衆議院

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第6号 平成18年11月2日(木曜日)

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平成十八年十一月二日(木曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 町村 信孝君 理事 中井  洽君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      井脇ノブ子君    稲田 朋美君

      猪口 邦子君    岩永 峯一君

      上野賢一郎君    臼井日出男君

      大島 理森君    海部 俊樹君

      北村 茂男君    北村 誠吾君

      佐藤 剛男君    島村 宜伸君

      戸井田とおる君    中山 成彬君

      西川 京子君    馳   浩君

      鳩山 邦夫君    福岡 資麿君

      藤田 幹雄君    松浪健四郎君

      やまぎわ大志郎君    安井潤一郎君

      若宮 健嗣君    石関 貴史君

      岩國 哲人君    太田 和美君

      逢坂 誠二君    郡  和子君

      田中眞紀子君    土肥 隆一君

      西村智奈美君    野田 佳彦君

      羽田  孜君    古本伸一郎君

      松本 大輔君    松本 剛明君

      柚木 道義君    坂口  力君

      石井 郁子君    日森 文尋君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           藤村  修君

   議員           大串 博志君

   議員           笠  浩史君

   議員           高井 美穂君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           高市 早苗君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文化庁次長)      加茂川幸夫君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月二日

 辞任         補欠選任

  中山 成彬君     藤田 幹雄君

  西川 京子君     安井潤一郎君

  森  喜朗君     北村 茂男君

  渡部  篤君     福岡 資麿君

  北神 圭朗君     逢坂 誠二君

  西村智奈美君     郡  和子君

  古本伸一郎君     岩國 哲人君

  横山 北斗君     松本 剛明君

  保坂 展人君     日森 文尋君

同日

 辞任         補欠選任

  北村 茂男君     森  喜朗君

  福岡 資麿君     渡部  篤君

  藤田 幹雄君     中山 成彬君

  安井潤一郎君     西川 京子君

  岩國 哲人君     古本伸一郎君

  逢坂 誠二君     柚木 道義君

  郡  和子君     西村智奈美君

  松本 剛明君     横山 北斗君

  日森 文尋君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  柚木 道義君     石関 貴史君

同日

 辞任         補欠選任

  石関 貴史君     太田 和美君

同日

 辞任         補欠選任

  太田 和美君     北神 圭朗君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 委員派遣承認申請に関する件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君、文化庁次長加茂川幸夫君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 この際、伊吹文部科学大臣から発言を求められておりますので、これを許します。伊吹文部科学大臣。

伊吹国務大臣 大変多くの方々に御不安を与えてしまいました高校の必修科目未履修の問題につきまして、与野党の御協力を得まして、高校必修科目未履修についての処理の案ができ上がっておりますので、理事会のお許しを得て、各委員に御説明させていただきます。

 まず、お手元に資料が配付されておりますが、未履修の実態は一ページに書いてあるとおりでございまして、国立、公立、私立合わせまして百十六万余の高校三年生がおりますが、うち未履修の生徒数は八万三千七百四十三名、全高校三年生のうち七・二%でございます。このうち七十単位時間以下、つまり二単位以下の未履修の生徒は六万一千三百五十二人、七十時間から百四十時間までの間が一万七千八百三十七人、百四十時間を超える者が四千五百五十四人となっております。

 そこで、二ページに記述しておりますとおり、このままでは卒業条件を満たしておりませんので、学習指導要領どおりきちっと授業を受けてくれた九三%近くの高校三年生とのバランスをも考えて、未履修の方々に、二に書いておりますような方策を講じたいと存じます。

 まず、七十単位時間までは、放課後、冬季休業、春季休業における補講で対処することとするが、各学校の教務規程等に、一般の場合にも三分の二程度の出席があれば履修とみなすとしておりますので、五十時間程度で対処することを妨げないこととしたいと思います。

 それから、七十時間を超えるものにつきましては、七十単位時間内で各科目ごとに時間を割り振り、残りの時間数はレポートの提出または授業を免除することといたしておりますが、これは、どの程度までの時間であれば免除できるか等、やはり法制上のバランスがございますので、この基準については、局長名で、各教育委員会、知事にいずれ通知をいたしたいと思います。

 それから、既に卒業している方の卒業証書の効力でございますが、これは、行政法の基本原則から、本人に重大な瑕疵がなく取得した権利についてはこれを取り消すことはできない。ただ、この重大な瑕疵がどの程度かというのが法制局との間にいろいろ問題になるわけですが、今御説明しました処理方針のような措置を講じた場合は、このバランスからいって、既存の、既に免許を取得しておられる方の卒業証書は取り消さないということにいたしております。

 それから、各大学における選抜が始まっておりますので、各大学が求める調査書の扱いについても、ただいま申し上げた方針で受け入れてくれるよう各大学に申し上げております。

 最後に、高等学校卒業程度認定試験においても同じ扱いをするということを都道府県知事に通知いたしております。

 それで、きょう、各与党それから民主党からも昨日政調会長がわざわざおいでいただきまして、いろいろな申し出、御注意をいただいておりますので、それも受けてこれをつくったわけですが、きょう、各党に、共産党さん、社民党さんをも含めて、国民新党さんにも御報告に伺ったところであります。

 それで、この内容を、私の命により通知するという依命通知の形をとりまして、本日中に、各都道府県教育委員長、それから私学を管理しております都道府県知事及び各大学長、あとは専門学校等を所管しております知事にこの内容を発出いたしたいと思います。

 以上でございます。

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。松本剛明君。

松本(剛)委員 当委員会は教育基本法に関する特別委員会ということでございますが、今大臣からもお話がありました高校の必修科目の未履修の問題について、冒頭、一、二お伺いをしたいと思います。

 ただ、本件に入ります前に、改めて私どもとして、これは本来文部科学委員会で早急にこれを開催して取り組むべきものではないかというふうに認識しております。教育基本法に関する特別委員会ですから、ここで取り上げることを私どもも否定するわけではありませんけれども、やはり、常任委員会という意味では文部科学委員会でしっかりと開いていただいて、早急にこれについても議論すべきではないかなということをまず申し上げたいと思います。

 それで、今、大臣の方から処理方針ということで御説明いただきました。私どもも昨日申し入れをさせていただきましたので、私どもの考えと一致する部分、それから少し違う部分、一、二あろうかと思いますが、多少内容についてお伺いをしたいと思います。

 一つは、こういった問題はきちっと筋を通すということが大変重要なことであろうというふうに思います。その意味では、大変焦点の七十単位時間という部分について大臣の方からも、七十単位というお話は、二つという意味でその区切りを伺ってまいりましたが、今回、五十という数字が出てまいりました。三分の二程度の出席があれば妨げないということでありますが、少し細かいことになりますが、これは学校側が五十をやる、そうなると、今度はこれの三分の二でもいい、こういうことになってくるのではないかと思います。

 その辺、五十になりました経緯とその内容について、簡単に御説明をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 学校側が五十単位時間というものを設定するということはできません。それは、学校教育法に基づく指導要領という告示、つまり、法体系の中で七十時間ということを定めております。

 その定めている中で、卒業の認定及び証書を発出する権限が校長にありますので、その範囲の中で、今回のようなことがなくても、一般の方でも病気で欠席を余儀なくされたような場合は、七十時間についていえば、三分の二程度の出席があれば七十時間を履修したことと認めるという各校務規程を各学校が持っておりますので、その中で処理させるということですが、ここに書いてございますように「七十単位時間までは、放課後、冬季休業、春季休業における補講で対処することとするが、」ですから、これを基本にしていただきたいということです。

 しかし、やむを得ざる場合は、一般の場合も三分の二の出席で単位を認めておりますので、そういうことは妨げないということを述べておるわけでございます。

松本(剛)委員 この問題に余り深く立ち入るつもりはありませんが、結局、七十を設定されてその三分の二というのは、校長の判断でその者に卒業証書を与えるかどうかという意味での三分の二だというふうに理解をいたしますので、そうなると、今度は五十の例えば三分の二で与えるかどうかという話が、五十しか設定されていなければ出てくるわけですよね。五十という中途半端な数字がここへ出てきます。その意味でどうかということでちょっとお聞きをしたんです。

 そうしたら、基本的に七十やっていただく、そのうち五十、三分の二しか出席がない生徒にも卒業証書を与えるかどうかは学校長の判断だ、こういうことがここに書いてあるという理解でよろしいんでしょうか。そういうことですね。わかりました。

 そうすると、五十と書く意味余りなかったんじゃないですか。

伊吹国務大臣 先生はややこの処理方針をつくった者を困らせようと思って御質問になっていると思いますが、こういう異事異例のことでございますから、それは先生のおっしゃるようなことも言えるのかもわかりませんが、入試を控えて不安な子供もいますから、学校長の判断で、五十時間にされた場合は黙認するということです、これは率直に言って。

 ただし、本則は七十時間は七十時間どおりやっていただきたいということですから、校長先生の判断にゆだねられることでございますけれども、自分の預かっているかわいい学生をやはりきちっとしたルールで卒業させたいという校長先生がおられれば七十時間をされると思いますし、そこはもうゆだねざるを得ないということです。

松本(剛)委員 困らせるとかそういうことではなくて素直に、後は、教育上よくないことのないようにきちっとしていただきたい。

 ただ、今大臣がおっしゃった中には、構造的に、今の学習指導要領と教育委員会と現場の関係の問題をいわば内包した御回答だった部分があるのではないかというふうに思います。

 そういう意味で、改めて、学習指導要領のいわば法規範性というものもベースに議論をしてくるのであれば、ここのところもしっかりしておかないと、これから先も学習指導要領と現場の教育の関係というのが大変混乱してくることになってくるのではないかということで、あえてお聞きをいたしております。

 私どもも、今まさに、特に高校三年生の生徒たちは大変困惑しているだろうと思いますし、非常に大切な時期でありますから、しっかりと対処方針を示して、その中でそれに向かって今は進むしかないということで、昨日、緊急に申し入れもさせていただいた次第でございます。

 あと一、二お伺いしたいと思います。

 昨日も少しお願いを申し上げました。高校生の進路ということでいきますと、一つは、上の学校ということで大学が始まります。これについては、今、通知をお出しになるということでありました。それから、やはり就職する子供たちというのもいるということになると思います。これについては、通常は卒業見込みということであります。これによって一定の対処はしていただくことになると思いますが、やはり混乱が起きるおそれなしとはしない部分があると思います。だからこそ、逆に大学に通知をお出しになったんだろうというふうに思います。

 もちろん所管ではないと思いますが、政府として、しっかりとこの就職をする子供たちに対する対応もしくは配慮を求めるといったような動きをしていただきたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 昨日、松本先生、藤村先生わざわざおいでいただいて、その点についても民主党としての御注意をいただいております。きょう御質問いただいて、大勢のマスコミの皆さんもおりますから、ここでのやりとりがまさにそういうことをみんなにわかってもらうことだと思います。

 多くは進学校で起こっておることでございますので、就職をする人がどの程度かというのは、残念ながら、私今把握しておりませんが、可能性のあることでございますから、これは、この指針のとおりやれば卒業証書を出すという指針をつくったわけですから、そのように就職先もぜひ受け入れてあげていただきたいと思います。

松本(剛)委員 これについては、しっかりと政府として、総理以下関係の部分も含めて、大学に通知を発出されたように就職先に全部通知を発するというわけにいかないかもしれませんが、政府としての意思をしっかりお示しいただきたいと思います。

 もう一点お伺いをしたいと思います。

 昨日、国民新党の糸川議員から、小中学校についてもこういった問題が起こっていないかどうか調査をするかという質問主意書が提出されているかと思います。安心をするという意味では、一度きっちりするというのも一つの考え方だと思いますが、大臣の御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 これは、普通教育はなるほど小中高でございますが、その中の義務教育は小学校と中学校でございまして、ここは、先生は御案内だと思いますが、ほとんど必修科目で形成されておって、生徒の選択による科目というのは実態上はないと言ってもいいものです。

 万一そういうことがあるかないかは、いずれ、当面の火を鎮静化させた段階で当たってみたいと思います。

松本(剛)委員 質問主意書の方も「国公私立」というふうに書かせていただいております。全体についておっしゃったようにお調べいただくということであれば、やはり早い段階にお調べいただくのが望ましいのではないかと思いますので、強く要望を申し上げておきたいと思います。

 それから、未履修の処理方針ということできょうお出しをいただきました。この問題は、ただ、ここまでがいわば緊急対策だということで、本質的な問題についても、今後、文部科学委員会などで集中審議をしてやっていただくべきだと思いますが、一、二点だけ伺っていきたいと思います。

 改めて、この発生の度合い、今も御報告をいただきましたが、一割という数字はやはり大変大きな数字だというふうに認識いたしております。あえて言えば、一部の何らかの人たちの行為ということではなく、構造的な問題を含んでいるとも考えられるという少なくとも前提で議論する必要があると思いますが、第一に、文部科学省として、ここまでの原因、それから文部科学省の責任等について、責任という言葉はなかなかいろいろな意味がありますけれども、どうお考えになっているか。

 こういうこともお伺いをするのも、例えばことしの文部科学白書、これなどについても、高等教育の学習指導要領について、「高等学校学習指導要領の定着を進め、そのねらいの一層の実現を図るため、平成十五年十二月二十六日に、総則を中心に一部改正を行い、」云々、こう書いてありますし、さらには「学習指導要領に基づく教育課程の状況を不断に評価・検証し、指導の改善や教育課程の基準の改善に反映させる観点から、国立教育政策研究所教育課程研究センターにおいて、生徒の学力の状況を総合的に把握するための「教育課程実施状況調査」等の実施、新しい学習指導要領の下での評価を客観的で信頼のあるものとするための「評価規準の作成、評価方法の工夫改善のための参考資料」の作成などに取り組んでいます。」

 つまり、これを拝見する限り、学習指導要領の実施状況、その効果なども常にチェックしているというふうに、少なくともこの白書を見る限り書いてありますし、お仕事としては、ある意味では当然の話だろうと思いますが、結果としてはそうではなかったと言わざるを得ない部分があると思います。この点についてどのようにお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 先生は、もうよく、文部科学省と教育委員会、都道府県教育委員会と学校の関係を御存じの上で今の御質問をしておられると思いますが、文部科学省が教育委員会に持っております権限は、援助をし、そして助言をし、調査をする権限なんです。調査をしまして、教育委員会に対する権限はそういう権限を持っているわけですが、教育委員会からの回答は、未履修はないという回答なんですよ。教育委員会は、各学校が出してきているカリキュラムの提出を教育委員会が求めておるわけですね。ところが、教育委員会は、学校が出してきた未履修のカリキュラムじゃないカリキュラムを学校は教育委員会に出していて、教育委員会はそのことをそのまま私たちの調査に答えている。

 だから、この前からずっとここでも話題になっていた、いじめによる自殺はどうだ、文部科学省の調査は間違っているじゃないかと。私たちが教育委員会に尋ねている調査の集計をすれば、あのようになるんですよ。ところが、教育委員会は、それをまた学校からとったものを集計しておるわけです。

 ですから、まずやっていただかなければならないことは、やはり都道府県教育委員会が、各学校から来た報告その他について、もう少し立ち入ってその内容の真偽を見きわめてもらわなければならないというのが今回の率直な私の印象です。

 そして、それを今度は、教育委員会が私どもにそのまま上げてきておりますから、あえて言えば、調査権はあるんです、文部科学省に。ですから、毎月毎月、どうだどうだ、おかしいじゃないか、どうだということをやろうと思えばやれます。しかし、私は、教育行政で国がそこまでやるような教育行政じゃ本来ないだけの規範意識を持って校長先生も教育委員会も私たちも当たらねばならない。

 だから、結果的に言えば、告示を発出したのは文部科学大臣でございますから、それがきっちり守られていなかったということの結果責任はやはり私が負わなければならないと思いますが、いろいろな法律等の法理論によれば、権限のあるところに責任ありという言葉がございます。だから、どこに権限があるのかということはやはりはっきりと見きわめて、これから、責任を持っている人たちに自覚を持ってやっていただきたいと思います。

松本(剛)委員 実態として、残念ながら、この問題は、今回一挙にたくさんの数が判明をいたしましたが、これまでもなかったわけではありません。残念ながら、私の出身の兵庫県では、既に四年ほど前にかなりの学校でそういうことがあって、逆に全面的に見直しをするということが行われました。

 ですから、その意味では問題意識は持っていただいてよかった案件ではないかというふうに思いますし、調査といっても、おっしゃるとおり、強制的な権限というのには限界があるというのはよく理解しますが、今あえてこの文書を読み上げさせていただきましたのも、文部科学省ないしは国立教育政策研究所の教育課程研究センターですか、こういったところは、ある意味で任意の調査ができるわけですし、実際問題としては、各現場が任意の調査を拒むということは、あったとすればまた別ですけれども、なかなか考えにくいということだろうというふうに思います。

 そういう意味では、逆に、今おっしゃったように、もう全部都道府県の教育委員会以下だということであれば、こんな大きな文部科学省は要らないということに逆になってしまいかねないわけでありまして、そこのところは、今、結果責任というお話がありましたので、改めてしっかりとよく行政の指導を大臣の方からしていただきたいと思います。

 お話がありますか。

伊吹国務大臣 先生にもう一つ今の御指摘にお答えしておかなければならないのは、私学、私立の高等学校以下の管理の責任の所在です。

 これは、今回の教育基本法の民主党案によれば、建学の精神を尊重し云々ということが書いてあって、いろいろ教育委員会制度ができるときの議論を読み返してみますと、いろいろな議論があって、結局、教育委員会の傘下には入らずに、都道府県知事が総務部文教課というところでやっておられる。

 しかし、私学助成あるいは学校経営については目を配っておられますが、指導主事を置いておられる県はほとんどありません。ここの問題も、今回、学校数でいえば二百二十六校、私学千三百四十八校のうち一六・八%が未履修の学校なんですね。これは、国立の〇%、公立の七・八%に比べて著しく高いです。

 ですから、このあたりも、都道府県知事の私学行政に対するもう一段の奮起を願いたいと私は思っております。

松本(剛)委員 一つのルールを定めた以上はしっかりとそのように対応していただきたいと思いますが、あわせて、緊急対策が一段落したということを前提にすれば、方針が定まったということを前提にすれば、やはり、この実情を今考えれば、高校の校長先生が一義的にはいわば判断をしたということになるというふうに思います。もちろん教育委員会の管理責任というのは、特に教育委員会は逆に管理責任は非常に重たいと私は思いますが、残念ながら、本当に御冥福を祈りたいと思いますが、悩まれて命を絶たれた校長先生もおいでになる。ほとんどのこういう判断をした校長先生は、さまざまなことを悩んだ末に決断してそういうことを実施しているのではないかと推測される。あえて引き合いに出すのが適当かどうかわかりませんが、一部のいじめの問題を隠ぺいしたような話とはかなり違う話ではないかというふうに私は思っております。

 そういう意味では、この学習指導要領そのものについて、今後、現場との話、もしくは現場の実情に対して何らかの動きをされるおつもりがあるかどうか、大臣の御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 今回のことを受けて学習指導要領を変えるつもりはありません。これは例が適当かどうかわかりませんが、法に定められていることを守らないことがたびたび起こってきたら法の方を変える。例えば耐震偽装の強度が法に定められているとおり行われていないとかが余りに多いから、それでは法を変えるというと、やはりそれはそうじゃないんだと思います。

 しかし、今の先生の御提案が、大学入試としてどこまでの試験の対応をすべきなのか、それに応じて高校はどういうカリキュラムを組むのかということは、これは、それに従って学習指導要領をそういう視野から見直してみろということをおっしゃっていると思いますから、それは私は、少し事務局にも考えてみろよと言っておりますが、これも、試験科目が少な過ぎるという説と、いや、そうじゃないんじゃないかという説とやはり両方ありまして、いずれ、これを変える場合は、中教審なりなんなりの公の場へお諮りしなければいけないことだと思っております。

松本(剛)委員 新聞の記事にも、一般的教養であるとか基礎的な学力を身につけるということと入試に対応する力という二つの学力をどうバランスをとるのかという問題だというふうに書いてあります。今大臣がおっしゃったように、そもそもそれが二つに分かれていること自身がやはりどこかに問題があって、本来、子供たちは、しっかりとした教養を身につけ、そして社会に出るべき学力を身につけ、そのことがさらには上の学校へ行く一つの基準にもなるように変えていかなければいけないというふうに思いますので、おっしゃったように、これも早急に手をつけていただくように要望申し上げたいと思います。

 この件に関してもまだお聞きしたいことがありますが、改めて、冒頭も申し上げましたが、文部科学委員会を早急に開いていただくことをお願い申し上げ、そこでの議論にしたいと思っております。

 本件の、先ほどの質疑の中にも一部出てまいりましたが、私どもとしては、基本法に関係する審議だというふうに思っています。まさに今お話がありました、中央と地方、県、市の関係、そして教育委員会という制度の問題というのがありますが、ここについて、こういう問題が起こるんだと少し管理を強めなければいけないという話が一方であります。そして他方では、官房長官にもまたお伺いをしていかないといけないと思いますが、教育再生会議で、やはり、競争原理、市場原理を教育に導入すべきだ、こういう話もあります。バウチャーであるとか学校選択とかいろいろありますが。

 ある意味で、上からの統制の原理でぴしっとやるという話と市場原理を入れるという話とは基本的には違う。市場原理は、ルールを決めて、その中ではそれぞれはかなり自由にやっていただく。最低のルールはしっかり守っていただかないと、自由にやっていただく中に創意工夫があるというのが市場原理の基本だということになってくると思います。

 現段階で、大臣としてこれからの教育のあり方を考えていくときに、やはりもう少しきちっと、中央からなり集権的なりという言葉がいいかどうかわかりませんが、やる必要があるとお考えになっているのか。他方で、今の市場原理の導入というのをどういうふうにお考えになっているのか、御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 市場原理というのは、先生がお使いになっている意味を私も十分理解しているつもりですが、教育の場に市場原理という言葉を使うよりは、やはり自由競争原理という言葉に置きかえた方がいいと思います。市場原理というのは、どうしても、一種の経済行為を伴う金もうけという印象がついて回りますので。

 ですから、ありていに言えば、独立行政法人、大学法人においても、本来、競争原理が中で働いて、国民の税負担が効率的に使われているということであれば、私は独立法人にする必要はなかったんじゃないかと思います。それは先生がおっしゃっているように、今度は大学の外へ出て、市場にうまく乗りやすい科目、法科大学院とか経営大学院とか、理工系あるいは医学部の最先端のビジネスに変化しやすいところは非常にうまくいくわけですよ。

 しかし、本来、この前も申し上げましたけれども、源氏物語も読んでいない、永井荷風も読んでいない、瀬戸内寂聴も読んでいないけれども、法律だけえらく知っている人が法科大学院を出て離婚の調停をされたら、やはり困るわけですよね。だから、そこは、リベラルアーツの厚みというものはやはり市場に乗りにくいわけですよ。

 ですから、私は、今のお尋ねについて言えば、義務教育というのは、総理も所信で言っておりますように、国民、児童すべてに必要な学力と規範意識を身につけさせる。すべてということになると、やはり国がある程度関与して、しかしその中で競争原理を働かせて、納税者の税金を効率的に使ってもらう。だから、本来は教育の場に自由競争原理というものを余り持ち込まない方がいいというのが私の基本的な考え方です。

 しかし、残念ながら、納税者の立場からいえば、これだけの税金を払っているのに、期待をしている教育、学力が十分行われているのかどうなのかという声が今ほうふつとしてあるから、学校選択制とかバウチャーだとかそういう議論が沸き起こっている。だから、そのことを一人一人が自覚してやっていけば一番いいんだけれども、なかなかそこまで人間というものは強くないということで現実のひずみがいろいろ出ているんだと私は思います。

塩崎国務大臣 今、伊吹大臣は、競争原理についての考え方に関しては松本議員と共有する部分があるというお話でありましたが、そもそも、おっしゃっていらっしゃる競争原理というのは一体何なのかということを考えた方がいいのかなという感じがするんです。

 やや、ぱっと見というか、競争原理みたいなものを導入することが公教育の場にふさわしいのかどうかということをテーゼとして御提示されているわけでありますけれども、そもそも、先生は銀行におられたのであれですけれども、貸し出しをするということは相手を評価するという、このリスク評価がすべてだと思うんですね。リスク評価能力がない金融機関が金を貸すと後はとんでもないことが起きるというのを我々はかつて経験したわけで、その後十五年ぐらい大変なことになったわけであります。

 今の教育の現状というのも、よくよく考えてみると、いろいろな問題が起きてきているときに、例えば教員の評価をどうするのか、あるいは学校の評価をどうするのかということを考えてみると、今まで往々にして、外形的な条件が整っていればいい、そして、その中での評価というのはその後は余りされない。一たん先生になってしまえば後はそのまま、あるいは学校になってしまえばそのままというようなこともあって、それをどうやってよりよいものに、内容も、それからそれぞれの教員の質などもよくしていくかというときに、先生のおっしゃるいわゆる競争原理というものを導入してはどうかという意見が出ているのではないかと思うんですね。

 それはあくまでも手段であって、競争原理を導入することが目的のわけがないわけであって、問題は、公教育というのはやはり平等に全国の子供たちがいい教育を受けるということが大事で、その際に、いいというのはどういうものをいいと評価するのか、それがどうも今まで余り明確ではなかったのではないのか。そして、いいものをいつもよくし続けるというそのメカニズムがないので、それをどうやるのかということが考えられて、今、一つの考え方として、いわゆる競争原理に近いものを導入してみたらどうかという意見が出ているんだろうと思うんです。

 それが本当になじむのかどうかというのをこれからまさに議論しなきゃいけないということで、そういうことを幅広く教育再生会議で議論していこうじゃないかということで、教育に直接かかわっている方以外にも入ってもらって、これまた幅広い意味での教育というものを議論していこう、こういうことで教育再生会議では議論をこれからさらに深めていこうということだと思っております。

松本(剛)委員 大臣、市場原理というよりは自由競争原理というふうにおっしゃいましたが、バウチャーであるとか、やはり競争というもの、これは、先ほどの官房長官の話は、競争というよりは教員の評価の話にお話がかわっていたんではないかというふうに思いますが、私どもも評価というものはもちろん必要だというふうに思っています。

 その上であえて市場原理ということでお聞きをしたのは、私自身は、あえて分ければ、一つは、先ほど申し上げたように、ある意味で力でというんでしょうか、集権的にぴしっと統制をするという原理が一つある。もう一つは、市場原理と言おうと何と言おうと、極端に言うとお金です。ある意味でお金で競争するという原理がある。お金と言うと何となく日本ではなじみにくいかもしれませんが、やはり、しっかりと一生懸命頑張ってお金を稼ぐというのはいいことだという前提で経済は回っていくんですし、それを我々は、市場型の社会を選択していますし、我々もそれが望ましいというふうに思っている。

 ただ、我々は、今回の日本国教育基本法では、もう一つ、良心の原理というんでしょうか、人にはやはり、そうでない、公共の精神というのが近いかどうかわかりませんが、そういう気持ちで動く部分もあるはずではないか。公立の義務教育、小中学校については、学校理事会というのを提案させていただいています。

 今、実際に学校評議会という形で、全国で五十数校ですか、既に導入をされていますが、私も幾つか見てまいりましたけれども、多くはかなりうまく回り始めているんではないかというふうに思います。そこに参加をしている先生も、もちろん最終的に評価につながっている部分もあるかもしれませんけれども、むしろ現場の意欲、そして参加をしている地域の人や保護者の方々は、これはもう全くお金の論理でもなく、ましてや上からという力の論理でもなく、しかし、これが参加をして非常にうまく回っていくという部分があります。

 大臣は、人は弱いものだというふうにおっしゃいました。何事もすべてそういうことだけで成り立たないというのは、ある意味では事実かもしれませんが、教育の現場において、そういう気持ちというので構成できるところまではやはりやってみるということが我々は大事なことではないかなというふうに思っています。

 その意味で、お金の原理というのを、特にどこからどこまでというのをひとつきちっと仕分けしていただく必要があると思うんですが、公立の義務教育の範囲、それから高校、さらには高等教育の大学などの話と、どういう競争原理をだれに入れるのかというのはやはり違うと思います。

 大学の教員の場合ですと、かなり人も行き来をいたしますから、評価その他も含めて、ある意味では相当な競争が既にあると思います。日本だけではなく、場合によっては外国まで行く、行かないということがありますから、かなりの競争があるということになると思います。

 では、公立の学校の先生は、だれが評価して、どういう評価をして、どういう競争をしてもらうのか。我々は、やはり地域の方々と保護者の現場が評価するのがいいのではないかというふうに思っていますが、そういう区分けが一つ必要だというふうに思います。

 あわせて、公立の義務教育に求められる部分と高等教育に求められる部分というのは、ある意味では違う。すべての人がこれだけのものは学んで社会に出ていっていただく、暮らしていただくために必要だという話と、得意分野を伸ばしてそれで社会に貢献しようという高等教育の話とでは、ある意味では違うわけでありますから、そこのところはお金の原理というのを、バウチャーという言葉も一部飛び交っているようでありますけれども、どういうふうに入れるか。

 大臣のお気持ちはさっきの答弁で私は伺ったというふうに思っております。改めて、教育再生会議で今そういう話が出ているというふうに思いますが、官房長官として、本来私は山谷事務局長においでいただきたいとお願いをしておりますが、官房長官が全部かわって答える、こういう話でありましたから、官房長官にこの辺、既に、少なくとも議題としてはバウチャーは教育再生会議で事実上上がっているというふうに認識をしておりますが、お金の原理についてどういうふうにお考えになっているか、再度御答弁をいただきたいと思います。これについては議論は尽きないと思いますが、この答弁をちょっといただけたらと思います。

 バウチャーの是非とか細かいことでなくていいですから。義務教育についてお金の原理、そういうバウチャーのようなものをどう考えておられるかということで結構ですから。

塩崎国務大臣 お金の原理というのは余り議論にはならないような気がいたします。

 先ほど来申し上げているように、競争原理というお言葉をお使いになっているわけでありますけれども、それはひとえに評価の問題であって、評価が十分に機能してこなかったというところが今の教育のさまざまな問題をもたらしているのではないか。

 つまり、教育というのは中身の問題であって、どういう質の教育をするのかというときに、それが十分ではないという思いを皆持って、これはもう民主党の皆さんも自民党の皆さんも、皆同じだと思うんですね。

 それをどう改善していくかというときに、その手法の一つとして、競争原理というふうに松本先生がおっしゃっている言葉に代表されるようないろいろなアイデアが出ているということであって、さっきから言っているように、バウチャーにしても、学校を選ぶということであって、それはお金がそこで機能の源泉になるわけではなくて、源泉は、この学校の方がこの学校よりいいのではないかということを行動で示すための一つの手段としてバウチャーというのがあるというだけの話なんですね。

 我々の目的は、いつも、よりよい内容のよりよい質の教育をどう達成していくのか。その手法についてはいろいろな意見があります。その中にバウチャーなんかもあるかもわからない。海外でもやっているね、しかし余りうまくいっていないところもあるな、やはりコミュニティーが空洞化してはまずいね、そんな意見もあるわけであって、これから教育再生会議で出てくる議論は、先ほど申し上げたように、教員の評価だけじゃなくて、学校の評価もそうです、問題は中身の評価であって、そのために何をやるのか。

 そこで、教育委員会が、よりよい質の教育を提供するためのフレームワークとして機能するものなのかどうかということが問われているということが今問題なのであって、教育再生会議においては一応三つの分科会、学校再生分科会、規範意識・家族・地域教育再生分科会それから教育再生分科会ということで三つに分かれていますけれども、それぞれ、何か市場原理の、お金の論理でもって教育の質をどうのこうのということではないと私は思っています。

 先ほど申し上げたとおりでありまして、繰り返し申し上げますけれども、内容が問題で、教員の質、学校の質、あるいは子供にとっての地域の教育力のあり方、質、それが問われているのであって、それをどうやってよくしていくのかという手法にはさまざまなものがあるからこそ、一堂に会してもらって、なおかつ、総理も私もメンバーの一人で、伊吹大臣もそうですけれども、入って、みんなで議論しようということだと思います。

松本(剛)委員 これについてもまだまだ議論を申し上げたいことがあるということで、たっぷりとまたこの委員会も時間をとっていただいて審議していきたいと思っております。

 最後に申し上げれば、今申し上げたように、再生会議のメンバーの方には、バウチャーを入れて競争できたらすべてが変わってよくなるんだ、こういうような趣旨の御発言ともとれるような委員の方もいらっしゃるやにお見受けしているわけであります。子供たちにかかわる問題でありますから、きめ細かくお取り組みをいただきたいというふうに思っておりますし、もう繰り返し申し上げませんが、この教育の問題、最終的には、私学助成などをバウチャーの形にして透明に配るというのは、それは一つの考え方かもしれませんが、今の公立の義務教育の話というのは、よく見ていただいて、そういう公立の学校の立て直しこそが大変重要な問題だというふうに思っています。

 一つ先へ進みたいと思いますが、今もお話が出てきましたし、最初の未履修の話でも出てまいりましたが、教育委員会という問題と中央、地方、都道府県、市町村という問題、これについても、やはりある意味では教育の根幹の構造の問題になっているというふうに私どもも認識をしております。だからこそ、民主党の日本国教育基本法では、そのことについてもある意味踏み込んで条文に記載をいたしました。

 これだけさまざまな問題が発生をし、そしてその問題の裏には必ずそういう構造の問題があるということは、これまでの大臣の御答弁でも事実上お考えになっているところだと思います。これから将来の教育の基本のことを定める教育基本法のことでここで論議しているんですから、例えばそういう制度の問題などは、やはりここで教育基本法にしっかり書き込むべきではないかというふうに思いますが、大臣の御所見を伺いたい。

伊吹国務大臣 先生、ちょっとお許しをいただいて、その前に、私の気持ちはよくわかっていると言って塩崎官房長官に御質問を振られましたが、どうも伺っていると、私の気持ちを理解していただいているのかな、どうなのかなと思うので、若干触れさせていただきます。

 私が、市場原理、お金の判断ということが教育の場に使う言葉としては適当じゃなくて、自由競争原理という言葉を使っていただきたいと言ったのは、例えば、社会保障、教育、これはすべて、市場の価格のメカニズムによって資源配分が行われている分野じゃないんですよ。これはもう御承知のとおりです。そして、ここへ株式会社、つまりお金の論理の参入を認めていないのはなぜかといえば、共生とか、国民が同じレベルの教育を受けるとかという、要するに、見えざる手に導かれた終着点である効率とか利潤とかというものを超えた価値を扱っているわけです。

 だからといって、この分野が効率的でなくてもいいということは許されないんですよ、社会保障においても教育においても。ですから、官房長官も言っておりますように、お金で物を動かすというんじゃなくて、市場原理で動いていない分野なんだけれども、納税者のお金を預かっている限りは、市場原理から外れた中であっても効率的であってもらいたいということのためにいろいろな方途を考えている、こういうふうにぜひ理解していただきたいと思います。

 さてそこで、教育委員会についてどうするかというのは、るる申し上げておりますが、制度には必ずいい点とまずい点があります。ですから、私は率直に申し上げて、民主党の対案として提案されている、地方の教育権は基本的に自治体の長に将来移して、そして、先生が先ほど、各学校は理事会に運営をさせてというのは、私は反対でございます。

 ただ、これをどこまで法律に書くかについては、昨日、保利委員が基本法の性格というものをずっと御説明になって、私どもは、立法政策として、これを基本法に書くのは適当じゃなく、その関連法というか下位法である教育委員会に関する諸法の中にそれをしっかり定める、そして全体の行政法の枠の中でそれを処理していくという立法政策上の立場をとっているということです。

松本(剛)委員 この国会でのこの委員会の冒頭の大島委員の御質問でも、教育基本法を変える理由ということで、時代が変わった、今の問題に対応しなければいけない、それから、非常に言葉を選んで言っておられますが、戦後の反省というのをどう考えるかといったような三つの視点をたしか御指摘になっておられたと思いますが、私どもは、特に二つ目の、今の問題にどうこたえるかということも非常に大きな視点だということで、数々の現場の意見も聞いてやってきたわけであります。

 そうなりますと、今回のいじめの問題でも未履修の問題でも、どうしても、中央と都道府県と市町村の問題、そして教育委員会の制度の問題に行き当たらざるを得ない。となれば、この教育基本法を変えるに当たって今の問題に対応するということも一つの視点であるとしたら、そこから逃げるわけにいかない。

 我々は一つの提案をさせていただきました。それは大臣は反対だとおっしゃる。それはそうかもしれません。しかし、今の問題に対応するということであれば、そのこと自身についてやはり書くべきではないのかということを申し上げている。その上でどう議論をするのかということがあろうかと思います。

 さっきの市場原理の話は、話をするとまた長くなるので割愛をいたしますが、我々も開かれた形であるべきだと思っています。行政も、市場原理ではありませんけれども、効率的でなければいけないのは当然でありますから。その意味では、だれに開かれた学校にするかという意味で、学校理事会というのは地域に開かれた一つの形になるということで御提案申し上げているわけですが、そこをするにはちょっと時間が足らないかもしれません。

 もう一度。制度の問題についてもやはり書くべきではないか。もしそうでないとすれば、今回の教育基本法改正で、今起こっている問題に対処するためにどういうことをでは逆に書き込まれているとお考えになっているのか、お聞きしたいと思います。

伊吹国務大臣 これは先ほども申し上げましたように、昨日、保利委員の大変系統立った御質問があって、中身をごらんいただいていたらわかると思いますが、大島委員が冒頭お話しになったのは、東西冷戦が終わり、長寿化があり、そして、あらゆることがお金であがなえ、あるいは、税金、保険料を払えば、家族の中、個人でやっていたことをパブリックセクターが受けてくれるという大きな変化の中で教育はどうあるべきかという骨格を示したという意味での時代が変わったということをおっしゃっていると思います。

 その大きな時代が変わった中で、規範意識をどう取り戻すだとか、国と地方との一般論を書いているわけですね、家族の教育、社会教育。ですから、制度論は、その中で、下位法である教育委員会の法律あるいは行政組織法その他を見ながらつくっていくわけで、現実に起こっている事象に一つ一つ対応することを基本法に書くということになれば、これはもはや基本法や理念法としての法体系ではなくなるのじゃないかというのが私たちの考えです。

松本(剛)委員 今、直近に起こった問題だけを取り上げましたが、今起こっている問題という意味ではその直近の二つだけではなくて、今学校現場にあるさまざまな問題を広くとらえた上でそこの問題を解決するということが、今申し上げた制度にも踏み込むことが一つの形だということで我々の日本国教育基本法では提案をさせていただいた。

 先ほど申し上げたように、今回、教育基本法を変える理由として、今起こっている問題に対応する必要があるということで教育基本法を変えようということであれば、政府案の、今起こっている問題に対する答えの部分はどこですかというふうにお聞きをしたのです。

伊吹国務大臣 それは、この基本法が変わることになれば、後、その基本法の精神にのっとって、現実を変えていくための学校教育法その他の諸法を変え、あるいは政令を変え、通達を変えて対応するというのが当然のことだと思います。

松本(剛)委員 教育基本法は精神論だということなのかなというふうに思います。

 教育委員会の制度について官房長官にもちょっとお伺いをしたいと思いますが、教育再生会議でも教育委員会のあり方ということについて議論が出ているように思います。教育委員会の制度について、再生会議で、ある程度御議論されて結論を出して、そして、それをある意味では総理を通じて文部科学省に指示される、こういう理解でよろしいのでしょうか。

塩崎国務大臣 議論をまだ二回しかやっておりませんので深まっているわけではございませんが、当然のことながら、今回の問題にも触発されることもありましょうが、教育委員会の問題については議論になることと思っております。これは第一分科会で学校再生、待ったなしでこの問題については議論しようということにしています。

 今おっしゃったように、必要なものについては中教審に諮って文科省で対応していくというものも出てくるとは思いますが、まだ、やってみないとわからない議論ではありますので、さまざまな議論が出てくると思います。

 今、民主党の皆さん方のお考えはお考えとして我々も承知をしておりますけれども、本当に我々としては、一番いいのはどういう制度なのかという原点に立ち返って議論したい、こう考えております。

 ということなので、これから、この中身で皆さんにはお諮りをいただきたい、こう思います。

松本(剛)委員 では、再生会議で結論が出て、必要なものは中教審に諮って、そして文部科学省でお取り計らいをする、こういうお話だったんですね、今。わかりました。

 今の教育再生会議などのお話からすると、もう少し違うようなイメージも国民に与えているのではないかと思いますし、また、教育基本法のこの議論は、やはり国民が期待をしているのは、今の教育に対して、これから先どういう道筋がつくのかということだというふうに思います。私どもは、その一つの答えとして日本国教育基本法を出させていただいた。政府においては、今、基本法の位置づけというのは、ある意味では大臣がおっしゃった。逆に言えば、これから先、ほかのものも全部含めてだ、そしてその中に再生会議がある。

 しかし、教育も何年ものんびりしている暇はないというのは多分皆さんの共通の認識だと思いますから、ぜひここへ出していただいて、我々も当然、我々の日本国教育基本法からいけば地教行法も変えていかなければいけないというふうに思っていますから、どういう形に変えるのか。我々は霞が関がバックにありませんから立法能力には限界がありますけれども、一つの形はまたお示しをしていきたいというふうに思っています。そういうものもきちっとここへ全部出してきて議論すべきではないかということを申し上げておきたいと思います。

 それから、昨日も少し議論があったようですが、憲法と教育基本法の関係について大臣に一、二お伺いをしたいと思います。

 私どもは、憲法があって教育基本法がある、こういう位置づけでありますが、改めて大臣の御認識をお伺いしたいと思います。

伊吹国務大臣 憲法というのは日本の最高法規ですから、当然、その法規をにらみながら各法があるわけですから、教育基本法においても、憲法の精神を尊重しということが書かれているわけです。ただ、いろいろ御議論があるのは、どちらが先か後かということがありますが、現行の教育基本法自体も、施行時期を見ると憲法の方がおくれて施行されているということは事実なんですね。

 民主党さん自身も、今の状況が必ずしも、教育基本法が今のままでいいと思われないであろうからこそ憲法改正の作業が進んでいる前に対案をお出しになっているわけですから、できるだけ早く審議を進めていただいて、結論を立法府に出していただきたいと私は思っております。

松本(剛)委員 今の大臣のお話でもう一度確認を申し上げたいんですが、私ども、教育基本法と憲法は、他の法律と憲法の関係とは少し違う、特別な関係にあるという認識を持っておりますけれども、それでよろしいでしょうか。

伊吹国務大臣 憲法と教育基本法というよりも、やはり教育について、教育基本法は、まさに基本法であり最高の立場に位置する理念法でありますから、順序からいうと、憲法と一般法の間に挟まっているような教育の基本法という位置づけだと思います。

松本(剛)委員 昨日、大臣は、私どもの民主党の土肥議員との質疑で、このようにお答えになっております。

 これは土肥議員の方が、現行の教育基本法は日本国憲法が生まれてすぐに決められた、いわば憲法に準ずるような基本法でございましたというふうにお聞きを申し上げたところ、大臣は、先生ちょっと、現行の教育基本法の制定の経緯は御存じだと思いますが、これは日本国憲法ができる前にできている法律でございます。ですから、日本国憲法ができてすぐという御発言がありましたが、それは逆で、まずこの法律が、昭和二十二年だったですか、できまして、日本国憲法はずっと後です。

 こうおっしゃっておられますが、一方で、教育基本法の前文には、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、」というふうに一番最初に書いてあります。できたという言葉を施行ととるのかどうなのかという解釈かもしれませんが、少なくとも土肥議員が申し上げたことが間違っているというのは違うのではないかというふうに思っておりますし、昭和二十二年のずっと後ということでありますが、日本国憲法が確定をしましたのが二十一年の十一月三日、教育基本法は公布、施行が二十二年の三月三十一日、そして施行が五月三日ということになろうかと思いますから、わずか三十何日しかそこの間はないということになろうかというふうに思います。

 議事録を拝見する限り、これは土肥議員は間違っていると。そして、大変大臣には、尊敬をする大臣でありますが、教育基本法を御所管いただく大臣として、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、」ということで教育基本法の一番最初のところに出てくる文章でありますから、これを素直に読めば土肥議員の申し上げたとおりでありまして、それを否定されるということであると、この教育基本法の審議の前提が根幹から崩れるということになりかねないというふうに思います。

 昨日の御発言、大臣としてどのようになりますでしょうか。

伊吹国務大臣 先生御自身が今おっしゃっているように、国民との間の法律の権利義務関係は施行によって生ずるわけです。これはもう御承知のとおりです。

 ですから、昨日は、日本国憲法ができて、それから教育基本法ができたとおっしゃったから、それは違うんじゃないかということを申し上げたんです。ずっと後という言葉は適当じゃなかったと思いますから、これはおわびをして取り消し、ずっとという言葉は適当じゃなかったと思いますが、国民との権利が法律によって生じたりどうだというのは施行しない限りは生じませんから、施行は教育基本法の方が先であったということは、これはもう厳然たる事実です。

松本(剛)委員 私の時間も限られてきましたが、もう一度申し上げたいと思います。

 この議論、私もずっと、改めて、昨日インターネットのビデオも見ましたし、また議事録も確認をさせていただきましたが、本質的に、日本国憲法と今の教育基本法との関係がどういう関係にあるのかということをずっと土肥議員とは議論してきているわけであります。もちろん施行の話はあると思いますが、教育基本法は日本国憲法を受けてつくられたということは、前文にもありますし、時期の問題からしても、施行は別にして、日本国憲法はその時点で、できたという言葉をどうとるかという問題はありますが、教育基本法の言葉を使えば確定していたわけでありますから、そこには密接なつながりがあるということを私どもの土肥議員が申し上げたことは、大臣は、この議事録を読む限り、本質的に否定されているわけですね。

 これは認識が根本的に違っているという話になってまいりますし、また、今御提案いただいている政府案と憲法の関係、私どもが考える憲法との関係等についても大きな疑義が生じるという意味では、この御発言はちょっと私どもとしては看過できないということを申し上げておきたいと思っております。

 私の持ち時間が終わりましたので、これは極めて重大な問題だというふうに我々は認識していることを改めて申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。

 以上です。

森山委員長 次に、岩國哲人君。

岩國委員 民主党を代表いたしまして、質問いたします。

 まず最初に、憲法と教育基本法の関連、今、松本委員からの質問がありましたし、昨日の議論も私は聞いておりました。大臣の、施行、要するにその日が法律としての、名前がついて、実質的に誕生して、そして人間でいうならばきちっと戸籍登録もする、そういう意味では、私は大臣の認識は正しいと思っているわけです。

 その前提に立ってお伺いいたしますけれども、教育基本法、それは憲法から見れば一番大切な基本法の最上位に私は位するものではないかと思うんです。民主党が二十九本ある基本法の中で、あえて日本国、民主党はニッポン国という言い方をしておりますけれども、そういう表現をあえてその二十九本の中でつけるというのも、やはり嫡子であり長男という、そういう認識は広く共有されていると思いますけれども、とするならば、憲法はお父さんで、教育基本法は長男ですね。そのお父さんより先に長男が生まれているというのはおかしいんじゃないでしょうか。つまり、伊吹大臣は、京都の方ではそういう御家庭が多いのかどうか知りません。しかし、お父さんが生まれたのは後だったとはっきりおっしゃったでしょう。そうすると、長男が先に生まれておった、その長男はだれの子だったということになるんですか。お答えください。

伊吹国務大臣 ちょっと私の選挙区の京都の方々には大変遺憾な発言だったと思います。

 しかしこれは、もうおられなくなっちゃったのかな、松本先生ともお話をもうちょっと続けたかったと思う点をまさに聞いてくだすったわけですが、現行の教育基本法の制定過程を私もずっとフォローして見ましたけれども、これは帝国憲法にのっとり、枢密顧問の会の議を経て、帝国議会の協賛を経て制定されている法律なんですね。そして、占領下において、サンフランシスコ講和条約締結前、つまり主権が日本になかった時代においても、日本国憲法あるいは帝国憲法に基づいていろいろな法律が制定されて施行されて、そして日本の国民、国民という言葉が占領下で使えるんでしょうかどうかあれですが、国民の生活が維持されてきたという事実は、もうこれは疑うことはできないと思います。

岩國委員 要するに、現行の教育基本法は、お父さんに相当する今の昭和憲法の前にお生まれになって、そうするとだれの子だったかというと、おじいさんの子供だということになるわけですね。そうでしょう。

 私は、東京大学で勉強したときに、一番最後に、宮沢俊義教授、憲法の第一人者と言われた宮沢教授がその辺を生徒にどういうふうに説明してくれたか。私はぼやっとして聞いておったのかなと思って、そのときの講義録を全部調べてみました。なぜか宮沢教授はそのことについて触れておられなかったんです。あれだけいろいろな角度から新憲法と旧憲法との関係について御説明になっているときに、我々学生にはなぜか、そして、我々の学年で教授は講義をおやめになりました。

 そのなぞについていろいろな文献を私は調べてみましたけれども、伊吹大臣、憲法より先に教育基本法が実質的にできた国は世界のどこにありますか。まず憲法ができてから、あらゆる法律が次々とできていくわけでしょう。世界のどこの国に、憲法以外の基本法が先にできて、それから後からお父さんがお生まれになった国がどこにあるか。

 私は、京都云々ということは、決して京都の方に対してどうこうということではありません。まあ、京都は長い長い歴史の中であるいはそういう御家庭があったのかもしれませんけれども、私の想像で。伊吹大臣自身がなぜそういう感覚を持っていらっしゃるのか、私は不思議でならないんです。なぜ、憲法と教育基本法、そういう関係についてしっかりと認識され、そしてこの教育基本法が今提出される。この民主党の案は、今までの教育基本法をすべて廃止して新しいものをつくろう、私はそれが正しい姿勢だと思うんです。明治憲法に基づいてつくられたものが、新憲法、昭和憲法と言われる中で、法手続的にはさらにそれを改正するという形でもって明治憲法のそれを引っ張っていく、その辺をどのように整理すればいいのかなと。私自身もいい結論はありません。しかし、民主党のような新しい教育基本法をここでつくる、名実ともに明らかに新憲法より後につくられる、私はその方が正しいやり方ではないか、そう思ってこの質問をさせていただいております。お答えいただけませんか。

伊吹国務大臣 先生のおっしゃっていることは一つの御見識だと私は思います。ただ、昨日、先生はこの場にいらっしゃったかどうかわかりませんが、保利委員が冒頭、今の教育基本法の改正法案を与党内で議論するときのいろいろなポイントを極めて系統的に我々に教えていただきました。

 そのときに、現在の教育基本法を廃止して新しくつくるのか、各条のうち直すべきものを改正案として直すのか、全面改正という形で直すのか、三つの考え方があったんだけれども、引き継ぐべきものも中にはあるので、全面条文改正という形をとったということをおっしゃって、私はなるほどなと思って聞いておりました。

 それで、憲法がなければ、教育基本法が先に生まれればだれの子供かわからないというお話がございましたが、それでは、民主党の対案がもしここで議決をされた場合には、これはだれの子供になるんですか。

岩國委員 私は答弁する立場にはありません。しかし、新しい憲法の後でつくられたならば、学校の子供たちに説明できるのは、憲法に基づいて憲法の後にできている。時間的な系列も一番理解しやすい。私は、憲法も教育基本法も、今、学校教育が問題になっておりますけれども、学校の先生が子供たちに説明しやすい形にリセットしていく、それが我々国会の役目ではないか、そういう認識を持っております。

 次にお伺いいたします。

 世界史が今問題になっております。その世界史がなぜ必修とされたのか。我々のころは世界史は選択科目の一つでした。その後、平成五年、六年ですか、世界史が必修になった。この世界史が特に重要と思われた理由は何ですか。なぜ世界史を必修としなければならなかったのか。

伊吹国務大臣 まず、高校の世界史の前に、小学校、中学校、高等学校という過程を経ているわけですから、今の学習指導要領を私も読み返してみますと、日本史を中学校で必修にしております。これが必ずしも十分教えられているかどうかというのは御批判があることは私もよく存じておりますが、世界史は、初めて高等学校の学習指導要領に世界史として出てくるんです。

 これはもう先生は海外で随分御活躍になったからおわかりだと思いますが、まず、日本人としてのアイデンティティーを身につけた上で、世界の各国の文化の素地をある程度学ばなければ、これだけの国際社会ではうまくいかないだろうというので、高等学校で世界史を必修にする学習指導要領をつくっているということです。

岩國委員 私自身もいろいろな国で仕事をし、住んでまいりました。一番最初に私が外国へ参りましたのは六〇年代でした。アメリカという国へ着いて、そしてそのときに、アメリカの建国の都市と言われるフィラデルフィア、そこで一人の日本人の高校生を私は紹介されました。田中眞紀子さんとおっしゃる方でした。私は、そのお父さんがどれほど偉い方かということもよくわからないままに、フィラデルフィアの取引所の理事長の後ろにちょっと恥ずかしそうに楚々として隠れるような存在。ああ、日本の女性が、高校生が、こういう、ニューヨークではなくてフィラデルフィアのような歴史の都市で勉強しておられるんだなと、私は今でもそれを印象深く覚えております。

 それから私は二人の娘の父となり、ロンドン、パリ、ニューヨーク、いろいろなところで勉強してまいりました。その父親としての経験で、やはり教育についてもいろいろな意味のお国柄があります。それは大臣もよく勉強されたのと同じです。

 その中で特に私が感じたのは、日本も歴史の古い国ですけれども、それぞれの国は、みんな歴史を尊重し、そして教育の中で、日本は読み書きそろばんと一言に言いますけれども、一番重視しているのは歴史の勉強とそれから自分の国の国語の勉強。この二つは、もう算数だとか科学だとか、それぞれに大切な科目ではありますけれども、歴史と国語、特に歴史については自分の国の文化とともに一生懸命力を入れる。だからこそ、私は、日本史、これは大変大切だと思います。

 同時に、イギリスのようなかつての大国あるいはアメリカのような大国は、自分の国の歴史を勉強させながら世界の勉強をさせる。しかし、日本の場合には、小さい国ですから、どうしてもよその国の歴史をもっと勉強しなければならない。世界史、私は非常に必要だということを痛感しておりました。

 それほど必修科目とされなければならないこの世界史、これについて、今の内閣の閣僚もそれぞれに、選択制といえども履修してこられたろうと思いますけれども、官房長官、今の閣僚の中で全員が世界史を選択で履修してこられたんでしょうか。当時は必修ではなかったから、それは世界史を勉強されなかった方がおられても決して非難されるべきことではないとは思いますけれども、参考までに、これだけ高校生に世界史の勉強は大切だということを強調する、そして、文科省の立場からも、国民の立場からも、それはぜひ知っておきたいことなんです。官房長官、お答えください。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

塩崎国務大臣 御質問は世界史をとったかどうかということでございますね。

 きのうそういうお尋ねが参りましたので、早速全閣僚に尋ねてみました。その結果、ほとんどすべての閣僚が世界史をとっているということでございます。確かに、今先生がおっしゃったように、時期によって科目がそれぞれ選択制であったり世界史が必修になっていたり、時期は確かにいろいろな形がありますけれども、おおむねすべての閣僚が世界史はとっております。

岩國委員 そうしたおおむねということは、世界史を勉強されなかった閣僚もいらっしゃったということですね、全員とはお答えにならなかったから。

 ちょうど年金保険料の未納のときのような答弁を思わせますけれども。時期はどうとか、あれがどうとか、制度がどうとかということから見ますと、未修率と未納率、決して同じ次元で見ているわけではありませんけれども、国民的関心の強さからいえば、もちろん世界史を勉強した閣僚でしっかりと固められているというメッセージが明快に出せれば、こんないいことは私はないと思うんです。それがほとんどという表現でとまっている。もちろん全員勉強しています、出せと言えば通信簿を出して見せますというぐらいに、しっかりと高校生に言っていただけませんか。官房長官、もう一度お願いします。

塩崎国務大臣 先ほど、たしか岩國先生は日本史が極めて重要だというお話をされていたと思うんですが、私もその考えに立つ者でありますが、世界史に限って言えば、先ほど申し上げたように、時期によって必修が違う時期がありました。

 驚くほどころころ変わっているわけでありますが、昭和三十一年度から三十七年度の高校入学者に対しては、世界史、日本史、人文地理から二科目選択、こういう時期があって、そのときに該当する方がお一人おられて、勉強は死ぬほどたくさんしたけれども、必修でとったかどうかは覚えていないということであります。その人を除いて、世界史は自分はとったという記憶があるということで、古い話でありますから、記憶の世界で、何も学校だけが勉強ではありませんから、世界史は勉強したけれども学校でとったかどうかは記憶がない、それもその時期を確かめてみれば必修ではなかったという時期でありますから、未納の問題に至るようなことでは全くないということであります。

岩國委員 そうした選択的必修という時期を我々は過ごしております。その中で、世界史も日本史も勉強した学生も多数おります。ただし、世界史を避けた高校生もいたでしょう。その選択制の時代に、大体何割ぐらいの高校生が世界史を勉強しておったのか、そして、これは各県別によってこの履修率の差というのは非常に大きかったはずです。

 例えば長野県。九五%の高校生が世界史を勉強しておった。当時、選択制です。長野県というのは、御承知のように海のない県です。海がないということは、外国につながっていない県です。それに比べて、例えば愛知県。大きな都市を持ち、海を持っております。しかし、履修率は全国でも一番低い水準だった。県別のこういうばらつき、六〇%、五五%の高校生しか勉強していないところと、県によっては九〇%以上は勉強しているところ。文部省はこれについて調査をしておりましたか、しておりませんでしたか。お答えいただけませんか。

銭谷政府参考人 現在のように世界史が必修になりましたのは、平成元年告示の高等学校学習指導要領においてでございます。そこで、昭和六十三年度の世界史の学習の状況について御報告をさせていただきます。

 まず、各学校での取り扱いでございますけれども、世界史を必修にしていたという学校は、普通科では三八・四%、専門学科、職業学科では三四・二%の学校で、いわゆる学校必修という形にしておりました。それ以外の学校では選択科目にしていたということでございます。

 そこで、具体的な生徒の履修率でございますけれども、当時の教科書の需要冊数で見ますと、昭和六十三年度の教科書の需要冊数の生徒数に占める割合、これが履修率になろうかと思いますが、これは全国平均で六七・六%でございます。三分の二の高校生が世界史を履修していたということになります。

 なお、都道府県別の数字については、私どもは持ち合わせておりません。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

岩國委員 私は何回も文科省に問い合わせをしました。何らかの形で、県別になぜこんなにばらつきがあるのか、それがまた、大臣が再三おっしゃっている県の教育委員会の役割にも影響してくると私は思うんです。

 これから地方の時代と言われ、教育委員会に任せていけば、昭和五十五年、五十六年―六十年、この間に、わずか四年の間に二〇%も世界史から離れていった県があります、離れなかった県もあります。こういう地方のばらつき、それは好き勝手というのではなくて、そこには地域地域の伝統というのもあるでしょう。あるいは、県の教育委員会の方針というのもあったに違いない。その分析をなぜ文部省はしていなかったのか。それを踏まえて、今の世界史の未履修の問題も、これからの対策を考えるべきではありませんか。

 全国一律、それは確かに公教育については全国一律であってほしい面が非常に強いわけですけれども、しかし、選択制という余地を残した場合には、どういうふうなばらつきが、一番いいところと一番悪いところで起きているのか。

 地方分権の時代、そして教育においても分権ということが今言われているときに、私はどちらかといえば、教育の分権については慎重に考える方です。そうした、知事、市町村長に教育ということを任せることは非常にリスクが大きいと思います。ですからこそ、私は、教育の地方分権についてはもっともっと慎重であるべき。

 その一つの理由というのは、世界史のこれにもあらわれているんですよ。ですから、文部省はもっと実態を、そして今からでも遅くない、その当時の経験をもっとこれからの参考にすべきではありませんか。

 私が今住んでおりますのは、横浜市の青葉区というところです。新しい家族も多い。けさも私のところに電話がかかってきました。いろいろな方からいろいろな意見がある。いいことだと思っています。年金のときにもありましたけれども、この教育について日本じゅうがこれほど関心を持つということは、伊吹大臣、私は大変いいことだと思うんです。起こった現象は悪いことかもしれないけれども、やはりこれぐらい国民的関心を持って、日本の新しい教育をみんなで考えてみよう、今まで関心を持たなかったような方も含めて、いろいろな声を私は聞いています。

 けさの電話の方は、清水さんとおっしゃる、もう子育て時代を終えられた方です。地域介護を一生懸命やっていらっしゃる。その方のお声は、正直者がばかを見る、こんなことを国会がお手本を示してほしくない。みんなで渡れば怖くない、こういうことこそ教育を悪くすることではないでしょうか。この方は教育者ではありません、ごく普通の女性の方。教育というのは、教育こそ、そういう正しい心を養い、思いやり、そして社会に役に立つ人、表現は違いますけれども、この国会で論じられていることをそのとおりにおっしゃっている。

 それだけに、今の世界史の未履修について、いいかげんなやり方をしたのでは大きな禍根を残すことになるのではないか。卒業式をおくらせることも考えるべきだ。あるいは、既に卒業した人に対して、もう一度学校へ帰れということではありませんけれども、希望するならば、世界史をもう一度勉強する、卒業後の単位の取り直しというチャンスを与えるべきではないか。

 チャンスを与えるだけじゃなくて、むしろそれを奨励する姿勢を政府が示さなければ、ああ、世界史を勉強しなくて楽をした、世界史を勉強しなかったから、僕は受験競争であの大学に合格できたのは世界史という負担をうまく逃れたからだ、ああよかったな、そんなふうに思わせてはおかしいんじゃないでしょうか。そう思わせないことが教育だと私は思うんです。

 大臣、この点についてけさも御説明いただきましたけれども、私はあれでは、卒業してしまった、そして現在職を得て、資格を得ている人たちに対して気持ちが伝わっていかないし、また、それでは勉強しなかった方が得をした、正直者が損をしたということになってしまうんじゃないかと思います。この点を簡潔にお願いします。

伊吹国務大臣 昨日、民主党の松本政調会長が私のところへお見えになりまして、既に卒業した人の中でも、ぜひもう一度未履修のものについて受講して、そしてルールどおりの卒業証書にしたいという人がいる場合は、それをやはり受け入れるということを講じてもらいたいと。私はまことにごもっともだと思って、各高等学校に担当の者からそのような趣旨のことを伝え、教育委員会を通じて伝えてもらいたいと思いますし、ずるをして、本人がずるをしたわけじゃないですが、学校長のずるの枠の中でうまくいっちゃったから、もう一度、この場合、先生の場合は世界史を例にとっておられますが、世界史を受けずにもう社会生活を送りたい、大学生活を送りたいという子供であってほしくはないなというのが私の本当に率直な気持ちでございます。

岩國委員 ぜひ、そうした既に卒業して社会で活躍しておられるであろう人たちにも一つの道を開き、そしてそこへ奨励する。それをどうしてもしない人にはパスポートを一時凍結するとか、実はそういう意見をおっしゃる方もございます。そこに私は一理もあると思うんです。世界の歴史を勉強しないで、ただ観光のためだけに出かけていく、これが本当にあるべき姿なのかな、そう思っていらっしゃる方もおられるということでありますから、そういう意見も含めて、ぜひ適切な対応をこの際示していただきたいということをお願いします。

 次に、地域格差について質問させていただきたいと思います。

 小泉内閣に入ってから、特に、県民一人当たりの所得というものが、東京を一〇〇とした場合に、岡山県は六五だった。それが最初の二年間で既に六〇に下がっている。さらに新しい統計が出れば、もっと下がるでしょう。ほとんどの県は、東京を一〇〇とすれば、一人当たりの所得は六五から五〇の間に入ってきているんです。一人当たりの所得、両親の所得が東京の半分の所得で東京で育つ子供と同じだけの教育をしようと思えば、地方の両親は二倍の負担を背負わなければならないんです。地域格差が所得格差を生み、所得格差がこれから教育格差を生み出していく、今まさに我が国は教育格差を生み出すその入り口に立っていると思います。

 こうした地方の教育格差、例えば、かつては熱心な教育県だった、あるいは熱心な教育校であった私の母校、島根県立の出雲高校は、先生もよかった、そして学校の気風もよかったと私は思います。しかし今回は、この世界史の未修のリストの中に入っております。島根県のほかの公立高校のほとんどが入っている。

 原因をいろいろ考えました。関係者とも相談してみました。これは、地方の校長先生が特にずるをしたがっている人が多かったということではなくて、それをせざるを得ない環境が今できてきているんです。地方には予備校がない。予備校がないから、公立高校が予備校のかわりをせざるを得ない、そういう今時代に入っているんです。公立高校が予備校の役割もしている。予備校の役割をするために、いや応なしに、こうした難しい、負担の多い必修科目を外すようなことを背に腹はかえられずやっておる、こういう実情もぜひ大臣としては御理解いただいて、そして、この地域格差が所得格差を生み、所得格差が教育格差を生もうとしている、それだからこそ私は教育交付税というものを考えてみるべきではないかと思うんです。

 地方分権とはいいながら、そしてその方向に時代は動いていかざるを得ませんけれども、教育に関しては、地方に任せながらもある程度経済的な補助を思い切ってやらなければ、この教育格差は少々のことでは私は埋まらないと思います。

 そして、東京で生まれ東京で育ちながら、選挙に出るときだけはどこか地方の選挙区を選んでそこで当選してくる、こういう国会議員だっていずれふえてくるに違いないと思います。

 この教育交付税という考え方について、大臣、どういうお考えがおありか、聞かせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 教育、特に義務教育においては、親の所得あるいは親の地位、あるいは地域によって学力差ができるだけ出ないようにするということは当然のことでありますし、先生が余り地方に教育の権限を、特に義務教育の権限を渡すべきじゃないという民主党案とは全く違う考えを持っていただいているということは、私は非常に心強く思います。

 そこで、先生はアメリカの御経験も長いと思いますが、現在の時点では、地域格差、親の所得格差あるいは親の地位によって学力が、日本は一番学力格差のない国なんですよ。アメリカの例をごらんになったらすぐおわかりになると思います。しかし、今まさに危うい戸口に立っているという先生の御認識は、私は共有をいたしております。

 ですから、教育交付税的なものも考えるというのは一つの案だと思いますが、現時点においては、義務教育の国庫負担金の国の分担は三分の一になっちゃって、税源とともにみんな地方へ渡しちゃっている。これがまさに、税収の多い府県、市町村とそうじゃない市町村の格差をむしろ生んでいるんですよね。私は、そういうところも議論をして、戻すべきものは戻していただくのであれば、教育交付税というのは一つの考え方だと思います。

岩國委員 いろいろな財政措置、広い視野から、特にこの教育というシビルミニマム、教育ミニマム、日本人の子供だったらどこに生まれてもどこで育っても、東京で働いても大阪で働いても、どこの出身ということでもって肩身の狭い思いをすることがないように、私の願いはそれなんです。

 地方分権と言いながらも、私が教育については慎重であるべきというのは、一つの理由は、今現在選ばれている知事、市長さん、まあ私もその経験がありますけれども、本当に教育を任せられるような市長、知事がどれだけいるかという実情を考えれば、私はそういうことについてもっと慎重であるべきだと思うんです、現実問題として、経験者の一人として。

 決して地方分権に私は反対しているわけではありません。いずれそういう時代が来るでしょう。また、そういう時代を早く迎えなければならないんです。しかし、今のままだと、あちこちの知事、市長が、常に選挙のときに、私は自民党とのパイプがある、与党とのパイプ、政府のパイプがある、だから私はこういう予算を持ってこれるんだ、こういうことを言ってやっているような知事、市町村長がいる間は、とてもこれは教育を任せられないなと思う現象が多過ぎるんです。

 ですから、これは、大きなインフラ整備の後に、私は、ぜひ教育の地方分権の方へもっともっと行くべきだと思います。今現在はそういう環境にないということであって、民主党の中でも温度差はそれはあるかもしれませんけれども、我々の理想としては地方分権、しかし、現在はまだそこまで大胆に渡すところには行っていないように私は思います。

 次に、安倍内閣の歴史観について、本当は総理に私はお伺いしたいんですけれども、こういう、歴史が非常に大切だ、そして、この歴史というものについて一人一人が勉強しなければならない。内閣も、日本史のみならず世界史もほとんど勉強されている。勉強されたかされなかったか、ちょっと確かでない人は一人しかいらっしゃらないというふうに聞こえましたけれども、そういう内閣であればなおさら、私は、二十世紀最大の戦争について自分の認識なり評価というものを語れないこの安倍総理の姿勢は、大変問題だと思うんです。政治家が歴史を語れない。何のためにでは勉強してきたのか。勉強しなかったから語れないのか、勉強したけれども語れないのか。どっちにしても、よいことではないと思います。政治家こそ歴史を語るべきじゃありませんか、私はそう思います。

 私は、フランスでもイギリスでも、すぐれた政治家の演説を聞いていました。みんな歴史を語っていますよ。日中の平和交渉のときも、周恩来というすぐれた一人の政治家の歴史観が今の日中関係の大きな扉をあけたんでしょう。大臣もそのことは御存じのはずです。なぜ政治家が歴史を語れないのか。歴史を語ってはならないとまで聞こえるような安倍総理の姿勢について、大臣はどう思われますか。

伊吹国務大臣 まず、歴史を語り、そして歴史を理解し、その歴史の中からつくられた現在というものをどう理解するかということは、これはもう政治家として必須のものです。

 しかし、安倍総理が、今先生がおっしゃった歴史を語れないというのは、総理というお立場にあれば、もろもろの事象のすべての国家の統治の責任者として存在をしなければならないので、歴史を語るということは、安倍さんは幾らでも私はなさると思います。しかし、彼個人の歴史観を述べるということについては、特に近未来の歴史観についてはいろいろな考え方があるから、ポジションのデューティーとして極めて慎重であられるというふうに私は理解しております。

岩國委員 周恩来があの戦争について彼なりの歴史観に基づいて語った。しかし、周恩来は決してそれにためらうことなく、常にその歴史観を国民に、そして外国に発信しておりました。

 私は、これまでもそうですけれども、これからの日本の総理たる者は、もっとそれをやらなきゃならぬのじゃないでしょうか。総理が語らないで、だれが語って歩くんですか。日本人はどういう歴史観を持っているのかと聞かれたときに、総理の顔が見えない、声が聞こえない、そんな日本でいいんですか。再度お答えください。

伊吹国務大臣 これは、安倍晋三という方の心象というか心情を一番理解しているのは、むしろ官房長官だと思いますが、歴史を語るということは、安倍さんはそれだけの素養を持ち、語られると思います。しかし、歴史の評価、歴史観ということになると、人それぞれの価値によって、見る立場によってこれは変わってまいりますから、ポジションにある者として、語っていいときどこまで語るかというのは、それはやはり先生、おのおの制約があるということは理解していただきたいと思います。

岩國委員 それでは質問をかえます。

 政治は最高の道徳である、これはよく使われる言葉ですね。と言い、また言われながら、政治家がそのお手本を示さなければならない。今、日本で教育を論じているときに、文部大臣、今の日本の政治家は、政治は最高の道徳であり、お手本を示しているという認識をお持ちですか、お持ちでありませんか。

伊吹国務大臣 それは人それぞれだと思いますし、その人がしつけられてきた、あるいは育てられてきた環境によって、その人がどこまで道徳観を持っているかということによってもすべて違うと私は思いますが、私自身について言えば、私の祖先が積み上げてきた規範意識を私は身につけるように厳しく育てられ、その親のつけてくれた規範意識をできるだけ守ろうと思って、きゅうきゅうとして毎日を暮らしております。

岩國委員 余りいいお答えをいただいておりませんけれども、政治は最高の道徳である。道徳というのは必修科目か選択科目かどこかに入っているわけでしょう。その道徳の先生は、教室の中の先生ではなくて、ここに座っている、この国会の中で働いている政治家であるべきなんです。その一人一人について伺っているんじゃなくて、マクロとして、日本の政治家は最高の道徳ですと学校の先生に言ってもらえるような状態かどうか。もう一度お答えください。

伊吹国務大臣 個々の政治家がどうであるかということは、私は、とても申し上げるほど道徳的な素養はございませんが、私自身は、親から教えられている規範意識というか、おてんとうさまに顔向けのできないこと、世間様に顔向けのできないことはやらないという気持ちで毎日を送っておりますし、多くの同僚の皆さんも同じ気持ちだと思います。

岩國委員 もう一つ、国会の中と外とのそうした違いというものを御紹介したいと思いますけれども、子供をめぐるいじめ、それから殺人、自殺、もう痛ましいことが毎日のように新聞、テレビで報道されております。子供を大切にと言いながら、永田町あたりからはチルドレンの泣き声が聞こえてくる、こういう現象について大臣はどう思われますか。これも新聞報道に出ております。

伊吹国務大臣 どうなんでしょうか。先生がおっしゃるいじめというのか道徳というのか、それは、おのおの、人それぞれの取り組みの中で出てくるもので、苦しみに耐えながら泣き言を言わずに頑張るというのも一つの道徳だと思います。

岩國委員 子供をいじめてはいけないと言って、逆に子供を泣かせる。

 もう一つ。学校の先生は、教室で、いじめはいけないと一生懸命教えています。しかし、政治の世界、最高の道徳である政治の世界では、集団いじめが去年の総選挙でも行われたことは、新聞、テレビの報道のとおりです。子供は泣かせる。そして集団いじめは、しかもその集団いじめは、総理大臣が先頭に立って集団いじめをやっているんです。子供たちや一般社会はこれをどう見ますか。いじめはおもしろいと元気を出した子供たちがいるかもしれませんよ。いじめというのは悪いことじゃないんだと思わせてはいけません。子供は大切に、いじめはいけないという観点からすると、この一年間行われてきたこと、あの総選挙を含めて、結局、いじめを国民が、一部の人たちがおもしろがったという結果が出ています。

 そして、子供は大切にしなければならないと。

 もう一つ、人の意見は大切に、静かによく人の意見を聞く、これも道徳の一つです。ところが、この国会の中では、お互いに先生、先生と適当に呼び合いながら、その先生が話をしているときに、先生の話を聞こうとしない、先生の話を妨害しようとする。大臣、いいですか、これが本当に日本の政治の最高の道徳であり、そして、子供たちに国会を見なさいということを言える現状にあるのかどうか。大臣は恐らく正直にお答えになれないと思いますけれども、こういう国会の現状。

 きょうも、傍聴の方もたくさん来ていらっしゃいます。国会というところをどういうふうにして帰った後お話しになるのか。あそこでは、人が発言するたびに何かうるさく物を言う人がいる、何か口を大きくあけている人もいる。そういうことでは、とてもじゃないけれども、この国会で、この政治家の現状で、この政治の現状で、教育基本法をとても論ずるような資格を持っていないんじゃないかと私は思います。どうぞ。

伊吹国務大臣 まず先生、いろいろ、人の意見はやはり静かに聞く、そしてその意見に対して自分の意見があれば堂々とそれを述べる、私はもうそのとおりだと思います。

 私が答弁している間もいろいろな不規則な発言がございますが、しかし、そのときに、不規則な発言を受けたとき、私は、人を静かに聞かせられるだけの能力が私にはないのかなという反省をする、これがやはり人間の素養だと思います。

 それから、もう一つは、昨年の総理を先頭としたいじめというお話がございました。これはいじめと見るのか、議会制民主主義の選挙の選択肢を与えたと見るのか、これは人それぞれによりますが、先生の御判断のようないじめが行われていたとすれば、なぜ民主党の多数が選挙で勝たなかったんでしょうか。そのこともやはり考えなければいけないと思います。

岩國委員 ここで選挙論議したくはありませんけれども、私は、先ほど……(発言する者あり)静かにしてください。先ほど私が申し上げましたように、一部の国民は、その集団いじめをテレビ、ドラマで見て、楽しんでいる人も非常に多い。残念なことです。そして、今まで投票に行かなかった人たちが行った動機、モチベーションというのは、おもしろいじゃないか、あの集団いじめ、ぜひ実現させてやろう、総理大臣が先頭に立ってやっているからそんなに悪いことじゃないだろう、みんなそういうことでもって行っているんです。

 ですから、私は、民主党が負けた言いわけにはしたくありません。しかし、新聞報道等でちゃんとそれも紹介されています。新聞をよくお読みになればおわかりのことでしょう。そういった現象が起きたんです。

 次に、民主党の案について、二、三質問させていただきたいと思います。

 民主党提案、法案には「日本国」と書いてありますけれども、その日本国という名称が基本法についている法律はほかにはないと思うんです、基本法の中に。あえて日本国とおつけになったその意味、理由を教えていただけませんか。

藤村議員 岩國委員からは前国会でも同様の質問をいただいたと記憶しておりますので、テープレコーダーのような答弁になって大変失礼ではございますが、お答えを申し上げます。

 御承知のように、現在、日本の国内法で、法律の名称に日本国と国号を冠しているのは日本国憲法のみでございます。今回の我が党案の教育基本法を検討する中で、教育というのは国の屋台骨を支える基本中の基本、礎でございます、そういう考えから、憲法並みの重きを置かれるものというふうに考え、あえて憲法でしか用いられていない日本国を冠する法律名をつけさせていただいたところでございます。

 冒頭に、親か子かとかいうお話がございました。帝国議会の中で両方とも生まれておりますので、そういう意味では、もし血縁関係でいうと兄弟かもしれません。そのぐらいの格である、そんな思いがしております。

岩國委員 民主党案のそうした教育にかけられる情熱というものは、そういう点で伝わってはまいりますけれども、しかし、何も法律の名前に、前例のないところまで、名称だけで思いを伝えるのではなくて、私はもう中身だけでも十分じゃないかと思います。ですから、ほかの労働基本法、農業基本法と同じように、たとえ日本国がなくてもいいのではないか、これは私の個人的な感じですけれども。

 次に、関連して、民主党は法案の読み方をニッポン国、ニホンではなくてニッポン国、こういうふうに。そして、今の答弁の中では、憲法については日本(にほん)国憲法と。これは日本(にほん)国憲法の下の日本(にっぽん)国教育基本法なんですか。その点をちょっと整理していただけませんか。

藤村議員 法案の呼び名を皆さんに押しつけているわけではございませんが、我々が提出したときにこれは日本(にっぽん)国教育基本法と読もうという立法者の意思ではございます。

 日本は我が国の国号であり、古くはヤマト、地方を基盤とするヤマト政権によって国家統一がなされたところから、ヤマトあるいはオオヤマトと称したとされており、大化の改新のころ、日出るところの意味で日本(ひのもと)と称し、奈良時代以降これを音読してニッポンまたはニホンというふうになったとされております。

 国の呼称として、昭和九年に臨時国語調査会が国号呼称統一案としてニッポンを決議したそうでありますが、政府採択には至っていない状況でございます。

 日本放送協会は、昭和二十六年に、これはNHKのことですが、正式の国号としてはニッポン、そしてその他の場合はニホンと言ってもよいとしたそうでございます。日本銀行券や国際運動競技のユニフォームのローマ字表記がNIPPONなのは、このような事情があるからとされております。

 現在でも読み方については法的な根拠がありませんが、広辞苑などでは、特にニッポンと読みならわしている場合以外はニホンと読ませることになっているようでございます。

 このような中、ニホンと読むのかニッポンと読むのかを検討した折に、NHKでも国際運動競技でも国号としてはニッポンが採用されており、これだけの国際化の時代、やはり諸外国に対しても誇れる教育の基本を示す法律として、自負を持ち、胸を張って語れる法にしたいという願いも込めまして、国際的な場に出ていく場合の読みと合わせるのがよいのではないかなという立法者の意思でございます。

岩國委員 子供たちは小学校へ入って、小学校一年生の教科書にはどちらの読み方が書いてありますか。大臣に答えていただいてもいいんですけれども、場合によっては局長でも。小学校一年生の教科書で、一番最初にこの国の名前はどういうふうに読むことになっているんですか。

銭谷政府参考人 学校における我が国の国号の読み方につきましては、ニッポン、ニホンのどちらで教えなければならないということは決まっておりません。

 教科書でございますけれども、ほとんどが漢字で「日本」と表記をされております。

 なお、小学校の音楽の教科書には、共通教材として「日のまる」「ふじ山」が取り上げられておりますけれども、「日のまる」では日本(にほん)、「ふじ山」では日本(にっぽん)という歌詞が用いられております。

岩國委員 小学校一年生の教科書では漢字で「日本」と書いてあるというけれども、漢字で「日本」という字はどう書くんですか。「日」「本」と書いて、そこに振り仮名でニホンと読ませているわけでしょう。小学校一年生に行った子供たちは、日本人はみんなニホンと読むことを教えられて、そしてこの国をニホンと呼んでいるんです。

 それから、民主党の答弁で、ニッポンということがNHKでは採用され、そちらが正しいということですけれども、天皇陛下はこの間シンガポールへいらっしゃいました。記者会見をされました。天皇陛下は、二十三回、ニホン、ニホンなんです。ニホンの国、ニホンの憲法、ニホンの人々、ニホンの国民、ニホンの誉れ、ニホンの文化、二十三回。ニッポンは一度もお使いになりませんでした。皇后陛下、三回、ニホン、ニホン、ニホンです。

 天皇陛下も皇后陛下も一度もお使いにならないニッポンを、なぜあえて使わなければならないのかなと。その辺はもう少し国民の皆さんに、天皇陛下、皇后陛下は間違っているのか、あるいは民主党が正しいのか、きっちりと説明する必要があるように私は思います。子供たちは迷いますよ。ニッポン国と言いながら、しかし、天皇陛下はいつまでもニホン。私は、小坂文部大臣にも以前ここで質問し、答弁をいただいています。世界の国で、国の呼び方が二つある国はどこにもないということなんです。

 なぜそういう道を選ばなきゃならないのか。どこかで、正しくはこれ、そして、場合によってはこういう言い方もできるというふうに、子供たちの頭をきちっと整理してやること。私は、教育についてはたくさん大切なことはありますけれども、自分たちの生まれた国の呼び方が混乱している、二つあって好き勝手にやっている、これも私はおかしいと思うんです。

 ある意味では、教育基本法の制定前に、あるいはそれと並行して、こういう点もどこかでだれかが整理し、国民的なコンセンサスを得るような努力を、やるとすれば国会しかないと私は思いますけれども、そういう観点からも、私は、民主党の「日本国」という字が必要なのかどうか。そして、ニッポンという読み方をあえて民主党がとらなければならないのかどうか。私は党内の部会でも疑問を呈しましたけれども、こういう点についてはもっと慎重に、私は、ニッポンかニホンかということは国民に説明する必要があると思います。

 同時に、学校の子供たちに、私は、ニホンなのか、小学校一年生に日本(にほん)と教えておいて三年生になったら日本(にっぽん)と出ている、どっちが正しいのか、両方とも使えるのか、やはりニホンが正しくてニッポンというのは富士山のときだけ使うのか、そういうことも整理してやらなきゃいかぬ。大臣、御所感があれば答弁してください。

伊吹国務大臣 私たちはやはりこの国に生まれたという誇りを持っているその国の呼び方が、表現の字はともかく、二つあるということについて、先生の今の思いを伺っておりまして、大変共感を持っております。

 これは、学校でどう教えるかという前に、特に日本の公文書、あるいは日本人がどういうふうにこの字を使うかということをやはり内閣府できちっと決めるという作業から始めないといけないのかなと思って今聞いておりました。

岩國委員 時間が迫ってまいりましたけれども、民主党の教育基本法案についてお伺いします。

 これは党内でもいろいろな議論があられたわけですけれども、こういった教育については、法律をつくって、我々政治家が、もっと勉強しなさい、もっと勉強しなさいと。そして、先ほどから申し上げました、失礼なことも申し上げたかもしれませんけれども、必ずしも教育の上でお手本になるような行動を余り示さないで、法律をつくって口だけ介入する。私は、くちばしを出すんだったらやはりお金も出すべきではないかと思うんです。

 教育というのはお金があったらすべて解決するわけじゃありませんけれども、さっき文部大臣に伺いましたように、教育交付税的なことも含めまして、民主党としては、具体的にこの地域格差、今、民主党もそういう点、真剣にいろいろな対案をつくっているわけですけれども、この地域格差、所得格差、そして、それがまた教育格差をもたらし、その教育格差がまた次の職業を、高学歴の人がまたいい職業を選んで、また所得格差を拡大し、その所得格差がまた次の教育格差を生んでいる。この格差社会をますます広げていくのは私は教育ではないか。逆に言えば、格差社会を解消する役割も私は教育ではないかと思うんです。

 そういう観点から、こういう格差問題、特に地域格差に関して、どういう提案、構想をこの提案の中に含めておられるのか、答弁いただけますか。

大串議員 今、岩國委員の方から御指摘のありました、地域の格差が所得の格差を生み、それが教育の格差を生んではいけない、この思いは我々も強く共有しているところでございます。

 こういうことがあってはいけないということから、我々の民主党の法案には、第二条に学ぶ権利の保障というものを明文上明定しまして、何人も学ぶ権利を保障されるということを明らかにし、さらに七条の三項におきまして、普通教育におきましてこれは国が最終的な責任を負うんだということを明らかにする。そしてこれを、今まさにおっしゃったように、制度的な担保をつけなければならない。制度的な担保をつけるという意味において、財政的措置をしっかりしていくということを明らかにするという意味で、第二十条におきまして、国は安定的に予算の確保をしていかなければならないということを明確に条文上に書き、かつ十九条においては、教育振興計画を行うに当たって、予算的な措置を国の国内総生産との関係で目標値を定めてやっていこうというふうに、制度的なところも含めて、財政的な措置を含め、そして、それによって教育の格差が生まれてこないようにするという措置を最大限盛り込んでいるところでございます。

岩國委員 あと一問だけ、民主党に質問いたします。

 こうした地方分権という民主党の大きな政策、これは自民党も共通しておりますけれども、とりわけ熱心なこの地方分権の中で、教育分権はどういうふうに位置づけていかれるのか。逆に、教育分権と一見逆行するような、そういう財政的な補助、支援制度、これをどういうふうに位置づけておられるか、もう一度答弁いただけませんか。では、笠委員にお願いいたします。

笠議員 岩國議員にお答えをいたします。

 私ども、何度もこの委員会の審議の中で明らかにしておりますけれども、先ほど大串委員からも答弁しましたように、財政的な面、あるいは機会をきちんと保障する、あるいは学習指導要領を初めとする一定としたこの基準の部分について、国が最終的な責任を普通教育においては負うということを明記すると同時に、ただ、地方自治体に、あるいは学校の現場にしっかりと権限は渡していこうということで、現行の教育委員会を廃止して首長さんに、先ほど委員からは今はまだそうなっていないということもありましたけれども、やはり首長さんに、選挙で選ばれる県知事さん、市長さんたちにしっかりと任せながらも、またこれを監査していく委員会を新たにつくりまして、一方、学校の現場には学校理事会を設置して、自主的な運営を任せていくという形での教育行政の明確化を我々は盛り込んでいるところでございます。

岩國委員 時間が参りましたので、質問を終わります。ありがとうございました。

    ―――――――――――――

森山委員長 この際、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。

 両案審査の参考に資するため、来る七日火曜日から八日水曜日までの二日間、宮城県及び栃木県並びに三重県及び愛知県に委員を派遣いたしたいと存じます。

 つきましては、議長に対し、委員派遣承認申請をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 なお、派遣委員の人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次回は、来る六日月曜日午前九時四十五分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時九分散会


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