衆議院

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第3号 平成18年5月24日(水曜日)

会議録本文へ
平成十八年五月二十四日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君

   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君

   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      稲田 朋美君    岩屋  毅君

      臼井日出男君    遠藤 利明君

      小此木八郎君    大前 繁雄君

      海部 俊樹君    北村 誠吾君

      小島 敏男君    小杉  隆君

      塩谷  立君    島村 宜伸君

      下村 博文君   戸井田とおる君

      中山 成彬君    西銘恒三郎君

      鳩山 邦夫君    馬渡 龍治君

      松浪健四郎君    松野 博一君

      松本 洋平君    森  喜朗君

      やまぎわ大志郎君    若宮 健嗣君

      奥村 展三君    中井  洽君

      西村智奈美君    羽田  孜君

      藤村  修君    松本 大輔君

      松本 剛明君    山口  壯君

      横光 克彦君    笠  浩史君

      太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君

      石井 郁子君    志位 和夫君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           笠  浩史君

   議員           達増 拓也君

   議員           大串 博志君

   議員           高井 美穂君

   議員           武正 公一君

   議員           鳩山由紀夫君

   議員           藤村  修君

   内閣総理大臣       小泉純一郎君

   財務大臣         谷垣 禎一君

   文部科学大臣       小坂 憲次君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     安倍 晋三君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君

   内閣官房副長官      長勢 甚遠君

   財務副大臣        竹本 直一君

   文部科学副大臣      馳   浩君

   文部科学大臣政務官    吉野 正芳君

   政府特別補佐人

   (内閣法制局長官)    阪田 雅裕君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十四日

 辞任         補欠選任

  稲田 朋美君     松本 洋平君

  鳩山 邦夫君     馬渡 龍治君

  若宮 健嗣君     塩谷  立君

  奥村 展三君     松本 剛明君

  石井 郁子君     志位 和夫君

同日

 辞任         補欠選任

  塩谷  立君     若宮 健嗣君

  馬渡 龍治君     鳩山 邦夫君

  松本 洋平君     稲田 朋美君

  松本 剛明君     奥村 展三君

  志位 和夫君     石井 郁子君

    ―――――――――――――

五月二十三日

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)

同月二十四日

 教育基本法の改悪に反対し、人間が大切にされる社会と教育を求めることに関する請願(石井郁子君紹介)(第二二六七号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)

 教育基本法案(内閣提出第八九号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を議題といたします。

 提出者から趣旨の説明を聴取いたします。笠浩史君。

    ―――――――――――――

 日本国教育基本法案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

笠議員 おはようございます。民主党の笠浩史でございます。

 私は、民主党を代表して、民主党の議員立法である日本国教育基本法案について、その趣旨を説明申し上げます。

 人なくして国なしです。民主党は、あすを担う人材を育てることこそが最重要課題と位置づけ、新たな文明の創造を希求し、未来を担う人間の育成について教育が果たすべき使命の重要性にかんがみ、今般、日本国教育基本法案を提出いたしました。

 我が国の教育現場はさまざまな問題に直面しています。すなわち、人生のスタート段階における格差問題、いじめや不登校、学力低下の問題、さらには昨今、小中学生をめぐる悲惨な事件も続発していますが、私たち民主党は、こうした教育現場の問題を具体的に改善するための第一歩として、本法案を取りまとめました。

 以下、本法案の主な内容を申し上げます。

 第一に、我々は物質文明を脱し、コミュニケーションや知恵や文化を重視する情報文化社会の創造を目指し、その担い手を育成するために重要なアイデンティティーの醸成を図るため、前文において、教育の使命として、人間の尊厳と平和を重んじ、生命のとうとさを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心をはぐくみ、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成であるとし、同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に思いをいたし、伝統、文化、芸術をとうとび、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することとしております。

 第二に、何人に対しても、生涯にわたって学ぶ権利を保障することとしております。

 第三に、国及び地方公共団体は、それぞれの子供に応じた教育機会及び環境の確保、整備を図るものとし、国は普通教育の最終的責任を有するとしております。

 第四に、幼児期の教育及び高等教育について、無償教育の漸進的な導入に努めることとしております。

 第五に、生命及び宗教に関する教育については、生の意義や死の意味を考察し、宗教的な伝統や文化に関する基本的な知識の修得及び宗教の意義の理解、そして宗教的感性の涵養は教育上尊重されなければならないとしております。

 第六に、インターネット社会の光と影について正しく理解するための教育を推進するとしております。

 第七に、地方公共団体が行う教育行政は、その長が行わなければならないと規定するとともに、地域の子供は地域で育てていくとの考えから、その設置する学校には学校理事会を設置し、主体的、自律的運営を行うものとしております。

 第八に、教育予算を安定的に確保するため、公教育財政支出について、国内総生産、GDPに対する比率を指標とすることを規定しております。

 このほか、建学の自由、私立学校の振興、障害を有する子供への特別な状況に応じた教育、職業教育等についても規定しております。

 以上が、本法案の趣旨及びその概要です。

 何とぞ、十分御審議の上、御賛同くださいますようお願い申し上げます。(拍手)

森山委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

    ―――――――――――――

森山委員長 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。

 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。町村信孝君。

町村委員 おはようございます。自民党の町村でございます。

 いよいよ教育基本法の実質的な審議がこの委員会できょうから始まるわけでございますけれども、実は先週火曜日、十六日に本会議で質疑をやってから一週間以上たっておりまして、もっと早く深い審議をやりたい、こう思っておりながら、今日までむなしく一週間余が過ぎてしまったことは大変残念なことでありますが、本日を期して、しっかりと議論をやっていきたい、こう思っております。

 教育の重要性というのは、私が今さら申し上げるまでもない、国民の皆さんが既によくわかっていることでございますからあれこれ申し上げませんけれども、明治維新のずっと前から、日本はとにかく教育に大変熱心であったという国柄でございます。そうした先人のよき伝統というものを私どもは受け継いで発展をさせていかなければならない、このように考えております。が、今その教育が危機に瀕しているという実態を我々は深く認識をしなければいけないと思っております。

 自由民主党は、この教育基本法の改正というものに格別の思い入れを持っております。総理が郵政民営化に格別の思いを持って取り組まれたと同じように、あるいはまた、それ以上にと言ってもいいかもしれません。きょう御出席の森前総理、文部大臣、海部元総理、文部大臣、また十人の文部大臣経験者、森山委員長もそうですし、私もそうであります。きょう、大勢のそういう方々がこの委員会のメンバーとして加わっているということは、まさに自民党のそうした熱意、あらわれでございますし、また自民党と公明党の間でも、この三年間ほど与党協議という形で、保利耕輔座長、そして大島理森座長が中心となって、熱心な討議を経て、今回の意見の取りまとめに至ったわけでございます。

 そうした自民党、公明党、与党の並々ならぬ決意というものを総理はひとつ正面から受けとめていただきまして、この国会でこの法案の成立を図るという総理の御決意を承れれば幸いでございますので、よろしくお願いを申し上げます。

小泉内閣総理大臣 教育の重要性ということに関しては、私はそれほど与野党の意見の相違はないと思っているんです、総論的に言って。

 でありますので、戦後六十年経過して今日まで、敗戦にもかかわらず日本は発展してきた。この原動力は、やはり、よき人に恵まれていたと。しかし、戦後六十年経過いたしますと、その時代状況あるいは人格形成の面において新しい時代に対応するような対応も必要であろう、そういう時代になってきたと思います。

 でありますから、きょうは、政府・与党の案と、それから野党第一党の民主党も提案をされたわけであります。基本的な問題について、この委員会での審議を通じて、相違点よりも共通点を見出して成立させていただければなと期待しております。

町村委員 どうもありがとうございました。

 私ごとをちょっとだけ申し上げて恐縮でありますけれども、私は初当選した昭和五十八年の翌年に、当時、臨時教育審議会設置法案というのが出されておりまして、中曽根総理、森文部大臣でございました。私は一年生議員でありながら本会議で質問をする大変いい機会をいただきまして、そのときの議事録を改めて読み返してみますと、その中で私は、教育基本法改正が必要だということを主張しておりました。実に二十二年前のことでございました。実は森総理もそれ以前からずっと基本法改正ということは持論であったということをその当時知ったわけでございます。

 また、六年前に小渕総理、今あちらにいらっしゃる小渕理事のお父様でいらっしゃいますが、総理時代に教育改革国民会議というものを立ち上げました。私は、首相補佐官、教育担当ということで、その役割を担い、その提案の取りまとめというものに努力をいたしました。それももう六年前のことでございました。

 そのようなことで、政府、党を挙げてやってきたわけですが、党は一生懸命やってまいりました。

 小坂大臣にお伺いしますが、政府も大変熱心にこの教育基本法を新しくつくることに取り組んでこられたと思いますが、これまでの政府の取り組みの状況について、簡単にお話をいただければと思います。

小坂国務大臣 ただいま町村委員の方から、また文部大臣経験者としての御見識も踏んまえまして、これまでのお取り組みのことについて述べていただきましたわけでございますが、文部科学省といたしましては、平成十二年十二月の教育改革国民会議報告における提言以来、教育基本法の改正に向けて積極的な取り組みを行ってきたわけでございます。

 具体的には、平成十三年の十一月、当時は遠山大臣でございますが、中央教育審議会に、新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方についての諮問をいたしました。四十回以上に及ぶ議論をいただくとともに、一日中教審など、国民の声を聞く機会を設け、そしてまた、平成十五年三月に答申をいただいてからは、教育基本法改正に向けた準備を進めるとともに、全国各地で教育改革フォーラムあるいは教育改革タウンミーティングなどを開催いたしまして、これまた国民の意見を聞く機会を設けてきたわけでございまして、さまざまな手段を講じまして、国民的な理解や議論を深めつつ、教育基本法の改正についての取り組みを進めてきたところでございます。

 こうした五年以上にもわたるさまざまな取り組みを踏まえまして、今回の教育基本法を提出させていただいたところでございます。

町村委員 今小坂大臣からもお話しのように、この問題はもう既に長い間、国民的な議論を積み重ねてきている問題であって、きのうきょう出てきた問題ではないということをきっと国民の皆さん方も御理解をいただけた、こう思います。また、今回の審議を通じて、より幅広い国民各位の教育への関心と議論をいただきたいものだ、こう思っております。

 そこで、総理にもう一度伺いますけれども、今回、なぜこの教育基本法改正をする必要があるのかという点でございます。

 言うまでもなく、この法律は、終戦後間もなく、昭和二十二年につくられた法律で、憲法と同じ、一度も改正をされていない法律でございます。しかし、この間、日本の経済社会は大きく変化をいたしました。貧しい中から豊かな社会になり、民主主義は定着をし、そして教育水準も相当向上し普及してきたというすばらしい成果が上がった反面に、物の豊かさと反比例した形の心の貧しさ、倫理、道徳の退廃等々さまざまな変化、それが学校内にも及び、校内暴力とか青少年の凶悪な犯罪とか、あるいは個人の権利、自由というものを大変尊重してきた、それはそれでいいんですが、その反面に、必要な義務とか権利、あるいは公、パブリックですね、これを軽視してくるというような傾向も非常に顕著になりました。

 こうしたことを、やはり基本法のせいに全部するつもりはありません。また基本法を変えたからといって、こうした問題が全部解決するものでもございません。しかし、一つの切り口として、一つの方法として、やはり教育の基本にさかのぼってこうした問題に取り組む。いや、対症療法をどんどんやればいいんだ、当面する問題だけ一生懸命解決すればそれでいいんだという意見もあるかもしれないけれども、やはり戦後六十年余を経て、この際、もう一度根本に立ち返って、この基本法を改正するということが私どもは必要なんだろう、こう考えております。

 この際に、総理の、なぜ今基本法改正なのか、そしてさらに、先ほどもちょっとお触れをいただきましたけれども、この新しい時代の変化に対応した教育のあり方ということに関連をして、どういう子供たちを育てたいとお考えになっておられるか、総理のお考えを承れれば幸いでございます。

小泉内閣総理大臣 やはり法律制定から六十年経過いたしますと、時代の変化に伴って、科学文明も、そして生活の利便も、豊かさも、貧しさも、考え方も違ってまいります。いい例が、衣食足って礼節を知るという言葉、これはもう教育以前の問題である、人間としての一つの大事な徳目といいますか礼節、貧しい時代にはそう思う方が多かったんじゃないでしょうか。

 戦後、貧しかった、衣服も食べるものも。そんないい服も着ることはできない。食べ物も足りない。当時は、食べ物が足りなくて病気になったり死んだ人が多かった。栄養不足で病気になる。食べ物を十分国民に行き渡らせることが政治で最も大事な役割の一つであるということは昔から言われておりましたけれども、そういう状況にあった。ところが、最近は、栄養不足で病気になる人よりも、栄養過多で病気になる人が多くなってきている。衣食、服もそうですね。我々子供のころは、もうここら辺はつんつるてんでしたね、しょっちゅう鼻水で。破れるとおふくろが縫ってくれる。靴だって、革靴なんて履いたことありませんでしたよ、高校時代までは。運動靴、もうすり切れる。すり切れる、ひもまでがなくなっちゃう。またひもだけかえる。もっとも、当時はげたを履いていましたけれども。最近の子供たちはげたというものを知らなくなった。我々はいわば日本が一番貧しい時期に少年時代を過ごした。食べ物、御飯粒一つも残しちゃいけませんよと親に教育を受けた、出されたものは全部食べなさいと。

 最近、大人たち、夜の会合へ行くと、健康のために、出されたものは全部食べちゃいけませんよと言われる。少し残さないと。最近は難しい言葉でメタボリックシンドローム、おなかが膨らんで脂肪がつくという。食べ過ぎちゃいけませんよと。物はあふれている。着るもの、六月からクールビズですけれども、これもまた一つのワイシャツじゃない、いろいろな衣服があふれている。衣食足っているんです。

 では、礼節はどうか。子供たちにしても、大人でも、会ってもあいさつもしない、ありがとうも余り言わない、そういう子供たちも大人たちもふえてきているんじゃないかなと思う。あるいは学校へ行かない子もふえている。いじめも相変わらずなくならない。個人の権利は大事でありますけれども、同時に、お互い人間というのは支え合って人間だ、大勢の中で自分の行動というものはどう振る舞ったら他人に迷惑をかけないか、お互い助け合っていけるか、こういうこともやはり貧しい時代の状況と現代とは違う。

 戦争直後の時代、いろいろな国に対しては秘密にしなきゃならない、他国と自分と対立関係であったものから、協調関係にしていかなきゃならない、自分の国と他人の国は宗教も違う、制度も違う、そういう中にあって、他国には他国のやり方があるんじゃないか、お互い尊重していこう、多様性を認め合って、他の国を貧しくさせれば自分が豊かになるものじゃない、お互いが豊かになる中で協力していこうという、他国を尊重する、そういう時代になってきたと思います。そして、二度と戦争をしてはいけない。敗戦を踏まえてこの六十年間、その戦争の反省を踏まえて、平和国家として日本は発展してまいりました。

 同時に、今日あるのは、我々生きている人だけじゃない、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、先人があるから現在我々があるんだ、そのような先人が残してきた歴史を振り返りながら、伝統、日本国、日本社会、家族、お互い尊重し合い慈しみながら、この住んでいる国を愛するということも大事なことであるということから、すべてをこの六十年間振り返ってみますと、大きな変化であります。

 単に長生きできる社会だけじゃありません。世界で長生きできることはいいことでありますけれども、それでもまだ足りないところがたくさんある。教育だけでは解決できませんけれども、お互い何をやるにしても教育、人を育てる。人を育てるというのは教育ですから、教育の重要性というものを改めて認識しよう、また、この六十年の歩みを振り返ってみようということで今回教育基本法改正案が出されたというのは、意義あることだと私は思っております。

町村委員 どうもありがとうございます。

 今、総理が幾つかキーワードのように言われたこと、伝統でありますとか国際化あるいは礼節、助け合う、各国のあり方を尊重しよう、家族、日本国のあり方、そういったことがまさに今回の基本法の改正のキーワードとして幾つも入っていると私も思っております。

 私は、この基本法の改正の議論を進めるに当たって、三つ四つ大切なポイントがあるのではないかと個人的には思っております。一つは、過去の反省、特に戦後六十年の反省の上に立って、やはり未来志向、未来を切り開く教育改革論議の出発点にこの基本法改正があるべきだというのが第一点。それから二点目は、余り専門的になり過ぎてもいけないのではないかなという気がいたします。

 たまたま先日、日曜日のNHKの討論会を聞いていた私の支持者の方からこういう手紙をもらいまして、政府提案では、例えば愛国心の問題で、国を愛する態度を養うと書いてある、民主党さんの方は、ちょっと正確にはわかりませんが、日本を愛する心を涵養すると。普通に考えるとこの違いなどは、普通の常識からいうと違いは全くわからないんですね。しかし、これが国会の場に出てくると、あるいは専門家の中では大議論になる。もう少しここは常識的な判断というものでこの問題を議論していかないと、余りにも専門的にやり過ぎると、これはかえって私は議論を誤るのではないかということを感じます。

 それから、三番目には、確かに戦争に負けたというところから戦後出発したわけでありますが、その敗戦後遺症というものを余りにも教育界は引きずり過ぎている。戦後日本の民主的な社会の発展、平和な国家としての発展というものを全く無視して、何か、国というとすぐ愛国心、そして軍国主義という、もうパターン化されたその思考回路がすぐ復活してしまう、こういういわば敗戦後遺症といったような発想を教育界から取り除いていかないと、私は前向きの議論ができないのだろう、こう思います。

 第四点目は、特に教育現場におられる教職員の皆さん方、大部分は大変熱心に一生懸命子供の教育に当たっているけれども、一部の組合幹部は依然としてマルクス・レーニン主義から脱し切れない。そういう人たちがまだまだリーダーにいるということは、教育改革論議を建設的に前向きに進める際にまことにまずい。(発言する者あり)いや、それが古いとおっしゃるが、現実の教育現場はそういう一部の古いマルクス・レーニン主義者によってリードされているという実態があるという。その人たちも、今やそういう過去の亡霊にとらわれずに、前向きに教育の議論に参加をしてもらいたいとつくづく願うものであります。

 そこで、これから、限られた時間でございますが、法案に若干即して、特に文部科学大臣に伺っていきたいと思います。

 ここに前文というものがあります。資料の一として配らせてもらいました。私は、この前文、大変重要な部分であり、全言書きかえになっておりますけれども、この特色というものについて、文部科学大臣、どんなふうにとらえておられるかな、こう思いますので、簡単で結構でございますから、一言よろしくお願いします。

小坂国務大臣 通常、前文というのは、その法律の理想、それから提案の趣旨について宣明をする目的で置くことが多いわけでございますけれども、本改正案におきます前文におきましては、教育基本法は日本国憲法の精神にのっとり、我が国が教育の根本理念を明らかにし、国民の育成を図ろうとするものであることを宣言しているところでございまして、具体的には、日本国民が願う理想として、民主的で文化的な国家の発展と、世界の平和と人類の福祉の向上への貢献を掲げて、そしてその理想を実現するために個人の尊厳を重んずることを現行法に引き続き規定いたしているわけでございます。

 その上で、今後、我が国においては、知徳体の調和のとれた人間、また公共の精神をたっとび、国家、社会の形成に主体的に参加する日本人、また我が国の伝統と文化を基盤として国際社会に生きるたくましい日本人の育成が重要との観点から、新たに公共の精神の尊重、豊かな人間性と創造性、そして伝統の継承を規定するものでございます。

町村委員 今小坂大臣言われたとおりでありまして、このパネルにもちょっと出しましたけれども、新しく文言として、文章として加わったのが、公共の精神をたっとぶこと、豊かな人間性と創造性、そして伝統を継承するという点であろうかと思います。

 現在の教育基本法は、個人というものがあり、それから普遍的な人類というものがあり、その中間をつなぐ、国家でありますとかあるいは家庭でありますとか郷土、こういったものがすとんと抜け落ちているわけであります。あるいは伝統というものも抜け落ちております。余りにもやはり個人中心主義というものが表に出過ぎている。それは、確かに戦後間もなくつくった、敗戦というもののまさにこういうところがあらわれている。伝統という言葉も、実は教育刷新委員会が原案をつくったとき入っていたけれども、GHQの指令で伝統という言葉が削られてしまったという経緯がある。したがって、今回、これを改めて日本国の教育基本法としてこうしたことを触れたことはまことに適切である、私はこう考えているところであります。

 次に、第一条、第二条、ここが言うならば法律の出発点としての、また極めて重要なところであろうと思います。第一条、教育の目的、第二条、教育の目標。そして、目標として五つのことが書かれているわけでございます。

 この五つの目標、それぞれ重要でございますが、特に、小坂大臣、この中で、特色といいましょうか、ここが大切なんだ、全部大切なんですが、特にまた大切なんだというところがありましたらば、大臣のお考えを承らせていただきたいと存じます。

小坂国務大臣 町村委員の御指摘のように、第一条、第二条が、目的そして目標ということで、大変重要な部分でございますけれども、第一条の教育の目的を実現するために、今日重要と考えられる具体的な事柄を五つに分類して記述いたしているわけでございます。

 具体的に申し上げますと、第一に教育全体を通じて基礎をなすもの、第二に個々人の自身に係るもの、第三に社会とのかかわりに係るもの、また第四に自然や環境とのかかわりに係るもの、また第五に日本人として持つべき資質及び国際社会とのかかわりに係るもの、こう五つに分類をしているわけでありますが、これらは、現行法にも規定された普遍的な理念は引き継ぎ、その中で、公共の精神や先ほど申し上げたような伝統と文化の尊重など、今日重要と考えられる事柄を明示することによりまして、国民の皆さん全体の共通理解を図って、二十一世紀の世界を切り開き、また日本を切り開いていく、心豊かでたくましい日本人の育成を図る、このようにしたものでございまして、ただいま申し上げたような公共の精神、伝統と文化の尊重、こういった点は非常に重要な点だと思っているところでございます。

町村委員 ありがとうございます。

 私も大臣の意見に同感でありまして、まさにここは前文と相並んで、今大臣が言われた公共の精神、あるいは伝統と文化の尊重、そして我が国と郷土を愛する態度を養うということにつながってくるわけであろうと思います。

 この第二条第一項、ここに書いてございますが、まさにこれは知徳体という部分でございます。特に戦後は、教職員組合が道徳教育粉砕運動というのをずっとやってきた、このとがめは私は実は非常に大きいんだと思っております。今こそ、私は、道徳、倫理というものを、これは何も学校だけではなくて、家庭でも社会でもそれを重視するということはやらなければいけないと思うんです。

 たまたま、これは心のノートという中学校の教材ですね、文部科学省がつくったんですが、なかなかいいことが書いてあるんですね。非常にすばらしく、よくできているものだと思います。「自分の人生は自分の手で切り拓こう」とか「礼儀知らずは恥知らず?」「かけがえのない生命」「自分だけがよければいい…そんな人が多くなったと思いませんか?」「考えよう「働く」ということ」「我が国を愛しその発展を願う」こういったようなことごとは、先ほど総理の御答弁にもあったことと合致するわけでございますけれども、こうしたことがやはり自然自然と身につくように、教えるということなくして身につかないことというのは、やはりたくさんあるんですね。

 これを言うと、何だ、個人の内心にまで立ち至って強制をするのか、すぐそういう議論になりますが、違うんです。やはり、きちんきちんと、人間の基礎、基本は、家庭でも、学校でも、社会でも、しっかりと子供たちに教えるということが大切であります。

 どうも戦後の教育観というものは、個性を尊重して、一切子供たちに強制をしない、これが戦後の教育の現場をつくっている基調なんです。しかし、教育である以上、教え育てる、どこかでしっかりとたたき込む、教えるという部分もなければ、基礎、基本がふわふわふわふわしたまま先に進めない。だから、基礎学力が最近低下をした、国際的な学力が落ちたというようなことにも実はつながってくるのであります。

 これは第十条に載っておりますけれども、家庭の教育、やはり、しつけというものをそれぞれの家庭が、やっていない家庭が非常に多いということ、あるいは第六条でも、学校の校則はやはり守らなきゃいけないのに、何で校則が必要なんですかというところをまずやらないと中身に入っていけないというようなことでは、私は、本当の教育になっていかないんだろうと。教育には、ある部分どこか、たたき込む、しっかり教え込むという部分がなければ教育ではない、こう思います。

 また、ここにも書いてありますが、職業の重要性、専修学校であるとか、商業高校、農業高校、工業高校、こういったものがこれからますます重要な時代になってくるということが出ていると思いますし、公共の精神、社会の形成に参画する、自己中心ではいけませんよという、さっきの「心のノート」に書いてあったようなことが大切なんだろうと思います。あと、国を愛するという部分、これは後ほど、多分、河村委員の方から御指摘があるんだろうと思います。

 それから、時間も限られておりますので、次のフリップに参りますけれども。

 今回、教育基本法に盛り込まれた新しい重要な幾つもの項目があるわけでありまして、お手元の資料三というのに載っております。生涯学習の理念、障害者への教育支援。あるいは、大学というものの規定が何にもなかった。その大学の社会的な役割でありますとか、私立学校の振興、保護者の責任と家庭教育への支援。家庭教育ということも全く触れられていなかった。あるいは幼児期の教育の振興、学校、家庭、地域住民の連携協力、国と地方公共団体の役割。そして最後に、教育振興基本計画の策定。これらはいずれも新しい項目として今回基本法に盛り込まれたものでございまして、それぞれ一つ一つじっくりと議論をしたいところでございますが、限られた中でありますので、一、二を取り上げてみたいと思います。

 例えば、この第八条の私立学校の振興。大学生の八割が私立大学に通っているという実態からしても、あるいは高校でもそうでございますが、大切な私学だ、こう思っております。国は私学助成を出したり、あるいは寄附金の控除等もやっておりますが、今後こうした施策はさらに拡充されるべきである、こう考えますが、小坂大臣のお考えを伺います。

小坂国務大臣 今、各項にわたって御説明をいただいたわけでございますが、その中でも、私学を振興していくことにつきましてお尋ねがございました。

 独自の建学の精神に基づいて個性豊かな教育研究活動を展開している私立学校は、我が国の学校教育の発達に重要な役割を果たしてきたわけでございます。このような私立学校の重要性にかんがみ、文部科学省といたしましては、従来より、私学助成やあるいは私学関係の税制、経営相談等の事業を通じまして、私学の振興に努めてきたところでございます。

 教育基本法第八条は、新たに私立学校に関する規定を設けまして、私学の振興に関する国、地方公共団体の責務を明確にしているわけでございますが、文部科学省といたしましては、本条の趣旨を踏まえて、厳しい財政事情ではございますけれども、私学助成の充実やその一層の効果的な実施の方策、また寄附金税制を初めとする私学関係の税制の充実、またさらには学校法人の経営改善に関する相談体制の充実などを通じまして、側面的な支援も含め、私立学校の振興に一層努めてまいりたいと存じます。

町村委員 ぜひよろしくお願いをいたします。

 それから、この第十一条に書いてあります幼児期の教育の振興、これもまた、三つ子の魂百までということで、大変重要な部分であろうと思います。私も幼稚園に通っていたとき、活発過ぎて随分幼稚園の先生に怒られたことはまことによく覚えておりまして、しかし、優しいすてきな先生だったなということもまた覚えております。

 ただ、三歳児、四歳児、五歳児、幼稚園に行く、これは文部科学省ですね。保育ということになるとこれは厚生労働省ということで、同じ三歳児、四歳児、五歳児であっても、これは行政と大人の都合でそれぞれ違った扱いになる。親の負担も違う、提供されるサービスも違う。これはやはりどう考えてもおかしいんではないかなと私は思っておりまして、これは私の年来の持論でございますが、その部分を両省から内閣府の方に移して子供庁というものをつくるべきではないかというのが、これは私のかねてよりの持論でございます。

 一元的な子供施策を充実していくということであろうかと思っておりますが、他省庁にまたがることなものですから、もし総理大臣から御意見を賜れば幸いでございます。文部大臣でも結構ですけれども。

小坂国務大臣 一言先に答弁をさせていただきまして。

 今、幼児期の多様な教育ニーズに対応するために、すなわち、お父さんが働いている、そしてお母さんも働いている、そうしますと保育に欠けるという状態になりまして、厚生労働省の保育所に通うわけでございます。しかし、お母さんが働くのをやめますと、これは保育に欠けない状態、すなわち今度は幼稚園に行く形になるわけでございます。そして、お母さんがまた働くようになりますとまた保育園。これでは一体どのようにして幼児教育を、また保育を進めていいかわからなくなる状態でございますので、そういった点から、厚生労働省と文科省が共同をいたしまして、認定こども園制度というものを今法律を提出いたしまして、参議院で御審議をいただいているところでございます。

 この制度によりまして、地域の子育ての支援、そしてまた幼稚園と保育所の一体的な保育、教育の推進という形をできるようにいたしておりまして、文部省と厚生労働省が密接に連携して、これらの施策によりまして、今御指摘のような縦割りの弊害を超えて、地域の保育、また幼児教育のそれぞれのニーズに適応したこども園というものを設置できるようにしているところでございます。

町村委員 あと、この家庭教育ということも本当は大きく議論したいのでありますけれども、今回の法律の規定の中にこの家庭教育が入ったことは大変時宜を得たものだ、こう思っております。

 私、文部大臣のときに、やはり大人の問題というのが大変大きいと思いまして、しかし、家庭の中というのはプライバシーのことだから、大切だと言われても、今まで実際行政的には何もやってこなかった部分なんです。

 実は、ここに持ってきたんですが、この家庭教育手帳というのを、私、文部大臣のときに中教審の皆さんと相談してつくりました。乳幼児編「ドキドキ子育て」、小学校低学年「ワクワク子育て」、小学校高学年から中学生「イキイキ子育て」、これは三部作で、なかなかいいんですね。

 問題は、こういうのを読んでくださる御家庭は実は問題ないんです。読んでくれない御家庭にこれをどう普及していくのかということが大切なので、これはひとつ文部科学大臣、よくよくいろいろな方法をお考えいただきたいと思います。

 最後に、時間がないので一点だけ、谷垣財務大臣にお伺いをしたいのでありますけれども、教育費の負担の問題でございます。

 日本は教育大国、今まで私どもはそう思っておりましたけれども、OECDの資料を見ると、残念ながら日本は教育小国なんですね。伝統的には教育には熱心だ。しかし、現実の公財政、国家あるいは地方公共団体が負担する部分と、個人が負担する部分、ここでは全教育段階と書いてありますが、四・七。OECD平均五・八。アメリカ七・二、韓国七・一、ヨーロッパが大体五%台ということで、日本はぬきんでて低い。特に、高等教育段階になると最も低いんですね。しかも公財政の割合が低い。したがって、在学生一人当たりの教育支出額、絶対額で見ても、日本は二万二千ドル、大体掛ける百と考えれば二百二十万円、二百四、五十万円ということでしょうか。アメリカは三万七千ドルですから、日本の一・五倍以上あるわけですね、絶対額で見ても。ドイツ、イギリスも、日本より多いということで、OECD平均よりも日本がちょっと多い程度だ。

 やはり、アメリカが教育とか研究にお金をかけていることが、彼らのまさに競争力の源泉になっているというふうに思うわけでありまして、財政が厳しいことは十二分に承知をしつつも、ぜひ私は谷垣財務大臣に、やはり公財政の負担の低さというものは、国際的に見てもこれは異常であるという認識をお持ちいただいた上で、この拡充に全力を挙げるという明言をしていただくといいことがあるのではないのかなと、こう思ったりもいたしますが、御答弁をお願いいたします。

谷垣国務大臣 日本の国柄を考えました場合に、資源等々大変乏しい国で、日本が誇り得るものは人材の力である、そのために、教育をしっかりやっていこうということで教育基本法にも取り組んでいただいている、私は全くそれに共感するものでございます。そして、そうなりますと、それを支える財政はどうあるべきかという議論、よりよい予算は何だろうという議論、これは徹底的にやっていかなきゃならないだろうと私も思っております。

 それで、今町村委員がおっしゃいました、確かに公財政支出対GDP比、私の手元にございますのは、英米仏独日、この五カ国で比較したものでございますが、今おっしゃいましたように、日本が一番低いのは事実でございます。他方、今高等教育をお比べになりましたが、初等中等教育で生徒一人当たりの額を比べますと、今のG5の国の中では三位になって、欧米諸国と比べて遜色はない水準であるというふうに一応言えると思うんですね。

 それで、我が国における生徒数一人当たりの初等中等教育の支出を見ますと、平成元年から十五年までの間に五一%増加している。ところが、なかなかその効果が出てこない。どうしたらその効果が上がるのか。これはいろいろ御努力もいただいておりますし、私どもも予算の上でさらに議論をしていかなければならない点だろうというふうに私は思っております。

 それに加えまして、もう一つ、一般政府総支出の対GDP比が今の五カ国の中では日本が一番低いということも、では教育をどうしていくんだという議論の中でお考えをいただきたいと思いまして、今後、このあたり、町村委員とも十分議論をさせていただきたいと思っております。

町村委員 どうもありがとうございました。

森山委員長 次に、河村建夫君。

河村(建)委員 おはようございます。自由民主党の河村建夫でございます。町村議員の持ち時間の範囲で質疑に入らせていただきたいと存じます。

 小泉総理就任以来五年余、官から民へ、あるいは国から地方へ、改革なくして日本の成長なし、わかりやすい理念のもとでリーダーシップを発揮してこられた。国民も、そうだと、そういう思いで改革に取り組んできた。また、この改革の流れはとめてはならない、私もその共通の認識に立っておりますし、小泉内閣の閣僚の一員としてその任に当たった責任から申しても、この大きな流れというものをとめないで、さらに改革に努めていきたい、その共通の認識のもとで、総理にまずお伺いをするのであります。

 小泉総理は、就任に当たられまして国民に呼びかけられた。これからの改革は、ある程度痛みも伴うし、国民と一緒になってやっていかなきゃいかぬ、そこで、米百俵の精神だ、こう言われたのであります。私は、小泉総理は、米百俵の精神と言われたこと、改革に痛みを伴う、あの長岡藩の故事に倣って言われた、しかし、国民はそれに対して大きな喝采を与えたと思います。その先にあるものは、やはり日本の国は教育だ、長岡藩が我慢をして基礎づくりに当てたその精神を先に読んだと思うのであります。

 私は、そういう意味で、今の、まさに、きょうこうして本格的に議論を始めるわけでありますが、教育基本法の改正、これは、中央教育審議会のあの答申を見ても、もういっときの猶予はないという認識でこの問題に取り組んできた、こう思っております。

 私自身、小泉総理から三年前、文部科学大臣の指名を受けましたときに、総理の指示の中に、知育、徳育、体育プラス食育を重視した人間力向上の教育改革だ、と同時に、教育基本法の改正についても、広く国民の意見を聞きながらこの改正に努められたし、こういう指示を受けたことを覚えておるわけであります。就任に当たりまして、私は、森元総理からも、この教育基本法の改正という問題はまさに歴代の内閣が取り組んできた教育の構造的改革というべき課題である、こういう指摘もいただいたところでございます。

 私は、そういう視点から見て、小泉改革、五年間あらゆる改革に努力をされてきた、その小泉改革の起承転結、まさにこの教育改革にある、こう思っておるわけでありまして、その原点は、この教育基本法を改正することによって、まさに国民と一緒に、教育問題は重要である、一緒に考えよう、そして改革しよう、これによって小泉改革の一つの大きな起承転結ができる、このように私は思っておるわけであります。

 そういう視点に立って、先ほど決意については町村さんにも総理はお述べになったところでありますが、そういう視点に立ったときに、これからの日本の教育改革そしてこの教育基本法の成立を目指しての総理の熱意を伺いたい、このように思うのであります。

小泉内閣総理大臣 教育の重要性は改めて申し上げるまでもありませんが、長年にわたって、教育行政担当といいますか、教育問題に熱心に国会議員としても当たってこられた河村さん、また、文部科学大臣にも就任されて、現場の教育行政というものはどうあるべきかをよく研究されて、この教育基本法改正にも熱心に取り組んでこられたことを私もよく承知しております。私の内閣におきましても、さまざまな苦労をされながら御協力いただきました。今回、教育基本法、いわば河村さんにとっては、ようやくこの法案を国会に提出することができたかと、ひとしお感慨深いものがあるのだと拝察しております。

 私は、教育の重要性をよく認識しておりますからこそ、与野党でこれが対立法案になるような法案ではないと思っているんです。よく読んでみれば、きょう民主党案が対案として提出されましたが、どうしてこれが対立しなきゃならないのか。お互い共通認識を持って、教育の重要性、これをよく認識すれば、民主党もかつて自民党にいた方々が今民主党の幹部をされているんですよ。そういうことも考えて、相違点よりも共通点を見出す面が与党案、民主党案にもあるんじゃないか。

 せめて、この教育、基本的な問題については総論として賛成されているわけですから、あと、個別の問題についてもよく話し合って、慎重に審議を進めていけば、十分今国会で成立が可能だと私は思っておりますので、どうか議論を深めていただきたい。

 もとより、教育はあらゆる発展の基礎であります、人間社会の基礎であります。もちろん、法律がすべてではありませんけれども、そういう中にあって、今回の委員会においても十分議論をしていただきたいと思います。

河村(建)委員 ありがとうございました。

 私もこの教育基本法、現行の教育基本法を初めて条文をしっかり精査いたしましたのが今から十年前、自民党の文教部会長のときでありましただけに、総理からも御指摘をいただきましたが、非常に感慨深いものがございます。

 また、今回の議論に当たるにおきまして、私は、今から約六十年前、昭和二十二年三月十三日から帝国議会においてこの教育基本法の議論がなされ、そして新教育基本法ができた、その経緯も読ませていただいたのでありますが、第九十二回帝国議会は、三月十三日、あるいは十四、十五、十五は土曜日でありますが、この日も議論をされ、三月十七日には本会議でも採決。そして、いわゆる貴族院におきましても、三月十九、二十、二十二、二十三日、二十三日は日曜日でありますが、この日も国会を開いておられます。そして、三月二十六日に本会議で成立をする。こういうことで、この議論の中には、まさに日本を教育によって興すために、あるいは、平和国家、文化国家のために、あるいは、日本再建のための最大の基礎をなすべき重大法案である、こういう言葉が至るところに出て、先輩議員の方々がみんなそういう共通の思いでなされております。

 これは当時の与野党がまさに一致した考えでありますから、総理が今おっしゃった、この問題は実は対立法案ではないと。私どもも、決してそんな対立法案という意識を持っておるわけではございません。この中でしっかり議論をしてこの法案をまとめていかなきゃいかぬ、このように思っておるわけでございます。

 ただ、今国会、終盤に当たっているということもございましょうが、やや拙速ではないか、こういう指摘等もあるわけであります。マスコミ論調なんかもそういうことでございますが。先ほど町村さんの質疑にも文部大臣答えておられましたが、この国会でこの法案を通すことについて拙速ではないかという議論もありますが、これに対して文部科学大臣はどのようにお答えになるか、その点についてもお聞かせをいただきたいと思います。

小坂国務大臣 先ほどの町村議員の御質問にもあったわけでございますけれども、平成十二年十二月、教育改革国民会議の報告がありまして以来、五年以上にわたるさまざまな取り組みを踏まえて今回の国会への提出となっているわけでございます。

 その間、平成十三年十一月には中央教育審議会、ここの諮問を経て、四十回以上に及ぶ議論、そして、一日中教審というような形で町へ出たり、あるいは、十五年三月の答申以降は、教育改革フォーラムあるいはタウンミーティング、こういった場面を通じ、またさらには、ホームページをつくって、どなたでもこの経緯や議論されている内容についてわかっていただけるような、わかりやすいポータルサイトというものをつくってインターネットでも普及に努め、またパンフレットをつくったり、いろいろな形で今日までこの議論を皆様に紹介しながら、時間をかけてやってきたわけでございまして、そういった意味で、十分な議論を経た上での今国会の提出というふうに思っております。

 野党の対案も出ておるわけでございまして、そういう中で、十分な審議を、またしっかりとした審議をしながら、拙速ではなくても、しかし迅速な審議を進めていただく中で、国民の要請にこたえてまいりたい、このように考えております。

河村(建)委員 ありがとうございました。

 私が大臣在任中にも全国五カ所以上でタウンミーティングを行い、広く教育基本法の必要性、そして、やはり国民的課題としてこの問題をとらえる必要があるということを訴えたことを覚えておりますが、ぜひ、文部科学大臣におかれましては、むしろこの法案の先が大事なんでありまして、強い決意を持って、まさに教育改革、教育基本法を改正することによって本格的な教育改革に取り組む、その姿勢を強めていただきたい、こう願っておるわけでございます。

 それでは、今国会、この教育基本法、とかく喧伝されておりますけれども、愛国心の問題あるいは宗教教育の問題あるいは教育への不当な支配の問題等々、これからの教育改革を進める上での一つの課題になっております問題点について順次お伺いをしていきたい、こう思うのでございます。

 まず第一点は、今回この改正案にあります日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する態度、この点について伺いたいと思うのであります。

 日本は、教育立国の意識のもとに、戦後、現教育基本法のもとで国づくりをやってきた。そして、世界の経済大国と言われるところまで来たわけであります。私は、伝統と文化を尊重し、そしてそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する、このことが政府案として明記されておるということ、これは一つの意義のあることだ、こう思っております。特に、日本の歴史、伝統、文化、日本人としてこれを愛して、そして誇りに思っていく、これはやはり大事なことだと思うんです。

 実は、ことしの二月にイギリスのBBC放送がアメリカのメリーランド大学と連携をして、世界の三十三カ国の国民に対して、約四万人近い方々でありますが、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、インド、イラン、この八カ国に対してどう評価するか、いわゆる好ましい影響を与えておるかどうかについて世論調査をやっておるのであります。ここに資料があるのでありますけれども、その結果、どういう結果が出たか。そのアンケート調査の結果によってみますと、日本は世界に望ましい影響を与えている、そう回答した国が、最も多い、三十三カ国のうち三十一カ国が日本だと。この八カ国の中で最も高い評価を得た、こういう報告がなされておるわけであります。

 私は、そういう面からしても、日本が平和国家、先ほど申し上げました、あの二十二年、教育基本法をつくるときの先輩の方々の思いというものが世界においても評価されている、私は、そのことはやはり、もっともっと誇りを持つべきことだ、こう思っております。

 そういう意味で、今回の新教育基本法によって、私は、日本人としての伝統、文化、そういうことに誇りを持ちながら、やはり未来を見詰めて次なる人材をつくっていく、この基本の中に、やはり国と郷土を愛する、そういうことが必要になっておる、こういうふうに思うわけであります。

 今回の改正案の中に、国と郷土を愛する態度を養うこと、また、民主党法案の中には、国を愛する心を涵養する、心をつくる、こうなっておりますが、私は、今回の政府案にあります国と郷土を愛する態度を養うことと心を培うこと、これは一体として理解していいかどうか。また、これからの我が国と郷土を愛する態度をはぐくむという指導、これをどのようにされようとしているのか、このことについてまずお伺いをしたいと思うのであります。

小坂国務大臣 委員がただいま御紹介なさいましたBBC放送のアンケートというのは、大変勇気づけられることだと思っております。

 今回の改正案にあります「我が国と郷土を愛する」、このことは、我が国を愛し、さらにその発展を願い、それに寄与しようとする態度のことでありまして、このような態度は、心と一体として養われるものと考えておるわけであります。

 具体的に申し上げますと、「伝統と文化を尊重し、」ということは、すなわち、例えば地域の文化、そして伝統行事というものを、これをしっかりと学んでいきますと、そのよさというものもわかってくる、そういうものを愛するという気持ちがわいてきますと、それでは、今度その行事があったときは自分も参加してみようという態度にあらわれてくる。このようになってくるわけでございまして、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」こと、そしてまた「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」こと、これらを一体として規定することとしたことでありまして、これらをともに受ける言葉としては、「態度を養う」とすることが適当である、このように判断したものでございまして、日本人としての自覚を持って国を愛し、国家の発展に努めるとともに、すぐれた伝統や文化を継承し、そして新しい文化の創造に貢献するような日本人をはぐくむために努力をしてまいりたい。

 引き続き、これからの、成立した後が大変だ、こういうふうに先ほど御指摘もありましたけれども、この審議が始まった中で、これから皆さんの議論を経て、国民の皆さんにしっかり理解をされる中で、歴代の内閣の思いをしっかり受けとめて頑張ってまいりたいと存じます。

河村(建)委員 ありがとうございます。

 先ほどのBBC放送、これは余談でありますが、三十三カ国のうち三十一カ国、そうすると二カ国はということになるわけでありますが、韓国と中国は必ずしも高い評価をしていないという点がございます。

 しかし、インドネシア、フィリピンあるいはアフガニスタンいずれも、特にインドネシアあたりはもう八五%の国民が、日本だと、こう言っている。また、ヨーロッパでもスペイン、ポーランド、あるいはブラジルはもう七〇%を超えている。そういうこともあるわけでありますが、サウスコリア、チャイナ、この問題はこれからの課題として、ただ、我々のこのお示しをいただいた新教育法案におきましても、「他国を尊重し、」ということもあるわけでございます。

 さて、今、文部科学大臣から決意をお聞きしたのでありますが、この点について、教育基本法、特に、国を愛する態度をどのように養成するかという問題で、これは子供の内心に立ち入った評価になるんではないかというような指摘もあるわけでございます。

 私は、さっき大臣がおっしゃったように、ふるさとを愛し、そして国を愛する心、そういうものは非常に大事なことだ、こう思っておりますが、これは強制して生まれるものではなくて、やはり自然に心にしみ込んでいくものだ、私もそう思うんです。

 しかし、これは教育で考えるときに、基本的なことはきちっと学んでいかなきゃならぬ。したがって、教育現場においては、やはり教員はその職務として、日本の伝統文化、このすばらしさをちゃんと教えなきゃいかぬし、また国旗・国歌に対する敬意の払い方、これはやはりきちっと指導すべき課題だ、これは責任がある、こう思っておるわけであります。しかし、これを立ち入って評価することになると心配だという声もございますが、この点については、この懸念については、文部科学大臣、どのようにお考えでしょうか。

小坂国務大臣 我が国と郷土を愛する態度をはぐくむ、このことについてどのように指導するか、そしてそれをどのように評価していくかということでございますけれども、具体的には、社会科や道徳などにおきまして、現在の学習指導要領においても規定されておりますように、ふるさとの歴史や昔から伝わる行事を調べたり、あるいは、国家、社会の発展に大きな働きをした先人、偉人、また国際社会で活躍した日本人等の業績について調べたり、あるいはそういった理解を深める、そういったことを行うとともに、我が国の歴史などに対する理解と愛情をはぐくみ、そして、国家、社会の発展に努力していこうとする態度を育てるといった指導を行っていくわけでございます。

 それを行っていった結果としての評価はどのようにしていくかということになりますと、我が国の伝統や文化等の学習内容について進んで調べたり、あるいは学んだことを生活に生かそうとする、そういう関心、意欲、そういった態度を総合的に評価するものでございまして、具体的に申し上げますと、さらに申し上げますと、歴史上の人物などに関心を持っているか、あるいは、意欲的に調べ、学んだことをもとに、我が国の将来やその発展のために自分に何ができるだろうか、そういったことについて考えながら追求しようとしているかどうか、そういったことを評価するものでありまして、子供たちの内心に立ち入って評価するようなものではないわけであります。

河村(建)委員 今、文部科学大臣から、いわゆる心の内面に立ち入って評価するものではないという明快な答弁をいただいたわけでありますから、そういう点、教育現場において徹底をしていただきたい、こう思うわけであります。

 今、私の手元に、一つここにあるのでありますが、教育基本法改悪はだめだ、こういうビラが今街角で配られております。これは全日本教職員組合、全教のものだと思いますが、これは、教育基本法の改悪で戦争する国の人づくりへと、こう書いてある。これは反対だと、こう書いてあるんですが、平和を希求するという言葉がなくなって教育の目標に国と郷土を愛すると書き込んだ、それを強制する学校につくり変えていることが大きな問題ですと、こう書いて、こういう主張がしてあるわけであります。

 これは、私は、教育基本法全文を、全体を全然読んでいないんではないか、こう思うんですね。これは、国と郷土を愛する態度がそのまま即戦争につながるという心配をされておる。しかし、この新教育基本法では、他国を尊重しという言葉もある。また、前文にも、世界平和への貢献を高らかに願いうたっておる。この懸念、これは総理、教育基本法の改正というのは戦争する国の人づくりじゃない、これはひとつ明快な御答弁をいただきたいと思うのであります。

小泉内閣総理大臣 それは、民主主義の社会においてはいろいろな意見がありますから、これがいい、あれがいいと主張して、最終的には多くの国民がどう判断するかだと思うんですけれども、我々は、第二次世界大戦後、戦争の反省を踏まえて、平和国家として発展してきたんです。さらに、この教育基本法においても、他国との協調姿勢をはっきりと押し出している。そして、お互いが自分たちの国を誇りに思い、国を愛する態度というものが重要であるというようなこともうたっている。ということは、他国の国民もみずからの国を愛しているわけですから、お互いを尊重していこうということで、何も戦争に駆り立てようというような法律だというのは、誤解というよりも曲解ではないかなと。

 物事、政党、同じことでも見方によって随分違いますから、それはそれとして、大方の国民は、そのような戦争に駆り立てる法案を意図していることではない。政府・与党の提案は、教育を重視している、新たな時代に新しい教育の理念を再認識して、今後とも立派な人材を育てることが日本国の発展につながるという趣旨の法案であるということを、今回の法案の審議の中でも十分進めていただきたいと期待しておりますし、政府としても、そのような誤解、曲解を受けないように、今後とも十分な活動をしていきたいと思っております。

河村(建)委員 次に、宗教教育についてちょっとお伺いしたいと思うのでありますが。

 人間として生きていく基礎を養う、やはり宗教的な知識を教養として発達段階において身につけていくということは、非常に大事だというふうに思います。国公立の学校が特定の宗教のための宗教教育を禁止する、これは当然のことなんでありますけれども、現行の教育基本法第九条第二項、これが非常に強調され過ぎて、学校の現場では宗教教育そのものをタブー視する動きがある。極端な例としてよく出されますが、学校給食をいただきますとき、自然に日本人は、いただきますとこうやる、これは仏教ではないか、やめなさいと言う先生が中にいたという報告があって、私も唖然とするのであります。

 やはり、今回のこの新教育基本法においては、そのことに対しては、宗教に関する一般的な教養、これを尊重しなきゃいかぬということについて、まさに一歩踏み込んだわけでございますけれども、中教審においても、この宗教的な情操の涵養の重要性も提言をされておるのでありますが、宗教的情操というのは非常に多義的な意味を持つ、そういう点で、宗教の教義に踏み込んだ指導はやはりしないという、そういう点で、宗教的な涵養ができないという指摘がある。

 諸外国、私もこの連休に自民党の議員団の皆さんと一緒に、フランス、イギリス、イタリア等回りましたが、やはりそれらの国も宗教教育は持っておりますけれども、これはやはり一般的な教養という理念ですね。本当の教義に踏み込んだ情操、本格的な情操ということになると、やはり教会であり家庭でやるべきだというのが基本認識だということも私も理解いたしました。

 そういう意味で、今後、この教育基本法の改正案で宗教に関する一般的な教養を規定する、この一般的教養とは何か。現実に、現在これは、実際にどういうふうに教えてきて、これからどういうふうに変わっていけばいいのか、これは学習指導要領との関連もあろうと思いますが、この点について、大臣、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 委員御指摘のように、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるかなどについて、個人の生き方にかかわるものでありまして、社会生活において重要な役割を担っているわけでございます。

 このような宗教の役割を客観的に学ぶことは大変重要でありまして、特に、国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他の国の文化、民族について学ぶ上で、その背後にある宗教に関する知識や理解を深めることは必要であると思っておるわけでございます。

 これを踏まえまして、法案では、従来の規定に加えて、宗教に関する一般的な教養を教育上尊重することを新たに規定したものでありまして、その具体的な内容といたしましては、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、これは宗教に関する知識であるわけであります。

 具体的に現在どうやっているかということも踏まえますと、宗教に関する一般的な教養に関しましては、現在、小学校、中学校の社会科や高等学校の地理、歴史、そして公民において指導が行われているところでございまして、例えば、歴史における宗教の役割や影響、世界の宗教分布などが取り上げられておりますが、今後、この今回の基本法改正の趣旨を踏まえまして、学習指導要領の見直しを検討するなど、宗教に関する一般的な教養についての指導が各学校において一層適切に行われるように努めてまいりたいと考えております。

河村(建)委員 ありがとうございました。

 今、大臣、御指摘があったような視点でしっかりこの問題に取り組んでいただいて、やはりきちんとした宗教の一般的教養を得られるように努力をお願いしたいと思います。

 もう一点、教育行政のところでございますが、不当な支配の点についてお伺いいたしますが、人格の完成というのは、これは教育の非常に基本で、それを、教育は中立性、不偏不党性が強く求められると私は思うのであります。

 教育基本法、改正の十六条、現在の基本法第十条第一項の国民全体に対し責任を負ってという文言が削除されて、教育は法律の定めるところにより行われるべきだ、こうなっておりますが、この改正案の「不当な支配」というのは何を意味しているのか、文部大臣にお伺いをしたいと思います。

小坂国務大臣 御指摘の点でございますけれども、現行法では、「教育は、不当な支配に服することなく、」こう規定しておりまして、教育が国民全体の意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除して、そして教育の中立性、不偏不党性を求めておりまして、このことは今後とも重要な理念と考えております。

 なお、一部の教育関係者等によりまして、現行法の第十条の規定をもって、教育行政は教育内容や方法にかかわることのできない旨の主張が展開をされてきたわけでありますが、このことに関しましては、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないこと、国は、必要かつ相当と認められる範囲内において、教育内容についてもこれを決定する権能を有することが明らかにされているところでございます。

 今回の改正においては、最高裁判決の趣旨を踏まえまして、不当な支配に服してはならない旨の理念を掲げつつ、教育において法律に定めるところにより行われるべきと新たに規定をしたわけでございます。このことによりまして、国会において制定される法律に定めるところにより行われる教育が不当な支配に服するものではないことを明確にしたところでございます。

河村(建)委員 今回の改正によりまして、国会の意思に基づく法律に従って行政が行う施策は不当な支配に当たらない、このことが明確になったと思います。そういう意味で今回の改正の意義は大きいと思うのでありますが、文部科学省においては、このことを踏まえたしっかりとした教育行政をしていただきたい、このように思います。

 もう時間の関係で最後の質問になるかと思いますが、これからの教育、特に義務教育を考えるときに、国と地方の役割分担はどうあるべきかということもしっかり議論をしなきゃいかぬと思います。

 小中学校においては、国は、質の高い教育を全国津々浦々提供する、教育の機会均等を保持しなきゃいかぬ、そして安心して、信頼する学校でなければいかぬと思っております。学校はまさに地方にある。だから、文部科学省は、上から地方を見てという、そういう体制ではならぬわけであります。

 教育の機会均等、水準を維持する、また無償制の問題、この最終的な責任はやはり国が負う、これは憲法第二十六条の精神にも合致すると思うのであります。義務教育を定める教育基本法第五条第三項に、国と地方が適切な役割分担、相互協力のもとでその実施に責任を持つことが明示されておりますが、この点について、私は、もっと国の責任を明確にすべきではないかという意見もあるわけでありますが、これは三位一体の議論のときでも総理とこの議論をいたしたこともございますが、総理は、やはり国の義務教育における責任、このことについてどのようにお考えであるか、お伺いをしたいというふうに思います。

小泉内閣総理大臣 これは、今回の改正案の中にも、国と地方とは役割を分担し、なおかつ協力して取り組むと規定されてありますので、国も地方も協力しながらすべての子弟に教育の機会を提供するということだと思いますので、お互い協力していくべきものではないかなと思っております。

河村(建)委員 ありがとうございました。

 以上で終わります。

森山委員長 次に、池坊保子君。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 公明党は、右にも左にも属さない、人間に立脚した人間主義、中道主義の理念のもと、一人一人が教育によって幸せになれるような教育のあり方を考えております。議論は、時として、まじめであればあるほど一方的になりやすいおそれがございます。私は、常に未来を見据え、何事にも極端にならず、中道の精神を持って、大局に立って議論することが大切ではないかと考えております。

 五十九年ぶりに二十一世紀にふさわしい教育基本法が見直され、全面改正、その時期に遭遇しておりますことを幸せにも、また責任も強く感じております。

 確かに、現行法の条文にございます「個人の尊厳」、また、「教育の目的」にございます「人格の完成」、私はこの言葉が大好きで、時折心に刻むことがございます。

 しかし、この六十年の間、日本の社会は目まぐるしく変わってまいりました。グローバリゼーションの進展に伴う国際化、情報化、そして、アイデンティティーの競争の時代とも言われております。そのようなことを背景にしてか、思いもかけない、六十四万人というニートの出現、そして、数十万人あるいはそれ以上と言われる引きこもり、十二万三千人の不登校児、学級崩壊、そして、親が平気で子供を殺す児童虐待、またその逆の、子供が親を殺してしまう。枚挙をいたしますといとまがないほどのたくさんの問題が今出てきております。

 考えれば、制定されました昭和二十二年、日本は貧しかったです。私と総理は同い年でございますから、五歳だったと思います。私はげたを履いた記憶はございませんし、洋服ではなをかんだ覚えもございませんけれども、でも、本当に日本は貧しくて、私は、チューインガムをもらったときに、この世にこんなおいしいものがあるのかと、下さった方に何か限りない尊敬、偉大さを感じました。

 そのころの日本は貧しかったですから、義務教育に通わせるということが親の第一義的な目的であったと思います。でも、その後、経済至上主義へと時代は移り過ぎ、そして、経済大国を支えるこまとしての人材育成に重点が置かれてまいりました。その結果、当然のごとく学校教育が重視され、また、受験勉強が重視されてまいりましたから、地域の教育力、家庭の教育力がおろそかになってきたのだと思います。

 この行き詰まった現状を打開するために、もう一度自信を持って、国民一人一人が、二十一世紀の国際社会の中にあって敬愛される日本人の姿をイメージし、教育はだれのために、教育は何のためにあるかを問い直し、主体者としての国民の総意のもとで人間のあるべき姿、教育の理念、教育宣言を私はするべきときに来ているのではないかというふうに思っております。

 教育をめぐる今日の諸問題が現行法に起因しているとは私も考えてはおりません。先ほども申し上げたように、現行法の理念は高く評価いたしておりますし、これは今回の改正でも変わらなく、そのまま残されております。むしろ、生命の尊厳や自然との共生が入るなど、さらにすばらしいものに私は発展させているのではないかと思います。

 二十一世紀に生きる私たち並びに未来を生きる子供たちのことを考えたときに、足りない点、追加すべき点が多々ある。これはだれしも認めるところだと思います。確かに、それだけで教育現場がよくなるというわけではございません。(発言する者あり)ちょっと、やじをお飛ばしになる方、おやめいただけたらと思います。

 憲法は国づくり、教育は人づくりと言われております。いい憲法をつくったって、国民がしっかりとそれを受けとめ、運営していかなければ、いい国になるはずがございません。教育もまたしかりなのではないかと思うのです。

 総理に二点お伺いしたいと思います。

 何度もお答えになってはいらっしゃいますけれども、今この時期に改正することの意義、その御所見を伺いたいと思いますことと、もう一点は、国が法律で教育の目標を定めるのか、あるいは、道徳というような内心の、その良心にまで踏み込むのかと言われております。そうおっしゃる方もございますけれども、私はこれは前文にございます、私たち日本人は、つまりこれは、主体者は私たち日本の国民なのではないか、この国民の総意でということだと思うんですね。それを国や政府がサポートするというふうに受け取っていいのではないかというふうに私はとらえておりますけれども、そのことについて総理の御見解を伺いたいと存じます。

小泉内閣総理大臣 同い年だということでありますので、六十年前、お互い、教育を受けた時代、子供のころと今を比較してみますと随分大きな変化だなと、共通した感覚は持っているんだと思います。

 私は幼稚園に通ったことがないんです。戦後ですからね。学校も、小学校一年生、二年生のころは二部授業でした。先生が少ない、学校の教室も少ない、生徒は多い。だから、午前中のクラスと午後のクラス、同じ一年生でも一週間ごと交代だったんですよ。今週は午前だけ、次の週は午後。それで、午前の部になりますと、朝起きると、ああ、午後の部はまだ寝ていて、いいなと思うんです。午後の部になると、午前の部が帰ってくる。これからみんな遊べていいな、これからおれは学校へ行かなきゃならない、そう感じたことをいまだに懐かしく思い出しますよ。それだけ先生も少なくて、学校の教室も、今みたいに四十人学級じゃありません。五十人、六十人、そういう時代でありました。そういう中でも今日まで元気に育ってきたのは、やはり多くの人に支えられてきているからだなと思っています。

 ここで、今回なぜ教育基本法改正なのかというと、この要綱にもよくあらわれていると思うんですね。改めて申すまでもありませんけれども、この六十年間の時代の変化、そういう中で、いい点もたくさんあるけれども、今日まで発展してきた、先ほど申し上げましたけれども、衣食も足りてきたのに、礼節の面で、あるいは自律心の面で、公共道徳の面で、果たして今のままでいいんだろうか。学校教育の果たす役割、家庭教育の果たす役割、社会全体でこの教育の重要性を認識しながら、お互いが子供は社会の宝だという感覚を持って、社会全体で教育に関心を持って、人材こそ日本の財産であるという観点から改めて見直そうということでありますので、まず、教育の原点であります、目標であります人格の完成、そして平和国家として発展していく、お互いの国の多様性を認めながら発展していく、そういう時代に合わせた観点が必要ではないかということで、今回六十年ぶりに改正案を提出したわけでありますので、十分御審議をいただいて、教育の重要性を多くの国民が理解し、この法案を成立させていただきたいと期待しております。

池坊委員 主権者は日本の国民と考えてよろしいのですかということへの御答弁はございませんでしたが、それはそうだということでよろしいんでございますね、総理。一言だけ、うんと。

小泉内閣総理大臣 もちろん主権者は国民であります。

池坊委員 ありがとうございます。私も総理と同じで幼稚園に通っておりませんでした。

 マスコミでは国を愛することということばかりクローズアップされがちでございますが、今総理がおっしゃったような八つの項目、それこそが私は大切だというふうに思っております。生涯学習の理念、大学、私立学校、教員、家庭教育、幼児期の教育、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力、教育振興基本計画。

 私、これからも何度か質問に立たせていただけると思いますので、きょうは、このクローズアップされております「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」、このことについてお伺いしたいと思っております。

 言うまでもなく、国には三つの要素がございます。国民であり、領土であり、統治機構でございます。私が我が国と思いますときすぐ思い浮かべますのは、四季折節に移り変わる美しい日本の自然、そして、どんな困難なときにあってもそのものの意義と価値を見出し、それを次の世代に受け渡していきたい、その強靱な意思と深い情熱によって支えられ今日まで受け継がれてきた日本の伝統文化、そして、私は京都に住んでおりますから、比叡山や鴨川に抱かれて生きる一人一人の人々の共同体、私はそういうふうに感じております。

 私は、ケネディの、国が何をしてくれるかを問いたまうな、みずからが何ができるかを問いたまえという言葉が本当に好きなんですね。私は今、日本の教育に欠けているのは、日本の社会に欠けているのは、人や国に何かをしてほしい、自分はしないでということではないかと。自立した人間というのは、個人は、やはり自分が何をできるか考えるべきだというふうに思っておりますけれども、この言葉、これはフォー・ユア・カントリーというふうになっております、フォー・ユア・ネーションステートではございません。国をそういうふうにとらえていいのかどうか、総理の御所見を伺いたいと存じます。

小泉内閣総理大臣 国を愛するということは、その国の歴史、伝統、文化、人々、家族も含めて、全体、自分が生まれ育ったところに対しては、私はだれもが愛着を持っていると思うのであります。

 そういう面において、国家というものは、それぞれの人の考えがあるかもしれませんけれども、だれもが自然に愛着心なり愛国心というものが芽生えてくるような、教育なり日ごろの生活の中ではぐくまれていくものじゃないかなと思っております。

池坊委員 民主党の鳩山幹事長は、先日の代表質問の中で、国を愛するということと、この法律には明文化されませんでしたけれども、宗教的情操の涵養を、自民党と公明党はバーターしたとおっしゃいました。そのような事実は全くございません。私どもは、真摯に、誠実に、日本そしてそこに生きている方々がどうあれば幸せであるか、そのことを考え、議論いたしております。そのようにお考えになりますことを、私は、大変情けなくも悲しく思っております。これは、党利党略ではなく、党派を超え、真剣に、みんなが心を合わせて議論していくべきことではないでしょうか。

 この空転いたしました何日間に思いをはせるときに、私は、いま一度、私たちは一政治家であるとともに一国民であるということを考えていかなければいけないと思います。そして、未来に対して責任があるんだということを考えていきたいと私つくづく感じたんですね。ですから、きょう第一歩を踏み出しましたから、これからは真摯にこの審議を進めていけたらというふうに思っております。

 「我が国と郷土を愛する」という次に「他国を尊重し、」というふうに続きますのは、国家主義、国粋主義の、閉ざされた自国への愛情ではなくて、開かれた国への愛情というふうに私は受けとめております。

 先ほどもBBCの結果のお話がございましたように、世界の中には、たくさんの、多くの国が貧困や飢餓に苦しんでおります。そういう方々が生きていてよかったと思えるような社会をつくっていくために、日本人はもっともっと役立たなければいけないのだと思います。他国を尊重というのはそういう意味と受け取っております。

 これもまた、鳩山幹事長が代表質問の中で、拉致したようなとんでもない北朝鮮も尊重するのかとおっしゃいましたけれども、それは、統治国家として受けとめていたら、とんでもないそんなリーダーがいる国を愛するはずがございません。でも、ここで言う「他国」というのは、そこに生きている人々だと思うのです。ですから、そこに生きている人々に罪はないわけですから、その人たちに理解を示し、そして手を差し伸べるのは、それは当然ではないか、それこそ多文化共生の理念だというふうに私は感じております。

 次に、心と態度について総理にお伺いしたいと思うのです。

 「我が国と郷土を愛する」「態度を養う」という条文に対して、態度と心はどう違うのか、心でいいんじゃないかとか、いろいろおっしゃる方がございます。わかりませんよね。私もわかりませんので広辞林を引きました。

 心とは、思い、考え、自分の気持ち、つまり目に見えない精神の深部の部分なんです。どういう心を持つかは、内心の自由でもあり、極めて主観的なもので、目に見えないものです。それに対して態度は、一定の状況に対する心の姿勢、挙動、行動です。外から見えるものであり、客観性を有しているものだと思います。

 だから、他国の人々を尊重する気持ちがあっても、態度にあらわさなくては相手に通じないのだと思います。国際社会の中にあって、これからは、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する気持ちだけでなくて、行動で示さなかったら相手には通じないと思うんですね。そういう意味で、私は、「態度を養う」、こう書かれましたことを、現実的だと高く評価しております。

 私はいつも、子供が小さいときに、あなた、思っているだけではだめなのよ、よいことは行動しなければだめなのよ、そういうふうに言ってまいりました。日本人は、せっかく優しい心や情愛を持っていても、素直にあらわすことができなくて、他国や他の人に誤解を生んだりすることがあると思います。そして、尊重するということは、前提に理解や愛情があることは、これは言うまでもないことだと思います。理解、愛情なくして尊重することなんて私はあり得ないと思います。

 茶道でも華道でも剣道でも、形から入って、そして道をきわめます。その逆もございます。そういう意味では、態度と心とは表裏一体だと思うんですね。心の発露が態度としてあらわれるのではないかと思います。そういう意味では、愛する我がふるさと、愛する我が国をつくらなければいけないのですから、それは大人たちの責任で、大人たちの責任は大だというふうに思っておりますけれども、総理、「態度を養う」といった表現についてどのようにお考えでいらっしゃいますか。

小泉内閣総理大臣 態度を養うということ、心を涵養するということ、これの違いをどうかというのはなかなか難しいんですが、わかりやすく私なりに申し述べますと、心をあらわすのが形だ、態度である、その形を大事にする。おけいこごとでも、何か習い事をしますと、最初、形から入るというのは、その人の心をどうやって形にあらわすかが大事なんだ。これが態度だと思いますね。

 同時に、自分がどう思っているかということを態度にあらわす。態度を見れば、逆にその人がどういう心持ちかというのがわかる。ですから、あいさつは大事だというのも、相手を尊重する、声をかける、自分は他人に対して敵ではありませんということで、まず、知らない人に会うと、どうやって自分の気持ちを態度であらわそうかというのは普通の人間のあり方だと思います。

 でありますから、態度を養う、心を涵養するというのには、それほど私は大きな違いがあるとは思わないので、この点は十分審議していただければ共通の認識は持てるのではないかなと期待しているんです。どっちじゃなきゃいかぬ、態度じゃなきゃいけない、心を涵養しなきゃいけない、心も態度も両方大事だ、そういうふうに私は感じております。

池坊委員 それでは、先ほどからも質問に出ておりました豊かな情操と道徳についてお伺いしたいと思います。

 憲法十九条では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてございます。しかしながら、私は、心や態度を教育で扱ってはいけないと考えるのは、果たして正しいのだろうかと疑問を持っております。教育で最も大切なことは、心の育成ではないでしょうか。だからこそ、「教育の目標」の第二条の一に豊かな情操と道徳を培うと明示してあるのだと思います。

 知が優先し徳が欠如する人々によって構成される社会は、本当に悲惨なものだと思います。かつて日本でもカルト宗教が無差別テロを起こしましたが、そこにいた人たちは、高学歴、優秀な研究者もおりました。私は時折思い起こすのですが、ヒトラーのナチス・ドイツ、これは中心者十五人によって形成されていたのです。そのうちの八人までが博士号を取得しておりました。この人たちによって五百万以上のユダヤ人が殺されたのです。

 私は、知がなくては人間とは言えないかもしれないけれども、知だけあったって徳がなかったら、これは害そのものだというふうに思っているんですね。

 哲学者のウィリアム・ジェームズは、人間が持つ支配や闘争の本能を昇華させていくためには、戦争にかわる何らかの道徳的価値を用意する必要があると言われております。私も全く同感なんです。人間は、平和を願いながら、その一方で潜在的に戦うことが好きなのではないか、戦争と略殺の愚かな歴史を見るときに、私はふとそんなことを考えるときがございます。

 時に子供は、大人にははかり知れないエネルギーを有しております。このエネルギーを何かよいことに転化すべきと私は思うのです。人間は人間として生まれるのではなくて、潜在的な能力を引き出され、そして耕し、滋養を与えられ、そして初めて人間になるのではないかと思うんですね。先を歩む人間は、何のために人間は生きているのかとか、正義感とか公平さとか、あるいは人間の価値とか、そういうものをもっと毅然と伝えていくべきだと思うんです。

 父は、戦争によって財力も地位も、いろいろなものをすべてを失って、私たち子供に、どんな時代にあっても流されない自分を持つこと、自立した自分、そして個の確立、それが大切だというふうに教えました。だから、私は今でも、人のせいにはしない、責任転嫁はしない、それが父から教えられたことかなというふうに思っているんですけれども。

 ある種の教育、ある種というのは何を指すのかというと、私は、人間としての心の持ち方、つまり、人間としての基本的なルールだと思うんですね。それを親や地域やそして先生が教えなくて、一体、自然に身につくことができるのでしょうか。もちろん、本を読んだりすることによっても身につけることはできますけれども、私は、例えば社会的ルールとは自己抑制と自己主張とのバランスであるとか、個の尊厳と公共の精神のあり方とか、そんなことはやはり教えていくべきだというふうに考えております。第一義的には、「家庭教育」の中に、保護者が子供の教育を担うというふうに書いてございますが、親がそうであることも当然ですけれども、心を扱うこと、心を育てることを先を歩む人間は遠慮してはならないと私は強く強く思っております。

 強制はいけない、押しつけはいけないとおっしゃいますけれども、頭ごなしに押しつけるのではなくて、自然に芽生え、醸成させるようにしていくことこそが教育の大切な要素だと私は思うんです。ですから、そのことに保護者も教師も心を砕くべきと思っております。

 もちろん、指導等はしても評価はすべきではないと思っておりますけれども、総理、人間としての基本、豊かな心、情操をはぐくむということについて、総理のお考えをお伺いしたいと思います。

小泉内閣総理大臣 まず、情操をはぐくむ一番大事なことは、愛し、愛されることだと思うんです。親が子供を愛す、これが本来人間の持っている、動物の持っている基本だと思います。

 動物の世界でも、子供を育てるためには、親はみずからの危険を覚悟して敵からかばって子供を育てます。その親から愛情を受けていないと、普通、子供は動物の世界では死んでしまいます。最近の、野生でない動物を人間が育てて、卵を産んだとする、子供を産んだとする、しかし、自分が親からのそういう育て方を知らない野生の動物は、その子供の育て方も知らないから、結局人間が手を加えないと死んでしまうという面を見ても、まず最初に世の中に出てきた子供に対して親が十分な愛情を持って育てる、これが私は基本だと思っております。愛されることを知れば、必ず人を愛すようになる。愛されることを知らない、いじめられてばかりの育て方をすると、他人に会っても、また自分はいじめられるんじゃないかと思ってしまう。

 でありますから、私は、法律以前に最も大事なことは、まず親がしっかりと子供を愛す、認める、受けとめる。そして子供も、口で親から言われなくても、周りの方、家族の人たちからしっかりと、ああ、自分は愛されているんだな、受けとめられているんだな、認められているんだなという認識を持たれるような環境をつくるということが大人の責任ではないかと思っています。それが今若干欠けてきているのではないかなと。

 そういう点については法律では律し切れない面も多々あると思いますが、私は、情操教育の基本は、まず親がしっかりと子供を愛すること、子供も、ああ、自分たちは周りの人たちから愛されているんだという気持ちを持つこと、これがあらゆる情操教育の基本だと思っております。

池坊委員 総理の教育論を最後に伺おうと思ったら、きちんと言っていただきました。

 時間が参りました。この全面改正に当たり、何のために、だれのために教育はあるのかという本源的な教育のあり方、そして、教育は、人間が人間らしく生きるために、真の幸福の追求のためにあるのだと、経済や政治の発展のため、そしてイデオロギーの影響を受けたりすることなく、真摯に議論されますことを願い、私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、松本剛明君。

松本(剛)委員 民主党の松本剛明でございます。質問をさせていただきたいと思います。

 まず、この法案の重みということで、この法案の審議に対するお考えを承りたいと思っております。私どもからすれば、教育の根幹にかかわる大変重要な法案を、会期を実質一カ月しか残していない段階で提出され、そして、今の御答弁をお聞きする限り、じっくりとか慎重とかいう形容詞はつくものの、今国会でと、こういうお話も出てきております。

 他方で、今、国民的な議論も必要な課題だ、こういうお話がございました。私もぜひ、きょうはテレビの中継も入っております、国民の皆さんにもお聞きをしていきたいと思いますが、今既に国民的な議論がこの教育基本法についてかなり進んでいるというふうに総理はお考えなのかどうか、承りたいと思います。

小泉内閣総理大臣 教育基本法について審議が始まったばかりですから、これを毎日審議していただくことによって、多くの国民も関心を持つようになると思っております。

松本(剛)委員 先ほど町村委員の冒頭の質疑を拝聴しておりまして、総理に対して、ぜひ郵政並みの熱意を持つように、自民党は熱意を持っていると。あたかも、総理は自民党でなかったのかなというようなことを感じながら聞かせていただきましたが、今の簡潔な御答弁も、総理らしいという思いがいたします。

 先ほど小坂大臣が、五年以上にわたっていろいろ議論をしてきたというお話がございました。しかし、三年ほど前に出た、内容についてはまた逐次この委員会でお聞きをしていきますが、中教審の答申からも内容は変わってきております。そして、その間与党では、三年間七十回以上の議論をされたというお話も承っておりますけれども、この内容は全く国民の知るところではありません。そういう意味で、改めて、この法案について、そしてこの教育基本法の議論については今から国民的な議論をしっかりと行うべきだというふうに私は思っておりますが、改めて総理の御所見を伺いたいと思います。

小坂国務大臣 ただいま総理から御決意をいただいておりますので、私の方から、先ほどの町村議員のときに申し上げたことと若干重複はいたしますが、松本委員から、五年と言うけれども国民はほとんど知らないじゃないか、こういう御意見でございます。

 しかしながら、教育改革国民会議の報告がスタートでございました。これが平成十二年の十二月でございますが、教育基本法の改正が提言をされまして、それ以降、マスコミを通じていろいろな議論がなされてまいりました。

 確かに、今回の教育基本法の条文そのものについては、まだ逐条的に議論はされておりません。しかしながら、その中を流れるいろいろな考え方、今日的な課題、すなわち倫理観や社会的使命の喪失、あるいは少子高齢化による社会の活力の低下、核家族社会あるいは都市化、そういった問題意識、また、今日の教育が直面している課題であります青少年の規範意識や道徳心の低下、あるいは自律心の低下、いじめ、不登校、あるいは中途退学、学級崩壊、このような状態もある。

 また、ここ数日来テレビを見ても、本当に痛ましい、どうしてこんなことがと思うような、児童、幼児の虐待や殺害といった社会の事件が報道をされ、今日的な国民の意識は、なぜこんな社会になったのかと。我々が日本で誇ってきたものは、地域のお互いの譲り合い、そして助け合いの精神、農業社会を通じたえいっこの精神、そういった結いの精神というものがずっと日本の美徳であった。それが、どうしてこんな社会になってしまったか。そういうことで、国民みんなが、これを正すにはどうしたらいいんだ、それは教育ではないか、このように国民の皆さんはテレビの向こうで思っていらっしゃると思うんです。

 ですからこそ、今日この教育改革ということをしなきゃいけない、そのもとになるものを教育基本法として提言をしていくということで、今申し上げましたように、十二年以来、十三年十一月に中教審への諮問、そして四十回以上にわたる議論、この際にも新聞では報道されておりますし、また答申をいただいた十五年三月、それ以降も教育改革フォーラムやあるいはタウンミーティングを通じて、あるいはインターネットのホームページを通じて努力をしてきたところでございまして、このようなことを通じて、この五年余りの間に国民の皆さんの中にも徐々に浸透してまいりました。

 今回の議論を通じて逐条的な御理解を賜ることによって、この教育基本法の根本をしっかりと立ててまいりたいと思います。

松本(剛)委員 中教審から大きく変わったとおっしゃるのか、大きく変わっていないとおっしゃるのかよくわかりませんでしたが、いずれにせよ、その間、法案にされるまで、与党は、国民に非公開の場でありますが、七十回以上の、そして三年間の議論が必要だったわけであります。その出てきた法案をこれから審議をしようというわけでありますから、私どもが国会で、そしてまた国民を含めたこの法案の議論というのは、当然それだけしっかりと、もちろん我々も、今の大臣のお話をお聞きしていると、あたかもこれから議論をするのがよくないと言っている人といいと言っている人がここで論争しているように聞こえますが、そんなことはありません。我々もしっかり議論をしようと思えばこそ、しっかりと我々の考え方を出して、提出をさせていただいたわけでありますから、ここからスタートで徹底的にしっかりと議論をしようと。ただ、国会の会期、わずか実質一月のところでお出しになって、これをこの会期中に上げるんだということがひとり歩きされるというのは本末転倒ではないかということを申し上げたわけであります。

 そういうことはないとは思いますけれども、自民党の幹部の方が、この法案はガラス細工のようなものだから早く持っていかないといけないというような趣旨のことを言われたやに伝わっておりますし、他方で、連立与党を構成される公明党さんの方では、報道によればでありますからわかりませんけれども、来年は選挙があるのでことしじゅうにけりをつけたいとか、そんな話が報道では漏れ聞こえてくる。大切な教育だからこそ、まさかそんな党利党略で急ぐということはないと思いますけれども、しっかりとした審議の場を持っていただくことを強く内閣と与党にも要請をさせていただいて、次の質問に入らせていただきたいと思っております。

 この法案の基本的な考え方、理念について、改めてお伺いをしたいと思います。総理については本会議またこの委員会でも総理の教育論をいろいろ承ってまいりましたので、小坂大臣に承ってまいりたいと思っておりますが、なぜこの時期に改正なのか、この改正のねらい、できるだけ簡潔に御説明をいただきたいと思います。

 あわせて、全部を改正するというふうにこの法案、御提出をいただいた理由の中でありますけれども、これについても、私どもから見ると、既存の条文も残っておりますし、構成も基本的に変わっていない、むしろ追加をする改正ではないかというふうに考えますけれども、全部を改正という看板をお上げになったところも含めて御答弁をいただきたいと思います。

小坂国務大臣 なぜこの時期かということにつきましては、先ほども申し上げたとおり、今日の日本社会の直面している課題、すなわち、倫理観や社会的使命の喪失、少子高齢化あるいは核家族化、都市化、こういった申し上げたような環境の変化がある、制定をいたしました二十二年以来六十年が経過し、こういった社会環境が変化していること。そしてまた、今日の教育が直面している課題、先ほど申し上げたような不登校や学級崩壊、あるいは、家庭や地域の教育力の低下といった問題も指摘をされている。そして、歴代の内閣がそういった問題意識を持ちながら、今日的にどういう方法で解決するか。それは、すなわち、国民の皆さんが、やはり教育をしっかりしてほしい、こういう御要請もある。こういう中で、答申をいただいてもう既に三年以上が経過するという中で、今回の国会にこの教育基本法を提出させていただく、このように考えたところでございます。

 また、なぜ全部改正かということでございますけれども、法律について改正を行う場合には、その改正部分が広範囲にわたったり、かつ規定の追加、削除、移動等が大幅に行われる場合には一部改正によらずに全部改正によるということが多いわけでございまして、教育基本法については、二十二年の制定以来一度も改正が行われておらないことから、今回の改正においては、前文を初めとして改正部分が広範囲にわたりまして、規定の追加が大幅に行われることから、全部改正とさせていただいたところでございます。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

松本(剛)委員 二十二年以来ということでございました。先ほど、二十二年から六十年たってというお話もありました。来年がちょうど六十年なので、与党も内々には来年まで視野に織り込んだ議論なのかな、こう思いながらお聞きをしておりましたけれども、そのことも含めて、相当広範にわたるということである以上、本当にしっかりとこれからも議論をさせていただきたいと思っております。

 先ほどこの教育基本法について、小坂大臣、これを一つの切り口というお話がありました。教育基本法を変えれば教育が変わってくる、こういうふうなお考えでよろしいんでしょうか。

小坂国務大臣 教育基本法を変えれば教育は自動的に変わっていく、そのようなことを申した覚えもございませんし、委員もそのようには考えていらっしゃらない、だからこそ野党の皆さんも提案をされた、こういうことだと思います。

 この教育基本法を変えるとともに、関連の教育の改革のための推進基本計画も策定をするわけでございますし、また、学校教育を初めとしたそれぞれの関連法律についても、順次、この教育基本法の精神に従って改正の必要な部分については改正を行っていく、そういう必要があるところでございます。

松本(剛)委員 今のお話を承っておりまして、私どもの考えていることを一部はお取り入れというか、同じ考えではないかというふうに思います。先ほど河村委員も、さらにこれからどうするかということが大変大事だということをおっしゃいました。私ども日本国教育基本法として新たな法律をつくって提出をさせていただきましたが、この大きな視点は、教育基本法を変えて、教育を変えていく手順を一つ一つそこから踏んでいくんだ、このスタートになるような法律をきちっとつくっていくということが大きな私どもの原点でありました。

 提出者にお伺いをさせていただきたいと思います。

 民主党は、新たな法律として日本国教育基本法を策定されておりますが、その意図、理念について御説明をお願いいたしたいと思います。

笠議員 今、松本委員の指摘にありましたように、私ども民主党としても、この教育基本法がまさに出発点であるという考えでこれまで党内で議論を重ねてまいりました。

 私どもは、この教育基本法については、当然ながら、憲法に準ずる一番大事な法案であると考えております。一昨年来のこの議論の中で、今の時代そしてこれからの時代にふさわしい新しい基本法をつくろうということで議論してまいったわけでございますけれども、日本国憲法に準ずる重要な法案であるということで、法案名も日本国教育基本法とさせていただいております。

 心身ともに健やかな人間の育成は、教育の原点である家庭とそして学校、地域、社会の、狭い意味じゃなく広義な教育の力によって達成されるものである。

 しかしながら、今の教育を取り巻く環境は、現行法ができたおよそ六十年前とは大きく変わってきたわけでございます。社会のモラルの低下が目を覆うばかりのこの現代の状況の中で多くの課題が山積をしており、今こそこれまでの物質至上主義の文明から、その限界を認識して、未来を展望した新たな文明の創造を担う人材を育てることこそが教育の使命であると考えております。

 こうした理念のもとで、今の日本の教育を具体的に改善していくための大きな第一歩として、この日本国教育基本法を国会に提出させていただきました。

    〔町村委員長代理退席、委員長着席〕

松本(剛)委員 御答弁で小坂大臣からお話をいただいた部分をあわせ考えますと、この基本法をもとに、ここから日本の教育をどういうふうにしていくのかということを大きく議論をし、次の道を歩んでいく必要があるというふうに思っております。

 今まで御議論のあったそれぞれの教育論といったような問題とかそういうものももちろん大切なことでありますけれども、同時に、ここは国会の場でありますから、教育に対して政治が、また制度として何ができるのかということまで含めて、さまざまな議論が必要になってくるというふうに思っております。

 率直に申し上げて、政府から提出をされた基本法案の中には明記をされておりませんが、私どもの方で、制度の問題そして教育の予算の問題等、記載をさせていただきました。論ずべき点は恐らく同じ思いなんだろうというふうに思いますし、先ほど与党の委員からの御質問の中でも、我々の法案の中で、大きくきちっと法案で定めるべきだというふうに申し上げたところを幾つか論点としてお取り上げをいただきました。しっかりとこの委員会で議論をしていただくと同時に、先ほど計画という形でお話がありましたけれども、大きな根幹は、特に基本法でありますから、法律できちっと定めて、国会で、国民の前での議論を通して方向性を定める、このことまでこの場の基本法の議論ではしっかりさせていただきたいということを申し上げてまいりたいと思います。

 それでは、この教育基本法でどういったことをねらっていくのかということを幾つか議論をさせていただきたいと思います。

 一つは、昨今言われている格差の問題、これまでもたびたび委員会などでも、就学補助であったりさまざまな形で教育の機会均等ということに対する議論が展開をされていました。

 提出者の方から先にお伺いをさせていただきたいと思っておりますが、今の教育基本法でも機会均等という言葉はあります。そのようにうたわれております。しかし、人の本当に出発点である子供の教育において実質的な機会均等があるかどうかというのは大変重要な問題であり、そしてこの間の国会での議論で、そこが大変危うくなっているのではないか、こういう私どもの感覚を同時に国民の皆さんも共有をしていただいているのではないかと思います。

 その現状認識に立って、民主党の日本国教育基本法はどのようにその部分にこたえようとされておられるのか、御答弁をお願いいたします。達増さん。

達増議員 いわゆる格差問題が広く議論されるようになりましたきっかけは、教育分野での調査研究により、所得と学歴の階層的固定化の傾向が指摘されたことが発端であったと認識しております。

 教育は経済的格差を克服する機会であるにもかかわらず、経済的格差ゆえに教育を受ける機会が不平等になれば、それは回復不可能な人生の出発点における格差問題となってしまいます。とりわけ、二十一世紀情報化社会においては、必要な情報へのアクセス、また必要な学びの機会、こうしたことを得られないことは決定的な人権侵害になると私たちは考えます。基本的人権を十九世紀的な市民的、政治的権利、二十世紀的な経済的、社会的権利に分ける考え方がありますが、私たちは情報や学習に関する権利を、いわば二十一世紀的権利として、今まで以上に尊重しなければならないと考えます。

 これは、情報化社会において、インターネットやパソコンに強くなりさえすればいいということではございませんで、そういう情報のはんらんの中で何が本当に大切なのか、その本当に大切なものをきちんと守り育てていく、そういった力を一人一人が身につけていかなければならないということでありますけれども、今、日本全体がそうした力を失って、いわば日本全体、政治も経済も社会も情報のふぐあい、情報処理のふぐあいが生じていて、それゆえに格差問題が深刻化している、そういう側面もあると思います。

 そこで、私たちは、日本国教育基本法案の第二条で「何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、健康で文化的な生活を営むための学びを十分に奨励され、支援され、及び保障され、その内容を選択し、及び決定する権利を有する。」とうたい、学ぶ権利の保障を明確に定めました。フランス人権宣言をもじれば、日本学習権宣言と呼んでいただいてもよろしいかと存じます。そして、教育の機会均等ということが建前だけに終わることがないよう、第三条で「何人も、その発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境を享受する権利を有する。」と定め、実質的な機会の平等確保に意を尽くしたところでございます。

松本(剛)委員 ありがとうございました。

 今の時代の認識を踏まえた上での、きちっと基本法にそのことの方向性をお示しいただいているということを御答弁いただきました。

 小坂大臣にお伺いをしたいと思います。

 今の教育基本法が、機会均等をうたいながら、残念ながら今いろいろな問題を生じているということが私どもの認識であり、多くの認識ではないかというふうに思っておりますが、新たな御提案の教育基本法で、その部分についてはどうこたえようとしているのかということをお示しいただきたいと思います。

小坂国務大臣 本法律では、法のもとの平等を定める憲法第十四条、教育を受ける権利を定める憲法第二十六条を受けまして、これを教育において実現するために、現行法に引き続き、教育の機会均等を規定いたしているところでございます。

 現状におきましても、義務教育費国庫負担法、あるいは定数、教員の定員を定める義務標準法、あるいは人確法等によりまして、質の確保、教員の数の確保、そういう形で全国のどこに生まれても、どこで教育を受けても、必要な義務教育のレベルを保障するという形で機会の均等を図っているわけでございます。

 また、教育の一定の水準を保っているわけでございますが、今回の法案におきましては、社会的身分や経済的地位などにかかわらず、能力に応じて平等に教育の機会が与えられなければならないということを第四条第一項で規定しているほか、能力がありながら、経済的理由によって修学が困難な者に対しては、国または地方公共団体が積極的に奨学の措置を講じなければならないこと、すなわち第四条第三項でございますが、これらを規定しているところでございます。

 また、義務教育につきましても、機会の保障や水準確保のため、国、地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもとにその実施に責任を負うことを新たに規定いたしているわけでございます。

 文部科学省といたしましては、これらを受けまして、学ぶ意欲と能力のある者が、経済的な面で心配をすることなく、安心して学べるように、今後とも、奨学金事業の充実を初めとした是正のための施策に努めてまいりたいと存じます。

松本(剛)委員 基本的な理念のところはほとんど現行法をそのまま踏襲で、教育行政について国と地方公共団体の適切な役割分担によって格差問題が解消されるという理解でよろしいんでしょうか、そういうことですか。

 私どもは、この格差の問題、そして子供たちの教育における格差の問題というのは、社会の根幹にかかわる問題ではないか、こういう認識で取り組んでまいりました。これに対してこの教育基本法でどういうふうにこたえるのかということは、我々が最も大きく考えたところでもあります。

 政府においても長い年月の御議論ということでありましたけれども、その間で、残念ながら、先ほど申し上げたように、教育の機会均等の部分であるとか奨学の部分であるとかいう条文は、てにをはを除けばほとんど変わっておられない。国と地方の役割分担で後は格差を何とかするんだ、これだけだというのはまことに残念だと思います。

 小坂大臣、今からでも、民主党案の方がやはりいい、こう思われたらお取り入れをいただくべきではないかなというふうに思っておることを申し上げたいと思っております。

 何かコメントはありますか、ありませんか。

小坂国務大臣 教育基本法におきまして、ただいま申し上げたような格差是正といいますか、一定の水準を確保し、機会の均等を確保するとともに、奨学金制度の充実あるいは私学助成、こういったいろいろな施策をあわせ行うことによって教育の一定水準の確保とそれから機会の均等を守っていくわけでございまして、この基本法はそういった基本的な理念を定めているわけでございますので、その辺の御理解をよろしくお願い申し上げたいと思います。(発言する者あり)

松本(剛)委員 ぜひ真摯にお取り組みをいただくように要請いたしたいと思います。

 私は、ここで質問させていただいていますので不規則発言に答えるべきではないんだろうと思いますが、後方で与党の方から、格差は最近の話だ、こんなお話がありました。格差が拡大をしているということが最近大きく取り上げられたことは事実でありますけれども、特にこの教育の格差の問題については、私どもは、これまでも存在をしていて、むしろ解消に努めなければいけないものが行われてこなかったという認識でございます。その認識をもし一部の方でも持っておられるのであれば、ぜひ改めていただいて、次代を担う子供たちのために真摯にこの議論に御参加をいただきますように強くお願いを申し上げたいと思います。

 さて……(発言する者あり)まだ格差の話をちゃらちゃらした話だとおっしゃる方がいるのは大変残念であります。

 いわゆる愛国心の問題についても、これまで本会議、そしてこの委員会でも今議論になりましたので、一、二確認をさせていただきたいと思います。

 先ほど与党の案、そこにあるんですが、与党の案も国民の皆さんによくわかるようにこうやって私どもの方でパネルにさせていただきました。改めてごらんをいただきたいと思いますが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」こうあります。そして民主党案があります。私どもも、考え抜いた日本語でございますので、大変いい文章ができたと思っていますが、「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求すること」、ちょっと、違うところがかなりあると私ども思っておるんですが、「我が国と郷土を愛する」、これは全体一体だそうでありますが、それを含めた態度を養うということと私どもの「日本を愛する心を涵養」するということは、与党の委員の方からも、総理からも、大して違いがないではないか、こういうお話がありました。

 解釈を小坂大臣にお伺いしたいと思いますが、与党のこの「態度を養うこと。」というのは、私どもの「日本を愛する心を涵養」するということとイコールだという理解でよろしいですか。

小坂国務大臣 私どもの法案にございます「我が国と郷土を愛する」ということは、すなわち伝統と文化を尊重して、先ほども一部申し上げたわけでございますが、日本の伝統というものをしっかり理解しますと、その伝統的な行事に対して自分も参加してみたいと思うようになってくる。それはすなわち、そういったものを理解するとともに、そういったものに愛情を持って、それに行動としての態度にあらわれてくるということでございまして、態度にあらわれるまでには心がすなわちつくられていく。それは涵養という言葉であらわすこともあるでしょうし、また、これを養うという言葉であらわす場合もあるかもしれません。

 しかし私どもは、態度にあらわれるそのもとには、やはり心がつくられていく、それを、内心の問題でございますから強制をすることはないわけでございまして、そういったことが行われるような教育的な指導を行っていくということでございます。

 したがいまして、日本を愛する心を涵養するということと、我が国と郷土を愛するこの態度を養うことというのは、完全に一致することではないかもしれませんが、ともに同じような方向性を持ったものであるというふうに思うわけでございます。

松本(剛)委員 少しお聞きする方法、形を変えてお聞きをしてみたいというふうに思っております。

 実は私も、もう十日ほど前になると思いますが、テレビの討論番組に出演をさせていただいたときに、この文言が議論の対象になりました。与党の公明党の政調会長代理の方は、心という主観的な要素ではなくて、表にあらわれている態度を涵養しようということだというふうにお話しになり、自民党の政調会長は、今御答弁いただいているのに近いと思いますけれども、態度は心を内に秘めているというような形で書いてありました。

 今のここまでの議論をお聞きしていると、公明党の池坊委員も、心の育成が大切だということをおっしゃいました。形から入るというさまざまなおけいこごとの話もありましたが、一番大切なのは心ですよね。そういう理解でよろしいですか。

小坂国務大臣 先ほどの池坊委員の御質問にもありましたけれども、心を持っていても、それを態度にあらわさなければ相手は理解してくれない、こういうことから、そういった態度にあらわせるようになること、すなわち態度を養うということも必要だ、このように考えるところでございます。

松本(剛)委員 態度を養うことも大切だということは、まず心、こういう理解でよろしいのかなというふうに思います。

 そうだとすれば、一番大切な心を素直に書いたのが私どもの文章でありますので、ぜひ与党の方も、一番大切なまず心を書いて態度を書いていただくということが、日本語としても、教育基本法のあり方としてもよろしいんではないかと思いますが、小坂大臣、いかがですか。

小坂国務大臣 第二条の五号には、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」、この二つの、すなわち、伝統と文化を尊重するということがあって、我が国と郷土を愛するということがあって、また、他国を尊重するということがあって、国際社会の平和と発展に寄与するということがあって、これらを総括した「態度を養う」というふうに語句として受けているというのが条文の構成でございまして、この中にあらわすことは、一つは、それは確かに、態度に出るまでには心というものが一体的に養われるものであるということも含んでおると思うわけでございますが、条文としてこのように書かせていただいたところでございます。(発言する者あり)

松本(剛)委員 心と態度というのが、こうやってお話をしていると、後ろの与党からも、わからなくなった、こういう声がありました。ぜひわかっていただきたいと思うんですけれども、まずきちっと心と書いていただくからこそわかりやすくなるんだというふうに思います。

 これは、態度という言葉がひとり歩きするから、態度なのか心なのか、関係はどうなんだ、そして、残念ながら、先ほど、テレビの討論でも申し上げたように、場合によっては玉虫色とも思えるような解釈がひとり歩きをしかねないということが我々も大変懸念をするところでありまして、せっかくこういう形できちっと議論をしていこうということでありますし、言葉を受けて態度だというふうに思いますが、ここにある言葉を一つ一つ見ていっても、心あっての態度だということは、ここでの議論も共通の認識だろうというふうに思っております。

 「態度を養う」という非常にひっかかる日本語の形というのは、これからまた、まさに教育の基本の法律を定めようというのでありますから、ぜひ御再考をいただきたいと思っておりますが、もう答弁はよろしいですか。

 あとは国民の皆さんに御判断をいただきたいというふうに思っております。これは、私どもとしては、そして、先ほども説明がありましたのでもう繰り返しをしませんが、まさにアイデンティティーを大切にして、そして、次の時代を担う、本当に今の我が国の現状を憂えたときに、私たちは、ある意味では世界に先駆けて日本が新たな文明をしっかりと築いていく、そういう人を育てるということを教育の使命にしていきたい、そしてそれには、日本ということについてのアイデンティティーをしっかりと我々が固めていくことが大切だ、こういう思いでこの文章をつくらせていただきました。ぜひ、国民の皆さんにも見ていただいて、どういう形が次の時代の子供たちにふさわしいかということを承っていきたいと思います。

 総理、御意見ありますか、特にありませんか。

小泉内閣総理大臣 「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求すること」、なかなかよくできているなと思っております。

松本(剛)委員 総理に朗読をしていただきましたので、この内容について、民主党の議員に内容を承って、説明、解説をお願いしたいと思っておりますが、簡潔にお願いできますでしょうか。

笠議員 今、小泉総理にも朗読をしていただきましたので、特にこの中の、やはり、「日本を愛する心を涵養し、」この点が今大きな議論になっているのかと思っております。

 先ほど来、いろいろな議論がありましたように、もちろん、この国を愛する心というものが決して強制的に、一方的に押しつけられるということはあってはならない。やはり、自然と、しっかりと身につけて、じわじわとということで、あえて私どもは、まず涵養という言葉を使わせていただきました。水が土の中に自然としみ込んでいくようにという思いを込めて使わせていただいたわけです。

 そして、国を愛する心ではなくて、あえて「日本を愛する心」とした中には、まさしく我が国の伝統、文化、さらには郷土、自然、こうした社会的実在としての日本を愛する心が今まさに求められているのではないか、必要なのではないかという思いからです。

 そうした心をはぐくむことによって初めて、他者を慈しみ、あるいは他国を理解し、そして前文にも私どもうたっておりますけれども、ともに生き、互いに理解をし合う、この共生の精神を醸成していくことができる、そして、そのことが重要だということで、日本を愛する心の涵養とさせていただいた次第でございます。

松本(剛)委員 ありがとうございました。

 それでは続いて、教育への姿勢というものを問うてまいりたいと思っております。

 その意味で、予算は政治だという言い方をされる方もあるように、財政的にどういう形で教育に対して取り組んでいるかということは大変重要な問題でございます。

 先ほど、これも自民党町村委員の方から、予算のGDP比のウエートが国際的に大変低いという問題をお取り上げになっておられました。私どもも、現在の国際的な水準から見て大変低いということは大きな問題だというふうに思っております。

 ここに、国際比較をパネルにしてお持ちしております。委員の皆さんにはお手元にもお配りをさせていただいているかと思いますが、問題は、我が国はもともと低いところから一生懸命引き上げてきてここまで来たんではなくて、むしろ、比較的高かったのに、多くの国が教育にどんどんどんどん力を入れていく中で、我が国においては教育の予算というのが、割合からいえばどちらかというと下がっていって今の実情になったということが大きな問題だというふうに思っています。

 ちょうど自民党ができた一九五五年から私も少し数字を拾ってみましたけれども、国の予算の中に占める構成比が一四・五から五十年で一〇・二に下がりました。地方においても、二八%から二〇%に下がっております。ちょうど二対一でそのまま比例して下がったような形であります。それぞれが作成する、特に国の場合、策定する予算の中でどのぐらい教育の予算に割合を充てるのかというのは、まさに政治そのもの。これを自民党ができたときから五十年間でどんどんどんどん減らしてきた歴史というのが、大変大きな問題だというふうに思っております。

 私たちはここできちっと方向を変えるべきだというふうに思っておりますが、そして、そのことも民主党の日本国教育基本法の中には含ませていただきましたけれども、小坂大臣、変えていこうという気持ちがあるかどうかだけ、決意をお伺いしたいと思います。

小坂国務大臣 一概にGDP比で規定するのがよろしいかどうかというのは、これは同じ公教育の中における公立学校と私立学校の構成比というものが外国と日本と違うということ等もございますので、私どもとしては、一概にGDP比を指標とすべきではないというふうに思いますけれども、御指摘をされております、今後とも教育に対する予算というものは十分に確保していくべきだという観点においては、私どもも同じ考えでございます。

松本(剛)委員 時間が限られていますので再答弁を求めませんが、今後ともではありませんので、これからはですので、よろしくお願いをいたします。

 それでは、民主党案の中で、やはり教育の予算に対する姿勢をきちっと日本国教育基本法では明記をしていただいているかと思いますが、御説明をお願いいたします。

大串議員 お答え申し上げます。

 ただいま委員から御指摘のありましたように、我が国における教育に関する公財政支出の国内総生産に対する割合は三・一%と他国に比べて非常に低い状況になってございます。これに関しまして、我々の教育基本法においては、しっかりとした財政手当てを行っていくことによって、我々の日本国教育基本法の考え方を実施していくということを考えております。

 そのため、我々の法案におきましては、第十九条の二項におきまして、教育の振興に関する基本的な計画の中に、我が国の国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として、教育に関する国の予算の確保及び充実の目標が盛り込まれるものとするというふうにしておりまして、またさらに、第二十条におきましては、政府及び地方公共団体は、第十九条の計画の実施に必要な予算を安定的に確保しなければならないというふうに規定をきちっと入れることによって、財政支出もきちんと確保していくことを担保していくことを考えているわけでございます。

 こういう措置を通じまして、OECD諸国並みあるいは米国並みといった水準の予算を確保していくということを旨として考えているところでございます。

松本(剛)委員 ぜひ、小坂大臣、今までの流れから変えなければいけないので、法律にこのぐらい入れるぐらいのことをお願いしたいと思っております。

 具体的に一つ、きょうはテレビで多くの国民の皆さんも見ておられますので、国民の負担ということで、高等教育の家計の負担の割合、これまでも国会の委員会でも取り上げてまいりました。改めてごらんをいただきたいというふうに思っておりますが、日本の親は本当に大変な苦労をしているということがよくわかると思います。

 しかも、私どもはかねてから申し上げてまいりましたが、日本も一九七九年に批准をし、六六年に国連で採択をされた国際人権規約の社会規約、A規約と言われているものの十三条、ここには、高等教育、大学ですね。ちなみに、政府提出の教育基本法は大学と書いてあって高等教育と書いてありませんから、高専とかそういうのは何か今回の教育基本法では外しておられるみたいですけれども。そこはちょっと横へ置くとして、これについて、人権規約の方で、高等教育については漸進的に、つまりだんだんと無償の方向へ持っていきなさい、こういう条項があります。

 残念ながら、日本政府は、この条項を留保、つまりそこだけいわばサインをしていないという状態であります。そもそも我々からすれば、そういう留保するかしないかということが、国会に権限があるのか内閣に権限があるのか、今内閣でおやりになっている、これが共謀罪の問題にもつながっているんじゃないかと我々は思いますが、そういった問題について留保をしている状態になっております。

 しかも、二〇〇一年に国連の委員会の方から勧告を受けていると思います。こういう高等教育の奨学金とかそういうことを一生懸命やっているからといってこれの留保を認めるという理由にはならないという趣旨の勧告を受け、二〇〇六年の六月三十日、ちょうど来月末になりますけれども、それまでにこれについて返事をするように、報告をするようにというふうに求められているはずでありますけれども、この留保、これを解除することをお考えになる気はないのか、この六月三十日、どう回答されるつもりなのか、小坂大臣に伺いたいと思います。

小坂国務大臣 国際人権規約の高等教育無償化条項につきましては、高等学校卒業後に社会人として税金を負担される方もおられるわけでございまして、すなわち高等学校を卒業後に社会人になられる方と、学生として適正な負担をされる方との公平を図りたい。すなわち、大学へ行かれる方と働く方で、働く方は税金を納めている。しかし、この無償化条項によれば、大学へ行った方は無償になって利益を受けるということになって不公平ではないかという御指摘も出るところでございまして、留保をしているところでございます。

 また、奨学金事業や私学助成等を通じた支援に努めてまいりました結果、我が国のいわゆる高等教育、大学への進学率は先進国の中でも高い水準に達しておりまして、今後とも高等教育を受ける機会の確保について適切な施策を講ずるということを考えておりまして、この六月の際に受け入れるという形の方向性はまだ出していないところでございます。

松本(剛)委員 条約でこの条項を留保しているのは、世界で日本とマダガスカルとルワンダなんですよ。それ以外の国は、では今大臣がおっしゃったように、みんな大変不公平な教育の施策をやっておられるということをおっしゃっているかのような御答弁になってしまいます。

 改めて、これから大きくなる子供を抱えている親御さんも、これを見ていただいて、本当に日本の教育に対して政府がどういうふうに取り組もうとしているのか。先ほど申しましたように、日本は、残念ながら我が国は、おおむね自民党政権のこの五十年間で、国においても地方においても教育の予算の割合を減らしてまいりました。ここにあるようなスウェーデンとか多くの国々は、この無償化の国連の人権規約にきちっといわば加わって、徐々に努力を重ねて、やっとゼロになった、一けたになったという積み重ねでここまで来ているわけであります。この五十年ほどの積み重ねの差というものが、これだけ大きなものになってきている。

 ぜひここで方向転換をするためにも、民主党の方は、この教育基本法の中にも漸進的な無償化というのを明記いたしました。方向をここで変える教育基本法をつくる必要があるということを強く申し上げて、私の最後の質問に移りたいと思います。

 官房長官にお戻りをいただきました。宗教教育について、官房長官に一点お伺いをしたいというふうに思っております。

 宗教教育については、我が党の鳩山幹事長が本会議でも官房長官にお話をお伺いしました。御答弁、全部は読む時間がありませんので、ポイントだけ御紹介を申し上げますが、宗教に関する教育が適切に実施される、この教育基本法によって適切に実施されるものと期待している、こういう御答弁をいただいたというふうに理解をしておりますが、今回の法案では、宗教に関する一般的な教養というのを新たに規定したというふうに書いてございます。これは、現行法でも、政治について、政治的教養というふうに書いてあります。

 そもそも中教審の答申では、宗教の意義ということを取り上げて、これを尊重することが重要であるというふうに話が出ておりました。私どもから見れば、これは後退であり、一般的教養ということであれば、今の政治教育並みということでいいという御理解なのかどうか。

 これについて、中教審から、変わったのではないか、後退をしたのではないかということについて、中教審の会長もその背景、事情は聞いていないということを言っておられるという話もお聞きをしておりますので、官房長官から、ぜひ中教審答申から変えられた理由を御説明いただきたいと思います。

安倍国務大臣 お答えいたします。

 まず、中教審の答申にまさにこたえる形で政府案はできているというふうに思います。

 中教審答申におきましては、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」このように提言をされています。

 これを踏まえまして、教育基本法におきましては、現行法の「宗教に関する寛容の態度」や「宗教の社会生活における地位」に加え、「宗教に関する一般的な教養」を新たに規定いたしまして、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布などの宗教に関する知識など教育上尊重すべきことを明確に規定いたしております。

 このことによりまして、各学校におきまして、改正の趣旨を踏まえ、宗教に関する教育が適切に実施することが求められるものでありまして、本法案の内容は答申からは後退したものではない、このように思います。

 また、宗教の持つ意義でございますが、宗教の持つ意義につきましては、宗教が社会生活において果たしてきた役割や、その社会的機能などの宗教の持つ意義については、現行法と同様、「宗教の社会生活における地位」と規定をいたしております。

松本(剛)委員 答申に携わった方々が趣旨が違うのではないかと理解をされておるからこそ、そういう御発言が出ているのではないかと思いますが、私から見れば、官房長官は変わっていないと強弁をされているのではないかなというふうに思います。

 また、一般的教養というのは、今の繰り返しになりますが、政治教育で行われている用語と重なってくるわけでありまして、現在行われている政治教育の評価もこれはさまざまあろうかと思いますけれども、極めて大切な宗教教育を現行法の政治教育と同じようなレベルの水準にこれから持っていくことが望ましいというふうにお考えになっているという答弁をいただいたということだけ最後に私の方から申し上げて、それでよろしければもう終わりたいと思いますが、よろしいですか。

安倍国務大臣 ただいま答弁をいたしましたように、宗教の持つ意義、意味、またその重要性、地位について、しっかりと子供たちに教えることによって理解を深めていく、宗教的な情操心の大切さ等々についての理解を深めていくということにおきましては、これはまさに中教審の答申の意味するところを十分に踏まえたものである、このように考えております。

松本(剛)委員 終わりますが、議事録を確認したいと思いますが、最後の御答弁は、法文よりも答申に少し近づいたのではないかと少しずつ思いますが、確認をして、また引き続き議論させていただきたいと思います。

 それでは、同僚の議員に交代をいたします。ありがとうございました。

森山委員長 次に、藤村修君。

藤村委員 民主党の藤村修でございます。松本剛明委員の関連質問という形で、ほぼ三十分ぐらいしかございませんが、質問をさせていただきます。

 まず、私は、きょうは政府案にのみ質問をさせていただきます。

 愛国心論争がたけなわというか、始まったということであろうと思います。私、まず聞きたいのは、愛国心については、もう御承知のとおりではありますが、既に学習指導要領においてもきちんと書き込まれております。今、これは一番新しい学習指導要領、御存じのとおりでありますが、これは小学校の学習指導要領ですが、ここの例えば第六学年、社会の目標(一)に、「国を愛する心情を育てるようにする。」と書いてあります。あるいは小学校の五、六年の道徳でありますが、「郷土や国を愛する心をもつ。」と書いてあります。

 つまり、教育の分野ではもう既に、これは当然のこととして学習指導要領の中で取り組まれているわけで、私も当然、この国を愛する心を、日本に生まれ育ち、学び、そんな中で自然な結果として持つことは当たり前の話で、ただ、そうした心が決して上から強制されて身につくものではないし、一方的に上から押しつけがあってはならない、このことは考えております。

 既に学習指導要領において書いてあるのに、今回改めて全部改正の中の「教育の目標」の中に記述したというのは、どんな意味と効果と、さらに、では今後、学習指導要領をこれでまたさらに書きかえるのかということと、あるいは評価をするようになるのかということについて、これは文科大臣の方からお答え願いたいと思います。

小坂国務大臣 御指摘の学習指導要領におきましては、例えば小中学校を通じて、我が国の国土や歴史への理解を深めまして、愛する心と国家の発展に寄与しようとする態度とを一体として育成することとしているわけでございます。

 今回、教育基本法におきましても、新しい時代を切り開く教育を実現する観点から、特に重要な事柄であります我が国と郷土を愛する態度について規定することといたしまして、各学校において改正の趣旨を踏まえた指導の一層の充実を期することとしたものであります。

藤村委員 今のことで、評価のことをちょっと飛ばされたかと思います。これは、今回基本法に書き込んだことで、学習指導要領においてさらに書き加えられたりし、さらにそれが何か評価につながるということはないのかということでありますが。

小坂国務大臣 具体的な指導はどのように行うかといいますと、先ほども一部、他の委員の質問で申し上げたわけでございますけれども、我が国の歴史の中で我が国に貢献してきた偉人や地域に貢献した人々について学んだり、地理について勉強をしたり、世界の中における日本の位置づけ、あるいは世界で活躍する日本人等について学ぶことによりまして、そういった事柄を通じてこの目的を達成していこうということでございますから、この具体的な方法については、基本的には学習指導要領において、今日の学習指導要領と大幅に変更するものではございませんけれども、しかしながら、本法律の成立に伴いましてもう一度各種学習指導要領を精査いたしまして、必要な改正があればそれをやっていこう、こういうことになるわけでございまして、この部分につきましては、教育の推進基本計画の中でまたこれを規定して、そのように学習指導要領も対応していく、このようになると思うわけでございます。

藤村委員 愛国心論争は、先ほど来は実は、心、一番下の心、あるいは態度かという話がございました。総理、ちょっとこれは聞いておいていただきたいんですが、もう一つ、愛するという言葉か、自公の協議の途中で報道されたのは、大切という言葉もあったわけですね。

 これは実は、ここにお持ちした最新の学習指導要領というのは平成十年告示なんですが、この十年前の平成元年告示の小学校の道徳のところでは、「国を大切にする心をもつ。」と書いてあるんですね。これは、今最新の平成十年の告示の学習指導要領においては、全く同じ場所が「国を愛する心をもつ。」と。大切が愛するに変わったんですね。

 これは学習指導要領の話ではありますが、自公の協議の途中でも、大切という言葉はいけないのかという議論があったようで、今いらっしゃる安倍官房長官は、いや、消しゴムを大切にするのと国を大切にするのとは違うというふうな、これは報道で聞いただけでありますが、そういう議論もあったと聞いております。

 総理、これは、大切と愛するとは大分違うとお考えですか。

小泉内閣総理大臣 大切にするというのは愛することにつながる、愛するというのは大切にすることである、どういう違いがあるんですかね。物を大切にする、骨とう品を愛するという人もいますからね。言葉遣いというのはなかなか難しいと思うんですね。私はあの人を大切にしたい、あの人を愛する、余り違いがあるとは思わないんですけどね。

藤村委員 小泉総理の感覚はそのとおりだと思います。しかし、これは教育にかかわる法律で、やはり言葉は本当に大切にしないといけないですよね。

 そこで、一五四九年、キリスト教が日本に伝わった。鹿児島、島津藩主がフランシスコ・ザビエルを迎え入れ、布教を許した。そのときに実は日本に初めて西洋の言葉が入ってきたんですが、これがポルトガル語なんです。総理はおととしブラジルへ行かれて、あそこもポルトガル語であります。猪口大臣も、たしかブラジルで小学校、中学校を暮らされたのでポルトガル語が堪能だと思いますけれども、実は、日本に西洋の言葉が入ってきたのはポルトガル語が初めて。だから、今でもパンとかカステラとかじゅばんとかありますよね。

 かつ、キリスト教の宣教師ですから、最も大切な言葉というのは、大事な言葉というのは、まさにキリストの愛を伝えることですよね。そのときに、では彼らは愛をどう伝えたか。これは、ポルトガル語ではアモールですよね。アモールを、そのときに日本語に、大切と訳した。これは、動詞はアマールなんですね。アマールは、大切に思うと訳した。すなわち、大切で全然いいわけです。しかし、どっちが、まあ総理はどっちも一緒だとおっしゃったので、その論争は不毛であった、私は、自公協議の中でそういう論争がされたということを聞いたものですから、不毛な論争をされたなと思うんですが。

 このことは、ですから、今からまさに政府が出されたこの法律を審査するに当たっては、特に教育の問題ですし、我々の提出した基本法においては国語力という言葉も実は中に入れておりまして、本当に言葉を大切にしながら、大事にしながら審議を進めていきたいな、そんな思いをお訴えしたいと思います。

 次に、ちょうど先週でした、我が党の小沢代表と小泉総理大臣との党首討論。この中で、ちょっとかみ合わなかったと思うんですが、例えば、我が党小沢代表は何回か聞き直しているんですよね、一つのことを聞いているんだけれども、なかなかうまく答えてもらえなかった。「教育行政の問題、この教育の問題がやはり大事」だと。「そういう意味で、多分与党も教育基本法の改正ということになったんだろうと思いますが、現在、教育の基本的な責任は、総理、どこにあると思いますか。」という問いに、冒頭、「私は、基本的に親にあると思っているんです。」ということからずっとお話をされた。

 しかし、ここは今、親にあること、我々も基本法に、第一義的に親にある、特に幼児期の教育はですね。ですが、法律で教育のことを論じるんですから、そして、政府は法律を出してこられているんですから、これはそこから先の、まさに国や地方公共団体が行う教育のことを聞いているし、それに答えていただきたかったというわけです。

 先ほど河村委員が、どうも国の責任はもっと明確にすべきではないかというお話でございましたし、我々もそのとおりだと思っております。

 特に義務教育、今では、小学校六年、中学校三年、九年間。この義務教育というのは、国もいろいろな法律をつくってそれなりに責任を果たしているとは思うんですが、しかし、最終的にだれが責任を持つかというところが、先ほどの総理の答弁は、国や地方公共団体や学校や地域やと、何かどうもあいまいであると思うんですね。それは、やはりこの仕組みの問題、まさに教育行政の問題だと思います。

 一番身近で私が通う小学校は、大阪の吹田市で、吹田の市が設置しています。ところが、運営に関しての責任というと、今度は市の教育委員会であります。そこの先生はというと、今度は大阪府の職員であります。そして、それらの教員や職員や学校の費用は、国と地方と、何か市町村も含めて分担している。ということは、責任の所在が本当にあいまいになってきたことが、このたびのというか、今回のというか、改正につながる大きな理由の一つだと私どもは思っております。

 そういう意味では、構造的改革、お好きな言葉、構造改革が必要なのではないか。その際に、やはり一番の責任は特に義務教育においてはどこにあるか、このことをちょっとお答え願いたいと思います。

小泉内閣総理大臣 国としてだれでも教育の機会を与える、特に義務教育、無償である、国が責任を持つということは、私は政治ではっきり理解されていると思っております。

 その際に、国と地方公共団体の役割、今藤村議員が言われたような、教育委員会と学校と県と市町村、この役割が不明確だという話もありましたけれども、これは今後整理されるのは結構だと思いますけれども、基本的に、政治で教育を重視する、義務教育が無償である、すべての人に、教育を得たいと思う人にはすべてその門戸を開放する、受けられるようにする。これは政治で一番大事なことだと私は思っているんです。

 だから、法にあるのと、政治というのは法だけの問題ではありません。そういう点はよく勘案しながら、政治面におきましても教育の重要性をよく認識して、費用の点でどこがお互い負担するかというのは今までの議論でもありました、地方分権の中でも。今後、今言われた点も含めて、よく整理されるのは有意義なことだと私は思っております。

藤村委員 政治はやはり具現化するために法をつくっていく。だから、国会で立法機関としてこれをやるわけですね。

 かつ、もう一つ申し上げると、今義務教育という限定をしているんですが、これは憲法の中でまさに無償とある。だから私は、最終の責任というのは、やはり一つはお金というか、無償というまさに経費の問題であります。それから、もう一つあるとすれば、まさに教育内容などではなくて、教育行政の仕組みをきちっと国がつくるということ。それから、機会均等という意味では、学習指導要領のような一つのスタンダードというのはやはり国がつくるのではないかと思いますが、何より大事なのが、だれが負担するか、まさにお金の話を国が最終的に我々は責任を持つべきだと考えております。

 ちょっとパネルを出していただきます。これは、お配りしている紙もあると思うんですが、よく文部科学の委員会では出てくるパネルでございます。

 義務教育費用というのがどのくらい、これは総理も余り細かくはふだん承知されていないかもしれませんが、義務教育にかかる全体の日本のまさに予算というのはどういうふうに使われているかというと、総額は十兆二千七百四十八億円。これは平成十五年度の決算ベースでありまして、ちょっと古いんです。

 この役割分担、負担の割合というのは、国が三兆円弱で三割、都道府県が四兆三千億、四割、市町村が三割。

 だから、国がときょうまで結構言ってこられた文科省も、実は義務教育に関して、憲法に定める無償を、国はこの三割負担です。三割自治という言葉がありますが、実は国が三割で大きなことをきょうまで言ってきたのではないかなというぐらいに、これは三、四、三という比率であります。

 それから、ちょっと下、内訳を見ていただくと、やはり教育というのは何にお金がかかるかというと、七五%、四分の三が人件費であります。このことをちょっと頭に入れていただければありがたいんです。

 先ほど来、OECDのいわゆる対GDP比の話がございましたが、これは、日本は教育財政に対しては三・一%でした。五百兆円としたら十五兆円ぐらい。しかし、そのうちの十兆円を超える額を義務教育に投じているわけで、これは憲法にある無償ということにつながっているんだと思います。

 その意味で、私どもは、国の責任は最終的に、国や都道府県や市町村がそれぞれ分担するのではなく、少なくとも、この大半、四分の三を占める人件費、七五%です、これをやはりきちっと国が確保する。なぜなら、これらの原資というのは全部税金でありますから、それを何か使い分けして、そのことで、連携をして何とかかんとかいいながら、責任の所在があいまいになっている。

 このことについて、総理の御見解をお伺いしたいと思います。私どもは、まさに国がお金のところはきちっと総額を確保するという意味で、それが国が責任を持つことではないかなと思っております。

小泉内閣総理大臣 藤村議員の考え方とは違う考え方を地方は持っているんですよ。今までのいわゆる補助金の改革、税源移譲の改革、交付税の改革の中で、地方は、それを地方に渡してくれと言っているんです。

 そこら辺は、与野党で入りまじった議論があるんです。与党の中においても、野党においても、違う意見と同じ意見があったんです。国が責任を持つべきで、教育費は国が全部持って、その中で地方がやるべきだというのと、地方団体の多数意見は、いや、教育費ということを分けないでいい、全部与えてくれれば、公共事業に全部使うなんというのはあり得ないと。地方だって選挙があるんだ、教育を削ってほかの予算に回している市長でも県知事でも、支持されるかどうか。わかってくれば住民が判断することだ、教育を重視する知事なのか、市長なのか。だから、国が全部を持つ必要はない、教育であろうが公共事業費だろうが福祉の関係費だろうが、全部地方に渡してくれというのが地方側の多数意見だったんです。教育費だけ国が持てというのは、中にはありましたけれども、それは多数意見ではなかったんです。

 だから、国の役割、地方の役割、お互い教育には責任を持ちますけれども、全部費用を国が持てば責任を持ったのか、地方に渡すことによって国が責任を放棄するかという問題でもないと思います。これは、今後の教育のあり方においても大きな議論になると思っています。

藤村委員 これは平成十五年度の決算ベースで書いてありますから、国三割、三兆円弱。

 実は、つい、この国会の冒頭の方で、前半で、義務教育費国庫負担法という法律の変更をしまして、国の負担を二分の一から三分の一に減らしたんです。これは御承知のとおりです。そのときに小坂文部科学大臣は、苦渋の選択とおっしゃったんです。やはり国がもうちょっとちゃんとすべきという文科省のお考えにもかかわらず、三位一体、行革論争の中で地方へ譲った。

 でも、考えてください。これは、原資は、何か三つから来るわけじゃないです、税金です。実は、地方といってみても、要は国が手当てする地方交付税交付金、こういうものを充てていくわけで、つまり、元締めはやはり国なんですから、そこは国がきちっと。我々は、財政を地方が自主的に使えるという意味で、今文科省がやり出した総額裁量制というのは、これはある程度支持しております。ただ、もとをきちっと確保する、それがどこの責任か。地方じゃないんです、国なんです。このことを訴えたいと思います。(発言する者あり)もちろん地方税も入っております。

 それから、さっき、与野党でこの論議は分かれているというふうにおっしゃいましたが、少なくとも民主党は、今回、法律を基本法で出しましたので、分かれておりません。普通教育は国が最終的に責任を持つと一行ちゃんと書いてありますので、民主党は分かれておりませんので、その辺は誤解のないようにしていただきたいと思います。

 さて、もう一つ、時間がもう余りないところでございますが、宗教教育についてお尋ねをいたします。

 今回、政府の全部改正案では、「宗教に関する一般的な教養」を追加しただけですよね、現行法から見れば。ですから、今の「宗教に関する一般的な教養」という言葉を追加したことで一体何がどのように変わる、どんな効果があると予測されているのか。それから、このことで、学習指導要領というのはどういうふうに具体的には書き直す方向であるのか、いや、今のままであるのか。その辺は文科大臣にお答えを願いたいと思います。

小坂国務大臣 今御指摘のように、「宗教に関する一般的な教養」という表現で宗教教育について規定をするわけでございますけれども、現在どのように行われているかということにつきましては、小中学校の社会科、そしてまた高等学校の地理歴史、公民、これらの授業において指導が行われておりまして、例えば歴史における宗教の役割や影響、それから世界の宗教の分布などが取り上げられているところでございます。

 今後、改正の趣旨を踏まえまして、学習指導要領の見直しを検討するなど、宗教に関する一般的な教養についての指導が各学校において一層適切に行われるようにしてまいりたい、こう考えているところでございまして、宗教教育についてどのように変わるかということで申し上げれば、基本的には、今申し上げたような具体の指導を行うことを今後とも継続する中で、学習指導要領の見直しをする中で、必要な部分が出てくれば、その部分について検討をさせていただく、こういうことになると思っております。

藤村委員 何か確かによくわからなかったんですけれども。

 「宗教に関する一般的な教養」のみをつけ加え、しかし、中教審答申において、ぜひとも規定すべきというふうな、割に強い言い方で答申された「宗教の持つ意義を尊重することが重要」、これを飛ばされた、それはなぜですか。

小坂国務大臣 人間が与えられた命をどのように生きるか、こういうことは、やはり社会生活の中で大変重要なことでございます。

 今日、社会のいろいろな事件の中で、命というものの大切さというものがどうも軽んじられているのではないか、そういった社会事象が見られる中で、私どもとしては、そういった宗教の果たす役割、社会的な役割というものを知っていただくこと、また同時に、他国に対する理解を進めようとした場合に、その民族の背景にある宗教というものをやはり教えないわけにはいかない。そういったことから、国際社会における理解の促進を図る、こういったことも踏まえまして、宗教に関する一般的な教養というものをしっかり持っていただこう、こういうことにしたところでございます。

藤村委員 一般的な教養というときには、今小坂大臣おっしゃったような、生と死の云々とかいうことは全然入りませんよ。つまり、キリスト教はいつどういう方がやってきてという事実、これが一般的教養であろうと思うんですね。

 だから、中教審答申では、「宗教の持つ意義を尊重すること」というのは、これはもちろん尊重するので、教えろとか教えないじゃないんですが、もう少し宗教の意味ということ。これは、我が方、私ども民主党案では、「生命及び宗教に関する教育」という形で、第十六条なんですが、その最初に「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」としたところで、その後に宗教のことを書いております。これは、問題意識は一緒なんです。

 長崎において、教育委員会の方が千人ぐらいの子供たちの調査をされて、今の子供たちは、まあ長生きになったということもあるんですが、割に家族の死というものに接しないで育ってきている、身の回りで死を余り体験していない。ですから、非常にちょっと不思議な数字というか驚くべき数字なんですが、これは千人の調査の中で、小学校の四年、六年、中学生ということですが、その中で、中学生では、人間が一度死んでもまた生き返ると思っている方が一八・五%、五人に一人ぐらいは、人間はまた生き返ると思っているようです。

 これは、我々も今回の基本法に書きましたけれども、インターネット社会における仮想情報空間という難しい言葉があります。そんな中で、何かゲームではリセットしたらまた生き返るんですよね。だから、やはり本当にここは最も深刻で大事なところなんです。

 しかし、単に現行法の宗教のところにちょこっと一般的教養を入れられただけで問題は全く解決しないんです。我々は「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」とし、それから、情報社会に関する教育のところでも、インターネット社会の仮想情報空間での、まさに光と影の部分をきちっとこれは基本法にうたって今後やっていくべきだという、新しい二十一世紀型の考えを示したところでございますが、小泉総理のお考えをお伺いしたいと思います。

小泉内閣総理大臣 一度人間が死んで生き返ると思っている子供たちが一八%、二割近くいるというのにはちょっとびっくりしましたけれども。霊魂は不滅だということはあります、面影の中でずっと生き続けるというのは理解できます。しかし、一度いわゆる肉体的な死が訪れれば再び生き返ることはないというのは、私はこれはもう子供でも理解していると思ったんですが、そこはちょっと認識不足だったかなと思います。

 そういう点、やはり命の大切さ。映画やテレビゲームの中で出てくるように、一度死んだ人間がまた生き返ってくるということはないんだというようなことについては、やはり今のさまざまな時代の変化なのかなと思う面もあります。そういう点について、宗教というのはそれぞれ人の心のありようですから、私は、宗教心を持つということは大事だと思っています。

 それは、人間は万能ではないという、自然に対する恐れ、畏敬の念を持つ。人間よりもっと大きな力があるんだ、人間というのはこの地球の中で生かされているんだ、多くの人々によって支えられているんだ、人間が万能ではないというのは、やはり宗教の持つ大きな力もあるんじゃないかと思っておりますので、それぞれがどういう宗教を持つ、信条を持つということは自由でありますけれども、そういう点も教育の中で、子供たちに命の大切さ、お互いを尊重し合うということを教えていくことは大事だと思っております。

小坂国務大臣 今、総理からお答えをいただきましたように、私も、子供たちが生きることのとうとさや死の重さということをしっかり把握していただくことは重要なことだと思っております。

 このために、現行の学習指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間において、命はかけがえのないものであること、これを知って、また自他の生命を尊重すること、そしてまた人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、これらは指導しているところでございます。

 このように、生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを理解し、そして尊重する態度を育てるための教育を行ってきているところでございまして、今回の法案におきましても、第二条の第一項において豊かな情操、そして命をたっとびということが規定をされているところでありまして、こうした改正の趣旨を踏まえて、これまでの指導を基盤として、このような教育が各学校において一層適切に行われるように私どもも努めてまいりたいと存じます。

藤村委員 もう時間が参りますので、あとの質問はまた次回ということになろうと思いますが、最後に申し上げたいのは、きょう、冒頭からも幾つかの議論がございましたが、長い間議論してきたということは、中教審であれ、文科省であれ、あるいは国会議員の間であれ、それは専門家の間でされてきたことを認めますが、しかし、この教育基本法の問題はまさにきょう審議がスタートをし、あるいは私どもが提案した案もスタートするわけであります。かつ、文部科学省なり政府の見解で、教育基本法というのは憲法に準ずるぐらいの非常に重要な法律案であるということは、もう皆さんお認めであります。

 となれば、かつて国会で憲法調査会を衆参に置いて、それぞれ五年間調査をいたしました。その後に、今は特別委員会に切りかわり、今度は具体的な憲法の問題に入っていこうとしているわけでありますから、そういう意味では、教育基本法がそれに準ずるぐらいの法律であるならば、ぜひともこれは教育基本法に関する調査会を設け、まさに与野党で、これは総理大臣おっしゃるとおりであります、与野党で本当に一、二年の議論をしていこうじゃないですか。そのことを最後にお訴えをし、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、志位和夫君。

志位委員 日本共産党を代表して、小泉首相に質問いたします。

 教育基本法は、すべての教育関係の法律の根本にある、憲法に準じた大切な法律であります。にもかかわらず、政府からは、なぜ教育基本法の改定が必要かについて、まともな説明は何一つされていないと思います。

 ここに高知新聞が出した社説がありますが、「「教基法改正」荒廃は解決できない」と題する社説です。改正を主張する人たちはいじめや不登校などの教育荒廃、少年による凶悪犯罪などと基本法を絡める、だが、それらの問題と基本法を結びつけるのは筋違いだ、基本法をきちんと読めばわかる、第一条は教育の目的をこううたっている、人格の完成、言いかえれば人間的な成長に目的を置いているのであり、教育の使命としてこれ以上のものがどこにあるというのだろう、教育をめぐるさまざまな問題は、基本法の施行から五十九年間、目的実現への努力が十分ではなかったために起きているのではないか。私もそのとおりだと思います。

 教育の危機の根源は、教育基本法ではなく、その理念を踏みにじってきた自民党の政治にあるのではないか。それを教育基本法に求め、その全面改定を図ることは、教育の危機を一層ひどくするものではないか。

 以下、具体的に問題をただしていきたいと思います。

 第一の問題は、内心の自由にかかわる問題であります。政府の改定案は、新たに第二条をつくり、そこに国を愛する態度など二十に及ぶ徳目を教育の目標として列挙し、その達成を学校や教職員、子供たちに義務づけるとしています。

 ここに挙げられている徳目それ自体には、当然のことのように見えるものもあります。しかし、それを法律に目標として書き込み、達成が義務づけられれば、時の政府の意思によって特定の内容の価値観を子供たちに事実上強制することになります。

 総理に伺いたい。これは憲法十九条が保障した思想、良心、内心の自由を侵害することになるのではないですか。端的にお答えください。

小泉内閣総理大臣 志位さんもそれだけ長く話したんですから、私にも少し時間を下さい。

 憲法第十九条は、私も引用したことがございます。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」どこの神社に参拝するのも、これは心の自由である。かつて引用した第十九条であります。

 私は、共産党の志位さんから、この教育基本法改正、これが精神の自由とか心の自由とかを奪うとか、国が強制するのではないかという懸念を表明されるのには、ちょっと違和感を感ずるんです。日本は、自由で民主的な国であります。かつてのソ連や一党独裁の、宗教の自由も認めない、言論の自由も認めない、そんな国じゃありません。十分、国民の精神の自由を認め、宗教の自由も認め、そして、六十年間たったこの教育基本法、時代も大きく変わっている、であるから、一つの観念を、価値観を強制するためにこの教育基本法を改正する、そういう意図は全くありません。

志位委員 要するに、答弁では、内心の自由を侵害するのではないという答弁だったと思います。

 ソ連の問題をお出しになりましたけれども、ああいう体制は私たちは社会主義とみなしておりません。そのことをはっきり申し上げておきたいと思います。

 具体的に、私、そうであるならば、内心の自由を侵害するものでないとあなたはおっしゃった。しかし、これは九九年に日の丸・君が代を法制化したときにも政府は同じ答弁をしました。しかし、教育の現場はどうなっているか。東京都では、卒業式や入学式で常軌を逸した日の丸・君が代の強制がされ、そして、君が代斉唱に起立しなかった生徒が多かったクラスや学校では、校長先生や担任の先生が指導不足として責任をとらされる事態も起こっているんです。

 総理に具体的にただしたい問題があります。これは二〇〇二年度に福岡市内の小学校で使われた通知表であります。

 これは総理にも一部お渡ししたいんですが、よろしいでしょうか。

森山委員長 どうぞ。

志位委員 これを見ますと、社会科の評価の筆頭に「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」というのがあります。要するに、愛国心が評価の対象とされております。そして、三段階で評価されております。Aは十分に満足できる、Bはおおむね満足できる、Cは努力を要する、こういう三段階評価です。

 先日、ある民放テレビでもこの問題を取り上げた特集番組が放映されました。多くの教師がこれを突きつけられて大変悩んでいる姿が映し出されました。愛国心と言われても評価できないと悩み、ある教師は愛国心の評価のために児童に感想文を書かせることを考えたが、子供はわざわざ先生からよく思われないことは書かないので、逆に裏表のある人間をつくることになる、こういう悩みも語っていました。

 そして、受け取った児童の保護者からは、あなたの愛国心はA級ですよ、B級ですよ、C級ですよとランクづけされ、A級日本人になるように家で教育しなさいと言われている気がしますという強い批判も述べられました。

 この福岡市での愛国心通知表は、市民の強い批判で翌年からすべての学校で取りやめになりましたが、総理に伺いたい。子供たちの国を愛する心情を通知表で評価するというのは、私はやってはならない間違ったことだと思いますが、総理は、お考え、端的にお話しください。

小泉内閣総理大臣 通信簿なんというのは五十年ぶりにしか見たことないんだけれども、社会で、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」これが小学校。(志位委員「六年生です」と呼ぶ)ちょっと難し過ぎますね。教師を評価するのとは違って、これではなかなか子供を評価するのは難しいと思いますね、率直に言って。今これは使われていないと聞いております。

志位委員 そうすると、これは評価が間違いだ、難しい云々じゃなくて、評価することは間違いだ、やってはならないということで、そういうことですか。総理、はっきりお答えください。

小泉内閣総理大臣 私は、これは間違いかどうかという以前に、こういうことで小学生を評価することは難しい、あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないかというのが率直な感想であります。

志位委員 難しいということで、評価の是非についてはお述べになりませんでしたけれども、もともとこの通信簿にこういう項目が入ったのは、二〇〇二年に始まった学習指導要領で日本を愛する心情を持とうとするということが書き込まれた、それがきっかけなんですよ。そして、あなた方は、その学習指導要領に書いてある徳目を今度は法律に格上げしようとしているわけです。

 ですから、大変難しいと総理もお認めにならざるを得なかったようなことを法律に書き込んで義務化すれば、これは日本じゅうで福岡市でやったようなことが横行する危険があるということを私は言わなければならないと思います。

 我が党は、教育の中で民主的な市民道徳を培うことを重視しております。その中に、諸民族友好の精神に立った愛国心を培うということも重要だと考えております。しかし、市民道徳というのは、法律によって強制され、義務づけるべきものではありません。それは、一人一人の子供たちの人格の完成を目指す教育の自由で自主的な営みを通じて培われるべきものだと考えます。

 わけても、何を愛するかというのは個人の精神の最も自由な領域に属するものであって、国家が強制すべきではないということを申し上げておきたいと思います。

 第二の問題に進みます。

 現行基本法の第十条には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と明記しています。ところが、政府の改定案は、「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除しております。

 だれが考えても当たり前のこの文言をどうして削除されたんですか、お答えください。

小坂国務大臣 これは、最高裁の判決に基づきまして、不当な支配に服することなくということが法律の規定に基づいて行われるものである場合には、これは国の権能の範囲内であるということが認められ、それを踏まえた上で削除をさせていただいたものでございます。

志位委員 要するに、今の答弁は、法律さえ決めれば国が教育内容に介入できる、無制限に介入できるようにすることが十条を変える趣旨だという答弁だったと思います。

 その根拠として、今大臣は一九七六年の最高裁大法廷の学力テスト判決を引用されました。これは全文ありますが、この判決では、憲法と教育の関係についてこのように述べております。「教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」こう述べているんですよ。ですから、国が、法律さえつくれば教育内容に無制限に介入できるかのような立場というのは、憲法が保障する教育の自由にも反するし、最高裁の判決にも背反するということを指摘しておきたいと思います。

 その上で、私、具体的な問題を伺いたい。政府が基本法を改定して、新たにつくる教育振興基本計画に盛り込んで真っ先にやろうとしていることは何かという問題であります。

 首相は本会議での答弁で、来年度に全国一斉学力テストを実施するとお述べになりました。小学校六年生と中学校三年生のすべての児童生徒に、国語、算数、数学のテストを全国一斉に受けさせ、すべての学校と子供に成績順の序列をつけようというものであります。この間、全国の幾つかの自治体では独自に一斉学力テストを実施していますが、それが現場にどんな矛盾を引き起こしているのか、総理は御存じでしょうか。

 例えば東京都では、都独自に、さらに区や市独自に一斉学力テストを実施し、少なくない区や市ではその結果を学校ごとに順位をつけて公表しています。これが小中学校の学区制廃止とセットで進められています。その結果、どういうことが起こるか。新入生はいわゆる成績上位校に集中します。逆に、新入生がゼロの学校も生まれているんですよ。都の教育委員会に調べてもらったら、荒川、文京、墨田の小中学校で新入生ゼロの学校が生まれているんです。新入生を迎えるのが楽しみなはずの四月に入学式がない、これがその学校の子供たちにどのような心の傷になっているか、私ははかり知れないものがあると思います。

 そこで、総理に問いたい。これは教育に関する基本的な問題として問いたいと思います。

 こういう一斉テストで、子供と学校に序列をつけ、勝ち組、負け組に振り分ける、これが現場で起こっていることなんです。そして、教育基本法改定を推進してきた元教育課程審議会会長の三浦朱門氏はこう言いました。できぬ者はできぬままで結構、戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける、限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです、ここまで言ったんですよ。

 ですから、総理に基本的な教育観を伺いたい。子供たちを競争に追い立て、序列をつけてふるい分けする、こういうやり方が教育として好ましいと考えますか、それとも、ここに正すべき大問題があるとお考えになりますか。端的にお答えください。

小泉内閣総理大臣 学力テストがいけないとは私は思いませんね。学力テストが学校の格差をつけるとか、あるいは生徒に特別な負担を強いるかということじゃなくて、やはり読み書きそろばんというように、基礎的な学力は子供たちにつけてもらわなきゃならない。できない子に対してはできるように、わからない子にはわかるように教えるという習熟度別授業というものに対して、私は必要だと言っているんです。共産党は、それは必要ないと言っているんでしょうけれども。

 私は、できる子はどんどん、先生がそんなによくなくたって、自分で勉強するでしょう。しかし、先生によっては、教え方のうまい下手もあります。わからない授業を、次の上のレベルに進むためには、ある段階を理解しないとますますわからなくなるから、それを丁寧に教えてもらうような環境をつくることが必要だ。

 そして、学力テストを一斉にやるのがどうしていけないんですか。ある学校では、同じ問いに対して、同じテストに対してこういう成績を上げた、ある学校ではこういう成績を上げた。おかしいなと思ったら、もっと学力を上げるような努力をする、一つの資料ができるじゃないですか。それがどうしていけないんですか。私は、それは理解できませんね。

 そして、できるだけ、基礎的な読み書きそろばんについては、多くの子弟が社会に出て困ることのないような学力をつけよう、これが教育のあり方じゃないでしょうか。

志位委員 学力テスト一般を私たちは否定しているわけじゃありません。抽出的に調査をして、実態がどうなっているかということを調べることはあるでしょう。しかし、全国一斉にすべての子供に対してやる必要はない。それをやったらこういう競争や序列化が起こるということを私は指摘したのに、あなたは全くそれに対する自覚がない。

 ここに、首相が議長を務める経済財政諮問会議に前の文科大臣の中山さんが提示した資料があります。何のために学力テストをやるのか、競争心の涵養のためだと言っていますよ。もっと競争に追い立てるために学力テストをやる、こういうことを言っています。

 しかし、日本の教育における過度の競争主義の問題というのは、国連の子どもの権利委員会から繰り返し批判されている。九八年の勧告では、高度に競争的な教育制度のストレスで児童が発達障害にさらされると批判されている。二〇〇四年の勧告では、にもかかわらずフォローアップがされなかったと批判されている。この国連の勧告にも全く逆行する競争のあおり立てだと私は思います。

 習熟度別学級、何で悪いんだと言いましたけれども、フィンランドでは、学力水準世界一と言われている、しかし、これは競争教育を一掃してどの子にもわかるまで教えるようにしたこと、そして二十人学級など少人数学級をやったこと、先生の自由を尊重したこと、この三つでやっているんですよ。教育基本法は、そのときのお手本とされた。それを生かした教育改革こそ必要であって、私は、憲法を踏みにじって愛国心を強制し、子供たちを競争に追い立てて、勝ち組、負け組にふるい分けるというこの改悪は、徹底審議の上、廃案にするしかないということを強く主張して、質問といたします。

森山委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 小泉総理に伺います。

 私たち社民党は、教育基本法は、かつての戦争を痛苦に反省して、憲法の理念実現のためにつくられたもの、今、性急に変えるべきものではないと思っておりますが、ただ、政府法案の中で、六十年ぶりの大改正、こういうふうにうたわれている。

 学校教育の主人公はだれなのか。私は、子供自身であるというふうに思います。

 一九九四年に我が国も子どもの権利条約を批准していますけれども、例えば十二条には意見表明権、十三条には表現の自由などありまして、子供は権利主体だ、こういう考え方を強く打ち出し、また、我が国政府もこれを実現していく義務を負っているわけですが、今回、この教育基本法案には、こういった子供が権利主体であるという考え方が、余りというか、権利や人権という言葉はありませんから、子供は教育を受ける客体として従順に教育を受けるという考え方が色濃い、こう思いますが、この点について、総理、どうお考えですか。

小泉内閣総理大臣 それは誤解ですよ。教育というのは子供の持てるさまざまな力を引き出していく、これが教育でありますから、そういう精神を法にあらわそうと。条文を読みましょうか、いいでしょう。これが教育で、何も強制的に一つの考え方を押しつけるというものではありません。

保坂(展)委員 もちろん、教育の中で強制的に考えをたたき込むものではないとおっしゃったので、例えば教育の中で子供が自分の意見をちゃんと言う、例えば先生の言うことについても自分の意見はある、こういうことは当然保障されるわけですよね。総理、どうですか。

小泉内閣総理大臣 それは、子供だって、生まれて間もなく言葉もしゃべれないんですから、言えといったって何も言えない。それを、言葉を教えるというのがまず教育でしょう。

 学校に入って、家庭教育で教えを受けている子供もいるけれども、一定の年齢に達したら学校に入って、すべての子供たちが文字を読むことができる、言葉を話すことができる、足し算、引き算ぐらいはできる、いわゆる読み書きそろばんぐらいはできるようにして、将来、ああ、自分はこういう仕事につきたいな、こういう人になりたいな、こういうところに行きたいなと思える、そういう基礎的な能力を子供に持ってもらおうというのが義務教育として極めて大事な点だと私は思っております。

保坂(展)委員 余りかみ合わないんですが、私は、子供みずからが学ぶ権利ということをもう少ししっかり考えていただきたいということを申し上げたわけです。

 安倍官房長官にちょっと伺いたいんですけれども、二年前に、六月一日でしたけれども、長崎県佐世保市で極めて痛ましい事件が起きました。小学生の女の子が同級生を殺してしまうという事件だったと思います。当時、幹事長でいらっしゃったんでしょうか、その地に官房長官はおられて、大切なのは教育で子供たちに対して命の大切さを教えて、国と郷土のすばらしさを教えていきたいと言われた後で、教育基本法の改正が必要だと早速発言をされたと聞いております。私は、この教育基本法、確かに教育の基本を定めている法律ですが、どんな事件や事態にもこの教育基本法が出てくる、これはいかがなものかというふうに思うんですが、どういう真意で発言なさったんでしょうか。

安倍国務大臣 二年前のことですから私も正確に覚えておりませんが、たまたま私は遊説で事件のあった佐世保におりました。

 その際、演説をした際に、今、委員が引用されましたように、やはり子供たちにしっかりと命の大切さ、そして他人を思いやる気持ちを教えていく必要があるのではないだろうか。自分勝手に自分の欲望や欲求を追求することのみが権利だと思ってはならない、みんなで共生していくことが大切ではないか。そしてまた、さらには、みんなで形づくっていく、自分たちが住居している地域、郷土を大切にするという気持ち、そして、みんなで紡いできた歴史を尊重し、伝統を尊重し、そして国を愛していくという気持ちを教えていくことが大切ではないかという演説を恐らくして、その延長線上で、そういうことを教育基本法に書き込んでいくことが大切ではないか、このような話をしたわけでありまして、それをすればこうした事件が防げるとか解決できるという意味において使ったわけではないわけでありますが、しかし、そういう教育をしていく、それはやはり大切な一歩であって、こういう事件も一つの教訓に、どういうものが欠けているかということは常に考えていかなければならないということを述べたのではないかというふうに記憶をしております。

保坂(展)委員 私は、この事件の後、三回、四回と現地を訪れて、学校現場あるいは教育委員会、親、あるいはその周辺の人たちの話を聞いて、やはり子供たちの今の状況、特に小学生の高学年の子供たちは私たちの時代とは大変違う現状にあるなと。例えばスポーツ。一生懸命やるわけですけれども、負けちゃいけない、あるいはそのチームから外されてしまう、あるいはやめざるを得ないというときに大変なストレスを感じるというような子供の生活自体が、やはりかなり変わってきているという点を感じました。

 少し悪循環になるんじゃないかと思うのは、こういった事件、実は、長崎では三年前にも子供が幼児を突き落としてしまうという事件が起きています。命を大切にする教育をやろうというところで、全県的な取り組みが始まっていたやさきだったというふうにも聞いているんですね。というときに、この事件が起きたときにも、校長先生はこういった取り組みの研修会で不在だったというようなことがあって、教室や先生が命の大切さを教えるということに悪循環がありはしないかな。つまり、言葉で教えるのではなくて、子供自身が生き生きともう一回自分を取り戻していけるような環境をつくっていくというような部分に議論を広げていかなければいけないというふうに思います。

 愛国心について、先ほども議論がありましたけれども、小泉総理、態度と心の議論がありました。態度は外にあらわれるものですね。そして、心は内面のことです。密接に絡み合っていますけれども、心は外から見てはわからない、しかし、態度は外にあらわすことですね。愛国心という表記が加わることで、態度が足りないんじゃないか、あるいは愛国心を持っているその態度のあらわし方がよくないんじゃないか、こういうような評価が子供たちに加えられたり、あるいは教師がそういった教え方をしていないんじゃないか、あるいは家庭の中でこれは不足しているんじゃないかというような議論がやはり起きてくるんじゃないか。ここが非常に気になるところなんですね。どこで線を引くのか。内面の自由、内心の自由に立ち入らないところでこれをやるとおっしゃっていますけれども、その点について説明いただきたい。

小泉内閣総理大臣 これは態度と心、まあ、心を形であらわしていくのが態度である、心は見えないけれども態度は見える、確かにそういう面があると思いますけれども、これを教育の中でどのように指導していくか。

 だれもが、普通、日本に生まれ、日本に育って、日本の教育を受けていくことによって、国を愛する心なり国を愛する態度なり、いわゆる愛国心というものを、郷土愛というもの、家族愛というものを持ってくるというのが私は自然な姿だったと思いますが、同時に、指導で基本的な人間の態度の問題、これは国旗・国歌を尊重するなんというのはもう当然のことなんですよ。外国へ出てわかります。それを知らなかったら、その人がほかの国に行ってどういうふうな扱いを受けるか。

 それではいけないからということで、学校で礼節として、礼儀として指導するというのは当然だと私は思います。国旗や国歌なんてばかにしてもいいよという教師がもしいたら、その方が問題だと思います。そういうごく基本的な、人間の社会でお互いを尊重し合う、自分も人を尊重する、自分も人から尊重されたいだろう、そういう基本的なしつけの問題もあるんです、法以前の問題として。

 私は、先日テレビで、永平寺でしたか、永平寺の修行僧のテレビを見ていたんですけれども、大人ですよね、大人の修行僧たちが正座して、一汁一菜、豪華とは言えない粗末な食事をしている。御飯を食べるときは音を立てちゃいけません、きちんと教えているわけですね。あの整然とした姿。そして、物事を粗末にしちゃいかぬと。普通の家庭では、大根の葉っぱをあるいは皮を切ったらそのまま捨てちゃうけれども、これはまだ食べられる、いためたり、煮たり、刻んできんぴらみたいにして食べましょう、感心した。こういうのは学校で教えていない。

 しかし、指導者がよければ、はしの持ち方、くちゃくちゃ食べない、音を立てない、当たり前の人間のあり方、こういうのは法律に書いていなくても、よき教師に恵まれれば、お互い教室で一緒にお弁当を食べましょうという中でも教えられるんですよね。

 だから、すべてが法律で解消するものじゃないけれども、やはり基本的なものは法律に盛り込んで、それをどういうふうに指導するかというのは教師の質にもかかってくるんじゃないかと私は思っております。

保坂(展)委員 法律に提案されているので答弁を求めたんですが、ちょっと直接お話はいただけませんでした。

 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負って行われるという、その国民全体に直接責任を負って行われるという部分が削られたわけですね。そしてまた、教員に対しては、研究や修養に励むようにというような部分が加わっております。

 例えば、平和教育というのはとても大事だと思いますけれども、平和教育で広島や沖縄に修学旅行に行く、そして、かつての戦争の記憶と向き合いながら、平和の大切さ、子供たちが改めてそれを感じる、こういうこともきちっと続けていかなければいけない。しかし、それが、不当な支配という言葉が拡大解釈されると、これは平和教育に偏重した教育だなんということになってきはしまいか、これは非常に危惧としてあるんですね。そこの点についてお答えいただきたいと思います。

小坂国務大臣 はっきり申し上げて、決してそのようなことはございません。

保坂(展)委員 総理、先ほども伺いましたけれども、どこで線を引くのかということを私さっき聞いたんですね。つまり、内面には介入しないんだということですね。子供の心の中に手を突っ込んでということはしない、強制をするということはしない。みずからわき上がってくる感情ですね、愛国心というふうに言われていることについても。

 それについて、しかし、今総理が出した例は、ぴしっとそういう修行をされていたという話ですけれども、これは学校において、先ほど通信簿の話もありました、教員がそれで推しはかられ、子供が評価され、親もあれこれ言われるというような状況にしないための歯どめはどういうふうに考えられていらっしゃいますか。これは総理に聞いて終わります。

小泉内閣総理大臣 さっきも通信表を見ましたけれども、小学生に対して愛国心があるかどうか、私は、そんな評価なんか必要ないと思いますね。そこら辺はもっと指導要領の中で考えればいいんです。

 どのように教えるか、その点はやはり法律にそう細々と書く必要もないでしょう。基本的なことを書いて、あとはどういう指導が必要かというのは、これは先生を教育する機関もあるんですから。そして、生徒のよさを伸ばしていこう。多少、子供というのは反抗心もあるのが当たり前ですから、ふざけたりむちゃをやるときもたまにあるんですから、そういう中にあって、体罰を加えるようなことはしないとか、そういうのはもう法律以前の問題でありますから、基本的なことがわかれば、あとは指導で、できるだけ生徒の基礎的な能力を向上させていく、いいものを伸ばしていこう、そういう指導が私は必要だ。

 そこまで細々と、あれをやるなこれをやるなというところまで法律に書き込む必要はないと思うんですけれども。

保坂(展)委員 時間なので終わります。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党・日本・無所属の会の糸川正晃でございます。

 私は、約六十年ぶりに改正されますこの教育基本法案を審議する特別委員会の委員として質問させていただくことを大変光栄に思っておるわけでございます。

 小泉総理と小坂大臣におかれましては、この法案を提出された大臣といたしまして恐らく歴史に名を残されることが間違いないのではないかなというふうに思います。お二方もそういうふうな熱い思いを抱いていらっしゃるのではないかなというふうに感じるわけでございます。

 本日は、この特別委員会の最初の質疑時間でございますので、そのあたりの意気込みをしっかりと聞いていきたいというふうに思います。この教育基本法は将来の日本の教育の方向を定める重要な法案である、こういうことを国民の皆さんに知っていただきたい、そういう趣旨でこれから質問をさせていただきたいなというふうに思います。

 私は、きょうの質問に先立ちまして、第九十二回の帝国議会の議事録を読み返させていただきました。約六十年前に法案を提出された方たちというのは、どういうような思いや気持ちや、そういうことを含めて作成それから提出をされたのか、また、今回のこの特別委員会と同じような立場で教育基本法案を審議した先達たちはどのような思いでこれを審議されたのか、私はそれを共有したいなというふうに感じたわけでございます。

 当時、現行の教育基本法案の各条項や規定につきまして丁寧な審議が行われたわけでございます。その審議の冒頭、教育基本法案を提出された高橋誠一郎文部大臣が法案の提案の理由を次のように述べていらっしゃいます。

  民主的で平和的な国家再建の基礎を確立いたしまするがために、さきに憲法の画期的な改正が行われたのでありまして、これによりまして、ひとまず民主主義、平和主義の政治的、法律的の基礎がつくられたのであります。しかしながらこの基礎の上に立つて、真に民主的で文化的な国家の建設を完成いたしまするとともに、世界の平和に寄与いたしますること、すなわち立派な内容を充実させますることは、国民の今後の不断の努力にまたなければなりません。そうしてこのことは、一にかかつて教育の力にあると申しましても、あえて過言ではないと考えるのであります。かくのごとき目的の達成のためには、この際教育の根本的刷新を断行いたしまするとともに、その普及徹底を期することが、何よりも肝要でございます。

  かかる教育刷新の第一前提といたしまして、新しい教育の根本理念を確立明示する必要があると存ずるのであります。それは新しい時代に即応する教育の目的、方針を明示し、教育者並びに国民一般の指針たらしめなければならないと信ずるのでございます。

 これは提案理由の一部でございますが、この大臣の説明にも、現行教育基本法にかける思い、こういうものが伝わってまいりますし、当時の議事録を読み返してみると、大臣のみならず、審議に携わった国会議員の方々が、新しい日本をつくっていくんだ、そのために何とかよい教育を確立していかなければならない、こういう思いを抱いていたということがひしひしと感じられたわけであります。

 そこで、総理にお尋ねいたします。

 今から五年前、小泉総理も、内閣総理大臣に就任された際、日本人としての誇りと自覚を持ち、新たなる国づくりを担う人材を育てるための教育改革に取り組んでいくということを、決意を表明されたわけでございます。その気持ちは今でも変わっていないんだろうというふうに思いますが、小泉総理、この日本と世界の未来を担う次世代の教育をよりよきものにするため、いかなる教育改革を進められていかれるおつもりなのか、その意気込みをまずお聞かせいただけますでしょうか。

小泉内閣総理大臣 日本が、敗戦後、今日まで発展してきた原動力、その大きなものの一つに、教育を重視してきたからだと思います。

 私も外国の首脳と会談することが多いんですが、特に発展途上国の首脳は、日本は資源もないのに、今日立派な国として発展している、教育が重要だということがよくわかる、我が国も教育を重視していきたいという話をよく伺います。日本では教育はだめだだめだといいながら、日本の教育を評価されて、何か面映ゆい気もいたしますけれども、やはり教育の重要性というものを今日まで日本が重視してきたからこそ、このような発展もあったんだと私は思っております。

 特に、戦後だけじゃありません、江戸時代から、明治時代から、教育というものに対しては日本国民は重要性を理解してきたと思うし、力を入れてきたと思います。だからこそ、六十年前の敗戦後にも、基本的な、基礎的な教育重視政策がこの戦後の発展に役立っているんだと思っております。

 戦後六十年間たって、今日の教育が大きな役割を果たしてきた、その中にも、やはり時代が変わるにつれ見直す点もあるだろうということから、新しい時代、今後も教育を重視していこうという精神を持って教育基本法改正案を提出しているわけであります。その基本は、人をつくるのは教育だ、教育を重視していこう、そして、多くの国民にも教育の重要性を理解し協力してもらおう、そういう気持ちを込めてこの改正案を出しているということを御理解いただきたいと思います。

糸川委員 それでは、今のお答えを踏まえまして、教育基本法案についてお尋ねをさせていただきたいと思います。

 先ほど申し上げたような経緯で制定された現行の教育基本法でございますが、先ほど総理がおっしゃられたように、戦後、教育の批判の対象ともこれはなってきたわけでございます。一方で、その理念は戦後の日本の教育の発展に大きな役割も果たしてきたということでございます。

 そのような教育基本法をなぜ今改正するのか。先ほど来、各委員が質問されておりますけれども、なぜ今改正する必要があるのか、現行の教育基本法との関係も含めて、総理のお考えを再度お聞かせいただけますでしょうか。

小泉内閣総理大臣 これは、六十年経過して、個人の権利、これは大事です、同時に、道義心、自律性、そういう点も最近はかなり低下してきたのではないかということが言われております。

 やはり、個人の権利と同時に、個人としてそれぞれの社会に役立っている、自分を律する精神、そして他者を尊重する精神、ひいては自分が生まれ育った郷土に対する愛、国に対する愛、こういうものを涵養していくことが他国を尊重することにつながる。それぞれ歴史や伝統や文化は国によって違う、そういう中で、自分たちは教育を受けてきた、また生かされてきたという感謝の念を持つ。その六十年の来し方を振り返りながら、新しい時代に、かつてに比べて低下してきたのではないか、あるいは問題があるのではないかということを見直す機会にしたい。そして、教育というのは学校教育だけじゃない。家庭教育、学校教育、社会教育、国民全体がこの教育を重視する、その一つの大きなきっかけにしたい。ちょうど戦後六十年たちますから、そのようないい機会ではないかと思っております。

糸川委員 私も、この戦後六十年を経まして、今の日本というものは大きく変わってきたんじゃないかなと。今現在の日本の社会というものは大きな危機に直面しているのではないかな、そういうふうにも考えるわけでございます。町には豪華なビルが次々に建設される一方で、最近連日のように、児童の虐待ですとか幼い子供が巻き込まれた悲惨な事件、こういうものが報じられておるわけでございます。

 そこで、このように人々の心が病んで社会が荒廃を続ける、こういう中にあって、今後どのような人間の育成というものを目指すおつもりなのか、これは総理大臣に、このお考えをぜひお聞かせいただきたいなというふうに思います。

小泉内閣総理大臣 まず、人間にはそれぞれ持ち味があります。その持っている力を最大限に発揮できるような環境をつくるというのが国として大事だと思っております。そして、人間をつくるといいますか、人間がさまざまな持てる力を発揮できるようにするためには教育が必要であります。そして、この社会というのは人との助け合いによって成り立っているんだ、自分一人で生きているのではない、お互い持ちつ持たれつ、あるときは人を助けたり、あるときは人に助けられたり、支え合ったり支えたり、そして自分のできることは精いっぱい自分で努力しようと。

 子供のころ、よく先輩なり親から言われましたけれども、大人になれば公私相半ばする人間になりなさいと言われたことを今思い出します。子供のうちは、自分を充実させるためにほとんどの時間を使っていい。しかし、一たび社会に出たらば、その自分の持てる能力を生かすために、自分で努力したもの、人から教育を受けたもの、それを全部自分のために使うんじゃなくて、公に半分、自分に半分。すべて人のために、すべて公のためにというのは無理だろう。自分を常に成長させようという向上心が大事だ。自分を充実させるために、自分のために使う時間も大事だ。だから、一番いい言葉は、公私相半ばする人間というのがいいんだということをよく聞かされましたけれども、私はそうだと思っています。

 公私相半ばする。教育を受けて、そして、少しは人のために何かできることがあったらば、そういうことのために時間を使う、そしてまた、自分の向上に役立てる、自分の人格の完成に時間を当てる、そういう公私相半ばするような生活のできる人間になりたいなと思って、私なりに努力してきたつもりでございます。

糸川委員 ありがとうございました。

 総理も小坂大臣も、現教育基本法を出された高橋大臣も、皆慶応でございます。私も慶応でございます。何か運命的なものを感じます。これからじっくりと審議をさせていただきたいというふうに思いますので、よろしくお願いいたします。

 終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次回は、来る二十六日金曜日午前八時四十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後一時十分散会


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