤務というようなことを余儀なくされるほど大変ハードなものになっております。
 意見事務を担当する第一部におきましても似たようなことでありまして、法律案の審査過程で出てまいります憲法上の問題等に対する回答とか、審査部との共同審査とか、あるいは国会における質疑への対応とか、質問主意書に対する答弁書の作成、検討とかということで、大変第一部におきましても繁忙をきわめるというような状況でありますし、最近では臨時国会が大体毎年行われているというような状況でありまして、似たような状況が年間を通じて続いているという状況でございます。
 そこで、次に、資料にございませんけれども、内閣法制局に類似する外国の機関の例ということで、少し外国の機関の似たような例を御説明させていただきたいと存じます。
 まず、先ほど申しましたように、フランスでありますけれども、コンセイユ・デタ、国務院という機関がありまして、政府提出法律案の審査あるいは法律問題に関する解釈の提示などを行っております。このほかに、最高行政裁判所の役割を持っていると言われております。また、ドイツでありますが、連邦法務省第四局におきまして、政府提出法案の審査、憲法解釈等を行っております。また、イタリアでありますけれども、これは首相府法制局におきまして同様の審査あるいは法令の解釈等を行っております。ほかに、アジアの諸国で、中国の国務院法制弁公室、韓国の法制処等も内閣法制局と同様の事務を処理していると言われております。なお、韓国におきましては、国会議員の先生方も訪問されたと存じますけれども、国会に法制室が置かれているところでございます。
 次に、審査事務の具体的な内容がそれではどういうふうになっているのかということをお話しいたしたいと存じます。
 以上のように、内閣法制局の事務等について概要を申し上げましたけれども、そのうち、憲法解釈に関連して重要と考えられます法律案等の審査事務及び意見事務について少し詳しく御説明いたします。
 まず、審査事務でありますが、法律案、政令案及び条約案と申しますのは、閣議に付される前に必ず内閣法制局の審査を受けることとされているわけであります。
 この審査はどのような観点から行われるかというようなことをお話ししますと、法律案についてまず申し上げれば、憲法その他の現行法制との関係、立法内容の法的妥当性というようなことを初めといたしまして、条文の表現の適否、用字用語の正確さ、妥当性など、あらゆる角度から行われるものであります。
 このうち、憲法との関係は、当然のことながら、まず第一に検討されるべき課題でありまして、通常の場合、憲法上の重要な問題点を含む法律案等は必ずしも多くはないわけでありますが、仮にそういうような問題点を含むような法律案があります場合には、もちろん最高裁判所で示されました憲法解釈、あるいは政府の従来からとっている憲法解釈等に基づきまして、これと整合性をとりつつ条文の憲法適合性を審査しているわけであります。
 例えば、大変単純な例で申し上げますと、憲法上、法律事項とされているような事項につきましては、政省令に包括的、白紙的な委任をすることは許されないという解釈がありますが、これに従って政省令への委任規定について審査するというようなことであります。
 また、しばしば憲法問題となる法律案といたしましては、憲法九条と関係のある法律案が挙げられるわけでありまして、例えばいわゆるPKO法、いわゆる周辺事態安全確保法、それからいわゆるテロ特措法などであります。
 これらの法律案等を審査する場合には、憲法九条の解釈が不可欠でありまして、従来から政府において確立している解釈、例えば自衛権発動の三要件とか、海外派兵とか、集団的自衛権等の解釈を前提といたしまして憲法適合性を判断していくわけであります。
 以上のような審査は政令案についてもほぼ同様でありますが、政令案独自の問題といたしまして、実施政令であるか委任政令であるか、実施政令であればその限度を超えていないか、委任政令であれば法律の委任の範囲を超えていないか等独自の問題がございます。
 次に、条約案の審査でありますが、審査の対象となりますのはいわゆる国会承認条約であります。したがって、国会の承認を必要としない行政取り決めは審査の対象とならないわけでありますが、国会の承認の要らない行政取り決めとして処理することができるかどうかということについては検討が必要な場合があります。この場合、国会の承認を要する条約の範囲は、憲法上明文の規定はございませんで、それについての解釈が必要となるわけでありまして、政府は、いわゆる大平三原則ということでこれを明らかにしているところであります。
 条約案の審査の内容といたしましては、憲法との関係、国内法との関係、表現の正確さなど、ほぼ法律案の審査と同様でありますが、条約固有の問題といたしまして、条約は公布されれば国内法としての効力を持つものでありますから、関連する国内法の整備が必要かどうか、あるいはその条約を実施するための国内法が必要かどうか、また国内法として受容できない部分があればこれを留保することができるか、あるいは外国語が正文となっている多数国間条約のような場合には、誤訳といった問題が起こることのないように正確に日本語に翻訳されているかどうかというようなことが検討されることになるわけであります。
 条約で憲法解釈と深くかかわりがありますのは、例えば日米安全保障条約など、安全保障関係のものがたくさんありますけれども、これにつきましても、国会承認に際しては憲法第九条の解釈をめぐってさまざまな議論があったことは先生方の御承知のとおりだと存じます。
 次に、審査事務と並びまして内閣法制局の中核的な事務であります意見事務について御説明いたします。
 憲法を初めといたしまして法令の解釈につきましては、最終的には最高裁判所の判例を通じて確定されることは御承知のとおりであります。内閣法制局の意見と申しますのは、そのような意味においては拘束力を有するものではありません。しかし、法律問題に関し意見を述べることが設置法上明記されていることに照らしても明らかなように、内閣法制局の意見は、政府部内におきましては専門的意見として最大限尊重されることが制度上当然のこととして予定されていると考えられるわけでありまして、実際にもそのように取り扱われているのではないかと考えているところであります。
 憲法を含め法令の解釈は、第一次的には法令の執行の任に当たります各省庁において必要に応じ行われるものでありますが、これに関しまして、各省庁において疑義が生じた場合とか、あるいは関係省庁間において意見を異にするということで争いがあるというような場合につきましては、内閣法制局の意見が出されることによりまして政府部内においてはその解釈が確定し、統一されるというふうになっているわけであります。
 そこで、各省庁等から法令の解釈に関しまして照会が行われまして、内閣法制局として意見を申し上げるわけでございますけれども、これが行われますのは、文書に行われるものと口頭に行われるものと二つの方法がありまして、一般に前者を法制意見、それから後者を口頭意見回答と呼んでおります。
 内閣法制局が昭和二十七年八月に内閣に復帰した時点以降におきまして出しました法制意見は二百件を超えております。ただ、戦後の法制が定着するにつれましてその数は減少し、最近では口頭意見回答が中心になっておりまして、この件数は、全部網羅したわけではございませんけれども、千件をはるかに超える件数になっているものと思われます。
 以上のような事務に関連いたしまして、内閣法制局は、国会における政府答弁の作成、検討、あるいは政府統一見解というようなものが国会で求められたりする場合がございますけれども、その問題が法律問題に関します場合にはその作成と検討、それから、国会議員から内閣に提出されます質問主意書というのがございますが、それに対する答弁書の作成、検討なども行いまして、法律問題に関する専門的立場から法制局として御意見を申し上げてきているところでございます。これらを通じて、政府としての憲法の解釈が示されることもしばしばあるものと認識いたしております。
 そこで、「内閣法制局が行う憲法解釈について」ということで、資料二に移らせていただきます。
 最初に、「内閣法制局が憲法解釈を行うことの意義等」ということで、一ページと二ページにわたりまして、いろいろと従来から国会におきまして、私どもの先輩であります元長官とか、あるいは内閣官房長官とかの答弁を掲げさせていただいております。
 もう少しこの趣旨をかみ砕いてと申しますか、敷衍いたしますと、各省庁が行政運営を行うに際しましては、例えば法律案の立案をし、あるいは法律の執行をする場合に、憲法上の問題がありますれば、その場合には当該省庁において第一次的な憲法解釈が行われるわけであります。その結果、各省庁間で憲法解釈に差異が生ずるなど疑義が生ずるといった事態が生まれることがございます。
 一方、憲法解釈は、最終的には最高裁判所によって確定されるわけでありますが、これは、あくまで一定の行為が行われた後の、それに対する事後的に行われるものでありますし、かつ個別の具体的な訴訟がなければできないというようなことでございまして、基本的に事後的な判断になるということでございます。
 そこで、政府が統一のとれた行政の一体的な運営を行う上で、政府部内においてあらかじめの、あるいは事前の統一的な憲法解釈を行って疑義を解消することが必要となるわけでありまして、特に法律案等の立案を行う場合にはその必要性が大きいと考えております。
 一方、国務大臣等公務員には、先ほど申しましたように、憲法尊重擁護義務が課されているわけでございまして、以上のようなことから、内閣法制局が法律問題に関し意見を述べることの一環として憲法解釈について意見を申し上げ、政府部内の解釈を事前にといいますか、時宜において統一し、疑義を解消するように努めますことは、政府の行政運営の統一性を確保するとともに、公務員の憲法尊重擁護義務を適切に果たす上で重要な意義を有するものと考えております。
 したがいまして、内閣法制局の意見といいますのは、あくまで政府部内におけるものでありまして、政府部内において事実上尊重されるものでありますが、国会等に対して拘束力を有するといった性格のものではないことは当然であります。
 以上の趣旨を、この資料の国会答弁で大森政府委員あるいは村岡国務大臣から述べられているわけであります。
 次に、「内閣法制局が行う憲法解釈の基準」という資料について御説明をいたしますと、これは解釈の方法等についての答弁でございます。これはお読みいただければ、さしてつけ加えるべきものはないと思いますけれども、要点だけ簡単に言いますと、憲法を初めといたしまして法令の解釈と申しますのは、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立法者の意図あるいはその背景となる社会情勢を考慮し、また議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性に留意いたしまして、論理的に確定すべきものであるということが第一点でございます。
 第二点として、したがって、以上のような考え方に基づいて示された政府の憲法解釈につきましては、政府がこのような考え方を離れて自由に変更できるという性質のものではないといった趣旨が述べられているところであります。
 次に、「現行憲法下における憲法裁判所制度採用の可否についての政府見解等」という資料三に移らせていただきます。
 まず、この点につきましては、その資料の一ページ、二ページにわたりまして法制局長官等の答弁が記載してございます。この問題に関する最高裁判所の判例がこの資料の二ページ目の下の方に載せてありますが、それとほぼ同趣旨の内容であります。
 すなわち、具体的な訴訟事件がないのに抽象的に法律等について憲法適合性を判断することは司法の範囲外であって、憲法第八十一条の違憲立法審査権の範囲を超えるものであり、したがって、最高裁判所にはそのような権限がないことを述べた上で、抽象的な違憲立法審査権を行使する憲法裁判所を設けるには特別の憲法上の根拠規定が必要であるということを述べているものであります。これは、その一ページの、政府委員としての林修三、かつての法制局長官の答弁、それから味村内閣法制局第一部長の答弁等で今言ったようなことを述べております。
 資料の四といたしまして、「憲法解釈の実例」ということで、時間がなくなりましたので少しはしょりますが、数件の実例を、答弁とか質問主意書とか、あるいは統一見解とか、そういったもので出された具体的な例を掲げてございます。自衛隊の合憲性とか、集団的自衛権に関するものとか、集団的安全保障と憲法との関係とか、信教の自由・政教分離の意義、あるいは内閣の法律案の提出権、内閣総理大臣の職務権限、それから憲法と条約の関係というようなことで、従来政府が申し述べてまいりました意見を、解釈をお示ししているものでございます。
 なお、この中にちょっと資料を追加するのを忘れましたが、法制意見として憲法解釈を示されたものもございまして、この中には載せておりませんけれども、例えば、憲法第八十九条の教育の事業とはどういうものであるかというような教育事業の意義というようなことに関しまして法制意見が出されているところでございます。
 最後に、抽象的な規範統制を行う憲法裁判所を設けることについてどう考えるべきかということにつきまして、若干、これは私見でございますけれども述べさせていただきますと、まず第一に、現在、憲法裁判所の設置の必要性と申しますのは、政治的な法規範としての性格を憲法が大変色濃く持っているところがございまして、そういった政治問題との関係から述べられている面が強いように考えられます。そうだといたしますと、憲法裁判所がそのような政治問題に係る憲法判断を示すことによりましてその政治問題を解決することが、国民主権とかいろいろな、いわゆる三権分立の現在の体制等とか、そういった関係から見て適当であろうかということであります。
 第二に、憲法裁判所は、国会が行う立法を憲法との関係から審査しまして、ひいては判決の方法により法律を新たに定立するという権限を有する最高の国家機関となりかねないわけでありますが、そのような機関を導入するには、現在、憲法第四十一条で定められております国会の規定、これは国会が国権の最高機関であり唯一の立法機関であるというようなことでありますけれども、そういったものとの関係を十分に検討する必要があろうかと思うわけであります。
 それから、さらに政府、国会等の憲法裁判所ができました場合の影響を考えてみますと、憲法裁判所により違憲判決が下されるというようなことを恐れまして、過剰な自己抑制を行い、円滑な政治、行政の運営の支障とならないかどうかというような観点から、十分慎重に検討がされるべき問題であろうかというふうに私の個人的な考えとしては考えております。
 大変雑駁でございましたが、大体与えられました時間になりましたので、私の考え、御説明はこれで終わらせていただきます。
 以上でございます。(拍手)
杉浦小委員長 どうもありがとうございました。
 次に、山口参考人、お願いいたします。
山口参考人 山口でございます。
 当小委員会で意見陳述の機会を与えられまして、まことに光栄に存じます。
 衆議院憲法調査会におかれましては、平成十二年一月二十日以来、鋭意調査を重ねられ、昨年十一月一日中間報告書を作成、公表されました。私も拝見しておりますが、大変綿密、周到な調査結果でありまして、敬意を表する次第であります。裁判制度、特に違憲審査制度につきましても詳細な御報告がなされております。
 したがいまして、違憲審査制度に関する講学上の事柄につきましては、委員各位におかれて十分御承知のことでございましょうし、私が今回参考人として招致されましたのも、講学上の評論家的意見を求められるのではなくて、最高裁判所裁判官として憲法適合性の判断をするにつき実際にどんなことを考えているのかという点について御関心がおありになるからではなかろうかと思いまして、主としてそういう観点から、職務上の秘密、合議の秘密の漏えいに当たらない限度におきまして、差し上げましたレジュメの順に従いましてお話し申し上げたいと思います。
 「諸外国の憲法裁判制度」につきましては、既に御承知のことと存じますが、お話をする前提として、アメリカ、ドイツ、フランスの憲法裁判制度について若干説明することをお許しいただきたいと存じます。
 アメリカにおきましては、資料二に記載しておりますように、一八〇三年二月二十四日の「マーベリー対マディソン事件」の連邦最高裁判決以来、通常の裁判所が具体的な訴訟事件において憲法判断を行うということが判例上確立されております。いわゆる付随的違憲審査制が採用されているわけであります。その実績がどういうものであるかというのを資料一―二で表で示しております。
 ある統計によりますと、一九九六年末までにアメリカ連邦最高裁は、百三十五の連邦法を全面的に、または部分的に覆しているとされています。発足以来二年に一回以上の割合で違憲判断をしたということですが、他方、最高裁判所によって無効とされた法律は連邦議会がその間に採択した六万を超える法律のうちのごくわずかな部分にすぎないという評価もなされているところでございます。
 時系列に見ますとおわかりのように、発足以来七十年間に違憲とした連邦法は二件にすぎません。最高裁は、一八六五年から一九一九年の五十五年間には三十五の連邦法を覆し、一九二〇年代には十五の連邦法を、一九三四年から三六年の三年間には十二の連邦法を無効にしております。続く四半世紀の間、最高裁の権限行使は控え目でありましたが、一九六三年から一九九六年までの約三十数年間には六十三の法律を無効にしております。
 州法及び地域法の無効判断は連邦法のほぼ十倍に当たりまして、発足以来一九九六年までに最高裁は、千二百三十三の州法及び地域法を無効にしたと言われております。時系列的に見ますと、連邦法についてと同様の傾向を示しております。
 このように、アメリカ連邦最高裁の歴史の中で、いわゆる司法積極主義の程度はさまざまでありますが、一般的には時がたつにつれてより積極的となってまいります。その理由といたしましては、法令数を含め政府の活動レベルが上がったこと、すなわち争うべき政策や施策が増加しているということが指摘されております。
 この積極主義、消極主義はいわゆるリベラルとコンサバティブとは無関係でありまして、積極主義をとりましてニューディール立法を無効にしましたのはいわゆる保守派でございますし、リベラルとして知られるブランダイス裁判官は、むしろ司法消極主義者として位置づけられておりまして、彼自身、司法の自己抑制のためのいわゆるブランダイス・ルールを提唱したわけであります。資料九にブランダイス・ルールを示しております。
 次に、ドイツでありますが、ドイツもアメリカと同様、連邦制度を採用しておりますが、ドイツでは、通常の司法裁判所とは別系統の連邦憲法裁判所が憲法適合性を判断する仕組みになっております。
 これも資料に掲げておりますように、具体的には、通常の裁判所が具体的事件について適用しようとする法律が違憲であると考えるときは、手続を中止して憲法裁判所に判断を仰ぐ。そうした具体的事件に伴う違憲判断とは別に、連邦政府、州政府あるいは連邦議会議員の三分の一からの申し立てがあれば、具体的事件とは関係なしに、法令が違憲であるかどうかを判断する抽象的違憲審査制度が設けられております。また、公権力によって憲法上の基本権が侵害された者は、一定の要件のもとで、対象となった法律の合憲性の審査を申し立てることができるものとされております。
 ドイツ連邦共和国基本法によりこの連邦憲法裁判所が設立されましたのは、ワイマール憲法時代に、憲法の敵にも憲法の保障を与え、自由の敵にも自由を与えた結果、ナチズムの合法的進出を許し惨禍を招いたという反省や、共産勢力が国境を接しているという厳しい東西対立構造のもとで、基本法が憲法秩序を守るという理念を掲げて、いわゆる闘う民主主義を宣明した。したがいまして、旧西ドイツにおきましては、憲法裁判所は本来的に司法積極主義を期待されてスタートした、そういういきさつがございます。実際にも、政治的な色彩の濃い事件につきましてちゅうちょせずに憲法判断を行ってきたと指摘されております。
 したがいまして、戦後西ドイツにおいて生じた重要政治問題は、議会における少数派の手によるなどしまして連邦憲法裁判所にほとんど持ち出されていると言っても過言でない。憲法裁判所自身も、制度上期待された役割どおり、積極的に憲法判断を行っております。ただ、一方では、司法の自己抑制を唱えまして、国の根幹にかかわるような重要な政治問題については、政治の大きな流れを見て、その流れに逆らわないように対応しているという指摘もございます。この資料七で掲げました「ヨーロッパ防衛共同体条約事件」の処理がその例でございます。
 次に、「フランスの憲法審査制度」でありますが、フランスでは、裁判所は違憲立法審査権を有しておらず、そのかわり、フランス共和国憲法によりまして、憲法院という一種の違憲立法審査機関が設置されております。ドイツの憲法裁判所は裁判権を行使するものと位置づけられておりますが、フランスの憲法院は、裁判権を行使するのではなく、憲法上一定の役割を担った立法府に対する特殊なチェック機構である、そういうふうなものとして設立されております。主として、議会の議決後、大統領の審署の前に法律に対する憲法適合性の審査を行うものとされております。
 このような制度が創設されましたのは、行政権の強化を掲げるドゴールの第五共和制のもとで、議会権限の逸脱を事前にチェックする制度をつくるとともに、フランスの場合は伝統的に司法不信の思想がございまして、司法以外の機関にこの制度の担い手とさせたものであるというふうに言われております。
 提訴権者は、当初、大統領、首相、国民議会議長、元老院議長の四者に限られておりましたが、一九七四年の憲法改正によりまして、通常の法律につきましては、国民議会議員または元老院議員の各六十名以上の連名をもって審査請求ができるようになりましたため、それ以前は年平均〇・六件にすぎなかった法律の合憲性審査の提訴件数が、年平均九・六件、ついには年平均二十件というように次第にふえてまいりまして、重要法案のほとんどが野党議員によって憲法院に提訴され、舞台を移して争われることとなったと言われております。
 次に、諸外国との比較において、「我が国の憲法裁判制度の特色」をお話ししなければなりませんが、まず最初に、「裁判所を取り巻く環境の異同」について御注目いただきたいと思います。
 (一)に「多民族国家であるかどうか」と書いておりますが、これは、訴訟社会であるかどうかと言いかえてもいいだろうと思います。
 御案内のように、アメリカは多民族国家の代表でありますが、ドイツも戦後は多民族国家となっておりますし、フランスも地域的、人種的に多様性を有していると言われております。これに対しまして、我が国は均一民族国家であるというふうに言われます。
 多民族国家に端的に見られる特徴の一つといたしまして、例えばアメリカの紋章には、多様の中の統一という意味のラテン語が刻まれておりますが、多様の中の統一が求められるわけであります。国家としての統一性を保つために、多様性を統合していく求心装置が必要になります。その一つが憲法であり、法律であり、司法制度である。
 したがいまして、これらの国におきましては、裁判制度、司法制度の利用率は非常に高うございます。人口割にいたしますと、アメリカ、ドイツの場合、日本の十倍を超える利用割合となっております。典型的な訴訟社会となっているわけであります。憲法の適合性を求める度合いも当然高くなるわけでありまして、日本はいまだ訴訟社会化しておりませんから、訴訟の利用度合いもアメリカ、ドイツと比較しますと少のうございますし、憲法適合性の審査を求める度合いも相対的に低くなるわけであります。したがいまして、違憲判決の数も少なくなってまいります。
 次に、「連邦制か中央集権体制か」と掲げておりますが、御案内のとおり、アメリカは五十州と首都特別地域などから成る連邦国家でありまして、合衆国は連邦内の各州に共和政体を保障し、各州はあたかも独立国の観を呈しております。ドイツも同様に、十六のラントから成る連邦国家であります。したがいまして、これらの国におきましては法令の数は膨大なものとなりますし、法令の制定過程におきまして十分なチェックが図られていないうらみがございます。
 何よりも、連邦国家では、本来は各州が独立した国家であるわけですが、時代の変化、とりわけ連邦内における交流の発達、国際化の進展に伴いまして、連邦制としての一体性が強く求められるようになってまいります。アメリカにおきましては、連邦憲法のインターステートコマース条項や修正十四条の平等条項を媒介といたしまして、次々と州法に介入していくということがあるわけであります。
 これに対しまして、フランスと日本は中央集権制がとられておりますから、そうした問題はございませんで、法令の数はアメリカやドイツに比較しますと少なくなってまいりますし、後に申しますように、法令の制定過程において十二分のチェック体制が整えられております。
 それから、三番目に掲げておりますように、「政権交代の有無」が一つ問題になります。
 一九三〇年代の中盤、アメリカ・ルーズベルト大統領は、大恐慌に対処するためにいわゆるニューディール政策を掲げ、改革に取り組みましたところ、連邦最高裁はその主要な法律の大半について違憲の判断を示したという事実がございますが、これに象徴されますように、政権交代に伴う改革立法につきましては、その憲法適合性が問題とされるわけであります。
 ドイツにおきましても、戦後、保守政権、保革の大連立政権、社民党政権、保守政権というような政権交代がございまして、それに伴って種々の改革立法がなされます。それが憲法裁判所の審理の対象となるというふうになります。
 フランスでも同様でございまして、第五共和制下におきまして、ドゴール、ポンピドー、ジスカールデスタンというふうに保守政権が続きましたが、その後ミッテランの社会党政権が成立し、続いて保革逆転とコアビタシオンというものを経まして、現在のシラク政権に至るわけでありますが、保革の政権交代の激しい動きがございます。その党派の公約に応じまして改革立法がなされ、それが憲法院で審査される、そういう事態になるわけであります。
 いずれにいたしましても、このようになりますと、裁判の場に直接政治的問題が持ち込まれ、その典型が、先ほど申しました、ドイツではヨーロッパ防衛共同体条約事件でありますし、フランスでは国有化法判決事件であります。これは資料八に掲げております。司法が政治的対立の渦に巻き込まれるおそれがあり、裁判官政治という批判を招きかねない事態も考えられるわけであります。
 これに対しまして、我が国におきましては、戦後、長期間にわたりまして国会において多数を占める政党が固定化し、我が国が統治システムとして議院内閣制を採用している結果、内閣及びその指揮を受ける行政機関が政治的に安定した状態になるという枠組みが維持され、法体系の一貫性と連続性が形成されてきました。
 すなわち、行政府と立法府とが一体として機能し、さまざまな行政的政策がそのまま立法という形で国会において承認されてきましたため、大きな政治問題が政治の舞台で解決できないまま膠着状態に至るというような状況がほとんど生じなかった、その解決のために司法に舞台を移して争うという機会もおのずから乏しかったということも指摘しておかなければならないと思います。
 それから四番目に、「立法過程における法案チェックの有無」であります。
 アメリカにおきましては、共和、民主両党、必ずしもイデオロギーや階級を代表する政党ではございませんで、また党の政策統一機能もほとんどないという性格からいたしまして、立法の価値基準にも一貫したものがあるわけではございません。また、建前は議員のみが法案の提出権を有しておりますから、事実議員立法が多いわけでありまして、法案の憲法適合性について厳しくチェックを受けないまま法律ができ上がるということがあるようであります。特に、州法はその嫌いがございます。
 ところが、フランスにおきましては、コンセイユ・デタの行政部が、先ほども御説明がございましたように、政府が提出する法律案、法律の委任に基づくオルドナンス等につきまして、政府の諮問を受けて法律案の検討、事前審査を行い、意見を述べる権限が与えられているのでありまして、建前は、違憲立法審査はあくまで憲法院の権限でありますけれども、法律案審査に当たりまして実質的に違憲立法審査もなしていると言えないことはないようであります。
 我が国におきましても、先ほど津野参考人から御説明のございましたように、法律案は大半が内閣提出法案でありましたために内閣法制局による法案審査がなされます。そこで厳密な合憲性の検討がなされておりますので、違憲ではないかという問題提起がなされるような法令自体少なかったのであります。
 五番目に、「裁量上告制(サーシオレーライ)の問題」を取り上げておりますが、これは、具体的違憲審査制を採用しておりますアメリカと日本との比較において指摘しなければならない問題であります。
 アメリカにおきましては、一九二五年の法改正によりまして、連邦最高裁の義務管轄であった部分の非常に多くをサーシオレーライによる裁量管轄に移行させました。すなわち、権利上告を非常に厳格な要件のもとにのみ認め、権利上告の申し立て要件を満たさないすべての場合についてサーシオレーライの申請を認めることといたしました。これは、連邦最高裁の負担過重と訴訟遅延を解消するための方策でありましたが、結果的には訴訟遅延が緩和されたのみではなく、連邦最高裁の役割と機能をも大きく変えてしまったと言われております。
 すなわち、連邦最高裁は、サーシオレーライによりまして判決を下すべき事件を積極的に選択することにより、法創造活動をより容易かつ効果的に行うことができるようになり、やがて社会において新しく生じてくる諸問題への早い対応を可能にして、特殊の上訴裁判所として機能することになったというように言われております。実際、時系列的に見ますと、資料一―二の表にございますように、一九二〇年代以降、連邦法百三十五のうち九十八について無効判断を示しているわけであります。一九八八年の改正によりまして、権利上告制度はほとんど廃止されるに至っております。
 これに対しまして、我が国では、刑事事件につきましては、既に昭和二十四年一月一日施行の新刑事訴訟法により上告受理制度を採用したのでありますが、民事事件につきましては、平成十年一月一日施行の新民事訴訟法によりましてようやく上告受理制度が採用されるに至ったのでありまして、それまでの間、最高裁判所は、三審制を前提としまして、旧来の大審院が扱っていた一般の民事上告事件のほか、新たに行政事件の上告審も担当することになりまして、それらの上告事件の審理に追われ、大法廷での審議をちゅうちょするという面がなかったとは言えなかったように思います。
 幸い、民事事件につきまして上告受理制度が採用されたことに伴い、民事上告事件の処理が進展いたしましてゆとりが生じてまいりましたので、私が在任中は、できる限り大法廷事件をふやすように配慮いたしました。常に一、二件は大法廷に係属しているようになりました。今後は、さらに大法廷審議の活性化が期待されようかと思っております。
 さて、その次に、「我が国の最高裁判所の違憲立法審査権行使の実情」であります。
 まず、これも既に御案内のとおり、日本国憲法施行後の違憲判決の数でありますが、最高裁判所におきまして違憲判断をした判決の数は、二十三年から平成十二年までの間に民事上告事件が四十九件、刑事上告事件が二百五十五件でございますが、民事の四十九件のうち四十四件は、昭和六十年の衆議院議員選挙についての議員定数配分違憲訴訟でありますし、刑事上告事件の二百五十五件中二百三十一件は、昭和二十八年から三十一年までの間のいわば戦後の混乱期に生じました数多くの関連事件について言い渡されたものでありまして、違憲判決の数自体は非常に少数であります。
 さらに、これらの事件の中で法令を違憲としたものの数は、民事関係が五件、薬事法、公職選挙法、森林法、郵便法等、それから刑事関係が三件、刑法二百条等でございます。
 こういうふうに、法令を違憲としたものは数が少ないものですから、非常に最高裁判所は司法消極主義ではないかというような批判を受けるわけであります。アメリカ、ドイツ、フランスと比較しますと、我が国における違憲判決がかなり数が少のうございますのは事実でございまして、しかし、これまでるる説明してまいりましたように、こうした状況を招来しておりますのは、前に申しましたような種々の事情が影響しているゆえであろうかと考えております。少なかるべくして少なかったというのが私の認識であります。最高裁判所が、例えば司法消極主義という一つの立場をとって事件の処理に当たっているわけではありません。
 いつの時代もそうでありましょうが、最高裁判所の各裁判官は、ある事件につきまして憲法適合性が問題になった場合、憲法の単なる文理解釈ではなく、その条文の真に意図するところ、条文の趣旨、目的、それからそれが制定されるに至りました立法事実というものを点検いたします。それから、当該ケース、この事実、これは司法事実あるいは判決事実と申しますが、それはどういうものか、両者を比較、吟味、検討するわけであります。さらには、憲法解釈をした場合のいわゆる射程距離、その影響がどこまで及ぶか、一般的な判例法理として示すべきかどうか。さらには、政治的色彩の濃いテーマであれば、司法がどこまで判断を示すべきか、あるいは政治にゆだねるべきか、ブランダイス・ルールを採用すべきかどうか、その辺も考えます。
 その際には、司法の機能、本質をどのように考えるか。すなわち、裁判官の任命が選挙によっていない点で直接の民主的基盤を持たない司法が、政治問題にどこまで介入し口出しすべきであるか。それから最後に、憲法判断の最終的な実効性がどのようにして確保されるのか。そのあたりの点につきまして総合考慮いたしました上で結論を出されるのであります。
 もとより、その前提といたしまして、最高裁裁判官は、単純に学理を追うのでなく、判決について国民に対し責任を負う立場にあることを常に意識しなければならないということを指摘しておかなければなりません。そのために、学者出身の裁判官は、みずからの学説によらず、判例に従われることもあるわけであります。
 今申しました諸点についての各裁判官の考え方が異なれば、それによって憲法適合性判断のスタンスもおのずから異なってまいります。幸い最高裁の裁判書には各裁判官の意見を表示しなければならないことになっておりますから、その意見の表示により各裁判官のスタンスが明らかになるわけであります。
 アメリカ、ドイツ、フランスの憲法判例の動きを見ておりますと、司法積極主義をとった場合でも必ずしも長続きしませず、その情勢が落ちつきますと、もともとの司法消極主義といういわば司法本来の姿に立ち戻ることも多いように思います。
 例えば、アメリカで、ニューディール政策立法につきまして違憲判断を続出しました後、ルーズベルト大統領が圧倒的大差で再選されますと、連邦最高裁はその態度を百八十度変えます。憲法革命というような評価が与えられるわけであります。それから、ウォレン・コートは、人種問題や刑事被告人問題など、世論をおもんぱかる立法府が容易に手を出し得ない公民権問題で画期的な判決を次々と出しまして、時代を先取りするものとして好評を博しましたが、バーガー・コート、レンキスト・コートというような後の時代になりますと、司法が乗り出して原理原則をぶつけるやり方よりも、より現実的な対応を示すように変わってきております。
 アメリカにおきましても、憲法適合性が争われているある種の政治問題につきましては裁判所は判断しないという政治問題の理論、ポリティカルクエスチョンという考え方がございまして、先ほども申しましたブランダイス・ルールなどはそれでございました。
 そうした点を総合勘案いたしますと、基本的には、民主主義社会におきまして、選挙によって選ばれる議会に比較しまして民主的基盤に乏しい裁判所は、原則として、これを有する政治部門の憲法判断を尊重すべきである。しかしながら、表現の自由、結社の自由等の民主主義体制そのものを支える精神的自由権や少数者、社会的弱者の自由と平等の保障は、まさに民主主義の基盤となるものでありますから、その制限についての多数者の意思を単純に尊重することは、民主主義の前提を破壊し、これを否定することにつながるおそれがあります。そういう観点から、これは憲法の権利保障に照らしまして厳重にチェックすべきであると考えざるを得ないというふうに思います。
 具体的な例といたしまして、だんだん時間が迫りましたから多少時間をちょうだいいたしまして、投票価値の平等が問題となります選挙訴訟を取り上げて御説明申しますと、これは多数意見と少数意見とに分かれるスプリット判決の典型でありまして、出身母体の差が意見にあらわれているなどと論評されることがあります。それは単なる憶測にすぎませんが、私は、多数意見に属する他の裁判官方がどのようにお考えになるか存じませんけれども、自分としましては、選挙という民主主義の基本にかかわり、かつ極めて政治的な問題でありますので、慎重な検討が必要であると考えて対処してまいりました。
 この問題につきましては、ナショナルコンセンサスは一体どうなのであろうか、果たして少数意見どおりにした場合にはどのような結果になるのであろうかということを常に模索しておりました。そうした関係で、諸外国においてどうなっているのか、イギリスにおける選挙区割りの実際はどうなのか自分独自で資料を渉猟してみたり、アメリカの連邦最高裁の判決に当たってみたりするわけであります。
 アメリカの連邦最高裁は、ウォレン・コート時代は極めて厳格に投票価値の平等を求めておりましたが、連邦下院議員につきましては、憲法で、各州の人口に比例して、各州の間に配分されると明文で規定されておりますのに対しまして、州の下院議員につきましては、憲法の平等条項から演繹的に解釈されてくるというふうに言われております。したがいまして、連邦下院議員のように機械的に平等配分でなければ憲法違反というのではなくて、多少のゆとりがあるようでありまして、現に一対三の格差を認めた判決もあるわけであります。そうした判決は日本の学者のお気に召さないわけでありまして、間違った判決だなどと言われておりますけれども、現にこうした判決があるわけであります。
 イギリスの選挙区割りにつきましても、単に人口比率で機械的に決めるのではなく、それぞれ地域の実情を考慮しておりまして、島嶼部ではありますけれども、一対三以上の格差を認めているのもあるわけであります。
 そういうふうな検討を踏まえまして評議に臨むわけでありますが、評議におきましては各裁判官が自由に御意見をお述べになります。ペーパーを用意して詳細に意見を述べられる方もおられますれば、簡潔に意見を述べられる方もおられます。断固として自説を譲られない方もおられますし、多数意見がどのように形成されるかその帰趨を見てみずからの意見を修正されるという柔軟な立場をとられる方もおられます。
 私の尊敬すべき先輩裁判官は、できる限り個別意見を書かずに全員一致になるように努力したと述懐しておられました。これは、全員一致の意見になりますとおのずから重みも違ってまいりましょうから、そういう信念をお持ちになったのではないかと思っております。
 選挙訴訟などになりますと、裁判官によりまして基本的スタンスが違うものでございますから、なかなか妥協の余地が見出しにくいわけであります。そうでないケースにおきましては、できる限りコンセンサスが得られるよう判断の範囲を調節し、全員一致へこぎつけるようにする場合もあるわけであります。
 繰り返しになりますが、最高裁の裁判官は、判決に責任を持たなければなりませんから、この判決の結果どうなるかということを常に考え、理屈はわかっていてもその結果どうなるか、それが国民生活にどういう影響を及ぼすのか、国民はそれに対してどういうふうに反応するであろうか、ナショナルコンセンサスはどのあたりにあるのであろうか、常に意識して考えて判断を下します。その上での判決でございますから、結局は司法というものをどう考えるかという問題をめぐっての各裁判官の世界観、価値観、物の考え方の集約でありましょうし、司法の自己抑制を強く意識される方が多数を占めますと、勢い司法消極主義と評価されるような結論に至るわけでありますし、ある時期になりますと司法積極主義をよしとする裁判官が多数を占めるということも、考えられないわけではないわけであります。
 最後に、憲法適合性審査の今後の問題につきまして触れなければならないわけでありますが、ちょうど時間が参りましたので、御質問がございましたらそれに関連して申し上げさせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
杉浦小委員長 どうもありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷川和穗君。
谷川小委員 私は、自由民主党の谷川和穗でございます。両参考人におかれましては、本日はまことにありがとうございました。ひとつよろしくお願いをいたします。
 まず最初に、津野参考人にお尋ねをいたしたいと思います。
 憲法と現実の乖離が進んで憲法解釈での対応に限界が来たような場合、政府の憲法解釈を変更していくということは、法制局としてはとてもこれはできるものではないと私は思いますし、やるべきではないと思っておりますが、しかし、むしろそういう時代に入ってきたということになりますと、憲法そのものの条項を、これは法制局がなさるという意味じゃないんですけれども、改正する方のことをまず考えていくべきなのじゃなかろうか。
 米ソ対立が崩れてからというもの、国際環境の変化がすさまじい状態になってきたと思います。
 例えば、国際テロリズムに関する国際協力については、昨年九月、コペンハーゲン宣言、アジア、ヨーロッパの首脳が集まってやられましたが、あのときには国連安保理の第千三百七十三号決議が下敷きになっておりました。国連憲章第七章に言う、平和維持のための武力による制裁措置がいよいよ具体化してくるというような場合、米ソ対立のころにはなかなかこれはうまく働かなかったが、いよいよそういう時代になってくるということになると、日本において国際貢献の論議が成熟しないのは、憲法論議に正面から向き合わない、これが続いてきたからじゃないかと思うんです。憲法と現実との乖離がこうやって大きくなってきたということになれば、憲法解釈の変更ではなくて、むしろ憲法そのものについて議論すべきだと思う。
 法制局の長官としての御意見でなくて、それを離れて、現在の状態について御意見があれば、承りたいと思います。
津野参考人 これは、実は我々も非常に悩みの多い問題でございますが、まず、本来のあるべき筋を申しますと、当然のことながら、憲法の議論を、これは国会あるいはその他のところでもよろしいんですけれども、大いにやっていただきまして、その上で、憲法についてどうすべきであるか。特に、現実との乖離が大きいところにつきましては、何らかの方法でそれを解消していかなければいけないわけですけれども、一番いいのは、それはもちろん憲法改正をするのが一番いいと私は思います。その憲法改正をするのが、片方で、非常に厳重な改正手続が現在の日本国憲法には定められておりますので、その結果、なかなかそこのところに到達してこなかったというのが今までの状況であろうかと思います。
 いずれにいたしましても、何らかの格好で、もしも現実との乖離が大きくて、その現実に対応する政策なり何なりを、政府としても、あるいは国会としてもやらなきゃいけないというときには、そういった改正なりを検討するというのは、ちゅうちょすべき問題ではないのではないかというふうに、私個人の意見としては思っております。
谷川小委員 ありがとうございました。
 第二点なんですが、日本国憲法が採用されましたときに、国会が唯一の立法機関だと定められましたが、その国会議員の立法活動を補佐するために、これはGHQから言い出したことなんだろうと思うんですが、議院法制局というのがつくられた。私は、この議院法制局というものは、硬性憲法の国では、先ほど山口参考人からもお話がございましたが、やはり選挙によって国民の負託を得ているこの国会で、特にこの憲法のようなものについては、憲法のようなものと言ったらあれかもしれませんが、議論をするために使われなきゃいかぬと思うんです。しかし、現在では、両院の法制局というのは、むしろ内閣法制局の下についているというような状態になってきてしまっておると思うんです。
 この点について、何か御意見があったら、聞かせていただきたいと思います。津野参考人に。
津野参考人 先ほど、内閣法制局の職務についてるる御説明させていただきましたけれども、他方で、国会に議院法制局がございます。
 議院法制局は、内閣法制局と異なりまして、議員の立法を補佐するといいますか、その立法を助けるということで設けられている機関だろうと思いますが、現実問題といたしまして、内閣法制局の場合は、各省が法律案をそれなりにきちんとつくって、それで法制局の方へ持ってまいります。そこから先は法制局と、審査と言いますけれども、ある意味では共同作業みたいなわけでございまして、両者が協力しながら、非常によい法律案をつくっていくという作業をしているわけであります。
 ところが、議院法制局の場合におきましては、立案から問題点の摘出まで、全部自分でやらないといけないわけですね。国会議員の先生方の持っていらっしゃる、議院法制局における案がどのようなものか私どもは承知いたしておりませんけれども、それが非常に成熟したものであれば、またそれなりの、議院法制局としても意見も申し上げられるし、もっといいものが出てくると思いますけれども、議院法制局の方は自分で全部やらないといけないというのが、大変皆さん、御苦労されているんじゃないかというふうに、私は、内閣、政府の方から見ておりまして、感じているところでございます。
谷川小委員 では、最後に一問、山口参考人にお尋ねをいたしたいんです。
 憲法七十六条第二項にかかわる問題ですが、確かに、旧憲法のもとでは、最高の司法行政権は政府にあった。したがって、行政裁判所というのは、行政府の一部だから、何となく、やはりどうしても、行政権、政府に都合のよいような振る舞いが目立っておった。それは思います。しかし、新しい憲法が、もう既に五十五年、国民の間にこれは完全に定着しつつあると私は思うんです。したがって、ここを一々こだわることはないと思う。特に、民事だとか刑事の裁判のほかに、やはり行政事件というものは、これは非常に時間がかかってきているから、最近、国民の側から見ても、行政裁判についてはもうちょっと早く結論が出てもらえないかという期待がある。
 私は、そういう意味でも、憲法七十六条第二項の禁止規定はちょっときつ過ぎるんじゃないかと思う。もし、次に新しい憲法を議論するような場合には、あれを置くことは必ずしも必要ないんじゃないかと思っておりますが、この点について、いかがでしょうか。
山口参考人 大変難しい問題でございまして、御承知のように、ドイツにおきましては、多元的裁判権制をとっておりますから、通常の訴訟事件のほかに、行政裁判権あるいは社会保障裁判権とか租税裁判権とか、いろいろございますね。そういう法制もあるわけでございますけれども、我が国の場合には、今御指摘のございましたように、戦前の状況を十分把握した上で、それを踏まえまして、司法権の独立を完全に保障するためには、行政事件の裁判権も司法府にゆだねた方がいいのではないか、そういう形で発足しております。
 確かに、行政事件の処理につきまして、かなり時間がかかっておる、あるいはかなり技術的な面がございますから、多少、その点で物足らない面があるというような御批判があることも十分承知しておりますけれども、行政事件裁判の適正迅速化というのは、また別途、図ることが可能でございますから、今後とも、その点につきましては十分配慮しながら、迅速処理の要請を満たしていくというふうに考えるのが相当ではないかと思っております。
谷川小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、末松義規君。
末松小委員 両参考人、御説明、大変ありがとうございました。
 時間がちょっとございませんので、手短に質問させていただきます。
 まず、津野参考人ですけれども、先ほど、内閣法制局とそれから国会の法制局、それについての違いを、また、その違いの背景について的確な御説明をいただきまして、ありがとうございました。
 私も思うんですけれども、どうも、日本の場合、行政の情報あるいは行政の組織が余りにも大きくて、何か審理をする場合には、内閣法制局はそういった行政がきちんと支えていて、それの最後の整合性を確保するということだろうと思うんですね。ただ、これは一般の裁判所においても、結局、判断をする際の情報がすべて、行政から来るものが一番しっかりしたものであれば、どうしても行政に有利な立場の法律あるいは解釈にもなってくるということだろうと思うんですね。
 そういった場合に、私の申し上げたいのは、例えば、国会の法制局をさらに強化して、国会議員が国民と接触して拾ってくるさまざまな情報、そういったものを行政の情報に、ある意味では対抗的にぶつける形で、そして立体的に問題の本質を明らかにしながら憲法解釈を行うというのが理想的なところだろうと思うんですけれども、そういった形で、強化策というものがもしございましたら、ちょっとアイデアなりともお伺いしたいと思います。
津野参考人 議院法制局の強化策ということと存じますけれども、これにつきましては、まずその議院法制局自身を強化すると同時に、その前の段階で、議員の先生方のところで、いろいろなそういった法律問題についてのそれなりの考え方をまとめられていって、法律案としてつくっていくという機能を重点的に強化していかなければいけない問題があろうかと思うんですね。
 その点につきましては、従来からいろいろ議論がありまして、例えば政策秘書制度とかいろいろ、政策秘書に至りましては、これは国会議員の先生方、七百から八百人かその程度ですが、その先生方に一人ずつ政策秘書の方がつかれたわけでありますが、八百人の組織、定員がふえたわけですね。その八百人の組織、定員のふえた分についての使い方というのは、やはりいろいろ考える余地があるんではなかろうかという気がするわけであります。一人一人で使われていますと、どうしてもなかなかそういう点では難しい面があるかもしれませんけれども、八百人といえば法制局の十倍ですから、役所でいえば一つの大きな役所ができるぐらいな組織であります。そういうものができるわけでありますので、ぜひ、そういったところの活用をまず考えていただくのが重要であるというのが第一点です。
 それから、議院法制局自身の強化策といたしましては、これはいろいろ国会の方のお考え方もございまして、各省庁との交流とかそういうのはできるだけしないような形になっているようには伺っておりますけれども、ある程度行政府の人も議院法制局の方に入られて、それなりの行政府で培われましたいろいろな能力、知識を活用するということもできると思いますので、そういうことも考えてみられるのもいかがかなと。ただ、これは三権分立とか国会との関係で、非常に国会としてはとりにくい面があるかもしれませんけれども、そういった点も検討の一つかなと。
 あと、情報とかなんとかいろいろなものを議院法制局がみずから調べるといいますか、収集するとかいうことでありますけれども、これは、一つは国立国会図書館というようなところもございますし、いろいろな、国会としてなされている組織もあると存じますので、そういうものとの有機的な連携関係を強化していくというようなことも一つの手だてとして考えられるのではないかなという気がいたします。
末松小委員 ありがとうございます。
 山口参考人にお伺いします。
 フランスの憲法審査制度、非常に興味深く私は拝聴させていただいたんですけれども、その中で、この憲法院ということなんですが、コンセイユ・デタというのは、これは内閣法制局と同じようなものだろうと思うんですが。それに対して私ども、問題は、憲法解釈のときにやはり迅速性なんですよね。これで何か法案が出たときに、一年も二年も待たされる、あるいは具体的な訴訟事件がないと解釈できないというのが致命的でありまして、やはり抽象的な審査がきちんと迅速にできる、そういうことが一番要求されるんでございますけれども、その憲法院はどの程度早くできるのかということと、憲法院が出した解釈は最終的な有権解釈であって、ほかのフランスの、例えば最高裁があるのかな、を拘束するような形なのかどうか、そのヒエラルキーの関係でいかがなものかというのをちょっと教えていただけますでしょうか。
山口参考人 私は、実は学者のようにフランスの法制に詳しくないわけでございまして、十分なお答えはできないかもしれませんけれども、先ほど御説明いたしましたように、法律案ができまして、可決されまして、大統領がプロミュルガシオン、つまり認証しまして署名するわけですね。そのことによって法律が成立するわけなんですけれども、その前に、申し立てによりまして、憲法院に申し立てができるわけでありますから、そういう点からしますと非常にスピーディーだろうと思います。それはそうでございますけれども、先ほど申しましたように、国会での対立がそのまま憲法院の方に持ち越される、そういう難点もまたあるんではないかと思います。
 確かに、付随的違憲審査制をとっておりますと、事件として登場してくるのには時間がかかりますから、すぐ応答できないではないかという御不満をお持ちなのはごもっともでありますけれども、抽象的違憲審査制をとりますと、今申しました政治的対立が司法の場に持ち込まれる、その危険性はかなりあるようでございます。
末松小委員 その政治的な政争が憲法裁判所の方に、憲法院ですか、出てきたときに、やはりそれに対応できるような、あるいは行政の迅速性を理解できるような、そういった形の裁判官というのは、ずっと裁判官だけやってきた方ではなくて、やはり人の構成を変えることによって、そういったことはクリア、例えば政治的に、政争にも動かされずに、憲法で解釈をきちんとしていく体制というのは可能だと思われますでしょうか。ちょっと実感としていかがなものでしょう。
山口参考人 大変難しい御質問でございまして、本当に理想的な裁判官の姿というものを考えますと、あらゆる情報に精通していて、眼前にあります事件につきましても的確に対応できるというようなことが可能になるだろうと思いますけれども、そのためにはいろいろな経験を豊富に重ねていくことが必要でございます。
 現在の我が国の裁判所におきましても、若手の裁判官を方々へ派遣したりしておりますのは、実はそういうねらいがございまして、いろいろな経験を多く積み重ねることによって、それぞれの案件に的確に対処できる体制をつくり上げたい、そういう思いからでございます。
 したがいまして、理想的な形の違憲審査制の運用を考えました場合には、やはり国民の皆様方がそういう本当に信託するに足る立派な方々を選んでいただくシステムを考えることがまず先決だろうと思います。
末松小委員 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、斉藤鉄夫君。
斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 私はきょう、お二人のお話を伺って、大変勉強をさせていただきました。私自身、法律がバックグラウンドではないからとはいえ、立法府に身を置く者として、自分の勉強不足を痛感した次第でございますが、ふだんからのちょっと問題意識を率直にお聞きしたいと思います。
 まず山口参考人にお伺いしますが、三権分立、立法、行政、司法、そのそれぞれの権力の源泉というのを考えるわけですけれども、いわゆる立法と行政については、選挙、特に議院内閣制の中にあっては国民の直接選挙というところに権力の源泉があると思うわけです。
 司法については、その権力の源泉はどこなんだろうと。庶民の一般感覚としては、難しい司法試験を通った人なんだというところなんですけれども、先ほど山口参考人は、選挙されていないとおっしゃいましたが、我々が考えるに、衆議院選挙のときに十人の方のマル・バツをつけます。ほとんどわからないでやっているんですが、あえて求めればそこに権力の源泉があるのかなという認識をしていたんですけれども、この点についてはどのようにお考えになっているでしょうか。
山口参考人 御案内のとおり、三権分立、チェック・アンド・バランスの体制をとっておりますから、裁判官につきましては内閣が任命権者であられるわけですね。内閣は議院内閣制の建前をとっておりますから、やはり国民に選ばれた国会議員の中から組織された議院内閣によって裁判官が任命される。そういう点で、私個人の考え方かもしれませんけれども、やはり司法の源泉は、間接的ではありますけれども、国民に由来しているというように考えております。したがいまして、私どもは、判決をいたします場合も、国民の信託にこたえて判決をしているんだ、そういう意識でやっているわけでございます。
 これはお答えになるかどうかわかりませんけれども、司法試験がどうのこうのじゃございませんで、やはり私どもの権力の源泉は常に国民である、だからそのことを常に意識しながら、先ほどもちょっと口を酸っぱくして申しましたけれども、本当に国民の方々がどうお考えになるだろうかということを常に念頭に置きながら仕事をしているわけでございます。
斉藤(鉄)小委員 次に、同じ質問を津野参考人と山口参考人にさせていただきます。
 憲法裁判所ということについて、津野参考人は、これまでの最高裁の判例から、いわゆる抽象的な判断を下すのは適当ではない、一つ一つの事例に即して行うべきであるというお話をされました。津野参考人御自身のお考えはこの点についてどうか。私自身は、諸外国も回らせてもらいましたけれども、憲法裁判所という非常に国民にとってある意味でわかりやすいものを置くのは、民主主義の一つの方法かなという気がしております。
 それから、同じ質問をまさに山口参考人にさせてもらうんですが、お話の中で、憲法適合性判断の今後のあり方に関連して、時間がなくてしゃべらないけれども後で質問があればということでございましたので、お話をいただければと思います。
津野参考人 先ほど、抽象的な判断を最高裁判所の訴訟においてすることはできない、できないといいますか、訴訟として抽象的な判断を示して、その法律が有効であるとか憲法に違反しているとかいうような判断をすることは現行の憲法下では予定されていないという、これは憲法八十一条の解釈として、最高裁判所も個別の訴訟事件がなければ憲法解釈は、判断は示せないということになっておりますから、そういう意味で、政府としても従来から、そういうことは現行憲法下では司法の作用の範囲を超えるので、そういうことをするには別途新しい憲法上の規定が用意されていないといけないであろうということを言って御説明をさせていただいたわけであります。
 したがいまして、その抽象的な判断をする憲法裁判所を設けるべきかどうかということにつきましては、最後に憲法裁判所についてどう考えるべきかというようなことを申し上げましたが、そういった三つばかりの点、まだいろいろあると思いますけれども、とりあえずはそのようなことについて、基本的には立法府でございますが、特に憲法調査会等でいろいろ議論をしていただきまして適当な結論を見出していただければ、それが一番いいのではないか。
 私も、山口前最高裁長官も先ほど申されましたけれども、政治との関係が、抽象的なそういった憲法裁判所を設けた場合に非常に難しいのではないかという気が非常にするわけであります。ですから、そこのところをどういうふうに考えたらいいのかなという、そこだけが問題でありまして、例えば西ドイツの場合に、先ほど、再軍備するかどうかといったときに、憲法裁判所も判断を留保せざるを得なくて、結局選挙の結果を待った。あるいは、過激主義者問題というのがありまして、与野党が全然対立する法案を委員会で出した、そのために、その委員会が憲法裁判所の意見を聞くために一カ月程度その審議を中断いたしまして、憲法裁判所の意見を聞いてから審議をする。これはやはり、日本の国会のような国権の最高機関としては、そういったことが果たしてたえられるのかどうか、私は、非常にそういったところをよく吟味して考えるべき問題であろうというふうに考えております。
山口参考人 将来、我が国におきまして、どのような国家システムによって法令の憲法適合性を審査すべきか、いわゆる抽象的違憲審査制を導入すべきか、そのためにどのように憲法を改正していくべきか等につきましては、これはまさに高度に政治的、政策的な判断でありまして、司法部の長の地位に身を置いた者といたしまして、見解を述べることは相当でないと考えますので、その点は差し控えさせていただきますが、ただ、仮に憲法裁判所またはこれに類した裁判所を設ける場合には、当該裁判所は、その判断を通じてより深く政治的問題にかかわることになり、その結果、当該裁判所自体の正統性が国民の側から問題とされることは想像にかたくありません。裁判所の存在をそのように政治的なものとすることの当否が問われるのではないかと思います。
 具体的違憲審査制をとっております現行制度におきまして法令の憲法適合性判断が早急になされないという点につきましては、先ほども御指摘がございました。しかし、諸外国の例でも申し上げましたように、憲法問題について裁判所の果たすべき機能、あるいは果たし得る機能と申しますものは、ある程度長期の視点から見る必要があろうかと思います。我が国の裁判所は、これまで三審制における最終審として、つまり旧大審院的な機能に相当エネルギーを割かざるを得なかった面がございましたが、先ほど申しました上告受理制度が定着してまいりますと、憲法判断をするに適した事件を、ふるい分けを早くしまして取り上げることが可能になってくるであろうということは予測されます。
 さらには、もう一つの側面といたしまして、社会構造の変化、特に国家あるいは組織における個々人のあり方をどう調整していくかということがこれから大きな問題になっていくでありましょうから、そういたしますと、司法は、時に多数決原理による民主主義とも対立しながら個人の権利を擁護しなければならない本来的な使命を有しておりまして、その使命を果たすべき場面もまた多くなってくるかもしれませんので、そういうことで、裁判所といたしましては、具体的な紛争を解決し、権利侵害を救済するため、必要な場合には毅然として速やかに適正な憲法判断を示して、新しい時代にふさわしい憲法秩序を形成していくに違いないというふうに確信しておりますことを御披露させていただきたいと思います。
斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、武山百合子君。
武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
 きょうは貴重なお話をありがとうございました。早速、津野参考人にお聞きしたいと思います。
 最近、議員立法がふえてまいりました。議員立法の場合は、国会議員がもちろん議論し合ってつくるというのが基本的に成り立っておりますけれども、その中で、議員立法の場合は非常にわかりやすい言葉で、法律の内容自体もわかりやすく、私もかかわったものですから。ところが、行政府、議院内閣制ですので、閣法となって出てきた場合、非常にわかりにくく、中身も、また言葉も、それで国民のための法律だと言っていて、わかりにくい。だれか解釈する人が一人そこにいていただいて説明しないとわからないような、そういう法律が相変わらず出てまいるわけですね。そういう部分に対して、内閣法制局の長官としていらしたときに、そういうことに対しては議論なんかあったんでしょうか。
    〔小委員長退席、谷川小委員長代理着席〕
津野参考人 実は、今おっしゃられましたことは、非常に我々も腐心をしてまいりましたことでございます。法令の平易化ということで、これは内閣法制局の部内におきましても、かつて法令平易化のための組織といいますか、内部的な検討会を設けまして検討をしてきたわけであります。
 閣法の場合そういったわかりにくいものが多いと申しますのは、一つは、非常に技術的な内容を含んだ法律案が多い。例えば、税法を見ていただいてもおわかりいただけると思いますけれども、その前提となる社会事象、そういったものが複雑化している。しかも、片方で、それに的確な対応、対処といいますか、それを的確に把握して法文をつくっていかなければいけないという、一方での社会事情、社会情勢の複雑性といったようなものが法律をつくる場合に一つは反映してきまして、技術的に非常にそういったところが平易にするのは難しくなっている部分があろうということがあります。
 我々もその点はひとつ非常に反省しなければいけない問題だと思っておりますけれども、努力だけではなかなか、わかりやすくしようとすれば、例えば政令とかに落としまして、それで法律には骨格だけを書けば、これは非常にわかりやすいわけであります。例えば、かつて税制改革基本法とか、それから中央省庁等改革基本法とか、いろいろな基本法みたいなものをつくりました。これは非常にわかりやすいということで、国会の先生方の御評判も大変によかったのであります。ところが、実際に所得税法とかあるいはいろいろな法律をつくっていきますと、どうしても細かいところまで、租税法律主義とかいろいろな観点もございますけれども、技術的に書いていかなきゃいけないということもございまして、なかなかそこのところがわかりにくくなって大変恐縮だと思いますけれども、一層今後努力をしていかなきゃいけない非常に大きい問題だと思います。
武山小委員 日本語はすばらしい、みずみずしい言葉がたくさんあるわけですから、そういうものを子供たちのためにも、後世のためにも、また現在生きている私たちのためにもやはりつくるべきだと考えております。
 それから、いわゆる議院内閣制なものですから、行政府、閣法から出てくる法律が今までずっと、その法律の積み重ねで来たわけですよね。ところが、古くなってしまって、中身を改正していないために、例えばここ数年来、ハンセン氏病とか、国の責任を問う判決が出ておるわけですね。そういう場合は、やはり今までのこの議院内閣制の歴史の中で憲法裁判所というものがあれば、早く、少しでも多くの人たちにそういうきちっとした国の考え方というものを示せたと思うんですけれども、憲法裁判所がないために、今やはり司法というものに頼ってくると大変時間がかかって、本当にその人たちの人権にもかかわり、命にもかかわっている問題というのは相当あるわけですよね。今後、例えばそういうものはどうしたらよろしいでしょうか。
津野参考人 ハンセン氏病の例を挙げられまして、これは非常にある意味で私たちもよくわからない点がございましたけれども、そういった憲法にかかわる、基本的人権にかかわるような事案につきまして、例えばもっと早く裁判ができる、訴訟が終結することができるような制度をとれないかというようなことでありまして、それは、憲法裁判所じゃないとそういう訴訟制度がとれないということには必ずしも私はならないという気がいたします。
 ただ、これは非常に個人的な見解でございますからなんですけれども、現行憲法上の裁判所の規定の中で現に、第一審から、跳躍上告とか、すぐ最高裁まで行くものがあるわけですね。ですから、そういう裁判の訴訟の運営のところのいろいろな手だてをそれなりに考えていけば、一つは訴訟との関係ではある程度の解決策が見出せるのではないかというふうに考えます。
 問題は、国会とか行政とかがそれに迅速に対応できなかったというような観点のところにつきましては、これは行政府においてもそうですし、国会の方におかれましても当然そういったところについての関心があってしかるべき部分であったかと思います。ただ、訴訟の方からいえば、あの訴訟はきっともっと前からだってできたはずなんでありまして、そういった意味では、必ずしも現行の制度が欠陥があるからそういうことになったというわけでもなかろうかなという印象は持っております。
 以上でございます。
    〔谷川小委員長代理退席、小委員長着席〕
武山小委員 ありがとうございました。
 それでは、山口参考人にお聞きしたいと思います。
 今、司法制度改革ということで、アメリカでは行われております陪審制度、これを議論しておるわけですけれども、日本でアメリカのような陪審制度を持ってきて運用しようという方向で今動いておるようです。欧米のいろいろな制度を日本は取り入れるわけですけれども、欧米の制度には歴史的なまた文化的ないろいろな背景があってそういう制度ができておるわけですね。ところが、日本は、どちらかというと、形だけを入れて、運用の面でその精神というものを、私たちの日本国民の文化や歴史や伝統を踏まえた上の精神というものを根底に置いて運用できていない。それが今いろいろな弊害をもたらして、大きな溝をつくっておるわけなんです。
 私、アメリカに長いこと生活していたものですから、アメリカで育った陪審制度の中身はわかるんですけれども、日本の場合、本当にどんなふうに育っていくかなという心配もしております。それに対する見解を聞かせていただきたいと思います。
山口参考人 司法制度改革の一環といたしまして、いわゆる裁判員制度が議論されているわけでございまして、これを陪審と見るか参審と見るか、これからさらに内容を詰めていきませんことにはどちらとも言いがたい面がございます。
 それはさておきまして、今御指摘のように、実は司法制度というものはすぐれて歴史的、文化的な所産でございますから、そのことを抜きにして軽々に制度の導入等を図ってはいけないというふうに私自身も考えております。我が国とあるいはオランダを訴訟を避ける文化、それから、ドイツとかアメリカを訴訟に傾く文化、そういうふうに言っている学者の方々もおられます。我が国は、伝統的に訴訟を避ける文化の社会であったわけであります。したがいまして、これからさまざまな司法制度の改革を考えます場合も、そういう我が国の土壌をよく踏まえた上で、我が国に適したものは何かという観点から探っていく必要があるんではないかというふうに考えております。
 したがいまして、今御指摘の陪審あるいは参審さらには裁判員制度をどうするかという問題も、そういうふうな歴史的な背景を踏まえた上で、何が一番望ましいのかを今後詰めて検討していっていただければありがたいなと思っております。
武山小委員 ありがとうございました。終わります。
杉浦小委員長 次に、山口富男君。
山口(富)小委員 日本共産党の山口富男です。
 まず、津野参考人にお尋ねしたいんですが、私は、津野参考人が法制局長官時代に委員会審議で随分いろいろ憲法論を交わしたことを思い出します。
 初めにお聞きしたいのは、本来、政府部内の憲法解釈と公法学界の憲法解釈というのはできるだけ接近し、一致することが望ましいんですけれども、中でも憲法九条をめぐっては、自衛隊の違憲論をめぐって根本的とも言えるような対立があると思うんですね。私も自衛隊については違憲論の立場に立ちますし、今後、時間はかかるでしょうけれども、その解消に向かうという方向をとるべきだと思うんですが、政府部内の憲法解釈と大事な規定のところでこれだけ公法学界との解釈がかけ離れる、この現状についてはどういう認識をお持ちでしょうか。
津野参考人 学者の先生方の御意見と、それから私どもといいますか政府の解釈とがかなりかけ離れた面があるという御指摘でございますけれども、私は、憲法が戦後制定されましてから現在に至るまでの経過をいろいろ見てまいりますと、公法学界との意見というのは、最初はかなり大きなものがあったと思います。しかし、現時点におきまして、公法学界におきましても政府の解釈に非常に近い見解もふえてきているんじゃないかというふうに認識しておりますので、必ずしも、解釈がずっと離れてしまって公法学界とはもう全く違うというようなことは私はないと思います。
 したがって、私たちは、当然、国会あるいはいろいろなところから憲法解釈を求められました場合には、必ず各種の憲法の学説を精査いたしまして、それなりにそういった見解も承知しながら、法制局の見解というものも出させていただいているということでございます。
山口(富)小委員 これは、解釈というよりも事実認識の問題ですから申し上げますと、憲法調査会に参加された憲法学者の方でも、通説としては、大体七割から八割の研究者は自衛隊については違憲論の立場であるということが記録に残っております。
 さて、もう一点お聞きしたいのは、内閣法制局において、その立場を守るには人的な要員というのが大変大事だと思うんですね。先ほどの参事官ですか、各省庁から出向だという話だったんですけれども、一体、憲法についての研修的なものをきちんとやっているのかどうか、このことを教えてほしいんです。
津野参考人 憲法につきまして、現在法制局に参っております参事官にどういったきちんとした研修をしているのかということでございますけれども、実は、内閣法制局の参事官は、各省庁から出向してきていただく前にまずかなりの法律的な素養がある方に来ていただいていることが第一点であります。それから、各参事官につきましては、任期が基本的に五年間、通常の役所の任期は二年程度ということに比べますと、非常に長期にわたって同じ憲法解釈なりあるいは法律の審査なりをしてきていただいているわけであります。
 オン・ザ・ジョブ・トレーニングというのがありまして、職務を遂行しながら、仮にその者が知識的に問題があるとすれば、当然、それはまた上の幹部からもいろいろ教育を施しましてそれなりに、参事官としては非常に有能な参事官として活躍してもらっているというふうに認識いたしております。
山口(富)小委員 続きまして、山口参考人にお尋ねしますが、きょう、憲法裁判所も問題になりましたけれども、私は、これについては消極的立場なんです。
 といいますのも、今の日本国憲法の規定で、八十一条で最高裁判所の違憲審査制、これは司法審査とも最近呼んでいるようですが、こういう仕組みがありますので、これの実効ある運用が大事だというふうに思うんです。
 最初にお尋ねしたいのは、世界の憲法と比べましても、日本の場合は、この違憲審査制が盛り込まれた時期は比較的早いんですね、世界は比較的新しいところもありますから。そうしますと、当時の日本でこの違憲審査制が盛り込まれた意義といいますか、そのあたりをどういうふうに認識されていますか。
山口参考人 やはり、大日本帝国憲法でございますね、この当時におきましては違憲審査制というような観念はなかったわけでございますね。
 憲法制定につきましては、種々の事情はございますけれども、戦前の経過に徴しまして、やはり司法国家として日本を確立していかなければならない、そういう発想が根底にございまして、そのためにモデルとなりましたのがアメリカでございますから、アメリカ合衆国の憲法の、憲法には規定はございませんけれども、先ほどの例のマーベリー対マディソン事件の判決で、付随的審査制をとっているんだという解釈がされたわけですから、その思想を導入しまして憲法の規定に具体化した、そういういきさつであろうかと思います。
 したがいまして、やはり司法国家として日本国を確立していくために、そういうふうな具体的審査制をとるのが一番適切であろうというふうに判断したものと思っております。
山口(富)小委員 御指摘のとおりに、やはり主権在民の点でも基本的人権や平和主義の点でも、全体として法の規定とそれが実際に運用されるかどうかを保障するためにこういう制度が入ったと思うんですね。
 もう一点お尋ねしたいんです。先ほど盛んに、最高裁や裁判所の場合に国民との関係が大事になるという話をされたんですけれども、それで、ちょっと私に教えていただきたいんですが、今、明治の時期の明治憲法とのかかわりもお話になりました。最近、例の治安維持法という法律について再審の請求が認められましたね。結局、これは結論から言いますと、ポツダム宣言を受けて、占領下といえども治安維持法の法的効力が実際上なくなったもとで裁判が始まったということが一つの原因になっていると思うんです。
 司法の場合、明らかに明治憲法と日本国憲法と、主権の所在も基本的人権も平和主義も、ことごとく違うわけですね。こういう違いというものを、同じ人がやられた時期もあったんでしょうけれども、どういう形で把握して、戦後の今に続くこの日本の司法というものをつくり上げてきたのか、もしお考えのところがあれば、少しお話しいただきたいんです。
山口参考人 これも大変深刻なテーマをお示しになったわけでありまして、裁判官の戦争責任というようなことがドイツでは問題になっておりますし、戦後の我が国でもそのことを議論した方もおられます。しかしながら、戦前の司法研究報告というのがありますけれども、そこで、戦前の若手の裁判官ですけれども、明らかにナチズムを批判したことを書いておられる方がおられたわけです。
 したがいまして、明治憲法は現在の日本国憲法とは異なりますけれども、やはり基本的人権の擁護なりあるいは国民に対する考え方なり、かなりしっかりした考え方を持って戦前の裁判官も対処されていた方が多いだろうと思います。
 そういう点から、戦後の改革によりまして日本国憲法が導入されまして、それにつきましては、やはり新しい日本が誕生したんだという思いで裁判官方もその新憲法の勉強を熱心にされましたでありましょうし、新しい意識に燃えて裁判に携わってこられたんだろうというふうに思っております。
 私は、任官しましたのが昭和三十二年でございますから、憲法が制定されまして十年ぐらい後でございますけれども、古い先輩に伺いますと、やはり新しい憲法が生まれたんだ、新しい憲法ができたんだ、これから司法は頑張らなくちゃならないんだ、そういう意気込みで取り組んでいたというふうにおおむね述懐されておりました。
山口(富)小委員 時間が参りましたので、終わります。
 明治憲法の考え方は随分違うようですが。ありがとうございます。
杉浦小委員長 次に、金子哲夫君。
金子(哲)小委員 社会民主党・市民連合の金子でございます。
 お二人のお話を聞いておりますと、現行の裁判制度も、そしてまた、もし仮に憲法裁判所があっても、どうも私の聞きようが悪いのかもわかりませんけれども、政治的な部門、政治にかかわる問題については、これは政治が判断するべきことで裁判所が判断すべきでないというようなことにお聞きをしたわけです。
 最初に、津野参考人にお伺いしたいんです。
 しかし、この憲法調査会でも何度かそういう発言が委員の中から出てまいりましたけれども、内閣法制局の判断で憲法すべてが決定をしていくことがいいのかというような意見も時には出たことがあるように思います。そうしてまいりますと、政治的な問題に対しては、一体、憲法に照らしてどこが判断をするのか。
 政治というのは、憲法そのものに対しての判断を下す、もちろん憲法に沿って法律をつくるということを前提にしておりますけれども、憲法に必ずしも合致したものを常につくっているとは限らないと思うんですね。そうしてまいりますと、政治の部門にかかわっての、政治的な問題に対して判断をするのは内閣法制局、今判断ができるのは、何か内閣法制局は盛んに憲法について判断をされておりますけれども、そこしか判断ができなくなるような受けとめもしかねないようなお話になってくると思うんです。
 私は、やはり裁判所というものが、三権分立の建前であれば、判断を下していくということが必要だと思うんですけれども、結局、そうなりますと、どこが判断するということになるとお考えでしょうか。津野参考人にお願いします。
津野参考人 政治的な問題に関して裁判所が判断するのがどうかというのは、そこは私もいいとも悪いとも言いませんで、そういうのがいいのかどうかということをよく吟味した上で憲法裁判所を設置すべきかどうかを考えるべきであるということを申し上げたつもりでありますが、そこはそういうことであります。
 ただ、憲法裁判所がないような場合におきまして、どういったところでそれが判断されるべきか、現行憲法下ではどうかということでありますれば、それはまさに、一番政治問題についてのかかわりがありまするところといえば、まず国会であります。国会が、基本的にはいろいろなことを、憲法解釈についても御議論をされて、結局、例えば内閣が出した法律案が成立するということになれば、それはそのときの、もしもそれが憲法解釈にかかわるものであるとすれば、国会の御意思が判断として示されたものであるというふうに考えられますし、あるいは、内閣提出の法律案について国会の方で御修正になったり、いろいろな手段で国会としての憲法解釈なりそういったものについての御判断というのは示される機会というのは十分にあり得る問題ではなかろうかというふうに一つは思います。
 それから、第二点として、それを考えるのはどこかというのは、当然、議院内閣制のもとではありますけれども、一つは内閣が、これは行政権の最高機関でありますから、そこにおいて憲法の解釈というものを最終的には判断される。行政府の中におきましては内閣が最終的にそういった解釈を行う機関であるというふうに思いまして、その場合に内閣法制局が、内閣のそういった考え方を形成するに当たりまして、一定の貢献をさせていただいているというふうに理解いたしております。
 もちろん、政治的な問題だからといって全部が全部訴訟にならないというわけではありませんで、政治に関する問題でも司法の機能が十分果たされる部分もあるわけでありますから、そういった面もまた十分に憲法解釈の上で考えていくべきことだろうと思いまして、政治問題といっても、極めて国家の高度の政治的な性質を持っているような、非常に国家にとって重要な問題というような趣旨で申し上げているわけであります。
金子(哲)小委員 山口参考人にお伺いしたいんです。
 現実に、きょうの論議の中でも言葉として出てまいります、憲法と現実の乖離ということが盛んに使われてくるというのは、これは非常に不幸な状態だと思うんですよね。それで、政治的な重要な問題だからといって、今津野参考人からも判断にという問題がありましたけれども、結果として、そのことをしなかったことによってその乖離というものがどんどん拡大をしている。そういう見方も一方でできると思うんです。
 その点から見ますと、やはり、せっかく憲法第八十一条に規定をされたこの法令の違憲審査権というものが生かされていないのではないか。やはり、過去のことを振り返っても、必ずしも政治がすべて正しい判断をしているわけではなくて、いろいろ歴史的な誤りもあったわけですね。
 そうしてまいりますと、そこに対しての、この八十一条の審査権というのは、いわば政治にそういう仮に誤りがある場合には、最高法規である憲法に照らしてどうかという判断を示すことによって、やはり重要な政治判断であっても押しとどめていくという役割というものも、私は最高裁判所に三権分立の中で課せられた重要な役割ではないかというふうに思うんですけれども、その点について。
 大抵時間がなくなるものですから、もう一つは一緒にお答えいただきたいと思います。これは全く別の性格のものですが、なかなかこういう機会がないのでお尋ねをしたいんです。
 最高裁判所裁判官の報酬の減額法案が提出をされたとき、我が党の中でも、憲法七十九条第六項に照らして、これは一体どういうことだろうか、実はそういう論議がありました。明確にこの中には「報酬は、在任中、これを減額することができない。」こう規定されておりまして、この点は正確なことを期しておりませんので、仄聞として私が言っているというふうにお聞きをいただきたいと思いますけれども、最高裁判所内部でもやむを得ないだろうというふうにおっしゃったというようなことも漏れ聞いたわけですけれども、これ、もしお答えができれば、この点について少し見解をお聞きしたいと思います。その二つをお願いいたします。
山口参考人 先ほど申しました統治行為論あるいはポリティカルクエスチョンという政治問題の理論がございます。重要な政治性のある行為については司法は判断しない。これは実は、統治行為論あるいはポリティカルクエスチョンと申しておりますけれども、司法の本質を尋ねていって、司法権の本質的な限界がある、そういう考え方なんですね、単に重要な政治性のある行為だからということじゃなく。先ほど申しましたように、民主的な基盤を持たない司法は介入できる限界はどこまでだろうか、そういうふうに考えて、その限界の外のものは政治の判断にゆだねよう、そういうふうな考え方だろうと私は理解しております。
 したがいまして、本質的な限界のあるものを踏み越えて政治に容喙していくということは、やはり司法としては正しい態度ではないんじゃなかろうか、そういうふうに思っております。
 それから、第二点のお答えでございますが、これは憲法のあの規定の解釈といたしまして二通りございます。
 公務員全般についてベースダウンしなきゃならない、そういう場合には、あの規定そのものは司法権の独立、裁判官の独立を保障した規定であるから、公務員全般と同じように減額されるのであれば、特に司法をねらい撃ちした、あるいは具体的な裁判官をねらい撃ちにした減額ではないから、あの趣旨からして何ら妨げない、そういう解釈はあります。
 それからもう一つの解釈は、そうはいっても、個々の裁判官にとっては減額なんだから、やはりそれは憲法違反であって、将来に向かって減額するならともかく、それは違憲なんだ。
 二通りの解釈があるわけなんです。どちらが合理的な解釈かという問題でございまして、最高裁の部内で検討いたしましたときも、より合理的に考えると前者の学説の方が正しいであろうというのが一般的な理解でございました。
金子(哲)小委員 ありがとうございました。
 時間になりました。終わります。
杉浦小委員長 次に、佐藤勉君。
佐藤(勉)小委員 両参考人にお伺いをしたいと思います。
 憲法の有権解釈権の所在についてということでございますが、有権解釈権といたしましては、質的には最高裁の憲法解釈が重要であるというのはもちろんであります。量的には政治部門、議会や行政府による憲法解釈の方が、最高裁が異なった解釈を示さない限り現実を支配する力を持っているという意味で大きな位置を示しているという御意見があります。
 そこで、両参考人に、この見解についてどんな考え方を持っていらっしゃるか、お伺いをしたいと思います。
津野参考人 先ほどから、私どもの方からも御説明いたしましたが、憲法解釈につきまして私どもは行政府部内において一定の御意見を申し上げて、一定の役割を果たさせていただいているというふうに考えております。もちろん、それによりまして現実が定着しているというような面もあろうかと思いますけれども、それが適当でない、あるいは法理的におかしい、そういった問題であれば、まさにそういった事柄が好ましいとは思いませんけれども、合理的な見解で、しかも適正な見解をそれなりに考えて、それで国会におきましても受け入れてこられまして、政府としてもそれを受け入れてきている、各行政機関においてもそれを受け入れてきてくれているというような状況でありますれば、そういう解釈はそういったものだと言わざるを得ないわけでありまして、そのところは私どもとして、現実の問題と、それから現実が悪いんなら別なんですけれども、そうじゃない別の何かというものとは、ちょっとわかりにくいような気がいたします。
 現実には、行政のいろいろな運営におきましていろいろな法律の解釈がされています。それは、第一次的には、憲法じゃなくて一般的な法律ですけれども、行政運営で不可欠なんですね。それは行政機関内部、上級官庁から下へ、例えば通達というような格好で出てきますけれども、下級官庁はその通達に拘束されていって、現実にそれは解釈として定着していっているわけですね。そういうようなことが悪いということにはならないというふうに私は考えております。
山口参考人 国会が唯一の立法機関でございますから、その立法過程において当然憲法適合性を審査されるわけでございまして、第一次的な憲法適合性審査権は国会にあるわけでございます。ただ、その憲法適合性について問題が生じました場合に、それが具体的な事件に付随して最終的な判断を下すのは最高裁判所であるというふうにされているだけのことでございます。
佐藤(勉)小委員 法律の解釈権は最高裁にあるということになります。統治行為に関しまして余り判断をしないという話とか、事実上内閣法制局の事前審査や憲法解釈が最終的な国の判断となっているのではないかという指摘があります。その件についてどのようにお考えをいただいておるのか、お二人の御判断をいただきたいと思います。
山口参考人 先ほども申しましたように、統治行為論なり政治問題ということにつきましては、司法権の限界というものをどう考えていくか、その問題でございますから、例えばアメリカでポリティカルクエスチョンで問題になりましたのは、ある州で内乱が起こりまして州政府が二派に分かれたわけですね。その二派に分かれたどれがその州を代表するか、これが問題になりまして、こんなのは法律解釈の問題じゃないから、これはポリティカルクエスチョンだ、議会が判断してくれ、そういうふうになったわけでございます。だから、ポリティカルクエスチョンにしましても統治行為にしましても、司法が法律の解釈としてなじむことなのかどうか、民主的な基盤を持たない司法としてどこまで容喙できるのか、そこから考えていかなければならないわけであります。
 したがいまして、おのずから司法の本質的な限界から超えている部分は政治の場面で十分御議論いただければいいのではないか、こういうことになろうかと思います。
津野参考人 内閣法制局の意見が非常に最終的なものになっているような感じがするみたいなことをおっしゃられるわけですが、そういうことではなくて、法制局の意見は、あくまで内閣が憲法を解釈する場合に、その意見を踏まえまして、それで内閣として、例えば法制局の意見がそのままでよければ、これは政府の意見として法制局の意見をそのまま採用していただく。
 現実問題といたしまして、法制局の意見も、これはいろいろな各省庁との調整もあるわけでありますから、政府全体として、何も、ほかの省の意見も何もかも無視して私どもの方で勝手にこれだからこれでやれというようなことを言っているわけではありませんで、現実には各省の御意見をお伺いして、それなりに正しいと考えられる解釈を私たちは政府の内部におきまして申し上げて、それを最終的に内閣の意見として取り上げていただいているというふうに思っております。
佐藤(勉)小委員 ちょっと具体的な例になって恐縮でございますけれども、津野参考人にお伺いをしたいと思います。
 集団的自衛権の行使、憲法解釈の変更ということでございまして、五月三日の憲法記念日に、中曽根元総理また宮澤喜一元首相の対談におきまして中曽根先生が、集団的自衛権の行使は今の憲法でも行使できる、日本防衛のために来ている米空母が攻撃を受けたとき、日本が手を出せないというばかなことはない、小泉総理が行使できると一言言えばという発言がございました。
 津野参考人におかれましては、政府が憲法解釈を変更することについてどんなふうに考えておられるのか、お伺いをしたいと思います。
津野参考人 先ほど、憲法解釈の変更も含めて、内閣法制局なり政府の憲法解釈の基準ということでお話をいたしました。それに尽きると思いますけれども、例えば集団的自衛権の問題でありますけれども、先ほど言いましたような解釈の基準でいきますと、これは極めて難しい問題であろうと考えるわけであります。
 ここに先ほど言いましたように、いろいろと憲法の解釈については、立法者の意図とか文言とか、それから社会情勢等とか、議論の積み重ねがあるものはそういうものを留意して、全体の整合性に留意して論理的に確定されるべきものであって、そういったやり方でやると、なかなか従来の見解を変更することは難しいのではないかということを言っているわけであります。
 そこで、どうして集団自衛権につきまして、先ほどの中曽根総理の例に即して言いますと、難しいかといいますと、一つは、日本の防衛に従事していただいている例えば米軍の船舶とか、仮に、現に有事のもとにおいてあるとすれば、日本政府として日本の自衛権の行使と自衛のために必要であるということであれば、それは個別的自衛権の範囲内で考え得ることができるわけであります。
 そういうことを離れて、先ほど集団的自衛権の解釈、典型的な例はこうだとかいうようなことで岸元総理の答弁等をお示ししてありますけれども、そういったように、そもそも我が国の防衛と、直接外部からの武力攻撃が我が国にないというような状況において他国を防衛する、俗っぽく言えばそういうことですが、そういうことが許されるかということになりますと、これは憲法九条の一項から二項全体を、解釈を根本から一回、整合性をとるためにひっくり返して議論してみなければいけない。特に今までの個別的自衛権は、これは当然のこととして九条一項が否定していない。だから、二項で自衛隊がそのためにあるのも合憲であるという論理構成をとっていたわけですけれども、一項で集団的自衛権が行使できるというような解釈をとれば、それでは二項との関係をどう考えたらいいのか。
 そういうふうに、集団的自衛権の行使をすることができるよというふうに解釈を変更するとすれば、九条全体をもう根本から見直さなければいけないということになるわけで、そうすると、これは果たして解釈の範囲内に、今までのやってきた解釈と比較しまして、果たして従来の解釈との関係から見ても、解釈で処理できるような問題として考えられるのかどうかというところが非常に難しい問題じゃないかなということを、私は、個人的にはそう思っております。
佐藤(勉)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、中川正春君。
中川(正)小委員 民主党の中川正春です。
 大分時間が長くなってきまして恐縮ですが、もう一人、二人続きますので、おつき合いをいただきたいというふうに思います。
 大変興味深くお話を聞かせていただきました。特に、率直な話をさせていただきたいと思うんですが、それぞれの組織の長をきわめられたお二人だけに、話を聞いていますと、やはり今が一番いいんだ、私たちはベストを尽くしてきた、一言で言うとそういう論調がずっと続いたように思うんですね。
 ところが、こうして憲法の改正議論も含めて憲法を論じていこうという機運が高まっているということの背景に、率直に、やはり内閣法制局はやり過ぎじゃないかというイメージ、それに対して、いや、最高裁判所は、あの人たちは何をやっているんだという逆のイメージ、こういうのが、国民もそうですし、私たちも一般的に立法活動をしていて、けじめがつけられない。
 さっき憲法九条の話が出ていましたけれども、これが最高裁判所あたりから、自衛隊そのものも違憲だというふうな、例えばそんな判決が、判決というよりも、そんな解釈が出たら、これはどうしても国会で話し合いをしていかなきゃいけない、いわゆる政治的な決断をしていかなきゃいけない。それに、そういうめり張りが政治の中にできてくる、そういう役割もやはり司法としてはあるんじゃないか。それを解釈改憲で何となく、我々が面と向かってそれに議論をすることをせずとも、何となく現実の対応を曲がりなりにもしてきたという、その現実に対して限界が出てきた、いわゆる不安が出てきたということ、これが社会の背景にあるんだろうというふうに思うんですね。
 さっきの政治的な問題と法的な問題の違いというのは、これが私たちの政府の運営の中で、うまくいいとこ取りして、ちぐはぐに運営されているところがあるんですよね。例えばさっきの集団的自衛権の問題も、今のところ政府は、憲法上できないから日本政府としてはしないんだ、こういう理屈をくっつけているんですよ。そうじゃないんです。政治的には、この国の意思としてするのかしないのかというのがまずあってしかるべきだと思うんです、政治的には。それをすりかえて、憲法ということを大義名分にして、それで政治的な難しい問題を乗り切っているという、このこと自体が非常に不健全なんだろうというふうに思っているんですよね。そういう意味では、司法は責任が重いんだと思うんです、という気持ちがあるんです。
 それを前提にして考えていくと、どうですか、変えていく必要はあると思われませんか、お二人。さっきの役割を逆にしていくという必要があるというふうに思われませんか。どうですか。
津野参考人 私どもが考えておりますのは、あくまで憲法解釈を適正にしていくということであります。現実と非常に乖離が大きくなって、政治問題として非常に難しい問題が出てくるといったときに、それでは政治は何をすべきかというところのまず一番最初に考えていただくのは、やはりそれは、例えば憲法九条が問題であるとすれば、憲法九条をどうしたらいいかということをまず考えていただかないと、解釈で泳げるのかどうかというのもまた問題があると思いますけれども、大道を行くとすれば、王道を行くとすれば、憲法九条をどうすべきかということを国民に問いかけて、国民の判断も仰いで、その上でこういうふうにすべきであるというのがやはり政治の王道であると私は思います。個人的な見解です。
山口参考人 いろいろなお立場からいろいろな御批判のあることは十分承知しておりますけれども、やはり政治の問題と司法の問題ときっちり分けて考えていかなければならないだろうと思います。
 司法でこういう判断をしたらめり張りがついて政治的に解決の糸口も見えてくるのではないかという趣旨のようなことをおっしゃっておられたように思いますけれども、もしそうであるとすれば、やはり政治の場できちんと判断を示していっていただくのが、今、津野参考人もおっしゃられたように、王道ではないかというふうに私どもは思っております。
中川(正)小委員 いろいろ思いはあるんですけれども、例えば、さっきの政治の判断をしていくときに、山口参考人にお尋ねをしたいんですが、例えばですよ、憲法裁判所ができて、抽象的な違憲審査権もその中にできるという仕組みが仕組みとしてできたときに、この憲法九条について、あるいは集団的自衛権について、あるいは具体的にそうしたことに踏み切っていく法律をつくっていったとするときに、その裁判所で判断ができるものですか。
 これが、仮にですよ、これまでの議論でいくと、そのこと自体が政治的あるいは統治権に属するものだということで判断を避けてきたという裁判所の歴史がありますよね。それを踏まえて考えていったときに、憲法裁判所というのを仮につくったとしても、その考え方が生きていたら、憲法裁判所はそのことについてはタッチしないんじゃないかという私たちの危惧があるんですけれども、その点については、当事者としてはどのように整理されるんですか。
山口参考人 憲法裁判所ができた場合という仮定の問題でございますから、当事者としてとおっしゃられましてもそういう立場でのお答えはできないわけでありますが、今の御指摘の問題は、実はドイツの憲法裁判所でそれが非常に深刻に問題になったわけです。
 ドイツが再軍備をするということで、ヨーロッパ防衛共同体条約の承認法が問題になりまして、それが憲法裁判所に持ち込まれた。ところが、憲法改正が必要かどうかというふうな、非常に重要な政治にかかわる問題でございますから、憲法裁判所は本来ならすぐ判断をしてしかるべきなのかもしれませんけれども、憲法裁判所は憲法裁判所としての自己抑制を示されたわけですね。近々総選挙があるということで審理を進めずに、その結果をごらんになって、そういたしますと、三分の二の多数を政府・与党の方が得て、憲法改正ができた。そういうふうに、非常に重要な政治問題であるからということで、憲法裁判所自体が自己謙抑的な立場をとられた例もあるわけであります。
 今度、仮に今想定されました憲法裁判所ができました場合、その憲法裁判所がどのように動くかは、その憲法裁判所を構成する裁判官方がどう考えられるかにかかっていると思います。
中川(正)小委員 そうすると、結局、アメリカの裁判官の任命のときに政党性を意識しながらやっていくのと同じような形で、事前に内閣が裁判官の過去の物の考え方というのをしんしゃくしながら一つの憲法裁判所の裁判官の任命をしていくような構図で恐らくそこのところが解決をされていくんだろうと思うんです。
 私は、突き詰めていけば、純粋にポリティカルな判断なしのそうした意味での憲法解釈というのは成り立たないんだろうと思うんですよ、というふうな思いが一つあるんですが、それについてどう考えられるかということ。
 それからもう一つ、津野参考人に最後、一言お聞きしたいんです。
 さっきちょっと、いつも法制局はやり過ぎだ、こういう話で申し上げたんですけれども、例えば、さっきの中曽根さんの発言なんかに対しても、恐らく最終的には、また法制局、いろいろ理屈をつけて、仮に時の総理大臣がそれをやりたいと言ったら、いろいろ知恵を出してまた考えちゃうんじゃないかな、それが法制局の役割なんじゃないかなという気がするんですよね。そうしてきたわけです、過去から、その歴史を見ていると。解釈改憲というのはその歴史だったと思うんですよね。
 そこのところを、内閣から中立な形で法制局というのは運営できるのかどうか、これもやはり政治と密接につながっているんだという実感を私は持っているんです。そこの意味でも正直どう考えられるか、この政治との関係でお二人にお話を、そこの部分で最後、聞いておきたいと思います。
山口参考人 非常に難しい問題でございまして、ある条文を解釈する場合に、法律的に解釈するものと、政治的に解釈するということもあり得るだろうと思いますけれども、先ほど来私が申し上げておりますのは、司法裁判所としてやる場合にはこういう限界がある、そういうことを申し上げているわけで、それとは全然別の、司法裁判所とは別な形態をとる、例えばフランスの憲法院もそうでございましょうけれども、そういう組織をつくった場合に、そこでどう考えるかはまた別の問題であろうと思います。
津野参考人 大変難しい問題でありますが、まず事実関係を申し上げますと、過去におきまして、政府見解として、これは内閣法制局の見解と言うから非常に紛らわしいんですけれども、政府の見解として確立してきている見解だというふうに御理解をいただいた上で、そうしますと、過去におきまして、政府見解を大幅に変えた、基本的な解釈につきまして変えたというような事例は今までにございません。
 それから、例えば内閣の意思決定として法制局の見解、解釈をとらないというようなことが仮にあるとすれば、これはまた、その過程におきましては、私ども法制局といたしましては、法制局の考え方をるる総理なり各閣僚に御説明いたしまして、御理解を賜るように十分な努力をしていくということに尽きるわけでありまして、そこから先、仮にそういうものをされたらどうかなというようなことにつきましては、今お答えする用意はございません。
中川(正)小委員 ありがとうございました。
杉浦小委員長 次に、福井照君。
福井小委員 お疲れさまでございます。福井でございます。
 今までの議論は、両先生とも憲法裁判所についてはネガティブである、それは、政治的マターが強い部分について、政治的なイシューについて見解を述べることは適当でないとか、あるいは国会を超える国家の最高機関になりかねないとか、あるいは過剰な自己抑制になりかねないというような懸念が余りにも強いのでネガティブであるというようなことで、ですから、問題が国会の方に振られて、今までの議論は、国会がみずから自己否定したり、あるいは悩みを述べたりというようなところでこの一時間数十分、時間がたったような気がいたしますけれども、我々としては、国会が自己否定しないように、自覚を持って、何とかこの難局を打開しなければならない、それが時代認識かと思います。
 そこで、両先生に伺いたいのは、ちょっと今から三分ぐらい時代認識を述べさせていただくので、個人的な見解、今までのいわば超高級テクニカル論じゃなくて、社会論といいましょうか、文明論というか、そういう観点から個人的な御見解をお示しいただきたいと思います。
 議論の前提としまして、既に確立された日本人の価値観とかあるいは日本の価値がもう既にあって、それで憲法裁判所が必要かどうか、あるいは三権の問題をどうするか、憲法をどうするかということを議論しているんではなくて、今我々としては、いろいろな選択を通して、選択という練習を通じて、今から新しい日本人の価値観あるいは日本の価値というものをこれからつくっていくというのが現在の日本人の悩みだと思います。
 価値観というのは、とにかく数々の選択肢の中から、とにもかくにも論理的にも判断し、そして想像力も働かせて、右脳と左脳とを全フル回転して選択するという練習を通じてやっと醸成されるものであるというふうに感じますし、まさにそういうことが、本日、まさに有事法制、衆議院本会議通過とか、あるいはイラク問題ということで、我々日本人全体がその選択の練習をしている真っ最中であって、それが今後百年か二百年かの日本の行く末を決めるということだと思います。
 日本のこの国の行く末の枢要を決定することが政治判断だとすれば、既にもう行政の方でもやっているし、司法の方でも含まれているというふうに言わざるを得ませんけれども、それはそれでおいておいて、特に戦後、そういう選択の練習がなかったものですから、とにかく高度経済成長の波に乗っていればいい、うちを買えばいい、家族が幸せであればいい、そういう一直線に生きてきたものですから、なかなかそういう選択がなかった、悩む必要がなかったから、今、日本全体が脳死状態になっているというのが私自身の時代認識であるわけです。
 そこで、じゃ、抽象論だから解釈をするのは差し控えさせていただくとかいう今の司法制度のあり方ですと、もちろん具体的にだれかが基本的人権を侵害されていれば裁判の場に乗るわけですけれども、そうでなければその判断する、選択をするというその場が与えられないということになりますと、今から日本人全体で価値観をつくっていこう、価値をつくっていこうというときに機会損失ではないかなというのが残念でならないわけです。
 いろいろなことがあるからもちろんこの憲法裁判所なるものは今の日本にはふさわしくない、これはよくわかって、だから国会も頑張らなくては、それもよくわかっているんです。しかし、選挙だけが選択ではなくて、もっといろいろなところで、いろいろなイシューで日本人全体として悩み、そして選択をするという何か社会的な仕組み、仕掛けというのがあった方がいいのかなということを今一時間何十分聞かせていただいて非常に強く感じさせていただいたので、まさに今までのお仕事とは全く関係ないかもしれませんけれども、せっかくの機会でございますので、その時代認識がもし共有されるなら、少し津野さんと山口さんの順番でコメントをぜひいただければというふうに思います。
津野参考人 おっしゃられたように、これからの新しい社会、日本の国づくりを考えていかなきゃいけない、その前提となるいろいろな考え方が今思考停止になっていて、余り国民の間でも定着してこないというような仮に状況があるとしますれば、私は、一つは、やはり政治に対する国民の関心をそれなりに呼び起こすべきいろいろな手だてを行政府も国会も尽くして、国民の意思をそれなりの方向に向けていくというような努力をまずすべきではないかという気がいたします。
 特に、現在、御承知のように、これは個人的見解で、本当に失礼に当たるかもしれませんけれども、国民の間では非常に政党離れが起こっている、なぜ政党離れが起こっているのかというようなところから考えてみても、国論を一つの政策として一定の方向へ持っていく、そういったことについて国民にぜひ理解してもらって、そういう方向が出ていくという努力、政府も含めて国会も全部がやはりもっと努力をしていかなきゃいけないということがまず大前提だと思うんですね。
 その上で、新しい社会的な仕組み、例えば憲法裁判所をつくるのがいいのかどうかということも国民に聞いてみれば、当然これは国民に聞かなければできるわけではありませんので、国民に聞いた上で判断していくということになっていきますし、その前に、もちろん憲法改正が必要であれば憲法改正をするような機会をどんどん考えていくということであればいいんだろうと思うんです。
 私が非常に危惧いたしますのは、やはり憲法の改正というのは非常に厳重な手続がありますものですから、そこがどうしてもネックになっているという気がいたしまして、そういうところで、さて、そこのところをこれからどういうふうにしていったらいいのかなというのは、これはやはり答えがなかなか出しにくい問題だなというふうに考えております。
山口参考人 大変難しい問題指摘をいただきまして、「新しき酒を新しき皮袋に盛る」という言葉もございますし、「日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」という言葉もございますから、私は、制度というものは常に制度を担う者が見直していかなければならないものだろうと思いますし、これまでも常に人々にはそういうふうに申してきたわけであります。
 ただ、今時代認識というふうにおっしゃいましたけれども、非常に今難しい時代に差しかかっているように思います。地球規模で申しますと、人類の持続的発展は可能かどうか、あるいは滅亡に向かいつつあるのではないか、その分岐点に差しかかっているんじゃないかというふうに説をなす人すらあるわけでございますから、だから、やはり新しい制度を考えます場合にも、そういう時代認識のもとで従来の経過を踏まえた上で正しい道を模索していく。
 これは、やはり政治に携われる方々も、行政に携われる方々も、司法に携わる我々もすべて、それから国民の皆さんがやはりそのことを問題意識を持って考えていく必要が大いにあるのではないだろうかというふうに考えております。
福井小委員 ありがとうございました。もう今ので尽きていると思いますけれども、一分だけ。
 それこそ悩みの吐露で、また、たしか末松先生からの津野さんへの御質問でお答えにはなったんですが、元お役人として、法律は、とにかくめちゃくちゃ優秀なやつをタコ部屋に閉じ込めておいて、それで法制局さんと相談をさせていただければ、一年ぐらいたてばできて上がっていく、そういう役所の実態はあります。
 一方、先ほどお答えになった政策秘書あるいは国会図書館との連携、議院法制局との連携ということだけですと、ふうんとか言って、またあしたから何の変化もなく世の中が終わってしまうという感じがしますので、もう一声といいましょうか、私自身の問題意識は、政策秘書を出す人的リソースをもう少し育てる。何万人という、そういう役所のOBでも法制局のOBさんでも結構ですし、何でもいいんですけれども、そういう能力のある、スキルのある方々がまずそこに存在して、そしてその中からピックアップされて政策秘書になり、そして議員スタッフになっていくというようなこととか、とにかく何か社会的な仕組みをビルトインしないと何も変わらない。
 人情と論理とのバランスが大事だと思いますけれども、どちらかといえば、国会の方は人情の方にシェアが高いものですから、ただ振られるだけですと、悩むだけで世の中変わらないという認識がございますので、末松先生にお答えになった以上に、もしコメントがありましたらよろしくお願いしたいと思います。
津野参考人 国会議員の方の中にも、例えば法律実務に詳しい方がたくさんいらっしゃると思います。弁護士の方もたくさんいらっしゃいますし、うちの法制局の出身者も国会議員をしております。ですから、そういった人たちの能力をある意味で活用するようなシステムを考えれば、それなりの国会としてのいろいろな面での立法機能を充実させるということはできると思います。
 ただし、法律もいろいろな法律がありまして、先ほどおっしゃられたように、事象が割と複雑でなくて非常にわかりやすく書ける法律もあれば、税法とか、最近では証券取引法とか、あるいはほかの法律も非常に難しくなっておりますけれども、そういった非常に技術的な法律、これはなかなか、丁寧に直していくのはかなりな難事業ではないかなという気がいたします。現に議員立法が、例えばアメリカなんかはかなり議員立法が中心だと言っておりますけれども、アメリカの場合でも、政府の方から、例えば予算関連法案みたいなものは大統領府がつくりまして議会に提案する、大統領府提案というようなものもたくさんございます。
 そういった意味で、技術的ないろいろな分野についての法律というのは、国会の方でお取り上げになってつくっていくのはなかなか難しい問題があるのではないかなという気がいたしております。
福井小委員 ありがとうございました。終わります。
杉浦小委員長 次に、井上喜一君。
井上(喜)小委員 保守新党の井上喜一でございます。
 両参考人、きょうは本当に御苦労さんでございます。私、ちょっと途中退席しておりましたので、お伺いすることが若干ダブることがあるかと思いますが、そのときには簡単なお答えで結構でございます。よろしくお願いします。
 三点お伺いしたいんです。
 第一点は、統治行為について司法がどこまで判断できるのかという問題ですね。我々が学生のころは、宮沢先生の理論といいますか、憲法についてのお考えなんかでは、かなり幅広く統治行為ということを考えて、司法が介入していくことは問題があるんじゃないか、こんなことを言っておられたと思うんですよね。ところが最近、日本の社会も非常に大きな変化を遂げておりますし、今国際社会もしかり、国際社会との関係も深まっている、そういうことで、政治の果たす役割というのですか、国家の果たす役割も非常に大きく急速に変わってきていると思うんですね。
 私は、そういう点からいいますと、司法が統治行為に関与するのはやはり限定的に考えるべきで、政治的な問題、統治行為に関する問題は極力国会の場にゆだねるべきだと思うのでありますが、両参考人の御意見をお伺いいたします。
 第二点目、これは山口参考人にお伺いしたいのでありますが、最高裁判事の国民審査の制度でございます。これは一見いい制度のように思うのでありますが、実際、あれにバツをつけるんですかね、あれがどれだけ考えてつけられているのか。確かに、百万も百五十万人もの人がバツをつけるんですから、つけられた人はやはりぎょっとするとは思うんだけれども、大勢にはほとんど影響がないというし、聞くところによると、あの印刷してある一番右の人が一番バツが多いというようなことでもありまして、私は、そういう意味から、こういう制度は次に憲法改正するときにはもう必要ないんじゃないかと思うんですが、御見解をお伺いいたしたいということです。
 第三点、これは憲法解釈の問題であります。日本の憲法というのは、改正手続が非常に難しくなっておりますので、なかなか改正できないわけですよね。そういう意味で、憲法解釈というのは必要であるし、非常に大事な役割を果たしている、私はこう思います。
 内閣の場合は、今内閣法制局が中心になってまとめますけれども、これはあくまで内閣の解釈権なんですよね、解釈であります。本当に国民的な有権的な解釈ではないと私は思うんです。個別の事例につきましては、これはもちろん裁判所で、司法の場で判断されますけれども、私はやはり有権的に解釈するところを国会に求めるべきじゃないかと思うんです、解釈が問題になった場合に。これについて、両参考人の御意見をお伺いいたしたいと思います。
津野参考人 先ほど、統治行為論について裁判所が関与するのはどうか、これは今までの最高裁判所のスタンスでいいのではないかというお言葉でございました。
 現行の制度では当然であります。将来の憲法裁判所においてどうかというところは、これはやはり憲法裁判所の、先ほど山口前長官もおっしゃられましたけれども、構成とか権能とか、そういったものとのいろいろな内容を見た上で判断されるべき問題でありますが、非常に政治的に高度なものであればあるほど非常にそこのところは難しい問題じゃないかなという気がしておりまして、井上先生がおっしゃるのは大体そういう御趣旨じゃないかなというふうに感じます。
 それから、三番目の、憲法解釈の関係で国会がそれをやるべきであると。例えば、内閣法制局は行政部内の憲法解釈でやりますし、それから最高裁判所の解釈は個別の訴訟に関連しての法の解釈でやる。したがって、国会においても憲法解釈を示してやるべきであるというのは、それは私はそのとおりだと思いますが、その場合に国会がどのような形でその解釈をお示しになられるのか。それは具体的には、各法律案を審査される場合とか、それに賛成される場合とか、あるいは修正される場合とか、そういうような具体的な法律の審議過程、それでそれを最終的に採決する、賛否をする際に明らかにされるはずでありますから、そういった意味で、国会が憲法解釈を持つというのは当然だろうというふうに考えております。
山口参考人 まず第一に、統治行為論の問題でありますけれども、先ほど来御説明申しましたように、国民の選挙によって選ばれた立法機関である国会、これが現に存在しているわけでありまして、司法と申しますのは直接国民によって選ばれた存在ではない、したがいまして、司法権というものには本質的な制約がある、やはりその制約の中で考えていくべきであるということで、統治行為論につきましても、その司法の本質にふさわしいかどうかという観点から考えていかなければならない、そういう点では委員と同じように考えております。
 第二の、国民審査制の是非の問題でございますけれども、これは私が直接お答えするのは大変適切ではないと思いますので、その点は避けさせていただきますけれども、やはり国民の皆様方がどうお考えになるか、そのことによってその帰趨が決まっていくことだろうと思っております。
 それから、三番目の、憲法解釈の有権的解釈の機関を国会に置いてはどうかという御指摘でございましたが、これはフランスの憲法院がそうでありますように、司法機関あるいは立法機関、行政機関とは離れた形で設置することも制度としては可能なわけでありますし、あるいは国会の中に設置することも制度としてはあるいは可能かもしれません。
 ただ、それぞれにメリット、デメリットがあるはずでございますから、具体的違憲審査制あるいは抽象的違憲審査制、それから憲法院制というようなもの、あるいはそれを国会に置いた場合にどうなるかというのを、それぞれ具体的にメリット、デメリットを御検討いただいて決めていただいく問題ではないだろうかというように考えております。
井上(喜)小委員 私、内閣法制局で非常に特異なのは、内閣法制局の人は無謬だと思っているんですよね、間違いをしない、過ちをしないと。これが内閣法制局の非常に大きな特徴じゃないかと私は思うんですよ。
 人間はだれだって間違いはするものだし、役所だってそうなんですよね。役所の場合は、いろいろな法律改正だとか制度だとか予算とかで徐々に徐々にそれは変えていくわけでありますが、内閣法制局の場合は、それは確かにわかるんだけれども、やはり間違っているところは間違いだというようなことを言って変えていくということだってあっていいんじゃないかと思うんですよ。
 私の理解では、例えば自衛権の問題なんかは、自衛権というのは個別的自衛権もそれから集団的自衛権も、自衛権で含まれるんですよ。集団的自衛権は、あるけれども何か行使できない、そんな妙な理屈なんてないんですよ。私の解釈はちょっと違うんですけれども、自衛権なんというのは本来あるから、憲法九条には規定していないわけですよ。だから、憲法九条の趣旨を体して個別的自衛権も発動していく、集団的自衛権もある、限定的だけれどもやれるんじゃないか、これは非常に自然な解釈だと思うんだけれども。
 ああいう法制局流の解釈を出してしまったものだからにっちもさっちも動かなくなったんだけれども、間違った場合はどういうぐあいにその誤謬を訂正されるんですかね、訂正した方がよろしいですか。OB、先輩としてちょっと御意見をお伺いしたいんです。
津野参考人 大変難しい話でありますが、仮に間違ったことを法制局なりが言って、これは御承知のとおり、例えば集団的自衛権の解釈は、決して法制局の解釈を、もちろんもとにしておることとは存じますけれども、政府の解釈として確立してきているわけでございますね。しかも、こういった非常に憲法の基本にかかわるような解釈のところで過去の解釈がそんなに間違っていたというようなことはないというふうに私は考えておりますので、そこは間違いを認めろと言われてもそういうわけにはまいりませんので、そこは御理解をちょうだいしたいと思います。
 問題は、憲法解釈につきまして、そんなに基本的なものでないような部分につきまして、それは多少従来の解釈を補足するとかいろいろなことを、それなりに、解釈の中で、従来の解釈の枠組みの中でできる問題として処理できるものはそういうふうにしていくというようなことで対応してきておりまして、正面から間違いだというようなものは余りないんじゃないかなというふうに私は思っております。
井上(喜)小委員 どうもありがとうございました。終わります。
杉浦小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、大変貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。大変参考に相なりました。小委員会を代表いたしまして、心から厚く御礼申し上げる次第でございます。(拍手)
    ―――――――――――――
杉浦小委員長 これより、本日の参考人質疑を踏まえまして、小委員間の自由討議を行います。
 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、小委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元にあるネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。
野田(毅)小委員 本当は、山口さんがおられれば聞きたい点が一つあったんですが、この際、二点申し上げたいと思います。
 一つは、昨年の臨時国会で、裁判官の報酬を引き下げたんですよね。これは明らかに憲法七十九条、八十条に違反しているんですよね。これをなあなあで、何か談合体質で、最高裁から政府からみんなが一緒になって、まあいいじゃないかというようなことで本当にいいんだろうかということを僕は大変疑問に思います。本来ならば、そのためだけにでも、必要ならば憲法改正ということをするのが本来の法治国家であるという問題点は指摘しておきたいと思います。これが第一点です。
 もう一つは、実は有権解釈、憲法についての有権解釈の権限が一体どうか。
 先ほど来、内閣法制局あるいは国会の衆参法制局との経緯等についての御議論もあったんですが、過去の経緯は、いろいろなことがあって、国会の法制局の位置づけが非常に弱いままで、単に議員立法のお手伝いをする程度の位置づけだから、何かそういうことになってしまっているんです。しかし、本来、この調査会でも目指しているところは、憲法改正なり新しい憲法をつくろうということであって、その場合の憲法改正の発議権は明らかに内閣にはないんであって、国会が発議しなきゃいけない。国会が憲法改正原案を、新憲法草案をつくろうというときに、当然、そのお手伝いをだれがするんだ。これは内閣法制局がするわけにいかないんであって、そうであれば、衆議院の法制局にそれだけの権威というものを持たせなければ、これは話にならぬと思うんですね。
 そういう意味で、私は、過去のスタートのときは別としても、いよいよ憲法改正を我々考えていこうということであれば、衆参の議院法制局を一体化して国会法制局として、それの立場を強化してやっていくということがあってしかるべきである。内閣法制局は、内閣提案の法案を、いわば政府部内における事前審査の仕事が内閣法制局であって、本来ならば、内閣の提案してきた法案を議会法制局がチェックするということぐらいがあって当たり前だと私は思うんです。
 その点で、ぜひこの憲法調査会でもこの点について真剣に考えてもらいたい。その際、審査権と、それから議員立法のお手伝いをするという二つの作業があるわけですから、議会法制局の立法補助の部分と、それからそういう本来の、法案、違憲審査というか、そういう憲法との関係でのきちんとした審査権というものを、権能を分けてやっていくということがあっていいのではないか。そんなことを提案したいと思います。
 以上です。
古川小委員 民主党の古川元久でございます。
 今、野田委員の方からも法治国家という言葉がありましたけれども、私、日本という国は、法治国家として国家の運営をするということになっているわけでありまして、国民主権の国でありますから、当然、みずからを律する法律はみずからつくる、それは憲法も含めてでございますけれども。そういうやり方の中で、みずからつくった法のもとに、その中で、統治行為を含めて、すべての国家運営は行われるということでなければならないと思います。
 私たち国民が、みずからがつくった法に適合しているかどうかの最終的な判断をするのが司法権でありまして、そういう意味では、私は、今の日本の現状を見ておりますと、残念ながら、司法権が本当の意味できちんと機能している、法治国家を担保するその機能をしているということは言えないんじゃないか。やはり、本来のあり方は、司法がきちんと法治国家を担保する形で機能して、かつ、司法が国民から信頼されている、信用されている、そういう状況ができて初めて、これは法治がきちんと保たれているということが言えるのではないかというふうに思っております。
 きょう、前の内閣法制局長官も来ていただいてお話を伺ったわけでありますけれども、現状の日本の国の運営のあり方というのを見ておりますと、司法にいく前のところでかなりのことが、むしろ自己抑制的にといいますか、最終的な司法の判断を得ないところで勝手に解釈をしているようなところがいろいろな面であると思います。
 例えば、私自身経験をしたことなんですけれども、金融国会と言われた一九九七年のときに、私ども民主党が金融再生法という法律をつくるときに、一時国有化というスキームを入れた法律案をつくったことがありました。
 そのときに、私たち党の中で一時国有化というスキームをつくると考えていたときに、霞が関のお役人から、いや、これは内閣法制局の見解によれば、非常に憲法違反の疑いがある、そういうのをつくるんですかという指摘を言われました。しかし、私がそのときに返事をしたのは、憲法に反するかどうかということを判断するのは、これは司法の役割であって、立法府の意思としてどういう法律をつくるかというのは、我々立法府に責任もあるし、そして権限もあるんだ、だからそれが、法制局の見解によれば憲法違反の可能性があるからということで、その立法の段階でそういうものを入れるのはいかがなことかという、そういうコメントがあるようなことは、これはおかしいという話をしたことを覚えております。
 ところが、そうやって言っていた内閣法制局、役所の方もそうなんですけれども、それから金融再生法も成立をして、数年たったところでは、今度は政府提案の法案の中に、金融危機対応の場合には一時国有化も含めた、そういう案が出てきた。どうしてあのときには、一時国有化というのは憲法違反の疑いもあると言っていた法制局が、そうした政府提案、閣法で出てきたんだということで聞いてみましたところ、いや、あの後、特に訴える人もいなかった、問題にならなかったからという、理由にもならないような理由で、それが政府提案で出てきた。
 事ほどさように、内閣法制局というものが、私は、そういった意味ではやはり最終的な法の番人とは言えないんであって、そういう意味でも、司法がきちんと判断をする、司法がきちんと機能していて初めて、我々立法府もいろいろなことを、思い切ったこともやれる。最終的な判断は、そこは司法にしていただきましょう。そこで、本当にもしそれが少数者の人権とか権利を侵害するようなことがあれば、そこはそこで正していただいて、それをまた立法府として受け入れていく、やはりそれが健全な法治国家のあり方じゃないか。
 ですから、新しい国のあり方、これは憲法も含めて考える際には、やはりもっと司法というものの意義というものを高めるとともに、なかなか司法が、国民から見ると、非常に隔離されていて、何をやっているかわからない。先ほど最高裁判所裁判官の国民審査が機能していないんではないかというお話もありましたけれども、司法がそれだけの機能を果たすためには、当然やはり国民から離れたものであってはならない。
 やはり、司法に対して国民がきちんと関与できるような仕組みも、今のような形式的な、形骸化した形じゃなくて、もっと本当に実質的に国民が司法にも関与できるような、裁判官制度というだけじゃなくて、もっと、国民審査も含めて実質化されるような、そのための司法の情報公開というものを初めそういうものも、やはり新しい憲法を初めとするそういう法体系の中では考えていく必要があるのではないか、そのように考えております。
金子(哲)小委員 私は二つだけ申し上げたいと思います、きょうのお話を聞いて。
 山口参考人がもう退席をされている中で申し上げるのは大変申しわけないんですけれども、私が質問し、そして今野田委員からもお話がありました裁判官の報酬の引き下げの問題です。
 それなりに御説明をいただきましたけれども、やはり憲法の番人としての最高裁判所として、ああいう論理だけでこのことがもし判断をされているとしたら、私は非常に問題があるのではないかというふうに思います。現実に即して物を考えるということになれば、法理論に立ってということのいわば憲法、司法という、まさに法律を解釈しなければならない問題としてどうだったかということをもう一回論議してみる必要があるのではないかということを、私は先ほどお聞きしました。
 概してそういうことではないかというようなことは予測はされたとしても、あそこまで、もちろん、中には憲法違反ではないかという意見もあったというお話もありましたけれども、もし仮に、現実の状況、例えば他の公務員、国会議員が歳費を下げたからというようなことに横並びということだけで憲法にうたわれている条文の中身が解釈されていくことになると、一体、最高裁判所は何を規範にして判断をするのかというような疑問を持たざるを得ないお話ではなかったかと私は思っております。
 この点については、今、参考人もいらっしゃらないところでこういうお話をする、ここで決めつけるわけではありませんけれども、ただ、先ほどお話をして、本当に憲法の番人、司法の側、最高裁判所というものの役割の重みも含めて、もう一回そこは討論してもいい課題ではないだろうかというふうに思ったということであります。
 二つ目には、いわば政治的重要課題に対する判断の問題でありますけれども、統治行為論が従来言われてまいりましたけれども、きょうは、山口参考人からは、いわば司法の本質的な限界論というものをおっしゃいました。その本質的な限界論、私が聞く限りでは、直接選挙を受けていないということを繰り返しお話しになりました。
 そうであれば、私は、憲法でうたっている三権分立というものが今後の中にあって、例えば我々が調査活動に行った憲法裁判所も含めてでありますけれども、その論理でいきますと、延長線上として判断ができないということになります。裁判官を直接選挙して選ばない限りそういう重要な政治判断が、たとえ憲法に仮に抵触していたとしても判断できないというような状況が、直接選挙で選ばれていないからということをもってして、仮にそれが限界論だということになると、先ほどお話がありましたように、法治国家としての最高法規である憲法というものに照らして、一体だれがどう判断をしていくかという極めて重要な問題を提起されたように私は思います、先ほどの提起は。
 本当に、それで我が国の司法というものが一定の三権分立の中での一つの大きな役割を果たすことができるのだろうか。これは、この憲法のみならず、仮に憲法裁判所の問題を論議するにしても、この論理がもし通るとすれば、私は、これすらも一定の限界を持つということになるというふうに思います。
 あえて憲法上に、そのことを承知の上で違憲審査権を最高裁判所に与えている、これは、しかも国会の意思によって、国民の意思によってそのことを憲法として明記したという重みがあるわけでありまして、私は、そのことからしても、きょうのお話の本質的な限界論に立って重要な判断を避けるというのは、最高裁判所としての役割というもの、この憲法上からはやはり許されないのではないかときょうお話を聞きながら思ったということ、そこの辺は少し憲法調査会でもやはりきっちりと論議をしていく必要があるのではないかと思っているということを申し上げさせていただきます。
杉浦小委員長 他に御発言ございますか。
 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了させていただきます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時二十四分散会


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