衆議院

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第2号 平成16年5月13日(木曜日)

会議録本文へ
平成十六年五月十三日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 小野 晋也君 幹事 近藤 基彦君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 鈴木 克昌君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 山花 郁夫君

      伊藤 公介君    岩永 峯一君

      大村 秀章君    倉田 雅年君

      佐藤  勉君    下村 博文君

      渡海紀三朗君    永岡 洋治君

      野田  毅君    平井 卓也君

      平沼 赳夫君    二田 孝治君

      松野 博一君    森岡 正宏君

      森山 眞弓君    綿貫 民輔君

      大出  彰君    楠田 大蔵君

      玄葉光一郎君    園田 康博君

      田中眞紀子君    武正 公一君

      辻   惠君    計屋 圭宏君

      古川 元久君    馬淵 澄夫君

      増子 輝彦君    村越 祐民君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    福島  豊君

      吉井 英勝君    土井たか子君

    …………………………………

   公述人

   (弁護士)        吉田 健一君

   公述人

   (日本電子専門学校専任講師)           安保 克也君

   公述人

   (元四国学院大学大学院生)            日高  明君

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月十三日

 辞任         補欠選任

  棚橋 泰文君     佐藤  勉君

  山口 富男君     吉井 英勝君

同日

 辞任         補欠選任

  佐藤  勉君     棚橋 泰文君

  吉井 英勝君     山口 富男君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について公聴会を行います。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 議事の順序について申し上げます。

 まず、吉田公述人、安保公述人、日高公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず吉田公述人、お願いいたします。

吉田公述人 弁護士をしております吉田健一と申します。

 私は、今議論されています憲法の括弧つき改正に反対する立場から、憲法の平和主義を中心に意見を述べさせていただきます。その都度括弧つきとは言いませんけれども、憲法改正と言うときは私は括弧つきということで表示しているつもりですので、そのようにお聞きいただければと思います。

 まずお話ししたいのは、第一に、憲法九条に違反するイラクに対する自衛隊の海外派兵の問題であります。

 今、憲法改正について考えるときに、イラクの問題を抜きにはできません。武装した自衛隊がイラクにまで派遣されている、この現実は、憲法そのものが守られていないというふうに言わなければならないと思います。

 イラクは今米英軍の占領下にありますが、これはアメリカによる違法な攻撃に基づくものです。国連憲章は、他国から武力攻撃を受けたとき、または国連の決議がある場合を除けば、武力行使を禁じるという立場を明らかにしています。ところが、ブッシュ大統領は、大量破壊兵器を口実に先制攻撃に踏み切りました。自衛権の行使に基づいてできるなどとしていますけれども、武力攻撃を受けていないアメリカが、自衛権の行使としてイラクを攻撃できるわけはありません。明らかに侵略戦争であります。国連憲章違反であります。

 しかも、大量破壊兵器が見つからなかったばかりか、ブッシュ大統領が戦争の終結を宣言した昨年の五月以降もイラクで戦闘が続いています。特に、ことしの四月にはアメリカ軍がファルージャを包囲して攻撃しました。六百人以上の市民が殺されるという悲惨な事態が起こっています。

 他方では、収容したイラク人に対するアメリカ兵の虐待行為まで明らかにされています。その映像は、今や世界じゅうにインターネットやマスコミから伝えられているのです。人間性を踏みにじる現実、到底許しがたいことであります。しかし、残念ながら、それが戦争の現実なのであります。

 そもそも、小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持すること自体、こういう意味で、国連憲章を無視するものと言わなければなりません。確立された国際法規を誠実に遵守すべきとする憲法九十八条二項を無視するものであります。ましてや、違法な戦争を進めてきたアメリカに協力し、自衛隊をイラクに派兵するなどということが現憲法のもとで認められないことは明らかであります。

 まず、自衛隊は、このようなアメリカの占領支配の一環としてイラクで活動していることになるのであります。占領行為は憲法九条二項で禁止された交戦権の行使に当たるということが通説の解釈であります。

 また、イラクは戦争状態にあり、その全土が戦闘地域であるということは米軍自身が認めているところであります。ここで自衛隊は、戦闘行為を展開している米英軍の物資の輸送、とりわけ武器を持ったアメリカ兵の輸送まで行っているのではありませんか。憲法で禁止された武力行使にも該当する違憲行為と言わなければなりません。

 私たち弁護士すべてが所属しています日本弁護士連合会では、ことし二月三日、国際紛争を解決するための武力行使及び他国領土における武力行使を禁じた日本国憲法に違反するおそれが極めて大きいことを指摘しています。そして、自衛隊のイラク派兵に反対する理事会決議を上げております。

 そこで、第二に、平和主義そのものをこのように変質させる改憲の危険性、問題点を明らかにしたいと思います。

 今指摘しましたような憲法を無視した自衛隊の海外派兵が行われているもとで、アメリカは、日本に対して集団的自衛権の行使を求めています。この集団的自衛権を行使するために憲法九条の改正が必要だという議論がされていることは、極めてゆゆしきことであると思います。

 例えば、読売新聞から発表されている改憲試案では、個別自衛権だけでなく集団的自衛権も行使し得る、そういうふうにして、また、国際平和協力活動も行うというふうにされています。集団的自衛権を認めることによって、アメリカとの共同行動には法律上の制約はなくなるという説明がされています。

 さらに、昨年三月二十日に行われたアメリカ軍のイラク攻撃についても、自衛隊も国際平和協力活動として、当初からアメリカ軍と行動をともにしたイギリス軍と同様の行動をとり得るというふうに説明されているのです。数千人から一万人以上とも言われるイラクの人たちを死に追いやっている、それがアメリカ軍の先制攻撃であります。自衛隊にそれも一緒にできる、そういうことを可能にする憲法になるということになってしまったら、それはもはや平和憲法とは到底言い得ない、そういうことになるのではないでしょうか。

 そもそも、自衛隊の海外派兵が憲法違反ではないかという疑問に対して、政府は、PKOへの参加、それも武力紛争が終結して停戦合意が成立している安全な地域だ、武器の使用も極めて限定するなど、いわゆる五原則を厳格に遵守するという前提を強調しました。そして、憲法に違反しないということを説明してきたのであります。

 それが、二〇〇一年のアフガンでの戦争については、現に戦闘行為を行っている米軍などへの支援、燃料その他物資の補給、輸送、こういうことまで行いました。戦闘行為が続いているイラクでは、先ほど述べましたように、武装したアメリカ兵の輸送まで行っているわけであります。

 合憲性を主張するためにみずから行った説明すら投げ捨てていく、場当たり的な説明に終始してきたと言われればそれまでなんですけれども、これでは、憲法に基づく政治が行われているとは到底言えないのではないのでしょうか。つまり、立憲政治の基本が無視されていると言わざるを得ないわけであります。

 このように、憲法に従った政治が行われていないもとで憲法を改正すれば、それが本当に正されるのでしょうか、否であります。戦争のできる憲法となってしまった、そういうもとで、海外への戦争参加や武力行使をますます広く容認する、そういう危うさを感じざるを得ません。

 それが先ほどの国際平和協力のためという言葉によってなされる場合でも、アメリカ軍の軍事行動に対して自衛隊が協力するという形をとれば、同様の問題が起こります。そのことは、先ほど指摘しました読売の改憲試案について説明されている、そのことからも明らかであります。

 いずれにしても、戦争への道を進むことになる憲法の改正、改憲は認めるわけにはいかないのであります。

 第三は、憲法の平和主義が危うくなれば、人権保障も危うくなるということを強く指摘したいと思います。

 憲法の平和主義は、戦争を行わないということとあわせて、平和のもとでこそ人権も保障される、民主主義、地方自治も保障されるという関連性があります。過去に日本はアジアの人たちに多大な犠牲を強いる侵略戦争を進めてきました。その当時は旧憲法です。つまり、大日本帝国憲法のもとで、表現の自由も知る権利も否定されました。そこで命が奪われ、もちろん、働く権利や財産権まで戦争のために奪われた経験があります。しかし、平和憲法の制定とあわせて、そのときに使われた国家総動員法や軍機保護法など、戦争するためにつくった法律などがすべて否定されてきました。土地収用法も改正され、軍事や国防の目的によって土地を強制収用できるという規定も削除されたのであります。

 ところが、その後、日本はアメリカ軍に基地を提供し、基地公害などが多発しました。その基地公害によって住民の権利が侵害されてきましたが、政府はその事態を放置してきたのであります。被害を受ける国民に受忍を強いる、そういう態度をとってきたのであります。特に、沖縄の人々は、アメリカの施政権のもとで米軍の銃剣とブルドーザー、それによって土地を取り上げられました。米軍基地にされた土地については、沖縄が本土復帰をした後にも政府やアメリカ軍は強制使用を続けてきたのであります。

 しかも、一九九六年には、日本政府は、契約期限が切れた反戦地主の土地を不法に使用し続ける不法占拠の違法行為まで行ったのであります。そして、使用権原を取得できず違法使用の状態が続くということに対して、これを暫定使用などと後で合法化する立法までしたのであります。このように地主の権利を無視して米軍用地の提供を最優先させてきた事実があります。

 また、昼夜を分かたぬ、すさまじい基地騒音に対しても、基地周辺住民は我慢を強いられ続けてきました。沖縄だけではありません。横田基地や厚木基地、こういった東京周辺の基地についても同様であります。せめて夜は静かに眠らせてほしいと裁判に立ち上がった住民に対して、政府はここでも米軍の活動を優先させる態度に終始してきたのであります。国の安全を守るためには騒音は我慢しろというのが政府の態度でありました。

 私は、沖縄の反戦地主の裁判や横田基地の騒音公害訴訟を弁護団の一人として担当してきましたけれども、アメリカ軍のためには住民の生活や権利は無視するんだ、そういう政府の態度を幾度となく体験させられてきたのであります。

 しかし、このように軍事を優先させて、例えば基地騒音被害の受忍を強いる政府の態度については、裁判所も批判的な立場に立っています。横田基地公害訴訟について一九八七年七月十五日に出された東京高等裁判所の判決は、騒音自体に公共性のあるものとないものとの区別があるはずはなく、侵害行為としては航空機騒音も工場騒音も同一視されるべきものであり、社会生活上最小限度の通常の受忍限度を超えればいずれも違法なのであると判断して、騒音をまき散らす米軍機の飛行を違法としました。これが現憲法のもとでの司法による歯どめであります。

 ところが、この問題は、今、国会で審議されている有事法制の関連法案に関して、一層露骨に提起されています。つまり、有事法制のもとでは、自治体、民間業者、マスコミ、一般国民まで、戦争のために協力することを余儀なくされます。日常から戦争を想定した訓練が組織されます。国や自治体が管理する港や空港、海岸、河川、公園はもとより、海域、空域を初め、電波まで軍事のために優先利用の対象とされています。アメリカの軍事活動についても、同様に優先されます。住民の福祉のために自治体が果たすべき役割、これが自治体の基本的任務なわけですけれども、それよりも自衛隊や米軍の活動を円滑にするために最大限の協力が自治体に求められるということになるのであります。

 このような有事法制のもとで想定される人権侵害に対して、日本弁護士連合会は、基本的人権保障原理を変質させる重大な危険性が存する、そういう意見書を発表しています。この意見書では、マスコミなどが規制され、市民の知る権利、メディアの権力監視機能、報道の自由を侵害し、国民主権と民主主義の基盤を崩壊させる危険を有すると指摘しています。

 それが、改憲により戦争のできる憲法になってしまったらどうなるでしょうか。軍事を一層優先することになり、生活や権利がますます無視されるという深刻な事態となることは必至であります。このような事態をもたらす改憲を認めることができないのは当然であります。

 第四に、私は、平和を実現することはもとより、国民の生活や権利を守るためにも、憲法を変えるのではなく、憲法を守り生かす方向こそ、今求められているということを強調したいと思います。

 戦争をできる憲法にすることは、普通の国と同じ憲法にするだけだという意見もあります。しかし、日本の平和憲法こそ、平和を求める市民によって国際的にも支持されているものです。例えば、一九九九年にオランダのハーグで開催された世界平和市民会議では、公正な世界秩序のための基本十原則の第一項で、各国議会は、日本の憲法九条のように、自国政府が戦争をすることを禁止することを決議すること、これが採択されました。日本の憲法九条の規定こそ、平和を実現する政府のあるべき立場だということを示したものとして、世界的に注目がされているのであります。

 アメリカのイラク攻撃に対しても、ドイツやフランスなど多くの国々が反対しています。アメリカ国内を含め、世界各国で大きなデモンストレーションが行われました。数十万から百万単位の人々が町に繰り出し、全世界で一千万単位の人たちがイラク戦争反対を訴えたのであります。

 このように各国が協調し合って、武力によらないで紛争を解決する、このことを求めているのが世界の流れであります。このような平和を求める国際世論に反して、アメリカは、イラクに対する武力攻撃を強行し、今なお軍事占領を続けているのであります。このような武力による支配を目指すアメリカに依存し、日本の憲法を戦争できる憲法に変えてしまおうなどという方向は、平和を求める世界の流れに逆行するものにほかならないと思います。現在の憲法の平和主義を生かして、軍事に頼らない平和な国際関係を実現する、そのことを追求することこそ、日本に課せられた課題ではないでしょうか。

 基本的人権の保障に関しても、改憲を進める論議には重大な問題があります。環境権やプライバシーの権利など、新しい人権を憲法に明記するために憲法を改正しようとする議論であります。私が弁護士として携わってきた横田基地公害訴訟では、現憲法の前文、そして十三条などで十分認められるものとして、平和的生存権や環境権、あるいは静かに生活する権利を主張しました。そして、住民の権利の救済を求めてきました。また、刑事弁護活動で、被疑者に黙秘権の行使を勧めた弁護士が政党の所属まで警察に調査された、そういう事件がありました。いわゆる弁護士に対する思想調査事件ですが、ここではプライバシー権の侵害を主張し、警察や検察の責任追及の訴訟を担当してきました。

 今、改憲を口にする人たちは、このような権利侵害に対する被害の救済、あるいは権力の責任追及のためにどのような役割を果たしてきたんでしょうか。むしろ足を引っ張ってきたというのが現実であります。まず、憲法を変えることよりも、憲法を生かし、保障されている基本的人権の内容を充実させ、それを実現していくことこそ、第一に考えなければならないと思います。

 以上、私の立場から、憲法が大切にされていない、生かされていない事実の一端を指摘させてもらいました。そして、そのようなもとで憲法を変える必要性が全くないこと、改憲の先にはより危険な方向が待ち構えていることを重ねて強調したいと思います。

 ところが、国会の憲法調査会では、憲法を変える方向での議論が先行しているのではないかとの危惧を抱かざるを得ない状況があります。しかし、他方では、憲法調査会がこれまで積み重ねてきた各地の公聴会において、現実の生活や権利とかかわってきた多数の市民から、憲法を大切にしたいという多くの意見が述べられてきました。私は、憲法調査会に対して、このような声に対して真摯に耳を傾け、憲法を実現するための積極的な提言を検討するなど、より充実した調査をさらに行っていただきたいというふうに思います。

 この五月一日から憲法週間がありました。裁判所の玄関前にも、「憲法は明るい社会の道しるべ」という標語が表示されていました。これは、国民の憲法に対する大きな期待が示されているように思えるのであります。しかし、万一改憲されて、その憲法に基づいて戦争が行われるような事態となったら、憲法は明るい社会の道しるべではあり得なくなってしまいます。暗い社会への道しるべというふうになると言わざるを得ません。そのような事態を憲法調査会が進めたというような批判を後世の人々から受けることのないよう強く要望しまして、私の意見とさせていただきます。

 以上であります。(拍手)

中山会長 次に、安保公述人、お願いいたします。

安保公述人 ただいま御紹介いただきました日本電子専門学校の安保でございます。

 本日は、このような場で公述をする機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。

 私の公述ですが、先生方の手元にレジュメをお配りいたしたと思います。一応、六枚ほどのレジュメに沿ってお話を申し上げたいと思っております。そのほかに、私自身が執筆した新聞記事を三枚ほど補足ということでお配りさせていただきました。そちらの方は御参考ということで、お時間があったときには御説明したいと思いますが、ない場合は割愛させていただきたいと思います。

 私自身の今回の考え方は、憲法制定から半世紀を経ている間に戦争のあり方も大きく変化したように思われるという問題意識の上に成り立っております。それはどのような点かと申しますと、テクノロジーの急激な進歩によって世の中は変化しており、新しい時代の憲法を論じるときには、テクノロジーによる、いわゆる技術的進歩に関する情報を収集した上で論じなければならないと考えているからでございます。

 特に、最近の戦争は、ハイテクを使ったいわゆるハイテク戦争、もしくはサイバー戦、情報戦という視点が非常に重要になってくるかと思っております。そして、このハイテク戦争を支える技術の中心というのはいわゆるインターネットでございます。

 そこで、インターネットの歴史ということで、一番に簡単に触れてみたいと思います。

 まず、インターネットについて申しますと、一九五七年にソ連が世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した、これに衝撃を受けたアメリカが、ソ連の科学技術の分野に対抗するため、国防総省内につくった組織ARPAが原型と言われております。

 その後、一九六九年に米国防総省が、ARPAに、ミサイル攻撃を受けても軍の作戦全体に支障がないような分散型コンピューターネットワークにするように指示し、ARPAネットワークというものができました。これは、今日のインターネットの原型だと言われております。その当時主流だった中央集中型ではなく分散型を選んだのは、核攻撃を受けても全体が停止することのないコンピューターシステムをつくるためだと言われております。

 次、三番目ですが、米国防総省は、一九八三年に核攻撃で部分的に破壊されても全体が停止することのないようなコンピューターネットワークを開発しました。そして、日本なんですが、一九九三年にゴア副大統領が情報スーパーハイウエー構想を発表いたしましたが、この構想の裏には、日本のVIP、いわゆる新高度情報通信サービスというものがあったと思われます。ですから、日本の当時の先端技術の構想は、アメリカの構想に非常に似ていたと思われます。ただ、残念ながら、この案は余り考察されなかったということです。

 五番目、一九九四年ですが、日本の首相官邸がホームページを開設しました。そして、一九九五年になりますと、アメリカがインターネットの接続を完全商業化して、今日のようにインターネットが世界じゅうに普及したという簡単な過程がございます。

 以上から何が言えるかと申しますと、最初は軍事目的であったものが民生に転用された、このことは、今後の軍事問題を考える上で非常に重要な視点だと私は思っております。

 次に二番目でございますが、サイバー戦の重要性という点でございます。

 戦争という行為は、国家対国家という対称同士の争いだった。それが今では、世界じゅうで米国に正面から対等に戦争を挑める国家は存在しないような状況になっている。それでは、なぜ米国の一強国状態になっているかであるが、米国は、ベトナム戦争での敗北以来、情報収集、情報分析、攻撃計画の立案や攻撃を統合し、同一システムでの全兵器の運用を目指すため、RAMやC4ISRシステムなどの組織改革を推し進めた結果であろうと思われます。そのため、装備に劣る国の軍が米国軍相手に唯一勝機を見出せるとすれば、それは非対称による戦いであろうと思われます。したがって、この分野の技術的な進歩の重要性は非常に高まると思っております。

 いみじくも、中国の人民解放軍の現役幹部が、米国は、九・一一の本土をねらう攻撃か、もしくはコンピューターネットワークを攻撃するしか米国を倒せることはないという指摘は、非常に重要な示唆だと思っております。また、自爆テロなども非対称の戦いであろうかと思っておりますが、おのずと限界があると思います。今後考えられる非対称戦のうち最も重要なのは、サイバーテロやサイバー兵器を活用した戦争であろうと認識しております。

 今回のイラク戦争において、統合運用がうまくいかなかったケースも多々報告されているようでありますが、結果的には、開戦日を変更し、軍事攻撃に支障のない柔軟性のある対応を考えますと、米国軍の統合作戦はうまくいったと認識するべきだと思っております。

 また、ハイテク戦争の定石がほぼ決まりつつあるように思います。次のページに行きますが、今後のハイテク戦争は、ステルスウイルスやスパイウエアなどによる日常攻撃で航空管制システムを麻痺させることにより、迎撃ミサイル等の精密誘導兵器を機能麻痺な状態にし、あるいは、電気や水道といったインフラ制御のシステムの設定などを破壊し得る状況で、ステルス戦闘機などによる空爆をした上で、地上部隊や特殊部隊の投入というパターンが今後続くものと思われます。特に今回の開戦で特徴的だったことですが、昼夜の戦闘に差がなかったことであろうと思われます。

 そこで、世間で言われておりますサイバー戦というものですが、私自身、大きく三段階に分かれると思います。一つがサイバーテロ、二番目はサイバー攻撃、三番目はネットワーク中心の戦いという三段階があると思います。

 まずサイバーテロでございますが、定義はなかなか、一概にないのですが、私自身はインターネットなどのコンピューターネットワーク上で行われる大規模な破壊攻撃であろうと思っております。人に危害を加えたり、社会機能に打撃を与えるような、深刻かつ悪質なものをこのように呼ぶと認識しております。

 そして、このようなテロをしかける人たちを通常ハッカーと呼びますが、これは正しい認識ではないと思います。ハッカーというのは、高い技術を持った人たちに対する尊敬の言葉であり、通常、技術を悪用する場合はクラッカーと呼ばれるべきだと思います。通常、我々が新聞報道などで聞くサイバーテロというのは、ほとんどがクラッカーだと思っております。サイバーテロの特徴ですが、直接的な物理的破壊は伴わず、情報の破壊や改ざん、漏えい、機器や回線の停止などによって被害をもたらす行為というのが特徴だと思います。

 二番目として、サイバー攻撃ですが、サイバー攻撃は、インターネット経由で他のコンピューターに不正アクセスを行い、相手の国や企業にダメージを与えるような行動だと思います。

 このサイバー攻撃は、大きく分けて二つあると思います。

 一つは、ターゲットとなるサーバーをピンポイントで決めておき、そのサーバーのみを対象としたあらゆる不正アクセスを試みる。この攻撃に対するディフェンスは、サーバーやネットワークの設定をしっかり行っている必要があるなど、かなり手間がかかるものと思います。

 そして、二つ目ですが、ターゲットのサーバーを特定せずに大量のサーバーにセキュリティーホールを悪用するデータを無差別に送りつけるもので、主に社会全体に混乱をもたらす目的で行われるケースだと思われます。この攻撃からのディフェンスは、ほとんどの場合はセキュリティーパッチをインストールするだけで簡単に防ぐことができると思われます。

 なお、この攻撃で代表的なものは、コードレッドやニムダなどのいわゆるワーム、コンピューターウイルスの一種でございます。この二種類のワームは、感染したサーバーから他のサーバーに自動的に感染を試みるという機能を持ち、セキュリティーパッチが適用されないサーバーに次々に感染し、社会問題化する勢力を持つに至ったのでございます。

 なお、ウイルスとワームの違いですが、実際上自己増殖や破壊をもたらす点では共通点がありまして、若干の表現の違いで、ウイルスの場合は他のファイルに寄生するプログラムと説明しますが、要するに、生物界のウイルスと同じような形態でよろしいかと思います。それに対して、ワームというのは単独で活動できるプログラムと定義されますが、これは、勝手にどんどん増殖していくという形でございます。この識別は余り意味がないのですが、通常ウイルスと言われているのは、ほとんどこのワームだと思っております。

 三番目ですが、ネットワーク中心の戦いです。

 平成十五年度の防衛白書でも指摘しているように、米国は軍事における革命の中で、特に情報通信技術を最大限に利用したネットワーク中心の戦いを重視しております。ネットワーク中心の戦いでは、GPSなどを活用して収集された敵部隊などに関する情報はネットワークを通じて共有され、遠隔地の司令部からであってもネットワークを通じて極めて短時間に指揮、統制を行い、目標に対して迅速、正確かつ柔軟に攻撃力を発揮することが可能だと思っております。

 その際の兵器としては、無人機、E爆弾、あとはロボットの軍事的利用だと思っております。ロボットの軍事的利用は、日本においてはロボット技術が非常に進歩しておりますので、平和目的に、特に地雷探索などにも活用できるかと思っております。

 三番目として、サイバー戦の対応策でございますが、これは情報の重要性ということでもございます。

 まず、安岡先生の指摘によれば、日本人はスパイというものを非常に過小評価し、何か機密書類や機密情報のようなものを巧みに盗み出した者がスパイであると思っているが、それはスパイ活動のほんの一部にすぎない、スパイ活動の大きな目的は、相手の国策を誤らせることにあると、情報の重要性を指摘しております。

 そこで、情報が重要だということを認識しまして、私自身は三つのことを提案したいと思っております。

 一つは、情報を収集する、いわゆる情報省の新設が望まれると思っております。二つ目に、情報を収集して情報を分析する者、すなわち教育制度を抜本的に見直し、人材育成が必要だと思っております。そして、さらにこの分析したものを参謀本部に必ず伝達するシステムも必要かと思っております。三つ目なんですが、今の教育に関する問題ですが、特殊な才能を持つ者の発掘でございます。例えば昨年経済産業省が企画したセキュリティ甲子園などのイベントを行いながら、人材を発掘することが非常に重要かと思っております。

 これに関連することですが、最近、東京大学の助手の方がいろいろ話題を起こしたという新聞記事もございましたし、東京大学の方よりも、きょうお配りした新聞記事の方ですけれども、京都大学の方で、ハッカーの技術力を生かせというもので書かせていただきましたので、そちらの方をあわせて御参照いただければと思っております。

 四番目にございますが、私自身、望まれる法整備はどんなものかということを考えております。

 平成十一年に成立した通信傍受法は国家による諜報政策、情報獲得のレベルの問題であるが、国家による防諜政策、情報保全のレベルの問題に関する法が存在していないという欠陥は早急に是正しなければならないと思っております。いわゆる守秘能力の問題でございます。

 なお、危機管理を有効にさせるためには、国家機密に係るスパイ行為等の防止に関する法律、国家機密法またはスパイ防止法の制定が望まれ、憲法二十一条も立法趣旨を尊重した上での改正は必要だろうと考えております。

 日本では、情報公開法が存在しているにもかかわらず、国家の安全、国民の安全を脅かす情報機密の漏えいを厳重に処罰するための個別法が存在していないことに強い危機意識を感じ、電子通信技術などの発展した現代社会においては、防諜政策なき国家では、国民保護を全うし得ない国家と私は非常に危惧しております。

 五番目でございますが、サイバー戦とかいうことをお話ししたので、何か非常に唐突なお話をして、何の話をしているのかということでなかなか、憲法調査会ということもございますので、私自身、憲法の九条の改正案ということで、自分自身で考えてみました。

 そこで、まず、二つ前文案と九条案がございますが、これは基本的には九条案が中心で、前文の方はちょっと九条に書けなかったものを持ってきたというだけでございます。現在の憲法九条にかえて、私自身の提案としましては、国軍という形にして、国軍は、サイバー軍、陸軍、海軍、空軍の四軍から構成され、日本の主権及び独立を保障し、領土を保全し、国民の基本的人権を尊重することを使命とする。近年は、やはりサイバー戦というのは非常に重要視すると思っておりますので、陸海空に独立したサイバー軍というのが必要かなと思っております。

 二番目として、軍事組織の基本については組織法で定め、政府は非常事態においては法律の定めるところにより必要な措置をとることができる。非常事態という、これから何が起きるか全くわからない時代になっておりますので、そのような時代に対応するためにはやはり必要かなと私自身は思っております。

 そこで、現憲法の九条の趣旨を生かすために、前文の三行目にございますが、途中省略したからですが、国内的には国民の平穏を保障し、さらに福祉を増進させる。国外的には、国民は祖国防衛に備えるが、日本国は侵略戦争を放棄することを宣言する。ただし、正義と秩序を基調とする国際社会においては、日本国は国力に応じた国際平和協力に貢献するため、国際組織への参加を促進し、かつ、助成すると。

 戦争は放棄する、侵略戦争は放棄する。ただ、国家としての防衛は必要だろう。それが抑止力でもあり、やはり平和の一つの道ではないか。戦争放棄、いわゆる軍事を放棄するという考え方も一つの考え方だとは思いますが、やはり抑止力というのはお互いに攻め込めば自分も犠牲になるという観点で安全保障は構築していくべきではないだろうか。

 特に、これからの技術進歩というのは我々自身、かつて経験のない事態でございますので、そのような事態に対しては、何が起こるか、不測の事態をやはり憲法上予定しておくことが国民の基本的人権を守るために必要だと思っております。

 非常に早口でしゃべりまして、私自身も、ちょっと時間との兼ね合いで、こういう場で話すのは初めてでございまして、非常に緊張して震えておりますが、先ほどお配りした新聞記事の方なんでございますが、三月の十三日に、東京新聞の方で依頼を受けまして、昨年のイラク戦争、どういうふうな形になるか予想しなさいという、予想屋じゃございません、そんな当たるわけはないなと思いつつ、まあこんなような展開になるのかなと。さほど大きくずれていることはないと思っておりますが、やはりこういう新しい先端技術が軍事の表面に出てきてしまったということ、その辺について対応することが今後必要ではないかと非常に強く感じているわけでございます。そして、そのような御議論をこの憲法調査会で推進していくことを切に望んでおります。

 以上でございます。(拍手)

中山会長 次に、日高明君、お願いします。

日高公述人 兵庫県西宮市の日高明と申します。

 本日は、憲法調査会の場にお招きくださり、まことにありがとうございます。国政におきまして日々御尽力くださっておられる諸先生方と憲法について考えるときを与えてくださったことを大変感謝しております。ありがとうございます。人生経験も未熟でありまして、まことにつたない公述になりますが、精いっぱい努めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 私は、一九七八年の生まれでありまして、戦争を知らない家庭環境の中で育ちましたが、幼いころから政治には関心を持ちながら歩んできたと思っております。私が憲法前文を初めて読んだのは、終戦からちょうど五十年目の節目に当たる一九九五年のことでありまして、その前文を読んだときは、その理念のすばらしさに非常に感動したという記憶がございます。そして、この憲法の理念を着実に国民生活の中に根づかせていくという作業が非常に重要であると思い、今自分が生きている国のことをより深く知り、日本の国の抱えている問題をともに考えていきたいという動機から、学生時代は憲法学のゼミに所属しておりました。

 今、憲法は非常に重要な岐路に立たされているわけでありますが、そうした中にありまして、いま一度憲法の意図するところを確認する必要があるのではないかと考えております。

 これから憲法前文と九条について意見を述べさせていただきますが、第一に、前文及び九条が条文化された背景には、一九二八年の不戦条約に始まる世界の戦争違法化の流れの中で確立されたものではないかと考えると同時に、特に広島や長崎における原子爆弾の投下による教訓が大きいのではないかと考えられます。

 不戦条約は、第一条、戦争放棄で、締約国が国際紛争の解決のための戦争と国家の政策の手段としての戦争を放棄するということを記し、第二条、紛争の平和的解決で、締約国が平和的手段によって相互間の紛争、紛議を処理することが求められていました。この条約には、自衛戦争の否定が規定されていない、あるいは制裁手段の欠如などという不備もあったとの指摘がございますが、戦争が違法であるということを盛り込んだものとしては非常に重要な、画期的な意味を持ったのではないかと考えております。

 第二に、前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」との明記がございます。

 この文言は、今日的視点に立って読み解くと、単に国際社会における紛争解決及びその紛争の被害からの脱却のみにとどまらない、人間一人一人の安全にかかわる広い意味での不安、例えば、飢餓、貧困、難民、環境破壊、HIV、テロなどといったものからの脱却を視野に入れた人間の安全保障の必要性を定めているのではないかと思われます。前文には、人間の安全保障と、明確に示されてはおりませんが、前文の理念の根底にその芽生えを読み取ることができ、先見的な要素を持っていることが言えると考えます。

 第三に、憲法は二十一世紀の新たな国際関係を導く強力な理念となりつつあるのではないかということです。そう解釈されるのは、前文と九条の中に平和主義の新たな性質が見受けられるからです。それは、前文において、戦争を起こす主体が政府にあるとその主体を自覚している点、九条一項で、戦争のみならず武力による威嚇、武力の行使を含んだ国家暴力の行使を放棄している点、九条二項において、武力による威嚇、武力の行使を放棄したからこそ国家が交戦権をも放棄しているという点、国連による平和構築への協力を惜しまず、また、日本国民の安全を非武装の手段で行うことを採用している点、憲法が積極的に人間一人一人の安全と平和的生存権を保障している点であります。

 平和に対する脅威の源が複雑になり、かつ多様化している今日において、いかにして人間の安全保障を実施するための方策をまとめ、人間開発の場が失われない環境を設定していくのかという問題は、政治の最大の課題ではないかと思います。人間一人一人が勇気と希望を持って生きていける世界を底辺から構築していくことが今求められているのではないかと思います。

 徹底した平和主義を貫く日本が、世界の平和と安定に対しいかなる役割を果たせるのかを考えますと、日本は、平和的生存権を最重要視しつつ、徹底的な非武装の国際貢献に徹し、その点に最大の価値を置くべきであります。

 世界の中には、各国国内の社会構造が整備し切れておらず、未発達であること、また、国家の統治力が不足しているがゆえに、飢餓、貧困、難民、環境破壊、テロ、人権じゅうりんなどといった問題が生まれています。統治能力を有さない政府のもとで人々が生きていくことは不可能です。人々が希望を持って生きていける社会システムを整備するために、また、それを実現していくために、国連の姿勢に各国政府や人々が連なり、結束し、国連を基軸とした取り組みがなされなければなりません。

 今、アメリカが非常に強大な軍事力でアメリカの民主主義を推し進めておりますが、そのような状況であるからこそ、逆に国連の働きというものが重要なのではないでしょうか。

 平和的生存権を持っているがゆえに、飢餓、貧困、難民、環境破壊、人権じゅうりん、テロなどといった問題を改善していくことに尽くすことができるのではないでしょうか。むしろ、その使命が日本にはあるのだと思っております。

 日本国内では九条改正派が多数を占めるという現状にありますが、九条や前文の理念を改正することで平和な環境が生み出されるのでしょうか。その保証はどこにあるのでしょうか。軍事力をもってしても、平和はおろか安全すら保証されない状態なのではないでしょうか。そのような状態であるからこそ、国連を基軸とした平和構築を実現させるために、日本が国連とアメリカの間に立ち、いわば仲介役としての役割を果たしつつ、非軍事的手段において人々を守る外交を積極的に打ち出していく、これが日本の歩むべき道筋ではないかと考えます。

 武器を持たずして国際貢献は行えないのでしょうか。今日本が果たすべき役割は、人間の安全保障の強化に向けた外交の展開、軍縮、近隣諸国間における信頼関係の醸成、人間の安全保障に基づくODAの実施、このような政策を遂行していくこともテロ対策になると考えます。

 日本は戦争を二度と起こさないという最も重要なことを真っ先に表明いたしました。その正しさを今捨て去ることなく、むしろその正しさを誇る立場にあると考えております。憲法の理念と現実が乖離しているということは明白であります。しかし、そのことが憲法改正の理由には当たらず、むしろ、現実こそが憲法の理念により批判され、現実こそ憲法の理念へと近づけるために改められるべきでしょう。そのような作業が今日本には求められていると考えております。

 日本国国家が戦争放棄を宣言した日本国憲法を持っているということを、私は大変誇りに思っております。そのような日本であるからこそ、私は日本の国を愛することができました。現在にこそ、日本は過去の戦争の歴史に心を寄せつつ、加害の事実と被害の事実を受けとめ、戦争をしていた時代にささやかな願いを口にできずに亡くなっていった人々の声を世界に発信すべきです。そして、日本国憲法の精神をとうとび、その精神を次代へつなげていくことが、我々日本人の選択すべき唯一の道であるということを確信しております。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

中山会長 以上で公述人からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山会長 これより公述人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大村秀章君。

大村委員 おはようございます。自由民主党の大村秀章でございます。

 きょう、公述人の吉田先生、安保先生、そして日高先生、お三人の公述人の皆様には、本当にお忙しいところお越しをいただきまして、貴重な御意見、御提言をいただきましたことを心から感謝、御礼を申し上げる次第でございます。

 それぞれに見解をいただきました。それも踏まえまして、少し、きょう御公述いただいたこととはちょっと離れるかもしれませんが、私なりの憲法観も含めて御質問、御質問というよりもむしろ意見交換をさせていただけたらというふうに思っております。よろしくお願いを申し上げます。

 憲法改正といいますか、憲法の問題、ここは憲法調査会でございます。我々は、特に我々自由民主党、日本国憲法のあり方をどういうふうに位置づけるのか、そして、日本の国及びこの社会をどういうふうに考えるのかということから、この憲法を戦後五十数年たった今、そのあり方を見直して時代に合ったものにしていく必要があるんじゃないかという声が、今、党派を超えて多くなってきているというのは実際だろうというふうに思っております。

 そういう中で、私自身は、この憲法の問題の視点というのが二つございます。

 一つは、やはり国際社会の中の日本ということでございまして、その中でも、特に平和と安全保障そして国際協力、これをどう考えていくか。それに合ったように、憲法はもちろん、そのままでいいというのであればいいんでありますけれども、私は、この際、そういったことを考えれば、戦後五十九年たって、今我々が日本として果たすべき役割を果たすということになると、やはりそのあり方を見直していく必要があるんではないかというふうに思います。それが一点。

 もう一つは、やはり自立と参加というキーワードだろうと思っております。今これだけ成熟してきた日本の国、社会を考える上におきまして、やはり自分の足で立って自分で考える、そして自分で行動する、結果に対してはまさに自分で自己責任をもって行動していく。最近、自己責任というのは別の言葉で、文脈でどうも使われているようでありますが、そうではなくて、やはり自分で考えて自分で行動して、その結果に自分で責任を持つ、そういった自己決定と自己責任、みずから行動する、そういう厚みのある市民社会をつくっていくというのが我々の、日本の目指すべき方向ではないのかなというふうに思うわけでございます。

 そういう意味でいきますと、憲法も、おのずと新たな権利、環境権、プライバシー権とか、そういった基本的人権でありますとか、まさにそういった点をつけ加えるといったことも必要だろうというふうに思います。また、国際社会の中での日本、そして新たな市民社会を日本がつくっていくために、政治の決断といいますか、決定決断をやはりスピードを上げてやっていく必要があるということから、私は、統治機構としてはもう一院制を目指すべきだということを明確に申し上げているところであります。

 そういった統治機構の見直し、それからまた、地方自治の確立、これは道州制を含めた上での統治、地方自治の確立、こういった点、現行憲法の中での規定を見直していくといったことが必要じゃないのか。自分自身の憲法観というのはそういったところにあると思いますし、この憲法調査会の多くの委員の先生方の相当程度の共通認識になってきているんじゃないかというふうな感じがいたします。

 いずれにいたしましても、そういった考え、委員の先生方にそれぞれ違った考え方があるかもしれませんが、やはり共通の認識ベースとして、時代の流れに合わせて憲法を常に見直しをしていくべきではないか、その見直しができてしかるべきではないかということが、何といいますか、全員ではないにしても、共通の流れになってきているんじゃないかという気が、私は個人的にはいたしております。

 そういう意味で、先ほどの公述、お話の中で、憲法改正は反対だと述べられた方もおられますので、それで尽きるのかもしれませんが、今の国際社会、そして国民のニーズ、要請に合わせて、憲法というのを不磨の大典ということではなくてやはり見直していく、私は時代の流れに合わせていくということがあってしかるべきじゃないかというふうに思います。

 憲法調査会でこれまで数年議論をしてきた中で、やはり憲法を改正していくという議論が流れといいますか、なってきていると思いますけれども、それを具体的に進めていくためには、今現在、手続法がないわけですね。国民投票という形での制度、枠組みが今ないわけでございます。そういう意味では、この国民投票法の制定といったことを、我々はこれからできるだけ早い機会に、もちろん多くの関係の、まさに党派を超えてそういった流れをつくっていきたいと思っております。そして、私は個人的には、今の三分の二の改正発議という要件はちょっと厳し過ぎると思いますので、それは過半数にすべきだ、もう少し弾力化をしていく必要があるんじゃないかというふうにも思います。

 憲法を時代の流れに合わせて見直していくという考え方、その手続を整備していったらどうか、それは早急にこれから政治課題にのってくると思いますけれども、それについてどうお考えになるか。これは、先ほどのお話をお聞きした中で、いやいや、そうじゃないんだ、もう今のままでこれはやるべきじゃないかというようなことも、先ほど最初の公述の中で少しお話をお聞きしましたけれども、それはそれといたしまして、こういったお考えについて順番に、吉田公述人、安保公述人、日高公述人、それぞれにお考えをお聞きできればと思いますので、よろしくお願いします。

 まず、吉田公述人からよろしくお願いします。

吉田公述人 今先生の方から御意見をいただいた件ですけれども、時代の流れに従って憲法を見直すという、その時代の流れがどういうものを目指すのか、そこが一番大事なところでありまして、まさに先ほどの読売新聞の改正試案の説明でもありましたように、イギリスと同じように、アメリカがイラクを攻撃した、それと同じような参加を自衛隊にできる、そういう選択肢を与えよう、そういう流れをつくろうという動きもあるわけです。

 そういった方向と、憲法がつくられた歴史的な、私たちが歴史の上に立って、外れてはいけないという憲法をつくったときの原点、そことのギャップというのは、もう別の憲法になってしまうということになるわけで、本当に、平和の憲法ということでつくったその原点を外れない、そこをむしろ逆に生かしていくというのが世界の平和の流れだということは御指摘させていただきました。むしろ今の憲法の方が、そういう意味では時代の流れに合った、それを実現すべきということが国際社会の中でも求められている。アメリカの方ばかり見ていると、そちらが時代の流れに見える、そういう指摘を私はさせていただかざるを得ない。結局、そういうことでの憲法を変えるということでは、本来の、私たちが大事にしていきたい平和の憲法の、憲法の平和主義の一番基本的なところを見失う危険があるのではないかということを指摘させていただきたいと思います。

 同時に、憲法を変えやすくするための、いわゆる改憲の手続を緩める、緩和するということについては、私は反対であります。憲法が基本的に硬性憲法として制定された、そこの原点は、やはり侵略戦争の反省に立った、世界に、あるいはアジアの人たちに約束した、そういった日本の立脚点、そこはやはり基本的には変えてはいけないという、よほど変える必要があるときにそれだけの厳しい要件をあえて憲法が定めているというのが、この憲法の原則であります。やはりそこは緩めることはあってはいけないと思いますし、憲法とはそもそも権力に対する拘束力という意味があるわけで、そこの拘束力を緩める方向での改憲になるんではないか。やはり国民にとっては、むしろ権力に対して厳しいことを求める、そういう憲法であってほしいというふうに私は思っています。

 以上であります。

安保公述人 私自身は大村先生の考えに大賛成でございます。まず、憲法改正の手続法がないということは、非常にこれは法の不備でございますので、早急に制定していただきたい。

 あと、大村先生がおっしゃられたとおり、憲法の改正の手続が三分の二という、非常に厳しいわけでございますが、それは二分の一に直すなり、もしくはアメリカ憲法のように修正規定を設ける、そういう柔軟な発想で、時代時代に合った憲法改正を私はしていくべきだと思います。

 日本国憲法が制定されたときの歴史と現状では明らかにそごがございます。そして、憲法の理念に合わせろという見解もございますが、やはり現実に合わせるのが一般的だと思います。なぜならば、一般の会社でございましたら、会社を取り巻く外部環境が変化した場合、自社が生き残るためには、会社内部の改革をしなければ生きていけない。日本国家も、国際政治が変わった以上、日本国の憲法を直して、やはり日本国のシステム自体を直していく、そういうことが非常に大切ではないかと思っております。

 以上でございます。

日高公述人 憲法に関する手続に関しての国民投票法なるもの、昨年の自民党のマニフェストの中にも盛り込まれていたと記憶しております。

 それで一つ思いましたのは、国民投票法案の中身にもよると思うのですけれども、その国民投票法案なるものが、仮に憲法を改正するための手続上を定めたものであればそれは全く問題がないと思います。しかし、改正するための三分の二から過半数にするという、そのようなハードルを下げるという、ある種憲法九十六条を改正するために国民投票法案という法律で憲法を改正するということが法体系の中で可能なのかと考えますと、それは法体系をゆがませることにつながるのではないかという危惧を持ちます。

 第二点目の、憲法を時代に合わせて改正して運用していくべきではないかとの御指摘に関しましては、憲法が時代に迎合するということは全く許されないことであると考えております。むしろ、憲法を改正するのであれば、現実によって改正されるものではなく、別の理念、平和主義とはまた別の理念によって改正されるという道がとられるべきで、それが筋なのではないかとも考えております。しかしながら、憲法の理念が、今この現実を見まして、時代に合致していないとは全く考えておりませんので、そのような見解でございます。

大村委員 ありがとうございました。

 最後の国民投票法のお話は、これは手続法でありまして、三分の二を変える、これは憲法改正だけはできませんので、その点は御理解いただければと思いますが、それでは、それぞれの三人の公述人の皆さんにお聞きをいたしたいと思います。

 最初に、吉田公述人からお聞きしたいと思います。もう一度、九条の点についてはこの後意見交換させていただければと思いますが、その前にまず、先ほど私も申し上げました、九条はとりあえずおいておいたとしても、基本的人権でありますとか統治機構、地方自治といった点は、やはり制定当時の、昭和二十一年の当時から五十数年の時を経て、時代の流れに合わせてこれを変えていった方がいいんではないか、より今の国民のニーズに合うんではないかという声があるのは御案内のとおりだろうと思います。

 その中でも、これは先ほど吉田さんの最後のところに、環境やプライバシーといった点も含めても変えなくてもいいんだ、こういうお話でもございましたけれども、これまでのいろいろな判例の積み重ね、そしてまた、現代の新たな人権概念等々も含めて、プライバシー権とか環境権といった点について、もう少し書き込んでもいいんではないか、加えてもいいんではないかという意見があるといったことも御案内のとおりだと思いますが、私もそれは加えるべきじゃないかと思いますけれども、そういった点。

 それからまた、統治機構についてはいろいろ御意見があると思います。ただ、有力な意見として、先ほど私が申し上げました、この際、もう衆参で同じようなことを同じように繰り返すということが本当にいいのかねと。選挙制度も同じであれば、まさに全く同じ対象から選んでいくということで、同じ議論を繰り返すということが本当にいいのかということもございます。そういう意味では、私は、一院制の方が望ましいといいますか、そうあるべきだというふうに思います。

 それから、緊急事態の対応とかこういったことも憲法に今ないということ、これを加えたらどうか。それからまた、地方自治を進めていくのであれば、憲法改正というところにつながるかどうかは別にいたしまして、道州制も含めてより進めていくのなら地方自治の概念をもっと書き加えたらどうかというようなこととか、憲法九条とか、それを除いた上でも、そういった点がやはり有力な意見としてあるわけでございます。

 先ほどの吉田さんのお話では、この際、そういった点を含めても、憲法を改正するとやはり九条につながるからいかぬのだ、こういうようなお話が最後ちらっとあったような気もいたしますが、私はそれは、後ほど、九条の話はまた切り離したとしても、いろいろなニーズが現にあるということから、この点は改正をした方がいいんではないかというふうに思うんですけれども、その点についてのお考えはいかがでございましょうか。吉田さん、よろしくお願いします。

吉田公述人 その前にちょっと、国民投票法等の手続を制定するかどうかについて一言言わせていただきますと、先ほど私が述べたような立場から、憲法を変えるということのために今その手続法をつくるということであれば、それは必要ないし、やるべきではないということを申し上げておきたいと思います。

 それから、人権や地方自治の規定についての憲法改正についてでありますけれども、私は、やはり今の基本的人権の保障を本当に徹底して生かしていくということこそ大事なのであって、先生がおっしゃるような国民のニーズというのがあるのであれば、まず政府の中で、具体的にそれをどう実現できるか、より積極的に提言しながら憲法を変えないと、これは実現できない、国民のそういったニーズにこたえられない、そういう限界に来ているのかどうかということを考えますと、全くそれは逆であります。

 国民の方は、今の憲法を生かして、具体的に私も先ほど述べた裁判等の中でプライバシー権や環境権等を主張しているにもかかわらず、政府や与党の皆さんはそういったことを否定する、あるいは消極的な立場で対応されているわけですから、そこをまず具体的に受け入れていただいて、そういった中で、さらに発展させるためにはやはり憲法でも明記しようという議論であればわからなくはないんですが、こう言ってはあれですけれども、みずから使うものを使わないでおいて、では、新しいものを入れたからそれでがらっと変わるんですかということを申し上げておきたいと思います。

 それから、地方自治についても、今合併の問題も出ていますけれども、本当にきめ細かな行政サービスが、住民の皆さんに地方自治体として役割が果たせるような体制ということを考えますと、むしろ、道州制や今の合併の問題よりも、例えば、私は昨年、佐渡島に行ってきましたけれども、かなり細かい自治体が一つの市になるということで、島の端から端まで一つの市になって、あれで本当に行き届いた住民サービスが自治体として機能し得るのかというようなことを感じています。

 そういう意味でも、今の地方自治の本旨が本当に生かされた政治、行政が自治体で行われているかというあたりを住民の立場から議論していただいて、そういう中でより今の憲法を生かして、国民の権利、住民のサービス、そういうものを実現する立場での議論が今必要ではないかというふうに思っています。そういう意味で、そのために憲法を変える必要性は私は感じていません。

 以上であります。

大村委員 ありがとうございました。

 地方自治の点につきましてお話しいただきましたが、道州制、合併、私もやみくもに合併を進めていくことがどうかということはありますけれども、ただ、やはり住民サービスをしていく上で最低の、ある程度の財政的な基盤がなければ全くサービスができない、また国の、国といいますか、地方交付税といいますか、そういったものにおんぶにだっこという話が本当にいいのか、それはまさに地方自治、みずからの財源でみずから決めていくことにつながるのかどうかという問題意識は、やはり私はあると思うんですね。そういう意味では基本的な観点が違うという感じがいたしますけれども、地方自治の問題も引き続き進めていきたいと思います。

 また、基本的人権について、使うべき権利を行使しない、使わないという御発言がありましたが、それもやはり認識がちょっと違うのかなということを申し上げておきたいと思っております。

 続きまして、平和と安全保障の問題。私、冒頭、まさに今の憲法を議論する観点の中で、国内的な自立と参加、さらに厚みのある市民社会をつくっていくことが必要だということを申し上げましたが、もう一つの大きなポイントは、やはり国際社会の中の日本、そして、日本自身の平和と安全保障をどういうふうに守っていくかということを議論させていただければというふうに思っております。

 まず私自身の考えを、これは憲法調査会でも、安全保障の小委員会の方でも申し上げさせていただきましたが、私は、憲法改正の議論の中では、今の日本国憲法の場合、どうしても前文そしてまた九条の問題が大変大きなテーマになるということは当然だろうというふうに思います。これはまさに戦後日本の象徴であったというふうに思うわけでありまして、この九条そのものが戦後日本のシンボルであって世界に誇れるものだということは、公述人の皆さんからそれぞれお話をいただきました。

 私も、この戦後五十数年間、まさに日本の国家の方針、基本的な理念を規定し、世界にこれを、日本という国はさきの大戦を経てこういうふうな理念を持った国として生まれ変わったんだという強烈なメッセージを発するという点では、大変意義があったというふうに思うんであります。そのことを否定する気は全くありませんし、それは今でも私は生きていると思うんでございます。

 しかしながら、しかしながらでございますけれども、国際情勢というのがございます。日本を取り巻く国際情勢が変わったということも事実だろうというふうに思います。これは日本が、我々がこう思うんだから世の中も世界もこうなんだ、そう思ってくれなきゃいかぬということではなかなか通用しないと思うんですね。

 これはもう私が改めて申し上げるまでもないんでありますけれども、冷戦構造が崩壊をしてソ連の脅威は消えたけれども、まさに日本を取り巻く地政学的なリスクは顕在化をしてきたと思います。これは朝鮮半島、北朝鮮の問題、核の脅威、そしてまたミサイル、北朝鮮がノドンミサイル二百基をもう用意をし、そして四十基は実戦配備をして、それがどこを向いているのかということを考える、そういった報道もございます。日本にとっての周辺事態の可能性もございます。また、冷戦構造が壊れて米ソ二極体制が壊れたということは、まさにそのことで局地的な紛争が起きてくる。そのことは、日本に対してお金だけではなくてやはり人の貢献、人的な復興支援を要請するということにもつながっているわけでございます。

 そういったことを全部つなぎ合わせていきますと、日本を取り巻く国際情勢の変化というのは、日本の国内事情は抜きにもう起こってしまった。それに対して日本の平和と安全を守る、国際的な社会の中での日本の国際貢献を考えるという上において、世界から日本に求められているものを着実に進めていくということからすると、この際、憲法九条も含めて、憲法九条もちゃんと議論をして、その上で私は改正をすべきだというふうに思うわけでございます。

 そのことが、今の憲法九条をそのままにしても、今の自衛隊の活動は可能でありますし、当然合憲だし、それはできるというふうに私は思いますけれども、それをさらに一歩進めて、日本としては、自衛隊を含めて、日本の周辺のまさに安全保障、ここを守るんだということ、そして世界の平和協力、こういうふうに貢献をするんだという明確なメッセージをむしろ発していった方が、私は、何かその解釈でぐるぐるやっていくということよりも、その方が明確にメッセージを発信するという意味でいいのではないかというふうに思います。

 そういう意味で私ども、まあ私だけじゃありませんけれども、自由民主党も、そして党派を超えた多くの先生方も、具体的には、憲法上自衛隊を認め、自衛隊を防衛を担う組織として位置づけた上で、国際平和協力業務を行うというふうに、憲法九条の二項を具体的には改正すべきじゃないかという意見があるわけでございます。

 そういった点につきまして、これはちょっと私の意見を今申し上げましたが、各公述人の皆様方の意見を聞けば、大体、九条については先ほどのお話でわかりますけれども、いま一度簡潔に、今私が申し上げた、この国際情勢の変化の中で日本の国際的な役割そして日本の平和と安全保障を守るためには、まさに時代に合わせて変えていく必要があるんじゃないかということについてどうお考えになるか、これも三人の公述人の先生方それぞれ御意見をお願いしたいと思います。それを簡潔にお願いします。

中山会長 それでは簡潔にお願いをいたします。吉田公述人。

吉田公述人 まず、国際環境の変化をどう考えるかということがありますが、現実に防衛すべき日本の対象となる危険があるのかどうかということであります。

 防衛白書の去年の版、〇三年度版でも、近い将来、本格的な準備を伴う日本への着上陸の可能性は低いというふうに記述されています。また、去年の六月三十日の朝日新聞で、元防衛庁長官の久間氏が述べておりますけれども、北朝鮮が先に攻めてきたり侵略してくることは現実にはないと思うというふうに言っているわけですね。

 そういうもとで、これ以上軍備を強化するとか、そういうことが必要だというふうには到底思えませんし、現実に、一昨年の九月の平壌宣言で、そういった方向を小泉首相が話し合いによって解決しようという一歩を踏み出した状況のもとで、軍事力についてさらに枠を外して強化するような憲法にしていく必要はないというふうに思います。

 また、新たに日本がメッセージを発するということの必要性は私も感じますが、今発しているメッセージというのがどういうものか。それは、アメリカに基地を提供して、日本がアメリカと軍事的に協力していくというメッセージしか逆に発していない、それでいいのかという問題があります。

 昨年の十二月には、東南アジアの友好協力条約に日本も加盟を決めましたけれども、アジアを含めて、インド、中国も加盟するということを含めて、こういった国々との平和を実現する枠組みを本当に積極的につくっていく。まさにそういうメッセージを日本が発信していく、そういう努力を今の憲法を生かしてやっていくということが今求められていることではないかというふうに思っています。

 以上です。

安保公述人 私自身は大村先生の見解に、先ほどと同様、同じ考えでございますので、とりたててつけ加えることはございませんが、私自身、国際社会をどう見るかということですが、日本の防衛の場合は、日米同盟、あと国連中心主義、その二つのどちらかにいくかという議論で揺れ動いているわけでございます。実際上、もし国連中心主義に考えた場合ですが、国連というのは何かあたかも一つの国家のように思われている節がございますが、あくまでも主権国家同士の話し合いの場でしかない。すなわち、そこでは国家と国家の国益のぶつかり合いである、そのような場に日本の安全保障を任すことができるのかと。

 その一方で、日米安保、アメリカとの関係でございます。アメリカ追従主義だとかいろいろ言われるわけでございますが、日本自身の安全というのは、一つの同盟関係で結ばれる、それによって戦後日本が侵略されなかった、これは厳然たる事実でございますので、そのような意識のもとで、今後、国際社会でも、アメリカと協調しながら日本が国際社会で貢献していく道がよろしいのではないだろうかと。

 一方では、アジアという問題もございますので、アジア諸国とも緊密に連絡をとり合いながら、ただ、アジア諸国とは、日本の場合、領土紛争という問題がございますので、非常に火種もございます。北朝鮮の問題はよく出ますが、北朝鮮の問題もやはり日本として深刻な問題がございますので、話し合いで果たして解決するのか、もしくは厳しい制裁措置等で北朝鮮にプレッシャーをかけるのがいいのか。その場合はやはり、最終的には、日本をどう防衛するかという問題になると思います。

 そして、日本の本土上陸のケースはほとんど想定されないと思います。まあ、一部テロ行為とかはあるかもしれません。ただ、その場合でもやはり、単なる過激派等のテロではなくて、職業軍人等のテロが想定されると思います。ですから、そのようなことには対応はしておく必要があろうかと思っております。

 以上でございます。

日高公述人 国際情勢の変化、国際情勢が変化しているということにつきましては、大村先生の御指摘に全く異論はございません。

 しかしながら、情勢が変化しているからその情勢に適応できるように変えていくというものではなく、繰り返しになりますけれども、むしろ、非武装によって人的貢献というものを率先して行っていくということ、そういう明確な姿勢を日本が打ち出していくことによって対応し得ることが可能ではないかと考えております。

 以上です。

大村委員 ありがとうございました。

 さらにお聞きをしていきたいと思いますが、これも吉田さんにお聞きをしたいと思います。今の私の考え方についてそれぞれお考えを述べていただきましたが、その際に、先ほど吉田さんが言われました、確かに私も、北東アジアの今の、朝鮮半島情勢、北朝鮮、まさに上陸して侵攻するという形の脅威というのはまずないというふうに思います。

 ただ、先ほど私、申し上げました、まさにノドンミサイル、テポドンももちろん、少なからずといいますか、あると思いますが、ノドンミサイルが大体二百基準備をされている、そして、四十基を実戦配備されているといった情勢もございます。

 それから、現実問題、今六カ国協議で何を議論しているか、まさに、北朝鮮の核兵器の開発をいかに阻止するのか、後戻りできないように、検証可能に廃棄をさせるのか、そういったことを真剣に議論しているわけでございます。そういう状況の中で、一つお聞きしたいのは、例えば、我々はこれから数年かけてそういったミサイルに対するミサイル防衛を、日本の防衛費の中を見直す中で、ことしも平成十六年度予算の中で一千億円を超える予算、ミサイル防衛に配分をいたしておりますし、これからそれを充実させていこうということにしております。そういったことについては、これも、中には、アメリカと共同でやるんだったらそれはもう憲法に触れるのではないかというような御議論もありますけれども、私は一切そんなことはないと思いますが、それについてはいかがお考えなのか。

 また、そうした日本周辺の、北朝鮮、朝鮮半島の情勢を考えた場合に、日米安保はどういうふうに考えるのか。吉田さんの今のお話をお聞きいたしますと、まさにアメリカ一辺倒という形ではなくて、アジア、全世界的にメッセージを発するべきだという、それはそれで一つのお考えだろうとは思いますけれども、現実問題、日本の防衛と平和と安全を守るために、まさに私どもは最低限度の自衛の組織として自衛隊というものを持つ、しかし、それだけでは足らないということで日米安保を結んで、日米同盟、アメリカとの間で日本そして北東アジアの平和と安全を守っていくということを戦後五十数年間、憲法とあわせて、日本のまさに国の方向の基本として進めてきたわけでございます。そういった点、日米安保についてはどういうふうにお考えなのかということ。

 もう一点お聞きいたしますが、憲法九条を守ると。そのお考えについては、もちろん意見は異にしますが、私も理解をいたします。ただ、その際に、では、自衛隊はどうするんでしょうか。自衛隊は縮小するのか、改組するのか、それともやめちゃうのか、一切の自衛の組織を持たないのか。そこまでの極端なことを言われる方は最近は少ないと思いますけれども、そういった御議論もないではありませんが、そういった点はどういうふうに考えているのか。

 以上三つを、これももう時間がなくなって、迫っておりますので、済みません、簡潔にお答えいただけたらと思います。

吉田公述人 テポドンとか、北朝鮮のミサイル問題が大分日本に対する脅威になっていて、そのためにアメリカとの協力や日本の軍事力の強化というような話がいつもされるわけですけれども、二百基とおっしゃられましたが、具体的に北朝鮮がどの程度の軍事力を有していて、本当に戦争をしかけてきて、それに耐え得る国力といいますか、総合的な力を含めて、それだけの分析をした上でおっしゃられているのかどうかというのは、まず前提として大変疑問でありまして、そこの理解がやはり違っているということを申し上げておきます。

 それともう一つは、それに対抗して、ミサイル防衛ということで宇宙空間を使ってすべて対応していくと。では、アメリカの発せられた危険信号を日本が日本海でイージス艦がとらえて、そこからミサイルをさらに撃つのか。では、どこで、どの段階で撃つのか。発射された段階で撃つのか、日本に向けられた段階で考えるのか、弾を込めた段階で考えるのか、ミサイルの基地に人が集結している段階で考えるのか。いわゆる自衛のための先制攻撃につながるような、そういう事態というのが想定されるような危険をますます感じます。

 それに、いわゆるミサイル防衛のためには、ことし一千億円というような指摘も、それだけでも今の年金問題等を考えると本当に多大な出費であるわけですけれども、兆の単位でその財政的な負担も負うということが言われています。やはり、そこまでの財政を投入してやる必要があるのかということもあります。

 そういうことで、軍事力に対して軍事力をもってお互いに緊張感を高める、そういうことが過去の戦争の非常に大きな引き金になってきた、そういった歴史の教訓に学ぶ必要があるんじゃないんですか。

 私も在日コリアンの方に言われましたけれども、日本は五十数年前に、いわば北朝鮮と同じような立場に立った。周りがみんないじめて、軍事力を強化していった、日本もそれに対抗して、結局ああいう事態になった。そういう、みずから行った、やられた経験を、また逆の立場でやることになるのではないかという危機感、不安を指摘されましたけれども、やはりその辺は歴史的な教訓を踏まえて、軍事力に対して軍事力でという緊張感を高める方向はやめよう、それが今の日本の平和の憲法でありますし、先生御指摘になったような、そういう意味で世界に誇っていい、そういう立場をやはりこの際発揮すべきではないかというふうに思います。

 そういう意味で、自衛隊についても、増強ではなくて解消していくということを、私は、今の憲法や世界情勢の方向からいっても、そういう方向で十分であるというふうに思っています。

 以上です。

    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕

大村委員 ありがとうございました。

 北朝鮮の脅威も含めて現状の認識について、これはむしろ、今そこにある脅威といいますか、まさに地政学的なリスクが顕在化してきた、その脅威に対して目をつぶっていいのか。我々は、私も政治家の端くれの一人として、まさに日本の平和と安全を脅かされる、まさにそこに脅威があるとすればそれに対応していかなきゃいけない、そのことを引き続き申し上げていかざるを得ないのではないかなという感がいたします。

 それから、先ほど少し私、申し上げました日米安保についてでありますけれども、ちょっと話が変わりますが、この日米安保の一番中核といいますか、あんこでいえば、あんこの中身というのが日米地位協定だろうと思いますが、私は実は自民党の中で日米地位協定を改定する議員連盟の責任者をやっております。別にだれに頼まれたわけではありませんが、私は、日米同盟、日米安保は大事だ、そして、その機能をより高めていく必要があるということからすると、今の日米地位協定というのは余りにも不平等、不公平だというふうに思いますし、まさにこれは五十年間一切、ほとんど変わっていないということ。

 問題は、刑事裁判権の話だけじゃない、むしろ、先ほど吉田さんが言われた基地公害というような話もありました。そういう環境問題も、まさにそこに住む市民、地元の自治体の皆さんにとっては大変大きな問題になっていると思うんですね。

 ほかにもまだ、基地の使用の期間をどうするのかとか、地元の自治体の皆さんの意見を言う場がそもそも日米合同委員会にない、それから、日米合同委員会の中での結論が一切公表されていかないといったこと。これはこれからの御議論だろうと思いますが、沖縄における普天間の基地の移設が遅々として進まない、そのことも本当にそのままでいいのか。ほっておけばあと五年も十年もそのままいってしまう、こういうことは本当にいいんだろうか、そういう真剣な議論を我々は今やっております。

 私、先般、ゴールデンウイーク、自費で、自腹でワシントンに行って、アメリカ政府の関係者にも、日米地位協定の議論をしようと、我々は真剣にそう思っているんだ、日米関係は大事だし、日米安保をしっかりと機能させていくためにそういったことも必要なんだということを申し上げてまいりました。そういうアプローチでありますけれども、日米地位協定も含めて、これから我々も運動していきたいと思います。

 本当は、この件についても御意見を聞きたかったのでありますけれども、ちょうど時間が参りました。いろいろな機会で、また御意見をいただけたらと思います。

 安保さん、日高さんにおきましても、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。安保さんにも、サイバー戦といいますか、そういったサイバー関係のセキュリティーのことだと思いますが、日本のレベルが、どのレベルでどう持っていったらいいのかということを本当はお聞きしたかったんですけれども、時間が参りましたので、またの機会に、一回メールででも、ぜひ日本の現状とレベルと、そしてどうあるべきかということをお聞かせいただけたらありがたいと思います。

 貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。

 以上、終わります。

仙谷会長代理 次に、武正公一君。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 本日は、三名の公述人の皆様、それぞれお考えをお述べいただきまして、こうしたやりとりをさせていただくことになりましたが、心から感謝を申し上げる次第でございます。

 私が今回、お三方のお話を聞いての私自身の感想というか、考え方を三点、まず冒頭述べさせていただきたいと思います。

 私の問題意識として、まずは、日本が今、安全保障について日米安保が基軸であることは変わらないというふうに思っております。ただ、日米安保における極東条項などを含めて、今、国会において議論がされている、日本とアメリカ、自衛隊と米軍との役務、物資の相互の提供、ACSAと申しますが、その改定などを含めると、これから世界じゅうに米軍と自衛隊が行動をともにしていくかどうかのちょうど今瀬戸際にあるのかな、私はやはり、極東条項にもあるように、そこまでいくのはやり過ぎではないか、そういう問題意識を持っておるんです。強いて言うと、米国と日本との、もちろん自衛隊と米軍も含まれますが、米国と日本との距離感というものが昨日の公聴会でも公述人から御意見があった点だというふうに思いますが、これがまず第一点でございます。距離感という点でございます。

 第二点目は、やはり権力というものは分散すべきであり、三権分立、そういった意味で今司法改革が進められ、先ほども同僚委員からお話があったように、地方分権、道州制、そういった意味ではシビリアンコントロール、特にその中における国会の関与について、二点目、私の問題意識がございます。

 三点目は、日本を取り巻く状況、その中でやはり危機管理といったところでございます。どうしても縦割り省庁の壁というものを感じるところにあっての首相あるいは内閣官房への権限の強化、一方、責任の明確化、そして、そのバランスと言ってはなんですけれども、やはり政府、首相、内閣の説明責任、当然そこには、国民の知る権利、こういったものが出てくるというふうに思っております。自分自身、こういった三つの問題意識を持って、お三方の公述を聞かせていただきました。

 まず、吉田公述人にお伺いをしたいんですが、私も、今の憲法は、今申し上げました国民の知る権利、プライバシー権、環境権、国際貢献あるいは私学教育、そしてまた、地方自治については四条しか触れられていない点での地方分権、主権等々、戦後六十年たって改正の必要性、憲法九条も含めて、そういった意味でのこの憲法調査会の役割というものがあるのではないかなというふうに思っておるんです。

 それについては先ほど既にお答えをいただいておりますので、ここでお聞きをしたいのが、本年一回目の憲法調査会でも我が党の仙谷委員からも指摘があるように、日本における法の支配といった意味での脆弱性、こういったところがやはりきちっと行われるべきであろう。そのときに憲法についての判断を司法が下せないという今の現状においては、憲法裁判所というものが日本において必要なのではないかというふうな意見を私も、そして多くの民主党の委員あるいは本憲法調査会の同僚委員も持っておられるのかなというふうに思いますが、この点についてまずお伺いをしたいと思います。

吉田公述人 現在の裁判制度上、直接、法律ができた時点で法律そのものの憲法適合性を裁判所で、司法によって判断するという仕組みがないために今の憲法裁判所の御指摘が出ているわけだと思いますが、私はまず、一つ一つの権利侵害や事件を通じて地方裁判所から一般の市民が憲法の問題を議論する、あるいは憲法に基づく権利の主張ができる、そこは今の仕組みの中で、仕組みそのものはそれでいいのではないかというふうに思っています。

 逆に憲法裁判所ということで、一つの、実際どういう形にするかにもよりますけれども、現実にはなかなか、立法そのものを問う、逆に政治的にそういう判断を裁判所に求めていいのかという問題もあるわけで、むしろ、それよりも現在の仕組みをよりきちっと機能させて、問題はその仕組みにあるのではなくて、裁判所が、いわゆる司法消極的主義といいますか、憲法判断について非常にこれを回避する、もちろん、九条問題がそうですし、私が先日、今の圏央道の土地収用問題で行った裁判の手続の中でも、最高裁判所は、その収用の執行停止に対して、住民の居住の利益が、憲法上の権利が失われている、そういう提起に対して全く判断しないという非常に消極的な態度をとったわけです。

 やはりそういう現実があること自体がむしろ問題で、それは運用によって今の司法が、より積極的に行政をチェックする、あるいは国会の立法作業をチェックする、そういう姿勢をもっと発揮してもらいたいというふうに思っています。

 以上です。

武正委員 日高公述人、先ほど、憲法を守りたい、九条は特にというようなお話もございましたが、日本の憲法についていろいろと司法が判断を求められても、司法が判断できないというような今の現状の中で、違憲なのか合憲なのか、法の支配ということもありますので、こういった判断をする憲法裁判所というのを独自につくった方がいいんじゃないかという考えは、日高公述人、どう思われますか。

日高公述人 憲法裁判所をつくる、設けるということに関しては、まだそこまで見解を持っているわけではないのですが、今の裁判体系と申しますか、その中で違憲であるか合憲であるかということを判断していくことも、今の段階ででき得るのではないかという考えを持っています。

 ただ、憲法裁判所に関して、ほとんど考えたことがございませんでして、恥ずかしいことなんですけれども、それ以上のことはこの場で述べることができません。申しわけございません。

武正委員 ありがとうございます。

 続いて吉田公述人にお伺いしたいんですが、米軍基地のことにも触れておられます。今般、政府、特に外務省が、日米地位協定の見直しということで、米軍軍属が犯罪を犯したときの取り調べに、弁護士の陪席というか立ち会う、こういったことを運用改善で行おう、あるいは行うということを合意されているわけなんですけれども、私も、そしてまた民主党もかねてより、日米地位協定は運用改善ではなくて改定をすべきであるということを言ってきている中で、突如こういった、果たしてこれが日本の法体系にもなじむのかどうか、なぜ米軍軍属だけこうした扱いになるのか、こういったところも非常に疑問に思っているんですけれども、この点はどのようにお考えになっておられますか。

吉田公述人 地位協定の問題については、御指摘のように、刑事手続の上で日本の捜査権の限界、これが九五年の少女暴行事件のときに大きく問題になりまして、そういったことを含めて改定されなければならないという点は私も同意見であります。

 もう一つ、捜査の取り調べに対して、弁護人の立ち会いを認めるかどうかについて、これはむしろ逆に日本の刑事手続の方を、そういった被疑者、被告人の権利を適正に守るという立場から、日本の刑事手続の中でこそ実現されなければいけないので、これを機会に、アメリカの場合に認めるのであれば、日本でもそれをぜひ実現していただきたいというふうに思っています。

武正委員 日米地位協定にかかわるところでありますが、日米の合同委員会は、議事録について、第一回の会合から非公開、双方が合意すれば公開しますよということなんですが、私は、米国あるいは米軍は公開についてはある程度同意をしているのではないかな、これはひとえに日本政府、あるいは自衛隊も含めて、日本側の事情ではないかなというところを感じております。

 というのは、沖縄で在沖米軍の四軍司令官に二度ほどおととしも説明を受けましたが、沖縄における在沖米軍のさまざまな行動というか訓練について、それは当然一部でありましょうが、説明責任を果たそうといったことが見受けられたからでございます。既に、今般、イラクにおける米軍による虐待についても上院公聴会も開かれております。あるいは九・一一のテロについても、まだ一年半足らずでありますが、既に特別委員会等でライス補佐官等もその説明をしている。

 これが日本で果たしてどうなのか。日本でそうした事件が万が一起きて、一年半足らずで国会でそうした説明責任を政府あるいは内閣は果たすことができるのかというと、いや、現在、捜査中ですとか進行中ですとか、日本の機密上あるいは特に米軍との機密上明らかにできません、こういった説明が行われるのではないか。私は、説明責任ということで、米軍とのかかわり、特にこれからACSAを改正して、米軍と自衛隊、さらに関係を強化しようという中でございますので、やはり説明責任を果たしていくべきであろうというふうに考えております。

 さて、ちょうどイラク開戦から一年を経て、昨年末、自衛隊のイラクへの派遣を決定した基本計画、国会の事後承認、その折にも首相は日米同盟と国際協調の両立ですというような話をされました。しかし、私も、そして民主党の多くの国会議員もそうだと私は思いますが、どうも首相は日米同盟に偏り過ぎではないか。日米同盟と国際協調ということでいえば、そのバランスはもっととれていいし、あるいは憲法論からいえば、憲法前文に国際協調は書かれておりますが、当然のことながら日米同盟は書かれておりません。

 こういったことから、私は、ちょうど四月二十二日の内閣記者会で、四月十六日のブッシュ大統領の発言も踏まえて、特に六月のイラクへの主権移譲については国連の役割が大きいんだと、首相の発言が転換したなというふうに思いますけれども、日米同盟か国際協調かという、今回のイラクについての首相や政府の発言について、まず吉田公述人はどのように考えておられますか。

吉田公述人 御指摘の日米同盟に偏り過ぎであるという意見については、私もそういうことはやはり非常に強く感じているところであります。

 特に、今度のイラクの昨年の三月二十日の攻撃に関しても、国連憲章や国際法から見て、アメリカがやろうとしていることがどうなのかというような議論を全く抜きにして支持を表明してしまう、そういった国際的なルールに基づいた冷静な判断を最低きちっとする、あるいはそれに対して場合によっては国民の議論を踏まえた上での態度表明をする、いわばもう少し冷静な対応が、仮に今の内閣の立場にあってもやはり求められたのではないかと思います。それを抜きにした態度表明や、その後の自衛隊派兵も含めて、余りにも、アメリカのやっていることに対する受け入れというのが非常に無制限であるというふうな感を強くしているという点は、おっしゃる点で同意できる点であります。

 以上です。

武正委員 日米同盟か国際協調かというのをもうちょっとわかりやすく言うと、日米同盟重視か、国際協調という意味では、ある面、国連重視かというような言い方の方がよかったかなと思います。

 日高公述人、同じ質問なんですけれども、先ほどの公述人のお話ではやはり国連の役割といったことも少し触れておられたと思うんですね。国連とアメリカとの間に日本が入って仲介役をというようなことも触れておられましたが、日米同盟重視か国連重視かと。首相は、アメリカは日本を守ってくれるけれども、国連は守ってくれないじゃないか、こんな発言もしておられますけれども、日米同盟重視か国連重視か。

 私は、もともと概念が違うと。国際協調は日米同盟の上位概念なので、大体、同列で両立というのはそもそもおかしいというふうに思っておりますが、この点、日高公述人、国連の役割ということも踏まえてお話をいただけますでしょうか。

日高公述人 日米同盟を重視するのか、国際協調、国連重視をしていくのかという点につきまして、私は、日米同盟は重要であるとは思いますけれども、それだけに偏向してしまいますと、本来、国際の平和そのものというものが非常に危うくなると考えております。

 よって、日米同盟は大事であるけれども、やはり日本も国連の加盟国であるということもかんがみますと、国連重視、そして、国連のもとで日本がなし得る役割というものを明確に果たしていくという意味で、国連重視という考えを持っております。

武正委員 私も、民主党のある議員さんから国連というのはこうだよという話、ああ、そうだなというふうに思ったことをちょっと紹介させていただきますと、国連というのは加盟国によって成り立っている組織ですので、やはり加盟国の意思によって国連の機能が強化もし、役割も重くなる、あるいは加盟国がそう思わなかったら、参加をしなかったら、あるいはやる気がなかったら、国連の機能は低下をするということだと思っております。

 そういう意味では、やはり分担金二位の日本があだや国連軽視などということを言ったり、国連は弱体化したなどということを言うことは、天につばする行為であって、みずから国連の機能弱体の先頭を走ってしまうということだと思っております。

 さて、安保公述人、お待たせをいたしました。サイバーについて大変御見識を御開陳いただきました。また、開戦前の想定されたこの新聞記事も大変、まさにイラク攻撃などのピンポイント爆撃などの映像を見るにつけて、本当に情報戦が行われているんだなということを感じるわけなんです。

 ちょうど今国会、外務委員会で承認をした、あるいは本会議、今参議院に送られておりますが、サイバー条約でございますが、欧州評議会が提起をしながら、三十三署名国でありますが、批准をしたのは四カ国足らず、日本がこの五カ国目になるとやっと発効する。

 なぜサイバー条約を欧州評議会が提起しながらその批准をためらっているか、欧州評議会に入っていないアメリカももちろんためらっているか、ここにやはり問題があるのかなというふうに思っております。当然、公述人が触れられた通信の秘密あるいはプライバシーの侵害等、さまざま、各国でサイバー犯罪に対する危機感は持っていても、このサイバー条約の批准に抵抗感がある。

 こういったところは当然御認識だと思いますが、このサイバー条約の批准が進まないといったことについてどのような感想を持っておられますか。

安保公述人 先生の御質問、まことに、非常に疑問に思うことは私も多々ございます。

 詳細についてはなかなか断言できないわけですが、先ほどの公述、ちょっと早口で言ってしまったんですが、今後は、やはりハイテク戦争というもので、今はコンピューターもしくはGPSという部分ですが、最終的には対宇宙で決戦を強いるのではないかと。そのためには、自国の技術的優位に立っている国がそのような犯罪に加担するというのは、ちょっとやはり軍事上の最高機密に触れるおそれがあるので、ためらっているのではないかと私は思っております。

 最近、個人情報の問題、漏えいの問題等ございますので、刑法犯として罰するのは私は必要だと思います。

 ただ、この条約を結んだからといって実効性があるかどうかというのは、かなり疑問でございます。常に法と技術のイタチごっこになっておりますので、その辺のことを考えて、法もしくは条約を制定したからといって、すぐにこのような犯罪とかそういうのがなくなるという認識は慎んだ方がよろしいのではないかと私は考えております。

 以上でございます。

武正委員 このサイバー条約は、条約の中に、国内法の整備、それから国外犯も処罰できるような法整備、そして犯罪人の相互の引き渡しなどが盛り込まれております。やはり、サイバー条約を結んだことによって国内法を整備していかなければなりませんので、私はかなり実効性は生じるというふうに思っていまして、特に欧米が危惧を持っているのは、そうした法整備を行うことによって懸念をされる、先ほど触れたような通信の秘密、プライバシー、基本的人権の制約、侵害、やはり国内で危惧の声がさまざまあるから批准できないのではないかというふうに思っております。

 公述人の問題意識に情報省をつくるべきだということがございます。これがアメリカのCIAのようなものなのかどうか、それは公述人のお考えだと思いますが、確かに、情報を集約したい、情報戦に日本あるいは日本政府として打ちかちたいというようないろいろな声、私も理解するところでありますが、ただ、その前提として、やはり先ほど触れたような懸念というものがあります。

 民主党も、過去、既に通信傍受法については反対をしてきているわけでございまして、そういった意味では、今の日本の危機管理ということが、先ほど冒頭で触れたように、縦割り行政の弊害がありまして、情報省をたとえ設けたとしても、例えば首相や官房長官に情報が上がっていないという現実が今ございます。

 今も、内閣官房を機能強化して、内閣情報集約センターが二十四時間フル稼働、危機管理センターも二十四時間フル稼働でありますが、例えば瀋陽の総領事館事件、これは官邸に連絡室も対策室もつくられませんでした。先般の尖閣諸島の不法上陸事件については、もう今連絡室はなくしましたので、対策室もつくられなかった。

 不思議と外交案件にあるのかもしれませんが、そうした危機管理対応が途中で握りつぶされているような感じがあります。具体的には危機管理監が判断をしたんだ、内閣、官房長官、首相に実は上がっていないんじゃないかというような、そんな答弁も事態対処特別委員会で井上担当大臣からもありました。そういった意味では、私は情報省を設けるのはいい、情報省と言うかどうかわかりませんが、そういったものは必要なんですよ。

 ただ、そのときに、その情報が的確に、やはり国民の代表である国会あるいは国会で選ばれた首相、そして、特に首相の機能強化でいう内閣官房あるいは官房長官にちゃんと上がるのかどうか、それが途中で恣意的に握りつぶされないかどうかという意味での、ここに加わってきますがシビリアンコントロール、これが非常に大事だというふうに思っておりますが、この点はどのようにお考えになりますか。

安保公述人 私の問題意識も先生の問題意識と全く同感でございます。ただ情報省をつくればいいというのは、ただ役所の数が一つふえるだけでございまして、私が先ほど一番最初の公述のときに、情報を分析する、そのときに参謀本部に必ず伝達するシステムをつくると補足したのは、そのためでございます。

 ただ、問題は、日本の平和を守るには、日本の場合は軍事に走らない、そのためにはやはり情報戦、他国がどのようなことを考えているのか、もしくは他国が日本に対して破壊活動等をしているのをどのように察知するのかという、非常に高レベルの情報が必要になってくると思います。私はそういう問題意識で、情報省を設立した方がよろしいのではないかという問題意識でございます。

武正委員 それぞれ公述人から有益なお話をいろいろといただきましたことに心から感謝を申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

仙谷会長代理 次に、福島豊君。

福島委員 本日は、公述人の皆様方には大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。

 特に、若い世代の方々が憲法のことについて真摯にお考えいただいている、その姿に私は大変感銘を感じた次第であります。

 まず初めに、日高公述人にお聞きをいたしたいと思っております。

 その中で、日本国憲法九条を非常に高く評価しておられると思うんですが、お配りいただきましたこの要旨の三段目でございますけれども、「国連憲章の定めた集団安全保障体制を基本的に選択し、国連による平和への協力、日本国民の安全は、非武装・無軍備の手段で行うことを採用している」、このことを評価しておられるわけでありますが、現実に国連がどのような存在であるのかということについてお考えをお聞きしたいわけであります。

 例えば、敵国条項というものもいまだに残っておるわけでありますし、また常任理事国というのも、歴史的には第二次世界大戦における戦勝国のグループであるという姿があるわけであります。そして、戦後の何十年にわたりましても、この常任理事国の間で意見の一致を見なければ物事は決まらないということが続いてきたわけであります。集団安全保障ということがうたわれておりますけれども、そうしたことも、この数十年の間に前進をしたかといえば、決して前進をしていないというのが実態であろうというふうに思っております。

 ここにうたわれている理想は理想として高いものであると思いますけれども、こういった現実をどのように考え、そしてまた、国連がこの理想にかなうように機能するためには果たして何が必要なのか、ここのところが大切だと思っておりますけれども、公述人のお考えをお聞きいたしたいと思います。

日高公述人 お配りしましたレジュメの中において、国連憲章の定めた集団安全保障体制を選択している、そのことにつきましては、この集団安全保障体制というものは、国連の加盟国間、日本もそうですけれども、その加盟国間における信頼関係をもとにした体制というものを採用しつつ、国連の目指す、あるいは国連に連なる国々の目指す世界の平和に対して寄与するべきであるという意味です。

 何も私は、国連の政策がすべて正しいとかとも、失敗も多々あったとは思いますし、国連の将来的なあるべき姿といいますか、そのことに対しても、国連の加盟国間における信頼をもとにした、簡単に申せばその話し合いの場として国連を活用していく、そのことによって平和と安定に寄与していくということを、国連は将来も徹底的にそのような道を選択すべきではないか、そのような見解でございます。

福島委員 そしてまたもう一つ大切な点は、人間の安全保障と。我が党も、この人間の安全保障という概念が非常に大切である、そしてまた、日本国もこの人間の安全保障ということの実現のために積極的に関与すべきであるというふうに考えておるわけであります。

 そして、この人間の安全保障という概念、このことが既に日本国憲法の前文の中にも含まれている、その先駆けであるという評価でありまして、私も同感できるところが多々あるわけであります。

 人間の安全保障に関して積極的に関与をするというのは、二十一世紀における日本の国際社会の中でのあり方の一つの道筋であるというふうに思っておりますし、九条に関連して言えば、こうした国際貢献ということをより明確に規定すべきではないか。例えば、九条は一項、二項ありますけれども、第三項を設けて国際貢献というものを明確にすべきではないか。そしてまた、こうした見直しは、前文の思想と何ら異なるものではなくて、前文の思想というものをより明確に位置づけることになるのではないかというふうに私は思っておりますけれども、日高公述人のお考えをお聞きできればと思っております。

日高公述人 公明党の諸先生方、またさらに、超党派で人間の安全保障というものの確立に御尽力くださっていることに敬意を表します。

 それで、先ほどの、九条の三項に国際貢献の姿勢を盛り込んでいくということに関しては、私は否定的であります。むしろ、盛り込まなかったとしても、非武装による人的貢献を市民の力によって確立して達成していくことによって人間の安全保障の確立というものが目指されると考えておりますので、九条につけ加えまして三項を設けて国際貢献の体をなすということは、いささか否定的ではあります。

福島委員 市民の関与も大変大切でありますが、国としてどのような行動をとるのかということを明確に定めるのが憲法ではないか、私はそんなような思いがいたしておりますが、この点につきましては、吉田公述人にも、こうした見直しについてどのようにお考えになられるか、お聞きをいたしたいと思います。

吉田公述人 私も日高公述人と同じ意見でありまして、先ほどもちょっと指摘したんですが、国際平和協力活動だとか国際貢献というのは、非常に抽象的な文言で入ってしまうわけですね。そうしますと、それは軍事的な協力あるいは貢献も含むのか、今までの流れによれば、当然含むものとして解釈されて運用される危険が非常に高いというふうに言わざるを得ないと思っています。

 そういう意味で、今の前文の趣旨を生かし、あるいは日本が国際法規を守りということも含めた国連の中での役割、それから、先ほども言いましたように、東南アジアの友好協力条約のような地域的な安全保障の確立も含めた、そういう中で平和を実現するための努力というのをやっていく必要があるのではないかなと思っています。

 以上です。

福島委員 続きまして、安保公述人にお聞きをいたしたいというふうに思っております。

 本日は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。トム・クランシーの小説のような世界が現実に展開をしているのかな、こう思ったわけであります。

 サイバー戦ということでありまして、それに対して備えることが必要であるということであろうというふうに思っておりますが、サイバー軍というのを入れてはどうか、こういう話だと思うんです。ここのところは、サイバー戦といいますか、これは、私は、武力の行使に当たるのかといえば武力の行使というわけでもないだろうというような思いがいたすわけでありますけれども、通常の軍事力を行使した国家間の紛争の処理といいますか、そういうものとは著しく性格を異にするのではないかというふうに思うわけであります。通常の軍事力との関係、位置づけ、どのように考えられるのか、お聞きをいたしたいと思います。

安保公述人 今先生の言われた観点でございますが、私、四軍にしましたのは、アメリカの制度をちょっとモデルにいたしまして、アメリカは御存じのように四軍制、海兵隊が実質海軍の中に入っておるわけでございます。

 このサイバー軍も、確かに今までの国家対国家の戦争の中においては、何でこんなものが必要なのかと思われるかもしれませんが、恐らく、私、今後、推測するに当たっては、国家対非国家、要するに、国際法上の宣戦布告なしの戦いというのがかなり大部分を占めるんではないか、そして、ある程度の決着がついた段階で、国際法上の宣戦布告なり、そういう制度に移行するんではないかと考えております。

 その際において、今後、これはあくまで推測の話で、さっきの小説の世界に近いものがありますが、やはりサイバー戦に対応するためには、従来の警察組織などでは私は不十分だと思っております。ですから、最初の戦いというか、防衛ですね。もちろん、敵国にウイルスを流すとか、何かハッキング行為をしていくとか、そんなことは日本は考えておりませんが、他国から侵略のおそれはある。

 サイバー戦の場合は、いきなりあした来るわけではございません。大体半年から一年ぐらい弱点を、いろいろな形で侵入しまして、不正アクセス行為ですけれども、それに該当しないケースもございますので、ああいったセキュリティー上の弱点をねらってまいりますから、それに対して十分な仕込みが入っておりますので、それが行われたときにはもう既に攻撃はいつでもできる状態ですので、その前に予防しなければ非常に危険だと私は思っております。

 さらに、最近の日本のインフラ、コンピューターネットワークを使っておりますので、例えば、病院とかの人命に対して恐喝もしくはおどし行為、あと、銀行からお金を不正に引き出す行為など、いろいろなバリエーションが考えられると思いますので、やはりこれは専属の人たち、そこはなかなか教育をしてできるというんではなくて、やはり才能というのがございまして、そういう才能のある人をスカウトするという問題意識、確かに犯罪行為、もしくは非常に危険な思想の持ち主なんですが、そのような人たちを社会でどう活用していくかというのは、やはり平和国家の一つの道ではないかと私は思っております。

 以上でございます。

福島委員 それで、サイバー戦の非常に脅威である点は、こうした情報通信ネットワークというのは、国民の生活に今密接にかかわっている、言ってみれば、非軍事といいますか民生の部門である、こういう話だと思うんです。

 ですから、逆に言うと、サイバー軍というようなものを構想したときに、国内的には何が起こるのかといえば、他国そしてまたテロリストから守ると言いながら、自国の国内の情報通信ネットワークというのを実は軍が掌握するという話になるわけですね。でなければ防衛できない。アメリカでは現にこういう事態が起こっているんではないかな。

 例えば、インターネットで飛び交う情報というものも逐一実はウオッチングされているんだ、こういう話がありますね。事実かどうかということは先生の方が詳しく御存じではないかと思うんですけれども、そういう意味では、監視社会といいますか、そういう社会に移行していくという懸念が多々あるということだろうと思うんです。

 ですから、これは、そういう攻撃に備えなければならないと同時に、監視社会にしないためにはどうしたらいいのか、ここのところを考えなければいけないわけであります。そのためには、民生の部門におけるセキュリティー機能を高めるとか、分散機能を高めるとか、いろいろな考え方が当然あるだろうと思うわけでありますが、この点について、再度お考えをお聞きいたしたいと思います。

安保公述人 私も先生の御指摘のとおり、管理社会になっていく危険性を非常に危惧しております。

 ただ、これは、危惧してもどうにもなるものではございませんで、世界の趨勢でございますので、やはりそれなりの問題意識を、発想の転換といいますか、こういう世界になってしまったんだ、そういう認識を持つしかないと私は思います。

 ただ、その際、今言った軍、自衛隊もしくは国防軍、何でも結構なんですが、そこは一元的に情報を恐らく管理すると思います。これは当然のことだと思いますし、先生の御指摘のように、私は、多分、恐らく米軍はやっていると思います。ただ、そのことは、もしも外部に漏らした場合の処罰規定は厳重にする、やはり人的な内部管理の問題だと思います。

 以上でございます。

福島委員 時間が終わりましたので、以上で終わります。ありがとうございました。

仙谷会長代理 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝です。

 きょうの質問者の方の中に、時代に合わせて憲法の見直しを行うことが憲法調査会の共通の認識であるかのような御発言も一部ありましたが、この憲法調査会として、時代に合わせて憲法の見直しを行う、全くそういうことになっているわけじゃありませんので、それは、私、最初に申し上げておきたいと思います。

 私は、最初に吉田公述人と日高公述人にお聞きしておきたいんですが、逆に言いますと、やはり時代の流れを大きくつかむ、大局的につかむということが今非常に大事なときだと思っているんです。

 私たちの歴史を簡潔に振り返ってみましても、十九世紀から二十世紀前半の時代は力の時代。軍事力を増強し、列強が世界分割をし、植民地支配も行えば、国内では人権抑圧、無視や抑圧された時代であったことは明らかです。振り返ってみますと、例えば一九〇〇年、そのころ、アメリカとフランスとスイスしか主権在民の国がなくて、これら三国でさえ女性には参政権がないという時代でした。

 それが、二十世紀の後半には、植民地主義が否定され、独立が行われるし、国民主権、民族主権というものが確立されていきましたし、戦争そのものが違法である、このことが確立していった時代だと思うんです。しかし、その中でも、確かに力による抑止という考え方がありましたが、結局、その中心になった核抑止力論の中から、核軍拡をどんどん進めて、破綻して、地球を何度も破壊してしまうというところへ行ったものですから、核廃絶への道へと。米ソ間でも減らしていく途中で、ソ連の方がなくなりましたけれども、そういう時代でもありました。

 また、科学技術、特に電子技術を使った戦争で、ベトナム戦争のとき、私もベトナムへ行って、もう一週間か十日で北爆で殺されてしまったところですが、病院攻撃の中で。しかし、結局、そういう力によってベトナムに対する戦争をやっても敗北をしていった。これは歴史の事実だと思うんですが、その中から、二十一世紀から将来にかけて、軍事力によらない、政治水準を高める、外交の力を強めて地域の平和と安定を実現していくという、この点では、国連憲章や憲法九条というものが、これからの時代、まさに世界的にも光り輝きを増してきている時代だというふうに私は思うわけです。

 この軍事力によらない本当の国際貢献に憲法は高い意義、値打ちを持っていると思いますが、世界の中での日本国憲法の持つ位置とか役割とか値打ちについて、吉田公述人と日高公述人に最初にお考えを伺いたいと思います。

吉田公述人 御指摘のように、日本が戦争を放棄して軍備を持たないという憲法の平和主義、これが今の国際社会の中でも非常に、各国がそのようにしていけば戦争がなくなるという意味で、先ほどもちょっと指摘しましたように、ハーグの世界平和市民会議の中でも、その点、本当に平和を求める各国の市民の皆さんがそういった声を上げたということは、非常に大きな重視しなければいけない事実だと思います。

 そういう意味で、まさにそういった立場に立って、紛争の根源をどうなくすかといった立場で日本がいろいろな役割を果たしていく、むしろ、軍事によらないで武力紛争をなくす、あるいは発生しないための条件づくりというものをどうつくるかということが日本に課せられた課題でありますし、そういったことを世界に、アジアに発信していく中で平和が保たれる、そういう意味を、九条、日本の憲法は持っているんではないかというふうに思っています。以上です。

日高公述人 私も吉田公述人と同意見でございまして、世界におきましての日本国憲法の役割は今後日増しに重要になってくると考えております。

 私は、公述の中でも、単なる紛争や戦争というものの脅威のみならず、人間の不安にかかわるさまざまな脅威に対しても、十分に、日本国憲法はその脅威なり不安を除去するために非常に有効であるという意見を述べました。その点からも、世界におきましても、さらに日本国憲法は重要性を増すのではという考え方を持っております。

吉井委員 私は、コンビナートの公害とか災害問題と取り組んできた三十数年来、自分では環境派と思ってやってまいりましたが、大体、環境保護派から、憲法に環境権を盛り込めというような話は出ていないんですね。

 私たちは、今の憲法を活用して環境を守るために頑張ってきたという経験を持っているんですが、改憲論の一つに、環境だとか科学技術とかプライバシーとかいろいろ新しい文言が出てきているから、新しい文言書き込め論というのがありますが、それぞれ、そのときのいろいろな問題に対応して憲法を変える、そういう手法じゃなくて、本来、憲法そのものを生かすことで解決できるし、解決すべきものではないかというふうに思っているわけです。

 それから、憲法九条とこれに違反する現実の乖離をこの際現実に合わせてそれで改憲という意図の中には、環境権だ何だということで外堀、内堀を埋めて、一番のねらいは憲法九条の本丸を変えてしまうというふうにうかがえるわけです。この点では、横田基地公害とか圏央道とか環境問題に取り組んでこられた御経験もあわせて、吉田公述人の方からお考えを伺いたいと思います。

吉田公述人 先ほども若干触れさせていただきましたけれども、横田基地の公害問題では、周辺住民の皆さんは、本当に毎日毎日、夜もアメリカの飛行機の騒音に悩まされている、睡眠妨害やストレスなど健康にもその被害が及んでいるという実態があります。沖縄の嘉手納基地の問題では、その周辺住民の皆さんが難聴になるという県の調査報告まで出されています。

 そういう中で、本当に静かに生活できる、あるいは周りの環境をきちっと守ってもらいたい、そういった本当に住民の皆さんの叫びが、何とか基地問題を解決してもらえないかということで、やっているわけですけれども、なかなか政府の立場ではこれを解決しようとしないというのが、残念ながら現実であります。

 一方で、環境権や新しい人権ということが言われる、しかし、他方では、軍事の問題というのが必ず出てきて、結局、一方で軍事を強調するということになると、そういった人権保障や環境の問題というのは必ずぶつかって後回しにされる。むしろ、はっきり言えば、戦争というのは最大の環境破壊行為である、戦争というのは最悪の公共事業であるというふうに私は思っています。

 そういう意味で、環境を言うのであれば、まず、戦争のない社会、あるいは、軍事優先などのために人権が侵害されることのない、そういった対応を政府に求めたい、そのことが今の憲法のもとで実現されなければいけないというふうに思っています。以上です。

吉井委員 次に、吉田公述人に引き続いて伺っておきたいのですが、憲法に照らして、現実の政治行為というものが許されるのかという問題があるというふうに思っているんです。

 憲法と日米安保、日米同盟ですが、これは私は憲法上許されないと思っております。それは六〇年安保の時代に私もかかわった者として思うんですが、同時に、政府のこれまでの解釈や判例から見ても、日米安保というのは、日本が攻められたときにアメリカが日本防衛で動くということと、もう一つは、当時は極東という、範囲も制限しての話でしたが、それを踏み越えて、イラク派兵にしても、アフガンの後方支援にしても、米軍の軍事行動への参加の今の現実というのは、結局、憲法と安保の考え方についてのいろいろな議論があったにしても、今まで言ってきたその安保さえ踏み越えてしまっている。そういう論理が次々と展開され、つまり、憲法に照らして余りにも異常な政治行為が許されるのか、そこは非常に大事な点だと思うんです。

 その政治行為を、言ってみれば、憲法に反することをどんどん拡大しておいて、憲法の方を変えろというのは、そもそも話が逆転しているわけですが、そういった点について吉田公述人にお考えを伺いたいと思います。

吉田公述人 私も、今御指摘いただいた点は、そういう実態、まさに実感しているところであります。

 今度のイラク戦争でも、沖縄の空軍、米空軍のF15戦闘機十機がイラクの戦争に参加する、あるいは、沖縄の海兵隊から三千人がイラクに行っているというような報道もされています。ではそれで、本当に日本政府は何のチェックもしていないのかというと、日本を出るときは戦闘状態に入るかどうかわからないんだから事前協議もしないというごまかしが行われているわけですね。

 御指摘の砂川事件、一九五九年の最高裁判決ですけれども、ここでも、日本の安全、そして極東の平和と安全という前提があるから、安保条約は憲法に違反しないという判断が示されていますが、今や御指摘のような、その事態をはるかに超える機能を安保条約がしている。目的を超えて、本当に、最高裁の判決ですら認めた枠を超えて、まさに憲法違反の状態になっているというのが実態であります。

 そういう意味で、先ほども司法の、憲法裁判所の問題がありましたけれども、やはりこういった問題は、本当に司法がチェックする役割を果たして、違憲な状態を何とか歯どめをかけなければいけないと思うわけですが、それを逆に憲法を変えて合わせるという事態は全く本末転倒でありまして、やはりそういったことからも許されないというふうに考えています。

 以上です。

吉井委員 次に、横田基地公害訴訟にもかかわっておられるお話もありましたので、憲法に照らして、米軍の活動優先の政治が許されるのかということと、もう一つは、安保の立場に立つ人であっても、基地公害のような住民の人権侵害、環境権の否定というものは、立場はどうであれ、憲法の今の観点から見たときに許されないのではないかということについて吉田公述人に伺いたいと思います。

吉田公述人 この点は、最高裁判所でも一九九三年に判決が出ていまして、米軍機の飛行は違法であり、国に賠償責任があるというふうに明確に判断されているわけですが、ところが現実には、その最高裁判決にもかかわらず、政府は騒音被害を改善しようとしていないというのが事実であります。

 この間、夜の十時から朝六時という飛行制限が設けられましたけれども、この制限、日米合同委員会で確認された制限すらアメリカ軍は守っていない、それに対して政府もきちっと守るように言っていない、どうして違反するのかと言っても住民に対して答えない、そういう態度をとっています。

 そういう意味で、日本のいわゆる司法すら、司法の判断すら無視されている、そして、住民の権利すら無視されているという憲法違反の実態がまさにあるんではないか、これに憲法を変えて軍事を認めるという軍事公共性がますます強調されるような事態になれば、その先は火を見るより明らかでありまして、そういった被害救済を求める人たちの声も無視されていくというような危険を非常に感じています。

 以上です。

吉井委員 時間が、私の方はもう参りましたので、きょうは三人の公述人の皆さん、本当にありがとうございました。特に日高さんのお話を伺っておりまして、近ごろ、三、四十代ぐらいの、私よりちょっと下ぐらいの若い人の間でも、何か私ら、軍国少年か国防婦人会みたいな感じの発言が飛び出すなと思っている時代に、非常に若い人からそういう御発言を伺って大変うれしかったという私の思いも申し添えまして、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

中山会長 次に、土井たか子君。

土井委員 きょうはお三方から公述人としての御意見を聞かせていただきました。本当にありがとうございます。吉田先生の理路整然たるお話には大変感銘を受けましたが、まず吉田先生、蛇足のようなことになるかもしれませんけれども、この辺は少し御感想を聞かせていただければと思うのでございます。

 まず最初に、イラクへの自衛隊派兵と憲法第九条という中身について明確に御指摘をいただきましたけれども、実は、ヨーロッパでも、わけてもフランスやドイツに比べますと、日本の対イラク問題というのは姿勢がまるで基本から違うんですね。ドイツのシュレーダー首相などは、イラクへの軍事制裁には参加しない、それからまた、万一、軍事行動をするという場合があるとしても、それは改めて国連決議がなければできることではない、これは非常にはっきりしているわけですね。

 ところが、このドイツの場合は、軍事規定を持った憲法がございます。日本の場合は、非常に明確に、戦争放棄をしっかり決めている憲法があるにもかかわらず、ただいまのような姿勢なんですが、こういう差というのはどこから出てくるものでございましょうか。その辺、お考えのほどをぜひお聞かせいただきたいと思います。

吉田公述人 私も法律家の立場からですので、感想的な話になるかもしれませんが、やはり歴史的な背景というのが非常に大きいのではないか。つまり、ヨーロッパにおいて憲法をかち取ってきた、市民革命を経て、人権宣言、憲法をかち取ってきた意味というのは、まさに権力が乱用しない、国民の自由や権利を守るために憲法をつくるんだ、そういう中でつくられてきたその成果が憲法だと思いますね。

 ところが、日本の、特に今の、御指摘の小泉首相の立場というのは、そのことの認識がやはり欠如しているのではないか。つまり、憲法によって権力が拘束されている、それを踏み出してはいけないという、法の支配といいますか立憲主義といいますか、そういったことの原則が日本の戦後の歴史の中でやはり十分認識された上で、あるいはそういった歴史的な、近代憲法ができてきた体験を踏まえた、そういう政治が行われていない。あるいは、それは国民の責任が一端にあるかもしれませんけれども、そういう意味での憲法や立憲政治の意味という、そこの認識がやはり問題ではないかというふうに思っています。

土井委員 ありがとうございました。

 安保先生のお話は、私、機械に弱いものですから、サイバーテロというのは大変深刻な問題である、これからもっともっと深刻になるだろうというふうなことは深刻に迫ってくるのですが、ただ、テレビの画面なんかを見ておりまして、戦争経験のある私などは、イラクの昨年の三月二十日以後は、画面に出てくるのは、ミサイルを撃ち込んでいる、撃ち出す場面ばかりなんですね。あの飛んでいく下でどれほど多くの人たちが犠牲になるか、それは画面には出てまいりません。

 したがって、このサイバーテロの問題も、機器がどんどんどんどん便利な状況で、世の中発展してまいりますと、それを使うのは人間ですから、人間の使い方一つで、平和利用にもなれば、あるいは戦争の道具にもなる、人類に対して大量殺りくをするという道具にもなるということを考えますと、いよいよこれは平和利用に徹するという方向を、どれだけ努力をして具体的にしていくことができるかということを、大変強く、私は切実な気持ちの中で切望するわけですね。

 そういうことも含めまして、戦争は絶対に私は歴史の必然とは思っておりません。やはり戦争を起こすのも人間ならば、戦争をやめるというのも人間だと思うわけでございまして、この二十世紀という世紀は二度の世界大戦を経験しました。したがって、その間に八千万人の人が殺傷されたということになっておりますが、事実はもっと多いと思いますね。

 そして、一たん戦争ということになりますと、後はどれほど復興に力を費やしてももとの姿には戻らない。それから、悲惨な状況をもう一度復興して盛んな状況に持っていこうというのは、並大抵のことではない。少なくとも復旧すること自身が難しいことは、もう明々白々でございます。

 そういうことからいたしますと、二十一世紀中には、主権のはっきりした国家というのは残っていくというふうに私は思わなきゃいけないんじゃないかと思いますけれども、しかし、その主権国家自身の構成原理とか、どういうことを目指してこれから主権国家はあるべきかというふうな、いわゆる国家像というのがこれは大変大事になってくると思うのですね。

 日本はどうも国家像がはっきりしませんねというふうに外国から言われていますよなんというふうな記事を新聞で読んだり、そういうことが外に出ますと、いろいろな会議の中で話題になったりするたびごとに、私は情けないと思うのです。日本としてははっきり国家像なるものを持っていると私は思っているわけですが、きょう御出席のお三方から、日本の二十一世紀の国家像という問題について、どのように考えていったらいいかという御意見を承ることができればと思っておりますが、いかがでございますか。

吉田公述人 個人的な考えということになってしまいますが、私は、やはり今のアメリカとの関係で、日本に基地があって、これだけ、その基地からイラクに戦争に行って、たくさんの、万単位の方が、一般市民の方も含めて殺されている、そういう現状は何とか変えなくてはいけないんではないか。最低限、日本が憲法に基づいた平和主義を徹底させる。そのためには基地をなくして自衛隊も解消していく。そういう中で、本当に、先ほどから出ている人間の安全保障といいますか、飢餓や貧困やそういったことで苦しんでいる人たちの中で、日本の経済力を含めた力をどうやって発揮し得るのか。科学においても平和活用ということを徹底できるのか。

 核兵器をつくった科学者が、戦後、パグウォッシュ会議というのを開いて平和利用を訴えたという流れがあるわけですけれども、やはりそういった立場で、日本がもっと、先ほどから言っているように、メッセージを送っていく、やはりそういう国にしなければいけないんではないかというふうに思っています。

 以上です。

安保公述人 土井先生から非常に温かいお言葉をいただいたということで、二十一世紀の国家像ですが、私は何も戦争をやりたいということは考えておりませんで、なるべく私は、先生と同じように戦争をなくしたい、そのために抑止をしなければいけないという立場で、このようなハイテク兵器の存在はあることを認めながらも、この運用には、やはり人ですので、人の教育が必要になってくると思います。それが重要だと思っております。

 ただ、日本の立憲主義について、先ほどちょっと聞いていてやや疑問に思ったのですが、日本の立憲主義というのは、国家権力を制限するということは非常に強く主張されますが、選挙を通じて国家権力をつくり出すというもう一つの側面は、憲法の教科書等にはほとんど記載がないように思われております。ですから、バランスのとれた記述によって、新しい国家像、要するに、科学技術を運用した国家像をつくっていき、なおかつ、世界の、日本の特にロボット技術で、地雷探索とか、その辺に非常に貢献できるのではないだろうかと私は考えております。

 そして、最後に、そういうハイテク兵器もしくは科学者の技術を運用するのは人間ですが、そこにはやはり心の問題、特に宗教問題というものを十分に考慮した方がよろしいのかな。

 私は、日本の場合は、今から十年ぐらい前ですか、オウム真理教のあれだけ頭のいい科学者たちがサリンをまいたということを考えますと、やはり人の心の問題をどうするかという点を憲法の中で記載していく必要があるのではないかと思っております。

 以上でございます。

土井委員 ちょっと一言。

 時間が十五分で、もうあと四分か三分ぐらいになっていると思うのですが、最後に、日高さん、ぜひ、今の二十一世紀の国家像、どうお考えになっていらっしゃるか、楽しみに聞きたいと思っています。

 もう一つは、今回、これは公聴会で公述人として公募された中から、きょう来ていただいたわけでしょう。特にこの公聴会ということについて、御希望なり、こうあってほしいというふうな御見解があったら、ぜひぜひ聞かせていただきたいと思うのですよ。この憲法調査会に対する、公聴会のありようですね。よろしくお願いします。

日高公述人 二十一世紀における日本の国家像ということに関しましては、現在の憲法の精神を着実に国民の生活の中で生かしていくことによって、あるいは、徹底的に非武装に徹していく外交を追求するということを日本の主体として見出すべきであるという見解でありまして、それが二十一世紀の日本の国家像になり得ると考えております。

 憲法調査会の公聴会に対する希望ということに関しましては、憲法調査会に限ったことではないのかもしれませんけれども、各種の、国会の本会議はテレビで放送される、また最近では、委員会もそうですけれども、インターネットで見られるようにはなりましたけれども、まだまだ国民の中に憲法調査会の存在が知られていないというのが現状であると思います。

 そのことをかんがみまして、一つの手段としてメディアというものを大いに使っていくべきである。憲法というものはどんな議題であっても非常に重要でありますから、そのことについて国民がもっと自分の言葉で語り、自分の手で国家をつくっていくことができる環境を設定するためにも、そういう政治の場をメディアを駆使しまして発信していくということも、非常に重要ではないかと考えております。

土井委員 ありがとうございました。

 やはり同じ女性として、こういう場所でしっかりした御意見を聞かせていただけるというのはとてもうれしいです。ぜひ、これからいよいよ大事な時期に入りますから、頑張ってください。

 あと、お二方、この公聴会について御意見がもしございましたら、ぜひぜひお聞かせいただくことで、私は終えたいと思います。

吉田公述人 きょうは公聴会にお招きいただきまして意見を述べさせていただいたわけですが、それ自体、大変ありがたいと思っています。

 ただ、先ほどもちょっと指摘させていただいたんですが、地方公聴会では、それぞれの地域の生活やいろいろな経験に基づく、一般の市民の方からの意見が多数出されてきました。既に八カ所、終わっているかと思いますが、ここでの公聴会という意味では、私は群馬県出身なんですけれども、北関東であるとか、関東地方やそれから、もうちょっときめ細かにいろいろな市民の意見を聞くような公聴会の場をぜひ設けていただきたいと思いますし、公募を幅広く募っていただいて、より多様な意見が反映できるそういう公聴会にぜひ、幾つか今後も実現していただきたいというふうに思っています。

安保公述人 本日はこのような場をお与えいただきまして、ありがとうございます。非常に感謝しております。

 なお、土井先生の言われた点なんですが、やはり、普通のサラリーマンは、月曜から金曜までは出勤しておりまして、なかなか休みがとれないので、もし可能であれば、やはり土曜、日曜もしくは祝日あたりに開催されることが一回か二回あってもよろしいのではないかと私は思っております。

 以上でございます。

土井委員 どうもありがとうございました。もう終わります。

中山会長 ありがとうございました。

 最後に、調査会長として一言お知らせをいたしておきたいと思います。

 きょうお話しいただいたこと、また、今までの憲法調査会の御議論は、すべて議事録にとってございますし、衆議院のホームページの「憲法のひろば」で、日本文はもとより、英文のホームページもつくっておりまして、どこからでもアクセスできるようになっておることをこの機会に申し上げておきます。また、中間報告書も、日本文並びに英文で作成して、各国に送っておることもお知らせを申し上げておきたいと思います。

 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 公述人各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。憲法調査会を代表して、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 これにて公聴会は散会いたします。

    午前十一時五十三分散会


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