衆議院

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第8号 平成18年6月2日(金曜日)

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平成十八年六月二日(金曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君

   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君

   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      飯島 夕雁君    稲田 朋美君

      岩屋  毅君    臼井日出男君

      遠藤 利明君    小此木八郎君

      大前 繁雄君    加藤 勝信君

      海部 俊樹君    北村 誠吾君

      小島 敏男君    小杉  隆君

      坂井  学君    清水清一朗君

      塩谷  立君    島村 宜伸君

      下村 博文君    関  芳弘君

      薗浦健太郎君    谷本 龍哉君

      土屋 正忠君   戸井田とおる君

      中山 成彬君    西銘恒三郎君

      西本 勝子君    橋本  岳君

      鳩山 邦夫君    藤田 幹雄君

      馬渡 龍治君    松浪健四郎君

      松野 博一君  やまぎわ大志郎君

      矢野 隆司君    若宮 健嗣君

      奥村 展三君    川内 博史君

      高井 美穂君    土肥 隆一君

      中井  洽君    西村智奈美君

      羽田  孜君    藤村  修君

      松本 大輔君    山口  壯君

      横光 克彦君    笠  浩史君

      太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君

      石井 郁子君    笠井  亮君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           達増 拓也君

   議員           藤村  修君

   議員           笠  浩史君

   議員           高井 美穂君

   議員           武正 公一君

   議員           鳩山由紀夫君

   文部科学大臣       小坂 憲次君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     安倍 晋三君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君

   文部科学副大臣      馳   浩君

   文部科学大臣政務官    吉野 正芳君

   政府参考人

   (警察庁生活安全局長)  竹花  豊君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         金森 越哉君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月二日

 辞任         補欠選任

  稲田 朋美君     西本 勝子君

  臼井日出男君     藤田 幹雄君

  北村 誠吾君     関  芳弘君

  小杉  隆君     飯島 夕雁君

  中山 成彬君     薗浦健太郎君

  西銘恒三郎君     加藤 勝信君

  松浪健四郎君     矢野 隆司君

  松野 博一君     谷本 龍哉君

  森  喜朗君     塩谷  立君

  若宮 健嗣君     土屋 正忠君

  奥村 展三君     川内 博史君

  松本 大輔君     高井 美穂君

  山口  壯君     土肥 隆一君

  石井 郁子君     笠井  亮君

同日

 辞任         補欠選任

  飯島 夕雁君     小杉  隆君

  加藤 勝信君     西銘恒三郎君

  塩谷  立君     森  喜朗君

  関  芳弘君     北村 誠吾君

  薗浦健太郎君     中山 成彬君

  谷本 龍哉君     坂井  学君

  土屋 正忠君     橋本  岳君

  西本 勝子君     馬渡 龍治君

  藤田 幹雄君     臼井日出男君

  矢野 隆司君     松浪健四郎君

  川内 博史君     奥村 展三君

  高井 美穂君     松本 大輔君

  土肥 隆一君     山口  壯君

  笠井  亮君     石井 郁子君

同日

 辞任         補欠選任

  坂井  学君     松野 博一君

  橋本  岳君     若宮 健嗣君

  馬渡 龍治君     清水清一朗君

同日

 辞任         補欠選任

  清水清一朗君     稲田 朋美君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として警察庁生活安全局長竹花豊君、文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局私学部長金森越哉君、スポーツ・青少年局長素川富司君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大畠章宏君。

大畠委員 おはようございます。民主党の大畠章宏でございます。

 きょうは、この教育基本法に関する特別委員会で初めて質問をさせていただきますが、大変重要な、歴史ある教育基本法について論議をする、このことについて、いろいろとこれまでの経緯、歴史を検証しながら、どういう形で教育基本法について考えるか、そのことを少し過去を振り返りながら質問させていただきます。

 同時に、この特別委員会、きょうは小坂文部大臣、官房長官、そして猪口大臣も御出席でございますが、私たちは、教育基本法というのは大変、これからの日本の、日本人の将来、未来に対して大きな影響を与える、そういう意味から重要な法律案であるということで受けとめ、私たち自身も努力をして、今日まで参りました。

 したがいまして、これまでの経緯あるいは与党の方でつくられました閣法というものについて、それぞれ各大臣から、どういう考えをお持ちなのかということをお伺いさせていただきます。同時に、民主党の提案者におきましても、私が御質問することについてどのような考えをお持ちなのか、これも並行してお伺いをさせていただきます。

 私自身も教育基本法というものをいろいろと調べさせていただきましたけれども、日本の教育基本法は教育勅語というものに深く関与しているということは、皆様方も御存じのとおりであります。町村筆頭理事も文部大臣をされておりまして、それも二回文部大臣をされるという深い経験をお持ちでありまして、この問題については重々御理解をされていると思うんです。

 そこで、最初に、お手元に教育勅語の現代訳というものを配付させていただきました。私は、この資料はある方からいただきまして、全社員の方に、このような手帳の中に入れて社員の方に配っているらしいんです。これは社員の教育と、そしてまた、さまざまな格言等々も入っておりまして、こういうことで仕事をやっていこうよという、その中の一つでありますけれども、ここに私は、GHQ、昭和二十年八月十五日、日本が敗戦をした後、これは朗読しちゃだめだということで禁止をされましたけれども、この内容のどこが悪かったのか、これが検証をされないまま、どうも教育基本法というものの成立に至ってしまったんじゃないか。

 したがって、例えば私なんかが考えますと、

  私たちは、子は親に対して孝養を尽くすことを考え、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合うようにし、夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえるようにしたいものです。そして、生活の中での自分の言動については慎みを忘れず、すべての人々に愛の手をさしのべ、生涯にわたっての学習を怠らず、職業に専念し、知性や品性を磨き、更に進んで、社会公共の為に貢献することを考え、また、法律や秩序を守り、非常事態や社会生活に困難が生じたような場合には、真心をもって国や社会の平和と安全に奉仕することができるようにしたいものです。

こういう文言が真ん中に入っているわけでありますが、私は、今、日本の社会を見ると、こういう基本的な考え方がどこか薄れ始めている。とにかくお金で買えないものはない、何でもいいから買い占めてしまえば自分のものになる。そして、そういう人が結局、衆議院議員選挙に立候補して、みんなが応援して、その後、今度は拘置所に入る。こういうことが繰り返されていて、私は、何が日本人の基本なのか、大人社会がほとんどこういう内容について示していない。その中で子供たちが育っていて、子供たちも一体何を目標にしたらいいかわからなくなってきているんですね。

 ですから、教育基本法をいろいろ考える前に、一体、歴史的に、教育勅語というものの中身で何が悪かったのか、この検証がされていないところに、私はどうも日本の国の混乱があるように感じて仕方ありません。この件について、小坂文部大臣並びに官房長官、猪口大臣、そして提案者から、まずこの件についてのそれぞれの御認識をいただきたいと思います。

小坂国務大臣 大畠委員が御指摘なさいましたように、明治二十三年、教育勅語が発せられまして、およそ半世紀にわたって我が国の教育の基本理念とされてきたものでございます。

 しかしながら、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止をされ、これにかわって、我が国の教育の根本理念が定められるものとして、昭和二十二年三月に現在の教育基本法が制定をされたわけでございます。この教育基本法につきましては、昭和二十一年六月の帝国議会において、当時の田中耕太郎文部大臣が、教育の根本法というべきものの制定についての考え方を答弁され、これをきっかけとして制定に至ってきたものでございます。

 委員がただいま御指摘をなさいました、我が国の戦前教育、そのもとにあった教育勅語のどこが悪かったのか、こういう御指摘でございますけれども、そのもの自体というよりも、明治五年に学制を公布いたしまして近代学校制度を導入して以来、国民の熱意や努力もあって、全体として見れば、我が国の近代化に大きく貢献してきたことは間違いのないところでございます。

 しかしながら、一時期、戦時下を中心とする軍国主義及び極端な国家主義的な教育が強まったこともあったと考えるわけでございまして、そのような点についての反省に立って、現行の教育基本法は、民主的で平和的な国家建設に向けて我が国の教育の根本理念を定めるものとして、日本政府の発意によりまして、帝国議会の審議を経て制定されたものであるわけでございます。

 したがいまして、この教育勅語のどこが間違っているということについては、教育勅語の道徳的な、道徳訓というようなそういう精神はいつの世にも必要なもの、それが憲法で否定されているものでない限りこれは生き続けるもの、こうも考えるわけでございますけれども、しかし、戦後教育は、そういったただいま申し上げたような事情により、教育基本法を新たに制定し、それを教育の根本理念として今日的な教育制度というものを構築してきたところでございまして、そのように御理解を賜りたいと存じます。

安倍国務大臣 確かに、大畠先生が御指摘になられますように、私たちの進むべき道、この口語訳された、また現代語訳されたものを見ますと、「子は親に対して孝養を尽くす」「兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合う」「夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえる」、大変すばらしい理念が書いてある、このように思うわけであります。

 しかしながら、この原文につきましては、いわば皇運という言葉がされていたり、いわば新憲法の理念、教育基本法が制定されたときにはまだ旧憲法でありますが、既に新憲法はつくられていたわけでありますが、その中で新たな教育の理念を定めたものが教育基本法である、このように思うわけでありまして、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止され、これにかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして昭和二十二年三月に教育基本法が成立されたものである、このように理解をいたしております。

猪口国務大臣 大畠先生にお答え申し上げますが、既に文科大臣と官房長官から答弁があったとおりであると考えております。

 やはり民主的で平和な国家をつくるというところへの思いが、当時日本政府として発意し、そして帝国議会で制定されていくそのプロセスにあったのではないか、その部分がとても重要ではないか。そして、その民主的なる制度ということの前提で教育を考えていくということから、この教育勅語についての、当時の教育制度について発意をされた方々の考え方が示されたのではないかと思っております。

達増議員 まずは、大畠委員の、現教育基本法の歴史的背景についてということで、まず教育勅語からさかのぼって検討するというその姿勢については、これは非常に重要なことだと考えておりまして、憲法調査会で行われているような憲法制定のそもそもの歴史、そうした背景のところから国会として、院としてきちんと理解を深めながらこの教育基本法の議論を進めていかなければならないということ、本当にそのとおりだと思います。

 さて、教育勅語につきましては、これは衆議院の事務局に長く勤め、国会議員も経験しているある方が述べていることですけれども、議会制民主主義というものは、欧米で発達するに当たって、キリスト教的倫理に支えられていた、日本が明治維新後、西洋で発達した近代的な民主主義を導入するに当たって、やはり何か倫理的な精神的な支えをきちんと持つ必要があった、そういう中で、いわば憲法附属法的な趣旨を込めてこの教育勅語が制定されたということを説いていまして、そういった観点からいたしますと、日本は歴史上、いわゆる王道というよりは覇道が物を言う、そういう局面が多々あり、それは今もそういう危険性は変わっていないんだと思います。

 太平記に描かれるような裏切り、うそ偽り、そうしたものがまかり通り、まさに勝てば官軍という、明治維新の際もそのような権力闘争や謀略などがかなり渦巻いたという指摘もございまして、そういう中から、改めて国づくりをきちんと未来に向かって進めていくに当たって、この教育勅語のような、教育を通して日本として倫理的な基盤をつくって国づくりを進めていかなければならないということが志されたのだと思いますが、しかし、その後の歴史を見ますと、必ずしもそれがうまくいかなかった。これは研究調査をさらに重ねる必要があることだと思いますけれども、やはり、この教育勅語というものが歯どめとして十全にきかなかった、あるいは逆に日本を悪い方向に持っていく濫用が行われてしまった、そういったところはさらに研究調査していかなければならないと思います。

大畠委員 それぞれこの教育勅語というものに対する御認識を伺ったんですが、きょうお手元にお配りしました資料の二ページ目には、敗戦後どういう形でこの教育基本法というのが制定されたかという史実が書いてございます。もうこの特別委員会の委員の皆さんにおかれましては、特に与党の方では十人の文部大臣がおられるということで、もう既に釈迦に説法かもしれませんが、私なりに、大変重要な事実でありますから、振り返らせていただきます。

 八月十五日、ポツダム宣言を受諾いたしまして、九月十五日、文部省が新日本建設ノ教育ノ方針というものを発表しました。十月十一日は、マッカーサー連合国最高司令官が首相に憲法改正を示唆いたしました。二十二日は、連合国軍最高司令部が、日本教育制度に対する管理政策を指令した。そして、二十一年三月五日には、米国教育使節団が来日し、一カ月にわたって調査を行い、報告書を提出いたしました。その後、憲法改正が行われました。これが六月二十日、帝国憲法改正案を衆議院に提出。そして、議会における帝国憲法改正案審議において、田中文部大臣が、教育根本法のごときものの制定を考慮しているという答弁をし、その後、この問題について論議をしながら、三ページ目に入りますが、教育刷新委員会に第一特別委員会というのを設置して、そして、その一方で、十月の六日に貴族院で日本国憲法が議決され、翌七日には衆議院において同意をし、そして十一月三日、日本国憲法が公布され、その後、十二月二十七日、この刷新委員会で建議を行って、翌年、昭和二十二年三月四日、教育基本法案の閣議決定がされまして、その後、枢密院の諮詢を経て、教育基本法案を第九十二回帝国議会に提出をし、衆議院本会議における趣旨説明、そして貴族院における趣旨説明を経て、三月の二十五日、可決を見たところであります。

 そこで、一体、この現在の教育基本法についてでありますが、お手元の資料の四ページ目にはポツダム宣言がございます。私たちは、この教育基本法というものがどういう過程で成ってきたのかという意味では、大変重要な視点だと思いますので、参考にさせていただきました。

 この戦後教育改革の胎動というところでは、「当然、軍国主義と超国家主義の教育は禁止されるとともに、新しい民主教育を生み出す、戦後教育改革が胎動しはじめた。」ということで、このポツダム宣言の中には、「合衆国、英帝国及中華民国の巨大なる陸、海、空軍は、西方より」云々ということで、「右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至る迄、同国に対し戦争を遂行するの一切の聯合国の決意に依り支持せられ」云々というのがありますが、こういうものを八月十五日、受諾し、それがスタートとなって教育制度についても連合国が深く関与してきたことは、これまでの委員会での審議の中でも指摘されているところであります。

 具体的には、一九四五年十月二十二日、「日本政府の新しい内閣に対して、教育についての占領の目的と政策を、よく解らせるために、次のように指令する。」「軍国主義の考えと極端な国家主義の考えをひろめてはならない。それで軍事教育と軍事教練はすべてやめる。」「教育関係者はすべて、次の方針によって、取り調べた上で、留任させ、退職させ、復職させ、任用し、再教育し、取りしまる。」云々というのがあります。ここまで深くいわゆる連合軍は関与したわけであります。

 その次のページ、六ページ目には、米国教育使節団に協力すべき日本側教育委員会の報告書というのが出されております。三十一名で組織された委員会で作成されたもので、一部がアメリカ教育使節団に、一部が文部大臣を通して政府に提出されただけで、公表はされなかった秘密の文書と言われている。ここにも、教育勅語が云々ということで、教育勅語が問題ではないかという指摘がされておりまして、ここら辺から教育勅語は朗読してはならないという話になり始めているところであります。

 さらに、七ページ目、これもアメリカの教育使節団が日本の国の何が問題かということをいろいろ指摘しているわけでありまして、教育の目的の中に、個人という言葉は、子供にも大人にも、男にも女にも、同様に当てはまることも了解されなければならない、個人というものをもっと強く持たなければならないということが指摘されているところであります。

 それから、皆様方ももう御存じかもしれませんが、アメリカの教育使節団の報告書を見ますと、ずらっとこの教育使節団のメンバーが書いてありまして、その中で私はちょっと目をとめたのは、九ページ目の、「日本は、結束力の固い家族制度を基盤にした社会的関係という一種の芸術を創り出した国であるから、同胞愛から出発して平等に到達できるかも知れない。」非常にかたい家族制度というものが多分目についたのでありましょう。同時に、「日本の新しい精神生活は、超国家主義が宗教の仮面のもとに行使する権利を拒否することによって、すでに一歩前進した。」と書いてありますが、こういうふうにアメリカの使節団では目にしたのではないか、日本の現状について。

 それから、その十ページ目には、日本の教育の目的及び内容ということで、「高度に中央集権化された教育制度は、たとえ超国家主義や軍国主義の網に捕えられることがなくとも、強固な官僚主義に伴う害悪によって危険に陥るものである。」こういうふうな指摘もあるわけであります。

 さらには、驚くことに、十一ページ目、国語改革についても米国使節団は関与しているわけであります。「ある形式のローマ字が一般に使用されることを勧める。」私も小学校のときにローマ字を習いましたけれども、こういう背景で来たのかなと思うんです。

 とにかく、その後、この十二ページ目には、教育刷新委員会の会議録の中でさまざまなやりとりがありました。十三ページ目には、教育勅語を読むという意味において、「非常に神格化した読み方に付ても、是は私は今後の行き方に付て少し考えなければならぬ。白手袋を嵌めて捧げ持って読むというような形が、国民全般としてそれで宜いかどうかというような点が又考えられる」と。

 それから、いろいろなやりとりが非常に細かく議事録として残っております。十四ページ目もそのような話でありますし、特に私が目にしたのは、この十四ページ目の後ろの方ですけれども、二十番の関口さんという委員が、「そういうことを政府がやるということはどうですか。」五番の芦田委員が、「政府がやるのではありませぬ。政府というのは多数党の代表者ですから――。」これも、教育勅語にかわるものを何かつくろうというときに論議したものでありまして、この芦田さんという方、「政府がやるのではありませぬ。政府というのは多数党の代表者ですから――。」ここが非常に私は、この当時、日本の教育をどうするかというときに、かなり論議した中で、非常にポイントをついた発言ではないかと考えております。

 それから、次の十五ページ目、これは、アメリカ軍との協議の内容が事細かに、こういう話であるという議事録が残っております。

 さらには、十六ページには、ドラフト・オブ・ジ・エデュケーショナル・ファンダメンタル・ローということで、教育基本法の英文の原本があるわけでございます。日本国憲法も英文から始まったということでありますが、教育基本法も英文に盛っていろいろ審議されていたという事実があります。

 十七ページ目は、このような審議経過があり、かつその委員会の中で詳しいこのやりとりがございます。

 十八ページ目のところには、「昨年九月内閣に設けられましたところの教育刷新委員会におきまして、約半歳にわたりまして、慎重審議を重ねましたところの綱要をもとといたしまして、政府において立案作成したところのものでございます。何とぞ」云々とありますが、結局、この審議会で論議したものを原典として、いわゆる政党は関与しないで、成案を見て、内閣閣法として出しているという史実でございます。

 もちろん、十九ページ目には、不当な支配に服することなくということについてもいろいろなやりとりがございました。この当時は、軍部あるいは官僚あるいは政党、そういうものが不当な干渉をしないようにということであったようでございます。

 こういうその歴史的な背景を見ますと、文部大臣、現在の教育基本法というのがどれほど制約された中、あるいは国語でさえ、まあローマ字にしてしまおうじゃないかといういろいろな論議があった中で、軍部と官僚と学者、こういうものがいろいろ知恵を絞りながらこの教育基本法に成り立ち、そして、それをまるっきり政府は受けて、閣法として提出したんですね。

 だから、現在の教育基本法というのは、本来、部分改正とかなんかじゃなくて、もう戦後六十年たっているわけですから、独立国家として、どこからも圧力を加えられることなく、その当時の学識経験者の皆さんが、これからの日本を考えて、自由な立場で、そして論議をして、政党がいろいろ関与したり、あるいは政権がいろいろ関与したのではなくて、私は、そういう形で、全面的にというか、全く新しい教育基本法をつくるべきではなかったのか、この歴史的背景から考えますとそう考えますが、文部大臣はどのようにお考えでしょうか。

小坂国務大臣 大畠委員におかれましては、現教育基本法の制定に至る経緯を振り返っていただきまして、わかりやすく御説明をいただきました。

 その中で、今日の教育基本法が、占領下における連合軍の指示が色濃く反映したものだという御指摘の中で、廃案とすべきだという御提案でございます。そして、新たに制定をすべきものである、こういう御認識を示されたわけでございますが、現教育基本法も、御指摘をいただいたように、日本政府の発意によりまして、帝国議会の審議を経て制定をされたものでございます。

 そして、占領下ではありましたけれども、我が国の新しい教育の根本理念を示すものとして、日本政府の発意というものになされたわけでございますし、その審議の過程においては、議会での審議を経たりということにおいて、手続的にも、また正当性においても疑いのない中で制定をされたわけでございます。

 法令の内容を全面的に改める場合、全部改正でなくて現行法を廃止して、そして新たに新法を制定するという方法もあるわけではございますけれども、制度そのものの基本は維持するということをする場合には全部改正の方式をとる、そして、改正前と改正後の継続性を強調する必要がないときや継続性が比較的薄いときには廃止、そして新法制定の方式をとることが多いわけでございまして、今回の基本法案は、現行基本法に掲げられる普遍的な理念を今後とも規定していくことから、全部改正という方式をとらせていただきました。

 なお、国会に提出した法案についてどのような審議を行うか。これはもとより国会がお決めになることでありまして、政府としては、十分な検討の上政府案を提出したところでございまして、国会においての適切な御審議をいただき、速やかに御賛成を賜りたくお願いを申し上げるところでございます。

大畠委員 私は、今、私自身で長々と過去の経緯について申し上げましたけれども、このような屈辱的な歴史的な背景を持つ教育基本法を、なぜ部分的に修正して今度与党が出そうとしているのか。もちろんさまざまなことがあったとは思うんですが、それも、いわゆる戦時下にあっても、政党とかそういうものが関与をしない形で、いわゆる教育刷新委員会の中で、連合軍とか何かがいろいろ入ってやったと思うんですが、そこで論議した結果をそのまま内閣は閣法として提出しているんですね。

 今回、与党案というのは、中教審で論議されて、二年間の審議を経て、さまざまな、国民の皆さんにもパンフレットとか何かで、こういうことをやりますとヒアリングはやりました。そして、いろいろ、成案を出したが、その後三年間、いわゆる与党内で論議をしているんですね。論議をして、いろいろと字句を修正して出してきているんですが、我が党も対案を出しておりますが、私は、そのところがどうも腑に落ちないんです。

 今回、中教審答申の資料が、私のお示ししました資料の二十ページ目から、中教審の審議の経過ということで、平成十三年の十一月二十六日からずっと行いましたと。そして、第二十六回総会以降、公聴会を五回行いましたし、さまざまな分科会等で、懇談会等でいろいろ論議を経ながら、平成十五年三月二十日に文部大臣にその答申を出したということでありまして、その後、二十三ページ目には、その委員会での質疑というものも、いろいろ、こういうことを論議しましたというのがあるんですね。

 その後、二十四ページ目から、これは与党の理事の皆さんの御努力で出していただきましたが、平成十五年五月十二日から平成十八年四月十三日まで十回の論議を経たということでありますし、二十五ページ目には、検討会で七十回行ったということで、最終報告に至ったということでありますけれども、私は、ここら辺が、現在の教育基本法の成案を得るまでの間の、いわゆる論議の経過等々からしますと、どうも、一体どういう経過でやったのかという、その内容がよくわからないわけでございます。

 私は、本来は、戦争で負けた以降の教育基本法の審議過程におきましてもこれだけの資料が残っているわけですから、いわゆる米国使節団はさておいて、教育刷新委員会でどんな論議があったのか、そしてそれを経て、政府が閣法として出して、そしてその後、委員会で審議したのはもちろん議事録に残りますが、どうもそこら辺、どんな意見交換があって、検討があって、今日の教育基本法の改正に至ったのかというその点がよくわからぬです。

 小坂文部大臣はこの与党の教育基本法改正に関する検討会でどこから関与されましたか、この二十五ページ目から二十六ページ目について。

小坂国務大臣 私はこの協議会及び検討会のメンバーではございませんので、関与いたしておりません。

大畠委員 私は、検討会のメンバーというのはどういう人かなと思っていろいろ調べたんですが、なかなか明らかじゃないんです。いろいろお話を伺いますと、検討会をやったんだけれども、すべてそのときの資料は回収をされて表に一切出ない。自民党の議員の皆さんのところまでほとんど行っていないですよ。ほとんどというか全く行っていないというんです。わからないというんだ、検討会で何を論議してやってきたのか。そこのところが全く空白になっているんです。

 この教育基本法とそれから郵政事業の民営化法というのは全く関係ないと思うんですが、途中までやっていた中曽根参議院議員は途中で外されているんですね。ずっと論議をしながらやってきたんだけれども、外されてしまった。保利さんも、きょう委員としておられますが、保利先生もおられますが、座長をおやめになって、顧問として後から入られたというんです。

 そして、一体、この全部で十名の方が、どんな論議をしながら、中教審の答申を受けてその内容について論議をしたのかということが白紙なんですね。外には全くわかっていないんです。小坂文部大臣すらこの検討会でどんな論議がされたかわからない。

 そして、その成案を得た後、小坂文部大臣はいつからこの教育基本法を目にし、そしてそれを提出する立場になられたのか、その事実関係だけを教えてください。

小坂国務大臣 私は昨年の十月三十一日に文部科学大臣の任命を受けまして、この協議会及び検討会の問題につきましては、四月の十三日ですか、この最終報告……(大畠委員「平成十七年」と呼ぶ)ちょっと失礼。

 確認をさせていただきましたが、四月の十三日ですね。この第十回与党教育基本法改正に関する協議会が開催された後に最終報告を公表されまして、官房長官に最終報告書を手交された。これによりまして私入手をいたしまして、四月の二十八日閣議決定、法案を提出するという段取りまでの間、関与をしているわけでございます。

大畠委員 今お話を伺いますと、平成十八年四月十三日、ことしになってから最終報告を受けて、そこから文部大臣が関与したということでありますが、そうすると、この与党教育基本法に関する協議会の中で、平成十五年五月十二日から平成十八年四月十三日まで、十五、十六、十七、十八、そうですね。この間の、どんな論議を経ながら法律案の審議をし、成案を見たのかという過程については、小坂文部大臣はお伺いされましたか。

小坂国務大臣 最終報告をいただきましたときに、これまでの経過についての御説明をいただきました。

大畠委員 それはどういう形の資料ですか。資料があったんですか。

 事細かに、例えば、戦後の枢密院ですとか貴族院、衆議院でいろいろと論議してああいうふうな議論の経過等がありましたが、そういう資料というのはごらんになったでしょうか。

小坂国務大臣 この審議の経過につきましては、本日も出席しておりますが、田中生涯学習政策局長からこの審議の経過について、そのときには資料もあったと思いますが、説明を受けました。資料は局長の方が持っていると思います。

大畠委員 それでは、田中政策局長が持っているということですから、その文部大臣に説明された資料をこの委員会にお出しいただきますように、委員長にこれは要請いたします。

森山委員長 理事会において相談いたします。

大畠委員 今、党の資料だと言いましたが、これは、田中政策局長、文部省が関与して、政府提出の閣法にしているんです。その審議過程が全く、平成十五年から平成十八年の間の論議過程がない中で、さあ、製品ができました、それを信用して飲んでくださいと言ったって、わからないじゃないですか、見ただけでは。透明だっていろいろなものが入っているかもしれない。

 だから、私は、どういう過程でどんな論議をしてこの法律案をつくられたのか、文部大臣に説明したけれども、我々特別委員会の委員には説明できないというような、そんな品物では困るんです。これから六十年間、この教育基本法に日本国民が縛られるわけですね。

 だから、これについては、委員長にも今要請しましたので、文部大臣の方からも、これは大変重要な資料でございますので、委員会に提出するように御努力をいただきたいと思うんです。

小坂国務大臣 私が田中局長から説明を受けたものは、本日委員が提出されました、この中央教育審議会における審議の経過及びその後のずっと御説明があります資料、与党教育基本法改正に関する協議会の経過、行数はもう少し多いかもしれませんが、これらに非常に似たようなサマリーとして、こういう経過ですという説明を受けたところでございまして、これに非常に似たようなものであるということを申し上げておきます。

大畠委員 行数が少し多いようですがと言うんですが、私は、行数が少しでも、みんな大体一行か二行ですから、行数が多いものをぜひ改めて提出を要請いたします。(発言する者あり)一行よりも少ない行数というのはあるんですか。これは、第一回の平成十五年五月十二日、「○教育基本法改正に関する考え方について意見交換。」一行しかないんですよ。一行よりも少ない行数なんかないじゃないですか。

小坂国務大臣 定かに覚えているわけではありませんが、何年から何年までに何回というような形の書き方があったと思いますので、そういうふうに申し上げたわけであります。

大畠委員 文部大臣、私も、小坂さんをよく知っていますよ。そして今、この教育基本法に関する文部大臣、大変だと思う。それも中身もよく知らされないで答弁に立たなきゃならない。

 しかし、私は、小坂さんがいわゆる文部行政に対して大変熱を持ってこれまでやってきたのはよくわかっています。しかし、私がさっきから言ったように、戦後の占領下においてどれほどの苦労をしながら今の教育基本法をつくってきたか。(発言する者あり)時代が違うと言いますが、歴史は変わらないんです。その歴史を踏まえて未来を展望しなければ、私たちは誤りますよ。

 だから、もっと文部大臣としても、一行でいいとするんじゃなくて、もうちょっとこれは、どんな話をしたんだ、どうしてこういう改正案になったんだということは、さらに小坂さんとして、政治家として御奮闘いただきたいということを要望しておきます。

 さて、今いろいろと申し上げましたとおり、今回の与党提出教育基本法の改正案についてはその作成過程が極めて不透明なんです。

 私は、特に戦後の混乱期、教育基本法に関する歴史を先ほど、町村筆頭を初め皆様方には釈迦に説法かもしれませんが、こういう歴史を見れば、先輩方がおっしゃっているように、教育勅語に由来したこの教育基本法については、「政府がやるのではありませぬ。政府というのは多数党の代表者ですから――。」と、こんな形でこの教育基本法をやったら、政権がかわったらまた教育基本法を変えなきゃならない。憲法だって教育基本法だって、政権がかわるたびにころころころころ変えるものじゃないんです。

 したがって、私は、何を言いたいかというと、きのう私どもの鳩山幹事長が、私たちの調査会の会長をされていますが、一番最後に発言されましたが、本来、こういう基本法は与党の内部だけで論議して出すんじゃなくて、憲法と同じように、調査会というものを衆議院と参議院でつくって、そこでよく論議をして、成案を見て、そして閣法として提出する、それが本筋じゃないかということを鳩山幹事長は申し上げましたけれども、過去の歴史から見れば、それが妥当なんです。政権をとっている多数の人だけで論議して、そして成案を得て出すというものにはなじまないんです、この教育基本法というのはもともと。与党の皆さん、そう思いませんか。

 私は、だとすれば、歴史上の過去の先人たちがなぜこれまでの激論をしながらこの現在の教育基本法というものはあったのか。この当時だって、皆様方も御存じのとおり、教育刷新委員会、この答申をベースに閣法にしているんです。このときには政党は関与していないんです、政党は。私は、このような形にすべきではないかということを申し上げておるんですが、もう一度文部大臣のお話を伺いたい。

小坂国務大臣 大畠委員のこれまでの御質問の中身としても、いろいろ表明される御意見にしても、私は非常に共通のものがあると思うんですね。大畠委員は大変に誠実な方でいらっしゃいますし、私も委員をよく存じ上げているつもりでございますから、委員のおっしゃることにはできるだけ従いたい、こうも思うわけではありますけれども、委員が今御指摘なさいました、政党を交えないでということにおきましては、私どもは中央教育審議会というものを経て、幅広い議論をしていただく中でこういった教育の問題について取り組んできておりますし、この教育基本法のスタートとなりました教育改革国民会議といったものの提言もあるわけでございますし、また、マスコミの皆さんもいろいろな角度から検討を重ねていただいている。今日はテレビ中継等もありまして、総括質疑はテレビで中継をされ、国民の皆さんにも、野党の皆さん方が御質問されることについても明らかにされているわけでございます。

 また、この審議経過が議事録として残って、教育改革国民会議、中教審の答申あるいは与党の最終報告、そしてこの審議経過、こういったものを積み上げていきますと相当大部の資料ができ上がることと思うわけでございまして、この委員会における充実した審議によりまして、国民の皆さんの理解が得られるよう、私も誠心誠意答弁させていただきますので、何とぞ御理解を賜りますよう心からお願いを申し上げます。

大畠委員 小坂さんらしい誠実なお話をいただきましたけれども、私は、平成十五年三月二十日、中央教育審議会の資料があるんですね。これはかなりの部数、国民に知れ渡って、これでいわゆるヒアリングをやっていたんですね。公聴会を五回やっています、各地域で。一日に五班に分けて五回なんというんじゃなくて、各所に行ってやっているんです。みんなで行って、みんなで話を聞いているんです。ですから、形式じゃなくて、私は、本当に中央教育審議会の皆さんは熱心に、敗戦後、教育勅語にかわる教育基本法をつくった、この教育基本法は一体どうすればいいのか、独立国家としてどう未来の日本を考えてやるかということで真剣にやったと思うんです。

 二年間かけてやったものを、今度は与党が三年間かけて、その論議、経過は全く表に出ないように、自民党の議員の皆さんにも全く知らせないで十人のメンバーだけでずっとやってきたというのは自民党の皆さんからも聞いているんですよ。そんな形で本当にいいのかですよ。

 私、手元に今委員の名前を持っていますが、マル秘だというから言いません。言いませんけれども、そんな形でやっていいのかなと私は思うんです。その製造過程に問題が余りにも多い。この資料を見ると、町村筆頭理事も入ってはおられません。それから、もちろん文部大臣も入っておられませんし、理事の皆さんの中ではお一人ぐらい入っておられますけれども、しかし、私は、そういう問題はもう秘密裏にしてやるような問題ではない。特に、国民の皆さんもそう思っておられるでしょう。

 与党の皆さんも公聴会をやったりなんかしたのかどうかはわかりませんけれども、私は、いずれにしても、その製造過程に疑義がある。私もものづくりの世界でやってきましたから、製造過程にどうも疑義があるということを申しておきますし、本来こういうものは、与党だけでやるんじゃなくて……(発言する者あり)そう、密室でやるんじゃなくて、オープンな形で論議をして、衆議院と参議院で調査会を設けて、憲法と同じように大切に扱うべきものであるということを改めて申し上げておきます。

 この問題は、押し問答になって、もうこれ以上進みませんので、そこで文部大臣にお伺いしたい。現実の問題です。

 私も、最近、朝早く目が覚めて、いろいろと新聞にも目を通させていただいています。これは年のせいかなと思いますが、目にする記事が非常にひどいものばかりなんですね。

 これは五月三十一日からの資料でありますが、路上で両親刺殺、二十二歳次男も胸刺して自殺。これは五月三十一日の報道にありました。それから、高校二年生、散歩中の七十九歳を刺す、世の中嫌になった。世の中嫌になったと言うんですよ、高校二年生が。面識があったのかというと、全くないということ。それから、これは私もびっくりしたんですが、これも同じ日の新聞に、小学校三年生の長女九歳に十日近く食事を与えずに餓死させようとしたとして、無職の女性三十六歳を殺人未遂容疑で逮捕した、山菜取りに来た人がたまたま林道にとめた軽乗用車の中に二人がいるのを見つけた、母子二人は衰弱しているが命に別状はない。このお母さんは、生活に困ってやった、自分も死のうと思ったと供述している。

 小坂大臣、これが、一つの事例ですよ、一つの社会の現象なんだけれども、どんなに私たちが理想像を語っても、現実の世界では、世の中が嫌になった、通りすがりの七十九歳のお年寄りを刺し殺す。生活が大変になって、子供を道連れで死んでしまう。少子化大臣、一生懸命頑張っていますけれども、こうやって幼い子供たちの命がどんどん奪われているんですよ。

 そこで、私が何を言おうとしているかというと、最近のこの日本のありさま、一体この社会状況を文部大臣としてどう見ておられるのか。また、少子化問題について言いましたが、ぜひ大臣にも、この問題についてどう考えているのか、両大臣にお伺いしたいと思います。

小坂国務大臣 大畠委員がただいま引かれて、また読まれたそれらの事件は、私も、よく胸が痛むと言いますけれども、読んでいて身のすくむ思いといいましょうか。

 私は、子供が好きでありますし、子供たちが虐待をされるなどということはあってはならないと思います。また、私も、幼稚園、保育園を初めとしたいろいろな学校や、入学式、入園式、運動会、いろいろなところにお邪魔することがありますけれども、本当にみんなかわいくて、事故に遭ったお子さんの話を聞くと、その親御さんがいかに悲しんでいらっしゃるかということを考えれば、本当に読んでいて涙が出ることもある。テレビを見ていて本当につらくなる。

 そういうのが現実でありまして、私ども政治家としては、やはりこれは政治の責任なんだろうと思えば、自分たちなりにやっているつもりだけれどもどうしたらいいんだろうという無力感を感じることも、多分委員もおありだと思いますし、ある意味で、我々政治家が今日直面している実感ではないかと思うこともございます。

 それはどのようにして解決したらよろしいか。それは、日々、私どもいろいろな局面で、経済政策を初めとして、いろいろな政策に自分なりの努力をすることだろうと思います。しかし、その根本はやはり教育だろうということは、大方の皆さんの御指摘なされるところでありまして、そういった意味で、やはり虐待とか、学校通学路の問題、そしてまた教室の崩壊、学級崩壊といったような状況から、不登校というお子さんたちの悩み、自立心や規範意識が喪失して道徳観がなくなってきた今日の状況、本当に、そういう意味では委員も同じような気持ちでこれを御紹介いただいたと思いますので、それは委員と共有をさせていただくとともに、我々政治家がお互いに協力をしながら、こういった問題にしっかり取り組まなきゃいかぬ、そう考えるところでございます。

猪口国務大臣 大畠先生おっしゃいますとおり、少子化担当大臣として、子供が事件に巻き込まれたり被害に遭う状況につきまして、日々、胸を痛めるだけでなく、本当に深く私としても悩んでいるところでございます。一体何がこういうことの背後にあるのだろうか。施策で解決できることと、もっと根本的にこの社会の意識を問い直していくことと、両方から必要ではないかと考えることが最近多いです。

 極端な犯行事例につきましては、また個別の理由等があるかもしれませんし、これは捜査の中でいろいろとまた解明されていくと思いますが、一般的に、教育の現場に自分も長年立っておりましたので、その中で私が感じることは、子供たちは、日本において、なかなかその存在そのものを等身大で認めてもらえるという状況が少ない中で育ってきているということを感じるんですね。大学のゼミなどで、非常にすばらしいそれぞれの輝きがあるのに、そのことを伝えると、初めてそういう指摘を受けたという子が多いのを驚くことがあります。もう少し小さいときからもっと肯定感を持ってその人を受けとめて、そして発展させるというような努力が必要かとも思います。

 この教育基本法の今回の政府提案の中には、公共の精神を学び、人間性等について改めて書かなければならなかった時代状況を踏まえた認識があるというふうに御理解いただければと思います。

大畠委員 現実の話をちょっとしましたが、小坂大臣にも猪口さんにも、ぜひ現場を見てもらいたい、もっと。永田町だけが現実じゃなくて、地域の方で本当にこういう事例がかなり起こっていますから、それも見てもらいたいと思います。

 そこで、事例として、委員会でも何回もありましたが、愛国心の学校評価は不適切、やるべきじゃないと総理もおっしゃっているんですが、現場ではもう先行してそういうことをやっているんですが、文部大臣として、この現場是正。何かコンロを出すとすぐ魚を持ってくるという、コンロを出しただけで何か始まるんですよ。ですから、今回こういう論議が始まると、もっと広がっちゃうと思うんですよ。私は、文部大臣として責任を持って答弁されていますので、この現場是正、愛国心について通信簿みたいな評価をするというものは望ましくないと思いますが、どういう形で現実に是正されますか。

小坂国務大臣 過日、総理が答弁されて、小学校、中学校の児童生徒に愛国心という内心の評価をするようなことはとんでもない、適切ではないということをおっしゃいました。私も同様に考えておりまして、国を愛する態度の評価というものは、あくまでも我が国の歴史や伝統、そしてそこにはぐくまれた文化、そして偉人たちの業績、こういったものを勉強する、それに対して前向きに取り組んでいくかどうか、あるいは、そういうことを覚えたり、またそういうことに参加したいという意識を持ったり、そういったことを全体的に見ながら、郷土や国を愛すること、あるいは伝統と文化を尊重すること、あるいは他国を尊重すること、あるいは国際社会の平和や発展に寄与する、そういったことに対して総体的な評価をしていくということになるわけであります。

 そのことをしっかり伝えないと、現場で間違った指導も行われる可能性がありますので、もう既に、五月の十八、十九日の小中学校の各教科担当指導主事連絡協議会におきましてもその旨申し上げました。また五月二十六日の全国連合小学校長会の総会というのがございましたが、ここでも、また六月一日、昨日の高等学校各教科担当指導主事連絡協議会、これらにおきましても指導するようにしっかりと担当部局に指示を出しているところでございます。

大畠委員 今大臣から指示をしたというお話でありますが、私もいろいろな人生経験上、指示しただけでは現場はやらないときがあるんですよ。だから、必ず報告をさせて本当に是正しているんだなということを大臣の目で確認してもらいたいと思いますが、いかがですか。

小坂国務大臣 私も同様に考えます。したがいまして、指示を出したことが昨日までに実行されたことも確認いたしましたし、また、この教育基本法を皆さんによって通過させていただきました後、これが実施されましたら、その実施状況がどのようになっているか、どこかの時点で、方法等をこれから中教審等にも諮りながら決めたいと思いますが、そういう調査も行いたい、このように考えております。

大畠委員 最後になりますけれども、民主党の提出者に伺いたいんです。時間になりましたか、それじゃ一言だけ。今ずっと論議をしてきましたが、民主党として全面改定をしましたよね。その背景についてお伺いして質問を終わります。

達増議員 先ほど大畠委員が質問の中で、戦後の現行教育基本法制定のプロセス、どうも押しつけだったのではないか、あるいは上から与えられたのではないか、そういう疑問を提示されたと思うんですけれども、やはり教育基本法というものを日本国民、自分たちのものにしていかなければならないんだと考えます。

 私たちの提案した日本国教育基本法案の第一条、教育の目的には真の主権者という言葉がございます。教育勅語は当時の主権者であった天皇様のお言葉としてつくられたわけでありますけれども、やはり今を生きる私たち主権者が主権者として、私たちの教育基本法というものをきちんと自分のものにしていかなければならない、そういう思いを私たちは込めています。

大畠委員 これで質問を終わりますが、いずれにしても、私は、きのうの鳩山さんの質問等が入って初めてこの特別委員会での実質的な審議に入った、これから各条ごとにしっかりと審議しながら、あるべきものを求めてまいりたいということを申し上げまして、質問を終わります。

森山委員長 次に、土肥隆一君。

土肥委員 民主党の土肥隆一です。

 今、大畠さんはこれから各論に入ってとおっしゃいましたけれども、私も賛成でございます。その糸口として、きょうは各論的質問をさせていただきたいと思います。

 中央教育審議会が出した教育基本法と教育振興基本計画の中で、危機に直面する日本社会、多くの課題を抱える日本の教育、こういうふうに出しておりまして、これはまことにそのとおりだと思うのでございます。基本法という性格ではあるにしても、でき上がってまいりました政府案の教育基本法は、極めて寂しい、貧しいものだと言わざるを得ないのであります。これだけの危機を抱えていて、そして特別委員会をつくって、日本の教育問題の基本を定めるんだというときは、もう少し綿密な議論と、もう少し具体的な内容を基本法といえども取り上げるべきだというふうに思うのでございます。

 したがいまして、私は急いで教育基本法をつくり上げることには反対です。

 教育基本法を変えたからといって、あるいは急いでつくったからといって、日本の教育が即座によくなるわけじゃございません。やはり広く国民の間で議論をやりましてその基本を定めるということが必要だろうと思うのであります。

 先ほど各論と申し上げましたけれども、私は、この教育基本法の中で最も困難であろうと思われる宗教教育について、ここで議論をしてみたいと思うのであります。

 政府案は宗教教育については逃げた、これはやり始めると切りがない、したがって、現行教育基本法にちょっとだけ手を加えて、いわば戦後六十年たった教育基本法の宗教教育の部分をそのまま踏襲したというふうに思うのでございます。

 文科省にお聞きしますけれども、宗教教育というのは、どの程度、どんなふうにされてきたのか、ごく簡単にお答えください。

田中政府参考人 ただいまの宗教教育についてのお尋ねでございますけれども、現行教育基本法におきましては、第九条で宗教教育が規定されておるところでございまして、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」ということになっておるわけでございまして、まさに教育を行うに当たっては、宗教に関する寛容の態度の養成、あるいは宗教の社会生活における地位に関して理解を深めさせるように努力することが求められておるところでございます。

 また、二項では、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」という定めがあるわけでございまして、この九条二項を踏まえまして、一項にあります一般的な宗教に関する寛容の態度や宗教の社会生活における地位について、教育上取り組んできたところでございます。

土肥委員 今は条文をお読みになっただけであって、何をしてきたかというのには答えていらっしゃらないわけでございますが、一つだけ質問してみます。

 修学旅行で伊勢神宮によく行きます。これは宗教教育ですか、宗教教育じゃないんですか。

銭谷政府参考人 教育基本法におきましては、国公立学校においては、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動を行うことが禁止をされております。ここで禁止をされているのは宗教的意義を有する行為であって、その効果が宗教に対する援助や排斥などに当たるものと解されております。

 一般的には、ただいまお尋ねの件に関連して申し上げますと、宗教的儀式に参加する目的ではなく、かつ児童生徒に強要せずに、歴史、文化を学ぶことを目的として神社などを訪問することは、禁止されている宗教的活動には該当しないと考えております。

土肥委員 では、教師があるいは神社側のどなたか、神主さんが、これはこういう神社ですよ、こういう歴史があるんですよ、そして恐らく日本の歴史の発祥、歴史かどうかわかりませんけれども、アマテラスオオミカミから始まって三種の神器や何かの御説明をされた、あるいは教師がした。これは宗教教育にはならないんですか。

銭谷政府参考人 これも一般論として申し上げるわけでございますけれども、神社や寺院、教会等を訪問した際に、学校が児童生徒に対しまして拝礼などの宗教的行為を強要するということは、許されないと思っております。

 ただ、その神社等の歴史あるいはその神社の施設の文化的な説明、あるいはその神社の歴史上いろいろな事柄にかかわってきたことについて知識としてお話をするということは、許されることだと思っております。

土肥委員 この議論を長くしようと思わないんです。なぜならば、日本にはたくさんの宗教、宗教団体、宗教的行為が行われておりまして、宗教人口を数えると日本の人口の二倍になるんですね。だから、日本人は、二つ、三つの神様を拝んでも別に問題じゃないんです。俗に言う、赤ちゃんが生まれるとお宮参りをして、結婚をするときはキリスト教式でやって、死ぬときは仏教でやる。大変宗教的な国民だろうかと私もやや疑問を持ちながらも、大変さまざまな、活発な宗教行為が行われているわけですね。そういう、ある意味で、諸外国から見れば、どんな国なのかわけがわからぬ、宗教的にいうとわけがわからない国なのでございます。

 第一、国会議員で、自分の身分証明のところに宗教を書く欄がございませんですね。外国に行くと、あなたは何教ですかと言うと、いや、私は無宗教ですと。もしパレスチナやイスラム圏でそんなことを言えば、この人はなきに等しい人間だというふうにも考えられがちな状況でございます。

 我々国会議員も、心しなきゃならないのは、幾つもの宗教団体と交際して、きょうは天理教、ちょっと具体的な名前を挙げるのはやめましょう。次は何々教とかなんとか、さまざまなところに行きまして、ベテランの先生を見ると、実にその宗教に合ったしぐさをなさるんですね。本当に感心してしまうわけでございます。

 そういうふうな状況でありますから、宗教教育というのは、これを学校で教えるというのは至難のわざなんです。今言いましたように、伊勢神宮に行くべきか行くべきでないかなんという話も、子供たちがどんなしぐさをするかというようなことまで気を使うんでしょうか、まあ余り考えないで行っているというふうに思うんです。

 そういう中で、今回、教育基本法をつくり直そうというわけですね。宗教教育のところについては、ほとんど与党案は手をつけていない。政府案は変更を加えていない。つまり、余り議論したくないということだろうと思いますけれども、これは、現場の教師が教育基本法に基づいて自分の教育をまじめに考えるとなると、とんでもない課題を負うことになります。

 したがいまして、文科省におかれましては、単に伝統的な諸宗教の歴史やその宗教概念、中身について知識として教える、これは、初めから宗教教育としてはナンセンスなんです。子供は恐らく興味を持たないと思いますね。だから、よほどのカリキュラムと教材を用意しなければ、とても宗教教育はできないというふうに考えます。それも、子供たちの生活に具体的に触れるような、子供たちの状況に宗教教育の中身が心に響くような教育をしないと、こんな退屈な授業はないと思うんですね。

 そういうことを申し上げまして、政府案に対しては、非常に粗雑な、問題を避けた法文だと申し上げたいと思います。答弁は要りません。

 一方、民主党は、十六条で、生命、宗教に関する教育と、ここに生命を載せたわけです。そして、「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」と、この冒頭に出してこられた理由、目的についてお答えいただきたいと思います。

藤村議員 土肥委員は牧師さんでもいらっしゃいますので、宗教論争をし出したら多分切りはないかと存じますが、今お問い合わせの件は、私どもの十六条一項で、生の意義、死の意味という、このくだりを入れたのはなぜか、こういう御質問でございます。

 私たちの意図は、今政府の方からのお答えもありましたが、学校教育において、命の大切さということはきっと非常に重要視し、きょうまでさまざまに指導し、努力をされてきたことであろうかと思います。ただ、それが全然実っていないのではないかというのが私どもの一つの問題意識であります。

 人間の生きることの意義、死というものの意味するところについて、これは教育上も本当に大きなテーマであるにもかかわらず、きょうまで適切に指導されていない現状をかんがみ、さらに、近年のインターネット社会の中で、仮想情報空間に対する的確な理解については、やはり生の意義、死の意味の考察を前提として取り組んでいかねばならない、そんなふうに考えておりまして、それが現代的課題だと思います。

 ですから、以上の点は、むしろ哲学的な考察とも考えられますが、加えて、やはり宗教に関する教育とともに重視し尊重されるべき課題であることから、このように入れた次第でございます。

土肥委員 生命と宗教を結びつけたところにこの法案の特徴があると思うんです。つまり、宗教というのは、生きとし生けるものの宗教であります、すべて生きているものがかかわりを持つ。そして、全く拒否する人もそれでいいのであります。無宗教という人は、私に言わせれば、徹底的に無宗教を貫いて一切何物をも信じないという生き方からは新しい倫理が生まれてくると思いますが、日本のように、二つ、三つの宗教を同時並行的に信仰できる人たちというのは、なかなかそうはいかないと思うのであります。

 生命というものは限りがあって、そしてやがて死ななきゃならない。それが、早い場合は、子供の生命にしても、私も、十三歳でがんで亡くなったある少女の絵はがきを収録した本を買い求めましたけれども、これは非常に重要なテキストになると思うんです。

 彼女は、かわいい女の子ですけれども、二歳半ぐらいで血液がんを患います。それが、うまいぐあいに六つ年上のお姉ちゃんと血液型が合ったわけですね。二歳ですから八歳か九歳のお姉ちゃんから血液の移植を受けて、白血病は治る。そして、小学校の六年生のころに突然脳腫瘍が発見される。そして、二回の脳腫瘍手術の後、亡くなっていきます。その間に、彼女は三百六十枚の絵はがきをかいたんです。その本が出ております。

 この本なんかは実にすぐれたテキストなんですね。苦しみを訴えながら、非常にユーモアのある、ベッドサイドでかいた絵はがきなんです、ぜひお買い求めいただきたいと思うのでありますが。この中で、子供がこれを読めば、同じ年齢の子供が死んでいく、その中で母親、父親がどういう態度をとったか。そこには宗教的においは全くないんですけれども、そこにある、生きること、死ぬこと、そして親の愛情、そういうものが、多くを語らなくても心に伝わってまいります。

 こういう死、あるいは生と死、それと宗教が結びつくのは当然でございます。そのために宗教があると言ってもいいくらいであります。ですから、政府案というのは、そういう宗教の持つ根源的な課題、根源的な意味を本当に理解して書かれたものとは到底思えないのでございます。

 しかし、宗教教育というのは、やはり難しいけれども、生身の体を持っている子供たち、そして、それを取り巻くいろいろな状況、教育審議会が言っているようなとんでもない状況が今起こっているわけでありますから、やはり子供たちの生と死に着目して、その視点から宗教教育を考えていくときに、私は無限大の宗教教育が可能だと思っております。そういう意味も込めまして、民主党の案については大変すぐれたものだと私は思うわけでございます。

 ただ、いわゆる現行の第二項の、特定の宗教の信仰を奨励したり、これに反対するための宗教教育その他宗教的活動をしてはならないという、この強い第二項は、現場を萎縮させるんです。

 もっと生き生きとした、生と死、そして、結局死の問題は宗教しか解決できないわけでありますから、そこへ至るダイナミックな宗教教育というものをこの二項が封じてしまう。いかにも国家的、あるいは公教育に対する、何かすべて中立でなきゃならないというふうなことがありまして、第二項は、やはり今後、その中身によっては許される範囲だと私は思っておるわけでございまして、民主党案についてもこの辺はもっと議論しなきゃならないと思っております。

 これはやめましょう、まあ、せっかくだからちょっと言いますと、小学校の校長先生ががんにかかりました。これはテレビに出ましたけれども、自分が死んでいくということを前提に、ずっと子供に校長先生が、生きること、死ぬこと、病気のことを語るわけですね。これはもうすばらしい校長先生で、その後すぐに亡くなられるわけですけれども、教員とて、教師とて、みんな生きる悩みを持っているわけですから、それを子供たちに告白する。すると、子供も悩みを持っていますから、そこに応答が起こる。そこは何も原則はないわけでありまして、そのときそのときの場面に応じて展開していい教育ではないかと思っております。

 次に参りますけれども、政府案では、何の前提もなく宗教と出てくるわけでありまして、民主党案では、生の意味と死の意味を考察、生命あるすべてのものを、こういうふうに前提で挙げておりますから、そこに宗教というだけで物事を判断してはならないと思うのであります。

 宗教の地位というのがございますね。そして、寛容という言葉が出てまいります。宗教を論ずるときに、その地位と、それから、宗教を論ずるときに寛容な態度を持たなきゃいけない。一体これは何を意図しているんですか、現行法にもございますけれども。御答弁いただきたいと思います。大臣、どうぞ。

小坂国務大臣 ただいま土肥委員がお述べいただきましたことは、宗教家であられる土肥委員と私は神学論争をするつもりはないわけでございまして、その御見識は敬意を表したいと思いますが、お述べになった中には若干、宗教家としての思い入れがこの宗教教育に反映し過ぎる嫌いがないだろうかと思う部分もないわけではないわけでございます。

 私は、現行法、また現行法に基づきます学習指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間では、命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重すること、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、また、この世に生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを理解し尊重する態度を育てるための教育、こういう指針を示しておるわけでございまして、こういった尊重する態度を育てるための教育を行っていると認識をいたしております。

 また、今回の法案におきましても、豊かな情操をはぐくむあるいは命をたっとびということが規定をされているところでございます。紹介するまでもないと思いますが、二条の中に明確に規定をしてきているところでございまして、教育の目的としてそれは明らかにして、四号において、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」として、命というものについて考える、そういう規定を盛り込んでおります。

 ただいま委員が御指摘をいただきました、政府案で規定している宗教に対する寛容の態度は何か、また地位とは何かということでございますけれども、まずもって宗教は、もう今さら申し上げるまでもなく、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるべきかということなど、個人の生き方にかかわることであります。また同時に、社会生活における重要な役割を持っておりますから、人類が受け継いできた重要な文化として、これをしっかり教育するわけでございます。

 しかし、宗教的な信仰というものについて述べるときに、宗教的な信仰を持つ者あるいは持たない者、自己と異なる信仰を持つ者、こういう方々に対してお互いの立場を認め合う態度、これがすなわち寛容の態度でございます。またこのような態度をはぐくむことは、憲法に定める内心の自由、憲法十九条に規定されております内容、また信教の自由、二十条も実現する上で、極めて重要なことだと考えております。

 また、宗教の社会生活における地位というのは、宗教が歴史上、社会生活上において果たしてきた役割や、現在の社会生活において占めている社会的な機能と申しますか、言ってみればその役割とか価値とか、こういったものを指して言うものでございまして、これらについては、特定の宗派に偏ることなく理解させることは今後とも重要であり、必要なことだと考えております。

 委員が御指摘なさいましたいろいろな事例の中でも、現場でどのようにしているかというお問い合わせがありました。これは大仏建立とかそういうことを今現在は教えているわけです。大仏はどのようにして建立されたか、また、日本にはどういった神社仏閣というものがあるということは、仏教や神道というものがあるんだということ、また、世界にはキリスト教を初めとしてイスラム教、いわゆる三大宗教と言われるようなものもありますよということと、それからその分布はこのようになっていますよということを教えることによって、一般的な教養として宗教に取り組んでいくということでございます。

 先ほど委員がおっしゃいましたように、現行法の第九条二項を拡大解釈して慎重になり過ぎる、宗教教育を禁止されているんだということからすべてに抑制的になり過ぎるという嫌いがあったということを考えまして、一般的な教養という面で、宗教に対してしっかり取り組んでいただくこと、これを規定したところでございます。

土肥委員 私はなぜこれを質問したかというと、宗教というのはいつも先鋭化して危ないものだ、宗教紛争が起きたら必ず戦争になるというふうな、何か基本的な概念があって、なるべく寛容に接しなさいと。これを子供に教える必要はないんじゃないかと思うんです。むしろ、なぜ紛争が起きるのか、なぜ宗教の名を冠して戦争が起きるのかということを教えるべきなんです。

 ボスニア・ヘルツェゴビナに私二度参りましたけれども、戦争終結後すぐと、それから五、六年たって参りました。今も何も変わらない、三派分立して、三宗教分立してといいましょうか。だけれども、結局は、政治家の野望が宗教を利用しているんです。自分のアイデンティティーを一層高め、自分たちの同志がなお一層先鋭化するために宗教を利用するんです。ですから、問題は政治なんですね。だけれども、それを、寛容の態度でおりましょうなんといったって、それぞれ言い分があるでしょう程度のものであって、なぜそこに政治と宗教が結びつくか。政治教育というのも教育基本法にございますけれども。そういうことを考えると、何か初めから、宗教に接するときは寛容な態度でおりましょうねというのは間違いです、これは。宗教というのはそういう間違いも起こします。それをちゃんと教えたらいいんです。ですから、はなから、寛容の態度と。

 それから、宗教的な地位。地位という言葉もおかしいですね。今大臣がおっしゃったように、機能とか価値とかという方が私はいいと思います。宗教団体に地位を求めるような人はいないと思いますよ。むしろ本当の宗教ならば、そんな地位にとらわれないで、庶民のために、国民のために、人間のために仕えていく、これが正直な宗教者の立場だと思いますので。何か既成概念を押しつけるのはよくない。

 民主党も同じことを言っているんですが、いかがですか。

藤村議員 まず、寛容の態度というところであろうと思います。私どもも、その寛容の態度という言葉を使っております。

 先ほど来、土肥委員が御主張のとおり、本当に命、生命を尊重する教育がやはり教育の中で重要であり、それがいろいろな形できょうまで確かに実施されてきたものの、例えば、命は大切だというスローガン的なものにとどまり、生命の深淵に触れたり、あるいは、みずからは目に見えない力によって生かされているという謙虚さを気づかせる教育というのは系統立って行われてきたとは思いません。そういう意味で、やはり我々は、この宗教のところの条文というのは、相当検討した結果、ただし、憲法にある信教の自由のもとで教育の場面においてどういうことが可能かという視点であります。

 宗教的な伝統や文化に対する基本的知識の修得、それから宗教の意義の理解、これが今の地位にちょっとつながるかと思うんですが、私どもは、宗教というものが客観的に見て社会の中でどういう位置にあるのかということで、我々は地位という言葉は使いませんでしたが、そういうことを含んでいると御理解いただきたいと思いますし、さらに、宗教的感性、これは情操というのと近い意味であります、あるいは宗教に関する寛容の態度を養うことを尊重としました。

 寛容の態度につきましては、土肥委員の御指摘の紛争のことがございましたが、我々はもう少し国内的に、寛容の態度は、宗教を信じるあるいはまた信じない、これらについて、あるいはまたさらに一定の宗派を信じる、信じないこと、それぞれがまさに信教の自由のもとで許されているわけで、そのことに対してそれぞれがやはり寛容な考え方を持って臨む、そういう意味での、我々は寛容という言葉を使ったところであります。

土肥委員 またこれを余り論争すると神学論争と言われますからやめたいと思います。本気になって私と神学論争をする方があれば、皆さんにどんな議論でもいたします。やはり政治家が神学論争というのはやめましょうよ。神学をやったこともない人が神学論争をやるということでございます。

 たくさん宗教があるということを申し上げましたけれども、最大の母体は神社宗教だろうと思います。祭事に出ますと、歴史は二千六百何十年とおっしゃるんですから、日本国開闢以来ある宗教が神社宗教でございます。

 神社宗教というのは、教義がない、教えがない宗教なんですね。もちろん、教派神道というのがございまして、その後生まれて、大本教とかいろいろございます。そういうグループは、神道ではありますけれども、教派神道と呼んでおりますね。教義を持っている。つまり、宗教団体を、神社を離れて教会をつくるというときには、それなりの主義主張があってつくるわけでありますから、それでいいのでございます。

 しかし、多くは、教義のない、教えのない、伝統だけで宗教を営んでいる神社ですね。私は神主さんからこう言われたんです、今度例大祭があるから来てくれないかと。いや、私、宗派が違うんですけれどもと言いましたら、いや、よくわかっている、でも、あなたしかこの地域で国会議員はいないんだから、来てほしいというわけですね。まあ、それではと。そのときに、その神主さんがおっしゃったことは、土肥さん、心配要らない、神道は、形だけです、中身は問わないんですと。だから、形だけでいいからおいでよ、こうおっしゃるので、本当に形だけなんだろうと思って行きましたら、なかなかそれはまた二礼二拍一礼だとかございまして、私はしょっちゅう間違って、うちの秘書が後ろで笑っているんですけれども。

 私は、神社に行っても何の抵抗もありません。なぜならば、そこに教えがないからです。教えがあると、それはアマテラスオオミカミとかそれから皇室と結びついていますから、皇室の繁栄をというようなことをいいますけれども、それ以外はほとんど問題がないわけです。

 一番傑作なのは、選挙のとき、私はやりませんけれども、地方議員、市会議員などがやるときに、民主党の候補者の中にそれぞれ神主さんが来るわけですね。そして、おはらいをするわけですね。神様、大変だろうなと思う。この議員を通してやってくださいというと、あとは落としてくださいということだし、どんな気持ちで祝詞をささげるのかわかりませんけれども、日本というのはそういうところでございます。

 せっかく官房長官おいでになっていまして、きょうは限られた時間の中だというふうに聞いておりますので、要するに、神道あるいは神社というのは伝統と儀式があるだけでございまして、そこで祭神と申しますが、なぜそこに拝みに行くかといえば、大抵はアマテラスオオミカミ、皇室もそうですね、皇室の祭礼もその中心的地位を占めるのはアマテラスオオミカミでございます。

 では、二千六百年の間、今度はだんだん神々がふえてまいりまして、いろいろな神が生まれます。明治神宮なら明治天皇、徳川家康だったら東照宮ですね、祭神がかわってまいります。

 官房長官に申し上げたいのは、小泉総理大臣が靖国神社に五年続けて参拝した、これは、神道の伝統からいうと、あの靖国神社は、だれを祭神としているのか。アマテラスオオミカミではないのか。そして、そこに参拝するというのは、どういう意味で小泉総理大臣は参拝しているのか。その心のうちがわかれば、お答えいただきたい。わからなければ、あなたの心のうちを伝えてほしいと思います。

安倍国務大臣 二点、御質問があったというふうに思います。

 一点は、靖国神社の祭神についてでありますが、靖国神社は、国事に殉ぜられた人々を奉斎するという宗教法人規則になっております。

 そして、では、総理がどういうお気持ちで靖国神社にお参りをされているかということでございますが、これはもう総理が今まで累次御説明をしてきたように、国のために戦い、命を落とされた方々に手を合わせ、御冥福をお祈りするためにお参りをしている、そしてその際、恒久の平和を願い、不戦の誓いをしている、こういうことだろうと思います。

土肥委員 祭神は、どういうふうにおっしゃいましたか、もう一度お願いします。

安倍国務大臣 ただいま申し上げましたように、これは、靖国神社の宗教法人規則によれば、国事に殉ぜられた人々を奉斎するということでございます。

土肥委員 国事に殉じた者を、祭神ですから、神とするわけですね。神とするんですよ。そういう独特の目的を持った神社が靖国神社なんです。

 いや、アマテラスオオミカミならば伝統的神社宗教の根源でありますし、まあ、明治神宮だとか日光の東照宮であるというようなことは、かなり近代の、これも意図的ではございます、徳川家康が自分で神社をつくれと言ったんですから。今や文化財にもなるような豪華な神社をつくったわけですね。

 祭神が、国事に殉じた戦死者、これが神になっているわけですね。それをお参りになられるということはどういうことなんですか。一方でいえば、慰霊という言葉がございますけれども、そこに参拝するというのはどういう意味だと官房長官はお考えでしょうか。(発言する者あり)

安倍国務大臣 ただいま申し上げましたように、それは総理のお気持ちということでの御下問でございましょうか。総理のお気持ち……(土肥委員「あなたのお気持ちでもいいです」と呼ぶ)私の気持ちでもよろしいですか。

 まず、総理のお気持ちについては先ほど申し上げたとおりでございます。

 私の気持ちということであれば、靖国神社につきましては、明治の御一新以来の国難に殉じた方々が祭神として奉じられているわけでございます。私の地元は山口県でございまして、長州の偉人吉田松陰先生以下、明治の回天の大事業で亡くなった多くの方々も祭神として祭られているわけでありますから、そうした方々も含めて、国のために殉じた方々に手を合わせ、そして御冥福を祈り、尊崇の念を表するために、政治家として、また一国民としてお参りをしているわけであります。

 多くの、例えばさきの大戦の御遺族の方々が、御主人あるいは父親、息子、愛する人たちの霊を慰めるために、そこに足を運んでいることから、御遺族にとっては慰霊の中心的な施設になっているというふうに私は承知をしているわけでございます。私も政治家としてそこにお参りをし、手を合わせている、こういうことでございます。

土肥委員 今慰霊という言葉が出ましたけれども、これも日本独特なんですね。死者を生きている者が慰霊する、霊を慰めるという考え方なんですね。教育基本法と関係ないじゃないかと筆頭がおっしゃいましたけれども、こちらの筆頭ですけれども、宗教教育というのは、神社を、いわゆる神道というものをやはり教えなきゃいけないんでしょう。そして、その他の、仏教やキリスト教やイスラム教や、いろいろな宗教がありますから、これは全部教えようと思ったら大変です。先ほどの地位という話からいけば、地位のないものは教えぬでよろしいというようなことにもなりますけれども。

 ですから、今官房長官がおっしゃったのは、神社神道の中で独特の性格を持った靖国神社であるということ、そして、戦死者の魂というか霊というか、それを慰めるために行くんだと。これは強い信仰告白なんですよ、私に言わせれば。非常に性格がはっきりした靖国神社なわけです。いいとか悪いとかというのは信じる人の判断でいいんです。これは、総理がマスコミを引き連れて靖国神社に出て行って、全国民が見ているわけです。

 では、一つ聞きましょう、どなたがお答えになるかわかりませんけれども。

 ある子供が、靖国神社とは何ですか、どうして総理はあそこだけは特別な思いでお参りするんでしょうかと聞かれたときに、教師は何と答えたらいいんでしょうか。

小坂国務大臣 だれも手が挙がらないようでございますので、私からお答えしたいと思いますが、私は、それは総理の内心の問題でございますから、そこに立ち入ることはないと思いますが、小泉総理大臣という方がお参りしたいと思うからお参りするんだろうねという答えで、それ以上に入らないというのが適切なことだと思っております。

安倍国務大臣 それは、例えばその際、憲法二十条において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」ということになっています。日本は、信仰の自由、信教の自由を保障している、民主主義そして自由主義、基本的人権を保障している、私たちはそれを守ってきたということも、子供たちにその場を通じて教えていくということも可能ではないか、このように思っております。

土肥委員 全く憲法論議を子供としているようなものでございまして、子供はそんなことを聞いているんじゃないんです。ああやって大騒ぎになる、中国も韓国も大騒ぎになっている、首相が公式訪問できない、これくらいのことは子供でも知っていますよ。そして、どうして靖国神社なのということを聞く子供だっておりますよ。そうしたら、教師は、答えない、憲法二十条を唱える、これでは教師としての資格を失するものじゃないかというふうに思っております。だから、どう答えていいのかわからない内容のことなんです。

 したがって、これは軽く考えたらいけないんです。靖国神社というのは、やはりそういう神社の特性を語らないで靖国神社参拝を論議することはできません。

 それと同時に、内閣総理大臣が出かけるということは絶大な影響力を国民に与えておって、ある評論家によれば、観光地としての靖国神社を訪問する人が多くなって、外国人も行くようになったというような話ですけれども、行っても何もわからないだろうと思うのでありますけれども。そういう宗教教育というふうなところから外れて政治家が宗教的アクションを起こすときに、そのアクションは宗教教育よりもはるかに大きな影響力を国民に与えているということですよ。

 ですから、政治家というのは、あだやおろそかに宗教行事に参加してはいけないんです。参加するならば、ちゃんと自分の参加する理由を挙げてやるべきであって、特に、国家の内閣に属する、国家権力の最高責任者が……(発言する者あり)何言いたいの。失礼なこと言うな。

 ですから、私が言いたいのは、一宗教施設ではあるけれども、その影響力が全国民に及んでいるというときに、宗教教育が靖国神社を取り上げられないとすれば、教師として、その教師たる資格を欠くのではないかと私は思っておりまして、これは、カリキュラムあるいは教材を提供する文科省の重大な責任だと思いますが、担当者の御意見をお聞きしたいと思います。行政側の感想をお聞きしたいと思います。

銭谷政府参考人 学校における宗教教育につきましては、先ほど来御説明を申し上げておりますように、世界の宗教の分布でございますとか、宗教の役割とか、そういったものを取り上げて教えているわけでございます。

 ちょっと話がそれて恐縮でございますが、特に高等学校の倫理では、かなり宗教について取り上げているところでございます。この中では、世界のいわゆる三大宗教について、それぞれの成り立ちですとか、三大宗教の考え方とか、こういうことについては触れているわけでございます。あわせて日本人の宗教観といいましょうか、歴史的な宗教に対する考え方、あるいはその後の仏教伝来以後の日本人の宗教の占めてきた地位とか、そういうものについても触れているといったようなことで、基本的に宗教に関する教養を高めるという観点から、小学校、中学校、高等学校で、それぞれ発達段階に応じて指導をしているということでございます。

 なお、靖国神社のことをお話しになりましたけれども、一つ大事なことは、やはり内閣総理大臣や国務大臣の地位にある方についても信教の自由は保障されておって、私人として靖国神社に参拝することができる。仮に生徒から問われた場合でも、そのような信教の自由については、これは適切に指導すべきものだと考えております。

土肥委員 これ以上靖国神社問題に深入りするのはやめたいと思います。

 安倍長官、もし次の日程があったら、どうぞお引き取りください。

 あるカルト集団に引っ張り込まれて、そこの指導者として、七年間そのカルト集団の教師的役割をしてきた人物の書いた、なぜ自分がカルト集団に入ったのか、そこで何をしたのか。そこに集まってくる、特に若者、彼らの定義で言うと、大体、大学生及び社会人一、二年生がやってくるわけですね。

 最もやりにくいのが、大学生なら大学生で、自分は大学でこれをするんだ、将来こういうことをやるんだという目的意識のはっきりしたのは、はなから、そのカルト集団に引っ張り込もうとしても入ってこない。それからもう一つは、何だかわけのわからない学生、何のために大学生をやっているのか、自分の人生についても考えたことがない、マージャンかパチンコかそんなことばかりやっている、これもはしにも棒にもかからない。これが、二つ合わせると大体三割ぐらいだそうです。あと七割がターゲットなんですね。

 そして、実に巧妙なカリキュラムができております。最初はビデオを見せる、その次は三日ないし四日の講習を受ける、その次は四十日の講習を受ける。そのころになると、もうすっかりそのカルト集団の信奉者になっているわけでありますけれども。

 彼が言うには、やはりカルト集団に入ってくる中でも、人間が生きていること、あるいは人間の存在、あるいは自分の人生などについて非常に迷っている、自分はどうしたらいいかわからない、サラリーマンでいえば、ある企業に入ったけれども、どうも自分はその仕事に向いていない、会社が嫌いだ、管理されるのが嫌だ、さまざまな動機があるんですけれども、そういうふらふらしている彼らに対して、人間はこれしかないのよと一つだけ、二つ言っちゃだめなんです、一つだけの道を示すんですね。すると、そこへさあっと流れていくわけでございます。

 そこから抜け出るということはもう大変な至難のわざでございまして、今度は仲間がつきまして、非常に親しい、何でも聞きなさいと言って仲間がついて、しかし同時に、離れようとすると、離れたらあなたの人生は台なしになるよみたいなことを言って、いわばそこの中で積み重ねていくわけです。

 教育というのは、非常にあいまいなふらふらした教育をやっているからこういうことになるんです。心の教育であるとかいろいろなことを言います、文科省も言います。だけれども、やはり生きるということ、それに密着した教育をしないと、何で数学をやらなきゃいけないの、何で英語をやらなきゃいけないの、それがだんだんだんだん高じて、何で人を殺しちゃいけないのというような話にまで行くわけですね。そこにはやはり子供たちを感動させるような教育が実践されていない。

 親の側もそうですから、ふらふらした夫婦がふらふらしたままで結婚するわけですから、夫婦でふらふらしているわけですから、子供はそれを見て、親が揺れているとわかるわけですね。すると、本人も揺れ始めるわけです。そういうことを考えると、よほど日本の教育を考えて、中教審が言っているような危機感、そして今現在置かれている子供、その親、教師、それをしっかりと分析し、そして踏まえて教育体系をつくらなきゃいけないと思うのであります。

 そういう意見を申し上げまして、最後にいたします。

 今度、教育基本法で私立学校が真っ正面から取り上げられました。政府案、民主党案ともに私立学校を入れているわけでございますけれども、御承知のように、憲法八十九条で、私学教育あるいは慈善たる福祉を許しておりませんね。これとの関係で、私立学校をそんなに簡単に教育基本法で取り上げていいのか、八十九条に合わないんではないかと思うんですが、政府案、民主党案、それぞれ答弁をお願いします。

小坂国務大臣 学校法人に対する私学助成というのは、憲法第八十九条が公の支配に属しない教育事業に対する公金の支出を禁じているために、学校教育法、私立学校法及び私立学校振興助成法に定める各種の監督規定をもって公の支配に属しているものとして助成が行われるという形になっております。

 このため、今回、本条すなわち私立学校の規定を規定したことのみをもって、憲法第八十九条に規定する公の支配に属しているものとしての私学助成を行うことが可能になるというわけではないわけですが、この私立学校の規定は、私立学校の重要性にかんがみ、国及び地方公共団体に対して、私学助成に限らず情報提供や経営支援なども含めてその振興方策を講ずる責務を課すものでありまして、その意味においては、私学振興全般の根拠となり得る形をとっているわけでございます。

 このように、私立学校というのは、今日、我が国の教育に占める割合が非常に重要なものとなっておりますので、教育基本法の第八条における私立学校の規定は、国、地方公共団体の責務を明確にするという意味合い、そしてまた、この憲法八十九条の規定との関連を教育基本法として明らかにするために挿入をしたものでございまして、委員の御指摘になる懸念は、私どもは必要のないものと。必要のないものと言うと語弊がありますので、委員の御指摘は謙虚に受けとめるものの、私どもとしては、この八条の規定を設けたことによって、より一層公教育に果たす私学の役割が確立されるものと考えているところでございます。

土肥委員 時間が来ておりますのはわかっています。後で、簡単にやってくださいね。

 要するに解釈憲法ですね。大臣、解釈憲法じゃないんですか。ひとつお答えください。

小坂国務大臣 憲法上の解釈は、このような規定を設けることによって、先ほど申し上げたような、学校教育法、私立学校法及び私立学校振興助成法に定める各種の監督規定をもって公の支配に属しているという形の形式を整えているということを申し上げたところでございます。

土肥委員 では民主党、お答えください。

笠議員 土肥委員御指摘のとおり、私どもも、この私学助成についての憲法八十九条との適合性、これまで議論をされてきております。

 これについては、助成を受けた場合に、監督官庁の報告徴取や、質問、検査あるいは予算に係る変更の勧告、役員の解職の勧告等の権限も及ぶほか、大臣の定める基準に従った会計処理あるいは財務に関する書類の作成と提出、監査といった規制を受けるといったこともあって、公の支配に属するものとされていると承知しており、私どもといたしましては、この取り扱いに異議はなく、私学の助成に関する憲法八十九条の問題については決着していると理解しております。

 その前提のもとに、今回の第九条、建学の自由及び私立の学校の振興の規定を作成したところでございます。

土肥委員 ありがとうございました。

 ちょっと問題だと思いますね。そうすると、八十九条はもうない、八十九条は死文化している条項だと言わざるを得ない。つまり、学校法人あるいは社会福祉法人、法人格をそれぞれつくって、監督官庁のもとに置いて、そして、お金をおろしやすいようにしてつくった私学であり社会福祉法人なんですね。この事実は間違いないわけでございまして、これはまた憲法改正論議のときに、当然この条項は問題になると思います。

 以上をもって私の質問を終わります。ありがとうございました。

森山委員長 次に、高井美穂君。

高井委員 民主党の高井美穂です。どうぞよろしくお願いいたします。

 私は、日本国教育基本法の民主党案の提出者になっておりますので、本日は、政府の皆様方のみに質問をさせていただきたい。どうぞよろしくお願いをいたします。

 教育基本法は理念法でございますけれども、この理念に基づいてさまざまな法律、制度が整備されていくため、現場に大きな影響を与えるのは、もう皆さん御承知のとおりだろうと思います。教育全般におけるこうした当委員会の質疑を通じて、多くの皆さんが教育についてより深く考えるきっかけとしてほしいし、子供がいる方も、おられない方も、社会の宝物で、社会の財産である子供という存在に向き合って、今の社会環境や教育環境すべてを改善する努力をしてほしいというふうに願う者の一人でございます。

 そのために、当然、この委員会では十分な議論を尽くしたいというふうに思っておりますし、始まったばかりで、さまざまな論点が挙がっておる中で、私は、本日は子供の件に集中して質疑をさせていただきたいと思いまして、質問通告どおりに始めたいというふうに思っています。

 皆さんが自分の子供さんのことを思いながら、子供でなければお孫さんのことを思いながら、教育についてよく考えてみていただきたい。大人から見た目線だけでなく、やはり子供から見た目線、子供といいましても、もう中学生、高校生、小学生高学年になるといろいろな考えをしっかり持っている子供も多いわけでございますので、そういう子供さん、お孫さんに対して、今回の基本法についてもぜひお話をしていただきたい。家庭でもぜひ、こういうふうな議論がされているんだがどうだということを、特に立法府におられる皆さん方には家庭に持ち帰っても話していただきたいというふうに考えております。

 そして、私自身は、自分の子供にどういうふうに育ってほしいか、家庭でどんなことを教えたいか、学校でどんなことを教えてほしいか、そういうふうなことを自分の頭の中に置きながら、そこを原点に質問をしたいというふうに思っています。もちろん一般論も大事だと思いますが、やはり自分のこととして考えたいというふうな点でございます。

 大臣も先ほど、子供がお好きだという御発言もございました。私は、総理は子供が好きなのかどうかはよく存じ上げませんけれども、抱き締めることが大事というふうにおっしゃっておられましたので、ぜひ実践をしていただきたいなと。家庭を大事にするということも、立法府の皆さんはもう当然のこと、国民の皆さんに法律をつくってお願いするようになるわけですから、みずからもって皆さんが実践するということを考えに入れていただきたいというふうに思っています。

 子供は社会を映す鏡といいます。そのとおりだと思っています。権利と義務といいますが、やはり、大人が義務を果たさないのであれば子供に押しつけることはできない、大人が責任をとらないのであれば子供に責任をとれと言うこともできないというふうに思っています。大人のマナーと子供のマナー、今さまざまな生活をしながら見るにつけ、子供のマナーが悪いというよりも、大人のマナーも非常に悪い部分が多いというふうに思っておりまして、子供にだけ公共心、道徳心を教えるという発想よりも、まず大人が変わっていく、変えていくという点でぜひ考えていただきたいというふうに思います。

 特に、援助交際と言われる言葉が昨今マスコミ等にも出回っていますけれども、性を売る子供よりも、買う大人と、それを業として仲介する大人の方に最も罪があると私は考えておりまして、ぜひとも、この点はまた違う委員会でございますけれども、よく真剣に考えていきたいと私も思いますし、ぜひよろしくお願いをいたします。

 質問に入ります。

 まず、一つだけ挙げるとすれば、今回の、現代の教育基本法改正で、大臣は、何が最も問題になっているから、その解決のためにこの教育基本法を変えるんだというふうにお思いか、教えていただきたいと思います。委員会でのさまざまな質疑、私もずっと聞いておりましたので、多くの点が指摘されている思いも承知しておるつもりでございます。その中でもとりわけこれだというのが思いを込めてあれば、お願いをいたします。

小坂国務大臣 思いということからいえば、日本に生まれてよかったと思う日本にするために教育の改革をしたい。

 ただ、そのことを一言言っても、その背景をやはり説明しないといつもわからないものですから、中教審の答申でも引かれております、これまでの価値観が揺らぎ、自信喪失感や閉塞感が広がっている。倫理観や社会的使命感の喪失が、正義、公正、安全への信頼を失わせている。少子高齢化による人口構成の変化が、社会の活力低下を招来して、長引く経済停滞の中で多くの労働者が離職を余儀なくされ、新規学卒者の就職は極めて困難になっているといった社会状況を説明され、その中で、今日の学校における課題としての青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、また、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊、家庭、地域の教育力の低下、こういった教育を取り巻く環境を指摘させていただいているところでございます。

高井委員 私も、とりわけ日本を愛する気持ちは強いと思っています。

 その愛国心の表現の仕方は人それぞれ、さまざまでありましょうし、それぞれに日本を大事に思う気持ちをいろいろな形で持っていただければいいというふうに思ってはおりますが、先ほど大臣が答えられた子供をめぐるさまざまな状況等の中で、子供の犯罪をめぐる発言が、多くの与党の方の議員からも、野党の民主党の方の議員からもございました。

 そして、これは公共心の欠如とか道徳心が欠如しているというふうな言葉も質疑の中でさらに出ましたけれども、ニュース等の情報に基づいて犯罪がふえているとの認識が背景にあって、こういうふうに法案に盛り込まれるようになったのか。子供の刑法犯自体は実際にふえているのか。子供の犯罪がふえているというよりも、むしろ、景気が悪くなったりしたことも含めて、あと、マスコミやインターネット等の情報からさまざまな犯罪というか悪い情報に接する機会も子供にとってふえていることがやはり背景にあるのか。実際に大人の犯罪も昨今ふえているんじゃないかというふうに私は考えていますが、現状の認識等はいかがでございますか。これは警察庁の方にお願いをいたします。

竹花政府参考人 お答え申し上げます。

 刑法犯少年の検挙人員は、平成十七年中、十二万三千七百十五人を数えております。ここ十年間、十二万人から十五万人台で推移をしているという状況にございます。これを少年の千人当たりの人口比で見てみますと、平成十七年は十五・九となっておりまして、依然として高い状態が続いております。

 また、少年犯罪ではありませんけれども、いわば少年の、少し非行に走り始めたという不良的な行為ということで、深夜徘回ですとか喫煙などの行為については少年を補導しているわけでございますけれども、この補導人員を見ますと、平成十七年中は約百三十七万人を補導いたしておりまして、これは、平成十四年以降百万人を超えている状況が続いているということでございます。

 さらに、最近の少年事件の中には、平成十五年及び十六年に発生しました長崎での子供の殺人事件、あるいは昨年発生いたしました東京町田市での殺人事件、あるいは、これは少し前々から起こっておりますけれども、いわゆるおやじ狩りで相手の大人を大変な目に遭わせるといったような事件が多発をしておりまして、こうしたことをどうして子供たちが行うのか、その理由について理解することが困難だ、そういう事例も多々生じているという特徴がございます。

 私ども、こうした非行問題を扱っている現場から見ておりますと、このような少年非行の背景にはさまざまな要因が考えられるところでありますけれども、つまるところ、犯罪の被害者の痛みあるいは自分自身が受けるダメージ等について無知あるいは理解が乏しいということがありまして、そういうことが、少年が犯罪を犯すことを押しとどめる力が低いのではないかというふうに感じさせられるところでございます。

 このような状況を生み出しておりますのも、大人社会が、犯罪にかかわることの重大さを少年に伝え切れていない、逆に、これを軽んじる風潮が広がる中で少年非行が助長されているという側面も否定できないのではないか。

 例えば、少年の多くが携帯電話を持っておりますけれども、ここには、少年が犯罪にかかわることを誘う情報や、わいせつ、暴力の情報があふれております。多くの少年にこれを持たせているという状況は、少年を犯罪に巻き込む大きな危険の中に置いていると言っても過言ではないというふうにも感じているところでございます。

高井委員 ありがとうございます。大変御丁寧な答弁をいただきました。

 まさに他者への理解、他者の痛みを知る、痛みを理解しお互いに支え合ってやっていく、まさにそういう人格を形成する、完成された人格を形成することこそ教育の目的の一つでもあろうかというふうに感じながら今聞きましたけれども、民主党案では、第十七条に、情報文化社会に関する教育ということで、「すべての児童及び生徒は、インターネット等を利用した仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励されるものとする。」というふうな規定を入れております。

 現代に生きる我々にとって、物と情報があふれんばかりの中で、取捨選択する能力というのは大変に必要であるというふうに思っておりますが、こうした条文が残念ながら政府案にはございません。これを入れていくというお考えはないでしょうか。

 メディアリテラシーというのは、子供だけでなくもちろん大人にも必要なことですけれども、こうした条文を盛り込むことによって国民的に喚起したいという部分もございまして、私どもは入れさせていただきました。いかがでしょうか。

小坂国務大臣 高井委員が御指摘のように、今日の情報化社会の中で情報リテラシーというものが非常に重要になってまいりました。いろいろな情報に接する中で、その情報が正しいのか間違っているのか、その背景にあるものは何か、こういったことの判断力をみずから養っていくこと、それが今求められているという御指摘はそのとおりである、そういった意味で、民主党が第十七条に情報文化社会に関する教育という項目を盛り込まれたことは、それなりの意義があるものと考えるところでございます。

 しかし、私どもの政府案におきましては、第二条において、幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養い、すなわちこれはリテラシーということになると思いますが、豊かな情操と道徳心を培うとともに健やかな心身を養うことと。包括的な規定ではございますけれども、今日の情報化社会の中で、そのリテラシーのあり方というものも時代の変化とともに技術的にも担保をされ、また、このリテラシーに対する考え方というのも若干の変化をしていくと思っております。

 そういった時代の変化にも十分対応し得るように、基本的な理念としての、理念法としての性格からすれば、個別具体的なものよりは、この第二条の規定ぶりというものを私どもは今回採用したわけでございます。

高井委員 残念ながら、私は二条を拝見するだけでそこまでの思いに至りませんでした。ということは、逆に言うと、もうちょっとはっきりとわかりやすく、本当にだれが見てもわかるような形で盛り込んでいただける方がいいんじゃないかという思いを込めてお願いをしているわけでございます。ぜひとも御検討をよろしくお願いいたします。対立法案ではございませんので、すり合わせができるところはすり合わせ、ぜひとも御検討いただきたいと思っております。

 次の質問に行きます。

 資料をお配りしていると思いますが、対人信頼感の比較調査というものの統計を私はある方からいただきまして、ちょっと御紹介をしたいと思って持ってまいりました。

 大変に私はショックを受けまして、これはサンプル数はそんなに多くないんですが、対人信頼感の比較、日本、韓国、フィンランドの大学生の比較調査でございます。項目がこの四つで、ほとんどの人は他人を信頼しているということと、私は人を信頼する方であるということ、この社会では気をつけていないとだれかに利用されてしまうかどうか、ほとんどの人は基本的に善良で親切であるかどうか、こういうふうなことをシンプルに学生に聞いたアンケートだそうです。

 この中で大変に残念なのは、一番の、他人を信頼しているかどうかについても、六五%の日本人の大学生、これは私立の大きな大学の学生さんのデータなんですが、六五%の人が、余りそうは思わないと。そしてまた、二番はともかく三番の、社会では気をつけていないとだれかに利用されてしまうというふうに考えている学生が、何と八〇%なんですね。これは韓国でも近いデータになっているので、フィンランドが異常に少ないというのは、フィンランドは、小さい国ではありますが教育大国ということで有名でございますので、本当にすごいなというふうに拝見をいたしました。そして、この最後のデータ、ほとんどの人は基本的に善良で親切である、人間を信頼しているかどうかというふうな問いに近いとも思いますが、余りそう思わないとそう思わないを含めると五六・四%。大変に、本当に残念な結果でございます。

 先ほど警察庁の参考人の方が述べていただきましたけれども、やはり他人に対する思いやりというか信頼感というのが欠けるというか少なくなっているというのが、少ないサンプルながらもデータからもはっきりしておりまして、非常に問題だなというふうに思いました。

 それで、今までの教育をさまざまに振り返って、教育、学校の世界、学校界が、学ぶということの動機づけに対してうまくできなかったのではないかと。何のために学ばなきゃいけないか、学ぶことによってどうなるのか、さまざまな、協力し合って生きていくということも、多分学校生活の中で学ぶ一つの大事なことであろうと思います。それが学べていない、これはどうしてなんでしょうか。御意見をお聞かせいただきたいというふうに思います。

銭谷政府参考人 先生お示しのような意識調査の場合、一般的に日本の学生というのは割と控え目に答えるといいましょうか、自己認識が低いという傾向もあるようでございますが、ただ、今先生お話ございましたように、子供たちが他者を信頼し、尊重し、互いに協力をしてよりよい社会を築いていこうとする態度を身につけるということは、これは学校教育上大変重要な課題だと思っております。

 これまでも、学校教育におきましては、道徳の時間はもとより、各教科や特別活動など学校の教育活動全体を通じまして、集団活動、多様な体験活動などを行うことを通しまして、協力することの大切さを身につけさせるよう指導は行ってきているわけでございます。

 例えば、自然体験活動において共同で作業したり炊事をしたり、部活動という日本独特のいい制度もありますので、そういう部活動を通じまして、学年の異なる子供たちが協力して共通の興味、関心を追求する活動を行うといったような指導も行っているわけでございます。

 今後とも、学校教育におきまして、自他の敬愛と協力を重んずる態度を育てる指導ということにつきましては、十分努めていかなければならないと思っているところでございます。

高井委員 もちろん指導も大事なことなんですが、やはりそれを教える先生自身が他人をよく信頼し、また大人がまず他人を信頼しているという社会でなければ、なかなか子供にだけ教えることはできないというふうに冒頭に重ねて申し上げたいと思っています。

 保護者の側、私も保護者の一人でございますが、学校にしてほしいことはいっぱいある、過度の学校依存になっていることに対して、子供たち自身は学校離れを起こしているんじゃないか、学校不信になっているんじゃないか。つまり、大人から見た、保護者の側から見た学校に対する要求と、子供の側から見た学校に対する要求というのは、かなりずれがあるんじゃないか。目線の高さを変えて見ないと、大人の目線で見ただけでは、なかなか本当に学校に求められているというものがわからないのではないかというふうに懸念をいたします。

 それで、教育の権利の主体としての子供からの意見というのも大事なことでございまして、基本法に反映させることが大事だと思っておりまして、意見徴収の状況等、先般も小坂大臣も当委員会でお述べになられていましたが、国民周知、国民の皆さんに周知しているということでございますが、いわゆる子供の側からの意見徴収等の状況はどうなのか。そして、回数や時間等の御説明は何度かございましたけれども、意見徴収の人数は、どれぐらい広くとられているのか。

 つまり、この前の新聞の調査でも、教育基本法について、見たり聞いたりしたことはあるが内容はよく知らない、本文を見たこともないという人と合わせて八〇%を超えているというふうなお話が、横光委員の議論でしたかでございました。周知徹底されている割には、努力されている割には、まだまだ低いのではないか。

 みずからのことも言いますけれども、私も恥ずかしながら、文部科学委員会に所属するまで教育基本法を読んだことはありませんでした。本当に恥を忍んで申し上げます。ただ、国民の皆さんというのは日々自分の活動に忙しいですし、特に関係の方でないと法令を一生懸命読むということは日常生活においてないのではないか。だからこそ、この委員会で深く、長く議論して、よく知っていただく。憲法に準ずる法案として国民の皆さんが参加して決めるということが大事だというふうに思っておりまして、その周知状況についてお伺いしたいと思います。

田中政府参考人 子供の意見の反映についてのお尋ねでございますけれども、文部科学省におきましては、平成十二年十二月に教育改革国民会議から報告を受けまして教育基本法の改正について提言をいただいて以来、また中央教育審議会の答申等につきまして、さまざまな手段を通じまして、国民的な議論や理解を深めつつ、教育基本法の改正についての取り組みを進めてきたところでございます。

 例えば、教育改革タウンミーティングでは、年齢制限は設けずに行いまして、実際に高校生から率直な質問がなされるような場面もございました。

 また、平成十七年一月から七月までの間は、教育現場を知り、国民の生の声を伺うという趣旨で、スクールミーティングと題しまして、大臣、副大臣あるいは文部科学省の職員が、小学校、中学校、高等学校、これは三百八十校を訪問いたしまして、教職員や児童生徒あるいは保護者と率直な対話を行ってきたところでございます。

 さらに、文部科学省のホームページにおきましても、一般の方々から広く御意見、御質問を受け付けておるところでございまして、この中でも子供さん等からも御意見や御質問等をいただいておるところでございます。

 特にスクールミーティング等におきましては、教育基本法の改正をメーンにしておるものではございませんので、具体的には、学校五日制になって土曜日をどう過ごしているとか、少人数指導をどういうふうに感じているとか、あるいは総合的な学習の時間についてどんな感想を持っているとか、もっと身近な内容をお聞きするのが中心であったわけでございます。

 それから、文部省のホームページ等によりまして、全国の国民の方々から御意見をいただいておるところでございますけれども、これは、平成十八年の五月十一日現在で、十四万八千件余り御意見をいただいておるような状況にあるわけでございます。

 ただ、こういうことで、私どもといたしましては、ふだんから児童生徒を含めた国民の方々との対話を進める中で、今後、教育のあり方に反映させていきたいというふうに考えておるところでございます。

 したがいまして、今回の教育基本法の改正案をつくります際にも、特定の子供さんの意見を直接反映したというものではございませんけれども、文部省では、こういう国民の方々から聞いたいろいろな問題意識を持ちながら、中教審の答申や与党協議会の最終報告などを踏まえまして、教育基本法の案をつくりまして国会に御提出したところでございます。

高井委員 政府案の六条第二項に、今回、学校教育の役割が規定されております。特に、この学校教育に求められている役割は何だとお思いになられますか。

小坂国務大臣 学校は、人的、物的条件をしっかりと備えて、一定のカリキュラムに基づきまして、児童生徒のそれぞれの心身の発達段階に応じて、組織的かつ体系的に教育を行う場でありまして、教育の目的を実現する上での中心的な役割を担っている、これが学校の役割だ、このように認識しております。

 ただ、現在の教育基本法の中では学校の役割について何ら規定をしておりませんものですから、今回、学校の基本的な役割について、第六条第二項において、「学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」と規定をすることにしたわけでございます。

高井委員 それをぜひ実現していただくためにも、この人的、物的条件を備えるための財政措置というのは大事な要件になると思います。ぜひともよろしくお願いをしたいと思います。

 我が党案では、何度も質疑がありましたけれども、財政措置について明確に規定をしております。OECDのパーセンテージで先進諸国に負けない程度にやっていただきたいということをここで申し上げたいというふうに思っています。

 それで、民主党案の中では、今回、学ぶ権利というものを第二条に入れさせていただきました。そして、日本は子どもの権利条約を批准しているわけでございまして、それと教育基本法は当然整合性があるというふうに思います。これまで教育について、教える側からの議論が常だったように思いますが、この権利の主体である子供に、学習の主体である子供に同じだけ重点を置いて考えるべきと、子どもの権利条約の思想もそうでございますが、民主党が、学ぶ権利の保障ということで基本法に、第二条に入れたというのは、ある意味で画期的なことなんではないかと思っていますが、政府案には、こういうことを入れることを検討する余地はないのでしょうか。

田中政府参考人 子供の学ぶ権利についてのお尋ねでございますけれども、憲法二十六条に、国民が教育を受ける権利について規定があるわけでございまして、教育基本法におきましては、現行法では第三条でございますけれども、この第三条で、すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならずというふうに規定しておるわけでございます。

 これは、国や地方公共団体が、学校制度の構築、あるいは学校の設置、運営などによりまして、国民の教育を受ける機会の提供に努めなければならないということをより積極的に規定したものというふうに考えておるところでございまして、この規定を引き続き新しい教育基本法の改正案の中にも規定しておるところでございます。

高井委員 民主党案の方が、より積極的に規定したという点があると思いますが。

 昨日の質疑で、鳩山委員からも質問がございましたけれども、すべて国民、国民一人一人はと、今御説明いただいたところにも入っておりますが、何人もにすることはできないのでしょうか。つまり、国民だけでなく、日本に在住するすべての人に対して学ぶ権利を保障するという観点から、私たちは何人もという言葉を使わせていただきました。

 この条文が憲法の第二十六条の要請に基づくために、憲法と同様に規定しているということから、この文言に、国民の方になったというふうにお聞きをしましたが、内閣法制局の方に確認をいたしますと、別に必ずしも憲法と全く同一の文言を使わなくてもいい、何人もという表現にすることは可能だというふうに聞きました。

 ここを何人もにかえるという考えはないでしょうか。いかがでしょうか、この何人もの観点について。

田中政府参考人 すべて国民はというのを何人に変えてはいかがかという御意見でございますが、憲法二十六条では、国民の教育を受ける権利を定めておるわけでございます。現行の教育基本法も、この規定を踏まえまして、人格の完成とともに、国家及び社会の形成者としての国民の育成を目的として、教育の機会均等などの教育の基本的理念を規定しておるわけでございまして、本法案もこの理念を引き継いだものでございます。

 しかしながら、外国人児童生徒が希望いたします場合には、例えば公立の義務教育諸学校へ就学をすることも可能でございまして、日本人児童生徒と同様に教育を受ける機会が保障されているところでございます。

高井委員 大臣、いかがでしょうか。そのような御説明がありましたけれども、これは政治的にやろうと思えば可能だと思います。いかがでしょうか、何人もの規定について。

小坂国務大臣 今申し上げたように、国民の育成という観点から、私どもは、憲法二十六条のすべての国民という表現を引いたわけでございまして、私どもの考えは私どもの考えとして御理解をいただきたいと思うわけでございます。

 何人もとする方がいいんだという民主党の皆様の提案でございますけれども、私どもは、国民の育成という観点からここはこの表現をとらせていただいたということも御理解いただきたい、こう思うところです。

高井委員 国民のみ育成するということは、非常にある意味で排他的ではないかと、私は人権の感覚から残念でございます。ぜひとも検討していただきたい。

 つまり、民主党案では、第七条にもありますが、普通教育を受ける権利を有する者は、何人もであって、義務教育を課する者は、国民というふうにちゃんと分けております。ぜひ、もうこれだけ国際化された社会の中ですから、国民のみの育成、のみとは言いませんが、国民だけの育成を焦点に置くよりも、人間すべてに対して規定をしていただきたいというふうに考えております。

 では、次の質問に移ります。

 家庭教育について、質問に移らせていただきたいと思います。第十条関係です。

 教育公務員特例法第二十一条には教員の研修について規定がございますが、最近言われますいわゆる指導力不足の教員やわいせつ行為の教員を除いていく、学校からなくしていくということが大事であろうというふうに思います。子供に最初に接する教育者の方が問題を起こすというのは非常に残念というか、大変なことだというふうに考えておりまして、これにより、教員の研修について少し、指導要綱等も恐らく、法案が後々議論されて通るようになれば変わっていくだろうと思いますが、今回の法案で問題教員を解消するような方向になっていくのか、何か変わる事項があるのか、教えていただきたいと思います。

銭谷政府参考人 教職員につきましては本案第九条において規定をしているわけでございますけれども、現行法の規定に加えまして、自己の崇高な使命を深く自覚すること、絶えず研究と修養に励むべきこと、養成と研修の充実が図られなければならないことを新たに規定することによりまして、教員が改めてその使命を自覚し、不断にみずからの資質向上に努めることの重要性を明確化したところでございます。

 指導力不足教員につきましては、文部科学省としては、各都道府県等に対しまして、指導力不足教員の対応システムの構築、運用を促しているところでございます。既に、すべての都道府県教育委員会におきましてシステムが整備をされているところでございます。

 指導力不足教員として認定をされた教員の数も、平成十二年度の六十五名から、平成十六年度には五百六十六名となっております。また、指導力不足教員のうち退職等により教職を離れた者の数は、平成十二年度の二十三人から、平成十六年度は百九十人となるなど、年々取り組みは進んでいると考えております。

 さらにもう一点、わいせつ行為等によりまして懲戒処分を受ける教員が平成十六年度は百六十八人に上る状況を踏まえまして、昨年の十二月二十八日に各教育委員会に通知を発出したところでございます。その通知の中では、懲戒処分の基準を作成し、あらかじめ教員に示すなど抑止を図ること、処分事由があった場合は速やかに当該処分を行うとともに、プライバシーにも配慮した上で処分の概要について公表すること、三点目に、特に児童生徒に対するわいせつ行為等については原則として懲戒免職とするなど、非違行為があった場合には厳正な対応をすることなどにつきまして指導をしているところでございます。

 文部科学省といたしましては、本法案の趣旨を踏まえまして、今後さらに教員の適格性の確保が図られますように、指導力不足教員の対応システム等についてその一層適切な運用に努めるとともに、教職員の服務規律の確保を図ってまいりたいと考えております。

高井委員 現行の教育基本法の審議の際に、家庭教育は広い意味で社会教育に含まれるというふうな政府の答弁がなされておりました。今回新たに規定を置いた理由をお聞かせいただきたいというふうに思います。

 いわゆる当時の概念から、社会教育とは今回は切り分けて規定したということなんだろうと思いますが、中教審等の提言等でも、家庭教育の現状を考えると、それぞれの家庭、保護者が子供の教育に対する責任を自覚して、みずからの役割について認識を深めることがまず重要であるとの観点から、子供に基本的な生活習慣を身につけさせることや、豊かな情操をはぐくむなど、家庭の果たすべき役割について新たに規定することが適当であるというふうに提言がありました。

 本来国が介入すべきでない家庭教育について法律で規定するというのは、言う人によれば国家の家庭への介入であるというふうな御意見もございますが、この家庭教育を規定した理由について教えてください。

小坂国務大臣 過日、鳩山委員の御質問の中でも、家庭というものについての思いが述べられておりました。今、高井委員も、家庭というものの重要性、また家庭教育というものの重要性についての御認識は同じように高いものがおありだというふうに聞いておりました。私もそのように思っております。

 御指摘の家庭教育は、現行法の第七条の社会教育の規定におきまして、「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。」としているところでございます。

 しかしながら、家庭教育は、今申し上げたように、また皆さんの御意見にもありますように、すべての教育の出発点であり、基本的な倫理観や社会的なマナー、自制心や自律心などを育成する上で重要な役割を担っております。

 したがいまして、今回の改正におきまして、第十条におきまして、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有することを明確にさせていただきまして、家庭教育の役割について規定するとともに、国や地方公共団体による家庭教育の支援について規定をさせていただいたところでございます。また同時に、家庭教育は、本来、保護者の自主的な判断に基づき行われるべきものであるということに十分配慮をして、第二項において家庭教育の自主性を尊重することについて明示的に、すなわち明らかに規定をさせていただいたことでございます。

 本条は、個々の家庭における具体的な教育内容等について規定するものではありませんで、また、そのような法律を新たに設けることを意図するものでもないということを御理解いただきたいと思います。

高井委員 では、今回の法案が、家庭の子育て力の回復、地域の子育て力の回復に効果はあるというふうにお考えになりますでしょうか。つまり、これに基づいて何か関連の法案等整備がなされるのか、教えていただきたいと思います。

小坂国務大臣 結論から申し上げれば、これに基づいて新たな法律を規定する、そういうつもりはないわけでございます。

 今申し上げたように、本来、家庭教育は、保護者の自主的な判断に基づいて行われるべきであります。また、家庭教育の支援については、これまでも、子育ての講座の全国的な開催や、あるいは家庭教育手帳の配付などの施策を進めてきておりますし、第十条が新設されたことを踏まえまして、子育てに関する親の責任を個々の親御さん自身が自覚をしていただいて、親としての責任を全うすることを支援する社会づくりというものを行うとともに、より細やかな家庭教育支援の充実に一層取り組んでまいりたい、このような決意を持っているわけでございまして、法律を規定するというものではないわけでございます。

高井委員 本日のトップのニュースでもございましたとおり、ほぼ全紙が取り上げております、底見えぬ少子化、衝撃一・二五というふうになりました。団塊ジュニアのはしりの方の世代が私でございまして、三十から三十四歳の人口というのは、第二次ベビーブームで大変多うございます、私は三十四歳なので、一番最後の方なんですが。

 だから、いわゆる昔で言うところの三十五歳以上を高齢出産とするのであれば、私は来年から高齢出産の域に入っていきますが、この出産適齢期である三十代、三十から三十四歳までの数が多いうちでなければ、出生率の回復は見込めないと思っています。その危機感は恐らく政府ももちろんお持ちだというふうに思いますけれども、残念なことに、少子化ということが一番最初に言われたのは一九九〇年だと思います。それから、九四年にはエンゼルプランがつくられ、そして九九年には新エンゼルプランもつくられ、そして二〇〇四年には子ども・子育て応援プランというのもつくられました。それにもかかわらず下がり続けている。

 そして、今回特に大変なのは、三十から三十四歳の世代は、まだ下がっておりませんでしたが、六年ぶりに初めて下がることになった。これから先、とてもじゃないけれども、産む人が減れば当然子供も減ります、下がります。そういうことを考えれば、まさに今までやろうとしてきた制度ががたがたになるのではないか。

 まず、年金です。年金、二年前に改正がございました。その当時は、二〇〇七年に一・三〇で底を打つ、二〇五〇年には一・三九で回復するという前提で制度がつくられましたよね。御承知のとおりだと思います。これが本当に可能になってくるのでしょうか。少子化担当大臣の猪口大臣にお願いを申します。いかがお思いになられますか。

猪口国務大臣 高井先生にお答え申し上げます。

 先生御指摘のとおり、我が国の少子化傾向、なかなか流れを変えることができずに来ております。今回、少子化の背景にあります社会意識なども問い直しながら、例えば、家族の重要性を再認識していただくように何らかの努力を傾注し、また、若い世代の不安感の原因に総合的に対応する、このような観点から、少子化対策の抜本的な強化、充実、転換を図っていかなければならないと考えております。

 先生御指摘のとおり、エンゼルプラン、新エンゼルプラン、そして子ども・子育て応援プランと続いてきたわけでございますが、初期の少子化対策といたしましては、主として働く女性のための観点、保育園の拡充などが中心とならざるを得ない事情があったと思います。そして、その観点は引き続き重要であり、待機児童ゼロ作戦など、例えば、保育園の受け入れ児童枠を大幅に拡大することができてきておりますが、まだ間に合っておりませんので、引き続き続行いたしますが、同時に、全家庭対策としての考え方も導入し、新たな視点も織り込んで、私としては、六月を目途に、抜本的に強化された少子化対策について政府においてまとめていただけるよう、全力の努力を傾けているさなかでございます。

高井委員 家庭の重要性を言うだけでは、少子化は解消されません。多分、家庭の重要性を聞けば、重要じゃないと答える人はいないんじゃないかと私は思います。みんなわかっているんですよ。それでも子供が産めないのはなぜなのかということをよく考えて、世界の先進国がさまざまに努力している中で、日本だけではないのですから、世界の先進国が、回復軌道に乗せているところも多うございますから、さまざまな点で学んで、本格的にやらないと、幾ら、家庭は大事だとか、つまり、家庭の重要性を教えるということは結婚を促すということですか、結婚したくてもできない事情もあったり、子供が持ちたくても持てない事情の方を先に勘案しないと、家庭の重要性を教えて結婚を促す施策だけとっても、それは少子化の解消につながらないと思います。

 少子化対策にかける費用は、さまざまな方の指摘もございますが、日本は少な過ぎます。フランスとかはGDPで二・八%、スウェーデンにおいては二・九%、日本は何と〇・六%、これで真剣に取り組んでいるとは到底言えない。出生率が下がってしまったのは、ある意味で、こういう数字等努力を見てみれば、回復の基調に乗らないのも当然かなとさえ、私はがっかりしている次第であります。

 資料をお配りさせていただいていると思いますけれども、「子育て支援の今」ということで、以前、文部科学委員会に、こども園の質疑のときに、村山さんという参考人の方に来ていただきました。村山祐一先生、帝京大学の文学部教授でございます。これは、文部科学の委員の皆さんにはそのとき配られたと思いますが、委員会が違いますので資料としてつけさせていただきましたが、子育て支援の現状は大変に危機感が、大変にストレス状態だと。

 私も、下の子が来月で一歳になりますし、上の子は三歳と十カ月でございます。もちろんストレスもありますけれども、私は、かけがえのない喜びを感じて、子育てと仕事を両立しております。こういうふうにできるのは、ある意味で、恵まれたというか限られた人なのではないかと。同世代の友達等から話を聞く中で、休めないよ、仕事大変だよ、結婚できないよ、給料も安いし、家も持つなんて遠くの遠くの夢だと。さまざまな不平不満があるのはすごくよくわかって、当然だと思いますし、だからこそ、こういう母親だけに育児を担わせるというのがもう無理だということをスタートに、家庭の重要性ばかりを説くよりも、やはりトータルな、地域と社会、国の支援が必要であると思っております。いかがでしょうか。

猪口国務大臣 言葉足らずで申しわけございませんでしたが、まさに高井先生の御指摘のような観点は既に子ども・子育て応援プランの中に入ってございます。また、今回、抜本的にそのような視点も強化していきたいと考えております。

 先ほど家庭のことが重要であると申し上げましたのは、例えば家族と子育て期の保護者が一緒に過ごす時間をもっとふやすことが可能な社会にしていかなければならない、そのような視点をとりますと、働き方の見直し、そしてさまざまな両立支援策の重要性を指摘することができます。

 育児休業の取得、男女ともになかなか伸び悩んでいるところがあると思います。多くの女性は第一子の出産とともに退職しているということがありますので、その方たちのカムバック支援も重要でありますが、仕事を継続する方は、育児休業をとって家族との時間を最大化できるようにすることができる社会をつくっていく、また、育児休業から復帰したときも短時間就労などについて理解を得られるように、また小学校に上がったときは、例えば子供の送り迎えなどについて職場の理解が得られるように、こういう個別の施策を列挙すれば多々あります。

 そのようなことはすべて家族との時間を大切にするという観点から導き出すこともできますので、働き方の見直し、両立支援、それから、いわゆる専業主婦の方も孤独な育児の中で大変な思いをなさっているということについて十分に把握しておりまして、地域におきます一時的な子供預かり、あるいは母子ともに過ごすことができる保育の拠点づくり、そのようなことも推進してまいりたいと思っています。

 また、若い世代において、子育て期におきます経済的負担感、特に乳幼児期において非常に強いという意見が多々寄せられていますので、そのような経済的支援の観点からも、これは基本的には、やはり家族政策、家族を支援する考え方に基づいて推進していきたいと思っておるところでございます。

高井委員 大臣は恐らく、重要性は何度も言わなくても当然御認識だろうというふうに思った上でお聞きしました。そして、それも盛り込まれているにもかかわらず、ではなぜ実態が伴わないのかということが問題でありまして、お金が足りないんです。国の施策に対する支援が足りない。それは、家庭への経済支援という意味ではございません。ワークライフバランスという施策に対する国のさまざまな支援が、財政措置が足りないということを申し上げたいのです。

 もちろん、経済支援も大事でございます。家庭への直接の経済支援も大事でございますが、国として財政措置をさまざまな面でつける、制度をつくるということの方が大事で、なぜずっと、その観点を盛り込まれているにもかかわらず実現できないのかというのが問題だというふうに思っています。

 そして、資料の二枚目におつけしましたけれども、父親自体も非常にストレスでございます。育児したいのにできないという声が、このアンケートの中に取り上げられています。同じく村山参考人からの資料でございますが、「育児を許さぬ労働状況」、母親が育児ストレスで苦しんでいるのもよくわかっているんだという父親も多い。

 それで、私自身、一年間マンションで子供と二人きりで向かい合ったこともございますので、やはり、おかしくなりそうな気持ちというのはすごくよくわかります。口をきかない乳幼児に、二十四時間、いつ何があるかわからない状態でずっと向かい合っている。

 情報過剰で、冒頭申し上げましたけれども、いろいろな情報が多く入るからこそ、マニュアルがあふれ返っていて、それに沿わない自分というのは何かおかしいんじゃないか、何で子供はそれに沿って動いてくれないんだというふうに思うのも、かえってそれで不安をかき立ててしまうというのも、本当に私はよくわかります、わからなくもないです。

 だからこそ、だれでも、男性も女性もいい親になれると思っています。ただ、助けて、少し相談に乗ってくれたり、手をかしてくれる人がいれば、すべての親がいい親になれるというふうに信じて私も子育てをしておりますが、こういう問題点も、子育てを終わった方も、これからの方も、お孫さんを見ている方も、ぜひ共有していただきたい、独身の方も含めてすべての人が共有していただきたいというふうに思います。

 虐待の問題等もよく以前から当たっておられる馳副大臣に、家庭教育は大事ですけれども、システムとしてどういうふうに保障していくか、子育て環境が今申し上げたとおり危機にある中でどういうふうに補っていけばいいのか、お考えがあったら教えていただきたいと思います。

馳副大臣 父親の育児への参加、当然、家事への参加が必要であるという問題意識を共有することは極めて重要であると思いますし、また、家庭にすべての責任があるのではなくて、働いている以上は、経営者やまた職場の皆さん方にも御理解をいただいて、育児休業をとったりとか、これは高齢者の場合ですけれども介護休業をとったりとか、また、有給休暇がある中で、学校行事があるときにともに休暇をとって参加することができるような、そういう支え合いというものが必要になってくると思います。

 児童虐待の問題をお出しになられましたが、お母さんが働いていないで家にいる場合には、これは保育に欠けない場合になりますから、当然、保育のサービスを受けることはできませんが、がゆえに、心配事、不安といったものに対してなかなか介入していくことができないというシステムもございます。

 それを考えると、いかにして、地域の方々がそういう子育ての不安を抱えておられるお母さん方に対しての支援をできるのか、また、今般提出しておりますけれども、認定こども園の制度において、幼稚園や保育所などでの子育て支援機能といったものを充実していくか、また、地域の公民館、集会所などにおいてそういった役割を担っていくか、こういう総体的な見守り体制をつくっていくことが必要であるというふうに考えております。

 それを、まさしく高井委員おっしゃるように、システムとして、財政的な措置もとりながら支えていくことが必要なのではないかという問題意識は共有はいたしております。

高井委員 今、五歳児で約三%の子供のみ幼稚園にも保育園にも通っていない、実質は九七%の子供が通っているという中で、待機児童も多い、二万人から三万人いるというふうに思います。これを例えば五万人と推計したとしても、保育所入所児が約百九十九万から二百万人のうちの二・五%であって、ちゃんとした保育計画を立てれば入ることは可能だというふうに思っています。これは、政治の世界でちゃんと保育計画を立てれば可能だと。つまり、村山先生が試算した中にも、例えば五年あれば、毎年六十人の定員の保育所を百八十カ所つくる、そうしたら、今までの試算で考えると財源は一年で約二百億でできる、それを五年続ければ待機児童はみんな入れると。

 今回の教育、保育の理念というのは、非常に近いものがこども園の中でもあるという文科大臣の御答弁もいただいておりますし、そういう意味で、国として保育政策をちゃんとやっていくんだ、保育と言わなくて保育、教育、子供のための施策をやっていくんだという観点で、ぜひ保育所整備計画等も具体的に検討していただきたいなというふうに思っています。

 そして、先般の一番初めの質疑の中で、元文部科学大臣の町村委員から、内閣府に子ども庁をつくるべきではないかという御提案がございました。民主党が、先般、衆議院を通過した認定こども園の法案の審議の際に、修正案の中に、担当部局を内閣府に一元化して置くということを盛り込んでつくりました。省や庁をつくるというのは、このこども園法案の中では法案の範囲を超えるということでございましたので、もともと子ども家庭省ができれば一番ですけれども、そうできないのであれば、とりあえず内閣府に担当部局を置いて一元化してやるべきでないかというふうな観点から修正案を出しました。多分、そのときに町村大臣が文部科学大臣であられたら、我が党案に賛成していただけたのではないかと思うんですけれども。

 認定こども園の代表質問の中で、実は安倍官房長官に、子ども庁構想があったというふうに記事が出ていたのですが、本当だったかどうかということをお聞きしたところ、ちょっと本会議の中では、後からつけ加えたせいもあったかもしれませんが御答弁がなかったんですが、事務方の方に後から聞くと、そういう構想はないというふうに、そういったことが検討された形跡はないというお話でございましたが、これはどうなんでしょうか、官房長官。

安倍国務大臣 委員が御指摘をされましたような子ども庁構想が検討されたという経緯はございません。四月六日の衆議院本会議においては、これを前提に答弁させていただいたところであります。

 すなわち、幼稚園及び保育所については教育行政、地域の子育て支援など福祉行政、働き方の見直しなど労働行政と一体的に推進する必要がございます。したがって、文部科学省と厚生労働省が密接に連携し、これらの関連する分野も含め、きめ細かく対応していくことが適当であるというふうに考えております。

 その上で、子供、子育てについては、全閣僚が参加する少子化社会対策会議、その下で私が主宰する少子化社会対策推進会議などを通じて、省庁横断的に関係する施策の総合的な推進を図っていきたい、こう考えております。

高井委員 親と行政の都合で子供が幼稚園と保育園に分けられているのはおかしいという指摘を元文科大臣の町村さんもされて、小坂大臣もそのようにお答えになっておられました。だからこそ、縦割りの弊害を排除するには、思い切ってそういうふうにするしかないというふうに思っています。

 具体的に申し上げます。

 先般のこども園の質疑の中でもしましたが、池坊委員も指摘されていましたけれども、幼稚園と保育園で、通園バスと給食費が、課税と非課税で違うんです。消費税が幼稚園には課税されるけれども、保育園には課税されない。同じ通園バスと同じ給食費です。なぜ課税と非課税で全く違うのか、どうしても私は納得がいきません。

 当時は、こども園の質疑の中でも財務省の方からも御答弁をいただきましたが、もともと成り立った理念が違うんだから、制度ができた経緯が違うのであるから、どうしても一緒にはできないんだというお答えでした。

 まさにこれが象徴していると思います。同じことをやっていても、スタートが違うとできないということ。これを解消するためにも、やはり子ども庁とか内閣府に一元化する、そのために一元化が大事だというふうに重ねて申し上げたいというふうに思っています。

 努力をしておられるという答弁が前回もございました。民主党もかねてからその主張をしておりますので、ぜひとも、いいところはとり、質疑の中でより深めていくという経過の中で、ぜひ御検討をいただきたいというふうに思います。

 最後ですけれども、総理も小坂大臣も、対立法案ではないんだと重ねておっしゃっておられました、歩み寄りができるんだと。子育て政策なんかもそうだと思います。この教育基本法に関してもそうだと思います。民主党案の方がよいという声も、与党の方もおっしゃる方もいるし、識者の方もおっしゃる方もいます。ぜひとも、対案として出した以上、十分な時間をかけて審議したいのですが、すり合わせができるところはすり合わせるというお気持ちに変わりはないか。民主党案をのんでいただいても結構でございますので、ぜひ御検討をよろしくお願いしたいと思います。感想で結構です。

小坂国務大臣 私どもは、中教審答申等も踏まえた上で今回の法案を提出させていただいたことは、これまでも申し上げたところでございます。そういった意味で、いろいろな御指摘はございますけれども、私どもとして最良のものを提案させていただいたつもりでございます。

 民主党の皆さんも御苦労をいただいて御提出いただいていることは十分理解できるところでございます。今後の審議を通じて、与野党の理事さんがそれぞれにお話しをいただく中で、また、いろいろな審議のあり方について御指導賜れば幸いでございます。

高井委員 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

森山委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 両案審査のため、来る七日水曜日午前九時、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時四分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時一分開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。戸井田とおる君。

戸井田委員 自由民主党の戸井田とおるです。

 小坂大臣、猪口大臣、また民主党のお二人、本当にありがとうございます。

 きょうは、教育の基本法ということで、理念法だということでありますけれども、余り細かいことでなしに、ちょっと本質論みたいなものを話せたらなというふうに思っております。

 私どもが今日一人の人間としてここにあるのは、だれもが同じように父親、母親、両親がいて、そして両親のもとに自分が生まれている。そして、その両親にも、それぞれ父親と母親がいるわけであります。

 そういうふうにたどっていくと、我々も自分で振り返ってみるとわかるんですけれども、自分の父親、母親の名前はよくわかる。また、おじいさん、おばあさん、それぞれ父方、母方、両方の名前もわかる。もう一ランク上に上がって、ひいおじいさん、ひいおばあさんの名前になると、なかなかそれを全部言える人というのはいないんだろうと思うんですね。

 だけれども、間違いなしにその流れはあって、その流れも、よく言うんですけれども、十代さかのぼると一千二十四人になるわけですね。二十代さかのぼると、これが実に百四万八千五百七十六という数字になるわけです。三十代さかのぼると、これは十億七千三百七十四万一千八百二十四。言ってみれば、みんなここにいる人は親戚だということになるわけでありますけれども、これが四十代さかのぼると、これは電卓で出てこないので覚えようがなかった。しかし、百万、十億とふえていったら、次は一兆になるわけですね。その次は、五十代さかのぼると一千兆という数字になるわけであります。そういう流れの中に一人一人がみんなあるんだ。そしてまた、そこから自分たちの子孫につながっていく。

 ですから、このたびの基本法の前文の中で、我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじということは、ある意味で大変よくわかるわけであります。まさに、それだけの命の連鎖があって、つながりがあって、今日自分があるということを思うと、この個人の尊厳というのは非常によくわかる。

 しかし一方で、個を重んじ過ぎると、重視し過ぎると、私は、この人間社会の中の生活ということを考えていくと、家族への帰属意識、地域社会への帰属意識、ひいては国家への帰属意識というものが薄れてくるんじゃないか、そのバランスというものは非常に重要だなというふうに最近思うんですね。

 また、この帰属意識というのはまさに連帯意識であって、つながるというのはまさに愛の概念だというふうに思うわけであります。そして、それを言葉であらわすと、まさに親子愛であり、夫婦愛であり、家族愛であって、そして愛校心というものもあるでしょうし、またこの委員の鳩山兄弟のように、友愛というものもあるわけであります。それがまた郷土愛にもつながり、そして国家の愛国心みたいなものにもつながっていく。その上がまた人類愛という、地球全体に考えが及んでいく。

 そういう流れをたどって人格の完成を目指すものだというふうに思うんですけれども、大臣、いかが思われるでしょうか。

小坂国務大臣 おっしゃるように、人格の完成というのは、完全な人格というのは神だということになってしまいますので、したがって、それを目指して常に努力することということだと思います。委員が御指摘になったことは、その一つの道筋であろうと私も思います。

戸井田委員 猪口大臣はどう思われますか。

猪口国務大臣 個々の尊厳を大切にしながら、また社会的な責任も果たしていく、そのような中で人格の完成を目指して努力していくということであると思います。

戸井田委員 お配りしましたその資料をちょっと見ていただきたいんですけれども、これは、何だ何だと言われるんですけれども、この下に説明書きがあるんですけれども、説明書きはまた後でお配りします。

 実は、これは私も妹からもらった本なんですけれども、「癒すこと、癒されること」ということで、加納眞士さんという方がこういう本を書いているんです。その最初のグラビアの一ページに出ているわけであります。それを最初に見たときに、私はびっくりしたんですけれども、大臣、これは何だと思いますか。

 この写真は、一九九〇年の二月十四日に、惑星探査船ボイジャーが、地球から約十億マイル、十八億五千二百キロ離れた黄道上の三十二度の角度から撮影した六十カットの中のもので、それを偶然にとらえたものだということなんですね。それで、「この距離になると地球はもう小さな光の点にしかすぎません。わずか〇・一二光度ほどのケシ粒のような光。」ということですから、真ん中に点で白く写るのが地球で、言ってみれば、我々人類が一番遠くから見たというか、写真で撮った地球だということになるわけであります。

 月から地球の出という写真も見たことがありますけれども、ここまで離れてくると、何とも、みずから想像をしてみると、大変な孤独感というか、自分がたった一人そこにいたとしたら、人間として、自分の孤独感というのはこれほど厳しいものはないなというふうに感じるわけであります。

 地球に放射するように横に白い点々みたいな形で写っているんですけれども、これは、地球を、太陽からたまたま放射された光、エネルギーがその真ん中にとらえた瞬間なんだというんですね。ボイジャーの電子カメラは特殊な周波数をとらえるということで、ある周波数の光がこういうふうに写っているということなんです。

 我々は、太陽から光が出てくるといったら、四方八方に同じように出てくるような感覚を受けるわけですけれども、これを見たときに、まだ太陽が写らないほどの距離でありますけれども、そこから、まさにこの地球をねらって太陽からこの光が放たれているというふうな感じに見えるわけであります。

 そして、この本の著者は、それを最初に見つけたときに、この写真のとおりならあと数センチ、実際には長い距離だから、宇宙的な視野で見ればわずかな距離であると。その光の帯がずれていたら、地球は暗黒の空間に漂っていることになるのであると。それは、太陽が意識的に選んで地球を照らしているとしか思えない光景だったというふうに、この加納さんという方は書いているわけですね。

 我々も、ある意味で、よく言われるように、生かされているということを言われるわけであります。確かに、人間の個人の能力というのは大変なものであって、みずからの人生を開拓して生きていく。しかし、それはたった一人でできるかというと決してそうではなくて、先ほどのあれにありましたように、友愛であるとか友達の力、また家族の力、いろいろな人の援助、地域の援助、そういったもの、目に見えない力をかりて生きている、また、自分の能力を開発していくということなんだろうと思うんですね。

 そういう意味で、そういう観点というのは、教育というものを考えるときに、やはり決して忘れてはならないものだというふうに思っております。ぜひそういうことをしっかりとこの基本法の中に組み込んでいただきたいな、また、組み込まれているものと私は信じております。

 それでは、第二条の教育の目標のことでちょっとお伺いしたいんですけれども、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」というふうにあります。

 ここに、私は、いつもこの議論をするときにひっかかる言葉があるんです。それは男女の平等という言葉でありますけれども、私は、男女の平等という、平等というのはあり得ないんじゃないかなというふうに思うんですね。男女間の公平というのはわかるわけですけれども、男女が平等であり得るわけがない。男と女は違うんだ、お互い相足らざる部分を補い合いながら生きていく、そういう関係にあるんだというふうに思っております。

 自民党の勉強会の中でも、この言葉の持つ危険性、すなわち家庭の崩壊を招くジェンダーフリー思想ということで、猪口大臣にも随分いろいろなことを言わせていただきました。そして、あらゆる機会を通じて私は警告というか御意見を申し上げて、軌道修正をしていただいたと思ってきました。

 しかし、もう既に男女共同参画基本法のときに、この言葉のゆがんだ解釈によって、末端でどんなひどいことが行われてきたか。もうこの言葉の危険性は私は証明されているんじゃないかなと。ジェンダーフリーのプロジェクトチームのときにも、随分大勢の方が末端で、曲解というか誤解というか、曲解でしょうかね、そういうふうにしてやられてきていた。そういうことを言われているのを御記憶だと思うんですね、猪口大臣。

 にもかかわらず、またここの教育基本法でこの文言が入ってくるということは、何か目的があるのかな。この文言を入れた理由というものを両大臣にお聞きしたいなというふうに思っております。

小坂国務大臣 今回の法案の第二条、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」

 すなわち、ここで言っている男女の平等というのは、憲法において、その第十四条で、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定をされておるわけでありまして、男女が互恵の精神によって互いに敬って、そして互いの存在を認め合った上で、その協力により豊かな社会を築いていく、このことはだれもが否定をしないと思うんです。それが間違ったとらえ方をされたときに、委員が御指摘のような問題が発生する。

 したがいまして、教育を通じて必要な能力や資質を養うということにおいて、今日においてそれは大変重要なことであって、そして、それは今回の法案において、第二条の教育の理念の一つとして、憲法の規定を引いて、男女の平等を重んずる態度を養うように規定をしたところであります。そこで言っている平等というのは、男らしさ、女らしさというものがあることを認めながら、社会的あるいは経済的な取り扱いその他において平等でなければならないという理念を掲げて、それに対する理解をする力を養っていく、私はそういうことだと思って、そのためにあえて憲法の規定を引いてこれを規定していくことが必要、こう考えたところです。

戸井田委員 猪口大臣はどうでしょうか。

猪口国務大臣 戸井田先生にお答え申し上げます。

 今文部科学大臣がお伝え申し上げたとおりでございますと思いますが、憲法十四条においては、性別により差別されない旨が明記されております。また、憲法二十四条において、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」このように憲法に示されているわけでございます。夫婦が、男女平等に立脚し、同等の権利を有して相互に協力すること、これと幸せな家庭観というものは当然ながら両立することであり、また必要なことであろうと考えております。

 先生がおっしゃるとおり、もちろん男女は生物学的には違うわけでありますけれども、法的、社会的、経済的、全般的にわたりまして、男女の基本的な平等について、憲法、そして男女共同参画基本法、そしてそれに基づきます基本計画は決定しております。その中での考え方として、男女の役割分担を性別によって固定化していく、そのような考え方は克服しなければならない考え方として政府としては考えております。

 例えば性別による固定的な役割分担というのはどういうものか。その中には、例えば男性は外で働き、女性は家を守るというような考え方もそうでありますが、さらに、例えば重要な仕事は男性が行い、女性はむしろ補助的な業務を行う、こういうものもそのような固定的な性別による役割分担。あるいは、女性は例えば政治家や科学者には向いていないというような考え方、こういう固定的な性別による役割分担ということについて、これは克服しなければならず、男女の個性や能力が十分に発揮される社会、そして男女平等、そして男女共同参画社会の形成を目指していかなければならないというのが政府の立場でございます。

戸井田委員 それでは、もう一度確認したいと思うんですけれども、これは、生物学的性差を無視して男女ごちゃまぜの教育をよしとする、そういう教育を目指しているのではないということですね。

猪口国務大臣 まず、生物学的に男女が違うということは、これは議論の必要のないことでございますが、男女が、今申し上げましたとおり、固定的な性別による役割分担を認めていくということはないような観点からの平等教育は必要であると考えておりますし、今回、政府提案の教育基本法におきまして、第二条第三号で掲げています男女の平等ということを明記しておりますことは、そのことの教育におきます重要性を示したいということでございます。

戸井田委員 それでは、これは、同じ命を生きる命のとうとさという意味で平等であって、生物学的性差を認め、家族や男女の役割意識の重要性をも尊重し、その違いを積極的に評価するということを教育の目的としていると解釈していいんでしょうか。

猪口国務大臣 生物学的な違いはありますけれども、そこで、例えば家庭において女性だけが育児を行うというような考え方はとっていないわけです。男女ともに子育てについて協力して子供のために時間を割いていく必要もあり、出産は女性ですね、それから母乳育児も女性ですね、しかし、その他の保育、育児、子育て、子供の安全を見守る、子供が育っていく過程においては、就学前から、そして就学期を通じて、保護者のさまざまな温かい手が必要でございます、また関心が必要でございます。

 そのようなことにおきまして、男女いずれもが大きな責任を持つというのが平等の基本の考え方であり、私が先ほど答弁申し上げましたとおり、固定的な役割分担については克服していく、いわゆる社会的性別、ジェンダーは平等でなければならない。バイオロジカルな違いはあります。しかし、社会的につくられる性別、これをジェンダーと考えますけれども、これは平等でなければならないというのが男女共同参画基本法に示されている考え方でございます。

戸井田委員 やはり男には子供は産めませんよね。ただ、末端に行くと、石が流れて木の葉が沈むというような現象も多々見られる部分があるんですね。ですから、そういう意味で、その考え、男女は生物学的に違いはある、お互い相補って生活していくというその基本をきちっと末端にまで浸透させていただきたい、そんなふうに思います。

 教育基本法のあれですから、あと家庭教育についてちょっとお伺いしたいんですけれども、そういう意味で、やはり母親の役割、父親の役割。先ほど猪口大臣が言われたように、子供を産むのは、男には産めません。産んで母乳をやろうと思っても、男には出ない。だけれども、この辺でもちょっといろいろあるんですけれども、これはきょうの問題とは別なもので、ほかのときに譲りたいと思います。

 父母、保護者の第一義的責任ということでもって、第十条、家庭教育の中で、行政の支援策のことを言われております。保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策とありますが、まず、教育の原点はやはり家庭にあると思うんですね、これに言われているように。家庭教育を支援するために必要な施策について、どのようなかかわり方の施策を考えているのか。その際、第一項に規定する保護者の第一義的責任が損なわれることのない施策でなければならないと思うんですけれども、小坂文部大臣、どうでしょうか。

小坂国務大臣 第十条第一項に、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、これを明記して、これによって、子育てに関する親の責任を個々の親自身が自覚するとともに、親としての責任を全うすることを支援する社会づくりに一層積極的に取り組んでいきたい、こういう意味でありまして、また第二項で、国及び地方公共団体が家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならないということを明記したのは、これによって、子育てに関し、希望する親だけでなく、孤立しがちな親なども含めて、よりきめ細やかな支援の推進などに一層積極的に取り組むということをあらわして、それを規定しているわけでございます。

 具体的には、家庭教育手帳の作成、配付、また家庭教育に関する学習機会や情報提供の充実を図り、また家庭訪問型の子育て支援事業、幼稚園を拠点とした子育て支援事業、また今度は認定こども園というものも今法案を御審議いただいておりますが、こういったものを通じての子育て支援等々、現在、家庭、地域の教育力の向上についての審議を行っている中央教育審議会の生涯学習分科会というのがございますが、ここの議論なども踏まえながら、今後とも家庭教育支援の取り組みをさらに充実させるように努めてまいりたいと考えております。

戸井田委員 時計を見たら、もうあと五分しかないので。

 行政が行う振興策というのは、養育者としての、家庭を補完するものと私は思うんですね。地方公共団体が行う施策というのはあくまでも家庭教育を補完するものに限定されて、それが行き過ぎないようにあってほしいと願っております。

 あと、教育基本法の話になるときにいつも話題に上ったのが、国を愛する心、そういうものであります。さあ、国を愛する心か、ふるさと、郷土を愛するのかということでさんざん議論がありました。そして、国を愛する心というと、この間行われた野球のワールドカップ、WBCでしたか、そのときの一般の人の熱の入り方、またこれから始まるワールドカップのサポーターの応援、そしてそこで振られる日の丸の旗、そういうものを見ていて、大抵だれもが同じような思いにさせられたのだろうと思います。

 そこで、先日、ある文章が目にとまりました。これをちょっと読んでみますので聞いていていただきたいんですけれども、しゃべり言葉をそのまま文章にしています。

 日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うってスゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三十八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ

これはラモス瑠偉選手のあれなんですね。

 日本人よりも日本人らしいというか、日本でサッカーをやってワールドカップに出たい、そんな思いでもって帰化をして、そして、日本で頑張ってこられた。そして、日本人のだらだらしたものにはぴしっとそういうことを言う。なるほどなと、このあれを見たときに、改めて読んでいても、また最初に見たときも、思わず涙が出てきそうな、胸を締めつけられる思いがいたしました。

 そして、ラモス瑠偉選手というのは、必ず、試合前に国歌が流れると、胸に手を当てて、こうやって聞いているんですね。あれこそ、態度といえば態度、心の中はわからないと言ってしまえばそれまでかもわからないけれども、やはりそこに気持ちがあらわれているというふうに私は思います。

 そこで、もう最後になってしまうのであれなんですけれども、国を愛する態度を養うとありますけれども、国歌斉唱、国旗掲揚の際にはそれにふさわしい態度というものがある。国際社会に生きる者として、祖国の国旗・国歌に対してきちっとした態度をとれない者が、そのまま他国の国旗・国歌に対するふさわしい態度をとれるとは思えません。尊敬される日本人として、また他国を尊重するという観点からも、国歌斉唱、国旗掲揚の際に、それにふさわしい態度を私は教えるべきだというふうに思うんですね。特にラモス選手のあの姿を見ていると、やはり試合と同じように、体をこう動かして国歌を聞いている姿というのはいいとは思えない。きちっとした態度をそこでは教えるべきだと思うんですけれども、文部科学大臣、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 心と体はよく表裏一体であると言われますが、思っていることが態度にあらわれるということはよくあることでございます。したがって、その態度が外面から評価されるということもあります。

 そういう意味で、国を愛する、郷土を愛するということに限らず、やはり学校教育を通じて作法そして正しい態度というものは身につけさせるようにしなきゃいけないと思います。尊敬する者に対する態度、また、自分がいたわり慈しんでいるものに対する態度はどうあるべきか、そういった全体的な考え方の中で教えていけば、国を愛する心というものが自分の中に必然的にわいてくる。わいてきて、そういうものが身についたときには、そういった自分が慈しむものに対していつもとる態度がそこにあらわれてくるものである、こう考えますので、そういった教育をしっかり推進することが必要だ、このように考えております。

戸井田委員 もうちょっと民主党の皆さん方にも質問をしたかったんですけれども、こういう時間になってしまいました。やはりルールを守るのが大事だというふうにも思っておりますので、また次の機会にさせていただくこととして、こうした考えをきちっと末端に伝えていけるような、そういう心のつながり、連帯感を国家の中で持っていきたいものだというふうに思っております。どうぞ、いい方向に行くようによろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、松浪健四郎君。

松浪(健四郎)委員 自由民主党の松浪健四郎でございます。

 政府提出の教育基本法、そして民主党提出の日本国教育基本法、これらの二つの法律が並行して審議されておるわけでございますけれども、この議論に入ります前に、実は私は猪口大臣と同じように長い間教壇に立った一人であります。特に私は若いときに、世界でも貧しいと言われておりますアフガニスタンという国の大学の教壇に立った経験がございます。そして、そこで感じたことを「アフガニスタン教育事情」という書物にして玉川大学出版部から刊行したことがございます。

 そのエッセンスは、ほとんど学校教育が普及していない社会にあって子供たちの目はさんさんと輝き、そして表現しがたい美しい笑顔を持っている子供たちに接したときに、学校教育がなくても社会は落ちついて、そしてすばらしい若者をつくっているではないか。そしてその源泉は一体何なんだろうか。それは徹底的に普及しているイスラム教のイスラム教育であろう。つまり、それは家庭の中で行われ、また社会の中でも行われているわけですけれども。宗教教育が徹底すれば社会がうまくいくのか、そういう思いを持ったこともございますし、何よりも親や家族と一緒に労働をする、遊牧をしたり農業をしたりする、そうするプロセスの中で労作教育というものが培われて、子供たちが真っすぐ社会の中に溶け込むように育っていくんだな、こういうような思いを持って、別段、学校教育だけが教育ではないということを思い切り主張したくてその書物を物したことがございました。

 そして、きょう、また私は大変うれしいことがございます。実はこの場に私の教え子がいるからであります。

 私は、教員とは聖なる仕事であるかはともかくとして、教えるということが好きである、このことがまず教員に求められる一番の資質だ、こう思っております。好きであるならば、家族のことなどほうり投げたとしても情熱を注ぐことができる。

 私は、四年間、大学教育の中で情熱をささげた者の一人でございますが、それら学生の中に、今、文部科学副大臣として馳浩先生がいらっしゃいます。私が教育者としてどんな教師であったのか、どんな教育をしたのか、その感想をまず副大臣にお尋ねしたいと思います。

馳副大臣 十五歳のときに出会ってから三十年間、いろいろな局面で教えをいただいたことに感謝しております。本会議場の壇上からコップの水をまいたときは私も頭を抱えましたが、それはまあ反面教師として参考にさせていただきました。

 一番印象に残っておりますのは、学生時代に、馳、本を書けと、これが第一でした。二つ目に、自分の能力を磨いて、それは異色であれ、異色であろうとも一流になれと。そして、より困難な道を選んで世の中の役に立てと。私は、大学を出て教員のときに、そのまま星稜高校の国語の教員を続けるか、大学院へ行って大学の教師を目指すか、あるいはプロレスラーを目指すかと大変悩んでおったときに、一言、一番困難な道を選べと教えていただいて、プロレスラーを選びました。

 また、私は二回結婚しておりますが、二回とも相手の女性は松浪先生の紹介でありました。最初、結婚生活に大変悩んでおったときに、そういうこともある、だめなら次を選べと。そういう考え方もあるのかなと、私の人生哲学に一つ幅を持たせていただいたような思い出もありますが。

 とにかく、事に当たって常に全力で取り組むことと、また、私はまだ十五冊しか本を書いておりませんが、常に原稿用紙に向かうまじめさを持つことを教えていただいたことなどなど、思い出は尽きませんが、今後とも御指導よろしくお願いいたします。

松浪(健四郎)委員 私は、学生時代の四年間について答弁していただければありがたかったというふうに思っておりますけれども。

 副大臣がみずからの教え子の中からできたということは教育者の端くれとして誇りでありますし、大変うれしく思っております。

 とにかく、教員が、教壇に立つ者がどれだけ子供たちに情熱を注ぐことができるか、このことが問われております。そういう意味では、ずっと両案をお聞きしていて、私は、両案ともに、教育に対して、我が国の子供たちに対して何を与えなければならないかということについて必死であるということを痛感いたしますし、うれしく思っております。そして、昨日の小泉総理と鳩山民主党幹事長の議論をお聞きしていて、まあ大した差がないな、こういう印象を持ったのもまた事実であります。

 いずれにしても、これからの我が国を背負ってくれる子供たちに立派に成長してもらいたい、そして、国のためにも、また世界の平和のためにも貢献できるような立派な人格を持った人材がたくさん輩出される、これを願って両案が出ておる、こういうふうに思うわけであります。

 そこで、限られた時間ではありますけれども、おおむね政府案については知識がございますので、民主党案に限って質問をさせていただきたい、こういうふうに思います。

 政府案ができ上がったころにも、自由民主党を支援してくださるいろいろな組織、団体がございます、また自民党の議員の中からも、不平不満と、この案では満足できない、反対だ、このような声もございました。

 では、民主党案ができたときに、民主党を支援されている諸団体はどんな印象を持ったんだろうか、そのことに私は興味を持ちました。

 例えば、日本教職員組合は、政府案に対して、教育基本法の理念、公教育のあり方を根本から変えることに強く反対する、共生、共学、教育の機会均等を保障するため教育環境格差の拡大こそ解決すべき課題である、個人の内心にかかわることを法律で規定すべきではない、学校・家庭、地域への役割と責任の義務づけは基本的人権の侵害につながる、政府主導による教育振興基本計画の策定は教育の主体性や自律性が失われる、検証、審議過程を明らかにせず、国民不在の改正論議は断じて容認できない、これが日本教職員組合の政府案に対する反対理由であります。

 しかし、民主党案と政府案とを読み比べてみますと、若干の違いはあるとはいえ、おおむね似たり寄ったりであります。

 それで、民主党案に対して、日本教職員組合はもろ手を挙げて賛成されているんだろうか。まず、このことを提案者にお尋ねしたいと思います。

藤村議員 松浪委員には、きょうは貴重な時間を割いていただいて、我が党案にのみ今から御質問をしていただくということで、大変ありがとうございます。

 まさに、我が党案あるいは政府案も、いずれもやはり成立の過程、経緯ということは非常に重要であり、きょうの午前中もそういう議論は進められてきたと思います。

 簡単に、短くお答えをした方がいいと思いますが、私どもの方は、党の中で教育基本問題調査会というのを、これは小渕首相が国民会議をつくったあのときに、同時に我々も教育基本問題調査会を発足させた。以来、ですから六年ぐらいになろうと思います。昨年の四月に、この教育基本問題調査会におきましては、新しい教育基本法を我々は策定すべきであるという中間報告を取りまとめいたしました。

 そのときから、いろいろな外部の各種団体、労働組合の連合、経済団体、弁護士さんの団体、あるいは宗教関係の団体等々のヒアリングを進める中で、もちろん、まず、今の教育基本法で何が悪いか、変えるべきでないという意見もたくさん伺ってまいりましたし、いや、六十年たってきて、やはりいろいろな面で、ここはこうすべき、ああすべきというたくさんの御意見をいただいてきた。そんな中で、我々の方は、今回、日本国教育基本法という新法を提案させていただいたところでございます。

 今お問い合わせの件、いわゆる労働組合の一つの団体であります教職員の組合からは、公式にまず我が党案に賛成か反対かということはまだ伺っておりませんが、各、中央の団体だけでなしに地方の団体からはさまざま、我々の法案にも反対である、今変えるべきでないという意見はその後たくさん聞いております。まだ公式に伺ったわけではございません。

松浪(健四郎)委員 どんな立派な案であったとしても、すべての団体、すべての人たちを満足させる案をつくるのは難しいだろう。そして、民主党案に対しても、民主党を支持される団体にも反対があるということは、私は、異常ではなくて当然であろう、こういうふうに思います。特に、民主党の前文を、長い長い前文でありますけれども、これを読ませていただければはっきりとする、こういうふうに思います。

 それで、この民主党の法案は、民主主義、自由主義、平和主義をもとに構成されていると私は理解しておりますけれども、それでよろしいでしょうか。

藤村議員 今、松浪委員おっしゃったように、憲法の三大原理であるところの民主主義のあらわれとして、これが国民主権、自由主義のあらわれとしての基本的人権の尊重、そして平和主義、我々は、現行憲法の特に前文ないしそれらの原理にのっとってこの日本国教育基本法をつくったわけでございますので、今そういう御質問ですから、そのとおり御理解いただいて結構だと思います。

松浪(健四郎)委員 冒頭、常識的なことをお尋ねいたしましたけれども、まず確認しておきたかったわけであります。

 それで、前文を読ませていただきますと、日本国民、我が国、そして日本、日本国、日本、こういうふうに前文に出てまいりますが、例えば「日本を愛する心を涵養し、」の日本、それから「日本国憲法の精神と新たな理念に基づく教育に日本の明日を託す決意をもって、」このようにございますが、ここで言う日本とは何を指しているのか、お尋ねいたします。

藤村議員 日本とは、まさに今ここに我々がいる、この国であります。そして、我々は、特に「日本を愛する心を涵養し、」といったところに込めた意味というのは、やはり二千年以上の長きにわたって、海に囲まれた、割に特殊な地形の影響もありますが、他国とは相当趣の異なった文化、伝統をはぐくんでき、日本語の話もそうでございますが、あるいは気象の状況でも、四季に恵まれ、亜熱帯から温帯、亜寒帯までの非常に幅広い範囲で、こういう自然、あるいは郷土、国土、そういった総体を含めて我々は日本と、まさにここが日本であるという理解であります。

松浪(健四郎)委員 ということは、我が国の国名だ、こういうふうに理解をさせていただきます。

 それでは、この国の、日本の統治範囲について、日本の国土、これが一体どこからどこまでなのか、お尋ねしたいと思います。

藤村議員 その統治範囲はどんな範囲かという御質問だと思います。

 その前提にまず、我々の言う日本も、もちろん国号、国の名前を指していることはそのとおりであります。

 そして、その日本が一体どこからどこまでを統治しているかという御質問ですが、これは一つの答えとして、我々は、いわゆる国内法の及ぶ範囲というのが正しい答えかなと。といいますのも、実は、この中だけでなしに海外の在外公館なども一応日本ということが言えるかと思いますので、まさに国内法が適用される範囲ではないかなと思います。

松浪(健四郎)委員 ということは、北方領土や竹島は含まない、こういうふうに理解してよろしいんですか。

藤村議員 いわゆる領土問題ということを今想定しての御質問かと思います。

 歴史的な経緯から画定されている領土の範囲というのは国境線であろうと思いますし、今全く国境線の問題がないとは我々は考えておりませんが、しかし、それはそれで今後のまさに課題であって、我々は、やはり日本の国内法の及ぶ範囲ということが特にこの教育基本法においては想定される範囲ではないかなと思います。

松浪(健四郎)委員 今の御質問では、北方領土と竹島は国内法が及ばない、だから違うんだというふうに理解してよろしいんですか。

藤村議員 北方四島、竹島、日本の領土内だと思っております。

松浪(健四郎)委員 そうしますと、前文に、もちろん前文は法的な拘束力は弱いかもしれませんけれども、以下続く条文にはそれなりの拘束力を持つものだ、こういうふうに私は考えておりますけれども、このように書かれてありますね。「日本を愛する心を涵養し、」云々、こうあるわけですね。ここで、日本を愛する心を涵養する。みんな簡単に、愛国心、愛国心、国を愛する心という表現を容易に使われているような気がいたしますけれども、やはり厳密に考えてみなきゃいけないんじゃないのか。

 愛というのは、一般的には、損得なしで相手に尽くそうとする気持ちなんですね。損得なしで相手に尽くそうとする気持ちなんです。これは、イスラム教ではまさにジハードなんですね。おのれの命はどうなっても構わない、損得はどうでもいいんだ、自分の民族、部族、国家のために、たとえ自爆テロをしてでも行動に移す。

 この愛という言葉は非常に深い意味を持っている、私はこういうふうに思っております。そして、心というのは、その人の精神であり、魂であり、感情である、こう思っております。その心を涵養する。涵養ということは、実力であるとか教養であるとか、この言葉は、そういったものが後に実を結ぶように底力をつけること、これが涵養なんですね。ということは、愛する心を涵養という表現は怖い表現ではないのか、私はこういうふうに思っております。

 こう書かれた背景について、民主党でもいろいろな御異論があったように報告書には書かれてありますけれども、その辺のいきさつについてお尋ねしたいと思います。

藤村議員 今、松浪委員は、イスラムの方からジハードということ、この意味を少し説明いただいたと思います。

 私が先般総理大臣に質問したのは、この今の、日本で言う愛というのは、むしろキリスト教的愛、一五四九年にポルトガルの宣教師が鹿児島へ着いた、以来のあの言葉ではないかなと。そのときはアモールという言葉でございました。それは、イスラムのジハードとはやはりちょっと趣が違うのではないかと思います。

 怖い言葉とおっしゃいました。すなわちそれは、何か非常に国粋的なナショナリストを育てていくんではないかなという趣も多分御心配のところかと思います。

 国粋主義とかナショナリストというときには、自国の歴史、文化、政治を貫く民族性や国体の優秀性を主張し、民族固有の長所や美質とみなされるものの維持、顕揚を図る思潮や運動というふうに辞書には載っておりましたが、我々の方はそういうものを目指すのではなくて、むしろ、二段落前に、前文ではございますが、「我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、また、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成する」、このことを明記しておりまして、さらにまた一条では、「世界の平和と人類の福祉に貢献する心身ともに健やかな人材の育成」と記して、我々が「日本を愛する心を涵養」と言うのは、まさにそういう心を涵養したいということでございます。

松浪(健四郎)委員 つくられた方はそうであるかもわかりませんけれども、読み手からしますと、そのようにはならないのではないのか。

 そこで、どう書かれているかと申しますと、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起こる不条理な出来事に対して、連帯して取り組む豊かな人間性の育成、こうあるんですね。社会に起こる不条理。提案者は、竹島の現状、北方領土の現状、これを不条理とは思いませんか。

藤村議員 最後の方のお答えはちょっと後にしまして、自立し、自律の精神を持つことは、あるいは個人や社会に起こる不条理な出来事に対して連帯して取り組む人間性というものは、むしろこれは、国際紛争を初めとしたいわゆるいさかいというものが、一般的には相互の理解が不足しているということに端を発し起こるということが多々あるわけであります。そういうことから、やはり自律、自立、みずからの意思をしっかりと持つこと、あるいはみずからの足で立つこと、このことと、そしてこれは日本国教育基本法でありますから、日本社会における連帯の中でさらに世界平和を目指すわけですから、これは、国際紛争をむしろ解決するような人をつくりたいという意味でございます。

 竹島そして北方領土問題については、先生のお考えはお伺いいたしました。

松浪(健四郎)委員 私の心配しているのは、我々は自由主義だ、そして民主主義、平和主義だ。だけれども、本当に国を愛する心を持った立派な人材をつくるということになっていきますと、不条理なことに対して、潔癖な教育で染められた若者たちは決起するんじゃないのか、そしてそれをだれもとめることができないのではないのか。だからこそ欧米諸国は、教育基本法もフランス以外は持ちませんし、愛国心といったようなものを学校教育の中で教えようとしないんだなと。中国は、愛国心を教えておる、そして反日デモを起こした。おれたちは愛国心を持っている。その暴動をとめようとした警察官は、おまえたちは愛国心がないのかと言われてへなへなとなり、その後ろにいる軍隊も、おまえたちは愛国心がないのか、おれたちはあるぞということで、大きなデモになってしまったいきさつがあります。

 つまるところ、愛国心というのは、やはり自然にいろいろな面から教えていくというか涵養させるべきものであって、学校教育の中で改めて教えるということに腐心する必要がないのではないかという考えを私は持つものであります。でなければ、愛国心を持った人間が竹島に上陸をする、あるいは北方領土に上陸する、そして大変な混乱を来すということになったときに、その人たちを責めることができるだろうか。難しい問題を抱えておりますし、悲しいかな、人間社会は常に不条理な一面を持ち続けていくし、それを一つ一つ解決するために、教育も必要であろうし、私たちの政治力も問われているのかもしれません。

 そこで、私は、この表現がいかがなものか。そして、民主党案では、この教育を国政の中心に据える、こう書かれてあるわけですね。教育が中心なんだ、これは、中心に据えるものの一つという意味ですね。それとも、いや、もう社会保障なんかどうでもいいんだ、教育だけなんだという意味なのか、まずお尋ねしておきたいと思います。

藤村議員 企業は人なりとよく言います。私ども、松浪委員も地元ですが、これはいいことだから名前を出していいと思うんですが、関西スーパーという企業があります。そこのホームページに、「企業は人なり」「何の輝きもない石も、長い時間と幾多もの人の手の中で、眩いばかりの光を放つ宝石へと姿を変えていく。 企業も然り。 さまざまな社員が自分の力を最大限発揮するからこそ生き生きと躍動感ある企業へと成長していく。」と、いい言葉が書いてあるんですね。

 まさに国も人なりで、やはり国の基礎をなしているのはそこに住む我々人間だと思います。特に、日本は他国に比べて潤沢に天然資源が恵まれているわけでもないし、人知、人の力こそが日本を支えている。そういう意味で、私は、政治家の幾つかの使命は確かにあります、大きな使命があります。しかし、その中で教育がやはり最も重視する国政上の最重要課題ではないかなというのが我々の考え方でございます。

松浪(健四郎)委員 最後にもう一つだけお尋ねしておきますけれども、民主党案には教育の目標がないんですね。目的はあるけれども目標はない、それは前文に書かれてある、このように理解してよろしいでしょうか。

藤村議員 私ども、前文にまさに広い意味での教育というものをとらえ、その目的と、そして「我々が目指す教育は、」と書いておりますが、これがまさに目的であり、そして、その中にたくさん幾つか書かれていること、まさにこれが目標であるということで、そのとおりでございます。

松浪(健四郎)委員 時間が参りましたのでこれで終わりますが、またの機会に質問させていただきます。ありがとうございました。

森山委員長 次に、池坊保子君。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 きょうはさまざまな問題を質問したく、用意してまいりましたが、午前中の民主党の方の宗教教育を伺いましたら、私もぜひこの政府の第十五条、民主党の第十六条について、民主党に特にお伺いしたいという気持ちになりました。民主党の案に対して、決して足を引っ張ろうという思いではございません。ただ、これは法律ですからあいまいであってはならないと思いますので、幾つかのことを伺いたいと思います。

 私は、五八七年に聖徳太子が建てられた紫雲山頂法寺六角堂というお寺の住職の妻でございます。親鸞は、自分の信仰に大変苦悩されて、これでいいのだろうかと悩み、私のところのお寺で百日お参りをされ、一二〇三年に浄土真宗を開かれました。

 私の周りには多くの宗教家もいらっしゃいます。例えば、阿闍梨さんと言われる千日回峰をなさった方は、最後の九日間は不眠不休、だから死ぬかもしれないんです。つまり、宗教というのは、私どもは穏やかで優しくというふうに思いますが、それに命をかけていらっしゃる。私のおばも日蓮宗の門跡でございましたから、当然結婚をしないで仏に仕えてまいりました。はりつけに遭ったイエス・キリストを初めとして、時の権力者に迫害されたりあるいは投獄されたり、死んだ、そういう方々もいらっしゃるわけです。

 私たち日本人は、宗教と信仰を混同しているのではないかと私は思うのです。宗教というのは、言うまでもなく、神や仏など人間の力を超える絶対的な存在を信じ、それを信仰することであり、そのための教義や制度の体系を伴うものなんです。それに対して信仰は、神や仏を信じ敬い、その教えに従おうとすることであり、全く個人の精神の問題なんですね。ですから、宗教といったときと、これに的がつきまして宗教的となると、これは宗教と離れて全く別個のものを皆様方は考えていらっしゃるのではないかというふうに私は思います。

 私も、どちらかといえば日本人の典型で、汎神論者で、若いころは教会の神父様の講義を聞きに行ったり聖書に没頭したり、今も私を支えている幾つかの文章もございますし、儒教道徳も、ここはいいなと思って引かれるところもございます。

 このたび、政府案では宗教的情操の涵養というものが入らなかったことに、私は安堵する思いがいたします。なぜかというと、宗教的情操の涵養というのは、皆さんわかったようでおわかりにならないんじゃないかと思うんですね。例えば、宗教的情操とは何と聞きますと、ある方は、それは感謝の心で、御飯を食べるとき手を合わせることだよ、でもそれは私は行儀作法ではないかと思うのですね。それから例えば、人はどう生きるか、そういうことだよ、それは私は哲学だと思うのです。そしてまた、利他の心とか優しさとか親切だよ、それは道徳だと思うのですね。つまり、戦後、道徳という言葉を使うのが何となくはばかられて、皆さんはそういう何とはなしの気持ちを宗教的というふうに言っていらっしゃるのだと思います。

 平成十四年十二月九日の中教審基本問題部会で、宗教に関する教育について、その当時国学院大学の学長であった阿部先生は、宗教的ということの概念整理が必要である、宗教教育のもとではこういう考えに基づきこの範囲において行うなどとして行わないと難しいのではないかと言われております。

 民主党がおっしゃる宗教的というのは、どういう概念整理のもとでなさったかを伺いたいと思います。

笠議員 今、池坊委員がおっしゃったように、確かに、宗教ということと宗教的ということになると、非常にこれは広さというか、違った意味が出てくると思うのですね。

 私どもの、宗教的情操というか、私どもは感性という言葉を用いさせていただいているわけですけれども、先般答弁させていただきましたように、情操と感性というのは、我々もそんなに違った意味とは思っておりません。ただ言葉として、感性ということの方が非常になじみのある言葉ではないかということで、感性という言葉を使わせていただいたんですが、ここには当然ながら、人間の力を超えたものであるとか、自然や万物に対する畏敬の念、大自然の中に、人それぞれでございますけれども、いろいろな神秘さを感じたり、自然を崇拝したり、あるいは、森羅万象に聖なるものが秘められていると感じたりという、まさにそうした畏敬の念というものがございます。

 これまでも宗教的情操ということで、学習指導要領の方にも規定があるわけでございますけれども、人間の力を超えたものに対する畏敬の念ということで小学校の道徳の中で教えられていたりというようなことで、先ほど委員がおっしゃったように、では、これは道徳で、これは例えば宗教的感性だというように分けて考えるものではなくて、まさに、道徳なども含めた広い宗教的感性の涵養というものが必要であろうということで、今回、私どもはここに入れさせていただいたわけでございます。

池坊委員 宗教的という概念整理は、では、なさらなかったんですね。宗教的というと何となく、優しいんじゃないかとか、穏やかな心だとか、道徳だとか、畏敬の念とか、そういうものをおっしゃっているわけですか。

笠議員 限定的にとらえているわけじゃなくて、今委員がおっしゃったように、人それぞれにやはり、身につけ方、あるいは、いろいろな、例えばこの中で、我々が人間としてどうあるべきなのか、まさに宗教とは、与えられた命をどう生きるのかというような、個人の生き方にかかわるものであると同時に、一方で、社会生活において重要な意義を持つもの、また、我々が祖先から受け継いだ、そういう連綿と続いてきた歴史の中に思いをいたしながら、はぐくまれていくものもあると思っております。

 そしてまた、先般、私どもの同僚の議員が指摘をしておりますように、やはり他国や他文化を理解する上でも、その背後にある宗教における知識というものもあわせて必要であろうかと思っております。

池坊委員 宗教に関する寛容の態度というのは私、理解できるんですね。つまり、寛容とは、心が広く、人の言動をよく受け入れることなんです。だから、自分の信仰だけでなく、宗教だけでなく、他の宗教も排除することなく認めましょうということだと思いますが、宗教的感性となると、私には、何で宗教的というのをつけなければならないのか。感性というのは、御存じのように、外界からの刺激を受けて直接的に感じ取る能力なんですね。ある意味では、もう既に人間そのものに宿しているものなんです。だから、感性を豊かにするとか、感受性を。そうすると、それが宗教的というのはどういうことなのか意味不明という感じがするんです。

 先週、笠さんでしたか、真善美ということをおっしゃいましたね。私も、より美しいもの、よりよきもの、よりすばらしいものに対する希求の心というのは深く持っておりますが、それと宗教的、宗教とどういうふうに結びつくのかを伺いたいと思いますことと、宗教的とおつけになったからには何か意味がおありになると思うんですね。特定の宗教に触れることなくして、宗教的とお書きになったわけですから、宗教的感性が教えられるのでしょうかということを伺いたいと思います。

笠議員 宗教的感性というものが教えられるのかということでございますけれども、これは、私どもの第十六条の規定の中にも、この第三項ですね、ここに書いておりますように、私どもは、これを一方的に押しつける、要するに、教えるということだけに、教育上尊重されなければならないということで、これまで余りにも、もちろん、特定の宗派、宗派教育というものは、やはり控えなければならないと私ども思っています。

 ただ、宗教教育となったときには、やはりその中には、この第四項で我々が規定しておりますように、これは、従来の規定をより明確にしたつもりなんですけれども、特定の宗教の信仰を奨励し、またはこれに反対するための宗教教育その他宗教的活動はしてはならないということで、より具体的に書かせていただいたと思っております。

 そして、先ほどの、宗教に関する寛容は、それは理解ができるとおっしゃったわけですけれども、私どもは、宗教的感性というものは、もちろん、学校教育の教室の場で、恐らく教材をもって、例えば教科書をもってということだけではなくて、例えば地域において、あるいは、一義的には、家庭の中での教育の中にも、当然、家の中でそれぞれ信仰もあると思いますし、家庭において、結婚式であるとか、あるいは、お宮参りであるとか七五三であるとかお葬式、いろいろな行事に参加をして、あるいは、そういう中で身につけていくものもあると思えば、あるいは、地域の中でのいろいろな行事、伝統行事であるとかお祭りに参加をしたりとか、そういう中からはぐくんでいくこともあろうかと思いますし、そういう広い意味で、私どもは「教育上尊重されなければならない。」ということで規定をさせていただきました。

池坊委員 教育上ということですから、教育において関係してくると思うんですね。そうすると、さっきおっしゃる宗教的感性が何ですかということが全くあいまいであると私は思いますので、だけれども、それはちょっとお答えになれないんだなというふうに理解いたしました。今おっしゃるように、お宮参りとか七五三もきっと宗教的感性の中に入るとお考えでいらっしゃるんですね。

 では、次に入ろうと思いますが、十六条の第二に、宗教的伝統や文化に関する基本的知識の修得及び宗教の意義の理解は、教育上尊重されなければならない。この宗教的伝統や文化に関する基本的知識の修得というのはどういうことを指すのでしょうか。そして、宗教の意義の理解というのはこれとどういうふうに結びつくのでしょうか。お伺いしたいと思います。

笠議員 今、ちょっとその前に、宗教的感性の中にということではなくて、先ほど申し上げたような、家庭の中で、あるいは地域の中で、学校の中で、そういったいろいろな行事等々の中で身につけていく。感性を磨いていく、身につけていく、そういう行事に参加したりする中で。だから、感性の中にそれが含まれるということではございません。

 それで、今おっしゃった宗教的な伝統や文化に関する基本的な知識ということでございますけれども、当然、一般教養としての基本的な知識の修得については、これまでにも学習指導要領などを通じて、これは学問としても教えられている部分があると思います。ただ、これは特定の信仰を身につけろとか、当然ながらそういうことではございませんけれども。

 そしてさらに、今、きょうもちょうど朝からも議論になっておりましたけれども、文化財でありますとか、あるいは自然に触れたりとか、そしてまた、地域に残る遺跡や名所といったものを訪ねたりする。さらには、歴史を学ぶ中で、あるいは先人たちが残してくれた文学や芸術作品を通じて学ぶことができるものも含めてのこの宗教的な伝統や文化に関する基本的な知識の修得ということでございます。

池坊委員 そうすると、具体的に宗教的な伝統と文化というのは、お宮参りとか七五三とか、そういうことをイメージしていらっしゃるんですか。

笠議員 それも一つでございます、まさにそれも一つ。

 ただ、それに限定するということでは当然ございませんけれども、この宗教的な伝統、文化に関する基本的知識というものの中では、社会通念上認められ、もはや日本の文化として定着している、例えばクリスマスであるとか、おみこしであるとか、武術とか、あるいは、いただきますと言うときに合掌することや神社で拍手することなどを、宗教的色彩が濃い状況や形態で行われている場合を除いて、この伝統、文化の範囲と理解をしているわけでございます。

池坊委員 わかりました。つまり、これは宗教に関する教育の中にお入れになって、わざわざ「宗教的な伝統や文化」とか「宗教的感性の涵養」などとお書きにならないで、人々がはぐくんできた、あるいは生まれ持っている感性を磨くとか、あるいは日常生活にある伝統や文化を大切にするとか、そういうこととお書きになったら、多分みんながわかりやすかったのではないかと思います。わざわざ宗教にお書きになったのが、ちょっと何かみんなにわかりづらいものを与えたと思います。

 そういう意味では、第十六条の一番最初にございます、生の意義と死の意味を考察し、命あるすべてのものを学ぶ態度を養うことというふうに書かれておりまして、これも宗教とこの命というものを並列にお書きになっていらっしゃいますが、宗教ともしかかわって生と死を考えるならば、これは、生と死のとらえ方は、宗教上、宗派によって随分違います。キリスト教では天国に行きますし、仏教では輪廻ですし、さまざまと違うのですね。

 ですから、これも多分、宗教とかけ離れてお書きになったら、それはそれなりによく理解できたのではないかというふうに私は考えます。この辺はちょっと無理がおありになったのかなという気がいたします。

 それから、前文にございましたね、祖先を敬い、子孫に思いをいたす。文章としてはわかりますけれども、どういうふうな姿をイメージしていらっしゃるのでしょうか。

 私思いますのに、おっしゃろうとしていることは何となく、漠としてわかるんだけれども、きれいな文章にしよう、言葉遊びをしているなんて失礼なことは申し上げませんが、言葉を何か一生懸命考えようとなさって継ぎ足したのかなという感じがしないでもありませんので、どういう社会、どういうことをイメージしていらっしゃるかを伺いたいと思います。

笠議員 決して私どもは言葉遊びをしているつもりはございません。

 まさに、この前文の中に、我々が今あった「祖先を敬い、子孫に想いをいたし、」という文言をしっかりとここに書かせていただいた中には、今例えば具体的にどうなんだというお話がありましたけれども、二千年以上の長きにわたって、まさに海に囲まれた地形の影響もあって、他国とは趣の異なる固有の伝統文化を日本ははぐくんできたわけでございます。さらには、四季に恵まれ、そして気候にはぐくまれてきた緑多い自然もございます。これらの日本固有の文明を発展させてきた我々の先祖に対して敬意を払うこと、そしてこの貴重な文明を後世にしっかりと伝えていくことは、私どもは教育の大きな使命であることだと思っておりますし、そのことにかんがみ、この文言を入れたところでございます。

 日常生活の中で、もちろん、お墓参りをして先祖を敬うということだってこれはありますでしょうし、例えば、それこそふるさとは遠きにありて思うものではございませんけれども、そういうような心の中で思いをいたすということだってあると思います。

 自分自身の祖先や故郷に対しての思いもあれば、もっと広い意味で、豊かな四季折々の自然の美しさに感動し、あるいは数多くの文化的な遺産などに接する中で、日本に生まれてきたことに喜びを感じ、そして日本に愛着を持ち、これから生まれてくる子供たちにも、後世にもそうしたすばらしさというものを伝え、引き継いでいきたいというような心を涵養していくことこそが大切だということで、この前文に盛り込ませていただきました。

池坊委員 余りにも大層な文言だったので、私、ちょっとびっくりしたんです。

 要するに、祖先の人たちの、日本人の先達の人々の心を大切にしながら、次に生きていく人たちを思い、夢や希望を感じながら、人類の貢献に役立つようにということなんですね。

 私、これを読みましたら、私は、父が亡くなりましてから二十年間、毎月お墓参りをしておりますけれども、それは両親が好きだからしているので、一々祖先に余り、もちろん感謝はしていますけれども、敬うと毎日思っているわけじゃないし、子孫に思いをはせと言われましても、それは、やはり五十年後、百年後、人類が滅亡しないで世界がうまく幸せであってほしいなというふうに思いますので、わざわざ祖先が、子孫がとおっしゃったのにはそれなりの深い深い何かがおありになると私は思いましたけれども、そうでない、普通のことを大層にお書きになったというふうに解釈させていただきます。

 それじゃ、もう宗教はちょっとおきまして、これは先ほど土肥さんが宗教に対しての議論なら一晩でもとおっしゃいましたので、ぜひ今度させていただきたいと思いますが、次に移らせていただきます。

 民主党の案の第一条の教育の目的の中に、「民主的で文化的な国家、社会及び家庭の」、もしかしたら通告していませんでしたか。ごめんなさい、「社会及び家庭の形成者たるに必要な資質」と書かれているんですね。つまり、国家、社会、そしてすぐ家庭の形成者になっちゃうんですね。

 先ほど民主党の議員の方の中にも出ていました、家庭を持ちたいと思っても持てない人もいる、諸般のいろいろな条件で持てない方もいる。それからまた、家庭を持たないという価値観の方もいらっしゃるわけですね。そうすると、これは、国民はみんな、家庭を持つことが当たり前ということの中で、こういう国、社会、そして家庭の形成者になっていくのでしょうか。ちょっとお伺いしたいと思います。

笠議員 今の、社会も家庭も当然ながら、これは一人ではございません。人と人同士が理解しようと努め、理解し合い、力を合わせ、互いを思いやりながら過ごすものであるのは、これは当然のことでございます。

 その資質、すなわち社会人としての一般的教養や、あるいは、親を敬い、子供たちを慈しむ温かい心などを持った人に育ってほしいという願い資質を持つことが即、結婚するということだけではありませんけれども、こうした家庭をはぐくんでいくということ、また、多くの方がそれぞれに結婚しなくても生まれ育った家庭が恐らくはあり、これはすべての方にあるということではないのでしょうか。

池坊委員 やはりこれは、国家、社会及び個人とか、一人一人とか、そういうことが入ることの方がよりよかったなと思うんですね。

 確かに、少子化、一・二五になりましたから、家庭を持って子供を持つことはすばらしい、意義あること。私は自分の娘を宝とも命とも思っておりますが、すべての人がそういうふうなことに遭遇するとは限りません。家庭の形成者にすべての人がなれる、あるいは、なろうと思わない人もいるわけで、その辺、やはりいつも主張していらっしゃる自由な発想とはちょっとかけ離れているように思いました。

 次に、第六条の幼児期の教育について、いいですか、だめですか。大丈夫ですか、お答えになれますか。

 「幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて、適切かつ最善な教育を受ける権利を有する。」とございます。教育を受ける権利、これはみんなにあると思うんですね。でも、藤村委員はずっと文科で御一緒してきましたからよく御存じなように、保育所というのは、児童福祉法で「日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育する」と規定しております。これは保育が目的で、幼稚園とはちょっと異なっております。

 民主党では、それならば、今度認定こども園というのができますけれども、この就学前教育を受ける権利を有するということは、もう保育所は要らないとお考えなのか、あるいは認定こども園に全部しようとお思いになるのか。その辺、お聞かせいただけますか。

高井議員 失礼いたします。突然の御質問で、回答させていただきます。

 私どもの考えとしては、保育所が要らないというわけではなくて、幼稚園と保育園、双方の理念を持つもの、両方のものを子供のための質のよい施設として提供し直したいというふうに考えておりまして、こども園は、残念なことに、その双方を残したままもう一つの選択肢ができるという形でできた法案のように思います。

 その点で、やはりさまざまな、私も先ほど申し上げた、池坊先生も御指摘にあったとおり、通園バスや給食の点で、同じサービスをしながら片や課税、片や非課税というような差がありますので、そういう弊害をなくすために、内閣府に一元化して、質のよい施設ということで再構築したいというふうに考えておりまして、決してどちらかを排除しようという発想のものではございません。

池坊委員 そう。では、これは誤解を生まないようにきちんとお書きになった方が一般の人にはわかりやすいと思いますよ。

 これですと、やはり教育を受ける権利という、教育ということになりますから、高井委員よく御存じのように、幼稚園は教育ですけれども保育所はそうじゃないという中でなっておりますから、現在、みんなが理解するには、きちんとした区分け、線引きが必要なんじゃないかというふうに思います。

 では、通告していないのは、大変だから、もうやめますね。

 一言だけ、家庭教育について大臣にお聞かせいただきたいと思います。

 私は、文部科学大臣政務官をしておりましたときに、一年間、河合長官を座長にして、家庭教育支援の充実というシンポジウムを月一回開いておりました。その中で感じましたことは、やはり家庭教育についての窓口というものが必要なんだと。さまざまな問題を抱えていらっしゃるお母様方が多いんですね。保護者、それはお父様ももちろん含まれますけれども。

 一昨日とその前日に子供が親を殺すという事件が起こっております。それを考えますと、親と子の分離というのが速やかにいつ行われるかというのは、大変大切なことだと思います。ニート六十四万人、引きこもり数十万、あるいはパラサイトシングルというのは今社会現象でございます。

 文科だけでなくて、やはりこの問題、家庭教育というのをもうちょっと幅を広げて検討する、真剣にこれは検討しなければならないと思います。その中には、もちろん、先ほど申し上げましたように、相談ができる窓口を、公民館だとか、あるいは空き教室でつくることも大切だというふうに思っておりますので、家庭教育と幼児期の教育ということで、もっと真剣に、どういうふうな御方針でやっていらっしゃるかを伺って、私の質問を終わらせていただきます。

小坂国務大臣 委員がお述べになりましたように、子育てに関する悩みというものをお持ちの親は多いわけでございますから、そういった親御さんの悩みを解消するような、そういった窓口をしっかりわかりやすく設置することが必要だと思っております。

 文部科学省では、家庭教育支援総合推進事業というのをやっておりまして、子育てやしつけについて、友人のような関係で気軽に相談に乗ったりアドバイスを行えるような、子育てサポーター、またそういった方の資質を向上させるための子育てサポーターリーダーという方を育成するための事業を行っております。

 親の主体性を大切にしつつも、子育てに関する相談を行う環境整備をしていくという観点からこれらの事業を行っているわけですが、子育てのヒント集という形で、乳幼児から小中学生を持つ親の方々、それぞれの段階に応じて家庭教育手帳情報編というところに、各都道府県別に子育ての悩みについての相談窓口、そして他省庁の所管する機関、団体等も含めまして掲載をいたしまして、悩みを持つ親の相談に適切に対応ができるように情報提供しているところでございます。

 また、文部科学省内に家庭教育支援室というものを設けておりまして、関係省庁、経済団体及び子育ての支援団体と密接に連携をしながら、家庭教育に対する支援の推進に努めているところでございます。

 今後とも、池坊委員が御指摘をいただきました各般のことを踏まえながら、子育てに関する相談や情報の提供になお一層に取り組み、子育ての支援を充実させてまいりたいと存じます。

池坊委員 ありがとうございました。

 民主党の御答弁いただいた方も、決して困らせるために言ったのではないから、どうか悪くお思いにならないでね。

 ありがとうございます。

森山委員長 次に、川内博史君。

川内委員 民主党の川内博史でございます。

 大変に、委員長やこの特別委員会の理事の先生方に御高配をいただきまして、発言をさせていただく機会をいただきましたことに心から感謝を申し上げ、与えられた一時間という時間を精いっぱい質問させていただきたいというふうに思います。

 私は、この教育基本法の改正案を審査する基本的な態度として、それが何のための法案なのか、だれのための法案なのかということを常に心の中に持ちながら審議をすることが重要ではないかというふうに考えております。

 先ほど、羽田孜元総理大臣に御地元の新聞の社説を見せていただきました。小坂文部大臣の御一族が発行していらっしゃる新聞だそうでございますけれども……(発言する者あり)いとこさんですか。その社説に、与党の教育基本法改正案では教育がよくなるとは思えない、廃案にせよという社説でございました。

 民主党のことに触れていないのは若干どうだかなという思いもあるわけでございますが、本日は、私も、与党案に対して、この教育基本法改正案というのが何のための法案なのかということをお尋ねしてまいりたいというふうに思います。

 小坂文部大臣は、法案の提案理由説明の中で、「現行の教育基本法については、昭和二十二年の制定以来、半世紀以上が経過をいたしております。この間、科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化など、我が国の教育をめぐる状況は大きく変化するとともに、さまざまな課題が生じており、教育の根本にさかのぼった改革が求められております。」と御発言をされていらっしゃいます。

 小坂大臣、この提案理由の説明の中の「さまざまな課題」、このさまざまな課題に対して、教育の根本にさかのぼって改革を行うことがこの教育基本法提出の理由であるというふうに理解をしてよろしいかということを、まず御答弁いただきたいと思います。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

小坂国務大臣 私どもの今回の教育基本法の提案に当たりまして、教育改革国民会議、また中央教育審議会答申、そしてまた、さらには与党の協議会検討会最終報告、そしてまた教育改革フォーラムあるいは教育改革タウンミーティング、こういったいろいろな場、あるいは一日中教審、こういったものも踏まえまして、各般の御意見を踏まえた上でこの法案提出に至ったわけでございますが、その中でも、中央教育審議会の御意見として、「戦後の我が国の教育は、教育基本法の精神に則り行われてきたが、制定から半世紀以上を経て、社会状況が大きく変化し、また教育全般について様々な問題が生じている今日、教育の根本にまでさかのぼった改革が求められている。」といたしまして、このように答申をいただいたことを踏まえて、私の提案理由も書かれております。

 また、その中で指摘しております課題というものは、皆様のいろいろな御意見の中から私どもが把握いたしたことでございますが、今日、日本社会が、倫理観や社会的使命感を喪失している、少子高齢化による社会の活力が低下している、都市化や核家族化が進展をしている、そういった状況にある。また、教育の現場の直面している課題として、青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、いじめや不登校、中途退学や学級崩壊、家庭や地域の教育力の低下など、こういったものが課題として挙げられておりまして、これらの課題に対応し、そして、戦後の半世紀たった今日にこの教育基本法を改正して教育の基本的な理念を再構築するに当たっては、このような課題を全体的に俯瞰した上でこの教育基本法を提出することが必要だ、このような認識に至ったということを述べさせていただいたものでございます。(発言する者あり)

川内委員 今、自民党の理事の先生から、地元の新聞の釈明もせないかぬやないかみたいな声が出たのですが、地元の新聞の社説と小坂文部大臣の職責とは全く別でございますので。ただ、私が申し上げたのは、世間一般で、教育基本法を改正するというときに、その改正に対する政府の意思あるいは思いというものが十分に伝わり切っていないのではないかということの問題意識から、一例として挙げさせていただいたものであります。

 それで、そのそごがどこから生じるのかということについて若干考察をさせていただくと、教育という言葉を我々一般人が聞く場合に、学校教育あるいは幼児教育を想像するわけでございまして、幼稚園での教育あるいは小学校、中学校、高校、大学、そこぐらいまでが教育であって、その後、社会人になってさまざまに学ぶことは学習という概念でとらえているのではないか。

 しかし、政府は、あるいは国会は、これは与野党ともにでございますが、この教育基本法改正案の中で、日本人としての生き方を改革していく、変えていく、あるいは日本人としてのあり方、人生の生きざまを変えていく必要があるというような大きな視点で取り組まれていらっしゃるんだなということを、今、提案理由の御解説を聞きながら思うところでございます。

 そうしますと、教育という言葉の持つイメージというのは、先ほど申し上げたように、一般的には小学校、中学校、高校、大学ぐらいまで、人生全体を通しては学習という言葉の方がより適切に全体をあらわされるのではないか。したがって、学習基本法とかそういう言い方の方が、私は、人生のすべてのライフステージに国として対応していくのだという決意を示すにはふさわしい言葉ではないかというふうに思います。(発言する者あり)思います。政府が違うとおっしゃられるのであればそれは見解の相違ですから、ここで……(小坂国務大臣「政府は言っておりません、政府じゃないです」と呼ぶ)あえて申し上げることではないですが、一般的に教育というのは、我々国民が受けるのは大学教育までであって、その後何かを教わることを教育という言葉の中でとらえている人は少ないのではないか。

 いや、そうかなと首を振られていらっしゃいますけれども、何か根拠がありますか。おまえが言っていることは違うという根拠でもありますか。

小坂国務大臣 よく、教育という言葉は、教えて育てるということだ、こう言われる方があります。しかし、今委員が引かれましたけれども、その中で一つ欠けているのは家庭教育という言葉だと思います。

 私どもの法案の第十条にも、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、」と書いてありますし、民主党案でも家庭教育は重視をしておられます、「生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」

 すなわち、人間がおぎゃあと生まれて、人間の社会で生きていくために必要な力を備えさせること、それがまさに教育の原点だと思うわけでございます。それは生きる力でございます。生きる力というのは、人から与えられるものではなくて、みずからそれを培っていくものでございますから、それを手助けするのが教育であります。

 私は、教育の根本は、おっしゃるとおり学習だと思います。みずから学ぶこと、その点において全く異論はございません。みずから学ぶということの原点は私は好奇心だと思っておりますが、そういったみずから学ぶ力を養うこと、これが教育だと私は考えております。

川内委員 教育改革国民会議の第一回の議事録に、柔道家の山下泰裕先生の御発言が出ておりまして、大変すばらしい御発言だなというふうに思いまして、紹介をさせていただきたいと思うんです。

  子どもは大人の鏡であると思います。磨くのは子どもたちではない。我々大人自身ではないかなと思います。教師は生徒を磨く前に自分を磨け。親は子どもを磨く前に自分を磨け。今の子どものもろもろの問題の根本は、何人もの先生が言われましたけれども、大人の問題であり、世の中の価値観のひずみがそこに表れているんじゃないか。環境が人を育てると思います。その環境に大きな問題があると思います。

  今の子どもではなくて、我々大人は、じゃないかと思うんです。

  私は子どもは決してばかではないと思います。大人が本音と建前をうまく使い分けてきている。自分のやっていることと、子どもに言っていることと違う。そして、自分のこと、家族のこと、自分の育つ組織のことだけを考えて、自分の利害、エゴで動いている人が多い。

  そして、立場が上の人になればなるほど、人間的にすぐれているんじゃなくて、その権力を自分のために利用する人が多いと。そういうことを子どもは敏感に感じているんじゃないかと思います。

このように御発言をされていらっしゃる。

 私は、もうまさしくそのとおりだなというふうに思いまして、では、そういう世の中じゃないようにしていくにはどうすればいいのか、この教育基本法を改正することによって何をどうすればいいのかということをしっかり考えていかなければならないというふうに思うところでございまして、政府も、そういう意味では認識は全く同じだというふうに思います。

 第二条の教育の目標に掲げられた五つの項目、その中には、幅広い知識と教養を身につけ、真理を求める態度を養う、あるいは、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う、生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う。

 これまで我が国の教育に関する法律の中にはなかった、学習指導要領の中にはありますが、態度を養うという言葉が五項目すべてに書かれております。この五項目の目標は、当然のことでありますが、第三条の生涯学習から第十八条の法令の制定まで、第七条の大学あるいは第八条の私立学校、第九条の教員、第十条の家庭教育、これらすべての条文の目標であるということでよろしいでしょうか。

小坂国務大臣 教育の目的というふうに書いてございます。これがこの法案の中で言う教育の目的であることは御理解をいただけると思いますが、すべての条文に共通のものであるかということについて申し上げますと、第十八条の「この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。」という第十八条は違うわけですね。ですから、十七条の教育振興基本計画の策定に当たりましても、当然、この目的というものが意義を持つわけでございますから、そういう意味で委員が御指摘であれば、そのとおりでございます。

川内委員 それでは、各条文ごとに、現在のさまざまな課題とは何か、その課題の原因は何か、そして、現在の教育基本法のもとでは解決をすることはできないのか、問題解決のために法令の制定をするのか、法令の制定をする場合、どのような名前の法令を、どのような内容で、いつまでに制定するおつもりなのかについて、順次質問をしてまいりたいというふうに思います。

 まず、第五条の義務教育についてでございますが、小坂文部大臣に、政府を代表して、現在、義務教育の課題であると小坂文部大臣が認識をしているもの、すべて挙げていただきたいというふうに思います。

小坂国務大臣 突然、すべて挙げよと言われても、すべて挙げ切れるかどうか……(川内委員「突然じゃないですよ、きのうちゃんと通告したじゃないですか」と呼ぶ)いや、すべて挙げよとは聞いておりませんので……(川内委員「いや、すべてと言いましたよ」と呼ぶ)そうですか。それはどうでもいいんですけれども……(川内委員「どうでもよくないですよ」と呼ぶ)私が今答弁をするかどうかでございますから、そういう御指摘があったなら、努めてみましょう。

 現在、先ほど申し上げましたように、学校の現場で、いじめ、不登校、中途退学あるいは学級崩壊、こういった状況がある。また、教員の指導力という点にいろいろな課題がある。また、通学路の安全という課題がある。また、学校の設備、教育施設、こういったものにまだ設備が十分でない等々の問題がある、これはITの教育等も踏まえて、そういった環境が十分に整備されているとは限らないという問題がある。

 そしてまた、社会の教育力が低下した、これは原因はいろいろまた別にあると思いますが。そしてまた、子供社会というものが以前のように一定人数が確保される、少子化の中で子供社会というものが形成されにくい環境の中で、子供同士の教育力といいますか、お互いに切磋琢磨といいますか、そういった意味での教育という側面が弱体化してきているという状況もあると思います。

 そしてまた核家族化ということで、おじいちゃんやおばあちゃんたちが経験してきた知恵というものがお母さんやお父さんに受け継がれ、またお父さん、お母さんたちから子供たちに受け継がれるという、そういった一つの流れというものが失われつつある、こういったこともあると思います。

 それから、農耕社会の中で培われてきた協同の精神、田植えから始まって稲刈りまで、そして脱穀からまたそれぞれの市場への輸送まで、すべてが協同の社会で運営をされてきた。その中にあっては、子供の面倒を、自分の畑の仕事で忙しいときは隣のうちが面倒見てくれるということも含めて、地域社会における教育力、また協同の力というものが衰退をして、親の子育て力というもの、子育ての環境というものが変わってきた、こういうこともあると思います。

 すべてとおっしゃいますから、まだまだ挙げ続けますが、よろしいでしょうか。延々と……(川内委員「義務教育についてですよ」と呼ぶ)

 ただ、義務教育というのは、生きる力と申し上げましたものですから、私は生きる力を養うためにはいろいろなものが必要だと思いますので、まだ足りないような気がしますが、委員の御質問の意図からすれば大体この辺で済むのかなとも思うんですが、まだもっと言えということであれば、一生懸命考えて申し上げますが。よろしいですか。

川内委員 まず一つ、私は昨日の文部科学省さんに対する質問通告で、今、政府として、さまざまな課題と提案理由の中で述べているのだから、そのさまざまな課題とは何か、すべてあすの質疑の中で教えていただきたいということを明確に通告させていただいておりますので、先ほど小坂文部大臣が通告を受けていないのでとおっしゃられたその言葉については、後ほど理事会で、削除していただくように御協議をいただきたいというふうに思います。

町村委員長代理 はい、わかりました。

小坂国務大臣 理事会で御協議いただいて、削除していただければそれで結構ですが、私が通告を受けているのは、一つ一つの問題について掘り下げていくのでよろしくということで通告をいただいている。したがって一問一答形式で、例えば、教育基本法の改正は何が問題としてそれがなされたと考えるのか、あるいは学校現場においてのいじめ、不登校等の学校をめぐる教育環境についての問題点は何か、いわゆる問題行動というのはどういうものがあるか、そういったものを一つ一つ項目として質問するので、それに答弁をしろ、こういう趣旨で承っておりましたので、それを全部述べろといいますと、ある資料を全部読まなきゃならなくなってしまいますので、委員のお時間をとり過ぎると思って、そう申し上げたわけであります。

    〔町村委員長代理退席、委員長着席〕

川内委員 いや、時間は幾らかかっても構わないんです。義務教育において文部科学省が今課題だと思っていることをすべて挙げてくださいということを、昨日、私は通告をさせていただきました。それに対して事務方が、大臣にどのように伝えたかは私の知るところではないですから、それは後で事務方と、きのうのやりとりはどうだったのかということについては確認をしていただければいいと思います。

 ただ、私が申し上げたかったのは、教育基本法という大変大事な法律の審議のときに、しかも、立派な日本人をつくるんだという議論をしているときに、通告していない質問をするようなひきょうな男ではないということを私はただ申し上げたかっただけでございますから、きちんと堂々と、通告したことをお聞きしていますということを申し上げているわけでございます。

 では、先ほど、大臣のところに事務方の方から上がってきているそれぞれの課題についてお伺いをさせていただきますが、その前に一点、今大臣は、義務教育について、子供たちの学力の問題については触れられましたか。ちょっと確認させてください。

小坂国務大臣 義務教育の学力の低下の問題は、PISAの調査の対比だとかあるいは各都道府県が実施している学力調査、こういった中から一般的な指摘がされているところでございまして、国として、文部科学省として、全国一斉学力調査というものを実施して現在の学力の把握に努めたい、このようなことも申し上げているところでございます。

川内委員 今の御答弁は、子供たちの学力について把握に努めているところであるが、子供たちの学力全体について、文部科学省としてどのような認識をお持ちであるかということについてはどうなんでしょうか。

小坂国務大臣 本来は事務方からそれなりの答えを申し上げたいと思いますが、私からということでございますから、私としては、各新聞の調査だとか、あるいは都道府県の調査だとか、あるいはそういったOECDのPISAの学力調査による世界の横断的比較だとか、こういった中で子供の学力低下というものが指摘をされております。

 特にその中では理数及び読解力、国語の力というものが日本の、義務教育だけではないわけですけれども、大学生までの学生なんですけれども、児童生徒を初めとして、学生のこういった読解力、理数の力が弱まっているというのは統計的にも出ております。また、特にこの読解力等については、やはり義務教育段階でもしっかりこれを進めなければいけないという認識も、これは共通のものだと思うところでございます。

 国の教育課程実施状況調査というのもございまして、これによりますと、基礎的事項を徹底する努力等により一定の成果があらわれ始めているが、国語の記述式問題が低下するなどの課題が指摘をされている。また、学習意欲、それから学習の習慣、うちへ帰って勉強するという習慣ですね、それを含めた生活習慣などに改善が、時系列的に見れば一番低下したときよりも少し改善は見られるものの、まだまだこの改善が必要だということが認識されている。

 こういった課題が認識されているということは、私も把握をいたしております。

川内委員 今、文部科学大臣から、義務教育の中においては学力の問題がある、それは具体的に言うと理数系の力が弱まっている、そして読解力についても低下傾向にあるということが政府の課題として示されました。

 では、その原因は、理数系の力が低下をしてきていること、あるいは読解力が低下をしてきていることの原因は何だというふうに認識をされていらっしゃいますか。

小坂国務大臣 私は、その一番もとは、好奇心という、みずから学ぶ力を育成するための環境が変わってきたということにあるように思っております。

 ちょっと話が私の体験的なものに及んで恐縮でございますが、私どもの子供のころは、身の回りに好奇心をかき立てるもの、そしてそれを満たすものがたくさんあったんですね。例えば昆虫にしても、あるいは動物にしても、非常に身近にありました。それから、学校の行き帰りには、田んぼのあぜ道を歩いていけば、ジャガイモの時期にはジャガイモをとった後の小芋がいっぱい転がっていたり、あるいはネギを栽培していたり、いろいろなものが、ああ、こうやってできるのか。また、時計を壊してみれば、歯車が出てきて、ぜんまいが出てくる。ラジオを壊してみれば、真空管があって、そこにコイルがあって、コンデンサーがあってという形になる。

 ところが、今の子供たちは、道路に出て遊ぶことすら許されない、道路の端に生えている雑草の名前すらわからない。そして、時計を壊しても、ラジオを壊しても、出てくるものは同じ、基板と電池しか出てこない。こういった中で、好奇心がはぐくまれにくい環境がある。これが理数に対する興味をわかせない一つだと私は思っております。

 そういう意味では、理数の力を育成するというためには、やはり実験とか体験的な教育をもっと身近に取り入れて、好奇心を満たす、そしてかき立てる教育環境というものをつくり出して、そして、子供たち、児童生徒のみずから学ぶ力を引き出す努力が必要だ、こうも考えております。

 今日の文部科学省としての資料で、いわゆる理数離れ、その中での理科離れについての指摘でございますけれども、少なくとも、理科に対する興味、関心が低下しているという理科離れの現象は明確ではなく、むしろ、子供たちが知的な関心を持って問題を真剣に考える姿勢が希薄になっている、そういう指摘がある、こう解説をしておりますが、わかりやすく言えば、私の言ったことと同じじゃないか、こう思っているんです。

川内委員 ちょっとよくわからなかったんですけれども、好奇心がはぐくまれない環境になってきている、好奇心がはぐくまれにくい環境になってきていることが、理数離れを、あるいは理数系の学力の低下を招いているのではないかという文部科学大臣の推測が今示されたわけでございますが、私は、問題解決のためには、原因を正確に知ることが必要であるというふうに思います。

 では、好奇心がはぐくまれない環境になってきたこと、その好奇心がはぐくまれない環境というのがいかなる環境なのかもよくわからないですけれども、そのことが理数系離れを、理数系の成績の低下を招いているのだという科学的なデータ、根拠というものはあるんですか。

小坂国務大臣 私はできれば、質疑の充実のためにも、細部にわたる御質問の部分だけでも政府委員答弁を認めていただきたいと思いますが、そういう御指名ではないので、私から答弁をさせていただきます。

 中央教育審議会の教育課程部会等を初めといたしまして、専門の先生方が、しっかりと科学的な見地も踏まえまして議論をしていただいております。残念ながら、私はそのすべてを記憶しているわけではございません。また、そのすべてが資料としてここに提示をされているわけでもございませんので、その御質問の意向は、こういう細部にわたるものであれば事前に私もそれなりに準備をしたのでございますが、残念ながら、今できる範囲内で補充をしながら答弁をさせていただきます。

 まず、生涯学習の到達度調査、いわゆるOECD・PISA調査、二〇〇三年実施の分でございますが、その中のアンケート調査の部分で、学ぶ意欲、その中での数学で学ぶ内容に興味がある生徒、こういう項目でいいますと、日本は三二・五%、OECD平均で五三・一%。すなわち、数学で学ぶ内容に興味があるという学生が割合としては日本の方が少ない。数学、理科に対する意識。勉強は楽しいと思う。数学では、日本の中学校で三九%、国際平均は六五%。理科においては、日本の中学校が五九%、国際平均では七七%。したがって、勉強は楽しいと思うというのは、数学、理科においても、日本は、OECDあるいは国際平均から見て低い。

 同じような意味で、得意な教科であるという中で、数学と理科を選んだそれぞれの生徒の割合も、国際平均五四%に対して日本が三九%の数学、また、国際平均五四%に対して四九%の理科、いずれも日本の方が低くなっている。

 このような状況から、全体の学力低下ということも言われますが、とりわけ読解力、それから数学、理科に対する勉強の意欲、そして態度という点で、これはアティテュードという形になっているわけですけれども、低下をしている。このような認識を数字として示されております。

川内委員 いや、文部科学大臣にこのようなことを申し上げるのは甚だ僣越ではございますし、恐縮のきわみでございますが、文部科学大臣は、義務教育について最高の責任を負っていらっしゃる。そして、子供たちの、二十一世紀は知識の時代、知恵の時代と言われる中で、いかに子供たちがたくさんの知識を得、それを利用して人生の道を切り開いていくかということについて、手助けをしていただかなければならないわけでございます。

 そういう中で、理数系の力が弱まっている、あるいは読解力が弱まっている、その原因が何なのかということについて、細かいことだというふうにおっしゃられるのは、それは私は間違いだと思います。現象があり、そしてその原因があり、その原因を取り除き、そして子供たちに、しっかりとした学びの意欲を持ち、勉強してもらうように、成果を出してもらうようにするのが文部科学大臣としての責任であろうというふうに思いますので、細かいことと思わずに、ぜひ御興味と関心を持っていただきたいと思います。

 ここで、いや、もう大臣、こんなことに反論してもしようがないです。私の意見ですから、意見、聞いてください。

 文部大臣、ここで一つはっきりしたのは、理数系の力が弱まっているという現象に対する原因は、最初に文部大臣がおっしゃった、好奇心がはぐくまれない環境になってきているということよりは、統計的な数字で出ているのは、学ぶ意欲が他国に比べて低い。その原因は、理数系に対する学ぶ意欲が低くなってきているということがその原因であると思うんですよ、データに出ているのは。学ぶ意欲が低くなってきている。

 では、その学ぶ意欲を高めていくことが、問題解決のための第一歩であるというふうに思いますが、文部科学省としては、子供たちの理数系の力が低下している、読解力が低下しているということに関して、どのような対処方針を持ち、どのような法律をどのように改正することによって意欲を持たせようとしているのかということについて、教えていただきたいと思います。

小坂国務大臣 川内委員もわかっていらっしゃって言っているんだと思いますが、私は決して細かいことと言ったわけじゃなくて、細かいデータを提示しろと言われるのであればで、決して理数系の教育が細かいことと言ったことではないことは御理解をいただいていると思うわけですよ。ですから、そういう意味で手を挙げたのでございます。

 いずれにいたしましても、学習意欲の低下の原因としては、一つは、非常に豊かな社会になったということがあるでしょうね。そして、その豊かな社会の中で、勉強への動機づけ、自分は何のために学ぶかということがわかりにくくなったということですよ。勉強しなければならない切迫した事情というものがなくなったということも事実であります。早く社会に出てうちにお金を入れなきゃいけない、そういう切迫した状況ではない家庭がふえたということもありますからね。

 その中で、私は、一つは好奇心がないということもその原因であろう、意欲をかき立てるものが、動機づけが少なくなったものの一つとして、私は、やはりそういう点で、社会環境の変化、これはかなり大きな部分を占めていると思うので申し上げました。そのことは、法律の第六条の第二項に、みずから学ぶということについては述べているわけですが。

 実生活や将来の職業などとの関連づけ、児童生徒が実感を持って理解できるようにするなどの指導の工夫ということが求められておりますが、こういったことについては、施策といたしましては、平成十八年度の予算案でも、スーパーサイエンススクールとか、スーパーサイエンスハイスクール事業だとか、理数大好きモデル地区事業など、科学技術・理数大好きプランというものを拡充させる形で取り組んでおりますし、また学習指導要領の今後の改訂もあるわけでございますが、そういった中においても取り組んでまいります。

 また、今日、学習指導要領の見直しの中で、すべての教育活動を通じて、言葉や体験を重視した学習や生活の基礎づくり、国語や理数教育の充実、全国的な学力調査の実施により、いわゆるPDCAサイクルを学校教育の質の向上に役立てる、今までは検証ということまでも行っておりませんので、プラン・ドゥー・チェック・アクションという一つのサイクルをしっかり確立することが教育においても必要だと考えておるわけでございます。

 こういった観点から、平成十八年度末までに学習指導要領の改訂を行いたいと考えておりまして、今委員がそれぞれ御指摘をいただきました、また私が答弁を申し上げた課題についての取り組みをこの中で専門の先生方に御協議をいただき、また学習指導要領の中教審の中の部会でしっかり御議論をいただく中で改訂を進めてまいりたいと考えております。

川内委員 今さまざまに文部科学大臣の方から御答弁をいただいたわけでございますが、それらの施策というのは教育基本法を変えなければ実行できないものなのでしょうか。

 いいですか。今文部科学大臣がおっしゃられたそれらの施策というのは、今現に行われている施策もあるし、これから行おうとしている施策もあろうかと思います。しかし、それらは教育基本法を変えなければできないものではない、今現にやろうとしているわけですからね。

 私が聞いているのは、教育基本法を変えることによって、そして初めて、今、義務教育に関して、ほんの、理数系のこと、読解力のこと、さまざまに膨大に課題がある中で理数系のことと読解力のことを今私はテーマにしているわけでございますが、これらは学ぶ意欲が減少しているからである、では、それを上昇させ、子供たちが、学ぶことを楽しいと、そして知識を得ることが楽しいんだと思えるようにしていくことの施策というのが、教育基本法を変えなければできないものなのかということを聞いているわけですよ。

小坂国務大臣 これはたびたび答弁もさせていただいていますけれども、戦後半世紀がたって、最初の御質問に答えた部分がその部分に当たりますから省略いたしますけれども、そのようなことから今回改定をすることにしたわけですが、この改定をしたことによって直ちに、自動的に今の課題が解決していくわけではないわけでございます。

 そして、二〇〇三年のPISAの調査を参考に、先ほど答弁させていただきましたように、この問題は、この法案を提出させていただくときに生じて認識が出たわけじゃなくて、以前から常に、教育の取り組みの中で、学習指導要領の随時の改訂の中で取り組んできた施策も含めて今日的な課題というものがあるわけですから、その対処方針もその中にあるわけでございますし、昨年度の事業も今年度の事業も、また来年度の事業の中に組み込まれたことも、これらは教育基本法の改正の成立を前提としてやったわけではなくて、今日的な課題に一つ一つ常に対応する形の中でこの事業を推進しているわけですが、そういったものを教育現場においてより明確に取り組んでいただくこと。

 そして、今日的な課題を解決するための教育の抜本的な理念として、これまでの教育基本法で培われたすぐれた理念というものは継承しつつも、新たな、生涯学習だとか幼児教育だとか私立学校だとか、先ほど挙げていただきました、これが新しい分野だとおっしゃった、それらの項目をここに書き加えたわけでございます。

 したがって、これが自動的に解決すると思ってやっているわけではございませんで、この教育基本法の改正をしていただきましたら、第十七条にありますような教育振興基本計画を初めとした計画をしっかり立てて、それとともに学習指導要領のさらなる見直しも行い、そしてその上で、学校教育法や地教法やその他の関連法律を整備する。また、その改定の必要があるかどうかをしっかり見守ってチェックをしてまいりたい。理科教育振興法というのもありますし、もうあげつらう必要はないと思いますが、たくさんの法律がありますので、これらを順次改定の必要があるかどうかを検証して進めていく、こういう段階に入っていくと思います。

川内委員 教育基本法を改定することによって直ちに問題が解決するわけではないという御答弁をされました。

 では、子供たちの理数系の学力低下あるいは読解力の低下という義務教育の中の一つの問題は、この教育基本法を改定することによって直ちに解決はしない、そして、具体策についても、今直ちにこの法律をこう改正する、あるいは、こういうふうな名称の法律を新たにつくるんだという具体策についても、ないということでよろしいですか。

小坂国務大臣 一生懸命答弁しているつもりなんですけれども。

 先ほど申し上げたように、教育基本法を改正したから直ちにこれらの問題が解決するわけじゃないけれども、二〇〇三年のPISAを引き合いに出させていただいたように、これまでもいろいろなアンケートや他の機関がやった調査や、そういったものも参考にしつつ、その現状認識というものを、その都度対処する方策を考えて事業をやってきているわけですから、スーパーサイエンスハイスクールのような事業も、教育基本法を改正してからやろうというんじゃなくて、もう既にそういうものに問題認識を持って取り組んでいるわけですよね。

 ですから、直ちに改正できるわけではないと言ったのは、教育基本法ができたって直らないと言っているんじゃなくて、今も直そうと努力しているわけですから、それは教育基本法が改正されなくてもこれらの事項にはしっかり対応していくことがやはり今の文部科学省の責任でもあり、それは私の責任でもあると思うわけでございます。

 そういった意味で、教育改革ということで今取り組んでいるこの改革は、これらの今日的課題と申し上げたそれらに対処するための方策としての改革でありますから、その一つの道筋といいますか、過程の中で教育基本法の改正をしっかりとさせていただいて、より理念をしっかりさせて、これからの教育に、現場においてもこの基本法の理念にのっとった教育をさらに推進していただきたい、そのためにはやはり教育基本法の改正が今必要である、こういう認識に立つわけでございます。

川内委員 いや、全くわからないですね。対処する方策を考えてやってきてはいると。であれば教育基本法など改定する必要はないわけで、教育基本法を改定しなければできないことを答えてくれというふうに私は申し上げております。

 そして、これだけ偉い先生方がこの委員会室に集まられて、具体策を解決できないような法律をがん首そろえて審議しているほど教育の現場は落ちついてはいないというか、先ほど問題として掲げられた、いじめや学級崩壊や不登校、さらには子供たちの学力の問題、それらのさまざまな問題を抱えて、学校現場あるいは義務教育の現場は苦しんでいるわけですよ。

 それらの問題に対して、教育基本法を変えることによって具体的にこうアプローチするのであるということを示さずして、ただ、変えさせてくれ、これを変えればよくなるんだと言うのは、スポーツのコーチがプレーヤーに対して、まあとにかく頑張れ、ここは行けと。どう行くんだ、何をすればいいんだとプレーヤーは思うわけですから、その具体策が大事なんじゃないですか。その具体策をきちっと裏づけとして持っていただきたい。

 それがもしないのであれば、今は具体策としてはないが、学力を向上させる、その学力の内容とは、理数系の力が低下をしている、読解力が低下をしているということが明らかだから、それらの力を伸ばすための具体策を、教育基本法を国会でお認めいただいたならばすぐさま中教審でその具体策について議論をさせるというふうに御答弁いただかないと、はっきりわかったということにはならぬですよ。

 何となく、やりますやりますと言われて、いいですか、親にとっては、うちの子供をどうしてくれるんだ、うちの子供どうなるのというのが教育の一番の興味ですからね。うちの子供がどうなるのかということについて文部科学大臣として明確に、今は何法をこうするとかは言えないが、しかし、しっかり議論をさせるということは、理数系の力を上げるんだ、読解力を上げるんだ、そのために具体策を議論させるということを言っていただかないと、問題の解決に向かっていないということになりますよ。

小坂国務大臣 私も一生懸命答えているつもりですが、どうしても、理解しようという気持ちを持っていただかないと理解していただけないわけでございます。先ほども、法案を通過させていただいたら、直ちに教育振興基本計画の策定に入って、それに従って学習指導要領もさらなる見直しを、また学習指導要領は今日も、本年じゅうに見直すということも申し上げた。そして、学習指導要領を初めとした関係法律、学校教育法、地教法を初めとした法律の改正を全部精査させていただきますと申し上げた。ここまではっきり言っても言っていないと言われたんじゃ、どう言ったら御理解いただけるんでしょうか。

 私は、これはすなわち民主党の皆さんの法案についても同じことだと思うのでございますが、同じように、法案が成立したならばこういうことをやりたい、計画を立てていることはお互いにあると思います。多分そちらにもおありでしょう。私どももあります。それを、通していただいたらしっかりやりたいと思っております。

川内委員 今、大事なところが抜けているんですよ。教育振興基本計画を策定する、学習指導要領を強化すると。私が聞いているのは今の課題について。今問題にしているのは、理数系の学力が低下をしていること、読解力が低下をしていることについては、ついてはという言葉が大臣の御答弁の中にないから、一体何について議論するんだろうというふうに私は思うわけでございます。国会の議論というのは議事録に残るものですから、主語をきちっとさせていただかないと、何をはっきりさせるのかということがわからないんです。

 だから、くどいようですが確認をさせていただきますけれども、理数系の力が低下をしている、さらには読解力が低下をしている、学びの意欲が低下をしているということについては、教育基本法が改定された後、教育基本法の中に定められている教育振興基本計画の中でそれらの点についてはしっかりと書き込むとか、しっかりと議論をし記述していくとか、そういうふうにお答えいただくと、ああ、なるほどと。いや、私が納得するんじゃないんだよ。全国の親御さんが、それなら政府に任せても大丈夫だと思っていただけるんじゃないですか。どうでしょう。

小坂国務大臣 委員が御指摘のことは謙虚に受けとめ、私も努力をするつもりでやってまいりますよ。

 ですけれども、先ほどから余り繰り返しの答弁をしても失礼になるかと思いますが、先ほども、OECDのPISAの調査等において、理数離れ、とりわけ理科離れが指摘をされといって、少なくとも理科に対する興味、関心が低下しているという理科離れの現象は明確ではないけれども、子供たちが知的な関心を持って問題を真剣に考える姿勢が希薄になっているという事実もある。

 だから、こういったものをいろいろ引用した中で、そして理科に対する教育の観点から、理数大好きモデル地域事業だとか、科学技術・理科大好きプラン等の施策を通じて、こういうものに今日も対応しておりますが、またさらにということを申し上げて、こういった問題に対処するために、学校教育法や、その前段でありますところの、今日、この秋までに改訂を進めている学習指導要領の見直しを行い、また、新たにこの法案が成立したならば、その観点でさらなる学習指導要領の見直しを行い、理数や読解力だけでなく、このほかの課題について対応するための施策をしっかりと推進させて、学校現場にも的確かつ明確な指示を出させていただきます。

 その中には、それをお読みになって、今委員が御指摘になったようなことがもし漏れているようであれば、また御指摘をいただきたいと思いますが、今委員のお述べになったことも私はしっかり心にとめておりますから、そういったことも踏まえて今後対処してまいりたいと存じます。

 失礼しました。事務方が、学習指導要領は今年内じゃなくて今年度内と言い直してくれ、こういうことですので、今年度内と訂正をさせていただきます。

川内委員 いや、言葉ってすごく大事だと思うんですね。

 今、小坂大臣は、理数系や読解力でなくと……(小坂国務大臣「のみならず」と呼ぶ)のみならずと言いましたか。議事録を精査するとちょっと違うと思うんですが。文部科学省としては、子供たちの学力についての課題は理数系の力が低下をしていること、読解力が低下をしていること、それが課題であるというふうに政府の見解として述べられたわけですから、その政府の認識について、原因は意欲がなくなっているからだと。では、その意欲を回復させるためにはこうするんだということを、もうちょっと法律の議論の中で明確にしていただければなというふうに思います。

 あと五分しかなくなってしまいましたので、こういうことについて、では、いじめについてはどうなんだ、あるいは不登校についてはどうなんだ、あるいは学級崩壊についてはどうなんだということを、一つ一つ原因そして対処方法というものを議論していくと、恐らくこれは物すごい時間が必要だ。これは、義務教育だけでも文部科学省が抱えている課題というのはたくさんあるわけでしょうから、物すごい時間が必要になるわけでございます。

 私が感じるのは、国会というのは制度、法律を議論する場でございますから、具体的にどうなるのかということが明らかになっていかなければならないんだというふうに思うんですね。

 そこで、最後にお伺いさせていただきますが、第二条の五号、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という教育の目標でございますが、これらは、心にしても態度にしても、評価をされることは好ましくはないということが言われておりますし、それは恐らくすべての人々に共通をする思いだというふうに思います。

 では、評価しない、これらを、心とか態度を評価させないようにするというか、評価ができないようにするための学習指導要領の書き方についての工夫が必要であるというふうに思いますが、文部科学大臣の御見解を承りたいと思います。

小坂国務大臣 内心の問題について評価をすべきでないという点は、たびたび申し上げております。しかし、態度というものを一切評価しないとは申し上げておりません。すなわち、学習の態度ということは、これはテーマがいろいろありますから、それを、学習する態度ということを一切評価しないわけではございませんので、それは通知表という中で評価をしてまいります。

 しかし、愛する心というような、心というような内心の問題を評価することは適当でないし、させないということを申し上げているわけですね。そしてまた、それが具体的に御家庭に通知される場合には通知表でしょうし、また、進学について適用されるのは内申書であろうと思います。それのもとになります学習要録のような、そういったものの書き方の中で内心を評価するようなやり方はしてはならないということについては、いろいろな会議の場を通じて、これは先ほど他の方の答弁で申し上げましたが、直近のものでいえば、昨日の高等学校の教員のものを初めとして、その前、日にちまで今暗記しておりませんが、もう既に五月の間に、小中学校、また学校校長会、こういった会議において、内心の評価というものをすることは適当ではない、こう申し上げております。

 また、通知表の書き方につきましては、これは学習指導要領等で決めるものではないので、これはあくまでも学校の設置者、また校長の裁量によって通知表のつくり方というのは任されておりますので、その書き方そのものに内心の評価というものが実際に出てくれば、愛国心を持っているか、A、B、C、このような形になれば、それは適当ではないという指導を行うことになると思います。したがって、御指摘のように、学習指導要領その他に明確に書き込め、そういう形でこの指導は行っていないところでございます。

川内委員 文部科学大臣に申し上げておきますが、各学校の通知表は学習指導要領の文言をそのままとる場合が多いですから、ぜひぜひお気をつけいただきたいというふうに申し上げておきます。

 終わります。

森山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 初めに、小坂文部科学大臣に、現行教育基本法の制定と公布の経過について改めて確認をしておきたいんですが、私も当時の経過をいろいろと調べてみましたが、戦後、一九四六年六月二十七日の衆議院憲法改正委員会で、当時の田中文部大臣の答弁以来、当初から、日本政府の発意によって法案がつくられて、国会の審議を経て制定、公布されたものだ、そういうことでよろしいですね。

小坂国務大臣 そのとおりでございます。日本国政府の発議によりまして帝国議会で審議をされ、制定をされたものでございます。

笠井委員 それを今なぜ改正しなければいけないかということであります。

 安倍官房長官に伺いますが、官房長官、自民党の幹事長代理当時に、昨年の自由新報の一月四日と十一日付ということで、新年合併号でインタビューに答えてこう述べておられます。「日本の連続性、日本が歩んできた道の上にしっかりと立って未来を見つめているのが自由民主党である。」そして「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくり変えていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることになると思います。」こう言われております。この認識というのは、今、官房長官としてもお持ちなんでしょうか。いかがですか。

安倍国務大臣 歴史的な事実として、憲法も、また教育基本法が成立をした帝国議会も、当時は日本は占領下にあったという事実をたしか自由新報でも述べているんだろう、このように思うわけでありますが、戦後、教育基本法の理念のもとで構築された教育諸制度は、国民の教育水準を向上させ、我が国の社会発展の原動力となってきた、このようにも考えております。

笠井委員 あれこれ言われましたが、現行の教育基本法を、占領時代の残滓、残りかすという形で、そういう認識を、今おっしゃったのは政治家個人ということでしょうけれども、官房長官が持っていらっしゃるということ自体が、制定当時の経過から見ても、また世界から見ても通用しない、驚くべき認識だと私は思うんです。

 教育基本法の制定の経過は、占領下であっても、先ほどの小坂大臣の答弁でも明確だと思います。また、五月二十四日に、当委員会の河村委員、元文部大臣も質問で言われておりましたが、当時の国会の議論の中には、まさに日本を教育によって興すために、あるいは、平和国家、文化国家のために、あるいは、日本再建のための最大の基礎をなすべき重要法案である、こういう言葉が至るところに出て、先輩議員の方々がみんなそういう共通の思いをなされていると言われて、紹介がされたとおりだと思うんです。ところが、官房長官は、そうした経過や先輩議員たちの思いがあったのに、インタビューで、そこには進駐軍の指示と影響が色濃くあったと思いますということも言われて、家族、地域社会、祖先、そして日本という国を挙げながら、これらを守るために自分は戦うという覚悟まで言って、それを再び取り戻すというふうに述べております。

 自民党の清和政策研究会、教育基本法改正に向けて五つの提言ということで、二〇〇二年にこういう本を出されて、その中にも出ております。私も拝見しました。冒頭に、構成員である国会議員一同、力を尽くすというふうにあって、官房長官御自身もこの本の中に寄稿されている。この提言を見ますと、第一項では「教育勅語が謳いあげている「目指すべき教育のあり方」が、けっして間違ったものではなかった」「「かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指すべきではないか」と提案する。」と掲げられております。要するに、戦後の軍国主義の除去と一連の民主化の措置を、官房長官、当時の幹事長代理ですが、占領時代の残滓として見られて、それを一掃して、ポツダム宣言受諾前の日本、戦前の日本につなげるという、連続させるというのが、この流れを拝見しますと長官の主張で、教育基本法の改定もそうした文脈、コンテクスト、発想なんじゃないかと思うんですが、長官、いかがですか。

安倍国務大臣 それはまさに委員の御解釈なんだろうというふうに思うわけであります。

 私が申し上げましたのは、事実として、憲法がつくられたときも、また教育基本法が成立したときも、日本が占領下にあったのは事実でありますということは、事実は事実として踏まえておきながら、当然、占領下にあったということは、その占領下において影響を受けるという可能性も全く排除できるわけではない。しかしながら、先ほど申し上げましたように、現行の教育基本法、戦後の教育基本法の理念のもとで構築された教育諸制度は国民の教育水準を向上させ、我が国の社会発展の原動力となったのも事実であります。しかし、まさに戦後六十年を経て、制定から六十年を過ぎたわけでありまして、その中で、いろいろな社会情勢等々の大きな変化もある中において、我々は今回、この教育基本法を改正するという判断をしたわけであります。

笠井委員 そうすると、教育基本法自体占領下ではあったけれどもいろいろ役立ってきた、しかし時代が変わったからというお話ですが、要するに、幹事長代理のときにおっしゃっていた占領時代の残滓であるというのは、それはやはり違うなということなんですか、それとも残滓と思っていらっしゃるんですか。

安倍国務大臣 言葉のとり方でございますが、占領期間につくられたのは事実でありまして、その後、サンフランシスコ講和条約によって独立を回復したのでありますから、その後、やはり二十一世紀にふさわしい憲法あるいは教育基本法を私たちの手で書きかえていくんだという精神こそが大切ではないか、私はこのように思う次第であります。

笠井委員 伺っていると、残滓と言ったことがまずかったみたいで、どうもお認めにならないので、それを変えたということでもないし。でも、やはりそれは否定をされないということになりますと、これは本当に重大だと思うんです。

 提言の中でも教育勅語を言われた。しかし、これは、戦後、一九四八年の衆議院の決議でも明確です。そして、衆参の決議で排除、失効が決まったということでありまして、やはりああいうことがあったから、戦後、教員の皆さんも教え子を再び戦場へ送らないと頑張ってきた、こういうことでありまして、そういう点でも、改正に当たって、自民党の中で、教育勅語ということで、間違ってなかったんだという話が出てくること自体、私は不見識だと言わざるを得ないと思いますし、長官自身が占領時代の残滓という言葉を取り消されない、これは私は非常に重大なことだと思います。

 では、長官、結構です。

 次に、この法案そのものにかかわって、小坂大臣にただしたいと思います。

 現行の基本法は、前文の冒頭で日本国憲法とのかかわりを明確にしております。ところが、法案では、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、」「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」という憲法と教育とのかかわりを削除しているということがあるわけですが、これはなぜ削ったんでしょうか。

田中政府参考人 教育基本法は、昭和二十二年の制定以来、半世紀以上が経過しておるわけでございまして、教育を取り巻くさまざまな状況が変化しておるわけでございます。

 今回の改正では、現行法の普遍的な理念は大切にしながら、今日、極めて重要と考えられる理念等を明確にしようとするものでございます。したがいまして、前文の見直しもあわせて行ったわけでございまして、今御指摘いただいておる文につきましては、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」これは昭和二十二年の議決でございます。

 今回提出させていただいております教育基本法案の前文の第一文では、「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」ということで、今日の時点に立って、さらなる目標を掲げたものでございます。

笠井委員 冒頭に重要と考えられる理念、これを盛り込んだものだといって、そこから憲法を取ったというのは大変なことですよ。憲法の理想の実現の規定というのは、教育基本法が準憲法的性格と言われる何よりのゆえんだと思います。

 「教育基本法の解説」コンメンタールを見ましても、その最初の序のところで、国家としては、民主主義と平和を旗印として新しい日本の建設を目指すことになったのである、憲法の改正を初めとする各種の法律や制度の改革は、もとより必要であり有意義であるというふうに述べるとともに、真の民主主義と平和主義への転換は早急には達成され得ない、徐々に実現されていくほかない、そして、それは、根本において、教育の力にまたなくてはならないと。私、これは明快に解説していると思うんです。現に、制定当時、文部省自身が「あたらしい憲法のはなし」という副読本をつくって普及するなど、主権在民、基本的人権、平和主義などの憲法の理想の実現を教育の力で図ろうとしてまいりました。

 小坂大臣、法案で削除をしたのは、こうした理念、理想の問題がもう実現した、達成されたと考えるのか、教育の力にまたなくてもよい、こういうふうに考えるのか、その点、いかがでしょうか。

小坂国務大臣 今、局長から説明申し上げたことも、日本国憲法の制定当時の状況を振り返って、あの当時は「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、」この日本国憲法を確定したことに新しい国家建設へ向けての、平和的な、民主的な国家建設へ向けての思いというものをそこに込めたんですよね。そして「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」と規定されておりまして、現在の状況を踏まえて、本法案では「我々日本国民は、」という形にして、今の、戦後の日本国憲法というものは我々の憲法として、しっかりと今日の平和的な、民主的な国家建設に大きな役割を果たしたという認識を持って、これを踏まえた上での今回の前文の規定として「我々日本国民は、」と、そうしてきたわけでありまして、この理念も……(笠井委員「もう達成されたのか、またなくていいのか」と呼ぶ)

 それでは、ここで言われた理念が達成されたから削除したのかといえば、そうではなくて、それなりにそういったものは引き継いでいる。今日も常にたゆまぬ努力を続けるという形の中で、この第一の部分ですね、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」としているわけでございますけれども、これが削除されているわけではなくて、前文の第二文の部分に「我々は、この理想を実現するため、」こういうふうにして、引き続き理想の実現を継承しているわけでございます。

 ですから、この理念そのものは今後とも追求をするという前提に立って「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」ということで、これらを教育によって推進していくんだということも受け継いでいるわけでございまして、そのように御理解をいただきたいと思います。

笠井委員 達成されたわけじゃないと言われました。

 ところが、今度の法案では、今、前文で紹介したような憲法がないんですよ、「この理想」というところには。だから、憲法の理想を実現するためという意味じゃないんです、その文章は。だから全然違うんですね。今おっしゃったことから見れば、これは本当に削る理由はないというのは明確だと思いますが、いかがですか。

田中政府参考人 ただいま、日本国憲法という文言がないではないかという御指摘でございましたが、三パラグラフを見ていただければわかりますように、現在提案させていただいております教育基本法案の中に「ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」というふうにさせていただいております。

笠井委員 だめです、そういうごまかしは。だって、のっとりという話と憲法の理想を実現するという話は全然違うんです。だから、これを削ったという意味は本当に重大だと私は思います。

 さらに法案の前文でいきますと、「真理と平和を希求する人間の育成」ということで、これを「真理と正義を希求し、」というふうに変えていらっしゃいます。真理と平和を希求する人間の育成というのは教育基本法の核心的内容の一つだと思うんです。なぜ平和を削って正義に変えたんですか。

田中政府参考人 前文の御指摘の部分は、日本国民が願う理想として掲げておる、民主的で文化的な国家の発展と、世界の平和と人類の福祉の向上を実現するため推進すべき教育像を示しておるところでございまして、我が国におきましては、知徳体の調和のとれた人間、公共の精神をたっとび、国家、社会の形成に主体的に参画する日本人、そして我が国の伝統と文化を基盤として国際社会に生きる日本人の育成が重要というふうに考えておるわけでございまして、こういう観点から、公共の精神の尊重、それから豊かな人間性と創造性、そして伝統と文化を新たに規定しておるところでございます。

 そして、「真理と平和」を「真理と正義」としておるではないかという御指摘でございますけれども、我が国や世界の平和に貢献することは極めて重要なことでございまして、憲法の平和主義の理念が教育を通じて実現されることは非常に大事だと考えておるわけでございます。

 こういう観点から、前文で、日本国民が願う理想として、世界の平和に貢献することを引き続き規定しておるところでございますし、第一条の教育の目的におきましては、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成を規定しておるところでございます。さらに、今回、本法案第二条第五号におきましても、国際社会の平和と発展に寄与する態度というものを規定しておるところでございます。

 また、人格の完成、すなわち知徳体の……(笠井委員「そんなこと聞いてないです。平和を削った理由を聞いているんだから、余計なことを言うのはやめてください」と呼ぶ)はい。

 それで、今、「真理と正義」につきましても、現行法第一条に規定しております「真理と正義」を前文で規定させていただいたところでございます。

笠井委員 いろんなことを言われましたけれども、要するに、平和を削ったということをちゃんと正面から、なぜ削ったかという、何一つ答えがないんですよ。世界の平和のために貢献するということを言っているからということじゃなくて、もともと現行法は、人間の育成を期する上で、どういう人間の育成を期するかということで「真理と平和」というふうに言っているんです。そこのところが大事なんで、そこから平和を取ったと。平和は大事と言いながら、取っているという問題なんですよ。さっきの憲法もそうですが、今の平和も取ると。

 大臣、こういう問題について、どういうふうにお考えですか。

小坂国務大臣 前文の役割、それから条文の中で規定すること、それぞれの書き方の問題はありますけれども、私どもは、今回の教育基本法において、現行法ですぐれた理念としての平和主義、そして真理と正義を希求する姿勢、こういったものはあくまでも尊重し、それを受け継ぐ形で、今局長の方から答弁申し上げたように、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」、これについては、私どもの前文の中にも「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」と書き、なおかつ、第二条の中で、先ほど申し上げたように、世界の平和と発展に貢献する態度を養って、そういう人間を育成していくということを貫いているわけでございまして、そのように御理解をいただきたいと思っております。

笠井委員 大事な問題だったら、これは変える必要ないんですよ。

 制定時の教育刷新委員会の議事録を私も読みました。務台理作氏がこう言っています。「誤りを二度と繰返さないような保障を感ぜしめるような言葉が、矢張り欲しい。」「憲法に示されたような戦争を放棄し、人類の平和を求めるというようなことが、矢張り教育の理念の中に置かれてもよいのではないだろうか。軍国主義や極端な国家主義に二度と利用されないという決心を現わすような言葉を欲しい」「平和を求めるということに、教育の理念が立脚して行くということ。」これを提案するということで、そういう議論があって盛り込まれたということであります。

 戦争の誤りを二度と繰り返さないという当時の熱い思いが込められている。それをいとも簡単に「真理と平和」を「真理と正義」に変えて、そして、そういう人間を育成するということについてなくしてしまう。私は、そういう中に、こうした法案が憲法九条を変えていこうという流れと軌を一にしているということを感じざるを得ない、一体のものだというふうに感じております。

 それではさらに、法案の第十七条にある教育振興基本計画とのかかわりで、全国的な学力調査、学力テストの問題について伺いたいと思うんです。

 総理は本会議で、平成十九年度、来年度から実施するということで答弁をされました。

 そこで、既に学力テストを実施している東京都がどういう実態になっているかという問題についてであります。

 ここに、東京都の教育委員会が、平成十五年度、二〇〇四年二月に実施をしました学力テストの問題がありまして、例えばこういう問題が出ているということで、委員長、ちょっと両大臣にお渡ししてよろしいでしょうか、問題なんですが。

森山委員長 どうぞ。

笠井委員 いろいろな問題があるんですが、例えばこういう問題ということで、ちょっと委員の皆さんにもお考えいただきたいと思うんです。

 国語のテストの中で、中学校二年生の問題でありますけれども、八の二というところなんですけれども、委員の皆さんにちょっと資料が準備できなくて申しわけないですが、「あなたの中学校では、四月に入学してくる小学六年生が希望をもって入学式をむかえられるように、中学校生活を紹介する文章を書くことになりました。あなたがこの文章を書くとしたら、どんな題材を中心に書きますか。次の中から一つ選び、記号で答えなさい。」こういう問題であります。「ア 学校の電話番号 イ 部活動 ウ 授業 エ 学校行事」。

 この中から一つ選んで、新たに入学してくる小学校六年生が希望を持って入学式を迎えられるようにということで、文章を書きなさいという問題ですが、小坂大臣、どれをお選びになりますでしょうか。

小坂国務大臣 これは、確かに問題が非常に、丸をつけるみたいな、記号で答えなさいですから、このものだけなんですね。

 ですから、そういう点からすれば、例えば授業の楽しさを説明したくても、授業と書けば、そのカリキュラムだけなのかと思っちゃう部分もありますね。ですから、問題として必ずしも適切ではないように思いますが、私がつけるとしたら、私は部活動とつけちゃいますね。

笠井委員 大臣がおっしゃったように、これは難しいんですよね。アの学校の電話番号以外は正解ということなんだそうです。これは正式にこの解答が都の教育委員会からありまして。

 しかし、学校の電話番号について文章を書いたら間違いか。それから、部活動と授業の両方について書きたいと思ってもいけないのか。一つだけは選べないといったらどうなのかということで、これで果たして学力がはかれるのかということを私率直に感じました。現場でも疑問の声が上がっているそうです。

 もちろん、学力テストがこんな問題ばっかりやったら大変なんで、そういうわけじゃないんですけれども、問題は、こうして行われた学力テストによって評価がされた結果、どういうことが起きているかということなんです。

 例えば、これはその学力テストの結果を報道した新聞で、産経新聞なんですけれども、東京面にこういう形で結果が出まして、東京の区市町村の順位が一位から最下位の四十九位まで一覧で出されております。もう一つは、これは区の名前はA区というふうにさせていただきますが、A区の場合は、独自に学力テストをやりまして、そしてその結果について区のホームページで、こういう形で、小中学校別に平均の到達度のランクづけが一位から最下位までされている。学校が全部ランクづけされているわけです。

 こういう中で、都内の小中学校の教員や父母の方々から話を聞きますと、子供がクラブ活動の大会に行った、そしたら、ほかの学校の生徒から、あなたの学校は一番ばかな学校なんでしょう、こう言われてショックを受けてきた。あるいは、みんなに迷惑をかけるからテストの日は休んだという子供もいる例があって、本当に子供の心が傷つけられているというふうに思いますが、小坂大臣、東京のこういう実態があるということについては御存じだったでしょうか。

小坂国務大臣 今御紹介をいただきましたような東京都の学力テストでございますけれども、東京都は東京都として独自に、児童生徒の学力向上を図るための調査という形で、先ほど御提示をいただいた、国語、算数といいますか数学、それから社会、理科、英語、英語は中学のみと聞いておりますが、及び意識調査という形で実施をしておって、十五年、十六年、十七年、それぞれ、中学二年、あるいは小学校五年と中学二年の全員とか、小学校五年と中学二年については十六、十七と継続して、経年的な変化も見るということなんでしょうが、こういうふうに実施をしていることは承知をいたしておりますし、この学力調査が子供たちの学力の向上や学校教育の充実に役立っているものと考えるわけであります。

 しかし、今御指摘がありましたように、学校別に順位づけを行って、それを公表するということについては、私は慎重であるべきだと思っております。

笠井委員 役立っているという問題も指摘されながら、順位づけは問題だとおっしゃいましたが、私は東京の現実というのは非常に深刻なことになっていると思うんです。

 学校では、テストの前にプレテスト、それからプレプレテストというのがあるところもありますし、学力テストの学年になると補習や宿題ばかりあって、テストが終わると子供がへとへとになる。中には気分が悪くなって吐いちゃう子供がいるということがあると。子供に大変な負担になっております。テストばかり。もっと普通の授業でちゃんと教えてほしいという声もありました。

 成績下位の学校は、校長が教育委員会に呼ばれて指導されるケースもある。

 さらに、学校選択制や学区の自由化と結びついて、成績上位の学校が、例えばマンションや不動産の販売の売り物にさえなっている、有名校と宣伝するということで。そういうこともあって子供が集中するという学校ができたり、一方で、この前もありましたが、都内の幾つかの区では新入生ゼロの学校が生まれる。

 学力テストが子供たちや学校、家庭に深刻な問題をもたらして、学校の荒廃やモラルハザードにもつながるという問題、明らかだと思うんです。

 そこで、最後に小坂大臣に伺いたいんですが、そういう中で自治体がやはりこういう問題、どうしようかといろいろ考えて、例えば愛知県の犬山市など、学校現場にもたらす弊害が大きくなりはしないかという危惧を表明して、文部科学省が計画している、これから具体化されるということですが、全国学力テストに不参加という意思を表明する自治体も出ておりますが、そういう自治体に対してはどういうふうに対応されるというおつもりでしょうか。

小坂国務大臣 全国学力調査は、今日、日本の教育のレベルというものをしっかりと把握するという点について、また、それをそれぞれの学校が認識をしていただく中で、それぞれに学力の向上に努めていただくという点で、大変意義のあるものだと思っております。そういう観点から、この調査のあり方そして公表の仕方をしっかり学校の現場の皆さんに理解していただくことが必要です。

 私は、学校別に順位をつけてそれを公表するようなことをさせるつもりはありません。まずもって、多くの、例えば都道府県の単位とかそういう単位ではなくて、むしろ、大都市、あるいは中核都市、市町村、あるいは過疎地域とか、そういったくくりで公表する等、いろいろなやり方があると思いますので、まずは、これは私だけの個人的な見解ではいけませんので、専門家の会議の報告を踏まえまして、調査の趣旨や配慮すべき事項について、各都道府県や市町村に、それをしっかりおまとめいただいたことをお伝えして、そして理解を得る努力をしてまいります。

 そういった中から、ただいま御指摘の犬山市のような、今のところではこれはとても参加できそうもないなとおっしゃるようなところの方々にもしっかりと御説明をして、国としての、全国的な教育の機会均等と水準維持の向上に責任を負っているわけですから、そういった意味で、児童生徒の学力状況や生活習慣、学習環境等を全国的に把握するその必要性について御理解をいただき、今回の学力テストにすべての都道府県や市町村が協力して参加していただけるように、十九年度の実施に向けて御理解を得る活動をしっかりと展開させるように指示を出しているところでございますし、不参加の意向を明確に表明した自治体というのは、犬山市の場合も、私どもが聞きますと、いや、そんな表明は行っていないとおっしゃっておりますので、明確に表明された自治体はないと理解をいたしているところでございます。

笠井委員 理解いただくというのは、そういう努力するという話はありましたが、最終的判断は自治体でもちろんできるわけですね。これは学テの判決の関係もありますから。そこのところ、どうですか。

銭谷政府参考人 全国的な学力調査、参加、不参加、最終的な意思決定は、もちろん市町村の教育委員会が行うものでございます。

笠井委員 勝ち組や負け組というふうなことがあおられて、やはりそういう政治がやられる中で、結局、こういうテストを全国的にやったら、順位づけけしからぬといったって、そういうふうになっていくわけです。そして、こういう基本計画ということでやる中で、結局全国で押しつけていくことになる。十七条の問題一つとっても、やはり教育基本法の改悪はするべきでないということを申し上げて、質問を終わります。

森山委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 昨日、小泉総理に学校教育に対しての国の責任についてお尋ねをしたわけでございます。総理は、教育の質の保証については国に責任がある、こういうふうにお答えいただいたと理解をしておるわけでございます。

 私は、地方公共団体がそれぞれ工夫をして、地域や伝統、こういう特色を出した教育を行う、これは実に好ましいことではないのかなというふうに思います。また、そういうふうにあるべきだというふうにも思っているわけでございます。

 ただ一方で、学校教育、特に義務教育であれば、たまたま子供が、ある県に生まれた、だから、ほかの県では当然に受けることができる教育を受けることができなかったとか、それから、ほとんどの市町村では当然子供に教えるべきこととして行われている教育が、たまたまある市や町、そういうところで育ったから、生まれたから、受けることができなかったとか、そういうことは避けなければならないと思っているわけでございます。

 国としては、義務教育について、このような教育の機会均等ですとか教育の水準維持といったことについてはきちんと責任を持つべきである、こういうふうに思うわけで、これははっきりとしておく必要があるのではないかなというふうに思うわけでございます。

 そこで、例えば、学習指導要領を定めたりとか、それが地方公共団体できちんと実施されているかどうかなど、義務教育の機会均等と全国的な水準の維持向上というんでしょうか、そういうこと、それから、義務教育について最終的な責任は国にあるんだ、こういうことはしっかりと確認をしなきゃならないものですから、文部科学大臣の御見解をお聞かせいただければというふうに思います。

小坂国務大臣 憲法第二十六条に、すべての国民の教育を受ける権利、特に無償の義務教育、普通教育を受ける権利を保障しておるわけでありまして、このことを受けて、国は学校教育の基本的な仕組みを整備する責任を負っている、このように思います。特に、義務教育につきましては、教育の機会均等や全国的な教育水準の維持向上、無償制という義務教育の根幹を保障する責任を負っております。

 昨年十月、中央教育審議会において、義務教育の構造改革についての答申をいただきました。その中では、義務教育へのインプットにおいては、インプットという言い方があれですけれども、国が学習指導要領の策定などによる目標設定と義務教育費の確実な財源保障など基盤整備の責任を負っている。また、プロセスにおいて、すなわち市町村と学校に権限を与える分権改革、これの部分においては、分権改革を進め、そして最終的なアウトプットにおいては、教育の結果の検証のために全国的な学力調査の実施や学校評価システムの構築など、これらは国が責任を持って行うことによって、義務教育の質の保証、そして責任を担うことができるんだと。

 したがいまして、文部科学省としては、この提言を踏まえながら、教育の実施面について市町村や学校の権限と責任を拡大する分権改革を進めるとともに、教育の機会均等や全国的な教育水準の維持向上のための義務教育のインプットとアウトカムの部分につきましては、国としてしっかりと責任を持ってまいりたいと存じます。

糸川委員 国としてしっかりと責任を持っていく、やはりその言葉を聞きたかったわけでございます。ありがとうございます。

 それでは、引き続きまして、前回の一般質疑に続きまして、法案の条文について少し質問させていただきたいというふうに思います。

 まず初めに、第十条の家庭教育についてお伺いをさせていただきたいというふうに思います。

 この家庭教育は、本来、家庭という私的空間の中で親が子供に対して行う教育である。本来的には親の責任に基づいて行われるべきであるというふうに考えておるわけでございます。今回の法案では、家庭教育についての条文が、これはどういう趣旨で新たに設けられたのか、そこをまずお伺いさせていただけますでしょうか。

小坂国務大臣 他の委員の御質問でもお答えを申し上げたところでございますが、家庭教育はすべての教育の出発点でありまして、基本的倫理観や社会的なマナー、自制心や自律心などを育成する上で大変重要な役割を担っているわけでありますので、改正法案の第十条におきまして、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的な責任を有することを明確にし、家庭教育の役割について規定するとともに、国や地方公共団体による家庭教育の支援について規定をいたしております。

 同時に、家庭教育は、本来、保護者の自主的な判断に基づいて行われるべきことであることから、それに十分配慮をいたしまして、第二項において、家庭教育の自主性を尊重するということを明示的に規定しておるところでございます。

 なお、この条文というのは、個々の家庭における具体的な教育内容について規定はいたしておりません。それはなすべきでない、このようなことを法律で新たに設けるという意思ではないということをここで付言させていただきたいと思います。

 また、具体的にどのようなことをやっているかということにつきましては、必要があればさらに細部にわたって答弁させていただきたいと存じます。

糸川委員 人は家庭で生をうけるわけでございます。だれもが最初は親に教育を受ける。そして育っていくわけでございます。この家庭教育の重要性、こういうものは時代にかかわらず不変であるというふうに考えておるわけでございます。しかしながら、最近では、家庭における子供への虐待が報道されたり、それから、家庭の教育力の低下が問題視をされているわけでございます。このような状況を改善するためには、まず親が子供としっかりと向き合って、そしてコミュニケーションをとる、こういうことが大切であるというふうに思います。

 そうすると、行政はそのためにどういう支援をしていくのか、そういうことをまた考えていく必要があって、それを十分にすることが必要であるというふうに考えているわけでございます。

 一方で、家庭という私的空間への国ですとか地方公共団体のかかわりというものは、これは抑制的でなくてはならないというふうに考えています。

 そこで、現在行われている家庭教育支援の具体的内容、それから、改正を踏まえて、今後、どのような支援の実行というものを行って、そして充実を図っていくのか、国のかかわり方も含めて、お答えいただければというふうに思います。

田中政府参考人 家庭教育支援に関するお尋ねでございますけれども、文部科学省におきましては、まず、妊娠時期あるいは就学時健康診断といった多くの親御さんが参加するような機会を活用いたしまして、子育て講座というようなものを全国的に展開しておるところでございます。

 また、乳幼児あるいは小中学生を持つ親御さんに対して、家庭教育手帳、子育てヒント集としての家庭教育手帳を配付させていただいております。

 それから、子育てやしつけについて友人のような関係で気軽に相談に乗れるというような体制づくりということで、地域でそういうアドバイスを行っていただく子育てサポーターというものを養成いたしまして、現在、その資質向上にも取り組んでおるところでございます。

 それから、御家庭によっては地域の方々になかなか相談できないというような御家庭もあるわけでございまして、そういうところには、私どもが担当しております子育てサポーターと、厚生労働省の関係でございますけれども、保健師の方あるいは民生委員の方が協力をいたしまして、そういう御家庭に家庭訪問をする、出前型の家庭教育支援といったようなものにも取り組んでおるところでございます。

 それから、さらに、子供の健全な育成のために地域ぐるみで取り組むことも非常に重要だろうということを考えておりまして、本年度からは、子供の望ましい基本的な生活習慣を育成して生活リズムを向上させようということで、PTAを初めとする民間団体に組織をつくっていただきまして「早寝早起き朝ごはん」運動というようなものも展開させていただいておるところでございまして、今回、第十条を新設させていただくことにしておるわけでございまして、その趣旨を踏まえまして、さらに家庭教育の支援というものに努力をしてまいりたいと考えております。

糸川委員 このような取り組みが展開されるということは、実際、家庭の教育力の向上だけではなくて、報道によりますと、出生率が非常に低下して、またさらに低下して、昨年は一・二五だった、本当に過去最悪だということでございます。この少子化対策の目的ということとも同一にするものであるのではないかなというふうに考えるわけでございます。

 それは、この少子化、人が子供を産みたくない原因の一つとして、子育てに対する不安ですとか悩み、こういうものがあるというふうに思うからでございます。一人でも多くの親が、家庭教育への支援などを通じて、子育ての不安ですとか悩みですとかそういうものを解消する、そういうことこそが少子化の解消への第一歩になるのではないかな。そして、ひいては、社会ですとか経済の活力の増加へ、こういうふうにつながっていくのではないかなというふうに思うわけでございます。

 そこで、現在の少子化対策の取り組み、また今後の取り組みの方向性について、まず猪口大臣にお伺いをして、それから小坂文部科学大臣にお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。

猪口国務大臣 糸川先生にお答え申し上げます。

 家庭教育との関係におきます少子化の取り組みとしましては、私は、保護者としては、自信を取り戻してしっかりと伝えるべきことを、マナーにせよ、いろいろな心得るべきことについても伝えることができるようになることが重要であると思っております。そういう観点から、家庭教育を強化するということは、やはり保護者を支援していく、支援の視点というのがとても重要ではないかと考えております。

 文科大臣が答弁されましたとおり、家庭の自主性を大事にしつつ家庭を支援していく、そのような観点は、子ども・子育て応援プランの中に実はしっかりと組み込まれておりますので、この教育基本法の政府案の成立を受け、そのような観点を一層強化していきたいと考えております。

 一般的な少子化対策の取り組みにつきましては、もう既にいろいろと説明させていただいておりますけれども、エンゼルプラン、新エンゼルプラン、共働き家庭を支援するということを超えて、無論、引き続き待機児童ゼロ作戦を続けますけれども、いわゆる専業主婦の方も、非常に孤立した育児の中で、孤独な育児と言うんですけれども、そういう中で悩んでおられたり自信を喪失している。できるだけ地域の中で、親子で立ち寄ってもらって、相談したり、友人をつくったり、あるいは一時的にお子さんを預けたり、そういう地域の全家庭対策としての拠点づくりなども重要であろうと思いますし、午前中も答弁申し上げましたのですが、家族と過ごす時間をふやしていくためには、働き方の見直しなど、民間企業に協力を得なければならないところも多い。

 また、少子化対策の、直接的ではないかもしれませんけれども、重要なところとしては、若い世代において、所得が不安定であるということから結婚、出産の決定を先延ばしにするということがあるとすると、若者の就労支援なども重要であり、また、出産期を迎えて子育てに入った家庭においては、引き続き、経済的な不安がある場合にはその支援も重要である。

 このように、さまざまな支援を総合的、体系的に組み合わせないと、なかなか皆さんが安心して、子育て環境が改善したと思っていただけるようにならないと思い、ぜひ積極的に施策を拡充していきたいと考えております。

小坂国務大臣 少子化の進行がなお一層加速しているという数字が出まして、大変ショックでありますけれども、社会や経済の活力を低下させるということにおいて深刻な問題であります。子供の立場に立って考えても、子供同士の社会というものが小規模化して、お互いに切磋琢磨するような機会が減少するということにもなりますし、親が過保護になったり干渉し過ぎたり、そういった家庭教育面でもいろいろな問題が指摘されることになってしまいます。

 したがいまして、文部科学省としては、これまでも、猪口少子化担当大臣、また厚生労働大臣等と連携をしながら、子ども・子育て応援プランに基づきまして少子化対策を進めてきたところでございまして、具体的に申し上げますと、家庭教育手帳の作成、配付、また、家庭教育への支援、幼稚園における子育てへの支援、子供の居場所づくり、教育に伴う経済的負担の軽減策等を推進しているわけでありまして、今後の取り組みの方向性としては、特に力を入れるべきとして四つ挙げております。

 一つは、安全、安心な子育て推進のための、地域全体で学校安全対策を進める、そういう地域全体の学校安全体制の推進施策、子ども安心プロジェクトの中の地域ぐるみの学校安全体制整備推進事業という名前になります。また、子供の安全に関する情報の効果的な共有システムに関する調査研究予算、また、子ども待機スペース交流活動推進事業等々でございますけれども、こういった事業を進め、また、第二点目として、放課後の安全、安心な子どもの居場所づくりへの取り組み、これを一層推進するために、来年度からは厚生労働省と協力をいたしまして、少子化担当大臣のもとで両省の事業を一体化あるいは連携して推進するという形にしまして、私どもは、学びの居場所という仮称でつくっておりますが、少子化担当大臣の御提言は、放課後子どもプランというような名前になるというようなことも今考えております、これから決めてまいりますが。

 市町村の教育委員会が主体になって、厚生労働省と文科省の予算を一体的に運営できる環境を整えて、そして、そこの福祉部局のもとで、小学校内においての居場所をつくり、そこに、退職教員を初めとした地域ボランティアによる学習の機会も含むさまざまな支援を行っていく。こういうことで、経済的な理由で塾に行けない子供たちが、そういう塾にかわる機会が得られるような、そういった学びの居場所というものも私どもは提供をしたいということで、予算を今厚生労働省とともにとって全国的に推進をしたい、こう考えております。

 少しはしょりますが、三番目は、幼児教育段階における保護者負担の軽減、それから奨学金事業、そして私学助成の充実でございます。

 第四番目は、家族のきずなの再生が求められているということを踏まえまして、子育ての楽しさや家庭の重要性についての認識を深めるための中高生に対する子育て理解教育、また、学校教育や家庭教育の中での命の大切さと家庭の役割についての理解の促進、こういったことを、この四点を特に関係省庁と連帯を含めて推進をしたい、このように考えているところでございます。

糸川委員 私もまだ結婚しておりませんで、当然のことながら子供がいないわけです。ですから、独身のうちから、ぜひ、子育てをしたらどういうふうになっていくのかということを勉強をさせていただける、教育を受けさせていただければ、安心して子育てが行えるのかなというふうに思うわけでございます。

 少子化の進行というものは、社会経済システムですとか、それから地域活動の持続性を根幹から揺るがす可能性を秘めているわけでございまして、政府にとっても、少子化対策、こういうものは既に九〇年代から、エンゼルプラン、こういうものを作成して精力的に取り組まれてきたというふうに思います。ただ、少子化の進行には、先ほどお話ししましたように歯どめがかかっていない。

 それで、大臣は、少子化担当の初の専任大臣として、昨年十月の就任以来、全国各地にいらっしゃって各知事と政策対話を行われてきた、この分野の推進に全力を尽くされてきたというふうに思っております。

 そういう経験を踏まえて、これまでの政府の少子化対策の問題点、これは何だったのか、これを今認識をされて考えていらっしゃるかどうか、御見解をお聞かせいただければというふうに思います。

猪口国務大臣 糸川先生、ありがとうございます。

 私は、就任以来、全国を十ブロックに分けまして、自分みずから出向いて、そこに全県知事に集まってもらって、知事みずから、自治体こそが少子化対策の拠点であって、陣頭指揮をとってもらわないと困るんだということを訴えていったんですね。行く先々で、また地元の新聞もそういうことを特集してくださって、きっとそういうことに触れる方も多かったのではないかと思います。

 せっかくの機会ですからお伝えさせていただきたいんですけれども、合計特殊出生率の昨年の分についてあのような数字が出たんですけれども、ことしに入ってから実は婚姻数が非常に着実に増加方向に大きく転換しているのでございます。

 私は、もう身を挺して、とにかく現場に行って、そして一人でも多くの責任ある立場の方々、これは自治体のさまざまな職員の方々ですね、そういう方たちと一緒に、大臣として、まさに御一緒にこの問題を考え、現場の意見を聞き、そして地方の声を国政の場において、そして政策形成の場においてしっかりと受けとめていきたいという思いを伝えてきたわけです。

 引き続き、十ブロック終わりましたけれども、今度は企業の担当者たちですね、その方たちを対象に、また、要望のあるところどこにでも出向いて、そのような国民意識の深まりをお願いしていきたいと思っております。

 そう申し上げた上で、政策といたしましては、幾つかの新しい視点が重要だと思うんです。

 それは、まず第一には、先ほど申し上げましたように、共働き家庭のみでなく、日本では八五%のお子さんは専業主婦の方に育てられていますので、全家庭を支援する体制が重要であるという視点。

 それから、これは教育基本法の政府提案の中にも明記されていますとおり、子育ての第一義的な責任は父母ないしその他の保護者にあると。やはり家庭でしっかりと考えてもらいたい。しかし、今日、核家族化なども進み、なかなか家庭も不安の中にありますから、子育ての社会で共有できる部分は社会として負担を共有しなければならない、子育ては社会全体で支えるものだという視点を強く打ち出していく必要があるということですね。支えるのであれば、具体的なサービスの面、多角化し本当のニーズにこたえていく、必要な予算については、これはできるだけ確保するように担当大臣として最大限努力してまいりたいということでございます。

 引き続き、働き方の見直し、両立支援、これは子ども・子育て応援プランの中に既に出ている考え方ですから、こういうことは強化していきますが、先ほどからもお伝えしておりますとおり、家族と過ごす時間を就労者の側においてふやすことができるよう、育児休業の取得、あるいは所定外労働なども、小さなお子さんがいる家庭についてはもっと経営者が理解を、そういうことはできるだけ少なくするように示してくれるということが必要。こういうふうに、政府も自治体も、民間企業も地域社会も、みんなでこの問題を本格的な国の重要施策として考え抜き、連携していくことが重要であると思い、そのような機運をつくることも私の仕事であると考えております。

糸川委員 問題点と次の取り組みまでしっかりとお答えいただいたので、もう取り組みを聞く必要がなくなったなというふうに思ったので、ありがとうございます。

 私も、急激に婚姻率がふえた、上昇したということですから、今、後ろの方からも早く結婚した方がいいということですので、またそれは検討したいというふうに思います。

 そんな私ですけれども、幼児教育についてもう少しお尋ねをさせていただきたいなというふうに思うわけでございます。

 今回のこの法案では、家庭教育だけでなくて幼児教育についても新たに一条を設けて規定されておるわけでございます。私もそうでありましたが、人が一生を生きるに当たって、幼児期に受けた教育というものはその人格の基礎となるものではないかなというふうに考えておるわけでございます。そういった意味で、この幼児期の教育というものは非常に重要であるというふうに考えておるわけでございます。

 今回の条文に規定されております法案の第十一条の趣旨について、文部科学大臣から御説明いただきたいと思います。

小坂国務大臣 私は、糸川委員から御質問をたびたびいただいております文部科学委員会においても、幼児期の教育ということで、就学前教育の議論の中で申し上げてまいりました。

 よく三つ子の魂百までと申しますけれども、まさに幼児期に受けた影響というのは、一生を通じて人間形成の中で大きな影響を持つものだというふうに認識をいたしておりまして、生涯にわたる人間形成の基礎が培われるこの重要な時期に、教育はしっかりと子供の心身の健やかな成長を促す、そういう姿勢で行われなければいけない重要な意義を持っていると思っております。

 近年、基本的な生活習慣や態度が身についていないこと、自制心や抵抗力といいますか、忍耐と言った方がよろしいかもしれませんが、規範意識、これらが十分に育っていないことが課題として指摘もされております。このような状況を踏まえまして、本案の第十一条は、家庭や幼稚園等における教育のみならず、地域社会において幅広く行われる教育も含めまして幼児期の教育の重要性を規定するものでありまして、あわせて、国及び地方公共団体がその振興に努めなければならない旨も新たに規定をしたものでございます。

 なお、中央教育審議会の平成十五年三月の答申の中では、幼児教育について新たに規定すべきとの提言はなかったのでございますけれども、その後平成十七年一月に提言された幼児教育のあり方に関する中教審答申、「子どもを取り巻く環境の変化を踏まえた今後の幼児教育の在り方」という形で答申をいただきましたが、また、本年四月に与党協議会の最終報告なども、新たに幼児教育の項目が盛り込まれておったところでございまして、こういった観点も踏まえまして、十一条の規定を設けさせていただいたところでございます。

 そういった意味で、委員の、先ほども子育てに参加をしようという意欲を示されましたけれども、ぜひとも幼児教育の面にも御理解を賜るように、そのような理解できる環境を私も支援したいと思いますので、よろしく頑張っていただきたいと思います。

糸川委員 ありがとうございます。

 もうほとんど時間がございませんので、最後に副大臣にお尋ねをしたいんですけれども、現在、国会におきまして、文部科学省と厚生労働省が共同して、認定こども園に係る制度の創設ということを含む法案が審議されておりまして、幼児期の教育の関係では厚生労働省とさまざまな連携がされているというふうに思うわけでございます。

 そもそも、この幼稚園と保育所というものは、その目的や機能に違いがあるということは承知しているわけでございますが、両施設とも小学校入学前の子供を預かる施設であるということは間違いないわけでございまして、私は、これらの施設における教育というものは、幼稚園児ですとか保育所児の区別なく、教育基本法の精神に基づいて行われるべきだというふうに考えておりますが、どのようにお考えでしょうか。

馳副大臣 御指摘のとおりです。これまでも、幼稚園の教育要領と保育所保育指針において、整合性を持って行われてきております。

糸川委員 どうもありがとうございました。

 きょうはちょっと私的な発言もございましたが、また来週月曜日からしっかりと議論をさせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。終わります。

森山委員長 次回は、来る五日月曜日午前九時四十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時三十六分散会


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