衆議院

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第10号 平成18年4月27日(木曜日)

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平成十八年四月二十七日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 船田  元君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 古川 元久君 理事 斉藤 鉄夫君

      井上 喜一君    伊藤 公介君

      石破  茂君    小野寺五典君

      越智 隆雄君    大村 秀章君

      加藤 勝信君    木原  稔君

      柴山 昌彦君    高市 早苗君

      棚橋 泰文君    渡海紀三朗君

      中野 正志君    野田  毅君

      葉梨 康弘君    早川 忠孝君

      林   潤君    平田 耕一君

      藤井 勇治君    松野 博一君

      森山 眞弓君    安井潤一郎君

      吉田六左エ門君    小川 淳也君

      逢坂 誠二君    北神 圭朗君

      後藤  斎君    鈴木 克昌君

      園田 康博君    筒井 信隆君

      平岡 秀夫君    石井 啓一君

      太田 昭宏君    桝屋 敬悟君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      滝   実君

    …………………………………

   参考人

   (社団法人日本新聞協会編集小委員会委員長(読売新聞東京本社編集局次長)) 楢崎 憲二君

   参考人

   (社団法人日本新聞協会編集小委員会副委員長(朝日新聞東京本社編集局長補佐))           石井  勤君

   参考人

   (社団法人日本新聞協会編集小委員会委員(毎日新聞東京本社編集局総務))  藤原  健君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十七日

 辞任         補欠選任

  二田 孝治君     藤井 勇治君

  安井潤一郎君     木原  稔君

  岩國 哲人君     後藤  斎君

同日

 辞任         補欠選任

  木原  稔君     安井潤一郎君

  藤井 勇治君     二田 孝治君

  後藤  斎君     岩國 哲人君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件(日本国憲法改正国民投票制度とメディアとの関係)


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件、特に日本国憲法改正国民投票制度とメディアとの関係について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として社団法人日本新聞協会編集小委員会委員長(読売新聞東京本社編集局次長)楢崎憲二君、社団法人日本新聞協会編集小委員会副委員長(朝日新聞東京本社編集局長補佐)石井勤君及び社団法人日本新聞協会編集小委員会委員(毎日新聞東京本社編集局総務)藤原健君に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、楢崎参考人、石井参考人、藤原参考人の順に、合わせて十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、まず楢崎参考人、お願いいたします。

楢崎参考人 楢崎でございます。

 本日はこのような機会を与えていただきましたことにまずもってお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

 私どもは新聞協会を代表して参っております。新聞協会というのは、全国の新聞、通信、放送の百四十一社で構成しております。

 最初にお断りしておかなければなりませんけれども、きょうは憲法改正にかかわる国民投票制度についての参考人ということですけれども、憲法を改正すべきかどうか、あるいは国民投票制度を設けるべきかどうかについて、新聞協会加盟各社にはそれぞれの意見があります。新聞協会として統一した見解、意見は、いまだ構成しておりません。

 したがいまして、本日は、これまで当委員会でなされてきた議論そのほかからうかがえる法案のようなものを前提にして、それ自体の是非はわきに置きまして、国民投票制度とメディアの関係について、専ら報道、言論の自由という観点から意見を申し述べさせていただくということになろうかと思います。

 最初に、総論といいますか一般論から申し上げたいと思います。

 憲法は国民主権の根本にかかわる最高法規です。憲法をどのように改正するのか、あるいはしないのかについては、幅広い国民的論議が求められると思います。その国民的論議を実現するためには、自由で活発な意見表明、報道、論評がなされなければなりません。自由で活発な論議を通じて、国民はみずから憲法問題について考え、判断します。そうした国民の自由意思のもとで合意形成がなされるべきだろうというふうに考えます。報道機関はそのための幅広い情報、判断材料を国民に提供する、それが使命です。

 国民投票制度は、報道機関の自律的な取材、報道活動の意義を認め、尊重するという前提で制度を設計していただきたいというふうに考えます。報道、論評にかかわる法的規制は必要ないというのが我々の基本的な立場です。憲法は二十一条で言論、表現の自由を規定しています。保障していると言ってもいいでしょう。多様な言論の存在こそが民主主義社会の基本的要件という考えが根本にあると思います。この規定を改定するのでない限り、メディア規制条項というのは現憲法の精神にも反するのではないかというふうに考えます。

 この間議論されてきた法案らしきものを見ますと公職選挙法が下敷きになっているというふうに思われますけれども、公職選挙法という法律と国民投票にかかわる制度というのは、おのずと目的、性格が違っていると思います。公職選挙法は、候補者あるいは政党を選ぶ制度だ、その制度における公正さを確保するための法律だというふうに考えます。憲法改正に関する国民投票制度というのは、それとは違いまして、国の今後のあり方を選択する制度ということだと思います。目的、性格が全く異なるというふうに考えられます。

 公選法、公職選挙というのは、一種の競争と言ったら変ですが、のようなもので、候補者をどう公平に扱うかということに力点があるんだと思います。その点、憲法は議論を尽くせば尽くすほどいいわけでして、競争というような性質でもないだろうというふうに思います。議論をどうやったら尽くせるのか、それを保障する、それが基本的な方向性でなければならないというふうに考えます。

 以上が一般論なんですが、これまで具体的に幾つかメディア規制について条文のようなものが検討されているようなので、それに即してまたお話をしたいと思います。

 一つは虚偽報道の禁止という項目についてです。

 憲法改正の議論において、虚偽の事項というのは一体何を指すんでしょうか。全く私どもにはわかりません。何をもって虚偽とするのか、だれがそれを解釈するのかということが問題だと思います。こういうあいまいな規定というのは、恣意的運用を招きかねなくて、極めて危険であるというふうに考えます。

 憲法論議における真と偽は、主権者たる国民が判断すべきだろうというふうに思います。各人各様にそれぞれの真偽があって、反対であれば言論で反論すべき事柄であろうと思います。間違っても公権力がそれを判断するということがあってはならないと考えています。仮に、憲法論議に絶対的な真偽があるとして、それに近づく一つの有力な手段は活発な報道活動であると思います。活発な報道があれば、虚偽報道や偏向した意見はおのずと国民によって排除されるのではないでしょうか。

 お手元にお配りしてあるかと思うんですが、私どもは新聞倫理綱領というものを持っています。これは戦前の一定の反省に立って戦後制定したものです、最近また新たに改定しておりますけれども。そこで、「正確で公正な記事と責任ある論評」によって新聞の責務を果たすんだということをうたっております。悪意を持って、虚偽とわかっていてそれを報道するというようなことはあり得ません。仮にそのような報道を続ける新聞があれば、読者の信頼を失い、おのずと淘汰されていくだろうというふうに考えます。

 一方、論評についてですけれども、これは各社それぞれの編集方針のもと、責任を持って意見表明することが求められております。ここでも倫理綱領はこういうふうに言っております。「論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。」というふうに格調高く言っているわけです。そうした論評がさまざまに交わされることで、健全な民主主義社会は維持できるんだろうというふうに考えます。

 報道の正確さあるいは公正さ、あるいは責任ある論評、こういったものを確保するために、私ども報道各社は記者の原稿を何重にもチェックします。掲載後に読者から意見や問い合わせがあれば、誠実に対応しています。間違いがあれば直ちに訂正もします。万が一、ここは事実と違うぞというような指摘があれば、真摯にそれを検証し、もし確認できた場合には、それを読者に報告するということもやっております。さらに、こういった姿勢を担保するために、私ども報道各社すべてとはなかなか言い切れませんが、多くの報道各社は外部の人間を含む第三者委員会を設けております。そこで外部の有識者や読者の意見を徴して、報道活動をチェックするという仕組みをそれぞれ持っております。

 以上のような取り組みは、法律ではなくて、自主的に行われています。そのことに注目していただきたいと考えます。報道各社の取材報道に関しては、いかなる法律においても、今のところですけれども、特段の規定はありません。新聞各社は、国民の知る権利にこたえるべく、高い倫理意識を備えて、あらゆる権力から独立した報道、言論機関たるために、みずからを厳しく律しております。そうした長年の積み重ねで報道機関への一定程度の信頼を構築できたんだというふうに自負しております。

 したがって、虚偽報道の禁止規定というものには反対します。訓示規定として残すというようなことも報道されておりますけれども、仮に訓示規定であっても、取材、報道活動を萎縮させ、活発な憲法論議を妨げるおそれがあるというふうに私どもは考えます。それがやがては有権者に必要な判断材料、情報を多角的に提供することを阻害します。訓示規定であっても、虚偽報道の禁止規定は容認できません。自律的な対応を求めるという訓示規定であるならば、それを法律に書くこと自体が何か矛盾しているのではないかというふうな気もいたします。

 次に、不法利用の禁止について申し述べさせていただきます。

 これも同じことで、何が不法利用に当たるのかということが判然としません。仮に公選法で書かれてあるとおりの不法利用ということであるならば、これも先ほどと同じように、候補者個人の当選、落選を左右するように報道、論評を利用するということでしょうけれども、憲法論議にそのままは当てはまらないと思います。抽象的な規制条項というものは恣意的な運用を招く危険性があり、これも認められません。

 何度も引用して恐縮ですが、新聞倫理綱領に「独立と寛容」という項目がございます。そこには、「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。」というふうにうたっています。私どもメディアの自戒にゆだねていただいても大丈夫だというふうに思います。これも訓示規定で残すということがあるのかもしれませんけれども、やはり先ほどと同じように、自由で活発な論議を萎縮させる、訓示規定であってもそういう危険性があるというふうに考えますので、これにも反対いたします。

 広告規制についても若干の検討がなされているようですけれども、私どもは原則として、広告について自由な意見表明、情報流通を阻害するような規制であれば反対です。

 以上、私ども新聞各社は、自主的な判断、規律のもとに、国民に幅広く情報を提供し、国民の判断材料となる多様な情報を提供していくことを使命としております。自由な報道を通じて、国民の間で活発な議論が展開される環境が確保できるかどうか、それが民主主義社会の根幹です。日本社会は、戦後はそうした新聞各社の姿勢を理解、尊重し、言論、報道の自由を保障し、法律ではなく、メディアの自主的、自律的対応を尊重してきたのではないかというふうに考えます。これは誇るべき歴史だと思います。

 私ども報道各社は、憲法改正に関する報道、評論活動においても、報道、言論の自由のもと、正確、公正な報道、責任ある論評を展開していくつもりです。どうぞ意のあるところを御理解くださり、よろしくお取り計らいいただきますようお願い申し上げます。

 以上で私の陳述を終わります。

中山委員長 次に、石井参考人、お願いいたします。

石井参考人 石井でございます。きょうは、お招きいただきましてありがとうございました。

 国民投票制度に関するメディア規制、特に報道機関に対するいわゆる訓示規定について、補足的に申し上げたいと思います。

 自主的な取り組みに努めるものとするといった一見緩やかな規定であっても、新聞協会としてはこれを容認できないという立場に立っております。メディアに対する規制は、仮に訓示規定であったとしても、一たん法律に盛り込まれた場合には、必ずそれを振りかざした議論が出てくると考えます。自主的な取り組みの内容として、虚偽の事項を報道し事実を歪曲して記載するなど国民投票の公正を害することのないようといった記述が仮になされるならば、メディアに対して影響力を行使したいと考える人がいた場合に極めて都合のいい道具を与えてしまうというふうに考えます。

 学識経験者らによる第三者機関、これについても同じようなことが言えると考えております。何をもって虚偽とするのか明確な判断基準がないままに設置されれば、恣意的な運用にならざるを得ないというふうに考えます。そうなった場合に、第三者機関は、結果としてメディアに対する牽制効果を持つにすぎないということになると言えるのではないかと思います。

 メディアの役割は、主権者たる国民が何物にもとらわれずに自由にみずからの意思を形成する、そのための素材を多角的に多様に提供するということであると言えると思います。その意思形成の素材が何らかの管理下に置かれたものであるというときに、自主的、自律的であるはずの国民の意思形成過程にある種の操作が紛れ込むことになると言えるのではないでしょうか。

 新聞報道百四十一社の総意であると、訓示規定というものについても受け入れがたいというふうに考えていることを受けとめていただけるようにお願いしたいと思います。

 以上です。

中山委員長 次に、藤原参考人、お願いいたします。

藤原参考人 よろしくお願いします。

 重複は避けたいと思います。発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。

 ただ一点、先ほどから二人も言っていましたけれども、訓示規定であっても、それは新聞協会としては反対です。

 まずもって、自主的で自律的なものを第三者が求めるということ自体、矛盾があると思います。まさに、文字どおり、自主的にみずからを律する、これは高い倫理性が当然ながら前提になりますけれども、それも先ほど楢崎委員長が紹介しましたが、お手元にございます新聞倫理綱領というのがあります。社論が違っていても、この新聞倫理綱領を私たち新聞協会加盟社は大事にしながら、これに準拠した形で各社それぞれの編集方針をとっております。

 この新聞倫理綱領について申し添えれば、さきの大戦で非常に痛い思いをしたという反省に立って生まれたものです。このお手元にあるものは平成十二年六月二十一日制定とあります。随分新しいなというふうに思われるかもしれませんけれども、これのベースになっているものに昭和二十一年七月二十三日に制定された新聞倫理綱領というのがあります。逐一読み上げることはしませんけれども、冒頭、日本を民主的平和国家として再建するに当たり、新聞に課せられた使命はまことに重大であるということをまずもってうたいながら、新聞は高い倫理水準を保ち、職業の権威を高め、その機能を完全に発揮しなければならないという、みずからを律する倫理を持とうではないかということから出発をして、今日に至っております。

 どうぞ、訓示規定であっても、それを第三者が求めるということについて、お考えを改めていただけたらというふうに思います。まず、自律的な判断というものを信用、信頼していただきたい、そこに民主的な礎があるというふうに信じております。

 以上、重複を避けた形で発言させていただきました。ありがとうございました。

中山委員長 以上で各参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。林潤君。

林(潤)委員 自由民主党の林潤です。

 本日は、社団法人日本新聞協会から、日本を代表する全国三紙の三人の参考人の方々におかれましては、当委員会に貴重な御提言を賜りまして、まことにありがとうございました。

 本日は、私自身も新聞記者をしていたことがありまして、こうした経験を踏まえながら、日本国憲法改正国民投票制度について、メディアとの関係を質問させていただきたいと思います。日本新聞協会としての見解だけでなく、紙面のあり方などは各社しっかりとした対応があると思いますので、忌憚のない意見を拝聴できたら幸いであります。

 まず、自主規制、訓示規定に関する質問であります。先ほど法的規制は必要ないと話された点は承知しておりますので、重複しない程度にお答え願えればと思います。

 私は、昨年の十月の特別国会から憲法調査会に所属をいたしておりますが、この半年間にさまざまな議論を経まして、与党案では、罰則を伴った虚偽報道の禁止などを盛り込んだ従来のメディア規制を原則行わないとさせてきました。国民投票を実施している海外の各国でもメディア規制は最小限にとどめられており、できる限り国民全体を巻き込んだ闊達な議論を目指すという観点からすると、メディアが不必要に報道を手控えるおそれもあり、こうした原則撤廃をするという方向性は時代の流れに合致した方針でもあり評価できるものであります。

 これに関連し、与党においては、虚偽報道を防止し報道の公正を確保するため、報道機関による自主的な取り組みにおいて訓示規定を置く案が検討されておりますが、先ほどの件を踏まえて、この点につき新聞協会ではどのようにお考えでしょうか。

楢崎参考人 先ほどもそれぞれがそれぞれの言い方で申しましたが、自律的、自主的な取り組みを求めるという言い方を法律に書くということ、それ自体が矛盾しているのではないかというふうに考えます。私は、自律的にちゃんとやるんだぞということであれば、それはもう私どもに任せていただいて、これまでそうやってきたという若干の自負もありますし、任せていただいてよろしいのではないかというふうに考えます。

林(潤)委員 自主的、自律的なそうしたことを法律に書くことが矛盾しているという主張は理解できるんですけれども、前回の委員会におきましては、日本雑誌協会の山了吉参考人から、自主規制がもし実施されるということになりますと、萎縮というよりは雑誌が成り立たない、憲法問題に関し記事がつくれない、自主規制というのは言論に対してはとんでもない措置だと思っている、こうした御発言がありました。

 新聞の役割というものは、客観報道にウエートを置いているという点からすると雑誌とはやや異なると考えられますが、この自主規制の是非、またこの理由ということについては、新聞協会としても同様の考えでしょうか。

楢崎参考人 新聞は、客観報道を原則としておりますが、同時に、責任ある論評を行うという意味では言論機関としての機能も持っております。

 自主規制という意味のとりようだというふうに考えますが、高い倫理性を持たなければだめなんだと自戒することは、だれかに言われてするのではなくて、自律的にそう考え、そう行動をとることと自主規制によって萎縮するということは、雑誌協会がどういう立場で、どういうニュアンスでおっしゃったのかはわかりませんけれども、私ども新聞協会としては、自律的に高い倫理性をさらに高め、それを維持していくということについて、そう努めることと報道活動が萎縮するということとは関係ないというふうに考えます。お互いそれぞれ両立できるのではないかというふうに考えます。

林(潤)委員 メディアには権力をチェックするという重要な役割があり、それぞれの新聞は国民の信託の上に日々取材活動を行っておりますけれども、時には虚偽の報道により事後的に関係者に謝罪するという事例もこれまで生じてきました。

 こうしたことから権力とメディア相互に不信感が生じ、この不信感が与党案における、自主規制という形ではありますけれどもメディアについての規定の伏線になったと考えられますけれども、この点から、自主規制のねらいについてどのように考えられるのでしょうか。各紙お聞かせ願えればと思います。

楢崎参考人 自主規制の具体的な各社のあり方というお尋ねでしょうか。

林(潤)委員 自主規制を、今回どのようなねらいがあったと報道側は見るかということについてであります。

楢崎参考人 自主規制を求める側の意図について、私どもの考えを述べよということでしょうか。

 余りうがった見方をするつもりはありません。間違ったことは書かないでください、客観的に書いてください、論評は結構ですが責任ある論評をしてください。そういうことをきちんと自分たちで、ある意味では言論、報道活動の内容、その品質を維持しなさいよということだろうというふうに考えます。不当な干渉あるいは規制を外部から加えないから、あなたたちしっかりやってくださいよ、そういう意味だろうというふうに考えます。

石井参考人 お考えになっておられるところは、虚偽報道を禁止するなどして国民投票の公正を害することがないような状態をつくるために、自主規制ということを取り入れようとなさっているのだと考えておりますが、私どもは虚偽の事項を報道するということ自体が何を意味するのか理解できません。

 客観報道という場合には、確かに誤った報道がなされてしまうという残念なことが起きることはありますが、その場合には速やかに訂正をする、おわびをするということをしております。虚偽の事項を意図的に流すということは全くあり得ない。ですから、虚偽の事項の報道によって国民投票の公正を害する、これが意図的に行われるということは全くあり得ない。これはいかなる新聞、放送においても同じだというふうに考えております。もちろん、私どももそのようなことは全く考えておりません。

 あるいは、原稿が紙面になるまでに幾つものチェックの関門があります。大勢の人間が見て、それを最終的に通していくという体制を日常的にとっておりますので、著しい虚偽あるいは目立たないような虚偽、いずれにしてもチェックする、そして読者に伝えていくということをやっておりますので、先ほど不信感があるというふうにおっしゃいました。確かにあるのかもしれません。ただ、意図的なものではないということが私どもの立場です。

 ですから、結果において誤ったではないかと言われると、確かに、そのことについてはその都度おわびして訂正をしているということですので、そういう日常的な不信感に基づいて法律をつくるというのは、次元の違う話をしておられるのではないかというふうに考えます。

藤原参考人 ほぼ同様ですけれども、虚偽報道と言った場合、その中身は何であるのかということについてなかなか理解ができないというのが私たちの立場です。つまり、恣意的な解釈ができる虚偽報道という言い方、それは何であるのか、何を指すのか。

 不信感があるというふうにおっしゃいました。確かに、結果において誤った報道、基本的人権を侵害しかねない報道が皆無であったというふうには申し上げることはできません。しかしながら、その都度、とりわけ基本的人権の侵害に抵触するような事例においては、真摯に反省し、当事者に謝罪するだけでなく、なぜそうしたことが起きたのかということについても社内的な論議それから部外者のオンブズマンのような形の方々からも意見を求めて、そうしたことは根絶したいという不断の努力を重ねていることについてもどうぞ御理解をいただきたいというふうに思います。そこから相互の信頼関係が出てくるのではないかというふうに思っています。

 なお、もう一つ申し添えれば、報道の公正さというのは、ある種の規制から生まれるものではないというふうに思っています。活発な論議、豊富な情報、客観的な情報、これが多彩に、多様に、多角的に展開されてこそ公正さが生まれるというふうに信じておりますし、それに向かって努力を重ねているということについても理解をしていただきたいというふうに思います。

 以上です。

林(潤)委員 数多くのチェックを経まして紙面が構成され、そして虚偽報道が意図的に行われることは全くあり得ない、こうしたことは大変に理解できるものであります。

 そして、これまでの憲法改正とメディアに関する論議というものは、選挙とメディアの関係を規定した公職選挙法を参考にしていた部分があると考えられます。

 公職選挙法は第百四十八条に新聞、雑誌の報道、評論の掲載の自由、こうした規定を設けておりまして、報道機関が選挙に関し世論の動向を的確に把握し報道、評論することは有権者の選挙に対する関心を高め理解を深める上で不可欠である、こうした観点から通常の報道や評論に関する限りはほぼ無制限の取材、報道の自由が認められる、こうした根拠となっている法律と考えられます。

 しかし一方で、同条文には、ただし書きで「表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。」というような一種の自主規制のような規定があります。

 そこで、こうしたただし書きがこれまでの選挙の公正を確保するのに一定の役割を果たしてきた、こういう指摘もあるんですけれども、これまでの新聞による選挙報道に、こうしたただし書きで報道や評論の自由が制約されるというケースがあったかどうか、これをお聞きしたいです。よろしくお願いします。

 三紙にお願いいたします。

楢崎参考人 今委員もおっしゃいましたけれども、その百四十八条は、通常の報道活動であれば最大限の自由が認められているんだというふうに私どもは解釈しております。この条文の後段の部分によって、何らかの言論活動が制約を受けた、あるいはそれを意識して何か事をなしたというようなことは全くありません。

石井参考人 公職選挙法の場合には、候補者それから政党を選ぶという極めて限定的な事態であります。ですから、公正を保つためにさまざまな工夫をします。取り上げ方それから書き方、紙面の構成、さまざまな努力をしております。これが公選法に基づいたただし書きによってなされているのかどうか、ここは判然としない部分があります。私どもの理解では、みずからを律しているというふうに考えております。ですから、それは根拠に公選法があるからではないかというふうにお考えになるかもしれません。そこは議論があると思います。

 ただし、公職選挙法、候補者及び政党を選ぶという選挙であるならば、事実というものが割合限定的に明確に定義づけられる。ですから、事実に反する報道というのはあってはならないということが容易に判断できます。他方、憲法についての国民投票という場合に、何が事実になるのか、何が虚偽になるのか、そこが判然としないということを先ほどから申し上げておりまして、その場合の公正というのはどういうように判断されるか。そこが規定されると萎縮効果を与えるということを申し上げております。

藤原参考人 公選法では、当然、人を選び政党を選ぶ、立法府で仕事をされる方々を選ぶという大前提がありますが、国民投票法では人を選ぶわけでも政党を選ぶわけでもありません。立法府に勤める方々を選ぶものではなくて、立法府から発議されたその中身について、どれだけ自由な論議があり、どれだけ多彩な情報があるかということですので、つまり最高法規を考えるわけですね。

 その最高法規を考える際に、今まで保障されていた基本的人権や基本的な権利が侵されることはないかといった観点からも考えなければならないということを勘案すれば、公職選挙法の延長線上に国民投票法があるということについては無理があるのではないかというふうに判断しています。

 以上です。

林(潤)委員 こうした憲法改正の報道に関しては、公選法と同じような自主規制の規定を設けられた場合、どのような形で自由な報道や評論が制限されると予想されるのでしょうか。憲法は国の最高法規でありますから国政選挙より幅広い議論が必要だという点、さらに、参考人からもありましたけれども、特定の個人を選ぶ国政選挙と国の根幹を定める憲法改正の国民投票とはやや趣旨や公共性が異なる、こうした点を踏まえてお聞かせ願います。

 三紙にお願いいたします。

楢崎参考人 先ほどから各紙申していますけれども、憲法は、個人を選ぶのではなくて、幅広い論議が必要であるということに尽きると思います。訓示規定で法律に書かれるということは矛盾していると同時に、法律に書かれたことの波及的効果ははかり知れないものがあるというふうに考えます。多分二つの力学が働くんだろうと思います。

 最近の個人情報保護法に明らかなんですけれども、それができました、法律に書かれた意図と必ずしも一致しないだろうと思うんですけれども、一方で一般国民の過剰な反応が起きる、一方でそれを利用しようとする人たちがうまく利用して一定の情報を隠そうとする、そういうような二つの影響が非常に幅広い範囲で現在出ています。つまり、仮に訓示規定であっても、法律に書くということの意味は、我々がここで想像する以上のものがあるというふうに思います。

 ですから、先ほど申しましたが、訓示規定であっても、そのことが一方で取材する側を萎縮させ、一方で取材される側も萎縮させるというようなことで、活発な論議を妨げることになりかねないということを非常に懸念しております。

石井参考人 どのような形で規制されると考えるかというお尋ねですが、新聞の場合には、言論、報道機関で、客観報道の部分と言論の部分というふうに大きく分けて考えられると思います。

 客観報道の部分についてはそれほど大きな影響を受けることはない。ただし、取材される側、この方たちは影響を受ける可能性があります。公正を害することがないようということをその方がどのように受けとめるか、それによって影響の度合いは違いますが、取材される側の影響というのは無視できないというふうに考えます。

 一方で、言論の部分ですが、新聞の場合には、みずからの社論というものを持ちながら、読者の言論を紹介する、あるいは世の中の言論を紹介する国民の言論の器としての役割を持っているというふうに考えます。その部分は極めて大きな影響を受ける。どのような言論が公正を害するのかという判断がつかない状態で自主規制が盛り込まれた場合に、それは、国民の言論について、ある種の全く形がないルールを設ける、ある種の規制をはめる。これが極めて大きな萎縮効果につながる。したがって、新聞を縛るということ自体が国民の言論を縛るということにつながる。この影響は極めて大きいというふうに考えています。

藤原参考人 自主規制というものが明記された場合、たとえ訓示規定であっても萎縮効果がある、それは今までの二紙が言われたとおりです。

 自主規制を求めるということが訓示規定であっても明記された場合、その解釈は幾らでも広がっていくであろうというふうに考えます。恣意的な解釈が可能な、それを許すような条文というのは、基本的にはあってはならないというふうに考えます。

 以上です。

林(潤)委員 何が公正か虚偽か判断できないという点、それから、取材される側の影響が、これによって萎縮してしまうことがはかり知れないという点は理解をさせていただきました。

 現在、こうしたことから、それぞれの新聞は、虚偽報道を防ぐための内部的、自主的な取り組みとしては具体的にどのようなことを行っているのでしょうか。先ほど社内取り組みや第三者委員会について御紹介いただきましたが、こうしたことを交えまして、御三紙に簡潔にお聞かせ願えればと思います。

楢崎参考人 先ほど申したとおりです。原稿は何重にもチェックしますし、仮に原稿に間違いがあってそれが確認された場合にはきちんと謝罪もします。その過程について検証して、検証した結果についてはまた読者に報告するというようなこともやっております。

 さらに、第三者委員会、私どもは年に二回、外部の識者を交えて紙面チェックをしております。その結果についても紙面で公表するというようなことで、オープンな形で紙面管理をやっておりまして、その結果についても読者の方にきちんとチェックしていただくという体制をとっております。

石井参考人 お答えします。

 紙面制作の途中では、これは内部的な、みずからチェックするという体制をとっています。極めて丁寧にチェックしている。紙面が出た後については、外部の識者を委員にした委員会がございます。紙面審議会という場と、報道と人権委員会という場が朝日新聞の場合にはございます。

 紙面審議会は、これは朝日新聞社としてお願いして紙面について議論いただく。紙面をどう見ておられるか、どうすべきかという外部の識者の意見を伺って紙面づくりの参考にする。報道と人権委員会というのは、読者、外部の方から朝日新聞に対して抗議、苦情などが寄せられた場合に、報道と人権委員会に付託して審議をしていただくということをやっております。ですから、事後的にはそのようなチェック機関があります。

 以上です。

藤原参考人 私たち毎日新聞の場合も、社内でチェックをする、日常的にチェックしながらそれを記事にしていることはもちろんでありますけれども、編集局とは別の形で、紙面審査委員会というのがあります。週に一回必ず会議を開いて、これは編集局も参加した形で、わかりやすく言うと、けちょんけちょんにやられるわけですね。この取材はどうしたのかということから始まって、論点がおかしいとか、そういうことも社内の委員から指摘をされます。デーリーのチェックもあります。

 第三者に、社外の方にお願いしている「開かれた新聞」委員会というのがありますけれども、これも月に一回、これは持ち回りですが、紙面を持ち寄っての批判、二カ月ないし三カ月に一回は寄り集まってのフリーディスカッションという形で行っていますし、それは必ず紙面にも出しています。この「開かれた新聞」委員会というのは、まずその目的の一つは記事が人権侵害に当たらなかったかどうか、そのことをチェックするというところから始まっていますし、それが今も貫かれています。

 以上です。

林(潤)委員 こうした虚偽報道を防ぐための内部的な取り組みというものに非常に努力をされているということを理解させていただきました。

 それでは次に、紙面の中でも広告の占める意味というのも大きいと思います。憲法改正国民投票運動として、新聞紙上における意見広告が想定されます。

 例えば、スイスでは賛成、反対について極端に大きな差がつくとは想定されていないように思われますが、日本では、大きな経済力を有する者が、国民に大きな影響力を有するとされる新聞の紙面を買い、大がかりなキャンペーンを何度も実施するということがないとは言えません。こうした活動は、意見発表しようとする者と新聞の双方にとって表現の自由の一形態として評価し得るものでありますが、しかしながら、資金を有する者だけが意見形成に大きな力を有するということにもつながりかねません。

 改正後の憲法の正当性確保のために、改正の手続の公正さが決定的に重要だと考えますが、こうした有料の意見広告について、全く自由でよいと考えるのでしょうか。それとも、何らかの自主規制的な枠組みを検討する余地はあるとお考えでしょうか。三紙にお願いします。

楢崎参考人 この問題については、新聞協会できちんとした議論をして結論を得たということはありません。したがって、私の個人的な見解ということになります。

 おっしゃるように、何らかのルールは必要なのかなという気はします。そのルールのありようですけれども、例えばこういうふうに考えればいいと思うんですね。声の大きい人と声の小さい人がいる。その人たちが何か言論を競い合うという場面で、声の大きい人の方が有利ではないか、声の小さい人は不利だ、だったら声の大きい人に声を小さくするくつわか何かを口につけようというようなのが規制の発想だと思うんですね。それは、広告も言論活動の一環をなすという立場からすれば、そうではなくて、方向は逆だというふうに思います。声が小さい人に、では声が大きくなるような道具を貸してあげましょう、そういうルールをつくればいいのではないかという気はします。

 声の大きい小さいは、やはりそれは個性だと思うんですね。そのこと自体も含めて評価されなければいけない事柄だろうとは思うんですけれども、そこで著しい不公平が生じるということであれば、そのハンディキャップを何らかの形で埋めてあげるというような、そういう形のルールであってほしいというふうに考えます。

石井参考人 有料の意見広告ということですが、国民の言論の器としての新聞という点においては広告も同じであるというふうに考えています。ですから、多様であり多角的であるということが出発点になると思います。

 広告の中身について、日常的には、広告審査という部がありまして、そこでチェックをしております。明らかに公序良俗に反する、社会通念上許されないという内容については掲載をお断りしているということがあります。ただし、国民投票制度のような言論については、内容のチェックというのは難しいというふうに考えます。ですから、多面的であり多様であるということを出発点に、広告を載せることが妥当であるかどうかというのをその都度判断するということになろうかと思います。

 以上です。

藤原参考人 林先生御指摘のような御意見も当然ながら想定されますし、そのことについて、では今社内的に論議を始めているかといえば、まだ国民投票法の中身というものが形になっていない段階では、具体的なものとしてはありません。ただ、一般論として言えば、石井委員がおっしゃったような形の、社内に倫理規程のようなものがありますので、それにのっとって判断をする、その延長線上で新たな事態についても考えるということになろうと思います。なお、これは協会としての意見ではありません。

 以上です。

林(潤)委員 協会内で何らかのルールが必要であるという御認識は理解をいたしましたので、国民投票制度のこうした盛り上がりに伴って、新聞広告についても将来的に公平さを求められるように、こうした話し合いをお願いいたしたい次第です。

 この新聞広告に関連いたしまして、憲法改正の賛成派、反対派の実質的な公平を確保し、憲法改正手続の公正さを保っていくには、公選法のように何らかの公営の形で少数意見の発表の場を保障することが必要であると考えます。その点から、与党案における政党や院内会派が無料で新聞などに意見広告を出せる制度は前向きに評価できると考えますが、新聞協会としてはどのようにお考えでしょうか。

楢崎参考人 これも、新聞協会として見解をまとめるということをまだしておりません。議論もしておりませんので、協会としてのお答えはできません。

石井参考人 同じです。

藤原参考人 同様です。同じです。

林(潤)委員 理解をいたしました。

 今後も、こうした国民投票運動を想定して、新聞協会内でも体制が整備できるよう、話し合いができるようにしていただきたいと思います。

 次に、新聞の意見主張のあり方というものなんですけれども、日本の新聞の特徴といたしましては、宅配が広く行われ、発行部数が大きいという点が挙げられます。海外の新聞と比べると、特定の読者を対象としたものではなく広く国民に読まれようとしているだけに、新聞独自の主張が控え目である、こういう指摘があります。

 そこで、憲法改正国民投票の報道に当たっては、海外では賛成論と反対論をそれぞれ社の方針に従って紙面で主張した例が多いと聞いておりますが、日本では事実報道と社説など、こうしたことで社の意見を区別しつつ、両論を併記した上で国民に憲法を深く議論してもらえるような紙面構成の方が、より日本の新聞のよさを生かせると考えますが、どのようにお考えでしょうか。

楢崎参考人 これも、読売新聞の社員としての私に対する個人的質問ということでお答えします。

 おっしゃるように、私どもの新聞は一千万部という、外国で話せばどこへ行っても目をむかれるような莫大な部数を持っておりますので、読者の方の幅広いニーズにこたえるような紙面づくりというのを一般的には心がけているつもりです。

 しかし、新聞は報道機関であると同時に言論機関でもあるわけでして、私どもは、特にこれは我が読売新聞の個性なのかもしれませんけれども、主張はきちんと出していこうということでやっております。新聞倫理綱領にありましたけれども、世におもねらず、貫くところは貫くということで、社説を中心にして、そのほか提言ということもやっておりまして、そういうことを含めて主張すべきは主張するという姿勢でおります。

 報道機関としての新聞はフォーラムであるべきだという考え方は、どの新聞社にも共通したものだと思います。多様な意見がそこに盛られるべきである、みんながそこに集まって意見を交わし合う、そういう場でありたいというふうに思っていますが、一方で、責任ある主張はしていこうということでやっております。憲法論議においても、多様な意見を紹介しつつ、読売としてはどう考えるのかということについても社内で議論をして、その中で合意形成されたものについては読者に問うていくということになろうと思います。

石井参考人 御指摘のように、事実報道と社説という大きな分け方はしております。ただし、社論というものはやはり一部に当然ながらあります。

 朝日新聞の場合は、社説のほかにも特定のコラムニストがみずからの意見として書くということもありますし、記者が署名をつけて意見を述べるということもあります。それ以外の事実報道の部分は客観報道に徹するというふうに考えてはおりますが、世の中的に言うと朝日新聞的というような受けとめ方をされることがあるということは自覚しております。

 ただ、私ども、オピニオンという面を持っておりまして、いわゆる朝日新聞的ではない立場の方たちの御意見を紹介するような工夫をしております。できるだけ多元的な意見を読者の方に伝えたい、その中で私どもの考え方も伝える、両方をすることで公平を保てるというふうに考えています。

 以上です。

藤原参考人 立法府における三分の二以上の賛成があって発議されるところから始まる手続ですね。まさにその発議から始まって、主権者である国民の意見、国民がどう判断するか、こういうことについて多様な意見、多彩な情報を提示していく、これはどの新聞社も共通していることだと思います。

 その場合、立法府における三分の二の追認作業を必ずしもするわけではありません。つまり、三分の二、三分の一に分かれたその論議がどういう形でなされたのか、その中身についての吟味をしながら、主権者たる国民がどう判断するかということに至るまでの情報提供それから論議、これを提示していかなきゃならないだろうというふうに思っています。

 以上です。

林(潤)委員 言論機関といたしましても、こうした憲法改正の論議というものは、国民の知る権利にこたえられるような、こうしたことで独自色を出しつつ、興味深い世論の喚起にさらに努めていただきたいと思います。

 まだまだ質問したいことはありますけれども、持ち時間が近づいてまいりましたので、本日三人の参考人の方々に拝聴した御意見を踏まえながら、日本国憲法改正国民投票法案のメディア規制についてさらに考えまして、今後に反映させていただきたいと存じまして、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、逢坂誠二君。

逢坂委員 民主党の逢坂誠二と申します。

 きょうは、三名の参考人の皆さん、本当に御苦労さまでございます。三十分にわたりまして私から幾つかお話を聞かせていただきたいと思います。

 まず冒頭に、昨今、電子メディアが随分と取りざたされているわけでありますけれども、私の認識としましては、確かに電子メディアは有用ではありますけれども、やはり紙メディアの代表である新聞は非常に有効なものだというふうに思っております。特に一覧性、物全体を概括的に眺めるというようなこと。あるいは視認性、どこかにある記事がすぐ目に飛び込むというようなこと。あるいは、持って歩くことが簡単にできるというようなこと、保存でありますとか。あるいはまた、その物事を深く切り込んでいくというような点において、やはり電子メディアにはない相当すぐれた特性を持っているのが新聞だというふうに私は思います。

 それから、私は、今の仕事になる前に、ある新聞のいわゆる新聞評を書くコラムというのを担当したことがございました。そのときに、日落ちした新聞、すなわち毎朝届けられる新聞ではなくて幾つか新聞をためて読んでコラムを書こうとしたことがあったのですが、実は相当つらい作業でありました。その意味で、日本の新聞が毎朝家庭に届けられているということは、テレビやラジオのニュースほど即時性はないにせよ、毎朝来るという定時性というのは極めて重要な意味合いを持っているんだなというふうに私は感じた次第であります。

 いずれにいたしましても、新聞というものが日本の国民の世論あるいは意思を形成する上で極めて大きなメディアであるという強い認識を持っているということをまず冒頭に申し上げておきたいと思います。

 それからもう一方ですが、実は、現在、国民投票法制というものを議論しているわけですが、私は、今の仕事になる前に、二十二年間、自治の現場で仕事をしておりました。まさに、主権者である国民と直接対峙をする仕事であります。この現場で、いわゆる代表制による民主主義、議会制による民主主義と同様に、直接地域の皆さんの声を聞くということは非常に大事なことであるというふうに思っておりました。

 しかしながら、直接声を聞く前提条件として非常に大事な点がございまして、それは、判断する物事に対する情報が十分に伝わっていることであります。しかも、広く多様な意見が伝わっていることであります。それなしに、例えば直接的な投票をしてしまいますと、一過性の偏った議論に収れんをしてしまったり、後になってからあの投票結果や住民の意思の表明は間違いであったというような後悔、そんなことが起きているのも自治の現場の実態であります。

 したがいまして、直接意見を聞くということは、民主主義の意思決定の大変重要な手法ではありますが、注意も相当に必要だというふうに思うわけであります。こうした点からも、新聞メディアの果たす役割というのは非常に重要だというふうに私は思っております。

 さて、そこで本題に入りたいと思います。先ほどの林委員の質疑と多少重なる部分もございますが、それぞれお三方に御意見を伺いたい。

 新聞というものは、ある種の特定の考えを明確に主張すべきものなのか、特にこの憲法の改正問題に関して、あるいは中立的なものであるべきなのかという、この点についてまずお聞かせいただきたいと思います。

楢崎参考人 先ほどお答えしたとおりです。報道機関としての新聞は中立でなければならないというふうに考えます。言論機関としての新聞は大胆に主張していくべきだと思います。

 御承知のように、読売新聞は、随分早くから、憲法改正についても、憲法をタブー視しないというようなことで、改正案というものを提言報道という形で世に問うたことがあります。そのときは、不測の事態に備えて警備員を増強したというようなこともあったんですけれども、今こうしてここにお呼びいただいて、憲法改正について、うんと手前のではありますけれども、その手続の一環について立法府で審議がなされているという状況になっています。そのことに読売新聞の提言報道が何ほどの意味があったかということについてはわかりませんけれども、しかし、時代を切り開くという言論機関としての役割は果たしたのではないかというような気がしています。

 ですから、言論活動においても中立であるべきだという論は新聞には当たらない。やはり、多様な考えを紹介して国民が適正な判断に至るような道筋をつくるということは非常に大切なことだと思いますけれども、それでは読売はどう考えるんだということについてはきちんとした形で提示していく。それは、読売はそうであっても、朝日は全然違う、毎日も違う、そういう多様な意見があって、その中から読者の方、国民の方に判断していただく、そういうことで新聞は成り立っているんだろうというふうに思います。

石井参考人 新聞社として意見を持つということは当然あります。少しでもよりいい社会にしたい、世界が少しでも平和になればいい、そのために自分たちに何ができるかということをやはり我々も日常的に考えます。そのために朝日新聞社としてはこうするのがいいという考えがあります。それを提言の形で紙面に載せるということは当然にしなければいけない、それが一つの役割だというふうに考えています。

 ただし、自分たちの意見と違う意見を載せないかというと、そこは違う。つまり、社論と明らかに異なる意見も載せていく、そのことによって読者に正しい判断をしていただくということを日常的にやっています。

 以上です。

藤原参考人 私の所属する毎日新聞では、論争ある新聞というのを標榜しています。つまり、私たちの紙の世界は多様な論議が展開されるフォーラムのような場所であってほしいということから、論争ある新聞、つまり多彩な意見というものを紙面に提供しようということを掲げています。

 社として特定の考えを明確にすることがあるのかどうかというお尋ねですけれども、これは当然ながら社説というものがありますのでその場所でなされるでしょうし、特に、今回ここで論議されているようなテーマについては、社説だけではなくてさまざまなコラムで社内の論議を紹介することもあるでしょう。でも、それ以上に、言論機関としては論争ある新聞づくりというのをより一層目指さなければならないというふうに思っています。

 以上です。

逢坂委員 それぞれ、ある種の主張というものは必要だというお話だったかと思いますが、しかし、その背景はそれぞれ若干違っていたのかなというふうにも認識をいたしました。

 ところで、実は、新聞の読者というものが選択をする、判断をするという話を三社の方がそれぞれされたように思います。新聞の読者というのは、例えば全国紙が幾つかございますが、それを公平に読んでいるだろうか。そういうふうに多数の新聞紙面を読んでいる国民の方が少ないのではないか、どちらかといえば一紙を継続して読んでいる方が多いのではないかという印象も持つわけであります。特に、新聞の発行部数の経過などを見ますと、それぞれ大手が劇的に変化をしていないということを思いますと、国民が柔軟に新聞を乗りかえているというふうには私には思えないわけであります。

 例えば、テレビ番組でありますと、あるテレビ番組の主張というものが自分の意に沿わない、これは見たくないと思えば、チャンネルを切りかえることは簡単にできるわけであります。新聞の場合は、私どものような仕事の場合は多数の紙面に目を通すというのは日常的でありますが、一般国民はそうもいかないというふうに私は思っているわけですが、この観点からしまして、明確に社の主張を述べるということに対する危うさ、その点はないのかどうか、考えをお聞かせください。

楢崎参考人 おっしゃるように、一紙を一生続けてとるということが国民一般の傾向であるなら、これほどうれしいことはないわけでして、販売にかかる経費が非常に節約できるということになると思います。

 ここで私は直ちにその数字を挙げることはできませんけれども、今の部数を維持するためには、毎月、オーダーもちょっとわかりません、とんでもない数の人たちがやめて、とんでもない数の人たちがその穴を埋めてくれているわけです。表面上は発行部数に変化がないように見えるかもしれませんけれども、実は読者は激しい勢いでかわっているわけです。それさえなければ楽勝なんですけれども。そういう意味では、日々の販売活動というのも新聞社にとっては大変な負担になっています。ですから、前提が若干違いますよということが一つ。

 それから、仮にそうであっても、読者が何らかの問題に対して意見をまとめよう、形成しようとしたときに、新聞に書いてあったから、では、ということだけで決めてくださるだろうかという気はします。ほかの人の意見も聞くだろうし、ほかの新聞にどう書いてあったかということだって耳に入ってくるでしょうし、そういう意味では、新聞がこう言ったから国民がそっちへなびいてしまう、だから危険だというのは、余りにも私どもを過大評価していただいているという気がします。そんなものではないような気がします。

石井参考人 新聞というものは宅配制度に支えられて全国あまねく届いている。私どもは、安定的に新聞が届けられるということについて非常にありがたいと思っていますが、日々読者から寄せられる声というのが極めてビビッドで、なおかつ極めて厳しい。一つの記事について、こういうことを書くならもうとらないとおっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。逆に、ある日、この記事を外で見たからこれからとると言ってくださる方も少数いらっしゃいます。安定的にお届けはしているんですが、やはり日々選択されているというのが正直な実感です。

 ですから、慢心して、自分たちの意見はこれだ、これを書いていればいいんだという形で新聞を出していたら必ず読者は離れるというような危機感があります。ですから、特定の意見を言う危険性というのはそれほど大きくないんじゃないかというふうに考えます。

藤原参考人 御質問の趣旨の一つは、実態的には複数の新聞を併読している国民は少ないのではないかという御指摘だったと思います。おっしゃるとおりだと思います。負担が重くなるということはあるでしょう。もちろん、読者が日々いろいろな事情で各紙に乗りかえているということもあるでしょうけれども、それにしても、私たちは仕事でやっています、皆さん方も職業柄各紙を併読されているということですが、こうした形の情報収集活動というのは一般の市民、国民には非常になじんでいない、少ないというふうには思います。

 思いますけれども、多くの読者、国民の方々は、新聞の言いなりである、新聞に書いてあることはそのままであるというふうには必ずしも思っていないと。それは信用していないという意味ではなくて、主体的な情報収集活動の手助けとして私たちの新聞を使っていらっしゃるという読者も多いわけです。

 したがって、中身の充実で先ほどから出ていますけれども、反対の意見についてもきちんと載せる、そのことを保障するということがまさに、少し高い調子で言いますが、民主主義社会の根幹であろうというふうに思っています。だから、一社を読んでいただいても、それでかなりの手助けにはなりますよという紙面を目指さなければならないというのが私の意見です。

逢坂委員 それで、先ほど来の話の中に、虚偽報道というものがよくわからないということでありますとか、規制というものは仮に訓示規定であってもまかりならないという発言があったかと思います。そして、そういう中で、活発な報道活動が行われること、あるいは、偏った意見については、その活発な報道活動が行われれば排除される、おのずと淘汰されるというようなことが参考人それぞれからあったかというふうに思います。

 今回、憲法改正に関する国民投票制度は、その周知期間、始まりますよと言ってから投票までの期間が今およそ六十日あるいは百八十日というような案が出されて、それをもとに議論されているわけであります。この六十から百八十日という期間は、参考人それぞれがおっしゃる淘汰される、排除されるというようなものに十分な時間だというふうに思われますでしょうか。その点、お伺いします。

楢崎参考人 虚偽規制とか不公正な報道で報道機関が淘汰されるであろうということは、一般論として申し上げたわけです。これまでの活動は、それぞれ題字をしょって報道、言論活動を続けているわけですね。淘汰という作用は既に現在我々は受けているというふうに思います。生き残っているところはそれなりの一定の評価をかち得ているんだろうし、消えていった新聞、言論機関もあると思います。そういう意味でして、六十日、百八十日間で淘汰が行われるかということについては、それは必ずしもそうではないだろう、十分な時間ではないというふうに思います。

 甲論乙駁、さまざまな意見が出て論議を交わすのに十分かどうかということであれば、決して短くもないし長くもないという気がいたします、これは全くの私の個人的な見解ですけれども。淘汰というのは、つまり、この間に淘汰が行われるという意味で申したのではないということです。

石井参考人 前提として、国民の意識がどこまで成熟しているかということがあると思います。極めて成熟した議論がなされている場合に明らかに虚偽の報道をした、これは瞬時に淘汰されるというぐらいに考えています。

 ですから、安定的に日々お届けしている、これがあしたも続いていくという感じは実は余りないんですね。日々本当に危機意識を持って、自分たちが間違ったことをしないように注意をするということがあります。特に最近、朝日新聞はトラブルが続いたものですから、これは全員が身にしみて感じています。国民がこの報道は間違いだ、虚偽であるということを判断した場合には朝日新聞は維持できないというふうに考えます。それは期間の問題ではなくて、国民の意識の成熟度の問題であると言えると思います。

藤原参考人 六十日から百八十日が淘汰されるにふさわしい期間であるかという御質問については、それはわかりません。つまり、虚偽報道というのが何であるのかということについての定義がなされなければ、その期間についての論議というのもないでしょう。

 新聞側に要請されるものとしては、虚偽報道まずありきでその淘汰するにふさわしい時間はどうかという論議に時間を割くよりも、虚偽報道がなされないための努力を自律的にやらなければならないということを、改めて自戒をしていますし、自覚もしていますし、そうした方向で仕事を進めたいというふうに考えています。

逢坂委員 次に、新聞社としてある種の主張をするんだというお話はお三方それぞれしておりますが、この新聞社としてのある種の主張というのは一体どういうものなのかということをお伺いしたいんです。それは、社長、社主、いわゆる経営者の主張なのか。はたまた、何か別の合議体のようなものがあって、そこで議論されて、社としてこういう方針でいくという主張なのか。新聞社の主張というものは一体どういうものに起因してそれが形成されていくのかということをお伺いしたいのが一つ。

 もう一つは、新聞社の収益構造を見てみますと、例えばこれは二〇〇四年のものですが、販売収入、いわゆる読者からお金をもらっている割合が五二・九%、それから広告収入が三一・七%、その他の収入一五・四%、多分これはイベントですとか印刷ですとかそういうものだというふうに理解をするわけですが、いわゆる読者の部分というのは半分しかないわけですね。広告収入や印刷収入、イベント収入などが半分を占めているという実態がございます。

 こういう観点からしますと、新聞社がある種の意思を形成する上で、何かいわゆる収益上のバイアスといいましょうか、圧力といいましょうか、そういうものがかかることはないのかということであります。例えば、特定の会社の印刷物をずっとつくっていればその会社の意に沿うようなことを新聞社としても書かざるを得ないとか、特定の会社の広告収入が非常に多ければそこの意に沿うようにならざるを得ないというような体質はないのかどうかですね。

 この二つをお伺いします。

楢崎参考人 主張がどういう形で形成されるかということですけれども、読売の場合には二つあると思います。

 一つは日々の社説についてですが、これは明確な社の主張が出ているわけです。これについては私ども十七、八人ほどの論説委員というものがおりまして、これが毎日二時間ぐらい議論をして、そこで合意されたものが社説として出ていくということになっています。論説委員長もおりますが、主筆が社説の最終責任をとるということですけれども、日々の作業としてはそうした議論によって社論が形成されているということです。

 それからもう一つ、憲法改正でもそうだったんですが、提言報道というのをしばしばやってきております。これも社の主張を明確に出すものなんですけれども、これについては、内部で部際、局際のプロジェクトチームをつくりまして、そこに専門家ないしは専門家予備軍が集まって、例えば、問題に応じて半年間ぐらい議論をして勉強して、国会の先生方にも来ていただく、あるいは外部の有識者に来ていただくというようなことで、勉強会もします、取材にももちろん出ます。そうしたことで非常な長期間にわたって勉強して、その上で提言をしていくというようなことをやっております。

 後段の御質問ですけれども、したがって、そういうことでほかの要素が入り込む余地はないですね。事実上ありません。そういう議論で広告主の意図が入り込むような余地は、およそシステム的に不可能ですということです。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

石井参考人 社の主張の形成の仕方ですが、おおむね読売さんと同じような形になります。ただし、かかわる記者が日常的には社外の方に、取材活動を通してですが、さまざまな意見を聞きます。有識者の方もいらっしゃれば政界の方もいらっしゃる、いろいろな方からできるだけ多く話を聞いて自分なりの考え方をまとめていくという作業が前提にあります。

 その上に立って、では、世の中をよくするにはどうするのか。大きな目的として社会の繁栄と平和ということがありますので、そこに向かって議論を積み重ねる。朝日新聞社の場合にはかなり開いた議論をします。論説委員室だけではないです。一般の記者が飛び入りで入って議論するようなこともございますし、さまざまな場でそれが行われている。ですから、かなり世の中の大きな流れを反映した意見というのが主流になります。その中に社としての判断が積み重なるというような形で形成されていく。

 それから、バイアスがかかるかどうかということですが、これもほとんどありません。もちろん、広告サイドの現場の担当者が、自分が広告を引き受けたクライアントからある種のメッセージを持ってくるということがありますが、おおむね排除されます。それによって紙面が左右されるということはない。仮に広告主によって紙面に影響が出たということが形としてあらわれた場合には、それは読者の信頼を失うというふうに考えています。

藤原参考人 デーリーの新聞づくりについては読売さん、朝日さんとほとんど同じで、私たちもさまざまな場所での論議を行って新聞づくりをしています。

 社論について、どうした形で形成されるか、経営者であるのかあるいはそうでないのかという御質問でした。たまたま私は今社員手帳を持っているんですが、毎日新聞社編集綱領というのが一ページ目に書いてあります。その中に、五項目めに「主筆」というのがあるんですけれども、「毎日新聞に主筆をおく。主筆は、編集の独立、責任体制、民主的な運営の責任者として編集を統括し、筆政のすべてをつかさどる。」と。つまり、経営者ではないわけですね。編集権の独立というのはまさにこのことに象徴されるということです。

 広告との関係ですけれども、これも今まで述べてこられた二社とそれほど変わるわけではありません。ほぼ同じ言葉になりますので、重複を避けます。

 以上です。

逢坂委員 いろいろお聞きしたいことがあるんですが、時間になりましたので最後の質問にしたいと思います。

 最近、新聞紙面をテレビ番組で取り上げて報道するというニュース番組が非常に多いわけです。朝五時半ぐらいからずっと午前中もやっている、お昼もやる、夕方もやるというようなことであります。あれは、国民から見ますとわかりやすくてよいというふうに思う方も多いのではないか、そんなふうにも思う反面、私は極めて危険なことではないかというふうに思うわけですね。新聞各社が、ただいま述べていただきましたように、さまざまなプロセスを経て社の意思を形成していく。しかし、それが曲解される可能性もあるのではないか。あれは非常に安直な手法ではないかというふうに思うわけです。

 しかし、テレビを見ている視聴者は、あれがそれぞれの新聞各社の主張であるというふうに誤解をする可能性も低くはないというふうに思うわけで、この点について三社それぞれどう思うか、お考えをお聞かせください。

楢崎参考人 メディア特性の違う電波メディアが活字の私どもの紙面についてコメントしつつ取り上げて紹介してくれるということについては、それ自体をけしからぬと言うべきものではないと思います。

 では、報道機関としての電波メディアはどうなんだというふうに考えた場合に、おっしゃったように極めて安直だなと。それであなたたちはその役割を果たしたんですかと問うてみたいような気もします。著作権があるというようなことは申しません、公刊された紙面ですから、どうぞ御自由に皆さんが議論してくださればそれで結構ですよということではありますけれども、報道機関のありようとしては若干の疑問がないわけではありません。

石井参考人 つまみ食いをされるということについての若干の思いはありますが、朝日新聞に限って言えば、ごく一部の記事をつまみ食いして切り取って報道されたとしても、そんなに危険なことではないというふうに考えています。

藤原参考人 あれは一つの番組だというふうに思っています。ニュースのショーでしょうね。そうしたつくり方も、メディアは違うし、それこそ私たちの立場は自律的な、自主的な発信ですので、そのことについてこちらから、曲解されるからやめてほしい、迷惑であるということは申し立てるつもりもありません。

逢坂委員 まだ聞きたいことはありますけれども、時間になりましたので、これで終わりたいと思います。

 参考人の皆さん、委員長、どうもありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、桝屋敬悟君。

桝屋委員 公明党の桝屋敬悟でございます。

 お三人の参考人の皆さん、きょうは本当にありがとうございます。貴重な御意見を先ほどから聞かせていただいております。

 時間もありませんので即内容に入りたいと思いますが、本日のお三方の御意見の中に、冒頭出てまいりましたけれども、通常のいわゆる公選法の公職選挙、人あるいは特定の政党を選ぶ選挙と、国民主権の最高法規であります憲法改正の国民投票、この二つは、いわゆるメディア規制、マスコミへの規制という観点から考えてもおのずとそこは大きな違いがある、こういう御意見をいただきまして、大分理解ができたわけであります。

 さはさりながら、投票あるいは選挙に対する新聞の影響力というものを我々はやはり考えざるを得ないわけでありまして、そういう意味では、現在の公職選挙法第百四十八条、先ほどから出ておりますが、この実態というものについても、せっかくの機会でありますから、御意見を伺ってみたいと思っております。

 最初に確認をさせていただきたいんですが、今の公職選挙法第百四十八条の規定でありますが、先ほどから御説明がありましたように、当然ながら、これは公職選挙についての報道あるいは評論の自由を高らかにうたったものだ、特記したものだ、こういう御認識だろうと思いますが、あわせて、ただし書きもあるわけでありまして、このいわゆる虚偽報道あるいは不正利用などのただし書きについては、当然ながら、今まで複雑な経緯、いろいろな経緯があってこうした形で落ちついているというふうに私どもは理解をしているわけでありますが、先ほどからの議論を聞きますと、新聞協会の皆さん方にとっては、このただし書きについても現在なお特段の御意見がおありなのかなと思って聞かせていただきましたが、この百四十八条ただし書きの内容、規定について、これは今までの歴史的経緯の中で所与のものとして受け入れられているのか、いや、これは何とかしてもらいたいというお気持ちなのか、最初にその観点をお聞きしたいと思うんです。これは公益法人協会として統一見解があるのであれば、代表でお述べいただきたいと思います。

楢崎参考人 統一見解がありますので、それを御紹介したいと思います。

 公職選挙法第百四十八条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解というものがあります。これは、昭和四十一年の十二月八日に、編集委員会というのは加盟社の編集局長が集まって構成する会なんですけれども、そこで統一見解をまとめております。

 全部読むと大変ですので、幾つか拾い読みをしますと、百四十八条の前段の規定です、総論として言っていることは、「新聞は通常の報道、評論をやっている限り、選挙法上は無制限に近い自由が認められている。」そういう解釈に立っています。後段のただし書きについては、「しかし、このただし書きは、関係官庁の見解あるいは過去の判例によっても明らかなように、一般的な報道、評論を制限するものでないことは自明であり、事実に立脚した自信のある報道、評論が期待されるのである。」というふうに、これは私どもの内部に向けた見解という意味もありますので「期待される」というふうなことが書かれてあります。

 いずれにしましても、所与のものとして無条件に受け入れているのかということでは必ずしもないんだと思いますね。気になる条項であるなということなんですが、しかし、この条項を気にして萎縮するのはやめようよ、事実に立脚した自信のある報道、評論をしていこうということを申し合わせているわけです。

桝屋委員 ありがとうございます。

 今まさに、一九六六年の統一見解、私も見せていただきまして姿勢のほどは理解をしておりますけれども、これを見せていただきますと、虚偽事項記載あるいは不正記載がなければ、新聞、雑誌が選挙に関して報道及び論評を掲載する自由は全く妨げられない、全く自由なんだと。その結果が特定の政党なり個人を利するということが結果的にあったとしても、それはあくまでも報道の自由の範囲である、こういう御理解だろうと思います。

 そこは私どもも理解をするところでありますが、ただ、私も政治家になってみて皆さん方の報道には随分頭を悩ませてきた一人として、しかし、そうは言いながらいろいろありますよということを、かみしもを脱いできょうは語ってみたいなとも思っているわけであります。決して私自身が規制を強化しなきゃならぬと思っているわけではありません。

 ただ、新聞の影響力というのは確かにあるんだということが、それはいいことだろうと思いますが、全く問題がないということでもないんだろう。例えば、選挙中の紙上における写真の使い方、あるいは見出しの立て方、記事の大きさなどを通して、報道の姿勢がどう見たって一方的に肩入れをしているのではないかと思えるような表現があったり、あるいは恒例となっております選挙予測報道などもどこまで書かれるのか、それが適当かどうかという議論はずっとあるんだろう、このように思っております。

 私も、国政選挙、それから首長選挙、地方選挙、いろいろあるんだろうと思いますが、随分新聞の報道によって受ける影響が違います、違うと思っております、個人的には。例えば首長選挙、都道府県知事のような選挙で、一週間前の世論調査のデータあたりが出ますと、一気に勝ち馬に乗るといいましょうか流れが決まったということで、皆さん方の報道が流れをつくってしまうというようなことがあるのではないかと私も肌で感じているわけであります。したがいまして、皆さん方の報道というものがしばしば投票行動に大きな影響を与えると言われるゆえんでありまして、もちろんそれでいいんだろうと思っているんですが。

 ただ、例えば選挙予測報道にいたしましても、予測の精度とか確度、あるいは調査方法、どこまで報道するのかというようなことについては、先ほどから出ております新聞倫理綱領、これは確かに書いてあるのでありますが、投票なり選挙ということについて特段おまとめされて綱領として表現されているわけではないわけでありまして、協会として、そういう内規といいましょうか、公職選挙に関して何らかの内規というものがあるのではないか、多分議論されているんだろう、あるいは各社においてそうした内規のようなものがあるのではないかと思っているのでありますが、その辺のところを、もし統一見解があるのであれば代表で、なければ各社にお尋ねをしてみたいと思います。

楢崎参考人 予測報道については、これはあるいはお持ちかもしれませんが、一九九二年六月十一日に編集委員会の見解というものをまとめております。予測報道は憲法二十一条で保障された言論の自由に基づくものである。したがって、「最近、政治改革の論議の過程で、選挙予測報道に対して法的規制を加えようとする動きがあるが、これは報道機関の取材報道の自由を大幅に制約するものであり、容認できない。当委員会は、今後、引き続き選挙報道の規制の動きに重大な関心を持って、その推移を注視するものである。」という見解を発表しております。これが一般論です。

 それで、選挙報道についてどういう取り組みをしておるのかということは、読売の例で申し上げます。

 写真とか見出しとか記事の大きさにばらつきがあって不公正なことが起きているということですけれども、これは私たちが最も選挙報道において気をつけることですね。ですから、日常的に起きているというのはちょっと信じがたいんです。こうした取り扱いで不公平が起きることがないようにということは、選挙報道の中の最もセンシティブになって管理している部分ですので、もし仮にこういう被害があったということがあるのであれば、私どもには先ほど来申し上げていますように第三者委員会もありますし苦情処理の組織もありますので、ぜひそういうところに訴えていただいて、適切な対応をとらせるよう求めていただきたいというふうに考えます。

 ということで、選挙一般に関しても、不公平にならないように、何度も言いますが、私たちはこう考えるんだということは一方でちゃんと主張しつつ、この方はどうである、あの方はどうであるというようなことについて選挙運動中に偏った報道をすることがないようにということは、内規で何か言う以前の問題だというふうに考えています。

石井参考人 朝日新聞社について若干申し上げます。

 特定の候補を利するために報道するということは全くあり得ません。それは、何らかの内規とかそれ以前の問題で、最も戒められることである。

 実際に選挙報道というのは、例えば終盤の情勢ですとかを報道しています、そのことによって選挙結果が動き得るという認識はあります。なるべく有権者の意識を曲げないようにしたいということを心がけていて、そのためにどういう紙面をつくるのがいいのか。報道はする、情勢がどうなっているかということを選挙民に伝えたい、しかし、それによって影響を与えることは最小限にしたいということを意識して努力しております。

 ですから、結果的に影響があったということは確かにあるかもしれませんが、それを意図してそういう報道をしているものではない。ですから、ある日はどなたかに有利になる、次の日はその方に不利になる、そういうことが日常的に起こり得るということだと思います。

 以上です。

藤原参考人 お二人が説明したのとほぼ同じですけれども、毎日新聞の場合も、特定の候補者に利するような、例えば内規に書いてあるのかといえば、それはありません。それは大前提ですので。しかも、それをさまざまなレベルで論議をしながらというつくり方を当然しています。

 例えば首長選挙の場合に地域面という小さな、全国面とは違うところに出ますけれども、ごらんになっておわかりのように同じスペースで御意見を表明していただいて、極端な場合、ある方はそのスペースいっぱいに書いてある、ある方は空欄の方がはるかに多く、二、三行しかない、その場合でも同じスペースでの紙面の保障というのはしています。そういう形で、そこまで神経を使っているのかというぐらいの神経の使い方をして紙面をつくっているつもりですし、いるはずです。

桝屋委員 ありがとうございます。

 一番最後の御説明にありましたように、相当神経を使っていただいているということは、大筋としては我々も理解しているのであります。

 しかし、皆さん方の報道が相当大きな影響を与えているということ、これは報道の役割を果たされているという整理をしなければならぬかもしれませんが、いずれにしても、百四十八条については、このただし書きも含めて、皆さん方新聞協会の姿勢が左右されるようなものではないと胸を張っておっしゃるわけでありまして、そうであれば、憲法改正国民投票法制の中で、今まさにあり方について議論しているわけでありますが、先ほどからいわゆる訓示規定も必要ないものだ、自主というのはあくまでみずからということだというふうに重ねて主張されておられるわけでありますが、今の百四十八条の表現と同じで、国民投票の公正を害することのないよう自主的な取り組みに努めるものとするというような規定ぶりも甚だ適当でないというふうに言われるんだろうと思いますが、そこは本当に国民の皆さんに受け入れられる主張なのかどうなのか。今の百四十八条で皆さん方は何ら影響を受けていないわけでありますので、そういう観点では訓示規定たりといえども入ることによって受ける影響というのは本当に大きいのかどうか、改めてもう一度御意見を伺いたいと思います。

楢崎参考人 先ほども申しましたが、これは所与のものとして容認しているということではありません。気になるものだということで、気になるんだけれどもこれは克服しようねということで先ほど紹介した統一見解が発表されたんだと思います。つまり、事実に立脚した自信のある報道、評論というものを心がけることによってこのただし書きを克服してきた歴史があるんだと思います。格好よく言ってしまいますが、私どもは闘ってこの条文を克服してきた、そういう歴史なんだと思うんですね。

 これがあって、おまえらは今受け入れているわけだから訓示規定もオーケーではないかという議論ですけれども、それは、また同じことを我々がやらなければいけない。やることが国民の利益に合致するだろうか。つまり、訓示規定がこの時期、この時代に設けられたことによって起きる波及効果というのはかなりのものがあると思うんですね、それをまた闘って、それはここが違う、あそこが違うということでやっていって公選法百四十八条のただし書きはとりあえず克服できた、その過程をまた繰り返すのかということになりますと、それはできれば避けたい、ぜひ避けてほしい、そういうことです。

石井参考人 公職選挙法の場合は、かなり数多くの選挙報道の経験を積み重ねてでき上がった形というものが現状であるというふうに考えます。ですから、百四十八条のただし書きがなくなったとしても、今の報道が続く。ですから、あるかないか、確かにあるんですが、ほとんど意味をなしていないというふうに考えます。ですから、意味がないならあってもいいじゃないかという議論があるかもしれませんが、それは国民投票については違う。

 先ほどから申し上げているのは、つまり、新聞は国民の言論の器でもある、新聞を規制することは国民の言論を縛ることである。ですから、国民の皆さんが受け入れるかどうかという御質問もありましたけれども、ぜひとも受け入れてもらわないと国民の皆さんが困るというふうに私たちは考えています。

藤原参考人 事は憲法に関することですので、それこそ現行憲法二十一条で保障されている表現の自由、知る権利、その他基本的な人権が損なわれることはないかどうかという論議の前提のための国民投票法であるべきで、そうであれば、公選法と同じ規定があってもいいではないかということではないというふうに私たちは考えているし、それは決して詭弁を弄しているつもりではありません。

 書いてあってもそれほどのあれはなかったからいいじゃないかということについては、楢崎委員長が言ったように、それは闘ってきたからこそであって、これは当然メディアのための権利ではないわけですね、国民の皆さん方にとって基本的な大切な権利であるし、その実現を図るためにはどういうふうにしたらいいのかという論議がベースになってきているものだというふうに思っています。

桝屋委員 我が党内で議論をいたしておりますけれども、大体、きょうお三方の御主張を十分踏まえた議論を我々はさせていただいているということも申し上げておきたいと思います。

 最後に、一分ほど時間がありますが、もし統一見解があれば教えていただきたいんですが、現在、国会で公益法人改革を行っております。いわゆる公益性の認定と法人格の取得の手続を分けようという作業をやっているんですが、新聞協会さんとして、社団法人だろうと思いますが、この改正作業について、もし統一見解がおありであれば御意見をいただきたいと思いますし、なければないで結構でございます。

楢崎参考人 残念ながら、その問題について、私どもは検討したということはありませんので、統一見解もございません。

桝屋委員 わかりました。以上で終わります。

保岡委員長代理 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 きょうは、楢崎参考人、石井参考人、藤原参考人、お忙しいところありがとうございました。

 御案内のように、我が党は、この憲法改正の国民投票制度、法案をめぐっては、九条改憲の条件づくりということで、つくるべきでないという立場でありますけれども、きょうお三方から、新聞の役割という問題、それからマスコミ、メディアに対する規制ということで、あくまで自主的、自律的取り組みに努めるんだと、それを法律で規制したり、それから訓示規定ということも反対であるということで、明確な御意見を伺いまして大変参考になりました。

 そこで幾つか伺いたいんですが、まず、意見表明でも戦前の反省に立ってということで繰り返し新聞倫理綱領についても述べられたことに関連してなんですけれども、この倫理綱領を拝見しますと、冒頭に「国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。」そういうふうに書かれておりますけれども、その意味合いはどういうことかということなんです。

 新聞も、言うまでもありませんが、放送や雑誌と同様に、戦前はいわば侵略戦争遂行の体制に組み込まれて国民を戦争に駆り立てるという苦い経験をお持ちだと思います。むしろ積極的に戦争への思想的な動員を行ったということで、新聞の戦争責任ということの指摘もあったりもします。そういうことを踏まえて、一九四五年に、朝日新聞は、これは八月二十三日でしたか、「自らを罪するの弁」という社説を出されて、読売報知新聞は十月二十五日に新聞への断罪という社説を出されている。毎日新聞は、十一月十日に、本社新発足、戦争責任明確化と民主体制の確立へという社告を発表されているというふうに承知しているんですけれども。

 この新聞倫理綱領の冒頭にある言葉で、特に「あらゆる権力から独立」という言葉に大きな意味が込められているというふうに私は思うんですけれども、かつての歴史も踏まえて、今日、倫理綱領でこういうふうに言っていることがどういう意味を持っているというふうにお考えか、お三方にそれぞれ伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。

楢崎参考人 この際、一言言わせていただきたいんですが、私どもは、きょう、新聞協会を代表して国民投票法ないしは国民投票の手続はどうであるかということについて参考人として意見を述べよということで伺っております。決して、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞を代表して来いということではなかったと思います。

 先ほど来、ついついお求めに応じて勝手な台所事情ばかり御披露しているわけですけれども、冒頭言いましたように、加盟社は百四十一社あります。その代表として来た我々が、ここで読売の事情、朝日の事情、毎日の事情を堂々と、いつまでもそんなことばかりしゃべっていていいのだろうかというふうな気がしておりまして、できれば新聞協会としての見解を伺っていただきたい、我々が一致して議論して見解をまとめたものについて質問していただければ答えやすいなというふうに思っております。

笠井委員 私、例えばということでそれぞれの新聞が戦後そういうことを言われていますがということを挙げましたが、私の質問は、新聞倫理綱領で書かれている冒頭の部分について、今日どういう意味を歴史との関係で持っていると受けとめられているかという、協会として出されている倫理綱領の冒頭の意味について伺っているんです。

楢崎参考人 あらゆる権力から独立したメディアが存在しなければ民主主義社会というのは成り立たないんだということを、戦争中の報道活動の反省を踏まえて、新聞業界が一致してこうあろうということでまとめたのがこの倫理綱領だというふうに考えます。

石井参考人 あらゆる権力から独立したメディアというものは何かというお尋ねだと思いますが、制度的には法的規制がないということが一つ前提になると思います。それから、権力におもねらない自由な意思、自律した意思を持って存在するメディアというのが意識の面では前提になると思います。

 以上です。

藤原参考人 主権者たる国民の皆様方に対して十分で正確で公正な情報を伝えるからには、おのずから独立性というのはその前提であろうということであります。

 この行間に何が書いてあるのかということについては、日々新聞協会の中で論議をしているわけではありませんけれども、主権者たる国民のあるいは読者の皆様方に対してどうあるべきかということを前提にしながら私たちは論議をしているつもりです。

笠井委員 ありがとうございました。

 次に、この国民投票制度にかかわる、大きな流れの中でのかかわりなんですが、マスコミに対する規制だとか、いろいろな問題もかかわって今いろいろなことがあると思うんですが、先ほども個人情報保護法に触れられたお話もありましたが、昨年四月に全面施行されたこの法律によって新聞の取材とか報道の現場ではどういうことが起こっているかということなんです。

 日本新聞協会が、去る四月七日の日に行われた内閣府の国民生活審議会の個人情報保護部会のヒアリングで意見書を出されていると思うんです。その中で、従来は公表されていた幹部公務員の天下り先が伏せられるなど、情報提供の萎縮だとか情報の隠ぺいが進んでいるというようなことが指摘されていると思うんですが、この点をもう少し、どういうことが起こっているかということをリアルに教えていただければと思うんですが、いかがでしょうか。どなたからでも結構ですが。

楢崎参考人 これも新聞協会で実は議論しています。我々編集小委員会が中心になりまして、どんなことが起きているかまとめて、そういうことでは困るということをまた何らかの形で発表したいということで作業を進めています。

 その中で収集した事実を幾つか申し上げると、例えば今おっしゃったようなことですね。一番問題だなと思ったのは、例えばこんなことがありました。某区役所が長寿番付を発表します厚労省に発表のための基礎資料を区役所が上げるんですね。個人情報保護法を受けて、本人の確認がとれれば匿名を希望した場合には匿名でも構わないよというようなことがあって、匿名が百人のうち十何人というオーダーでしたか、割とふえているという実態があります。それはそれで構わないんですが、某区役所が上げた報告に何歳女性とあって、全国で十九位だったですかね、何位かにランクされた女性が実は四十年来行方知れずで、行方不明だったということなんですね。つまり、本人から実名で載っけてもいいよという確認がとれないから匿名にしましたと言うんですが、それは実は、担当のお役人の方が現場に行って、そのお年寄りに会って確認をするということができなかった。要するに、いらっしゃらないわけですから、できないんですね。それが一事が万事といいますか、天網恢々といいますか、つまり、行ってなくてそんなことをやっているということがばれてしまうわけですけれども、そういう非常にルーズなお役所仕事を許してしまうということが起きています。

 もっと言えば、積極的に情報を隠してしまう、お役人の方の略歴の多くが発表されなくなったということが、必ずしも不都合な情報ということじゃないかもしれませんけれども、そういうことを許していくと、本当にだんだん、言いたくないことについては全部個人情報だということで逃げてしまう状況が起きかねないということで、その萌芽といいますか兆しが随分あちこちで見られるようになっています。

笠井委員 関連してなんですけれども、メディアの表現の自由が抑圧される昨今の動きについてなんですけれども、この間、今お話がありました個人情報保護法だとか、さらには人権擁護法案などメディアの表現の自由を法律によって規制を強化しようという動きだとか、公正取引委員会による新聞の特殊指定の見直し、これも大問題ですけれども、さらに司法の場でも、取材源の秘匿をめぐる裁判で、昨年十月の新潟地裁の決定と、ことし三月の東京高裁では即時抗告審の決定がありまして、NHKの記者の証言拒否を正当と認めましたけれども、ことし三月十四日の東京地裁判決は取材源の秘匿を認めずにこれを明かすように求めるということを命じていました。

 日本新聞協会としては、表現の自由や国民の知る権利との関係でその都度声明とか態度を出されていると思うんですけれども、全体として、今日のこうしたメディア規制の動き、大きな流れについてどんなふうに感じていらっしゃるか、受けとめていらっしゃるか、これについて伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。もしそれぞれコメントがあれば。

楢崎参考人 これは個人的な見解ということになろうかと思うんですが、必ずしも大きな流れとしてメディア規制が強化されていく方向にあるというふうにはとらえていません。とらえたくないというのが本音ですけれども。

 しかし、実態として、変なというか到底容認しがたい判決が出てみたりというようなことが起きています。ただ、一方で取材源の秘匿は正当なんだよということをきちんと認める判決も出ています。報道の自由は大事なんだということで我々の価値を認めてくれる判決もきちんと出ておりますので、それは、たまたまそういうことが起きているんだろうというふうに思います。

 法規制の話ですけれども、価値観が多様化したということが背景にあるのかもしれません。個々人の利害がいろいろな形でぶつかり合うことが多くなった。一方で、人権とかプライバシーに対する意識が非常に高まった。そのことによって、報道によって被害を受けたというふうに感じる方々が以前よりはふえているのかもしれません。そのことについては、実態がどうなのかということについて、私どもは十分反省しなければいけませんし、個々の実態に沿ってきちんと検証していくことが必要だというふうに思います。が、それを相対として、だからメディアは規制しなきゃいけないんだという考え方は到底容認できません。仮に一部にそういう事態があったとしても、全体を規制するということは言論の死を意味するわけです。それはすなわち民主主義の死ということになろうと思いますので、到底容認できないというふうに考えます。

石井参考人 おっしゃられるように、メディアに対する規制の流れは随所に出てきていて、非常に危機感を持っています。基本的には、民主主義の危機だというふうに考えます。

 新聞メディアが規制されるということが何をもたらすか。つまり、新聞が伝えられなくなるものがある、それは国民が知り得ないことが出てくる。つまり、国民が手にする情報が極めて制約されて少なくなる。それが民主主義にとってどういう意味があるか。もう自明だと思います。大変に危機的であると。

 ただし、メディア規制でなぜそういう議論が出てくるかということについては、私どもも反省すべき点があるというふうに考えています。ですから、民主主義を脅かさないためにメディアとして何ができるかという工夫はしている。例えば取材のあり方についても、できるだけ迷惑をかけない、集団で押しかけるということをしないという自主的なルールをつくる。あるいは、先ほど来申し上げていますが、第三者機関を設けて、取材のあり方、新聞報道のあり方について意見を伺う、読者の声に耳を傾けるという謙虚さを持とう。そういう工夫をして、それを世の中に理解していただく。それが、私たちが原因で社会のあり方をゆがめてしまうということを避けたいという心に基づいてやっている努力です。ですから、今の社会は本当に健全じゃないと私は考えています。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

藤原参考人 御質問の中にあった内閣府でのヒアリングですけれども、ここにいる三人のうち、私と石井氏とで臨んで、メディアとしての意見を言ってきました。

 それは、もちろん一言で言えるあれではありませんけれども、このまま事態が進んでいくと過剰反応、拡大解釈によって匿名化が一挙に加速されますよ、匿名化というのは無責任な社会になることとほぼイコールです、それが高じれば、今も意見があったように民主主義社会の根幹が揺るがされることになってしまうということであったろうというふうに思います。ここ数年のうちに、何か大きなものが、一つの意図でメディア側に対して規制をかけてきている邪悪な存在があるというふうには思いませんけれども、ただ、結果として続いているということは事実としてあるんだ、そういう認識には立っています。したがって、新聞協会として、再三それに関連する意見表明等々をしてきました。

 ただし、その間論議をしてきて、こちら側として反省すべき点は、石井参考人も言われましたけれども、これは私たちメディア側だけの問題ですよというふうにとらえるような説明の仕方というのではだめだろう。読者、国民の人たちに、この問題は皆様方に対して突きつけられている問題ですという説明の仕方をどれだけしてきたかということの反省はあります。それをしなければならないというふうに思って、今、別のテーマですけれども、意見をまとめつつあります。

笠井委員 あとわずかな時間ですので、今議論されている国民投票制度におけるメディア規制の問題について一つだけ伺っておきたいんですが、お話がありましたように、百四十一社の総意として規制は反対であるというきょうのお話の中で、自由で活発な報道活動によって国民に判断材料を提供して、おのずとそういう中で虚偽、歪曲も読者自身、国民によって排除される、そして、新聞を縛ることが国民の言論を縛るんだというお話もありましたので、ぜひ、そういう点ではマスコミをめぐっていろいろ議論もありますし私も意見がありますが、規制を許さないためにも新聞が国民に依拠して社会の公器として国民の知る権利にこたえる役割を十分に発揮していただきたいという思いなんです。

 そこで、一点だけなんですけれども、この間の議論の中で、当委員会でも、国民投票運動となったときに、それを盛り上げる上で、広報の主体として、機関をつくるということもあるんだけれども、一緒になってメディアが協力をして、自由な論争だけじゃなくて、公的な働きをしてほしいという話がありました。また、別の場でも、新聞の皆さんが集まっているところで、ある党の方がぜひ広報活動に協力をお願いしたいんだという話があった。この委員会でも、NHKの参考人が、すべてに我々が一緒に活動するというのは中立性そのものを疑われることになりかねないし、我々の立場が、鮮明にできる形でないと、偏らない形でないとできないということも強調されたんですが、新聞はまた違う意味があると思いますが、メディアに対する広報の協力というアイデアに対してどういう感想をお持ちですか。どなたでも結構です、協会としてお話しできなければ個人的でも結構です。いかがでしょうか。

石井参考人 広報活動に協力するということですが、我々は、国民が知るべき情報をできるだけふんだんに提供する、そのことについては日夜努力している。

 ですから、だれに協力するのか、何に協力するのか、どなたかに協力するという意思は、私たちはありません。そうではなくて、国民のために情報を提供する、それが私たちの本来の姿で、それを精いっぱいやる。ですから、結果的にそれが広報活動への協力ということになるかもしれませんが、出発点が全く違っているということだと思います。

笠井委員 私も、この問題では、自主的な取り組みに努めるというだけじゃなくて協力までせよとなりますと、メディアの役割そのものが問われるんじゃないかと思っているんですが、今の御意見を受けとめたいと思います。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党・市民連合の辻元清美です。

 きょうは、お忙しい中お越しいただきましてありがとうございます。大変参考になる御意見を現場の皆さんに聞かせていただいたと思っております。特に、訓示規定であっても、これは反対であるという明確な意思を示していただいたというふうに思っております。

 私たちも、表現の自由ということを最優先すべきであって、これは憲法をどうするかという手続法に限らず、メディアに対する規制というのはないところから始めるというのが出発点、あらゆるところで規制をかけるということには反対していかなきゃいけないという立場で質問をさせていただきたいと思っております。

 その中で、今、規制が強まっているかどうかという御意見の中で、それぞれ強弱はあったとしても、やはり何らかの規制が強まっていく流れの中で、今回の国民投票というものに対しても、訓示規定であっても入れたいという動きがあるのではないかと私は危惧しているわけなんです。

 そこで、この規制ということで大きな焦点となりました個人情報保護法の影響がどのように出てきているのかということを参考のためにまず一つ伺いたいと思います。

 新聞協会として、この法律についてどのような統一見解を出され、現在、どのように、総括なのかどうかわからないんですが、議論されていることがあったら、影響という点を規制との関係でお聞かせいただきたいと思います。どなたがよろしいかそちらで決めていただきまして、お願いしたいんですが。

藤原参考人 先ほども申し上げたように、内閣府に対して、意見を求められましたので、ヒアリングに応じてきました。それで、新聞協会の方で、個人情報保護法が運用になって以降、どれくらい社会的な混乱がありましたでしょうかということを加盟各社に呼びかけて、その記事をコピーして持っていったんですが、量にするとこのぐらいですね。(辻元委員「これぐらいというと、十センチ、十五センチなものでしょうか」と呼ぶ)縮まればこうでしょうけれども、いずれにしてもかなり膨大な記事のスクラップになりました。つまり、これは先ほども言いましたけれども、法律に対する過剰反応ですね、あるいは拡大解釈というか。

 例えば、大きな事件、事故がありましたが、その病院が個人情報保護法を名目に警察に対して名前を言わない。あるいは、学校で子供の保護の連絡網というのがありますね、電話番号が書いてあって、順送りでお願いしますよというものもできにくくなっている学校もある。あるいは、また学校のことを言いますけれども、卒業アルバムの顔写真を拒否する人が出てきた。卒業アルバムもできない。あるいは、私たちのかかわりで言うと、例えば一学期、二学期、三学期の、やあい、新学期が始まるよ、元気のいい子がたくさんいるねという写真がありますね、その写真を撮りに行くときでも、学校によっては、あらかじめどの写真を、どの子の写真を載せるか教えてくださいとか。

 もちろん、守るべきプライバシー、個人情報というのはありますけれども、それは何をもって、どういう理由で守らなければならないのかなど、社会的な合意形成がまだできていない、そうした混乱が起きていますよ、こういうことを申し述べてきました。それで、意見書も添えました。その意見書は、かくもさまざまなところで混乱が起きていますということで、見直しも含めた検討をお願いしたい、こういう趣旨でした。

辻元委員 今のことに関連しまして、先ほど石井参考人が、民主主義の危機というような御発言もございました。随所に規制が出てきているという御発言。もう少し具体的な事例を御紹介していただければというように思うんです。

 これは、今起こっていることがどういうことであるかということを聞くことが、やはり規制をしていくということはこんな結果につながる、または、おかしいではないかという主張に幅を持たせることになると思いますので、お聞きしたいと思います。

石井参考人 個人情報保護法の関連でちょっと御説明をします。

 例えば地域社会で、ちゃんと暮らしておられるかどうか高齢の方を見回るボランティアのグループがある。この人たちが行政に対してどういう方がどこにおられるか教えてくださいと言うと、これは教えられません、個人情報保護法がありますというふうな答えを返される。つまり、地域社会の助け合う共助の仕組みというのが成り立たない状況が出てきている。要するに、もっと広く情報を共有した方がいいにもかかわらず、それが妨げられているという状況になっている。

 それから、大きな問題で、公務員の処分の問題があります。ほとんどが処分した名前は出さない、あるいは理由も出さないということが広がっている。例えば、東北のある市の出来事なんですが、学校の先生が性的な非行で免職になった。それは教育委員会は発表しない。それで、この方が民間の塾に再就職をして、やはり同じような事件を起こす。そのとき初めて同じような非行があって仕事をやめていたということが明らかになる。塾の経営者は、当然、どうしてそれが開示されないのかと言う。

 つまり、行政あるいは国の機関で何が起きているかということを国民が知ることができない状況がある。その多くの理由が、個人情報保護法があるということになっている。

 私どもの取材のあり方に対する制約というのは当然ありますけれども、それ以上に個人情報保護法ができたことによって社会に非常に大きな影響が出ている。ですから、社会の基盤が崩れている、崩れかけているという危機的な状況である。

 そのほかに、言論に対するストレートな規制が民主主義社会を脅かすということは、先ほどから申し上げていることです。

辻元委員 ちょっと違う視点からの質問を次にさせていただきたいと思います。

 憲法にまつわる議論というのは、先ほどから自由で活発な議論が最も保障されなければいけない重要なテーマであるというふうな御発言があったように思うんですけれども、その中で、例えば新聞などでさまざまな識者とかいろいろな方々の論調や意見を紹介することがあると思います。今までも、各紙、そういう紙面を拝見したこともあるんですが、今後、外国人の識者から意見を積極的に、積極的かどうかは別として、掲載していくということも十分あり得ると思うんですが、その点についてはいかがでしょうか。

 これは憲法の議論などで、外国人がそれに参加することについて、それは意見の濃淡はあるんですけれども、おかしいんじゃないかというところから、論調はいいけれども運動はおかしいんじゃないかとか、組織的な運動はおかしいんじゃないかとか、ここでもさまざまな議論が出ているわけですけれども、その活発な議論を保障するまたは提供していくという立場から見れば、さまざまな外国の識者の意見を紹介していくということについてはどのようにお考えでしょうか。もしもよろしければ三人の皆様にお聞きしたいと思います。

楢崎参考人 外国人に憲法に関する投票権を与えるというのであれば問題だと思いますけれども、議論に参加してもらう、日本とは違う発想、違う民主主義の形態、多様でしょうから、そういうところに意見を求めて、それを参考にして、国民がそれを判断材料の一つとするということに何の問題もないというふうに思います。できる限りそういうところにも幅広く意見を集めて紹介していくということは、我々は新聞としてむしろやらなきゃいけないことかなというふうに考えます。

石井参考人 諸外国の事情を紹介するというのは、国民の意思形成に有意義であるということならどんどんやる。ですから、外国人からの投稿ないし意見が寄せられた、あるいは紹介するかどうか、これは、国民にとって有意義であるということなら全く何の制約もなしにやります。

藤原参考人 全く同じです。当然だと思うんです。多角的、多彩な意見を求めるのに国境の壁はないというふうに考えています。

辻元委員 私も、本当にこれだけ国際社会になっておりますし、日本も国際化ということを重視しておりますので、外国の方々も含めて多種多様な意見が出るということに賛成ですし、むしろ積極的にいろいろな議論を闘わせていくということは大事だと思っております。

 もう一点、同じ観点から、教育者に対する運動の規制の有無ということも議論されておりまして、これは運動と論評はちょっと違うと思うんです。教育者の中には大学の先生なども入りますし、教育現場でどのように憲法が教えられているのかとか、そういう観点では私は規制をかけるのではなく自由に発言ができるということを保障すべきであるというふうに思っているわけですが、報道される立場の皆さんから見まして、教育者といえば大学の先生とか高校の先生とかさまざまいらっしゃるわけですけれども、教育現場と憲法のかかわり、例えば憲法のことについてそれぞれの方が意見を表明される場を提供していくということは私は積極的に保障されるべきことではないかと思うんですが、その点について三人の参考人の皆さんはいかがでしょうか。

楢崎参考人 教育者が運動をするということには議論の余地があると思います。そうではなくて、意見を表明するということについては何の問題もないと思います。そういう場は保障されなければならないというふうに考えます。個人的な意見です。

石井参考人 意見表明ということについて言えば、どんな人間であろうと、何を職業としている人間であろうと、自由が保障されるべきであるというふうに考えます。教育の場でどうするかということはまた別の議論だと思います。意見表明ということについて制約を設けるべきではないと考えます。

藤原参考人 重複を避けます。これは同じです。

辻元委員 あともう一点、一番最初の御意見の中に、幅広い国民的議論を保障するという御意見がありまして、これは本当に反対する人はだれもいないと思うんですが、今まで憲法にかかわることを紙面で報道されていく上に当たって、活発な議論をどういうふうに、誘発と言うとちょっと言葉が悪いんですけれども、されるべきであるのかとか、どのような多種多様な意見を紹介していけばいいのかというような点で何か社内で議論されていることがあれば参考のために教えていただきたいんです。

 これは、私たち社民党は今の憲法を大切にして生かしていこうという立場なんですけれども、憲法について議論するということは活発に行われてしかるべきだと思っております。その中で、大切であると言うのであれば、その意見をしっかり闘わせていくということが大事だと思っているわけです。ですから、今まで報道されてきたりする中で、社内で憲法の取り扱いについてこういうようにやっていこうとか、賛否があるのでこういうふうにした方がいいんじゃないかとか、何かそういう今までの報道の過程での御議論などがありましたら紹介いただきたいと思うんです。三人の方にお願いします。

楢崎参考人 先ほども御紹介しましたけれども、読売の場合は、おっしゃった意味でいえば憲法論議を誘発するといいますか、改正案、読売案というものを示して、これについてさまざまな議論を喚起したということがあります。その際、読売の案が絶対というふうなことで読者に押しつけたわけではもちろんなくて、一つの考え方としてこういうものがありますよ、これで皆さん活発に議論してみたらいかがでしょうかという形で提示をしました。その後も、比較的業界では他社に先んじて憲法問題には取り組んできたのではないかというふうに考えています。

 以上です。

石井参考人 二つの柱があると思います。

 朝日新聞の場合には、定期的に特設面をつくって紹介していますが、国会での論議がどういうふうに進んでいるかということを国民に伝える、これをできるだけきちんと、その場で出た意見をできるだけ幅広く伝えたいということを意識してやります。それから、そういう議論が出てくる社会状況、前提となっている憲法をめぐる社会状況がどうなのか、それをもう一回見直そうという意思があります。

 ですから、今どういう議論がどこでなされているのか、それから今の社会がどうであるのかということをきちんと伝える、そのことで最終的に国民一人一人がどういう社会がいいかということを考えてもらうというふうになればいいなと考えています。

 以上です。

藤原参考人 私たちの場合は、かなり長い期間、五月三日の憲法記念日には大きな特集を組むということを何年もやってきています。憲法の現場が今どうなっているのかという、その時々の切り口で憲法を考える、これを年に一回必ず大きな特集を組んでやっています。

 それと、今の動きについてですけれども、これはまさに立法府の動きがどうであるのかということをカバーしながら、社内的な論議もより一層深めていかなければならないのではないかというふうな雰囲気になっています。ただ、積極的に立法府を先取りする形でという形のものにはなっていません。これが私たちの現状です。

辻元委員 最後に、最初の規制の話にもう一度戻りたいんですけれども、訓示規定でも反対である、これは新聞協会の主たる意見であるというふうに受けとめてよろしいでしょうか。

楢崎参考人 主たる意見ではなくて、新聞協会が機関としてまとめた意見です。

辻元委員 わかりました。

 私自身も、さまざまな法律をつくる現場にいまして、その中に入ったことが思わぬ効果を、悪い効果を及ぼすということを目の当たりにした事例もあります。これは、そのことについては賛否両論の意見がある。

 例えば国旗・国歌の問題なども、法律をつくったときには、国旗にする、国歌にするということを決めるということで、何回もそれについて強制はないというようなことがこの国会でも確認されておりました。訓示規定も何も入っていません。しかし、やはりさまざまな現場で今問題が起こっているということも報道されております。そのことについての賛否はあると思うんですけれども、訓示規定などが入っていないものでも、さまざまな現場で恣意的な解釈によって法律がひとり歩きしてしまうという、これは恐ろしいところかなということを痛感しております。

 そういう意味で、私たちは憲法に書かれている表現の自由ということを最優先する、その憲法をどうするかということですので、皆さんと同じように訓示規定であっても入れるべきではないということを最後に申し上げまして、私の質疑を終わります。

 本当にありがとうございました。

中山委員長 次に、滝実君。

滝委員 国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

 きょうは、三人の参考人の話をお聞きいたしまして、大変明快な整理がされた、そういうふうに受けとめさせていただいております。

 そこで、一つ、二つ、さらに確認ということも含めまして御質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 特に、これはお三方とも大体同じようなお気持ちだろうと思うのでございますけれども、言論機関、そして報道機関、そういうものを区別して紙面構成をしている、こういうような御発言がございました。特にその中で楢崎参考人からは読売の憲法草案の公表に際してむしろ社内的には大変思い切った決断をされたというようなお話もあったわけでございますけれども、私は、そういう中で、まず言論機関というものについてお尋ねをしたいと思うんです。

 これは楢崎参考人もおっしゃるように、言論機関ということの趣旨を徹底するのは、今の読売の憲法草案の際にも、御披露ございましたようになかなか新聞社としては大変な決断が要る問題でもあるんだろうというふうに思います。それだけに、社説あるいは提言でこういったものを出すときには、自分のところは言論機関、要するに言論を主張するんだという立場からこの論説を掲げている、この提言を掲げているということを明示していく必要があるんじゃないだろうかな。そこがやはり言論機関と報道機関というものをきちんと区別して紙面構成をしていただく一つの前提じゃないだろうかな、こういうふうに受け取らせていただきました。

 こういった点について、当然、各紙とも恐らくそういうふうに峻別をしながら社説をお取り扱いになっていると思うのでございますけれども、読者の方から見ると、常に、まさしくそういうように意識していない。昔からある社説ですから、当然それは受け入れていると思いますけれども、特に憲法論のときにはそういうものがふんだんに出てくる場面が多いんだろうと思いますので、この峻別というものについてどういうふうに読者に訴えていくのか、その辺の考え方がおありになればおっしゃっていただきたいと思います。これはお三方によろしくお願いいたします。

楢崎参考人 言論機関としての機能を果たしたいということで憲法草案を発表したわけですが、憲法というのは長らくあらゆる分野でタブー視されていたというふうに思うんですね。そういう、政治がやらない、どこもやらないというものについて言論機関としてできることは何だろうかというような発想から始まったことなんです。先ほども言いましたけれども、それは、ある程度時代を切り開く力になったのかなという気がしています。そういう意味では、言論機関の役割というのは重要だし、大変大きいものだということを自覚しています。

 今、昔からある社説というふうにおっしゃいましたが、今社説はおもしろいんです。新聞社によって主張が非常に明確に異なるケースがしばしばあります。その意味では、多様な言論機関が活発に議論を交わしている極めて健全な民主主義社会が、今、新聞の社説なんかを見ていると、確保されているなという気がします。

石井参考人 言論機関と報道機関というふうに峻別するということですが、実態としてはそんなに大きく分かれているわけではないんですね。一体のものであって、なおかつ、言論的な部分と報道の部分と。完全に客観報道と言っておりますけれども、それはやはり社の編集方針というのもあります。ですから、どこまでが社の言論であって、どこからが報道であるかというのは、一応の整理はついていますけれども、ある種重なり合う部分もあるというのが実態だと思います。

 その上で、それをどういうふうに読者に伝えるかということですが、言論である場合には、それは言論である、主張であるということを明確にする、これが大前提になると思います。そのほかに、読者に対してどういうふうに工夫をしているかというと、自分たちの意見と反対の意見、異論を全く排除するということはやめようと。つまり、自分たちの主張は主張として明示しながら示す、異論も紹介するということで、言論機関というのは、みずからの言論を訴える場、訴える機関というよりも、言論の器である、言論の場であるという役割を大きく持っている。ですから、さまざまな意見を紹介するのも言論機関であるというふうに考えています。

藤原参考人 先ほど何分か前にも申し上げましたけれども、私たちの新聞は、論争のある新聞というのを目指しています。つまり、フォーラムのような場所であってほしいということもあって、これは当事者同士が論争をしていますよ、この一つの事象についてはこれだけの論点があるんですよということについてはかなり読者に対して明示しながら、これは論争の場所ですということはやっています。

 ただし、これも同じ意見ですけれども、言論機関の機能を持っている部分と報道機関としての機能を持っている部分が同じ題字の新聞のところにあるわけですから、それはそれでさまざまな読まれ方をしても構わないんじゃないかなというふうに思っています。

滝委員 ありがとうございました。

 その上で、今度は、今、論争の場というふうに藤原参考人はおっしゃいましたけれども、問題は、そのときに恐らくいろいろな読者から反応があるんだろうと思うんですね。こういうような観点からの提言がない、あるいは意見がない、そういった点を恐らく新聞は新聞で当然受けとめて次の紙面構成に着手するということをおやりになっているんだろうと思いますけれども、その際に、新聞として、読者からの提言というかそういうものは常時あるだろうと思いますけれども、特に憲法改正の問題になったときには、読者からの注文、要望、こういうものを扱う窓口をつくっていくことが、むしろ読者も紙面に参加、そういう意味での参加ですね、自分が意見を言うんじゃなくて、こういうことを載せてもらいたいというような試みがあってもいいんだろうと思うのでございますけれども、そういった点については新聞社としてはどういうふうに今までからお考えになってきたのか、おっしゃっていただきたいと思います。これも御三方にお願いいたします。

楢崎参考人 私ども、これまでずっと読者からの意見をどういうふうに吸い上げるかということについては工夫してまいりましたけれども、比較的最近は読者センターという組織を設けました。さまざまな部署から経験させようということで編集からも行っていますし、広告からも行っていますし、販売からも人を出しているということで、読者センターというチームをつくって、読者からの反応についてきちんと受けとめるという仕組みになっています。

 特に、ただ聞くだけではなくて、今度はこういうことをやってほしい、ああいうものもだれかに書いてもらってほしいというようなことをきちんと受けとめるために日報をつくりまして、それが必ず編集の現場に行くというようなことできちんとフィードバックする仕組みも整えたつもりです。それなりに機能しているのではないかなというふうに考えています。

石井参考人 読者の反論、注文、要望をどう反映させるか。一つは「声」欄という欄が、伝統的、歴史的な欄なんですが、あります。これは、かなり多種多様な方から投稿が、大変質の高い投稿が日々何十通、何百通と来ます。社説で書いたことに対する反論というのもあります。これも載せます。ですから、読者にとって、今どういう議論がこの世の中でなされているかというのが一目でわかるような欄にしたいというふうに考えて「声」欄をつくっておりますから、まずそこが一つ読者の反論、意見を反映させる場になります。

 それから、読者参加という形でいうと、若干抽象的ではありますが、紙面モニターという制度を朝日新聞はこの四月からつくりました。全国に数百人のモニターの方を置いて、全く自由に意見を述べていただく。それを、紙面オンブズパーソンというふうに呼んでおりますが、役職者が受けとめて紙面づくりに反映させる。具体的には、紙面編集の会議の場に出てきて読者の意見を伝える、モニターの意見を伝えるという形で反映させるということで、極めて真摯に耳を傾けようと。読者の共感があって初めて成り立つという認識で紙面づくりをしています。

藤原参考人 読者を大事にしているのは私たちも同じです。日々の記事に対する、あるいは社説に対する、あるいは論に対する反応、賛否両論、それも含めての意見というのは、デーリーでは読者相談室という窓口がありますし、それが瞬時のうちに編集局に回ってくることになっています。それとは別に、石井さんもおっしゃいましたけれども、モニターというのは、うちの場合はかなり前からあるんですね。その意見を紙面化もしています。

 そのほかに、例えば、憲法の問題に限らず、読者との双方向で、このキャンペーンをあるいはこの企画を盛り上げるというか維持したい、続けていきたいという試みも実はしばしばしていて、ある連載物については意見を求める、その意見をかなりな部分反映した形の企画になることもありますし、別の形で読者の反応を特集するという形で一緒に新聞をつくっていますよということを強調する紙面を折に触れてつくっています。

滝委員 ありがとうございました。

 最後になりますけれども、公選法の問題と兼ね合わせて御質問させていただきたいと思うんです。

 予測調査ですが、これは選挙の場合には予測調査はけしからぬとかなんとかということも超えて、候補者陣営は各社がどういうような数字をつかんでいるかということに狂奔しますから、批判というよりもどれが本当に真相に近いのかということに関心があると思うんですね。したがって、選挙後の予測調査云々なんというのはどこかに飛んでいって、とにかくどれが本当だろうかということだろうと思いますけれども、憲法の問題でこの問題が出てくると、そういうような本人の問題じゃなくて、割と冷静に見る立場というのは必ず多くなってくると思うんです。

 そこで、紙面構成の際に、こういう憲法に賛成か反対かということに関連する世論調査も、単純に賛成、反対では恐らくないんだろうと思うんですけれども、その辺の取り組み方を新聞というのはどういうふうなことで考えていこうとしているのか、まだ早いかもしれませんけれども、考えがおありになりましたらお漏らしいただきたいと思います。御三方によろしくお願いします。

楢崎参考人 冷静に見るだろうというのは、恐らくそうだろうと思います。

 ここにいらっしゃらないから言うんですが、電波メディアというのは情緒に訴えるメディアだと思うんですね、新聞というのは知性に訴えるメディアだというふうに、若干言い過ぎかもしれません。ですから、そういう意味では、活字媒体としての特性を生かして憲法改正報道をするのかしないのかということももちろん含めてですけれども、冷静に十分な議論ができるように多角的に多様な意見を紹介しつつ私たちの意見も発表していく、そういうことに努めたいというふうに考えます。

石井参考人 国民意識調査というのを日常的にやっておりまして、その中で憲法に対する意見を聞いたりすることがあります。ですから、今国民がどういう意識にいるか、それを切り取る予測報道というのでしょうか、まあ、予測ではないんですけれども、国民の今のあり方をフィードバックするという報道はあり得ると思います。ただし、どこかに誘導するような調査あるいは報道というのは多分しない。国民が自分たちの意識を自由に決めるということが大前提になると思いますので、それに影響するような報道はできるだけ避けるだろうと思います。

 ただし、それが予測報道、まあ、世論調査というのでしょうか、調査報道をやらないかというと、そうではないのではないかと思います。

藤原参考人 おっしゃった予測調査というのが世論調査ということであれば、その時点での国民の皆様方の意識を知るということは非常に大事だと思いますね。それがどういう結果になるかということについては、それはそれで、その時点での意識を読んだ上でまた国民が主体的な判断をする。そういう意味での、これはある意味での上質な情報だというふうに思っています。

 それで、その世論調査のやり方というのは、当然ながら科学的な統計学上のきっちりしたものでなければならないし、したがって、どこかに誘導するような稚拙な設問であるとかというものでは当然ないであろうし、今までもそういうものではないという自負はあります。

滝委員 ありがとうございました。

 三つの点につきまして参考人の御意見を聞かせていただきました。これにて私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

中山委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十分散会


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