衆議院

メインへスキップ



第7号 平成17年7月22日(金曜日)

会議録本文へ
平成十七年七月二十二日(金曜日)

    午前九時三十分開議

 出席合同会議員

   会長 与謝野 馨君

   会長代理 仙谷 由人君

   幹事 長勢 甚遠君 幹事 丹羽 雄哉君

   幹事 武見 敬三君 幹事 枝野 幸男君

   幹事 城島 正光君 幹事 小川 敏夫君

   幹事 坂口  力君

      伊吹 文明君    北川 知克君

      後藤田正純君    鈴木 俊一君

      津島 雄二君    森  英介君

      阿部 正俊君    田浦  直君

      中島 眞人君    小宮山洋子君

      園田 康博君    中塚 一宏君

      古川 元久君    横路 孝弘君

      朝日 俊弘君    峰崎 直樹君

      山本 孝史君    井上 義久君

      福島  豊君    冬柴 鐵三君

      遠山 清彦君    山口那津男君

      佐々木憲昭君    小池  晃君

      阿部 知子君

    …………………………………

   衆議院厚生労働委員会専門員            榊原 志俊君

   参議院常任委員会専門員  川邊  新君

    ―――――――――――――

合同会議員の異動

七月二十二日

 辞任         補欠選任

  鴨下 一郎君     北川 知克君

  武部  勤君     森  英介君

  柳澤 伯夫君     後藤田正純君

  片山虎之助君     阿部 正俊君

  五島 正規君     園田 康博君

同日

 辞任         補欠選任

  北川 知克君     鴨下 一郎君

  後藤田正純君     柳澤 伯夫君

  森  英介君     武部  勤君

  阿部 正俊君     片山虎之助君

  園田 康博君     五島 正規君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革(国民皆年金の意義)について


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

与謝野会長 これより会議を開きます。

 年金制度をはじめとする社会保障制度改革について議論を進めます。

 本日は、国民皆年金の意義について、各党からそれぞれ十分以内で発言していただいた後、議員間の自由討議を行います。

 それでは、初めに各党から発言していただきます。

 まず、森英介君。

森議員 自由民主党の森英介でございます。

 本日のテーマの国民皆年金の意義について申し述べさせていただきます。

 年金と医療について、我が国では、一定年齢に達した国民全員が参加し、国民全員をカバーするという考え方に立っており、これを国民皆年金あるいは国民皆保険と呼んでいます。これらは昭和三十六年という同じ時期に達成され、現在でも我が国の社会保障制度の最大の特徴と言ってよいと考えます。

 皆年金は今では当然のようですが、昭和三十六年以前の状況は全く異なっており、公的年金が適用されるサラリーマンは当時の現役世代のわずか二割程度でした。国民の大半を占める農林漁業者、自営業者、零細企業の従業員などにも年金を設けることは悲願とされており、それを背景に国民年金が創設され、職業を問わずに公的年金に加入する皆年金が達成されたわけでございます。

 その際、安定した収入のある人だけでなく、無業者のように一般的には保険料の納付を期待しにくい低所得の人も被保険者になりました。

 これは、低所得の人には年金が最も必要だという理念ばかりでなく、一時期の所得をもとに適用したり適用しなかったりすると低所得の人が守られない期間が長くなってしまうので、まず全員に保険料の納付義務を負わせた上で、それが無理な期間だけ保険料を免除するという方法が長期的に見てすぐれているという考え方に立ったものです。

 また、保険料の負担能力の高い人、例えば所得税納付者だけを対象とすれば、年金が適用されていない人の二割弱しかカバーされないという実態もありました。低所得の人は適用除外や任意適用にする国も多いのですが、我が国ではこのような考え方で被保険者の範囲が広くなったわけです。

 国民年金がつくられるとき、拠出制、すなわち社会保険方式を基本とするか、無拠出制、すなわち税方式を基本とするか大いに議論があり、最終的に社会保険方式に落ちついた次第でございます。

 これは、社会生活は基本的に自己責任の原則で成り立っており、老後のために保険料を納めて自分で備えるのは生活態度として当然というのが第一の理由です。第二は、税方式を基本にすれば、直ちに膨大な財政支出が必要になるし、急激に高齢化する我が国では将来の税負担も重くなり過ぎると危惧されたことです。第三は、税方式を基本にすると、その時々の財政事情の影響を受けて年金額を大幅にカットせざるを得なくなる可能性があるということです。当時のこのような考え方は、現在行われている議論にも多くの示唆を与えるものだと考えます。

 その後約四十年が経過いたしましたが、今日でも社会保険による国民皆年金は非常に大きな意義を持っており、しっかり堅持していくべきと考えております。制度創設後の社会の変化はだれも予想できなかったほど大きく、どんなに豊かな人でも自分の貯蓄だけで老後に備えるのは無理がありますし、また逆に、所得の低い人は子供などによる扶養も余り期待できない場合が多いわけで、全国民が公的年金に参加する仕組みは引き続き大きな意義があると思います。

 また、当時からの年金、医療に加えて、介護も介護保険に改められ、社会保険の仕組みが一層定着してきていると思います。

 逆に、税方式年金にされなかった理由の一つである財政事情は、当時よりもむしろ厳しさを増していると言わざるを得ません。さらに、現在でも自営業者などの所得把握が十分ではないので、課税状況に基づいて所得の低い人が対象から外されれば、制度発足時と同様、公的年金でカバーされる人はずっと少なくなってしまうことでしょう。

 それから、だれでも障害者になる可能性はありますから、すべての国民がもしもの場合に障害年金を受給できる仕組みは重要な意義を持っています。

 では、実際にどのような皆年金であるべきなのか、まず、理念的に考え方を二つに分類、整理してみたいと思います。

 一つの考え方は、機会の保障というべきもので、皆年金は、職業や所得水準にかかわらず、すべての国民の拠出のもとに公的年金に参加する道を開くものという形です。これを突き詰めれば、保険料を払わない人は結果として年金を受け取れないという帰結が生じます。これと対極にあるもう一つの考え方は、結果の保障ともいうべきもので、皆年金は、拠出に関係なく全国民に一定水準以上の公的年金を保障するものという形になります。

 この二つの考え方の違いは、年金制度の仕組みの上では社会保険方式と税方式の違いとなってあらわれます。社会保険方式では、年金はみずからが行った拠出の納付実績に応じた権利として受け取るものであり、権利性の強い仕組みです。一方、税方式では、年金はみずからの拠出とは関係なく社会から与えられるものであり、権利というよりは社会からの恩恵に近いものと考えられます。

 さて、我が国はどのような皆年金を堅持すべきでしょうか。

 大半の国民は、きちんと保険料を納め、老後は権利として年金を受給しています。今後も、公的年金は自立自助がすべての基本という社会的なモラルにのっとったものであることが肝要であり、社会からの恩恵ではなく、自分の権利として年金を受給し、尊厳ある老後を堂々と送れるようにすべきと考えます。

 ただし、機会の保障の考え方だけですと、低所得の人は全員参加の仕組みに事実上参加できなくなってしまいます。このため、現行制度では、機会の保障の考え方をベースとしつつも、さらなる工夫が加えられています。すなわち、基礎年金の財源の一部を税で負担するとともに、低所得の人のために免除の制度を設け、免除の期間については税負担相当分の年金が保障されています。

 それでもなお生涯にわたって低所得で苦しい老後を迎える人は存在しますが、ある程度収入がある現役時代のうちに老後に貧しくなるのを予防することが年金制度の役割であるとすれば、年金ですべての人の老後に対応するにはおのずから限界があります。このようなケースについては、他のさまざまな政策を組み合わせて対応する必要があると思います。

 しかし、そのようなケースを念頭に置いて社会保険方式の年金制度を壊し税方式の年金にすることが、本当に適切な選択だとは思えません。未納、未加入者が多いから無年金者、低年金者がふえる、そのため結果の保障の意味での皆年金が実現しない、よって税方式年金で無年金者、低年金者を解消すべきというロジックは、結局は、所得はあるのに未納、未加入という、義務を怠った人が最も得をすることになってしまいます。このような考え方は、いわば正直者がばかを見るというような方向での制度改定を図るものと言わざるを得ません。やはり、全員参加の社会保険方式のもとで、義務を果たしたことに対する権利として年金を受給する現行の皆年金制度を堅持すべきと考えます。

 最後に、このような年金をこれからも堅持していくために当面何をなすべきかを申し上げます。

 まず、年金制度への信頼を回復することです。

 年金不信が強まり、さまざまな誤解による未納者も多い状況です。かく言う私も、以前政務次官を務めておりました折に、みずからの不注意ゆえに一年間年金掛金の未納期間があり、未納副大臣としてきつい御批判をいただいた者であり、その反省を踏まえて申し上げますと、公的年金は必要である、公的年金は堅持すべきが与野党の共通認識であるとするならば、破綻論や世代間不公平論などに影響された若い世代にも、公的年金がいかに重要か、いかに有利かをしっかりと理解してもらい、誤解に基づく未納、未加入をなくしていくことに全力を挙げるべきだと考えます。

 次に、基礎年金の国庫負担割合の二分の一への引き上げの実現です。

 これは、将来の保険料水準を抑えるとともに、免除期間の年金を手厚くするものです。また、私的年金に対する公的年金の有利性を一層高め、若い世代の参加を促す効果があります。したがって、安定した財源を確保し、昨年の改正で定められた道筋に沿ってこれを着実に実現していくことこそが重要であると考えます。

 年金制度に参加する機会を保障しながら、できる限りすべての国民を年金受給という結果に結びつけていくための努力がなお一層必要なゆえんであります。このため、免除制度をきめ細かく適用していくことも重要ですし、さらに、パートなどの非正規雇用者には被用者年金の適用を拡大するということを一貫して提案してきております。

 こういう努力を着実に積み上げていくことが肝要であるということを最後に申し上げまして、私の意見陳述を終わります。

 ありがとうございました。

与謝野会長 次に、小宮山洋子君。

小宮山議員 日本は、御存じのように世界で最も高齢者の比率が多い国の一つになっています。国連の世界人口統計によりますと、高齢者の比率、二〇〇〇年現在で世界第三位、そして二〇五〇年には、日本の六十五歳以上人口は三五・八九%になって、世界一になると推計をしています。このとき日本人の四人に一人は六十五歳以上の女性になります。超高齢社会の暮らしの安心のために国民皆年金はぜひ必要で、維持すべきものと考えています。

 現在の国民年金は既に壊れてしまっているので、抜本的な改革なしには年金制度の再構築はないという認識をまず共有する必要があると思います。

 壊れているという理由の第一は、既に無年金とされる人が八十万人いると推計されることが、会計検査院の検査などでわかっています。国民年金の未納率からしますと、今後さらに無年金者はふえると予想されます。

 第二に、会計検査院の国民年金第一号被保険者の保険料徴収状況によりますと、平成十五年の保険料収納割合は三八・五%、追徴できる二年以内の未納保険料が四四・九%、二年を経過して未納が確定した時効欠損が一六・六%となっています。すべてが納入されていれば五兆円余りになるはずの合計額がおよそ五分の二の二兆円弱になってしまっていて、このことが低年金者をふやすことにもつながっています。

 そして第三に、第一号被保険者の未納率が平成十六年度は五一%に上り、納めていない人の方が多くなっているということがあります。特に若い人たちの未納が多くて、二十歳から二十四歳の納付率は、学生納付特例者がいることを前提としても、三三%しかありません。未納率が高く、無年金者がふえているのは、就業構造の変化に現在の年金制度が合っていないからだと考えます。

 一つは、これまで正社員として働いていた人が、リストラで職を失ったり、低賃金の非正規の働き方になっているということがあります。天引きのはずの厚生年金、国民年金では第二号被保険者も空洞化しています。厚生年金被保険者数は、ピークの九七年の三千三百四十七万人から、二〇〇二年末までに百七十七万人も減っています。

 また、再三申し上げているように、若者の無業者の問題は深刻です。内閣府の研究会の特別集計によると、若年無業者は二〇〇二年で二百十三万人に達し、九二年からの十年間で八十万人もふえています。年齢で見ると、二十歳代が高く、二〇〇二年には男性の方が女性より多くなっています。

 よく働く意欲がない人を甘やかすなといった主張があります。もちろん、それまでの教育や環境の影響などによる個人の問題もあるとは思いますが、正規雇用のパイ、数が減っているということが大きな原因です。大学を出ても五人に一人は正規雇用されない、一部のエリートと言われる男性社員が過労死しそうなほど、あるいは自殺に追い込まれるほど働き過ぎるというのではなく、本来の多様就労型のワークシェアリングを必要な法整備を進めて実現することが必要で、これはこれからの日本社会の重要課題だと考えます。

 多様なライフスタイルに対応できていないということも現在の年金制度が持続可能になっていない原因です。

 雇用されている女性のうち、短時間勤務の割合が約四割を占めていて、このままだと将来年金額の少ない女性が大量に生じることになります。また、パートの主婦が保険料を納めなくて済む年収百三十万円未満に働き方を制限する例も多く、制度が女性の働き方をゆがめています。

 一方、現在、専業主婦が保険料を自分で負担しない第三号被保険者制度に対して、共働きがふえるに従って、不公平という批判が強まっています。女性と年金検討会では、将来は制度を廃止することで意見が一致しましたが、委員の一部から慎重論が出たため、時期は明示できませんでした。

 平成十六年度現在、第三号被保険者は千九十九万人、女性のおよそ三人に一人に当たります。この制度ができる前には、専業主婦のうち七割がみずから国民年金の保険料を納めていました。公平で持続可能な制度にするためにも、この問題をぜひ解決する必要があります。

 民主党としては、男女の間に賃金格差が大きいという現状を考慮して、当分の間、二分二乗方式、夫婦の所得を合算し給付はそれぞれ半分ずつという考え方を示しています。この会議でも見直しに積極的な意見を与党議員からもいただいているのは心強いと思っています。ぜひその見直し案をここでまとめていければと願っております。

 持続可能で公平公正な年金制度にするには、国民年金、厚生年金、共済年金の三つの制度の抜本的な一元化しかないと考えています。与党が言われている厚生・共済年金の一元化ということも、三つの制度の一元化で合意をした上で、手順としてまず二つということならわかりますが、壊れている国民年金をおいての改革はあり得ないと考えています。

 国民皆年金を実現するには、民主党が提案をしてきた、所得に応じて保険料を納め、それに見合った給付を受けられる所得比例年金にして、給付額が低くなる人には税で最低保障年金を給付するという考え方がふさわしいと考えています。この会議では、幹事間の話し合いの中で、各党のこれまでの主張にこだわらずに議論をするということですが、民主党案についてこれまでも幾つか疑問が示されているかと思いますので、これからの建設的な議論の材料にしていただきたいということで、幾つかについて考え方をお示ししたいと思っています。

 一つは、自営業者の所得の捕捉の問題ですが、民主党は、社会保険庁と国税庁の統合を提案しています。税と年金保険料の徴収事務が一体となる、国税庁は、現在、徴税事務上必要となる課税所得は適正に把握していると言っていますので、これは基本的な所得の把握は可能になるということだと考えています。

 また、最低保障年金はモラルハザードにならないかということも再三御指摘いただいていますが、最低保障年金は、毎年みずからの所得を正確に申告し、その所得に応じた保険料を納付すること、すなわち公的年金制度への適切な加入を前提として給付されるものですので、単に公的年金の受給年齢に達しているということだけで給付を受けられるということではありません。

 公的年金というのは、本来、稼働能力が減退する高齢期であっても基本的な生活が賄えるだけの所得を確保するための制度であるはずです。しかし、現状では、年金月額四万円未満の受給者が五百二十八万人、一万円未満の受給者が十三万人も存在していて、公的年金制度としての役割を十分に果たしていないと言えます。民主党の提案する最低保障年金制度は、所得比例年金の受給額が相対的に低い人に重点的に税を投入することによって、すべての高齢者が安定して最低限の生活を確保することを実現するものです。

 本日のテーマとも関連しますが、無年金者はそれでは発生しないのかということについては、本来は、現行制度も国民皆年金とうたっている以上、未納、未加入は存在してはならないはずです。未納、未加入が発生しているということは、制度そのものに問題があるからです。具体的には、現行の公的年金制度への信頼が乏しく、保険料を払っても将来もらえるかどうかわからないと考える人が多いこと、また、国民年金の定額保険料が低所得者にとって高過ぎるということが無年金者が生じる大きな要因となっています。

 民主党で考えているのは、一元化する公的年金制度に、二十歳以上もしくは二十歳未満であっても所得のある国民がすべて加入するというわかりやすい制度で、所得に応じた負担となり、低所得者は低い額の保険料、所得がない人は保険料ゼロとなり、保険料負担の重圧感が払拭できる制度になっています。こうした理由から、この制度では無年金者問題は基本的に解消できると考えています。

 以上、国民皆年金を実現して、公平公正で持続可能な年金制度改革についての民主党の基本的な考え方の一部を説明させていただきました。超党派の議員によるこの貴重な会議で、ぜひ建設的な意見交換を行って、年金改革の骨子がまとめられるように願っております。

与謝野会長 次に、福島豊君。

福島議員 公明党の福島豊です。

 この合同会議での議論も回を重ねてまいりましたが、先日の会議で公的年金制度の必要性について議論を行った際の各党の発言は、公的年金制度が必要であるとの認識で一致していると考えます。

 本日は、国民皆年金の意義がテーマでありますが、高齢期の所得保障の柱としてその意義はだれもが認めるところであるので、国民すべてに年金を保障する場合どのようなことが基本的な論点となるかを考えてみたい。

 国民といっても、その様態はさまざまに異なっており、ある者は自営業者で、ある者はサラリーマンであるといった職業の相違、また、女性の立場で、ある者は働いており、ある者は専業主婦であるといった相違、また、そのような違いと同時に、収入も幅広く異なっているという実態がある。そうした国民の多様性を踏まえて、どのような制度をつくるかという問題がある。これが第一の論点である。

 次に問題となるのは、社会保険方式でこれを行うか、それとも税方式でこれを行うかという財源の調達の問題がある。負担について、保険料で求めるのか、公費でこれを賄うかという選択である。

 そして、第三に問題となるのは、負担と給付に係る制度の設計である。これは第二の論点と密接に関連するが、国民の多様性を踏まえて、どのような負担を求めることが適切かつ可能かという判断、さらに、これは給付と不可分の事柄であるので、どのような給付を約束するのかという制度の設計について考えなければならない。

 給付と負担の枠組みについては、まず確定給付か確定拠出かというような大枠の議論があり、また給付については、老後の生活保障という観点から、その水準をどう考えるかという問題や、所得の低い方について所得再分配を考慮するかというような問題がある。

 いずれにせよ、我が国の制度は、社会保険方式のもとで、拠出を前提とし、拠出に応じた給付を行うという制度の設計となっている。

 我が国は、昭和三十六年に国民皆年金を実現したが、それは、第一の点については、自営業者等は国民年金という保険をつくり、既にあった被用者の公的年金保険を補完するという制度を設計した。国民の特性に応じて複数の公的年金保険を創設するという道を選んだのである。

 第二の点については、国民皆年金制度の実現に向け国民年金を検討するに際して議論になったところであり、次の三点を踏まえた社会保険方式を基本とし、一部公費でこれを賄うことに至った。第一に、自己責任の原則を大事にすること、第二に、将来の高齢化に際して膨大な財政支出に対応できるかという懸念、第三に、財政状況と中立であるべき年金が財政の変動で影響を受ける可能性があること、以上の三点であるが、現在でも妥当な判断であると考えられる。保険料の拠出に応じて給付を行うということから、機会の提供を結果の保障より重視したと言うこともできる。

 第三の点については、自営業者等を主体とする公的年金保険には、定額の負担を導入し、定額の給付を約束した。これは、所得捕捉の点などから考えると、理にかなった制度の選択をしたと言える。

 そして、これに加えて、六十年には基礎年金制度が導入された。社会構造、就業構造の変化に対応できるよう、国民の多様性に応じて構築された公的年金保険諸制度を横断して共通の基礎年金制度を創設し、より柔軟な制度を構築した。

 このように、我が国は、国民皆年金の実現のため、国民の多様性に対応し柔軟な制度を構築してきたと言うことができ、諸外国に比較しても遜色のない年金制度をつくってきたのである。

 しかしながら、現在、この年金制度が大きな転換点にあることも事実である。史上例を見ないスピードで少子高齢化が進行し、極めて大きな影響を年金制度に与えており、その対応が迫られている。

 では、国民皆年金の制度設計において、いかなる点に最も大きな影響を与えるのか、これが問われなければならないことである。国民皆年金の制度設計の論点を三点にわたって述べたが、この中で少子高齢化が最も大きな影響を与えるのは、第一の論点、つまりどのような集団で年金制度を設計するかではなく、第三の、負担と給付の設計をどのようにするかという点であることは自明の理である。

 年金制度の一元化という民主党の御主張であるが、これは少子高齢化への対応とは全く別の次元の課題である。今後の少子高齢化に耐え、持続可能な制度の設計をするためには、いずれにせよ、給付と負担のあり方の見直しは避けては通れない。真摯に年金制度の将来を考えるのであれば、国民に率直にその説明を行うことが必要である。この点を避けて、一元化で解決ができるように主張することは、一種のごまかしと言われても仕方がない。

 では、一元化の議論が、現在年金制度の直面する課題に対して真正面から向かい合うものではないにもかかわらず、なぜこれほどまでに国民の関心を引くことになったのか。幾つかの理由があると考える。

 一つは、年金制度がやはりわかりにくいという点である。

 国民年金と基礎年金の関係を理解している人がどれほどいるのか。いかにしてこうした制度の情報を国民に伝えていくかということが重要である。社会の大きな基盤である年金制度について正確な知識を伝えるために、教育はより大きな役割を果たすべきである。ともに支え合う制度を持続する基盤は、国民の理解と信頼、みずからが支えるものであるという意識だと考える。

 総中流社会が揺らぐ中で、公平性に対する国民の意識は今まで以上に強くなっている。世代間の格差の是正、制度間の格差の是正も必要であるが、何よりも大切なことは、何が公平で何が不公平か、国民が適切に判断するための年金制度への理解を深める政府の努力が求められている。

 第二は、国家財政への信任が揺らいでいるのではないかという点である。

 国、地方を合わせ一千兆円を超える公的債務の問題は、年金制度のみならず、国家財政の持続可能性に対して信任を揺るがしているのではないか。そのためにも、財政再建への道筋を明確にする責任が政治には求められている。

 第三には、将来への不安である。

 少子高齢化が進む中で、日本の将来に対して、みずからの将来に対して漠然とした不安があるのではないか。格差社会が指摘され、総中流の時代から日本の社会が大きく変貌しつつある中で、国民生活を支える社会保障制度を今後も堅持していくという強いメッセージが必要である。財政悪化の中で社会保障制度はたび重なる見直し、給付の削減を迫られているが、こうした見直しが逆に社会保障制度への信任を揺るがせる原因となっていないか。どのような道筋で改革を進めるのか、よく検討する必要がある。

 また、皆年金を揺るがせる国民年金の空洞化に対して、一元化こそが解決策であるという主張もある。しかし、多様な国民の特性に応じて、国民年金制度は被用者年金を補完してできたものである。所得捕捉の問題もある。また、何よりも、今でも国民年金の保険料が高いという声がある中で、所得に応じた負担の拡大を果たして国民が受け入れるかという問題もある。税と保険料の一体的な徴収で未納問題が劇的に解決するという主張もあるが、若い世代の方々の就労形態の変化を考えると、これも絵にかいたもちではないかとも思われる。

 民主党の皆さんは、一元化こそが解決の道であると主張されるのであれば、こうした点について、より国民にわかりやすい、具体的な姿を示すべきであると考える。

 しかし、一方で、この問題は放置できないことも事実である。年金制度への理解、国家財政への信任の回復、将来への安心感の問題は、迂遠なようでも重要な課題である。けれども、より具体的に制度のあり方を見直す必要が同時にある。

 基礎年金番号を社会保障番号として国民の中に定着させ、医療保険等々の徴収を一体化することにより、社会保険の一元的運用を図るべきであると考える。また、パート労働者やフリーターなど非正規労働者を社会保険の中に位置づけていく取り組みも同時に必要である。今求められていることは、社会保障制度について幻想を振りまくことではなく、その事実について国民に理解を求め、社会保障制度をより身近なものとする具体的な制度改革を実現することである。

 厚生省年金局の編集した「国民年金の歩み」には、国民年金法施行以来三年の歴史にあって最も特筆すべき事項は、総評、社会保障推進協議会、共産党を主体とするいわゆる拠出年金反対運動であるとされ、激しい反対運動が展開されたことが記されている。具体的には、市町村役場に届け出に来た被保険者に対してピケを張って威力妨害を行い、さらに戸別訪問を行って届け出の拒否を呼びかけ等の状況があったことが記述されている。年金制度が定着した我が国の現在からは、なぜこのような運動が盛り上がったのか、隔世の感がある。その後、年金制度は大きく成長し、高齢者の生活を支える不可欠な制度へとなり、今やだれもそのような反対はしなくなった。

 こうした過去を踏まえ、対案のための対案ではなく、よりよき制度とはいかなるものか、引き続き真摯な議論が行われるべきであると最後に訴え、発言といたします。

与謝野会長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木議員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 きょうのテーマは国民皆年金の意義についてでありますが、その前に、前回の議論に関連して一言述べておきたいと思います。

 前回、年金目的、福祉目的の消費税についてコメントをいたしました。その際、自民党内の財政改革研究会の中の議論、論点整理についても紹介し、消費税の目的税化について、私は反対の態度を表明いたしました。これに対して、自民党の津島雄二議員から、「責任者の一人として申し上げますけれども、私たちの考え方は、去年の税制改正大綱に書いてあるもの以上でも以下でもございません。」という発言がありました。

 与党の税制改正大綱には、「消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する。」と書かれております。以上でも以下でもないというような発言は、議論にならないわけであります。

 この合同会議に参加している有力メンバーで構成されている研究会がその見解をマスコミに公表しているのだから、考え方をただすのは当然ではないでしょうか。初めから議論を避けようとする津島議員の態度はいかがなものか、この点を指摘しておきたいと思います。

 幸い、柳澤伯夫議員はそのような態度をとらず、問題意識について三点にわたって説明をされました。その真摯な態度については評価をしたいと思いますが、ただ、三つの問題意識はいずれも、消費税の増税を前提としてその使途をどの範囲まで広げるかというものであって、私たちとしては根本的に賛同できないということを申し添えておきたいと思います。

 次に、本題の国民皆年金の意義について発言をしたいと思います。

 憲法二十五条が規定する生存権の保障という点からも、高齢者の生活実態から見ても、国民皆年金の意義は明らかであります。問題は、その皆年金が実を伴っておらず、深刻な空洞化に直面していることであります。

 現在、六十五歳以上で受給権のない無年金者は、推計六十万人もいます。二〇〇三年度会計検査報告では、六十歳未満で受給資格のない将来の無年金者は、三十九万人に上っております。まず、この事実を直視すべきだと思います。その上、辛うじて受給できている人も、その多くは、最低生活を賄えない低い額の年金となっているわけであります。

 国民年金の平均受給額は四万六千円にすぎません。現在、国民年金の保険料未納は約四割、二十代前半では過半数が未納であります。私は前々回、厚生年金に加入できず、国民年金も払えない、もらえない、不安定雇用の若者の実態について発言をいたしましたが、このままでは、膨大な無年金、低額年金者が生み出されていくことになります。

 こうした事態の根底には、現行の国民年金制度の欠陥があるのではないでしょうか。

 総理大臣の諮問機関として、一九四八年、少し古いわけですが、創設されました社会保障制度審議会、終戦直後から国民皆年金の実現を求めていました。その際、最低生活を保障する部分は全額国庫負担による無拠出年金とし、保険料が払えない低所得者を年金制度から排除しないようたびたび提唱しておりました。ここに大事な原点があると思います。それは、五〇年勧告、五三年勧告などでも明らかにされたところであります。

 ところが、自民党政府が岸内閣時代の一九五九年に法案を成立させました国民年金は、社会保険方式とされました。しかも、制度スタート時の保険料は、当時の住民税の十倍でありまして、加入対象者の三割が免除になるという高額なものでありました。さらに、受給資格期間は三百カ月、二十五年とされました。四半世紀保険料を払い続けないと一円も年金がもらえないという仕組みとされたわけであります。

 社会保障制度審議会は、一九五九年一月の答申で、こうした形での国民皆年金のスタートを厳しく批判しております。対象者の三割近くはその納付を免除しなければならない高額の保険料、二十五年という長期間にわたる保険料の納付、これらにより、国民年金の必要の最も多いボーダーライン層がかえってこの制度から締め出されるおそれが多分にある、こう指摘をした上で、年金の受給資格に極めて過酷な所得条件を課すのは社会保険よりむしろ任意保険に近い考え方であり、社会保障の精神を大幅に後退せしめ、高齢者の貧困の予防という年金制度の本来の目的に著しく反したものであると述べております。このままでは国民年金が絵にかいたもちになりかねないという警鐘を鳴らしたものでありました。

 その後、国民皆年金制度は、社会保険方式に基づく国民年金をそのまま基礎年金と位置づけ、専業主婦や学生を強制加入させていくという、形だけ整える方向で進んだわけであります。

 しかし、今日の事態は、まさに四十六年前に社会保障制度審議会が懸念したとおりになっているのではないでしょうか。社会保険制度だけでは、低所得者、失業者、不安定雇用の人は制度から排除され、すべての国民の所得保障、皆年金とはなり得ないわけであります。解決の道は、やはり最低保障年金しかないと思うわけであります。かつての社会保障制度審議会がたびたび提唱してきたように、政府の責任ですべての国民に最低保障を行い、その上に社会保険方式で上乗せする制度に転換すべきであります。

 イギリス、ドイツ、フランスでは、低額の年金しか受け取っていない人のために、公的扶助とは別に、年金の最低額を保障する制度がつくられております。北欧諸国やカナダ、オーストラリアなどは、全額国庫負担による最低保障年金制度があります。生存権を保障するために、国の責任で年金受給者の所得の最低額を保障するのが世界の流れであります。この方向に直ちに踏み出すべきだと考えるわけであります。

 前回、柳澤議員は、「そもそも社会保障全体の経費、そこに回すべき財源が、日本経済の持っている経済力と何の関係もないということは絶対あり得ない、」と述べたわけでありますが、その限りではそのとおりであります。しかし、それがなぜ消費税増税に直結するのか、全くこれは理解に苦しむところであります。税制に限りましても、例えば、法人税、所得税の最高税率の検討さえしていないというのはどういうわけでしょうか。

 経済力との関係でいえば、例えば、第十回社会保障の在り方に関する懇談会に提出された資料、「社会保障財源の対GDP比の国際比較」が参考になります。

 それによれば、社会保障給付費に対する公費負担は、日本は五・四%にすぎません。ドイツは九・九%、フランス九・三%、イギリス一三・〇%、スウェーデン一六・二%、日本は他の諸国の二分の一から三分の一の水準であります。アメリカの七・二%よりも少ない水準であります。

 こうした社会保障の公的支出の少なさが、貧しい年金となってあらわれているわけであります。実際、国民年金の国庫負担は、当初二分の一だったわけですが、八〇年代以降、基礎年金の三分の一に据え置かれております。厚生年金への二〇%の国庫負担も廃止され、現在、年金給付全体に対する国庫負担は一二・四%にすぎません。当然ふやすべきであります。

 この国際比較を見ますと、日本は、社会保険料の被保険者負担、本人負担は他の諸国とほぼ同じ水準であります。ところが、事業主負担、企業負担は、日本五・七%に対しまして、イギリス八・四%、ドイツ一一・二%、フランス一四・〇%、スウェーデン一三・八%と、日本の企業負担がいかに低いか、明らかであります。

 日本の社会保障の貧しさの根本原因が公的負担、そして企業負担の少なさにあるということは、これらの政府の統計からも明瞭ではないでしょうか。この点を指摘しまして、発言を終わります。

    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕

仙谷会長代理 次に、阿部知子君。

阿部(知)議員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日のテーマは国民皆年金ということについてでございますが、この年金の論議も回を重ねまして、各党派、各御専門のこれまでのお取り組み、そして衆参を超えた熱心な議員の皆さんの御参加があってここまでやってきたと思います。

 そして、恐らく、私がまだ短い国会経験の中で思いますに、そもそも年金とは何か、あるいは、社会の中で、せんだって坂口議員が御指摘でございましたが、自助、共助、公助とはどうあるべきか、こうした、本来であれば政治の基本的、骨格的なことが話される場も、ほかにおいてはなかったように思います。今、財政諮問会議等々の流れは、ひたすら自分の責任、自己責任ということを強調されますが、究極に自己責任にしてしまえば政治は要らないわけですから、逆に、政治とは、本来であれば自助で賄うべきところの補完であるのか、あるいは、公助、共助がきっちりした上でみずから巣立っていけるのかという根本哲学のところをやはりきちんと論ずべきであると思いますので、坂口議員の御指摘を深く受けとめて、私は、きょうその点に関して、冒頭少しお話をさせていただきます。

 せんだっての議員のお話は、そもそも自助、共助、公助という考え方がございますが、まず自助があって、共助があって、そしてピラミッドでいえば一番上に公助があるという考え方、我々、その上に成り立っております。中には、公助が一番下で、真ん中が共助で、一番上の小さいところが自助だ、こういうお考えもありまして、ここで、例えば連合の笹森会長が社会保障の会合の中でそういうお考えを出されたということを例に引いておられましたが、坂口前大臣自身は、自助ということが一番下で、共助、公助になるのではないかというお話でございました。

 きょう、くしくも森議員の御発言も、いわゆる機会の均等か結果の保障かということで、多少これと連関する考え方を御披瀝でありましたが、私どもは、この坂口議員の御発言や森議員の御発言の立場よりは連合の笹森会長の言葉に近いと申しますか、やはりしっかりとした公助、共助があった上で自助が成り立っていくんだ、それを社会保障というんだという考え方に立つわけです。

 時代の流れを見ますと、例えば二〇〇〇年にでき上がった介護保険の問題にいたしましても、それまでは家庭の中で全部介護を抱えてきた、その結果悲惨なことが当然起こっているし、労働力においても、働き盛りが親の介護をしていれば当然労働力として私たちの社会の支え手になれないわけですから、家庭でみずから介護するというケースを想定したとしても、当然ながら、共助の仕組み、そして公助の仕組みでもある介護保険によるサービスがあることが前提になった社会を今私たちは生きようとしております。

 ここには、年齢構成の差、高齢化の問題、女性の社会進出、いろいろございますが、間違いなく歴史の歯車は、共助、公助ということをしっかりとしたセーフティーネットとしてどう張るんだということを論じなければいけない地点に立っているわけで、ここを、まず自助ありきということで引き戻し、そして、逆に言えば歴史を逆さに回転させるということはできないのではないか、誤っているのではないかと私どもは考えております。

 さて、本来の皆年金のお話ですが、昭和三十六年の国民年金の創設というものは、皆年金に向けた大きな一歩であったと思います。そして、そこで税方式をとるか保険料方式をとるかについても論議があったことは、皆さん御披瀝でございました。

 この三十六年に創設された国民年金が、しかし、さまざまな問題をはらみ、真の皆年金に遠いということで、また六十一年、一九八六年の改革がございました。この一九八六年の改革も、今思い起こしませばというか、私は当時おりませんが、文書で、御本で出されたものを読んでも、非常に綿密に、多岐にわたる検討が繰り返されております。問題意識としても、少子高齢化が進む、そして、二十一世紀を支える可能な年金制度は何かということを、一九八六年の当時の厚生省は一生懸命お考えでありました。

 そうやって一生懸命考えてつくった八六年の制度が逆に二十一世紀にうまくいかなくなってきているとしたら、それは何であるのかということを、私は、むしろ八六年の皆さんの御苦労をしっかりと踏まえた上で論議していくのが本日の役割ですし、ちょうど、三十六年から八六年が二十五年、そして八六年から今、二〇〇五年でございますから、今私たちが論じ、次のステップに持っていくということが本来の私どもの大きな歴史の役割であると思います。

 御承知のように、八六年の年金制度改革は、基礎年金部分の一元化、まさに一元化を目指したものでございました。と同時に、三十六年の皆年金という思想、それを実行するための一元化ということを図ったわけですが、その基礎年金自身が皆年金というものからさらに遠くなってしまった、そのことが問題なのであると思います。

 従来皆さん御指摘の、未納、未加入、低年金の増加ということがこの基礎年金部分で起きているということが何よりも問題であります。これはまずそもそも論といたしましては、当初からございました、税方式か社会保険方式かという論議の中で、社会保険方式を採用されたことに大きく起因しております。当然ですが、そこから未納、未加入、低年金は必ず生じてまいります。

 そればかりでなく、我が国の国民年金は、海外にも前例のない定額方式を採用しております。すなわち、現在一万三千五百八十円ですが、月収十万円のパートタイマーやフリーターにとっては、月収の一三・五八%という高額な掛金を納めなければならない。月収十五万円と見ても九%になっていて、こんな高い保険料を払っていくということ自身、大きく制度設計に問題が生じております。

 さらに加えて、時代の変化をきっちりと見るべきであります。

 さきの年金改革、一九八六年が、少子高齢化と産業構造の変化、これは、第一次産業より第三次産業が多くなった逆転の時代でございます。そして働き方、女性も働く。当然ながら、農業や第一次産業の方の比率が減り、逆に雇用者がふえる、勤労者がふえるという就業構造の変化。世帯構造においては、特に、この地点で既に高齢社会のひとり住まいということが問題意識に上っております。そして、そういうことを抱えながらやってきた改革が事ここに至ってさらに悪化したのは、御承知のように、非正規雇用の増加という問題でございます。

 そのことを数値の中で見てみますと、納付率の急激な低落が年々進行いたします。

 納付率は、そもそも、国民皆年金当時、これは三十六年ととりますと、六〇年代、七〇年代、改革のある八五年までは九〇%を維持しておりましたが、八六年の制度改革は、逆に、皆年金にするためにすそ野を広げましたので、ここで一度国民年金部分の納付率は八〇%に落ち込み、十年間八〇%台を維持し、雇用の流動化が起こりました九七年には七〇%台に落ち込み、今日、六〇%台でずっと推移しております。

 これだけの経緯を見ても、時代に追いついていない、マッチしていないということが言えると思います。

 もう一方、問題意識のいま一つの軸は、果たして、暮らせる年金ということをどのように保障するかにあったと思います。

 この支給額につきましては、現状でも四十年払っても六万六千円でございますし、そういうことからいたしますと、現在、無業者やパート、アルバイト等々、あるいは減免を受けてという方は、当然この額にも達しません。そもそも八六年度改革では、食料費、住居費、光熱費等々を高齢者を調査して置いた数字が五万円でございました。ここには保険料や交通通信費は入っておりません。

 今、医療保険も介護保険も、さらにこれから介護保険の利用サービスも御高齢者に御負担いただく時代に、私たちは、暮らせる年金ということをもっとしっかりと税方式で行っていくということに大きくかじを切るべきだと思います。

 終わります。

    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

与謝野会長 これにて各党からの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

与謝野会長 引き続き、議員間の自由討議を行います。

 一回の発言は三分程度で、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を名乗ってから行ってください。

 なお、発言時間の経過については、三分経過時と、その後は一分経過ごとにブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、御発言のある方は、お手元のネームプレートをお立てください。

阿部(正)議員 それでは、最初に言わせていただきますが、簡潔に申し上げます。

 一つは、今日のテーマは国民皆年金の意義ということでございますので、その必要性について簡潔に申し上げます。

 年金については、短期保険の医療保険と違いまして、四十年先、五十年先のリスクに備えるということが基本でございますので、そのときに所得があるから入らないとかいうことでこれを選択制にするならば、公的年金というのは成り立たないんじゃなかろうか。もちろん、それは税方式でということになれば別な話でございますけれども、社会保険である限り、私は、皆保険、皆年金というのが当然の前提になるのではないか。四十年先、五十年先の自分の人生というのを十分設計し尽くして選択するということはほとんど不可能でございますので、それに備えるということが公的年金でございますので、それに着目すると、国民皆年金というのが自然な姿ではないか、こんなふうに思います。

 と同時に、日本社会というのは、国によっては高所得の人は入らなくてもいいという制度がないではございませんけれども、日本は大変ある意味では均質な社会だというふうに思っておりますので、そういうことからしても、階層社会ではない日本における将来の五十年、六十年先の稼得能力がなくなったときの備えをどうするのかということは、社会保険として皆年金で仕組んでいくというのが自然な姿ではないかと思っております。

 先ほど森さんの方からも御指摘ございましたけれども、収入によって加入、非加入を認めるということになってまいりますと、ある種のモラルハザードといいましょうか、年金に入った方が有利か不利かというふうなことで選択というのは、本来的に、公的年金という基本的な性格からして少し外れるのではないか、こんなふうな気がします。そういうことで、ぜひ国民皆年金というのを当然のこととして予定していただければ、こんなふうに思っております。

 それから、これは全く私的な意見でございますけれども、今、免除というのが大変いつも問題になります。国民年金なりの保険料についての額その他からして、免除制度というのは三分の一ぐらいになってしまうとかいう話もございますけれども、一私見として、保険料は保険料として、社会保険ですから、国民皆年金ということを実現するとすれば、だれでも免除なしで納めてもらう。

 ただし、どうしても出せない方はいるでしょう。これについては、生活扶助の一つとして、年金保険料について一定の額、範囲、手法はいろいろありましょうけれども、それをそっちの方からお出しするというふうなこと、例えば、これは実は介護保険でとっている方式でございますけれども、というのも一考に値する方式ではなかろうか、こんなふうに思いますし、現役世代における拠出ということを前提にしますと、その方が、世代間扶養ということで考えますと大変意味のあることではないか、こんなふうに思っております。

 以上でございます。

古川議員 民主党の古川元久でございます。

 きょうは国民皆年金の意義ということで、今阿部議員からもお話がありましたけれども、実は国民皆年金ということの意味について、多分、一般の国民と特に与党の皆さん、そして我々の間で若干意識の違いがあるんじゃないかなと、阿部議員のお話を聞いていて改めて思いました。

 それはどういうことかというと、国民皆年金というのは、要するに国民全員が加入義務がある、入らなきゃいけない。国民皆年金、公的年金というのは皆年金だという、今の阿部議員なんかのお話を聞いていると、特にその部分にウエートが置かれているような気がするんですが、多分、ほとんどの国民の皆さん、そして我々も考えている国民皆年金というものは、要するに、高齢者の皆さん方すべてに公的年金がきちんと支給されるような、年金がもらえるような制度をつくっていこう、そういう意味での国民皆年金ということじゃないかな、ここのところをもう少し、できれば本当はきちんと議論した方がいいんじゃないかなというふうに思います。

 もちろん、私は、加入義務が当然国民すべての人にあるということも大事だと思いますけれども、特に当初の制度設計のときにはそういうことが必要だったかと思いますが、しかし、先ほど来から議論になっております将来の日本社会というものを見渡したときには、では、公的年金というものがどういう意味を持ってくるのか。我々の生活、一生の生活のパターンを考えていく上でどういう意味合いを持っていくのか。

 私は、これからの時代、そして、今、日本で進んでいる、終身雇用とかそういうものがなくなっていって一生の間に何度も職業をかえるような状況がある、そしてまた将来不安というものが拡大している中で、かつ、かつてと違って財政状況も大変厳しくて、生活できない人はどんどん生活保護で面倒を見ればいいというような時代でもない中で、ますます、老後に最低限の年金がすべての国民に保障されるという意味での、その給付の側での、支給されるという意味での国民皆年金の存在というものが極めて大事になってきているのではないか。

 国民すべての人たちに年金が支給されるような、ちゃんと受け取れるような、それなりに老後にある程度の年金額が保障されるような制度にするためにはどうしたらいいのか。果たして今の制度でそれが本当にできるのか。そう考えていけば、私どもは、これは今の制度では、そういう意味での国民皆年金と言えるような、みんなが年金をもらえるような形にはますますなっていかないんじゃないか、そういう危惧を持っているからこそ、新しい制度のあり方というものを提案しているわけであります。

 ですから、国民皆年金というときに、加入のところでの皆年金、そして給付を受けるところでの皆年金、ここのところはきちんと整理をしなければいけないんじゃないかと思います。

 そうした観点から考えますと、従来のような、企業が、ある種政府にかわって社会保障的な面を背負ってきた、そういうことが、今やこれだけ国際的な競争も厳しくなって、企業の置かれている環境も厳しい中では難しくなっているわけであります。だからこそ、ますますこうしたセーフティーネットの部分に政府というものはある種力を入れていかなければいけない。

 そして、財政的な制約も厳しい中で、では、どういう形で財政の資源配分というものをしていくかといえば、やはり、従来のような公共事業とかそういう物への投資ではなくて人の上に投資をしていく、そういう大きな意味での財政の資源再配分というものをしていかなければいけない。なぜ財政再建が必要なのかということから考えても、そういう意味でのセーフティーネットをきちんと賄っていくための財政再建ということが明確にされなければ、私は国民の理解も得られないんだろうと思います。

 そういう意味では、先ほど福島議員なんかからも一刀両断に、一元化というのは少子高齢化時代に対応するものじゃないとはっきり言われましたけれども、もう少しそこのところは頭をやわらかくしていただいて、本当にそう一刀両断に言えるようなものなのかどうか、ぜひきちんともう少し議論をしていただきたいというふうに思います。

 以上です。

坂口議員 きょうは、自助、共助、公助のお話も出たりいたしまして、大分煮詰まってきたような気がいたします。

 先ほどからもお話が出ておりますように、現在までのこの日本の社会保障制度、とりわけ年金制度におきましては、これは自立自助ということを中心にして構成されてきているということだと思います。いい悪いは別にしまして、今までの経緯としましては、自立自助というものが中心になって構成されてきている。したがいまして、保険料を払っていただくようになっておりますが、税制と違いまして、保険料を払わない人がいたとしても、罰則規定というのはそこにはないんですね。

 私、なぜないのかなというふうに率直に疑問に思ったことがございます。調べますと、やはり自立自助というものを中心にして考えているものですから、罰則まではかけない。ただし、かなり多くの所得があって払わないという人があれば、徴収につきましては強制的に徴収する行為に入るということはありますけれども、罰則まで至っていない。そこが今までの考え方の大枠の中の一つではないかというふうに思っております。

 ここを保険料ではなくて税制でいくんだという話は、先ほど佐々木先生からも出ましたけれども、社会保障審議会なんかでも最初から議論になっているところでございます。両方議論になっております。しかし、ここを、なぜ今日の社会保険制度が続いてきたかといえば、税制にしたら国民負担が余りにも多くなり過ぎるということがあって今日の社会保険制度が続いてきているというふうに思います。そういうふうに出ておりますから。

 ですから、今後、今古川議員からもお話がございましたが、これから先、全員に税でやっていくことにしていくということになれば、かなり税制における高負担というものを覚悟しなければならない。その覚悟なしにはできないわけでありまして、そうしたこともあり得る。

 先ほど、自助、共助、公助のお話がございました。私は、自助が一番下で、共助で公助だということを先日申し上げましたけれども、そうはいいますものの、現在の年金制度で申しますと、国民年金のところも二分の一までは公で、公助で出しているわけでありますから、公助がピラミッドの一番上で、ほとんど手を出していないわけではないというふうに思っております。

 時間が来ましたから、もうこれだけにしておきます。

山本議員 民主党・新緑風会の山本孝史でございます。

 皆年金という言葉の持つ意味を、やはり共通認識を持たなければいけないと思うわけですね。福島さんは、国民すべてに年金を保障するとおっしゃった。それは、制度的に用意をしたという意味で皆年金と言っている。だけれども、我々は、古川さんがおっしゃったように、国民に意味ある年金を最低限保障するという仕組みでの皆年金という考え方をする。ここが違うわけですね。そういう意味で基礎年金の仕組みが非常に重要で、そのときに、税方式なのか社会保険方式なのか。すなわち、財源をどうするか、仕組みをどうするかという問題に尽きるわけでございます。

 幾つか問題があって、社会保険方式でやれば低所得の人は一生年金も低いままになる。一生貧しいままに送るというのが社会保険方式、これが本当にいいのかどうかという問題。

 それから、財源の安定的な確保をどうするかというときに、社会保険料は今や限界が来ているということで、坂口先生、御認識が違うのは、税であっても社会保険料であっても国民負担総額は同じですから、だれがどう負担するかということなので、そこは税が高くなるからだめだという話にはならないんです。しかし、財源の安定的確保からどっちがいいかということは議論としてはあり得る。

 三つ目に、今の仕組みだと税は一律給付されますので、給付時に国庫負担していますから、高額年金の方にも税で年金を高くしてあげているという仕組みになっているので、このところをどう考えるかということがやはりあるのではないかと私は思います。したがって、税金をどの時点で投入するか。阿部さんがおっしゃったように、拠出時に税金を投入するという仕組みは考えてほしいと思います。

 それから、佐々木先生、財源だといつも消費税、消費税とおっしゃるけれども、財源は消費税だけではありません。ここは、相続税だとか法人税、所得税、全体のあり方を考えなければいけないと私は思います。当然そのときに、徴収に係るコストの問題も考えなければいけない。払いやすい仕組み、あるいは運営のコストをぜひ考えるということだと思います。

 したがって、水準の問題を考えるときに、私、非常に残念なのは、公明党の皆さん方、坂口先生に、昔言ったことの責任を今ごろとらされるのか、こうおっしゃったけれども、公明党はかつては税による一律の国民年金を考えておられたんですね。それを途中で変えられた。今回も、基礎年金にマクロ経済スライドを適用して、今でも低い基礎年金をさらに低くしていくという仕組みに加担したことについてどういうふうに評価されるのかということは、やはり私は非常に大きな問題だと思います。

 そういう意味で、佐々木先生御指摘の社会保障制度審議会、かつて税方式の基本年金構想を打ち出したときは、会長は大河内一男だったんですね。あの当時の、戦後の日本社会を考えるときの社会のあり方、理念というものが色濃く出ていた答申だったと思うんですが、それが三十六年、六十一年という時代を経る中で、だんだんとアメリカ型になってきたというか、自己責任を強調するようになってしまった。やはりここは、年金制度ではありますけれども、社会のあり方、これからの日本社会をどう考えるのかという実は基本的な理念にかかわっているということで、ぜひお考えをいただきたいと思います。

 ありがとうございました

阿部(知)議員 先ほど来、財源問題が言及されておりますので、私ども社民党が考えております財源問題についても少しお話しさせていただきたいと思います。

 我が党は全額税方式ということを申し述べておりますが、そもそも全額税方式に持っていきたいと思うところの根幹は、先ほど来、基礎的暮らし年金と申しますように、暮らしの基礎を、それもこれから皆さんが国民健康保険料やあるいは介護保険料を自分でお出しになっていくという制度設計をしている我が国で、基礎的暮らし年金の額をきっちりしないとその保険料も出していけないということになってまいりますので、全額税方式で、きっちりと暮らし保障ができる年金をつくりたいということと、未納、滞納問題、そういう現象面以上に、やはり全国民的にナショナルミニマムを保障する、これは先ほど御紹介の山本議員のお考えとも一致すると思いますが、そういう確固たる政策理念に立って国民合意を進めたい。

 さて、税方式にする場合に、所得税、法人税、私どもは、ここで企業の社会保障税ということを申し述べております。もちろん所得税については累進度を上げる、小渕減税以前の所得税のあり方、もう一度私どもは考えてみたいと思います。しかし、今所得格差も拡大しておりますので、時代状況をもう少し分析する必要もあると思います。

 もう一つは法人税の税率アップで、これはアメリカよりも低くなっておりますので、この点についても検討が必要だ。

 それからさらに、これまで企業は社会保険料を負担してきたわけですが、今は、企業の中で社会保険料負担をせずともよい形の雇用を優先するという形になってまいりまして、年金制度と雇用の問題が逆に負の連鎖というものをもたらしておると思いますので、社会保障税という形に変えて、全人件費、賃金総額に一定比率を掛けて算出し、しかし、ここにおいては、企業の基礎体力においてその料率を変えていくということを考えるべきだと思います。

 非常に人件費比率が高く、企業の基礎体力が弱体な場合にはそこが非常に負担になりますので、企業の基礎体力に応じた、そして賃金総額に掛けるところの社会保障税のあり方を検討し、それを一階の税部分に、全額ではございませんが、投入していく。これは現状でも社会保険料負担の中で基礎年金部分に投入されておりますので、そのような方式はとれないはずはないですし、これから多様な働き方の中で、最も現実的な企業の社会的責任のとり方だと私どもは思っております。当然そのことと、一方でパートの方の社会保険加入を進め、そのことについては、賃金比例の年金の中に、二階建ての中に保障していくという方式をとっております。

 そして、消費税を福祉目的税的に使うというお話は一方であるのですが、しかし、全体として今いろいろなことで消費税に熱い目が向いております。あれもこれも消費税を使えないかという中で、消費税という財源の、ある意味どこに使うべきかという論議と、それから、どの程度で私どもの現在の経済に与える影響が問題とされるのかというところの見定めもございません。この点については、消費税を年金にというのは補足的、調整的な部分で活用していくべきと考えております。

 以上です。

枝野議員 国民皆年金の意義ということで皆さんいろいろな御指摘をされていますが、私は一点、大事な観点が落とされているのではないかと思います。

 先ほどありましたとおり、保険料を納めるという意味での皆年金、そしてすべての人が一定程度の年金を受け取れるという意味での皆年金。この受け取れるということの意味が本人だけのための国民皆年金なのかというと、そうではない。既に過去二回の議論の中でも出てきておりますように、高齢者の皆さんが年金という制度のもとで食べていけるということは、もちろん本人にとって利益であると同時に、社会全体にとって大変大きな利益であるからこそ、私たちは公的年金制度をつくり、維持しているのではないでしょうか。

 つまり、稼働能力のない高齢者に一定の収入がなければ、その人たちをうば捨てをするのかという話になるわけでありまして、それをしないで済む社会ということは、当事者以外の社会全体にとっても、その社会全体の秩序にとっても大変重要なことである。

 こういう観点から、すべての皆さんが稼働能力をなくした年齢になっても食べていけるということは当人の利益だけではないという観点で国民皆年金をしっかり位置づけなければならないのではないかというふうに思います。

 そうしたことを踏まえた上で、もう一点大事なことは、皆年金といった場合に、一円でももらえれば皆年金なのかということであります。

 先ほど来指摘がありますとおり、いろいろな経緯の中で月一万円前後あるいはそれ以下しか年金を受け取っていない人もいるわけで、この人も皆年金と形式的に受けとめれば、皆年金の皆の中に入るのかもしれません。しかし、本人にとってはもちろんでありますけれども、月に一万円とか二万円の年金しか受け取れていない人たちがどんどんふえていけば、それは当事者以外、社会全体の秩序不安、社会不安を醸成していくということで、社会全体にとっても大変大きなマイナスがあるということになります。

 そして、残念ながらこういう人たちが今後ふえていく可能性が高いという問題に対してどういう解決策を出すのかということが問われているのではないでしょうか。

 先ほど来、未納、未加入の問題をどう解決するのかということも出てきていますが、例えば、今、未納や未加入の対象にならない免除の人たち、こういう人たちは、では、免除されても国民年金の満額、フルでもらえるのかというと、フルでもらえるわけではありません。国庫負担分に相当する部分を受け取れるにすぎませんから、今の国民年金の六万円超という満額であったとしても、社会の構成員として、秩序と安定を混乱させないために必要最低限のぎりぎりの線であるにもかかわらず、その半分しかもらえないということを初めからの前提にしているということで果たしていいのか。

 あるいは、四十年間を通じて一貫して未納、未加入ということにはならない人も、その中には確かにいます。しかし、そういう人たちは、当然のことながら、国民年金の場合、特に、満額は受け取れないということになって、つまり、年金以外のシステムの中でこの人たちを食べさせていかなければならないという構造は違いがないんだろうと思います。

 前回も申し上げましたが、この人たちを切り捨てる社会にするというのなら、我々は違いますけれども、それは一つの価値観かもしれません。しかし、こういう人たちも社会の構成員として食べていけるようにしなきゃならないし、恐らくそうしなければ、それこそ社会秩序、犯罪の問題とかさまざまな問題を含めて、社会全体が悪くなっていくだろうと思います。

 この問題に対してどういう答えを出せるのか。それは、我々の主張が私たちは百点満点で、一切動かさないということは一度も申し上げていません。しかし、この問題に対してどう解決するのかということについて新たな別の選択肢を、残念ながら私はこの場で、この間の議論の中でお聞きをできていません。ぜひとも、これをどうやって解決するのかという点について建設的な主張を提案していただきたいと思っております。

 以上です。

伊吹議員 きょうは各党のお話を聞いて、特に基礎年金あるいは最低保障年金のところに税をどの程度入れるかということに、各党の持っている政党の理念あるいは描いている国の形、こういうものがあぶり出されてきて、これはこれで非常によかったと私は思います。与党案が絶対のものだということでここへ来るのなら話はする必要はないわけでして、だから、与党案を批判されたからやじりまくってしまうのでは、これは話になりませんから、お互いに、どうすれば建設的に近づけるか、今枝野さんが言ったことをやらねばならないと思います。

 ですから、今三分の一だけれども、いずれ二分の一、そしてできればこれを、私は満額という考えはとりませんが、四分の三あるいは三分の二に近づけて所得制限をかけていくという提案を私は私なりにしているつもりです。

 まず、先ほど古川さんから話があったように、働き方が違ってきているからというのは、私たちもその現実を謙虚に受けとめねばならないと思います。だからポータビリティーの問題ですね。例えば、職をかえても、既積み立てをしたものを背中に背負って次の年金に入っていけるかどうか、あるいは、国民年金の二十五年というものをなくして、当然のこととして、厚生年金と同じように加入期間に応じて既積み立て分の給付を受けられる制度、こういうものはやはり考えていかねばならないと思います。

 問題は、皆年金と言っている中で、無年金者の扱い、つまり、基礎年金または最低保障年金を全額税で賄うことについての可否ということが出てくると思います。ここは、給付の皆年金をとるのか、それともやはりある程度の自助努力というものを前提に社会の形を考えていくのか。これは政党の政治理念によると思います。したがって、自民党の政治理念が絶対だとは私は思いませんし、皆さん方のも絶対だと思いません。これは数学の世界ではありませんから、絶対的な解はないのです。だから、共産党さんの価値観もなるほどなと。しかし、私はそれをとらないということです。政党の理念というのはそういうものだと思いますし、これを国民的な理念に変換するために多数決という仕組みを我々は使っているだけのことだと思います。

 そういう観点から言うと、全額税で賄うというのは、生活保護とのバランスの問題がまず一つ。それから、消費税を使うということは、世代としては、その世代が一年間に納めた消費税を同時に給付の財源に充てるわけですから、一見、負担して年金をもらうので平等のように思いますが、これは共産党さんと民主党や自民党の理念が違うところですが、消費税をもし使うということになると、かなり税率が高くなってきますね。そのときは、生活必需品等を考えると、非課税品目とか軽減税率というのは当然変わってくる。そうすると、同世代内の消費税の負担と、その消費税財源からもらう基礎年金、最低保障年金との間の公平、不公平というものはやはり出てくるのですね。

 つまり、所得税をなぜ取らないかというと、移転所得の場合に、一定所得の人たちだけが負担して、所得を持っていない人たちにそれを均てんするということを平等だと思う価値観もあれば、そうじゃないと思う価値観も日本社会には存在しているということですね。ですから、民主党案の、二階建ての部分の保険料を払わなければ一階の最低保障年金がもらえないんだということだと、私どもの価値観と非常に近いから、これは調整をしていけば僕はいいじゃないかと。

 しかし、二階建ての部分を払わなくても一階建てがもらえるんだということになりますと、これはやはり私たちは、もう既に三分の一は自助努力をしなくても国費を入れます、そして二分の一までは入れますということは既に言っているわけですね。さらにそれを三分の二あるいは四分の三までは入れてもいいだろう、これは極めて案を近づけているわけですね。その場合に、これを満額やっちゃおうということになると、これはさっき阿部さんと山本さんとの議論だけれども、保険料を払うという義務を果たした者が給付を受けるという権利を得る、そういう社会でありたいと我々は思うんですね。

 そうすると、最後の問題は、雇用主がいて保険料を案分負担してもらえる共済と厚生年金の方と、案分負担をしてもらえない自営業者の方が果たして厚生年金や共済年金の保険料のフルの保険料を負担できるかどうかという、負担の問題になってきますね。ここは、先ほど小宮山議員の方から、歳入庁をつくればすべてが解決するというお話があったんだけれども、解決するかどうかは、税務の御経験が長い津島議員からぜひ説明していただかねばならないと私は思うんですが、これは現実的にはやはりなかなか難しい。

 だから、現実性と継続性を前提に民主党案と与党案を近づけていこうとすると、やはり基礎年金部分の国庫負担をできるだけ多くとって、自営業者の負担をできるだけ低くしてあげながら一元化の道をたどっていく、そして、国庫負担については、民主党案のように、所得制限を課して、高所得の人は御遠慮を願うというような考え方でいけば、私はそんなに意見が違わないと思いますよ。

 問題は、二階建ての部分の保険料を払わなくても一階建てがもらえるのかどうなのかということを再三伺っているんだけれども、私は今まで、議事録に残る形でお答えをいただいていないんです。これはぜひ、どこどこをお読みいただけばわかりますとか、そういうお答えはあるんですが、そこをはっきり議事録に残る形で教えていただけば、より一層話が近づいてくるんではないかと思います。

 以上です。

福島議員 私どもの発言に対しての幾つかの御指摘もありましたので、述べたいと思います。

 一刀両断にしたという御指摘がありましたが、私が申し上げたかったのは、昨年の年金改革は、特に厚生年金ですけれども、給付と負担の調整をマクロ経済スライドで行う、それによって安定させる、ここのところが最大の目的だったわけです。その話と一元化の話は違いますねということを申し上げただけであります。

 そして、今御発言をずっとお聞きしておりますと、一元化ということに絡んで出てくる具体的な問題は、低年金者をどうするんだ、無年金者をどうするんだ、こういう指摘なんだと思います。そこに収れんしてきている。機会の保障か、結果の保障か、立場が違いますね、こういう話なんですけれども、せんじ詰めると、そこのところの対策をどうするか。

 国民年金にもマクロ経済スライドをかけるのに加担したという御指摘がありましたけれども、全体としてマクロ経済スライドを導入するということは、昨年の年金改革の大変大きな意義だったわけです。その上で、国民年金が将来給付水準はどうなるのかというようなことについて議論を続けるということは十分意味があると思いますし、そしてまた、今伊吹先生からもお話ありましたように、国民年金をどう改革していくのか、ここのところはコンセンサスができれば、私は一番望ましいんじゃないかと。

 いろいろなやり方があると思います。それは、公費負担の割合をふやすというようなこともあると思いますし、そしてまた、高齢期の所得保障ということであれば、低年金の方に対して、生活扶助ということではなくて、そこのところをもう少し制度の仕組みとしてどうするか、社会保障全体の中でどうするかという考え方もあり得ると思うのです。

 そしてまた、一方で、阿部先生の方からは、負担がふえてどうするんだね、こういう話がありましたけれども、それは医療保険制度なり介護保険制度なり横断的に、低年金者対策をどうするのか、こういうことも一緒に論じなければいけないわけですね。

 ですから、ある意味で、低年金の方をどうするか、無年金の方をどうするのかというような問題については、まだまだ具体的な提案をして、そして議論を収れんさせていくということがあり得るんじゃないかと思うんです。

 ただ、そこで、定性的な議論として、やはり私は、年金というのは、先ほども伊吹先生からお話がありましたように、全額税ではなくて、保険料を払った、割合はともかくとして、それが大切だ、それはそのとおりだと私は思うんです。公明党の立場が変わったというお話がありましたけれども、今求められていることは、負担と給付、これはリンクしているんだ、そういう国民意識、これは税も保険料も基本的には同じだと思うんです。みずからが給付を受けるためにはどれだけの負担をしなければいけないのか。

 先ほど、かつての拠出年金に対しての大反対運動のお話をしましたけれども、目に見える負担ではなくて、税で年金をもらえたらそれはありがたいことだな、こういう議論だったんじゃないかと私は想像するんです。そんなことはあり得ないわけです。これからさらに高齢化が進んでいくんですから、もっともっと国民の意識の中で、負担と給付は連動しているんだということを理解してもらうことが大事だ。

 ですから、そういう意味では、全額税方式というのは、そういう理解にとってはどうなんだろうかと思いますし、そして、一人一人の国民がみずから支えていくんだ、こういう意識を本当に持ってもらわなければ、二十一世紀の社会保障制度はどうなるんだ、これは根っこの哲学の問題なんですけれども、そういうことを大事にすべきだと私は思っております。

小川議員 今の年金制度、世代間で世代を支えているということを一人一人がきちんと認識を持つべきだということは全くそのとおりなんですが、そういう認識が必要であるにもかかわらず、現実に未納問題が生じているということについて、これをどう解消するのかということは、先ほど枝野議員からも指摘しましたが、実際にはこれまでの審議の中で与党の皆さんの方から回答はないわけで、きょうは、例えば森先生のお話ですと、保険方式によって機会を与えたからそれでいいんだというような御趣旨ですと、要するに、機会を与えたんだから、保険料を払わない人は将来年金をもらえなくていいんだという結論になるようにも思われるのですけれども、果たしてそれでいいのかということでございます。

 私は、この未納者問題について、別の観点から、大変に不公平な問題があるということを一つ指摘させていただきます。

 といいますのは、今は、お年寄りの方々がもらう年金を現役世代が支えておるわけです。そうすると、未納者がいた場合に、未納者が払わなかった分をお年寄りの方々の年金の額を減らすわけではないので、ではどういうふうにしてつじつまを合わせるかというと、未納者が払わなかった分を、実は、正直に払っている方たちが薄く広くみんなで負担しておるわけでして、未納者のしりぬぐいを現役世代が負担しておるわけです。

 では、次に、未納者の分を多く負担させられた現役世代の人が将来年金をもらうことになったときに、未納者の分をしりぬぐいさせられて多く負担させられた分、年金を多くもらえるわけではありません。しりぬぐいをしようとしまいと、将来受け取る年金の額は同じであります。

 ですから、今の現役世代が年金者の未納分を多く負担させられた分、まさに多く負担させられ損でありまして、何の見返りもないまま損をしているというわけであります。

 これにつきまして、保険料を払わなかった人は、保険料を払わない分、将来もらえないんだからいいんだという、払わなかった人に視点を置いちゃうと、払わないんだから将来年金をもらえないんだから、それで公平だということになるかもしれないけれども、そうじゃないので、払わなかった人の分をしりぬぐいさせられた現役世代の人が将来その分を年金もらえないんじゃ払い損になっているわけでして、これは全くつじつまが合わない。まさに正直者がばかを見るという話であります。

 では、年金の未納者がいて、その人が将来保険をもらえない。そうすると、しりぬぐいをした人たち、正直者も年金の保険料を払わなかった人たちも一緒にお年寄りになるわけで、そして、未納者が保険料を払わない分保険の給付が少ないから、それによって恩恵をこうむるのは、実は、この現役世代を支える次の世代の人たちが、支えなくてはいけない年金の給付の総額が減るから、次の世代の人たちが多少恩恵をこうむる。

 しかし、今言ったように、現役世代が年金の未納者の分を負担させられたという不公平さは結局何も解消されないという問題があるわけです。ですから、機会を均等にする、未納者が出るという問題について、やはり国民が納得できるような対策、すなわち、未納問題をなくすようなこういう方策をとらなくてはいけないのではないかというふうに考えております。

阿部(知)議員 まず、税方式であればあたかも国民が負担していないかのような、何も負担しないでただ乗りだというような論議はちょっとおかしい。税にしろ保険料にしろ、負担はしているんだと思います。

 その上に立って、しかし、昭和三十六年の国民皆年金と皆保険、医療保険、制度発足したわけですが、先ほどの阿部議員のお話を聞きながら思いましたが、介護保険の制度に見習えば、あるいは福島議員のおっしゃった、低年金者、低所得者対策として年金、介護、医療の問題を別枠で解決すればよいというふうにお聞きしましたが、そういう形というのは、これから膨大に発生してくる、低年金あるいは無保険、医療保険すらない方たちの数を見誤っているのではないかなと思います。

 そもそも介護保険にいたしましても、医療保険に上乗せして保険料をいただいておりまして、医療保険の未納者が四百五十万人になっております。そのことによって、介護保険もまた大きな穴を実は持っております。医療保険を納めないから介護保険の保険料も納められていないわけです。この方たちが年金でも同じ仕組みになっていくとしたら、この次に話す生活保護との関連が、ますます差がなくなってくると思います。

 ですから、私が繰り返し申したいのは、年金部分をきっちりミニマムとして保障して、そこから医療保険料も介護保険料も負担していただく保険方式をしっかりしていかないと、どれもどれも保険方式が崩れている。国民健康保険の未納率の高さは、もちろん皆さんの方がずっと私より長年やっておられますでしょうから、これまでに類を見ない高さになっております。そのあたりも含めて阿部議員の御発言があったのかどうか、私は一点、大変に先輩ですし、御見識も深い方ですから、かえって疑問に思いました。

 ちなみに、次回になりますが、生活保護との関連ということでいえば、イギリスのビバレッジ報告にございますように、年金は生活保護を上回るものであるべしというところから、戦後、社会保障は各国で発達してきておりますので、内容は詳しく次回述べますが、とりあえず、保険の全部の失敗を低年金層、医療無保険層、介護無保険層みたいにしていく案というのはちょっといかがなものかと思いまして、申し述べさせていただきます。

古川議員 先ほど来から、伊吹議員あるいは福島議員から、現行制度を前提にしてどう調整できるのかという意見が出されているわけなんですが、私ども、これは岡田代表もここに出てきて何度か申し上げているように、最終的に目指すところの、それは理想型かもしれませんけれども、しかし、そこの姿のところでのまず一致点というものを目指そうじゃないか。その上で、ではそこに進んでいくために今の制度をどう変えていったらいいのか、そういうやり方で議論していこうじゃないかということを提案させていただいているわけなんですが、私は、これは、福島議員が最初におっしゃられた、将来への不安とか、これまで累次にわたって行われてきた制度改革によって、今、制度自身に対する国民の不信が、あるいは信任が大きく揺らいでいる、やはりそれに対する政治側からのきちんとしたメッセージになるんじゃないかなと思うんですね。

 ここにいらっしゃる議員の皆さん、特に与党の皆さんは、私なんかよりも何年も長くこの社会保障の問題に携わっている方ですから、言ってみれば、かなりこれは専門家の方々の集まりみたいな感じで、専門的な議論でいえば、今、目の前にある制度を見て、我々とも一致できるところから微調整しようとか、そういう議論もいいのかもしれませんが、私は、そういうことでは、今ここまで揺らいでいる国民の制度自体に対する信任を回復することができないんじゃないかと思うんです。やはり、国民の皆さんが信頼をする、ああ、ここで議論されていることはこういう最終的な姿を目指していくその前提としてやっているんだ、その第一歩としてやっていくんだということが見えて、初めてそうした改革に対する信頼というものも出てくるんじゃないかと思います。

 そういう意味では、私はぜひ、ここの場で改めて、最終的にはどういう姿を目指すのかというところについて、与党の側の皆さんからの御意見を聞きたいというふうに思っています。

 伊吹議員は、自民党の理念と違うということをよく言われます。郵政ほどじゃないかもしれませんが、自民党の中にもかなり年金や社会保障についてもいろいろな意見が、理念的に違う方々もいらっしゃるようですから、余り党という一まとまりで議論するよりも、ここは、それぞれの議員一人一人の考え方を述べ合って、そういう中で本当にいいものを、そして、国民の皆さんが、どういう制度であれば、不安なく、その制度に対して保険料も払っていこうという気になるような制度改革ができるかということを考えていかなきゃいけないんじゃないかと思います。

 我々、最低保障年金というものがある程度の金額のもとでちゃんとすべての人に保障される仕組みにしたい、最低年金額というものは設定したいと思っているのは、それがあって初めて自助努力していくインセンティブもわいてくるんじゃないかと私は思うんです。どうせ今から頑張ったってほとんど年金はもらえないとか、非常にわずかな年金というのであれば、今さら頑張るよりも、足らない分は生活保護で見てもらおうかという、むしろモラルハザードを生んでしまうんじゃないか。それよりも、これだけの額は保障するということによって初めて、将来設計のために、では、これから老後までの間でどれくらい貯蓄していかなきゃいけないのかとか、そういう自助努力のためのインセンティブをつけていくことにもなっていくんじゃないかと思います。

 そういう意味でも、私は、国民皆年金、その給付の部分でありますけれども、一定額のところは何らかの形で保障される制度というものを最終的な形として考えていくべきじゃないかというふうに思っています。

小池議員 伊吹議員の方から、最低保障年金制度の考え方について、保険料を払うことが前提なのかどうかという御質問がありました。

 私どもの考え方を述べたいと思うんですが……(発言する者あり)でも、私たちも最低保障年金制度を提案していますので、一言言わせていただきたいと思います。

 基本的理念として、私たちとしては、これは権利であるというふうに考えておりますので、保険料の支払いを前提とする制度ではないというふうに思っております。諸外国の制度を見ても、居住要件だけで支出をするという例が多数ございます。この点で、民主党の考え方と私どもとは違うのかなというふうに思ってもおります。

 もちろん、多額の収入を得ながら、最低保障年金を当てにすることで意図的に保険料を払わないというようなケースにまで国費で最低保障年金を出すのかということは、当然、運用の問題としてはそれを排除する仕組みは必要だというふうには考えておりますが、憲法二十五条で保障された、健康で文化的な最低限度の生活を稼得所得のない高齢者に権利としてすべからく保障する制度として確立をすべきだというのが私どもの基本的な考え方であります。

 もし加入手続あるいは保険料の支払いということを前提にする制度にすれば、これまで問題になってきました無年金障害者のこと、あるいは中国残留孤児の今の生活実態などの問題を解決できません。あるいは、不安定雇用がどんどん広がっているもとで保険料の支払いを前提とすれば、どういった形でもその網から漏れてくる人が出てくるだろうし、そうすれば、無年金者の問題というのは、これは永遠に解決できないことになっていくだろうというふうにも思っております。

 生活保護制度との関係等々について議論があるかと思いますが、この点は次回、テーマとされていると思いますので、その際にまた改めて発言をさせていただきたいというふうに思っております。

坂口議員 年金の周辺におきましていろいろの問題があることは私たちも理解をしているつもりでございます。例えば働き方の問題にいたしましても、さまざまな働き方が出ている。また、なかなか将来的に継続して働けない人たちがいるというようなことも理解をいたしております。

 それで、年金の周辺にさまざまな問題がありますが、私は、それらの問題はすべて年金がしょって立つということもなかなかまた難しい話でありますから、年金自身としてしょって立たなければならない問題と、それから周辺で改革をしていかなければならない問題と、これは双方あるんだろうというふうに思っております。そこはかなり共通できるところではないかというふうに思います。

 それからもう一つは、大きな立場から、財政が非常に厳しい中でありますし、また、少子高齢化の進んでいる現状でありますから、世代間の格差というものがかなり大きくなっていく。そういたしますと、現在よりも将来の方がどうしても負担が多くなっていく。

 そうしたことを考えますと、おのずから、それが税であれ保険料であれ、出していただく額に影響いたしますし、また、そのことは受け取る側の皆さん方にも影響するわけでございます。そうした意味で、マクロ経済スライドというようなことも前回申し上げさせていただいたわけでございます。それが一つ。

 それからもう一つは、小川先生が先ほど御指摘になりまして、現在払っていない人たちがいて、その分は現在の皆さん方がそれを負担しているというお話がございました。

 ここは、私は少し違うんじゃないかと思っておりますのは、確かに、払わない人たちがいて、その分、積立金が何もありませんと、御指摘のように、だれかが出さなきゃならないということになっておりますが、幸いにいたしまして今は積立金がありますので、そこのところは積立金で負担をしているということになるわけであります。

 ただ、積立金がそこを負担いたしておりますが、積立金は運用しておるわけでありますから、それを使えばその分だけ少なくなるわけでありますから、全く影響がないわけではないというふうに思います。しかし、その皆さんは年金をもらわないわけでありますから、中期的に見れば、財政上のプラマイはゼロになる。

 また、それだけではなくて、今三分の一でございますが、これから二分の一出すということになりますと、その二分の一という税制の中には何らかの形で負担をしていただいた分も含まれているわけでありますから、私は、そのことが、現在納めていただいている人に全部それが転嫁されるということとは少し意味が違うんではないかというふうに思っております。

 以上、少し気づきましたことを申し上げた次第でございます。

中島議員 中島でございます。

 まず冒頭、伊吹先生から先ほど話が提起されました、二階部分の保険料を支払わねば最低保障年金をもらえない、最低保障年金をもらえる、そういう伊吹先生の発言に対しての民主党の考え方は、考え方によっては我が党と、持っている考え方とも非常に近いので、話し合いができるのではないのかという御発言をいたしたわけであります。

 時間ももうかなり来ておりますので、その問題について民主党の考え方を幹事会の中でも明らかにして、そして次の回には、伊吹先生の発言に対して、もう数回御発言をしておりますけれども民主党のお答えがございませんので、その辺について明確にしておいていただきたいということが第一点でございます。

 次に、第二点の問題でございまして、私は、きょう、小宮山先生の御発言を聞きまして、勘定しましたら、今の年金は壊れているという言葉を五回使っておりました。一方、壊れていると言っておきながら、パートの問題、専業主婦の問題等々、いろいろな問題について早急に手直しをしていかなければいけないということで、実はこの前、私は、参議院の中でよくちょうちょうはっし論議をしました山本さんの発言というものが私どもの発言にも似通った点があるので、その辺から話をしていこうと言ったら、枝野さんから、一刀両断、そんなことをやるなら、与党は持ち帰って一人でやれというような御発言がございましたけれども、きょう聞いていますと、私は、民主党さんの中にもやはり明確になっていないものがたくさんあるんじゃないのか。それこそ超党派のこの合同会議の中で論議をしていくことが大切なのではないか。

 例えば、社民党や共産党の皆さん方が、税の全額負担というものを、いわゆる企業が負担しろ、そういうふうなことに対して、古川さんの意見の中にも、では、国際競争の中で企業にこれを全部かぶせていくことについては限界もあるという御発言もあるわけですね。しかし、岡田党首は、消費の目的税でこれを処理していきなさいという御発言もあるわけです。

 ですから、これはさまざまな意見があるので、税の問題等についても……(発言する者あり)ちゃんと聞いてくださいよ。私は、税の問題が、国民の理解をされない、いわゆる消費税とか一方的な税の負担というのはかえって国民の不理解を増していく原因をつくるので、これには慎重な配慮が必要だということを言い続けてまいりました。だから、こういう問題についても十分すり合わせをしていっていただきたい、こんなふうに思います。

 同時に、暮らせる年金という問題がございました。これも確かに現時点では一つの問題点でしょう。同時にまた、山本さんやうちの田村さんが言っておりました、二十五年間の受給資格期間の見直しについても、今検討していくべきではないかというような問題の提起もありました。

 これらの問題も喫緊の一つの課題として論議をしていくとすれば、まさに私どもは、国民の期待にこたえられる一つの年金のあり方というのが生まれてくるのではないか、こんなことを申し上げまして、まず、伊吹先生に対する御回答を次からいただきたいと思います。

小宮山議員 先ほど御説明申し上げたつもりなんですが、御理解がなかなかいただけないようなので、さらにもう少し説明をさせていただきたいと思います。

 私たちは、払っていない人に最低保障年金をという考え方はとっていない。だけれども、そこは理屈の問題といいましょうか、所得がなければゼロ円という形で保険料を納付するという形をとっております。

 先ほどモラルハザードにならないというところで御説明をしたように、最低保障年金というのは、公的年金制度に加入することを前提に給付されているので、その年齢に達したらすべての人に渡すというものではありません。みずからの所得を正確に申告して、その所得に応じた保険料を納付するということを大前提としております。

 それで、先ほど申し上げたように、国税庁と社会保険庁を統合した機関が徴収をするということですから、この年金保険料は今で言う税に極めて近い性格を持つことになると思います。納税者番号制度を導入することも想定していますので、被保険者の所得の把握ということは極めて確度の高いものになると考えています。

 そうした中で、所得があれば当然その所得に応じて払う、所得がなければゼロ円という形で保険料を納付する。そのことによって、高齢期に年金を受給する権利を持っている人が、原則として、すべての国民が適正な権利として獲得できるものを受けるという考え方をとっております。

 例として、先ほど自営業者の話をちょっといたしましたけれども、自営業者の国民年金第一号被保険者、これが五百十一万人いるのに対しまして、自営業者の納税者は二百万人となっています。ですから、そういう意味で、自営業者の多くは納税をしていない。これは所得がないというふうに考えられますので、そこのところの考え方で、所得のない人はゼロ円を納付するという考え方に基づいていますので、所得のある人が払わないのにもらえる、そういう形では決してございません。

 今の中島議員の御指摘でございますけれども、私たちは、とにかく、壊れていると何回も言ったということですが、いろいろな状況の中で、これが正常に機能しているという理屈は成り立たないと思いますので、それを是正するためには、本来であれば抜本改革を必ずしなければならないと思っています。

 ただ、その抜本改革がすぐにできない場合には、第三号のところのことは、検討会などでも解消すべきだということを提言されていますし、この会の中でもいろいろ積極的な御発言をいただいていますので、本来は抜本改革を意見を合わせてすることが第一だと思いますが、当面どうしてもそこへ行き着かないのであれば、この点だけは先に手をつけなければということで言いましたので、決して矛盾した言い方はしていないつもりでございます。

伊吹議員 ゼロという形で保険料を払う義務を果たすということですから、大体の形は我々の考えているものとはそう違わないように思います。

 そうすると、問題は、歳入庁というものをつくれば所得が把握できるかできないか、ここにかかってきますね。つまり、ゼロという保険料を払ったというバーチャルな世界をつくると、確かに理屈の上では非常にきれいに説明できると思います。問題は、形式上はゼロなんだけれども、果たして実際にゼロであるかどうかということが大きな社会公正上の問題なんですね。

 歳入庁というものをつくればすべてが解決できるかどうかは、これはぜひ枝野先生、長勢先生初め幹事の方々が一度徴税の専門家の意見を聞いて、できるかどうか。つまり、納税番号をつければ、金融所得、不動産所得は把握できるんですよ。ただ問題は、事業所得は、納税番号があるところでも、みんな申告制と調査が前提になっている。サラリーマンの場合は源泉徴収ですから、ほとんどのものが把握されている。

 だから、歳入庁というものをつくって、そして、徴税費用をどの程度かけるのか、毎日毎日どの程度中小企業に調査を入れるのか、こういうことを含めてフィージブルであれば、今の小宮山先生のお話というのは私は傾聴に値すると思いますから、ぜひ、その前提がフィージブルなのか、実現可能性があるのかを一度ここで議論させていただいたらいいかと思います。

小川議員 坂口先生から御指摘があった部分についてだけ、手短に説明をさせていただきます。

 平成十五年度の基礎年金の財源構造ですと、基礎年金の給付費が十六兆円でございます。基礎年金の拠出金が、国民年金三・六兆円、厚生年金十・七兆円、共済組合一・六兆円ということで決まっております。この拠出金は頭割りとなっておりますが、国民年金に関しましては、保険料を払うべき人あるいは加入すべき人全員の数を頭割りではなくて、未加入者、未払い者を除いた、保険料を払っている方だけを頭割りの数にしております。

 したがいまして、国民年金の三・六兆円は、本来、未加入者、未払い者を入れればもっと多い拠出金ということになりますが、そうならない分を厚生年金が十・七兆円、本来、国民年金の未加入者を頭に入れれば、厚生年金の拠出金は十・七兆円よりももっと少ない金額になるわけでございまして、この分を負担しておるわけでございます。

 そして、厚生年金のこの十・七兆円の拠出金はすべて保険料で賄われておりまして、積立金の取り崩しはございません。したがいまして、国民年金の未加入者の分につきましては、積立金ではなくて、まさに保険料を払っているサラリーマンがみずからの保険料で負担しておるわけでございます。

 以上です。

阿部(正)議員 同姓の阿部先生から特にお話がありましたので、御返事といいましょうか、私の考え方をもう少し整理して申し上げたいと思います。

 こうやって御議論を聞いていますと、要するに、国民皆年金を、一つの象徴として国民基礎年金をどういうふうに構成するかというのは、それは民主党さんのように、全体を一元化することでなきゃ話にならないということを言われたらしようがないんですけれども、そこのところ、何か皆さん、どうも共通に思っているんじゃないかなと思うんですね。

 基礎年金をどういうふうに組み立てるべきなのか。定額制なのか、所得比例なのか。あるいは、国庫負担をどのくらい入れるのか入れないのか。伊吹先生は四分の三までとおっしゃったけれども、これはちょっと私は言い過ぎかなという感じもしないでもないんですけれども。そこまではまだ私どもとして公的には言っていませんので、この辺は議論の余地があると思うんです。

 それの一助として、私は、基礎年金がどうも機能していない、崩壊している、空洞化していると皆さんおっしゃるものですから、未納、免除というのは物すごい大きくなっている、こうおっしゃるから、そのときに一つのテーマとして、物の考え方として、それでは、どうしても納められない人は、まず税金で全体を底上げして、いきなり全額税金でとおっしゃるから、そこまで行く前に何とか連帯に参加していただく一つの手だてとして、どうしても免除の人だけは税金でということもあるのではなかろうかということを申し上げておりますので、そこのところを絶対的なものとするんじゃなくて、そこを御議論いただきたいものだな、こんなふうなことを思います。

 あと、公明党さんからおっしゃられた世代間連帯というのは、年金だけじゃなくて医療保険も介護もみんなのことでございますので、そういう意味での御議論もあわせてしていただければと思います。

 以上です。

阿部(知)議員 一番いっぱいしゃべって済みません。

 私どもの党も、いわゆるソーシャルセキュリティーナンバー、あるいは国民公平番号制度ということをこの年金制度の根幹に置いておりますので、その意味では、民主党の皆さんと同じように、ゼロ円でも拠出というふうにみなすという意味では同じですから、何らかの枠を設けないとこの制度は成り立たないと思いますので、そこは一致したものとして御理解いただきたいと思いますのと、私が繰り返し申し述べたいのは、例えば障害者施策でも、所得保障をした上でそこから使っていただく、そういう仕組みを我が国はさきの自立支援法でも目指しているわけであります。

 ですから、最低暮らし保障年金、例えば、八五年の改革においてはなぜ五万円に設定したか。先ほど、食料費、住居費、光熱費、被服費をそのとき調べたら四万七千六百一円だった、それにのっとって五万円。でも、ここには、保険料が入っていない、交通費も入っていない、交際費も入っていない。今、我が国がそういうものを、保険料を出してもらわなきゃ困る、ほかの保険制度を支えるというのであれば、それなりの額の基礎的暮らし保障年金が必要だということです。

 そして、私は、今回一番歓迎すべきは、皆年金というみんなが加入できるということと同時に、年金の額が、古川さんも問題にしてくださいましたし、その意識がある程度共有されたことは非常にありがたかったと思います。

与謝野会長 それでは、時間も参りましたので、本日の自由討議は終了することにいたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.