衆議院

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第4号 平成18年11月30日(木曜日)

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平成十八年十一月三十日(木曜日)

    午後二時三十二分開議

 出席小委員

   小委員長 近藤 基彦君

      愛知 和男君    加藤 勝信君

      葉梨 康弘君    福田 康夫君

      船田  元君    保岡 興治君

      枝野 幸男君    鈴木 克昌君

      園田 康博君    赤松 正雄君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      糸川 正晃君

    …………………………………

   日本国憲法に関する調査特別委員長         中山 太郎君

   議員           加藤 勝信君

   議員           葉梨 康弘君

   議員           船田  元君

   議員           保岡 興治君

   議員           枝野 幸男君

   議員           鈴木 克昌君

   議員           園田 康博君

   議員           赤松 正雄君

   衆議院法制局第二部長   橘  幸信君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

十一月三十日

 小委員辻元清美君同日委員辞任につき、その補欠として辻元清美君が委員長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法の改正手続に関する法律案(保岡興治君外五名提出、第百六十四回国会衆法第三〇号)

 日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(枝野幸男君外三名提出、第百六十四回国会衆法第三一号)


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     ――――◇―――――

近藤小委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、保岡興治君外五名提出、日本国憲法の改正手続に関する法律案及び第百六十四回国会、枝野幸男君外三名提出、日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案を一括して議題とし、特に国民投票の対象、投票権者の範囲、投票用紙への賛否の記載方法及び過半数の意義、周知期間並びに国民投票無効訴訟等に係る事項について審査を行います。

 議事について申し上げます。

 本日は、先ほど申し上げた審査に付する事項について、項目ごとにおおむね三十分を目安として、まず、与党案提出者、民主党案提出者の順に簡潔に御発言をいただいた後、それぞれ発言の順序を定めず自由討議を行い、各項目について討議が終了した後に、本日審査に付する事項全体についての討議を行いたいと存じます。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただき、小委員長の指名に基づいて、氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 時間の経過につきましては、終了一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、投票用紙への賛否の記載方法と過半数の意義について、まず、両案の提出者より、それぞれ御発言を願いたいと存じます。船田元君。

船田議員 与党案の提出者を代表いたしまして、この件につきまして、復習も入ると思いますが、かいつまんだお話を申し上げたいと思います。

 なお、原案を中心に説明申し上げますが、あわせて、今後の議論を見ながらさらに修正といいましょうか、あるいは新たな議論の展開が必要であるということについては、また後ほど発言の機会があろうかと思いますので、そのときに譲りたいと思っております。

 まず、賛否の記載方法あるいは過半数の意義ということでございますが、私ども与党におきましては、国民投票において、発議された憲法改正案に対する正確な民意を把握するということは非常に重要であると思います。したがって、他の選挙時における投票と同様に、国民の明確に表明された賛成または反対の意思をもって憲法改正案に対する民意として理解するということを基本とする、これは言うまでもないことであります。そこで、賛成するときはマル、反対するときはバツを投票用紙に自書で、自分でお書きになって、記入をしてもらうということといたしました。

 一方、白票、つまりマルもバツも書いてないものであります。白票につきましては、例えば、それはわからない、あるいは賛否のいずれでもないなどの国民の多様な意思がそこには含まれていると考えております。したがいまして、民主党案にありますように、白票について一律に反対の意思表示とみなす、あるいは反対の意思表示と同じカウントをするということは、これは民意を解釈するということよりも民意を逆につくり出すということにもなりかねない、そういう方法ではないかと思っております。そこで、私ども与党としては、白票は無効票であるということといたしました。

 また、昨年及びことしの海外派遣における調査の結果、諸外国におきましても大勢でございますけれども、賛成または反対の意思表示を求め、白票は有効投票にカウントしないという例が通例ではなかったか、このように感じております。

 また、憲法九十六条の過半数の意義ということでありますが、賛成投票数が有効投票総数の二分の一を超えることとする考え方、あるいは投票総数の二分の一を超えることとする考え方、さらには有権者総数の二分の一を超えるとする考え方までさまざまあるということは承知をしております。ただ、国民投票において考慮されるべき民意というのは、あくまで賛成または反対という意思を明確に表示した国民の意思であるべきであります。したがって、白票などは無効票とし、有効投票総数の過半数でもって国民投票は決せられるべきだ、このような結論になりました。

 ただ、先ほど申し上げました国民の多様な意思というものをどのように投票行動に結びつけていただくかということについて、とりわけ白票を減らす工夫や無効票自体を減らす工夫を投票の方法の中で考えられるべきであるということを思っておりまして、今申し上げた原案に加えて、新たな方法、工夫もあるのではないかということをつけ加えておきたいと思います。

 以上でございます。

近藤小委員長 続きまして、枝野幸男君。

枝野議員 日本の場合、実はちょっと悩ましいのは、海外事例を調査してきて、この投票の方法については思いました。英語以外は余りよくわかりませんが、多くの国で、英語で言うと、提起に対してイエスまたはノーという投票をするというような形であるというふうに海外の例を見てきておりますが、では、日本の場合に、可とする者はマル、不可とする者はバツという投票方式をとった場合に、記載欄に、自書ですから、賛成とか反対とか書いた人はどうなるんだとか、よしとかだめとかと書いた場合はどうなるのか、非常にいろいろな記載の方法が考えられるのではないか。もちろん、投票用紙等にきちっと丁寧に、マル・バツで書くんですよということの周知、告知の努力はするんだろうと思いますが、特に日本の憲政史上初めて行われる国民投票において、どれぐらいそれが周知をされるのかということについては、かなり危惧の念を持たざるを得ないというふうに思っております。特に反対の場合に、絶対反対とかだめとか、いろいろなことを書いた票が無効票にされるというようなことが国民の意思に合致をするのかどうかということはかなり悩ましいところであります。

 そうした中で、提案時点で私どもが考えましたのは、憲法九十六条の条文に立ち返りますと、あくまでも憲法で求められている国民投票は、国民の承認を求める国民投票でありまして、賛否を問う国民投票ではないということであります。そして、承認をする人に対して、何らかの明確な意思表示を求めるという形であるならば、その承認をしたいと思う人は定められた明確な手続、ルールに基づいて承認の意思を示してください、それ以外の票と合わせてそれが投票数の二分の一を超えれば積極的に国民は承認の意思を持っていたという解し方をするのが、今最初に申し上げた、だめとか、反対とか賛成とか、いろいろな書き方が多分賛否を問うという中では出てくるであろうな、そうした人たちのことを他事記載で全部無効にするというようなことよりも、むしろ憲法九十六条の条文に素直な解釈になるのではないか。

 こうしたことで、我々は、とにかく、賛成をする、承認をする人はマルをつけてください、徹底して賛成を求める、つまり、承認を求める運動を進める方はマルと書くんですよという運動を展開してください、それ以外の意思は少なくとも明確に賛成の、承認の意思を示したものではないということで、それは分母には加えるけれどもということで過半数を判断する。こういうやり方が、少なくとも提案時点では最も合理的ではないかなというふうに提案をいたしました。

 なお、さらに、賛成、反対、承認をする、しない、それぞれの意思をより完全に近い形で正確に受けとめることができる投票方法等が提起されるならば、それについては柔軟に検討する余地はあると思っておりますが、現時点ではこのように考えております。

 以上です。

近藤小委員長 次に、各小委員の方々から御発言をいただきたいと思います。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

笠井小委員 日本共産党の笠井亮です。

 このテーマに関連して若干発言をしたいと思いますが、私は、六月一日の本会議、また十月二十六日の委員会で、両案ともに、投票率が例えば五割だった場合に二割台の国民の賛成で改憲案が承認されかねず、これでどうして主権者国民の意思を酌み尽くすものと言えるのかという問題についてただしました。そして、そこには最低限の国民の賛成で改憲案を通そうとする意図があるのではないかということでただしたわけであります。

 これに対して、自民党の提出者の答弁は、白票などを一律に反対の意思表示とみなすことは民意をつくり出すことになる、国民の本来の意思と異なる結論に結びつくことになりかねず、したがって有効投票総数の過半数で国民投票は決せられるべきであるというものでありました。

 それから、民主党の提出者の答弁では、投票権を放棄した者まで過半数分母に加えることは適切でない、一方で、投票所まで足を運び、かつ国会の発議を是とする意思を明確に示さなかった者については承認の意思がなかったものと判断するのが自然であり、投票総数の二分の一を超えたことをもって改憲についての国民の承認があったものと規定したというものでありました。

 私は、このいずれについても、道理ある理由というか、説明にはなっていないんじゃないかというふうに考えております。

 まず、与党案が有効投票総数の過半数としていることについてでありますが、これは投票方式とも結びついて、与党案では、改憲案に対して、賛成の意思表示だけでなくて、わざわざ反対の意思表示をしなければ過半数の母数には加えないという仕組みになっております。しかし、憲法九十六条は、国民の承認を経なければならないという規定をしているように、国会が発議した改憲案に対して賛成するか賛成しないかを求めるものであって、反対の意思表示まで求めるものではないということだと思います。与党案は、九十六条をそういう意味では不当に解釈して、過半数分母を小さくして、少ない国民の賛成で改憲案を通そうという意図があらわれているものと言わなきゃいけないというふうに思います。

 この質疑、私は、ちょうどテレビが入った状況の中でやりまして、視聴された方からも、今度の仕組みによっては投票率が五割であれば二割台の国民の賛成で改憲案が通るというのでびっくりした、大変なことになるということでありましたけれども、まさに、与党案をもってしても、そういう点では非常に少ない国民の賛成で改憲案を通そうということが貫かれていると言わざるを得ないというふうに思います。

 それから、民主党案の方も、投票所まで足を運んで、かつ賛成の意思表示をしなかった者も国民の意思表示とするのであれば、投票を棄権した者も、少なくとも承認はしなかったという国民の一つの意思表示と見ることができるのではないか。だから、そういう点では、結局、いずれの案についても、主権者国民の意思を最大限酌み尽くすものになっていないと言わざるを得ないというふうに思うんです。そのように考えております。

 以上です。

近藤小委員長 笠井先生、お答え要りますか。

笠井小委員 自由討議というのは、後でも言おうと思ったんですが、これは理事会や理事懇でも意見を申し上げたんですが、本来、法案が出ていて、提出者に質疑するというのが審議の姿なんですが、自由討議というので、私もちょっと違和感があると当時申し上げたんですが、ここで提出者に質問して答えてもらいますというと、本来これは委員会質疑で聞きたいことなので、それぞれ提出者の御意見がありましたので、私もこう思っていますということで申し上げたので、また御意見があればそれは言っていただければいいですが、お答えを直ちに求めているということでは必ずしもない。また別途きちっと質疑したいというふうに思いますが、とりあえずそういうことです。

近藤小委員長 わかりました。

辻元小委員 この過半数の定義の議論でいつも出てくるのは、最低投票率の問題が出てきます。

 これは以前の委員会でも指摘した点なんですけれども、憲法の正統性を担保するということが非常に重要であると私は考えています。

 余りにも低い投票率で賛成または反対が、余りにも低い投票率で反対と決まった場合も、そんなに少ない人たちで決めた憲法じゃないかということで、憲法という、国の基本になる最も大切なものに対しての正統性ということに傷がつく、と言ったらおかしいですけれども、のではないかという懸念は再三指摘してきたとおりです。

 そしてまた、政治状況を見ましても、少ない人たちの賛成または反対で結果が決定された場合に、今でも憲法について、これは本委員会でもさまざま指摘が出ておりましたけれども、解釈改憲という言葉が出ていましたけれども、少ない数で新しい憲法または現憲法が承認されているのだからと、政治の場での憲法の扱いに対しても、現状から見ますと非常にないがしろにされる懸念が出てくるのではないか。

 それから、これも再三指摘しましたが、政権交代の世の中になっていますので、政権がかわっても耐え得る憲法であるということがやはり大事だと思います。日本国憲法は本当に六十年間耐えてきたというのは、ある意味よくできていた憲法であったかと私は非常に高く評価しておりますけれども、例えば社民党が政権をとるということもあるわけですから、政権交代をした場合にも耐え得るとなってくると、やはり圧倒的多数の人たちで承認されたなというのが憲法という最も大事な政治の土台をつくる必要な条件であると考えた場合に、本当に最低投票率について議論しなくていいのか。私は、ほかのものと違って、設定ということを考えてもいいのではないかと今でも思います。

 それともう一つ、住民投票を見ましても、先日、岩国での住民投票のことも本委員会の議題に上りましたが、ボイコット運動のことが問題になりました。しかし、ボイコット運動が起こったとしても、最低投票率をクリアし、反対または賛成の意思がはっきりと示されたというところに大きな意味を持つということでは、結果に意味を持つということではないかと思います。

 その点は諸外国でも、イギリスなどでは四〇%ルールというようなものを設定していたり、それぞれの国の状況によって違いますけれども、私たちが扱っているのは憲法である。その憲法の正統性の担保というところで、最低投票率についてしっかりと議論され、私は設定ということを考えるべきではないかというように思いますので、もう一度きょうの関連で意見を申し述べました。

枝野小委員 今の笠井さんと辻元さんの話に対して意見を申し上げると、ちょっと我が党の案の弱点をさらすような話になるので言いたくない部分もあるんですが、棄権する自由とでもいうべきものを民主主義においてはどう考えるのかということなんだと思います。

 憲法改正というと、九条のような非常に重要なテーマばかりが想定をされがちでありますけれども、これは私もこの場で何度も申し上げておりますが、私は、現行憲法では私学助成金というのは憲法違反だと法学者としては思っておりますし、だから変える必要はないとも思ってはいるんです。私学助成金が必要だと思うのであるならば、本当はあの条文は変えた方がいいんじゃないのとか、それから、裁判官の報酬を減額してはいけないという憲法上の規定があるにもかかわらず、これは事実上の解釈改憲で、私はこれも違憲だと思いますが、本当はこういうことは、憲法制定時にはデフレ、賃金低下だなんということを想定していなかったと思うので、本当は憲法の条文を変えて、その上で裁判官の給与を減額するという手続を踏むべきだと思うんですが、こういったテーマのような場合においては、かなり技術的なものであって、多くの国民の皆さんが関心を持たないのがむしろ自然であるようなテーマという場合も少なからずあるんだというふうに思っていて、そうした場合には、よくわからないから関心のある人たちで決めてくださいよという自由も民主主義においてはあるんではないかというふうに思っております。

 したがって、逆に、憲法九条に絡むような話のように、重要なテーマであるならば、私は、国民の皆さんが重要だと思っているならば当然投票率は高くなるはずでありますし、その中で決定をされていけばいいんではないかというふうに思っています。

 そのときに、棄権する自由というものをどこまで認めるかというのが実は我が党案の悩ましいところでありまして、投票所に足を運ばない自由ということに加えて、一度に三つ、四つのテーマが別々の表で区分されて国民投票に付されたときに、投票所まで足を運び、なおかつ棄権をする自由というのをどういうふうに担保したらいいのかなというのが若干悩ましいなというふうには思っております。

 以上です。

船田小委員 先ほど笠井委員、辻元委員から、最低投票率制度というのをやはり考えるべきではないか、こういう話でございましたが、確かに、私も投票率が低いということ自体は望ましいことではないと考えております。棄権の自由というのも枝野委員から指摘されましたけれども、ただ、一般論とすれば投票率が低いということは望ましくない。

 しかし、最低投票率制度を設けた途端に、過去にも諸外国において例がありましたように、投票をボイコットさせる運動というのもまた同時にその結果として誘発しかねないということ。それから、本来憲法九十六条が規定する以上のいわゆる加重要件ということで最低投票率制度を設けるというのは、これはやはり憲法上問題があるのかな、そう思っております。

 むしろ、低い投票率に対する懸念というのは、投票率を上げるための他の手段、例えば周知広報の徹底であるとか、あるいは国民投票運動の点における工夫であるとか、そういう手段において投票率を上げるということが重要であると私は思っております。

 それから、先ほど来、与党案も民主党案もマルあるいはバツというものに固執をしているわけでありますけれども、しかし、私は、民主党が言う白紙、白票というものは、ある意味で賛成ではないんだから、これは反対というか分母に入れるべきだ、こういった意見もわからないではないのであります。

 ただ、私としては、与党案、民主党案、両方の主張するところをうまく酌み取るということを考えた場合には、例えばですが、マル・バツを自書で書いてもらうということではなくて、賛成、反対という文字が最初から投票用紙に書かれていて、賛成する方は賛成にマルをつける、反対の方は反対にマルをつけるということを、これは素直な賛成、反対の意思表示の仕方だと思うわけであります。

 しかしながら、例えば、どちらかといえば反対なんだという人は、明確に反対ということを余りはっきり言いたくない人もいるかもしれません、そういう人は、賛成という文字にバツをつけるあるいは二重線で文字を消す。あるいは、どちらかといえば賛成なんだけれども余り積極的に賛成というところにマルをつけたくないという人は、これは逆に、反対という文字にバツをつけるあるいは反対という文字を二重線で消す。というようなことで、できるだけ、ややあいまいと言っては恐縮なんですけれども、反対は反対だけれども積極的な反対とはちょっと違う、あるいは賛成は賛成なんだけれども積極的賛成ともちょっと違う、そういった意見を今申し上げたような方法で多様な意見として表現する、そういう部分というのが今申し上げた方法によると出てくるのではないか、こう考えました。

 もちろん、そうはいっても、投票所に行って、どちらでもないということで、賛成、反対、両方の文字に何も書かないという方もおられるかもしれません。それはいわゆる白票と同じことでございますが、そういう手段をとれば、白票の割合というのは、一般論ではございますけれども、その割合とか数というのは相当減ずることが可能ではないか、こう考えております。

 こういった、今申し上げたような、マル・バツ自書式ではない、最初から賛成、反対、両方の文字がそれぞれに書いてあって、それに印をつける、こういうことで白票そのものを減らすということがある程度できるのではないか。一〇〇%の解答ではないとは思いますけれども、そういうことも考えていいのではないかな、こう考えております。

 以上です。

鈴木(克)小委員 今の船田委員の御発言に対してちょっと意見を申し上げさせていただきたいなというふうに思うんです。

 考え方としてはわかりますけれども、現実にはちょっと問題があるなというふうに思って聞いておりました。それよりも、今言われるように、確かに判断に苦しむというか、よくわからないから、あとのことは例えば主権者の皆さんで決めてくださいという立場の国民もおみえになるというふうに思います。それは、逆に言えば、棄権をする自由を認めるとか白票で出すということが、ある意味では一つの意思表示という整理になるんではないかな。

 今船田委員がおっしゃったような形では、ただただ混乱を招いてしまって、マル・バツでなきゃ三角だとか、三角でなきゃ二重丸でどうだとかいう議論に入っていくと、これは非常に難しくなるのではないかなというような感じで私は聞いておりましたので、御意見だけ申し上げさせていただきます。

 以上です。

笠井小委員 私は別に答弁を求めて発言したわけじゃなかったのですが、私の発言に関連して御意見もありました。ここで別に妥協点とか、何かここは一致できるとか、修正しようという話をしようという場でないので、私がちょっと関連して思ったことについてだけ述べたいと思います。

 私の意見に対してもいろいろ言われましたが、やはり依然として説得力があるような理屈とは言えないんじゃないかなというふうに思うんですね。

 枝野委員が棄権する自由ということで幾つか言われたんですが、例えば重要問題であっても、十六日の小委員会の中で、井口参考人が、結局、発議自身が不適切な場合に、国民は判断できずにその際は棄権ということもある、そういうことにも一定の意味を持たせるということで最低投票率ということもあるんじゃないかと言われたわけですが、そういう問題も出てくるんだろう。だから、自由性をもっと入れようと思ったって、やはり結果としては棄権するという場合も当然出てくるわけです。

 私たちの党は改憲の条件をつくる法は必要ないというか手続法は要らないという立場ですから、こうやったらいいと言う立場にありませんし、そういう点では、ぜひ案を出して、必要だと思う方がどうやったら国民の民意を一番酌み尽くすことになるのかということを考えていただければいいと思うんですが、少なくともそういう点はあるのかなというふうに思った点が一つ。

 しかも、最低投票率制度にかかわっても、先ほどもボイコット運動を誘発しかねないという話がありましたが、そもそも憲法の改正の国民投票でボイコット運動が起こるかどうかというのは甚だ疑問な点があるんですが、仮に起こったとしても、国民の意思表示が多種多様であるとすれば、ボイコットも改憲案を承認しないという国民の一つの意思表示と見ることができるわけです。提出者は国民の運動は基本的に自由というふうに言われているわけですから、そういう点で言うと、憲法改正の国民投票という場面でなぜボイコット運動を規制するというか、いけないんだというふうに言わなきゃいけないのか、その点についても合理的な理由はないんじゃないかというふうに思うんです。だから、それをもってしてだということにはならないだろうということを感じました。

 以上です。

    〔小委員長退席、愛知小委員長代理着席〕

枝野小委員 先ほど船田先生から御指摘のあった話なんですが、要するに選挙の場合と国民投票の場合で恐らく一つ決定的に違うだろうなと思うのは、選挙の場合は、他事記載みたいな話を認めるといろいろと選挙の不正につながるのではないかというおそれがあって、他事記載を非常に厳格に絞っていますね。ただ、そうはいっても、疑問票だなんという話のときには、例えば私の場合に、「枝野幸男」とフルネームで書いていなくても、恐らく「枝」だけでも有効なんですかね、これはどうなんですかね、多分、そんないろいろなバリエーションがあり得るんだろうと思うんですね。

 国民投票の場合は、賛否を問うという話なわけでありますから、例えば基本原則の投票の仕方はきちっと決めなきゃいけないんだろう。例えば、今船田先生の御指摘のあったような投票のあり方であるとすれば、賛成、反対の欄をつくっておいて、賛成の者は賛成欄にマル、反対の者は反対欄にマルという原則をつくっておいて、ただし、その意思が明確に読み取れるものはそれぞれの票として読むということで、賛成にバツをつけていれば反対の意思表示である、反対にバツをつけていれば賛成の意思表示である。あるいは他事記載を、私はこれは認めても構わないと思うので、反対にマルをつけて上に「絶対」とくっつけているとか、あるいは賛成にバツをつけて反対のところに「絶対」とつけているとか、こういうのもちゃんと有効票として数える。全くの白紙か意味不明のこと、あるいは三角とかをつけているみたいなものだけがまさに棄権の意思表示として分母から外す。こういうイメージであるならば、鈴木先生のおっしゃった、混乱とかということなくいくのかどうなのかというふうに思いますので、そういう点ではちょっと検討の余地があるのかなというふうに思っておりますので、船田先生の先ほどの御提起の意味をもう一度聞かせていただければというふうに思います。

 それから笠井先生の、私は、憲法改正の国民投票の九十六条のところに最低投票率等について規定がないということの意味は物すごく重くて、ボイコット運動というのは、運動のあり方、政治論としてちょっとひねくれているというか、反対であるならば反対の投票をしましょうということで動かすべきである。まさに棄権する自由というのは、私の一票あるいは私の持っている一票の権利は、つまり、憲法を変える側にも変えない側にもどちらにも使いませんという自由を認めるということなんであって、ボイコット運動を認めるということは、逆に、投票に行かない人が変えないという方向に自分の一票の権利が使われるということになるわけですから、私の申し上げた棄権をする自由ということとむしろ矛盾をすることになるというふうに思います。

 その上で、さらに、例えば仮に最低投票率を五〇%としたときに、ボイコット運動を成り立たせない方法はたった一つだけあって、実は最低投票率を五〇%と決めるかわりに賛否どちらかが二五%以上の得票を得ないと成立しないとすればいいわけなんですけれども、まさに明確に憲法九十六条に規定をしない加重要件が加わるということにほかならないわけで、文言解釈上もちょっと無理ではないのかな、こんなふうに思っております。

辻元小委員 今、憲法九十六条の解釈という話が出ました。九十六条には過半数としか書かれていなくて、何の過半数かということが明記されていないわけですね。第二東京弁護士会へ各党の代表者が行った折も、この過半数をどう解釈するか、全有権者の過半数という解釈も成り立つんじゃないかというような発言が出ましたので、私は憲法を初めて学んだときには、素直に読めば全有権者の過半数というように思っていたわけですけれども、ですから、この憲法九十六条の過半数をどう解釈するかということは、先ほどの枝野委員は最低投票率を課すことは九十六条の趣旨からちょっと違うんじゃないかという発言もありましたけれども、そうであるならば、過半数をどう見るかということも明確に規定されていない中で決定しようとしていますので、私は、最低投票率について設定ということは九十六条の範囲を逸脱するものではないというふうに思っております。

 ボイコット運動についてですけれども、実態を見ますと、はっきり言ってうまくいっていないと言ったら変なんですけれども、結局、例えば四〇%とか五〇%と課しますと、ボイコットする方も、四一%になったら怖いなと思うわけですよ。ふたをあけてみたら四一%になって、ボイコットをしたのはいいけれども、賛成または反対、自分と違う立場が圧倒的多数だったら怖いから、最終的にはしっかり投票に行って自分の意思をあらわしましょうというように、いろいろな各地での住民投票などでも、最終的にはやはり行きましょうという方向になっているのが現状ではないかというふうに私は見ております。

 それからもう一つ、棄権者をどう見るかという発言で、先ほど枝野委員の方からも民主党案としても悩ましいなんという発言もありましたけれども、例えば国会の中で、きょう、防衛庁を防衛省に、昇格法案というので民主党の中で棄権者が出たかどうか私は知りませんけれども、棄権者の意思というのは、反対かまたは現状でええやんかというのが大体棄権者の意思ではないかと思うんですね。変えたいと思う人が、変えたいけれども棄権をするんだということはなかなか考えられない。ということからかんがみますと、変えたいという人が積極的に意思表示をする。民主党案の肩を持つわけではないんですけれども、やはり変えたいという意思表示というのが基本になるのではないかというように、棄権の意味とかボイコットの現状ということについて私は思います。

 ですから、最低投票率についての議論や、もう少し参考人や、それから、私たちがここで発言しているのは大体いつも同じ人が同じような意見を言っておりますので、この点についてはもう少し広く、専門家だけではなく、一般の人たちが過半数をどう受けとめているのか、主権者がこの過半数というのをどう受けとめているのか。それから、憲法というものを扱うに当たって、投票率との関係でどのように考えているのかという、主権者そのものの意見もしっかり聞いた方がいいというように思います。

 いつもここは割かしぐるぐるぐるぐる話がめぐりますし、今、船田委員と枝野委員の話を聞いておりますと、何か修正協議をここでやっているのかなと思うような節もあって、私たちのこの中だけで過半数の定義とか、最低投票率というか、投票率についてどう思うかということを決めることは、私は危険だと思います。主権者がどのように見ているのか、九十六条の過半数をどう見ているのかとか、それから、投票率についてどう思っているのか、憲法についてどういうふうな投票の仕方がいいのかということをまだ一度も聞いておりませんので、まあ、一部参考人の方は呼びましたけれども、そういうこともしっかりと聞くべきではないかというふうに思います。

船田小委員 先ほど枝野委員から私の新たな提案について一定の評価をいただきまして、ありがとうございました。ただ、私の説明が余りうまくなかったなと思いまして、かえって混乱をするということで鈴木委員からは大分きつい御指摘をいただいたことも、大変反省をしております。

 もう一度簡単に説明いたしますと、要するに賛成、反対の意思表示については、それぞれ賛成にマル、あるいは反対にマルということで、もうそれだけで原則として提示をする。しかしながら、ここから先は投票者の自由にかかわる部分だと思いますけれども、反対ではないんだけれども積極的に賛成でもない、それから、その逆の人もいるわけですから、そういう方々は、先ほど私が申し上げたような、例えば賛成にバツ、あるいは反対にバツ、そういう意思表示も許容していいんだろうというふうに思っております。いずれのところにも何も書かないというものは、これは確かに、白票といいますか、そういうことで無効と扱うべきだと思っておりますが、いずれにしても、その投票用紙に示された意思がはっきりとわかるものについて、それをできるだけ幅広く拾っていこうという趣旨で申し上げたつもりでございまして、そういうことをやっていけば、いわゆる白票あるいは無効票というものが相当減らすことができる、こういう趣旨でこのようなことを申し上げたつもりでございます。

 なお、この表示の仕方が果たして賛成なのか反対なのかよくわからない、これは一般の選挙における疑問票ということでございますが、疑問票をどう評価するかということは、選管であったり立会人が行うということになると思いますけれども、これは、投票した人の意思がどこにあるのかということがはっきりしているものについてはできるだけ幅広く拾っていこう、こういう趣旨でございますので、ぜひ御理解をいただきたいと思います。

愛知小委員長代理 この項目につきましての討議、三十分以上たちましたので、ここでひとまず……(発言する者あり)後でまたやりますから。次に進みたいと思います。

 国民投票に関する訴訟について、まず両案の提出者よりそれぞれ御発言をお願いしたいと存じます。船田元君。

船田議員 国民投票に関する訴訟でございますが、これは私どもと民主党案はほとんど違いがないわけでございますが、まず私の方から、復習も含めまして、概要を簡単に申し上げたいと思います。

 この法律案におきまして、国民投票が公正に行われ、その結果が適正に決定されることを確保するために、国民投票無効の訴訟の制度を設けさせていただきました。

 まず、出訴期間でございますが、これは立法裁量の問題ではありますが、本法律案におきましては、一つは、出訴の準備に必要な最小限の時間的な余裕は設けなければいけないという要請があります。しかし、もう一つの要請としては、国民投票については、その性質上、その効果を特に早期に確定させるべきだという要請があるとも思っております。その両方の要請を勘案いたしますと、出訴期間については国民投票の結果の告示の日から三十日以内が適当である、こう考えた次第でございます。

 また、無効訴訟につきましては、公選法の選挙訴訟と同じように、法律によって特に提起することが認められるいわゆる客観訴訟という考え方で対応したいと思っておりますが、選挙訴訟等とは異なりまして、判例の蓄積による基準の確立が期待できない分野でもありますので、司法が政治的、恣意的に判断することを防止するという観点からも、無効事由というものをあらかじめ明確に規定しておくということが望ましい、こう考えたわけであります。

 具体的には三つ考えられます。一つは管理執行機関の手続規定違反、二つ目には多数の投票人が一般にその自由な判断による投票を妨げられたと言える重大な規律違反があるとき、三つ目には投票数確定の誤りがあるとき、この三つに限定をして無効事由として明文規定をしたということであります。

 なお、憲法改正の効果が発生した後に事後的に無効とされる場合、法秩序に極めて重大な混乱が生じ得るということも考えられますので、一定の要件に該当する場合に限って、裁判所の決定をもって緊急避難的に必要最小限度の範囲で国民投票の効力の発生を停止する制度、これは行政訴訟法上の執行停止制度を参考にしたわけでありますが、そのような一部効力発生を停止する制度を設けるということもあわせて考えた次第でございます。

 以上であります。

愛知小委員長代理 枝野幸男君。

枝野議員 今詳細については船田先生から御指摘があった話と、この部分は民主党案、与党案が一致しておりますので、具体的に加えることはございませんが、憲法改正が具体的に実施をされるときというのは、発議においては国権の最高機関である国会の民主的手続によって発議をされ、主権者である国民が直接投票をするというプロセスの中で進められますので、それが司法審査の対象になるということ自体が基本的には想定されないものである、まさに政治的行為であるというふうに私は思っています。

 例えば、憲法改正限界などという審査を十五人の最高裁判事が判断をして、国民の圧倒的多数が憲法改正限界を超える憲法改正、つまり革命をするんだ、無血革命をするんだという国民の意思表示をしているのに、革命前の最高裁判所がそれは違憲であるだなんて判決を出すことは余り意味のないことであるというふうに思いますので、基本的には司法審査には適さない性質のものである。

 ただ、それは日本が六十年間曲がりなりにも民主主義が確立をしてきたからそう思っているだけでありまして、例えば、国民投票のときに、銃を持った人たちが投票所を取り囲んで、賛成なら賛成、反対なら反対の投票をしそうな人たちを銃で追っ払うみたいな話のことは、世界各国で、幾つかの国で時として行われることはありますし、それこそ選挙管理委員会が大規模、組織的な不正をして、数の数え違いをするとかということが万が一にもないとは言えないという場合には、それは司法的手続において、そうしたことは民主的なプロセスを経ていませんねということの余地をつくっておく必要があるだろうというふうに思いますが、さすがに、今想定される日本においてこれが発動するということは、私は想定されないと思ってはおりますが、万が一のためにそういったことも用意をしておくということだろうと。

 あくまでもこれは民主的なプロセスによる手続ということで、最高裁判所の、司法の違憲審査権よりも優越する唯一例外的なプロセスが憲法改正の手続だろうというふうに私は理解をしております。

愛知小委員長代理 それでは、各小委員の方々から御発言をいただきたいと思います。御発言を希望される方は、ネームプレートをお立てください。

辻元小委員 きょうは発言の少ない小委員会かなと思いますけれども、一つは、憲法は主権者のものであるということで、裁判を起こす場合に、今のところ東京高裁ということに限られているかと思いますけれども、やはり各地で行えるようにした方がいいのではないのかということを我が党では議論して、そういう社民党の意見です。

 それと、今の憲法の改正の限界については、私たちは、改正限界についても、この憲法についてはおかしいじゃないかということを裁判の対象として主権者が異議申し立てをすることができる道を断たない方がいいという意見です。

 先ほど枝野さんがおっしゃったこともわかります。ただ、日本もよかった時代ばかりではなくて、歴史上軍国主義の時代からいろいろなことを経てきておりますので、やはり憲法の改正の限界ということについてはどのように取り扱うのかというのは議論されるべき問題であると思います。

 ドイツなどでははっきりと憲法に明記しているわけです、これとこれとこれは改正の限界でできないとか。それから海外調査でも、オーストリアでは、その議論が出た折に、全面改正というような、いわゆる改正の限界につながるような質問が出たわけですけれども、そんなことを考えられるのは民主制を君主制に戻すとか、地方分権を中央集権に戻すとか、何かそういうときしか考えられないよねということで、やはり改正の限界というのは非常に意識されていたと思うんです。

 国会の発議の段階でこの改正の限界ということをきちんと踏まえて発議ということが、通常、国会の良識として考えられるというような御主張をされた方もいらっしゃるかと思うんですけれども、恐縮ですが、私は、今の自民党の新憲法草案を見ておりますと、何回も申し上げておりますけれども、そもそも憲法観から始まって、改正の限界に疑義ありというように思っておりますので、実際に改正の限界についての主権者からの異議申し立てというものをどのようにしていくのかということは議論に値するのではないかと思っておりますので、問題提起をしておきます。また、これは本委員会での質疑のときにそれぞれの提出者の御意見を伺った方がいいと思うんです。ここでは、きょうは小委員会ですので、問題提起にとどめた方がいいのではないかと思います。

笠井小委員 今、辻元委員からあって、重なる部分があるんですが、一つは船田委員から言われた、国民投票に関する訴訟で三つの事由に限定しているということに関連してなんですが、その限定とあわせて、やはり訴訟の対象も、例えば広報協議会なんかは含まれていないということがあると思います。しかし、当委員会の議論の中でも、まさに憲法改正には限界があるという問題については、法案提出者からもそういう限界はあるということも述べられたわけで、そのことからすれば、国会が発議した改憲案が改正の限界を超えたものなのかどうか、司法審査の対象になるような制度が検討されたのかどうかというのは、ちょっとこれは疑問だということを非常に感じている点が一つです。

 それからもう一つは、提訴期間三十日間とした理由ですけれども、速やかにということで先ほど説明がありましたが、例えば公選法の場合に、公選による公務員の地位は他のいかなる場合よりも早急に確定させるのが望ましいということがあって特に期間を短く定めているという理屈はあると思うんですけれども、憲法の場合には、改憲の確定の期間が長引いたとしてもそのことによって政治の空白が直ちに生まれるわけではないので、そういう点では明らかに違う問題があるだろうと思います。

 それから、一般の行政事件の訴訟を扱う行政事件訴訟法では国民にやや酷であるという批判があって、たしか二〇〇四年にそれまでの出訴期間三カ月を六カ月に延長するということがあったと思うんですけれども、いわんや憲法改正という重大な問題について言えば、一般の行政事件訴訟よりも短くていいという理屈はないんじゃないかということを非常に強く感じているというのが二つ目です。

 それから最後は、東京高裁に限定している問題で、辻元委員からありましたが、私はとにかく限定している理由がよくわからぬというのが、一言で言って感じている点であります。

 以上です。

保岡小委員 先ほど辻元先生から触れられた管轄裁判所のことでございますが、これを一に限定するということは、国民投票無効の訴訟が複数提起される場合もあるわけで、そういう場合の併合の便宜等を考慮したものということでございます。例えば、複数の開票区の無効事由があわさって初めて国民投票の結果に異動を及ぼすおそれがあるケース、それらの訴訟が併合されなかったために敗訴となってしまう不都合も生じます。

 したがって、管轄を高等裁判所の専属管轄とするか各高等裁判所に管轄を認めるかという問題もありますけれども、迅速かつ統一的な判断の必要性の観点と国民の裁判所へのアクセシビリティーの観点等から検討を要する問題ということでもあります。特に迅速な審理、判決が求められ、判決結果の大きいことを考えれば、東京高等裁判所の専属管轄とすることが望ましいものと考えました。

 それから、笠井先生からお触れになりました、辻元先生もちょっとお触れになりましたが、憲法改正の限界を超えているか否かというのが無効事由になるかという問題です。それは先ほど枝野先生からもお話がありましたとおり、手続上本質的に無効とせざるを得ない、そういうものに限定したものであって、超えているか否かを含めて憲法改正の内容の是非を判断できるのは、第一義的には発議する国会であり、また最終的には主権者である国民のみであるということであろうと考えます。

愛知小委員長代理 他に御発言はございませんか。

 ないようでございますので、次に移りたいと思います。

 次に、国民投票の対象について、まず、両案の提出者より、それぞれ御発言を願いたいと思います。船田元君。

船田議員 国民投票の対象につきまして、私どもの与党案におきましては憲法改正の国民投票に限っております。

 確かに、昨年及びことしの海外派遣における調査、あるいは文献調査などによりますと、諸外国では、一般的国民投票制度をそれぞれの国の特性に応じて法体系に組み入れている例も少なくはないということも承知しております。

 しかしながら、現行の日本国憲法では国会を国の唯一の立法機関である、このように規定しており、議会制民主主義を採用しております。一般的国民投票制度は、その効果が、たとえ諮問的なものであるとしても事実上の拘束力があり得るということは否定できないわけでありまして、もしこれを導入するということになると、議会制民主主義の根幹にかかわる問題である。いわゆる議会制民主主義と直接民主制のせめぎ合いということが起こる危険性があるということであります。また、国民投票が要件とされており、かつその結果に法的拘束力がある憲法改正国民投票と、それから、任意に実施され、諮問的な効果が想定される一般的な国民投票とではやはり本質が違うということであります。

 したがって、今回は、憲法改正国民投票法制に特化した議論に限定をする。一般的国民投票制度は、その意義を否定するものではありませんが、これは別途検討すべきであると考えております。

 なお、先ほど、午前中の会合でも出ましたけれども、先日の参考人の御意見にもありましたように、国会による有権的世論調査、いわゆる予備的な国民投票というような制度があってもいいのではないか、こういった発言が小林参考人からございました。

 この点につきましては、確かに、いろいろと私どもも今検討を加えておりますけれども、例えば一般的な国民投票の制度とは別に、それとは切り離して検討するということはあり得るんではないかと思っております。それは、言うまでもなく、一つは国民の意思がこの憲法に対してどういう状況にあるのかということを推しはかる道具として有用ではないかということ、あるいは、いきなり国民投票というのは日本国民にとりまして初めての事態になるわけでございますので、国民の皆さんに国民投票のあり方について、なれていただくというのはちょっと語弊があるかもしれませんが、なれていただくことがやはり必要である。

 こういったことも考えますと、予備的な国民投票ということについて一般的国民投票制度とは別に検討するということは決して意味のないことではない、こう思っております。

 ただ、これを法案できちんと措置するというよりも、私は、これから設置されるであろう憲法審査会の中で、お互いの各政党の話し合いの中や、あるいは運用していく中で少しずつこれを整備していくのが妥当ではないかな、こういう考え方を持っております。

 以上でございます。

愛知小委員長代理 枝野幸男君。

枝野議員 実はこれは私の責任もあるのかもしれませんけれども、きょうも配られている表では一般的国民投票という言葉が使われていまして、俗に一般的国民投票と言ってしまっているので、もしかすると、何かあらゆるテーマについて、しかも国会が発議をするんだから、具体的な法律案のようなものを前提に、これについて国民の意思を諮問的に問うみたいなイメージを与え過ぎてしまったのかなという、ちょっと反省をいたしております。

 あくまでも、条文上にあるのは、国政における重要な問題に係る案件について国民投票に付すということでありまして、具体的にこの法案に賛成ですか、反対ですかというようなことを聞くということよりも、むしろその前段階的なところの方が、使われることがあるとすれば意味があるんではないだろうかなと思っています。

 例えば、臓器移植法という法律が制定をされましたが、そのときに、脳死が人の死であるかどうかという大テーマが前提にありました。私はいまだに脳死は人の死と法律で決めることではないと思っていますし、いや、脳死は人の死であるというお考えの方もいたわけですが、脳死は人の死なのかどうかなんということは、臓器移植法をどう整備するかという大前提として国民投票で決めてもらう。例えば、それで脳死が人の死であるという人が多数であるならば、脳死は人の死であるという前提の臓器移植法をつくり、いや、脳死は人の死と認めるという人がまだ少数であるならば、脳死は人の死ではないということを前提に、私は脳死は人の死ではないという前提で、違法性阻却事由になるんだということで臓器移植を進めるという法案の提出者になりましたが、そういうやり方をするのかどうかということが国会での議論になる。

 今ならば、実は、代理出産という話があります。代理出産の場合の母は、分娩をした母なのかDNA上の母なのかなんということは、正直言って政治が決められることではないんじゃないかと私は思っていまして、これなどは、例えば国民の皆さんに判断をしてもらった上で、これをどちらの判断にするにしても、その上で、じゃ、こういうことは、現に進んでいることについて、法律的、行政的にはどういう対応をしたらいいのかということは、どちらの判断の上に立つにしてもやらなきゃならないことで、そこは立法府が責任を持って行うとか。

 つまり、法案の具体的なことではなくて、どういう立ち位置に基づいて法的整備を進めるのかという前提みたいなところというのは、私は唯一の立法機関という話とは全く矛盾せずにできるんであるし、憲法についての予備的な国民投票をという赤松先生を初めとして出てきている議論もそういったような意味なんではないか。具体的な条文を示して賛成か反対かなら、まさに九十六条の国民投票をやればいいわけであって。

 そういうイメージで、少なくとも私は、国政問題に係る案件の国民投票というのを想定しておりまして、若干、ここのところが提案自体が整理されていなかったかなという反省も含めて思っておりますが、そういうところはつくっておいた方が、私は、今現に代理出産みたいな話というのは、そういった形でまずは国民の考え方を皆さんに考えていただく、あるいは脳死についても国民の意思、脳死を人の死という前提で臓器移植するのか、人の死ではないけれども、その段階では臓器移植できるという形で臓器移植するのかみたいなことは、もう一度立ち返って国民投票してもいいんじゃないかと思っておりますが、そういうことはできる余地をつくっておいたらいいんではないかというふうに思っています。

 船田先生から、今すぐじゃないとして、要するに、両案にある憲法審査会で議論をというお話があったんですが、逆に言うと、今ここでつくっておかないとということの我々の一つの政治的意味は、これは所管委員会がないんだろうな。つまり、ここでやらないと、所管委員会がないので、これを別途切り離しでやりましょうとなったら結局たなざらしになって行われないんじゃないかという危惧がありまして、逆に、これは憲法審査会の審査対象、議論対象なんだということが確認をできるんであれば、それはそれで一つ議論の余地があるのかなというふうに思っております。

    〔愛知小委員長代理退席、小委員長着席〕

近藤小委員長 次に、各小委員の方々から御発言いただきます。

辻元小委員 今、国政の重要案件に係る国民投票ということについて、与党の考え方、そして民主党の考え方が示されました。

 これについて、私は、今の枝野委員の脳死を例にとった国民投票の話について、非常にいい例と言ったらおかしいんですけれども、なかなか政治案件以前の問題について直接問うという機会がない中で脳死の案件なんかも扱われてきたように思っておりましたので、非常にわかりやすい例だったのではないかと思います。

 その前提で、今おっしゃったようなあり方で国政の重要案件を国民投票にかけるというようなシステムをつくっておくということは、ある意味、民主主義を豊富化するという面もあるんじゃないか、あくまで諮問的ということになると思いますけれども。ですから、あえて一般的国民投票と申し上げるとすれば、私は、まずこれをつくって、そしてやってみて、その上で憲法のことを考えたらどうかなと思っているんです。それも前に申し上げました。

 いきなり憲法について、一番国の根幹について国民投票をしようというのではなく、ヨーロッパなどの調査でも、やはり一般的な国民投票というものがある程度なじみがあるというか、定着している中で憲法の取り扱いもあって、ですから私は、むしろ、先ほど船田委員の方からも予備的な国民投票という発言で一定の理解をお示しになっていますので、まず、そういう一般的な諮問的国民投票法というものを検討し、そして、その中にはきっと、先ほどから問題になっております投票用紙の記載方法とか、国民投票というものをするに当たっての、やってみたらさまざまな問題点もわかってくると思いますので、そういうことも含めて、一般的国民投票法、諮問的な国民投票法というものをつくってやってみて、その上で憲法について考えても問題がないのではないかなというように思います。これは前に本委員会の方でも申し上げたことがあるんです。

 住民投票も日本では割合あちこちで行われてきておりますので、一般的な国民投票というのが何か非常に違和感があるというわけでもないと思います。それをまず進めていってから、憲法という最も大切なものをどう取り扱うかを考えても遅くはないのではないかと思っております。

赤松(正)小委員 午前中の委員会でも申し上げて、今枝野委員からも御指摘いただいた点なんですが、私は、憲法を国会として発議するということについて、国民の皆さんの意思は那辺にありやというのは非常に重要なことだと思うんですね。枝野委員たち民主党の皆さんが一般的国民投票をどういうふうに考えておられるのか、あるいはまた、この間小林参考人が言われたことに対して党内で研究してみる価値があるとおっしゃったので、その辺はどういうふうなことを考えておられるのかなということに興味があったんですが、先ほどのお話で大体わかったような気がしました。

 ただ、私は、辻元委員が賛成されたような感じでは、大事なことではありますけれども、今この憲法をめぐっての国民投票の位置づけとしては少し種類、性格が違うのかなというふうに思っております。つまり、例えば憲法九条をどうするのかということについて、正直申し上げまして、私なんかも、自分の所属する党も含めて、また国会に所属しておられる各政党の議員の皆さんを含めて、正確な方向性というものがわかりづらい。先ほど本会議で辻元委員の方から大政翼賛会云々という話があった。気分は非常によくわかるんですけれども、しかし、そのことの持つ意味と今の日本の安全保障という問題に対する姿勢というものについては、なかなか一つではとらえられない側面がある。

 そういう点で、国会が先導的に発議をしていく、そして国民投票で国民の皆さんに意思を求める、これをやりますと、午前中にも言いましたように、ちょっと思っていたのと違うということで、結果的に、仮に我々が一生懸命組み立てた、そして発議を三分の二を得てやっても、国民の皆さんの明確な意識とのずれが生じるということになりやしないかというのがありまして、そういう点でなかなか工夫を必要とするところであろうかと思うんです。

 憲法改正という部分に限定した形で、大枠どういう方向性なのか。これもなかなか難しいところがあるかと思うんですけれども、先ほど私が言いましたように、家の改築というのに例えるならば、不適切かもしれませんが、あえてわかりやすく言うために、全面新築なのか、あるいは部分的改築、増築なのか、全く変えなくていいのか、変えるとしたらどこの間取りを変えるのかということについてぐらいの大枠の方向性というものを、どういうふうに提示するかという提示の仕方がまた非常に難しくなってくるんです。

 本来そういうのは衆議院選挙とか参議院選挙で国民に問うというのがあるが、それはまたしかし、なかなか問いかけづらい側面もあるなということで、なかなかまとまった形でここで発言できないのが非常に残念なんですけれども、イメージとしてはそういうものにしておかないと、私たちの意識と国民の皆さんの意識とが知らないところで大きくずれているんじゃないのかなという危惧を持ちます。

 この間の参考人のどなたかがおっしゃいましたけれども、それって世論調査をすればいいじゃないですか、そういう世論調査は既に出ていますよということではあるんですけれども、そういう従来行われているような世論調査とは違って、小林さんが言っていたような、ここの国会における私たちが全面的に責任を持つ形での国民の皆さんに対する問いかけというものが工夫されていいんじゃないのか。それは、余り細かく決めちゃったらまた後ほどの部分との整合性でずれが出てくるとまずいのであくまで大枠ということになろうかと思うんですけれども、そういう工夫がなされてしかるべきじゃないか、その考え方は先ほど船田委員が一番最後におっしゃったこととそう大きく違うものではない、そんなふうに思っております。

 以上です。

園田(康)小委員 私どもが提案をさせていただいておりますこの国政問題に係る国民投票、ある面注目をされておりますので、大変ありがたいお話だと思っています。

 といいますのは、当初は議論がちょっと逆転をしているんじゃないかなという気がいたしたのです。つまり、この憲法九十六条の規定にのっとって、まず国民投票手続を私どもはつくらなければなりませんねと。そして、そこに付随をして国政問題、重要な案件についての一般的、括弧して諮問的というふうに私どもは考えておりますけれども、国民投票というものも設けてはいかがかということで、本来ならばこの憲法は代議制であり、あるいは間接民主制を採用しているところの、ある面例外事項として直接的な国民投票というものを、九十六条の憲法改正のための国民投票だけではなくて、もう一つ例外的に、一般的な国民投票というものもある面考えられていいのではないかなと。

 しかしながら、これが有権的に法的な拘束力を持つ形になると今の憲法解釈上ちょっとまずいというところから、諮問的という形でいくならば、創設も考えられて、運用できるのではないかなというふうに考えたところでございます。

 したがって、その観点と、先にこれだけ突出して行うということには少し、ある面政策的なところでやろうと思えばできるのかもしれませんけれども、憲法上から考えていくとなると、やはり基本はこの憲法改正の九十六条の規定にのっとった国民投票から始まっていくという形が、一つ私は方向性として考えていただけないのかなというふうに思っております。

 それを踏まえた上で、先ほど来出ております世論調査的な国民投票というものをどういうふうに形づけていくのかというところを考えたときに、先ほど赤松委員からも御指摘いただいたように、有権的なこの国会における責任の持てる世論調査というところを、いわば予備的な国民投票という形で幾つかやっておくということをもって、国民のしっかりとした民意をつかみ取っていかなければいけない。

 この間の参考人の議論にもありましたように、国会が三分の二の賛成をもって発議をして、例えば、Aという問題に対してA1という発議で行われた、ところが、国民投票にかけたときにそれが否決をされたという場合に、実は、そのA1ではなくてA2あるいはA3という選択肢があってもよかったのではないか。そういう提案の仕方というものを、あらかじめ予備的な調査というものを行って国民投票にかけることによって、国民の皆さんがどういうニーズを持っていらっしゃるのか。これは、国民の皆さんというよりも主権者、この国の最終的な決定権者である国民がどういう形の憲法を考えているのかというところを、予備的な調査に基づいて、少しずつこの国会の中で合意を形成していくという、仕組みとしてこういう形があってもいいのかなというふうに思った次第でございます。

 したがって、国会が発議をする際に、一度国会内だけで合意をして、それで発議をしてしまった、それによって否決をされてしまったときに、一事不再議の原理も言われておりますので、状況が変わったから、じゃ、同じものをまた提案しましょうといっても、なかなかそれは難しいであろうというところからすれば、ある程度先にそういった予備的な調査を行うことによって、少しずつ国民との合意、あるいは国会内での合意、コンセンサスを、主権者、国民の意見というものを把握しながら行うことができるという意味で、この一般的な国民投票、国政問題に係る重要な投票というものも、ある面利用といいますか活用しながら行っていく必要を考えたいというふうに思います。

保岡小委員 民主党の一般的国民投票という御提案は国政上重要な案件について国民の意思を問う、こういう制度は、非常に関心を持ったというか興味深く思ったのは事実でございます。やはり、国民という主権者の意向をできるだけ踏まえて国政をやるという意味では、国民の意思を知る一つの有効なツールであることは確かであります。

 ただ、私は、これが国政上重要な案件ということになりますと、すぐれて政治的な判断を国民に求めるということで、さっき枝野先生が例に挙げられた、臓器移植法案の死をどう考えるかというような、立法機関が判断しなくても国民に直接聞いた方が立法の前提として立法機関の立法に資するようなケースもあるじゃないかというお話がありましたが、そういう案件であれば、むしろそういう立法が憲法の間接民主制に反するか反しないかというようなことで憲法審査会で議論していく、いわゆる関連する法案の合憲性などを含めて考える。しかし、その立案は、今度法案ができれば設置される憲法審査会の権限ではないというようなこと。

 あるいは、例えば予備的な憲法についての国民投票、有権的世論調査と小林参考人がおっしゃったような御提案であれば、逆にこれも、合意形成を図っていくときに、国会の合意形成をしていく上で国民の意思を事前に知るということは、もう先生方もお述べになったように非常に貴重な資料になる余地もある。しかし、一体どういう形で問うかということはこれまた非常に重要なことで、どういうことがまた問えるかもよく整理する必要もあるし、また、有権的世論調査を国会で議決して行うとしても、これは過半数でできるということであれば、この国民投票法制は一般の法律であるから、単純多数で成立していくわけですね、普通議決で。

 しかし、お互い、憲法改正のルールとして、私たちは、これを憲法と同じように三分の二の合意形成を大事にして、運用してこの法案の成立を図ろうとしている。こういう運用の工夫として、こういった予備的な国民投票、あるいは一般的な重要な国政に関する案件、こういったものを普通議決で発議できる、民主党の案はそうなっているわけですが、そうすると、制度上は与党だけでそういった国民の意思を問いながら進めることもできないことはないという仕組みになる。

 そういった意味で、仮に諮問的な国民投票であれ予備的な国民投票であれ、発議できる対象は何かということの議論をもう少しする必要があるし、また、議決要件はどうあるべきかというようなこともきちっと論議をする必要があるし、そういったことは、すぐれて憲法調査会において、憲法の枠内で、憲法と関連する重要な論議として我々が議論する責任があるんじゃないかということで、枝野先生が先ほど憲法審査会における議論の対象としてきちっと位置づけておくことも大事なことじゃないかという趣旨の御発言がありましたが、私もそういうふうに同感の思いがいたしました。

近藤小委員長 他に御発言は。

 それでは次に、投票権者の範囲について、まず、両案の提出者より、それぞれ御発言を願いたいと存じます。船田元君。

船田議員 投票権の年齢につきまして、国政選挙と国民投票は国民主権のあらわれとして共通の基盤の上に立っていると思います。したがって、選挙権の年齢と同一であるべきだというふうに考えてまいりました。諸外国の例を見ても、選挙権の年齢といわゆる国民投票の投票権年齢は一致していることが極めて多いということであります。したがって、本法律案では、公職選挙法と同様に投票権者の年齢要件を満二十歳以上としたものでございます。

 ただ、昨年及びことしの海外派遣による調査、あるいはまた文献調査によりまして、諸外国では十八歳以上の国民に投票権を与える例が非常に多いということも承知をいたしております。また、十八歳、十九歳の若年層にも、政治のみならずいろいろな点で立派な議論をし、また活躍をしている人々も少なくない、このように実感しております。

 この論点については、我が国の他の法制、社会的な制度への影響は非常に大きいものがあります。例えば、民法では二十にならないと一人前に契約もできない。刑事法におきましては、二十未満は少年として扱われるなど、特別な扱いを受けております。ちょうど二十というところがその境目になるということであります。

 そこで、成年年齢について定めている民法その他の法律にどのような影響を及ぼすのかということを我々は真摯に、しかも突っ込んで検討する必要がある、このように考えているわけです。しかし、諸外国の例を見ても十八歳以上ということが大勢を占めているということから考えても、できるだけ早く選挙権年齢とあわせて投票権年齢を満十八歳以上に引き下げることができるように前向きに検討していきたい、このように思っております。

 ただ、詳細につきましては、皆様の御意見を伺った上で、また最後にお話をしたいと思っております。

 以上です。

近藤小委員長 枝野幸男君。

枝野議員 私どもはもともと、十八歳成人というのをできるだけ早く、この憲法改正手続に限らず、十八歳成人にするべきであるということを主張してまいりましたが、少なくとも、それが実現できないとしても、憲法だけでも十八歳以上に投票権をというのを先行させるべきであるということで提起をいたしております。

 これは繰り返し申し上げてきておりますが、例えば選挙であれば、最長でも参議院議員の任期六年間を拘束するわけでありますが、憲法を一度決めたら、どこを変えるにしても、五年、十年で変わるような憲法改正をするということは余り想定していないだろう。相当長期にわたって日本を拘束するわけですから、できるだけ若い人に早くからそれに参加をする権利を認めるべきであるということで、選挙以上に若い年齢に早く認める必然性があるということでございます。

 ただ、筋として、憲法改正の国民投票だけでなく、全体的に十八歳成人にそろえるということは、これはこれで非常に正しいといいますか、あるべき姿だというふうに思っておりますので、もし船田先生、今のお話のとおり、そこをしっかりと担保していただけるのであるならば、そして、これは先ほどの一般的国民投票の話と一緒ですが、実は、成人年齢を何歳にするかというのは所管委員会がないんですよね。民法、民事法あるいは刑法等関連だけだったら法務委員会かもしれませんが、公職選挙法はまた別ですし、それから、さまざまな関連法律、どこまでが成人年齢を下げる場合に関連するのかというのは、実は複数の省庁、複数の委員会にまたがっていますので、むしろこれは、実質的な意味の憲法という意味で、憲法に絡む委員会のところがまずは決めて、それでほかのところはそれに準じて決めてくださいねというのがやはり筋だろうというふうに思いますので、そういったことをしっかりと担保できるのかどうかということが、我々としては強い関心を持って与党の議論は見守りたいというふうに思っております。

近藤小委員長 次に、各小委員の方々から御発言をいただきます。

船田小委員 御発言が少ないようでございまして、私もいろいろ考えてまいったんでございますが、今、枝野議員から、やはり十八歳、これが世界の流れでもある、また、憲法に関する国民投票はそうめったに行われるものではない、そのような特殊な状況を考えると、やはり公選法の規定が二十だからそれに合わせておけばいいというものでもない、これは十分理解できるところでございます。

 そこで、私ども与党案、それぞれ考えで提出をさせてもらいましたけれども、もし可能であれば、十八歳ということをメーンのところにきちんと提起して、そして附則のところで、例えば経過措置三年程度を置いて、この間に関連法令、それは先ほども指摘されましたように、成年年齢を決めている民法や、公職選挙法や、それから少年と成年を分けております刑事法、そういうものを改正する、その改正の措置をきちんととるということをやはり明記させていただく必要があるだろうと思っております。そして、そういったものが措置されるまでは、なおこの経過期間は二十ということでいくのが順当なやり方ではないかな、そういうふうに考えております。

 本則を十八、そして経過措置としてなお附則に二十というのが続く、こういう制度設計で対応できればよろしいのではないか、こう考えております。

枝野小委員 本則十八歳ということを御発言いただきましたことは、高く評価をしたいというふうに思っております。

 本則十八歳ということであるならば、経過措置がある程度あって、ほかの法律も含めて十八歳成人にそろえたいということについては、私どもも積極的に受けとめたいというふうに思っております。

 あとは、多分、十八歳成人の関連法令の整備は、議員立法でやるのは恐らく不可能に近いぐらい困難な、かなり広範なところに微妙に絡んでくるだろうと思いますので、実は、憲法については内閣は絡ませないということでありますが、憲法ではありませんので、内閣にもちゃんと担保をとるというようなことについて今後御検討いただければ、今のような線というのは非常に前向きに我が党として受けとめたいというふうに思っております。

近藤小委員長 他に御発言はありませんか。

 それでは、これにて項目ごとの自由討議は終了いたしたいと思います。

 本日、審査に付しました事項全体について、自由討議を行いたいと思いますので、御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

枝野小委員 あえて触れなくても、後で本委員会のところでお話ししてもいいかなと思ったんですが、やはり若干誤解が残るといけませんので。

 憲法改正限界とそれの司法審査との絡みで笠井先生などからお話がありましたが、現行憲法を大事にするという立場からは、若干その議論は危ない議論ではないかというふうに思っております。

 現在の一九四六年憲法は、いわゆる明治憲法の改正手続を便宜上使って制定をされた憲法でありますが、明治憲法の改正限界を憲法論的には超えている憲法典であるのは、これは憲法学界ではほぼ常識、通説になっている。つまり、革命憲法であると。一九四五年の八月に実質的な革命があって、それに基づく新しい憲法が従来の憲法の改正手続を便宜上使って制定されたという理解であるというふうに思っています。したがって、憲法改正限界を超えた憲法は司法審査に付されて無効であるという論に立つと、現行憲法が明治憲法に照らして違憲、無効であるという議論につながってしまうと思います。

 これは、私はそういう立場には立たない。つまり、憲法には当然改正限界はありますが、政治的に適正な手続を踏んで国民に支持をされてつくられた新しい憲法、それは旧憲法から見ると革命であって、改正限界を超えたものでありますが、しかし、それは新しい憲法として正統性を持つ、そういった前提に立たないと、現行憲法の正統性は私は説明がつかない。

 したがって、現行憲法の解釈としても、当然改正限界がある以上、私たちは法的には改正限界を超えた発議をすることは禁じられていますけれども、しかし、もし改正限界を超える発議がなされ、それを国民の多数が支持するという事態があったときに、それを事後的に現憲法における最高裁判所が司法審査で無効とするということは矛盾になるんではないかというふうに思っておりますので、これは、政治論というよりも憲法論の世界の話かと思いますが、ぜひ、現行憲法は正統である、現行憲法を大事にするという観点からは、慎重に御検討をいただければありがたいというふうに思っております。

辻元小委員 今、憲法の改正の限界をどう考えるかという枝野議員からの意見をお聞きしました。これはこの小委員会の持ち方の問題にもかかわるんですが、これは本委員会でもやった方がいい問題であると思いますので、今の枝野委員に対しての意見は本委員会での質疑の中でやりたいなというように思うんです。

 というのは、私は本委員会の方でもずっと、憲法改正の限界をどう考えるかということについてもきちんと私たちは議論すべきであるということを、取り扱いについても申し上げてきたとおりで、この小委員会で数人の中で議論するよりも、本委員会でしっかりとやるテーマではないかと思いますので、そこでぜひ与党の提案者の御意見も伺えればいいんではないかというように思っております。

 後ほどまた理事懇談会などで小委員会の持ち方の議論をしていただくことになるかと思いますけれども、やはり、私たちはこの法案そのものに反対なわけで、今回、自由討論を見ておりましても、先ほどの十八歳か二十かというところもそうなんですが、それぞれ、与党とそれから民主党の案のすり合わせと言ったらおかしいんですけれども、をやっているふうに思えてならないわけですね。ですから、今後の小委員会の持ち方についてもしっかり議論をしていただきたいと思います。

 それは先ほど赤松委員から御指摘があった点とも関係すると思うんですが、やはり、国民との乖離が起こるということを一番私は懸念しております。一部の人たちのところで議論が煮詰まっていくというのではなく、まずやはり本委員会で基本の今の改正議論なども含めてしっかり行うということをしていった方がいいのではないかと思いますので、後ほど御協議をいただきたいと思います。

 その他の論点については、以前から小委員会でも取り上げられたようですけれども、例えばきょうお配りいただきましたレジュメの中にも、国民投票の期日を発議日から六十日以後百八十日以内にすることの是非についてというのを、その他のところにも書いてありますが、これについても、以前から申し上げておりますけれども、例えば最長の百八十日といっても六カ月です。六カ月というと大体通常国会が六カ月なんですけれども、大きな法案であれば、国会の中ですら一法案上げることは難しいというようなのが六カ月であるということは、皆さん肌で感じていらっしゃると思うんですね。

 ですから、小さな改正になるかもしれないという想定のもとでの発言もございましたけれども、やはりこの期間についてはもう少し見直す必要があるのではないかとか多々意見もありますが、また本委員会での質疑もありますので、この場だけで議論をするよりも本委員会での議論の方がいいのではないかと思いますので、本委員会でまた改めて質疑時間をとっていただいて、今まで出てきた問題もしっかり質疑していきたいなというように思います。

保岡小委員 先ほど枝野先生から、国民投票の投票年齢に関連して、要するに十八歳を成人年齢にするということで大きな方向としては一致したことについて評価をしていただいたんですが、枝野先生も御指摘のように二十四、五はあると言われる成人年齢、これはいろいろな制度の資格要件になったり、先ほどから出てきた民法、刑法、選挙権、こういった非常に重大な要件にもなっていて、恐らく成人年齢を十八歳に下げるということは日本の教育に与える影響からいろいろ大きな影響を伴うものである、日本の国の基礎を大きく左右する問題であろう、そういうテーマじゃないかと思います。

 したがって、確かにこの委員会としてそれが全部議員立法でできるはずがないので内閣提案になるということもそのとおりだと思いますが、政府がそれにコミットメントするということは、政府の方で上から何か決定してそれを全部十把一からげに何か決めるということは、なかなか今の段階では難しい。我々としては、やはり、これは政府・与党ですから、与党できちっと決めたことは政府が責任を持つということでもあろうと思いますが、そういう大きな方向について理解を示して努力をしていく、政府・与党で。そういう政府の決意を示すということは可能かもしれません。

 そういうことも含めて、枝野先生のお考えというもの、そして我々、また委員長を中心にいろいろと相談をして、その辺をまたできるだけこの委員会として対応すべきところを見出していきたいと存じます。

笠井小委員 幾つかあるんですけれども、一つは、全体として、きょう自由討議という形でやってみて、私も、どんなふうになるのかというか、つまり理事懇や理事会でも申し上げたんですが、位置づけと目的は何なのかというと必ずしも明確でないということになったと思うんですよね。それぞれ意見を述べて、質疑でもなくという形になったわけだし、だから、そこのところはやはり今後の教訓にする必要があるだろうというふうに重ねて思っております。

 例えば、自由討議ということで、意見交換ですから、私が申し上げたことに対して御意見がありましたのでまた言いたいということになれば、これ自身エンドレスの話になるんですが、法案が出ている中での法案審議なので、そこは踏まえないとなかなかきちっとした審議ができないだろうということを感じております。

 例えば、幾つか出た問題でということで、どうしても、ここで一言申し上げればという問題が出てくるわけです。枝野委員からボイコットに関連して意見がありましたけれども、例えば、私たち、私自身はボイコットしろとかボイコットが改憲の中で起こるだろうということを前提にして話をしているわけではないんですけれども、要するに、いろいろな意思表示の形態が国民としてはあるだろう、しかし、だから行かないとかボイコットとかいろいろなことをでは有権者の責任にできるかというとそういう問題じゃないわけで、そこは主権者国民の意思をどう最大限酌み尽くすのかというところで考えられなきゃいけない問題がそうなっていないじゃないかということを言いたかったというのが一つあります。

 それから、例えば、九十六条に最低投票率が書いていないじゃないかというお話もあったんですが、これは辻元委員も言われましたけれども、過半数の承認ということで、過半数というのをではどういう過半数かというのは、これはまさに九十六条の中身をどう具体的に考えるかという直接九十六条に係ることであって、きょう午前中ありましたが、両院協議会については、憲法五十九条、六十条で法律案、予算ということを明記してあるけれども、改憲についてはないわけですから、根拠を聞いても、それは根拠というふうに言えなかったわけですが、そういう問題とは明らかに次元が違う問題だというふうに思ったわけです。

 それから、言い出せば幾らでもありますが、先ほどの改正限界の話も、率直に言って、枝野委員から言われたのはすりかえがあるなというふうに思ったんですが、先ほど保岡委員から、結局、発議をするのは国会であり、最終的には国民が決めるんだと。

 ただ、発議に対する訴訟という問題になったときには、やはり具体的な問題というのが問われてくるわけで、いわば戦後の、革命と先ほど言われたけれども、世の中がひっくり返るような状況の中で、では国民自身がどういう選択をするかというときに、明らかに違う今のもとで、例えば、自民党が出されている新憲法草案というのは現実に国民が目にしているわけですけれども、これについては、公権力の行使を制限する憲法の性格を変えるというような形で、実際にもいろいろな参考人からもありましたし、いろいろな批判もあるということであるわけです。

 枝野委員の言葉をかりれば、本会議でかなり強く言われていたけれども、自民党の新憲法草案は憲法の定義を全く理解していない論外のものだ、憲法が国民から公権力に対する授権規範であり制限規範であることを考えるとイロハがわかっていない議論だということまで言われたわけだけれども、そのような自民党を含む改憲派が提案するということになって、では改憲原案が改正限界を超えるのかどうかという問題については、超えないと断ずるのは全く根拠がないという問題が出てくると思うんですね。

 だから、そういうことを言い出すといろいろあるんですけれども、やはりこれはきちっと、いずれにしても、審議の中で質疑を通じて提出者に対してただしていくということでやりたいなというふうに感じました。

 それから、先ほどもちょっとありましたが、投票の期日の問題も、六十日以後百八十日以内とする是非についても、私も、これはきょうは議論済みという形になっちゃってはいるんですが、これ自身は時間をとってやはり審議が必要だというふうに考えております。例えば、法案提出者からは、長くすれば間延びする、技術的な改正なら六十日でも可能だと言うだけで、なぜこの日数なのか根拠が示されていないと思います。しかも、国民が改憲案を理解して討議して判断するという関係や、発議した側の冷却期間の関係など、さまざまな論点が残っていると思うんですね。これは、改めてこれ自身も、ここでやるかどうかというのはありますが、委員会での審議というのはきちっと時間もとって必要だろうということは、きょう改めて感じています。

 最後になりますが、きょう、自由討議という形になりましたが、四点テーマがありました。いずれも我々の中でいろいろ意見交換するというのもあるんですが、現実にこういうテーマについては、例えば過半数の意味も含めてきょう四点ありましたが、参考人としてぜひ意見を述べたいというふうな方々がいることも承知しております。そういう点では、きょうのテーマについては、この自由討議で終わりというのじゃなくて、やはり改めて、小委員会なり本委員会でもいいんですが参考人をお呼びして、こういうテーマについても意見を伺うというのが不可欠ではないかということを最後に申し上げたいと思います。

近藤小委員長 それは、笠井先生、理事懇で協議をさせていただきますので。

 他に御発言はありませんか。

 それでは、発言も尽きたようですので、以上で自由討議を終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時十八分散会


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