衆議院

メインへスキップ



第4号 平成17年10月20日(木曜日)

会議録本文へ
平成十七年十月二十日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 三原 朝彦君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 古川 元久君 理事 赤松 正雄君

      阿部 俊子君    井上 喜一君

      伊藤 公介君    飯島 夕雁君

      石破  茂君    遠藤 武彦君

      大塚  拓君    大前 繁雄君

      大村 秀章君    加藤 勝信君

      鍵田忠兵衛君    河野 太郎君

      佐藤  錬君    坂本 剛二君

      柴山 昌彦君    菅原 一秀君

      鈴木 淳司君    高市 早苗君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      野田  毅君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    林   潤君

      原田 令嗣君    平井たくや君

      船田  元君    松野 博一君

      松本 洋平君    森山 眞弓君

      吉田六左エ門君   渡部  篤君

      岩國 哲人君    小川 淳也君

      逢坂 誠二君    北神 圭朗君

      鈴木 克昌君    園田 康博君

      田中眞紀子君    高山 智司君

      筒井 信隆君    平岡 秀夫君

      三谷 光男君    柚木 道義君

      太田 昭宏君    高木 陽介君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      滝   実君

    …………………………………

   参考人

   (ジャーナリスト)

   (真っ当な国民投票のルールを作る会事務局長)   今井  一君

   参考人

   (作家)         吉岡  忍君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月二十日

 辞任         補欠選任

  加藤 勝信君     原田 令嗣君

  佐藤  錬君     鈴木 淳司君

  坂本 剛二君     大塚  拓君

  林   潤君     飯島 夕雁君

  船田  元君     菅原 一秀君

  山崎  拓君     大前 繁雄君

  渡辺 博道君     松本 洋平君

  仙谷 由人君     柚木 道義君

  平岡 秀夫君     高山 智司君

同日

 辞任         補欠選任

  飯島 夕雁君     林   潤君

  大塚  拓君     阿部 俊子君

  大前 繁雄君     山崎  拓君

  菅原 一秀君     船田  元君

  鈴木 淳司君     佐藤  錬君

  原田 令嗣君     加藤 勝信君

  松本 洋平君     鍵田忠兵衛君

  高山 智司君     平岡 秀夫君

  柚木 道義君     三谷 光男君

同日

 辞任         補欠選任

  阿部 俊子君     渡部  篤君

  鍵田忠兵衛君     渡辺 博道君

  三谷 光男君     仙谷 由人君

同日

 辞任         補欠選任

  渡部  篤君     坂本 剛二君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人としてジャーナリスト・真っ当な国民投票のルールを作る会事務局長今井一君及び作家吉岡忍君に御出席をいただいております。

 この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じておりますので、よろしくお願いいたします。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、今井参考人、吉岡参考人の順に、それぞれ三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず今井参考人、お願いいたします。

今井参考人 おはようございます。

 本日は、お招きいただきまして大変ありがとうございます。こういった機会を与えていただきましたので、精いっぱいお話をさせていただきたいと思います。

 私が参考人として求められているのは、憲法技術や憲法論理の解説ではないというふうに認識しております。諸外国の国民投票であるとか日本国内の各地の住民投票の現地取材をずっと重ねてきましたから、その事例について具体的に話をすることが私のきょうの役割だと思っておりますので、そのことを中心にお話をさせていただきます。

 初めに、お手元に意見陳述の要旨をお渡ししてありますので、それをごらんになっていただきたいと思うのです。

 私は、最初にポーランドに行ったのが八一年なんですが、八二年にはポーランドで戒厳令が布告されまして、私自身も二回ほど逮捕されまして、国外退去処分になりました。それから八九年のベルリンの壁の崩壊まで、旧共産圏にはどこへも行けない状態が続いていましたが、八九年以降、東ヨーロッパあるいはソ連の取材を再開させました。その中で、バルト三国、ソビエト連邦、ロシアなどが民主化の過程においてさまざまな国民投票を実施しました。私と国民投票の出会いはそこです。その後、日本に戻りましてから、新潟県巻町を皮切りに各地の住民投票の取材を重ねてきました。

 住民投票と国民投票にはもちろん違いがあります。まして日本の場合は、住民投票は法的拘束力がありません。それは承知の上で、しかし、本質的なところは変わっていないと思います。それは何かといいますと、大事な問題を主権者の直接投票で決めるということです。委員の皆さん方はもうよく御存じだと思いますが、改めて確認しておきますと、選挙というのは、それが国会議員の選挙であれ、首長選挙であれ、町内会の役員選挙であれ、皆、人を選ぶものです。住民投票、国民投票というのは、主権者が直接事柄を決定することです。

 例えば、郵政法案でいいましたら、さきの総選挙は国民投票的な総選挙というような言い方が一部マスコミからされましたが、最終的には、選ばれた国会議員の皆さんが郵政法案についての可否を決めるということで、決して国民一人一人が郵政法案について可否を決めたわけではありません。これが選挙と国民投票、住民投票との違いです。

 そういう意味でいいましたら、私が取材をずっと続けてきました日本各地の住民投票と諸外国の国民投票では、本質的には同じだというふうに考えています。

 そこで、その二つの問題から入っていきたいと思います。

 まず、最初に私が国民投票と出会ったのは、九一年二月九日のリトアニア、ソ連邦から離脱するかどうかの国民投票でした。そして、その翌月にはラトビア、エストニアで国民投票がありました。

 実は、この一年前に、リトアニア、ラトビア、エストニアの三国は、十五共和国あるソ連邦から離脱すると宣言をしました。しかし、ゴルバチョフはそれを許さなかった。仕方がないので、自分たちはもう勝手に国民投票をやって離脱を宣言するというふうに言ったわけですね。それに対してゴルバチョフは、だったら、ソ連邦を解体するかどうかの国民投票をやるから、その結論を受けてほしいというふうに言いました。これは、ソ連という国ができて一度もやったことがない国民投票を、最後になってソ連邦を解体するかどうかという国民投票にかけると言ったわけですね。

 これは、ソ連憲法の第五条、「全人民討議、全人民投票」という項目がありまして、こんなふうに書いてあります。「国家生活の最も重要な問題は、全人民討議にかけられ、また全人民投票に付される。」ゴルバチョフは、これによって連邦を解体するかどうかを決めたい、そして、ソ連邦の人が解体すると言ったら君たちも自由じゃないか、独立できるじゃないかというふうに言ったわけですが、ラトビア、エストニア、リトアニアの人たちは、お断りするということでその国民投票には参加しませんでした。そして、自分たちが個別にやったのが、このレジュメに書かれています、二月九日、三月三日、三月十七日でした。

 しかし、その一週間前にソ連軍と特殊部隊が、これは血の日曜日事件と言うんですが、一月十三日、十四人の人をリトアニアで殺害しました。翌週の一月二十日には、ラトビアで四人の人を殺害しました。そういった、おどしというよりも実際に人が殺される中で国民投票が実施されたということです。

 お手元の資料をちょっと見てください。わざわざカラーでつくっていただきました。この一―一というものですね。左の一番上、これはリトアニアの国旗です。右が、これはエストニアの国旗です。何が書いてあるかといったら、もう皆さんおわかりのように、レファレンダム、一九九一年の三月三日にやりますと。エストニアで国民投票をやったときのポスターです。そして、左側の中段、これはリトアニアの最高会議に立てこもっている若者たちです。一番下が、ソ連邦を解体させるかどうかの国民投票をやったときの解体賛成派のポスター、そしてその二枚目、次は、ソ連邦を売り渡すなという反対派のポスターです。

 一―一のこの左側の真ん中の写真、これは銃を持っているんですね。そして、土のうを積み上げている。なぜかというと、命がけで国民投票をやったということなんですね。いつソ連が入ってくるかもわからないけれども、若者たちが、この四人は皆さん税関職員です、税関職員が郷土防衛隊という組織に入って、みずからライフルを持って国民投票をやったということです。

 何が言いたいかといいますと、命がけなんですね。国民投票はゲームじゃありません。遊びじゃありません。国の一番大事なことを決めることですから、皆さんこうやって真剣に国民投票を実施されて、そして国の未来をつくってきたということです。そのことをまず御理解いただきたいと思います。

 その後、ロシア共和国ではエリツィン大統領を輩出するわけですが、その前にロシア共和国では、大統領を国民の直接投票で選ぶかどうかの国民投票もやっています。その後、エリツィンが実権を握ってからは、九三年四月二十五日に、このレジュメに書いてありますとおり、四つの項目についてロシアは国民投票をやっています。この国民投票では、ダー・ダー・ニエット・ダー、つまり、イエス・イエス・ノー・イエスと答えてくれというふうにエリツィンは言いました。

 この結果が出たときに私は現地モスクワにいたんですが、すぐに街頭に飛び出しまして、モスクワ市民の皆さんに、こんな結果が出たけれどもどうだというふうに聞きましたら、いや、これじゃエリツィンがのさばるとか、これじゃ共産党がまだまだ元気だからだめだとかいろいろな意見が出たんですが、その中の七十前後のおじいさんが一人、私にこう言ったんですね。結果はどうでもいい、大事なことは私たちに決めさせてくれたことなんだ、自分がこの国に生まれて七十年間、大事なことは勝手に党や政府が決めて責任をとらなかった、今度大事な問題を私たち自身に決めさせてくれた、それが重要で、それがうれしい、だから結果は二の次なんだというふうに僕に言いました。私は、それを聞いたときに、ああ、やはり国民投票というのはいいなと思ったんですね。それで、日本に帰ってからさまざまな問題を勉強して、国民投票に関する本も出しました。ちょうどそのころから、新潟県巻町、岐阜県御嵩町で住民投票運動が起こってきたということです。

 その下、日本各地の住民投票を見てください。レジュメの一枚目の下の方ですね。

 九六年八月四日に住民投票条例に基づく日本で最初の住民投票が行われました。新潟県巻町です。皆さんよく御存じだと思います、巻原発設置に関する問題。その翌年には、岐阜県御嵩町で産廃処理施設の設置に関する住民投票。そして沖縄県名護市、米軍のヘリ基地に関する住民投票。九六年の八月四日から九九年末まで九自治体で実施されました。その下、今度は二〇〇〇年から二〇〇二年末、この三年間の間には十一自治体で実施されています。一番下、〇三年から〇五年九月末、つい最近までですけれども、何と三百四十一自治体で実施されています。

 最初は、いわゆる原発、基地、産廃と言われるこの三つの案件について住民投票が多かったんですが、そのうち、公共工事について、ダム問題であるとかそれからスタジアムの問題について住民投票が行われるようになった。しかし、最近ではほとんど自治体合併です。三百四十一自治体というこの数は、数だけで言えば、今や日本は世界一の住民投票活用国になっているということです。少し前まで世界で一番住民投票を活用しなかった国が、わずか数年の間に、もう人類の歴史にないぐらい、三百四十一件という膨大な数の住民投票が全国で行われているということを御認識いただければ幸いです。

 こういったさまざまな国民投票、住民投票の現場を私が取材して何を学んだかということです。それは、レジュメの次のページに書いてあります。よく学び、よく考え、よく話し合ったということです。それぞれ賛否両派が公開討論会を催したり、あるいは町営で公開討論会を催したりして、よく皆さんが話し合ってよく勉強されたということです。最初は衆愚政治だとかいろいろなことを言われましたけれども、結局、一つ一つの問題を自分たちが責任を持って答えを出さなければいけないということで、町民の皆さんが、それは原発であれ基地であれ産廃であれ、よく勉強されたということが事実だということを御報告申し上げたいと思います。

 その二番目ですが、住民投票、国民投票はわだかまりや憎悪が残るんじゃないかと。わだかまりが残るといえば、自治体合併でいえば、住民投票をやった後も残っているところはあるでしょう。しかし、議会だけで決めたり首長だけで合併するかどうかを決めたら、もっとわだかまりが残ります。住民投票をやることによってこのわだかまり度というのはかなり希薄化されるんじゃないかと私は思っています。

 三つ目、執行者に求められるもの。これは国民投票でも住民投票でも一緒ですが、執行者は情報をきちっと提供して中立の立場であらなければいけないということです。そうしないと、住民投票、国民投票はひどいものになっていく。実際に、ここでは具体的な名前を出しませんが、執行者である市長がどちらか片方に有利な動きをとったためにひどい住民投票になったケースが幾つかあります。そういうことにならないように、今後、日本の国民投票は注意をする必要があるんじゃないかと思っています。

 二番に移ります。スイスやフランスではどんなふうな国民投票が行われているのか。

 スイスでは、春夏秋冬と国民投票が行われていまして、今度も十一月二十七日にもう既に予定されていまして、後ほどそのお話はしますけれども、私たちが去年二月八日に取材に行ったのは、自動車道路の建設と賃借り法修正、性的・暴力的凶悪犯に終身刑を科すかどうかの国民投票でした。お手元の資料を見ていただけたらありがたいんですが、二―一というものです。

 さまざまな人に会ってきました。内閣法制局の政治的権利部長、そして政治経済有力紙の部長、そして国営放送の国内政治編成局長、この三氏の方々に、賛否を訴えるキャンペーン活動あるいはマスメディアのあり方、投票方式について聞いてきました。ここに書いてあるとおりですが、簡単に言います。

 まず、賛否を訴えるキャンペーン活動については、賛否両派がチラシ配布、ポスター張りなどを行うことは原則として自由です。ただし、印刷費や人件費などについて、政府からの資金的補助は一切ありません。また、大小にかかわらず集会や勉強会を開催できるし、戸別訪問も許されています。

 公務員は、公務員として活動したり勤務中に活動するのは禁じられているが、勤務時間外に個人として活動するのは認められています。

 新聞への意見広告は、広告の中身について公平性が求められるが、法的規制はありません。新聞社はみずからの判断でそうした広告を載せたり拒んだりできます。資金力のあるなしで宣伝力に著しい差ができるのは不公平だという意見もありますが、スイスでは自由な活動を優先させています。

 ただし、放送媒体については別の話になります。スイスでは、テレビやラジオで政治的な宣伝を放送することは一切禁止されています。

 インターネットに関する特別の規制はありません。うその情報を流してはいけないという一般的な法律が適用されるだけです。もし事実と異なる情報を流されたら、裁判に訴えることができるが、発信者の特定が困難なインターネットの規制は難しく、法的規制は整っていません。

 次に、マスメディアのあり方です。

 テレビやラジオの、公平性が保たれる討論番組などで出演者はみずからの意見を自由に述べていいが、ニュース番組などで社の姿勢やキャスター個人の主張を一方的に押し出すことは許されていません。

 次に、新聞に関しては、放送と違い、前記のような制限は一切ありません。社としても記者個人としても政治的見解を主張できます。新聞社は、公平を期すためと称してみずからの主張をあいまいにしてはいけないとなっています。各紙がはっきりと主張を打ち出すことによって、読者は問題の本質をつかみ、確信を持って賛否の判断を下すことができるからです。

 次に、基本的にメディアは政府や議会から完全に独立した存在で、新聞も、国営、民間の放送媒体も、現行法の遵守は求められるが、政府と議会の干渉は一切受けないということになっています。

 メディア規制のことが今当委員会でも議論されていますが、スイスではそういうことだということを御理解ください。

 それから、同じくこの資料の百二十ページに投票用紙の写しがあります。そこにも書いていますが、投票用紙は有権者あてに選挙人証明を兼ねた封筒に入れて送られてきます。封筒には、投票テーマについての中立的な解説と、テーマに対する政府と発議委員会の意見が併記された小冊子が入っています。有権者はテーマごとに賛成か反対かを記入します。これがその封筒です。本物です。投票用紙は有権者あてに、皆さんのお手元にもコピーが行っていると思います、こんなふうに裏表になっていまして、投票時間も書いてあります。あけると投票用紙が入っています。ドイツ語だけのものと、そしてフランス語圏に住んでいる人のためにドイツ語、フランス語両方が書いてある投票用紙があります。一、二、三とそれぞれミシン線が入っていまして、ばらばらに投票します。

 これがそのマニフェストというか解説書です。議会はどんなふうに投票してほしいかがこの一番最後に書いてあります。このときは、高速道路についてはイエス、そして賃借り法についてもイエス、刑法改正についてはノー、三枚目についてはノーと答えてほしいというふうに議会と政府は国民に求めています。しかし、中身については中立公平に、賛成派が勝ったらどうなって反対派が勝ったらどうなるかということを細かくここに記してあります。それが、一世帯ずつじゃなくて、全有権者のところに個別に郵便で配付されます。

 投票については郵便投票が主流です。投票所に行って投票するのは少数になっています。駅の待合室にも投票箱を設置しています。ここでも私が感じたのは、非常に皆さんがよく考えていらっしゃるということです。そしてよく話し合われているということです。

 続いて、五月二十九日にフランスで実施された国民投票について。これは、中山太郎議員、保岡議員、皆さん方がフランスの方にもう調査に行かれていまして、その報告もされていますので、簡単に言います。

 私は、向こう側におられる官僚の方に会ってさまざまな話を聞いてきました。保岡議員や中山議員が報告されたとおりで、さまざまな規制があります。それは、意見広告を選挙期間中は出してはいけないとか、それからテレビの放送については、合計百四十分の枠があって、それについてさまざまな、政党の大きさとか団体の大きさによって放送時間が割り当てられるとか、そういうことについてはもう既に皆さん方報告を受けていらっしゃると思いますので、きょうは割愛させていただきます。

 ただ、せっかく資料をつくっていただきましたので、二―四aというのを開いてください。今申し上げましたように、政党とか団体には公設の掲示板にポスターを張る権利があります。二―四aで見ていただいたらわかりますように、公設の掲示板に、一番はどこどこ、二番はどこどこ、三番はどこどこというふうに決まっていまして、それぞれ賛成派、反対派がこのように非常に派手なポスターを町じゅうに張っております。その一方で、その次のページを見てください、公設掲示板ではないところにも張っています。カフェの横であるとかあるいは大学の会館の入り口のところとか、こんなふうに張っています。しかし、逮捕者は出ていないそうです。

 この問題は、今後私たちが国民投票をするときにも、一般の選挙であれば、公設の決められた掲示板のところ以外に張ったらすぐに公職選挙法違反で捕まっちゃうわけですけれども、これをどうするかということについても、皆さんで今後御討議いただければというふうに思っています。

 それから、よく考え話し合うということについて、一つだけ御報告させてください。

 それは、パリの人々もよく考えました、現地の人々も。しかし、私が一番驚いたのは、京都で、私の友人でアンヌ・ゴノンさんという人が同志社大学の教員をやっているんですが、フランス語と社会学を教えています。このアンヌ・ゴノンさんは、京阪神在住のフランス人、友達、いつもいろいろな政治的な問題を話し合っていますが、今回は全く意見が皆さん錯綜した、合わなかったと。京都で投票日の一週間前に六人の人が集まって、EU憲法の批准に賛成するか反対するか大いに議論をして、その上で領事館に投票しに行ったということです。つまり、フランス国内の人だけじゃなくて、海外在住の人もこの国民投票について真剣に議論を交わしたということです。もしこれが国民投票に付されないで政府や議会の決定だけだったら、彼女たちはここまで真剣には考えなかったと言っています。

 アンヌ・ゴノンさんは実は批准に賛成と投票しました。彼女は批准に賛成すべきだというふうに友達たちにも訴えたんですが、結果は、御存じのように反対の結果になりました。これが投票日翌日の号外の新聞です。フィガロです。ノンというふうに、御存じのように反対が五四・八七%、賛成は四五・一三%。投票率はほぼ七〇%です。自分が投票した結果とは違う結果になったんだけれども、アンヌさんは、この問題の最終決着を国民投票にかけたことについては、私は今でも異議はないというふうにおっしゃっています。

 ここが大事なことだと思っています。みんなが納得をするということです。政府や議会だけで決めたら、それと違う意見を持っている人はなかなか納得できないけれども、こういった重要問題を国民投票にかける法的な義務がなかったにもかかわらず政府や議会がかけたことについて、彼女はよかったんじゃないかというふうに言っています。そういうことです。

 それから三番、国民投票マニフェストについて入りたいと思います。

 皆さん、お手元に資料があって、その一番後ろの方から三枚目、三―一を見てください。現在、憲法九条について言えば、自衛隊の実態と、あるいは防衛の実態と言ってもいいですが、憲法九条の本旨との間には著しい乖離があります。それは、この場にお集まりの委員の皆様も、それから小泉首相も同じ御認識をお持ちだというふうに思っています。こんなふうに、一九四六年に第九条がほかの憲法と同じように制定されたときに乖離はゼロでした。しかし、警察予備隊、保安隊、自衛隊となってずっと来て、もう今やこれ以上解釈改憲では無理だということで、この際もうはっきり決着をつけた方がいいんじゃないかというふうな状況になっていると思います。

 二つの考え方がありますね。一つは、もう著しく実態が九条から乖離しているから、九条を改正して実態に合わせたらいいんじゃないか、これが九条改憲案、これを通したいという方々の主張です。そうすると、国民投票でそれが認められると乖離はゼロになります。それはそうですね、九条が変わって日本軍を保持とか交戦権を認めるというふうになったら、乖離はなくなります。私は、それが認められた場合には乖離がゼロになるけれども、認められなかった場合も今の解釈改憲状態が是正されるように、ぜひ各委員の皆さんにお考えになっていただきたい。

 といいますのも、法技術的には、例えば、九条改憲案が軍隊保持ということで提出されて、それが国民投票で認められたら軍隊保持になるわけですけれども、では、認められなかった場合、国民投票で否決された場合は現状ということになるわけですね。現状ということは、この著しい乖離が残ったままでそのまままたもとへ戻るということだけだと思う。そういう国民投票でいいのかどうかということをもう一度改めて考えていただけないか、そして、法技術的には無理でも、何か手を施していただけないかということをぜひお考えいただきたいと思います。

 それから、マニフェストということでいいますと、さっきも申し上げたみたいに、スイスではもう既に次の国民投票に向けてマニフェストができています。十一月二十七日、遺伝子組み換えの問題、それから、駅や空港で日曜日に店を開いていいかどうか、これが国民投票にかけられます。もう既にマニフェストができています。これがもう各家庭あるいは各有権者に配られているということです。

 我々、日本で国民投票をやるときも、改憲派が勝ったらどうなって負けたらどうなるのかということをはっきりと事前に明示し、約束する必要があるというふうに思っています。

 最後に、このお配りした資料の後ろから二枚目をごらんになってください。これは、朝日新聞とNHKの調査を記してあります。円グラフです。日本では、今、諮問型の国民投票しかできません、やろうと思っても。憲法改正以外の、九十六条に基づく国民投票以外で重要な課題について、例えば郵政法案とかイラク派兵とかについて国民投票で聞こうと思っても、それは助言型、諮問型の国民投票しかできません。

 ここでは、NHKと朝日が、重要な問題について国民投票にかけることについて聞いています。憲法を改正して重要な問題は国民投票で決めたいという人が五三%もいます。左側、憲法改正はしなくていいけれども、重要な課題については国会や政府に尊重させるという国民投票をやった方がいいというのは二七、合わせて八〇%です。NHKも大体同じような数字です。これは、日本の国民が、重要な課題については国民投票で決めたいというふうに考えている人が八割いるということをよく御理解いただきたいということです。

 一方、その次のページを開いてください。であるにもかかわらず、憲法改正の手続についてどれだけの有権者、主権者が理解をしているのかという調査です。

 一九五二年、憲法が制定されて間もなく朝日新聞が行った調査では、憲法改正の手続について知っていると答えた人が一八%、知らないが八二%、知っていると答えた中で本当に知っていた人は六%です。私たちが二年前にやった調査では、知っていると答えた人が三三%で、本当に知っていた人は七・五%。そして、つい最近の調査、これは憲法委員会が立ち上がってからの調査ですが、知っていると答えた人が三四・七ですが、本当に知っている人が一六・三と、一気に二年前に比べて倍になっています。倍になっているといっても一六・三です。

 では、どんなふうに間違っているのかといったら、議会の三分の二の賛成で憲法が改正できると答えている人がすごく多いんですね。つまり、三分の二、三分の二とメディアが言いました。自民と民主の、例えば前原さんなんかも含めてそうだと思いますけれども、改憲派が三分の二を超した、もう憲法は改正できるんだ。できるのは憲法改正の発議だけなんですが。それを乱暴な報道の仕方をするものですから、三分の二、三分の二と自信を持って答えているんですね。

 これまでもずっと当委員会は国民への理解を広めるために努力をしてくださっています。先週の日曜日も、私たちが主催した公開討論会に、中山さん、枝野さん、赤松さん、保岡さん、そして笠井さん、辻元さんと御登壇いただきました。こういうふうに努力を重ねてくださっていますが、今後、この一六・三%という数字をせめて五〇%に持っていくためにどういうふうな努力ができるのかということをお互いに意見を交換し合いながら相談して、何か協力してできることがあればいいなというふうに考えています。

 時間が来ましたので、以上です。(拍手)

中山委員長 次に、吉岡参考人、お願いいたします。

吉岡参考人 初めまして。吉岡忍でございます。

 きょうは、憲法改正国民投票法案について私の意見をということでお招きをいただきました。感謝を申し上げます。

 しかし、その国民投票法案そのものを考えるときにも、憲法が一体どういうものであるかということを私がどう考えてきたかということを前提にしないとなかなか語れないものですから、そこから始めさせていただきます。

 私自身は、一九四八年、昭和二十三年の生まれですので、日本国憲法のもとで生まれ育って、まさに日本国憲法の子供だというふうに思っています。

 今の憲法というものがどれだけ今の日本の社会へ定着しているのか、ここがよく議論をされるところでありますけれども、これは押しつけ憲法であるとか自分たちの憲法ではないとか、いろいろな批判も含めて議論がされているところですけれども、私は、その定着という問題を、単に、さながらバイブルだとかあるいはお経のように毎日手にとって読んだりすることが定着だというふうには全く思っていません。そうではなくて、毎日私たちが暮らしている中で、人権の尊重であるとか経済的活動の自由であるとか、あるいは何でも物を言えるとか、あるいは日本だけではなくて、諸外国を旅行したり、そこで憎しみを持たれたりしない、そういうことも含めて、そういう実態があること自体が、現在の憲法というものが定着している証明になるだろうというふうに私は考えています。

 一方、日本国憲法があるがゆえに、私たちは戦後の復興から高度成長期、あるいは時にはバブルというふうに、経済状態まで含めて豊かさというものを実現してきた。これもまた、現在の日本国憲法があったがゆえに、つまり、軍事費にたくさんのお金をかけるとかいうことがなかったがゆえにできたことだというふうに私は考えておりますので、そういう意味では、現在の日本国憲法というものはこの社会にしっかりと定着しているというふうに私は思っております。ですから、この憲法改正をするべきかどうか、あるいは一刻も早くするべきかどうかということを考えるときには、この現実というものをしっかりと考えなければならないというのが私の意見であります。

 言うまでもなく、日本国憲法というのはこの国の基本法であります。国の内側にもあるいは外側にも向けて、この日本の社会、この中で暮らしている私たちは、いかなる価値判断であるとか価値基準であるとか、世界をどう見ているのかとか、将来展望をどう考えているのかということを示す、そういう非常に重要な文書です。ですから、この憲法を変えるかどうかという問題は、日本の国内のことはもちろんでありますけれども、国際の関係であるとか、諸国民、とりわけ近隣のアジア諸国が日本と日本人に寄せる印象というものにも大きく影響いたしますし、それは、憲法という事柄の性質上、何十年にもわたることがあり得るわけです。ですから、憲法改正を問うその制度設計に当たっては、こういった事態というものを十分に考えて、深い議論が尽くされる必要があるというふうに私は思っています。

 言うまでもないことですけれども、先ほども言いましたけれども、日本国憲法というのは十五年にわたったアジア太平洋戦争のその反省から生まれました。これは、憲法というものが抽象的にあるのではなくて、憲法というものが持っている、この国独自の性格だというふうに思います。そういう歴史性を私たちの憲法は持っているというふうに私は考えています。ですから、主権在民であるとか不戦主義であるとか基本的人権の尊重というこの三つの原則をうたう憲法というものは、この国の戦後の日本社会の活力の源泉になってもきましたし、同時に、長年にわたる戦争によって周辺諸国に与えた被害、そういったものをもう日本はしないんだ、そういう安心感を与えるものとしてもあったというふうに思います。

 国際環境も、その中の日本の立場というものも絶えずもちろん動いております。日本国憲法が制定された当時と今とは違いますし、そういう意味でいいますと、十年前、十五年前、日本がバブルの経済で沸き返っていたときと今とももちろん違います。もちろん、これから十年、二十年、三十年の先も大きく変わってくると思います。しかし、現在の憲法を生かすにしても、それから憲法を改正するにしても、この憲法というものが、日本の国内はもとより、近隣諸国との関係をより深くする、相互理解を深めていく、相互信頼を深めていく、そういう方向性でなければならないということは、改正するしないにかかわらず、基本となる事柄だというふうに私は思います。

 憲法改正をめぐる国民投票のその法的整備については、こうした日本国憲法の歴史性であるとか現状であるとかその将来性と限界、そういったものをだれもが自由に考え、発言し、そして議論して、判断する、そういう機会と場と時間をできるだけ多く保証する法的枠組みをつくれるかどうかにこの成否はかかっていると私は思います。

 憲法というものは、最初に申し上げましたように、どう定着するかということにもかかわりますけれども、単に政治にかかわるだけではなくて、経済や家計を左右しますし、文化や教育にも影響いたします。仮にもこの国民投票法案がそういった自由な議論というものを抑制したり禁止したりあるいは萎縮させたりする、そういうことによってそういう場、機会、時間というものを縮めたりなくしたりする、そういうことがあってはならない、これは言うまでもないことであります。

 国民投票というものは、憲法論議のみならず、人々があらゆる機会に自由に意見を述べ、活発に議論し合いながら暮らしたり生きていく、そういう気風を形成する、あるいは根づかせる、そういう出発点であってほしいというふうに私は思います。この委員会が、これからもそのような長い見通しを備えた議論を展開されるよう御努力されることを私は期待いたします。

 これが、私がこの国民投票法案について考えるまず前提であります。

 では、どういう国民投票法案の制度設計をすべきであろうかということについて話を移したいと思います。

 このときに大きな問題になるのは、この制度設計に当たって大事なことは公共という概念だろうと私は思います。この公共というものは、私の考えるところ、合意形成をしていくための社会空間だというふうに私は考えています。

 ともすれば、公共の公というものは、国家であるとか行政であるとかあるいはお上とかというふうなものであるという、私と公というふうによく区別をされますけれども、私のもう一歩向こうにあるものだというふうによくとらえられるんですけれども、私は、そうではなくて、市民一人一人と権力との間の中間の空間を公共だというふうに定義をしたいと思います。この公共の空間というもので国民投票をめぐってあるいは憲法そのものをめぐってさまざまな議論がされるのだろうと思いますけれども、この公共の空間をどう設計するかということが国民投票法案の大きな骨格になるだろうと思います。

 そこで、この公共空間をどう設計するかということですけれども、お手元に私はレジュメを配付してございますけれども、まず最初に考えなければならないことは、国民投票運動には青少年も参加できるようにすることが望ましいと私は考えます。

 この憲法のもとで最も長く生きていくのは、私たちであるよりは、今の子供たちであり、これから生まれてくる人たちです。そういう人たちの暮らしにも、改正されるにせよされないにせよ、この憲法というのは大きな影響を及ぼします。青少年がどういう社会で、どういう世界で暮らしたいのかということ、それを議論する場をこの公共の空間につくっていくということは大事なことだというふうに私は思います。

 しかし、残念ですけれども、日本の青少年の学力の低下の問題であるとか社会的な無関心であるとか、さまざまに指摘をされています。歴史的知識がないのではないかとか思考力が落ちておるのではないかというふうなことはメディアでも盛んに報道されていますけれども、こういう青少年の現状というものを、憲法をめぐる国民投票を機会に、彼ら一人一人が、この国の過去であり、これから行く先でありというものを知ったり考えたりすることは、彼ら自身にとっても、彼ら自身が未来を切り開いていくためにも大事なことだというふうに思います。そういう場をどこに設計するか。一つは、もちろん家庭があります。家ですね。それから学校があります。学校の授業の中でどういう憲法をめぐる議論ができるだろうか、そういう議論をむしろ私は奨励すべきであるというふうに思います。

 では、どの年代から、年齢から国民投票の権利、有権者になるかということをもちろん考えなければなりません。しかし、どんな年齢であれ、まず、憲法をめぐる議論が今社会全体で行われている、大人たちがしているということを知り、そして自分で考える、そういう機会をできるだけ私はつくるような制度設計がいいのではないかと思います。もちろん、小学生やあるいは生まれたばかりの赤ん坊が投票できるというふうには、そんなことは考えておりません。そうではなくて、そういう機会をできるだけつくるということを考えたいと思います。

 二番目に、国民投票運動から外国人を排除しないということを訴えたいと思います。

 日本国憲法は、先ほどもちょっと触れましたけれども、歴史的な産物であります。十五年間にわたった戦争の悲惨さを、私たちのこの社会は、この国は近隣諸国に与えました。あるいは、ポツダム宣言が出されてから敗戦をするまでの、受諾するまでの三週間の間に、言うまでもなく広島、長崎があり、一方に当時のソ連軍の参戦がありました。この参戦によって現在の南北朝鮮の分断状況の始まりというものがつくられました。ですから、この憲法は六十年近く前にできましたけれども、この憲法誕生というものは、今も引きずる南北朝鮮の分断状況を結果としてもたらしています。

 こういう歴史的経緯を見ますと、日本国憲法を変えるかどうか、それのための議論というのは、国内の私たち日本国籍を持つ者だけが権利として有するのではなくて、日本国憲法が変わり日本社会がどう変わっていくのかということに、近隣アジア諸国あるいは国際社会がこの議論に参加できる道筋というものがあってしかるべきだというふうに私は思っています。うっかりすると、この憲法の改正の方向によって私たちは、近隣社会、近隣アジア諸国との、あるいはその市民たちとの信頼関係を失うおそれもあると思います。国際社会の信頼を失うことも私たちは考えなければならないと思います。

 ですから、この憲法改正の是非やその内容に関する議論の過程が、日本で暮らす在日の外国人はもちろんですけれども、近隣諸国の政府やあるいは市民、そういうものとより深い信頼関係、理解の道筋というものをつくる、そういう道筋であってほしい、この憲法改正をめぐる議論あるいは国民投票をめぐる議論というものはそういうものであってほしいというふうに私は願っています。

 三番目に、言論とか批評とか表現活動に対して制限を加えない、そういう制度設計が望ましいということを申し上げたいと思います。

 言うまでもないことですが、こういう問題をめぐる議論というのは、それ自体が精神の自由の活動でありまして、精神の自由というのは、少なくとも近現代の社会においては普遍的な原理とされています。

 批評活動、言論活動、表現活動というものは、現在は、マスコミだけではなくて、インターネットも含めさまざまな形で行われています。そして、この憲法に限りませんけれども、極論であるとか奇妙な意見であるとか、あるいは正しい意見であるとかいったものは、そういう言論が活発に交わされる中で初めてだんだんに、正しさであるとか大事さというものが認識されてくる、いわば市場でさまざまにもまれることによってだんだんに、より正しいもの、より大事なものへと鍛えられていきます。日本の社会が既にこの大量なメディア活動によって、あるいは多種類のメディア活動によって得ている言論を理解する力、メディアリテラシーとかいったものを私たちは軽視するべきではないと思います。憲法改正をめぐって同じように活発な議論が行われるということは、投票率であるとか関心の高さにもつながっていくでしょうし、これを抑制するあるいは規制する理由はないと私は考えます。

 とはいえ、さまざまな虚偽やあるいは歪曲やうそや、そういったものがその言論の中にまじってくるだろう、だからさまざまな規制をしなければならないではないかということをお考えになる方もいらっしゃるかと思います。しかし、虚偽であるとか歪曲であるとかゆがめてというふうなことをもし入れていきますと、例えば、批評活動において、表現活動において、要約であるとか、あるいは、Aという意見はこのように言っているんだけれども、これは違うだろうというふうなときのそのAの意見の理解の仕方が、ゆがめてとか歪曲とかというふうに言われかねない、あるいは時には虚偽とさえ言われかねない。こういう文言によって規制をするということは、議論それ自体を萎縮させていくでしょうし、憲法に対する関心それ自体を失わせていくということ、そのデメリットの方が多いと私は思います。

 ただ、一つ、私は危惧することがあります。それは、暴力、脅迫をする、殺すぞとか家族を傷つけるぞとかいう脅迫にまつわる言論というものもこの中には入ってきます。これをどうするか。むしろ、日本の戦後史を考えたときに、そのようにして萎縮させられていった言論というのは山のようにあります。実際に事件も起きています。こういうものをどう考えるかということは一つの課題だろうと私は考えます。

 四番目に移ります。国民投票運動の期間を六カ月以上とすること。

 憲法が大事な最高法規であることは言うまでもありません。この憲法は非常に多岐にわたりますね。その改正についての是非をめぐっては、さまざまなことを私たちは考えなければならない。国内だけの問題ではなく、国際関係、近隣諸国との関係も考えなければならない。とすれば、議論は活発にされなければならないし、その議論が交わされる中で淘汰される時間も持たなければならない。いかに情報化社会といえ、インターネットやマスコミの即時性、速報性というものが強まったとはいえ、私たちは考える力までが速くなった、強まったわけではありませんし、考える時間までが短く短縮できるようになったわけではないと思います。

 しかも、先ほど申し上げましたように、この憲法について議論をすること自体が日本の社会を豊かにする、子供たちも含めて憲法をめぐって議論をすることは、この社会の物の見方、感じ方、あるいは他者との関係を豊かにする、そういう空間であってほしい、そういう公共空間であってほしいと私は願っております。ですから、この運動期間は短くではなくて長くとるべきであるというふうに私は考えます。

 五番目に移ります。

 どのような憲法の改正の案ができるのか、提案されるのかいまだよくわかっていません、わかっていないところが多々あります。このときに、A案、B案、C案、D案とさまざまにあって、それを一括で問うのは、これはまさに暴論です。これは、各条項ごとにきちんと個別に投票できる、そういう仕組みを考えるべきだというふうに思います。

 六番目に、憲法改正の承認、これは九十六条にある言葉ですけれども、憲法改正の承認は全有権者の過半数の賛成とするというふうに私は考えます。

 憲法は言うまでもなく基本法です。投票するかしないかにかかわらず、人々の生活にかかわってきます。もちろん、生まれたばかりの赤ん坊に投票せよと言うわけにはいきませんから、一定年齢以上ということになるでしょうけれども、この投票年齢をどう決めるか。十八歳以上にするのか二十歳以上にするのか、これは議論の余地があります。ありますけれども、投票の確定ということを考えたときに、全国民にかかわる以上は過半数にすべきだということが正しいだろうというふうに私は思います。それが、九十六条にある、国民投票による過半数というふうに非常にあいまいに書かれていることの意味だと思います。変えるということがいかに重要な、重大な問題であるかということを文章がそういうふうに示しているというふうに私は思います。

 ですから、国民投票の過半数についても、少なくとも全有権者の過半数にすべきではないか。これを暴論というふうにおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、仮に、例えば六〇%あるいは七〇%の投票率で、そしてその過半数というふうに考えれば、全体の三〇%あるいは三五%にしかなりません。どなたかが、現在のこの日本国憲法は、生まれは悪いが育ちはよかったというふうにおっしゃったということを聞いておりますけれども、三十数%の支持では、生まれは悪いし育ちも悪いというふうになりかねないと思います。私は、これは全有権者の過半数にすべきだというふうにあえて申し上げたいと思います。

 簡単に申し述べましたけれども、私の意見、また皆様との議論の中で補足したりしたいと思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

中山委員長 以上で両参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。三原朝彦君。

三原委員 自民党の三原でございます。

 きょうは憲法改正の是非の問題でありますけれども、私の考えは、改正するかしないかの議論以前に、国民の権利として改正することができるのかできないのかということなんですけれども、もちろんできるんですね。しかしながら、手続が法律的にまだ定められていないというのが現在の状況なんです。この整備の不首尾を議論するに当たって、立法の不作為だというふうな意見もありますけれども、実はつらつら考えてみたら、戦後六十年、せっぱ詰まったような形で憲法の改正を必要だと思ったような状況が余りなかったんですね。やっと憲法改正の必要性、特に私は九条の改正賛成論者ですが、その状況が煮詰まってきた。であるがゆえに、この手続に対していろいろやっと議論が出てきた状況があるということを我々は知らなきゃいけないと思っております。

 曲がりなりにも、憲法改正を主張する考え方にくみする力といいますか、そういうエネルギーが国民の間で具体化してきた以上、ここでだらだらとするんじゃなくて、遅滞なく改正の手続というものを我々はつくっていかなければならない、私はそういう考えでございます。

 今井参考人のことをちょっと教えてもらおうと思って、著書も数冊ばかり図書館に行って借りてきて読んだりもしました。九条に関しては意見は違うようですけれども、しかし、国民投票といいますか、憲法改正のみならず、国民に対して直接いろいろなことを問おうというその立場に対して、私は、是々非々ありますが、そういうことも含めて、我々は憲法改正を含める国民投票というものに対してできるだけ早くその制度をつくるべきだと思っておりますし、その点に関しては今井参考人も賛成なさるんじゃないかなと思います。

 それを考えたときに、私が具体的に、こういうことは国民投票で本当はやるべきなんだなと思ったのがあるんです。そのまず第一は、そこに中山委員長いらっしゃいますけれども、中山委員長が中心になって国会で議論をしてきました臓器移植の問題ですね。これは、やはり一人一人の死生観とか宗教観がありまして、国会で議論するよりも、私は、こういうことは本当は国民投票に一番向く議論なんじゃないかなとずっと思ってきたわけですね。これはもう一人一人が考えないことにはできないような問題であると私は思ったがゆえに、そのときも、国民投票できるようなシステムができていれば、臓器移植をできずに亡くなっていく人の命も、それは何百、何千あるか、救えるのになとしみじみ思ったことがありました。

 ですから、憲法改正のための国民投票というだけではなくて、それ以外の場面での国民投票の必要性というものは、私も痛切に感じておるということを申し上げたいと思います。

 しかし、それ以外の、日本で住民投票をやっています産廃、原子力、原発、基地、これに関しては、私はちょっとまた今井参考人とは考えが違うんですね。確かに、それがあるところの人たちの不利益というのはありますから、そこでの住民投票ということに関してイエス、ノーを言うのは私は認められるべきだと思うけれども、それが即座に国家の運営に反映するような形ということに関しては、私はちょっとばかり、それを国民投票に付するということには賛成できない場面があります。

 いろいろ我々もこの場面で、憲法調査会のとき、そして今度新しくできた、名前を変えたこの委員会でも憲法を含む国民投票について議論してきました。憲法改正に関しては、今吉岡参考人も言われましたけれども、投票権者の範囲とか国民投票の方式とか、発案をどうするか、発議はどうするかというようなことを議論してきました。

 私は、特にやはり国民に知らしめる上での、メディアも通すだろうし、そうでない個々の、それこそ井戸端会議のようなところでの議論もあるだろうし、それに対しては、私自身はお二方と同様に、できる限り規制がないような形でやった方がいいという論者でもあるんです。だからといって、放縦、放逸になっていって何でも自由であればというので、最終的には、極端な例かもしれないが、ワイマール憲法のもとでドイツが自由を謳歌しておったら、いつの間にかメディアあたりもうまく使われてきて、そしてなおかつ、国民の洗脳といいますか扇動によってナチズムが起こってきたような、極論ですけれども、そういうことだって起こり得る。

 しかし、何をもって虚偽の報道というか、虚偽のインフォメーションというかなんというのは難しい問題ですよね。針小棒大で小さいことを大きく言うのを虚偽というのか、いやそれは誇張というのか。そういう場面から考えてみると、なかなかこれは難しい問題があると思うんですが、その点に関して、報道、広報、自分の意見を広げていく上に当たって、基本的には自由であるけれども、そういうたぐいのことを危惧する場面が本当にないのであろうかということを、まずはお二方にお聞きしたいと思います。

今井参考人 三原さんの方から私の九条についての御見解が勝手に、三原さんは九条改憲のお立場で、私はそれとは立場を異にしているというふうに御発言がありましたけれども、三原さんは私のことを九条護憲派だともう思い込まれているみたいですが、九条護憲派の方々、特に学者の方々は、論文その他で私のことを善意の改憲派というふうに呼んでおります。傍聴席におられる方は、九条護憲派の方がきょうは大分来られれているみたいですが、その多くが私のことを九条改憲派だというふうに思っていらっしゃいます。九条改憲派の方は私のことを九条護憲派だと思っているみたいで、要するに両方から嫌われているということなんですが、それはそれでいいでしょう。私は、一言言いますと、枝野さんと同じで、そのことについては一切明言したことはありません。その上で話を続けます。

 三原さんの指摘は非常に大事だと思うんですね。特に私は、委員の皆さんにお考えいただきたいのは、先ほど私が紹介しましたスイスでは、活字の意見広告については全く自由、無制限なんですね。私が現地に滞在していた八日間も、自動車道路の建設について、道路会社それから建設会社、こういう人々たちがお金を出して新聞に、イエスと答えてほしい、高速道路をつくって渋滞を緩和しましょうという意見広告が毎日載っていました。一方、反対派の方は、環境グループが中心なんですが、お金がありませんから一週間に一遍ぐらいしか載らないんですね。そのことについて不公平じゃないかと思いませんかと言ったら、不公平だけれども、スイスはむしろ自由の方をとる、こうおっしゃったんですね。ところが、放送媒体については一切だめということになっているんです。これは驚きました。

 フランスの場合は、もう御存じのように、選挙期間中は意見広告も出してはいけないということになっています。そして、テレビの方も、さっき申し上げたみたいに、百四十分の総合枠がありまして、そこで各政党や団体に振り分けられる。基本十分で、あとは政党の大小によって残りの時間が分けられる。非常に限られています。

 私は、その辺のことを日本でどうするのかという、日本独自のルールをぜひ皆さん方に頭をひねって考えていただきたい。

 住民投票の場合は、これは、例えば新潟県巻町のときなんかでいいますと、原発推進派はテレビのスポットをかなり流しました。鉄人と言われたあの衣笠さん、それからフィギュアスケートの元オリンピック代表選手、それから篠沢教授、そういう方々、タレントや学者を頻繁にテレビに出されました。もちろん原発反対派の方は、お金がありませんからテレビのスポットは流せませんでした。

 では、結果はどうなったかといったら、スポットを流した方が負けたわけですけれども、勝ち負けのことはおいといて、果たして、そういうテレビのスポットを無制限に流すことがいいのかどうか。あるいは、流していいとしても、選挙期間中の例えば五日前まではいいけれども、その後はだめだというふうに、ちょっと折衷的に半ば制限を加えるのか、全面制限をするのかということについては、委員の皆様方がこれから御討議いただけないかというふうに思っています。非常にテレビの問題は大事な問題だと私は思っています。

 以上です。

吉岡参考人 原則は自由だけれども、ある程度の規制が必要ではないかという御意見だろうと思います。

 これは、私だけではなくて、私は物書きをやっておりますけれども、友人たちもいます、それから、いわゆるマスコミの世界にも友人たちがいて、いろいろな話をします。その中で、憲法改正投票法案の中のメディア規制あるいは表現規制というものをどう考えるかというのもよく話をいたします。この問題だけを取り上げて、こうである、ああであるというふうに言うことがなかなかできない、法律というものも一つ動いている現実の中にあるものですから。

 ここ数年、私は、実はこのメディア規制であるとか表現規制の問題についてずっといろいろな活動もしてきました。そこでいろいろな議論がされるんですけれども、例えばビラ一枚で住居侵入で逮捕されたりとか、あるいは、私は個人情報保護法のときにもいろいろな発言を繰り返しましたけれども、その中でも、例えば、マスコミはこのように扱わなければならない、あるいは普通の著作者、私たちのような物書きも個人情報についてはこう扱わなければならないというふうな、最初の政府案にありましたけれども、さまざまな規制がありました。

 さらに言えば、まだ法律にはなっていませんけれども、人権擁護法案であるとか、今この国会で議論されています共謀罪の問題であるとか、さまざまな法律の中で、ここ数年、そういう言論、表現の自由をどうするのかということが、皆さんの国会の方でも議論をされてきましたし、私たちの方でも議論をしてきました。その中で、私は、全体として表現の規制は強まっているというふうに思っています。

 再提出された個人情報保護法では随分その部分は緩和をされまして、そして法律になりました。それを見ても、どういうふうに表現規制が強まっているかというと、一つの方向は、組織メディア、つまりいわゆるマスコミですね、そういうマスコミ機関は一定の枠の中で御自由におやりくださいというふうになっていることと、それから、私のような専門家はどうぞ御自由にやってくださいというふうな、専門家主義とそれから機関主義と私は呼んでいますけれども、そういうところに一定の、御自由におやりくださいということを言いつつ、しかし、一般社会において、一般市民に対する表現規制というのは非常に強まっているというふうに私は感じております。

 そうなると、今回の国民投票法案のような場合、マスコミをどうするかということと同時に、個人の発言、例えばインターネットであるとかいうものでの発言をどう規制するのか、あるいはしないのか、自由にするのかということにだんだんなっていくだろうと思うんですね、規制という問題に立脚して考えていくと。私は、この問題については一切すべきではないというふうに思います。

 そして、よく公職選挙法が引き合いに出されて、公職選挙法ではこのようにされているではないかというふうに言われますけれども、投票をするという外形的事実、外面上の相似だけをもって同じように考えることはできないと思います。

 例えば買収の禁止にしても、ある特定の候補者に投票してよというふうに言う買収はありますね。そうではなくて、この憲法改正について、今井さん、私が五千円やるからというふうなことはちょっと考えにくいんですよ、そういうことは。そうすると、日本の国民の何千万人を買収しなくちゃならないということになりますね。私は、こういう荒唐無稽なことを考えるよりは、むしろ、今の日本の市民社会の中にある淘汰能力というもの、リテラシーの能力というものを信頼すべきであるというふうに思います。

 ですから、そこでは、自由ということをきちんとこの法的枠組みの中で言うべきだろうというふうに考えます。

三原委員 もうちょっと突っ込んでといいますか、例えば国民投票でやるにしても、今は各党ありますよ、自民から民主からありますけれども、それに賛成、反対あると思うんですよ。各党がやはり、ある場面ではこれには賛成、反対とやり始めるとする。そうすると、国民投票の中で書き物で書いたとしても、それを虚偽というか誇大というか、結論として将来こうなるからというようなありもしないようなことを書くような場面があったとしますね。そういうたぐいのことをどんどんやられるというようなことがあったとしたら、どうしますか。

 今井参考人、巻町の例でもいいですから、外国でもそういうたぐいの、虚偽となるのか、虚偽だと明らかにいけないことだけれども、誇大であるとか間違って誘導するような論旨とか、そういうたぐいのことがあった場合とか、そういう実例もあるんじゃないですか。そういう場面はどういう対応をされたんでしょうね、海外や。もしあったなら。

今井参考人 国内でいえば、それは巻であっても御嵩であっても名護であっても、つまりそれが原発であっても産廃であっても基地であっても、賛否両派、建設が正しいと考える方々と建設は間違っているというふうに考える方々がそれぞれチラシやビラを配布するんですが、お互いがそれが虚偽だと思っているんですね。これは本当に判定が難しい。

 一つ言えるのは、例えば巻町の場合でしたら、投票率が八八・二九%という、御病気の方以外はほとんど投票された。このときは、私が驚いたのは、巻の人はほとんどの人が新潟日報を購読しているんですが、朝日、毎日、読売を購読している人はまずいません。ほとんど新潟日報です。新潟日報が各家に朝配付されるんですけれども、町民の方々は、投票日の一月前ぐらいから、朝刊をポストやあるいは家の戸口から受け取ったら、一面から見るんじゃなくて、その朝刊をまず開いて、中に挟んであるチラシから読むんですね。反原発六団体のうち幾つかの団体が、なぜ原発に反対するのかを書いていらっしゃいます。一方、推進派の方も幾つかの団体が書いていらっしゃいます。大体平均すると一日に三、四枚は必ず入っているんですね。そこからまず読み始めるんですね。皆さん、それがきっと水準の低い、抽象的な誹謗中傷合戦じゃないかというふうに思われるかもしれませんが、それはほとんどない。全くないとは言いませんけれども、ほとんどなくて、数値を示して、こうだからああだというふうに科学的に町民を説得しようというものばかりでした。そのために町民はどんどん賢くなっていくわけですね。

 それから、御嵩町の場合もそうでした。例えば御嵩町の場合は、ほぼ五カ月ぐらい周知期間がありました。巻町なんかに比べて非常に投票まで長いキャンペーン合戦があったんですが、キャンペーン合戦の最初のころ、田んぼで働いてはるようなおばあさんにどうですかと聞いたら、ようわからぬけんと言うていたのが、投票の直前に同じおばあさんに聞くと、ダイオキシンがどうだとかドイツではこうだとか、それは水の中からも出てくるとか、もう非常に専門的なことをとうとうと述べられるわけですね。そのおばあさんに聞くと、やはりテレビやラジオで報道するのをちゃんと聞いていたし、それからチラシも読んだしというふうにおっしゃっていました。それでどんどん賢くなっていくわけです。

 三原委員の御質問にお答えするとしたら、私の目から見てちょっとこれは根拠が希薄だろうと思うようなチラシも幾つかありましたけれども、そうだとしたら、翌日、それに対する批判あるいは反論のチラシがきちっと入っていました。だから、もしそれが虚偽だと双方のうちのどちらかが思うんだったら、言論で反駁するというのが基本じゃないかと思っています。

 そこで最後に、フランスの場合は、投票日が日曜日だったわけですけれども、金曜日の二十四時以降の運動は一切禁じられています。ここをよく考えてほしいんですね。土曜日の、投票日の直前に全く虚偽なことをどかんと出したりしたらこれは取り返しがつかなくなりますから、丸一日は集会もしちゃだめ、チラシも配布しちゃだめ、一切何をしてもだめということになっているんですね。そういうことは日本でも必要じゃないかというふうに思っています。

 しかし、基本は反駁、言論は言論によって反駁すればいいと思っています。

 以上です。

三原委員 次に質問したいんですけれども、海外での国民投票あたりは、発議するのは、これを国民投票に付そうと決めるのは、やはりそれはすべて国会が決めるわけですか、それとも、国民の何%が、これに関しては国家にとって重大と思う、国民にとって重大と思うから国民投票にしてほしいというようなことを、そういうシステムは各国によってやはり違うんでしょうか、どうなんでしょうか。

今井参考人 これは国によって違います。せっかく傍聴人の方にも資料が行っていますので、これを見てください。

 二―一という資料です。その左側のページ、百十九ページの上を見てください。そこに、スイスの場合はどういうふうな条件が整えば国民投票になるかということが簡単に書いてあります。スイスの憲法は非常に細かくそのことについて書いていますが、ここはそれを簡単にまとめてあります。百十九ページの一番上の段を見てください。

 スイスでは国民が国民投票のテーマを発議、提案できるのだと。一つ、国民発議。憲法や法律の制定改廃などについて、連署による十万人以上の請求を条件に国民に発議権を認め、その発議の採否を決すべく行われる国民投票です。国民表決は、議会で採択された憲法や法律の制定改廃案、国際条約などについて、効力を持たせるか否かを決すべく行われる国民投票。最後は国民拒否。法律などが効力を発した後、百日以内に連署による五万人以上の国民請求が行われるか八州の請求があったときに、その効力の停止の是非を問うべく行われる国民投票。

 スイスの国民投票にはこの三種類があって、二月八日のテーマでいうと、一と二、つまり次ページの一と二、高速道路の問題と賃借り法の問題は政府提案です。これは、政府が国民にお伺いを立てる国民表決、レファレンダムとなり、三の刑法改正、終身刑の一件はイニシアチブとして実施されたということです。

 ついでに言いますと、この三のイニシアチブ、国民発議というのは、めくっていただきますと二人の女性が写っていますが、この向かって右側の娘さんが山の中で男にレイプをされて、そして死んだふりをしたおかげで生き残って家に戻ってきました。

 その後、男は逮捕されたわけですけれども、それが常習者だということがわかって、この被害者たちが集まって、余りにも凶暴で性的な暴力犯罪を犯す人たちに対して今スイス政府は甘いんじゃないか、もっと厳しく、もう矯正の余地のない人は刑務所から出さないでほしいというお願いをしました。しかし、政府は聞いてくれなかったので、これを国民投票にかけるということで署名を集めて、十万人以上の署名が集まって発議ということになりました。その是非を国民に問うたということです。政府は、こういったことは人権侵害になるから、賛成というふうに投票しないでくれというふうにお願いをしました。結局は国民投票にかかって、国民は、刑法を改正して、そういった人々にもっと厳しく、安易に釈放しないという道を選択したということです。

 ほかに、イタリアでも原発についてかつて発議が行われて、それからほかの地域でも、一定数の署名が集まったら発議ができるというところはあります。いずれもこれは法的拘束力のある国民投票です。しかし日本の場合は、御存じのように、九十六条で憲法改正以外のことについてはできませんし、その九十六条で言われている憲法改正についても我々に発議権がありません。そういうことです。

三原委員 最後に、今言われたようなこと、スイス政府でいいですから、経済的なコストもかかるでしょうし、賛成、反対の人が動き回っているので、それによって個人的な、社会コストというんですか、いろいろな意味でのコストがかかると思いますけれども、そういう点に対して国民投票への批判みたいなものがないのでしょうか。

今井参考人 三原さんと同じことを私も考えまして、実は現地で世論調査をやったんですね。とにかく、春夏秋冬と国民投票をやっているわけです。十五年先まで実はもう投票日が決まっているんです。テーマは後で考えるんです。さっきも申し上げましたように、こんなふうなマニフェストがそのたびに家に送られてくるわけです。重要な問題ばかりですから、これは勉強するのが大変なんですよ、全部読まなければいけないから。大変面倒でしょう。面倒だと思うから、国民に、もうこういうことは御勘弁願えないか、もう議会と大統領に任すというふうにはしませんかという現地調査を現地のスタッフとともに行いました。その結果が、今の同じ「通販生活」の百二十二ページの下側のここ、国民投票制を継続したいか、それとも日本やイギリスのように重要事案の決定を内閣、議会に託す制度に変えたいかと。スイス滞在中、私たちは有権者を対象にして行ったんですが、九五%の人が現行制度の継続を望むと言ったんですね。確かに勉強するのは大変だし面倒くさいけれども、重要課題についてはやはり自分たちで決めたいというふうにおっしゃっています。

 日本人が、さっき、NHKの調査でも朝日新聞の調査でも八割を超す人たちが重要課題については自分たちで決定をしたいというふうに言っていますが、その八割の人たちがスイス人のように勉強をするかどうかというと、私はちょっと首をかしげざるを得ない。自分たちで決めるということは大変な責任を要するということです。もし日本人が、有権者がスイス人並みに勉強しないんだったら、これはやはり、議会にお任せをするお任せ民主主義に浸るしかないんじゃないかと思います。

 では、どうなのかということです。一部、こういった国民投票制度について批判的な人、住民投票制度について批判的な人は、国民がばかだから、よく勉強しないから、衆愚政治に陥るからというふうにおっしゃいます。私はこれは一面当たっていると思います。原発のことであっても、基地のことであっても、産廃のことであっても、あるいは憲法九条のことであっても、来週投票になったら必ず衆愚政治になります。国民はそんなに日々憲法九条について勉強していません。原発についても勉強していません。

 しかし、一定の期間時間を与えて、メディアもきっちりとそのことについて情報を毎日毎日流す、テレビでも毎日討論会が行われてそれが放送される、そういうことを繰り返していく中で国民は賢くなっていきます。だから、どっちを選ぶかです。今、国民がばかなんだからこういう制度は活用しないでおこうというふうにとるのか、国民は不勉強だけれども、勉強してもらって、賢くなってもらって、主権者としての自覚と責任を持ってもらってこの制度を活用するのか、どちらかの道をとるとしたら、私は後者だというふうに思っています。

三原委員 ありがとうございました。

中山委員長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 民主党の鈴木克昌でございます。

 きょうは、両参考人、本当にありがとうございました。お話を伺っておりまして、大変わかりやすい御説明をいただいたな、このように思っております。我々は、改憲、そして創憲、論憲、加憲、いろいろとそれぞれの立場で議論をしてきたわけでありますが、今やはり一番大事なのは、知憲、憲法を知るということが最も大事ではないのかな、こんなことを実は感じながらお二人のお話を聞かせていただいたわけであります。

 今井参考人は、「はじめに」というレジュメの中で、いわゆる選挙と住民投票、国民投票の違いは、選挙は人を選ぶけれども、住民投票、国民投票は事柄を選ぶんだ、これは当たり前といえば当たり前のことなんですが、その原点を我々はややもすれば忘れがちではないのかなというふうに思っております。それからまた、二〇〇三年から二〇〇五年の九月末までで三百四十一の自治体でいわゆる住民投票が実施されておるというこの現実も改めてお示しをいただき、大変参考になったわけであります。

 それから吉岡参考人は、「前提」の中で、主権在民、そして不戦主義、基本的人権の尊重、このいわゆる三つの原則というものをやはり大事にしていくべきだというお話がありました。また、近隣アジア諸国や国際社会と一緒に我々はやはり生きていかなければいけないのだ、そういう意味での憲法というものをしっかり考えていくべきだ、こんなお話があったというふうに思うわけであります。

 そこで、幾つかいわゆる確認も含めてお伺いをしてまいりたいんですが、きょう出たお話もあります、それからまた、事前に私が調べさせていただいた、真っ当な国民投票のルールを作る会の示された部分も含めてお伺いをしてまいりたいというふうに思うわけでございます。

 まず、技術的というか基礎的というかについて、私の考えも含めて、そしてまた、お二方のお考えを参考にさせていただきたいということでお伺いをしてまいりたいと思うんです。

 まず、基本は、今回は日本国憲法改正国民投票制度というものを今考えておるということを前提に、国民投票の案件がいろいろある、また大事だということは私も実は思っておるわけでありますが、今回は憲法改正ということに集結をして、そのための目線というか方向でお伺いをしてまいりたい、このように思うわけであります。

 最初に、どうしてもクリアしなきゃならないのは、投票権者の範囲、いわゆる年齢要件ということであります。吉岡参考人は先ほどのお話の中で、青少年が国民投票運動に参加できるようにすべきだというお話がありました。ということになると、かなり若い人たちの投票権もというふうな方向になっていくのかな、こんな感じで伺っておったわけでありますが、まず、この投票権者、いわゆる二十以上なのか、そしてまた一部言われておるように十八歳からでいいのかということで、お二人の考え方を聞かせていただきたいと思います。

 いずれも問題が、これは釈迦に説法でありますが、例えば有権者名簿をどうするかとか、いろいろな問題があります。それから、国民投票の年齢を仮に変えれば、では、今度は選挙の投票者の年齢をどうするのかというような問題もあることは承知をしておるわけでありますが、お考えをお示しいただきたいと思います。

吉岡参考人 私は、とにかく議論の中には、もう小学生ぐらいから、国の形はどういうものであるんだろうか、何を決めているんだろうかとかいうことを学校で話をしたりとか、もうちょっと上級生になれば、民主主義とは何だろうかとか、中学生になれば、もちろんそれなりに応じた話し合いなり自分で考えることなりを若いときからしておくということは、彼らが大人になっていったときにも役に立つ、これはもう当たり前のことで、わざわざ繰り返すまでもないことだというふうに思います。

 その上で申し上げますけれども、一般の公職選挙であれば二十以上ということになっていますけれども、私は、少なくとも十八歳まで下げて行うべきだろうというふうに思います。言ってみれば高校卒業ですよね、そのぐらいから憲法問題についての国民投票には参加できるという道筋をつくっていただきたいというふうに思います。それは、繰り返しますけれども、教育効果というものがもちろんあります。

 それから、今、鈴木先生が御指摘の、では、選挙の有権者の年齢との整合性はどうなるのかということですけれども、これは、私は別個に考えてもいいだろうというふうに考えています。ですから、選挙人名簿の調製というものも、したがってこれ独自のものをやっていいのではないかと。

 いずれ、一般公職選挙についても、二十ではなくて十八歳にしようかということも当然議論に上ってくるだろうと思います。世界的に見ると、御承知のように十八歳の方に下がってきていますし、さらに十六歳というようなこともあります。ですから、国際的に言いますと下がってきている、青少年の社会参加、政治参加というものの道を開いています。ですから、私も、日本もその道をこの国民投票法案をつくるときに当たって模索していただきたいというふうに思います。

鈴木(克)委員 今井参考人は何かそのことについて、外国の例なんかもお示しをいただければと思います。

今井参考人 既にもう事実が判明をしているんですが、全国の自治体で住民投票をやるときに、もう皆さん御存じのように、住民投票条例の制定に基づいて行われますから、公職選挙法に基づいて行われるわけじゃないので、投票権者の年齢については各自治体それぞれが決定しています。一番若いところで、たしか中学生から投票ができるところもありましたよね。最近多いのは、やはり十八歳以上が多いですね。

 永住外国人の投票権についても、これは地方自治体ということでありますから、今は三分の一ぐらいのところで永住外国人の投票権を認めている。最初に認めたのは滋賀県の米原町です、今は米原市になりましたけれども。

 それで、どこも、当該自治体のメディアは、ふだん選挙で投票権がない十六歳以上の人とか十八歳以上の人たちが本当によく勉強して、あるいはちゃんと投票所に行くかどうかというのを特集を組むわけですね。それを追いかけるわけですね。そうすると、はっきりしたのは、かなりの高率で行っているということです。大体七割から九割ぐらいの投票率で、例えば十八歳から二十までの人、二十未満の人ですね、最初にやったのは秋田県の岩城町だったと思いますけれども、ここはたしか八〇%を超す人が投票に行っているんですね。

 では、その人たちが選挙のときには行くかといったら、僕はそれはまた違う結果になると思うんです。住民投票というのは、ある意味、自分たちの直接の意思が決定に反映されるということで、若い人たちにとったら非常に魅力的なんですね。だから、選挙の方に適用されるかどうかはともかくとして、出口調査によると、あるいは地元のメディアの調査によると、二十未満の人たちに投票権を与えた場合、この人たちは、無関心であるというよりも、むしろ関心を持って積極的に投票に行っている場合が多いということです。

 以上です。

鈴木(克)委員 今、今井参考人のおっしゃった、住民投票については高いと言われていたけれども、選挙になると行くかどうかわからないという、ここがやはり一番問題ではないのかなというふうに思います。

 そのことはさておきまして、次の御質問をさせていただきたいと思うんです。まず、形ということでぜひお聞かせをいただきたいんですが、いわゆる一括方式か個別方式かということですね。

 先ほど、スイスの例ですか、何か投票用紙にもう既に個別にうたわれておるという御紹介があったわけでありますが、これも非常に悩ましいことでありまして、一括で問うのか、それとも個別に問うのか。そして、その場合には、技術的に果たしてどうなんだろうかというようなことはいろいろと考えていくと出てくるというふうに思うんですが、まずこのことについて、それからユニット方式というのもあるというふうに思うんですけれども、その辺で両参考人は国民投票の方式についてどんなふうにお考えなのか、お示しをいただきたいと思います。

今井参考人 この問題はもう既に決着がついているんじゃないかと思います。

 相互に関連のないテーマについては、前回、委員会の傍聴をさせていただきましたけれども、ここにもおられている辻元委員が大変な懸念をお持ちになっていた、例えば九条と環境権とかプライバシー権、知る権利などを一緒にして、三つ四つのテーマについてそれぞれ聞きながら、回答するところは一つというようなことはもうあり得ないと思っています。それは関係のない問題だからです、九条と環境権は。九条とプライバシー、関係のない問題。関係のない問題を一緒くたにして答えてもらおうなんて考えている人は、この委員会にはいないと思います。

 問題は、不可分のテーマですね、切り離せないテーマというのがあります。それについてどうするかといえば、当然、これは一括して投票するのが当たり前のことです。そんなことばらばらに投票できない。

 問題は、だれが可分か不可分かを判定するのか。そして、不可分だったら一括だけれども、可分だったら必ず個別に投票するんだということをきちっと法律で制定してもらうということです。時の議会の中で多数を占めている人たちが恣意的にそれをあれこれできるということじゃなくて、きちっと改正国会法の中に入れ込むとか、あるいは国民投票法の中に、不可分のものについては一括でもいいけれども、可分のものについては必ず個別に投票するということを一言どこかにちゃんと記してもらわないと困るということ。

 今、その記し方、制定の仕方が問題になっているんであって、可分のものについては、分け隔てができるものについては、全然違うテーマについて一括して投票した方がいいと考えている人はここにいないというふうに私は理解しております。

吉岡参考人 今、今井さんが説明したことと全く私も同じように考えます。

 私もこの委員会の議事録を読ませていただきましたけれども、一括でやりましょうという意見はもうほとんどないのではないでしょうか。もしそういうことになったら非常識だというふうに思います。

 以上です。

鈴木(克)委員 そうすると、憲法九十六条に、憲法改正の発議権は国会に付与されておるということですね。そうすると、国会が改正条項の可分、不可分というのを決めていく、こういうことになるということですね。それは間違いないわけですね。

今井参考人 あるいは、発議する際に、個別に発議をしたものについては個別に投票するというようなルールも考えていいんじゃないかと思います。

 例えばですけれども、九条と環境権とプライバシー権、三つについて数年後に何か聞きたいというときに、これをセットで発議して、つまり、発議をするということは、衆参各院で三分の二以上の議員の同意を求めるわけですけれども、例えば衆議院の中で、この三つについて発議をしようと思っているけれども賛成してほしいというふうに聞くんじゃなくて、九条についてどうだ、環境権についてどうだ、プライバシー権についてどうだということを個別に賛同を求めて、個別に三分の二をクリアして、それぞれパーセンテージが微妙に変わってくると思うんですよ、あるものについては八〇%、あるものについては六七%というふうになっていくと思うんですが、個別に発議したものについては個別に聞くというようなルールをお考えになるのも一つの方法ではないかというふうに私は考えております。

吉岡参考人 前文をどう書きかえるかというふうな問題になったときに、これはどう分けるのかということが非常に難しいことになるだろうと思うんですね。各条項については、今、今井さんがおっしゃったようなことで、考えるべきことも含めて私は賛成しますけれども、前文というのは、これは非常に難しい。

 つまり、前文をこのように書きかえますというふうになったときに、その前文の部分が何カ所かにわたるとしますね、そのときに、この最初の改正はいいけれども、パラグラフツーの、二番目の文段のこれはちょっと私は賛成しませんということになることも考えられると思います、もし前文を書きかえるということになったときには。このときには、パラグラフごとになるのか、あるいは前文をそれこそ一括するのかということになります。

 これは、私は、御承知のように、今の日本国憲法の前文は幾つかのことを一つの文章の中で表明しているわけですから、パラグラフごとになるのかなというふうに考えます。

鈴木(克)委員 最後の御質問になるわけでありますが、先ほど来かなりこの議論が出ておったわけでありますけれども、政府による広報の中立性ということですね。

 相当、先ほど今井参考人からは外国の例も含めて、また具体的にお話があったわけでありますが、さりとて、政府がいわゆるある一定の方向に、世論操作と言うと大変誤解があるかもしれませんけれども、持っていこう、そういうものをやることに対して、我が国というかむしろ国民が本当になれておるんだろうか、またその辺がどうなんだろうかという単純な疑問を実は持つわけでありますが、そのことについて最後にお二人からお聞きしたい、このように思います。

今井参考人 お手持ちの、皆さんに配付されている資料の二―五というのを見ていただきたいんですが、これは、私がフランスに調査に行ったときに、フランス外務省の人たちが、ヨーロッパ委員会の人が中心なんですが、この前のEU憲法批准のための法案の是非について国民投票をやりましたけれども、そのときの本当の最前線に立っていろいろなことを決めた人たちです。ホームページをつくった人たち、それから解説書をつくった人たち。上から二番目にニコラスさん、その下に、十五時三十分からセットンさんというお名前がありますね。このセットンさんという人がフランスの国民投票における解説書をつくられました。その本人です。会ってきました。

 非常にしんどかったと言っています。なぜかというと、自分は外務省の一員だし、政府の一員だから、当然EU憲法は批准してほしい、しかし、国民にはそういうプロパガンダ性があったら怒られてしまうので、そういうのを抜きにしてやっている、それが大変だったと。だけれども、ある意味禁欲的に、できるだけ中立的に、批准がされたらどうなって、されなかったらどうなるのか、批准をするのはどういう意味があるのかということについて説明書を書いたと言っている。実を言うと、これはCDも出ています、全く中身は一緒で。このCDは無料配布されています。若い子たちにそのCDを配布したりしています。

 もう一つは、フランスの場合、朝の八時から夜の八時まで、有権者から電話をかけてもらって、批准されたらどうなるんですか、EU憲法が批准されなかったらどうなるんですか、そういう質問に答える係を六十五人設定しました。全員学者です。その学者が、電話がかかってきていろいろな質問に答えるということです。

 そのところについても私は、実を言うと、賛成票がふえるように誘導するんじゃないかというふうに意地悪な質問をしたんですが、そうじゃないんだと。では、そうじゃないという証拠を示してほしいと言ったら、私たちがこの六十五人の学者を、電話応答員を設置したときに、一斉にメディアの人たちが電話をしてきた、物すごく意地悪な質問をした、中立性を守っているかどうかを全部チェックされた、どこからもクレームがなかったと。そういう努力もしています。

 だから、おっしゃるとおり、三分の二の人たちが憲法改正について発議をしたい、変えてほしいというふうに国民に望まれるということですから、当然そういう気持ちが入ってしまいますけれども、それを抑えてこういう中立的な文書をだれがつくるのか。国会図書館の人がつくるのか、あるいは内閣がつくるのか、議員の中で選ばれた人がつくるのか、それは皆さんで御相談していただくとしても、改憲派が多数派を占めたらこうなる、占められなかったらこうなるということを、具体的にできるだけわかる範囲で明示をする必要があるんじゃないかと思います。

中山委員長 参考人に申し上げます。

 鈴木委員の質疑時間は既に終了しておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたします。

吉岡参考人 国会が発議してどうするか。一番問題になるのは、多分政府の投票運動だろうというふうに思います。

 政府の投票運動は、これはしてはならないとすべきだというふうに思います。国会が発議して、その発議した党やあるいは議員の皆さんがさまざまにいろいろな発言をするのは、もちろんこれは投票運動の内側ですけれども、政府は中立を守るべきだというふうに私は思います。

鈴木(克)委員 どうもありがとうございました。

中山委員長 次に、高木陽介君。

高木(陽)委員 公明党の高木陽介でございます。

 本日は、二人の参考人の方には大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。質疑の時間が十五分と限られておりますので、端的にお伺いをしたいと思います。

 まず、今井参考人にお伺いをしたいんですが、このレジュメの二ページ目の頭ですね、よく学び、よく考え、よく話し合う。国民が投票するということで、本当に一人一人の国民に御理解をいただいた上で、それがいいのか悪いのかしっかり判断をしていただくためには、本当に重要なことであるなと思います。

 その上で、まず、運動の期間というか、発議をしてから投票までの間、吉岡参考人の方は半年以上というふうに言われておりますので、ちょっと今井参考人にお伺いしたいのは、例えばスイス等の国民投票、ここら辺は発議からその投票までどれぐらいなのか、また、憲法の国民投票で日本でやる場合には、どれぐらいの期間が必要なのか。

 つい先日、衆議院選挙が行われました。選挙と国民投票は違うといいながら、結局、今、運動期間というのは、衆議院の場合十二日間、しかも、解散してから約一カ月の間にそれぞれの政党がマニフェストを掲げていろいろと論議をするんですが、本当にその一つ一つの政策について国民が理解をした上で投票ができているのかな、ここら辺のところは、メディアのあり方等もいろいろと問題もあると思うんですけれども、これはなかなか難しい問題だなと思います。

 そういった意味では、この国民投票の運動期間、これについて今井参考人にお伺いをしたいと思います。

今井参考人 これは、社会的な状況とかそれから政治的な状況で特に緊急性を要する国民投票というのが今後出てくる可能性がありますけれども、その特に緊急性を要する状況というのは、ちょっとここではおいておかせていただきます。

 そうでなければ、やはり憲法にかかわる問題については、最低でも三カ月時間を置くべきじゃないかと思っています。しかし、今後、もし憲法にかかわる以外のことで諮問型あるいは助言型の国民投票が行われるのであれば、私は一月ぐらいでやれるものもあるんじゃないかと思っています。

 それから、憲法について言っても、前にこれは、ごめんなさい、保岡さんから私御意見を伺ったことがあったかと思うんですが、憲法の中でもそんなに白熱した議論を要しない、簡単に決められる問題もあれば、あるいは非常に重要な問題もあるから、一律に憲法だからといって二カ月とか四カ月とか、それも決めない方がいいという御意見を伺ったんですが、私も賛成です。やはり基本的には、それぞれのテーマによって三カ月とか三カ月半とか四カ月とか決めればいいんじゃないかというふうに思っています。それは国会の方にお任せするしかないというふうに考えております。

高木(陽)委員 続いて、運動の仕方ということで、先ほど両参考人とも、規制については極力避けていくべきであろうと。私もそのように思います。

 基本的に、私も新聞社出身ということもあって、表現、報道の自由は本当に守っていかなきゃいけない、この観点に立った上でも、国民投票、憲法の問題について、いろいろな意見があって初めて集約されてくるんだろうな、その上に立って、ただ、吉岡参考人は、物理的危害をほのめかす脅迫的言辞、これは何らかの対応をした方がいいだろうと。

 ここで、これはちょっと幅が広くなってしまうかもしれないんですけれども、物理的危害ではなくても精神的な危害、結構今のメディアのあり方でもあると思うんですけれども、一たん傷つけられた良心の部分、ここを回復するというのはなかなか大変な部分があるわけですね。ここら辺はメディアまたはそれに携わる人たちの自律性というのが本当に問われるとは思うんですけれども、ここら辺のところでどのようにお考えか、吉岡参考人にお伺いしたいと思います。

吉岡参考人 これまで、例えば右翼の暴力によって出版社の家族の関係者が殺されたりとかということもあります。あるいは政党の党首が殺されたりということもあります。もちろんそれは、極左の活動によっても同じような危害が加えられたというケースもたくさんあります。

 私は、今の言論ということに限って言いますと、私自身も、例えばかみそりを送りつけられたりとか、電話がかかってきて脅迫的なことを言われて、夜道は明るい月夜の晩ばかりじゃないよというようなことを言われたりとかということは、多かれ少なかれ皆さんも、大体こういうことを仕事にしているとされていると思うんですね。これを特定するのは非常に難しいですけれども、もちろん、ほかの法律によってもこれは逮捕することはできる、捜査することも可能だと思いますけれども、こういうことはやはり抑止しなければならない。しかしそれは、では、そういうかみそりを送りつけるのは一体物理的な危害なのか心理的な危害なのかというと、ちょっとわかりにくいところがありますよね。両方あるんだと思いますけれども。実際にやればもちろん物理だし、両方ですね。

 ですから、こういう、心身のというふうに言うべきなのかもしれませんけれども、どういうふうに法を文章化するかは別として、何らかのことは言わなければいけないのではないか、あるいは別の法律でやるよということを言うか、どちらかだと思いますけれども。

高木(陽)委員 続いて、今井参考人にお伺いしたいのは、スイスの例で、放送媒体、政治的宣伝、放送を一切禁止するという、ここら辺はやはり資金の問題というのも問われているのか。

 もう一つ、マスメディアのあり方ということで、テレビと新聞がかなり違う。ただ、テレビで報道に携わっている人たちも、やはりジャーナリストとしてそういう一つの見識を持ち、または主張をしたい、こういうのもあると思うんですね。ただ、テレビの影響力というのも日本でもかなりありますから、そう考えた場合のこの格差をスイスのようにつけた方がいいのか、もしくは、平等に、公平にというか扱った方がいいのか、その点についてお伺いしたいと思います。

今井参考人 スイスで、今、高木さんがおっしゃったことについては、スイス国営放送の国内政治編成局長ロルフ・カーメンツィントゥ氏という方に話を伺ってきました。高木さんがおっしゃったことと同じことを私は聞いたのです。つまり、資金的な問題なのか、それともほかに理由があるのか。もう答えは明快でした。活字と違って放送媒体は主権者をマインドコントロールしてしまう可能性が強い、だからラジオもだめだしテレビもだめなんだ。それは、スイスの場合、私たちと違って小さな国で、四方八方をイタリアとかドイツに囲まれていますよね。ドイツから放送をしてくる人がいたそうです。それも、そこまで考えていなかったものですから、それをやられちゃった後にそれも禁止する。よその国から賛成に投票してくれと言うのもだめだというふうなことを法律で後で規制したそうです。とにかく、放送についてスイスの人たちは非常に神経質になっています。

 ただし、考えてほしいのは、それは単純に、昔、私がモスクワに住んでいたときに、さっき言ったエリツィンが四つの項目について国民投票したときに、ダー・ダー・ニエット・ダーと答えてくれと言いました。もうこれは大変だったのです。朝起きてラジオをつけたらダー・ダー・ニエット・ダー。テレビをつけたらダー・ダー・ニエット・ダー、ダー・ダー・ニエット・ダー。取材をしてタクシーの運転手さんに、今度国民投票へ行きますかと言ったら、行くよと、どういうふうに投票しますかと言ったら、運転しながら後ろを向いてダー・ダー・ニエット・ダーと言うんですよね。もう完全にマインドコントロール状態ですね。

 スイスは、そういうことにならないように、でも、彼らが制限しているのはそういうことであって、テレビでの討論とかはいいんです。これはいいんです。フランスでもそれはいいんです。そういう何かもう本当に単純に賛成、賛成、賛成、賛成みたいな、そういうスポットがだめだと言っているだけで、討論は大いにやってください、討論番組も大いに結構ですよと。そこを間違いのないように。

高木(陽)委員 今、討論番組はいいというお話がありまして、選挙のときも、各政党が討論番組に出たときに、今井さんなんかとも、また吉岡さんとも一回一緒に番組に出たこともあるんですけれども、そのときに、結構今の流れというのはマルかバツかをすぐに決めたがる。やはり五一対四九というのがある、人それぞれその途中の経過が大切なのに、特に憲法の問題なんかは、その過程、なぜこの条文が出てきたのか、なぜこの改正でこういうふうにしようとしているのかというその途中過程が大切なのに、何か今のメディアというのは、そういう途中過程を省いて、マルかバツか、一〇〇かゼロか、白か黒かみたいなそういう問いかけをしてくる傾向があるので、逆に、もし討論を許したとしても、そこのところでかなりゆがめられるのかなという気がしてしまうんですけれども。

 その上で、時間も限られておりますので、承認をするしないのところで、吉岡参考人は全有権者の過半数、まあ、棄権をする人も一つの意思表示ということで言われておりますけれども、ここの点をもう少しお話しいただきたいのと、今井参考人に、この資料を読ませていただくと、スイスで平均四五%の投票率、そうなりますと、その投票自体でそれは過半数の有権者に行っていないわけですから、もうほぼ否決されてしまう。この点についてお二方の御意見をお伺いしたいと思います。

吉岡参考人 私は、全有権者の過半数というかなり極論を申し上げております。先ほどもちょっと言いましたけれども、改正されるにせよ、あるいはされずにこのままでいくにせよ、その憲法というのは、つまり、それから何年間ももちろんこの社会で影響を及ぼすわけですし、それから、その確かさというか正統性というものをどう担保するのかということを考えなくてはならないと思うんですね。

 よく言われるように、投票率が本当にぎりぎり五十数%ぐらいであって、しかも賛成が五十数%みたいなことになりますと、ほとんど四人に一人しかこの憲法についてオーケーと言っていないよということがずっと広がると思うんですね。ですから、国民投票というのは非常に危険な側面も持っていて、仮にこのまま、現状のままいくにしても、改正なしでいくにしても、今まで持っていた定着感よりは、四分の一しか定着でオーケーよというふうにならない可能性が出てくるわけですね。

 ですから私は、できるだけたくさんの人が参加してほしいけれども、全有権者の過半数は占めたんだよということをやらないと、そこから先の憲法が生きなくなるということを恐れているからです。

今井参考人 フランスで、先ほどフィガロのこれを見せましたけれども、はっきりとしたフランス国民の主権者の意思が表明されたと。御存じのように、フランスの憲法では、主権者は選挙と人民投票によって主権を行使するというふうにフランス憲法には書いてあります。この結果を見て、投票率が七割で五五%の人が反対と言ったんだから、これはもう明確な意思表示をされたと。では、全有権者の幾らかといったら、三八%なんですよ。

 例えばロシアの憲法みたいに、もう憲法の中に、半数以上の人が投票して、さらにそこから過半数をとらなければいけないと書いてあります。日本の九十六条には書いていませんから、投票率が三割でも四割でもいいわけですね。それから、吉岡さんがおっしゃったように、ドイツの州の憲法については、確かに、全有権者の過半数が賛成しなければいけないという規定のところがあります。

 ただ、この問題は、大まかに言って二つあります。一つは、吉岡さんがさっき言ったような意味で過半数を求める場合、それから、それに反対する、例えばドイツでいったら緑の党なんですが、一切のそういう投票率、それから絶対得票率のハードルを設けるべきじゃないという考え方もあります。

 なぜかというと、彼らは、私たちは市民が積極的に政治に参加していって政治を変えていくことを希望しているのに、もしそういった絶対得票率あるいは投票率のハードルを設けると、結局棄権した人たちが勝利してしまう、参加した人たちの意思が通るべきであるのに、棄権した人たちに政治が握られてしまう、それはおかしいんじゃないかと。やはり、市民の政治参画ということを考えたり主権者の政治参画ということを考えたら、参加した人たちの意思が拾い上げられるべきであって、棄権した人たちは放棄したんだから、その人たちを相手にする必要はないという考えもあります。

 これは本当に難しい問題ですけれども、そのことについても、この委員会でまた議論していただければというふうに思っております。

中山委員長 以上で高木陽介君の質疑の時間は終了しました。

高木(陽)委員 ありがとうございました。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、両参考人、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。

 まず、両参考人に共通してお尋ねしたいと思うんですが、国民投票制度を整備すべし、こういう動きが国会で出てきたことについての御意見なんですけれども、この委員会でも、戦後二回にわたって国民投票法をつくる動きがあったけれども、いずれも断念されたということも紹介されました。それから五十年以上たっているという中で、ある意味、五十年の間そのままにされてきた政党や議員の方たちの中からにわかに立法の不作為とか国会の怠慢だというふうなお話が出て、法整備を主張するという話が出てきたというのが最近の動きだと思うんです。

 それで、憲法というのが、国民が公権力に対して命令をある意味するもので、公権力の行使を制限して国民の人権を保障するものというふうに私は考えるんですけれども、それは共通しているというこの前も議論があったんですが、今、九条を変えて自衛軍を持ったり海外で武力行使を可能にしようとしたり、国民の責務ということまで定めるような動きも含めた改憲の動きが出て、まとめようという話も出てきている。

 私は、そういう中で、まさにその改憲を具体的な日程にのせようとする今日の動きと一体のものとしてこの投票制度を整備すべしということが国会の中で出てきているんじゃないかというふうに見ているわけですけれども、そしてそういうことだと思うんですけれども、両参考人が、国会でのこの投票制度を整備すべしという動きと改憲の動きということについてどういうふうに見ていらっしゃるか伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。

吉岡参考人 政治状況的には、今笠井委員がおっしゃったようなことがあろうかと思います。

 私は、私自身も実はそうなんですけれども、この国民投票法案というものが出てきたことによってということも変な言い方ですけれども、真剣にやはり憲法について勉強し直しました。そして、もちろん憲法が何を言っているか、その歴史的経緯は何であったかということと同時に、委員会は今ここでやっているわけですけれども、こういう議論をもうちょっと実は、この法制をつくり上げること自体が、このプロセス全体が社会的な議論をもうちょっと巻き起こすような、つまり憲法とは何であるのかとか、それを変えるとはどういう意味があるのかとか、それはどういう影響を自分たち及び周辺諸国や国際社会に及ぼすのかというふうなことを議論するような場というものとしてつくられていけばいいなというふうに思っております。

 ですから、この投票法案の法制をどうするかということは即イコール改憲につながるというふうには、すぐにそういうふうに判断をするということは私はしておりません。

今井参考人 もうこれは当然のことなんですけれども、九条を変えたい議員の方々、あるいは他の条項について付加したりあるいは改正したりしたいという方々は、国民投票法という法律がなければそれはクリアできないわけですから、改正の発議だけして国民投票ができなかったらこれは改正できないわけですから、当然、改憲の一里塚というふうに共産党の方々はよく言われますが、そういうために設定しようとしているのは、もうこれは間違いないことだと思っています。

 ただし、御注意申し上げたいのは、これは、改正の発議の後に国民投票をやるためにこの国民投票法を制定するということであって、それを考えていらっしゃる方々がどういう意思を持ってそれをつくろうが、国民投票自体は改憲のための国民投票ということにもならないし、護憲のための国民投票ということにもなりません。これは価値中立です、制度として。結果として改憲されたり、結果として護憲になったりするだけであって、あるのは、主権者に改憲の是非を問う、主権者が改憲の是非を示す国民投票しかないということを申し上げておきたいと思います。

 その国民投票をやるための法律だと私は解釈しておりますから、しかける側がどういう意図を持っていようが、この制度は価値中立であって、最終的には国民がその改憲の是非を決めるということでありますから、私は、この制定が間違ったものだとは思っていません。ただし、それが真っ当であれば間違ったものだとは思っていませんが、ルールが真っ当でなかったら間違ったものだというふうに思っております。

 以上です。

笠井委員 吉岡参考人に伺いたいんですけれども、先ほど、現憲法についての国民の定着性ということについて、さらに、近隣諸国との信頼という問題について重視されているということで、そのことについて非常に印象深く伺いました、前提問題ということで。

 私は、最近の動きを見ていますと、ある意味で、違憲の政治を行って、そして、それが合憲となるように憲法を変えるというような動きが顕著になっているように思えてならないんですね。例えば、最近の小泉総理の靖国参拝の問題もそうですし、イラクへの自衛隊派兵という問題もそうですが、憲法とたがうことをやりながら、それを今度合憲という形でやるために憲法を変えようという流れがあるように思っているんです。結局、権力を持つ側が憲法に反する現実を次々と一方でつくっておきながら、それに合わせて使い勝手のいい憲法にしようというふうなことで、それが結局近隣諸国との信頼関係を壊すことにならないかという危惧を持つんですけれども、その点について御意見があれば伺いたいと思うんです。

吉岡参考人 私は、国民投票運動の期間を半年にすべきだと、これもちょっと極論のようなことを申し上げております。

 なぜそういうことを言うかというと、例えば、この半年間ということでいろいろな出来事と社会における反応というものを見てみますと、例えば、笠井委員がおっしゃったイラク問題についてもそうなんですけれども、大量破壊兵器を理由にして戦争が始まりましたね。そのときに、半年ぐらいたってみたら、いや、あれはなかったというふうな話になっていると思いますね。それから、例えばことし、いわゆる反日デモというのが中国や韓国で起きました。しかし、半年たってみたら、我々の方の反応も冷静になっているし、向こうの当該国の人々の反応も冷静になっている。この半年というのは、さまざまな議論が沸騰したときに、ある冷却期間であったり、暴論や極論というものが修正され淘汰されていくために必要だというふうに思っているんですね。

 ですから、時局に合ったように使い勝手のいい憲法をつくりたい小泉さんを初めとする今の権力の思惑ではないかというふうに笠井委員はおっしゃいますけれども、それを半年ちゃんときちんと置けば、国民は、有権者は、一体これは何なんだろうかということで、きちんと私は見抜くと思いますね。いや、そうじゃないと見抜く方もいるかもしれませんし、そうだというふうに見抜く方もいると思います。そのために私は半年ということを申し上げているんですけれども、そういう考える時間というものをこの制度の中でどう設計するかということは非常に大事だというふうに今の御質問に関して私は考えます。

笠井委員 さらに吉岡参考人に伺いたいんですが、参考人は、ことし二月の日弁連などが主催した精神的自由を考えるシンポジウムというものに参加されて、柄の悪い社会を迎えつつあるという印象的な言葉を私、覚えているんですけれども、まさに今日の日本社会が、表現の自由や言論の自由、集会、結社の自由ということなどで、主権者としての権利を存分に行使できる社会になっているかということは大きく問われなきゃならないというふうに思っているんですね。

 例えば、戦争反対のビラをまくという形でやっただけで逮捕されたり起訴されたりというようなこともあります。今の社会が、表現の自由を初めとした精神的自由が不当に制限されたり侵害される状況にあるというのは、少なくない国民が感じていることだと思うんですね。

 そういう状況もある意味つくっている主要な責任といいますか、政権与党の側から国民投票制度を整備しないと、国民主権が保障されないというふうなことがしきりに言われたりするんですけれども、私、それに対して違和感があるという意見はある意味当然じゃないかと思っているんですが、精神的自由ということのかかわりでどういう感想をお持ちかどうかというので、もし御意見いただければと思います。

吉岡参考人 ちょっと質問の趣旨をお伺いしたいんですけれども、そういったものとこの法制とがどう関係するかということでしょうか。

笠井委員 そうですね。一方でそういうふうな状況がありながら、国民主権を保障するためにこそ今あるし、それがない限りされていないんだということをしきりに言われるわけですが、余りにちょっと現実にやってきたこととギャップがあり過ぎないかという。

吉岡参考人 私も、先ほど意見を申し上げた中で一たん指摘もしましたけれども、ここ数年の間の、私、こういう仕事をしながら感じている表現の自由に対する抑圧であるとか規制がふえてきているのではないか。これは私だけではなくて、マスメディアの側も盛んにそれは指摘しているところですけれども。

 確かに、世界のさまざまなところで戦争が起きてくるような状況の中で、危機管理とか治安というものを行政の一番真ん中に据えてくるというふうな動きというのは、私は感じています。それは、何も日本社会だけではなくて、私がいましたアメリカでもそうでしたし、いわゆる先進国の中で、今この危機管理と治安というのが人々の不安をあおるような形で進んでいるという現実を私は物書きとしてもたくさん見てきました。

 そういう議論の中に、今回の改憲であるとか、改憲に絡めた形での国民投票法制というものの策定というふうなものがあることも漠然と私は感じています。しかし、あるんですけれども、では、それに対して、だから全部だめよというふうに言うのではなくて、この動いている現実の中で、それこそ先ほど今井さんが言った価値中立的なものとしてきちんと人々の意見がそこに入れられるものとしてどう設計できるのか。これは改憲するしないにかかわらず、両方にとって大事な問題だというふうに私は考えています。

 ですから、そういう状況、非常に狭いスパンでの政治状況的なところにこの問題をからめ捕られないような努力というものを、私たちもしますし、委員の皆さんもぜひやっていただきたいというふうに思います。

笠井委員 今井参考人に伺いたいんです。

 この議論の中で憲法九十六条そのものを検討すべきだという意見も出ているわけですけれども、そのことについて伺いたいんです。

 憲法を変えようということで考えている議員の中から、九十六条の規定について、改憲の内容によって、例えば統治機構のあり方などを定める条文の一部などについて言えば、国民投票をやらずに国会の総議員の三分の二以上の賛成で改正できるように九十六条を検討したらいいじゃないかという意見がありますけれども、これについて参考人はどういうふうな御意見をお持ちでしょうか。

今井参考人 確かに、ドイツでは三分の二の賛成があれば国民投票に付さないで憲法を変えることができます。これはドイツ連邦の話、連邦全体の話です。各州ごとでは国民投票が必要です。

 そういうふうに、三分の二の賛成があればもう国民投票必要ないんじゃないかというふうに言われる方の根拠としてよくドイツのことが使われるんですが、実は三年前にドイツ政府に招かれまして、十日間その問題で取材をしてきました。ドイツでも全く逆の方向に今動こうとしています。国民投票はやはり必要じゃないかと。マーストリヒト条約のことについてもEU加盟についても、要するに、他国は、デンマークでもスウェーデンでもフランスでもみんな最後は国民投票で決めたのに、ドイツだけがそうしなかった。それはやはりよくないんじゃないかという意見が非常に強まっています。

 さっきも申し上げたみたいに、各州ごとの憲法改正については国民投票が必要なわけであって、やはりドイツ連邦全体の基本法についても国民投票が必要なそういう制度に持っていくべきじゃないかという意見が今強まっています。

 だから、もし日本の方で、国会の多数があれば、もう国民投票は必要ないんじゃないかという意見があるとしたら、それはちょっと考え物じゃないかというふうに思っています。

 ただし、国民投票を必ずやるという条件で三分の二を多少緩和してもいいのではないかという考えも私にはあります。例えば、今六六%以上ですよね。三分の二を例えば六〇%ぐらいにするとか、それは考えてもいいんじゃないかというふうに思っています。

 というのは、日本の歴史始まって以来、一度も国民投票をやったことがないというその現実をよく考えてほしいということです。私たちは主権者であって、主権行使の最大、最も重要な機会というのは憲法改正にかかわることです。日本人は、日本の人民は一度もやったことがないんです。私は、このままやらずに死んでしまうんじゃないかというふうに思っています。だから、議会が勝手にどんどんどんどん変えていくのはよくないけれども、国民投票をやるんだったら、多少、そういう意味でいったら発議の要件が緩和されてもいいんじゃないかと思います。

 笠井さん、済みません、もう一つ言わせてください。これまで住民が、市民がいろいろな運動をして、大事な問題は住民投票で決めたい、神戸空港のことであっても、徳島のダムの問題であっても、川辺川ダムの問題であっても、住民投票で決めたいということでたくさんの直接請求署名を集めました。神戸では三十万を超しました。徳島では四九%です。これはインチキ署名じゃなくて、選管のチェックを受けた法定署名です。四九%もの人が住民投票をやりたい、あるいは、川辺川ダムの問題でいったら、人吉市では四八・五%。驚異的な数字です。

 こういう署名を集めて突きつけても、つまり議会の意思と民意とは違うんだ、議会の人たちはダムをつくりたがっているけれども、民意は違うんだ、だから住民投票で決めたいと言っても、住民投票させませんでした。議会は否決したわけですね。今、この国会では逆の立場になっているんです。議会はやりたいと言っているわけですね。いつも笠井さんおっしゃるみたいに、毎日新聞の調査では六二%の人が九条改憲に反対だと言っているわけです。

 つまり、土井さんたちがよく言っているみたいに、議会の中では九条改憲が多数だけれども、議会の外では民意は違いますよと。民意は九条改憲に反対ですよと言うんだったら、議会に勝手に決められたら困るから民意を聞いてほしいというふうに本当は言うはずなのに、地方自治体では、みんな議会の意思を覆すために、住民投票をやるためにさんざん苦労して、それでもなかなかできなかったところがいっぱいあるのに、今せっかく議会が民意を聞きたいというふうに、三分の二も持ちながら、民意を聞きたいと。もちろん九十六条の規定にあるわけですけれども。

 それについて、やはり私たち主権者なんだから、主権者の意思をちゃんとくみ入れるということについて、もう少しお考えになっていただけないでしょうかというのが私の気持ちです。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

笠井委員 もう終わりますが、私にまた向けられた話ですから、一言だけ申し上げて。

 私たちは、住民投票は大事だと思っていますし、大いにそれはやはり、個別政策については、それが通らない状況に対しては、きちっとやろうということで、積極的な立場です。ただ、憲法という問題というのは、またレベルが違う面もあるし、歴史的経過もあるしということで、大いに慎重にやらなきゃいけない。国民の側から本当に必要だとなれば、そのときに必要なことは手続を踏むというのは当然あると思っています。そのことについてはまた御議論したいと思います。

 きょうはありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうはお越しいただきまして、どうもありがとうございました。幾つかの点をお聞きしたいと思います。

 まず最初に、吉岡参考人の方から、外国人の運動への参加、議論への参加というお話が出ました。この委員会でも、外国人、特に日本の場合は、アジアからの外国人で長く日本に住んでいらっしゃる方々もいます。そういう中で、外国人がどのように運動に参加できるのか、または投票にどういうふうに影響を及ぼせるのかということは、議論の一つの、意見がちょっと分かれていたところなんですね。もう少しそこを詳しくお考えをお聞きしたいことと、もう一つ、今井参考人には、それでは、諸外国、例えばフランスなどでも在仏外国人はたくさんいると思うんですけれども、移民の方々もいらっしゃると思います。外国での取り扱いがどのようになっているのかということを教えていただきたいと思います。

吉岡参考人 既に、ある意味では、外国では国民投票運動は始まっているんじゃないかというふうに思われることがありますね。例えば、アメリカ政府の高官が、九条を変えないと国連の安保理の常任理事国になれないよといった発言をしているというのは、これはもうある意味では、もしこの制度ができれば国民投票運動に入るだろうと思うんですね。恐らく、憲法を変える変えないということが具体的になってきたときに、そういう発言というのは相次ぐだろうと思うんですね。そういう各国の反応を見るということも私は大事だというふうに思う。しかし、今辻元委員がおっしゃったように、日本に長い間暮らしている在日のアジア人もたくさんいます。その人たちの意見も聞かなくちゃいけない。

 それから、私は、今ある現行の日本国憲法というものが持っていた、最初に申し上げましたけれども、歴史性というものがあって、この憲法があるがゆえに日本はサンフランシスコ講和条約の後にもう一回国際社会に復帰できたというか、こういう憲法を持つことによって、ようやく我々は再び国際社会に入っていくことができたと思うんですね。そういう意味では、この運動の中でも、朝鮮半島であるとか、中国であるとか、東南アジアであるとかいう人たちの意見を聞く機会をこの市民社会の側からつくっていかなくちゃいけないだろうというふうに思っているんですね。

 それは、現地に行って話を聞くこともあるでしょうし、同時に、どこからか、アメリカからでもアジアからでもヨーロッパからでもお呼びして、この戦後六十年間というものをどう見るのかとか、この戦後史をどう見るのかとか、そして、この憲法が変わることによって日本の国際社会における役割がどう変わっていくのかとか、それによって繁栄して、さらに国際社会それ自体がどう変わっていくのかとかいう議論をやはりきちんとしなければ、私たちの判断ができない。変えるのか変えないのか、何を変えるのか、どう変えるのかについても判断ができない。それは外国人だからやっちゃいけませんよというふうにして排除することは大きな間違いになるというふうに思っています。

今井参考人 ワールドカップのフランスのナショナルチームを見てもオリンピックを見てもわかるように、私は実際に投票所に行って驚いたんですけれども、さまざまな皮膚の色をした人、さまざまな民族の人たちが投票所に来ているわけですね。ワールドカップなんかのフランスのナショナルチームもそうですよね。しかし、その人たちは全部フランス国籍を持っているわけなんですね。

 スイスもフランスも、基本的に、国民投票の有権者は十八歳以上の国籍保有者に限られています。それで、在住外国人に投票権はありません。事前に選挙人登録をした人にだけ与えられているというのが原則です。日本人の中にも何人か投票権を持っている人がいて、投票していますが、その人たちは選挙人登録をしている。つまり、現地で結婚をされたり、長らく住んでいて国籍を保有されたり、そういう方々に限られているということです。

 一つやはり考えなければいけないのは、フランスにおける国籍を取得する厳しさと日本において国籍を取得する厳しさがかなり違うということがありますよね。もう一つは、特に私は大阪市生野区に生まれて生野区に育っているわけですけれども、住民の三分の一が在日のコリアンです。その中の一世については、特殊な事情で日本に来たり、あるいは連れてこられたりした人がいます。そういう人たちについてどうするかというようなことについては、国会で議論していただけたらというふうに思っております。

辻元委員 もう一つお伺いしたいのは、先ほどから、主権者が主権を行使する、私もそれは非常に重要なことで、そのためには、憲法についても厳しい議論をして、私たちの将来、どういう形の社会を選択していくのかということをやはり皆逃げずに議論して、みずからが決めようという意思を進めていくということは、民主主義社会にとってはとても大事なことだと思っているんですね。大事なことであるから厳しいわけですよ、それをみずからが行うということ。ですから、この国民投票法についての議論も、それから憲法についての議論も、もっと活発になった方がいいというふうに考えます。

 そこで、今井さんにまずお伺いしたいんですけれども、一番最後のページに示されましたアンケートの結果ですね。国民投票という憲法を変えるための手続があるということを知らぬ人が圧倒的に多い。知っていても、間違うてる人の方が多いんですよね。

 こういう状況の中で私が危惧するのは、まずやはり、国民投票という方法があるで、憲法を変えるためにはそれは必要やでということをもうちょっと知ってもろてからじゃないと、どんなルールにするんかという議論の俎上にすらなかなかのれないという。ですから、この国会の中で、またはその関係者とかの中では議論は盛り上がっているというか、毎週やっているわけなんですけれども、では、ここでこう決まりましたからいうても、その前提となるところはまだまだ知られていないという、このギャップについてどのようにお考えかということ。

 それから、運動を進めていらっしゃいますよね。シンポジウムとかいろいろされているようなんですけれども、運動を進めるに当たって、この乖離というか温度差ということについてどういう取り組みが有効であるというようなことをお考えか、ちょっとお聞きしたいと思います。

今井参考人 正解者がわずか一六・三%、しかし、二年前に比べたら倍になっている。二年前はちょっとひどかったですよね。調査をしたら、大阪で手続について知っている人は五%、東京では一〇%しかいませんでした。当委員会が発足してから飛躍的に理解度が高まったといっても、一六・三%です。

 これは、最大の問題はメディアにあると思います。メディアが非常にいいかげんです。自民党と民主党が一緒にやったらもう憲法改正できちゃうからねなんて平気で言うキャスターがいます。そのことについて議論をしているさなかで、議員がそこにいるのに、それは違うでしょう、発議しかできないでしょうと言ったのは浜幸さん一人です。そういうメディアのいいかげんさが国民に誤解を与えているということが一つ。

 二つ目は、ようやく最近、護憲派の中で、九条の会の中で鶴見俊輔さんが国民投票について発言されたりしていますが、護憲派は、これを議論すること自体が敵の土俵にのるからよくないということで、残念ながらお触れにならない。これが理解を低めている一つの要因だと思っています。

 一度、改憲派の集会の中で、改憲に賛成している人たちがこの手続について何%御存じなのかということを調査していただきたいと思いますけれども、私は、護憲派のある集会で調査をしてもらったことがあります。九条を守ろうという人たちの集会です。ところが、そこでもやはり三割ぐらいの人しか知りませんでした、最終的に国民投票で決着がつくということを。それでも多いですよね、この全国平均から見たら。

 だから、やはりここは、今、笠井さんや辻元さんが、国民投票を急ぎ制定する必要はないというお考えを堅持されながらも、最終決着は国民投票で決まるんだよ、幾ら自民や民主や公明が、これは例えばですよ、公明が一緒になられているけれども、一緒になって、議会の中で八割とっても発議しかできないんだよということをきちっと説明していただきたいということを思います。

 それから、今さっき辻元さんがおっしゃったみたいに、やはりこれは低過ぎます。だから、改憲案をつくっていく作業をどんどん進めるということだけが盛り上がっているみたいですが、基本は、この手続についてどれだけ国民に理解をさせるか、周知させるかということについてもっとエネルギーを費やしていただかないと困るというふうに考えております。

辻元委員 その基本的なルールの一番の基本を、理解度が低い中で国会だけ盛り上がって、いや、来年手続を決めてしまうんだとかそうなってしまったら、勝手に手続決めはったんちゃうんとなって、国民投票そのものや憲法への議論に対してむしろいい影響を与えない可能性もあるという意味において、私は、急いで決める必要はないと申し上げているわけですね。というのは、前の委員会でも、かなり温度差があるということが指摘されたからなんです。

 今、メディアの話が出ました。メディアについてもいろいろな委員の意見も出ていまして、吉岡参考人に、メディアの中で働いていらっしゃいまして、規制は自由であるべきであると私も思うんですね。その中で、今回の選挙なども、三時間以上テレビを見ていた人はある一定の投票行動に出たなんという調査などもあるという中で、今井さんはメディアに問題があるという指摘がありましたけれども、自由な言論活動をきちっと保障していくということはもちろんなんですけれども、今のメディアの問題点というのをどのようにお考えでしょうか。そこに対する不信感があるものだからいろいろな、まあ規制の議論が出たりとかするんですけれども、いかがでしょうか。

吉岡参考人 メディアの問題を一言で言うのは本当に難しいんですけれども、おっしゃるとおりに、とりわけ影響を与えるのはテレビです。今井参考人も御指摘のとおりですね。

 テレビの番組のことについて言えば、白黒はっきりしてわかりやすく、しかし、余り長くやっているとみんなに飽きられちゃうから、なるたけ短くという番組のつくり方がますます加速していることは間違いないわけですね。それがある民意を一斉に誘導していくということも、これは当然あります。けれども、そのことについても、大分みんな視聴者は気がついてきていると私は思いますね。

 例えば、数年前にサッチー騒動というのがありましたね。多分もう皆さんだれも忘れていますでしょう、委員の皆さんだって。では何のためにあんな大騒ぎをしたんだろうかと思って振り返ってみるとちょっと恥ずかしいような感じがするような騒動が、次から次へとテレビの中で繰り返されているという現実があります。

 今、テレビの業界というかメディアの中で議論されているのは、メディアの公共性とは何なのかということが、これはNHKだけではなくて民放の中でも、盛んに、本当にここ一年ぐらいですけれども、公共性をめぐっての議論がされるようになりました。それが具体的にまだ、もちろんきちんとした、最初に申し上げましたけれども、視聴者と政府なり権力なりというものの間にあって、きちんと公共空間をつくるものとして、議論が行き交うようなきちんとした場としてメディアが機能しなければならないという意味で公共性が大事だということが言われるようになったんですけれども、それが反映して今どれだけの番組があるとかというところには、まだ至っていないと思います。

 しかし、メディアの人たちが、この投票法案であれ、それから憲法を改正するしないの問題であれ、どれだけきちんと伝えることができるか、しかも、それは単に条文だけの問題ではなくて、その歴史的背景から国際的な広がりまで含めてどうやってきちんと伝えることができるかということは、本当に大きな、左右する問題だと思います。

 皆さんのお顔を拝見しますと、テレビにたくさん出られている方もいらっしゃいますので、短くしか言えないよとか、短く七秒しか言えませんよとかいうふうにおっしゃらずに、難しいことはきちんと長く時間をとって説明するという気風をテレビの中に、皆さん御自身が当事者ですので、つくっていただければというふうに思います。

辻元委員 もう一つ吉岡参考人にお伺いしたいんですけれども、きょうのお話の中で、深い議論を当委員会でも望むという言葉があったんです。果たして私たちは深くやっているかということの自戒の念も込めてというか、この深い議論に期待すること、それを最後にお聞きしたいと思います。

保岡委員長代理 辻元清美君の時間が来ておりますので、簡単にお願いいたします。

吉岡参考人 これまで、当委員会の議事録なども私は読ませていただきました。きょうこういう形で皆さんとも今お話をしているわけですけれども、深い議論というのは、この場でもって、例えば投票の方式が一括なのか個別なのかとか、何日間置くのかとかいうやや技術的なことは大体方向性が見えてきたのかなというふうに思うんですね。

 しかし、先ほど今井さんも強調されていましたけれども、国民投票の意義であるとか、つまり、有権者が本当に初めて、間接民主主義としてではなくて、直接的に自分の意思、有権者としての意思を表現できるのはこの機会なんですよというふうな意味での周知徹底ですね。つまり、国民投票という形の仕組みはどうあれ、この意義というものについては、まだこの委員会からはうまく発信されていないのではないか。むしろそういうことをしないと、ここでどれだけすばらしい法案ができたとしても、法制ができたとしても、相変わらずこの距離は広がったままだろう。それには多分、時間がかかると思います。それを周知徹底していく。あるいは、自分たちは委員会でこれだけ議論してきて、こういうことを話をしてきたんです、国民の皆さんどう思いますか、有権者の皆さんどう思いますかということをぜひ皆さんがきちんと、選挙区に戻られたりとかあるいはメディアを通じて周知徹底する努力をしていただきたいというふうに思います。

辻元委員 ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、滝実君。

滝委員 きょうは、お二人の参考人の先生には大変啓発的な御意見を賜りまして大変参考になりましたというか、意を強くしたことがございます。

 まず第一に、国民投票法そのものは、決して改憲、憲法改正に直接結びつくものではない、そこのところをやはり当委員会からきちんと発信していかないと、国民投票法ができ上がったらすぐに九条が出てくる、こういうような結びつきというのが一般に流布されているような嫌いがございますから、そこのところは、参考人の御意見で、少しこの委員会もはっきりできたんじゃないだろうかな、こういう感じを受けました。

 その中で、問題は、具体的にどうやって個別一つ一つの項目について委員会として国民にアピールしていくかということになるわけでございます。

 まず第一点、御両人にお伺いしたいのは、憲法改正というのは国会が発議するわけですけれども、そのときのいわば国民向けの資料、アピールする文書、先ほど今井参考人から具体的な例を見せていただきましたけれども、だれが文書をつくるか、こういうことになるだろう。

 その際に、仮に国会が発議すれば、当然、国会がおつくりになる。したがって、そのときのいわば主文というか、主たるあれは、改正に対して国会は賛成という格好で資料が出てくるわけですね。ですから、当然、賛成の意見がその中に含まれる。したがって、あと、国会の中で反対を議論した人たちの意見はどういう格好でまとめられるんだろうか、こういうことですよね。

 先ほどのスイスの例でございますか、スイスの例ですと、政府が中立的な立場でもってその中身の方の賛否両論、国民投票が通ったときにはこういう効果が出ます、通らなかったときにはこういう効果が出ますと、こういうことも含めて政府側が中立的な観点からおつくりになる、こういうことの紹介がございました。

 しかし、やはりそれではなかなか日本の場合に、本当にそれは信用できるかどうかという問題があると思うんですね。そうすると、結局は、国政選挙でやっておりますように、それぞれ、政党なり何なりが自分でつくった文書をそこに載せてもらうということが一番フェアなのかなという感じがまずあるわけでございますけれども、そういったことについて、両参考人からそれぞれ、その作成の経過も踏まえて御意見をいただければありがたいと思うんです。

吉岡参考人 九十六条には本当に簡潔にしか書いてありませんので、そのやり方についてはこれからこの中で考えていくことになるんだろうと思います。

 発議の資料、あるいはだれが出すとか、ここを変えるというだけの文章になるのか、あるいは両論を併記するのか。私は、どういう書式が想定されるか今すぐとっさには思い浮かびませんけれども、どのような議論がされて、そして三分の二で国民に対して発議するということになるんだろうと思うんですね。

 これは、出す責任というのは恐らく国会の衆参両院の議長になるだろうと思います。その議長の権限においてきちんと両論を併記できる、そういう文章が望ましいのではないかというふうに私は思います。

今井参考人 前に私たちは真っ当な国民投票のルールを作る会の市民案というのを皆さん方にお示ししたことがあるんですが、そこには国会図書館がそういうのをつくってくれたらどうだろうかという一つの案を提起しましたけれども、それ以外に委員の皆さん方で思いつくことがあれば、例えば第三者機関に任せるとか、ぜひ考えていただきたいと思います。それから、そういった公的な機関が明示することとは別に、当然ですが、民間の方が、メディアが政府の見解とは別につくるんですね。

 例えば、これはEU憲法のときのフランスのル・モンドの別刷りですが、専門家に、例えば賛成派が勝ったらこうなって、反対派が多数を占めたらこうなるというようなことを、市民サービスの観点から、それから雇用の観点から、さまざまな観点から、賛成派が多数を占めればどうなって、反対派が多数を占めればどうなるかというのを特集号で分厚く示したりしています。あるいは、あの期間で一番売れた本がこの二冊なんですが、こっち側は「EU憲法 真実をよく知った上で投票しよう」というタイトル、こっち側は「反対になれば 国民投票ノンの帰結」という本、これが本屋ですごく売れたんですね。

 だから、パリの市民あるいはフランスの国民は、政府がもたらしたさまざまな文書とは別に、こういった民間のメディアが出版した新聞の別刷りあるいは本を自分たちで購入して勉強しているというようなこともあります。これもまた非常に大切で、このメディアの見解についてはもちろん政府は一切制限できないということです。

滝委員 その際に、日本の場合には、要するにマスコミというのは一般的には中立だというふうに信じられている。しかも、マスコミそれ自体は中立的に報道するんだという原則を振り回している。しかし、実際には、なかなかそうはいかないという面もある。

 そういうことについて、フランスにしてもスイスにしても、どういうふうにマスコミ自体がそういうことを言っているのか、あるいは国民はどういうふうに理解しているのか、その辺のところをお聞かせいただきたい。

今井参考人 先ほど申し上げましたように、スイスでは、特に新聞については意思をはっきりと示すことが求められています。これは、法律で求められているんじゃなくて、世論が求めています。例えば、九条の問題についてどうするのかだったら、朝日だったら朝日、毎日だったら毎日、読売だったら読売が、賛成かな、反対かな、これはどっちなんだろうというんじゃだめなんです。社説ではっきりと九条改正に賛成なのか反対なのかを示す、スイスではそういうことがメディアに求められています。

 しかし、だからといって、自分の会社の意見とは違う見解を載せないかといったら、そうじゃないんですね。それはまた別の話です。ル・モンドもそうです。自分たちの意見はちゃんと表明しながら、こういう別刷りで、賛否両派の人たちについてイーブンにスペースを与えて書いてもらっている、そういう態度を示しているということであります。

滝委員 日本の場合には、プロ野球なんかは、はっきり言って当社はどこどこびいきですということをフェアに表明しているところはございますけれども、やはりこの問題もそういうような目で国民に見てもらうということが一番大事じゃないだろうかな、そのPRをどうするかという問題があるんだろうと思います。

 次に、投票の方法でございますけれども、国民投票というと、投票所へ行ってそこで記入するのかな、こういうのが第一感としてあるわけでございますけれども、今の外国の例でいくと、どうも郵便で送るというのが大勢だということになってくると、やはりその賛否というのがあるんじゃないだろうかな。

 要するに、どこかの団体がまとめて、いろいろな陳情書をつくるのと同じようなつもりで、かわって記入して、まとめて、点検して出すというようなことがなきにしもあらず。そういうようなことを郵送の場合にはどうやって防ぐんだろうかという問題がありますので、その辺のところを御両人からお答えいただきたいと思います。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

今井参考人 日本でにわかにそれをやるのは無理だと思っています。スイスでは中世からの長い歴史がありますし、年期が入っています。急に日本でそれをやったら、滝委員がおっしゃったみたいに、さまざまな不正を行うのは間違いがないと思います。それをにわかにやるのは無理だというふうに私は思っています。

吉岡参考人 今の質問は郵送の件ですね。私も、郵送でやるというのは、今井さんおっしゃったように、確かに、考えてみただけでさまざまな問題が起こり得るだろうと思うんです。恐らく、今この委員会全体の意図として、では、郵送でやりましょうというふうになっているのかどうか、ちょっと私は判断できませんけれども、多分そうならないのではないかという印象を私は受けております。

 しかし、皆さん、こういう形でもってさまざまに心配をされますよね。郵送でやった場合はどうなるだろうかとか、新聞はあるいはテレビは、真ん中からはかって中立から三センチぐらい右か左かみたいなことをたくさん心配される。ですから、制度設計をするときはその心配をしなくてはいけないこともよくわかります。

 しかし、私、本当に恐れていますのは、さまざまなあり得るかもしれないというケースを考えていって、次から次へさまざまな規制とか仕組みというのをどんどんどんどん精緻につくればつくっていくほど、自由な活動、発言というものができにくくなっていく。

 先ほど来、皆さんの御意見を伺っていて、ああ、そうかと思ったんですが、そうやって厳しいものをつくればつくっていくほど、ひょっとしたら、憲法改正それ自体によってできる社会というかあるいは憲法そのものというのは、どうやらあっちこっち窮屈なものになるのかなというふうな印象を、言ってみれば、憲法改正国民投票法案が改憲の中身そのものの先取りになっているんじゃないかというふうな懸念を、皆さんももしかしたら持っていらっしゃるかもしれませんけれども、私は、皆さんのお話を伺ってちょっと感じるんですね。

 できるだけ自由ということが大事だと私は思う。それが、次にできてくるどのような憲法であったにせよ、その自由を保障するものであってほしいと私は思います。

今井参考人 滝さん、いいですか、一言。

 郵便投票については、私は今賛成できないんですけれども、逆に、執行者の側から個別の有権者に郵便で書類を送りつけることについては賛成です。

 今、何か業者にお願いをして、一世帯ごとに一組ですよね。それはおかしいと思うんですよね。一世帯の中に有権者が四人いて、四人とも人格が違うわけですよね。だから、親子であっても、兄弟であっても、とにかく一世帯には一組なんだというのはおかしいと思います。

 フランスのこの前のEUの国民投票のときの、これは本物ですが、こういうふうに封筒が送られてきて、中を見ますとEU憲法の条文すべてがここに載っています。全部です。それから、デクレという大統領令ですね。この国民投票についての説明が書いてあります。これが入っています。それから、投票用紙がノンとウイと両方入っています。自分が賛成だと思ったら、ノンをごみ箱に捨てて賛成だけ持って投票所に行くわけです。

 それが個別の有権者に対して送りつけられているわけです。あなたを大事にしていますよ、主権者として。そんな、一つの家庭に五人いたから十把一からげというんじゃ、おかしいと思います。だから、滝さん、それはぜひ今度実現していただきたいなと思っています。

滝委員 時間が参りましたので、この程度にとどめさせていただきます。

 ありがとうございました。

中山委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

 午後二時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時四十九分休憩

     ――――◇―――――

    午後二時開議

中山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を続行いたします。

 本日の午後は、午前の参考人質疑を踏まえて自由討議を行います。

 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、吉田六左エ門君。

吉田(六)委員 本日、十分の自分の思いのたけを話す機会をいただきまして、ありがとうございました。拉致、自衛隊の国際協力、国益、この三点について、常々考えておりますことをお話しさせていただきたいと思います。

 まず、拉致は我が国の主権を侵している。国内法に照らし合わせますと、国外移送目的略取罪、そして逮捕監禁罪等に該当すると思います。国が国として成立するには、国家の要件が必要であります。国家の要件、すなわち永続的住民、確定した領地、政府、そして最も大切な、他の国と関係を取り結ぶ能力、いわゆる外交能力であります。

 拉致を国家の要件に照らしてみますと、次のような不法かつ不正、不誠実な行為が行われています。我が国の領域に不法に入国し、我が国民を北朝鮮に移送する目的で誘惑し、不法に出国している。拉致の事実を認めており、拉致の実態調査を確認しているにもかかわらず、我が国政府の代表者たる内閣総理大臣との約束をほごにし、拉致問題は解決しているとして外交交渉も受け付けない状況にある。かかる行為は、我が国を主権国家と認めていない行為であるということで、断じて許すわけにはいきません。

 一方、このような状況を起こらせた原因について、我々政治家は真摯に検討し、他国から国家の主権を侵されない措置を講じなければならないと思います。その措置の一つが、憲法の見直し、改正であります。

 国家の基本要件の第一に挙げている住民、国民を守ること、これは自衛権の問題であると思います。個々の国民の集合体が国家をなしているということであり、国家全体の安全保障については論じられ、必要な法制も整備されていますが、一人の国民の安全保障、人の安全について真剣に検討するときではないかと考えています。

 過去に、レバノンは、四人を北朝鮮に拉致されたときに、同政府は強力な解放申し入れを行い、北朝鮮で結婚した一人を除き三人の女性を解放することがあったと聞いています。なぜそういうことができたのか、我々は検証する必要がある。レバノンが強大な軍事国家かどうかは比較検討したことはありませんけれども、自国民を保護するに当たり、国のあらゆる機関、機能を使って、そして外交力を駆使して対応したものでないかと思います。

 一人の国民を救い出すのに軍事力を行使せよと言うのではありませんが、国の成立要件の核となる、人が侵害されているのであり、状況によっては軍事力行使も辞さないという明確な姿勢を明記した憲法改正を目指すべきだと私は考えます。

 また、四月に公表された憲法調査会の報告書で、安全保障及び国際協力の項で、安全保障の中に、国際テロへの共同対処の必要性ということが述べられていますが、拉致について追加し、国際テロ、拉致への共同対処の必要性としてはいかがかなと考えます。この問題は一国で対応するのは困難であり、情報の交換、共有、対応措置の検討、救出行動等、東アジア地域の地域的安全保障体制の確立についても検討しなければならないと思います。

 次に、自衛隊による国際協力活動を迅速、的確に行わせるために、事案が起きる都度、特別法を制定して自衛隊を出すというのでは遅いし、相手の国にも喜ばれないし、そろそろ恒久法について真剣に検討する時期でないかと思います。憲法調査会の報告書にもありますが、憲法に、自衛隊の任務として国際協力の実施についても明記すべきであるとありますが、大いに賛成であります。

 国際社会の中で自衛隊の活動は高く評価されています。これは、先生方にも御理解をいただいておるし、先生方にも評価されているものと思います。軍隊の運用に当たっては、よく、ファースト・イン、ファースト・アウトということを言われます。まず最初に軍隊を投入し、大きく道筋をつくり、ある程度の体制を整えたら民間に譲るということです。我が国の自衛隊の運用はその逆になっています。自衛隊の運用についても国際基準を目指すべきだと思います。

 現在、自衛隊はイラク、ゴラン高原、パキスタンで活動をしていますが、いずれも他国軍隊に比して、派遣時期はおくれました。しかしながら、高い評価を得て今にあります。その理由は、部隊の優秀さ、あるいは指揮統率のよさ、各隊員の真摯な努力のたまものだと私は考えています。一人一人の隊員の汗と涙がむだにならないように、部隊、隊員が他国の軍隊と肩を並べて行動できるよう、活動の枠組みをつくってやるのも我々の役割だと思っています。

 事件、事故は待ったなし、いつどこで起きるかわからないので、法律でやるのか憲法で規定していくのか、早期に結論を出す必要があると六左エ門は考えます。国際協力のかなめは自衛隊であり、彼らが行動しやすいようにしてやることが肝要である。これは武器の使用等の権限も同様であり、国際基準を目指すべきだと思います。

 法制の枠組みもそうでありますが、装備面についても見直さないと円滑な活動が期待できないと思います。今、パキスタンに派遣されている例を言えば、使用している輸送機C130は、かつてホンジュラスの地震救援に向かったときに、飛行距離が短いがため、二週間もかかって向こうへ渡ったと聞かされています。自衛隊そのものも検討しなければならないと思いますが、もっと事態に即応できる適切な航空機の導入について検討が必要でないか。専守防衛で国内だけの運用でよしとする時代はもう終わったと思います。

 自衛隊の代表者、特に自衛官にも本会に出席をしてもらい、各種事態における部隊の運用、必要な装備品について、彼らの意見を聞いてやる必要があるのではないか、もうその時期が来ていると思います。

 国益について申し上げますが、時間も迫ってまいりましたので、国益について簡単に述べさせていただきますと、憲法を検討するに当たり、我が国の国益にかなった憲法を制定することが大事だと思います。

 ところで、我が国の国益とは何か、私も真剣に考えたことはありませんが、国益には不変の国益と時事的に事態別の特性を有する国益というものがあると思います。変わっていけないもの、変わらなければならないもの、これを峻別して、まず我が国の国益は何かを定め、特に憲法においては変わってはならないものを明記していく必要があるのではないかと思います。

 以上、常々私が思いをいたしていることを陳述申し上げて、終わります。ありがとうございました。

中山委員長 次に、園田康博君。

園田(康)委員 民主党・無所属クラブの園田康博でございます。

 本日は、午前中に、参考人といたしまして、ジャーナリストあるいは言論の府に携わっておられる作家の方からの大変貴重な御意見をいただき、そして、スイスやフランス、あるいは他のヨーロッパ諸国の実例を開陳していただきながら、大変ためになるといいますか、参考になる議論ができたのではないのかなというふうに思っているところでございます。

 そこで、これまでの当特別委員会の議論の中で私が少し気になっている点を整理しながら発言させていただきたいと思います。

 まず、日本国憲法そのものの正当性という議論が出ておりました。すなわち、憲法制定過程におけるその正当性に疑義があるために、今日の憲法改正国民投票法案の議論の中でこれを整理し、この際、実際の改正によって国民主権原理のある種正当性を得ようというものと理解をいたしました。

 ここで確認をしておきたいことは、日本国憲法の制定過程に対しては、確かに、学問的、法学的にもさまざまな議論があることは私も承知をしているところでございますが、その上で、世界的にも人類歴史上においても、国家の最高基本原理であるこの憲法典の制定過程においては、革命や動乱が時にはあり、そして混乱もあったり、あるいは短期間での制定というものはつきものでございまして、決して我が国に特有のものではなかったということでございます。同時に、短期的で押しつけ憲法であったとしても、人権尊重主義と国民主権主義あるいは平和主義と呼ばれるこの日本国憲法の三大原理は、憲法原理といたしまして、私たち人類が考え得る国家運営の原理として最良のものであるということについては、ここにいらっしゃる委員の方々のだれしもが異論の余地はないものではないでしょうかということでございます。

 もちろん、明治憲法から現憲法に変わった際にも、人権否定、君主主義、軍国主義是認が基本原理であると読める旧憲法であったわけでありますが、それが自己否定を強いられて、人権尊重、国民主権、そして平和主義を基本原理とする全く異質の新憲法がつくられたのでありましたけれども、それも形式的には明治憲法第七十三条の改正手続によって行われたわけでございます。したがって、論理的には、あの現憲法の制定はあってはならなかったこと、すなわち自己否定や自己矛盾を是認するということになるわけでありますが、つまり、旧憲法の改正手続としてはできないことをしてしまったということになるわけであります。

 そういう意味では、現憲法の制定手続は無効だという主張にはそれなりの正当性があると私も思っておりますが、同時に、それは新憲法の制定手続としては有効であるとして、旧憲法との論理的整合性を言う前に、現憲法の基本的な内容の高度の正当性に着目をいたしまして、歴史の必然としてその価値的な正当性を私は強調しておきたいと思うわけでございます。

 革命という言葉で論理的矛盾をすべて解消しようとは思ってはおりませんけれども、あのとき、敗戦により旧体制は崩壊し、それとは手続的にも内容的にも連続性のない新体制が打ち立てられ、それが結果的に正しい内容の国体であったために、歴史の中で、主権者国民、私たち国民によって受容をされたという説明で、国民主権原理における現憲法の正当性というものが確認できるのではないかというふうに考えております。

 さて、当特別委員会のこれまでの議論の中で、本日もございましたけれども、憲法改正の国民投票は、候補者を選ぶ一般の選挙とは本質的に異なるという一定のコンセンサスが得られているのではないかと認識をいたしております。国会が発議した改正案につきまして広く国民の間で活発な議論が展開をされ、各国民が賛成あるいは反対の意思を形成し、その意思が具現化されるものであるので、候補者を選ぶ一般の選挙のように票の獲得競争を公正に行うためのルールをベースに考えることは、本来的に無理があると考えます。

 したがいまして、国民投票に際しましては、党派を超えて、今後の国のあり方や国民生活につきまして多くの国民が語り合い、議論し合うべきことから始まるわけでありますので、その運動に対しては、規制は原則としてかけないことを基本とする、規制ゼロから考えることが必要であることを改めて主張させていただきます。

 そうなりますと、国民投票運動における公権力によるいわゆるメディア規制でありますが、これは消極規制、すなわち、規制は極力行うべきではないということであります。むしろ、言論や文書による運動は積極的かつ活発に行われるべきで、現代社会におけるテレビや新聞などのマスメディアが果たす役割というものは大変大きいものであるというふうに期待ができます。

 その中で、いわゆる虚偽報道というものに対する懸念があるようでございますけれども、これは、事実、自民党の内部での議論の中でも、新聞や雑誌、放送事業者の虚偽報道禁止規定が検討されていたようでありますけれども、当委員会の委員の御発言でもそのような意見がありました。

 しかしながら、メディアの活動は基本的に自由であるべきであり、虚偽報道等に対しましては、規制によるものではなくて、本日も参考人の意見でございました、モアスピーチ、反論というものによって対抗することが有効であるというふうに考えております。また、報道が虚偽か否かをだれがどのような基準で判断するのか、そういったものが不明確であり、ましてや時の権力者、公権力が判断するということは適当でないというふうに考えます。

 いずれにいたしましても、脆弱性や相対的優越性を有する精神的自由権における表現の自由に基づく報道の自由や結社の自由によって各社が成立しているということからかんがみて、特定の勢力からの利益供与を受けて自社の報道、評論をねじ曲げる行為は確かに好ましいものではありませんが、基本的には、この問題はマスコミ倫理に基づく自浄作用にゆだねるべき問題であると理解をしております。

 そして、先ほども議論にありましたスポットのPR放送については、一定の考慮はしておく必要があるのかもしれません。そして、物理的な危害をほのめかす脅迫的言辞につきましては、国民投票法における規制としなくとも、刑法等で十分に対応できるものであるというふうに解釈をいたします。

 このように、私といたしましては、今般のこの国民投票運動規制、罰則についての議論において、国民投票運動の自由と公正さをどのように確保するべきかという視点に立ちまして、民主党でも今議論をさせていただいておりますけれども、三原則八類型というものに立って提案をさせていただきたいと思うわけであります。

 原則、まず第一は、まず規制ありきではなく、そして規制ゼロから考えるということ。そして、第二といたしましては、プレスの自由は特に保障されなければならない。第三として、刑法、国家公務員法等他の法律で刑事制裁が定められている行為類型につきましては新たに罰則を設けない。という原則に基づいて、想定される規制、罰則につきましては、投票事務関係者の投票運動制限、これは公選法の第百三十五条、そして、選管職員の投票運動制限、第百三十六条、投票干渉罪、被選挙人氏名等認知罪、二百二十八条一項、あるいは、投票箱開披及び投票取出罪、二百二十八条二項、そして、虚偽宣言罪、二百三十六条三項、及び、詐偽投票及び投票偽造、増減罪、二百三十七条、あるいは、代理投票等における記載義務違反罪、二百三十七条の二、立会人の義務を怠る罪、二百三十八条などが挙げられると思います。

 国民投票運動は候補者、政党の政策等を主な判断材料といたしまして、人物あるいは政党、政治団体に投票する選挙とは質的に異なること、特に、投票運動につきましては大がかりな不正が行われる蓋然性が低いことにもかんがみまして、規制、罰則は必要最小限度であるべきことを主張し、発言といたします。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、太田昭宏君。

太田(昭)委員 まず、国民投票について、私は、イメージを共有するということが極めて大事だというふうに思っております。そしてまた、イメージを共有する前提として、あくまで、この特別委員会というもので行われる論議は、それぞれの条文とかこれを変えた方がいいというようなことに入りますと、私は、これは論議というものを妨げるものであろうというふうに思っております。

 極めて三分の二というものをクリアし、国民に提起し、そして国民が決めるものであるということで慎重に審議をしてもらって、意見表明というものが国民の中から巻き起こって、そして承認が得られるということをどういうふうにしていくのかという意味での、どういう形でこの国民投票が行われるということが憲法を改正するという場合に慎重であり、丁寧であり、そしてまた公平であるかということの論議を深めていくということが前提でなければならないと私は思いますから、ぜひとも、この特別委員会での国民投票ということについての審議のイメージ、これまたイメージの共有というものをぜひともお願いしたいというふうに思っております。

 自民党との間で去年のちょうど今ごろずっと協議をしてきましたものですから、十分、ここで発表するというようなことについては余り私は言うべきものがないのでありますけれども、そのイメージの共有ということからいうならば、国民投票の方式というものは、ぜひともこれは共有をしておかなくてはならないことではないかというふうに思っております。

 一括であるのかあるいは個別方式であるのかということは、先週のこの憲法調査特別委員会でも最大の焦点になった論議でありますけれども、我が党は既に申し上げておりますように加憲という立場をとっております。現在の憲法というものはすぐれたものであるということを認識した上で、憲法三原則を堅持し、そして九条の一項、二項を堅持した上で、時代の進展とともに提起されてきている環境権とかプライバシー権というようなものを現憲法に補強していく加憲という立場でございます。

 憲法九十六条の第二項に、「前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」というのがございますが、これは、いわゆるアメリカのアメンドメント方式ということで、現在の憲法と一体をなすものとしてということは、私は、そこに加えていくというニュアンスというものが、アメンドメントということが当然含まれているというイメージがあろうというふうに思っております。

 しかも、憲法は継続性が大事であるし、そしてまた国民が決めるものということからいきますと、丁寧に改正作業というものが行われていかなくてはいけないということになりますと、一括してマルとかペケというような、これはいろいろな形があるでしょうけれども、一括で丸ごと提起するということはなかなか考えづらいと。その都度に、やはり三分の二というものが得られるということについて、各党がそれぞれ草案を出したり、また自分の考えを個人、国会議員自体がまとめるということは、それは大事なことでありましょうけれども、憲法の改正をするという具体的な作業というものは別問題であるというこの区別が、なかなか今日本の論議の中でされていないという嫌いがあるのではないかと私は思っています。

 憲法を変えるという作業に入った場合には、当然、三分の二以上の人が賛成するということは項目的に限られると私は思っておりまして、それを具体的に丁寧に提起するということになった場合には、当然、我々の加憲というような立場、あるいは部分改正というような立場、そういうことから個別的に提起をするということになると。

 そして、その個別的なことというのを、前回の、一週間前に言われましたけれども、ある程度同じ項目についてはまとめて提起するという場合もあれば、あるいは数を極めて絞って提起するという場合もあるということで、この個別の中身というものをもう一遍これまた共有するという作業がこの特別委員会の中で行われていくということの中で、原案が形成されていくということが私は望ましいのではないかというふうに思っております。

 同時にまた、昨年の今ごろにずっと、どういう問題が提起をされてというときに、フランスなどで国民投票が行われた場合にどういうことだったのかということで、議院内閣制から大統領制というものにしていくというような場合での国民投票と、大統領の任期を七年から五年にするというようなことの国民投票というものはあるというような各国の調査というものをした上で、そして、周知期間とか丁寧に国民に提起するという場合に、同じ周知期間とか同じような広報の方式で果たしていいのかという論議になったわけでありますけれども、私は、そういうように、そのときの三分の二を得たものについて、やはり丁寧にするとはいいながら、おのずから中身においては周知期間あるいは広報のあり方というものが変わっていくのではないかということで、そこのところはかなり幅広い決め方ができるということが大事ではないかというふうに思っております。

 国民投票運動の規制ということで、この間、慶応大学の中で行われたシンポジウムに、中山先生や、我が党では赤松さん等が出まして、戸別訪問というものはこれは解禁をして、当然ここはやった方がいいというような提起がなされたということを新聞報道で聞いておりますが、メディア規制であるとかメディア規制ではないというようなそうした包括的な論議というよりも、例えば今言いました戸別訪問というのはどうなのかというようなこの一つ一つの項目について、私たちはあくまで、できるだけ全国民を対象にした幅広い論議がされるという国民投票が大事であるという角度に立って、具体的な問題をどういうふうにしていくのかというようなことがこのメディアの規制とか規制ではないということについては極めて大事ではないかというふうに私は思っております。

 私の時間は若干余っておりますが、以上三点だけ指摘させていただいて、論述とさせていただきます。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 本日の参考人質疑を通じながら、私は今、改憲のための国民投票法は必要ないという確信をますます深めているところであります。

 まず、今日、国民投票法の整備を求める声が国民の側からではなく国会の与党などから急に出てきた背景についてということでありますが、午前中の質疑でも、参考人の方からも、憲法九条を初めとした具体的な改憲の動きがあるということについての指摘はありました。先週も、憲法制定後、国民投票法の整備は二回試みられたけれどもいずれも断念したとの報告が参考人からありましたが、それから五十年以上もたって急に、にわかに国民投票法の整備を求めるということが国会の側の議論から出てくるというのは、一般論では説明がつかないものだと思います。

 昨日、自民党の新憲法起草委員会が、自衛軍の保持の明記で決着をつけたという報道がありましたけれども、自民党が自衛軍の保持、海外での武力行使を可能とする九条の改憲案を準備していること、そして民主党も憲法提言を準備されているということを伺っておりますけれども、それを見れば、国民投票制度の整備というのは、こうした九条を中心とする改憲の実現に向けた条件整備であることは明らかだと思います。

 なお、改憲のための手続それから国民投票について国民に周知されていない、理解の問題という議論がありました。私は、この問題、議論を伺っていて、その一番大きな原因というのは、歴代の政権が、教育の問題を初めとして日本の政治、経済、社会の隅々に憲法を生かす努力をしてきたのかどうか、むしろしてこなかったことにあるのではないかというふうに考えております。

 次に、本日の参考人質疑では、今の日本の政治状況、憲法状況がどうなっているかについても議論となりました。

 吉岡参考人が、柄の悪い社会を迎えつつあるというふうに言われたことについて、危機管理と治安対策が人々に不安をあおる状況を生んでいると述べられましたけれども、今の日本の政治、憲法をめぐる状況を痛烈に批判したものと受けとめました。

 今日、戦争反対のビラを配布しただけで逮捕、起訴されたり、東京都では、卒業式や入学式で日の丸の掲揚、君が代の斉唱が都教委から職務命令として出されて、従わなかった教職員が不当な処分を受けたりなどの信じがたい事件が起こっております。

 今、国民投票制度を整備すべきだと主張する政権与党の方々は、それが国民主権の具体化であるなどと言われておりますけれども、こうした国民主権の行使が制限されて、そして侵害されているという現実の問題を放置しておいて、国民主権の具体化だからといって制度を整備するのを急ぐといっても、説得力を欠くと言わなきゃいけないんじゃないかと思います。こうした日本の政治状況、憲法状況の根本には、やはり自民党政府の憲法遵守に対する姿勢そのものが反映していると言わざるを得ないと私はあえて申し上げます。

 例えば、去る十七日に小泉総理が五度目の靖国参拝を行いました。これに対して、内外からの大きな批判と怒りが巻き起こっております。

 中国は、中日関係の政治基盤を破壊したと厳しく批判して、町村外務大臣の訪中を受け入れがたいとして事実上拒否することを表明しました。韓国も、今月末をめどに調整していた外相の訪日を適切でないのではないかというふうに述べるとともに、日韓首脳会談についても、首脳会談を進めることが適切かどうかさらに考えてみなければならないと述べております。ニューヨーク・タイムズも社説で、首相は日本軍国主義の最悪の伝統を公然と奉ずる挙に出たと厳しく批判しております。

 私は、これらは、戦後六十年の今、日本国憲法がありながら、日本の総理、首相がいまだにあの戦争が正しかったと主張するような靖国神社に参拝することへの怒りにほかならないと思います。

 しかも、昨年四月に福岡地裁で、そしてことし九月三十日には大阪高裁で違憲の判決が下っております。内閣総理大臣は、憲法九十九条に定める、憲法尊重擁護の義務を最も果たすべき立場にあって、靖国参拝を違憲とする判決が繰り返し示されたことを真摯に受けとめるならば、小泉首相は参拝中止という判断をむしろ適切に行うべきでありました。

 ところが、司法の判断などを意に介さずに、まるでみずからが法であるかのような振る舞いをすることになれば、これは法治国家ではあってはならないことであると思います。まさに首相の遵法思想が正面から問われていると私は考えております。そればかりか、批判をかわすために、憲法二十条三項を変えて、社会的儀礼の範囲内でという言い方で首相の靖国参拝にお墨つきを与えるような改憲案まで準備されているというようなことも言われております。このようなやり方は許されるものではないというふうに考えます。

 小泉総理が靖国参拝を強行したことで日本の外交が八方ふさがりになるんじゃないか、この懸念が広がっております。

 憲法調査会では日本の安全保障について調査が行われたことを承知しておりますけれども、今日の国際社会は、安全保障の主役といえばやはり外交だと思うんです。以前の時期には、国家間に紛争があれば、それが戦争に発展するという可能性があるかもしれないということで、軍事的備えをすることを安全保障に位置づけることもあったかもしれない。しかし、今日の世界では、紛争をいかに平和的、外交的な手段で解決するかが安全保障の最優先の課題となっているわけであります。紛争の相手国を仮想敵と見立てて紛争が戦争に発展するシナリオをいつも描いているとしたら、それこそが日本の安全保障にとって一番有害であるというふうに思います。

 この現在ある日本国憲法をないがしろにして、日本外交を八方ふさがりにして、他方で軍事偏重の安全保障政策をとろうとするような政治は、平和外交を国の安全保障の主役とする世界の中で余りに逆行するものじゃないだろうか、あえて私はこのように強調したいと思います。

 最後になりますが、改憲あるいは国民投票法の整備の前提の問題として、午前中の質疑の中で吉岡参考人から興味深い意見を伺いました。

 意見表明の中で、アジア太平洋戦争の深い反省から生まれた日本国憲法は、戦後から今日に至る民主主義社会としての日本の土台や活力の源泉となってきただけでなく、かつて日本が戦争の惨禍をもたらした国々とその市民に安心感を与え、かつ日本に寄せる信頼の根拠ともなってきた、こういう御意見でしたが、私も同感であります。

 そして、これからの十年、二十年、三十年、世界も日本もさらに激変したとしても、確かなことは、ますます国際関係の充実が重要となり、とりわけ近隣諸国とその市民の信頼を得られない国は確実に孤立からさらに衰退への道を歩むことになる、こう警告されたことは重いと思います。

 そうした中で、参考人が、日本国憲法の役割は終わっておらず、これからも一層の主権在民の徹底、不戦主義の徹底、基本的人権の尊重の徹底によって、日本社会に活力を与えるとともに、他国への従属やまねではない新たな国際関係の充実と国際貢献の仕方を提示し、具体化していくことを通じて、日本が近隣アジア諸国や国際社会とともに生きていく方途を探し続けなければならない、こう言われた問題意識というのは、我々が今日憲法をとらえる上で極めて重要な観点だと思います。

 こういう現実に照らせば、まさに九条を初めとした改憲のための国民投票法の整備に道理はなくて、今必要なのは日本国憲法を守ってあらゆる分野に生かすことにこそあることを重ねて強調して、発言といたします。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 私は、きょうは、午前中の参考人の皆様から出たことも踏まえながら、主権在民のもとでの日本国憲法及び国民投票法案についてどのように議論していけばいいかということについて意見を述べたいと思います。

 本日午前中に、市民団体の真っ当な国民投票のルールを作る会の調査のアンケート結果が参考人の方から示されました。それは憲法改正の手続に関する国民の理解度調査というもので、午前中も私はこの点について参考人の方に質問をしましたけれども、憲法改正のルールを知らないと答えた人が六五・三%、残りの知っていると答えた人の中でも正確な答えが一六・三%、間違った答えが一八・四%だったということ。知らない、または間違った答えを合わせると八三・七%にも及ぶということに非常に驚きを感じました。

 私は、本委員会でもこのような調査も積極的に行っていった方がいいのではないかなというふうに考えます。これが現実であるとすれば、国民にとって一番大切な基本法である憲法を改正するかどうかは、主権者たる国民の国民投票によるという最も基本的なことをまず周知徹底させていかないと、この委員会では国民投票法案の個別の論点とか技術的なことについていきなり議論しておりますけれども、国民投票そのものについての理解を深めていかないと、そこのところをどうすれば理解が深まるのかというような観点での意見を出し合ったり、アイデアを出し合ったりしていくことも本委員会にとってとても重要なことだと思います。これは、先ほど公明党の太田委員の方からも前半に指摘されたことにつながると思うんです。

 その上で、認識を深めた上で、それではどのような投票方法がよいのかというような順序でいかないと、結局、国会と主権者の間の温度差といいますか乖離がますます進んでしまうのではないかという懸念を共有して議論を進めていった方がいいなというように思いました。

 次に、国民投票の運動や報道に対する規制の問題もきょうの一つの焦点になりました。

 私は、国民投票の際の規制の対象は、国民や報道機関ではなく、政府であるというようにあちらこちらで発言をしてきました。

 きょうの午前中も政府の関与のあり方についての議論が出ましたけれども、国民投票における政府の行為の制限の重要性について理念的な面からも整理をしておいた方がいいと考えますので、幾つか意見を述べたいと思います。

 国民投票のあり方というものも憲法という規範の意味にのっとって行われるべきだと思うんです。これは本委員会が始まった日にも申し上げたんですけれども、憲法とは主権者である国民が権力を縛るためのルールであるということは、近代憲法、欧米諸国を含めて、独裁国以外は大体この方向での憲法を持っているという理解は皆さんと同じです。

 さて、そういう規範のもとで行われる国民投票というものは国民が主権者である。ということは、どのような形の政府をつくるかということは国民が自由に決めることができるということになります。オールマイティーの力を持っているのは国民であって政府ではないわけです。国民が政府に対して指示を出すということが原則ですから、政府が、国民にこうだああだというような形で、憲法を変えるに当たっても命令や規制をかけるということは、この憲法というものの規範にのっとって考えてもおかしな話になってしまうと思います。

 統治機関の一つである国会が発議して国民に提示した憲法改正案について、国民が最高の権利を有する主権者という立場で国のあり方について判断を下すのが国民投票であるということは皆さんと同じ認識です。ですから、国民の下に位置するのが政府で、上位者であり主権者である国民に対し、主権者としての判断を形成するために必要な運動や報道に制限を加えるということは、この理念においても、憲法というものの意味においても考えられないことであるというようなことを私は共通の認識にすべきだと思います。

 逆に、国民投票の実施に当たっては、こういう観点から、政府は何ができるかということを厳格に決めておく必要がある。何ができるかということを決めたこと以外は政府は行うことができないということははっきりどこかできちっと確認する作業が必要ではないかというように思います。

 これは、きょうの参考人の皆さんからも、いろいろな外国の事例で、政府が公正そして中立な立場で情報を提供するという事例も紹介されたことを理念的にもきちっと確認した方がいいということで問題提起をさせていただきました。私は、国民投票における政府の立場というのは受動的なもので、どのような権力や政府を選ぶかという能動的な立場は主権者であって、その選ばれたものを受けるというのが政府の立場であって、その過程で行われる国民投票においてもその理念はしっかりと貫かれなければならないというふうに思います。

 そういう中で、きょうも幾つか外国の事例も紹介されました。

 その中で、賛否両論を平等に扱うというのは、これは技術的な話だけではなくて、私たちが、憲法というものをどうとらえ、憲法というものを国の中、そして主権在民の意味をどうとらえるかということにも関係する極めて根本的な問題から発した技術的ないろいろな提起であると思うんです。ただ、技術的なところだけが議論されるのではなくて、きちっと憲法の規範というものを押さえた上で政府の役割ということが論じられなければいけないと思っています。

 その中で、前の参考人からアイルランドの例が出ておりました。これは私は非常に興味深かったです。

 国民投票委員会というのを設置して、現職の高裁判事、会計検査院長それからオンブズマンなど五人のメンバーによって、憲法改正案が下院に提出された後にそういう組織がつくられて、そして、この委員会が国民投票に付される情報のパンフレットの配布とか国民に伝えるということを行う。その際、賛否両論、平等に行われるというような事例も前回の参考人の方から提示されました。

 このように、中立公正をどのように担保していくかということはかなり時間をかけて慎重に議論されるべき大きなポイントであると思います。

 そして、その次に、きょうは公平性ということも随分議論に上りました。

 これは前回の参考人からもこういう指摘がありました。国会内における賛成意見も反対意見も、国民討議の場、いわゆる公共空間においては対等の価値を有するべきという指摘がなされました。国会の中での発議は三分の二の議員の多数によって発議される。それは、憲法が軽々しく変えられてはならないという趣旨であって、しかし、発議後は賛否両論、平等に扱われた中で国民投票が行われるということを担保していくべきであるということも申し述べたいと思います。

 以上です。

中山委員長 次に、滝実君。

滝委員 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 けさの参考人の質疑を踏まえて、三点ほど申し上げたいと思います。

 第一点は、まず、参考人の方から、この憲法の改正手続で国民投票が必要だということの理解がなかなか得にくいという現在の状況の御披露がございました。

 私は、これはそれほど重視する必要はむしろないんじゃないだろうかなと。今までの憲法の論議が、専ら、憲法はどうあるべきかという憲法改正の中身の問題でずっと来たわけでございますから、手続の問題についてそれほどマスコミに話題になったことはないと思います。したがって、国民の理解も、手続法、特に国民投票についての理解がまだまだ十分でない、こういうことにすぎないのであって、これから、今までの憲法のあるべき姿とは切り離して、今国民投票法の議論が活発になってくれば、当然、国民の理解、認識もまず国民投票だということの徹底ができるものというふうに思っておりますので、この委員会を通じてこの辺の理解が進むのではないだろうかな、こういうふうに思っております。

 それから、二点目の問題でございますけれども、きょうの参考人の意見を伺いまして、大変重要な問題でございますけれども、手続法と申しますか、国民投票法では扱いにくい問題がございました。それは何かというとマスコミの問題ですよね。フランスでも、新聞がその立場を鮮明にしてまず扱うべきだ、それから、テレビはマインドコントロールのおそれがあるから、テレビでの取り扱いは討論会等を除いては原則自粛する、こういうようなことがございました。

 これを日本の場合に当てはめてまいりますと、国民投票法の中で扱うというのはなかなか難しい。しかし、この問題は重要な問題と言わざるを得ませんので、この辺のところは、マスコミの中でそういうような自主的な動きを要請するとか、あるいは、そういうようなことを委員会としてこの議論の中でアピールしていくとか、そういうようなことがどうしても必要ではないだろうかなと思います。

 この辺のところは、大変重要な問題でありますけれども、国民投票法自体では扱いにくい。そういうようなことを今の段階から考えていきませんと、急にどうするかということはなかなかできかねる問題でございますので、この辺のところは十分な対応をしていただくあるいは対応を要請していく、そういう動きを当委員会としてもやっていくべきではないだろうかなというふうにきょうの参考人の御意見を聞きまして感じた次第でございます。

 それから、二番目の問題としましては、個別方式か一括方式かということにこだわるわけでございますけれども、要するに、投票の方式を郵便による方式をやるかやらないかということでございます。

 スイスでもフランスでも、というよりも、むしろスイスでは郵便による方法が圧倒的に多い。こういうようなことになりますと、幾ら条文が多くても個別の発議形式というのが成り立つわけでございますけれども、投票所へ行ってやるということになりますと、これはどうするかということと関連がございますので、我が国の場合に、郵便による投票を認めるのかあるいは投票所における投票だけにするのか、あるいはあらかじめ資料や投票の用紙を配るのにどうするのかとか、そういった技術的な問題とこの発問方式の問題とがリンクしているように思いますので、ここのところはもう少し議論をしていただく。

 具体的な実際の実務の問題になるのでございますけれども、それが大きな形式の問題に結びつくという問題だろうと思いますので、この辺のところを、やはり議論を具体的にしていきませんと、抽象的にどうだという結論は出にくい問題じゃないだろうかなということをきょうの参考人の資料、お聞きして感じた次第でございます。

 三点目は、外国人の議論の参加の問題が吉岡参考人から御指摘ございました。しかし、これはなかなか難しい問題だろうと思います。

 ただ、ほうっておいても外国からのいろいろな意見はあるわけでございますから、外国人の議論を積極的に参加させるべきだというようなことでは、扱いにくい問題だろうと思いますけれども、例えばスイスの場合には、放送による問題は、外国からの干渉をできるだけシャットアウトするために、放送による取り扱いについてはコントロールしている。こういうことを重ね合わせますと、この辺のところをどうするかというのも多少は議論をしておく必要があるのではなかろうかということをきょうの参考人のお二方の意見を総合すると感じた次第でございます。

 いずれにいたしましても、この問題はやはり、憲法のあるべき姿とは切り離して、あくまでも国民投票制度をどうするか、そういう観点から具体論として詰めていく必要がある。そのためには、もう少し具体的な、実務的な議論も踏まえて考えていく必要があるだろうということを感じた次第でございます。

 以上でございます。

中山委員長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 午前の参考人質疑を踏まえての自由討議ですので、国民投票制度を念頭に発言をお願いいたします。

 国民投票制度について、委員長として申し上げることが一言ございます。

 在外投票の問題が議論されておりません。在外投票の場合に、外務省の意見を聞きますと、登録してある人でも実際に投票する比率は一〇%内外だそうでございまして、在外投票の場合には、日本国籍を持って海外にいる人たちは、郵便による投票制度を行えば、五割程度の投票率が確保できる、こういうお話も聞いておりまして、今後、きょうの時間は、国民投票制度について、その仕組みをどうするかということについても御発言を賜れば大変ありがたいと考えております。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

船田委員 自民党の船田でございます。

 午前中の参考人の御意見に対します感想をまず申し上げたいと思います。

 まず、今井参考人のお考えでございますが、一般的国民投票あるいは地域で行われる住民投票のあり方と、それから今現在我々が議論しております憲法改正の国民投票というものが、やや混同されて議論されているような印象を受けました。

 私は、やはり前者と後者は区別して議論すべきものではないかというふうに思っております。なぜならば、現状におきまして間接民主制、いわゆる議員による代議制の民主制とそれから直接民主制というものの整理をするには大変長い時間がかかる、こう考えているわけでございます。

 また、直接民主制というものを一般的国民投票制度によって導入するとした場合には、行政あるいは政府というものがその国民投票の結果をどこまで尊重すべきなのか、あるいは拘束されるのかされないのか、あるいはさまざまな国政レベルの問題について何を問いかけ、また何は問わないのか、こういったことについては、相当な幅広い議論が必要である。

 今回私どもが議論しております憲法改正に関する国民投票、目的がはっきりしておりますので、まずはこれを進めることが大事であるというふうに思っております。その後に、一般的な国民投票制度というのもいずれは議論すべきことだと思っております。

 それから、吉岡参考人のお考えの中にこういう言葉がございました。だれもが自由に考え、発言し、議論し、判断する場と機会と時間をできるだけ多く保証する法的枠組みをつくるべきである。私もこの趣旨には賛同いたしたいと思います。

 そのために、例えば、憲法改正国民投票運動におきまして、青少年の参加、外国人の参加、これも認めるべきだということは、一般論とすれば、私は当然のことかと思っております。ただし、外国人などの場合に、意識的にあるいは組織的に行われる、そういった活動等については、やはりこれは、主権の問題もございます、一定の制限が必要なのかなと考えております。

 それから、吉岡参考人がお話しになった、言論、批評、表現活動には制限を加えないこととして、例えば虚偽報道が、非常にその定義があいまいである、こういうお話でございましたが、これは既に公職選挙法上で規定がございます。したがって、この規定をあいまいであるということで削除することは適切ではないというふうに考えております。

 それから、過半数をどのようにとらえるか。吉岡参考人は全有権者ということにされたわけでありますが、私は、昨今の投票率の問題、あるいは投票に行かない、つまり棄権票の中身が何なのかということをやはりもう一度考えなければいけないと思います。積極的な棄権票もあるでしょう。しかし、その多くは、怠慢といいましょうか消極的な棄権票が多いと思っております。これらを一緒くたにカウントするということで分母に置くということは、大変難しい問題があると思っております。したがって、私は、全有権者の過半数ということは、これは考えなければいけないと思っております。

 なお、前回私からお話をしました、十八歳以上という投票者の資格でございますが、これは年齢で切るというよりも、学年で切るというか、要するに、一般的に高校卒業を前提とすべきである、このように私は考えております。具体的には十八歳になった後の四月以降に行われる国民投票のときから参加の資格が得られる、このように整理をすべきであると思っております。

 以上でございます。

柴山委員 先ほど辻元委員がおっしゃった改正手続の啓蒙ということは、私も非常に重要だと思っております。これをすることによって、国民がより自分たちの問題として憲法問題を考えることができるということで、全面的に賛成です。

 また、先ほど中山会長からお話があった、在外邦人の国民投票のあり方について問題提起がありましたが、私はこの問題も非常に重要であると思っておりますし、在外邦人、なかなかこうした情報に接する機会が少ないということもありますので、国の負担でやはりさまざまな基礎資料を発送する等の工夫をしていくことがぜひとも必要になってくるのではないかというように考えております。

 午前中の意見の中で、国民投票運動の自由に関して、公共空間という吉岡参考人からのお話がありました。確かに、こうしたパブリックフォーラムというものは、思想の自由市場が確保されている間はそうした議論も可能だとは思うんですけれども、たびたびお話をさせていただいているとおり、メディアの寡占、あるいは先ほど問題提起があった政府の言論ということが国民の投票行動に決定的な影響を与えかねないということで、一定程度の規制が必要なのではないかという問題意識は私は必要なのではないかと思っております。

 その際、政府のこうした活動のみを規制するのか、あるいは、きょう今井参考人がお配りになった資料にあるように、放送媒体については規制をする、ただ、新聞、インターネットについては規制をしないという方法でいくのか、あるいは、前回私、また先ほど船田委員から御指摘があったように、虚偽の報道、明らかに虚偽であるものを現実の悪意を持って発表した場合に規制をするというあり方をとるのか。それはまた今後の議論の中できちんと詰めていったらいいのではないかなというように思っております。

 続きまして、国民投票無効訴訟の制度について申し上げたいと思います。

 これを明定することはよいとしても、その却下ないし棄却の確定をもってこの憲法改正の効力を発生させるべきではないかという立場には私は反対であります。前回、枝野理事から、暫定的判断である仮処分の活用を考えればよいのではないかという御発言がありましたけれども、仮処分の場合は被保全権利と保全の必要性ということが要件となってくるわけでして、こうした客観訴訟、つまり自分の権利の侵害を問題としない訴訟について仮処分という制度を使うことはいかがなものかなという気がしております。

 また、行政事件訴訟法の四十四条には公権力の行使、憲法改正が公権力行使と言えるかどうかはかなり微妙な部分がありますけれども、仮処分の手続を排除しております。また、公選法にも当然ないということもありますので、考えられるとすれば執行停止、行政事件訴訟法の二十五条なのかなという気がしております。

 しかし、これについても、先週平岡委員の方から発言がありましたとおり、この無効事由というところが非常に私は場面が少ないのではないか。また、長期にわたる不安定さというものも、本訴の提起期間を例えば一カ月というような形で限定すれば、そうした不安も生じないのではないか。何よりも、多数の国会議員、国民が示した民意をやはり私は尊重するべきではないかという観点から、執行停止の導入ということにも反対であります。現に、アメリカでは、憲法改正に係る行為はポリティカルイシューとして司法判断を回避するべきである事例の一つとされていることが参考になると思われます。

 次に、先ほど御指摘のあった前文の改正について、どのような単位で行うべきかという点について一言申し上げたいと思います。

 私がたびたび申し上げているとおり、憲法改正の国民投票は、これは個別条項を対象とするべきである、これが原則だと考えております。これは、るる、さまざまな先生方から御発言があったところを根拠としておりますが、また、その国民投票の過程で、国民に修正権がないというところも一つの根拠になるのではないかなと思っております。国会議員の場合は、当然、法案を審議するに当たりまして修正ができるわけですから、その修正する中で個別の条文について考えるということができますが、国民投票の場合はそのような修正権はありません。

 ですから、私は、個別審議、個別投票を原則とするべきだと思っておりますが、憲法前文の場合は、これは先ほど発言のあったパラグラフごとというのはちょっといささか形式的に過ぎるのではないか。国民主権等の基本原理、あるいはさまざまな一体として醸し出す風格というものがありますので、やはり前文は、これは一括して投票の対象とするべきではないかなというように考えております。

 以上です。

中山委員長 ただいまの柴山委員の発言に対する反論が枝野君からございますので、枝野委員を指名いたします。

枝野委員 さっき柴山さんからの話のうち、仮処分、私は仮処分的なものと確か申し上げたつもりなんですが。つまり、現行の制度の何かを援用するとかということよりも、憲法の改正手続だから全く新しい概念をつくってもいいんではないかという意味です。仮処分的なもので、何日以内に決定が出れば、例えば三十日以内に申し立てて六十日以内に効力発生停止の処分を裁判所がすることができるだなんという制度をつくる余地があるんではないかと申し上げました。

 しかも、これが使われるケースというのはほとんど想定できなくていいんだと思います。つまり、我々、民主主義で平和な国家に六十年過ごしているわけなので、これから日本がそうなる可能性があるとはほとんど思いませんけれども、しかし、国民投票とか選挙などの折に投票箱がゲリラに奪われて云々とかというのは世界じゅういろいろな国で見られているわけでありまして、そういう本当にごくレアケースについて、しかしそれでも、選挙管理委員会的なところが公告をしてしまったらそれで憲法改正がスタートするのかというのはやはり余りにもというときに、何らかの余地は残しておく必要があるんではないだろうかという趣旨でございます。ほとんどのケースは、それは訴訟で、裁判でいろいろやり合うようなケースは、それは施行してしまってからということでやむを得ないんだろうなと思っております。

 それから、発言の機会をいただいたので、先ほどの船田先生からの虚偽報道の件なんですが、選挙における虚偽報道というのは、かなり具体的な打撃も与えるだろうし、具体的に想定もされます。例えば、枝野幸男という候補者が昔こんな悪いことをしたんですよとかということを虚偽で報道などされれば、それは虚偽であるかどうかなどということはかなり具体的に判断もできますし、なおかつ、それは選挙の結果に大きなダメージを与えるだろうと思います。

 しかし、まさに国民投票、憲法改正いいか悪いかという政策判断のところにおいて、もちろん、その前提となっているデータみたいなところでの虚偽ということは、論理的に全くないわけではないとは思いますけれども、しかし、人間の経歴とかそういう部分の虚偽と比べて、明らかに想定できるところが少ないだろう。

 やはり危惧せざるを得ないのは、例えば具体的な話を、この間の選挙のことを言っていいのかわかりませんが、例えば、郵政民営化が改革の本丸であるというのは我々から見れば虚偽であるということになるわけですね。それは、立場が違えば政策判断、ましてその憲法なりの政策を採用することによって世の中がどうなるのか、よくなるのか悪くなるのかということについて、まさに見方が百八十度違うから意見が分かれるわけでありまして、それを虚偽といえば虚偽なのかもしれない。しかし、それをだれが判断するのかといったときに、非常に困難な問題が出てきます。

 ですから、先ほどのお話のとおり選挙とは違いますので、そういう余地をあえてつくらなければならないほどの問題があるのかということになると、選挙と必ずしも横並びである必要はないのではないかと。きょうお二人の参考人の趣旨もそうだったと思いますが、言論の市場において余りにも荒唐無稽な話は淘汰をされるであろうし、それぞれ賛成、反対、双方がきちっとした言論をぶつけ合うということの中で結論が出るのではないだろうかと私は思います。

 以上です。

高市委員 自民党の高市早苗でございます。

 本委員会のこれまでの御議論や、それから参考人の御意見を伺っておりまして、その中で、国民投票権者の範囲を低年齢者や公民権停止者まで広げることですとか、それから国民投票運動に外国人や青少年が参加できるようにすることですとか、それから国民投票運動には公職選挙法のように厳しい規制やマスコミ報道規制をかけない努力をするといった形で、どちらかといえば国民投票参加者の範囲を広げる方向性、それからまた規制を緩くしていく、そういった方向性の御意見が有力だったように私は感じております。

 ただ、この方向性には私は懸念を感じます。現在、憲法九十六条一項は、国民による憲法改正承認の方法を、特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票としておりますけれども、もしも、憲法改正のための特別の国民投票として、独立した日程を設定して国民投票を行ったとしましても、衆議院選挙ですとか参議院選挙ですとか補欠選挙、それから知事選挙等、六カ月以内に大きな選挙が迫っているような場合には、やはりこの国民投票運動は割と長期間を要するだろうと想定されますから、余りにも対象を広げる、国政選挙の有権者よりも対象を広げるですとか、それから運動を自由にし過ぎるということでは、直近の選挙、その他の選挙にも多大な影響と混乱が生じるのではないかと。これは私の心配事でございます。

 公選法的な規制やマスコミ報道規制というのをかけなかった、非常に緩くしちゃった場合、例えば、多額のお金を使って新聞、雑誌、テレビ広告、こういった広告合戦をしてしまうことをどうとらえるのか。それから、憲法改正案の議論に関する報道の中で、もしくは配布物やインターネットの中で、特定政党の候補予定者への中傷や批判が殊さらになされる可能性というのも出てくるんだろうと想定できますし、今でも虚偽報道への対抗手段というのを選挙期間中候補者は持ちません。憲法というのは、私は、一般の国政選挙よりも大きな思想的、政治的対立を引き起こす可能性、これはあるだろうと思います。ですから、行き過ぎた誹謗中傷や虚偽報道、それから集団的、破壊的、暴力的行動への不安というものも払拭できません。

 過去の憲法調査会の議論の中で、仮に子供の権利を明記しようとするなら、当事者である彼らが決定に関与すべきといったような御意見もございましたけれども、そもそも国と国民の関係を規定する最高法規、これが憲法でございますから、その規定の中には、ゼロ歳児も含む全国民が当事者であるといったものは多々ございます。当事者だから決定に関与させるべきだとか、当事者だから運動に参加させなきゃいけない、こういった物差しを使っていきますと、極端な話、犯罪者に治安対策を問うのか、敵対国家の国民に安全保障政策を問うのか、これは極端な表現ですが、そういったことにもなってしまう。

 吉岡参考人は、けさ、投票権まで与えるわけじゃなくて、運動に外国人、青少年を参加させるべきだというお話でございましたけれども、ただ、憲法改正案の条文が、外国人の権利や限界に関するものだったり子供の権利に関するものである場合には、やはり彼らの参加、それも全面的な参加というものも多大な影響が出る、そのように思いますので、私は、その他の選挙への影響というものも考慮しながら、最高法規である憲法に関しまして、国政選挙よりも殊さらにハードルを下げるという考え方には反対でございます。

 ありがとうございました。

葉梨委員 それでは、本日及び前回の質疑を踏まえて、結論としては、国民投票運動の期間を、最初の国民投票については相当長期にすべきであるということを結論として、意見を申し上げたいと思います。

 実は、前回の質疑で、私は現行憲法の正統性についての議論を提起しました。ただ、会議録を読んでいただいたらわかりますけれども、私自身は、法律論的に現行憲法の正統性がないと言っているわけではございませんし、また、現行憲法がしっかり定着していることを否定しているわけでもありません。また、今までの調査会でも、押しつけ憲法であったとしても、中身がよければそれでいいじゃないかというような発言をずっと申しておりました。

 ただ、今現在、世論調査でも、憲法は改正すべきだという方が六割いる。そしてやはり、従来から、私がとっているわけではありませんけれども、押しつけ論がある。さらには、護憲派の方からも、今の憲法は、あるいは今の政治状況は実質的違憲状態があるというような指摘がされている。そしてさらには、多くの国民が今の憲法は相当あいまいな規定があるんじゃないかということを感じている。これで果たして今の憲法を積極的に愛することができるだろうか、そういう議論の提起なんです。

 今まで、改憲、創憲、加憲、きょうは知憲という言葉が出てきました。愛憲と言っちゃうとペットの愛犬と混同されますので、多分、人口に膾炙することはないだろうと思いますけれども、やはり、憲法を積極的に愛していくということは、これから二十一世紀、国際社会を我が国が生き残っていくためには大変必要なことだと思います。

 卑近な例で言いますと、これから人口減社会を迎えて、移民をある程度受け入れるとなったときに、何に忠誠を誓ってもらうのか、やはり私は憲法しかないだろうと思います。憲法を、今までの空気のような存在から、本当にしっかりとした日本の国の背骨のような存在にしていくこと、これがやはり大事なことなんだろうなというふうに思います。

 きのうからきょうにかけて、私は二つのことを感じました。

 一つは、きょうの参考人質疑です。これは、大変うらやましいと思いました。憲法についての国民投票が、国民が夢を語りながら国づくりに参加する、そのうらやましさです。意見が違っても議論をして、少なくとも国民が国づくりに参加しているという意識を共有すること、これがどれだけ国民の統合に対して寄与するのか、これははかり知れないものがあります。これはお祭りではあるけれども、時には命がけのお祭りであるというお話もありました。

 もう一つは、昨日、自民党内で憲法改正の起草委員会が開かれて、そしていろいろの議論をさせていただきました。その中で感じたことは、多分、改正をする条項というのは、本当に最後は絞りに絞って小さなものになるにしても、その作業というのは、今まで六十年間ずっと手をつけてこなかったわけですから、現行憲法のあいまいな解釈をある意味で確定するという作業を大きく伴うものである。その二つのことを感じました。

 もちろん、法律論的には、前回の質疑にもありましたとおり、国民投票にかけるとなれば、やはり個別的なものというのが原則になるかなというようなことを私自身も考えております。ただ、たとえ小さな形式の改正であったにしても、六十年間手をつけなかったものです。ですから、この最初の国民投票については、相当長期の投票運動期間を置いて、現行憲法の意味、そして現行憲法の解釈、そういったものについてもみんなが国民的な議論をして、意見は違ってもみんなが、国民が国づくりに参加している、そういう意識を持ち合うというような工夫が国民投票の仕組みをつくる上で必要なのではないかというふうに思います。

 そして、もちろん、相当長期ということになってまいりますと、解散あるいは国政選挙との関係もあります。やはり、国政選挙とその運動期間というのは極力、先ほどもお話がありましたけれども、ダブらないようにしていった方がいいだろう。その意味での制度的な工夫、ある意味では申し合わせになるのかもわかりませんけれども、そういったことも必要かなということを感じております。

 以上でございます。

早川委員 自由民主党の早川忠孝でございます。

 けさの参考人の質疑の中で、今井さんの御発言に私は非常に感銘を受けました。国民投票の意義の再確認がどうしても必要であるというところであります。

 いずれにしても、本委員会で国民投票について議論するということは、日本において国民主権とはどうあるべきかについての認識を共有するプロセスだというふうに考えられます。すなわち、国民投票は国民の国政参加の重要な一形態であるということであります。国民投票によって憲法改正の是非について国民が意思表示をする、その権利の行使をこれまで、その機会を妨げられてきたという観点からいうと、私は、立法不作為と言われてもやむを得ない状況になっていたのかなと。ようやく国会が憲法改正の議論に合わせ国民投票法のあるべき姿についての議論をし始めた、これに国民が関心を抱いていただくことが、まさに本来の国民主権を実効あらしめるそのプロセスになるのではないかと思います。

 たまたま、裁判員制度が発足をすることになっているわけでありますけれども、専ら裁判官が刑事裁判を担っていた、これに国民が参加をするという新しい時代に今なろうとしております。そういう意味では、国民投票のあるべき姿を議論することによって、本来の意味で国民が国政を担っていくということになっていくのだろうと思います。

 そういうことから考えて、我が国は、これまで国民投票の経験がないわけであります。住民投票と国民投票は明らかに異なっております。そういう意味では、諸外国においての国民投票がどうなっているかという、諸外国の例に倣うということが非常に重要であると思います。

 憲法調査会から憲法に関する調査特別委員会に衣がえをしているわけでありますけれども、憲法調査会当時に、衆議院の法制局等で、海外においての国民投票はどういう姿になっているかを調査されたようであります。まだ未定稿の形のようでありますけれども、これをぜひ、認識を共通するために公式のものとして各委員に配付していただき、これを前提としながら議論をすると非常に有効ではないだろうかというふうに思っております。

 それから、発議のあり方でありますけれども、今議論がありました。

 私は、いわゆる前文についての改正を含むものであるとすれば、これは、これまでそれぞれの立場で憲法改正のあるべき姿あるいは憲法の問題点については議論をされたと思いますけれども、結局、個別の条項についての問題点をそれぞれ議論しながら、最終的にどうあるべきかということについて意見を取りまとめた上で、最後に憲法前文のあり方を決めていく、こういう作業を多分されていると思います。こういうことを考えると、前文が憲法改正の発議の対象となるのであれば、各条項も一括して付議をしなければ、国民の意見を聞くにはどうしても足りない。

 ですから、今回は、いろいろな発議の形態はありますけれども、前文を含むということであれば、とりあえずは一括提議というのが本来の姿になるのではないだろうかなというふうに実務上考えております。

 その他の問題については、また後ほど申し上げます。

中山委員長 早川委員の御指摘の、海外における国民投票の実施状況についての事務局の調査資料は、次回の委員会をめどに用意をさせたいと思っております。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 きょうは、午前中の今井参考人の御発言と、それからこの間の日曜日に、当特別委員会に所属する各党の理事、中山委員長を交えて、また学者のコメンテーターも含めてのシンポジウムがあったんですが、そのときの発言の中でのやりとりから、若干感想を申し上げたいと思います。

 先ほど今井さんは、自分は改憲論者からも嫌われ、護憲論者からも嫌われているという話をしましたが、実は加憲論者からは好かれております。私は憲法九条に加憲をするという立場なんですが、つまり正確に言うと、公明党すべてではなくて、憲法九条に加憲をするという立場からは非常に好ましいことを言う人だ、こういうことでございます。

 どういうことかといいますと、実は、今の私のこの発言は、きょうこの場におられた方はよくおわかりにならないと思うんですが、今井さんという方の一連のこれまでの発言、そしてこの間の慶応義塾での発言とを比較してみますと、非常によくわかる。

 つまり、彼が言っているのは、わかりやすく憲法九条でいいますと、要するに、憲法九条を改正するというのは、通常、今多数を占めている自由民主党の皆さんの方向性からいくと、仮に私の言葉ですると、現状の憲法の拡大解釈的方向になる。それに対して、護憲という立場の皆さんは、私に言わせれば、縮小解釈的な角度からの主張である。これは、改正を問うということになると、賛成が多ければいわゆる拡大解釈的方向になっちゃうよ、これが否定をされる、賛成が多くない、これが否決されるということは縮小解釈になっちゃうよと。

 つまり、拡大解釈というのは、あえて大胆に言えば、集団的自衛権を認めるという方向に行くよ、縮小解釈というのは、今の自衛隊を改組して、いわゆる国土警備隊とかそういう方向に行っちゃうんだよ、この二つの選択が問われるんだよ、だから、護憲とか改憲と言わないで、真剣に国民投票という角度で両方の意見を出し合ってやろうじゃないか、こういうことを彼は実は言っていたんだと思います。

 ところが、この間、慶応義塾でのシンポジウムで、いわゆる拡大解釈的、こういう言葉は私が使っているので彼は使っておりませんけれども、方向で提示されたものが否定された場合、先ほど言ったような自衛隊改組とかそういう方向に向かうということはあり得ない、通常からいえば、憲法学者の解釈からいってもそういうことはないと。そのときに居合わせたコメンテーターの小林節慶応義塾の教授も、憲法が制定されてから今日までのさまざまな積み重ねというものがあるから、それは、そういう格好に戻るというのではなくて現状のままになるんだ、こういうふうな判断でありました。私も、実はそのとおりだと思います。

 そこで、今の現行憲法については、先ほど葉梨委員の方から、解釈をめぐってさまざまな違いがあるというお話がありました。

 私も実はそう思っておりまして、九条についても非常に大きな解釈の違いを生み出している、したがって、適正解釈ということに確定する、憲法九条をめぐる解釈を確定するということが必要だ、そういうふうな立場でございました。そうすると、結局、九条二項の解釈というものを三項で確定する、そういう加憲が必要だ、こんなふうに私は実は考えておる次第でございます。

 そういう点で、こういうことを申し上げましたけれども、恐らく、三分の二で発議するという国会議員の間における議論の中で今申し上げたような方向性はおのずとはっきりしていくということで、国民投票にかける段階では、そういうあいまいさを伴った問いかけという格好にはならないだろう、そんなふうに思う次第でございます。

 以上です。

小川(淳)委員 民主党の小川淳也でございます。

 けさの今井参考人のお話をお聞きするにつけまして、私は、今井参考人は、憲法の改正の中身そのものよりも、むしろ間接民主制を補完する直接民主制としての国民投票法制を実現されたいんだなと。御本人のお言葉にもございました。お亡くなりになる前に一回はそれを経験してみたいというようなことをおっしゃっておられたわけであります。

 それに対して、先ほど船田委員の方から混同をしているのではないかという御発言がございましたが、私も、この委員会の趣旨として、その御意見は本当にわかるところがございます。ただ、その意味でいえば、今井参考人の混同はむしろ確信犯としての混同であり、積極的な提言をするための混同ではなかったかと思っております。

 と申しますのも、私も、実体的な中身の議論と切り離した形でこの投票法制、手続論が進むことに関しては懸念を持っている一人であります。ですから、もしこの投票法制が憲法改正に限定した投票法制であれば、やはりそれと並行して、実体的な中身をあらかたでも示していくべきだという考えを依然持っております。しかしながら、そのこと自体が本当に国民的なニーズに合っているんだろうかという根本的な問いかけを持っています。

 しかし、例えば、EU憲章の批准ですとかあるいはユーロの導入ですとか、日本国内の合併に対する住民投票、この直接民主制に対するニーズというのは世界的に大変高まっている。その潮流にこたえていく道は、むしろ一般的な国民投票法制としてこの日本国に実現をしていく。それは、憲法改正のための投票法制という狭い意味合いではなくて、一般的な国民投票法制として今提示をしていけるなら、むしろ国民のニーズに合っているんじゃないかという気が大変いたしましたので、意見表明させていただきます。

 あと、委員長、日々の委員会のお取り回し、心から大変敬意と尊敬を申し上げつつ、横から眺めさせていただいております。特に、柴山委員と枝野委員とのダイレクトなやりとり、お取り計らい、本当にお見事だと思いながら拝見をしておりました。私は、この憲法委員会、中身の議論にせよ手続の議論にせよ、議論を高めていく、あるいは掘り下げていく、大変な営みが必要だと思っています。その意味で、ダイレクトなやりとりあるいはタイムリーなやりとりというのはどうしても必要です。

 その意味で、これは新人議員に免じてお許しをいただきたいんですが、参考人に対する質疑も、もう五分でも十分でも結構です、もし自由な発言をお許しいただける機会があれば、非常に委員会の運営にとってもいいのではないかと思いますし、また、御報告なんですが、午前中の委員会が終わった後、トイレで吉岡参考人と御一緒をさせていただきまして、最後の一時間ずっと我慢をして、やっと駆け込みましたというお話もございました。中に例えば五分でも休憩があるとか、そういったことも含めて、委員会の議論が生きていくようなお取り回しをさらにいただけたら、大変ありがたいかなという気がいたしました。

 大変ぶしつけな、新人議員に免じてお許しをいただきたいと思っております。

 ありがとうございました。

中山委員長 御趣旨は十分理解しました。

吉田(六)委員 きょうの参考人の意見を伺いながら、特にスイスの例をたくさん出していただいたんですね。このことについて、私は少し心配を感じたんです。

 どういうことかというと、スイスの国の大きさは、ちょうど九州くらいの大きさです。そして、御案内のとおり、アルマンと、イタリアンと、ロマンシュを話すロマンと、三カ国語を話す人たちが一緒にいて、そしてその上にヘルベティアというウィリアム・テル時代からの純スイス人というのもあそこにはいるわけですね。そして、国境はハリネズミのように武装されて、国民皆兵、一年じゅうスイスの田舎町のどこかを教練のカーキ色の歩兵や訓練中の兵隊が歩いている。そして、町々には大きな広場があって、最近はあそこはクニーという国営サーカスの常設広場になっているんですけれども、昔は何かというと、地域の者が、何かあるときに村じゅう、町じゅうの者がそこの広場に集まって、そして一つの問題を掲げて、全員が一度に議論をするというようなためにあった広場だと聞かされています。

 こうした歴史的な訓練や民族的な持ち味が、さっき参考人から話されたような、それこそよそから見るとうらやましいというような国民投票がなされたり、あるいは私が暮らしていた一九六〇年代ではミラージュの戦闘機を導入するかしないかということ一つを国民投票している。そして、バーでは若者から年寄りまでがこぞってその問題に対してビールを飲みながら議論する。ああした環境というのはヨーロッパでも希有なものだろうと私は思うんです。

 ですから、参考人のお話を聞きながら、我が国のこの憲法、そしてそれに対する国民投票があんなふうにできたらななぞとひとしきり思いをめぐらせてみたんですが、いやいや、そうではないんじゃないかな。あの特異な国のあの人たちだからそれができるので、私たちはそれより劣っているとか、あるいはそれより進んでいるとかということでなくて、我が民族には我が民族に見合った国民投票のやり方が必ずあるのではないかな、そんな思いを強く感じたものですから、参考人の話を聞いてはみましたけれども、もう少し日本的な、うちの国情に見合った国民投票という方向に向けても思いをいたしてみる必要があるのかな、そんなふうに感じたものですから、雑感を申し上げさせていただきました。

 ありがとうございました。

岩國委員 民主党の岩國哲人でございます。

 委員長から先ほど在外邦人の投票ということについても意見をということでございましたから、あえて申し上げたいと思います。

 私は、自分の人生の中で二十年間日本における国政投票権を奪われていた、そういう珍しい体験をしてまいりました。決して交通不便な、情報が入らないようなへんぴな国にいたのではなくて、ロンドン、パリ、ニューヨーク、世界の先進都市と言われる真ん中に住んで、しかも情報産業の象徴と言われるような金融・証券の業界の中にいて、情報はたっぷり、そして交通あるいは郵便手段も恵まれているような、そういう中にいながら二十年間投票権を奪われてきたんです。そういう海外に住んでいる間にも、日本の政治にもいろいろな激動の時期がありました。自分に一票があれば投票したい、そういう思いを抑えながら、私はそういう権利を奪われてきたんです。

 投票権を持とうという運動を私はニューヨークにいたときに起こしました。日本商工会議所のメンバーの人や、あるいは日本クラブの人たちと協力して、アメリカの各地にも働きかけました。関心は意外に低かったんです。いわゆる企業戦士と言われて、会社を代表して海外で仕事をしている人は、自分の会社のことに精いっぱいで、意外に国のことには関心が低いな、それが私の体験でした。熱心な方もおられました。熱心な方の中にも、在外投票権を認めることはある特定の政党にだけプラスになる、だからそういうものを認めるべきではないという意見の方もありました。

 結局、私は奪われっ放しで、そして在外投票権が実現しないうちに、帰国して投票権を持つ運命となったんです。私以外にも、二十年以上奪われ、あるいは二十歳になっても、日本人でありながら海外にいるがゆえに一度も国政選挙に参加していない人もどんどんふえているんじゃないでしょうか。

 私は、この日本の憲法についての、先ほど葉梨委員からも早川委員からも御発言がありましたけれども、日本の憲法については、実際に成立したということについて、法的な手続としては整っているかもしれませんけれども、国民の感情としては、自分たちがこれを本当につくったんだ、認めたんだという実感が非常に欠けているんじゃないでしょうか。世界でもすぐれた憲法だと言われながら、自分たちがつくったんだという誇りもなければ愛情も欠けている、ここに私は問題があると思うんです。

 日本の憲法は一度も国民から支持の投票をいただいていない、あるいは国民による祝福をいただいていないと私は言わざるを得ないと思うんです。できたものを国会が受け入れただけで、採決があったかどうか、私はその点を調べておりませんけれども、あのときは何百対何ぼでこれは可決されて誕生したのが私たちの憲法だという、それさえも国民の中にはない。

 私は、イラクの国民の方がうらやましいとさえ思います。いろいろな問題を抱えながら、しかし、彼らは一人一人がそこへ行って、賛成か、反対か、その意思表示をして、そして国民の意思に基づいて新しい憲法が生まれようとしているわけです。

 それに引きかえて、日本の憲法を見た場合に、戦前、戦中、この第九条が特に問題になりますけれども、不戦、戦争、これを象徴するものがその第九条であるとするならば、本当の戦争を知っている世代の人たちは、これを認証するために一度でも投票に参加したことがあるのか。その世代の人たちに参加していただいてこそ、この憲法の意義があり、また重みがあると私は思うんです。

 こうして私たちがこの委員会で議論している間にも、一人、一人、また一人と戦争を知っていた人たちが亡くなっていかれます。戦争を知った人たちこそ、戦前の人、戦中の人、そういう人たちの一人でも多く、早く、この改憲ということによって、たった一行でもいい、しかし、それは裏返せば残り九九%をその人たちが認めるという、そういうプロセスを私はとるべきだと思うんです。戦前の人、戦中の人、自分が生きている間にこういう憲法ができてよかった、私はこの憲法にありがとうと言って人生を終わりたい、そういう思いの人が必ずいらっしゃると私は思います。

 私は、早くこの国民投票を実現すべきだということを申し上げたいと思います。

 終わります。

柴山委員 二度目の発言、お許しをいただきありがとうございます。

 先ほど、船田委員、そして小川委員、吉田委員が御発言なされたことに関して、直接民主制のあり方について私見を申し上げたいと思います。

 私も、スイスでの直接民主制、国民投票のあり方は当然これから参考にしていくべきだとは思いますけれども、やはり日本と同一視して考えられない部分も多々あるのではないかというように思っております。

 一つは、先ほど吉田委員が御指摘になられたように、やはり国の規模が違うと思います。例えば、けさの事例で、スイスで行われた性犯罪者の終身刑化ということに関する国民投票が行われたという指摘がありました。例えば日本でこれを実施した場合に、ここの犯罪に終身刑を導入したら、では他の犯罪類型についてどういう刑のバランスをとっていったらよいのであろうかですとか、あと、そうした終身刑を受けた人の処遇をではどうやって図っていけばよいのかとか、当然、派生する問題についてもいろいろと検討をしなくてはいけません。

 司法、外交等々、この一億人を超える国民がいる中で、検討すべき事項が多々ある中で、そうした専門的な事項について、仮にその国民投票のための周知、啓蒙期間を長くとったとしても、組織性、継続性に欠ける国民に逐一直接投票でその意思を確認するということは、私は、極めて難しいのではないか、また必ずしも妥当な結論には達しないのではないかと考えております。

 結論的に申し上げれば、やはり私は、日本の国政においては、国民投票、少なくとも拘束力を伴う国民投票は基礎的事項に限られるべきであるというように考えております。

 一方、地方自治体においては、そういうような配慮は必ずしも必要ない、住民投票をより積極的に活用する場面もあるかと思います。ただし、よく言われることですけれども、国の政策あるいは迷惑施設等に関する住民投票というものは必ずしも妥当ではない部分もあるのではないかと考えております。

 市町村合併については、これは大変難しい配慮が必要でして、国との連携あるいは財政のあり方等についてどう考えるか、ケース・バイ・ケースであろうかなというように思っております。

 以上です。

船田委員 私も二度目の発言をお許しいただき、ありがとうございます。

 先ほど小川委員から御指摘のありました、一般的国民投票といわゆる憲法改正国民投票、余り区別せずに、今後、一緒になって検討すべきであるというお話をいただきました。これは私も、決して一般的国民投票そのものを全く否定する立場ではございません。できれば一緒に議論していきたいと思っております。ただ、やはり、先ほど申し上げたような、間接民主制、直接民主制、その優先度をどのように考えるか、そういうことや、あるいは、一般的国民投票の結果がどの程度行政や政府を拘束するのかしないのか、そういった、非常に問題が複雑でございます。

 ですから、憲法改正国民投票を基礎的問題とすれば、入学試験における基本的問題とすれば、まさにこの一般的国民投票などはやはり応用問題である、このように思っております。ですから、まず、基礎的な問題を我々はまず解決をし、その上で、その考えのもとに、さらに拡大をしてこの一般的国民投票という議論になっていく、こういうルート、流れが自然ではないか、こういうふうに考えたわけであります。

 それから、枝野委員からも御指摘をいただきました、虚偽報道の扱いでございます。このことにつきましては私も、前回もちょっと申し上げましたが、まさに憲法改正国民投票は究極の政策選択の選挙である、公選法によって現在行われている選挙は人を選ぶという選挙であります、おのずからそこに本質的な違いがある、だからこそその制限も違ってしかるべきである。私もそのことは申し上げました。

 ただ、少なくとも、偽りをそのまま報道すること、例えば、先ほど枝野委員も御指摘あったように、データが全然違っている、そういうものをさも正確であるかのように報道する、こういうような虚偽報道、明らかに客観的に見て虚偽であるということについて限定した対応ということはやはり必要であると思っておりますので、そのような限定的な制限という方向で今後また議論をしていきたいと思っております。

 なお、最後に申し上げますが、参議院との関連を少し申し上げてみたいと思います。

 我々衆議院では、この憲法特別委員会となりました。しかし、参議院におきましては、依然として、憲法調査会において議論をしております。しかし、参議院におきましては、前回も国民投票法についての議論をこの憲法調査会という枠の中で議論しておるということで、この点は大変評価をすべきものと思っております。

 その中で、参議院の簗瀬委員が、前回、十月十二日の参議院憲法調査会でこういうお話をされております。衆と参のある意味での性格の違い、あるいは期せずしての役割分担があるのではないかという指摘をされました。具体的には、衆議院は論点提起型である、それに対して参議院はむしろ論点を深化させていく、例えば、啓蒙啓発活動、あるいはこの問題に対する国民の理解の重要性というものを強調していきたい、こういうお話でございました。

 確かに、衆参の役割分担というものは当然あるかと思っております。また、現在の衆参の憲法に関する協議機関の性格の違いというものがある。これはよく理解をしておりますけれども、ただ、やはりある時点では、衆参での議論が相当煮詰まったときには、衆議院と参議院両方で一緒に議論をする。これは、どの段階がいいかはまだわかりません。我々の方でも、国民投票法の骨子を決めた時点でやるのか、あるいは国民投票法案として一応条文化されたものの段階で参議院とすり合わせるか。それはいろいろな議論があると思いますけれども、私は、やはりしかるべき時期には衆参同時に、ともに議論をする。年金の方でも両院協議会がセットされているわけでありますが、形態はどうなるかわかりませんが、それに近い形をいずれ私たちは模索するべきである、このように思っております。

 以上でございます。

枝野委員 虚偽報道の話はやはり重要なことなので、私の方からさらに発言させていただきたいと思います。

 確かに、本当に事実と異なることで、どうしようもない、これはひどいじゃないかという話が全くあり得ないかということを否定するつもりはありません。ただ、報道といったときに何を想定するのか。例えば、いわゆる大新聞であるとか、それからテレビ、ラジオなどの報道機関であれば、もしそれが客観的に虚偽であるというようなことが判明をしたら、別に憲法改正に限らず、既にかなり大きな社会的な制裁を受けるということになっていると思いますし、これからもそうであろうというふうに思います。

 そうだとすると、本当にそれを罰則とかそういった形で規制するとすると、それが意味があるとすると、ではどこになるんですかといったときに、実は報道などの定義というのは非常に難しい。前回も申し上げましたけれども、例えば自民党さんの機関紙も報道でしょうし、各政党の機関紙もそうでしょうし、あるいは、いわゆるミニコミ誌的なところまでいろいろな形態があるわけでして、逆に、余り小さなところに対して報道規制という名前の規制がかかれば、いわゆる一般的言論規制とどこが違うのかということになりかねないと思うんですね。そういうリスクを考えたときに、虚偽報道がなされてそれが信じられたまま国民投票になるというリスクとどう考えるのかということになるんじゃないのかなと思っています。

 私は、そうはいっても、確かに、住民投票で原発云々というのがきょう出ましたから、ああいう政策課題の住民投票であれば、その原発の安全性の科学的データの虚偽が投票結果に影響を及ぼすみたいな話が想定できるかなとは思いますが、憲法の抽象的な条文をどうするのかというところで虚偽報道がもしあったとしても、しかも、大手メディアについては社会的な制裁でかなりできるんじゃないかということを考えたときには、言論あるいは表現の自由に対する過度の制約になるリスクとの兼ね合いで、せいぜい訓示的規定を置くかどうかという議論はあるのかもしれませんけれども、少なくとも罰則のような話というのは必要ないんではないだろうかなというのが私の現時点の思いであります。

 せっかく今、報道、言論のところで発言させていただいたので、先ほど、大分前になりますが、高市委員が外国人の運動の話、これも前回私は申し上げたんですが、組織的な運動を何らかの形で定義できて、それと普通の言論行動を区別できるという前提に立つならば、もしかすると、例えば外国人をどうするのかとか、いろいろな話はあり得るのかもしれません。しかし、憲法改正がいいのか悪いのかということをいろいろなことで発信するということの主体は、選挙のように候補者の周辺に選対本部があってここが組織的運動をするとかということではないわけで、まさにみんなが勝手連的に行うわけですから、組織的な運動と表現行動、言論行動とを線を引くのはほとんど不可能ではないかと思います。

 そうした中で、外国人の国民投票運動に対する規制を加えるということだとすると、きょう参考人もおっしゃっていましたが、現時点でも、例えば、アメリカの政府高官が日本の憲法九条は変わった方がいいとか悪いとか、そういう発言をしているのを封じろということになりかねないわけですし、あるいは、そういう発言をしたら国内では報道するなということになってしまうのか、線を引くのは非常に難しいんではないだろうか。もし引けるんだとしたら、逆に、どういう形で運動と言論の仕分けをするのかということが問われるんじゃないかと思っております。

保岡委員 今、マスコミの虚偽報道について、船田委員とそれからまた枝野委員とのやりとり、その他のやりとりもありましたけれども、憲法改正の論議でマスコミの虚偽報道とはどういうことが具体的に想定されるか、そういう問いかけをせんだって、けさおいでになった今井さんの主宰した真っ当な国民投票のルールを作る会主催の場でも枝野先生に私聞かれて、ううんと返事に困ったぐらいですが、確かに、憲法改正の論議の中で虚偽とは何かということは非常に難しい問題を含んでいるんじゃないかという感じはしております。

 そういう中で、私は、今最後に、組織的運動と個別的な議論みたいなものと区別できないなというようなことでしょうか、そう受けとめてよかったんでしょうか、枝野委員のお話がございました。

 私は、フランスのEU憲法の国民投票の視察に行ったときに、フランスは、運動主体というのを、一定の国会議員、それから一定の国政選挙等での、あるいはEU選挙での得票率で要件を満たせば届け出して運動主体になる。これが、フランスの今度のEU憲法、国民運動主体としては八つ認められて、そこには、公営ポスター掲示板にポスターを掲示できるとか、国営テレビやラジオを通じた国民投票運動放送ができるとか、これは一定のルールがあって割り当てられるんですが、そういうことがあったり、また、そういう資格付与団体には、国民投票運動費用について、そのときの一ユーロ百三十五円ということで、日本円で一億八千万円程度の予算を組んで、その運動費を補助というのか支出している。

 そういうものを見た場合に、私は、一方で、自由な議論、何でも議論できるということでいいのかな、もう少し検討してみる余地がないかと思われるのは、もちろん発議する者がその要旨をきちっと整え、その趣旨を明確にする、それを議長なり何かが発議するときに附属文書できちっと出す、あるいは選挙運動を管理する委員会等が出すのかどうかわかりませんが、それを公報という形で出すとか、あるいは、きちっとした運動主体をフランスのように認めて、そこにきちっとした意見や見解を言ってもらって、それを中心に議論が深まるとか行われるとか。

 そう考えると、発議をする側だけじゃなくて、反対する側も、実は、憲法の改正ないしこういう憲法でよいと思う人はノーと言ってくださいと言って、改正発議に対して答えを求めるような形の反対運動というのか、改正をしないでください、賛成しないでくださいという運動もある。そういう運動主体というものも認めて、きちっと立場を与えて公正に行っていただくルールをつくる可能性は検討しなくていいのかなどいろいろありますので、今後海外調査をするときには、そういうことなども含めて、できるだけイメージをたくましくして、そして、公正公平な国民投票というものを、そういう中からお互いで工夫してつくるというようなことができればいいな、こう思ってお話を伺っていました。

 以上です。

小川(淳)委員 船田先生、御指摘ありがとうございました。私も全く同感でございまして、スイス並みの直接民主制は無理だと思っています。ましてや、四半期に一度などというのは本当に不可能だと思います。

 ただ、例えばユーロの導入に関する国民投票あるいはEU憲章の批准になりますと、ヨーロッパの大国と言われる国が国民投票をやっている。イギリスで六千万人、ドイツで九千万から一億人ぐらいだと思いますが、重要な問題に関してそれぐらいの規模で国民投票をやるという潮流もある中で、やはり日本としても考えなきゃいかぬという思いは依然残ります。

 それから、船田先生の御指摘もそのとおりでございまして、慎重に時間をかけた審議が必要だと思います。ただ、私自身の個人的な信条として、中身の議論と切り離した手続論に危惧を抱いている者としては、中身の議論にかけるのと同じくらいの手間暇をかけて全体としての国民投票法制を考えていくということは、大いにあり得ることだと依然思っております。

 ただ、この委員会がそういう場かどうかという議論は確かにあるわけなんですけれども、私は、この日本国憲法に関する調査特別委員会がもし憲法の条文の改正あるいはそのための国民投票のみ、もちろんそこに主要な論点、主要な議論はあるにせよ、やはり主権のあり方、主権の行使のあり方、国家権力の統制のあり方、こういう最も国の根本統治のあり方について、国会のどこかで議論をしなければならないはずなんですね。だとすれば、それを議論する場としてふさわしいのはここしかあり得ないと思いますし、ほかのどの委員会に任せているような議論でもないと思っています。その意味で、やはりそこは余り議論を避けたり、隠避をしたりせずに議論としては持ち込むべきだという気がいたします。

 ありがとうございます。

中山委員長 御案内のように、憲法調査会は既に五年余にわたってあらゆる角度から議論を尽くしてまいりました。その議事録をまた御参照の上で、問題点があれば改めて御指摘をいただきたいと思います。

葉梨委員 葉梨でございます。

 技術的なところで、次回まとめてとも思ったんですけれども、前回それから今回も枝野委員から国民投票運動の定義の確定のような話も出ましたので、御参考までにと思うんです。

 実は、現在の公職選挙法の取り締まり実務上、選挙運動、それから政治活動の区分けということなんですけれども、実際問題として、文書違反なんかになってまいりますと意外とグレーゾーンの部分があります。政治活動ととらえられる範囲が、いつの時点で、どういう要件があれば選挙運動になるかということですけれども、一つには選挙の確定、具体的な選挙の確定、それから投票依頼、この二つの要件がおおむねこの選挙運動という形で要件になっているわけです。

 選挙をやられていて御存じのとおり、いろいろな文書というのが、明確に投票を依頼するとかいうものがないんで、枝野幸男候補を国政に送り出しましょうというのが選挙運動文書に当たるか政治活動用文書に当たるかということは、いつも議論になるところなんです。

 ところが、ただ、いわゆる買収ということになってまいりますと、やはり投票依頼の対価性ということが出てまいりますので、それほど実務上選挙運動か政治活動かというのは差異があるというものではございません。

 前回、近藤理事からもお話があったんですけれども、多分、運動買収ではなくて投票依頼のための買収ということであれば、そんなに問題なく対価性というところで常識的な範囲の規制というのは私はできるんではないかなというふうに思うんですけれども、そのことではなくて、ぜひともこれから研究しなきゃいけない課題ということで申し上げたいんです。

 今現在まだ発議が行われていない段階では、国民投票運動というのは概念上あり得ないわけなんです。しかしながら、憲法について、憲法九条をこのように改正すべきである、それから憲法第何条を廃止すべきであるというような活動を今世の中で行おうとすればこれは政治活動になります。そしてその政治活動を、政治活動は基本的に個人で行うのも自由ですし、だれも行うことができるわけですが、これを専ら団体として行ってくれば、これは政治団体になります。そして、資金面の規制というのは、実は政治資金規正法の問題になってまいります。

 ですから、今現在の法律の立て方というのは、選挙運動については公職選挙法なんですけれども、政治活動及び政治団体についての規制というのは政治資金規正法、ここで立てられている部分が非常に多うございます。

 ですからそこの、国民投票の法制をつくる段階では、国民投票運動と今の現在でいう政治活動というのは極めてダブってまいるものですから、政治資金規正法における政治団体、それから資金あるいは寄附、こういったものについてももろもろの規制はございますので、そことの調整というのを、大体一覧表みたいなものをつくりまして個別に詰めていくという作業がこれからは必要になるんじゃないかなということを感じましたので申し上げます。

 以上です。

中山委員長 他に御発言はございませんか。

 それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、来る二十七日木曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時三分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.